TITLE : 死体は知っている
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死体は知っている 目 次
T
ゲーテの言葉
葬式待った
死因をさがせ!
溢《いつ》血《けつ》点を追え
魂の重さ
下 心
生きかえった死体
先入観
白衣の天使
出生三説
U
黒い砂
ジグソーパズル
二人の真犯人
テラピアの叫び
死体の涙
母子心中
V
マリリン・モンロー怪死事件
八何の原則
しらを切る
結論は同じでも
死体は知っている
「死」を追い続ける
死者に言葉あり
あとがき
T
ゲーテの言葉
若いころは誰れしも自分が死ぬというようなことには無縁であるから、死を深く考えたりはしないだろう。
しかし、私を含めて戦中派の人達は、国のために命を捧げることが義務のように教えられた時代であったから、死に対してそれなりに考え、覚悟はできていたような気がする。
とはいえ「死ぬ」というのは恐ろしいことだし、死にたくはないと臆病者の私は常々思っていた。だから兵士として戦うのではなく、敵味方の区別なしに治療に専念できる医者に、あこがれたのかもしれない。
幸い戦争も終り、念願通りに医学部に入って、いろいろな病気について勉強してみて驚いた。
教科書は内科、外科、整形外科、産婦人科、耳鼻咽《いん》喉《こう》科、皮膚科、精神科等々……に分れているが、すべて病気や外傷などに関する原因、治療が書いてある。それらの教科書を積み重ねれば、自分の身の高さをはるかに越える厚さで、幾千幾万という発病の危険のある病気(内因死)が、自分のまわりにたくさんうごめいていることを知った。
驚きであった。
そればかりか災害事故死、自殺、他殺というような外力の作用による死亡原因(外因死)も数えきれないほどあるのだ。
考えてみると、よくもまあ、これらの危険をかいくぐり六十年間も、元気に生きて来られたものだと自分自身感心してしまう。生きているのが不思議に思えてくる。だからこの幸運に感謝せずにはいられない。
しかし私も、最後にはこの中の一つか二つの病気にかかり、体力が衰えいかに治療をしても治ることなく、帰らぬ人になるのである。
それが死であり、その原因が死因である。
運命なのだろうが、自分は将来どのような経過をたどって終えるのだろうかと考えたことがある。先祖の死因を調べ、家系の遺伝傾向などからすれば、やはり心筋梗《こう》塞《そく》で死ぬのかなどと深刻に考えたりした。
人気のロック歌手が若くして急死した。
解剖の結果、死因は肺《はい》水《すい》腫《しゆ》と発表された。
肺水腫とはどのようなものなのか。早速新聞社から問い合せが入った。
肺は呼吸器であるから、空気が出入りするのでちょうど水をきったスポンジのような感じである。ところが心不全の状態が起こり、血液の循環がうまくいかなくなると、肺の血流が渋滞し、うっ血した状態から死亡するので、肺は多量の血液を含み、水びたしのスポンジ状になってしまう。それが肺水腫である。
だから肺水腫を起こす前に、急性心不全がある。若くて元気な人が突然心不全を起こすようなことは考えにくいので、さらに心不全を起こすには、それなりの原因があったと思われる。多量の飲酒とか睡眠剤中毒などという強烈な引き金がなければ、心不全は生じない。
そこで死因を正しく整理すると、多量の飲酒のために急性アルコール中毒を生じた。そのために心不全が起こり、その結果肺水腫となって死亡したことになる。したがって医学的には、死亡の引き金になった急性アルコール中毒が、死亡の原因すなわち死因になるのである。最後の結果となった肺水腫を死因としたのでは、なぜ死んだのかわからなくなってしまう。
このように死因には医学的因果関係があり、〓、〓、〓と三段階に表現することになっている。〓は直接死因、〓はイの原因、〓はロの原因を記入するのであるが、この場合は、〓肺水腫、〓急性心不全、〓急性アルコール中毒症となり、〓の急性アルコール中毒が死亡の原因になるのである。
死をみとる場合、最後に心臓が止ったから心臓麻《ま》痺《ひ》、あるいは呼吸が止ったから呼吸麻痺などと死因を説明したのでは、本当の病気、原因がかくされてしまう。
脳出血でも、胃《い》癌《がん》でも、あるいは首つりで自殺をしても、死んだ人はすべて脳、心、肺の麻痺が起こっている。だからこの重要臓器の麻痺を死因として扱わないというのが、医学的常識である。この三つの臓器を麻痺させた病気、原因が死因なのである。
記者たるものは、ドクターにそこまでさかのぼって質問しなければ、死因の取材にはならないと答えた。
新聞の死亡欄などをみていると、最近多臓器不全という死因がつかわれたりしている。アカデミックですごく立派な死因のように思われるが、これも同じことで、いろいろな病気で死期が近づけば、血液の循環は悪化し、呼吸も不規則となり、意識もうすれて脳の機能も低下する。延命術などによりこの時間帯が長くなると肝機能、腎機能も低下し、結局多臓器不全の状態から死に至るので、結果として生じた多臓器不全を死因としないで、これを起こさせた原疾患を死因としなければ、医学的に正しいとはいえないのである。
話はかわるが、首つり自殺の検死に行き、家族から自殺では世間体が悪いから、病死にして欲しいとたのまれることがある。
亡くなられたのだから、死因までむごい呼び方をしなくても、よいのではないか。気持はわかるが、これには法律があり死亡診断書に虚偽の記載は許されない。
なぜならば、生命保険の問題や死亡時間と相続の問題など、後日一通の死亡診断書をめぐり、トラブルに発展することがしばしばあるからである。
死亡診断書は、医師から家族へ手渡され、家族はこれを死亡届として役所の戸籍係に提出するもので、この手続を家族が行えば、記載内容は他人の目に触れないし、秘密がもれることはない。
だから死亡診断書が縊《い》死《し》(首つり)の自殺であっても、家族は報道関係者や外部の人に向かって、正直にいう必要はない。体裁よく死因は心筋梗塞の病死でしたと発表して、一向にさしつかえない。
また、死後二十四時間を過ぎないと、火葬埋葬することができない(墓地埋葬法第三条)が、種々の都合で、死亡時間を早めにして欲しいなどとたのまれることがある。これも事実をまげて書くことはできない。
後日、死亡時間をめぐる遺産相続などで、法廷闘争にもつれ込むこともある。
診断書記載にあたっては、一切の不正は許されない。
ところで、死ぬということはどういうことなのだろうか。
臨死体験者の話を聞いたことがあるが、その人の場合は、かなり以前に死んだおじいさんが現われて、遠くの方からこっちへ来いと手招いていたが、行かなかった。もしもその通りにしていたら、自分は死んでしまったのかもしれないといっていた。
私には臨死体験はないが、そのような現象があるならば、死に近づいたために心不全や血圧の低下の状態が起き、脳の血液循環不全のために幻想が出現したのではないかなどと、私は考えてしまう。その意味では、ゲーテが死ぬ前に残した有名な言葉「もっと光を〓」は納得のいく言葉だと思っている。
いまわの際《きわ》の一言が、こうして現代までいい伝えられているのは、ゲーテという偉大な詩人の言葉であったからであろうし、とらえる側も言葉の中にゲーテを意識し、すばらしくふくらんだイメージを抱いて味わっているためでもあろう。
だが、解剖生理学的に考察してみると、死が近づくと少なからず心不全、呼吸不全、脳機能不全などが生じ、神経系統の反応は鈍くなり、思考力も視力も衰える。体温も低下し、筋肉の緊張もゆるんでくる。
バレーボールのような球形をしている眼球も、神経が麻痺すると緊張がゆるみ、たとえばラグビーのボールのような形に歪《ゆが》みが生じてくるのではないだろうか。そうなると正常時の焦点はズレて正しい像を網膜に結ばなくなる。
脳機能の低下と焦点のズレなどから、明るさを感ずる力も弱くなるため、死期が近づくと、目の前が暗くなり、ものが見えにくくなる。
かつて研究のため、死体の眼底検査を試みたことがある。
網膜に最後に映った像が残されていないか。そんなことを考えながら、もしも残像を追いかけてなんらかの方法でとらえることが可能になれば、犯罪捜査に役立つ画期的研究になるのだがなどと、突拍子もないことを思いながら眼底を覗《のぞ》いた。
とくに検死や解剖をしても、死因は勿論なに一つ実体が見えてこない場合がある。自殺なのか他殺なのか、病死なのか皆目わからない。執刀医としてはなんとか見通しをつけなければならない。立会いの警察官も、解剖結果に基づいて次の手を打たなければならないから、先生、死因はなんでしょうかとせかされる。
焦りを覚える。
そんなとき、死体の目や耳やのどの奥を覗いて、ものいわぬ死体から真相を聞き出したい衝動にかられる。
死体は目撃者でもあるから、眼底の網膜には最後に見た犯人の像が映っているに違いない。また鼓膜には最後の音の振動が残っている。のどの奥の声帯には最後の会話の振動が残っているに違いない。だからたとえば脳波をとるように、眼と脳に電極を置きテレビにつなぐと、網膜の映像がテレビに映し出されるようなことができないか。幼稚でマンガのような発想なのだが、溺《おぼ》れるものワラをもつかむ心境になり、メチャクチャなことを考えるものだ。
それはともかく、眼底の血管にうっ血や溢《いつ》血《けつ》点があれば、窒息とくに絞殺などの事実を裏付ける証拠になるだろうと考えたからである。それは解剖学的に間違った考えではない。首から顔、頭へ行く血管は同じであるから、首がしまって顔にうっ血が現われれば、眼底の血管にもうっ血がきているはずである。
生きている人と同じ方法で検査をしたが、見ることはできなかった。眼球を板状のガラスで強く圧迫しながら、眼底に焦点を合わせるようにして覗くとぼんやりと見えそうな感じになるが、眼球内の透明な液体(硝子体)は混濁して、結局眼底を見ることはできなかった。
動物をつかった実験でも、結果は同じであった。
しかし、暗い、見えないなどという言葉ではなく、「もっと光を〓」と表現したところにゲーテならではの偉大さを感ずる。
やはり死は、全身で死ぬべくして死ぬのではないだろうか。
夢をぶちこわすような話であるが、法医学は世の中の謎《なぞ》や不思議にメスを加えていく学問なのである。
葬式待った
新聞に時々「葬式待った」という記事がのることがある。内容はほぼ同じようであるが、私の扱った事件はこうであった。
通夜に集まった身内の中から、死んだ爺《じい》さんの顔にアザがあるのはおかしい。二、三日前、街を歩いているのを見た人の話では、元気であったしそんなアザはなかったという。
爺さんは酒ぐせの悪い息子と二人暮らしであった。
近くの医師の診断では、外傷とは無関係の病気の脳出血ということであったが、どうも納得しかねると相談の結果、警察に届け調べてもらうことになった。
しかし警察に届けるには、かなりの勇気がいる。もしも自分達の推測が間違っていたら、名誉毀《き》損《そん》で逆に訴えられるかもしれない。そこまでいかなくても、両者の関係は大きくくずれることになるからである。
息子はすでに泥酔状態であった。酔いがさめるのを待って、警察の調べは始まった。
葬儀の段どりは当然延期された。
息子の話によると、二日前の晩、父に意見されカーッとなり、酔いにまかせて親を殴った。息子は、それが死につながるとは思ってもいない。
顔のアザは殴られたための皮下出血であり、死因は息子が殴ったためのものか、単なる病死なのかを区別しなければならない。
検死後、解剖をすることになった。
結果は顔を殴られ転倒した際、敷居に頭をぶっつけて脳挫《ざ》傷《しよう》と脳硬膜下出血を生じたための死亡とわかった。
病死ではなく、息子の暴力が原因であった。
監察医務院での行政解剖は傷害致死事件に切りかわり、司法解剖と同じように東京地方検察庁から、執刀監察医に鑑定書作成の依頼があった。
人生を存分に生きぬいた人は、死んだあとのことなどに関心はないかもしれない。周囲の人達も安らかに葬ってあげたい気持であろう。
この事例のように少しでも不審、不安が感じられる死であるならば、葬儀の前に警察に届けて調査をしてもらわなければ、死者の生前の人権は擁護できない。
ぐずぐずしていて葬儀は終り、火葬になってからでは、確かな証拠は灰になって、間に合わない。とはいえ、火葬後に届けが出され、警察の捜査は後手になったが、関係者から事情を聞き、事件を解決したケースも少なくはない。
次の事件も珍しいケースであった。
会社を経営する男が、車を盗難にあったように見せかけ、保険金をだましとったほかに、恐喝などの罪もあり懲役が確定した。
男は刑務所暮らしをなんとか免れようと考え、自分が脳出血で死んだことにし、かかりつけの医師の名を勝手に使い、三文判を捺《お》し死亡診断書を自分で作成して、役所の戸籍係に届け出た。
戸籍は死亡になり、裁判所は被告人死亡ということで終結した。
計画通りにことは運び、自由の身になったが、葬式に必要な肝心の遺体はない。
自分は死んだのだからすべては終り、これでよしと思ったのであろう。ところが葬儀を出す身内の者はとまどった。
棺《ひつぎ》を釘づけにして面会できないようにし、なんとか切りぬけたが、次には火葬という手順がある。火葬後骨の残らない死体はないし、骨拾いもできないのではあやしまれ、事件はここで発覚するだろう。そう考えて身内の者は火葬のないおかしな葬式をしたのである。
そのことが警察にも知れ、男は追われた。
間もない日、男は逮捕され、収監された。
人の死を医学的に認定するのが死亡診断書(死体検案書)であり、虚偽の記載は許されない。これを発行できるのは医師と歯科医師だけである。歯科医師は歯科領域に関する死亡(口《こう》腔《こう》癌など)に限られる。
この死亡診断書が戸籍係に受理されると、戸籍は抹消され遺体の火葬、埋葬が許される。そして財産をはじめ生きているすべての権利は法律的にも失われ、遺産は相続人に相続され、保険金などの支払いも行われる。
事件の発想は巧妙であったが、いざ実行してみたら不測の事態が発生し、御用となった。
冷静に考えれば幼稚で笑い話のようなことであるが、そのときは本気でやっている。
タヌキがいくら上手に化けたとしても、うしろに尻《しつ》尾《ぽ》が見えているのと同じで、なんとも滑稽な話である。
死因をさがせ!
沖縄を旅行中の中年女性が、突然発作を起こして倒れた。すぐに入院、治療を受けたが死亡した。
ドクターは初診の患者の急死で、病歴もわからず急性心不全などと安易な診断をせずに、警察に変死届を出した。
警察の捜査があり、法医学の専門家が検死をした。検死をしても死因はわからなかったので、解剖することになった。
一応、心筋梗《こう》塞《そく》と診断したが、その後の捜査状況から疑惑が生じ、種々の毒物検査を行った結果、トリカブトが検出されたのは有名な話である。
元気な人の突然死のような場合には、一見病死のように思えても、考えてみれば不審、不安のある死に方に違いない。
種々の検査もせずに検死だけで、急性心不全などという安易な判断をするのは、きわめて危険であり、なによりも死者の人権を無視した行為である。やはり警察に変死届を出さなければならない。
医師が経過を診《み》ている患者の病死(内因死)は、主治医が死亡診断書を発行することができるが、それ以外の死亡はすべて変死に該当する。
たとえば、朝起きてこないので家人が起こしに行ったら、おじいちゃんは布団の中で死んでいた。医者にかかるような病気もなく、元気であった。このようなケースも、病死と思われるが、自殺、他殺を疑えば疑問がないわけではない。
身内の中に犯人がいた事件もあり、また身内が疑われている場合もあるから、潔白を証明するためにも変死扱いにして調査し、死にまつわる不審、不安を取り除かねば疑われた人も迷惑千万であり、死者の生前の人権は擁護できないし、社会秩序も保たれない。
また工事現場などで作業中、墜落事故が発生する。すぐ病院に収容され手当を受けるが、意識不明のまま、頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折、脳挫《ざ》傷《しよう》のため数時間後に死亡するようなことがある。主治医がいて十分な治療を行い、死因もはっきりしているので、ドクターはなんのためらいもなく死亡診断書を発行してしまうことがあるが、それは正しい判断ではない。
まず変死届を警察に出さなければならない。
変死届が出されると、警察は直ちに死亡事故がどのようにして発生したのかなどを含め、遺体の状態なども細かく調査する。これが警察官の検視である。次いでドクターが呼ばれ死体検案(検死)が行われ(監察医制度のある地域は監察医、ない地域では警察医など)、死体検案書(死亡診断書と同じもの)を発行することになる。
なぜこうなっているかというと、ドクターは患者を診療しているから、死因はわかるが、墜落の原因はわからない。誤って落ちたのか、自殺なのか、あるいは誰れかにつき落されたのか、状況を調査したわけではない。付添いの人達が事故だといっていたから、災害事故死とドクターが判断するのは妥当ではない。なぜならば、その中に犯人がいて嘘《うそ》をついている場合がないとはいいきれない。もしもそんなことがまかり通るならば、殺人は隠《いん》蔽《ぺい》されてしまうからである。
したがって外力の作用で死亡した外因死群(自殺、他殺、災害事故死など)はすべて変死なのである。
墜落前後の状況は、医師ではなく捜査権のある警察官が調べ、判断すべきものである。
統計的には全死亡の八十五パーセントは病死であり、残る十五パーセントが変死である。
また、こんな事例もある。
歩行者が車にはねられ意識不明で入院加療中、数日後に肺炎を起こして死亡した。主治医は肺炎は病気だからと、死亡診断書を発行した。これは正しい判断ではない。
なぜならば、交通事故は外因死であり、変死である。しかも加害者と被害者がいて、人命にかかわり、その補償問題もからみ、刑事、民事上の事件であるから、医師だけの判断で処理できるものではない。
車にはねられ頭部外傷(脳挫傷など)で意識不明、昏《こん》睡《すい》となり全身状態の悪化に加え、肺の血液循環が悪くなって治療をしていても、肺炎を併発しやすくなる。したがってこの肺炎は、風邪をこじらせて肺炎になったようなものではなく、頭部外傷によりひき起こされたもので、交通事故と医学的因果関係があるため、病死ではなく交通事故死と判断されるのである。
このような外因死は何日主治医が治療をしていても、死亡した時点で変死届をしなければならない。
警察官立会いのもとで検死が行われ、さらに交通事故と肺炎の因果関係をはっきりさせるために、解剖することになる。
加害者は歩行者をはねたことを認めたとしても、死亡はあくまでも肺炎という本人自身の病気であるからと、医師の診断書を楯《たて》に責任のがれを主張することがある。
しかし被害者側は病死では補償がなくなるし、車にはねられなければまだ元気に生きていたはずだと、裁判にもつれ込む。
その意味でも、解剖して真相を解明させる必要がある。
肺炎と交通事故との因果関係がはっきりすれば、死因が肺炎だから病死だとの主張は通らない。あくまでも加害者は交通事故死としての責任をとらなければならない。
この検視(検死)のシステムが法律的に確立しているのが監察医制度で、わが国では東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市にしかない。
残念なことだが、一日も早く全国的制度になって欲しいと願っている。
溢《いつ》血《けつ》点を追え
昭和三十年代には、都内にも田んぼがあった。耕作をやめ放置された田んぼである。乾いた土の上に雑草がのびていた。
戦後の復興はめざましく、誰れもが働き蜂のように働き出した。割りの合わない田んぼの耕作などに手をつけるものはいない。
そんなある日、乾いた田んぼの中にうつ伏した中年男性の死体が発見された。
四月下旬、温暖な季節であった。
検死に出向いて、死体の眼《ま》瞼ぶたをひっくりかえすと、結膜下に数個の溢血点(点状出血)があった。
この溢血点は絞殺など窒息死のときに好発する所見であることは、立会いの警察官も知っていた。今のところ死体が発見されただけで身元はわからず、その他の状況も全く不明である。
単なる病死か、それとも事故死か、あるいは事件がらみなのか、その区別はこれからの捜査にかかっていた。
溢血点がある死体を前にして、検視の責任者である警部補は不安を感じ緊張していた。
監察医も同じであった。
乾いた田んぼにうつ伏せになった死体。法医学的に眼瞼結膜下の溢血点は、窒息に限ったことではない。心臓発作など呼吸困難を伴って急病死する場合などにも出現する。
検死だけで、それらを鑑別することはむずかしい。やはり不審、不安のある死体であったから、とりあえず監察医務院で行政解剖をすることにした。
気管支内には少量の泥が入っていた。
肺は水を含んだスポンジのように、水性肺水腫(溺《でき》死《し》肺)の状態で、泥水を吸って溺死したように肺は水びたしになっていたのである。
化学的に溺死テストをしてみると、陽性で淡水溺死のデータを示した。
「溺死だ」
執刀監察医は小声で、そうつぶやいた。
つまり肺に吸い込まれた淡水は、肺の毛細血管から吸収され、心臓の左心室に流入する。水を含んだ血液は、からだを一周したのち、右心室に戻ってくる。だから溺れた場合は、肺の水を吸収し続けるから、左心室の血液は常に右心室の血液よりも薄められている。
死後水中に投棄された死体は、水没して肺に水が流入したとしても、心臓は停止しているから、毛細血管から水が吸収されることはないので、血液が薄められることはない。したがって、左右心血の稀《き》釈《しやく》差《さ》を化学的に検査すれば溺死か否かがわかる。これが溺死テストである。
溺死とはいえ、死体の発見場所は水とは無縁の乾いた田んぼであったから、警察官は溺死は念頭にない。
「えっ〓 本当ですか?」
警部補は一瞬耳を疑った。警察は現場を重要視しているから、その死因には納得がいかない。
よくある事件だが、お年寄りが布団の中で死んでいた。誰れもが病死だと思ったが、実は殺しだったというケースがある。犯人は殺した人を、あたかも寝ているようにとりつくろっていたのである。
だから死因というものは、状況から判断すると犯人の思う壺である。あくまでも状況にとらわれず、死体所見の中から見つけ出さなければならない。
腑《ふ》に落ちなくても、捜査は溺死という事実をもとに考え、出発していかなければならない。
風《ふ》呂《ろ》や池などに顔を押えつけ、溺殺したものを田んぼに捨てたのであろうか。
死体はやや新鮮さに欠け、二日位前の死亡と推定された。
呼吸できない状態が持続すると、顔は強くうっ血する。そのとき眼瞼結膜下の毛細血管の流れも渋滞し、微小な出血が形成される。これが溢血点である。さらに口唇粘膜下や顔面にも溢血点が出現する。
溺死や絞殺ばかりでなく、心臓発作のときなどのように呼吸困難を伴って急病死する場合にも、同じ理由で溢血点は出現する。だから警察は、溢血点にはことのほか神経をとがらせる。
それから一か月、監察医務院では組織学的検査、毒物検査など細かい分析が行われていた。新たにわかったことは、血液中に中等度のアルコールが検出されたことであった。
また死体発見の三日前に雨が降って、田んぼのところどころに水たまりができていたこともわかった。
総合すると、雨の中酔って田んぼに迷い込み、泥水の中にうつ伏せに転び溺れ死んだ。その後、日照りが続き水たまりは干上った。そう考えると、死体所見と状況は一致する。
しかし依然として身元は不明で、当時の目撃者も足どりもつかめていない。それ以上捜査も進展しなかった。
結局、酔っぱらいが水たまりに転んだための事故死ということに落ち着いた。
それから一年半ほど経った。学会前で研究データの整理に忙しい日、すっかり忘れていたあの事件の死者の身元がわかったと、担当刑事から連絡が入った。
男は定職がなく密輸品などを売りさばくような仕事をしていたらしい。事件がらみの可能性が強いとして、解剖所見などと照合しながらもう一度調べ直しているところなので、先生にお会いしたいというのであった。緊急にというので、次の日監察医務院で会うことにした。
仕事の上での利害がからみ、その他にもいろいろごたごたがあって、男は仲間から追われていたらしい。警察ではあの田んぼに連れ込まれて、殺された可能性はないだろうかと疑問をもっていた。資料保管室から、解剖記録を出してきて再検討してみた。解剖時に撮ったモノクロームの写真も添付してある。
顔、手足などに擦過打撲傷や皮下出血などはなく勿論、首にも絞殺などの痕《こん》跡《せき》は見当らず、格闘などの争いごとがあったと思えない。
警察の記録にも田んぼに目立った足跡や異状はないと記されていた。
最近そのあたりは、道路になる予定でブルドーザーが入って整地がはじまり、様変りしているという。
つまるところ、眼瞼結膜下の溢血点は絞殺のためと考えられないかと質問された。もしそうであれば、かなりの呼吸困難があったはずで、溢血点は強度に顔や口唇粘膜下にも多数出現していなければならず、首にも絞殺の痕跡として索溝などが見えていてよいのである。加えて溺死肺の所見があるので、どうしても絞殺は考えにくいのである。
入退院をくりかえしていた精神障害のある娘さんが、自宅で手《て》拭《ぬぐ》いを首に巻き両端を引っ張って自分で自分の首をしめ、自絞死をしようとした。しかし死にきれなかった。
次の日の朝、食事のため茶の間に出て来た娘を母親が見て驚いた。
一体その顔はどうしたの?
首から顔にかけて小さい赤い発《はつ》疹《しん》がたくさんできている。かかりつけの先生に診《み》てもらおうと、母は娘を連れて行った。
急性発疹。急性ニキビのようなものですから心配ありませんといわれ、軟《なん》膏《こう》をもらって帰ってきた。
その夜、娘は首つり自殺をした。
検死に行って、ことの成り行きを聞き、首をくわしく観察すると、首つりの索溝のほかに、ネクタイを巻くように首を水平に一周する弱い索溝らしきものがあり、索溝より下方は蒼《そう》白《はく》な皮膚で、索溝の上方は点状出血が赤い発疹のように多数出現していた。
首から顔にかけての発疹というのは、自分で自分の首をしめたときに生じた溢血点であった。
完全な宙吊りの首つりでは、動脈も静脈も同時にしまって急死するから、顔などにうっ血や溢血点は生じない。ドクターでもそういう死体をみたことがなければ、わからないのは当然である。それにしても急性ニキビとはうまいことをいうものだと感心するやら、大笑いするやらであった。
やはり絞殺ではない。遺体の気管支には少量の泥が付着し、溺死肺の所見があるので、田んぼの泥水で溺れたと考えた方が、死体所見に合致する。
それならば、田んぼの水たまりに顔を押えつけられ、溺殺させられたと考えられないか。そうであれば、数個の溢血点でもよいのではないかと、刑事は鋭く切り込んできた。
警察はあくまでも死体所見に忠実に、数個の溢血点を前提にして、殺しにこだわっている。しかし、これだけの資料から酔っぱらいの事故死か、あるいは他殺かを明確に区別することは、残念ながらできないのだ。
この事件は結局、殺したという確たる根拠を集めることができず、犯人逮捕にも至らずじまいとなった。
それにしても、溢血点という一つの死体所見をとことん追及することによって、不透明な実態を少しでも明らかにし、社会秩序を推持しようと警察と監察医は協力し合っているのである。
魂の重さ
われわれ人間がこの世に生をうけ、成長しやがて死に滅んでいく。その過程は医学ばかりでなく、あらゆる面から克明に観察記録されている。
しかし、死んで死体になってからは、どうなってしまうものなのか、宗教的な意味ではなく、現実としてこの肉体はどのような経過をたどって朽ち果てていくのか。一般的には知る必要もないことだから、わからないのは当然のことであろう。
ところが法医学は死の学問でもあるから、死後どのように変化していくのかは、きわめて重要なことである。その移り変りを、死後変化といって細かく観察している。
変化の状態から、どのくらい前に死亡したのか、死亡時間を推定することができるからである。とくに殺人事件の際など、犯行時間の推定に役立ち、犯罪捜査上きわめて重大な要素となっている。
この死後変化は食べ物などが腐るのと同じで、死後置かれた環境、たとえば気温、通風、死因、体格、個体差などにより大きく左右され、変動するので一様ではない。
単純に四月といっても北海道と沖縄では冬と夏の差ほどの違いがあると同じように、死後変化も環境やいろいろな条件によって、千差万別で、数学の方程式のように一括して論ずることはできない。
ケースバイケースでまだまだ科学性に乏しく、経験や勘にたよらねばならないのである。
環境には全く影響されず、経過した時間にだけ影響され変化するものを、死体の中から見つけ出せれば、死後変化は学問的に確立されるのだが、果してそういうものが存在するのかどうか、遠い道のりのようである。
ある日、入浴中お風呂に沈んで死んだ老人の解剖をしていた。
昨夜十時ごろ、あまり静かなので家人が風呂の様子を見に行き、死亡しているのを発見したというのである。解剖をはじめたのは、発見時から十五時間経っていた。
死ぬとからだの温熱発生は止まるので、体温は徐々に下降し、周囲の気温と同じになってくる。一般的には気温が摂氏二十度のとき、はじめの七時間は毎時間一度、以後毎時間〇・五度下降するといわれているが、老人の直腸内温度は三十二度で、そのことから考えれば死んで間もない感じであり、計算は合わない。
また死後十五時間の死体硬直は、全身の関節にかなり強度に出現しているはずだが、それほど強くはない。死後五、六時間という感じであった。
死《し》斑《はん》は背中に強く現われて、死亡後半日位の感じに思われた。暗赤紫色で急性心臓死あるいは窒息などを思わせる色調であった。
体温、死体硬直、死斑を合わせて死亡時間を逆算したが、ちぐはぐで一定の時間をしぼり込むことは困難であった。とくにこのケースは入浴中で体温が上昇していたから、公式に当てはめにくい。
幸い事件性はなく、入浴中心筋梗《こう》塞《そく》の発作を起こし、風《ふ》呂《ろ》に沈み溺《でき》死《し》したことがわかった。死亡時間も大体わかっていたから問題はないが、学問に照らし合わせるよりも、長年の経験から類推したことで、この時間をいい当てることができた。
推理作家の山村正夫先生に聞いた話である。
死んだとき体重を量ったら六十キロあった人が数日後、告別式で出棺の前に再び計量したら、五百グラム足りなかったという。この話を聞いたある推理作家が、これぞ魂の重さである。魂が無事昇天した証拠だと。
ユーモアがあり、感性豊かな表現に大笑いした。
法医学的には早期死体現象として、死後の乾燥というのがある。つまり、血液の循環が停止し、水分の補給がなくなって、皮膚の表面から水分の蒸発が起こって、からだは乾燥しはじめる。湿気が少なく、風通しがよいなどの条件がととのえば、死体は腐らずに乾燥してミイラ化する。
戦後間もないころ、永代橋の橋《はし》桁《げた》のペンキ塗りかえ作業中、中央付近の橋桁の中から、男性のミイラ一体が発見された。浴衣《ゆかた》の上にオーバーを着ていた。身元がわかってみると、近くに住む精神障害のあった人で、冬の真夜中家出したまま行方不明になっていた。三年後に発見されたのだが、家出してすぐ橋桁の中に入り込み死亡したのであろう。家にいてもすぐ狭いところに、もぐり込むくせがあったという。
永代橋の橋桁の頂上付近は、海から陸からの風が吹きぬける。やせた人でもあったから、湿度の多い東京でも条件はそろって、ミイラになったのである。
魂の話に戻るが、この場合死後の乾燥などと理屈で説明したのでは、ぶちこわしになるが、理屈と対比するから話は一段とおもしろくなるのだろう。
顕微鏡の倍率をいくらあげても、霊や魂は見えてこない。いや、目を閉じなければ見えないものもあるのかもしれない。
下 心
自殺を前提にして多額の生命保険に加入した老人がいた。
せめて子供達に金を残して死んでやろうと計画したのである。
老人は辛抱してどうにか一年間掛金を納め、思い通りに首をつって自殺をした。保険会社の定款によって異るが、普通一年以上掛金を納めていれば、自殺をしても保険金はもらえるのである。
たとえそのように計画しても、本当に死にたい人は二、三か月掛金を納めているうちに、待ちきれず自殺をしてしまう。
ところが中には、意志強固に一年間掛金を納め続ける人がいる。この一年間は、自殺を意図した人には長い時間のようである。しかしその人は、その時点でなぜか自殺のできない人間に立ち直っているというから、人間の心理とは実におもしろいものだと思う。
その意味では、このケースは珍しい部類に入る。
老人の自宅に検死に行くと、受取人の息子が保険証書を私に見せて、実は満一年に一日足りない。契約日を一日間違えて自殺をしてしまった。なんとか死亡日を一日遅らせてもらえないだろうかというのである。
おじいちゃんは外交員に、お金を渡した日を契約日と思っていたが、後日本社から保険証書が送られてみると、日付は一日ずれていたという。
笑い話のような気の毒な話であったが、同情して息子の願いを聞き入れたら、私も大変な犯罪をおかすことになる。
できないものは、できないのである。
あるとき娘さんが、多量の睡眠剤を服用して自殺をした。
失恋自殺であった。
両親は世間体をはばかって、遺書を焼き捨てた。
変死として警察官が、事情聴取に出向いたときには、両親は確かに娘は失恋し、眠れないといって最近、睡眠剤を常用しておりました。昨夜は睡眠剤をのんだ上、かなりのお酒をのんだようでした。そのために薬が効きすぎて死んだのではないでしょうか。
遺書もないし、そのような子ではないからと、自殺を否定し、間違ってのんだことに事実を置き換えていたのである。
市販の睡眠剤は百錠近く服用しないと、致死量にはならないし、四、五錠ずつ水と一緒にのまなければ、のどを通らない。
間違って致死量の睡眠剤をのむようなことは考えにくい。
検死の際、立会いの警察官に私の考え方をのべた。
それにもう一つ注意しなければならないことがある。
生命保険に入っているかどうかである。加入していると、自殺と不慮の中毒死では受け取れる金額が違ってくる。
とくに不慮の中毒死は、死ぬ意思のない災害事故と同じ扱いになるから、災害倍額補償付き(あるいは五倍、十倍額などという特約もある)に加入していると、大金を受け取ることになると説明した。
警察はすぐ、裏を取るため捜査をし直した。
やはり失恋自殺をほのめかしていた。友人宛の手紙から、はっきりした。さらに偶然にも、半年前に両親は彼女に生命保険をかけていた。加入後一年未満だから、自殺では保険金はもらえないが、不慮の中毒死であるならば災害死扱いになり、特約として大金を受け取れることになっていたのだ。
両親は警察の捜査の前に、隠し通すことはできず、遺書を焼却したことを白状した。
世間体を考えて、自殺を隠したかっただけで、保険金がどうなるのかは考えも及ばなかったし、下心はなかったという。
しかし、この事件がみすごされ、後日生命保険会社の調査によって発覚したとなれば、保険金詐欺事件として騒がれたであろう。
警察と監察医は一体何をしていたのか、と世間のもの笑いになり、責任をとらなければならないところであった。
生きかえった死体
昭和三十年の後半ごろの話である。
東京で亡くなった人を、車で故郷の新潟へ搬送していた。葬儀社のワゴン車に納棺した遺体をのせ、かたわらに息子が一人付添っていた。
運転手と息子の二人きりである。とっぷりと日は暮れ、暗い山道、往きかう車もなく蒸し暑い夜であった。
エンジンの音にまじってギーギーと戸板のきしむような音が聞えた。しばらくして再びギーと鳴ったので、息子はこわくなって運転手に話しかけた。
「大丈夫ですよ。坂が多いのでお棺が揺れ動くためですよ」と鷹《おう》揚《よう》な返事であった。
車は全速力で走っている。
またギーギーと音がしたと同時に、今度はお棺の蓋《ふた》の前の方が少し盛り上った。息子は、
「アーッ〓 運転手さん」
と助けを求めるように大声をあげた。それ以上は声にならない。
長いこと葬儀社に勤め、なれているとはいえ運転手もびっくりした。ブレーキを踏んだ。こわごわお棺に手をやると、確かに蓋《ふた》が少し開いている。
死んだ人が生きかえった。
二人とも血の気がひき、ふるえがとまらなくなった。真っ暗《くら》闇《やみ》の山道ではどうしようもない。街灯のある町までどうにか走らせ車から降りて、お棺を見直すと、確かに五、六センチ蓋は上に盛り上るように開いている。
生きているのかと、運転手はおそるおそる蓋をとった。息子は運転手のうしろにしがみつき、お棺の中をのぞいていた。
浴衣に着換えさせ納棺したときとは大違いで、からだは大きくふくれあがり、合掌した手が蓋を押し上げていたのである。
ちょうど、上野公園に立つ西郷さんの銅像のように、肥った感じになっていたから息子は驚いた。人違いではないかと騒ぎ出した。
当時はドライアイスはなく、氷などもつかっていなかったので腐敗が進行し、体内に腐敗ガスが充満し、巨人様にふくれあがったために、お棺を押し拡げ蓋が開いたのである。
悪臭もあったはずだが、恐ろしくてそれどころではなかったと、運転手は話してくれた。
死んだ人が生きかえったのではないし、霊魂などの仕業でもない。腐敗ガスのせいだとわかってみれば、これもまた笑いぐさである。
このように人間の死体も、魚や肉などが腐るのと同じように、朽ち果てていく。
しかし、信じているわけではないが、腐乱死体を見ていると、からだからその人の魂は昇天し、ぬけがらだけがこのように変化しているのだと思わざるをえない。
そう思わないと、とても朽ち果てた死体を、検死したり解剖することはできない。
先入観
日常生活のなかで私達は、しばしば先入観にとらわれすぎて大失敗をやらかすことがある。
この間、帰宅すると家内が大島さんから電話があって、明日の会合はお昼に変更されたとのことですよというので、次の日出向いたところいつまで待っても現われない。おかしいと思って電話を入れると、変更した覚えはないと、弁護士の大島さんはいう。メモをみると、当日は三時に雑誌社の大島さんに会う約束になっていた。
電話の主はそちらの大島さんだったのだ。
幸い場所が近かったので、十五分位遅れただけで、事なきを得たが、大島さんといわれればどうしても私は、弁護士の大島さんをイメージしてしまう。
先入観にとらわれての、あやまちであった。
明男は酒好きで、収入の殆《ほと》んどは酒代に消え、家庭をかえりみることはなかった。もはやアルコール依存症の末路にさしかかっていた。
とくに最近では、朝から飲酒しとても仕事どころではない。職場もクビになり、ここ数日はやけ気味に飲み続けていた。
見かねた妻の早苗は夫を置き去りにし、小学生の子供を実家にあずけ、以前パート先で知り合った吉岡の元へ、身を寄せていた。
そんなある夜のこと、明男は電車にひかれて死んでしまった。
現場は見通しの悪いカーブで、とび込み自殺の名所であった。
明男の首は真横に轢《れき》過《か》分断され、右下《か》腿《たい》も轢過によって挫《ざ》滅《めつ》骨折していた。しかし、轢断部の出血は弱く、生活反応があるのか、ないのかはっきりしない。
昭和二十四年の国鉄下山総裁轢断事件も、そうであったように、列車にとび込んだ轢死とか、高所からの墜落死あるいは爆死などのように、瞬間的に全身挫滅を伴って即死するような場合には、生活反応はきわめて弱いのである。
警察官もそのことは承知していた。
明男の死体の轢断部にみられる生活反応が弱いのは、そのためと考えられた。
明男は妻子に逃げられ、持ち金もなくなって自殺したのか、あるいは酔って帰宅中、近道でもして軌道内を歩いているうちに転び、そのまま線路を枕に寝てしまったものなのか、はっきりしない。
ともかく自殺とすれば、とび込みと考えるよりも、軌道内に伏せて覚悟の自殺をしたようなのである。
ただ一人の目撃者である運転手も、カーブにさしかかるとすぐ目の前の軌道内に、横たわった人を発見し急ブレーキをかけたが間に合わなかったと語っている。からだを線路にほぼ直角にして横たわり、レールに首をのせ、もう一方のレールに足をのせるように、軌道内に伏せていたようだと状況を説明している。
顔は少しうっ血し、溢血点があって窒息死のようでもあった。
もしも窒息死であるならば、絞殺後とび込み自殺に見せかけるため、犯人は死体を軌道内に運び、偽装工作をしたことになる。
そんな大それた事件であるはずはない。
金もなく、生命保険にも加入していない。ただのアル中男を殺す理由は見当らない。その上、偽装をするなど到底考えられないことであった。
轢過される瞬間を分析すると、車輪は首を圧迫するように轢過していくので、窒息と同じように首から上の顔面にうっ血や溢血点が生じてもおかしくない。
そう考えてこの事件は、解剖することもなく、頸《けい》部《ぶ》挫滅轢断による自殺として終結した。
それから一年ほど経ったある日、私は県警の検視官の訪問をうけた。
状況説明のないまま、頸部を轢断された死体のカラー写真を数枚見せられ、生前の轢断か死後の轢断か、先生のご意見をお聞かせ願いたいというのである。
ルーペをつかって轢断部を観察した。
写真で生活反応の有無を見極めるのはむずかしい。しかし出血は殆んどなく、生活反応はないようであった。あったとしてもきわめて弱いものである。
ところが顔にはうっ血がみられ、溢血点も出現している。
「おもしろそうな事件ですね」
私は検視官にそういった。顔面の所見から頸部圧迫による窒息死のようであったからである。
首の周囲に索溝のようなものはないかと、写真を念入りに観察したが挫滅轢断されているので、それらしき所見は見当らない。検死だけで、解剖はしていないのでそれ以上詳しい写真も資料もない。
絞殺後、索溝を隠《いん》蔽《ぺい》するために電車で首を轢過させたのだろうか。もしそうだとしたら、犯人もなかなかのものである。
一年前の検視の際、警察官も警察嘱託医も、顔のうっ血と溢血点は首を轢過されたときに生じたものと考えた。
しかし頸部轢断の際に、顔面うっ血や溢血点は生じ難い。
轢断の模様をスローモーション写真をとるように分解して、考察してみるとわかりやすい。確かにまず首が車輪とレールの間に圧迫され、窒息状態になり顔にうっ血や溢血点を生じてから轢過分断されるように思われるが、実際は一瞬のうちに強大な外力が首に作用し轢断されるため、窒息状態などが形成される時間的余裕はないのだ。
頸部を轢断されたとび込み自殺をかなり検死しているが、顔のうっ血、溢血点を生じているケースはなかった。
やはりこの写真は、覚悟の自殺と考えるよりは、死後の轢断と考えるべきである。
そうすると犯人は絞殺後に死体を軌道内に運んだことになるので、一人では不可能だ。複数犯であろうし、法医学に精通した者の犯行のように思えた。
「やっぱりそうお考えですか」
検視官は溜《ため》息《いき》まじりでつぶやいた。
実はここへ来る前に、大学の教授に相談したところ、先生と同じで、はっきりしたことはいえないが、理論的に考えれば瞬時の轢過なら、窒息の所見は現われないだろうといっておられた。
ただ生前の頸部轢断の事例をあまり見たことがないので、このような事例を沢山みている東京の監察医を訪ねた方がいいとすすめられ、上京したというのである。
法医学の専門家が死体所見を検討した結果、他殺体と判断したため、再捜査を含めて自殺は一転、殺人事件となった。
明男が死んでから一年ほど経ったある日、ほかの県で詐欺容疑でつかまった女が、余罪を追及されているうちに、あの轢断自殺事件は殺しらしいと喋《しやべ》ったのである。
彼女は当時、明男夫婦の家の裏手のアパートに一人で住んでいた。
妻の早苗とは同年代で、かなり親しい仲だった。
酒乱の明男があばれ出すと、早苗は彼女のアパートへ逃げ込んでいた。
一年前のあの晩、彼女はトイレに起き窓越しに事件を目撃したのである。
月明りの中に早苗と吉岡の姿が見えた。
二人がかりで車のトランクに、なにやら大きな荷物を運び込んでいる。何をしているのだろうと思ったが、すでに早苗は家出をし、吉岡と同《どう》棲《せい》をはじめていたから、自分の荷物でも取りに来たのだろうと、意に介さなかった。
翌朝、明男の死を知ったときも、もしかしたらあの二人がと、あらぬことを想像したが、自殺だというので、それ以上深くは考えなかった。
ところが数か月後、化粧をし晴れやかな顔をした早苗に出会った。嫉《しつ》妬《と》もあって冗談まじりに、彼女はふとあの晩の疑問を口にした。
「トイレの窓から、見ていたのよ」
早苗は一瞬驚き、
「えっ〓 なんのこと」
と、とぼけたが、顔はこわばっていた。
「翌日だったか、私のところへも刑事が聞き込みに来たけれど、警察は嫌いだし、私だってたたけば埃《ほこり》の出る身だもの。協力する気はないし、知らない、わかんないといっておいたわ」
「ほんとに」
と早苗は心臓の鼓動を押えながら、目撃されていたら一大事だから、そのことを確かめるために「ほんとに」と念を押したのである。
しかし、そうとは知らぬ彼女は、
「喋ってないよ、本当だよ」
と警察にいわなかったことを、自慢げに力説したのである。
それ以来、早苗らの消息はわからなくなっていた。
これといった確証のない話だったが、それでも一応県警間の連絡は取られた。
一年前に自殺と認定された事件に、殺しの疑いがあるから、念のため再調査すべし、というのである。
当時それなりに捜査し、関係者から事情聴取をし、死体所見などを合わせ分析して、自殺という結論に達したものを、今更捜査をやり直せといわれてもと、担当の刑事らは渋った。
しかし、重い腰をあげざるをえなかった。
警察では別の町に移り住んでいた早苗と、愛人の吉岡を見つけ出し、再度事情を聴取することになった。
口裏を合わせていた二人の供述も、時間を追って当日のアリバイを細かく聞いていくうちに、少しずつのずれがでてきて、曖《あい》昧《まい》さが目立ちはじめた。
ついに三回目の事情聴取で、真相は明らかになった。
あの晩、早苗は家へ洋服を取りに行きたいといい、吉岡は車を出した。
十一時少し前に到着した。
家は真っ暗で、明男は不在であった。電気をつけると、足の踏み場もないほど散らかっている。早苗は急いで自分の荷をまとめた。
「これでいいわ」
と手さげの紙袋を吉岡に手渡そうとしたとき、明男が帰ってきた。
「なにをしているんだ」
よろけながら、部屋に入って来ると、大声を出して、二人の不倫をなじり、
「馬鹿にしやがって」
と妻に殴る蹴《け》るの乱暴をはじめた。
吉岡は明男の背後から、腕で首をはがいじめにするように取り押えた。
苦しい息の中、
「俺《おれ》を殺す気か」
と明男は、かすれ声をあげて抵抗した。
倒れていた早苗は、傍らにあった日本手《て》拭《ぬぐ》いを持って立ち上った。
吉岡が腕を放すと、明男はくずれるようにその場に倒れた。
早苗は手拭いを明男の首に巻き、両端を引っ張った。
「ウーッ」
と明男のうめき声が聞えた。
間もなく早苗は放心したように手拭いを手放した。
吉岡はあわてて早苗と交代するように、手拭いの両端をしめあげた。
顔が暗赤褐色にうっ血し、恐ろしい形相に変った明男は、苦しそうに手足をばたつかせた。
首には手拭いで絞めたあとが、かすかな皮下出血と擦《さつ》過《か》傷を伴って出現していた。
二人は明男を殺そうとして、やったのではない。しかし、早苗の心の奥底に、のんだくれの夫がいなければ、吉岡と二人で平穏な暮らしができる。そんな気持がなかったとはいえない。
吉岡も明男に俺の女房をナニしやがってと不倫をなじられたときには、反論することもできぬままただ茫《ぼう》然《ぜん》としていた。
しかし目の前で早苗が乱暴されているのを見ているうちに、明男を取り押えねばと夢中で行動してしまった。
結果として二人は明男を殺したことになる。
何《い》時《つ》までもこうしてはいられない。
近くの線路に放置し、電車にひかせ、とび込み自殺のように見せかけるしかないと、吉岡は咄《とつ》嗟《さ》に思いつき、早苗と一緒に死体を毛布にくるみ、車のトランクに入れたのである。
警察は早苗と吉岡の供述の裏付け捜査に入り、ほどなく二人を逮捕した。
この事件は金もなく、生命保険にも加入していない貧しいアル中男が、とび込み自殺の多い場所で轢死体で発見された事件であったから、他殺など念頭にはなく、自殺か災害事故死のいずれかと考えられてしまった。
先入観から捜査のつめと、法医学的考察が甘くなったのだろう。
しかし一年後、殺しの疑いがあると再度捜査し、法医学の専門家らに検討してもらったところ、索溝を隠蔽するため、首を挫滅轢断させた巧妙な偽装殺人事件の可能性があると指摘された。
警察では第二の下山事件かと緊張したが、終ってみるとそんな大それた事件ではなく、犯人らは法医学的知識など持ち合わせていないズブの素人であった。
首を絞めて殺しても、電車にひかせればバラバラになり、事故か自殺と思われるだろうと単純にそう思ってやったことがわかった。
状況や先入観にとらわれることなく、死体所見をいかに正確に読みとるかが、法医学である。
白衣の天使
都立看護専門学校の文化祭に、学生達は授業の人気投票を行った。一年生のワーストワンは解剖学であった。どこの学校でも同じように、解剖学は構造の学問であるから暗記が主であり、つまらなくて、眠い授業に違いなかった。
そんなこととはつゆ知らず、私は翌年その学校で解剖学の講義を担当することになった。
そして再び文化祭に学生達は、同じ投票を行ったのである。ところが今度の一年生はおもしろい講義、好きな講義のベストワンに解剖学を選んだ。
びっくりしたのは二年生、三年生の先輩達である。あのつまらぬ解剖学がなぜだと不思議に思った。ところが一年生はわかりやすくておもしろい。本物のカラースライドがふんだんに出てきて、解剖学の勉強と実際にあった事件の話がドッキングされるから興味はつきないし、記憶に残って覚えやすいというのだった。
お世辞が入っているにせよ、うれしかった。
私の専門は法医学だから、どうしても講義には事件を通した自分の人生観が入ってしまう。
当時は考えてもいなかったが、二十年後それらの講義の積み重ねが下地になって、平成元年監察医をやめると同時に、自分の仕事の集大成として『死体は語る』(時事通信社)、翌年には『死体は生きている』(角川書店)という本を出版した。
教え子達から現在の学生まで、みんな読んでくれた。授業で聞いた話もいくつかあって、懐かしかったという手紙もいただいた。
世間的にも珍しい、おもしろいという評判になって、お陰様で好評を得、またテレビドラマ化(日本テレビ系土曜グランド劇場〓“助教授一色麗子 法医学教室の女〓”篠ひろ子主演)された。
私が都立看護専門学校の講義を担当するようになったのは、昭和四十四年からである。
医者になって臨床の経験のないまま法医学を専攻し、大学の法医学教室で四年間基礎的研究をしたのち、東京都監察医務院に監察医として勤務することになった。
いろいろな事件の現場に警察官と一緒に出向いて、変死者の検死や解剖をして、死因を究明するのが仕事である。
遺体にメスを入れてまで、死因を究明する必要があるのか。生きかえるわけでもないのにと、非情に思われるかもしれないが、それにはわけがある。
たとえばトリカブト事件のように、死ぬはずのない元気な人の突然死や、外力の作用で死亡した外因死群(自殺、他殺、災害事故死など)は社会的にも医学的にも不審、不安のある死に方である。これらはすべて変死として、警察に届けられることになっている。
自殺か他殺か事故死か、それとも病気の突然死なのかなどについて捜査が行われ、死体は法医学者が検死をする。検死をしても死因がわからなければ、行政解剖して死にまつわる不審、不安を一掃するのが、監察医制度である。
全死亡の十五パーセントが変死である。
しかし、この制度は東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市にしか施行されていない。その他の地域は臨床医が、警察の依頼をうけて検死をしている。
それは生きてはいないのだから、治療の必要はないのだから、医者であれば何科の医者でもよいのである。しかしそれは間違っている。
私達は風邪をひけば内科にかかり、怪《け》我《が》をすれば外科へ行く。自分の身を守る上で当然の選択である。これと同じで変死者の検死は、死体所見に精通した監察医や法医学者にまかせないと、ものいわずして突然死された人々の人権は守れない。
それが法医学なのだ。
医者になって、死の学問である法医学を専攻したのは、そんなところに限りない魅力を感じたからでもあった。
こんな自分が、看護教育に参加することになったのはなぜだろう。
看護学校の講義は、都立病院のドクター達が担当していたが、病院には解剖学を教えられるドクターは少なく、学校側は講師を探すのに苦労していた。毎日解剖をしている監察医に講義を担当してもらえないかという話になったのも、無理からぬことである。
医者になって十四年目、大学で法医学の講義はしていたが、解剖学の講義をしたことはない。専門分野が違うので尻《しり》ごみをしたが、助けて欲しいといわれて、出向いたのがはじまりである。
不安をかかえて教壇に立った。
毎日の仕事が死者との対面というハードなものであったから、高校を卒業したばかりの若い女性たちを前にして、週一回の講義は気分転換になった。
解剖学は構造の学問であるから、殆《ほと》んどが暗記である。決しておもしろいとはいえない。学生にとっては苦痛を伴う勉強に違いない。
教える方はなんとか興味をひきつけ、注目を集めなければ講義は成り立たない。だらだらと教科書に沿って講義をしていたのでは、学生は寝てしまう。講義を受けながら、ついうとうとと居眠りをするのは、実に気持がいいものだ。ほんの五、六分の眠りによって、疲れた頭はすっきりする。ヘタな講義を聞くよりもからだにいい。起こすようなヤボなことはしない。
それよりも、居眠りが出ないような魅力のある講義をすべきだと、こちらが反省する。
体育の時間にはトレーニングウエアに着換えて出席するのと同じように、何ごとも準備が必要だ。解剖学の時間はおもしろくないから、居眠りしようと思っている人は、ネグリジェに着換えて出席しなさい、といったら大爆笑となって、眠るものはいなくなった。
しかし、お喋《しやべ》りは許さない。
真面目に講義を聞いているものの邪魔になるし、なによりも講義をしている私自身の邪魔になるので、
「うるさい。話があるなら教室を出て、話をすませてきなさい」と一喝する。
講義は受けるものではなく、全員が参加し進行させなければ意味はないのだからと、教室中を歩き回って一人一人に質問をする。
学生の顔は覚えているが、名前まではわからない。大きい縞《しま》模様のシャツを着ていれば大島君、小さい縞は小島君。リボンをつけた学生はリボンちゃん、長い髪をたらしていればモナリザ君などと即興的に名前をつけて呼んでしまう。笑いの中から答えが返ってくる。
親しみがわくのだろう。学生と私との距離はない。
また、骨格の項では白骨事件。血液循環器の項では殺傷事件。呼吸器の項では首つりや絞殺事件。肝臓の項では慢性アルコール中毒の話。神経の項では老人の自殺の統計など、自分の体験事例や研究データをスライドにして話をすすめる。
脱線は多いが、結構学生はついてきた。
世代が違えば考え方も違うのは当然である。それをいやというほど見せつけられたのが、老人の自殺であった。
監察医は職務として自殺の現場へ警察官と一緒に出向き検死をする。そして本当に自殺なのか、他殺ではないのかなどと真相の解明を行う。とくに三世代同居の老人の場合、自殺の動機について尋ねると、若夫婦らは何一つ不自由なく生活していたはずだから、原因はわからないという。
私はそんな馬鹿な話はないでしょう。生きることに耐えられなくなって、自らの命を絶つのが自殺である。それには相当な悩み、理由があるはずで一緒に生活している身内が知らないはずはないと切りかえすと、仕方なくそういえば神経痛がひどくなっていたからでしょうかと、病苦を動機に持ち出してくる。
人生の荒波をのりこえて七十年、八十年と生きてきた人がなぜここで神経痛ぐらいで、死ななければならないのかとつっ込むと、お茶を入れてきますと奥へ引っ込んだきり出て来ない。
病苦は本当の理由ではない。
若夫婦は自分達の対応の冷たさを、他人に知られたくないから、体裁をととのえているだけなのである。
年老いた親は、心身の機能は低下し、社会的役割もなく、収入も少ないからどうしても家族の負担になっている。やはり重荷として疎外されているのである。
しかし殺しではなく、自殺をしたことがはっきりした以上、プライバシーにかかわることをそれ以上追及するわけにはいかないから、調書には不本意ながら若夫婦のいうように病気を苦にした自殺と記入して、終結せざるをえない。
その結果が集計されるから、国の統計は間違ってしまっている。
老人の自殺は、身内から冷たく疎外されたための孤独が主因であるから、独り暮らしの老人よりも三世代同居の老人の方が、自殺率は高い。
独り暮らしだからわびしく孤独なのではない。信頼する身内から冷たく疎外されたわびしさこそ、老人にとって耐えられない孤独なのである。身内のやさしいいたわりがあれば、お年寄りは自殺などはしない。
看護も同じである。
看護は技術だけではない。心がこもらなければ、患者の病気は治らない。
いじめっ子の問題も同じことだと脱線する。
仲間はずれにして、集団で一人をいじめる。いじめている方は半ば遊びかもしれないが、いじめられている方は、そうはいかない。
心に大きなキズを負っている。
中学を卒業して何年も経ってから、クラス会が開かれることになった。幹事は乾杯用の酒に毒薬を混入し用意したが、発覚し未遂に終った。
この事件は、いじめられた子が復讐のために仕組んだものであった。
異常な事件として片付けないで、老人の自殺と重ねて考えて欲しい。
復讐はできないから、老人達は自らの命を絶っているのだ。老人の自殺にはその無念さが隠されているのである。
実態を正しく把握し、理解しなければ老人問題にしろ、いじめっ子の問題にしろ論ずることはできない。
これは福祉行政の問題だなどと傍観しているわけにはいかない。近い将来必ず、自分自身にふりかかってくる重大事である。
やはり社会的最小単位である家庭のあり方から出直さなければ、この問題は解決しないのではないだろうか。
検死の現場で、ものいわぬ老人達の言葉がひしひしと伝わってくる。
わたしの講義を学生達は真剣に聞いている。
世代の違うもの同士のコミュニケーションは大切なことだし、話せばお互いにわかりあえる。
看護教育の原点もそんなところにあるように思え、確かな手ごたえを感じながら、ついのめり込み、ふりかえって見るともう二十五年も経っていた。
ある年の四月。入学して最初の講義の日に、私は学生に向かって、
「君達がもしも、何にでもなれる能力をもっていたとしたら、それでも看護婦の道を選んだであろうか。それとも別の道を選んだろうか」とアンケートをとった。
半数は看護婦。あとの半数はスチュワーデス、芸能関係、ジャーナリスト、OL、短大や大学への進学などを希望していた。
若い女性達のあこがれの職業はスチュワーデスにあることを知った。彼女らは国際的な感覚をもち、格好よい制服を着て世界の空をかけ回る。危険を伴うが高給取りである。確かに魅力のある職業に違いない。
それにひきかえ看護婦は三年間の専門教育をうけた後、国家試験に合格しなければ資格は得られない。人の命にかかわって仕事をするために、人間的にも学問的にも常に洗練されていなければならない。その意味では看護婦は大変知的な職業である。
しかし資格、労働の割に待遇はよくない。そのうちに必ず正しく理解され、評価される日は来る。来なければおかしいと、私の考えをのべて自覚をうながした。
それから半年、解剖学の講義は最終日を迎えた。
私は再び同じアンケートを試みた。
意外な結果に驚いた。
なんと全員が、看護婦の道を選んだことに悔いはないというものであった。
半年の間、一般教養科目と専門科目の講義が続いたのであるが、私ばかりではなくそれぞれの講師によって、担当科目を通して看護婦の道が説かれたのであろう。
高校を卒業した若い女子学生達は、すべてがこの道に喜びを見出していたのである。
教育の成果があったと嬉《うれ》しく思う半面、教育というものの恐ろしさを痛感した。
かつて私達は、一億一心、日本国民は一致団結して国の目的に向かってつき進む。そのためには、命を惜しむなという教育をうけた。事実そのように努力し、多くの若い命は戦場に散った。
そんな思いが脳《のう》裡《り》をかすめた。少しオーバーかもしれないが、教育にはそれだけの力があるような気がした。
医学部の学生時代、確かに覚えなければならない事柄が多かった。また臨床実習などは実技、テクニックであるから実際にやって覚えるしかないので、あまりサボることは許されない。加えてテスト、テストのくりかえしで習ったことはすべて、覚え理解していなければ卒業はできないし、国家試験にはうからない。学生だから勉強するのは当然だが、それがすべてではない。自分の人生には、ほかにもやりたいことが沢山ある。
絵画を鑑賞したり、音楽会に行く。読みたい小説や、詩もある。友人と酒をくみかわし、人生を語り合うのも大切だ。時には自分の考えを書き綴《つづ》りたい。また映画をみたり、麻《マー》雀《ジヤン》をしたりする時間も欲しい。
だからテストがあっても、合格点がとれそうなところまで理解すれば、それ以上は勉強しないで、やりたいことに時間をつかう。
決してよい学生ではなかった。
しかし自分なりに、充実した学生生活を送ることができたと満足している。
私は学生達にいう。
テストに満点をとり卒業したから、自分は有能な看護婦だと思うのは錯覚である。ある程度の専門知識がなければならないが、患者に接するにはより豊かな人間性が必要なのだ。そのためには、勉強もほどほどにして、視野を広げ学生時代を有意義に過ごすようにしたいものだと。
とはいえ、国家試験があるのでほどほどにという勉強はむずかしい。きっと学生にそんなことをいえば、だらけて遊んでしまうだろう。
私は決してよい先生ではない。
それでも、彼女達は看護婦という職業に大いなる誇りと自覚をもって、学窓を巣立っていく。
ところが二、三年病院勤務をしているうちに、大半はやめてしまう。
これは一体なんなのだろう。
一般的には3K(きつい。きたない。きけん)職場がきらわれる。
看護婦の場合には、さらに結婚ができない、子供が産めない、休暇がとれないなどのKが加わる。女性にとって厳しい条件の職業である。
それよりも、看護婦はドクターと一緒に仕事をしなければならない。
看護のスペシャリストとして活躍するための教育をうけてきたのだが、実際にはドクターのアシスタントのような仕事をしいられる。彼女達のプライドは大いに傷つけられる。
ドクター側は、看護婦の役割についての教育などはうけていないし、理解も少ない。
ひょっとすると問題はそんなところにあるのかもしれない。
看護学校で教えているから、見方が片寄っているかもしれないが、彼女達はやたらと忙しく、夜勤も多い。労働に比べて待遇は悪い。そして社会的評価も依然として低いのである。
教育と実践の場にこんなに開きがあったのでは、たまったものではない。
彼女達の知識や実力が思う存分発揮できない職場があってよいのだろうか。
どこかがくるっている。
医師と看護婦という医療のスペシャリストが揃《そろ》っているのだから、まず第一に自分達の環境を正常な状態に治療し、ととのえ、看護する必要があるだろう。
そんなことを思いながら、明日への希望をつなぎ、学生達にいいたいことをいい続けているのである。
出生三説
駅のコインロッカーから胎児が発見された。
捨て児(遺棄死胎)である。
腐敗しているために、悪臭が強い。手さげ紙袋の中に、黒いビニール袋に入れられ、さらに血のついたバスタオルに胎児はくるまっていた。
身元を割り出すような品物はない。
検死をすると身長は五十センチで、胎生十か月と推定される女児であった。関節の内側には胎脂が付着し、分《ぶん》娩《べん》間もない状態のようで、臍《さい》部《ぶ》には長い臍帯が胎盤とつながっている。
生産児なのか、死産児なのか検死だけではわからない。その区別はきわめて重要である。もしも生産児であれば、殺人ならびに死体遺棄罪になるが、死産児であれば死体を捨てた遺棄罪だけであるからである。
いずれにせよ犯罪死体であるから、検事の指揮下で司法検視、司法解剖が行われることになった。
解剖して肺を取り出し、冷水の中に入れると肺は浮いた。つまり分娩後呼吸をしたから肺に空気が入ったために浮いたのである。肺浮遊試験陽性、即ち生産児であることがわかった。
死産児の場合は、一度も呼吸をしていないから肺に空気は入らず、水に沈む。肺浮遊試験陰性である。
しかし死産児であっても、腐敗していると肺に腐敗ガスが発生し、水に浮くことがある。このような場合には、肺の一部を大《だい》豆《ず》大位に小さく切り取って手指で圧縮し、腐敗ガスを放出した後、冷水中に入れると、肺は水に沈んでしまう。
一度呼吸した生産児の肺は、肺胞という顕微鏡でしか見えない細かい袋の中に空気が入り込んでいるので、手指で圧縮したぐらいでは空気を押し出すことはできないから、肺は浮く。
さらに肺の組織標本をつくり、顕微鏡で観察すると呼吸した肺は、肺胞が開いている。呼吸したことのない死産児の肺胞は開いていないので、区別は容易である。
また一度でも呼吸をすると消化器系の胃腸にも、空気は入り込むので、肺と同じように胃腸浮遊試験も陽性になる。
解剖の結果、このケースは生産児と判断された。
警察は殺人、死体遺棄で捜査を開始した。
一方、執刀医は解剖所見から死因、死亡時間など鑑定項目に沿って検索し、鑑定書を作成しなければならない。
娩出間もない児は生活力に乏しいから、なんの介護もしないで、放置すれば、口や気管の入口に入っていた羊水などが気道に吸い込まれて、窒息死するようなことがある。積極的に首をしめたり、口や鼻をふさがなくても、娩出したまま放置すれば死につながるので、俗に放置死というような場合もある。
いずれにせよ故意にやったものか、否かが問題である。
母親が一人で分娩中、出血多量などで一時的に意識を失ったような場合にも、放置死は起こる。気が付いたときには、児は死亡している。
正直に届け出て、専門家による検査をうければ、故意にやったものではないことはわかるので、罪にはならない。
しかし、隠そうと処置に困ってコインロッカーなどに捨てたりすると、事件になってしまう。
死因は鼻口部閉塞による窒息あるいは羊水吸引による窒息、肺胞拡張不全などが多い。医療をうけていれば、死なずに済んだであろう。
それはともかく、その児の名前はわからない。というよりもその児には氏名もなければ戸籍もない。法律的にはまだ生れていないことになっている。生れていない児が、死ぬはずはない。おかしな話であるが、順序として手続は、誰れかにその児の名前をつけてもらって、まず出生届をして戸籍をつくってから、解剖医作成による死亡届を提出しなければならないのである。
このように人の命は胎児ですら、法律的にも医学的にも一人前の人間として、擁護されている。
どこの誰れかもわからない小さな命をめぐって、それぞれの担当者は、生産児か死産児か、母親は誰れなのか、なぜ捨てられたのかと真実を求めて動き出す。
しかし、切ったはったの殺人事件などと違って、遺棄死胎の解決率は低い。
このケースもそれ以上、解明されることなく終らざるを得なかった。
どんな理由があるにせよ、こんなに祝福されない人間の一生があってよいのだろうか。
人は皆、生れてそして死んでいく。
死んでから、私は医師としてはじめて、その人とかかわりをもち、死の方向から生をみつめ、不審の解明と不安の除去につとめてきた。
法医学は正に、逆の方向から見た医学である。
生と死は常にとなり合っているのだろうが、生産児か死産児かを判断するとき、分娩時に最も生と死が接近した状態にあるように思える。
そこで、人間社会の中で生れるという現象を、どのようにとらえているのか考えてみることにする。
人の一生は、生れることによってはじまる。
あたり前のことであるが、生れたという事実を法律的に確立し、社会に認めてもらわねばならない。これが出生届である。
民法第一条の三に、
「私権の享有は出生に始まる」
とあり、人がいつ出生したのかは、法律上あるいは法医学上重要なことである。
この出生時期をどのように決めるのか。
次の三説がある。
一、一部露出説(刑法)
胎児が母体から一部でも認められるとき、出生とする。
二、全部露出説(民法)
胎児が母体から完全に露出分離したときを、出生とする。
三、独立呼吸説(医学)
胎児がそれ自体の機能をもち、生活反応を示したとき。具体的には第一呼吸をしたとき、出生とする。
このように、それぞれ違った解釈をもっている。
刑法では胎児が、その一部を露出したら、独立呼吸をしなくても出生と認めているのは、人の生命を重んじているからである。
したがって堕胎罪(母体内殺害)と殺人罪(母体外の殺害)の違いは、この時期によって区別されている。
民法では全部露出説をとり、戸籍上の出生もこの時期をとることになっている。
ところが医学上は、胎児娩出後しばらくして独立呼吸を行ったとき、出生としている。
これは母体から離れて第一呼吸をしたということは、その子が独立して生存できるという証しであるから、この判断はきわめて合理的である。
したがって独立呼吸をしないものは、娩出されても死産児となる。
これら三説を吟味すると、法律というものはいかに人命を尊重し、人権を擁護しているかがわかるであろう。
また、堕胎とは自然の分娩に先立って、人為的に妊娠を中絶し、母体外に胎児を排出するかあるいは外力を加えて、胎児の成長をとめる行為も含めて、堕胎といっている。
医師が医療目的のために行う、妊娠中絶、たとえば妊婦が結核などで、これ以上妊娠を持続すれば、母体の生命に危険があるような場合は、堕胎罪にはならない。
また優生保護法は、経済的事由(貧困)も正当な理由に加えた。そのためわが国では、人工妊娠中絶が比較的容易に、合法的に行われるようになり、堕胎天国などという不名誉な呼び方をされる結果を招いたことも事実である。
しかし、正当な事由がないものは、たとえ医師が行っても、堕胎罪になる。
現在では医師が堕胎罪に問われるのは、堕胎を行って母体が死亡したときなどに多い。
また出生届は出生から十四日以内(戸籍法第四十九条)に氏名を決めて、役所に届けなければならない。この手続によって、戸籍がつくられ法的にも人権は確立されるのである。
出生の証明者は医師、助産婦その他の立会人などいずれの人でもよい。もしも出産の現場に誰れもいなかった場合には、市町村長、戸主などでもよい。このように出生証明書が医師や助産婦などの専門家の証明を必ずしも、必要としていないのは、私権の享有は出生に始まるという民法の精神に基づいているからである。
U
黒い砂
一
オリエンタル航空ボーイング七二七型機は、乗客一三三名を乗せ札幌から羽田に向かっていた。
二月三日、午後六時五十四分。千葉市上空から計器飛行を有視界飛行に切りかえたいと、羽田空港の管制塔レーダー室に連絡があった。
計器飛行を誘導するレーダー室は、連絡をうけ有視界飛行管制所にスイッチを切りかえた。
間もなく機長から無線で、
「着陸指示を求む」との連絡が入った。
「C滑走路へどうぞ」と指令が出た。
満月に近く、雲もない。視界は良好で邪魔するものはなにもない。
高度三千メートル。順調に着陸態勢に入っていた。
七時五分。管制塔から見えるはずの機影は見えない。
「着陸灯をつけよ」とオリエンタル航空機に指令を出したが応答はない。
二、三度くりかえすが反応はなかった。
無線の故障か、着陸をやり直すため上空をもう一度旋回するつもりなのかもしれない、と管制官は思った。
七時十二分。A滑走路には国際航空の旅客機コンベア八八〇型機が着陸した。
これより先に着陸するはずのオリエンタル航空機は、まだ姿を現わさない。
管制室の動きはあわただしくなった。
午後七時三十分。機影なし。
運輸省の保安事務所は、直ちに捜索救難体制を発令し、海上保安庁、防衛庁、警視庁、オリエンタル航空は合同で、大々的な捜索活動を開始した。
十一時すぎ、海上保安庁の捜索船が羽田沖東南東十五キロ付近で機体の一部と思われる座席など浮遊物を発見。続いて数体の遺体も発見され、東京湾内での墜落が確認された。
乗務員七名を含む計一四〇名、全員は絶望となった。
翌朝から遺体の収容と海底に散乱した機体の引き揚げ作業が開始された。
その日二九名の乗客と二名の乗務員の遺体が収容された。
警視庁と監察医務院は、羽田のオリエンタル航空の格納庫に検死のキャンプを張った。
いずれも額や顔に打撲傷があり、前胸部の肋《ろつ》骨《こつ》骨折が著しく、死因は頭《ず》蓋《がい》骨骨折、脳挫《ざ》傷《しよう》。頸《けい》椎《つい》骨折、頸髄損傷など墜落時の衝撃の強さを物語っていた。
中には外傷が少なく、鼻口部から白色泡沫を多量に流出し、溺《でき》死《し》と診断された遺体も数体あった。
二日目、三遺体。三日目、一〇体。そして四日目には破損した旅客機の胴体である客室の中心部が、引き揚げられた。こわれたシートと共に四二遺体が収容された。
その中には二名のスチュワーデスも含まれていた。
東京の真冬。日中の外気温は摂氏十度内外、水温八度。遺体に腐敗は少なく、外傷など損傷を鮮明に見ることができた。
五日目には機長、副操縦士、スチュワーデス一名、乗客十一名の遺体が発見された。
機長は検事の指揮下で大学の法医学教室で司法解剖に付されることになり、副操縦士やスチュワーデスなどの乗務員は、監察医務院で行政解剖をすることになった。
乗客の遺体は検死のみで、解剖はしない方針に決った。
二
大野木監察医は、その日解剖当番であった。午前中あわただしく搬入されたスチュワーデスの行政解剖が行われることになった。
警視庁の検視官をはじめ、鑑識課など大勢の警察官が立会っていた。
待合室は、遺族や航空会社の人達にまじって報道関係者らであふれていた。
スチュワーデスの遺体には、後頭部に打撲傷があり、その部位の頭蓋骨にわずかな縫合離開がみられた。
脳は前頭部に鶏卵大の脳挫傷と外傷性くも膜下出血があった。つまり対側打撃を形成していたのである。
乗客や操縦士の外傷は、殆《ほと》んどからだの前面にあり、とくに前頭部や顔面の打撲傷が著しかった。しかし彼女の外傷は逆であるから、事故発生時、スチュワーデスは進行方向に背を向け、乗客と向き合うように席についていたと思われる。墜落のショックで後頭部を強打した。その際、頭蓋骨の中の脳は外力の反対方向に振られて、自分の頭蓋骨の前頭部に激突したために、脳は前頭部に挫傷を生じた。
これを対側打撃といい、頭部が加速度をもって受傷したような場合に生ずる特徴的損傷とされている。具体的には墜落や転倒外傷に好発する外傷である。だからバットで頭を殴打したようなケースには、この外傷は生じない。殴打の場合は、その部の頭皮の損傷、頭蓋骨骨折、脳挫傷が形成されるのである。
このように対側打撃の存在は、受傷状況を推理するのに、大いに役立った。
また大《だい》腿《たい》部《ぶ》のつけ根には、シートベルトによって形成されたと思われる皮下出血が、帯状にみられた。
脳を取り出したあとの頭蓋底を見て、大野木は驚いた。
溺死に見られる錐《すい》体《たい》内出血があったからである。
水中で溺れ呼吸をすると、口や鼻から水が入り、鼻の奥から耳の鼓膜の裏側に通ずる耳管という細いパイプに、水が入って水栓ができる。引き続き水中で呼吸運動をし、水をのみ込む嚥《えん》下《げ》運動が行われると、耳管内の水栓は、嚥下運動と連動してピストン運動をする。そのとき錐体内は陰圧、陽圧がくりかえされ内耳を取り囲んでいる錐体内の乳様蜂巣内膜や毛細血管が破れて出血を起こす。これが錐体内出血で、溺死特有の所見である。
肺も水を含んだスポンジのように、溺死肺の様相を呈していた。
頭部打撲による脳挫傷が死因と思われたが、溺死の所見があったのである。
「どのように考えれば、よろしいのでしょうか」
ベテランの検視官は、すべてを承知しているのだが、解剖が終るとまとめとして執刀医の考え方を手帳に書き留める。
「そうですね。墜落時の衝撃によって、脳には対側打撃が生じ、脳挫傷のため意識は不明になっていたでしょうが、即死するような脳外傷ではなかったと思います。
かといって治療すれば、助かる脳外傷かどうかはわかりませんが、取りあえず即死するような外傷ではなかったことは事実です。なぜならば次の瞬間、飛行機ごと海中に没入し、彼女は海中で生きていて呼吸をした。その結果錐体内出血が生じ、溺死したと考えます」
「なるほど、よくわかりました」
単純な溺死ではありませんから、誤解のないようにと念を押し、解剖は終了した。
隣りの解剖台では続いて搬入された副操縦士の解剖がはじめられていた。
頭部、顔面の外傷に加えて頸椎骨折もあり、むちうち損傷という自動車の衝突事故と同じような外力作用があったことを思わせ、さらにスチュワーデスと同じように副操縦士にも、溺死肺と錐体内出血が確認された。
ジェット旅客機の事故については、目撃者はなく、どのようにして海中に墜落したのかは、専門家らが調査しているであろうが、検死や解剖を通して思えることは、旅客機は空中爆発したのではない。また真《まつ》逆《さか》様《さま》に墜落したのでもない。ある程度の着陸態勢で滑走するかのように海面に激突し、海中に没入したのではないだろうか。
多くの死体所見を総合することにより、事故の模様は、おぼろげながら見えてきた。
三
その後連日のように遺体は発見され続けた。
三月に入って一三九体目の遺体が収容されたが、最後の一体は見つからなかった。
三十二歳の女性乗客である。
関係官庁や航空会社は焦っていた。
空白の日が続いたが、四月に入って間もない日、漁船の底引き網にひっかかって、女性の死体が発見されたとの情報がもたらされた。
関係者から歓声があがった。事故から五十九日目であった。
真冬の冷たい海底にあったとはいえ、事故当時の外傷や海流により海底を移動したための死後の損壊、あるいは海中生物によって浸蝕されたような皮膚の損壊に加え、高度の死後変化のために個人識別もできないほどに、変り果てていた。
着衣はぬげ、全裸の状態で顔は身内の人ですら見分けられないほど、変形していた。
乗客は解剖しないことになっていたが、あまりの変りようなので、念のため翌日、行政解剖を行うことになった。
血液型はB型で、三十二、三歳の女性と推定された。
頭頂部に打撲傷があったが、頭蓋骨に骨折はない。脳は灰白色泥状に融解していた。頭蓋底には錐体内出血がみられ、肺も腐敗していたが溺死肺の状態であった。
また胃の中は空であったが、少量の砂が粘膜に付着していた。
溺死の解剖を数多く経験しているが、胃に砂が入っているようなケースに遭遇したことはない。
気になったが、死因は溺死であり、血液型も一致し、年格好から一四〇体目最後の女性乗客と考えられ、解剖後遺体は家族に引き渡されることになった。
午後三時。監察医務院ではこの時点をもって、オリエンタル航空旅客機墜落事故は終了したのである。
一般業務のほかに、旅客機墜落という大量死が加わって、てんてこ舞いの勤務態勢で誰れもが疲れ果てていた。
四
大野木は自室に戻り、疲れたからだを椅《い》子《す》にもたせかけた。
警察官立会いの解剖は、緊張しことのほか疲れる。
これから永久保存になっていく解剖記録書に、今行った死体の詳細な所見を記入しなければならない。
卓上の電話が鳴った。
「先生。今、水上警察署から連絡があり、同じような女性水死体が発見され、墜落事故の乗客の可能性もあるので、緊急に解剖して欲しいといってきました」
業務の相沢からである。
「え〓 じゃさっき解剖した女性は乗客ではないの?」
「どっちが乗客かわからないので、先ほど解剖した遺体は引き渡しをストップさせてあります。あと三十分位で遺体は医務院に到着する予定ですから、よろしく」
と一方的な院内電話であった。
書きかけの解剖記録書を急いで書き終え、地下の解剖室へ降りたのは、三時四十五分をすぎていた。
検視官をはじめ先程立会った警察官らが解剖台を取り巻き、大野木監察医が来るのを今や遅しと待っていた。
「先生。お疲れのところ誠に申し訳ありません。私どももすっかり最後の乗客とばかり思い込んでおりましたが、同じように腐敗した、同じ年格好の女性水死体が別の船の網にかかったと連絡が入りまして。
私どもの不手際で、ご迷惑をお掛けします」
と検視官は恐縮しながら、ことの成り行きを説明した。
珍しいこともあるものだと思いながらも、心をひきしめ大野木は解剖刀を握った。
途中何度もカメラのフラッシュがたかれ、所見は詳細に記録された。
前頭部、前額部の打撲。同部の頭皮下出血がみられたが頭蓋骨骨折はない。しかし脳は赤褐色泥状に融解していた。
脳はもともと豆腐のようで、白いから腐って泥状になったとしても、灰白色を呈しているのが普通である。それが赤褐色であるということは、病的脳出血あるいは外傷性脳挫傷などがあり、脳に多量の血液が混っていたことを意味するものである。
先の解剖では、脳は灰白色泥状であった。墜落事故で脳外傷がないのは、考えてみればおかしなことである。
やはり間違っていたかと大野木は不安を感じた。
もちろん溺死肺の所見もあり、錐体内出血もあった。先の解剖死体よりも、こちらの方が墜落事故という状況に合致する所見を有していた。胃内容は空であった。
検視官もいらいらしていた。人違いに気付いたからである。
遺族の方々に両方の遺体の確認をしてもらうことになった。
しかし、顔面の外傷と死後変化のために損壊、変形してわからないという返事であった。なにか特徴はないかと思い出してもらったところ、母親は左のお尻《しり》に小豆《あずき》大のホクロがあるはずだという。補佐員が棺《ひつぎ》に納められた遺体の浴衣《ゆかた》をぬがせ、臀《でん》部《ぶ》を確認すると所定の場所にホクロがあった。
先の死体も調べてもらったが、こちらにはないという。
両方の遺体の臀部をもう一度、家族に見てもらうことにした。それだけでは不安なので歯の形も見てもらった。
あとから解剖した遺体の方がホクロ、歯の形、左腕のBCGのあとなどの特徴を合せると、娘に間違いないといいながら、母親は新たな涙を流していた。
血液型もB型で、本件が最後の乗客と確認されたのは、夜の八時をすぎていた。
それならば、先に解剖した死体は、一体誰れなのだろう。
警察の捜査はふり出しに戻り、身元確認の作業からはじめねばならなかった。
翌朝には人違い、残る遺体は何者かと、大きく報道されていた。
大野木は二体とも自分が解剖したケースであったから、責任を感じていた。
近いうちに両方の解剖記録を比較検討し、事件との関連などを考えてみようと思っていた。
五
年齢、身長、体重などほぼ同じである。腐敗状況も同じようであった。
頭部に打撲傷があるが、頭蓋骨骨折はない。溺死肺、錐体内出血もあるから、両者とも溺れたことに違いない。
決定的な違いは、脳の所見である。
前者は泥状灰白色に腐敗していたが、後者は赤褐色であった。赤褐色なのは、墜落時の脳外傷と思われるので間違いなく乗客と考えるべきである。
しからば前者は一体何者なのだろう。
なぜ東京湾で、溺死体となって発見されたのだろうか。
自殺か他殺か、それとも災害事故死なのか。状況に関する事柄は、警察の捜査によって解明されることであるが、大野木は監察医の立場で死体所見を通して、見えない事実に挑戦していたのである。
そういえば解剖のとき、前者の胃粘膜に砂が付着していたのが妙に気になっていた。
ヘドロをのみ込んだケースは稀《まれ》にはあったが、胃の中に砂が入っているような溺死体を見たことはない。砂は重いから静かな海で溺れた際に、砂を吸い込むようなことはない。ましてや海中墜落機内で乗客が砂をのみ込み、溺死するような状況は考えにくい。
海水浴場の波打ちぎわで、大波に巻き込まれ溺れれば、砂まじりの海水をのみ込むことはあるかもしれない。あるいは大波の打ちよせる海に向かって、入水自殺でもしたのだろうか。
しかしいずれにせよ、真冬だからそんなことはありえない。また災害事故死を前提に考えても、若い女性であることを思うとこれもまた不自然で想定しにくいのである。
残る可能性は他殺であるが、他殺であるという積極的な根拠もない。
ただ頭に打撲傷があり、胃に砂の入った腐乱溺死体をどのように解釈するかである。
考えもまとまらぬまま、月日は経っていた。
六
六月のむし暑い日、警察から女性の身元確認の書類が医務院に送られてきた。
二十九歳のホステスであった。
一月一杯は店に出ていたが、二月に入ってからは一度も出勤していない。その後の様子は不明で、目下捜査中と書かれてあった。
どのようにして身元が確認されたのかはわからないが、身内から捜索願いでも出されていたのかもしれない。
身元がわかれば、そのうちに全《ぜん》貌《ぼう》は明らかになるだろう。
警察も汚名返上のため、がんばっていた。
新聞やテレビも、身元がホステスとわかると殺人事件のような扱い方になっていた。
そんなある日、検視官が大野木監察医をたずねてきた。
身元の判明したホステスの周辺を調査しているうちに、男の存在が浮び上り、事件の可能性が出てきたというのである。
先生に行政解剖していただいたあの女性は、殺害された疑いがあるので、司法解剖と同じように鑑定書を作成していただけないかと相談にきたのである。
行政解剖は東京都の地方公務員である監察医という一行政官が、死に方に不審、不安のある変死者の死因を究明するために行う解剖である。解剖により死因が明らかになれば、執刀監察医は、東京都の衛生局長と東京地方検察庁の検事正に、解剖報告書を作成し提出すれば、その変死事件は終結するのである。
ところが、司法解剖は犯罪死体であるから、法律の専門家である検事の指揮のもとに、法医学の専門家である大学の教授などが行う解剖である。解剖後は鑑定書を作成して検察庁に提出する。
それには死因、外傷、死亡時間の推定、凶器およびその用法など死体が有するすべての情報が鑑定事項になっていて、鑑定人は、これらに考察を加え論理的かつ明快に文章化し答えなければならない。そしてこの鑑定書は裁判の重要な資料になるのである。
これによって有罪になったり、無罪になったりすることがあるので、あやまった判断は許されない。
「解剖中に先生は、胃の中に砂が入っているのはおかしいと、いっておられましたよね」
検視官は解剖立会いの際に、記録した手帳をめくりながら、大野木にそういった。
鋭い洞察力である。
当時、おかしいとは思ったが、人違いを正すことに気をとられていたので、それ以上のことは考えなかった。
今、検視官にそのことを指摘され、大野木は重要な検討を怠っていたことに気付き、恥かしかった。
「お忙しいところ、誠に申し訳ないのですが、是非鑑定書を書いていただきたい」
と検視官は頭を下げた。
それから三週間、大野木は鑑定書の下書きを完成させていた。
七
帰宅して夕食をとりながら大野木は、テレビをみていた。
「ホステス殺し逮捕、半年前千葉の海岸で……」と声が流れた。
もしかしたら、自分が関与している事件ではないかと、あわてて注目したが、ニュースは次の話に移っていた。
翌朝の新聞には詳しく報道され、数日後には全面自供となって、事件の全貌が明らかになった。
結婚を前提に交際していたが、男には妻子があった。
三十五歳のセールスマンで、仕事のできる男であった。
はじめは単なるお客とホステスの関係であったが、同じ北国の寒村に育ち、父親が出稼ぎ中母親の浮気から、家庭は崩壊。彼女は中学を終えると家を出て、自立の生活をはじめなければならなかった。
男の家庭も複雑であった。義母と折り合いが悪く高校を中退して上京。工員、店員と職をかえ、やっと安定した会社に勤めセールスの仕事につき、実績をのばし課長にまで昇進していた。
生い立ち、境遇はよく似ていた。そんなことから二人は急速に接近していった。
男には妻子があり、彼女にそれを打ち明けられないまま結婚を約束するまでになっていた。
帰宅の遅い日が続き、外泊の日もあって、愛人の存在はやがて妻に知れる結果となった。
精神的に不安定になった男を見て、女も男の嘘《うそ》を見破った。
彼女自身、何度か男の遍歴はあったが、どれも遊びのような気持であったから、別れに際しそれほどのショックは感じなかった。
しかし今回は違っていた。
男を信じ、愛していた。かなりの金を貢いでもいた。彼女は当然のように妻の座を求めたが、らちがあかない。
以前はたのもしい男に見えたが、今はよわよわしい優柔不断な男でしかない。貢いだ金も結果によってはだまし取られたことになる。裏切られたとすれば、結婚詐欺である。悔しさがこみ上げていた。
代償として三百万円を支払え、さもなくば裁判にすると彼女は男にせまった。三百万円あれば、一軒、家が買えるほどの時代。そんな大金を出せるはずはない。
男は窮地に追い込まれていた。
八
男は女にいわれるまま車を走らせていた。
行きかう車も少なく、曲りくねった海岸線を黙って運転し続けていた。
ライトは時折、静かな冬の海を照らした。
彼女は妻子と別れ、結婚してくれと男にせまっていた。
男は黙り続けていた。
「止めて〓」と突然彼女はいい、車から降りた。
あなたも降りて、海の空気でも吸ったらとさそった。
冷たい潮風が二人の間を吹きぬけていく。
彼女は先に立って、暗い砂浜を波打ちぎわの方へ歩いていく。
「私が嫌いになったの?」
立ち止って、男をふり向く。
「いや、そうじゃないよ」
「それじゃ決心してよ、あなたのためならなんでもするから」
「うん、でも」
「でも、なによ。にえきらないのね。いつまでもこのままというわけにはいかないのよ。
わかっているでしょ。
今夜は結論を出して頂戴」
男はまた黙ってしまった。
男らしくない。優柔不断。結婚詐欺。別れるならばお金をかえせ。と悪たれ口がとび出してきた。
「決断できない男なんて、最低よ。何が課長よ〓」
そういわれて男は、がまんがしきれなくなった。
逆境の中から立ち上り、黙々と今日の地位を築いてきた。プライドがある。
「何が課長よ」その一言が男の胸に突き刺さった。許せない。
そんな感情がこみ上げてくる前に、男の手は動いていた。「ちきしょう〓」足元に落ちていた短い流木を拾い、背後から女の頭を思いきり殴打した。ボキッと音がして、木は折れた。彼女は痛いと頭を押えて、前のめりに倒れた。
バシャと水のはねる音がした。
よく見ると、そこは砂地の海岸で、河口に面していた。
彼女は砂地の河口に顔をつっ込むように倒れたのである。
間もなく起き上ろうともがき出した。
彼は咄《とつ》嗟《さ》に彼女の背後に馬のりになって、浅い河口に彼女の頭を押え込んだ。
バシャ、バシャと彼女のもがき苦しむような抵抗があったが、そのうちにぐったりして息絶えた。
夢中で彼女の死体を川の流れの中に押しやった。
二月上旬の真夜中。海は引き潮になっていた。
川は海に吸い込まれるように流れている。
膝《ひざ》から下はびしょ濡《ぬ》れで、スーツのそでも濡れていた。
何ごともなかったように、海鳴りだけが聞えていた。
冷たさを感じたのは、車に戻ってからである。
九
鑑定書の鑑定事項には、
一、損傷の部位、形状、程度
一、凶器の種類、その用法
一、死因
一、自殺、他殺、災害死の別
一、死後経過時間
一、その他参考事項
と記されてあった。
項目別に大野木は慎重に所見と考察を書き加え、さらに解剖時撮影した写真も参考に添付して、鑑定書はでき上った。
胃の中に入っていた砂の存在について、大野木の見解は、浅瀬の砂浜に頭を押えつけられ、溺《おぼ》れる際に海水と一緒に砂も吸い、のみ込んだものと推理している。
この状況は自殺や災害事故によっては、生じ難いので他殺手段と判断している。
また死後経過時間も、オリエンタル航空ジェット機墜落事故にほぼ一致した時期と推定した。実際には墜落事故は二月三日の夜であったが、本件は二月六日の真夜中で、三日のずれがあった。しかし死後経過時間の推定は、解剖時からさかのぼって何日前の死亡かを判断するもので、科学的分析などによって割り出せるものではない。
当時の気温、死後置かれた環境などを総合的に考察し、経験に基づいて判断している。この場合は六十日前後と推定したが、三日のずれは止むをえない誤差であろう。
また犯人は墜落事故を意識し、計算して東京湾に殺害死体を流出させたのではなかった。偶然にそうなったため、まぎらわしい人違いを起こしたのである。
事件は警察の手を離れ、公判に入っていた。
十
大野木監察医は、いつものように検死に出向いていた。
酔っぱらいの喧《けん》嘩《か》で、路上につき倒され死亡した事件であった。犯人はまだつかまっていない。
警察の遺体安置所には、作業服を着た鑑識係が、着衣の状態やからだの外部所見などをカメラに収めていた。
指揮をとっていた検視官が、
「先生、ご苦労様です」
と、大野木に声をかけた。
「いや、どうも。相変らず忙しいですね」
と、挨《あい》拶《さつ》を交わした。間もなく検死は終った。
大野木はこの間の事件は、実にひやひやものでしたねと、検視官に話しかけた。
「胃の中の砂を、殺しと判断したのは、先生のお手柄ですよ。私も大変勉強になりました」
と、検視官はほめ上げた。
大野木はさらに、
「女に毒づかれ、ついカーッとなって殺《や》っただけで、とくに殺意があったわけではないでしょう」
「いや先生。殺意はあったと見るべきです」
と、検視官は反論した。
男ははじめから浮気のつもりであったかもしれないが、女は真剣であった。関係が進むにつれ、当然のことながら女は結婚をせまってきた。
結婚をエサに肉体関係を続けていたが、嘘がばれ男は追いつめられた。しかし簡単に妻子と別れ、愛人と結婚に踏みきれるはずはない。清算するには三百万という大金がいる。
いずれにせよ、大変な事態に追い込まれた。
男も深刻に受けとめ、苦慮していたようだが、優柔不断だ、結婚詐欺だとののしられ、その上なにが課長だとさげすまれては、我慢も限界でつい殴打してしまった。
そこまでならばよかったのだが、その後の行動は許されるものではない。
女がいなければ、すべてはうまくいく。そう考えて犯行に及んだものと思われる。
「殺意がないとはいえませんね」
検視官の説明には、熱が入っていた。
男の浮気心が、女の真心を踏みにじった。
他人の心を早く、見抜いていたら、こんな暗い結末にはならなかったろう。
大野木は顕微鏡で心臓の組織標本を眺めながら、倍率を高めていた。
心臓の筋肉が動脈硬化のため、十分な酸素や栄養がとれずダメージをうけ、衰え、死に近づいていく。
こうした病理変化のほかに、隠された心理状態も見えないものかと。
見えないことはわかっているが、つい倍率を高め読みとろうとしているのであった。
ジグソーパズル
医者でありながらなぜ死んだ人を相手に、仕事をしているのかと質問されることがある。
医者はやはり病気を治すのが本筋だから、死体を扱う監察医と聞けば、奇異に感ずるのは当然かもしれない。
最近はテレビドラマなどに監察医が出てきて、警察官と一緒に検死をしているシーンなどがあるので、警察に所属するドクターだと思っている人が多い。
実はそうではなく、監察医制度は地方自治体に施行されているので、東京の監察医は東京都の衛生局に所属する地方公務員なのである。したがって、警察側に立っているのではなく、あくまでも死因を究明し医学的に公正な判断をする機関である。その意味においては衛生行政上不可欠の制度なのである。
保健所のドクターが地域住民と一緒になって予防医学を推進しているのと同じように、監察医は都内の変死者を警察官と一緒になって、死因を究明し、死者の生前の人権を擁護し、社会秩序の維持につとめている。
解剖が終って大野木は、解剖メモに死因など大《おお》凡《よそ》の所見を記入して業務係へ手渡し、自室に戻った。
解剖が終了するころになると、待ちかねたように所轄の警察から電話が入る。解剖結果についての問い合せである。
検死の際、少しでも疑惑があれば警察は解剖に立会うが、そうでないケースは電話で結果を聞いてくるだけである。
「青柳うめさん。六十三歳ですね。死因は冠状動脈硬化。入浴中発作を起こし、湯舟に沈んで溺《でき》死《し》したもので、病死です。死体は新しいので、昨夜の死亡と推定しています」
「え〓 そんなはずは? 解剖した先生はどなたですか。先生にかわっていただけませんか」
警察はあわてているようであった。
「大野木先生。大野木先生、至急業務係へおいでください」
院内放送が流れた。
警察は状況からどうしても、三日前の死亡としか考えられないとのことであった。
解剖所見と捜査状況に、大きなくい違いがある。
電話で済む話ではないので、警察はすぐに先生のところへ出向きますということになった。
大野木は検死した監察医作成の調書を、もう一度読みかえした。
独り暮らしで、木造アパートを経営、自分もその一室に居住し、家賃収入で生活は安定していた。
三日前から自室のドアの前にヤクルトが放置され、取りこまれていないので、おかしいからとアパートの人達が交番に届け、死亡しているのが発見されたものである。
死体は裸で、浴槽内に沈んでおり、死亡時間は三日前の午後十時ごろとされていた。
おかしいな。死体硬直もあったし、そんなに時間が経っているとは思えない。
死亡時間をくるわせることによって、相続などが有利に展開するケースでもあるのだろうか。
独り暮らしであっても、別居中の夫がいたり、あるいは先妻の子と実子の間で、死亡時間にかかわるトラブルでもあるのだろうか。
大野木の頭の中は、そんな思いがかけめぐっていた。
間もなく城北警察の西川警部補が部下の刑事をつれてやって来た。
捜査状況と死亡所見が一致しない場合は、事件がらみのことが多いから、慎重に洗い直してみよう。そういいながら大野木は、今日は解剖当番で、このケースの検死はしていないし、現場も見ていないので、現場の状況、生活環境など説明して欲しいと切り出した。
青柳うめは、数年前に夫と死別し、子供はいなかった。
相続問題のトラブルなどはないようである。
ここ数日、本人の部屋は静かでもの音一つしなかったし、テレビの音声も聞えない。さらにヤクルトが三日前からドアのところに置きっ放しで、取り入れられていない。どう考えても……
「ちょっと待ってくださいよ」
大野木は西川警部補の話をさえぎった。
「そうすると三日間、彼女は湯舟の中に浸っていたことになるよ」
「そうです。入浴中の死亡ですから」
「いやだめだ。違う、違うよ」
東京の一月下旬、寒い季節であっても入浴中であれば、お湯の温度は摂氏四十度位はあるはずだ。一晩で温度が下降し、水になるにしても、死後長いことお湯に浸っていれば、わずかながら腐敗変色して、皮下の静脈の血液が周囲ににじみ出し、淡青藍色あるいは赤褐色の樹の枝のような血管網が見えてくる。皮膚も触ったり、つかんだりすると、簡単にすりむける。
気温の低い季節でも、腐敗がはじまっていなければならない。
しかし、腐敗は見られず、死体硬直が軽度にあった。どう考えてもおかしい。
「殺しですか。おどかさないでくださいよ。先生は病死だといったではありませんか」
西川は憮《ぶ》然《ぜん》とした表情になった。
確かに解剖してみると、肺は水を吸ったスポンジのように溺死肺になり、また左心室の血液は右心血よりも吸い込んだ水によって稀釈され、溺死テストも淡水溺死のデータを示していた。
溺死には違いない。
しかも浴槽内に沈んでいたし、心臓の栄養血管である冠状動脈に硬化がみられた。その他に首をしめられたり、殴打されたような皮下出血など、殺しの所見は見当らないので大野木は、昨夜入浴中、心臓発作を起こした病死と判断したのであった。
いやそれとも、解剖所見に見落しでもあったのだろうか。大野木も不安になった。
「先生、電話お借りします」
西川警部補は、早速上司にことの成り行きを報告していた。
青柳うめの周辺捜査がはじまった。
出入りしている者は、そんなに多くはない。
アパートを経営しているので、不動産屋が時々やってくる。信用金庫の集金人が月一回来ている。その他電気、ガス、水道の検針がある。ヤクルトの配達は毎日である。あとはアパートの住人らであった。
やがて近所の主婦からの聞き込みで、近くに三十八歳になる甥《おい》がいることがわかった。
うめには子供がなかったので、小さいころから甥を可《か》愛《わい》がっていた。
昨年の暮、アパートの住人が引っ越すことになったのを聞きつけ、甥の安雄がやって来た。
おばちゃんも年だから、俺《おれ》が面倒をみなければならないと思っている。近くにいるけれど、しょっちゅう来るわけにもいかないから、空き部屋があれば、そこに俺が住んだ方が何かと便利だからと、殊勝なことをいい出した。
うめもそういわれて嬉《うれ》しかった。
早速、茶飲み友達にそのことを話した。
差し出がましいようだが、安雄さんは噂《うわさ》によれば、まともな仕事もしていないというし、よく考えた方がいいわよと、忠告をうけた。
おば思いの甥の自慢話のつもりであったが、他人から見れば言葉だけのサービスで、だましているのだから、用心しろというのである。
安雄のやさしい言葉が頭から離れないうめにとって、友達の忠告はあまりにも無情であった。
しかし冷静に考えれば、そうなのかも知れない。自問自答の中でうめは、考えもまとまらぬまま、年を越した。
捜査の焦点は、安雄にしぼられた。
安雄は一月下旬から自分のアパートに帰っていない。どこへ出かけるのかはわからぬが、時々一、二週間不在になることがあった。
二月九日夜、安雄は帰宅した。
張り込み中の捜査員に事情聴取という形で、警察に連行された。
しらばっくれていたものの、執《しつ》拗《よう》な取調べに安雄は、犯行を認めた。
一月三十日の夜、うめを訪れ、アパートの立ち退きをせまられ引っ越さなければならないので、ここの空き部屋に移りたいと、いい出した。
うめは安雄の真意を確かめるために、悪い噂が耳に入っていることや、定職につかないことなど、説教をまじえ、思っている疑問をすべてぶっつけた。
安雄は苦笑をうかべ、
「随分信用がないんだな」
子供のときから俺は可愛がってもらっていたから、これからはおばちゃんの面倒をみようと思っているんだ。本当だよ。
ありがたいが、私も今は元気だから七十すぎて、からだが弱ったら安雄の世話になるよ。
思い通りに話は運ばなかった。
あせった安雄は引っ越しで、まとまった金がいるので貸してくれと、話を切りかえた。
面倒をみるといったその舌の根も乾かぬうちに、金の無心である。
誠意など感じられない。友達のいう通り、金が目当てだ。
うめはだまされまいと、身がまえた。
月末だから、集金した家賃がタンスの奥に入っている。まだ預金はしていない。
「そこにあるだろう」
安雄は金のありかを知っていたから、アゴをしゃくり上げて、タンスの方を示した。
矢庭に取っ手に手をかけ、開けようとしている安雄を見て、うめは、
「やめなさい。いいかげんにしなさい」
と声をはり上げ、背後から襟《えり》首《くび》をつかんだ。
安雄は、その腕をつかみかえし、手前に引き寄せた。
「なにをする……」
と抵抗したが、簡単にねじ伏せられ、はがいじめにされて、わめき声も止まった。
うめはぐったりして、死んだようである。
安雄はあわてた。
どこかへ隠さなければと、部屋の中を見わたした。
隠すような所はない。そうだ入浴中の死亡にすればいい。
浴槽に水を張り、裸にしてかかえて浴槽の中にうめを入れた。
仮死状態であったのだろう、うめは手足をばたつかせた。
安雄はためらうことなく、力一杯うめの頭を押えつけ、浴槽内に沈めた。
つまるところ、このような状況であった。
「水風《ぶ》呂《ろ》」が、死亡時間をくるわせていたのだ。
入浴中病的発作を起こして、風呂で溺死した。
三日後に発見されたが、死体は新しい。この矛盾を解剖所見と捜査状況の両面から分析して、謎《なぞ》を解明することができたのである。
ジグソーパズルの数片から、全体の画像を推理するような仕事が、法医学である。
衛生行政の一環として実施されている監察医制度が、このような形で遺憾なく発揮され、事件解決に貢献できたことを大野木は誇りに思った。
二人の真犯人
腹が空《へ》った。そろそろ昼食でもと男は、岩場に釣具を置き木陰に入った。直射日光をさけると風は結構涼しい。
谷川の流れと、蝉《せみ》の声。にぎり飯を頬《ほお》張《ば》った。ポットの番茶をのむ。誰れもいない。
釣人はこんな空間がたまらなく好きだった。
そのとき、異様な臭いが流れてきた。風の向きが変ったせいか、釣人は立ち上り誘われるように風上に向かって歩き出した。
大きな岩をのり越えると、切り立つような山肌は杉木立ちで、周囲は灌《かん》木《ぼく》や雑草が密生している。悪臭は一層強く感じられた。
雑草をかきわけ、樹々の間をぬけ急な山肌を少し登ると、杉の木の根元にハエがむらがっている。
「アーッ」
釣人は立ちすくんだ。髑《どく》髏《ろ》を見たのである。恐ろしさのあまり助けを求めたが、誰れもいない。それでも警察に知らせなくてはと、夢中で岩場を走った。
午後二時すぎ、釣人は駐在の警官と消防団員二人を連れて、現場に戻ってきた。
破損した段ボールの上に、白骨化した頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》と黒色の胴体があばら骨を露出して、横たわっていた。からだにはビニール紐《ひも》がからんでいる。段ボールは腐敗汁で黒褐色に変色している。
消防団員は一《いち》瞥《べつ》すると驚《きよう》愕《がく》の声をあげ、逃げ腰になった。悪臭のため吐気を催し、ゲーゲーやり出した。
警察官は流れる汗をふきながら、手帳にメモをしている。衣服は着ていない。全裸状態だが腐敗溶解して男か女かわからない。
二十メートル位上は県道で、鉄橋がかかっている。
それから二時間、県警本部から捜査一課が現場にやって来た。
遺体を険《けわ》しい岩場の渓谷沿いに運び出すことはむずかしい。橋の真下であるが、上からは樹木が密生して下の様子はわからない。克明に写真を撮った後、遺体をビニールシートに包み、ロープで橋上に吊《つ》り上げることになった。
作業は思いのほかはかどり、日没前に遺体は警察署に収容することができた。
裸体を屈曲姿勢にして、ビニール紐でしばり、大型テレビ梱《こん》包《ぽう》用の段ボール箱に入れ、橋上から捨てたものと思われた。
被害者の身元は不明であり、性別、年齢などもわからぬが、殺人ならびに死体遺棄事件として捜査は開始された。
八月二十日のことである。新聞、テレビは箱詰めの腐乱白骨死体として報道していた。
次の日の司法解剖の結果は、死後二か月を経過しているものと考えられ、骨盤の形態などから男性であることがわかった。また歯《し》牙《が》の磨耗度から五十歳前後と推定された。
筋肉や内臓など軟部組織は溶解し、腐敗汁となって骨を露出し、骨盤部と大《だい》腿《たい》部《ぶ》に黒色になった筋肉組織が少し残存しているだけである。
白骨化した頭蓋骨の後頭頂部に手拳大の陥没骨折があった。また右側胸部に数本の肋《ろつ》骨《こつ》骨折があったが、これは橋上から捨てた際の死後の墜落骨折のようであった。舌骨や甲状軟骨に骨折はなかった。
これらの所見から、死因は頭部打撲による脳挫《ざ》傷《しよう》と推定された。
凶器は骨折の状態から、バットのような棒状物による殴打と考えられた。
歯牙には治療のあとがあるので、警察嘱託の歯科医にみてもらうことになった。
上《じよう》顎《がく》 左第二大臼歯と下顎左第一大臼歯に齲《う》歯《し》(むし歯)の治療痕《こん》跡《せき》がみられ、また上顎切歯はブリッジになっていた。
解剖後、骨格はほぼ白骨化しているので、事件解決まで警察に保存されることになった。
歯牙の特徴は直ちに全国の歯科医師会に配布され、身元の確認を急ぐことになった。
警察の調べで捜索願いの出ている家出人、行方不明者の名簿の中から数名似たような人をピックアップしたが、歯の特徴から別人とわかり、結局該当する者はなかった。
それから半年、二月の寒い日、県警の検視官が部下二人を連れ、大野木監察医を訪れた。いうまでもなく、事件にかかわる法医学上の相談であった。
「先生に直接関係のない、田舎の事件のことで誠に申し訳ないのですが、お知恵を拝借したいと思いまして、やって参りました」
検視官は、早速事件をかいつまんで説明し出した。
大野木は新聞で読んだ記憶を思い出し、ありましたねと相《あい》槌《づち》をうったが、それ以上のことは何も知らない。
その後、捜査は進展し被害者の身元がわかった。
今年二月に入って間もなく、横浜の歯科医から自分が治療した患者に似ているとの届出があった。早速捜査本部に来てもらい、実物をみてもらったところ、X線、治療法などカルテの記載に一致し、間違いなかったことがわかった。
身元が判明すれば、事件の八割方は解決したようなものですからと、検視官は自信ありげに話を続けた。
川崎駅近くで不動産業を営む五十三歳の男で、かなりやり手であった。住居は横浜の高級住宅街にある一軒家で、門がまえの立派な家であったが、なぜか独り暮らしをしていた。
近所づき合いはなく、ここ半年以上本人の姿を見た人はいない。
店には三名の使用人がいたが、一月下旬警察が調べに出向いてみると、昨年十一月に店は閉じていた。
三名の職員の一人堀田は四十二歳で、社長の片腕といわれるほど仕事のできる男であった。もう一人は川口といって三十半ばで、堀田の下働きのような雑務をしていた。あとは五十代後半の女性で、電話番的存在であった。
昨年七月中ごろから、社長は店に顔を出さず行方不明の状態になっていた。
堀田は社長名義の委任状を偽造し、土地建物の売却をやり、有印私文書偽造の疑いで、昨年の暮に逮捕されている。
社長失跡とのかかわりについても、取り調べられたが、堀田は強く否定していた。
しかし今年の一月中旬、杉林に投棄された腐乱白骨死体は、堀田の雇主である社長であることが判明し、捜査は詰めの段階に入った。
相棒の川口も重要参考人として事情聴取され、事件とかかわりが深いことがわかって逮捕された。
検視官は石川君、先生に川口の供述内容を申し上げるようにと、右隣りの椅《い》子《す》にかけていた部長刑事を促した。
私が事情聴取したのですがと、供述書の綴《つづり》を前に石川刑事は語り出した。
昨年の七月十二日、社長は大仕事があるからと、堀田と川口を伴って石《いさ》和《わ》温泉のホテルに宿泊することになった。
中央沿線にはリニアモーターカー設置の話があったり、遷都の問題もあり、加えて山梨出身の大物政治家の存在など、近い将来土地の高騰は必至の状況にあった。大手はもちろん、不動産業者は入り乱れてこの地に集まっていた。社長も例外ではなかった。
十二日午後三時ごろ、商談は社長の思惑通りには運ばなかった。
堀田ははじめから、この話には乗り気が薄かったせいもあり、消極的で社長を援護するような言動はとらなかった。
今日はこのぐらいにしてと、社長は商談を打ち切り、川口と堀田を連れて小料理屋に入った。
酔うにつれ社長は不機嫌をつのらせ、堀田の商談中の言動をなじった。そればかりかチカと手を切れとまでいい出した。
チカは桜木町駅近くのバーのホステスである。堀田は数年前からの常連であった。
建物の取引で会社を通さない物件の一つを彼女に与え、堀田は彼女をマンションに囲った。
社長も堀田に連れられ二、三度バーに行っている。そのうちにすっかりチカの魅力にとりつかれ、ほれ込んでしまった。食事やゴルフに誘ったりしているうちに、店を持たせてやるなどと交際は積極的になりはじめた。
男好きのする女であった。
結局、共有の愛人になったチカは、両者をうまく操って自分もバーのマダムにおさまりたかったのである。
川口はこの三人の関係に危険を感じていた。さらに堀田は社長の存在を疎《うと》ましく思っていたし、そろそろこの辺で独立して仕事をしたい気持もあって、堀田は川口に二人で仕事をしないかと誘っていたと、川口は供述している。
社長は横浜の繁華街のビルの五階にバーの出物があるのをすでに入手していた。そのことは堀田も知っていたが、これをチカにやらせるから、お前は手を引けといい出した。
財力にまかせ、社長という権力をかさに、酔った勢いでチカを独占しようというのである。ムシのいい話だが、具体性をもって堀田を圧迫していた。
「社長いいかげんにしてくださいよ。もう遅いからホテルへ引き揚げましょう」
堀田は怒りをこらえ、川口と一緒に社長をかかえてタクシーに乗り込んだ。
よろける社長をホテルの部屋に連れて行き、ベッドの上に放り出した。午後八時ごろである。
これでいい。俺達も部屋へ戻ろうとしたとき、
「堀田〓 わかったか。手を引けよ」
「川口〓 お前も金をごまかすような真《ま》似《ね》はするなよ」
二人の背中に社長の罵《ば》声《せい》がとんだ。
「なんだと」
川口は反発し、ベッドに横たわる社長のネクタイをわしづかみにして、
「もう一度いってみろ」
と攻撃的になった。
生真面目で普段はおとなしい川口の態度の豹《ひよう》変《へん》に、堀田は驚いた。
痛いところをつかれて、ついむきになったのだろう。
社長は川口の手をはらいのけるように、起き上って取っ組み合いになった。
「堀田、堀田」
と社長は堀田に助けを求めた。
堀田は、今だと思った。
冷蔵庫からビールびんを出し、社長の背後から頭部を思いきり殴打した。
ビールびんは飛び散り、社長は床の上に倒れた。頭から血が流れた。
半ば偶発的事象に、堀田の願いも相乗りする形となって、社長はこと切れた。
こんなに簡単に死ぬものだろうか。一瞬たじろいだが、堀田はその首尾に納得していた。
社長は堀田らが独立しようとしていることを察知していたし、チカの問題も重なって感情的にもうまくいっていなかった。それが突然社長の死によって、独立は可能となり資金面でも、大金を入手できるまたとないチャンスが到来したので、自首などは念頭にない。
ひたすら隠《いん》蔽《ぺい》工作を考えていた。
二人は急いで社長の頭の血をふきとり、頭と顔をバスタオルでおおった。
飛び散ったビールびんの破片を片付けた。
絨《じゆう》毯《たん》には社長の血がにじんでいる。ぬれタオルで何度も血液のしみが見えなくなるまで、ふき取った。
あと片付けが終って時計を見ると、午後九時を少し回っていた。
堀田は川口に段ボール箱を拾ってくるようにと命令した。お前のためにこうなったんだ。早くしろ。いわれるまま川口は駐車場から車を出した。商店街の裏通りを走った。マーケットの駐車場の片隅にゴミと一緒に段ボール箱が折りたたんで束になって放置されている。ビニール紐をほどき、一つぬき取ってホテルに戻った。
社長を裸にして屈曲姿勢にし、ビニール紐でしばって段ボール箱の中に押し込んだ。ちょうどうまい具合に納まった。テープで封をし、車に積んであったロープで箱を十文字にしばり、二人でエレベーターのところまで運んだ。
地下駐車場まで降り、段ボール箱を車のトランクに入れた。二人とも汗びっしょりであった。
しかしトランクは閉らない。少し開いたままであったが、箱を押しつぶすようにして、なんとか閉めた。
堀田はハンドルを握り、車を発進させた。誰れにも会わなかった。時計は十時半を指していた。どこをどう走ったのかは、わからないが山道の橋の上で車を止めた。
「ここでいいだろう」
そういって堀田は、トランクを開けロープをほどき、二人で橋の中央付近から、二、三台車が通り過ぎるのを待って、密生した樹林の中に段ボール箱を捨てた。
その夜のうちに二人は、ホテルに戻った。
私は手伝っただけで、殺してはいないと、川口はくりかえし供述している。
翌朝九時、二人はホテルを出た。
社長の服や血のついたバスタオルなどは、すべて堀田が持ち帰り、黒いビニール袋に入れてゴミ収集日に出してしまった。
堀田は女事務員に、社長は仕事で関西方面に向かったので、当分帰らないと説明していた。また社長の指示通り、委任状を添えて十数億円もの物件を売りに出した。
女事務員は、一週間経ってもなんの連絡もない社長を気遣っていたが、堀田は間もなく彼女を首にした。堀田は次々に物件を売りに出し収益の一部を川口に渡して、早く店を閉じ、姿をくらまそうとあせっていた。
八月二十日、笹《ささ》子《ご》渓谷に身元不明の腐乱白骨死体発見とのニュースが流れた。
九月にはいって、堀田と川口は別れることにした。まもなく川口は二千万のわけまえをもらい姿をくらました。
大金を手にした堀田は、チカのマンションに同居しながら、取引などの残務を整理し、十一月上旬、店を閉じ、チカからのがれるように行方をくらましてしまった。
年が明けて寒さが一段ときびしくなった一月の下旬、堀田は再度の取り調べで、行方不明の社長との関係を、きびしく追及されたが知らないの一点張りで、かかわりを強く否定していた。
それもつかの間であった。
二月に入って間もなく、横浜の歯科医から自分が治療した患者に似ているとの届出があったからである。
腐乱白骨死体は不動産会社経営の社長であった。
堀田もここまで追いつめられては、シラを切り通すわけにもいかず、重い口を開いた。
それじゃ渡辺君、堀田の話を先生にと検視官はもう一人の刑事を、大野木監察医に紹介した。
七月十二日夜、酔った社長を川口と二人で両脇をかかえるようにしてホテルに戻った。十何階か忘れたが、エレベーターで社長の部屋の階に上った。エレベーターを出ると、その脇にジュースの自動販売機があったので、堀田はコインを入れて缶コーヒーを買った。
あとは川口にまかせておけばよい。そう思ってゆっくりのんでいた。
俺が独立しようとしているのを、社長は不快に思っているに違いない。社長はここまで育てた部下に逃げられ、しかも仕事を横取りされるいわばトンビに油揚げをさらわれるような無念さにかられていたのだろう。しかし、それを口に出してはいえないから、ついグチになりほかのことでいいがかりをつけてくる。
社長には恩義があり、遠慮があったがここ数か月の言動に耐え難いものを感じていた。
チカの話もあって、怒りがこみ上げていた。
川口は社長を抱えて、部屋まで連れていった。
残りのコーヒーをのみ終え、堀田は大きく溜息をついた。
川口はまだ社長の部屋から出て来ない。
絨毯を敷きつめたホテルの廊下を、ゆっくり歩いて堀田も社長の泊っている部屋に行ってみた。
社長は床に倒れ、川口は傍らに茫《ぼう》然《ぜん》と立っていた。
どうしたんだと聞くと、川口は金をごまかすような真似はするなと社長がいうので、反論しているうちに、社長に顔をなぐられた。
ついカーッとなって、そばにあったビールびんで正面から社長の頭を殴ったというのである。時間は午後八時半か九時ごろだったという。
社長の額から血が流れ、鼻出血もあって絨毯は血で染っていた。
われたビールびんなど拾い集め、血を拭《ふ》きとり、元通りきれいにあと片付けをした。バスタオルで包帯をするように社長の頭と顔を巻き、ベッドの下へ押し隠した。
そのあと、どうしたらよいのか考えつかなかった。
しばらくして、段ボール箱に入れ運び出そうと堀田は提案した。そのときはすでに真夜中であったので今、動き出してはまずいから朝まで待って、段ボール箱を買い、死体を入れて運び出そうということになった。
川口は待ちきれず、朝六時ごろホテルを出て、どこからか段ボール箱を見つけて来た。
社長を屈曲姿勢にして、紐《ひも》でしばり箱の中に押し込んだ。二人でエレベーターにのせて地下の駐車場まで運び、車のトランクに入れた。
チェックアウトをして、堀田が車を運転しホテルを出たのが、朝の九時ごろであった。
山あいのカーブの多い道であった。
橋の上から行きかう車のないのを確かめ、段ボール箱を杉林に捨てた。真昼間であったが、霧がたちこめ視界は悪かった。
二人の刑事の話が終るなり、検視官は、
「先生。いかがですか」
と切り出した。
大野木は、検視官が何を求めようとしているのかわかっていた。
「私に尋ねなくても、警察はわかっているじゃありませんか」
「それはそうなんですが、二人の供述の違いを警察が勝手に解釈、判断をしたのではあまりにもご都合主義といわれかねないので、やはり法医学の専門家の公正な科学的判断が必要と考えまして、先生のご意見を頂戴しに出向いたわけなのです」
「わかりました」
大野木監察医はそういって、事件の要点を自分なりにまとめながら、検視官らに語りはじめた。
「堀田の話では、夜の八時半か九時ごろ川口が社長を殺した。翌朝二人で死体を屈曲させ紐でしばり段ボール箱に詰め、昼ごろ捨てたということですよね。一方川口の話は、夜の九時ごろ堀田が社長の頭を殴って殺した。すぐ段ボール箱を拾って来て、社長を屈曲姿勢にして紐でしばり箱に入れ、その夜の十時半ごろには死体を車にのせて、捨てに行った。堀田の話には無理がありますね」
「そうです。そこのところを法医学的に説明していただきたいのです」
検視官は、大野木の次の言葉を待った。
お互いに罪を逃れようと、自分の犯行ではないと主張しているのである。
夜の九時ごろ殺した人を、ベッドの下に押し隠して置き、翌朝七時すぎに死体を屈曲姿勢にして段ボール箱に入れるようなことは、素人ではできにくい。
死後十時間位経つと死体硬直は、全身の関節にかなり強度に出現しているから、寝ているような姿勢を簡単に屈曲姿勢に変換することはむずかしい。
たとえ二人掛りであっても同じこと。
「私どもは毎日、検死で経験してますが、死後八時間位経つとかなり強い硬直がきて、ベテランでもそう簡単に死体硬直を解き、着衣をぬがせることはむずかしいものです。硬直を解くには、力も必要ですがやり方があります。このやり方をマスターしないと、できませんね。川口の話は、死後一時間半位の間に段ボール箱に押し込んだということだから、死体硬直がまだきていないか、出現していたとしてもごく弱いもので、姿勢の変換は容易であったと思われます。もう一つ、頭蓋骨骨折の所見の違いがありますよ。堀田の供述によれば、川口はビールびんで社長の頭を正面から殴打したことになっていますね。でも、川口の話は逆で、堀田は社長の背後から殴打したと語っている。肝心の解剖所見は、社長の後頭頂部に手拳大の陥没骨折があるとなっているので、やはり背後からの殴打が妥当でしょう。法医学的には簡単なことで、初歩的問題だが、事後に真偽を糺《ただ》し真相を解明する以上、些《さ》細《さい》なことでもないがしろにはできないのです。
堀田の話は嘘《うそ》だと思います」
「先生のその言葉、説明が私どもに必要だったのです。ありがとうございました」
検視官らは深々と頭を下げて、帰っていった。
その後、事件は解決した。
遺体発見から、身元の確認が遅れたのは、被害者が独り暮らしで捜索願いが出ていなかったためでもあった。
つかまった犯人らは、少しでも罪からのがれようと作り話をするのは、致し方ないとしても、化けたつもりの狸《たぬき》の背中に尻尾が見えているようなもので滑稽ですらあった。
杉林の中で八月二十日発見された腐乱白骨化した社長の死体を、死後二か月は経っていると推定したが、犯人らの供述によると七月十二日の夜の犯行で一か月と九日しか経っていなかった。二十日の誤差は大きいといわざるをえない。
しかし、死後経過時間を決めるのに方程式はない。死後、死体の置かれた環境、気温、湿気、通風性あるいは死因、個体差などいろいろな要因によってそれは千差万別であるから、ケースバイケースで判断しなければならない。法医学といっても、科学的理論に裏付けされたものではなく、経験から割り出している。
とはいえ、頭蓋骨骨折の状態や、死体硬直から堀田の嘘を見ぬいたのも、同じ法医学なのである。
テラピアの叫び
階段の踊り場で男が倒れていた。
ホテルの浴衣を着て、うつ伏せになっていた。
夕食のあと片付けに忙しく廊下を小走りしていた、女子従業員が見つけ、かけよった。
「お客さん。お客さん」
と声をかけた。
気が付いた客は、
「うん」
とこたえて、ゆっくりと起き上った。
目は空《うつろ》である。
「大丈夫ですか」
酔っている。部屋まで連れていかなければと、従業員は思った。
「お部屋はどちらです?」
しかし、お客は、
「大丈夫、大丈夫」
といいながら、よろけるように階段の手すりにつかまった。
転んだとき、後頭部でも打ったのだろう、右手でそこをなでながら、左手は手すりにつかまり、ゆっくりと階段を降りはじめた。
どこからも血は出ていなかった。
「大丈夫ですね。気をつけてくださいよ」
従業員は客の背後から声をかけると、仕事に戻るべく階段を上りはじめた。
男は会社の事業拡張のため、若い二人の部下を連れ地方へ出張していたのである。
仕事を終え、予約してあった温泉場のホテルに戻った。
夕食の際、お銚《ちよう》子《し》一本とビールが出された。
ビールは私のおごりだから、まず乾杯といこう。
部下の二人は、それでは課長いただきますと、なごやかにはじまった。
明日はまた朝早くから仕事があるので、宴会のようになってもいけない。あくまでも晩酌程度に抑えておかなければと、早めに飯《めし》にした。
食事が終ると若い二人は、ホテルの遊技場へ行くといって、食堂を出た。
十時ごろ部屋に戻ると、課長はすでに寝ていた。大浴場に行き、十一時ごろ二人は就寝した。
明け方、課長の大いびきで一人が目を覚した。まだ早い。もうひと寝入りしようとしたが、いびきがうるさくて眠れない。
薄明りの中で、課長の顔が見えた。
おかしい。電気をつけてよく見ると、顔やその周辺の布団に何かがついている。
吐《と》瀉《しや》物《ぶつ》である。乾いて顔や布団にこびりついている。
「課長」
と呼んだが、目覚める様子はない。
同僚を起こした。
こんなに酔うほどは、のまなかったはずなのに。
何があったのかわからないまま、ともかくフロントに連絡し、ただちに病院に収容した。
頭部のX線撮影で、右側頭部の亀裂骨折が発見され、脳硬膜外出血と診断された。
その日の午後に、開頭手術が予定されたが、間もなく様相は悪化し、帰らぬ人となってしまった。
ほどなく病院からの通報で、警察官がやってきて、医師や看護婦から症状や経過を聞きはじめた。
右足関節捻《ねん》挫《ざ》、右肩甲部および右上腕外側面の皮下出血、右側頭部打撲による頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折および右脳硬膜外血《けつ》腫《しゆ》があり、死因は脳硬膜外血腫であった。
また、第一発見者であるホテルの女子従業員や会社の部下二人などからも、事情を聴取した。
それらの話を総合し、警察は酒に酔い階段で転倒し、転落した事故死と判断した。
突然の不幸で大黒柱を失った妻子は、狐《きつね》につままれたようで、なすすべもなく、ただただ成り行きに従っていた。
しかし、葬儀も終り、夫の退職金などの手続をしているうちに、妻はふと出張中の事故死であるから、いわば殉職なのではないか、ということに気づき、会社にその補償について相談をもちかけた。
会社側は、出張中であるからといって殉職とは認められない。階段を踏みはずすほどの酔いは、仕事中の概念を外れたプライベートの飲酒に相当する、との見解を示した。
あまりにも冷たい対応に、家族は憤慨し、事態はこじれ出した。
双方の意見は真向から対立し、ついに決着は裁判にゆだねられることになった。
関係者の証言はほぼ警察の事情聴取と同じであった。
なかでも、第一発見者であるホテルの女子従業員の証言は、裁判の結果に大きい影響を与えた。
階段の踊り場で倒れていたときは酒臭く、大丈夫だといって一人で起き上ったが、目は空でふらふらしていたというもので、かなりの酩《めい》酊《てい》状態を印象づけていた。
さらに布団の中で嘔《おう》吐《と》し、大いびきをかいて寝ていたという二人の部下の話も、そのことを裏付けていた。
しかし、課長は酒に強い方で、お銚子一本とビールぐらいでは、酔う人ではないとも証言している。それは妻や子の証言とも一致していた。
部下と別れてから課長は独りで、さらに飲酒したのだろうか。そのあたりは明確ではないが、踊り場で倒れているのを発見された時間は、別れてから三十分と経ってはいない。
少しの矛盾はあったが、全体として会社側のいい分が通った形で、判決は下された。
納得のいかない家族は、弁護士と控訴の準備をすすめていた。
それから五か月後。大野木監察医のところへ相談の電話が入った。
検視しただけで、解剖はしていない。手元にある資料は、裁判の記録と判決文、警察の捜査状況、病院のカルテの三つであると弁護士はいう。
大野木は、すべてを知っているのは、その死体であるから、死体所見をしっかり見極めないと、真実に迫ることはできない。あまつさえ解剖していないというのでは、それ以上の解明はむずかしいと断ったが、何とか資料だけでも目を通してくれないかとねばられ、結局、この事件を見直し、意見書を書くことになってしまった。
外傷の全《ぜん》貌《ぼう》と階段での転倒、転落という状況を詳細に検討してみると、課長は階段の手すりなどにつかまらずに、ほぼ中央を歩いて降りている際、左足を踏みはずし、右足で体勢を整えようとして、右足首を捻挫したようである。しかし、体勢を整えられず、からだは右側面を下にして加速度をもって、階段に転倒した。そのとき右肩、右上腕部を強打し皮下出血を起こした。
同時に右側頭部打撲により、頭蓋骨骨折を生じた。しかも、その際手すりにつかまるなどの防御動作をした形跡は見当らない。階段のどの位置で転倒したかも、出血などはないので不明であるが、踊り場まで滑り落ちたものと思われた。
間もなくホテルの従業員により発見されたが、お客さんはかなり酩酊していたと証言されている。しかし、当時血中アルコール濃度の検査はなされていない。
飲酒と酩酊の関係は、個人差が大であり、また同一人でもそのときの体調、精神状態により同じ一合をのんでも、ひどく酔った感じになることもあるし、酔いを感じないときもあって、一定しないことは日常経験するところである。
当時、課長の飲酒量は必ずしも多すぎるとは思われず、またかなり酔った状況下にあったとも考えにくい。
第一発見者は、酒臭く酔っていたと証言しているが、頭部を強打すると脳《のう》震《しん》盪《とう》などで一瞬意識を失うことがあり、その後意識を回復してすぐに起き上ったりすると、全く飲酒していない場合でも運動失調をきたして、ほろ酔いに似た症状を呈することがある。
課長は大丈夫と返答し、自力で階段の手すりにつかまって、ゆっくり降りていったというが、この行動は酔いではなく、頭部外傷に起因した運動失調の現われと見ることもできるのである。
ボクシングでダウンした選手が起き上ったときの状態を思い出してみればわかるように、足元がふらつき、目はすわっている。
これこそが、酔いではなく頭部打撲による脳障害の、もっとも顕著な症状であると言えよう。
とくに脳硬膜外出血の場合は、受傷時に一時意識を失うことがあっても、すぐに意識を取り戻し、ほろ酔いに似た状態で足元がふらつきながらも、二、三時間は普通の行動をとることができる。このとき硬膜外の出血はほぼ五十グラム以下である。しかしその後、出血量は増えてゆき、四、五時間経って百グラム前後になると、昏《こん》睡《すい》状態におちいり、大いびきをかき、嘔吐することもしばしばである。六、八時間以上経過すると百五十グラムを超える血腫が形成され、血腫の量だけ脳が圧迫され、そのために死亡するのである。
会社の定期検診で、課長はとくに病的異常は見つからず、血圧も正常であった。
大野木の結論は、この事件は飲酒酩酊に起因したと判断されているが、これら一連の現象を飲酒に無関係な事故としてとらえても、医学的に矛盾なく説明することができる。つまり、頭部外傷による脳障害との見方で解釈し、説明することも可能である。
したがって、本件の階段での転倒、転落は飲酒酩酊のみに起因するという結論には賛成できない、と意見をまとめた。
ある大学の文化祭に法学部の学生が、法医学の展示をすることになり、指導をたのまれた。
そこで沖縄あたりの海底の絵の中に七、八種類の魚を泳がせ、その中に一匹だけテラピアという淡水魚を混ぜておき、この絵の矛盾を観客に指摘させようというアイデアを思いついた。
金魚を入れておけば、子供でもおかしいことはわかるが、テラピアという淡水魚は南の海水魚に似た姿をしているので、普通の人には、その絵の矛盾はわからない。
しかし、専門家には、テラピアの叫び声が聞えるのだ。
「ここは海底です。早く淡水に戻してください。私は死にそうです」
テラピアは必死に助けを求めているのである。
この事件も、一見酩酊事故のように思われたが、専門家の観察により、かくれた脳外傷が見えてきた。
解剖もしていなければ、アルコール濃度という化学的検査もしていない。酔いの実態は状況証言によるほかはなかったが、大野木の意見が認められたことで両者は歩みより、会社側が家族にそれなりの補償をすることで、一件落着となった。
法医学は万能ではないが、少なくとも専門家の目で観察することにより、海の底のテラピアの叫びを聞きとることができたのである。
死体の涙
一
もしかしたらという予感が的中した。
「西田君」
と親しげにひと言、和夫は少年の名を呼び傍らにどっかと腰をおろした。
町から山に入り、一時間位歩いた。小さな沢がある。山道からはずれて灌《かん》木《ぼく》をかきわけ、急《きゆう》峻《しゆん》な山肌をおりると大きな石や岩の間を縫うように、水が流れている。
大きな岩が七つ八つ折り重なって、小さな洞《どう》窟《くつ》をつくっている場所があった。
和夫は、西田少年が家出をしたと聞いたとき、ピンときた。あそこにいる。そう思ったのには、わけがあった。
この春、山菜採りに一人で沢に入ったとき、この洞窟で寝ている西田少年に出会ったからであった。
和夫は少年をゆり起こした。
「カゼひくよ」
びっくりしたように、起き上った。
「こんなところで、どうしたんだ。具合悪いのかい?」
少年は怪《け》訝《げん》そうに、和夫を見た。
「腹空《す》いているのか? お昼だから弁当食べようと思ってね。半分あげようか」
少年と向き合って腰をおろした。
よほど空腹だったのだろう。少年はたちまち、さし出したニギリメシを、二つとも食べてしまった。
「私の分も食べてもいいよ」
申し訳なさそうにうなずいて、少年は三個目を口にしたが、ノドにつかえてむせた。
和夫は笑いながら、ポットのお茶を少年に与えた。
「アチッ〓」
今度は、お茶をはき出した。
二人は顔を見合せて、ニッコリ笑った。
「名前はなんというの?」
「ニシダ、中学一年」
小さな声であった。
こんな山の中に、子供が一人でいるのにはなにか、わけがありそうだ。
和夫は、少年のころを思い出していた。
中学に入って間もなく、和夫はいじめられっ子になってしまった。友達もいないし内気な性格もわざわいして、クラスの中で孤立していた。家のものは学校を休むな、学校へ行けの一点張りで、和夫の悩みを理解しようともしない。
そんな状況から、あがいても蟻《あり》地獄のように這《は》い出せずにいた。
仕方がなくて、家出したことがあったが、なんの解決にもならなかった。今にして思えば、自分を少しでも理解してくれる人がいたならば、どんなにか救われたのではないか、そんな気がしている。
「西田君か。いじめられているんじゃないのかい」
少年のころの自分とダブらせて、和夫はそういった。
「えっ〓」
どうしてそんなことがわかるのか。不思議そうに少年は、和夫の顔を見た。
「顔にそう書いてあるからさ。おじさんは味方だから、元気を出すんだ」
そんな話をしながら、二人は山菜を採り、沢を出て帰路についたことがあった。
それから半年、晩秋の季節に入っていた。
二
「私だよ。おじさんを覚えているだろう」
和夫はかつての自分と同じ境遇にある西田少年の家出を、他《ひ》人《と》ごととは思えず、午後から休みを取って沢に入ったのである。
少年はうつむいたまま、うなずいた。
寂しそうな様子から、精神的に相当追い詰められているなと、和夫は直感した。
「あれ以来、ずーっと君のことが気がかりだったんだ。元気になっているとばかり思っていたのに。西田君。私は君の味方なんだから、なんでも話してごらん」
反応はなかった。
「話したくないなら、私が君と同じころの話でもしてみるか」
西田少年はうつむいたまま、表情をくずさない。
和夫は今まで、誰れにも語ったことのない幼いころの、いまわしい思い出を口にした。
三
三歳のとき、父清次は富枝と再婚した。
実母は和夫が一歳のとき、 姑《しゆうとめ》 との折り合いが悪い上、外に男をつくり和夫を置き去りにして、家出してしまった。
口数が少なく、動きもにぶい先妻の子和夫は、いつまでも富枝を母と呼ぼうとはしなかった。
勝気な性格の富枝も、こうした和夫を決して快く思ってはいない。
自動車修理工場に勤めていた父は、仕事が忙しく、残業が多かった。帰宅しても富枝に遠慮があるのか、和夫をだっこするようなこともなくなり、晩酌もひかえめになっていた。それどころか、母さんのいうことをきかなきゃだめじゃないか、と叱《しか》る始末である。
和夫は次第に、父親からも遠ざかり、孤立状態になっていった。
和夫が中学に入ったとき、祖母が病死した。
祖父春吉は、脳出血の後遺症で右半身の軽い麻《ま》痺《ひ》があった。
清次ら姉弟三人が生れ育った家は、町はずれの山の麓《ふもと》にある。
姉二人は嫁ぎ、清次も再婚して独立し、二キロほど離れた市営アパートに世帯をもった。
祖母が死んで、病身の祖父を一人にしておくことはできなくなり、清次はいやがる富枝を説得してアパートをひきはらい、実家に戻った。
富枝は駅前のスーパーの勤めをやめないことを条件に了承した。
かつての春吉は子供にきびしかったが、今その面影はない。
経済的にも肉体的にも衰え、弱者になりすぎて、清次や嫁の富枝に意見をいえる立場ではない。
ときどき小便をもらすのだろう、春吉がコタツに入ると、下着がむれて悪臭がただようことがある。富枝はその度に、臭い汚い、あっちへ行っておくれと、口汚くののしるのである。
じいちゃんが叱られると、和夫は自分が叱られる以上に、心が痛んだ。
富枝に対する憎しみ、反発は日ごとに強くなっていった。
和夫は春吉じいちゃんに特別可愛がられていたわけではないが、弱者同士のいたわり合いから、じいちゃんの味方になっていた。
ある日、和夫は腹を空《す》かして帰宅した。
冷蔵庫を開けると、刺身とカツレツが入っていた。がつがつ食べ出した。もう夕食の時間だから、じいちゃんも食べようよと、二人で全部たいらげてしまった。
その夜八時近く、富枝が帰ってきた。
夕食の仕度をしようとして、おかずのないことに気付いた。
富枝は和夫と祖父をどなりちらした。
清次も帰ってきて、富枝と一緒になって怒り出した。少し酔っているようであった。いつもそうであったが、清次は富枝のいいなりで、家族には冷たくあたっていた。
和夫はじいちゃんを布団に寝かせた。口答えでもしようものなら、父に殴られる。いない方がと思って家を出ようとした。
「逃げる気か。このやろう」
清次につかまって殴られ、倒れたところを蹴《け》とばされた。
和夫は起き上りざま、家をとび出した。
行くあてはない。
寒空に星は輝いていた。
近所の人に会うのはいやだから、山の方へ向かった。
畠《はたけ》の中の物置小屋を見つけ、中に入った。
和夫の話はまだ続いている。
中学に入って間もない日、和夫は先生の質問に緊張して、
「そっ、そっ、それは」
と吃《ども》ってしまった。
「それで、どうした」
と先生にいわれると、和夫はさらにあわてて、
「そっ、そっ、それは」
と再度同じように吃ってしまった。教室は大爆笑になった。
以来「そ、そ、そ」とアダナがついた。笑いものにされて、和夫は反発したが、相手はいつも何人かの仲間と一緒だから、逆にやり込められてしまう。
無口で人付き合いの下手な和夫の性格もわざわいしていた。
親しかった友達に助けを求めても、言葉では同情してくれるが、味方になると自分も同じめに遭うからと、和夫から遠ざかる。
結局、孤立し仕方がないから無抵抗をきめ込んだ。
ある日、校内の階段を降りているとき「そ、そ、そ」とからかわれた。そのとき和夫はわざとおどけたように階段を踏みはずして転びそうになった。タイミングがよかったのか、居合せたクラスメートに、やるじゃないかとうけたのである。
和夫は思った。
おどけた方がいじめに合わない。そうだ、そうしようと方向を転換したのである。
ひょうきん者扱いにされ、いじめは少なくなった。
和夫は、自分が惨めでならなかった。いじめから身を守るために、本当の自分を偽り隠し、おどけてみせる。そんな生き方がたまらなくいやであり、なんとかそこから逃げ出したいと思っていた。
先生もわかっていない。親も、友達も誰れ一人自分を理解してくれるものはいない。
その悔しさが、いつか復讐の気持に変って、和夫の心に大きな傷をつくっていた。
しかし、クラスの者達はいじめという意識はなく、半ば遊びとしてからかっていた。
学校へ行くのがいやになる。
親は理由がわからぬまま、休むな学校へ行けと、くりかえす。仕方がないから弁当をもって家を出る。夕方まで山の中で時間を過ごす。鳥や小動物に出会い、野の花の美しさに慰められた。
「西田君。わかるだろう。この私とクラスの者達の気持の差。彼らは遊びとしてやっていたのだろうが、私は必死だった。
君はわかるだろうが、ほかの人達にはわからない。先生も親もわかっちゃいない。
そこが問題なんだよ」
自分の気持をうまく説明できなかったから、先生や親に相談してもわかってもらえなかった。そのもどかしさが鬱《うつ》積《せき》し、いろいろなことを考えた。
反撃してやろう。しかし一人では無理である。出世してクラスの者達をみかえしてやろうとも考えたが、今が問題なので、大人になるまで待てるものではない。
結局、今自分ができることは、自殺しかない。そんなことを考えているうちに、あきらめに変って孤立し、心の傷は深くなっていった。
少年は自分と同じ体験をしてきた和夫の話にひきずり込まれた。
複雑な気持を上手に話せる大人は、すごいなと感心していた。
仲間から一人だけ爪《つま》弾《はじ》きにされた侘《わび》しさは、体験した者にしかわからない耐えられない孤独である。
しかし今、和夫という理解者にめぐり合えたのは、救いの神に出会ったようにうれしかった。
西田少年は漠然とであったが、死のうと思っていたのだった。
死ぬことはどんなことなのか、わからないけれど、学校へ行けばいじめられ、家に帰れば、学校を休むなと叱られる。そんな生活をしながら生きているより、死んだ方がましな気がしていたのだ。
鳥や花の方が自分よりはるかに自由で幸せのように思えた。
「つまらぬことを考えているのではないだろうな」
心の中まで見透されているような和夫の言葉に、西田少年は一瞬びっくりしたが、
「いや、別に」
と本心を隠して返答した。
「馬鹿なことを考えては、だめだよ。もう少しの我慢だ。ここをのり越えればあとは楽しい人生が待っている。この私がそうであったから、心配することはないよ。長い一生にはいろいろなことがある。挫《ざ》折《せつ》もある。しかし、一つの挫折でくじけてしまうのではなく、それをこやしに大きくなっていくんだ」
少年は親や先生からも受けたことのない、大きく温かい愛情を和夫から感じとっていた。
四
「遅くならないうちに帰るとしよう」
和夫は立ち上った。
少年は、坐したまま首を横にふった。
「そうか。いやか」
「僕は帰らない。おじさんと一緒にどこかへ行ってしまいたい」
あまえ出した少年を見て、和夫は急にいとおしく思った。
和夫も人の情けにふれたことはなかった。
純真無《む》垢《く》な心をもった少年と話をしていると、なぜか心が和むのである。
和夫は今年三十六になる。市役所で福祉関係の仕事をしていた。
正義感の強い男で、ときどき仲間とトラブルを起こすことはあったが、普段はおとなしく目立つ方ではなかった。友人もいないし、結婚もしていない。いわば変り者の部類であった。
和夫は夕ぐれの空を見上げ、決心したように、
「よし。わかった。出かけよう」
と少年を促した。
和夫には心の奥深くしまい込み、誰れにも話せない秘密があった。忘れようとしても、決して忘れることのできない出来事を、引きずってここまで生きてきた。隠し通すことがどんなにつらいことなのか。その重圧に耐えかねていた。
他人が和夫をどこか陰のある男と見ていたのは、そのためである。
それを明かせば、らくになる。
しかし、その時期は死ぬときである。打ち明けてからは、生き長らえることはできない。誰れか信頼できる人に真相を打ち明けて、この世を去りたいと和夫は常々考えていた。
和夫はまだ腰をおろしたままの少年に手をさしのべ、引き起こした。
少年の顔には喜びの微笑があった。
和夫は西田少年を伴って自分のアパートに立ち寄り、旅仕度をして二人は夜汽車に乗った。
車中で弁当を食べると、少年は安心したのか、寝てしまった。
車窓からは、何も見えない。
和夫は窓にうつる自分の顔を、ボンヤリと見つめながら、少年のころを思い出していた。
五
畠の中の物置小屋にどのぐらいいたのだろうか。
和夫の心の傷はうずいていた。
おかずを食べてしまったぐらいで、この怒りようはなんだ。
義母富枝への憎しみ。父への反発。
学校でのいじめ。そして心ならずもおどけて自分をカムフラージュしている惨めさなどが入りまじって、和夫の頭の中は親への怒り、復讐の炎が燃え上っていた。
家に戻ったとき、電気は消え、部屋の中は静まりかえっていた。
階下の奥座敷で祖父は寝ている。父と母は二階である。
和夫は計画通り、暗がりの中で灯油の入ったポリ容器の取っ手を握った。
台所から月明りがさし込んでいる。それをたよりに、台所と居間に灯油をまいた。
もう前後の見境いはなくなっていた。
それでも和夫は、祖父だけは助けようと動きのにぶいじいちゃんの手を引いて、勝手口の近くまできた。
ライターをつける手はふるえていた。
灯油をまいた床に火をつけた。
一瞬のうちに階下は、火の海になった。
急いで戸外に逃げようと、じいちゃんの手を強く引いた。
じいちゃんは、その場に転びポリ容器を倒してしまった。
寝巻きに灯油がかかって、火はたちまち祖父を包んだ。急いで戸外にじいちゃんを引きずり出し、消火につとめた。
父と母は寝ていたために、家とともに焼死した。
祖父は全身火傷で入院したが、和夫は顔と手に軽い火傷を負っただけで助かった。
祖父は三日後、この世を去った。
火事は祖父春吉の病苦のための焼身自殺として、処理された。
今にして思えば、春吉は六十七歳で勤めをやめてからは、することもなく時間をもてあましていた。間もない日、脳卒中で倒れた。
退院して自宅に戻った春吉は、嫁の富枝に邪魔者扱いにされてしまった。
清次ら夫婦の重荷になっていたから、止むを得ないのかもしれない。
右半身の軽い麻痺と多少の言語障害があって、介護が必要であったが、共稼ぎの夫婦では十分な面倒はみきれない。
みそ汁をこぼしたり、小便をもらすことがある。その度に富枝は大声で、じいちゃんをなじるのである。
見かねて和夫が介助するが、うまくできない。清次は冷たい態度で、見て見ぬふりをしている。
和夫はじいちゃんに対する両親の冷たさに怒りを感じていた。
家族からやっかい者として、のけものにされている祖父がかわいそうだ。そう思いつつ自分の立場をふりかえってみると、学校でクラスメートという仲間から爪弾きにされている。
祖父とあまりかわりはない自分が見えてきた。
悔しさがこみ上げてきた。
いつか仇《かたき》をとってやる。そう思っていた。
自分が育てた子供に叱られている祖父に、和夫はそっと尋ねたことがあった。
「じいちゃん、悔しくないのかい」
「悔しいよ。だけどどうにもならんもの」
その弱々しい言葉が、和夫の脳《のう》裡《り》に焼きついて離れない。
そんな思いがあの晩一気に加速し、とりかえしのつかない行動に和夫を走らせてしまった。
六
しかし、事件は思いがけない方向に展開していたのである。
全身に火傷を負った祖父は、付添っていた和夫にこういった。
お前の行動を、私は全部見ていた。
私がやろうとしていたことを、お前がやってくれたんだ。だから止めようとはしなかった。そして私が転んだのは、お前が手を引いたからではない。石油をかぶって焼身自殺をするためだったのだと。
誰れにも話してはならないぞ。わかったなと祖父は念を押した。
警察にもそう供述して、祖父は死んだのである。
新聞にいじめられっ子の問題などがでると、和夫は記事を切りぬき丹念に情報を収集していた。
いじめられっ子の残忍な逆襲。メッタ刺しなどと書かれ、歪《ゆが》んだ性格云々とあるのに非常な反発を感じていた。
弱者が強者に立ち向かうとき、たとえば刃物で切りつけ首尾よく相手を倒したとしても、起き上ってくれば、逆に自分がやられてしまう。その恐怖におののいて、無抵抗に倒れているにもかかわらず何度もとどめを刺そうとするのである。
弱者の保身の心理がはたらくその結果、メッタ刺しの惨殺死体になる。凶暴だからではなく、また残忍な性格だからやったのではない。
気の弱いナイーブな普通の子が、堪忍袋の緒が切れて、強者に立ち向かうときは、必死の覚悟でこうなるのだ。
誤解と偏見に満ちた記事に、和夫は一人 憤《いきどお》りを感じていた。
また和夫は、あの晩のことを何度も夢みてうなされていた。
夢だから事実とは違うが、潜在意識の中に、家に火をつけ両親を殺したという呵《か》責《しやく》の念があるせいか、決って恐ろしい火事の夢をみる。
義母富枝を殺傷した後、父清次に切りかかる。中途半端では逆にやられてしまう。その恐怖におののいて何度もとどめを刺す。メッタ刺しにされた清次が起き上りざま、追いかけてくる。
許してください。助けてください。燃え上る炎の中に和夫が必死に逃げ込む夢である。
刃物で大人二人に立ち向かっても勝ち目はない。安全で確実な方法として、睡眠中の両親を家とともに焼いてしまうという手段を考えて、実行した。
和夫のこの行為は、結果として大胆不敵、残忍、凶暴に見えるが、自分の身が安全で相手を確実に葬り去る方法、そして今の自分の境遇からのがれるには、これしかない。前後の見境いもなくやってしまった。弱者なるが故の行動であり、私は決して残忍な性格ではないのだ。
これだけの罪悪を犯しておきながら、一方では自分を弁護しようとしている。自己矛盾、自己嫌悪が和夫の心の中に日増しに増大していった。
それにしても自分をかばって死んでいった祖父を思うと、涙があふれてきた。
車中での回想であったが、とめどなく涙が頬《ほお》をつたわって流れた。涙で和夫の心は洗われていた。
しかし、祖父の言葉と自分の行動を秘密として、和夫の心の奥深くにしまい込めばしまい込むほど、精神的負担、重圧は増大していた。
七
早朝、列車は終着駅についた。
西田少年は見知らぬ土地に、新天地を見つけ出したように、はしゃいでいた。
二人は町はずれに向かって歩いた。
海の見える丘の上に立った。
果てしない青い海、打ち寄せる白い波。
現実を超越した自然の広大さに、この世の小さい出来事など無に等しく感じられた。
夕刻、海辺の小さな旅館に泊ることにした。
風呂から出て、夕食を終えると和夫は少年に、少し我慢すれば、すべては時が解決してくれる。どんなことがあっても辛抱するんだ。君は悪いことをしていない。相手の方が陰険で悪質なんだ。負けてはならんぞ、といいふくめた。
「わかったよ。おじさん」
従順なこの少年こそ、和夫にとって信頼できる最後の人に見えてきた。
氷結していた心の秘密が溶けはじめた。
和夫は長い間隠し通してきた重く、苦しい秘密をすべて語り終えたとき、心のわだかまりがとれ、いいようのない安らぎを感じた。
少年は、
「僕だって同じだよ、おじさん。僕は反撃できないから、自殺しようと思っていたんだ。
おじさんはいい人だ。相手が悪いんだよ」
和夫は慰められた。
少年はいつの間にか、眠りについていた。
和夫はメモを残し、用意した白い粉をビールでのみ、布団に入った。
枕元には、
〓“強く生きよ。時はすべてを解決する〓”
との走り書きと、現金三万円、預金通帳と印鑑が少年宛に残されていた。
和夫の頬には一筋の涙のあとがついていた。
母子心中
「はい私です」
受話器をとるなり、大野木はそうこたえた。
「浜口です。誰れだかわかるか? 同級生の浜口だよ」
「えっ〓 浜口? 同級生?
オ〓 オ〓 浜口か」
卒業して三十年は経っている。それ以来のことであったから、すぐには思い出せなかった。
確か浜口は循環器内科を専攻し、卒業後間もなくアメリカに渡り、現地で開業したことまでは知っていた。
「日本にいるのか。懐かしいね。今東京か」
「いやいや、ニューヨークから電話しているんだ。突然の電話で申し訳ないが、友人の弁護士から相談をうけ、フト君を思い出して電話をしているんだよ。聞いてくれるか」
「内容によりけりだな」
二週間ほどしたら、私用で日本に行くが、そのときもしも君の都合がよければ弁護士も一緒で、東京の監察医をしている君に是非教えてもらいたいことがあるというのである。
わざわざアメリカから弁護士が、この私に話を聞きにくるようなことがあるのだろうか。
「どんなことかね。こっちにも準備があるから、内容を少し話してくれ」
大野木が監察医をやっていることは、同窓会新聞などで浜口も知っていた。
心中について話を伺いたいというのであった。
くわしいことは会ったときにと、再会を約束して電話は終った。
三十数年のブランクがあったのだが、話はすぐにその空間を埋め、学生時代と同じように語り合えた。クラスメートというものは実に不思議な存在だと、大野木は思った。
都心のホテルのロビーで浜口と再会した。でっぷり肥って、頭髪も薄くなっていたが、笑顔で近づくと学生時代の面影はすぐによみがえってきた。
「ヤア〓 久しぶり」
「元気でなにより」
「少し爺《じい》さまになったな」
「お互いさまだよ」
階上の日本料理屋に席をとってあるからと、浜口は大野木を案内した。
ウォーレン弁護士は気さくな人柄であった。
二年前妻と観光旅行に来ているので、少しは日本を知っているという。
てんぷらがおいしかったからと、箸《はし》をあやつり食べはじめた。日本酒も好きなようであった。
浜口が通訳をしながら、ウォーレン弁護士は事件の説明に入った。
ニューヨークで日本人の若い商社員一家が事件を起こした。
夫が仕事から帰ると、妻と子は母子心中をしていたというのだが、現地の警察は、夫が妻子を殺害したとの疑いで、裁判はゆれているという。
アメリカ人には、心中ということがよくわからないらしい。
基本的に考え方が異なる複数の人が、ともに死を選ぶという現象が、日本人の文化の中にどのようにして定着しているのか。そこを明確に説明できれば、この裁判は母子心中として有利に弁護することができると、考えているようであった。
大野木は長年、都内に発生した元気な人の突然死をはじめ自殺、他殺、災害事故死など変死者の検死や解剖をやっている。勿論心中も数多く担当してきた。しかし、心中に特別な興味をもって観察したことはない。
それはともかく、事件がどのように発生したのか、全《ぜん》貌《ぼう》を知りたかった。
「最初から話してくれないか」
大野木はメモを用意した。
商社員は一年半前ニューヨーク勤務になった。奥さんと二人で日本から出向した。子供が生れ十か月になった。郊外の住宅街で近くに日本人はいるにはいたが、殆《ほと》んど交際はない。妻は英語が話せないこともあって、買物に出かける以外は一日中、家の中ですごしていた。
夫は仕事が忙しい上、酒好きで帰宅は遅かった。そのうちにオフィスの金髪娘との情事が発覚し、夫婦の仲は険悪になった。
夫は疲れて帰宅しても、妻から不倫をなじられ、やれ離婚するの、帰国するのとすぐに口論になる。
二人にとって家庭は闘争の場でしかない。
妻に会わない方が安息がえられると、夫は愛人のアパートに入りびたりになっていった。
「随分無責任な男じゃないか」
「いや、夫婦の仲がくずれるときは、こんなものだよ」
それにしても、お互いが冷静に話し合い、少しゆずり合えば些《さ》細《さい》な発端なのだから、修復は可能なはずだ。
浜口と大野木は現代の若い夫婦のあり方を批判し合った。
それでも妻子のことが気になるのだろう、夫は家の様子をときどき見にいっていた。しかし、妻との会話もなく、家の中を覗《のぞ》くだけですぐに引きかえさざるをえなかった。
そんな状態が五か月も続いていた。
ある日、なんとなく家のことが気になって、会社の帰りに立ち寄った。
暗くて誰れもいない。電気をつける。
家の中はきれいに掃除がゆきとどいて、いつもと変りはない。
居間を通りぬけ、寝室のドアを開けようとしたが、カギがかかっていた。
寝る時間ではない。
合カギで開け、電気をつけるとベビーベッドの傍らに妻は倒れていた。
ゆり起こし、名を呼んだが返事はない。口から血を流して死んでいた。
ベビーベッドの中で、子供も死んでいた。
動転した夫は、現場をそのままにして愛人の元に急ぎ帰った。
愛人はすぐ警察に届けるようすすめたが、男は動揺していて結局、翌日になって警察に届け出た。
警察の調べに対し、男は母子心中だと語った。
ところが、アメリカ人には母子心中ということが理解できないらしい。加えて届けるまでに時間がかかり過ぎているなど、むしろ夫が妻子を殺害し、かくれみのに母子心中を持ち出したと、思われたのである。
米英でも double Suicide あるいは double Suicide from Love などと表現され、心中がないわけではない。
日本では古くから戯曲化され、近松門左衛門の曾根崎心中など悲恋の結末を、死の美学とした。これが日本人の心を強くとらえ、近代までひきずってきている。
天国に結ぶ恋、情死がこれである。
しかし、母子心中はこれとは違う。親が自殺を決意した際に、幼少のわが子を残しては不《ふ》憫《びん》で死にきれないと、子供を道づれにする。
子を殺し、母は自殺をする。いわゆる母子の無理心中である。
母の盲目的愛が、子を道づれにしているのだと、大野木は熱弁をふるってウォーレン弁護士に説明した。
いくら親でも、自分が死ぬから子を殺してよいはずはない。子供の人権を無視した暴挙である。いかなる理由があるにせよ、許されることではない。
ウォーレン弁護士は、そう切りかえしてきた。
アメリカ人の考え方なのであろう。彼のいうことは、きわめて理論的でわかりやすい。
母子心中をアメリカ人に説明することのむずかしさを感じ、大野木の口は次第に重くなっていった。
理屈は確かにそうであろうが、母と子の情愛はそんなに簡単に割りきれるものではない。将来にわたって子供の育成を、親にかわってたくすことのできる人がいれば、母は安心して死ぬことができるであろうが、そのような人がこの世にいるはずはない。
愛するがゆえの、道づれなのである。
通訳をしている浜口は、どうどうめぐりの話し合いに、笑いながら文化の違いがあるから納得できる説明は無理だろうと、残りの酒を二人にすすめた。
日本も最近は、情死は非常に少なくなり、母子心中も減ってきている。
少しずつ日本人の心も変ってきているのかもしれないと、大野木はつけ加えた。
アメリカの法廷で日本人の母子心中を説明するよりも、母親の死体所見を丹念に観察すれば、自殺か他殺の区別はできるはずだ。
大野木はそう思っていた。
その点はどうか。浜口を通して尋ねると、弁護士は、それに関しては別の弁護士が担当しているので、詳しくはわからないという。
タオルで絞殺されたのと、自分で首にタオルを巻いて両端を引き、首をしめ自殺する自絞死との区別は、法医学的にはわりと簡単なのだ。しかも写真にせよ、この眼で所見を見ることができるので、眼には見えない精神構造を説明するよりも説得力があり、そこから攻めれば、裁判は勝てると思うのだがと、大野木は浜口に再度語った。
しかし担当が違うし、死体所見や捜査状況からは、夫が妻子を殺したかたちとなって裁判は進行しているようなので、母子心中をうまく説明して、逆転しようとしているのだった。
ウォーレン弁護士は、母親が死に先立って、子を案ずるあまり道づれにしようとする気持はわかるが、なにも知らない幼い子の立場で考えれば、こんな迷惑な話はない。
未来のある子供の一生を母親の都合で終らせてよいものか。
大野木はすかさず反論した。
ウォーレンさん、日本には死んであの世へ行けば、母と子は誰れにも束縛されることなく自由に二人で暮らすことができるという考え方がある。だから母と子は手をたずさえて現世を去っていく。
現世がつらければつらいほど、あの世に思いをはせて死んでいく。だからあの世は美化されていなければならないし、それが死に行くものの、せめてもの救いなのだ。
天国に結ぶ恋などは正にこれであろう。
それが日本人の思想、文化というようなものではないにしても、そのような心境をわかってもらえないだろうか。
大野木は一気にまくしたてた。
酒に強い方ではなかったが、今夜の酒はなぜか酔わない。
ウォーレン弁護士は、その言葉をかみしめるようにうなずき、少しわかったような気がすると、メモをとっていた。
大野木と浜口は目を合わせ、これでよしとうなずき合った。
しかし、大野木は心中や自殺を日本人全体が美化しているような誤解があってはならないと、くりかえし補足説明した。
それから半年後、
「Hello, This is Dr. Onogi Calling from Tokyo, Japan. May I speak to Dr. Hamaguchi ?」
「Yes, Just a moment, please」
大野木はニューヨークの浜口に電話をかけた。出たのは彼の奥さんであった。
アメリカ人なので、大野木は冷汗をかきながら、たどたどしい英語で浜口を呼び出した。
「いやどうも。俺の英語もまんざらではないね。あはは……。国情の違うアメリカの裁判は、その後どうなったのかと思って、電話しているんだがね」
浜口の話を要約すると、ウォーレン弁護士は法廷で、日本で調査した母子心中について熱弁をふるったという。
ただアメリカで外国人同士が犯罪をおかしても、裁判が終ると自国に強制送還されることが多いので、刑罰の如何《いかん》にかかわらず、当事者は日本に帰されるはずだという。
日本に送還されると、その事件に関しては日本の法律は適用されないから、結果として、罰をうけないのと同じだというのである。
そんな馬鹿なことがあるのかと思ったが、どうもそうであるらしい。
医学は内科でも、法医学でも世界共通で、国境はない。
ところが法律は、それぞれの国によって異なり、適用も判断も違っている。その違いはどうしてなのかを考えてみるのもおもしろい。
電話中に大野木はフトそんなふうに思った。
「いや、勉強になったよ。ありがとう。それじゃ奥さんにもよろしく。
達者でな。さようなら」
「Thank you, good bye !!」
V
マリリン・モンロー怪死事件
このところアメリカでは、マリリン・モンローの死についての疑惑が取りざたされ、新事実を暴露するかのような小説がいくつか出版され、日本版も売り出されている。
一九九二年は没後三十年ということもあって、ハリウッドでは記念行事が催された。
マリリン・モンローは一九六二年八月四日、ロスアンゼルスの自宅で三十六歳の若さで死亡した。性的魅力にあふれた世界的女優モンローは、ケネディ大統領やその弟のロバート・ケネディ司法長官との交際もあった。
死因は睡眠剤を多量に服用した自殺とされているが、今なおCIAやマフィアなどがからんだ謀殺ではないかという説などがくすぶり続けているのも、彼女の背景を考えれば無理からぬことである。
出版された本などは、当時の資料をもとに、謎《なぞ》を解き明かそうと踏み込んだ推理をしているので、かなり説得力のある話になっている。
反ケネディ派がマフィアをつかって、大統領失脚を計画した。
歌手のフランク・シナトラを通して、マリリン・モンローをケネディ大統領に近づけた。
反ケネディ派は彼女とのスキャンダルをつくり上げて、失脚させるつもりであった。しばらく二人の交際は続いたが、大統領側近はそのことに気付き、モンローを大統領から遠ざけた。
モンローは急に態度が冷たくなった大統領に、私と会わないならば知っていることすべてをばらすといい出した。困った大統領は弟のロバート・ケネディ司法長官をさし向け、交際させたが、モンローは大統領を愛していた。
反ケネディ派は、自分達の陰謀がモンローの口からもれることを恐れ、殺害を計画した。
マフィア達は、モンローが睡眠剤を常用していることを知っていた。市販の睡眠剤は普通二、三錠服用すれば、眠くなる。しかし常用していると慣れが生じて二十錠や三十錠位のまないと効かなくなってくる。
ある夜、数名の男がモンローの家を訪れ、睡眠剤をのんでフラフラになっている彼女をおさえつけ、肛《こう》門《もん》から坐薬を挿入した。
急速に昏睡状態に陥るといわれる抱水クロラールやその他の睡眠剤を調合した、特製の坐薬である。
自分で服用した睡眠剤と肛門から追加された坐薬とが加わって、モンローの体内には致死量を超える睡眠剤が入ったことになる。昏睡状態から死に至ったのである。
睡眠剤は間違ってのみすぎ、死ぬようなことは考えにくい。なぜならば三、四錠ずつ水と一緒にのみ込まなければならないから、致死量の睡眠剤は百錠を超える量になるので、自殺の意志がなければ、のめるものではない。
当時モンローは、不審な死として検死され、さらに解剖されたが、死因は睡眠剤中毒による自殺と判断された。
しかし、解剖記録によると、胃の中に睡眠剤の粉末は発見できなかったとある。
一般的には多量服用すると、胃は水と睡眠剤で膨《ぼう》満《まん》状態になり、嘔《おう》吐《と》してしまい、自殺は失敗に終ってしまう。モンローの部屋に嘔吐した痕《こん》跡《せき》はなかったという。また嘔吐しなかった場合は、胃粘膜に多少とも白い粉末が残留付着していることが多いのである。それもなかったとすれば、自分でのんだ睡眠剤は二、三十錠位で、すべて胃から腸へ移送され、致死量に達しない程度のものであったろう。
ところが、血液中からは致死量の睡眠剤が検出されている。
なぜと考えれば、普通は注射による追加などが考えられやすいので、注射針痕はないかと調査したが、解剖記録には皮膚の表面にはなんのキズあとも、皮下出血もないと記載されている。
その他に目立った変化はないが、結腸は充血し紫色の変色があると記載されていた。
結局この所見が今回の浣《かん》腸《ちよう》あるいは坐薬使用を推理させる根拠としてクローズアップされたのである。
ちょうどそのころ、私はあるテレビ放送局のワイドショー番組から取材された。
実際にあった事件なので、関係者に直接尋ねて欲しいと断ったが、当然それらは取材済みで、あらゆる角度から検討しているし、小説の推理を検証しているのだからということで、応ずることになった。
犯罪として肛門から坐薬を挿入した事件など、聞いたことがない。また一般的にみて浣腸や坐薬の挿入で、結腸に充血や紫色の変色が生ずるだろうか。腸粘膜の変色は、死後の腐敗などによっても生ずることが多いから、坐薬による変色と決めつけるわけにはいかない。
しかしながら、その所見を坐薬をつかったためと関連づけて、推理してしまっている。そこが小説なのであろうが、私が反論するにしてもそれ以上の資料もなく、また執刀医がその所見をどのように解釈しているのか、コメントもないので、私の見解を深く説明することはできない。
大腸は生理学的には、水分の吸収を行うところである。とくに肛門に近い直腸には、静脈叢《そう》といって静脈がくさむらのようにたくさん集合しているので、浣腸や坐薬にそれなりの薬物を含ませれば、注射と同じようにすみやかに吸収されていく。
マフィアの中に、こういうことに精通した専門家がいなければ、この犯行の計画と実行はできない。
しかし坐薬が途中で排出されるなどの失敗があれば、これらの策略はすべて発覚することになる。危険もまた大である。
それはともかく、三十年も前に決着した事件の資料を持ち出して推理し直しているのは、小説とはいえ興味深いものがある。
戦後の帝銀事件、下山事件等々も同じように推理し直され、読物として出版されている。
法医学は常に与えられたわずかな資料をつなぎ合わせて、生前に起きたたった一つの真実に迫っていく。
間違いや、独善は許されない。
これらをもとに、法律の適正な運用を私達は期待しているのである。
八何の原則
犯罪捜査には八何の原則というのがある。
いつ (時間)
どこで (場所)
だれが (犯人)
だれと (共犯)
なにゆえに (動機)
だれにたいし(被害者)
いかにして (方法)
いかにした (結果)
殺人事件であれば、警察はこの八何の原則に沿って、一つずつ解明して事件の謎《なぞ》を解き真相に迫っていく。
人に話をするにしても、学生の講義でも同じことで、話の道筋はやはり八何の原則に沿って、いつ、どこで、誰れが、どうして、どうなったと説明するのがわかりやすい。
逆に犯人は意識的にあるいは無意識的に、八何の原則のいくつかの項目をわからぬように、隠《いん》蔽《ぺい》工作をする。目撃者がいないように、凶器がわからぬように、あるいは事故や病死に見せかけ、さらには犯行時のアリバイがあるように、そしてなるべく証拠が残らぬようにと偽装をこらすであろう。
私は検死や解剖をするときには、八何の原則を念頭に置いてやっていた。
死因の解明は一種の謎解きでもあり、うまく謎が解けたとき、自分の知識が実社会にこれほど役立っているのかと驚き、また大きな喜びを感じた。
被害者と加害者が全くかかわりのない、ゆきずりの関係などでは、この謎解きはきわめてむずかしいということになってくる。とはいえ、加害者と被害者はどこかでつながりがあり、殺す動機があるから事件は発生する。
これらのからみを、手をかえ品をかえて推理小説はでき上っている。
私は長いこと監察医をしていたから、変死が発生すると立会いの警察官とともに、死亡の現場に出かけ検死をする。
自殺、他殺は無論のこと、災害事故死あるいは元気な人の突然死なども検死の対象になるので、多種多彩な現場を経験した。
殆《ほと》んどの場合、警察の捜査と死体所見は一致し、死因は解明されるが、稀《まれ》に状況と死体所見が合致しないケースに遭遇することがある。
独り暮らしの中年の女性が布団の中で、死亡していた。
訪れた友人がカギをこじ開け、入室して発見したのである。
血圧が高いといって、時々医者にかかっていたらしい。寝姿に乱れはなく、現金や貴重品もそのままで、室内に荒らされた様子はない。戸や窓のカギもかかって、外部から何者かが侵入したような形跡も見られない。
病的発作の急死と考えて、捜査上問題はなかった。
しかし検死をしてみると、顔面にうっ血があり、溢《いつ》血《けつ》点もみられた。さらに眼瞼結膜下には、多数の溢血点が出現していた。
窒息死にみられる所見なので、頸《けい》部《ぶ》を丹念に観察したが、絞殺の索溝、扼《やく》殺《さつ》の指の圧痕のような異常所見は見当らない。
警察は捜査上、カギがかかって、密室状態だから、外部から他人が出入りすることは考えられないし、また窒息死に限らず急病死でも顔面のうっ血、溢血点は出現することはあるとの見解に立ち、病死であろうと主張した。
死体を前にして監察医と警察官のディスカッションは続く。
急病死でも顔面のうっ血、溢血点は出現するが、程度は弱いのである。しかし、このケースはかなり強度に出現していて、病死の範囲を越えている。
どう見ても、頸部圧迫による窒息死の可能性が強い。監察医としてこの見解はゆずれない。
病死か殺人か。この判別はきわめて重大であり、間違いは許されない。
警察も大事をとって、司法解剖の手続をとった。
検事の指揮下で、被疑者不詳の殺人事件という形式をとり、大学の法医学教室で解剖することになった。
結果は手で首をしめられたために、甲状軟骨が折れ、周囲の筋肉内出血もあり、扼殺と判断された。
間もなく合カギを持った愛人関係の男が、逮捕された。
冷たくなった彼女に腹を立て、扼殺後寝巻きに着がえさせ布団に寝かせ就寝中の病死のように、偽装したのであった。
検死とは死者との対話である。
丹念に検死をし、死体観察をすることによって、死者自らが真実を語り出す。その死者の声を聞き、その人の人権を擁護するのが法医学である。
法医学は死体所見を詳細に読みとり、警察の捜査状況とあわせ考察すると、八何の原則は徐々に浮き彫りになり、真相は明らかになっていく。
しらを切る
日常生活の中で、初めての人と会うようなときには、まず名刺を出し自分を相手にわからせる。相手からも名刺を頂戴してお互いに身分を明らかにしてから、本筋の話に入るのが一般的であろう。
このような名刺の交換によって、自分の身分を相手にわからせるプライベートな方法のほかに、公的には身分証明書、住民票などの提示という方法もある。
また顔見知り、聞き覚えのある声、体型、歩き方など様々な特徴をとらえて特定の人を表現する。
このようなことを法医学では、個人識別といって学問的に体系づけられている。
その人が誰れであるかを科学的に立証する。
つまりこの世の中で、太郎は太郎以外の何者でもないことを決め手となる特徴をあげて証明するのが、個人識別である。
生きている人に限らず、死者の場合も多い。
とくに航空機事故などのような大量死の際には、死体はもちろんバラバラになった人体部分さらには骨片、肉片などの識別も要求される。
また犯罪現場などでは血《けつ》痕《こん》、指紋、足紋、足跡、精液なども個人識別の資料として重要である。
そのためには終生不変(生れてから死ぬまで変ることのないもの)、万人不同(二人と同じ特徴をもつ人はいない)という生物学的特徴をとらえて行うことになる。
簡単なものには人体測定法として身長、体格、目、鼻、耳、歯などの形あるいは骨、ホクロ、手術痕などでもある程度、特定個人を決めるのに役立つ。
とくに歯の形は、個人識別にとって重要な資料とされている。
身近な記憶としては群馬山中に墜落した日航機事故の際には、歯科医らの歯の鑑定によって、多くの人々を鑑別したという話は有名である。
また頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》が発見された場合などは、その人とおぼしき人の生前の顔写真と、頭蓋骨の写真を重ね合わせて輪郭などを一致させるスーパーインポーズという方法もある。
しかし、最も簡単で確実なのは指紋である。あるいは血液型もABO式だけでなく、数十種類の血液型が発見されており、これらをくわしく検査していけば、同じ型の人はいなくなってくる。
また、最近は遺伝子のDNA(ディオキシ・リボ核酸)がクローズアップされ、強力な個人識別が可能になってきた。
なかでも指紋は終生不変、万人不同という生物学的特徴をもっており、採取も簡単で個人識別に最もよいといわれている。検出方法、分類、資料の保存も確立され、犯罪の現場に残された指紋から特定の人を割り出すことができ、身元不明の人を確定することも可能である。
『犯行現場に指紋を残すな』ぐらいのことは、子供でも知っている。
逃亡中の殺人容疑者が、十五年という時効寸前に逮捕されるという、珍しいニュースがあった。
主婦を殺し、奪った預金通帳から金を引き出すための請求書に残されていた犯人の左中指の三分の一程度しかない指紋を手がかりに、警察では手作業で指紋照合を進めていたが、資料が膨大すぎて、犯人を特定することはできなかった。
たとえば警察に指紋が登録されている人の数を一千万人とすれば、指は十本あるからその十倍の一億個の指紋と、照合していかなければならない。右手なのか左手なのか。そしてどの指の指紋なのか。特定の人のたった一個の指紋をその中から探し出すわけだから、照合するといっても膨大で想像を絶する作業になる。
今から十五年前、手作業の時代を考えれば、見つけられなかったのは無理からぬことである。
指紋は隆線の描く紋様だから、それなりの特徴がある。そこで現場で採取した不完全な形の指紋の中から、十二個の特徴点を見つけ出し、それを登録指紋と照合していくと、二個の特徴点が一致する人は十人に一人ぐらいはいるかもしれないと、仮定する。しかし、十二個全部が一致する確率はとなり、一千億分の一になる。地球上の人間は五十億位であるから、十二個の特徴点すべてが一致するのは、もうその人しかいないということで、断定することができる。
さらに近年はコンピューターをつかったハイテク処理により、現場指紋としては不完全で採取できなかった三分の二の部分を推定して、何種類かの全体指紋を復元することも可能になってきた。
その結果、これまで捜査線上に一度も浮かばなかった容疑者を見つけ出し、逮捕することができたという。
珍しいケースとして報道されたが、これからはこういうことも決して珍しくない時代になってきたのである。
さらに科学は進歩し、DNA指紋という新しい個人識別方法が確立されつつある。
東京のある公園内で、女性のバラバラ死体が発見された。
身元がわかり、容疑濃厚な男はいたが、確証がないので逮捕に踏みきれなかった。ところが九か月後にその容疑者は逮捕された。
キッカケになったのが、このDNAである。
容疑者は会社を経営していた。
そこで働くパートの女性に、経営者は交際をせまっていた。あまりしつこいので、女性は別の会社へ転職してしまった。その月の末日に、彼女は退職時までの給料を取りに出かけた。経営者は、その女性を自宅マンションの作業場で首をしめて殺し、遺体を頭、腕、足、胴体の四つに切断して造成中の公園内に分散して埋めた。
捜査の結果、マンションの作業場とワゴン車の中から、殺された主婦と同じO型の血痕が見つかった。しかし水洗いなどをしてきれいに清掃されていたので、血痕といってもごくわずかである。
社長の容疑は濃厚となったが、だからといって作業場で殺し、バラバラにしてワゴン車にのせ、公園に運び埋めたという証拠にはならない。なぜならば日本人のABO式血液型の分布はA・O・B・ABの順に四対三対二対一の比率であるといわれ、日本人の三十パーセントはO型なのである。だから、それぞれの場所の血痕は別人のO型の血液が偶然付着していたのかも知れない。どうしても同一人のものであるという、裏付けが必要であった。
司法解剖した大学の法医学教室では、ひそかにDNAの鑑定を進めていた。
最先端の研究である。
あらゆる細胞の核の中にディオキシ・リボ核酸(DNA)という遺伝子があり、親から子へ継承されていく。このDNAは指紋と同じように、人それぞれ千差万別であるから、地球上に同じ人間は二人と存在しないのと同様、DNAを科学的に検索すれば、個人を特定することができるのである。
DNAに制限酵素を加えて断片化し、電気泳動にかけるとちょうどバーコードのように配列する。これを読みとるもので指紋と似ているから、DNA指紋と呼ばれている。
しかし、実際にはわずかな細胞からDNAを検出することはむずかしい。とくに犯行後、水洗いをした事件の現場からDNAを検出することは困難であった。
ところが、ここにいたってPCR法(ポリメラーゼ・チェーン・リアクション)は合成酵素連鎖反応と訳され、遺伝子本体であるDNAがわずかであっても、酵素をつかって倍々に増やすことができるようになった。この手法により、同一人物のものであることが確認され、会社の経営者は逮捕された。
科学捜査の勝利であった。
現場に指紋を残すな。そのぐらいのことは誰れでも知っている。
しかし、指紋がなくてもよいのである。
一本の髪の毛あるいはフケ、なんでもよい。ともかくわずかな細胞がありさえすれば、DNAから個人を特定することができるのである。とくにPCR法の開発により、DNAを倍々に増やすことができるようになり、実用化の時代に入った。
この遺伝子の研究は、親子鑑定はもちろん、個人識別さらにはその応用として、犯罪捜査上不可欠のものとなってきた。
悪事を働き、自分ではないなどと、しらを切れる時代ではなくなってきた。
結論は同じでも
「え〓 これが自殺だって?」
「はい。遺書があります」
「いや、しかし。この傷跡は自殺では説明ができないな」
「え? どの傷ですか」
立会官は納得のいかない顔付きで、監察医の指さす首の索溝を見た。
六十すぎの女性が、うつ状態から首つり自殺をしたというのである。
遺書といっても、着物は娘と実の妹で分けるようにとあるだけで、動機などにふれてはいない。
前頸部上方に、横に索条物が皮膚にくい込んでできた圧迫痕、つまり索溝が形成されていた。
第一発見者である夫は、びっくりしてすぐ紐《ひも》を切って救助したというが、動転していたので、どのような状態で吊《つ》っていたのか発見時のくわしい様子は覚えていない。
「紐、ありますか」
「はい」
立会官はビニール袋に入った紐を取り出し、監察医に手渡した。
「腰ひもですね。どういうふうになっていたのか、首に巻いてみてくれませんか」
立会官は、第一発見者のおぼろげな話をもとに、腰ひもを二重にして遺体前頸部の索溝に沿って置き、さらに下顎《あご》に沿い耳の後方へと走らせた。
縊《い》死《し》だから当然腰ひもは、左右とも耳の後方を通り後頭頂部の方向に向かっている。
しかし、前頸部の索溝は横に走っているだけではなく、ところどころに縦に一、二センチ幅で索溝がとぎれた状態に、別の圧迫痕ができている。腰ひもを二重にしただけの首つりでは形成されない索溝である。
ともかく、腰ひもと索溝が一致しない。
腰ひもの結び目が前頸部にあったのかもしれない。そのために縦の圧迫痕ができたのだろう。立会官は結び目を前頸部に当てたりしていたが、どうやっても圧迫痕と一致した状態にはならない。
立会官は焦っていた。
首にかかった紐を自分で除去しようと、前頸部の紐の下に自分の指数本を入れたが間に合わず、そのままの状態で首が強くしまった防御のためのものであろうか。
監察医はそう考えた。とすれば自殺ではない。
しかし、まだ殺しと断定できるところまで、検死はすすんでいない。
警察も監察医に、そのような疑問を指摘された以上、慎重に捜査をやり直さなければならない。
自殺と判断した立会官は、苦悩の色を見せていた。
普通前頸部の索溝の中に、防御痕がみられるのは、絞殺の場合である。
絞殺はネクタイを巻くように、首をほぼ水平に一周するように紐を巻き、その両端を犯人が引っ張って窒息死させるものである。そのとき被害者は苦しいから、前頸部にかかっている紐の下に自分の指を押し入れて、紐の圧迫を少しでも軽くし、息をしようと抵抗する。したがって自分の爪《つめ》で自分の首の皮膚をひっかいてしまう。
また、紐の下に入った数本の指が索溝の形成をさえぎり、縦に指の防御痕ができてくる。
縊死は殆《ほと》んどの場合、自殺の手段として行うので、防御痕を残すようなことはない。
索溝の走り方も前頸部では水平に、側頸部では斜め後ろ上方に、後頸部で耳の後ろを上方に向かって走っているので、頸部を水平に一周する絞殺の索溝とは一目で区別できる。
このケースは索溝の走り具合をみても、縊死に違いはない。そして遺書もある。それらはどう考えても自殺のサインである。しかし、指あとの防御痕は殺しのサインである。
この矛盾をどう解釈したらよいのか、監察医も行き詰っていた。
「現場を見せてもらいましょう」
そういって監察医は検死の手をとめ、遺体のわきに立ち上った。
狭い裏庭に物置き小屋があった。
天井のはりに輪になった麻のロープがかかっている。そのロープに腰ひもをつなぎ、首を吊ったのである。
小屋の中に入ってロープの下にある脚《きや》立《たつ》にさわると、脚立はカックンと小さくかたむいた。床面は平らではない。凹凸があって、脚立は安定した状態に置かれてはいない。
自殺をしようと、ゆれ動く不安定な脚立にのり、ロープに腰ひもを連結させ、紐の輪の中に自分の首を通し、踏み台にした脚立から足をはずせば首つりは可能である。
実際に脚立の二段、三段目にあがってみると、脚立はガタガタとゆれ動き、電車のつり革のように目の前に下っている腰ひもに、手を伸ばしつかまると、からだは安定した。
これだ。脚立上で彼女は腰ひもの輪を両手に持ち、ゆれから自分の身を守るようにしながら、首を輪の中に通し、首つりをした。手指は紐にかかったまま縊死したので、あたかも防御したように指の圧迫痕が、前頸部の索溝上に形成されたのである。
現場を見ることによって、謎《なぞ》は簡単にとけた。
結果において、自殺にかわりはなかったのである。
立会官は、胸をなでおろした。
はじめは自殺であった。そして詳しく検索した結果も自殺であった。
結果は同じであっても、その過程は全く違うのである。
専門家があらゆる知識を駆使し、検討を加えて結論を出している。
病気を単純に診断しているように見えるけれども、専門家は医学的知識を動員し、似たような症状の病気を選別して病名を患者に告げている。
法医学は事後にものを見せられ、事前の状態を考察するので、常に推定という言葉が入ってくる。
裁判の証人などに立つと相手方の弁護人から、推定でものをいっているとおしかりやら反論をうけることがある。しかし、推定という言葉は、事実が明瞭でない場合に、おしはかってきめることをいうのであるが、素人の推定と専門家の推定には、本質的に大きな差があるのである
法医学は一つのものを観察し、理論的裏付けをしながら、見えない事実に迫っていく。したがって推定の範囲を出ないのだが、学問の深さ、経験の有無によりその理論構成に大きな違いが生じてくる。
専門家の見解が必要なのは、そのためである。
死体は知っている
バラバラ事件、メッタ刺し事件などが発生すると戦《せん》慄《りつ》、残忍、冷酷、変質などとショッキングな見出しで報道される。簡潔で要を得た表現だから、それだけで大《おお》凡《よそ》の内容を読みとることができる。
しかし、長いこと監察医として事件に関与し、実態に触れてみると、必ずしも報道の内容と同じではないことに気がつく。
その辺りにメスを入れ、また死体所見の変化、不思議などについても、私の勝手な見解をここに披《ひ》瀝《れき》してみようと思う。
最近、人命を軽視した凶悪な犯罪が続発し、私達は少なからず慣れっこになりすぎて、ちょっとした事件などには驚かなくなってしまった。
恐ろしいことである。
それでもバラバラ事件、誘拐殺人事件などが報じられると新聞、テレビ、週刊誌などが取材という形で一斉に謎《なぞ》解《と》きをはじめる。
警察発表を先取りするかのように、被害者の身元、殺害方法、動機、あるいは単独犯か複数犯かなど、やっきになって動き出す。
そこには日を追うごとに、生々しい人間ドラマが展開されるので、下手な推理小説を読むよりも手っ取り早く、また比べものにならぬほどの迫力があるから、つい引き込まれてしまう。
現在は職を退いて、もの書きなどをしているが、かつて私も長いこと監察医としていろいろな事件の検死や解剖をやり、法医学的に多くの事件に関与してきたので、実務体験者として、報道関係者からコメントを求められることが多くなった。
いずれも事件は発生したばかりで、情報は少ないので、論評はむずかしい。それに捜査の邪魔をしてもいけないから、控え目に一般論としての見解を述べるにとどめている。
メッタ刺し事件
たとえば、被害者がメッタ刺しにされている事件などでは冷酷、残忍、怨《えん》恨《こん》などと報道されるのが常である。
しかし、私は必ずしもそうは思わない。
メッタ刺しのような事件では不思議なことに、殺されている被害者が、加害者よりも強者である場合が多いのである。
なぜそうなのかを考えてみると、弱者が強者に立ち向かうとき、首尾よく強者を倒しても中途半端な傷害では、相手が起き上ってきて、自分がやられてしまうという恐怖におののいて、弱者は何度もとどめを刺さないと、気がすまないのである。
そのため、生活反応のある外傷と、ない外傷の区別もなしに、ただ外見上キズが多く、悽《せい》惨《さん》に見えるから残忍だ、やれ冷酷だと騒ぎたてるのである。
実はそうではなく、弱者なるが故の、恐怖心のための行動であり、結果としてメッタ刺しになる場合が多い。
事実を正しく見極めないと、事件の真相に触れることはできない。
バラバラ事件
バラバラ事件も、メッタ刺し事件も同じである。犯人は他《ひ》人《と》を殺しておきながら、自分は助かりたいというエゴイズムの、保身の心理が働き、なんとしても証拠を隠滅しなければならないと必死になる。その結果バラバラにしているのである。
たとえば重要な秘密書類をビリビリにやぶいて、風に吹きとばせば、その中の二、三片を拾い集めても、文章全体を解読することはできないだろう。これと同じで、死体もバラバラにすれば誰れだかわかりにくくなる。
証拠を隠すためと同時に、死体を運搬しやすいように分割する。そして分散遺棄すれば、被害者の身元はわかりにくくなる。被害者がわからなければ、殺した本人に捜査は及ばない。
一石二鳥。犯人はそう考えてバラバラにしているのである。
残忍、冷酷、怨恨だからではない。さらに乳房や陰部まで切り取られていると、変質者の犯行かなどと書きたてられるから、誰れしもそう思ってしまうが、性別までわからなくした方が身元はわかりにくくなる。そのための工作と考えられないこともない。
また当然のことながら指紋を隠すために、手首を切断したり、指紋のある指先をけずり取ったりしていることもある。
だから変質者というよりも、保身の心理のなせるわざと考えるべきである。
法医学の実務体験者の話は、今までの解説とはかなり違った見解であり、それなりに説得力があるという評価になった。
もはや死体を分割、分散投棄すればわからないだろうという時代ではない。
一片の筋肉からでも血液型はわかるし、細胞の中の染色体から性別もわかってくる。骨も同様に個人を特定することができる。さらに最近の法医学はDNA鑑定が導入され、わずかな細胞や血痕、髪の毛一本からでも遺伝情報を読み取り、個人を特定することができる時代になってきた。
だから分割、分散遺棄すれば、それだけ事件の発覚率は高くなる。つまり一個の細胞から個人を特定できる、ミクロの時代になっているのである。
事件の全容がわからぬうちは、単独犯か複数犯か、その犯人像を追って取材合戦も過熱する。
そのうちに一人の容疑者が逮捕されたりする。調べがはじまっても供述が曖《あい》昧《まい》で、共犯者の有無がわからない。するとあれだけの事件を一人ではできないのではないか。バックに誰れかいるのではないかなどと書きたてられると、読者は勝手に想像をめぐらし、探偵気分になって事件を追いかけはじめる。
私は容疑者が逮捕されテレビにその映像が流れたときに、画面を細かく観察する。容疑者の顔や手、腕に外傷はないかを見極める。
加害者と被害者が二人きりで、殺人が行われれば、加害者が強者であっても、被害者は必死に抵抗するから、加害者のからだのどこかに、ひっかきキズなどの抵抗創ができるものである。
被害者の爪の間に、加害者の皮膚組織などが入っていれば、DNA鑑定により犯人を特定することが可能である。
それはともかくとして、画面に映し出された顔や手、腕を注意深く見るのはそのためである。殺害の手段、方法によっても違うから一概にはいえないが、抵抗創がなければ、被害者を抵抗できないように、おさえ込む者がいたとも考えられ、複数犯を想定する。しかし、不意打ち的犯行であれば、一対一でも抵抗創なしに殺すことは可能である。
事件の担当者ではないから、検死をしたわけでもないし、現場を見たわけでもない。それでもコメントを求められるので、一般論としてアバウトな推理しか述べられないが、感じでものをいっているのではない。あくまでも与えられた条件をふまえて、実態に合った犯行パターンを逆算想定して語っているのである。
あれだけの犯行をたった一人でやれるのか。やはり複数犯の可能性が高いなどと推理するのではなく、テレビや雑誌などに映し出された容疑者のからだを観察し、これをもとに犯行の様相を推理する。さらに殺害方法や死因なども考え、それらを単独でできるのか、複数犯なのかを検討していくので、当てずっぽうにいっているのではない。
だから知識が豊富であればあるほど、複雑にそしてむずかしく考えるから、かえって当らないことが多い。
咳《せき》が出て熱があり、からだがだるいとなれば、素人なりに風邪だろうと判断して、売薬などをのんで寝てしまう。
医者へ行ったとしても同じこと、風邪と診断されて投薬される。しかし、専門家が風邪と診断するまでには肺炎、肺結核、肺癌《がん》、胸膜炎あるいは肝炎や腎《じん》盂《う》腎炎の初期など、まぎらわしい似たような症状をもつ疾患が、いくつもドクターの頭の中をよぎり、その一つ一つを吟味して、最後に風邪という診断を下しているのである。
結果は素人の判断と同じであるが、そこに至るまでの過程は、専門家としての知識が十分働いているのである。
犯人は専門家が身がまえるほど深く考え、行動していることは少ない。意外に単純に行きあたりばったりに行動している。それがかえって大胆不敵にみえてくるから、おもしろいものである。
事件が解決してみると、大山鳴動してネズミ一匹というケースが多いものなのだ。
完全犯罪を計画する場合、犯人はその手段、方法を綿密に考える。こうやれば絶対成功するに違いないと、何度も頭の中で犯行をくりかえしてやってみる。確信がもててから、行動に及ぶのではないだろうか。
しかし、いざ実行してみると、頭の中で考えた通りにことは運ばない。たとえば、突然電話が鳴り出して対応しなければならなくなるとか、近くで救急車かパトカーのサイレンが聞えたりすると、自分には全く関係はないのだが、一瞬ドキッとしてたじろぐ。その精神的動揺と時間のずれなどが、計画した通りの行動に狂いを生じてくる。
だから現場をよく観察し、死体を詳細に診ていけば、完全犯罪をきりくずす手掛りは得られるはずである。
たとえば手《て》拭《ぬぐ》いで絞殺しようと考えたが、あとでその手拭いをどこかへ隠さねばならない面倒がある。そこで急《きゆう》遽《きよ》 手で扼《やく》殺《さつ》することに変更した。そうしたら抵抗されて、犯人の腕にひっかきキズができてしまったとか、あるいは被害者が死亡直前に大小便を失禁し、気がつくと犯人自身のズボンが汚れていた。その証拠を隠すため、ズボンをはきかえ、さらには他人の目のつかぬよう処分しなければならないなど、計算外の突発的事象があると、あわてているから、その対応は思うにまかせず、突然行きあたりばったり的なずさんな行動になってくる。
筋書き通りの行動は実に緻《ち》密《みつ》であったのだが、思いもよらぬ突発的事象が起こってからの行動は一変して、ずさんになってしまうことが多いものである。
また精神的にも、殺人の前と後とでは別人のような精神構造になってしまうようである。
金銭欲、出世欲、愛欲など殺意の動機は様々で、許し難き怨恨などが、殺人を惹《ひ》き起こしているのであろうが、いざ相手が死んで目の前に倒れているのを見ると、思ってもみなかった呵《か》責《しやく》の念がわき上ってきて、殺した事実に対する恐怖と後悔が生じてくる。さらに他人を殺しておきながら、自分は助かりたいという保身の心理が強く働く。そのためにはなんとか早く、死体を処分しなければならないとの焦燥感にかきたてられる。加えてもうあとにはひけないという切迫した複雑な感情が入り乱れ、必死に死体の隠蔽工作をはじめる。ともかく自分からその死体を遠ざけなければ、こわいし不安なのだ。
バラバラ事件は、正にその典型的事例ではないだろうか。
逃亡中、犯人は呵責の念にさいなまれ、うなされて結局は自首するケースもよくあることで、殺人の前と後では、その精神構造はかくの如く違ってしまう。
そんな違いがあるわけがない、強い決心のもと、思い通りに実行できたのだから、ある程度の満足感が得られたはずだ、と思われるが、犯人の多くは後悔、呵責の念にさいなまれて苦悩している。それは本人にしかわからない心理状態であり、しかも殺人行為が終ってみないと出現しない、やっかいな感情でもあるようだ。
殺人が行われた後に、予想もしないこのような心理現象のために、緻密に計画された行動はくずれ、場当り的行動に一変する。
このようなパターンの犯罪は、逆に考えれば、単独犯が陥りやすいパターンであり、犯人の苦悩の軌跡が読みとれる。
水中死体
漂流死体が発見されたとき、殆《ほと》んど全裸に近い状態であることが多い。とくに女性の場合は、裸にされ暴行されたのか、死後裸にされて捨てられたのかなどと憶測をよぶ。
たとえば、殺害後川や海に死体を投棄する際、わざわざ裸にするようなことは少ないし、自殺の場合でも着物を脱いで、裸に近い状態で入《じゆ》水《すい》するようなこともない。
それなのに、裸に近い格好で漂流しているのはなぜなのか。
死体が川の流れや海流あるいは波間にもまれると、関節は動いて死体硬直は出現しにくい。また死後七、八時間経って死体硬直が強く出現している死体を水中に投棄した場合、硬直がある間は着衣が脱げることは少ないが、そのうちにからだが水流にもまれると、関節は動き物理的に硬直は緩解してくる。グニャグニャになった死体の着衣の間にも水が入り、水流による体位変換の際に、衣類は容易に脱げ、裸体になることが多い。
だから水流の少ないプール、池、沼などでは衣類は脱げない。
また水中死体は、水流による体位変換と水圧による皮静脈の圧迫などで、死斑は出現しないことが多い。
犯人の多くは、殺して川や海に死体を捨てれば、水底に沈み犯行をくらますことができると考えているのだろう。ところが殺害後水中に投棄した死体は、沈まないことが多い。
理由は肺は呼吸器であるから、空気が一杯入っていて浮袋の役目を果しているからである。さらに腸にもガスが入っているから、胴体は浮きやすい。しかし手足は筋肉と骨で浮袋はないから沈むので、ちょうど百メートル競走でスタートラインについた選手のような姿勢になって、水面に少し背中を出すような姿で浮遊する。
本当に溺《おぼ》れた死体は、水を消化器系にのみ込むと同時に、呼吸器系にも水を吸引しているから、肺の中にあった空気は徐々に追い出されて、吸引した水に置きかえられ、肺は浮袋の役目がなくなり、からだは沈んでいく。腸のガスだけでは浮袋にならない。
当然呼吸できないから、窒息死する。これが溺《でき》死《し》である。
同じ水中死体でも、本当に溺れたものと、殺害後投入されたものとでは、それなりの違いがあり、区別することができる。
入水自殺は沈み、殺して捨てれば浮いているかのような書き方をしたが、すべてがそうであるわけではない。入水自殺でも少ししか水をのまず死亡する場合もあり、そのときは浮いているし、着衣が空気を含んで沈まないこともあり、海水あるいは水流の状態など浮力にも関係するから、ケースバイケースで考えなければならない。
それならばと、死体に錘《おもり》をつけ水中に投棄する場合もある。そのときは沈むがやがて死体が腐敗すると、からだに腐敗ガスが充満して、土左衛門といわれるような巨人様観を呈してくると、水面に浮上してくる。
ちょっとやそっとの錘《おもり》では、錘の役はなさず、軽々と浮いてきてしまう。
それは異様としかいいようのない有様である。それならば、どのぐらいの錘をつければ、腐っても浮上しないのか。私は知っているが教えない。
殺害後、電気冷蔵庫に死体をしばりつけ、真夜中に東京湾に捨てた。船員がけんかの果てにやった事件であった。冷蔵庫は重いから、死体は沈んだまま浮き上ってこないと考えての犯行だった。
翌朝、東京湾を浮遊する冷蔵庫が発見された。なんとこれに死体がしばりつけられていたのである。冷蔵庫は確かに重いのだが、水に浮くのである。
笑い話のような、本当の事件であった。
水中腐乱死体を検死してみると、額、手背部、膝《ひざ》などの皮膚、筋肉が剥《はく》脱《だつ》して骨を露出していることがある。そのキズを見て一瞬事件かと身がまえるが、キズには生活反応はないから、死後の損傷であることがわかり、安心する。
なぜこのような死後の損傷が生ずるのか、水底に沈んでいる姿勢を考えればよい。ちょうど百メートル競走でスタートラインについた選手のような格好である。この姿で水流により押し流されると水底の砂や石、岩《がん》礁《しよう》に額、手背部、膝などが擦《さつ》過《か》されて骨を露出するのである。
そのうちに腐敗し、巨人様観を呈して水面に浮上し、死体が発見される。そのときにそれらのキズの生活反応の有無を見極めることが重要である。
東京湾の川や海での浮遊死体には、スクリュー創が多い。これは水面を浮遊している腐乱死体の近くを船が通ると、死体はスクリューに吸い込まれ、頭部、上下肢などに大きな外傷を生ずる。切創あるいは割創のようなキズであるが、しかし生活反応はないので、スクリュー創であることがわかる。
大きな船のスクリューに巻き込まれると首や腕、大《だい》腿《たい》などが真二つに切断されることもある。
また、水中死体には水中生物が集まってきて、死体を損壊することがある。これは水底や浅瀬に長く停留していた場合に多い。
腐乱死体は、巨人様観を呈し、死後変化が著しいから、死体は誰れなのかわからないことがある。それらしい家族の方々が面会したとしても、あまりにも変り果てた容《よう》貌《ぼう》だから見分けはつかない。
長いこと水につかっていたから、手足はしわしわに漂母皮形成が強く出現し、からだ中の表皮は剥《はく》離《り》して蒼《そう》白《はく》な真皮を露出している。
頭部の皮膚も腐敗し、ふやけて頭毛を支えきれない状態で、頭皮は頭髪ごと脱落し、丸坊主のようになっている。
加えて死後の損傷と悪臭があると、身内の者でさえわかるはずはない。指紋はとれないことはないから、どうにか採取する。しかし対比すべき指紋が警察に保存されていないと、在宅指紋(その人の家の中から指紋を探し出す)を採取して照合する。
また歯型も個人を識別するのに、重要な役割を果していることは、周知の通りである。
報道される事件を見たり読んだりしていると、被害者への同情、加害者への非難というパターンで説明されていることが多い。
人情として、そうなるのは仕方がないにしても、法医学的立場で検死、解剖にたずさわり、事件の一端にかかわって観察してみると、さらに深いところまで見えてきて、それらの報道が必ずしも事実をいい当てていない、うわべの報道であることに気がつく。
殺人者を擁護しているのではない。
被害者の死体に外傷が多いと、誰れの目にも残忍、冷酷、怨恨のように見えるから、そのように報道されるのだろう。しかし、加害者の精神構造がそうであるから、そうなったとはいいきれない。
加害者は他《ひ》人《と》を殺しておきながら、自分は助かりたいという、保身の心理が働くためにメッタ刺ししたり、死体をバラバラにして隠《いん》蔽《ぺい》工作などをする。
刺創、切創などの多い死体を詳細に検死するとわかるのだが、生活反応のある生前のキズは意外に少なく、大半は死後のキズである。加害者は中途半端なキズを与えたのでは、相手が起き上ってきて、逆に自分がやられてしまうという恐怖心にかられ、何回もとどめを刺す。いわゆる弱者の保身の心理が働くために、メッタ刺しをしているのだ。結果として惨殺死体に見えてくるのである。
そのようなキズの区別もせず、外傷が多いからと、感じでものをいうことの危険性をいやというほど経験してきた。読みを間違えてはならない。
冷静に全体を見渡し、分析しないと事件の真相に触れることはできない。
法医学は考古学と同じであると思っている。
発見された一つの土器から、時代考証をしていく考古学と同じように、法医学も一つの物件、死体所見を手がかりに、事件を解明していく。
正に、死体は知っているのである。
「死」を追い続ける
ある日、検死のため警察官に案内されて一軒家に出向いた。生後八か月になる男の子が、衰弱死したというのである。
子供は数日前に死亡しているようだが、母はそれを知ってか知らずか、生きている子と同じように語りかけ、ミルクを与えたりしている。どうもおかしいので確認しようと、身内の者が近づこうとすると、怒り狂うので手のつけようがない。寝ているすきに様子を見たら、子は間違いなく死んでいたと祖母はいう。
そんな具合だから、われわれが玄関に入ると、奥から女のわめきちらす声が聞えてくる。何といっているのか分らないが、祖母はおろおろしながら、私たちに手を横に振って合図している。
とても検死のできる状態ではない。
結局、検死は翌日回しになった。
母親は強制入院させられ、子は解剖の結果、下《げ》痢《り》から脱水症を起こし、三日も前に死亡していることがわかった。
またあるとき、死亡した母のそばを離れようとしない十二、三歳の女の子があった。
検死をする場合、監察医と警察官だけになり、遺体を全裸にして細かく観察するので、身内の人もご遠慮願っているのだからと説明したが、その子は自分がそばについていないと、母がかわいそうだと納得しない。
「お母さん思いだね。そうしてあげなさい。お母さんもきっと喜んでいるよ」
女の子は安心したように微笑した。
人間にとって、死とは一体何であろうか。すぐに答えを出せるものではないが、生あるものの宿命には違いない。
死とは、生れる前の状態と同じで、ナッシングなのだろう。
しかし、心が通じ合っている場合にはたとえ肉体が滅びても心の中で、その人は生き続けている。
死とは一時的な別れにすぎないのではないだろうか。
自問自答をくりかえす。
アインシュタインは、死とはなんですかと問われ、モーツァルトの音楽が聴けなくなることと答えたという。
ひとそれぞれに死のとらえ方は違っているだろうが、この世を存分に生きぬいた人の言葉には、なんとなく大きな余裕のようなものを感ずる。
極東軍司令官であったマッカーサー元帥が任務を終え日本を去るとき、
「老兵は死なず。ただ消え行くのみ」
といい残した。
当時、若輩であった私には言葉の意味がよくわからなかった。しかしなんとなく快く響くものがあったので記憶していた。六十を過ぎた今、その意味がやっとわかってきたような気がする。
自分を完全燃焼させて仕事をしてきた人の口からしか出ない、充実感あふれる言葉だったのだと。
もしも中途半端な、不完全燃焼の仕事しかしなかったならば、あのような言葉は出なかったであろう。
生きるということは、そういうことなのだとつくづく思うのである。
医者になって死の学問である法医学を専攻したのは、人間にとって死とはなんであるのかを考えてみたかったからである。そうすれば逆に命の尊さ、いかに生きるべきかがわかってくる。その上で患者を診療すれば、自分も少しは名医というものに近づけるのではないだろうかと、考えたからであった。
二、三年したら臨床医になるつもりであったが、監察医をやっているうちについのめり込み、この道一筋に歩んできてしまった。
あるとき、取材にきた新聞記者にいわれた。
「先生ほど死者の人権を大切に守ってきた人はいない。もしも先生があの世へ行ったときには、お世話になった多くの死者達が、花束を持って出迎えてくれるでしょう」
考えたこともない言葉に驚き、とまどったが、考えてみるとそうなのかもしれない。なるほどと納得できた。
だから私は、死ぬときには寂しくも悲しくもない。それらの人々との再会を楽しみに、あの世とやらへ旅立って行きたいと思っている。
監察医の定年は六十五歳であったが、そこまで勤めていては、自分のやってきた仕事の集大成ができなくなると考えて、早めにやめ体験事例に自分の人生観などを織りまぜ、
『死体は語る』(時事通信社)
『死体は生きている』(角川書店)
『解剖学はおもしろい』(医学書院)
を上《じよう》梓《し》した。
驚くほどの反響があり、次々と書かねばならなくなってきた。
現在は日本文芸家協会、日本推理作家協会に所属している。
医者になって法医学の道に首をつっ込んだために、生きた人には縁のない思いもよらぬ人生を歩むことになり、そして今、医者をやめたらもの書きというような、全く予期しない方向へと私の人生は再び動きはじめたようである。
しかし、死というテーマを追い続けていることに変りはないし、これからも自分を完全燃焼させながら、生きたいと思っている。
死者に言葉あり
人に会い自己紹介をしなければならなくなったとき、私は仕方なく、
「医者です」
という。
そのうちに、ところで先生は何科ですかと質問される。内科や耳鼻科など臨床医であったら、なんのためらいもないのだが、
「法医学です」
というのには少し抵抗がある。しかし、いわざるをえない。すると、
「え? 法医学?」
すぐには理解できないようである。だからいいたくないのである。
わかりやすくいえば裁判医学、犯罪医学という分野で、法律上問題になる医学的事項を解明する学問ということになる。
また、
「監察医です」
というと、わかってくれる人は殆《ほと》んどいない。説明が大変なのだが、
「それ、なんですか?」
といわれると、話さないわけにはいかない。
もそもそと説明をはじめると、珍しい職業もあるものだと、興味深げに聞いてくれる。初対面の人とは思えないほどになり、とぎれがちの会話は一変して活気を帯びてくる。
監察医は生きている人に縁はなく、変死した人を検死したり、解剖して死因を究明し、警察の捜査に医学的協力をする。簡単に説明すると、今度は、
「警察のドクターですか?」
「いや、そうじゃありません。監察医は東京都の地方公務員です」
と答えると、またわからなくなってしまう。
そこで人の死に方と医師との関係について、わかりやすく説明することにする。
病気になり医師の治療をうけながら、死んでいくのが病死である。それは主治医である一般の臨床医が、死亡診断書を交付することができる。
それとは全く異質の殺人事件などがある。このような死に方は、警察が介入し、検事の指揮下で、法医学の専門家が司法解剖を行い、鑑定書を作成する。
病死と殺人。この極端な二つの死に方の中間に、自殺、災害事故死あるいは元気な人の突然死などという死に方がある。
自殺か災害事故死かの区別は、警察がくわしく調査しなければ真相はわからないし、元気な人の突然死も同じである。たとえば、独り暮らしの老人を訪ねたら死んでいたというようなケースは、はっきり病死ともいいきれないし、といって殺人事件でもないようだ。いわば死に方に不審、不安が感じられる。
このような死のパターンを変死といって、とりあえず警察が介入し、死亡前後の状況を調査した上、都の職員である監察医が検死を担当する。
行政の中にこの検視(検死)のシステムを取り込んだのが、監察医制度(死体解剖保存法第八条)である。
保健所が地域の生活環境を整え、予防医学に貢献しているのと同じように、監察医制度も監察医が警察官と一緒になって、変死者の死因を究明することにより住民の不審、不安を一掃し、死者の生前の人権を擁護するとともに、社会秩序を維持しているのである。
この監察医制度は、行政上きわめて重要なシステムであり、不可欠の制度であることは、ご理解の通りであるが、残念ながら東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市にしか施行されていない。そこには法医学的にトレーニングされた専門の監察医がいて行政検死、行政解剖を行っている。
五大都市以外での検死は、従来通り警察医が行っている。警察医とは警察署の近くで内科や外科などを開業しているドクターが嘱託されている場合が多い。本来は警察官と留置人の健康管理が仕事である。しかし変死が発生すれば、検死も依頼されることになる。だから専門は内科などの臨床医であって、決して法医学の専門家ではない。
変死者の検死は生きてはいないし、治療の必要もないから、医者の免許をもっていれば何科の医者でもよいことになっている。一見矛盾はないようだが、それは大きな間違いである。
なぜならば、多くの偽装殺人がそうであるように、事件の幕開きは犯人は殺しておきながら病死や事故死に見せかけて、完全犯罪をたくらんでいる。したがって、布団の中で寝姿で死んでいたら病死、工事現場で墜落したら災害事故死などと、状況から安易に結論を導き出したのでは、犯人の思う壺である。状況は参考程度にとどめ、死因はあくまでも死体所見の中から、見つけ出さなければならない。それ故に、死体所見に精通した監察医や法医学者が検死をしなければ、意味がないのである。
実際に体験した話である。
車を運転中、歩行者をはねとばした。運転者はすぐ車から降り、意識不明で倒れている歩行者を自分の車に救助し、発進した。
真夜中のことであった。
翌朝、ビルとビルの間の狭い小路に倒れ死亡している男が発見された。
とび降り自殺と思われた。
検死してみると、とび降りの外傷のようであるが、それ以外の傷もあった。
つまり、とび降りの際、からだが横になって落下着地したときの外傷は、交通事故で歩行者が立位で、横から来たボンネットのないワンボックスタイプの車にはねられたときの外傷と、非常によく似ている。
横になってからだが落下し、地面という静止面に衝突した(墜落)か、垂直に静止したからだに、車が横から進行してきて衝突した(交通事故)かの違いで、からだと外力との接点は同じだから、外傷も似ている。まぎらわしいが墜落には墜落外傷の特徴があり、交通事故には交通外傷特有の所見があるものなのだ。
死体所見を精査すると、右下《か》腿《たい》部上方に皮下出血があり、骨折もある。さらに手や顔に擦《さつ》過《か》傷《しよう》もあった。この下腿部の骨折はバンパー骨折であり、手や顔のかすり傷は、はねとばされて路面にすれてできたもので、墜落では説明しきれない所見であった。
車の通れないビルの谷間で死んでいれば、とりあえず状況からとび降り自殺と思うであろう。そのように見せかけ、ひき逃げを隠《いん》蔽《ぺい》しようと工作したとすれば、相手は手ごわい犯人である。
しかし、ベテラン監察医の目をごまかすことはできない。
「とび降りではない。ひき逃げされた」
という死者の言葉を、監察医は聞き出していた。
捜査は一転して、ひき逃げ事件に切りかえられた。
当時としては、珍しい事件であったから大きく報道された。
悪いことはできないものである。新聞を読んだ目撃者が、もしかしたら自分が見た事件かもしれないと、警察に申し出た。そのことから発生場所、車の種類などもわかり、難航しそうなこの事件は、比較的簡単に決着した。数日後、ひき逃げと死体遺棄で運転者は逮捕された。
酔っぱらい運転で、しかも歩行者に気付かず、ノーブレーキではねていた。バンパー骨折が下腿部上方にあったのはそのためで、加速された車は浮きあがり気味に進行しているから、歩行者に当ればバンパーは高い位置にあるので、骨折は下腿部上方に生ずる。もしも運転者が歩行者を発見し、急ブレーキをかけながらはねたとすれば、急ブレーキのため車は前のめりに沈みがちになって、歩行者に当るので、バンパー骨折は下腿部の下方に生ずるのである。
このように、死体はとび降り自殺ではなく、ひき逃げでしかもそのときの状況をこと細かく語ってくれたので、運転者の嘘《うそ》や工作はすべてあばかれてしまった。
最初はとび降り自殺であったが、そのうちに交通事故にかわり、さらに状況などからひき逃げの偽装工作といわれだしたので、当の運転者は驚いたと供述している。
そのはずである。運転者は事故後すぐ自分の車に被害者を救助し、病院に収容しようとしたが途中、死亡していることに気がついて恐ろしくなり、人通りのないビルの谷間の小路に死体を捨てて、逃げたのである。
とび降り自殺に偽装しようなどという知識は、皆目なかったのだが、結果としてそう思われてしまった。それは墜落外傷と交通外傷がよく似ているからであり、専門家は巧妙な偽装工作かと色めき立つのも無理からぬことである。
捕らえてみればなんのことはない、ズブの素人の行きあたりばったりの犯行であったのだ。
そうはいうものの、事件には専門家があらゆる知識を駆使し、対応しておくことは必要なことである。
もしもこの事件がビルの谷間で発見された時点で、近所のドクターが発見者に呼ばれ、手当をするなり、死の確認をし、そしてさらに周囲の状況から、とび降り自殺と判断してドクターが死亡診断書を発行したとする。それが役所の戸籍係に受理されるようなことになれば、種々の事件は闇《やみ》から闇へ葬り去られてしまうことになる。
先に述べたごとく、そのようなことがないように外因死(外力の作用で死亡したもの、つまり自殺、他殺、災害事故死など)はすべて変死として警察に届け出る法律になっている。また元気な人の突然死も不審、不安のある死に方であるから、変死扱いになっているのである。
このルールが守られなければ、犯罪は野放しになってしまう。
私達は風邪をひけば内科にかかり、怪《け》我《が》をすれば外科へ行く。自分のからだを守る上で当然の選択である。
それと同じで変死者の検死は、死体所見に精通した法医学者にまかせないと、死者の生前の人権は守れない。
検死とは、死者との対話である。
死後も名医にかかるべし、というのが私の持論である。
私は医師免許証を取得してからすぐ臨床経験のないまま法医学を専攻したから、患者を診察したことはないし、治療医学もわからない。長いこと監察医として検死や解剖をしていたので、あまり医者だという意識もない。
現在は、現役を退いて五年になり、文芸家協会や推理作家協会に所属して、もの書きや講演などをしているが、作家というほどのものではないし、医者らしいこともしていないので、職業はと聞かれると困ってしまう。仕方なく、医者ということにしている。
それでも相手方に大《おお》凡《よそ》のことがわかると、変った医者もいるものだと感心するやら、大変なお仕事ですねと同情される。そして次には、解剖したあとご飯食べられますか、などと質問される。
即座に検死や解剖をしないと、私はご飯が食べられないのですよ、と答えて大笑いするのである。
法医学を専攻する者は稀《まれ》である。
一つの大学で毎年百名位のドクターが誕生する。殆《ほと》んどは臨床医になってしまう。法医学を専攻しようとするものは、十年間の卒業生の中から一人出てくればよい方で、医学の中では過疎地帯におかれている。
学生のときは、事件の講義があったり、現場の写真がスライドになって見られるので、刺激は強いし、おもしろい科目として人気があったが、いざ卒業し医者になってしまうと生涯の仕事として法医学を選ぶものはいない。
そのはずである。治療医学を捨てて、死者を相手の仕事などするはずはない。死にそうな人を治療し、回復させるようなドラマチックな派手さも格好よさもない。仕事は地味で大学の研究室か監察医などの公務員しかないから、臨床医に比べると収入にも相当のひらきがある。本当に好きでないと、続くものではない。
また法医学は医学の中で、かなり遅れた分野にある。
死亡時間を推定するにしても、経験や勘で判断しているところが多い。
科学的に立証する方法が確立されていないから、たとえば死ぬと体温の発生はとまるので、時間が経つと次第に体温は冷却し、外気温と同じ温度にまで下降してくる。最初の五、六時間は毎時摂氏一度位下降し、その後は毎時〇・五度位下降するなどといわれているが、しかし個体差があり、季節や地方などによって大きな違いがあるからケースバイケースで一様に論ずることはできない。つまり方程式のような公式が組めない。
その他死斑や死体硬直の出現、さらには腐敗がはじまって硬直が緩解していく、そのような過程を細かく観察し、科学的に死後経過を追究しても、結果は体温の冷却と同じでケースバイケース、方程式は見出せない。
要するに死体の置かれた環境に支配されないで、死んでからの時間的経過によってのみ、変化していく因子を死体の中から見つけ出せばよいのである。
それができないから経験などにたよっている。誠に心もとない限りである。
捜査上、犯行時間の推定はきわめて重要な因子で、時間を間違えればアリバイが成立し、犯人を取り逃がすこともある。
それにしても法医学の現場は地道にこつこつと研究を重ね、科学的に真実に近づこうと努力をしているのである。
衛生行政の一環として実施されている監察医制度が、全国制度になりその効果が遺憾なく発揮される日を、望んでやまない。
あとがき
私はこれまでの人生のなかで、生きていてよかったと感じたことが二回ある。
最初は戦時中、東京大空襲の炎のなかを、いくつもの死体をのり越えて逃げのびたとき、生き残った幸運に驚きと喜びを感じ、命の尊さを実感した。
二度目は、戦争も終り平和の世になっていた、医学部三年のときである。フト本箱を眺めると、医学の本であふれていた。積み重ねれば、自分の背の高さをはるかに越える厚さである。その中身はすべて疾患に関する事柄である。
思えば自分の周りにはこのように幾千幾万という危険な疾病が満ちあふれている。それをくぐりぬけ、大した病いにもおかされず、よくもまあ元気にここまで生きてきたものだと、健康のありがたさ、生きていることの喜びを痛感した。
私の専門は法医学であるから、臨床医のように、直接患者の病気を治すようなことはできないが、検死や解剖を数多くやってきたので、病気にならず健康で長生きするための方法は知っている。
これを死者からのメッセージとして、生きている人に伝えれば、予防医学に役立つだろうし、さらには命の尊さ、いかに生きるべきかが一層鮮明にわかってくるだろう。
そんな思いを籠めて、死体シリーズの第三弾として『死体は知っている』を書き上げた。
末筆ながら、角川書店書籍第一編集部大和正隆氏、佐野真理氏には大変お世話になった。心から謝意を表する次第である。
一九九四年九月
著者
本書は'94年9月刊行の小社単行本を文庫化したものです。 死《し》体《たい》は知《し》っている
上《うえ》野《の》正《まさ》彦《ひこ》
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平成13年2月9日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
Masahiko UENO 2001
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『死体は知っている』平成10年8月25日初版刊行
平成11年5月10日 3版刊行