鉄仮面をめぐる議論
"Controversy about Iron Mask"
上遠野浩平 著
『王はとても欲深だったので、神に限りなく黄金をくれと頼んだ。神はその願いを叶えてやった――ただし、悪意たっぷりに』――ミダス王の伝説より
1.
これは、遠い昔の物語である。
*
マイロー・スタースクレイパーは変な奴である。
彼は、ちょっと特殊な育ち方をした。
そのため彼は、なんというか、他人に対しておかしな振る舞いをする。
「やあ、みんな仲良くしているかい? だめだよ、仲良くしなきゃあ。人間はお互いに優しくするために生まれてきた生き物なんだからね」
と言うのが口癖。そして彼はそう言いながら作戦会議で意見が衝突している軍高官たちの間に首を突っ込んだり、戦時下の食糧配給に長時間並んでいて殺気立った人々の肩を親しげに叩《たた》いたりする。
みんなも彼の特殊な体質を知っているので、逆らうことができず、ぎくしゃくと強張《こわば》った笑いを返して「わかったわかった」とうなずくのがいつものこと。すると彼は満足げに、
「うんうん。そうそう。みんな穏やかに、お互いを尊敬をして認めあうのが一番さ」
と一人でうなずく。
彼のおかしなところは他にもある。
いちばん目につくのは、なんといっても外見だ。
全身を鋼鉄の鎧《よろい》で包んでいるのである。もちろん顔には、彼の綽名《あだな》にもなっている鉄仮面がつけられている。中世の騎士道物語そのままの格好だ。
すべての肌を覆《おお》い尽くしているわけだ。これも彼の体質に由来するスタイルである。
「なかなかイカす格好だろう?」
と彼がみんなに言うと、みんなうなずく。内心ではみんな怪物みたいだと思っているのだが、口にする者はいない。
この仮面を外すと、彼はとても美しい顔をしているという。でも実際に見たものはほとんどいない。見たことがあるはずの宇宙防衛軍特殊作戦部隊のメンバーたちは、そのことについては黙して語らない。顔についてだけじゃなく、そもそも彼について語ることをい機密で禁じられているからだ。
軍医は余裕が全然ない。機密を公開して開かれた軍にするとか、そんなことをしているゆとりはないのだった。軍規は厳しく、少しでも敵に対して怖《お》じ気《け》づいたりひるんだりすることのないように、兵士たちはがんじがらめの規律に拘束されている。それはまた兵士たちに対して救いにもなっている。
圧倒的な恐怖が目の前にあるとき、自分で判断しないで命令通りに動けばいいということは、彼らから負担を取り除くことになるのだ。
そう、圧倒的な恐怖である。
外宇宙から、恐るべき敵がそのころの人類に襲いかかってきていたのだ。
敵の名は虚空牙《こくうが》。
宇宙空間を活動領域とする超存在である。
超光速で空間を飛び回り、波動撃を発して人類の宇宙船を蒸発させる、人知を遥《はる》かに超えた|な《・》|に《・》|も《・》|の《・》か――その姿は天使を思わせる巨大な人型で、それらが超光速で飛来してきては小惑星をも粉砕《ふんさい》する爆撃を人々の上に加えてどこかに去っていく。どこから来て、何が目的なのか誰にもわからない。
もちろん、その名は人間が付けたものだ。虚空牙はただひたすら人間に攻撃してくるだけで、人間側からのコミュニケーションの試みはことごとく無視され、失敗に終わっていた。
地球はほぼ全滅状態。各惑星の衛星軌道上のコロニーも各個に分断され、なすすべもなく壊滅させられていった。他惑星に旅立っていったカプセル船団の行く末は杳《よう》として知れない。
一時は二千億人いた地球圏の人類は、ほんの数年で三億以下にまで減ってしまった。これでは地球上にしか人間がいなかった時期よりも、さらに少ない。新たな拡大を求めて宇宙に出たはずなのに、結果はこの有様あった。
このままでは人類は絶滅の危機を座して待つしかなかった。
……というところで、我等が鉄仮面、マイロー・スタースクレイパーが登場するのである。
彼こそが人類最後の希望、虚空牙に対抗できる唯一無二の存在であった。
*
「あの彼≠ヘそのような気持ちでいるのだろうな?」
「自分たったひとりが人類の守護者であるということなど、ちょっと想像つかないな……しかもそれは彼にとっては当然の前提なんだから」
「子供の頃からそうだった訳だからな――誰とも接触しないで」
「それで、その触れられない相手をひたすらに守る、というのはどういう気持ちなんだろう?」
「――軍事中央司令部は、必ずしも彼を信用していないぞ。無理もないが。だが彼がその気になれば逆に人類を滅ぼすことも容易だ」
「――だが彼に頼るより他に、我々に方法がないのも事実だ」
*
さて、彼には両親がいない。
いや、別に遺伝子合成で生まれたから、とかそういうのではなく、要するに|み《・》|な《・》|し《・》|ご《・》であるということだ。
彼の母親は彼が生まれた直後に死んだ。死んだと思われる。少なくとも医学的には生命反応を検知できない状態になった。
続いて彼を取り上げた医者も死んだ。死んだと思われる。次に出産に立ち会っていた父親も死んだ。死んだと思われる。そして看護婦も死んだと思われ……ああ、要するに、マイローに触れた者たちは、一様に同じ反応を見せたのであった。
ところで、いきなり話が変わるようだが、読者諸君も例の昔話を知っているだろう。
欲深な王が神にむかって、
「私に黄金をください」
と頼んだら、触れるものすべてが金になってしまいたいへん難儀《なんぎ》した、という例のあれだ。
そう、早い話が、マイロー・スタースクレイパーはあの王様と同じ体質だったのである。
彼には生命あるものが触れると、みんな透き通った水晶体になって、
――かちん、
と固まってしまうのである。
まさか黄金そのものになるわけではないが、しかし誰にも触《さわ》れないという点では、まるっきり一緒だ。ただしあくまでも生命のあるものだけである。例の王様は水に口を付けると砂金になってしまったが、マイローはそこまではひどくなかった。飲み物は飲めたし、食べ物は食べられた。ただしすべて合成飲料や合成食品に限られて、自然物だと結晶化してしまったが。
さて、そんな彼がなんで人類の最後の戦士となったかというと、つまりこの体質が虚空牙相手にも通用したからである。
彼が生まれた直後、彼のいたコロニーが虚空牙によって攻撃され、全滅したのだが、駆けつけた救援部隊が見たものは重力の切れたコロニーの中にぷかりぷかりと浮いている結晶化した虚空牙のなれの果てだったのだ。
直《ただ》ちに彼は回収され、研究された。しかし結果は分析不能であった。
*
「……それで?」
「ですから――これで、以上です」
「……どういうことだ?」
「どういう、と言われましても」
「……諸君らは科学者だろう? 高度な知識と訓練を受けているはずだ。数千年もの年月を掛けて培《つちか》われてきた人類の技術の、その集大成が君ら学者ではないのかね? それが全員集まっても、ただわかりません≠ニいうしか能がないのか?」
「……そうはおっしゃりますが。しかし我々としても分析するための手掛かりというモノが必要です。彼∴ネ外には何の手掛かりもないんですよ。他のモノとの類似を調べ、相違を調べ、性質を調べ――それが観測の基本です。たったひとつしかないモノは。論理化のしようがありませんよ!」
「彼≠ェ固定化した結晶体ならサンプルがあるだろう。そこからわからないのか?」
「結晶化されたモノは、この世のモノとは思えないほどの強度を持っています。少なくとも、現在の我々のいかなる方法を以《もっ》てしても破壊はできません。おそらく亜空間ブラスターの直撃でも、あれらを傷つけるkとはできないでしょう――エネルギーの使用量が多すぎますので、その実験はしていませんが」
「――要するに、そっちもわからないんだろう?」
「おっしゃるとおりです」
「なんのことはない! おまえらはわからないんだから仕方がない≠ニ、もっともらしく言っているだけだ! 何が人類文明を支える科学者だ! まったく情けない!」
「……それに反論はしません。しかし、たとえ彼≠ェ何者かわからなくともこれだけは保証できます……彼≠フ反応を見る限り、心理学的には、これはごく普通の人間です」
「何が言いたい?」
「つまり、彼のことを恐れるような態度で接する普通の人の接近は、これは極力抑える必要があります。人間のことを侮《あなど》るような気持ちを彼に抱かせてはならない。そして同時に精神の荒廃から来る反抗期≠熄[分考慮しなくてはならない」
「……虚空牙を相手にする有効な兵器は今や彼≠オかいないというのに、こっちが気をつけることといったら近づくな≠ニか不良化を抑えよう≠ニかいったことしかないというのか?」
「事実です。少なくとも科学者は理解ができなくとも、現段階では論理化されているもの以外の意見は口にしません」
「…………」
*
という科学者たちの自身に満ちたあきらめのなか、彼は他の者たちから隔離されて育てられた。
ああ、その通り。あなたが危惧《きぐ》しているとおりだ。彼はいっさいのスキンシップを禁じられて大きくなったのである。
猿で実験されているのだが、ある程度の高等生物の成長にはスキンシップというものが欠かせない。もしも誰にも愛されないと、赤ん坊はどんなに栄養を与えられても衰弱して死んでしまうということが証明されている。
本当に愛されているかどうかは問題じゃなくて、要するに抱き上げてもらったり頬ずりされたり頭をなでてもらったりとかそういうことだ。動物の場合はぺろぺろ舐《な》めてもらうとか、つまりは接触である。
しかしながら彼には誰も触れられないのだ。どうしようもない。分厚い手袋をして絶縁服で全身を包んだ看護婦がおっかなびっくりで|お《・》|し《・》|め《・》を換えに来たって、そんなもの接触にもなんにもなりゃしない。ロボットにやらせた方がマシだ。
ところで彼の排泄物《はいせつぶつ》もやはり結晶である。
たぶん体内だと普通のナニなんだろうが、体外に排出されたとたんに結晶になってしまうらしい。したがってこれも分析不能。機械的手段で採取された彼の遺伝子情報からクローンもつくられたが、これにはなんの能力も見られなかった。あくまでも彼*{人にのみ能力があるのだ。
それに如何《いか》なる理由があるのか――誰にも想像のつかないことだった。
2.
彼は兵器として使用されている。
その使用方法は、空気と一緒にエネルギーフィールドにくるまれた状態で、宇宙戦闘機《ナイトウォッチ》の武装腕《アームドアーム》につかまれて武器≠ニして虚空牙に押し付けられるという乱暴きわまるものであった。何しろ、彼を前にかざして突撃すると、虚空牙の放つ空間波動撃だろうが、とにかくあらゆる攻撃がきらきら光る粒子となって分解されるのだ。最強の盾《たて》にして矛《ほこ》であるという、まさしく矛盾≠サのものの存在と言えた。
危険きわまりないはずなのだが、まだ赤ん坊だった彼は、この危険な仕事をきゃっきゃっと喜んでやっていたという。
なかなかうまくいかなかったが、とにかく直撃≠オたら相手は完全に倒せた。わずか一年足らずの間に、彼を装備≠した一機の戦闘機だけで、実に五十を越える虚空牙の撃破に成功したのである。
それまで人類側と虚空牙の交戦撃墜率と言ったら三十対一でこっちが負けるというお話にならないものだったのだから、これは空前絶後の大戦果である。
かくして虚空牙の侵攻は、人類絶滅の水際《みずぎわ》で食い止められた。
*
「――これで安心してよいものだろうか?」
「いや、ここで気を緩《ゆる》めるなどとんでもないことだ」
「賛成だ。たしかに虚空牙の襲来は減ってきているが、これで我々の勝利とは、まだまだとても言えない」
「それにしても彼≠フことはどう扱えばよいものだろうか?」
「サイブレータに任せた教育は、確かにうまくいってはいるが、しかしどうにも不安定な感じは否めない」
「彼≠武装ポッドとして実際に使用している宇宙戦闘機《ナイトウォッチ》の操縦士《コア》からも。いまひとつ戦闘に対して切迫感がないという報告もある――まあ、改造人間であるコアも純粋に人間とは言えないわけだが」
「冷静に観察すれば、我々人間はまるで、人外《じんがい》の者たち戦いの中で、ふらふらと漂っている――虚空に浮かぶ宇宙塵《うちゅうじん》みたいなものかも知れないな」
*
スキンシップの欠如という致命的なハンディキャップを埋めるために、彼には各種様々な玩具や音楽といった、ありったけの娯楽が与えられて育てられた。時々ものすごい勢いで泣きわめくこともあったが、だいたい彼はおとなしく、静かに成長していった。
だんだん物心ついてくるようになると、彼には教育係がついた。もちろん直接会うことになどできるわけもなく、モニター越しの授業であった。
「あなたは人類を守らなければならない」
先生たちは彼に優しく諭《さと》した。それは人間ではなく、サイブレータの中でつくられた疑似《ぎじ》人格だった。本物の人間だとボロが出て彼に対する怯《おび》えを見せてうろたえる危険があったからだ。だから、子供時代の彼とまともに会った人間≠ヘひとりもいない。
「どうして?」
彼は質問した。
「みんな、あなたのことを大切に思っているからだよ。あなたも彼らのことを大切に思わなければならない」
「ふうん。よくわかんないけど、仲良くしなきゃダメってことだね」
「そうだ。君はいい子だよ」
「仲良くすれば、ぼくもみんなのところに行けるのかな?」
こういう質問をするとき、彼がどんな顔をしていたのかを考えると、なかなか切ないものがある。きっと期待に目をきらきらと輝かせていたのだろう。しかしそのときその場所に、その気持ちを真摯《しんし》に応じてくれるものはなにもなかった。
「そうだね、きっと行けるよ」
疑似人格はなんの根拠もなく、無責任に言い放った。
「でも、それは君がいい子で居続けたらの話だよ」
こういうことを言っても、疑似人格には良心の呵責《かしゃく》も動揺もなにもない。|そ《・》|れ《・》は機械であり、彼の気持ちを荒廃させないために平気で嘘《うそ》をつきまくった。
それらに対して、彼はいちいち「うん!」と力強くうなずき続けた。
そして十四歳まで、彼はそうやって閉じ込められて、ときどき虚空牙と戦うだけの人生を送った。
いつのまにか、彼には、ぼーっ、としばらく考え込む癖がついていた。何を考えていたのかは十五歳の誕生日に明らかにされた。
彼がプレゼントに要求した機械や装飾具を組み立てると、それは彼を包み込む鎧になったのである。ただの鎧ではない。極薄のバリアーが内部に張ってあって、絶対に彼の身体《からだ》が外界に接触しないようになっている、いわば移動式結界とでも言うべきものであった。
「これを着れば、ぼくも外に出られるぜ」
鉄仮面をつけて、彼は得意げに言った。
*
「――どうする?」
「どうするもこうするもあるまい! そんなことは許可できない!」
「しかし、彼の言ってることは筋は通っている――あれだけ保護すれば一般人にもほぼ危険はない」
「絶対に安全とは言えない!」
「しかし、今は戦時下だ。多少の危険ぐらいでは却下する理由としては不足だ」
「しかし、現実的に彼≠ヘ普通人とは絶対的に共存不可能なんだぞ」
「だがそれをどうやって彼≠ノ説明するんだ。もし、彼≠ェ人生に疲れて|や《・》|る《・》|気《・》|が《・》|な《・》|く《・》|な《・》|っ《・》|た《・》ら我々はおしまいなんだぞ」
「……こうなったら志願者を募《つの》るしかないな」
「彼≠ニ会ってもいい、と言い出す人間などいるものか!」
「いや――そうでもない。私のところのラボにひとり変わった人材がいる」
「そいつなら彼≠ニ接触して結晶になってもいい、というのか? 自殺志願者などお話にもならないぞ」
「いや、そうではない。とても優秀な科学者だ。ただ――すこし文学的というか、空想的なところがある」
「その男なら平気で、臆することなく彼≠ニ自然に接することができるというのか? 確かに志願者を募らねばならないのは確かだから、学者に適任がいればそれに越したことはないが」
「わかった。君に任せるしかなさそうだ。その部下に準備を進めさせろ」
「はい。――ですが、今おっしゃられたことには一つ誤謬《ごびゅう》がありました」
「? なんのことかね」
「男ではないのです――その私の助手は、まだ若い少女です」
*
ここで、物語には一人の少女が登場する。
ところで彼女の名前は記録には残っていない。民間伝承で伝えられることもなかった。だから仕方がない。我々はとりあえず彼女を初子さん(仮名)と呼ぼう。
初子さんは軍人であった。と言っても、この虚空牙大侵略時代において人はみな防衛軍に属する軍人で、民間人というものは存在していなかった。老人から子供に至るまでみんな軍属だったのだ。余裕がない世界だったのである。
初子さんは天才児であった。
素養のある子供を集めて養成されていた戦略特別学級でもダントツのアタマという、将来は人類の命運を託される指揮官になることが確実だという、まあ、そういう子供だった。
この初子さんは、我らのマイロー・スタースクレイパーに非常に大きな関心を寄せていた。
「あの能力には、きっとなにか重大な理由があるに違いないわ。人類すべてに関わるはっきりとした目的があるはずよ。単に虚空牙を攻撃するためだけのものではないと思うわ」
と、しょっちゅうまわりじゅうの人間に話し、マイローに直接会って自らの仮説を確かめることを上に出願し続けていた。
だが軍はただでさえマイローの扱い方に困り果てていたので、この彼女の個人的な要望を聞くなどとんでもないとはねつけていた。
だが、それでもあきらめられなかった彼女は、このまま彼≠閉じ込めておく事による弊害《へいがい》について論文を書き始め、完成直前になった頃に、突然に上層部から、前とは逆に彼≠ニ面会せよという命令が下された。その前後関係はよくわからなかったが、彼女は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「――よし! この会見には、人類の未来がかかっているわ!」
初子さんは意気込んで、絶縁服に身を包んでマイローが住んでいるブロックに入っていった。
だが彼女を出迎えたマイローを見て、初子さんは目を丸くした。彼は自分の居住区にいるにも関わらず例の鉄仮面と鎧をつけていたからだ。
「――――」
鉄仮面はぎくしゃくと、目の前に立っている彼女を見つめてきた。いや、目は露出していないので、顔面がこっちを向いていることから、たぶん見つめているのだろうと判断するしかない。
「…………」
黙りこんでいる。しばらく静寂が続き、やがて、
「……いつもそれを着ているの?」
と初子さんが彼の鎧を指差した。
「え?」
マイローはぴくっ、と身体をひきつらせた。
「な、なんのこと?」
「だから、その鎧よ。この隔離フロアにあなたしかいなくても、それを着ているのかしら?」
「……な、馴れとかないと、って思って、ね」
「馴れる? 何に?」
「これを着ていれば、外に出られるんだから。そのときが着たときに困らないように、って」
「……あなたの外出はまだ禁じられたままよ」
「し、知ってるさ。知ってるけど――でも」
仮面が首を何度も振る。そして言葉に詰まる。
「で、でも――」
「でも、いつかお許しが出るかもしれない、と思っている?」
「う、うんそうさ! だってあなたとも、こうして会えたんだからね!」
彼は急に大声を出した。
「ほ、ほんとうに、こうやって目の前に他の人が直接|い《・》|る《・》なんて信じられないよ!」
「エネルギー不足のせいよ」
興奮している鉄仮面に対して、初子さんは冷静に言った。
「え?」
「余裕があれば、あなたの周りをホログラムの人間たちで囲むこともできるのよね。いくら触っても結晶化したりしない幻影の人間たちでね。でもそんな設備はもう破壊されちゃって残っていない。新しく造るだけのゆとりも資材もない。あなたは生まれるのが少し遅すぎたのよ。せめて百年前だったら、それぐらいの設備は残っていたのに」
初子さんは、一方的な調子で話した。これは天才少女である彼女のいつもの癖だ。
「…………」
鉄仮面は拝聴している
「でも、それでも、あなたはたぶん、その本来の目的には間に合ったと思うわ」
「目的?」
鉄仮面は首をかしげた。
「そう、目的。あなたのその能力は、きっと何か特別な目的があるはずなのよ」
「……よく、わからないけど。それは敵を倒すことじゃないのかい? みんなそう言ってるよ」
「ああ――」
初子さんは手のひらをふらふらと振った。
「それはおそらくは二義的なことに過ぎない。喩《たと》えるなら、原子力を爆弾とか発電装置とかにしか使えなかった古代の人類みたいなものよ。その能力にはきっと、もっと本来の使い道があるはずだと私は思っているわ」
「で、でもぼくは恐ろしい化《ば》け物《もの》だよ」
「自分のことをそんな風に言うのは、やめた方がいいわ」
「で、でもみんな、ぼくと話すときはなんだか怖がっているしさ。そりゃあサイブレータは全然怖がらないけど、それはあれが機械で、ぼくが触っても固まったりしないからで」
「それは無知だからよ。いい? あなたはたぶん、最初に火を使うことを覚えた原始人なのよ。他の人間はまだ猿のままなのに、あなただけがきっと――真理に近いところにいる」
言うなり、初子さんは絶縁服を脱ぎだして、あっというまに軽装の、肌が見えている格好になった。
「――わっ!」
鉄仮面の方が、あわてて後ろに下がった。
「あ、危ないよ!」
「どうして? あなたがその仮面を付けていれば、私には危ないことなんか何もないはずでしょう?」
「そ、それはそうだけど――でも」
「私はね、愚かということが許せないのよ」
初子さんはかまわず、マイローに自ら近づいていく。
そして鎧に覆われた手を、ぎゅっ、と掴《つか》んだ。
マイローはびくっ、と手を引っ込め掛けたが、初子さんは離さない。
「――ほら、何の心配もない。こんなのは当たり前のことだわ」
彼女は力強くうなずいて見せた。
マイローはしばらく茫然としていたが。やがておずおずと言った。
「き。君は――すごいなあ」
心底感動している、といった口調だった。
すると初子さんの方が、きょとん、とした顔になり、そしてくすくすと笑いだした。
「な、何かおかしいかな?」
戸惑いながら鉄仮面の問いに、初子さんは首を振りながら、
「人類の救世主にすごい≠チて誉《ほ》められるとはね――自分に笑っちゃうわ。我ながら」
と言った。
えへへ、と鉄仮面もかすかな笑い声をたてた。
初子さんは上層部にマイローを外に出してもなんら問題はないと進言し、これはとうとう認められた。
鉄仮面は大喜びで町に出かけていった。上層部は前もって人々に厳重な注意をしていたので、誰ひとりとして彼のことを変だとか間抜けであると言う者はいなかった。もしいたら、その人間は命令不服従で軍令により処刑されてしまうのだから当然である。
「やあ、みんな仲良くしてるかい? 仲良くしなきゃダメだよ」
と歌うように言いながら、鎧をぎいぎい軋《きし》ませつつ彼は踊るような足取りで歩き回った。
その横には、いつも初子さんがいた。
*
「だから、攪乱《かくらん》作戦は決して有効じゃないの。むしろ相手を収束させて、そこを突くべきなのよ」
「うん」
「虚空牙を相手にするには、これまで人間同士がやっていたような戦争における戦略や作戦はまったく参考にならないと見なければならないの。向こうは損失とか撤退という発想がまるっきりないんだから」
「うんうん」
「結局のところ、私たちにはお手本となる過去のデータが全然ないということなのよ。わかる?」
「いや、あんまり。難しいね」
鉄仮面があっさり言うと、初子さんは笑う。
「わからなくて当然よ。なんにもわからないってことしか言ってないんだから」
「なんだそうか。――でも君はわかっているみたいだ」
「推測は色々としているけど、それにもやっぱりデータがない。圧倒的にね」
「それがあれば、不思議なことがみんなわかるのかな」
「どうかしらね……私たちにはきっと、そんな悠長《ゆうちょう》なことを言ってる余裕はないと思う」
「?」
「人間に与えられてる選択権はもう、ほとんどない……そしてその中にはおそらくすべてを理解する≠ニいう項目はもはや、ない」
「ない、って――じゃあどうするんだい」
「どうにかするしかないでしょうね。わからないままでも、そんなことにはかまわずに」
「君がなんとかするのかい?」
「なんとかできるのは、あなただけよ」
「そ、そうかな」
「そうよ、あなたはかけがえのない人だもの」
「……でも、ぼくは誰にも触れないんだ」
「ハンディキャップなら誰にだってあるわ。あなたの能力は、それはとても大きなものだけれども、でもあなたが素敵な人であることは変わらないわ」
「そう?」
「そうよ、とっても心がまっすぐだし、優しいし、話していて心が温かくなるし。あなたはどう?私と話していて、嫌かしら?」
「そ、そんなことないよ! とっても楽しい」
「ありがとう。ならきっと、私があなたに感じている気持ちも、あなたと同じだと思うわ」
「そ、そうかな?」
「そうよ、少なくとも、私はいつまでもあなたの側《そば》にいるわ」
「あ、ありがとう……!」
この鉄仮面は初子さんに、明らかに惚《ほ》れていた。それも原始的な意味での恋だ。
彼女に触れたい。
彼女の温《ぬく》もりを感じたい。
それだけを思っている。それ以上の願望など、彼にはあまりにも過ぎたことであり、想像することもできない。
だが、彼は現状でもそれなりには幸せだった。今までのことを思えば、こうしていつも側に彼女がいてくれるだけで、心の中には灯《あか》りがともっているようにな感じがするのだった。
「でも、マイロー……私は時々、考えてしまうことがあるわ」
「なんだい?」
「あなたは人類を守っている……でも人類に、果たしてあなたに守ってもらえるだけの価値があるのかしら、って」
「そんなことはないよ」
「そうかしら? さっきも言ったけど、人類の歴史は、戦争ばかりしてきた歴史でもあるわ。今みたいに人類がひとつにまとまっている時代なんて、過去に例がないのよ。こんなにも争ってばかりか、って歴史を研究しているとうんざりすることがある――しかもそれは、子孫である私たちの、現在の苦境には何の役にも立たないのだから――」
「でも、人類にはいいところもあるだろう?」
「たとえば?」
「たとえばその――」
素敵な君がいるじゃないか、という言葉を言いかけて、さすがにマイローは口を閉ざした。照れたわけではない。それを言ってしまって、その後で彼女が嫌悪感を|ち《・》|ら《・》とでも見せたとしたら、自分はそれに耐えられないだろうと思ったのだ。
そんな彼に、初子さんはうなずいてみせる。
「でも、あなたは優しいわね」
「え?」
「この世のどんなことよりも優しい――きっとあなたはそういう人なのよ。人類を救うために、それだけのために生まれてきたんだわ」
「――な、なんかくすぐったいな。でも嬉《うれ》しいよ」
「今の時代はきっと、歴史上でもろくでもない部類に入るんでしょうけど――でも、私は生まれてきて良かったと思う。この時代にはあなたがいたのだから」
「――え、えへへ……参るな」
彼は鎧に覆われた身体をぎいぎいとくねらせる。彼はこういうとき、本当に嬉しいのだった。
……だが、人類はこのような幸福を維持できるだけの余裕は、既《すで》にないのだ。
3.
「――君の最近の行動は、かなり軍上層部で問題にされている。それはわかっているだろう?」
「はい」
「……彼≠フ信頼を勝ち得たのは大きな功績だ。しかしあまり大っぴらに彼≠ニの親密さをアピールしすぎると、君の真意を疑う者が出てきても仕方がないだろう。君は他の人々より高い位置を得たくて彼≠ノ取り入った、と思われている」
「無理のないことですね」
「わかっているなら控えたまえ。君が役立っているのは間違いのないことなのだから。殊更《ことさら》にいらぬ敵を作ることはない」
「人類の守護者は権力者ではないが、それに関連する者は紛《まぎ》れもない権力者となりうる、ということですか? 太古の皇帝は、そのほとんどは世襲制で決定される象徴≠ノ過ぎなくて、実際に権力をふるっていたのはその側近の地位にある者たちだった――というようなものですか?」
「――君にそのつもりはなくとも、周りはそう見るんだ」
「実に人間らしい≠ィ話ですね」
「笑い事ではないのだ――実際に君を罷免《ひめん》すべきだという声も上がっているほどだ。しかしそんなことをすれば彼≠フ反応が恐ろしいので、表沙汰にはなっていないだけだ」
「博士――博士はどうお思いなのですか?」
「彼≠ェ君に極めて個人的な好意を持っているのは確かなようだ。しかしあまりそれを利用しすぎるのは――」
「ああ、ああ――いやいや、そういった甘い話ではありませんよ――マイロー・スタースクレイパー氏の能力についてです。それを考えるとき、おそらくほとんどの人間的感情≠ネど無意味になると思いませんか?」
「…………」
「ほとんどの、私に権力が集まることを恐れながらも、自分自身は彼と親しくなるだけの勇気の出ない将軍閣下たちや普通の人々には考えにくいことも、私たち科学者ならばすぐに気がつくことですよね?」
「――なんの話をしているのだね?」
「もちろん、マイローの正体について、です。博士――まさか考えたことがない、とはおっしゃられますまい?」
「…………」
*
その襲来は、最初はそれほどのものとは思われなかった。
もちろん緊急発進《スクランブル》がかかり、マイローは鉄仮面を脱いで、力場バリアーでできている特製宇宙服に換装すると宇宙戦闘機《ナイトウォッチ》バンスティルヴ≠フ武器として共に出撃した。
マイロー、今回は楽勝っぽいな
ナイトウォッチの操縦士《コア》が感応通信で気軽なことを言ってきた。
「だといいけどね」
マイローは曖昧にうなずいた。
バンスティルヴは迫ってきている一体の敵めがけて先行突撃を試みる。敵に、人類生存領域に侵入される前に撃破してしまおうというつもりだった。
一体だけというのは珍しい。あるいは斥候《せっこう》か何かなのかもしれない。
「威嚇《いかく》すれば逃げ出すんじゃないのか?」
マイローは言ってみた。
いや、そんな甘い相手じゃないぞマイロー。ここは有無を言わせず先手必勝だ
バンスティルヴはさらに加速して、敵に接近した。
向こうから波動撃が撃ち込まれてきたが、盾≠ナあるマイローによって結晶化されて、分解されてしまう。
もらったぞ!
バンスティルヴは相手の懐《ふところ》に飛び込んで、そして矛≠ナあるマイローを相手に押し当てる。
敵はみるみるうちに巨大な結晶となって――と思われた、その瞬間だった。
虚空牙の背中が爆発した。
そして破片が飛び散る――それらはまだ結晶化していない。結晶化の効果が到達する前に、自爆して一瞬先に離れたのである。
な、なにいっ?!
しまったと思ったときにはもう遅い。破片はそれぞれが小型の虚空牙に変形して、そしてバンスティルヴを飛び越えて人類生存領域に突撃していってしまった。
「しまった! はめられた!」
マイローが叫んだ。バンスティルヴはあわてて軌道を変えて来たコースを逆行する。
しかし小さな虚空牙たちは速く、彼らが追いついたそのときには……
「……ああっ!」
地球近隣軌道に浮かぶコロニーに、馬鹿でかい穴が空《あ》いていた。
そのコロニーは……ああ、なんということだ。そのコロニーは軍の中央司令部がある基地で、しかもそこには初子さんがいるはずなのだ。
「――うわあああっ!」
マイローはコロニーにまわとわりついていた虚空牙を始末すると、バンスティルヴから飛び出していた。
ま、待てマイロー!
静止の声も聞かず、彼はコロニーに空いた穴に飛び込んだ。身体についているスイッチを押すと、たちまち彼の身体を例の鉄仮面と鎧が覆って人間世界に対応するための装備に変わる。
もはや内部は激しく破壊されていた。コロニー全体が攻撃の衝撃で大地震に見舞われたような状態になってしまったのだ。
周りは死体だらけだった。生きている者は見当たらない中で、それでもマイローは急いだ。彼女を探すためにコロニー全体を制御できる管制センターに向かった。
すると、初子さんは正にその管制室の制御盤の前に倒れていた。
彼女もまた、コロニーを守ろうとしていたのか……。
「し、しっかりして!」
マイローは鎧に覆われた腕で初子さんを抱き起こした。どうやら衝撃で、ひどく全身を打っているらしい。
「――ああ、マイロー……」
まだ息のあった初子さんは目を開けた。しかしその瞳には力がない。
「だ、大丈夫だ。もうこの区画は密閉したから、空気は漏《も》れていない」
「……来てくれると、思ってた。あなたなら必ず助けに来てくれる、と――」
彼女はぶるぶる震える手で、マイローの腕を掴んだ。
「――制御盤まで、連れていって――お願い」
マイローは彼女の怪我が気になったが、言われた通りに肩を貸してやり、彼女を制御盤の前に座らせてやった。
マイローに支えられながら、初子さんはなにやらスイッチ類を操作した。
それは緊急用の、コロニーの中の大気に生体強化用の細菌ガスを放出する操作だった。細菌と言っても、それは低酸素症や無重力障害、それに創傷《そうしょう》によるダメージなどから人体を保護する働きを持つ薬≠ニしての菌だ。まだコロニーに残っている、数十万人という生存者のところに、この生きた薬が撒《ま》かれたのである。
やがて散布終了≠フサインが表示された。初子さんは大きく息を吐いて、制御盤に突っ伏した。とても苦しそうだ。
「さ、さあもういいよ。君自身の治療をしよう」
マイローは初子さんを抱き起こした。
「ねえ、マイロー……私たち、何のために生まれて来たんだと思う……?」
彼女は弱々しい声で言った。
「そ、そりゃあ生きるためだよ。決まっているだろう? どんなに辛《つら》くても、生き延びるために人間は生まれてくるんじゃないか」
彼は、彼女の弱気な発言にそう答えた。すると彼女はにっこりと笑った。
「マイロー……私、あなたが好きだった。だからずっとつらかった……でも、今そのとき≠ェ遂に来たわ」
彼女の声は震えていた。しかしそれはもう、決して弱々しい響きではなく――決意に満ちた声だった。
「え……?」
マイローが訊《き》き返そうとしたそのとき、彼女の手がすばやく、さっとマイローの身体に伸びて、そしてさっき入れたばかりでまだ剥《む》き出しになっていたスイッチ≠入れた。
それはマイローの鎧を制御するスイッチ。
たちまち鎧は解除されて、マイローの素顔が露《あらわ》になる。
そして彼女はにっこりと笑いながら、素早く、確かな動作で、彼の頬に指を伸ばし、さっ、と触れた。
たちまち彼女は結晶となって固まった。
すると彼女に触れている、大気に充満している細菌もまた結晶化した。結晶化した細菌に触れた細菌も結晶化した。さらにその細菌に触れた細菌も結晶化し――
変化は一瞬で、しかも劇的だった。
「――――!」
マイローは何が起こってしまったのか、悟った。
制御盤のモニターに、コロニーのまだ生きている区域の映像が映っている――それらはことごとく、きらきらと光る結晶粒子の中、すべてが|か《・》|ち《・》|ん《・》と固まっていた。
そして衝撃が続いた。
コロニー全体に、ずうん、という振動が走る。
敵攻撃の直撃か、と思われたが、それにしては妙に振動に安定性がある。モニターにはコロニーの状態が表示されていた。
〈推進剤に点火しました〉
〈コロニーは地球に向けて移動中〉
〈あと三分後に、大気圏内に突入します〉
*
「だから――問題はマイローの正体です、博士」
「……それは、口にするな。あってはならない考え方だ」
「ああ、そうですよね、博士――コロニー中の他の者は絶滅させられたのに、マイローだけが生き残っていて、そしてそのマイローのみが虚空牙を倒せるなんて、そんな偶然が、そんな|都《・》|合《・》|の《・》|い《・》|い《・》|話《・》があるわけがない――」
「……確率的には考えにくいのは確かだ」
「それに、もっと辻褄《つじつま》の合う可能性もありますしね」
「…………」
「それは彼もまた虚空牙である≠ニいうことです」
「…………」
「少なくとも、生まれたての赤ん坊に、虚空牙が|な《・》|に《・》|か《・》をしたという方が、彼のことを説明しやすい――彼は自覚していませんが」
「……だが、その考え方は、軍にも人々にも納得しにくいだろう」
「そうですよね。なにしろ虚空牙は、襲ってくる自分たちを迎撃する手段をわざわざ相手にくれてやっていることになるんですから……何のためにそんなことをするのか、これは人間側には考えにくい――踏みにじられ、生存条件ぎりぎりまで追い込まれている私たちにとっては――この虚空牙の遊び≠ヘ」
「…………」
「そう、遊んでいるとしか思えない――向こうから見ると、人類など取るに足らぬ、どうでもいいような存在なんでしょう。だから、ハンディキャップを許してくれたわけです」
「……しかし、その考え方を認めることは、もはや人類にはなんの救いもないということにならないか? それでも君は、その……平気なのかね?」
「私は、人類になんの救いもないとは思っていません」
「……? し、しかし君は今」
「私はあくまでも、マイロー・スタースクレイパー氏は人類の守護者だと信じています。たとえ彼が虚空牙だろうとなかろうと、そんなことは問題ではない――彼の能力は人類を救うためにある。そしてそれは必ずしも虚空牙と戦うためだけではない」
「なんだと? それはどういう意味だ?」
「彼の力――生命を結晶化してしまう能力はしかし、その生命を殺すのでしょうか? もしかすると、結晶になってもその生命≠ヘ保管されているかも知れない」
「……?! き、君は何が言いたいのかね、ま、まさか――」
「そうです。だとすれば彼は、人類を破壊不可能な状態に保存してくれる――そういう存在なのではないでしょうか?」
「――それを立証する観測はされていない! 第一、結晶化した生命がいつか目覚める≠ネどという保証はどこにもないんだぞ!」
「そんなことは知っています。そして人類にそれを検証する余裕がないことも、また知っている――」
「――う、うう……」
「しかし、はたして彼がそういうことをしてくれるかどうか、それは私たちにはわからない。そのぎりぎりのところで彼が何を選択するのか……それは賭けです」
「――き、君は……何を企《たくら》んでいるんだ?」
訊かれて、彼女はここで、妙に晴れやかな笑顔を浮かべた。
「そのときが来たら、私の、ずっとしたかったことを、するつもりです」
*
「…………」
マイローは、彼に手を差し伸べたままの姿勢で固まっている初子さんを見つめた。
落下するコロニーで今、生きて動いているのは彼だけだ。
「…………」
彼は、彼女は自分を利用していたのか、と思った。
だがその問いに意味がないこともまた、知っていた。
コロニー中にロケット推進の|ず《・》|ず《・》|ん《・》という振動が走っている。
彼は何のために生まれてきたのか、彼女は実に明確に言っていた。
人類を守るため。
そして、彼女にとってはきっと、彼のその仕事はもう完了したということなのだろう。世界を一つまるまるパッケージングすることが彼の目的だったのだから。
「…………」
彼はぼんやりと、結晶化した彼女を見つめている。
その顔はとても満足げだ。
だが、それを見る彼の方は、取り残されてぼんやりとするだけだ。
「…………」
振動に、さらに小刻みでびりびりくる衝撃が加わる。
コロニーの先端が地球大気圏に接触したのだ。
宇宙に造られた大地が、さらに巨大な地面に向けて墜落を開始したのである。
*
そう、地上に落下して、それでも破壊されなかった結晶体が――いったいどれだけの時が流れたのか知る術《すべ》はないが――それが解放されて、その人々が始祖《しそ》となり、今日の世界の、この文明が著しく後退した世界ができたのだ――という、これはそういうお伽噺《とぎばなし》だったのだ。各地に残っている伝承のいくつかはこの物語と似たようなエピソードを伝えている。
もちろん、この神話≠ェ本当かどうかなど今の我々には確かめる術はない。
地上に閉じ込められた我々にはもはや虚空牙の襲来はないが、現在の我々は、人間同士が枢機《すうき》軍と奇蹟軍に分かれての戦争を、果ても見えずに何千年もの間延々と続けているのだから。
虚空牙の猛威から逃れた後で人類が如何に立ち直ったかという経緯は、もはや遠い遠い伝承に過ぎない。二大勢力に争いが収束する前に、各地の権力者たちがそれぞれに好き勝手な神話≠無数に乱造した結果、もはや真実などどこにもないからだ。
しかし――もしもこのマイロー・スタースクレイパーの伝説が真実の欠片《かけら》でも伝えているならば、彼こそが人類史上で初めて公に確認された奇蹟使いであり、そして――人間同士の戦争を続けている我々は未《いま》だに虚空牙の、気まぐれな遊びの中に生かされているに過ぎないのかも知れない。
そして、もしかすると彼≠烽ワた、いまだに――
*
――な、なんだ?!
マイローに離れられてしまい、最大の武器を失いながらも小型の虚空牙相手に善戦していたバンスティルヴは、コロニーが点火されて地上に落下していくのを見て仰天していた。
な、何が起こったんだ?
中央司令部と、それに属していた宇宙都市が壊滅したのは確かなようだが、何故それが移動を開始して、地球に墜落していくのか?
だが、彼には悩んでいる余裕はない。
中央司令部が壊滅しても、まだこの空域には周辺都市が存在し、そこには生き残っている者たちが多数存在するのだ。彼はそれらを守らなくてはならない。
く、くそっ!
必死で機体を動かし、襲来する敵を攻撃するが、如何に小さいとはいえ数が多い敵に対して、通常兵装のみでは優位に立てない。
虚空牙の一体が、他の宇宙都市めがけて進路を変えた。
――ま、まずい!
バンスティルヴはあわてて自分も追撃し、そしてなんとかそいつに亜空間ブラスターを命中させた――だが、そのために彼の背後が無防備にがら空きになってしまう。
しまった……!
と思ったときにはもう遅く、同時に二体の虚空牙がその死角に滑《すべ》り込んできた。
やられる――と彼が絶望したその瞬間だった。なにかが、
ちかっ、
――と瞬《またた》いたような気配がしたかと思うと、一瞬後にはその二体の敵は、同時に動きを停《と》め、そして――よく知っているあの結晶と化して制御を失いたちまち|あ《・》|さ《・》|っ《・》|て《・》の方向に飛び去ってしまった。
――――
とバンスティルヴが唖然としていると、彼方から感応通信が響いてきた。
「……待たせたな。ご苦労だった」
それはごく自然な響きだった。動揺も何もない
ま、マイロー!
力場フィールドに身を包んだ鉄仮面が、緊急用の推進力を使って、さながら巡航ミサイルのように飛んで来ていたのだ。
ぶ、無事だったのか?――大丈夫か?
この問いかけに、鉄仮面は静かに答えた。
「敵はまだ残っている……そいつらを片づけるのが先だ」
その言葉にはそれ以上の追及を許さない凄《すご》みがあった。それまでの彼に見られたようなどこかおどおどしたところがどこにもなくなっていた。
戦士の気配しか、もはやそこにはない
人類を救うために生まれてきたというのならば、あくまでもそれを貫くこと意外にすることがあるのか? とでも言いたげな調子で。
誰にも触れなかろうが、救済がもはや終わってしまって取り残されようが、それがどうした。
やるしかないのなら、やるまでだ。
鉄仮面にそれ以外の道はない。
そこにはもう、議論の余地はない。
り、了解だマイロー。急ごう
バンスティルヴがマイローを武装ポッドとし再装備すると、宇宙戦闘機《ナイトウォッチ》はふたたび虚空の敵めがけて突撃していった。
"Controversy about Iron Mask" closed.