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神隠しと日本人
小松和彦
目次
文庫版まえがき
プロローグ
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不思議な出来事/異界の消失/神隠し願望
文学作品のなかの「神隠し」/異界に遊ぶ
第一章 事件としての神隠し
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村の失踪事件/帰ってきた失踪者
家出・自殺・神隠し/束の間の失踪
神隠し幻想/狐に化かされる/体験者の証言
「神」に選び出された者/「神隠し」へのアプローチ
第二章 神隠しにみる約束ごと
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神隠し譚《たん》の類型/夕暮れどき
隠れ遊び=隠れん坊/隠れ遊びの約束ごと
神と人が融け合うとき/鉦《かね》・太鼓による捜索の作法
音による異界との交信/神隠し事件の四つのタイプ
やさしい社会のコスモロジー/失踪者の異界報告
天狗《てんぐ》信仰/天狗と異界イメージ
人間界と異界の媒介者としての少年/行方不明の娘たち
神隠しの理想型と諦《あきら》めの儀式
第三章 さまざまな隠し神伝説
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民俗社会の異界イメージ/隠し神としての天狗イメージ
天狗信仰の歴史/妖怪《ようかい》から怨霊《おんりよう》へ
江戸時代の天狗隠し/狐隠し/幻想の人間社会
狐はなぜ人をだましたがるのか/鬼のイメージ
鬼と天狗/酒呑童子《しゆてんどうじ》伝説
対抗世界としての鬼の王国/山姥《やまんば》から口裂け女へ
「脂取《あぶらと》り」と纐纈《こうけつ》城
第四章 神隠しとしての異界訪問
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浄土=ユートピアとしての異界/夢と異界訪問|譚《たん》
異界体験談から昔話への変換
異界の時間・人間界の時間/人間と神との交換
「いばら姫」と「浦島太郎」の時間比較
超時間装置「四方四季の庭」/社会復帰する「竜宮童子」
異界イメージの多義性
第五章 神隠しとは何か
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現代の失踪事件/「神隠し」のヴェールを剥《は》ぐ
人さらいと大袋/人身売買のネットワーク
児肝取《こきもと》り伝承「阿弥陀《あみだ》の胸割《むねわり》」
神隠しの現実隠し/夢が異界へいざなう
神隠しなき時代/社会的な死と再生の物語
参考文献
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文庫版まえがき
この本は、十年ほど前に書いたものである。一橋大学の教授であった阿部謹也氏から、氏が企画に参加していた『叢書《そうしよ》・死の文化』の一冊として、「死」に関わる民俗についてなにか気になっていることがあったら書いて欲しい、と頼まれた。そのとき、ふと思いついたのが、「神隠し」という現象であった。
それ以前から、私は漠然と忘却にまかされている「神隠し」について一書を編んでおきたいと考えていた。高度成長期を境に急速に私たちの周囲から消え去っていったさまざまな「民俗」事象のなかでも、ことのほか気になっていた現象であったからである。「失踪《しつそう》」――「社会的死」――「肉体的死」。「神隠し」という伝承は、そうしたことを考える手がかりを与えてくれるかもしれない。そんなことを思い浮かべたのであった。
そこで、まだ十分に資料が揃《そろ》っていたわけではなかったのだが、「神隠し」の「墓碑」を建てるつもりで、勇気を出して書いたのが、この本なのである。したがって、この本の中身はいわばその碑面に記された「墓誌」ということになるのかもしれない。
ところが、それから十年ほど経った今、まったく思いもしなかったことであるが、忘却の闇のなかに沈んでいた「神隠し」という古めかしい言葉が蘇《よみがえ》ってきた。いうまでもなく、昨夏に公開された宮崎駿のアニメーション『千と千尋の神隠し』がきっかけであった。「神隠し」という語はタイトルに用いられているだけで、作品のなかには出てこない。しかし、主人公の千尋が、新興住宅地に引っ越してきたとき、家族とともにそのすぐ近くの廃墟になったテーマパーク(現代版「お化け屋敷」にふさわしい所である)に足を踏み入れ、しばしの間異界に誘い込まれて冒険(修行)を重ね、最後にはこの世に帰還するという趣向は、たしかに伝統的な「神隠し」のパターンを踏んでいる。つまり、その伝統に従えば、千尋はまぎれもなく「神隠し」にあったのである。
かつての日本人は、自分たちが住む世界の「向う側」に「異界」と呼ぶことができるもう一つの世界を信じており、そこから自分たちの世界に忍び込んできた「もの」(広い意味での神)に、ふと取り隠されて、異界に連れ去られてしまうことがあると信じていた。「もの」に取り隠されたのだ、としか言いようのないような不思議な失踪事件。それに対して人びとが貼りつけたのが、「神隠し」というラベルであった。
現代社会から、昔なら「神隠し」というラベルを貼りたくなるような事件が無くなったわけではない。いやむしろ、その種の事件は増加しているといっていいかもしれない。たとえば、私たちの記憶に新しい、二〇〇〇年に発覚した、新潟県柏崎市の男性が、その九年前から同県三条市の少女を誘拐し自宅に監禁し続けていた事件などは、そうしたラベルを貼りたくなるような事件であった。ひょっとしたら、少女が失踪したとき、この周囲の誰かの口にこの言葉がのぼったかもしれない。二〇〇一年の六月には、広島県世羅町で、女性教師を含む一家四人と飼い犬が、忽然《こつぜん》と失踪する事件があった。やはり「神隠し」というラベルを貼りたくなる事件であって、実際に地元の人たちの間では「神隠し」という言葉が出たと報道されている。この種の事件は現代でも頻発しているのである。ただ、昔と違って「神隠し」というラベルを貼らなくなっただけなのである。
この本は、「神隠し」という現象もしくはそうみなせるような現象を、民俗学的な視点から、可能な限り解き明かそうとしたものである。もちろん、「神隠し」がそのまま昔のような意味で復活することはもうないだろう。しかし、「神隠し」という現象に託されていたさまざまな意味や役割を思い起こし再検討する作業は、現代人の生活を反省する手がかりになるのではなかろうか。
なお、原題は「神隠し――異界からのいざない」であったが、文庫化するにあたって、「神隠しと日本人」と改めた。また、内容も若干の加筆・修正を加えた。
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プロローグ
不思議な出来事[#「不思議な出来事」はゴシック体]
私たちの日常生活のなかで「神隠し」という語があまり用いられなくなってからかなりになる。いつの頃からかは地域差があって一概にはいえないが、およそのところをいえば、都市化の波が急速に地方に及んだ昭和三十年代の高度成長期以降からのようである。
「神隠し」という語だけではない。この頃から多くの民俗事象が日本の各地で衰退し変質しもしくは消滅していった。
「神隠し」とはいったいどのような出来事をいうのだろうか。「神隠し」にもいくつかのタイプがある。たとえば、昭和四十年に発表された大塚安子「秋山紀行余談」のなかに紹介されている次のような話は、民俗社会の典型的な「神隠し」の一つであるといえるだろう。
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「そうした話なら、いつのことだつたかねエ」
八十才になるおばあさんは話しだした。
部落の三つになる女の子が、どうしたのかいなくなつた。なんぼ探してもいない。まつたくえらい騒ぎをして秋山中手わけをして探し歩いた。それでも居ない。
一昼夜がたつた。
誰かが叫んだ。
「おーイ、川の底に居るぞウ」
どうしたことか、部落の道から百メートルも下の中津川の渓底《たにそこ》に子供が動いている。河原の石ころの上に坐《すわ》つているようだ。
「やーエ、そこ動くなイ」
大人たちはそこまで降りてゆくのに命がけで半日かけた。そんなところにやつと歩くような子がどうしておりていつたものか。一昼夜も物を食べなかつたのか、水でものんでいたのか。谷底まで自分で行つたものか、ナニモノかに連れていかれたのか。
「その天狗《てんぐ》というモノの仕業かネエ。不思議なことでした」
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この話は、採集者が天狗の話を聞いていたとき、そばでそれを聞いていた八十歳になるという老婆が、昔あった事件として語ったものである。文中には「神隠し」という語は出てこない。だが、三歳の女の子が、一昼夜の間姿を消していたことを、天狗≠フ仕業と考えているので、明らかに民俗学でいう「神隠し」と呼びうる事件であった。つまり、この女の子は、一昼夜の間、天狗に隠されていたのだ。
ところで、「神隠し」という語は用いられなくなったが、かつて「神隠し」と呼んだようなこの種の出来事が私たちの周囲から消えてしまったわけではない。右の話と同じような事件は現在でもしばしば発生しているのだ。
幼児が遊びに出かけたまま帰らなかったため、町内会の人たちや警察署員や消防団員たちが近くの盛り場を探し回ったり、山狩りをしたり、川の底をさらったりして捜索していたところ、山の中で動けなくなっていた子供を発見し救出した、といったような内容の新聞報道を、私たちはときどき目にするはずである。
しかしながら、現在では家族や捜索に関係した人たちは、昔のように「天狗というモノの仕業かネエ」というように発想しようとはしない。道に迷って夢中で歩き回っているうちに発見現場まで来てしまったと考えるだけであろう。たとえ「不思議なことでした」といえるようなことが生じていたとしても、それは「不思議」のまま、まともに説明を与えることなく、人びとの思考の外に放り捨てられてしまうのである。
異界の消失[#「異界の消失」はゴシック体]
新聞が報道するほどの行方不明は、消息を絶ってから数日を経てその生死が危ぶまれる段階に達してからであって、一昼夜程度では新聞記事にもならないだろう。まして、デパートなどに買い物に出かけたり、遊園地に遊びに出かけたりしたとき、親が目を離した隙《すき》に子供を見失ってしまい、数時間後に「迷い子」になっていた子供を発見するといった事件は全国至るところで無数に発生している。
たしかに、「迷い子」などは取るに足らないささいな事件である。だが、当事者たちにとっては「大事件」である。親たちは子供を見失い、数時間経ってもなお発見されないと、不安がつのり、「もしや誘拐されたのでは」「交通事故にでもあって病院に運ばれたのでは」といったよくない[#「よくない」に傍点]想像をめぐらすことだろう。幼児の数時間の「迷い子」でさえそうなのである。一人で判断し行動することができる中・高校生や大人の男女が幾日も行方不明になったときは、さらに「家出したのか」とか「事件に巻き込まれて殺されてしまったのではないか」といった深刻な事態さえ想像することだろう。そして実際、そうした可能性のうちの一つが理由で行方不明となっていることが多いのだ。
現代の私たちは、こうした大小さまざまな失踪《しつそう》事件を前にして、「天狗に隠されたらしい」といったふうに考えることはもうしなくなってしまった。「神隠しにあったみたいだ[#「みたいだ」に傍点]」ということはあるにしても、迷い子になった子供を警察に引き取りに行く親が、「子供は天狗に隠されたのだ」とはけっして思わないだろう。
事件発生の原因はこの人間社会の内部にあり、その結末に至る一切のプロセスもまたこの人間社会の内部にあると考えているのである。要するに、私たち現代人は人の失踪・行方不明という出来事を、「神」とか「モノ」といった存在を介入させて理解することをやめてしまったのだ。
しかし、かつての日本人は「異界」と呼ぶことができる世界を信じており、その世界から人間の世界に忍び込んできた「モノ」(神)にふと取り隠され、「異界」へと連れ去られてしまうことがあるのだと考えていた。不可解な失踪事件が起きたとき、人びとは「異界に連れ去られたのではないか」、つまり「神隠しにあったのではないか」と考えたのである。
それが現代人の眼からすれば、たんなる「迷い子」や「誘拐」「家出」等々として判断される事件であったとしても、「神隠し」とは、かつての人びとにとっては失踪事件を説明づけるための幻想のヴェールであったのだ。
こう考えてくると、どうして「神隠し」という語が用いられなくなったのかが少しは明らかになってくる。すなわち、私たちは「神隠し」の原因とされる「神」を信じなくなってしまったのである。「神」の棲《す》む領域としての「異界」を失ってしまったのである。
神隠し願望[#「神隠し願望」はゴシック体]
「神隠し」とは、ある日、突然、子供などが日常世界から消え失せてしまうことである。残された人びとは、共同体の外部へと誘い出された失踪者のその後≠ノいろいろな思いを巡らせ、多くは暗い気持になる。つまり失踪者を待っているのは悲惨な運命だと想像する。だが、その一方では、ひょっとしたら人間世界の苦しみから解放され、神の保護のもとで楽しい生活を送っているかもしれないとの思いも抱くのではなかろうか。失踪者は新しい世界、神の国=ユートピアに去ったのである、と。「神隠し」という言葉が、暗く悲惨な響きのみでなく、柔和で甘美な響きを併せもっているのは、こうした二面性によっているのであろう。
読者は、「神隠し」という言葉を聞いたとき、この二面性のうちのどちらの方のイメージをまず思い浮かべるだろうか。
私の場合は、「神隠し」を神が人びとを異界へといざなう甘いささやきのようにイメージしてきた。私は幼い頃から「神隠し」に憧《あこが》れをもっていた。子供には「家出願望」があるというが、私の「神隠し願望」はそれに近いもので、自分から進んで未知の世界へと踏み出す勇気がなかったので、何者かが強制的にそうした世界へといざなってくれることを夢見ていたのである。
「神隠し」という語には、たしかに恐ろしいイメージもいっぱいつまっていた。にもかかわらず、肯定的な面の方が浮かび上ってくる。おそらく、私の頭のなかには、『ピーター・パン』のネバーランド≠竅wはてしない物語』のファンタージエン≠フような世界にいざなわれて、さまざまな試練の旅を楽しみたいという願望があったのだろう。『トム・ソーヤーの冒険』のように、日常世界の向う側にある見知らぬ土地に行って冒険してみたいと思っていたのだろう。「神隠し」はその「通路」のようにイメージされていたのだ。
したがって、幼い頃の私は、神隠しにあって日常世界の向う側に行けた人びとをとてもうらやましく思った。ファンタジー小説や伝奇小説、冒険小説の主人公の波乱万丈の物語が神隠しにあって向う側に消え去っていった人びとを待っているのだと思っていたからである。その冒険を無事に乗り越えてこちら側の世界に帰還することができたなら、彼は英雄として迎えられるだろう。逆のいい方をすれば、「家出」なり「神隠し」なりの方法で、日常世界の向う側に出かけないかぎり、英雄になれないと思っていたのである。
すなわち、「神隠し」とは、異界にいざなわれ、その世界を見たり、体感したりして、再び人間の世界へと帰還してくるという特別な体験であった。神隠しにあった者は、神に選ばれた者であり、神にその世界を見ることが許された者であり、そしてその世界のことを人びとに語ることができる者なのである。しかし、そのために、人間社会のなかでは周縁的で特異な役割を担わされることになるのである。
私のいだいていた「神隠し」のイメージは、このようなものであった。要するに、振り返って考えてみると、私は「神隠し」のなかに、人類学でいう「通過儀礼」や「擬死再生」「母胎回帰」「始源の時への回帰」といった特徴を見出そうとしていたのであった。
文学作品のなかの「神隠し」[#「文学作品のなかの「神隠し」」はゴシック体]
「神隠し」体験に着目してそれを作品のなかになんらかの形で描き込んだ文学作品は多い。
神隠しを扱った作品は、大きく三つの系統に分けられる。一つは、神隠しという神秘的な失踪解釈装置をそのモチーフに用いながらも、最終的には神隠しという現実|隠蔽《いんぺい》装置を合理的な思考によって剥《は》いでいって、その下に隠された人間世界の現実を明らかにする、といった趣向の作品である。推理小説によく見られるタイプで、たとえば、平岩弓枝の『神かくし』などはその典型だろう。
いまひとつの作品群は、神隠しが想定する異界の存在を肯定し、ふとしたことからそのような世界に踏み込んでしまった者の不思議な体験を物語るといった趣向の作品である。いわゆる異界ファンタジーによく見られるもので、この種の作品では神隠しといった言葉が出てくることはまれで、読者が神隠しという語を知っていれば、その言葉を主人公の異界訪問に当てはめることになる。私たちが論じようとしている「神隠し」体験に相当するモチーフである。たとえば、高橋克彦の『星の塔』がこの種の作品の典型である。
さらに、もう一つの作品群が、神隠しにあうあるいはあいそうになる、神秘的で異常な精神・心理状態を、そうした体験をした者の側から描いた作品群である。石井睦美の『おじょうさん、おはいんなさい』などがこの種の作品である。
コミックやアニメーションでも、神隠しのモチーフはけっこう重用されている。私はこの方面には明るくないのだが、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』はいうまでもなく、『となりのトトロ』もそうした側面をもっており、西岸良平の『夕焼けの詩』には神隠しというラベルを貼ってもおかしくないような体験が幾度となく描かれている。杉浦日向子の『百物語』にも、天狗にさらわれる話が載っている。
もっとも、ここは、神隠しのモチーフを用いた文学作品やコミックの考察をおこなう場ではない。そこで、泉鏡花の作品と大江健三郎の作品の二つを紹介するにとどめよう。
泉鏡花の「神隠し」の描き方と大江健三郎の「神隠し」の描き方はまったく対極にあるといっていいほどの違いをみせている。
泉鏡花が生まれ育った時代は、まだ周囲に「神隠し」が頻繁に発生していた明治時代であった。「神隠し」は日常生活を彩る不思議な光景の一つであった。多くの人びとがまだ異界の存在を信じ、ある日、突然、その異界に人をいざなっていくモノがいることを信じていた。泉鏡花自身もその一人であったといっていいだろう。たとえば、明治二十九年に発表された『龍潭譚《りゆうたんだん》』はまさしく「神隠し」体験、神隠しにあう幼児の内的体験として描いた傑作である。泉鏡花が幼少期に神隠しにあったかどうかは詳《つまび》らかでないが、泉鏡花による「神隠し」の記録といっていいものである。
主人公の幼児千里が、ひとりで家を離れて野に出てはいけないという、姉の戒めを忘れ美しいつつじの花にみとれているうちに道に迷ってしまい、鎮守の境内で遊ぶ子供たちに誘われて「隠れんぼ」をする。鬼の役に当たったが、さて隠れている子供たちを探そうとしても、子供たちはどこにもいない。子供たちは夜の闇が深く迫ったので、鬼の役の千里を置いて帰ってしまったのだ。一人取り残された彼のもとに「顔の色白く、うつくしき人」がふいに現われて、彼を人里離れた山里へといざなって行く。彼はこの女に亡き母の面影を見出し、その女の豊かな乳房を口に含ませてもらって一夜を過ごし、翌朝、家の前まで送り届けてもらう。幼児は戻ってきた日常世界がいかにもよそよそしく異和感に満ちた世界に思えて再びさまよい歩き始めるのだが、その途中で叔父《おじ》に見つけられ、魔物に取り
憑《つ》かれたとみなされて暗い部屋に閉じ込められ、姉に魔物を祓《はら》い落とすのだといって寺に連れて行かれて祈祷《きとう》をしてもらうことになる。こうして彼はこの世に戻ってくるのである。
泉鏡花は、この「神隠し」のなかに「母胎回帰」「母性思慕」のイメージを託した。堀切直人は、この作品を論じたエッセイのなかで次のように述べている。「彼《か》の女《ひと》は、三年前に逝去した幼な児の母の甦《よみがえ》りにほかならぬであろう。そして、沼のほとりに、九《ここの》ツ谺《こだま》なる人里はなれた谷のなかにある彼女の家は、沼地の水をくぐってようやく垣間見られる山中の隠れ里であり、山に囲まれ外界から閉じられ守られている母胎的な安息空間であるだろう……この母の面影の打刻された女に庇護《ひご》されて眠る一夜こそは、異界という名の原故郷においてついにふたたび見出されたユークロニアでなくしてなんであろうか」(『迷子論』)。
では、大江健三郎の場合はどうだろうか。彼の生まれ育った時代は、すでに述べたように「神隠し」が日常世界から退場しつつある時代であった。彼は愛媛県の山村で育ったので、「神隠し」の話をきっと耳にしたことがあったろうと思う。しかし、泉鏡花の時代とは違って、少し昔のこととしてその出来事を聞いたのではなかろうか。大江の場合は、「神隠し」を「臨死」体験者の話やシャーマンの入巫《にゆうふ》儀礼の夢見についての報告、あるいは「神隠し」についての調査報告などによりつつ、知的構築物として提示する。彼は想像力によって「神隠し」を体験するのである。たとえば、『M/Tと森のフシギの物語』では、次のように語られる。
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いまあらためて年月を秩序立てるようにして思い出してみると、僕はこの神隠し[#「神隠し」に傍点]に会った時、まだ祖母から森のなかの盆地の言いつたえを話して聞かされる年齢に達していない、それだけ幼い子供であったのです。それでいて僕はずっと、あれはもう村の神話と歴史をあらかた話して聴かせられた後だったと思いこんできたのでした。それは神隠し[#「神隠し」に傍点]で森にいる間、終始「壊す人」の勢力下に入っているという気持でいたからだと思います。事実それは神隠し[#「神隠し」に傍点]の記憶の核心をなしているのです。
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また、『M/Tと森のフシギの物語』のヴァリアントともいうべき『同時代ゲーム』の主人公の「僕」は、幼い頃の「神隠し」体験の様子を、こんな風に語っている。
真夜中、皆が寝静まったのをたしかめて、素裸になり、母が残した化粧道具箱から紅の粉を取り出して、顔から胸、腹から腿《もも》、それにチンポコから尻《しり》の割れまで塗りたくって、森のなかに入っていった。森のなかをさまよいつつ、さまざまなヴィジョンを見たり、「壊す人」の気配を感じ取る。そしてそうした体験の末に、「僕」は途方もないものを、その肉体と精神のなかに取り込むことになる。
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妹よ、あの六日間の経験以来、僕の肉体と精神のなかには、確かにその外縁はかぎられているが、そのなかは層をなして無限の広がりをもつ、小宇宙としての森がはいりこんだのだ。それも僕が、やすみなくその内部を経めぐりつづけたとおりの……あの六日間に経験した森のなかに、現実としてあるのを僕は自分で見たのだ。バラバラに解体された壊す人のすべての破片を覆うために歩いていた僕の眼の前に、分子模型の硝子《ガラス》玉のように明るい空間がひらき、樹木と蔓《つる》に囲われたそのなかに「犬|曳《ひ》き屋」の犬や、シリメがいるのが見えた。そのようにして僕は次つぎにあらわれて来る硝子玉のように明るい空間に、ありとあるわれわれの土地の伝承の人物たちを見たのだった。それも未来の出来事に関わる者らまで、誰もかれもが同時に共存しているのを。
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大江健三郎の思い描く「神隠し」は、泉鏡花よりもはるかに知的に洗練された体験になっている。彼にとっての「神隠し」とは、「われわれの土地の神話と歴史のすべて」を教えてくれる時空であり、「始源の時」「永遠の夢の時」なのである。したがって、「神隠し」から帰還した彼は、「村」の神話と歴史の語り部《べ》となり、未来の出来事についての予言者となるのであった。
異界に遊ぶ[#「異界に遊ぶ」はゴシック体]
フィクションの世界や現代人の生活のなかで「神隠し」のイメージは個人の想像力によってふくらまされていく。私も私なりにイメージを勝手にふくらませた一人である。
しかしながら、そのもとになった民俗社会の「神隠し」とはいったいどのようなものであったのだろうか。かつての日本人が「神隠し」に託していたイメージは、泉鏡花や大江健三郎などの作家や私が思い描いていた「神隠し」とどの程度まで重なり合うものであったのだろうか。
ある時、ふと私はそんな思いに取り憑かれて少しずつ民俗社会における「神隠し」について考えるようになったのである。民俗社会の「神隠し」の実態については、すでに柳田国男の『山の人生』という著作がある。また資料集としては、私たちは松谷みよ子が編集した『河童《かつぱ》・天狗《てんぐ》・神かくし』をもっている。しかし、それにもかかわらず、私たちは民俗社会の「神隠し」について、まだ充分な理解をえるまでには至っていないように私には思われるのである。
民俗社会における「神隠し」とはどのような出来事であったのだろうか。神隠しにあった人はどこに行き、そこでどのような体験をしたのだろうか。いったいいかなる神霊が人を異界へいざなったのだろうか。
この小著では、こうした「神隠し」をめぐるフォークロアを吟味しつつ、それを信じていた日本人のコスモロジーを明らかにしてみたいと思う。それは必ずしも直接的に「死の文化」にかかわるものとはいえないが、広い意味で日本人の「死の文化」を考える、おそらくは重要な素材となるはずである。
たとえこの本のなかでのことであれ、そのためには私たちはまず「神」にいざなわれて「神隠し」を体験してみるべきであろう。私たちはさまざまな「隠し神」に出会い、「異界」に遊びながら、なぜ人が取り隠されるのかを彼らに問いかけてみるべきなのである。
そうした体験≠フなかから、民俗社会における「神隠し」がどのようなものであったのかが明らかになってくるであろう。
柳田国男をはじめとする民俗学の仕事や松谷みよ子の仕事に導かれつつ、民俗社会の「神隠し」の世界をこの本のなかで体験してみようではないか。
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第一章 事件としての神隠し
村の失踪事件[#「村の失踪事件」はゴシック体]
かつての民俗社会(ムラ社会)では、たとえ一晩でも理由もなく日常世界から人が姿を消してしまうことは、家族はもとより民俗社会の人びとにとっても「大事件」であった。
いま民俗社会に失踪事件が発生したと仮定してみよう。人びとはそれを知って「神隠しにあったのかもしれない」と推測することになる。しかし、そうした事件がそのまま神隠しと判断され処理されてしまうわけではない。やがて失踪者が姿を現わし、「山仕事から戻る途中で日が暮れたので、家の者がきっと心配するだろうなあと思いつつも、道に迷ってはいけないと野宿して夜明けとともに山を下りて来た」と説明すれば、「なんだ、そうだったのか」ということになり、神隠し事件だという判断が誤っていたことがわかって一件落着ということになる。
しかし、山から姿を現わした失踪者が「山で異人に出会い、誘われるままに山のなかを歩き回っているうちに異人の姿が見えなくなった。ふとあたりを見回すと夜が明けていて、山のふもとに立っていた」と語れば、人びとは「ほら、やっぱり神隠しにあったのだ」と判断することになるだろう。
神隠し伝承を伝えている村むらでは、人びとは神隠しがあるだろうとの予感をつねにいだいている。そして失踪事件があると、まず「神隠しにあったのではないか」と考えるのだ。そして、その事件のあるものが神隠しと最終判断を下されて処理され、あるものはそうではなかったということで処理されるわけである。つまり、神隠しと判断された失踪事件群の隣には、神隠しと判断されなかった失踪事件群が存在しているのである。
そこで私たちが疑問に思うのは、では神隠しと判断されるのはどのような内容をもった事件であったのか、ということであろう。
神隠しと判断される事件にはさまざまなタイプがある。典型的なものをいくつか紹介してみよう。
長野県|下伊那《しもいな》郡|上村《かみむら》が昭和五十二年に刊行した『遠山谷の民俗』に、次のような神隠し事件が記録されている。
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上村と木沢部落との境に、中根っちゅう部落があるだに。ある時、中根部落の息子がどっかへ行っちまっておらんくなったことがあってなあ、近所の衆は心配して村中探したんだに。けえど、二日たっても、三日たっても一週間たっても見つからなんだんな。そうして、とうとうその息子は、それっきり姿をあらわさなんだもんで、みんなは天狗様に連れていかれちまったんだっちゅって噂したんだに。
以後、悪い事をすると天狗様に連れて行かれちまうっちゅって、子供たちに言い聞かせたもんだに。こりゃあ、今から四〇年くらい前の話だに。
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この神隠し事件が実際にあったことだとすると、逆算しておよそ昭和十年頃の出来事ということになる。この神隠しの特徴は、失踪者がついに村に戻ってこなかったという点にある。当然のことであるが、こうした失踪を神隠しにあったのだと判断するのは、家人をはじめとする村びとたちである。今日では失踪者があればまず誘拐とか家出といった原因を思い浮かべるのだが、かつては神隠し、つまり異界にいざなわれたのだと考えた。もちろん、失踪者を出した家はしばらくは悲しみ嘆いて暮すことだろう。
しかし、神隠しという語は「死」の響きとともに、失踪者が異界で生きているという淡い期待も込められている。それが明日かもしれないし、一年先かもしれないし、数十年先かもしれないが、いつか戻ってくるかもしれないとの思いが託されているのだ。そのため、神隠しにあった家の多くがちゃんとした葬式をすることもなく、失踪者の帰りを待ち続け、時間の流れのなかでその悲しみや苦しみを紛らわせ忘れていこうとするわけである。
実際、何年も経ってから、ふいに失踪者が戻ってくることがあった。
帰ってきた失踪者[#「帰ってきた失踪者」はゴシック体]
柳田国男の『遠野物語』に、そんな例が記されている。
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黄昏《たそがれ》に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他《よそ》の国々と同じ。松崎村の寒戸《さむと》というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履《ぞうり》を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまり過ぎたりしに、或《あ》る日親類|知音《ちいん》の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たれり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢《あ》いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留《とど》めず行き失せたり。その日は風の烈しく吹く日なりき。さらば遠野郷の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆《ばば》が帰って来そうな日なりという。
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若い娘が神隠しにあい、その後まったく消息がなく過ぎて、三十年あまり経って突然この娘が戻ってきた。しかし、戻ってきたわが家の人びとの反応は必ずしもよくはなかった。人びとはもう娘のことを忘れかけており、三十年もの歳月はこの娘の占めるべき場を奪い去ってしまっていたからである。彼女はもはや遠野の里人ではなく、異界の住人とされていたのだ。
『遠野物語』のもとになった話の提供者は佐々木喜善であった。菊池照雄の『山深き遠野の里の物語せよ』によると、この話の原話は、佐々木喜善の『東奥異聞』に載っている、次の話だという。
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岩手県|上閉伊《かみへい》郡松崎村字ノボトに茂助と云ふ家がある。昔|此《こ》の家の娘、秋頃でもあつたのか裏の梨の木の下に行き其処《そこ》に草履を脱ぎ置きしまゝに行衛《ゆくえ》不明になつた。然《しか》し其後幾年かの年月を経つてある大嵐の日に其の娘は一人のひどく奇怪な老婆となつて家人に遭ひにやつて来た。其の態姿は全く山婆々のやうで、肌には苔《こけ》が生ひ指の爪は二三寸に伸びてをつた。さうして一夜泊りで行つたが其れからは毎年やつて来た。その度毎に大風雨あり一郷ひどく難渋するので、遂には村方からの掛合ひとなり、何とかして其の老婆の来ないやうに封ずるやうにとの厳談であった。そこで仕方なく茂助の家にては巫子《みこ》山伏を頼んで、同郡青笹村と自分との村境に一の石塔を建てゝ、こゝより内には来るなと言ふて封じてしまつた。其の後は其の老婆は来なくなつた。
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柳田の話の方ではたった一度の帰還であったかのごとくに語られているが、佐々木の話では以後毎年やってきて、家人はその来訪を歓迎していたかにみえる。
しかし、村びとたちは違っていた。老婆がやってくると大嵐になったので、大嵐の原因を老婆のせいだと考えて排除しようとしたのであった。すなわち、村びとたちは、かつての村びとであった老婆を山婆々とみなし、山婆々を封じるような呪法《じゆほう》によって排除させたのである。そしてその呪法で老婆がやってこなくなったところをみると、その老婆はもうこの世の者ではなかったかにみえる。いや、本当は自分を追い払おうとしている家の者や村びとの姿を見た老婆が訪れるのをやめたのかもしれない。しかし、村びとたちの目には、老婆が山婆々へと変貌《へんぼう》したかのように見えたのである。
柳田も佐々木もまったく言及していないが、私はふとこんな疑惑をいだく。数十年も経って現われたサムトの婆は本当に数十年前に失踪した娘だったのだろうか。数十年という歳月は失踪者の社会的位置を奪い取るのみでなく、存在それ自体さえ確認しえないものにしてしまうのである。サムトの婆とはサムトの婆を騙《かた》った偽物であったかもしれない。
家出・自殺・神隠し[#「家出・自殺・神隠し」はゴシック体]
神隠しにあうということは、失踪者が異界に去るということであった。そして、そこに留まるということは、失踪者が異界の住人になるということでもあった。失踪が長ければ長いほど、失踪者は異界の「モノ」の属性を帯びることになる。どうやら、サムトの婆の場合にもそうした思考が働いていたらしい。
サムトの婆が若い頃に村から姿を消したとき、人びとは神隠しにあったのだと判断した。しかし、柳田も佐々木も、人びとがサムトの婆がどのような神に取り隠されたと考えたのかという点については記していない。また、数十年も経って現われたサムトの婆も、この点について何も語らなかったらしい。菊池照雄は「梨の木の下に草履がそろえてあったことから覚悟の家出であったことは明らかだ。草履をそろえて行方がわからなくなるのは、家人への遺書にかわる別れの伝統的なサインであった」と述べている。もしそうだとすれば、神隠しという表現は、家出のメタファーにすぎなかったことになる。
今日でも、自殺者が高層アパートの屋上や崖《がけ》の上、あるいは川べりから身を投げるとき、靴などを脱ぎ置いていることが多い。これも伝統的な家出のしるしの名残りなのだろうか。異界へ旅立ったことのしるしとして残したものなのだろうか。かつての日本人はそうした自殺者の草履を見て、それで自殺したのだとすぐにわかっても直接的な表現をせず、「神隠し」という柔らかな表現を用いて、あいまいなかたちでそれとなく理解させようとしたのだろうか。
そうだとすれば、いかなる神が取り隠したのかなどといったことについて、人びとは想像を巡らしはしないだろう。というのも、人びとは失踪《しつそう》の原因を知っており、そこに「神秘」つまり「神」の介入を認めていないからである。
たしかに、そうした神隠し事件もあったろう。しかしながら、遠山谷の事例がそうだったように、残された家人や村びとにはまったく理由がわからない失踪事件もあった。村びとたちはその事件に対して、「それは失踪者が自分から進んで村を去ったのではなく、何者かにどこかに連れ去られたのだ」と考えようとした。そしてその「何者」かを「神」と判断することが多かったのだ。その場合は正真正銘の「神隠し」であった。
束の間の失踪[#「束の間の失踪」はゴシック体]
神隠しには、右でみたような、失踪したままついに戻ってこなかった神隠しや数十年間も姿を消したままふいに戻ってくるといった神隠しがある一方、その対極に位置するような、ほんの束の間の、たとえば数時間とか一昼夜とか数日、長くても数週間という短期間の神隠しもあった。神隠し事件の多くは、こちらの場合であった。
『伊野春野伝説散歩』に、高知県|吾川《あがわ》郡伊野町であったというこんな神隠しの話がみえる。
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仁淀川《によどがわ》をはさんだ楠瀬《くすのせ》の向いの大花という所で、昭和十五、六年頃久子という三つばあの女の子を寝かせたまま、ほしかをくるめに行ったおばあさんが、少したって見に帰ったらいなくなっていた。夜中じゅうさがしたがみつからず、あくる日の昼頃、家から二丁ほど離れた空の山の深い林の中で、体中傷だらけで死んでいた。その林までには、大人でも登り切らんいくつもの崖があって、とても三つかそこらの子では登り切らん。その林には天狗《てんぐ》がおる、天狗の仕業だと警察に言ったが、反対に怒られたがどうもやっぱり天狗の仕業だろう。
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三歳位の女の子が急にいなくなり、翌日の昼に死体となって発見された[#「死体となって発見された」に傍点]。大人でも容易には登れない高い山の中で発見されたため、「天狗」に隠されて殺されたのだと思ったという話である。この子供にいったい何があったのだろうか。死んでしまった以上、その子に問いただすことはできない。発見された場所が天狗が棲《す》むという場所であって、しかも子供ではとてもそこまでは行けるはずがない。きっと天狗が運んだのだろう。こうした想像が人びとに働いて、「天狗」による神隠しという解釈に至ったというわけである。
次に紹介する長野県南佐久郡川上村であったという神隠し事件も、ほぼ同じ話である(『信濃《しなの》・川上物語』)。
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これは今(一九七八年)から四十年くらい前の話です。川端下《かわはけ》の子供が暗くなっても、学校から帰らないというので、大騒ぎになったわけです。それでまあ、村の人たちが出て捜したところが、その子供を見たという人があって、「どうも梓山《あずさやま》を通って、奥の方へ一人で行った」というわけです。「そんじゃ、この奥にいるかも知れない」ということで、その沢へ尋ね込んで行ってみたところが、子供がちゃんとカバンを降ろして、そこへクツを脱いで、自分の半テンをかぶって、川原で寝ていたそうですね。梓山から四キロ入ったところに、千駄木《せんだぎ》という沢があるが、その沢へ迷い込んで川原で寝ていたわけです。それがなににそうされたのかわからないから、天狗の仕業か、あるいはキツネにだまされたのかわからないから、今もみんな不思議に思っています。
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この神隠しはおそらくはほんの数時間の間の失踪で発見されている。しかも高知の場合とは違って、無事な姿での発見であった[#「無事な姿での発見であった」に傍点]。もっとも「なににそうされたのかわからないから」と語っているところをみると、「どうしてあんな沢に行ったのか」と尋ねてみても子供の答は要領をえなかったものとみえる。道に迷ったのか、それとも家に帰りたくないという気分がそうさせたのか。そこで人びとは天狗に隠されたのか、狐にだまされたのかとはっきりした判断を下せないまま、漠然と神隠しにあったのだろうと不思議がったというのである。
遊びに夢中になっているうちに日が暮れ、ついつい家に帰りそびれてしまうことは今も昔もよくあることであろう。きっとこの子供もなんらかの理由で家に戻りたくなかったので、ふらふらと山をさまよっているうちに沢で寝込んでしまうような事態になってしまったのではなかろうか。だから答がはっきりしなかったのだろう。
そんな事件を、人びとは神隠しと呼んだらしい。注意したいのは、高知の事例も、この長野の事例も、子供自身が「神隠し」にあったのだと語っているのではなく、子供の失踪を不思議に思った周囲の人びとが「きっと神隠しにあったのだ」と判断していることである。神隠しであるかないかの判断は周囲の人びとの手にゆだねられていたのである。大騒ぎしている大人たちに囲まれ、子供は内心では「神隠しなんかじゃない。ちょっと寄り道して遊んでいるうちに日が暮れてしまっただけだ。遊びつかれて寝込んでしまっただけだ」と思っていたとしても、それを言いそびれているうちに、神隠しのせいにされてしまったことは充分に考えられる。
神隠し幻想[#「神隠し幻想」はゴシック体]
こうした、神隠しと判断されるかされないかといった微妙な位置にある、とても興味深い事例を早川孝太郎が紹介している。
それは昭和五年の春の出来事であった。愛知県|北《きた》設楽《したら》郡|御殿《みどの》村(現東栄町)の小学校の尋常六年生と五年生の二人の少年が、学校から帰る途中で失踪するという事件が発生した。この事件を調査した早川は、およそ次のように報告する(「神かくしの類例五ツ」)。
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二人の少年が学校から帰る途中、連れ立って近くの山に枯草を採りに出かけた。その途中で、一匹のきねずみ[#「きねずみ」に傍点](栗鼠《りす》)が飛び出したので、二人で協力してこれを打ち殺した。二人はその死骸《しがい》を現場に放置したまま帰って来て、その顛末《てんまつ》を家人に語った。翌日は土曜日で、学校が早く終わったので、食事をすませると、二人は午後二時頃、前日と同じように枯草を採りに出かけた。あまり遠くでもない山なので、遅くとも二時間もあれば戻って来るはずなのに、五時になっても六時になっても戻らない。心配した家人が近所の者に頼んで捜したが、姿を見かけた者もいないという。ついに手分けして山から二人が好んで遊ぶ場まで調べつくしたが見つからない。そのうちに、山へ捜しに行った一隊から報告が入った。山の草置場の道の真ん中に、草の束を結びつけた状態の二人の背負板《しよいた》があった、と。そうこうするうちに、その山の近くで働いていたという木挽《こびき》から新しい消息が届いた。夕暮れ近くに、ふっと向うの山を見ると、二人の少年が声をあげて草むらを縦横に駆け回っていた。その二人が行方不明の二人であろう、と。その頃までは二人はそのあたりで遊んでいたわけである。前後を判断して、そこから遠くへ行っていないだろうと、今度はその付近の木立ちや草むらを克明に捜し回った。夜の十時頃になって、近くの古い炭焼|竈《がま》の崩れのなかに、枯草の束が積んであるのに気づいた者が、不思議に思ってそれを取り除いてみると、そのなかに二人がしっかり抱き合って、前後も知らずに眠っていたのを発見したという。
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ここまで読むかぎりでは、二人の少年の数時間の失踪は、少年が遊びくたびれて干し草のなかで寝込んでしまったために生じた、よくあるような事件として片づけられるものであろう。
ところが、二人を家に連れ帰っていろいろと尋ねてみたのだが、その内容がさっぱり要領をえなかったのだ。二人の断片的な記憶を総合すると、およそ次のような状況を想像することができた。
前日、きねずみを打ち殺したところで、二人はまたもや一匹のきねずみを見つけたので、二人でそれを追い回しているうちに、あちらこちらの草むらからたくさんの同じようなきねずみが現われて逃げ回るので、日の暮れるのも忘れて夢中になってそれを追い回しているうちに、たぶん疲労したのだろう、前後もわからなくなりどことも知らずに眠り込んでしまったらしいのである。二人は、炭焼竈のなかに入ったことも、上から草束をかけたことも記憶にないという。
早川孝太郎は、この記憶を喪失しているところが「不思議と言へばこれが不思議である」と、そこに「神」の介入の可能性をかすかに示唆しているのだが、炭焼竈の崩れのなかに入り込んで、枯草を敷き、その上を枯草の束でおおうというのも、考えようでは、「子供らしい行為」であるとも考えている。どちらかといえば「神」の介入に対して懐疑的な態度を取っているといえよう。もし、少年たちが失踪中にはっきりと「神」と接触する体験をもったということを語れば、早川孝太郎もこの失踪事件を明らかな神隠し事件と記述したであろう。しかし、どうもそうした「不思議」や「神」の介入の気配が少しもないと考えた早川は、枯草を取りに行った少年たちがきねずみと遊んでいるうちに遊びつかれて、枯草で寝床を作ってそこで寝てしまっただけの事件である、と判断したようである。
ところが、その程度の事件であったにもかかわらず、村の人びとの判断はこの事件を「狐」による神隠しとして、つまり狐に化かされたのだ、と判断してそう噂し合ったというのだ。早川はこのことについて、「その場所は、くだ狐が出て化すと、噂のある地点で、くだ狐[#「くだ狐」に傍点]ときねずみ[#「きねずみ」に傍点]と間違へ」て、この失踪を狐による神隠しと噂し合ったのだろうと推測している。
ある意味で、人びとは失踪事件があると、神隠しにしようと待ちかまえていたのだ。したがって、その事件に少しでも「不思議」と思われることがあれば、それを手がかりにして人びとは神隠し幻想をふくらませる。高知の事例では、天狗[#「天狗」に傍点]がいるとされる場所で発見されたために、天狗の仕業と想像し、右の事例ではくだ狐[#「くだ狐」に傍点]が出て人を化かす場所で発見されたので、狐の仕業と想像したのである。失踪事件は、人びとがいだくコスモロジー、つまり異界観にそって解釈される傾向がきわめて強かったわけである。
狐に化かされる[#「狐に化かされる」はゴシック体]
神隠しの原因とされる「神」、地方によっては「隠し神」とも呼ばれる「神」の正体を、「天狗」に求めるところが多い。この理由については後に検討するが、この天狗と並んで多いのが「狐」であった。それは「化かされた」と表現されるために、神隠しからはずされることも多い。だが、よく検討してみると、右の事例がそうだったように、神隠し事件として考察すべき事象なのである。
以下で紹介するのも、「狐」による神隠し事件として噂された失踪《しつそう》事件で、この話は私たちが青森県下北郡脇野沢村で調査をしていたときに採集したものである(『脇野沢村史 民俗編』)。この事件は、神隠しにあったとされた子供の親が狐を鉄砲で撃って怪我をさせるという事件があってほどなくして発生した。その内容を若干省略して紹介する。
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滝山に住む五歳になる子供と七歳になる子供が、水車小屋にいる年寄りのところへ昼の弁当を届けにいった。途中に可愛いうさぎがたくさんいた。うさぎを捕まえようとして手をのばすとピョンととび跳ね、手をのばせばまたとび跳ね、そうして山の奥に連れて行かれた。小沢で半鐘が鳴らされ、滝山で子供がいなくなったから小沢の方面に来ているのかもしれないといってきた。狐にだまされたのではないかと案じているうちに夜になった。総人足といって、一軒の家から一人ずつ人が出されることになり、夜中の一時ごろ、事務所の前に集合した。しかし、時間もこんなに遅いことだから次の日に捜索しようということになった。翌日、滝山の水車小屋のところへ行くと子供の足跡が川原に沿って残っていた。しかし、ヤブの中で足跡が消えてしまっていた。夕方まで捜したが、ついに見つからずじまいであった。捜索は中止になって親戚《しんせき》の人だけで捜し続けた。それでも見つからず、ついに本当に親しい人や家族だけで捜すようになった。小沢に、子供がいなくなった家の親戚にあたる家があった。屋号を酒屋という。そこの家の人も捜しに行ったりしていた。それでも見つからないので、もう死んでいるのではないかとか、何かに取って食われたのではないかと心配していた。
対島《つしま》イヨの本家の嫁さんが田の水の調整をするために、太郎兵衛《たろべえ》の沢といって口広沢《くちひろざわ》の支流のひとつへ行った。その年は日照りの年で、本家の田と別家の田とが並び、水を二つの田に入るように石を使って仕事をしているとコソコソと音がする。嫁さんが驚いて音のした方を見ると、大きい方の子供が立っていた。顔が細くなって髪はのびていた。嫁さんが、お前は狐にだまされた童《わらし》コかと聞くと「そんだ」という。「おんやてみんな心配してサ、心配して人足して訪ねても訪ねぇでえたんだすて、お前《めえ》ば私《わ》負ぶって行《え》くてたて負ぶれもへねぇし(負ぶれないし)ここに立っていせェよ(立っていなさいよ)」といった。口広沢の浜に鰮《いわし》網の番屋が立っていて、そこに人がいると思って「いま、あの番屋のあんこどァ連れて来て(若い衆をつれて)、お前《めえ》ば負って小浜まで連れて行くずてに(行くつもりだから)、お前《めえ》こっから動くんでねェよ」と言った。その嫁さんが若い人を迎えに行った。鰮網の番屋へ行って「狐にだまされた童《わらし》コあすこにいたすて、早くかせ(来い)」と呼んだ。一〇人も人がいたので手分けして、小沢へ知らせたり、滝山へ知らせたり、子供を迎えに行ったりした。それから小沢の酒屋の家に子供をつれて来た。滝山や脇野沢から人が来た。小沢の人も珍しがって見に行った。警察の人がやって来て事情を聞いた。子供に何を食べたのかと尋ねると「麦マンジュウばかりたくさん食べた」といった。そして医者が子供の腹のなかに空気を入れて診察するために口に管を入れた。まず腹の洗浄を行なった。腹のなかからはうさぎの糞《ふん》ばかり砕けて出てきた。警察の人が五歳の方の子供はどこにいると尋ねると、岩と岩の間に挟まって動かなくなったという。警察の人がその場所を知っているかと聞くと、知っているという。親戚の人や家族の人がやって来て泣いて見ていた。
そこで二、三日休養させ、薬を飲ませおもゆを食べさせたりした。もう大丈夫だというので、消防団の人に背負われてもう一人の子供を探しに行った。親戚の人や男たち、医者もついて行った。口広沢の奥に権左衛門《ごんざえもん》という名の沢がある。その沢を渡ろうとして小さな子供の方は転んで落ち、そのまま動かなくなった。人びとは、これをみた狐が心配して、大きな子供を送ってよこしたのではないかとささやきあった。小さい子供は岩と岩との間に挟まって死んでいた。もうすっかり腐っていたという。沢で死んだ子供をすっかり洗い、小沢にはもって来ないで滝山にもってかえったという。
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かなり長い紹介になったが、これによってこれまでの事例よりもさらに詳細に神隠し事件というものの現場の雰囲気が理解されたのではなかろうか。
この事件の当事者である子供もまた失踪期間中の体験をはっきりとは語っていない。失踪中のこととして、右の話のなかには記していないが、食べ物をドンブリの椀《わん》に入れて食べたこと、捜索隊の鉦《かね》の音が聞こえたけれども声が出なかったことが語られたにすぎず、失踪中の記憶はまことにあいまいで要領をえなかったらしい。五歳と七歳の子供であって、しかも山奥をさまよっていたのだから当然といえば当然であろう。
これに対して、村びとたちは失踪事件が発生したときから、すでに子供たちは「狐に化かされたのだ、狐に取り隠されたのだ」と思い込んでいたようである。というのは、失踪者の家の者が狐を撃ち殺すことがあったので、その家から失踪者が出たと聞いたときに、狐のたたり[#「たたり」に傍点]だと思ったというのだ。消息をイタコ(巫女)を介してオシラ様にうかがったともいう。だが、その託宣で狐に連れ去られたとの答が出たかどうかは定かではない。
いずれにしても、人びとは失踪事件を狐の仕業とすっかり思い込んでおり、そのために、対島家の本家の嫁が大きい方の子供を発見したとき、「お前は狐にだまされた童《わらし》コか」と尋ねたのである。村びとたちは狐|憑《つ》き信仰にそってこの事件を解釈しようとしたのだ。
これに対して、子供は狐憑き信仰の土俵の外にいた。なるほど、本家の嫁の質問に、「そうだ」と答えたり、ウサギの糞を麦まんじゅうと思って食べたりしており、狐に化かされた徴候を語っているが、これもどちらかといえば、狐の仕業と思い込んだ村びとたちの質問に、ただ合わせただけであるような気がしてならない。きっと子供は大人たちの質問にほとんどうなずいていただけなのだろう。失踪事件のプロセスのなかには狐の姿がほとんど登場していないにもかかわらず、人びとはこの事件に、「狐による神隠し」のラベルを貼りつけたのであった。
体験者の証言[#「体験者の証言」はゴシック体]
ところで、もう読者は気づかれたかと思うが、私はこれまで意図的に、神隠し事件の事例のなかから、失踪者が神隠し信仰の土俵の外に置かれているような、いいかえれば失踪を周囲の人びとが勝手に神隠しにあったのだ、と一方的に解釈してしまうような事例を選んで紹介してきた。
これらの事例では、消えたままや死んで発見された失踪者はもちろんのこと、発見された失踪者も、失踪中にどのような体験をしたのかについて、ほとんどまともなことを語っていないのだ。
ところが、神隠し事件を丹念に調べてみるとよくわかるが、こうした神隠し事件とともに、失踪者が失踪中にどのような体験をしたかを、発見後に人びとにはっきりと語るという神隠し事件もまた多いのである。
もちろん、その体験が「神」や「神秘」の介入しない合理的な内容、つまり道に迷ったので野宿をしただけだったとか、家出をしようとしたが考えを改めて戻ってきたとかいったものであれば、そうした失踪事件は神隠し事件ではなかったとして片づけられてしまうわけであるが、逆にその体験談のなかに「神」や「神秘」が介入していれば、周囲の人びとの神隠し信仰と呼応して、確固たる神隠し事件ということになる。
失踪して戻ってきた者が、「やっぱり神隠しにあったのだ」と周囲の人びとが納得するような不思議な体験を語るということは、失踪者もまた民俗社会のコスモロジーを、神隠しを支えているような異界観・神観念を、共有していることを物語っている。多くの村びとたちに憑《つ》いている神隠し幻想、民俗社会のコスモロジーが、失踪者にも憑いているのである。
もっとも、この種の個々の事例をみる限りでは、神隠し幻想の憑き方にはばらつきがある。そのあたりのことに注意しつつ、この種の神隠しの例をいくつか紹介しておこう。
昭和五十九年に刊行された神山弘・新井良輔『増補ものがたり奥《おく》武蔵《むさし》』に、明治時代のことという次のような神隠し事件の話が載っている。
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日向《ひゆうが》和田山の隣りの富士山で知られる小瀬名部落の若者が、ある日突然見えなくなってしまいました。これは天狗《てんぐ》がくしにあったのだと、部落中総出で鐘太鼓をたたいて付近の山野をくまなくさがしましたが、どうしても見つかりません。ところが、それから半月もたって、その若者はボロボロの着物で気が抜けたようにひょっこりと戻ってきました。どうしていたのかと尋ねますと、夜は天狗につれられて山中を歩きまわり、昼は木の上に寝ていて食事は天狗がどこからか草や木の実をもってきてくれたと話したそうです。
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まだ物心がつかない幼い子供が失踪《しつそう》して戻ってきた場合と、もう充分に民俗社会の基礎的知識を身につけている成人が失踪して戻ってきた場合とでは、その失踪中についての記憶や内容に大きな違いが現われるのは当然のことであろう。
右の事例の失踪者は若者であった。彼は戻ってきて、「夜は天狗につれられて山中を歩きまわり、昼は木の上に寝ていて食事は天狗がどこからか草や木の実をもってきてくれた」と天狗に取り隠されていたのだということを自分からはっきり語る。人びとがこの若者の失踪について、「神隠しにあったのだろうか、それとも家出したのだろうか」と、その原因を推測しかねていたとしても、姿を現わした若者の話によって、「神隠し」=「天狗[#「天狗」に傍点]隠し」であったと確信することになる。
この事例に記されている若者の神隠し体験はきわめて素気ない。しかし、この若者がまだ今日まで生きていて、私たちが根掘り葉掘り聞けば、もっと詳細な内容の話をしてくれるかもしれない。
「神」に選び出された者[#「「神」に選び出された者」はゴシック体]
神隠しにあった者は異界でどのような体験をしたのだろうか。そうした疑問にかなりの程度まで答えてくれるのが、早川孝太郎の報告にみえる、愛知県北設楽郡本郷町(現東栄町)字|中在家《なかんぜき》の佐々木藤五郎から聞いたという次の話であろう(「神かくしの類例五ツ」)。
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約五十年ばかり前の晩春のこと、同所の小作といふ青年、十五六歳であつたが、生来痴鈍の性質であつた。
一日家を出たまゝ、行衛《ゆくえ》を失つてしまつた。それが翌朝早く、西《にし》貝津《げいと》といふ家の門口を明けて「おあがりかへ」と声をかけて還つて来た。家人が出て見ると、小作はそこにぼんやりと突立つて居たさうである。蓋《けだし》「おあがりかへ」といふのは、この地方の朝の挨拶《あいさつ》である。
小作の語る処に依《よ》ると、村の「こぬた」といふ山へ行くと、そこの松の樹の根元に、二人の男が立つて居て、こいこいと手招きをするので、これに随《つ》いて行つたといふ。初めは山を越えて、御殿《みどの》村月の御殿山に行つて遊び、更に振草村|平山《ひらやま》の明神山にも登つて遊んだ。途中|粟代《あわしろ》の街道へ出て、同道橋《どうどうばし》のあたりも通つたことを記憶して居た。小作を連れ歩いた二人の中の一人は薬師様で、笠《かさ》を被《かぶ》り蓑《みの》を着て居た。一人は鼻が高くて、名を「きち」といふ天狗さんであつた。天狗は懐中に一筋の縄を所持して居て、之《これ》を取出し行手に投げると、それが道となり又は橋となつて、如何に嶮岨《けんそ》な山谷も自在に歩行が出来た。そして小作は空腹になると、路で苺《いちご》を採つて食つた。
一渡り方々の山を廻《めぐ》ると、薬師と天狗に送られて帰つて来た。恰《あたか》も中在家の隣村である、三ツ橋の薬師堂の上の、山のほ[#「ほ」に傍点]つ[#「つ」に傍点]迄《まで》来ると、之からは一人で行けと言はれて二人に別れた。折柄小雨が降つて居て、振返つて見ると、蓑を着た薬師が先に立つて、雨の中を上の方へ登つて行つた。小作はそれから程近い西貝津といふ家へ入つたのである。
尚《なお》本人が還つて来て、「おあがりかへ」と声を掛けると同時に、ザーツといふ鷹《たか》の羽音のやうな響を、家の者が聞いたといふ。それで或《あるい》は神様が、それ迄送つて来たもので、家人に小作を引き渡すと同時に、立去つた、その羽音だらうと云うたさうである。
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この青年は「生来痴鈍」であったという。しかし、そのためにこの神隠し体験がこの青年の妄想だったのだ、と私たちは片づけてしまうべきではない。むしろ、この青年は普通の村びとたちよりもはるかに濃厚な形で、民俗社会のコスモロジーを身につけていたのだ、というべきであろう。青年の体験は民俗社会のコスモロジーから少しも逸脱した支離滅裂な内容の話ではなく、ひとつひとつのエピソードが村びとには納得のいく話だったのである。ある意味では、彼は異界での体験を人びとに語り聞かせるにふさわしい人物として「神」に選び出された者であったのではなかろうか。
神隠し信仰の衰退とは、理由のわからない失踪事件に人びとが「神隠し」のラベルを貼ることをしなくなって、より現実的な、つまり人間社会の内部に求められるような因果関係のラベルを貼りつけるようになったということであった。つまり、こうした神隠し体験談を、信じがたい妄想として人びとが一笑に付してしまうようになった、ということであったのだ。
「神隠し」へのアプローチ[#「「神隠し」へのアプローチ」はゴシック体]
さて、これまで紹介してきた事例から神隠しにもいろいろなタイプがあることが明らかになってきたわけであるが、こうした神隠し事件を前にして、この本では次のような視点からこれにアプローチしようと考える。
まず、「神隠し」とみなされている事件は、あくまで「神隠し」なのだと理解すべきである。これがここでの私の基本姿勢である。今日の私たちの観点からみれば、失踪の原因が単なる迷い子になったにすぎない事件であろうと、また自殺であろうと、誘拐であろうと、人びとが「神隠しにあったのだ」と判断しているとすれば、私たちもそう考えようというわけである。たしかに私たちも神隠しというヴェールがかぶせられている失踪事件の正体を知りたいと思う。もちろん私なりの正体≠フ推測はするつもりである。
だが、ここでの一番重要な作業は「神隠し事件」を「非神隠し事件」へと変換する作業ではない。人びとが失踪事件が発生したときに「神隠し」というヴェールをもち出してきて、その事件にそのヴェールをかぶせたということそれ自体が私たちの考察の主たる対象なのである。つまり神隠しの正体[#「正体」に傍点]ではなく、神隠しの内容[#「内容」に傍点]を明らかにすることが、ここでの課題なのである。
神隠しとは何か。答は簡単である。「神」が人を隠したのだ。したがって、私たちは、人を隠す神とはいかなる神なのか、隠された人はどこへ行って、どのような体験をしたのか、と問いかけねばならない。
すでに述べたように、私は「神隠し」という語に特別の思いを託してきた。私は幼い頃に神隠しにあいたいと思いつつ、とうとう神隠しにあえなかった。そんな思いを託した神隠しであるが、実際の神隠しはどうだったのか。私の思うようなものであったのか。これまでみた事例では、どうも事情が違うらしいのだが、日本における神隠しとは本当のところどのようなものであったのかを、ここでしっかりと見極めておく必要がある。
こうした問題意識に導かれて計画されたこの本の、およその見取り図を簡単に述べておこう。
まず第一に、人を取り隠す神つまり「隠し神」とはどのような神かを考えてみたい。神隠しとは多くは人を隠す神によって引き起こされた事件のことである。「隠し」という語には、強制的に≠ニいう意味あいが含まれている。望んでいないのに、突然、ある者が、神に異界へ自分の意志とは関係なく連れ去られてしまうのである。
しかし、その一方では、神隠しという語には、私が思いを託したように、善なる神霊に招かれてユートピアに遊ぶといった甘美な意味あいも含まれている。「神隠しにあったのだ」という村びとの言語には、恐ろしい神に強制的に連れ去られた失踪者は悲惨な体験をしているだろうとの思いとともに、ひょっとして善なる神の招きに応じてユートピアに行ったのだという思いもこめられているのである。では、そうしたユートピアとはどのような世界であったのか。これが、ここで考えてみようとしている第二の課題である。
そこで、邪悪な神に連れ去られた後の異界での恐ろしい運命と、善なる神に招かれてのその後≠フ楽しい運命――大雑把にいってこの二つの側面を考察したうえで、再び民俗社会での神隠しに目を向けてみることにしたいと思う。そうした異界および隠し神の伝統のどの部分を継承しているのかを問うことによって、民俗社会の神隠しの姿が明瞭《めいりよう》なものになってくると思われる。
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第二章 神隠しにみる約束ごと
神隠し譚《たん》の類型[#「神隠し譚《たん》の類型」はゴシック体]
民俗学者などの努力によって、全国各地から多数の神隠し事件についての伝承が報告されている。私たちは、第一章でその具体例をいくつかみることを通じて、神隠しと呼ばれる事件のおよその輪郭を理解した。
そこで、私たちはさらに考察を進め、多数の神隠し事件の伝承を眺め渡すことによって浮かび上ってくる、神隠し事件の類型もしくはパターンに着目しつつ、神隠し事件の理想的展開つまりモデルともいうべきものを想定してみようと思う。
一例として、『山の人生』にみえる、柳田国男が徳田秋声から聞いたという神隠し譚を取り上げてみよう。この話は、次のように、八つのセンテンスから構成されている。
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1 石川県金沢市の浅野町で明治十年ごろに起こった出来事である。
2 徳田秋声君の家の隣家の二十歳ばかりの青年が、ちょうど徳田家の高窓の外にあった地境《じざかい》の大きな柿の樹の下に、下駄《げた》を脱ぎ棄てたままで行方不明になった。
3 これも捜しあぐんでいると、不意に天井裏にどしんと物の堕《お》ちた音がした。
4 徳田君の令兄が頼まれて上って見ると、その青年が横たわっているので、背負うて降してやったそうである。
5 木の葉を噛《か》んでいたと見えて、口の端を真青にしていた。
6 半分正気づいてから仔細《しさい》を問うに、大きな親爺《おやじ》に連れられて、諸処方々をあるいて御馳走《ごちそう》を食べてきた、また行かねばならぬといって、駆けだそうとしたそうである。
7 尤《もつと》も常から少し遅鈍な質《たち》の青年であった。
8 その後どうなったかは知らぬという。
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この神隠し譚は、この八つのセンテンスから構成されているわけだが、こうした文章上の分節のなかに、神隠し譚として話を構成させていくための重要な要素が散りばめられている。そうした構成要素を取り出し、比較することによって、私たちは神隠し譚の地域分布や神隠し事件の発生した時代、神隠しにあった人物の性別や性格的特徴、神隠しにあったときの状況などについて詳しい知識を獲得しうるようになるはずである。こうした観点から、右の神隠し譚を分析すると、次のようになるだろう。
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A 石川県金沢市の浅野町で、
B 明治十年ごろに起こった出来事である。
C 徳田秋声君の家の隣家の二十歳ばかりの青年が、
D ちょうど徳田家の高窓の外にあった地境《じざかい》の大きな柿の樹の下に、
E 下駄《げた》を脱ぎ棄てたままで行方不明になった。
F これも捜しあぐんでいると、
G 不意に天井裏にどしんと物の堕《お》ちた音がした。
H 徳田君の令兄が頼まれて上って見ると、その青年が横たわっているので、背負うて降してやったそうである。
I 木の葉を噛《か》んでいたと見えて、口の端を真青にしていた。
J 半分正気づいてから仔細を問うに、
K 大きな親爺に連れられて、諸処方々をあるいて御馳走を食べてきた、また行かねばならぬ
L といって、駆けだそうとしたそうである。
M 尤《もつと》も常から少し遅鈍な質《たち》の青年であった。
N その後どうなったかは知らぬという。
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この分析は、次のようになっている。
Aは神隠しが発生した地域名、Bは発生した時(時代)、Cは失踪《しつそう》したのは誰か、Dは失踪した場所や時刻、Eは失踪したときの状況、Fは捜索状況・経過や方法、Gは失踪者が発見されるもしくは出現するときの前後の状況、Hは失踪者の発見場所、Iは失踪者の発見されたときの様子、Jは失踪者に対しての質問、Kは失踪者の神隠し体験談、LはIと重なるもので、発見された後の失踪者の様子、振舞い、Mは日頃の失踪者の性格や知能はどうであったのか、Nは失踪者のその後はどうであるか。
AからNまでの構成要素への分析は、あくまでも、徳田秋声の話を分析したものであって、別の事例を取り上げて分析すれば、右の構成要素と重なるものもあるだろうし、欠落している構成要素もあるだろう。また、新しい構成要素の存在に気づいたり、特定の構成要素が詳細になっているためにさらに細かく分析する必要が出てくるかもしれない。あくまでも、右の分析は比較、考察のための目安なのである。
たとえば、前章で紹介した早川孝太郎が報告した、愛知県|北設楽《きたしたら》郡本郷町の事例を同様にして分析してみよう(「神かくしの類例五ツ」)。
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A 愛知県北設楽郡本郷町|中在家《なかんぜき》で、
B 約五十年前の晩春に起こった出来事である。
C 同所の小作という、十五、六歳の青年が、
D 家を出たまま行方不明になった。
E (村の「こぬた」という山の松の樹の根元で行方不明になったのだと後に判明する)
F (記述なし)
G (「おあがりかえ」と青年が西貝津《にしげいと》の家に声をかけたとき、ザーッという鷹《たか》の羽音のようなものを家人が聞いたという)
H 翌朝、青年は隣村の西貝津という家の門口に現われ、「おあがりかえ」という朝の挨拶《あいさつ》をした。
I 家人が出てみると、小作がそこにぼんやり突っ立っていた。
J 小作の語るところによると、
K 村の「こぬた」という山に行くと、そこの松の樹の根元に、二人の男が立っていて、手招きするのでついて行くと、御殿山から明神山などの山々を一通り回ったあと、隣村の薬師堂の上で別れた。二人の男は薬師と天狗《てんぐ》であった。
L(記述なし)
M この青年は「生来痴鈍」だという。
N(記述なし)
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こうした分析を一定の数の神隠し譚について試み、それらをコンピュータで統計的処理をしたとすれば、どのような要素が神隠し譚に繰り返し現われているのかとか、どの地域ではどのような隠し神が信じられているのかといったことが、数量化された形で把握されることになる。そして、そこに示された頻度の高い諸要素を寄せ集めることによって、私たちは、神隠し譚の典型つまり私たちが統計的処理によって再構成した理想型としての神隠し譚を手に入れることができるであろう。
もっとも、私はこれまでそうした統計的処理を試みたことはない。しかし、多くの神隠し譚を眺め渡すとき、おそらく統計的処理をすれば高い頻度を確実に示すであろう、いくつかの要素の存在に気づいている。
ところで、こうした多くの神隠し譚に繰り返し現われてくる要素の存在に気づいた柳田国男は、それを神隠しの「約束」もしくは「法則」と述べている。「我々の平凡な生活にとって神隠しほど異常なる予期しにくい出来事は他にないにもかかわらず、単に存外に頻繁でありまたどれもこれもよく似ているのみでなく、別になお人が設けたのではない法則のごときものが、一貫して存するらしいことである」(『山の人生』)。
ここでは、数量化された裏づけをとったわけではないが、柳田に導かれつつ、私が気づいた頻度の高いと推測される構成要素を取り出して吟味してみようと思う。それをふまえることで、私たちは理想の神隠し譚を想定してみることもできるわけである。
私たちが以下で取り上げて吟味しようとしている構成要素は、神隠しが発生する時刻や場所(D)、失踪したときの状況(E)、捜索状況・方法(F)、失踪者が発見されたときの様子(G)、失踪者の神隠し体験談(K)、またそのなかに登場する隠し神(K)、さらに神隠しにあいやすい人たち(M)、などである。
夕暮れどき[#「夕暮れどき」はゴシック体]
まず、神隠しが発生しやすい時刻についてみてみよう。神隠しが発生するのは夕暮れどきと考えるところが多かった。したがって、理想的な形の神隠し事件では、神隠しは夕暮れどきに発生するのが好ましい。
たとえば、長野県の遠山谷がそうであった。「子供がかどわかされるのは、多くは黄昏《たそがれ》時に起こる現象でした。上村中根の四十五歳(昭和三十三年当時)くらいの男ですが、子供のころ、隣家の子供の守りをしていました。夕方、赤子をかえしてわが家に帰る道で、行方不明になってしまいました。グリン様に連れ去られたといわれました。村中で探して歩きましたが、三日後、少年は自宅で寝ているところを発見されました。三日間は、山ばかり歩いていたそうです。中根や上村の下栗辺で、夕方のかくれん坊遊びが固くいましめられているのは、こうした災いの故でした」(『遠山谷の民俗』)。
山梨県の富士吉田市でも同様の観念があった。「夜、いくらでも、なんぼでも、子供が遊んでいると、『隠し神さまに隠されるから、早く帰れ、帰れ』なんて言っただよ。悪い神様みたいなものが、居たあずら」(『古原の民俗』)。
柳田国男もこの点に注目し、『山の人生』で次のように述べている。
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東京のような繁華の町中でも、夜分だけは隠れんぼはせぬことにしている。夜かくれんぼをすると鬼に連れて行かれる。または隠し婆さんに連れて行かれるといって、小児を戒める親がまだ多い。村をあるいていて夏の夕方などに、児を喚《よ》ぶ女の金切声をよく聴くのは、夕飯以外に一つにはこの畏怖《いふ》もあったのだ。だから小学校で試みに尋ねてみても分るが、薄暮に外におりまたは隠れんぼをすることが何故に好《よ》くないか、小児はまだその理由を知っている。福知山附近では晩に暗くなってからかくれんぼをすると、隠し神さんに隠されるというそうだが、それを他の多くの地方では狸狐といい、または隠し婆さんなどともいうのである。
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夕暮れどきに失踪事件が発生しやすいのは、考えてみればあたりまえのような気がする。たとえ昼間に何者かに子供が誘拐されたとしても、子供は夕方まで遊び回っているのが普通であったので、失踪に気づくのはやはり家に戻ってくるはずの夕方になるだろう。また、夕暮れは景色の輪郭が不明瞭《ふめいりよう》になり方角や道に迷いやすい。現代でも、子供の失踪事件(迷い子や誘拐)に気づくのは、夜になってからということが多いのだ。
しかし、少し前までの人びとは、そうした合理的な考え方をしなかった。夕方を「かはたれ時」(彼は誰《たれ》時)とか「たそがれ時」(誰そ彼時)といったように、夕暮れどきは道を行きかう人が誰であるかがはっきりとわからない時であり、しかも昼に外で活動する人間が家に戻り、昼に異界で眠っていた妖怪《ようかい》のたぐいが夜の闇のなかを歩き回るために出現してくる時と考えられていた。夕闇にまぎれて「隠し神」が人を異界に連れ去るには絶好の時だったのである。
これは余談になるが、柳田によれば、『山の人生』が書かれた大正の終り頃、いまから七十年あまり前の東京では、まだ神隠しが人びとに信じられていて、夕暮れどきの隠れんぼがタブーとなっていたという。現代人にとってはまるで夢のような話であろう。
さらに、神隠しにあいやすい季節があったのだろうか、という疑問をいだく読者もあるかもしれない。柳田国男は「子供のいなくなる不思議には、おおよそ定《き》まった季節があった。自分たちの幽《かす》かな記憶では秋の末から冬のかかりにも、この話があったように思うが……多くの地方では旧暦四月、蚕の上蔟《じようぞく》や麦|苅入《かりい》れの支度に、農夫が気を取られている時分が、一番あぶないように考えられていた。これを簡明に高麦のころと名づけているところもある」と述べ、高麦のために物陰が多くなる春[#「春」に傍点]が神隠しにあいやすい季節だと推測している。
そこで思い当たるのは、早川孝太郎の報告する、本郷町の青年が薬師と天狗に取り隠された季節が「晩春」であったことである。しかし、私の知るかぎりでは、季節は実にさまざまで、柳田の説くように、定まった季節があったとは思われない。したがって、私たちは季節については、「法則」(約束)はなかった、いや、あったとしてもきわめて頻度の低い、ゆるやかな「法則」だったと考えておくべきだろう。
隠れ遊び=隠れん坊[#「隠れ遊び=隠れん坊」はゴシック体]
神隠しの発生は夕暮れどきが多い。そして、この夕暮れどきに発生する神隠しの事例をみると、さらに神隠しにあうための「約束ごと」があったらしいことに気づく。それは、夕暮れどきに「隠れ遊び」(隠れん坊)をしてはならないというタブーの存在によって示される。逆にいえば、夕暮れどきに隠れ遊びをすると、神隠しが発生しやすい、ということになる。
なぜ夕暮れに隠れ遊びをすると、神隠しにあいやすいのだろうか。まず、隠れ遊びとはどのような遊びであったのかを少し詳しくみてみよう。
隠れ遊び=隠れん坊と呼ばれている遊びは、次のようなものであった。何人かの遊び手のなかからジャンケンで鬼を選び、鬼が目をつぶって「もういいかい」というのに答えて、残りの遊び手たちが「まあだだよ」と言いながら、鬼が探し回ってもすぐには発見されないようなところに身を隠す。そして誰もが思い思いに身を隠し終えたときに、「もういいかい」と問う鬼に、「もういいよ」と答えると、鬼は目をあけて、隠れた者たちを探し回り、次々に発見してゆく。
この隠れ遊びの本質について、『精神史的考察』のなかで藤田省三がまことに興味深い見解を述べている。
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隠れん坊の鬼が当って、何十か数える間の眼かくしを終えた後、さて仲間どもを探そうと瞼《まぶた》をあけて振り返った時、僅《わず》か数十秒前とは打って変って目の前に突然に開けている漠たる空白の経験を恐らく誰もが忘れてはいまい。仲間たち全員が隠れて仕舞うことは遊戯の約束として百も承知のことであるのに、それでもなお、人っ子一人いない空白の拡がりの中に突然一人ぼっちの自分が放り出されたように一瞬は感ずる。大人たちがその辺を歩いていても、それは世界外の存在であって路傍の石ころや木片と同じく社会の人ではない。眼に入るのはただ社会が無くなった素っからかんの拡がりだけである。そして、眼をつむっていたいくらかの間の目暗がりから明るい世界への急転が一層その突然の空白感を強めていることであろう。
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藤田は、こうした隠れん坊の鬼がおそらく一瞬の間感じるであろう心的風景に思いをはせながら、この遊びの核心にあるのは、「『迷い子の経験』なのであり、自分独りだけが隔離された孤独の経験なのであり、社会から追放された流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨《ほうこう》の経験なのであり、人の住む社会の境を越えた所に拡がっている荒涼たる『森』や『海』を目当ても方角も分からぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである」と指摘する。つまり、隠れ遊びの鬼は、一瞬の間であるが、神隠しにあった者が経験するであろうような心理的体験をするのだ。
しかも、こうした体験は、鬼ばかりでなく隠れ役の方ももつという。
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「迷い子」や「一人ぼっちの彷徨」や「社会から追放されてある流刑」の経験が萌芽《ほうが》的に感じ取られるのは、実は隠れん坊で鬼が当った時だけではなかった。隠れる方の番に当った者も、遊戯の約束に従って巧《うま》く隠れようと努力した結果、いくらか成功し過ぎて、中々見附からなくなることがしょっちゅう起こったものである。そういう時には、一人だけが取り残された不安の感じが次第に昂《こう》じてきて、遂には遊戯が終らない限り永遠に仲間のところへは帰れないのではないかと少々怖くもなり、退屈に堪え難くもなってくるのであった……隠れん坊における「隠れる」という演技は、社会からはずれて密封されたところに「籠《こも》る」経験の小さな軽い形態なのであって、「幽閉」とも「眠り」とも、そして社会的形姿における「死」とも比喩《ひゆ》的につながるものであった。要するにそれもまた、社会から一時的に隔離されている状態を象徴しているのであった。
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隠れ遊びの約束ごと[#「隠れ遊びの約束ごと」はゴシック体]
藤田は隠れ遊びに、社会からの離脱・隔離、あるいは迷い子や孤独、流刑に通じる心象風景を見出した。たしかに、そういわれてみると、私たちも幼い頃に隠れ遊びをしたとき、そうした心的体験をもったような気もする。
しかし、私たちは、隠れ遊びをするたびにいつもそうした体験をもったわけではないはずである。むしろ、私たちが隠れ遊びをしたのは、そうした社会からの離脱の状態を象徴的に体験するためではなく、その逆の、離脱しないようにという遊びの約束ごとのなかで、隠れ遊びをまさに遊びとして楽しんでいたのだといっていいだろう。その点では、西村清和が『遊びの現象学』のなかで述べている説の方が説得力がある。
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鬼とは、のがれる子どもを追い、あるいは、母親の陰に身をひそめる子どもをあばくものである。鬼と子にまつわる、この原初の不安な、宿命的なかかわりが、遠い集団的記憶として、追い追われ、またかくれあばくたわいのない遊びに、ある種の情調の影をおとしているのも事実である。しかも、これらが遊びにとどまるかぎり、もはや鬼は、あのおそるべき異形のものではない。つまり、鬼と子とは、一枚のシーソーの板の両端でむきあいわらいかけながらひとつに同調した往還運動を共有したのしむふたりのように、おなじひとつの遊び関係のなかで、この遊動をつりあわせるためのふたつの項なのである。ジェット・コースターのばあいとおなじく、この宙づりにされたシーソーの天びんに乗っているかぎり、鬼は、ことばの厳密な意味でこわい鬼ではなく、スリリングな鬼である。こわい鬼から完全に逃げきることが、鬼ごっこという遊び行動の本質なのではない。挑発してははぐらかし、追われては、反転して追うという、宙づりのスリルにこそ、その本質はある。じゃんけんや番きめ歌による、鬼と子の役割設定も、もはや運命の宣告によって贖罪《しよくざい》の生贄《いけにえ》をえらぶおそろしい儀式ではなく、鬼ごっこというシーソー・ゲームの天びんの枠組みを設定するための手順である。鬼が子をつかまえ、ふれることによって、鬼と子の役割が交換されるというとりきめも、接触によるけがれの転嫁という感染|呪術《じゆじゆつ》ではなく、この天びんが一方にかたむいてはふたたび反転して他方にかたむくという、シーソーの遊動が生じ反復持続するための構造上の仕掛け、宙づりの支点の設定である。
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すなわち、隠れ遊びとは、遊び手が隠れ遊びという遊びに身をゆだね、そのルールの枠内で、隠れ役は隠れつつもほどなくして発見される束の間の宙づり≠フ状態を楽しみ、また鬼役は隠れた者を発見するまでの宙づり¥態を楽しみつつ、「見る‐見られる」というシーソー・ゲームを演じるのである。したがって、隠れ役が社会からの隔離の心的風景を経験する可能性があるほどに、つまり鬼が発見できないほど遠くまで行ってしまって隠れてもいけないし、また鬼が隠れた者を発見しようとしなくなってしまっても、この遊びは遊びとして成り立たないのだ。
つまり、西村によれば「ここには、迷子や孤独や流刑の経験などは、もともと無縁なのである。こうして、鬼と子のまなざしは、二匹のじゃれあう子犬のように、それぞれが見るものであると同時に見られるものとして、よびかけと応答、つかずはなれずの往還の遊動をくりかえし、相互にからみあう」ところに、この遊びの本質があるという。
たしかに、遊び[#「遊び」に傍点]の本質という点でいえば、西村の説の方が正しいと思われる。しかし、西村の説によれば、そうした遊びの本質を入れる入れ物[#「入れ物」に傍点]の方はなんでもいいということになってしまうように思われる。たとえば、東海道五十三次を題材にした双六《すごろく》遊びを論ずるとき、西村は東海道五十三次という双六遊びの入れ物[#「入れ物」に傍点]に遊びの本質を見出さないだろう。サイコロの目によってコマを進めることがもたらす楽しみに双六遊びの本質があり、東海道五十三次であろうと、平社員から社長へと至る出世コースに題材を求めた双六であろうと、いっこうにかまわないはずである。
ところが、藤田はこの題材の方に目を向けているのだ。東海道五十三次双六が、現実社会の東海道五十三次をなんらかの形で写し≠トいるように、隠れ遊びも現実社会の何かを写し≠トいる。藤田は、それを実に示唆に満ち満ちた表現で、次のように述べている。
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遊戯としての「隠れん坊」は、聞き覚えた「おとぎ話」の寸劇的翻案なのであり、身体の行為で集団的に再話した「おとぎ話」なのであり、遊戯の形で演じられた「おとぎ話」の実践版なのであった……隠れん坊が模型化している一連の深刻な経験は、実際の事実世界における経験そのものから写し取ったものではない。それは「実物」でも「原物」でもなく、既に「おとぎ話」固有の或《あ》る構図の中で物語られ昇華されている経験からの写しであった。
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この指摘は、まことに重要な指摘であるかにみえる。この考えを双六遊びにも敷衍《ふえん》させれば、東海道五十三次双六は事実世界での五十三次の旅の体験の写し≠ナはなく、遊び手たちがすでに聞き知っている物語(たとえば十返舎一九《じつぺんしやいつく》の『東海道中膝栗毛《とうかいどうちゆうひざくりげ》』)の写し≠ナあるという点が明らかになるかもしれない。いずれにせよ、西村説と藤田説は共存しうる説だといっていいだろう。
神と人が融け合うとき[#「神と人が融け合うとき」はゴシック体]
さて、かなり長々と隠れ遊びとは何かをみてきたわけであるが、こうした隠れ遊び論に、なぜ夕暮れどきに隠れ遊びをすると、神隠しにあいやすいのかという答が見出されるのだろうか。
ただちに思いつく答はこうした説の中にはない。だが、解釈の糸口はあるかに思われる。
藤田省三は、「おとぎ話」のある構図を隠れん坊は身体によって再演する遊びだ、と述べている。
しかし、この「おとぎ話」は「実際の事実世界における経験」を誇張し変形しつつ写し≠スものであった。では、何を写しているのだろうか。それは、現実の世界における神隠し、つまり鬼が出没して人を次々に異界に連れ去っていくことを物語っているのである。そしてそうした鬼が出没するときが夕暮れどきであったのだ。
夕暮れどきに隠れ遊びをするということは、一種の模倣呪術的行為であり、それを禁止するのは、そうした鬼などの隠し神が隠れ遊びをしている子供たちを発見し、夕闇にまぎれて、遊びとして隠れた子供を連れ去ってしまうからなのである。そうした遊びを夕暮れどきに演じることによって、遊びが遊びではなくなってしまうのである。現実世界の本当の経験へと転化してしまう。神隠しゲームとしての隠れ遊びが本当の神隠し事件になってしまって、子供が異界へと連れ出されてしまうことになるのだ。
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それにしてもかくれんぼとは、なんとかなしく、さびしい、そして原緒的なおそろしさのある呪術的な遊びであろうか。それは競技には違いないが、勝つためには誰にも見つからないという孤独なさびしさを経験せねばならず、その完璧《かんぺき》な勝利は遊戯を終らせてしまう。「もういいかい」「まあだだよ」の呼び交う声が次第に遠ざかり、いつかかくれた子供も探す子供もひとりぽっちになる。集団のあたたかさ、たのしさは消え、周囲に人っけのない、なまの自然が敵意をもって現出する。子供はあらためて遊びの虚しい空間を意識する。それは他界、つまり死の世界への隠れ遊び、常世《とこよ》への迷路探究の遊びである。(奥野健男『文学における原風景』)。
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夕暮れどき、隠れ遊びをする。鬼役の子が「もういいかい」と声をあげ、「まあだだよ」と答える。やがて「もういいよ」という声がする。鬼は次々に隠れた子供を探し出していくが、いくら探しても見つからない子がいる。不安になった子供たちは、鬼も発見された子も一緒になって、一人残った子供の名を呼ぶ。しかしいつまで探しても見つからない。その子供は、遊びの枠を踏み越えて、実際に隠れてしまったのである。遠くの方に隠れたのかもしれない。家に帰ってしまったのかもしれない。夜の闇がすべてを包み込んで不明にしてしまうのだ。
泉鏡花『龍潭譚《りゆうたんだん》』の主人公の幼児は、稲荷《いなり》の境内で隠れ遊びをして物陰に隠れたが、いつまでも発見されないでいる。鬼をはじめとする遊び仲間たちが彼を発見しないまま帰ってしまったのだ。彼はとっぷり暮れてしまった闇のなかに取り残される。そんなところに、隠し神≠フ女性が立ち現われてくる。夕暮れどきとは神と人が、遊びと現実が融け合うときであったのだ。
夕暮れどきは神隠しにあいやすい。まして隠れ遊びをしていると、なおのこと神隠しにあいやすいのであった。
したがって、理想の形での神隠し譚《たん》は、夕暮れ、隠れ遊びをしているときに、神隠しにあった、と語られるのが好ましいということになるであろう。
もっとも、隠れ遊びをしているときに神隠しにあうといった観念がありつつも、神隠しにあう場所は、子供が遊んでいる社寺の境内であったり、道路や辻《つじ》であったり、また便所に行くために夜に外に出たとき、山に薪《たきぎ》や木の実を取りに行ったとき、学校の帰り道、などさまざまなヴァリエーションを示していることも忘れてはならない。もっとも、そうした神隠しの発生する場所も、天狗《てんぐ》や狐などの人間に悪さをする神≠ェ出没しやすいと考えられている場所であった、ということに留意しておくべきだろう。
鉦《かね》・太鼓による捜索の作法[#「鉦《かね》・太鼓による捜索の作法」はゴシック体]
次に、失踪《しつそう》事件が発生したときの捜索の仕方をみてみよう。ここにも「約束」があった。子供などの行方不明者が出たとき、人びとは神隠しにあったのではないかと判断して、家人だけではなく、村びとたちも総出で、村のなかはもちろん、近くの山や谷、野原などを探し回る。このとき、多くの地域で、鉦や太鼓を鳴らしながら探すのが「約束」であった。
なぜ鉦や太鼓を鳴らすのか。もちろん、拡声器のない時代において、鉦や太鼓の音が人工音としてはもっとも大きく、したがって遠くまで届く音だったからである。道に迷ったり、神隠しにあったりした者がその音に気づいて、音の方にやってくるのではないかと考えたのであった。
たとえば、高知県|吾川《あがわ》郡池川町の用居《もちい》という部落にいた春代という娘が神隠しにあったときに、「部落の者たちが夜も昼も鉦太鼓で捜し続け六日も続けたが見当らなかった。七日目のこと、春代の母親が何気なく押し入れを開けてみると、つづれ《ぼろぎれ》の中に隠れて、からだじゅうにかかれたような傷があり、着物は何もかもぼろぼろになってうずくまっていた」(桂井和雄『仏トンボ去来』)。
柳田国男は、この約束ごとにも注意を払っていて、次のように書いている。
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神隠しという語を用いぬ地もすでにあるが、狐に騙《だま》されて連れて行かれるといいまたは天狗にさらわれるといっても、これを捜索する方法はほぼ同じであった。単に迷子と名づけた場合でも、やはり鉦太鼓《かねたいこ》の叩《たた》き方は、コンコンチキチコンチキチの囃子《はやし》で、芝居で「釣狐《つりぎつね》」などというものの外には出でなかった。しかもそれ以外になお叩く物があって、各府県の風習は互いによく似ていたのである。
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鉦・太鼓を基本としつつ、それに加えて、たとえば北《きた》大和《やまと》地方の低地部では、最近親の者が一升|桝《ます》を手にもって、その底を叩きながら歩くのがきまりとなっており、紀州の田辺《たなべ》地方では鉦や太鼓とともに、櫛《くし》の歯でもって桝の尻《しり》をかいて変な音をたてた。また金盥《かなだらい》や茶碗を手にして木片などで叩くところもあったという。
ところで、柳田国男は『山の人生』で、こうした神隠しが発生したときの捜索の作法に言及しつつ「誰でも考えずにおられぬことは、今も多くの農家で茶碗を叩き、また飯櫃《めしびつ》や桝の類を叩くことを忌む風習が、ずいぶん広い区域にわたって行われていることがある。何故にこれを忌むかという説明は一様でない。叩くと貧乏神がくるというもののほかに、この音を聴いて狐がくる、オサキ狐が集まってくるという地方も関東には多い。多分はずっと大昔から、食器を叩くことは食物を与えんとする信号であって、転じてはこの類の小さな神を招き降す方式となっていたものであろう。従って一方ではやたらにその真似をすることを戒め、他の一方ではまたこの方法をもって児を隠す神を喚《よ》んだものと思う」と述べ、「いずれにしても迷子の鉦太鼓が、その子に聴かせる目的でなかったことだけは、かやせ戻せという唱え言からでも、推定することが難くないのである」という解釈を出している。
すなわち、柳田は、神隠しにおける鉦や太鼓の使用の意味は、広く民俗社会における鉦や太鼓の利用のなかで理解すべきことがらであると述べつつも、「それは本来捜索ではなくして、奪還であった」と指摘している。
音による異界との交信[#「音による異界との交信」はゴシック体]
楽器とりわけ鉦や太鼓のような打楽器が、人間界と神界・異界との間のコミュニケーション、あるいはこの二つの世界の往還を象徴的に意味するものであるということを、シャーマンの用いる打楽器を分析することから明らかにしたのは、イギリスの社会人類学者ロドニー・ニーダムであった。日本における打楽器の多くは、ニーダムの指摘するとおり、まさしく異界との交信・移行をはかるための道具であったといっていいだろう。
打楽器と神界・異界、そして宗教者の関係については、これまでにも民俗学者をはじめとして多くの研究者が指摘してきたが、最近、笹本正治が、中世や近世の史料さらに民俗資料まで博捜することで、日本文化における音を出す道具についての整理と考察を展開している(『中世の音・近世の音』)。
笹本は、神社に吊るされている大きな鈴や寺の鰐口《わにぐち》、時宗《じしゆう》の僧たちが手にしていた鉢、あるいは巫覡《ふげき》の徒が用いることの多かった鉦・太鼓、梓弓《あずさゆみ》などを丹念に検討しつつ、善霊を異界から呼び招くにせよ、邪霊を追い払うにせよ、あるいは人間が神へ呼びかける合図にせよ、逆に神霊のたぐいが人間に呼びかける合図にせよ、「かつての日本人の中にはこれらの器具などによって生ずる音が、この世(人間の住む世界)とあの世(神仏の住む世界、人間とは異なるものの住む世界、異界・他界)とを繋《つな》ぎうる、特殊な能力をもつ道具として意識されていた」という結論を導き出している。
そして、こうした結論をふまえつつ、私たちがいま問題にしている神隠しに用いる鉦や太鼓についても、「もとより鉦や太鼓の音は大きいので、探している相手に対し我々がこうして探しているぞと気付かせ、自発的に探している者たちの方にやって来るようにさせよう、あるいは動けなくなっている人を勇気付けるという目的もあろう。この理解の場合、音の人間同士を繋《つな》げる機能に重点が置かれるわけである。また、神隠しにあった人間を多くの者が大騒ぎをして探すということで、大騒ぎの代名詞として鉦や太鼓ということが出てくることも十分に考えられる」と述べ、次のように解釈している。
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しかしながら、神隠しというのは本来人間が神や妖怪《ようかい》など異界の住人によって、異界へとさらわれることである。昔の人たちにとって、つい先程まで一緒にいた人が急に姿が見えなくなり行方不明になることは、その人の意志によっての行為ではなく神や妖怪の仕業と思われたのである。実際神隠しを行うのは天狗や鬼などの、この世の住人ではない者たちだった。とするなら、神隠しにあった人の行き先は、神や妖怪などの住む世界でなくてはならない。『民俗学辞典』が、神隠しにあった人は、深山幽谷などに行っていたと語ることもあるということを記しているが、そうした場所は日本人にとって他界の一つの典型と考えられていた場所である。
神隠しにあった者を探すためには、この世からあの世に連絡を取らねばならない。そのために用いられたのが鉦や太鼓だったのである。既に述べたように、長い間鉦や太鼓などの音は、この世とあの世とを繋ぐ効果を持っていると考えられていた。この音ならば他界にいる神隠しにあった者にまで届き、この世とあの世とを繋ぐ音の力によって、この世に引き戻すことも可能だと考えられたのではなかろうか。つまり、神隠しにあった人を探す時に鉦や太鼓が使われたのは、鉦や太鼓が異界とこの世とを繋ぐ効力があったからに他ならないのである。
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残念なことに、この笹本の結論は、鉦や太鼓をつらぬく普遍的ともいえる深い意味を探し出そうとするあまり、いささか単純化しすぎているように思われる。たとえば、この笹本の説く神隠しにおける鉦・太鼓の機能と、柳田の説く鉦・太鼓の機能は、その音が異界との間のコミュニケーションをはかるという点では一致している。
しかし、笹本は異界にいる神隠しにあった者への合図・呼びかけとみているのに対し、柳田の方は神隠しをした隠し神を呼び招こう、失踪者を隠し神から奪い返そう、としているのだという点で見解を異にしているのである。
どちらが正しいとはここでは判断しかねるが、地方によってかなり違った説明づけをするところがあったらしい。たとえば、富山県|魚津《うおづ》市では、「彼の太鼓を敲《たた》くのは暗夜の物凄《ものすご》さを忘るゝ為の附け元気であらうが、桝の底を敲くと、天狗の耳が破れさうになるので、捕つた子供を樹上から解放するからだと信じられて居る」(黒田夢禅「天狗の話三つ」)と説かれ、これに従えば、太鼓の音は異界に棲《す》む天狗を攻撃する武器だということになる。
激しい音をたてる鉦や太鼓を打ち鳴らして、野山の動物たちを追い立てるように、隠し神を鉦や太鼓の音で追い立て、さらには苦しめる。音がそうした呪力《じゆりよく》をもっていることも充分に考えられることである。
また、高知県土佐郡土佐町の場合は、だんだんと捜索の規模を大きくし、ほら貝を吹き、鉦《かね》や太鼓を打ち鳴らしての大がかりな捜索をしても見つからないときは、それで捜索は打ち切られることになっていた。この場合は、最後の捜索であるという象徴的意味や葬送を思わせる象徴的意味も帯びているといえるように思われる。
おそらく、神隠しにおける鉦、太鼓は、捜索に参加する者たちの威勢づけや捜索者たち相互のコミュニケーション、神隠しにあった者への合図、異界へと捜索隊が踏み込んで行くための象徴的回路、隠し神の招霊、隠し神に対する攻撃、あるいは最後の捜索のしるしなど、地方によって異なる説明づけを賦与されていたと考えられる。こうした可能性について充分な配慮をしておくべきだろう。しかし、いずれにせよ、鉦や太鼓の使用は、神隠しにおける重要な約束ごとであったことは動かない。
したがって、理想の形の神隠し譚《たん》では、神隠しにあった者を鉦や太鼓で探すのが好ましいということになるだろう。
神隠し事件の四つのタイプ[#「神隠し事件の四つのタイプ」はゴシック体]
さて、少しずつ神隠し事件の基本パターンもしくはモデルとでもいうべきものがみえてきたようである。考察をさらに進めよう。
これまでの考察から、村びとたちが神隠しにあったのだと判断する事件の結末の相違によって、神隠し事件には四つのタイプがあることが明らかになっている(第一章参照)。
一つは、無事な姿で失踪者が発見されるというものである。これを「神隠しA型」と呼ぶことにしよう。これはさらに、発見された失踪者が失踪中に体験したことを覚えている場合と、そうでない場合とに区別でき、そこでここでは、この二つのタイプのうち前者を「神隠しA1、後者を「神隠しA2型」と呼ぶことにする。
もう一つのタイプは行方不明のままついに発見されないというもので、これを「神隠しB型」と呼ぼう。
残る一つは、死体で発見されるというタイプであって、これを「神隠しC型」と呼ぶことにする。
B型の神隠し事件の場合は、鉦や太鼓による捜索を続けても発見しえなかったことで捜索が打ち切られ、そのうち失踪者が自力で帰ってくるのではないかとの期待を残しつつ、いちおう事件は落着したことになり、人びとは日常生活へ戻ってゆく。
C型の場合、失踪してから死体で発見されるまでに経過した日数によって、捜索の規模に大小があったりするが、いずれにしても、死体の発見と回収、葬式によって、事件は落着することになる。
この、B型とC型の二つの神隠し事件は、これまで繰り返し述べてきたように、神隠しにあったのだと推測するのは、残された村びとたちなのである。実際に、失踪者に何が起こったのかはまったくといっていいくらいわからないのだ。わからないからこそ「神隠し」のラベルを貼りつけて処理しようとしたのである。
ところが、「神隠しA型」の場合では、失踪者が戻ってくる。したがって、失踪者に問いただすことによって、異界にいざなわれたのか、隠れ神にあったのか、たんに山のなかを道に迷ってさまよっていたのかといったことを判断する材料が、戻ってきた失踪者の口から提供されるのである。
そして、私たちは丹念に注意してみると、この帰還者たちの言動のなかにも、神隠しの「約束ごと」ともいうべきものがみられることを知るであろう。
やさしい社会のコスモロジー[#「やさしい社会のコスモロジー」はゴシック体]
まず、発見のされ方をみてみよう。
柳田国男が紹介した、徳田秋声の隣家の二十歳ばかりの青年は、徳田家の屋根の上にどすんと落ちてきたという。
これと同様の話が他の神隠し事件の報告にもみられる。これもやはり柳田国男の『山の人生』にみえる話であるが、愛知県|北《きた》設楽《したら》郡|段嶺《だみね》村(現設楽町)に住む「十歳ばかりの少年が、明治四十年ごろの旧九月三十日、すなわち神送りの日の夕方に、家の者が白餅《しろもち》を造るのに忙しい最中、今まで土間にいたかと思ったが、わずかの間に見えなくなった。最初は気にもしなかったが、神祭を済ましてもまだ姿が見えず、あちこち見てあるいたが行方が知れぬので、とうとう近所隣までの大騒ぎとなった。方々捜しあぐんで一旦《いつたん》家の者も内に入っていると、不意におも屋の天井の上に、どしんと何ものか落ちたような音がした。驚いて梯子《はしご》を掛けて昇ってみると、少年がそこに倒れている」のを発見した。
徳島県小松島市|櫛淵《くしぶち》町で大正の頃にあった神隠し事件では、十四、五歳のT家の次男が神隠しにあい、四日目の朝、門先の柿の木の上にいる少年を発見したという。幕末の頃、静岡県|田方《たがた》郡|韮山《にらやま》町の高岩院の住持が小坊主のときに体験した神隠しでは、寺の釈迦《しやか》堂の屋根にまたがっているところを発見されている(『河童《かつぱ》・天狗《てんぐ》・神かくし』)。
こうした失踪《しつそう》者の発見場所の一致は、隠し神が空中を飛行する能力をもち、それゆえに失踪者も空中に運び上げられ、さらに隠し神によって天界を飛行して隠し神の世界へと案内され、山々を巡り遊んだりすると語られることと深い関係をもっている。すなわち、発見場所によって、失踪者の体験談のなかに天狗のような存在が現われなくとも、隠し神が天狗もしくはそれに類した神≠ナあることが、それとなく人びとにはわかるような仕掛けになっていたのだ。
このほかに、ある程度「約束ごと」になっていたのではないかと思われる発見場所として、松の木などの木の下が挙げられる。これも、樹木が神の寄り来る依代《よりしろ》であるということ以上に、連れ去った隠し神が天狗らしきことを暗示させる効果をもっていたとみていいだろう。
もっとも、失踪者の発見場所は、このほか家の前、辻《つじ》、部屋、山の麓《ふもと》などさまざまであって、そうした多様な発見場所のなかでとくに目立った発見場所として、屋根や天井、木の下があるといった程度にすぎない。けれども、天狗を隠し神とみなす傾向の強い地域では、屋根や木の上もしくは木の下で発見されたと語る方が、神隠しの定石にかなっているとみられたのはほぼ間違いないだろう。
同様のことは、発見されたときの失踪者自身の様子にも示されている。たとえば、埼玉県|入間《いるま》郡の神隠し事件では、失踪者は「ボロボロの着物で気が抜けたようにひょっこりと戻って」くる。群馬県|甘楽《かんら》郡甘楽町での明治の頃の神隠し事件の子供も「約半月すぎて、ひょっこり村の辻の所へ着物が少しボロになって立っていた」。
こうしたみすぼらしくなった着物で姿を現わした失踪者を見て、人びとは失踪者が山中などをさまよい歩いたことを理解し、さらにそこから、失踪者を山中へといざなったのは山に棲《す》む天狗のたぐいにちがいないと推測し、そしてときには失踪者の口から、異界やそこへいざなった隠し神の様子を聞いたのであった。
ところで、昔のような神隠し幻想(信仰)をもはやもたない私たちは、このような失踪したときの様子や失踪者の発見場所、発見されたときの姿などから、周囲の人びとによって「神隠しにあった」とみなされている事件が、物ごとの判断のまだ充分にできない子供や頭脳の弱い青年、あるいは一時的に精神錯乱におちいった者などが、ただたんに山中をさまよったり、屋根や木の上にのぼったりしていて、捜索する人びとになかなか発見されなかった事件にすぎないのではなかろうか、と判断するであろう。ボケ老人がふらりと家を出て行方不明になり、山狩りをして山中で発見されるのと変わりはないと思うのではなかろうか。神隠しにあったあと屋根の上や木の下に落ちてきたという失踪者は、たんに屋根や木の上に登って落下したのであろう。失踪者が異界に行ったというのは夢幻状態のなかでのことであろう。
おそらく、その通りだろう。しかし、重要なことは、神隠し幻想(信仰)をもっていた昔の人びとは、そうした出来事を、神隠し幻想という一種のコスモロジーによって解釈していたのである。そして、それは病気≠ニして解釈することで、社会から排除・隔離する傾向の強い社会的処理をほどこしがちな現代とは違って、まことにやさしい内容をもった、社会への彼らの回収方法であったともいっていいだろう。
理想の形の神隠し事件を想定しようとするとき、隠し神をどのような神に求めるかで違いが生じることがある。もし山界や天界に棲む天狗を隠し神と想定すれば、無事な姿で失踪者が発見された場所は、屋根の上とか木の上とかいったところが好ましく、またその姿はボロボロになったみすぼらしい姿として語るのが適当だということになる。天狗に連れられて空中を飛行し、山々を巡ったと思わせるような出現の仕方をする必要があったのである。実際、数日、山のなかをさまよっていれば、そうした姿かっこうになってしまうはずである。
失踪者の異界報告[#「失踪者の異界報告」はゴシック体]
さて、これまでの考察は、村びとの側から理解された神隠し事件であった。つまり、こちら側=人間世界の側で体験もしくは観察された神隠し事件であった。民俗社会(ムラ社会)に、行方不明者が出る。家人や村びとたちが神隠しにあったらしいと捜索を開始する。やがて死体となって、あるいは無事な姿で、失踪者が発見されることで、この事件が落着する。さもなければ行方知れずのまま、捜索が打ち切られて事件は終りとなる。
では、村びとたちがどこへ行ってしまったのかと心配しつつ探し回っている間、失踪者は、どのような体験をしたのだろうか。つまり、向う側の世界では何が生じていたのだろうか。
ここから先のことは、失踪者に尋ねるのが一番である。しかしながら、A型、B型、C型の三つのタイプのうち、失踪者が戻ってくるのはA型だけである。B型の失踪者やC型の失踪者にもいまどこで何をしているのかをいろいろと尋ねてみたい。だが、彼らがいまどこにいるのか、死んでいるのか、そうだとしたら死んだあとその魂がどこにいるのか定かでないのだ。したがって、ここではA型の神隠し体験者の話に耳を傾けることにしよう。
神隠しにあった者の体験談――これは大いに興味のそそられるテーマである。しかしながら、残念なことに、神隠しにあった者の体験談の内容は、総じて貧弱である。正直いって、私たちの知的欲求を充分に満たしてくれるとはいえそうにないような話ばかりである。これはおそらく、神隠しにあった者の多くが幼い子供や頭脳の弱い青年だったことと関係しているかにみえる。
そうした点が認められるものの、とりあえず、彼らの異界報告に耳を傾けてみよう。
まず聞いてみたいのは、神隠しにあったときの様子である。そのときどんな異常が生じたのだろうか。
これにはいくつかのタイプがみられる。一つは発見されて正気を取り戻したとき神隠しにあったことさえ記憶していない失踪者がいる。この場合は、神隠しにあったときにどんな異常が生じたのかも、もちろんわからない。たとえば、松谷みよ子編『河童・天狗・神かくし』に紹介されている、群馬県|利根《とね》郡|水上《みなかみ》町|湯原《ゆばら》で明治三十九年八月に起きた神隠し事件は、その一例である。
湯原の須藤長松という人が寝ていた。ところが突然消えてしまった。五日間見て回ったが見つからずついに諦《あきら》めた。ところが、近所の人が翌朝早く起き、水くみに出て、長松さんの家の屋根をみると、一番高いところに長松さんが立っていた。はしごをつないでやっと降すことができるというようなところである。その後本人に聞いてみると、「茶の間に寝ており、起き出して家と倉の間までは覚えているが、その後の記憶は全然ない」という。人びとはきっと天狗にさらわれたのだと判断したという。
もう一つのタイプは、隠し神は登場しないが、不思議な風が吹いてきて急に意識を失い、その間に見知らぬ地にさまよい出ているところを発見されるというものである。意識を失う前に自分に異常が生じたことを自覚している点で、右のタイプと異なっている。
八王子市で採集された話に、「坂のぼっていった時上の方から風がすーっと吹いてつむじ風が吹いて目ん中ごみが入って、こすったのは知ってるが、それからわからない」というのがある(『河童・天狗・神かくし』)。
風は邪悪を運んでくるとともに、人をさらっていったりもしたのである。
もう一つのタイプは、隠し神の声がしたり、姿を現わして、人を異界へと連れてゆくというものである。これも例を挙げると「名栗の森河原の浅見常次郎さんは、実家の青場戸へ行った帰り、夜道になって豆口峠の上にきました。すると見上げるような大きな坊さんがいて、ついてこいというのでついていくと……」というように、大入道が現われたり、「朝洗面に出たとき、一陣の風が起って眼を閉じよと命じられ、そのまま天狗に連れられ……」というように、天狗が現われたりしている(『河童・天狗・神かくし』)。
はたして、どの程度の頻度で語られているのかがいま一つつかめないのだが、右の例からも多少うかがえるように、神隠しが発生するときは風の強い日であったり、急につむじ風が吹いたりしているのが気にかかる。隠し神は、風に乗ってくるという「約束」めいたものもあったのかもしれない。
そうだとすると、ある風の強い日、夕暮れどき、隠れ遊びをしていると、遊び手の一人がどことも知れず行方不明になってしまった、という神隠し譚《たん》を思い描くことができるだろう。
天狗《てんぐ》信仰[#「天狗《てんぐ》信仰」はゴシック体]
こうして、失踪《しつそう》者は、異界へと連れ去られて行く。
私たち日本人は、古代から現代に至る長い時間をかけて天上界、山中界、水中(海中)界(水界ということが多い)、地下界といったさまざまな異界観=他界観を創出してきた。
そうした異界観=他界観と、神隠し体験者にみられる異界観とはどのように交錯しているのだろうか。さっそく、神隠しにあった人たちに聞いてみよう。
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@ 夜は天狗につれられて山中を歩きまわり、昼は木の上に寝ていて食事は天狗がどこからか草や木の実をもってきてくれた。(埼玉県入間郡)
A 夜は村の山にいたが、夜明け頃になると小鳥のようなものが現われて、おれと一緒に来い、というので、これについて行くと、隣村の山へ入った。その小鳥のようなものは尻《しり》ペただけで他はわからなかったが、発見される日に天狗が現われ、汝はここに居ては悪いから村へ帰れ、と掴《つか》まれて投げられ、しばらく飛ぶうちに人々に見付けられた所に落ちた。(福島県|南会津《みなみあいづ》郡)
B 天狗に突然連れて行かれて、大きな都市のあっちこっちの名所を回ってきた。(群馬県甘楽郡甘楽町)
C 夜道になって豆口峠の上にきました。すると、見上げるような大きな坊さんがいて、ついてこいと言うのでゆくと、岩上に立って向うの山まで飛んでみろと命令するのです。……死んだ気になって飛んでみるとアラ不思議、鳥のように軽々と飛べるのです。そして大坊主と一緒に一晩中あちこちの山を飛び歩き、夜が明けて気がついた時はぐったりと疲れて、もとの豆口峠にいた。(埼玉県入間郡)
D「小僧、目をつぶれ」と言われ、こわいのでかたく目を閉じていた。すると、ひゅうひゅうと風に向って走っているようだった。「目を開けろ」と言うのであけてみると、そこは広いはらっぱだった。暗闇から「小僧おれの弟子になれ」と声ばかり聞える。こん坊(小僧)は「いやだよう。早く寺へ連れてっておくれよう」と何べんも頼んだ。(静岡県田方郡韮山町)
E 洗面に出たとき、一陣の風が起って眼を閉じよ、と命じられ、そのまま天狗に連れられ、美しい所にいき馳走《ちそう》された。今朝、天狗にこれから帰すがまた連れにくるといわれた。(和歌山県日高郡南部町)
F「わしァ櫃《ひつ》ヶ山《せん》の方に行きょうたら、大きな山伏みとようなもんが出てきてからに、ええとこへ連れて行っちゃるいうもんだけえ、それエ付いて歩き回るばあしょうた」。(岡山県|真庭《まにわ》郡|美甘《みかも》村)
G「外で遊んでいると、バサバサという音がしたかと思うと、僕の身体が空に浮かんで飛んでいたんだ。山を越えたり海を渡ったり。時折り波のしぶきが足にかかったんだよ。それで東京見物をさしてくれたんだよ」。(香川県高松市)
H しばらくして大きな声で背中にのれ、と言うので目をとじたまま背中に乗るとプーと高く飛び立った。城下の火事を見たり海の上を飛んだりして「ああ重たい、ほうろうか」と言うと、そうはならんと前髪の人(氏神様)が出て叱《しか》る。すーすー飛んで蔵駒山に着くと、大勢の天狗が酒盛りの最中であった。正面の大天狗に清七を連れて来た事を報告すると、大天狗は「何事ぞ、清七は今子やらいの最中である。早く連れて帰れ」と言う。天狗はまた背中に乗せて飛び立ち、長沢の向山の頂上に降した。(高知県高岡郡中土佐町長沢)
I 冬の夜半に同居の表戸をたたくものあり、氏起きて戸を開くるに山伏姿の老人立ちあり我に従い来《きた》れという。従い行くに川の上など平地を行く如く忽《たちま》ちに田辺《たなべ》から一里|許《ばかり》を隔つる稲成村|蟇岩《ひきいわ》の上に到り老人と遊び忽ちに連れ帰らる。(和歌山県|牟婁《むろ》郡)
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右の事例は『河童・天狗・神かくし』に集められた神隠し事件の報告から引いたものであるが、いずれも似たり寄ったりの内容であることは一目|瞭然《りようぜん》である。事例を増やしても、この傾向はほとんど変わらないといっていいかと思う。
こうした事例を前にして、私たちは次のことを指摘できるだろう。理論的には、民俗社会の人びとが信じているさまざまな神々、妖怪《ようかい》のたぐいのうちの、いずれの神霊が神隠しをしてもいいはずである。
ところが右の事例では、ほとんどが「天狗」によって隠されたと語っている。事例Cの「大坊主」も、事例Dの姿を見せず暗闇から「おれの弟子になれ」といった者も、空中を飛行して移動する能力をもっているところから推測すれば、「天狗」もしくはそれに類似した隠し神であったとみなしていいし、さらに、事例Fと事例Iの「山伏姿」の異人も、天狗の姿かっこうが山伏の服装から採られたものであり、山伏自身が天狗信仰を説き、しかも民間では、山伏を天狗と同一視する観念さえあったことを考えれば、その正体は天狗であったともいえる。とすれば、これらの事例のすべてが隠し神を「天狗」に求めているということになる。
つまり、民俗社会の人びとの多くは、人を異界へ連れ去る隠し神は天狗であるとする共通の観念をいだいていたということになるはずである。天狗信仰はそれほど深く民俗社会に浸透していたのだ。いや、こういうべきかもしれない。天狗信仰は民俗社会にあっては、神隠し信仰と結びついて浸透していた、と。
そういうわけで、神隠しの「神」は「天狗」、つまり「神隠し」とは「天狗隠し」といっていいほどの「法則」(約束)が、民俗社会では出来上っていたのであった。
もちろん、章を改めて検討するように、「天狗」のほかにも、人を取り隠す神≠ェいた。すでに述べたように、「鬼」や「狐」も多いし、「隠し婆」(山姥《やまんば》のたぐい)や、ときには「河童《かつぱ》」や「山の神」なども人を異界へと連れ去っていった。しかし、隠し神のなかで「天狗」は圧倒的比率でその首位を占めていたのである。
天狗と異界イメージ[#「天狗と異界イメージ」はゴシック体]
次に指摘しうる特徴は、神隠しにあった者が連れて行かれた「異界」のイメージである。ここにもはっきりとした「法則」(約束)つまり類型化されたイメージが認められる。この異界のイメージは、隠し神が天狗であるかないかで多少の違いがみられる。だが、天狗を隠し神としたときには、天狗の諸属性に規定されたイメージを描かざるをえないのは、明らかだろう。
天狗の棲《す》み家《か》は山奥だと考えられていた。とりわけ山岳修行者が入り込んで修行を積んだりする霊山に天狗が棲んでいるとされた。また、天狗は翼をもっていて、鳥のように空を飛べると考えられていた。また、天狗は赤ら顔の鼻の高い大男で、山伏のような法衣《ほうえ》を着て、手には団扇《うちわ》をもち、高足駄《たかあしだ》をはき、木の葉や木の実を食べ物としているとも考えられていた。
こうした天狗の属性をふまえて、失踪者が連れて行かれた異界のイメージや、さらに異界での体験は語られているのである。空中を飛行し、城下や近隣の村々やさらには東京まで行ったというのも、山のなかを歩き回ったり、天狗たちの集会(酒盛り)に参加したりするのも、そうした天狗の属性と照らし合わせるとよく理解できる。すなわち、神隠し体験者は、彼独自の異界体験を語っているというよりも、彼が属する民俗社会の天狗幻想(信仰)を、異界体験≠ニいう形を通して語っているのである。
それにしても、すでに述べたように、この異界のイメージは貧相である。山上近くらしき「はらっぱ」、あるいはお花畑らしき「美しい所」、城下や海を見下す空中、山中の天狗の酒盛りの場所、といった程度の、面白味に欠ける異界である。はっきりいってしまえば、神隠しにあった者は、人びとに物語りして人びとを驚かせたり、恐ろしがらせたり、あるいは憧《あこが》れをいだかせるような異界体験をほとんどもたなかったのである。東京見物や近くの町や村を眼下に見下すという不思議な体験をしたというのが、人びとの耳を少し傾けさせるに値する体験だったということになるだろう。
そこで、私たちは次のような疑問をいだく。いったい隠し神は――ここでは天狗を想定しているのだが――いかなる理由で、いかなる目的で、人を異界に誘い込み、天空や山中を飛行させたりさまよわせたりしたのか。
この疑問に対して、ほとんどの神隠しにあった者の異界体験談はまともな答を用意していない。右に挙げた事例でみると、事例Dと事例Hが、天狗の仲間にするために人をさらってきたらしいとわかるだけなのである。
そこで、少し私なりの想像をふくらませてみよう。天狗《てんぐ》にとって、神隠しした者のうち、死体で村びとに発見された者や行方不明のままの者こそ、誘拐するにふさわしい者であって、だから彼らは異界に連れ去られたままなのであり、無事な姿で戻ってきた者は天狗に不適当と判断されて送り戻された者だったのではなかろうか。そう考えれば少しは納得がいくことはたしかである。
もしそうだとすると、私たちが知りたいのは、神隠しされた者が死んでしまったあと、その魂がどこへ行き、どんな体験をしているのか、あるいは行方不明者がどこでどのような体験をしているのか、ということになるだろう。しかし、この点になると、現実の神隠し体験者からは期待する情報をえることはできない。
人間界と異界の媒介者としての少年[#「人間界と異界の媒介者としての少年」はゴシック体]
神隠し事件をめぐる伝承を主要な構成要素に分析しつつ考察を加えることによって、他の民俗がそうであるように、これも伝統によって形成された共通の幻想が支配していることを明らかにしてきた。続いて以下で、こうした構成諸要素を互いに結びつけてゆくというもっとも重要な役割を演じている、つまり神隠し事件の人間の側の主人公ともいうベき、神隠しにあう人間の性格などについて少し考えておこう。
柳田国男が強調しているように、神隠しにあったと判断されるような事件の中心人物つまり失踪者は、幼い子供、痴鈍な大人、あるいは一時的に精神障害を生じているような人物、そして若い女性が多かった。
精神に障害をもつ者が、ふいに姿を消してしまうことは今日でもみられることで、かつてそうした人物が失踪したということは充分に考えられることである。まったく記憶にないままに、あるいは幻覚や幻聴に誘われて、あるいは夢遊状態になって、社会からさまよい出てしまうのだ。そんな人びとの失踪を、ときには天狗に隠されたとか、ときには狐につままれたとか称することがあったのだ。柳田国男が引く徳田秋声の隣家の神隠しにあった青年も「遅鈍な質《たち》」であったといい、また早川孝太郎の愛知県本郷町の青年も「生来痴鈍」であったという。
では、幼い子供は、どうして神隠しにあいやすかったのだろうか。社会生活を営んでいくうえでの知識と知恵を充分に備えた大人とまだ未熟な幼児を比べれば、当然のことながら、迷い子になるのは圧倒的に幼児が多い。したがって、神隠しにあったとみなされるような事件を引き起こすのも幼児が多かったことは、明白である。大人が山に仕事に行って、一日くらい戻らなくとも、神隠しにあったらしい、とすぐに大騒ぎすることはないが、子供が山に薪《たきぎ》取りに行って日が暮れても戻らなければ、たちまち大騒ぎになってしまうであろう。
柳田国男は自分の幼い頃を振り返り「私自身なども、隠されやすい方の子供であった」と述べ、次のような話を記している。
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これも自分の遭遇ではあるが、あまり小さい時の事だから他人の話のような感じがする。四歳の春に弟が生まれて、自然に母の愛情注意も元ほどでなく、その上にいわゆる虫気《むしけ》があって機嫌の悪い子供であったらしい。その年の秋のかかりではなかったかと思う。小さな絵本をもらって寝ながら看《み》ていたが、頻《しき》りに母に向かって神戸には叔母《おば》さんがあるかと尋ねたそうである。じつはないのだけれども他の事に気を取られて、母はいい加減な返事をしていたものと見える。その内に昼寝をしてしまったから安心をして目を放すと、しばらくして往ってみたらもういなかった。ただし心配をしたのは三時間か四時間で、いまだ鉦太鼓《かねたいこ》の騒ぎには及ばぬうちに、幸いに近所の農夫が連れて戻ってくれた。県道を南に向いて一人で行くのを見て、どこの児だろうかといった人も二三人はあったそうだが、正式に迷子として発見せられたのは、家から二十何町離れた松林の道傍《みちばた》であった。折よくこの辺の新開畠《しんかいばた》にきて働いていた者の中に、隣の親爺《おやじ》がいたために、すぐに私だということが知れた。どこへ行くつもりかと尋ねたら、神戸の叔母さんのところへと答えたそうだが、自分の今|幽《かす》かに記憶しているのは、抱かれて戻ってくる途《みち》の一つ二つの光景だけで、その他はことごとく後日に母や隣人から聴いた話である。
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神隠し事件にまで発展しなかったが、柳田はこうしたまさしくその寸前までいった体験をたびたびもったのであった。読者のなかにも、これに類似した経験をもっている方はけっこういるのではなかろうか。ここで再び泉鏡花の『龍潭譚《りゆうたんだん》』の幼児の神隠し体験を思い浮かべていただくのもいいだろう。
もう四十数年も前のことになるので、定かには覚えていないが、たしか小学校三年生のときだったと思う。私もこれに似た経験をしたことがある。
当時の私は、大田区の糀谷《こうじや》駅の商店街を抜けた、公務員宿舎に住んでいた。近所で、日がとっぷりと暮れるまで遊び回って家に戻ると、わが家の玄関も勝手口もしっかり鍵《かぎ》がかけられていた。帰りが遅いのに怒った両親が、私を戒めるために締め出してしまったのだ。「しまった」と後悔したものの、時すでに遅しであった。私は玄関の前でしばらく立って許されるのを待っていたが、なかなか玄関口に母親が現われない。その日の両親の(おそらく父の方だったろうが)虫の居所はよほど悪かったらしい。長い時間、玄関前に立っているうちに、だんだん悲しくなり、隣家の家族の楽し気な食事中の会話の声などを聞いていると、今度は腹が立ってきた。そのうち逆に両親をおどかしてやれ、という気持がわいてきた。そして私はどこといってあてもなく、ふらふらと商店街のなかへとさまよい出たのだ。すぐ近くの糀谷映画劇場のスチール写真をのぞき、さらに商店の様子をあちこち眺めたりしながら歩いて、踏切を越えて駅の反対側の商店街までやってきた。その頃の私にとって、その踏切までが日常的で見慣れた空間であった。その向う側はほとんど未知の異界≠ノ近い世界であった。そんな空間を私はとぼとぼとなぜかどこまでもどこまでも歩き続けたい気分になっていたらしい。が、そのうちにまったく知らない世界を歩くことの恐怖が大きくなって、しばらく行ってから私は後戻りをしたのである。家の近くまで戻ると、私の姿が見えなくなったのに気づいた母と兄が、私を探している姿が目に入った。もちろん、その場で、二人にこっぴどく叱られたが、二人の姿を見出したときの安堵《あんど》感はいまでもよく覚えている。なにに導かれたとはいえないのだが、子供にはふとどこか遠いところへ行きたいという願望が首をもたげることがあるのではなかろうか。
河合隼雄によれば、子供には「家出願望」や「家出空想」がつきものだという。河合は『子供の宇宙』という本のなかで、「子どもの頃に家出したいと思ったり、家出の真似ごとのようなことをしたりする人は非常に多いのではなかろうか。そんなことは一度も考えたことはないという人の方がよほど少ないと思われる」と述べ、「このような家出の背後に、子どもの自立への意志、個としての主張が存在していることは、誰でも気づかれることと思う。自分は一人の人間であり、自分なりの主張をもっているのだという気持が急激に起ってきて、それを行動によって示すとなると、『家出』ということになるが、外的現実はそれほど甘くなくて、一人立ちして生きてゆくにしては自分は未だ駄目であることを思い知らされることになる」と語っている。
たしかに、子供の神隠しと家出は重なり合うところがある。かつての家族は大家族であり、現代の小家族時代の「家出」とはかなり性格を異にするだろうが、子供が何者かにいざなわれるかのように、日常世界の向う側にさまよい込んで行く背景に、共同体からの離脱と子供の自立への主張があることは充分に考えられることである。彼は子供から大人への「通過儀礼」を受けようという気分になっていたのである。そうした向う側への旅を、周囲の人びとは「神隠し」と呼んだりしたわけである。だから、極端ないい方をすれば、ファンタジーや冒険小説の子供の主人公は、家出願望を実際にあるいは空想のなかで実現した子供たちであって、彼らは周囲の人びとからみれば、神隠しにあった子供たちであったのである。
もっとも、柳田がいう神隠しにあいやすい子供とは、こうした家出願望のようなものに知らず知らずに導かれての失踪《しつそう》のことをいっているのではない。もっと宗教的な資質のことを考えている。大人よりも子供が神隠しにあいやすく、さらにそうした子供のなかでもさらに神隠しにあいやすい資質の子供がいた。大人たちは、そんな子供の霊能に目を向け、ときには神の託宣を聞く霊媒(依坐《よりまし》)として用いたり、神隠しにあって異界に行った子供たちから、異界の様子を聞いたり、異界からの通信をキャッチしようとしたのだと説いている。
この場合の子供には、向う側への旅を自分の自立のための通過儀礼としようとしている以上のことがその神隠し体験には期待されている。彼は人間界と異界の媒介者であり、一方から他方へのメッセンジャーの役割を期待されている。大江健三郎が『M/Tと森のフシギの物語』や『同時代ゲーム』などで強調した「神隠し」の特徴も、こうした側面であったといえるであろう。
こうした柳田の推測はまったく間違っているというわけではない。しかし、注目したいのは、神隠しにあった子供たちが、異界から戻ってきて語る異界についての情報はまことに断片的かつ類型的で、柳田が期待するほど創造的ではないということである。しかも隠し神のほとんどは、天狗なのである。
さらに、神隠しにあう子供の圧倒的多数を男の子が占めていることも気にかかる。つまり、天狗《てんぐ》は男の子供を好むと民俗社会の人びとには考えられていたのだ。なぜだろう。それは天狗の主要な目的が、天狗の性愛の相手にするためであるという観念が流布していたことによっている。神隠しにあった少年を「天狗の陰間《かげま》」というのは、それに由来しているのである。つまり、神隠しにあうのが男の子である場合は、その隠し神は天狗であるのが好ましい。そういう「法則」(約束)があったのだ。
行方不明の娘たち[#「行方不明の娘たち」はゴシック体]
若い女性も神隠しにあいやすいと信じられていた。これはなぜだろうか。その一例を、柳田が紹介している(『山の人生』)。
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相応な農家で娘を嫁に遣《や》る日、飾り馬の上に花嫁を乗せて置いて、ほんのすこしの時間手間取っていたら、もう馬ばかりで娘はいなかった。方々探しぬいていかにしても見当らぬとなってから数箇月ものちの冬の晩に、近くの在所の辻《つじ》の商い屋に、五六人の者が寄合って夜話《よばなし》をしている最中、からりとくぐり戸を開けて酒を買いにきた女が、よく見るとあの娘であった。村の人たちは甚だしく動顛《どうてん》したときは、まず口を切る勇気を失うもので、ぐずぐずとしているうちに酒を量らせて勘定をすまし、さっさと出て行ってしまった。それというので寸刻も間を置かず、すぐに跡から飛びだして左右をみたが、もうどこにも姿は見えなかった。多分は軒の上に誰かがいて、女が外へ出るや否や、ただちに空の方へ引張り上げたものだろうと、解釈せられたということである。
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まことに幻想的で不思議な話だ。それゆえに、柳田がこの事件の話を手に入れたときにはもうかなりもとの話が変形されていたのではなかろうかとの思いがわいてくる。
興味深いのは、若い女性が神隠しにあったときには、この話のようにほとんど戻ってくることがない、ということである。つまり若い女性の神隠しは、私たちの分類でいう「神隠しB型」という語りの形態を示すことが多い。したがって、彼女から体験談を聞くことがほとんどできないのだ。
まったく行方不明のままでは、いったい彼女の身に何が生じたのか、どこに行ったのかを村びとは知ることができない。
ところが、すでに引用した『遠野物語』のサムトの婆《ばば》もそうであったように、あるとき女性がふとした折に、人間界をなつかしがって(と村びとは考えた)、村びとの前に姿を現わすときがあった。その折の様子や話から、彼女が神隠しにあい、山中の異界らしきところに生きていることを知る。これは、いいかえれば、村びとたちが、失踪後の彼女の様子を知りたくて、むりやり彼女をこちらの側に呼び戻したともいうべき事件であった。右の事例も、サムトの婆の事例も、再び人前に姿を現わしたというのは、人びとの幻想のなかのこと、つまり事件伝承が作り直された結果であったと私には思われるのだ。人びとは彼女に会おうとして、ついに幻想のなかで彼女を見たのである。
若い女性の神隠し事件伝承には、もう一つの「法則」(約束)があるかにみえる。それは、男の子供の神隠しとは違って、彼女を異界へと連れ去った隠し神が、柳田も気づいていたように、「天狗」ではなく、「山男」や「鬼」であったらしいことである。しかも、そうした神隠しの目的は、彼女を自分の嫁にするためであったと考えられていた。そして、その多くは連れ去った女性を妻にし、また女性の方も逃げ出せないので仕方なく妻になっていると、たまたま出会った村びとに告げたりするものの(これも村びとの幻想であることが多いと思われるのだが)、女の方も隠し神の嫁になりきっていたのである。
とすれば逆に、若い男性が神隠しにあって戻ってこないという場合には、異界の女性(山姫)の夫になったのかもしれないと解釈することもできるわけである。しかし、このような解釈がなされた神隠し事件の事例は皆無といっていいだろう。この理由は、日本の社会編成・婚姻規則では嫁入り婚が一般的であるということに反するということもあって、村びとたちに受け入れられにくいからである。
ところで、民俗社会の共同幻想のヴェールを取り払って、こうした神隠し事件を見つめ直すと何が見えてくるだろうか。
柳田は、女の失踪の多くは発狂によるもので、「女にはもちろん不平や厭世《えんせい》のために、山に隠れるということがない」と述べている。だが、これは本当だろうか。
民俗社会における女性の置かれている位置は、現代における女性に比べてまことに悲惨なものがあった。家父長制の支配する時代のことである。女性は家の論理で、嫁に出され、ときには売られたり、奉公に出されたりしたのだ。惚《ほ》れた男と添い遂げられるなどということは、夢のまた夢であった。もっとも、若い娘がそうした価値観・論理しか知らなければ、その価値観・論理に合わせて生きていくしかないだろう。しかしながら、もしそうした女性の生き方に疑念をはさむような別の価値観・論理に触れたならば、女性は自分の置かれている立場を反省し、ときには自分の運命を新しい別の価値観・論理にゆだねてみようとするはずである。
中国映画に陳凱歌《チエン・カイコー》監督『黄色い大地』(一九八六年)という作品がある。中国中央部のある寒村では、花嫁は売買されるものであった。主人公の若い娘|翠巧《ツイ・チヤオ》も、すでに売約済みであった。彼女はそれを当然のことと思っていた。だが、そこに共産党の兵士が、共産党の団結に利用するために民謡の採集にやってきて、貧しい彼女の家に宿をとったことから、この兵士を通じて、延安《イエンアン》の娘たちは自分の意志で結婚相手を選ぶということを知る。彼女は、兵士に延安に連れて行って欲しいと頼むが、兵士はまたくると言って娘を残して去ってゆく。やがて娘は嫁いでゆく。しかし、ほどなくして婚家から逃げ出してきた翠巧は、延安へ向けて旅立とうとする。そして夜の闇に包まれた黄河の激流へ一人乗り出して、その波間に消え去ってしまうのであった。
この物語は、柳田国男の引用した、嫁入りする日に消え去ったという花嫁の話になんとよく似ていることだろう。私の推論であるが、『山の人生』に語られていた失踪した花嫁も、家人の命ずる嫁入りがいやで、「異界」へと逃げ出したのではなかろうか。山中に入ったのか、都会に出たのか、それとも自殺したのか、それとも誘拐されたのか。それは私たちにはわからない。しかし、もしこの若い女性が、村の「外部」からもたらされた新しい価値観・論理に触れていたり、山中などの異界には現実の世界とは異なるユートピア的世界があるのだ、と信じていたとすれば、そうした世界へと逃走することは考えうることである。発狂もその一つの表現形態なのではなかろうか。
菊池照雄は『山深き遠野の里の物語せよ』のなかで、柳田国男の『遠野物語』を再検討し、次のように説いている。
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女が山にはいる理由はいくらも転がっていた。女性の体は基本的には、家事と出産や育児に専念するようにつくられている。山村では、これに男と同じ重労働がくわわり、さらには大家族のなかで、嫁姑という新旧のへら(飯の分配権)の主権争奪の心理の重圧があった。
肉体と心にヤスリをかけての壮絶な生活戦争に耐えられなくなったとき、女性は戦線離脱の方法として山に入るか、首縊《くびくく》りをするか、いずれかを選択するよりほかはなかったのである。
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こうして、私たちは、神隠し事件の主人公の多くが子供や若い女性であるという民俗社会における「法則」(約束)の理由を、ある程度見出したわけである。
これまでの考察を整理することによって、私たちは、日本人がもっとも神隠し事件らしく思うであろう神隠し事件の主要な諸要素を手に入れたことになる。あとはそれらを結び合わせて、理想的な形の「神隠し事件」の伝承(話)を想定してみるだけである。
神隠しの理想型と諦《あきら》めの儀式[#「神隠しの理想型と諦《あきら》めの儀式」はゴシック体]
すでに述べたように、私たちは神隠し事件を、四つのタイプすなわち「神隠しA型」(このタイプはA1型とA2型にさらに分けられる)「神隠しB型」「神隠しC型」に分類した。このうち、以下ではもっとも複雑な形態を示すA型の伝承について、そのモデルを想定してみよう。
まず、この事件の発生した地域について考えてみよう。地域は日本の民俗社会のどこでもいいとも考えられるが、これまでの検討の結果、天狗信仰をしっかり伝承している社会が好ましい。この村を四国のP村としておこう。時代は高度成長期以前、神隠し事件が多発したらしい明治から昭和の三十年代までのいつでもいいだろうが、ここでは昭和の初め頃としておこう。季節はとくに強い法則性があったとも思われないが、いちおう柳田に従って、春の頃のこととしよう。そんなある日の夕方、子供たちが夕暮れ深まるなかで隠れん坊をしていたとき、そのなかの一人の男の子が姿を消してしまうことになる。
そこでこの神隠し事件に関係した人びと、たとえば神隠しにあった子供の家人や、その捜索に参加したという人、あるいはその事件の話を聞いた人たちは、たとえば、この事件からだいぶ経って村にやってきて調査をしている民俗学者に、その事件のあらましを次のような話として語るだろう。
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昭和の初めの頃でした。その年の春のある日、夕暮れまで近所の子供たちが隠れん坊をしていたそうです。もう闇が深くなったので遊びをやめて家に帰ろうということになったとき、そのうちの一人の十歳ばかりのQ君がいないのに気づきました。子供たちは少し不審に思ったそうですが、遅くなってしまったので、勝手にさきに帰ったのだろう、と思ってそのまま家に帰りました。やがて、Q君の家の人たちが、子供が戻ってこないのに気づき、近所を探し回りました。子供の姿は見えず、一緒に遊んでいた子供たちの話から、夕暮れに姿を消してしまったことが判明しました。家人は、ひょっとしたら神隠しにあったのではないかと思い、村の人たちに頼んで近くの山や谷を探してもらうことにしました。その日は夜も遅くまで村の人が総出で近所を探しましたが、見つかりませんでした。家人はもとより村びとたちも、神隠しにあったのだろうと思いました。次の日も、その次の日も探しましたが、やはり見つかりませんでした。そこで、とうとう五日目の日に、村の人たちは、鉦《かね》や太鼓をもち出して、鳴り物入りで「返せヤーイ」と叫びながら捜索をすることになりました。でも、子供は出てきませんでした。鳴り物入りでの捜索でも出てこなかったら、もうその子は出てこないということになっていたので、この日を最後に村びとたちは捜索を打ち切ったそうです。
ところが、その翌朝のことでした。その子の家人が戸を開けたところ、着物がボロボロになって、あちこち切り傷・すり傷だらけのQ君が立っていたのです。家人は、いったいどこへ行っていたのか、と尋ねましたが、いっこうに要領をつかめません。その子供が落ち着いてから、いろいろ尋ねたところを総合すると、およそ次のようであったようです。
夕暮れまで隠れん坊をしていたところ、急に一陣の強い風が吹き身体を運ばれたかと思うと、見慣れない山に立っていたそうです。そこに顔の赤い大きな天狗《てんぐ》様がやってきて「おれについて来い」といって、背中に乗せて空高く飛び上り、あちらの山やこちらの山を飛び回ってから、ある高い山の山上近くで、天狗様たちが酒盛りをしているところに連れて行かれました。天狗様に「弟子になれ」といわれましたが、「いやだ」というと、また背中に乗せて空を飛んで帰る途中、せっかくだからと東京まで行ってくれて、空の上から東京見物をさせてくれたあと、家の前に降ろされたそうです。
この村には、この他にもときどき神隠しにあう子供がいましたが、そのたびごとに天狗に連れて行かれたのだと噂し合いました。
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右に想定した「神隠し事件」は数日を経て発見される場合の話であったが、これを一日程度で発見される場合と想定すれば、それは、本章の冒頭で引用した、徳田秋声の隣家の青年の神隠し事件とほぼ同様の展開をするような話になるだろうと思う。つまり、日数の経過による変異がそこに現われざるをえないわけである。たとえば、たった数時間で着物がボロボロになっていたとは語りにくいだろうし、自宅の屋根の上で数ケ月後に発見されるというのもちょっと考えにくい。話の展開にそった合理化がなされるわけである。
そこで、まとめの意味をこめて、四つのタイプの神隠し事件のうちA1型を図式化しておくことにしよう。
(挿絵省略)
ここではA1型の図を示したが、この図を参考にA2型を説明すると、失踪《しつそう》者の異界体験談に対応する部分が欠落した図として示される。B型は、一度も姿を見せなければ、体験談が欠落している図となり、のちに一度姿を現わしてどのような体験をしているのかを語れば、体験談の部分が語られる。C型になると、捜索中もしくはその後になって死体で発見されるわけであるから、異界訪問部分は欠落した図として示されるだろう。
しかし、「神隠し」と村びとに判断された失踪事件のうち、当の失踪者が村びとに呼応するような失踪体験を語ってくれるのは「神隠しA1のみである。しかも、とくに強調しておいた方がいいと思うのは、「神隠し」と判断された事件のなかで、A1型の比率はそれほど大きくはないだろう、ということである。しかも、A1型の失踪者の異界体験談はまことに画一的で貧弱なのである。
しかしながら、A1型の失踪者の異界体験談のみから村びとたちの異界観が構成されているわけではないのである。人びとはA2型の神隠しやB型、C型の神隠しで失踪した人たちのその後についても想像を巡らしている。そのとき動員される異界観はもっと豊かで多様な異界観であった。そうした異界イメージ、つまり異界観の伝承装置として、神隠しの体験の類型が語り込まれているものとして、たとえば昔話があったのである。
民俗社会における「神隠し」とは何なのだろうか。極端な言い方をすれば、それは現実の世界での因果関係を無視して、失踪事件を「神隠し」というヴェールに包み込むことである。失踪のすべてを「隠し神」のせいにしてしまうことなのである。村びとたちは自殺も、事故死も、誘拐も口減らしのための殺人も、身売りも、家出も、道に迷って山中をさまよったことや、ほんの数時間迷い子になったことまでも、「隠し神」のせいにしてしまおうとしていたのである。
たしかに、神隠しには、神の声を聞くという積極的な面がないではない。しかし、多くは事実を隠蔽《いんぺい》するためのヴェールであった。「神隠し」とは、恐ろしい響きと甘美な響きの双方を合わせもっているが、本当のところは「失踪者はもう戻ってこないと諦めよ」という諦めの響きこそもっとも強いのである。そう考えると、神隠しにあった者に対するまことに形式化された捜索の仕方は、まさしく諦めのための儀式ともいえるかもしれない。
「神隠しにあったのだ」という言葉は、失踪事件を向う側の世界=異界へと放り捨てることである。それは、民俗社会の人びとにとって、残された家人にとって、あるいは失踪者にとって幸せなことだったのだろうか、それとも不幸なことだったのだろうか。
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第三章 さまざまな隠し神伝説
民俗社会の異界イメージ[#「民俗社会の異界イメージ」はゴシック体]
民俗社会の人びとは、その外部に天上界、山中界、海中界、地下界などの多様な異界が存在していると考えていた。したがって、そうした異界に人がいざなわれていくことがあれば、残された人びとにとって、それは「神隠し」というべき事件であった。
では、民俗社会はどのような隠し神が、どのような目的で、どのような異界へと人を連れ去ると考えていたのだろうか。
これを考える場合、二つの側面からアプローチする必要がある。一つは、人間に好意をいだいている神霊=隠し神が特定の人間を異界へといざなうという場合である。そのような人間は神に選ばれた者であり、多くの場合、神から富や貴重な体験を授けられて戻ってくる。したがって、こうした異界体験は、結果的にいえば、好ましい体験であり、それを体験させてくれる隠し神も、好ましい神ということになる。当然、訪れた異界もまたユートピアのように思い描かれる。
これに対して、もう一つの方はその逆で、人間に敵意をいだいている隠し神が、特定の人間を異界へといざなうという場合である。異界へいざなわれた人間は、邪悪な隠し神のために危害を加えられたり、悲惨な生活をそこで強いられることになる。
「神隠し」という言葉から私たちが漠然といだくイメージは、どちらかといえば、前者のイメージを多少とも含みつつも、後者の方だといっていいだろう。異界にはこうした恐ろしい隠し神も棲《す》んでおり、ときどき人をさらっていったのである。
ここで注意したいのは、異界には人間にとって好ましい神と邪悪な神がいると述べたが、日本の神々はキリスト教的な神とは違って、神はつねに善なる存在であり、悪霊はつねに邪悪なる存在であるといった絶対的対立が適用しえないことであろう。日本の神々は、出会った状況によって、人間の性格などによって、あるいは神霊のそのときの気分によって、善霊として現われたり、悪霊として現われたりするのである。日本における邪悪な神霊としてまず思い浮かぶのは鬼であるが、つねに人間を取って食おうと待ちかまえているとされるこの鬼でさえ、ある人間に対しては好ましい存在として現われる。たとえば、昔話の「瘤《こぶ》取り爺《じい》さん」に登場する鬼は、踊りの上手な爺さんが酒盛りに入り込んできたのを大いに歓迎していたはずである。
これまでみてきた神隠し事件の隠し神も、ほとんど人間に危害を加えてはいない。もっとも、次のことはいえるだろう。危害を加えられた者は再び人間界に帰ってくることはないのだ。したがって、人間界へ戻ってきた神隠し体験者が出会ったという隠し神は、どちらかといえば善良な隠し神であったのだ、と。隠し神を彼ら神隠し体験者のみから考えてはならない。天狗《てんぐ》のような隠し神のみでなく、戻ってこなかった失踪《しつそう》者を異界へ連れ去った隠し神についても、充分に検討する必要があるのだ。
私たちはすでに、神隠し事件の検討を通じて、人を隠す神を「天狗」と考える傾向が強いということをみてきた。この背景には当然人びとの間に流布している天狗信仰の影響があるわけだが、天狗という存在が、人びとにとってプラスの隠し神ともマイナスの隠し神とも即座には決めかねるようなあいまいな神霊とイメージされていることも大きく影響していると考えられる。実際、天狗によって異界に連れ去られた人びとは、山中を歩き回ったり空中を飛行して回ったりするだけで人間界に戻ってくることが多かった。天狗は人間に宝など富を授けるわけでもなく、また人間を食べてしまうというわけでもなく、しばしの間の遊び相手として人間を異界に連れ出したらしい。つまり、神隠しを引き起こした隠し神として、当座の説明としては、プラスのイメージもマイナスのイメージもそれほど強くはない天狗の名を出しておくのが好ましかったわけである。
隠し神としての天狗イメージ[#「隠し神としての天狗イメージ」はゴシック体]
以下では、どちらかといえばマイナスのイメージを帯びた、人間を強制的に異界にいざなった神々を検討するのであるが、まず、隠し神の一番手として、話題になっている天狗に登場してもらうことにしよう。
天狗はどんなところに棲み、どのような目的で、人をさらっていったのだろうか。こういった点に注意しつつ、天狗と神隠しの関係を主として、昔話などの説話を手がかりに検討してみよう。
民俗社会の天狗のイメージを理解するために、天狗の昔話として有名な彦市話の天狗をみてみよう。この昔話は、「隠れ蓑笠《みのかさ》」という話型に分類されているものである。
たとえば、彦市が天狗をだまそうと思い、竹筒で望遠鏡のまねをして、東京は大震災、大阪は火事だといっているところに天狗がくる。竹筒に興味をもった天狗は隠れ蓑と竹筒を交換しようという。隠れ蓑を手に入れた彦市は毎晩酒屋に出かけて酒を飲む。酒屋では酒が減るので不思議がる。ある日、彦市の嫁がきたない蓑を見つけて火にくべてしまう。彦市は残念がり、体に灰を塗って酒を飲んでいる間に、口のところの灰が落ちる。口が酒を飲んでいるのを酒屋の小僧が見つけ、狸だといって木刀でたたくと、灰が落ちて人間だということがわかる。彦市はひどい仕打ちをうけることになる。
このような昔話のなかの天狗は、人間の知恵者にだまされてしまう。間抜けな神霊=妖怪《ようかい》のたぐいとして描かれている。
この昔話では、天狗は人間を異界に案内してはいない。彦市にだまされて隠れ蓑笠と竹筒を交換しただけである。
それでは、昔話のなかに、民俗社会の神隠し事件に対応するような昔話、つまり天狗にさらわれたという体験を描いた昔話があるのだろうか。もしそのような昔話があれば、天狗が連れて行ったという異界の様子がいっそう詳しくわかるはずである。ありそうに思うのだが、ところが意外なことに、この種の昔話はあまりないのだ。しかし、まったくないわけではない。たとえば、『東祖谷《ひがしいや》昔話集』に収められている「天狗さんと金比羅《こんぴら》参り」と題された昔話は、ほぼそうした内容の昔話ではなかろうか。
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昔、よさという貧乏な男がいた。どこか神さん参りに行きたいと思っていたが、銭がないのでどこへも出かけられない。隣の熊が「金比羅さんへお参りに行く」というので、自分の分もお参りしてくれるようにたのんだ。その夜のこと、寝ていると、天狗が出て来た。「これから金比羅の方へ行く」という。手元に一銭五厘あったので、「これを私の賽銭《さいせん》にあげて下さい」と頼んだところ、「そんなに行きたいのなら、連れて行ってやる。羽がいの下に入れ」といってくれた。天狗は空を一散《いつさん》に飛んで、あっという間に金比羅さんの宝物蔵まで飛んだ。金比羅さんのお参りをすませると、天狗は箸蔵《はせくら》大権現に連れて行ってくれた。さて、帰ろうとしたとき、天狗は「もうお前を連れて飛ぶのはつかれた」という。弱ったよさは、天狗に泣きつきなんとかしてくれと頼んだところ、「ならば、おれの鼻に取りつけ」という。天狗は鼻によさをぶらさげて、風を切って空へ飛び立った。そのうちによさは手がくたびれてきた。手を放したら、地上に落下して身体は粉々になってしまう。必死にしんぼうしていたがもうたまらなくなった。「落ちるわあ、落ちるわ」と大声をあげているところに、嬶《かか》が「どうしたんぞえ」と大声で言うのに驚いて目を覚した。夢だったのだ。天狗の鼻と思ったのは、自分のしじ(男根)で、それを握ってわめいていたそうな。
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この昔話の主人公は夢のなかで天狗に連れられて異界――といってもここでは金比羅さんや箸蔵さんなどの遠方の聖地で、時間と金銭さえあれば行けるところなのであるが――へ、空中飛行によって訪問する。したがって、この昔話の異界体験は夢のなかでの神隠し体験ということができるだろう。おそらく、よさは、神隠しにあった実世界の子供よりもはっきりと天狗=隠し神の姿かたちや空中飛行の様子、そして金比羅さんや箸蔵さんの社の光景などを覚えていたのであろう。よさはまぎれもなく神隠しにあったのであり、異界訪問をしたのである。
天狗信仰の歴史[#「天狗信仰の歴史」はゴシック体]
さて、ここで天狗信仰史をふりかえってみよう。私たちがイメージする天狗の諸属性の多くの部分を兼ね備えた天狗が登場してくるのは、平安時代からである。天狗には大別して鼻高天狗と鳥類天狗の二種あると考えられているが、平安時代から中世までの天狗の主流は、鳥類天狗で鳶《とび》の姿をしているとされていた。
私の理解では、天狗という神霊=妖怪を造形したのは天台の密教僧とくに山岳修行者たちであったらしい。天台の密教僧たちは、この世の異常≠天狗によって説明することで、彼らの信仰の独自性を主張しようとしたかにみえる。彼らは仏教の教えを広めるために、仏教の布教活動を妨害することに生きがいを見出している天狗と戦い、退治することで、その存在つまり呪力《じゆりよく》の強さを主張したのである。
『今昔《こんじやく》物語』に、次のような話がみえる。
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伊吹山《いぶきやま》の三修禅師《さんしゆぜんじ》はあまり学問修行をしない僧であったが、極楽浄土へ往生したいという願いは強くもっていた。あるとき、空から素敵な声がして「お前はとてもよく修行を積んだから、明日の昼過ぎ、極楽浄土へ導いてやろう」と告げる。禅師は大喜びして弟子たちをはべらせ、念仏を唱えながら来迎《らいごう》を待っていると、西の空が明るくなり、やがて金色に輝く仏の顔が現われ、妙《たえ》なる音楽とともに紫雲につつまれた禅師は、仏に手を取られて西の空に去った。弟子たちは師匠の禅師がたしかに極楽へ往生したものと思っていた。ところが、七日後に裏山に弟子が薪《たきぎ》を取りに行ったところ、狂ったように念仏を唱えている禅師が木の上に藤の蔓《つる》で縛りつけられているのを発見する。天狗にたぶらかされたのであった。この禅師、ついに正気に戻ることなく、三日後に息を引きとったという。
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この当時の天狗は、このように密教僧をたぶらかしては喜ぶ仏敵であった。ここにみえるような、天狗たちが阿弥陀《あみだ》の来迎の一団に化けて僧をたぶらかすことを「天狗の偽来迎」という。
さて、この話で私たちが注目したいのは、禅師は要するに七日間、天狗にさらわれて人びとの前から隠されていたことである。つまり、「神隠し」にあったのだ。この禅師は木の上に縛りつけられるまでの七日間、どこでどのような体験をしたのだろうか。ついに正気を取り戻さなかった禅師は、なにもそのことについて語ることなく息を引き取ってしまったのだ。
しかし、同じ『今昔物語』に収められた、次の話から天狗の棲《す》むところがどんなところかがわかる。
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讃岐《さぬき》の満濃池《まんのういけ》の主の竜王が小蛇に化けて池の土手で昼寝をしていたところ、鳶の姿をした比良山《ひらさん》の天狗が舞いおりて引っさらい、飛びながらこれを食べようとくちばしで頭をつついたが、竜なので体が硬くて食べられない。そうこうしているうちに比良山に着いてしまったので、この小蛇を小さな岩穴の中に閉じ込めて、また餌をあさりに出かけた。水がないので竜王は術をつかえず苦しみ困り果てていた。比良の天狗は仲の悪い比叡山《ひえいざん》の高名な僧を引っさらって餌食《えじき》にしてやろうと、木の上から狙っていると、ある僧が便所から出て来て、手を洗おうと柄杓《ひしやく》を把《にぎ》ったところを首尾よく引っつかまえて空中へ飛び上がった。この僧もまた岩穴に閉じ込められるが、竜王にとってはこれが幸いした。僧の手にしていた柄杓に残っていた水を頭にたらしてもらって神通力を回復し、たちまち正体を現わして、岩屋を蹴破《けやぶ》り、雲を起こして僧と共に飛び去ってしまった。それからしばらくして、この天狗が荒法師に化けて京の町を獲物を求めて歩いていたとき、仕返しをしようとこの天狗を探し求めていた竜王に発見され、空から舞い降りた竜に蹴殺されてしまう。殺された荒法師は、たちまちその正体を現わし、翼を折られた鳶に変わっていた。
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この話はまことに多くのことを私たちに伝えている。
まず、天狗とは鳶の化物のことであった。したがって、天狗が人をさらうのは、鳶が餌を空中で飛行しつつ探し求め、適当な餌を発見するとさっと舞い降りて引っつかまえてゆくのと同じように、餌を求めての行為なのである。さらわれた餌は、当然食べられてしまうわけである。
天狗は比叡山の僧たちと敵対関係にあり、比叡山の僧を最良の餌としていたことも注目される。つまり、この時代の天狗は仏教信仰の枠内で信じられていたのであった。
注目すべきことの三つ目は、天狗の棲《す》み家《か》が比良山の岩穴(岩屋)であるということである。これも鳶の巣のあるところと関連しているのかもしれない。
四番目として、人間(荒法師)に化けて京の町(人間世界)を歩き回っているという点が注意を引く。人間に隙《すき》があれば正体を現わして人を空中高く引っさらってゆくこともあったのだ。
こうした説話をみてみると、すでに平安時代の頃に、突然人が行方不明になると、「天狗」にさらわれたのかもしれないという観念が京の町の人びとの間に広まっていたらしいということがわかる。とくに僧が行方不明になれば、天狗の仕業ということになったのではなかろうか。比良山の天狗にさらわれ竜に助けられたこの僧は、人間界に戻ったとき、どのような話を周囲の人びとにしたのだろうか。
妖怪《ようかい》から怨霊《おんりよう》へ[#「妖怪《ようかい》から怨霊《おんりよう》へ」はゴシック体]
やや時代が下った鎌倉時代の『古今著聞集《ここんちよもんじゆう》』に、天狗にさらわれた東大寺の僧の体験談が載っている。
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東大寺の上人春舜房は、もと上醍醐《かみのだいご》の人である。上醍醐で如法経を写していたときのこと、とても怖し気な柿の衣袴を着た法師がどこからともなく現われ、上人を引っつかまえると、空中を飛んで行った。眼下には三千世界(地上世界)が隅々まで見渡せた。やがて、どこともわからない山の中に降り着くと、上人を降した。驚きあきれつつあたりを見回すと、同じような姿の法師たちが大勢いた。なにやら言い合いをしている。しばらくすると棟梁《とうりよう》らしき者が出て来て、上人をみて「どうしてこの御坊をここにお連れしたのか。すぐにもとのところにお送りしなさい」と命じた。連れて来た法師が、また、上人をかきいだいて上醍醐の本坊に連れ戻した。これは天狗《てんぐ》の仕業である。
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これは民俗社会の「神隠し」つまり「天狗隠し」とまったくといっていいほど同じである。突然、春舜房が姿を消してしまったので、上醍醐の僧たちは大騒ぎしたことだろう。いや、そんなに長い期間ではなく、ほんの数時間程度の失踪で誰も気づかなかったかもしれない。しかし、春舜房は、しばらくの間、天狗に連れられて異界を訪問したのだ。夢のなかでのことだったのかもしれない。異常心理状態でしばらく近くの山中をさまよって戻ってきたのかもしれない。いずれにせよ、天狗にさらわれた春舜房は、彼らの餌になったかもしれないところを、棟梁の天狗の判断で人間界へ送り戻されたのだ。
もう一例、右の事例よりさらに時代の下った南北朝時代の頃の天狗のイメージについて紹介したいと思う。
『太平記』という書物がある。南北朝の動乱を描いた軍記物語であるが、このなかに描かれた天狗は、仏敵としての妖怪から変化し、朝廷・公家《くげ》社会を脅かす怨霊という性格を具有するようになっていた。すなわち、保元《ほうげん》の乱で敗れ、配流の地の讃岐で呪詛《じゆそ》の言葉を述べつつ亡くなったという崇徳《すとく》上皇が、『太平記』には天狗の首領として登場するのである。
貞和《じようわ》五年(一三四九)六月二十日のこと、東山《ひがしやま》の今熊野に宿をえていた羽黒山の山伏雲景が、天龍寺見物に出かけたとき、町で知り合った六十歳ばかりの老山伏に、「天龍寺も立派だが、われわれの住む山こそ日本に並びなき聖地である。ぜひ見物しなさい」と誘われ、愛宕山《あたごやま》に案内される。この愛宕山は今日でも火伏せの神として信仰を集める天狗信仰の山で、平安時代末にすでに天狗の像があったという。
雲景は老山伏の案内で愛宕山の仏閣を見物して感心していると、「せっかくここまで来たのだから、この愛宕山の秘所もお見せしましょう」といって本堂の後にある座主《ざす》の僧坊と思われる建物に案内したのである。「本堂の後」とは、通常「後戸《うしろと》」という空間で「表」に対して「裏」、「光」に対して「闇」にも対応する、邪悪で荒々しい祟《たた》り神のような神格を祀《まつ》り鎮めている空間であった。
そこに案内された雲景は、驚くべき光景を目撃する。そこにはたくさんの人が座っていた。衣冠正しく金の笏《しやく》を手にもっている人もあれば、高僧の姿をしている人もいる。大弓をもっている武士もいる。とりわけ目立つのは高御座《たかみくら》に大きな金色の鵄《とび》(鳶)が翼をつくろって着座している人であった。あまりに恐ろし気で不思議に思われたので、案内の老山伏に、「この集まりはなんなのですか」と尋ねたところ、山伏は次のように説明したのである。
「上座の金の鵄の姿をしたお方こそ崇徳院であらせられる。そのそばの大男こそ源|為朝《ためとも》である。左の座には淡路《あわじ》の廃帝、井上《いかみ》皇后、後鳥羽《ごとば》院、後醍醐《ごだいご》院。いずれも帝位につきながら悲運の前世を送ったがために、悪魔王の棟梁になられた賢い帝たちであらせられる。次の座の高僧たちは、玄ム《げんぼう》、真済《しんさい》、寛朝《かんちよう》たちで、やはり大魔王となられてここにお集まりになり、天下を大乱に導くための評定をしておられるのである」。
雲景がその末席にいた長老の山伏からいろいろと説明を受けていると、突然、集会場に猛火が上がり、大騒ぎとなった。雲景があわてて門の外に逃げ出したかと思ったとき、ふと夢から覚めたような心地になって、あたりを見回すと、内裏《だいり》が昔あったところの柿の木の下に立ちつくしている自分を発見したのであった。
雲景は夢をみていたのだろうか。愛宕山を本当に見物して歩いた末の体験だったのだろうか。いずれにしても、雲景は山伏姿の天狗にいざなわれて愛宕山の秘所を訪れて戻ってきたのであるから、「神隠し」にあったといっていいだろう。とくに、ふと夢から覚めた心地になって、あたりを見回すと……柿の木の下に立ちつくしていた≠ニいった情景は、民俗社会の神隠しにあった者が発見されたときの情景によく似ている。
それにしても、なぜ天狗は雲景を愛宕山にいざなったのか。なぜ彼をしばし隠したのか。その理由は、彼を食べるためではなく、彼に異界での出来事を目撃させ、それを下界に伝えてもらうためであったのだ。いうならば、雲景は裏の世界についての情報運搬者として選び出されたのである。その情報は下界の人びとの心や行動に大きな影響を及ぼしたことであろう。だからこそ、『太平記』の作者は書き留めることにしたのであった。
江戸時代の天狗隠し[#「江戸時代の天狗隠し」はゴシック体]
さて、平安、鎌倉、南北朝と時代を下りながら天狗と神隠しの関係を垣間みてきたわけだが、江戸時代はどうだろうか。『天狗の研究』の著者知切光歳によれば、「徳川時代の天狗横行の記録は、ほとんどが天狗|攫《さら》いである」という。彼の研究に導かれつつ、そんな「天狗隠し」の話のいくつかをみてみよう。
『諸国里人談』という書物にこんな話が載っているという。神田|鍋町《なべちよう》の小間物屋の小僧が、正月十五日の夕方、銭湯に出かけ、しばらくして戻ってきたが、みると股引《ももひき》草鞋《わらじ》ばきの旅姿で、土産だといって土のついている野老《ところ》(ヤマイモ)を差し出した。どこからきたと尋ねると、今朝、秩父《ちちぶ》の山を発ったという。話を詳しく聞くと、小僧が家を出たのは去年の十二月|煤《すす》払いの夜で、それからずっと昨日まで天狗の山で毎日御客の給仕をしていた。御客はすべて出家だったという。小僧が一ケ月も天狗のもとにいたというのに、店にはその小僧がついさっきまでちゃんと勤めていたということを皆が知っている。しかし、土産の野老は、町中ですぐに手に入るものではない。小僧が天狗隠しにあったあと、店にいた小僧は、天狗が分身の術を使って一人を二人にみせたのだろうということになった。
この「天狗隠し」はまったくといっていいほど、民俗社会の神隠しと同じである。この小僧は、天狗(おそらく山伏)の家の給仕にする目的でさらわれたのであった。
『兎園《とえん》小説』には、次のような話がある。文化《ぶんか》七年(一八一〇)七月二十日の夕方、浅草に、天から素っ裸の若い男が降ってきた。早速、町役人に来てもらって医者に見せたが、身体に異常はないという。しばらくすると正気づき、自分は京都油小路の安井御門跡の寺侍、伊藤|内膳《ないぜん》の悴《せがれ》で安次郎と名乗る。話によると、七月十八日の朝、愛宕山[#「愛宕山」に傍点]へ詣り、暑いので裸で涼んでいたところ、一人の老僧が出てきて、面白いものを見せるからついてこいというのでついていったところまでは覚えているが、後は何も覚えていないという。調査の末、安次郎の申し立てにいつわりがないことが判明したので、ほどなくして京に送り戻されたという。
この話は、『太平記』の雲景の神隠しとよく似ている。しかし、『太平記』の天狗の方は、雲景にしっかりと異界の様子を目撃させていたが、こちらの愛宕山の老僧(おそらく天狗)は面白いものを見せるといいながら、人前から安次郎を隠しただけで、異界のことは何も見せないのである。こうなるとなんのために隠されたのかわからずじまいである。
江戸時代の「天狗隠し」の体験者として著名なのは寅吉《とらきち》である。平田|篤胤《あつたね》の『仙境異聞』はこの寅吉の神隠し体験についての詳細な調書である。
その内容をかいつまんで紹介すると、寅吉は下谷《したや》七軒町の小商人《こあきんど》の家に生まれ、早く父と死に別れ、生計は母と兄によって支えられた。七歳のときに常陸《ひたち》岩間山の十三天狗塚の首領杉山僧正に連れ去られて、岩間の奥の院である難台山《なんだいさん》の行場《ぎようば》で五年間の修行を課せられたという。篤胤は仏教色を排して神道色を強調した記述をしているが、この調書から浮かび上ってくるのは修験道の山伏の生活である。寅吉は、そこで武術・書道・加持祈祷《かじきとう》・神道御符・薬方・占易・秘文|呪文《じゆもん》などを習得したという。要するに、寅吉は修験者つまり天狗にするためにさらわれ、そのための修行を天狗(修験者)から受けたのである。
もっとも、そういってしまえば、たんに修験者山伏が寅吉を誘拐した事件ということになるが、『仙境異聞』をみると、寅吉の話はもっと神秘化されている。たとえば、七歳のときに彼が岩間山に連れ去られたときの状況を、次のように語っているのである。
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其《その》年の四月ごろ、東叡山《とうえいざん》の山下に遊びて、黒門前なる五条天神のあたりを見て在《あり》けるに歳のころ五十ばかりと見ゆる、髭《ひげ》長く総髪《そうはつ》をくる/\と櫛《くし》まきの如く結びたる老翁の旅装束したるが、口のわたり四寸ばかりも有らむと思ふ小壺《こつぼ》より、丸薬をとり出して売けるが、取並べたる物ども、小つゞら敷物まで、悉《ことごと》くかの小壺に納《い》るゝに、何の事もなく納りたり。斯《かく》てみづからも其中に入らむとす。何として此《この》中に入らるべきと見居たるに、片足を蹈入《ふみいれ》たりと見ゆるに皆入りて、其壺大空に飛揚《とびあが》りて、何処《いずこ》に行くとも知れず。寅吉いと奇《あや》しく思ひしかば、其後また彼処《かしこ》に行きて、夕暮まで見居たるに、前にかはる事なし。其後に亦《また》行きて見るに、彼翁言をかけて、其方《そち》もこの壺に入れ、面白き事ども見せむと云ふにぞ、いと気味わるく思ひて辞《ことわり》ければ、彼翁かたはらの者の売る作菓子など買ひ与へて、汝は卜筮《ぼくぜい》のことを知たく思ふを、それを知たくは此《ノ》壺に入りて吾《われ》と共に行べし教へんと勧むるに、寅吉常に卜筮を知りたき念あれば行て見ばやと思ふ心出来て其中に入たる様に思ふと、日もいまだ暮ざるに、とある山の頂に至りぬ。
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寅吉は、七歳のときに、東叡山寛永寺の五条天神[#「五条天神」に傍点]近くで丸薬を売る老翁(天狗)に連れ去られて筑波《つくば》岩間山に至ったのであるが、この神隠しのされ方は、江戸時代の知識人の間で注目されていた中国の壺中天《こちゆうのてん》思想にもとづき、たんなる空中飛行ではなく、壺中[#「壺中」に傍点]に入ることで山中異界へと入り込んだのであった。この点が、もっともユニークなところであると思われる。筑波の岩間山その他で寅吉が体験したことの詳細は、『仙境異聞』を直接読んでいただくのが一番である。
さて、こうした天狗隠しの歴史をざっと知ったうえで、再び民俗社会の「天狗隠し」事件――天狗隠し事件の大多数は「天狗《てんぐ》隠し」とされている――を眺め直すと、おおむねその内容が理解できるのではなかろうか。
明らかに民俗社会の天狗は、かつてのようなパワーを失ってしまっている。民俗社会では、天狗は平安時代のように餌として人間をさらっていくわけではない。いや、そうした天狗もいたのだろうが、その場合には食べられてしまうので、さらわれた者は人間界にその体験を伝えられなかったということになる。また、民俗社会の天狗は、天下国家の将来を予告するような情報を人間に伝えるためにさらうわけでもない。天狗にさらわれた者の体験談はまことにあいまいで、天狗隠しの意図がはっきりとしないのである。
その結果が、右にみた昔話のように、あるいは民俗社会の「天狗隠し」のように、ただ空中を飛行してあちらこちらを訪れて戻ってくるという話になって現われているわけである。目的がはっきりしないのが天狗の神隠しであるがゆえに、民俗社会では失踪《しつそう》事件が発生すると「天狗」に隠されたのだというラベルを貼ったのだと思われるほどである。
民俗社会の神隠し事件の多くを「天狗」の仕業とする思考が形成されたのは、こうした歴史的経緯があったからである。わけもなく人を異界に誘い出して、ほどなくして人間界に戻してくれるような神霊=妖怪《ようかい》といえば、人びとの頭にまず思い浮かんだのが、天狗だったのである。
狐隠し[#「狐隠し」はゴシック体]
たしかに、これまでみてきたことからも明らかなように、隠し神といえば、まず天狗が思い浮かべられたといっていいだろう。歴史的にみてもそれは当然のことであった。しかし、隠し神はそれだけではなかった。なるほど、神隠し事件の犯人を「天狗」に求める例が圧倒的に多い。しかし、「天狗」以外の犯人もいたのである。
「天狗」は人をからかったり、ただ異界を見せるために、しばしの間、人を異界へといざなった。この天狗に似たような神隠しをするのが、すでに本書でもたびたび指摘してきた「狐」であった。
昔から狐とくに老狐は人に乗り移って病気にしたり、人やその他の事物に化けて人をだます、といわれていた。人びとは狐にひどい目にあわされてきたのである。狐は考えようによっては、天狗よりも意地悪く残酷であった。
狐による「神隠し」とは、この「だます」ことにほかならなかった。つまり、だまされてしばし人の前から姿を消しているとき、たとえば、第一章の青森県脇野沢村の、狐にばかされて行方不明となった二人の少年の事件を思い出していただくとよくわかると思うが、人びとはその失踪を「神隠し」と判断することがあったのである。
では、狐によって隠された人びとは、どのようなところに連れて行かれたのだろうか。現実世界において「狐[#「狐」に傍点]隠し」と判断された神隠し事件の失踪者の記憶する異界は、たとえば「ただいざなわれて行った所が山の中で、大勢集まって飲み食いしているのに参加した」とか、「その子(神隠しにあった子)のおっかあに化けた狐が、山さつれていって、ここで待っておれと言ったので待っておった」とかいった程度で、まったくといっていいほど狐の世界の独自性は語られていないのである。
そこで、私たちはこうした「狐[#「狐」に傍点]隠し」事件に対応する昔話などを検討することで、狐が人びとをどこにいざなったのかをみてみようと思う。
狐の登場する昔話の代表は「狐女房」と呼ばれる異類婚姻|譚《たん》に属するものと、「尻《しり》のぞき」「風呂《ふろ》は肥壺《こえつぼ》」などの狐にばかされた人をテーマにしたものの二つのタイプがあるが、神隠し事件に対応する昔話は、後者の昔話群の話であろう。岩手県|江刺《えさし》郡で佐々木喜善が採集した「風呂は肥壺」タイプに属する「恩を仇《あだ》で返した悪い狐」(『江刺郡昔話』)の話を紹介してみよう。
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江刺と気仙との境の姥峠《うばがとうげ》にも悪い奴がいた。多くの者が化かされたが、米里の者が魚荷をもっていつもそこに来ると、小魚などを投げ与えて、すっかり狐の友だちになった気になり、「自分は狐には化かされぬ」と自慢していた。あるとき、この者が峠にさしかかると、四、五匹の狐が出て来て日頃の礼を述べ、「実は今から私たちの伜《せがれ》に嫁を取るので、ほんのちょっとこの山陰に来てくれぬか」という。男がその気になって、魚荷をおろし、馬を放して草をはませ、狐に伴われて山陰に行ってみた。
なるほど、そこでは嫁らしき者や仲人やお客らしき者たちがずらりと並んでいて、男を「旦那《だんな》様旦那様」と持ち上げて、上座にすわらせた。男の荷物をちゃんと柱に吊るしてくれもする。安心して酒を飲んでいると、「風呂がいい湯加減だからお入りなされ」という。女狐《めぎつね》が来て「さあ流してあげましょう」という。男がいい気持になって湯をつかっていた。ところが、にわかに怒鳴る者の声がする。「おや、おかしい」と思って、振り返ると、「お前は何をしている」という。その声がどうも隣家の老爺《おやじ》なのでよくみると、風呂だと思ったのは隣家の苗代《なわしろ》で、種子を下ろしたばかりのところを、すっかり台なしにしていたという。
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これは「苗代」を風呂と思っていたと滑稽《こつけい》かつ深刻な話になっているが、多くのヴァリアントは「肥壺」を風呂と思って入っていたとある。しかも、この種の話を昔話として語るだけではなく、実話として伝えているところも多いのである。
この話を神隠し譚《たん》と言い直していいことは明らかであろう。峠で魚荷を盗み取ろうとしていた狐たちが、主人公が「俺は狐と友だちだからばかされることはないだろう」とうぬぼれていることを利用して、しばしの間、隠してしまったのであった。昔話は、隠されていた時間がどの程度であったかを語っていない。それが数日にわたるもので、彼が行方不明になったと大騒ぎになってから偶然に発見されたのかもしれない。男が狐に隠された(化かされた)ことを人びとが知らないまま、たまたま奇妙なことをしている男を発見し、後に、人びとが彼の話を聞いて「狐に隠された」と判断したのかもしれない。いずれであるにせよ、この話は「狐隠し」といいうるものなのである。
この昔話では、主人公の男の前に、狐は狐の姿をした状態で現われ、彼を山陰≠ノある狐の家に案内する。ということは、狐もまた人間と同様に、家に棲《す》み、人間と同様の文化的・社会的生活をしていることになるだろう。
たとえば、これと同様の話は、お伽草子《とぎぞうし》「木幡狐《こはたぎつね》」にも描かれている。この話は、京の都の人たちの間でもてはやされたものなので、物語の舞台装置が異なっていて、狐の社会を農村社会ではなく、貴族社会のイメージで描いているのだが、基本は同じで、人間世界と同じ社会構造や文化をもった世界として狐の社会を描き出している。
稲荷=狐信仰で有名な伏見《ふしみ》稲荷《いなり》社のすぐ近くの、木幡にある狐塚のなかの狐社会の姫君が、人間社会の貴族の若君に一目惚《ひとめぼ》れして、人間に化けてその貴族の妻になり、子供までもうける。だが、狐の大嫌いな犬に吠《ほ》えられ、正体がばれそうになったため、あわてて逃げ帰ってくるという話である。要するに、狐は狐の棲息地域で、人間社会と同様の社会を形成していると幻想されていたのである。民俗社会の人びとに信じられていた狐も、人間の民俗社会(ムラ社会)と同様の社会を山のなかに形成し、そこに右の昔話の主人公は誘い込まれたわけである。
幻想の人間社会[#「幻想の人間社会」はゴシック体]
もっとも、人びとがこの狐社会を人間社会の向う側[#「向う側」に傍点]に確固として存在しているものと信じていたかということになるとはっきりしない。むしろ、狐が人をだますために作り出した束の間の幻想世界であったかにもみえる。今日の観点からいえば、民俗社会の異界それ自体が幻想であるが、かつての民俗社会の人びとにとって、異界は確固として存在していると信じられていた。ところが、狐が人間をいざなう異界は、かりそめの世界、人をだますための幻の異界として理解されていたらしい。狐はそうした異界≠作り出す幻術を心得た存在であったのだ。
右の「風呂は肥壺」タイプの昔話の事例は、狐が狐の姿で男を狐の世界へと招待している。しかし、たとえば「髪剃《かみそり》狐」という話型などの昔話では、狐は人をばかすために人間に化け、人間の世界に似せた幻≠フ世界へと人をいざなうのである。この昔話の内容をかいつまんで紹介しよう。
主人公が、狐が女に化けてある家に入るのを目撃する。きっと狐がこの家の嫁に化けて家人たちをだまそうとしているのだと思い、必死になって家人に「狐にだまされている。あの者は狐だ」と告げるが、家人は少しも信じない。そこで、正体をあばいてやろうと狐が化けた嫁を責めたてたところ、死んでしまう。驚いた主人公は寺に逃げ込んで、坊主に事情を話して助けてほしいというと、「では頭を剃れ」と言う。そのとき、自分を呼ぶ声がしてわれに返った。狐が女に化けたところからすべて、狐の作り出した幻≠ナあったのだ。狐の思惑通り、主人公は狐にまんまと化かされていたのである。
こうした事例のなかの狐が誘い込む異界は、幻想の人間社会≠ニいうことになるであろう。つまり、人間は、幻想の人間社会へと神隠し[#「神隠し」に傍点]されてしまったわけである。「狐隠し」にあった人は、誘い込まれた世界を異界として認識していない。人間の世界にいると思っているのである。正気に戻って初めて、自分が狐にだまされていたことを知る。自分の体験したことが夢か幻のなかでのことであったと悟るのである。
このように、「狐隠し」の特徴は、失踪者が異界つまり狐の世界に誘い込まれたことを知らないことが多いというところに求められるだろう。失踪者は、人間の世界にいたのである。人間の生活をし、人間としてふるまい、人間としての快楽を体験したのである。正気に戻ったときに初めてそれが夢幻であり、狐に化かされていたことに気づくのである。
ということは、「天狗隠し」もそうであったように、正気に戻らない者は、いつまでもこうした幻の世界のなかで生き続けることになるのだろう。
『今昔物語』に、こうした「狐隠し」の典型ともいうべき話がみえている。
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昔、備中《びつちゆう》国|賀陽《かや》郡|葦守《あしもり》の郷に、賀陽良藤《かやのよしふじ》という長者がいた。この良藤はたいへんな女好きであった。寛平《かんぴよう》八年(八九六年)の秋のこと、その妻が京に出かけて一人暮しを強いられていた。夕暮れに外に出てたたずんでいたところ、若くて美しい女が通りかかった。良藤はたちまち愛欲の心をおこし、女をつかまえて「お前はなんという者だ。私の家に来ないか」と迫るが、「見苦しいことをしないで」と言って逃れようとする。良藤はしっかり女をつかまえて、女について行くと、それほど遠くないと思われるところに、立派な家があり、その家に入って行った。家の者たちが「お姫様のお帰りです」と騒ぎ合っている。良藤はそのまま家に入り込んで、その夜のうちに二人は契りを交わす。
他方、良藤の家では、主人が夕暮れから行方不明となり大騒ぎとなっていた。一晩中あちらこちらと探し回ったが見つからない。人びとは、「若ければ出家したり自殺したりするが、そんな年でもない。不思議なことだ」と言い合った。良藤の兄弟や息子たちは父の失踪を大いに悲しみ、願をおこして観音の像を造らせ、その像に向かって「父の屍《しかばね》なりとも見て後世を弔いたい」と祈る毎日を送っていた。
良藤の方は、その女の所で年月を重ね、女に子供までもうけさせていた。
ところが、ある日、この良藤の家に、突然一人の俗人が杖《つえ》をついて入って来たのである。これをみて、家の者たちは恐れおののき、皆逃げ去ってしまった。俗人は良藤の背を杖で突いて狭き所≠ゥら外へ出してやった。
さて、良藤が失踪して十三日目という夕暮れ、人びとが良藤を恋い悲しんでいるところに、その前の蔵の下から、怪しく黒き猿のやうなる℃メが、這《は》いつくばりながら出て来た。よく見ると、良藤であった。良藤は次のように語る。「私が一人暮しをしていた時、あるやんごとなき人の女に一目|惚《ぼ》れして、その家の聟《むこ》となり、一人の男の子をもうけた。私はこの男の子を太郎(相続人)とする。これは私がその女を大事に思うからだ」。それを聞いた息子の忠貞《たださだ》が「その子はいずこに」と問うと、蔵の方を指した。家人たちがその蔵の下をあらためると、多くの狐が逃げ去った。その一角に良藤が臥《ふ》していたと思われる所があった。良藤は狐に化かされたのであった。そこで、貴僧や陰陽師《おんみようじ》を招いて祈り祓《はら》わせた。その後、ようやく良藤は正気を取り戻した。
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『今昔物語』は、この事件を次のようにまとめている。「良藤倉の下にゐて十三日なり。しかるに良藤十三年とおぼえけり。また倉の桁《けた》の下わづか四五寸ばかりなり。しかるに良藤高く広くおぼえて、出で入りて大いなる屋などとおぼえけり。みなこれ霊狐《りようこ》の□の徳なり。かの杖をつきて入れる俗といふは造りたてまつるところの観音の変じたまへるなり」。
この話はまことに興味深い。まず、狐は人の思いを察知して、それを利用してだまそうとする。だます方法は幻想世界のなかに人を誘い込むというものである。だまされた者は異界に行ったとは思わず、人間の世界で楽しい生活を過ごしていたのだと信じ込んでいたのである。いわば彼は夢≠みていたのである。
しかし、そこは実際には、狐の棲み家である蔵の下であった。もし十三日間の良藤の一部始終を目撃した人がいたとすれば、彼の目の前に出現した狐のあとを夢遊病者のようについていった良藤が、狭い蔵の下に入り込んで狐たちに囲まれて嬉《うれ》しそうにしている様子やひょっとしたらそのなかの美麗な狐と交わっているという奇怪な様子を目にしたことだろう。
狐はなぜ人をだましたがるのか[#「狐はなぜ人をだましたがるのか」はゴシック体]
人間の世界と狐の世界(幻想世界)とで時間の流れ方が違うということも注目される。人間世界の一日が狐の世界での一年にあたる。彼は十三日間、つまり十三年間、狐の世界にいたのであった。これは、人間の目からすると、狐の人生は人間と違って早い流れ方をしているということを意味するのかもしれない。良藤はこの事件ののち十数年たって六十一歳でこの世を去ったという。そこで、もし良藤が狐の世界で観音に救けられることなくさらに十数年過ごしていたならば、つまり人間世界でいう十数日発見が遅れたならば、彼は死体となって蔵の下から発見されたかもしれない。ついでに述べておくと、後にみるように、狐の時間とは逆に、人間の世界よりも時間がゆっくりと流れるというのが神仙界であり、竜宮世界であり、鬼の世界である。
それにしても、なぜ狐は人をだましたがるのだろうか。人を隠したがるのだろうか。その答は一様ではないが、狐は人間の男と結婚したがっている、人間の子をもうけたがっているからだという言い伝えが古くからあり、それと関係しているのはたしかである。
その理由の一つは、説経「信太妻《しのだづま》」にみえる安倍保名《あべのやすな》と狐の間に生まれたという安倍|晴明《せいめい》伝説が語るように、人間への恩返しのためであり、また一つはお伽草子「玉藻前《たまものまえ》」の那須野《なすの》の妖狐《ようこ》のように、王法、仏法を破却して天下を奪い取るためである。しかし、そんな大それた思いなどなく、「木幡狐」の狐の姫のように、ただ人間の男に一目惚れして人間に化けて結婚するような場合もあった。要するに、女狐は好色であり、人間と交わりたがっており、そんな狐に好色な人間の男がいとも簡単にだまされてしまうのである。
もっとも、民俗社会の狐は、あまり好色ではないようである。むしろ、愚かな人間を肥壺《こえつぼ》に入れたり、馬の尻穴《しりあな》をのぞかせたり馬糞《ばふん》をくわせたりしてたぶらかして喜んでいるという程度の狐が多かったようである。その程度の悪意しかもたない「狐隠し」であったからこそ、「天狗《てんぐ》隠し」と同様、「狐隠し」にあった失踪《しつそう》者の多くが、再びこの人間界に戻ってこられたのである。そしてそれがために、「天狗隠し」に次いで、神隠し事件の犯人として狐の名が挙げられることが多かったのであろう。つまり、失踪者が戻ってこられるような隠し神は、天狗か狐と考えられていたわけである。
多くの神隠し事件で、失踪者が出たときに、人びとは「天狗か狐の仕業ではなかろうか」と想像した。また、戻ってきた失踪者が失踪期間中のことを記憶していないにもかかわらず、「きっと天狗か狐の仕業であろう」と判断しようとした。さらに、失踪者が失踪したときの体験を記憶していたときも、失踪者はそうした解釈を可能にするような内容の体験談を語ったのであった。これは、失踪者が戻ってこられるような神隠しの犯人が、天狗か狐のようなあまり悪意のない隠し神とみなされていたからなのである。
天狗や狐による神隠しの話の多くは、私たちの分類でいえば、「神隠しA型」のタイプに属するといえるだろう。
鬼のイメージ[#「鬼のイメージ」はゴシック体]
天狗・狐と並ぶ隠し神は「鬼」である。しかし、鬼は天狗や狐と違って、もっと凶悪な存在である。鬼は異界をちょっと覗《のぞ》かせるために人間を誘拐などしない。まして遊び相手にするために異界に人間をいざなうということはほとんどない。鬼ははっきりとした目的をもって人間を異界に連れ去った。一つはそれを餌(食物)とするために、いま一つは自分の妻にするために。このため、鬼に連れ去られた者には悲惨な運命が待ち構えていた。よほどのことがなければ鬼にさらわれた者は、二度と人間界に戻れなかったのである。鬼はマイナスの隠し神の典型的な形象である。
では鬼に連れ去られた者は、どのような異界を見ることになったのだろうか。民俗社会の鬼のイメージをみるために、「鬼の子|小綱《こづな》」と呼ばれる昔話をみてみよう。
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昔、爺と婆があった。美しい娘を一人持っていたが、その娘がある日、山に柴《しば》採りに行ったまま、鬼にさらわれて行方不明になった。爺は娘を探し歩いたが、長い間わからなかった。ある日、爺は奥山に分け入ると、美しい袖《そで》の片切れが木の枝に引掛ってあったり、手拭《てぬぐい》が柴に引掛ってあったりするのを見つける。なおも奥山に行くと、大きな岩窟《がんくつ》があって、その前の広場の木に着物が洗濯して干しかけてあった。それは娘の着ていたものであった。爺は岩窟のなかに向かって声をかけると、変わり果てた姿の娘が出て来た。娘は「私は鬼にさらわれてここに住んでいるのだ」という。岩窟のなかに入ると、立派な座敷があり、一人のきれいな男の子がいた。娘が鬼との間に生んだ子であった。名を小綱という。母は小綱に「この爺様はお前のおじいさんにあたるのだから、お父《とう》が帰ってきても人間がここに来たことを言ってはならない」と口止めして、爺を座敷の隅の櫃《ひつ》のなかに隠した。そこに鬼が戻ってきた。火にあたりながら、なんだか人間の臭いがするという。娘は「実は私の腹のなかに三ケ月になる子が宿っている」とだます。
翌日、鬼が仕事に出かけた隙《すき》に、三人は逃げ出す。鬼がやがてそれに気づいて、三人を追って来る。三人は船に乗って沖にこぎ出したあとであったが、地団駄踏んでくやしがった鬼はほら貝を吹いて仲間の鬼どもを呼び寄せ、海水を呑《の》ませて、船を引き戻そうとする。もう少しで岸まで引き戻されそうになったとき、小綱が母の尻をまくって朱塗の箆《へら》で叩《たた》いたら、鬼がそれを見て笑い出し海水を吐き出した。
小綱は成人して人間が食べたくなったので、自殺して果てる。その灰が風に吹かれて虻蛟《あぶか》になり、人間の生血を吸うようになった(『老媼夜譚《ろうおうやたん》』)。
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鬼は天狗のように、「面白いものを見せるからついてこい」などと悠長な誘い方はしない。有無をいわせず強引に人間をかっさらっていく。鬼の棲み家も山のなかの岩窟で、そのなかに立派な座敷を構えている。天狗が信仰集団的な社会を形成しているのに対し、右の昔話の鬼は山中に仲間がいるものの、一般的には一人者か家族を形成している。つまり、人間の社会に似た生活をしているのである。鬼はそうした家族の食料として、人間をさらったり、また自分の妻にするために人間の女をさらってゆくのである。
鬼と天狗[#「鬼と天狗」はゴシック体]
鬼と天狗は昔話のなかではしばしば置換しうる存在とみなされている。しかし、両者を比較したとき気づくのは、どちらかというと、天狗は男とりわけ子供を好む傾向があるのに対し、鬼の方は若い女を好んでさらってゆくことである。これは人びとが天狗に対しては性的不能者もしくは同性愛者というイメージをいだいているのに対し、鬼に対しては精力絶倫というイメージをいだいていることと関係しているといっていいだろう。
ところで、右の昔話は遠野地方で採集された話であるが、この昔話に対応するような実話として語られた話が『遠野物語』にみえている。
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遠野郷にては豪農のことを今でも長者という。青笹村大字|糠前《ぬかのまえ》の長者の娘、ふと物に取り隠されて年久しくなりしに、同じ村の何某という猟師、或《あ》る日山に入りて一人の女に遭う。怖ろしくなりてこれを撃たんとせしに、何おじではないか、ぶつなという。驚きてよく見れば彼の長者がまな娘なり。何故にこんな処にはおるぞと問えば、或る物に取られて今はその妻となれり。子もあまた生みたれど、すべて夫が食い尽して一人此のごとくあり。おのれはこの地に一生涯を送ることなるべし。人にも言うな。御身も危うければ疾《と》く帰れというままに、その在所をも問い明らめずして遁《に》げ還れりという。
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たしかにとてもよく似た話である。遠野郷の「鬼の子小綱」の昔話を聞いて育った者が、この話を初めて耳にしたとき、「或る物」としか述べられていない隠し神≠「鬼」と考えたとしても少しも不思議ではない。山には鬼が棲んでいて、ちょっとした人間の隙を狙って山奥へ連れ去るということは充分に考えられることだったのである。
もっとも、この「或る物」が「鬼」でなければならないというわけではない。もう少し神秘性が弱められた存在である「山人」や「山男」であってもいいだろう。しかし、この「或る物」を「天狗」とみなすような思考はどうも働きにくかったといえるのではなかろうか。
民俗社会には深く鬼についての観念が浸透している。これは鬼について日本人が古くからさまざまに語り伝えてきたことと関係している。そして鬼は天狗と「神隠しの犯人とされるべきはわれわれなのだ」と互いに主張しつつ勢力争いを繰り返しながら、ある程度の役割分担をになうにいたったといえよう。
何度も述べてきたように、鬼は天狗よりもはるかに凶悪な存在であった。それゆえに、鬼にさらわれたならばほとんど生きて帰れないとみなされていた。したがって、残された人びとは、行方不明者が鬼に食われてしまったのかどうか、その可能性を推測はするものの、たしかめようがないということになる。食い殺したあとに、着物や持ち物とともに、食べ残した骨や身体の一部を残して置いてくれなければ、人びとには鬼の仕業だと決めかねるわけである。民俗社会の行方不明事件を鬼の仕業とする伝承が少ないのは、こうした理由が作用していると考えられるのである。
これに比べると、天狗の方は、民俗社会ではそうした凶悪性をあまりもたず、どちらかといえば間抜けな妖怪《ようかい》の役割を演じているかにみえる。天狗にさらわれたのなら戻ってくる可能性が高かったし、また実際、異界から戻ってきた人も天狗にさらわれたと語ったのだ。神隠しの犯人として鬼の名が人びとの口にのぼることは天狗や狐に比べると少なかったかにみえる。しかし、神隠しの犯人としての鬼の位置はまことに大きいものがあった。
酒呑童子《しゆてんどうじ》伝説[#「酒呑童子《しゆてんどうじ》伝説」はゴシック体]
鬼は古くからの存在で、たとえば『出雲国風土記《いずものくにふどき》』にも出てくる。その鬼もやはり人間を食べる恐ろしい一つ目の異形の者として描かれている。鬼は人間生活を脅かす天変地異や疫病を引き起こす存在ともみなされ、とくに京の都の人びとにとっては国家を破壊する意図さえもっているとみなされたこともあった。すなわち、鬼は王土を侵略しもう一つの王国を建設しようとする、都人《みやこびと》の敵、国家の敵であった。こうした鬼伝説はこれまでにたくさん語り伝えられているが、ここでは、やはりそのなかでももっとも有名な酒呑童子の話を紹介するのがいいだろう。
酒呑童子の話をここで詳細に紹介する必要はないと思う。筋は単純で、大江山に鬼の王国を建設していた酒呑童子の一党が、都にまで出没し、貴賤《きせん》男女を問わず次々に人びとを誘拐していった。帝が誘拐事件のことを聞き陰陽博士(占い師)にこの原因を占わせたところ、大江山の鬼の仕業であると判明する。そこで源|頼光《よりみつ》という武将に酒呑童子退治の勅命が下り、頼光と平井(藤原)保昌は、渡辺|綱《つな》、坂田|公時《きんとき》ら配下の四天王とともに、山伏姿に身をやつして、大江山の奥深く分け入って、酒呑童子の「鬼が城」に至り、激しい戦闘の末に、ついに鬼たちを退治し、酒呑童子の首を切り落して都に持ち帰る、というものである。
もっとも古い酒呑童子伝説の記録は南北朝期製作とされる絵巻『大江山|絵詞《えことば》』(逸翁美術館蔵)である。以下はそれに即して考察するが、この話で私たちが興味深く思うのは「都鄙遠近《とひおちこち》の貴賤男女」が次々に行方不明になるという事件が発生しても、すぐにはそれが鬼の仕業とはわからないことである。帝はこれを天魔の仕業かと思ったりしている。おそらく、都人も、鬼や天狗などいろいろな原因を考えたことであろう。要するに「神隠し」もしくは「人さらい」事件とみなされたわけである。
そこで、帝は博士の占いによって隠し神の正体をつきとめようとする。青森県脇野沢村の「狐隠し」事件のさいに、イタコにうかがいを立てたといわれているように、おそらく、民俗社会の「神隠し」事件の場合でも、失踪《しつそう》者の行方不明を占い師に尋ねるということが多かったのだろう。「あなたの息子は鬼に食べられてもうこの世にはいない」とか「他国の地で無事に生きている」とかいった占い結果を聞き、嘆き悲しみ、そして諦《あきら》め、あるいはその無事を知り、安堵《あんど》の念をもったりしたのではなかろうか。失踪者の行方を知るための装置として、そうした占いや託宣あるいは夢などが位置づけられていたのであった。
占いの結果、多発する失踪事件は大江山の酒呑童子一党の仕業だとわかる。そして物語では、たしかに占い通り彼らの仕業だったということになっている。しかし、現実世界の場合は、そううまくはいかないだろう。失踪者が出る。神隠しだと判断される。そこで犯人を知るための占いがなされ、天狗だとか鬼だとかの仕業だということになる。人びともそれを受け入れる。しかし、しばらくしてふらりと失踪者が戻ってきて、ただ山で道に迷っただけで、鬼にも天狗にも出会わなかったということになるかもしれない。占いや託宣の結果が受け入れられるためには、はっきりいって失踪者は戻ってこない方がいいのだ。戻ってこなければ、人びとは想像のなかで失踪者のその後を思い描き続けられるからである。戻ってこなければ、鬼の仕業であり続けるのだ。民俗社会の異界観・他界観はそのために存在しているのである。
さて、占い通り、大江山の山奥に酒呑童子の王国があった。そこは、山奥の岩穴を潜り抜けた向う側にあった。岩穴のこちら側が王[#「王」に傍点]土であり、向う側は鬼[#「鬼」に傍点]土というわけである。そこを「鬼隠しの里」という。この「鬼隠し」という言葉は、「神隠し」「天狗隠し」という場合のように神や天狗が人を取り隠すという意ではなく、むしろ鬼を人目から隠すところという意であろう。しかし、鬼が人を取り隠して連れてくる里と理解したくなるほど示唆的な名称である。
岩穴を抜けたところに川があり、その川に鬼が城がある。鬼が城の城門は八足の門で「酒呑童子」の額がかかっており、四方の山は瑠璃《るり》のごとく、地は水精の砂をまいたように美しい。頼光一党は別天地に来た思いになったという。高橋昌明は、この鬼が城の様子を詳しく分析し、「冥界《めいかい》と仙境の統一として鬼が城を、一口で形容するならば、竜宮こそ最もふさわしい」(『酒呑童子の誕生』)と述べている。鬼が城の城内は、四方四季つまり四方に春夏秋冬の景色が配された、時間がほとんど停止したかのような不老不死のユートピアというべきところであった。
対抗世界としての鬼の王国[#「対抗世界としての鬼の王国」はゴシック体]
ここで注意したいのは、この鬼が城は鬼の王国=鬼隠しの里の鬼王の王宮[#「鬼王の王宮」に傍点]だということである。そこは京の都の帝の内裏[#「帝の内裏」に傍点]に対応するような空間なのである。帝の豪華な生活と同じように、鬼王もまたその配下の鬼たちがさらってきた人間の女たちを侍女として使ったり、包丁で料理して人肉をたべたり、血の酒を飲んだりして楽し気な生活をしているのである。
この酒呑童子の鬼が城と同様の鬼の王国、鬼が城を建設していたのが、『田村の草子』に描かれた鈴鹿山《すずかやま》の鬼王|大嶽丸《おおたけまる》である。そこは、多くの山々峰々を越えたところに大きな洞穴があり、そのなかに入ってゆくと、やがて黄金のいらかが姿を現わす。黒金の門、白金の門、堀が巡らされ、反橋《そりはし》がかかっている。まるで極楽世界かと思うようなところで、庭を見ると、四方に四季の景色が配され、さまざまな鳥の羽で屋根をふいた百ばかりの屋形が建ち並び、内部には玉の床に錦《にしき》のしとねを敷き、たくさんの女たちが琵琶《びわ》や琴を奏したり、碁や双六《すごろく》で遊び興じていたという。
さて、こうしたかつての都人が思い描いた鬼の王国のイメージと比較したとき、ある程度まではその影響を受けつつも、「鬼の子小綱」の昔話のなかの鬼の棲《す》み家《か》はまことに貧弱なものに変わってしまっていることがわかるだろう。農業を基本的な生業とする村びとの生活にとっての鬼は、彼らの生活に応じた鬼である必要があった。都人が自分たちの世界つまり京の都の対抗世界として鬼の王国を描いたように、村びとにとっての鬼の世界とは、農村社会、民俗社会の対抗世界としての鬼の社会であった。そうした結果として描き出されたのが、岩窟のなかの座敷やあるいは「鬼の子小綱」のヴァリアントや他の昔話に描かれているように、山奥の一軒家で、家族(核家族らしい)生活をしている鬼というイメージであった。民俗社会の神隠し事件を、人びとがもし鬼の仕業と判断したとすれば、よほど特別の事情がないかぎり、山中の岩屋か、せいぜい村の庄屋や長者と同じような家構えの鬼の棲み家に連れて行かれたのだとイメージしたのである。民俗社会の鬼の棲む異界のイメージとはそのようなものであった。
山姥《やまんば》から口裂け女へ[#「山姥《やまんば》から口裂け女へ」はゴシック体]
ところで、鬼というと男のイメージがする。しかし、女の鬼がいることも忘れてはならない。それを「鬼女」とか「鬼婆」ということもあるが、民俗社会では「山姥」ということが多い。
子供が夕暮れになっても遊んでいると「隠し婆」に連れて行かれるという地方があることは、すでに述べたが、この「隠し婆」のイメージは、「山姥」が子供をさらっていくという観念と結びついて語り出されたものであろう。たとえば、「三枚の護符」という話型に分類されている昔話の山姥(鬼婆)は、人をだまして異界=山姥の棲み家に誘い、食べてしまおうとする。
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小僧が山に花採りに行くというと、和尚《おしよう》が三枚の護符をくれる。花を採っていると、婆が出て来て、花を採るのを手伝ってくれる。花を採り終わると、その婆がいい物があるから俺の家に寄って行かないかと誘う。小僧がその家に行くと、今度は泊まって行けという。そこで小僧は泊まることにする。その夜、雨が降って雨垂れが「たんたんたるぎの水はずみ、起きてばんば(婆々)の面ア見ろ」と鳴る。そこで小僧が夜着の袖《そで》から婆の顔を見ると、鬼になっていた。
驚いた小僧は、婆に便所に行くと言うと、婆は小僧の腰に縄をつけて便所に行かせる。小僧は縄を解《ほど》いて柱にくくりつけ、護符を一枚さして逃げる。婆が「まだか」と問うと、この札が「まだだ」と返事をする。婆はやがて小僧が逃げたことに気づいて追ってくるが、二枚の護符のおかげで難を切り抜け、寺に逃げ帰る。やってきた鬼婆と和尚が化けくらべをして、豆に化けた婆を和尚は食ってしまう(『聴耳《ききみみ》草紙』)。
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この昔話の山姥も山奥の一軒家に住んでいる。一人住まいの山姥もいるが、「継子《ままこ》の椎《しい》採り」として分類される昔話に登場する山姥は、鬼の夫をもっていて、継子とその妹の実子の異母姉妹のうち、正直な継子の姉の方が泊まったときには山姥の夫が戻ってきたときに、「人臭い」と騒いだにもかかわらず、あれやこれやと言い立てて姉を守ってやる。しかし、心のまがった妹が宿を求めたときは、夫の鬼が戻ったときに人間がいると告げる。もちろん、夫に発見された娘は、この鬼の夫婦に料理されて食べられてしまったであろう。
したがって、こうした昔話をたくさん語り聞かされて育った人びとは、「隠し婆に取り隠されてしまうぞ」といわれたとき、山奥の一軒家に連れて行かれて食べられてしまうのだと想像し、恐怖に震えながら、かはたれ時の夕闇のなかを急ぎ足で家路についたのである。
この山姥も由緒ある隠し神で、能の「黒塚」の鬼女や「紅葉狩り」の鬼女、あるいはお伽草子《とぎぞうし》「鉄輪《かなわ》」などに描かれている宇治の橋姫などが、その有名な先祖である。
余談になるが、こうした「山姥」が現代都市に再生したのが、二十年ほど前、夕方になると路上から子供たちの姿が消えるほど全国の子供たちを震え上らせた「口裂け女」であった。
野村純一は、女子学生たちの記憶する「口裂け女」の伝承を千二百例も採集してその変異と変化を検討している(「話の行方」)。その一例をみてみよう。
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耳のところまである白い大きなマスクをしていて、それを取ると真っ赤な口が耳元まで裂けている。通行人と逆の方向に立っている。急に後ろを振り向き、「私、きれい?」といってマスクをはずす。その口を見せられた人は、みんな驚いて逃げ出そうとする。「私、きれい?」に答えなければナイフで嚇《おど》される。一〇〇メートルを三秒で走って追ってくる。口裂け女は髪につけるポマードがきらい。
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こうした「口裂け女」はきわめて現代的な装いをまとった話になっているのだが、口が耳まで裂けていることと百メートルを三秒で走るということとの二点に注目するだけで、この女が、山姥の後胤《こういん》であることに気づくはずである。この口は「食わず女房」の昔話にみえる、頭の中央にもう一つの口をもった山姥(鬼女)や大蛇の化身としての鬼女などを思わせ、百メートル三秒という足の速さは、「三枚の護符」などにみる逃げる主人公を猛スピードで追跡する山姥に通じるからである。
もっとも、この「口裂け女」には、伝統的な異界を失った時代に出現したため、出会った人間を連れ去るべき異界がなかった。このために「口裂け女」に捕まってうまく言い逃れたり逃げ切れなかったときには、その場で殺されるとされたのである。
「脂取《あぶらと》り」と纐纈《こうけつ》城[#「「脂取《あぶらと》り」と纐纈《こうけつ》城」はゴシック体]
「天狗」「鬼」「山姥」(鬼女)といった「隠し神」について検討してきたが、ここでこれに関連するかと思われる「人さらい」の昔話について紹介しておくべきだろう。「脂取り」という話である(『鹿児島県|喜界島《きかいじま》昔話集』)。
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ある女が、一人遠くに行ったとき、途中で見ず知らずの男に出会った。男は「俺の妻になって欲しい」と迫ったので、「私は家に二人の子がある身だ」と断ると、「そういうな。俺の家に来れば、仕事もさせないしうまい物をたらふく食べさせてやる」と強引に女を男の家に連れて行った。男の家は山の中の一軒家で、とても立派であった。約束通り、男は女を毎日|御馳走《ごちそう》して遊ばせたが、夫婦の交わりはもたなかった。ただ、男は女に「この家から外へは一歩も出てはならない」と固くいいつけた。それから幾年か経ったある日、女は家にばかり籠《こも》っているので外が見たくなり、男のいない間にこっそり外に出た。少し歩くと、また立派な大きな家があった。中を覗《のぞ》いてみて、女は驚いた。たくさんの女が天井から逆さまに吊り下げられているのだ。するとその一人が、「私たちはみな御馳走を食わされ、肥ってきたところをこうして脂を取られている。あなたもやがて同じようになるから、今のうちに逃げなさい」。女はこれは一大事と、そのまま山の中をあてもなしに逃げ出した。ところが具合が悪いことに日が暮れてしまった。幸い遠くの方に火が見えるので訪ねると、白髪の婆が一人いた。事情を話すと、白髪の婆は「私もその男の仲間だ」という。女が必死の思いで助けて欲しいと哀願したところ、婆も哀れに思って、天井裏に匿《かく》まってくれた。やがて例の男が現われて「今まで飼っておいた女に逃げられた。ここに来なかったか」と婆に問うが、婆は「いない」と答えた。男は家の中を探したが見つからなかったので帰って行った。翌朝、女は婆に礼をいって婆の家を出て、やっと家に帰ってきた。帰ってみると、家ではもう女が死んだものと思い弔いまで済ませてあった。それが戻ってきたものだから家人も近所の人も大騒ぎして喜んだ。とここまできて女は目を覚ました。みんな夢だった。
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この「男」や「白髪の婆」が本当の人間なのか、それとも「鬼」や「山姥」なのかは定かでない。最後まで明らかにしないがゆえに、この話は迫力が倍加しているともいえる。しかし、これまでの考察から類推するならば、民俗社会の人びとは「鬼」や「山姥」のイメージと「異人」とを重ね合わせていたかに思われる。
ところで、この昔話の事件は女の家人や村びとにとって神隠し事件であったことは明らかであろう。遠方に用事で出かけたまま行方不明になっていたが、数年後に戻ってきて、夫や親類の人たちに、見知らぬ男に誘われて、山奥にある人の脂を取る恐ろしい所に連れて行かれたが、命からがら逃げ戻ってきたと語る、という展開は、「神隠し」のパターンに一致する。
人を逆吊りにして脂を取る。恐ろしい光景である。しかし、いったい人の脂を絞り取って何に用いるのだろうか。特別な薬を調合するためなのだろうか。これについては残念ながらまったく不明であるが、この昔話のヴァリアントのなかには脂取り≠ナはなく、血取り≠するために逆さまに吊るされるというものも多い。血を絞り取るということになると、もう少し、イメージがはっきりしてきて、鬼たちがその生血を酒にして飲むのではないかと思えてくる。
しかしながら、そうではなく、生血を絞り取って、その血で布を染めたのだ。いわゆる「纐纈染め」の染料にしたのである。そのための生血を製造する人里離れた山中の異界≠昔の人は「纐纈城」といった。
この話は古く『宇治拾遺《うじしゆうい》物語』にみえている。かいつまんで内容を述べると、仏法修行のため、慈覚大師が唐に渡ったときのことである。その当時の唐は仏教が弾圧されていて、慈覚大師も国外追放になった。そこではるか山を越えて行くと、築地《ついじ》を高く巡らした門があった。長者の家であるという。なかに入れてもらうと鉄の扉は閉じられた。大師が邸内を歩き回っていると、一つの建物がある。なかを覗くと、人が逆さまに吊り下げられ、下に台を据えて血を絞り取っている。そのなかの一人が「ここは纐纈城なり。これへ来たる人には、まず物言はぬ薬を食はせ、次に肥ゆる薬を食わす。さてその後、高き所に吊り下げて、ところどころをさし切りて、血をあやし、その血にて纐纈を染めて売り侍《はべ》るなり」と土に字を書いて告げる。大師は比叡山《ひえいざん》に向って一心に祈り、霊犬に導かれてやっとのことでそこを脱出することができたという。
こうした伝説が日本で語り伝えられ、日本的なかたちで変形されながら、「脂取り」のような昔話になったのである。したがって、もしこのような昔話を知っている人びとがいれば、行方不明者のその後を、人とも鬼ともつかない者に言葉巧みに山中の異界へと誘い込まれ、生血や脂を絞り取られているのかもしれない、と思い描くこともできるわけである。そして、人の生血によって実際に纐纈染めを製造していた、鬼のような[#「鬼のような」に傍点]人間もいたのかもしれない。そうした異人たちに対するイメージが、民俗社会では鬼や山姥のイメージに重ね合わせられたわけである。
さて、私たちは隠し神の主要なものを検討しつつ、行方不明者が、どのような神にそしてどのような異界へ連れ去られたのかという疑問に答えてきた。一人の若い女が突然失踪した。神隠しにあったのではないかと、定石通りの捜索をしたが、姿を現わさない。人びとの脳裏をよぎったのは、隠し神の名前やその姿かたち、あるいは隠し神がさらった者をどのように扱っているかといった情景であろう。
民俗社会はけっして一つのイメージで失踪者のその後≠想像したわけではない。さまざまな異界や隠し神が重層しているイメージのなかで神隠し事件を見ていた[#「見ていた」に傍点]のである。
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第四章 神隠しとしての異界訪問
浄土=ユートピアとしての異界[#「浄土=ユートピアとしての異界」はゴシック体]
前章では、どちらかというとマイナスのイメージが強い異界と、そこに棲《す》む隠し神についての検討を加えてきた。そうした異界は、隠し神に強制的に連れ去られていくところであった。しかしながら、失踪《しつそう》者の異界行は、つねに強引に[#「強引に」に傍点]というわけではなかったのである。あるときは、まったく偶然に異界に迷い込んでしまってそこで歓迎されたり、あるいはまた異界の神が人間の信仰心や供物に対するお礼に異界に招待することがあった。少なくとも、民俗社会の人びとは、そうした異界訪問もあると想像してきたのだ。
このような場合の異界訪問は、好ましい訪問であって、それゆえに異界の神も好ましい善意にみちた神々ということになるだろう。こうした異界訪問や異界の神々は、第三章でみてきたようなマイナスのイメージを帯びた異界や隠し神とは逆のイメージを帯びているといっていいだろう。
このために、研究者たちによって多くの場合、神隠し信仰の枠の外に置かれがちであった。しかしながら、よく考えてみると、好ましい異界にいざなわれていったにせよ、好ましくない異界に連れ去られていったにせよ、残された失踪者の家人や村びとたちにとっては、原因不明の失踪事件ということになるのである。
人びとは失踪事件が発生したとき、失踪者が鬼や山姥《やまんば》にさらわれて食べられてしまったのかもしれないという悲惨な結末を想像することもあるし、天狗《てんぐ》か狐の仕業でひょっこり戻ってくるかもしれないと想像するかもしれない。しかし、そうした、どちらかというと暗い失踪者のその後≠セけではなく、それとは逆に、失踪者が好ましい異界へ、浄土=ユートピアのような異界へといざなわれていったのかもしれないとの思いもいだくことがあったのである。実際にそうした異界に、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう」という言葉に誘われるかのように、現実の人間世界の苦しさから逃れるために、旅立った人びともあったことだろう。神隠しという言葉が、たんに暗いイメージのみで彩られているのではなく、甘美な響きを含んでいるのは、こうした側面もかかえもっていたからであった。
では、民俗社会がいだく、善意あふれる神々の棲む浄土=ユートピアとしての異界とは、どのようなところだったのだろうか。そんな世界を訪問することになった失踪者は、そこでどんな体験をしたのであろうか。
残念ながら、民俗社会の神隠し体験者がこの点に関してそれほど詳細な情報を提供してくれていないことを私たちは知っている。彼らの語る異界は山の奥の美しい所とか「東京などの都市」といった程度の異界であった。そこで、この章では、民俗社会の人びとがいだく浄土=ユートピアとしての異界を探り出し、それにもとづきつつ、好ましい異界訪問に神隠されていた者のその後≠想像してみることにしよう。その手がかりとして、私たちはやはり昔話を考察しなければならない。
たしかに、前章でみてきた隠し神たちが人間を誘い込み連れ去って行った異界も、ある意味では、楽園のイメージをもっている。たとえば、酒呑童子《しゆてんどうじ》や大嶽丸《おおたけまる》の鬼が城は神仙界や竜宮のイメージを一面もっていたし、狐にばかされて入り込んだ狐の世界も幻想世界であったと後でわかるにせよ、性欲や食欲などの欲望を満たしてくれる好ましい世界であり、「纐纈《こうけつ》城」やそれに類する異界もそうした面をもっていたといえよう。
しかし、その反面、そこは悲惨な食人や血取りの場であり、人をだますための幻想世界であった。つまり、こうした楽園世界は、みせかけの世界、つまり心から人間をもてなすための世界ではなく、人をだまして笑い者にしたり、人を殺したりするための仕掛けとして人の前に提示されたものであった。
では、人間に好意をもって現われる神々の世界はどのような世界だったのか。
夢と異界訪問|譚《たん》[#「夢と異界訪問|譚《たん》」はゴシック体]
民俗社会には、好ましい異界に行って帰ってきた人を主人公にした昔話や伝説がたくさん伝承されている。こうした説話群は一般的には「異界訪問譚」と称されている。ふとしたことから好ましい異界の住人と接触をもち、人間世界から異界へ去る。昔話では、そこで話の舞台がそうした異界の方へと移っていくことになるわけである。しかし、物語のなかでほとんど語られることがないが、残された村びとたちは、主人公の失踪を奇異な事件つまり「神隠し」もしくはそれに類する事件とみなして大騒ぎしたはずである。こうした「神隠し譚」としての「異界訪問譚」を、具体的な例を挙げて検討しよう。
たとえば、『越中射水《えつちゆういみず》の昔話』に次のような昔話がある。「源五郎の天昇り」という話型として分類されている昔話である。
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昔、あるところに傘を作っておる者がいた。傘を作って庭で干していたところ、風が吹いて傘が吹き飛んでしまいそうになった。「これはたいへんだ」と傘を取りに行ったら、また風が吹いて傘屋は傘と一緒に飛ばされる。そして、傘屋は風に飛ばされて雲の上に来てしまった。そこには雷がいた。雷は見た目にも恐ろしい姿をしていたので、小さくなっていると、彼を見つけた雷が「ちょっと手伝ってくれ、おらピカピカ、グワラグワラするから、お前はそこの桶《おけ》の水をザーッと、ひっくり返して下界へ水を流してくれ」という。言われた通りにしていると、下界の者たちが、「そりゃー夕立や」といって逃げて行く。傘屋はだんだん面白くなって、一生懸命雷の手伝いをした。ところが、足を滑らせて雲の上からまっさかさまに落下して、どこやらの家の屋根の上へ落ちた。とそのとき眼がさめた。夢だったのである。
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民俗社会の神隠し事件の事例を数多くみてきた私たちにとって、この昔話は実に興味深い話である。
まず、主人公の傘屋は、強い風が吹いてきたので、庭前に干してあった傘が吹き飛ばされないように、と傘をしまいに行ったところ、また吹いてきた風に傘もろとも吹き飛ばされてしまう。この場面は、強い風が吹いてきたかと思うと見知らぬ所へ運ばれていたという神隠し体験者の神隠しにあったときの状況と、奇妙なほど符合する。思うに、この主人公が強風で吹き飛ばされて行方不明になったのを見た傘屋の家人や村びとたちは、きっと神隠しにあったと判断したのではなかろうか。
しかし、村びとたちの側からみれば「神隠し」のラベルが貼られるであろう傘屋の失踪は、正確な意味での神隠し、つまり神が傘屋を異界に連れ去ろうとして生じた失踪ではなかった。強風のために[#「強風のために」に傍点]異界にたまたま運ばれたにすぎなかったのだ。
傘屋が風で運ばれていった異界は、雲の上にあると想定されている雷の世界であった。この世界は天上界の一種とみなせるであろう。
突然の訪問者である傘屋を見出した雷は、意外にも、彼を害そうとはせず、ちょうど稲光を起こし、雷音を立て、さらに水を雲からまくという仕事で大忙しであったので、傘屋に手伝いを頼むのである。恐ろしい姿をした雷の依頼である。傘屋はおそるおそる桶から水をまく手伝いをするが、次第に面白くなって夢中になっているうちに、雲の上から足を踏みはずして、転落し、人家の屋根の上に落ちたというわけである。
この、異界から下界(人間界)への帰還の仕方も注目すべき点であろう。神隠しにあった者が再び人の前に出現する仕方と酷似しているからだ。ただし、これも神に連れ戻されたわけではなく、傘屋の不注意で落下したのである。
たしかにこの話は、裏側からみた、異界の側からみた「神隠し譚」といっても少しもおかしくはない話である。
たとえば、第二章で引用した徳田秋声の隣家の青年の神隠し事件を思い出していただきたい。その青年は家の脇に立つ「大きな柿の樹の下に、下駄《げた》を脱ぎ棄てたままで行方不明になった」が、しばらくあちらこちらその行方を探していると「不意に天井裏にどしんと物の堕《お》ちた音がして」姿を現わした。多分、天井裏の音とは屋根の上にその青年が落下した音だったのだろう。
この事件は、私たちには、「常から少し遅鈍な質《たち》の青年」が柿の木にのぼって、その木から屋根の上に落下しただけの出来事であったかにみえるのだが、周囲の人びとは、この青年が半分正気づいてから、「大きな親爺《おやじ》に連れられて、諸処方々をあるいて御馳走《ごちそう》を食べてきた」と語ったので、神隠しにあったのだろうと判断している。
青年の異界体験はこれだけしか語られていない。そこで、もしこの青年の異界体験に代え、右でみた昔話をほぼそっくり青年の異界体験の部分に移植したらどうだろうか。季節が夏であれば、充分に人びとに受け入れられる話であろう。一陣の強風が吹いて雲の上に運ばれ、そこで雷の手伝いをさせられたが、雲をふみはずして転落し、隣家の屋根の上に落ちたという天上界訪問譚になるわけだ。
こうした昔話を失踪者の異界体験談へと移植・変換することができるということは、逆に神隠しによる異界訪問者の体験談もまた、昔話への変換が可能であることをも意味している。
その点で、実に示唆的なのは、この昔話のなかの傘屋の異界訪問が、実は「夢だった」というオチが結末についていることである。人はふつうの状態では雲の上に行くことができない。もしそこに行きたければ神秘的方法が必要とされる。だが、ここでは、そうした方法にたよらず、異界訪問を夢のなかでの体験とするのである。別のいい方をすれば、かつての人びとは夢という回路によって異界へ行くことができたのであった。
異界体験談から昔話への変換[#「異界体験談から昔話への変換」はゴシック体]
ところで、この「源五郎の天昇り」の昔話には、雷神の姿かたちやその住居に関して具体的な記述がない。だが、この昔話のヴァリアントをみると、想像力を駆使して、民俗社会の人びとがそれをもっと具体的に描いていたことがわかる。
たとえば、岩手県から採集された話では、天上界=雲の上に立派な御殿があって、その御殿の立派な座敷に、一人の白鬚《しらひげ》の翁がおり、訪れてきた人間界の若者をもてなす。翁には美しい二人の娘(天女)がいて、この二人の娘は大いにこの若者に関心を示し、密《ひそ》かに聟《むこ》になって欲しいと思っていると描かれる。そして、この白鬚の翁は、仕事をするときには虎の皮の褌《ふんどし》を腰に当て、頭には二本の角が生え、口は耳まで引き裂けた、世にいう鬼に変身する。このときの仕事とは、下界に夕立を降らせることで、この鬼は雷神であった。若者もその仕事を手伝うのだが、やはり雲の上から足を踏みはずして地上へ転落、桑の木に引っ掛かって助けられることになったという(『江刺《えさし》郡昔話』)。
ここには、私たちがよく知っている、七つ太鼓や八つ太鼓を背中に背負って雷音を鳴らし、たらいの水を雲の上からまいて雨をふらせ、鏡で稲光を出すという雷神=鬼神の姿が描き出されている。こうした雷神=鬼神のイメージは、古くからのもので、すでに十三世紀頃の製作とされる『北野天神縁起絵巻』にもほぼこれと同様の、たくさんの太鼓を背負って出現する雷神=鬼神の絵が描かれている。
この昔話のヴァリアントには、話がもっと複雑になって、天上界へ行った主人公が、雲の上から海に落ち、海底の竜宮へ行くという展開を示すものもある。『壱岐島《いきのしま》昔話集』にみえる話をかいつまんで紹介しよう。
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傘屋が大風で傘を握っていて天に吹き飛ばされる。天の神に同情されて天の国のお潮い振りになる。天の国のお潮いとは地上の国の雨のことである。傘屋は家が恋しくなって、地上に帰して欲しいと頼む。帰してやるから後ろ向きになれというのでそうすると、神が突いたので、海に落ちる。竜宮世界に行って武家に奉公する。家族が芝居見物に行き、傘屋は留守番をする。奥の座敷を見るなといわれるが、開けてみるとごちそうがある。一口食うと口に釣り鉤《ばり》がひっかかって引き上げられる。「人魚を釣った、見せ物にしよう」と言うので、わけを話して帰してもらう。家に戻ると、家は焼けて草が生えている。草をつかんで引っ張ると、痛いと女房が叫ぶ。いままでの体験は夢で、妻の髪の毛を引っ張っていた。
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この昔話も、民俗社会の異界観を知るうえでまことに興味深い。天上界(=雲の上の世界)から一転して水界(=海中世界)である竜宮に主人公が移動することで、天上界と竜宮世界のイメージを一つの昔話のなかに同時に刻み込んでいるからである。
この昔話で私たちが留意したいのは、次の三つである。一つは、海中の竜宮世界が、武家世界のイメージとオーバーラップしていることである。民俗社会の人びとの主体は、農民であり職人であった。そうした階層に属する人びとにとって、城下町や江戸の武家たちの社会は一種の異界であって、そしてそれは竜宮世界のイメージとして思い描かれていたらしい。
もう一つは、海中つまり竜宮の空間の質が、地上世界とは違っていると観念されていることである。これは大いに注目していいことだと思われる。主人公が竜宮に行けたのは、本人は気づかなかったが、竜宮にふさわしい姿かたち(属性といってもいいかもしれない)を兼ね備えた存在に変身していたことであった。というのは、地上に釣り上げられたとき、主人公のその姿かたちが人魚(上半身は人間で、下半身は魚という姿であったかどうかはわからないが)に変化していたからである。
民俗社会の人びとが、どの程度こうした人間界と異界との質の違いを意識していたかとなると定かではない。だが、民俗社会の一部ではそうした認識が成立していたことは、他の昔話からもよくわかる。たとえば、こうした質の違いを語る物語として、「異類婚姻譚」のなかの、人間の娘が蛇の嫁になる話つまり「蛇聟入り」の昔話の一タイプを想起してみるのも無駄ではなかろう。その娘は、水界の蛇のもとに父のためになるならと喜んで嫁入りするのだが、この娘に会いたくなった父が淵《ふち》に立って娘を呼ぶと、上半身が人間で下半身が蛇に変化した娘が現われる。異界に棲《す》み続けるうちに、知らず知らずのうちに人間もその世界の者と同じ姿に変化していくと考えられていたわけである。もっとも、異界に赴いて、どんなに時が流れようと、最後まで人間世界のときの姿かたちを完全なまま留めようとする話もあって、これについては一様でなかったこともわかる。
異界の時間・人間界の時間[#「異界の時間・人間界の時間」はゴシック体]
もう一つ注目したいのは、時間である。人間界と異界(竜宮界)では時間の質が異なっているものとしてこの昔話は描いている。竜宮世界の一日は、人間世界の一年とか百年といった、異なった流れ方をしているのである。たとえば、竜宮の一日が、かりに人間世界の一年とすると、竜宮に一年いれば、三百六十五年も人間界では時間が流れていることになる。
しかし、これは人間の時間と竜宮の時間を比較したときに明らかになることであって、竜宮に赴いた人間は、その世界の時間の流れに見合った身体の成長・老化をする。つまり、人間界での一日と同じ分の成長・老化を竜宮での一日で体験するわけである。竜宮の十年の成長・老化は人間界の十年の成長・老化を体験するということになり、竜宮にいるかぎりでは人間界と同じなのである。しかし、竜宮で十日経ったとき、人間界の時計をみると十年もの時が流れているのに気づかされるわけである。
右の昔話の主人公が、故郷に戻ってみたところ、家は焼かれ草が生えているのを発見したというのは、女房はすでに死に、家もなくなって原野に戻るほどの時間が流れていたことを意味している。
この昔話でみるかぎり、異界=竜宮では時間はゆっくりと流れている。こうした時間の流れがまったくないかもしくはきわめてゆっくりな世界としての異界の源をたどってゆくと、古代中国で説かれた「仙界」(神仙界)にまでさかのぼることができるだろう。竜宮世界という異界観には神仙思想が色濃く浸透しているのである。
しかしながら、日本の民俗社会の異界の時間がこうした中国の神仙界的な時間としてのみ語られていたわけではない。仙界とはまったく逆の人間界の一日が異界の一年に相当するといったように、人間界より速く流れる世界もあったのである。狐の世界に入り込んだ『今昔物語』の賀陽良藤《かやのよしふじ》の話を思い出していただきたい。良藤は、十三年間狐が化けた美女と同棲《どうせい》生活を送ったと思っていたが、発見されてみるとわずかに十三日間のことであった。つまり、人間界の一日が異界の一年といったような、異界の時間の方が急速に流れるという異界観も存在していたのである。この点は心に留めておく必要があるだろう。
人間と神との交換[#「人間と神との交換」はゴシック体]
壱岐《いき》は周囲を海に囲まれている。したがって「源五郎の天昇り」型の昔話に、竜宮訪問のエピソードが加わったとしても納得がゆく。こうした海辺の民俗社会では、竜宮つまり海中異界の存在が強く信じられていたからである。
竜宮訪問譚としてよく知られているのは「浦島太郎」の昔話であろう。この浦島太郎も「神隠し」にあった青年であった。いまさら内容を紹介するまでもないが、たとえば、富山県射水郡で採集された話はおよそ次のようなものである(『越中射水の昔話』)。
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漁師の浦島太郎が、子供にいじめられている亀を助けて、海に放す。ある日、漁をしていると、亀がやってきて、お礼に竜宮に案内するという。亀の背に乗って目をつぶると、海中に入っていける。竜宮で、乙姫や魚たちの歓迎を受ける。二日ほど泊まり、三日目に玉手箱をもらって帰る。ところが、村の様子がひどく変わってしまっているのだ。人に聞くと、三百年ほど昔に、海に漁をしていて行方不明になってしまった人がいたと語る。太郎はその行方不明者が自分であることに気づく。竜宮での三日が人間世界での三百年であったのだ。途方にくれた太郎は、開けてはならないといわれていた,竜宮から贈られた玉手箱を開けると煙が出てきて、浦島太郎は見る間に年を取ってしまう。
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一人の若い漁師浦島太郎が、海に漁に出たまま行方知れずになる。実はこのとき、太郎は助けた亀に連れられて海底の竜宮に案内されて行ったのだが、そうとは知らない村びとたちは、さぞ大騒ぎしたことだろう。村びと総出で船を出してあたりの海上を探し回ったのではなかろうか。人びとは何日かかけて捜索したにもかかわらず、ついに太郎を発見できなかったので、海神=竜神に連れ去られたと判定したのではなかろうか。村びとにとって、太郎の失踪《しつそう》は神隠し事件であったに違いない。しかも、物語のうえのことなので、誇張や辻褄《つじつま》合わせということもあるが、その失踪がよほど異常≠ニみなされたらしく、三百年後の村びとにもしっかりと語り伝えられていたのである。
「源五郎の天昇り」型の昔話の主人公の傘屋は、強風に吹き飛ばされて雲の上に至り、天から落ちて海底の竜宮を訪問することになった。傘屋が天上界や竜宮へ行こうとしたわけでもなければ、天上界の雷神や竜宮の住人が彼を連れ去ったわけでもない。人間と神の接触は予想外の出来事であった。彼はたまたま竜宮に行ってしまったのであって竜宮の神に強引に連れ去られたのでもない。
ところが、太郎の場合は違う。太郎は、亀を助けたので、そのお礼として竜宮に案内されたのである。つまり、ここには人間と神の間での品物などの「交換」や「交流」がみられるのである。人間が異界を訪問することの契機として、こうした交換があったことは、なぜ人間が異界を訪問することになったのかを考える重要な手がかりとなるだろう。
「神隠し」という言葉には、強引に異界に連れ去られるという意味あいが強くこめられているかにみえる。しかし、私たちはいま、村びとたちが神隠しと判断した失踪者たちのなかには、隠し神に連れ去られたわけではなく、道に迷って異界に入り込んでしまった者や、太郎のように給付(贈与)に対する反対給付(返礼)を受けるために案内されていった者もいたのではないか、と想像するのである。
死体で発見された者は死後の世界へ、行方不明者は納得ずくでどこかの異界へと誘い込まれていったのかもしれない。そうした可能性を想像してみるとき、私たちは「神隠し」という言葉に甘美な響きも漂っていることの理由がわかってくるはずである。
「浦島太郎」の昔話の面白さは、すでに述べた竜宮の時間と人間界の時間の流れが違っていることにある。たとえば、竜宮の三日が人間界の三百年であったのだ。このため彼は肉体はわずか三日しか年をとらないままで、三百年後の人間界へ送り帰されることになる。
彼は途方にくれる。そうだと思う。村はすっかり変わり、知る人もなく、かつての自分の家や土地も人手にわたっているのを見たときの失望が、どんなに深く大きかったことか。それはまったくの異国の地に住むことに等しい。太郎は異界から戻ったとき、もう一つの「異界」にきてしまったわけである。彼にはもう帰るべきところがなかった。彼の故郷は三百年もさかのぼった過去の世界になっていたのだ。
途方にくれる太郎は、ふと手にしていた玉手箱に気づき、開けるなというタブーを忘れて思わず開けてしまう。すると煙がもくもくと出てきて、太郎はまたたくまに老人となり、そして死んでゆく。そう、この箱のなかには彼の身体が体験すべき時間が、三百年という時間が閉じ込められていたのであった。
昔話の聴き手は、わかっているとはいえ、太郎は馬鹿なことをした、と思うかもしれない。しかし、太郎はきっと竜宮訪問の楽しさを思い浮かべ、その訪問を後悔しつつ、本来の人間に戻って、つまり人間世界の時間にまさに身をゆだねて死んでゆけることに安らぎを見出したのではなかろうか。
「いばら姫」と「浦島太郎」の時間比較[#「「いばら姫」と「浦島太郎」の時間比較」はゴシック体]
グリム童話に「いばら姫」という話がある。ある国の王と后《きさき》のあいだに、一人の姫が生まれる。この国には十三人の魔法使いの女がいた。来客用の皿が十二枚しかなかったためそのうちの十二人しか城に招かれなかった。そこで、招かれなかった魔法使いの女が現われて、「王の娘は十五歳のときに死ぬ」という呪いをかける。十二人の魔法使いの一人が、「この呪いを解くことはできないが、百年の眠りに変えることはできます」といって、呪いをやわらげる呪術《じゆじゆつ》をかける。十五年後、予言どおり、姫は深い眠りに入ることになる。そのとき、王も后も、また家来も、お城のすべてが一緒に深い深い眠りに入り、その城はいばらの森に厚く包まれて誰も外から近づくことができなくなってしまう。やがて、眠り続ける美しいいばら姫[#「いばら姫」に傍点]の噂が国中に広がる。この噂を聞いた王子がやってきてお城に入り込もうとするが、いずれも失敗に終った。そして百年目に当たる年がやってきたとき、一人の王子がこの噂を聞いて城に行くと、姫や王や后、そして家来たちなど城のすべてが眠りから覚める。そこで王子は城に迎えられ、いばら姫と結婚することになる。
この童話(昔話)と「浦島太郎」の昔話を比較してみることで、「浦島太郎」の悲劇性がいっそう明確になるだろう。
いばら姫は百年後の世界において眠りから覚める。この眠りは「死」もしくは「無時間」といっていいものである。時間が百年前の状態で停まってしまったのだ。いばらに包まれた城の外では時間が流れている。百年後に目を覚ました姫は、ある意味で、死の世界から百年後に蘇生《そせい》したということもできる。「異界」から戻ってきたというわけである。したがって竜宮から三百年後の人間世界に戻ってきた太郎と置かれている状況はほぼ同じである。
しかし、いばら姫は百年後の世界に目覚めても、それはけっして嘆き悲しむことではない。なぜならば、城の外の世界は変化していたとしても、眠りに入ったときと同じ生活が目覚めたとき城内にあったからである。王もその后も、家来も、城内も一晩眠って翌朝に目が覚めたように同じだったからだ。もし太郎のように、いばら姫のみが百年間眠り続けていたら、いばら姫は目覚めたとき、呪われたわが身を大いに嘆き悲しむであろう。城は崩れ落ちていばらにつつまれ、愛情いっぱいに育ててくれた父や母はとうに死んでしまっているのだから。
ここで私たちは『遠野物語』のサムトの婆《ばば》の話を思い出す。娘の頃に行方不明になった女性が、三十年ほどして「きわめて老いさらぼいて」帰ってくる。この女は異界において人間界と同様の年齢を重ねていた。しかし、人びとはその帰還を驚きなつかしがるが、心から喜んでその女を迎え入れることはしなかった。彼女もまた三十年後の自分の家や村に安らぎを見出しえなかったようである。三十年の歳月は家や村や人びとの心を変えてしまっていたのである。三十年前の家や村や人びとが、その老婆を迎えてくれるわけではないのである。
超時間装置「四方四季の庭」[#「超時間装置「四方四季の庭」」はゴシック体]
ところで、この「浦島太郎」のヴァリアントに、舞台が内陸、山間に移ったらどうなるか、ということを示す話がある。次の話は、福島県|南会津《みなみあいづ》郡で採集されたもので、「見るなの座敷」に分類してもよいような話である(『檜枝岐《ひのえまた》昔話集』)。
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山奥で大欅《おおけやき》を伐《き》りに行った山師たちの前に、毎日毎日、美しい女が現われ、にっこりと笑いかけて通って行く。不思議に思って、山師の一人が女の跡について行く。その足の早いこと、岩でも山でもどんどん行く。急いでついていくと、女が立ちどまって、「私について来なさい。いい所に連れていってあげましょう」という。しばらくついて行くと、「ここからは私の腰につかまり目をつぶりなさい」という。その通りにすると、やがて「目を開けていい」という。目を開くと、そこはきれいな野原のようなところで、そこに家があった。家のなかには男の姿はなく、たくさんの美女が、さまざまの御馳走《ごちそう》を食べ、歌ったり、踊ったりしていた。
次の日、女は「四季の庭をお見せしましょう」といって、戸を開けると、桜が咲き、鶯《うぐいす》が鳴き、蝶《ちよう》が飛んでいた。これは春の庭であるという。「次は夏の庭を見せましょう」と別の戸を開けると、焼けつくような夏の景色があって、遠くで子どもたちが水浴びをしていた。次は秋の景色で、秋風が立ち、作物は実り、木の葉が落ち、秋の小鳥が飛んでいた。次は冬の景色で、戸を開けるやいなや、風がぶんぶん吹いて、外は大雪であった。「見たらすぐに閉めなさい」というのに、三日間もその四季の庭の景色にみとれているうちに、ふと友だちのことや家のことを思い出し、帰りたくなる。皆が引きとめたが、山師は元の女に連れ戻してもらう。
見覚えのある道まで戻ってきたところで、女は「けっして開けてはならない」といって箱を土産にくれる。大欅を切ったあたりまで戻ってみたが、山師仲間たちもいなく、大欅の切り株もない。村に戻ってみると、自分の家はなく、村びとは見ず知らずの者たちばかりであった。
村の庄屋のところに行って、事情を説明したところ、庄屋は昔の書物を取り出しながら、「昔、私が子どもの頃に、遠い昔に大欅を切りに行った山師が一人行方不明になったという話を聞いたことがあったが……」と書物を繰り、「それはちょうど今から三百年前のことだ」と教える。
孤独さに耐え切れずに山師が、箱を開けると、山師の姿はその場から消えてしまった。
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この昔話は、たしかに山間地帯の昔話らしく、山師が行方不明になる場所が山の中であり、また山師を異界にいざなう美女は山に棲《す》む美しい女の妖怪《ようかい》の山姫とか山女郎を想起させる。そしてそんな神≠烽オくは異人にいざなわれて、山師は異界に案内される。
ところで、途中で「目をつぶれ」といわれているシーンは、天狗《てんぐ》らしき者に「目をつぶれ」といわれて目をつぶり、天狗の山へと案内された現実世界の神隠し体験者の話を想起させるはずである。この昔話もまた一種の「神隠し譚《たん》」であり、現実世界の神隠し事件の失踪者の異界訪問体験として移植しうる内容の話なのである。
さて、山師が案内された場所は美しい野原であった。ここはどこなのだろうか。天上界なのか、水界なのか、山界なのか。にわかには決めがたいが、山間部の村々で山奥にある美しい野原といえば、やはり山の高い所に広がるお花畑であるということになるだろう。とすれば、山師は山中異界にやってきたことになる。そして、この異界の描写が、民俗社会での神隠し体験の話と一致するところがあることに留意したいと思う。
さて、この異界には一軒の家があって、遊興にふける美女たちばかりが棲んでいる。このイメージは神仙界のイメージである。とすれば、女たちは仙女ということになる。
この神仙|窟《くつ》としての家は、竜宮城のイメージとも一致する。山師が見せてもらう「四方四季の庭」は、お伽草子《とぎぞうし》「浦島太郎」にはっきり語られているように、竜宮にも存在しているからである。たとえば鳥取県日野郡で採集されたヴァリアントによると、竜宮城に案内された太郎は、城内の「花の咲いた間」「牡丹《ぼたん》の間」「田植えの間」「盆踊りの間」「祭りの間」「正月の間」を見て回る。
こうした「四方四季の趣向」は、徳田和夫が『お伽草子 研究』のなかで詳細に論じているように、鎌倉時代から広く民間に流布したもので、お伽草子「浦島太郎」の竜宮城のみでなく、酒呑童子伝説を描くお伽草子「酒呑童子」の鬼が城、同じ「七夕」の天上世界、「釈迦《しやか》の本地」の天竺《てんじく》の内域など、さまざまな異界(神の住居の内部の趣向)として利用されていたものであった。さらに、この「四方四季の庭」は人間界と異界の時間の質の違いが生じる源泉として設定されたものでもあった。
すなわち、より厳密にいえば、この「四方四季の庭」を一回見ると、それで一年を瞬時に見る、つまり体験することになると考えられていたのである。一度だけだったら、きっと山師は一年後の村の世界に戻れたであろう。その程度なら大したことではない。しかし、彼はその美しさに魅せられて三百回も四季の庭の光景を見てしまったらしいのである。「四方四季の庭」とは、人間の時間を早送りするための装置であったというわけである。浦島太郎や山師が、三百年も竜宮などの異界で生き続け、酒呑童子がやはり少なくとも二百年以上大江山に棲み続けていた理由は、この「四方四季の庭」にあったということになる。
これは私の想像であるが、春から夏、夏から秋、秋から冬という順に「四方四季の庭」を見ると、主人公が地上の一年を体験したことになる。とすると、逆に冬から秋といったように逆回りでこの「四方四季の庭」を見て回れば、時間をさかのぼることもできたのではなかろうか。それができれば、それこそタイム・マシンということになる。三百年後の人間界に戻った浦島太郎たちは再び異界に戻って、三百回「四方四季の庭」を逆回りで見ればいいわけである。そうすれば彼は元の時代に戻ることができるだろう。
いずれにせよ、他愛のないこうした空想も異界を考えるヒントになるであろう。
社会復帰する「竜宮童子」[#「社会復帰する「竜宮童子」」はゴシック体]
このような昔話をいくつも読んでいると、私たちがみた「神隠し事件」のうち、B型に属する行方不明者たちの何人かが、失踪から二百年も三百年も経って、ふと故郷のことを思い出してすっかり変わり果てた村に戻ってくるのではないか、そういう事件がすでに現実にいくつもあったのでないかとさえ思われてくる。
現代社会に、三百年前に失踪した者が、突然姿を現わす。想像してみるだけでもSF的でなんと楽しいことか。
それはさておき、同じ竜宮訪問譚のヴァリアントに、川のなかにあるという竜宮に案内されるという話がある。この昔話も、民俗社会の異界観を知るうえで見逃せない話である。
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信心深い炭焼きが、毎年正月になると、川へ松とユズリ葉を流して竜宮へ差し上げていた。ある年の正月、炭焼きが橋の畔《ほとり》に来ると、そこに竜宮の乙姫《おとひめ》からのお迎えだという美しい女がいて、炭焼きの手を引いて、「ちょっと目をつぶって下さい」というのでその通りにする。まもなく「目を開けて下さい」というので、目を開けると、大きな見たこともないお城の前に来ていた。それが竜宮城であった。炭焼きの来訪を大喜びした乙姫は、酒を呑《の》ませご馳走《ちそう》したりしてから、珍しい景色を見せるといって二階に案内した。そしてその東の窓を開けたら、まるで世の中が春で、西の窓を開けると、そこは夏景色、南は秋の景色で、北は冬景色であった。そこで炭焼きは何不自由なく遊んでいたが、矢張り自分の家が恋しくなり、乙姫に引き止められたが、「どうしても帰りたい」と言うと、お土産をたくさんもらって、橋の畔まで送ってもらう。
村に戻ると、様子がすっかり変っている。自分の家はたしかこのあたりと捜したが見当らない。当惑した炭焼きは、村一番の老人に「実はこういう者だが」とたずねたら、老人は「そうそう、私が子供の頃に、九十にもなる老人から、どこかの炭焼き男が橋の畔へ炭を一俵置いたきり、姿を消したというような話があったっけな」という。驚いた炭焼きが、それでは竜宮で四、五日と思っていたのが、人間世界の二百年近くにも相当したんだなと気づいたら、その瞬間に体がメラメラと溶けて、骨ばかりになってしまったという。
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「浦島太郎」の昔話の内容とほとんど一致する内容である。これまでの考察に従うと、竜宮城の海底から川の底への変化、「四方四季の庭」と時間の異質性、炭焼きの失踪事件を語り伝えている古老の存在、さらに玉手箱のモティーフの欠落、といったことが注目されるわけであるが、とくに私がこの昔話を引用したのは、そうした要素の再確認とともに、主人公の炭焼きが、松とユズリ葉を毎年竜宮に届けていたので、その返礼(反対給付)として竜宮に招かれているという点に注目したかったからである。というのは、これと同様の冒頭部つまり異界に贈り物をしていたことのお礼として竜宮へ案内されるという状況設定がなされながらも、これまでの話とは違って、ほどなくして人間界に戻ってきて社会復帰するという昔話も存在しているからである。それが「竜宮童子」と呼ばれる昔話群である。
次の事例は、新潟県見附市で採集されたものである(『新潟県|南蒲原《みなみかんばら》郡昔話集』)。
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貧乏な男がいた。毎日花売りに来て、余ると、川の中に投げ入れ、乙姫様にあげていた。ある日、いつものように花を売って帰ると、大水が出て川が渡れない。困っていると、足下から大亀が出て来て、乗れ乗れといわんばかりにしているので、その上に乗ったところ、思いも知らずどこへともなく持っていかれてしまった。男が「ここはどこか」と尋ねると、「乙姫様が花のお礼をしたくてここにお連れした」という。乙姫の御殿に上ってみると、乙姫が「お前に一人の男の子をくれてやる。この子は鼻は出ている、よだれはたれている、だが、この子を大事にすれば、お前の望みはなんでもかなえてくれる。お前の子にせよ」といわれる。その男の子の名をトホウといった。家にその子を連れて戻り、何よりもまず、家が狭いので、トホウに家の増築を頼むと、トホウは目をつむって手を三つ打った。すると、とても大きな家が出来た。そこで家の敷物を次に出してもらう。次に着物を、その次には金を千両ほど出してもらう。男はその金を元にして金貸しになり、大金持ちになる。五年ほどしたとき、男はつきあいも広くなり、あちこちから呼ばれるようになるが、そのときもいつもトホウが付いて来た。そのときもいつものように、鼻をたらし、よだれをたらし、汚い着物を着ていた。困り果てた男は、トホウに「いろいろお世話になったが、暇を出すからもう帰ってくれ」というと、トホウは「そうですか、仕方ありません」と家を出たかと思うと、たちまち家が昔の汚い家になり、男の着ている物も何もかもそのまま昔のとおりに変わってしまった。それで、男は途方にくれてしまう。
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この昔話には、考察すべきいろいろなテーマが存在しているが、そのいくつかについては『神々の精神史』などですでに考察したことがあるので、ここでのテーマにそった観点から、手短かに要点を述べることに留《とど》めよう。
この昔話では、川のなかの乙姫の御殿(竜宮と考えていいだろう)に案内され、トホウという贈り物(花に対するお礼)を貰《もら》ってすぐに花売りは人間界に戻る。ヴァリアントによっては、訪問期間がはっきり三日とか三十日と語られるものもある。また、ヴァリアントによっては、竜宮の三十日が人間界の三月だと竜宮界の時間の異質性を説くものもあるが、「浦島太郎」系の昔話とは異なり、異界訪問者(=失踪者)は、ほどなくして人間界に戻ってくるので「浦島太郎」の話のようなことにはならない。しかも、異界からの贈り物の力で、主人公はお金持ちになるのである。
しかしながら、見方を変えると、この長者生活は竜宮での遊興生活に等しいものであった、といえるだろう。つまり、トホウ(研究者の間では竜宮童子と呼ばれる)のおかげで長者生活をしばし楽しませてもらったといえるからである。トホウが去ったことで、長者生活も消え去り、男は夢≠ゥら覚めたように、元の貧しい生活に戻っている自分に気づくのだ。すなわち、「源五郎の天昇り」の昔話の主人公が体験した異界訪問が夢であったように、彼が体験したという長者生活もまた、男がみた夢のなかでのことだったのかもしれない。
もしそうだとすれば、夢のなかでは時間は早く流れて数年は経っていたにもかかわらず、夢から覚めてみれば、ほんの数時間、数日のことであったということになる。異界と人間界の時間の流れ方の違いが、「浦島太郎」系の昔話とは逆の「狐」系の昔話の時間の流れ方と同じ、つまり、人間界の一日が異界の一年といった流れ方をしていたわけである。
もう一つ注目したいことがある。それは水界の異界のイメージである。右に挙げた「竜宮童子」の話では、異界は川のなかの「乙姫の御殿」とあるのみで具体的な描写がない。聴き手は、そのために乙姫の名から竜宮を思い、「浦島太郎」の昔話の竜宮描写などから、なんらかの具体的なイメージを頭のなかに思い浮かべることになる。
ところが、この昔話のヴァリアントには、もう少し具体的な異界描写のあるものがある。たとえば、岩手県のヴァリアントでは、「水界に立派な屋敷があり、そこに立派な白鬚《しらひげ》の翁がいて、異界への来訪者をもてなしたうえ、みやげに童子をくれる」と語られている。このイメージは、竜宮というよりも長者屋敷、武家屋敷のイメージといっていいだろう。しかも、そこの主人は白鬚の翁が主人であった。ここが竜宮なら、竜王ということになるわけだが、むしろこうした表現から、民俗社会の人びとがイメージするのは、山奥に棲《す》む山爺《やまじい》という妖怪《ようかい》的な異人や、「源五郎の天昇り」の昔話に姿をみせた天上界の雷神の日常時の姿ではなかろうか。また、この水界のイメージは大欅《おおけやき》を伐《き》りに入った山師の一人が案内された「四方四季の庭」をもつ美しい野原のなかの仙女たちの家ともどことなく響き合っているように思われる。
異界イメージの多義性[#「異界イメージの多義性」はゴシック体]
神隠しとは、ある日、突然、日常世界から人が消え去ってしまうことである。失踪者が「何者」かによって強制的に異界へと連れ去られてしまったのかもしれない。しかしながら、その逆であって、極楽浄土からの迎えや、竜宮などから失踪者をもてなすために迎えがやってきて、それについていったのかもしれない。
私たちは、この章で後者の方の異界のイメージを可能な限り明瞭《めいりよう》にする努力をしてきた。しかし残念ながら、昔話が描く、民俗社会の極楽浄土≠フイメージもそれほど豊かなものではなく、「四方四季の庭」「竜宮城」「酒とご馳走《ちそう》」「美しい若い女」「富を生む贈り物(たとえば、打出の小槌《こづち》)」といったキーワードで言い尽くせそうな、類型化された異界であったといっていいだろう。
しかも、そうした民俗社会の異界は、鬼が城と竜宮城、神仙|窟《くつ》、閻魔《えんま》宮などが重なり合って描かれるように、プラスの異界とマイナスの異界がしばしば重なり合い共存していた。もっとはっきりいえば、ある者にとっては極楽浄土に思えた異界が、別の者にとっては地獄の光景に思えたり、また極楽浄土に思えたものが実は人をあざむくための見せかけであったりしたのである。
私たちは、『今昔物語』にみえた賀陽良藤《かやのよしふじ》が狐に化かされて、狐(彼には人間にみえた)たちとの束の間の生活に幸福を見出したことを知っている。彼は正気に戻って驚いている。彼は夢から覚めることができたのである。ところが、同じ『今昔物語』にみえる伊吹山《いぶきやま》の三修禅師《さんしゆぜんじ》は、そうではなかった。天狗《てんぐ》の偽来迎《にせらいごう》を本当の阿弥陀《あみだ》の来迎と信じ、天狗にさらわれた彼は天狗の作り出した幻の浄土≠ノ去り、一週間後に、木の上に吊り下げられているところを弟子の僧に発見されるが、彼はついに正気を取り戻すことがなかった。ということは、周囲の人びとには禅師が天狗に化かされたのだとわかったとしても、禅師は夢から覚めることがなかったのだ。したがって、禅師自身は発見された後もなおしばらく天狗の偽来迎=∞幻の阿弥陀浄土≠ノ遊んでいたのではなかろうか。
こう考えてみると、異界のイメージの内容は神隠し体験の異界とはだいぶ違ってくるのではなかろうか。つまり、夢から覚めるのが幸せなのか、それとも夢を生き続けるのが幸せなのか、ということになるわけである。私たちは、二百年とか三百年といった後の世界に戻ってきた、つまり夢から覚めてしまった浦島太郎の行った竜宮をプラスのイメージで記述してきたが、太郎にとって本当に幸福な世界だったろうか。周囲の人びとにとってうらやましい世界に行ったものだといえるようなところだったろうか。こうしたことをもう一度改めて吟味してみる必要に迫られることになるだろう。
いずれにせよ、神隠し信仰の背景には、こうした異界観が存在していたことに、私たちは留意しなければならないのである。
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第五章 神隠しとは何か
現代の失踪事件[#「現代の失踪事件」はゴシック体]
高度成長期以降、「神隠し」の話は日本人の間から急速に姿を消していくことになる。人びとが神を信じなくなり、また異界を信じなくなったからである。それだけではない。異界観や神観念を共有することで成り立っていた民俗社会それ自体が、都市化の波に呑《の》まれて、変質し崩壊していったのだ。「家」の崩壊期にあたるこの時期に、「人間蒸発」という言葉が「神隠し」に代わって登場したということが象徴的であった。しかし、この語もまもなく現代社会ではありふれた事件として失踪事件という大枠のなかに吸収されてしまうのだ。
繰り返し述べてきたように、失踪事件がなくなったわけではない。「神隠し」というヴェールが人びとの心から消え去ってしまったのだ。失踪事件があっても、人びとはその事件に「神隠し」というヴェールをかけなくなってしまったのである。
私たちの周囲には、少し前ならばきっと「神隠しにあったのだ」と噂し合ったような失踪事件がたくさん発生している。一例を挙げてみよう。
『朝日新聞』(一九九〇年六月十四日)は、「小6少女が不明五日間」の四段ぬき大見出しで、「長野県松本市の児童養護施設に入園している小学校六年生の少女が、八日夜、横浜市内に住む父親を訪ねたまま行方不明になっている」ということを報じた。
この少女は八日夕、小学校からの帰宅途中、同級生に「電車で横浜に行く」と言ったまま行方不明となり、その後の調べで、JR松本駅から特急で新宿駅にむかい、そこで同駅員に京浜急行|品川《しながわ》駅まで行く方法を尋ねていることが確認された。また、十一日夕には、父親の家から約二百メートル離れた道端の竹やぶで、少女のランドセルが見つかったが、父親の家に立ち寄った形跡はなく、その後の足取りは不明、というのがその記事の概要であった。
この失踪事件はおそらく、神隠し信仰が盛んであった頃には、「きっと神隠しにあったのだろう」と噂されるような事件であったと考えられる。神隠し体験に近い体験をしたという柳田国男の話や第一章で紹介した神隠しの事例のなかの数例は、こうした遠方まで出かけた神隠し体験談であった。この少女も、ふと何かにいざなわれて家出してしまったらしいのだ。
三日後の『朝日新聞』は、この事件の結末を「不明の少女、無事保護」と題して、やはり大きく取り上げた。この少女は、横浜の中華街付近で一人で歩いているのを警察によって発見され、調べに対して「学校に出す作文が出来なかったので、施設を家出して父親の家まで行ったが、黙って施設を出て来たため、呼び鈴を押せなかった。近くを歩いているうちにランドセルが重くなったので、竹やぶに置いた。道に迷い、知り合った横浜市中区の男性会社員(五六)に『財布を落としてお金がない』と言って、十五日まで泊めてもらった。会社員のいない昼間は、外に遊びに出ていた」などと話した、と報じていた。
失踪した少女は、八日後に発見されたわけだが、無事に発見された失踪事件の場合には、失踪の理由が誘拐など深刻な理由ではなく、このようにこうした大した理由ではないことの方が多い。その点では「神隠しA1と重なり合うといえるだろう。
この事件で注目されるのは、道に迷って街中を歩いていたときに、男性会社員[#「男性会社員」に傍点]と知り合い、彼の家に連れて行かれて、その家に泊まっていたことである。この会社員はきっと少女の話を聞き、厚意からこの少女をしばらく家に泊めることにしたのだろう。しかし、悪意をもってこのことを考えれば、誘拐しようとしたのではないかとか、イタズラしようとしたのではないかといった想像もできるだろう。
しかし、私がここで注意をうながしたいのはそうしたことではない。この会社員のイメージは、かつてならば、山中の異人、「天狗《てんぐ》」とか「山男」などとして語られるような存在だ、ということである。作文ができなかったので施設から家出をしたところ、途中で道に迷い、「異人」に連れられて街中を歩き回った末に、やがて発見された、という「神隠し」事件になったはずなのだ。とすると、多くの神隠し事件から「神隠し」のヴェールを剥《は》ぎ取ってしまうと、この事件に近い真相が私たちの前に姿を現わすわけである。
右の事件があった同じ年の十二月十一日夜から、群馬県|勢多《せた》郡|新里《にいさと》村の小学校五年生の少女が行方不明になる事件が発生したことを、新聞やテレビなどのマスコミが報じた。
この少女は、午後六時五十分ごろ、そろばん塾から帰宅途中、買い物のため通りかかった父親の車に乗り込み、「同級生の友達の家に行く」と自宅から約二百メートル離れた友人宅近くの村道で車を降り、三十分後に父親が少女を迎えに行ったところ、少女が友人宅に行っていないことがわかり、警察に届けたものであった。
この行方不明事件も、昔ならば「神隠しにあったのだ」とされそうな事件である。この少女は残念なことに、一週間後の十八日朝、村内の雑木林で遺体となって発見された。もちろん、これを天狗や鬼の仕業だなどという人は今日ではいない。殺人事件として警察は捜査を開始した。そしてすぐその翌日、事件は解決した。捜査当局は意外な事実を明らかにした。なんと父親が保険金目的で娘を殺害していた[#「父親が保険金目的で娘を殺害していた」に傍点]のであった。
警察白書によれば、毎年およそ九万人から九万五千人(昭和六十三年九万四百九十人、平成元年九万二千二百人)の行方不明者の届けがあるという。このなかには誘拐や殺人などの犯罪となる行方不明もあろうが、家出や事故などのための行方不明も含まれているはずである。行方不明であるので、彼らのその後がどうなったのかはわからないが、残された人びとのほとんどは、行方不明の原因を大まじめに「神隠しにあったのだ」とは思っていないだろう。
神隠し信仰は消え去ってしまった。このために、現代社会における失踪事件は、ほとんどすべて人間世界の内部に原因と結果が求められることになった。「神隠し」のヴェールを剥ぎ取った失踪事件は、むき出しの愛と欲に彩られた人間世界の出来事のクライマックスの一つとして描き出されるものといっていいだろう。
私たち現代人は、現代の失踪事件を「神隠し」というヴェールをかぶせることなく、ということは「神」を介入させることなく、人間世界の内部ですべて説明しうるものとして眺めている。たとえ事件に「不思議」に思われるようなことがあっても、捜査が進めばやがてその「不思議」も人間世界の因果関係として理解されるであろうと考えている。
もちろん、失踪事件のなかには、真相がわからないままになってしまうものもある。行方不明者が捜索・捜査の努力のかいなくついに発見されない場合も多い。しかし、そうした未解決の失踪事件についても、人びとの口から神隠しという言葉はもう出てこない。誘拐されたのではないか、家出したのではないか、殺されてどこかに捨てられているのではないか、と行方不明者のその後≠あれこれと想像する程度である。
たしかに、失踪者は、日常生活の向う側≠ノ消えてしまったといっていいだろう。しかしながら、現代人にとってのこの向う側≠ヘ、家族や知人にとっての向う側=Aつまり彼らの知らない、見えない世界ではあっても、そこもやはり人間の世界の内部なのである。そこは神々の領域としての向う側≠ナはないのだ。
「神隠し」のヴェールを剥《は》ぐ[#「「神隠し」のヴェールを剥《は》ぐ」はゴシック体]
さて、ここで読者は次のような興味をいだくだろう。私たちはこの本のなかでたくさんの「神隠し」というヴェールをかけられた失踪事件をみてきたが、右で述べたような現代的な視点から失踪事件を考察したならば、どのような事実が明らかになるのかということである。つまり、「神隠し」というヴェールをひとつひとつ剥いで、近代の科学的合理主義にもとづいて説明し直すと、どのような事実が浮かび上ってくるのだろうかという疑問である。
こうした作業は、歴史学者や社会学者、精神医学者などが行なった方が好ましいテーマであるとみなして民俗学者はあまり興味を示さないが、ここではやはり、少しは考察しておく必要があるかと思う。というのは、「神隠しとは何か」という問いを発したとき、読者の多くが期待するのは、「神隠し」というヴェールを剥ぎ取った失踪事件の真相についての興味だと思うからである。もっとも、この本のなかで、私はこうした「神隠し」のヴェールを剥ぎ取った、現代的な説明についても述べてきた。読者もそれは承知だと思うが、補足すべきこともあるので、ここで改めてもう一度確認してみよう。
まず、幼児の、ほんの数時間、せいぜい一日の失踪事件について考えてみよう。
たとえば、本書の「プロローグ」の冒頭で紹介した、秋山郷での三歳の女の子の失踪事件を思い浮かべていただきたい。
この女の子は一昼夜の間行方不明になって、中津川の谷底から発見された。この事件を語った老婆は、三歳の女の子が大人でも容易に行けないような谷底で発見されたことに「不思議」を見出し、この失踪を「神」つまり「天狗」の仕業と判断したのであった。しかし、私たち現代人は、幼児であるがゆえに、ふらふらと、家人のもとを離れて山の中に入り込み、大人ならばその大きな身体のために苦労して谷底まで降りて行かねばならないようなところに、やすやすと降りて行けたのだと考え、たんなる「迷い子」として片づけることであろう。
また、このような物心つかない幼児が失踪し、数時間後に、もしくは翌日、あるいは数日後に死体となって発見されるような事件の真相は、遊んでいて誤って高い所から転落して死んでしまったり、ときには口減らしのために親が殺してしまったのかもしれないのである。いずれにしても、事故死か、自殺か、他殺かのいずれかである。
幼児が失踪し、捜索をしたにもかかわらずついに発見しえなかったということもある。たとえば、第一章に紹介した長野県|下伊那《しもいな》郡上村の事例などがこれにあたるが、この真相を推測すれば、山に迷い込んで死んだとか、どこかに行ってしまったとか、事故で死んだにもかかわらず死体が発見されなかったとか、口減らしのために家人にひそかに殺されてしまったとか、あるいは誘拐されてしまったとかといったことが思い浮かぶ。村の人びとはこれを「天狗」のせいにしているが、真相は右に述べた原因のいずれかであろう。
物心がある程度ついた子供の失踪になると、右に述べたような原因に加えて、家出という要素も加わってくる。家族関係に嫌気がさしたり、世間話などを通じて村の生活よりももっと楽しい世界として思い描かれていた都会に憧《あこが》れて、自発的に去ってしまうこともあったはずである。
では、成人の男性についてはどうだろうか。これまで述べてきたような理由のほかに、さらに恋愛や婚姻から生じる失踪が加わるであろう。もっとも、未婚者と既婚者とでは多少の相違がみられるかもしれない。たとえば、未婚者は親が許すはずがない女との結婚を望んで、愛する女と駆け落ちすることがあった。それを家人や村びとは「神隠し」というラベルを貼ることがあったのだ。これとは逆に、結婚したくない女との結婚を親が決めてしまったために、失踪してしまう男もあった。こうした失踪は、当時の社会構造、社会関係、家制度が生み出した失踪といっていいだろう。したがって、このような失踪事件にかぶせられていた「神隠し」というヴェールを剥ぎ取れば、その時代の社会制度、婚姻制度の矛盾が生々しい形で浮かび上ってくることになるだろう。
成人の女性も、これと同様のことがいえる。愛する男とともに失踪したり、いやな男(家) との婚姻をのがれるために失踪したはずである。第二章で紹介した、『遠野物語』にみえる花嫁の失踪事件の真相は、こうしたことが原因であったと推測されるのである。
また、こうした失踪理由とともに、精神的障害をもっている成人男女の失踪もあったことを考慮に入れる必要がある。たとえば、柳田の『山の人生』に紹介されていた、徳田秋声の隣家の青年の失踪は、この理由による失踪であったのだろう。同じ第二章で紹介した早川孝太郎の報告する愛知県|北《きた》設楽《したら》郡本郷町の事例も、失踪者は「生来痴鈍」と評される青年であった。ほんのしばらくの間失踪していたといったタイプの「神隠し」の真相は、病気によってもたらされた場合が多かったのかもしれない。
子供であれ、成人の男女であれ、失踪したまま戻ってこないような事件の真相の多くは、家出か誘拐であったと推測される。農村地域と都市地域を比べたときには、都市へ憧れをいだく者たちが多く、しかも見知らぬ者が村びとに気づかれずに村のなかに入りにくい農村部では家出の方が多く、都市ではその逆に誘拐が多かったのではないかと推測される。実際、平安時代や中世の京都や近世の江戸の町でも失踪事件が多発していた。おそらくそのなかには誘拐も含められていたことだろう。
「神隠し」とは隠し神による誘拐≠ニいう側面をもっている。しかし、そのヴェールを剥《は》げば、右で述べてきたような事実が姿を現わすだろう。
人さらいと大袋[#「人さらいと大袋」はゴシック体]
では、それに「神隠し」のラベルが貼られるかどうかは別として、本当に人に誘拐されていった者たちのその後≠ヘどんなであったのだろうか。いったいいかなる理由で誘拐されたのだろうか。以下では、話題をこの点に移して少し考えてみよう。
たとえば、鎌倉時代の『古今著聞集《ここんちよもんじゆう》』に、こんな話がみえている。
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建保《けんぽう》(一二一三―一九年)の頃、高倉という女官に、あこ法師という七歳になる子があった。近所の子供たちと小六条まで出かけた。夕暮れどきになった。子供たちが相撲《すもう》をとって遊んでいたときである。後方の築地《ついじ》の上から垂布《たれぬの》のようなものが降りてきて、あこ法師を包み隠した。と思う間もなく、そこからこのあこ法師の姿が消えてしまった。現場に居合わせていた子供たちは逃げ帰り、恐ろしさのあまり、まともに口をきくことさえできなかった。嘆き悲しんだ母はあちらこちらを探し回ったが、見つからなかった。三日目の夜中に、女官の家の門を叩《たた》くものがあった。恐れ怪しんだ女官が戸を閉じたまま、「誰ぞ」と問うと、「行方不明になったお前の子を返してあげよう。だから戸を開けよ」という声がした。それでも開けないでいると、家の軒のところで、大勢の笑い声がして、廊の方に何かを投げ入れた。恐る恐る火を点《とも》してみると、まこと女官の子がいた。子はまるで死人のようで、口もきけず、ただ目をしばたたいているばかりであった。
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この話は、おそらく実際にあった失踪事件を忠実に記録したものであろう。ここでは、あこ法師がどんな体験をしたのかが語られていない。また、この失踪の原因を鬼や天狗による「神隠し」であるとか、「人さらい団」にさらわれたのだとか、周囲の人びとが語り合ったとも述べていない。
ただ、あこ法師が夕暮れどきに何者かに取り隠されて三日後に解放されたとき、外で「子を返してあげよう」という声があり、大勢の笑い声がしたということだけが、犯人の手がかりといえるにすぎないのである。
もし、こうした事件を聞いた人たちが自分たちのもっている異界観や神隠し信仰に引きつけてこれを解釈しようとすれば、あこ法師は鬼とか天狗に取り隠されたのだということになる。夜に大勢で京の町中を歩き回っている者ということから推測すると、あこ法師は、鬼つまり「百鬼夜行」の一団に取り隠されたというのが、もっともらしい解釈になりそうである。
しかし、逆に現実世界へ、人間世界の次元へ引き寄せて、つまり、神ではなく、人間がさらっていったと説明することも可能であった。あこ法師は「人さらい団」によって誘拐されたが、人さらい団のなかにあこ法師を知る者がいたのか、商品価値などがないと判断されたのか、とにかくなんらかのいきさつがあったのだろう、あこ法師が母親の家まで運ばれて解放されたというわけである。
こうした「人さらい」のことを、当時は「人かどい」とか「人かどえ」「人かどわし」などといった。では、いかなる目的で人は誘拐されるのか。
保立道久の紹介するところによると、たとえば、平安時代の中頃、ある伊賀《いが》国の住人が京都に長期間滞在している間に、娘がかどいとられ、十余年もの間探し続けた母がやっと見つけ出した時には、娘は誘拐者の伊勢《いせ》国の住人の従者として働かされていたという。これは従者としてこきつかうための誘拐であった。
また、十四世紀中頃の貞治《じようじ》五年(一三六六)の興福寺《こうふくじ》六方衆評定事書によると、山伏によって、稚児《ちご》が大袋に入れられて誘拐された事件があったという。これはおそらく男色が目的であったろう。
この誘拐道具としての大袋に着目した保立道久は、従者下人が主人の荷物を運ぶ大袋が、「他方においては人間の拉致《らち》誘拐のための手軽な拘禁用具だったのであって、武装した優勢者の襲撃行動においては従者の持った袋は、即時に強制連行の用具に転化したのである。それは、強盗的な行動においては、常に携えられた用具の一つであったのであろう」と述べ、やがて「大袋」が誘拐犯を指示する語になったと考察しつつ、次のような興味深いことを述べている(『中世の愛と従属』)。
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夕方、外で遊んでいる子供を「人さらいが来るぞー」といって脅かすことは、今でもあるだろうか。こういう脅かし方はあるいは中世からあったものなのだろうか。子供などは、クルッと丸めて袋に突っこんでしまえば、少々泣こうが叫ぼうが、簡単に誘拐できたに違いない。
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夕方に、大袋をもった者が夕闇にまぎれて子供をその袋のなかに取り隠して連れ去っていく。こうしたことが中世に横行していたことをふまえると、あこ法師失踪事件は築地の上から降りてきた大袋に取り隠されて誘拐された事件であったということになりそうである。
人身売買のネットワーク[#「人身売買のネットワーク」はゴシック体]
牧英正『人身売買』によると、「人さらい」の背後には全国各地にネットワークをもった「人買い‐人売り」集団が存在していた。そうした人売り‐人買い商人の生態をよく描き出しているのが、中世の説経節「さんせう太夫《だゆう》」の物語である。
奥州の岩城正氏《いわきのまさうじ》は罪に問われて、筑紫《つくし》国に流される。安寿姫《あんじゆひめ》と厨子王《ずしおう》の二児は母と乳母とともに父を訪ねる旅に出る。越後《えちご》国|直井《なおい》(直江津)の浦で日が暮れたが、宿を貸してくれる家がない。困り果てているところに、人をかどわかして売ることを商売とする山岡の太夫という者に欺されて、母と乳母は佐渡の二郎、姉弟は宮崎の三郎に売られてしまう。宮崎の三郎は姉弟を丹後国|由良《ゆら》の港のさんせう太夫に売りつけ、姉の安寿は汐汲《しおく》み、弟は柴《しば》刈りの仕事をさせられることになる。
鎌倉時代の中頃の成立とされる『撰集抄《せんじゆうしよう》』巻一第六には、越後国志田の上村というところの海辺の市では、山や海の産物のみでなく、馬や人間までも売買されていたと語られている。
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……かの里は海のほとりにて、おくよりの津にて、貴賤《きせん》あつまりて朝《あした》の市のごとし。海のうろくづ、山の木の実、絹布のたぐひを、うり買ふのみにあらず、人馬のやからを売買せり。その中にいとけなく、又さかりなるは申すにおよばず、頭《かしら》にはしきりに霜雪をいたゞき、腰にはそぞろにあづさの弓をはりかゞめて、けふあすともしらざる物、しばしのほどの命をたすけんとて、そこばくの偽《いつわり》をかまへ、人の心をたぶらかして売買せり。
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すなわち、この市では、幼い者や働き盛りの者はもちろん、余命いくばくもない老人さえ売られていたという。
こうした人身売買を職業とする人たちのネットワークや市が設けられることによって、身内の者に売られた子供や娘、誘拐されて遠方から連れてこられた人たちなどが、強制労働や売春などのために買われていったのである。
児肝取《こきもと》り伝承「阿弥陀《あみだ》の胸割《むねわり》」[#「児肝取《こきもと》り伝承「阿弥陀《あみだ》の胸割《むねわり》」」はゴシック体]
誘拐事件=人さらいの横行で留意しておきたいのは、子供の生肝《いきぎも》が不治の難病に効くと信じられていたために、それを調達するための誘拐事件が洛中洛外《らくちゆうらくがい》で頻発していることを、十四世紀中頃の『園太暦《えんたいりやく》』や十五世紀中頃の『万里小路《までのこうじ》家日記』などが繰り返し書き記していることである。
第三章で紹介した『今昔物語』の纐纈《こうけつ》城伝説や昔話の「脂取り」に共通するもので、「子取り」のすべてが生肝を使用するためであったわけではなかろうが、京の人びとの間ではそうした「児肝取り」の噂が流布していたのであった。
こうした「児肝取り」伝承もまた文芸の世界に語り込められている。古浄瑠璃《こじようるり》と説経節の双方で行なわれたとされる「阿弥陀の胸割」の物語もその一つである。
天竺《てんじく》の毘舎利《びしやり》国のかんし兵衛《ひようえ》という長者は、栄華のあまり、富と権力をたよって悪道非道を尽くして楽しもうと思い立ち実行に移したが、釈迦《しやか》が派遣した地獄の鬼たちの攻撃を受けてついに地獄に落とされる。残された天寿という姫とその弟の丁礼の二人の子供は袖乞《そでご》いをする身になったが、二人は父の七年忌を迎えた年、親の菩提《ぼだい》を弔うために、身を売る決意をする。その頃、夢が庄の大満長者には十二歳になる松若という息子がいたが、不思議の病にかかり、博士の占いによれば、同じ歳の同じ相性の姫の生肝を与えるならば、業病はなおるという。このために、十二歳になる姫を買い求めていたが、望み通りの姫がおらず困っていた。そこに、阿弥陀の導きで、身売りするために、天寿と丁礼がやってくる。かくして天寿は松若の業病をなおすために、生肝を売ることになるが、阿弥陀が天寿の身代わりとなって、天寿の命も救われる。
この物語は阿弥陀の霊験を説くために創られたものであるが、子供の生肝を業病の良薬とする伝承の仕組みを実によく描き出している。すなわち、人が不治の病にかかると、博士や山伏などの祈祷師《きとうし》が、子供の生肝を食べると効果ありと告げる。秘《ひそ》かに生肝を求めようとする。そこで、この生肝を用意するための「人商人《ひとあきんど》」や「人さらい」が洛中洛外に出没するというわけなのである。
富士川游の『迷信の研究』は、「神戸、大阪にて小児を買集めて、小児の生肝を採って売薬を造る」との噂があったことや、広島で「八歳の学童を殺し、首と胴体とは附近の谷川へ沈め手足のみを取り、その肉を黒焼にして妻某の生家に柏餅《かしわもち》と共に送った。癩病《らいびよう》者に小児の肉の黒焼がよくきくとの迷信による」といった、難病治療のための子殺しが、明治や大正の頃もなおあったことを記している。
ということは、実際に生肝を入手するための誘拐が、人売り-人質いが、そして殺人が、行われていたということになる。
私は幼い頃、しばしば「言うことを聞かないと、人さらいに連れて行かれるよ」と親に脅かされた記憶がある。そのときの恐怖はいまでも忘れがたい。読者のなかにもそうした経験をもっている方も多いことだろう。関西方面では、右に述べた児肝取りのイメージを継承している「子取り」ということが多かったらしいが、私の場合は「見世物小屋」や「サーカス団」であった。移動する芸能者たちには、こうした負のイメージが託されていたわけである。つまり、彼らは隠し神の末裔《まつえい》であったのだ。
神隠しの現実隠し[#「神隠しの現実隠し」はゴシック体]
さて、私たちは「神隠し」というヴェールを剥《は》ぎ取ったその下にある、人間世界のまことに恐ろしくもまた悲惨な現実を見てしまったのではなかろうか。
私には、神隠しとは、こうした実世界のさまざまな現実をおおい隠すために作り出され用いられた語であり観念であったように思われる。
では、現実世界の実態をおおい隠すための神隠しとは何だったのだろうか。
その答は、これまで述べてきた、失踪《しつそう》事件の真相にもう一度「神隠し」というヴェールをかぶせてやることによって明らかになるだろう。
失踪事件が発生する。「神隠しかもしれない」と人びとは、鉦《かね》や太鼓で探し回ったが見つからない。数日後に、失踪者が死体となって山中で発見される。人びとは死体の発見場所や死体の状態などに「不思議」を見つけ出し、やはり「神隠しにあったのだ」と判断する。そうすることで失踪者は、民俗社会の向う側=A神の世界へ旅だった者、つまり社会的に死んだ者として処理されるのである。この失踪者の死の真相が、事故死であれ、自殺であれ、また殺人であれ、「神隠し」というラベルを貼ることで、すべてが不問に付されて、失踪者=死者は向う側≠ノ送り出されることになる。たとえ真相を知る人がいたとしても、そうしたラベル貼りを認めることで、真相もヴェールに包まれてしまうわけである。
失踪者が戻ってこないような場合でも、同様であろう。失踪の真相は、村の生活を嫌い都市に憧《あこが》れての家出であったり、駆け落ちであったりしても、こうした「神隠し」のヴェールがかぶせられることによって、失踪者は向う側≠ツまり神の領域にふと誘い込まれてしまったのだということになったのだ。つまり、彼はその社会では死んだ[#「死んだ」に傍点]のである。
おわかりになったかと思う。「神隠し」とは、人を隠してしまうだけではなく、真相を直視することをも隠してしまう機能をもっていたのだ。
また、失踪した者が数年後に、あるいは数十年後に戻ってくることがあった。失踪理由は村の生活がいやになっての家出であったり、誘拐されてであったり、婚姻を嫌ってであったり、病気のためであったり、悪い仲間に誘われてであったりと、いろいろであったろうが、そんな失踪者がふと戻ってきたときに、村びとは「神隠しにあって行方不明になっていた者が戻ってきた」として帰村を許したり、それを拒絶したりしたのだ。
山本光正によると、江戸時代では、家出人が出ると肉親や親類の者たちが家出人を探すことが義務づけられており、文化《ぶんか》九年(一八一二)に改められた幕末の村民欠落に関する規定によると、三十日限六切、つまり合計百八十日間尋ね歩くことが義務づけられ、それを過ぎても見つからないときは、役所に家出人の除帳願いを出した。人別帳から抹殺されるのである。
しかし、家出人が立ち戻り、ぜひとも帰村したいということになれば、犯罪などを犯していなければ、帰村願いを提出して帰村が許されるのが一般的であったという。
山本光正は、こうしたことをふまえて、「家出人や欠落人が無事帰村した場合、神隠し≠ニいう現象が方便として、というよりも従来の生活に戻ろうとした人に、時によっては救いの手段として用いられたのではなかろうか。過去を水に流す方法の一つであったわけである」(「風(与 )思うこと」)と述べている。つまり、失踪者が戻ってきたとき、神隠しは帰村の理由として認められるとともに過去をも隠してしまうという効果をもっていたのである。
「神隠し」とは、要するに、失踪時には、人[#「人」に傍点]隠しであると同時に、こちら側≠フ現実[#「現実」に傍点]隠しであり、帰村時には、失踪期間中の体験[#「失踪期間中の体験」に傍点]隠しであったということになるのだ。
いずれにしても、失踪者の失踪期間のことは向う側=∴ル界へ送り出されて隠されてしまう。「神隠し」とはそういうことであった。
夢が異界へいざなう[#「夢が異界へいざなう」はゴシック体]
さて、ここで神隠しの三つのタイプを思い出そう。まず、その三つのタイプのうちで民俗社会における典型的な「神隠し」とみなされていたのが「神隠しA型」であったことを思い出していただきたい。
「神隠しA型」とは、失踪者が発見されるケースである。このケースは二つのタイプがあって、帰還者が失踪中の体験を語る場合とまったく失踪中のことを覚えていない場合とがあった。これをA1型とA2型とここで名づけたわけであるが、私たちがもっとも理想的な神隠しと考えたのは、A1型であった。なぜなら、A1型の神隠しでは、失踪者がなんらかの形での異界体験を断片的にであれ語ってくれるからである。つまり、神隠しのリアリティーは、A1型の神隠し体験者によって支えられているのである。
というのは、「神隠し」というヴェールに、A1型の神隠しは異界の様子を映し出してくれるからである。たとえ真相はたんに山のなかや町のなかを歩いていただけであっても、失踪者自身は人びとに異界を訪問してきたと語っているのである。彼は異界訪問をしてきたのだ。
ところで、これまでの考察で浮かび上ってきたのは、こうしたA1型の神隠しは、夢と深い関係があるということである。異界は夢を通じてその存在が確認され、保証されていたといっていいのではなかろうか。
A1型の神隠し事件の神隠し体験談は、ほとんどが夢か幻をみていたような内容の話である。たとえば、柳田国男に徳田秋声が語ったという、秋声の隣家の青年の異界体験は、青年のみた夢であったともいえる。愛知県|北《きた》設楽《したら》郡本郷町の青年の体験した異界もおそらく青年の夢のなかのことであろう。彼らは夢をみていたのだ。夢こそが異界への通路であり、異界の存在を示す場であった。
たとえば、異界に赴くためには夢が通路であったことは、昔話の「源五郎の天昇り」や「脂取り」「髪剃《かみそり》狐」などからもわかる。これらの話の結末は、ほとんどがすべては「夢だった」と語っているからである。人びとは夢をみることで異界に行ったのである。そしてこれに対応すると考えられる神隠し事件にあったと判断された失踪者がまもなく戻ってきたときに語る話も、きっと彼がみた夢か幻であった。
さらに、ここで注目しておきたいのは、神隠しによる異界体験談と「臨死」つまり事故や病気でほとんど死にかけた者がみた夢――その多くは美しいお花畑を歩いていたとか、空中を飛行していたとか、トンネルを通過したとか、三途の川があったとか語られる――とがかなりの部分において重なることである。ということは、神隠し体験者の話は、彼が失踪中に臨死≠ノ近い精神的、肉体的状況に置かれたということを意味しているかにみえる。
たとえば、石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』のノンちゃんは池に落ちたときに意識を失い、家に寝かされていて意識を取り戻すまでの間に夢みていたことが、雲の上≠フこととして描かれている。つまり、ノンちゃんは臨死状態での夢(特別の意識状態)で異界を体験したのである。こうした臨死状態にある者がみる夢は、かつての民俗社会では、共同幻想としての異界であった。異界の存在は夢で確認されたのである。
こうした異界が、A2型の神隠しやB型、C型の神隠しにも適用された。人びとがこのタイプの神隠しにあった人びとのその後≠、こうした夢体験やこれまでみてきた昔話・伝説にもとづいて思い描いた[#「思い描いた」に傍点]のである。
こうしたことをふまえて、「神隠しA1とは何かと問うと、たとえば、道に迷った者が恐怖のあまりみることになった夢による異界体験だということになるだろう。そしてかつては、こうした個人の夢が共同の夢、共同幻想でもありえたのである。
神隠しなき時代[#「神隠しなき時代」はゴシック体]
近代とは、「神隠し」というヴェールの上に映っていたこうした共同の夢=異界の夢を撲滅させ、そのヴェールの下にある現実を白日のもとにさらそうとする時代であった。そして、現代ではそれがすっかり現実化しているのである。
もう失踪事件を真剣に「神隠しだ」という者は一人もいないのである。つまり、私たちは「異界」を捨てたのである。すべてのことを人間社会の論理・因果関係のなかで説明できると判断したのである。
私たちは神隠しを失ってしまった。「異界」を失ってしまったのだ。ということは、泉鏡花や大江健三郎が文学的想像力を駆使してそこに見出し、あるいは託してきた「通過儀礼」や「母胎回帰」「母性思慕」「始源の時の回帰」といったことも失ってしまったということになるだろう。
たとえば、私たちは次のような神隠し事件を、今日ではとても懐かしい思いで読む。
[#ここから1字下げ]
石川県金沢市の浅野町で明治十年ごろに起こった出来事である。徳田秋声君の家の隣家の二十歳ばかりの青年が、ちょうど徳田家の高窓の外にあった地境《じざかい》の大きな柿の樹の下に、下駄《げた》を脱ぎ棄てたままで行方不明になった。これも捜しあぐんでいると、不意に天井裏にどしんと物の堕《お》ちた音がした。徳田君の令兄が頼まれて上って見ると、その青年が横たわっているので、背負うて降してやったそうである。木の葉を噛《か》んでいたと見えて、口の端を真青にしていた。半分正気づいてから仔細《しさい》を問うに、大きな親爺《おやじ》に連れられて、諸処方々をあるいて御馳走《ごちそう》を食べてきた、また行かねばならぬといって、駆けだそうとしたそうである。尤《もつと》も常から少し遅鈍な質《たち》の青年であった。その後どうなったかは知らぬという。
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本書ですでに引用した事例を再び引いてみただけである。私たちは、この本での考察の結果、この事例の「神」がどのような神であるのか、また「神隠し」というヴェールの下にどんな事実≠ェあるのかについてある程度の推測ができるようになっている。
この事件に対して、当時の人びとはそっと「神隠し」のヴェールをかけた。そうすることで、この「遅鈍」な青年の失踪の理由をこちら側≠ノ求めず、向う側≠ノ求めることになった。こちら側≠ノ求めるのと、向う側≠ノ求めるのとでは、この青年の扱いは大きく異なってくるであろう。彼は神に隠されて異界に遊んだのである。さらには、人びとはこうした事件を介して、神の存在を考えたり、異界の存在を信じたのである。
社会的な死と再生の物語[#「社会的な死と再生の物語」はゴシック体]
江戸時代中期に江戸南町奉行であった根岸|鎮衛《やすもり》が著した『耳袋《みみぶくろ》』に、私たちが「神隠し」として扱ってきた失踪事件が数件拾われている。これらの話も、本書の考察をふまえれば、ある程度どのような理由での失踪であったのか理解しうることであろう。もうこれらの事例を考察しようとは思わない。むしろこれまでの考察をふまえてこの事例を味わいつつ読んでいただきたいと思う。
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寛政《かんせい》六、七(一七九四、九五)年の頃、番町に千石程もとれる何某とやいへる、身上《しんしよう》も相応にて其《その》主人折目高き生れにて有しが、八才に成りし息女、或《あ》る日隣家へ三味線など引《ひき》唄を唄ひて、乞食《こつじき》の男女|門《かど》に立て囃子《はやし》物などせし音を聞て、頻《しき》りに見たき由を申ける故、奥方もかろ/″\しき迚《とて》制しいましめけるを、いかに言ふとも聞わけず、庭へ欠《か》け出さんとせしを乳母など押止めけれど聞入ず、納戸の内へ欠入りし故、乳母は直に立て納戸へ押つゞき立入しに娘の行方なし。この由奥方へしか/″\と語り、家中驚きて雪隠《せつちん》・物置はいふも更也、屋敷中くまなくさがせども知れざれば、主人の外にまかりしを呼戻し、糀《こうじ》町辺|迄《まで》近隣を捜し尋れども更に影も無ければ、奥方は大に歎《なげ》き、祈祷《きとう》などして色/\手を尽しけるに、三日目に納戸の方にて右娘の声して泣声しける故、捜しけれど見えず。又庭にて泣声せし故欠出見れば右娘なる故、早々取押へ粥《かゆ》・薬など与へけるに、髪には蜘《くも》の糸だらけにて、手足などはいばら・萱《かや》のを分け歩行《あるき》し如くに疵《きず》ども多くありし故、品/\療養して様子を尋ね問しに、一向|不覚《おぼえざる》よしを右小女の言ひしが、如何成る事にてありしや、其後は別の事もなく、当時は十五、六才にもなるべしと人の語りぬ。
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この話は「小児|行衛《ゆくえ》を暫《しばらく》失ふ事」と題されている。八歳になる女の子が、乞食が門づけしているのに興味をもち、見に行きたいといったのを周囲の者が制したところ、納戸のなかに隠れてしまった。そしてそこで失踪したのであった。三日後に納戸で再び発見されたという。
この失踪事件では「神隠し」という語は用いられていない。『古今著問集』のあこ法師失踪を思わせる事件である。この事件の真相を私たちはやはりあれこれと想像してみることができる。しかし、そっと、「神隠し」のヴェールをかぶせてやる方がいいと思うのだ。そうすることでこの幼女は優しく家人に迎えられることだろう。
次のような話も載っている。この話は「神隠しといふ類である事」とはっきり「神隠し」というラベルが貼られた事件で、失踪者は成人の男性であった。
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下谷《したや》広徳寺前といへる所に大工ありて、渠《かれ》が倅《せがれ》拾八、九才にもなりけるが、当|辰《たつ》の盆十四日の事なるよし、葛西《かさい》辺に上手の大工|拵《こしらえ》たる寺の門あるを見んとて、宿を立出しが行衛知れず帰らざりし故、両親の驚き大方ならず。近隣の知音を催し鐘・太鼓にて尋しが知れざりしに、隣町の者江の島へ参詣して、社壇に於て彼者を見掛し故、「いづ地へ行しや。両親の尋捜す事も大方ならず」と申ければ、「葛西辺の門の細工を見んとて宿を立出しが、爰《ここ》は何国《いずく》なるや」と尋ける故、「江の島なる」よしを申けれど、甚《はなはだ》眩忘の様子故、別当の方へ伴ひしか/″\の様子を語り、「早速親元へ為知《しらせ》迎ひを可差越《さしこすべき》間、夫《それ》迄預り給はるべし」と頼みて、彼もの立返りて両親へ告し故、歓びて早速迎ひを立し由。不思議なるは彼者の伯父《おじ》にて、大工渡世せる親の為には弟なる者、是《これ》も拾八、九才にていづ地行けん不知《しらざる》故、所々尋けれど是は終《つい》に其行衛分らざりし間、一しほ此度《このたび》も両親愁ひなげきしよし也。
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十八、九歳の大工が、腕のいい大工の作ったという寺の門を見に出かけたまま、行方不明になる。鉦・太鼓で探し回ったが見つからなかった。ところが隣町の者が江の島に参詣したところ、失踪した大工が社壇にいるのを発見したのであった。
彼の失踪にははっきりと「神隠し」というラベルが貼られている。失踪後のことが向う側≠フこととして処理され、安心して彼は自分の町に戻ってきたことであろう。
『耳袋』には、次のような興味深い失踪事件も記録されている。この失踪は二十年にも及んだものであった。
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江州八幡《ごうしゆうはちまん》は彼《かの》国にては繁花なる町場の由。寛延《かんえん》・宝暦《ほうれき》(一七四八‐六四)のころ、右町に松前屋|市兵衛《いちべえ》といへる有徳《うとく》なるもの、妻を迎へて暫《しばら》く過しがいづ地へ行けん其行方なし。家内上下大に歎き悲しみ、金銀を惜《おしま》ず所々尋けれど曾《かつ》て其行方知れざりし故、外に相続の者もなく、彼妻も元一族の内より呼むかへたる者なれば、外より入夫して跡を立、行衛なく失ひし日を命日として訪《と》ひ弔ひしける。彼失ひし初めは、夜に入、「用場に至り候」迚《とて》下女を召連、厠《かわや》の外に下女は灯火を持《もち》待居しに、いつ迄|待共《まてども》不出《いでず》。妻は右下女に夫の心ありやと疑ひて彼かはやに至りしに、下女は戸の外に居しゆへ、「何故用場の長き事」と、表より尋|訪《と》ひしに一向答なければ、戸を明けみしにいづ地行けん行衛なし。かゝる事故其|砌《みぎり》は右の下女など難儀せしと也。然《しか》るに弐拾年程過て、或日かはやにて人を呼び候声聞へし故至りてみれば、右市兵衛行衛無なりし時の衣服等少しも違ひなく坐《ざ》し居し故、人々大に驚きしか/″\の事也と申ければ、しかと答へもなく、(腹)空服 のよしにて食を好《このむ》。早速食事など進けるに、暫くありて着し居候衣類もほこりの如く成て散失て裸に成りし故、早速衣類等を着せ薬など与へしかど、何か古《いに》しへの事覚へたる様子にも無之《これなく》、病気或ひは痛所などの呪《まじない》などなしける由。予が許へ来る眼科の、まのあたり八幡の者にて見及び候よし咄《はな》しけるが、妻も後夫もおかしき突合《つきあい》ならんと一笑なしぬ。
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夫が行方不明になって探し回ったが見つからないので、ついに失踪した日を命日と定め、婿を迎えて、商家を継いだが、二十年ほど経ったある日、二十年前の衣服とまったく同じものを着た夫が出現したというのである。「浦島太郎」の昔話と重なり合う話である。前夫、後夫そして妻の三者が互いに顔を合わせたあと、どうなったのだろうかという興味もさることながら、失踪以前のことを覚えている様子もないこの前夫の失踪を、「神隠し」としたことは想像がつくだろう。失踪して戻ってきた前夫は本当に前夫だったのだろうか。これも大いに気になるところである。
神隠しとは何か。それは『古今著聞集』の失踪事件にみえた、築地《ついじ》の上から垂れてきた布のごときものなのである。それは人を隠し、神を現わし、人間世界の現実を隠し、異界を顕《あらわ》すヴェールであった。そして、それは人を社会的な死、つまり「生」と「死」の中間的な状態に置くことであった。だからこそ、神隠しという語は甘く柔かい響きがあるのだろう。
神隠しとは社会的死≠フ宣告であり、それから戻ってくることは社会的再生≠ナあった。ある意味では、神隠しは恐ろしい異界体験であるとともに、社会的存在としての人間の休息のための時間であったり、日常生活の向う側≠ナ新しい社会的存在としての生活に入ることであったともいえるかもしれない。
充分だったとはいえないが、神隠しをめぐってあれこれと思索を繰り返してきた末に、ふと私は思った。現代こそ実は「神隠し」のような社会装置が必要なのではないか、と。家族生活や学校生活(受験勉強)、会社勤めなどに疲れ切った私たちに、「神隠し」のような、一時的に社会から隠れることが許される世界が用意されていたらどんなに幸せなことだろう。そこに隠れたとみなされたとき、私たちは死者≠ニして扱われ、まもなくしてそこから戻ってきたときは、失踪の理由をあれこれ問われることなく再び社会に復帰・再生できるのだから。
どうやら、私たちは現代的装いをまとった「神隠し」を創造する必要がありそうである。
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参考文献
プロローグ
大塚安子「秋山紀行余談」『あしなか』九七輯、一九六五年
堀切直人『迷子論』村松書館、一九八一年
柳田国男『山の人生』郷土研究社、一九二六年(本書では、岩波文庫版『遠野物語 山の人生』一九七六年を用いた)
松谷みよ子編『現代民話考T 河童・天狗・神かくし』立風書房、一九八五年
第一章 事件としての神隠し
『遠山谷の民俗』長野県下伊那郡上村、一九七七年
柳田国男『遠野物語』聚精堂、一九一〇年(本書では、岩波文庫版『遠野物語 山の人生』一九七六年を用いた)
菊池照雄『山深き遠野の里の物語せよ』梟社、一九八九年
佐々木喜善『東奥異聞』坂本書店、一九二六年(『佐々木喜善全集』第一巻、遠野市立図書館、一九八六年)
市原麟一郎編『伊野春野伝説散歩』土佐民話の会、一九七七年
浅川欽一編『信濃・川上物語』国土地理協会、一九八二年
早川孝太郎「神かくしの類例五ツ」『郷土研究』五巻一号、一九三一年
『脇野沢村史 民俗編』脇野沢村役場、一九八三年
神山弘・新井良輔『増補ものがたり奥武蔵』金曜堂出版、一九八四年
第二章 神隠しにみる約束ごと
柳田国男『山の人生』郷土研究社、一九二六年
早川孝太郎「神かくしの類例五ツ」『郷土研究』五巻一号、一九三一年
『遠山谷の民俗』長野県下伊那郡上村、一九七七年
『古原の民俗』富士吉田市史編纂室、一九八四年
藤田省三『精神史的考察』平凡社、一九八二年
西村清和『遊びの現象学』勁草書房、一九八九年
奥野健男『文学における原風景』集英社、一九七二年
桂井和雄『仏トンボ去来』高知新聞社、一九七七年
笹本正治『中世の音・近世の音』名著出版、一九九〇年
黒田夢禅「天狗の話三つ」『土の鈴』一六号、一九二二年
松谷みよ子編『現代民話考T 河童・天狗・神かくし』立風書房、一九八五年
河合隼雄『子供の宇宙』岩波書店、一九八七年
菊池照雄『山深き遠野の里の物語せよ』梟社、一九八九年
第三章 さまざまな隠し神伝説
細川頼重編『東祖谷昔話集』岩崎美術社、一九七五年
知切光歳『天狗の研究』大陸書房、一九七五年
佐々木喜善編『江刺郡昔話』郷土研究社、一九二二年(『佐々木喜善全集』第一巻、遠野市立図書館、一九八六年)
佐々木喜善編『老媼夜譚』郷土研究社、一九二七年(『佐々木喜善全集』第一巻、遠野市立図書館、一九八六年)
高橋昌明『酒呑童子の誕生』中央公論社、一九九二年
佐々木喜善編『聴耳草紙』三玄社、一九三一年(『佐々木喜善全集』第一巻、遠野市立図書館、一九八六年)
野村純一「話の行方」川田順造・徳丸吉彦編『口頭伝承の比較研究1』弘文堂、一九八四年
岩倉市郎編『鹿児島県喜界島昔話集』三省堂、一九七四年
第四章 神隠しとしての異界訪問
伊東曙覧編『越中射水の昔話』三弥井書店、一九七一年
佐々木喜善編『江刺郡昔話』郷土研究社、一九二二年
山口麻太郎編『壱岐島昔話集』郷土研究社、一九三五年(『山口麻太郎著作集』第一巻、佼正出版社、一九七三年)
石川純一郎編「檜枝岐昔話集」『あしなか』七〇輯、一九六〇年
徳田和夫『お伽草子 研究』三弥井書店、一九八八年
岩倉市郎編『新潟県南蒲原郡昔話集』三省堂、一九七四年
小松和彦『神々の精神史』講談社、一九九七年
第五章 神隠しとは何か
保立道久『中世の愛と従属』平凡社、一九八六年
牧 英正『人身売買』岩波書店、一九七一年
富士川游『迷信の研究』養正書院、一九三二年
山本光正「風与思うこと‐近世神隠し考」『春秋』二四六号、一九八三年
本書は、平成三年七月、弘文堂より刊行された『神隠し――異界からのいざない』を改題の上、加筆・訂正して文庫化したものです。
角川ソフィア文庫『神隠しと日本人』平成14年7月25日初版発行