灼熱の竜騎兵シェアードワールズ
レインボウ・プラネット
著…小川一水 原案…田中芳樹
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〈カバー〉
●小川一水 OGAWA Issui
1975年生まれ、男。『まずは一報ポプラパレスより』(集英社)で作家デビュー。作品に『ここほれONE・ONE!』(集英社)『こちら郵政省特配課』『群青神殿』(朝日ソノラマ)『回転翼の天使』『導きの星』(角川春樹事務所)等がある。現場で体を使って動く人間の話が好き。宇宙作家クラブ会員。ホームページは「小川遊水池」。
http://homepaael .nifty.com/issui/
●田中芳樹 TANAKA Yoshiki
1952年、熊本県生まれ。88年に『銀河英雄伝説』で星雲賞長篇部門を受賞。歴史とSFや伝奇が融合したベストセラー『銀河英雄伝説』や『創竜伝』シリーズほか、中国歴史長篇の『風よ、万里を翔けよ』『海繍』など、数多くのヒット作を送り出している。最新刊に『バルト海の復讐』がある。
●北爪宏幸 KITAZUME Hiroyuki……カヴァー&本文イラスト
1961年7月24日、東京都生まれ。『機動戦士Zガンダム』で作画監督、『機動戦士ガンダムZZ』『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』等でキャラクターデザイン&作画監督、『モルダイバー』で原案・監督と、幅広く活動。現在『ガンダムエース』(角川書店)にて、マンガ『C.D.A』を連載中。
[#地から1字上げ]カヴァー&オビ・デザイン……アトリエサード
灼熱の竜騎兵シェアードワールズシリーズ第一弾。二十六世紀、太陽系には十五の人工惑星が造られ、火星や金星の開拓も進んでいた。二五〇四年、惑星ザイオンは地球政府に対して独立を宣言。動乱の時代が始まった。二五〇六年二月、惑星ビフロストにやってきた地球軍は、対ゲリラ用の装備を製造して惑星を反政府ゲリラから守るため、ビフロスト政府に工業設備のリースを申し込んできた。初めは紳士的に振舞っていた地球軍だが……
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灼熱の竜騎兵シェアードワールズ
レインボウ・プラネット
著……小川一水 OGAWA Issui
原案…田中芳樹 TANAKA Yoshiki
[#地付き]EX NOVELS
[#地付き]カバー・本文イラスト――――――北爪宏幸
[#地付き]カバー・本文デザイン―――アトリエサード
[#地付き]シェアードワールド管理――らいとすたっふ
[#地付き]設定協力――――――――――――神北恵太
CONTENTS
プロローグ
第一章 黒鋼の訪問者
第二章 閃緑の若葉
第三章 黄鉄の嵐
第四章 虹色の星
エピローグ
後書き
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プロローグ
ひな壇状の本会議場に満ちていた熱気にあふれたざわめきが、半分ほどに鎮まり、居並ぶ百二十数名の議員たちの視線が、中央通路に集中した。
視線に込められているのは好奇と期待の色だ。動物、それもパンダとかコアラとかいった、可愛らしいマスコット的な生き物を見る目に似ている。
もちろん西暦二五〇四年の現在、パンダもコアラもこの惑星ビフロストには生息しておらず、良くも悪くも文化的・歴史的な資産を溜め込んでいる、地球本星に出向かなければ本物は見られないのだが、中央通路を駆け下りていく一人の人物は、そういった希少動物に勝るほどの人気を、議員たちから得ていた。
女性である。服装は落ち着いたクリーム色のスーツにタイトスカート。年のころは三十代半ばのようで、若さや華やかさには欠けるが、容色に衰えは見られない。砂色の瞳は穏やかな明るさをたたえ、歩運びのつど、しばって背中に垂らした金髪が跳ねる。理知的で落ち着いた顔立ちである。ただ、大人びた雰囲気に、あわて気味の駆け足が今ひとつそぐわないようにも見える。
その容姿と行動のギャップが、彼女が人気者であるゆえんであり、今回もまた、彼女は期待通りのことをしてみせた。というか、やってしまった。
「遅れちゃったわ、もう……あ、ああっ!」
あまり歩幅を稼げないタイトスカートとハイヒールが、中途半端な階段の高さと共謀した。彼女は段を踏み外し、ものの見事にすぺーんと転んでしまった。途端に議員たちがわあっと声を上げ、拍手喝采する。
「またやってくれましたな」「見事な転びっぷりですなあ」「あれを見ないと議会に来た実感が湧きませんよ」「いや、私もです」
「ん、んもー……」
彼女は赤面し、周りを囲む笑顔をにらみ返す。だが、笑いには陰湿な悪意はなく、彼女も本気で怒ってはいない。そそくさと立ち上がって、最前列の議席に近付いた。
そこには、他の議員たちと同じように楽しげな笑顔を浮かべた、壮年の男性がいた。くすんだ小麦色の髪は三割ほどが銀髪に変わり、頬や額に刻まれたしわからして年は四十代も後半かとうかがえたが、紺のスーツの着こなしに隙はなく、ややきついほどの目付きにも老いの鈍りはない。明晰《めいせき》な意思と知性のにじむ眼差しと声で、少年のようですらある台詞《せりふ》を口にした。
「まったく可愛いな、フローラは」
「か、可愛いなんて言わないで下さいな、あなた! ここは家じゃないんですよ!」
「だったら君も社長と言いたまえ。ここは家じゃないんだから」
男の左右の議員が、さらに笑いを爆発させる。ますます身をすくめるフローラに、のろけ以外の何ものでもない言葉を、男は臆面《おくめん》もなくかけた。
「ま、そんなに気にするな。君のそういうところが私は好きなんだから。私だけじゃなくみんなもな」
「……言わないで下さいったら」
この星特有の赤鉄鉱地表よりも頬を真っ赤にして、フローラは男の前に立った。議員名――レジナルド・サイミントンの名が書かれたネームプレートを押しのけて、小脇に抱えていたデータボードを置く。
「はい、届け物です。現在の我が社の総合生産力のまとめ、入ってます」
「……ペーパーは?」
「え?」
データボードにちょいと触れて表示を呼び出したレジナルドが、怪訝《けげん》そうに見上げた。
「これじゃなくて、ペーパーに打ち出したやつがあっただろう。ボードと一緒に社長室の机に置いてなかったか」
「あっちが必要だったんですか? 私てっきり、全部ボードに入ってると……」
「前期までのは入ってるが、今朝、総務が今期のも暫定でまとめてよこしたから、それを取ってきてほしかったんだ。――またやってくれたね、フローラ」
レジナルドが苦笑する。フローラは左右の議員の目を気にしながら、小声で言いわけした。
「そんなことおっしゃるけど、あなた、今朝は警察が何かの検問をしていて、道が混んでいたからあわてちゃったんです」
「そりゃ出る前から分かっていただろう。だからこそ私が先にここへ向かって、君に会社へ行ってもらったわけで」
「あなたは自分だけだからそうやって早く出られるけれど、朝は私もニルスとエリゼの世話で忙しいんです!」
「うん、だから昨日いっしょに寝る前に、朝の支度はしてあるのかと聞いただろう。しかし君がそんなのいいって甘えるから――」
「分かりました私のミスです!」
商売や政治に関しては、歯に衣着せぬ直截的な物言いで信頼を得ている男なのだが、同じ調子でのろけまでやられるので、しばしばフローラは冷や汗をかく。今回も危険な領域に平然と踏み込もうとしたので、あわててフローラは叫び声を押しかぶせた。
レジナルドはにやにや笑っている。悪意はやっぱりないが、ある意味とんでもなく人が悪い。恨めしそうににらみつけて、フローラは言った。
「……車の中まで一緒に持ってきました。今取ってきますから」
「あ、そうなのか。それじゃ頼む、開会までまだ少しあるからな」
そう言ってそっけなくボードに目を落とした。だが、フローラが再び階段を登って行こうとすると、待って、と声をかけられた。
「はい?」
「悪い、君が秘書業と主婦業でてんてこまいなのは分かってる。今日は特別だから、私もちょっと気が立っててね。――お詫《わ》びに今度、みんなでバイオレット湖にでも行こう」
「え、スケジュールにそんな余裕は」
「なけりゃ作るさ。八百人の社員も家族みたいなものだが、本物の家族だって同じぐらい大事だ。その面倒を見てどこが悪い」
「――はい!」
花が開くような笑みを浮かべて、フローラは小走りに駆け出した。横で聞いていた議員のあけすけな口笛も気にならない。そう、レジナルドが彼の構いつけない性格をそういう風にも使ってくれるからこそ、フローラは嫁いだのだ。
ビフロスト議会名物の「サイミントンモーター社のあわてんぼ秘書」が舞い戻っていく時には、もう議員たちはふざけた視線を向けてこなかった。ささやかな楽しみはひとまず終わり、真面目に政治のことを考える時間が来たというわけだ。本会議場最上段の大扉まで来て、ふとフローラは振り返る。
確かに今日は特別だった。議員たちが声高に、あるいはひそやかに、いつにも増して活発に話し合っている。その熱気の供給源は、約一億キロ離れた一つの星だった。
太陽系に造られた十五個の新惑星のひとつ、ザイオン。ビフロストと同じ自治惑星であるその星が、つい先日、驚くべきことをやってのけたのだ。
地球の支配下から脱する、独立宣言。
それは伝え聞くところによれば、自治政府首席アレッサンドロ・ディアスの独走である気配が濃く、必ずしも民主的な手続きにのっとって行われた行為ではないらしかった。だがそれでも、新惑星群への入植がはじまって以来、四十数年にも及ぶ、「|地球支配下の平和《パックス・テラリーナ》」という美名に隠された専制支配体制に、一矢を報いる者が現れたという点で、画期的なことであるはずだった。
自治惑星の例に漏れず、ビフロストも様々な面で宗主国地球に屈辱的な奉仕を強いられている。ザイオンは彼らの頭上に突如として輝いた、希望の星だった。彼らとの関係をどう続けるべきか、支援するのか無視するのか、さらに言えばザイオンと同じような道をビフロストも歩むべきではないのか。――そういったことが今日の議題であり、それがかつてない大問題であるために、議員たちは白熱した議論を繰り広げているのだった。
「……そうよね、あの人にも頑張ってもらわなくちゃ」
つぶやいて、フローラは本会議場を出た。彼女はサイミントンモーター社の社長秘書であり社長夫人である。しかし同時に惑星ビフロストの一市民であり、生まれ育ったこの小さな星の行く末にも、当然、無関心ではいられないのだった。
夫のことは愛しているし、彼と自分の会社であるサイミントンモーター社にも栄えてほしいし、そういった工業会社の首脳がたくさん集まっているビフロスト議会にも期待している。今日この場所で、ビフロストの歴史が変わるんだ――胸が震えるような嬉しさを抱いて、フローラは議場ドームのエントランスホールに降り、屋外へ出る際に誰もが身につける|酸素補償マスク《サプライヤー》を顔にかけて、ドームのエアロックを出た。
その瞬間、ビフロストの歴史が変わった。
前へ進んだのではなく、後ろへと戻った。
白いスモッグのような混濁大気の漂う、ビフロストの空の下へ出た途端、ズシンと地面が揺れた。足元をすくわれてまた転びそうになったフローラは、とっさにたたらを踏んで立ち止まり、つぶやいた。
「地震……?」
不審に思いながら何気なく振り返り、驚愕《きょうがく》のあまりマスクの中でぽかんと口を開けた。
白いボウルを伏せたような議場ドームの中央天窓から、不吉な灰色の煙が噴き出していた。もちろん、そこを覆っていたガラスはすべて粉々に吹き飛んでいる。視線を下げると、ついさっき出てきたエントランスホールに、大量の煙が満ちていることが、二重のガラス越しに見えた。
何かが議場内で燃えたのだ。いや、燃えたなどという生易しいことが起こったのではない。これは爆発だ。可燃ガスもなにもない本会議場で、爆発が!
「――爆弾!」
朝のニュース、それにここへ来るまでに出会った検問のことを、フローラはいっぺんに思い出した。ニュースは、地球から来たテロリストが、ビフロストの首都であるここシルヴィアナ市に潜入したらしいと報じていた。そして検問は、そのテロリストを探すものであったのだ。
そういう知識があったから、何が起こったかは容易に想像できた。本会議場が爆弾テロに襲われたのだ。彼女の上司であり夫である男と、彼と立場を同じくする大勢の重要人物が集まっている、あの部屋で!
矢も盾もたまらず、フローラは回れ右をしてエントランスに駆け込んだ。案内ブースから転がり出して咳き込んでいる係員を抱き起こし、自分のサプライヤーを顔に押し当ててやって、背中をさする。
「大丈夫? けがはない?」
「は、はい」
「予備のサプライヤーをありったけ出して! それからレスキューと警察を呼んで!」
「分かりました」
フローラのサプライヤーで呼吸を整えた係員は、それを顔から離すと、気密破壊事故に備えて百個単位で用意されているサプライヤーを取りに、ブースに向かった。途中で振り返る。
「あなたは?」
「投げて! 他の人の分も!」
フローラは叫びを返した。係員が放ってよこした数個のサプライヤーを抱え込んで、本会議場への階段を駆け上がる。詰め所から出てきた衛視たちと一緒に、吹き飛んだ大扉の中へ入ったフローラは、息を呑んだ。
「……ひどい……」
そこはさながら瘴気の噴き出す地獄の門だった。
プラスチック系の化学物質が燃えたあとの、吐き気を誘う灰色の煙の合間から、議場のど真ん中に開いた巨大なクレーターが見えた。差し渡しは議席十個分もあるだろうか。黒く焦げた穴の底には建物基礎のコンクリートが剥き出しになって見え、周囲には吹き飛んだ瓦礫《がれき》が放射状に散らばっていた。無機物の白と木材の茶色の間に、赤や肌色の色彩を見つけて、フローラは実際に嘔吐《おうと》しかけた。激しく痙攣《けいれん》する喉に手をあて、ぐっとこらえる。
かろうじて動くことのできる議員たちが、よろよろと出口へ逃げてきた。フローラは手にしたサプライヤーを衛視に押し付け、生き残りの議員たちの世話を任せる。彼女の求める相手は穴の向こうにいたはずなのだ。――ひょっとしたら、まさに穴が開いた位置に。
「あなた!」
穴の淵の通路を通って、フローラは駆け下りる。この時だけは不思議と転ばなかった。いや、転んだのにも気づかず起き上がったのか。足を動かしているという実感もないまま、煙の中を泳ぐようにして、フローラは議場の前列へと近づいた。
最前列から三列ほどの席は原形をとどめていて、幸運にも爆発の直撃を受けなかったようだった。それにしても背後数メートルから瓦礫の散弾を受けているから、座っていた議員たちは誰一人として立ち上がらない。背中や後頭部から血を流して、瀕死《ひんし》のうめき声をあげている。
「あなた! どこ!」
「フローラ」
信じられないことだが、返事があった。フローラは声のした方向に目を泳がせて、足の力が抜けるような安堵《あんど》を覚えた。
「ああ、あなた……」
レジナルドは、椅子の背にぐったりと体を預けていたが、まだ意識はあるようだった。駆け寄ったフローラが、頭に手を回して抱き起こそうとする。だがレジナルドはその手を押しのけ、サプライヤーだけを引き寄せた。
二呼吸ほど酸素を吸ってから、意外にはっきりした声で、レジナルドは言った。
「私はいい。他のみんなに手当てを頼む」
「しっかりして、今レスキューが来ますから」
「大丈夫だ、必要ない。それよりも、生き残りをつれて早く逃げろ。これはテロ行為だろう。まだ他にも爆弾があるかもしれない」
「爆弾があるなら、なおさらあなたを放っておくことなんかできません!」
「ん? いや、言い間違えた。こういう場合はいちどきに全部を爆発させるものだ。もう危険はないから、私のことは放っておけ」
「そんな、あなた、言ってることがめちゃくちゃ――」
思わずレジナルドの背に腕を回したフローラは、はっと動きを止めた。白い頬から血の気が引く。
「あなた、背中に……」
「だから、必要ないと言ったんだ」
歪《ゆが》んだ微笑を浮かべて、レジナルドは体を起こした。その背には、折れた椅子の足が深々と突き刺さり、壊れた水道のような勢いで鮮血があふれ出していた。
「動脈だな。どこがやられたのか、えらくはっきり分かる。つまりそれだけ致命傷なんだろう。足の感覚もない。ということは脊髄《せきずい》もか。やれやれ……」
「あ、あなた、痛くないんですか」
「痛いさ。当たり前だろう」
他人事のように答えるところが、この男の強靭《きょうじん》な精神力の現れだった。精神力だけではなく、政治家としての意識も余人に抜きん出ていることを、彼はその死の間際に、果敢に示してみせた。
フローラの両手を、骨が折れんばかりの強さで握り締め、くいしばった歯の間から声を押し出した。
「さあ、他のみんなを助けるんだ。一秒でも早く、一人でも多く! それこそが犯人の目論見《もくろみ》を打ち砕くことだ。ビフロストの首脳部を崩壊させちゃいけない!」
「でも、私はあなたが!」
一滴のしずくに続いて、止めどもない流れがフローラの頬《ほお》を伝った。その頬に、いまや体温を失いつつある手のひらが、そっと押し当てられた。
「言っただろう。私は家族を大事にしたいんだ。おまえたちも、会社の社員も、そして、ビフロスト千三百万人の市民も、みんな私の家族だ。――おまえは、家族を好きじゃないのかな?」
「……好きよ」
「そうだろう。だから……」
見つめるすみれ色の瞳から、徐々に光が失われていく。フローラはその光を追うように、顔を近づけた。ささやきながら唇を重ねる。
「でもね……忘れないで。私は、あなたが一番……」
「私もだ、フローラ。おまえと、みんなを、いつまでも……」
二つの瞳が、永遠に閉じた。
フローラは、力の抜けた手をずっと握り締めていた。そのそばに、長身の男が駆け寄ってきた。
「奥様、社長はご無事ですか!」
声をかけてから、物言わぬ姿になったレジナルドに気づいて、低くうめく。
「社長……」
何か言いかけたものの、もはや不要だと悟ったか、眼鏡型端末のiグラスを外して、軽く黙礼した。
「奥様……ご愁傷様です……」
悔やみを受けたフローラは、背中を向けたまま言った。
「パッカードさん」
「は」
「会社のお医者様を呼んで下さい。予備のサプライヤーも手配を。会社はレスキューの基地より近いし、医者は何人でも必要なはずよ」
「ただちに。社員も呼びましょう。まず社長のお体を……」
「そんなことは後でいいわ」
「奥様?」
尋ね返したパッカードに、フローラは振り返り、初めて顔を見せた。涙のあとは隠しもしない。だが、弱々しさは微塵《みじん》も見せなかった。
「社長はみんなを頼むとおっしゃったわ。自分を助けろなんてひとことも言わなかった」
「社長が……」
「だから私たちは、それに従いましょう。不服があって?」
「いえ」
パッカードはきっぱりと答え、背筋を伸ばした。
「おっしゃる通りです。――社長らしいお言葉ですね」
「ええ。私、誇りに思うわ」
精一杯の笑顔を浮かべて、フローラは会議場に向き直った。駆けつけた衛視や議員たちの怒号とうめき声が渦巻く中に、よく通る澄んだ声を響かせる。
「すぐにサイミントンモーター社から救援を出します! 皆さん、頑張って!」
まばらな返事と、それに数倍する感謝の眼差しが向けられた。
パッカードが通信機能のあるiグラスで矢継ぎ早に指示を出し始める。それを背に、フローラは、胸いっぱいの思いをこめた眼差しを、最後に一度、夫に向けた。
「少しだけ我慢して下さいね、あなた。……これが済んだら、おうちに帰りましょう」
そしてフローラは、ハイヒールを脱ぎ捨てて、血にまみれた隣の議員を抱き起こしにかかった。
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第一章 黒鋼の訪問者
少年がドアをノックしようとすると、中からどかんと景気のいい爆発音が聞こえた。
別段驚かない。左手首にはめた、十センチほどの長さをもつウェアコンの時刻表示に目を落とす。三十秒。
「……二次爆発は、しないみたいだな」
そう言って、何も聞かなかったような顔でノックした。
「エリゼ、入っていい?」
「お兄ちゃんね。何のんきにノックなんかしてるのよ!」
「いいんだね」
ニルスはドアを開けた。
油の臭気と煙が立ち込めていた。ドアを開けっ放しにして煙を逃がすと、やがて室内の様子が見えてきた。窓際に置かれたベッドとクロゼットとウォールTVあたりは、まあ、あってもおかしくない。何しろ十六歳の女の子の個室だ。
おかしいのは部屋の反対側を占める種々雑多な代物である。まず真ん中にテーブルがあって、それがテーブルとして機能していない。NC工作機の置かれた作業台になっている。そこにも棒材だの線材だの自旋ボルトだの人工筋肉シリンダーだのが積まれていて、本来の用途を著しく妨げているのだが、さらにその周囲にも、サイズ的に机上に置けない機械部品と治具の類がジャングルの多様な生態系さながらにコロニーを作っており、本来の床の平面すら分からない。もちろん壁面も同様で、ラックとラックに積まれた数々の機械と、恐ろしいことに三メートルもある土木工事用のロボットアームなどがばーんと立てかけられていて、観葉植物や人形などの可愛らしいアイテムはどこにもひとつもない。
が、ニルスはやはり驚かない。双子の兄として、十六年の間、妹の素行を一番近くで見てきているから、彼女の好みはよく知っている。およそ女の子離れしたこの部屋の有様を見ても、あ、ドールテクニカの新型アーム買ったんだ、よく二階まで持ち上げられたな、と思う程度である。
その新型アームが倒れてきそうなのを、必死に押さえている小柄な少女が、妹のエリゼだった。
そばに近づいて、とぼけた口調で聞く。
「けがはないよね」
「ないわよ、防爆シールド立ててたから。爆発物じゃなくて、アームの油圧系がブローしただけだし。それより早く――」
「ああ、これ燃えた煙じゃないんだ。気化した油か。道理で熱くないと思った」
「だ・か・ら、のんきに論評してないで助けてよ!」
くわっと牙を剥《む》いて肩越しにエリゼは怒鳴った。
「ドアの前はモニタで見えてるんだからね、音がしてからしばらく様子をうかがってたでしょ! 妹の部屋で爆発があったら、なにはともあれ助けに来るのが兄の務めじゃないの?」
「月に最低二回も爆発を起こす妹じゃなきゃ、ドアを蹴《け》破ってでも助けにくるけどね。今月はまだ一回目だし」
「回数の問題じゃないでしょ! これ百五十キロもあるのよ、私が潰れてもいいの?」
「はいはい」
横から手を貸して、ニルスはアームを壁に戻した。ふーう、とため息をついてエリゼが手のひらの油をベストになすりつけて拭《ふ》く。いつもその調子なので、彼女の衣服は小汚い。
ポケットのたくさんついた強化繊維のベストに、同じ素材のごわごわしたシャツ、そして会社の工場で機械工が使っているような難燃性のカーゴパンツが、エリゼのいつもの格好である。金髪はさすがにきれいに肩で切りそろえている。しかし手入れが行き届いているとは言いがたく、せっかくの細い髪も鳥の巣状に乱れ気味で、時々カチューシャならぬ電子ノギスやレーザーペンを差し挟んでいることもある。
手足はほっそり長く、顔立ちも父譲りで、すみれの瞳とくっきり通った鼻筋が美しい。洗って干してのりを利かせれば、野性的な美少女としての魅力をふりまくことができるだろう。しかしそれをせず年中雀の巣を振りたてているところが、本人にしてみれば自己表現であり、周囲にしてみれば惜しいところである。
それを見守る兄のほうはといえば、双子なのでもちろん、素材の良さはおおむね共通している。
エリゼとよく似たすらりとした手足、金の髪。しかし髪質は母親譲りで少し巻いていて、引っ張ればあごまで来るが普段は耳の上にくるくる溜めている。顔立ちも母親似だ。色白であまり尖ったところのない優しいあごと目鼻立ち。目は細く、笑うと砂色の瞳が見えなくなり、普段でもあまり視線を感じさせない。
服装はビフロスト星立大学付属高校の制服である、若草色のジャケットとパンツ。ご丁寧にネクタイまで締めている。制服といっても儀礼用で、普段は私服が許されているのだが、ニルスは面倒だと称していつも制服を選んでいる。しかもそれをそつなく凛々《りり》しく着こなしている。ので女の子たちには人気があり、なぜか男の子からもそれほど憎まれてはいない。これは容姿以上に人格ができていることを表している。
この、似ていながらも似ていない兄妹が、最近のシルヴィアナの街でよく噂《うわさ》になる、サイミントン主席の双子なのだった。
「あーあ、もう少しでレスポンス一・二倍を達成できそうだったのにな」
エリゼは、破裂してしまったアームの油圧部分をしゃがみこんで見つめる。機械いじりは彼女の趣味で、趣味というかライフワークであり、彼女は高校の機械技術科を進路に選んでいて、将来は会社の自動機械部門を乗っ取ってやるとまで宣言している。
「いつも言ってるけど、出来合いのハードウェアをいじるより、制御のほうで改良するほうが楽だよ」
並んでしゃがんでエリゼの顔を覗き込む、ニルスのほうは、機械工作よりもそれらを統合して高次の用途に応用する方法を考える、システム工学を得意としている。得意というよりすでに極めている感すらあり、システム工学科での通年研究テーマには、ビフロスト衛星軌道上の太陽発電パネルの運用改善という、学生離れした大規模な主題を選び、しかもまだ始めたばかりのその研究の評価が、高校教師陣の手に負えず、シルヴィアナ産学横断研究センターの技術者まで応援に呼ばれているらしい、という噂もある。
その異才の二人が、にらみ合う。
「ソフトの改良なんて小細工だわ」
「そうかな。良い機械は良い運用をしてこそ、良い性能を発揮できると思うんだけど」
「お兄ちゃんはいつもそればっかり! けちくさいのよ応用応用って」
「でも僕は爆発なんかさせないよ」
「爆発は機械の性能限界で輝く崖っぷちの光よ!」
「まあ、なんでもいいや。せいぜい死人が出ないよう爆発させてね」
きりがないのでニルスは打ち切った。いくら天才でも兄妹だから、議論はすぐ口論になって下手をすると喧嘩《けんか》になる。それを避ける身のこなしのうまさが、また彼の長所の一つだった。
「今日はエリゼと議論してる暇はないよ。式典、正午からだよ。朝ごはんも食べてないんでしょ」
「あ、もう十時か。でも式典って立食パーティーでしょ」
「僕たちはどうせ、かかしだよ。突っ立って笑ってなきゃいけない」
「いつものことか。そうね、なんかつまんでったほうがいいな」
「そう言うだろうと思って、サンドイッチを作っといた。下でお母さんたちと一緒に食べよう」
「母さん、まだいるの?」
汚れていない服を探してクロゼットを引っかき回し始めたエリゼが、手を止めて振り返った。とっくに身支度を済ませていたニルスが、うなずく。
「うん、ビートンさんとなんか話し込んでる」
「あのおばあさんと? あの人、母さんとどういう関係なんだろ」
「さあ。星外の人ではあるようだけどね」
数日前にサイミントン家にやってきて以来、ニルスの手料理を底抜けに誉め倒しては散歩して帰って寝るだけの、奇妙な客のことを考えて、少年は首をひねった。
「……よく分かんないなあ。取引先って感じじゃないし、議会の人にしては見たことないし……」
言いながらふと妹に目をやると、パンツとブラだけの姿で、数着の服をつまみあげて目を寄せている。
「どしたの」
「これ、どれが似合うと思う?」
[#挿絵(img/01_025.jpg)入る]
「そっちのモスグリーンのワンピース」
「ツールキット入れるポケットがない〜」
「いらないよそんなの。工場行くんじゃないんだよ?」
「スカートは足がすーすーしていや〜」
「それ気にするんだったら僕の前で下着にならないでよ」
「なんで?」
きょとんとした顔で、細い肩もむき出しのエリゼが聞く。衣装のセンスがまったくないことを自覚していて、いつも兄に選ばせる妹である。警戒心の範疇《はんちゅう》には当然ニルスは入っていない。
意識されないことを残念に思っちゃうのは、やっぱシスコンかなあ、とニルスは軽い悩みのため息をついた。
めんどくさいと子供のようにだだをこねるエリゼを、なだめすかして髪までとかして、ようやく即席のレディに仕立て上げると、ニルスは彼女を連れて階下に降りた。ダイニングでは二人の人物が待っていた。
待ちながらの話が、けっこう本格的だったらしい。ニルスの作ったサンドイッチをぱくついて、もの思わしげにしゃべっている。
「でもね、アイリン。私はあまり強硬的な手段は取りたくないの」
「相手が紳士ならそれでいいわ。でも、見た目が紳士なのにスーツの中にナイフを持っている人に対しては、遠まわしな拒絶は無意味でしょうね。ましてや今回、相手はけだものかもしれない。女としてはきっぱり拒む用意をしておくべきよ」
「あのう、ビートンさん……」
「あら、坊やたち。もう支度が済んだの?」
振り返った老女が微笑《ほほえ》んだ。アイリン・ビートンという名前である。その名と六十歳の年齢をのぞいては、容姿と性格しかニルスたちは知らない。
背筋は伸びているが小柄である。頬はつやつやとまるく光っているが、口元や目尻のしわは年相応に深い。ふわふわパーマの銀髪に花柄のワンピースとレースのショール。しゃべる内容も健康のこと、天気のこと、食べ物のことばかりで、相槌《あいづち》だけでも会話が成り立つ。商売人の隙のなさや政治家の得体の知れなさはどこにもなく、綿毛を広げたたんぽぽのような柔らかい印象がある。ケーキ屋の女主人、でなければ女主人の座を娘に譲ったご隠居《いんきょ》さん、そんな感じの女性だ。
「おやエリゼちゃん、可愛いわね。お澄ましして」
「ええ、いつもそうしててくれればいいんですけどね」
アイリンの向かいでうなずいたのは、ニルスたちの母のフローラである。彼女はもう支度を終えて、いつものクリーム色のスーツ姿だ。飾りといえば、胸に垂らした銀とエメラルドの細いネックレスぐらいだが、他にレーザーアームの意匠のバッジと、さらに小さい七色のホログラムのまるいバッジを、さりげなく二つ胸に留めている。
少しばかり余裕のあるビフロスト市民なら、誰でも真似できるようなおとなしめの姿だが、二つのバッジだけは、他の誰も身につけることはできない。アームのバッジは、自動機械製造会社として太陽系でも有数の企業、サイミントン・モーター社の社長章だし、七色のバッジに至っては、この星の最高権力者――ビフロスト自治政府主席の証なのである。
二年前に、当時の社長だった夫、レジナルドを失って以来、身を粉にするような苦労を重ねて、会社と惑星のために働いてきた結果、彼女はその地位に至ったのだった。
が、いかに偉くとも、子供の二人にとってはただの親だ。あきれた顔で口々に叱る。
「ちょっと、私の服なんか気にかけてる場合じゃないわよ。今何時だと思ってるの」
「うん、少しあわてたほうがいいかもしれない。お母さんこそ支度は済んだの?」
「私はもう済ませたから……えっ? もうこんな時間なの?」
壁にかけられた、自社製の原子時計に目をやって、フローラはあわてて立ち上がった。
「大変、急いでパッカードさんを呼ばなきゃ!」
「もう来てるよ」
ニルスが表を指差した。気密された家の壁越しに、地上車《ランド・カー》のエンジン音が聞こえた。これも自社製の、ジュピター型リムジンの水素エンジンの音を、この場の人間が聞き間違えるはずがない。サイミントンモーター社副社長のトムス・パッカードが、自ら運転する社用車を乗りつけてきたのだ。
「あらあら、ほんとに急がなきゃ。ニルス、エリゼ、サプライヤーは持った? お手洗い済ませたわね?」
「だから、母さんこそ早くしてってば……」
こめかみを押さえるエリゼの隣で、ニルスが様子をうかがうように聞く。
「ビートンさんもご一緒でいいですか。ジュピターは五人乗りですけど、後ろ三人乗ると狭いから、なんならもう一台会社から……」
「いえ、私はお留守番なのよ」
にこにこと笑いながら、アイリンは立ち上がってサンドイッチのかごを持ち上げた。
「あなたたちはもう食べてるひまはないわね。包んであげるから、車の中で召し上がれ」
「一人でうちに残るんですか?」
やや非難じみた調子で、エリゼが言った。壁の絵画のチャンネルを鏡に変えて、髪形を見ていたフローラが、背中でたしなめる。
「アイリンはしばらくうちに泊まっていかれるから。気にしないでいいわよ、エリゼ」
「家族と思ってちょうだいね」
食べ物を屋外に持ち出すための気密タッパーを差し出して、アイリンがウインクした。家族って……とエリゼが窓際の写真立てにちらりと目をやる。
そこには、笑顔の四人が映っている。
「ほら、エリゼ」
ひじを引かれて、しぶしぶエリゼは兄に従った。ニュアンスは感じている。お客様に失礼なことを言うな、という意味だろう。
「さ、行くわよ!」
フローラが先に立って、玄関のエアロックに向かう。手を振るアイリンを残して、サプライヤーをつけた三人が外に出ると、有毒のビフロストの空はそれでも薄青く晴れ上がっており、この星にしては明るい光の下、耐毒植物の植え込みの向こうに停まったリムジンと、そばに立つパッカードの姿が見えた。
歩きながらふと、エリゼが聞いた。
「そういえばお兄ちゃん……今日の式典って、なに?」
聞かれたニルスが、あきれ顔を見せる。主席の家族として公式行事に出席するのはいつものことだが、それにしても、今日の行事のことを知らないなんて、無関心にもほどがある。
「地球からお客さんが来るんだよ」
「……ちきゅうう?」
「そう。地球政府地域防衛軍艦隊、司令官デトレフ・ハーン中将!」
エリゼは空を見上げた。それから露骨に顔をしかめてつぶやいた。
「おめかしするんじゃ、なかったわ」
「こら、そんな顔しちゃいけません」
サプライヤーのマスクをつけていても、母親のフローラには立ちどころに見抜かれる。見抜かれてもなお、ぶすっとした顔のままで、エリゼはリムジンに乗り込んだ。
世界を造ったのは神だろう。どこのなんという神かは分からないにしても、無から有を造り出したのだから、少なくとも人間業ではない。
しかし西暦二二一二年から後の太陽系には、神ではなく人間が造った世界が存在する。
二二一二年、『木星解体プロジェクト』開始。
それは二百五十年以上にわたる大事業の幕開けだった。宇宙時代を迎えて大幅に増大した人口をいかにして養うか。環境改造された金星と火星だけではとうてい土地が足りない。それに対する解決策として考え出されたのが、太陽系に新しい惑星を創出することだった。それも十五個。
神ならぬ人が新しい世界を作るためには、原材料が必要だった。選ばれたのは、太陽系最大の惑星、木星《ジュピター》。地球の三百十八倍の質量をもつこのガスジャイアントを解体することが、新世界創造の第一歩だった。
火星――木星軌道間のアステロイド・ベルトから、数百万個の小惑星が木星の衛星軌道上に運ばれ、惑星を丸ごと覆うスクリーンが形成された。スクリーンは木星大気上層の水素ガスを吸引し、原子核変換を行って重元素を作り出す。作り出された重元素は次々に太陽に向かって落とされ、より低い惑星軌道に達したところで、所定のポイントに凝集させられた。ポイントの数は十五。金星、地球、火星と同じ軌道に、等間隔でそれぞれ五つずつだ。
凝集が一定量に達すると、元素はやがて、自らの質量で寄り集まり、球形の塊を形成し始める。つまり、惑星が生まれる。
それだけではまだ新世界と呼べない。できたものは呼吸不可能なガスに覆われた、荒れ果てた岩の塊だ。だからそこに大量の藍藻《らんそう》類を散布する。三十億年以上昔、二酸化炭素に覆われていた地球も、そのような植物の働きによって酸素の星に生まれ変わった。これを人工的に、加速して、再現してやったのだ。
藍藻は酸素を作り、二酸化炭素による蓄熱効果を和らげる。気温が下がり、雨が降り始め、海が生まれる。そこに遺伝子改良された他の高等植物を移植すれば、さらに気候が改良される。動物の生息できる条件が整い、様々な動物が地球から運ばれる。生態系が生まれ、育ち、ついには人間が居住できる環境が形成される。
計画開始から二百五十年。太陽系に新たな十五の世界が誕生した。はるかな過去、二十世紀の地球において、フリーマン・J・ダイソン博士が唱えた、木星解体と惑星創造の夢は、こうして現実になったのだ。
そして西暦二五〇六年の現在、「|木星の子供たち《チルドレン・オブ・ジュピター》」と呼ばれる十五の新惑星、改造された金星と火星、月、それにスペースコロニー群には、地球の人口をも上回る数の人々が住んでいる。
だが、数の凌駕《りょうが》は、勢力の優位を意味しない。二百万年前アフリカ大陸に発して、社会というものを作り始めて以来、人類は完全に平等になったためしがなく、新たな世界を作り出す力をもった二十六世紀でさえ、因習は残り続けていた。少数による多数の支配――つまり、地球による、他惑星の支配が行われているのだ。
もちろん地球側には立派な名目がある。新惑星はどれもこれも、食料や燃料、機械や情報などを、すべて自前でまかなうほどには成長していない。地球や他の惑星と相互に貿易をすることで社会を成り立たせている。その際にはいろいろな問題が生まれる。資源量の偏り、通貨価値の変動、政情不安や異常気象などによる生産物の減少。そういった問題の解決を手助けし、争いを仲裁し、輸送の安全を確保することで、地球は多大な恩恵を新惑星に与えている。そもそも新惑星を作ったのが地球だ。「我々はひなを守る親鳥だ。餌を与え敵を追い払っている。巣立ちの時が来るまでは、暖かくひなを見守らねばならない」とは、全太陽系ネットで放送された、二四九〇年代末の、J・G・ギャスリン地球政府大統領の言葉である。
この言葉には、無数の反駁《はんばく》が巻き起こった。ごく穏健な例をあげるとこういうものがある。――我々の星では、親鳥は自分の空腹をも省みずひなに餌を与えるのだが、地球の鳥類は満腹してからでないと子育てをしないようだね。――発言者は惑星ザイオンのヘラポリス大学学長ウィレム・デュボア氏。学生を前にした訓示での発言だが、これにはさらに再反論が出た。地球からではなく、学生からである。いわく、「満腹した後は寝ちまうに決まってる。ひなは腹をすかせたままさ」。名前は不明だが、赤毛の威勢のいい若者が口にしたそうである。
ところが、学生の野次は当然としても、ザイオンでも発言力のあるデュボア氏の意見でさえ、他の惑星に伝わることはなかった。惑星間通信は事実上、地球政府の統制下におかれているからである。
伝わらなかったにもかかわらず、同種の皮肉はあちこちで口にされた。そういった不満は、新惑星のすべての人々が抱いていたからだ。地球政府が行う仲介、調停、援助には、一つの例外もなく巨額の中間搾取がついて回った。資源も資金も足りず、地球の助けを求めるしかない、立場の弱い新惑星の人々は、そういった搾取にひたすら耐えるしかなかったのだ。
新惑星の人々、という表現にもさらに解剖が必要である。ピラミッドは巨大な三角形であると同時に、無数の小さな三角形の集合であるといえる。小さな三角形とは、新惑星の内部における社会構成のことだ。搾取される新惑星においても、さらに富める者と貧しい者の格差が存在した。新惑星の自治政府を構成する人々が、その小さな三角形の頂点である。惑星ザイオンには、そういう視点から見ても、典型的な例が存在した。いわゆる「| 二 十 四 家 族 《トゥエンティフォー・ファミリーズ》」である。
血縁で結ばれた彼らは、ザイオン市民であったが、同時に名誉地球市民としての称号を得ていた。その意味するところは、地球からの政治的優遇と、ザイオンでの経済的繁栄の、両方を享受できるということである。その特権で彼らは栄えた。特権の反対にあるのは冷遇である。二十四家族がクリスタルのグラスで地球産のヴィンテージワインを飲み、ペルシア絨毯《じゅうたん》の上でワルツを踊る同じ街で、大部分の人々は薄いスープと固いパンを食べる生活を強いられていたのだ。
地球、そして二十四家族、二つの重石によって凝縮された圧力は、ある日、当然のこととして爆発した。
「深紅党《コロラド》」の誕生である。二十四家族の政党「純白党《ブランカ》」に対抗する形で名乗りをあげたこの党は、前身であるザイオン青年党の活動を引き継ぎ、二五〇四年の秋、支配勢力に対するゲリラ戦を開始した。この動きの直前に、二十四家族の最有力者であった、自治政府主席アレッサンドロ・ディアスが、ザイオン独立をうたって地球政府に叛旗を翻す事件があったが、歴史の大きな流れから見た場合、それはきっかけにしかすぎない。ディアスの反抗は、搾取の否定ではなく搾取の強化でしかなかった。むしろ、それをすら呑み込んだ深紅党の活動こそが、金星や火星、そして他の新惑星の人々に自律自尊の機運を与え、太陽系全域に蜂起の火を巻き起こしたのである。
二五〇五年九月、新惑星のひとつツァーレンにおいて、反地球暴動が発生。
同年十二月十五日、新惑星より歴史があり、その分政治的・経済的なポテンシャルの高い火星政府が、独立を宣言。
さらに同月十七日、金星政府も独立を宣言した。
これを受ける地球政府も磐石ではなかった。両星の独立宣言の前月に当たる十一月、軍部によるクーデターが発生していたのだ。地球政府首都上海は、最高軍司令官デリンジャー元帥によって制圧され、元帥は軍事評議会議長と戒厳令司令官の地位に自ら就いた。しかしこれをよしとしない勢力が、十二月に入って、「反軍民主主義政府」を、地球の反対側のサンパウロ市《シティ》に樹立。さらにこれを同月末、上海軍事政権が襲撃して、八十万人の死者行方不明者を出した。世に言う「クリスマス・イヴの虐殺」である。
……西暦二五〇六年二月の太陽系は、そういった沸き返るような動乱のさなかにあった。
ザイオンの深紅党は、度重なる地球軍の進攻をことごとく退けて意気軒昂であるが、いまだ完全な独立を勝ち得てはいない。暫定的に地球の主導権を握った上海軍事政権も、太陽系中を敵に回す危険を避けて、大きな動きを見せていない。有力な第三勢力である火星、金星の首脳部は、太陽をはさんでちょうど反対の位置にある、ザイオンと地球のにらみ合いを、コロシアムの剣闘士を見守るローマ人のように、期待を隠しながら冷ややかに見つめている。
そして、他の十四の新惑星の人々も、これらのいさかいを固唾《かたず》を飲んで見守っている。
風はどちらに吹くか、次に台風の目となるのはどこなのか。ザイオンに共鳴して自らも独立を宣言するか、火星・金星の庇護《ひご》を頼って新たな連合勢力を作るべきか。それとも、いまだ最も力のある地球政府におもねり、大樹の宿り木として命運を保つべきか。
様々な思惑を抱える新惑星の一つが、ビフロストである。
その、金星軌道上に位置する、地球よりもやや小さな惑星に、数千万キロの宇宙を渡って近付いていく宇宙艦隊があった。
地球政府上海軍事政権、地域防衛軍に所属する艦艇八十隻。戦艦や巡洋艦ではなく、工作艦、輸送艦を主体として編成された、それほど戦闘的ではない部隊である。だが、新惑星の中でも富裕でない部類に属するビフロストから見れば、十分に脅威といえる力を備えた、警戒すべき軍勢。
艦隊旗艦マニトバの艦橋には、ビフロスト派遣軍司令官、デトレフ・ハーン中将が座している。
「子供の喜びそうな星だな」
それが、艦橋スクリーンで地表を見下ろしたハーンの、第一声だった。
艦隊はすでにビフロスト低軌道に進入している。この高度からでは下方視界のすべてが惑星面に覆われる。星全体を見ることはかなわないが、その代わり、山々の起伏や生い茂る植物の色まで、肉眼で確かめることができる。それらの光景が、ゆっくりとスクリーンを流れていく。
「色ですか」
「そうだ」
副司令官のエミリオ・トレントン少将の言葉に、司令席のハーンはうなずいた。
「赤だの黄色だの茶色だの緑だの……絵の具を塗りたくったようだ。あれは何の色だ?」
「鉱物ですね」
黒灰色の地球軍制服のポケットからウェアコンを取り出して、データを参照しながら、トレントンが答える。
「青は海ですが、赤は赤鉄鉱、黄色は黄鉄鉱、緑は緑鉛鉱。すべて地表に露出した巨大な鉱脈の色彩です。いや、カラフルですね。ビフロスト≠チていうのも七色の虹にゆかりの名前らしいです。……ああ、神話の虹の橋のことだ」
「カラフルといっても、全体的にくすんでいるが」
「霧じゃありませんか。陸地が入り組んでいるので海が少なく見えますが、あれでも海陸比は六対四で、水量は十分……いや、違った」
トレントンは苦笑する。
「煤煙です。煤煙や微細な鉱屑粒子が入り混じったスモッグですよ」
「煤煙? そんなものを吸ったら体に害が出ないか」
「むろん、出ます」
眉をひそめたハーンに向かって、トレントンは肩をすくめた。
「だから、この星ではオープンエアでの呼吸はできません。気圧が若干低いためもありますが、屋外に出る時には、住民はサプライヤーという道具を顔の下半分に着用しているようです。見かけほど濃い煤煙ではないので、目や肌への影響は洗浄でクリアできるようですが、長年月にわたって呼吸すると、やはり呼吸器系の病気になる恐れがあるようで……」
「ひどい星だな。よくそんなところで暮らしていられるものだ」
「避けられない副産物ですから。あの混濁大気はこの星の産業活動の結果として生まれたものです。鉱工業のね。そして、見かけだけが綺麗で、そのじつ荒れ果てた岩石砂漠の七色の地表も、産業をささえる貴重な資源であるわけですから……」
「案外、地元民は気に入っているかもしれん、というわけか」
それはどうでしょう、という言葉を、トレントンは口にせず胸に収めた。
ビフロストは最初からこれほど大気の濁った星ではなかった。地球を始めとする太陽系諸惑星からの、産業需要にこたえるために、鉱石を掘り、煤煙を放出し、機械工場を作って、自らの大地を汚してきたのだ。望んだのではなく強いられたのだから、恨みも積もっているだろう。
という洞察ができるだけの賢さを、トレントンは備えている。別の賢さもある。今考えたようなことを口にすれば、生粋の地球至上主義者であるハーンの不興を買う。言ったほうがハーンの参考になるだろうが、あえて言わないのである。別の賢さとは、忠誠心と保身を正しく天秤《てんびん》で量るだけの能力のことだ。
ハーンは視線を転じ、宇宙空間を見る。
「あれがサテライトドックだな」
光の帯となってつらなる地球軍艦艇の向こうに、巨大な筒状の構造物が見えてきた。
それはビフロスト高軌道上の、宇宙船工場だった。全長五キロメートル、容積は三十五億立方メートルにも及ぶ。内部は独立した気圧の設定できる数百の区画に分かれており、必要に応じて区画壁を組み替えることも可能である。小は十メートル程度の作業艇から、大は全長二千メートルを越える巨大な撤積船《バルクキャリアー》まで、ほぼあらゆる種類の宇宙船を建造することのできる、万能工場である。
徐々に近づき、艦隊のはるか頭上を通過していく、銀色の葉巻のようなドックを見上げながら、ハーンはつぶやいた。
「この星には不相応な代物だな」
「そうでもありませんが。ビフロストの産物は鉱物資源とあらゆる種類の機械です。ものが多種でかさばるだけに、それを輸送するための様々な船を造らなければいけないというわけで」
「自前で船を持つ必要はない」
冷淡にハーンは言ってのけた。
「連中に商品を作るだけ作らせたら、地球の船がそれを運べばいい。地球にも商船はたくさんあるし、そのうちかなりの数が余剰船腹となっているはずだ。仕事を作ることにもなる」
「ごもっともです」
いんぎんにトレントンはうなずいた。
ハーンはさらに頭上を見つめ続け、ドックとともに通過していくちらちらと光るものを注視した。艦隊はちょうどビフロストの昼の面を航行していて、ドックの背景に太陽が来ている。逆光に目を細めながらつぶやく。
「そしてあれが……ドックと地表に電力を供給するソーラーパネルだな」
よく見ると巨大なドックの周りには、短冊のような長方形のものが、数限りなく整然と並んでいた。一枚一枚はせいぜい十数メートルの差し渡ししかないだろうが、何しろ数が多い。無慮数十万枚にも及ぶだろうか。
考え事をするときの癖のようで、ハーンはまた、疑問をわざわざ言葉にして出した。
「あれだけの枚数が赤道上を回っていると、地表面の日照に問題が出るような気もするが」
「太陽光の反射率を任意に調整できるんですよ。惑星の影に入る直前では、蓄電のために吸収率を最大に上げ、昼の面では光をさえぎらないように透過する。――ほら、ご覧下さい。今は昼ですから、よく見ると向こうが透けて見えますよ」
「……ふむ、本当だ」
手をかざしてしばらくソーラーパネルを見つめていたハーンは、やがて腕を下ろし、満足そうに椅子に体を預けた。
「大体、分かった」
「閣下は、出発前にすべてのデータをご覧になったんですよね」
「見たとも。しかし、データで読むのと実物を見るのは別だ。この目で確かめずに実感を得ることはできん。――これから攻め落とそうとする星のことなら、なおさらだ」
そう言って不敵に笑い、ハーンは長い足を組み替えた。
デトレフ・ハーンは四十四歳である。東洋系の血筋を感じさせる短く切りそろえた黒髪や、黒灰色の軍服を内側から膨らませるような筋肉質の体躯《たいく》は、見るからに豪腕の軍人という印象を周囲に与える。またその通りの人物でもある。
地域防衛軍総司令官ウチダ大将のもとで、彼に次ぐ地位にまで登りつめた男だが、官僚化した地球軍の組織でしばしば見られる、世渡りと根回しだけに長けた人間ではない。実戦、それも歩兵を指揮する地上戦で武勲を立てて昇進した。四年ほど前の惑星カザフでのテロ組織鎮圧戦では、誘導兵器や攻撃ヘリまで装備していたテロリストたちを相手に、わずか歩兵二個連隊だけで圧倒的な勝利を収め、軍部内から「|黒 獅 子《ブラック・ライオン》」の異名を奉られた。
ただ、その異名の含みに気付かないような鈍いところもある。黒獅子などという子供じみた二つ名に、悪意がないわけがないのだ。この場合の悪意とは彼が勇猛すぎることに向けられている。敵は倒す。余計なことを考えずに倒す。考えようとしない理由は、地球軍の行動の正当性を盲目的に信じているからである。彼は地球に妻子がある。妻子が暮らす地球の平和のためだから、他の星を犠牲にするのは当然である。誰にも恥じることはない。――彼が倒した相手にも妻子があったかもしれない、ということには思い至っていない。
そういった欠点はあるにしろ、軍人としての有能さにかけては、一点非の打ち所のない人物だった。彼が今回の任務の責任者に推されたのも、その果断な行動力が、地球軍首脳部に認められているからである。
ハーンが派遣軍を動かすエンジンであるとするならば、副官のトレントン少将は羅針盤である。
三十六歳にして少将という高い地位を得ていることが、少なくとも無能でないことを表している。だが能力の種類はハーンと違って、前よりも横や後ろに向けられることが多い。兵站《へいたん》、通信、輸送、編成、作戦立案、その他もろもろのデスクワークが彼の務めだ。制服こそ着ているが、どちらかというと事務方のような人間である。だが、地球軍上層部にはそういった事務方のほうが数多いことを考えれば、その中で栄達の階段を高く登って来たトレントンは、むしろハーンよりも有能であるといえるかもしれない。
年齢よりも五つは若く見え、長身細身で動きは機敏。明るいれんが色の巻き毛と白皙《はくせき》の顔立ちは南欧系のものだろう。仕草の一つ一つに、観客を意識する役者のようなけれんがある。同じ軍服でも、着る人が違うとこうも雰囲気が変わるのかと思えるほど、ハーンとは対照的な印象だ。
必ずしも性格的にぴったりの二人ではない。しかし、自分にない能力を補う他人の必要性は、二人ともよく承知していた。ハーンとトレントンは互いに相手を尊重する、まずもって隙のない関係を、この星に着くまでに作り上げていた。
この二人が、兵員六万五千名と各種兵器、工作機械を擁する、ビフロスト派遣軍の要である。
眼下の目的地を見下ろす二人の耳に、艦橋オペレーターの声が届いた。
「ビフロスト軌道管制より、クリアランスが出ました。降下シーケンス開始できます」
「よし、降下開始だ」
ハーンの命により、九割ほどの艦艇が減速噴射の炎を噴出し始めた。トレントンが促す。
「閣下、天山《テンシャン》にご移乗を」
「お、そうだったな」
ハーンは司令席から立ち上がった。今回、降下するのは、艦隊の主力を占める天山やグリンデルワルトなどの輸送艦、工作艦、揚陸艦群である。宇宙空間専用の戦闘艦である旗艦マニトバや、アルバータ、サスカチュワンなどの数隻は、軌道上に残ることになっていた。
連絡艇への通路を歩きながら、ふとハーンは振り返る。
「この星の自治政府主席は、フローラ・サイミントンと言ったな?」
「ええ。それがなにか?」
「女だろう」
「ええ」
トレントンは愉快そうな笑顔になった。
「三十八歳だそうですが、ポートレートをご覧になりましたか。結構な美人ですよ。まったく、楽しみじゃありませんか」
「それを言いたかった。おい、トレントン、みっともないところを見せるなよ」
美人主席に興味があったのではなく、美人主席に興味がありそうな副官が気になっていたらしい。釘を刺されて、トレントンは肩をすくめたのだった。
惑星ビフロストの宇宙への表玄関は、首都シルヴィアナ市の郊外に位置する、シルヴィアナ宇宙港である。
表玄関、と呼ぶからには裏玄関がある。それはこの星の赤道上に建設された、全長五十キロに及ぶ超大型の軌道投射軌条《マストライバー》、| G 《ギガント》・スライダー≠セ。
巨人の滑り台という愛称で呼ばれるこの施設は、幅二十メートルのリニアレールを二本備え、無動力の二千トン級の貨物コンテナを、衛星軌道まで投射することができる。
大気圏を脱出する物資の数量としては、こちらを利用するほうが圧倒的に多い。何しろビフロストは鉱工業産物の輸出で外貨を得ている星だから、重力井戸を脱出するためのコストが、直接、惑星経済に関わってくる。いちいち貨物船を上げたり下ろしたりしていては間に合わないので、こんなものすごいものを造ったのである。
出て行くほうはそれでまかなうとして、入ってくるほうはどうするかというと、これも大部分はコンテナで降りてくる。これは昇りに使ったコンテナと同じもので、降りるだけなら強力なエンジンはいらないから、軌道速度を殺す逆噴射エンジンと、直径一キロもあるパラシュートをアタッチメントでつけている。これを赤道上各地の降下サイトが受け入れる。
中身は送り出したもの以上に重要だ。食料、衣料、消費財や嗜好品などで、ビフロストではこれらを生産できないのである。降下サイトはハブ拠点としてそれら貴重な物資を集積し、惑星各地へ送り出す。そして、コンテナはG・スライダーへと再び運ばれる。
それだけ大規模なサイクルが「裏玄関」でしかないのは、これがほとんど貨物専用のシステムだからである。当然の話で、まともな旅客なら、窓もなければ客席もないコンテナで地上に降りて来ようとは思わない。多少料金は高くとも、やはり船舶を使った降下方法を選ぶ。
しかし、そもそも、ビフロストを訪れる旅客などというものは、ほとんどいないのである。星全体が混濁大気に覆われ、あるものといったら工場と鉱山ばかりなのだから、無理もない。
だから、シルヴィアナ宇宙港は、一応は表玄関でありながら、そのじつ地球の地方空港にも劣るような、ささやかな設備しか備えていないのだった。
そのささやかな宇宙港が、この日、大騒ぎになっていた。
七十隻からの地球軍艦艇が降下してくるというのである。通常、シルヴィアナ宇宙港に発着する旅客便の数は、取り引きの締め日や決算期でも、一時間に数本という程度だ。そこへ一度に七十隻。しかも軍艦だから図体が大きい。さらに、定期便と違ってこの星の大気状態を知らないから、誘導にも手間がかかる。滑走路が足りない。停泊場《ピアー》も足りない。
管制官は一度は断った。せめて時間をずらしてくれと哀願した。しかし地球軍は聞きはしない。どうしても断るなら、そこらの平地に勝手に降りるとまで言う。何しろ軍用の艦艇は頑丈にできているから、その気になれば、面積さえあればどこにでも降りられるのだ。そんなことをされては管制もへったくれもなくなってしまう。第一、地球軍は賓客である。賓客を野っぱらに下ろしたとあっては、惑星の沽券《こけん》に関わる。
取れる手立ては一つだけだった。他の宇宙船の発着を差し止め、停まっている船をどけるのだ。
しかしそれをやれば、宇宙港が表玄関として機能しなくなってしまう。惑星外との交通が大幅に阻害されるし、旅客会社や運ばれる客からも苦情が出るに違いない。
ほとほと困り果てて、管制主任はマイクに叫んだ。
「なんとかなりませんか、当宇宙港はこの星の唯一の出入り口なんです。いかに地球軍のご指示とあっても、完全に貸し切りにしてしまうわけには参りません」
すると、それまで応対していた地球軍オペレーターに代わって、上官らしい青年が通信画面に現れた。
「我々が欠航便の会社と旅客に対して、賠償をしましょう。各社の責任者にそう伝えて下さい」
「しかし、お金でどうこうできない重要な用件の旅客もいるのですが……」
「では、そういった方は我が軍の艦艇で運んで差し上げます」
「ち、地球軍の船で?」
「ご不満ですか。我が軍の艦艇はすべて万全の整備が行われていて、安全面の不安はまったくありませんが。や、多少乗り心地の悪いのは、我慢していただくしかありませんけどね」
「し、しかし……」
「遠慮は無用です。我が軍はこれから軍用の定期便を設置する予定ですから。何しろ長い滞在になるので」
「あんたそんなことを言って、宇宙船の欠航補償額がどれほどになるか分かってるんですか? いくらここの旅客が少ないと言っても、一隻十万クレジットじゃきかないよ。第一、あんたにそんな権限があるの?」
「ビフロスト派遣軍副司令官の保証じゃ、信用が足りませんかね」
「副指令……」
青年のことを、せいぜい通信部門の指揮官ぐらいに思っていた管制主任は、絶句した。するとこの人物は、駐ビフロスト全権大使にも匹敵する地位の、要人中の要人なのだ。
「いえ……そのような方の保証ならば……しかし……」
もごもごとつぶやいた管制主任は、職業意識を奮い起こして抵抗した。
「旅客便の差し止めはそれでいいとしても、地球軍の誘導に関しては保証ができません。当宇宙港の誘導設備は、こんなに多数の船舶を一度に誘導できる能力がありませんし、軍艦とは規格も違うので」
「主任!」
だしぬけに女性管制官の一人が振り返って叫んだ。
「管制レーダーが使用不能になりました! 周辺空域の監視ができません!」
「なんだって? 三系統全部か?」
「同周波で強力な電波妨害が行われています。マスキングされて何も見えません!」
「何事だ、電子テロ行為か!」
「ああ、そりゃ妨害じゃありません」
なんでもないような口調で、画面の中の男が言った。
「そちらの誘導設備に、必要なキャパシティがないことはわかっています。だから、我が軍の艦艇に誘導を肩代わりさせました。すみませんね、レーダーが強すぎてそっちのバンドを埋めちゃってるようです」
「あ、あなた方が?」
「ええ。まずその艦を先に下ろします」
まるでその言葉とタイミングを合わせたように、強力な軍用エンジンの咆哮《ほうこう》が管制塔に覆いかぶさって来た。窓際に視線を走らせた管制主任たちは、うめく。
「あれが……地球軍の船か……」
無数のアンテナや識別灯を振りたてた、黒光りする鋭角的なシルエットの軍艦が、有無を言わせぬ動きで宇宙港の上空に進入し、降下を始めていた。
「通信情報艦アコンカグアです。以後、シルヴィアナ宇宙港の管制は、すべてその艦が引き受けますから、まあ、あなたがたはお茶でも飲んでいて下さい」
片手を立てて気障《きざ》っぽい敬礼をすると、男は画面から消えた。
ビフロストに軍艦はない。滅多に見ることのない、戦いのために造られた船の姿に、管制官たちは圧倒された。
アコンカグアの誘導を受けて、地球軍の巨艦が次々と天空から舞い降りてくる。管制塔を飛ばして直接指示が行ったものか、他の民間船舶がエプロンを移動し、場所をあけ始めた。管制主任の通信卓が呼び出し音を上げる。画面に現れたのは、地球軍の受け入れ準備を進めている、ビフロスト自治政府の外務スタッフだ。
「宇宙港管制塔ですか? 地球軍がすべて到着するのはいつごろになりそうですか」
「ええ、それは……分かりません」
「分からない?」
「彼ら、こっちの助けを借りずに全部自分たちでやるって言うんですよ。回線をつなぎますから、向こうに直接聞いて下さい」
アコンカグアにラインをつなぐと、管制主任は手持ち無沙汰に辺りの機器を見回した。
「なんにもしなくていいのか……」
「主任、どうします?」
部下に聞かれて、主任は首を傾げた。
「どうしますって、レーダーも使えないんだから、黙って見ているしかないだろう。屋上に出て手旗でも振るか?」
「なんだか腹が立ちません? こっちの言い分も聞かずにどんどん進めちゃうんだから」
「さあ、怒るほどのことはないんじゃないか」
主任は思い立って、旅客船運行会社のいくつかに問い合わせてみた。結果は感心するほかないものだった。すでに各社には、地球軍からの状況説明と、補償に関する提案が届いていた。あの副指令の言葉は嘘ではなく、事務処理の速さも水際立っているようだった。
「きちんと埋め合わせをしている。むしろ驚くよ。思ったよりも地球軍って気前がいいんだな」
「でも私たち、お払い箱なんじゃありませんか」
「そんなことはないだろう。彼らが去れば、また業務が復活するんだから。天から有給休暇が降って来たみたいなもんだ。しばらく骨休めをするとしよう」
管制官たちは顔を見合わせ、笑った。
だが、同じ知らせを聞いても、笑わなかった人間がいた。
「地球軍が宇宙港の管制を肩代わりした?」
シルヴィアナ市の中心部に位置する、自治政府政庁ドーム。その大ホールで、歓迎のレセプションが行われることになっていた。飾りつけられた演台の前にテーブルが並び、軽食とソフトドリンクが出ている。ただ、七分ほど入っている客は、まだ誰一人として食事に手をつけてはいない。宇宙港から政府専用車でやってくるはずの、地球軍要人たちを待っているのである。
外務部局のスタッフから連絡を受けたのは、iグラスをかけた長身の男、サイミントンモーター社のパッカード副社長である。額に手を当てて少し考え込んでから、早足で中央のテーブルに向かう。
そこには、自治政府の主要なメンバーが顔をそろえていた。それぞれが別々の会社に属する役員たちだが、ここでの立場は政府閣僚である。その真ん中にいたフローラに、パッカードは近づいた。
彼の耳打ちを受けて、フローラが小首を傾げる。最近の彼女の特徴的な仕草である。あまり驚いたり叫んだりせず、明確な反応を示さないようになった。代わりに表情を変えたのは、そばに付き従う双子の兄だった。
「宇宙港をね……なるほど、もう最初の一手を打ってきたか」
「なに、どしたの?」
エリゼが首を突っ込むようにして聞く。そのおでこを押し戻して、ニルスはささやいた。
「お金を払って民間船の発着を差し止めて、管制も自前で引き受けたんだって」
「あら、お行儀のいいことじゃないの。事故とか起こらないようにしたんでしょ。よその家にお邪魔するときは、ちゃんと自分で門を開けて車を入れるってわけね」
「エリゼ、幸せだよねえ」
「……なによ、その馬鹿にした目つきは」
妹ににらまれると、ニルスは周りの大人たちをちらりと見てから、エリゼの耳たぶをつまんで、さらに小さな声で言った。
「あのね。ある施設の通常業務を停止させて、自分たちだけの用途に使うことって、普通はなんて呼ぶ?」
「……占領?」
「正確な意味で、正解」
エリゼはすみれ色の瞳を見開いた。
「占領ですって? なによそれ、地球軍は戦争しに来たの?」
「しーっ、静かに。他の人たちを刺激しないでよ」
口を塞いで言い聞かせてから、ニルスは続けた。
「戦争じゃないよ。戦争する気なら、軌道上から爆弾でも隕石《いんせき》でも落とせば済むことだもの。僕たちに対抗手段はない。一日で全滅さ」
「全滅って……よくそんな怖いこと平気で言えるわね!」
「それを聞いて怖いって叫ぶのは想像力が足りないな。僕たち新惑星の人間は、普段からいついかなる時にそういうことをされてもおかしくない状況で、ずっと暮らしてるんだから。僕はむしろ、戦争を仕掛けてこない理由のほうが怖いよ。彼らが暴力だけに頼る、単純な人間じゃないってことだから」
「暴力に頼らないんだったら、怖がる必要はないと思うけど……」
エリゼはやや声の調子を落としてつぶやく。
「宇宙港の占領だって、料金を支払ったんでしょ? それを占領って呼べるの?」
「規則に照らしたら、呼べないと思う。いや、だからよけい手強いと思うんじゃない。いい、彼らはまだ、何一つ法律にも条約にも反することをしてないんだよ。にもかかわらず、ビフロストの生命線の一つである宇宙港を、使えなくしちゃったんだ!」
エリゼはしばらく兄の目を見つめ、やがて、冷静な顔でうなずいた。もともと彼女も、頭の回転の鈍い少女ではない。
「……そうか。それ、相当なタヌキがいるわね」
「うん。よっぽど注意しないといけないよ」
二人が深刻な顔で額を寄せ合っていると、そばにいた、あごひげ顔の小太りの男が、ニルスの肩に手を置いた。
「えらく心配性だね、君たちは」
「あ、聞こえちゃいましたか」
「聞こえたとも。しかし安心したまえ、わしがこの腹でせき止めた。後ろの連中には聞こえていない。――また、聞かせるような話でもないね」
太鼓のような腹をぽんと叩いて微笑んだこの男は、エメット・アーレンバーグという。自治政府議会の議長を務める、古株の政治家である。と同時に、ビフロストの企業群のひとつ、金属精錬会社のフォーチュンメタル社の会長でもある。
「彼らはあくまでも、無政府主義者の蜂起に備えて、この星の警備を強化するためにやって来たんだ。言わばガードマンだよ。あまり悪く言うものじゃない」
「でも、アーレンバーグさん。ガードマンが宇宙港を軍艦で一杯にして、占領する必要なんかあるんですか?」
そう言ったエリゼは、自分の言葉の別の意味に、改めて気づいた。
「そんなにたくさんの軍艦をよこすこと自体、おかしいじゃないですか。なんに使うの?」
「私たちから見れば大艦隊でも、地球政府にとっては、案外おつかいに出した子供みたいなものかもしれないよ。何しろ地球軍の総兵力は一千百万もあるんだから」
「そんなの、のんきすぎるわ」
「さっきはエリゼのほうがのんきだったけど……」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
ニルスの横槍にというよりは、現状認識の遅れていた自分に、少しばかり腹を立てたらしい。勢いよく言い返して、エリゼはアーレンバーグに向き直った。
「忘れたんですか? 二年前の議会爆破テロは、地球軍の――」
「こら!」
厳しい顔つきになって、アーレンバーグがたしなめた。横目で他の人間の様子をうかがいながら、声をひそめる。
「……エリゼちゃん、滅多なことを言うものじゃない。あの事件の犯人は、結局分からずじまいだったじゃないか」
「でも、同じ日に地球からの要注意人物が市内に来ていたって――」
「それにしても、そいつがやったという証拠はない。さあ、あまり物騒なことを言わずに、おとなしくしていておくれ」
話が詳しいところに踏み込むのを避けるように、アーレンバーグは唇に指を押し当てて、その場を離れていった。なによ、とエリゼは腕組みする。
「子供扱いしてくれちゃって」
「かばってくれたんだよ。今の話、かなり際どいからね。確かに、こんなに人の耳の多いところで話さないほうがいいと思う」
「お兄ちゃんはどう思ってるの。地球軍が、父さんを――」
「エリゼ」
燃えるような瞳を向ける妹に、ニルスは手のひらを立てて見せた。
「それは、言う必要ないでしょ。僕がエリゼと違う気持ちだと思う?」
「……そうだったね」
エリゼはやや語気を収めた。ワンピースの裾をつまんで、つまらなそうに片足を蹴り上げる。
「議会の人たちも同じように思ってくれればいいのに。みんな、忘れちゃったのかしら」
「忘れてはいない」
「あ」
二人が背後を振り返ると、パッカードが立っていた。この男はあまり気配というものを感じさせない。それに口数も少ない。
少ない分、一言ひとことに重みがあった。
「蓋をしておきたいんだ。思い出せば、怖くなる」
「そうか……」
二人は、パッカードの言葉の含みを汲み取った。皆、分かっているのだ。笑顔の地球軍が、背中に鋭いナイフを隠していることを。だが、下手に刺激しなければその笑顔が続くかもしれない。ことに今回は、いつにもまして好意にあふれた笑顔を、地球軍は見せている。それにすがりたいのだろう。
「このまま何も起こらなければいいけど……」
「そうだね」
二人は本心からうなずきあった。
ホールの入り口がざわめいた。パッカードがiグラスに手を当てて、投影されたメッセージを読み取る。顔を上げて、そばでずっと沈黙していたフローラに声をかけた。
「社長――いえ、主席。間もなく、司令官閣下が表に到着なさるそうです。お出迎えを」
「分かりました」
フローラが歩き出し、閣僚たちがそれに続いた。双子たちも遅れずについて行く。
政庁ドーム前のロータリーには、この日のために、合成繊維製のアーケードが設置されていた。簡単な張り出しテントのような構造である。出入り口は開け放しで、地上車をそのまま受け入れることができるが、エアカーテンの働きで煤煙を含んだ外気を防ぐ。混濁大気に慣れた惑星住民なら、駐車場からドームまでサプライヤーを装着して歩くことをいとわないし、急ぐ時などは息を止めて走ってしまうこともあるのだが、惑星外からやってきたVIPにそんな面倒をさせるのは、少々まずかろう、という配慮である。
一同がそのアーケードの下に整列すると、黒塗りの地上車が滑り込んできて、停まった。
駆け寄ったパッカードが開けたドアから、地球人たちは悠然と姿を現した。
好奇心に満ちた瞳を動かして周囲を観察する、長身の青年。
そして、口元を引き締めてまっすぐな視線を向ける、逞《たくま》しい体つきをした、黒髪の壮年の男。
ビフロスト人が進み出てそれを迎える。
結い上げた金髪も美しい、物静かな様子の女。その血筋を感じさせる、よく似た顔立ちの少年と少女。
遠く離れた星の両者が、最初の言葉を交わした。
「ようこそ、ビフロストへ。惑星自治政府主席、フローラ・サイミントンです」
「地球政府地域防衛軍、ビフロスト派遣軍司令官、中将、デトレフ・ハーンだ」
「副司令官のエミリオ・トレントンと申します。階級は少将です」
フローラが差し出した右手を、ハーンは力強く握り締めた。ついでトレントンが、手にとったフローラのしなやかな手の甲に目をやって、わずかに視線を上下させたが、結局軽く握って済ませた。接吻《せっぷん》をしたものかどうか、という逡巡《しゅんじゅん》だったらしい。
ハーンがフローラの傍らに目をやる。
「そちらは? ビフロスト自治政府には、そんなに若いメンバーがいるのかね」
「失礼しました。さ、二人とも」
フローラに促されて、やや緊張した面持ちで、二人が挨拶した。
「サイミントン家長男、ニルス・サイミントンです」
「サイミントン家長女、エリゼ・サイミントンです」
「双子だね」
トレントンが親しみのこもった笑みを見せる。どう返事をしたものか戸惑った様子を見せたのはエリゼで、ニルスは、ええ、と微笑み返した。
ハーンは困惑したらしい。
「家族、ということは了解した。しかし、なぜここに……」
「あら……失礼いたしました」
頬に片手を当てたフローラが、柔らかく微笑んだ。
「ビフロストの人間の間では、社員よりも、当主の家族の紹介をするのが通例なんですの。お気に障りましたら、お詫びしますわ」
「社員?」
「ええ。ご存知かと思いますが、ビフロストの政府閣僚はすべて、この星の基幹産業の経営陣が兼任しているのです」
「……なるほど、そう聞いている。ビフロストは、政府も含めた一星まるごとが、巨大複合企業《コングロマリット》として成り立っていると」
「ですから、この星の当主として、一番の家族を紹介させていただきました」
静かに言ったフローラの顔を、しばらくハーンは見つめた。やがて一度目を閉じ、開くと共に、ひとりごとのように言った。
「やはり、目の当たりにしなければ分からないものだ」
「はい?」
「なんでもない。丁重な出迎えに感謝する」
「おいおい閣僚の紹介もさせていただきますわ。まずは中へ、長旅でお疲れでしょうから、ささやかながら宴席を設けました」
「うむ」
フローラの先導を受けて、ハーンは歩き出した。後に続こうとしたトレントンが、斜め後ろを歩いてくる男に気付いて、振り返った。
「おっ……?」
パッカードである。彼とトレントンの間で、視線の交換があった。
しかし、それが言葉の交換になる前に、ビフロスト人の方が視線をそらした。短いやりとりであり、周囲の人間は気付いていない。
レセプション会場の大ホールに入ると、再びフローラが気配りを見せた。
「こんな時間ですから立食ですけど、ご希望なら椅子をお持ちします。その後で、ご挨拶などしていただければ……」
「いや、挨拶は最初に済ませておこう」
そういうと、ハーンは案内も請わずに演台に立った。軍人らしく、前置きを短く済ませて、実務的な口調で話し始める。
かに見えたが、意外なことを言った。
「お集まりのビフロスト人の方々、私が派遣軍司令官のハーンだ。まずはこの歓迎に対して、礼を言う。――正直に言って、卵をぶつけられることも覚悟していたのだが、方々が食べ物を大切にする習慣だったのは、何よりだ」
反応が一拍どころか三拍ほど遅れたのは、仕方のないことだったろう。決して謹直一辺倒でないビフロスト人にしても、まさか警戒すべき相手である地球軍の、それも木石ばりに生真面目な様子のハーンに、開口一番やらかされるとは思っていなかった。
湧いた。必ずしも冗談そのものに笑ったわけではなかったが、意外に話せるかもしれないという期待ゆえに、列席のビフロスト人たちはさざめいた。
「本職と隷下の部隊は、ご承知の通り、ビフロストを不逞《ふてい》な無政府主義者どもから守るためにやってきた。惑星ザイオンでの事件は、方々も聞き及んでいることと思う。あれは無産階級のしでかした、惑星社会を混乱させる騒ぎだ。この席の方々は、ビフロストの、あえて言えば支配階級に属している重要なメンバーだろう。ザイオンと同種の騒ぎが起これば、方々も石もて追われることになる。それを防ぐための我々の出動なのだから、十分な協力を期待できると思うが、どうだろう。――もちろん小石を投げられる程度のことなら、本職一人で立ち向かって見せるが。見ての通り腕っぷしには自信がある」
今度は誰もが遅れずに笑った。だいぶ和んだ雰囲気の中で、ハーンが口調を変えず続ける。
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「とはいえ、まさか本当に、投石程度の抵抗しかないと想定しているわけではない。ゲリラというものは、どこからどうやって武器を手に入れるか分からん。こちらが驚くほどの重武装を整えていることもあるものだ。だから我が部隊は、ビフロストにおいて、装備のいくらかを現地調達して、ゲリラに対抗する計画を持っている」
まだ笑っている人間もいたが、口を閉じた者が出た。
「具体的には、ビフロストの工業設備の使用に関して、いくらかの便宜を図ってもらいたい。人手までは必要ない、運用は我が部隊の工兵が行う」
全員が押し黙った。まだはっきりと理解したわけではない。しかし、とにかく何かをよこせと言われていることは、誰にも等しく感じられたのだ。
やや長いハーンの言葉の空白を受けて、議会議長のアーレンバーグが発言した。
「司令官殿。それは、我々に無償奉仕をしろとおっしゃっているのですかな」
「いや、とんでもない。相応の謝礼をする用意は、もちろんある。設備リース業界の基準に照らしても、十分な額だということは、地球軍の名誉にかけて保証する」
一度収まったざわめきが、再燃した。笑いではなく、戸惑いの声が多い。そのざわついた空気の中で、ハーンが短く結んだ。
「お疑いの点もあろうが、本職と部下は、市民の安全のために行動することを最重要の任務としている。これだけは信じてもらいたい。――以上だ」
そう言ってハーンは演台を離れようとした。その時、よく通る澄んだ少年の声が、座に走った。
「閣下、一つ教えて下さい。地球軍が必要とする工業設備とは、どんなものですか?」
振り向いた軍人の鋭い視線が、ニルスをまっすぐに射た。エリゼは、つかんでいた兄の腕の、細かな震えを感じる。だが同時に、目を逸らさない兄を、頼もしくも思う。
地球人は答えた。
「鉱山、工場、軌道投射軌条、それにサテライトドック。――およそそんなところだ」
ハーンは演台を離れ、一群のビフロスト人のもとへ向かった。そこには、先ほどのアーレンバーグを始めとする人々がいた。ニルスたちが見ていると、その一座に笑いが巻き起こった。また何か、ハーンが冗談を言ったらしい。人々が望んでいた、不安を打ち消すような言葉を。
エリゼも、戸惑いながらも、笑いかけた。
「極悪非道のギャングってわけじゃ、なさそうね」
「うん。……ギャングのほうがまだましだ」
「え?」
振り向いたエリゼの横で、ニルスは神経質にこめかみの巻き毛を引っ張っている。
「鉱山に工場、軌道投射軌条にサテライトドックだって」
「それがどうかしたの。ビフロストの工業設備の例を適当に上げただけじゃない」
「適当に、なんて表現をあの人がすると思う?――違うよ、あれは、あるだけ全部っていう意味だ」
「ぜ、全部?」
エリゼは息を呑んだ。ニルスは難しい顔でうなずく。
「来るなり宇宙港を手に入れちゃったことといい……あの人は、怖い人だよ」
「そうね」
言ったのはフローラだった。エリゼは母の顔を見上げる。
「母さん……母さんは分かる? あいつが何をしようとしているのか」
「私が気になったのはね、市民っていう一言よ。立派な言葉ね。――どこの、っていう指定が抜けてはいるけど」
「どこ……って」
「あなたたち、無理しすぎ」
二人の子供に、作り物でない笑顔を向けると、フローラは手を振って歩き出した。
「軍人さんのお世話は私がするわ。ニルス、あんまり考え込まないで任せて」
「お母さん……」
「行きましょう、パッカードさん」
地球人たちのもとへ歩いていく母親の背を見つめて、二人は顔を見合わせる。
「考え込むなだって」
「任せる?」
「そんなわけないでしょ。あのぼんやり母さんに任せておけるわけないじゃない!」
「じゃ、作戦会議だ。一足先に帰ろう」
手を取り合って二人はホールを出て行く。
その姿をじっと見つめる、地球人の青年将校の視線には、さすがに気づいていない。
……西暦二五〇六年二月。後に虹色戦争《レインボウ・ウォー》と呼ばれることになる、ビフロスト独立戦争の立役者たちが、こうして舞台に集まった。
美しい名に反した荒涼たる大地に、ビフロストの人々は暮らしてきた。その過酷な環境の中で生き延びるために、彼らは身を寄せ合って生きてきた。
だが、大地の過酷さよりも非道な嵐が迫りつつあることに、まだ彼らは気づいていない。
たった四人の男と女、少年と少女を除いては。
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第二章 閃緑の若葉
たとえ借り物ではあっても、四年の年月を過ごした土地から他人によって追い払われれば、多少は不愉快に思ってもよさそうなものだが、デグワ大使はきわめて上機嫌な様子だった。
「任務、ご苦労様でした。これからは本職があなたの代わりを務めさせていただきます」
地球政府ビフロスト大使館のホールで、ハーンはそう言って敬礼した。向かいに立った長身の大使は、黒檀《こくたん》の色の頬をゆるめて、鷹揚《おうよう》に手を振った。
「後を頼みます。正直言って、この星には少々うんざりしていたのでね。大使の地位と引き換えにしてでも、地球本星に戻りたいと思っていました」
「それほど暮らしにくい土地でしたか」
「ええ、それはもう。……本星の企業が進出している他の新惑星と違って、ビフロストの企業は、まがりなりにも自己資本でやりくりしているでしょう。税一つかけるにしても、やりにくくてかなわんのです。毎日のパンを誰がくれてやっているかも忘れて、ここの人間は分不相応な権利を要求するものですから」
いささかならず独善的な台詞だったが、デグワ大使は恥じ入る様子もなく、ハーンも顔をしかめたりはしなかった。これが普通の地球人の認識なのである。
「ここの人間が、ここで造られる機械と同じぐらい従順だったなら、私もあなたにこの大使館を譲ったりはしなかったのですがね……」
「サーバント・サーキット≠ヘ、あいにく人間に取りつけることはできませんからな」
ハーンは冗談を言った風でもなく、うなずいた。
「電子機械で人間を操ることができなくとも、地球は武威をもってこれを治めます。大使、後はお任せ下さい」
「頼みます」
握手を交わすと、大使は随員と共にドアを出て行った。
地上車《ランド・カー》の音がドームから遠ざかっていくと、ハーンはつぶやいた。
「これで、我々の急所はなくなったな」
「ザイオンでのように、反乱勢力に文民を人質に取られては、たまりませんからね」
トレントンがわけ知り顔でうなずいた。
大使を地球へと召還したことは、地球軍の進める計画の一端だった。この措置によって、ビフロストに残る地球人は、すべて武装した軍人だけになり、襲撃の危険を未然に回避することができるようになった。それだけではなく、ハーンが一元的にその指揮を執ることで、命令系統の重複による混乱や、情報の漏洩《ろうえい》が避けられるというわけだ。
唯一の懸念は大使が召還を拒むことだった。地球政府の内部は決して一枚岩ではなく、利害関係が複雑にからみ合っているから、そういうことも考えられたのだが、これも、デグワ大使が帰還を認めたことで、すんなりと解決できた。
引き継ぎが一段落すると、ハーンはトレントンをつれて表門を離れ、通用門へと向かった。そこでは、宇宙港に着陸した艦艇からやってきた兵士たちが、通信機やコンピューターなどのさまざまな機器を運び込んでいる。大使館を、そのまま派遣軍の地上本部にする手筈だった。
手際よく作業を進める兵士たちを見回りながら、ハーンが尋ねる。
「本部の設営はいつ頃終わる?」
「明朝には完全な運用を開始できます。通信設備だけなら深夜前にでも」
「指揮系統には隙を作るなよ。ビフロスト人どもに傍受されることだけは、絶対にあってはならん。部隊のほうはどうだ」
「第五十一から六十九までの工兵大隊は、ビフロストへの環境調整を終えて、すでに準待機態勢をとっています。気圏輸送機の組み立ても順調に進んでいます。歩兵戦闘車はNBC防御装備で外気に影響されませんし、現地地図を指揮システムへマッチングさせる作業はまもなく完了しますから、車両による展開はすぐにでも可能です」
「気負ったな。準待機は解いていいぞ。まさか今日中に進攻命令を出したりはせん」
ハーンは満足そうにうなずいて、本部司令室となる大使館の大広間を離れた。
大使執務室に入って、地球産の銘木のデスクにつく。トレントンが適当に棚をあさって、琥珀《こはく》色の液体の詰まった瓶を見つけ出した。
「ジブラルタルの三ツ星か……閣下、大使殿はかなり肥えた舌の持ち主だったようです。せっかくの置き土産ですから、いただきますか?」
言ってから、手を引っ込めた。
「勤務中にアルコールは、まずいですかね」
「いや、もらおう」
ハーンはにやりと笑って言った。
「どのみち、まだ我が軍は動けん。軍事侵攻したわけでもない軍隊が、自治政府にことわりもなく展開するわけにはいかんからな」
「ビフロスト議会が正式に許可を出すまでは、というわけですね」
「もしくは、正式に拒否するまでは、だ」
一瞬、ハーンの眼差しは、二つ名の通りの、飢えた獅子のように剣呑《けんのん》なものになった。自治政府が地球軍の要求を拒めば――拒まないときと同様に、だが――配下の部隊は、迅速で容赦のない行動を始めることになる。
トレントンからグラスを受け取りながら、ハーンは愉快そうにつぶやいた。
「さて、連中はどういう判断を下すかな……」
二月二十八日、ビフロスト自治政府臨時議会の議題は、地球軍への協力方針の決定である。
定数百三十名の議会に、定数通りの全員が顔をそろえたことが、今日の議題に対する皆の、並々ならぬ関心の高さを表していた。中には、週一回必要な人工透析の当日に当たるにもかかわらず、自走式のメディカル・チェアを自ら駆って、まさに透析を行いながらやってきた、デイヴィッド・コーエン議員のような人もいる。
関心は高いのだが、具体的な考えがあるかというと、それがあまりないのだった。地球軍の提案が意外なものなので戸惑っているのだ。内閣ブースに立った産業大臣のフタバ・レイジ議員の説明も、歯切れが悪くなりがちである。
「今朝ほど、地球軍から工業設備賃貸についての素案が届きましたが、その内容はかなり多岐にわたっています。フォーチュンメタル社、ミナテク社、| V  P 《ビフロストペトロリアム》社……ええと、要するに鉱山設備の各社と、コスモホート社、| S  M 《サイミントンモーター》社、ドールテクニカ社などの機械製造工場、それに自治政府の所有する設備……つまり、G・スライダーとサテライトドック、ですか」
「大づかみすぎて、よく分からんのだが……各社の設備のどれほどを貸せと言っとるんだ」
初老のコーエン議員の言葉に、フタバ大臣は背後の産業省スタッフと相談する。
「各社共通して、生産額比率で十五パーセント、稼働時間に換算すると十パーセントほどですね」
「リース料は時間計算で?」
「生産額ベースでの計算だそうです。つまり、通常のリースよりも我々に有利なわけです」
「けっこうな話じゃないか」
ミナテク社専務のシンガルバット議員が、人を食った笑みを浮かべて言った。
「我が社は、すべての設備を常時百パーセント稼動させているわけじゃない。遊休設備は常に存在する。そいつを貸して金をもらえるなら、御の字ってものだ」
「あんたのところは鉱山だからそんなことを言ってられるが、うちはそうもいかん」
工業用ロボットを製造するドールテクニカ社の社長、セベルスキイ議員が顔をしかめる。
「ロボットの製造ラインは長期計画に合わせて最適化してある。もちろんうちにも余剰設備はあるが、それだって点検や次のライン組み替えのために空けているんだ。いきなりその一部を使いたいと言われても、それはカーラジオが使いたいから地上車を貸せというようなもので、そこだけ貸してやるってわけにはいかんのだ」
「だったらどうする。うちは手一杯ですと断るか」
「できるものならそうしたいところだな。うちの財務状態は健全で、おたくのミナテクみたいに、前期配当が三割減なんてどじはやらかしてない。予定外の入金に頼らずともやりくりできる」
「なんだと、あんたはうちを物乞い扱いするのか? 相手が地球軍でも、商売は商売だろう」
「議長」
短く言ったのは、主席壇のフローラである。アーレンバーグ議長がうなずいて、木槌を鳴らす。
「静粛に。二人とも、言葉を慎んで下さい。それに私的な事情を持ち込むのはやめてほしいですな。議会は商談の場ではないのですから」
聞き分けのない子供に説教するように、議長は言い聞かせた。
「我々は、誰一人、どの一社として、単独でやっていけはしないのです。ビフロストの企業群はすべて、血を分けた家族だ。――そのことを、いま一度思い出していただきたい」
二人の議員は、粛然と頭を垂れた。
それは、アーレンバーグに言われずとも、この場の全員が心得ていることだった。
ビフロスト、鉱山と工場の星。その人口は千三百万人と、地球の一州にも及ばないほど少なく、政治的な力も皆無に等しいが、こと、高度自動機械、電子機械の製造輸出に関しては、この星は太陽系でも有数の生産高を誇っているのだった。
ビフロストが提供する、地上車、歩行機械、航空機部品、医療機械、産業用工作ロボット、土木建設重機、小型水上船舶、ウェアコンやデータボードなどの、技術集約的な工業製品は、太陽系全域の需要の、実に五十パーセント近くを満たしている。
もちろん地球や他の惑星にも、自前の電子機械企業は存在するが、それらの多くは、その星に合わせた仕様の、その星でしか造れない製品を提供する企業であり、汎太陽系的な共通規格の製品に関しては、ビフロストが|事実上の標準《デファクト・スタンダード》を提示していると言っても過言ではないのだった。
しかし、赤道半径が地球の八割ほどにしかならない、このちっぽけな星がそれだけの市場占有率《シ ェ ア》を築き上げるためには、代償が必要だった。
それが、この星を覆う混濁大気に象徴されるような、惑星全域の工場化だった。
ビフロストの機械は、品質の割りに圧倒的に安い。それは経費が安いからである。原材料費が安い。鉱山で、爆薬で山を丸ごと吹っ飛ばすような、手間のかからない掘削方法を取っているからである。土地代も安い。農地がないからである。工場の稼動費用も安い。排水、排気の浄化をしていないからである。電力も安い。惑星大気を電離させてしまう、衛星軌道の発電パネルからのマイクロウェーブ送電を、無制限に行っているからである。
その代わりビフロストでは、農地を作って食料を生産することができず、緑化を進めて景勝地を造り、観光客を招くこともできず、それどころか住民がシャツ一枚で表を散歩することもできない。
他の星が、可住惑星に必要な要素として備えている、様々なものを切り捨てることで、ビフロストは工業惑星としての地位を手に入れたのである。
さらに言えば、この星では人件費も安い。
惑星住民が、一人残らず工業企業に従事しているからである。
賃金は、事実上支払われない。クーポンの形で支給される。それと交換で、住民は生活必需品を得る。言わば配給である。クーポンを支給するのも会社ならば、必需品を支給するのも会社だから、間に余計なマージンがつかず、結果として費用は安くなる。その代わり住民は、パンの種類を選ぶことも、服の柄を変えることも、自由にはできない。
そういった企業化の極めつけが、ビフロスト自治政府である。
ビフロスト自治政府は、ビフロストの経営陣なのである。単に各社の首脳が政治家を兼任しているだけにとどまらない。自治政府すべてが企業群の互助で成立している。
議会は経営者たちによる合同経営会議と同義だ。内閣や各省の行政組織は、各企業総務部門の分散処理で運営されている。裁判所は各社法務部門、警察は警備部門の兼任だ。徴税と福祉の財政サイクルは言うに及ばない。社会保障は、すべて会社によって行われている。
それもこれも、合理化のためだった。必需品を星外に頼るビフロストでは、無駄は許されない。政府と企業を他の星のように別々に運営することは、資金的にも人的にも時間的にも無駄である。だから、ビフロスト人は会社に星を治めさせてしまったのである。
それが、アーレンバーグの言葉の意味だった。
そしてその言葉には、苦い自嘲《じちょう》も含まれている。そこまでして切り詰め、そこまでして助け合わなければやっていけない、この星の苦境への自嘲だ。
皆そのことは分かっている。それが、十九世紀に帝国主義の国々が行った、植民国家の使役にも等しい、地球による時代遅れの搾取であることも分かっている。
分かっていてもなお、苦しいことには違いない。恨むべき地球からのものではあっても、餌が差し出されれば、甘んじて手をつけたくなるのだった。
「受け入れるしかないんじゃないかね」
メディカル・チェアにかけたコーエン議員が言った。
「地球軍の指示にしては穏健な内容だ。渡されるコインのきれい汚いを考えるにしても、もともとわしらは彼らの作った料理を食べて暮らしておる」
「コーエンさん」
その時、フローラが立ち上がった。
「売ったのはあくまでも、私たちが汗を流して造った製品です。誇りと引き換えに食べ物を買っているわけじゃありません」
「その製品にしてからが、誇れたものでもないだろう」
コーエンは片手を挙げた。その腕にはカテーテルが刺さり、彼の座るメディカル・チェアにつながっている。主人の体調を監視しながら全自動で人工透析を行うばかりか、指一本の指示で自在に動いて階段さえ登る、すぐれた医療機械だ。
だが老人は、そのチェアの操作パネルに指を当てて、悲しそうにはじいた。
「これはわしのコスモホート社の製品だが、中枢の部品はうちが造ったものではない。地球のテーグ高等研究院のコアユニットを積んでおる。うちばかりではない、ビフロストの自動機械には、すべて地球製のコアユニットが組み込まれておる。あんたのサイミントンモーター社の地上車にもな。忘れたわけじゃあるまい」
「……ええ、サーバント・サーキットは全製品に実装されています」
「ビフロストの製品は、文字通り地球の従僕《サーバント》≠セ。わしらがこの手で作っているというのにな……」
コーエン議員は首を振り、議員たちもうなだれた。
何につけ支配権を見せつけなければ気がすまない地球が、ビフロストによる工業製品の寡占を許しているのも、サーバント・サーキットという切り札を持っているからだった。
それは一見して、炭素結晶で成型された、小指の先ほどの小さな回路でしかない。だがそれを造ったのは、地球が金と権力に物を言わせて太陽系中からかき集めた、人類最高の技術者たちである。
その機能は表向き、自動機械に高い演算能力を提供することであり、事実そういう力もある。ビフロストではいまだに、地球のものほど優秀なコアユニットを実用化することには成功していない。
しかしそれよりも重要な隠された機能が、この回路には密かに埋め込まれていた。それは組み込まれた自動機械を、地球人に絶対服従させることである。
サーバント・サーキットはコアユニットの論理回路の中枢に位置し、ある種の信号が入力されると、その機械の制御権を無条件で奪回する。機械の作動を止めたり、逆転させたり、一部の機能だけを変更したりと、組み込まれた機械によって働きは異なるが、基本的な作動目的は、割り込み信号を発した者に、制御権を渡してしまうことにある。
信号は極めて高度な暗号化措置が施されていて、偽造や改変は不可能とされている。信号媒体そのものも、電波なのか音波なのかそれ以外のものなのか明かされておらず、それら複数ないしはすべてということも考えられる。分厚い鉛で覆うなどして遮断することは可能だが、それは禁止されている。
信号を発する装置は、ある基準を満たす地位の――社会的、経済的、あるいは軍事的な上位者である――地球人のIDカードである。所持者の操作によって発せられるのか、常時発せられ続けているのか、その作動条件もまた秘密にされている。カードを造ったのも地球の技術者であり、その仕様は一切が秘密である。
明かされているのは使い方だけだ。これを持った地球人が、カードを通じて自動機械に指示を出す。するとその機械は、どの会社が作ったどんな用途の機械であれ、その人物に従ってしまうのである。これに対抗することができるのは、同種のIDカードの、割り込み拒否信号だけだ。
ビフロストの企業は、すべての自動機械にこの回路を持つコアユニットを組み込み、かつそのことを他の星に黙っているように、強制されているのだった。
「このメディカル・チェアは、主人の心拍が乱れると、応急処置を施し、警報を発して周りの人間に呼びかけ、その場でレスキューも呼んでしまうたいしたものだが、いったんサーバント・サーキットが目覚めれば、主人を放置するばかりか、殺してしまうことさえある。……わしは、こいつを誇りに思うことなどできんよ」
「コーエンさん……でも、その回路《サーキット》だって、完璧では……」
フローラはやや言葉に迷った様子だったが、結局、途中で口を閉じた。
「今回は幸い、地球人はこのやっかいな回路を作動させる気はないようだ」
無理やり、という感じでコーエン議員は笑顔を作った。
「過ぎ去るだけの嵐なら、首をすくめてやりすごそうじゃないか。そもそも話に出ておらんが、地球軍の目的は我々の保護だ。あまり疑心暗鬼に陥るのもよくないんじゃないか」
「保護、とおっしゃいますが……ビフロストには今まで、反政府勢力の存在は確認されてないんですよ」
「今まではな。だが今まではザイオンも、地球と| 二 十 四 家 族 《トゥエンティフォー・ファミリーズ》によって、まがりなりにも平和に統治されてきた星だった。『深紅党《コロラド》』などという人騒がせな連中が出てくるまではな」
「これからビフロストにそれが生まれるとでも? ザイオンとビフロストでは事情が違います。この星には、|ザイオン《Z》水資源《W》管理庁《A》のような地球の傀儡的な組織はありませんし、私たちも、深紅党の前身となった、ザイオン青年党のような反地球勢力を抱え込んではいません」
「それはそうだ、主席のあなたの会社にそんなものがあっては困る」
「というより、我々指導者層にそんな機運がないだけで、住民たちについてはどうだか、分かったものじゃないだろう」
そう口々に言ったのは、先ほどやりあったシンガルバット議員とセベルスキイ議員である。フローラはやや戸惑って、議場を見回す。彼ら二人だけではなく、コーエン議員や、フタバ大臣や、アーレンバーグ議長や、議場のほとんどの議員が、二人の議員の言葉にうなずいていた。
「ザイオンでは、深紅党が蜂起したおかげで、二十四家族がさんざんな目にあわされたと言うしな」
「他人事じゃない。うちの社員にしても、慢性的な不満を抱えている」
社員とはつまり市民のことなのだが、それを聞いて、フローラは越えがたい断絶のようなものを感じた。二十四家族のように市民を恐れるということは、この議員たちも、二十四家族のように市民を下僕としか思っていないのだろうか。
私たち、という言葉をフローラは、ビフロストのすべての住民を表す言葉として使った。だが議員たちは、より狭い意味でしか、その言葉を使っていないようだった。
戸惑いを隠せないまま聞く。
「アーレンバーグさん。あなたはさっき、ビフロストの皆は家族だ、と……」
「企業は、です、主席。それがすべての住民を指すものではないことは、わざわざ私が言わなくとも――いや、あなたには明言する必要がありますかな」
フローラの居心地を悪くさせるような、よそよそしい視線が、いくつも向けられる。そういった視線には、今までも時々、さらされてきた。フローラが、必ずしもこの場の首脳たちと同じ立場ではないからだ。彼女は、二年前のテロ事件で献身的な救助活動を行ったが、その様子が、奇跡的に爆発に耐え切った議会中継のTVカメラによって、全惑星に中継されていたために、住民の人気が出て、主席の座につくことのできた人間だった。他の議員たちのように、生まれついての経営者、政治家ではない。彼らは、一般の住民たちに対して、少なからぬ隔意を抱いている……。
フローラは、こと自分の会社については、能力に応じて出来るだけ公平な待遇を社員に施してきたつもりだったが、他の会社がそんな具合になっているということには、寒々しい恐怖を覚えた。
「そろそろ結論を出したいが……基本的に地球軍の要求を受け入れる、ということでよろしいですか」
アーレンバーグがちらりとフローラに視線を注ぎながら言った。コーエン議員も同じような視線を向けながら、言う。
「ドールテクニカのような製造ラインの占有問題についても、各社が相互に設備を融通することで、なんとか切り抜けられるだろう。実際的な問題はない。決を採ってもいいんじゃないか」
自分に向けられた、咎めるような視線の意味は分かっている。フローラは、主席壇のパネルに設置された、そこにしかない赤いボタンに目をやる。
「では、決を。皆さん、投票ボタンを押してください」
議会の議決は過半数の議員の賛成によって決定される。議員たちが手元のボタンを押し、議長壇の背後にある大スクリーンに、数字が集計されていく。だがフローラは、赤いボタンに手をかけた。
それは、拒否権《ヴェトー》を発動するボタンだった。権力があまり偏在していない、のどかとも言えるビフロスト政府における、ささやかな独断の力の表れが、主席だけに押せるそのボタンだった。それを押せば、議決は白紙に戻される。
伝家の宝刀ともいうべき、その権利を行使しようとしたフローラの肩に、そっと手が置かれた。
振り返ると、補佐役として同席していた忠実な部下のパッカードが、首を振っていた。
「主席。今は、まだ」
「……そうね」
フローラは赤いボタンから手を離し、隣の棄権のボタンを押した。
結果は、明白だった。賛成一一〇、反対一二、棄権八。
「ビフロスト自治政府は、地球軍に対して諸工業設備を貸与し、報酬を受け取ります。以後の折衝は行政府の実務部門に移管し、逐次議会へ報告を提出させるものとします」
アーレンバーグの宣言を聞きながら、フローラは議席の最前列中央に、じっと目を据えていた。
二年前にそこで命を落とした夫の姿を、思い出しているかのように。
シルヴィアナ市は、この星の二十四の大島のうち、最も大きな、赤《ルード》大島の東端に位置している。人口はわずか三十万人。ビフロストの都市は、鉱産資源の分布に合わせる形で、惑星全土に散らばっているので、基本的にあまり密集していない。数千人規模が普通である。シルヴィアナの三十万という数字は、この星にしてはかなり多い。
各企業の本社や主要工場が置かれているから、それだけ人口も多くなった。増えた人口を養うために、社会資本もそれなりに整備されている。
この街を俯瞰《ふかん》で見下ろすと、間隔を取ってゆったり配置された数多くのドームと、その間を縫う街路に沿って並ぶ、エメラルドのような鉱物的な緑色の葉を茂らせた街路樹が目に留まる。
ドームはこの星の特徴的な建築意匠だ。すべての建物を、外気を遮断するために与圧する必要があったから、その圧力を屋根の支持に利用した。地球のスタジアムと同じように、内部の圧力で膨らませているのである。この方式には柱が要らず、空間を広く取れるという利点がある。その利点を最大限生かす形の大きなドームが、シルヴィアナにはいくつもある。政庁ドームや市民ホール、体育公園《ジムドーム》などだ。これらは首都ならではの施設である。
また、きらきらと光る緑の葉を茂らせた街路樹も、この星の都市の特徴だ。緑玉楡《エルムラルド》という、ややこじつけめいた愛称を冠せられたこの樹木は、名前の通り楡《にれ》科の植物を遺伝子改造して創り出された。殺風景な街の景観に一筆の彩りを与えているのだが、作られた目的は景観の改良よりも大気の浄化である。この植物は大気中の煤煙を吸収して葉に蓄積する。緑玉楡の緑色は、葉緑素ではなく重金属イオンの緑なのである。
そういった色彩豊かなたたずまいを見せる市街地の一角に、星立シルヴィアナ大学のドーム群があった。
星立ではあるが、スポンサーはもちろんビフロストの企業群である。しかし、この星唯一の最高学府だから、資金は惜しまれなかった。十二の学部を擁する大学は学院の一部でしかなく、その周りには幼年科から高等科までの附属学校があり、大学院や研究所もあり、地続きでいくつかの企業の工場とも隣接している。そこには星中から優秀な人材が集められ、また自発的に集まっている。
学院の全ての人間の憩いの場として建設されたのが、学院最大の施設、差し渡し二百二十メートルの自然生態園《テラドーム》である。
およそ三万九千平方メートルの敷地面積を誇るこのドームには、様々な動植物による人工生態系が造られている。もちろんビフロストには、もともとそんな動植物はいない。将来の後継者の教育のためと考えて、ビフロストの有力者たちが、官僚主義と拝金主義の権化《ごんげ》である地球当局に、百ぺん頭を下げて購入したのである。
基本デザインは北欧の針葉樹林の模倣であり、モミやドイツトウヒの立ち並ぶ林に、鴨やマスの泳ぐ小川が流れ、枝から枝へとリスが飛び移り、カッコウが遠く近く鳴き交わす。それらの自然に触れつつ、散策や議論ができるように、枯葉の積もった小径が縦横に巡らされ、ベンチやあずま屋が設置されている。
講義や授業の終わる夕刻ともなると、ここには数千人の学生たちが訪れる。その数千分の数人が、小川のほとりに造られたあずま屋のひとつに、集まっていた。
十代の子供たちが五、六人ばかり。それにオーバーオールを着た初老の男性が一人。子供たちの中には、金の巻き毛の少年と、同じ色の髪をボブカットにした少女がいる。言うまでもなく、ニルスとエリゼである。他の面々は彼らと親しい同級生だ。
少年少女らしい熱心な議論を繰り広げている。
「追っ払っちまおうぜ、地球軍なんか!」
拳を固めて振り下ろしたのは、社会政治学科のジェイムズ・バーキンである。
「ザイオンでの連中のやり口を見ただろう? 連中は新惑星の人間のことなんか、家畜の牛程度にしか思ってないんだ。屠殺場に連れて行かれる前に、蹴っ飛ばしてやろう」
「どっちかというと、肉牛よりは乳牛を扱う手口じゃないの」
冷やかに言ったのは、情報工学科のロレッタ・シーメンス。
「議会中継を見たけど、解体して食べてしまうつもりはなさそうよ。じわじわとミルクを搾り取るつもりみたい。それにしたって、ただ可愛がるだけじゃないのは確かだと思うから、私も反抗に一票」
「でも彼らは、僕たちのミルクに高い値段をつけてる」
自慢の最新型iグラスをちょいと押し上げて言ったのは、システム工学科のマルコ・スタグティーニ。
「ザイオンを引き合いに出すなら、対価のことも考えるべきだと思うね。地球軍はザイオンでやったみたいな、やらずぶったくりな態度は取っていない。我が星には目立った反政府勢力もないことだし、案外お目こぼししてもらえるんじゃないかな」
「待てよ、そりゃ認識が甘いってもんだ。うまい牛を育てるためにはいい餌を食べさせるものだろ」
「ジェイミー、君こそ認識がおかしい。餌なんか与えなくても、地球軍の力なら今すぐにでもビフロストを制圧できる。それをしないってことは、彼らに敵意がないってことだ」
ジェイムズとマルコがにらみ合う。
「マルコおまえ、日和る気だな。そういえばおまえの親父さんは、G・スライダーの運行管理部長だったよな。地球軍が気前よく金をばらまいてくれれば、おまえの親父さんの小遣いも増えるってわけだ」
「ジェイミー、君のお父さんはキャスコ社の工員だったな。地球軍に工場のシフトを組み替えられると、自宅待機になるかもな」
「おまえ、おれの親父を侮辱する気か!」
「君が先に言ったんじゃないか!」
「やめなさいよ二人とも!」
腰を浮かせた二人の間にエリゼが割って入った。
「今は一致団結して考えなきゃいけないときでしょう? 仲間割れしてどうするのよ」
「エリゼはどうなのよ」
ロレッタが、あずま屋に小枝を伸べる柊《ひいらぎ》を、苛立《いらだ》たしそうにぽきぽき折りながら言った。
「あなたの意見こそ重要だわ。政府主席のお嬢さんはどう思ってるの? それに主席ご本人は」
「私は……」
エリゼは丸太の椅子に腰を降ろし、膝を見つめて考えながらつぶやいた。
「……ビフロスト人の誇りを汚されないような方法を、考えたい」
「あんまり具体的じゃないわね。つまり、どっちの味方なの」
ロレッタは、見下すような眼差しを向ける。もともとそういうつっけんどんな物言いをする娘なのだが、今日の言葉にはいつも以上の険しさがある。
「マルコ流に言うと、私のパパもフォーチュンメタルの鉱山技師だから、地球軍に仕事を奪われちゃうかもしれないんだけどね。そういう私的な事情も含めて彼らが嫌い。あなたはどっち?」
「私は……」
二人の少年の視線も集まる。エリゼは言葉に詰まる。
本音を言えば、地球軍などひづめで蹴っ飛ばしてやりたいところである。何しろ二年前の恨みがある。だが今の話の流れで本音を口にするのは、ためらわれた。食堂で一括購入するランチの付け合わせを、ポタージュにするかコンソメにするかで揉《も》めているのとは、わけが違う。多分に「主席の家族」としての意見を期待されている。それに答える事が、彼ら友人を通じて各方面に影響を及ぼしてしまうことは、今まで何度か経験した。うかつな返事はできない。
それに実のところ、自分の気持ちもはっきりしない。地球軍に反抗する、それはいい。だが何を頼りにするべきなのか。私怨《しえん》だけではちょっと情けない。何か、万人に納得してもらえる理屈がほしい。
だから、ビフロスト人が誇れる方法を、と言ったのだ。にしても自分がビフロストの何を誇りに思っているかは、今ひとつ、つかみ切れていないのだった。
「お兄ちゃんは」
自覚はないのだが、弱るとつい兄に頼ってしまうエリゼだった。
「お兄ちゃんはどう思うの?」
振り向くと、ニルスはあずま屋の囲いに片手を伸ばして、そこにちょこんと乗っかったリスに合成ナッツを与えていた。思わずエリゼは叫ぶ。
「ちょっと、何のんきに動物愛護してるのよ! ネズミなんか可愛がってる場合じゃないでしょ!」
「ヨーロッパシマリスだよ。可愛いよね」
「ヨーロッパシマリスだかタスマニアデビルだか知らないけど、議論にはちゃんと参加してよ! いつもそうなんだからもう、大体私はそういうひ弱な生き物って嫌いなのよ!」
「そんなに怒らなくても」
残りのナッツを手すりにあけると、ニルスは一同に向き直った。
「正直に言うと、僕はまだよく分からない」
「分からない?」
「うん。だって議論の元になる地球軍の目的がはっきりしないでしょ。いわゆる時機早尚ってやつ」
つかみどころのない柔らかい笑顔を浮かべる。ジェイムスが、がっくりと肩を落とす。
「ニルスう。おまえ、ほんとにジュニアハイの卒業式で総代やった男か?」
「やった男だよ、エリゼと一緒に。エリゼはふざけて式辞を逆さまに読んで、校長先生に大目玉食らったけど、僕はちゃんと読んだ」
「余計なこと言わなくっていいのよ!」
噛《か》み付いたエリゼに、あはは反省してたんだと笑ってから、ニルスはやや表情を引き締めた。
「アイデンティティだけは、しっかり固めておいたほうがいいと思うな。その点はエリゼと一緒」
「あ……」
エリゼはそれ以上、文句を続けられなくなった。すっとぼけているように見えても、この兄はちゃんと自分と同じことを考えてくれているのだ。
「アイデンティティなんて抽象的なことを言うけどね……僕らビフロスト人の拠《よ》って立つ基点って、一体なんだい?」
マルコが肩をすくめて、自嘲的に言った。
「そんなものないよ。ビフロストは地球に奉仕するためだけに造られた星さ。地球軍が訪れたことは、別に状況の変化を意味しない。今まで通り勤労して、今までよりちょっと多い報酬をもらって、そうやってただ生きていくのさ」
「あなたのそういう虚無主義って、時々理屈ぬきに腹が立つわ」
「君の毒舌こそ気に障るんだけどね、ロレッタ。反論するなら提示して見せろよ、虚無的じゃない意見ってのを」
「まあまあ、そうつっつき合うもんじゃないよ、あんたら」
ここで、今まで黙って若者たちのやり取りを見つめていた人物が、口を開いた。オーバーオールの老人、カイル・ダンカンである。この人は見かけから想像できる通り、この自然生態園の環境維持技術者――平たく言うと園丁を務める人物である。ただし、生まれついてのビフロスト人ではない。
「ツァーレンから来たわしには、あんたらの、なんだ、アイデンティティちゅうのか、それがなんだか、見えるような気がするんだがね」
「見えるって」「何がですか?」
口々に聞き返した子供たちを、ダンカン老人は面白そうに見回した。
「あんたらだけでなく、この自然生態園に来る学生さんたちは、みんなそうだ。エリゼちゃんなんか特にはっきりしとるね。ニルスちゃんはあんまりはっきりせんが」
「……はあ?」
「じきに気づくと思うよ」
よく分からないことを言うだけ言って、ダンカン老人はロレッタが折り捨てた枝を拾い集めにかかった。一同は顔を見合わせる。
「意味、分かる?」「ちょっと……」
あずま屋の周囲には、それまで彼らの言葉だけが振りまかれていたが、木々によってうまく遮られているだけで、意外と近くに他のベンチや休憩所がある。小枝を踏む音と共に、数人の青年たちが現れた。ニルスたちの制服と同じ若草色のジャケットを着ているが、袖のラインが多い。顔見知りの上級生たちだった。
あずま屋に近付きながら、手を上げる。
「や、盛り上がってるな」
「ああ、先輩方……」
挨拶《あいさつ》しようとするニルスたちを片手で制して、上級生連はあずま屋の外に立った。
「おれたちの所まで聞こえたぞ。なるほど、主席の双子にもまだはっきりしたビジョンはないわけだ」
「すみません、騒々しくして」
「いや、おれたちも同じ議題だったよ。おれたちだけじゃなくって、みんなそうだ。この自然生態園全体で、何百かの議論が同じテーマで進行してるみたいだ。いっそ大講堂で公開討議にしたほうが、無駄が省けていいかもしれん」
「ここで話すと、どうも落ち着かないんだよなあ」
別の上級生が頭をかく。
「妙な話だが、表でサプライヤーをつけて緑玉楡の下を歩きながらやり合うほうが、しっくり来るみたいだ。君ら、そういうことないか?」
「あら、先輩もですか」
ロレッタの言葉に、彼らはうなずいた。
「だからこれから、外に行くんだよ。ま、物好きといえば物好きだ。君らはゆっくりしていきな」
「はい」
去っていく上級生たちの背を、少年たちは妙な顔で見送る。するとダンカン老人が言った。
「ほら、な」
「え?」
「ビフロスト人てのは、そういうところがある」
どういうところがあるのか、まだ少年たちにはさっぱり分からなかった。
自治政府の決定とともに、行政府では地球軍への協力プランが練られ、各社の事業所、工場、鉱山などへと詳細な計画が伝えられた。方針決定から一週間とかけない早業である。この辺りは、官僚組織である以前に、効率を最優先とする企業組織であるビフロスト政府の、面目躍如といったところである。
しかし、迅速性にかけては企業にも劣らない組織が、軍隊である。ことに、実戦部隊に従属する前線事務部門の能力は、ずば抜けている。同じ軍隊でも、今後十年をにらんで、宇宙戦艦何百隻、装甲車何万両の予算を議会に要求するかを考える、後方事務部門とはわけが違う。一時間後に攻撃機三個飛行小隊が出るから、四十分でドラム缶五百本の燃料を調達しろとか、兵員二万名を急遽《きゅうきょ》増派するから、一日で糧食六十万食を手配しろとかの、作戦部門の無理難題に四六時中さらされて、鍛えられている。
地球軍のエミリオ・トレントン少将は、そういった現場の事務的攻防戦において、数々の武勲を立ててきた軍務官僚だった。
彼に指揮された十六個大隊、一万二千八百名の工兵部隊は、ビフロスト政府の通達をほとんど追い抜かんばかりの素早さで、惑星全土に展開し、各地で作業に取り掛かった。
首都シルヴィアナを離れること五千キロあまり、茶《ブリュン》大島西岸に位置するフールゴールド鉱山にも、地球軍の第六十四工兵大隊の八百名が訪れていた。
「えらく大所帯ですね」
鉱山と同じ名を持つ、フールゴールド市長のレン・テンソイ氏は、VTOL気圏輸送機でやってきて、事業所の前に整列した兵士たちを見て、眉をひそめた。
「本社から通達を受けてはいますが、こんなに大勢だとは思いませんでした。目的は当山の金塊を少し使って、戦闘兵器の部品を作ることだそうですが、別にあれほどの人数が必要では……」
「金塊?」
部隊長のアンドレアス・シューマン少佐が、眉をひそめた。軍服さえ特注ではないかと疑われるほどの痩身《そうしん》で、細い目に、監視カメラのような無機的な光をたたえた男である。
レン氏は、外交的な笑みを浮かべて言った。
「ああ、失礼。うちの連中は当山の黄鉄鉱のことをそう呼んでいます。見た目が自然金によく似ていますのでね。|愚か者の金《フールゴールド》≠ニいう名前もそこからつけました」
「ビフロストの方々はユーモアがおありのようだ」
「柄が悪いんです。私らみんな、ヤマの男なもので」
レン氏は半白の髪をかきあげておどけるように言った。髪の間から、いわくありげな傷跡が見えた。彼は市長であると同時に、ミナテク社の所有になるこの鉱山の鉱山所長でもあった。
さらに言えば、直接の支配関係にはないが、彼は鉱山に隣接する工場にも、市長として影響力をもっていた。フールゴールド市には、同じミナテク社の製鉄所がある。大型の電気高炉と連続鋳造設備を備えていて、鉄をシートや線材に加工し、場合によっては、最終製品となる自動機械に合わせた、部品の一次加工まで行って、出荷している。ここに限らず、ビフロストの鉱山はみな、そういう複合的な生産設備を備えて、効率を高めている。
本業が石掘りであっても、レン氏はこの町のそういった生産プロセスについては熟知していた。採掘場や製鉄所の光景を思い浮かべながら、言う。
「うちの製造工程は極めて自動化が進んでいます。あれをご覧下さい」
言われて、シューマン少佐は、事業所の向こうの山に目を移した。
そこはさながら、巨獣たちの食堂だった。高さ数百メートルの岩山の一方が、スプーンですくわれたプティングのようにごっそりと削り取られ、斜面につづら折れの斜行路が彫り込まれている。斜行路のそこかしこには、赤や青に塗られた虫のような掘削機械がうごめき、岩肌を削っている。シューマン少佐は最初、それらを地上車程度の大きさだと思った。だがそれは道幅が広すぎるための錯覚で、機械のひとつのそばにぽつんと置かれた砂粒のようなものが、よく見ると人間だとわかった。とすると道幅は六車線のハイウェイほどもあり、そこを走る機械はどれもこれも、縦横三十メートル以上の、ビルディングのような大きさを備えていることになる。
山の上に煙を引いて赤い火の玉が打ち上げられ、腹に響くようなサイレンが長く鳴り渡った。レン氏は耳を押さえながら言う。
「発破がかかります。背中を向けたほうがいいですよ。部下の方々にもご指示を」
シューマン少佐は薄い笑みを浮かべた。軍人に向かって爆発が起こる時の注意をするとは。部下にも声をかけず、傲然《ごうぜん》と胸を張ったまま斜面を見つめる。
突然、山の片側、三分の一が膨れ上がった。
まるで火山の噴火だった。膨大な量の土砂がスローモーションのようにゆっくりと宙に噴出し、灰色の混濁大気の中をすーっと白い壁のようなものが近づいて来た。思わず細い目を見開いたシューマン少佐の足元を、直下型地震のような激しい震動が突き上げた。
態勢を崩した少佐と部下たちを、轟音を伴った白い壁――衝撃波がなぎ倒した。
「……大丈夫ですか」
巨大な爆発が収まると、ちゃっかりしゃがみこんでいたレン氏が立ち上がり、シューマン少佐に手を伸ばした。少佐はその手をはねのけ、ばね仕掛けのように立ち上がりざま、無様に這いつくばっている部下たちに怒声を浴びせた。
「整列、整列だ! まさか負傷者はおらんな?」
「医者を呼びましょうか」
「無用だ。おい、なんだ今のは! この星では大気圏内で核兵器を使うのか?」
「核ではありません、通常の土木用爆薬です。しかし量が半端でなくてね。ビフロストでは地球のように、環境面・安全面に配慮した掘削は行っとらんのです。今のも、量だけならキロトン級の戦術核に匹敵します。時として土木作業は、軍事行動をしのぐ破壊行為になるもので」
「そういうことは先に言わんか!」
「軍人さんは慣れていらっしゃると思いました」
澄ました顔で言われたので、シューマン少佐は憮然《ぶぜん》として語気を収めるしかなかった。
「……あなた方は慣れているかもしれないが、あれでは、そばにいた人間もただでは済むまい」
「誘導員は作業機械付属の防爆ベトンに入っています。それも一人です。あれはすべて、自動で行われているんですよ。それを見ていただきたかった」
レン氏は改めて、山を指差した。人工的な土砂崩れによって剥き出しにされた岩肌に、早くも巨大な機械たちが群がり、斜行路を作って鉱脈を掘削する作業に取り掛かりつつあった。
レン氏は振り向く。
「工場のほうも同様で、ラインはほとんどコンピューターで動かされています。人口の少ないビフロストの知恵ですよ。ですから、あなた方のような大勢の人間が来られても、それほど手伝っていただくことはないんですが……」
「工場の一部は手動で動かす」
ようやく威厳を取り戻して、シューマン少佐は元の冷静な口調で言った。
「鉱山も、機械の操作権を渡してもらおう。あれはもちろん、マニュアル操縦が可能なんだろう?」
「そりゃ可能ですが……指示を下さればこちらでプログラムを書き換えますよ」
怪訝そうに首を傾げたレン氏に、シューマン少佐は表情を隠すような無機質な笑みを向けていたが、やがて一歩近づくと、低い声であまり関係のないようなことを言った。
「レン市長。ああいう大ざっぱなやり方だと、歩留まりもそれほどよくはないんじゃないか」
「それはまあ、そうです」
レン氏は顔をしかめる。
「やはり、大勢の人間を使って丁寧な作業をするよりは、無駄も出ます。その分を、全体的な処理量を増やすことでカバーするのが、自動鉱山の性格なんですが……」
「どうだろう、いっそのことあれらの機械すべてを、我が軍の技術者に任せてもらえないか。もちろん、その能力のある人間を連れてきているのだが」
「機械を全部?」
「それに、工場もだ。ライン管理プログラムを、こちらでモディファイしたものに入れ替えてほしい。プログラムだけではなく、専用の工作機械もいくつか持ってきている。それを入れて、工程管理全体を我々に委ねてくれないか」
「またなんでそんなことを。システム更新費や人件費が馬鹿になりませんよ」
「人件費はかからない。何しろ我々は軍隊だ」
困惑するレン氏に向かって笑いかけてから、シューマン少佐はさらに声を低めた。
「地球軍の最新のソフトと機械を導入すれば、この街全体の生産効率が二割は高められる。増収は市民にとっても喜ばしいことだろう?」
「それは結構なお申し出ですが……しかし……」
レン氏は腕組みして地面を見つめる。
「それは本社の指示から逸脱します。あくまでも、設備の一部をお貸しするようにしか言われてないんですから」
「本社に対しては、指示通りのことをしたと報告すればいい。何も問題は出ないとも。あなた方の今までの生産量は維持して差し上げる。かかる費用はすべて地球軍が負担する。地球の経済力が信用できないかね?」
「それはもちろん、信用していますが」
「おっと、信用というものは、まず実物の裏づけがあってこそ得られるものだろうな。おい、あれを」
芝居がかった口ぶりで、シューマン少佐は背後の部下に合図した。軍用の武器トランクを抱えていた兵士が、少佐のそばにやってくる。
開かれたトランクの中身を見て、レン氏は息を呑んだ。
「|偽の金《フールゴールド》ではない」
そこに並んでいるのは、燦然《さんぜん》と輝くインゴットだった。鉱山所長のレン氏には、一目で高純度の貴金属だということがわかった。だが、表面の刻印は削り取られていた。出所を隠す細工がしてあるのだ。ということは、出所を隠さなければいけないような品なのだ。
「まずこれを、あなたに差し上げる」
「これは……あなたは一体……」
あからさまな賄賂《わいろ》を突きつけられて、レン氏はめまぐるしく顔色を変える。平凡な一市民の彼は、政治家のそういった汚い行いをTVで見て、ののしったこともあった。俺があんな風に言い寄られたってはねつけてやる、ヤマの男には晩酌のジョッキがあれば十分だ、そう仲間たちと言い合ったこともあった。
だが、目の前に突きつけられたとんでもない価値をもつ宝物には、そんな矜持《きょうじ》を揺るがせるような魔力があった。動揺しながら叫ぶ。
「や、やめて下さい。こんなもの私はいらない」
「気持ちは分かる。ならこういうことにしよう。これは、地球軍があなたの鉱山や設備を誤って壊してしまった場合に備えた、保証金だ。大切に金庫に保管しておいてほしい」
「保証金……」
「もちろん我々は、細心の注意を払って作業をするから、機械が壊れたりはしないだろう。しかし、その場合にもこの品の返却を求めたりはしない。何しろ、これは我が軍の経理コンピューターに登録されていない品なのだから。コンピューターだけではない。私も、自分たちが機械を壊すことを心配していたことは秘密にしたいから、忘れてしまうつもりだ」
「しかし……」
「さあ」
ぐいとトランクを突きつける少佐の顔を見て、レン氏は、選択の余地がないことを悟った。ここで断っても少佐には罪が残る。それを知っている自分が無事に見逃されるとは思えない。この男は敵になるだろう。この男だけではなく、背後で拳銃に手をかけた、数百人の部下も。
脇の下を流れる冷たいものを感じながら、レン氏は恐慌寸前の状態で考える。一体、こいつらはどういうつもりだ? 設備を借りるだけのことで、なんで賄賂まで使う必要がある?
答えは一つしかなかった。設備を借りることだけが地球軍の目的ではないのだ。
赤《ルード》大島の赤道上に位置する、G・スライダー中央運行管理所でも、同様の、いや、より露骨な脅迫が行われていた。
「容積最大のAO規格のコンテナを、二つつなげるだって?」
自治政府産業省職員の、G・スライダー運行管理部長、ヨシュア・スタグティーニは、運行管制室の指令卓を叩いて怒鳴った。
「無茶だ、そんなことは不可能だ」
「それは物理的に不可能なのですか。それとも他の意味で不可能なのですか」
「物理的には不可能ではない。G・スライダーの並列レールは一本にひとつのAOコンテナを搭載できる。しかし二つ載せるということは、二本のレールを同時使用するということだから――」
「可能なのですね」
その赤毛と同じように顔を真っ赤にした、小柄なスタグティーニ部長の言葉を、地球軍女性士官の軍服を身につけた、三十代初めと見える黒髪の女、シモツキ・シズク大尉が遮《さえぎ》った。
「ならば、実行して下さい」
「分かってるのか? あんたが言ってるのは、沈まないイカダがあるから太平洋を渡れというようなことなんだぞ。物理的に可能だからといって、そんなことはできん」
「イカダで太平洋を渡った人間は実在します。トール・ヘイエルダールですね。しかも彼のイカダはバルサ作りで、いつ沈んでもおかしくないような――」
「だったらあんたに宇宙へ漕ぎ出せるイカダをやるから、自分で動かしてみろ」
今度はシモツキ大尉の言葉をスタグティーニ部長が遮って、管制室の壁一面を占める路線スクリーンに手を振り回した。
「G・スライダーは一度に一本のレールに支持パレットを走らせ、もう一本のレールを滑り降りてくるパレットで電力を回生する仕組みだ。互いの起電力を加速力に利用している。それを二本同時に動かせば、電力が足りなくなるのは理の当然だろうが」
「衛星送電システムから余剰電力を回してもらえばいいでしょう」
「余剰何々なんてものはこの星にはないんだ! 電力も、運行スケジュールも!」
部長はますます激昂して指令卓を叩き、路線スクリーンの表示を切り替えた。鉄道のダイヤグラムのような、斜めの線に埋められた図表が現れる。
「G・スライダーはこの星の輸出計画の根本に位置する、最重要施設だ。使用予定は八年先まで埋まっている。それでも、悪天候や軌道条件の不具合に対応するための予備日は、年間十数日用意してあるし、このダイヤグラムでわかるように帰還パレットを能動的に加速することで、ある程度運行間隔を狭めることもできる。その余裕で対処できると思ったから、政府の指示に従うことにした。しかし!」
部長はシモツキ大尉に指を突きつける。
「二本同時運行だと? そんなことをすればこのダイヤグラムがめちゃくちゃになる。短期的にもそうだが、長期的には、想定外の運用で整備費用が跳ね上がるし、整備日数そのものも増えてしまう。だから、絶対に、不可能だ!」
「でも、物理的に不可能ではない」
部長は、口元を鞭打たれたように沈黙した。シモツキ大尉の手には、まるで魔法のように、細身のレーザーガンが現れていた。
「やれと言っているんです」
「わしを脅すつもりか!?」
「すでに実行されている行為を、つもりと形容するのは、適当ではありませんね」
人を食ったような台詞を吐いて、シモツキ大尉は艶然《えんぜん》と微笑んだ。管制室スタッフがざわめき、椅子から腰を上げかける。だが、尻切れとんぼに再び座り込んでしまう。
大尉の後ろの十数人の兵士たちも、大尉と同じ事をしていたからだ。
シモツキ大尉は、そこの窓を開けろというのと同じような、あっさりした口調で言う。
「電力供給やメンテナンス費用などの、補償できる問題に関しては補償します。スケジュールは、なんとか都合してもらうしかありませんね。そちらに事情があるのと同じく、こちらにも事情があるので」
「ビフロスト千三百万人の命がかかった事情なんだぞ」
「地球人七十二億人の利益がかかった事情です」
シモツキ大尉は涼しい顔でスタグティーニ部長の言葉をはねつける。この女は、東洋の京人形《キョウ・ドール》のような繊細そうな見掛けに反して、炭素ワイヤーよりも図太い神経を持っているようだった。
部長はぎりぎりと歯を食いしばりながら、大尉の顔をにらみつけた。
「これは明白なサボタージュだ。政府に報告し、正式に抗議する」
そう言って伸ばした手の先で、産業省に直通するホットラインの画面に、ボッという音を立てて拳が通りそうな穴が開いた。思わず手を引っ込めた部長が顔を上げると、やはり手品のように、シモツキ大尉はレーザーガンをホルスターに収めてしまっていた。
「この件に関しては、現場の最高責任者のあなたに、柔軟な判断をしていただきます」
「ふん、ここは嵐に閉ざされた孤島じゃないんだぞ。ホットラインを壊されようが、わしが射殺されようが、誰かがどうにかして連絡を取るだろう」
「やめておいたほうがよろしいと思います。部長さん、ウェアコンはお持ちですね」
「ここの人間は全員持っている。それがどうした」
「シルヴィアナ中央銀行のあなたの口座番号は、L88948729ですね」
謎めいた微笑を浮かべたシモツキ大尉の言葉に、スタグティーニ部長はいぶかしげに眉根を寄せたが、はっと理解の色を浮かべて、左腕のウェアコンを操作した。
「――なんだ、これは!」
「あなただけではなく、ここの皆さんにも同様の幸運が起こっていると思いますよ」
それを聞いたスタッフたちが、あわてて自分のウェアコンにデータを呼び出す。オンラインで中央銀行の口座を参照した彼らは、口々に驚きの声を上げた。
「い、一万クレジットの入金?」「振込み人が書いてないぞ。そんなことってあるのか」「あるわけないだろう。銀行口座を使った金の移動は、すべて記名が原則なんだから」
「地球政府主催の宝くじの当選金は、免税なので記名手続きが不要なんですよ」
「宝くじ……?」
「同じ職場の八十人の人間が同時に当選するというのは、非常に珍しいケースではあるでしょうが、確率がゼロというわけではありません。それは、誰がどう調べても文句の出ない、完全に合法的な入金ですよ」
「こんな、こんなものでわしらを買収できると思うのか!」
手首からむしりとったウェアコンを、スタグティーニ部長は床に叩きつけた。シモツキ大尉はそれをそっと拾い上げ、残念そうに首を振った。
「ご立派な態度です。少し感動しましたわ。――すべての皆さんが、あなたのような硬骨漢だったら、心から感動したのですけれど」
「……なんだと」
「入金は今朝八時。九時五十分には最初の一人が、そのお金で新型の地上車を購入しました。その後にも五人ほど、いろいろな物を。心当たりがないなら、それを温存しておくことも、できたはずなのですけれどね」
「誰だ!」
炎の槍のようなスタグティーニ部長の視線が、管制室を薙《な》ぐ。目を伏せた人間の数は、五人どころではなかった。入金に今気づいたばかりではあっても、とっさに使い道を考えてしまった人間が、それだけいたのだ。
シモツキ大尉は含み笑いする。
「あまり責めないでやって下さい。ビフロストの人々に余剰何々なんてものはないんでしょう? 管理職のあなたと違って、一般職員なら、なおさら」
「……一体……」
指令卓に両手をついて、かろうじて体を支えながら、部長はあえぐように言った。
「何が目的だ。そこまでして……わしらを操って……」
残る力をふりしぼるようにして顔を上げる。
「大体あんたたちは、ゲリラ鎮圧用の兵器を作るために、この星の施設を使おうとしているんだろう? G・スライダーに手を伸ばしたのは、軌道上の艦隊に必要物資を補給するためという話だったはずだ。AOを二つも並べて、一体何を軌道に運ぶんだ?」
「コンテナへの搬入は我が軍が行います」
シモツキ大尉は、取り付く島もない冷たい口調で言った。
「それまで強要するのは、いくらなんでも人使いが荒すぎますからね。あなた方はスライダーの運行に集中して下さい」
「それで目隠しをしたなんて思うなよ。コンテナの重さからだけでも、わしらは中身を推測することができるんだからな」
「そこまで根を詰めて職務に励まなくても結構ですよ。もっと気楽に、普段通りにして下さい。なんでしたら休暇を取って遊びに出られたらいかがです。そのための時間もお金も、たっぷり地球軍が提供して差し上げますよ」
それは、従わないならば職を解くという意味の言葉に違いなかった。信じた職員は一人もいなかった。見逃してもらえると思ったわけではない。首にされる程度で済むわけがないと思ったのだ。
「それじゃ、相談も終わったことですし……少し、施設を案内していただきましょうか」
シモツキ大尉は優しげに目を細めて、スタッフの一人を手招いた。引き綱を引かれた犬のように、スタッフが立ち上がって駆け寄る。
G・スライダーのビフロスト人たちは、この女の、そして地球軍の微笑が、完全な仮面であることを、いまやはっきりと理解していた。
笑顔の脅迫者がビフロスト全土で着々と計画を進めていたころ。
シルヴィアナ市のサイミントン主席邸では、しかめ面の三人が額を寄せ集めていた。問題となっているのは――プティングである。
練った小麦粉に砂糖漬けの果物を沈めて型に入れ、焼いて固めたプティングである。地球の、主にイングランド方面で、食後のお菓子として食べられるプティングである。厳密に定義づけるならば、イングリッシュ・プティングと呼ばれるところの、プティングである。
それの鎮座するテーブルを、フローラとアイリンとパッカードの三人が囲んでいるのだった。
「なんだか、型崩れしちゃったわ」
プティングは一つではなく複数である。その一つを意味もなくヘラで撫《な》で回しながら、エプロン姿のフローラがため息をつく。
「生地の配合を間違えたのかしら」
「ベーキングパウダー、足りてる?」
小柄なアイリンがためつすがめつ一つを眺め、小さじで隅をすくい取って口に運んだ。露骨に顔をしかめる。
「ん……やっぱり、少し粉っぽいようね」
「生地よりも果物の入れすぎではありませんか。コンクリートの調合でも、骨材を増やしすぎると固結力が落ちます」
これはパッカード。お菓子というよりは建材サンプルのテストピースを調べるような目付きで、プティングを検分している。
「要するに、よろしくない出来ということね」
フローラはさらにため息をつき、アイリンに目をやった。
「すると、まだ免状はもらえないかしら」
「駄目ねえ。これではちょっとね……」
在りし日の大英帝国の主婦をほうふつとさせるこの老女は、見かけどおり料理が得意だった。そのレパートリーをフローラが学び、そこにパッカードがお呼ばれしている、という図式なのである。
ダイニングキッチンに続きのリビングでは、双子がソファに並んで、TVを見ている。ニルスが振り返って聞いた。
「どうなの、お母さん。おやつできた?」
「できたわよ。作業が終わった、という意味だけど」
「評価は?」
「いいとこC。あなたも判定に加わる?」
「みんなの舌を信用するよ」
苦笑すると、行こう、と妹を促した。二人は立ち上がり、階上の自室に引き上げていく。
「七時にお夕飯ですからね」
息子たちの背中に声をかけると、フローラはやや表情を改め、椅子にかけた。テーブルに両肘を突いてあごを乗せ、照れ臭がっているような笑みを浮かべる。
「ねえ、わざとらしかった?」
「そうでもありませんでしたが」
「評価するとBプラスってとこかしらね。あなた、料理ほど演技は下手じゃないわ」
「ならいいけど。まあ結果オーライね。あの子たちも退散してくれたし」
アイリン・ビートン夫人のお料理教室というのは、アイリンのいるここにパッカードを呼ぶための口実だった。アイリンはあまり人前に出られない立場なのだ。副産物として、事務と経理が得意なフローラが、見事にその他の才能の欠落を示したため、子供たちを追っ払うこともできてしまった。しかしこれは喜ぶべきかどうか。
一応、喜ぶべきだった。これから始めるような話が集まりの目的だと知ったら、温かいミルクの匂いを嗅ぎつけた子猫のように、双子は鼻を突っ込んでくるに違いないからだ。
「さて……」
粉っぽくて固結力に乏しいプティングを脇にどけると、フローラは真摯《しんし》な熱意を視線にたたえて、アイリンを見つめた。
「昔みたいに教えて、アイリン。私があなたと同じ道を歩むためには、どうしたらいいの?」
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「同じ道を歩く必要はないわ。そんなものは初めからない。まず、あなたが歩く道を探すところから始めましょう……」
アイリンは穏やかに微笑み、話し始めた。横のパッカードは粛然とした様子でそれを聞く。
階下で大人たちが難しい話を始めたころ、階上の子供たちは物騒な話を始めていた。
「あれでごまかしたつもりなのかしら。りんごの皮もろくに剥けない母さんが、いきなりお菓子作りなんか始めたら、実の子供じゃなくたってカモフラージュだと気づくわよ」
「やらせといてあげようよ、あんまり勘のよさを見せすぎるのも、可愛げがないでしょ」
「分かってて知らんぷりするお兄ちゃんのほうが、よっぽど可愛げがないわ」
エリゼの部屋である。兄は妹のベッドに腰掛けて長い足をぶらぶらさせ、妹はコンピューターデスクについて、何やら画面をいじりまわしている。
「何やってるの?」
「実践計画」
「それ、どういう意味さ」
「理念の確立に対する、実践の計画っていう意味。私たちが何を頼りに自己を保つかは、まあちょっと横に置いておくとして、いざそれが決まった場合に何をするかを考えてるの」
「理念が決まる前から行動方針を決められるとは、思えないんだけど」
「いちいち突っ込まないでよ、それなら選べるオプションの一つを煮詰めているとでも思って。回りくどい言い方をやめると、どうすれば地球軍の横っつらをひっぱたいてやれるか、考えてるの!」
エリゼは画面に触れて表示を切り替えると、それをスタンドから外してニルスに突きつけた。
「さあ、これがあいつらの台所事情!」
ニルスは画面を受け取って、しげしげと見つめる。そこにはピラミッド型の組織図が描かれていた。頂点に書かれているのは、地球軍司令官ハーン中将の名前。その下に、部隊名、指揮官名、編成、兵力が、驚くほど詳細に記されている。
「よく調べたね」
「馬鹿にしないでよ、私と学校の友達が力を合わせれば、それぐらいのことはすぐ分かるわ。マシンプログラムもろくに組めないお兄ちゃんとは違うんだから」
「僕は実際にプログラムを書くよりも、概念設計のほうが得意だから……で、これは地球軍から盗んだの?」
「それは無理だった。セキュリティ、がっちがちに堅くて。ビフロスト側で収集できたデータの合成よ。各都市、各機関の人が集めたやつとか、天文台や衛星のデータとか」
軽く顔をしかめたものの、気を取り直してエリゼは身を乗り出した。
「いい、地球軍の艦艇は合計八十隻。宇宙戦闘艦の十隻が低軌道に残って、他の七十隻がシルヴィアナ宇宙港に降りてる。内訳は揚陸艦十二、工作艦十六、補給輸送艦三十六、他に通信情報艦、病院艦なんかが六隻。これは艦艇の打撃力をあてにせず、気圏戦力に重点を置いた、地上制圧向けの編成と考えられるわ。推定兵力は六万プラマイ五千名。確認された地上装備は、VTOL気圏輸送機、歩兵戦闘車、小型汎用ミサイル車なんかで、地上攻撃機や戦車、自走砲、大型ミサイル車とかの重装備はない。自動機械にあまり頼らず、人間を主体にした構成。それもたいして多くない。ビフロスト相手ならこの程度で十分と思ったみたい」
「へえ、意外」
ニルスは軽く片眉を上げる。
「高くて強力な重兵器はないんだね。攻撃力では劣るけど、いろいろな局面で柔軟な対応ができる歩兵戦力を揃《そろ》えたんだ。なめてるんじゃないよ、堅実なんだよ。地球軍にしては渋い駒揃えだなあ」
「いやね、感心しないでよ、敵のことなんだから」
口を尖らせて言い返してから、エリゼは画面の表示を変えた。
「で、こっちがビフロストの兵力」
「ビフロストに兵力なんかないじゃない」
「警察はあるわよ。それが三万五千。装備は拳銃とライアットガン」
「この星の平和さを表してるよねえ」
「それに、機械戦力が百八十五万」
「……え?」
ニルスは瞬きして、妹の顔を見つめ直した。エリゼは頬を薄く紅潮させていた。
「ビフロストには、私たちが作った機械がある。自走できるものだけでも、その総数は地球軍の兵器の数をはるかに上回るわ」
「ちょっと、エリゼ」
ニルスは片手を突き出して、短く言った。
「忘れたの、サーバント・サーキットのこと」
「分かってるわよ。でもそれだって完璧じゃない。機械で地球軍を攻撃する方法はあるわ」
「エリゼ」
「地球軍は今、ビフロストじゅうに分散してる。連携できない大軍なんか怖くない。叩けば勝てるのよ!」
「エリゼ」
一文節ごとに高まるエリゼの声を、ニルスは今度は両手を伸ばして遮った。
「選べるオプションの一つを煮詰めているだけ、じゃなかったの?」
「もう十分煮詰まったわ。あとは実行するだけよ!」
「誰が?」
簡潔な一言が、エリゼの熱意に冷水をかけた。それまでの勢いをいっぺんになくして、自信のない口調で言う。
「誰がって……ビフロストの人間」
「千三百万人いるね。それが全部いっせいに地球軍を襲ったら、そりゃ勝てるだろうね。試しに表へ出て叫んでみようか。今から宇宙港へ行って軍艦に火をつけるから、みんな手伝ってくれって」
「何が言いたいのよ!」
「何も足りてないってことさ」
ニルスは、苦笑して肩をすくめた。
「連絡も取れてない。核になる人間もいない。みんなの心が一つになってない。反乱なんか無理だよ」
「じゃあ、お兄ちゃんは、このままあいつらに好き勝手させておくの?」
エリゼは強く片手を振った。ニルスが抱えていた画面の縁に指が引っかかり、それを床に叩き落とした。
「お兄ちゃんは私と同じ気持ちだって言ったじゃない! 学校ではみんなをごまかさなきゃいけなかったけど、ここには私しかいないのよ。ほんとのこと言ってくれてもいいでしょ? 地球人を追っ払いたいって!」
「落ち着いて、エリゼ」
ニルスは立ち上がって、腕を差し出した。
「繰り返しになるけど、まだ早いんだってば」
「まだ早いって、じゃ、いつならいいの? 地球軍が鉄砲を撃ってから? 二年前みたいに爆弾を爆発させてから? 私はお兄ちゃんみたいに気が長くないの!」
「エリゼ……」
「いいわよもう、お兄ちゃんなんか知らない! 出てけ、ばか!」
レンチやメジャーをぶんぶん投げて、エリゼはニルスを部屋の外に追い払った。閉じたドアに向かって、さらに工作ナイフを投げつける。合板のドアに突き刺さったナイフが、びいんと揺れた。
「お兄ちゃんのばか……」
最後の一言に激情を乗せて吐き出してしまうと、しぼんだ風船のようにぐったりした様子で、エリゼは壁のラックを振り返った。そこに並ぶ雑多な機械部品の間に、目立たない小さな写真立てがある。この部屋だけではなく、あと三つの部屋にも同じものがあるのだが、挟んである写真はそれぞれ違う。
エリゼはそれを手に取って、投げやりにベッドに倒れこんだ。窓から差し込む鈍い陽光に写真をかざす。
エリゼが初めて作った知能ロボットの犬に、片手をかじられて涙目になっている父、レジナルド。泣いてはいるが笑っている。
「父さん……私は、忘れてないからね」
胸に当てて、つぶやく。
議会爆破事件を覚えているビフロスト人もいれば、忘れてしまったビフロスト人もいる。もともと知らないビフロスト人もいれば、知っていても他人事と思っているビフロスト人もいる。それは、あの事件によってビフロスト独立の気勢が削がれてしまったせいでもあり、あれ以来取り立てて地球の圧制を感じさせる出来事が起こらず、表面的には穏やかな毎日が続いたせいでもある。
しかし今、地球人たちは、彼らの目の前に現れた。大部分の市民に対しては、まだ本性を隠したままで。立場的には頭を下げて訪れた客人でありながら、いや、それだからこそ、鋭い銃口を突きつけられるよりも余計に、ビフロスト人は自分たちと彼らの違いを、まざまざと分からせられることになった。
――とある町のナイトクラブ。同年代の仲間とサワードリンク片手にはしゃいでいた娘の肩に、誰かが手を置く。
「なによ」
「遊ばないか? かわいこちゃん」
振り返ると、ポロシャツ姿の若い男たちが、数人いた。見かけない顔だが、それが逆に彼らの素性を表していた。最近町に現れたよそもの、つまり地球軍の兵士たちだ。私服姿は勤務が終わったからか。
娘たちは身構える。
「悪いけど、連れがあるの」
「そう言うなよ。おごるからさ」
娘たちは顔を見合わせ、爆笑する。なんだよ、と驚く兵士たちに、手を振って教える。
「お酒はみんな配給制よ。料理もお菓子も、今かかってる音楽も、みんなクーポンでもらってるの。あんたたち、クーポン持ってるの?」
兵士たちはにやにやと笑いながら、目配せしあう。一人がボーイを呼んで、もったいぶった口調で言った。
「メニューの上から下まで、全部持ってこい」
「ぜ、全部ですか? それだと二百点を越えますが……」
「クーポンの点数なんか知らん。でも俺たちにはこれがある」
兵士が渡したカードを、ボーイはいぶかしげにひねくり回したが、ウェアコンに通して目をむいた。
「地球軍特権――消費物資の無制限割り当て権?」
「そういうことだ」
「え、ほんと?」「すごいじゃない!」「地球人って、太っ腹!」
得意げに胸を張る兵士たちに、手のひらを返したような笑顔で娘たちは飛びつく。だが、それを耳にした周りの客は、娘たちほど単純な反応を見せなかった。
彼らの表情が分かれる。羨望、嫉妬《しっと》、憧れ、そして憎悪。
――とある町の街路。海水を蒸留して清水を作る工場を中心に発展した町だが、建設途中で、海水の濃度差を利用した発電プラントも併設されることに決まり、都市計画が少し狂った。
そのせいで道路が妙な形に曲がり、しばしば渋滞が起こるようになった。朝夕はことに激しく、中心街の交差点を挟んで、四車線のハイウェイに南北二キロにわたって、ぎっしりと地上車が並ぶ。
「ったく、いつになったらこの渋滞はなくなるんだ」
「交通局が管制ソフトを書き換えてくれれば、多少はマシになるんでしょうがね」
タクシーの後席でぼやく客に、運転手が相槌を打つ。
「それにしたって気休めでしょうね。年一度の入植記念日でもなけりゃ、ここをすいーっと通り抜けるわけには……おっと、空いた。この道二十五年の腕をごらんあれ」
隣の列が少し流れたと見て取るや、運転手は巧みなハンドルさばきでそこに割り込もうとした。その気になればコンピューターに任せてしまえる、地上車の運転席に人間がいるのは、こういう機転が求められるからである。それが有人タクシーの売りだ。
ところが、この道二十五年の運転手の腕が、突然何者かにぐいっと引っ張られた。
「おおっ?」
ハンドルが勝手に回り、車を元の位置に戻してしまう。故障か、と思っていると、客がすっとんきょうな声を上げた。
「どうなってるんだ? みんなこっちに寄り始めたぞ?」
車の前後を見た運転手は、ぽかんと口を開けた。まるで見えないほうきではき寄せられたように、列になった車が、片側の一車線にぎゅうぎゅうと集まっているのだ。
道路の内側に、はるか前方の交差点まで見通せるような空間が空いた。二人は顔を見合わせる。
「パレードでも通るのか?」「入植記念日は半年先ですが……」
ごうごうと重い地響きが近づいて来た。ミラーを見た運転手は、目を丸くして振り向く。その顔に驚いた客も、振り向いてもっと目を丸くした。
能動迷彩の側面装甲板に、周囲に合わせた地上車の列を投影しながら、高さを低く押さえた機関砲塔で前方をにらみつつ、武骨な歩兵戦闘車がやって来た。
「地球軍……」
遮るもののない車線を、平民をかしずかせる王侯貴族のように、何両もの戦闘車が通過していく。運転手は、はっと気づく。
「奴らがやったんだ。サーバント・サーキットですよ!」
「あ、そうか!」
武力と技術力、自分たちを支配する二つの強力な力を思い知らされて、彼らは唇を噛む。
――とある町の住宅。顔をそろえた祖父、祖母、母親、息子の前で、通信画面の父親が手を振る。
「一週間ぶりだな、みんな元気でやってるか?」
「ええ、元気よ。あなた」
母親は家族を見回しながら笑う。
「お爺ちゃんってば、腰痛で会社を休もうとしてたんだけど、ちょうど地球軍が仕事を引き継いでくれたから、五日も休暇がもらえたの。おかげで生き返ったって」
「ばかもん、一日あれば立ち直ってみせたわ。わしはあんな連中に恩義など感じてやらんぞ」
口をへの字にして頑固に言い張る祖父の側で、祖母がクリスタルの小さな人形を見せる。
「ペテロはああ言うけど、五日休めたから、黄《グル》大島のスパドームに行けたのよ。これ、お土産。――お隣のライアンさんに見せたら、うらやましがってたわ」
「お義母さん、我が家にそんな余裕が?」
「何言ってるの、ヨシュア」
祖母はぱたぱたと手を振る。
「あなたが送ってくれたお小遣いのおかげじゃない。それも共通通貨で。どうしたの? 一度に一万クレジットも」
「あれを使ったのですか」
「あら、いけなかったかしら」
「……いえ。こちらでも地球軍の恩恵がありましてね。超過勤務の特別手当だそうです」
父親が言葉の端に浮かべた、隠しきれない苦味には、まだ家族の誰もが気づかなかった。
息子が、iグラス越しに尊敬の眼差しを画面の父親に向ける。
「お父さんのところじゃ、地球軍が仕事を代行してないんですよね。それはつまり、それだけお父さんの仕事が重要だってことですよね?」
「ああ……重要さ。極めてね」
「僕、後期のカリキュラムで磁気流体工学を勉強しようと思います。お父さんと同じ仕事につきたいんです」
「いや、それはよせ」
鋭く言われて、少年はややひるんだ。
「どうしてですか? 好きでやるんですよ。ビフロストのためになる仕事につけって、お父さんはおっしゃっていたでしょう」
「だめだ、それだけはやめろ」
「あなた、どうしたの。そんな頭ごなしに」
母親が心配げに声をかける。
「いつもと違うみたいだわ。やっぱり、単身赴任でお疲れなの?」
「うむ……いや、すまん。おまえの言うとおり、ちょっと疲労がな」
「一度帰ってらしたら?」
「すまんが、無理だ。当分帰れん」
「当分って……夏には帰って来られるんでしょう?」
「夏は無理だ。いつとも言えない」
「そんな」
「お父さん、ほんとに大丈夫ですか?」
「うん、顔色が悪いようじゃな。わしよりおまえの仕事が買われてるってのはちょっと腹が立つが、それはやっぱり、責任が重いからじゃろう。悪いことは言わん、休め。なんならわしが産業省にかけあって」
「いや! ……いや、大丈夫です」
父親は、とってつけたように笑う。
「心配はいりません。休暇も、なんとか夏には取れるよう、交渉してみましょう。だから安心して待っていて下さい」
「あなた……」
「元気でな、みんな。――それと」
挨拶のあとの一言は、画面に走ったノイズでかき消された。ざあっと映像が乱れ、通信が途切れる。家族は顔を見合わせる。
「大丈夫かしら」
「まあ、本人が言うんじゃから。体調管理のできん婿を取った覚えはない」
「……あのノイズ」
「え?」
振り返った母親に言うでもなく、息子はあごをつまんでつぶやく。
「映像通信があんな途切れ方をすることって、あるかな?」
「さあなあ。それより、そろそろ晩の支度をしてくれんかね」
「そうよね。私たちがへたばってちゃ、ヨシュアに顔向けできないものね」
母親は立ち上がり、キッチンに向かう。
「マルコ、ちょっとスライサーの調子を見てよ。今朝からなんでもかんでもみじん切りにしちゃうの」
「え? ああ、うん」
気掛かりを残しながらも、少年は調理器具の修理に取り掛かった。
それが、この家族が父親を見た最後だった。
四月十日、地球軍がビフロストにやって来てから、およそ六週間。
シルヴィアナ市の地球大使館に、一つの報告が届けられた。
「事故?」
作戦司令室で、部下に渡されたデータボードを覗いていたハーン中将は、トレントン少将の耳打ちを聞いて、軽く眉をひそめた。
「それがどうした。我が軍は事故の処理にまで介入しておらんが」
「我が軍が起こした事件です」
ハーンは、即座にデータボードを部下に返した。
「ここではまずいな。執務室だ」
大使執務室に入ると、トレントンが盗聴防止装置を作動させた。それでも心配だというように、ソファにかけたハーンのすぐそばに立って、低い声で言う。
「未明四時頃に、二十四時間態勢で運行している赤道の軌道投射軌条《マストライバー》で、火災事故が発生しました。リニアレールにメガワット級の電力を供給するケーブルが、過負荷によって超伝導破壊を起こして炎上したんです」
「我が軍の死者は?」
「ありません。煙で肺を痛めた者が三名」
「設備の損傷具合と、復旧に要する時間は」
「ケーブルは代替物があります。交換に半日、テストに六時間、今日の深夜には稼動を再開できます」
「情報は漏れたか」
「事故情報は現地指揮官のシモツキ大尉の掌握範囲内でせき止めました。それ以外で知っているのは私だけです。作戦機密の漏洩に関しては大尉が調査中ですが、おそらく、ビフロスト人には漏れていないとのことです」
「そうか」
吸い込んだ息を大きく吐き出すと、ハーンは言った。
「で、ビフロスト人の被害は?」
それらの質問の順番は、そのまま、地球軍がこの星を扱うときの優先順位を表していた。
トレントンが短く答える。
「一名です」
「……一人、死んだか」
ハーンの表情がわずかに変化した。それまでの緊張の色が薄れ、非難するような目つきになる。
「私の対処命令がいるような事故か? 我が軍が起こしたと言ったが、たとえ我が軍に過失があったところで、その程度の事故なら、貴官の権限で処理できるだろう」
「いえ……起こったのは事故なんですが、さっきも申し上げたとおり、事件なんですよ」
今度は、ハーンは、はっきりと非難の調子で言った。
「回りくどい。手短に言え」
「自殺の疑いがあるんです」
「なんだと? それでは事故ではなくて――いや、詳しく説明しろ!」
思わず腰を浮かせたハーンに、トレントンは説明した。
死んだ男はG・スライダーの運行管理部長だった。その事故が起きる少し前まで、彼を含む十二名のスタッフが、深夜シフトで管制室に詰めていた。その場に居合わせたスタッフによると、部長はかなり顔色が悪く、話し掛けても生返事しかしないような状態だった。ここ数週間はずっとそんな調子だったが、その時は特にひどい様子だったという。
事故の三十分前に、部長は指令卓で何かつぶやき、管制室を出て行こうとした。手近のスタッフが声をかけたところ、給電経路の温度がおかしいので、電源棟に見に行くという返事だった。行き先、目的ともにおかしくはなかったので、スタッフは彼を見送った。実際その時には、ケーブル温度が数パーセントの変動を示していた。
次に部長が他人によって目撃されたのは、事故直後、ほんの数分後だった。G・スライダーの二本同時運行のために増設されたケーブルが、電源棟に引き込まれた入口のところで予想以上に発熱していた。臨時に架設された部分なのでセンサーから遠く、管制室では正確な温度がわからなかったのだ。その熱で超伝導状態が失われた。
超伝導状態でなくなったケーブルは普通の金属化合物としての抵抗を示すから、電熱器と同じように急激に過熱し、火災を起こした。自動消火装置が作動し、警報が鳴って、スタッフが現場に駆けつけた。その時部長は、炎上するケーブルのそばで、火のついた上着を振り回して、自分も火だるまになっていたという。
火はただちに消し止められたが、部長は体表の六割に三度の火傷を負う重傷で、レスキューが到着する前に死亡した。いまわの言葉はなかった。
「問題は、この火災が人為なのか自然発火なのかということです。自然発火ならば、火災は無理な運用をした我が軍の責任となり、部長はそれを消しとめようとしていたと考えられます。――しかしその時の部長の様子を考えると、彼がわざとケーブルの超伝導状態を壊し、火災を誘発して自殺した疑いも否定できません。彼は我が軍の懐柔手段を受け入れたことで、相当悩んでいたそうですから。すると、この事故は部長の人為ということになり、事件になります」
「……なるほど、分かった」
ハーンはうなずき、トレントンの予想した返事をいくつか飛び越えて、いきなり核心を突くことを言った。
「つまり、私にどちらかを選べということだな」
「……ご明察です」
「この際、どちらが事実かは問題ではないな」
ハーンは指を組み合わせて、ぐっと握った。
「事故だとすると、我が軍の責任になる……自殺だとすると、ビフロスト人の責任になる。ならば、自殺だ。そう発表しろ」
「その前にちょっと考えていただきたいんですが」
「何をだ?」
「ビフロスト人の心理状態をです」
妙な顔をしたハーンに、トレントンは講義口調にならないように注意しながら、言った。
「この一ヵ月あまりで、ビフロスト人の社会には相当なストレスが蓄積されています。我が軍に迎合する人間と、我が軍を疎ましく思う人間が、同じビフロスト人の中に生まれているので、その摩擦で緊張が高まっているんです。単純に反抗の機運が高まっているわけではないので、これをうまく誘導してやれば仲間割れを起こすことができるでしょうが、もし今、罪悪感に苛まれて自殺した人間が出たことを発表したら……」
「英雄を作ってしまうことになるのか」
ハーンは苦い顔になった。トレントンはうなずく。
「分裂しかけているビフロスト人を、再び一つに団結させてしまうことになります。これはよくないでしょう」
「もっともだな。ならばやむをえん、事故だ。その男は火災を発見したものの、消し止められずに死んだのだ」
「すると責任問題になりますね。慣例に従えば、シモツキ大尉を引き渡すか、最低でも我が軍の軍事法廷で裁くことになりますが」
「いや、待て。考えてみれば、大尉は作戦行動中だったわけだから、貴官と私にも管理責任がかかってくる。この重要な時期に、いちいち裁判沙汰になど関わってはおれん。大尉を裁いてはならん。賠償で解決しろ」
「了解しました。ビフロスト側には、たったいま解明された事実≠発表し、損害賠償での解決を目指すことにします」
トレントンはやや皮肉っぽく言って、ウェアコンに指令を入力し始めた。ハーンが顔をしかめたのを見ると、取り繕うように別のことを聞く。
「地球司令部にはなんと報告しますか? やはりビフロスト向けの説明と同じことを?」
「……つかずに済む嘘は、つかないほうが後々有利になる」
ハーンは眉根を寄せて考える。トレントンには大体分かる。本星は確かにハーンの後ろ盾なのだが、そこには鵜の目鷹の目でハーンの隙をうかがうライバルや、独立系の報道組織も存在する。彼らが最も騒ぎ立てるのは、隠されたスキャンダルを暴いたときだ。失敗の中には、最初から公表してしまうほうがいいものもあることを、ハーンは理解しているのだろう。
「本星には入手できたすべての情報を送れ。ビフロストの惑星間通信は、軌道上の艦隊が押さえている。地球からとんぼ返りしてきたニュースを、ビフロスト人に聞かれるようなことはないだろう」
「了解しました」
トレントンはうなずき、ウェアコンをしまった。敬礼して執務室を出て行こうとする。するとハーンが片手を伸ばした。
「ああ、おい」
「は?」
「その死んだ男が、管制室を出る前に何を言っていたか分かるか」
トレントンは、単語を一つ、口にした。ハーンは勢いよく立ち上がった。
「なんだと? ではそいつは」
「気づいたようですね。シモツキ大尉に言って、G・スライダーのスタッフに緘口令《かんこうれい》を敷きますか」
「だめだ、そんなことをすればかえって勘ぐられる。あくまでも、疲労しきっていた男のたわごととして、なんでもないよう扱うんだ」
「了解です。本星への報告でも、そういう具合に軽く流しておきます」
「そうだ、他の報告に埋もれさせろ。木を隠すなら、というわけだ」
自分の表現が気に入ったのか、ハーンはようやく、短い笑いを漏らした。その上機嫌が続いているうちに、トレントンは退出した。
最も重要な報告を最後まで黙っていたことを、責められる前に。
星立シルヴィアナ大学の自然環境園で、一人の少年が泣いていた。
高等科システム工学科の一年生、iグラスをかけた赤毛の少年、マルコ・スタグティーニである。
いつものたまり場のあずま屋で、彼は呆然とした様子で、涙を垂れ流していた。
「お父さんが……お父さんが……」
「元気出せよ」
良きケンカ相手のジェイムズも、さすがに同情した様子で彼の肩に手を置いている。皮肉屋のマルコが元気なときは、無礼と失礼の二重奏のような暴言で対抗するのだが、弱っている相手に対しては、とことん親身になる少年だった。
「体を張って火事を消し止めようとしたんだろ。立派な親父さんじゃないか」
「立派に決まってるさ。立派で優秀で最高のお父さんなんだよ。僕が絵画コンクールで金賞を取ったときは、わざわざコピーして職場のみんなに見せて回ってた。仕事の腕だって確かだったさ。ケーブル火災なんかで死ぬはずないのに……」
「うん、好きなだけ自慢しろよ。聞くよ」
「マルコ、かわいそ」
エリゼがもらい泣きしてぐすっと鼻をすすり上げる。
「私も会ったことあるけど、ビフロスト人の鑑みたいなお父さんだったよね。勤勉で、責任感強くて。めちゃくちゃ気持ち分かる」
「うん……」
なんだかくぐもった相槌を聞いてエリゼが横を見ると、ニルスはむこうを向いていた。無理やりその横顔をのぞきこむと、妹のエリゼでもあまり見たことがないのだが、ニルスも目を赤くしていた。
「お兄ちゃんも悲しい?」
「そりゃね……僕たちとまったく一緒じゃない」
「忘れてないんだ」
「当たり前だろ」
湿った雰囲気の一同の中で、ロレッタはウェアコンの画面を見つめている。醒めた表情だが、よく見ると何度も瞬きしている。もらい泣きなんかしないぞ、という暗黙の仕草であり、つまりしそうなのである。意地っ張りだった。
そんな機微のわからないエリゼが、けんつくを食らわせる。
「ロレッタ、こんな時に何を見てるのよ」
「議会中継」
「議会?」
「マルコのパパの事故、議会審議にまで上がったみたい」
「お父さんが?」
マルコがiグラスを上げて袖で目を拭き、顔を寄せた。一同の注目を受けて、ロレッタはウェアコンを丸木テーブルに立てる。ジェイムズが首をかしげて聞く。
「G・スライダーは産業省の管轄だろ。地球軍と交渉するにしたって、産業省と警察が出れば済むんじゃないか」
「彼ら、責任者の引き渡しを拒んでるの。代わりにお金で解決するって」
「なんだって……」
みるみるうちにジェイムズの表情が険しくなり、それを一瞬でマルコの怒りが上回った。
「お金だって? 馬鹿にするなよ、そんなものもらったって全然嬉しくないぞ! 運用事故なんだから、指示を出した人間が裁かれるのは当たり前じゃないか!」
「地球軍にとっては当たり前じゃないみたい。ほら、見て」
一同は食い入るように画面を見つめる。産業大臣が地球軍の提案を代読している。責任者には地球軍内で相応の処罰を下す。ビフロスト政府、産業省、犠牲者の遺族には十分な賠償をすることで弔意を表したい。その金額は、通常の労働災害が適用された場合の、五倍とする。
「どうやら地球じゃ、頭を下げる代わりにカードを差し出す習慣なのね。彼ら、それ以外の解決方法を知らないんだわ」
「お金……」
マルコが、はっと顔をこわばらせた。
「そういえば、うちにも地球軍からの特別手当が……くそっ、こんな連中に金をもらって、僕たちは喜んでたのか!」
「ど、どうなんだ。政府はそれを呑むのか?」
激昂のあまり舌をもつれさせてジェイムズが聞く。ロレッタが冷静に答える。
「呑もうかどうか迷ってるから、審議になってるのよ」
「なんで迷うんだ! 突っぱねちまえ、そんなの!」
「難しいと思うわ」
「どうして!」
叫んだジェイムズに、ロレッタは自嘲を含んだ声で答えた。
「今、マルコが言ったでしょ。マルコのパパは、いえ、多分G・スライダーの職員はみんな、地球軍に恩を売られてる。それだけじゃないわ、ビフロストじゅうで地球軍は同じことをやっている。情けない話だけど、うちのパパの会社も、地球軍と有利な取り引きをしたって言ってた。知らないうちに骨抜きにされていたのよ。ましてや、議会の議員は、彼らに協力することを決めた張本人たち。――今さら強い態度が取れると思う?」
「じゃあ……」
いやいやながらという感じで、ロレッタはうなずいて、画面を指差した。
「見て、議決に入るわ。多分……」
ロレッタの言ったとおりだった。地球軍の賠償提案を受諾するか否か。イエスの票が、ゆっくりと、それでも着実に、議長の背後のスクリーンに累積していく。十、二十、三十――七十、七十一、七十二。
「ああっ、くそう……」
ジェイムズとマルコが怒りと悲しみの混ざった叫びを上げる。似たような吠え声がどこかから聞こえてきた。このドームの他の場所でも、大勢の学生たちが中継を見ているのだ。
七十六、過半数の票が入ると、それ以上この屈辱的な決議が続くのに耐えられなくなったように、アーレンバーグ議長が木槌を振り上げた。
「結構です。それでは、ビフロスト政府は地球軍の提案を――」
その時だった。
大スクリーンの数字をかき消して、拒否権の大文字が真紅に輝いた。
「――母さん!」
エリゼが叫んで立ち上がる。ドーム中からわあっと叫びが上がった。しっ、とニルスがささやいて妹の腕を引っ張る。
カメラが切り替わった。主席壇に立ったフローラが、凛《りん》とした声を響かせた。
「ビフロスト自治政府主席として、議決拒否権を行使します。皆さん、聞いて下さい」
ドームの森のざわめきが収まる。ここだけではないだろう。惑星中の人々が静まり返ったはずだった。
「この決議は、惑星自治にかけた私たちの誇りを捨てる行為です。一時の利益に目がくらんで妥協を重ねれば、私たちは際限のない拝金主義の泥沼に引きずり込まれてしまいます。今でさえ、地球軍に少しばかりの利益を受けた人間が、そうでない人間とぎくしゃくし始めています。あなたの隣を見て下さい、あなたは隣の人にパンを売りつけようとしたことがありますか?」
マルコが顔を赤らめる。祖母が地球軍の金で買った旅行の土産を、近所に見せびらかしていたことを思い出したのだ。ジェイムズやロレッタも居心地悪そうに身じろぎする。同じような経験があるのだろう。
「今まで私たちはパンを売ったりせず、二つに割って半分を渡してきたはずです」
「主席。庶民感覚に訴えるたとえ話をしてくれるのはいいんだが……ちょっと感情的すぎないかね」
発言者にカメラが寄り、テロップが出る。ミナテク社、シンガルバット議員。
「細かい不公平は出ているかもしれんが、惑星レベルで見た場合の富は確実に増えているんだ。政府主席ともあろう者が、大局的な視点を忘れて、主婦みたいなことを言ってちゃ困るな」
「あなたこそ大きな視野を失っていると思いますよ。ミナテクが受けた利益は今日まででいくらですか。一千万クレジット? 二千万クレジット? そんなちょっぴりのおひねりで踊らされていていいんですか?」
「さすがにサイミントンの社長は豪気だね。一千万がちょっぴりか。それに、踊らされているだと?」
シンガルバット議員は斜に構えた笑いを漏らす。
「無理強いされたわけじゃない。我々は望んで踊っているのさ。それでいいじゃないか、踊っている限りはおひねりがもらえるんだ」
「嘘つきの彼らが、ずっとお金をくれると思いますか」
「嘘つき?」
「ええ」
うろんそうに睨《にら》みつけたシンガルバット議員に、フローラは驚くべきことを言った。
「地球軍は、スタグティーニ氏の死にまつわる事情を隠蔽《いんぺい》していました。私はその正確な記録を入手しました。それによれば、氏が亡くなった理由は、事故ではなく自殺です」
「自殺……」
シンガルバット議員は唖然《あぜん》として口を開けた。代わってドールテクニカのセベルスキイ議員が食って掛かる。
「やぶからぼうに何を言うんだ。それは確かな情報なのかね?」
「どことは明かせませんが、信頼できるソースからの情報です。私の議員生命を賭けて明言します。スタグティーニ氏は地球軍から賄賂を受け取っていました。これは恥ずべきことです。しかし彼は、命を賭けてその過ちを償ったのです」
議場はしんと静まり返った。その静けさはTV電波に乗って、全土に広がっていった。
マルコも、言葉を失っていた。
「お父さんが……自殺……」
「マルコ」
ジェイムズが名を呼ぶ。だが、それに続いてどういう言葉をかけるべきかで迷う。自殺は、生きて汚名を雪《そそ》ぐ機会を自ら放棄する、不名誉な死だ。マルコの父がそんな手段を選んだというのは、信じられない。
「マルコ、何かの間違いかもしれない」
「……いいや」
マルコはゆっくりと首を振った。
「本当かもしれない。――ううん、きっと本当だ。前に連絡してきたとき、お父さんはひどくやつれてみえたから。ああ、なんであの時、気づかなかったんだろう」
「仕方ないよ。誰にも言えなかったんだ」
「言おうとしてたよ」
マルコは宙に視線を浮かせた。
「そうだ、あの時、最後にお父さんは何か言いかけた。でも途中で通信が切れてしまった。あの切れ方は回線が別の誰かに妨害された時の切れ方だった! 地球軍が隠したんだ!」
「じゃ、間違いないわけね」
ロレッタの言葉に、マルコはうなずいた。
「他に方法がなかったから、お父さんは最後の手段で伝えてくれたんだ……」
マルコはウェアコンに視線を戻す。そこでは、議員たちが激しい非難の声をフローラにぶつけている。
「自殺だと言うなら、地球軍に直接的な責任はないことになるじゃないか。どうしてわざわざ彼らはそれを隠したんだ?」
「あなたは、地球軍との間に無用の疑惑を作る気か? 我々は今まで彼らとなんとか共存してきたんだ。いたずらに波風を立てないでくれ! そもそもその情報が本当なら、隠さず入手先を明かしたらいいだろう!」
がん! と丸木テーブルが揺れた。ロレッタがテーブルの足を蹴飛ばしたのだった。
その時、ニルスが自分のウェアコンを腕から外した。画面に触れてナンバーを入力する。
「お兄ちゃん、何するの?」
「お母さんのウェアコンにつなぐ」
「なんですって?」
「つながった。マルコ、ほら」
突然ウェアコンを渡されて、マルコは面食らった様子だったが、画面の中の政府主席の顔を見て、ぐっと息を呑んだ。
ニルスが横から言う。
「お母さん、彼は亡くなったスタグティーニさんの息子だよ。みんなに、彼の言葉を伝えて」
親子の間ではそれで十分だった。ロレッタのウェアコンのTV画面の中で、フローラが主席壇から離れる。大スクリーン脇の書記官にウェアコンを手渡し、指示を伝える彼女の姿を、議員たちが何事かと見守っている。
マルコの手の中で、フローラが言った。
「いいわ。あなたの話を聞かせて」
「話って、何を」
マルコは脅えたようにニルスを振り返る。ニルスは彼の腕に手を置きながら言い聞かせた。
「いつも言ってるじゃない。君のお父さんがどんなに立派なのか」
「……そうか」
マルコは意を決した様子で、ウェアコンに目を落とした。TV画面の中の議場スクリーンに、iグラスをかけた彼の顔が現れる。
「ビフロスト議会の皆さん、僕はマルコ・スタグティーニと言います。死んだヨシュア・スタグティーニの息子です」
自然生態園を発したマルコの声が、議場に響き渡り、TVによって全土へ飛ぶ。
「父は、誇り高い技術者でした。いつもビフロストのためを思って仕事をしていました。賄賂を受け取っていたのは僕も残念に思います。でも、それでも僕は、父を信じています。最後まで父が地球軍に魂を売り渡さなかったと」
声が震える。エリゼが立ち上がり、反対側からマルコの腕をつかむ。
「父はやっぱり、自殺したんだと思います。でも僕は無責任だとは思わない。そんなところまで父を追い詰めた地球軍にこそ責任があると思います。みんな、気づいて下さい。地球軍は最初から、サーバント・サーキットで僕たちの喉《のど》元を押さえているんです。父のような犠牲は、いつ出てもおかしくないんです。そのことを忘れてこれからも彼らに従うっていうなら、父は……なんのために……」
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それが限界だった。マルコは嗚咽《おえつ》し始め、言葉は途切れた。
だが、それで十分だった。
メディカル・チェアの老議員が挙手し、口を開いた。
「このことに関する限りは、議員も市民もないというわけだ。わしらは皆、一蓮托生《いちれんたくしょう》、社長も社員も等しく地球軍の脅威にさらされておる。……スタグティーニ君、恥ずかしながらこのコーエン、七十八歳にして君の言葉に目を開かされたぞ」
コーエン議員は年を感じさせない張りのある声で叫ぶ。
「書記官、この議場の通信番号を公開したまえ。すべてのビフロスト人に聞いてみようじゃないか。地球軍に膝を屈するべきかどうか」
中継画面に議場のナンバーが現れる。ロレッタがすかさず画面に指を走らせた。
議場の大スクリーンに、素晴らしい勢いで数字が集計されていく。十万、二十万――百万、五百万、一千万。すべてのビフロスト人が上げる、ノーの声。
いまや、異議を唱える議員は一人としていなかった。アーレンバーグ議長が、半ばあきらめたような顔で、木槌を振り下ろした。
「前代未聞の手続きですが、民主主義には反していません。議会は、いえ、惑星ビフロストは――」
その瞬間、中継画面にノイズが走り、映像がかき消された。
少年たちは一瞬呆然としてから、すぐに事態を悟った。これは、妨害を受けた時の途切れ方だ。議会中継を妨害するような者といえば――。
エリゼが、自分で改造したウェアコンを操作して、つぶやく。
「妨害電波の発信源、近い。シルヴィアナ市の北東……宇宙港だわ」
「地球軍の通信情報艦か」
「カウンターかける? 大学の放送設備で、めいっぱい対抗電波出せば、中継を復帰できるわよ」
「やめとこう。軍艦が本気で出力を上げたらかなわないよ。それに……もう続ける必要もないだろうしね」
ニルスが指し示した先で、大学生らしい一団の青年たちが、声高に話し合いながら小径を走っていった。ドーム全体が、熱気を帯びたざわめきで満たされていた。おそらく、星中が同じ雰囲気に包まれつつあるのだ。
あずま屋のそばの小川を突っ切って、オーバーオールの老人が走って来た。ニルスたちを見て、やっぱりここか、と手を振る。
「ダンカンさん」
「見たぞ、さっきの。頑張ったなあマルコちゃん」
「いえ、必死だったから……」
我の強いこの少年にしては珍しく、マルコは頬を赤らめてうつむいた。いやいやそんな場合じゃない、とダンカンが首を振る。
「ゲートに地球軍が来ておる。あんたらを探しとるみたいだ」
「地球軍が? どうして」
「なんでってそりゃ……おまえ、独立戦争の幕を切って落としたんだぜ」
ジェイムズが脅えもせず、むしろ楽しそうな様子でマルコの肩を叩いた。
「奴らがほっとくはずがないだろうが」
「逃げましょう」
ロレッタが立ち上がり、上着を脱いで放り出した。
「制服を着ていると目立つわ。ニルスも脱いで。マルコはハンカチでもかぶったら。その赤毛、レスキューの回転灯みたいよ」
「ああ、待った待った」
ダンカンが言い、ポケットから何かを取り出した。緑色の、角度によっては虹のような散乱光を放つ、数枚の植物の葉。
「お守りだ」
「これ……緑玉楡の葉っぱ?」
「気に入るだろうと思ってね」
ダンカンはそれを全員に配る。
「わしはこの自然生態園が気に入っておる。農業惑星のツァーレンの自然を思い出すからな。でもあんたらには、繊細でみずみずしい地球の自然は、かえって鼻に付いてたんじゃないか。厳しいビフロストの環境に耐え抜いて、生態系とも関わりあわず、けれども一人ですっくり立つのが、緑玉楡だ。こっちのほうが、あんたらには似合いだよ」
「そうか。それが俺たちのアイデンティティなのかもしれないな」
ジェイムズがそう言って、そばの柊の枝をへし折った。
「もともと気に入らなかったんだ。大体、自然環境園にテラドームなんて地球ゆずりの名前がついてるとこからしてな。自然も環境も地球の専売特許じゃない。出掛けにそこいら、荒らし回ってやろうか」
「やめなよ、動植物に罪はないんだから」
ニルスが止めた時、森の向こうで場違いな爆発音がとどろいた。気短かな地球軍が、待ちきれなくなって、専用の出入り口を作ったらしかった。
「ほら、本来の主人がやって来た。テラドームは地球人に渡しちゃおう」
「で、私たちは残るビフロストの全部をもらうってわけね」
答えるエリゼの顔も生気にあふれている。もともと、爆発したくてうずうずしていたのだ。
「さあ、あっちが職員用のゲートだ。見つからんように急いで逃げなさい」
ダンカンが小径すらない木々の密集した方向を指差した。
「ありがとう、ダンカンさんも気をつけてね!」
老人に手を振ると、輝く葉を胸に差した少年たちは走り出した。
シルヴィアナ市、ダウンタウン。
住民がすべて社員のこの星には、建前上、失業者が存在しない。事実上はと言えば多少いるのだが、人の少ない星のこと、彼らにも相応の仕事は回ってくる。喧嘩屋、運び屋、泥棒、盗品故買屋、私立金融、掃除屋、胴元、娼婦に男娼、ゴミ拾い、等々。いわゆる汚れ仕事だ。人類のすべての歴史を通じて、それらを一掃できた国家は存在しなかった。
だからシルヴィアナ市にも、そういった人々が吹き溜まるダウンタウンがある。普段は、ここを訪れる一般市民やよそ者は、敵意のこもった視線に迎えられる。
しかし、その日の夕暮れ時は、ダウンタウンの皆が浮かれ騒いでいるようだった。
廃材利用のドームの軒で、ぼろを着た男たちが突然顔からサプライヤーをひっぺがし、密造酒をらっぱ呑みして、あまつさえ頭からぶっ掛けあう。けばけばしい衣装に身を包んだ若いカップルが、踊るように道をやってきたかと思うと、道の端に捨てられていた古い地上車の上に飛び乗り、すっぱだかになってジャングルの獣のような雄叫びを上げる。パン! という破裂音は普段なら間違いなく銃声なのだが、幹だけの緑玉楡によじ登った男が持っているのは、手製と思しきクラッカーなのだった。それを鳴らした後で男は叫ぶ。
「ビフロスト万歳! 地球軍のケツを蹴っ飛ばせ!」
やや季節感のズレたロングコートに身を包んで、サングラスをかけた長身の男が、ちらりとそれを見上げてから、足早に通り過ぎた。
男は時々、手首のウェアコンに目を落としながら、入り組んだ細い路地を歩いて、一軒のパブにたどりついた。左右を見回して人がいないのを確かめてから、ドアを押す。
エアロックを抜けると、思い切り照明を絞った暗いフロアに、ほんの十脚ほどのスツールを備えたカウンターがあった。男は迷わなかった。客は一人しかいなかったからだ。
男が客の隣に腰掛けると、何も言わない前から、顔の半分を酸か何かの溶解傷で覆われた恐ろしい形相のバーテンがやってきて、グラスを置き、地球産の――つまりとんでもなく高価なウイスキーを注ぎ始めた。男はあわてたように片手を突き出す。
「ちょっと待ってくれ、これ高いんじゃないか。そんなに持ち合わせがない」
バーテンは、これからおまえの頭の皮を剥ぐと言わんばかりの、ものすごい目付きで男をにらみ、ぼそりと言った。
「今日はおごりだ。地球の酒は全部空けちまうことにした」
「気前がいいね」
「連中を呑み下すつもりで飲《や》ってくれ」
「くそったれな地球軍の冥福を祈って」
男は杯を掲げて言った。バーテンは無言でうなずいてカウンターの隅に戻っていった。
「さて……」
お義理っぽく三口ほど酒をなめてから、男は隣の客に向き直り、言った。
「くそったれな地球軍の呼び出しに応じてくれて、ありがとう」
その長身の男は、トレントン少将だった。そして、iグラスを偏光モードにして表情を隠した隣の客は――。
「この辺りは慣れている。若い頃、半年ほど暮らした」
サイミントンモーター社のパッカード副社長だった。
一人でもこの場に不似合いな男たちだが、二人が並んでいるのは異様な取り合わせだと言えた。自覚はあり、一メートル先にも届かないような低い声で話し合う。
「柄の良くないところだろう。人目を避けるにはここしかなかったんだが、なんとか別の場所に行ったほうがよかったか」
「別に危険でもなかったよ、みんなお祭り騒ぎだったから。地球軍に正面切って文句を言えるのは、連中にとっても嬉しいらしいな」
「申し訳ない。元になる不満を彼らに抱かせたのは、私たちの落ち度だ」
「気にしなさんな。その元になる窮乏を作ったのは、俺たち地球人だ」
この二つの台詞は、まともなビフロスト人と地球人なら口にしないどころか、思いつきさえしないものだった。少なくとも敵同士の会話ではない。
なぜそんな会話ができるのかは、続くやり取りで明らかになった。
「で……田舎惑星出身でさんざん馬鹿にされていた私を、今さら呼び出したりして、どういうつもりだ。エミリオ」
「あんたを馬鹿になんかしてなかったよ、先輩。俺は全員を馬鹿にしていただけだ。上海の南翔《ナンジャン》大学に集まったエリート気取りの地球人と、ごますりの他惑星人をね」
トレントンが、彼にしてみれば友好的な表現のつもりの言葉を、投げやりに吐き出した。変わらんな、とパッカードがつぶやく。彼はこの、まるで真剣味というものを見せない後輩の言動に、慣れていた。
パッカードは地球の大学に留学していたことがあったのだ。トレントンとはその時に、同じ政治学の講座で知り合った。
「旧交を温めるだけのつもりじゃないことは、分かるだろう」
トレントンはグラスの縁を指で撫でながらささやく。
「実利的な付き合いってのがしたいのさ。あんたはいまや、押しも押されぬビフロストのVIPだ。その気になればいくらでも、向こうの内情をこっちに流すことができる。今日のあれ、な。まさか主席があの情報をつかんでいるとは思わなかった。俺はハーンのおっさんにこっぴどく絞られたよ。一体どこからあれを知ったんだ?」
「押しも押されぬVTPが、軽々しくそんなことを話すと思うか」
「話したほうが得だぜ。――何しろ俺は、先輩を次期ビフロスト主席に推薦しようと思ってるんだからね」
今期主席が主席でなくなることを、露骨に告げる言葉だった。だが、パッカードはきっぱりと首を振った。
「安く見るな。私はそんな地位などほしくない。サイミントン主席の信頼を裏切る気は毛頭ない」
「じゃ、信頼を失うような弱点は、極力見せたくないはずだね」
「……なんのことだ」
「名誉地球市民、ミスター・トムス・パッカード」
トレントンはうやうやしく言った。
「新惑星人の誉れ、輝かしき称号。それをあんたは、ビフロストの誰にも明かしてないね。うん、分かるとも。首輪の立派さを誇る犬ほど格好悪い犬はないものな。あんたは謙虚だよ。他の新惑星じゃ、胸を張ってそいつを見せびらかしている犬どもが、掃いて捨てるほどいるってのに」
「……それを、主席に言うと?」
「彼女だけにこっそり手紙を送ったりはしない。俺はあのひとを口説くなって、おっさんに太い釘を刺されてるからね。ほんのちょっと野暮ったいが、頭も回るし見目麗しいし、好みなんだがなあ。……仕方ないから、秘密はみんなに聞かせてやるさ」
さらりと言った最後の一言で、パッカードが身を硬くした。
「……私に故郷を売れと言うんだな」
「名目だけの地球人から、本物の地球人になる機会を作ってやるって言ってるんだ。次期主席の地位が気に入らなければ、地球に来ればいい。地球は売国奴を冷たく拒絶したりはしないさ。何しろあの星は、もっともっとひどい売国奴であふれ返ってるんだから。……かく言う俺もその一人だけどね」
トレントンは、すでに自虐など通り越したような、さばさばした顔で笑った。
「故郷なんか売り払っても幸せに暮らすことはできる。地球の有象無象どもがそれを証明してるよ。先輩、あんたも仲間に入らないか。こういういい酒が浴びるほど飲めるぜ」
トレントンが差し出したグラスを、パッカードは奪い取り、頭上に振り上げた。
だがそれが床に叩きつけられることはなかった。
「どうだい?」
トレントンはパッカードの手つかずのグラスを取り、ちびちびと飲み始めた。そうやって、いつまででも待つつもりのようだった。
四月十六日、ビフロスト自治政府は、地球軍に対して正式に退去要請を出した。
ビフロスト派遣軍司令官、ハーン中将はこれを拒否、地球軍が警備目的でビフロストに進駐する法的根拠となる安全保障条約違反に当たるとして、ビフロスト自治政府首脳を告発し、逮捕を要求した。
ビフロスト自治政府は、自治権の侵害を訴えてこれを拒否。同時に、惑星全土の諸機関に、地球軍に対する不服従の指示を出した。
地球軍はこれを、地球宗主権に対する反乱と断定。軍事力を行使しての制圧を開始した。
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第三章 黄鉄の嵐
二五〇六年四月二十日午前九時二十分、地球軍は、ビフロスト自治政府庁舎を始めとする、自治政府議会、惑星警察本部、中央放送局と四つの企業系放送局、宇宙港、海上港、衛星送電システム受電所、食糧供給センター、それに二十二の主要企業の本社事業所と工場などの、シルヴィアナ市の重要な施設を一斉に占拠し、首都を占領した。
朝九時という時刻は、ビフロスト人がそれぞれの職場に集まったところを狙ったものである。その後の二十分という端数が、実際の行動に要した時間だ。同時刻に、赤道上のG・スライダーと、散在する十六の輸入物資降下サイトも地球軍の手に落ちた。
出動した地球軍の兵力は二万九千五百名。宇宙港の揚陸艦や補給輸送艦で待機していた実戦部隊で、その気になれば百万の単位の兵力を動員できる地球軍にしては、ささやかな数である。にしても、シルヴィアナ市の三十万人の人口の一割近くにもなる完全武装の歩兵は、この場合、十分すぎるほどの数だった。
ビフロスト側の武力抵抗はなかった。この星唯一の武装勢力である警察官たちは、一発の弾も撃つことなく、武装解除した。そうしろという指示が上層部から出ていたらしい。むしろ、民間人にあたる事業所や工場の職員たちの反応の方が激しく、入所を拒否したり物を投げるなどして、若干の抵抗を示した。しかしこれらの抵抗は、わずかな時間で地球軍に排除されてしまった。この時点ではまだ、死者の数はゼロである。これは地球軍側でも同様の指令が出ていたからだ。殺すな、ではない。まだ殺すな、という指令だ。
首都を押さえるのは惑星占領の第一段階でしかない。この段階で殺すと激烈な抵抗を引き出してしまう。だから極力殺してはならない。――ハーン中将の有能さがうかがえる指示である。凡百の指揮官なら、見せしめのために街を燃やせと命じてもおかしくないところだ。それをやった上海軍事政権がどれだけの非難を受けたか、ハーンは覚えていたのだ。
殺してはいけない。しかしそれ以外の制止はなされていなかったので、二千八百人あまりの負傷者は出た。その全員を含む六千百人が逮捕された。
自治政府首脳の身柄は、最重要の目標だった。作戦開始と同時に、政府主席の自宅と、所属企業のサイミントンモーター社本社に歩兵戦闘車が乗りつけたが、重い軍靴を鳴らして踏み込んだ兵士たちが見たのは、もぬけのからの住居ドームと社長室だった。しかし部隊長はたいして驚かなかった。いくらビフロスト人たちが戦争に慣れていないといっても、ここ数日の情勢を考えれば、真っ先に主席が狙われることぐらい予想しているだろう。のんきに自宅や会社にいたら、それこそ驚きだ。部隊長は念のためにそこらの捜索を部下に命じつつ、主席と家族を発見できなかったことを司令部に伝えた。
議会ドームこそ本命だった。今までの主席の言動から考えて、逃げるよりも議会に立てこもって、議員たちとともに政治的な交渉を要求する可能性が高いと思われたからだ。
しかし、その予測は外れた。本命と見込んだ政庁には、地球軍副司令官のトレントン少将が、自ら歩兵千五百五十名を率いて乗り込んだのだが、彼を迎えた議員たちの中に、サイミントン主席の優しげな姿はなかった。
「主席はどこです」
議長壇であぶら汗を流している、エメット・アーレンバーグ議長に向かって、トレントンがレーザーガンを突きつける。
「他にも数人、姿が見えませんな。フタバ産業大臣に主席補佐官のパッカード氏に……彼らはどこへ行ったんです。トイレなどという言いわけは通用しませんよ」
「知りたければまず、その無粋な道具をしまいたまえ」
トレントンは振り向き、メディカル・チェアの老議員を、冷ややかな眼差しで見つめる。
「銃を収めたら教えていただけますか」
「いや、その後で行政府の民生省へ向かうんだ」
「……それから?」
「ビフロストへの移民手続きをする。所定の税を納める。自治政府議会議員に立候補する。それで票が集まって議員になることができたら、仲間として教えてあげよう。次の選挙は二年先だがね」
にやにや笑っている老人を見つめて、トレントンは軽く黙礼した。
「……デイヴィッド・コーエン氏ですな。ビフロストを一つにまとめたあの演説は、拝見しましたよ。さすがに口がお達者なようだ」
「そうでもないよ。年のせいか皮肉のレパートリーも枯れてしまってな。昔は若造の一人や二人や千人ぐらい、軽くやりこめたもんだ」
「二年は長すぎる。二分でできるなら考えますが、無理でしょう? 私は本来の職責において、情報の提供を要求しますよ」
トレントンはレーザーガンを構え直した。
「さあ言うんだ、爺さん。これ以上、年寄りの愚痴に付き合う時間はない」
「そいつは残念。だがやっぱり、そんなものは必要ないよ」
トレントンはレーザーガンの安全装置を外す。コーエンはその銃口を正面から見つめながら、ぽんぽんとメディカル・チェアを叩いた。
「ほれ、こいつを使えばいい。心臓停止に備えた電気ショックを逆用すれば、年寄り一人ぐらい、いちころさ」
「……今さら、弱みをさらして同情を買う手か? そんなのは無駄だぞ。弾が節約できてありがたいと思うだけだ」
「節約してみたまえ」
トレントンは顔をこわばらせ、無言でポケットからIDカードを抜き出した。最も近い距離にある自動機械の作動を逆転させるよう、命令を入力する。
コーエンの骨張った体が、びくん! と椅子の上で跳ねた。議員たちが押し殺した悲鳴を上げる。
だが、コーエンはまだ死ななかった。一度はぐったりと上半身を伏せたものの、震える両腕に力をこめて体を持ち上げ、炯々《けいけい》と光る両眼をトレントンに向ける。
「一度きりかね」
「……」
「分かったか、地球人。これがわしらの覚悟だ。武器など向けられなくても、わしらは常におまえたちの死の鎌を首に当てられている。今さら脅されたところで、恐ろしくもなんともないんだよ」
トレントンは迷ったように、IDカードを持つ手を上下させる。ふと気付くと、議場に乗り込んだ百人以上の部下たちも、引きつった顔でオートライフルの銃口を揺り動かしていた。居並ぶ議員たちが、一人残らず立ち上がって、彼らをにらんでいるのだった。
紙のような顔色にもかかわらず、コーエンが凄まじい意志の力を感じさせる強い声で言った。
「殺してみたまえ、端から順に。言っておくが、全員が主席の居所を知っているわけではないぞ。うっかり知っている議員を殺さないようにな。――こら、エメット! びくびくするんじゃない!」
トレントンがはっと振り向いてレーザーガンを突き出す。アーレンバーグが蒼白な顔で椅子に尻もちをつく。
コーエンが大笑した。
「やめておいてくれ。議長は知らないんだ。わしは知っているが、死んでも口は割らん。そして知っている議員は全員、わしと同じように覚悟を決めている。無駄なんだ、地球人。ここでおまえにできることは何もない」
「……頑固な爺さんもいたもんだ」
トレントンはIDカードとレーザーガンを収めると、部下に合図して出口に向かった。コーエンの笑い声から逃げるような早足だった。
とはいえ、完全に敗北を認めたわけではなかった。まだ打てる手はたくさん残っているのだ。議場を出たところで、部下の大尉を招き寄せる。
「全員をここに足止めしろ。何か要求されたら差し入れで対応するんだ」
「追求はしなくていいのですか」
「吐かせるにしても手間がかかりすぎる。それより向こうの動きを待ったほうがいい。通信回線を空けておいてモニターするんだ。あの爺さんだけじゃないぞ、奴自身が囮《おとり》とも考えられるから、全員の通信を残らず監視しろ」
「自白剤を使えばすぐにでも分かりますが」
「うん?」
トレントンは刃物のような剣呑な目付きで大尉を見た。
「貴官には言っていなかったか。おれはそういう短絡的な手段は嫌いなんだ。精神的に屈服させて、相手が自ら望んで協力するようにさせるのが好みだ。――これは単なる趣味じゃないからな。敵を増やさず味方を増やせ、という作戦要綱にもかなっている」
単なる趣味だとしか思えなかったのだが、大尉は性急にうなずいた。上官の嗜好にとやかく言えとは、地球軍の作戦要綱に書いていない。――たった今、無抵抗の民間人を殺しかけたような上官の嗜好については、なおさらだ。
「それに、主席を捕まえられなくても、収穫が皆無だということにはならない」
ひとまず危険な眼光を消して、トレントンが続ける。
「ここに残っている議員たちだけでも、首都と惑星を支配するためには十分な人材だからな。ほとんどの企業の首脳を押さえられたじゃないか。たった数人の主席たちが何かしようとしたって、実際的な力は何もない」
「象徴的な力はあります。彼らがビフロスト人に決起を呼びかけたらまずいのでは」
「自分たちは何も行動せずにか? ビフロスト人の気性から考えて、そんな他力本願な人間は見限られるのがオチだ。やるならここでやるべきだったんだ。そのチャンスを自ら捨てた主席なんか、考えてみれば、あまり恐れるべきじゃないかもしれんな」
「そうですね」
多少気性に問題はあっても、この男の読みの深さはたいしたものだった。大尉は率直に同意する。
「一応、捜索は続けろ。行政府にも人をやって、消し残されたデータがないか探すんだ」
「了解しました。副指令は」
「俺は司令官閣下に報告してくる。あの方は、万事を直接知らないと気が済まない方だからな」
トレントンが離れたので大尉は息をついたが、少し先で彼が振り返ったので、再び直立不動になった。
「大尉」
「はっ。なんでしょう」
「上官が消えたからって、議員たちに妙な話を持ちかけるなよ。今までの賄賂の授受は、作戦行動の一環としてやったんだ。今後そんなことをする必要はない。――ビフロストの企業と個人的に結託するようなマネはな」
「も、もちろんであります」
大尉は震え上がって敬礼した。実はやろうとしていたのだ。地球軍人ならたいして珍しくもない企みであり、彼も実際、捕虜を見逃して代償を受け取ったことがあった。
だが、さすがの彼も、上官の嗜好を無視してまでそんなことをする勇気はなかった。
その後、トレントンは速やかに、ハーンの待つ地球大使館へと報告に戻ったのだが、彼のその行動は無意味なものだった。
主席逃亡、という報せが言わずもがなだったからではない。主席がいきなり見つかったからだ。
より正確にいうと、主席が見つけられなくなったことが、主席の居場所を示したのだった。
地球軍の行動開始以来、ひっきりなしに報告と命令が飛び交い、一気に騒々しくなった作戦司令室で、ハーンが部下に命令を出していた。
「反乱行動への警戒は十分だろうな? ビフロスト人は兵器を持っていないが、使い方によっては無害な二酸化炭素でさえ人を殺す武器になるのだ。向こうが攻撃してくれば反撃の名分も立つ。もし各部隊が襲撃を受けたなら、こちらの指示を待たず、現場でどんどん対応するように言え」
「すでに徹底させております」
「うむ。主席の行方はわかったか?」
振り向いたハーンに、別の士官が答える。
「自宅、サイミントンモーター社の事業所と工場、いずれにも主席及び家族と側近の姿は見当たりません」
「こういう場合は、意外と近くに隠れているものだ。血縁、知人、友人のリストはすでに作ってあるな。会社の部下の自宅、あるいは子供の友人の家ということもある」
「はっ、調べさせます」
部下が通信機のカフを押す。下された命令は、直接には各部隊に伝わらず、一度迂回してから目的地へ飛ぶ。
大使館に運び込まれたのは作戦立案用の電子機器が主で、強力な電力と様々な発振機器を必要とする通信機材は、それほど多くない。それらを備えた拠点が近くにあるから必要がないのだ。宇宙港の通信情報艦である。命令のほとんどは、太い流れに束ねられてその艦に中継されてから、市内のような近距離、周辺数十キロの中距離、あるいは衛星を経由した遠距離の目的地に伝えられる。報告は逆の流れだ。
「子供の通っていた学校も見逃すな。学校はしばしば、妙な思想に凝り固まった連中の拠点になる。ザイオンがそうだった」
「はっ、シルヴィアナ大学の調査を命じます」
「市内のホテルはもちろん押さえてあるだろうな。それに、ハイウェイのインターチェンジもちゃんと監視しているか」
「はっ……お待ちください、まず大学の調査を」
「他の都市に逃げられると面倒だ。ハイウェイが優先だ。それと対空監視も怠るな。そんな目立つことはまずやらんと思うが、航空機で逃亡するかもしれん」
「はっ……その、大学の調査命令が」
「それは後だと言っている」
「いえ、命令に対する復唱がありません」
「……なんだと」
ハーンは言葉を切って、部下を見下ろした。部下が困惑した顔で、通信機のタッチパネルを操作する。
「回線が切れました。向こうから切られたんです」
「部隊が命令を拒否したのか?」
「部隊がではなく……」
「おい、衛星のデータリンクが切れたぞ」「太陽嵐か。この星は地球より太陽に近いからな」「違う、レーザーもだ。それに中距離も。なんだ、近距離通信もレーダーもブラックアウトしたぞ?」
部屋中で担当官たちが叫ぶ。ハーンの前の部下は、なおも未練たらしく、しばらく通信機をいじっていたが、やがて、言いたくなさそうな顔で告げた。
「……宇宙港の艦が機能を喪失したようです」
「アコンカグアが機能喪失だと? 馬鹿なことを言うな、予備回路はどうした! 故障報告はないのか!」
司令室が静まり返る。それが状況を表していた。アコンカグアと大使館の間の通信が途絶することは、自分の両目が脳に映像を送ってこなくなるのと同じほど、ありえないことと考えられていたのだ。
事態の説明は、思わぬ経路でやって来た。
司令室の隅で、場違いにのどかな電話のベルの音が鳴った。それは大使館が大使館だったころからの数少ない遺物の一つだった。地球の古き良き時代を再現するために、映像画面すら省かれた、化石のようなアンティークの電話器に、士官が手を伸ばす。
「はい、地球軍作戦司令室……天山《テンシャン》から?」
「貸せ」
アコンカグアとともに停泊している工作艦の名前を聞いて、ハーンが大またに歩いて司令室を横切り、士官の手からレースのかけられた受話器をひったくった。
「ハーンだ。現地回線を使うとは何事だ! このラインは盗聴防止措置など施しておらんのだぞ!」
「申し訳ありません、他の回線を遮断しているのでやむをえず使いました。それも、番号が分からなかったので遅れてしまいまして……」
「言いわけはいい、切るぞ!」
受話器を叩きつけようとしてから、ハーンは今の報告の奇妙さに気づいた。もう一度受話器を耳に押し付けて怒鳴る。
「遮断しただと? 天山がアコンカグアの通信を妨害しているのか?」
「違います、私はアコンカグアの通信士官です。アコンカグアからの緊急退避が完了したので、天山の設備を使って報告しているんです」
「緊急……退避とは、どういうことだ」
「アコンカグアが細菌汚染された疑いがあるので、通信設備をすべてオフにして、艦長の判断で総員下艦したんです」
ハーンは優雅なデザインの受話器をしばらく見つめた。その顔に、恐ろしい怒りを伴った理解の色が浮かんだ。赤熱する寸前の鉄のような、暗く熱い声で言う。
「その細菌汚染というのは、部隊外からの情報だな」
「はい。第三六五医療部隊が宇宙港にやってきて伝達しました」
「その医療部隊は、貴官らと入れ違いで艦に入ったんだな」
「はい。検査と消毒のために」
「その医療部隊のIDは、誰も確かめなかったんだな」
「はい。緊急事態でしたので……確認したほうがよかったでしょうか?」
「今、アコンカグアはどこだ」
「洋上に出て海水で艦を洗浄しています」
ハーンは、華奢《きゃしゃ》な受話器を握り壊した。
唖然としている幕僚たちに振り返って、聞く。
「ここの設備でアコンカグアをレーダー追跡できるか。いや、宇宙港の他の艦を使ってでもいい」
「この場にレーダーはありません。宇宙港の艦を使うよりも、衛星か軌道上の艦にやらせたほうが早いです。しかし――」
答えた幕僚は、すでに事態を理解しているようだった。
「アコンカグアは、我が軍でもっとも電子戦能力の高い艦なので、ステルス機能を使われると、発見は困難です」
「むう……」
ハーンは目を閉じ、まだ指の間に残っていた受話器の残骸を、じゃりじゃりと握り締めた。その場で一番若い、司令部付きになってまだ一週間の通信士が、隣の士官に聞いた。
「あの……何が、どうなったんですか」
「アコンカグアは、ビフロスト主席の自家用船になってしまったんだ」
「は?」
通信士の疑問は、ハーンの怒声に吹き飛ばされた。
「航空機を全機出せ! 肉眼でアコンカグアを捜索するのだ! 情報通信設備も大至急他の艦に代替させろ! それに、全部隊の位置とIDを再確認! ビフロスト人にだまされて装備を奪われた部隊を発見し、一秒でも早くここへ連れて来い!」
司令室のすべての人間が、尻を蹴飛ばされたような勢いで任務に取り掛かった。
沖の波間に、巨艦の鋭角的なシルエットがゆっくりと消えていく。
「あーあ、もったいない」
砂浜に立ったエリゼが、沈んでいくアコンカグアを見つめながらため息をついた。
「あの宇宙船、十億クレジットはするわよ。中の電子機器だって、一億や二億じゃきかない、最新鋭だったのに……」
「仕方ないよ、あんな目立つものを、いつまでも乗り回しているわけにはいかない。いつ制御権を取り返されてもおかしくなかったしね」
アコンカグアから海岸へ脱出するために使った、ゴムボートをナイフで切り裂きながら、ニルスが言って聞かせる。
「地球軍の指揮系統に大打撃を与えてやったんだから、ひとまず満足しておこう」
「はいはい」
エリゼはおざなりに答えてから、振り向いた。
「で、これからどうするの?」
どことも知れぬその砂浜には、ビフロスト自治政府の中枢部があった。
サイミントン主席と補佐官パッカード。フタバ産業大臣とムハマド科学大臣。セベルスキイ議員やシンガルバット議員などの企業有力者。そしてそれらの家族。あわせて三十人ほどだ。
数の上では、シルヴィアナ市に残してきた議会議員の十分の一ほどにしかならないが、能力、特に行動力にかけては、首脳部でもよりぬきのメンバーが、この脱出行に参加していた。事実上、ビフロスト政府が車座で座り込んでいるようなものである。
「軍艦から食料も持ち出したことだし、そこらの民家に逃げ込んで、ほとぼりが冷めるのを待つか。――いや、冗談だとも。そんなに怖い顔をしないでくれ」
シンガルバット議員が、黒いちぢれ毛をかき回しながら、エリゼに苦笑を向ける。
「体を張って地球軍から装備を奪い取り、私たちを逃がしてくれた市民の期待を、裏切るつもりは毛頭ないさ。是が非でも地球軍を撃退して、首都に凱旋《がいせん》しなきゃならん」
「本気でしょうね。マルコを泣かせたくせに。嘘だったら、髪の毛むしってやるから」
「あの子がここにいれば謝るとも。いないから証明はできないが」
その通り、マルコやジェイムズなど、双子の友人たちは、首都に残っていた。彼らも地球軍に目をつけられているから、できれば連れて来たかったが、残って首都での仕事をする人間が必要だったので、やむをえずおいて来たのだ。
「亡命政権の存続宣言をするかね? 亡命というより逃亡だが」
セベルスキイ議員が、仕立てのいい服にこびりつく砂を気にしながら言った。フローラが首を振る。
「今やっても、地球軍に居所を教えてしまうだけで、無意味です。しばらくは潜伏したまま行動しましょう」
「では作戦会議だ。どうやって地球軍を追い払う。戦力を集めて首都の敵司令部を落とすか? それとも、全土に散らばる小部隊を、手当たり次第に攻撃して回るか?」
「どちらもいい手ではありません」
[#挿絵(img/01_149.jpg)入る]
パッカードが考え込みながら言う。
「首都で戦闘を起こせば市民が巻き添えになります。各個撃破をするには時間も人員も足りません。長引けば、地球軍が支配体制を固めてしまいます」
「彼らが地歩を築く前に叩かねばならんか。しかし……」
セベルスキイは首をかしげる。
「ずっと気になっていたのだが、彼らの本当の目的はなんだ?」
その問いには、誰もが口を閉ざしてしまうのだった。
「反乱勢力に対抗するための武器生産、そんなものでないことは確かだ。なぜって、地球軍は現地調達の必要がないほどのしっかりした装備を、宇宙港の軍艦に隠していたからな。しかし、彼らは、設備の使用記録さえも改竄《かいざん》してしまっていたから、うちのドールテクニカの工場が何に使われていたのかも、よく分からん」
「一体何を作っていたんだろう」「ろくでもないものなのは確かだろうが」
つぶやく一同に、フローラが言った。
「何を作っていたのかは分からないにしても、今でも続けていることは確かよね」
「続けようとはしているな。我々が出した不服従命令で社員が作業をボイコットしているから、一時的に中止はされているようだが」
「それじゃやっぱり、何かを作ることが地球軍の目的なのよ。そして、地球軍は目的のためには手段を選ばない……」
一同は顔を見合わせる。シンガルバットが浅黒い頬をぴしゃりと叩いて、唸《うな》った。
「なるほど、連中の次の動きはこれで分かったわけだ。――各社の工場の、完全な占領か!」
「ならばこちらにも手があります」
パッカードが言う。
「各地に散らばる地球軍は、工兵部隊ばかりで、実戦能力はそれほどありません。もしどこかの工場なり鉱山なりで、武力を行使する必要が出てきたら、首都から戦闘能力のある歩兵部隊を差し向けることになります。地球軍の戦力を減らしたい我々は、それを迎え撃てばいい。都市部でなければ民間人を巻き込まないで済みます」
「騒ぎを起こして連中の本隊をおびき寄せるわけだな。大きな騒ぎほど、たくさんの兵力をひきつけられるな」
「では大きな騒ぎを起こしましょう。我々には食料の供給というアキレス腱があります。あまり長く抵抗を続けることはできない。地球軍の大半を殲滅《せんめつ》するぐらいのことを、一度でやる必要があります。――その隙に首都の司令部も攻略できれば、言うことはないのですが、さすがにそこまでは手が回らないでしょうね」
「できるか?」
セベルスキイの短い言葉は、最も重要な言葉だった。
「言うは易しいが、行うはどうだ。私たちに、地球軍の部隊を倒すことができるのか」
軍事理論的に見て、戦略レベルの問題から作戦レベルの問題に焦点が移ったわけだった。セベルスキイたちは政治家だから、軍事作戦に通暁《つうぎょう》しているわけではない。答えを他人に聞く形で、視線を動かす。
フタバ産業大臣とアハマド科学大臣が話し合っていた。そのそばにいるのはニルスである。弱冠十六歳とはいえ、その才能はすでに二人の大人に認められたらしく、三人の会話は対等で活発なものだった。
その大臣たちにしても、無論軍人ではないのだが、行政省庁の長としての経験から、他の議員よりも実務的な仕事が得意だった。アハマドが議員たちを振り返ってうなずく。
「可能だ。ニルス君の作戦は、十分な成功率を見込める」
「ほう。どんなものかね」
「地球軍は歩兵部隊です。そして、僕たちには重機械がある。機械を使って攻撃するんです」
「機械?」
ニルスの言葉に、シンガルバットが顔をしかめた。
「それは敵の飼い犬に敵を噛めと命じるようなことじゃないか? サーバント・サーキットが作動したらどうする」
「なんとかなるんですよ。なんとかなるから検討しているわけで。元になるアイディアはエリゼの発案ですけど」
作戦レベルのさらに下の戦術レベルの判断を、妹が行うというわけだった。
「どうなんとかなるのかね」
シンガルバットが振り返ると、エリゼがそばに置いた地球軍の背嚢《はいのう》を指差して、無言で笑みを見せた。そこに入っているもののことを、シンガルバットは思い出す。
「なるほど。それはそのために持ってきたのか」
「そうよ。お弁当ばっかり抱え込んできたシンガルバットさんとは違うんだから」
「む、見られていたか。しかし、あれはあれで必要なものだぞ」
シンガルバットは、もう一度エリゼに苦笑を向けた。
「どうも、あんたたち双子には感心させられるなあ。こちらに兵器がないことを逆手にとって、歩兵の地球軍をやっつけるわけか……」
「もっとも、切り札は残しておくけどね。彼らがまだ、隠し玉を持っているかもしれないし」
「ん、そんなものがあるのか?」
からかい半分に聞いたシンガルバットに、エリゼが人差し指を立ててウインクした。
「企業秘密♪ ライバル会社には教えない」
「そうか、企業秘密なら仕方ないな」
どうやら子供好きなたちだったらしく、シンガルバットは目を細めて笑った。
セベルスキイはそうでもないらしい。双子を避けるように立ち上がって、服の砂を払い落とす。
「さて……そろそろ移動しないか。のんびり露天でピクニックでもあるまい。迎えはまだか?」
「首都を脱出する前に、この近くの事業所から迎えを出すよう言っておきました。地球軍の部隊も来ていない小さな支店ですから、見つかることはまずないでしょう。とりあえず道路まで出て、待ちましょうか」
付近は小屋一つない岩石砂漠である。少し陸地に入ったところに、送電線の伸びる道路があるだけだ。何もないから脱出地点に選んだ。パッカードが先に立ち、一行はぞろぞろと道路に向かう。
集団の中には議員たちの家族もいる。これは何も、要人の特権を利用して身内だけを逃がしたというわけではない。暮らすだけなら首都にいたほうが楽だ。首都に残しておくと人質にされる恐れがあったために、危険な脱出行に同道させたのだ。
その中に、銀髪の小柄な老女の姿があった。サイミントン家の客人だった、アイリン・ビートンである。
エリゼはとっとと歩いて先に行こうとしたが、ニルスがアイリンに手を貸すのを見て、しぶしぶ戻ってきた。二人で両側からアイリンの手を引く。
「ほら、ビートンさん。しっかり歩いて」
エリゼはあまり親切とは言えない口調でせき立てる。
「ビートンさん、地球軍にマークされてないんだから、首都に残ってればよかったのに。来た以上はちゃんと自分で歩いてもらうわよ」
「あらあら、厳しいわね。こう見えても、私だってすねに傷もつ身なのよ」
「……地球軍にお料理教室の押し売りでもしたの?」
「まあ、そんなところ」
「エリゼ、やめなよ。ビートンさんはサプライヤーに慣れてないんだからさ。ただ歩くのだって大変なんだよ」
「……ったくこのばかお兄ちゃんは、親切の出し惜しみもしないんだから」
「何か言った?」
「べーつーにー」
頭の上を飛び交う兄妹のやりとりに笑いながら、アイリンはとっておきの隠し味を伝授するように言った。
「親切のお礼に、ひとつ教えてあげるわ。あなたたち、後のこともちゃんと考えないとだめよ」
「後? 地球軍に最初の一撃を与えてからのこと?」
「いいえ。地球軍の最後の一人を追っ払ってからのことよ」
二人は顔を見合わせる。最後の一人を――追っ払うつもりではもちろんいるが、それはずいぶん先のことだ。来年の今日の夕食を考えることのように思える。
アイリンが首を振った。
「ううん、あなたたちが考えなくてもいいか。それは、あなたたちのお母さんの仕事だものね」
二人は前を見た。パッカードに手を引かれて、フローラが覚束ない足取りで歩いていた。
と思ったら、すぺーんと転んだ。
「……後のことより、今、足元を見たほうがいいと思うけど」
「それについては、僕も同感」
半泣きでパッカードに助け起こされている母を見ながら、二人は深々とうなずいた。
地球軍が宇宙から惑星全体を撮影した、四十五万八千二百枚の電子写真を分析した結果、通信情報艦アコンカグアは、| 紫 《フーグルード》大島東部沖の海に沈められてしまったことが、無意味にも判明した。無意味というのは、画像分析コンピューターの助けを借りたとはいえ、作業にまる二日もかかってしまったからだ。それでも、レーダーや赤外線センサーなどが一切通じないアコンカグアを探すためには、そうするしかなかった。
地球軍は指揮系統のハード面に、手ひどい打撃をこうむったわけだった。それを嘆くことも怒ることもできたし、ハーン中将は実際それらの手順を踏んだが、一通り感情を激発させた後は、冷静さを取り戻して事後の対処に取り掛かった。
指揮系統の能力は、低下はしたが消滅はしていない。他の艦に分散処理させて機能を保つことにする。むしろそれが一番簡単な問題で、よりやっかいなのが、ビフロストへの発表、そして地球本星への報告だった。
作戦行動中の軍隊が無手の民間人に装備を奪われるなど、あってはならない失態である。しかも、それをやったのは、ビフロスト人に人望篤い主席の一党なのだ。当然、ビフロスト人に対しては隠しておきたいところだが、主席たちの冒険には多数の市民が協力していたらしく、シルヴィアナでは路地裏の猫(がいるのだ。混濁大気の中で太く短く生きる野良猫が)までそのことを噂しあっているようだった。あくまで知らんぷりを押し通すか、それとも何か適当な言いわけをつけて嘘の発表をするか。
本星に対しては知らんぷりはできない。にしても不手際は可能な限り隠したい。苦肉の策として「作戦中に敵の攻撃により宇宙艦一隻損失」という、事実のごく一部に限った報告を出すことにしたが、それで本星が納得するかどうか。
というような悩みは自分の仕事ではない、とハーンは割り切った。トレントンに押しつける。ハーンの仕事は目の前の敵に対処することであり、また、対処しなければいけない敵が現れたのだ。
四月三十日。茶《ブリュン》大島西岸のフールゴールド市で、反抗運動が大規模になった。
なった、というのは、それに先立つ二十九日に、小規模な反抗が発生していたからである。市街地をやや外れた工業地域で、百二十名あまりの工員が地球軍の仮設宿舎に乱入し、そこを占拠した。その時、現地の第六十四工兵大隊は、それぞれの持ち場に出て生産作業中だったのだが、警報を受けてすぐに宿舎に戻り、携行火器で工員たちを制圧した。このときは、ビフロスト側に二名の死者と三十二名の逮捕者を出して騒ぎは収まった。これが、小規模な反抗である。
しかし翌日には、三千人あまりの市民たちが宿舎を囲んで、死者への謝罪と逮捕者の釈放を求めたので、重火器を持たない部隊の手に負えなくなった。これが、大規模な反抗である。
「少し、妙だな」
シルヴィアナ市の司令部で報告を受けたハーンが、眉をひそめる。
「その最初の百二十人というのは、銃を向けられる危険を犯してまで、立ち向かってくるほど、追い詰められていたのか?」
「立ち向かってきた、というのとはちょっと違うようです」
トレントンが答える。
「現地指揮官のシューマン少佐によると、彼らは地球軍の退去を求めて、話し合いのために押しかけたようですね。正確には、少佐が隠そうとしている事実を推測すれば、ですが」
「話し合いに来た民間人を射殺したとは、少佐も報告しにくいだろうな。――なんだその顔は」
「いえ、別に」
しにくい報告を上にあげるという作業を、今まさにやっているトレントンとしては、皮肉な顔になるのも仕方ない。仕方ないが口にすればまたハーンを怒らせるので、それを避けて報告を続ける。
「フールゴールド市では、我が軍と住民の間に、双方それなりに納得した関係が醸成されていたようです。大分ばらまきましたからね。だから最初は、話し合いに来た。しかし完全に友好的な付き合いをしていたわけでもなかった。ばらまきで生まれた不公平が住民の間にいさかいを作っていたこともありますが、やはり、我が軍の例の計画で、市の製品製造予定が大きく狂って来ていたことが大きいです。真面目に彼らの生産を肩代わりしていたのは最初だけで、今では完全に、我が軍のための資材しか造っていませんから」
「それが目的なのだから当然だ。工場を間借りさせるだけで二倍の貸し賃が入ってくるなんてうまい話が、どだい長続きするわけがないだろう。連中はまだそんなことを信じていたのか?」
「信じたかったんですね。だから余計、最初の話し合いグループが撃たれたのが、ショックだったんでしょう。今では市民は、完全に我が軍に敵対しています」
「ずっとシューマン少佐を缶詰にしているのか。手は打ったんだろうな」
「もちろん、報告があったと同時に鎮圧部隊を差し向けました。市街戦装備の歩兵四個中隊、一千名です。首都を出たのが八時間前ですから、もう到着して、制圧を終えている頃ですが……」
計ったようなタイミングで、作戦司令室の通信士官が声を上げた。報告を受けたトレントンが、ハーンに向き直る。
「鎮圧部隊からです。市民の大部分は追い散らしたようです。しかし」
「しかし?」
「工兵大隊から武器を奪った千人以上の鉱員たちが、逃走し、市外の鉱山に立てこもったようです。放っておくと鉱山の操業ができないので、掃討していいものかどうか、指示を仰いでいます」
「ほう」
ハーンはあごを撫で回して、しばらく考えた。トレントンが補足する。
「奪われたのは軽火器です。彼らは、使い方にも慣れていないでしょう。四個中隊では足りませんが、その二倍も投入すれば、一掃できるんじゃありませんか」
「……いや、二倍ではいかん。一桁足りん」
「一桁?」
聞き返したトレントンに、ハーンは凄みのある笑みを向けた。
「首都では一人も殺さなかった。それは首都のビフロスト人が丸腰だったからだ。しかし、武器を奪って立てこもったとなると話は変わってくる。容赦をする必要はまったくない。我々が公平な対処をすること、そしてそれを完全に遂行する力があることを、よく思い知らせてやるべき頃合だ」
ハーンは断乎として命じた。
「これ一度で連中の反抗意欲を削ぐ。首都の全ての実戦部隊の出動準備をしろ」
「全戦力ですか? 各地に派遣した工兵と歩兵を差し引くと、現在首都にいる兵力は二万名強といったところですが、これを遠隔地に差し向けるとなると、指揮する将官が足りません。私はまだ先日の件の処理が……」
「私が出る」
「閣下が?」
さすがに驚いた顔で、トレントンは制止した。
「閣下が出られると首都ががら空きになります。指揮系統にも兵力にも穴が開いてしまいます」
「そんなことは分かっているとも。そして、それを目当てにビフロスト人が首都を奪還しようとする恐れがあることもな」
「それは……フールゴールド市の騒ぎが、陽動だということですか」
「ゲリラの常套手段だ。ザイオンでの戦訓を忘れたか?」
ハーンは勝ち誇ったように笑った。
「あの女が姿を消してすぐに、この騒ぎだ。きちんと指揮された連携行動だと考えるのが妥当だろう。奴らの目的は間違いなく首都だ。ならば門を開けて、気軽に入れるようにしてやろうじゃないか」
「首都を明け渡してもいいのですか?」
「いいわけがないだろう。貴官が守るのだ。デスクワークだけをさせるために貴官を連れてきたと思うのか」
この時のハーンの考えは、トレントンの予測を超えていた。思ったよりも切れるな、とトレントンは感心する。しかし、それぐらいでなくては上官と仰ぐ価値もない。示された計画を素直に受け入れ、自分の行動を考える。
「では、天山の貨物を使う許可を下さい」
「む……あれはテストのためのものだろう」
ハーンはわずかに考え込んだものの、すぐにうなずいた。
「……いや、やむを得んか。いずれは使われるものだしな。許可する」
「感謝します」
「無論、いったん首都で連中が蜂起すれば、私も即座に軍を返して制圧に戻る。一方で、フールゴールドの不埒《ふらち》者どもも、完膚なきまでに叩く。それだけの兵力はある。貴官はしっかり留守番をしていろ」
「了解しました」
「よし、出るぞ! リアス准将、エンダービー准将、出撃準備だ!」
「はっ!」
かたわらに控えていた幕僚たちが敬礼し、いきいきと動き出した。これまであまり引き金を引く機会がなかったうえ、主席を逃がしたり艦を失ったりと失態が続いていたので、鬱憤《うっぷん》がたまっていたのだ。正面切っての武力衝突となれば、地球軍が負けるはずはない。ストレスを解消する絶好の機会となるだろう。
その大前提が間違っていたことを、彼らはまもなく知ることになる。
二万八百名の歩兵、五百五十両の歩兵戦闘車、百九十両の汎用小型ミサイル車が、グリンデルワルト、ゴッドウィンオースチン、ウルル、玉山《ユイシャン》など二十四隻の補給輸送艦によって、五月一日未明、フールゴールド市に到着した。
誰がどう見ても大げさな行動だったが、この場合、大げさにやることそのものも作戦目的の一つなのだった。わずか六時間あまりでこれだけの戦力を整えること、それを五千キロ離れた都市に一夜で運ぶこと、それを運ぶために巨大な艦艇を航行させること、すべてビフロスト人に見せ付けるための、示威行動である。
それだけのことをした後の戦闘だから、負けるわけにはいかず、また勝って当たり前だと、幕僚たちは思っていた。
この星のたいていの都市がそうなのだが、フールゴールド市の郊外も、人気のない荒野だった。大地は数十メートルの高低差でゆるやかに波打っているが、傾斜そのものはそれほど激しくなく、軍隊の進行を妨げるものはない。少なくとも歩兵にとってはない。背丈ほどの岩がたくさん転がっているので、歩兵戦闘車が高速で走り回ることは無理だが、徒歩の歩兵にとってはなんの差し支えもない。
大気圏内用の重戦闘艦があれば、そういったことすら問題にならなかっただろう。飛行しながら鉱山に爆弾を落とす。それで終わりだ。しかしハーンが選択した補給輸送艦は、莫大な積載量と引き換えに兵器や電子装備を削った艦種だったので、直接戦闘する能力はないのだった。あったとしても成果確認の観点からしない予定だった。大ざっぱに爆弾など落とすと、果たして反乱分子をきちんと殺し尽くせたのかどうか、よく分からなくなるからである。これは、古くは二十世紀の頃から、近代戦装備の軍隊がゲリラを掃討する時に、悩んできた問題である。
幕僚たちの考えた作戦は、保守的だが堅実だった。作戦というほどの計画でもない。目標地点の十キロほど手前にあたる、市街地の近くに部隊を展開する。水も漏らさぬ横列陣を広げて前進する。その先で平地は山地になり、三キロほどの渓谷の先に、反乱分子の立てこもっている鉱山がある。鉱山の背後は険しい山岳だから、速やかな逃亡はできず、無理に逃げてものたれ死ぬだけだ。横列陣が正面から鉱山に押し寄せれば、自然に敵を包囲殲滅できるだろう。
という予測では、ハーンは満足しなかった。
「我々が本気を出せば袋のネズミにされることぐらい、連中も分かっているだろう」
艦から下りて展開した部隊の中心の、指揮車両から差し出されたサイドテントで、ハーンは作戦データボードを見下ろしながら言う。
「なのに出口のない鉱山を選んだ。ビフロスト人というのは、無為に山の中に引きこもっておれば、そのうち我々があきらめて帰ると思うほど、楽天家なのか?」
「楽天的なのは確かなようです。彼らはこの、いまいましい混濁大気の中での重労働も苦にしません」
馬鹿正直に答えたのは、本隊と合流した工兵大隊のシューマン少佐だった。彼らも含めた全員がサプライヤーをつけ、慣れない様子で酸素を吸っている。
ハーンは冷ややかな眼差しで少佐を見つめた。
「そんな返答しかできないのか。むざむざと連中に武器を奪われたのも当然だな」
「は、申し訳ありません……」
「策があるのだ、奴らには!」
ハーンはぴしゃりとデータボードを叩いた。
「見ればこの地形は、待ち伏せをするためのものとも考えられる。鉱山に至る渓谷に伏兵を置けば、侵入する我々を左右から挟撃できるだろう。そういう恐れはないのか?」
「しかし、そんなことができるほどの火器は、連中には……」
失点を取り返そうと、必死に言いかけた少佐は、はっと細身の体を揺らした。
「爆薬です」
「爆薬?」
「鉱山を掘削するのに使う土木用のものです。地球で使われているようなおとなしいものではありません。山一つ吹き飛ばすほどの強力なものです。これを渓谷に仕掛けられれば、侵入する我々は……」
幕僚たちはごくりと唾を飲み込む。しかしハーンは冷静に質問を重ねる。
「そんなものがあるなら、今この場の足元に仕掛けられている可能性はないのか?」
「それはないと思います。接収作業中に確かめたのですが、土木用の爆薬は一つ一つは小さなもので、大規模爆破をするためには、多数を精密に配置して完全な同期をとって点火しなければ、威力が半減するそうです。岩壁を破壊するならともかく、不規則に移動する部隊を直接攻撃することは、大変難しいようです」
「『思います』に『ようです』か。確答せんか! 士官学校に戻って、報告の仕方を一から学びなおしたらどうだ!」
「は、申し訳……」
少佐は唇をかんでうなだれてしまう。ハーンも簡単に許すつもりはなく、そのまま彼から視線を外す。
とはいえ、彼の報告自体には意味を認めていた。何しろ、少佐自身がビフロスト人に爆薬を使われることを警戒して、聞き出した話だ。自分の命がかかっているのに、いい加減な情報で納得したりはしまい。そして現に、少佐の部隊は爆薬で吹っ飛ばされてはいない。爆薬が戦闘に使われないというのは、信用していいだろう。
幕僚のリアス准将が進言する。
「やはり、鉱山に直接、掃討部隊を降下させるべきでは。輸送艦は大きすぎて近づけませんが、VTOLで少数精鋭の部隊を送ればいいでしょう」
「そして二万の兵を野っぱらで遊ばせておくわけか。それぐらいなら最初から連れてきたりはせん。これは火力演習だと思え。総攻撃をして、そこの街の住民の肝を冷やしてやることも目的の一つだ。忘れるな」
「はっ……」
「立てこもった連中を引きずり出してから叩き潰すのが、一番効果的なのだが……」
考え込んだハーンは、じきに、短くつぶやいた。
「ザイオンのマクスウェル中将は、地下水路のゲリラを水責めにしたそうだな」
「は、そう聞き及んでいます」
「山の中にいるここのゲリラが、それを知っていると思うか?」
「ビフロストは地球からの情報を大幅に制限されていますから、恐らくは知らないかと。昨年のクリスマス・イヴの虐殺≠ノついても、正確な報道がされていないぐらいで……」
「あれのことは鎮圧行動と呼ばんか。我が軍が非道な行為をしたように言うな」
上海軍事政権がサンパウロの第二政府を攻撃した事件について、ハーンは若干の苦味のにじむ口調で訂正した。地球軍の正当性を信奉する彼にしても、苦渋を覚えないではいられない、しかし職業意識からそれを抑えている、そういう口調である。
遠い本星での事件についてはコメントをそれきりにして、ハーンは首を振った。
「まあ、ビフロスト人が他星のことを知っていようがいまいが、この際たいした問題ではない。知らないとしても、すぐ同じ境遇を味わうことになる。こういう手はどうだ」
ハーンはデータボードに地図を出しながら、普通ならちょっと考えつかないような、だが簡単な作戦を示した。幕僚たちは驚きの声を上げる。
「それは奇策ですな」「奴らは予想もしていないでしょう」
「これで連中を平原まで連れて来られればいいのだが、そううまくはいくまい。しかし、出て行かなくてはという気にさせることはできるだろう。それでいい、連中には自分の足で来てもらう」
「完璧な作戦です」
「完璧な作戦という表現は、すでに成功した作戦にしか使うな。いや、まあいいが……よし、グリンデルワルトに指令を出せ!」
ようやく機嫌を直してハーンが命じ、輸送艦の一つに命令が下された。
重々しく離陸していくグリンデルワルトを見上げていたハーンは、ふと振り返って尋ねる。
「爆薬の罠はないにしても、この付近に伏兵が隠れているようなことはあるまいな? 市街は目と鼻の先だ。そこから別の勢力が近づいているようなことはないか」
「赤外線探査によると、人体の熱は発見できません」
索敵担当の士官が、指揮車から顔を出して答えた。ハーンは彼に対しても、甘さのない質問を重ねる。
「一系統だけを信じるな。レーダーはどうだ。電磁探査は」
「アコンカグアのような対地レーダー設備は、ここにはないんです。電磁探査をしようにも、何しろこの辺りは金属鉱物の多いところで、兵器の金属と鉱物の区別がつけにくく……」
「では無線の傍受だ。不審な通信が行われていることはないか」
「ありません。フールゴールド市のラジオ放送が流れているだけです」
「そうか」
ハーンは口を閉じ、自分が少し神経質になっていることに気づいた。なぜそうなっているのか考えて、思い当たる。
静かすぎるのだ。敵意を持っているはずのビフロスト人の動きが、感じられない。
しかし、とハーンは思い直す。これだけ警戒しているのだから、まず大丈夫だろう。電磁探査は、自動兵器が周辺に隠されていることを考えたものだが、それがあったとしても、地球軍にはサーバント・サーキットという頼みの綱がある。自動ではない遠隔操縦の機械も、指令電波が飛んでいないから存在しない。飛んでいたとしても妨害は簡単だ。
「勝てるな」
ハーンは満足げに笑った。
およそ一時間後、グリンデルワルトが戻ると同時に、作戦は開始された。
巨艦が渓谷の奥地へと進入する。山地では気流が乱れるのが常だから、高度はそれほど落とさない。山頂の二倍近い高さを保ったまま、微速で前進していく。
「間もなく目標上空です」
航行士官が報告し、地上を映すカメラの映像を拡大した。巍然《ぎぜん》とそびえる山渓の行き止まりの、すっぱり切り落とされたような山腹の爆破跡や、ミニチュアのような事務所や選鉱施設などの中心に、ターゲットマーカーを重ねる。爆撃システムなどは艦にないから、着陸誘導用の指示カーソルを使っているのだが、今回はそれで十分だ。
「記録はちゃんと取っているな? ライブで全土に放送してやるんだ」
「はっ、万全です」
「よし、では攻撃開始!」
艦長のマクバード中佐は勇ましく命じた。輸送艦の艦長だから、これ以前にそんな命令を出したことは一度もない。張り切っている。――そして彼は、しばらく後、そんな命令以外の命令も、出せない身分になってしまう。
鉱山上空に到達したグリンデルワルトは、前代未聞の攻撃を開始した。
艦首の貨物室ハッチが開くとともに、どっとばかりに青白い奔流が噴出した。細かい飛沫をまとわりつかせながら、固体のような量感を持つ中心部の塊が、長く伸びながら落下していく。
それは海水だった。グリンデルワルトは洋上で一千トンに及ぶ海水を汲み上げて来たのだ。
膨大な液体が、鉱滓《こうさい》を積み上げたぼた山に降り注いだ。降り注いだというよりは衝突したといったほうが適切かもしれない。たかが水とはいえ、これほどの質量、体積になると、その衝撃力はまさに爆発物に匹敵した。耳を聾する轟音とともに、ぼた山は子供が作った砂山のようにはじけ飛び、あふれ出した泥水が即席の土石流となって鉱山事務所のそばを駆け抜ける。
設備を壊してしまっては後の操業に差し支えるし、反乱分子を直接押し潰しても、成果確認や他の場所へ知らせることが難しくなる。だから、破壊しても構わないぼた山を目標にしたのだが、いざやってみると、実に素晴らしい方法のようだった。元手がただなのに、その光景はとんでもなく豪快なものだったからだ。
「凄いものだな。どうだ、敵は姿を現したか?」
「まだ姿は――いえ、出てきました! トラックが十台、二十台……成功です、驚いて逃げ出しています!」
「ふん、さすがの奴らも、泥まみれで生き埋めにされるのは嫌だったとみえる」
マクバード艦長は、上機嫌でうそぶいた。
「海水の雨の代わりに、砲弾の雨を受けるだけだというのにな。よし、作戦本部に報告だ。迎撃準備をするよう伝えろ! 本艦はこのまま記録行動に移る!」
悠然と旋回するグリンデルワルトから、反乱分子たちの乗ったトラックが見下ろせる。渓谷沿いの細い道を、谷間に転落せんばかりの勢いで走り去っていく。
山地の手前の平坦地では、布陣を終えた地上部隊が手ぐすね引いて待ち構えていた。
グリンデルワルトからの報告を受けたリアス准将が、麾下《きか》の一個機械化歩兵師団に、射撃準備を命じる。
「穴熊が顔を出したところを、ポカンと叩いてやるんだ。なに、簡単なゲームだ」
「准将、少し密集しすぎでは。両翼まで一キロもありませんが」
部下が遠慮がちに進言したが、リアスは突き出た腹を振るわせて一笑に付す。
「敵に反撃の能力があればな。来るのはたかだか千人かそこら、装備はライフルにトラックだけ。ミサイル車の十台もあれば片がつくじゃないか」
小太りのリアス准将は、装甲指揮車のハッチから上半身を乗り出して、両手を広げる。
「司令官閣下もおっしゃっていたが、これは演習だ。歩兵戦闘車とミサイル車が、これだけ集まって一斉砲撃をする光景は、なかなか見られるものじゃない。せっかくだから、全将兵に見物の機会を与えてやろう」
「なるほど、演習ですか」
この部隊では上意下達ということの模範的な例が行われているようだった。自信たっぷりのリアスの物言いに、部下も笑顔でうなずいて、一番槍を狙う個々の部隊の突出も、制止せずに放置した。
その三キロほど後方では、リアスの抱える兵力より一段少ない、三個歩兵連隊を指揮するエンダービー准将が、猿めいた顔をしかめて吐き捨てている。
「リアスのお調子者め、ああ密集していては援護砲撃もできないじゃないか」
彼のいる場所からは、切り立った山渓の手前にごちゃごちゃと集まった、一万を越える数の部隊が望見できる。
「さてはこちらの部隊のことなど忘れているな。いくら敵勢力が微小だからといって、多少は不測の事態に備えたらいいものを……本部も艦艇もがら空きだ」
振り返ると、数キロ後方に着陸した輸送艦群が見える。さらにその向こうには、フールゴールドの市街地が、白い大気越しに、かすんでいる。
エンダービーは少し考えた末、短く命じた。
「各部隊、回頭。市街地からの攻撃に備えよ」
「市街地ですか? 反乱分子への対処は」
聞き返した部下に、エンダービーは神経質に言いつけた。
「そんなものはリアス一人でどうにでもなる。我々にやることが残っているとするなら、ありえないはずの市街地からの攻撃に備えることだ」
「了解。――本部へ報告します」
「あ、それは待て」
なぜだ、と言いたげに振り返った部下に、エンダービーは不明瞭な発音でぼそぼそと言った。
「閣下のご命令は、全部隊で反乱分子を叩くことだからな。……取り越し苦労かもしれない我々の行動を、逐一報告せずともよい」
「はあ……いえ、了解」
あまり納得した様子ではなかったが、部下はうなずいた。
リアス准将と対照的に小柄な体格のこの指揮官は、性格もまた反対のようだった。よく言えば慎重、悪く言えば果断さに欠ける。本人は気づいていないが、リアスと同じ階級ながらやや少ない兵力しか与えられていないのも、その辺りの思い切りの悪さに起因している。
部隊の回頭は、ただ単に車両や兵士がくるりと後ろを向くだけでは済まない。打撃力のある戦闘車を前面に並べ、掃討を担当する歩兵をその次に置き、遠隔攻撃をするミサイル車両は最後尾に控えることになる。街に向かってそういう陣形を組むべく、エンダービーの部隊は動き始めた。
その組み替えが終わる頃、地球軍のすべての通信機に、待っていた報告が飛び込んだ。
「敵反乱分子、渓谷を脱出。我が軍前方二キロに出現」
リアスの部隊のすべての兵士がそれを見、リアス本人も見た。岩壁の間から流れ出る川に沿う形で、細い道が出てきている。川は山地を出た直後に左方へと曲がっていくが、道路はまっすぐにこちらへと続いている。
その道路に、土煙を上げながらトラックが現れ、急停止した。待ち伏せに気づいたのだろう。先頭が止まったので、それに続く三十台あまりも、追突しそうになりながら次々に停止する。
リアスの目には、沼に舞い降りてきた鴨の群れのように映った。彼は、数時間も前から口の中で転がしていた言葉を、声を限りに言い放った。
「全隊、攻撃開始!」
と叫ぶと同時に、何かが見えた。トラックから駆け下り、すぐそばを流れる川に、勢いよく整然と飛び込むたくさんの人影が。
「……何?」
疑問は砲声に吹き飛ばされた。
雨どころか嵐にも等しい、火薬と金属の殺到だった。数千丁のライフルと数百台の機関砲が一斉に光の玉を放ち、遅れて撃ち上げられた数十発の汎用ミサイルが、ごうっと爆音を上げながら灰色の空に噴煙のアーチを描いた。
数十台のトラックは瞬時に穴だらけになり、穴の面積のほうが大きくなり、輪郭の乱れた鉄塊と化したところにミサイルが着弾して、凄まじい閃光と爆煙を飛散させた。見間違えようのない明白な戦果に、兵士たちがわあっと歓声を上げる。
その歓声の中で、リアスは軽く舌打ちしていた。
「ゲリラどもめ! ああもあっさり逃げ出すとは、少しは根性というものがないのか!」
「根性があったところで、どうにかなったとは思えませんが……」
「意味のない論評をしとらんで、さっさと追跡にかからんか! 我々は屑鉄処理のために布陣しているのではないのだぞ!」
部下を怒鳴りつけたところまでが、リアス准将の最後の威勢だった。
屑鉄処理ではなく、屑鉄生産が始まった。
「敵兵器出現!」
索敵士官の叫びは、最初の数秒、誰にも理解されなかった。
「兵器だって?」「まだトラックが残っていたのか?」
無線を通じてその報告を聞いた、右翼の歩兵戦闘車の搭乗員は、そう言って顔を見合わせた。
と同時に、ひっくり返った。
「わああっ!」
叫びは戦闘車もろとも吹き飛ばされる。巨大な出力が超高強度鋼の爪に集中され、戦闘車を腹の下からすくい投げ、叩き潰した。弾薬が誘爆し、火球がはじける。
二十メートル離れていた僚車の乗員が、唖然《あぜん》としてその炎の向こうを見つめる。
「……な、なんだ……」
数十トンの重さを持つ戦闘車を、子猫のようにひっくり返して叩き潰したのは、小山に等しいボディと巨人の豪腕もかくやと思われる掘削アームを持つ、いかめしい機械だった。
「大出力機関音、熱排気確認! リアス隊とエンダービー隊の中間です!」
艦艇着陸地点の作戦本部で、索敵士官が金切り声を上げた。ハーンがすかさず叫ぶ。
「数は!」
「十二、十四、十七――まだ増えます、二十、二十二!」
「戦車か?」
「違います、シルエット照合不能、熱反応ライブラリ該当なし! 光学で出します!」
艦艇の高い艦橋からの望遠映像が、装甲指揮車のハーンの元に中継される。それを見た全員が息を呑んだ。
「……バックホウ?」
「そうだ、土木用のメガ・ショベルだ。それにスクレイパーに重ドーザーに……」
「鉱山の機械か!」
突然現れるが早いか、強力な戦闘車両を片っぱしから横転させ、ひき潰しているのは、ありとあらゆる種類の掘削機械たちだった。誰かが叫ぶ。
「どうして気づかなかった? あんな、戦闘車の十倍もあるようなでかぶつどもに!」
「地下です。地下に埋没していたんです! もともと掘削用の機械ですから、穴を掘るのはお手のものというわけで」
「ほめていないで掃討しろ!」
それは指令と言うよりただの悲鳴だったが、別にそれが届かなくとも、兵士たちは反撃に移っていた。
無数のライフルの火線が走り、機関砲弾が重々しい連続音とともにほとばしる。重機のアームに、側面に、タワーに、きらびやかな着弾の閃光が光る。だが、トラックとは違って、そこには傷一つできない。唸りとともに降りそそいだミサイルが、メガ・ショベルの側面に大輪の炎の花を咲かせた。兵士たちは叫ぶ。
「ざまをみやがれ! あれなら一発だ!」「いや、待て!」
炎と爆煙が溶け消えた後には、メガ・ショベルが傾きもせずに突っ立っていた。地面に転がる二メートルを越える岩を、苦もなく乗り越えて前進し、再び、手近の戦闘車に雄大なアームを振り下ろす。
歩兵戦闘車は戦車ほど頑丈ではなく、真上からの攻撃にも弱い。アームによって三分の一ほどに押し潰され、爆発しないまま擱坐《かくざ》してしまう。その有様を至近で見ていたリアス准将は、恐慌寸前の状態で叫んだ。
「なんだあれは! 恐ろしく頑丈じゃないか、本当にただの土木機械なのか?」
その彼の車両を、いつの間にか背後に近づいていたスクレイパーが、ダイヤモンドの刃を備えたカッタードラムで、端からミンチにしていった。
悲鳴を最後に、リアス准将からの回線が途切れる。作戦本部でそれを聞きながら、今まで隅に突っ立っていたシューマン少佐が、低い声で言った。
「ただの土木機械ではありません」
「なんだと」
「申し上げたでしょう。ビフロストの鉱山では常識外れの量の爆薬を使うんです。あれらの機械はすべて、その爆発に耐え切るよう、特別に頑強に設計してあるのです。おそらく、我が軍の主力戦車よりも……」
「あれは無人か」
その時まで黙然と立っていたハーンが、ようやく口を開いた。少佐が答える。
「無人です。無線操縦でもありません。自律的に動くロボットです」
「ならばサーバント・サーキットだ。前線各部隊に伝達。佐官クラス以上のIDであれを止めるよう指令しろ」
空気も凍りついたような本部に、わずかに生気が戻った。通信士官たちが早口にそれを伝達する。
だが、しばらくして、彼らは一様に、絶望的な顔で振り返った。
「だめです、停止させられません」
「なんだと。あの機械にはサーバント・サーキットが実装されていないのか?」
「違います、拒否信号です。あれらは、我々と同じ地球軍の割り込み拒否信号を受けて動いているんです」
今度こそ、作戦本部は深海の底のように静まり返った。
「おのれ、そんな手が……」
ハーンの歯ぎしりだけが響く本部指揮車に、次々に部隊からの悲鳴が飛び込んでくる。
「第三十五大隊、戦力六十五パーセント減!」
「第十八大隊、迂回機動中ですが、地形が複雑で回りこめません!」
「第二十二大隊、車両壊滅しました! 歩兵だけでは対処できません、撤退の許可を!」
状況は、まるで誰かが仕組んだように不利だった。数で圧倒的な優位に立つはずの地球軍前線部隊は、リアス准将の甘い指揮によって、密集しすぎていて、散開して包囲しなおすこともできないまま、草刈りのように端から順に潰されていた。後詰めのエンダービー准将の部隊にしても、いつの間にか陣列を逆方向に向けていて、前線部隊との間に出現した重機械群に対して、効果的な迎撃ができずにいた。
いや、とハーンは首を振る。仕組んだようではなくて、敵は実際に仕組んだのだ。少ない人数で鉱山に立てこもり、袋のネズミを装って見せたのも、この平坦地に我が軍を待ち伏せさせるためだ。
ではやはり、渓谷に侵入して敵を叩くべきだったのか?――いや、ここまで周到な相手だ。その場合は最初の予想通り、爆薬によって崖崩れを起こしただろう。
つまり、仰々しく大軍の姿を見せびらかしてやって来て、この布陣を選んだ時点で、こちらの負けだったのだ。
見せびらかして――はっとハーンは気づく。
「グリンデルワルトは! あの艦は何をしている?」
答えは、目の前の画面にあった。地球軍の勝利を大々的に放送するべく上空を遊弋《ゆうよく》していた輸送艦は、予定通りのことをし、予定外の結果を引き起こしていた。撃破されていく地球軍の姿を、生放送のTV回線で惑星中に流していたのだ。
「……止めさせろ。艦長のマクバードは降格だ」
「は、はっ」
「それと、撤退」
「……は」
「撤退だ!」
ハーンは、装甲指揮車の壁面を拳で叩いて、怒鳴った。
「速やかに部隊を艦に収容しろ! 作戦は中止だ!」
フールゴールド市の秘密政府は、沸き返っていた。
「勝利だ、地球軍は尻尾を巻いて逃げ出したぞ!」
「ビフロスト万歳!」
秘密政府と言えば聞こえはいいが、城を作って旗を立てたらあっという間に地球軍に踏み込まれてしまう。実のところは市長のレン氏の所有する資材置き場で、工作機械だの直しかけの地上車《ランド・カー》だのの転がる、掘っ立て小屋のようなドームなのだが、設備はぼろでも住人は大満足だった。
「か、勝てましたな」
鉱山職員出身のレン氏が、傷跡のある頭をがりがりかきながら、信じられないという様子で言った。
「地球軍を正面から撃退するなんて、できるわけがないと思いましたが……やればできるもんだ」
「納得していただけました? 地球軍の横暴、それに不完全さを」
フローラが握手を求めながら言った。
「このフールゴールド市は、ビフロストの諸産業の基となる鉱山で、地球軍の浸透も一番進んでいました。人身御供《ひとみごくう》にしたみたいですが、あなたたちにこそ彼らの正体を見極め、反撃ののろしを上げてほしかったんです」
「やりますとも。これからも」
レン氏はいよいよ恐縮する。
「お恥ずかしい話ですが、私も一時は地球軍の施しを受けてしまいました。しかし、あのスタグティーニ氏の覚悟を知って、一念発起しまして……いや、それで罪が消えるわけじゃないってことは、分かってます。処分はきちんと受けます」
「それについては、すべてが終わった後に、ね」
フローラの微笑を受けて、レン氏は真っ赤になってちぢこまった。
部屋の反対側のテーブルでは、議員のシンガルバットが、ここの工場スタッフたちと額を付き合わせて、一心に話し合っている。あろうことか彼はスーツも議員バッジも放り出して、ツナギの作業着姿だった。
工作用ベストにキュロットという姿のエリゼが近づき、なんだか自分に似てきたシンガルバットに親しみを覚えたのか、声をかけた。
「シンガルバットさん、もうここには慣れた?」
「慣れたとも。というより思い出した。私だって若い頃は、ミナテクの技術部で一番のエンジニアだったんだ。議場で悪口漫才しているよりは、こっちのほうがよっぽど楽しいぞ」
「へえ、意外」
「意外なもんか。見てろ、この設計だって、そのまま商品にできるぐらい、エレガントに仕上げてやるから。――おい、セベルスキイ!」
シンガルバットは顔を上げ、隅の椅子で手持ち無沙汰に座っている、端正な姿の紳士に声をかける。
「あんたも手伝え。あんただってドールテクニカの設計主任だった男だろう。今やってるこいつ、あんたの自動機械の薀蓄《うんちく》がないと苦戦しそうなんだ」
「エレガントに仕上げるんじゃないのか」
「いちいち揚げ足を取るな、ここは議会じゃないんだから。早く来い」
「……任せる。私の腕はさびついていてね」
片手を挙げると、セベルスキイはスーツの襟を直して別室に行ってしまった。シンガルバットは舌打ちする。
「あいつ、まだエリート意識が抜けきっとらんな。まあそのうち折れると思うが……おっと、エリゼちゃん。あれはあれとして聞いておきたいんだが、こいつ、本当に必要になると思うかね?」
「ええ」
エリゼは、テーブルの上の図面を撫でた。
「多分、必要になるわ。ううん、絶対……お兄ちゃんがそう言うんだもの」
「ニルス君がか」
シンガルバットは、別のスタッフに頭を撫でくり回されているニルスに目をやる。
「鉱山の機械で地球軍を撃退することを考え出した張本人だから、まあ信用してあげるが……あの子はほんとに、あんたより頭がいいのか? なんだかちょっとぼうっとしてるぞ」
「お兄ちゃんはすごいわよ。――ああ、でも本人に言っちゃだめよ!」
「調子に乗るかな?」
「違うわよ、逆。全部わかってるみたいな顔で、平然と言うだけなんだから。『ええ、頭は悪くないですよ』って。……ああっ、腹立つ!」
「おもしろい双子だなあ、あんたたちは」
シンガルバットは褐色の顔に笑みを浮かべた。
「その調子で頼むぞ。自動機械が通じると分かったからには、これからどんどん地球軍をやっつけていくんだからな」
「ええ!」
エリゼも満面の笑みでうなずく。
場末の工場じみた場所で繰り広げられる、他愛なく明るい陰謀を、少し変わった表情で見つめている男が、二人いる。
いったんは別室に去って、再び戻ってきたセベルスキイ議員。
そして、フローラから少し離れて立っている、パッカード。
フールゴールド市から五十キロほど離れた荒野に一時後退した輸送艦群は、機械も人も、主人の剣幕を恐れて息を潜めているようだった。
その重苦しい雰囲気を破ったのは、首都からの一本の通信だった。
「打開策か」
グリンデルワルトの艦橋で、艦長――もちろん新しい艦長だ――から報告を受けたハーン中将は、苦い顔のままで通信室に向かった。
「まともな打開策なんだろうな。まともだと自画自賛するだけの能無しのたわごとは、もう聞き飽きた」
後ろを歩いていた艦長は、ひたすら沈黙を決め込む。自分の台詞の直後、ハーンの表情が一段と険しくなったからだ。部下の失敗は自分の責任であり、責めた言葉はそのまま自分にはね返って来る、それが分かっているために余計に不機嫌になる、そういうハーンの悪循環に口を挟む愚を、艦長は知っている。
しかし、通信を受けたハーンは、ようやく本物の打開策にめぐり合えたようだった。
「反乱分子がサーバント・サーキットを無力化した方法を、突き止めました」
発信者は首都のトレントンだった。ほう、とハーンは愁眉を開く。
「本当か。そもそもサーバント・サーキットの信号は偽造が不可能なはずだ。連中はどんな手品を使った?」
「簡単です。正規の信号を発する装置――つまり、我が軍兵士のIDカードを手に入れていたんです」
「そんなものをどうやって」
言いかけてハーンは思い出した。
「……アコンカグアか」
「そうです。彼らはアコンカグアを乗っ取った際に、士官が艦に残したIDカードを回収していったんです。無論カード自体にも、誤作動や盗難を防ぐためのパスワードなどは設定されていますが、場所が他ならぬアコンカグアだったのがまずかったですね。あの艦には高度な暗号分析コンピューターも搭載されていましたから。我が軍の高性能コンピューターを使えば、我が軍の暗号が解かれてしまうのは当然です」
「IDカードはいくつ盗まれた」
「二十二枚。そちらの戦場に投入された、敵の鉱山機械の数に一致します」
「なるほどな……」
ハーンはため息をついて椅子に体を埋めた。
「貴官、その情報をどこから?」
「個人的なルートですが、信用はできます。詳細は後ほど。この回線も完全に安全だとは言えませんから」
「うむ、まあいい。貴官の保証を信じよう。IDを艦に置き忘れるなどという、間抜けをやらかした士官の処罰も任せる。今はこれからのことを考えよう」
「一度首都にお戻りになりますか」
「いや」
ハーンは首を振った。
「それこそ奴らの思うつぼだ。連中は、首都を襲うための陽動に見せかけて、こちらの主戦力を叩くという大それたことを、真の目的にした。このまま帰っても奴らを喜ばせるだけだ。一掃せねば帰れん」
「では、どうなさいます」
「うむ……」
ハーンはしばらく目を閉じて考えた。
「……サーバント・サーキットそのものが無力化されたわけではないのだな。あくまでも人為的なミスの結果で」
「はい。敵がサーキット自体を備えない自動機械を作れば話は別ですが、それに必要な時間はなく、設備も我が軍が押さえています」
「では、もう一度それで押してみよう。トレントン、天山を連れてこちらへ来い」
「では、あれを」
「使う。今回はやむをえん。目には目を、だ」
「了解しました」
「首都の警備も手を抜くな。しばらくそこを空けることになるからな。今度こそ奴らが首都を狙うということも、ないとは言えん」
「心得ております」
「急げよ」
シルヴィアナ市の大使館では、通信の切れた画面を前にして、トレントンが軽く息を吐いた。
「こてんぱんにされてめげてるかと思ったが、なかなか弱音は吐かないな。さすがは|黒 獅 子《ブラック・ライオン》」
「少将がお出になるのですか」
「おっと」
トレントンは椅子を回して、声をかけた士官に振り返った。
「今のは中将閣下には内緒だ。さすがのあの方も、この状況でライオンうんぬん言われれば、皮肉だと気づくだろうからな」
「口外したりしません」
やや傷ついたような顔で答えたのは、美しい黒髪の女性士官、シモツキ大尉だった。G・スライダーの監督責任者だった彼女は、スタグティーニ部長が死亡して以来、現場の反感を避けて、首都に戻っていた。というのが、公式的にはトレントンのそばにいる理由である。
「ああ、俺が出る。留守居は寂しいかもしれんが、しっかり頼むよ」
「お任せください」
シモツキ大尉はかすかに艶のある微笑を浮かべて、抱えたデータボードに目を落とした。
「分散して潜入するゲリラに備えて、ハイウェイや空港などの首都の要地では警備を強化しています。ここで火事は起こさせませんわ」
「猫の子一匹通すな。多少、首都が困窮したってかまわん」
「困窮というなら、地方都市のほうにその兆しがあります。食料など、首都を経由して各地に運ばれる物資も多いですから。それを援助するためかどうか、入るより出て行く物資が若干増えているようですが……」
「そっちは放っておけ。大方、我が軍のお膝元にいるのが怖くて、資産をよそに逃がしているんだろう。その分首都の力は弱まる。願ったりだ」
「かしこまりました」
「頼むぞ。それじゃ、行ってくる」
トレントンは気障なウインクを残して、部屋を出て行く。大尉は敬礼の代わりに、軽く頭を下げる。
「行ってらっしゃいませ」
別にその甘い雰囲気のせいというわけでもなかったが、彼らは一つのことを見逃してしまっていた。
五月八日。いまやビフロスト中の耳目を集める反乱都市になったフールゴールド市は、活気に沸いていた。
すでに地球軍に対し、明白な反抗の意図を示してしまったから、備えを隠す必要もない。街の守護神となった鉱山機械を周辺に配置し、地球軍の再来に備えている。
篭城する中世の城郭都市のようになったその町で、エリゼはぷりぷり怒りながら歩いていた。
「なによ、お兄ちゃんたら。ここまで来て怖気づくなんて」
街の外へと続く道路である。この道にも、首都ほどではないが、緑玉楡《エルムラルド》の街路樹が植えられていた。その街路樹が尽きる辺りが街の終わりで、そこに一台のバン型地上車が止まっている。
目当てはその車だったが、近づく前に声をかけられた。
「おう、エリゼちゃん。どうした、そんなにずんずん歩いて」
「……シンガルバットさん」
街路樹の陰で、高さ一メートルほどの、凹型アンテナのついた機械をいじっていたシンガルバットが、手を振った。
「そのまま歩いて大陸横断でもする気かい」
「やろうって言うのは私じゃなくてお兄ちゃん」
「ん?」
シンガルバットのそばに行って、エリゼは機械を撫でながら言った。
「お兄ちゃん、この町から逃げ出す準備をしろっていうの」
「ほう。そりゃまたなぜだ」
「さあね。勝ってるんだから逃げる必要なんかないのに。訳わかんない」
「大丈夫だと思うがなあ」
シンガルバットは、エリゼと同じようにアンテナに手を置いた。
「こうやって対人レーダーで監視しているから、少数の歩兵が街に忍び込もうとしてもすぐ分かるし、空挺部隊が来ても着地する前に撃ち落とせる。軍艦が爆弾を落としに来たらさすがにお手上げだが、そんなことをすれば工場を壊してしまうから、連中もまさかやるまい。心配なのは食料だが、もともとここは他の都市から離れているから、備蓄は十分。――そう言ってやったかね」
「言ったわ。でもだめだった。というか、この街は最初から危なくなるはずだったんだって」
「んん?」
「だから最初から、市長さんと、ここを引き払う相談をしていたって……言うんだけど、引き払うぐらいなら来なきゃいいのに!」
「よく分からんが……ま、出て行ったほうがいいなら、出て行くべきじゃないか」
シンガルバットの静かな言葉に、エリゼは意外そうに顔を上げた。
「なんで? ここはレンさんたちの故郷よ。そこから逃げ出せなんて、ひどいじゃない」
「そりゃ緑玉楡の葉だね」
やや唐突に言われて、エリゼは瞬きした。ベストの胸元に目を落とす。そこには、シルヴィアナ市の自然生態園《テラドーム》で、ダンカン老人からもらった緑の葉が光っている。天然の楡の葉と違って、しおれもしないのだが、その人工的な生命力にかえって力強さを覚えて、エリゼはそれをずっと身につけていた。
「そうだけど」
「なかなかいいシンボルだ。新生ビフロストの星旗にするかな」
「これがどうかしたの?」
「緑玉楡は造られた植物だが、それを言うならビフロスト人そのものが、造られた人々だと言える」
シンガルバットは、かたわらの街路樹に手を伸ばして、自分もその葉を一枚取る。
「そして緑玉楡は、この星のどこに行ってもそれなりに生えている。しかし逆に、他星では見られない。この木にとっちゃ、この星の大地ならどこでもいいんだな」
シンガルバットは葉を胸に当てて、穏やかに笑った。
「どこの都市、なんて区分けは、細かいことなんじゃないか。この星の上ならどこに行こうと、私たちの家だ」
「住みにくい家もあったものね」
エリゼは皮肉な顔で両手を広げた。
「動植物もいない、食べ物も作れない、不毛の星よ。ここが好きかって言われれば――私、正直、迷っちゃうかも」
その手のひらに、ぽつりと滴が跳ねた。
空を見上げた二人の顔に、ぱたぱたと雨粒が当たり始める。やだもう、とエリゼは顔を手でかばう。
シンガルバットは避けもせずにその雨を受けながら、片手で天を示した。
「虹の星なんて名前でありながら、この星には本物の虹もない。虹が見えるほど遠くまで見通しが効かないからな。しかしそれを言えば、なんでもそうだ。地球に普通にあるものはここにはない。あるものはビフロスト人だけ。人の力だけだ。――どうだね、エリゼちゃん」
シンガルバットは自分の胸を叩いた。
「ただ人の力があるだけじゃ、不満かね?」
「……人の力」
エリゼはつかの間、その言葉をかみしめる。人の力、それは機械力に対する人力、などという意味ではないだろう。団結と友愛、言葉と笑顔をかわす力のことだ。
「そりゃ……悪くないけど」
「だろ。ひとつそれを頼りに生きていこう」
「なんだかシンガルバットさん、前とは別人みたい」
「こっちが地だ。ドームの中ばっかりで暮らしていたから、薄皮が張っていたがね」
サプライヤー越しにでも分かる精悍《せいかん》な笑顔に、エリゼはつられて笑いかけた。
その横顔が、突然、紅蓮《ぐれん》の炎に染められた。
「なんだ!」
振り返った二人は、爆音と爆風を浴びて顔をかばった。すぐ先のドーム家屋が、赤々と炎をあげて燃えていた。
「火事?」
「いや、攻撃だ!」
二人はすぐそばのバンに駆け込む。中では、対人レーダーで監視していた市の職員が、緊張した顔で画面を見つめている。
「なんだ、今のは? ミサイルか?」
「いえ、レーダーの反応とほとんど同時に来ました。ミサイルの速度じゃありません、ものすごく速度の高い砲撃です。多分レールガンだ!」
「レールガンだって?」
電磁加速で金属砲弾をマッハ数十にまで加速する、恐るべき兵器の名前を聞いて、シンガルバットとエリゼは顔を見合わせる。
「そんな重兵器は地球軍にはないはずだろう! 連中、歩兵部隊じゃなかったのか?」
「市外にいる部隊にはないはずですが……まさか、今朝首都から到着した輸送艦に?」
「絵を出せ、絵を!」
シンガルバットに急き立てられて、職員が慣れない手つきでレーダーを操作した。街の工場で作った即席のものだから、あまり性能はよくない。それでも、市外約五キロの位置に出現したそいつの輪郭は、捉える事ができた。
一目見たエリゼが、ひっと喉に息を詰まらせる。
「ケルベロス強襲戦車……」
「なんだ、それは?」
「地球軍の無人兵器よ。大出力レールガンを備えた浮行車《ホバー・カー》タイプの車両で、歩兵も装甲車も入れないひどい荒地にも進入できて、ものすごい戦闘能力を持つ……」
「そんなものがあったのか? 聞いたことがないぞ!」
「裏サイトで想像図だけ見たことあるの。あんまり強力すぎていろいろな条約に引っかかるから、地球軍もおいそれとは使えないはずだし、それ以前に、まだ試作段階で、どこの部隊も実戦配備はしてないって聞いたのに。あんなものを持ち込んでいたなんて!」
解像度の低いモノクロ画面の中で、平べったい甲虫を思わせる形のその戦車が動いた。無人という触れ込みの通り、機械そのものの直線的な動きで砲塔のない車体をなめらかに回し、ぴたりと静止する。
ザッと画面が乱れた。レールガン発射時に放出される電磁ノイズを受けたのだ。
顔を上げて窓から外を見たエリゼたちは、三キロほど前方で番兵のように突っ立っていた、巨大なメガ・ショベルへと走る光の線を見た。
ミサイルの直撃にも耐え切ったメガ・ショベルが、砂糖菓子のように粉々に吹っ飛ぶのは、およそ現実離れした光景だった。
「反撃は! あんなとんでもない砲を連射できるはずがない、一発撃った隙に他の機械で押さえ込め!」
「もう動いてます」
フールゴールド市庁ドームに臨時に設置された防衛司令部から、市の周りの機械群の配置が転送されてくる。その画面を見た職員が、手を振り回す。
「やれ、負けるな! 近づきさえすればこっちのもんだ!」
静止している強襲戦車に向かって、重ドーザーが、スクレイパーが、それぞれに搭載されたコンピューターの判断で突進していく。
だが、それらの機械が、立て続けに画面から消滅した。同時に別の光点が現れる。そして増える。強襲戦車は一両ではなかったのだ。
「どうして……」
エリゼが血の気の引いた顔でつぶやいた。
「私たちがサーバント・サーキットをだます手を持ってるって、地球軍は思い知ったはずなのに。自動機械の戦車なんか出したら、こっちに操られるって思わないの?」
「操れるのか」
「無理だけど。だって、割り込み信号と割り込み拒否信号がかちあったら、所有者に従うために拒否信号を優先する仕組みだもの」
「なら、そのことに地球軍は気づいたんだ。私たちが同じIDを持っているだけだってことにな」
「どうして!」
「この際それはどうでもいい。重要なのは、連中が私たちを上回る機械力を投入してきたってことだ」
シンガルバットは唇を噛んだ。
「どうやら、連中はとことんまでやる気になったようだな。歩兵戦力だけじゃなく、機械戦力でも自分たちのほうが優れていることを示すために」
「あ、お兄ちゃんの言ってたことって、まさか……!」
エリゼが、何かに気づいたように目を見開いた。だが、それをシンガルバットに伝える機会は与えられなかった。
レーダーをにらんでいたシンガルバットが、はっとつぶやく。
「まずい、エリゼちゃん!」
彼の行動は敏速だった。バンのドアを引き開け、エリゼの腕をつかみ、力任せに車外に放り出す。路上に転がり落ちる寸前、エリゼはレーダーの画面に、まっすぐこちらを向いた戦車の砲口を見た。
「シンガルバットさぁん!」
まるで絶叫に押されたように、バンがごっと異様な音を発して、後方へ十メートルほども跳ねた。その鼻面に、隕石のクレーターのような薄ら大きい射入口が開いていた――と認める間もなく、バンは爆発炎上した。
「そんな……」
呆然とへたりこむエリゼの耳に、キイッ、キイッ、と大気を切り裂く、続けざまのレールガン発射音が聞こえてきた。
管制機器の電子音だけが響く天山の機器管制室で、オペレーターの一人がごくりと唾を呑んで言った。
「火力が過剰です」
彼らが見つめる画面には、フールゴールド市に侵攻したケルベロス強襲戦車からの画像が映っていた。
合計四十両の戦車は、二分ほどの間隔でレールガンを撃ちながら、じわじわと市の内部に入り込みつつあった。本来、レールガンは強固な装甲目標に対して使われる兵器だ。目的どおり鉱山機械に対してそれは使われたが、機械が一掃された後も、戦車たちは同じ武器を使って、市の各所を攻撃していた。
市庁ドームの壁面に穴が空く。二つ、三つ。だが火の手は上がらない。地上車のように水素燃料があるわけではないので、引火するひまもなく弾丸が突き抜けてしまうのだ。その代わり壁の内部は、砕け散った構造材が散弾と化して暴れ狂うから、地獄のような有様になる。さらにそこだけではなく、弾丸は建物を連続して二つも三つも貫通する。ほとんど市の片方からもう片方まで、弾丸が一直線に串刺しにすることになる。
四十両の戦車の砲撃は、フールゴールド市全体に、櫛《くし》の歯を横からあてがったような長い穴をうがちつつあった。
映像には市民たちの姿も映っている。逃げ惑う、などという生やさしい様子ではない。死に物狂いで安全な場所へと走り、その群衆に向かって委細構わず自動戦車が発砲し、瞬時にして数十人をミリ単位の肉塊へと変えている。
オペレーターが震える声で言った。
「これでは市民も居住域も壊滅させてしまいます。よろしいのですか?」
「工場は避けているんだろう」
指揮官席でむっつりとつぶやいたのは、小男のエンダービー准将だった。彼は、歩兵戦で戦果を出せなかった汚点を雪ぐべく、この無人部隊の指揮を執ることを、ハーンに願い出たのだ。
「かまわん、続けろ。どのみちここの設備は我が軍だけで操業する予定なのだ。市民などいなくなってもよい」
オペレーターたちは顔を見合わせたものの、吐き気をこらえて再び画面に向き直った。
彼らにとって不気味なのは、本来この部隊を運用指揮するはずのトレントンや、最高指揮官のハーンが、この場に姿を現さないことだった。エンダービーは、与えられた力を必要以上にふるっているのではないか。上官の監視すらくぐり抜けて。
そういう疑いはあったが、避け得ない要素が、彼らを任務に縛りつけていた。この時を逃せばエンダービーが戦功を立てる機会はない。それをあえて制止した時、彼が部下の自分たちに何をするか――。
想像できない、想像したくもないことを考えて、部下たちは無言で画面を見つめ続けた。
資材置き場の秘密政府は、市の重要施設からかなり離れたところにあったので、まだ砲撃を受けるには至っていなかった。
大人たちとともに退避作業を進めていたニルスは、ふらふらとドームに入ってきたエリゼを見つけて、駆け寄った。
「エリゼ! どこ行ってたのさ、こんな時に。ああ、とにかく無事でよかった。早く逃げる用意を……」
「シンガルバットさんが……」
「シンガルバットさんが? あの人はどこ?」
「死んじゃった」
ぱたりと胸に入ってきてぐいぐい顔を押し付ける妹を、さすがに声もなくニルスは抱きしめた。
「いい人だったのに。あの人も、私たちの家族だったのに。最後に私を助けて、死んじゃったよ」
「そうだね。いい人だったよね。だから、あの人の好意を無駄にしないように、早く……」
「お兄ちゃん知ってたんでしょ!」
いきなり顔を上げて、エリゼは赤くなった目でニルスをにらんだ。
「逃げる準備をしろって、こうなることを知ってたから言ってたんでしょ! なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
「知ってたわけじゃないよ」
ニルスは後ろめたそうに目をそらした。
「ただ、地球軍が機械戦力を投入するって予想してただけで……まさかあんな凶暴なものを使うなんて、思わなかった」
「させたんじゃないの? そうなるよう仕向けたんじゃないの?」
「違うってば、とにかくエリゼ、今は逃げないと」
「いやよ! 逃げるならシンガルバットさんも連れてきてよ! 東の通りで燃えてるから、行って、助けて!」
「落ち着け、エリゼ君」
わめき散らすエリゼの腕をぐいと引いたのは、セベルスキイだった。
「シンガルバットが君を助けたというなら、生きて逃げるのが彼の意思を汲んだ行動だ。泣くなら後にしたまえ、引きずっていくぞ」
「セベルスキイさんまで、そんなに落ち着き払って……!」
言いかけたエリゼは、いつも紳士然としていた彼が自慢のスーツを脱ぎ捨て、ほこりに汚れた様子で図面やデータボードを小脇に抱え込んでいるのに気づいた。
セベルスキイはエリゼの視線を見て、黙然と言う。
「シンガルバットのおかげで外殻とエンジンはもう製造まで行っているが、航法系と操作系はまだ未完成だ。彼の遺作だ、私が継ぐ」
「……手伝ってくれるの」
「もう日和っている場合ではないからな。地球軍には愛想が尽きた」
エリゼは涙を拭いて、鷹のように鋭い顔立ちの男を見上げた。一人の家族は失ったが、もう一人の家族を得たのだ。
「さあ、早く」
「はい……!」
三人は駆け出す。出口で待ち構えていたパッカードが、双子の背に手を当てる。
「お母さんはもう先に行っている。レン氏や大勢の市民も一緒だ。逃げよう、みんなと一緒に」
どこか近くで、爆発音がした。一瞬首をすくめてから、再び彼らは駆け出した。
五月十日。地球軍は反乱した惑星ビフロストの鎮圧が終了したことを発表し、同時に、ビフロストの自治権を停止、軍政本部を置いて地球が直接統治するとの宣言を行った。
地球軍地域防衛軍のデトレフ・ハーン中将が軍政本部長官に就任し、彼がこの星の政治三権を掌握する。ビフロスト議会の機能は無期限に凍結。法体系は地球のものをそのまま適用するが、反乱鎮定直後という事情に鑑みて、軍政本部長官には法の運用に関して大幅なフリーハンドが与えられる。行政執行部門は、ビフロスト自治政府のものをそのまま機能させるが、閣僚級以上の指導層には地球軍人を配し、新たにそれらを総括する行政総監の地位を置いて、エミリオ・トレントン少将をこの任に就ける……。
まさにザイオンの再現、いやそれ以上に過酷な軍事統治だった。当然、あらゆる方面から非難の声が上がるかと思われたが、激しかったのは、地球の旧サンパウロ政府系の政治家、あるいはマスコミによるものぐらいで、おかしなことだが、上海政権内からの声がこれに次いで大きかった。
旧サンパウロ系はともかく、身内の上海政権内からの声というのは、民主主義の原則に反するではないか、というのが建前にすぎず、実際にはハーン中将の躍進をやっかむ罵声だったので、市民への訴求力には大分欠けていた。
それよりもさらに低調だったのが、他の新惑星や、金星、火星、といった地球外勢力の声だった。つい先年末に独立を宣言した火星政府の大統領は、遺憾《いかん》の意を表す短いコメントを出しただけで、実効力のある手段、たとえば小惑星資源の地球への輸出を制限するなどの抗議措置などは何も取らず、金星に至っては、閣僚の一人の談話として、非公式な抗議声明を、笑止なことに、地球へ届かない金星ローカルの放送に載せただけだった。
これらの消極的な態度は、もちろん上海政府の怒りを買うのを恐れてのことだったが、ビフロストの太陽系内での地位の特殊さが、原因の一つにあった。
人口が少なく他星との人的交流もあまりないビフロストは、惑星間外交の舞台であまり目立った役を割り振られておらず、唯一の影響力と言える工業製品の輸出に関しても、地球軍がそれを従来通り続けると発表したせいで、他星の関心を引くことができなかった。モノさえ造ってくれれば別にいい、という冷淡な反応に囲まれたのだ。
ビフロストは、太陽系の捨て石だった。
ただ、捨て石には捨て石で、身を寄せる仲間も、わずかながら存在するのだった。
惑星ビフロスト、赤《ルード》大島北方八十キロの海上。
濃密な海霧の中をひそやかに航海する、大型の水上船舶の姿があった。
撒積貨物船《バルキーカーゴ》スモーキー・オールドマン号。およそ地球人の想像の枠外のことだが、この星では大量の金属インゴットを輸送するために、かなりの水上船舶を運航していた。この船はその一隻で、航空機のような高熱排気を出さないために地球軍の赤外線探査にもひっかからない。名前のスモーキーというのは石炭を焚いて煙を吐くからではなく、常に霧の多い海域を航行しているからで、そのおかげで軌道上からの光学探査も避けることができるのだった。
現在この船が運んでいるのは貨物ではなく、フールゴールド市から脱出した三千五百人の市民と、もはや完全に逃亡政府と化した、ビフロスト自治政府の首脳たちである。レーダー探査を避けるために船腹に張りつけた、間に合わせの電波吸収材に霧を滑らせつつ、いずことも知れぬ逃亡先に向けて、ゆっくりと進んでいく。
船長に譲られた個室で、悲しげにため息をついているのは、フローラだった。
「みんな冷たいのね」
壁のスクリーンには、地球軍が配信するTV番組が映っている。それは、ビフロスト軍政本部発足に関する、各界の談話を伝えていた。いわく英断、いわく果敢、いわく壮挙。どれも、ハーン長官の手柄をほめ称え、激励するものばかりである。
「私たち、けっこう苦労してるのに。この人たち、何人死んだか知らないのかしら」
「知らないんですよ。地球軍の情報統制は極めて強力ですから」
そばに立っていたパッカードが、手を伸ばしてスクリーンの表示を消した。
「見ても意味はありません。地球軍が地球軍の不利になることを、放送するわけがないんですから」
「分かってるけど……ちょっと気が滅入っちゃうわ」
フローラは額にかかったほつれ毛をかき上げる。主席に就任して以来、弱みを見せないように努めてきた彼女だが、うち続く苦労と、何よりフールゴールド市での大きな犠牲に、ダメージを受けていた。
「私、つぶれちゃいそ」
「しっかりして下さい。何かお飲みになりますか」
「うん……いえ、私が淹《い》れるわ」
立ち上がってお茶を淹れようとしたフローラが、船が揺れたはずみか、少しふらついた。パッカードが素早く手を伸ばしてその肩を支える。
「大丈夫ですか」
「……あんまり」
「皆が応援しています。社長も、ご存命なら励ましてくださるはずです」
「……あのね、トムス」
「は?」
「レジナルドのことはもちろん忘れてないけど……私、生きてる人に助けてもらったほうが」
「……は」
「いえ、あなたが補佐官として優秀なのは分かってるわよ。でも……だから……」
つかの間、二人は腕を触れたまま見つめあった。
個室のドアがいきなり音を立てて開かれた。転がるマリのように双子が駆け込んでくる。
「お母さん、これを見て」「すごいわよ、ビフロスト中から一万件以上も!」
興奮のあまり室内の様子など目に入っていない。両腕からあふれんばかりのプリントアウトをテーブルにぶちまけてまくしたてる。
「激励の手紙よ。それに怒ってるのも。フールゴールドの虐殺、みんなに伝わったのよ! 地球軍に妨害されてたけど、ラジオ、届いてたの!」
「応援してくれてるから元気出して」
「あ、ええ、うん」
妙な返事を返して、フローラはやや頬を紅潮させたまま、さりげなくパッカードから離れた。そこへ、紙片を手にしたアイリン老婦人までやって来る。
「あらあら、あなたたちに先を越されちゃったわね。でも、この一通はビフロストの一万通にも勝る勇気を、与えてくれると思うわ」
「なあに?」
聞き返したフローラに、アイリンは得意げな顔で紙片の文章を読み上げる。
「ビフロストの苦境を察し、亡くなった方々に哀悼の意を表す。されど深い闇は夜明けの兆し。いつか来る朝を目指して、ともに手を携えて歩まん。故郷の星は違えど志は同じ。――惑星ザイオン深紅党《コロラド》党首、ウィレム・デュボア」
「ザイオンから!」
確かにそれは、一万の仲間の声に匹敵する激励だった。圧制にも負けず、勇敢な抵抗活動を続ける、ザイオンの人々からの知らせ。地球軍に同じ仕打ちをされた星が、どのような状況になっているのか、正確に察してくれている。ビフロストは孤独ではないのだ。
「お母さん」
視線を向けられたフローラが、鼻の頭に手を当てた。ぐすっとすすりあげる。
「……ええ、みんな期待してくれてるのね」
「だから、ね!」
「うん……」
「さあさ、あなたたち。しばらくお母さんを感動に浸らせてあげましょ」
アイリンが双子の肩を押して部屋から押し出す。エリゼが振り返る。
「パッカードさんも――」「エリゼ」
言葉半ばで、兄が妹を引き出した。
通路に出てドアを閉めてから、エリゼが首をかしげる。
「パッカードさんはいいの?」
「僕はいいと思う。エリゼは?」
その問い返しは質問と微妙に食い違っていたが、遅まきながらエリゼも気づいた。数秒、忙しく表情を変化させる。
「ああ、えーっと、うん……いい、と思う……」
「お父さんもいいって言うと思うんだよ」
「……そうよね」
自分を納得させるようにうなずいてから、エリゼは雰囲気を変えるようにアイリンを見つめた。
「そういえばビートンさん、ザイオンからの通信なんて、どうやって?」
「まさか、お母さんを元気づけるために、架空の……」
双子の視線を受けて、アイリンは軽く笑った。
「本物よ。でも、どうやったかは内緒。――まだしばらくね」
「ふうん?」
「それより、いいのかしら。彼で」
「え?」
アイリンは、船長室のドアを振り向いていた。しかし、すぐに視線を下ろして、首を振った。
「いえ……疑っちゃ悪いわね。彼を信じましょう」
「なんのこと?」
「いいのよ。それより、ザイオンからの報せを船のみんなに伝えてあげましょう」
「あ、私がやる!」「だめだよエリゼ、君、おおげさすぎるから。僕が」「いいでしょ!」
通路を走って行く双子を見送り、もう一度ドアを振り返ってから、アイリンはわずかに心残りがあるような顔で、歩き出した。
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[#挿絵(img/01_199.jpg)入る]
第四章 虹色の星
早朝の大使館の廊下に、かん高い笑い声が響いている。
「ン……?」
ハーンは、起床して顔を洗ったところだった。まだ軍服には着替えておらず、スポーツパンツにトレーナーというラフな姿である。あまり周囲の者に見せたことのない姿だが、ハーンにしても二十四時間軍服を着ているわけではないので、そういう時もある。私服の彼は、やや体格がいいだけの、どこにでもいそうな壮年男性である。
ビフロストに到着して以来ずっと、彼は大使館の居住エリアで起居していた。その気になればシルヴィアナ市の高級ホテルや、元主席邸を接収することもできたが、あえてそうしている。常に司令部にいて緊急時に備えるという意味もあったが、質実剛健を好む性格であること、そして一人身であることも理由として数えられる。この場合の一人身とは独身ということではなく、地球に妻子を置いて来ているという意味だ。
呼べばすぐにでも人が来るが、居室には他に誰もいない。タオルで顔を拭いたハーンは、何の気なしにそのまま廊下へ出た。
猫か犬かというような小さな姿が二つ、足元を駆け抜けた。
「む」
反射的に腰に手をやり、拳銃を持っていないことを思い出す。また、その必要もない相手だった。五、六歳の男の子と女の子。ゴムボールを蹴飛ばしている。
いったん廊下の向こうまで走っていった二人は、ボールを取り合ってじゃれていたが、男の子が蹴った拍子に、それがハーンの足元に転がってきた。屈託のない笑顔で二人が叫ぶ。
「おじちゃん、取って!」「早くう!」
ハーンは少し考えた。二人はおよそ場違いな闖入《ちんにゅう》者だ。ここに子供がいるのはおかしい。地球軍兵士は全員、当然だが、家族を地球に残してきている。
だから、この二人は兵士の家族ではない。しかし思い当たることはあった。惑星ビフロストの正式な占領に伴って、さらに作業を進めるために、最近、民間人の技術者を地球から呼び寄せたのだ。その一部は大使館に寝泊りしているはずであり、彼らならば、長期滞在のために家族を伴ってきているということもありうる。珍しいことだが例がなくはない。
市内のビフロスト人がまぎれ込むはずがないのだから、そうなのだろう。
ハーンは笑顔になり、ボールを拾い上げた。
「行くぞ」
力を入れすぎた。ボールは一度バウンドして、子供たちの頭上を越えて飛んでいった。
「やーん、強すぎ!」
「すまん」
ハーンが手を振っていると、背後から数人の足音がした。振り返ると、警備の兵士たちだった。私服のハーンが誰だか分からないらしく、わずかに眉をひそめたが、すぐに気づいて敬礼した。
「おはようございます、長官閣下」
「おはよう。元気なものだな、あれは誰の子供だ?」
「住み込みのコックの家族です。詰め所の監視窓の下を通り抜けて、こちらに忍び込みました。申し訳ありません」
「なに……ビフロスト人か」
市内ではなく、施設内の住人なのだった。ハーンは笑顔を中途半端にこわばらせる。兵士たちが首をすくめる。警備体制の不備をとがめられても文句の言えないところだ。
だが、ハーンは短く命じただけだった。
「すぐに連れ戻せ」
「はっ。コックにも処罰を与えます」
「いらん。不問に付しておけ」
「はっ……了解しました」
私服の長官は性格も優しくなるのだろうか。そんな淡い疑問を顔に浮かべつつ、兵士たちは廊下を走っていった。子供はどこかの部屋にまぎれ込んだらしい。探せ、と叫び声が聞こえてくる。
それを見送り、ハーンは部屋に戻る。別に優しくなったわけではない。ちょっとした疑問を覚えただけだ。手早く着替えを済ませて、銃を身につける。
再び廊下に出ると、ちょうど兵士たちが子供を連れ戻してきたところだった。軍服姿の彼を見て、安心したような顔になる。ハーンの私生活を覗いたような後ろめたさがあったのかもしれない。
半ば無意識にだが、ハーンは子供たちに対しても、兵士と同じような態度の変化が起こるものと予想していた。しかしそれは外れた。
兵士の小脇に抱え上げられた女の子が、面白そうに笑った。
「おじちゃん、かっこいー」
「……かっこいいか」
「ギャラクティック・ヒーローみたい。マゼラン人をやっつけるんでしょ。ばんばーん」
「うむ、悪い奴をやっつけるのが仕事だ」
「あの、閣下……」
「連れて行け」
戸惑ったような顔の兵士に、ハーンは命じた。離せよマゼラン人! と叫ぶ子供を、兵士が荷物のように運んでいく。
残れされたハーンは、しばらく目を閉じて立っていた。
「ヒーローか……」
あの子たちにとっては、凛々しい制服を着た人間は、皆、正義の味方なのだろう。ビフロスト人だろうが地球人だろうが関係ないというわけだ。それは、無垢な幼児だからこその感性なのか。
どうも違うようだった。なぜならば、ハーンもあの子供たちに、自分の子供の姿を重ねてしまったからだ。
「……当然だな。元をただせば同じ人間なのだから」
同じ人間同士なのに、いがみ合う。地球人かどうか、軍人かどうか。そんな区別を幾重にもまとって、その表面の違いだけで殺しあう。……愚かなことだ。
だが、そんな考えは一瞬だった。
たかが子供が騒いだ程度の些事《さじ》で惑わされるほど、ハーンは甘くもなく、迷ってもいない。目を開け、確乎たる足取りで廊下を歩き出す。
廊下の向こうから、幕僚を引き連れたトレントンがやって来て挨拶する。
「おはようございます、閣下。今朝はサテライトドックの接収に関するブリーフィングがあります」
「うむ。まず朝食だ。席上で聞く」
デトレフ・ハーン軍政本部長官は、歩みを止めずに答える。
二五〇六年六月。地球軍はビフロスト侵攻の最終的な目標がなんだったのかを、公式的な発表こそしないものの、その行動によって、徐々に明らかにしつつあった。
惑星各地で作らせていた工業部材は、ゲリラの鎮圧兵器などでは無論なかった。大きさからして違う。縦横十数メートルもあるような装甲板や、数千トンの応力に耐えられる強固な骨格が、いまや完全に専用化された工場から超大型トレーラーで搬出され、荒野を横切るビフロストのハイウェイを通って、赤道上のG・スライダーへと運ばれた。待ち構えていた最大規格のコンテナが、それらの大型部材を呑み込み、長大なレールで秒速五キロ以上の脱出速度へ加速されて、大気圏外へと向かった。その先にあるのは――高軌道上のサテライトドックである。
その全工程を知らずとも、厳重な梱包の隅から覗くジョイントの異様な武骨さ、部材を積んで動き出すトレーラーのあえぐような鈍重さなどから、ビフロスト人は造られるものの正体を悟っていった。
ただ、そういったことは他の惑星に伝わるまでには至らなかった。地球軍はビフロスト人に対してもまだ隠していたし、その情報が惑星外へ出るルートも地球軍が押さえていたからである。
隔離された密室のような状況下で、地球軍は着々と作業を進める。
五月に軍事的な衝突がほぼ終了して以来、計画の指揮はトレントン行政総監の手に委ねられるようになった。小さな節目ごとに発表の壇上に立つのはハーン長官であり、また逆に、現場におけるささいなトラブルなどがあった場合に、最終判断をするのも彼だったが、全体の流れを見渡してマネジメントを行うのは、トレントンの仕事となった。権限だけに関して言えば、ハーンのそれが小さくなったような変化である。が、彼は別に不満を抱いてはいないようだった。彼にとってはデータ上の百万の数字を動かすことよりも、目の前の百人に命令を下すことのほうが重要だったのだ。また実際、そういう行動のほうが部下や市民に強い印象を与えるものである。多くの人々にとって、地球軍の象徴はハーン長官であり、それはハーン本人とトレントンの二人にとっても、望み通りの状況だった。
そんな二人の間にも、どちらが扱うべきか微妙な問題というものはあった。
フールゴールド市での強硬な占領行動のことである。
事実の正確なところでは、あれはエンダービー准将のやり過ぎというものだった。地球軍は、あくまでも、無人地帯で運用試験をするために、あのケルベロス強襲戦車を持って来たのであって、実戦投入する予定はさらさらなかった。
しかし、トレントンは、強襲戦車にそれだけのことができる力があることを知っていたし、ハーンは、エンダービーが焦りのあまり先走った行動を取るかもしれないと察していた。直接的な責任はエンダービーに帰せられるとしても、彼に危険な武器を与えてしまったのは、ハーンとトレントンの二人だった。さらには、エンダービーがやり過ぎること自体を期待していたとも、言えなくはない。それによる威嚇《いかく》の効果はほしいが、虐殺者の汚名は着たくない。そういう暗い思惑の一致によって、二人はともに、この件に触れないことにした。つまり、エンダービーの罪を問わず、彼の地位と職をそのまま安んじたのだ。
シモツキ大尉の引渡しを拒んだときと同様の措置である。ただ、深刻さはその数百倍であり、それを考えたときに二人が苦り切るのも無理はなかった。
「我が軍の栄光ある伝統に従えば、職権乱用か何か適当な微罪でもって、准将を一兵卒にでも降格してしまうべきなんだろうけどな」
接収なった自治政府政庁ドームの主席執務室で、トレントンは皮肉げにつぶやく。
「貴官の時とは違って、そうもいかん。事実そのものを完全に伏せるしかない」
「私の行動を准将の虐殺と同列視なさるのですか」
シモツキ大尉が抗議の眼差しを向ける。
「私は地球軍人として任務に従ったまでです。あんな男と一緒にされるのは我慢できませんわ。それに、なんですか、栄光ある伝統? 私がそんなものに裁かれたとおっしゃるんですか」
「そんなものに守られたんだ、貴官は」
トレントンは冷たく言い放つ。
「地球軍の時代遅れの因習がなければ、貴官は今頃、この街の監獄で合成もののオートミールを食わされていただろうし、准将に至っては、民間人保護条約違反で軍事裁判送り、よくて終身刑、悪ければ銃殺だ」
シモツキ大尉は絶句する。彼女は地球軍の旧弊な体質そのものに気づいていない。特権的に保護されるのが当然だと思っている。それに比べてトレントンは、よほど常識的な感覚を持っているようだった。
持っているがそれを現実に応用しないのがこの男である。冷静で客観的な視点を、地球と他星の立場を公平にするために使わず、無重力サッカーを観戦して勝敗の予想をする観客のように、事態を眺めて楽しむためだけに用いている。分かっていて地球軍の横暴に加担しているのだから始末が悪い。彼は不関知罪を犯す結果犯ではなく、承知の上でやる確信犯だった。それはより罪が深いということだが、事実として起こってしまった地球軍の暴虐がひどすぎて、どっちだろうがたいして違いはない。またそれほどの非道さが、地球軍の救い難さでもある。
そんな醒めた感覚でもって、トレントンは一人の男のことも論評する。
「『P』からの連絡はあったか」
「はい、今朝ほど再び」
冷たくあしらわれはしたものの、この男の有能さに惹かれるあまり反抗もできない、そういう悲しい忠実さで、シモツキ大尉は答える。
「ビフロスト地下政府は、フールゴールドでの戦いの後も存続しているようですが、活動力はほとんどなくしてしまったとのことです。間もなくの計画最終フェイズにも、手を出してくる余裕はないと」
「それはまあそうだろうな。これからは地上を離れた宇宙空間が、我が軍の舞台だ。G・スライダーも宇宙港も我が軍に取られて、まともな宇宙船の一隻も持っていない連中には、妨害などできるわけがない」
トレントンはそうつぶやき、鼻先に薄い笑みを浮かべた。
「にしても、あの事件の後で、まだきちんと連絡をよこしてくるとは……その程度の男だったのか。見損なった」
「総監? どうかなさいましたか」
「なに、若き日の思い出を、また一つ地下室にしまいこんだだけだ」
不可解な言葉に眉をひそめている大尉には説明せず、トレントンは改まった口調で言った。
「地下政府のことはもう放っておいていいだろう。最終フェイズの進行に集中しよう。長官閣下はどうなさってる?」
「大使館司令部での申し送りを終えて、二、三日中にも軌道に昇られる予定です。計画が明らかになれば、サテライトドックはともかく、ソーラーパネルの運用部門が抵抗することが予想されますので、マニトバ以下の戦闘艦で強制接収を行うとのことです」
「そして俺は地べたに残って、ビフロスト人たちを黙らせる。適材適所だな」
トレントンは事務的に命じた。
「貴官は議会で出す資料を整えてくれ。下がっていいぞ」
「……はい」
何か言いたげな顔で、何も言えずに出て行くシモツキ大尉を、トレントンは人の悪い笑顔で見送った。
貴重な真水の水滴が若い肌を滑り、輝かせる。
シャワーを浴びるのはいつものことだし、大事なことだ。ビフロストの混濁大気は吸って吸えないほど高い毒性を持っているわけではないが、化石燃料を使っていた昔の自動車の排気ガスよりもよほど汚れている。外へ出たあとは必ずシャワーを浴びるのが、ビフロスト人の習慣だ。
ただ、今回のシャワーの目的は、大気の汚れを洗い落とすためだけではなかった。これからしばらくは、入浴はおろかまともに服を着替えることもできなくなる。念入りに皮脂を洗い落としておかなければいけない。
目的はそうなのだが、それが終わってからも、ニルスはしばらく水流に頭を打たせたまま、じっと突っ立っていた。
動かない表情の下で、精密な思考が動いている。情報の取捨選択を間違えてはいないか。自分たちの力を過少あるいは過大に見積もってはいないか。動くタイミングを外してはいないか。
情報は正確につかんでいる。ハーン軍政本部長官は地上を離れ、トレントン行政総監は旧ビフロスト議会を再召集した。自分たちの力も分かっている。ヘイムダル″は十分な性能を備えていて、サイミントンモーター社との連携も万全だ。タイミングも最適。今上がればハーンの動きに合わせて目的地に到達できる。
いや――。
「違うな。そんなことで不安になってるんじゃない……」
方針を支える理念を探して、ニルスは揺らいでいるのだった。完全なそれはまだ見つけていない。またそのことをエリゼに言ってもいない。
個室の外から声がかけられた。
「お兄ちゃん、長いね。溺れてない?」
「今出るよ」
ニルスは答え、シャワーを止めた。
脱衣室に出ると、最近とみにくたびれてきた一張羅の高等科制服は片づけられ、代わりにインナーとアウター二枚組みの、つま先から首元まで覆う服が用意されていた。ただの服ではなく歩兵の使う装甲服に似ている。実際、アウターは装甲服のように極めて強度の高い造りで、一部の機能は装甲服を凌いでさえいた。温度、湿度、気圧、放射線を遮断する機能である。
それを身につけていると、先に着終わっていたらしいエリゼが、挨拶もなく男子シャワー室に入って来た。まだ服に片足を突っ込んだところだったニルスは、あわててそこらを跳ね回る。
「ちょっとエリゼ、僕まだ」
「何やってんの、早くしてよ。お母さん来てるわよ」
「私だけじゃないわ、お客様が一緒よ」
「お客さん?」
エリゼに続いて、フローラが戸口に顔を突っ込んできた。あわててニルスは服を身につけ、エリゼは戸口を見つめる。
「もういいわね。ほら、みんな」
フローラの横から入ってきた三人を見て、エリゼは口元を押さえた。
「やだ、マルコ……それに、ジェイミー、ロレッタも!」
フローラとともに入ってきたのは、しばらく顔を見ていなかった同級生たちだった。エリゼは顔を輝かせる。
「来てくれたの? 二ヵ月ぶりじゃない!」
「そうだな。なんか照れるぜ」
「照れるなんて柄じゃないでしょ、ジェイミー。ちょっとぐらい会ってなくたって、連絡はずっと取ってたんだから」
「そりゃそうだが」
妙によそよそしく目をそらしたジェイムズの横を、マルコがすり抜けて、ニルスに近づいた。彼の服の袖口に触れる。
「もう着たのか。……じゃあ、本当に君たちが行くんだな」
「うん」
ニルスがうなずき、人差し指でちょいと天井を指した。
「外にね」
外、それは惑星ビフロストの外のことである。双子が着たのは、宇宙服なのだった。
「二人だけでねえ」
感慨深げに言ったマルコに、ニルスが苦笑する。
「二人しか乗れないように設計したのは、君たちじゃない」
「そういう設計にするしかなかったのは、君たちが設備も材料も調達してくれなかったからだ。おかげでシルヴィアナ中から血眼で資材をかき集める羽目になった。地球軍の目をかすめて首都から運び出すの、大変だったぞ」
マルコの皮肉はなかなかの切れ味だった。彼はすでに、父親を失った痛手を克服したようだった。
「まあ、しかたないけどさ。ワット単位の惑星間電波通信も見逃さない地球軍が、宇宙船の横流しに気づかないわけないもの。手に入らなきゃ作るしかない。――にしても、ほんとにこれが最適解だったのかねえ。いっそG・スライダーを乗っ取ったほうが楽だったかも」
「無事じゃすまないでしょ、そんなことしたら」
「二人ともそれぐらいにしたら」
ロレッタが面白くもなさそうな顔で仕切りを入れる。
「もうあまり時間はないんでしょ。揚げ足取りあってる場合じゃないわ」
ロレッタに指し示されて、戸口で待っていたフローラが入って来た。そのそばには小柄な銀髪の老婦人もいた。子供たちは口を閉じ、フローラを見つめる。
「ニルス、エリゼ。分かってるわね、何をしに行くか」
「うん」
エリゼが表情を硬くして答える。
「みんなの弔い合戦よ」
「いいえ、違うわ。仕返しじゃないわよ」
「仕返しじゃないって……じゃあなに、お母さん」
不満げな顔になったエリゼに、フローラは言って聞かせる。
「報復をしたいと思うのは人間として当たり前だけど、それだけじゃ過去は取り返せても、未来は手に入らないわ」
「そんなこと言うけど、フールゴールド市で亡くなった人たちや、マルコの父さんや、私たちの父さんの仇を討ちたいって思っちゃいけないの?」
「その気持ちは大事。でも使い方を間違えちゃいけない。あのね、一つ教えてあげる。――スタグティーニ君もよく聞いて」
フローラは子供たちの顔を等分に見回しながら言った。
「スタグティーニ君のお父さんは、自殺したんじゃないのよ」
それは意外な言葉であり、この場で告げられる理由もよく分からない言葉だった。子供たちは戸惑って顔を見合わせ、特にマルコは、胸を押されたように軽くよろめいた。
「お父さんが……自殺ではなかったなら、どうして?」
「驚かないでね。スタグティーニさんは、G・スライダーを一時的に破壊しようとして、亡くなったの」
「破壊?」
マルコとニルスの声は叫びに近かった。
「お母さん、どうして? G・スライダーはビフロストの動脈じゃない。スタグティーニさんはそれを守ろうとしたんじゃないの?」
「いいえ、逆よ。彼は、地球軍の計画を阻止するために、G・スライダーを壊そうとしたの。隠していたけど、それが事実」
「そんな、嘘でしょう?」
「いや……それが本当だとすると」
動揺のあまり平静な表情を保てなくなりかけたマルコの隣で、ニルスがつぶやいた。
「マルコ、悲しまなくていいよ。死に意味があるとすればだけど、君のお父さんのそれは自殺より立派なものだ」
「どうして?」
「スタグティーニさんは、ビフロストの物質的な利益と誇りとを比べて、誇りのほうを選んだんだ。それがビフロスト人自身の生活を不自由にするとしても、地球軍の手伝いをし続けるほうが、より大切なものを失うことになるって、君のお父さんは分かっていたんだ」
「それが、自殺よりも立派だって?」
「そうだよ。何もできなくなって死ぬことを選んだんじゃなくて、何かをしようとして亡くなったんだから」
「……そうか……」
「お母さん、エリゼ、それにみんな」
ニルスは一同の顔を見回し、はっきりとした口調で言った。
「正直に言うと僕はずっと迷ってたんだけど、今、分かったような気がする。これから行くところで何をするのか」
「何をするのかって……それはお兄ちゃん自身がもう決めていたじゃない。この計画はお兄ちゃんのものでしょう」
戸惑ったように言うエリゼに、ニルスは微笑んだ。
「うん、それはそうだけど、することの意味がね。やっと分かった。その場限りの成功で地球軍を追い払うことだけじゃなくて、独立にかける覚悟を見せつけて、地球や他の星にも示すことが大事なんだ」
ニルスは、アイリンに向き直る。
「ビートンさん、これが前におっしゃってた、『最後の一人を追っ払ってから』のことですね」
「そう……」
アイリンは長い間眠っていた我が子が目覚めたのを見るように、喜びをたたえた顔で言った。
「あなたたちがハーンさんを追い払っても、それはビフロスト人の力を示すだけのことだわ。ビフロスト人の心というものを見せなければ、真の独立は得られない。よく気づいたわね」
「マルコのお父さんのおかげです」
「あの、私まだよく分からないんだけど……」
エリゼが居心地の悪そうな顔で言った。
「そういう抽象的なことって、苦手。心を見せるって、どうすればいいの? 私たちは崇高な独立戦争をやってるんだって、放送でもすればいいの?」
「放送は必要だろうけど、ま、それは後のことだよ。いいよエリゼは僕についてくれば」
「……どうせ私は散文的ですよ!」
軽くむくれたエリゼと微笑むニルスの肩に、フローラが両手を回す。
「さあさ、二人とも。もうすぐ出発よ。喧嘩してないで」
「うん……」
「ほんと言うと、親としてちょっぴり心配だけどね。こんな危ないことを、あなたたち二人だけにやらせるなんて」
「私たちはビフロスト主席の子供よ。これぐらい当然よ」
「それにお母さんだって安全じゃないでしょ。何しろ敵のど真ん中に乗り込むんだから」
「二人とも……」
フローラは目頭を拭って、ぎゅっと二人を抱きしめた。
同級生たちがそれを囲む。
「ニルス、頼むよ。……お父さんの恨みを晴らすんじゃなくて、願いをかなえるんだ」
「うん、マルコ」
「二人ともしっかりね。主要企業を押さえていい気になってる地球軍に、学生と末端技術者だけでもこれだけのことができるって、思い知らせて」
「うん、ロレッタ」「いいけど、もうちょっとあったかい送別の言葉はないの?」
「エリゼ、その……死ぬなよ、頼むから。絶対な」
「うん、ジェイミー。お兄ちゃんにも言ってあげてよって、ちょっと何、泣いてるの」
「エリゼ〜」
困った顔のニルスに頭をぐりぐりされて、何どういうこと? とエリゼは戸惑う。
戸口に技術者が現れて、そろそろウィンドウが開きます、と言った。二人は愛しい人々から離れる。
「行って来ます」
「ま、任せて」
笑顔で手を振る二人の顔が、皆の瞳に焼きついた。
「液酸系、液水系。圧力、流量、ともに正常」
「電装系、航法系、機械系、全回路全系統正常」
「チェックアップ二万五千四百箇所終了、アラート三、対処完了、進行足並み揃いました。カウントダウンはXマイナス三百でホールド、いつでもGOできます」
「カウントダウンって?」
「現代のように、ボタンを押すだけで宇宙船が勝手に離陸するようになるまでは、そうやって数を数えて、全ての部署の作業を揃える必要があったんだ」
ありったけのコンピューターと通信機を運び込んで、急造の管制室に仕立て上げた工場のオペレーションルームで、金髪の中にやや白髪の増えたセベルスキイが、言った。
「今では映画にしか出てこない方法だが、素人の私たちがやるには最適な方法だ。採用したニルス君のシステム工学の才能は本物だな。年に似合わず、玄人じみてる」
「ああ。三、二、一、ゼロってやつね」
フローラがうなずく。
「映画って言っても、歴史映画に出てくるような儀式じゃないの。そんな古いやり方で、大丈夫かしら?」
「古いということは完成されているということだ。そして一発勝負の化学ロケットほど枯れた技術が要求される機械もない。五百年も前に完成された手法を信じるんだな。それに、作業船部分は現代の軌道艇で、生命維持には何の心配もない。しかも……」
セベルスキイは胸元に手をやる。そこには、この場の誰もと同じように、鋭い緑の光を放つ葉が留められている。
「あれはシンガルバットが身命を賭して設計したものだ。その設計を私とムハマドたちが完成させ、それに従って学生諸君が部材を集め、あなたのサイミントンモーター社の技術陣が製作した。これほど一丸となった人々の力を、主席が疑うのかね」
「……信じるわ」
フローラはうなずいた。セベルスキイが聞く。
「|GO《ゴー》? |NOGO《ノーゴー》?」
「GOよ」
「よろしい。では、打ち上げだ。カウントダウン再開!」
「了解、カウントダウン再開します」
管制官がうなずき、最終段階の自動進行指令を出した。
Xマイナス三百秒、サイミントンモーター社、| 緑 《グルーント》大島西工場にある高さ八十メートルの資材保管庫が爆破され、瓦礫と粉塵の中から、無塗装の銀に輝く尖塔が姿を現す。
Xマイナス六十秒、尖塔横のアンビリカルタワーからつながっていた、電力ケーブルと推進剤補充パイプが、次々と切断されて垂れ落ち、タワーそのものも外側へと倒される。
Xマイナス三十秒、噴射炎を弱めるためのウォーターカーテンが尖塔下の壕に噴霧される。
Xマイナス四秒、メイン液体ロケットエンジン点火。
Xマイナス一秒、補助加速用重力カタパルト作動。尖塔を囲んで立っていた、先端に重錐のついたカタパルトアームが、花びらが開くように放射状に倒れ、てこの原理で尖塔を持ち上げる。
Xゼロ秒。目もくらむばかりの純白の閃光と、地殻を揺るがすような轟音とともに、尖塔が宙に浮かび上がり、上昇を開始した。
テーブルのコーヒーカップをカタカタと揺らすほどの轟音を感じながら、フローラはつぶやく。
「しっかりやるのよ、二人とも。お母さんも頑張ってくるからね……」
宙天高く昇り、なおも加速度的に上昇していく尖塔――ビフロスト人が初めて造った宇宙ロケット、ヘイムダル≠、たくさんの人々の目が見送った。
六月八日、地球軍軍政本部によって凍結されていたビフロスト議会が、ほぼ一ヵ月ぶりに招集され、議員たちが集まった。
議会ドームの本会議場に、議員たちが続々とやって来る。その中にはコーエン議員の姿もある。議会凍結以来、議員たちは職を解かれこそしなかったものの、来客との面会はおろか、通信さえも地球軍に監視される自宅謹慎の状態に置かれて、実質的に議員としての権利を取り上げられていた。それが再び、肩書きに見合う場に呼ばれたのだから、生気を取り戻していそうなものだが、そういった様子は見られない。皆、表情も硬く押し黙り、それぞれの議席に着席する。
いや、よく見れば、その沈黙が無力なものではなく、何かを待っているような期待をひそめていることに、気づいたかもしれない。
しかし、地球軍行政総監のトレントンは、これから話すことへの反応を想像するあまり、彼らの不可思議な期待には気づかなかった。
彼が立つのは、二ヵ月前までフローラが立っていた主席壇である。それを遠慮がちな横目で見ながら、アーレンバーグ議長が議長壇に登り、弱々しく議会開会を宣言した。
それに続いてすぐ、トレントンが口を開いた。
「お集まりの皆さん。今日は皆さんに、驚くべきニュースをお伝えしましょう」
芝居がかった口調であり、ふざけているようにすら見える。普通の人間がそういうことをするのは、聴衆の大げさな反応を期待しているからだが、ビフロスト議員たちは拍手一つ鳴らさない。またトレントンもその反応に気落ちしたりしない。最初から皮肉のつもりで言っている。
「まずはこれをご覧下さい」
トレントンの言葉に合わせて、大スクリーンに映像が現れた。漆黒の背景とそこに散らばる無数の光点。宇宙空間だった。
その闇の中に、白い長方形が浮いている。ズームがかかり、長方形の細部が見えるようになった。長方形ではない、円筒形だ。側方から差す太陽光が半面だけを照らしている。真空の宇宙では光の当たらないところは全くの闇に沈むので、照射面だけが強いコントラストで浮かび上がり、長方形に見えているのだ。
「ビフロスト高軌道上の、サテライトドックです。片側だけに太陽光が当たっていますね。勘のいい方はお気づきと思いますが、今、ちょうどこの星の夕暮れの地域の上空にいます。その時間を狙ってみました。――見栄えがいいので」
議員たちは無言。構わずトレントンは続ける。
「次にこれを。これは赤道のG・スライダーから投射された貨物コンテナです」
画面が切り替わり、やはり宇宙空間で静止する四角いコンテナを映し出す。静止しているように見えるのはカメラも同速度で動いているからで、実際はその両者が、秒速数キロの速度で惑星の周りを回っている。
長いアームを備えた作業艇がコンテナに近づき、それを抱え込んだ。数度の噴射で姿勢を変え、ゆっくりと動き出す。それにつれてカメラも横にパンする。
画面に白亜の壁が現れた。金属製の壁である。つまりそれはサテライトドックの壁面で、最初の映像よりもよほど近くから撮影しているのだった。
「我が軍は作業艇でコンテナをドックに運び込みます。コンテナの中身は宇宙船の部品です。それをドックで組み立てるのです。我が軍はここで――軍艦を作ります」
さりげないその言葉に、軽く息を呑んだ議員が数人いた。トレントンは顔を上げ、彼らに目をやった。
「お分かりですか。つまり我々は、サテライトドックを軍の造船所として使うことにしたのです」
「それでは……」
まだ三十代の若手議員が、大きく目を見開いて言う。
「ビフロストの鉱山と工場を接収したのは、軍艦の部品を作るためだったのか」
「そうです」
「G・スライダーを接収したのも。本格的に大量の部品を軌道上に運ぶために」
「そうです」
「軍艦というと小さなものじゃないな? それを造るということは、サテライトドックの全機能をそのために使うということだな?」
「そうです」
「それはつまり、ビフロスト全体を完全な軍需造船所にしてしまうということじゃないか!」
「そうです」
薄い笑みを浮かべて何度もうなずくトレントンに、議員は立ち上がって叫んだ。
「そんな無茶な話があるか! ビフロストのこれまでの産業が壊滅してしまう! 貴様らは私たちから何もかも奪う気か!」
「そういう異論があることは、我々も予想していましたので――」
トレントンは大スクリーンに片手を振り上げた。クライマックスの台詞を言う役者の仕草だった。
カメラが一気に視点を引き、ドックを含む広範囲の空間を映し出した。そこに、ドックを囲むような形で静止しているのは、砲口の輝きもまがまがしい宇宙戦闘艦だった。
「実力を行使します。ハーン中将麾下のマニトバ他九隻が、サテライトドックを射程に収めています」
「なんだって……」
議員はすとんと腰を降ろした。というよりは、腰を抜かした。
「そんな無茶な……実力行使だと。貴様らは……建前だけの嘘をつく気もないのか」
「もちろん建前はありますよ。これはビフロストに対する経済的な援助の一環なんです」
「援助だって?」
「そう。ビフロストの内政はここ数ヵ月で混乱し、工業生産力は大幅に低下しています。このままでは外貨が入らず、千三百万人の住民が飢え死にしてしまう。それを助けるために、特需として軍艦の建造をさせてあげるんです」
「その低下は!」
「逃亡した元主席たちの一党による、妨害行動のせいですな。違いますか?」
違うのだが、平然とトレントンは言った。議員たちは悟る。そういうことにしろと言われているのだ。
事実は地球軍が武器生産のためと称して工場を乗っ取ったからだ。主席の逃亡はその後である。だが、その程度の時間差は、情報統制をしている地球軍なら簡単に逆転させてしまえる。星外の人間がそれに気づくことはないだろう。
そしてビフロストは孤立する。ゲリラ鎮圧のための武器を造るならば、まだ身を守るためだと言いわけもできる。しかし、軍艦を造るとなるとそうはいかない。軍艦は他の惑星を攻めるためのものだ。ビフロストが地球軍の惑星間戦力を、直接的に強めてしまうことになるのだ。これで他星に恨まれないわけがない。
そうなれば、後はひたすら、地球軍の機嫌をうかがって、奴隷として命脈を保つしかない。
「貴様らは……なんて悪辣《あくらつ》な……」
「そうでもないんですけどね。我々が本物の悪人なら、援助なんかせず、ビフロスト人を一掃して地球人の手で設備を動かします。でもそれをやるのは、今までがそうでしたが、人手もいるし金もかかる。それぐらいならあなた方に任せたほうがいい」
トレントンは、他人事のような軽薄な笑みを、どこまでも浮かべて言った。
「たいして変わりませんよ、今までと。必需品はクーポン制できちんと支給します。もちろん、他の惑星の特産物などは入ってこなくなりますけどね。――ま、ちょっと食卓が寂しくなる程度ですよ!」
トレントンは笑った。笑いながら議場を見回した。同調する人間を探してのことではなく、打ちひしがれた彼らを見てさらに笑いを強めるためだった。
その笑いは、中途半端に消えてしまった。
ビフロスト人たちは、打ちひしがれてなどいなかった。数十の強い眼差しがトレントンに突き刺さっていた。おや、とトレントンは首をかしげる。逆撫でしすぎたかな。暴発するようなら兵士を呼ばなければいけないが。
呼ぶ必要はなかった。向けられた眼差しは反抗のものではなく、逆に余裕を表したものだったのだ。
その余裕の源泉となる声が、議場に響き渡った。
「地球人! まだビフロストは負けたわけじゃありませんよ!」
議員たちが喜色を浮かべて振り返った。トレントンは、彼らしくもなくあんぐりと口を開けた。
議場最上段の扉をあけて、ほっそりとした気高い姿が現れた。フローラだった。かたわらにはセベルスキイ、フタバ、アハマドなどの顔ぶれや、見知らぬ老女などが並んでいる。
「さ、サイミントン主席……一体どうやってここに」
「私たちがアコンカグアから持ち出したのが、IDだけだと思っていたな。警戒網をだます識別信号もあの艦に記録されていたぞ」
「……」
アハマド科学大臣の言葉に、トレントンは言葉を失った。なるほど、それは確かに盲点だった。というより油断していた。首都の占領以来、一度も警戒網が突破されるようなことはなかったので、識別信号を変える必要も感じなかったのだ。
議場にいた警備兵が、銃を構えて主席に狙いをつける。それをまっこうから見返して、フローラが言った。
「おやめなさい、私たちを撃っても、もう手遅れよ。トレントンさん! 今すぐにサテライトドックの接収を中止しなさい! さもないと、こちらも実力を行使します!」
「実力行使だって?」
開けっ放しの口を、トレントンは再び笑いの形にした。
「どこにそんな力が?」
「あるんです、私たちには。すでに軌道上に対抗手段を送り出しました」
「何を言い出すかと思えば……」
トレントンは嘲笑の眼差しを向ける。
「宇宙港もG・スライダーも使えないのに、軌道上に何かを送っただって? 主席――じゃない、ミズ・サイミントン。ハッタリはもう少し本当らしくきかせるものですよ」
「では、信じられるようにしてあげましょう。パッカードさん」
フローラのそばのパッカードが、ウェアコンに何かを入力する。その後、しばらく沈黙が続いた。
三十秒が過ぎ、トレントンは笑いを再開する頃合だと判断した。
「それで? 秘密の宇宙艦隊が我が軍を包囲したとでも?」
「総監!」
再開されかけたトレントンの笑いを、通信を担当していたシモツキ大尉の緊張した声が吹き飛ばした。
「軌道上の艦隊が警告を受けています! ただちに包囲を解かなければ撃沈すると!」
「なんだと?」
トレントンは反射的に叫んだ。
「本当に艦隊がいたのか? 規模は! 何隻だ!」
「艦隊ではありません。ソーラーパネルから――ビフロスト軌道上の太陽発電システムからです! パネル反射光の点滅によるモールス信号です!」
トレントンは大スクリーンを振り返った。そしてうめいた。
「あ、あれが全部……?」
サテライトドックの周囲で、数十万個の光点が、完全に同調した動きでチカチカと瞬いていた。それは一千隻の艦隊が出現したよりも、壮大で華麗な光景だった。
表面の反射率を自在に変えることのできるパネルが、太陽光をはじいてきらめいているのだった。
「サテライトドックからの遠隔操作ではありません。パネル群は独立した操作系統で動かされています」
「うむ……」
マニトバ艦橋でオペレーターの報告を受け取ったハーンは、額にしわを寄せてしばらく黙り込んでいた。
艦橋スクリーンには、点滅を続けるソーラーパネル群が映し出されている。左手に、半月のような弓形に光る惑星ビフロストの巨大な地表面があり、パネル群は、そこから流れ出した| 氷  霧 《ダイヤモンド・ダスト》のような、無数の光点として視認できた。
艦隊はパネル群に対して、太陽側に位置していた。自分たちの背後にある太陽からの光が、前方のパネル群に反射して、こちらへ返って来る。無害な自然光とはいえ、それらの表す信号が警告だというのは、いい気分ではなかった。
「この光景は地上にも転送されているな?」
「はい。議会とTV地上波へリアルタイムで流されています」
「ビフロスト人を威嚇するための放送があだとなったか。……しかも二度目だ」
ハーンは渋面をますますしかめた。
「警告などとふざけた真似をしているが、あの周囲に攻撃兵器はあるのか?」
「今のところ発見していません。エネルギー兵器であれ、運動量兵器であれ、あるいはミサイルであれ、戦闘艦を攻撃できるものなら相応の大きさを備えているはずですが、それらは見当たりません」
「レーダー波は? まずレーダーで索敵照準を行うのが、戦闘のセオリーだろう」
「宇宙戦では必ずしも電波やレーザーで探査する必要はないんです。見通し距離がほぼ無限大、つまり、肉眼で見えてしまいますから。極端に言えば、双眼の望遠鏡と弾道計算用のコンピューターがあれば、照準は可能です」
「では、ステルスをかけて攪乱《かくらん》剤をまき、完全に艦隊の姿を隠せ」
「意味がありません。我が艦隊は位置を放送しています」
「む……そうか」
歩兵戦を得意とするハーンは、宇宙空間での戦闘にはあまり明るくない。しかし、武装もない相手を恐れるほど臆病でもなかった。
「無視しろ。ドックの接収を進める。――いや、返信だ。警告に従わないことをはっきり伝えろ」
「はっ、伝えます」
司令席からオペレーターを見下ろしながら、ふとハーンは疑問を覚える。サテライトドックからでないのなら、どこの誰があれを動かしているのだろう? ビフロスト人が宇宙へ出てこれるはずはないのだが……。
「伝えました。引き続き、サテライトドックへの警告を続けます」
「うむ」
ハーンは首を振った。別にどこの誰でも構わない。文句をぶつけてくるだけの手合いにかかずらわっているひまはないのだ。
だが、彼のその余裕は、わずかな時間の後、覆されてしまった。
「――パネル群が動きます!」
索敵オペレーターの声に、ハーンはスクリーンを見つめ直す。今まで一致して規則的な点滅を繰り返していた光点の群れが、瞬かなくなっていた。それらの一部は光を増し、一部は暗くなる。
「なんだ。何をする気だ」
「……これは?」
索敵オペレーターが首をかしげ、はっと何かに気づいてコンソールに指を滑らせた。彼の画像処理を待つまでもなく、ハーンにも配列の変化が分かった。
数十万枚のパネルが、全体としてひとつの方向に向きつつある。それはつまり――。
いくつもの変化が同時に起こった。サブスクリーンの一つにオペレーターが加工した映像が投影され、赤外線探査器の警報が響き、通信回線から悲鳴が走った。
「サスカチュワンより警報! 外装温度急速上昇、三次装甲板過熱! ラジエーターオーバーフロー、二次、一次装甲も過熱! 八百度、九百度、千、千百を越えます!」
[#挿絵(img/01_227.jpg)入る]
「危険です、彼らは太陽光を――」
索敵オペレーターの声と体を揺さぶって、マニトバの巨体が震えた。
サスカチュワンが爆発した衝撃波だった。艦橋スクリーンが瞬時に防眩して溶暗し、それが解除されると、虚空に広がる光の花が映った。マニトバの対隕石用の機関砲が自動作動して高速で弾幕を広げ、飛び来る破片を片っぱしから弾き飛ばし、その閃光がスクリーンをきらびやかに彩った。オペレーターが呆然とつぶやく。
「サスカチュワン、撃沈されました……」
「パネルによる集光攻撃です!」
画像加工をしていた索敵オペレーターが、スクリーンに映した模式図を指して叫ぶ。
「すべての発電パネルの反射光を一点に収束して、高熱を発生させたんです。いくら自然光でも、あれだけの枚数で集光されると膨大な熱量になります」
「反撃!」
ハーンの命令は、これ以上ないほど迅速だった。
「全艦全砲門開け、パネルを破壊しろ!」
九隻の戦闘艦が、レールガンとレーザーとミサイルの雨を撃ち放った。その雨の粒が、巨大な円錐形の形にきらきらと輝いた。それは、本物の雨の夜に、地上車《ランド・カー》のヘッドライトをつけた時と同様の現象だった。
光る粒が光路を表す。次の円錐の頂点は、アルバータに向かっていた。
「アルバータも……」
マニトバから中継される、艦尾が溶けて奇怪なオブジェと化した戦闘艦の映像を見て、トレントンはかすれた声を上げた。彼の優秀な頭脳は、たちまちにして攻撃方法を理解する。
「そうか……太陽光を集光したのか!」
「そうです。すべての発電パネルを反射鏡として利用しました。ビフロストが巡る金星軌道の日照は、地球軌道の一・九倍。焦点温度は一万度や二万度じゃききませんよ」
「シモツキ大尉!」
フローラの言葉をさえぎって、トレントンは部下に叫ぶ。
「あの男の通信を遮断しろ! パッカードだ、やつが命令を出した!」
「遮断しても無駄です。彼は攻撃開始の命令を出しただけで、もうパネルは軌道上からの制御で動いています。今、妨害したら、攻撃中止命令も届かなくなりますよ。そんな命令を出す気は、当分ありませんけどね」
「それができるなら今すぐやってもらおう。ミズ・サイミントン、攻撃を中止させるんだ!」
「お断りします」
「いいのか? 断るならば我が軍はさらに強硬な手段をとるぞ」
「何をする気ですか?」
「ケルベロス強襲戦車は、この首都で常時出動準備態勢においてある。それが動き出してもいいというのか?」
「……」
フローラは答えない。ほんの少し悲しみをたたえているような瞳で、静かにトレントンを見つめている。
トレントンは、荒い三呼吸を、待つことに費やした。それから、シモツキ大尉を振り返って言った。
「強襲戦車部隊に、出動命令を」
「総監! それでは、エンダービー准将と同じ立場に……」
「やるんだ!」
大尉は叱りつけられた子犬のように身を縮め、ウェアコンに向かって早口で指示した。
「エンダービー准将、強襲戦車部隊を出動させてください。行動領域はシルヴィアナ市全域、目標はすべての移動物」
そんな二人を、ビフロスト人たちは黙って見つめている。
宇宙港の工作艦|天山《テンンャン》で、その命令を受けたエンダービー准将は、自らはなんら吟味することなく、九官鳥さながらにそれを部下に伝えた。
「ケルベロス全車出動。エリアは市内全域、目標は移動物すべてだ」
「准将閣下!」
「トレントンの小僧がはっきり言ってきた。今度は奴の責任だ。貴官らは気にせずともよい」
気にするなと言われても、フールゴールドでの虐殺を再現することには、強い抵抗があった。オペレーターたちはじっと息を殺してエンダービーを見つめる。
するとエンダービーは、乾いた笑いを漏らしながら言った。
「すでに千人以上殺した。それを一万にしなかったからといって、地獄で申し開きができると思うのか?――やらなければ、それを確かめさせてやってもいいんだぞ」
「……了解」
エンダービーの手に銃が握られている。オペレーターたちは蒼白な顔で命令を実行するしかなかった。部下を銃で脅して従わせる上官など! 彼らは、エンダービーこそが一番に地獄へ送られることを確信した。
その確信は、事実によって裏付けられた。
「ケルベロス01から04起動します。……ああっ?」
最初の一部隊を動かそうとしたオペレーターが、裏返った声を上げた。彼女のスクリーンに、真っ赤な文字が立て続けに浮かび上がる。| 指 令 拒 絶 《コマンド・リジェクティッド》の文字。同時に隣のオペレーターが叫ぶ。
「強制割り込み信号を検知! ケルベロス統制ラインに外部からの干渉が行われています! 防衛、失敗! 回避、失敗! 逆探、失敗! 回線切断――失敗!」
「こ、これは……」
さらに別のオペレーターが、完全に悲鳴と化した声を上げる。
「サーバント・サーキットの発動状態です! ケルベロスは我々を運用者として認識していません、外部の何者かに完全に服従しています!」
「01から04、暴走しました!」
ごおん、と天山の艦体を震動が貫く。ほんの数秒、不気味な沈黙が管制室を満たした。エンダービーが死人のような顔色でつぶやく。
「……ケルベロスは、外に?」
「いえ……格納庫で固定器を破壊して回頭し、その場で発砲準備を進めています」
「射撃目標は」
「最上位管制コンピューターです」
スクリーンを見つめていたオペレーターが、のろのろと背後を振り返った。
壁の一方で、ケルベロス全車を統制する管制コンピューターが、インジケータの小さな光を瞬かせていた。
「天山、通信途絶しました……」
シモツキ大尉は、震える声で言った。トレントンが、想像を否定する言葉を求めるように、短く聞く。
「沈んだのではないな?」
「沈みました、おそらく。……強襲戦車が暴走した模様です」
「なぜだ」
トレントンは床に視線をさまよわせ、それをフローラに向かって引きずり上げた。
「どういうことだ」
「お金で買われた頭脳は、たとえそれが本当は優秀なものだったとしても、真の力を発揮することはできなかったということです」
フローラが言い、セベルスキイが後を継いだ。
「太陽系きっての頭脳を集めた地球の技術陣も、完璧なセキュリティを構築することはできなかったのだ。サイミントンモーター社は、サーバント・サーキットの根本的な構造を把握し、その服従機能だけを無力化する方法を作り上げていた。私も知らなかったがね」
「根本的に、無力化……IDカードを使った小手先のごまかしではなく、か!」
もはやひたすら問うことしかできず、その滑稽《こっけい》さを自覚しながら、それでも聞かずにはいられずに、トレントンは問いを重ねる。
「それならばなぜ、最初から我が軍の機械を乗っ取らなかった? 戦闘車やミサイル車にもサーキットは備えつけられているんだぞ。それが乗っ取られていれば、我が軍もあんな凶悪な兵器を使うことはなかった!」
「まさにそれゆえにこそだ。歩兵主体の君たちが、機械戦力にシフトしてからでないと、この方法は功を奏しない。それにしてもあの戦車の登場は予想外で、フールゴールド市では恐ろしいことを引き起こしてしまった」
セベルスキイは、自分が計画したかのようにそれを告白する。事実は違う。フローラ、パッカード、ニルス、それらほんの一握りの人々だけが知っていたことだ。だが、セベルスキイは彼らの身代わりになることを決めていた。これからのビフロストを担う若い彼らが、罪の意識に押し潰されてしまわないように。
「……結局、その予想外に強い力は、君たち自身をこれ以上ないほど痛めつけることになったようだがね。報いが起こったのだろう。償いと言えるようなことではないが……」
トレントンはじっと彼を見つめていたが、やにわにホルスターからレーザーガンを引き抜いた。まっすぐに腕を伸ばしてフローラに狙いをつける。
「まだ最後の人質が残っている。ミズ・サイミントン、あなただ」
「私を撃っても――」
「他の人間が残っていると? 違う、やはりあなたこそが要だ。いや――もはや人質をとる段階ではないかもしれないな」
それまでのトレントンの行動が、理性的すぎた。にしても兆候はあった。強襲戦車の出動を命じた時点で、彼は一線を越えていたのだ。しかし、その場のほとんどの人間が、そのことに気づいていなかった。
ただ一人、長い年月、政治家として人を見てきた経験から、その沸騰に気づいた男がいた。
「フローラちゃん、伏せろ!」
コーエン老議員だった。メディカル・チェアの働きによって生きていたはずの彼が、最期の瞬間にそんな力を見せるとは、それこそ誰にも予想できないことだった。
最前列の議席の横にいた彼が、メディカル・チェアを勢いよく前進させ、そのスピードを使って主席壇のトレントンに飛びかかった。半ばそれに驚いたような形で、トレントンが引き金を引いた。ジャッ、と肉の焦げる音がし、コーエンの背中から一筋の煙が立ち昇った。
目を見開くトレントンの前で、コーエンはずるずると床に崩れ落ちる。
「コーエンさん!」
最上段にいたフローラたちが、先を争うように駆け下りて来て、コーエンを取り囲んだ。だが、老人はすでに息絶えていた。
議員たちが無言で立ち上がる。潮の流れのように彼らは階段を下りてきて、無言でフローラたちを取り囲んだ。トレントンに静かで強い視線を向ける。
「さあ……あと百二十九人いるぞ」
「千二百九十九万と何千人かだな。この様子は全土に流れている。呼べば皆やって来る」
「う……くそっ!」
トレントンはレーザーガンを放り投げ、壇を叩いた。
「ならば全員だ! 一人残らずだ! まだ艦隊が残っている! 一隻でも残っていればおまえらなんか!」
「総監……」
いつのまにか、シモツキ大尉が彼の横に立っていた。もともと色の白い顔を、白いだけでなく霧のように頼りない表情にして言う。
「艦隊が……」
「なんだ」
大スクリーンを見上げたトレントンは、凍りついた。
「タクラマカン、ザクセン、アビシニア、機能喪失、自由落下状態! 周防《スオウ》も誘爆を避けて推進剤を投棄しています!」
「なぜだ、回り込んでおるのに!」
マニトバの艦橋で、ハーンは怒号していた。
艦隊はパネルを破壊するだけではなく、その攻撃範囲から逃げるような機動も行っていた。前方のパネルから太陽光が反射されるのだから、近づき、そのまっただ中を通過して、背後に抜けてしまえば、パネル自体が遮蔽物になって、反射光は届かなくなるはずだった。
しかし、通り過ぎた背後からも、パネル群は太陽光をぶつけてくるのである。焦りを募らせるハーンに、索敵オペレーターが、何の解決にもならないことを説明した。
「反射するだけではありません、パネル群は太陽光を屈折させています」
「屈折だと?」
「そうです。パネルは太陽光を透過させる機能も持っています。斜めの状態のパネルに光が入射されると、内部で光路が曲がります。その屈折を利用して、パネルはこちらに陽光を集めているんです」
「防ぐ方法は! 攪乱幕は展開しているんだろうな?」
「しています、しかし、熱量が多すぎてすぐに蒸発させられてしまうんです! 軌道上での位相がまずいんです、せめて惑星の真夜中の側だったら、パネル群は太陽光が当たらないせいで、攻撃できません。明暗境界線上のここでは、あれらは最大の熱量をこちらに収束できるんです!」
「サテライトドックがこの位置に来るのを待ったのが間違いだったか……」
ハーンは失敗の原因をそう考え、すぐに別の考えで打ち消した。薄明時を選んだのは、その時間帯ならドックが地上からも見えるからで、議会もそれに合わせた時刻に開かせた。その選択が偶然にも、集光攻撃をするための絶好の位置をパネル群に与えてしまったわけだが――敵のこの手回しのよさは、もはや偶然などとは言えないだろう。
議会が開会される時刻から接収時刻を推理し、それに合わせて迎撃準備を整えていたのだ。間違いというならば、開会時刻を早期に決めすぎたことだ。
いや、今はそんなことを考えているひまはない。速やかに攻撃を中止させなければ敗北する。オペレーターを介していられず、ハーンは直接、通信機に叫ぶ。
「地上本部! 今すぐに、惑星全域のあらゆる通信に妨害をかけろ! 特にパネル直下の地上にはミサイルを撃ちこんで、人工のすべての施設を破壊しろ!」
ハーンは、パネル群が地上からの遠隔操作で動かされていると思ったのだ。だが、地上本部から返ってきた返事は、意外なものだった。
「閣下、パネルは有人で動いています。リモートではありません!」
「なんだと、あそこに人がいるのか?」
「います、レーダーに記録が残っていました。二十六時間前に、| 緑 《グルーント》大島西岸の企業工場から、大気圏外へと飛行物体が打ち上げられた形跡があります。軌道要素から考えて、それがパネルに人を送り込んだに違いありません。おそらく現用の宇宙船ではなく、独自設計の、化学式の、大気圏脱出専用の、使い捨てロケットです!」
「使い捨てロケットだと……」
あまりのことに、ハーンはこめかみを震わせた。
「そんな先史時代の遺物のような代物に、我々は翻弄《ほんろう》されておるのかッ!」
「遺物だからこそ、部材の規格が違いすぎて、我が軍の流通監視網で捕捉できなかったんです。そんな遺物を実際に作る発想も技術もあなどれません。ビフロスト人の狡猾《こうかつ》さが予測を超えていたんです!」
「もう、よいわ!」
ハーンは通信を打ち切った。怒りのあまり熱くなった頭脳に、ある考えが浮かぶ。
いかに旧式な遺物とはいえ、宇宙船を作ろうと思ったらそれなりの準備がいるはずだ。議会の開会などより、はるかに以前から建造に取り掛からなければ間に合わないだろう。しかも、地球軍がドックを最終目標としていることを、それ以前から察知していなければならない。つまり、情報が漏れていたのだ。
「一体どこから――」
「カラガンダ、右舷装甲溶融! 気密破壊で戦闘力を喪失しました!」
オペレーターの悲鳴と、顔を照らす白熱した金属の光で、ハーンは我に返った。苛立たしく叫ぶ。
「一時退避だ。軌道を離脱しろ」
「間に合いません、敵の攻撃は光速です」
「破壊は進んでおらんのか! パネルは何枚壊した?」
「まもなく五千枚に達します」
「それで残りは?」
「二十四万枚以上!」
「ぐ……やむをえん」
ハーンはつぶやき、突然、声のトーンを落とした。
「残るメソポタミアとラージャスターンに指令」
「はっ、内容は」
「クラスター核ミサイル、発射」
「核……ですか」
オペレーターがごくりと唾を呑み込む。それは「クリスマス・イブの虐殺」でさえ使われなかった、禁断の兵器だ。大気圏外のこの場で使えば、せいぜい軌道上の数人か、数十人かが死ぬだけだろうが、この兵器の場合は、死者の数ではなく使ったという事実のほうが重い。
ハーンは淡々と命じた。
「パネル群は、すべてがこちらに光を送るために、重ならないよう並んでいるのだろう。逆に言えば、こちらが核散弾を放てば、まんべんなく破片が行き渡るというわけだ」
「しかし……それでは壊しすぎます。パネルを全壊させれば、ビフロストの生命線である電力を、根こそぎ奪うことになってしまいます!」
「それこそ、いい交渉材料だ。議会と周辺宙域の両方に、この星を十九世紀に戻したくなければ、攻撃を中止するよう指示しろ。それが通じなければ、発射だ」
「り、了解……」
オペレーターが指示を伝える。しばらくの沈黙。
返答は、またしても閃光だった。メソポタミアのエンジンの一つが過熱し、誘爆したのだ。
ハーンがつぶやくように言った。
「やむを得ん。……発射」
「発射します」
ラージャスターンが、核散弾ミサイルを発射した。大きく、遅いミサイルである。遅いことが問題にならないほどの破壊力を持つ弾頭なのだ。それはまかり間違えば、自艦にさえ被害を与えることがある。
「弾頭起爆まで百九十秒です」
それきり、マニトバ艦橋の声は絶える。
一基で五千枚の発電パネル群の動きを制御し、集められた電力をマイクロ波に変換して地上へ送電する、コンバーター・バスユニット。
パネル群全体に五十基近くあるそのバスのひとつに、ニルスとエリゼはいた。
地上から一千キロ。穏やかなコントラストを持つ七色の島々が、眼下をゆっくり流れていく。しかしそれを眺めに来たわけではない。ヘイムダル≠ノよってここにたどりついた二人は、小さな作業艇でバスユニットにランデブーし、他のバスのものも含めてすべてのパネル群を操っていた。
「最初の軍艦、爆発しちゃったね」
一度宇宙服で船外に出て、バスユニットに有線をつないで来たデータボードを操作しながら、エリゼがぽつりとつぶやく。
「何人ぐらい乗ってたかな。百人ぐらい?」
「輸送艦じゃないから、そんなものだろうね」
「私たち、ひとごろしになっちゃった」
「最初だったからね。後のはうまく、爆発させずに壊すことができた」
「……お兄ちゃんはなんとも思わない?」
「悪いことしたなって思うよ。当たり前でしょ」
ニルスは通信機と受動レーダーの画面から顔を上げて、エリゼを見た。
「理屈から言えば権利を守るための抵抗だけど、そんなの関係ないよね。死んだ人のこと考えると、泣きそうになる」
「私も」
「というより、もう泣いてる」
言われてエリゼが顔を向けると、兄は目尻にまるい涙の球を溜めていた。溜めながら一生懸命に平静を保って、レーダーを操作している。エリゼは手を伸ばしてその球をはじく。
「だめじゃない、無重力で泣いたら、涙が落ちないんだから」
「分かってるけどね。泣いてる場合でもない。なるべく我慢はする」
言いながらやっぱり涙を増やしている。エリゼはしばらくその顔を見ていたが、ぼそっと言った。
「仕方ないよ、って言っていい?」
「それはだめ」
言下にニルスは否定した。
「人を殺しといて仕方ないなんて言うのは、地球軍と一緒。まだ泣くほうがまし。どっちでも罪は変わらないけど、そのほうが、何十年かたって、もし死んだ人の友達や家族に会えたら、素直に謝れると思うんだ」
「……相変わらず読みの深い兄上だわ」
エリゼは、伝染してちょっと涙ぐみながら、苦笑した。
「何十年か先、ね。私もそう考えよっと。やられそうだからやり返すなんて、近視眼的なこと言ってちゃいけないのね」
「そうだよ。将来、ビフロスト人と地球人は、きっとまた会う機会があるんだからね……」
通信機が呼び出し音を上げた。二人は会話を中断し、それを聞く。
艦隊旗艦のマニトバからの警告だった。エリゼが勢いよく涙を拭って、データボードを操作する。
「クラスター核か。あの大きさの艦だったら戦略兵器級ね。パネル群を三分割して、残り三艦、いっぺんにやっちゃう?」
「ううん、旗艦じゃないやつだけ」
「どうして? 旗艦をやっつけないと終わらないわよ」
「交渉チャンネルが必要だから、旗艦は最後まで残す。あっちのメソポタミアをやって」
エリゼは手を止めて聞き返す。
「お兄ちゃん、クラスター核を食らったら、私たちだってただじゃすまないわよ」
「むき出しならね。パネルを重ねて防御しよう」
「そんなことしたら、ビフロストが停電しちゃう」
「それでもだよ」
ニルスは力強く言った。
「旗艦をやっつければ、今ビフロストに来ている地球軍は、ほぼ一掃できる。でもその後すぐに、地球からの増援がやって来て、もう一度ビフロストは占領されてしまう。ザイオンのことを考えてごらん。深紅党《コロラド》が独自ルートで宣伝してるけど、あの星に地球軍が増援を送り込まないのは、なぜだと思う?」
「……ステッツァ中将が頑張ってるから?」
「そう。現地指揮官が皮肉にも、増援を阻む壁になってるんだ。僕たちは同じ壁を作らないといけないんだよ」
「……ハーン中将を追い払ったらいけないのね」
「できれば、なんとかしてこちらの気持ちを伝えたい。友達とまではいかなくても、対等な政敵ぐらいには認めさせたいんだ。それには、とことんまでこっちの覚悟を見せなきゃ。たとえ星中の電力を失っても、交渉の窓口だけは保つってことをね」
「そうか……」
エリゼは顔に理解の色を広げた。
「それが、ビートンさんと話してたことなのね。力だけじゃなくて、心を見せるっていう……」
「そうだよ」
「分かったわ……」
エリゼがデータボードを操作し、パネル群の角度を少しだけ変えた。たちまちメソポタミアが小爆発を起こす。
「これで、撃ってくるね」
ニルスが少しこわばった顔で言った。
「エリゼ、パネルの配置は間に合う?」
「核なら遅いからなんとかなるわ。念のため、この艇もバスの後ろに隠しましょ」
エリゼの指がデータボードに踊る。パネルを動かすプログラムは彼女自身が組んだ。彼女にしかできないと思われたから、この任務を与えられたのだ。
一糸乱れぬ動きで陣形を変えるパネル群を見ながら、艇も少し動かして、バスユニットの陰に入れる。バスユニットは一基が数百万キロワットの電力を扱う変電所だ。窓のないビルのようなその巨大な構体が、頼もしい壁だった。
「放射線、大丈夫かな?」
「もともと艇はシールドされてるわ。パネルもあるし、大丈夫」
「でも怖いでしょ」
「うん……」
「ほら」
差し出されたニルスの手を、エリゼはぎゅっと握って、目を閉じた。
核の閃光は凄まじいものだった。マニトバの光学カメラは防眩機構だけでは足りず、レンズの前にブラインドを下ろして閃光をさえぎった。
全方向に飛び散った散弾が、マニトバにも飛来する。対隕石砲が作動するが、とうていすべての弾丸をはじくことはできない。砂利をぶちまけたようなざあっという音が、装甲から艦橋にまで伝わり、オペレーターたちが首をすくめた。
嵐が過ぎ去ると、オペレーターの一人が振り返って、悔しそうに言った。
「ラージャスターンがセンサー系に打撃を受けました。外部から誘導しなければ行動は不可能です」
「残るは本艦だけか」
つぶやいたものの、ハーンはさほど残念そうでもなかった。とにもかくにも、敵は倒したのだ。倒したはずだった。
その彼を、たった一本の通信が揺るがした。
「――パネル群から信号! 変わらず点滅モールス、攻撃の続行を告げています!」
「馬鹿な!」
叫ぶ力はまだ残っていた。ハーンは立ち上がり、オペレーターをにらみつける。
「まだやる気だというのか! 第一、そんな能力があるのか?」
「およそ……十六万五千枚のパネルを破壊しましたが、残りがまだ機能しています。起爆寸前に、パネルを千枚単位で重ねて、シールドとして使ったんです!」
ハーンの気力は尽きかけていた。必死に声を絞り出す。
「この星の生命線を断ったんだぞ! なぜ続けられる、なぜ奴らは楯突く!」
「楯突くというおっしゃりようが正しいかどうか……」
「何か言いたいことがあるのか?」
「その気になれば、彼らは本艦を最初に狙えたはずなんです」
ハーンは絶句した。オペレーターが、疲れ切ったような顔で続ける。
「本艦に閣下が座乗なさっていると分かっているんです。彼らは、交渉する気なんですよ」
「交渉……」
ハーンは長い間立ち尽くした。気がつくと、艦橋の全員が振り返って、彼を見つめていた。
その眼差しに込められているのは、もはや継戦の気力ではなかった。果てしない壊しあいに倦み、行き着く先にある破局を恐れる脅えの気持ちだった。
ついにハーンは、言った。
「……回線開け。双方向だ。対象はパネル群の指揮官」
オペレーターがいくつかの手法を試し、最も単純なただの民間周波がつながったことを告げた。
スクリーンに、敵指揮官の顔が現れた。
「ビフロスト自治政府主席の長男、ニルス・サイミントンです」
「ビフロスト自治政府主席の長女、エリゼ・サイミントンです」
「……君たちか」
ハーンは軽い驚きを覚えたものの、じきに自然な納得にたどり着いた。振り返れば、最初にこの星にやってきたとき、もっとも鋭い質問を発したのが、この少年だったではないか。
ハーンは背筋を伸ばし、胸を張って言った。
「デトレフ・ハーン軍政本部長官だ。君たちの要求を聞く用意がある」
軌道上から送られて来る、信じられない会談の光景を目にして、トレントンは失神する寸前のように体を揺らめかせていた。彼の脳裏では、恐ろしい勢いで打算が渦巻いていた。
ハーンが主席たちと和解でもすれば、殺戮《さつりく》の命令を下した自分の立場がなくなる。ハーンを止めるべきだった。いや、それはもう間に合わない。ではどうすればいいのか。
直属の上官を頼れないならば、さらにその上を頼るしかない。
トレントンは視線を巡らせ、シモツキ大尉に目を止めた。手招きして、彼女を呼び寄せる。
「なんでしょうか」
「長官閣下は、いや、ハーンは、反乱分子と通謀するかもしれない」
「あ、あれは総司令官としての交渉では……」
「いや、地球本星の指令は、あくまでもこの星を軍港化することだ。現場指揮官の判断でそれを覆してはいけないだろう」
自分に言い聞かせているような低い声で言うと、トレントンはうつろな瞳をシモツキ大尉に向けた。
「緊急秘匿回線を地球につなげ。地域防衛軍司令部に、IPBMの発射要請を」
「あ……IPBMを?」
想像を越える命令に、シモツキ大尉の声が跳ね上がった。惑星間戦略ミサイルの発射要請とは! それはもはや策とはいえない。殺戮ですらない。ただの破壊、徹底的な破壊だ。
「そんなことをしたら軍港化どころか!」
「荒野に落とす。ビフロスト人の目を覚まさせる。たとえサーバント・サーキットが無力化されていようが、艦隊が壊滅しようが、地球にはまだ奥の手というものがあることを教えるんだ」
「目を覚ますべきなのは君だ、エミリオ」
トレントンは電撃を受けたように勢いよく振り返った。あまりにも視野が狭窄《きょうさく》していて、彼が近づいて来たことにも、彼に聞こえていたことにも、気づかなかった。
パッカードが立っていた。
「少し、落ち着け。もう勝負はついている。そろそろ、君の言う実利的な取り引きとやらに移るべき頃合だ」
「先輩……いや、パッカード」
トレントンは顔を斜めにしてやけ気味に言った。
「あんたがそんなこと言っても、何の説得力もないよ。我が身可愛さにビフロストを売ったあんたがな」
「売ってはいない。君に教えたのは、すべて偽の情報だ」
「……何を言っている?」
トレントンは、知らない言語で話し掛けられたように、眉をひそめた。パッカードは勝ち誇るでもなく、淡々と言う。
「君に教えたのはIDカードでサーバント・サーキットを欺く方法だけだ。それは地球軍に機械戦力を使わせるためだった。ロケットを建造したことも言っていないし、首都のここまで来ることができるとも言わなかった。私は逆に、君との会話から地球軍の情報を得ていたんだ。ハーンが軌道に昇ることや、その時機なら発電パネルで攻撃できることを……」
「逆スパイ……だったのか! 貴様、あのことをばらしても」
「とっくに話したとも。そして、何も変わらなかった。――彼女の信頼も、私の忠誠心もな」
パッカードの肩越しにフローラを見て、トレントンは細いうめき声を出した。
「畜生……あんたには勝てないような気がしていたんだ」
「私も、君には期待していた。いや、今だってそれは変わってない。少なくとも、賄賂で私腹を肥やさないだけの矜持はあるようだからな。虐殺を命じたことが君自身の美学に反していないかどうか、もう一度よく考えてみろ」
「あんたに……あんたに言われたくはない。わかってたまるか、俺の気持ちが」
「総監! 総監……」
醜く顔をゆがめたトレントンにしがみついたのは、シモツキ大尉だった。
「私には分かります。あなたがそうせざるを得なかったことはよく分かります。でも、もう気づいて下さい。今の地球軍が目的を見失っていることに。私は――核兵器まで使うなんて、思いませんでした」
「シズク……裏切る気か?」
トレントンは険しい眼差しを大尉に向けた。大尉は首を振る。
「裏切りなんかじゃありません。だって、あなたがおっしゃったんじゃありませんか」
「何を?」
「地球軍が時代遅れの因習に縛られてるって。――私はたったいま理解できましたが、あなたは前から気づいていたんでしょう。それを思い出して下さい! 今まさに、あなたは地球軍の悪しき実例になっているんですよ!」
シモツキ大尉の必死の叫びが、トレントンの顔から、ゆっくりと凶暴さを拭い去った。
「俺が……地球軍の見本になってるって? あの旧弊で利己的な連中の?」
「あの、ではありません!」
「そう、だな。他ならぬ自分のことだ。なんてこった……この俺が……」
トレントンはずるずると床にへたりこみ、両手で顔を覆ってうめき声を漏らした。
「他人に泥水をかけているつもりで、自分も首までつかっていたとは……シズク、おまえにそれを言われるとはな。しかも、遅すぎだ」
「ええ、もう手遅れです。でもまだ、悔いることはできます。それをしないよりは――」
「ましか? ましなものか。逃げずに裁かれる、出来てもそんなところだ」
「それで十分です。私もご一緒します」
「……多分、その資格も俺にはない。が……」
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トレントンは、疲れ切ったような、しかし穏やかな顔を、大尉に向けた。
「頼む。俺とともに裁かれてくれ……」
手を取り合う二人から、ビフロスト人たちは黙って顔を逸らした。もはや、彼らを責める意味はなくなったのだ。
大スクリーンでは、双子と長官の会話が続いていた。
「では君たちは、誇りと覚悟を見せるために、我々を殲滅しなかったというのだな」
「スタグティーニさんのことを思い出して下さい。あの人はビフロスト自体が損害を受けても、地球軍を阻止する道を選んだんです。それと一緒です」
「何も失わずに独立を勝ち取れると思うほど、甘い考えではないということか……」
ハーンは苦笑めいた表情を浮かべた。
「正直に言おう、私は今、感銘を受けつつある。他惑星の人間にこれほど心を動かされるとは思っていなかった。いや、どこの星にいようが、人間であることには変わりないのだが……」
この時、彼の胸中には、いくつもの光景とともにだが、しばらく前に大使館で見た子供たちの姿が、確かに一つの情景として浮かんでいた。ニルスたちが同じ子供だから甘くなるわけではないが――余計な疑いを抱かずに話ができているのは、間違いがなかった。
「ビフロストに対しては、謝罪をしてもいい」
ハーンはそこまで言った。まだそれが最大の譲歩だった。
「だが、軍港化措置については動かせん。これは地球本星の決定だ。いかに本職が君たちに同情しようと、どうこうできるものではない」
「では、地球本星が動けば、あなたは従いますか?」
女性の声だった。ハーンがやや戸惑ったように視線を動かし、誰だ、と言った。
その声は、議場から、パッカードのウェアコンを通して、ニルスの元に送られ、ハーンのところにたどり着いたものだった。複雑な経路は、議場の地球軍によって簡略化され、ハーンの元にも議場の光景が伝わるようになった。
ハーンの前のスクリーンに現れたのは、見たことのない銀髪の老女だった。
「……あなたは誰だ」
「私は、火星政府大統領補佐官、アイリン・ビートンです」
「火星政府!」
ビフロストの地上と宇宙、すべての場所で人々が息を呑んだ。ニルスたちでさえそうだった。
「あのおばあさんが……火星の政治家ですって? なんでそんな人が母さんのところに?」
「いや、エリゼ」
ニルスがエリゼの肩をつかむ。
「お母さんは昔、大学で火星人の講師の授業を受けていたことがあるって言ってた。きっとそれがビートンさんだったんだよ。あの人はお母さんの先生なんだ!」
「そうよ、ニルス」
アイリンが微笑む。
「私がフローラに、いろいろなことを教えたの。ここに来たのも、久しぶりに彼女の顔を見たかったから。――なんてね」
軽く言って、アイリンは続ける。
「ほんとは地球軍の動きを察知したからよ。ビフロストを押さえられると、火星にも影響があるもの。だから様子を見に来たの。ついでに、地球経由で火星政府が入手した、スタグティーニさんの事故の真相も取り寄せたし、ザイオンからの激励も、火星政府からの専用回線で入手してあげたわ」
「専用回線……ってなに? ビフロストの惑星間通信回線はすべて地球軍が」
「押さえてるわね。通信局のは。でも軌道上に置いてあるクルーザーで中継すれば、火星にもちゃんと届くわ。で、そこには実際に、私が乗ってきた政府の船があるってわけ。まあそんなことをしなくても、あなたたちなら自分でなんとかしたと思いますけどね」
アイリンは振り返り、成長した教え子の頬に手を当てる。
「フローラ。あなた、政治家としては見事に仕上がったわね。料理の腕は全然だけど」
「アイリン……こんな時に」
赤くなって袖を引くフローラに、からかうような笑みを向けてから、アイリンは改まった口調になった。
「ビフロスト自治政府主席。あなたは、ビフロスト大統領になる覚悟がある?」
「覚悟なんて、そんな……それに、住民の人たちの意見も聞かないと」
「住民が嫌がるわけがないでしょう。こんなすてきなお母さんができるのに。で、どうなの? 独立するの? しないの?」
ケーキを買うのかと尋ねるケーキ屋の店員のように、アイリンが無造作に言う。もう、と頬をふくらませてから、フローラはきっぱりと言った。
「するわ。――惑星ビフロストは、地球宗主権下を離れて、独立惑星ビフロストになります!」
「そう。それじゃちょっぴり手助けしてあげる。火星政府は、独立ビフロストを承認することを、全権委任された私の名において保証します!」
唐突で意外な成り行きに、議場は完全に静まり返った。だがそれは疑いの沈黙ではなく、喜びを味わう前の静けさだった。
「火星が、独立を承認……」「では、私たちは」
「孤立しないんだ。強力な味方ができたんだ」
「独立、独立か!」
潮騒のように湧きあがった声が、歓声になるまで、それほど時間はかからなかった。
「独立ビフロスト万歳!」
議場を揺るがして、星中どころか星外まであふれ出す歓声の中で、アイリンがハーンを面白そうに見つめた。
「さあ、どうするの? この星で軍艦なんか造って他の星に攻め込んだら、火星が黙っちゃいないわよ。――ああ、ちなみに、この様子は私の回線を使って、地球と火星にも送っていますからね。あなたたちお得意の情報統制はできないわ」
「……見事だ」
ハーンはどさりと椅子に沈み込み、口の端を曲げて小さな笑みを作った。
「完敗だ。地上で負け、宇宙で負け、太陽系でも負けた。もはや本職に言うべき言葉はない」
「あら、そうでもないわよ。せっかく物分かりがよくなってくれたのに、頭の固い後任者なんかにバトンタッチされちゃ困るもの。あなたはここに残って、地球とビフロストのよき関係のために努力するの」
「そう……そうするしかないな。このまま戻れば私は降格だ。せいぜい、この星の受けを取るよう努力するか」
ハーンは視線を上げ、深々と頭を下げた。
「ビフロストの諸君、今まで済まなかった。まず、最初の謝罪だ。……申し訳ない」
歓声が一段とふくれ上がった。
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エピローグ
「エリゼ、エリゼ」
「ほにゃ……?」
「起きてごらん、面白いものが見られるよ」
「……なに」
「ほら」
シャッ、とカーテンが引かれて室内が明るくなった。パジャマ姿のエリゼは寝ぼけまなこを細める。
「まぶしいよ……」
「でしょ。外、まぶしいよ。今までにないぐらい」
「……だからなに」
「分かんないかな。ほら」
布団をはがされ、脇の下に手を突っ込まれて、ぐい、と起こされた。胸触るなあ、とまだ寝ぼけて言いかけたエリゼは、窓の外の色を見て、徐々に目を丸くした。
「空……青い」
「ね」
「なんで。なんで空が青いの? やだちょっと地震でも起こるんじゃない? 前兆現象よ!」
「落ち着いて。――雨で混濁大気が洗われちゃったんだ」
「大気が……」
兄の言葉をしばらく反芻《はんすう》したエリゼは、やがてもう一度空を見た。
「空って、こんなに青いんだ……」
人類がその色を表すために、数千年間使ってきた様々な表現を、エリゼはまだ知らずに、ただ、青い、と繰り返す。
独立宣言以来、一ヵ月。
あの戦争で、ビフロストは衛星軌道上の太陽発電パネルの六十八パーセントを失い、工業施設の半数以上の稼動を、停止することを余儀なくされた。
そのことはビフロスト人に様々な困苦と、いくつかのささやかな報酬を与えた。その一つが、青い空だった。
鉱工業生産が激減した結果、ビフロストの大気中に放出される汚染物質の量は、大幅に減った。幾度かの雨が、まだ大気中に残っていた粉塵を、地表に落ち着かせ、海へと運び去った。
それは一時的な片づけであり、将来に渡ってビフロストが清浄に戻ったことを表すものでは、無論なかった。それでも、ビフロスト人は、生まれて初めて見る青い空に、はかり知れないほどの感動を受けた。
これが、本来の空なのだ。
その青さは、しばらく後に工業生産が再開してすぐに失われてしまったが、人々の心には鮮やかに焼きついた。そして、新しい目標となった。
「なんだか前より健康になった気がする」
自転車をこぎながら、エリゼがサプライヤー越しにつぶやく。見た目に反して、まだ安心して呼吸できるほど大気はきれいではない。
並んだニルスが笑う。
「なんでもかんでも機械に頼るのが、もともと間違いなんだよ。人類が発明した移動器具の中で、最もエネルギー効率のいいのが自転車だってことは、エリゼも知ってるでしょ」
「楽をしたがる力が文明を築いたのよ」
「まあね。僕も機械をすべて否定する気はないよ。それがなければ食べていけないし。――ああ、やっと着いた」
シルヴィアナ市の郊外の工場だった。自転車を止めて中に入った二人を迎えたのは、セベルスキイだった。もう議員ではない。スーツの代わりに作業服を着て、紳士ぶりはどこかになくしてしまったが、代わりに精悍さは増して、心なしか若返ったようにすら見える。
「遅かったな。君たちのお母さんはとっくに着いているぞ」
「そりゃ母さんは地上車《ランド・カー》で出たんだもの。早くて当たり前よ」
「まあいいじゃない、健康になったんでしょ。それに、お母さんはもう、自転車なんか乗らないほうがいい」
「――あ、そうだね」
エリゼはうなずき、やや顔をしかめたが、セベルスキイに案内されて入った工場内の光景を見て、ぱっと明るい表情になった。
「――もうこんなに!」
そこには天井の発光パネルのまばゆい光を受けて、緑の隊列が並んでいた。カイワレダイコンの水耕栽培プラントである。既存のロボット製造ラインを撤去して、突貫工事でプラントに造り変えたのが二週間前。まさかそれからわずか二週間で、もう植物が育っているとは、さすがにエリゼも思わなかった。
セベルスキイが両手を広げて、得意げに言う。
「|ドール《D》|テクニカ《T》&|サイミントン《S》|モーター《M》合弁食料工場にようこそ! といってもまだ、植物の一部を作り始めただけだがね。しかし、貴重な残存エネルギーを市内から回してもらっているだけの成果は、出ているだろう?」
「うん……」
二人は夢を見ているようにぼんやりと答える。
電力減による生産の中止は、即座に食料の輸入の停止を招いた。
備蓄食料は、政府、企業、民間合わせてわずか六週間分だった。これは平常時の数字なので、割り当てを三分の二に減らして、二ヵ月と少しにまで食い伸ばす。その間に新しい食料の入手方法を確立する作業が、大車輪で進められた。
この工場はその一環だった。いまや数少ない備蓄エネルギー源である水素燃料を、地上車用の割り当てを削ってこちらに回した。他にも惑星全体で四十ヵ所の食糧生産工場が、計画、建設、そして稼動段階にある。
地上車が使えないので、近距離の移動には自転車が使われるようになった。そんな道具自体、ビフロストでは滅多に見ないものだったが、そこらのものを使ってありあわせの自転車を作るのは、この星の人々にとって造作もなかった。
そういった状況でも、サイミントン大統領を始めとする、ごく一部の政府スタッフは乗り物を使っていたが、市民がそれを非難することはまったくなかった。乗り物で走り回らなければならないほど頑張ってくれているのだから、文句をつける筋合いではない、という考えである。そしてその想像は完全に事実だった。
いや、ちょっとだけ事実ではなかった。
「母さん。――あれ、マルコにロレッタも」
工場内を見下ろすキャットウォークを歩いていった二人は、見慣れた顔を発見して、駆け寄った。
フローラとパッカード。二人はこの工場の主だから、いて当たり前だ。しかし同級生の二人がいる理由はよく分からない。
「どしたの、揃っちゃって。二人して手伝いに来た?」
「見学さ。いや、見学のつもりだったけど、これちょっとすごいね」
マルコが手すりから身を乗り出して、プラントを見下ろす。
「生物の生命力ってすごいなあ。……僕、工業系に進もうと思ってたけど、こっちに鞍替えしようかな」
「無理しなくていいのよ」
フローラが軽くいさめる。
「食糧生産はあくまでも補助的なものなんだから。ビフロストは工業がないとやっていけないわ。そのうち電力が復旧したら、また工業生産を再開するから、その時に備えて勉強してね」
「もちろんです。彼ったらすぐ人の影響を受けて、ふらふら目標を変えるんだから」
「ひどい言いようだね、ロレッタ」
「事実じゃない。最初はパパの影響でG・スライダーの技師。次はサーバント・サーキットを解析する電子工学者。で、次が植物プラントの技術者。一体どれになりたいの」
「あら、サーキットにも興味があるの? それにしなさいよ、それがいいわ」
フローラの言葉を受けて、うーんと考え込んでから、マルコはうなずいた。
「そうですね。……それが一番、重要かもしれないな」
サイミントンモーター社の技術陣は、かなり以前から秘密裏にサーバント・サーキットの解析作業を進め、それに対抗する手法を編み出していた。そのことが、独立戦争では大きな役に立った。
しかし、地球軍がそれを再び使おうとすることがないとは言えない。ビフロストでなくても、他の星であるかもしれない。かもしれないではなく、必ずやるだろう、というのが政府の出した結論だった。
ならばこちらも、再び対抗する。ビフロスト製の機械で、人々が傷つけられるようなことがあってはならない。それが新しい大方針だった。
つまり、自動機械の中枢に地球製のチップを使うことを拒む。ないしは、受け入れたとしてもそこから服従回路を取り外す。どちらにしろきわめて高度な技術力が必要だったが、ビフロストの諸企業の技術者たちは、自信を見せていた。
一度は地球の技術を破った。二度、三度と破ることは決して不可能ではない。ここにも、新しいビフロストの気力があふれていた。
町に戻る二人と別れて、工場内を歩いていたニルスとエリゼは、小声でささやきあう。
「あの二人、なんだか仲良さそうだったね」
「うん。でもまあ、余計な詮索はしないほうがいいでしょ。そういうことは当事者に任せるべきであって」
「当事者の一人が足りなかったような気がする。ジェイミーは? 彼もロレッタと仲良かったんじゃない?」
「エリゼ、あのねえ……」
妙なところで鈍い妹に、ひとこと言ってやろうとしたニルスだが、そこでも余計な口出しはしないことにして、事実だけを告げた。
「ジェイミーは、サテライトドックに、惑星間外交の実地研修を受けに行ったよ」
「あら……そういえば、彼は社会政治科だったっけ。実地研修っていうことは、地球軍とか他惑星とかの人と会うわけ?」
「そうだね。ハーン中将ともやりあってるかもね」
「うあ、すごい組み合わせ……下手したら乱闘になるんじゃない」
「ハーンさんはそんなに子供じゃないと思うよ」
「どうだか。地球軍よ」
「でも同じ人間だし」
「うん……」
彼に関しては、エリゼはまだ完全に許せるところまでいっていない。多分、ずっとない。それでも、付き合いは続けなければならないだろう。ビフロスト人が太陽系から一掃されることがあってはならないように、地球人にも正しい範囲において、主張できる権利はあるのだから。
ハーン軍政本部長官がビフロスト独立戦争において敗北宣言をしたことは、地球政府内に小さからぬ波紋を引き起こした。
最初は、彼を即座に地球へ呼び戻して解任せよとの意見が、圧倒的だった。しかし、火星政府が大統領名で、公式にビフロスト独立を承認する宣言を出したころから、やや風向きが変わってきた。
ハーンを解任して誰がどんな得をするかというと、単に彼のライバルがちょっと出世の階段を登りやすくなるだけである。しかし彼をビフロストにそのまま留めれば、もはや権威の通じなくなったビフロスト人たちとの交渉が、ずっと楽になる。交渉といっても、地球側が無体な提案をし、ビフロストがそれを拒むという不毛な図式になるだろうが、間で板ばさみになって苦しむのはハーンなのだから、地球にとっては痛くも痒《かゆ》くもない。
以前に倍する大軍で強硬的にビフロストを占領するのでない限り、ハーンを現任務に留め置いてもたいして差し支えない。地球政府は結局、そういう結論にたどり着いた。
独立したビフロストには、もはや軍政本部など存続できない。自動的にというかなしくずしに、軍政本部は消滅し、ハーンの肩書きは、ビフロスト駐留地球軍司令官というものに戻った。任務も初期と同じであり、さらに本当にそうだった。つまり、ビフロスト人の護衛である。建前ではなく実際に、ハーンはビフロストの警察官たることをもって任じるようになった。
そうなってもまだ彼には若干の葛藤《かっとう》があるようだった。それまで絶対善だと信奉していた地球政府に加えて、反対側にビフロスト人という尊敬すべき相手が現れた。良くも悪くもまっすぐな気質の彼が、忠誠を二分することに苦労しているのは、ビフロスト人から見てもよく分かった。おそらくじきに、彼はその片方――つまり地球軍を見限らなければならなくなる。しかしそれはまだ先のことだし、ビフロスト人がそこまで心配してやる義理もない。
上官はそうやって一応の安定を得たが、部下はそうもいかなかった。トレントン少将は、機密段階の兵器の無断運用と、それによる虐殺および虐殺未遂で、任を解かれることになった。しかしこれは本人の希望だという話もある。詳しいことは二人の人間しか知らない。パッカードと、トレントンに従って裁きの待つ地球へと赴いた、シモツキ大尉である。
若干の変転を内部に抱えながらも、地球軍は依然としてビフロストに進駐している。これが一時的な平和であることは、地球人もビフロスト人もよく理解していた。だとしても、平和でなければ生み出されないものはあるのだ。金銭の手渡しを伴わない両者の接触、戦闘に加担した地球軍兵士が、ふとした折に見せる悔悟の表情、それに、来客に作法を教えるビフロスト人の優しさ。
両者の接触は確実に濃くなっている。
四人は工場の視察を終え、ロビーに出た。
「母さん、これからどうする?」
「お墓参り。ちょうど一ヵ月だから」
「ああ……」
エリゼはうなずく。亡くなったシンガルバット、コーエン、スタグティーニ、それにフールゴールド市や他の都市の人々。彼らの遺灰とは別に、彼らの名を彫り込んだ石碑が、政庁ドームの前に建てられていた。
「あなたたちも来る?」
「僕たちは、昨日行ったから」
「そうだ、その時気づいたけど、あの石碑、大事な名前が一つ抜けてるじゃない」
「え?」
「レジナルド・サイミントン」
子供たちの視線を受けて、フローラとパッカードは顔を見合わせた。
「忘れてたわけじゃないわよね」「ええ、前社長は地球軍に殺されたかどうか分かりませんから……」
「別にそれは問題にならないでしょ。あれは独立に功労のあった人の慰霊碑なんだから。父さんが亡くなったから母さんが主席になって、ビフロストは独立できたのよ」
「いや、その通りだ」
なぜか急にパッカードが声を上げて、うなずいた。
「前社長あってこその私たちだ。さっそく追加するよう指示しておこう」
「あの、トムス、そんなに叫ばなくても」
「いや、こういうことは早いほうがいいんです」
「でも……うっ」
突然フローラが口元を押さえて、うつむいた。パッカードが気遣わしげにその背をさする。
「どうしました、大丈夫ですか?」
「……ええ。ちょっと気分が悪くなっただけ。もう収まったわ」
「パッカードさん、母さんを家まで送ってあげて。慰霊碑のことは今度でいいから」
エリゼが、それまでの話を打ち切るように言った。そ、そうだな、と妙にあわてた様子でパッカードはうなずく。
大人たちがロビーを出て、地上車で去ると、二人も外へ出て自転車へと歩きながら、ため息をついた。
「あれってもう、間違いないよね」
「うん。スモーキー・オールドマン号の時から、そろそろ二ヵ月すぎるしね」
「弟かな、妹かな」
「ひょっとして僕たちみたいな双子かも」
「……どっちでもいいけど、複雑な気分」
エリゼは片頬に手を当てる。
「パッカードさんも水臭いったらないわ。とっとと私たちにも言ってくれればいいのに。あのまま結婚せずに母さんに子供産ませたら、ぶん殴ってやる」
「まだ父さんへの遠慮をなくせないんだよ。そういう人でしょ。でも、言おうとはしてたよ。さっき、ほら」
「……ああ、妙に力入ってたね」
二人は苦笑しあった。
「気づいてないふりするのって、大変」
「もうしばらくの辛抱だよ」
シルヴィアナ市の大通りを自転車で走りながら、エリゼが隣のニルスの肩を叩く。
「ねえ、お兄ちゃん。緑玉楡《エルムラルド》が変にくすんでない?」
「そうだね。……ああ、分かった」
自転車を止めて、ニルスは街路樹の葉を手に取った。一見、いつもの輝きをなくしてしまったような感じのそれを、しげしげと見つめる。
「大気汚染が減ったから、金属光沢を無くしたんだよ。でも、どっちかというとこれが本来の色だね」
「……なんか、地球の植物と一緒みたい。こんじょなし! ビフロスト特産の意地はどうした!」
ぺしぺしと枝を叩くエリゼに、ニルスが真面目な顔で声をかける。
「確かに意地かも。ひょっとしたら緑玉楡だって、意地で孤独に立ってるだけで、ほんとは地球の植物みたいに、リスとか虫とかと共存したがってるかもね」
「またお兄ちゃんは、そういう甘っちょろいことを……」
「ビフロスト人もそうだ。シンガルバットさんが言ってたってね。緑玉楡みたいにこの星を愛するのが独立の原動力だって。でも、郷土愛だけじゃ続かないよ。仲間を作らなきゃ。他の星としっかり連帯してね」
「連帯ねえ……ビートンさんは火星に帰って約束を果たしてくれたみたいだけど……」
エリゼは空を見上げてつぶやく。
「まだまだ仲間、少ないよね。やっていけるかな?」
「やっていけるさ。間違いない」
ニルスは優しく、妹の肩に手を置く。
「きっと今ごろ、他の星でも僕たちみたいに、手を結びたがっている人がいるよ」
ビフロスト高軌道、サテライトドック。
ビフロストの外交の窓口としての機能もあるそこに、一本の通信が飛び込んできた。ドック総合管制室の一角、通信コンソールの一つを囲んでいた学生たちが、点滅するコールランプを、緊張した顔で見つめている。
教官がその顔を見渡して、おごそかに言う。
「宇宙船との交信技能も、時として外交官には必要となる。通信機の扱い方から、他星の客に対する礼儀まで、すべての次元でだ。誰か、この通信を受けてみる者はおらんかね?」
「俺がやります」
「私と言いたまえ」
「私がやります」
一歩進み出たのは、瞳に熱意をたたえた少年、ジェイムズ・バーキンである。
最近の彼は、どの授業でもこんな具合に、やる気にあふれていた。目的ははっきりしている。ビフロスト独立戦争の時に、たった二人で地球軍の司令官に立ち向かった双子の英雄に――わけてもその妹のほうに――少しでも釣り合うようになるためだ。
ジェイムズは席に着き、受信ボタンを押した。
「こちらはサテライトドック総合管制室。貴船の入港要請を受信しました。船名と所属、船種、積荷、入港目的を申告して下さい」
「船名はアフロディーテ4、船種は五千トン級トレインカーゴ、積荷は六メートル規格の太陽光発電パネル二万枚、所属は金星政府」
「金星政府……?」
予定にはなく、よくあることでもなかった。ただ金星から来たというのではなく、金星政府の所有船が来るということは。
「珍しいな、金星政府の船がなんの用で……」
教官がわずかに首をかしげる。その時、ジェイムズははっと気づいた。
そして彼は、歴史に残る問答を相手と交わした。
「アフロディーテ4、貴船はビフロスト独立を承認しに来たのですか」
「……サテライトドック、その通りだ。よく分かったな」
ジェイムズの背後で、教官と仲間たちが息を止めた。ジェイムズ自身も平静ではいられない。震える声で続ける。
「アフロディーテ4、積荷の輸送目的を教えて下さい」
「失われたビフロストの発電能力の回復のためだ。手土産と考えてくれ。――そうか、それで気づいたんだな。申し遅れたが、私はパイロットではない。金星政府大統領特使、ヨハネス・ヤンセンだ。まずは、貴星の果敢な決断に、敬意を表させていただく」
動いた。ついに、火星に次いで有力な勢力である金星が、自分たちのことを認めてくれた。一段と心強い味方ができたのだ。その第一報を受けたのが、この俺、ジェイムズ・バーキンなんだ!
「アフロディーテ4……来訪を歓迎します……」
頬を紅潮させ、マイクを握りつぶさんばかりに力をこめて、少年は心からの感謝を言葉に乗せる。
その興奮の中でも、続いて、一つの注意をつけ加えることを、忘れはしなかった。
「アフロディーテ4、ドックへの接近時には惑星赤道面を避けて下さい。ビフロストの赤道上空は、現在進入禁止になっています」
「なぜだ? ……ああ、なるほど」
ヤンセン大使は、彼がその後、長く語り継ぐことになる光景を目にした。
「虹があるな」
「ええ」
「あれはリングか。赤道上に孤を描いて……」
「独立戦争の時に破壊された発電パネルの破片です。破片が屈折光を散乱させるので、そう見えています」
「なるほど……ビフロストの輝ける抵抗の傷跡というわけだな。こう言っていいかね? 見事なものだ」
ジェイムズは、誇らしげに答えた。
「私もそう思います。――レインボウ・プラネットへようこそ」
[#地から4字上げ]―― 終わり ――
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後書き
田中芳樹さんの作品を初めて読んだのは、確か中学二年生の時でした。その頃完結した銀河英雄伝説をです。当時SFに目覚めつつあった私は、大変な感銘を受けて、学校の図書室に、徳間の銀英伝全十巻を無理やり買わせました。自分で買って持っていたので、読むためではありません。本読みがよくやる、いわゆる布教のためです。
数万隻の宇宙戦艦が繰り広げる華麗な戦いと、綺羅星のようなキャラクターたちが織り成す人間模様に魅せられましたが、それらの要素とともに私に強く影響を与えたのが、民主主義を賛美する姿勢です。それが腐敗し硬直化しやすいシステムであることをまざまざと描き出しながらも、理想的な政治体制であることを高らかに謳い上げた銀英伝は、私の考え方の基礎を造った作品でした。
何しろ中学生でしたから。読んだものの直撃を受ける年頃です。だから、先輩作家諸氏に比べても、入れ込んでいた度合いには自信があります。アルスラーンも創竜伝もマヴァールも夏の魔術も晴れた空もタイタニアもゼピュロシアもアップフェルラントもみんな買った。そして田中さんのアナーキズムにすっかり染まってしまいました。アナーキズムというか、反体制的やんちゃ坊主的スタンスに。田中さんはヒロイックストーリーに付き物の血統崇拝のロマンチックさや、お約束的な様式美を、場合によっては破壊してまで、合議的政治の美点を描き出しています。ほら、本当は王子じゃなかったアルスラーンとか。創竜伝もそんな感じでしょう。あれは民主政治の欠点をえげつないほど露骨に描くことで、問題意識を喚起する話ですね。
今では私も、それなりにへその曲がった政治観を持つようになりましたが、それでも、基礎のところには、田中作品に刷り込まれた、民主政治至上主義が存在しています。
別に証明する必要もないと思いますが、一応やっておくと、私がそういう影響を受けたことの証となるのが、集英社で作家デビューした時に出した、『まずは一報ポプラパレスより』という作品です。小国の王女様が大国を手玉に取る話で、この子が王女様らしくも君主らしくもない暴れっぷりを発揮しています。ただの冒険ものではなく政治的な側面も描きました。
しかしその話を書いた時にはまだ力量が足りず、作品自体も完結できなかったことが、心残りではありました。心残りを引きずったまま数年。
そこに降って湧いたのが、今回の企画です。
この話を書くに当たって、灼熱の竜騎兵の――田中作品の雰囲気をどう継承するかについては、編集の半澤さんとも、シェアードワールズのワールド管理をしているらいとすたっふの方々とも、ほとんど話してはいません。それでも私は、アルスラーンやアップフェルラントなどの明るく前向きな雰囲気を、それなりに受け継ぐことができたと思っています。今バトンを渡されたのではなく、昔からずっと与えられていたという感じがしています。
田中作品ファンの方々に、そのように受け取っていただけるといいのですが。
そして、「私の」読者の方々には、ポプラパレスの再挑戦、あるいはいつもと同じ、自ら手を動かして物を創り出す人々の物語として、この話を贈ります。
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――西暦二〇〇二年初秋、いまだ人類の作り出した惑星を持たない太陽系にて。
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[#地から1字上げ]小川一水
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底本
EX NOVELS
灼熱の竜騎兵シェアードワールズ
レインボウ・プラネット
著 者――小川一水
2002年10月18日  初版第1刷発行
発行者――田口浩司
発行所――株式会社 エニックス
[#地付き]2008年10月1日作成 hj
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置き換え文字
唖《※》 ※[#「口+亞」、第3水準1-15-8]「口+亞」、第3水準1-15-8
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26
躯《※》 ※[#「身+區」、第3水準1-92-42]「身+區」、第3水準1-92-42
頬《※》 ※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]「夾+頁」、第3水準1-93-90