城山三郎
勇者は語らず
第一章
自由化されれば、日本の乗用車生産は全滅に近い打撃を受け、トラックや二輪車ぐらいが生き残るだろう、といわれた。
大手自動車メーカーのトップは、親しい新聞記者にいった。
「正直な話、うちの株は買わない方がいい。紙きれになっていいという覚悟で買うなら別だが」
* * *
電話は、冬木からであった。
「久しぶりに、飯でも食べながら、話したいんだが」
意外な誘い。しかも、珍しくあたたかな声であった。冬木らしくもない。山岡悠吉《やまおかゆうきち》は、首をかしげた。
冬木の声を聞くと懐《なつか》しさが先に立つ山岡とちがい、冬木はいつも冷静であった。声には感情がこもらず、機械で合成された音声のようにひびくこともあった。長いつき合いなのに、このごろでは、めったに会ってもくれず、用件を事務的、そして、やや高圧的に、電話で伝えてくるばかりであった。
冬木の声のぬくもりをたしかめるように、山岡は訊《き》き直してみた。
「ほんとに、食事の時間をとってくれるんですね」
「もちろんだ」
はね返すようにいったあと、冬木はつけ加えた。
「ちょっと、きみにたのみたいことがあって」
山岡の気分は、一瞬、冷えた。やはり、用件、それも、電話ではいえないたのみ。たとえば、大幅の値引き。それとも、株をよこせとでもいうのか。
山岡の沈黙に、電話の向うでは、冬木が少しあわてて、
「たのみというより、ちょっとした誘いというか、変った話というか」
「変った話とは」
「とにかく、会ったとき話す。なに、たいした用件じゃない。いいな、とにかく会おう。都合はいつがいい」
口ぐせの「とにかく」を連発しながら、冬木は隙《すき》を与えず、たたみかけてくる。冬木毅《ふゆきつよし》は、日本の代表的な自動車メーカーのひとつ、川奈自動車工業の人事部長である。山岡はその冬木とは中国戦線で同じ輜重《しちよう》部隊の兵士として、生死を共にした仲であった。
山岡が一歳年長だが、いま山岡の経営する鉄工所は川奈自工へ鍛造部品を納めており、冬木に誘われれば否《いな》とはいえない関係に在った。
日時と場所を決め、電話は切れた。
目を上げると、うすぐもりの空を、白い花びらが、ひとつ、またひとつ、斜めに走った。
事務所の窓ガラスがしきりにゆれ、工場の騒音をかき消している。発達した低気圧が、関東南岸沖を北上中とのことで、朝からかなりの強風である。せっかくの大島桜も、これでは満開を待たず、散り急ぐことになる。
工場敷地にただ一本のその大島桜を、山岡はひそかに「麻利子の桜」と呼んでいる。敷地は約二千坪。まだ植樹の余地があり、花の季節になると、「何本か染井吉野でも植えましょう」という声が従業員の中から出るが、その大島桜の実生の若木が育つのは別として、山岡は首を縦に振らなかった。
「染井吉野は毛虫がつくし、葉は鬱陶《うつとう》しいし……」
一応、理屈はつけるが、実は、「麻利子の桜」を大切にしておきたいためであった。
出征を前にした昭和十七年春、山岡は許婚者《いいなずけ》であった麻利子と相模国《さがみのくに》一宮である寒川神社へ出かけた。武運長久祈願ということだが、それは最初で最後の二人連れ立っての外出であった。
折から境内《けいだい》の桜は満開であった。まぶしいほど明るい花の色に包まれている。ただ戦時中のことであり、広い境内には、ほとんど人影もなかった。
参拝を終り、山岡が先に立ち、ゆっくり玉砂利の道を戻《もど》りかかった。二人とも胸がつまり、足どりも重かった。その足をとめさせたのが、一本の大島桜であった。
麻利子にいわれてわかったのだが、山桜の一種であるその桜は、枝もしなわんばかりに無数のうすいピンク色の花で蔽《おお》われている周囲の染井吉野とはちがい、すでに葉が出ており、花の数も少なく、色もすき透るように白かった。
麻利子は、花好きだった女学校の先生に教わったのだといい、
「染井吉野は、花ばかり多すぎにぎやかで、まるで工芸品ですって。それにくらべれば、大島桜は本物の桜。目立ちはしないけど、いかにも自然に咲いている気がして、こちらの方が好きなんです」
山岡はうなずいて聞いた。山岡は中学の物理教師。まだ二十三歳であったが、正月早々、教頭にすすめられて、はじめて見合いをした。
相手である麻利子もまた、はじめての見合いであった。そして、一度で互いに気に入り、縁談はまとまった。
麻利子は女学校を出て、和裁の免状をとろうとしている地味な感じの女であった。その姉の由利子が長身で華やかな見かけ、そして洋裁の免状を持っているのとは、対照的であった。
「和裁なんてはやらないと、姉にいわれたのですが、はやりすたりのない方がいいと思って」
そんな風にいう麻利子も、山岡には気に入った。
明るい性格の由利子と比べられるだけに、とかくめそめそした少女に見られてきたが、自分ではそのつもりはなかった、ともいった。そうした麻利子には、たしかに染井吉野より大島桜の方が似合うかも知れなかった。
見つめているうち、あるともない風に、花びらが枝を離れた。
「もう散りかけるのですね」
何気なくつぶやいたあと、麻利子の目がみるみる光を帯びた。
「おねがい。どうか御無事にお帰りになって」
山岡は大きくうなずいて見せたが、言葉は出なかった。戦場では死ぬも生きるも運命。ただその運命を受け入れるしかない。もし散るときには、この大島桜のことを思い浮かべるかも知れない。
「きっとお帰りになって下さい」
麻利子がこらえかねたように、山岡の右手にしがみついてきた。
五年後、山岡は天津《テンシン》からLST船に乗り佐世保に上陸。無事復員した。だが、そのときには、麻利子は胸を病んで、横浜郊外に在る兵舎を改造した国立病院の一室で床に就いていた。
ふっくらした頬《ほお》が削《そ》げ落ち、ただでさえ大きな目をみはると、まるで目だけの生物が横たわっている感じであった。微熱にうるんだ瞳《ひとみ》に、寒川神社の大島桜が映っているようにも見えた。
「きっと治る。おれが必ず治してやる」
すでにアメリカには結核の特効薬がある、と聞いた。山岡は伝手《つて》を求めて、進駐軍関係者に当った。「いくらでも金を出す。欲しい品物があれば、何でもさがして持ってくる。ぜひ、その薬を」
頭を下げて回った。アメリカに向かっては、頭を下げる他《ほか》はない。
輜重部隊のトラックには、国産のものとアメリカ製のものとがあったが、その性能には格段の開きがあった。故障続出の国産トラックのために、失わずにすむ戦友の命をどれほど空しく失ったことか。それにくらべれば、アメリカ製トラックは故障も少ないし、いざとなれば、空にでも駆け上って行きそうなほど馬力もあり、たのもしかった。
「トラックひとつ比べても、アメリカに負けるのは目に見えているのに」
同じ兵長同士の親しさから、冬木がそうつぶやくのを、山岡は幾度となく耳にした。
復員してアメリカ兵を見たとき、山岡は冬木のつぶやきをまず思い出した。
山岡たちが戦ってきた中国兵は、装備が貧弱なだけでなく、体も痩《や》せ衰え、顔色もわるかった。気力だけで戦ってきた男たちであった。
それにくらべてアメリカ兵の体格のすばらしさ、血色のよさ。その上、自走砲からジープに至る大小さまざまの車輛《しやりよう》を軽やかに乗りこなし、まるで別の宇宙の高みからやってきたかのようであった。
光沢のいい紅鮭色《サモン・ピンク》の肌《はだ》。高級|煙草《たばこ》とチューインガムと香料の匂《にお》い。屈託のないアメリカ兵の姿は、目にまぶしかった。結核の特効薬まであると聞けば、彼等《かれら》の住む国は天国の趣きさえあった。
ただし、天国の門はきびしく、その特効薬がどうしても山岡の手には入らなかった。日本人への横流しのあるのに気づいた総司令部が、この時期になって、米軍医療機関への監視をにわかに強めたからである。
何とかする、といい続ける山岡を見上げ、麻利子は力のない目で笑った。
「相変らずのあなたね。でも、もういいの」
輜重隊の中でも、人に物をたのむことのうまい「乗せの冬さん」に対し、山岡は気軽に何の用でも引き受ける。当時、山岡の姓が吉川であったことから「安請合の吉」「受けの吉さん」といわれた。
山岡は、そのあだ名に不満はなかった。受け身というのではなく、事の大小を問わず、黙って受けて立つという感じが、山岡は好きである。もっとも、今回は受けるというより、山岡自身いい出したことなのだが。
山岡は力をこめていった。
「安請合なんかじゃない。真剣なんだ」
麻利子はわかっているというようにうなずき、
「でも、薬はもういいの。その代りというわけではないけど、あなたにぜひ受けて欲しいことが……。大変なことだけど、受けて下さいます」
山岡は大きく合点して見せた。
「どんなことでも。いってごらん」
麻利子は一度目を閉じてから、
「わたしが死んだら、姉と結婚して」
「何だって」
くり返す代りに、麻利子は山岡の手をつかんだ。
「おねがいします。わたしのたったひとつのたのみなの」
「しかし……」
山岡が特効薬のことばかり考えてきたのに、麻利子は自分の死んだ後のことを思いつめていた。
麻利子には男兄弟はなく、姉一人。その二つちがいの姉由利子に養子を迎えた。男の子が生れたが、養子は応召。南西太平洋での戦死公報が、終戦の一週間後になって届いた。
由利子の夫になるとは、こぶつきの未亡人と結ばれるというだけでなく、町工場の跡継ぎになる、ということでもあった。教員に戻《もど》るつもりであった山岡としては、見当もつかぬ人生である。配偶者もちがえば、職業まで当てはずれ。二重に意外な人生である。そんな人生まで安請合するのか。
山岡は大きな溜息《ためいき》をついた。
「おねがい……」
熱のある目で麻利子は山岡を見上げている。細い指が、重病人とは思えぬほど、強く山岡の手にくいこむ。
大島桜を見つめていたふっくらした頬は、見るかげもない。死を覚悟して征《い》った身が、こうして元気で戻ってきたのに。
戦場ではゲリラに襲われたり、八路軍に包囲されたりして、山岡は幾度も死線をさまよった。その意味では、山岡の命は拾いものであり、これからは余生であり、付録といえる。それなら、たとえ不本意な人生でも、文句を言う筋ではない。山岡らしく受けて立つばかりである。
山岡は、目をつむる思いでいった。
「わかった。そうしよう」
麻利子の蒼白《そうはく》な顔に、はじめて内から灯《ひ》がともった。その透きとおるような白さが、また大島桜を思い出させた。
「おねがいします」
指に力をこめながら、麻利子は安心したように目を閉じた。
麻利子の死後、山岡は由利子と結婚。旧姓である吉川をすてて、山岡と名乗った。
義父の経営する山岡鉄工所は、従業員わずか十人。終戦まで飛行機会社の下請けをしていたが、戦後は鍋《なべ》、釜《かま》から鍬《くわ》などつくって、その場をしのいでいた。売れる物なら何でもつくる、という毎日であった。
そして十年。岳父は亡《な》くなったが、自動二輪車の部品などつくるようになり、従業員は五十人にふくれ上った。工場も手ぜまになり、藤沢郊外の長後《ちようご》に新しい土地を求めて移転した。自宅も工場の隣接地に建てた。
その移転記念に、山岡は一本だけ大島桜の苗木を植えた。麻利子の霊とともに、山岡もこの工場に根を下す。そうした思いをこめての植樹であった。
長後へ移転してから、さらに十年。桜も大きくなったが、山岡鉄工所も従業員百十人を超すほどになった。いまは、クランク・シャフトなどの鍛造品を、川奈自工、大和自工に、三対一の割合で納めている。
山岡鉄工所が長後に移転した昭和三十五年、日本の乗用車生産台数は年間十六万台。これに対し、アメリカの自動車生産台数は六百万台と、日本の四十倍。それが、十年後である昭和四十五年、アメリカ車生産七百十一万台に対し、日本は三百十八万台と追いすがっていた。
そうした日本の自動車産業の急成長にひきずられるようにして、下請工場のひとつである山岡鉄工所も伸びてきたわけだが、それは決して順調な伸び方ではなかったし、いつも不安や問題があった。
桜が散りかかる度に、山岡はきまって自問自答したものである。次の年も、ここで無事に花が見られるだろうか、と。
乗用車の輸入はすでに六年前の昭和四十年から自由化されていた。アメリカ側は続いて自動車資本の自由化をと迫ったが、認めれば、国産車メーカーはひとたまりもないと日本側は見た。日本の乗用車市場の七割は外国車で占められるという悲観的な予測もなされ、通産省では自動車産業のための新しい保護立法を企てたほどであった。この法案は流産したが、自由化の時期だけは一年延ばしに延ばし、六年後のこの年昭和四十六年になって、ようやく門戸を開いたところであった。
アメリカのメーカーは待ちくたびれたのか、直ちに進出する模様はないが、日本のメーカー各社は体質強化をやかましく打ち出しており、その線に沿って、下請けにも、次々にきびしい注文をつけてきているところであった。
冬木が珍しく食事を誘ってきたことで、山岡は不安にならざるを得ない。
冬木は、「たのみたいこと」といい、「ちょっとした誘い」という言い方もした。電話でも済みそうな用件に思えるのに、会った上で切り出すというのは、かなりの難題なのにちがいない。
「麻利子の桜」からは、またひとひら花びらが離れた。山岡は身をかたくしながら、その行方に目をやった。
それから一週間後、山岡は、冬木の指定した京橋近くの小料理屋へ出かけた。
案内に立つ仲居に、帳場から内儀《おかみ》が声をかける。
「いつものお部屋よ」
廊下の突き当り、茶室風のこぢんまりした部屋で、二人だけの密談にはうってつけであった。
冬木は、六時五分前に現われた。
「いつもお約束の五分前ね。五分前のひと」と仲居。
桜の花びらを浮かせた茶が出たあと、料理と酒が続けて運ばれてきた。
冬木は、最初の一杯だけ仲居に注がせたが、
「あとは手酌《てじやく》でやる」
「あら、いつも助かります」
この店に入ってわずかの間に、山岡は冬木について「いつも」を三度聞いた。時刻表通りに走って行く列車のような人生を、山岡は冬木に感じた。
その冬木が、いつものように電話でなく、今夜は面と向かって話そうという。いったい、どういう用件なのか。
山岡は緊張し、酒をあおった。
冬木も、手酌でのむ。額が広く大きく、頑丈《がんじよう》な顎《あご》が受けて、全体にやや角ばった顔。中学時代には「ムッソリーニ」というあだ名をつけられたこともある。
短か目の眉《まゆ》の間が離れているのと、小鼻の張っているのが、ときに愛嬌《あいきよう》を感じさせるが、への字に結んだ唇《くちびる》や、三角の形をした目、小さく鋭い瞳など、全体的に冷たい印象を与える。
その小さな瞳を光らせ、冬木がいった。
「昔は一滴ものめなかったくせに、すっかり、いっぱしの酒のみになったね」
「十年来、修行してきましたから」
「修行? どういう修行をしたというんだね」
「話しませんでしたか。長後の新工場へ移ったとき、仕事もひろげねばならず、さかんにメーカーさんの調達と接触したのです。折衝には、酒がつきもの。とにかく酒がのめるようにならなくてはと、のんでは指をつっこんで吐き、またのんでは吐いて、それをくり返しているうち、とうとうのめるようになってしまって」
「そこまでしなくちゃいかんのかね」
メーカーと下請けとの関係はそんなものです、といいたいのをこらえ、山岡は無言でうなずいて見せてから、
「でも、いいんですよ。おかげで世間が広くなりました。それに、もともと楽天的な人間がさらに楽天家になれますからね」
「きみは運命論者かも知れんが、楽天家といえるかな」
「楽天家ですよ。楽天家でなければ、とても貧乏人の一連隊連れて生きて行けません」
山岡の言葉を冬木は聞き流して、
「自分で楽天家と思いこむことも、必要だろうな」
山岡は一瞬黙った。こたえるものがある。冬木と自分の盃《さかずき》に酒を注ぎ、話を変えた。
「しかし、冬木部長は、相変らず酒が強そうですね」
「今日は酒がとくにうまいんだ」
「どうしてです」
「年に二回、人間ドックに入ることにしているが、今日その診断結果が出た。結果は、まず申し分なし。血圧が百と六十五で少し低血圧気味というだけでね」
冬木はそのあと、あらためて山岡の顔を見つめ、
「きみの血圧は」
山岡は、それには答えず、
「血圧の標準というか、理想はどうなんです」
「百二十と七十といったところらしい」
「それなら、わたしもきっとそれぐらいです」
「いいかげんなことをいう」
「いや、きっとそうです。いいことを聞いた。これからは、血圧を訊《き》かれたら、百二十と七十と答えることにします。そうすれば、わたしも安心だし、向うも安心するでしょうしね」
「冗談じゃない。何が安心だ。ぜひ健康診断を受けるんだね」
「いまはどこにも支障がないんですよ。支障がないのに、どこかがわるいといって、養生できますか。わたしが一日でも居なかったら、おやじどうしたと、工場はたいへんです」
「体をこわしたら、もっとたいへんだ」
「それはそのときのこと。あきらめるだけです」
「そのあきらめるというところが、気に入らない。この世の中には、あきらめなくてはならぬことなんて、ひとつもない」
仲居が汁物《しるもの》を運んできた。小鉢《こばち》などかたづけながら、
「お味はいかがですか」
とたんに冬木が投げすてるように、
「おいしいよ」
仲居はかぶりを振り、
「おいしいことになってるんでしょ」
「見破られたか」
「御自分でおっしゃったじゃありませんか。ぼくは味がわからん。ただかたくて食べがいのある物を出してくれって」
「つまらぬことをおぼえている」
冬木はそういってから、山岡に目をやり、
「こちらだって、きっと同じだ。ひもじい時代を生きてきたから、味は二の次、とにかく、ぱりぱり歯ごたえのある物でないと、食ったような気がしない」
「まさか塩せんべいばかりお出しするわけにも参りませんしね」
「だから、気をつかわなくていい、というんだ」
冬木は、手を振った。早く出て行け、という合図でもあった。
仲居の姿が消えると、冬木はつぶやいた。
「うまいとか、まずいとか、どうでもいいんだ。一々数字で表わせるわけはなし」
山岡は苦笑しながら、
「血圧だって、どうでもいいでしょう。百だろうと、百二十だろうと」
「いや、それはちがう。血圧の数字には意味がある。意味のないものは切りすてるべきだが、意味のあるものは、正確に測定し評価しないと」
そういってから、腕を組み直し、
「ところで用件だが」
鼻梁《びりよう》をまっすぐ立てて切り出した。
それは、感受性訓練《センシテイビテイ・トレイニング》と呼ばれる一種の経営者教育への参加のすすめであった。
「なんだ、そんなことですか」
わざわざ食事に招いて話すまでもないと思ったのだが、説明を聞いているうち、そうでもないことがわかってきた。
ひとつには、それが受講者によっては、心理的|拷問《ごうもん》といわれるほど、きびしいものになる、ということ。いまひとつは、その訓練のため五泊六日にわたって山中のホテルに泊りこみ、その間、一切の連絡を絶たねばならぬ、という点である。山岡は、とくにこの点にひっかかった。
「わたしが居ればこそ、工場は動いているんです。それが六日間も留守するなんて、とんでもない。おやじが居ないと、機械までが泣き出しますよ」
こんな話なら受けなくとも差し障りあるまいと思い、山岡ははげしくかぶりを振った。
だが、冬木は執拗《しつよう》であった。じわじわと乗せにかかる。後になってわかったことだが、山岡は冬木にとって、訓練の効果を知るための貴重な実験動物であったのだ。
「本気で鉄工所のことを心配するなら、万一のことを考えておく必要がある。病気で入院したと思ってみろ。仮に六日間居なかったら、鉄工所がどんな風になるか、元気な中にたしかめておくべきじゃないか」
考える隙《すき》を与えず、冬木はたたみかける。
「おれも参加する。忙しいといえば、おれだって同じだ。ただ、どうせ六日も合宿するなら、久しぶりにきみといっしょで、と思った。軍隊以来、二十五年ぶりに同じ釜の飯を食うのもわるくないと思って」
「そうですか。冬木さんもいっしょに参加するなら」
冬木の説明が、さらに山岡を動かして行く。
冬木は早耳である。この訓練のことは、先年のアメリカ駐在のとき知った。そして、同じ訓練が日本ではじまるということをいち早く聞いて、早速、人事部長である自分が試してみることにした、という。
訓練の目的なるものが、山岡の心をつかんだ。
感受性訓練《センシテイビテイ・トレイニング》は、もともと心理学者が自己啓発のため編み出したもので、次に牧師や伝道者が大衆の心に訴えるための訓練としてとり上げた。これが最近、経営者教育にまで応用されるようになった。
それというのも、企業内で人間関係が硬直し、さまざまな断絶が生れており、解決のためには、伝道者が異教徒を説くほどの苦労が要る。それには、まず経営者や管理者が自分の殻《から》をこわし、裸にならなくてはならない。そのための感受性再開発の訓練であり、結果は、従業員との意思|疎通《そつう》に役立つという。
もっとも、訓練内容はよくわからない。秘密にするというより、説明のつかぬものらしい。精神のおかしくなる者も出るとのことで、強度な訓練であることはたしかであった。
山岡の気持は動いた。
「意思疎通に役立つというなら、何をおいても参加します。若い連中と話が通じなくて、深刻に悩んでいたところですから」
「進んで行ってくれる、というわけか」
「OKです、OK」
OKを「オッケイ」と短かく威勢よく発音する。山岡の口ぐせのひとつである。このため、よけい「受けの山さん」の印象を与えている。山岡は、さらにいい添えた。
「メーカーさんにいわれれば、下請けとしては、どんな話でも受けないわけには行きませんが、今回はそうではなく」
冬木はうなずいたあと、
「相変らず下請けという言い方をするが、協力工場といいたまえ」
「それは、対等の立場の者がいうことです。日本の自動車メーカーと部品屋とでは、力がちがいすぎます。だから、下請けで当然です。縁の下の力持ちという感じで、かえって男らしくていい」
冬木は、しぶい顔つきでトイレに立った。入れ替りに、仲居が銚子《ちようし》を運んできた。
「ずいぶんお話がはずんでいるようですね」
「昔の戦友だからね、いろいろと」
「それじゃ、あの方の家庭を御存知なんでしょ。まるで永遠の青年という感じで、家のことなど一度も話されたことがないんですけど」
「もちろん、奥さんも子供も居るさ」
「それがまるで家庭などない人みたい」
なお訊きたそうな様子であったが、山岡は相手にならなかった。冬木が家のことにふれないのも、それなりの理由があるからである。
勘定をどちらが持つかでひともめしたあと、二人は小料理屋を出た。
二次会などに行く冬木ではない。春の宵《よい》のことでもあり、酔客のちらほらする裏通りを、二人はタクシーの拾えるところまで歩いた。
先の方から、空車のランプをつけたタクシーが入ってきた。冬木が手を上げようとしたとき、目の前の別の小料理屋から、小柄《こがら》な男が舞うように出てきた。そして、タクシーを認めると、おどけて両手をひろげ、呼びとめた。
ドアが開くと同時に、とびこむ。タクシーは、二人の前を走り去った。とたんに、冬木も山岡も短かい叫び声を上げた。男の横顔に見おぼえがあった。
「あれは、たしか、うちの社長だ」
「やっぱり川奈さんですね」
冬木はうなずいてから、思いついたように、川奈が出てきた小料理屋めがけて入って行った。二人が居た店よりは、一回り手軽な感じの小料理屋であった。入ったところがスタンド風になっており、そこに席をつくってもらって、二人は坐《すわ》った。
簡単な料理を二品ほどと酒をたのんでから、冬木はまだ若い調理人に目を当てて訊いた。
「先刻《さつき》出て行ったお客は、川奈自工の社長だろう」
「ちがいます。耳鼻|咽喉《いんこう》科の院長をしてるひとです」
「川奈さんそっくりに見えたが、よく来る客かね」
「ときどき来られます。だいいち、川奈自工の社長さんなら、うちのような店へ、それもひとりで来るわけがないでしょう」
「そうかな」
「そうですよ。それに、あの人は、自動車の話なぞついぞしたことがない。猥談《わいだん》などを身ぶり手ぶりでやって、自分も笑いころげて。ただそれだけのひとです」
「医者なら、病気の相談してみたことがあるかね」
「そういえば、いつか、お客さんの一人が咽喉《のど》のことを訊きかけたら、食物屋でそんな話は不粋だ、と」
「そうか。いや、ありがとう」
冬木は、話を打ち切ったが、調理人が遠ざかると、山岡だけに聞える低い声でいった。
「まちがいなく川奈社長だ。あのひとは、とぼけるのがうまいが、それにしても、耳鼻咽喉科とは。他の科とちがって病人が少なくて、やたら相談される心配がないからね」
「しかし、なぜ川奈さんともあろうひとが、こういうところへ身分を隠してひとりで……」
「あのひとの流儀だ。これからはプライベイト・タイムだと宣言すると、パッと消えて、ひとりで気楽に遊ぶ。豪快に見えるが、あのひとは案外神経が細かい。もうくたくたに疲れて、社員相手にのむ元気もないというんじゃないのかな」
冬木は、珍しく声に感情をこめ、小さな目をなごませた。山岡は冬木を見直し、
「クールな冬木さんも、川奈社長だけは例外のようですね」
「あのひとが好きなんだな。もちろん、おれだって、数え切れぬほどどなられ、頭を小突かれもした。手抜きしているとか、おまえは評論家か、などといってね。あの人の勘ちがいだが、とにかく気性がはげしくて、そう思いこんでしまう。たまりかねて辞表を出すと、こんなもの何だとどなりながら、その場で破ってしまう。やめたつもりで出ないで居ると、毎日電話がかかって、とにかく出て来い、という。会うと、泣きそうな顔で何か冗談をいうんだな。それでまたやめられなくなって」
あたたかい夜気の中で小鼻をふくらませ、冬木は続けた。
「仕事にかかると、あのひとは、自分だけになるというか、自分の存在も忘れて、昼も夜もなくなる。おかげでこちらは煙草《たばこ》を吸う時間もない。それでも、必死になってあのひとにしがみついているうち、とうとうここまで来てしまった、というわけだ」
川奈龍三《かわなりゆうぞう》は、タクシーに乗るところを、人事部長の冬木たちに目撃されたとは、知る由《よし》もなかった。いつも目標めがけて突き進み、周囲に目が向かないからである。それに、目撃されたからといって、やましいところはなかった。
タクシーの運転手相手に冗談をいい、ついでに、さりげなく車の調子を訊く。燃費はいいか、エンジンの性能はどうか、故障はないか。
鼻唄《はなうた》をうたい、また冗談をいっているうち、麻布にある邸へ着いた。赤外線利用の信号装置があって、門が開く。
飛び石づたいに飛ぶように歩いて行くと、玄関から、妻の光子が犬を連れて迎えに出てきた。猟犬の一種という黒褐色《こくかつしよく》の小犬である。犬は、川奈にまつわりついてきた。
歩くスピードがにぶる。川奈は犬を蹴《け》とばすようにして、
「おい、あっちへ行け」犬の名前が思い出せず、「こら、犬」
「あら、ポールという名ですよ。一週間にもなるのに、まだ名前おぼえてもらえないの」
「用もないものはおぼえん」
川奈はいばっていい、玄関へ。式台に上ったときには、もう上着のボタンをはずしていた。歩きながら、上着を脱いで光子に渡し、ついで、ネクタイをはずし、ワイシャツを脱ぎ、次々に廊下に落として行く。いまは一刻も早く風呂《ふろ》へ入ることしか考えない。まず居間へ通って一服してから――というのでは、間が抜けている。だいいち、廊下を何もせずに歩いて行く時間が惜しい。
ズボンを脱ぎ落とすときには、ちょうど脱衣室の前に来ていた。
光子が屈みながら、ひとつまたひとつと拾い上げてくる。川奈は立ち止まりもせず、パンツ一枚になって脱衣室へ。一瞬後には、湯音を立てていた。
光子があわてる。
「あなた、お帽子は」
「そうだ、忘れてた」
浴室のドアが開き、湯気とともにソフト帽が投げとばされてきた。指のあとが濡《ぬ》れている。
風呂好きというのではない。ただ風呂へ入れば、さっぱりするし、気分の一区切りになる。従って、烏《からす》の行水である。光子が夫の脱いだ物を整え終ったときには、もう湯気の匂《にお》いとともに、居間に立っていた。
忙しいひと。結婚した当初は目を回していた光子だが、このごろはもう何もいわない。夫のせりふはきまっている。
「人生の時間は限られている。スピードだ、万事スピードなんだよ」
川奈は、せっかちである。道路も廊下も小走りに走り、階段も二段とびに上る。生れつき敏捷《びんしよう》のように見られるが、実はそうではなかった。小柄のせいもあってもともと足はおそく、運動会の競走では、いつも、びりを走った。百メートル走って、二十メートルも引き離された。
このため、毎年秋の運動会の季節になると、子供ながらに気が重くなった。なんとかして競走に出るのを避けたい。運動会の少し前から、「先生、このごろ足がひきつるんです」などと予防線をはり、教師に、「仕様がない。川奈は休んでよろしい」といわせるように仕向けた――。
居間で川奈は茶をのみ、夕刊と郵便物にすばやく目を通す。返事を要するものには、すぐその場で筆を走らせた。
そのあと寝室へ。横になって、テレビの時代劇を見る。善人が必ず勝つのがいいし、派手な立ち回りも、結構たのしい。
見ているうち、一日の疲れと酔いとで寝入りそうなものだが、川奈は自分が主人公になった気になる。強い悪党どもを相手に、ひそかに鍛えた手練の剣を振り回す。身分の上下や体の大小は問題ではない。鍛え上げた腕、走りこんだ足腰に、すべてがかかっている。それは、いまの自分の身にも当てはまると、興奮して目は冴《さ》え、つい番組の終りまで見てしまう。
光子は、家事が終った後、隣室で本を読んだり、教養番組や科学番組を見ている。夫をとらえているスピードへの情熱を、彼女なりに少しでも理解しようというだけではない。スピードを夫だけに独占させておきたくない。すでにひそかに運転免許もとったし、ある日突然、夫をおどろかせてみたいという茶目っけもあった。
川奈自工人事部長の冬木毅は、麹町《こうじまち》一番町に在るマンションに戻《もど》った。
山岡と二人でタクシーを拾い、長後へ帰る山岡が少し回り道して、一番町まで送ってくれた。
山岡はもっと話したそうだったが、冬木は素知らぬ顔で別れた。
「STにはまちがいなく出てくれよ」
と念を押して。
「ST? ああ、感受性訓練のことでしたね」
「かんじんの用件、忘れちゃ困るよ」
「大丈夫です。よろこんで参加します」
山岡は大声でいった。その声のあたたかさや大きさが、エレベーターに乗ったあとも、冬木の耳には、残っていた。
四階で下り、九号室へ。マンションの中はひっそりしていた。便利な場所であるにもかかわらず、古い屋敷町の名残《なご》りで、そのあたりは閑静であった。それに売主も建築業者も名が通っていたため、売足の早いマンションで、冬木夫婦が見に来たときには、「四〇九」という部屋しか残っていなかった。
「死」と「苦」が続く部屋番号。さらに玄関が鬼門の方角に当るというので、昌代は二の足を踏んだ。ピンクがかった外壁の色も趣味がよくない、という。
冬木は耳をかさなかった。
「それより非常階段が二つもついているじゃないか」
いやがる昌代をひきずるようにして、二つの非常階段を一階まで往復し安全をたしかめた。
冬木は、無用な危険は避けるようにしており、旅先の宿では、できるだけ三階以下に泊ることにしている。もっとも、妻子が何階に泊ろうと気にしない。妻子は妻子で自分の運命を選べばよい。
四〇九号室のスチール・ドアを開けた。一日中、人気《ひとけ》のなかった部屋は、四月とはいっても、冷えこんでいた。
名古屋の大学に新しい治療法があると聞き、妻の昌代は自閉症のなかなか治らない一人娘の美雪を連れ、一ヵ月近く出かけたままである。ホテル代と治療費で、半期分の賞与が、また消えて行く。
冬木は、一階のメイル・ボックスから持ってきた郵便物を、いったんリビング・ルームのテーブルの上に置き、ガウンに着替えてから手にとった。
ダイレクト・メイルの類《たぐ》いは、封を切らないですてる。かつての部下の一人から、結婚式の案内が来ていた。冠婚葬祭には一切出ないといってあるのに。
冬木は、返信用葉書の「御欠席」に大きな○をつけ、案内状は破って屑籠《くずかご》へ投げこんだ。冬木美雪の名を印刷したそうした案内状を永久に出すことがないかも知れぬと思うと、胸が痛んだ。
だが、それも一瞬のことで、冬木は立ち上って浴室へ行き、湯栓《ゆせん》を開いた。
脱衣所を兼ねた化粧室。床に青竹の踏台があり、化粧台の隅《すみ》にはテープ・レコーダーと数本のカセット・テープ。その中から冬木は、「選手の人間管理学」というのをとり出し、セットした。
レコーダーのボタンを押し、音量も大きくする。講師であるバレーボール監督の声が溢《あふ》れ出した。その中で、冬木はパンツ一枚になって青竹踏みをはじめた。
「チームの成績がわるいときには、共通の目的意識があって、連帯感も持てるが、成績が上るにつれ、スター選手とそうでない選手との間に溝《みぞ》ができる。スター選手にはとくに責任感を持たせねばならぬが、それがうぬぼれに転化したとき、危機の第一段階に入る……」
その第一段階でどうするのか。冬木は聞耳を立てながら、青竹を踏み続けた。
浴室で、湯が定量になったことを示すブザーが鳴った。冬木は身をひるがえして、湯栓をとめた。
ふたたび青竹踏みを続け、ほぼ二百回踏んだところで、パンツを脱ぎ、浴室へ。テープの声が届くように、ドアは細目に開けておく。湯気のため、かびができる、と昌代はいやがるが、「部屋のかびはとればいい。頭にかびがついたらどうするんだ」と、冬木は耳を貸さない。
湯船の中で、冬木はテープの講話を聞き続ける。健康のためにも、ぬる目の湯にできるだけ長い時間つかる。ときには、うとうと眠ってしまう。「あなたひとりのお風呂でないわよ」と、何度、昌代にいわれたことか。
一通り体を流したあと、馬の毛でつくったブラシで、全身が赤くなるまでこすり続けた。皮膚をきたえ、血行をよくし、風邪《かぜ》の予防のためである。
ふたたび湯に入り、耳をすます。監督の講話は、危機の第二段階を過ぎ、破局的段階でどうするかに移っている。
長風呂の中で、冬木は三つほど、記憶しておくべきポイントをつかんだ。化粧|棚《だな》には、カードと筆記用具も置いてある。浴室を出た冬木は、素裸のまま、すばやく、そのポイントを書きとめた。
レコーダーをとめる。バスローブ姿でリビング・ルームに戻り、冬木ははじめてゆっくりくつろいだ。
道路を隔てたマンションのほぼ同じ高さの窓に、ひとつ灯《ひ》が入った。ついで、テレビが小さく光る。その部屋の主も、多くの男たち同様、帰宅してまで勉強するタイプではなさそうである。幸いなことに、と冬木は思う。だれもが勉強家になっては、チャンスが少なくなる。
ピースをくわえ、大きく煙を吐き出す。一日五十本以上吸っていた煙草だが、いまはその半分近くにおさえている。健康に気をつかいながら、煙草だけはやめられない。それに、コーヒー。
就寝直前、冬木はコーヒーを欠かさない。夜コーヒーをのむと眠れぬひとが多いというが、冬木は逆にコーヒーをのまぬと寝つけない。長かったアメリカ生活の副産物である。
夕食に歯ごたえがあり腹|保《も》ちのいいものを十分にとる。そして、長風呂にコーヒーというのが、いまの冬木にとっての安眠の条件である。これが満たされないと、眠りのリズムが狂い、次の日の目ざめに影響する。そして、朝の日課が少しでも狂うと、一日中体調がおかしくなる。次の朝に備え、儀式でも積み重ねるように、夜のプログラムを進める必要があった。
冬木は、ベッドについた。スタンドは消したが、寝室の灯はそのままにしておく。
これも多くのひととは逆だが、冬木は部屋が明るくないと、寝つけない。いい歳になりながら、闇《やみ》が生理的にきらいである。地震その他何が起るか知れず、闇の中ではとっさに対応できない。人生は、いつも備えて、迎え撃つべきで、何事にせよ、闇討ちに遭うような形になっては、心外である。
その時刻、山岡悠吉をのせたタクシーは、ようやく長後へ着いた。
「ごくろうさん。これで、お茶でものんで」
チップごと渡して、車から下りる。
外股《そとまた》に大きく三歩ほど歩いたところで山岡は立ち止まり、自宅に隣接する鉄筋コンクリート三階建の独身寮を見上げた。二つほどを除き、どの部屋も暗くひっそり寝静まっている。
気がかりだった冬木のたのみというのも、たいしたことではなかったし、今日も一日無事にすぎたとほっとする。
山岡は、大きく深呼吸した。夜露に濡《ぬ》れた空気は、都心とちがってあまい。夜目にはよくわからぬが、何か匂いのする花も咲いているようであった。
自宅の玄関先には、由利子の長身のシルエットが浮かんでいた。
「寮を眺《なが》めてらしたの」
「うん」
「一部屋まっ暗なところがあったでしょ」
「……どういう意味だ」
「小坂君が、とうとう荷物をまとめて出て行ったの」
「そうか、あんなに説得したのに」
小坂とは二十五歳になる工員で、前日、退職願を出しにきた。郷里の山形へ戻って百姓をする、というのだが、係長の話では、それは口実で、横浜元町のスナックに誘われているらしい。山岡鉄工所に来て一年半、最近では欠勤が目立っていた。工員は、山形、秋田の農家出身者が多く、連鎖反応も心配であった。
いつものことだが、山岡は小坂を家に呼んで、翻意するよう二時間あまりも懇々と説いた。気持は小坂の父親になっていた。
紅茶や果物のあと、由利子が簡単なオードブルをつくり、ブランデーも出したが、小坂は手をつけず、山岡ひとりが杯を重ねた。そして最後は、「全くきみのためを思っていうのだ。よく考えてくれたまえ」ということで別れたのだが。
山岡はにわかに体が重くなり、そのまま玄関|脇《わき》の応接間に入り、腰を下した。
「このごろのひとには、どんなにいっても話が通じないのね」
由利子がつぶやく。彼女は、子供たちのことも考えていた。
東京へは通学できぬ距離ではない。家から通えばと、くり返しいったのに、血のつながらぬ長男の健《たけし》も、実子である次男の勉《つとむ》も、それぞれ下宿して通学。健はさらにヨーロッパへ長旅に出てしまった。
もっとも、山岡はそうした息子たちに賛成であった。かなりきびしく鍛えてきたつもりであり、男の子は早く親離れした方がいい。
山岡は黙りこんで、煙草をふかした。
煙の向うから、由利子が語調を変えていった。
「先刻《さつき》、宇田島さんから電話があったわ」
山岡より五つほど年少、川奈自工の下請仲間である。
「この近くまで来ているんですって。あなたが帰られたら、出先へ電話を下さいって。ただし、もしぼくの家から電話があったら、いったんお宅へ伺ったあと、山岡さんといっしょに出かけたことにしておいて下さいって。相変らず、おさかんなのね」
山岡はうなずき、濃く太い眉《まゆ》を寄せた。
宇田島の工場と自宅は府中に在るが、新しくできた女のため、町田に小さな店を出してやった、と聞いている。出先とは、そのことであろう。
宇田島には何年も続いている二号があり、他にも女性関係がある。ただし艶福家《えんぷくか》というのではない。背伸びして女性関係に走っている感じである。見ていてうらやましくなるより、むしろ気の毒になることもあった。
「どう、電話なさる」
「しないわけには行くまい」
「御苦労さま。物わかりのよい保護者みたいね」
少し腹立たしそうな言い方であった。山岡は聞き流し、由利子のメモしたダイヤルを回した。
何度かベルが鳴ったが、応答がない。番号ちがいか、出かけたのか。受話器を置こうとしたとき、ようやく宇田島の声が出た。
「二階に居たが、電話は階下《した》にあるんでねえ」
宇田島は、年長者に向かっても乱暴な口のきき方をする。仲間の評判がよくない理由のひとつである。
「そこはいったいどこなんだ」
「新しい女のところだ。店舗付住宅で、ちょっとした店をやらせている」
「借りてるのか」
「買った。これだって、値上りするからな。これも、ぼくなりの自衛策さ」
中小企業経営者は、人一倍、危険分散に気をつかうべきだ。それも、資産についてだけでなく、女についても同様。打撃を小さくするため、愛情を一人だけに集中しない――というのが、冗談めかしてはいるが、宇田島の持論である。
山岡が相手にならずに居ると、宇田島はせきこんだように、
「危険分散といえば、山さん、事務所の建物を個人名義にしたろうね」
「いや」
「だめだなあ、山さんは。まじめなおやじ面《づら》ばかりして。何かあってからでは、おそすぎるよ。早目早目に手を打っておかないと」
組織は株式会社でも、その中でできるだけ、自分の取り分や持ち分を多くしておく。さし当って、事務所の建物を山岡の妻の持物にし、山岡鉄工所に賃貸するという形にしておけ――と、かねて宇田島にいわれていた。そうしておけば、会社が赤字のときも、家賃という名目で一定の収入が山岡の手に入る。万一倒産するときでも、妻の個人財産ということで差押えを免《まぬか》れることもできる。宇田島のところでは、事務所だけでなく、倉庫と工場敷地の一部まで、宇田島の妻名義にしてある、という。
「早くしなさいよ。いつまでもいい日が続くと思ったら、まちがうよ」
宇田島はたたみかけていってから、
「ところで今夜はどこかでおたのしみ」
「いや……」
山岡はためらったあげく、別に秘密というほどのことでもないと思い、冬木部長との話を手短かに伝えた。
「それで、受けたの」
「もちろん」
「相変らずの山さんだな。とくに、メーカーのいうことは何でも受けるんだから」
毒のあることをいってから、
「受ける代りに、条件は出したの」
「条件って」
「いったとおりにする代り、何かしてもらうんだ。金を出してもらってもいいし、とにかく黙って受けることはない」
「しかし、こちらのためになる訓練だ。若者と気持が通じ合うようになると聞けばね」
「そんなばかな。それに意思の疎通《そつう》がどうのこうのなんて考える代りに、ちょっと給料をはずんでやりさえすれば。要するに、金さ。金さえ出せば、人間はついてくる」
山岡が答えないでいると、
「五日も六日も工場を空けて、帰ってきたとき、だれも居なくなってた――というようなことにならなきゃいいがね」
宇田島は、たのしそうな口調でつけ加えた。
山岡は不機嫌《ふきげん》に黙りこんだ。目を放せば何が起るかわからぬ。たとえ従業員が百人を超そうと、その種の不安を笑いとばせないのが、山岡たちの毎日であった。
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第二章
QCはアメリカではじめられた商品の品質管理を改善する運動だが、日本に入ってからTQC(トータル・クォリティ・コントロール)にまで発展した。会社の体質そのものを改善しようというもので、そこまで徹底し洗練されると、もはや宗教に近くなる。
アメリカ生れの手法のそうした深化は、もちろんTQCにだけ見られたのではない。
* * *
それは、ふしぎな訓練であった。いや、果して訓練なのか。最初、山岡《やまおか》は首をひねった。
主催者の協会からの案内状には、
「できるだけリラックスした服装でお出かけください」
「訓練の性質上、外部との連絡は一切絶ち、おとりつぎもいたしません」
などと一見さりげないようで意味ありげな注意書きがあるだけで、訓練の日課や内容については何ひとつ書かれていなかった。後でわかったことだが、それは秘密を守るためというより、日程とか内容について書きようのない訓練であったからである。
会場は、御殿場駅から車で二十分。富士が大きく正面にそびえ、まわりにはゴルフ場がひろがるだけの静かな山麓《さんろく》に立つホテルである。
個室に荷物を置いた後、ホテルの医務室で簡単な健康診断。若い医師が問診する。既往症について、とくに心臓病や精神病の前歴はないか。血縁に精神病患者は居なかったか。
血圧も測り、山岡は、「少し高目だが、まあいいでしょう」といわれた。その数字を訊《き》く気はなかった。百二十と七十が理想と、冬木がいっていた。少し高目なら、百三十と八十ということにしておこう。
定刻の二時、訓練会場である会議室に入った。
椅子《いす》が円型に並べてあるだけで、机はない。講師なのであろう、銀髪の美しい中年男が、「好きなところへお掛けなさい」という。
すでに、ほとんどの椅子が埋まっていた。冬木も早く来たのか、部屋の角にある椅子を占め、山岡に軽く手をあげて合図した。
参加者は十二人、それに講師。合わせて十三というのは、気になる数でもある。
全員そろったところで、講師はいった。
「お互いを呼び合うのに、フルネームでは面倒です。たとえば岩田さんなら岩さんとでも適当にちぢめて呼び合うことにしましょう。名前と関係のない呼び方でも結構です。Xさんでも、Yさんでも。それで訓練中は過します。みなさんのフルネームとか、会社名、ポスト、年齢などこちらからは紹介しませんが、みなさんたちが必要を感じて話し合われるのは差し支えありません。ただし、訓練生としては、岩さんであり、Xさんでしかありません」
講師はそのあと、急にひとりごとのようにいいすてた。
「もともと名前なんて、お互いを区別するための符牒《ふちよう》にすぎないんだから」
白い名札とサインペンが回され、それぞれ自分で選んだ文字を書いて、胸につけた。山岡は問題なく「山」、冬木も「冬」。
「栗《くり》」「塩」「亀《かめ》」「平」「矢」「長」……と並ぶ中で、いちばん若い男だけが「A」と書いた札をつけた。Aは、そのことで気負いというか、挑《いど》むような気分らしく、胸を張っている。そこだけ空気がひび割れた。
講師が咳《せき》ばらいした。一同をゆっくり見渡しながら、切り出す。
「さあ、はじめます。これからは、ここがひとつの離れ島、ひとつの孤島となります。五泊六日の間に、この孤島でみなさんが目に見えぬ何かをつくる。あるいは何かをこわす。何をつくり、何をこわそうと、それは自由です」
一息つくと、目を光らせ、
「ただし、ひとつだけ厳重に注意しておきます。暴力は禁止です。暴力だけはふるわないでください」
いい終ると、講師はポケットから煙草《たばこ》をとり出し、ゆっくり火をつけた。
全員の視線を浴びながら、深々と吸いこみ、さらに口をとがらせて、すみれ色の煙を輪にして吐き出した。その煙の輪を、だれもがはじめてのものでも見るように見つめた。
講師は、そのまま口をきこうとしなかった。
参加者は顔を見合わせた。いったいどういうことなのかと、声には出さず、さぐり合う。
部屋の一隅《いちぐう》の天井近くに、テレビ・カメラがすえつけられているのも、気になった。
一人、また一人と、煙草を吸いはじめる。五分|経《た》ち、十分経った。
貴重な時間を何もしないで空費する。それも、一人ではない。十三人が空費している。山岡は、いらいらしてきた。目を上げると、冬木と視線が合った。冬木の目も似た思いでまたたき、何かいえ、と山岡にけしかけてくるように見えた。
山岡は大きな体を講師に向け直していった。
「訓練をはじめてください」
「もうはじまっているのです」
「……黙っているのが、訓練ですか」
「黙ろうとしゃべろうと、それは自由です」
「そんなばかな」
講師はとり合わなかった。二本目の煙草から、長々と煙を吐き出す。
山岡はまた冬木を見たが、冬木は視線を外らせた。愚問仲間ではない、という顔である。
「そうだ。もうひとついっておきます」
煙草を指に、講師は一同を見渡した。山岡は、いっただけの反応があったかと思ったが、次の講師の言葉に拍子抜けした。
「ここへはスリッパで来ても構いません。お望みなら、床に寝ころんでも結構です。ただし、もう一度いっておきますが、暴力だけはいけません」
なんだ、そんなことか、と思う半面、ますます訓練の正体がつかめなくなった。山岡は部屋の隅のカメラを指して訊いた。
「気にかかりますが、あれは何ですか」
「テレビ・カメラです。ごく稀《まれ》な例ですが、頭のおかしくなる人がある。そういうことのないよう、専門家が見ているのです」
互いに知らない人間が集まって、黙ってごろごろしているだけなのに、どうしてそんなことになるのか、ふしぎであった。しかも、それを訓練と称することが、腑《ふ》に落ちない。
山岡は腕時計を見た。二時半。山岡鉄工所では、午後いちばん脂《あぶら》の乗っている時刻である。
目を閉じると、スチーム・ハンマーの立てる地ひびきや、蒸気の音、工員たちの声が、聞えてくる気がする。同時に、気がかりなことが思い出されてきた。
朝出てくるとき、三号機のハンマーの調子がよくないとの報告があったが、その後どうなったか。焼鈍炉の煉瓦《れんが》の補修職人は来ているか。先日やめた小坂の代りは、とりあえず班長に埋めさせているが、前年末胃の手術をしたその班長に、少し負担がかかりすぎはしないか……。
目を開けると、馴染《なじ》みのないホテルの会議室。十二人の男が、背広を着た熊《くま》の置物のように黙りこんでいる。
窓の外には、淡い色から暗い色までとりどりの新緑。眠りこんだような風景の中を、一組のゴルファーがのんびり動いて行く。
山岡は沈黙に耐えられなくなった。背を反らせると、一同を見渡し、腰の強い声でいった。
「だれか、この訓練について予備知識はありませんか。あったら教えてください。わたしは、こんな風に黙りこんだままじっとして居られぬ性質でして」
だれも答えなかった。「A」などは、露骨に目をそらせた。
山岡は、ため息をつき、冬木をにらんだ。参加をすすめた以上、少しは予備知識があるはず。何か話してくれていい。
だが、冬木にはとり合おうとする様子はなかった。
そのとき、山岡の二人ほど右手に居た男が、口を開いた。
「なんだか、こういうものらしいですね。わたしも体験者に訊いてみたのですが、とにかく行ってみろ、というだけで」
長田か長谷川か知らぬが、名札には「長」とある。山岡とほぼ同じ年輩。面長《おもなが》で、細い金縁の眼鏡をかけている。
「ただし覚悟して行けと、おどかされましたが、さて、どんな覚悟をしていいものやら」
「長」は、にが笑いしてから講師を見たが、講師は視線を外《そ》らせたまま、無言である。
ふたたび沈黙の時間が流れた。
こんなばかな訓練があるか。山岡は、また、いら立ってきた。見たところ、山岡が最年長であった。十二人、いや、講師を除けば十一人に、無駄《むだ》な時間を過させてはならない。互いに話し合うだけでも、無為よりはいい。
「どうしてここへ来たのか。そんなことでも話してみませんか」
意思|疎通《そつう》に役立つ訓練だと、取引先の有力者にすすめられたのが動機である――山岡はまず自分の場合を話し、
「さぁ、順に話してください」
左隣りの「塩」に向かっていった。
「会社の命令です」
「塩」は、投げやりに答えた。次の「亀」も、「上から行けといわれたので」
多くの男が、それに似た答をした。冬木まで、そうであった。アメリカ滞在中に関心を持ち、自らの発案で試しにやってきたはずなのに。
一人だけ異色の返事をしたのが、「A」であった。
「ぼくは変ったことが好きなんです。なんだかおもしろそうな訓練なんで」
ホテル代をこめた参加料は、かなり高い。それが「おもしろそう」だけで、参加できるものなのか。もっとも、このごろの若者の中に、そういう男が居ても、不思議はないのだろうが。
答が一巡すると、また、だれもが黙りこんだ。三分経ち、五分経つ。始まってからは、一時間以上、経過している。
山岡は、講師に向かって身構えるようにして、
「いくら離れ島だからといって、こんなことでいいのですか。どんな島にも、仕事があり、行事もあるでしょうに」
「どんな風に進もうと結構です。この島には、型もしきたりもありません。むしろ、因襲をこわすための島と考えてください」
「こわすといったって、何を……」
「いやなら、こわさなくてもいいのですよ」
突き放すような言い方であった。山岡は、それ以上口をきく意欲を失《な》くした。
訓練といえるかどうか。とにかく一回目の二時間が過ぎた。三十分間の休憩がある。
山岡は部屋に戻《もど》って、顔を洗った。顔中に蜘蛛《くも》の巣というか、靄《もや》でもかかっている気がした。
そのあと、ホテルのティー・ルームへ下りた。受講者のほとんどが来て、休んでいる。二人、三人と、適当にかたまっていた。
冬木は窓ぎわに一人だけ。ピースの缶《かん》をテーブルに置き、三角の目を細めて、窓外の緑を見つめている。
山岡は近づこうとして、やめた。ここでは互いに知らぬことにしておこうと、冬木にいわれていた。
山岡は一人|坐《すわ》って、コーヒーをのんだ。こんな時間を何年ぶりに持ったことであろう。工場のことが気になり出す。静かな映画音楽のBGMにまじって、他の席の話声が聞えてきた。
「ぼやっとしてるだけで出張になるんだから、文句はいえん」などといっている。
山岡の心は、また波立ってきた。こんなことをしていていいのか。させていて、よいのか。
二回目の訓練時間に入ると、山岡は視野の端で講師をとらえながら、一同に向かって切り出した。
「このままじゃ、どうしようもない。だれかがひっぱって行かんと、いかんのじゃないですか」
反応はなかった。視線を外らす男もある。うっかり意見をいって、余計な役を引き受けさせられてはかなわぬ、という気配があらわであった。
応答なしと見きわめた上で、講師が口を開いた。
「機関車が必要だというなら、山さん、あなたがやられたらどうです」
「受けの山さん」である。たのまれれば、もちろん、やってもいい。だが、このしらけた空気では。
山岡は、その空気に向かい、たしかめるようにいった。
「みなさんから、やれといわれれば……」
反応はなかった。だれも何もいわない。これでは、受けるわけには行かない。
「ばかな役割を、わざわざ買って出ることもないでしょうよ」
講師は軽くうなずいたが、銀髪を傾けるようにして、別の問いを山岡にぶつけてきた。
「先刻、あなたから、ここへ来た動機を話そうという提案があったとき、ほとんどの人が一言二言いっただけで黙ってしまったでしょう。提案者としては、どうなのですか」
「どうといったって……」
ばからしいとか、腹が立つとでもいう他《ほか》ないが、山岡は口をつぐんだ。何を考えているのかわからぬ人間たちを相手に、不用意に話すことはない。
講師のねばりつくような視線をはずし、山岡は沈黙し続けた。
咳ばらいや煙草の火をつける音が時々するだけで、時間がまた流れた。
山岡は再びいらいらしてきた。十五分ほど経ったところで、たまりかねて講師にいった。
「このST訓練の歴史なりと話してもらえませんか」
「必要なら、いずれ後ほど」
「しかし、いま、こんな風に無駄に時間をつぶしているぐらいなら……」
「無駄じゃありません。これが訓練なんです」
沈黙に耐えられなくなったのは、山岡だけではなかった。
しばらくして、「塩」が大きな息をつくと、切り出した。
「この訓練は、西洋の禅みたいなものだと聞いてきたけど」
講師に目をやり反応をうかがったが、講師は素知らぬ顔をしたままである。「塩」は仕方なくひとりごとのように続けた。
「禅なら、まだいいですよ。自分ひとりでやれるんだから。こんな風にみんなといっしょでは、禅にもならない」
山岡も大きくうなずいて、
「わたしも禅寺に行ったことがあるが、禅なら、たしかに意味がある」
鎌倉《かまくら》の寺へ三泊四日の座禅に出かけたのは、もう十年近くも前であろうか。長男の健《たけし》が中学生、次男の勉《つとむ》が小学生。うむをいわさず連れて行った。
山岡に格別の宗教心があったわけではない。二人の息子を鍛えるためであった。
山岡は従業員たちに「おやじ」といわれたが、子供たちにとっても、こわいおやじでなくてはならぬし、子供たち自身をこわいおやじに仕立て上げなければならない。
夏休みも、そのチャンスであった。山岡の家では、家族旅行などということはしない。妻の由利子を家に残し、父子だけで旅に出かけた。
ある年はテントをかついで、奥秩父《おくちちぶ》の山を歩き回り、別の年は外房《そとぼう》の漁師の家で自炊し、足腰が立たなくなるほど、荒海で泳がせた。
鎌倉の寺では、朝五時から夜十一時まで座禅。さらに、草とり、庭掃除、雑巾《ぞうきん》がけ、炊事。睡眠不足もあって、父子ともふらふらになった。夜ふけの風呂場《ふろば》。自分では洗う気力もない体を、互いに流し合う。朝は起しても起しても目のさめぬ息子二人のために、山岡はタオルを濡《ぬ》らしてきて顔にかぶせた。その中で父子の気持が通い合った、と思う。訓練とは、ああいうことではなかったのか。
山岡は時計を見た。二回目がはじまって、一時間近く経っている。いよいよ空しさがつのる。
その気持が通じたように、「塩」が山岡に向かってつぶやいた。
「退屈ですね、こんな風じゃ」
「そう、全く退屈です。どうしようもない」
何人かがうなずく中で、突然「A」が高い声を上げた。
「人生なんて、もともと退屈なものですよ」
山岡は不愉快になり、
「人生をよく知っているみたいな口をきくね」
「ええ、大体のことは、わかってるつもりです」
「A」はさらに山岡に口をはさむ隙《すき》を与えず、続けた。
「人生がわかるかわからないかは、年齢に関係ないはずですよ」
山岡は太い眉《まゆ》を寄せたが、こんな若者相手に議論するのも大人気《おとなげ》ないと思った。
だが、「A」はかさにかかってきた。
「山さん、何かいいたいんじゃないですか」
「いや……」
「いってくださいよ。それに、そんな目つきでにらまれたんじゃ、気分をこわすなあ」
山岡は体の中が熱くなってきた。若い者にこんな口をきかれるのは、何年ぶりか、いや、かつてあったか。
ただし、山岡は目をつむって、こらえた。「A」を理解してやること。退屈なあまり、年輩者である山岡自身がいらいらしている。若者は、もっと辛抱できず、何かに突っかかりたくなっているのだ、と。
山岡は沈黙を守った。つのってくるいら立ちを抱えこむように、腕を組む。もともと大きな体が、そうすることで、さらに一回り大きく見えた。
他の男たちも、口をきこうとしない。講師も煙草をふかすばかり。そして、また三十分が流れ、第二回が終った。
夕食後、七時半から三回目の時間。
会議室では、全員がそれまでと同じ椅子《いす》に坐った。服装もほとんど変りはない。スリッパ姿もなければ、床に寝ころぶ男もなかった。変ったことをしてからまれる対象になりたくないと、だれもが思っているようであった。
山岡も、自らに沈黙を強《し》いた。「A」とは目を合わさぬようにした。避けるというより、おまえなど問題にしていないぞ、という思いからであった。
「A」は、長男の健よりは年長であろうが、五つとはちがうまい。山岡は、「A」を健とくらべた。健が年輩者に向かって、「A」のような口をきくことは、考えられなかった。
血が通っていないだけに、山岡は人一倍、健をきびしく躾《しつ》けた。躾には、二つの眼目があった。「男らしく」と「世話好きであれ」ということである。
健がまだ三つ四つのころから、山岡は二言目にはいった。「男は泣くな」「男は言いわけするな」
叶《かな》えてやるつもりだったたのみも、健が涙ぐみなどすると、とりやめた。玩具《おもちや》屋の前の路上に坐りこんでわめいたときには、そのまま放って帰ってしまった。
玩具屋が迷い子として交番に届け、やがて交番からの連絡で、由利子が引き取りに行った。
「躾はともかく、周囲の迷惑を考えなさい」と、由利子は警官に文句をいわれた。
小学生になると、健は学校や塾《じゆく》の帰りにときどき道草するようになった。
山岡は注意した。その後なお健が道草しておそく帰ると、冬であったが、山岡はバケツに水を汲《く》んで置き、健が勝手口を開けると、いきなり頭上から浴びせかけた。
そのまま戸を閉め、ずぶ濡れでふるえている健を家に入れたのは、五分あまり経《た》ってからであった。
義理の子であるから、世間の目を考え手加減して――などとは考えなかった。実父であろうと、なかろうと、健を山岡鉄工所の跡継ぎにふさわしい男に育て上げるのが、親の愛情であり、責任である。
もっとも、このきびしさは、跡継ぎにしないはずの実子の勉に対しても、同様であった。このため、勉は中学生のとき、自分もまた義理の子ではないかと疑いを持ち、役所へ戸籍簿の閲覧に行く、ということがあった。
友人というか味方をつくることも、中小企業者が生きのびるための大切な心掛けである。中小企業は無い無いづくしである。組織もなければ、金もない。伝統もなければ、信用もない。そのひとつひとつを自分でつくって行くには時間がない。それよりは、網目のような人脈をつくって、金や知恵や信用や手を貸してくれる人、心の支えになってくれる味方を、一人でも多く持つことである。
そのためには、当然のことだが、礼儀正しくなければならず、年長者に向かって、まちがっても「A」のような口のきき方をしてはならない。それに、できるだけ他人につくすことである。山岡自身、子供のときから、世話好きであり、仲間の面倒見がよかった。仲間のいやがる掃除などは、進んで引き受けた。
おかげで、一学期や二学期の級長選挙で頭のいい子が選ばれたあと、三学期には、山岡に票が集まった。三学期級長は、山岡の特技となった。
山岡は息子たちに、勉強のことはうるさくいわぬ代りに、
「三学期には学級委員に選ばれる人間になれ」
と、いい続けた。事実、健も勉も、山岡の期待に応《こた》えた。二人とも、およそ「A」とはちがうタイプの若者である――。
「A」は腕組みし、足も組んでいる。眼鏡の奥から細い目を光らせて。獲物を待つ目である。うかつに口をきけば、たちまち襲いかかってくる。
山岡は時計を見た。まだ十五分しか経っていなかった。舌打ちしたい気分である。
すると、その山岡の気持を読みとったように、「塩」が口を開いた。
「先刻も山さんがいわれたように、こんな風に時間を空費していたのでは、全くもったいない。せっかく、関係のない人間がこうして集まっているのだから、もう少しお互いをさらけ出すというか、それぞれの長所や短所を紹介して、それについて話し合うことにしたら、どうでしょうか」
山岡はじめ何人かがうなずいたが、残りは、どうでもよいといった顔である。
「塩」は山岡がなお二度三度うなずくのを見て、心を決めたようにしゃべり出した。
「わたしという人間の短所は、こうしてまっ先に話し出したように、とにかくお人よしで、単純ということです。あれこれ考えて計算し、時機を見て、などということができない……」
話を止めた後がこわくて、一気にしゃべり続けるタイプのようであった。
講師は、煙草《たばこ》をふかす。他にもいくつか煙の柱が立った。聞き流そうとする顔、しらけた顔、迷惑げな顔。
「……というようなわけでして」
「塩」は少しおどけた口調で、長い話をしめくくった後、自分は一役《ひとやく》果したという顔で一同を見た。
「どうでしょう、こうしたわたしの短所については」
だれも何もいわない。かかわり合いをきらって、そっぽを向く者もある。
「どなたか、何かいってくれませんか」
「いいましょう」
「A」であった。「塩」はぎくりとした表情になった。「A」は、そうした「塩」の表情をふみつけていった。
「そんな歳になったら、短所とも長所ともいえないんじゃないですか」
「それは、どういうこと」
「訊《き》きますが、そういう短所が塩さんにとってマイナスになってるんですか」
「……もちろん」
「そうでもないでしょう。短所といいながら、結構それに満足してるように見えるなあ」
「塩」は、口をもぐもぐさせながら、黙った。
また煙草の柱がふえる。せっかく「塩」がきっかけをつくったのに、こんな風に迎撃されては、それ以上、議論が出るはずはなかった。
山岡は、「塩」に同情した。「塩」を慰めるためにも、自分が肴《さかな》になってやろう。
だが、「A」がまた「塩」に問いかけた。
「いま塩さんはいくつですか」
とまどいながら五十二歳と答える「塩」に、
「若いですね。まだ四十前後に見えます」
「塩」は顔をゆるめた。
「みんなにそういわれるんだけど、とにかく、わたしなりに新しいものの吸収を心がけてるせいもあるでしょう」
「いいことですよ。年齢なんて、符牒《ふちよう》のようなものですからね。十八歳で八十歳ぐらいの人も居るし、八十でも十八歳ぐらいの人もある。もっとも、わたしの父なんか、ひどく保守的で、話が通じない」
「A」は、気持よさそうに、ひとりでしゃべり続けた。
「しかし、人間、十八歳ぐらいが限度で、そこで進歩が止まり、たいていのことは決まっちゃうんじゃないかな。だから、二十五にでもなったら、居直るより仕方がない。短所であろうと、それをぶつけて行くだけ。ぼくはそうしますよ」
「塩」の表情が、またかたくなった。「A」は、それを承知で続ける。
「これは、別に塩さんのことをいってるんじゃないけど、余計なことに気をつかっていると、肝腎《かんじん》かなめのところがおろそかにならないかな」
「塩」はたまりかねて、
「あんた、いったい、何をいいたいんだ」
「ぼくは、自分を反省するより、これはと思う人物にまず惚《ほ》れこみますね。たとえば、ゲバラ、徳川家康、西行《さいぎよう》法師といったひと。みんな、すてきですよ」
「塩」は、その三人の名前をくり返して、首をかしげた。山岡も同じ気持であった。三人の共通項が見出《みいだ》せない。いったい、どういう脈絡で物をいっているのか。
ただし、そうした質問をすれば、ますます「A」の罠《わな》にはまる。わざとそういう話をすることで、「A」はゆさぶりをかけようとしている。
それにしても、高い会費を払い、貴重な時間を割いているのは、こんな若僧のいい気な話を聞くためではない。
山岡は、拳《こぶし》をにぎりしめ、気持をおさえた。その一方、どうしてこんなばかげた訓練に参加させたのか、冬木をうらんだ。
冬木は、部屋の角の椅子に腰かけ、三角の眼を細くしたまま、一言も口をきかない。焦立《いらだ》ちも怒りも、前世《ヽヽ》へ忘れてきたような表情であった。膝《ひざ》の上には、ピースの缶《かん》。両手の長い指を組み合わせた中へ、宝物のように置いている。
山岡は、寄って行って、いきなりその缶をつかみ、窓の外へ投げすててやりたい衝動を感じた。
動揺を知らぬ男。すべて計算ずく、合理的な説明がつく、と思っている男。
大陸の戦場では、イーグルやGAなど外国製のトラックならまず安全だが、国産トラックに乗れば、いつ、どこで、そして、どこが故障するかわからなかった。エンジン・トラブルはもとより、いきなりスプリングが折れたり、ギア・ボックスがはずれたり、車輪がとんだり。ありとあらゆる、そして、思いもかけぬような故障が起った。
車そのものはもちろんだが、一つ一つの部品の出来がわるく、材質もよくない。注意するなり、手入れすれば、故障が避けられる、というものではなかった。そして、故障したトラックは、たちまち運転者ごとゲリラの餌食《えじき》となった。
運転手の冬木、運転助手の山岡のペアに割り当てられた国産トラックが、大きな故障に見舞われなかったのは、奇蹟《きせき》であり、強運という他《ほか》ない。
このため、山岡が冬木との結びつきに運命的なものを感じたのに対し、冬木は、「運はだれにでも平等に来る。つまり、運なんて無いのも同然だ」という。
そして、山岡の工学知識、それに徹底的に整備しないと気がすまぬ性格と、冬木自身の安全をたしかめ、また安全範囲内での運転しかしない走法との組み合わせのせいだ、と説明した。山岡と同じタイプの男が居るなら、とり替えてもいい、といわんばかりであった。
「冷たい奴《やつ》」「味のない男」と、冬木は兵隊仲間でも評判がわるかった。「心を許すと危ない」と、山岡に忠告する者もあった。
ただ、山岡は山岡なりに冬木を信じ、それがある日、報いられた。
山岡と親しい上等兵二人が糧秣《りようまつ》補給の帰途、襲撃された。ゲリラが引き揚げた後、死体が遺棄されたままになっていると、中国人が知らせてきた。
上官の許可を得て、山岡はトラックで死体の収容に出かけることにした。ゲリラはまだ周辺にひそんで居り、危険が予想された。
このため、山岡は一人で出かけるつもりで、冬木には声をかけず、トラックの運転台に上ると、すでに冬木がハンドルをにぎっていた。
「救出なら意味もあるが、死体の積みとりに行くだけだから」
山岡は冬木に下りるようにいったが、冬木は動かなかった。
「負傷者だろうが、死者だろうが、戦友であることに変りあるまい。いや、そんなことより、このトラックを失いたくないからな」
言葉の裏に、しかし、あたたかさのあるのを、山岡は感じた。
「ありがとう」
山岡は、冬木に向かって思わず手を合わせた。冬木は山岡に賭《か》けてくれた。その賭けの重さが、山岡の身にこたえた。命のある限り、いつかこのときの借りを返さなくてはならない。
山岡が川奈自工の下請けをするようになったのも、冬木が川奈自工の社員だったからである。
採算は二の次であった。まだ小さかった山岡鉄工所では、大和自工などからの受注で、仕事は十分にあった。下請けにきびしいという川奈自工の仕事まで引き受ける必要はなかったが、
「うちと生死を共にしてくれ」
という冬木の口説きに、山岡は二つ返事でうなずいた。
手形の決済ができず、川奈社長が下請けを回って深々と頭を下げたこともあったが、国際レースでの派手な活躍などから、川奈製の車は若者たちの人気を集めるようになった。そして、この若者層の成長と所得倍増ブームの中で、スポーツ・タイプのクーペとファミリーカーとがいずれも爆発的な売行きを示した。小型車に似合わぬ馬力を買われ輸出も順調に伸びはじめ、川奈自工は大きく発展した。そしていま、山岡鉄工所の仕事も七割近くが川奈の下請けである――。
それほど親しくしてきた冬木だが、ときどき、別世界の人のように遠い存在になる。この訓練の場における冬木がそうである。
冬木は冷静であった。
山岡がかなりいらいらし、その焦立ちの一部が自分に向けられていることは、承知していた。
冬木の予備知識によれば、感受性訓練はほぼ予想どおりの展開をしている。展開のない展開である。このため、もやもやが蓄積されており、やがて、これが火を噴き、爆発するはずである。
冬木の五泊六日の出張について、川奈自工のトップは寛大であった。
「それだけあれば、外国へ行けるのに」と、川奈社長はむしろそのことを冬木のために惜しがる口調であった。専務の倉林は、「六日も必要か」と念を押し、「必要なら構わないよ」とだけいった。
もっとも、川奈自工では、急成長に組織の整備が追いつかず、社内規定も最小限のものしかなかった。
出てくるとき、冬木は人事部の部下たちに、
「みんな、よろしくたのむよ」
というだけで、留守中の指示や采配《さいはい》はほとんどしなかった。残った者で何とかやる――川奈自工は、そうした空気の中で成長してきた。
いずれにせよ冬木は、自分が訓練されることより、人事部長として訓練の観察に来ている。川奈自工でこの訓練を採用する必要があるか。採用するとして、どの程度までの範囲にするか。一応の目処《めど》をつけねばならない。
冬木は、口をきかず、観察に徹することにした。そうすることがまた性に合っていた。
それにしても、以前、似たようなことをしたおぼえがある。あれはもう十何年前のことか。
場所は、ニューヨークの街頭。冬木は日本人社員が十人ほどしか居ないアメリカ川奈の支配人。そしてそのとき観察したのは、人間でなく車であったが。
どんな自動車が、どんな人によって、どういう乗り方をされているか。冬木は、少しでも時間があると、曜日や時刻、場所を変えて観察に出かけた。ときには、ベンチではなく、消火栓《しようかせん》や屑入《くずい》れの上に腰を下して、眺《なが》め続けた。けげんそうな目で見られ、蔑《さげす》まれても、気にしなかった。
そうした冬木に、ある日曜日、娘の美雪がついてきた。秋の終りのかなり寒い日であった。
冬木は、美雪が退屈しないように、カワナの車を見つける毎《ごと》に、|二十五セント《クオーター》貨を与える約束をした。冬木自身が一台でも多くカワナを見て、自分を励ましたい気持もあった。
当時、カワナは東海岸で月に三十台程度しか売れていなかった。売れないだけの理由もあった。
まず日本からの運搬船が着くと、梱包《こんぽう》が不十分なのと、他の貨物との混載のため、塗装が汚れたり、フロント・グラスが割れていたりする。自走できない車も百台に二、三台はあった。
化粧し直して街へ送り出す。馬力が弱いため、エンジンを全開しても、側道からハイウェイへ走りこめない。さらに、ハイウェイを走っていると、横ゆれがし、オーバー・ヒートを起した。長時間高速走行を経験できない日本の道路で育ってきたための事故である。
故障した部品の供給も、わるかった。アメリカでは車の使い方が乱暴なせいもあって、フェンダー、バンパー、ランプなどを十日と経《た》たぬ中にこわし、取り替えに来る。そうした部品の十分な予備《スペア》がなく、本社に注文しても、届くまでにはかなりの時間がかかった。このため、やむを得ず、まだ売れていない新車から外して取りつけたりした。
逆に、日本からの部品で、余りすぎるものもあった。たとえば、リア・シャフト。当時の日本では、一台の車に何人も乗り、トランクいっぱい荷物を積み、わるい道路を走ったため、リア・シャフトがよく折れた。
だが、アメリカでは事情がちがい、リア・シャフトの予備《スペア》は、たまるばかりであった。
必要な部品が間に合わなければ、客は二度とカワナを買ってくれない。部品在庫に不安があるといううわさだけでも、致命的である。これに対し、ドイツ製の小型車などは、アメリカ車のそれの二倍から三倍量の部品在庫を持ち、ユーザーへのサービスもよく、みるみる売上を伸ばして行った。
とにかく、こうした有様では、とてもカワナを売りこむわけには行かない。
冬木は、本社へ再三、苦情を書き、電話で訴えた。最後には、馘首《くび》を覚悟で、販売部門の最高責任者である倉林専務を強引に電話口に呼び出し、直接、文句をいった。
このときの倉林の答が、いまも冬木は忘れられない。
「動く車なら、だれでも売る。動かぬ車まで売ってみせるのが、セールスの腕じゃないのか」
売れなければつらいし、売ってもつらかった。
アメリカ車の群にまじると、小型というより超小型のカワナ。その可憐《かれん》な車がとことこ無事に走って行くのを見ると、冬木はクリスチャンでもないのに、十字を切って、神に感謝したくなった――。
冬木の横で、美雪はおとなしく坐《すわ》り続けた。
一台目のカワナを見つけたとき、美雪はとび上って叫んだが、隣りのベンチの白人老夫婦ににらまれ、おびえた顔になった。
二台目からは、冬木の手にさわって、小声で教え、そのまま、じっと冬木の手をにぎっていたりした。
冬木は、美雪が哀れであった。異国に来たため、子供なりに余計な恐怖や遠慮を感じている。
美雪には、おびえるだけの理由があった。いじめられた経験が珍しくないからである。いちばんひどかったのは、アメリカに来た翌春のことである。
四月十八日は、昭和十七年、空母から発進したドゥリットルの爆撃機隊が日本を初空襲した記念日である。新聞やテレビは、爆撃機|搭乗員《とうじよういん》の手柄話《てがらばなし》をくり返した。
爆撃機の中、何機かは帰途、中国大陸に不時着。搭乗員三名が日本兵によって銃殺されたが、これが捕虜の取扱いに関するジュネーブ条約違反であり、非人道的な蛮行であるとして、テレビ局のひとつは、あらためて遺族を登場させ、センセイショナルな構成で報道した。
「ひどい番組だ」
冬木は見て居られなくなって、途中でチャンネルを切りかえた。
「パパには珍しいわね」
「どこがひどいの、パパ」
妻と娘の両方が声を上げたが、冬木は気が重くて答えられなかった。
テレビの効果は覿面《てきめん》であった。冬木は、地下鉄内や取引先などで、アメリカ人からそれまでにない冷たい視線を投げかけられるのを意識した。美雪は小学校で男の子たちの一団に襲われた。
「汚ないジャップをやっつけろ」
と、わめきながら、彼等は美雪を床にひき倒し、小突いたり蹴《け》ったりしただけでなく、最後はマッチで髪に火をつけた。
焦《こ》げた髪を抱えて、美雪は帰宅したが、しばらくは、ふるえるばかりで、口もきけなかった。
次の日、冬木は、出勤の途中、学校へ抗議に寄った。
担任の女教師は、小さくうなずいて聞き流すばかりで、詫《わ》びもしなければ、生徒を罰しようとする様子もない。冷淡というよりは、つとめて局外に立とうとしているように見えた。
こうした学校へこのまま娘を預けておいて、いいものか。冬木の胸を不安がかすめた。とはいっても、適当な私立校を探すとか別の環境に移るとかする余裕は、経済的にも、時間的にも無かった。目をつむって、次の日からも、美雪を車で学校へ送りこんだ。
その女教師は根は親切で、美雪のために毎日一時間ずつ居残りして、英語を教えてくれている。その善意が、たよりであった。
十二月になると、「|真珠湾を忘れるな《リメンバー・パールハーバー》」ということで、似たような緊張を親子はもう一度経験した。
美雪は嘆く。
「日本はどうしてわるいことばかりしたの」
「アメリカだって」
冬木は説明した。東京や名古屋などへの無差別爆撃、さらに、広島や長崎への原爆投下。広島では、冬木の両親も死んでいる。
終戦の年、銀行員だった父親は広島支店づとめとなり、大田川右岸の社宅に住んでいた。爆心地に近かったため、あたり一帯|潰滅《かいめつ》状態となり、両親がどんな死に方をしたのか、わからなかった。遺骨も遺髪もなく、墓地には二人の写真だけを納めた。
大田川の岸辺でもがいている群の中に、冬木の父親らしい姿を見たと、当時の銀行員の一人がいったが、苦悶《くもん》したあげくでは、なお痛ましい。むしろ、それが他人であって欲しいとねがうばかりであった。
冬木は言葉を選ぶようにして、両親のそうした死にざまを美雪に話してやった。美雪はうすく口を開けて、何度もうなずきながら聞いた。そして、次の日、学校へ行くと、早速そのことを話した。それからはむやみにいじめられることもなくなった、という。
冬木は両親の広島での死を、つとめて口に出さぬようにしてきた。変に同情されるのがわずらわしかったからだが、話の行きがかり上、そのことがわかってしまったときのアメリカ人の反応は、おどろくほどよく似ていた。
「そうか、それは気の毒なことをした」
といったあと、
「しかし、それで戦争が早く終ったのだから、結局、日本人にとって幸せになったのではないか」
冬木の胸は波立つ。勝手な理屈である。戦争を終らせるためなら、何をしても許されるというのか。捕虜は殺してはならぬが、口実さえあれば、市民は大量に殺していい、というのか。
そういいたいのをこらえ、冬木はゆっくりうなずいて見せた。
議論したところで、車が売れるわけではない。むしろ、逆の心配がある。いまは車が一台でも多く売れることだけを考えねばならぬ――。
ふいに美雪が腕をゆさぶる。
「来たわ」
冬木は物思いからさめず、
「何が」
「カワナよ。これで三台目」
「そうか、そうか」
クリーム色をしたカワナが、咳《せ》きこむようなエンジンの音を立てて、走ってくる。運転しているのは、赤毛の角力《すもう》とりのような大男である。
冬木は、「サンキュー」と叫びかけたくなる。「エブリシング・オッケイ?」と訊《き》きたくなる。日本では考えられぬ大男を乗せ健気《けなげ》に走るカワナの背を、かけ出して行って叩《たた》いてやりたい。
美雪が甘えるような声を出した。
「三台見たから、もう帰りましょう」
「あと一台で、ちょうど一ドルだ」
「マネーはどうでもいいの。わたし、ジャスト・ウォント・トゥ・ゴー・ホーム」
「何といった」
冬木は聞きとがめた。美雪は肩をすくめ、
「帰ろうというの、ホームへ」
「日本語なら日本語。英語なら英語だけで話すんだな」
「だって、すぐミックスするんだもの」
「ミックス?」
「ミックスよ。それ日本語で何ていうの」
「『まぜる』いや、『まじる』だ」
「『まぜる』か『まじる』か、どちらなの。だから、日本語はきらい。いろんな風にいうんだもの」
美雪は、吐き出すようにいった。冬木は黙った。
ニューヨークに来た当座、昌代は一日も早く美雪に英語をおぼえさせようとした。
だが、しばらくすると、今度はそれだけでよいのか、不安になってきた。帰国後のことを考え、家庭内では一切英語を使わせないという駐在員夫婦の話など、耳にしたからである。
冬木はあまり気にしなかった。というより、カワナを売るだけで頭がいっぱいである。
昌代の結論は、こうであった。
「美雪は、子供なりに毎日苦労してるのよ。だから、せめて、家の中では思うことを十分伝えられるようにしてやらないと、かわいそう。それには英語がいいというなら、英語で話させてやらないと」
英語だけ使うというのではない。英語で話してもとがめない、ということである。
冬木はうなずいた。ただ、英語とも日本語ともつかぬのは、聞きづらい。どちらにせよ、すっきりしたきれいな話し方をするように、といってある。
美雪は黙った。
冬木に対する不満。それに、何を話しても、つい英語がまじる。うっかり口をきけない、という思い。
美雪は整った顔立ちだが、やや角ばった輪廓や目が小さいところなどは、冬木に似ている。小さいころから大きな声も立てない子であった。うすい唇《くちびる》をとがらせるようにして、物をいう。可愛い感じもあり、また、いつも話を聞いてもらえず、何かを訴えようとしている風にも見えた。
美雪という名は、妻の昌代が考えた。
父親が船医だった昌代は、外国の絵本などを見て育ち、一時は絵描きになろうと思ったこともある。
「せめて子供にはきれいな名前をつけさせて」と、冬木姓からの連想で美雪という名を考えた。「雪景色が見えるみたいでしょ。語呂《ごろ》もいいし」
まるく大きな目をみはって、得意気であった。
冬木は、子供のことはすべて妻に任せるつもりであった。気に入った名をつければ、なお愛情も湧《わ》くであろう。
「雪は消える。縁起でもない名だ」
と姓名判断に明るい友人からいわれたが、冬木は妻には告げなかった。
いまニューヨークの街角で、小さな体をさらに小さくしている美雪。冬木は、その肩を抱きしめてやりたかった。どんなにミックスした言葉でもいいから話せ、といいたくなる。
それでいて、冬木の目は、車の流れから離れようとはしなかった――。
観察することには、慣れている。
いま冬木の目の前に在るのは、車の列ではなく、顔の列である。見知った山岡のそれをふくめて。
参加者を車にたとえるなら、顔がボディであり、心がエンジンであった。そしてこの六日間の訓練は、サファリ・ラリーやサザンクロス・ラリーに似た耐久レース。あるいは、車を無理にジャンプさせたり、川を渡らせたりする拷問《ごうもん》テスト。ボディがどんな変り方をするか。エンジンはいつオーバー・ヒートするか。どんなトラブルを起すのか。じっくりと観察してみよう。
もっとも、それには、スタート前の車の状態というか特性をよく知っていて、それと変化のさまを比べる必要がある。
このため、冬木によくわかっている車をテストにかける必要があった。
といって、川奈自工の社員を出すわけには行かない。社員にもしものことがあっては困るだけでなく、上役である冬木を意識することで、その社員は正常な走行ができなくなるからである。
よく知っていてテストにかけられる車はないか。
冬木が思いついたのが、山岡であった。戦場以来、すでに三十年近いつき合いである。ボディはもちろん、エンジンの状態までよくわかっている。テストにかけて、効き目のほどを見るには恰好《かつこう》の車である。
ここでの観察は、ニューヨークの街頭で消火栓などに腰掛けていたのとちがい、快適なホテルの椅子《いす》に坐っていればすむ。他に煩《わずら》わされることもなく、ただ観察していればいい。山岡がどう思おうと、また参加者たちにどんな目で見られようと、冬木はあくまでポーカー・フェイスで押し通すつもりであった。
冬木は知らなかったが、この日夕方、川奈社長が人事部へ電話をかけてきた。
現場を回っているうち、他の職場へ抜擢《ばつてき》したい人材を見つけた。すぐ人事部長の手許《てもと》で検討して欲しい、という。
冬木はST訓練に出かけており、訓練の性質上、連絡がとれぬことになっている、と答えたが、「とにかく、電話してみろ」
人事部は、やむなく御殿場のホテルへかけてきたが、訓練主催者の指示で、とりつがなかった。
人事部からの返事に、そのとき川奈は納得したが、二日後、また人事部へ同じ用件で電話してきた。
「忘れるのが、おれの特技だ」
というぐらい、川奈は忘れっぽい。本当に忘れたかどうか疑わしいほど、よく忘れる。
人事部はまたホテルへ電話させられたが、「肉親が重態にでもなったら、別ですが」と、断わられた。
二日目からは、連日、一時間半ずつ五回の訓練になった。
「もっと活発にならないものですか」
「栗《くり》」がつぶやくと、講師がいい返した。
「他人をあてにせずに、あなた、活発にさせたらどうです」
「栗」は顔を紅潮させて黙った。
貴重な時間だけが、白地のまま流れて行く。それも、十二人分の時間が。山岡はたまりかねた。だれも当てにできない。やはり、自分が機関車役を買って出よう。
山岡は一呼吸すると、つとめてゆっくりした口調で切り出した。
「ひとつ、お互いの生きがいについて話し合いませんか」
訓練の趣旨にふさわしかろうし、これならだれでも話せるテーマだと思った。
「生きがいなんて、簡単に話せるものじゃないよ」
「A」を無視していったつもりなのに、返ってきたのは、「A」の声であった。
「だいいち、みなさん、一々生きがいを意識して働いているんですか」
山岡は「A」に向き直った。
「他人はいい。きみはどうなんだ」
「どうといって」
「生きがいを感じているのか」
「A」は再び意表を衝《つ》く答え方をした。
「そうでしょうね。まず五十八パーセントぐらいかな」
「……どういう意味だね。もっと、まじめな答え方をして欲しいな」
「まじめですよ。まじめだから、こういう答え方をするんです」
「A」は、悠然《ゆうぜん》とした口調で続けた。
「生きがいは、あるとか無いとか、白とか黒とかいうものじゃないし、訊《き》くものでもない。他人と比べられるものでもないんです。それぞれが自分の中で漠然《ばくぜん》と感じるだけです。その感じ方をいうしかないんですよ」
山岡にとって心外なことに、幾人かがうなずいた。
「ぼくの場合、生きがいが無いわけではない。あるといえば、ある。その感じが、生きがい五十八パーセントだというんです」
「A」は得意げにいってから、
「こんなことが、わからないのですか」
山岡は、口をきく気を失《な》くした。昂奮《こうふん》して物をいえば、ますます「A」にしてやられる。
山岡は、反射的にまた健や勉のことを思い、若い従業員たちの顔を思い浮かべた。話が通じないとか、仕事に飽きやすいなどという欠点はあっても、彼等《かれら》の方がはるかに脈がある。
山岡が黙りこんだあと、その日は幾人かが話を切り出したが、かかわって傷を負うまいというのか、受け手がなく、それ以上話が進まない。雨上りの芝生に火をつけて回るようである。
山岡は、また工場のことが気になった。三号機のハンマーの調子は、どうなったか。焼鈍炉の煉瓦《れんが》は補修できたか。もちろん、何の連絡もないし、また連絡もとれない。
このままにしていると、設備は次々にだめになり、工場が動かなくなってしまいそうな気さえする。「ぼんやりしてても出張になる」などとのんきなことをいっていた男たちとはちがう。いや、そういう男たちまで、いまは重苦しく、あるいは、いら立ちをかくさぬ顔になっていた。
夜に入って、「長」がしゃべりだした。
こういう訓練を評価する土壌が日本の経営体にあるだろうか、という話。
その話を「亀《かめ》」が途中で遮《さえぎ》った。それまでほとんど発言したことのない三十代の男であった。
「いい気分で、まるで講義でもしてるみたいだ。われわれは、そんな話を聞かされに来たのじゃない」
「じゃ、亀さん、適切な話題を出しなさい」
「出す必要なんかない」
「それがおかしい。他人にけちをつけるだけで、自分は何もしない。甘えの構造だ」
「どんな構造だろうと、あなたに関係ない。それに、こちらには、聞きたくない権利がある」
また沈黙。ただし、沈黙の質が変ってきた。
からんでくるのは、「A」だけではなくなった。うっかりしゃべれない、と思う半面、多くの男が、無言の行の重さに耐えられなくなっていた。
三日目、山岡は冒頭、切り出した。今度こそ、どんな弾丸がとんで来ようと、受けて立つ。やはり機関車として突っ走ろう、という覚悟であった。
講師は島づくりだといったが、この島には、ふつうの島民の他《ほか》に、好ましからぬ二種類の人種が居る。ひとつは傍観者。いまひとつは破壊者。これでは、とても孤島の文化などつくれないと思うのだが。
「傍観者」では冬木、「破壊者」では「A」のことを念頭に置いての発言であった。
だが、冬木も、意外にも「A」も、反駁《はんばく》して来なかった。むしろ「A」は微笑して、山岡の言葉にうなずいて見せた。山岡は、ばかにされたような気がした。
「塩」が発言を求めた。「自分という人間を理解してもらうために」と前置きして、その父親の人生を紹介した。何事にも冷静だった建築設計士。独学で資格をとり、勉強ばかりやかましくいい続けたが、理屈が多すぎると、しだいに客が減って行った、などと。
続いて「栗《くり》」も、父親の生き方を披露《ひろう》した。広告屋に勤めていて、愛想のいい男だったが、野球好きで春夏の中等野球のときには勧誘も集金もさぼり、その上、かっとすると上役に向かい大声をはり上げたりして、出世できなかった……。
おかげで沈黙からは解放されたが、しかし、だれもがまだ不満であった。
果して、今度は「長」が、
「そんな話は聞きたくない」
といい出した。その「長」に「栗」がからんだ。「栗」には「亀」が食ってかかった。
その中で、しだいに全員にわかってきたのは、当りさわりのない話や建前だけの話は聞きたくもない、ということである。
山岡は機関車らしく、そうした空気をくみとっていった。
「それぞれが、いまいちばん困っていることを率直に披露し、みんなに意見をいってもらおうじゃないか」
「賛成」と声に出す者もあり、ほぼ全員がうなずいた。山岡は、さらに機関車を続けた。
「わたしのいまいちばんの悩みは、このごろの若い人に逃げられることだ。うまく心がつかめないし、向うも打ちとけてくれない。もちろん、おやじとも呼んでくれない。ただ賃金だけでつながっている感じ。おれたちは賃金欲しさに、きつい職場で働いてやっている。社長は賃金を払って、しかも、もうけている。毎日同じ屋根の下に居ても、ただそれだけ。そして、他に少しでも賃金のいいところがあれば、すっと出て行ってしまう。それなら、なぜ、わたしにいってくれないのか。とにかく、わたしを無視して、相手にしてくれない。こんな若者をどうしたらいいのか」
「はい」という声とともに、「A」が手をあげた。山岡は、いやな気がしたが、若い側からの意見があるのか、と思った。
「A」の答は簡単というか、投げやりにひびいた。
「そんな若者は、ぶんなぐったら」
いわれるまでもなかった。
「もちろん、ぶんなぐったこともある。だが効き目はなかった。かえって距離が遠くなったかも知れん」
「それじゃ、あきらめたらどうです」
山岡はむっとした。あきらめてすむ話なら、こんな訓練に来ない。
黙っていると、「塩」や「栗」がいった。
「山さんが一々うるさくいいすぎるんじゃないの」「ノルマがきびしすぎるのでは」
「わたしは細かいことは、一切いいません。それぞれの幹部に任せています。ノルマもありません。ただ、各職場で目標を立ててやっているだけです」
「それがつまりノルマじゃないですか」
「しかし、納期がある以上、やむを得ないでしょう。とにかく目標は決めなくては。その範囲内で、一応は自由に、ただし、責任を持ってやってもらう。もっとも、若い人のレベルが低いから、かなり、指示をしなくてはならない」
「A」が口をはさんだ。
「そういう山さんの話を聞いていると、やはりワンマンだなあ」
「昨日今日仕事をはじめた人間とはちがう。ある程度ワンマンと見られたって、仕方がないな」
意外にも、山岡のその言葉に「A」がうなずいた。「塩」が思いついたようにいった。
「仕事以外で、裸になってつき合ったら」
「つき合うといったって……。つり大会やボーリング大会をやって、わたしもそれに出たし、慰安旅行のときなど、裸おどりまでやって見せた」
「そうじゃない。山さんの心に殻《から》ができていないか、と訊いているんだ」
「できる限り、殻はこわしてるつもりなんだが」
話の中に、「A」がふみこんだ。
「殻とか裸とか、ナンセンス。信念をぐいぐい出して行けばいいじゃないか」
山岡がとり合わないでいると、「信念だけではだめだ」とか、「信念の出し方に問題がある」などと、二、三人が発言した。
事情も知らず、その立場になったこともないくせに、生意気をいうな。
次の訓練時間の皮切りに、山岡はその怒りを爆発させた。口調こそ抑えたが、いうべきことを一気にいった。
一瞬でも座は静まると思ったが、逆であった。相手は従業員でも知己でもなく、無関係な他人である。爆発には爆発を以て、報いてきた。
「助言を求めたのを忘れたのか」「信念と頑固《がんこ》とをとりちがえている」「岡目八目《おかめはちもく》という言葉を知らぬか」等々。集中砲火を浴びせた後、「A」がきめつけた。
「まるで心を開いていない。鉄のかたまり、それも、屑鉄《くずてつ》のかたまりだ。それを意識しないのだから、始末に困る」
山岡は、しばらく声が出なかった。
これほどまであからさまに悪口をいわれたのは、はじめての経験であった。まるで欠点ばかりの男のようではないか。
いい返すよりも、いわれたことを一々すべて書きとって、どこまで本当なのか点検しなくては、と思った。いますぐ由利子を呼んで訊いてみたい。「おれは、こんなにまでいわれているが、ほんとに、こういう人間なのか」と。
目をつむる思いで、山岡は続けた。
「気持が通じないだけなら、まだいいが、年に三、四人はやめて行く。他の会社に比べれば定着率はかなり高いんだが、それでも、やめられるのは困る。やめてどうするかといえば、結局、バーテンやボーリング場の従業員になったり、ボクサー志望だったり」
やめた若者たちの顔を思い浮かべ、最後は独言《ひとりごと》のようにいった。そのまま、うすく目を閉じていると、ふいに、講師が口をはさんだ。
「ボクサーになるのは、まちがっていますか」
山岡はおどろいて、講師の銀髪を見た。経営訓練の講師がそんな質問をするとは、考えもしなかった。
とまどったあげく、山岡は答えた。
「まちがっているとは、いい切れないでしょう。しかし、冒険だし、何よりもったいない。せっかく苦労して技術を身につけてきたのに、それが何の役にも立たなくなる。彼等のために惜しいと思うのです」
講師は黙った。山岡は、自分の考えが一応は承認されたのだと思って、先を続けた。
「何とかふみとどまらせようと思って、やめたいという従業員は家に呼んで、二時間でも三時間でも膝《ひざ》づめで話すんですが、それでも通じない。いったい、どうすればいいのか」
山岡にとっては、いちばん切実な質問であった。これまでのやりとりは、すべて水に流しても、この質問への答だけは、頭を白いメモ用紙にして書きとめておこう、と思った。
山岡の耳に最初にとびこんできたのは、またしても「A」の高飛車な声であった。
「あ、それはだめだ」
「何がだめなんだ」
山岡は「A」に真正面に向き直った。「A」は、まるい顎《あご》をしゃくり上げるようにして続けた。
「わざわざ社長の自宅へ呼びつける、ということですよ。もうそれだけで、若者はやり切れない」
「……しかし、わざわざ呼びつけるなんて、大げさなものじゃない。わたしの家は従業員寮のすぐ隣りなんだ。垣根ひとつまたぐだけだ」
それで話は終らなかった。「A」は、山岡にとって、さらに意外なことをいった。
「それじゃ、ますますだめだ」
「何が」
「社長がそんな近くに住んでいるということが。それじゃ、いつも社長に監視されてるみたいで、従業員は気が休まらない」
「しかし、わたしは何も監視など……」
「わからないひとだなあ。隣りに住むというそのことがいけない、といってるんですよ」
何人かがうなずいた。
「……そうか、そういうものなのか」
山岡は絶句した。山岡の頭脳の白いメモ用紙には、小さな蠅《はえ》が叩《たた》きつぶされ、染《しみ》がひろがった。
「A」に指摘されるまでもなく、社長が会社の隣りに住むことには難点もあろう。だがそれは、社長の姿勢や性格による。あたたかく見守るだけで、特に干渉もせず住んでいれば問題はない、と思っていた。住むこと自体が罪悪のように受けとられようとは、考えてもみなかった。
「……じゃ、どうしたらいいんだ」
山岡の声は、弱くなった。
その日一日、ほとんど一言しゃべる毎《ごと》に、山岡は集中砲火を浴びた。とくに「A」が手きびしかった。
感情的なやりとりもつのった。
「そんなに腹が立つなら、なぐったら」
「よし、なぐってやる」
というところまで行った。ただ、「暴力だけは……」という講師の注意を思い出し、山岡は辛うじてふみとどまった。
山岡は、自分の姿勢が基本のところで正しい、と思っている。その前提の上で、一同の意見も聞くし、肴《さかな》になることにも耐えた。
その姿勢とは、他の誰《だれ》よりも山岡鉄工所を愛している、という一点である。きみらにとっての会社よりも、ぼくにとっての会社の方が、何十倍も重い。いや、程度の差より質的にちがっている。きみらには、私があって会社があるが、自分には、会社があって私がない。
山岡が会社に入ったのは、町工場の社長の椅子《いす》が欲しいためでもなければ、宇田島のように私財をふやすためでもない。単に山岡鉄工所のため、その従業員を路頭に迷わせないためであった。
いまから思えば、従業員十人程度の会社など潰《つぶ》れたところでどうということはなかったが、瀕死《ひんし》の床から麻利子にたのまれたと思うと、男子一生の大事業のようにさえ思えた。
事実、わずか十世帯を食わせるということが、容易ではなかった。仕事がない。原材料がない。戦前からの自動車メーカーである大和自工や極東自工でさえ、「機屋《はたや》なら貸すが、鍛冶屋《かじや》には貸せない」などと、銀行からも相手にしてもらえない時代であった。大幅の賃金カット、人員整理、労働争議と、メーカーそのものがあえいでいた。
幸い、朝鮮特需でメーカーともども山岡鉄工所も一息ついた。続いて、高度成長につれて、少しずつ国内で車も売れ出した。
川奈自工の仕事も加わると、人手不足、そして設備も足りなくなった。借入金はふえ続けた。元利の償還と税金に追われる。
山岡は生命保険にいくつも入った。いざとなれば、その保険金で負債を償うつもりであった。
その当時、ハンマーでわざと手を潰し、かなりの労災保険金をとってやめて行った従業員があったが、山岡は怒るよりも、その従業員をうらやましく思ったりしたほどであった。
それほどの苦しみを重ねながら、従業員十人の鉄工所をいまは百十人に。山岡鉄工所は、隅《すみ》から隅まで山岡の血が通っていた。山岡が居なければ、鉄工所はどうなったかわからない。現にいま、こうして留守している一日一日が心配でならない――。
山岡は真剣な顔でしゃべった。永らく黙って耐えてきたが、ここではその必要はない。いいたいことをいい切ろう。
話し終ったとたん、今度こそ、座がしーんとすると思った。だが、またしても「A」が高い声を立てた。
「そもそも、それがまちがっている。山さんなんか居ない方が、会社が発展したかも知れないのに」
「何をいう」
おれの話を聞いていなかったのかと、どなりつけたかった。だが、男たちの幾人かが、むしろ「A」に同調するのを見て、ふっと気弱になった。
「どうして、そういうんだ」
「たとえばの話、あなたが居なけりゃ、代りの者が、あなたの仕事をおぼえて育つ。最初は自信がないかも知れんが、みんなに聞きながらやっている中、新しい人間関係が生れる。やさしい、やわらかい人間関係が。それなら、若者だって働きやすい。四六時中、山さんががみがみいうのより、かえって能率が上る」
「A」は山岡に口をはさむ隙《すき》を与えず、続けた。
「つまり、山さんは会社にとって、むしろ有害な存在かも知れない。そういうことをついぞ考えてもみなかったとは、あきれた話だ」
何人かが「A」に追随して、発言した。
機関車だって、蒸気機関車からディーゼルや電気機関車に替っている。いや、機関車が牽引《けんいん》するより、電車の方が快適であり、能率的でもある。従業員百人を超して、なお機関車が居なければ動かぬ会社なんて、おかしい――等々。
これまでの焦立《いらだ》ちが、そこに突破口を見出《みいだ》したかのように、口調も内容も、そろって遠慮のないものであった。男たちの憎しみの対象にさえなっている。自分は、こんなに感情的にまで攻撃されるような人間であったのかと、ふしぎな気がした。
この十余年、山岡は、会社の経営について、メーカーや銀行筋などから忠告を受けることはあっても、人間性についてまで、とやかくいわれたことはなかった。それに、誠心誠意やってきた自信があるだけに、山岡鉄工所社長としては完全に近い人間のように、思いこんでいた。それがまるで短所のかたまりといわんばかりではないか。
山岡は講師にもいわれた。
「山さんには、『しかし』とか『それにしても』が多すぎる。考えの両側に枠《わく》があって、その中では自由にさせるが、その枠というか、信念は頑固《がんこ》なんだ。そこが問題だ」
「……信念が有害だとでもいわれるのですか」
「一般論ではなく、あなたの場合において、有害かどうか、考えてみる必要がある」
だれかが、
「山さんは立派な鎧《よろい》を着けすぎてる」
といった。山岡には、その声の主をたしかめる元気もなかった。
その日一日、山岡はゆさぶられ、集中砲火を浴び続けた。
夜の訓練時間半ば、山岡はいよいよつのる「A」の毒舌にたまりかね、ついに席を蹴《け》って会議室から出てしまった。その場に居れば「A」をなぐってしまいそうな気がしたからである。
山岡は、そのままホテルの裏庭へ出た。
うすい月明りの中に、金時山を中心にした足柄《あしがら》の山々の稜線《りようせん》が、黒く浮き立っている。ふり返ると、富士の大きな山容が、薄墨色に北西の空を蔽《おお》っていた。
山岡は、憤《いきどお》りを鎮《しず》めるように、大きく夜気を吸いこんだ。一度、二度、三度。
だが、血の噴き立つような怒りは、消えない。百二十と七十のつもりだった血圧だが、このときだけは、血管が破れそうな気がした。
同時に、山岡は孤独を感じた。寝静まった山々に囲まれた風景のせいだけではない。ついて来る客車のない機関車。機関車をやめた機関車。山岡を支え装ってきたものを剥《は》ぎとられ、急に素裸にされたような孤独である。なまじ味方がないのが、いっそ清々《せいせい》した感じでもあった。
それにしても、冬木という男は……。
山岡がつるし上げられている間も、冬木は相変らず一言も口をきかなかった。助け舟を出そうとする気配もなかった。袋叩きに加わらなかったことが、冬木のせめてもの友情だったのだろうか。
そうとも思えなかった。冬木は、傍観者であることが好きなのだ。おもしろがって見ていただけのことなのだ。
いや、そうではない。戦場で冬木は山岡のために遺体収容に同行してくれた。いざとなれば、冬木は……。それとも、あれは若い日の仮の姿ででもあったのか。
「山さん」
ふいに背後から呼びかけられた。いつの間に来たのか、「A」が立っていた。これまでとは別人のように、少しうなだれるようにして。
「ごめんなさい」
「A」は、小さく頭を下げていった。
「ぼく、ほんとは、山さんのようなタイプの人間に魅《ひ》かれるんです。これはと思えば、どんどん皆をひっぱって行こうとする。ついて来なければ、どうしてついて来ないんだと、むきになる。血が熱くて、父親としては理想的だと思うな」
意外な言葉であった。
「父親だって」
山岡は思わず苦笑した。そのはずみに、山岡の中の何かがこわれた。それまでの怒りとは別の感情が湧《わ》いてくる。
夜気の中で、「A」はひっそり山岡に向き合い、続けた。
「だから、ぼく、山さんにいいたいことをいって、もっとすてきな経営者になって欲しいと」
山岡はうなずいた。
おまえは甘いぞ、これまでの怒りはどうした――そうした声が聞えなかったわけではないのに、素直にうなずいていた。
「A」は、山岡を仰ぐように見ながら、切迫した声で、
「ぼく、決していいかげんなことはいっていないつもりです。わかってください」
「……そうか、ありがとう」
緊張がとけて行く。代りに、瞼《まぶた》が熱くなった。
まるで人生の一時期とでもいった長い時間に幕が下りて、それまでになかった新しい風が吹きこんでくる。
山岡は握手を求めた。そして、「A」が突き出す手を力いっぱいにぎりしめた。「A」も、はげしくにぎり返す。
いったいおれは何をしているのだろうと、心の遠くでなお思いながら、山岡は手に力をこめるばかりであった。瞼の端から、不覚にも涙がこぼれた。
二人そろって会議室に戻《もど》ると、だれからともなく拍手が起った。
山岡の隣りに坐《すわ》っていた「塩」が立ち上り、その席を「A」に譲った。
親子ほど年齢のちがう山岡と「A」が、夫婦のように神妙な顔をして並んだ。二人の間に休戦というより同盟が成立したかのようであった。
山岡は、ふしぎにやすらいだ気分であった。嵐の中を歩き続けた後、見も知らぬ山小屋の煖炉《だんろ》にめぐり会って、濡《ぬ》れを乾かしている思いがする。
その夜の訓練時間は終った。
山岡は、「A」を誘ってホテルの酒場へ行った。
会議室のときとはちがい、「A」は言葉少なであった。サラリーマンになる気はなく、いろいろな仕事を経験してみたい。そのあげく、経済書など出す出版社をやるのが夢だ、といった。
二人は思い出したように話しては、のんだ。淡々とした酒、淡々とした話であった。深間《ふかま》にはまったり調子にのったりすれば、たちまち同盟がこわれてしまうと、おそれてもいた。
酒場には、他に一組の泊り客が居るだけであった。バーテンダーは退屈し、BGMは相変らずの映画音楽。偶々《たまたま》、「淋《さび》しい草原に埋めないでくれ」を流している。
そこへ嬌声《きようせい》とともに、二人づれが入ってきた。女と腕をからませたやや猫背《ねこぜ》の痩《や》せた男。その男が、女をひきずるようにして、まっすぐ山岡に向かってきた。
暗い照明に顔が浮かび上って、山岡はおどろいた。宇田島であった。
「どうしてここへ」
宇田島は、顎《あご》で女を指し、
「これと箱根でゴルフをしてね。その後しけこんだというわけ」
箱根にはいくらでも宿があり、日帰りだってできる。偶然にしても、なぜ、こんな御殿場の奥の宿へと、山岡は首をかしげたが、理由は宇田島が笑いながら説明した。
「どんな訓練だかのぞいて、ついでに山さんの陣中見舞をしてくると、うちのやつにはいってきた」
女に挨拶《あいさつ》させたが、その名前は山岡の耳に届かず、山岡もまた訊《き》き直さなかった。いかにも描いた感じの眉《まゆ》と荒れた肌《はだ》をしている。
「ぼく失礼します」
とめる間もなく、「A」は立って行った。
宇田島は女を少し離れたテーブルに連れて行ったあと、自分は、「A」の居た席に腰を下した。
「町田へ置いてある例の女さ」
水割りを注文してから、
「ところで、この訓練どんな収穫があった」
「口では説明できない」
「もったいぶらず、さわりだけでも教えてよ」
「いや、とても説明できない」
「そういえば、ホテルの従業員がいってた、あれは狂人の訓練だって」
そんな目で見られているのかと、山岡はがっかりした。
「何だかやつれた感じだな。いくら冬木部長のたのみだからといって、そこまですることないのに」
「きみも入れ。きみはいつも及び腰で、いいとこだけ持って行こうとしている。それより、体験してみろ。きっと人生が変るぞ」
「オーバーな。それに、いまの人生で満足してるんだから、変らなくて結構。それより、冬木部長はどうした」
「部屋だろう」
「テレビでも見てるのかな」
「さあ……」
「下請けまでひっぱり出して、あのひとは何を考えているのだろう」
「おれは、ひっぱり出されたとは思わない。いい訓練だ。進んで参加したいくらいだ。いや、もう一度参加しようと思っている」
「山さんは感激屋だからな」
女が手招きしているのが、山岡の目にも入った。
「早く行ってやりたまえ」
山岡自身が早く宇田島と別れたかった。
「A」からの攻撃こそなくなったが、次の日からも山岡はゆさぶられた。山岡も負けずにやり返した。「りっぱな鎧を着けすぎている」といわれた山岡だが、いまは素裸で斬《き》り結んでいる思いがした。
互いの身につけているものを剥ぎとり、裸にする。いいたいことをいい切るという快感に、多くの男がとらえられた。沈黙には飽き飽きした。それに、互いに利害関係がなく、「孤島」に居るという状況。どんなことでもいえるという安心感があった。
ときどき講師が浴びせる鋭い声が、さらに議論をはげしくする。「正直に言ってどうなんです」「はっきり言ったらどうです」
このため、口惜しくて泣き出す者もあれば、スリッパ穿《ば》きで来ていて、そのスリッパを投げとばす男もある。「栗《くり》」は嘔吐《おうと》し、「塩」は窓からとび出した。
そうしたドラマに、一人、最後まで超然としていたのが、冬木であった。ほとんど無言で、自分からは斬りかかろうとしない。傍観者で押し通していた。
五日目の朝、この冬木が、ほとんど全員に攻め立てられた。「自分を投げ出さぬ冷凍人間だ」「紫色の血を持った冷血動物」「ついて行く部下はあるまい」等々。
「A」の口調が、とくにはげしかった。散々|罵《ののし》ったあげく、「口惜しかったら、ぼくをなぐってみろ」
さすがの冬木も、拳《こぶし》をにぎりしめたが、すぐその拳をゆるめた。冷静さをとり戻したというだけではない。「A」という人間について、冬木なりに観察するところがあったからである。
その夜の訓練が終ったあと、冬木ははじめて酒場に下りてきて、山岡と向かい合った。
山岡が、生れ変ったような発見があったことを話して感謝すると、冬木は小さな三角の目をさらに小さくして笑った。
「こちらこそ、礼をいうよ」
「どうして」
「例はわるいが、きみはぼくの実験動物だった。きみがどう変るか。人事部長としては、それによって訓練そのものを評価してみる必要があった」
山岡は返事ができなかった。冬木は、苦笑を深めていった。
「それにしても、きみのようなよくいえば機関車人間、中小企業の社長クラスで頭が固まってしまった人間の場合には、かなり効果があったようだ」
「というと、大企業つまり川奈自工に該当者は居ない。川奈の幹部は裸になる必要はない、とでもいうのですか」
「ぼく個人の印象としては、そうだな。いまさら裸にならなくたって。うちあたりでは、いくらでも若い人間は集まってくるし、そんなことまで幹部が気をつかう必要はない。もし若者が仕事がつらくて逃げ出すようなら、そのときはそのときで考えればいい」
「何を考えるのです」
「たとえば、機械化だ。若者のいやがる仕事は、みんな自動機械なりロボットにやらせるようにすればすむ。意思の疎通《そつう》で苦労するなどということより、どうしたらもっと生産性が上るか、そちらに関心を向ければいいと思う。それが、ぼくの結論だ」
「早くも結論が出た、というのですか」
うなずく冬木に、
「部長こそ安請合ではないのですか。わたしにはまだよくわからないし、魅力があります。だから、あと一度でも二度でも参加してみよう、と思うのです。もちろん、うちの幹部にも参加させます」
「きみには、薬が効きすぎたようだね」
そういったあと、冬木は、離れた眉をややくもらせるようにして、
「ところで、きみにいっておくが、あの『A』という男、あれはサクラじゃないかな」
山岡が、その意味がのみこめずに居ると、冬木はいった。
「つまり、単なる参加者じゃなく、講師側の人間だと思うな。もちろん、証拠があるわけじゃないが、あの若さで大金を払って、こんな訓練に参加するはずがない」
「しかし、彼はいろいろ経験した上で、将来、出版社をと……」
「それは口実だよ。勉強するつもりなら、あんなに挑発《ちようはつ》ばかり買って出ることもないだろう」
山岡は黙った。サクラと聞けば、しらけてもいいのに、ふしぎにその気分にはならなかった。
冬木が続ける。
「あの程度のサクラにひっかき回されて、いっぱしの男が一喜一憂することもないじゃないか」
山岡は、かぶりを振った。
「たとえサクラだとしても、わたしは、彼に感謝してます。明日訓練が終ったら、彼を箱根へ案内し、一晩のみ明かそうと思っているぐらいです。よろしかったら、ごいっしょにどうぞ」
「とんでもない」
冬木は手を大きく泳がせて断わり、
「そこまで惚《ほ》れこむなんて、全くきみも酔狂な男だ」
「中小企業にとっては、人間が宝です。あらゆるチャンスに、一人でも強力な味方をふやしておく必要がありますからね」
「あんな青二才が。『A』についても、また、この訓練についてもそうだが、きみは買いかぶりすぎてる。そうではなくて、これからは、やはりシステムであり、テクノロジーだ。人間とか人情とかで足踏みしてちゃ、生き残れなくなる」
山岡は、独言《ひとりごと》のようにいい返した。
「この世は、人間のつながりですよ」
冬木は、しぶい表情で山岡を見た。山岡も苦笑した。これまでなら口にしなかった余計な一言であったかも知れない。
近づいてきたボーイに、冬木はいった。
「きみ、コーヒーはないか」
「あいにくです。いまの時間、コールド・ドリンク以外お出ししませんので」
「わかった。そういうシステムなら仕方がない。ルーム・サービスでとろう」
冬木は立ち上り、山岡には声もかけずに出て行った。
部屋に戻ると、冬木は電話でコーヒーをたのんだ。
その日一日の訓練中の主なやりとりは、すでにノートしてあった。これはと思うことは、片っ端からノートにとる。勤勉というより、頭脳の酷使を防ぐためである。メモすればすむことを、記憶する必要はない。
冬木は、一日分のノートに目を通し、さらに思いついたことを書きこんだ。採用の可否は別として、記録は記録として残す。
そのあと、浴衣《ゆかた》に着替えると、カセット・テープをかけ、青竹踏みをはじめた。荷物にはなったが、青竹もカセットも自宅から持ってきていた。どこに居ても、日課は崩さぬ建前である。
『マネジメント・システム』と題する経済講話を聞きながら、冬木は青竹踏みを続けた。
ただし、頭の片隅《かたすみ》には、山岡の顔がちらついた。ST訓練は、山岡に対しては、冬木が考えた以上に効き目があったようである。あの勢いでは、山岡は本気で鉄工所の幹部にも参加させるであろう。
冬木の観察では、山岡に限らず、年齢や地位の高い者ほどゆさぶられ、自分を見直しているように思えた。つまり、トップの者から受けるにふさわしい訓練といえる。
とすると、川奈自工の場合も、川奈社長からということになる。
冬木には、川奈にこの訓練をすすめる自信はなかった。川奈が年齢や地位に似合わぬ柔軟な頭脳の持主だからというのは、いい逃れにすぎない。
一瞬といえども、じっとして居ることのできぬ川奈。「走りながら考え、考えながら走れ」といい、手や足、それに舌を動かし続けてやまない川奈のことである。一時間と経《た》たぬ中に爆発して会議室からとび出し、冬木のところへ怒りの電話をかけてくるであろう。
それに、川奈自工は、会社として若い。従業員は一万人を越すが、従業員百人の山岡鉄工所より社歴は浅いかも知れぬ。人間は絶えず動いており、かたまるひまもない。殻《から》ができる間もない。こうした訓練が必要なのは、会社がもっと成熟し停滞するようになってからのことではないのか。
冬木は、そうした理由でこの訓練の採用を見送ろうと思う。参加したことについて悔いはなく、五日間を無駄《むだ》に過したとは思わなかった。
実は冬木には、誰《だれ》にもいわぬ個人的動機もあった。
最新のアメリカ心理学の手法を使い、心理学者による人間改造訓練と聞き、ひょっとして娘の美雪の治療に役立つのではないか、治療の参考になることはないか、と思ったのである。
そのひそかな期待は、裏切られた。
この訓練では、人間をこわし、解体することに主眼がある。傷ついた人間を立ち直らせるためのものではない。美雪には向かぬ訓練であった。
といって、とくに失望したというわけではない。治療の効果がはかばかしくないことには、もう狃《な》れていた。名古屋の大学での治療からも、美雪はほとんど得るところもなく戻《もど》ってきた。冬木夫婦としては、一生、美雪を背負い続けて行くことを、覚悟している。
少しうわのそらになっている中、カセットの経済講話は終った。
冬木は代ってガーシュインの『ラプソディ・イン・ブルー』をかけた。アメリカ滞在中に好きになった曲のひとつである。
ニューヨークの街の鼓動に、成功をめざす若者の胸のときめきが重なり合ったような調べ。それは、しかし、少しはずれれば、たちまち不協和音の連続になりそうな脆《もろ》さをはらんだ曲でもあった。
それだけに、冬木は心をしめつけられる思いで聞いた。冬木自身、成功を夢見ながら、断崖《だんがい》を走り続けるような毎日であった。「動かぬ車」を売るのに、疲れ果てた。日本では考えられなかったようなクレイム、またクレイム。気に病んでは居れない。冬木は、全力でクレイム処理に当った。
自動車産業は、クレイムで育つ。販売もクレイムからはじまる。アフター・サービスの良さが、次の客を約束する――とわれとわが身に鞭《むち》を当てた。
もっとも、部品がなければどうしようもなかった。電話料も考えずに、本社へ督促する。ときには、日本へ飛んで、小さな部品は身につけて帰ってきた。おかげで、期末には、帳尻《ちようじり》合わせの苦労。
さすがの冬木も、精神的にも参った。コーヒーと煙草《たばこ》と酒。三つとも中毒になりそうであった。
客の精神科医からゴルフをすすめられた。
ニューヨークも、マンハッタン島から一歩北へ出れば、深い大自然がある。その緑に浸り白いボールを追っていると、たしかに仕事も忘れ、気が晴れた。仕事など放り出し、ゴルフに明け暮れたいと思うほど好きにもなった。現実には、月に一度か二度のたのしみにとどまったが、そのただひとつのたのしみさえ、二年経たぬうちにできなくなった。重症のぎっくり腰に襲われたためである。
アメリカ人ののろのろした積み下しを見かね、トラックからの部品下しを手伝っていて、突然、腰に灼《や》くような痛みが走り、動けなくなった。救急車で病院に運ばれ、両足に錘《おも》りをつるされて、半月あまりの絶対安静。そのあげく、腰に軽金属製のコルセットをはめられた。
帰国のときも、そのまま。それがはずれたのは、つい最近のことである。
アパートは、ウエスト八十丁目に借りた。プエルトリカンや黒人が近くに住み、環境がわるくなりはじめていたが、朝早く夜おそい仕事の便宜に代えられなかった。
移転した翌日、空巣に入られ、衣類からラジオまでごっそり奪われた。前住者か、その合鍵《あいかぎ》を持った者の犯行であった。あわてて鍵をつけ替えた。妻の昌代は、駐車場でホールド・アップに遭い、ハンドバッグを奪われた。家族ぐるみの戦いでもあった。
渡米初年度には、平均月に三十台しか売れなかったカワナを、もちろん車の性能が格段によくなったせいもあるが、八年目には、月に三千台と、およそ百倍の売上に伸ばした。
冬木の帰国は、凱旋《がいせん》といってもよかった。
川奈社長はかけ寄って、冬木の肩を抱き、
「ほんとに、よくやってくれた。つらかったろうな」
と、声をつまらせた。
腰にコルセットをはめていることに、川奈は気づかなかったし、冬木から話すこともなかった。本当は、傷夷《しようい》軍人の帰国であった。しかも、この軍人には、もっとひどい傷を受けた娘が居た。もちろん、冬木はそのことについても、しゃべらなかったし、できれば一生隠し通したい、と思っている。軌道を決めて走り出してしまった以上、どこまで行けるか黙々と走り続ける他《ほか》はない。それが自分で選んだコースであるからには。
冬木に川奈への就職を世話してくれたのは、亡父の同僚であった銀行支店長であった。
「川奈というおやじは、技術にしか目がないが、それだけに伸びる可能性もある。これから日本が生きれるのは、技術だけだからな」
技術のことはよくわからぬと、ためらう冬木に支店長はいった。
「あのおやじは技術に目がくらんで突進して行くから、その後を手がたく固めて行かないと、会社は危ない。そのあたりに、きみらの仕事があるはずだ」
手がたく固めるということなら、冬木の性にも合いそうであった。それに自動車部隊当時のことを思い、日本の自動車がどこまでよくなるのか、自動車会社なるものが成り立つかどうか、自らを賭《か》けてたしかめてみるのもわるくはない、と思った――。
冬木は、さめたコーヒーをのみ干した。コーヒー中毒は、これも一生抜けそうになかった。
ふたたびカセットに経済講話のテープをかける。バス・ルームに持って入り、洗面台の上に置く。入浴しながら聞いて、あとは灯《ひ》をつけたままのベッドで眠るばかりである。
訓練の最終日、一同は画用紙とクレヨンを渡された。訓練開始時と現在の心境を、それぞれ自由画で描いてみよ、というのである。
冬木は、まず、木の切株に坐《すわ》って煙草をふかしているさまを描いた。空は曇り空で、雨が降りかけている。
これに対し、現在の心境図としては、背景、絵の構図はそのまま。足もとに吸殻がいっぱい散っている。
講師は一目見て苦笑したが、何もいわなかった。
山岡の最初の絵は、大型の戦車が襲いかかるようにして突進する図柄《ずがら》であった。
これに対し、現在の山岡の心境を表わしているのは、サイクリングの途中、自転車を投げ出し、大の字になって寝ころんでいる図であった。
訓練は終った。はげしくいい争った仲であるのに、お互いにふしぎな親しみが生れていた。はじめて身分を名のり合い、名刺を交換したりして、別れを惜しんだ。「A」が永であることも、このときわかった。
いろいろ変った経験をしておきたいという永は、特別に割引いた受講料で参加していたようであった。冬木なりの見方をすればサクラであろうが、山岡はむしろ永のやる気を買った。個人で事業をはじめようとする以上、それぐらいの積極性があっていい、と。
だれもが家路につく中で、山岡と永をのせたタクシーは、御殿場の町を素通りし、強羅《ごうら》温泉へ向かった。おそい八重桜が、ところどころ咲いている道であった。
強羅の宿から、山岡は六日ぶりに家へ電話した。あと一泊するといってから、
「工場の方は変りはないか」
「あら、まだ工場へ掛けてないの。あなたらしくもない」
「…………」
「まだ何人か残っているわ。すぐ、そちらへ電話して」
「いや、いいんだ。異常がないようなら」
「……ほんとにいいの」
由利子は信じられないといった口ぶりで、
「何かあったの」
「別に……。また家へ帰って説明する。他に大事な用件は」
「健から手紙が来たわ。それも、たいへんな手紙。おどろかないでね」
「うん」
「フランスで好きな女の子ができて、あちらで結婚したいんだって」
「……なるほど」
「あなた、怒らないの」
「いまここで怒ったって」
「でも、変ね。電話をたたきつけて、怒り出すのかと」
「まさか」
「ほんとに、冷静なのね。部屋のだれかが気になるの」
「そうじゃない。おれ自身ふしぎなくらい、何だか怒る気がなくなってしまった」
若いうちは外国旅行でも何でも、好きなくらしをさせる。しかし、いつかは健に然《しか》るべき嫁を迎え、盛大な結婚式をあげる。客は取引先はじめできるだけ広く招く。跡継ぎとしてのお披露目《ひろめ》の意味もあるからである。
そのために、あれほど冠婚葬祭ぎらいの冬木を口説いて、そのときには例外的に媒酌人《ばいしやくにん》をつとめてもらう約束までしていた。
健は長男ではあっても、実子ではない。それだけに、山岡はかえって何としても健に跡を継がせたかった。次男の勉に危険なレーサー志望を許したのも、実子だからといって跡継ぎに温存しておく気持がないことを見せるためであった。
健がフランスで結婚すれば、結婚をめぐる一連の目論見《もくろみ》は消しとんでしまう。由利子があわてるのも、当然であった。
だが、いまの山岡は、やはり自分でもおかしいほど動揺しなかった。人生には気ままなサイクリングという面もある。跡継ぎがだれになろうと、構わないではないか。
由利子の声が続く。
「勉までたいへんなの」
「どうした」
「フランスで大きな国際レースがあるそうなの。兄貴があちらで落着くなら、自分もいつか出かけて行って参加するんだって。おやじが金を出してくれなければ、自分で貯《た》めてでも行く、といっていたわ」
「なるほど」
「おどろかないの」
「うん」
「おかしいわね」
「うん。先刻《さつき》もいったように、自分でもおかしいと思っている」
由利子は答えない。当惑しながら、しきりに山岡の表情を想像している様子であった。
山岡は続けた。
「おかしいついでにいえば、おれは月曜日、一度は工場へ顔を出すが、あとはまた一週間、ゴルフでもしながら、ぶらりと旅に出るかも知れん」
「何ですって」
山岡は、同じ文句をゆっくりくり返した。
「急に仕事がいやになったの」
まさか、という調子で訊《き》く由利子に、
「そういうことも、あるかも知れん」
由利子は絶句したが、気をとり直したように、
「……あなた、ずっと働きすぎでしたものね」
「うん」とだけ受け流していればいいものを、まだ訓練の惰性が残っていた。本当のことをいわずには居られない。
「おれが居なくたって、工場がどこまでやって行けるものか、ちょっと見てみたくなった」
「……わからないわ。いったい、どういう意味なの」
「帰って、ゆっくり話す」
そこで切るつもりであったのに、まだ言うべきことがあった。
「それに、どこかへ引越そうかとも考えてる」
「本気なの」
「もちろん、本気さ」
「どうしてまた、そんなだしぬけに」
「……どうも、いまの場所はよくないらしい」
受話器越しに、永に目くばせした。永は声に出さずに笑う。
「だれか易者にでもいわれたの」
「そうじゃないが、易者よりも根拠があってね」
また永に視線を送る。永は指で丸をつくって応《こた》えた。
「まともな話なんだよ。急ぎはしないけど、横浜でも藤沢《ふじさわ》でもいい、おまえの気に入ったところがあったら、引越そう」
由利子はとり合わず、
「話していると、わたしまで、頭がおかしくなりそう」
そういわれると、山岡はさらにふみこみたくなった。
「そうだ。おまえも、この訓練を受けてみるんだな。きっと、すっきりする」
「訓練? 女のわたしが……」
「女だって、構わないんだ。世の中が変って見えてくる」
「ほんとに、あなた大丈夫なの」
「もちろんだ。とにかく、今夜一晩、精進落としして帰るから」
「心配だわ。わたし、そこへ行こうかしら」
「いや、必要ない。訓練でとてもいい青年を見つけて、いっしょに来てもらっている」
「あなたは、すぐ人が気に入ってしまうのね。でも、一人でないのなら、安心だわ」
少しは不安がうすれたようである。山岡は、おだやかに続けた。
「当節の若者の気持などよく聞いて、勉強して帰るから」
山岡は、ようやく電話を切った。
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第三章
石油ショック後は、以前にまさる難題が次から次へと出てきた。ある町工場の主人は長嘆息していった。
「昔は物を思わざりけり、ですよ」
と。
* * *
月曜日、山岡悠吉《やまおかゆうきち》は一週間ぶりに会社へ出た。
幹部たちが次々と留守中の報告に来たが、自分でもおかしいほど聞くのに身が入らなかった。焼鈍炉の補修がおくれている、やめた若者の補充がまだついていない等々、腹を立てていいのに、その気にならない。
一週間の社長不在にかかわらず、思った以上に鉄工所は健在であった。そのことが、にがにがしいより、何か奇妙な軽やかさを感じさせた。
もはや、自分は機関車でも、戦車でもない。気ままにサイクリングに出かけ、自転車を放り出して、野に寝ころんでいよう。その間に、「山岡鉄工所」という列車が、どこへ、どんな風に走って行くか、他人事のように眺《なが》めていたい感じであった。
山岡は、幹部たちを集めていった。
「あと一週間休むから、たのむよ」
幹部たちは、顔を見合わせた。
「休んで、どうされるのですか」
「……ぶらっと、旅に出る」
いっそうけげんな表情になる幹部たちに、山岡はたたみかけた。
「もちろん、仕事に関係のない旅だ」
「しかし」とか「どうして」とか、つぶやきが聞えたが、山岡は聞き流した。
「おれからは何も指示することはない。きみたちで、すべてやってくれ」
幹部たちは、また顔を見合わせる。
妙な訓練に出かけたと思ったが、やはり、おかしくなって帰ってきたと、その目がいっている。
山岡は、垣根ひとつ越した自宅に戻《もど》ると、茫然《ぼうぜん》とする由利子に構わず、旅支度にかかり、やがて小型のスーツ・ケースひとつ持ち、ただ「信州を歩いてくる」とだけいって、家を出た。
山岡は、妙高、菅平《すがだいら》、湯田中と回り、ゆっくり温泉に浸り地酒をのんだ。宿で紹介されたゴルフ場では、一日、緑に染まり鳥の声に濡《ぬ》れてあそんだ。
人生にはこんな過し方もあったのか、という思い。おそい山桜の花を見て、久しぶりに麻利子のことも思い出した。二十《はたち》を少し出たところで終ってしまった人生。それにくらべて、自分は長々と生きてきたが、それでいて、こうした時間をついぞ持つこともなかった。
麻利子との約束は、ある程度果した。ここらで、一休みも二休みも許されていい。それでおかしくなる会社なら、いずれはだめになる。鳥たちの啼声《なきごえ》にまじって、「山さんが居ない方が、会社はよくなるかも知れん」という永の声が、耳に聞えてくる気がした。
旅の途中、山岡はふと思いついて、一度だけ会社に電話をかけた。工場長を電話口に出させ、山岡同様、早急にST訓練を受けるよう、指示した。
「社長が受けられたあの訓練ですか……」
工場長は絶句した。当の山岡が旅にさまよい出るなどの後遺症の最中であり、よほど異常な訓練と思いこんでいる様子である。
「会社のためになるんだ。すぐ手続きをとりたまえ」
山岡はきびしい口調でいい、返事を待たずに電話を切った。
工場長を参加させたあと、山岡は工場次長、鍛造課長と、続けてST訓練に行かせた。
工場長は頭を抱えて帰り、ほとんど何の報告をしようともせず、工場次長は山岡を真似《まね》るように休暇をとり、その後も欠勤がちである。
はげしい訓練らしいと課長たちはおびえたが、山岡はとり合わなかった。そして、何人目かに、妻の由利子にも参加させた。
「三度ほど大泣きに泣いたの。でも、何だか肩が軽くなったみたい」
由利子は、さっぱりした表情になって帰ってきた。
「軽くなったのはいいことだ。軽くなりついでに、引越ししよう」
由利子は大きくうなずいた。
「本当をいえば、わたしもその方が気楽だったの」
従業員もよろこび、妻もよろこぶ。山岡には通勤というわずらわしさが加わるかも知れぬが、それも、考えようによっては気分転換になる。なぜそんな簡単なことに気づかなかったのかと、山岡はあらためてそれまでの自分のひたむきなだけだった人生を反省した。そして、片瀬海岸に小さな売家を見つけ、早々に移転した。
冬木毅《ふゆきつよし》は、ST訓練についての報告書を書いた。要点だけを一枚にまとめ上げる。
川奈自工では、どれほど大事な、あるいは膨大《ぼうだい》な用件であろうと、役員会に出す報告は用紙一枚にまとめることになっている。それ以上詳しい報告が必要な向きには、その後、あらためて要求に応じた詳しい書類を渡す。
月曜日の始業とともに、冬木は報告書を持って、役員室へ出かけた。
川奈自工は急成長会社だけに、年齢の割りに昇進も早い。冬木の場合、人事部長の後、役員になるか、それとも、いまひとつ部長職を経由するか、いずれにせよ、役員室のメンバーになるのは、遠い日のことではなかった。冬木自身がそう思うのではなく、その心用意をしておくよう、川奈社長にもいわれている。
もっとも、多くの会社とはちがい、川奈自工の役員室はそれほど魅力のあるものではない。川奈社長、倉林専務はじめどの役員にも個室はなく、全役員用にひとつの大部屋があるだけであった。
大部屋には、丸テーブルが三つ置かれ、そのまわりに椅子《いす》が並べてある。
一番目の丸テーブルは、人、つまり、人事・労務関係。加えて営業関係。二番目は物、つまり、技術や設備関係。三番目は金、資金・経理関係。役員たちは、そのとき関心のあるテーマによって、テーブルを選んで坐《すわ》り、同じ関心を持つ役員たちと向き合うことになる。
この日、報告者である冬木は、第一のテーブルに向かった。一応の予告はしてあったので、川奈社長はじめほとんどの役員が、そのテーブルに集まっていた。
冬木は、報告書を配布したあと、手短かに訓練の経過を伝えた。一件当りの報告時間は、一応、五分以内とされている。
聞き終ったあと、役員たちは、「妙な訓練だ」「よくわからぬなあ」などとつぶやいた。
冬木はそれ以上説明しなかった。体験者以外には本当のところは理解できない訓練である。
川奈社長が斬《き》りつけるようにいった。
「人事部長としてのきみの結論はどうだ。わが社で採用すべきかどうか」
「現段階では、まだその必要はないと思います」
理由は、報告書の末尾に記してある。
「人間や組織が硬直化した場合、それを活性化するのに極めて有効な訓練と判断する。ただし当社の場合、まだ硬直化は見られず、むしろ組織づくりを進める方向に在る、と思われる……」
若い従業員たちとの間に十分な意思|疎通《そつう》があるといえるか。若者たちの勤労意欲も定着率も非のないほど高いものなのか。そうした問いに対して、冬木はイエスといい切る自信はなかったが、川奈自工は高成長を続ける人気会社であり、当面、求人に不安はない。
さらに、山岡にもいったように、若者が不快感や苦痛を感じる作業や危険な作業は、できるだけ機械にやらせる方向で吸収して行く。人事管理に気を使うより、機械の自動化を進める方が、からりとした社風にも合うのではないか。
質問があれば、冬木はそこまでいうつもりであった。
だが、川奈はうなずくと、高い大きな声でいった。
「よし、わかった」
いい終ると同時に、椅子を引いて立ち上っていた。一刻も早く現場へ行きたがっている。それは、機械のうなりや油の匂《にお》いを離れては棲息《せいそく》できぬ人種であるかのようであった。
山岡がSTで受けたショックは、容易には治まらなかった。工場に出ても、事務所に居ても、体重がなくなって、体が浮き上って行くような気がする。
このため、恒例である山岡鉄工所秋の慰安旅行も、一泊限りの例年とはちがい、二泊で伊豆半島一周へ繰り出すことにした。
一泊目は熱川《あたがわ》、二泊目は土肥《とい》。これまでは、会食前にいかめしい一場の訓示をする習慣であったが、二泊しながら、山岡は、「ごくろうさん。また一年しっかりたのみます」というだけであった。それに尽きる。それ以上のことは、みんな適当に考えてやってくれ。
そして、床の間を背に、次々にやってくる幹部たちの盃《さかずき》を受けていたときとちがい、山岡自身が従業員たちの間を酌《しやく》をして回った。おもねるつもりでも、とくに意見を訊《き》こうというのでもなかった。体がはずんで、そんな風にして、いっしょにのみ、いっしょにしゃべりたかった。
日中は、古手といっしょに釣《つ》りをし、夜は若者にまじってボーリングに挑《いど》んだ。
「今年のおやじは変っている」
などといわれても、にこにこ笑っていた。
二日目の宴席では、プレス工の一人が班長といっしょにやってきて、山岡に仲人《なこうど》をたのんだ。
「わかった、よろこんで」
これで何十組になるのか、帰って由利子に訊かねば、よくわからない。社内だけでも、かなりの数になるはずである。
旅の間中、山岡の顔はほころび放しといってよかったが、その夜おそく二次会の酒場から部屋へ戻ると、待ちかねたように来訪者があった。工場次長である。浴衣《ゆかた》の肩を落とし、暗い表情をしている。
「どうした、心配事でもあるのか」
工場次長は一度目を閉じるようにしてから、
「こんなところで切り出すのは、不適当かも知れませんが、おやじさんの顔を見ていると、もう腹の中にしまっておけなくなって」
退職の申出であった。STでいろいろ考えさせられたおかげで、自分なりの新しい人生に挑戦《ちようせん》してみたくなった、という。
山岡にいまも続いているふしぎなほど軽やかな感覚。それが会社のためにもなると思って、山岡は幹部をST訓練へ行かせた。その結果がこれでは、薬の効きすぎ、いや、逆効果ではないのか。もし山岡自身がSTを受けていなければ、どなり出すところであった。
山岡は引きとめなかった。
裸になって考えたあげくの結論というなら、山岡鉄工所づとめと合わない要素がかねてこの次長の中にあったということであり、それは、今後も消えることはない。つまり、運命を共にできる男ではなかったということだ。去るなら、むしろ早い方が会社のためにもなる。
これにこりず、山岡はさらに幹部をSTへ出そうと思う。はげしい毒にもなりかねないが、よしと思った以上はのみ続ける。倒れてもよい。どこまでものんでみよう。
「人柄《ひとがら》が変って、ずいぶん親しみやすくなったという評判だぞ」
冬木は、向かい合って腰を下すなりいった。山岡鉄工所の応接室。スチーム・ハンマーの地ひびきで、部屋の窓ガラスが細かく音を立てる。
STから一年|経《た》っていた。冬木は川奈自工の調達部長となり、その最初の下請工場訪問であった。
山岡は微笑した。それは、最近、社内からも由利子からもよくいわれる言葉である。
もっとも、冬木のその言葉は、次の用件への布石でもあった。
「もともと頼りがいがあるところへ、やさしさが加わった。人望は増すばかりだ。あちこちで意見を訊いてみたが、今度はきみにも栄川会の理事になって欲しいと思って」
栄川会とは、川奈自工が音頭をとってつくらせた同社|傘下《さんか》の下請工場の組織である。会の世話は川奈の調達部で見ており、年一回の総会、業種別勉強会、事例発表会、川奈首脳との懇談会、会報の発行などをやっている。
「これは総会で決めることだが、どうだ、きみ、受けてくれるだろうね」
「そうですねえ……」
また利用されるという感じより、やはり頼りにされているのだ、と思った。そして、そう思う自分に苦笑した。STを経たにもかかわらず、相変らず甘い。要するに、甘さがおれの身上なのか、と。
「きみが理事になってくれれば、ぼくとしても仕事がしやすい。とにかく受けてくれるね」
たたみかけられ、山岡は小さくうなずいた。
「そうか、よかった。お互いに共存共栄だ。格別問題があるわけじゃない。とにかく、うまく行くよ」
山岡は、今度はうなずかなかった。
「そちらに問題はないかも知れませんが、こちらは問題がいっぱいです。みんな口には出しませんがね」
冬木は太い首をひねった。離れた眉《まゆ》をひそめ、
「どんな問題がある」
「まず値引きですよ。努力して、やっと息がつけそうになると、すかさず翌年はさらに値引き。まるで年中行事じゃありませんか」
「役員になったら、物言いに気をつけてくれよ。うちは値引きなんて、強制していない。ただ、一応の努力目標として、提示してるだけだ。たとえば、七パーセントのコスト・ダウンができそうじゃないか、と。すると、協力工場の諸君ががんばって、りっぱにそれを達成する。ただ、それだけのことだ。他《ほか》ではやり遂げたことをうちはできないという、そういうところが相手にされなくなるのは、どこの社会にもあることじゃないか」
冬木はきめつけ、山岡を正面からにらみつけて続けた。
「われわれは、コスト・ダウンをやり遂げたところから買っているだけのことで、値引きせいなんていうことは、一言もいっていない。むしろ、協力工場側から、ときには値を引いてでもいいから買ってくれ、といってくる」
「特採申請書のことですか」
冬木はうなずき、
「値引きするから、特別に採ってくれと、はっきり書いてある」
「あれは……」
特採申請は、公取委の目をくらますためのからくり、といっていい。物もいえぬ山岡に、冬木は続けた。
「値下げは、きみたちのためにもなる。安いおかげでカワナが売れれば、それだけきみたちも発展し、幸福になる。それに、物価抑制にだって、貢献する。この十年間に、牛肉は五・六倍に、米は三・三倍、新聞だって三・六倍に値上げしている。その中で、車だけがわずか一・四倍だ。性能がよくなり、アクセサリーがふえたことを考えれば、値上りゼロといっていい。努力目標をかかげてお互いにがんばったからこそ、こういうことができたんじゃないか」
どんな問題をぶつけても、同じ論理であしらわれるであろう。
自動車メーカーは、どこも自社の車を下請けや取引先に買わせる。台数まで指定してくるところもある。だが、そのことをいっても、答はきまっている。
「自分のつくった車を買わないで、どこの車を買うつもりか。自分のためになることじゃないか」
と。
山岡は苦笑を深めていった。
「そういう話は、いつか栄川会の総会ででもおっしゃって下さい」
会場がしらける様子が目に見えた。聞き飽きたと、失笑する者もあろう。
だが、だれも抗議はしないし、文句もいうまい。みんな黙っている。
冬木の挨拶《あいさつ》が終れば、拍手が湧《わ》き、続いて、次々と議事が手ぎわよく進められ、最後に別の大広間でのパーティへ、一同なだれこんで行く。
恰幅《かつぷく》がよく頼りがいのありそうなところが、山岡のとりえ。理事といっても、飾り物でしかない。もし、その山岡がST訓練と同じ調子で発言をすれば、総会はどうなるであろう。
どうもなりはすまい。一時的に混乱するだけ。山岡は孤立し、「病気らしい」「お疲れのようだ」ということになり、急いで理事交代が行われるであろう。
冬木が話題を変えた。
「先日、勉《つとむ》君が会社へ訪ねてきてね」
「ああ、行きましたか」
おうむ返しにいいながら、山岡は顔色が変るのを感じた。
勉は、プロのレーサーとしてデビューした第一戦に優勝。その後もフランス行きこそ見合わせたが、国内でベテランたちにまじって、かなりの成績を上げている。
走法自体も華麗というか大胆であり、しかもマスクもいいというので、レース・ファンの人気を集めていた。
このため、川奈と大和の両社から、専属レーサーになるよう申し込まれ、勉は迷った。そのあげく、山岡に意見を求めてきた。
山岡はためらわずにいった。
「おまえの人生の問題なんだ。おれのこととは全く無関係に、おまえ自身で決めたらいい」
勉はまじまじと山岡を見つめ直し、間を置いてからいった。
「おやじも変ったな。川奈へ行け、の一言だと思っていた」
「まさか」
「だって、うちの仕事の七割は、川奈なんでしょ」
「大和の仕事もしている」
「でも、二割あまりだ」
「よくわかってるな」
「それぐらいは……」
山岡はうなずいた。父子のつながり。その程度の関心で満足だ、と思った。
ただ山岡は念のために訊いた。
「川奈の方がレースに熱心のように聞いていたが」
勉は首を振った。
「これまではそうだったけど、いまは大和だよ」
レースは、自動車メーカー間の戦争でもあった。そして、この戦争では、これまで後発の川奈が優勢であった。
他でもない。川奈龍三《かわなりゆうぞう》が若いときからレース好き。川奈自工は戦後早くからレースに挑み、レースに勝つことで評判を上げてきた会社であったからである。
川奈は自動車をつくりはじめて間もなく、高性能エンジンを開発し、南フランスで開かれたF2の国際レースに出場した。
結果は惨敗《ざんぱい》であった。二台出走したが、二台とも完走できず、リタイア。
レース中、メカを指揮し、つきっきりで監督していた川奈は、国産部品の材質に問題があることに気づき、帰国するときには、手持ちのドルで買える限りの部品を手に入れ、しかも早く持ちこみたい一心で、それらを首につるし、腹や足にしばりつけ、税関を通ってきた。
その重みで、川奈はゲートを出た瞬間、くず折れた。
冬木たちがあわててかけ寄ると、
「大事にしろ」
と、どなる。そっと抱き起しにかかると、
「おれではない、部品だ」
川奈のそのせりふは、しばらく川奈自工の社内で話題になった。
負けずぎらいの川奈は、しかし、
「三年後には優勝して見せる」
と宣言した。通産省に報告し、記者会見で発表し、文書にして取引先や下請企業にも配った。背水の陣であった。
品質管理が一段ときびしくなった。そして三年目、カワナははじめてイギリスでのF2レースで勝った。
最近では、大和自工が川奈を追って、レースに力を入れてきた。トップメーカーらしく、膨大《ぼうだい》な資金の用意もある。
こうした事情は、冬木も承知していた。
「レーサーとしては、少しでも条件のよいところで勝負したかろう。大和さんは宣伝になり商売になるなら、金に糸目をつけないからな」
大和が下請けに示す努力目標のきびしさは、業界でも指折りといわれるが、その一方で、これはと思う宣伝には、目をみはる金をかけた。近年のレースへの打ちこみようも、そのひとつである。
極東自動車工業の名車ブロッサムが、ひところ、日本のレースで勝ち続けたことがあったが、この連勝をストップさせたのが、日本では実力ナンバーワンといわれたレーサーが個人参加で出場したポルシェであった。
だが、実際には、ライバルつぶしを狙《ねら》う大和自工が金を出し、はるばるポルシェを空輸してきて、レースにぶつけたという風評であった。
そうしたうわさが出るほどの大和自工である。レーサーとしてはいちばん有利な条件で走れるのであろう。
「それにしても、川奈さんを裏切るようなことになって」
頭を下げる山岡に、冬木は笑った。
「気にすることはない。うちのワイフなんかも、現代っ子らしくて気持がいい、といっていた。もっとも、彼女は以前から勉君を買っていたからね」
「きかん気のやつでして」
「それがいいんだ」
高校二年のとき、勉は夏休みをつぶし、ひとりでアメリカを回った。それも、ほとんどヒッチハイクによる旅であった。そして、八月はじめのある朝、アトランタから二十時間乗りづめ、汗と垢《あか》で黒くなった顔でニューヨークの冬木のところへたどり着いた。
一週間のニューヨーク滞在中、冬木の妻の昌代がいろいろ案内するつもりでいたが、勉は地下鉄やバスを使って出かけ、逆に何度かは美雪を連れて行った。科学博物館など、はじめてのところへ行ったと、美雪はよろこんだ。
リング・リング・サーカスにも出かけた。勉のお目当ては、オートバイの曲乗り。
「見ながら、体を振るんだもの」
と、美雪ははずかしがった。
山岡が日本からお礼の電話をかけると、冬木は、
「むしろ、こちらこそお礼をいいたい。美雪がとてもたのしんでね。あんなお兄さんが欲しかったと、別れてからしょげていたよ」
冬木にしては珍しく感情をこめた声でいった。
山岡はそのときのことを思い出し、つい、
「美雪さんはお元気ですか」
「うん」
冬木はうなずいただけで、何も語ろうとはしない。山岡はそれ以上|訊《き》けなくなった。沈黙の後、冬木が訊いた。
「健《たけし》君はどうしているかね」
山岡は頭を掻《か》いて答えた。フランスで子供もでき、いまは内燃機関の勉強をしており、帰国しそうな様子はない、と。
「子供のころから、独立心を植えつけようと、そればかり考えて育てたのが、仇《あだ》になりました」
「それも仕方がないが、しかし跡継ぎに困るだろう。もっともレーサーは若い間だ。いつか勉君が継ぐことになるか」
「……そうかも知れません。ただ、勉がその気になったときのことですが」
「きっと、そうなる。ああいう子は、結構、親孝行じゃないのかな」
山岡は聞き流し、
「それに、ちっぽけな会社であっても、やっぱり社長の器でないと」
「殊勝なことをいうね」
「殊勝かどうか。ST以来、おれがとか、おれの会社とかいう気が、前ほどでなくなりました」
「そうか、おれは変らないよ」
冬木はいいすてて、立ち上った。
「さあ、工場を見せてもらおう。STでよくなったか、わるくなったか。もっとも、わるくなっていれば、いまごろ、おれがここに来ることもないが」
「見せたくありませんね」
「どうしてだ」
「せっかく努力して改善したところがあっても、冬木さんなら、すぐそれを下請仲間へ公開しろ、というでしょうから」
「当然だ。それで少しでも早くカワナが安くつくれるようになれば、それだけ栄川会全員の利益になるからね」
「でも、うちの努力はどうなるんです」
「きみも川奈社長と似たようなことをいう」
「というと」
「技術者の心や苦労がわからんのか。これが川奈社長の口癖なんだ。おれは社長にいい返した。社長、いつまでもただの技術者では困ります。社長とは経営者なんですから、と」
「川奈社長はどう答えました」
「経営のことは、倉林君やきみらに任せてある。ただ技術については話が別なんだ、と。あのひとは、いつまで経《た》っても町工場のおやじさんなんだな」
冬木は辟易《へきえき》したようにいい、腰を上げた。
「とにかく工場を見せてもらう」
山岡は栄川会の理事として、冬木とはときどき顔を合わせることになったが、二人だけで話す機会は逆になくなった。栄川会のメンバーは、値引きなどの川奈自工側からの要請に多少文句はいいながらも、結局は従い続けた。全体として下請けへの発注がふえており、量を消化することで、どこも息をついていた。
そして一年ほど経ったある深夜、山岡は宇田島からの電話にたたき起された。
宇田島は夜ふけて電話をかけてくることが多いが、それにしても、時刻は一時をすぎていた。酒と女で御機嫌《ごきげん》の電話かと思うと、宇田島はわめくようにいった。
「女房《にようぼう》が死んだんだ、山さん」
とりみだしていた。派手な女性関係の報いで刃傷沙汰《にんじようざた》でもあったのかと、とっさに思わせたほどであった。
死因は心臓発作。血圧が高く注意はしていたが、まさかこんなことになろうとはと、宇田島は悲しむよりも口惜《くや》しそうであった。
他人事《ひとごと》ではない。血圧を計ったこともない山岡に、そうした死が来ないとも限らない。鉄工所は一大事になろう。
ただ山岡は以前とちがって、そのときはそのときのことと、ある程度割り切れるようにはなっていた。
山岡は、宇田島夫婦の仲人《なこうど》をつとめた。その後数多くたのまれた仲人の最初の経験であった。
シーズン・オフが割安だと、宇田島は夏のさかりの平日に式を挙げた。それだけに、食中毒のことばかり心配していて、新婦をあきれさせたのを、山岡はおぼえている。
以後の宇田島は、その細君を死に至るまであきれさせ嘆かせることになった。
「苦労をかけすぎたからな」
と山岡がいえば、
「そう、そのとおり」と認め、「たいへんなことになった」と、何度もくり返しもした。
人が変ったように素直になっている。反省というか、悔恨の情にかられているかと思ったが、話しているうち、宇田島は妙なことをいい出した。
「これで、すっかり計算が裏目に出てしまった」
「計算だって」
「そう。せっかくわざわざ女房の名義にしておいた工場の土地が、またぼくの名義に戻《もど》る。節税のつもりが、往復、税金を払うことになる」
山岡はしばらく絶句してから、
「きみは、まずそんなことを考えるのか」
「そんなことといったって、いちばんかんじんなことだ」
宇田島は、山岡に口をはさむ隙《すき》を与えず続けた。
「うちの工場もいちばん金が要るときなんだからね。何しろ、メッキの廃水処理施設をつくらねばならんが、それがなんといまの工場設備と同額かかる。それだけ金をかけたって、増産できるわけでも、鐚《びた》一文安くなるわけでもないのに。もちろん、元請けもメーカーも、知らん顔だ。金ぐらい貸してもいいというが、利子だって安くないし、うっかり借りれば、役員を押しつけられて、乗っ取られてしまう。金融機関をかけずり回って、金を借りるのに一苦労だったが、借りれば借りたで元利の返済に十五年苦しめられる。そんなときに余分な出費を……。泣きたくなって当然じゃないか」
と、声をふるわせる。
山岡は言う言葉もなく、受話器を耳から少し遠ざけた。
「とにかく、公害公害とさわぎすぎるよ。社内の人間までがそうなんだ。昔はメッキ職人は、指の指紋が消えて当り前。鼻が欠けたりするのをむしろ自慢にしてたぐらいなのに」
お悔みをいうきっかけさえ与えず、宇田島はぼやき続けた。
一月ほど後、宇田島はまた電話をかけてきた。朝早い時間であり、はじめてそうした時刻に宇田島からの電話を受けた気がした。
それをいうと、宇田島は焦々《いらいら》した声で、
「昨夜から徹夜だ。寝る間もなく働いてるんだから」
「それは結構なことだ」
「結構もくそもありゃしない。おしゃかのやり直しをさせられてるんだ」
メーカーからの発注を、元請けの段階でコンピュータが読みちがえ、厚さがちがうメッキをしてしまった。このため、メーカーの組立ラインがストップ。元請けからも宇田島の会社からも全員が出かけて、そのメッキした部品をとりはずし、メッキし直して、入れ替えている。
組立ラインが一日止まると、何百万円かの追徴金をとられる。それを、元請けとどう負担するかは先の問題だが、いずれにせよ、一分でも早くとりはずし、とり替えねばならない。雑役でも運搬でも、とにかく至急人手が欲しい。一人でも二人でもいい、いますぐ人を貸してくれないか、というのである。
山岡のところでも、人手は足りない。
宇田島が山岡の気性を見抜いてたのんできたことは、わかっているが、やはり、事情を聞けば、山岡としては見殺しにできなかった。
工面して若い男を二人引き抜き、山岡は自分で車を運転して、宇田島の会社へ連れて行った。
メッキ工場の中は、たいへんなさわぎであった。足の踏み場もないほど部品が散らばり、運びこむ者、運び出す者、目の色を変えている。
その中に、染めた髪に手拭《てぬぐ》いで姐《あね》さんかぶりして働いている若い女が居た。顔に見おぼえがあった。ST訓練中、御殿場のホテルへ宇田島が同伴してきた女である。
山岡が見とがめているのに気づくと、宇田島は唇《くちびる》を歪《ゆが》めて笑った。
「応援したいというんで、やらせてる。おれをよく引っ掻《か》いてくれたが、あれでも、猫《ねこ》の手よりはましだから」
宇田島の妻の一周忌に出かけ、山岡はまたその女に会った。
女は、髪は染めたままだが、化粧はうすくなり、それに、少し肥《ふと》ってきた。宇田島の横に坐《すわ》っているのを見ると、今度は招き猫のようであった。
二人だけになったとき、山岡がそれをいうと、宇田島はにが笑いしながら、うなずいた。
「そうだよ、猫の手があのまま居ついてしまった」
「……いずれ後妻に迎えるんだろう。あんな働き者なら、それでいいじゃないか」
「そうじゃない。働いたのは、あのときだけだ」
「健気《けなげ》な姿に見えたのになあ」
「おれもそう思ったが、あれは化け猫だ。せがまれて入籍してやると、早速、爪《つめ》をとぎ出した。家内名義だった工場の土地を、自分の名義にしろというんだ。その方が安心だというんだな。まったく面倒な話だ」
そうした考え方とは縁遠そうだった女の顔を山岡は思い浮かべ、
「しかし、よくそんなことに頭が回るね」
「策士がついてる。あれの兄弟だが。先妻の名義にしたのに後妻の名義にしないのは差別だ、というんだ。それに、あれはいま妊娠している。情緒不安定は妊婦の体によくないと、医者まで味方につけていわせる」
「……しかし、子供ができるのはめでたいじゃないか」
「この歳《とし》になって、めでたいかどうか。それにどんな欲深な子が出てくるかと、いまから心配だ」
ぼやき続けたあと、うんざりした口調で結んだ。
「早々と危険分散を考えて損した。十五年分の借金があっては、売り逃げるわけにも行かず、すっかり人生の計算が狂った」
生産ミスによる回収さわぎは、それだけではなかった。
その年の暮、新型のカワナ・クーペのカムシャフトがとぶという事故が続いた。川奈自工では通産省に報告し、カワナ・クーペ十二万台の回収点検に入った。
山岡鉄工所でも、そのカムシャフトの鍛造をしていた。原因調査や責任分担などの問題は後回しにして、取替用のカムシャフトを正月明けの仕事はじめまでに大至急つくるよう、冬木部長から指示があった。
山岡鉄工所では、年末年始の休暇をとり消した。国鉄駅まで出かけ、徹夜で行列して帰省用の切符を手に入れてきた工員も多い。
「勘弁してくれ。今年だけは、月おくれの正月だ」
山岡は頭を下げて、キャンセルに行かせた。
大《おお》晦日《みそか》も元日も、炉は赤く燃え、ハンマーはうなり続けた。
「正月早々何事だ」
と、近所から幾本か抗議の電話があった。その度に、山岡は自分で電話に出て釈明し、さらに由利子に謝りに行かせた。
工場の周囲は畠《はたけ》や雑木林であり、民家からは距離がある。県道や私鉄が走り、民家にはそちらの音の方がうるさいと思うのだが、正月気分をそこなうといわれれば、謝る他《ほか》はなかった。
あちらにもこちらにも、頭を下げるばかりの正月である。
さらに、カムシャフトの欠陥が山岡鉄工所の鍛造によるものとわかれば、またどれだけ深々と頭を下げさせられることになるか知れない。もちろん、莫大《ばくだい》な回収費用、補償費などを負担しなければならず、その先これまで通り受注させてくれるかどうかも心配である。
さすがの山岡も、食事するのもうわの空であった。
「あなた、今年はいつになく雑煮を召し上るわね」
と由利子にいわれた。
勉も、成田へ安全祈願に行った一日を除いて、連日手伝ってくれた。工員たちの受けもわるくない。
「きっと、いい跡継ぎになってくれるわ」
うれしそうにいう由利子に、山岡はかぶりを振った。
「おれは健に期待している」
フル操業を続けたおかげで、正月休み明けまでには、取替えに必要な数のカムシャフトを川奈に納めることができた。あとは首を洗って、原因調査を待つばかりであった。
一月半ば、冬木から電話があった。
「きみのところは、無罪放免だ」
追跡調査の結果、鍛造する前の鋼塊《インゴツト》づくりの段階でノロに使う砂がまじっていたことがわかった。つまり、責任は鉄鋼メーカーに在る、というわけである。
「ありがとう。よくそこまで調べてくれた」
山岡はついつぶやいた。
大手鉄鋼メーカーなら、補償能力も十分に在るであろう。もし鍛造の段階までで調査を切り上げて居れば、山岡鉄工所がその責任を背負わされるところであった。
「感謝されることはない。何もきみのためにやったわけじゃない。川奈社長の厳命だ。徹底して調べんと、うちとしても困ると。ただそれだけのことさ」
冬木は事務的にいい、電話を切った。
一難は去ったが、また次の一難が襲ってきた。大和自工がジャスト・イン・タイム方式をとる、と通告してきた。
コスト・ダウンのため、今後、大和自工自体は倉庫も在庫も一切持たない。部品業者は、大和自工の日々の生産に必要なぎりぎりの量を、必要な日時きっかりに、直接それぞれの生産現場まで搬入せよ、という方式である。山岡ら部品業者は大阪へ呼び集められ、説明と指示を受けた。
もともと大和自工では、下請けが部品を納めても、納入されて大和自工の在庫になったとは解釈せず、大和自工の工場内の倉庫で部品メーカーの品物を一時預かっている、という考え方をしてきた。その一時預かりをやめるまでだ、という言い分である。
常識はずれの理屈だが、大和自工がいい出せば、正論となる。
下請業者をタオルにたとえて、大和自工のあるトップはいった。
「絞れるだけ絞れ。乾いたタオルでさえ、なお絞れる」
湿度の高い日本ではそれが可能だ、という。そして、とにかく儲《もう》ける。金を貯《た》める。金が無いのは首が無いのと同じ。その金の中から税金を納めて、国を養う。そのどこがわるいのかという論理である。
もうけるのが正当なら、もうけるために倉庫不用・在庫不用を打ち出すのも、筋ちがいではない。
今後、下請けへの発注は、指示板《ボード》と呼ばれる板で示される。そこには、部品名・数量・納入日時・納入現場などが数字と記号で書かれており、下請けはこの指示板《ボード》どおりに生産した部品を、指示板《ボード》をつけて、大和自工の工場内の生産現場まで納める。
入れ替りに、次の納入日時の指示板《ボード》が渡される。業者はそれを持ち帰って、また指示どおりの量だけを指定の日時ぎりぎりに納めに行く、という繰り返しである。
大和自工では、発注や納品などに関する伝票や帳簿事務が省けるだけではない。倉庫も、倉庫関係の従業員も、構内での仕分け搬送作業も、ほとんど必要としなくなる。すべてが下請けの責任によってまかなわれるからである。「余分な物は持たない。余分な物はつくらない。無駄《むだ》を排する原点に戻《もど》ったまでだ」というが、おそろしいほどの合理化案である。
もっとも、大和自工側にいわせれば、それは部品業者だけに犠牲を強《し》いるものではない。部品業者もまた大和自工を見習って、ジャスト・イン・タイム方式をとればいい。そうすれば、全体として、いっそう合理化の効果が上る。部品業者は、さらにそこへの納入業者にジャスト・イン・タイム方式を要求することだ、という。
山岡はたまりかねて、立ち上った。
「しかし、うちへ材料を納めているのは、鉄鋼メーカーですよ。うちの何万倍もあるような大企業が、少しずつ毎日持って来いなんて、そんなうちの要求を聞いてくれるものですか」
質問というより抗議、いや、悲鳴であった。
部品業者たちは、いっせいにうなずいた。
大和自工の係員が答えた。
「いますぐというのは、無理でしょう。しかし、筋としては、そうならなくてはいかん、ということです」
国会答弁のような答であった。
いくら「受けの山さん」でも、そんな無理な要求はのめません。山岡はそう叫びたかった。
だが、取引を続けたければ、受け入れる他なかった。
これまで大阪の大和自工まで、半月に一度十トン車で運んでいた鍛造品を、三日おきに三トン車で運ぶことになる。ときには、一トン足らずの荷のときもある。
しかも、指定日時におくれてはならず、といって、構内が混雑するという理由で、早すぎれば入門を許されない。イン・タイムではなく、ジャスト・イン・タイムなのだ。
横浜・大阪間五百キロの長距離高速ドライブは、おおむね時間の目安もつき、道中で時間調整もできる。だが問題は、高速を下りてからである。大和自工の工場は、大阪周辺に集中しているが、どの工場へ行くにも、道路は渋滞する。おくれることは許されないし、その結果、組立ラインでも止まれば、巨額の反則金《ペナルテイ》をとられる。
安全を見こんで早目に着くようにするが、十五分以上早くては、守衛が通してくれないので、工場の門の近くの停車できそうな道路を探して待つ。あるいは、工場の周囲を走り回って、時間をつぶす。冬などはエンジンをふかしているため、近所から抗議されるし、再三パトカーにもつかまった。
山岡たちは、せめて三十分早くても入構させてくれるよう申し入れたが、大和自工側は「ジャスト・イン・タイム」とくり返すばかりであった。
東名高速道路のトンネルで衝突炎上事故が起り、静岡付近で下り線が閉鎖された。
山岡鉄工所のトラックは、八時間おくれて大阪へ着いた。関東からの下請けのトラックはどれも大幅におくれ、このため、大和自工では、一部、組立ラインが止まったが、事情が事情というので、反則金はとられなかった。
ただし、以後、おくれることは相成らぬ、という。ジャスト・イン・タイム。わずか十五分間という短かい時間|枠《わく》は、ゆるぎもしなかった。
大阪まで部分的に一般道路を経由する走行時間は、計算が立たなかった。トラックは、かなり早目に出ては、時間調整に苦しみながら西に向かった。
せめて五日分なり十日分でも、大和自工で在庫を持っていてくれさえすれば。山岡たちは、西空を仰いで溜息《ためいき》をついた。
川奈自工からの要請によって、栄川会の臨時総会が開かれることになった。
案内状に書かれた議題は、「新しい方式を導入し、いっそうの合理化を推進するための協議」と抽象的であった。
臨時総会を開いてまでの協議となると、おだやかでない。同じ役員仲間に問い合わせようかと思っているところへ、冬木から電話があった。
例によって挨拶《あいさつ》も前置きもなく、冬木は用件を切り出した。
「今度、うちでもジャスト・イン・タイムをやることになった。大和自工がやっているのに、われわれがやらぬわけには行かぬ。互いに競争というか、戦争をしているんだからね。少しでも、合理化におくれをとれば負ける。いや、亡《ほろ》ぼされる。了解してくれ」
「了解するといったって、何もこのわたしだけが……」
「きみは、大和自工の総会のとき、抗議というか、抵抗したそうじゃないか」
そうした情報まで耳に入っているのかと、山岡はおどろきながら、
「あれは質問というか……」
「そう。その質問をしないで欲しいんだ。きみは、栄川会では役員だ。役員が否定的な質問をするのと、肯定的な受け答えをするのとでは、影響が大いにちがってくる。たのむ、むしろ率先して受けの山さんであってくれ」
影響が大きいというが、山岡たちの受ける影響はどうだというのであろう。
小口を定刻に運搬する苦労だけではない。生産も小口にしなくてはならない。すでに大和自工|宛《あて》の場合そうなっているが、ある部品をたとえば一月まとめて鍛造するということが、できなくなる。さもなければ、膨大《ぼうだい》な在庫を抱えこむ必要がある。
川奈自工までがジャスト・イン・タイムになると、山岡鉄工所では、ほとんどの職場で多品種少量生産を強いられることになる。その度に、たとえばスチーム・ハンマーでは、重い金型を一々取り替えねばならず、手間と時間がかかる。合理化に逆行し、コスト・アップになりかねない。
一方、納入値段は変らない。というより、運搬費のかさむ分だけ、実質的に切り下げになる。「おまえまでもか、川奈」と、山岡は口走りたくなった。
沈黙している山岡に、冬木の声がたたみかけてきた。
「いいね、とにかく受けてくれるね」
「……わたしたちが、いやといえるわけがないじゃありませんか。|OK《オツケイ》ですよ」
山岡は、目をつむる思いで答えた。
栄川会総会からの帰り、山岡は宇田島といっしょになった。
顔を見るなり、宇田島はいった。
「参ったなあ、山さん」
山岡はうなずいた。山岡にも、それ以外の言葉は出ない。
宇田島の細い顔が、さらに細く見えた。顔色もよくない。
「うちの場合、納入先や部品|毎《ごと》に、これまでは大量にまとめて仕上げて、その後、液を入れ替えていたのに、これからは少しずつの受注量《ロツト》ごとに小口でつくって小口で納めなくてはならん。その度々、一々、頻繁《ひんぱん》に液を入れ替えなくちゃいかん。コストはかさむし、手間もかかる。ラインだってふやさなくてはならなくなる。廃水処理のときもそうだったが、仕事はふえないのに、設備だけふやす。また借金がふえる。全くばかげた話だ」
そういったあと、宇田島はにやりと笑った。小指を立てて、
「こいつの兄貴が欲を出して、うちの役員に入りこんできた。みんなでおれをむしるつもりだろうが、いまどきえらい考えちがいだ。おれたちはこれまで多少なりともいい思いもしたが、これからはいったい何があるというんだね。あるのは、合理化、合理化、ただそれだけさ。その度に手足を食って、生きのびたと思ったときには、体がなくなっている」
相変らずのぼやきに山岡は思わずいった。
「何もなくなったって、生きのびれば、それでいいじゃないか。どうせ、たいしたことのないのが人生だ」
宇田島はびっくりしたように山岡を見直し、
「たしかに、どうせたいしたことはない」
自分自身にいい聞かすようにつぶやき、肩を落とした。
冬木は、下請業者たちを前に、
「度重なる合理化の要求は、無理であり、また無理でない」
との矛盾した文句で切り出し、聞き耳を立てさせた。
多くの商品がそうであるように、自動車もコストに利潤を加えた価格で売り出せば、無理はない。現に、グレート・アメリカンやイーグル自動車など欧米の自動車メーカーの多くが、そうした価格設定をしていた。賃上げなどでコストが上れば、それだけ車の値段も上げて行く。
だが、後発である日本の自動車メーカーは、それでは売れないし、追いつけない。品質を良くする一方で、とにかく値段を安くしなければならない。たとえ無理であっても、次々に合理化によるコスト・ダウンを計る以外に、生きて行く道はない。そして、無理な要求のように見えたことが、やってみれば実はそうではなくなる。川奈自工の歴史がそうである。
ある日突然、川奈龍三が無茶な要求をいい出す。たとえば、ある機械工場に向かって、一〇パーセント増産するように、という。
おどろく従業員に、川奈は何でもないことのように、
「簡単じゃないか。機械のスピードを一〇パーセント上げればいい」
「とんでもない。それでは、モーターが灼《や》き切れます」
「モーターのどこが灼ける」
「配線です」
「それじゃ、その配線を太くしろ」
「太くしたら、容量が保《も》ちません」
「それなら、容量が保つように改善しろ」
次々と改善させて、結局、モーターも灼けずに一〇パーセントの増産ができるようになった――。
冬木は、下請業者の反応を見守りながら、懇々と話した。嘘《うそ》も誇張もなかった。それは、冬木自身がその目で見てきたことである。
「ばかもん。そんなことができんのか」
川奈のはげしい声とともに、耳に灼きついている出来事である。
まだ小さかった時代の川奈自工にできて、下請業者たちにできぬはずはない。できぬとはいわせぬ。
川奈龍三は、社内だけでなく、社外に対しても無理な注文を出した。
たとえば、千トンの大型プレスを買い入れて据《す》えつけたとき。カタログによると、一分間のストローク数が定まっている。
だが、川奈は、それをもっと多く、もっと早く動かせ、といった。
「とんでもない。設計上、これが限度です」
反対するプレス・メーカーに、
「早くしたら、どうなる」
「こわれます」
「どこがこわれる」
「軸受けです」
「軸受けのどこがこわれる」
「ベアリングです」
「それじゃ、そのベアリングを強くしろ」
「しかし、他に……」
「他のどこがわるいんだ」
川奈は追いつめて、次々に改善させた。
結局、プレス・メーカーでは、それまで以上にストロークの早い高能率のプレスを開発。そのプレスがよく売れて、川奈自工のためだけでなく、そのプレス・メーカーの利益にもなった――。
山岡が大きくうなずいて話を聞いている。まるで冬木を励ますかのようでもあった。
他の下請業者たちが、全員そろって山岡のようにはうなずかぬのが、冬木には腹立たしく、また、もどかしかった。
彼等《かれら》の工場に一つ一つとびこんで、かつての川奈のように怒声を浴びせてみたかった。その思いをこらえて、冬木は続けた。
「合理化のための設備投資をためらうひとがあるかも知れないが、立ち止まることは死ぬこと。常に前に一歩ふみ出す、常に若返ることしか、生き残る道はないのですよ」
歯の浮くようなせりふとは思わなかった。川奈自体が、それによって生きてきたからである。
まだ資本金五百万円のとき、川奈は四億の工作機械を買い入れた。資本金の八十倍にも上る巨額である。
欧米にくらべて、日本は十年おくれている。その十年のおくれを一年のおくれにするためには、それしかない、という川奈の判断であった。そして、その一年のおくれをとり戻し、さらに追い越すためには、買い入れた工作機械を徹底的に使いこなし、改良し、カタログ以上の効率を上げることである。
川奈は号令した。
「新しい機械を使って使って使いまくれ」
もし動いていない機械を見つけると、川奈は係員にどなりつけた。
「やめちまえ、おまえらなんか」
こわいおやじであった。口先だけではなく、拳骨《げんこつ》がとび、スパナさえとんだ。
復員して間もなく、冬木が入社したとき、川奈の従業員数は五十人足らず、二百ccどまりの二輪車をつくっている町工場であった。それでも、エンジンの高性能が評判で、景気はよく、次々と人を採用していた。このため、冬木は入社して一週間後には、古手の社員のような顔をして、新人教育をやらされたりした。
当時、日本ではまだ乗用車の生産再開が許可されず、戦前からの大和自工や極東自工でも、工場の一部で細々とトラックをつくっている有様であった。またもし許可が出されたとしても、川奈には四輪に出る力など全くなかったのだが、川奈龍三の夢だけは大きかった。四輪をつくるのを当然のこととして、早くから社名に「自動車工業」とつけた。厚木に在る四千坪ほどの敷地に工場を建てていたが、事務所は十坪あまりのトタンぶきのバラックにすぎなかった。
その事務所の前にリンゴ箱を置き、川奈は箱の上に立って演説した。
「いいか、日本一など目指すな。おれたちは世界一の自動車メーカーになるんだ」
冬木の隣りに居た中年の旋盤工は、頭の脇《わき》で指を回しながらつぶやいた。
「大丈夫かな、おやじ。いくら毛利元就《もうりもとなり》にあやかろうといったって」
出発からして無理、いや無茶であり、滑稽《こつけい》でさえあった。しかも、川奈はこうした無理の連続で伸びてきた。
川奈だけが、そうではなかった。戦前派である大和自工も、極東自工も……。日本で自動車をつくろうとすること自体が、愚かで危険な試みとされた。鉄もわるい。ガラスもわるい。ゴムもわるい。工作機械もすべて輸入である。技術も全般的に劣っており、すでに数十年先を走っている欧米の自動車メーカーに追いつけるはずはなかった。事実、出来た自動車がどんなものであったか。冬木も山岡も、そのため戦場で危うく命を落とすところであった。
無理のツケは、冬木の家庭にまで及んだ。売りこみのためとはいえ、八年間にもわたってアメリカで暮そうとは。
冬木のために、妻の昌代は度々ミッドタウンのオフィスまで来て、事務を手伝った。
週に一度か二度は、ディーラーなどを自宅に招き、手づくりの日本料理でもてなす。評判がよかったが、そのため、客の数もふえ、さらに料理に工夫をこらさねばならない。材料集めにも、一苦労である。
もともとあまり丈夫でなかった昌代にとって、それは残りの体力をすり減らす日々となった。
ニューヨークには、メトロポリタン、グッゲンハイム、モダンアートなど一流の美術館がそろっている。絵の好きな昌代は美術館めぐりをたのしみにしていたのに、一年と経《た》たぬうちに、
「疲れるから」
と、ぷっつり出かけなくなった。そうした昌代には、娘の勉強まで十分見てやる余裕はなかった。
冬木は美雪を小さな幼稚園へ放りこんだ。
一言も言葉がわからず、美雪が泣いて帰る日が続いたが、とり合わなかった。やがて友達ができ、美雪は少しずつ英語を話すようになった。それはまたアメリカ人らしくなることでもあった。
けんかした相手について、ある日美雪は、
「わたし、あの子を告訴《スー》してやるわ」
といって、冬木たちをおどろかせた。
小学校に上ると、
「サンキューといくらいってもいいけど、うっかりアイ・ム・ソリーといってはいけないのね」
といい出した。
「いつも、わたしが正しいと|主張する《スピーク・アウト》ことだわ。相手がわるいといわないと、損するのよ」
とも。
幼い美雪が体でおぼえてきた知恵である。そうではないと、冬木にはいえなかった。とにかく友達があって、元気にくらしてくれさえすれば文句はいえぬ、と思った。
日本語の通信教育の教材が送られてくる。おくれると、いよいよ手がつけられなくなるらしく、美雪の机の上に山積みになって行く。
毎週土曜日には、日本語の補習学校へ通っていたのだが、距離があり、昌代の体調がわるくて送り迎えできない日もあって、これも足遠くなった。
やがて、美雪は家の中でも英語で話すことが多くなった。
一、二年生のうちは、英語も算数も|かたつむり《スネイル》クラスだったのが、高学年になると、トップクラスに入った。自信がつけば快活になり、友達もふえた。
ゴルフ場の木蔭《こかげ》で友達とコーラを売って、金もうけをしたとよろこぶ。着物姿が評判で、子供たちのパーティへ次々に招かれた。将来ブロードウェイに立ちたいという友達につき合い、バレーの練習もはじめた。夏には、キャンプに行き、ヨットにも乗せてもらった。冬はスケート、そして友達の山小屋へスキーに誘われた。
治安がわるくておびえたり、ジャップだといじめられたその傷が、ようやく癒《い》えて、
「一生アメリカに居ましょうね」
などと、むしろアメリカのくらしをたのしむようになった。
だが、そうしたとき、冬木は日本へ転勤になり、美雪はまた新しく深い傷を受けることになった。
中学一年の夏、国分寺の借家にひとまず落着き、美雪は一年おくれの小学校六年に編入された。
登校しはじめて数日、美雪は帰宅して、「|おどろいた《アイ・ウオズ・サプライズド》」「|ショックを受けた《アイ・ウオズ・シヨツクド》」を連発し、「|こわかった《アイ・ウオズ・フライテンド》」ともいった。
「わたし、こわかった。いきなり大声でキリツ、レイ、チャクセキって。あれ掛声なの。何か意味があるの」
授業が難しすぎる、ともいった。
アメリカでは中学一年でトップクラスだったのに、こちらでは小学校六年の算数がわからない。まして、国語の授業はまるでついて行けなかった。口ごもっては、つい「ウェル」というので、たちまち「ウェルちゃん」というあだ名をつけられた。
他の科目についても、早口の先生の話がよく聞きとれないし、意味のわからない単語がある。それに、黒板の字がよく読めない。ノートに半分も写さないうちに、消されてしまう。
体操まで難しかった。アメリカでは鉄棒など触ったこともない。このため、何もできずにぶら下っている。「ウェルちゃんの丸太ン棒」とからかわれた。
日本の子供仲間の話題といえば、TV。美雪は目をこらして番組を見るのだが、何がおかしいかわからないことが多い。
「頭が痛くなる、教えて」
と昌代に訴えたが、八年間日本に居ないと、昌代にもよくわからないことがあった。
そして、テスト、またテスト。子供のくせに、成績を気にする。塾《じゆく》のうわさ。その塾に入るにもテストがあって、美雪を受け入れてくれるところはなかった。
担任の先生は、クラス全体の成績を気にして、美雪に採点したテスト用紙を戻《もど》すときには、不機嫌《ふきげん》な表情を隠そうとしなかった。アメリカでは、キャンプに行く準備をするといえば、一斉テストに出なくてもよかったほどなのに。
次の年、中学へ。冬木の目には、少しは学校にもなじみ出したように思えた。
ただし、その年の秋、一家は都心の麹町《こうじまち》のマンションへ移った。冬木にとって、国分寺から通う時間が惜しかったからである。
美雪も転校した。そして、「だれも声もかけてくれないの」という毎日。女生徒たちは、半年足らずの間にそれぞれ仲間をつくってしまっていた。
「トイレへ行くときまで、二人か三人で行くのよ」
と美雪は嘆いた。その美雪を受け入れてくれるグループはなかった。
体こそ大きいが、ひとりぼっち。変な日本語を使い、身ぶりの大げさな美雪は、男の子たちにとっていじめるのに恰好《かつこう》の対象になった。
「かわいそうに、よしなさいよ」
などといいながらも、女生徒たちが内心、期待して見守っているのを彼等は察しており、入れ替り仕掛けてくる。
教室や授業の変更を、美雪ひとりに教えない。鞄《かばん》や机から物が失くなっていたり、思いがけぬ物が入っていたり。こわれかけている椅子《いす》に坐《すわ》らせ、あるいは物蔭《ものかげ》から水をかける。一度は階段から突き落とされそうになった。
昌代が学校へ抗議に行ったが、
「もう中学生なんですからねえ」
教師はとり合わぬどころか、むしろ蔑《さげす》むようにいった。そして、
「それより、塾ででも友達をつくったらどうですか」
それもできまい、といわんばかりであった。
「あなた、何とかして」
昌代に何度もたのまれたが、冬木の答はきまっていた。
「おれに、学校へ行ける時間があると思うか」
元気のない妻子を前に、
「そのうち何とかなるさ」
と、つぶやくばかりであった。
美雪は、学校へ行こうとしなくなった。
「頭がぼうっとしている」「腹が痛い」などといい、朝起きて来ない。顔色は冴《さ》えず、食欲も失くなった。
「体が重くて動けない」
といったかと思うと、
「わたし、どこかへ行っちゃいそう」
不安な表情を見せる。
冬木夫婦は少し変だとは思ったが、病的なものとは受けとらなかった。そう思わぬようにしていた。
だが、病状は進行した。美雪は、学校だけでなく、外出することもいやがるようになった。
昌代が無理に連れ出しても、途中、
「あそこでわたしを見張っている」
と立ちすくみ、昌代をひきずるようにして引き返した。
家では窓を開けて、何時間もぼんやり路上を見ている。そうかと思うと、夜ふけにせまい部屋の中をむやみに歩き回った。そして、電灯をつけたまま眠る。冬木の真似《まね》をするというより、「寝ていると、天井からだれかが襲ってくる」というのである。
冬木は、精神科医へ行かせた。
「学校にたのみ、先生にも生徒にも病気を理解して協力してもらうことだ」
と医者はいうが、たのめる空気ではなかった。打ち明ければ、いよいよ美雪がばかにされ、いじめられるばかりであろう。
とりあえず休学させ、医者を変えて治療に通わせた。仙台や名古屋の大学病院へも、しばらく入院させた。環境を変えるようにいわれ、いまは伊豆の貸別荘へ母娘《おやこ》だけで逗留《とうりゆう》させている。昌代はそこで母・友達・看護婦・教師といった四役も五役も演じている。
シーズン・オフのため、別荘の家賃は高くはないが、食費など二重であり、生活費もかさむ。ひとりぐらしの冬木は、何彼と不便でもある。
だが、辛抱しなくてはならない。少しばかり無理な生活はだれにもあることだ。
身近なところで、山岡も無理している。規模不相応にST訓練へ何人も参加させたのも、そのひとつ。私生活でも、二人の男の子に家を出られてしまった。
もっとも、男の子はとび出せばすむが、女の子はそうは行かない。冬木夫婦は、一生、美雪を背負って生きることになるかも知れない。
無理しているのは山岡だけでなく、ほとんどの下請業者がそうである。冬木にも、それがよくわかっているが、だからといって、手をゆるめるわけには行かない。
多くの人間がみんな、口には出さないが、どこか無理に耐えて生きている。そうでなければ、資源も何もないこの小さな島で、一億もの人間が生きられるはずがない。
昭和三十五年、十六万台だった日本の乗用車生産は、その後十年間で三百十八万台に。さらにそれから十年後のこの昭和五十五年には、七百三十三万台を記録していた。メーカーの間のはげしい競争のおかげで、パワー・アップなど性能は改善され、また日本の産業全般のレベルが上ったことから、故障も少なくなった。
この間、アメリカ経済も順調に成長を続け、セカンド・カー需要がふえ、買物用などのタウン・カーも好まれるようになった。小回りがきく上、燃費も少ない日本車は、こうしたマーケットを中心に伸び続けた。昭和三十五年わずか二千四百台だった対米輸出は、十年間で実に三十一万台に。次の十年間では百九十万台へと伸びた。
これに対し、アメリカでの乗用車生産は、六百万台だったものが、十年経っても七百十一万台。その後、一時伸びて、昭和四十八年に九百六十六万台に達したのがピーク。石油ショック後は、大型車市場も不振となった。小型車生産への切りかえのおくれ、また日本車と比べて性能が劣ることなどから、アメリカ車はみるみる市場を失い、この昭和五十五年には六百五十七万台にまで落ちこみ、日米の順位は逆転。日本は乗用車生産台数でも世界一になった。
このためアメリカでの日本車規制の声はやかましくなり、各メーカーともその対応を迫られていた。川奈自工も例外ではない。
社長川奈龍三は、屈託がなかった。川奈の頭の中には、技術のことしかない。経営も金繰りも販売も下請関係も、倉林専務はじめ部下に任せてある。
川奈の一日は、現場にはじまり、現場に終る。ほとんど重役室に居たことがない。時間さえあれば、工場回りである。行く先々で、口だけでなく、手も出す。
「ちょっと貸してみろ」
出された川奈の手を見て、若い従業員はぎくりとする。それは傷だらけの手であった。
「どうされたのですか」
「どうもこうもない。これがおれの手だ」
川奈は説明する。
中指の三分の一がケロイド状になっているのは、熔接《ようせつ》の火による火傷《やけど》、爪《つめ》は二度とれた。拇指《おやゆび》がつぶれて小さくなっているのは、ハンマーのせい。この爪は三度はがれた。人差指が歪《ゆが》んでいるのは、機械ではさんだ。薬指の傷はカッターで削ったもの。掌《てのひら》の傷はキリが突き抜けたもの……。
もっとも傷の出来ているのは、左手である。ハンマーなど道具をふるう右手は加害者であり、受けている左手がいつも被害者になる。どちらの腕も太く、指は節くれ立っている。
川奈は、その手で力いっぱい外人と握手する。
かたい筋肉質の手ににぎりしめられ、外人は思わず川奈の顔を見直す。
川奈はにこにこして、英語まじりの日本語で大声で話しかける。このため、左手の異様さに気づかれることは、ほとんどない。
通訳が口をはさむ。その通訳の声が小さいと、川奈は叱《しか》りつける。
「外国語がわからないのは、当り前だ。だから、遠慮することはない。大声でいうんだ。いっているうちに、元気が出てくる」
このため、川奈自工の通訳はだれも大音声《だいおんじよう》である。
商談や見学など、外人客の来訪が多くなっていた。川奈と気が合うのか、何度もやってくる外人もある。その一人が、オハイオ州の知事であった。
オハイオといっても、最初、川奈はそれがどこに在るのか知らなかったし、面倒なので「オハヨウ」とおぼえた。オハヨウ州なら元気がよくていい。
そのオハイオ州知事から、工場進出をたのまれた。川奈自工が単独出資で乗用車の組立工場をつくってくれないか、という。
穀倉地帯の一劃《いつかく》に在る同州では、農産物の過剰生産から沈滞が続いている。その上、かつてはデトロイトやシカゴへ働きに出た若者たちが、自動車関連産業の閉鎖などから行き場を失っている。このため、静かで勤勉だった土地柄《とちがら》までおかしくなりかねない。失業の吸収のためだけでなく、オハイオに活気をよみがえらす目玉として、ぜひ川奈自工に来て欲しいと、足しげく来日してのたのみであった。
川奈は「考えときましょう」と答えた。通訳がどう訳したかは知らない。そこまでたよりにされるなら、本気で考えておく、という気持であった。
もともと、アメリカから来た技術。その技術を、今度はこちらから持って行ってやる。本場でどこまで通用するか、どこまでアメリカ人を使いこなせるか、技術者社長として興味があった。
アメリカ出張の際、川奈は現地を見に行き、気に入った。
とにかく広大である。いざとなれば、飛行場も飛行機工場もつくれる。州政府は全面的に協力するというし、さまざまの立地条件も、わるくなかった。
もっとも、工場進出のことは、川奈の一存では決められない。むしろ川奈の所管外であり、重役会にはかった。
金について、物について、人間について、いったいどういうことになるか。大部屋重役会の三つの丸テーブルを移動しながら、何度も会議が持たれた。
取締役に引き上げたばかりの冬木などは、慎重論であった。滞米八年の実績があるだけに、その発言には重みがあった。
人種問題や組合問題があって、労働者の管理が難しい。また労働力の質や部品の質、その調達見通しなどについても、あまりに未知数が多い。合弁ならともかく、単独進出ではその未知数のリスクをすべて一身にかぶることになる。急いで出たからといって、格別のメリットがあるわけではない。他社が進出した実績を見てから腰を上げても、間に合う。慎重にすればするほど有利な話を持ちこまれる可能性がある。
「夢を持つか持たぬかの差だ」
という川奈に対し、冬木は、
「そうした夢をいま夢見る必要があるかどうか」
と問い返した。いずれにせよ、あわてて結論を出す問題ではない。いましばらく様子を見よう、ということになった。
そうした折、アメリカでイーグル自動車のイーグル社長の放言があった。イーグルは日本の自動車産業をこき下したあげく、
「日本車を太平洋に追い落とす」
とまでいい放ったのである。
新聞記者たちが、早速、川奈に感想を求めに来た。
「よくそこまでいえるものですね。黙っていわせておくのですか」
川奈の激しい反論を期待していた。
だが、川奈は苦笑を深めて、つぶやいた。
「だれだって追い落とされちゃ、たまんねえよ。それも、水たまりにならともかく、太平洋じゃね」
追い落とされる前に敵地へ乗りこんで見せる、と咽喉《のど》もとまで出かかっているのを、川奈はのみこんだ。
「おれたちは黙っていい車をつくってさえ居りゃいいのよ。黙っていても、アメリカのお客さんは、それがわかってくれるんだから」
そうはいうものの、川奈は外人との接触をいっそう深めることにした。
そのためには、ときには自宅へ招く必要もある。広い庭や客間のある家へ移ることにし、幾軒か物色したあげく、成城の桜並木の尽きた奥に、恰好《かつこう》の物件を見つけた。一度見ただけで決め、妻の光子にいった。
「一日でも早い方がいい。すぐ引越しだ」
光子も川奈の気性を心得ている。一週間|経《た》たぬうちに荷をまとめ、一日のうちに引越しをすませることにした。
引越しの日の朝、光子は出かける川奈に念を押した。
「今夜からは新しい家ですよ。まちがえないで」
「よし、わかった」
川奈は大きくうなずいて出かけたが、住所も電話番号も控えていなかった。
その夜も接待があり、成城に来たのは、かなり夜がふけてからであった。桜並木の尽きるところで下り、車を帰したのだが、さて、そこから先がわからなくなった。
昼間一度来ただけ。それも、車で案内されて来ており、まわりの様子までよくおぼえていない。その上、夜ふけのため様子が変っている。並んでいるのは、大きな屋敷ばかり。起して訊《き》くわけにも行かず、また、前の持主の名前もおぼえていない。日ごろ、「おれは忘れる名人だ」と自慢していたが、いまはその名人ぶりが仇《あだ》である。
交番へ訊きに行くとしても、手がかりもなく、「わたしの家はどこでしょう」とでもいう他《ほか》はない。
ただ、川奈がひとつだけおぼえているのは、その家の門柱の熔接《ようせつ》の仕上りがよくなかったということである。
川奈は一時期、熔接にも凝り、左手の中指を焼き落とさんばかりの大火傷もした。それだけに、下手な熔接の跡は気になった。手がかりといえば、それだけである。
幸い、空には半月がかかっていた。犬に吠《ほ》えられながら、川奈は一軒一軒、門柱の熔接箇所だけを見て回った。そして、ようやくおぼえのある熔接を見つけた。
まだ標札はかかっていない。川奈はおそるおそる呼びボタンを押した。
応《こた》える女の声がし、足音が近づいてくる。
「ちょっとお訊《たず》ねしますが、こちらは川奈さんのお宅でしょうか」
遠慮がちにいう川奈に、女は笑った。光子であった。
「やっぱり迷ったのね。地図を書いて、どこかへとめておけばよかった」
せっかちであり、ポケットの物を乱暴にとり出すので、メモなど書いて渡しても、川奈はよく失くす。このため、光子は大事な用件は荷札に書き、針金で内ポケットのボタンにとめておいたりしていた。
川奈夫婦は、玄関に入った。
それまでの当惑。そして、新しい家だけに、さすがの川奈も、いつもの調子が出ない。客になった気分である。
その川奈に、光子が微笑していった。
「お風呂《ふろ》は沸いていますよ」
どうして脱ぎながら歩かないのか、といっている。川奈は頭を掻《か》いた。
「……風呂場までどれだけ距離があるか、わからんじゃないか」
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第四章
ある大手企業の社長はいった。
「これからは、企業の課題を一〇〇パーセント遂行する社員よりも、課題そのものを考え出してくれる社員を十人中七人持たないと、会社は危なくなる」
* * *
事故の第一報は、電話で山岡《やまおか》に届いた。大和自工試験課試験コースの係員だという男からで、勉《つとむ》の父であることを確認した上で、
「勉君が事故に」といってから、「事故を起されました」
「それで怪我は……」
「怪我というより、全身|火傷《やけど》で即死なんですが」
山岡は受話器をとり落としそうになった。次の声が出ないでいると、
「すぐこちらへ来ていただけますね」
「どこへ行けばいいんだ」
「ちょっと待って下さい。すぐまたお報《しら》せします」
あわただしく電話は切れた。
山岡は茫然《ぼうぜん》として、壁を見つめた。
勉が死んだ。そんなばかなことがあろうか。ハンマーのひびきに、ガラスがゆれる。車の音、スチームの噴き出す音。鉄工所はいつもと変りなく動いている。すべて変りはないはずだ。
大和自工の専属レーサーになってから、勉は大阪へ移り、家へは二月か三月に一度ぐらいしか帰って来ない。それも一泊するだけ。いつも車で来て、車で帰る。山岡夫婦は、むしろその道中の事故を心配した。
二月ほど前に帰宅したときも、勉は元気そのものであった。山岡と水割りをのみ、レーサー仲間の話などを冗談まじりで伝えた。
「そろそろお嫁さんを」
という由利子に、
「きまって、それだな。もう少し自由に走らせてくれよ」
と、とり合わなかった。
「おやじの若いときのように、中国に行ってるとでも思ってくれるんだな」
ともいった。それが、中国どころか、二度と戻《もど》れぬところへ。
山岡は電話機をにらみつけて、待った。あわてていた係員。事故の状況やその後の模様はどうなっているのか。確認した上で、由利子にも伝えなくてはならない。
だが、五分|経《た》ち、十分待っても、大和自工からの次の電話はなかった。
仕事関係の電話が二本入り、うわのそらの返事をして、三十分経った。それでも、続報はない。
ひょっとして、いたずら電話だったのか。それとも、誤報だったのか。いたずらされる心当りはないが、いまはぜひそうであって欲しい、と祈った。
さらに十五分経ったところで、山岡はしびれを切らして、大和自工に電話をかけた。テスト・コースの番号がわからぬので、本社の試験課へ入れた。
電話は女子社員が受けたが、しばらくの間があって、男の声に変った。
その男は、しかし、いきなりいった。
「事故があったと、どこで聞いたんですか」
勉の父だとことわってあるのに、まるで訊問《じんもん》するような口調であった。そして、状況説明も要領を得ないまま、電話は切れた。
山岡はあきれ、ついで、猛烈に腹が立った。係員の口からは、ただの一言も、「お気の毒ですが」とか「申訳ありませんが」といった言葉は出なかった。むしろ、山岡を警戒するような口調であった。
山岡は、もう一度、電話を入れた。同じ係員を呼んで、
「もう少し言い方があっていいんじゃないか」
と、声を荒らげた。
「いや、お気の毒なことですが、といいましたよ」
「聞いていない」
「申し上げましたよ」
「いや……」
山岡は、そうした問答をくり返している自分が情なくなり、音を立てて、受話器を下した。
山岡夫婦が大津郊外のテスト・コースに着いたときには、すでに警察の検証も済んだといい、スリップしたタイヤの跡と、オイルの黒く燃えた跡だけを残して、現場はきれいにかたづけられていた。
勉は納棺《のうかん》されており、事故車の残骸《ざんがい》も原因調査のため本社へ運ばれて行った後であった。本社のどこなのかも曖昧《あいまい》である。
「一目見たかった。どうして、そのままにしておいてくれなかった」
とがめる山岡に、
「調べが済むまでは、どなたにもお見せできませんので」
と、係員はくり返した。
社葬にするというのを山岡は断わり、遺骨にして持ち帰った。
冠婚葬祭には一切出ないはずの冬木も、弔問に来てくれた。
山岡が大和自工の対応ぶりについて、立腹して話すと、冬木はうなずきながらも、いった。
「会社のことをまず考えるんだね。うっかりしたことをいうと、後でとんでもないことになる。つい口がかたくなったんじゃないかな」
非難するより納得するような口調に、山岡には聞えた。
山岡は声をたかぶらせた。
「それにしたって、人間の心というのがないのか。こちらは息子を失っているんだ」
「それほど腹が立つなら、アメリカ人なら訴えるところだな」
「訴える?」
「そうだ。刑事事件で告訴し、民事で賠償を請求する」
山岡は答えなかった。自分に出来ることではない、と思った。これまですべてを受け入れる生き方をしてきたためだけではない。二割から三割の仕事を失うことも、覚悟しなくてはならない。それに大和自工のレーサーになってから、勉はいきいきした生活をしていた。「思いきり走れる。こんなおもしろい人生はない」とさえいった。会社への愚痴をかねて聞かされていたのなら、もっと怒りを爆発させられたのに、まるで短い人生を見通していたかのようであった。
山岡のその気持をさらに強めたのは、やはり弔問に来た勉のレーサー仲間の言葉であった。
「勉君は、危ないテストをいつも自分から進んで引き受ける男でした」
「運転ぶりも恰好《かつこう》よかったな。こわいもの知らずだった」
山岡を慰めてくれるのだろうが、一方では、勉の運転ぶりにも事故の原因があるかのように聞えた。
黙りこむ山岡を前に、若者たちは続けた。
「インディアナポリスのレースが、勉君の夢だったな」
「彼こそ、インディがいちばん似合う男だった」
そこでのレースは、いかにもアメリカ的で、エンジンの容量制限も何もない。大型高性能のマシンが、ハイ・オクタン価のガソリンを積んで、楕円型《だえんけい》のレース場を全速力でぐるぐる回り続ける。大事故も多い。勝つには、細かなテクニックよりもまず度胸と馬力だ、という。
そういう話を聞いていると、勉はおそかれ早かれ事故死する運命に在ったようにも思えてくる。
「レーサーにするのでなかった。あまり放任しすぎたのよ」
と嘆き続ける由利子。
「好きな道に入って、男らしく死んだ。短い人生でも、幸せだったんだ」
山岡は、自分自身にいい聞かせたが、子の骨を早々と拾う悲しみは、埋めようがなかった。
わずかに由利子の気をまぎらせたのは、フランスから健《たけし》夫婦が子供を連れて里帰りしたことである。
健はマルセーユの研究所に移って、内燃機関の勉強を続けているが、妻子にはきびしく日本語を教えこんだといい、金髪の嫁も孫も、びっくりするほど日本語ができた。そして、三人そろって由利子に、しばらくフランスで暮してみたらとすすめた。山岡も賛成した。
だが、由利子は弱々しくかぶりを振った。
「あなたが居なければ、行ったかも知れないけど」
「居ないと思えばいい。いや、おれだって行きたい」
STから戻ったとき同様、心がからっぽであった。あてどもなく、どこかへ漂い出たい。
「行けばいいのに。いっしょに行ったら」
「会社をどうする」
「もうどうなったところで……」
「おれたちはそれでもいいが、社員たちをどうする」
百五十人近くにふくれ上った従業員を路頭に迷わせる。いや、一時的にでも、途方に暮れさせたくはない。自分に万一のことがあったときは致し方ないが、自分たちの悲しみのせいだけで、そこまでわがままはできない。黙って受けて、耐えるしかない。
「STから帰ったときの気持になって、たとえ一週間でも十日でも、出かけてみては」
由利子が顔をのぞきこむようにしていったが、うん、と気のない返事だけ。
「もう一度STへ行ってみる必要があるわね」
冗談めかした言葉にも、
「……そうかも知れん」
「しっかりして下さいよ」
「しっかりしてるから、出かけられないんだ」
「それじゃ、このままずるずると……」
「そう、ずるずると生きて行く」
「いえ、ずるずると死んで行くのだわ」
二人は暗い顔を見合わせた。
マルセーユに戻った健から、ときどき便りが来るようになった。妻のアンヌも片仮名の手紙を書いてくる。それまでは、ほとんど便りをよこさなかった二人なのに。
マルセーユの街や、家の内外の様子などを報せてくる。アンヌの手紙の終りには、きまって、「ドウカ、マルセーユニキテクダサイ」とあった。
一年ほどしたある日、カワナの新型車を満載した自動車専用船がマルセーユに入港したと、健が報せてきた。
新聞で知ったというのだが、単なる入港では記事にならない。問題が起っていた。ふつうなら、とっくに出ているはずのカワナの型式証明を、入港の段階になっても、まだフランス政府は発行しない。このため、陸揚げすることができず、船は二千二百台のカワナを積んだまま、沖合に停泊している。
理由は、一年後の大統領選挙戦を控え、再選を狙《ねら》っている現大統領が、対日強硬姿勢を示すため、型式証明を出させないようにしているのだという。
「いくら何でも、ひどい話です。ぼくも、これで急に愛国者になり、また川奈びいきになりました」
と、健は書いてきた。
用件があって冬木に電話した際、山岡はこのことをたしかめた。
「どうして知ったんだ」
冬木は心外そうにいいながら、事実を認めた。
「ジャスト・イン・タイムで、あんなに時間を気にして納めてきたのに、これじゃ何にもならんじゃありませんか」
山岡がなじると、
「それとこれとは別問題だ」
「しかし、一種の在庫状態であることは、同じでしょう。膨大《ぼうだい》な在庫を海に浮かべているわけじゃありませんか」
「こちらとしては、どうしようもないことだ」
「抗議してるんですか」
「……催促はしている」
「催促でなく、文句をいうべきでしょう」
「文句が通じる相手ならばね」
冬木は落着き払っていってから、
「自動車というのは、一国の代表産業だ。政治的に多少いじられるのは、覚悟しなくては。それに、あまりさわぎたてると、それならこちらへ工場を出せ、ということになる。そういわれないためにも、あまり事を荒立てたくないんだ」
沈黙する山岡に、冬木は続けた。
「工場を出すのは、リスクが大きい。半永久的に赤字が続くことになるかも知れんからね。だいいち、きみらだって困るだろう」
山岡は黙ってうなずいた。
一月経っても、二月過ぎても、事態は変らなかった。
健が船の写真を撮って送ってきた。舷側《げんそく》には赤い錆《さび》が見え、日の丸の旗の先がちぎれて、ささらになっている。船の手前を、真白な帆の軽快そうなヨットが一|隻《せき》。
山岡は、そこに、日本そのものがさらしものになっているのを見た。それはまた、「ジャスト・イン・タイム」のために山岡たちが苦労して稼《かせ》ぎ出したすべての時間が、空しく浪費されている姿でもあった。
何ヵ月もの間、海上に漂っていれば、車の傷《いた》みもはげしく、使いものにならなくなる心配もある。写真を見ているうち、山岡は全身が痒《かゆ》くなるような焦立《いらだ》ちを覚えた。同時に、不吉な想像にもとらえられる。
日本車がある日突然、根無し草同然になり、世界中の海の上に船に積まれたまま漂っている光景である。「日本車を太平洋へ追い落とす」といったイーグル社長の言葉も、その光景に連なっている。
山岡は、宇田島に会ったとき、この光景を話して、
「メッキをしたきみなんかが、いちばん気がかりだろうな」
宇田島はうなずいたあと、
「もっとも、昔ほどではないが」
と、にが笑いする。すぐにその意味がのみこめぬ山岡に、
「昔は銀色に光るクローム・メッキが、ほとんどだった。汚ない場所から、どれだけきれいに輝くものをつくり出すか。それが、おれたちメッキ屋の誇りだったが、このごろは、少しでも安くというので、銀メッキにすべきところも、亜鉛メッキですませる。いまは見えないところは、ほとんど黒いメッキだ。昔のように、全身銀色に光った車なら、こちらも命がちぢむが、黒装束のいまの車は、それだけ気楽ということさ」
宇田島はさらにしぶい表情になり、
「ひどい話だが、自動車業界はいまや競争じゃなく戦争になってると思うな。戦争だから、何だって起る。これから先だって、どんなことが起るものやら。ついでに、うちの工場も戦争だ。女房《にようぼう》の一族郎党に、おれもいつ寝首を掻《か》かれるかも知れん。掻かれた直後に、一族討死かも知れんがね」
宇田島は、二度三度、首を切る真似《まね》をしながら、かすれた声で笑った。
カワナの自動車専用船は、結局、八ヵ月にわたってマルセーユ沖に停泊。最後にしびれを切らして出港し、ジブラルタルを回って、オランダのアムステルダムへ。
とりあえず、そこで陸揚げし、高い費用をかけて整備し直し、一年近く後、ようやく型式証明を得て、陸路、フランス入りすることになった。
川奈自工役員室である大部屋では、テーブルを移りながら、アメリカへの工場進出を議論することが多くなった。
進出を求める声は、もはや州知事からだけではなかった。政府から、産業界から、労働界から、さまざまな形で呼びかけてくる。
冬木は、慎重論をとり続けた。早すぎて失敗することはあっても、おそすぎて失敗することはない、という持論である。それより、内部を固め、蓄積を厚くしておくことである。単調で苦痛の多い仕事は、できるだけロボットに処理させる。下請けにも、ロボット化をすすめた。もっと合理化を、品質管理をさらに徹底せよ。
「同業の下請各社で技術開発に金をかけるよりも、一社で開発したものを共同利用することにすれば、その開発費分も節約できる」
といって、
「下請けの魂まで奪う気か」
と、反撥《はんぱつ》を買った。
原料代が上る、燃料費も上る、人件費も上るが、車の値段は上げられない。そうした状況では、どれだけ合理化しても追いつかない。切りつめられる限りの経費を切りつめよという趣旨からだと、冬木は答えたが、川奈にもいわれて、この提案は撤回した。
アメリカへ出すかどうかという別の形の議論が、冬木の家庭の中でも起っていた。
伊豆での療養の後、美雪は医師にすすめられて、静岡のアメリカン・スクールへ通うようになった。似たような学校は東京にも在るが、ストレスの少ない環境という点からも静岡がいい、というのである。
そこの生徒たちは、外人は異国に来ているということで、日本人は母国になじめないということで、それぞれにハンディキャップがある。精神障害のある仲間への思いやりもあったし、グループでかたまるということもなかった。アメリカ在留時代の後半に似た雰囲気《ふんいき》が、美雪に元気を与えるようであった。
静岡市内に二間続きのアパートを借りての母子住まい。週末、二人が東京へ帰るか、冬木が静岡へ出る、という生活である。
美雪がわずかずつだが回復して行くのが、冬木にもわかった。表情が明るくなり、夜も電灯をつけずに眠れるようになり、むしろ相変らずの冬木のことを笑った。学校のことも、少しずつ話すようになった。友人とクリスマス・カードのやりとりもはじめたし、音声多重放送のテレビでアメリカ映画をたのしみ、昌代に解説したりした。
ただ、そうした生活をいつまでも続けるわけには行かない。
アメリカン・スクールを出た後、どの大学に行くか。似た環境の大学は、日本のどこにもなかった。
「思い切ってアメリカへ戻《もど》し、向うの大学へやったらどうか」
と医師はいう。冒険に見えるかも知れぬが、もし日本の大学へやれば、病状が逆戻りする心配はあっても、よくなることはまずないであろう、と。
医師の言い分は、冬木たちにもよくわかった。意外なことに、美雪自身も、「アメリカへ行ってみたい」といい出した。
かつての美雪のクラスメートは、いま大学の二年生になっている。テストでいつもトップをとった男の子は名門のプリンストンへ。早々と妻子を抱えて昼働きながらニューヨーク市立大学の夜学へ通っている者もあれば、宗教色の濃い田舎の大学へ引きこもった者も居る。生徒の募集難のためつぶれそうな女子大学で、のんびり過している者もあった。みんな、それぞれ性格に合った学校へ行っている、という感じであった。「ミユキに似合う大学をすぐ探して上げる」と、何人かが書いてきた。
美雪に積極的な意志が出てきたことはうれしいが、それにしてもアメリカへ出すというのは、大きな賭《か》けであった。
昌代は反対した。若い女の子を独りでアメリカへやれば、アメリカ人と結婚することは目に見えている、という。
「勉君のようなすてきな日本の若者と結婚できれば、別だけど」
ともいった。
かつてニューヨークで世話したときの勉の思い出が、昌代にはいつまでも忘れられなかった。ああいうひとと結婚できれば。遠い夢とも愚痴ともつかぬつぶやきを、冬木は何度聞かされたか知れない。
「聞きわけのないことをいうな」
冬木は昌代を叱《しか》った。
「美雪を一生半病人のままにしておいていいのか。いまは美雪を立ち直らせることだけを考えるんだ。結婚うんぬんは二の次の問題だ」
昌代はかぶりを振り続けたが、そのあげく、投げすてるようにいった。
「山岡さんは勉君を亡《な》くした。うちも美雪を亡くしたと思えばいいのね」
冬木はそうした昌代をたしなめはしなかった。長かった看護疲れで、昌代自身が半病人のようであった。絵が好きだったのに、絵筆をとる意欲もなくし、画集さえ手に重いと開かなくなっていた。
アメリカにおける日本車の規制問題が本格化し、日本の自動車業界から視察団が出されることになった。川奈社長も加わっている。
その出発の日は、美雪のアメリカへ発《た》つ日でもあった。偶然ではない。成田空港への往復には時間をとられる。二つの見送りをいっしょに兼ねれば、合理的である。このため、冬木は美雪にいって、その日の出発とさせたのである。
「こんなときまで、あなたは。三人いっしょに水入らずで御飯を食べて別れたかったのに」
昌代にうらまれたが、冬木はとり合わなかった。時計を見ては、妻子の居るロビーと使節団の特別待合室との間を、往《い》ったり来たりした。
「どうぞ、がんばって下さい」
という冬木に、川奈は笑った。
「いざとなりゃ、オハヨウさんだよ」
川奈は、帰途、使節団から別れてオハイオへ寄る旅程である。進出の気持は強く、「部品メーカーにも心用意させるように」と冬木はいわれている。その際、川奈はぎくりとするような言葉もつけ加えた。
「ついでに、きみ自身の心の用意もたのむとするか。とにかく、きみはアメリカに詳しいし、経営にも明るい。技術は日本から持って行くだけだから、あとは経営さえしっかりやってくれればいい」
川奈は、それまでの冬木の発言を忘れてしまったかのようにいった。冬木の返事は求めなかった。
皮肉な人事に見えるのだが、川奈の挙げた理由はもっともであり、発令されれば、たとえこれまで慎重論を唱えてきたとしても、冬木としては受けざるを得ない。社員の身として背けないというだけではない。新しいフロンティアでの川奈の行末を見届けること。冬木にとっては、それも戦後に選んだ生甲斐《いきがい》のひとつになるのではないか――。
出発時刻が迫るにつれて、昌代は暗い顔になったが、美雪はけろりとしていた。英語のアナウンスに耳を傾け、発着案内板の文字が変るのを、子供のような目で見つめている。そして、その表情のまま、ゲートから消えて行った。
いつまでも動こうとしない昌代に、冬木はいった。
「顔色がよくない。ほんとに、どこか体がわるいんじゃないか」
昌代は耳に入らぬといった風で、
「美雪が居なければ、わたしたちも日本に居る必要はないわけね。なぜ、ついて行かなかったのかしら」
「おれが居る。おれの仕事がある。それを忘れないでくれ」
「そう、あなたには仕事があっていいわ。でも、わたしには……」
青ざめた顔。そのややつり上った両眼に涙が光っている。
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第五章
日本車を扱うアメリカのディーラーの中には、警察犬を傭《やと》って新車をガードするケースがふえている。なかなか手に入らぬ日本車をしびれを切らして盗みに来る手合いが少なくないからである。
一方、在日アメリカ大使館の館員たちは、帰国の時期が近づくと、申し合わせたように日本車を買う。本国では思い通りに日本車を入手できないと知っているからである。
* * *
オハイオの空は、澄み渡っていた。
雪をかぶりながら、森と農場が地表を蔽《おお》ってひろがり、ところどころ、置き忘れた小物のように農家が点在する。州きっての大都会のはずであるコロンバス上空にさしかかっても、空の澄明さに変りはなかった。
かなりの都市が、人影もなかった広大な大地の中に突然出現したのも、ふしぎであったし、その都市が大自然の一部のように静まり返っているのも、異様であった。
山岡悠吉《やまおかゆうきち》の乗ったニューヨークからの定期便は、ほぼ定刻どおり着陸した。
巨大で新しい空港であった。みがき立てられ、汚れがどこにもない。窓ガラスにも、床にも、壁にも、顔が映る。別の新世界の建物へ下り立った感じであった。
ゲートを出たとき、突然、肩をたたかれた。冬木であった。小鼻をふくらませ、三角の形の目をなごませ、
「よく来てくれた」
山岡は感激した。冬木は、川奈自動車の常務兼オハイオ工場建設本部長である。忙しい身であり、たとえその日が日曜日だとしても、冬木本人が出迎えてくれるとは、思ってもみなかった。
いや、下請工場主としては、現地の宿の予約だけはとってもらったものの、あとはタクシーを利用し、宿や建設現場へ行くつもりであった。
久しぶりに肩を並べて歩きながら、山岡がそのことをいうと、冬木は一度だけ話を遮《さえぎ》った。
「まだ下請けという。協力工場なんだ、おれたちは協力関係に在るんだ」
うっかりしたことをいってくれるなと、たしなめる口調であった。そして、山岡がいい終ったとき、ぽつんとつけ足した。
「お迎えは当然さ。だって、きみは大切なお客なんだから」
山岡は黙った。とたんに、気が重くなった。それは、冬木の姿を見た瞬間から感じていたことなのだが。
オハイオを見に来るようにと、冬木から執拗《しつよう》に口説かれたのは、三ヵ月ほど前のことであった。場所は例の京橋近くの料亭《りようてい》であった。山岡はST訓練に誘われたときのことを思い、ある種の予感を抱いた。
冬木がアメリカへ赴任してまもないころで、緊急の用があって帰国した、という。その短かく貴重な時間を割いての口説きであっただけに、よけいその予感が強かった。
冬木は、建築資材関係で至急入手したいものがあり、そのメーカーへ膝《ひざ》づめで談じこみに行った様子であった。
「日本製でないと、どうしてもだめな物があるんだ。車の場合も、鉄板をはじめすべて日本製の物を使うのが理想なんだが」
と、冬木はいった。
ただし、本論に入ると、冬木は「日本製」という言葉の代りに「日本人の息のかかったもの」というようになった。
米国産部品の高い装着率を義務づけられている以上、六千種二万点の部品から成るカワナも、大事なところは、やはり日本の協力工場が現地に来てつくってくれないと困る。現地の雇用事情もまた、日本の部品会社の進出を希望している。これまでの友情の誼《よし》みで、ぜひ検討してくれないかと、冬木は最初の白羽の矢を山岡に向けてきたのであった。
山岡は、もちろん即答しなかった。むしろ、首をひねった。
受注量は漸減《ざんげん》してきており、先行きに不安はあったが、米国進出には桁《けた》ちがいの不安がある。現に、川奈自工の進出そのものが冒険とされている。
もし失敗すれば、山岡鉄工所程度の企業は、たちまち地上から消えてしまう。
冬木と別れた後、山岡はさまざまの情報を集め、経営コンサルタントや銀行筋とも相談し、幾晩も寝ないで考えた末、断わりの手紙をアメリカへ書き送った。
これに対して冬木からは、進出の可否は別として、とにかく現地を見に来るようにと、三度にわたって国際電話があった。それ以上断わり続けると、冬木は太平洋を横切って、山岡のところへ押しかけてきそうな気配であった。
折悪しくというか、山岡が加盟している地域の商工会が、それまでの積立金でアメリカ東部へ産業視察のツアーを組むことになった。山岡は商工会の理事も引き受けており、ツアーに参加しないわけには行かない。ツアーは、シカゴ、ニューヨークと回る。もし、そのことを隠していて、万一、後からわかった場合、冬木は何というであろう。
山岡は、電話をかけて、正直にツアーのことを伝え、ただし団体旅行である以上、オハイオへ寄るわけには行かないと、断わった。
だが、冬木は手をゆるめなかった。日本へ手配して、商工会ツアーの日程をつかみ、たとえ一泊でも二泊でも、一人だけ脱け出してオハイオへ来るようにと、ローカル便の時刻表を送ってくるとともに、また再三、電話をかけてきた。
山岡は根負けした。同じ断わるにしても、現地も見ずに断わるよりは、足を運んだ上での方が誠意がある。マスコミの報道では、折からアメリカ東部は豪雪と寒波に襲われているということであり、土地柄《とちがら》についてよい印象を持つことも少なかろう、という気がした。
旅程が決まると、由利子は早速デパートへ出かけ、冬支度の品々を買いこんできた。毛足の長い帽子、耳当て、顔面全体を蔽うマスクなど、物々しいほどの重装備である。
「まるで南極探検だな」
苦笑する山岡に、由利子は真顔で、
「風邪《かぜ》でもひかれては、一大事よ。あなたも、もう歳《とし》なんだから」
と、くり返した。
由利子はまた、セルロイドのケースに入れた勉《つとむ》の写真を手渡した。地図で見ると、勉がレースに出たがっていたインディアナポリスは遠くない。せめて、近くの空気を吸わせてやって、と声をつまらせた。
冬木が運転し、カワナは走り出した。コロンバス市街の外周を走る高速環状線に乗る。
雪をかぶった田園地帯。大きな立木が目立つ他《ほか》は、淡いコバルト色の空が大地すれすれまでひろがり、視界が遠くまで透けて見える。寒波とか豪雪とかの報《しら》せが、うそのようであった。
山岡がそれをいうと、冬木は笑った。
「日本の報道は、万事オーバーだからね。おれたちも、日本から送られてきた新聞を見て、びっくりしたくらいだ」
カワナは滑るように走り続ける。
ゆるやかなスロープとともに、同じような木立《こだち》と雪をかぶった野だけが、現われては消える。どこまで走り続けても、変りようもない風景である。
「大きな国ですね」
つい山岡がいうと、冬木はうなずいて、
「ここでは夕日も大きい。おれは、ふっと中国のことを思い出す」
山岡が何気なく聞き流していると、冬木は続けた。
「きみといっしょに遺体を収容に行ったとき、あのときの夕日も実に大きかったな」
山岡は、あっと思った。冬木は、めったに過去のことは口にしない。まして、戦争中のこと、そして、山岡のために決死で同行してくれたときのことなど、これまで自分からいい出すことは、ほとんどなかった。
異国に来て冬木が感傷的になったせいだけとは思えない。戦争中の貸しを思い出させようとしていると、山岡は感じた。
冬木は、山岡が欲しかった。たのむ、きみも工場を出してくれ。ハンドルから手を離し、山岡に向かって合掌したい思いであった。
工場建設の指揮をとる傍《かたわ》ら、冬木は部品メーカーとの接触をはじめている。
オハイオ州北部からデトロイトにかけては、自動車部品メーカーが多く、距離的にも車で日帰りもできる。
冬木は、アメリカをかなり知っていたつもりであったが、各種各様のメーカーと交渉を重ねるにつれ、あらためて企業体質のちがいを痛感させられた。
たとえば、不良品発生率を少なくするよう要求する。これに対するアメリカ企業の回答はこうである。
仮に三パーセントあった不良品発生率を一パーセントでも引き下げるためには、たいへんな努力が要る。それよりは、百箇について二箇ないし三箇おまけに納めるから勘弁してくれ――。
品質管理を徹底するとか、設備の改善、新しい検査機械の導入などということのために金や時間をかける気がない。いま売れる物を売れるうちに売っておく、という姿勢である。
わずかの期間だが、経営者の交代もはげしかった。倒産したり、吸収されたりする場合もあるが、もうかっているうちに高い値で会社を売りとばし、フロリダあたりへひっこんでしまう経営者もあった。
さらに工場回りをすると、在庫品の多いのを自慢そうに見せる。
日本のジャスト・イン・タイム方式を紹介し、在庫はゼロまたはゼロに近いのが理想だというと、目をまるくする。
「どうしてそういうことになる」「そういうことができる」と、くり返し訊《き》く。
「でたらめをいうな」と怒り出す経営者もあった。
カワナを走らせながら、冬木はそうした話を山岡に伝えた。
「このごろになって、ようやく日本へ見学に行く経営者も出てきたが、本当のところは、どうもよくわからないらしい。だから、いちばんいいのは、日本の部品メーカーがここへ来てやって見せることなんだ。もちろん、われわれ川奈としても、きみらの製品が欲しいが、それだけでなく、アメリカの連中のためにも出てきてやって欲しいんだ」
冬木は、珍しく頬《ほお》を赤く染めながら、熱弁をふるった。何としてでも山岡をひきずりこもう、としている。
山岡の悔いは深まった。やはり来るべきではなかったのではないか。
日本に居たときにくらべ、冬木は人柄まで少し変ったように見える。それに、考え方もちがってきたのでは。
山岡は口ごもるようにして切り出した。
「冬木常務は、もともと進出反対派だったはずですが」
「きみ、言葉づかいに気をつけたまえ。反対派ではない。慎重派だっただけだ」
冬木はいつもの口調に戻《もど》って、山岡をたしなめた。進出そのものに反対したおぼえはない。ただ単独で早々と出る必要はない、といったまでである。
日本車輸入規制論は、日を追ってたかまるばかりであった。つい最近も上院議員の一人は、「自動車は超・自由貿易産業だ」といった。「だから、日本車輸入を半分に減らしたっていい」と。
「アメリカ製部品を全部使って組み立てた日本車以外、輸入を認めるな」
という暴論を吐いた業界首脳も居た。
風が狂い出せば、日本からの自動車専用船が二千二百台のカワナを積んだままマルセーユ沖で八ヵ月も足どめされたのと同じことが、アメリカの港々でいっせいに起きないとも限らない。
少なくとも、ある程度の規制は避けられまい。カワナの輸出台数も減る。前向きに走り続ける一方だったのに、はじめて立ち止まり、後退しなくてはならない。走りながら考えてきた川奈としては、考えることさえできなくなってしまう。
輸出台数を維持し、さらに上積みしなくてはならないが、それにはカワナをアメリカ車としてつくることしかない。声高な日本車非難をかわすためにも。
冬木は、思いついたように時計を見た。
「そういえば、今日もコロンバス市内で日本車攻撃のキャンペーンがある。いまからなら間に合う。ちょっと寄ってみるか」
スラム街に近いダウンタウンの一劃《いつかく》。再開発計画のためとりこわされたビルの跡地に、子供もまじえ五十人ほどが輪になって集まっていた。近くの路上に駐《と》めてある車は、古びたアメリカ車ばかりである。
「車をあちらに置いてきて、よかった」
冬木が、ぽつんといった。
用心深い冬木らしく、カワナを数ブロック離れた駐車場に預けてから、二人はそこまで歩いてきたのであった。
二人は、人垣の後に立った。コロンバスには、在留日本人の数は少ない。このため、中国人かフィリピン人とでも思っているのであろう、とくに二人を見とがめる視線はなかった。
整地途中なのであろう、巨大なブルドーザーやショベル・カーが控えている中に、タイヤをはずされた七、八年前の年式のヤマトが、うずくまるようにして、ひきすえられていた。
その横で、褐色《かつしよく》の髪をしたジーンズ姿の大男が、記者らしい一群に向かってしきりに話している。テレビ・カメラをふくめ、カメラマンが三人ほど。
やがて、男は大きなハンマーをつかむと、ヤマトの正面へ回った。カメラの列がそれにつれて移動する。男はハンマーをふり上げると、大声で叫んだ。
「こいつらが、おれたちの仕事を奪った。憎らしいこいつに、いまから死刑を執行する」
まばらな拍手。男はハンマーを振り下した。山岡は、自分がなぐられるような気がし、目をふさぎたくなった。
鈍い音とともに、ハンマーが打ちこまれた。その瞬間、ボンネットがはじかれたように開いた。それは、理不尽に殺されようとする生きものの最後の反抗のようでもあった。
女たちが悲鳴を上げ、男はハンマーとともによろめいた。そのはずかしさを隠すためもあって、男はハンマーを持ち直すと、「畜生《ガツデム》」と罵《ののし》りながら、二度三度、ヤマトのフロントに振り下した。
催しの意味を思い出したかのように、また拍手が湧《わ》いた。
攻撃は、それだけでは終らなかった。褐色の髪をかき上げると、男はふり返って、ブルドーザーに合図した。その運転席には、鼠《ねずみ》色の髪をした小男が坐《すわ》り、すでにエンジンを始動させていた。
額をたたき割られ、片方の肩が地に落ちた感じになっているヤマトめがけ、大型ブルドーザーが突進した。ぶつかり合うはげしい音。ブルドーザーはバックすると、またエンジンの音を上げてのしかかった。ヤマトの前半分が下敷きになって、つぶれた。
「やったぞ!」
褐色の髪の男が、拳《こぶし》をふり上げる。つられて、見物人の何人かが、拳をつき上げ、カメラマンが注文して、そのシーンを再演させた。
歪《ゆが》んで残ったヤマトの後半部に、ブルドーザーが、またおどりかかった。ヤマトは、ほぼ平らなスクラップとなった。今度は、ショベル・カーのエンジンがかかった。その背後には、大きな穴がすでにあけられていた。
ブルドーザーと入れ替った大型ショベル・カーは、スクラップとなったヤマトをすくいとると、その穴めがけ、はらい落とした。荒々しく、土をかける。
褐色の髪の男が、プラカードのような木片を持ってきて、かかげて見せた。また拍手、それに歓声もとんだ。そこには、黒ペンキで、「ジャップの墓」という文字とともに髑髏《どくろ》が描かれていた。男は、その墓標を穴めがけて投げつけるようにして立てた。拍手と、シャッターの音。
山岡は、顔がほてるのを感じた。何か叫び出したくなる。異様というだけでなく、こわかった。クー・クラックス・クランのリンチの儀式を連想させた。
冬木と並んで戻りながら、山岡はいった。
「ひどいことをする。あの車の死体を引き取りに行きたくなります」
無言でうなずく冬木に、
「それにしても、ここまでやるとは……。アメリカ人はもっと大きな国民だと思っていたのに」
こわかった。テレビや新聞で先刻の光景の再現を見る人々の連鎖反応を思わざるを得ない。
青みをたたえたコロンバスの空に向かって、山岡は口走った。
「ガソリンを食わず故障のない日本車は、アメリカ人の役に立っている。だからこそ売れているのに、その日本車のどこがわるいというのですか」
「…………」
「まちがったのは、アメリカじゃありませんか。省エネ時代だというのに、小型車にまともに取り組もうとしなかった。下請けもふくめて、どれだけ技術や設備の改善をやり、品質管理をやったというのですか。その上、空前の高金利政策。庶民はローンに手が出なくなる。アメリカは、自分で自分の首を絞めたのです。なぜ、それを日本側はいわないのですか」
別に冬木を責めているわけでもなかったのに、冬木は苦笑すると、ぽつりといった。
「勇者は語らず、さ」
本当に勇者でしょうか、気が弱いだけではないのですか、と山岡は表情で問い返す。
自動車メーカーが黙っているのなら、下請けは、より大きな沈黙を守る他はない。その意味では、下請けの方がさらに勇者というべきかも知れない。
駐車場が見えてきた。冬木のカワナだけでなく、何台かの日本車がある。どの車も、いまのところは無傷で、ひっそり静かに体を休ませている。
冬木がいった。
「沈黙は日本人に似合うんだ。帝国海軍もサイレント・ネイビーといっていたじゃないか」
「でも、というか、だから負けたでしょう」
「戦争をしなければ、よかったんだ。われわれも、だから、戦争を避けるべきだ。自動車は一国を代表する戦略産業だ。競争に負けましたからお譲りしましょう、というわけには行かない。まして、自動車の本場アメリカとしては、意地も面子《メンツ》もある。戦争となれば、何を仕掛けてくるかわからない。だから、おれたちは相変らずいい返しもせず、代りに態度で示してやることだ。おれたちはアメリカを滅ぼそうというのじゃない。その証拠に、海を越えてはるばるやってきて、このアメリカの土地で、失業しているアメリカ人を傭《やと》って、アメリカ・カワナをつくってみましょう、と」
冬木は、山岡を見た。だから、山岡鉄工所も進出してくれと、その小さな三角の眼《め》が続けていた。
カワナは、ふたたび環状道路に出た。両側には、雪をかぶった大地が、やや灰色にかげりながら、どこまでものびて行く。
十分ほど走って側線に下り、地方道に出た。道路周辺に、少しずつ家がふえる。
「ここがミルズバーグ、おれたちの住んでいる村だ。工場はずっとこの先にある」
カワナは、スピードを落とさずに走る。
冬木がどんな家に住んでいるか、山岡はのぞいて見たい気がした。ただし、たのんでも、冬木は応じてはくれまい。日本に居たときも、冬木はそのマンションへ人を寄せつけなかった。ひとに公平に接するためには、プライベイトにつき合うべきではない、という例の建前からである。山岡も訪ねようとして断わられた。
集落を出はずれ、地方道が十文字にまじわるところに、新しい山小屋風のモーテルがあった。山岡のためにとってくれていた宿である。
冬木は部屋まで来て、調度などたしかめると、
「ひと休みしたまえ。七時になったら、迎えに来る。中華でも食いに行こう」
山岡の返事を待たず、廊下へ出て行った。
部屋は、暖房がよく効いていた。窓の向うは中庭で、冬枯れた立木が数本。その一本の梢《こずえ》に、ツグミほどの野鳥がとまり、しきりに尾をはね上げている。
この調子では、由利子の用意した物々しい冬支度は、一切役立たずである。「大黒柱にもしものことがあっては」とは、由利子の口癖だが、そうした由利子の気持が、山岡にはときにわずらわしくもあった。
二号も三号も居る宇田島だと、こういう場合、いったい、どんなことになるのか。だれにも構われず、気楽なのか。それとも、例の若い後妻あたりに、山岡以上の重装備をさせられる破目になるのか。それは、山岡には見当のつかぬ世界であった。少しうらやましくもあるが、しかし、いまとなってはそういう世界にふみ迷う元気もない。
上着を脱いで、コート掛けへ。山岡は、大事なことを思い出した。
内ポケットをさぐり、勉の写真をとり出す。よく磨《みが》かれたデスクの中央に飾った。
どちらに向けるか、一瞬、迷った。インディアナポリスがどの方向なのか、冬木に訊いておけばよかった。
ヘルメットを片手に、銀色のレーシング・スーツ姿の勉は、屈託なさそうに笑っている。笑ったままのその姿が、山岡の胸の中で熱い蝋人形《ろうにんぎよう》になって固まる。
山岡は息子たちをきびしく鍛えたが、とりわけ勉に対してはつらく当った。実父としての甘さを、健《たけし》に見せまいという思いからでもあった。こんなに早く世を去るのなら、もっと甘やかしてもよかったのではないか。それとも、レーサーになるのをやめさせるべきだったのか。
レースに事故はつきものだが、装備その他から路上を走るよりも安全だ、という勉の言葉を信じすぎた。やはり、危険は待ち伏せていた。いや、それ以上に勉に自分の血が流れているのを忘れていた。
「危ないテストは進んで引き受けようとするんですよ」
といったレーサー仲間の声が、耳によみがえってくる。そして、もっとあざやかなのは、「事故があったと、どこで聞いたんです」
と問い返してきた大和自工の係員の冷たい声。
インディアナポリスでもどこでも、大レース中に華々しく死ぬのなら、まだ救いもあった。
だが、あの死にざまと、そして、死後のあしらわれ方は何だったのか。
怒りがよみがえってきた。だが、だれにもぶつけようがない。息子は命を落としたが、山岡も命をすり減らす思いを重ねてきている。山岡だけではない。何万何十万という下請けの男たちが、汗や知恵をしぼり、血を流してきた。そうした犠牲を燃料にして、日本の自動車産業の今日がある。山岡の今日もある。「すべて定めだから」と思って、受け入れる他《ほか》はない。息子の非業《ひごう》の死に対しても、「受けの山さん」であるしかない。
部屋の空気が重くなった。勉が部屋の主となり、その写真が気にかかる。
「危ないテストを、おれは引き受けた。おやじも危ない仕事を引き受けなよ」
笑顔は、そんな風にも語りかけてくる。
山岡は、部屋の中に居られなくなった。運動がてら、少し近所でも歩いてみよう。外は相変らず晴れている。オーバーさえ羽織れば、寒さも耐えられそうであった。くたびれ果てるまで、歩き回ってみるか。
約束の七時に五分前、部屋の電話が鳴った。
山岡は部屋を出ようとして、何かに呼びとめられるのを感じた。
ふり返って、それがわかった。デスクに置いた勉の写真である。勉は笑っていた。笑いながら、「ぼくを残して行くの」といっている。
山岡は大股《おおまた》に戻ると、写真をつかみ上げた。一度、穴のあくほど見つめたあと、
「よし、おまえも連れて行くぞ。うんと御馳走《ごちそう》になれ」
声を出していい、胸の内ポケットに納めた。
フロントに下りると、冬木が大男の白人と立話をしていた。
山岡を認めると、大男は冬木の手を強くにぎりしめてから、立ち去った。
「おれを川奈の人間と知って、就職をたのんできた。珍しいことではない。コロンバスの街でも、よくそんな目に遭う」
「わずらわしいでしょうね」
冬木は軽くうなずき、
「とにかく人事課へ行くようにというだけだが」
カワナに乗りこみ、エンジンをかけながら、冬木はいった。
「アメリカ流で行けば、家で御馳走すべきだが、ひとり住まいだからね」
「奥さんは」
「少し体をこわして、日本に居る」
初耳であった。
「そうですか。知っていれば、何かお役に立てたのですが」
冬木は、はげしくかぶりを振った。
「いや、放っといてくれ」
カワナは、とび出すようにスタートした。
すれちがう車は、まばらであった。それでも週末のせいで、いつもよりは多いという。事実、案内された中華料理店も、満席に近かった。
「味がいいという評判なんだが、おれにはよくわからない。ただ鮑《あわび》のかたいのが食える点が気に入ってね」
冬木は笑いながら、山岡と盃《さかずき》を合わせた。
次々と料理が出てくる。とりとめのない話。ただし、冬木は、二度と妻のことも、娘のことも、口にしなかった。もちろん、山岡も訊《き》くのを遠慮した。
何かの拍子で、話はST訓練のことになった。
「結局、STの効き目はどういうことになったのかね」
冬木に訊かれ、山岡はとまどった。すぐには考えがまとまらない。口ごもるようにしながら、
「あのときは、人生が一変するほどのショックを受けました。ただ、いまになってみると、時間も経《た》ったせいでしょうが、ああいうことも自分の人生にはあったのだと、いわば達観するような心境です」
「かなり費用も時間もかけたのに、その結果が達観とはねえ。きみらしい鷹揚《おうよう》な話だ」
「しかし、達観できるようになったことは、会社にとってプラスだったでしょう。おかげで育つべき者は育ったという気がしますし、一方、出すべき膿《うみ》は早目に出した。だから、少なくとも中堅以上でやる気のない者は居ません。そのおかげで、STを受けたころのうちの従業員は百十人でしたが、その後、百五十人にふえ、売上も三倍に伸びました。やはり、ある程度の効果はあったと考えたいですね」
「それならよかった。もっとも、きみは何でも肯定的というか、楽天的に考える男だからな」
山岡は否定しなかった。いつもの口ぐせが出かかる。楽天的でなければ、とても貧乏人の一連隊を引き連れては行けない、と。
それにしても、アメリカの部品会社の経営者はどうなのか。STを受けたりしているのであろうか。
山岡の問いに、冬木はうなずきながら答えた。
「おれも興味があって、訊いてみた。もともと、こちらではじまった訓練だが、連中はほとんど参加していない。それどころか、STとは何だと訊き返す男も多くてね。経営学の本場だというのに、意外に勉強していない。というより、直接数字の上に効果が出ない勉強はしない、ということかな」
「…………」
「数字だけですむから、きびしい半面、煩《わずら》わしさがない。いくらディスカウントする、マージンはいくら、いくら、いくら、いくら。数字だけで勝負。きみのように、人間関係改善のため、自分を痛めつけて改造し、じっくりやって行こうなどというムードじゃないんだな」
山岡は冬木の口調に、日本に居たときとはニュアンスがちがうのを感じた。
「酔った勢いで訊くのですが、たしか、冬木さんは、万事、数字で議論せよ、という考え方でしたね」
「たしかに、そうだ。日本では、まだそういう要素が不足していたからね。ただ、それだけでよいとは思っていない。こちらへ来ると、よけい、それを感じてしまう。だから、ST訓練などについても、見直す気になる。うちも大きな会社になったから、STを考えていい段階に入っているかも知れん、などとね。だから、きみには笑われるかも知れんが、あのSTのときのことを、いまになって、あれこれ思い出したりしているんだ」
冬木は少し気弱になり、円満になったのか。それとも、歩み寄ることで、山岡を引きこもうというのか。山岡は首をかしげた。
食事が終った。冬木は山岡を遮《さえぎ》り、二人分の会計をすませただけではない。立ち上る直前、テーブルに両手をつき、山岡に向かい深々と頭を下げた。
「たのむ。オハイオ進出を考えてくれ」
日本人のそうした恰好《かつこう》がふしぎなのか、まわりの視線が集まった。山岡は恥ずかしいだけでなく、これではまるで冬木が下請けではないか、と思った。
「やめて下さい、それは」
山岡は強い調子でいった。いかに「受けの山さん」でも、だからといって、「承知した」とはいえなかった。
「たのむ」
冬木は、もう一度頭を下げてから、つぶやいた。
「今度は、アメリカへおれの死体を拾いに来てくれ。もちろん、息のあるうちに来てくれれば、もっとありがたいが」
山岡を宿へ送り届けてから、冬木はミルズバーグの中心近くに在る家へ戻《もど》った。
川奈の社員たちの多くは、村の中心をはずれた新しいタウン・ハウスなどに住んでいる。その方が快適だし、気楽だが、冬木はあえて村の中心に住みこんだ。少しでも、村民とのふれ合いを深めねばならぬと思って。
三寝室から成る古い家であった。当座ひとり住まいの身には広すぎたが、手ごろな小さな借家があるわけでもなく、また、それでは村民の信頼を失うおそれがあった。
納屋《なや》を改造したガレージにカワナを入れる。錆《さ》びたシャッターを、音を立てぬよう気を配りながら、ひき下した。玄関に入るまでのわずかの間に、足先が痛いほど冷えこんだ。
セントラル・ヒーティングは弱く入れてあったが、それを極大《マキシマム》にする。次々と電灯のスイッチをつけて回った。スタンドまでつけても、家の中は蕊《しん》からは明るくならない。長年、薪《まき》や石炭を焚《た》いた煙がしみついているためである。
窓の外には、高校のサッカー・グラウンドが見えた。その先に、石づくりの教会堂があり、まわりに点々と家の灯《ひ》が漏れる。すべてが静まり返っている。月光の下に、音もなく、動きもない。時間までが動きを止めてしまったような眺《なが》めであった。三マイル四方の猫《ねこ》のお産までニュースになる、などという土地。人々は早々と寝入ってしまったのであろうか。
地元で最初に従業員を採用したとき、彼等《かれら》からまず出たのは、午前八時の始業時間がおそすぎる、という不満であった。オハイオ州のこのあたり一帯は、ドイツ系移民が多く、勤勉でまじめな気質。さらに、代々農民であったため、早寝早起の習慣が身についていた。
おかげで、始業は午前七時半からとなった。
日曜日、目の前の教会堂では、九時から礼拝がはじまるが、その前の七時から、信徒の有志だけが集まって、女性抜きで朝食会を持つ。長い祈りを捧げた後、牧師を囲んで世間話をしながらの会食である。話題は、農作物の出来具合や冠婚葬祭のニュース、村を出て行った人たちの消息などといったもので、いわゆる天下国家のことが話し合われるようなことは、ほとんどなかった。
冬木は、クリスチャンではないし、またクリスチャンになる気もないが、日曜日はつとめて礼拝に出ることにし、また、この朝食会にも加えてもらった。
ドイツなまりとでもいうか、くせのある英語を聞きとるのに精いっぱいで、冬木は発言することもないのだが、ときどき、そうした冬木に、会の一員であることを思い出させるためのように質問が来る。
「日本では、この春の麦の出来はどうだ」
「おまえの国では、早い霜に対して、どうしているのか」
答えられぬことが多かったが、会衆はそうした冬木を別に毛ぎらいすることも、異分子扱いすることもなかった。むしろ、冬木が欠席したりすると、「先週はどうした。体でもわるかったか」と、本気で心配してくれたりした。
ここもアメリカなのかと、冬木はときどき考えこんでしまう。
しかし、ここがアメリカなのだ。いや、地元の人間にいわせると、こここそがアメリカなのだ。地元びいきからではない。市場調査や世論調査で平均的アメリカ人(白人)のデータをとる場合、コロンバスがその舞台に選ばれることが多いのが、何よりその証拠だ、という。
冬木は相変らずテープ学習を続けている。最近では、アメリカのテープを聞くことも多いが、そのひとつである経済地理学者の講話によると、カナダやメキシコをふくめた北米は、いまの政治的区分けによる国とは別に、産業構成からいうと、七つの国に分類できる、という。
オハイオをふくんだ中西部は、広大な農業国である。アラスカを頂点とする北の部分は、石油や鉱物資源の国である。テキサスなど南部は、エネルギーなど新興産業の国である。
そうした中で、アメリカ東北部の数州だけが自動車など在来工業の国として行きづまっているにすぎない、と。
別の日聞いた経済学者の講話では、似たようなことを別の言い方で説明していた。
アメリカには、五大産業群がある。第一の農業関係は、世界屈指。第二のエネルギー関連も同様。第三の宇宙開発や遺伝子工学など先端技術産業群もまた世界一。第四の外食産業を中心としたサービス産業群は、繁栄を続けて、不況知らずである。不振に陥っているのは、繊維・鉄鋼・自動車など旧型産業群《オールド・タイプ・インダストリーズ》の一グループでしかない、と。
奇をてらった説ではなく、十分、納得が行った。
アメリカは、巨大で健康である。この巨人に比べれば、旧型産業群《オールド・タイプ・インダストリーズ》の一部で細々と生きている日本など、ガリバーの小人国といっていい。アメリカの懐《ふところ》深くに来て、そのゆったりした大きな鼓動を聞いていると、冬木は血の気の引くような思いさえする。
そうした巨人のくせに、東洋の小人国に対して、とくに自動車について、なぜ、こんないじめ方をするのかと、いい返したくなる。この日、コロンバスの街角で見た光景が、目にちらつく。あそこにうずくまり、ひきすえられていたのは、日本そのものの姿であった。
冬木は、何かいうべきだったろうか。いったところで、巨人の耳に届くはずはない。かえって、冬木までふみつぶされるまでである。
冬木は、苦笑した。自分が黙っていたのは、山岡が表情で語ったように、勇者ではなく、弱者に過ぎなかったからだ。山岡に進出をたのむのも、心細さもあるからではないか。
自問した後、冬木は大きくかぶりを振った。巨人にもアキレス腱《けん》があり、その傷の痛みによろめくこともある。はるばる助けに来るのは、治療の技術を持つ勇者の行為ではないのか。
遠くで犬が鳴いた。おそらく百メートルも二百メートルも先であろうが、凍《い》てついた空気を伝って、車の動き出す音がきこえる。
冬木は、迷いからさめた。
日本でと同じ日課を続けなくてはならない。録音器にテープをセットする。「事務部門におけるQC」と題する講話が流れ出す。
やはり日本から持ってきた青竹を、冬木は絨緞《じゆうたん》の上に据《す》えた。テープを聞きながら、踏みはじめる。上り下りする度に、窓の外では、サッカー場のフェンスが上下する。六、七段ある観客席もグラウンドも、いまは青みを帯びた雪に蔽《おお》われている。
日の長い夏の間は、冬木が帰宅して青竹踏みにかかるころ、きまってそこには歓声を上げて走り回る若者たちの姿があった。
そして、楓《メイプル》が明るい錆朱《さびしゆ》色に輝く秋、郡内の高校対抗試合が何度かそこで開かれた。
試合の日は、バトン・ガールを先頭に、ブラスバンドと選手団が村の中を練り歩き、サッカー場の観客席には、朝早くから村民たちがつめかけた。ふだんは見かけないコーラの販売車も駐《と》まっていた。それは、ミルズバーグの村をあげての最大そして唯一《ゆいいつ》の行事といってよかった。
地元の週刊新聞である「ミルズバーグ・サン」紙は、一面をつぶして、この試合を報道した。
何気なく見物に行った冬木は、「サン」紙の記者につかまった。
「サッカーのルールも知らぬ」とは、とてもいえぬふんい気で、「よくわからないが」とことわりをくり返しながら、冬木は応援の言葉を述べた。その談話まで、「サン」紙は、冬木の写真入りで掲載した。
冬木は、ミルズバーグにとって、久しぶりのゲストのようであった。新しい雇用機会をつくったことでもあり、あたたかくゲストとして迎えてくれている。巨人アメリカも、いまはそうである。
ただし、アメリカ川奈が本格的に生産をはじめたとき、巨人の中の自動車産業は、アメリカ川奈をもまた競争相手《コンペテイター》と見做《みな》さないであろうか。ゲストには、心あたたかく。競争相手《コンペテイター》には、容赦なく。それが、巨人の論理である。
競争相手《コンペテイター》として標的にされるときのこわさを、冬木はよく知っているし、だからこそ、単独進出に最後まで慎重論を唱えた。提携して出てくれば、永遠にゲストで在り得た。
いつの間にか、テープを聞くのがおろそかになっていた。明日もう一度聞き直さなくてはならない。
青竹踏みで、体が熱くなってきた。冬木は壁ぎわのヒーターまで行き、スイッチを極小《ミニマム》に落とした。
そのとき、ふいに電話のベルが鳴った。受話器をとると、
「ハァーイ、パパ」
美雪の声が、すぐ耳もとでした。
屈託のない口調に、冬木はにが笑いした。まるで子供のときのようではないか。それが、冬木にはうれしくもあった。
それにしても、美雪のこの声で冷汗をかいたのは、十何年前のことであろうか。
ニューヨーク駐在当時、出張してきた社長の川奈が、冬木のアパートに立ち寄った。
そのとき、冬木夫婦が直立して頭を下げて出迎える脇《わき》で、美雪は椅子《いす》に掛けたまま、片手を挙げて、「ハァーイ」といった。そして、川奈に手を差しのべられるようにして立ち上り、握手を交わした。
「元気なお嬢さんだね」
川奈は笑ったが、冬木夫婦は心がすくんだ。
川奈が帰ったあと、昌代は美雪を叱《しか》った。
「ちゃんと立ってお辞儀をするように、いっておいたじゃないの。それが、日本式の礼儀なのよ」
「だって」美雪は頬《ほお》をふくらませてから、頭を抱えた。「今度はアメリカ式、今度は日本式。わたし、頭がおかしくなっちゃう」
次の日、川奈に会うと、冬木は真先に美雪の失礼を詫《わ》びた。
「体ばかり大きいのですが、至りませんで」
川奈は何を詫びられたのかすぐにはわからなかったようで、冬木が説明すると、
「なんだ、そんなことか。あれ、アメリカの習慣だろ」
とだけいった。
川奈はいつも、「おれは忘れっぽい。忘れることが、おれの特技だ」という。たしかにそういう面もあるが、一方では、細かく気がつき、気をつかったりする。見かけに似合わず繊細という見方もあって、「ハァーイ」の一件は、しばらく冬木夫婦の心をかげらせた。同時に、同じことが、美雪には気分的な負担になった――。
「ハァーイ、美雪」
電話に向かい、冬木も負けずに快活な口調でいい返した。アメリカらしくのびやかで、わるくない呼びかけでもある。
「グッドニュースよ、パパ」美雪は、はずんだ口調で続けた。「わたし、パトリックに結婚を申しこまれたの」
「そうか」
といって、冬木は絶句した。「よかったね」とは、すぐ続かなかった。予想しなかったことではないが、結婚すれば、たった一人の子供をアメリカに取られてしまう。
胸にこたえた。冬の夜の寒さが永遠に続きそうな思いである。それなら、いっそ冬木夫婦も帰化してアメリカの土になろうか。
一瞬の間に、冬木はそれだけのことを考えた。そして、応《こた》えを待って沈黙している電話に気づき、あわてていい足した。
「よかったな、おめでとう」
「サンキュー。パパ、ほんとによろこんでくれているのね」
「……もちろんだ」
「結婚式は簡単でいいの。そちらの教会で挙げられないかしら。わたしたち、ハネムーンを兼ねて、一度、行ってみたいの」
「うん、それもいい」
冬木は、反射的に目を上げて、窓の外を見た。
くすんだ教会堂。異国の古びた石造の建物でしかなかったものが、にわかに意味を帯び、月光に輝き出して見える。これからは、この教会堂も無心で眺《なが》めることができなくなる。つらさとも、さびしさともいえぬ思いで、冬木は胸が熱くなった。
美雪の声が、その冬木の感傷を破った。
「いま、ここにパトリックも居るの。彼と替るから話して」
パトリックの声は、年齢に似合わず低く重々しかった。冬木は、それだけでわずかに安堵《あんど》を感じた。
もっとも、パトリックと何を話したかは、はっきりおぼえていない。美雪がアメリカ人になるという一事だけが、冬木の頭の中をかけ回った。
受話器からは、ふたたび美雪の声が流れてきた。
「ママには、パパから伝えてくれるわね」
「……うん」
「ママ、よろこぶと思う?」
「……もちろん、よろこぶさ」
冬木は、うつろな思いで答えた。昌代がよろこぶはずはなかった。どんな風に切り出せばよいのか。いや、どんな風であろうと、結果は同じである。ドライに伝える他《ほか》あるまい。
「もうひとつ、パパにいうこと思い出したわ」
電話からは、また美雪の声が聞えた。
「今日、パトリックとセントラル・パークを散歩していて、ふっと思いついて、昔パパといっしょに坐《すわ》ったベンチを探して、腰を下したの。そして、日本車が通る度に、パトリックから二十五セントずつもらうことにしたら、彼たちまち悲鳴を上げたわ。一時間と経《た》たぬ中に、ぼくの全財産がなくなってしまうって」
大男の腕に抱かれて笑っている美雪の姿が、目に浮かぶ。幸せそうであった。そう、幸せなら、それでいい。幸せな時間を、つぎはぎだらけでもいいから、できるだけつないで行くことである。
冬木は、美雪に告げたい気がした。いや、それは冬木自身に告げたい言葉でもあった。
五十過ぎての異国での独りぐらし。本当におれは幸せなのであろうか。幸せなんて結局たいしたことではなくて、無事にその日が過ぎる、できれば少しはたのしく。それが重なって行けばいい、ということなのか。
切れた受話器を見つめ、冬木はぼんやりしていたが、気をとり直すと、また青竹踏みにかかった。
翌日は、朝から雪であった。
山岡を宿で拾った冬木のカワナは、ヒーターを全開し、ワイパーを忙しく動かしながら、走り出した。視野一面、暗い乳白色に煙っている。降り積った雪の上に、さらに新しい雪が、風と戯《たわむ》れながら、舞い落ちる。
片側三車線の環状高速道路に出た。土地の広いアメリカらしく、道路の外側には、さらに二車線分ほどの空地が、低い凹地のまま残してある。
その凹地に滑り落ちた車、あるいはグリーン・ベルトの雪に突っこんだまま動けなくなっている車を、立て続けに幾台も見た。どれもが、アメリカ車であった。
山岡がそれをいうと、冬木は微笑した。
「昔とはあべこべだ。日本車は、よほどのことがなければ。だから、日本車のディーラーからは文句がくる」
首をかしげる山岡に、冬木は続けた。
「日本車は売ってしまうと、戻《もど》って来ない。修理の仕事がさっぱり無い、というんだな」
そこまでいって、冬木は叫んだ。
「反対車線を見てみろ。おかしな走り方をしている」
ハンドルの上で指を立てて示す。
対向車線の路肩ぎわを、引越途中であろうか、大型乗用車が赤い小型トレーラーを牽《ひ》いて走ってくる。そのトレーラーが、右に左にゆれていた。
そのゆれが一段とはげしくなった次の瞬間、トレーラーと乗用車のつなぎの部分が切れ、赤いトレーラーは、まるで鎖から放された小犬のように、道路を斜めに横切ると、ゆっくり凹地へころげ落ちて行った。
その先どうなったか。振り返って見たが、高速道路のことでもあり、視界から消えていた。
「日本では考えられぬ事故ですね」
冬木はうなずいた。
「全く思いもかけぬ事故が起る。思いがけぬようなつくり方をしているからね。正直いって、鉄板から信用できない。欠陥を調べ上げようという気がないし、調べたところで、対策を立てるつもりもない。それが、いまのアメリカなんだ」
そんなところで、日本並みの車がつくれるんですか、と問いかけようとして、山岡はのみこんだ。冬木の答はわかっていた。だから、きみにも出て来て欲しいんだ、と。
カワナは、環状線から下り、州道へ入った。分離帯があって、片側二車線。農村地帯の中をまっすぐ北へ伸び、州境を越して、さらにシカゴにまで達する。このため、シカゴへの裏街道としても利用されるので、田舎道にもかかわらず、巨大なトラックやコンテナーなどが、かなりのスピードで往来していた。雪煙が舞い、視野がかげる。
日本車とも、度々すれちがった。マンモスたちの行進の中に、小兎《こうさぎ》がまじって健闘している感じである。しかも、この小兎はマンモスに劣らず雪にも寒さにも強い。
冬木は、前夜の美雪からの電話を思い出した。
パトリックとの結婚話は、よろこぶべきか悲しむべきか、まだよくわからない。ただ美雪のはずんだ口調に、父親としては何よりの救いを感じた。
セントラル・パーク脇で日本車の数を数えたとの報告は、冬木には、父親への愛情を示してくれたように思え、胸が熱くなってくる。よくそこまで立ち直ってくれたと、だれにともなく感謝したい気分である。
パトリックのおかげもあろうし、美雪自身の努力もあろう。それに、静岡のアメリカン・スクールをきっかけとして、こちらでも美雪を包みこんでくれたアメリカ人やアメリカ社会の大きさといったもののせいもあろう。つまり、美雪はアメリカによって立ち直れた。冬木としては、そのアメリカの立ち直りに、いささかでも力を貸すべきではないのか。
冬木がいつになく明るい表情になっているのに、山岡が気づいた。
「何かいいことでもあったのですか」
「どうして」
「どことなく、たのしそうで」
冬木は、美雪の婚約のことをいおうとして、思いとどまった。それは、プライベイトなことであり、実際に式を挙げるまでは、まだまだ不確定な話でもある。男は、こうしたことを口にすべきではない。
いつの間にか分離帯が消え、片側一車線ずつが対向する道路となった。
「アメリカらしくない道ですね」
「近頃《ちかごろ》は、交通量もふえてね」
十トン車、二十トン車といった巨大な車とすれちがうとき、カワナはゆれ、風圧で吸いこまれそうになり、あるいは、はじかれそうになる。
山岡は身がすくむ思いがした。
「川奈の工場へは、この道しか無いんですか」
「そうなんだ」
「従業員も取引先も、毎日、この道を通るわけですね」
そうでないことを祈りながら、念を押すように訊《き》く。
だが、冬木はうなずいた。前方に目をこらし、ハンドルをにぎりしめて、
「もっとも、川奈の工場の前までは、分離帯つきの片側二車線に拡幅すると、州政府は約束してくれている」
「約束だけでは……。一日も早くしないと、大事故が起きますよ」
山岡は、勉の受けた痛みを身に感ずる思いがして、続けた。
「日本だと、犠牲者でも出ないと、はかどりませんが、こちらは、そんなことはないでしょうね」
かぶりを振るかと思うと、冬木はまたうなずいた。
「日本と同じさ。犠牲が出た方がはかどるだろうよ」
そういった後、冬木はいい足した。
「もっとも、こちらの役人は、かなり熱心だ。役人に対する市民の監視がきびしいせいもあるが、献身的にやってくれる役人も居る」
冬木は、一月ほど前に起ったある出来事を話した。
日曜日にコロンバス市内で、州の公用車ナンバーをつけた車を、ときどき見かける。休日に公用車を私用に使っているというので、新聞が写真に撮って書き立てた。
だが、調べて行くと、その役人は、川奈の工場進出に当って、州が約束した条項を果すため、休日も返上して働いていたことがわかり、新聞は一転して、賛辞を書くことになった……。それは、川奈のため、州がどれほど熱心かという物語でもあった。
ただし、道路の拡幅については、一向進んでいない。道路沿いにまばらに立つ農家が立ち退《の》きに応じないためである。
「こんな広い土地なのに」
山岡は目を上げて、白い大地を見渡した。立ち退き先は、どこにでもあるではないか。うるさい道路沿いに居すわることもないと思うのだが、農家は「動きたくない」の一点ばり。補償うんぬんからではない。先祖が腰を下した土地から移りたくない、というただそれだけの理由である。ドイツ系農民の律儀さ頑固《がんこ》さが裏目に出て、州も手を焼いており、目処《めど》もついていない、という。
「こちらも、むずむずしている。川奈として頭を下げて歩いてもいいし、補償などもっと考えてもいいと思うのだが、役人たちがいっしょうけんめいやってくれているので、うちとしては動くわけにも行かない」
対向車のぶれを計算し、自らもスリップしないようにしながら、冬木はハンドルをさばき続けた。顔つきも口調も深刻になり、つぶやく。
「冗談ではなく、大事故でも起きない限り、進展しない問題かも知れんな」
山岡は冬木の横顔を見た。そのためになら、自分が事故に巻きこまれてもいい――そんな表情をしている、と思った。
車は、ようやく道路から折れた。
「ここから工場だ」
と冬木はいったが、雪をかぶった雑木林が続くばかり。わずかにところどころ標識があるので、それとわかる程度。ただし、その標識の中には、「鹿《しか》に注意」というものもあった。敷地内に水|呑《の》み場になる池があるため、野生の鹿が来て、ときどき車にぶつかりそうになる、という。
敷地は約百二十万坪。広大すぎて、山岡には実感がない。
「敷地のはずれに、できれば滑走路をつくりたいというのが、川奈社長の夢なんだが……」
「行く行くは、飛行機にでも乗り出すつもりですか」
「まさか、そこまでは。あのひとは、とにかくスピード。コロンバス空港からここまで地上を這《は》ってくるのが惜しいのだろう。生涯《しようがい》とび回っていないと、納まらないんだな」
林の一部が切り開かれた先に、建設中の工場の建物が見え出した。外壁が、ほぼ出来上っている。
日本に在る川奈の主力工場と肩を並べる規模である。山岡はそこにも本格的な意気ごみを感じ、感心すると同時に、気が重くなった。
ここでカワナが組み立てられるとしても、部品の多くは、外から運びこまれる。日本でいえば、七割から八割。内製率の高いアメリカでも、五割以上の部品は外注となる。質量ともに十分な部品調達の見通しがつかなければ、一台のカワナも生れないはずである。
冬木が山岡に進出を迫るのも、当然であった。「受けの山さん」を突破口にして、栄川会のメンバーである部品メーカーに、次々に声をかけようというのであろう。
二人はカワナから下りた。
風に雪が舞い、頬《ほお》に貼《は》りつく。地面は凍り、何度も滑りそうになった。ヘルメットをかぶって、建設現場に入る。
大型設備を運び入れるために、建物の両側は大きく口を開けたままになっていた。凍った風が吹き抜けているはずなのに、中に入ると、意外に寒くない。
山岡がそれをいうと、冬木は笑った。
「暖房が入っているんだ」
指で示した方向に、超大型の暖房器が並んでいた。
「この寒さだ。四六時中暖房をかけておかぬと、コンクリートが割れてしまう」
そのとき、風の音にまじって、爆音がきこえた。ヘリコプターのようであった。
布を板にたたきつけるような音は、工場に近づいただけでなく、上空から動こうとしない。
山岡は天井を仰ぎ、
「何か運んできたのですか」
冬木は笑った。
「そうじゃない。同業者の偵察《ていさつ》だ。基礎工事がはじまってから、入れ替りやってくる。よほど、うちが気になるらしい」
苦笑を深めて、冬木も天井を見上げ、
「わざわざこんな日にまで、御苦労なことだ。それとも、こういう日だから、特別の機材でも運びこんでいると思ったのかな」
爆音と風の音、工事用クレーン車のひびき、叫び合う人の声など聞いていると、山岡は年甲斐《としがい》もなく胸がはずんでくる。目にし耳にするのは、桁《けた》はずれのことばかり。いずれにせよ、ここでは、巨大なスケールの何かがはじまろうとしている。それは、大げさにいうなら、新しい歴史がつくられて行く過程であり、その現場に立たされているという思いがする。
かつて中国大陸へ召し出されたとき、新しい歴史づくりだと聞かされた。だが、それは、破壊の歴史でしかなかった。それに比べ、いまこの新しい大陸では、まぎれもなく建設の歴史、歴史の建設に挑《いど》んでいる。山岡は、ヘルメット姿のまま、現場の一員となってとびこんで行きたい気がした。
STで裸にされたように、山岡悠吉はたかが一箇の人間でしかない。あのとき体得したかのように思った身軽さは、どこへ行ってしまったのか。
山岡は胸に手を当て、勉の写真を外から押さえた。車が生れ、車とともに生きるこの国。そして、インディアナポリスに近いこの村。仮にここで骨を埋めることになっても、勉も満足こそすれ、嘆きはすまい。
二人はまたカワナに乗って、敷地の一劃《いつかく》に在るプレハブづくりの仮事務所へ行った。
暖房のよく効いた中で、何十人もの日本人とアメリカ人が、入りまじって働いている。
紙カップに入れた熱いコーヒーが出された。アメリカの味が、体の蕊《しん》まで沁《し》み渡って行く。
冬木も、いかにもうまそうにのんだ。
「相変らず寝る前にものむのですか」
「もちろん。のまないと眠れない。こちらへ来てよけいひどくなった」
「一日にずいぶんのむんでしょうね」
「コーヒー中毒かも知れん。のんでいるうち、耳にガーシュインの音楽が聞えてきたりする。つまり、アメリカ中毒か」
山岡は、ふっと、この人はもう二度と日本へ戻らないのではないか、と思った。根拠があるわけではない。感じからである。
冬木は、そうした山岡の予感をさらに濃くするようなことをいった。
「きみの工場には、たしか、りっぱな山桜があったね」
山岡はうなずいた。危うく、麻利子の桜ですね、といいそうになった。
「あの系統の桜を、この敷地にも植えてみたいものだな。おれたちがしっかり根を下すシンボルとして」
冬木は、窓の外に目をやりながらいう。山岡は大きく合点した。
「春になったら、日本から持って来ましょう」
紙カップをかたづけに来た若い日本人社員が、冬木にいった。
「ミルマートが廃業するそうですよ」
「やっぱり……」
山岡は聞きとがめた。廃業とは、異国のことでも気になった。
「何ですか、ミルマートとは」
「小さなスーパー・マーケットさ。細々とやっていたんだが。うちの工場も出来るし、他にも、二、三、工場進出の話があるというんで、先行きを見こんで、最近、大手スーパーがひとつ支店を出した。その影響をもろに受けたんだろうね。われわれとしては、地元の店をひいきするよう、無理してでもそこで買ってやれといっていたのだがね」
これも、川奈進出の波紋のひとつかも知れない。道路拡幅からも別の波紋。波紋はまだ次々とひろがるであろう。歓迎されての進出とはいっても、事態は決して単純なものではない。
そう思うと、山岡の一度ははずんだ心が、にわかにしぼみ出した。今度こそ、軽々しく「受けの山さん」になってはならない。モルモットはもう結構。影響はあまりにも大きすぎる。
半年|経《た》った。
深夜、冬木は日本からの電話にたたき起された。大和自工がグレート・アメリカン側からの申出を受けて、同社と提携し、同社の工場を使う形でアメリカへ進出することに決まった、という報《しら》せである。
冬木は、ベッドに坐《すわ》り直して、煙草《たばこ》をくわえた。ライターは一度ではつかず、二度三度|擦《す》ったあげく、大きな焔が出て、指を灼《や》いた。
「蛸壺《たこつぼ》大和」と呼ばれるにふさわしく、大和自工は利益を手がたく貯《た》めこむ一方、どれほど甘く、あるいは声高に呼びかけられようと、また批判されようと、頑《がん》としてアメリカヘ単独進出しようとはしなかった。
イーグル自動車との間で一度、提携話が出たが、条件が合わぬということで立ち消えとなった。その後は、まるでその気などないかのように見えたのだが。
一方、世界最大のメーカー、グレート・アメリカンは、これまでも、日本の二、三の自動車メーカーに出資したり、委託生産をさせていた。誇り高い企業のことでもあり、まさか、そのグレート・アメリカンの側から膝《ひざ》を折るようにして、大和自工にプロポーズするとは思わなかった。
意外であり、最も手ごわい提携話である。望まれてのこととあれば、大和自工としては、注文のつけ放題である。有利な条件を用意させ、いちばん負担のかからぬ形で出てくることができる。残りものに福があるというが、この福は大きすぎる。
冬木は、まだ吸い終っていないのに、二本目の煙草にも火をつけた。
オハイオに来たことも、オハイオに居ることも、にわかにその意味がうすらぐ思いがする。
冬木が、単独進出に慎重論を唱えていたのは、川奈の技術がアメリカのメーカーにとって魅力があり、いつか、こういう話がころがりこんでくる、そのときまで待ってもおそくない、と考えたからである。その路線を、大和自工が大手を振って突っ走ろうというのか。
横になっても、寝つけそうになかった。コーヒーを入れようと、ベッドから下り、冬木は苦笑して、またベッドに戻《もど》った。コーヒーは切れていた。
前夜も、冬木はテープを聞きながら、二百回青竹を踏み、バス・ルームでは馬の毛のブラシで体をこすった。そこまでは、すべてが平常通りであった。そして、寝る前にコーヒーをのもうとして、缶《かん》が空になっているのに気づいた。いつも、コーヒーは幾缶か買い置いてあったが、ミルマートが閉じてから、冬木は大手スーパーで必要以上に買ってくる気を失くした。
つぶれた店に義理立てしているせいだけではない。アメリカでも一、二を争うその大手スーパーの商法が気に入らなかった。マニュアルによるのであろう、店員はむやみに「サンキュー」を連発する。それが、冬木にはわずらわしく、また慇懃無礼《いんぎんぶれい》にも思えた。派手に広告する目玉商品は、値引き幅も大きいが、早く品切れになる。さまざまな食品メーカーに協賛させて、宣伝車を送りこみ、フェアを開かせる。合理性の権化《ごんげ》のような商法が、冬木には鼻についた。合理性を尊重し、「数字で物をいえ」といい続けてきた冬木にしてみれば、おかしな話かも知れない。同質だから、かえって反撥《はんぱつ》するのか、それとも、合理性だけでは息苦しさを感ずるようになってきたのか。
いずれにせよ、コーヒー缶の買い置きはなく、冬木はいつもになく寝つきがわるかった。そのあげく、深夜にこの電話である。とても眠れそうにはない。
冬木は、窓に寄った。
夜空には、一面に星が光っていた。その星明りに、高校のサッカー場が浮き出ている。先々週の日曜には、そこで試合があり、例によって村をあげての応援があったが、地元チームは大敗した。このため、サッカー場はもう二度と人の来ない廃墟《はいきよ》のように見えた。
石づくりの教会堂にも、人間の体温は感じられなかった。美雪たちは結婚したものの、結局、式は挙げず、そこへ来ることもなかった。
「それより、少しでもお金|貯《た》めておきたいの」
電話の美雪の声に、冬木はうなずいた。その電話さえ、このごろはすべて冬木払いのコレクト・コールで掛けてくる。
会えないのは淋《さび》しかったが、美雪が手がたく家庭を営もうとしているのが、冬木にはうれしかった。冬木はいった。
「二人が満足しているのなら、わざわざ式も旅行もすることはない」
統計によると、アメリカ人は平均して一生の間に七・五回転地する。移動する人種というわけだが、一方では、州境を一歩も出ないで生涯を終る人間も多い。美雪夫婦がこの先どちらの人生を送ることになるか、わからない。ただ、堅実な結婚生活を送ってくれるようにと祈るばかりである。
ベッドに戻ってから、冬木は思いついて受話器をとった。交換手《オペレーター》を呼び出し、日本の山岡の電話番号を告げる。
一分と経たぬうちに、山岡のおどろいたような声が出た。
「はるばるアメリカから、いったい何事ですか」
「きみがどうしているかと思ってね」
「そのためにわざわざ」
「……うん。こちらに来ていると、おれだって偶《たま》にはそういう心境になる」
「用件は無いのですか」
「暖かくなったし、工場もかなり出来上った。もう一度見に来ないか、と思ってね」
答えない山岡に、冬木はたたみかけた。
「今月末には、勉君が夢見ていたインディアナポリスのレースがある。いまなら切符が手に入る。勉君の写真といっしょに見に来たら」
山岡は、まだ黙っている。ふいの国際電話に、「受けの山さん」も疑い深くなっているのかも知れない。
それにしても、山岡は、ヤマトとグレート・アメリカンの提携のニュースをまだ知らないのか、知っても、たいした動揺はないのか、冬木にはよくわからなかった。
眠った子を起すことはない。それより、二人の間柄《あいだがら》である。もう一度、率直に、そして押し強くたのんでみよう。
ヤマトがグレート・アメリカンの工場を利用して進出、ジャスト・イン・タイムなどヤマト式の経営を貫こうとしても、こちらの部品会社は、とり合うまい。押しつけもできない。日本とちがい、ここでは、メーカーと部品会社は、力関係でも、法的にも、対等である。
これに比べて、単独で進出する川奈自工は、部品会社と新しい契約を持つこともできるし、日本の部品会社を呼び寄せ、部分的にジャスト・イン・タイムをとり入れることもできる。
ヤマト提携進出のショックをやわらげるためにも、冬木としては、ぜひ山岡に出て来て欲しかった。
冬木は、受話器に向かって頭を下げた。
「ぜひ進出を考えてくれ」
しばらくの沈黙の後、山岡は重い声で答えた。
「いろいろと問題がありますからね。採算だけではありません。マネジメントも問題です。わたしらにアメリカ人を使いこなすことができるかどうか」
「それは、われわれといっしょにやって行けば」
「中小企業にそんな余裕はないのですよ」
「……アメリカだって、たくさんの中小企業が生きている」
「そうでしょう。わたしは、このごろふっと思うのですよ。もし、英語が流暢《りゆうちよう》なら、数は少ないようですが、そちらのSTに参加して、アメリカのおやじさんたちと裸になって話し合います。そうすれば、きっと自信も湧《わ》くでしょうけど」
それほど簡単な話ではないが、山岡がそんなことまで考えているということは、まだ脈があるのだ、と冬木は思った。
「アメリカも日本も、たいして変りはしないんだよ」
冬木のその言葉に、山岡は思い出したように、
「そういえば、あの道路はひろがりましたか」
「進んではいるが、まだ用地買収が終っていない」
予定されている延長七マイルの道路ぎわに在る家は、三十八戸。三百メートルに一戸平均とまばらだが、いぜんとして、どの家も腰は重く、まだ十戸しか話はついていない、と聞いていた。
「相変らず危険な道なんですね。どうぞ、注意して通って下さい」
「うん」
「息子から聞いたことがありますが、危いと思っていると、かえってそちらへ引き寄せられたりするそうですからね」
「事故に遭えば、交渉も進展するさ」
「また、そんな冗談を」
「冗談じゃない。本気でそう思ってる」
「よして下さいよ、縁起でもない」
山岡はあわてていってから、
「奥様はごいっしょですか」
「……まだ来ていない」
「すると、日本でずっと御療養ですか」
「うん」
「水くさいですね。お見舞いなり何かお役に立てたのに」
「関係ないことだよ。それより、きみ、オハイオに」
「……もう少し考えまして」
「きみらしくもない。|OK《オツケイ》といいたまえ。とにかく見に来るだけでいい」
「……ええ」
山岡は低い声でいってから、
「ところで、いまそちらは夜中じゃありませんか」
「そうだ。とてもきれいな星空だ。眠るに惜しくてね」
「本当は寝て居られる時間でしょう」
「あいにく睡眠薬代りのコーヒーが切れてね」
「珍しいことですね」
「だから心細くなって、急にきみの声が聞きたくなった。もう一度来る、といってくれ。そうすれば、安心して眠れる」
「……なんだか、冬木さんらしくないせりふですね」
「だって、何としてもきみに|OK《オツケイ》といわせたいんだ」
「…………」
「見に来ることだけは|OK《オツケイ》、といってくれ。それに、そうだ、いつかたのんだ山桜の苗木も持ってきて欲しい。早く花が咲くようなやつを」
山岡は、やれやれといった口調で、
「ま、とにかく考えておきましょう。電話代も高いことですし、この辺で。おやすみなさい」
「おやすみじゃなく、とにかく|OK《オツケイ》だ」
「……仕方がない、|OK《オツケイ》。ただし、見に行くだけですよ」
「うん、それでいい。じゃ、おやすみ」
久しぶりとはいえ、冬木らしくない長い電話。それも国際電話でありながら、これまた冬木らしくなく、これといった用件はなかった。結果的に何度も「とにかく来てくれ」といっただけである。
だが、考えてみれば、それがいまの冬木にとって、いちばん大事な用件でもあった。
冬木は、ベッドに横になった。
時ならぬ国際電話に山岡が頭を抱えこんでいるだろうと思うと、おかしくもあるし、また気の毒にもなった。迷うことのつらさが、冬木にもよくわかる。その迷いを、中小企業主としては、自分独りで抱えこみ、迷い抜く他《ほか》はない。
常務とはいえ、冬木は組織の一員である。迷いを独りで抱えこむことはない。相談相手もあったし、最後は川奈の号令で、迷いをふっ切り、海を渡ることになった。冬木には、そうした形で迷いから解放されるときがある。だが、山岡たちには……。
山岡に下駄《げた》を預けたということで、少し気分が楽になり、冬木はまどろみに落ちた。
翌朝、冬木は珍しく寝すごした。
目ざましが鳴ったのに、無意識に止めていた。前夜の星明りがうそのように、雨が降っていた。その雨天の暗さが、一度は目を開けたはずの冬木を油断させたのであろう。
朝食をとる間もなく、冬木はカワナにとび乗った。家を出る時間が、いつもより十五分近くおくれていた。
冬木は、かなり早目に工場入りする習慣なので、始業時間には間に合う。
だが、いつもより十五分おくれるというそのことが、冬木には許せない。朝の日課が狂えば、その日一日の体調まで狂う。まして、狂わされた原因が、コーヒー切れにあるだけでなく、大和自工とグレート・アメリカン提携のニュースのせいだとあっては、自分が情なくなる。
おくれをとり戻さなくてはならない。雨天の際は減速すべきなのに、冬木は逆にいつもよりスピードを上げて走った。カワナの性能はいいし、運転には自信がある。ハンドルさばきさえ気をつければ、と思った。
道の両側には、麦畠《むぎばたけ》や牧草地がゆるやかな傾斜で続く。楡《にれ》も楓《かえで》も豊かな若葉を身にまとって、濃く淡く視野一面の緑が、雨に煙っている。その緑をところどころ剥《は》がすようにして点在する農家。
道は一車線となり、分離帯が消えた。大型トラックが、雨脚の中から巨象のような姿を現わして、すれちがう。風圧でカワナがよろける。
道の右に左に忘れ物のように見えてくる農家。以前は何気なく見すごしてきた家々が、いまは立ち退《の》きの話のついた家か、つかない家かのどちらかである。前者はほほ笑みかけ、後者はにらみつけてくる。
コンテナーとすれちがう。大きな水しぶきがとんで、一瞬、フロント・グラスが乳白色に曇った。ハンドルをおさえていなければ、吸いこまれるところである。
前夜の電話の中で、山岡はたしか「気にしていると、そこへ吸いこまれる」というようなことをいっていた。ばかなことを。もっとも、吸いこまれて事故が起きれば、買収交渉は一気に進むかも知れない。冬木にとって、また、アメリカ川奈にとって、何より隘路《ボトル・ネツク》となっていた問題が。
部下が犠牲になったのでは、愁嘆場が堪えられないし、事後処理もわずらわしい。いっそ自分が人身御供《ひとみごくう》になった方がいい。
昌代は腎臓《じんぞう》結石とわかり、薬で治療したがはかばかしくなく、体力をつけた上で、つい最近、石の摘出手術をしたところであった。冬木は手術に立ち会えなかったが、経過は良好だという。親類が入れ替り見舞ってくれており、このごろは少しは元気も出て、見舞いの花などスケッチしてみたくなった、などといってきている。
ここで冬木に万一のことがあったとしても、精神的なショックは別として、川奈株の配当金などで昌代ひとりの生活は何とかなる。もっとも、そのためには、川奈がいま程度の配当を出せる会社であり続けねばならず、アメリカでの失敗は許されないが。
長い間心痛の種であった美雪は、いまがいちばんいい時期のようである。早く子供を産みたいともいっていた。まずは心配はないようである。先々のことを考え出せばきりがないが、当面のところは。
冬木の肩の荷は軽くなった。個人的に格別のねがいもない。むしろ、少し人生に飽き、人生に疲れている。テープも聞き飽きたし、青竹も踏み疲れた。ある日ふいとこの世に生れたように、いつふいと消えてもいい、という思いがする。
冬木は、自分と同年代の男が、ゴルフ場でぽっくり死んだという話を聞くと、うらやましくなる。いずれ死なねばならぬ身であり、あんな風に無駄なく死にたい。それだけがいま唯一《ゆいいつ》のプライベイトなねがいのような気がする。
雨はさらに強くなった。カワナの屋根を、はげしく叩《たた》く。冬木は首をすくめるようにしながら、ハンドルをにぎった。そういえば、アメリカの鉄板が弱いのが気になる。塗装技術も日本より遅れている。アメリカ製カワナの屋根が、こうした雨にたたかれて、色|褪《あ》せたり漏水したりすることはないだろうか。
「なあに、心配することはない。アメリカ人だって、手は一本でなく、二本ある。ちょっと性根を直せば、同じ物をつくるさ」
雨の音にまじって、川奈の声が聞えてくる。調子がよいばかりでなく、川奈は本気でそう信じこんでいる。幸せなひとだ、と冬木は思う。
「楽天的でないと、貧乏人の一連隊をひき連れては行けん」
というのが山岡の口癖だが、その山岡に比べても、川奈ははるかに楽天的である。そして、老いることを知らず、とび回っている。アメリカ川奈の敷地にふいに軽飛行機で舞い下りるようなことも、まだまだやりかねない。そうした川奈の姿は、冬木にはおどろきであるばかりでなく、脅威でもあった。冬木たちの生きて行くエネルギーは、すべて川奈に吸いとられてしまったような気がして――。
対向車線に次々に現われるトラック、コンテナー、トレーラー。それら重|車輛《しやりよう》にまじって、小型の日本車も健気《けなげ》に走ってくる。すれちがう度に、挨拶《あいさつ》のように互いに水を浴びせかけて。
|曇りとり《デフオツガー》を作動させているのだが、はげしい雨脚でガラスが細かくひび割れたかのように、窓はくもる。そのくもりの中から、巨大な車がおどり出る。たしかに危険きわまりない道であった。拡幅を急がねばならない。
もちろん、拡幅さえすめば冬木の当面の問題がなくなる、というものでもない。対向車線におどり出る車のように、懸案は次々と出てくる。
たとえば、組合問題。アメリカ人従業員には、日本の終身雇用制に近い安定的な身分保証をする。その代り、アメリカで最も戦闘的な労働組織であるUAWには加盟して欲しくない。
だが、最近では、同組織の関係者がしきりにミルズバーグに出没しているという話を耳にしている。組合対策をどうするか、頭の痛い問題である。
班長《フオアマン》クラスを養成するため、いま日本へ四十人の従業員を送り出している。三ヵ月間の工場実習を受けさせるためだが、「三ヵ月行きっきりでは、りっぱに離婚の理由になる」と、細君たちが承知しない。途中で妻子に会うため、一度は帰国させろ、との要求が出た。キッチン・パスポート、つまり、細君からの旅行許可証は一ヵ月半が限度、というわけである。旅費などは、約束により州政府が負担してくれるからいいようなものの、アメリカという国では、先々またどんな意外な要求をつきつけられるか、わからなかった。
アメリカ製部品の高い装着率を義務づけるローカル・コンテント法案の行方も、心配である。
さし当って、アメリカ川奈では、かなりの部品を日本から運んでくる計画だが、この法案の内容しだいでは、日本製部品の輸入が大幅に禁止されることになる。
代りに品質の劣ったアメリカ製部品を使えば、カワナの性能も落ちざるを得ない。それを防ぐには、やはり一日も早く、山岡のような部品業者が進出し、日本人の息のかかった米国製部品を供給してくれることである。
その山岡は、電話では、道路のことを気にしていた。今度来るとき、この道路が分離帯つきの片側二車線になっていれば、山岡の印象もちがったものになるであろう――と、考えは、また道路に戻《もど》る。
ハンドルをにぎりながら、冬木は苦笑した。まるで同じところを走っているように、今日は考え方が堂々めぐりする――と。
対向車線のトレーラーが、大きく尻《しり》を振った。
「畜生《ガツデム》」
間一髪のところで、冬木はハンドルを切ってかわした。口にしたこともなかった言葉。血が上ってきて、冬木は自分が自分でなくなったような気がした。朝の十五分のおくれが、すべての体調を狂わせている。さかのぼれば、コーヒーの切れたこと、地元スーパーのつぶれたことが……。
危ない。また対向車線に吸い寄せられる。勉君のいったとおりだ。彼の霊が呼んでいるのか。
おれはどうかしている。しかし、吸いこまれれば、問題のひとつは解決する。逃げるな。
次の瞬間、大型トラックの運転席が、カワナのフロント・グラスいっぱいに襲いかかってきた。
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第六章
ジョージア州知事から大統領になった男の就任式に、たった一人、意外な日本人が招かれた。財界の大物などではなく、地方に本社を置く一中堅企業の代表者であった。
その会社が、日本企業の中で同州にはじめて工場進出したことを、新大統領は大いに徳としたからである。
* * *
海の見える横浜のホテルで、山岡《やまおか》の還暦祝いが開かれた。
発起人の中心になったのは、山岡が仲人《なこうど》をした三十二組の夫婦、それに山岡鉄工所の古い従業員有志。最初は百人も集まればと思っていたが、従業員のほとんど全員が参加し、さらに中途でやめたり定年退職した従業員までが伝え聞いて参加を申し込み、三百人を越す集いとなった。
山岡はうれしかった。胸に大きなリボンをつけ、由利子と並んで壇上に立つ。たとえ背丈ほどあるリボンでも、よろこんでつけたい気分であった。祝辞を受け、祝福のコーラスや詩吟を聞き、花束をいくつももらう。
思いがけぬ形で鉄工所を引き受けさせられて、ほぼ三十年。苦労してきた甲斐《かい》があった。これほど多勢の人に祝福されるなんて。これが自分の人生の到達点ではないのか。中小企業のおやじとしては、こうして祝ってもらうことこそ人生で最高、そして、おそらく最後の栄光ではないだろうか。
祝辞は、次々と続いた。還暦は人生のふり出しに戻《もど》ること。これからの人生でもさらに活躍を、といった趣旨のものが多かったが、最後に祝辞に立った従業員代表は、山岡が一度も健康診断を受けないくせに、血圧が百二十から七十という正常値であると公言しているのをとらえ、ぜひ健康診断を受けるよう、それをここで全員に誓って欲しいと、笑顔ながらにつめ寄った。
謝辞の冒頭で、山岡はそのことに応《こた》えざるを得なかった。
「わたしも、受けの山さんです。御忠告お受けします。近いうち、必ず健康診断を受けます」
とたんに、それまでの中でいちばん大きな拍手が来た。山岡は、いよいよ胸が熱くなった。横に立つ由利子に、ほんとうに受けるぞと、目で合図した。
このところ、体調がよくないことを、山岡は自覚している。体重がふえたせいとは思うが、階段を上っていて息苦しくなったり、足がもつれたりする。頭が痛かったり、気分がわるくなることもある。それに、心臓のあたりに針で刺すような痛みをおぼえたことも、二、三度あった。
やはり手入れの時期が来ている。オーバーホールもしないで、六十年も使える機械はない。手入れした上で、新しい人生をはじめよう。
祝宴会場の窓の外には、コバルト色の海が光っていた。大きな船が幾隻《いくせき》も浮かび、ランチが小動物のように走り回っている。世界につながる海、新天地からの風が吹いてくる海……。
山岡は、ふっと冬木のことを思った。国際電話では、道路のことばかりくどくいったが、広々とした道路には、先行きを明るく感じさせるものがある。日本と太いパイプでつながるという安心感もある。
冬木の顔が、また目の前にちらついた。山岡は思い切っていった。
「これから新しい人生をというお話もありましたが、実は、これからのわたしにとって、また山岡鉄工所にとって、大きな宿題があります」
ここに来ているのは、本当のことを話していい仲間である。宿題を自分ひとりの中で抱えこんでいないで、どんな反響があるか、とにかく投げ出してみよう。
山岡は、鉄工所の現状についても、手短かに、しかし、正直に話した。
合理化は限界に来ているが、なおコスト・ダウンを要求されるであろう。その無理をこれまでは増産によって吸収してきたが、輸出の頭打ちもあって注文が減りはじめており、今後もふえる見込みはない。だから、よほどのことがなければ、ジリ貧という状態を避けられない。ジリ貧からの活路として、オハイオ進出が考えられる。たいへんな冒険である。
だが、思い返せば、たいへんでなかった時期というものがあっただろうか。たいへんの連続であった。そして、山岡のところだけがたいへんだったわけではない。そもそも日本で自動車をつくるということ自体が、たいへんであった。
事実、戦前、各財閥はそろって自動車に手を出さなかった。明文で禁止した財閥もあった。
そうした中で、個人業者である大和自工や新興資本である極東自工の創業者たちは、苦労してきた。うまく行くとは思わなかった。日本のためにつくらねばならぬ、と考えたからだ。苦労は覚悟の上。大和自工などは、水道料を節約するため、水洗トイレの水槽《すいそう》に煉瓦《れんが》を沈めて流れる水を減らしたほどであった。
それが自動車をつくるということなのだ。たいへんだからといって、一々ひるんでは居られない。
山岡の古い戦友である冬木は、いままたアメリカへ出され、死体を拾いに来てくれ、といってきている。もちろん、死体になってからではおそすぎる。
同じことは、アメリカについてもいえる。アメリカはいまや負傷兵である。元気なころには、技術をくれ、自由化も待ってくれたが、いまは力尽きた負傷兵。水をくれといってきているのに、泥《どろ》をのませるわけには行かない。出かけて行って、とにかく少し助けてやっていいじゃないか。
「考えてみれば、とにかく、とにかく、とにかくと、とめどもなくわたしは冬木さんにのせられてきた。そして、ついぞ、できないとか、だめだとかいわなかった。ここに居られるみなさんとともにほめられていいことだ。その上で、今度のとにかく。わたしは、今度こそ、これを最後のとにかくとしたいと思います。わたしの最後の|OK《オツケイ》にしたいと思います」
話し終ると、はげしい拍手が起った。山岡が二度三度頭を下げても、拍手は鳴りやまなかった。興奮した空気は、立食会に入っても、さめなかった。
「社長、決まったら、オハイオへ行かせて下さい」
といってくる社員が、幾人もあった。
「もう一度わたしを雇って、ぜひアメリカへやって下さい」
深々と頭を下げたのは、ST受講後、退職して独立した工場次長であった。事業は失敗した、という。
その一方では、宇田島がすり寄ってきてささやいた。
「山さんらしくない大演説だったね。どうかしたのかと思った」
「……そのつもりじゃなかったが、何だか急にしゃべりたくなってね」
いわれてみると、たしかに山岡には珍しい熱弁であった。こんなにしゃべったのは、ST以来のことかも知れない。そういえば、しゃべった後のいまは、STを終ったときのような気分の軽さがあった。あのときは一週間信州をさまよったが、今度はオハイオまでさまよい出ることになるのか。
山岡は、宇田島がにやにやしているのに気づき、
「何かまちがったことか、おかしなことでもいったかい」
「いや別に。りっぱな受けのお話さ。ただし、ひとつ感じたのは、山さんはしきりにジリ貧からの脱出といったが、そのあげくドカ貧にならなければいい、と思ってね」
戦前、日本が国際連盟を脱退するとき、若い将校たちは、「ジリ貧よりもドカ貧を」と叫んだ。そして、歴史はその通りになって行った、という。
「ジリ貧も困るが、ドカ貧も、もっと困るよ」
オハイオ進出には、たしかにドカ貧になる心配もある。ただ山岡は、言葉としては、ジリ貧よりドカ貧が好きである。受けの人生の最後に、山岡はアメリカに渡って、ひとつそのドカ貧とやらに挑戦《ちようせん》してみたかった。
冬木が自動車事故で重態という報《しら》せが来たのは、その還暦祝いから二日後のことであった。
山岡はすぐオハイオへ飛ぶことにした。再度見に行くことを先の電話では約束している。その約束だけでも、冬木の息のあるうちに果さなくては。
だが、渡航に由利子が珍しく反対した。還暦祝いの疲れなどあって、山岡がかなり憔悴《しようすい》しているように見える。健康診断を済ませてから行ったら、という。
山岡はとり合わなかった。急いで留守中の仕事の手配をする。思い出して大島桜の若木を掘らせ、根を水苔《みずごけ》で巻きビニールで包んで、大型スーツ・ケースの底に隠した。植物|検疫《けんえき》など受けていたのでは間に合わない。とにかく早く冬木の目の届くところに根づかせてやりたい。
出発を夜に控えたその日は、朝から冷たい雨が降っていた。山岡は、その中を、事務所と工場の間を何度も往《ゆ》き来した。
エア・ハンマーの一基が故障しており、製造元の手を借りねば、修理できなくなっている。それに、金型を交換するためのクレーンの調子がよくない。このままの状態があと三日も続くと、安全在庫がなくなり、大和自工へのジャスト・イン・タイムに間に合わなくなる。
珍しい故障ではないが、山岡には妙に気になった。気にすると、動悸《どうき》まで早くなり、胸苦しい。脂汗《あぶらあせ》もにじみ出た。
「社長、顔色がわるいですよ」
「わたしたちが何とかしますから、出発まで休んでいて下さい」
部長たちから、口々にいわれた。
STから帰った直後、焼鈍炉の故障などいろいろ工場に問題はあったのに、山岡はそのまま一週間雲がくれしてしまった。いまもそれと似た状況でしかないと思うのだが、やはり、気になった。すべてをきちんと軌道に乗せておかないと、冬木とまともに向き合えない気がする。
山岡の部屋は、事務所の二階に在り、そこには事務所内を通らず、直接、外へ出られる非常階段がついていた。部長たちに心配をかけぬため、午後になると、山岡はその非常階段を使って、工場へ行った。
相変らず、冷たい雨が降り続いている。炉の燃えさかっている現場からの戻りは、頭が痛いほど冷雨がこたえた。
階段を上る足が重く、もつれる。そして、最上階に立ったとき、山岡は急に目の前が暗くなり、足をとられて崩折れた。階段をだれかがかけ上ってきて抱き起された。視野は真暗であり、意識は急速に薄れて行く。
「社長、しっかりして下さい、社長」
遠のく叫び声に向かって、山岡はうめいた。
「死んでたまるか、死んで……」
アメリカの冬木は、四時間を超す手術のあげく奇蹟《きせき》的に命をとりとめた。しばらくは昏睡《こんすい》状態が続き、意識をとり戻したのは、事故から三日後のことである。病床近く、美雪の顔があった。
「ああ、よかった、よかった」
美雪は大きなジェスチュア入りで、くり返した。
事故の報せを聞き、すぐニューヨークから飛んできて、ずっと病院に居たのだ、という。
「ドクターは、もう心配ない、といってたわ。今度は、わたしが彼のこと心配になってきた。一度ニューヨークへ帰っていい?」
冬木はうなずこうとしたが、首が固定されていて動かない。
「ママも体が回復したら、すぐこちらへ来るといってたわ。みんなそろってアメリカへ住むのね」
ひとりで決めこんでいる。
冬木は微笑した。大きく呼吸をすると、胸の骨が痛かった。身動きしようにも、手も足も固定されている。目を閉じると、巨大なトレーラーの運転席が瞼《まぶた》の裏いっぱいにひろがった。
看護婦に案内されて、川奈社長が入ってきた。渡米の予定があったのを、急に早めて着いた、という。
川奈は美雪に「ハァーイ」と片手を上げた。美雪もつられて「ハァーイ」といいかけ、あわてて両手をそろえてお辞儀をした。
「おやおや」
川奈は笑いながら、美雪に握手を求めた。
「すっかり、りっぱになって」
「いえ、わたし、りっぱではありません」
少しばかりそうしたやりとりがあってから、美雪は手を振って病室から出て行った。
「申訳ありません」
冬木は詫《わ》びた。川奈はかぶりを振り、
「きみは運が強い。おれと同じだ。不死身なんだよ」
川奈は自分の運転もふくめて、二回、大きな事故に遭っている。その上、乗っていた軽飛行機が着地に失敗して大破するという事故にも巻きこまれたが、いつもかすり傷程度で済んだ。
「おれたちは、こわいもの知らずだ。こわいものなしだよ」
川奈は冬木を励ますようにいった後、首をすくめ、
「もっとも、おれにもこわいものが二つばかりある。内儀《かみ》さんと、内儀さんの操縦する飛行機だ」
笑声が病室中にひびいた。笑声の主たちに向かって、冬木は訊《き》きたかった。いつになったら起きられるか。いつから青竹踏みを再開できるか。寝たままなら、もうテープによる勉強をはじめてもいいのではないか。今度はコーヒーの買い置きも忘れないぞ。元気になって旧の日課に戻るのではなく、旧の日課に戻れば元気になれる。医師にもそう伝えて欲しかった。
オハイオ工場の男たち、それに州政府の関係者などが、入れ替り見舞いにやってくる。アメリカ人はだれも道路問題には触れようとしなかった。代りに病室は花に埋まった。
さらに二日ほどして、日本からの見舞客だという顔の長い男が案内されてきた。宇田島と名乗るその男を、冬木がすぐには思い出せないでいると、
「山岡さんに弟分のようにしてもらっていたメッキ屋です。山岡さんの代りに来ました」
「山岡君はどうした」
「あれっ、まだ御存知なかったんですか。しゃべっては、まずかったのかな」
山岡の心筋梗塞《しんきんこうそく》による死を、冬木ははじめて知った。
すぐには信じられなかったが、山岡の生き方を考えれば、起り得ぬことではない。
冬木は、山岡が自分の身代りとなって、無言のままあわただしく天国へ呼ばれて行ったのを感じ、瞑目《めいもく》した。還暦祝いの席で山岡が珍しく雄弁をふるったことなど知る由《よし》もなかった。
冬木の耳もとで宇田島がいった。
「葬儀など一段落したら、健《たけし》君がオハイオへ来る予定です」
健はマルセーユからアンヌや子供を連れて引き揚げる。ただし、日本で跡を継ぐよりも、オハイオでアメリカ人を使って事業をはじめる方がやりやすそうだ、といっている。そのときには母親の由利子も引きとって暮すつもりだ、と。
意外なことばかりだが、そうした報告もふくめて見舞いに来てくれた宇田島に、冬木は山岡への友情を感じた。
「それにしても、きみ、よくもはるばると……」
「山岡さんには世話になりましたからね」
宇田島はしんみりした口調でいったあと、
「わたし自身も、日本の工場は親類縁者に引き渡し、こちらへ来て一旗揚げてみようかとも思うのです。それに、こちらで成功すれば、そのときこそ高値で売り払って、サンディエゴあたりへ引退。悠々《ゆうゆう》と金髪美人と暮すこともできますからね」
「なんだか、みんながアメリカへ来るみたいだな」
冬木が、うれしいような、がっくりするような複雑な思いでつぶやくと、
「そういえば、山岡さんが用意していた桜を持ってきました。おれといっしょに根づかせるのだといっていましたが、ここへ来る途中、工場へ仮植えしてきました」
「根づかせる?」
訊き返してから、冬木は山岡との最後の電話のやりとりを思い出した。
「山岡はそこまで……」
あとは声が出ず、あの男は最後まで「受けの山さん」だったと思った。
やや風の強いこの日、オハイオの空は、淡いエメラルド色にすみ渡っていた。
広大な敷地の奥で、工場は組立ラインの最後の調整を急いでいた。建物は深い森に囲まれて、外からはほとんど見えない。車も人の姿もなく、ただ風だけがおどっている。
大島桜の若木は、森へ通ずる道路ぎわに植えられ、ひとり新世界の風にゆられていた。
角の大きな鹿《しか》が通りかかった。気になるのか、鹿は大島桜のところで立ち止まった。そして、しばらく匂《にお》いを嗅《か》いだあと、長い首をうなずくように振り、ゆっくり楡《にれ》の木立《こだち》の中へ消えて行った。
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後記
本作品は虚構によるものであり、実在する人物や企業とは一切関係が無いことを、おことわりします。
日本とアメリカにおいて取材に応じていただいた多数の方々、主として参照した左記文献の著者の方々に深く謝意を表します。
小磯勝直《こいそかつなお》『軽自動車誕生の記録』(交文社)
石田退三『自分の城は自分で守れ』(講談社)
花井正八『わたしは三河人』(非売品)
加藤誠之『ざっくばらん』(日本経済新聞社)
本田宗一郎『私の手が語る』(講談社)
大野耐一『トヨタ生産方式』(ダイヤモンド社)
青木慧《あおきさとし》『トヨタその実像』(汐文社)
平沢正夫『TOYOTA・オートアニマル』(亜紀書房)
梶原一明《かじわらかずあき》『ドキュメント 日産自動車の決断』(プレジデント社)
梶原一明『トヨタ高収益構造の解明』(産業能率大学出版部)
吉田信美『自動車地球戦争』(玄同社)
立辺純太《たてべじゆんた》『日産自動車の時代』(オーエス出版)
碇義朗《いかりよしろう》『第一車輛設計部』(文藝春秋)
〃 『東洋工業の反撃』(ダイヤモンド社)
三戸節雄《みとせつお》『企業で出来ないものはない』(プレジデント社)
〃 『ホンダ・マネジメント・システム』(ダイヤモンド社)
崎谷哲夫《さきやてつお》『ホンダ超発想経営』(ダイヤモンド社)
曽根原龍介『いすゞ蘇生《そせい》の秘密』(こう書房)
伊藤正孝『欠陥車と企業犯罪』(三一書房)
亀岡太郎『自動車人脈』(自由国民社)
中沖満『力道山のロールスロイス』(グランプリ出版)
小関智弘《こせきともひろ》『大森|界隈《かいわい》職人往来』(朝日新聞社)
長谷川慶太郎『ロボット時代の読み方』(祥伝社)
西田通弘『語り継ぐ経営――ホンダと共に』(産業関係研究所速記録)
昭和六十二年四月新潮文庫版が刊行された。