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十勝平野(下)
上西晴治
目 次
第三部 苦闘篇
第四部 新生篇
上巻目次
第一部 落日篇
第二部 抵抗篇
[#改ページ]
第三部 苦闘篇
1
昆布刈石《こぶかりし》は十勝太《とかちぶと》と厚内《あつない》のほぼ中間にある。十勝太から厚内への単調な海岸線を辿ってゆくと、陸地が割《さ》けて緑の草地がひろがり、その中を小川が曲りくねって流れている。その小川の縁《へり》に周吉一家のあばら屋はあった。昆布刈石のトンネルを造ったとき工事人夫たちが泊っていた飯場を解体し、母家と厩《うまや》それに物置小屋を造ったものだった。古材なので見ばえはよくなかったが、一家が風雨を凌《しの》ぐには十分だった。
昆布刈石山に連なるポロネシリの山々は原始の大木がしだいに伐り倒され、この頃はそこに炭焼きが入ってきて、山|間《あ》いから一日じゅう炭を焼く煙が立ち昇っていた。
年号も明治から大正に変ってすでに久しい。
早朝の海霧《ガス》を突っ切って、山から駈け下りてきた周吉の大声が辺りに響き渡った。
「清姫が仔を産んだぞぉ――」
妻のサトや子供たちが慌てて戸外に飛び出す。
「親も仔も元気なんだ」
道産子《どさんこ》の金時から跳び下りながら、周吉の声は弾んでいた。
彼は馬市で、ひと目清姫を見たときから、「これは素晴しい肌馬になる」と、持馬三頭を手離して買い取った程だった。ところが、来る年も来る年も、周吉の期待は裏切られ、今年三年目にしてようやく待望の牡馬《ぼば》を産んだのである。
「『白菊』がぴったりだ」
彼は迷わずに命名した。
「なにがぴったりだ」
周吉の母モンスパが横から口を出す。もともと彼女は馬が嫌いだった。昔は神からの贈り物として野にも山にも鹿が走り回り、アイヌの人たちと一緒になって長閑《のどか》に暮らしていた。しかし、和人が入り込んでから、鹿は彼らに撃ち殺され、開拓の野火に追い回され、しだいに少くなっていた。
そのうちに、馬が野山を駈け回るようになり、アイヌまでも隅の方へ押しやられた。だが、モンスパの夫オコシップは勇敢にも和人の馬を殺して肉を食べ、彼らに叩き殺されたのだった。
だから、モンスパは馬には和人の魂が乗り移っているように思われ、今でも心底から憎んでいた。
周吉一家が十勝太から、この辺鄙な昆布刈石に引っ越して来たのは大正四年、長女の春子が生まれた年である。
その年、十勝太は未曾有の大洪水に見舞われた。春先から愚図ついた天候が続き、夏になっても一日として晴れた日はなかった。刷毛《はけ》で掃《は》いたような薄雲が西の空いっぱいに広がり、太陽が厚い暈《かさ》をかぶっていた。やがて降り出した雨は、夜中じゅう降り続き、次の日もその次の日も降り止まなかった。
「今日で四日目だな」
「天が底でも抜けたべか」
モンスパとサトはかわるがわる川岸に立ち、水の溢れ具合に気を配った。
「今日も止まなかったら、峠の上に逃げねばなるめえて」
その日、午後になって急に水嵩を増した十勝川は川岸を噛み砕き、濁流が陸の上まで溢れ出した。
もう考えている余裕はなかった。モンスパは矢継ぎ早にサトを急きたてる。
「屋根からロープを取り出してな、家をアオダモさ、しっかりと縛れ!」
縛り終らぬうちに、
「馬を放せ!」と、叫ぶ。
「倉庫の米類を荷車さ積め!」
サトは眼の見えない周吉の叔母カロナを相手に、背を丸めて跳んで歩いた。
そこに、村木牧場で牧夫をしている周吉が慌《あわ》ただしく峠を駈け下りてくる。
「利別《としべつ》川が氾濫して鉄橋が落ちたというから只事ではねえど!」
彼は金時から跳び下りるのももどかしく、まず、家をアオダモに縛りつけたロープを肩で担ぐようにし、きつく締め直した。その足ですぐ厩に走る。
「さあ、早う早う」
モンスパがサトやカロナを急きたてる。濁流はすでに荷車の輪型を、ひたひたと打ちつけていた。
「おら、ここさ残る」
カロナは柱にしがみついた。
「そんな馬鹿なこと言って、家が流されたらどうすべえ」
モンスパとサトが、いくら言い含めてもどうしても離れようとしない。
いきなり、周吉の平手が飛んだ。彼女の頬は真っ赤に腫れ上がり、見えない両の眼から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「エシリやオコシップが寂しくなるによ」
カロナは一層強く柱にしがみついた。
「なんて強情なんだ!」
周吉たちは草屋を後にして峠の上に作った筵小屋《むしろごや》に向かった。子供のようなカロナの泣き声がいつまでも聞こえていた。
ごーごーと、激しい水音にモンスパたちは峠の仮小屋で目を覚した。
周吉は転がるように山を下だる。だが、川岸の草屋はすでに跡形もなかった。彼はただ呆然と立ちつくした。あのとき引きずってでも連れ出すべきだった。苦い悔いが胸のうちに淀んだ。
「カロナ、カロナ」
泣きながら、彼は大声で叫んだ。
モンスパとサトが川下に向かって走る。
しかし、草屋は岸の柳に引っかかることもなく、厩や家財やその他すべてのものといっしょに、荒れ狂った濁流に呑み込まれたのだった。
カロナの死は、周吉にとって長い間迷っていた問題を決断する糸口になった。
それは昆布刈石の村木牧場で一カ月十円という給金を貰い、放牧馬の見張番をすることだった。親方は池田に住んでいてほとんど牧夫まかせなので、ここで自分の馬も増やし、ひと財産つくって、ゆくゆくは牧場主になりたいと考えたのである。
「なにも他の土地へいかんでも」
モンスパの兄テツナは賛成しなかった。
「モンスパだっていることだし」
ヘンケの息子シテパや、シンホイの息子サロナたちも同じことを考えているようだった。
「オコシップだって、コタンを逃げ出せとは言わなかったど。どうかここから離れないでくろ」
モンスパは額を床にこすりつけ、涙を流して頼んだ。
しかし、年老いた母親の頼みにも周吉の気持ちは動かなかった。ここで情に溺れてしまっては、また、ずるずると後に引き戻される。
和人に対抗するためには、いま思いきって十勝太を離れることが何よりも先決だ。
「おれは泥沼から脱《ぬ》け出すんだ!」
モンスパとサトに、テツナとフミに、そしてシテパや呑ん兵衛のサケムたちに、周吉は大きな声で叫ぶように言った。
2
昆布刈石はその名の通り、海岸に散在するわずかな磯があるだけの寂しい処だった。ポロネシリで炭を焼く煙だけがわずかに人の気配を感じさせた。
家のすぐ前の小高い山の頂上は赤土の禿げ山で、夏は赤い雨が降り、冬は赤い雪が降った。海に面した海岸沿いの山は凹凸の岩だらけで、切り立った断崖や槍のように尖った岩が天に聳え立っていた。
十勝太に向かって西に二里、厚内に向かって東に一里半ほど海岸線を歩かなければ、隣家がなかった。
「人里離れて財産を作る」
これが周吉夫婦の最初の願いだったが、引っ越してきた当時は、烏も泣かず、訪れる人もなく、たまに木炭運搬の馬車が通ったり、浦幌へ通ずるポロネシリの道路拡張工事の土工夫たちが通るくらいであった。
ここには盆も正月も祭りもない。あるのは四季の訪れと馬を育てることだけだった。馬を育て、馬を売る。これが生活のすべてだった。だから周吉は馬のことになると、少しも大儀がらずに遠い隣りの街までもせっせと出かけてゆく。そんなとき寂しがりやのサトは、一睡もせずに一軒家で朝を迎えるのだった。
「丸太ん棒みたいな腕でな、土工夫たちに寝ばなを襲われたらどうすべえ」
サトは友達の多かった十勝太での生活が頭から離れない。昆布刈石に来てから生まれたナミを背負《おぶ》り、春子の手をひいて彼女はよく窓岩の尖端に立った。岩の穴からは遠くの方までよく見える。
「あの岬の向こう側が十勝太で、そのずっと向こうに青く突き出ているのが日高の襟裳《えりも》岬なんだよ」
春子はうんうんと、うなずいて聞いていた。
「十勝太には家がたくさんあって、太い大きな川が流れているんだよ。仲のいい友達がたくさんいるから話もできるし、歌ったり踊ったりすることもできる。川には春子の背丈ほどもある大きな魚がいっぱいいるし、海のように深いから泳ぐことだって出来るんだよ」
遠くを見つめるサトの眼はうるんでいた。
「ここを歩いていけば、いつでも行けるのに」
春子は不思議そうに訊いた。
「そうはゆかねえだよ」と、サトは口をきっと結んだ。
「馬ば増やして金持ちにならなかったら帰らねえと言って来たんだからね。この分だとまだまだ」と言って、サトはかぶりを横に振った。
来る年も来る年もサトは同じことを繰り返した。
「十勝太には家がたくさんあって」と言うと、春子やナミが「太い川が流れているんだよ」と続けた。長男の一郎は話に加わるにはまだ小さすぎた。背中には四人目のトミエを背負《おぶ》っていた。晴れた日は水平線のあたりを通る汽船がはっきり見えることもあった。大きな貨物船は釧路の方に向かっていた。
「釧路の港へ石炭を積みに来たんだよ」と、サトは言った。
船はときどき黒い煙を吐き出した。最近、釧路に太平洋炭鉱ができて、周吉の叔母たちもそこで働いていたので、とっさに思い出したことだった。室蘭には昔から有名な製鉄所があったから、この貨物船は室蘭と釧路を往復する石炭運搬の船に違いないと思った。
「釧路は陸も海もどんなに賑やかだか、行ってみたい」と、春子が言った。
「そりゃあ、もう、夜も電気がぞっくり点《つ》いて、お祭りのようだわ。魚は獲《と》れるし、石炭や木材はあるし、働き口はどこにもあるさ」
サトは釧路や白糠《しらぬか》にいる周吉の叔母たちに聞いた話を子供たちに言って聞かせたが、腹の中では、そうは思っていなかった。世界大戦後は頻繁《ひんぱん》に起こる労働者たちのストライキや「米騒動」のことを、たまに訪れる馬喰たちに聞いていたので、街の生活にも不安がつきまとっていることを知っていた。
「街の人たちだって、水一ぱい飲むにも銭がかかるだもの、ええことばかりはないんだよ」と言って、サトは言葉を濁した。
「子供が学校にあがるまで」
ここに引っ越してくるときの約束だったが、いざ落ち着いてしまうと、そう簡単に引き揚げることもできず、気がついてみると、長女の春子はもう五歳になっていた。
いつの間にか五年の歳月が流れ、馬はさっぱり増えないのに、子供だけは空腹《あきぱら》もなく、とんとん拍子に産まれて、サトは四人の子供の母親になっていた。なにもかも思い通りにはいかなかった。
大雪がきて牝馬《ひんば》全部が流産するといった惨めな年もあり、また、伝染病の流行で大事な肌馬を二頭も死なせた年もあった。
「今年は一頭の売り馬もねえだからな」
サトは年が明けてから麦飯に切り干し大根を混ぜ粥《かゆ》にしてすすらせ、薯《いも》ダンゴに流れコンブを刻んで入れたが、子供たちの空腹を満たすことは出来なかった。
「食べざかりの子供だもの」
穀物がなくなってから、もう十日以上も経っていた。
サトは春が待ち遠しかった。彼女は朝、床の上にもっくり起き上がると、潮の干満を見計って真っすぐ海岸に走った。波は荒かった。磯に砕けた波が頭上に吹き上がってくるのに、サトは勇敢にもコンブめがけて飛び込んでゆく。春子がサトの腰に巻きつけた命綱を持って、渚に立っていた。サトは何度も海に飛び込んでは波に引き戻された。
「こんちきしょう」と言って、彼女は唇を噛んで、ふたたび高い荒波の中に潜って行った。磯に砕けた飛沫は小雨のように春子の方まで飛んできた。
「あれえ」と言って、春子は息がつまった。波が引いてもサトの姿は見えなかった。
「母ちゃ、母ちゃったら」
春子は狂ったように叫びながら、命綱を持ったまま渚を走った。
「引け、引けっ!」
そのとき、後方から走ってきた周吉が、春子の手から命綱をひったくるようにしてもぎ取り、やっきもっきに引いた。命綱の先に昆布を握りしめたサトが波に揉《もま》れながら、ごろんごろんと転がってきた。周吉は彼女を抱き上げ膝株の上にうつ伏せに乗せると、口の中に指を突っこんで水を吐かせた。サトは喉をげくげく鳴らして涎《よだれ》といっしょに潮水を吐いた。吐き終ったサトは大きな溜息をつくと、「ああしんど」と、笑みさえ浮かべている。
「こんな荒海によ、無茶な」と、さすがの周吉も眼を潤ませた。
「これだけあれば三日は食べれる」
サトは採《と》ったコンブを抱きかかえて、いつまでも渚に坐り込んでいた。
雪は融けても、蕗が芽を吹くまでにはまだかなりの間があった。子供たちは目に見えて痩せこけ、はじめに病弱のトミエが倒れ、続いて一郎も倒れた。
「見殺しにするとな」サトが周吉を睨みつける。
厚内の医者が留守だったので、獣医の大塚さんに診てもらった。「栄養失調」と診断された。子供たちは「眼が回る」と言って高熱を出して寝こんだ。
「もう待ちきれねえだよ」と、サトは種薯《たねいも》を保管している外室《そとむろ》に忍び込む。決して手をつけてはならない貴重な種薯だった。白い柔らかな芽がぷつぷつ萌え出し、長いのは十センチも延びていた。
彼女は一つの種薯を四つに切り、そのうち芽の少ない方の三つを食べることにした。
「ほら、うまい上等の薯だど、うんと食べて元気を出せ」とサトは言った。
鉄鍋から湯気が噴煙のように立ち昇っていた。
「薯でねえべか」
外から入ってきた周吉が目を剥き、鉄鍋の蓋を取って中を覗いたが、サトは返事をしなかった。
「種薯に手をつけたとな」
彼は狂ったように叫び立てたが、それでも彼女は黙っていた。
「勝手な真似をしやがって」
口より先に周吉の平手がサトの頬に炸裂し、彼女は一回転すると枯木のように床の上に倒れた。
周吉の見幕に震え上がった子供たちは身をよじり、声をあげて泣いた。そんなことは見向きもせず、周吉はなおもサトの髪をたぶさにとり、部屋中を引きずり回して顔を乱打した。
彼は興奮のあまり、馬のように鼻の穴を膨らませてびいびい鳴らす。サトは部屋の隅に背を丸めて蹲《うずくま》り、いつまでも泣いていた。
「あきれて、ものも言えねえ」と、彼は途切れ途切れに言った。周吉はそのまま荒々しく脚を踏みならして自分の寝床へ潜り込んだ。
ボンボン時計が八時を打った。夜はひっそり静まり返っていた。
「さあ、みんな、これを食べて元気を出すんだ」
サトがやさしく言って、めいめいの小皿に湯気の吹き上がる薯を山に盛った。トミエも一郎も病気を忘れたように布団の上に起き上がり、喉を鳴らして食べるのだった。
3
清姫を手に入れて最初の出産は、黒く淀んだ空気をいっぺんに吹き飛ばした。
「ようやく運が回ってきたど」と言って、周吉は味噌っ歯を向き出して笑った。
海から吹き上げられた海霧《ガス》はゆっくり草原を流れ、エゾユリや丈低い榛《はんのき》を包み込む。
「デデッボッポウ、デデッボッポウ」と、山鳩の声までが湿って聞こえる。そんな中で馬たちは元気に草を食《は》んでいた。
白菊はこの界隈には珍しく、アングロノルマン系を両親にもつ名馬だった。生まれたときから背が高く、幅もあり、足首の囲りも太く、一見ペルショロンとも思われるがっしりした体格を備えていた。しかし、血統が中間種だけに、どことなく敏捷《びんしよう》で品格があり、ペルみたいな鈍重さはどこにも見られない。
多くの仲間たちが寝そべっている時も、尻尾と首をぴんと撥ね上げ、バネのような歩調で草原を駈け回るのである。
「きっと大物になるぞ」
周吉はひそかに思っていた。
彼のいう大物とは、すぐれた種牡馬《しゆぼば》のことである。種牡馬を産出して立派に養育する。これは馬持ち誰もの念願だった。
周吉の家では、この年三匹の仔馬が生まれた。
肌馬五頭のうち、寒《かん》の雨で二頭が流産した。そのうちの一頭は春も間近かになってから|ひら転び《ヽヽヽヽ》(山の斜面から滑り落ちる)で流産した。しかし、周吉は白菊の出産でこの悪い歩止《ぶど》まりさえ、少しも気にならなかった。
三匹の仔馬のうち、牝馬《ひんば》の一頭は肌馬に残し、牡馬《ぼば》二頭を売ることにした。彼は頭の中で終始値踏みをしたが、種牡馬候補の白菊には、つねにペル種あやめ号の三倍の値をつけていた。
「清姫は肌馬三頭を手放してやっと手に入れた宝なんだからな」
清姫の産んだ素晴らしい二世白菊の出現を彼は当然のことと思っていた。
周吉は小柄な金時《きんとき》に跨がり、一日に一度はこの海岸沿いの牧場に出かけた。谷を渡り、小山に登り、草原を越えて湧水の辺《ほと》りにさしかかる。すると、草を食《は》むひと群れの放牧馬が待ち焦がれていたように一斉に頭をもたげ、頭を上下に振って周吉を迎える。それはうす汚い鞄の中の塩と燕麦《えんばく》欲しさの所作なのだ。
放牧馬たちは気が荒かった。周吉になついてはいるが、決して体に触れさせることはない。彼らは餌をひと口食《は》むと、ひらりと身をかわし、遠退いてからゆっくり咀嚼《そしやく》する。
白菊にはいつも二頭分の餌を与えた。
「たくさん食べて、でっかくなれよ」
周吉は満足である。
しかし、彼はしばしば白菊とあやめ号を間違えた。鹿毛《かげ》という毛並はもちろん馬体も似ており、しかも左後足一白の特徴までそっくりなので、傍まで近づかなければ判断がつかない。
「だが、何といっても白菊は体じゅうに後光《ごこう》がさしてるもんな」
白菊は実によく跳び回り、あやめ号はよく食べてすくすくと成長した。やがて年を越し、青草が萌え出るころ、親から独立して明け二歳になった仔馬たちは、肉がひきしまり、体もひと回りもふた回りも大きくなった。
その朝、周吉はいつもの鞄を肩に掛け、爽《さわ》やかな五月の大気を突っ切って金時を駈った。眼下には青い海が広がっていた。磯に砕ける白波が崖の向こうに光り、そのずっと向こうには水平線が青く、くっきり弧を描いている。周吉はこんな美しい海のどこから海霧《ガス》が湧いてくるのか不思議だった。
あと一時間もすれば一寸先も見えない濃霧が辺りをすっぽり包んでしまうだろう。すると、その中で動くもの全てがじめじめした葉裏を這うカタツムリのように、冷たく重苦しい存在になってしまう。周吉の厚いズックの乗馬ズボンに細かい海霧の粒が空気のように隅々まで入り込んできて、ずしりと重く体にこたえた。彼は海霧のくる前に帰らねばと思った。
金時の尻に鞭が強く食い込んで冬の綿毛がぱっと飛び散る。馬はぬかずき虫のように頭を上下に振り、息を切らして山を駈け登り、転げるように谷を下だった。三つ目の小山にさしかかったときだった。周吉は急に手綱を引いて目をしばたたいた。目指す湧水山《わきみずやま》の稜線上に、異常に乱舞する烏の群れを見たのだった。
不吉な予感が頭の中を走る。彼は手綱をしぼったまま、ゆっくり烏の群れに近づいた。鹿毛で左後足一白の特徴が眼に飛び込んできたとき、激しい衝撃に体じゅうが小刻みに震えた。
「白菊!」と、彼はうわ言のように言った。そして、はっきり「白菊」と確認したとき、周吉は死骸に群れる烏を蹴散らして馬から飛び下りた。
「何としたことだ」彼は夢中で白菊の頭を抱き上げる。白菊の体は硬直して冷たかった。ちょっとした凹みに仰向けに寝たまま、腹は太鼓のように膨れ上がっていた。周吉はがっくり膝をついた。彼はいまさら死の原因を詮索《せんさく》しようとは思わなかった。
いつの間にか足早い海霧の塊が崖の上に吹き上げられ、周吉の体をすっぽり包んでしまった。遠くで山鳩が鳴いていた。
彼は海霧に閉じ籠められた狭いひとりだけの世界の中で諦めきれずに、白菊の腹をポンポンと蹴ってみる。烏にほじくられた眼窩や垂れ下がった唇に群がる銀蠅の塊が、蹴るたびにぱっと四方に飛び散った。
「五年越しに巡って来た運だというに」
周吉は失望のどん底に突き落とされた。だが、彼はどうしても諦めきれなかった。虫けら扱いされていた長い間の怨念がしだいに膨らんでくる。
「和人どもを騙《だま》してでも生き延びてやる」と、周吉は自分に言い含める。腕組んで考えていた周吉は、特徴の似ていることを幸いに、白菊とあやめ号を取り替えようと決意した。それにはまず自分の心の整理をしなければならない。
「そうだ」と、彼は自分に言い聞かせるように、強い口調で言った。
「『白菊』はあの通りちゃんと生きてるでねえか。くたばったのは『あやめ号』だ」
周吉は足もとの死体に改めて見入った。「あやめ号」と声に出して言った。元気な「白菊」は湧水山の草原で草を食んでいた。
「ほら、見ろ。達者なもんだべ」
白菊はその声に応えるように、天に向かって嘶《いなな》いた。
彼は鞍につけた掛け縄を取りはずすと、遺体を縛りつけ、それを金時に曳かせて海の見える崖縁に運んだ。新しく生まれた白菊を育てるために、死んだ白菊の亡骸《なきがら》を、すべての欺瞞《ぎまん》といっしょに、永久に消滅させてしまう必要があった。
「こんどは長い寿命を貰ってくんだど」
死骸は二転三転、もんどりうって褐色の山肌に林立するドングイ林を転げていったが、彼はその響きにいつまでも耳を傾けていた。
4
六月に入って海霧《ガス》の層はますます厚くなり、この一帯にどっかり腰を据えた。時に潮風に吹き流されることもあったが、すぐ替わりの海霧が厚い膜を張りめぐらし、陽光を遮《さえぎ》るのだった。
周吉は相変らず厚いズックのズボンにチャンチャンコ(綿入れの袖なし)という恰好で海霧の中に蠢《うごめ》いていた。彼は馬市を目前に、山から下げてきた二歳馬の衣装作りに精を出していた。髪によって目付きが変り、爪の形によって歩調が変る。だから、伸びたものをただ切ったり揃えたりというだけでなく、それには細かい心の配慮が必要だった。彼は髪を梳《す》き、古毛を落とし、何度も爪を切り揃え、長い時間をかけてようやく初姫の衣装を作り上げた。
「まあ、こんなもんだべ」
周吉は満足げに初姫を眺めた。
初姫ははじめ肌馬として残そうと思っていた牝馬だが、白菊の死によって売ることになったのだ。売らねば食い盛りの子四人をかかえた一家の生計が立たない。馬鈴薯と漬物を齧《かじ》り辛抱したとしても、見通しが立たなかった。
だが、小柄な初姫の値は多寡《たか》が知れているので、その期待はやはり首をすげ替えた白菊にかけられていた。だから、初姫の丹念な衣装作りも、本当は白菊への手馴らしに過ぎなかった。根っ株に腰を下ろした周吉の眼は、早くも白菊に注がれていた。
彼は掛け縄をとり、明るい顔で立ち上がった。馬たち親子の一団は広い囲いの牧柵に沿っていっせいに駈け出した。山で産まれ山で育った野生馬は人間に驚き、囲いを逃れようと狂気のように走り回った。牧柵の真ん中に立った彼は掛け縄を振り回し、頓狂な声をたてて狂気を煽った。馬たちは入り乱れ、泥を空中に蹴上げて走った。やがて隊伍を整え一定の速度になったとき、周吉の右手からさっと掛け縄の塊が飛び出して大きな輪を作った。と、白菊の頭が矢のように飛んできて、輪の真ん中に射通された。
白菊は気が荒かった。後足で立ち上がり、前足で空中を叩きつける。立ち上がったり叩きつけたりする度に、綱は深く首にめりこんで、ひーひーと声をたてた。眼を剥き出して泡を吹き、背を丸めて後に踏んばる。この死闘が繰り返され、首がひと握りほどにくびれると、荒馬はふたたび立ち上がってどうっと崩れ落ちる。
白菊は男前だった。周吉は変形した爪先を切り落とし、その先を目の荒い鑢《やすり》で磨《みが》き下ろした。爪の自然の丸みを損ねぬように気を配る。彼は丹念に気がすむまで装蹄に打ち込んだ。
「馬体は申し分ないが、ただ馬鹿みたいに突っ立ってても駄目だど。いいか白菊、大事なのは賢《かしこ》そうにしゃんと立つことと立派な歩き方なんだ。てめえの足には千両箱がくっ付いてんだからな」
彼はなんども足を地につけてみては調整した。爪が終ると次は髪だ。髪の形で馬相が変る。周吉は鎌を振るって前髪、|たてがみ《ヽヽヽヽ》、尻尾と、余分な毛を手際よく削《そ》ぎ落とした。外形を崩さぬようにして中側から外側に向かって鎌を使い、決して刃を滑らすことはなかった。周吉はときどき手を休め、袖を捲くり上げ、乾いた腕で眼にしみてくる油汗を含んだ水滴を拭い取った。
「りっぱなもんだ」
彼はいっしんに鎌を振るい、気がすむまで調髪して、アングロノルマンにふさわしい衣装を作り上げたのだった。
衣装作りを終え、家の中で一服つけていると、馬喰の峯さんがやってきた。
「ひでえ海霧だ」
峯さんは土足のまま炉の中にふぐみ込み、川蟹みたいな節くれた手の甲を暖めた。
「こう、じめじめした日が続いちゃあ、まるで溝《どぶ》ねずみだ。手足はふやけるし、虱《しらみ》の野郎は水ぶくれでごろごろ|でかく《ヽヽヽ》なるし」
峯さんは気難かしそうな周吉の気持ちを少しでも和らげようと、冗談まじりに言う。だが、とっくに彼の心の裡を読んでいる周吉は、ふんふんとそっけなく返事をするばかりだ。
相手の機嫌を充分にとっておいて商談に入る馬喰のやり方を知っている周吉は、その手に乗るもんか、と自分を戒めている。だから、世間話がすんで白菊の下買いを切り出したときも、彼の心の裡は一向に晴れなかった。
「値段と相談でな」
良馬を持っている周吉は強気である。
峯さんは鳥打帽子の中に周吉の片手を引っぱり込み、さっそく値を踏む。節くれた太い親指が二度、固く握りしめられた。ふた握り、つまり二十円ということだ。
「冗談じゃねえ、鮭でもあるめえし、切り身にも出来んべ」
周吉は強い口調になっていた。
「アングロ? 笑わせらあ、アングロにもピンからキリまであんだど」
嘲けたように言って、峯さんは立ち上がった。
「あんまり欲の皮が突っぱると、今にはち切れるど」
「欲の皮? ふん、どっちの話だい」
不機嫌な周吉はそこらのものを蹴とばして歩いた。
馬市のある朝、サトは二時に起き忙《せわ》しく飛び回った。夜が明けるころには周吉を送り出さねばならない。
ストーブは勢いよく燃え、朝食の支度も手のろいサトにしては手際よく出来ていた。周吉が朝食をとっている間に、サトは握り飯を作る。
「どら、買物を読んでみれ」
馬市には買物がつきものである。どこの家も、この日ばかりは思いきった買物をする。一家の竈《かまど》をあずかる主婦にとって、日頃の不自由も辛抱も、この日あればこそ忍び甲斐もあるものだ。しかし、サトの要求が全部そのまま通ることはまず無理で、周吉はその中から幾つかを省いて承認するのがいつものことだった。
味噌五貫目、醤油三升、黒砂糖二斤、酢四合、切り干一貫目――彼女は周吉の顔色を窺いながら読んでゆく。彼はときどき眉を動かし瞼をしばたたくが、それでも口を開かず黙って聞いている。周吉の場合、黙っていることは承認の意味なのである。
サトは次第に勢いづき、誰かに追いかけられてでもいるような忙しい気持ちで、駈け足で読み進んだ。そして周吉もまた駈け足で承認していった。食糧品を読み終えると、彼女はほっと満足げに溜息をついた。
サトはまた、ちょっとの躓《つまず》きもないように十分気を配った。躓《つまず》きは彼の関心を呼び考えさせ、「待った」のかかる危険が多分にあるからだ。しかし、食糧品から雑貨に読み進んで間もなく、「|かばん《ヽヽヽ》だと」と呼び止められ、彼女は身を震わせて立ち止まった。
「風呂敷で悪けりゃ、学校を止《や》めちめえ」
「いまどき、和人《シヤモ》の子供たちはみんな肩から下げるズックの鞄《かばん》だもの。来年、来年って延ばしてきたんだから」
サトは情を押し殺し、静かに哀願するように言った。
「阿呆! 風呂敷だって和人のもんだ」
一度言い出したら後には引かない意固地な周吉である。勝負は簡単に決まった。潤《うる》んだサトの瞳が精いっぱいの力で、膨れ上がってくる次の文字を読み始める。
いちどケチがつくと、神経の昂《たかぶ》りからか、続いて躓きが出て一層周吉を怒らせ、サトを悲しませた。一匹の布団皮が一反になり、春子の靴と引替えにサトの高丈《たかじよう》(地下足袋)が削られた。
サトは打ち萎《しお》れ、諦めきれない顔付きでなおもじっと紙片を見つめる。毎年同じことを繰り返しながら、未だに馴れないサトである。
「おう、何をぐずぐすしやがって!」
周吉の一喝が家じゅうに響き渡る。
それは短気な彼がサトの要求に苛立《いらだ》ち、それを断ち切るための怒声でもあった。
5
東天が白々とするころ、金時を先頭に数珠つなぎにされた馬たちは、白砂を踏み波の穂先を砕いて渚を急いでいた。
周吉は前後に曲木のついた荷鞍の上で、陽気に追分節を歌う。その声が波音といっしょに右手に聳《そび》える岩崖に反響し、ごうごうと天空に渦巻く。
十勝川の河口に出るまで二里の間、家一軒岬一つない単調な渚を、周吉は歌い馬たちはただ黙々と歩き続ける。
「それっ、夜が明けたぞ」
歌に合わせ元気な周吉の鞭がひゅんひゅん唸りを立てる。
あたりの雲を真っ赤に染めて太陽が昇り始めた。彼らは足を早めた。十勝川の河口から丘に登った。野道、山道合わせて三里の道程を踏んで浦幌市街に入るころ、周吉たち一団はすっかり疲れきっていた。
市場は街のはずれにあった。競《せ》りはすでに始まっていて、競《せ》り場の方からときどき観衆の拍手や歓声が湧き起こった。馬から跳び下りると、彼は棒になった足を二つ三つぽんぽんと叩き、ちょっと屈伸して、それから受付に行った。もうみんな終ったようで、係の人が二人、退屈そうに頬杖をついて何かを話していた。
「番号札をけれ」
係員は大声にびっくりして正座した。
「おれの番号札だ」
二人は顔を見合わせて、「おっさんはどこだい」と訊ねた。周吉は去年も同じ質問をされたことを思い出した。係員は木札を帳面と念入りに照合してから周吉に渡した。
「六十番は白菊、六十一番が初姫、間違いなく付けてよ。それから、いま四十五、六番だから大分|間《ま》があるよ」
間があると聞いて、周吉は安心した。彼はその番号札を馬の首に下げ、付近から藁《わら》しべを拾ってきて、汚れた馬たちの毛並を丁寧《ていねい》に拭《ふ》いた。
競り場の方からときどき拍手と歓声が起こって、周吉の心はしだいに昂《たかぶ》り、いつの間にか観衆の中に紛れ込んでいた。
彼は観衆をかき分けて前へ前へ進んだが、勢い余ってみんなの前に飛び出して四つん這いになった。
「こけ!」
周吉は起き上がりざま拳《こぶし》を振り上げたが、そのとき誰かが「この馬は安いぞ」と叫んだので、どっと笑いが起こった。彼は振り上げた拳のやり場に困り、尻ごんで人垣の中に潜り込んでしまった。
こんな余興の間にも競り馬はつぎつぎに引き出されて値をつけられていった。
「お台二十三円」と、競り師の声がかかった。お台とは基《もと》になる値のことだが、この台値によって大体の相場が決まってしまうのだから、競り師は相当目の効く者でなければ務まらない。お台が狂うと場内が混乱し、無駄に時間を空費して一向に進展しないのである。馬喰たちはこのお台をもとにして競り合いを続ける。ぐんぐん値の上がるときもあるが、ひと処に足踏みして全く値が動かず、しまいに馬主が呼び値より高値をつけて引き取ることもある。周吉は競り具合と場内の活気から、今年は相当値がよいと判断した。
競りは順調に進んだ。周吉が控えの牧柵に馬を入れ、立たせたり歩かせたり走らせたりして予行演習をしている処へ、役場の雇い牧夫が走ってきて出番を知らせた。
「さあ、行くど」
周吉は白菊の頬を軽く叩き、力に満ちた足どりで曳いて行ったが、黒山の人だかりに驚いた馬は競り場に入るなり、鼻を鳴らして後退《あとず》さったかと思うと、急に立ち上がって観衆をのけぞらせた。
「だあ、だあ、だあ」
彼はこんなことになるのを予め予想していたので、少しも慌てず精一杯の力で手綱を引き締め、狂気を制して四本足をきちんと揃えてみせた。
「うまいぞおー」と、誰かが叫んだ。勘《かん》の昂《たかぶ》りから高々と振り揚げた首筋と尻尾、それに眼の大きな見開きは、馬喰たちの関心を呼ぶのに十分な姿勢だった。
「お台三十円」
静まった観衆から溜息のような声が洩れた。周吉とてこの意外に高いお台が実感として頭の中に入ってこなかったが、しかし、三十に、二、三、四、と、馬喰たちの激しい競り合いを聞いているうちに、周吉はすっかり自信がついてしまった。歩き出して一周もしないうちにお台が四十円になり、四十五円になった。四十五円と叫んだその声の調子に、内地馬喰の訛りがあった。
周吉は勇み立ち、跳ねるような恰好で土を踏んだ。このまま観衆の前を一日でも二日でも歩いていたい気持ちだった。そして、その高値を胸いっぱいに味わっていた。
「四十八円、なあいか、ないか」
競り師は高い台の上で呼びかける。しかし、声の途切れに周吉は「これまで」と観念した。が、そのとき、「五十円」と、突然の大声に周吉は吃驚《びつくり》して振り向いた。いつか馬の下買いに来た峯さんが、片目をつむって肩をすくめた。周吉はむっとした。
「あんな貧乏馬喰に買えるもんけえ」と思った。しかし、峯さんのひと声に押し出された競り声は「三円」「五円」と、いっとき声が乱れとんで観衆を騒がせた。どんどん競り上がって、振り出し三十円の値が六十円にもなって、石狩馬喰に買い取られたのだった。
彼はこんな面白い馬市を今まで経験したことがなかった。いつの年も彼の考えた値段よりずっと下回るのが常である。だから馬喰たちのひと声は神の福音だった。「もうひと声」「もうひと声」と祈りながら、それでも結果はいつも同じだった。そのひと声がどこからも起こらないときは、暗い気持ちで引き下がらねばならない。短気を起こして自分が引き取ってみても、生計の埒《らち》があくでなし、どんな安値でも手放すより方法がないのである。
だが、今年の周吉は芯から元気に満ち満ちていた。初姫の安値は覚悟の上で、別に気にもならなかったし、財布には常馬三、四頭分の大金がぎっしり詰まっている。どこへ行っても今日の最高値を騒ぎ立てられ、一面識もない者にまで声をかけられた。
ずしりと重い財布が胴巻きの中に納まったとき、彼はようやく我に返り、「ざまあ見ろ」と天に向かって嘯《うそぶ》いた。
「血統がどうした。アラブが何だ、ペルが何だと。この俺のことだって、アイヌだと見破るものが何人いるって言うんだ。笑わせらあ、嘘をついてでも、ごまかしてでも、和人の中で堂々と生き抜いて見せるべえ」
彼は屋台で焼酎の|もっきり《ヽヽヽヽ》をひっかけ、いい機嫌で街へ出た。呉服屋の赤い幟《のぼり》や大小さまざまな看板が目に飛び込んでくる。金時が自動車に怯えて道路の端に身をかわすと、周吉は大喝し、手綱を振り上げる。
「たわけ、何がおっかねえもんだ」
いま、彼にとって恐ろしいものは何もなかった。
「借金はどの位だ」
雑貨屋の店先でも、いつもとは違い大声で問いかけ、手の切れるような札で支払う。
「大した馬をつくったもんだね」
旅来《たびこらい》から出てきた久作だった。彼は帰俗アイヌ、オニシャインの孫で村木牧場でいっしょに働いた仲だったが、その後旅来に帰って牧畜をしていた。
「和人の目ばごまかしてでも儲けてやるべえ」
周吉は肩を張って答えたが、久作には何のことだか分らない様子だった。
「昔から和人どもに騙された分を取り返してやるべえって言ってるんだ」
二人は大声を出して笑ったが、久作にはまだその意味が理解できないようだった。
すっかり陽気になった周吉は夕暮れの街をぶらぶらと歩いた。ときどき胴巻の財布をさわってみては、ひとりほくそ笑む。あやめ号を「白菊」にすり替えたことへの自責の念はいささかもなかった。あるのはただ最高値で売れ、そして大金を手にした喜びだけである。
「今夜はゆっくり女の娘《こ》でも抱いて、いい夢でも見んだな」
馬車追いの佐吉が周吉に声をかけ、両手で空気を抱きながら、浮かれた足どりで通り過ぎた。
「馬鹿こけ!」
周吉は呟やいた。貧困の苦しさが骨の髄まで沁み込んでいる彼には、女と交す甘い夢どころではない。いま借金から解放されたとはいえ、家にはいつでも借金の泥沼へ引きずり込む底なし口がいくつも待っているのだ。
「ごくつぶしども」
果たして残余の金子《きんす》で借金もせずに、来年の馬市まで食いつないでゆくことが出来るかどうか。それでも例年にない華やかな凱旋気分だった。
荷鞍には買物の衣食品が山と積まれ、その溢れた荷物の下に小柄な金時の頭と足だけが、バネのように弾んでいる。すれ違う人々は仰山な荷物の化け物を見てあきれ顔に振り返る。その傍を彼は大手を振って堂々と歩いた。そして街のはずれまで来ると、金時の首をよじ登って荷物の頂上に座を占めた。
初夏の涼風が頬に快い。道の両側には玉蜀黍《とうもろこし》畑がどこまでも続き、みずみずしい穂先がさらさらと波うっている。貨物列車が白い煙を夕焼け空に残して、広い畑の向こうを勢いよく突っ走って行った。
「それっ」と、周吉は馬に鞭をくれた。このひと声ひと鞭は野越え山越え、長い長い道程を踏破せねばならない自分に対する呼びかけであり、金時に対する強い激励であった。馬は狭い田舎道を黙々と歩き、周吉は広い空に向かって大声で歌いながら夕闇の中に消えていった。
6
馬市が終ると間もなく夏がくる。海霧《ガス》の間から太陽がギラギラ輝き、蝉が一日じゅう鳴き続けていた。
毎日、周吉は金時に跨がって山の中を駈け回る。すると彼の眼に、崖の下に眠る白菊と、高値で売れていった白菊とがうるさく交錯する。しかし、そのたびに彼はガッと唾を吐き捨て口を拭った。
「もう白菊なんかにかかずらわってる暇はねえだよ」
口を一文字に結んだ周吉は自分自身に言い聞かせるように言った。
夏の間にやらねばならぬ仕事が山ほどあった。彼は山を一巡すると、その足で畑仕事をしているサトに声をかける。
「大根|蒔《ま》きより秣《まぐさ》刈りが先だ。海霧の合い間に縞草《しまぐさ》を刈れ」
海霧の晴れるのを待って二人は、家の近くから刈り始める。雑草は山の麓まで続いていた。
柄の短い鎌を軽く振り回しながら、ザクザクザクと調子をつけて刈ってゆく。小さく束ねた草の束を五つ集めて先を縛り、五本の足を広げて立てる。五束を一縞《ひとしま》といい、刈り跡には何百縞もの草の束が出来上がるのだった。
「まるで人が立ってるみたいだ」と、春子が言った。
刈り方も束ね方も周吉とサトとでは違っていた。サトは一束ずつ作ったが、周吉はひと息に沢山刈り、それを後から五つに分けて束ねてゆく。子供たちは小川から鎌の磨《と》ぎ水を汲んできたり、草束を運んだりして手伝った。
一日に三百の縞草ができた。好天が続いたので、ほぼ一週間で乾し上がった。
「ええ草だ」
草の匂いを嗅ぎながら、周吉は何度も口に出して言った。雨に当てずに仕上げたかった。彼は雲の流れを見ながら草を刈る。雲は西から湧き上がって海の方に消えてゆく。まだまだ天気が続きそうだったが、太陽にうすい暈《かさ》がかかったとき、
「積草《にお》に乗れ」と、サトに命じた。
周吉はサトを相手に縞草を高い積草に積み上げる。二人とも土埃で顔が真っ黒だった。
「いつ大雪がきても大丈夫だ」
その黒い顔をほころばせて周吉は言う。
大きな円錐形の積草が山の麓の方まで五つも立ち並んでいた。
うだるような暑さが続くと、馬たちは蚊や虻《あぶ》から逃れて涼しい海岸に下りてくる。
「知らねえ馬ばかりだ」
山から下りてくる馬の群れを眺めてサトが言った。馬は農家から来た預《あずか》り馬だった。周吉は昆布刈石に越してきてから間もなく、預り馬をしていた。馬耕が終ってから雪がくるまでの間、遊んでいる馬を預かるのである。それが年ごとに増えて、このごろは五十頭にもなっていた。遠く豊頃《とよころ》や十弗《とおふつ》からも預けにきた。預り料は月二円だった。
「米、一升分だ」
周吉は満足だった。料金は畑の収穫が終る年末でなければ入らないが、山に遊ばせておくだけで銭《ぜに》になる馬がありがたかった。
農家の主人が馬を曳いてくると、周吉は古ぼけた一冊のノートを持ち出してきて、鉛筆をなめながら、「牝馬、三歳、鹿毛、流星、後左一白」と、馬の特徴を詳しく書いてゆく。
字が読めない周吉の預り台帳は、字と絵が半々だった。○や△の記号もたくさんあった。しかし、どんなに詳しく書いても成長の早い若馬には始終まごついた。
「これは、おらあの馬でねえだよ」
農家の主人は頑固に頭をふり続ける。
「ほら、首にぐりぐり(巻き毛)があるべ」
周吉はひとつひとつ特徴を言って、最後に決め手を示した。
「親よりでかくなったによ」
馬は嘶《いなな》いて主人に訴えかけたが、彼はまだ信用しきれずに、うさんくさい顔のまま曳いて帰った。
周吉は一日百頭の馬を見て回った。牧場主の馬、農家の預り馬、それに自分のところの馬――合わせると百頭にもなったが、周吉の頭の中には、いつも馬たちの居場所がきちんと描かれていた。
常に移動を繰り返す馬もあれば、ひと処に居坐っている馬もあり、その健康状態から性質まで、実によく覚えていた。
「一頭ずつ臭いが違うんだよ」と言って、周吉は笑った。
放牧地はどこまでも広かった。昆布刈石から二里も離れた十勝太の端までである。周吉は昆布刈石付近の牧場と、その地続きのお上《かみ》の飼畜牧場千九百町歩を牧場主たちと共同で借り受けていた。割当ての借用料を支払えば、自分の馬でも預り馬でも自由に放牧することができる。だから馬は次第に増えて、この放牧地には千頭の馬が群れていた。
「山じゅう馬だらけだ」
馬たちが紛れてしまうこともあったので、牧場主たちは自分たちの馬に焼き印を押して目印にした。村木牧場は※[#「∴」の下に「一」]山本牧場は※[#「∧」を横に3個並べたもの]だった。周吉は※[#○に上]の焼き印を浦幌の鍛冶屋で造らせた。
彼は肌馬たちを山から下げてきて、頑丈な枠に入れてロープで縛りつけた。彼は焼き印を炭火で真赤に熱し、それを馬の尻に直角に押し付けた。瞬間、馬たちはぶるんと震え上がる。じゅじゅと黒い煙を吹き上げて、毛が燃え皮膚が焦げた。
「ひどい臭いだ」と言って、周吉は鼻をつまんだ。その傍を※[#○に上]の印をつけた馬たちは蹄《ひずめ》を鳴らして山の方へ逃げてゆく。海岸の方へ走る馬もあった。十二頭目の肌馬に焼き印を押し終えるころ、太陽は山の端にさしかかっていた。
「どこへ逃げようと、もう心配はねえさ」
周吉は榛《はんのき》の根っ株に腰を下ろして落日を見つめていた。
7
「静内山に熊が出たど」
馬に跨がった馬喰の源造が家の前を叫んで通り過ぎた。静内山はポロネシリからさらに少し山奥にあった。
「まだ夏だというによ」
周吉は舌打ちをして山の方を眺めた。熊の出没は珍しくはなかったが、熊を見たことのない他所《よそ》から預った放牧馬が心配だった。馬たちにとって、熊は山の荒くれ者だ。彼らはひと晩に山をいくつも荒らし回ったから、静内山といっても山じゅうが危険だった。
「子供たちを山へやるな」
翌日、周吉は村田銃を背負い、金時に跨がって家を出た。湧水山から崖づたいに進み、大滝の沢から右折して楢山に入った。山は緑濃い夏草でむんむんしていた。楢山からポロネシリの沢に入ると、山の斜面を駈け下りてきた数十頭の馬群が、周吉の眼の前で急停止した。
馬たちは頭を立て、尻尾をぴんと撥ね上げて、鼻をびいびい鳴らした。その尖った眼は熊を見た眼に違いなかった。
「落ち着くんだ」と、周吉は馬たちを制して言った。しかし、馬たちはなおも鼻を鳴らして今来た道をゆっくり引き返そうとする。
「待った!」と言って、彼は金時を駈って馬たちの前に立ちはだかった。そして馬たちの一団をポロネシリの中嶺《なかつね》に追い上げた。ここなら見晴らしがきくと思った。
馬たちは間抜けだった。足の早い馬たちはいったんは逃げおおせるのだが、熊は馬たちが引き返してくることを知っていて、藪の中に待ち伏せ、そこを狙って斃《たお》すのだった。
「同じ手口だ」と言って、周吉は唾を飲んだ。楢山のなだらかな斜面に、背中を鉤に引き裂かれた親馬が斃《たお》されていた。榛林に入ったところにも、もう一つの亡骸があった。
周吉は子供のころから、父オコシップに連れられて熊撃ちに歩いていたから、熊の怖さは誰よりも知っていた。キムンカムイ(山の神)を熊国へ送り届けるには、決して手負い熊にしてはならなかったから、最初の一発が勝負だった。どっちが先に嗅《か》ぎつけるか? 周吉はそれをオコシップに教わった。
「十勝太の炭焼き牧さんとこの馬車馬が厩《うまや》の中で殺《や》られ、その翌日には隣村の静内でも炭焼き小屋が襲われて一家六人が食い殺された」
村田銃を担いだ十勝太の猟師、長浜が口を尖らせて言った。モンスパの兄テツナもいっしょだった。彼らはその熊を追ってきたのだったが、聞きながら周吉は荒熊が今にも飛びかかってくるような気がして体じゅうに熱い血潮が走った。
「いっときの猶予もならない」と思った。山じゅうが危険だった。中嶺《なかつね》に追い上げた馬たちを遮蔽物《しやへいぶつ》のない海岸に追い出すことだと判断した。その中に農家の馬もまじっていた。
彼はその足で中嶺《なかつね》の馬たちをふたたび追い出し、尾根の馬道を通っていっきに山を駈け下りた。小山も谷も跳び越えて雪崩《なだれ》のように下りてきた。
ちょうど農家の主人たちが小川の岸のヤチダモの木の周りに集まって、わいわい騒いでいるところだった。彼らは馬の被害を聞き、自分たちの馬を案じてかけつけてきたのだった。ヤチダモの木にはモンスパが登っていた。
馬を駈けながら周吉はイム(アイヌの老婆がかかりやすい一種の精神病)が始まったなと直感したが、馬を止めるわけにはいかなかった。
「熊はどこだ」と、周吉は馬の上から大声で叫んだ。モンスパはヤチダモの梢から乗り出して、
「ほら、眼ばはだけて、よくよく見な。熊はポロネシリで昼寝をしてるど」
「危い!」と、農家の主人たちは口々に叫んだが、周吉はそれを横目に見て、そのまま馬群を追って海岸の方へ行ってしまった。
「何が危いてば」
こう言って、モンスパはヤチダモの梢にぶら下がった。ヤチダモは弓のようにしなって彼女の体は梢の先でぶらぶら揺れた。揺れながら、
「ホパラタがあるによ」と言った。
「ホパラタだと?」
農家の主人たちが頭を傾けているうちに、モンスパは年寄りとも思われぬ素早さでするするっと木を下りると、
「ほら、見ろ」と言って、突然着物の前をたくし上げた。
「嫌《や》だ」
孫たちは両手で眼を塞いだが、彼女はそんなことには頓着なく、
「男なら豹ほどのものを、女ならば烏ほどのものをさらけ出し……」と言って、着物の裾をばたばたさせ、誇らしげにケラケラ笑った。
「そんで、熊は呪文《まじない》に負けてしまうとな」
農家の竹造が訊いた。
「この呪文《まじない》には荒熊もかなわねえだよ」と、モンスパは得意顔で言う。
「そんなに効目があるのけえ」
竹造は目を丸めて、モンスパに何度もホパラタをさせようとする。
「婆ちゃは病気なんだ」
長男の一郎がモンスパを連れ戻そうとするが、彼女が嫌がるので春子とナミがモンスパを後ろから押した。
「もうイムはやらねえだよ」
モンスパは手を差しのべ、仲好しになりたいと言う。
「イムだって、呪文《まじない》だって、いつ始まるか分らねえもの」
だから「当てにはならない」と言って、春子が手を引っ込める。
「そりゃあ、いつも突然なんだから、わしだって何が起こるか分らねえだよ」
モンスパは帰りたくないと言って、足を棒のように突っ張って後退さった。着物の前がだらしなく二つに割れ、股を剥き出したままどすんと尻もちをついたので、農家の人々がどっと笑った。
「婆ちゃったら」
春子たちはモンスパをその場に置き去りにして逃げてゆく。逃げながら「糞婆あ」と、叫び立てた。
8
荒熊の被害は日毎に増して馬も人も震え上がっていた。昨日十勝太に出没したかと思うと、今日はもう静内に現われて馬を三頭も斃《たお》し、そこから真っすぐ海岸に出て、切り立った断崖を下だり、渚に屯ろしている馬群に襲いかかった。狩人たちは荒熊を追って走り回った。
「人間の血を嗅ぎ回ってるだからな」
周吉はサトに固く言い含め、村田銃を持って家を出た。彼は決して熊の後は追わず、金時を駈ってポロネシリ山に向かった。深い谷を渡るとヤチダモが密生し、丈高い野地蕗《やちぶき》が生えていて、辺りは薄暗かった。
ここは昔から熊の通り道である。阿寒から足寄《あしよろ》、上厚内《かみあつない》、静内《しずない》を通って海岸に抜ける道筋だった。荒熊が乗り込んできたとき、最初に馬を斃したのもここだった。
「きっとここに現われる」と、周吉は信じていた。彼は馬から下り、野地蕗の中に身をひそめて待った。藪蚊《やぶか》や蚋《ぶよ》に攻められて二日を過ごした。
三日目の夕方、雨がしとしと降っていた。風下の蕗の陰に身をひそめていた彼は、突然、蕗を漕いでくる音にとっさに身構えた。蕗の上に頭が出るほどの大熊だった。こっちに向かってのっしのっしと歩いてくる。
周吉は思わず二、三歩後ろに引き退《さが》った。今まで見たこともない大きな熊だった。
「一発で仕留《しと》めるんだ」
耳許でオコシップの声がした。射損じは許されなかった。周吉は喉笛を狙った。
轟音が山にこだまして熊の巨体はどうっと蕗原の中に倒れ落ちた。が次の瞬間、もっくり起き上がると、後足で突っ張るように立ち、真赤な口を開いて襲いかかってきた。だが、周吉は冷静だった。生ぐさい吐息を振り払うようにして、その口の中に二発、三発続けざまに射ち込んだ。
「土産をもらって、おとなしく熊国へ行くんだ」
周吉は足元に転がった熊に向かって言った。
「オコシップが守ってくれたんだよ」
モンスパは周吉の無事がうれしかった。
「ポロネシリの奥の沢で、周吉が射留めたぞおー」
その日のうちに村じゅうに知れ渡った。
「さすがにオコシップの子だ」と、みんなが口々に彼の勇敢な行動を褒め称《たた》えた。
人々を震え上がらせた熊騒ぎも周吉が射留めて無事結末がついたが、モンスパのホパラタは孫たちの胸にいつまでも燻《くすぶ》っていた。
夕食どきだった。
「隠居小屋ば造ってくろ」
ストーブの隅に蹲《うずくま》っていたモンスパが突然口を開いた。
「なんも別にならなくても」
しばらくしてサトが言った。
「もう高齢《とし》だし」
モンスパははだけた胸をぼりぼり掻きながら力なく言う。孫たちは下を向いたまま咳《せき》ひとつせずに呼吸《いき》を殺している。
「そのうち十勝太さ帰るだから」
周吉はこのまま同居を勧めたが、二度目にモンスパが口を開いたとき、「よしきた」と、彼はきっぱり小屋の建造を約束した。
その年の秋、モンスパは小川の岸に建てられた一間四方の草葺き小屋に引っ越した。
「なんぼう、あずましいか(のんびりできるか)」
彼女は囲炉裏の脇に横たわり、灰の中に埋めて焼いた薯やウバユリの根を食べた。久しぶりのトッカリ油の灯火や枯木の焚火もモンスパを喜ばせた。彼女は早朝から起き出して海岸で寄木を拾ったり、山で枯木を集めたりした。焚火の上に掛けた水の入った石油缶が、いつもごぼごぼ沸騰していた。
モンスパは山歩きが日課だった。ブドウやコクワ、それに茸《きのこ》を求めて山に出かける。ポロネシリは彼女の好きな場所だった。彼女はいつもボリボリや兎茸、椎茸を網袋にはち切れるくらい詰め込んでいた。
「ほら、食べえ」
上り框に置いてゆくが、孫たちは振り向きもしない。
「せっかく婆ちゃが採ってきてくれたによ」
サトが子供たちに言い含めても、茸の入った汁椀はいつも食卓に残った。
けれども、そんなことには頓着しないように、モンスパは隠居小屋に入ってから見違えるくらい生き生きとしてきた。この頃はいよいよ健脚になって、ポロネシリからもっと奥の方まで歩き回るようになった。
9
ポロネシリの沢から、身を切るような木枯しが吹き荒れていた。もうじき、うっとうしい長い冬が来る。
「こんな辺鄙なとこでな、麦と薯で辛抱したって暮らし向きは少しもよくならねえ」
毎年、今年こそはと意気込みながら、とうとう十年の歳月が流れていた。春子を先頭につぎつぎに産み落とした八人の子供をかかえ、生活に追い回されるサトは、周吉の顔さえ見るとこぼした。
「なんだと、暮らし向きがよくならねえのは、てめえがのろまのせいなんだ。とっとと飛んで歩け!」
サトは毎朝四時に起き、春子、ナミ、一郎の三人を学校に送り出した。しかし、その下にはまだ五人の子供がひしめいていた。夏は畑仕事に精を出し、冬は薪の始末からボロ繕いまで終日暇なしに立ち働いた。しかし、仕事は途切れなく追いかけてくる。
「泣く子は叺爺《かますじじい》がきて、さらって行くだよ」
サトは子供たちに言い含め、家の北側でボロ筵《むしろ》を集めて冬囲いをし、それが終ると秣《まぐさ》を切った。その間、子供たちは火の気のない家の中でじっと待つのである。だが、夕方寒さがひどくなると、「寒《さぶ》、寒《さぶ》」と、窓から顔を出して母親を呼ぶのだが、サトは火が危いからと言ってストーブは焚《た》かなかった。
その晩、次女のナミが突然熱を出した。
「まるで火のようだわ」
ランプが赤々と点《つ》いていた。サトは一睡もせずひと晩じゅう湿布をしたが、熱は下がらなかった。
「性《たち》の悪い風邪にとり憑かれたんだよ」
心配そうにサトが言った。ナミはうーうー唸りながら、「苦しい、苦しい」と言った。ナミの胸は穂波のように揺れている。口から黒っぽい水を吐き、熱にうかされて訳の分らないうわ言を言った。モンスパが川岸から採ってきた枯れ蓬《よもぎ》で、ナミの体をさすりながら呪文《まじない》を唱える。
「よっぽど悪いようだに、医者さ連れてった方がええでねえべか」
サトが周吉の顔を見ながら言った。しかし、彼はむっつりしたまま返事をしなかった。
湿布をしたり体をさすったりして三日目になったが、ナミの容態はますます悪くなるようだった。モンスパは蓬で悪魔を打ち払いながら呪文を唱え、サトは蓬の葉で煎じ薬をつくって飲ませたが、ナミは血といっしょに吐き出した。
「苦しい、苦しい」という声を夢のように聞いていると、突然喉をかきむしって布団の上に立ち上がった。サトはうろうろして、
「医者へ行くべな、今に楽になっからな」と、ナミの背中をさすりながら言った。
しかし、いつまで待っても周吉は返事をしなかった。春子も一郎も父が憎かった。
「鬼!」と、サトが髪の毛を逆だてて叫んだ。その声に弾かれたように、周吉はようやく腰を上げて馬車の支度を始めたが、ナミはもう力尽《つ》きて唸ることさえ出来ない様子だった。
「ナミ! しっかりせえ」
サトは沈んでゆくナミの襟元をつかんで振り回した。馬車に乗せられたナミに、
「眼ばばっちり開けてな、寝るな、寝るな」と、涙声で同じ言葉を叫び続けた。
春子たちは母の帰りが待ち遠しく、しじゅう戸外に出て厚内の方を眺めた。太陽が頭のてっぺんまで昇ってもう昼に近かった。
「きた、きた」
一郎が先に見つけて叫んだが、帰って来たのは父ひとりだった。春子たちはつまんなそうに眺めていた。
「厚内の医者ではダメだとな、十時の汽車で帯広へ行った」
父は浮かない声で言った。そのまま話は途切れたが、その日から重苦しい嫌な日が続いた。父は山へも行かず、話もせずに炉縁に蹲《うずくま》っていた。帯広から何の音沙汰もなく三日も過ぎたが、四日目の夕方、母が雨の降りしきる中を走るようにしてひょっこり帰ってきた。子供たちは飛び上がって喜んだ。母は家へ入るなり、
「ナミは助かっただよ」と言って、框《かまち》の上に泣き崩れた。春子と一郎も、幼いトヨ子もその上に折り重なった。
「看護婦さんに頼んで帰ってきたによ」と、涙を拭いながら言った。
「ナミは『ジフテリア』というおっかねえ病気だったんだよ。息ができなくて半分死んでるナミの喉を刃物で断ち割ったら膿《うみ》が六尺も吹き上がっただよ」
子供たちは聞きながら目をつむって首を縮めた。サトは息をついで、
「今はそこに管《くだ》を通して呼吸をしてるだが、余病が出なけりゃ大丈夫だそうだよ」
言い終ってサトは肩で大きな呼吸をした。
「ホラ、飲め」
父がサトにお茶をすすめた。子供たちもモンスパもみんな心が弾んでいた。サトは衣類や洗面道具や洗面器を大きな風呂敷に包むと、
「あと四、五日の辛抱だに、いい子にしてるんだよ」と言って、夕飯も食べずに雨の中を戻って行った。
ナミは間もなく退院し喉の傷も直ったが、しかし心の傷はなかなか癒《い》えなかった。彼女は寒いと言って泣き暑いと言って泣いたが、サトはそのたびに傍に寄ってやさしく慰めた。だが、仕事が詰まってくると、そんなわけにはゆかなかった。
「ナミ、わがままを言ってると、またあのおっかねえ悪魔が来《く》っど」
サトは厩の前の雪除けに忙しかった。
10
紅葉の落ちた冬山は寒々としていた。木々の梢がぴんと空を刺して小刻みに震えている。例年、太平洋岸の積雪は少なかったが、今年もどうやら大雪の心配はなさそうだ。
朝から西風が唸りをたてて吹き荒れていた。ぶ厚い外套を着た周吉は金時を駈り、沢づたいに馬群を追っていた。馬たちが寒風に攻めたてられてばらばらになり纏《まとま》りがつかなくなった時には、それを掻き集めたり、草の悪い山にいるときには、肥沃な笹原に追い込んだりする。時には湿地にはまった馬を助けたり、病気の馬を連れ帰ることもあった。
「獣医を呼んで来お!」
サトは雷のようなその声に跳び上がり、「ほい」と返事をしてすぐ駈け出してゆく。厚内市街近くに、この界隈を担当する大塚という獣医がいた。サトはそこまで、息を切らしていっきに走る。高丈《たかじよう》(地下足袋)を履いた彼女の足が駿馬のように跳び上がった。
「旦那さん、助けてくだせえ」
玄関に飛び込むなり、両手を合わせて哀願する。獣医を呼びに走るのは、これが初めてではなかった。冬のひら転び(急斜面を転がっての骨折)や春先の流産。それに伝染性の馬蠅病や貧血病など、悪い病気がつぎつぎに流行した。その度にサトは獣医を迎えに走った。
だが、このごろは死んでゆく馬より産まれてくる馬の方が多かった。昆布刈石に越してきた当時はなかなか増えなかった馬が、十頭を越えてからは、仔が仔を産んで少しずつだが、確かに馬は増えていた。
「ここでけっぱらねば」と、周吉は力強く言った。
この年の正月に、はじめて注連縄《しめなわ》を飾り、餅をついた。お膳には昆布巻きや黒豆や大根の膾《なます》、きんぴら牛蒡《ごぼう》などが山盛りに並べられる。子供たち八つの頭がひしめき合って食べていた。
「だが通学が難儀でな、可哀想だに」
サトはこの春、小学校に入るトミエのことが気がかりだった。厚内まで一里半(六キロ)の道程を通わねばならなかった。
「約束の期限はとうに過ぎたによ」
サトは早く十勝太に帰りたいと言った。しかし、周吉は昆布刈石にもうしばらく頑張って、もっと馬を増やし小金《こがね》を貯《た》めて、早く自分の牧場を持ちたいと思っている。
「せっかく勢いづいてきたのによ」
ここで帰ったら何もかも水の泡だと、周吉は最初の目論見《もくろみ》が実現してゆく楽しみを噛みしめるように言った。
長い冬が過ぎ、ふたたび海霧《ガス》の季節がやってきた。小学校一年生のトミエが金時に乗せられて海霧の中を春子たちの先頭に立った。周吉は手綱を振り回して金時を駈りたてた。
体の弱いトミエは新学期が始まってから一カ月も馬に乗って学校に通っていた。朝は夜明けと同時に家を出、帰りは太陽が裏山にさしかかるころに迎えにゆく。それが毎日続くと、「ごくつぶしが」と、周吉の癇癪が起きる。
「ひ弱な子供に向かってな、よくも言えたわ」
サトが髪を逆立てて「悪魔」と叫んだ。
トミエは三カ月経っても、まだ往復三里(十二キロ)の道程を歩き切ることが出来なかった。
厚内近くにオコッペ岬があった。丸い巨大な岩が海に突き出たところだ。そこまでくると、
「もう歩けねえ」と言って、トミエはいつもしゃがみ込んだ。
「しっかりつかまるんだよ」
春子と一郎とナミが代わり番こにトミエを背負《おぶ》って歩く。オコッペ岬をかわして厚内市街に入るころ、トミエは春子の背中ですやすや眠りだす。
「今日は日曜で、学校は休みなんだよ」
学校に着いてもトミエは寝ぼけて、なかなか眼が覚めなかった。
「歩けねえなら、学校さ行かんでええ」
周吉は地をどんと踏んで叫んだ。
「トミエは頭のいい子だに、人並みに学校さ行かせてやりたいわ」
朝早くサトが連れて行くこともあった。
難儀はトミエだけではなかった。往復三里の道程は子供たちには耐えられない苦労だった。それが冬になると、暗いうちに家を出て、厚内を出るときにはもう暗くなっている。
「早く十勝太へ帰らねば」
いつもサトの頭から離れなかった。
11
「一郎、一郎ったら!」
戸口から顔を出してモンスパが呼んだ。家のなかには囲炉裏が燃え、その上に吊り下がっている石油缶の湯がごぼごぼ煮えたぎっていた。
このことはモンスパと一郎の二人だけの秘密だった。
昆布刈石に越してきて、農家の人たちとの接触が多くなってから、モンスパは和人ぶりを真似ようとした。しかし、どんな仮面をかぶろうにも、唇のまわりに色鮮やかに描かれた入れ墨だけは、誰の目にも隠しようがなかった。
しかし、ホパラタで孫たちに無視されるようになってから、その入れ墨を何とか取り除きたい、と彼女は真剣に考えた。毎日毎日夜も昼も考えた。
「この入れ墨を取ってしまいたいだよ」
彼女はそれを一郎に相談した。
「よしきた」
彼は悪者でも退治するような意気込みで、すぐに賛成した。
「このことは絶対誰にも言うなよ」
モンスパは彼の掌に黒砂糖の塊を握らせた。
外で遊んでいた一郎が慌ただしく入ってきた。すでに二人で取り決めた手筈通り、モンスパは素早く炉縁に横たわる。
湯気の吹き上がっているタオルを、彼は指の先でつまむようにして彼女の唇の上に三枚重ねた。
「う、う、う」
モンスパは必死に熱さをこらえる。
湯気が収まると一郎はタオルを石油缶の熱湯に入れ、長い菜箸《さいばし》でザルに取り出し、乾いたタオルで押し絞っては何度も取り替えた。
「もう蒸《ふ》けたかい?」と、一郎が聞いた。
彼女はかすかに頭を横に振る。それで、もう一枚タオルを載せる。湯気が噴火のように立ち昇る。
「もう蒸けたかい?」
もう一度聞いた。彼女はふたたび頭を横に振った。一郎はタオルを握ると、覚悟したように、唇のあたりをごっし、ごっしとこすりつけた。モンスパの顔は押し潰れたように歪んだ。しかし、一郎は脇目もふらず「くそっ、くそっ」と口走りながら、力をこめてこすりつけた。突然、力が抜けたようにタオルが向こう側につるんと滑り落ちた。
「待てよ」と一郎は言って、向こう側に落ちたタオルを拾い上げたが、そのとき彼は擦り剥けた皮膚が唇の横にだらりと垂れ下がっているのを見た。しかも、擦り剥けた皮膚の下には前よりもっと青黒い皮膚が生ま生ましく息づいていた。
「これはひどい」と、一郎はびっくりした。モンスパの口の周りの皮膚が真っ赤に焼け爛れて腫《は》れ上がっている。
「婆ちゃ、大丈夫かい?」
「う、う」と、せつない声で唸ったまま、彼女は力が抜けたように急にぐったりとした。口だけではなく腫れが顔じゅうに広がり眼も塞がっていた。
「婆ちゃ、婆ちゃ」
一郎はモンスパの肩を揺すって大声で叫びたてた。
「何としたこった」
一郎の叫び声にサトが走ってきたが、モンスパはすでに意識を失っているようだった。
「なんで、こんな馬鹿な真似をしたんだ!」
サトの直ぐ後から入ってきた周吉は、言葉より早く一郎に飛びかかって石のような拳骨を浴びせる。
「だって、婆ちゃに頼まれたんだ」と泣きながら、誰よりも一郎が一番びっくりしているようだった。
サトは火傷に効く馬の脂を塗りつけたガーゼをモンスパの顔に当て、包帯を巻きつけた。
しかし、モンスパの意識は戻ることはなかった。
夕方、周吉が厚内から医者を連れ戻ったが、医者は一本の注射も打たず、ただ首を横に振るだけだった。
モンスパの遺体は隠居小屋から母屋の方へ移された。
「こんなことまでして、和人になろうとするなんて」
さっそく駈けつけた息子の金造や洋二は「こんな辺鄙《へんぴ》なとこでな、寂しかったべ」と言って、大粒の涙をぽろぽろこぼし、兄のテツナやその女房のフミは遺体にとりすがって泣き崩れた。テツナは、和人のフミと結婚したために、長い間オコシップとは疎遠になっていたので、いっそう複雑な気持ちだった。
「葬式はアイヌぶりでやってけれってな」
部落長の息子シテパが父親の意見を伝えた。高齢のヘンケも病床にあるという。
女たちはサトを手伝い、枕だんごを作ったり野花や果物を供える。
「無理やりこんなとこさ連れてきてな」
女たちはみな息を殺して泣いた。客の少ない淋しい通夜だった。
翌日、釧路や白糠《しらぬか》からモンスパの身内の者たちが来た。
「悪魔除けの入れ墨だによ、なんで除《と》った? なんで除った?」
釧路に引っ越したカイヨの女房リイミは狂ったように泣き叫んだ。その見幕に一郎はモンスパの離れの方に身を隠した。春子、ナミたちも、はじめて見る口を染めたリイミの狂態を身動きもせずに見つめていた。
男たちは墓標を造ったり、墓穴を掘ったり、力仕事に精を出す。周吉の指示で見晴らしのよい禿山に墓は掘られた。
「ここからなら、十勝太もよく見えるだろう」と、周吉が言った。
春霞のなかを海猫《ごめ》が飛んで、この日もうそ寒い日だった。しかし、遺体はなかなかキナ筵《むしろ》に包まれなかった。
「アイヌぶりはどしたべ」
シテパが口を尖らせたが、周吉はそっぽを向いたまま黙っていた。けだるく重苦しい空気が家じゅうに漂っていた。ボンボン時計が十時を打ったとき、
「十勝太さ行って、キナ筵ば貰ってきてけれ」
周吉がシテパに頼んだ。彼はすぐ馬に跨がり十勝太に走った。
「墓標の頭を○型(女の墓標の印)に削ってあるし、キナ筵に包んで送れば、かならずシンリツモシリ(死の国)に行けるさ」
周吉はみんなに了解を求めるように言った。アイヌの人たちはほっとして息を飲んだ。
「アイヌぶりだによ、よかったな」
サトがモンスパの体をさすりながら言った。
シテパがキナ筵を持って馬を跳び下りると、男たちはさっそく遺体をキナ筵で包み、ニワトコの木で造った串で筵を綴り合わせた。
「春子、墨字で名前を書いてけれ」と、周吉が言った。春子は墓標に「上尾モンスパ、八十五さい、昭和三年五月十日」と書いた。
モンスパの遺体はアイヌぶりを省略して、壁を破らずに正面から出した。女たちは遺体にぶら下がるようにして泣いた。赤土の禿山につくと、
「モンスパは誰よりも十勝太さ帰りたかったんだよ」と言って、サトは声をあげて泣いた。
禿山の丘からは十勝太の海岸も根室の方もよく見えた。この海岸に生まれ育ったアイヌたちは、開拓の足音のする中で、和人の迫害を受けながら細々と生き延びてきた。上尾モンスパもそのひとりだった。だが、その血を受けついだ周吉は、いま和人の中でふたたびその血をたぎらせようとしている。
「踏み潰されて堪るもんか、もうひと息だ」と、彼は洋々と広がる北の海を見つめて強く自分に言い聞かせた。
遺体が墓穴に収まると、「生き抜くためにな、この辺鄙《へんぴ》な地に来るしか方法がなかったんだ。許してけれ」と、周吉が言って涙をぬぐった。
最初のひとスコップは周吉が投げ入れた。続いてサトが、そして子供たちが入れた。こうして赤土が遺体を少しずつ埋めていった。
「婆ちゃが無事成仏できるようにね」と、サトが子供たちに言った。春子もナミも一郎もトミエも土をかけては手を合わせた。
土饅頭が出来上がると、周吉はその上に墓標を建て、
「この丘から、子供たちを見守ってけれ」と言った。大人も子供も声を震わせて泣いた。
春霞が海の彼方に退いて、柔らかい陽光が射してきた。早春の空に旋回していた海猫《ごめ》が急に下りてきて、墓のすぐ上で羽撃いた。
「モンスパが鳥になったんだよ」と、リイミが言った。人々がいっせいに空を見上げる。海猫はいったん上空に舞い上がって旋回していたが、そのまま海岸線を十勝太の方に向かって飛び去った。
12
モンスパが亡くなってちょうど一カ月が経った。裏の茂みで郭公が鳴き、小川のほとりに萱草《かんぞう》が咲いて、春は溢れていた。
周吉は朝早くから馬市に出す二歳馬の整蹄や衣装作りに忙しかった。ちょうどそこへポロネシリ峠の方から馬喰の源造がやってきて、周吉に向かって叫んだ。
「白菊の子種は、どれもこれもみんなペルだったとな」
最高値で売られて行った名馬白菊の血統がおかしい、と言っているのだ。
「白菊がなんだと」
周吉は不機嫌に言って、源造を睨みつけた。
「アングロノルマンのつもりが、ペルショロンだったと言うだよ」
源造は巻き煙草をふかしながら、顎を突き出して続けた。
「ペルと分れば、すぐにも農耕馬に格下げだべ」
言い捨てて通り過ぎてゆく源造を見送りながら、周吉は「くそたれ」と、呟やいたまま息が詰まった。血統が発覚したんだと思うと、周吉は言葉も出なかった。
その晩、彼はみんなが寝静まってから、ひとり炉縁に蹲って頭を抱えていた。夜風がごおっと唸りを立てて吹き過ぎた。
「あれから何年も経ったのに」と、周吉は呻くように言った。白菊の素性はてっきり隠しおおせたものと思っていた。だから、突然ペルと言われて周吉はすっかり狼狽した。ドングイ林の断崖を落ちてゆく白菊が目にちらついた。だが、
「千年の怨みぞ、迷うことはない。どこまでも|しら《ヽヽ》を切るんだ」と、崖の下からオコシップの声がする。周吉はその声を夢の中に聞いた。
源造の吹聴はまたたく間にこの界隈に広まったが、それから間もなく村役場の馬籍係の役人が来て、白菊の素性を根掘り葉掘り訊き糾した。
「石狩畜産組合から問い合わせがあったんだ」と、若い役人が言った。
「ペルをアングロに仕立てる|からくり《ヽヽヽヽ》があったべ」
年輩の役人が目を剥いた。
「何のこったべ」
周吉はそっぽを向いた。
「とぼけやがって」
役人たちは顔を見合わせ、呆きれたように言った。
「仕掛けも、|からくり《ヽヽヽヽ》もあるもんけえ」
周吉は口を尖らせた。
「烏が鵜《う》を産み落とすとな、ふざけんな」
年輩の役人が声を荒げて立ち上がった。
「十勝畜産組合の信用は丸つぶれだ!」
年輩の役人が棒片で周吉の頭をこづいた。そのたびに首が亀みたいに縮んだり伸びたりした。
「どこまでも|しら《ヽヽ》を切る気か」
はじめの一撃は頬面《よこづら》だった。がんときた途端に目眩《めまい》がして前にのめった。彼は|もうろう《ヽヽヽヽ》とした中で、子供のころ、父オコシップが和人に殴打された光景がエレキ(電気)のように散らついた。
雨の降りしきる晩だった。密漁で捕まったオコシップが太い丸太ん棒で頭を砕かれ、足を叩き折られてひっくり返った。彼は血だらけの顔を振り上げ、髪を振り乱して「殺せ、殺せ」と叫んだ。監視員たちはその顔をめがけてとどめの一撃を打ち下ろした。
「くじけてたまるもんか」
周吉は歯をくいしばった。額から鮮血が吹き出した。
サトの周りに群がった子供たちが、奥の障子の陰からじっと息をひそめて見つめていた。
役人たちは「糞アイヌ」と罵しりながら、なおも背中や頭に棒片を打ち下ろしたが、周吉は体をよじって「身におぼえはねえ」と叫び続けた。
役人が帰ってから、何も知らないサトが「白菊はペルだとな、へんなこった」と言った。だが、包帯をぐるぐる巻きつけた周吉は、頭をぶるんと震わせて、「こけ! てめえたちは、平気でアイヌを叩き殺してきたんだからな」と、外に向かって何度も怒鳴った。
翌日、周吉はすっかり心が晴れていた。
「和人との闘いはこれからだ」と思った。和人から受けたかずかずの深傷《ふかで》は、「首のすげ替えぐらいですむもんか」と周吉は強く自分に言い聞かせた。
13
その年、周吉は十頭の二歳馬を連れて浦幌の馬市に乗り込んだ。|しら《ヽヽ》を切り通したとはいえ、やはり白菊のことが心配だった。
彼は金時から跳び下りるなり屈伸運動をして、曲った足をぴんと伸ばし、街の空気を深々と吸い込んだ。競《せ》り場には馬喰や見物人が溢れ、あたりの小径には屋台店が軒を連ねていた。年ごとに売店が増え、街ぜんたいが賑やかだった。飲食店、氷水店、玩具店、果物屋、それにバナナや西瓜の叩き売りや独楽回《こままわ》しの前には人が大勢集まっていた。
天気は快晴で、汽車は白い煙をなびかせて広い畑の中を走ってゆく。向こうから来た酔っぱらいたちが、周吉にぶつかりそうになり、
「アイヌ臭いな」と言いながら、鼻をくんくんさせた。
「なんだと」
周吉は振り向いたが、酔っぱらいたちは露路の方へ逃げて行った。
「十頭の売り馬を持って来たんだからな」
周吉は胸を張り、大手を振って広い道を堂々と歩いた。これだけ売れれば大金が入ると思うと、彼はすっかり気が昂《たかぶ》っていた。
競《せ》り場では鹿毛馬が曳き回されていた。競り師が売り値を呼びかけていたが、値はぐんぐん吊り上がって、周吉が人垣を押し分けて前の方に出るころには、「三十円」と叫んでいた。
競りは途切れなく続いた。貧弱な馬でも二十五円以上の値がついていた。今年も例年より値がいいようだった。
「軍馬が値を吊り上げたようだな」と、石狩の馬喰たちが話し合っている。
「戦争が始まるのけえ」と源造が訊いたが、石狩の馬喰は何も応えなかった。
昼近くになって、ようやく周吉の番が来て、衣装を整えた若駒たちがつぎつぎに曳き出された。彼は初めから足を跳ね上げるように歩いた。最初からお台(基準値)が高かったので、彼は夢心地に競り場をただ一心に歩き回った。
「眼が回るべ」と源造が言ったが、周吉は振り向きもせずに、一頭一頭、値を噛みしめるように歩いた。
周吉の馬は軍馬に六頭も売れた。全部で三百五十円の売り上げだった。彼はその金を懐《ふところ》に入れて街に出た。彼は金時と賑やかな街を練り歩いた。人々も馬車も威勢の好い金時を避けて通った。
「親方」と呼ばれて、周吉は馬を止めた。こう呼ばれるのは初めてだった。村木牧場の親方と山本牧場の親方がいっしょだった。
「大金をふとこってな、一年に一回の祝い酒を飲まんで帰る手はなかべ」
村木牧場の親方が笑いながら誘いかけてきた。
「折り入って、相談したいこともあるし」
山本牧場の親方が真顔で言った。飲む話は馬上で決まった。親方たちの馬は牧夫たちによって馬宿に曳かれて行ったが、金時の手綱は周吉がいつまでも握りしめていた。
料理屋の前にも馬を繋ぐ棒杭はあった。周吉はそれに金時を繋いで、生まれて初めて「はつね」と書いた料理屋の暖簾《のれん》をくぐった。
床の間のついた立派な座敷に通された。見たこともない料理がつぎつぎに運ばれてくる。テーブルの上にはピカピカ光る豪華な食器が盛り上がるように並べられた。
宴会が始まると着飾った女たちが酌をして回る。白粉《おしろい》や口紅をつけ、顔も着物も美しかった。
周吉は勧められるままに燗酒を啜《すす》りながら、「気は許されんぞ」と、自分に言い聞かせていた。兎角、アイヌたちは酔った上での失敗が多い。土地を取り上げられたのも、漁業権を巻き上げられたのも、皆、酒のせいだった。
歌と踊りが入り混って酒宴はしだいに盛り上がっていた。向こうの席ではもう狐拳が始まっている。拳に合わせて三味線が鳴り響き、宴席には笑いの輪が広がってゆく。
「周吉っつぁんを見込んで言うんだけどな」
山本親方が傍に坐り、周吉の耳に口を寄せて言った。
「十勝太にあるお上《かみ》の飼畜牧場な、こんど国有未墾地として民間に払い下げになるんだ。しかし千九百町歩では広すぎて、とても手が届くめえて。そこで周吉っつぁんにも一口乗ってもらうべえと思ってな」
耳よりな話だった。土地が手に入ると聞き、周吉は胸が高鳴った。大昔から自分たちの庭だった土地が、和人の手を離れて戻ってくると言う。これが本当なんだと、彼は思った。
「土地が買えるとな」と、周吉は念を押した。
「そうだとも、四百町歩は買って貰いてえだよ」
山本牧場の親方は相好を崩して言う。
「値段はどれくれえだべ」
「ざっと計算して七千円だな」
周吉には実感のない金額だったが、土地の広さは見当がつく。千九百町歩のほぼ五分の一だが、和人に干渉されない自分だけの土地が欲しかった。
周吉の眼には、もう酒も女も入らなかった。自分のものになるという四百町歩の土地だけが、頭のなかでぐるぐると渦巻いていた。
真夜中に彼は街を後にした。しっとりと下りた夜露のなかを周吉を乗せた金時は一散に走り続ける。
原野を突き抜けると、木陰から梟《ふくろう》や山鳩が急に飛び出してくる。ポロネシリの峠にさしかかり、頂上まであとひと息という処で、周吉は熊の気配を感じた。その途端、金時も立ち止まり、鼻を鳴らして後退さる。
「キムンカムイ、どうかわたしたちを通してくだせえ」
夜の帳《とばり》が剥げ落ちるころ、金時はひひひんと嘶《いなな》いて、ようやく走り出した。
周吉はサトに「土地」の話をするのが待ち遠しかった。
14
「おい、十勝太の土地が手に入るぞ」
周吉は興奮気味にサトに伝えた。
「長い間、辛抱した甲斐があったわ。馬も増えたし、小金も貯まった。あとは一日も早く十勝太さ帰るこった」
サトは昆布刈石で過ごした歳月を頭のなかに思い浮かべた。いつもボロをまとい、毎日毎日、朝早くから夜遅くまで、畑仕事子育てと、周吉に怒鳴られながらも歯をくいしばって耐えてきたのが、やっと芽が出るのだとつくづく思った。
「子供たちだって、学校が近くなってどんなに喜ぶか」
彼女の眼には涙が溢れていた。
だが、七千円という大金を支度するのは容易なことではない。周吉は方々走り回ったが、なかなか思うようにゆかなかった。
彼は思い切ってこの際肌馬を手離すことにした。一括して売る方法もあるが、一頭ずつの方が得策と考え、その方法を取ることにした。
しかし、足もとを見た買い手は叩けるだけ叩こうと、頭を横に振り続ける。
「二歳馬のときでも三十五円はしたんだから」
周吉は一円でも高く売りたいと、池田から帯広の方まで足を伸ばし、初めての馬喰にも馬を見せた。
「もうじき産むだから二頭分だ」
彼は七十円を一円も切りたくなかった。
「流産するかも知れんでな」
十勝馬喰は六十円以上は一円も出せないと言う。一円も切れない馬主と、一円も出せない馬喰とが鳥打帽子のなかで一日じゅう指を掴み合った末、とうとう流れてしまった。
「こけ!」
戸口を出るなり、周吉はガッと唾を吐いた。いくら考えてみても、馬以外に金目のものは何ひとつなかった。子供たちの貯金にも手をつけ、馬を全部処分するとしても、まるまる四千円は足りなかった。
彼はしだいに減ってゆく肌馬を考えると、寒空に一枚ずつ着物を剥ぎ取られてゆく思いだったが、丸裸になっては子供八人を抱えたこれからの生活が狂ってしまう。
「肌馬を五頭は残さんとな」
周吉は唸るように言った。
「それにしても残りの金、四千円の借金とはな」
あまりにも大きな金額にサトは息を詰らせる。
「利子だけでも一年に二百円はかかるな」
周吉は頭をかかえて溜息ばかりついている。
「せっかく手の届くとこまできた土地だによ」
彼はどうしても諦め切れなかった。借金してでも欲しかった。浦幌の富豪、北川商店なら貸してくれるかも知れないと思った。ずっと昔から米も味噌も通帳で買える仲だった。
「ああ、いいとも」
親方はいつでも笑顔で貸してくれた。しかし、額が四千円という大金になると、米や味噌のときのようにはゆかなかった。
「四千円だと?」
親方はしばらく口を噤んでいたが、
「四百町歩の土地全部を担保に入れてもらう」と、冷やかな口調で言った。
そして、最初のときは「保証人を立ててこい」と言われ、二度目には利子の折り合いがつかず、三度目には借用日が決まらず手こずった。
彼は何度も足を運んでようやく札束を握ったとき、「借用証」に印鑑を押しながら、迷惑は決して掛けまいと思った。
周吉はその日のうちに大津役場に走り、払い下げの土地四百町歩の支払いを済ませた。彼は「土地代金の支払書」「土地の登記書」「土地の見取図」など、書類の入ったぶ厚い封筒を持って帰ってきた。
「これで、念願の土地が手に入ったんだ」
周吉は改った声でサトに言った。彼女は字も読めないのに、その書類を一枚ずつ確かめ、「オコシップやモンスパにも見せたかった」と言って、涙を押さえた。
その夜、サトと子供たちが寝しずまってからランプの芯を大きくし、周吉は土地の登記書と図面を食い入るように眺めた。
新川を上流に遡ってゆくと、そこに湿地帯がある。だが、その湿地を通らず左に曲って小高い丘を登る。ここはボリボリ茸の沢山ある処だ。その丘を登りつめ平らなけもの道を真っすぐ進むと、大きな楢の木がかたまって四、五本立っている。
「ここからが俺の土地だ」
夢中になった周吉は思わず大きな声を出した。その声に、サトと春子とが起きてきて一緒に図面に見入る。
そこから奥に入ると間もなく黄肌《シコロ》山がある。黄肌が密生し、山鳥の多い処だ。山鳥は雉の仲間で、低空を少しずつ飛ぶ。狙いをつけて、逃すことは滅多になく、味が鶏の肉に似ていた。
「エシリの好物だった」
サトはエシリを知らない筈なのに、いつもモンスパから話を聞き、何から何までよく知っているのだった。
黄肌山を通り抜けると原始林の大地である。
「だから、楢の大木のある処から大地までが俺の土地だ」
周吉はもう一度大きな声を出した。甲高い大声に、こんどはナミや一郎やトミエまで起きてきた。
「お前たち、こんどこそほんとに十勝太さ帰れるんだよ。今までいちばん難儀だった学校がすぐ眼の前なんだからね」と、サトが浮き浮きして言うと、「うわあっ」と、いっせいに歓声が挙がった。「そしたらここから窓岩くらいだ」と一郎が言い、「トンネルくらいだ」とトミエが言った。子供たちはすっかり浮かれて家の中を走り回った。
この春、学校を卒《で》たばかりの春子は悔《くや》しがり、「つまんない」と言ってそっぽを向いた。
「もう、いっぺん学校へ入ったら」と言って、一郎たちがあんまり騒ぎ立てるものだから、春子はとうとう泣き出してしまった。
先刻から脇目もふらずじっと地図を見つめていた周吉が、あまりの騒がしさに身を震わせて「うるせえ」と叫んだ。しかし、いつもと違って、少しも静かにならなかった。気短かい周吉は立ち上がって春子を殴《なぐ》り、一郎を蹴とばして、ようやく家の中は静まった。
「みんなうれしいんだよ」
サトは涙ぐんでいた。彼女は昆布刈石に来てから、家族でこんな楽しいひとときを過ごすのは初めてだ、としみじみ思うのだった。
翌朝、周吉は飛び起きるなり、「この眼で実際に確かめてくる」と言った。
「山は逃げも隠れもしねえだから」
サトは笑いながら言うが、周吉の耳には届かなかった。
彼は海の見える崖縁の道を通った。細い馬道が崖縁に沿ってどこまでも続いていた。途中、滝があり、海に突き出た岬があった。そこには楢の老樹があってオジロワシが年中住み着いている。子供のころから何十遍となく通った道だ。
海から吹き上げてくる初夏の潮風が気持ちよかった。眼下に十勝川が見えてくると、彼はそこから右に折れて山に入った。ヤチダモの生えている辺りから自分の所有地だった。
彼は馬をゆっくり進めて境界線を確かめた。ところどころに赤いエナメルをべっとり塗ったヤチダモがあった。そこからなだらかな坂を登ってゆくと、海の見える丘に出た。長閑《のどか》な丘だったが、ここは昔から兎や狐の遊び場で、獲物が急に跳び出してきては驚かされ、よく尻もちをついたものだった。ここにも若い白樺が密生していた。彼は初めて眺める景色のように白樺の群生をつくづく見た。あと二十年もすれば直径二十センチの見上げるほどの成木になっているだろうと思った。
丘を越えてしばらく行くと、深い湿地帯に出る。ここで所有地は尽きていた。北限だった。
彼はひとわたり歩いてきて、牧場の広さに満足し安堵の吐息をついた。
「木も草も、ここにいる動物までも自由なんだ」
子供たちに桜の木でスキーを造ってやり、兎の毛で防寒帽を造ってやろうと思った。
「こんどこそ、自分の土地なんだからな」
彼は山を下だりながら呟やいた。一本の木、一匹の魚で咎められたこれまでの生活が恨めしかった。
周吉は新川沿いに下だってきて、その川縁に立ち、遠くから自分の山を眺めた。山はなだらかな丸みを帯びてふっくら膨らんでいた。
「ええ山だ」と思った。
彼は飽きることなく、いつまでも眺めた。水もある。木も草もある豊かな山だった。周吉はこの土地が自分たちの永住の地になるだろうと思った。
15
土地を手に入れるという大仕事をした周吉にはもうひとつ引っ越し前にしなければならない大仕事があった。家族十人が住む母家と家畜十頭を入れる厩の建築である。母家は柾葺《まさぶき》家を浦幌の大工に頼み、厩は草葺家を日雇い人夫に頼んだ。十勝太にはもう手伝ってくれる元気なエガシ(古老)がいなかったので、草葺きの采配をテツナに頼んだ。
浦幌の材木屋から材料の運搬が始まると、周吉は一日に一度は必ず十勝太を訪れ、腕自慢の大工たちに混って、建築の話をしたり材料の吟味をした。
「床の間の柱は瘤付《こぶつ》きがいい」
彼は村木牧場に働いていたとき瘤付きの床柱を見て、つねづねそれが好いと思っていた。
「留真《るしん》山から伐り出した上等のがある」と棟梁《とうりよう》の高橋が受け合ってくれた。柱は上から下まで、表も裏も小さな棘のような瘤がぞっくり付いていた。仏間も神棚も村木牧場のをそのまま真似て造った。
周吉は柾屋根の家に住むのは始めてだった。大工は柾を敷きつめ、小さな柾釘を口いっぱいに頬ばり舌で揃えながら、トントン、トントンと素早く打ちつけてゆく。柾の香が匂ってハイカラな屋根に仕上がった。
家の普請《ふしん》は人数を増やして突貫工事でおこない、一カ月で完成した。
「立派なもんだ」
周吉は新川の川縁に建ったハイカラな我が家を見て感激に体が震えた。早く越してきて、家の周りには松の木も植えたいし、綺麗な花も咲かせたかった。広く張り巡らした牧柵の中を若駒が走り回るのも、そう遠いことではあるまいと思った。
「これからが本当の勝負なんだ、よそ見ばせんと飛んで歩け!」
周吉は顔じゅうを口にし、ドンと地を踏み鳴らしてサトに気合いをかけた。
新しい家の完成後間もなく、家じゅうは引っ越し準備でごった返した。茶箪笥から食器を出したり、押し入れから衣類を出したりして、茶の間も座敷も瀬戸物とボロで盛り上がった。その荷物の山の間を一郎たちは飛んで歩いた。
「いつの間にこんなに溜まったべか」
ボロの山を見て、サトは溜息をついた。履物だけでも土間いっぱいに溢れていた。爪子《つまご》、藁靴《わらぐつ》、下駄、ズック靴、高丈、ケリ――。
周吉は厩に閉じ籠《こも》って、馬具や鞍の始末をしたり、ロープ類、筵、叺《かます》を束ねた。鎌、鍬、スコップ類からプラウ、ハローなど馬耕の大きな器物まで、ひとつひとつを丁寧に整えた。
引っ越し荷物は馬車で四回も運んだのに、まだかなり残った。筵や叺だけでも一台分はあって二、三日かかりそうだったが、太陽がカッと照りつけ、牧草刈りの季節になっていた。
周吉もサトも、朝暗いうちから働きずくめに働いたが、仕事にはとても追いつかなかった。何しろ根にぶらさがった馬鈴薯のように、サトには大勢の子供たちがくっついている。
「としごに双子だもの、身動き出来ねえだよ!」
サトも目を剥いて叫び返す。
しかし、牧草刈りは牧畜を営む者には欠かせない大切な仕事である。それから一週間後、周吉はようやく働き手を一人頼んだ。釧路に引っ越して行ったカイヨの遠縁にあたる二十歳の若者である。
「定雄、和人なんかに負けてならんど、ごりごり働け!」
「あいよっ」
体格のいい定雄は疲れを知らぬもののように、大雨のなかでも合羽を被って黙々と働くのだった。
「盆、暮れの手当てはうんと弾むからな」
周吉は定雄の前に立ち、柄の長い鎌を振り回して、ぶ厚くしなやかな牧草をザブザブザブと刈ってゆく。牧草地は真夏の太陽を浴びて、どこまでも続いていた。
「向こうから誰かが刈ってくる」
定雄が怯えた声を出した。古山農場に働く若い衆だった。
「かまうもんか、早い者勝ちなんだ。気にしないでどんどん刈れ!」
真っ黒い顔を上げて周吉が叫んだ。
牧草刈りは何日も続いた。刈り手は周吉と定雄とサトである。刈り取られた跡には盛り上がった畝ができる。その畝を崩し乾してゆくのは子供たちだった。
「こういうふうに畝をほどいて中に風を入れるんだよ」と、サトが子供たちに草乾し棒を使って見せる。子供たちは畝を一列ずつ受け持ち、サトに教えられた通りに掘っ返してゆく。
刈りたての草は重く、持ち上げると草乾し棒が弓のようにしなる。それを何度も掘っ返しているうちに羽毛のように軽くなり、日照りが続くと乾し草は、たったの三日で仕上がった。
「定雄、土台を広くとってな、少しずつ先を狭めて積んでゆくんだど」
身軽な定雄はいつも積草《にお》に登り、周吉がさしのべるホークから乾し草を受取っては釣鐘の形に積んでいった。
牧草刈りが終ると、辺りはもうすっかり秋だった。蝉の声がキリギリスに変り、爽《さわ》やかな秋風に、真っ青な大根の葉がさやさやとそよいだ。
十勝川の川縁で牛が啼く。川上の方から乳牛たちがぞろぞろ下がってくる。
「アイヌの大根畑ぞ、たっぷり食べて乳を出せ」
菊村農場の牧夫が乳牛の群れを大根畑のなかに追い込んだ。柔らかい大根の葉は、みるみるうちに消えてゆく。
「牛だ! 牛が大根畑で跳ね回ってるど!」
定雄が裸足のまま飛び出す。その声でサトも子供たちも走った。しかし、すでに食べ終った牛たちはゆっくりとひと休みしているところだった。
「和人の仕業に決まってるさ」
大きな排水を二つも越え、しかも畑に張りめぐらした頑丈な鉄線をペンチのようなもので切断している。葉だけではなく根の方までも無惨に食い散らされていた。
「定雄! 証拠に一頭だけつかんでおけ」
逆上したサトは叫んだ。定雄は動作の鈍い婆《ば》っこ牛を捕まえると、柳の木にしっかりと縛りつけ、子供たちから取りあげた竿で手当たり次第に牛の背中を叩きつける。慌てた牛たちは逃げ場を求め、広い畑の中をぶつかり合いながら走り回った。
「こんなことを黙ってるって法はねえさ」
サトは、その足で菊村の家に向かった。
菊村農場は部落の中央に長く伸びた丘陵地の麓にあった。明治の終りころ、内地から来た当時は草葺きの潰れた小屋に住み、一日じゅう土にまみれて開墾していたという。
しかし、密生していた木々は伐り倒され、湿地は深い排水が掘られ、今では見渡す限りの大農場に変っていた。
「お前とこの乳牛がな、おらとこの大根畑さ入ってめちゃめちゃに食い荒したんだ」
サトは家の前に立ち大声を出したが、中からは何の反応もなかった。
「漬物大根が一本残らず食われてしまった。弁償してけれ」
もう一度、サトは大声を出した。
「大根が何だと?」
ようやく窓が開き、老婆のキミが顔を出して訊いた。
「お前んとこの乳牛がな、おらんとこの大根畑さ入ってな、一本残らず食い荒したんだ。だから、弁償してけれって言ってるんだ」
サトはひと言ひと言を噛み砕くように、口を動かした。
「おらとこの乳牛は沢の方だによ、川の方さゆく筈があるもんけえ」
キミはしなびた顔を膨らませて跳ね返したが、
「これが泥棒牛の鼻輪よ、そんでも|しら《ヽヽ》を切る気かえ」と、サトは紐に通した鼻輪を高く振りかざして見せた。
いつの間にか窓は閉《しま》ってキミの顔も見えず、先刻と同じように菊村の家は静かだった。
さすがのサトも諦めて踵を返し、とぼとぼ歩き出した。彼女は和人の多い十勝太でのこれからの生活を考えると、だんだん暗い気持ちになるのだった。
16
朝から唸りを立てて西風が吹き荒れていた。赤や黄色の枯葉が舞い、川柳が弓のようにしなる。強風にあおられ、のろのろと牛が歩いた。
しかし、子供たちはサンナシの木によじ登り、熟れた実で口を真っ赤に染める。彼らは晴れた日はもちろん、風の強い日も雨の降る日も、下校の途中よくこの森で遊んだ。春のころ真っ白い花を咲かせるサンナシが、秋には黒く光る小さな果実で森じゅうを埋めつくすのである。
「海も光って見える」
木のてっぺんからトミエたちが叫ぶ。
「沖を通る汽船も見える」
一郎たちが急に木の枝を激しく揺すった。
「大|時化《しけ》だー。汽船がひっくり返るぞおー」
熟れた実がパラパラと音を立てて地面に落ち、それを拾って末弟の幼い孝二が口髭を描いた。
「入れ墨をしたアイヌ婆が見える」
突然、餓鬼大将の義男が言いながら道路を指さした。
「ほんとだ! 気味が悪い」
子分格のトモも道路を見下ろし、顔色を変えて叫んだ。
しかし、トミエや一郎がいくら探してもアイヌ婆の姿はどこにも見当たらなかった。こんなときトミエたちはたとえ学校が遠くても、のんびりとした昆布刈石を懐かしく思った。
「ひどい風だ」
木陰に入って周吉はホッと息をつく。彼は朝早くから、放牧馬の見回りに出かけていた。
深い谷をいくつも越え、急な坂を駈け上がって白樺山から笹の深い楢山に出た。馬たちは厚い笹原や日当たりのよい山陰に屯ろして元気だった。
「まずは、ひと安心だ」
周吉は馬から下りると、昔を思い出すように辺りを眺める。それから彼は群をなすブドウの房に視線を移した。
「相変らず見事なもんだ」
子供のころ父オコシップに連れられ、この辺りでよく獣《けもの》を追いかけた。しかし、ブドウの房にちょっと手を触れただけで、父の鉄砲に小突かれる。
「そんな暇があったら、兎の一匹でも追うんだ!」
周吉はその頃のことを考えながら、黒々とした艶《つや》のあるブドウの房を、二つのリンゴ箱にびっしり詰めこんだ。正月には家じゅうで美味しいブドウ酒が飲める。彼は重いリンゴ箱を馬の背に取りつけると、鼻唄を歌いながら帰途についた。
「こんな大玉、ブドウ園にだってないてば」
賑やかにリンゴ箱を囲み、サトと子供たちがそれぞれ一房ずつ手に持ち、ブドウの粒をボールの中に入れてゆく。ボールに半分くらい溜まると、サトが焼酎の入った斗瓶《とがめ》の中に入れる。それを周吉が掻き混ぜるように振り回す。
「汁が大事なんだからね」
ブドウから出る汁をこぼさないようにと、子供たちに注意する。たっぷり一時間はかかった。最後にひと振りの糀《こうじ》をばらまいて出来上がりである。
「あとは正月までゆっくり寝かせればええ」
周吉は斗瓶の蓋《ふた》の隙間にローソクの雫を垂らして密封し、それをボロ布で包んで縁の下の土の中に埋めた。
「へたすと蓋が抜けて、床板を突き破ることがあるんだ」
周吉は子供たちを驚かせる。
「子供のころだった。夜中に『ドカン!』と音がしたとき鉄砲が爆発したとばかり思っていたが、朝になってみるとそこらじゅうドブロクが吹き散っていたことがあった」
「おっかねえ」
意気地のないトミエがサトにしがみついた。
「やり方が下手だったんだよ」
一郎は斗瓶を埋めた床の辺りを行ったり来たりして見せた。
17
薯掘りの時期はとうに過ぎたというのに、周吉の家ではそこまで手が届かないでいた。今年の春、まだ昆布刈石にいるときに出面《でめん》まで雇って蒔いた薯畑が、西風に吹かれてひっそりと眠っていた。
「薯は主食なんだからな、凍らしたら、家中干上がってしまうど」
周吉はひっきりなしに怒鳴り散らした。
サトを先頭に、定雄、春子、ナミと、一家総出で朝早くから鍬をふるった。子供たちも学校から帰ってくるなり薯拾いを手伝う。土地が肥沃なので肥料なしでも豊作だった。鍬の先から一尺もある大きな薯がゴロゴロ跳び上がった。
「荷縄をかけたら、背負えるでねえべか」
一郎は化物のような大きな薯を背負って走った。
風は一日じゅう吹き通しても、なお吹き止まなかった。一年生の孝二が薯を入れる石油缶を飛ばされ、|まり《ヽヽ》が転がるように畑の向こう端まで追いかける。
広い薯畑のなかに薯の山が次々に数を増やし、五日かかって薯掘りはやっと完了した。
「どんなに食べたって食べ切れないよ」
見渡す限り、薯の山を眺めながらサトは嬉しそうだった。
翌朝、周吉が山に出かけた後、サトと定雄は馬車を仕立て、越冬用の馬鈴薯を外室《そとむろ》に運んだ。外室は周吉と定雄が三日もかかって造ったもので、大きくて堅牢だった。中壁には土が崩れないように太い丸太ん棒が何本も建てられ、その上に柱を横に並べて重い土を支えた。
「冬じゅうの大事な食糧なんだからな」
周吉は力を込めて言った。
叺いっぱいの薯を馬車の上まで持ち上げるのは、女のサトには大変な仕事だった。それを入口の狭い室《むろ》の中に運ぶのは、なお骨が折れる。
「腰が抜けそうだわ」
彼女は流れ出る油汗を拭うのも我慢し、石のように重い叺を積んだり下ろしたりし続ける。
「八十俵くらい入ったな」
室のなかを覗いて言った。男爵とメークインが暗い室のなかに山のように盛り上がっていた。
「もう、ひと踏んばりだよ」
元気づけようとして定雄は言うが、サトにはもうその気力もなかった。
「こんなことは男の仕事だによ、さあ、早昼にすべえ」
太陽はまだトンケシ山にさしかかったばかりなのに、午前の仕事はこれで終え、早い昼食になった。
「旅来《たびこらい》から来た拓治という者です」
のっそりと、若者が入ってきて頭を下げた。彼は旅来の帰俗アイヌ、オニシャインの孫だった。
「和人にそそのかされずにな、しっかり働いてけれ」
午後はサトに替って、拓治がさっそく薯の運搬を始める。
「ほんに神様の恵みだよ」
サトは容易に腰も立たないくらい疲れていたので、心から有難かった。
拓治もやはり定雄とおなじ二十歳で、寒い日でも足袋も手袋もつけず、辛い仕事も進んでする程の働き者だった。
「ええ若者が二人もいるんだからな、もう大丈夫だ」
このときから、サトは家の仕事に専念することになった。
毎日強風が吹き荒れ、草も木も家もすっかりくたびれ果てていた。定雄と拓治は家の冬囲いを始める。
「気狂い風が吹くだからな、頑丈にするだど」
放牧馬の見回りに出かけるとき、周吉は言いつけた。
最初に、太い材木を使って家の周りに骨組みを作る。そして下の方は萱《かや》を並べて芝木で強く押さえ、上の方は萱を小束にして縄で骨組にきつく締めながら編んでゆく。
「バンとしたもんだ。これならどんな気狂い風だって逃げていくさ」
サトはときどき外へ出て頑丈な冬囲いを見上げ、感心したように言う。
冬囲いが出来てゆくにつれ、風の音は次第に遠退いていった。しかし、窓から見える太平洋の荒波は家や厩を呑み込んでしまいそうに、飛沫を高くあげて岸に押し寄せていた。
18
一日の仕事を終えて、ホッと寛いだ夕方だった。サトは繕いものを手にしたまま、こっくりこっくり舟を漕いでいた。
「サンナシの森が真っ赤だ!」
西側の窓から外を見ていた孝二の妹、キヨ子が大声をあげて泣き出した。
「積草《にお》が燃えてるどおー」
それと同時に、男の叫ぶ声が聞こえ、原野の中を人々が走ってゆく。
「つけ火だ」と誰かが言った。
つけ火だとしたら、菊村かそれとも古山か、もしかしたら村井では、と周吉は走りながら考える。
新川から左に折れ、近道を通って十勝川べりの牧草地に向かって走る。周吉はすっかり気が動転していた。オニガヤが深くて野地《やち》坊主が見えないものだから、蹴躓《けつまず》いてはなんども四つん這いになった。丈の低い榛林《はんのきばやし》をつき抜けて野地萩の中に突っ込んで行った。しなった萩がびしっともろに顔を叩きつけても、彼は瞬《まばた》きひとつしなかった。厚いオニガヤを頭で掻き分け、足もとのいいところを選んで、右に左に鉄砲玉のように走った。
牧草地がすぐ眼の前にきたと思ったとき、蔓草《つるくさ》に躓いて、いきなり宙に投げ出された。ぐうと破れた音がして草藪に突き刺さった。頭がねじれたまま、斜めに空を睨んだ。黒い雲がトンケシ山にかかり、その手前に新しい積草《にお》が火を吹き上げていた。
灰になった積草も新しく燃え出す積草もみんな周吉所有のものだった。積草は火だるまになり、ごうごうと音をたて、体を震わせて燃えていた。初め頭のてっぺんから紫色の火を吹き、回りが燃えて、やがて真赤な火柱が真っすぐ天上に立ち昇った。
積草から跳び出してきたねずみや兎が素早く足もとを走り抜ける。周吉は走りながら燃えた積草をかぞえた。被害は五つにも及んでいた。
「悪魔ども」と、周吉は叫んだ。
しきりに唾を吐き捨てたので、もう唾が涸《か》れてきな臭い息ばかりを吐き出している。彼は走り疲れて十勝川の川縁に立った。
夕凪ぎに映し出された周吉の歪んだ顔は、川の面《おもて》でゆらゆら揺れ動いていた。
十勝太に引っ越してから、まだ半年も経たないのに、つぎつぎに襲いかかってくる迫害にすっかり打ちのめされ、周吉とサトは頭を抱えていた。
ちょうどそのとき入口の戸が開き、「火事見舞いだ」と、焼酎をぶら下げたサケムやタイキたちが入ってきた。
「アイヌを小馬鹿にしている古山の家に乗り込むべえ」と、サケムが言うと、
「アイヌを人間扱いしない前川の家に火を点けてやる」と、タイキも意気まく。
「犯人は複数だな」と、タイキが呟やいた。
「火の手が同時にあがったもんな」
周吉は学校から遅く帰ってきた一郎が、菊村が積草《にお》の辺りをうろついていた、と話していたことを思い出し、犯人の一人に間違いないと思った。
「ここで引っ込んでいると無茶をやってくるんだよ」
サトはイワシの煮付けを大皿に盛りながら、興奮ぎみに言う。一瞬、座が静まったとき、周吉はコップ酒を置くとふらふらっと立ち上がった。
「みんな飲んでてけれ、俺は菊村のとこさ行ってくる」
外は冷え込んでいた。彼は近道を通り、枯草を踏んで大股に歩いた。次第に酔いが醒めてくる頭のなかで、真っ赤な炎を吐き出し、苦しげに燃えていた五つの積草がぐるぐると回っていた。
「なんで燃した?」
野良着姿で戸口に立っている菊村に、周吉はいきなり詰め寄った。
「なんのこったべ」
菊村はとぼけた振りをし、はぐらかそうとする。
「ごまかそうったって、そうはいかんど!」
口よりも早く、周吉は菊村の胸ぐらを掴まえると、その勢いで地べたに捩じ伏せた。
「おめえが火を点けたのを見ていたものがいるんだ!」
襟首を締めつける彼の手に次第に力が入る。
「人殺し――」
鶏のように喉を伸ばして菊村は叫んだ。
あちこちの家から次第に人が集まり、見物人の山が出来た。
「周吉、もう放してやれ」
いつの間に現われたのか、タイキが大きな声で制した。周吉が仕方なく両手を離すと、菊村は大きく息を吐きながら、
「ほんとに俺は知らん!」と、やはり大声で叫んだ。
「子供たちが見てたんだ」
「子供の言うことなんか当てになるもんか」
見物人の中から古山が言うと、「そうだ、そうだ」と、みんなが声を合わせる。
「仕方がない」
周吉はきっぱり言った。
「こうなったら大津の駐在所に訴えるしか方法がなかべ」
部落会長の兵藤が周吉の肩に手をかけ、宥めるように言い出した。
「この部落から縄つきは出したくねえだよ」
彼は、周吉の顔色を窺う。
「そこで相談だが、――これからでは、もう草刈り場もないし、それに冬も近いことだし、何とか弁償金ということで示談にしてくれねえべか」
「現物でなけりゃ大雪でも来たら困るんだ」
周吉は即座に撥ね返す。
「問題を大きくせんと、何とか穏便に頼む」
会長は何度も何度も繰り返し頼んだ。
「しかたなかべ」
周吉は了承した。大雪が来てせっぱつまれば、石狩から米藁を買ってもいいと思った。
「雑音には耳を傾けずに、和人どもを踏み倒してでも、ごりごり行くしかないんだ」
周吉は固く自分に言い聞かせた。
19
日高山脈に何度も雪が降り、地面が一尺も凍《しば》れてとうとう原野にも雪が来た。長い冬の始まりである。
馬たちはふさふさの綿毛に変り、厩の前の放牧地に屯ろして、鼻先で雪の中から短い枯草を探しては食《は》んでいた。
「さあ、腹いっぱい飲め」
定雄が新川から石油缶で汲み揚げてきた水を、丸木舟で作った水溜めにどぶんどぶんと投げ入れる。牛馬たちは水溜めの周りに走るように集まり、鼻をひくひくさせ、うまそうに飲んだ。定雄は川の水を何度も担ぎ上げ、そして拓治は大きな鉄瓶からすこしずつ熱湯を注ぎ入れた。
舎飼いの牛馬は最近買い求めた馬を含めて二十頭もいた。日に三度かかさずに水を飲ませ、秣《まぐさ》を与え、糞尿の処理もしなければならない。こんな生活が冬じゅう続く。それが大雪でも来ようものなら、数十頭の放牧馬がどっと入ってくる。そうなれば大事な秣がどんどん減って、春先には餓死する馬さえ出ることになる。だから空ばかり見上げた。
周吉は朝霧を駈って、馬群を追っていた。乗馬金時は最近めっきり老成《ふけ》こみ、食欲も目に見えて落ちていたので、彼は若いサラブレッド系の朝霧に乗ることが多かった。道産子の金時と違って、スマートで脚力もあったから、牧場主になった彼は朝霧の方が似合いだと思っている。鹿毛の親馬を先頭に、十数頭の馬たちが大滝の沢から日当たりのいい楢山の南側に向かって駈け上がってくる。親馬は仔馬をかばうように身を寄り合わせて走る。
「ここなら、大雪が来ても当分大丈夫だ」
楢山に着くと、彼は朝霧を止め、馬の上でひと息ついた。四囲には雪の塊は一つもなく、青笹がいっぱいに溢れていた。汗だくの馬たちはしばらく休んでからちりぢりに散って行った。
一月二月は雪が少なく無事に過ごしたが、三月に入って水を含んだ|べた雪《ヽヽヽ》がひと晩に三尺も降った。春の雪は馬たちにとって大敵だった。凍れのひどい朝はそれがカリカリに凍って、歯も爪も立たなくなった。笹を求める馬たちは、氷のように堅い雪を掘って掘って前足の蹄から真っ赤な血を流した。
だが、周吉は「がんばってくろよ」と言って、馬たちをなかなか山から下ろさなかった。春がいっそう近づくと、彼は|ひら転び《ヽヽヽヽ》を恐れ、スコップで雪の中から青笹を掘り出した。
「日中なだらかな南斜面に行けば、青笹はいくらでも掘り出せるによ」
周吉は馬たちに言って聞かせた。彼は急斜面には鉄線を張り巡らして馬を近づけさせなかった。はらはらする日が幾日も続いた。
南風《ひかだ》が吹いて暖気だった。足もとが滑るので周吉は手綱を引いて馬を駈った。楢山にさしかかると、彼はいっそう手綱をしめて朝霧をゆっくり進めた。仔馬の嘶く声が聞こえた。いやな予感がして周吉は立ち止まった。楢山の急斜面の崖縁を、仔馬が飛ぶように走っているのが見えた。
周吉は朝霧を仔馬に近づけたが、仔馬は振り向きもせず、天に向かって嘶きながら右に左に狂ったように走り回った。それは肌馬藤姫の仔萩姫だった。周吉は馬から下りて崖縁に立った。そこには土を引っ掻いて滑り落ちた跡がなまなましく残っていた。
周吉は樹につかまって、二、三間下りてから谷底を覗いた。堆く積もった雪の上に両足を上に向けて滑落していった藤姫の痛々しい脾腹《ひばら》がのぞき、そこに烏が羽撃いていた。
「たわけ!」
周吉はがっと唾を吐いた。張り巡らした鉄線をかいくぐって落ちて行った藤姫に腹が立った。
「全く性なしだあ」
彼は呆れ返って口をあんぐり開け、崖縁にどさりと腰を落とした。
太陽がトンケシ山の真上にさしかかっていた。解けた雪がざざっと音をたてて谷底へ落ちてゆくと、烏が驚いて飛び上がった。
「ひどい暖気だもんな」
谷底から上がってきたタイキが言った。
「村木牧場と山本牧場と――。今朝からこれで三頭目だ」と、仲間のサロナが言った。
|ひら転び《ヽヽヽヽ》の時期になると、毎年タイキたちが四、五人の集団をつくって山を歩き回った。多い年には二十頭以上の収穫があった。彼らは持って帰った馬肉を大鍋で茹《ゆ》で、これを軒場にぶら下げて乾燥させ、春から夏の食用として珍重した。
「烏や狐に食い散らされるより、なんぼええべか」
タイキは周吉の顔を覗き込むように言った。
「ああ」と周吉は浮かない声で応えた。十勝太に越して来てから、これが最初の被害だった。
その年の春、愛馬「金時」が老衰で死んだ。周吉は厩の前の放牧地の沼のほとりに穴を掘って埋葬し、大津から神主を呼んで、土饅頭の上に建てた太い柱に「馬頭観世音菩薩」と書いてもらった。
「『金時』や『藤姫』に財産を作って貰ったんだからな」
粗末にしては罰が当たると周吉は言った。彼は手を合わせて拝みながら、「許してけれ」と両親に許しを乞うた。あれほど嫌っていた馬を育てている自分の業《なりわい》が後ろめたかったのだ。だが、和人社会の中でアイヌが生き延びて行くには、農業か牧畜を営むしか方法がなかった。山にはもう鹿も熊もいなくなり、コタンを守る梟《ふくろう》さえ減ってしまっていた。
「頼るのは馬しかねえだよ」と、呟やくように言った。
明治以来、馬は開拓の担い手だった。土を耕やすのも物を運ぶのも、すべて馬によって進められた。
馬を育てて馬を売る。これが最後の砦《とりで》だった。周吉は馬の隆盛を願って、いつまでも手を合わせていた。
20
トンケシ山からなま暖かい風が吹き下ろし、十勝川の氷が解けて春の胎動《たいどう》が始まった。地面から陽炎《かげろう》が立ち昇り、春雨がきたと思っているうちに、野山は青く彩《いろど》られた。
「ほら、貧乏神に追いつかれっど、働け働け、のめくるまで働け」
周吉もサトも朝早くから夜遅くまで働いた。雨が降っても雨合羽をまとって周吉は山へ、サトは畑へ、一日もかかさずに出かけた。定雄と拓治は馬耕、種蒔き、除草と休む暇もなく土にまみれて動き回った。
「定雄、和人に負けるでねえど、のめくるまで働いて貧乏神ばぶっ飛ばせ」
サトはいっときを惜しんで麦畑の黒穂を引き抜き、プラオ(耕作機)の入らないところを鍬で耕やした。畑は青々と穂が波うち、牛馬は順調に増えていった。馬の需要が目に見えていたので、いい肌馬に目をつけると、借金してでも手に入れた。
十勝太に越して来たころ強かったアイヌ排斥や侮辱の気運がしだいに収まって、すべてがうまく行っていた。
「六十頭の馬に二十匹の牛だ。そうたやすく減るもんか」
このごろ酒をおぼえた周吉は、飲むといつもこう言って笑った。
翌年、周吉は帯広の馬市へ出かけて、種馬を買ってきた。名前は「武勇」と言い、ペルショロンの大きな馬だった。そして、さらにその翌年は札幌の月寒《ツキサツプ》種畜所へ出かけて、種牛を買ってきた。
種馬も種牛も十勝太では珍しかった。
「上尾牧場に種馬がくるどおー」
早耳で知られている浜部落の重蔵《しげぞう》が部落のすみずみまで走り抜けた。村木牧場に競馬馬《けいばうま》が入ったとき以来のニュースだった。
「大したもんだ」と、周吉の弟洋二が言った。
「大牧場主だもの」
部落の土木部長の女房カヨが感心している。
新川橋のたもとには大勢の見物客が詰めかけていた。サトはその中にまじり、胸をどきどきさせて種馬の到着を待っていた。細長い道のずっと向こうにポツンと出来た一点が、しだいに脹れ上がって形がはっきり見えてきた。種馬に跨がった周吉の雄々しい姿だった。
種馬は|たてがみ《ヽヽヽヽ》をふり乱し、尻尾をぴんと伸ばし、足を跳ね上げて歩いた。もり首をしゃんと立てて歩く種馬には力が溢れていた。
「美男子!」と誰かが声をかけた。鳥打帽子に紺の服をまとい、革の長靴を履いて種馬に跨がった周吉もまた、晴れがましい姿だった。
新川橋に立った種馬は足をとんとんと踏んで、街に建った銅像のように勇み立っていた。周吉は手を振り上げて人々の歓迎に応えた。サトも子供たちも嬉しさが込み上げて浮き浮きしていた。
種馬と種牛を購入して周吉の家は急に忙しくなった。「武勇」の世話は定雄がし、「黒牛《くろ》」の世話は拓治がした。「武勇」は毎朝、朝食前に一里の道程を走ってきた。汗を拭きとり、それから丹念にブラシをかけるのだが、尻のあたりには、いつも銭型の丸い斑点が浮き出ていた。太陽の光線があたると、それが七彩の虹になって輝いた。
「秣も手入れも十分だ」
周吉は手入れが終るころ厩に出てきて、満足そうに武勇を眺めた。馬に比べると牛の方は簡単だった。厩の前の放牧地を曳いて歩いて、あとはブラシをかけるだけだったから、拓治はすぐに終って、肌馬たちの世話をした。
「男ぶりはよくねえけどな、手は抜かずにしっかと世話してくろよ」
サトはいつも拓治に言って聞かせた。
春の種付けが終ると、「武勇」は原野に遊ぶ肌馬たちの中に放すことがあった。元気な彼は勇み立って肌馬を追い回した。
「一日じゅう発情馬を探してんだからな」
空腹《あきばら》は一頭もなく、若い三歳馬まで妊娠した。
「今年も来年も馬市には二歳馬二十頭は競《せ》りに出せるな」
周吉は原野に群れる馬たちを見て腹の底から嬉しかった。
21
ふたたび熱い季節がやってきた。馬市の六月が訪れたのだ。この季節になると、農家も牧畜家も現金《げんなま》が眼にちらついて燃え上がった。
周吉は朝早くから定雄や拓治を相手に二歳馬の装蹄や衣装作りに精を出していた。産まれてから一度も厩に入ったことのない野生馬みたいな二歳馬は、気が荒かった。
掛け縄で取り押さえられた馬が、踏んだり蹴ったり立ち上がったりして暴れ回り、どうっと倒れてモクシ(ロープで顔の形に編んだ、馬を曳くときに用いる具)をかけるまで、馬と人間の格闘が続く。指をロープに挟んでちぎれることがしばしばあった。周吉の右手の人差指も薬指も中央からぷつんとちぎれていた。
「ぼんやりして命を落とすことだってあるんだから、油断すんな」と、周吉は定雄たちに固く注意した。蹄の手入れも、冬の綿毛取りのブラシかけも慎重に行なわれた。晴れの舞台に曳き出され、そこで即座に値段をつけられてしまうのだから、丹念な衣装作りも当然だった。
定雄たちは馬の曳き方や走り方まで練習した。日が暮れるころ、牧柵の中には二十頭の二歳馬が集められ、頭をぞっくり揃えて明朝の出発を待った。
馬市の日、東天が微《かす》かに白むころ、定雄は先馬に乗り、数珠繋ぎにされた二歳馬たちがつぎつぎに出発した。突然、朝靄をついて母馬が仔馬を呼んだ。声と同時に母馬は背丈より高い柵を飛び越えて、わが仔のもとに走った。二歳馬は別れを嫌がり、駄々っ子のように後退さって前進をこばみ、その場に根っこのように突っ立った。親子の呼び合う声はやかましく四囲に響き渡った。
周吉は声を張り上げて怒鳴り、朝霧を駈って前に後ろに突っ走る。サトが母馬の前に立ちはだかって両手を広げたが、馬はサトの頭上を天馬のように飛び越えた。周吉は鞭を振るい、遠くまで追いかけて母馬を連れ戻してきた。
「辛《つら》かろうが諦めてくろ」
サトは母馬を柵の中に頑丈に縛りつけた。周吉は二歳馬を立て直して一列に並べ、ようやく真っすぐに歩き出した。しかし、母仔の呼び合う声はいつまでも山びこのように響き渡っていた。
「とうとう行ってしまった」と、サトは力なく言った。みんなが出かけてしまったあと、サトを囲んで子供たちが炉縁に坐った。誰も口を開く者はなかった。
「別れが辛いんだよ」と、サトが溜息といっしょに言った。
「いつまでも家にいれないの」
トミエが涙ぐんでいる。
「利口な子は大きくなったら、みんな家を出てゆくんだよ」
ふたたび沈黙が続いた。柵に繋がれた母馬が原野に響き渡る声で鳴いたが、もう仔馬たちの呼び声はなかった。
「さあ、みんな。今日は一年中でいちばん楽しい日なんだからね」
サトは立ち上がって朝食の支度に取りかかった。
子供たちが学校へ出かけた後、サトは春子やナミといっしょに大豆畑の草取りに出かけたが、彼女は馬市が気がかりで話もろくにしなかった。
「あれえ」と、サトはときどき気の抜けた声を出した。鉋《ほう》(草取り具)の刃がすべって大豆を切ったときの声だった。
「仕事に熱中していない証拠なんだよ」
サトの口ぐせを真似て、春子は笑った。
「どうかしてるわ」と言って、サトもいっしょに笑った。
大豆畑はどこまでも広く、長い畝の先に日高山脈がうねうねとうねっていた。六月は海霧の季節でもあったが、霧の合い間に爽やかな青空が顔を出した。川風が気持ちよく、原野の対岸にはカンカンビラの山肌が褐色に光っている。
「太陽が暑いくらいだ」と言って、春子が三角(キャラコで作った白い被《かぶ》り)を取って、春の空を眺めた。サトたちは大豆畑のさやさやと青く波打つ中を、前こごみの恰好でただ黙々と鉋《ほう》を振るった。
日が落ちて間もなく、周吉たちは土産をどっさり鞍につけて帰ってきた。
「馬市は上々だった」と、周吉は馬から下りるなり弾んだ声で言った。
「黒百合の仔が百五十円の最高値で売れたんだからな」
周吉は何度も繰り返し言った。
「百五十円だど」
サトは息を詰まらせて、喜びをじっと噛みしめているようだった。
「千円の大金が入ってるど」
周吉はどっしり重い青みがかった革の財布をサトに渡すと、彼女はそれを神棚に供えて手を合わせた。サトは夢を見ているような浮き浮きした気持ちだった。
周吉と定雄たちは祝い酒を飲み、子供たちは土産のキンツバやバナナを食べた。
「うまい酒だ」と、周吉は杯をさし出すたびに言った。酔いが回ってくると、「百両(円)、なあいかないか」と競《せ》り場の盛況を再現した。「百十両(円)」と定雄が言い、「百二十両(円)」と拓治が言った。競りは百五十両(円)まで届いて終ったが、周吉は何度も繰り返して子供たちの喝采を浴びた。
「まだまだ、油断はできんど」と周吉は突然言って、口をきっと結び、厳しい顔で天井を睨んだ。さっきまでの笑顔が嘘のように恐ろしい顔だった。彼はうまく行ったときも、失敗したときも、常に油断なく心を引き締めているのだった。
サトは子供たちに森永のキャラメルを三粒ずつ配って歩いた。和やかな一家団欒が夜遅くまで続いた。一年じゅうで一番楽しい日だった。
22
馬市が終ると間もなく海霧の深い夏がやってくる。原野にはいろんな草花がいっせいに咲き乱れる。菖蒲《あやめ》、かきつばた、萱草《かんぞう》、さびた――白や紫や黄色が入り乱れて、原野は七色《なないろ》の虹に彩《いろど》られる。小鳥が囀《さえず》り、尾白鷲や隼《はやぶさ》が飛び回った。北の海も原野も夏が溢れていた。
周吉は河口に通じるトカプチ峠を馬に乗って下りてきた。眼下には原野をうねって流れてきた十勝川が、河口いっぱいに溢れて太平洋に注いでいた。
子供のころ、周吉たちは河口近くのモイ(川が岸に入りこんだところ、瀞《とろ》)に集まり、舟に乗ったり川に潜ったりして、よく遊んだものだ。
このモイは流れが淀んでいるので、遊び場には格好な所だったが、ここはヘンケの家代々の猟区《イオロ》だった。和人が入ってきて、その猟区は認められなかったが、
「父モントカルのもっと前から猟区は決まっていたんだ」と、ヘンケエカシは口ぐせのように言ったものだ。
朝凪ぎ、夕凪ぎには丸木舟を繰って今でもヘンケの子シテパが必ず現われ、仕掛けた刺し網を得意そうに引き揚げるのだが、子供たちは魚が光るたびに歓声をあげた。
だが、鮭の時期になると、厳しい監視員に追い回され、捕まっては殴る蹴るの酷い仕打ちをうけた。それでもシテパは止めなかった。
「鮭がお上《かみ》の物だと誰が決めたんだい」
シテパは打ちのめされたが、虫の息になってもしぶとく抵抗した。
「さすがアイヌの魂を貫き通した立派なエカシ(古老)の息子だ」と言って、アイヌたちはその強い根性を讃えた。
峠を下だってきた周吉は馬を止めて、
「漁の具合はどうだ」と訊いた。
「魚がいなくなったんだ」と言って、シテパは笑った。
ちょうどアイヌ仲間たちがモイに集まって引き網をしていて、タイキやコイカリもいっしょだった。
「いくら働いても食べるだけ獲れねえだ」と、タイキは怨むように言った。周吉は声がつまったまま身のやり場に困って、「俺も手伝うさ」と言って、馬から下りた。
何十年ぶりの網引きだった。丸木舟は網を伸ばして、モイを一周した。網は緩い流れに乗って静かに曳かれた。
「そのへっぴり腰で」と、コイカリが言った。周吉は革の長靴を履いた足を突っ張り、腰を伸ばして曳こうとしたが、長い間にそのリズムはすっかり狂っていた。
「和人になったんだものな」
シテパが言って、白い目を向けた。
網袋《どんじり》には鱒一匹とウグイが四、五匹入っていた。
「脂がのってるによ、子供たちに持ってけ」
シテパは鱒を周吉の足もとに投げてよこした。鱒は砂にまぶれてバッタのように跳び上がった。丸木舟はふたたび沖へ漕ぎ出していった。
彼は鱒をぶら下げてとぼとぼ帰りながら、
「俺が牧場主になって何が悪い」と、後ろを振り向いて呟やいた。
「どんなことがあっても逆戻りなんかするもんか」と思った。だが、周吉はアイヌたちから遠く離れてゆく自分を感じていた。
23
じりじり照りつける夏が来て、猫の手も借りたい牧草刈りが終ると、十勝はすでに秋風が吹く。早春から立ちこめていた海霧が去って、底の抜けたような秋晴れが続く。
川向こうにある鮭の漁場に漁師たちがどっと乗り込んできて、浜は急に活気づいた。建て網の資材を運ぶ馬車が何台も通り、渡船場の川船がひっきりなしに荷物を運んだ。
太陽が沈むと、密漁の丸木舟は川面を慌ただしく走り回った。河口部落は昼も夜も賑わっていた。こんなとき、秋の嵐が急に襲ってきた。毎年、きまってやってくる二百十日の大嵐だった。
海は大時化になって建て網が流され、色づいた燕麦や小麦がもみくしゃにされて水浸しになった。
「早く太平洋に抜けてけれ」
漁師も農夫も同じ思いで天候の回復を祈った。
しかし、嵐が通り過ぎた後には、ひときわ澄みきった秋晴れが訪れた。
秋祭りが近づいていた。祭りは年毎に盛んになり、部落をあげて盛大に行なわれた。新しい神殿や拝殿が造られ、大鳥居や大幟《のぼり》が部落の有志から寄贈された。
百|間《けん》ほどもある神社通りの両側には青年団員が一週間もかかって造った大小さまざまな形の燈籠が立ち並び、神殿には大魚《おおより》の鮭や燕麦、馬鈴薯、枝豆など秋の収穫が山ほど供えられる。
「頑張らないと明日の祭りに間に合わんど」
青年団長の民雄が急《せ》き立てるように言った。団員は拝殿に集まって最後の燈籠造りに精を出した。その中には新団員の春子やナミも混じっていた。女子青年たちが古い紙を剥がして新しい半紙を貼《は》ってゆくと、男子青年たちはその上に絵を描き文字を書いてゆく。鮭の大漁風景や秋の収穫など生活を描いたものや、「一寸法師」や「浦島太郎」などの物語もあった。
毎年、参拝者たちは燈籠を見て歩くのが楽しみだった。浜部落の人も山部落の人も一時間もかけて見て回った。
「あれえ」と言って、春子が立ち止まった。馬を背負った男が坂道の途中で、馬の重みに押し潰され立ち往生している絵だった。その男はどう見ても父周吉に似ていた。
「へんな絵」と言って、ナミが素通りした。
「十勝太神社大祭」と、太字で書かれた大幟《のぼり》は部落の外れからでもよく見えた。大人たちが十人がかりでやっと立てた大幟だった。がばがばと重い音をたててはためいていた。幟の下側に寄贈者の名が書きつらねてあった。はじめに周吉の名前が載っていた。
上尾周吉、一金五円也
春子はナミと顔を見合わせて微笑んだ。彼女たちは人目を避けていつまでも見入っていた。
「準備万端ととのったようだ」
部落会長の兵藤が道の真ん中に両足を開いて立ち、腕を組んで言った。
祭りの日は朝から晴れ上がっていた。太鼓の音がドドドンドドドンと腹に響いてくると、新しい学生服を来た一郎も孝二ももうじっとしてはいられなかった。
周吉の家では祭りにはきまって|おはぎ《ヽヽヽ》を作った。その|おはぎ《ヽヽヽ》はどこの家より大きかったので、子供たちはおにぎり|おはぎ《ヽヽヽ》と呼んだ。大皿には五つずつ載っていたが、三つ食べるのがやっとだった。残ったのは昼か晩に食べるのだが、なんだか一日じゅう|おはぎ《ヽヽヽ》を食べているような気がした。
学校は八時に始まり、子供たちはそのまま戸外に整列して「村祭りの歌」を一回練習して神社に出かけた。子供たちは手をぴんと伸ばし、腕を大きく振り、足を高くあげて歩いた。三上先生は笛をピッピッと鳴らして歩調を整えた。神社にはもう大人たちがたくさん来ていた。
大津から来た神主が着くと、「気を付けっ」と、馬鹿でかい声が原野に響き渡った。参列者全体の指揮は在郷軍人の広瀬がとっていた。
子供たちが四列に並び、その後ろには青年団、一般参列者が一番後ろに固まっていた。三上先生が「村祭りの歌」と言い、手を振り上げて、「はい」と合図した。
村の鎮守の神様の
今日はめでたいお祭り日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝からきこえる笛太鼓
子供たちはがなり立てるように歌った。ドンドンヒャララに太鼓を合わせて叩いたが、ただやかましく響いた。「村祭りの歌」を三番まで歌い終ると神主の祝詞《のりと》が始まった。祭りの中でいちばん退屈で長い時間だった。溜息が洩れ、欠伸がでて、整然と並んだ列がぐらぐら揺れた。
「玉串奉納」の順番がきた。最初に部落会長の兵藤が呼ばれ、つぎは村木牧場の親方、そして三番目が周吉だった。
「偉くなったもんだ」と、参拝者の中からひそひそ声がした。
「寄付だって、いつも最高だもの」
「アイヌのくせしてな」
濁声《だみごえ》はたしかに菊村の声だった。しかし、鳥打帽に革の長靴を履いた周吉は落ち着いていた。堂々と歩き、堂々と玉串を奉納した。サトも子供たちも鼻が高かった。
午後は神社前に造られた土俵で奉納相撲が盛大に行なわれた。子供、青年、壮年に別れて、三人抜き、五人抜きが組まれた。一郎も幼い孝二もズックの回《まわ》しを締めて勇敢に闘った。
「ほら、孝二の番だど」
呼び出し係をつとめる青年団員の勝治がせき立てるように言った。観衆の視線がいっせいに孝二に向けられる。彼は年毎に濃くなってゆく脛毛《すねげ》や腕毛が気がかりだった。ぐずぐずしてると、ますます視線が鋭くなって出づらくなるので、孝二は勇気を出して飛び出してゆくのだが、どうしても力を出せないうちに負けてしまうのだった。
相撲巧者の力士が隣り部落の静内《しずない》から乗り込んできて暴れ回った。
「ほら、けっぱれ」
観衆は西と東の二つに分れて応援した。そこへ漁場の漁師釧路アイヌたちが集団で乗り込んできた。
「回しがねえだもの」
行司の出村さんが無理だと言い出したが、周吉は「せっかく祭りを見に来たんだから」と、仲に入って話をまとめた。
彼等は回しも締めずにズボンを穿いたまま相撲をとった。ズボンのバンドがちぎれ、裾が破れて垂れ下がった。
「まるで山猿の軍団だ」
観衆が腹をかかえて笑いころげたが、周吉は役員席に坐ったまま、石のように無表情だった。
強い力士がつぎつぎに出て拍手と歓声は絶えず湧き上がり、相撲は夕方まで賑わった。
「盛大な祭りだった」
家に帰ってきた周吉が満足そうに言った。
「天気も上々だったし、今年も豊作間違いなしだ」と言って、サトは微笑んだ。
明治三十年代祭りが始まったころ、アイヌの人たちは振り向きもしなかったが、その祭りが三十年を経たこのごろでは、熊祭りを慕う者もなく、村祭りはもうすっかりアイヌの人々の中にも定着していた。
24
鮭は盛漁期を迎えて浜は活気に満ちていた。夜が明けて東天が赤く膨らむころ、長さ十|間《けん》もある鮭船が掛け声勇ましく沖へ漕ぎ出してゆく。大謀網《だいぼうあみ》の「網揚げ」なのだ。船を漕ぐ漁師たちの囃し声や網揚げの掛け声が潮風に乗って流れてくる。そしてそれは朝霧の中から微《かす》かに聞こえる穏やかな海の歌声となる。
定雄はその歌声を聞きながら武勇号に乗って渚を走り、朝の運動から帰ってきてブラシをかけていると、十勝川の河岸の方で荒々しい人声がした。サトが家の中から飛び出してきて、
「昨夜の密漁でつかまったんだよ」と言った。
手を縛られたタイキが監視員に曳かれていやいや歩いていた。
「二匹や三匹の鮭、見逃してくれてもいいのに」と、サトは呟やく。タイキは足を突っ張り、反り返って歩いた。後ろからついてきた監視員がときどき尻の辺りを蹴飛《けと》ばした。
「わしらの小さい頃にはいつもこうだったんだよ」
サトは子供たちに言って聞かせた。
「漁場で働けば密漁しなくてもいいのに」
孝二が口を尖らせて言った。
「それがね、アイヌの賃金は和人よりずっと安いだよ」
サトはタイキを振り返って力なく言った。
「まったく他人《よそ》ごとではねえだよ」
アイヌの人たちが数珠繋ぎにされて大津駐在所に連行されてゆく姿を、今でもはっきり覚えている。サトは怒りを込めて言った。
「こうして安心して暮らせるのも、みんな馬のおかげなんだからね。二度と惨《みじ》めにならねえためには、よほどしっかりしなければね」
厳しい口調だった。
太陽が昇って今日も朝から西風が吹いていた。波を沈める凪風だった。
「今が刈り頃だ」
鎌を握ったサトが金色に波うつ燕麦畑の前に立った。秋祭りからちょうど一週間経っていた。燕麦は馬たちの大事な穀物だったから燕麦刈りにはひときわ熱がこもった。
刈り手は古参のサト、新米の春子とナミ、それに定雄と拓治が加わって総勢五人である。
「ゆっくりでいいからな、一粒の燕麦も粗末にすんな」
サトが先頭だった。めいめいが五列ずつ受持ち、ひと握りずつ掴み取っては、ざくざくざくと音をたてて刈り取ってゆく。ひと抱えほど溜ると、着物の帯を締めるときのように燕麦の帯でくるんと回して束ねてゆく。
「うまいもんだ」
ナミの手並にサトは満足だった。子供たちが一人前になれば、来年はもっと畑を増やせるだろうと思った。
燕麦の畝は長くどこまでも続き、その先に日高山脈がくっきり空に浮かんでいた。
「雨がこないうちに刈ってしまいたいもんだ」
サトは太陽を見上げた。かすかな暈《かさ》がかかっていた。しかし、この暈ならあと三日は大丈夫だろうと思った。
十勝原野の天候は、いつもゆっくり変ってゆく。降るときも晴れるときも以前から徴候が現われる。太陽にかかった暈が次第に大きく膨《ふく》れ上がって厚みを増してくると、風は東南風《やませ》に変り雲は海岸沿いの山陰から吹き上げてきた。それがトンケシ山を覆ってしまうと、ぽつんぽつんと雨が降ってくる。晴れるときには、まず風が西に変って雨雲を根こそぎ太平洋の彼方に吹き飛ばしてしまい、トンケシ山がくっきり見えてくると、
「天気(晴天)が来たど」と叫んで、大人も子供も外に飛び出してゆくのだった。
秋の雨には風が付きものだったから、たいてい嵐となって収穫に大打撃を与えた。だから、十勝原野に働く人々は嵐がくると分ると、無理してでも仕事にひと区切りをつけるのである。
燕麦刈りは三日も続き、西日は雨雲に涙ぐんで落ち日和だった。子供たちは学校がひけてから燕麦積みを手伝った。サトの指示に従い、束ねた燕麦を畑の中の高みに運んだ。一郎と孝二が燕麦を山のように担いだまま、風に煽られて何度もひっくり返った。
「嵐は下からでも撥《は》ね上げるだによ、吹き飛ばされんようにしっかり積んでけれ」
定雄たちは六尺の小さな梯子《はしご》に登って、がっちり積んだ。広い燕麦畑に点々と山ができる。その山に枯草の帽子を被せて、四方から藁縄で頑丈に押さえた。
太陽が日高山脈に近づいていた。春子とナミが畑の隅で残りの燕麦を刈っている。あとひと息で刈り終えるところまで来ていた。
「落ち日和だ、頑張って刈ってしまえ」
山回りから帰ってきた周吉が、その足で燕麦畑へ走ってきて大声で叫んだ。春子たちは鎌を振って応える。周吉はそのまま朝霧を駈って帰って行った。
サトたちが燕麦を積み終えて帰るころ、草藪でキリギリスが鳴き、黄色い満月がサンナシの森の上にぽっかり浮かんでいた。
25
嵐が去ると、ふたたび冷えきった秋晴れが続いた。原野はひと雨ごとに寒さが厳しくなり、水溜りには氷が張って新川橋の上には厚い霜が降りた。凍《しば》れた道が日中になると解けて泥んこになり、人々は足をこね回して歩いた。漁場を切り揚げて漁師たちが帰ってしまうと、部落はもとの静けさに戻った。しかし、風だけはごうごうと唸りをたてて吹いていた。
「日高の山に雪が来たというによ、走って歩け!」
周吉は先頭に立って、冬支度に精を出した。冬囲い、厩の屋根や壁の修理、冬じゅうの薪の始末、仕事はいくらでもあった。毎年やらねばならぬ仕事は決まっているのに、仕事に追いかけられて泡をくった。しかし、家の北側に背の高い冬囲いがようやく出来上がって、翌朝起きてみると、原野は一面の雪だった。
「今年は雪も早いし、大雪が来るかもしれん」
サトが心配そうに言う。
「秣の蓄えは十分あるによ」
周吉には余裕があった。だが、十二月に入ると、零下二十度の凍れが一週間も続き、雪が三日も降り続いた。
「今年はやっぱり雪年だわ」
サトは降りしきる雪を見上げて呟やく。彼女は秣がいくらあっても大雪がやはり心配だった。雪の降りしきる様子から、周吉も内心そう思っていたから、馬たちをいつでも山から下げられるように、南斜面の水飲場のほとりに集めておいた。
雪は三尺ほど降り積もっていたが、さらさらの粉雪なので、馬たちは雪を掘って容易に笹を食べていた。積雪の量からいっても、馬たちを山から下げてもいい頃合だったが、「もう一日、もう一日」と、周吉は辛抱強く我慢した。
「村木牧場でも、山本牧場でも舎飼いを始めたと言うぞ」
サトは山の馬たちが不憫《ふびん》だった。
「おらの山には若笹も水もふんだんにあるだからな」
まだ大丈夫だと、周吉はどっしり構えていた。
日が暮れると同時に、風が落ちて静かな夜だった。その晩おそく周吉は空模様を見に外へ出た。星が瞬《またた》いていて、身の引き締まる寒さだった。
「空はどんなだい」と、サトが訊いた。
「今に星が降ってくるわ」と言って、周吉は笑った。
ときどき、びりんびりんと凍れで柱の裂ける不気味な音がした。夜が更《ふ》けて、茶の間のボンボン時計が十二時を打った。みんなが床に入ってから二時間ほど経っていた。ざわざわ体じゅうに寒気が走って寝苦しい夜だった。
厩の方で、ゴホゴホと力ない咳《せき》のような馬の鳴き声がした。ゴホゴホ――周吉は布団の上に坐って耳を傾ける。雪を除けた家の前の凍土を踏む蹄《ひづめ》の音がした。それはたしかにカチッカチッカチッという蹄の音に違いなかった。
馬たちの微《かす》かな鳴き声と蹄の音が家の周りから厩の方まで途切れなく続く。そのうちに、どすんと何かが横転したような地響きがした。
「何の音だべ」と、サトが枕から頭を離して言った。武勇号が甲高い声で嘶《いなな》いた。
「山の馬たちが帰って来たようだ」
周吉は身支度をしておぼろ月夜の中に飛び出して行った。だが、彼は馬たちが目の前にうごめくだけで、しばらくの間、何のことだかまるで見当がつかなかった。ごろごろ転がっている馬、幽霊のようにしょんぼり立った馬、揺れるように歩いている馬。――周吉は呆然と立ったまま、「ただごとでない」と直感した。馬たちの正体を確かめたかった。戸口に立った周吉は「馬たちが」と言ったきり、気が動転して声も出なかった。
安全灯を持って彼はふたたび外へ飛び出して行った。周吉は仰向けに倒れている親馬、月姫の頭を持ち上げて安全灯を近づけた。口から泡を吹き、目玉をぎょろりと見開いたまま死んでいた。すぐ眼の前に立っていた星姫が、突然、朽木のようにどうと倒れ足を痙攣《けいれん》させて死んでいった。辺りには死骸がごろごろ転がっていて、周吉は息が詰まって言葉も出て来なかった。
サトが死骸の回りをぐるぐる走り回りながら、「どしたんだ、どしたんだ」と泣き喚いた。子供たちや定雄も起きてきたが、これまで見たこともない地獄みたいな光景に驚いて、がたがた震えているばかりだった。拓治はちょうど母の病気で旅来《たびこらい》に帰っていていなかった。
「毒を飲まされたんだ」
厩の壁にぐったりもたれかかっていた周吉が、急に身を起こして言った。
「湧水が怪しい」と言って、周吉は安全灯を持ったまま山に向かって走り出した。サトも定雄もその後に続いた。途中、山を下だってくる馬たちと擦れ違ったが、馬たちは脇目もふらず真っすぐ家に帰ってゆく。
周吉たちは新川の上流から湧水山に向かって雪の中を転がるように走った。道端に馬の亡骸が点々と転がっていた。折り重なって斃れている亡骸もあった。
水飲場の付近には元気な馬たちもたくさんいた。彼らは灯に驚き、鼻を鳴らしながら山を駈け上がった。
湧水の出る水飲み場は、八畳ほどの広さだった。周吉は安全灯をかかげて水面を照らした。水の中に頭を突きさして斃れている親馬に仔馬が寄り添って死んでいた。水飲み場の付近だけでも十頭の馬が斃れていた。
「これだ」と言って、サトが水の中から半分ちぎれた農薬の袋をつまみあげた。ビート(甜菜)の消毒薬だった。水飲み場の水は青く淀んでいて、あたりには農薬の袋が散らばっていた。
「ひどいことをするもんだ」
唸るように周吉は言った。
「和人《シヤモ》にきまってるさ」
きっぱりとサトも言う。
「何もかも台無しだ」
頭を抱えた周吉は、崩れるように雪のうえに腰を落とした。
東天が白みかけていた。そこへ春子とナミが走ってくると、「武勇号が苦しんでる」と息を切らして言った。
弾かれたように周吉は跳び上がった。
「武勇号だと?」
周吉とサトは同時に訊いた。
「口から泡を吹いて自分の部屋のなかを、ゴロンゴロンと転がってるよ」
興奮している春子は途切れ途切れに言う。転がるように周吉は山を駈け下りる。サトも定雄も春子たちも雪のなかを走った。しかし、武勇号はすでに息絶えていた。
「武勇! 武勇!」
周吉は夢中で冷たくなった武勇の体を何度も揺り動かした。
「誰が殺した! 誰が殺した!」
彼は赤子のように武勇の体にとりすがって、大粒の涙を流した。
「馬四十頭毒殺さる」という見出しで新聞に大きく報道され、部落始まって以来の騒ぎになった。
大人たちは子供たちに「決して口を開いてはならんど」と強く言い聞かせ、部落じゅうが唖になった。道を通る人々も周吉の家の前を避けて通った。
「ほら、来たど」
浜部落の人々は、長いサーベルを長靴にぶつけながら十勝川の氷を渡ってくる巡査を見つけると、ひそひそ声で言い、窓の隙間から息を殺して見つめる。巡査は周吉の家の前で立ち止まった。家の中からサトが出てきて厩の方に案内した。
どの馬も、カッと眼を見開き、足で空を叩きつけて苦しみを剥き出して死んでいた。
「恨みを買うようなことでも?」
鼻髭を生やした板垣巡査がお茶をすすりながら訊いた。
「ぜんぜん」
周吉は頭を左右に振った。
「犯人の目ぼしは」
周吉は頭を左右に振り続けた。
「農薬はビートを作ってる農家のどこにでもあるんだから、犯人さがしの決め手にはなるめえし」
板垣巡査は事件解決の難かしさを言って、苦渋の色を浮かべた。
「犯人をおさえられんとな」
周吉は眼を剥いた。
「難かしい、と言ってるんだ」
板垣巡査は顎をしゃくり上げた。
「おめえらは、どうせ|ぐる《ヽヽ》だからな」
周吉は敲土《たたきつち》にぺっと唾を吐いた。
「どういう意味だい」
威信を傷つけられた板垣巡査は、気難かしく鼻髭を動かした。
「故意に犯人を捕えないとでも言うのか」
吐き出すようにいって床板をどんと踏んだ。だが、周吉も負けてはいなかった。
「大津でだめなら池田の本署に訴え出てやる」
肩をいからし胸を突き出して叫び立てた。
その翌日から部落民たちは二、三人ずつ大津駐在所に呼び出されて取り調べを受けた。しかし、何日経っても耳よりの情報は得られなかった。
「この忙しいのによ、一日がかりの取調べだ」
※[#魚+近]網《ちかあみ》漁で忙しい浜部落の漁師たちが悪態をついた。
「何の関係もない俺たちに聞いてどうすべえ」
隠居のタネ婆があきれ顔に言って、巡査をなじった。はじめは周吉に同情していた部落民たちだったが、日が経つにつれて、その鉾先《ほこさき》は周吉に向けられた。
「アイヌのくせして、あんまり威張りくさるからだべ」
最初の言いがかりをつけたのは菊村の婆だった。
「そんだってば、細々と遠慮してやってるうちはよかったんだが、しまいに部落の先頭にのしあがってな」
古山の婆が尻馬に乗って騒ぎ立てた。
「大きくなりすぎたんだ」
しまいにアイヌ仲間にまで難癖をつけられた。
「おらたちはもともと日陰者なのに、和人社会に乗り出して行ったのがいけなかったんだ」
周吉は人々の勝手な言い種《ぐさ》をじっと耐えて聞いていた。
「和人社会に乗り出して何が悪い。悪いことなんかあるもんか」
腹の中ではいつもそう思っていた。だが、今回の酷《むご》い仕打ちは、先の尖った岩石でいきなり頭を殴られた思いだった。そしてアイヌの生ま血を吸ってきた和人たちの恐ろしさを思い知らされ、愕然《がくぜん》とした。彼は馬に希望をもって昆布刈石へ行ったころから現在までを、何度となく反芻した。しかし、どうしてこんな酷い仕打ちを受けたものか、何度考えても腑に落ちなかった。
「なんで?」
諦めきれない周吉は頭をねじって考える。踏まれ踏みにじられ、あげくの果てに、とうとう踏み潰され、中から汚い臓腑が飛び出してしまった。彼の頭の中は夢も希望も消え失せて虚しさだけが渦巻いていた。
26
毒殺事件があってから間もなく、新しい年を迎えた。しかし、周吉の心は寒風の吹き荒れる中で、いっそう重く沈んでいた。毎日吹雪が続き、原野を渡ってくる粉雪が、十勝川の氷原をごうごうと音をたてて太平洋に吹き抜けた。部落は息をひそめ深い雪の中に眠っていた。
「拓治が口を割ったぞおー」
浜部落の重蔵が吹雪の中を駈け抜けた。
「牧夫が犯人とな」
「身内だから、よけい分らなかったんだ」
部落の人々はほっとしたように話し合った。
周吉は重蔵の触れ声を厩の中で聞いた。「拓治」と聞いて、彼は眼の前がボアと霞み、口を開けたまま立っているのがやっとだった。拓治は一昨日《おととい》警察に呼び出されて行ったまま、まだ帰っていなかった。
「いっしょに取調べを受けた高木の婆が拓治の自白を一部始終聞いてたんだからな」間違いはねえと、重蔵はまるで見て来たような言い種だった。
あの日、拓治は母が病気だからと言って旅来《たびこらい》に帰ったまま戻ってこなかったが、犯行はその日の夕方行なわれたのだった。
――早朝、家を出た彼は、部落はずれの農家の納屋に潜りこんだまま、一日じゅうその納屋で過ごした。棚には農薬(ビートの消毒薬)のセメント袋が載っていた。
拓治が農薬の袋を小脇にかかえて納屋を出たのは、陽が大きく西に傾むいた頃だった。彼は人目を避け、ポロヌイ峠から山の中に入って馬道を歩いた。雪に埋まった枯葉ががさがさ鳴ったり、馬が嘶いたりするたびに、彼は身をひそめて四囲を見回した。湧水山が近づくと、雪の上を這うように歩いた。
風が落ちて山は静かだった。水飲場に着くと、彼は用心深く白樺の木に登って部落の方を確かめた。人気《ひとけ》はどこにもなかった。
拓治が袋の中から農薬を取り出すと、馬たちは燕麦と間違えて集まってきた。
「天国へ行け」と、拓治は馬たちに向かって言った。彼は農薬を水面に振り撒いた。泡《あぶく》がぶくぶく出て溜り水はみるみる緑色に変ってゆく。拓治は農薬をひと握りほど残して、それをオーバーのポケットに入れると、逃げるようにその場を離れた。
月が東天にぽっかり浮かぶころ、拓治は山を下だり、馬穴に水を汲んできて、その上に薬をまぶした燕麦を入れ、武勇の草櫃《くさびつ》の中にそっと置いた。
「何もかも思い通りにいった」と、拓治は母屋の灯を厩の陰から伸び上がって見ながら呟やいた。
月はおぼろだった。拓治は厩から柵を乗り越え、真っすぐ十勝川に出て氷の上を旅来に向かって走った。ウツナイ原野を曲りくねって流れる十勝川を、拓治は馬力をゆるめずに曲りくねって走った。トッカリコタンを駈け抜け、旅来のカンカンビラにつくころには、月はすでにトンケシ山にさしかかっていた。
「どしたべえ」
筵戸をかきあげて土間に立つと、母のウメが喜んで迎えてくれた。
「正月にもらった手当てだよ」
拓治はポケットから十円札を三枚取り出して、ウメの手に渡した。
「こんな大金」
一瞬、ためらい息を詰まらせて、「このごろ夢見が悪くて心配してたんよ」と言った。
翌日、拓治は何くわぬ顔で十勝太に帰ってきたのだった。
「ひどいことをする」と、馬がごろごろ斃れている無残な光景を見て、彼は言ったものだ。
今朝も家を出がけに、「同じ家にいる者を調べてどうすべえ」と言った。
「たとえ親子でも、一応念のために調べるんだよ」
サトが慰めたほどだったのに、それが犯人というので、家じゅうがしゅんと沈んでしまった。怒りをぶつけるところもなかった。
拓治はその日のうちに池田の警察署に送られ、鍵のかかった牢屋に入れられた。そしてその翌日、周吉は身元引受け人として呼び出された。本署は池田の駅前にあった。周吉が入ってゆくと、拓治は頭をぺこりと下げ、「すいません」と言った。紫色に腫れ上がった彼の顔を見ると、周吉はふたたび怒りがむらむらと腹の底から込み上げてくるのだった。
二人は警察署を出て駅前の食堂に入った。石炭ストーブがちょろちょろ燃えていた。二人はストーブの傍のテーブルに席をとった。拓治は「寒《さぶ》、寒《さぶ》」と言って、ストーブに手をかざしたが、彼のさばさばした動作から事の重大さを心から反省しているとは、周吉にはどうしても思えなかった。
「どう思ってんだい」と、周吉は訊いた。
「何が」と、拓治は訊き返した。
「決まっとるべ」と、周吉は吐き出すように言った。
「すいません」
拓治はふたたび言って、頭をぺこんと下げた。
「すまんではすまねえだよ」
周吉は上体を乗り出した。
「どしてやった?」
周吉は思わず拓治の襟首を締め上げた。
「喧嘩はごめんだ、出てってくろ」
店の主人が出てきて止めたので、周吉は手を離して、
「喧嘩じゃねえだ、理由《わけ》を聞いてんだ」と言った。
「どしてやった、正直に言え」
低い声だが腹にたまる声だった。拓治は口を堅く結んだまま、じっと下を向いていた。
「何か理由がある筈だ」
周吉はどうしてもそれが聞きたかった。しかし、拓治の口は堅かった、激昂した周吉はテーブルを乗り越えて飛びかかった。二人は折り重なったまま、床の上に崩れ落ちた。
周吉は首を上からがっと押さえつけて、
「さあ、言え、言わんか」と叫んだ。
拓治は喉をげくげくさせ、途切れ途切れに、
「村木牧場の親方に頼まれたんだ」と、喉の奥からかすかな声で言った。
「やっぱり」と思った。
周吉は体じゅうの力が抜け落ちて、立ち上がることも出来なかった。
周吉は昆布刈石に行く前、若いころから長い間村木牧場の牧夫として働いていた。親方は肌ざわりがよく穏《おだ》やかな人柄で、他人と争うことは一度も見たことがなかった。いつもにこにこしていた。賃金は安かったが、乗馬用の「金時」も貰ったし、正月お盆の餅米も貰った。
だが、あの温和な親方の腹の底には、やはり和人の悍《おぞ》ましい血が流れていたんだと思うと、背筋に寒気が走った。
「油断も隙《すき》もない、いかさま師だ」と思った。
二人は池田から汽車に乗って下頃部駅に降りると、今朝周吉が乗ってきた馬橇に飛び乗って、田舎道を十勝太に向かって走った。その途中の浦幌太に村木牧場はあった。
オニガヤがどこまでも続き、丈低いサビタと榛の湿原を馬橇は休みなく走り続けた。
「頼まれたのは嘘でなかべな」と、周吉は念を押した。
「いくら貰った」
「三十円」と言って、拓治は指を三本さし出した。
馬橇が着くと、周吉は弾かれたように跳び下りた。
「親方はいないか」
玄関の戸をがらりと開けて周吉は敷居の上に立った。親方は奥の方から出てきて「おや、おや」と言って、笑顔を浮かべた。
「とぼけくさってな、拓治を唆《そその》かして毒殺させたのはてめえだべ」
周吉は食いつくように言った。
「なんとな、おらがそんな恐ろしいことさせるはずがなかべ」
親方は平然と頭を振った。
「拓治がそう言ってるんだ」
周吉は拓治の襟首をつかんで前に引き出した。
「水飲み場に農薬をぶち込めと言ったわ」
拓治はおどおどしながら言った。
「そんなこと、本気で言うはずがなかべ」
人間というのは誰でも法外なことを想像したり空想したりするものだが、それを実行する人間はよほど頭が狂ってると言って、親方はあくまでも自分の正当を突っ張り通した。
「三十円を渡して唆《そその》かしたと言うでねえか」
周吉は一歩前に踏み出した。
「拓治とは祖父オニシャインの時代から昵懇《じつこん》の間柄なんだ。だからたまに食事をご馳走したり小遣いをあげたからと言って、何の不思議もねえし、これこそ人間同士の情というもんだよ」
「人間の情だと」
周吉は天井を見上げて笑った。だが、笑いが消え失せた次の瞬間、周吉は手負い熊のような憤怒の形相で村木に向かって飛びかかって行った。二人は激しく揉《も》み合って倒れたが、外から入ってきた牧夫たちが、二人を無理やり引き離した。
「糞アイヌ」と村木が叫び、「毒まむし」と周吉は叫んだ。
「必ず暴《あば》いてやる」
「やれるならやってみろ」
村木も周吉も一歩も下がらなかった。
周吉たちはふたたび馬橇に跳び乗って駈け出した。
「これが和人の正体なんだ」と、周吉は忌々しげに言った。
「唆《そその》かされたおらが悪いんだ」
拓治が滑って転んだくらいにしか考えていないことに、周吉は腹を立て、
「何をしたのか分ってんのか」と、ぽかんと口をあけている拓治を睨みつけた。
家に着くと、サトは拓治にすがり付いて、「情けない」と言って、声をあげて泣いた。子供たちは悪魔でも見るような目で、がたがた震えて遠くから拓治を見ていた。
翌日、毒殺事件の根っこを暴き出してやると言って、周吉が池田警察署へ訴えに出かけた後、拓治は働き口を見つけに釧路へ行くと言って、家を出た。朝から一寸先も見えない猛吹雪の日だった。
吹雪で汽車が遅れ、池田に着いたのは昼過ぎだった。
「はっきりした証拠が必要なんだ」
署長は証拠のはっきりしない事件だと言った。
「三十円という大金を手渡しているし、農薬も前もって準備されていた」
周吉は証拠になるような物を並べたてた。
「三十円だって実行の謝礼とは限らんし、農薬だってどこの農家にもあるし」
署長は事件の難渋を危ぶんで、初めから浮かない顔をしていた。
「村木が拓治を唆《そその》かし、計画的に仕組んだ犯行に決まってる」
彼は体を震わし、大声で叫びたてた。
長い沈黙の後、「裁判の公正な判決は裁判所がする」と、署長が静かに言った。
その後、村木は池田本署から何度も呼び出されたが、事態は少しも進展しなかった。
「唆《そその》かされたといっても、相手は二十歳を過ぎた立派な大人なんだからな」
人々のこんな噂を最後に「毒殺事件」は部落から次第に消えていった。
27
二月に入って大雪が来た。湿気を含んだ大玉の雪が三日三晩降り続け、朝起きてみると、玄関の前から山のように盛り上がっていた。積草《にお》も森も雪の中にすっぽり埋まり、部落はひっそり沈んでいて、家々の煙突から黒い煙だけが灰色の空に立ち昇っている。
「十年ぶりの雪だな」
「この空なら、まだまだ降るど」
カンジキを履いた浜部落の猟師が新川沿いに歩いてゆく。周吉は狩りをしていたころの雪の朝を思い出していた。
雪の朝は獲物たちが足跡を残してくれるから、猟師たちは勇んで出かけたものだ。だが、獲物のいなくなった山は、一日じゅう走り回っても狐一匹か兎一羽がやっとだった。
「狐は楢山の南の沢だ」
父オコシップは雪の中を疾風のように走って行く。だが、沢に入らないうちに轟音が山に響いて、獲物は馬に乗った牧場主たちに射止められてしまう。
「こけ!」
こんな横槍が入るから獲物はますます得難くなってしまう。食べられない日が幾日も続き、水辺のキトビロ(ギョウジャニンニク)の根で食いつないだことが何度もあった。
周吉は猟師が新川沿いの木陰の中に隠れてしまうと厩の方へ、ぶらぶら行ってみた。山の馬は残らず下げて舎飼いだった。親子合わせて二十一頭の牛馬が厩の前の牧柵の中にいた。
「降れ、降れ、底が抜けるまで降れ」
周吉は半分やけくそのように言った。あの事件で肌馬の大半がやられてしまったので、牧草は余るほどあった。
「節約せんでな、どっさり食わせろ」
彼は定雄に言いつけた。馬たちは大てい二月ころから痩《や》せてゆくのが普通だったが、周吉のところの馬たちはみんな丸々と太っていた。
周吉は朝霧に乗り、雪を漕いでしばらくぶりに浜部落の方に行ってみた。雪道には人の足跡がぽつんぽつんとついているだけで、ほとんど荒道だった。朝霧は腰まで埋まる深い雪道を跳び上がるようにして歩く。
向こうからカンジキを履いて雪を漕いできた土木部長の辰吉が、気の毒そうに顔を背《そむ》けて擦れ違った。犬が吠えたててきたが、朝霧は雪を突っ切ってごりごり進んだ。
しかし、部落を突き抜けて丘陵地にさしかかったところで行き止まった。朝霧が吹き溜まりの中に入り込んで埋ってしまったのだ。
「ずいぶん降ったもんだ」
周吉は部落を見下ろし、改めて呟やいた。十勝川の氷原は原野をうねって、どこまでも続く。だが、あと一カ月もすれば南から暖かい風が吹いてきて、この深い雪も厚い氷も少しずつ解け始めるだろう。その頃になれば、元気な仔馬も産まれる。
「五頭は固いところだ」と、周吉は指を折って数えた。一頭ずつ増やしていった昆布刈石のころを考えれば、五頭という馬は決して少ない数ではなかった。三年辛抱すれば仔が仔を産んで倍になる。
「ここで挫けては、ふたたび貧乏神に取り憑かれたみじめな生活に戻ってしまう。そうだ、一日も早く立ち直って初めからやり直すんだ」と周吉は決意した。
つむじ風が渦巻き雪を吹き上げてきたが、部落を見下ろす厳しい彼の眼はまばたきひとつしなかった。
「和人が何だ、村木がどうした、踏まれればいっそう頑丈な雑草に生まれ変るんだ」
周吉は、朝霧の尻に鞭を打ち下ろした。馬は雪を蹴上げ、北風に向かって駈け出した。犬たちが吠えたててきたけれども、朝霧は振り向きもしなかった。
「いつまでもめそめそしとられんど」
家の前までくると、馬の上からサトに声をかけた。周吉は定雄を相手に牧柵の中の雪除けをしてから、孕《はら》み馬と仔馬たちを区分した。屋根だけの外厩と、屋根も壁もある内厩とに分けるのである。
「一頭だって、流産は許されんど」
孕み馬を内厩の中で大事に育てようと思った。「松姫」も「竹姫」も出産予定が三月初めだった。
大雪の年は流産が多い。どこの家でも早く山から下げて舎飼いをするのだが、流産は秣《まぐさ》の不足が大きな原因だった。母馬が痩せ衰え、腹の仔が順調に育たないのだ。
「牧草さえあれば」
牧場主や牧夫たちが草を求めて遠くまで走った。農家から豆殻や麦藁を買うこともあった。
大雪は五年に一度の割《わ》りで襲ってきた。だが、それを知りながら、牧場主たちは草の十分な準備をほとんどしなかった。
「今年も雪虫が少なかった」と言って、大雪のない四年に賭けるのだ。うまく働けば草刈りの費用が何百円も浮くのである。
しかし、周吉だけは毎年充分な草を用意した。厩の周りのたくさんの積草《にお》の山を見上げ、
「余れば来年の分に残しておいてもいい」と、周吉は思っていた。
武勇のいなくなった厩はひっそりしていたが、肌馬たちの腹は順調に太っていた。広い牧場はあるし、燕麦畑もある。心配は何もなかった。
「村木の天狗鼻ば叩き折ってやる」
彼は厩の屋根から垂れ下がった太い氷柱《つらら》を、スコップで力まかせに叩き落とした。
雪は除けても除けてもたちまち降り積った。
「いつまで降ったら気がすむんだべ」
一郎は呆れたように空を見上げる。子供たちも全員駈り出され、毎日毎日スコップで雪を掻き、大人たちは周吉が作った箱を馬に曳かせて除雪する。
その雪が堆く積って家の前に立ちはだかった。一郎や孝二たちがその山に水を撒き、周吉が桜の木で作ったスキーを履いて滑る。スキーは家の前から新川橋の方まで矢のように滑り下りた。
「うまいもんだ」
サトが感心したように見とれる。
「滑りのいい桜だもの」と、誇らしげに周吉も言った。
そこへイタチの罠を仕掛けに行っていた定雄が息を切らし、カンジキをぶっつけ合わせて走ってきた。
「草泥棒だぁー」と言ったまま、雪の上にぺったり腰を落とし、「夜中に手橇で運んだようだ」と言った。
「場所は?」
「サンナシの森の向かい側だ」
「待てよ」と周吉は言った。
「現場をつかまんとダメなんだ」
彼らは、いつもいろんな理屈をつけ、正体をぼかしてしまう。
「犯人は誰なんだべ」
一郎が頭をかしげる。
「頭の黒い狐にきまってるさ」
サトが言って聞かせる。誰もいない間に魔法のように草を盗んでゆく、頭の黒い狐の意味が子供たちにはよく分らなかった。
「犯人を掴むまでは決して騒ぎたてるな」
周吉はサトと子供たちに向かってきびしく言い聞かせた。
その夜から周吉と定雄の二人はサンナシの森に筵で隠れ家を造って警戒にあたった。朝方になると、じりじりと凍れが身を刺し、坐っていられない程だった。二人はかわるがわる立ち上がり付近を歩き回った。
「必ずやって来るはずだ」
周吉は枝と枝との間から草泥棒の通り道を睨んで、同じ言葉を繰り返した。一晩じゅう寒さと退屈をじっとこらえて、もう一週間も続いていた。
「泥棒を捕える前に体を壊してしまうべ」
サトは夜食を持たせたり、湯タンポを用意したりして悪態をついたが、周吉たちはやめようとはしなかった。
「こんな晩が怪しいど」
その夜、周吉が声を弾ませて言った。大粒のぼた雪が降っていた。何もかも雪の下に埋めてしまう絶好の日和だった。周吉たちは大胆にも草泥棒の通り道にある太い榛《はんのき》の幹に身をひそめて睨んでいた。部落の大通りを犬が通り、人が通った。雪が深いので、通行人はよろめいて通り過ぎて行く。人の気配がなくなると、イタチが左右を見ながらうさんくさそうに通り抜け、猫ほどもある野鼠がチチチと鳴いて通った。雪明かりで辺り一面がぼんやり見えていた。
「来たど」
定雄が先に見つけて雪の上に身を伏せた。
「野郎ども」と、周吉は唸るように言って榛の幹にへばり付いた。
「手橇に草を積み終るまで飛び出すなよ」
周吉は念を押すように言った。手橇を曳いた草泥棒は頑丈な体格をした男が三人だった。雪は音もなく降っていた。
彼らは無言のまま周吉たちの眼の前を通り過ぎると、そこから右に折れ、荒道を漕いで積草《にお》の方に近づいて行った。周吉は太いロープを握りしめ、定雄は身丈ほどの柳の棒を小脇にはさんで飛び出す機会を窺っていた。
「奴らは死にもの狂いで立ち向かってくるだからな」
周吉が定雄に言った。
「腕っぷしの強い三人と二人ではなあ」
歩《ぶ》が悪い、と定雄は逃げ腰で言った。ひと呼吸の後、
「サトも子供たちも、みんな呼んでこお」周吉は定雄に命じた。
考える余裕もなく、「ホイ」と言って、彼は深い雪の中を転げるように突っ走った。周吉は一人になって心細かった。彼は待ち切れずに何度も伸び上がっては家の方を見た。
「何をぼやぼやしてんだい」
周吉はしきりに唾を吐き飛ばした。だが、黒い影が転々と雪の上に現われたとき、彼はにっと笑って、「餓鬼《がき》も人数《にんず》だ」と呟やいた。走って来るサトも子供たちも、みんな棒片を握りしめていた。
「足にかじりついてでも、逃がしてならんど」と、周吉は一同に固く言い含めた。みんな木陰に伏せてじっと息をひそめていた。
草泥棒たちが橇に牧草を山と積んで目前に現われたとき、
「今だ!」と、周吉の腹に響く号令がかかった。
木陰に伏せていた兵隊たちがいっせいに立ち上がった。不意を突かれた泥棒たちは慌《あわ》てて逃げようとしたが、深い雪の中を転げ回るだけで、なす術《すべ》もなかった。兵隊たちは身軽に飛び回った。一人に四人の兵隊が群がったので、泥棒たちは足が縺《もつ》れてひっくり返ったところを、周吉の丸太ん棒のような太い腕が上からがっと押さえつけた。
「名前を名のれ」と、周吉が言った。草泥棒は不動の姿勢で、
「安田久治、二十五歳、村木牧場の牧夫」と名のった。牧夫頭だった。
「おめえは?」
「富田良作、二十歳、村木牧場の牧夫」
三人目の泥棒は雪の中に蹲《うずくま》ったまま立てなかった。
「立て!」と、周吉が声を荒げた。
「虎挟みにかかって、足が折れてるらしい」と、蹲ったまま言った。
「草泥棒は頭の黒い狐」と聞いた一郎と孝二は、それが狐とばかり思い込み、積草《にお》の傍にこっそり仕掛けた虎挟みだった。
「これだ」といって、牧夫頭の久治が橇の上の草の中から恐る恐るつまみあげた。虎挟みは鉄で出来た狐用のものだった。
「間抜けでどん欲な頭の黒い狐どもが、まんまと引っかかったわけだ」
周吉が勝ち誇ったように甲高い声で言った。一郎たちはぽかんとしていた。
周吉は蹲った泥棒の襟首をつかんで引き揚げたが、ふたたび雪の中に崩折れた。
「さ、これから大津の駐在所へ行くんだ」と、周吉は声を張り上げた。盗んだ草はその場に投げ下ろされた。
ロープで縛りあげられた泥棒たちは周吉に曳かれ、子供たちが曳く空橇には骨折の泥棒が横たわっていた。
家に着くと、牧夫頭の久治が「もう絶対しません。許してくだせえ」と、頭を床にこすりつけて謝った。
「いつもこの手で騙されてきたんだ」と、周吉は眼を剥いて言った。
「なんぼう言っても分らねえときは、どうせばええ」
周吉は牧夫頭に訊いたが、彼は黙っていた。
「しょうがねえな」と、周吉は口の中で呟やいた。彼は黙って立ち上がると、しばらくして奥の間から村田銃を持って現われた。
「ぶち殺してやる」と言った。子供たちは茶の間の隅に身を寄せ合い、悲惨な光景を思い浮かべてじっと見つめた。牧夫たちは血相をかえ、涙を流して謝った。
「口で言っても分らねえだから、ひと思いに殺してやる」と、ふたたび言った。牧夫たちは何ごとかを喚きながら、筒先から逃れようと、床の上を転がって歩いた。
筒先からぱっと火が吹き、銃声がガーンと部屋じゅうに轟いた。硝煙が消えて沈黙が続く。牧夫たちは声も出さず、身動きもせずに、じっと息を殺していた。敲土《たたきつち》に射ち込まれたのは空砲だった。サトも子供たちもほっと溜息をついた。
「俺たちを守ってくれるものは、これしかねえだ」
周吉は静かに言った。牧夫たちは黙って頷いた。
「他人《ひと》の物に手をつけて、いいはずはなかべ。積草《にお》の火事も、馬の毒殺も――お父《とう》だって、こんな野蛮な真似はしたくねえだよ」
サトは声をつまらせて咽《むせ》び泣いた。
いつの間にか東の空が白み始めていた。
「こんどやったら、ほんとにぶち殺すってな、村木にようく言っとけ」
夜が明けるころ、空橇《からぞり》に傷ついた仲間を載せた牧夫たちは、音もなくしんしんと降る雪の中をしだいに遠去かって行った。
28
家内じゅう総がかりで草泥棒を退治した朝、朝食になっても一郎は起きてこなかった。
「学校に遅れるによ、早う起きれ」
サトが茶の間から大声で呼んだ。しかし、三度呼んでも返事がなかった。
「喉が痛くて起きられんと」
一郎の様子を見てきた妹のトミエが機嫌の悪いサトに告げた。
「男のくせして、意気地がないだから」
サトはぶつぶつ小言《こごと》をついている。
一郎は体が弱かった。急に熱を出して学校を休むことがしばしばあったが、そのたびにサトは癇癪を起こした。
「お父《とう》の跡《あと》取りなんだからね。勉強も遅れるし、しっかりしてもらわんと困るんだよ」
一郎を起こしに行ったサトが、慌《あわ》てて「ひどい熱だ」と言いながら、ゴムの水枕を持って外に飛び出し、それに氷の塊をぎっしり詰めて戻ってきた。
「風邪の熱とはちがう火のような、おっかねえ熱だわ」
サトは朝食も食べずにそのまま一郎の傍に坐り、氷を布片に包んで体じゅうを冷やした。トミエやトヨ子が心配顔で傍についていた。
「お前たち、学校が大事なんだからね、もう出かけなければ」
サトに急《せ》かされて子供たちは家を出たが、その後サトは一郎を眼の届く茶の間に移した。熱はひいたけれども、胸は跳ね上がるように高く荒い息づかいで波うっている。
「今に楽になっからな」
サトは胸を優しくさすって穏やかに言った。彼女は一郎の激しい息づかいを気にしながら、ナミの病気を思い出していた。我慢させているうちに手遅れになり、喉をたち割って一命をとりとめたが、あの切ない思いを考えただけでも、胸が詰まった。一郎は「うう、うう」と唸っては、か細い声で「苦しい、苦しい」と言った。
「これを飲めば、きっとよくなるからね」
サトは熱さましになるゲンノショウコの煎《せん》じ薬や富山の薬屋さんが置いて行った風邪薬を飲ませたが、容体は少しもよくならなかった。
「しぶとい風邪だこと」
サトは麦粉を酢《す》で練った湿布薬を布片に塗って胸に貼ったが、熱が出てくると、すぐからからに乾いた。
翌日になると、病気はますます悪化した。「苦しい」と言って、胸をかきむしり、洗面器に黒い液汁を吐いた。
「ナミの二の舞いになったらどうすべえ」
サトは周吉の決断を待っていた。三日目を迎えて一郎はひときわ衰弱して、訳の分らないうわ言を言うようになった。
「熱が頭に昇ったようだ」とサトは言い、「一刻の猶予もできない」と、噛みつくような見幕で周吉に迫った。
だが、それでも彼は何を考えているのか、「大分落ち着いたようだ」と言って、そっぽを向いていた。
サトは「鬼」と叫び、「人殺し」と叫んだ。しかし、馬橇を仕立てて浦幌の病院に走ったのは、その日の午後だった。
「定雄、かまわん、馬がのめくるまで追《ぼ》え」と、サトは言った。一郎は馬橇の中でも呻きながら、うわ言を言っていた。馬橇は深い雪の中を走り続けた。
馬橇が病院の前に着くと、サトは弾かれたように橇から跳び下りて、玄関の前に立った。玄関は締まっていたが、サトは体ごと二度三度厚い板戸にぶつかった。戸が開いて中年の女が「留守番の者だが」と言った。サトはのんびり話すその話しぶりにいらいらした。
「院長は親戚に不幸があって、函館の田舎の方に行ってるんだよ」
まだ話が終らないうちに、「駅だ、駅だ」と、サトは定雄に向かって狂ったように叫んだ。彼女は一郎を背負い、帯広着四時五十分の汽車に跳び乗った。
一郎は「急性肺炎」だった。太い注射を何本もうち、「エキホス」という湿布薬を胸に貼った。彼はその日の夜半になってようやくすやすや眠った。三日三晩寝ていないサトは、ベッドにもたれかかったまま、正体もなく鼾をかいていた。
病院は帯広駅前の島田病院で、ナミの時と同じ病院だった。
「田舎の人はギリギリまで辛抱するから、手遅れが多くてね」
鼻髭を生やし眼鏡をかけた恰幅のいい院長先生はこう言って苦笑した。
「二人の子供を助けて貰ったんだから」
サトは病室に入ってくる院長先生に最敬礼した。神様のように有難かった。
翌日、春子とナミが下着や洗面道具を持ってきた。一郎は顔色もすっかりよくなってすやすや眠っていた。
「脳膜炎の一歩手前で食い止めたんだよ」
サトは身を震わせて「危いところだった」と何度も繰り返した。
病室は大部屋で五人入っていた。五十がらみの男たちが部屋の隅で将棋を指していた。みんな患者を気づかってひそひそ声で話している。
「ほら、食べえ」
サトがパインの缶詰を小皿にとって春子たちにくれた。彼女は部屋の患者たちひとりひとりにパインを配って歩いた。
壁は白壁でカーテンも真新しく、スチームが通っていて部屋は暖かだった。淡い西日が射していた。
「一週間もしたら退院すっからな、火に用心して、子供たちの世話は頼んだよ」
春子たちは、明るいうちにポロヌイ峠を越えなければ雪道は大変だからと言って、間もなく帰って行った。
入院して五日目、一郎はすっかり元気を取り戻していた。しかし、「微熱が気になるな」回診にきた院長先生が頭をかしげた。
さっそく精密検査が行なわれた。そして、その翌日「肺結核」と診断されて、一郎は個室に移された。
サトは恐ろしい病名を聞かされて、眼の前がぐらぐらした。肺病は昔から不治の病《やまい》として恐れられていた。明治時代、和人にこの病気をうつされて、アイヌたちが沢山死んでいったことを祖母たちに聞かされて知っていた。
「今はいい薬も出ているし、いい治療法もある。それに病巣はまだ小さいから決して心配することはないよ」
塞ぎこんだサトに、院長先生は優しく言って聞かせたが、彼女は長い間患って死んでいった姉のアサを思い出して、ぞっとした。幼い頃の思い出とはいえ、忘れてしまいたい記憶だった。
サトがものごころつくころ、姉のアサはすでに床就《とこづ》いていた。いつもボロボロの着物を来て、家の中を揺れるように歩いていた。手足は痩せ細り、眼は落ち窪んで骸骨みたいだった。
「こんどは丈夫な子に生まれてこいよ」
母は背中をさすりながら言っていた。サトには朧《おぼ》ろな記憶しかなかったが、アサは夢の中によく出てきた。アサの夢はよくなかった。
「アサの夢を見たからね、みんな気をつけるんだよ」
サトは子供たちによく言ったものだ。一郎が病気になるときも、二晩続けてアサの夢を見たのだった。
「長くかかりそうだけど、かならず治るだからね。あせらずにのんびり治療することだよ」
帰りたがる一郎に言い含めた。いま小学校の五年生で伸び盛りなのに、えらい病気に取りつかれたもんだ、とサトは改めて思った。
サトは一郎を病院に一人残して家に帰ってきた。家じゅうが暗く沈んでいた。
「一郎はこれから長い療養の生活を送るんだからね。お前たちは一郎の分も働け」
サトは子供たちに言って聞かせた。
29
うそ寒い日が続いて五月になっても、明るい春の陽気はなかった。病気は良くもならず悪くもならず、ただずるずると日を重ねるばかりだった。
一郎は暑い夏も寒い冬も、白い壁の部屋で本を読んだり家へ手紙を書いたりして、退屈な毎日を過ごしていた。
ときどき訪ねてくる母の訪問が何より楽しみで、カレンダーの数字に赤丸をつけ、指折り数えて待っていた。
「一郎!」
リュックサックを背負ったサトはドアを開けるなり、大声で呼んで飛び込んでくる。
「さあ、食べえ食べえ」
サトはベッドの上に十勝太の風味をばら撒いて、一郎が喜んで食べるのを満足そうに眺めている。季節の山菜があり、川に群れる魚があった。
「ええ香りだ」
一郎は|まえたけ《ヽヽヽヽ》御飯を頬張って、眼を輝やかした。
「食欲はあるにな、黴菌《ばいきん》が栄養をみんな吸ってしまうんだよ」
サトは一郎の痩せ細った腕を見て顔を曇らせたが、すぐ思い直したように、
「もりもり食べて、黴菌ば吹っ飛ばしてしまえ」
握り拳を振り上げて、叫び立てるような口調だった。
しかし、病気の怖さを知っているサトの心の中は決して安穏ではない。入院してからしだいに弱々しくなってゆく一郎を見るのが切なかった。
「働き手は山ほどいる、心配せんでのんびり養生せえ」
サトは病室に入ってから帰るまで、一分の時間も惜しんでしゃべり通した。話が複雑になってくるとマスクをはずし、唾を飛ばして、しゃべった。一郎はにこにこと聞きながら、母が次に来る予定日に赤丸をつけた。
「トランプ占いを覚えたんだ」と、一郎が言った。
「当たらねえだよ」サトは頭を振ってうそぶいた。
「それがびっくりするほど当たるんだから」
一郎は手箱からトランプを出してきて、|てん《ヽヽ》を切った。馴れた手つきだった。五十二枚のトランプをベッドの上に列べて行って、数字の通ずる札《ふだ》があれば、それをつぎつぎに取り上げ、札《ふだ》が全部なくなれば吉、五枚以上残れば凶というのである。トランプの札《ふだ》がどんどん減ってゆくのを、サトはじっと見つめている。
「眼が回りそうだ」
サトは何も分らないのに、最後の残り札だけに気を留めていた。三枚残った。
「残りは三枚だから小吉くらいだ」と、一郎は言った。
「占いを始める前に、願いごとがうまくゆくかどうかを神様に伺うんだよ」
「どう頼むんだい」と、サトが訊いた。
「たとえば、母ちゃが今日何時の汽車で来るか、それを伺うんだよ」
「それで?」
「札の残りはエースが一枚だから、今日だって一時かっきりに来たんだ」
一郎は声をあげて愉快そうに笑ったが、その痩せこけた頬は歪んだように引き攣《つ》り、精彩のない眼玉だけがとろんと眼窩の中に沈んでいた。
「僕の病気が治るかどうか、占ってみようか」
一郎は嘲けた口調で投げやりに言った。
「そんな馬鹿なことを言って」
サトは本気で怒った。
「治るに決まってるによ。へたすと、こんたら占いで、ほんとに命を落とすことになるど」
医学の進んだ今どき、迷信に取り憑かれている一郎が情けなかった。
「こんなもの」と、サトはベッドの上のトランプをびりびり引き裂き、わし掴みにして懐の中に押し込んだ。
「一郎、おめえは死神に取り憑かれてんだ」
彼女は顔をくしゃくしゃにして涙をぼろぼろ落とした。
「家じゅうの者が、みんな一郎の回復を楽しみにしてるのに、おめえは死ぬことばかり考えてる」サトは「情けない」と言って、声を詰まらせて泣いた。
明るい西日が窓から射し込んで、サトの帰る時間が迫っていた。
「必ず良くなるだからな、トランプなんか信じねえで医者を信じるだど」
彼女は涙を拭い、病室の鏡に向かって髪に櫛を入れた。
「こんど来る時は、こってり甘いオハギを持ってくっからな」
洗濯物のぎっしり詰まったリュックサックを背負ったサトは、人混みの中をくぐり抜けて、午後三時半の下り列車に跳び乗った。
30
一郎が入院してから四回目の正月を迎えた。周吉が正月酒を飲みながら、
「豊造もいよいよ兵隊だな」と、感慨深げに言った。ヘンケの親戚に当たる馬の好きな豊造はしじゅう遊びに来ていたが、一郎が入院してからは牧夫見習いとして働いていた。
「一郎の代わりによく働いてくれたんだからね、立ち振る舞いは盛大にしてやらんとな」
サトも意気込んでいた。
豊造の兵種は歩兵で、入営先は旭川第七師団だった。一月十日が入営の日だったので、正月の声を聞くと、豊造の心はもう兵隊になった気持ちだった。朝目が覚めてから寝るまで、豊造は軍歌ばかり歌っていた。
「陸軍歩兵二等兵、広尾豊造」
突然厩の方から大きな声が聞こえてきてびっくりした。
去年の秋、「甲種合格」の通知を受け取ったとき、
「豊造、やっとアイヌの力を見せる時が来たど、命を投げうってしっかりがんばってくろよ」
サトは豊造の両肩を押さえて言った。
「大日本帝国の軍人だもの、爺ちゃと婆ちゃが生きていたら、どんなに喜ぶか」
豊造が生まれたころを思い出して、サトは目頭を押さえた。
正月になって晴天が続いた。翌日、豊造の父国雄と母ヤエがぼろの外套を着、夏の高丈を履いて雪を漕いでやってきた。
「わしらは何も出来ないによ」
二人は上り框《かまち》に手をついて言った。
「そんな固苦しいことは抜きにして、さあ、上がれ上がれ」
サトは二人の手をとって炉縁に引き上げた。
「めでたい首途《かどで》だから奮発すべえ」と、サトは力を込めて言った。国雄たちは頭を垂れてただ頷ずくだけだった。
「和人たちが眼を皿にして見てるだからな。ここはわしらにまかせてけれ」
「食べるだけがやっとなもんで」
ヤエがうなだれて小さな声で言った。
「苦しい時はお互いさまだよ、それに豊造には三年も四年も働いてもらったんだから」
明るく声を弾ませて、サトは言った。夕方、国雄とヤエは正月の祝い酒をたらふくご馳走になり、土産に鮭の|いずし《ヽヽヽ》をもらって帰って行った。
立ち振る舞いの日は朝から快晴だった。
「天気はいいし、働き手は大勢いるし、何もかもうまくゆくさ」
サトは料理の采配をふるって元気がよかった。大きな娘たちは五人もいたし、それに浜部落から会長のおかみさんたち四、五人、そのほかタイキの女房フデ婆も来ていたので、広い台所も流し場も働き手で埋まっていた。
黒い漆塗りのお膳に乾拭きをかける者、食器を洗う者、拭く者、野菜を刻む者、赤いキンキや鮭を料理する者――。春子やナミは新川から水を汲んだり、ストーブに薪をくべたりした。
「腹がすかないように刺し身も蛸の三杯酢もどっさり盛ってけれ」
料理の味を見ながらサトは愛想を振りまいて言った。働き手たちは一日じゅう休みなく動き回った。
「名誉なことなんだから、部落じゅうひとり残らず来てもらうんだからね」
サトは誇らかに言った。
「乞食のブタ婆もけえ」
フデ婆は驚いて目を丸くした。
「もちろんだよ、今日は貧乏人も金持ちも部落じゅうみんながめでてえ日なんだからね」
夕方、凍れがぎっと体を締めつけてくるころ、祝い客たちが「ひどい凍れだ」と口々に言いながら、顔じゅう霜を真っ白につけて、ぞくぞくと詰めかけてきた。
祝賀会場は八畳三間と廊下を合わせて三十畳ほどの広さだった。三つのランプが煌々《こうこう》と輝き、ストーブが赤々と燃えていた。会場が半分ほど詰まったころ、ぼろをまとったブタ婆も長い竹の杖をついて現われた。足にぐるぐる巻きつけた赤いケットを長い時間かけてときほぐした。
「凍れの野郎が食いついてきやがる」
ブタ婆は味噌っ歯を剥き出して笑い、よろけるように立ち上がると、そのまま豊造が坐っている床の間の上座につかつかと歩いて行った。懐から紙包みを取り出して、「食べれ」と言った。中には黒砂糖のこごりが入っていた。あわてた豊造が立ち上がって挙手の礼をしたので、祝い客たちがどっと笑った。
席がほとんど埋まると、いっせいに拍手が鳴り響いて、兵藤会長の挨拶があった。拍手が鳴り終ると、
「豊造の番だ」と、周吉が右手をあげて合図した。豊造は落ち着いていた。
十勝太に生まれ育って二十年、みんなにお世話になったことを感謝していること、入隊のあかつきには帝国軍人として、部落の名誉にかけても一生懸命がんばること、病弱な父母を残してゆくのでよろしく願いたいことなどを、簡潔に要領よく話した。
ひときわ高い拍手が鳴り止むと、
「りっぱな挨拶だった」と、フデ婆が感激して息を詰まらせた。
「家のことは何も心配ねえだよ」
サトは目頭を押さえて泣いていた。
「さあ、みんな、酒はなんぼでもある。飲んで歌って祝ってくだせえ」
いちだんと声を張り上げて周吉は言った。
宴会が始まると、会場の緊張が解けて和んだ空気が部屋いっぱいに漂った。喉自慢の新吉が江差追分を歌い、与三吉が十勝馬子唄を歌った。銚子を運ぶ者や汁のお代わりを持ち運ぶ者が入り乱れて、会場はにわかに賑わった。家の中はほんのり暖かだったので、客人たちの酔いは早かった。
「アイヌが日本帝国の軍人だと」
菊村が二、三人向こうに坐っているタイキに声をかけた。
「帝国軍人が何で悪い」
タイキが撥ね返すように言った。
「うぬぼれにもほどがあるべ」
菊村はふんと鼻で笑った。
「何がうぬぼれだと、そんじゃあ豊造は帝国軍人でねえと言うのか」
タイキが肩をいからした。
「日本人に保護を受けているによ、でかい顔をすんな」
喧嘩の火は簡単に燃え上がった。
「馬鹿にする気か」
タイキが声を荒げて立ち上がったので、みんなは話をやめていっせいにタイキの方を見た。彼は菊村の襟首をつかんで締め上げていた。
「俺は静かに話をしてるのに、アイヌはどうしてこう野蛮なんだべか」
菊村は喉を締めあげられてげくげくさせながら、伸び上がってみんなに聞こえるように言った。
「鬼踊り(喧嘩)には、ちと早すぎるど」
兵藤会長は二人の中に割って入った。鬼踊りは宴会につきものの余興のひとつだった。両腕を振り回して渡り合うから、そう呼ぶのである。絡《から》んでくるのは、いつもアイヌ嫌いの菊村や森下や平沼だった。
結婚式でも建前でも宴がたけなわになってくると、客人たちは内心熱のこもった鬼踊りを待った。
「ぶち殺してしまえ」
客席のあちこちから声が飛び交い、人々は総立ちとなって応援した。だが、この夜は様子が違っていた。
「めでたい日なんだから我慢してくろ」
丸太ん棒のような太い腕にぶら下がってサトは頼んだ。
「さあ、みんな、気持ちよく飲んで歌って豊造を祝ってくだせえ」
潰されたお膳を脇に寄せて、周吉は大声で言った。酒宴はふたたび元に戻って、笑いと歌声の渦があちこちに湧き起こった。
夜が更けて、祝い客の半分が酔いつぶれていた。
「豊造、みんなにお礼を言え」と、周吉が言った。
豊造と並んで両親の国雄とヤエが姿勢を正してきちんと立った。三人とも新品の衣服を身にまとっていた。
「服も上等だし、態度も堂々として立派なもんだ」
手伝い人も祝い客も感心した。
「謹聴、謹聴」と、客席から声がかかった。
酒宴の席は静まりかえったが、三人は棒のように立ったまま、いつまでも声が出てこなかった。豊造も国雄もヤエも泣いていた。
「豊造は軍人になるのがおっかねえだよ」
酔いつぶれていた菊村がむっくり起き上がって言った。
「アイヌの分際で帝国軍人の仲間に入ろうというのだから、初めから無理な相談なんだ」
菊村は天を仰いで嘲笑ったが、そのとき豊造の岩のような拳骨が菊村の顔面に炸裂した。鼻血がどっと吹き出し、食器の破片が四方に飛び散った。
「叩き殺せ!」
「息の根を止めてしまえ」
方々から声が乱れ飛んだ。
「怪我でもさせたらどうすべえ、耳をふさいで我慢してくろ」
豊造を後ろから抱き抑えて、サトは声を詰まらせて宥めた。
まだ酒席はざわついていたが、
「豊造の『武運長久』を祈って」と言って、会長の音頭で万歳を三唱した。
酒宴に区切りがついたのに、酒の好きな連中はそのまま居坐って朝まで飲んでいた。
ランプが明るく点《とも》り、ストーブが赤々と燃え、威勢のいい歌声が聞こえているうちに夜が明けたので、豊造の頭の中は立ち振る舞いがまだ続いている感じだった。
「空が澄んで、日高の山脈《やまなみ》がくっきり浮かんで見えるわ」
サトが外から入って来て言った。豊造は炉縁に坐り、奉公袋(信玄袋)から中の物を取り出して持物の点検をしている。
「いよいよ出発だな」
周吉は誰にともなく言った。
牧夫の定雄が馬橇を庭先に曳いてきた。馬橇の鼻先には日の丸の旗をつけた二本の旗竿がX型に掲げられていた。箱馬橇の中央に乗った豊造と両親の傍に豊造の弟たちが乗った。馭者の定雄は馬橇の鼻先に腰をかけた。
馬橇が動き出すと、新川橋の袂に立った見送り人たちが、日の丸の小旗を振って万歳を叫んだ。馬橇は雪煙を吹き上げ、原野の中を日高山脈に向かってどこまでも駈けていった。
31
豊造が入営した翌年の昭和十一年の秋、天皇陛下が北海道に行幸し、五日間にわたって陸軍大演習が行なわれることになった。
その年の春、四月に入って間もなく北海道庁から行幸中の行事が発表され、兵隊も役人も民間人も緊張の中にも浮き立っていた。
お召し列車が通る
日の丸の旗ひるがえし
シュッポ シュッポ
お召列車は走る
お召列車が通る
鉄橋を渡り、トンネルを突き抜けて
シュッポ シュッポ
お召列車は走る
子供たちが唄って通った。
お召列車が十勝を通るとき、車中からの天覧として、「アイヌの丸木舟競走」と「放牧馬の群棲」の二つが計画された。
参加者が厳選された「競走」には、シュクシュンの孫春吉とシンホイの孫源治が選ばれ、「放牧馬」には周吉が選ばれた。
「名誉なことだ」
タイキの妻フデが声を弾ませて言った。
源治たちはときどき駈り出されて、厳しい練習をした。場所は池田駅の近くで、鉄橋から十勝川が直線に見える処だった。汽車が鉄橋にさしかかる直前、号砲がなってスタートをきる。汽車が鉄橋を通り抜けるわずか数十秒の勝負だった。
「天皇陛下が横を向いたり、雨が降ったらどうすべえ」
「見るも見ないも天皇陛下の勝手だろ」
「見るか見ないか分らんものに、汽車賃をかけてまで、練習する必要があるべか」
アイヌたちが盛んにチャランケ(文句)をつける。
「天皇陛下は行事が盛《も》りたくさんでお疲れなんだ。競技を見て少しでも心が和んでくだされば有難いことだ」
係の役員が仲裁に入った。アイヌたちは納得してふたたび練習を続ける。
源治や春吉が汽車で池田に通えば、周吉は三十頭の馬を引き連れて厚内に走った。厚内駅の後方、山の斜面に三百頭の放牧馬を遊ばせるのである。周吉はその総指揮者だった。
お召し列車がカーブを回って海に向かって突進してきたとき、呼び笛を吹き、白い軍手をはめた右手をさっと上げる。それを合図に牧夫たちはいっせいに積草《にお》に頭から潜りこんだり、溝の中に跳び込んだりして身を隠すのである。馬たちをぎりぎりまで放牧地に留めておき、馬に刺戟を与えずに、さっと身を引くのが秘訣だった。周吉は白い煙を吹き上げて突進してくるお召し列車を想定して練習した。しかし、ここにも牧畜家たちの疑問があった。
帯広から釧路へ向かう天皇陛下が、駅ごとの歓迎にくたびれて、せっかく「馬産十勝の豊穣の秋」を演出しても見てくれないかもしれない、というのである。
「海に気を取られて、山側なんか振り向くもんか」
厚内の牧夫川合が口を尖らす。
「どうせ猿芝居なんだ。こんな狭い放牧地に三百頭の馬を入れること自体がおかしいさ」
静内の牧夫長嶺が尻馬に乗って騒ぎたてた。
「国民が平和で裕福に暮らしてるとこを、天皇陛下に見せたいんだろ」
「冗談じゃあないよ、食うや食わずで貧乏のどん底なのによ」
「まさか、|ほいと袋《ヽヽヽヽ》をさげて、鉄道沿線に坐る訳にもいかねえべ」
「お上《かみ》の命令だもの、溝へ跳び込むくらいはたやすいもんだ」
雨合羽を着た牧夫たちは、いっときの休憩時間に、牧草地に寝ころんで、わいわい騒ぎたてていた。
周吉が起き上がってピリリッと呼び笛を吹き、「も、いっぺんで終るべえ」と言った。牧夫たちはちりぢりになった馬たちを放牧地の中央にかき集めた。馬たちは正直だった。彼らは放牧地に突っ立ったまま退屈そうに欠伸をしていた。
雨雲の切れ目に子供たちが線路の脇を歌って通った。周吉は首を伸ばして聞きながら、十勝太の歌と大違いだ、と思った。
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平野を突き抜け
山|間《あ》いをぬって
お召し列車がやってくる。
馬追い(牧夫)たちは蛙になって
溝《どぶ》の中に跳び込んだ。
西空に雨雲が湧いて
雨のどしゃ降る中を
お召列車がやってくる。
馬追い(牧夫)たちはキリギリスになって
積草《にお》の中にもぐり込んだ
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どの部落もお召し列車の話でもちきりだった。
行幸の日、その日は朝から雨が降っていた。小学四年生の孝二も姉のトヨ子も妹たちのキヨ子もアヤ子も雨合羽を着、長靴を履いて出かけた。
「道中が心配だから」と言って、小学生たちは朝九時に学校を出発した。湿地帯に入ると道端を泥水がどぼどぼと流れ、小学生たちは膝までつかって立ち止まった。後ろからきた大人たちが小学生たちを背負って泥濘の海を越えた。
雨はいよいよ激しさを増し、雨合羽を叩きつける雨音で話が聞こえないほどだった。
「お召し列車の出迎えだもの」
こんな雨ぐらいに怖じけてはいられない、と人々は言った。
下頃部《したころべ》駅へ着くと、方々の部落から集まってきた人々で、駅の待合室は埋まっていた。
「一番いいホームの中央は旅来《たびこらい》のアイヌ婆だとよ」
「なんで?」
「天皇陛下がアイヌたちを見たいだとよ」
雨合羽を着た大人たちが不満そうにしゃべっている。旅来のアイヌ婆というのは口を染めたアイヌの老いぼれ婆だった。もう五十年も前に亡くなった酋長オニシャインの伜イホレアンの妻ケロチである。
「北海道の開拓に力を尽くしたべか」と、男は口を尖らして言った。
「帰俗アイヌ(同化に力をつくした)だもの偉いべ」
「天皇陛下はアイヌもりっぱな国民として慈悲をかけてくださるんだよ」
孝二は大人たちの話をぼんやり聞きながら、ホームの一番席に坐るという旅来の婆のことがいつまでも頭から離れなかった。
十勝太の小学校の席は線路から五十メートルも離れた倉庫の傍だった。お召し列車がもうすぐホームに入ってくるというので、どしゃ降りの中に雨具なしで立っていた。左手の方から白い煙が見えてきたとき、「最敬礼」と、在郷軍人らしい軍服姿の男が号令をかけた。小学生たちはいっせいに腰までの礼をした。
ごとん、ごとんと巨大なものが静かに通り過ぎてゆくのが分った。孝二は腰を折り曲げたまま、上目づかいに機関車を見た。生きもののように白い煙を吹き上げて、それは前から想像していた通り、黒く岩のように頑丈な姿だった。
「煙を見ただけだ」と、帰りしなに友達は不満そうに言った。頭を上げたときには、お召し列車はすでに遠くに去っていたと歓迎に来た人たちは、ぶつぶつ文句を言った。孝二はみんなの後ろからついて歩きながら、天皇陛下のことより力に満ちた巨大な汽車のことを、ひそかに考えて楽しかった。雨はいちだんと激しさを増してきたが、少しも冷たくはなかった。
お召し列車は、ここから三つ目の厚内駅に間もなく着くだろうと思った。そこには父の周吉が待っている。
「うまくゆくだろうか」
孝二は心配だった。長閑《のどか》で豊かな風景を見て、天皇陛下はきっと満足するにちがいない。予行演習を三回もしたのだから、成功は確実だと思った。
その晩、「名誉なこった」と、父は酒を飲みながら感激していた。
「和人の仲間入りして、しかも、その長になったんだからね」
母のサトも満足である。
「菊の御紋の入ったラクガンをもらってきた」と、周吉は誇らかに言った。その晩は成功を喜んで朝まで祝い酒を飲んだ。
お召し列車の通った翌日も雨だった。
「丸木舟競走も糞もあったもんでないさ」
春吉が入ってくるなり、文句を言った。
「水勢《みずせ》が早いもんだから、スタートに並ぶことも出来ずにいるうちに、汽車は行ってしまった」と言った。
「せっかく練習したにな」
サトが気の毒そうに言った。
「あの濁流の中だもの」
いっそ中止すべきだったと言って、無理やり強行しようとした係員たちを春吉は詰《なじ》った。
「天候にはかなわんべ」
春吉は天井を見上げて、けらけらと笑った。
「この雨じゃあ、演習だって危ないもんだべ」
「戦争に雨も嵐もなかべ」
周吉は「漕艇競走」に失敗した意気地ない春吉や源治をあざ笑った。
トンケシ山に厚い雲がかかって、雨はなお降り続いていた。天皇陛下が室蘭に上陸してからは、いっそう空が荒れて晴れた日は一日もなかった。それが十月二日からの大演習が始まると、ますます激しく吹き荒れた。雨の中の演習だった。
大演習は北海道全域を舞台にし、岩見沢、札幌を拠点に、奥羽地方の八師団の南軍と北海道七師団の北軍の二つに分れ、その攻防が昼夜を通して四日間に亘ってぶっ通し行なわれた。
「豊造はどの辺で戦っているもんだか」
定雄も周吉も新聞を見ては、そのことばかりを話し合っていた。
すでに室蘭に上陸した南軍は北軍を撃滅すべく汽車で旭川方面に向かっていた。両軍はまず岩見沢付近で遭遇した。しかし、攻防相譲らず、それぞれの主力は鉄道輸送に力をそそぎ、戦線は由仁《ゆに》、千歳川《ちとせがわ》方面へと移動した。だが、最後の決戦場は札幌南方の島松《しままつ》平野だった。
戦車、装甲自動車が走り、砲声が轟き、飛行機の爆音が島松平野一帯に鳴り響いた。広大な北海道に展開する大規模なこの作戦は大陸を想定していることは誰の眼にもはっきりしていた。
「いよいよ大々的に大陸進攻だな」
みんなが勇み立った。
「軍馬も高値になるし、需要もどんどん増える」
昭和六年、満州事変が始まってからは、軍馬の値段が年ごとに高くなって、部落では戦争気分と戦争景気に湧き立っていた。
「今に本当の戦争が始まれば、寒さに強いアイヌに、みんなたまげるさ」
シュクシュンの孫春吉は、眼を荒鷲《あらわし》みたいに輝かし、シンホイの孫源治は、
「奴らの弾丸《たま》を頑丈な胸板で撥《は》ね返してやる」と言って、腕をぶるんと振り回した。
アイヌたちにとって、戦争は泥沼から這い上がる絶好の機会でもあった。
32
十一月に入ると、木枯しが吹いて寒い日が続いた。
「一郎も寒さが身に応えるべ」
外から入ってきた周吉が、ストーブに手をあぶりながら言った。
「部屋に暖房が入る頃だが、まだかもしれんな」
サトが心配そうに言う。
「下着だって、もう冬物でなけりゃだめだべ」
噂をしている処へ、一郎から手紙が届いた。春子が声をあげて読んだ。
「皆さんお元気ですか、僕も毎日規則正しい生活と療養に励んでいます。入院してからもう五年たちましたが、院長先生の話では少しずつ快方に向かっているそうですから、ご安心下さい。
月が変って急に寒くなりましたが、石炭が不足しているので、まだスチームは入っておりません。昨夜、真っ赤に燃えるストーブを囲んで、みんなで|ごしょいも《ヽヽヽヽヽ》を食べた夢を見ました。湯気のあがる熱い|いも《ヽヽ》の上にツタタップ(塩蔵した鮭の内臓を俎《まないた》の上で細かく叩き刻んだもの)をのせて腹いっぱい食べました。
では、寒さに向かう折柄、皆さんどうぞお体を大切にしてください。
孝二も妹たちも僕の分まで一生懸命勉強してください。さようなら」
「なんぼう帰りたいべか」
サトは目頭を押さえて咽《むせ》び泣いた。
「姉妹たちに感染したら、一家全滅だからな。『帰りたい』なんか、そんな甘え言なんか言わずに、全治するまでがんばらないと」
周吉は声を荒げて言った。
「とにかく、早う冬物の下着ば持ってゆかんとな」
サトは項垂れて、ひとり言のように呟やいた。
面会にはいつもサトが行っていた。行く前には目梨《めなし》沢の小川で特効薬のザリガニを獲った。
「兄《あん》ちゃの病気にはこれが一番効くんだよ」
長女の春子から今年五歳になるスエ子まで、八人の子供たちが足を真っ赤にして冷たい小川を漕いでザリガニを捜した。石の下から大きなザリガニが出てくると、子供たちはキャッキャッと声をあげて追いかけた。スエ子が転んで泣き、アヤ子がザリガニに指をはさまれて泣いた。
「うっかりしてると、指をちょん切られてしまうだからね。つかんだら、すぐ笊《ざる》の中に放り込むんだよ」
サトは先生みたいに、子供たちの真ん中に立って、大声で言って聞かせた。子供たちはふたたびザリガニを追いかけて、ぴんぴん跳ねる元気なのを取り押さえた。笊の中には百匹のザリガニがうごめいていた。
「大漁だ、大漁だ」
子供たちはサトの口真似をして叫びたてた。
夕方、太陽が日高山脈に傾くころ、ザリガニ獲りの一団は意気揚々と引き上げた。
その晩、サトは獲ってきたザリガニを、夜が更けるまでかかって、炭火で赤味がさすまでこんがり焼いて紙袋に詰めた。
ところが面会日の朝、サトは持病の腰痛が起きて動けなくなった。
「腰が痛くて立てねえだよ」
布団の中でサトは歯を食いしばって立とうとしたが、立てなかった。
周吉は「明日に延ばせ」と言い、サトは「寒さはどんどん厳しくなるだから、春子とナミに行ってもらう」と言い張った。
「春子、病室に入るときはこのマスクをしてな。食べ物にはいっさい手を触れるな」
サトはこう言って、ぶ厚いマスクを渡した。
「秋の陽は西空へ回ったらスットンと落ちるだからね。帰りは一時の汽車にはかならず乗るんだよ」
朝日が太平洋の水平線にたなびいた雲を真っ赤に染めて昇り始める頃、春子は下着を詰めたリュックサックを背負い、ナミはザリガニや弁当の入ったボストンバッグを持って家を出た。
ポロヌイ峠の麓までくると、春子は足を止めて、「ここがわしの生まれたとこなんだよ」と、ナミに言った。
「そのころは、|お婆ちゃん《モンスパ》も、お父《とう》の姉妹たちもいて、とても賑やかだったんだよ」
春子は懐しげに伸び上がって川の方を見た。川岸には半分潰れた草小屋があった。そこにはもとモンスパの兄テツナ夫婦が住んでいたが、今はその息子の重吉の代になり、夫婦が小魚を獲って細々と暮らしていた。
「まだ、赤ん坊だったのに」
ナミが、賑やかかどうか分るはずがないというように眉をひそめた。
「それがはっきり分るんだよ」
二人は声をあげて笑った。
下頃部駅まで、オニガヤと野地坊主のつづく二里の道程は退屈だった。ときどき狐や野兎が眼の前を横切った。
「昔はずる狐がいて、よく騙されたんだって」
「こんな一本道で」
ナミは眠そうな声で言ったまま、話は途切れて二人はただ黙々と歩いた。
春子たちの乗る汽車は八時十五分だった。七時半の下り列車が白い煙を吹き上げ、万年橋の踏み切りで汽笛を鳴らして通り過ぎた。
「あと四十五分だ」と、春子が汗を拭き拭き言った。
駅が近づくと少しずつ賑やかになってきた。馬車が通り、人が通り、リヤカーが通った。駅前通りに入ると、店が列んでいて人の往来が急に激しくなった。自転車に乗った大人や子供たちが風を切って走ってゆく。
「予定どおりだった」
春子は満足そうに言い、待合室の長椅子にリュックサックを下ろして汗を拭いた。時計はちょうど八時を指していた。
彼女は一郎の下着をリュックサックから取り出して絹の風呂敷に包んだ。春子たちは洋服も靴も誰よりもいいものを身につけていた。
「普段辛抱しても、人前に出るときにはいい物を着なければ」
サトの口ぐせだった。
33
「八時十五分だ」と、サトは床の中で寝言のように言った。上《のぼ》り帯広行きの発車時刻だった。彼女はまだ腰も動かせずにうんうん唸っていた。
トミエたちは秋の獲り入れで朝早くから畑に出ていて、家には幼い子供たちばかりが残っていた。
「一ダースも子供ば産んだから、腰の骨が変になったんだよ」
子供たちがサトの布団の周りに集まって、心配そうに様子をうかがっている。火が消えかかるとキヨ子が薪をくべ、水が飲みたいと言うと、アヤ子がコップに水を持ってきてくれた。
「猫の子よりも|まし《ヽヽ》だわ」
サトは顔をしかめて笑った。だが、昼近くになって腹が空《す》いてくると、気の立った子供たちは互いにいがみ合い引っかき合って喧嘩を始めた。スエ子が泣き、次にアヤ子が泣いた。
「いたたた」と言って、サトが布団から転げ出た。子供たちは左右に散り、じっと彼女を見つめていた。
「足のない蛇だって前へ進めるだによ」
サトは体を蛇のように伸ばして長々とうつ伏し、両手の肘を使って前へ前へ進んだ。その後ろにうつ伏した子供たちが続く。母子は青虫のように這って歩いた。
「トッカリみたいだ」
キヨ子が面白がってトッカリの上を跳び越えた。
ようやく台所に辿り着いたサトは、キヨ子に御飯を盛らせアヤ子に味噌汁を盛らせた。だが、子供たちは一向に立ち上がる気配がなく、横に寝そべったまま御飯を食べた。
「まあ、あきれた子だこと」
口は達者でも、サトはまだ立ち上がれないでいた。「叩いてけれ」と、半ばやけ糞のサトはキヨ子に命じた。弱い子供の力だが、どすんと漬物石が落ちてきたように頭の芯《しん》に響いた。サトは「う、う、う」と唸って、玉のような汗を流した。だが、昼が過ぎたころになってサトはようやく立ち上がることが出来た。はじめは赤ん坊のようによちよち歩きだったが、しばらくしてもとの元気を取り戻した。
「まるで嘘のようだわ」
サトの後ろから、子供たちもぴょんぴょん跳んで歩いた。
「さあ、今朝の分も食べてけれ」
昼どきがとっくに過ぎた昼食だった。周吉と定雄が馬の見回りから帰ってきて、遅い昼食を食べているときだった。
外で人の呼び声がして、一瞬、耳をすました。
「春子が」「春子が」と聞こえた。
サトが窓から顔を出して、「春子がどうしたんだと」と言った。
新川橋の袂に立った郵便配達夫の留雄が、
「春子が馬車にはねられて、足ばぶち折ったど」と叫んだ。
「場所はどこだ?」
周吉が裸足で外に飛び出して訊いた。
「ポロヌイ峠の麓だ」
「春子はいまどこにいる?」
「はねた馬車に乗せられて、浦幌の病院さ運ばれて行った」
「どこの馬車だ?」
「耕造だ」
名前を聞いて周吉はカアッと頭に血がのぼった。耕造は村木の小作人寅之助の伜で、見るからに気の弱い頼りない若者だった。
「定雄、すぐ馬車の支度ばせえ」と、周吉は言った。
「あんなうす馬鹿に馭者ばまかしておけるもんか」
彼はがっちりした自分の馬車を使いたかった。定雄が馬車を曳いてくると、周吉はひらりと跳び乗って疾風のように駈け出した。馬車は見る見る小さくなって原野の果てに消え失せた。ポロヌイ峠を越え、湿原にさしかかると、泥濘も凹凸もなしに周吉は暇なしに馬を追いたてた。馬の背中から湯気がぼうぼうと立ち昇り、後足《ともあし》のつけ根から泡が吹き出しても、彼は決して馬力を緩《ゆる》めなかった。
浦幌盆地にさしかかり、道路の向こうに耕造の馬車を捕えたときは、すでに浦幌の街に入っていた。
「荒馬の暴走だ」
学校帰りの生徒たちが道の両側に寄って、狂うように走ってくる馬車を見つめていた。病院の前に到着したのは、耕造の馬車と周吉の馬車と同時だった。ナミが春子に付き添っていて、たまげた顔で周吉を見ていた。
周吉は馬車から跳び下りるなり駈け寄ってきて、「春子」と呼んで抱き起こした。彼女は声も出せずに、ナミの手を握りしめていた。
「春子、もう大丈夫だ」と周吉は言い、春子を背負《おぶ》って病院の中へ飛び込んだ。
春子の傷は重かった。右肩の脱臼に右足骨折、それに腰に強い打撲を負っていた。診察室に入ったきり、春子はなかなか出てこなかった。待合室では周吉とナミと耕造の三人が長椅子に坐って、口もきかずに睨み合っていた。
「馭者も満足に出来んくせしてな」
周吉が腹に据えかねて口を切った。
「おおまわし(ブレーキの役目をする)が切れたんだ」
耕造が口を尖らした。
「あの勢いだもの」
ナミが、ポロヌイ峠から雪崩《なだれ》るように駈け下りてきた馬車のすさまじさを、思い出すように言った。
「命が百あっても足りないさ」
ナミは太い溜息ばかりをついていた。彼女はとっさに深い排水に飛び込んで難を逃れたのだった。
耕造は気が弱い上にひょろりと背が高かったので、みんなに「末成《うらな》り」と呼ばれていた。小さい時からいじめられっ子で、いつもめそめそ泣いていた。小学校を卒《で》てすぐ青年団に入ったが、そこでもぱっとしない存在だった。いつもみんなの嫌がる仕事を押しつけられ、除《の》け者扱いにされていたので、春子は内心、同情の眼で耕造を見ていた。
「治療代も払うし、おら、毎日馬車で病院さ送ってくる」
耕造が言い終らないうちに、
「当たりめえだ」と、周吉は待合室に響き渡る大声で怒鳴った。
「おら、いま銭《ぜに》ば持ってねえから、後で払うよ」
「おめえに銭《ぜに》のあるはずがなかべ」
周吉は口を開けて虚しく笑った。
窓から西日が赤く射し込んで、落日が迫っていた。
「何をぐずぐずしてんだい」
周吉は待合室をぐるぐる回りながら、春子の治療を待ちわびていた。
「やぶ医者めが、何時間待たせるんだ」
彼は床をダンと踏んで大声で言った。ナミがおとなしくするように瞬《まばた》きを繰り返したが、しかし、周吉の我慢も限度に達していた。彼は荒馬のように鼻をびいびい鳴らし始めたが、そのときドアが開いて春子は車のついた台に乗せられて運ばれてきた。
「春子」と、周吉は大声で呼んだ。彼女は目で周吉の姿を追いながら、かすかに頷ずいた。骨折した右足は、両面から板片で挟みつけられて痛々しかった。
「骨折のギブスは明日だ。それに腰の傷も気がかりだし、当分かかるな」
金縁の鼻眼鏡に白衣をまとった老医師は冷やかに言った。
外はもう夕暮れどきで、街には電灯が点《つ》いていた。二台の馬車は木枯しが吹きつける中を、震えるようにのろのろと街を出た。
34
翌日から春子の通院が始まった。凹凸道なので、少しでも衝撃を柔らげようと、枯草の上に布団を敷いて、その上に春子は寝ていた。
「危いとこへ来たら、馬車から下りて馬の口をとってけれ」
サトは耕造に頼んだ。
「もうすぐ雪が来るというにな」
周吉ははじめ春子の通院は俺がやると決めていたが、収穫の多忙には勝てなかった。しかし、耕造の馭者も気に入らなかったので、周吉はたえず小言《こごと》をつき、しきりに唾を吐き捨てた。
「一郎の面会にわしが行っていたら、こんなことにならなかったによ」
炉縁にうずくまったサトが同じことを何度も言って悔やんだ。木枯しがごうっと唸りを立てて、二人の話に区切りをつけるように吹き抜けた。
「さあ、もうひと汗かいてくるべえ」
周吉は立ち上がった。今日は朝早くから近くの畑で燕麦の収穫をしていた。筵の上に穂のついた燕麦を広げ、唐竿《からさお》で叩いて実を落とすのである。二人或いは三人が向かい合い、調子を合わせて、とんとん、と穂を打った。乾いた燕麦の実が辺りにばらばらと飛び散った。
「今年は天候が不順だったのに、バンとした実りだ」
サトは上出来な実りに満足していた。
唐竿の乾いた音が、とんとん、とんとん、と原野に響き渡った。ときどきごうっと強い風が吹いてきて、燕麦殻を筵の外へ吹き飛ばした。サトは吹き飛んだ燕麦殻を筵の中へ投げ入れて「気狂い風」と言った。
「誰だべか」
ナミがこっちへ歩いてくる農民風の男を見つけて言った。
男は耕造の父親の寅之助だった。彼は昨日の過失を謝り、
「治療代が払えねえから、働いて弁償させてけれ」と言った。
周吉はいいとも悪いとも言わなかったが、「しかたなかべえ」という態度だった。
寅之助は継《つぎ》だらけの上衣を着、指の抜けた軍手をはめていた。
彼は押し黙って黙々と働いた。定雄と向かい合って休みなく唐竿を振り回した。
「今朝からこれで五つ目だ」
積燕麦の山が一つ一つ崩れてゆくのをサトは満足げに眺めた。しかし、秋の太陽はそれ以上に早かった。トンケシ山もカンカンビラもひと思いに飛び越えていつの間にか、日高山脈に近づいている。
夕方になると、身を突き刺すような木枯しが吹いてきて、学校がひけてから手伝いにきた子供たちは唇を紫色にして震えている。
「もうひと山だ」と、サトが張りつめた声で言った。唐竿の音はいよいよ冴えて、原野に響き渡る。とんとん、とんとん。家の方で牛が鳴いていた。
寅之助は翌日も、その翌日も、働きにやってきた。
サトは藁縄《わらなわ》で縛り付けた地下足袋を見かねて、寅之助に新しい地下足袋を履かせた。
「どうせ破れてしまうんだからな」
寅之助は迷惑そうな顔で地下足袋を履くと、子供みたいに土塊を蹴った。
「頭がおかしいんでないべか」
夕飯どき、サトが頭を傾げた。
「どうしてどうして、油断も隙《すき》もないもんだ」と言って、周吉は口を尖らした。
「叺《かます》三つと筵《むしろ》五枚、それに縄束一個がいつの間にか消えてんだ」
「懐《ふところ》にも入らない、あんなでかいもの」と、サトはたまげて息を呑んだ。
春子の通院は十日が過ぎてもまだ続いていた。体じゅうの腫れも取れ、足の骨折もだいぶ良くなったが、腰の傷はまだうずいていたし、ひびが入ったという骨盤もときどき痛んだ。
彼女は往復六里の道程を馬車に揺られながら、耕造とはほとんど言葉をかわすこともなく、一人もの思いに沈んでいた。いつも一郎のことが気がかりだった。
一郎は治って家へ帰れるのだろうか。げっそり痩せこけた頬、落ち窪んだ眼、痩せ細った腕。春子は病室で一郎を見た瞬間、呆然として立ちすくんでしまった。家にいたころの、あの健康な俤はどこにもなかった。一郎を見舞って帰り、春子もナミも一郎のことにはひとことも触れなかった。
母はあんなに痩せこけた一郎のことを、なぜ家のみんなに隠しておくのだろう。心配させたくないためなのか、それとも伝染病の恐ろしさを知っていて口を噤んだのか。一郎はあの白壁の小さな個室で痩せ衰えて死んでゆくに違いないと思うと、春子は思わず涙が溢れ出た。
「傷が痛むのかい?」と、耕造が聞いた。
「うん」と、春子は嘘を言った。耕造は馬車の速度をゆるめて静かに歩いてくれた。彼はどんなときでも親切だった。
「たとえ、どんなになっても責任はきっと俺がとる」と言った。
通院してちょうど半月目だった。耕造は傷のうずくところをさすったり、揉んでくれたりした。
霙《みぞれ》が降っていた。耕造は馭者台に坐ってぶるぶる震えていた。
「布団の中さ入って手綱をとればいいのに」と、春子は言った。
「馬車の車が横すべりして危いから」
耕造は緊張して馭者をとっていたが、横なぐりの霙に負けて、とうとう布団の中に入ってきた。
彼はがたがた震えながら、「北極から南洋へ来たみたいだ」と言った。服はびちょびちょに濡れ、手は氷のように冷たかった。どちらからともなく手と手を握り合った。
腰の傷はなかなか治らなかった。骨盤も思わしくなくて、立つと前のめりになって、どうしても真っすぐに立てなかった。
「やっぱりヤブ医者だ!」
周吉は半ば狂気に叫んだ。翌日、春子は周吉に連れられて帯広の大きな病院に行った。骨盤がねじれたまま肉がついてしまったから、手術しなければならない、と言われた。
春子はそのまま帯広の整骨院に入院したが、それから半月ほどして、ようやく退院した。
その晩、春子の家ではささやかな全快祝いが行なわれた。
「春子は蕎麦《そば》が大好物なんだよ」
サトは朝早くから蕎麦粉を捏《こ》ねながら浮き浮きしている。
「蕎麦は鶏骨の出汁《だし》が最高なんだからね」
サトに頼まれた周吉は、子供たちを相手に脂《あぶら》の乗ったロック(鶏の種類)を捕えようとやっきになって追いかけた。追いつめられた鶏たちは、周吉の頭のてっぺんを踏んづけ、それをバネにしてどこまでも飛んだ。子供たちが頓狂な声を出すものだから、鶏たちはいっそう殺気だって飛び上がった。
「声を出すでねえ」
周吉はとうとう癇癪を起こして怒鳴りつけた。彼は倉庫の縁の下にもぐった一団に眼をつけ、
「孝二、中へ潜って追《ぼ》え」と言った。
飛び出してきた鶏は、つぎつぎにボロ網にひっかかって転がった。
「この野郎」
周吉はロックの肥えた親鶏を持ち上げて、にっと笑った。
鶏の毛むしりから解体まで、マキリの手さばきは鮮やかだった。鶏の胴骨《どうがら》が鉄鍋の中で煮えくり返ると、子供たちは鼻をくんくんさせて飛び回った。
家内じゅうがお膳に着くと、「退院おめでとう」と言って乾杯した。春子は顔を赤くして頭を下げた。子供たちは赤いシロップを飲み、大人たちは酒を飲んだ。
「さあ、うんと食べえ」
サトは子供たちのつぎつぎに差し出すドンブリに急《せ》かされ、ナミが手伝って蕎麦《そば》をよそった。大きな笊《ざる》に盛った蕎麦の山が見る見る崩れてゆく。
「この子たちがいつになったら力になってくれるもんだか」
サトはしみじみ言った。
冬の夜はしだいに更けてゆく。
「ほら、この通りピンと立てるわ」
春子はみんなの前で立って見せた。
「歩調だって、前と同じように歩けるよ」
春子の歩く姿を見て、妹たちはいっせいに拍手した。周吉は眼を細めて笑い、だいぶ酔っているようだった。
そろそろ寝る時刻だった。
「春子、耕造とのつき合いは許さんど」
周吉が突然むっとした声で言った。
「耕造が帯広の病院さ三度も見舞いに行ったことも分ってんだど」
家の中はしんと静まって、重苦しい空気に包まれた。
「春子、悪いことは言わねえだよ。耕造といっしょになったら、死ぬまで苦労は絶えないど、ようく考えてくろ」しばらくしてサトが優しく言った。
「あんなぐうたら者、春子は騙されてんだ」
周吉は眼を吊り上げて怒った。春子は周吉の怒りに怯《おび》え、背中を丸めて泣いていた。
35
年が明けて間もなく、耕造の父寅之助が酒に酔って乗り込んできた。春子は障子の陰に身をひそめて、ぶるぶる震えていた。
「耕造を騙そうたって、そうはいかんど」
寅之助は味噌っ歯を剥き出し、酒の臭いをぷんぷんさせていた。
「騙されたのはこっちの方だ。泥にまみれた小作人の生活だけでもうんざりだに、おまけに脳なしのぐうたら男ときてらあ」
周吉は天井を見上げて嘲《あざ》笑った。
「ぐうたら男だと、てめえとこの春子だって卑《いや》しいアイヌ娘じゃあねえか」
寅之助は顎をしゃくり上げた。
「おらんとこは、いやしくも『伊達政宗様の子孫』なんだ、蝦夷地の野蛮なアイヌ族とは家柄が違うんだ」
彼は誇らかに言い、トフと唾を吐きすてて立ち上がった。
「糞アイヌ。卑しい分際で、よくも耕造の悪口が言えたもんだ」
寅之助がだんと床を蹴った。
「アイヌの土地さ入ってきて、何が伊達政宗だい、とっとと内地へ帰りやがれ」
周吉は野地萩《やちはぎ》で造った庭箒を振り回して、貧乏神を追っ払った。
寅之助が帰った後、
「親同士がいがみ合ってんだから、うまくゆく筈はないさ」
ナミが春子に言ったが、彼女は考え込んだまま、返事もしなかった。和解の糸口はどこにも見当たらなかった。
そのときから耕造の態度が堅くなった。青年団の集まりで顔を合わせても道路で擦れ違っても、あの明るい表情は消えていた。
「親父が頑固で困るんだ」
耕造は渋い顔で言った。春子はアイヌが恨めしく情けなかった。床に入ると涙がとめどなく溢れ出た。昔の立派な家柄を誇示する寅之助も、金《かね》の力で和人に対抗しようという周吉も、春子には同じように憎かった。
「あんな者にまで馬鹿にされてな」
周吉は一日じゅう炉縁に蹲って寅之助父子をなじった。
「こっちだって負い目はあるんだから、少しは春子のことも考えてやらねば」
サトが穏やかに言った。
「なんだと、あのうす馬鹿の耕造と春子が似合いだとな」
彼は弾かれたように坐ったまま飛び上がった。
「俺《おら》は家の格式でなく、実力を言ってるんだ。それなのに、なんで似合いなことがあるもんか」
彼は声を張り上げて吠えたてた。炉縁のデレッキが飛び、茶碗が飛び、菓子皿がつぎつぎに飛んだ。茶碗は壁に砕けて破片が四方に飛び散り、菓子皿は二つに割れて、干し薯や蜜柑が部屋じゅうに散らばった。
「春子、おめえがええなら嫁に行ったらよかべ。その代わり、行ったら二度とここの敷居を跨ぐな」
周吉の声は震えていた。家の中は重苦しく沈んで、春子は障子の陰で絞るような声で泣きじゃくっていた。
耕造と春子の仲はそのまま少しの進展もなく春を迎えた。十勝川の氷が解け、土に温もりが出て馬耕の季節を迎えた或る日、耕造が新川橋の袂に立っていた。
「発情《ふけ》犬めが」
怒りをこめて周吉は言った。春子は出てもゆけずに家の中でそわそわしている。
「馬鹿だね、お前は。本当に好きだったら、堂々と逢えばええのに」
「嫌《や》だ、嫌《や》だ。わしらは呪われた人種なんだよ。部落の人たちが眼を光らせてるのに、どして逢うことが出来るべ」
春子は騒ぎ立てる周りの人々が恨めしかった。
海の方からなま暖かい春風が吹いてきた。その陽気に乗って、子供たちが浜の方から歌ってきた。
新川橋の春ちゃんが
阿呆《あほ》な耕造に惚《ほ》れこんで
サンナシの森でくっついた
阿呆 阿呆 阿呆 阿呆
三本柳の耕造が
イヌの春ちゃんに惚れこんで
サンナシの森でくっついた
イヌ イヌ イヌ イヌ
「こら、わらしども」
サトが家の中から飛び出して行って橋の袂に立ち、両手を開いて子供たちの前に立ち塞がった。
「そんなでたらめばぬかして、春子たちがくっついたとこば見たものは誰だ、名前ば言え」
サトは顔からぼうぼう湯気を吹き上げ、荒馬のように激しい息づかいをしていた。
「こんど歌ったら、先生さ突き出してやる」
サトの見幕に驚いた子供たちは、「わあっ」と悲鳴をあげて逃げて行った。
36
春子の縁談話は村じゅうを騒がせたが、話に尾鰭がついて、いっそうおもしろおかしく騒ぎ立てられた。
「春子の様子が、このごろ、どうもおかしいんだよ」
子供たちの寝部屋に聞こえぬように、サトはひそひそ声で言った。
「どう、おかしいんだい」
周吉は眼を吊り上げた。
「じっと考え込んでいたかと思うと、急に大声で泣きだすんだよ」
それから一週間ほどして、春雨が音もなく降っている日だった。夜がほのかに明けた早朝、ぶつかるような音と共に玄関の戸ががらりと開いて、コイカリの伜源治が「春子はいるか!」と、家じゅうに響き渡る声で叫びたてた。
「春子だと」
周吉もサトも子供たちも、その声に弾かれたように飛び起きた。
「丸木舟に乗った若い女が、おらの側を通って、河口に向かってまっすぐ突っ込んで行ったんだよ」
源治は息を呑んで、「一瞬のことで、どうすることもできなかった」と言った。
春子は寝床にもいなかったし、川にはいつも川岸に繋《つな》ぎとめておいた丸木舟もなかった。
「春子だと、どして分った」
サトが吐き出すように言った。
「カスリの野良着を来てたし、舟に蹲った恰好も春子そっくりだった」と、源治は続ける。
「春子、死ぬなよ。おらが助けてやっからな」
サトが息を詰まらせてうわ言のように言った。子供たちは声も出せずに、家の中をただうろうろしている。
「定雄、馬の方は頼むど」
周吉が服をまといながら、吐き出すように言った。
雨合羽を着こんだ周吉とサトは雨の中へ飛び出して行った。二人は十勝川の岸辺を河口に向かって転げるように走った。その後ろから子供たちが一列になってぞろぞろくっついてゆく。春子を呼ぶサトの声が辺りに響き渡る。その声を聞きつけて家々から飛び出してきた人々が、河口の方に向かって走った。子供たちも犬も後に続いた。女たちの叫びたてるキラキラ声や犬の遠吠えが、原野の方まで響き渡る。
「春子、死ぬなよ」
半狂乱のサトは、止めるのもきかずに河口に飛び込み、急流に呑み込まれて危うく助けられた。彼女は砂丘に寝かされ朦朧《もうろう》とした中で、春子の名を呼び続けた。
河口は救助の人々でごった返した。網を曳《ひ》いたり、ヤスで突いたり、命綱をつけて急流に潜ったりした。周吉は、源治と二人で丸木舟に乗り込み、舟を頑丈なロープで岸の流木に縛りつけておいて、沖へ漕ぎ出して行った。
舟は続けざまに押し寄せてくる大波に翻弄されて木の葉のように揺れながら、沖の方へ突き進んだ。
「よく見ろよ」と周吉が力をこめて言った。彼は櫂を振り上げて白い泡の塊をひとつひとつ叩き壊して進んだ。だが、春子の姿はどこにも見当たらなかった。
「春子、死なないでけれ」
サトは坐ったまま砂丘に腹這いになり、砂をかきむしって絞るような声で泣いた。コイカリの女房トメ婆さんやタイキの女房フデ婆さんたちも河口に立ち、腰を折りまげ、声を張り上げて泣いた。
トンケシ山が海霧《ガス》の中に煙って春雨がいちだんと激しさを増してきた。
「ナミ、雨がひどくなってきたし、子供たちば連れて帰れ、孝二も学校に遅れてはならんど」
サトはナミと孝二に言いつけた。子供たちは一列になって春雨の中をのろのろ帰って行く。
孝二はこの四月から浦幌の高等小学校の高等科一年に入学して三里の道程を自転車で通学していた。
「姉ちゃが一大事だというのに勉強もないもんだ」
孝二はなかなか河口から離れなかったが、「休んでならん」というサトの厳しい瞳に睨まれて、しぶしぶ帰った。
昼近くなって春雨が激しさを増し、春子の遺体もあがらないと知ると、部落の人々はしだいに減っていった。だが、周吉もサトも諦めきれずに河口を遡ったり下ったり、渚に佇《たたず》んだり海にざぶざぶ漕ぎ入ったりして、慌しく捜し回った。
周吉は暇なしにぶっ通し歩き回って、もう気力もなくなって幽霊のように揺れながら歩いていた。突然、周吉は木の根に躓《つまず》いて叢の中に放り出されたが、彼はそのままいつまでも起き上がれなかった。
「春子」と、彼は口の中で呟やくように呼んでみた。自分の声が虚しく響いた。
「赦してけれ」
周吉は涙がどっと溢れ出た。銭《ぜに》と力が和人と対抗できる唯一のものとばかり信じていたのに、それがこんなことになってしまって、彼はもう立ち上がる元気もなかった。だからと言って、狡猾《こうかつ》な和人の前にひれ伏すことはどうしても出来ない。周吉は春子の身になって考えてやれなかった腑甲斐なさを、しみじみ感じて腸《はらわた》がちぎれる思いだった。
「春子に取り返しのつかないことをさせてしまった。貧富に眼がくらんだお父《とう》が悪かった。頼む、赦してけれ」
周吉は大きな涙をぼろぼろこぼした。彼は昆布刈石に行くとき以来、こだわり続けてきた自分の生き方では単純に問題は解決できないことを初めて思い知らされた。
周吉もサトも河口に寝泊りして、つきっきりに見張った。しかし、丸木舟はその三日目になって渚に打ち揚げられたが、春子の遺体は三日経っても五日経っても揚がらなかった。
ナミやトミエやトヨ子が手伝いの見張人たちの炊《た》き出しに忙しかった。朝早く起きて握り弁当にしたのを、定雄は河口に運んだ。一日三食ずつ、三十人分の弁当づくりは、その肴《おかず》の梅干や沢庵《たくわん》を考えるだけでも難儀だった。
朝がた、東天が白みかけたころ、周吉たちが帰ってきて、ストーブを焚《た》く音がした。孝二たちは布団の中で聞き耳を立てた。
「どこへ隠れたもんだか」と、父が言った。
「身につけた靴も着物も何ひとつ寄り揚がらねえだからな」と、母の声がした。
「オコシップの遺体もとうとう揚がらなかったんだからな」
「川底のバケ穴に入ったら、そのまま永久に揚がらねえと言うだよ」
サトはこう言って咽び泣いた。
一週間が過ぎると、部落の人が半分に減った。
「潮まわりからみても、どうも今夜あたりが怪《あや》しいど」
会長の兵藤が声を弾ませた。
「耕造はどうした。春子が寄り揚がるというにな」
タミ婆が目を剥いた。
「あんな性《しよう》なしの風来坊、責任もくそもあったもんでないさ」
トメ婆が口を尖らせて怒っている。
夕方、潮が満ちてくると人々は殺気だった。
「ポン滝の岬が怪しい」
河口から半道ほど下手《しもて》にホッキ貝や流木の寄り揚がるところがあった。人々は岬の方に走った。岬には貝屑や木屑が堆《うずたか》く積もっていた。波は高かったが、周吉やサトが先頭に立ち、その後にフデ婆や部落の人々が続いた。
満ち潮の波には勢いがあった。波は岸にきても生き物のように膨らんで胸までせり上がった。
「足ばしっかと踏みしめろよ」
サトは自分にでも言い聞かせるみたいに呟やくように言った。引き潮が強いので、立った足底が深く掘れて倒れそうになった。
波に浮かぶものは木屑でも泡でもなんでも棒で掘っ返して確かめた。だが、岬の海でもとうとう春子を捜すことは出来なかった。
「どこへ行ってしまったもんだか」
サトは渚にべったり坐って溜息をついた。
「海の中でなんぼう寒いべか」
フデ婆が沖に向かって涙声で言った。
海はすっかり暮れて黒い幕に閉ざされ、波音だけがごうごうと響き渡っていた。周吉たちは満潮になるまで探し回って、河口に引き返した。
河口では焚火が赤い焔を吹き上げて燃え盛っていた。人々は濡れた体を火にくっつけるようにして焙《あぶ》っている。体じゅうから湯気が噴煙のように立ち昇った。
「火が何よりのご馳走だわ」
浜部落の常蔵爺さんが流木を拾ってきて、焚火の中へ投げ入れた。そのたびに火の粉が四方に飛び散り、火柱を真っすぐ立てて燃え上がった。焚火の囲りには筵《むしろ》を被った男たちが鼾《いびき》をかいて寝込んでいた。
海岸巡視は二、三人ずつ一時間交替で行なわれた。夕方の巡視はよかったが、真夜中、眠い目をこすって潮風に煽られての巡視はさすがに堪《こた》えた。十日を過ぎると、巡視人の数はさらに半分に減った。
「みんな忙しいとこを無理して来てくれてんだからな、気は心だ、せめてタバコ代でも……」
兵藤会長の言い分を周吉はあっけにとられて聞いた。
「ほう、賃金を払えとな」
周吉の声は震えていた。
「無理にとは言わねえがな」
会長は闇に向かって言い続けたが、
「正直なところ、いくら払えば気が済むんだい」
彼は感情を押し殺して不気味に笑ったが、次の瞬間、「詐欺《さぎ》野郎」と吠えたて、会長めがけて、わっと飛びかかっていった。二人は組み合ったまま倒れ、闇の中での乱闘が続いた。
焚火の回りに寝ていた男たちが目を覚まして止めに入った。
「糞アイヌ」と、兵藤会長が叫びたて、「ずるシャモ」と、周吉が怒鳴った。殴り合いの喧嘩が終っても、口論はなおいつまでも続き、とうとう互いに罵倒し合って決裂した。
その翌日から部落の協力が得られないまま、遺体の捜索は周吉一家と同じアイヌ仲間たちだけで行なわれた。
「バカにしくさって――俺たちだけで二十四時間見張ってみせる」
周吉が先頭に立って、河口から海岸の方まで隈無《くまな》く見張った。サトは子供たちを連れ、タミ婆は自分の孫たちを従えて海岸を歩き回った。一里でも二里でも踏破する勢いだった。
春がひときわ深まり、川柳が芽を吹き、蛙が鳴いて春はまっ盛りだったが、春子は三週間経っても一カ月経っても揚がらなかった。だが、諦めきれない周吉とサトは毎朝、誰も起きないうちに河口から海岸の方まで捜し回った。
「先祖の魂に呪われたべか。十勝太へ来てから、よくもこう悪いことばかり続くもんだ」
海霧の中を歩き疲れて帰ってきたサトは、炉縁に蹲って頭をかかえた。
じめじめした海霧のように、周吉の家では笑い声ひとつなく暗く沈んだ毎日だった。
37
早春から始まった馬の出産は五月に入って、最盛期を迎えた。周吉は定雄を相手に早朝から晩まで一日じゅう休みなく働いた。
「合図をすっからな、親馬の呼吸に合わせて引けよ」
周吉は陰部からのぞいた仔馬の小さい二本の前足をロープで縛りつけて言った。
定雄はロープを肩から担ぐようにして、周吉の合図を待った。彼は親馬の呼吸をはかり、踏ん張る|しおどき《ヽヽヽヽ》を窺っていた。
「それ引け!」と声がかかって、仔馬は羊水といっしょにどっと流れ出るように厚く敷いた寝藁の上に飛び出した。
「雌《めんた》だあ」
定雄は歓声をあげる。
朝起きてみると、産み落とした仔馬が元気に歩いている楽なお産もあった。
最近、周吉の家では孕み馬はみんな山から下げて厩の中で出産させた。もとは放牧のまま出産させたこともあったが、何と言っても舎飼いは歩止まりがよく、ほとんど失敗がなかった。
「毎年、四十頭の二歳馬を売るには、八十頭の肌馬が必要なんだ」
着実に馬を増やしてゆくためには、一頭でも流産させてはならなかった。
「何と言われようと、いざというときに必要なのは銭《ぜに》だからな」
周吉は十勝川を振り返りながら、改めて自分に言い聞かせた。そのためにももっと馬を増やして、百頭の大台に乗せたかった。
こんどの春子の事件は、たしかに銭《ぜに》にこだわりすぎて判断を誤まったけれども、周吉の信頼できるものは、やはり銭だった。同時に銭で差別を買うことのできないことも思い知らされた。
「しかし、だからと言って、銭の値打ちが落ちたわけではないんだ」と、周吉は噛みしめるように呟やいた。
「ここで挫けては、長い間の苦労も水の泡だ」と、彼は思い直した。かけがえのない春子を死なせてしまったが、この恨みを晴らすためにも貧しくなってはならなかった。
周吉は春霞に包まれた十勝川を眺めながら、「いっそ、多額の日当をふるまって捜索してもらうべきだったかもしれない」と後悔するのだった。
「今に百頭の大台に乗せてみせる」彼は春の陽気を腹いっぱいに吸い込んだ。
種牡馬《しゆぼば》「武勇」が毒殺されてから、八年の歳月が流れていた。だが、周吉は種付け時季がやってきて発情馬《ふけうま》が騒ぎたてると、「武勇」のことを思い出して情けなかった。付近には種牡馬がいなかったので、村木牧場のアングロノルマン種「清花」と、浦幌の中山牧場のペル種「泰山《たいざん》」に頼んで来てもらった。
牧柵に繋《つな》がれた発情馬《ふけうま》たちは気がたって、噛み合ったり蹴り合ったりして騒々しかった。
「空腹《あきばら》ば作らんでけれ」
周吉は種馬に乗ってきた牧夫に念を押した。
「『泰山』の仔どまりのいいことは、この界隈《かいわい》評判だべ」
牧夫はこう言って頷ずいたが、しかし、どんなに目を光らせても、自分で種牡馬を持たない周吉のところでは、毎年どうしても空腹《あきばら》ができた。
「日支事変が起こって高値だというによ。一年間遊ばせてしまうのは、何としても我慢のできないことだ」と言って、周吉はヤミの雄馬を連れてきて、肌馬一頭ずつを丹念に当ててみた。「あて馬」というやつだった。孕《はら》んでいるのに種馬を何度も受け入れる馬もあった。
「いつでもいいだからな、まるで人間みたいだ」
サトが笑い転げた。
種付けが終り、六月に入ると間もなく二歳馬の馬市がくる。その準備で、周吉たちはこのごろ一日じゅう働きづめだった。生まれてから一度もブラシをかけたこともなく、爪を切ったこともない馬たちは、|たてがみ《ヽヽヽヽ》も爪も伸び放題だったが、それを切って調《ととの》えるのが仕事だった。
一頭ずつ取りおさえて頑丈な枠の中に入れ、蹄鉄と馬体の衣装づくりに一時間はたっぷりかかった。
「嫁入り衣装を作ってんだからな、ぱっと明るく見せた方が得だべ」
周吉は、弾んだ声で定雄に言った。
「大陸の戦争が激しくなり、満州の開拓が進めば、馬の値はますます跳ね上がるさ」
彼はこの戦争景気を、両手でがっしりつかみ取ろうと思った。
馬市の日、東天がようやく白み始めるころ、周吉たちは朝露を踏んで出発した。定雄は二歳馬四十頭を曳いて、先馬《さきうま》に乗った。「ほう、ほう」と、高らかな掛け声と湿原をのんのん駈ける馬たちの蹄の音が、原野に響き渡る。
湿原を抜けると、両側にトーキビや豆畑の連なる凸凹道に出る。馬力を緩めると、腹のすいた馬たちは道草を食うので、間断なく追い立てなければならなかった。
「こらっ」
周吉は長い柳の鞭を振り回して、二歳馬の背中に打ち下ろした。
太陽がトンケシ山の上に昇るころ、二歳馬の群は、浦幌川の岸辺にさしかかっていた。下だりの一番列車が白煙を吹き上げて浦幌市街に滑り込み、牛乳運搬の馬車が二台も三台も続いて通った。
街はずれにある市場に着くと、周吉たちは事務所から馬穴《ばけつ》を借りてきて水を飲ませたり、付近の野原から草を刈ってきて馬に与えたりした。
市場の開始が近づくと、近郊の部落から農家の馬がぞくぞく集まってきた。そのうちに、浦幌の中山牧場や厚内の矢島牧場から馬の大群が追い込まれて、牧柵を張り巡らした広い市場はみるみる二歳馬で溢れた。牧夫たちが逃げ馬を追いかけたり、暴れ馬に手こずって汗だくになって飛び回った。若駒が嘶《いなな》き、牧夫たちの濁《だみ》声が乱れ飛んで、市場の緊張と興奮はしだいに膨れ上がる。石狩|馬喰《ばくろう》や十勝馬喰たちが目当ての若駒の周りに集まってきて、競《せ》り前の下見をしている。
「これで、どうだ」
石狩馬喰が声をかけて、指三本(三十円)を突き出したが、周吉は口もきかずに頭を左右に振った。
街から市場に通じる道の両側には屋台がびっしり建ち並び、バナナや食器の叩き売りまで出て、競《せ》りが始まるころには街じゅうが祭りのように賑わった。
「賑やかなもんだ」
周吉は年ごとに盛んになってゆく馬市を、感慨深げに眺めた。
二十年前、馬市に初めて来たころは、競《せ》り場も粗末な柾《まさ》屋根のかかっただけの吹き抜けで、競り台も事務所もなかった。屋台もかからず露店商もなく、昼には野っ原で握り飯を頬張ったものだ。高丈《たかじよう》に刺子《さしこ》だった身なりも、今は革の長靴にラシャの上衣、股《また》の膨らんだ乗馬ズボンに変ってしまった。腰にはいつも革の鞄をぶら下げていた。
周吉は鞄を尻にぶら下げ、牛革の長靴をぎゅうぎゅう鳴らして競《せ》り場に入ってきた。すでに競りは始まっていて、高い競り台から甲高い競り師の声が四囲《あたり》に響き渡っていた。
「わしら民間人には手も足も出んわ」
石狩馬喰がぼやいた。
「軍の買った後の、屑を貰うよりしょうがなかべ」
十勝馬喰が相槌をうつ。競り台の傍に軍服を来た兵隊が、腕組みをして立っていた。将校と兵卒の二人は、軍隊から派遣された買い手だった。
競り場に二歳馬が曳き出されてくると、買い付けの兵隊たちは鋭い目で食い入るように見つめた。馬が競り場を二回り、三回りして馬喰たちは少しずつ値を釣り上げていったが、将校は思い切った値をつけて、ひと声で落札した。
「親方日の丸だもの叶《かな》わないさ」
馬喰たちはしきりにぼやいたが、値を釣り上げてくれる軍馬の高値は、馬主たちには有難いことだった。兵隊たちは浦幌で百頭の馬を買った。ここで買った馬たちは、すぐ近くにある国の「軍馬飼育所」に送られて育成されるのである。
周吉は、軍馬に二十頭も売れ、信じられない大金をふとこって、気が昂《たかぶ》っていた。
「俺はこれから音更《おとふけ》の『種牡馬飼育所』へ行ってな、種馬を買って帰るから、お前は子供たちの土産にかりんとうでも買って、まっすぐ家へ帰れ」
周吉は定雄に五十銭銀貨を三枚渡した。
夕方、周吉は「朝霧」を駈って帯広に向かった。鞄には札束がぎっしり詰まっていた。これだけあればどんな種馬でも手に入れることができると思うと、胸が膨らんできて、背筋がぞくぞくした。
池田を過ぎると、夜はすっかり更《ふ》けていた。朝霧は闇の中を飛ぶように走った。止若《やむわつか》の十勝大橋を渡り、帯広へ着いたのは真夜中だった。彼はその晩馬宿に泊り、翌朝早く、音更にある半官半民(農林省と馬産振興会)の「種牡馬飼育所」を訪れた。
「一番いい馬を売ってくれんべか」
銭はいくらでも出す、と周吉は言った。所長が周吉の前に曳き出してきた馬は、若い大柄な栗毛馬だった。アングロノルマン種で、名前を「流月」と言った。
「よかべ」
彼はひと目見るなり馬体も毛並もすっかり気に入り、一銭も値切らずに五百円の銭を所長の前に並べた。
その日、昼ごろ音更を出発し、一昼夜歩き通して翌朝の明け方、周吉は流月を連れて帰ってきた。
「見事なもんだ」
サトは外に飛び出してきて叫んだ。子供たちもみんな外に出て来て若々しくかっこいい流月を見て喜んだ。
「しっかと働いて、『武勇』の分も取り返してくろよ」
サトはすっかり感激して涙ぐんでいる。
「おめえの器量があれば大丈夫だとも」
周吉はすっくと立てた流月の首筋に顔をすり寄せ、その首筋をひたひたと叩いて言った。
38
種牡馬「流月」が出現して、沈んだ周吉の家にふたたび笑いが甦《よみが》えった。厩からはいつも威勢のよい流月の嘶きが聞こえ、子供たちは秣《まぐさ》桶の前の土間に屯ろして「陣取り」や「ゴム跳び」をして遊んだ。
光の眩《まばゆ》い初夏の晴れた日、厩の前の広い牧柵の中に流月を遊ばせた。解放された流月は喜びの余り、柵を飛び越えて、放牧馬の群の中を突き抜けた。種馬の闖入に驚いた馬たちは、殺気だって走り回った。定雄は牧夫の乗《の》り馬に飛び乗って流月の後を追いかけた。
「ぐずぐずすんな」
周吉は朝霧の上からてこずっている定雄を怒鳴りつけた。しかし、流月の馬力は並はずれていた。雌馬たちは|たてがみ《ヽヽヽヽ》に噛みつかれて振り回されると、たわいもなく腰が砕けてのめくった。流月は勝ち誇ったように頭を振って立ち上がり、前足で空を叩き、空に向かって嘶《いなな》いた。
サトたちが家の前に立って、荒っぽい流月の仕種《しぐさ》にたまげている。道ゆく人々は戦《おのの》いて家の中へ駈け込み、野っ原で遊んでいた子供たちも逃げ回っている。
「まるで手負い熊みたいだ」と隣家の|よし《ヽヽ》が言う。
「あの勢いが大事なんだ、ごりごり行け」
サトは流月の元気を、頼もしく眺めていた。
「ただもんでないな」
夕食を食べながら、周吉が言った。
「オコシップの生まれ代わりみたいだ」と、サトが言った。
「オコシップはおめえらの祖父《おじい》さんだが、そりゃあ頑固で利かなくて、和人どもに目玉を抉《えぐ》り取られても降参しなかった。最後まで抵抗して、とうとう大勢の和人に取り囲まれ丸太ん棒で撲殺されたあげく十勝川に放り込まれた」と、サトは怒りを込めて語った。
「流月がじいちゃんなら、和人《シヤモ》たちに噛みつくかもしれんね」
小さい時から、体の弱かったトミエが羨しげに言った。
「そりゃあ、噛みついたり蹴とばしたり、さんざ暴れるさ」
トヨ子は口を尖らした。
「とにかく一丈もある高い牧柵を平気で跳び越えたり、ひと握りもある太いロープを簡単にちぎってしまうんだからな」
周吉は流月の怪力にたまげて嘆息する。
「流月なら、毒を入れられても飲まなかったんでないべか」
「嗅《か》ぎ分けるってか」
周吉はサトを振り返って首をかしげる。
「ブシ(トリカブト)も分るし、イケマ(魔除けに使う植物)も分る。まして汚い水は振り向きもしないわ」
サトは利口な流月を褒めそやした。周吉はサトの話を聞きながら、ほんとにオコシッブの生まれ代わりかもしれないと思った。
39
うだるような暑さがきて、牧草刈りが始まった。
「ナミ、こんだあ、おめえが一番上なんだからね、仕事も妹たちの世話も春子の代わりばせえ」
牧草畑に立ったサトはナミに強い口調で言った。
空は晴れ上がって、日高山脈がくっきり見えていた。二頭の馬に曳かれたモーア(草刈機)が唸りをたてて広大な牧草地を生きもののように動き回った。モーアはバリカンのように密生した牧草を根元から綺麗《きれい》に刈り取ってゆく。その後から、サトと子供たちが先の尖った草乾し棒で、畝になってどこまでも続く牧草を、つぎつぎに掘っ返してゆく。
「さすがに機械の力だ」
サトは刈り取られた一面の広い牧草地を眺め回した。モーアは手刈りの何十倍の早さだった。朝霧に乗って草刈りを見にきた周吉が、馬の上から叫んだ。
「目が回る早さだ。一服せえ」
だが、定雄は手綱をひゅんひゅん打ち鳴らして休まなかった。草刈りは一カ月もかかる大仕事なのに、この調子だと三日もかかれば終ってしまう早さだった。
「来年はテッター(草乾し機)を入れて、もっと楽にしてやるべえ」
周吉は朝霧の上からサトに話しかけた。
「手刈りの時代はもう終ったんだよ、便利がいやな者は誰もいないさ」
サトは乾草の塊を乾し棒でぽいと弾き上げて言った。テッターが入れば、来年からはもっと楽になる。流月が来て馬が順調に増え、牧草がたっぷりあれば、目標の百頭も夢ではない。
「あとひと息、頂上を極めるまでは挫《くじ》けてなるもんか」
周吉はモーアの唸りを遠くに聞きながら、日高の連峰を澄んだ瞳で見つめていた。
ここの牧草地は部落の共同牧草地で、厳密にいうと官有地だった。はじめは誰でも好き勝手に入り込んで刈っていたが、それが今では部落の牧畜家たち五軒に区切られていた。村木牧場が一番広く、次は周吉、一番狭いのは岩田牧場だった。規模の大小によって、自然に区切られた広さだった。周吉の牧草地は一番柳からサンナシの森までである。
モーアを持っていたのは、去年までは村木牧場だけだったが、今年からは周吉のところでも購入したので、牧草地には二台のモーアが休みなく動き回った。定雄が馭する二頭立ての馬はいずれも飛び抜けた駿馬だった。足が早くて力があった。馬たちは密生した牧草の中をごりごり漕いで歩いた。
「馬を追い回すだけで、刈れちまうんだからな」
定雄はモーアから飛び降りて誇らかに言った。
「刈り取った大量の草を乾《ほ》して積草《にお》にするまでは当分刈らんでもいい」
周吉は定雄をねぎらい、馬に飼い葉を与えて休むように勧めた。
原野に咲き乱れた盆花の、甘い香りを含んだ涼しい西風が、さやさやと太平洋の方に吹き抜けてゆく。
「ええ風だ」と言って、サトたちが草の上に腰を下ろして休んだ。
子供たちは夏休みに入っていたが、仕事の手伝いは勉強が終ってからだった。午後になると、子供たちが応援にきて、草乾しは運動会のように賑わった。畝を一列ずつ受け持ってスタートに着くと、サトは、
「脇目をせずに真っすぐに行くだよ」と言い、「用意、ドン」と、ピストルを撃つ真似をした。
子供たちは草乾し棒を振り回し、刈ったばかりの青草を中空に跳ね上げて、どんどん進んだ。
草乾しは順調に進んだが、ときどき蜂の巣にぶつかって調子を崩すことがあった。
「蜂の巣だ!」
トミエは悲鳴をあげ血相をかえて、追いかけてくる蜂を振り払って逃げた。
「おらが退治してやる」
孝二は遠くの方から飛んできて、草乾し棒の先で蜂の巣を土の穴からほじくり返した。
「でかいど」
孝二は襲いかかってくる蜂を振り払い、勇敢に攻撃を繰り返して、掌ほどの黄色い蜂の巣を草の上に放り出した。
蜂の巣は海ホーズキのように袋が重なり合い、その一つ一つが小さく区切られていた。中は蜜と蛹《さなぎ》が半々だった。
孝二は蜜だけを絞り出して食べた。どろりと濃く粘りのある蜜は、舌のつけ根がズキンと痛むほどの甘さだった。
「こたえられない、とろりとした甘さだ」
彼は姉妹たちにも舐めさせて得意だった。
勇敢な孝二も、時には襲いかかってくる蜂に刺されてたじろいだ。瞼をやられて腫れ上がり、眼が塞がって見えなくなったり、指をやられて手が握れないこともあった。しかし、それでも彼は「蜂だ」という声を聞きつけると、ついそっちの方へ駈け出してゆくのだった。
「あの凶暴な大熊でさえ、刺し殺されるというだから」
サトは蜂の恐ろしさを言った。
「そりゃ精があるもの、だから昔から肺病の特効薬と言うべ」
野良道を歩いてきたトメ婆が足をとめて言った。
「おや?」
サトは聞き逃さなかった。
「モンスパは何も言わなかったど」
「嘘だと思うなら、試してみい、すごく効くから」
トメ婆は後ろも見ずに行ってしまった。
「孝二、蜂の巣ば獲ってこい」
サトは肺病にいいというものは、何でも試してみた。
その翌日から、孝二は誰に遠慮もなく蜂の巣を狙った。サトは孝二の獲ってきた蜂の巣の蜜を瓶の中に絞り、蛹は炭火で狐色にこんがり焼いた。
「特効薬だもの。こんどこそきっとよく効くさ」と彼女は焼いている間じゅう言い続けた。
「蜂の巣荒らしの弥太《やた》っ平《ぺ》だ」
孝二は麦藁帽にゴム手袋をして、チンピラのように顎をしゃくり上げると、妹たちは「おっかねえ」と言って逃げ回った。去年の学芸会に青年団が「関の弥太っ平」という芝居をしたことから、部落中に流行《はや》った名前だった。
彼は他所《よそ》の牧草畑まで忍んで行って、蜂の巣を獲ってきた。天気の悪い日は蜂が稼ぎに出ないので、陽の照る日中を狙って襲いかかった。
「兄《あん》ちゃんの命がかかってんだ」
蜂はつぎつぎに襲ってきたが、孝二は一歩も引き下がらなかった。
「弥太っ平を甘く見んなよ」
孝二は両方のポケットに溢れるくらい獲り、弾んだ気持ちで引き揚げた。
40
朝から陽が照りつけて蝉が鳴いていた。サトは食糧や着替えや蜂の巣を持って、帯広の病院に一郎を見舞った。彼女は夕方、涼しくなってから帰って来て、
「げっそり痩せてしまって」と、力なく言った。
「入院した甲斐がなかったってか」
周吉が眼を剥いた。
「見舞うたびに痩せこけてゆくようだわ」
サトは眼頭を押さえて深い溜息をついた。
「ヤブ医者めが、よくも長い間騙しくさったな」
彼は辺りかまわず喚き立てた。子供たちはがたがた震えて父親の狂態を見つめていた。
「まったく性《しよう》の悪い病気に取り憑かれたもんだよ」
しばらくしてサトが溜息といっしょに吐き出すように言った。
「兄《あん》ちゃんは元気で帰ってこれるべか」
トヨ子が心配そうに訊いた。
「いま、兄ちゃんは病気と闘かっているんだよ」
「そんで兄ちゃんは勝てるの」
「どうかねえ、それは神様しか分らねえだよ」
サトは手を合わせて「神様どうか助けてくだせえ」と、うわ言のように祈りを捧げた。
サトがつぎに一郎を見舞ったのは、それからちょうど一週間目だった。しかし、サトはそのまま帰ってこなかった。子供たちは毎日道路に立って、サトを待った。うっとうしく暑い苦しい毎日だった。
「帯広の病院に行ってくるからな、ナミもトミエも子供たちばようく見るんだど」
周吉と定雄は馬車に乗って出かけて行ったが、夕方、帰ってきたのは定雄だけだった。
それからさらに三日ほど経って、周吉とサトは白い布で包んだ骨箱を抱いて帰ってきた。サトは眼を泣き腫らしていた。
「一郎がこんな姿になって」
母は上り框《かまち》に崩折れて泣きじゃくった。
「兄ちゃんが死んだ」
トミエが声を詰まらせると、骨箱の周りに輪になった子供たちが、声をあげて泣いた。
「性質《たち》の悪い病気だったんだよ」
サトは泣き腫らした目から新しい涙を流した。
仏壇を片付けて、そこにささやかな祭壇がつくられ、一郎の骨箱が据えられた。
「一郎、家へ帰ってきたんだよ」
一郎がそこにいるように、サトが改めて声をかけると、子供たちはいっそう大きな声で泣いた。 弔い客がつぎつぎにやってきたが、線香をあげるとお茶も飲まずに帰って行った。一郎の友達もなく、骨箱を囲んだ身内だけの寂しい通夜だった。
「春子が死んで、一郎が死んで、みんなばたばた逝ってしまう。わしらはほんとに呪われてんだよ」
弔い客がいなくなると、サトは絞るような切ない声で泣いた。
翌朝早く、噴霧器を背負った男が二人、玄関先にのっそり立って、
「役場から消毒に来た」と言った。
ビートの消毒をするように、ゴムホースの先についた噴霧器で、部屋の中から、流し、便所の方まで白い霧を撒き散らした。クレゾールの臭いがぷんぷんして猫のタマが外へ逃げ出して行った。
葬式は身内だけで、ひっそり行なわれた。甥の勇治夫婦や浜部落のタイキ夫婦、ウリュウ夫婦が朝早くから手伝ってくれた。
「春子の葬式もしないうちにな」
勇治の女房キミが声をあげて泣いた。
「人形ば入れて三人にせいよ」
シテパが言った。リンゴ箱ほどの小さな棺の中に春子の服と一郎の長靴と人形の三つがきちんと収められた。
「後をひかないように、三人の葬式を一遍にしてしまうんだよ」と、子供たちに向かってキミが説明した。
共同墓地は深い夏草に埋もれていた。枝と枝との間から陽の洩れてくる場所の草を刈り取って、「ここがいい」と周吉が言った。
見晴らしのいい丘だった。棺に火が放たれると、野辺送りの人々が手を合わせて冥福を祈った。
「後に残った弟や妹を守ってけれよ」と、サトが言った。
枕ダンゴや蓮の葉の造花や布で造った竜の絵を書いた細長い旗などが、赤く燃え上がった火の中に、つぎつぎに投げ込まれた。そのたびに火の粉がぱっと飛び散り赤い炎を吹き上げた。
火が消えると、周吉は土饅頭の上に、
「上尾春子、二十四歳、昭和十三年四月二十日」
「上尾一郎、二十歳、昭和十三年八月七日」
と、それぞれに書いた塔婆を建てた。
41
一郎と春子の初盆が終って家じゅうは悲しみに沈んでいた。原野を吹き抜ける風は、すでに秋風だった。
丸い月が東天にかかり、静かな夕暮れが迫っていた。子供たちが茹《ゆ》であがった南瓜《かぼちや》を大きな鉄鍋から取って食べていた。
「一郎も春子も南瓜が好きだったにな」
サトが南瓜を頬張りながら言った。
「すんだことはもう言うな」
周吉がサトを怒鳴りつけた。
夕食の後片付けがすんで、みんながストーブの周りに輪になっていた。おとなしいナミが突然立ちあがって、
「わたし、看護婦になりたいだよ」と言った。
「従軍看護婦の募集が新聞に出ていたんだよ」ナミは真剣だった。
「どうしてもなりたいんだよ」と、ふたたび大きな声で言った。みんなは互いに顔を見合わせて黙っていた。
「ほう、上から順々にいなくなって、こんだあナミの番か」と、周吉が冷やかに言った。
「看護婦の資格を取って将来独立したいんだよ」
「独立?」と言って、周吉は口をあんぐり開け、虚《うつ》ろな瞳をしばたたいた。
「街にはな、田舎娘を狙う悪い連中がうようよしてるんだど。看護婦になる前に芸者に売りとばされるべ」
彼は頭から撥ねつけて問題にもしなかった。だが、ナミの決心は固かった。
「試験に受かれば、養成所も只《ただ》だし被服も只で支給されるんだよ」
「春子がいなくなった今はナミが頼りなのに。おめえが出て行ったら、この家はどうなるんだい」
周吉は頑固に反対した。ナミはストーブの陰ですすり泣いていた。
「ナミだって、もう二十二だもの、将来のこと考えてんだよ」
サトは優しく言った。
「どう考えてんだい」と、彼は感情を押し殺して尋ねた。
「十勝太にいたってええ縁談があるでなし、いっそここを出た方がナミの幸福かも知れんわ」
「家出をするだと」
周吉は目を吊り上げた。
「そうだよ、この三十年、銭や財産を増やすことだけに精を出してきたのに、馬を増やして牧場主になっても少しもいいことはねえもの」
サトが暗誦でもしているように淀みなく言うのを、周吉は黙って聞いていた。
「十勝太に越して来てから、一度だっていいことがあったべか。流月だって仔が出来てみなければ分らないし。積草《にお》の火事にはじまって、馬の毒殺、春子の自殺、一郎の病死……」
彼女は周吉の顔を覗き込むようにして続けた。彼は精一ぱいの力で昂《たかぶ》ってくる感情を押し殺しているようだったが、
「黙れっ」と、身を震わして吠えたてた。
彼はこのごろ不運続きで、すっかり気が荒《すさ》んでいた。
「銭や財産を増やして何が悪い、牧場主になってどこが悪いというんだ」
彼はサトの髪を手房《たぶさ》にとり、「てめえも子供たちも、ひとり残らずみんな行ってしまえ」と叫んで、板の間をごりごり引きずり回した。
サトは丸くなって引きずられながら、「殺せ、殺せ」と喚き立てた。
止めようとした定雄が跳ね飛ばされ、子供たちはただ父の恐ろしさに怯えてがたがた震えていた。
周吉の凶暴なのは結婚当時からで、十勝岳のようにときどき爆発して火を噴き上げた。昆布刈石にいたころ、彼に相談なしに運動靴を買ってきたときも、肌馬が流産したときも、そうだった。
「素足で走れねえなら、運動会に出なくてええ」
サトは髪をとられて庭先の土の上を五十メートルも引きずられた。翌日、サトは泣きながら運動靴を返しに行った。子供たちは、周吉を毒蛇のように恐れ戦《おのの》き、傍にも寄り付かなかった。
春先の霙降る寒い日だった。
「馬の子は人間の子より大事なんだからな」
厩の中で大事に育てた肌馬が流産した。彼は火のように燃え上がった。サトは髪の毛を、スコップのような大きな手にぐるぐる巻きとられ、泥水の中を引きずられて、臨月の腹を何度も地面にうちつけた。「許してけろ」と、謝っても彼は許さなかった。
「わしの子は踏んでも蹴られても流産なんかするもんか」と思った。馬は流産したが、サトはその年の春、丸々と太った元気な男の子を産んだ。それが孝二だった。
三月の雪解けの頃、ナミは看護学校に入学することになり、十勝太を発った。
「ナミ、体に気をつけてな、家のことは心配すんな」
サトが涙声で手を振った。妹も弟も馬橇が小さくなるまで、いつまでも手を振った。馬橇には秣桶とナミの大きな柳行李が積み込まれていた。父は気難かしいときの癖で、しきりに舌を打ち鳴らす。ナミは働き手の減ったことに頭を痛める父を思いながら、柳行李の陰に小さく蹲っていた。
「(学校は)一年で終りなら、来年の今頃までだな」と、父は凍った空を見上げて言った。
ナミは声も出せずに口を噤んだまま頷ずく。
どこまでも続く湿原を通り抜ける間、ふたりはひと言も言葉を交さなかった。周吉は暇なしに馬を追い、ナミはこれから先の不安な学校生活を考えていた。
駅に着くと、柳行李をチッキにして周吉が出してくれた。
「体に気をつけれよ」
改札口のところで周吉が言った。ナミは体を折り曲げただけで、どうしても声が出なかった。
42
陸軍大演習のあった翌年、昭和十二年七月に日中戦争が勃発した。部落から若い現役兵や年配の応召兵がつぎつぎに大陸へ送られて行った。ウリュウの息子勇雄もタイキの息子武治も帝国軍人として元気に出征した。
「家のことは心配すんな、アイヌの底力を見せてやれ」
和人もアイヌも差別なく天皇の御楯として大陸に渡って行った。
「悪者を追い払って大陸に平和で住みよい土地を建設するのだ」
村長も校長先生も口を大きく開けて言った。
兵隊だけでなく民間人も後に続いた。満蒙開拓義勇兵という名前で、みんな胸を張って堂々と勇ましく大陸に渡って行った。こんな田舎にまで「食料増産」とか「挙国一致」の戦争気運が渦巻いていた。
浦幌高等小学校高等科一年だった孝二たち生徒は、よく出征兵士の見送りに駅に出かけた。はじめに野村村長の激励の言葉があり、次に出征兵士の簡潔な返礼と決意が述べられ、最後に「万歳三唱」をして解散した。この形式はいつも同じだった。
孝二たちは三回万歳を叫ぶだけで授業がつぶれたから、「一声三十分」と言って、見送りを歓迎した。出征兵士の見送りや農業実習が多かったので、授業は一日の半分しかなかった。
村でも街でも人々が顔を合わせると、戦争の話でもちきりだった。中国南部の大都市がつぎつぎに陥落し、札幌や旭川の大きな街は旗行列で賑わった。
「勇敢な大和民族の大勝利だ」
人々は銃後の守りを自慢した。食べることも着ることも、畑も馬も、すべてが戦争に繋がっていた。
戦争が長びいて、最初に石油が不足し、次に砂糖やマッチが切符制になった。人々が戦争気分に酔いしれている間に衣類が不足し、やがて米穀が配給制になった。しかし、サトは闇値を投じて何カ月分も買い込んだので、灯油も食料も衣類も十分だった。
みんなが戦勝に浮かれているとき、孝二は歯をくいしばって勉強した。高等科一年が終るころには、孝二はクラスのトップに躍り出ていた。サトが言うように誰も馬鹿にする者はなかったが、孝二はどこか和人たちの白い視線を感じていた。
雪虫が飛んで冬が近かった。陽が落ちるころ、孝二たちが自転車に乗って街はずれまで帰ってくると、道の真ん中に小学生や高等科の生徒たちが五、六人集まってわいわい騒いでいた。子供たちは、犬がつるんでいるのを離そうと、棒片で追い回しているのだった。尻をくっつけ合った二匹の犬は、両方から引き合ってきゃんきゃん鳴いていた。
「水をぶっかけたら取れるど」
幸吉が自転車から跳び下りて言った。
「バケツも水もないしな」
同級生の要平が困った顔をした。
「孝二なら仲間だもの」
きっと出来るさ、と上級生の寅雄が急《せ》き立てるように孝二の顔を覗いた。
「どういう意味だい?」
孝二は寅雄を睨みつけた。
「俺たちは、とっくの昔から知ってるんだ」
みんなが「わあっ」と歓声をあげて逃げていった。道の真ん中には、尻をくっつけ合った犬たちが、まだ、よろよろよろけながら立っていた。
孝二は情けなかった。「振り向くな」という母のことばを思い出した。彼は「意味」を訊いた自分の野暮を後悔した。
43
雪が降って自転車に乗れなくなると、孝二は父が昔から懇意にしている増田さんの家に下宿した。
「何を聞かれても、とぼけた振りをして、ただ唖のように黙っているんだよ」
サトのきつい戒めだった。
増田さんの家は大きな精米所で、朝早くから機械ががらがら動いていた。祖父母に小さな子供が五人もいる大世帯だった。馬や豚や鶏をたくさん飼っているので、忙しい家だった。孝二は暇を見ては、秣を切ったり、豚や鶏に餌をやったりして手伝った。
「下宿代は十分に貰ってんだから」
おじさんもおばさんも好い人だった。差別のことは微塵も表に出さなかった。
夕食が終って一服すると、孝二は必ず食卓《テーブル》に向かって勉強した。明るい電気が有難かった。孝二はますます眼が冴《さ》えた。
床に就くと懐しい家が瞼に浮かんだ。暖かい家には楽しい団欒があり、吹雪の日のおばさん達の和やかな物語があった。どのおばさんも楽しい物語や、恐ろしい物語をたくさん知っていた。
孝二はいつも十勝太のことを思いながら眠りに落ちたので、よく夢を見た。そこにはいつも母がこっちを睨んでいて、
「後ろば振り向かんと突っ走れ」と言っていた。
卒業のとき、孝二は優等賞をもらった。
「ナミも看護婦の資格をとって、この春から浜松の陸軍病院に勤めたんだよ。いいことが二つも重なったんだもの」
サトは孝二の手を握り締めて喜び、賞状を神棚に供えて拝んだ。
その年の四月、孝二は十勝太の青年学校に入学した。長い間働いてくれた牧夫の定雄が結婚して親元の釧路に帰り、定雄の代りに同じ親戚にあたる若者を雇った。彼は漁師育ちだったので、仕事はずぶの素人だった。だから、牛馬の中に育った孝二は大事な働き手だった。
若者の名は群平といったが、「ほいきた」と、定雄と同じ返事をしてよく働いた。群平は今年十七歳、孝二とは二つしか違わなかったが、小学校を卒《で》てすぐ漁師になった彼は考え方はまるで大人だった。
「遊ぶところがいくらでもあるんだ」と言った。
「貰った給料をひと晩で使ってしまうんだからな」派手な漁夫たちの生活ぶりを懐しそうに言う。
「どしてこんな田舎に来たんだい」と、孝二は訊いた。
「あんな生活をしていたら、いつまで経っても一銭も残らねえだよ。いくら沢山貰っても、飲んで遊んでチョン(一銭も残らない)だよ」と言って、群平は笑った。
「銭《ぜに》を貯めて鮭鱒のできる大型漁船を買うんだ。千島の沖には魚がうようよいるど」
群平の瞳は輝いていた。
春の馬耕が始まると、仕事は急に忙しくなった。農業協同組合から割当ての反別《たんべつ》があって、収穫期には一定の数量を供出しなければならなかったので、勝手に好きなものを蒔くことはできなかった。馬鈴薯、燕麦、小麦、亜麻、ビートの反別が堅く言い含められたが、農家の人々は隠し反別を造って、それを闇で高く売った。
「天候次第だからな」
春に予想をたててもほとんどはずれた。霜害、水害、冷害などの多い、霧深い太平洋岸の農業は穫ってみなければ分らなかった。
蒔付けが終ってホッとしている処へ、トミエ、トヨ子、キヨ子の三人に突然役場から徴用令状が来てびっくりした。徴用先は帯広の軍需工場で、期間は農閑期の三カ月間だった。部落の女子青年二十人が徴用の対象者だったから、時局がら娘たちは半ば諦めていた。
「誰が決めたんだい」
サトはどうしても腹に据えかねて、大津役場に乗り込んだ。
「人手が足りないから牧夫まで雇っているのに、一ぺんに三人だもの」
彼女は、十勝太の農家には農閑期なんかないんだと言って突っ張ったが、聞き入れてもらえなかった。
「お上《かみ》の方で決めた通り、三カ月の徴用義務を果たしてもらう」
役人は厚く綴った書類を見てきっぱり言った。サトは「お上《かみ》」と聞いて観念した。「お上《かみ》」がつくと、いつも物事はこじれてしまう。うまくいった試しがないのだ。
役場の帰り道、サトは重い足を引きずりながら、昔のアイヌたちのクンツ(徴用)を思い出していた。あの時は働き手たちが強制的に連れてゆかれたが、あれから百年を経て、アイヌたちは和人社会に組み込まれてしまい、今こうして戦争に狩り出されている。しかしクンツと違い、うまくゆけば「金鵄勲章《きんしくんしよう》」だって貰える。
ウリュウの息子勇雄が現役兵として旭川師団に入隊するとき、ウリュウは涙を流して喜んだ。
「日本軍人として、アイヌの名誉にかけても、勇敢に戦え」
日本人として認められたことが嬉しかったのだ。だが、サトは和人の下心をいやというほど知っていた。転んでもただで起きない「ずるシャモ」のことだ。戦争が終って平和がくれば、アイヌ差別が芽を吹いて、ふたたび新しい差別が始まるだろうと思った。いや、サトの目には戦争も平和も現実は何も変っていなかった。
しかし、サトは首をぐるんと一回転させ、別の世界を考えて楽しむことがあった。
「考えるだけなら、『非国民』にはならねえからな」
もし兵糧や弾薬がなくなって日本が戦争に負けたら、アイヌ嫌いの菊村の首に縄をつけて、部落じゅうを引きずり回して歩きたかった。
「ほら、偉いお方(中国人)が来たよ、土にひれ伏して挨拶をするだよ」
菊村が尻ごむのを、サトは竹の鞭《むち》で「虫けらども、虫けらども」と言って、乱打する。「アイヌを虐《いじ》めた罰だ、もっと苦しめ」サトはにやっと笑った。
原野を吹き抜けてきた爽やかな西風がオニガヤの葉先をさらさらと渡っていた。
トミエたちの徴用は三カ月で解除されたが、その翌年の徴用は、もっと広範に行なわれた。
大陸の戦線はますます拡大し、兵糧や武器弾薬が不足して、廃品回収や軍需産業の増産にいっそう拍車がかけられた。
44
昭和十六年十二月八日、霙が降って寒い日だった。
「アメリカと戦争をおっぱじめたどお」
足の早い重蔵が息をきらして駈け回った。部落の人々は戸外に飛び出して、重蔵のニュースを聞いた。
「とうとうやるか」
部落の人々は腕をぶるんと振り回し、奥歯をぎゅっと噛み締めて、やる気を出した。日本軍は強かった。開戦と同時に、真珠湾攻撃で大勝利をおさめた日本軍は、その勢いに乗って太平洋の島々を占領し、シンガポールを陥していよいよ意気が上がった。街では旗行列が行なわれ、花電車が走った。それは大陸進攻の時と同じだった。新聞には毎日華々しい戦果が報じられて、人々は改めて日本の強さを知った。
「これが神国日本の底力だ」
農夫も漁師も戦勝気分に湧き立っていた。
麗《うらら》かな春が訪れたが、必勝気分はますます高まっていた。
「この戦争に勝てば、日本はいよいよ世界一だな」
アイヌ嫌いな菊村たちが、畑の畦道に腰を下ろして一服つけていた。
「勝つにきまってるべ」
平沼が肩を張って言った。
「浦幌炭鉱に朝鮮人がどっと入って来たらしいど」
寅之助が口尻から泡を飛ばして言った。
「朝鮮人でも台湾人でもアイヌでも引っぱってきて、ごりごり働かせるこったな」
菊村の言い分に平沼たちは頷ずいている。
「いざとなれば神風だって吹くしな」
古山が欠伸をしながら立ち上がった。
春はまだ浅く、トンケシ山の向こう陰に引っ込んでいたが、ときどき南風に乗ってふらふら現われた。
「周吉のとこでは、一日に五頭の馬が誕生したとな」
菊村がむっとした声で言った。
「浜部落は馬で埋まってしまうな。このままだと歩くこともできねえさ」
迷惑なこった、と古山は口を尖らした。
「種馬の流月を放すもんなら、危くて外へ出て小便もできねえ」菊村がぷるんと身を震わせた。
「自分の牧場さ入れてもらうべえ」
寅之助がふたたび肩を突き出した。菊村たちはその足で周吉の家へ乗り込んだ。
「家の前も庭も馬の糞《くそ》だらけだ」
菊村が口を切った。
「子供の遊び場もねえだからな」
平沼が続いた。
「お上《かみ》の土地さ放牧してんだから、まるで詐欺《さぎ》だ」
寅之助がきっぱり言い、勝ち誇ったように、にっと笑った。
なるほど菊村たちの言う通りに違いなかった。官地を自由に使う習慣は、長い間にすっかり身についていた。口も開かずに黙って聞いていた周吉は、「よし、分った」と言った。部落の原野に屯ろしている馬たちは、すぐにも牧場に移さねばと思った。
「すぐだど」と、菊村が念を押した。
抗議がすんなり通って、菊村たちは意気揚々と引き上げた。
ひと冬越すと、境界のバラ線(トゲのついた針金)が雪の重みでずたずたに切れてしまう。だから、馬を牧場に入れるためには、バラ線の修理から始めねばならなかった。周吉は群平と孝二、それに雇人の若者たちを連れて、毎日牧場に出かけてバラ線張りをした。戦争で鉄が不足していたので、サビついた古いバラ線を使った。
二、三|間《げん》おきに野地《やち》ダモの杭《くい》をたて、バラ線をぴんと張って、それを杭に二寸釘で打ちつけてゆくのだ。バラ線が手に引っかかったり、体に巻きついたりして、思わぬ怪我をすることがあったので、みんなは軍手をはめ厚い服をまとっていた。杭を作る者、それを土に差してゆく者、バラ線を引っ張る者、それを杭に打ちつけてゆく者――仕事は順調に進んだ。
「あの西角《にしかど》まで行ったら、昼飯だど」
周吉が汗を拭き拭き言った。群平が谷間に下りていってキトビロ(山ねぎ)を採ってきて、撃ち獲った兎の皮を剥《は》いで肉鍋を作った。いい香りが辺りいっぱいに広がる。肉とキトビロはよくなじんだ。
みんなは肉鍋を囲み、弁当を食べながら肉をつついた。
「こたえられないや」
雇いの若者たちはよく食べた。
春は長閑《のどか》だった。枯葉の間から雑草が青い芽を吹き、小鳥たちの囀《さえず》りが山いっぱいに溢れていた。啄木鳥《きつつき》が飛び、山鳥が飛んだ。食事が終ると若者たちは、日向にめいめいの場所を選んで昼寝をする。その間に周吉と群平と孝二は、バラ線を繋ぎ合わせたり、手ごろな野地《やち》ダモを切り倒して杭を作ったりした。
バラ線張りは五日もかかった。
「約束はどうした。すぐ実行すると言ったべ」
菊村が毎日玄関前に立って怒鳴ったが、周吉はじっと耐えていた。
菊村たちが怒鳴り込んできてから六日目、周吉は群平と孝二を引き連れ、部落に散在する馬たちを一頭残らず掻き集めて自分の牧場に追い込んだ。
「やれやれ」馬の追い込みが終って、周吉はようやくほっと息をついた。三人は馬を進めて山の頂上に立った。鉛色の太平洋が眼下に広がっていた。
「この牧場を手に入れたころは、いつもここに立って海を眺めたものだ。自分たちの自由になる土地が欲しかったんだよ。もともと土地も海もアイヌモシリ(人間の土地)と言って、みんなのもの、人間のものなんだよ」周吉は笑いながら言った。
「人間みんなのものなら何も牧場を手に入れなくてもいいのに」
群平は頭を傾げた。
「しかし、みんな和人たち個人のものになってしまえば、一本の木も自由にならねえからな」
「そしたら、この牧場は土地を持たねえ者みんなのものなのかい」
孝二が訊いた。
「そうとも、冬囲いの木とか船の櫂とか干し竿ぐらいは自由に伐ってもかまわねえだよ」
周吉は、白樺や野地《やち》ダモや榛《はんのき》の密生する樹林を振り返った。
空はどんより煙って花曇りだった。三人はゆっくり山を下だってきた。低空で飛んできた山鳥が二、三羽、先頭の周吉の前で羽撃《はばた》いて笹藪に潜りこんだ。
彼が山鳥に気をとられていると、
「山火事だ!」後ろから来た群平が先に見つけて大声で叫んだ。
周吉たちは馬を止めて牧場に引き返してきたが、西の空にはすでに白い煙がもくもくと湧き上がっていた。
「馬を安全地帯へ追《ぼ》え」と、周吉が叫びたてた。群平と孝二が白煙の中へ飛び込んでいった。
やがてその白煙の中から馬群が雪崩《なだれ》のように飛び出してきた。
しかし、火は、北にも東にも燃え上がった。
「南へ追《ぼ》え」
馬群は道を塞がれて、山の中で渦のようにぐるぐる回った。
「ぼやぼやすんな」
周吉が馬群の中へ突っ込んで行き、方向を南に変えて群平の追う馬に合流させた。だが、周吉はそのとき林の中に蠢《うごめ》く人影を見た。菊村一派に違いなかった。
「野郎ども」
周吉はすぐ朝霧の方向をかえて、人影を追いかけたが、しかし、人影は煙の中に紛れ込んで、ついに見つけることはできなかった。
早春の山は乾燥しきっていた。火は四方八方から燃え上がって、山全体がごうごうと唸りを立てていた。
「落ち着くんだ」と、彼は自分に言いきかせた。周吉は朝霧を駈って煙の中を走り抜け、山の頂きから、南へ避難した群平たちを呼んで安否を確かめた。
「馬はみんな無事だぞおー」
山の向こうから群平の声がした。声は山に|こだま《ヽヽヽ》して遠くまで響き渡った。周吉は群平たちのすぐ傍まで近づいて、念を押すように言った。
「馬から目を離すでねえ、火が来たらそのまま海岸の方に引き下がれ」
馬の安全を知った周吉は、こんどは防火線を切って山の木を一本でも守ろうと思った。
彼はそのまま馬を走らせ、家に帰って朝霧から飛び下りるなり、
「見ろ、山が火だるまなんだ、飛んで歩け!」と怒鳴った。
あるだけの鍬や鎌や筵《むしろ》を馬車に積み込み、サトや子供たちや隣り近所の助っ人たちを連れて、山へ引き返してきた。
西から東に通じる山道の両側の笹を刈って、火を分断しようと考えた。
「防寒頭巾を被って、煙の中へ飛び込め」
周吉が命令した。トミエやトヨ子は馬穴《ばけつ》をもち湧水を探して谷間に下りて行った。子供たちは、息が苦しくなるまで鎌をふるい、ふらふらになって、魚みたいに口をぱくぱくさせて引き返した。ぼんやり立っていたキヨ子は煙に巻かれて引っくり返った。
「黄肌《シコロ》(きはだ)山を守れ」ここは昔から小鳥の棲息地だった。無数の山鳥が巣を作って住みついていた。
周吉とサトが先頭に立って鍬を打ち込み、鎌をふるった。しかし、防火線がまだできないうちに、赤い焔《ほのお》が唸りをたてて襲ってきた。
「それっ、真っ向こうから立ち向かって押し潰せ」サトもトミエたちも髪を振り乱して火にぶつかっていった。
「あれっ、お父《とう》の背中が燃えてる」
トヨ子が騒ぎたてているのに、父は夢中で何も知らずに鎌を振り回した。サトが燃えている背中に馬穴の水をぶっかけた。その勢いで周吉は前にのめったが、彼はそのまま気を失ってしまった。
風が立って、山火事はますます膨らんでいった。群平と孝二は馬を山下牧場からさらに海岸の方に移動させた。
「寅之助のやつ」
楢の木の下に寝かされた周吉は、朦朧とした中で目を覚ました。林の中に蠢《うごめ》いていた男は、背丈といい、姿恰好といい、寅之助にそっくりだった。春子を殺して、それでも足りずに執念深くつっかかってくるその心根が憎かった。
「潰せるものなら潰してみろ。そうたやすく潰されてたまるもんか」
周吉は起き上がろうとして両手に力を入れたが、どうしても起き上がれなかった。
日が落ちて、夕闇が迫っていた。山火事は周吉の牧場を焼きつくし、山下牧場の半分まで延焼してようやく下火になっていた。
「黄肌《シコロ》山も板谷《いたや》山も白樺山も無残なもんだ」
サトは子供たちといっしょに焼け跡を歩いた。生《なま》木が黒焦げのまま、ぶすぶす液汁を垂らして、痛々しく燻《くすぶ》っており、太い楢の根っ株が煙を吹き上げていた。
鳥、獣の棲処《すみか》は一瞬のうちに消え去り、山はひっそり死んでいた。
日がとっぷり暮れ、夕闇の中で梟がぼうぼうと鳴くころ、サトは周吉を馬車に乗せて家へ帰った。
45
翌朝も山は霞《かすみ》のように煙っていた。サトたちが朝早く、去年の麦藁焼《むぎわらや》きに畑へ出かけた後、周吉は背中の火傷をかばいながら床から抜け出して身繕《みづくろ》いをし、牛革の長靴を履いて寅之助の玄関に立った。
「こら、寅之助、出て来い。何もかも分ってんだど」
周吉は大声で叫んだ。
「何が分ってんだい」
寅之助が家の中から怒鳴り返した。
「とぼけくさったって、おめえが火を点《つ》けたのは知ってるんだ」
「証拠もないのに勝手なことばぬかしくさって」
寅之助が丹前のまま土間に飛び出してきて、傍にあったスコップを振り上げた。
「いつも和人風吹かせやがって、ええかげんなことば抜かしてんのは、おめえの方だ」
周吉は隠し持ってきた棒片で寅之助に殴りかかった。打ち下ろすスコップの合い間をかいくぐって棒片はたしかに彼の脳天をとらえた。
「春子の仇ばとってやる」と、周吉は重く沈んだ声で言った。
寅之助はなおもスコップを振り上げて執拗に襲いかかってきたが、周吉は素早く体をかわし、スコップをもぎ取って、「殺してやる」と叫んだ。
あたりが殺気だって不穏な空気に包まれたが、そのとき、障子が開いて家の中からどやどやと男たちが現われた。周吉は一瞬たじろいだが、おおよその見当はついていた。
菊村のぐうたら一派だった。彼らは山に放火した後、昨夜は祝勝酒に酔いつぶれて、ここに泊ったらしかった。
「甘く見んなよ、俺たちは先祖代々の|れっき《ヽヽヽ》とした大和民族なんだからな」
古山が顎をしゃくり上げた。
「虫けらどもの成り上がりとはわけが違うど」
平沼が周吉に向かって、トフと唾を吐いた。男たちは周吉を取り囲み、打ちのめす機会を窺って目を尖らせていた。
「火を点けたのはてめえたちだべ」
周吉は突然叫び立て、取り上げたスコップを振り回して、菊村めがけて飛びかかって行った。しかし彼は男たちの強打を受けて簡単につんのめった。
「うじ虫ども、おいらに勝とうたって、そうはいかんど」
男たちは蝦《えび》のようにうずくまった周吉をかわるがわるに蹴とばした。周吉はそのたびに歯を食いしばって、「う、う、う」と呻いた。
昼近く知らせを受けたサトは、周吉をリヤカーに乗せて家へ連れ帰った。虫の息だった。
「荒くれどもの中へ一人で入って行くなんて、無茶なこった」
体じゅう傷だらけで、背中の火傷から吹き出した血が服の上までにじんでいた。彼女は血を拭き取ってから、馬の脂の白い塊を背中一面に塗り込めた。
「いつまでたっても和人たちの酷い仕打ちは少しも変らねえだよ」
サトはしみじみ言って涙を拭った。しかし、彼女はいつまでもめそめそしてはいられなかった。
「アイヌたちはみんなここで挫けてしまうんだよ。踏んでも蹴られても、しぶとく食い下がってゆかねば、アイヌの生き残る道はねえだからね」
子供たちはサトの言い分を唇を噛みしめて聞いていた。
「この界隈きっての種馬流月も来たことだし、今にきっといいことだってあるさ」
サトは気を取り直して弾んだ声で言った。
すでに種付けの時季が始まっていた。周吉が床に付いていたので、流月の世話は群平がしていた。アングロノルマン系の流月は評判がよく、近郷の農耕馬がぞくぞくつめかけてきた。
「百発百中だからな」
仔どまりのいいことや体形のすばらしさを群平は自慢した。流月は並みはずれた元気者だった。続けて何頭でも交尾した。流月が空に向かって嘶《いなな》くと牧柵に繋がれた発情《ふけ》馬たちは縮みあがって、おとなしくなった。
「泣く子も黙るってな」
大した威力だ、と群平は胸を張った。流月の評判は日に日に高まって部落じゅうの噂になった。
「太くてのろいペルより、細くて早いアングロの方がなんぼええか」
「値段だって五割は高いど」と、人々が語り合った。
寅之助が聞きつけ、こっそり仔種を盗もうと、人に頼んで馬耕馬を連れてきた。
群平は流月の口をとって牧柵に繋いだ発情《ふけ》馬に向かった。だが、そのとき意外なことが起こった。流月が発情馬を嫌ったのである。これまでにも種馬が発情馬を嫌うことが、全くないわけではない。はじめは発情がまだ熟していないと思ったのだが、二度目も三度目も歯を剥き出して発情馬に襲いかかった。しまいに臀部《でんぶ》にがっと噛みついて発情馬を土に叩きつけた。
「不思議なこともあるもんだ」
部落の人々が騒ぎ立てたが、それが寅之助のものだと聞くと、いっそうびっくりして目を丸めた。
「流月は利口な馬だよ」
サトは感心した。
「人間よりよっぽどしっかりしてるな」
周吉が床の中から相槌をうつ。
「このごろのアイヌは骨がないから、オコシップが見かねて乗り移ったんだよ」
サトは皮肉を込めて言った。
春雨が何度も降り、一寸先も見えない海霧《ガス》の日が続いて、春はしだいに深まっていった。
「今日でちょうど三百頭だ」
流月の種付けを群平は誇らかに言った。種付けはもう終りに近づいているというのに、しかし、周吉の火傷はまだ直らなかった。サトは背中の治療をしながら、「まるでカチカチ山だな」と言った。
「あぶなく泥舟に乗せられるとこだった」と言って、周吉は笑った。
「悪者はそっちなのにな」
周吉は撲殺されたオコシップのみじめな仕打ちを思い出していた。あれから四十年を経て、同じことを繰り返している世の中が恨めしかった。しかも信じてきた財力が役に立たないばかりか、これがかえってアイヌ潰しに拍車をかけているようにも思えた。しかし、だからといって、貧乏でいいという理由にはならない。「仮りにだ」と周吉は突き詰めて考える。和人の保護を受けた場合はどうだ、彼らの横暴は目に見えている。だから、アイヌ潰しがどんなに激しくても耐えてゆかねばならないのだ。
「菊村の奴」と、周吉は彼がすぐ傍にでもいるような言い方をした。
「ひねり潰そうたって、そうはいかんど」
彼は床から身を起こして、辺りを睨みつけた。
「おまえらが俺たちをどんなに虫けら扱いしようと、この土地はかけがいのない俺たちの遠い先祖からの魂と和人に踏みにじられた苦難の歴史に満ちているんだ」
周吉には、見たこともない遠いアメリカ人より、常に彼を脅やかしてくる近くの和人の方がずっと憎かった。
46
燕麦や馬鈴薯の蒔き付けが終って、豆類や甘蔗、亜麻の蒔き付けが始まっていた。晴天続きだったので、家内じゅう総出で仕事は目に見えて捗《はか》どった。
耕やされた畑は、黒々とどこまでも続き、野良着をまとった農夫たちが畔道を歩いている。
「原野は陽気な花曇りだ」
周吉は種馬「流月」に乗り、新川橋の袂《たもと》に立って原野を見渡した。火傷を負ってからちょうど一カ月ぶりだった。まだ傷は完治はしていなかったが、どうしても放牧馬たちの孕《はら》み具合いを自分の目で確かめたかった。彼は春の爽やかな空気を腹いっぱい吸い込んで、「陽気が降ってくる」と言った。|沼の丘《ヽヽヽ》の丘陵には、山桜の花が咲き乱れ、山鳩が泣いて春が溢れていた。
「戦争はどんな具合いだ」
赤い自転車に乗った郵便配達の留雄に声をかけた。
「B29の爆撃で街は焼け野原だし、太平洋の島にいる日本兵は玉砕や転進で、じりじり追いつめられて、いつアメリカ兵が上陸してくるか分らん状態なんだよ」
「神風はどうしたんだい」
他人事のような聞き方だった。
「今にきっと吹くさ」
留雄は赤い自転車に飛び乗って行ってしまった。
周吉は複雑な気持ちだった。だが、アイヌの未来の幸せを考えるとしたら、日本に賭けるよりアメリカの方だった。「鬼畜米英」とか「男はみんな睾丸を抜かれる」というが、これだって、いつも使う和人の手かもしれないと思った。周吉は用心深く辺りを見回した。
「国賊の謗《そし》りを受けないように立ち回らねば」とひそかに思った。そして「オコシップの仇を討とう」などというおおそれた量見は、国の為に命を投げうって働いている多くの同胞のためにもサトや子供たちのためにも、微塵《みじん》も表に出してはいけない、と自分に言い聞かせた。
「神風が吹くぞおー」
周吉はみんなに聞こえるような大声で叫んで、流月の尻に鞭を打ち下ろした。
山は静かだった。樹々は焦げついた黒い肌をあらわにして痛々しかったが、雑草や笹は若芽を出して前よりいっそう勢いよく伸びていた。馬たちはのんびり草を食んでいた。毛の色艶もよく、丸々と太っている。周吉は馬群の中をゆっくり流月を進めた。山を登り、谷を渡った。
流月はときどき立ち上がっては天に向かって嘶《いなな》いた。雌馬たちは耳を後ろに引きつらせ、目を剥いて流月を拒んだ。周吉は雌馬たちの反応を見逃すまいと、一頭ずつ丹念に確かめてゆく。種馬に体をすり寄せてくる発情馬はいなかった。
「仔どまりは上々だ」
周吉は馬たちを眺めて満足だった。腹の仔がすくすくと育って、来春は流月の仔が原野を駈け回ると思うだけで、彼の胸中は流月の元気が乗り移ったように弾んだ。春の大気を突っ切って若駒みたいに駈け回りたかった。
「それっ」と周吉は流月の腹部に拍車をかけた。と、流月は声高く嘶いて突風のように山を駈け下りた。
「走れ、走れ」と、周吉はひっきりなしに鞭を振るった。
部落に入ると、流月は尻尾をぴんと伸ばして飛ぶように走った。
「板谷《いたや》山から若駒たちが駈け下りて来たぞお」
周吉が流月の上から大声で叫びたてた。浜部落の人々が家の中から裸足で飛び出してきた。
「あれっ」
人々は天馬のように駈ける流月の素早さに目を瞠った。
「若駒はどこだ」
「空を飛んでいる」
疾風のように走る流月の背中で、周吉は何度も同じことを繰り返した。
のどかな春日和になると
山の斜面に集まった
若駒たちが
イタヤの木をかじるかじるかじる
のどかな春日和になると
天から降って来た
若駒の群が
山から雪崩のように下りてくる下りてくる
周吉はユクランヌプリ(鹿の天降る)の歌を、若駒に変えて口ずさんでいた。
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さやさやと涼しい風が原野を吹き抜けていた。
その風に乗って丸木舟が矢のように下だってくる。艫《とも》で舵をとるのは、首長の中山善作だった。彼の祖父オニシャインは、和人がどっと入ってきた明治の初め、真っ先に帰俗アイヌ(和人に反抗をやめ服従したアイヌ)を名乗り、和人との仲立ちとして働いた。
オニシャインはときどき部落を回って歩いたが、そのたびに人々の暮らしぶりは少しずつ変ってゆくのだった。アイヌたちの名前は和人名に変えられ、鮭漁や熊祭りさえも禁止され、昭和に入る頃には平穏だったコタンも、すっかり和人部落になり変っていた。
首長も、オニシャインからイホレアンに引き継がれ、今では中山善作の時代になっていたが、それも落ちぶれ取り残されたアイヌの残骸に過ぎず、一人として振り向く者さえなかった。
「中山善作、おめえたちはアイヌを売った張本人なのに、それを恥とも思わずまだ何かをねだりにでも来たのかい」
ヘンケの孫友作は川岸に立って大声で叫んだ。だが、舟からは何の反応もなく、そのまま岸に突き刺さるように乗り上げた。舟の中には背広姿の二人の紳士が乗っていた。
「北海道大学から来た偉い先生たちなんだど」と、善作は得意げに言う。
「よろしく」
二人の紳士は名刺を差し出して頭を下げたが、友作はその名刺には目もくれず、ポケットにねじ込んだ。
鼻髭を生やした老紳士が「児島作衛門先生」、若い紳士が「高岡新一郎先生」と、中山善作が紹介する。
「それで何を研究しに来たんだい」と、友作は聞いた。
「アイヌの人骨を研究するために、墓を掘らせて貰いたいのです」と、静かな口調で老紳士は言った。
「墓を掘るだと?」
友作は息を呑み込んだまま、声にもならなかった。
「遺骨を研究すれば、アイヌの正体が分るだけではなく、もしかするとアイヌは和人の先祖である、という結果が出るかも知れないのです」
老教授の眼は、すでに獲物を狙う鷲のように鋭く光っている。
「アイヌのためにも、ぜひ協力して欲しい」と、さらに力を込めて頼んだ。
「やっぱり、首長が来ればろくなことはねえ」
隣りの家から出てきた源治が呆れたように大きな声を出した。
「生きているときはさんざ酷い目にあわせ、そんでもまだ足りなくて、こんだあ墓ば掘っ返すとな」
源治の言葉が終らないうちに、そこに慌てて駈けつけた周吉が息急《せ》き切って「とんでもねえことを考えるもんだ!」と叫んだ。
「研究もへったくれもあるもんけえ、いつもこの手でやられて来たんだからな」
「研究が済み次第、責任をもって必ずお返ししますから」
若い教授も一生懸命説明するが、殺気だっているアイヌたちの耳にそんな言葉の届くはずもなかった。
「先祖の墓を暴《あば》くような悪党どもは皆殺しにすべえ!」
周吉が竿を振り回すと、友作や源治たちも櫂や垢掻きなどで殴りかかった。
二人の教授は仕方なく川のなかに跳び込み、ずぶ濡れのまま丸木舟で逃げ帰っていった。
「大学教授だか何だか知らねえが、お前《めえ》たちは紳士の面《つら》ばかぶった獣《けだもの》だい!」
周吉は体じゅうの力を振り絞るようにして、彼らの後ろ姿に罵声を浴びせかけた。
「墓に手をつけたら、ただじゃおかねえ」
自分たちが生きている限り、どんなことをしてでも墓を守り通さねばなるまいと、周吉たちは固く誓い合った。
だが、教授たちも簡単に引き下がるような相手ではなかった。彼らは丸木舟に酒瓶や缶詰やお菓子などを山のように積み込んで、川を下だってくる。
「大学の先生だあー」
子供たちは喚声をあげ、その舟を追いかけて土手の上を走り回った。
「健坊、やつらからは飴玉の一粒だって貰ったらならんど」
舟のなかの食糧を横目に睨みながら、友作は長男の健一に厳しく注意する。
「協力してもらうお礼なんだから、遠慮せんと取っとけよ」
善作は友作に酒瓶を手渡そうとするが、彼はそしらぬ顔でそっぽを向いた。
「身寄りのない無縁仏でも貸して頂ければ有難いのですが」
老教授は頭を土手にこすりつけて頼んだ。
「たとえ身寄りが分らんだって、おらたちの先祖であることは変りねえべ」
友作と源治は棍棒をしゅんしゅん打ち鳴らして歩きながら、
「無縁仏とか研究の期間中とか抜かしくさってな、はしたらもんでねえさ(並みでないひどい奴らだ)」と、教授たちを罵《のの》しった。
「こんなに頼んでんのにな」
老教授にすまなさそうに善作が言った。
「拝み倒そうったって、そうはいかんど。百万遍頭を下げたってダメなものはダメなんだ」
源治は止《とど》めを刺すように大声で怒鳴った。
「どこまで突っ張れるか、やって見ればええさ。今にきっと後悔するべえ」
善作たちは、しぶしぶ引き下がって行った。
しかし、それから一週間ほどたった良く晴れた朝、山菜を取りに出かけた友作の女房サダが転がるようにポロヌイ峠を駈け下りて来た。
「墓泥棒だあー、墓泥棒だあー」
彼女の足はサトの家の前まで来て、ピタリと止まった。
「古い墓も新しい墓も一つ残らず掘っ返されてよ、山の中には立派な馬車の道がついてたわ」
サダは呆れ顔に言って、大きく溜息をついた。
「野郎ども」
周吉は唸るように吐き出した。
「とうとう、やりやがったな!」
友作や源治たちも肩で息をしながら詰めかけてきた。友作が先日善作から聞いた話に依ると、アイヌの遺骨収集とその調査研究は、昭和八年、道南の函館・森・八雲から始まり、倶知安・伊達・白老・日高を経て、ようやく十勝に入ったが、もう間もなく千体にも達するという。
「よくもまあ、ひとの骨ば、そんなにたくさん集めたもんだ。――きっと罰が当たるに決まってるさ」
激しい口調でサトは言った。
「金と権力にものを言わせて、俺たちアイヌを騙《だま》くらがしてな」
周吉の顔は青ざめ引き攣っていた。
「モンスパの墓があぶない!」
突然、サトが甲高い声を張り上げた。
「中山善作のもくろみの中にはモンスパの墓もあるに違いない」
周吉は、ポロヌイ峠に向かった友作たちとは別に、朝霧を昆布刈石へと走らせた。
夏の海はどこまでも青く凪《な》いでいる。
「それっ、それっ」
渚に群れる海猫を蹴散らし、飛沫がはねて頭からずぶ濡れになっても、彼は少しも速度を緩めなかった。
「最後のひと息だ、けっぱれ!」
小川を跳び越えると左側の平地を曲り、そこから斜めに延びた赤土の禿げ山へ駈け上がった。朝霧は後足で立ち上がるようにして登ってゆく。
頂上まで、あとひと息という処まで来て、周吉は卒塔婆のないことに気づき胸が騒いだ。新しい赤土がそこらじゅうに散らばり、キナ筵が黒土となって点々と混じっている。
果たしてモンスパの墓は掘り返され、卒塔婆は無惨に投げ捨てられていた。彼は朝霧から跳び下りると墓の傍に立った。土にはまだ湿り気があり、赤蟻が逃げまどっている。たった今掘り返されたに違いなかった。
「モンスパ、きっと取り返して見せるからな」
遺骨を積んだ馬車は、おそらく山を越えて静内を通り、下頃部から旅来《たびこらい》の中山善作の処へ行くだろうと思った。
「これから直ぐ十勝太に引き返し、まっすぐ下頃部に先回れば追いつけるかも知れない」
周吉は、ひっきりなしに馬の腹に拍車をかけ、革の鞭を振るった。朝霧は今来た渚を疾風のように走り続ける。
「もし渡さないとでも言うなら、そのときはぶち殺すまでのことよ」
家に着くなり、彼は村田銃を担ぎ、腰にはぎっしりと薬莢《やつきよう》の詰まった帯革を締めつけた。
湿原は道に覆いかぶさってくる程の夏草でむんむんしていた。だが朝霧は、ただひたすら走り続ける。周吉は上衣の釦《ぼたん》をはずし、帆掛け船のように風を孕《はら》ませて走った。
「ほら、もっと高く飛べ!」
彼は早く馬車を捉えようと、ひまなしに朝霧を攻め立てた。しかし下頃部の湿原に入っても、豊頃の十勝大橋を渡っても、その姿は見当らない。
「モンスパはどこへ行った?」
なかば失望して呟やいた。だが、そのとき道のずっと向こうに、確かに小さく蠢《うごめ》く黒い影を認め、彼の胸はどきんとなった。
「逃がすもんか」
周吉は、ただ一点を見つめたまま朝霧を駈った。革の鞭がびしっと音をたて、馬は息を吹き返したように疾駆する。
「止まれー、止まれー」
しかし馬車は一向に止まる気配を見せなかった。彼は前方に回ると天に向かって一発、村田銃を放った。轟音が原野を揺るがし、ようやく馬車は止まった。
「モンスパの遺骨を渡して貰うべえ」
銃を突きつけ、周吉は詰めよって言った。
「何のこったべ」
馬車の上に坐った人夫たちは、互いに怪訝な顔を見合わせている。
「知らねえ振りをしようったって、そうはゆかんど」
彼は銃を突きつけたまま馬車に乗り込み、被せてある筵を引き剥《はが》した。しかし、束ねた秣のなかにも、遺骨らしいものは見当たらなかった。
「昆布刈石で墓を掘らなかったか?」
突きつけていた銃を下ろし、力なく周吉は訊いた。
「それなら、他の連中が昨日運んだ筈だ」と、人夫のひとりが言う。
「今朝早くトラックで発ったから、今ごろはもう札幌だと思うよ」
年配の人夫が言った。
「札幌だと!」
頭に血の上った周吉は、大声で叫ぶと、直ぐに旅来《たびこらい》の中山善作の家に向かった。
善作の家は茂岩から大津へ抜ける大津街道のほぼ中間で、カンカンビラの麓にあった。栄えた昔を偲ばせる馬鹿でかい家も、今ではひっそりと沈んで見える。
周吉はその家の回りを何度も駈け回りながら、「中山善作、出てこい!」と叫びたてた。
「お前たちは三代にも渡って、おれたちアイヌを和人に売ってきたんだ。だが、もう騙されるもんか――さあ、今すぐモンスパを渡すんだ!」
その声はカンカンビラにぶつかって撥ね返り、辺りの原野に響き渡った。
だが、家の中から跳び出してきたのは、善作が自慢の猟犬だけだった。猟犬は朝霧の足もとを狙って、マムシのように絡みついてくる。
「この、野良犬めが!」
周吉は馬上で村田銃を構えると、一瞬のためらいもなく発砲した。猟犬は「ぎゃん」と、ひと声吠えて前のめりに崩折れた。
「イックンネセタ(鼻の黒い犬)!」
走り出てきた老婆は、赤子でも抱くように猟犬を抱き上げた。
「アイヌは猟犬を撃たんとな」
彼女は老婆とも思えぬ光った眼で、周吉を睨みつけた。
「こんだあ、おめえの伜、中山善作の番だ!」
彼は馬の上に立ち上がり、筒先を玄関に向けて叫んだ。
「和人《シヤモ》に逆らい切れないことは、おめえだってよく知ってるべ。善作を撃つならおらば撃て」
老婆は両手を広げ、周吉の前に立ちはだかった。
「そったら、くそ婆《はばあ》ば撃って何《なん》になる!」
彼は馬から跳び下りると老婆を蹴飛ばし、その勢いで玄関に向かった。
「周吉、馬鹿な真似は止めろ!」
大津の駐在所から馬で駈けつけた巡査だった。彼の横には中山善作が並び、光った二本の村田銃が周吉に向けられている。
「馬鹿な真似をしたのは、そっちでねえか!」
彼は、素早く銃口を善作に向け直した。
「周吉、善作を殺して、それで一体どうなるって言うんだ」
朝霧の背に揺られながら、周吉の頭のなかにはひと言ひと言噛み砕くような巡査の言葉がいつまでも残っていた。
48
その晩、じめじめして寝苦しい夜だった。
「モンスパはもう札幌に行ったとな」
サトは力なく言った。
「今ごろは北海道大学の研究室だべ」
「ヘンケやシュクシュンも同じ所よな」
「そうだ」
周吉は眠い目をこすりながら言った。
「収集は無縁仏だけだ、と言っていたのによ」
「無縁仏とか、研究が終ったらすぐ返すとか言っても、奴らは全く信用できねえからな」
「モンスパはシンリツモシリ(あの世)へも行けねえで、この先ずっと奴らの玩具《おもちや》にされてしまうだもの」
サトは布団の中に頭を埋めて、咽び泣いた。
「墓荒らし」があってから、アイヌたちの胸の中には和人に対する怒りが渦巻いていた。だから、戦争がますます激しくなり、南の島がつぎつぎに奪回され、本土の大都市が見る見る灰燼に帰していったが、アイヌたちは、「怨霊の祟りだ」と言った。
「あのバカでかいB29の大編隊には手も足も出めえさ」
周吉は半ば自嘲ぎみに言った。
「まるで自分の国の空みたいに、自由自在に飛び回ってんだから癪《しやく》にさわる」
源治は奥歯を噛みしめて悔しがった。
「大和魂のある限り、日本は絶対に負けねえだよ」
胸を張って言う菊村の言葉に、「結局は勝つということなんだ」と、古山がつけ加えた。
「その大和魂という奴が、おいらにはどうしても分らねえのよ」
周吉は頭をかしげた。
「おめえらには分りっこねえさ」と、菊村は顎をしゃくり上げた。
「勇敢な和人《シヤモ》と自信|過剰《かじよう》な和人《シヤモ》と、どっちが本当なんだい」
「今に分るさ」
菊村も古山も自信に満ちていた。
「いま、大事なのは銃後の堅い守りなんだ」と、部落会長の兵藤が横から口を入れた。
「デマ宣伝に惑わされず、どんな苦境に立たされても、じっと耐えて自分の職務をまっとうすることが、勝つことの第一歩なんだ」
平沼がこう言って周吉を睨みつけた。
「不平不満をぬかす者は国賊だ!」と言って、寅之助が拳《こぶし》を振り上げて叫んだ。
周吉は聞きながら、言いたいことが山ほどあった。アイヌを踏みにじっておいて、食糧の供出は、誰よりも多く割り当ててくる。子供の多い周吉の家では、食糧も衣類も、せめて人数分が欲しかったが、「馬持ち」を理由に半分に減らされた。薯と南瓜が主食で米はほとんどなく、衣類は夏も冬も着たきりで虱《しらみ》の巣になっていた。
「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢《ぜいたく》は敵」とか、お上《かみ》の造った標語だけがぽんぽん飛び出してきたが、アメリカの潜水艦が日本の周辺にうようよして、青函連絡船がつぎつぎに撃沈され、戦争はいよいよ身近かなものになってきた。
長い冬が過ぎてふたたび海霧の季節がやってきた。その四月、アメリカ兵が沖縄に上陸したというニュースを聞いて、部落の人々は改めて戦争の恐ろしさを知って身を引き締めた。
「とうとう来やがったな」
兵藤会長が眼を吊り上げて言った。神社に必勝祈願に来た帰り、菊村たちが兵藤会長の家に立ち寄った。ちょうどそこへ流月の運動に来た周吉が顔を合わせた。
本土決戦を意気込んでいた菊村たちに向かって、
「艦砲射撃で山が平《たい》らになったと言うぞ」と、周吉は上陸の凄まじさを言って、首を引っ込めた。
「神国日本は」と、菊村は言いかけて止まったが、「必ず勝つ」と言いたげだった。
「あのすぐれた装備と厖大《ぼうだい》な兵力だもの、陥落も時間の問題だな」
しかし、兵藤会長も菊村たちも返事をしなかった。
アメリカ兵が沖縄に上陸して間もなく、北海道の上空に艦載機グラマンが飛来した。黒くてごろんと太って、見るからに悪漢のような恰好をしていた。たいてい北の方から二、三機で海岸線に沿って飛んできた。河口の崖《がけ》の上に爆音といっしょに現われ、放牧馬や家屋に機銃を乱射して、一瞬のうちに大津の方に飛び去った。
「上陸場所を偵察してんだな」
「この辺なら砂浜で障害物もねえから、戦車で一気に帯広まで行けるもんな」
馬耕をしていた定雄が、源治をつかまえて話していた。
「空の守りはどうなってるもんだか」
そこへ友作が加わって、話が弾んだ。
「通り道が分ってんのに、迎え撃つ飛行機が一機もねえだからな、あきれたもんだわ」
友作が、グラマンに追われて逃げまどう真似をして両手を広げて跳ね回ったので、周吉たちが笑い転げた。その声を聞きつけて菊村たちが集まってきた。
「国家存亡の一大事に笑ってる場合でもなかべえ」
菊村が眼を剥いた。
「大日本帝国はどこで反撃に出るんだい」と、周吉が訊いた。
「神風はいつ吹くんだい」と、友作が訊いた。
「飛行機も船も、最後の決戦に残してあるんだ。敵を手元に引きつけて置いて、いっぺんに叩き潰《つぶ》す戦法なんだ」
菊村は参謀本部にでも聞いてきたように、きっぱり言った。
「神風は沖縄では吹かないんだ。もっとたくさん艦船と兵員が集まった一大決戦のとき、一回だけ吹くんだ」
寅之助は菊村よりもっと自信に溢れていた。
「自信満々だな」と友作が言ったとき、浜風に乗って厚内の防空監視所のサイレンがかすかに聞こえてきた。監視所には孝二たち青年学校の生徒たちが交替で詰めていた。
「ほら来た」と言って、周吉たちはいっせいに土手の柳の下や排水溝の中に潜りこんだ。崖の突端をかわしてきたグラマンは逃げまどう部落民を乱射し、こんどは十勝川づたいに帯広の方へ飛び去った。
その日の午後、「水際作戦」の訓練があるというので、部落民たちが大勢海岸に集まった。人々はみんな鎌や鍬を持っていた。役場から来た役人と在郷軍人の管野軍曹が、整列した部落民たちの前に立った。みんな真剣な顔をしていた。訓練は五人一組で行なわれた。
敵が上陸してきた場合、どう応戦して殲滅《せんめつ》するかが、訓練の主眼だった。上陸してくる敵も必要だったので、周吉と友作が希望した。敵兵はみんなで十人ほどだった。
「最初に『目つぶし』をやる」と、管野軍曹が馬鹿でかい声で言った。死んだふりをして敵兵の近づくのを待つ。そして二、三メートルに近づいたとき突然起き上がり、目を狙《ねら》って小石または砂を投げつける。
「この戦法は『沈着冷静』を旨とする」
管野軍曹の声はますます冴え渡る。
「死んだ振りより、流木の陰に隠れた方がええでねえべか」
農夫の松吉が恐る恐る言った。
「黙れ!」と、軍曹は一喝した。
「流木はいつもあるとは限らん。言われたことをしっかりやれっ」
松吉は頭をかいて引き下がった。管野軍曹は息を腹いっぱい吸って、
「『目つぶし』で敵がひるんだところを間髪を入れずに飛びかかって行って、鎌で首を切るか、鍬で脳天を叩き割るのだ」と言った。部落民たちは真剣な顔で聞いていた。
敵兵に選ばれた周吉たちが、膝株まで海中につかって陸の方を眺めた。砂浜にごろごろ転がった死骸を見て、「情けねえ姿だ」と、周吉は思った。
「上陸開始」の号令がかかって、周吉たちは渚をのろのろと上がっていった。と、倒れていた菊村たちが突然起き上がり、周吉たちの目を狙って小石や砂を投げつけてきた。
周吉は顔じゅうに砂を叩きつけられて、眼がくらんだ。
「おめえたちは、もうとっくに火焔放射を浴びて黒|焦《こ》げなんだど」と、周吉が言った。
だが、誰の耳にも聞こえなかった。古山や寅之助が駈け寄ってきて、周吉はどうっとその場に捩じ伏せられた。
「毛唐めが」と菊村が言って、がっと唾を吐き捨てた。
「こら糞アイヌ、参ったか」
寅之助が周吉の首根を押さえつけて言った。
「降参して、たまるけえ」
周吉は首を振って、寅之助を睨み返した。
「犬の糞でも食《く》らえ」
彼はひからびた黒い塊を周吉の口の中に捩じこんだ。
部落民たちは「目つぶし」と「脳天割り」を組み合わせて何回も練習を繰り返した。
訓練が終って解散すると、
「こんな忍者みたいなことをやって、勝てるもんけえ」と言って、周吉たちは「水際作戦」の訓練をなじったが、寅之助の横暴が癪にさわって彼は家へ帰っても、まだ腹の虫がおさまらなかった。
六月に入って間もなく、アメリカ兵が沖縄全土を占領したという噂が流れた。
「こんどは北海道だな」
「南と北を占領して、両方から東京に向かって追いつめる気だな」
部落の人々は仕事も手につかず、ぼんやり太平洋を眺めていた。水平線の上にぽつんと湧いた泡粒のような一点がみるみる膨れ上がって近づいてきた。
「敵機だ!」
川岸で洗濯をしていた源治の女房キミが大声で叫んだ。グラマンは地上すれすれに飛んできて、河口部落上空を旋回して建物や放牧馬に機銃を浴びせた。
「藪の中へ潜り込め」
周吉は逃げ惑う人々を怒鳴りつけた。グラマンは何度も旋回して執拗に射ってきた。土埃が高く舞い上がり、家屋の板壁がばりばり音をたてた。
グラマンが十勝川に沿って帯広の方へ飛び去った後、周吉は放牧馬を見て回った。厩の陰で、親馬が背中を射抜かれて斃れていた。馬は血だらけで、すでに息絶えていた。
「馬頭さんに祭ってやるべえ」と、周吉が言った。
「馬がわしらの身代わりになってくれたんだよ」
サトが馬の顔を撫でて声を詰まらせた。馬を池のほとりに埋葬すると、牧夫の群平が燕麦を供え、子供たちは野っ原に飛び出して行き、盆花を摘んできて供えた。
その晩、周吉は犬の鳴き声で目が覚めた。アカ(犬の名)は噛みつくような見幕で、獲物に飛びかかって吠えているようだった。厩の前の牧草畑の辺りだった。
「あの鳴き声は、ただごとでないな」と、周吉が言った。
「アメリカ兵が上陸して来たべか」と、サトがおどおどしている。周吉と群平が安全灯を持って戸外に出た。外は星明かりだった。安全灯の灯を消し、厩の前に止まって辺りの様子を窺った。場所は馬頭観音のところだった。黒い影が蠢《うごめ》いて、アカはなお吠え続けていた。
「逃がすなよ、ひっ捕えるんだど」と、周吉は低い声で言った。周吉も群平も太い棒片を握りしめていた。二人は牧草畑を這うように進んだ。わずか五|間《けん》ほどに近づいたとき、周吉は身を翻《ひるが》えし、黒い影めがけて飛びかかって行った。不意をつかれた黒い影はグウと押し潰した声をあげ、スコップをその場に投げ出して飛び上がった。
「動くな」と周吉が腹にたまる声で言い、黒い影の前に立ちはだかった。寅之助の荒々しい息づかいがした。
「何もかも知ってるんだ、黙ってついて来《こ》お」
周吉は棒片で寅之助と耕造の頭をこづいた。父子《おやこ》は家の中へ連れてこられても、まだがたがた震えていた。
「腹に力のはいる物は、もう一週間も食べていねえだよ」
寅之助はうなだれて同情をかうように言ったが、周吉はその手に乗らなかった。
「いくらひもじくたって、神様に祭ったものをな、まったく罰当たりなことをするもんだ」と、サトは口を尖らした。
「泥棒猫ども」
周吉はうなだれた父子の顔面を平手で交互に殴りつけた。そのたびに彼らは床に頭をこすりつけて許しを乞うた。
「呪《のろ》いは孫子の代まで続くんだからな」
恨みをこめたサトの瞳は怒りに燃えていた。
夜が白み始めるころ、泥棒父子は逃げるように帰って行った。
「あんな奴ら」と、サトは吐き出すように言った。
「春子のことを思えば八つ裂きにして殺しても、まだ気がすまねえ」
サトは悲しみに沈んでいた。
49
朝から風もなく、むし暑い日だった。天皇陛下の重大放送があるというので、部落の人たちがラジオのある兵藤会長の家に集まっていた。
ラジオは雑音がひどくて、聞きとることが出来なかった。
「役場から配給になった|ぼろ《ヽヽ》ラジオだからな」
焼き玉エンジンに詳しい漁師の田中がピーピー鳴り響く音声を調整しようと、ラジオを叩いたり振り回したりした。
「大事な放送だったら困るからな」
兵藤会長が心配そうに言うので、大津の役場へ聞きに行くことになり、口達者な重蔵が馬に乗って駈け出した。
彼は一時間かっきりに戻ってきて、馬の上から「戦争に負けたどお」と、叫びたてた。
「負けただと」
兵藤会長は聞き返した。
「おれたちは、どうなるんだい」
源治が不安そうに口を尖らした。
「そんなこと、知るもんけえ」
重蔵は投げやりに言った。部落民たちはすっかり気が抜けてしまい、口をきく者は誰ひとりなく、あきれ顔にただぽかんとしていた。
周吉たちは仲のいいタミ婆やフデ婆やトメ婆、それに隣り近所の人たちといっしょに新川橋の袂に集まって、アメリカ兵が上陸した場合の対策を話し合っていた。
「敵は火焔放射器や機関銃を持ってんだからな、上陸してきたら、ただ逃げるよりしようがなかべ」
隣りの利吉とヨシが言った。
「逃げるなら目梨沢《めなしざわ》だべ。あそこなら沢も深いし、状況によってはもっと奥まで逃げれっど」
タイキの伜《せがれ》春吉が頑固に言い張った。
「へたに抵抗でもするもんなら大変だど」
幸造とカネが口を尖らして、気の強い春吉に注意した。みんなの話を黙って聞いていたコイカリの伜源治とその女房キミは「逃げる時はいっしょに頼むど」と言って、頭を下げた。話しているところへサケムの伜平助とテツナの伜重吉とその女房ヤエがやって来た。
「みんな揃ったところで、別れの杯でも交わすべえ」
サトは隠しておいた一升瓶を持ってきた。みんなの茶飲み茶碗に注いで、周吉の音頭で乾杯をした。
「これでやっと和人たちの奴隷《どれい》から解放されたんだ。しかし、アメリカの捕虜《ほりよ》になった場合、殺されるかどうか危ない賭《か》けなんだ。とにかく、絶対無抵抗で最後まで生き延びるべえ」と、彼は落ち着いた声で言った。
「大和民族だと、笑わせらあ」
いちばん先に酔っぱらったタミ婆が青空を見上げて笑った。
「おらたちのことを『土人』だというから憎たらしいわ。アイヌモシリ(アイヌの土地)へのこのこ入ってきて、何をぬかすもんだか」
フデ婆が立ち上がって土をどんと踏んだ。そのとき、ちょうどサンナシの森の方から菊村の婆《ばば》がやって来た。
「ちょっと待った」と、トメ婆が橋の上に立って、菊村の婆をさし止めた。
「アメリカ兵が上陸してきても、おいらは平気なんだからな」と、フデ婆は空を見上げて胸を張った。
「だって、おめえらはアイヌは日本人でねえと言ったべ」
トメ婆の眼は急に尖ってきて、菊村の婆を睨みつけた。
「アメリカ兵の前で、『アイヌは日本人でない』と、きっぱり言わんと承知せんど」
トメ婆は顎をしゃくり上げた。菊村の婆は眉をひそめた。
「嘘をついたら、アメリカ兵に頼んで、首をちょん切って貰うからな」
フデ婆はいよいよ勢いよく詰め寄ったので、菊村の婆はがたがた震え、悪い方の足をひきずって逃げ出した。「待て、待て」と言って、フデ婆は足をばたばた踏んで追いかける真似をした。躓《つまず》きながら逃げてゆく慌てぶりを見て、アイヌの老婆たちは腹をかかえて笑い転げた。
「さあ、別れの杯を和人から解放された祝い酒に代えて、景気よくやるべえ」と、フデ婆が言った。彼女は立ち上がり、手拍子をとってヤイサマネナ(即興詩)を歌い、トメ婆はウポポを踊った。タミ婆もそれに続いて輪になって踊った。
東の空に月が出て
あたりは青白く輝いた
さあ、みんな、コタンの丘に登り
手を拍《う》ち土を踏んで
踊れや踊れ 朝まで踊れ
西の空に一番星が出て
あたりは金色に輝いた
さあ、みんな、コタンの丘に登り
手を拍《う》ち土を踏んで
踊れや踊れ、朝まで踊れ
トンケシ山に白雲が湧いて
あたりは銀色に輝いた
さあ、みんな、コタンの丘に登り
手を拍《う》ち土を踏んで
踊れや踊れ、朝まで踊れ
フデ婆のヤイサマネナは希望に溢れていた。
「長生きしてれば、いいこともあるもんだ」
彼女は満足だった。
周吉は歌や踊りに酔いながら、負け戦《いく》さだというのに、この腹の底から盛り上がってくる熱い塊はなんだろうと思った。
アイヌがシャクシャインの戦いに負けたときのように、和人どもが築いた文化ががたがた音をたてて崩れてゆく姿を見るのが嬉しいのだろうか。
「これであいこだ」と、周吉は口に出して言った。道路の真ん中を大手を振って歩けるな、と思うだけで胸がぞくぞくした。
50
敗戦の翌日、浦幌炭鉱で働いていた朝鮮人たちが暴動を起こした。炭鉱の上役の人々を部屋に閉じ込めて、殴る蹴るの暴行を加え怪我をさせたあげく、三十人ほどの朝鮮人が脱走したと言うのである。
「奴らはやぶれかぶれだから、何をやらかすか分ったもんでねえ」
兵藤会長の名前で、「夜間外出禁止」の回覧板が回ってきた。
「労働時間でも待遇でも、家畜並みでひどく虐待したというからな」
周吉が友作と隣りの利吉を相手に厩の前の牧柵に腰をかけて話していた。しかし、脱走した朝鮮人よりアメリカ兵の方がよほど気がかりだった。
「油断すんなよ、いつ上陸してくるか分らねえからな」
周吉は話しながらでも、絶えず牧柵のてっぺんに登って気を配っていた。
海霧が晴れて辺りが急に明るくなり、トンケシ山も河口の家々もはっきり見えてきた。周吉が新川の向こう岸を歩いている菊村を見つけて声をかけた。
「菊村! おめえは、日本が負けるときは大和民族がひとりもいなくなる時だと言ったべ。そんじゃあ、天皇陛下は大和民族でねえのか」
彼は両手をラッパにして大声で叫んだ。周吉は昨日、天皇陛下が敗戦の放送をしたときから不審に思っていた。天皇陛下が健在なことが不思議だった。
「どうなんだ、はっきり返事をしろっ」
周吉はふたたび大声で問い詰めた。
「天皇陛下は今にきっと切腹するさあ」
菊村の返事は|せつなまぎれ《ヽヽヽヽヽヽ》(苦しまぎれ)の言い逃れだった。
部落の人々はアメリカ兵の上陸を恐れ、いつでも逃げられる準備をして、大人も子供も服を着たまま布団の中にもぐった。
だが、翌日もその翌日もアメリカ兵は上陸してこなかった。
そのうちに、「日本国民は冷静に行動し、武器を捨てて各自の職務に精励するように」という回覧板が回ってきた。
「やっぱり」と、サトは目を剥いて言った。男の睾丸《こうがん》を抜いてしまうというのも、日本人をひとり残らず抹殺《まつさつ》してしまうというのも、日本人たちが作ったデマだった。
敵前上陸のないことを知って、部落はようやく明るさを取り戻したが、和人たちの狼狽が見たかったので、アイヌたちにとってはこのまま落ち着くことは何となく不満だった。
「なんて、あわけねえ(張り合いのない)こった」
源治たちが口を尖らせて不満を漏らしたが、秋風が吹き始めるころ、アメリカの進駐軍がぞくぞく日本に上陸してきているという噂が伝わってきた。そして、実際、北海道にも小樽へ上陸してきた進駐軍が札幌に入り、そこから道内の主要地点に駐屯した。道東の帯広にも道北の美幌にも、進駐軍の部隊が来た。そしてジープに乗ったアメリカ兵が、ときどき釣り竿を持って海岸にやってきた。子供たちが珍しそうに後にくっついて歩き、チョコレートやガムを貰った。
アメリカ兵は陽気だった。いつもガムをくちゃくちゃ噛んでいて、若い女性に逢うとジープの上で「ホウ、ホウ」と声をかけ、飛び上がってはしゃいだ。
アメリカ兵は親切でもの柔らかだったが、しかし、GHQ(総司令部)の権限は絶対だった。
「天皇陛下より力があるんだからな」
周吉の意見に誰も反対はしなかった。
51
敗戦からちょうど一年が経った。
二、三日降り続いた雨が上がって、朝から西風が唸りをたてて原野を吹き抜けていた。家内じゅうの者が家の前の畑で玉蜀黍《とうもろこし》の穫《と》り入れをしているところへ、突然アイヌの人が訪ねてきた。四十年輩の小柄な男で知尾真佐雄と言った。頬髭が濃く、眼は深く落ち窪んでいて、ぶ厚い唇を突き出すようにしてしゃべる。知尾は札幌に本部のある「ウタリ協会」の者だが、「アイヌ差別廃止」と、和人に取り上げられた「給与地返還」の件で、GHQに歎願書を提出することになったので署名簿に名前を連ねて欲しい、と言った。
周吉は聞きながらとうとう動き出したと思うと、気が昂《たかぶ》ってきてじっとしてはいられなかった。
「『ウタリ協会』はどんなことをする集まりなんだい」と、周吉が訊いた。
「ウタリ(同胞)が協力しあってお互いの生活を向上させようという、戦前からある団体なんです」と、知尾は言った。
「酷いアイヌ差別があったり、アイヌの人骨問題があったりしてんのに、少しもよくならねえのはどうしてなんだい」
周吉は知尾の顔を覗き込むようにして、ふたたび言った。
「もう何十年も前から交渉してきたんですが、真面目に取り合ってはくれなかった。だから、こんどはGHQに頼んで見ようと思って」
知尾は唇を噛みしめた。
「アメリカ人だから、こんどこそ公平に裁いてくれるかもしれない」と、周吉は思った。
周吉は字が書けなかったので、孝二が代わって署名した。止若《やむわつか》・本別・高島・池田など、各地方の同胞たち百人ほどの名前が載っている。歎願書はアイヌを解放し、ごまかして取り上げたアイヌの給与地を返して欲しい、といった意味のことを切々と訴えていた。
「金があっても教養がなければ駄目だ」
周吉はうらめしげに歎願書を眺めた。
「もっと横の繋がりを持たないと、強力にはなりません。早く北海道全域の組織を作りたいものです」
知尾は思い詰めたように言って、帰って行った。
「これが最後の機会だ」と思うと、周吉は家にじっとしてはいられずに、朝霧に乗って浜部落に出かけた。
「おいらの協力者は泣く子も黙るGHQだからな」
向こうからやってきた平沼に声をかけた。
「何のこった」
平沼が振り返って聞き返した。
「アイヌ解放をGHQに訴え出たんだ」
「アイヌ解放?」
平沼はまだ呑み込めないでいる。
「虐待されているアイヌたちをGHQに守ってもらうんだよ」
「どんな虐待をされたんだい」と、平沼が訊いた。
「GHQが調査にきたら、和人たちのしたことを洗いざらい、みんなしゃべってやる」
周吉は馬の上に立ち上がって言った。
その翌日、GHQが来るという噂が部落じゅうに広まった。部落会長の兵藤がさっそく部落の役人《やくびと》を集めて対策を練った。
アイヌを差別した覚えはないし、給与地だってアイヌの承諾を得て使用しているのだから、今更そのことを問題にするのは間違っているという。給与地の借用者と部落の役人《やくびと》が連名で、この間《かん》の事情を書いた書面をGHQに送り、アイヌの挑戦にはいつでも受けて立つという態度に出た。
「周吉、GHQに助けを求めようったって、そうはいかんぞ」と、兵藤会長が言った。
「自分の胸に手を当ててとっくり考えてみろ」
周吉は撥ね返した。
アイヌたちも和人たちもGHQの裁断を待った。
だが、一カ月が二カ月になり、半年近く経っても何の沙汰もなかった。そんなとき、知尾がひょっこり訪ねてきて、
「GHQは双方の円満解決を望んでいるようだから、期待は出来ない」と言った。
「円満解決?」と、周吉は顔を曇らせた。
「アイヌの解放より、占領政策の方が先なんだから、彼等もやっぱり同じ穴のムジナだったんです」
知尾は頭を左右に振った。
「『旧土人保護法』があるんだから、法の定めるところに従って欲しいという結論なんです」
「その法がよくないから歎願してるのによ」
周吉はGHQの不誠意に失望した。
知尾が来てから一週間ほどして、周吉は兵藤会長の家に呼び出された。彼は春の雪解け道を歩きながら、麗らかな春がトンケシ山から駈け下りてくるというのに、心は少しも弾まなかった。GHQからの不利な回答も、これから先の暗い暮らし向きも、考えれば考えるほど泥沼に引きずり込まれてゆく思いだった。
食糧は底をついていたし、軍馬がなくなって馬の値は食肉並みに下がるし、アメリカ兵が来てから物量が幅をきかし、世の中はしだいに機械化されてゆく傾向にあったので、牧畜経営は全く見通しがつかなかった。
会長の家では役人や呑ん兵衛たちが集まって酒を飲んでいた。
「GHQからの通達だ」
兵藤会長が上り框に腰を下ろした周吉にも一通の書面を手渡した。
「何て書いてあるんだい」と、字の読めない周吉が渋い顔で言った。
「『旧土人保護法』のような立派な法があるんだから、この精神に従って、今まで通りやってゆけばいいとな」
会長は顎をしゃくり上げて得意そうに言った。
「『旧土人保護法』が立派だとな」と言って、周吉は眼を剥いた。
「おお、立派だとも、さすがにGHQは眼が高いわ」
「給与地を焼酎一升で三十年も借用したり、引っ越しをいいことにして自分のものにしてしまってもか」
周吉は狂ったように叫びたてた。
「お互いの契約だもの、そんなこと知るもんけえ」
兵藤会長も周吉に負けない声で撥ね返した。互いに叫び立てながら、周吉はこれが精いっぱいで最後の抵抗のように思った。何もかも空《むな》しかった。
「つまみ出せ」と、兵藤会長が言った。待っていたように和人たちがどっと集まってきて、周吉を戸外に突き飛ばした。彼はつんのめって泥水の中に四つん這いになった。周吉の心の中には敗北感と抗しきれない悲しみだけが渦巻いていた。
52
昭和二十三年四月、孝二は浦幌高等小学校当時の担任の先生のすすめで、札幌師範学校に併設の小学校教員養成所に入所することになった。彼は食糧不足の街の暮らしは不安だったが、勉強がしたかった。
孝二は出発の朝、甲高い流月の嘶《いなな》きで眼をさました。
「流月もおまえの首途《かどで》を祝福してくれてんだよ」
サトが朝食の支度をしながら言った。
孝二は厩の流月に話しかけ、牧柵づたいに十勝川の方まで回って馬たちに別れを告げた。
日高山脈はまだ厚い雪におおわれ、朝夕は冷えていて吐く息は白かった。
放牧地は青い新芽を吹いていたが、十センチ下は堅く凍っていた。馬耕までにはまだ十日はかかるだろうと思った。
孝二は群平に後を頼んだ。
「馬耕も牧草刈りも、俺にまかしとけよ」
群平は胸をどんと叩いて言った。
孝二が散歩から帰ってくると、妹たちはみんな起きていた。
「兄《あん》ちゃは勉強が忙しくて、なかなか帰ってこれないんだ」と、アヤ子が言った。妹たちが孝二の周りに集まって別れを惜しんだ。
母は赤飯を炊いて祝ってくれたが、昨夜の残りを朝みんなで食べ、それでも残ったのを握り弁当にしてくれた。
「軍馬がなくなって馬だってあてにならねえし、孝二だけが頼りなんだからね。偉くなって和人を見返してやれ」と、サトは力を込めて言った。
「家のことは忘れてな、自分の出世だけを考えればええ、身元ば隠して真っすぐ突っ走れ!」
「ナミ姉ちゃだって、街に出てがんばってんだから、僕だってがんばるさ」
孝二は力強く言った。
「おめえの食べるくらいはなんぼでも送ってやるからな、腹いっぱい食べて、一郎の分ももりもり勉強せいよ。早く偉くなって、婆《ばつ》ちゃの骨ば取り返してけれ」と、周吉が言った。
「そうだとも、孝二には二万五千人のアイヌたちが付いているんだによ、婆ちゃだけでなく先祖の骨もみんな取り返してくろ」
サトは孝二の手を堅く握りしめて涙ぐんだ。
出発のときが迫って慌ただしいとき、国雄の女房ヤエが餞別を持って飛び込んで来た。
「食べてもらおうと思ってな」
ヤエは新聞紙に包んだ|ときしらず《ヽヽヽヽヽ》(鱒)の焼いたのを取り出した。
「せっかくだから」と言って、サトは皿と箸を持ってきた。
孝二は妹たちの見守る中で、全部たいらげて、「元気が出た」と言ったので、みんながどっと笑った。
「初ものだもの、笑って食べないとね」と、サトが言った。
「昨夜《ゆうべ》遅く、豊造から電報が来たんだよ」
ヤエが改まった声で言った。
「舞鶴の港へ着いたというから、もうじき帰って来るべ」
豊造は大陸から南方の島に行っていた。
「豊造おじさんが帰ってくる」
姉妹たちは手を叩いて歓声を挙げた。サトとヤエは手を取り合って喜んだ。
「運が向いて来たんだよ」と、サトは明るい声で言った。
「さあ、豊造と入れ代わりに孝二の出発だ」と、周吉は馬車に跳び乗って、手綱をひゅんひゅん振り回した。サトや子供たちが橋の袂まで出てきて、折り重なって手を振った。
「達者でな」
サンナシの森も榛林《はんのきばやし》も見る見る後ろに過ぎ去ってゆく。
馬車には布団や衣類や食糧のぎっしり詰まった大きなトランクが載っていた。朝の凍《しば》れが解けて、車輪は轍《わだち》をはずれて大きく横に滑ったが、そのたびに周吉は手綱を高く振り上げた。
ポロヌイ峠にさしかかると、孝二は背を伸ばして部落を振り返った。春霞の中にかすかに見える家々の屋根から、煙突の白い煙が立ち昇っていた。
ポロヌイ峠から湿原に入ると、原野を渡る冷たい春風が身にしみて、二人はオーバーの襟を立てた。
父は洟《はなみず》をすすりあげて、「いくら銭《ぜに》があっても学問がなければ駄目だ」としみじみ言い、「和人どもにいつも目の仇にされている生活は決して楽じゃねえ。だから、学問にはげむ孝二だけが頼りなんだ」と言った。
周吉の声は弾んでいた。彼はすっかり多弁になっていた。
「街は生き馬の目玉も抜くというからな」
「心配ないよ」
孝二は希望に胸が膨らんでいた。
湿原に入っても馬車の勢いは衰えなかった。馬車は凸凹道をガタンゴトンと揺れながら、不協和音を響かせて進む。
下頃部《したころべ》の高台にくると、「ほら」と、周吉は右手の丘を指差した。蕗《ふき》の薹《とう》にまじって、黄色いふくよかな福寿草が、陽当たりのいい南斜面いっぱいに咲いていた。
馬車の後ろについてきたカケスの群が丘の榛林《はんのきばやし》に飛び下りた。ガヤガヤ、ペシャクシャ、カケスの群は榛林から落葉松林《からまつばやし》に交互に飛び移りながら、体をぶっつけ合わせ羽をばたばたさせてしゃべりまくる。孝二は春を待ちきれないでいるカケスたちを眺めながら、もうじきやってくる馬耕を思い浮かべていた。
「賑やかな見送りだな」
父は手綱を振り回して、ふっと笑った。
馬車が街にさしかかると、カケスたちは駅の裏山の方へ飛んで行った。
上り列車の信号器がガタンと音をたてて落ちると、間もなく改札が始まる。孝二が荷物をチッキに出している間に、父は駅前のキンツバ屋から「下頃部《したころべ》饅頭」(ビートでつくった餡《あん》が入っている)を買ってきて、「汽車の中で食べれ」と言って、孝二のオーバーのポケットに捩じ込んだ。
買い出しのおばさんたちがぞくぞくつめかけてきて、小さな待合室は人で溢れた。
汽車の時間が近づくと、父は孝二の傍へ寄ってきて、
「何を言われても、とぼけた振りをせえ」と、短い言葉で呟やくように言った。いつもサトに聞かされている言葉だった。
「体がいちばん大事なんだからな」
改札口のところで父が言った。
「大丈夫だよ」
孝二は軽く右手をあげた。彼は父の親切が気がかりだった。若いころにはとうてい見られなかった優しさだった。
「高齢《とし》をとったもんだ」と思った。
汽車が動き出すと、孝二は列車の最後尾に行った。原野の小さな駅のホームにぽつんと立った父の姿がはっきり見えた。
「後を振り向かずに、どこまでも突っ走れ!」
ごうごうと鳴り響く湿原の向こうから母の声も聞こえてくる。
「和人の中に紛れこんで、いつかきっと婆ちゃの骨を取り戻し、奴らのあの傲慢《ごうまん》な天狗鼻をへし折ってやる」
孝二は果てしなく広がる錆朱色の原野を眺めながら呟やいていた。
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第四部 新生篇
1
東京の某私立大学を卒業した上尾孝二《かみおこうじ》は、昭和二十八年国語教師として道立札幌工業高校に着任した。札工《さつこう》は市の南西部に位置し、南側の窓からは近くに藻岩《もいわ》山を望むことが出来た。
夜半から降りはじめた雨は朝になっても少しも衰えを見せなかった。職員室から体育館に通ずる渡り廊下は雨漏りが酷く、ところどころ水溜りが出来ていたので、孝二たち五人の新任教師は肩をすぼめ、爪先で跳びはねるようにして歩いた。
「何しろご覧の通りのボロ校舎ですが、只今、新築工事の最中ですので――」と、案内役の泉田教頭は頻りに弁解する。
うすら寒い体育館を埋める千二百名の全校生徒たちは、風に吹かれる薄ヶ原のようにざわざわ揺れ動いている。
「静かにしろ!」
元気のいい若い先生たちが、彼等の間を縫うようにして叫んで歩くが、殆どその効果は現われなかった。
校長の新学年の挨拶に続き新任教師の紹介が終ると、いよいよ一人ずつ壇上へ上がってゆく。最初は一番年輩の吉岡だった。
「ようし、まずは立派な挨拶だ」と、ボス的な生徒が叫んだ。次は永井、奈良と続く。
「可愛いがってやるからな」
今度は相撲とりのように大柄な生徒が声を掛ける。体育館の後方では軟派らしい長髪の集団が手に手に傘を差し、雨漏りから身を防いでいる。
「声のでかいのが何よりの取柄だ」
順番がきて挨拶に立った孝二にすかさず声がかかる。緊張しすぎたせいか、自分で自分の声の大きさに吃驚《びつくり》しているところに図星を指され、彼はすっかり動揺してしまった。
「しっかりしろ!」
あちこちから野次が飛んでくる。それが次第に激しさを増すと、彼の頭のなかをただ金属音のみが渦巻き、孝二は壇上に立ち竦むのだった。――それにしても酷《ひど》い学校に来てしまった。これでは校舎だけでなく生徒までも、すっかり荒れ果てているではないか。よほど腹を据えてかからねばとても勤まりそうにないな、と思った。
孝二の教師生活はこうして始まった。札工は工業高校としては北海道で一番古い高校である。戦争中は技術者の中堅幹部養成のため、戦後は工業立国の担い手として重要な役割を果たしてきた。
電気、機械、土木、建築などの八科があり、各科ごとに製図室や実習室を持っているので、校内は複雑に入り組んでいる。記憶力の悪い孝二はいつまで経っても覚えることが出来ず、まるで迷路にでも踏み込んだように不安な毎日だった。
孝二の所属する普通科の職員室には三十人ほどの教師が在籍していた。男子校で教師も男性ばかり、花もなく絵もなく夢もなく、殺風景なうえに埃っぽかった。部屋の中央には生徒が実習で造ったという大きな鋳物のストーブがどっかりと据えられ、それを取り囲むようにぎっしり机が並んでいる。雨が降ると直ぐ雨漏りするので、小使いさんはバケツや洗面器を持って走り回った。
「我々を、こんなボロ校舎に入れておく文部省はどうかしている」と、ぶつぶつ独り言を呟やきながら、奥寺は職員室の中で靴を履いて傘を差し、悠々と帰って行った。
「教務課長が先に立ってこれだもの、学校の統制が乱れてしまう筈だよ」
生徒指導課長の森田は声を荒げ、毎日のように奥寺を詰《なじ》っていた。
奥寺は無類の酒好きで、しかも自由奔放な人だった。欠勤や遅刻の常習犯で、生徒は始終自習をさせられていた。
孝二もよく彼に誘われた。昼日中、呑ん兵衛たちはぞろぞろと奥寺の後から付いてゆく。仲畑、花田、高清水――顔ぶれはいつも決まっていた。学校を出て直ぐ近くの酒店で、焼酎とつまみそれに紙コップなどを買い求め、五、六丁の道程を手分けして持って歩く。
伏見稲荷の百二十八段の石段を息をきらして登りつめると、そこに境内が広がり札幌の街が一望できる。大通り公園が東西に長く走り、都心には丸井、三越、時計台、その北側に赤煉瓦の道庁、札幌駅、さらに北に目を移すとそこには宏大な北海道大学がその威容を誇っている。
「札幌の街は明治四年アメリカから来た開拓使顧問ケプロンによって計画されたものだから、都市造りのスケールも方法も本州とは全く違うんだよ」
奥寺が得意げに言った。彼は数年前「北海道文化奨励賞」を受賞したことのある郷土史の研究家でもあった。
「奥寺先生のお祖父さんは『鈴木大輔』と言って、明治の開拓使庁に勤める高級官吏だったそうですよ」
「それが縁で彼は大学を卒《で》ると、直ぐ北海道に渡って来たらしい」
彼はとかく話題に上る人物だった。血筋の良さと明晰な頭脳が、一層彼らの関心を駈りたてるようであった。生徒たちの間でも一種の憧れの対象だった。
「日本地図でも、世界地図でも、あっという間に黒板いっぱいに描いてしまうんだ。授業は面白いしテストは無いし、最高だよ」
孝二は生徒たちからよく讃嘆の声を耳にした。
戦後の混乱から次第に落ち着きを取り戻し、札幌の街にも建築ラッシュの波が押し寄せはじめていた。街のあちこちにクレーンが長い手を伸ばして忙しく動き回り、活気に満ち溢れている。そのなかには工事中の札工の校舎も見えた。
「おい、みんな、耳を澄ませてあの力強い唸りを聞いてみろよ」と奥寺が言った。
「戦後八年を経て、日本はようやく一人歩きを始めたが、校長も局長も駅長だって先頭に立つ者の顔ぶれは一向に変っていない。だから何ごとにつけても新旧が対立してごたごたが絶えないんだ。つまり、先頭に立つ者たちは頭では民主主義を理解したつもりでいても、体のなかにはまだまだ軍国主義が沁み込んでいるんだよ」
彼は古い家が壊されてゆく音に耳を傾けながら声高に言った。
伏見の丘は長閑《のどか》な春の陽ざしをいっぱいに受け、このうえなく陽気である。桜はちょうど満開だった。その下で酒宴は和やかに始まる。呑ん兵衛たちは手を叩いて歌い、笑い興ずる。立ち上がって踊り出す者もあった。
「陽が落ちたら街へ繰り出し、貴姫《きひ》を侍らせて長夜の宴を張るぞ」
酩酊すると、奥寺には開拓の祖鈴木大輔が乗り移る。
「こらっ、日高の山猿、いやしくも開拓使の命に背くとは何事ぞっ!」
長身の奥寺は突然、日高出身の花田を捩じ伏せ馬乗りになって罵しり出した。
「寝惚けるなっ! 今は昭和なんだ」
柔道三段の仲畑が二人の間に割って入る。奥寺は引っくり返され、ますますいきり立った。
「北海道庁を札幌に持って来たのは島判官の卓見だ。見よ、この発展の姿を」
彼は拳を振り上げて叫ぶ。
「何が札幌だ。旭川だって帯広だって同じことだ」
仲畑も大声を張り上げ、自慢ばかりしている奥寺を睨みつけた。
仲畑の反論に、孝二はもやもやした胸のうちがいくらか晴れる気分になった。そして明治の初め、アイヌたちを虐待した開拓使の、この傲慢な子孫をいつか自分も捩じ伏せて見たい、と強く思った。
校長、校長と威張るな校長
校長、教師の成れの果て
校長、校長と威張るな校長
校長、コレラで死ねば好い
酔いが回ってくると、校長職とは無縁の呑ん兵衛たちはデカンショの節回しで必ずこの歌を唄った。
歌も下火になったころ、教員組合の班長をしている高清水が孝二の傍に寄って来た。
「上尾君、組合に入って一緒にやる気はありませんか」
孝二は一瞬ためらいを覚えた。しかし特に反対する理由もなかった。
「いいですよ」と、彼は高清水に言った。
「このごろ、炭鉱閉山反対の街頭デモが頻繁に行なわれるんだよ。今度の統一行動にはプラカードを高々と掲げて盛大に歩こうよ」
彼は快活に笑った。
学校は校長派と奥寺派とに分れていた。校長派は戦前戦中の風習を引きずって考え方が古く、奥寺派はその古い因習に対抗する進歩派だった。職員会議ではこの二派が入り乱れ、いつも議論が沸騰する。夜中の十二時を過ぎて決着のつかないこともしばしばだった。
「職員会議は討論会ではありませんので、もっと和やかに議事を進行させたいものです。それで、湯呑み茶碗一杯のお酒を出してみてはいかがでしょう」
良識派で名の通っている辻井が提案した。
翌週、会議の席にはさっそく、酒の入った湯呑み茶碗が配られ、それらは次々に先生たちの口へと運ばれていった。辻井の言った通り、そこには和やかな光景が展開されていた。
「お代わり」
最初に茶碗を差し出したのは勿論、奥寺である。一瞬、シーンと座は静まり返る。
「奥寺先生なら一杯ではどこに入ったか分らないでしょう。それではもう一杯だけ好いことにしましょう。その代わり、くれぐれも後一杯だけですよ」
辻井が責任上、提案した。奥寺に続き、仲畑、花田、孝二と酒の強い順に茶碗が出される。しかし、そのうちに鎮静剤の筈の酒は興奮剤に変っていた。議論が噛み合わないばかりか罵声までが乱れ飛び、議事は一層混乱したのである。
「私は愚か者でした。賢明な皆さん方に心からお詫びいたします」
辻井は静かに立ち上がると深々と頭を下げたのだった。
夕暮れ近く、孝二は高清水と肩を組んで伏見稲荷の階段を下りた。足もとがふらつき二人は時に石段を踏み外しそうになった。
「このまま街の酒場へ繰り出すからな、みんな後に続け!」
奥寺は満開の桜の小枝を振り上げて叫ぶ。誰も彼も陽気だった。
しかし孝二は他の仲間から離れ、長閑《のどか》な春の夕暮れのなかを、中の島の下宿へと向かった。
街は買いものをする主婦や、勤め帰りのサラリーマンで賑わっている。
「上尾君、君は松浦武四郎という人物を知ってるかい」
突然の奥寺の質問だった。彼は行啓《ぎようけい》通りをぶらぶらと歩きながら奥寺が何故、それを自分に訊ねたのかが気になっていた。鋭い彼のことだから、あるいはすでに孝二の素性を見抜いているのかも知れなかった。――それにしても武四郎は本当にアイヌの理解者だったのか、或いは単なる幕府の役人に過ぎなかったのか。それを明確に答えられない自分が情けなかった。
「本当にアイヌの理解者なら、明治になってからももう一度北海道を訪れた筈ではないか?」
孝二はずっとそのことを考え続けていたのである。
七丁目の電車通りにさしかかると、青い火花を散らし電車が走る。エンジンの音を轟かせ、車が走る。地鳴りのような唸りを残してトラクターが走る。しかし、それらは孝二にとって力強い発展の音ではなく、ただ煩わしい騒音にしか過ぎなかった。
彼は幌平橋の欄干に凭《もた》れ、清流のせせらぎに耳を澄ませる。それはいつ聞いても心やすらぐ旋律である。自然の奏でる響きほど人の心を和ませるものはない、と孝二はしみじみ思う。
藻岩山の上に月が掛かっている。明日は孝二の研究日だった。
「酒を飲んで月に浮かれている暇はないんだ」
彼は意気地のない自分に言い聞かせる。もっと意志を強く持ち、真剣にアイヌの歴史を調べなければならない。週に一度の研究日には図書館通いをすることに決めよう、と彼は思った。
2
孝二の下宿は豊平川の川縁のリンゴ園のなかにあった。そこは豊平川の新川と旧川の間に挟まれているので「中の島」と呼ばれていた。
「ちょっと遠いけど我慢して下さい」
住宅係の事務員が言った。まだ食べてゆくのがやっとの時代なので下宿をさせて貰えるだけでも有難いと思った。しかし弁当にはいつも碁盤の目に刻まれた馬鈴薯が半分以上も混っているので、若い孝二は空腹がちだった。
実家からはときどき荷物が届く。麦、いなきび、蕎麦《そば》粉、それに飴や手製の菓子などが入っている。彼は瓶に入ったビート飴や菓子を残し、あとの穀物類を下宿のおばさんに手渡していた。
「上尾先生に頂いた蕎麦なんだよ」
その日、夕食の膳にさっそく蕎麦が出た。
「懐しい味だな」と、学生の小川が言った。「故郷の真狩《まつかり》でも蕎麦が穫れるんです。だから小さい時から好く食べたものです」
「小川さんは真狩なんですか。僕は岩手の盛岡なんだけど、やはり蕎麦が穫れるんです」
予備校生の高山も故郷を懐しむように言う。和やかなひとときだった。食事が終ると、いつもは直ぐ自分たちの部屋に引き上げる習慣だったが、この日は違っていた。
「上尾先生の家はお金持ちなんだね」と、おばさんは機嫌よく言う。
「金持ちだなんて、とんでもない」と、孝二ははにかんだ。
「私の知り合いにも明治時代に北海道に渡って来てね、成功した人たちは沢山いるんだよ。先生の家もきっとそうなんだね」
おばさんは頭から、そう決めているようである。
「お県《くに》はどこですか」
「岩手県」
孝二の口から自然にこの言葉が出る。誰ひとり疑わしい顔をする者はなかった。しかし一度ついた嘘は、それに尾鰭がつき次第に膨れ上がってゆくものである。
「それでは僕の所とは近いですね。先生は岩手のどの辺りなんですか」
高山は懐しそうに聞く。
「花巻です」
「それなら直ぐ近くだ」と、彼は弾んだ声で言った。
「明治の初め十勝川河口の広い平野に入殖して牧場を始めたんです」
おばさんも小川たちも、黙って頷いていた。
孝二は自分の部屋に戻って考える。出身地の嘘がすらすら言えるのは、家を出てから長い間かかって身に付けた処世だった。しかし「なぜ岩手の花巻なのだろう」と考える。それは子供のころ、母から聞いた寝物語が、夢のように頭のなかに残っていたからかも知れない。
「松前藩の時代だから、もう百年以上も前の話なんだよ。そのころ内地の商人たちが北海道の鮭や昆布を求めてどっと入ってきた。みんな恰幅のいい紳士だった。商人たちは行く先々でアイヌ女性と結婚した。わしの曾祖母《ひいばあちやん》はコタン一の美人で名前をセミナと言った。セミナは東北から来た金之助という昆布商人と結婚したんだよ」
サトは声を弾ませ上機嫌で続ける。
「昔の話だけどね、和人の血を一回くぐってんだからバンとしたもんだよ」
孝二はその話をする時の輝いたサトの瞳を忘れることはなかった。そして大人になってからも、よくこの話を思い出した。母は恰幅の好い内地商人とアイヌとが結婚したと話していたが、北海道庁の開拓資料によると彼らは金にものを言わせ、行く先々でアイヌに手をつけ、時には妾にもしていたということである。だからセミナだって、その犠牲者の一人に違いなかった。
「岩手の花巻」は、孝二にとって呪わしい男金之助の出身地なのであった。
孝二は布団の上に坐って、嘘の上に嘘の上塗りを重ね、次第に追い詰められてゆく自分の姿を思い浮かべて慄然《りつぜん》とした。アイヌを隠し、和人社会の中に紛れ込んでここまで来た孝二は、|しら《ヽヽ》を切っているうちに、いつの間にか和人社会の底なし沼に首までどっぷり浸っていたのだ。
「岩手の花巻」と、とっさについた虚言だったが、孝二は人の良い下宿人やおばさんを騙《だま》して気が咎《とが》めた。孝二はいつまでも寝付けなかった。サトが夢の中で相変らず「隠せ」という一方で、「アイヌの誇りはどうした」と言い続ける。「それは無理だ」孝二は両手でサトの口を塞ごうとするが、サトには自分の矛盾が分らないようだ。
夜が白みかけていた。汗にまみれてふたたび布団の上に坐った彼は、作られた和人の仮面をかなぐり捨てて、両親から貰った自分の顔を剥き出して堂々と歩きたい、と強く思った。
3
明け方少しまどろんだ孝二は、重苦しい気分で目を覚ました。戸外では小鳥が囀り、中島公園の森から郭公の声も聞こえてくる。二階の窓からは辺りの景色が一望できた。藻岩山の緑は深く濃く、中の島から平岸にかけて白いリンゴの花が一面に咲き誇っている。
「まるで霞が掛かっているようだなあ」と、孝二は思った。
彼は学生服に国防色のズボンという出で立ちで、毎日三キロの道程を歩いて通勤する。リンゴ園を通り抜け、孵化場の池を過ぎ、中島公園から行啓通りに出て真っすぐ五、六丁歩くと、右手に木造平屋建ての古い校舎がある。ここが「札幌工業高校」だった。
彼は学校に立ち寄り、自分の机から読みさしの『アイヌ史資料集』と大学ノートを鞄に入れ、その足で道立図書館に向かった。
図書館は北一条通りにあった。鉄筋二階建ての頑丈な建物だった。館の前に柏《かしわ》の大樹があり、夏になると葉がうっそうと茂って、風が吹くと葉ずれの音が閲覧室までさわさわと聞こえた。
孝二は朝の九時から閉館の五時まで、閲覧室に閉じ籠って、アイヌ関係の本をむさぼり読んだ。
北海道庁が出版した『アイヌ史資料集』は尨大なもので読み応えがあった。彼は大事な資料を丹念にノートに書き留めた。また、久保寺逸彦の著作『アイヌの文学』は、アイヌの人たちの文学、芸術の起源、発生が詳しく書かれ、共鳴するところが多かった。
松浦武四郎のものを読んだのは『アイヌの文学』を読んでから間もなくだった。彼の名は十勝太のアイヌのエカシ(長老)たちがよく話していたので子供のころから知っていた。
「タケシローは、いつもアイヌの味方で親しく酒を汲み交したど」
誰も悪くいう者はいなかった。
松浦武四郎は幕末のころ、足かけ十四年の間に六回にわたってアイヌモシリに渡り、東に西に隅なく歩いて百十六巻の日記とともに『近世蝦夷人物誌』をしたためた人物である。彼は船に乗って十勝川下流の十勝太を何度も訪れている。記録には浦幌川や静内川まで載っていて、このあたりの地図は特に詳しく描かれている。
「文章も達者で機転もきく偉い役人だった」
今でも十勝界隈の古老たちの語り草になっているから、たしかに傑出《けつしゆつ》した人物に違いなかったが、しかし、その真価についてはよく分らなかった。
孝二ははじめ、武四郎は幕府の御用係として、蝦夷・樺太を調査研究した単なる探検家・地理学者くらいに思っていた。しかし、『近世蝦夷人物誌』を読んで、その考えがしだいに変っていった。もしかしたら本当のアイヌの理解者かもしれない、と思った。行く先々でアイヌたちと寝食を共にしながら親しく語り合い、アイヌたちの善良さ、素朴さ、喜び、悲しみを、見たまま聞いたまま素直に描いている。孝二は彼の誠実さに感動した。このような和人が存在していたこと自体が驚きだった。
だが「待てよ」と、和人のやり方を知っている孝二は冷静に考え直した。
「アイヌを手懐《てなず》ける手段かもしれない」と思った。それとも、「和人の収奪によって滅亡するアイヌの将来を予見し、単にその実態を書き留めておこう」と思ったのかもしれない。
『近世蝦夷人物誌』の巻末は、「夢物語り」で結ばれていた。
「豪華な料亭で大勢の官吏たちが芸妓をはべらせて宴会を催している。一陣の腥風《せいふう》おこってよく見れば、刺身は土人たちの人肉、浸し物は臓腑、盃中のものは生《な》ま血、障子に書かれた絵は、みな土人たちの亡霊だった。アア、ウラメシヤ、ウラメシヤの声に目をさませば、そこは深川伊予橋のわが家だった」
武四郎はアイヌに対する和人たちの残虐な仕打ちを憎み、同じ人間として平等に接しようとする。しかし彼ひとりの力では大きな組織の前に、到底、立ち向かう術もなかったのであろう。
図書館に通いはじめてから、ちょうど一カ月経った。孝二は『アイヌ政策史』という六百ページもある分厚い書物にめぐり合う。その著者「高岡新一郎」という名前を眼にした彼は、思わず息を飲んだ。それは昆布刈石《こぶかりし》で墓泥棒事件のあったとき、父周吉が貰った名刺の名と、確かに同じ名前だったからである。
「罰当たりども、何が研究だっ!」
そのとき母のサトはがたがたと体を震わせ、身を引き裂くようにして叫び立てたものだった。
「あの時の罰当たりが、今ここにいる」と考えるだけで孝二の気は昂ぶり、指先きまでも震え出す。
「どうせ、碌なことが書いてある筈はないさ」
彼はぺらぺらっと頁を捲《めく》って目次に眼を通し、前書きを読んだ。それは和人社会に於けるアイヌの生活をかなり詳しく書いたものだった。戦争最中の昭和十七年に完成され、序論は次のような文章で始まっている。
「わが国の歴史は建国以来、絶えざる膨張の歴史であり、また大和民族の生活圏拡大の歴史であった。特にわが国民の最近における急激な大陸発展は、その地における土人との接触を不可避かつ頻繁ならしめ、これらに対する土人政策の成否は大陸経営の成否、ひいては国家の存亡にかかわる重大問題になっている――」
孝二は、それを丹念にノートに書き写してゆく。どんなに時間と労力を費しても、この一冊は最後まで写し終えよう、と思った。
著者は松前藩の前の時代から明治の開拓使時代までを五つに分け、日本政府のアイヌに対する政策とその実態を詳細に記述していた。そして、その政策史はそのままアイヌの虐待史でもあった。著者はこの虐待の政策を大陸の殖民政策に当てようと提言していた。孝二は書き写しながら、ときどき筆を休めて考える。
「アイヌたちは従来の生活習慣、アイヌ語を取り上げられて戸惑った」としたためてあるが、なぜ著者はここで、「生活習慣やアイヌ語を取り上げるのは無謀だ。それは間違っている」と言わないのだろう。
コタンを壊し、アイヌたちを困窮に陥れておいて、今度は「旧土人保護法」を作り、各戸五町歩の農地を与えて農業を勧めた。しかし、もともとアイヌは狩猟民族なのだから、うまくゆかないことは初めから予想されたはずである。実際、アイヌを無理やり農耕民族の和人社会に組み込もうとした「旧土人保護法」は、アイヌたちを苦しめ、彼等をいっそう泥沼に陥れる結果になった。
しかし、ここでも筆者は「農地でなく漁場を与えるべきだ」とは言わなかった。生活の場を失い、呆然と山野を彷徨《さまよ》うアイヌたちの姿を、彼らはただ口を噤んで傍観していたのだ。
アイヌたちは北海道開拓という大きな流れの中で、強制労働をさせられたり、強制移住を強いられたりしながら、流れに翻弄されて長い年月を耐えてきたのだった。悪質な疫病に襲われて、コタンの同胞たちが大勢命を落としたこともあった。大雪の年は春を待ちきれずに餓死してゆく者もたくさんあった。とくに、明治以後のこの百年は生きるために命がけの闘いだったが、役人も学者たちもアイヌたちの困窮を見て見ぬふりをした。
「明治維新後、急激な発展を為しつつあった拓殖の最も大きな影響は天然資源の荒廃だった」と筆者は言うが、その天然資源の荒廃がアイヌの衣食住にもたらした影響がどれほど大きかったか測り知れない。
筆者は「アイヌたちは家を建てる木や草を、また蛋白源の鮭鱒も失った」と、したためた。しかし彼らはこの苦渋に対し、事実を書くだけでいいのだろうか。学者たちは、「事実の究明」と同時に「アイヌ救済の具体策」を考えてこそ、真に生きた学問と言えるのではないか、と孝二は思うのだった。
『アイヌ政策史』の終末は、「アイヌ問題は終った」と結んでいた。高岡新一郎は、なぜ「終った、終った」と、執念《しゆうね》く吹聴するのだろう。彼は自著『アイヌ政策史』の中で、日本政府が奨めた同化政策は実によく実現されて万事がうまくいった、と記していた。今さらアイヌたちに反旗を翻《ひるがえ》されては収拾がつかなくなってしまう。だから、ここでどうしても同化政策の勝利を宣言しておく必要があったのだろう。
孝二が北大教授高岡新一郎をはじめて見たのは、図書館の司書室だった。ガラス張りの司書室は、孝二が坐っている閲覧室からもよく見えた。彼は度のきつい眼鏡を掛けてぶ厚い本を読んでいた。いかにも学者らしいもの静かな老人だった。
「彼が有名な高岡教授なんですよ」と、司書の石藤が教えてくれた。
「終ってるもんか、アイヌ問題はこれからなんだ」
孝二は終章のノートを取りながら、唸るように言った。
「アイヌはすでに実態のない虚像である」という考えこそ、学者たちが作り出した捏造《ねつぞう》なんだ。彼らはいつも問題を先取りし喧伝して、世間の人々にそう思わせようとする。だが、「世の中には『たったひとりの反乱』だってあるんだ。捏造、喧伝に惑わされてたまるか」孝二は高岡新一郎を窓越しに眺めながら呟やいた。
4
リラの花が咲き郭公が鳴いて、爽やかな六月の季節がやってきた。
六月十五日は札幌祭りである。札幌神社祭は北海道じゅうの祭りである。十勝太でも部落の人々は仕事を休んで神社に参拝し、赤飯を炊いて祝った。孝二が小学校に入学したとき、先生は十勝太の神社は札幌神社と同じ三神を祀る神社であることを誇らかに話してくれた。
「オオクニタマの神、オオナムチの神、スクナヒコナの神」
孝二たちはこの三神を諳《そらん》じて、いつも口ずさんでいた。だが孝二にとって、今まで一度も見たことのない出雲地方の守り神より、コタンの守り神コタンクルカムイの梟の方が、よほど親しみが深かった。だから或るとき、十勝太神社の三神を問われ、うっかり「コタンクルカムイ」と言ってしまった。
「やっぱり」
友達は転げ回って喜んだ。札幌祭りがくると、孝二はいつも嫌な気持ちでそれを思い出す。
札幌の街は祭りで賑わっていた。朝早くから五段花火が打ち上げられ、豆電球をつけた花電車が何台も連なって走り回る。中島公園にはサーカス小屋が建ち並び、ジンタが響き渡って、人々の群れが途切れなく続く。
孝二は中島公園を横切り薄野《すすきの》を通って大通り公園の方に歩いた。御輿《みこし》が通る道の両側には見物客が折り重なって大名行列を待っている。
「御輿《みこし》が来たぞおっ」
腕章をつけた交通係らしい男が叫んだ。円山《まるやま》公園の中にある札幌神社から中島公園を抜け、街の中心街に向かった御輿の行列は、高いビルをかわすと太鼓や笛の音が急に大きくなった。御輿の行列は駅前通りから左に折れ、まっすぐ北に向かった。車を規制して沿道は広かった。
上下《かみしも》を着《つ》け脇差《わきざし》を佩《は》いた武士を先導に、賑やかな笛や太鼓の行列、その後ろに法被《はつぴ》姿の若者たちに担《かつ》がれた大御輿が続く。御輿は「わっしょい、わっしょい」と、掛け声勇ましく右に左に練り歩く。人力車に乗った赤い衣装をまとった稚児《ちご》さん、黄覆輪《きぶくりん》や赤連着《あかれんじやく》で飾りたてられた馬、紺の衣服に金筋の入った紺の学帽を被った屯田兵《とんでんへい》、そしてふたたび武士たちの行列――。行列は五町も続いた。笛や太鼓がいよいよ盛んに奏《かな》でられ、行列は整然と進んだ。
孝二には北海道開拓以来、和人が百年の歳月をかけて成し遂げた勝利の行進のように思えた。
もう少しで最後尾を歩いていた武士たちが通り過ぎようとしていた。突然、太鼓や笛の音が途絶えた。と思っているうちに、行列の流れが止まってしまった。町内会の交通係らしい男が道の真ん中に立ち、伸び上がって行列の先頭を窺っている。
「何だ、何だ」
沿道の観衆が騒ぎ立てた。法被《はつぴ》姿の男が走ってきて、
「道警のジープがデモ隊の男を撥ねたらしい」と言った。
「ぼやぼやしやがって」
上下《かみしも》を着《つ》けた男が顎をしゃくり上げ、肩をいからせて叫んだ。
「警護はどうした、御輿は最優先だぞ」
大通り公園に集結し、北に向かった「炭鉱合理化反対」のデモ隊五百人と祭りの行列が北大前の交差点でぶつかったのだ。交差点には群集が溢れていた。
「いい加減にしろ、今日は大事な祭りなんだからな」
酔っぱらいが手を振り上げ、大声で喚きたてた。救急車が屋根に据えた赤いライトを点滅し、サイレンを鳴らして駈けてゆく。
堅くスクラムを組んだデモ隊は「合理化反対」を叫び、広い道幅いっぱいに雪崩《なだれ》るように押しかける。その周りを警官隊が遠巻きに取り囲んで双方の衝突を見張っている。
デモ隊は、「炭鉱《やま》の火を消すな」とか「鳩山内閣打倒」と書いたプラカードを掲げ、各労働組合の赤い旗を靡《なび》かせていた。
「俺たちは伸《の》るか反《そ》るかの土壇場、祭りどころじゃないんだ」
隊列から食み出してきた炭坑夫らしい男が口を尖らせて言った。
「炭鉱の実情を街の人たちにも知って貰いたいもんだ」
炭鉱のヘルメットを被った逞ましい男が怒りを込めて言う。
ふたたび笛や太鼓の音が響き渡って、御輿行列は歩き出した。孝二は御輿が遠ざかるのを待って、デモ隊の隊列に加わった。高教組の旗の辺りに紛れ込んで歩いていると、「上尾先生」と呼ばれて振り向いた。班長の高清水が手を上げていた。デモ隊はさらに北に向かって進んだ。
「違う、違う」
道警の指揮者らしい警官が、呼び子を吹き鳴らしてデモ隊の先頭に立ちはだかった。
「デモ隊の順路は、もう一本東の通りだ」
「行け行け、どっちだって同じこった」
デモ隊から声が乱れ飛んだ。しかし、警官の呼び子が鳴り止まないので、デモ隊は仕方なくそこから右へ順路を変えさせられた。
「番犬ども!」
罵声が乱れ飛ぶ。警官のジープがデモ隊にうるさく付き纏う。やがてデモ隊は元気を取り戻して北大前を北進した。
「人員削減や相つぐ廃鉱で、いま炭鉱は命がけなんだよ」
高清水は感情を剥き出しに言った。孝二は聞きながら、鉱夫たちも大変だけどアイヌたちはもっと大変なんだ、と心の中で思っていた。彼らはこの危機を乗り越えれば、否、仮りに失業しても、国が失業手当てを支給し、新しい職業を世話してくれるだろう。だが、アイヌたちの場合はそうはいかない。彼らはデモ行進も抗議集会もなく、地の果てに押し込められたまま、ただじっと息をひそめているだけだった。
「終りのない忍従」と、孝二は口の中で呟やいた。
デモ隊は北二十条から引き返して道庁前の広場で解散した。
孝二は人の波に巻き込まれたまま、押し流されて五番館に入った。館内には人が溢れていた。入り口のすぐ近くに土産物売り場があり、その一角を陣取ってアイヌ爺さんが熊を彫っていた。
彼はベレー帽に紺のジャンパーを着て、いつも熊の毛皮の上に坐って鑿《のみ》をふるっている。顔じゅう髭がぼうぼう伸び、鑿を握った手の甲も腕も厚い毛に覆われていた。
「『三つ石ヌプリ』といって、彼は日高の三つ石出身のアイヌなんだよ。熊を彫らせたら、彼の右に出る者はない熊彫りの天才なんだ」
孝二が教員養成所後に進学した札幌文化専門学院時代、日高出身の友人が教えてくれた。三つ石ヌプリは戦前から五番館で熊を彫っているアイヌ爺さんで、買い物客たちの人気者だった。
「あの毛むくじゃらときたら、まるで熊が熊を彫ってるみたいだ」
見物客の誰かが叫ぶとみんながどっと笑った。三つ石ヌプリは笑いの渦といっしょに荒々しい熊に変身し、「ウォー」と吠えたてたので、見物人たちは驚いて一歩後ろに引き退がった。
「打ちのめせ!」
見物人たちは鑿《のみ》くずを投げつけて怒りを駆り立てる。三つ石ヌプリの演技はすぐ終ったが、見物人たちはいつまでもその前を離れなかった。
「見せ物にされてな」
孝二は不愉快だった。
「見物人の誘いに乗るヌプリもヌプリだ」
見せ物にされて平気でいるヌプリの態度がいつまでも彼の頭から離れなかった。
5
夏休みに入って、毎日暑い日が続いていた。図書館通いをしている孝二は、読書に疲れると二階にある閲覧室の窓を開けて風を入れる。すると柏《かしわ》の大木で鳴いている蝉の声や車の騒音までもいっしょに入ってくる。蒸し暑い真夏の図書館には二、三人の高校生がいるだけで閑散としていた。
孝二は夏休みに入る一カ月ほど前に、図書館の掲示板に貼られた「日本民族学会」と「日本人類学会」の連合大会開催の広告を見ていた。大会は八月七、八の両日、北大文学部の教室で行なわれ、参加費を納入すれば一般人でも入場できる自由なものだった。
「学会に一般人も参加できるんだから、世の中も変ったものですね」
司書の石藤が孝二に話しかけてきた。
「今度の学会はアイヌ問題が中心になるだろうから、アイヌの人たちの強い参加希望があったんだと思うよ」
孝二は意気込んで言う。
「しかし、学会の発表がアイヌに理解できるんでしょうか」
「自分たちの問題だもの、みんな真剣なんだよ」
「いくら真剣だって理解力がなければね」
参加しても無意味ではないか、と石藤は冷たく笑った。
その日、孝二は八時に下宿を出た。朝から太陽が路上に照りつけて蒸し暑い日だった。電車がゴトンゴトンと、けだるい音を立てて走っている。彼は北大前で電車を降りた。北大の正門をくぐると構内には、ひと抱えもあるシナやハルニレの大木が点々と繁っている。彼はその大木の下を歩いて文学部の建物に入った。
玄関の正面には長机を並べた学会の受付があって年輩の教授の回りにアルバイト学生らしい男たちが立ち働いていた。受付は一般人や学生たちの他に、学者風の紳士も混じり大勢の人々で溢れていた。孝二は資料の入った茶封筒を受け取って中に入った。
最初、大講堂で全体会議が行なわれ、二日間の日程説明の後、研究発表者たちの紹介があった。東大、京大、東北大、北大の権威ある教授たちがずらりと顔を揃えている。
「アイヌの研究は誰のためにやるべか?」
突然、講堂の後方に陣取ったアイヌから質問が飛び出した。
「勿論、それはアイヌたちの地位向上を目的としたものに他なりません」
年輩の事務局長が大声で答えたが、彼らは納得しなかった。
「アイヌの地位向上なんて嘘っぱちに決まってるさ。こんな研究は却ってアイヌ差別を強くするだけだべ」
顔じゅう髭だらけの精悍《せいかん》な男たちが一斉に演壇に押しかける。その後ろからウタリ協会の男たちも続き、つぎつぎに演壇に駈け上がった。
「引きずり下ろせ!」
事務局長が学生たちに向かって叫んだ。しかし、興奮したアイヌたちは演壇の中央で学生たちと揉み合いになった。襟首を掴んで捩じ伏せる者、転んだ男を蹴とばす者、上衣を引き裂く者、乱闘はしばらく続いた。
「演壇にいる一般参加者は直ちに自分の席に戻って下さい」
講堂にスピーカーが鳴り響く。
「学会事務局の指示に従わない場合は、強制退去して頂きます」
スピーカーがふたたび鳴り響き、アイヌたちは仕方なく演壇から下りた。すると、それを待っていたように駒沢大学岩見沢分校の大沢が立ち上がった。
「これまでのようにアイヌを劣等民族扱いするのは間違っていると思います。今まで彼等は単一民族を誇り純血を尊ぶ和人社会のなかで、ようやく生き延びて来た。しかし、これからはアイヌという一つの民族として、和人と同等の立場で生きてゆくべきだと思います」
大沢は話し終ると席についた。次に立ち上がった若い先生は「大阪大学の村瀬です」と自己紹介した。
「僕たちは単一民族を誇ったことも純血を崇めたこともありません。現に僕だって日本民族として雑多な混血なのですから。ただ僕は研究者として真摯《しんし》な気持ちでアイヌ研究に取り組んでいるだけです」と、意見を述べた。
「それは違う。何が真摯だと」と、アイヌたちは机を叩いて反論する。
「それは口先だけのことで、心の中では単一民族を誇り、アイヌなんかとは違うんだと思っているんだ」
足を踏みならして叫ぶ者もあった。「静粛にして下さい」というスピーカーが何度も講堂に鳴り響いた。
昼休み、孝二が食堂で休んでいると、偶然、東京の早稲田大学の教授木田と出逢った。「しばらくです」と言ったまま、孝二はすっかりまごついて言葉も出てこなかった。三年前の冬休みだった。孝二が十勝に帰省しているときアイヌ研究のため来道していた木田と知り合ったのである。
「東京へ戻ったら、ぜひ遊びにいらっしゃい」
木田は度の強い眼鏡を外し、優しく言って自分の名刺を差し出した。さらにアイヌ問題を勉強するなら、この先生に逢った方がよいと言って、もう一枚の名刺の余白に「知尾真佐雄先生、上尾君(D文化大学々生)を御紹介致します。寸暇、御引見くださいますれば誠に有難く存じます」と、したためてくれた。
知尾真佐雄は確か終戦直後、アイヌ給与地奪回の連判状集めに十勝太まで訪ねて来た人物だった。しかし、それが不成功に終って今は大学の研究室で静かに研究に専念しているらしかった。しかし孝二はその後、杉並区にあった木田の自宅も訪ねず、知尾にも会わなかった。もっと勉強しアイヌ問題に対して、はっきりした定見を持ってから会いたかった。それでも彼は木田から貰った名刺をいつも財布のなかに入れ、ときどき出して見る。「もっと勉強しなくては」と、そのたびに自分に強く言い聞かせた。
「知尾先生とお会いになりましたか」
木田はにこにこ笑いながら言った。
「なんだか怖くて、まだお会いしておりません」
「怖いなんて、とてもいい先生なんですよ。ちょうどよい機会だ、今なら昼食どきだから、きっと研究室にいるはずですよ」
木田は孝二を知尾に会わせようと、先に立って歩き出した。
「先生、待って下さい。僕は以前先生から紹介して頂いた名刺を持っておりますから、学会が終った後、ゆっくりお会いするつもりです」と、孝二は強く辞退した。
二人はいい空気を吸おうと戸外に出た。
「民族学や人類学は、この数年その視点がずいぶん変ったようですよ」
木田は構内の芝生を歩きながら言う。
「その民族の持つ特殊性を生かす方向で研究を進めるべきです。つまり、それぞれ異なる文化を持つ民族は互いに比較することが出来ず、従って文化の優劣はつけ難いということなんです」
木田は熱心に話した。
学会が終ってから、孝二は正門前の喫茶店に入った。アルバイト学生たちが大声で学会の話をしている。すでにその日の夕刊が配られており、「過激派グループ演壇を占拠」という見出しで大きく取り扱われていた。孝二は記事を読み終えて、「大げさ過ぎるな」と思った。確かに演壇で揉み合ったが、それほど激しいものではなかった。
「過激派グループって?」
孝二は誰にともなく訊《き》いた。
「アイヌ解放同盟のことだよ」と、学生が言った。
「ウタリ協会は道庁おかかえの団体で、いつもアイヌとお上《かみ》との大人しい仲介役だったけど、解放同盟の方は気が荒くて喧嘩っ早いんだよ」
背の高いリーダー格らしい学生が孝二に説明した。
「だけど、今日の壇上の揉み合い程度なら、気の荒い過激派とは言えないと思うけどな」
研究も目的も曖昧なら、「はっきりしろ」と詰め寄るくらい当然だと思うけどな、と孝二は過激派に同情して言った。しかし学生たちはそれ以上かかわっては来なかった。
二日目は分科会で参加者たちは各教室に分散した。孝二は知尾の研究発表に出席した。研究テーマは「アイヌ語地名の解説」だった。
知尾は一高、東大のエリートコースを歩いたアイヌ出身の秀才だった。彼は小柄でいつも額に皺を寄せ、いかにも気難かしく神経質そうな顔立ちをしている。彼はゆっくりと歯切れよい口調で話し出した。
「古い時代のアイヌは川を人間同様の生物と考えていた。生物だから肉体をもち、たとえば、
水源をペッキタイ(川の頭のてっぺん)
中流をペッラントム(胸の真ん中)
曲り角をシットク(肘)
幾重にも屈曲して流れている所をカンカン(腸)
河口をオ(肛門)
と、呼ぶのである」
面白く分りやすいので聴衆はつい話のなかに引き込まれてしまう。孝二は耳を傾けながら、さすがに素晴らしい、わが尊敬するウタリ(同胞)だと思って嬉しかった。
「川はまた人間同様に夏痩せもする。サッテクナイ或いはサッテクペッという地名が各地にあり、普通はこれを涸れ川≠ニ訳しているが、サッテクは痩せた≠ニいう意味だから、本当は痩せ細った川≠ニ訳すべきで、これは川の水が夏になって枯れて細々と流れている状態を、川の夏痩せと考えたのである」
こんな話を聞いていると、今までより一層川が身近なものに思われ強い親しみが感じられた。
「川はまた人間同様に眠りもするし、生物だから生殖行為も営む」
知尾の話はいよいよ熱を帯び、聴衆は息を呑んで聞き入った。
「ここでもう一つ、川に対する古いアイヌの考え方として注目すべきことは、川は海から陸に上り、村の傍を通って山の奥へ入り込んでゆく生物だということです。われわれの考え方からすれば川は山に発して海に入るものであるが、アイヌの古い考え方ではそれと反対に、海から発して山へ行く者なのである。われわれが川の出発点と考えて水源∞みなもと≠ニ名づけているものを、アイヌは川の帰着点と考えて、ペテトク(川の行く先)と名づけ、われわれが川の合流する所を落合い≠ニ名づけているのに対して、アイヌはペテウコピ(川がそこで互いに別れてゆく所)と名づけているのも、同じ考え方の現われである」
「アイヌはもともと海岸線に沿って、川の傍に点々と部落を作っていた。そして内陸の交通は主として川によって行なわれたのである。部落の近くを流れている川を遡って、鮭や鱒、熊や鹿を獲っていたところから、そういう生活に即して川は遡って山へ行くものという考え方が、自然に生まれてきたのである」
「以上、アイヌ語の地名に一番多く出てくる川を取りあげて、古いアイヌの観念を吟味してみたのであるが、ひとり川だけでなく、山でも沼でも岬でも――あらゆる地形・地物が、アイヌにとっては皆生物なのである」と、知尾は話を結んだ。割れるような拍手が教室いっぱいに鳴り響く。そのなかには木田の顔もあった。
孝二は知尾の自信に満ちた話しぶりに接し、心強い思いがした。しかし、知尾の地道な研究や、彼の話すアイヌ語の素晴らしさに圧倒され、ますます近づき難い距離を感ずるのだった。
6
夏休みが終ると、さやさやと秋風が吹き始め、豊平川岸辺の薄《すすき》が穏やかに穂波を靡《なび》かせていた。藻岩山の緑はいちだんと濃さを増し、そこから吹き下ろす風もすっかり秋であった。
孝二は爽やかな気分で出勤した。先生たちはまだ二、三人しか来ていなかったが、職員室の正面の掲示板に学校祭で行なわれるクラス毎の演劇の標題が貼り出されていた。
建築科
一年「高瀬舟」
二年「イヨマンテ(熊送り)」
採鉱科
二年「ハムレット」
三年「野菊の墓」
機械科
一年「老人と海」
二年「帰って来た浦島太郎」
その他、まだ決まっていないクラスが多かった。
「クラス対抗の演劇だから、みんな張り切るんだよ」
機械科担当の花田が言った。
「審査の先生によって評価が違うんだから、生徒たちも可哀そうだよ」
建築科担当の山中は不満顔である。
「誰が審査したって文句は出るもんだ」
採鉱科担当の加藤が宥める。何だか生徒よりも先生たちの方が張り切っているようだな、と孝二は思った。
演劇の標題は六時間目、授業が終るころには殆どが出逢った。どのクラスも力作揃いだった。先生たちもぼつぼつ帰り始めたころである。
「救急車だ!」
突然サイレンの音がして校門から救急車が入ってくると、怪我人らしい生徒と花田を乗せ、慌しく走り去った。
「誰だ」
先生たちは確かな情報を得ようと廊下を走り回る。工業学校は危険な機械を扱うので怪我人がしじゅう出る。命に関わるようなこともあり、実習の先生たちは細心の注意を払っていた。
「建築科二年の片岡だ。友達同士の喧嘩で顔を切られたらしい。やったのは対雁《ついしかり》だ」
山中が職員室に飛び込んできて大声で報告した。
「怪我の程度は?」と、誰かが聞いた。
「出血がひどいらしい」
山中が大声で言った。
傷害事件を引き起した対雁文雄の喧嘩の原因は差別だった。彼は江別《えべつ》の対雁《ついしかり》という処からバスで通っている。対雁は彼の苗字でもあり、地名でもあった。
明治八年、「樺太千島交換条約」によって、亜庭湾《あにわわん》一帯に住む樺太アイヌたちが、どっと江別の対雁に入ってきた。そのころ対雁には開拓使榎本武揚の指導する「対雁農場」があった。榎本は樺太アイヌ九百人をここに入殖させ、一大農場の建設を夢みていた。
しかし、アイヌたちの農業に対する無関心と、たび重なる冷水害それに加えて明治十九年の伝染病の発生で一挙に三百人の生命を失い、入殖十年にして一大農場の夢は完全に消え失せた。アイヌたちは新しい仕事を求め石狩湾を放浪するが、思うようには仕事にも食糧にもありつけなかった。
三十年後の明治三十八年、日露戦争終了後、ようやく樺太への帰還が許されることになったが、その数は僅か二百人にも満たなかった。
最初、彼らが対雁に入殖したころ、急遽アイヌ名を日本名に変えさせられることになった。そのとき、対雁とか空知とか宗谷という地名を苗字に使ったのである。この辺りの人たちは、そのことを知っているので、今でも苗字からアイヌの足跡を嗅ぎつける。対雁文雄は北海道で生まれた樺太アイヌだった。
その日の放課後、建築科二年の教室では「イヨマンテ」の配役を決めていた。
「熊には対雁が適役だよ」
片岡が言った。
「いや、彼は酋長の方がいいよ」
岸が言った。
「俺は熊も酋長も絶対にやらんぞ」
文雄は立ち上がると吐き捨てるように言った。
「『イヨマンテ』はクラス全体で決めたことなんだ。みんなが推薦するんだから我慢してやってくれよ」
クラス会長の中村が文雄に頼む。
「いやだ、絶対に嫌だ」
彼の顔は蒼白だった。
「対雁君」と、片岡が改って声を掛けた。
「君が熊に似合っているということは、みんなだって良く知っているんだ」
「一体どういう意味だ」
文雄は片岡に詰め寄ってゆく。
「それは君自身が一番よく知っている筈だよ」
その瞬間、T定規を持った文雄は片岡めがけて飛びかかっていった。二人は揉み合いながら教室の中を転がったが、片岡の顔から吹き出した鮮血は辺り一面に飛び散った。
翌日、生徒指導課会議が開かれ、課長の森田から事件の詳細が報告された。
「アイヌを愚弄《ぐろう》したことは確かに良くないが、加害者の狂暴さは尋常ではありません。戦後、青少年の非行は急激に悪化しています。特に暴力に対しては厳しく対処しなければならないと思っております」と、森田は不動の姿勢を保ち軍隊口調で話し終えた。
「演劇の役割のことで揉めたと聞いてますが、その点について担任のご意見を伺いたいのですが」
議長の加藤が花田に意見を求めた。
「対雁君は民族差別を受けてカッとなったようです。普段のクラス生活の中で溜っていた不満とか怒りとかが爆発したらしいのです。今は暴力を振るったことを後悔し、深く反省しております。しかし、もう学校は退めたいと言っておりますので、何とか思い直すように勧めております。どうか寛大な取り計らいをお願いします」
温和しい花田は静かな口調で、終始うつむき加減に話し終えた。
「他に何か質問はありませんか」
加藤が発言を求めた。
「傷害の程度を具体的に話してください」と、機械科の年輩の先生が質問した。
「頬の切り傷は十針ほど縫いました。そのほか、腕に噛みついた歯型が二カ所残っています。あちこちに打撲や擦傷があって、全治三週間と診断されました」
花田は低い声で話し、深々と頭を下げた。孝二は聞きながら傷害事件の原因はアイヌ差別にあるのに、そこを避けて傷害だけを問題にするのは間違いだと思った。
「僕はこの事件がなぜ起ったか、その原因を解明することの方が大切なことだと思うのです。その原因を突き止めた上で、指導を加えるというのが教育の常道と思います」
孝二は思い切って発言した。
「溝《どぶ》を埋めずに蝿叩きでいくら蝿を叩いても、蝿はいつまでたっても、絶えません。溝を埋めることの方が先だと確信します」
新卒の若い奈良もアイヌ差別を正面から指摘した。しかし新任教師たちの発言が古参の教師たちを刺激したらしく、あちこちから反対の声が乱れ飛んだ。今さらアイヌ差別に話をもどしたら会議は混乱するばかりだ、というのである。
「いつもここで話がぼやけてしまう」と、土木科の笹川が机を叩いて叫んだ。
「裁決、裁決」という甲高い声が乱れ飛んで、会場はすでに混乱していた。
「まるでめちゃくちゃだ」と、孝二は思った。事件の底を流れている差別の実態を見ようとしないのだから、事件は何度でも繰り返されるに違いなかった。
「議事を進行させていただきます」
議長の加藤が声を張り上げた。彼は「退学」と「無期停学」の二つに分けて裁決した。退学八名、無期停学十名で決着がついた。
会議が終ってから、「危いところだった」と、孝二は花田に話しかけた。
「学校に戻ってくれるといいんだけど」
説得しているけど、どうもあと一歩の踏ん切りがつかないようだ、と花田は言った。
孝二はこの四月から建築科二年の国語を担当していた。対雁文雄はいつも前の方に坐り、暗く沈んだ表情で授業を受けていた。みんなが笑う時でも彼は笑うことがなかった。特に仲のよい友達がいる様子もなく、殆ど一人で歩いていた。
「対雁君の処に行って見ようかな」
孝二は、ずっと心の奥にあった気持ちを花田に言った。
「一人でも理解者が増えてほんとに心強いよ。僕の方こそぜひお願いします」
花田は一緒に行けないことを詫びるのであった。
7
翌日は日曜日だった。昼を少し過ぎたころ、孝二は札幌駅前から江別行きのバスに乗り込んだ。空一面に暗黒の雲が垂れ込め、今にも降り出しそうな空模様である。
バスはしばらく街のなかを走ると、北一条通りから豊平川の堤防に出る。魚釣りの子供たちが川の淀みに群れて釣り糸を垂れていた。その川の流れに沿って堤防のアスファルト道を、バスは猛スピードで走る。菊水《きくすい》に入ると、玉葱畑がどこまでも続いていた。後ろの席で、農家風の老人が話し合っている。
「降りそうだな」
麦藁帽を被った男が言った。
「だいぶ、天気が続いたからな」
ジャンパーの胸をはだけた男が答えた。
「ひと雨くれば玉はもうひと回りでかくなるべえ」
老人たちは子供のように声をあげて笑った。
バスは川岸を離れ雁来《かりき》街道に入ると、一段と速度を早めた。道の両側には手入れのゆき届いた田圃《たんぼ》や麦畑が金色に輝いている。しかし対雁地区に入ると水田も畑も途切れ、道の両側は茫々と雑草の生える荒地になっていた。
「札幌の近くに、こんな処があるのか」と、孝二は思った。広い前ガラスには一面ただどんよりとした空があるだけだった。
「とうとうやって来た」
彼は暗い気持ちで石狩川の見える「角山《かくやま》」でバスを降りた。辺りは川柳と雑草に埋もれ、付近には家らしい建物は一軒も見当たらない。孝二はバス通りを江別の方に向かって歩き出した。
左手に褐色に濁った石狩川が流れている。しばらく行くと、川の方に向かって細い小径がついていた。なだらかな下り坂になっている、その小径を彼は下りていった。
ようやく子供たちのはしゃぐ声がして、孝二はほっとする。川岸の太い柳の木の下に這いつくばるような格好で草小屋が建っていた。彼は垂れ下がった柳の枝をくぐり、小屋の入口に立った。
「札幌工業の上尾という者です」
彼は闇に向かって声を掛けた。
「文雄の先生さんか」
白い髭を胸まで生やしたエカシ(古老)が焚火の向こうに坐っている。
「文雄君に話したいことがあって参りました」
闇に眼が馴れてくると、靄《もや》が晴れてゆくように家のなかが見えてくる。エカシの傍にはフチ(老婆)が坐り、幅広い杵鉢《きねばち》に伸《の》し掛《かか》るようにしてだんごを捏《こ》ねていた。
「文雄は母親といっしょに|どじょう《ヽヽヽヽ》の胴網ば揚げに鉄橋の方さ行ったでねえか」
老婆は捏ねる手を休め話し始めた。
「父《とと》は年じゅう漁場から漁場を渡り歩いてるし、母《かか》は子供たちの世話をしながら|どじょう《ヽヽヽヽ》や|ゆぐい《ヽヽヽ》を獲《と》って細々と暮らしてるんだよ」
彼女は力なく言い、「だから傷を負わせた生徒の薬代も見舞金も出せねえだよ」と、つけ加えた。
孝二は何も言えなかった。
「それにしても文雄のやつ、馬鹿なことを仕出かしたもんだ」
しばらくして老婆は深い溜息をついて言った。
「文雄は頭も人並みだし、母親のキヌもこの子だけは何とか学校を出したいと言って楽しみにしてたのに、こんどの事件があってからどうしても学校を退めたいと言い出して」
彼女は俯向いて火箸で灰を掻きよせる。ときどき焚火がはじけ、うす暗い家のなかを明るく照らし出した。
「おばあちゃん、年齢《とし》はいくつですか」
「早いもんでな、八十三になったんだよ」
「みんな樺太へ帰ってしまって寂しいでしょう」
「どこへ行ったって、アイヌの住みよい所なんかないんだよ」
老婆は怒りを込めて言った後、感慨深げに昔の思い出話を語った。
「樺太から宗谷へ渡って来たのは明治八年、わしが五歳のときだった。ここはロスケの土地になるというので、夜逃げ同様の姿で逃げてきた。ところがその翌年『全員、石狩の対雁に移住せよ』と、突然お上《かみ》から命令が出てここに移されたんだよ。
石狩川が直ぐ傍を流れていたから魚は食べれたけど、馴れない農業には閉口した。春の馬耕から蒔き付け、除草、刈り取り、脱穀《だつこく》まで、一日中、役人に見張られて息が詰まった。しまいには仮病をつかったり、嘘をついたりして労働をさぼったものさ。
そのうちに男たちは対雁を逃げ出し、石狩の漁場に出稼ぎに出るようになって、畑はいつの間にか草茫々の荒地になってしまったんだよ」
老婆はぷっつりと話すのを止め、火箸で灰を掻き寄せ始める。
「それからどうなったんですか」
孝二は彼女に続きを促がした。
「お上《かみ》の役人たちがぶりぶり怒って撫育米も補助金も止めてしまった。アイヌ部落は飢えと寒さで餓死する者まで出て年々|寂《さび》れていったけどね、入殖してちょうど十年目だったよ。突然襲ってきた疫病がアイヌたちを根こそぎ打ちのめしてしまった。疫病とコレラでみるみるうちに三百人もの命を奪ってしまったんだよ。
医者も薬もなく、同胞《ウタリ》は眼を見開いたまま虫けらのように死んで行った。残った男たちは死骸を丘の上に運んで葬った。死骸の上に死骸を載せ、丘の上は足の踏み場もないほどだった。
アイヌたちは対雁は呪われた土地だと言って、つぎつぎに部落を離れて行った。日露戦争が終った明治三十八年、北海道へ渡ってきてからちょうど三十年目、ようやく樺太へ帰れることになった。そのときこの辺りには僅か十軒しか残っていなかった。そして最後にはわしのとこと空知の二軒だけが残ったんだよ」
彼女は肩を落として、しみじみと話す。
「どこへ行ったって、安住の地なんかねえだよ。だけど、ここには両親や兄妹たちの墓もあるし……。だから、わしらはここで一生を終るんだよ」
話し終って、老婆は涙を拭った。
戸外でかたかたと音がして、風が出て来たようだった。人の話し声が耳に入ってくる。
「不漁だった」
文雄たちが帰って来た。
「文雄がとんでもないことをしてしまって申し訳ありません」
母親は深々と頭を下げた。
「クラスの者がみんな待ってるから、停学が解除されたら直ぐ出てこいよ」
孝二は文雄に声をかけた。
「待ってるなんて嘘っぱちだ」
文雄は眼を剥いた。
「花田先生もとても心配して色々と骨を折ってるんだ。せっかく退学にならずに済んだのに、自分から学校を退めたりしたら、それこそ君の負けになってしまうよ」
「負けたっていいんだ。こんな貧乏のくせに、高校にあがること自体が間違っていたんだ」
「君の苦しい気持ちは分るがここを切り抜けてこそ、強い人間になれるんだ」
孝二は声を張り上げて言った。
「この子ったら、いったん言い出したら牛のように強情なんだから」
母親のキヌは文雄を優しくたしなめる。老爺も老婆も孝二とのやりとりを心配そうに見守っていた。
孝二は文雄を戸外に誘い出し、二人は石狩川の堤防に腰を下ろした。
「いったん志を立てたんだから、何としてでもやり通すことだ。お母さんは余程の決意で進学を決断したんだろうから、君だってやり遂げる責任があると思うよ」と、孝二は言った。
文雄はアイヌたちにとって開かれた世の中を信じ、高校進学に心を躍らせたのだろう。しかし進学してみると、それは形の上だけのことで内実は決して開かれてはいなかった。孝二は傷ついた文雄の痛々しさを見るにつけても、やはり十勝太から都会に出た久造や留治が郷里に帰ってきたときの、あの恨むような眼を今もはっきりと思い出すのだった。
「どっちみち、僕たちには生涯アイヌがつきまとうんです」と文雄は悲しげに言う。それは高校へ進んでも意味がないということなのだろうか。同じアイヌでありながら――。
正直にアイヌを剥き出して打ちのめされた文雄が、このまま対雁の雑草の中に萎《しぼ》んではならない。勇気をふるい、もう一度挑戦して大きな幸せを掴んで欲しい。孝二は切実に思った。
「そうだ。このまま萎んで好いはずがない。君はもう一度、他の高校へ入ってでも卒業するべきだよ。いざとなれば夜間高校だってあるんだ」
「でも、このまま和人たちの中に入ってゆくと、今度は見せ物扱いにされそうなんです」
彼は孝二の顔を見て自嘲するように言った。
「運命を恨んでも自嘲しても問題は解決しないよ。恨むよりは自覚と誇りをもって――」
ここまで言って、孝二は言葉に詰まった。自分は、ずっと素性を隠してきたのではなかったか。青年期に家を出たときから、もう何年も身元を隠し今やっと一応人並みの生活をしている。その自分が、アイヌの身を明らかにし和人たちの圧迫に喘いでいる者に向かって、「自覚と誇りを持て」などと言えた義理ではない。
しかし、孝二はアイヌたちも高等教育を受ける者が増えない限り、本当の自由には繋がらない、ということを文雄にも分って欲しかった。
沈黙が続いていた。
「実は、僕もアイヌなんだ」
孝二は家を出てから、初めて口にした言葉だった。
文雄は一瞬、眉をひそめ、うさん臭そうに孝二を見た。
「ほんとうなんだ」
孝二の表情は真剣だった。しかし、文雄の反応は意外に冷たかった。
「先生は、シャモになりすまして振る舞っていたのかい」
一瞬、孝二は言葉に詰まったが、冷静を装って身を乗り出した。彼は家系を明《あ》かし正真正銘のアイヌであることを説明し、これまで和人《シヤモ》たちの白い眼を避けるため身元を隠し通してきたことを打ち明けた。
「僕には、そんな余裕はないんです」と言うと、文雄は押し黙った。
二人は白波の立った川面を見つめていた。
話せば話すほど、文雄との距離はいっそう遠去かってゆくように思われた。
「僕たちは同じ仲間なんだ」と、孝二は文雄の肩に手をかけて言った。
「上尾先生には和人《シヤモ》の仮面がお似合いなんだ」
文雄は孝二の顔をまじまじと眺めて言う。
「差別の上に成り立ってきた日本では、仮面を被らなければ生き延びることが難しかったんだよ」
孝二は、うなだれて力なく言った。
「自分はシャモの仮面を被り、僕たちにはアイヌの誇りを持って志を貫けと言うんですか」
文雄の顔は青ざめ、きっと孝二を睨んだ。
「先生は卑怯者だっ!」
彼は孝二から眼を離さずに、吐き捨てるように言った。
「僕、昨日、札幌通運のトラックの上乗《うわの》り(荷物の揚げおろし)として働くことに決めて来ました。僕は僕の道を行きます。もう帰って下さい」
最後の言葉だった。
孝二は堤防に腰を下ろしたまま声を出す気力さえなく、大きく見える文雄の後姿をただぼんやりと眺めていた。
今まで、自分の歩いてきた道は間違っていたのだろうか。十八歳で家を出てから、文雄の言う通り、確かに仮面を被って現在の地位を掴んだ。しかし、それは和人に対抗したいという一心からだった。それが今になって、同じアイヌである教え子から「まやかし者」と罵しられ、弁明することも出来ずに打ちのめされている有様だ。
「母は間違っていた」孝二は初めて母を恨んだ。
自分は教師として失格だし、それ以前に人間としても許されない生き方をしてきたのかも知れない。孝二は和人の仮面を被り通して来た欺瞞を深く悔いた。
風が立って、岸辺の川柳が大きく揺れ出した。真っ黒い雲が急ぎ足に走り出す。そのうちに大粒の雨が落ち始め、孝二の全身を容赦なく叩きつけた。
8
夏の夕暮れどき、バスを降りた孝二はその足で真っすぐ南五条通りに向かった。陽が落ち始めると、通りは次第に男たちで賑わってくる。屋台は創成川を挟んで東西に長く延びていた。赤い提灯《ちようちん》に「岬《みさき》」と書かれた屋台があった。この店に孝二は前に一度入ったことがあった。彼は立ち止まる。五条橋の袂から出てきた酔客が肩を組み、濁声《だみごえ》を張り上げて歌いながら歩いてゆく。野良犬が通り、リヤカーが通り、若者たちが通った。そのすぐ後ろから労働者ふうの男たち、女を連れたアメリカ兵、ギターを抱えた流し風の男などがつぎつぎに通り過ぎる。女たちのキラキラした笑い声やふざけた悲鳴が響いて、屋台街は底抜けに賑やかだった。
孝二は「岬」に入って焼酎の梅割りを飲んだ。店の中はカーバイトの匂いや、コンロの炭火や人いきれでむんむんしていた。客と孝二との間にむりやり割りこんできたミーが「兄さんよー」と、甘えた声で孝二の首に絡みついてきた。彼は体をこわばらせのけぞった。覗き込んできたその眼色と体臭に覚えがあった。
――黒い大きな瞳に長いふさふさした睫毛《まつげ》、甘くて酸《す》っぱい体臭はまさしくアイヌのものだ。そんな中で育った孝二の眼と鼻が確かにそれをとらえていた。
「おらの顔ばじろじろ見てな、鼻のてっぺんにダンベ(女陰)でもついてるべか」
彼女は淫乱《いんらん》な声を張り上げて笑った。隣りに坐っていた五十がらみの労働者風の男が喜んで、「おめえの口といっしょで、はばける(口から食べた物が溢れ出る)ことはなかべな」と言い、油ぎった身欠鰊《みがきにしん》を頭ごと、彼女の口にねじ込んだ。
「下の口も丸ごと呑みこむべな」と、ふたたび男は言った。
男は店の常連らしく、彼女のことをミーと呼んでふざけ合った。
カウンターの下の方で節くれた男の手が蛇のように伸びて彼女のスカートの中に入ったが、ミーは表情ひとつ変えずに、「兄さんよー、歌って踊ってでっかくゆくべえ」と言った。
(したたかな淫売婦)と、孝二は思った。彼女は気の抜けた阿呆のように、涎《よだれ》を垂らして身欠鰊を頬張り、男の手はいつまでも動き続けている。
「淫売野郎!」と、孝二は吐き捨てるように言った。しかし、彼女の表情は少しも変らない。
孝二は両肘をカウンターに立てて顎を支え、女将《おかみ》の注ぐ梅割り焼酎を浴びるように飲んだ。いくら注いでもコップはすぐ空《から》になった。眼の前がもあーっと霞んできて、ミーと男の話し声がずっと遠くに聞こえる。孝二はときどき我にかえって顔を上げた。すぐ眼の下で男の手が生きのいい魚のように弾んで、ミーのスカートがずり落ちたとき、「馬鹿野郎!」と、孝二は顎を振り上げてカウンターをいきなり叩いた。皿の身欠鰊が飛び上がって、ひっくり返った。
「何とな、アンコ(若僧)のくせして、本気でやる気かよ」
ミーが眼を剥いて突っ掛《かか》ってきた。黒い瞳とぶ厚い唇が孝二の鼻先にあった。
「酒乱だ、本物の酒乱だ!」
男の向こう側に坐っていた客が騒ぎ立てた。しかし勇みたった孝二は声を張り上げて、なおも叫び立てた。
「生娘《きむすめ》が腐ったボロ屋の中で、助平爺に騙《だま》されていい筈があるもんか」
言い終らないうちに、コンロの傍に立っていた女将《おかみ》がぶるんと身を震わせて、
「ボロ屋とな、よくも言ったもんだ、外へおっぽり出してしまえ!」と怒鳴った。
客たちはいっせいに立ち上がり、労働者風の男が孝二の襟首をつかんで、|ぐい《ヽヽ》と戸外に放り投げた。孝二はのめくったまま、電柱に肩を打ちつけて四つん這いになった。ミーが横っ腹を蹴って、「地獄さ落ちれ」と言った。飲みすぎた孝二はイモ焼酎のゲップが続けざまに出て、街の灯がぐるぐる回って見えた。
(ひとりだって、アイヌは淫売婦になってはいけないんだ。そうだとも、何よりも先に和人と同等な人間になって、それから淫売婦になるべきなんだ)と、孝二は冷たい電柱に抱きついて呟やく。
夜風が唸りを立てて通り過ぎた。泥酔している孝二には心地よい風だった。星が鋭く光って上空が少し曇けてきた。南五条通りを真っすぐ進んできた進駐軍の兵隊二人が、中に挟んだ女性を抱くようにしてはしゃいでいる。彼らはときどきキャッキャッと、動物的な声を張り上げた。
「ジョージ」
女は甘えた声で、ただ兵隊の名前ばかりを呼び続ける。
「青い眼の赤子で、日本じゅうを埋めつくしてしまえ」
孝二は手を振り上げて言った。ジョージがこっちを見てにっと笑った。うす暗い中に眼だけがぎらぎら光って真っ白い歯が浮き出ていた。ジョージは黒人兵だった。
「君たちは戦勝国の国民なんだから、和人がシャクシャインの戦いに勝ったときのように、勝手に振る舞っていいんだ」
孝二はジョージたちの後ろについて歩いた。彼等は夜空に向かって陽気に歌ったり叫んだりした。通行人たちは、はしゃぐ彼等を避けて通った。
「君たちは戦勝国民なんだから、和人がアイヌの男たちをクナシリ、エトロフの漁場に追いやったように、日本の男たちを遠い島々に追っ払って日本女性をひとり残らず手籠にしていいんだ」
ジョージがこっちを振り返り、「オーケー」と言って、ふたたび笑った。彼らは創成川のところから左に折れ、川縁にこんもり繁った柳の木の下に身を隠した。
「ジョージ、ジョージ」
犬を呼ぶような女の声が暗い夜空にいつまでも響き渡る。
夜は更けていた。孝二は創成川の板橋を渡ったところから左に折れ、街《まち》に向かって歩いた。電柱の小さな球が隠れていて、うす暗い街が続いていた。平家建ての家と家との暗がりから、ひょっこり女が現われて、「安くしとくよ」と言った。色の白い女だった。
この辺りは夜の女がそこらじゅうに屯ろしていて、どこを歩いても突き当たる。和服を着た女も洋服の女もいたが、どの顔もみんな疲れきって押し潰れたように歪んでいた。
孝二は女の後ろについて歩きながら、文雄のことやミーのことが気になっていた。ミーは今ごろは正体もなく酔いつぶれて、どこかであの労働者風の男といっしょかも知れない。真新しい青札《あおさつ》でホトを叩かれて痴呆になり、アイヌの身分も忘れてのめくっているかもしれない。
大きな通りから露路に入り、暗がりの中を女は足早に歩いた。角を曲るたびに、女はちょっと足を止め、「早く来《き》な」と言った。
孝二は女と顔を合わせたときから、ひと言も口を利かなかった。口を噤んだまま、ただずるずると曳かれるように付いてゆく。露路のぬかるみに敷きつめた板を渡って、もうひとつの角を曲ると、女はがたびし戸をこじ開けて、「入んな」と言った。
家の中はうす暗かった。狭い部屋の中央に卓子《テーブル》が据えられ、壁には丈の低い茶箪笥が二つ並べられ、中にはコップやコーヒー茶碗や灰皿などがぎっしり詰まっていた。
「飲んで」
女はお茶を注いで卓子の上に置くと、そのまま隣りの部屋に入って行った。人の気配がして子供の咳込む声がした。咳はいつまでも止まらず、しまいにげっくげっくと苦しそうだった。
女が茶の間に戻ってくると、「夕方から急に熱が出て」と言って、水枕に水道の水を注いだ。女の眼は額の方まで吊り上がっていた。彼女は水枕を持って、ふたたび隣りの部屋に入って行った。
座布団の上に横になっていた孝二は、どっと睡魔に襲われた。
「お前はミーに説教するだけの値打ちがあるのか。このふしだらは何だ」
母サトの声がして、孝二は飛び起きて逃げるように戸外に出た。
孝二はもう一度屋台に戻り、ミーに会いたかった。夜の女が街角に立っていて、呼ばれても彼は振り向かなかった。
「ちょっと待ってえ」
厚化粧した年増《としま》の女が金切声を張り上げて追いかけてくる。孝二は露路から露路へ走り抜けた。犬がけたたましく吠えたて、横丁から飛び出してきた別の女が大きな通りの方へ駈けてゆく。しかし孝二は一町も走らないうちに女たちを巻いてしまった。
彼はその足で先刻の屋台街に入ったが、すでにミーたちの屋台は跡方もなく解体されて帰った後だった。
「故郷の川に頭から浸って、こびりついた垢《あか》を洗い落とし、きれいさっぱりした体になって出直してくるがいい」
屋台跡に立てられた目印の棒杭に寄りかかって、彼はうわ言《ごと》のように言った。
9
屋台街でミーと逢ってから一週間経った。孝二は友人を送って札幌駅に出た帰り、ぶらりと五番館に立ち寄った。これといった買い物もなく、暑い残暑の陽ざしを避け、涼を求める気持ちだった。店の中は果物類、菓子類、土産物などがきれいに並べられ、広い店全体が盛り上がった花壇のように飾られていた。天井の扇風機が唸りを立て、孝二は胸を開き風を入れて歩いた。
店を一巡して入口の土産物売場まで来たとき、孝二は驚いて立ちどまった。三つ石ヌプリの作業場と並んだ土産物売場の飾り棚の前にミーが立っているのだ。彼女は厚司《アツシ》(アイヌ紋様の入った着物)を着て、白い紐《ひも》で髪をしばりあげていた。
ミーはアイヌ民芸品の販売員だった。阿寒に本部を持つ民芸品の共同組合に所属し、北海道じゅうを転々と回って販売しており、収入が思うようになかったので、夜は屋台でアルバイトをしていたという。
屋台で見た、あの図太い淫売婦のようなすれっからしとは違って、素直で従順なアイヌ娘だった。長い睫毛《まつげ》は伏せがちで、お客の買い求めた土産品を手際よく包んでいた。
「ありがとさん」と、ミーは愛想よく言った。客足が途切れると、「る、る、る、る」と舌を震わせ、厚司の裾をばたばたさせて顧客の関心を呼んだ。
三つ石ヌプリは脇目もふらず黙々と熊を彫っている。熊は大熊、小熊、夫婦熊、親子熊などいろいろあった。鮭をくわえた金毛熊もいる。
買物客たちはミーの顔を覗き込むようにして通り過ぎる。横から割り込んできた旅行者らしい男が、つかつかとミーに近づいて写真を撮った。しかし、ミーが横を向いてうまく撮れなかったと言い、顔を上げるように頼んだ。
「アイヌが珍しいのけえ。土産ば買ってくれたら、入れ墨だって何だって撮らしてやるべな」
ミーは口をあんぐり開け、顎を突き出して笑った。買い物客たちは立ち止まって、ミーの顔を食い入るように見詰めた。
「舌を震わせたり、厚司の裾をばたばたさせたりして」
孝二は「やり過ぎだ」と言った。
「鶴と熊の喧嘩だってやるさ」
ミーは厚司の袖からムックリ(口琴)を取り出し、びんびん弾《ひ》いて、「おらの婆ちゃは、いつも鶴と熊との喧嘩を弾いてくれたわ」と言って、けらけら笑った。
「みんなに馬鹿にされているのが分らないのか」と、孝二は耳許に口を寄せて低い声で言った。
「何をな。こうしなけりゃ、わしらは食べてゆけないだよ」
ミーはたちまち屋台で見せたあの図太い顔になり、甲高《かんだか》い声で言い返した。黒い瞳が吊り上がる。孝二は、その先を言わずに、踵を返して出口の方へ歩いた。
「自分だけが偉そうな顔してさ」
ミーが後ろの方から叫び立てた。辺りの人々が頭を上げていっせいに振り向く。
「アイヌがアイヌの厚司を着て、何が恥さらしだい。偉ぶったからって、わたしらの暮らしはますます苦しくなるばかりだ」
アイヌの姿を顕わにして叫びたてるミーの声は、孝二の腹の底深くずしりと応えた。彼女は厚司を脱がせようとする孝二の姑息《こそく》なやり方をなじるように、その叫び声はどこまでも彼の背中に向かって追いかけてきた。
戸外はまばゆい太陽の光がぎらぎら照りつけていた。孝二は直射日光を避け、アカシヤの並木の下を隠れるように歩いた。
子供のころ、街の祭りでアイヌ婆さんのムックンレッテ(口琴の独奏)を聞いたことがある。口の回りに入墨を入れた婆さんは、厚司をまとい、鮭皮のケリ(靴)を履き、飛びはねるようにしてムックリを弾いた。「風の音」「波の音」「海鳥の声」「鶴と熊との喧嘩」、曲はいくらでもあった。一曲弾《ひ》いたり踊ったりするたびに、老婆は和人たちから銭《ぜに》を貰った。
「まるで乞食《こじき》だ」
嫌な思いだった。
孝二は長い間、自分ひとりの幸福を考えて暮らしてきた。和人には逆らわず、アイヌには近寄らないように気を配った。いつも自分の身だけは安泰な場所に置いて、同胞の腑甲斐なさを責め立てる。しかし、眉が濃く毛深くて、アイヌが表面に出ている文雄やミーは身を隠すことさえ出来なかったのだ。「許してくれ」孝二は身勝手な自分のおせっかいをいたく後悔した。そして、アイヌへの忠告や激励は二度とすまいと思った。
孝二は蒸し暑い空を見上げて溜息をつく。午後の太陽が藻岩山の真上にあった。
10
戦後八年を経て、自由・平等が叫ばれ、食糧や生活物資もかなり出回って世の中がずいぶん落ち着いてきたが、アイヌたちの生活はいまだに貧困から抜け出せないでいた。
「アイヌを売り物にしてな、情けないこった」
村の老婆たちは観光アイヌに成り下がったことを悔んだ。
「何でもいい、とにかく暮らしてゆくことの方が先なんだ」
老婆の孫たちは、アイヌの誇りを保とうとする彼女らに反対した。アイヌの誇りを口にするようでは、苦しい生存競争に打ち克つことはできない、というのである。
ところが、こんな言い争いをしているうちに、観光の金儲けに早くも目をつけたのは賢《さか》しい和人たちだった。彼らはアイヌの土産品を大量に生産して大々的に売り出した。
「熊彫りはアイヌの専売特許なのに」
アイヌたちは結束して、札幌や旭川に土産店を出して和人たちに対抗した。だが、資力があり、機械を使って大量生産する和人たちには勿論太刀打ち出来なかった。ここでもアイヌたちは後《おく》れをとって苦《にが》い汁を飲まされた。
「たった一つの収入源を断たれたら、どして食べてゆくべか」
アイヌたちの不満は日増しに募《つの》ったが、業者同士の販売合戦はますます激しさを加えた。
「今に何かが起こるぞ」
あたりに不穏な空気が渦巻いた。苫小牧《とまこまい》市長がアイヌと和人《シヤモ》の仲に入って、双方穏やかに納めようとした。会合は何度も続けられた。話は順調に進んでいるように見えたが、事実はそうでなかった。市長が仲裁に入って一カ月を経たころから話がもつれて、二転三転した。
双方の言い分がすれ違ったまま二カ月が経とうとしているとき、苫小牧市長が帰宅途中の暗がりで何者かに刺された。
「俺は見たんだ、アイヌに決まってるさ」
和人たちは犯人はアイヌと決めていた。しかし、調べが進むにつれて、それは和人たちの捏造《ねつぞう》と分った。市長刺傷事件は、うやむやになったまま犯人は遂に捕まらなかった。観光客相手の販売の話し合いも、そのまま立ち消えになった。
狸小路三丁目に、アイヌ観光協会が経営する小さな土産店があった。市長刺傷事件の騒ぎのさ中に孝二はその土産店に立ち寄った。店には客がひとりもなく、奥の方に店番の若い青年が坐っていた。木彫りの熊、鶴、鹿など、大小さまざまな形のものが棚の上にきちんと陳列されていた。孝二はそのひとつひとつを丹念に見て回った。力強い鑿《のみ》の彫り跡があざやかだった。
「いらっしゃいませ」と言って、青年が孝二に近づいてきた。
「商売はどうですか」
「ぼつぼつ」と、青年は無愛想に答えた。中学校を卒《で》たばかりの若者だった。
「君の故郷は?」
「日高の浦河」
「家の職業は?」
「漁業です」
若者は躊躇《ちゆうちよ》なくはきはき答えた。
「漁業と店員とどっちが好き?」
孝二は質問を繰り返しながら、まるで取り調べみたいだと思った。
「沿岸では、もう魚貝類が獲《と》れなくなって、食べるだけでやっとなんです」
若者は恥ずかしそうに俯いて答えた。
「磯舟でなく、エンジンのついた大きな舟で、もっと沖合いに漕ぎ出したら?」
「船を造る資金がないんです」
孝二は、またしても野暮なことを聞いてしまった自分を恥じた。昔から狩猟を業としてきたアイヌの人たちには、どんなに不漁が続いてもこの道のほかに生きる道はなかったのだ。この若者の家でも、不漁を覚悟で今でも磯舟を繰っているに違いなかった。根こそぎ獲ってしまう和人の漁法を見て、アイヌの人たちは呆然としたことだろう。
「熊彫りより、生活の基盤になる漁場が欲しい。カムイチップ(鮭)の漁場が欲しい」
孝二はうわ言のように言った。これまでアイヌたちは和人たちに言葉も生活も、ことごとく収奪されてきた。しかしアイヌたちが、ここで目覚めて自主自立の道を歩もうとするならば、今までのように泣き寝入りをしてはならない。「ここはアイヌモシリ(アイヌの土地)だ」と、きっぱり言い切れるだけの、思い切った決断が必要なのだ。アイヌが「旧土人保護法」のもとで和人の奴隷《どれい》になっている限り、いつまでたっても貧困と差別から抜け出せる筈がない。ここから抜け出すためには、どうしても今までとは違った、先住権問題やアイヌ独立問題を考える必要がある。
孝二は子供のころ、エカシ(古老)やフチ(老婆)から聞くユーカラ(神謡)が好きだった。彼は部落のアイヌたちの家へ押しかけてユーカラを聞いた。彼らは拍子を取るために、炉縁をとんとんと叩き、時には立ち上がって踊りながら歌うのである。
「ユーカラは和人の侵略に立ち向かって抵抗する勇敢な戦士たちの歌なんだよ」と、老婆は口尻から泡を吹き飛ばしながら、恨むように言った。
「一四五七年のコシャマインの戦いも、一六六九年のシャクシャインの戦いも、和人たちがアイヌモシリを奪い取ろうとして襲ってきた戦いなんだよ」
老婆は、幌別地方で歌われている、アイヌを襲った和人たちをひとり残らず海中に沈めるという「戦勝の歌」が取り分け上手だった。彼女はかすかに眼をつむって静かに歌い出した。
[#ここから1字下げ]
ある日、夫が胡※[#「竹/祿」、unicode7C36]《やなぐい》を背中に投げかけ
弓柄を握って狩りに出かけた、その後で
私が刺繍《ししゆう》に没頭していると
家の外に大勢の人の足音がして
やがて誰か戸口から入って来た
これはきっと和人というものにちがいない
頭の上に烏のくちばしの如きものを縛りつけた連中が
一斉に口を開いてこう言うのだ
これ、アイヌの女、アイヌの婦人よ
俺たちは殿様の国から、このアイヌの国に働きに来ているのだ
聞けば、シシリムカの岡の上に
子を一人もった夫婦が住んでいて
その妻ほど美しい者はいないと言う噂だ
弁財船の船頭がその噂を聞いて
ぜひ、会って見たいと言う
[#ここで字下げ終わり]
と、和人たちは最初は穏やかに出た。しかし、やがて意にそうなら米や味噌などをたくさん与えるが、もし拒んだときは引っ攫《さら》って来い、と弁財船の船頭に命じられていると、オイナカムイ(文化神)の妻をおどかす。
「まるで人|攫《さら》いだ」と言って、孝二たちは憤慨する。
傲慢な船頭の命令を聞いた妻は大いに怒り、目の前にぶら下がっていた炉鉤を引っ掴み、和人の面前で揺り動かしながら、和人たちに罵声を浴びせる。
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けがらわしや、きたならしや
憎い和人の罰あたりめ!
さっさと戻って弁財船の船頭に早く沖へ逃げろと言うがいい
さもないと、この悪だくみ、ただ言葉だけでも、私の夫の耳に入ったら
お前たち全体が生きられなくなるぞ
[#ここで字下げ終わり]
この頑強な拒絶の言葉に腹を立てた和人たちは、アイヌの分際でよくも言ったものだ。たかがアイヌ一人一刀のもとに斬り殺してやる、とオイナカムイの妻を取り押さえた。母親にしがみついてくる子供を捕え、高く放りあげて炉縁の上に打ちつけて殺してしまう。オイナカムイの妻は必死に抵抗を繰り返すが、彼女はついに戸外に引き出され、弁財船へ連れてゆかれる。
オイナカムイの妻は海へ飛び込んで逃げようとするが取り押えられて、船の中央の帆柱に縛りつけられてしまう。ここでユーカラは妻の思いを語る。
ああ、くやしい。なさけない
夫は今頃山から帰ってきて、いとしい子供の無惨な姿を見たとき
どんな気持ちを持つだろう
ここで妻の歌が終ると、老婆はキラキラ声を張り上げて、夫オイナカムイの歌が始まる。
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俺は刀をすらりと引き抜いて
片足を遠く立て、片足を近く立て、刀の上を透かして見た
すると、案の定、俺の思った通りはるかなる海上に
ぼんやり船のようなものが見えて
それが沖に向かって走っているらしく思われた
俺は刀をもとの鞘《さや》に納め、雲間めがけて飛び上がり
羽の生えた鳥、翼の生えた鷲になって
二つの雲、三つの雲の間をすべるように飛んで行った
[#ここで字下げ終わり]
「早く、早く」孝二たちはもうじっとしておれずに足をばたばた踏み鳴らして応援した。
オイナカムイは鷲になって弁財船に追いつくと、今度は風になって船の中に入り、帆柱に縛りつけられている妻を見つけ出し、縄目に刀をさし入れて縄を切った。妻はオイナカムイの腕の中から、小枝が跳ね返るように大空に跳び上がると、後ろも振り向かずに雷鳴を伴いながら我が家へ飛んでゆく。
ユーカラを歌う老婆は息を腹いっぱい吸って、歌は終りに差しかかる。
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俺は海底にもぐって、刀を抜いて
この弁財船の底を、削り削り
心の中で二代の神々の先祖、三代の神々の先祖に祈りながら
腹の力、腕の力を出しつくして、一所懸命に努めているうちに
この大船の底に、ぽかっと大きな穴があいた
和人たちはあわてふためいて、その顔色は蒼白になっている
アイヌの若い神様、アイヌの若い首領様
どうか助けてください、いくらでも賠償品を出します
と言いながら、二十回も三十回も拝礼を重ねた
だが、俺はきっぱり撥ねつけた
もうお前たちを生かしておくわけにはいかぬ
そういっている間に、船はどんどん浸水して
ついに海中に没してしまった
[#ここで字下げ終わり]
復讐を遂げたオイナカムイは自分の家に着くと、子供の死体を抱いて二代の神々の先祖、三代の神々の先祖の名を言って、郭公鳥の声で神に祈った。すると、急に顔に血の色がさして子供は生き返った。オイナカムイ夫婦は手をとって喜び合い、子供を以前にも増して可愛がった。そして、オイナカムイは相変らず、今もアイヌたちを見守って暮らしている。
老婆はこう歌って、「幌別のユーカラはこれでお仕舞い」と言った。孝二たちは「勝った、勝った」と言って飛び上がって喜び、手が赤く腫れあがるくらい拍手した。
「シャクシャインの戦いには、幌別のアイヌたちも勇敢に立ち上がったんだ。実際にはずる賢いシャモどもの騙討《だましう》ちに会って負けてしまったども、『幌別の神謡《ユーカラ》』は、アイヌモシリを略奪しようと企む和人を蹴散らしたいという、アイヌの人たちの願いが籠められているんだよ」
老婆は赤く爛れた眼から流れる涙を拭いながら、「山の獣も、川の魚も、年ごとに減ってしまって」と口籠もった。
神謡《ユーカラ》は侵略者と戦う英雄の歌であると同時に、自然と人間の共存、生命の尊さを学ぶ歌でもあった。孝二は子供心にもアイヌは常に和人より頑強で優位にあることを願っていた。そして、アイヌが収奪されたモシリ返還要求は極めて自然なものなのだと思った。
「狂気の沙汰」と笑われても、「危険分子」の烙印《らくいん》を押されてもいい、失敗を覚悟で思いきって「独立」を叫ぼうと思う。だが、長い間口を噤んで来た孝二は、人前ではあまり口もきかず、積極的な行動もしないまま、みんなの話に聞き入ることが多かった。
「上尾先生は運動なんかするより、炭鉱問題やアイヌ差別問題を書く事の方がよっぽど似合いの仕事だよ」組合運動に熱心な奈良が言った。孝二もいつかは虐げられてきたアイヌの実態を克明に記述しようと思っていた。
「独立」が真剣に考えられたことは、これまでにもあった。昭和二十年の敗戦は、アイヌたちにとって、泥沼から這い上がる絶好の機会だった。長い間虐待されてきたアイヌたちは、GHQ(連合軍総司令部)に、アイヌの自由と復権を連判書を添えて願い出た。しかし、アメリカも和人と同じ穴の狢《むじな》だった。「旧土人保護法」があるのだから、双方でよく話し合って円満に解決せよ、との回答だった。問題は何ひとつ解決されず、アイヌたちは昔の遺恨を引き摺ったまま、現在に至っている。
「差別の中で苦渋の道を歩くより、いっそ『独立』をかかげて、『俺たちの土地を返せ』と叫んだ方が、どれ程すっきりするか」
孝二はそう思った。
北海道には広大な国有地がいくらでもある。大雪山でもいい、釧路湿原でもいい、そこをアイヌの墳墓の地にすれば、どんなに力強いだろうと思った。
だが、こんな空想はずるシャモには通ずる筈もなかった。戦前には「旧土人保護法」を持ち出して、「法があったから生き残れたんだ」と言い、戦後は「昭和憲法のもとでは、みんな平等なんだ」と言った。
「アイヌ差別なんか、今どきあるはずがないよ」と、和人たちは平気で言う。しかし、この手でいつも煙に巻かれはぐらかされて、相手の正体さえ見失ってしまうのだ。
こんなずるシャモをやり込めるには、やはりアイヌが貧困から抜け出して、堂々と「独立」を主張しなければなるまい、と孝二はつくづく思った。
気がつくと、孝二は札幌の街を通り抜けて郊外を歩いていた。しかし、踵を返した彼は、なお考え続ける。「文学だってそうだ」と呟やいた。違星北斗《いぼしほくと》の書いた『吾れアイヌ也《なり》』も、森竹筑堂《もりたけちくどう》の書いた『原始林』も、バチラー八重子の書いた『若きウタリに』も、みんな、スズラン香る谷間に、静かに消えてゆくアイヌの悲しい歌だった。孝二は「さびしく消えて、それでいいわけがあるもんか」と呟やく。
対雁文雄も、観光協会に勤める若者も、ミーも、悲劇の元は貧困だ。孝二にとって、貧困から抜け出すことと「独立」とは別個のものではなかった。
11
気の昂っている孝二はそのまま下宿には帰らなかった。彼はその足で北三条にあるウタリ協会を訪れた。協会は北海道庁の別館にある福祉課の中にあった。協会事務は小部屋で行なわれていた。男一人女二人の小人数だった。
孝二は入口に坐っている若い男の事務員に名刺を差し出して頭を下げた。
「会長にお逢いして話を伺いたいのですが」
女事務員が会長を呼びに部屋を出たが、間もなく戻ってきて「すぐ参ります」と言った。しばらくして、大柄で肩幅が広く顎髭をのばした向田会長が入ってきた。
「どんな御用件ですか」
名刺をじっと見つめて落ち着いて訊ねた。
「アイヌ出身の学生に学資の補助は出来ないでしょうか」
「和人、アイヌに限らず奨学金制度はあるが、その基準がむずかしくてねえ」
向田会長は唸るような声で言った。
「アイヌの学生について聞いてるんです」
孝二は語気を強めた。
「和人とアイヌを離して考えるのは差別ですよ、アイヌ問題を福祉課一本にまとめたのも、結局は同じ日本人同士の問題だから差別して考えないということなんです」
向田会長は胸を張って言った。
「その考えは根本的に間違ってると思うんです」
「憲法のもとでは、和人もアイヌも同じ日本人でアイヌの人権も十分守られています」
彼は自信のある声で説得口調で続けた。
「アイヌだって努力すれば実業家にもなれるし、大学の先生にもなれる。現《げん》に釧路には鮭鱒をやっている大富豪もいるし、北大には知尾先生もいる」
「僕はそういう大勢の中から頭を出した特殊な人物を言ってるんではありません。最初からハンデを背負ったアイヌを、和人といっしょに見るのは間違っていると言ってるんです」
「差別の眼で見れ、と言うのですか?」
向田会長は孝二の考え方は幼稚すぎるというように、頭を左右に振り続けた。
「現《げん》に、高校進学率も大学進学率も和人とは問題にならないくらい低いし、貧困にいたってはアイヌの八割を占めています。だから、僕は和人といっしょに見てはだめだと言ってるんです。今いちばん大事なことは、和人との格差を一日も早く無くすことだと考えています」
孝二は言い終って溜息をついた。
「わしらは過激派は嫌いなんだ、何事にも冷静に対処し、波風立てずに長い時間をかけて円満に解決したいんだよ」
孝二は聞きながら、これではアイヌの自主も自立も、ましてや「独立」なんかおぼつかないと思った。
「国から出ているアイヌ更生基金はアイヌのために使われているんですか」
孝二は眉をひそめて尋ねた。
「勿論、アイヌのために使われていますが、アイヌ専用の排水とか道路なんかありませんからね」
当然、和人、アイヌの差別なくそっちの方にも使われています、と向田会長は笑みを浮かべて言った。
「それで福祉課を一本にしてるんですね」
彼は返答はしなかったが、孝二にはアイヌ更生基金の支出のだいたいが読みとれた。アイヌの為というより、田舎の上下水道の設備や道路の改修工事にその大半が使われているのだ。
「アイヌと和人が仲よくいっしょに居住しているので、どうしても分けられないんだよ」
会長は言い訳のように、何度も同じことを繰り返した。
アイヌの苦情を聞き、互いに慰め合って、協会の役目を無事にすませている。ここでも和人の搾取が行なわれているのだ。こんな馴れ合い機関に、苦情の処理も適切な判断も出来るはずはなかった。
長い間|虐《しいた》げられてきた、その怒りはどこに消えてしまったのか、その呪いは孫子の代まで忘れられないというのに――。
孝二は彼らの鈍《なま》った考えに失望して、ウタリ協会の部屋を出た。
12
朝から雨が降っていた。午後になると、それに風がついて嵐になった。
「二百十日の台風崩れだから、油断できんぞ」
授業の終った先生が、ぼつぼつ帰り始めて落ち着かなかった。
「傘をさして授業をしてる学校って、日本じゅうにあるかな」
授業から戻ってきた斉藤が上衣に付いたチョークを払いながら言った。
「生徒が逃げないように、門番をしてくれ給え」
生徒指導課長の森田が、雨空を気にしながら課員の花田に頼んだ。
「遠い生徒もいるんだから、僕は六時間目をカットした方がいいと思うよ」
教務課長の奥寺がこう言って悠々と帰って行った。
「相変らず無責任なことを言うもんだ」
森田は癇癪《かんしやく》を起こし、若い先生や事務員に命じて、門番を増やしたり、雨漏りの応急処置などに走り回った。だが、雨はますます激しさを増し、授業は五時間で打ち切られた。
この日は彼岸の中日だった。孝二は朝下宿を出るときから、放課後、勤務先から真っすぐモンスパの遺骨のある北大医学部を訪ねようと思っていた。
モンスパの遺骨は、アイヌたち同胞の遺骨千体と共に、北大医学部に収められていた。彼女の遺体は太平洋戦争の真っ盛りに、無断で掘り返されて没収されたのである。
モンスパの骨を盗《と》られたとき、母のサトは一週間も泣き通した。
「シンリツモシリ(あの世)へも行けねえで、この世をさまよい続けているんだよ」
サトは赤子のように泣きじゃくった。
「孫たちを守ってくれる婆ちゃが、あの世にもいけねえだもの」
その翌日、あきらめ切れぬサトは、孝二を連れて昆布刈石《こぶかりし》に走った。真夏の海は凪いでいた。海にせり出した昆布刈石岬がいつもより近くにくっきり見えた。岬は猿の面にそっくりだった。海に突き出た岩のごつごつは頭で、向こう側に突き抜けて見えるトンネルは眼玉だった。二人は砂が堅くしまった渚を猿の面に向かって小走りに急いだ。
「見晴しのいい丘の上に葬ったのが、かえっていけなかったんだよ」
サトはぶつぶつ愚痴《ぐち》をこぼし続けた。
墓のある赤土の禿《はげ》山は急だった。足が滑るので、サトも孝二も四つん這いになって登ってゆく。禿山の頂上に烏が群れていた。二人が息をきらして頂上に辿り着くと、サトはべったり坐ったまま、「ひどいもんだ」と言って、辺りを眺め回した。骨粉が四方に散乱していた。
烏がすぐ傍まで寄ってきて、ゲロロゲロロと鳴きながら、うるさく羽撃《はばた》いた。
「ほら、カンナカムイ(竜蛇)だ」と、サトがたまげたように言った。白い蛇が岩陰から墓穴に向かってのろのろと這い上がってきた。烏たちは白蛇めがけて飛びかかった。蛇は尻尾を鞭にして烏たちの頭を叩きつけた。
「カンナカムイはシンリツモシリの神々に墓守《はかも》りをおおせつかって来たんだからね、殺してはならんど」
「骨を盗られてしまってもけえ」
「まだ、わずかでも骨粉もキナも残っているだよ」
孝二は岩陰に投げ捨てられていた墓標を拾って、それを振り回し烏たちを追い払った。彼は青い空を見上げているうちに眼が回り、足がもつれて引っくり返った。真夏の太陽が瞼の底でぐるぐる回っていた。嫌な思い出だった。
授業が終ると、孝二は傘をさし長靴を履いて学校を出たのだが、突風に傘がしばしば逆さになった。彼はときどき立ち止まり、雨を孕《はら》んだ突風をやり過ごした。
孝二は東屯田通りを北に向かって歩き、大通り公園を横切って、そこから十五、六丁もの道程を歩いて北大構内に入った。彼の内ポケットには紙に包んだ菊の花びらと水の入ったウイスキーの小瓶が入っていた。彼はできれば医学部の標本室に忍び込み、モンスパの遺骨を直接確かめたかった。
孝二は医学部の西洋風玄関の前で傘をたたみ、雨に打たれて逡巡《しゆんじゆん》していた。彼はびしょ濡れになったまま、横なぐりの雨に打たれ中にも入れずに立っていた。雷が青い閃光を放ち、地響きを立てて構内いっぱいに轟き渡った。
「どうなさったんですか」
声をかけられて孝二はびっくりした。傍に傘をさした若い女性が立っていた。彼女は色白で下瞼に黒子《ほくろ》があり、一重瞼だった。
「ここに僕の祖母の遺骨があるんです」
孝二は思わず口を開いた。
「遺骨?」
女性は怪訝《けげん》な顔をした。そのとき、ふたたび辺りに閃光が走って、雨がいちだんと激しく打ちつけてきた。孝二はその女性に急《せ》き立てられ、後ろから押されるようにして玄関の中に転げこんだ。
「ひどいことをする」
彼は口を尖らせて後ろを振り向いたが、彼女の姿はもうどこにも見当たらなかった。
医学部の中はうす暗かった。白衣を着た学生たちが大勢廊下を歩いてくる。
「ひどい嵐だ」
学生たちが話している。校舎の中庭の柏《かしわ》の大木が、きりきりもみくたにされて震え上がっていた。
孝二は折り畳んだ傘を脇にかかえ、奥に向かってどんどん歩いた。教室をいくつも通り過ぎた。広い標本室には誰もいなかった。
「アイヌ人骨」と書かれたコーナーがあった。白い札《ふだ》に「発掘年月日」や「発掘場所」が詳細に認《したた》められていたが、モンスパの遺骨は見当たらなかった。その他に千体もあるアイヌ人骨がどこに収納されているのか、見当もつかなかった。
孝二は「アイヌ人骨」の前に菊の花びらを供え、ウイスキーの小瓶から水をかけて、「婆ちゃ、必ず十勝の土に返してやるからな」と言った。
標本室はひっそり静かだった。消毒液の臭いがした。頭蓋骨がいくつもこっちを睨んでいる。ぼやぼやしてはいられなかった。彼はウイスキーの小瓶をポケットに捩じ込み、逃げるようにして部屋を出た。
廊下でいかめしい制帽を被った守衛とすれ違ったが、何事もなかった。
戸外に出ると、彼はほっとして体の力がいっぺんに抜け落ちるような気がした。激しい風雨に煽り立てられてよろよろと歩きながら、どうして校舎に入ることが出来たのかが不思議だった。全てがまだ夢心地だった。
「突然、眼の前に現われたあの女性はいったい何者だろう」
孝二は下宿へ帰ってからも、そのことが不思議でならなかった。それはまるでモンスパの化身としか思われなかった。
13
彼岸の中日、祖母モンスパの遺骨にお詣りしてから一週間ほどして、中の島の公民館で町内会主催の「文学講演会」が催された。講師は北大の新田教授だった。彼は孝二が札幌文化専門学院在学当時、この学院の時間講師をしていて学生たちにも評判高い教授だった。孝二も二年間、新田教授から「現代文学」を教わった。
ものやわらかで繊細な先生だが、話と話の合間に、凄まじい早さで瞬《まばた》きをする癖があった。
「上尾先生の恩師なんだから、是非出席して下さいよ」
下宿のおばさんが、町内の役員といっしょになって新田教授の業績をさかんに宣伝した。
「『伸子』の生き方――宮本百合子――」と書いたポスターが、町内の電柱や家の塀など至る所に貼られ気分は盛り上がっていた。
その日、孝二は急用ができて少し遅れて会場に入った。会場は五十畳もある広い畳の部屋だった。入場者のほとんどが女性で、男はまばらだった。孝二は係の女性に案内されて講演者新田教授のすぐ前に坐らされた。
新田教授は花と水差しを置いたテーブルの前にきちんと正座し、しきりに瞬《まばた》きをしながら、淡々と講演をしていた。会場は物音ひとつなく、聴衆は耳を傾けて静粛《せいしゆく》だった。ただ先生の澄んだ声だけが淀みなく流れていた。
孝二は突然、肩を突つかれて振り向いた。町内の役員らしい中年女性が、紙片を孝二に手渡してその場を立ち去った。
「入口の柱の下に坐っている黒い服の女性に注意してください」と書いてあった。孝二は紙片をさらっと読んで、それを無雑作にポケットに捩じ込んだ。何のことだか、意味が分らなかった。
先生の話は淀みなく続いていた。孝二は気づかれぬように、そっと入口の柱の方に視線を移し、危うく声を出すところだった。黒い服の女性は、彼岸の嵐の日、医学部の玄関で見た色白で一重瞼《ひとえまぶた》の女性だった。
「偶然の重なることってあるもんだ」
孝二は昂《たかぶ》る心を押さえて平静を装ったが、いつまでも動悸が収まらなかった。先生の話が終って拍手が会場に鳴り響いたが、孝二はうわの空だった。
その晩、孝二は下宿のおばさんから、黒い服を着た女性の家庭環境や素性を聞いた。
「高い塀を巡らした大きな家なんだよ」と、おばさんは話し出した。
「戦前はあちこちに土地もあったらしいけどね、長男の正也さんが人が好いというのか、今の奥さんは三人目なんだよ。そんなこともあって、すっかり売り払ってしまったっていう噂なんだよ」その下に結婚している姉が一人いて三人兄妹だということだった。マサ子は女学校を卒《で》て、はじめは銀行に勤めていたが、今は北大の文学部の事務室で働いているという。
「良く働く、今どき珍しい娘さんだよ」
下宿のおばさんは力を入れて褒めちぎる。孝二は聞きながら、「嵐の日」のことも、「文学講演」のことも、考えれば考えるほど不思議だった。
「どうもおかしい」
孝二は腕を組み頭をねじって、「罠《わな》かも知れない」と呟やいた。
「みんな先生の結婚を心配してくれてるんだよ、もっと素直に感謝しなくてはね」
おばさんは窘《たしな》めるように言った。
「結婚はまだ早いですよ」
孝二は煩わしい難問から逃れようと、口実を作って身をかわしていたが、男の少ない戦後とはいえ、周囲からの勧誘は思いのほか激しかった。
それから十日ほどして、孝二は校長室に呼び出された。
「昨日、中の島の山田さんという方《かた》がお見えになってね、君の勤務ぶりを聞いてゆかれたよ」
西山校長は晴れやかな顔で笑いながら言った。
「ところで、僕も頼まれている処があってね」
校長は屈託なく声を弾ませて笑った。
(校長室で結婚話とは暢気《のんき》なもんだ)
孝二はそう思いながら部屋を出た。
14
母から手紙が来た。
「札幌ハモウアキダソウデスガ、十勝太モアキアジガトレハジメ、ムギノトリイレモオワッテ、イモホリニトリカカッテヰマス。
ケッコンバナシガモチアガッテヰルソウデスガ、イイ女《ヒト》ガヰタラ、シリゴミシナイデ、ハナシヲススメナサイ。孝二サエウマクユクナラ、十勝太トハエンヲキッテモイイトオモッテヰマス。
イマ、ミンナハ、孝二ノシアワセヲネガッテヰルノデス。
オジイチャンモ、オバアチャンモ、孝二ヲマモッテクレテンダカラ、キットウマクユクトオモイマス。ドウカイイヨメサンガサズカルヨウニ、札幌ノホウニフクカゼノカミニ、テヲアワセテイノッテヰマス」
孝二は読み終って大きな溜息をついた。みんながこの縁談に賛成していることや、母の気づかいが嬉しかった。しかし孝二から見ると、格式が高く思えるこの結婚は、どう考えてもうまくゆきそうになかった。
突然、階下に騒々しい声がして、
「上尾先生、お客さんですよ」
おばさんの呼び声がした。孝二が急いで階段の降り口までゆくと、おばさんが幸吉を伴って階段を上がってきた。
彼は十勝太部落会長の息子で小学校の同級生だった。彼は旭川工業高校を卒《で》た後、札幌H新聞社の印刷工として働いていた。
「やあ、元気かい」
幸吉は右手をあげて陽気に言った。
「実は今度の日曜日に小学校時代の恩師高畑先生が札幌に出てくるので、先生を囲んで同窓会をしようと思うんだよ」
彼は「今度こそ、ぜひ出席してくれよ」と言った。
「同窓会?」
孝二は天井を見上げ、「今度の日曜日は生徒と約束があるので」と渋った。
「前にもすっぽかしてんだからな、無理してでも出てこいよ」
幸吉は眼を剥いて声を荒げた。だが、孝二は返事をしなかった。
「おめえはいつも口実を作ってはぐらかしてきた。後輩の武雄や信二も楽しみにしてんだからな、今度はそうはいかんど」
「クラブ活動の大事な用事なんだよ」と、孝二は穏やかに言った。
「どうせ、欠席の口実に決まってんだ」
感情の激しい幸吉は怒りに燃えて、体をがたがた震わせた。小学校の頃と少しも変ってはいなかった。
「俺たちの計画に賛成できんのか、イヌの癖してな」
彼は孝二を苦々《にがにが》しく睨みつけた。
「イヌだと! とっとと帰ってくれ!」
二人は重く沈んだ部屋の中で、しばらく睨み合った。
「世の中を甘く見んなよ、身元をばらしたらどうなると思う?」
彼は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「近いうちにまた来るからな、ようく考えておけ!」
幸吉は顎をしゃくり上げて言い、障子をぴしゃりと締めて出て行った。
「嫌なやつだ」
アイヌを眼の前にちらつかせて脅《おど》しをかける汚いやり方が癪《しやく》だった。
「彼らの罠《わな》にかかってたまるか」
孝二は最後まで出席を拒《こば》もうと、改めて自分に言い聞かせた。
幸吉が帰った後、孝二が洗面所で髭を剃《そ》っていると、
「先生、真面目に考えてくださいよ」
下宿のおばさんが、結婚についていつまでも煮えきらない孝二の態度に腹を立てて言った。しかし、孝二とて決して不真面目に考えているわけではない。彼は床の中に入っても寝付けない夜が多かった。いつも母サトが夢に出てきて、彼が和人の仮面を脱ぎ捨てたのも知らずに、「どこまでも|しら《ヽヽ》を切れ」と言い続けた。だが、|しら《ヽヽ》を切ることとアイヌの誇りを堅持することとは、どうしても結び付かなかった。
「どうにでもなりやがれ」と言って、孝二はもう何遍となく、この問題にケリをつけたはずだった。しかし結婚話は、下宿でも職場でも煽り立てられてますます大きくなり、脱いだ筈の仮面がふたたび襲いかかってきて、もう部屋の中にじっとしてはいられなかった。
日曜日の昼過ぎ、孝二はぶらりと下宿を出た。どこへ行く当てもなかった。札幌の街を抜けると、そのまま石狩海岸の方に向かって歩いた。彼は考えごとをするとき、いつも歩きながら考え、考えながら歩いた。一日じゅう歩き続けることもあった。
石狩街道のポプラ並木にさしかかると、北の空に暗雲が渦巻いて大粒の雨が吹きつけてきた。孝二はレインコートの襟を立て、茨戸《ばらと》湖畔を右手に見て石狩街道を前のめりの姿勢で歩いた。
「こら、卑怯者、身元を隠して結婚するとは、とんだ詐欺師《さぎし》だ」
突然、群集が茨戸湖の方から、こっちに向かって押し寄せて来た。孝二は首を縮めて後退《あとずさ》ったが、群集の正体は茨戸湖に遊んでいた真鴨の群れだった。
「詐欺師が何だと」
孝二は舌打ちをして、頭をぶるんと震わせた。「嘘はもう止《よ》そう」と堅く心に誓いながら、そこから抜け切れないでいる自分が情けなかった。もうこうなったら、どう言われようとも、「俺は花巻出身の和人なんだ」と、どこまでも|しら《ヽヽ》を切ってやる。
「そんな馬鹿な、お前は紛れもない十勝アイヌ、和人だけでなく、自分自身をも欺瞞《ぎまん》した不埒《ふらち》な奴《やつ》、恥を知れ」
ごうごうと雨を孕《はら》んだ風が吹きつけ、暗黒の空の彼方からその声は聞こえてくる。
「何が不埒だ、欺瞞は和人たちが先なんだ」
孝二は呻くように呟やく。コシャマインの戦いも、シャクシャインの戦いも、その終末はいつも和人たちの騙《だま》し討ちだった。漁場に狩り出された強制労働も、川岸から山中に追われた強制移住も、みんな和人たちの欺瞞だった。その和人たちが、いま俺の「結婚詐欺」を罵しって騒ぎ立てる。
「だが、俺たちは身をくらまし、和人社会に紛れ込まねば、生き延びれなかったんだ」
孝二は、暗雲の渦巻く北の空に消えてゆく真鴨の群れをぼんやりと眺めていた。河口の灯台が見えてくるころ、雨はいよいよ激しく横なぐりに孝二の顔を打ちつけてきた。レインコートの裾をがばがば音をたてて叩きつけてくると、彼は慌てて川岸の納屋に飛び込んだ。納屋の中は薄《うす》暗かった。
彼はずぶ濡れになったレインコートを脱ぎ、板の上に腰を下ろして一服した。嵐はいよいよ激しさを加えて吹き荒れた。納屋はぎしぎし軋み、半ば朽ち果てた板壁はばたばた鳴り響いて、今にも剥《は》がれそうだった。
歩き疲れた孝二は筵《むしろ》にくるまって横になった。嵐は地の底から、ど、どど、どっと響いてくる。
「こら、アイヌ野郎、同窓会に顔を出さないと何もかもバラしてやる」
傲慢な幸吉が眼の前に立ち塞がる。他人《よそ》者には|しら《ヽヽ》を切れても、同郷の幸吉にはどうしても身をかわすことが出来ない。
「さあ、出席するかしないか、きっぱり言え」
幸吉たちはまるで|ごろつき《ヽヽヽヽ》だった。
「嫌だ、嫌だ」
孝二は頭を振り続けた。
陽が落ちて戸外は闇に包まれたが、嵐はますます激しくなるばかりだった。青白い閃光が辺りを照らし出し、雷鳴が轟いた。
「うんと降れ、うんと降って何もかも洗い流してしまえ」
孝二は閃光が納屋の中を走り抜けるたびに瞼をしばたたいた。このまま何日でも、薄暗いこの納屋に身を隠していたかった。
明け方だった。音もなく白髪の老人が孝二の枕元に立った。
「ユーカラではシサム(隣人)を欺《だま》せとは教えなかったぞ、アイヌの誇りを踏みにじったお前たち親子の罪は重い。夜が明けたら急いで札幌に帰り、シサムやウタリに神妙に謝罪せよ」
老人はこう言って姿を消した。
翌日、昼近くなって、戸を開ける音と光りで眼を覚ました。納屋の戸口に同僚の仲畑と花田が立っていた。
「責任感の強い上尾先生が無断で居なくなったもんだから、下宿のおばさんが、すっかり動転してしまって」
「おばさんは警察に捜索願いを出した足で学校へ飛び込んで来たんだよ」
仲畑が息を切らして言った。学校では、石狩、手稲《ていね》、定山渓《じようざんけい》の三方に手分けして、今朝早く探しに向かったという。
「とにかく無事でよかった」と、花田たちは何度も同じことを言って、孝二の無事を喜んだ。
「嵐に襲われたあげく、すっかり疲れてしまって」
孝二は憔悴《しようすい》していた。
みんなが石狩バスに乗って札幌に帰ってくると、下宿のおばさんが停留所に迎えに来てくれていた。おばさんは手を振って、わが子のように暖かく迎えてくれた。孝二は学校に顔を出して、すぐ下宿に戻った。おばさんが食事を作って待っていた。
「昨夜の嵐が嘘のようだ」と、おばさんが言った。
「この前来た兵藤幸吉がね、オートバイに乗ってきて、上尾先生を出せ、と言うんだよ」
おばさんは、昨夜の思いをどっと吐き出すようにしゃべった。
「先生を出すまで動かんと言ってね、玄関先でエンジンをぶるんぶるんとふかし続けるんだよ」
「中の島の交番に電話して巡査に来て貰って、やっと追い払って貰ったんだよ」
おばさんは溜息といっしょに、「ごろつきみたいな、あんな男」と言った。孝二は話を聞きながら、幸吉のやりそうな事だと思った。そして、いきり立った幸吉が、上尾孝二なる人物がアイヌであることも言わない筈はないと思ったが、おばさんはそのことに関してはひと言も触れなかった。
15
石狩海岸の納屋で夜を明かした孝二は、その後、床に入っても寝つけない夜が続いた。モンスパとサトが夢の中に出てきて、「いい嫁っこだによ、逃がしてならんど」と言う。父の周吉はいつも横座で腕組み、丹前をひっ被って蹲《うずくま》っていた。
「アイヌに渡すな」
戸外で和人たちの喧騒な声がする。「幸吉だな」と思った。周吉は外へ飛び出して行ったが、入れ代わりに腕節の強そうな和人たちがどっと家の中へ踏み込んで来て、孝二の体を上からぎっと押さえつけた。孝二は逃れようとして懸命に※[#「足+宛」、unicode8e20]《もが》き、大声を上げて助けを求める。
「卑怯者ども」
夜半、孝二は汗びっしょりになって床の上に坐り、玉のように吹き出る汗を拭《ぬぐ》う。
「昨夜も悲鳴のような唸り声をあげて、階下《した》まで聞こえてきたんだからね」
翌朝、おばさんが心配そうに言ったが、孝二にはうなされる原因が分っていた。
「マサ子さんに会って、直接話したいことがあるんです」
孝二は改めておばさんに頼んだ。山田マサ子に会って、腹にたまった欺瞞の数々を、みんな吐き出してしまいたかったのだ。結婚の事は初めから諦めての事だった。
翌日の夕方、藻岩山の空が赤く染まる頃、孝二とマサ子は豊平川の堤防を歩いていた。彼女は文学講演のとき着ていた黒のワンピースに黒のハイヒールを履いていた。二人は幌平橋の袂《たもと》に腰を下ろした。川風が静かに吹いて、おだやかな夕凪ぎだった。
「僕、十勝出身のアイヌなんです」
孝二は言葉を噛み砕くように訥々《とつとつ》と言った。
「アイヌ?」
マサ子は反射的に復唱したが、そのまま重苦しい沈黙が続いた。
「アイヌ差別が怖《こわ》くて、つい嘘をついてしまったんです。はじめて家を出るとき、『身元を隠せ』というのが両親の強い戒めでした。でも、今になって考えてみると、それが自分を堕落させ、ついには嘘の上に嘘の上塗《うわぬ》りをする結果になってしまいました」
孝二はうなだれて、力なく言った。
「身元を隠してまで」と、マサ子は言いかけて言葉を切った。
「だから、この話はなかったことにして下さい」
幌平橋の街灯が川の流れに映えて、夕闇が迫っていた。
「明日は、あなたの家に結婚の返事をすることになっています。僕の素性を明かして、ご両親に詫びるつもりです」
孝二は、自分の頭の中で構築されようとしていたもうひとつの欺瞞が、音をたてて崩れ落ちていくのを感じていた。
二人は中の島街道のバス停前で別れた。孝二は山田マサ子が一歩一歩闇の中に消えてゆくのをぼんやり眺めていた。
「何もかも終った」
彼は口の中で、力なく反芻《はんすう》した。
山田正太郎の家は中の島の高台にあった。木造二階建ての古風な建物で、周りは高い石塀を巡らしていた。孝二は玄関で立ち止まると、屋敷の広さを確かめるように、改めて四囲を眺め回した。背の高い赤松や太い|おんこ《ヽヽヽ》の木があり、李《すもも》の木には熟《う》れた実がたわわに実《みの》っていた。半月ほど前に、正太郎に逢いたいと言われ、山田家を訪れてから二度目の訪問だった。
ベルを押してしばらくすると、玄関の引き戸が開き、中から痩せぎすの母親が顔を出して、「お待ち申しておりました」と、丁寧に頭を下げた。
孝二は案内されて客間に入ると、間もなく和服姿の山田正太郎が入って来た。孝二は山田正太郎の前に正座し、アイヌ差別が怖いばかりに嘘をついてしまったことを述べ、謝った。
「それは困ったな」と、やや青ざめた顔をして正太郎は言った。二人の間には気まずい沈黙が続いた。
マサ子の母親がお茶とお菓子を載せた盆を持って入って来た。孝二は母親にも同じことを話して詫びた。
「まあー」彼女の顔色も蒼白だった。
「おまえは下がっていなさい」と、正太郎が命じた。
「先日お伺いして、あなたに好感をもった。それはあなたがアイヌでも朝鮮人でも変ったりはしません。しかし君の姑息《こそく》なやり方が気に入らない。君は和人を欺いたばかりでなく、自分自身をも欺き、アイヌ民族の誇りを放棄してしまった」
山田正太郎は座卓に右肘をつき、眼鏡の上縁から睨みつけるように、しかし穏やかに言った。孝二は脳天をがんと殴られる思いだった。
「あの北大の知尾真佐雄先生は、いつもアイヌの誇りを持って、実に堂々たるもんだ。周りの中傷や差別の声にはいっさい耳をかさず、いつもベレー帽を被ってにこにこして街を歩いている。姑息で陰気な感じはどこにもない」
うなだれた孝二の頭は膝の間にますます深く埋まって行く。縁側の鳥籠でしきりにカナリヤが鳴いていた。
電灯が点《とも》る頃、孝二は山田正太郎の家を出た。太陽が手稲山にさしかかり、空は赤々と燃えていた。彼は真っすぐ下宿には帰らずに、豊平川の堤防の方へ向かった。下宿のおばさんに会うのがつらかった。
孝二は夕方の川風に吹かれて堤防の砂利道を、ただぼんやり歩き続けた。ときどき岸の草陰から鴨が飛び立ち、風を切って闇の中へ消えて行った。幌平橋や南九条橋の街灯が川面に映えてゆらゆら揺れている。十勝川の狐火のようだ、と孝二は思った。
川向こうの原野に灯ったたった一つの狐火が、見る見るたくさんの灯に増え、それが行列をつくって川岸に近づいてくると、赤い狐火が川面いっぱいに広がるのだ。
「狐火だあ」と言って、孝二たちは原野の見える窓辺に群がる。
「狐火は『狐の嫁入り』なんだよ、一番大きな灯が嫁さんで、その次に大きいのが婿さんなんだよ」
子供たちは嫁さん火を探そうと、わいわい騒ぎたてる。
「お前たちだって、嫁に行く時には盛大に送ってあげるよ」
サトは子供たちに言って聞かせた。だが、あれから二十年を経て、嫁ぐ者が出てきたが盛大な結婚式はひとつもなかった。トミエもトヨ子も、相手はみんな本州から流れてきた出稼ぎ漁師で、結婚式といってもコップ酒を汲み交わす簡素なものだった。
「婿の亀太郎も佐次郎もこの界隈きっての働き者だ、運が回って来たんだ、こんだあ孝二の番だど」
サトは意気込んでいた。
だが、「身元を隠せ」と教えられてきた孝二は、それがいつの間にか身につき、安易な道を歩く卑怯な結果になっていた。しかし何もかも打ち明けた今の孝二には身を守る遮蔽物は何ひとつなく、アイヌ差別と素っ裸で立ち向かわねばならなかった。
孝二は歩き疲れてふらふらになって下宿に帰った。おばさんはまだ起きていた。彼は二階の自分の部屋には行かずに茶の間に入って行った。馬鈴薯の皮を剥いていたおばさんが、「こんなに遅くまで、どこにいたんだい」と言って、孝二を見上げた。その顔は土気色にくすんでいた。
「嘘を言っていて、本当に申し訳ありません」
孝二は膝をがっくり折り、声をつまらせて詫びた。
「いいえ、上尾先生の素性は幸吉というチンピラ男から聞いて知ってました」
おばさんは下宿人たちを気にしてひそひそ声で話した。
「わたし等は先生の味方なんだからね、あんなチンピラ男に負けてならんよ」おばさんは眼を吊り上げて言った。
「実は夕方、マサ子さんが見えられてね、アイヌであることは何も気にしてないんですって」
「しかし、ご両親は強く反対しています。僕にはもう結婚を口にする資格はありません」
「でも、マサ子さんは両親が反対しても、結婚するのはわたしですからって言うんですよ」
「特にお父さんの反対は固いようですから」
「そんな弱気でどうするの、本人がいいと言うのにさ」
おばさんは孝二の弱気に腹を立てていた。しかし、孝二の心は暗雲に閉ざされたまま、いつまでも晴れなかった。
山田マサ子の家を訪れてからちょうど一週間目の朝早く、孝二はおばさんの呼び声で目を覚ました。紺のレインコートを着た山田マサ子が玄関先に立っていた。孝二は眠い目をこすりながら、下駄をつっかけて外に出た。彼女も腫れぼったい眼をしていた。
「頑固な父がやっと許してくれました。結婚して、どうしても駄目な時は離婚という方法もあるんですから」
彼女は躊躇《ちゆうちよ》なく、きっぱり言った。
「なるほど」と言ったまま、孝二は呆然とマサ子を見た。離婚覚悟の結婚とは、何という大胆な女性だろう。
山田マサ子が帰った後で、おばさんが孝二の部屋へ上がってきて、「縁があったんだよ、縁があれば駄目なものでもうまくゆくものなんだよ」と言って、自分の事のように喜んだ。
「でも、横槍が入るのはこれからだからね。口約束だけでは安心はならんよ、結納を取り交わさなければねえ」
一日も早い方がいい、とおばさんは言った。孝二はおばさんに促されて、さっそく家に手紙を書いた。娘婿に頼み、嫁方の親に挨拶がてら結納を持って来てほしいと頼んだ。娘婿の亀太郎は青森から渡ってきた漁師だから、旅は馴れているはずだった。
「孝二が札幌の和人の娘と結婚が決まったどお」
サトが手紙を頭上にかざし、サンダルを突っかけて大股で部落じゅうを駈け抜ける姿が眼に浮かぶ。
その日、孝二は亀太郎を札幌駅のホームに出迎えた。黒い背広にネクタイの亀太郎が、鮭のスケを持って汽車から飛び降りるなり、「孝二、ここだここだ」と、大声で叫んだ。逞《たく》ましい海の男の呼び声だった。
「鮭が大漁で休まれねえから、今夜の夜行ですぐ帰るべえ」と言った。
二人はタクシーで真っすぐ山田正太郎の家を訪れた。孝二たちは客間に案内されて正座した。真向かいにマサ子の両親が坐った。亀太郎は真新しいタオルで、吹き出す汗をしきりに拭《ぬぐ》った。
「いつも弟が世話になって有難うございます」と言って、亀太郎はかしこまって頭を下げ、持ってきた鮭をみんなの前に置いた。節くれた黒い手が背広の内ポケットから、金や銀の飾りの付いた大きな袋を取り出すと掌で皺《しわ》を伸ばし、「結納です」と言って、袋を両親の前に押し出すように差し出した。
「有難くお受け致します」
和服姿の山田正太郎は笑みを浮かべて受け取った。一瞬の緊張だった。
「さあ、帰るべえ」と言って、亀太郎は汗を拭きふき立ち上がった。山田夫人もマサ子もお茶を出す余裕もなかった。
「用事がすんで、のほほんとしてる阿呆《あほ》もなかべえ」
亀太郎は夫人たちの引き止めるのもきかず、先に立って玄関を出た。
16
孝二とマサ子は十一月十四日、中島公園の中にある護国神社で結婚式を挙げた。初めて仲人をする新田教授は何度も護国神社に足を運んで、失敗のないよう細かな打合わせをした。
十一月に入ると、木枯しの吹く寒い日が続いた。孝二たちは、顔の広い山田正太郎の世話で山鼻小学校の裏手にある三菱地所の寒冷地住宅に入居することになっていた。その住宅に孝二は結婚前に引っ越した。彼には家財道具は何もなかったが、マサ子の荷物が運び込まれると、殺風景な家の中はたちまち華やいだ風景に変った。
「いいお嬢さんと結婚できて、こんな素晴らしい家に住めるんだから先生は全く運のいい人だわ」
手伝いに来た下宿のおばさんが甲高い声で言う。
「みんなマサ子の幸せを願ってくれてるんだから、しっかり勤めるんだよ」
母親のタカヨがマサ子に言って聞かせた。手伝いのおばさんたちはマサ子が作ってきた海苔《のり》で包んだ握り飯を、「おいしい、おいしい」と言って食べた。
荷物が片付くと、もうすっかり落ち着いた気分だった。
結婚式の前日、札幌駅に下りたった両親と姉トミエとその亭主亀太郎の四人は、式場に近い中島旅館に向かって歩いていた。父周吉と亀太郎は黒い背広をまとい、大きなトランクを肩から前後にぶら下げている。
「足が痛くて」
父は娘婿《むこ》に借りてきた革靴が足に合わないと言って、途中で脱ぎ捨てて裸足《はだし》になった。
「山の中と違うんだからね」
トミエが父の脱ぎ捨てた靴を拾って、彼らの後からついてゆく。通行人たちが振り返って笑っている。
「早く靴屋に入れ、銭《ぜに》はいくらでもあるんだからな」
母のサトが先を行くトミエに呼びかけた。
「お父《とう》は式には和服を着るんだからな、いっそ足袋《たび》と下駄を買った方がええでねえべか」
トミエが振り向いて言った。
「靴でも下駄でも、とにかく店に入れ」と、サトは叫んだ。
トランクを肩からぶら下げた周吉たちは、後ろから来る女たちを待ちきれずに、道端の柵に腰を下ろしていた。
「何をぐずぐずしてるんだい。ここは札幌のどまん中なんだからな」
周吉は口を尖らせた。
「革靴を買うか、下駄を買うか」
ようやく追いついたサトが汗を拭きながら言った。
「革靴は、もうごめんだな」
彼はすり切れた踵をうらめしそうに眺めた。
周吉たち一行は、狸《たぬき》小路で桐の下駄と繻子《しゆす》の足袋を買った。
「バンとしたもんだ、これならどこへ出ても決して見劣りはしないべ」
周吉は声を弾ませて笑った。
十勝太の一行が中島旅館に着いたとき、孝二は先に来て待っていた。
「いろいろ厄介をかけてすみません」
孝二は旅館の玄関先で一行を出迎えた。みんな床屋へ行き、顔のすみずみまで磨《みが》かれ、さっぱりしていた。眉も形よく整い、髭《ひげ》も剃りあげて長い睫《まつげ》も短くなっていた。
「立派になったもんだ」
サトは背広姿の孝二をまじまじと眺めて目頭を押さえた。
「みんな孝二の出世を待ってんだからね。これからが、もっと大変なんだよ」
旅館の部屋に入ってからも、サトは孝二の身の上を案じて傍から離れなかった。
「姉妹たちが、みんな祝儀を弾んでくれたんだよ」
トミエが、みんなから預ってきた水引きで飾った祝儀袋をトランクの中から取り出した。
「土産は鮭だ」と、傍で姉婿の亀太郎が言う。チッキで送ったから今日じゅうには着く筈だ、と言った。
「明日一日、式が終るまでの辛抱だからね。何を聞かれても決して口を開いてならんど」
サトがお茶を啜りながら、みんなを見回して注意した。
「孝二がせっかくここまで這い上がって来たんだからね、ちょっとの失敗も許されんど」
みんなは張りつめた顔で、サトの注意を聞いていた。
「手紙にも書いたように、僕にはどうしても素性を隠し通すことは出来なかった。先方はもう何もかも知ってるんだから、自由に振る舞った方がかえって自然だと思うよ」
話の途切れるのを待って、孝二が横から口を入れた。
「いやいや、それはならん」と、サトは首を振って反対した。
「口では、自由とか平等とかうまい事を言うけどな、心の中では物の分んない野蛮人と思ってるんだよ。最後まで気を許してならんど」
サトはいっそう気を引き締めるのだった。
旅館に落ち着いたサトたちは、まんじりしている暇もなかった。嫁方《よめかた》の家や下宿のおばさん、仲人への挨拶回り、それに買物などがあった。孝二を案内役として、十勝太から来た一行は二台のタクシーに分乗して札幌の街を走り回った。
「孝二がいつもお世話になって有難いことです。田舎者ですけど、これからも力を貸して下さい」
サトはどこでも同じ言葉を繰り返して最敬礼した。周吉はサトにくっ付いて、ただ厚い唇をもぐもぐさせ、何も言わずに頭を下げている。一行は玄関先で挨拶を済ますと、逃げるように玄関を出た。タクシーは豊平川沿いに走り、中の島から南二十条に出て、休みなく走り続ける。だが、晩秋の陽は短かった。挨拶や買い物を済ませて孝二の新居に帰り着いたときには、すでに陽はとっぷり暮れていた。
「偉い人ばっかりで息が詰まりそうだったわ」
サトは畳の上にべったり腰を落とした。
「みんな頭の低い人ばっかりで、わたしらにも丁寧にお辞儀をしてたよ」
トミエが感心したように言った。
「それがよけい怪しいんだよ。仕草《しぐさ》と心とは、まるで反対の場合が多いんだからね」
サトは気を緩めなかった。
「みんなその手に乗って、アイヌたちは肝心な肝《きも》まで抜かれてしまった」
彼女は機嫌が悪かったが、トミエはそのことより間取りが良くて住み易い寒冷地住宅の新居に関心があった。二重窓や床のタイル張りを羨《うらや》ましがって家じゅうを見て回った。台所の内室《うちむろ》や袋戸棚も気に入った。
「これなら、北海道にもってこいの造りだわ」
トミエは、いちいち亀太郎を呼び寄せて、便利な間取りを説明した。
「石炭庫が玄関の内側にあるから、吹雪が何日続いても安心だわ」
フローリングの床に横になっていたサトがもっくり起き上がって、「モンスパの夢を見た」と言った。
「モンスパが嫁っこの手を引いて西の空から飛んで来たんだよ。コタンの人々が丘の上に集まって、わいわい騒いでると、モンスパは『気だてのいい嫁っこだから、なんも心配すんな』と言って、嫁っこを丘の上に下ろして帰って行った」
サトは訥々《とつとつ》と思い出すように言い、「何もかも、モンスパが見守ってくれてんだよ」と、力強く言った。
「モンスパの遺骨のあるところはどこだ」
周吉が突然、奥の部屋から出てきて孝二に聞いた。
「北海道大学の建物の中だよ」
「頼んでも会わせてくれねえべか?」
周吉は体を前に乗り出して言った。
「前から届けを出して許可を貰わなければ、無理だと思うよ」
孝二は宥めるように言った。
「せっかく札幌に出て来たんだからな、出来れば線香の一本も上げてえもんだ」
「突然の事だもの、せめて婆ちゃのいる建物だけでも見たらええでねえべか」
頑固な周吉もサトも、トミエの意見に従った。孝二は行啓通りのタクシー会社に車を頼んで、北大に向かった。
街は真昼のような明かるさだった。途中、狸小路で花やローソクや線香を買った。街はまだ宵《よい》の口で、道を行き交う人の群も多かった。
「ここが大通り公園」「あれが道庁」、孝二はまるで観光案内人のように説明した。
北大の構内に入ると、徐行するように運転手に頼んだ。学部ごとに個性的な建物があった。構内には数多くの大樹があって農場のように広かった。医学部の北側で車を停めてもらった。
「この建物の中に標本室や骨倉があって、そこに婆ちゃんたちの遺骨があるんだよ」
孝二が先に下り立って説明した。
「でかいもんだ」と周吉が言い、「頑丈なもんだ」とサトが言った。
彼女たちは土の盛り上がったところに、花を供えローソクを立て線香を上げた。
「こんなところに火を点《とも》して、何をしてるんです」
運転手が車から下りてきて咎《とが》めた。
「決して怪しい者ではありません。実は婆ちゃんの遺骨がこの建物の中にあるんですけど、中に入れないので、ここで拝んでいるんです」
トミエが運転手に説明した。
「こんな頑丈な建物の中に閉じ込められてしまって、可哀そうに」
サトが泣き声を出した。
「今に孝二が偉くなれば、きっと十勝太に返して貰えるからな。それまでの間、我慢してくろよ」
彼女は傍にいるモンスパにでも言い含めるように言った。
「明日は孝二の結婚式だ。偉い先生や金持ちが大勢来るけど、万事うまくゆくように見守ってくろ」
サトは言いたいことが山ほどあった。だが、出発を催促する警笛がうるさく鳴り出した。トミエが水筒の水をかけて火を消し、それを紙袋の中に詰め込んだ。
17
結婚式の日は寒空に雪がちらついていた。式場の護国神社は孝二たちの新居から歩いて十五分の処にあった。
黒い背広を着た孝二は、みんなよりひと足先に式場に入った。式場には紅白の幔幕が張りめぐらされ、白の小袖に朱色の長袴をまとった巫子《みこ》たちが神楽《かぐら》の流麗《りゆうれい》な笛や鉦《かね》を奏《かな》でている。
神主の祝詞《のりと》が始まって間もなくだった。突然、周吉が椅子から転げ落ちた。
「どしたべか」と、サトがびっくりして振り向いた。山田家の人々の視線がいっせいにこっちを見る。だが、誰も笑わなかった。亀太郎があわてて抱き起こすと、周吉は眠そうな眼をこすって、「ここは何処だ」と言った。
「寝ぼけるな、馬から振り落とされたか」
サトは声を噛み殺して言った。
「モンスパの『夫婦《めおと》の歌』が遠くから聞こえてきたと思ってるうちに、急に眠くなって」と、彼は頭をぶるんと震わせて、ひそひそ声で言った。
「モンスパも喜んでくれてんだよ」
式場はふたたび静寂にもどって、式次第は順調に進行した。
式の終りに仲人の新田教授夫妻が両家の中央に立ち、紙片を見ながら、出席者の紹介をした。名前を呼ばれる度に、ひとりひとりが立ち上がり、「よろしくお願いします」と言って、頭を下げた。和服をまとった上尾周吉は、棒のように突っ立って、「孝二は浜育ちだからな、魚ばいっぱい食わしてけれ」と言って、頭を下げた。
「そんなよけいなこと」
サトが眼を剥いて周吉の袖をひっぱった。口を押さえ、くっと笑いをこらえる者もあった。
会場に和《なご》んだ空気が流れ、ふたたび巫子たちの笛や鉦が奏でられて式は終った。簡素な式だった。披露宴は後日、日を改めて行なうことになっていた。
その晩、十勝太から来た一行は夜汽車で帰って行った。孝二とマサ子は一行を見送ってから、まっすぐ新居に帰った。家に帰ると、孝二は椅子の背にもたれて、「まるで一週間も徹夜したようだ」と呟やいた。
結婚話が持ち上がってから、わずか三カ月でこんな結果になろうとは想像もしていなかった。
「君のような腑抜けた青年に娘はやれないと言われた時には、結婚は勿論、人間としてもすっかり自信を失ってしまったよ」
「父は頑固で、一度言ったらもう駄目なんです」
「そのお父さんを説得したんだから頭が下がるよ」
「縁があったんだよ。よかった、よかった」
マサ子が下宿のおばさんの口真似をして笑った。
「僕の故郷は十勝川の河口だから、子供のときから鮭を食べて育ったんだよ」
孝二は十勝太から送ってよこした荷物をほどきながら言った。
「切り身しか買ったことがないので」
彼女は傍に立って見つめている。銀鱗の巨体が現われると、「わあっ、すごい」と言って、子供みたいに歓声を上げた。
「みごとな鮭」
箱の中から塩蔵鮭が取り出されるたびに、彼女は溜息をついたり、歓声を上げたりして眼を輝かせた。鮭は二十尾あった。孝二は一尾ずつ綺麗《きれい》に洗って荒塩を落とし、それを台所の天井から吊り下げた。
「鮭の大群が遡《のぼ》って来たようね」
孝二たちはいつまでも眺めていた。
終電車がごとごと重い音を立てて通り過ぎた。十勝太では今ごろ夜なべかもしれない、と思った。初雪が来るころになると、十勝川に川柳魚《ししやも》がどっと遡《のぼ》ってくる。それを夜遅くまでかかって目刺しにする。
一連に四十尾ずつ通し、それをさらに藁縄《わらなわ》に十連ずつ吊るし、軒端に下げて乾すのである。父がマキリで蓬を研《と》げば、母たちが一尾ずつ鰓《えら》を蓬に通してゆく。目刺しは朝早くから、夜更けまで続けられた。目刺しが乾し上がったら、孝二の処にも送って貰える筈だった。
「十勝川に遡上《そじよう》する川柳魚《ししやも》の大群は見事なもんだ」
突然、川が膨《ふく》れ上がって、ぷちぷち煮立ちはじめると、しゃあしゃあ驟雨《しゆうう》のような音を立てて川面いっぱいにさざ波を立てて遡《のぼ》ってくる。
「櫂《かい》を立てても倒れない、というくらいだから驚きだよ」
孝二は得意そうに言い、マサ子は眼を丸くして聞き入った。
「十勝では鮭漁や川柳魚《ししやも》漁が終ると、長い長い退屈な冬がやってくる。冬の主食は馬鈴薯で、薯のごろ煮、薯ダンゴ、薯粥《いもがゆ》など、いろいろ工夫して食膳を飾る。食糧だけでなく、着物でも継《つ》ぎ接《は》ぎだらけで、もとの生地《きじ》が見えなくなるまで着る。だから街の人とは生活の仕方がまるで違うんだ」
札幌で生まれ札幌育ちの彼女は、声も出さずに息をつめて聞き入っている。
戸外から突然、夜なきラーメンのチャルメラの音が聞こえてきて、二人は耳を立てて微笑する。
「腹の虫がぐうぐう鳴って」
孝二はアルマイトの小鍋を持って夜更けの街へ駈け出して行った。
新居から職場までは、わずか五分のところにあった。だから、昼食を家で食べることもしばしばあった。登校下校の悪童どもが、奇声を発して通って行く。朝起きてみると、パチンコ店や商店の開店祝いの花輪が玄関先に置いてあったりする。だが、孝二は新婚の甘美な生活に浮かれてはいられなかった。結婚のために途絶えていた図書館通いを一日も早く呼び戻して、張りつめた第一歩を踏み出したかった。
18
母のサトはユーカラが好きだったが、『キング』だとか『主婦の友』という名の雑誌に出てくる小説はもっと好きだった。
吹雪の日、サトは近所の人たちを集めて小説を読んで聞かせる。聞き手は、おかしい時には転げ回って笑い、悲しい時には声を上げて泣いた。
「雑誌を買う銭《ぜに》があったら、腹の足しになる物でも買ったらよかべ」
周吉は口を尖らせたが、「これだけが、たったひとつの楽しみなんだからさ」サトは周吉の反対を押し切って、雑誌を買い求めた。
「菊池寛や吉屋信子は、立派な小説を沢山書いた偉い作家なんだよ」
孝二は子供の頃の記憶をいつも胸に抱いて成長した。虐《しいた》げられてきた恨みが常に腹の底に疼《うず》いていたが、大学時代、文学を学んできた彼には小説の難しさも分っていた。
「小説なんか、そうたやすく書けるものではないさ」
「名を成すのは何千、何万人に一人だからな」
同僚たちの会話を聞きながら、孝二もそう思って決して口には出さなかったが、いつか小説を書きたいという思いを抱き始めていた。
「そのうち運がめぐって来《く》れば、きっと機会が来るさ」
孝二は何度も自分に言い聞かせた。
孝二が専門学院から進んだ東京の私大を卒業して、札幌に帰って来た頃、北海道では文学の新風が吹きまくっていた。北大に文学部が新設され、東京から有名な教授たちがぞくぞく入って来た。同人誌がいくつも創刊され、街では文学講演会が始終開催された。
孝二は結婚して間もなく、『北都文学』の主宰者である秋山準一の家を訪問した。
「同人になれるかどうかは、作品を見てからでないと分らんよ」
上がり框《かまち》に立った秋山が反《そ》り返って言った。それから一カ月ほど経って、孝二は二十枚ほどの短編「馬と海霧」という作品を持って、ふたたび平岸リンゴ園の中にある秋山の家を訪れた。
「馬と海霧」は、愛馬のサラブレッドをふとしたことから死なせてしまい、そのかわりに雑種ペルショロンをサラブレッドに変えて大金を手に入れる、という話である。
秋山準一は玄関で作品を受け取ると、上がり框で作品を読み始めた。その間、孝二は玄関の隅に立って待っていた。
「小説らしい雰囲気は出ているが、まだまだ幼稚だね。主題もぼやけているし、擬音が多くて、これでは小学生の作文だよ」
秋山準一は肩で笑って、上から蔑《さげす》むように見下ろした。
「でも、どうしても同人になって勉強したいというなら」と、彼は大仰に体を揺すって笑った。
「下手でも入れてくれるんですか」
「将来に希望を託してということでね」
秋山準一に許しを得、同人になった孝二は胸を膨《ふく》らませて帰った。それにしても、「主題のぼやけている小学生の作文」と決めつける傲慢とも思われる言葉に、孝二は家に帰っても胸糞が悪かった。
孝二はその日から小説を書き始めた。サトが喜ぶような小説が書きたかった。孝二の書く素材は子供の頃の懐しい「凧」「自転車」「牛乳運搬」など、身近かなものばかりを選んだ。孝二にとって書くことは、子供の頃を懐しむ楽しい童謡だった。書く事と歌う事は同じだったから、彼はいつも歌のリズムに乗せて書き、書くリズムに乗せて歌った。
同人誌が出来上がると、合評会があった。『北都文学』は歴史が古かったので、年輩の同人が多かった。
「これは、まるで童謡だよ」
五十がらみの新しい背広を着込んだ小林光雄が、唇に笑みを浮かべて言った。
「小説と童謡とは発想から違うんだよ。小説は物語の真実を描くものだし、童謡はその中から抽象化した夢を凝縮して歌うものなんだよ」
秋山準一は禿《は》げあがった額に手を置いて天井を見上げた。孝二は秋山の説明を聞きながら、「はい」と言って頭を下げた。反論する勇気もなかった。
合評会はいつも秋山準一の家で飲みながら行なわれ、彼の司会で進められ、彼の自慢で終了した。
まだ宵《よい》の口だった。孝二は同人仲間たちと平岸街道をとぼとぼ歩きながら、「どうしても童謡になってしまうんだよ」と、自分に愛想《あいそ》を尽《つ》かしたように言った。
「僕はいい作品だと思うけどな」
西尾健太郎が肩を叩いて孝二を慰めた。彼は同人誌の会計を受け持っている若者だが、温和な性格で同人仲間にも信望があった。
「だけど援護射撃は全くなかったもんな」
平松民雄が口を尖《とが》らせた。
「秋山さんに逆《さか》らおうものなら、即刻破門だからな」
西尾が言うと、みんながどっと笑った。孝二は秋山準一の横暴を改めて思い知らされた。作品の掲載も全国同人誌賞の推薦も、すべて秋山が決めるという。
「内規を作って複数で決めるようにした方がいいよ」
西尾の意見にみんなは賛成したが、平岸街道のバス停に来て話はそこで途切れた。孝二は月寒《つきさむ》方面の同人たちと別れ、山鼻行きのバスに飛び乗った。
毎月、中央の文芸誌『文学界』には同人誌評が載った。全国の同人誌の中から秀作を取り出して論評するのである。小松伸六、久保田正文、林富士馬等、専門の文学者たちの批評だった。
「全国同人誌のベスト五に入ったんだから立派なもんだよ、童謡とはどこにも書いてなかったぞ」
電話の向こうから西尾の甲高い声が聞こえてくる。
「うちの同人誌の上半期の推薦《すいせん》は上尾先生に間違いないよ」
「まだ、まだ――。たとえ推薦されても全国となればレベルも高いし、カスリもしないよ」
孝二ははにかんで言うのだったが、しかし、上半期にも下半期にも推薦の声はかからなかった。
年が明けて間もなく、『北都文学』二十号合評会が秋山準一の家で行なわれた。
「小説としては面白いが、アイヌ問題はすでに過去のことで現実には実在しないんだからな」
小林光雄が頭をひねった。
「時代はいつなんだい」と、秋山準一が訊いた。
「現代です」
孝二はむっとして言った。
「ほう、差別がねえ。しかし、現代の差別と言われているものは、殆どがアイヌたちの被害妄想なんだよ」
「差別は現在でも歴然として存在しています」
孝二は声を荒げた。
「同化してしまった現在、虚像でしかないアイヌたちが差別されるとは、どういうことなんだい」
「アイヌ差別は実像だということです」
「消滅してしまったアイヌに差別なんかあるもんか」
秋山準一はアイヌ差別問題を上からぴしゃりと叩き潰してしまった。
孝二は「アイヌは消滅なんかしていません」と言って立ち上がったが、誰ひとり取り合ってはくれなかった。
その晩、孝二は芥川賞受賞作家八木沼浩平に手紙を書いた。彼は室蘭出身で、現在は横浜の鶴見に住んでいた。「作品を見て欲しい」という懇願の手紙だった。
かつて、孝二は大学の卒論を書くため、「生まれ出づる悩み」の主人公のモデル木田金次郎を岩内に訪ねたことがあった。孝二が訪ねる一カ月ほど前、たまたま横浜から八木沼浩平が訪ねて来ていて、八木沼はその時の様子を「漁夫画家」という作品にして『文学界』に発表していた。
孝二は「漁夫画家」を東京で読んだが、骨太く迫力のある文章に圧倒された。その時から、八木沼浩平に魅《ひ》かれた孝二は、彼の作品を手当たり次第に読み耽《ふけ》った。「劉広福《りゆうこうふく》」「私のソーニャ」「摩周湖」「海霧」……文章の中から北海道の香りが匂《にお》って来て、旧友と会ったような懐しい作家だった。
孝二が手紙といっしょに「密漁」という二十枚ほどの短編を八木沼浩平に送ったのは、一月の中旬だった。
彼はその日から返事を待った。しかし、一カ月経っても二カ月経っても音沙汰がなかった。
「当然だよな、多忙で高名な八木沼浩平が、下手糞な同人誌を相手にしていたのでは体がいくつあっても足りはしない」
返事を待つのはもうよそうと思った。手紙を出したことを後悔したり、もしかして返事がと思ったりして落ち着かない日が続いたが、しかし、孝二の文学修業はたゆまずに続けられた。彼は短編を書く傍ら、驚きの表現とか、悲しみの表現、滑稽な表現などを分類し、整理して大学ノートに書き込んだ。孝二は有島武郎の「カインの末裔」が好きだった。主人公の仁右衛門は、今土の中から這い上がって来たばかりの野性人だった。孝二は一字一字、噛みしめるようにして全文を書写した。
「やっぱりな」野性人と北海道の厳しい自然を描く有島の筆力に孝二は圧倒された。
六月に入って、八木沼浩平からの返事はもう諦めていた。その日は六月十五日で札幌祭りだった。いつもより早く学校から帰って来た孝二は、机の上を見て心臓が高鳴った。眼の前がぼあと霞《かす》んで一瞬何も見えなくなった。八木沼浩平からの返事が来たのだった。孝二は封筒を抱きかかえたまま、暫くの間|動悸《どうき》の落ち着くのを待った。マサ子がベランダに立ち、にこにこ笑いながら見つめている。
手紙には、「この調子で十年も書き続けるなら、きっと成功するだろう」「これからも見てあげるから、佳い作品が出来たら送ってよこしなさい」と書いてあった。孝二は読みながら、嬉しくて、有難くて、胸がわくわくした。
「自分だけの表現が必ずある筈です。それを見つけ出して表現するのが作家なのです」
手紙はこう結んであった。
彼は「密漁」についても、誤字や表現に朱筆を入れてくれていた。
「八木沼先生に作品を見てもらえるなんて、奇跡だよ」
二人はその晩、祝杯をあげた。胸が大きく膨らんでいた。
「ほんとに運が巡って来たんだよ」
この調子でゆけば、みんながそっぽを向く虐げられたアイヌの歴史だって、日の目を見ることがあるかも知れないと思った。孝二はその翌日から、八木沼浩平の教えを忠実に守り、人真似でなく、自分だけの表現をすることを心掛けて作品に取り組んだ。
19
その年の秋、孝二は修学旅行の生徒を引率して関西方面に出かけた。東京では自由時間が丸一日あったので、八木沼浩平を訪れる余裕は十分あった。
八木沼浩平の家は横浜の鶴見駅を降りて、すぐ眼の前にあった。孝二は電車を下りると、駅前の国道を東に向かって歩き、木造平家の建ち並んだ最初の家の前で足を止めた。格子戸の右上に八木沼浩平の標札が掛かっていた。彼はネクタイの結び目にさわってから、もう一度襟元を整えた。
格子戸は軽かった。手を掛けただけで音を立てて開いた。八木沼浩平が上り框に立って、両手を広げて迎えてくれた。痩せぎすで背が高く、眉が太く、頬骨の張った個性の強そうな顔をしていた。
「さあさあ、疲れただろう、上がって楽にし給え」
居間は広い板の間でピカピカ光っていた。孝二は中二階の書斎に案内された。六畳ほどの広さで、真ん中に四角い机がぽつんと置かれていた。簡素な中に落ち着きがあり、孝二は初めて見る「作家の書斎」に深い感動を覚えた。
「君もえらいものに取り憑《つ》かれてしまったね」
八木沼は笑いながら言った。
「期待に応えられるような作品が書けるかどうか」
孝二はおどおどしながら自信なく応えた。
「君の書くウツナイ原野も、そこに登場する動物も人間も羨《うらや》ましいくらい生き生きしているんだよ」
孝二は八木沼に元気づけられて嬉しかったが、保証のない文学の行き先の不安は計り知れなく大きかった。
孝二の故郷近くの池田町という小さな田舎町に「文士崩れ」がいた。小原文吉といって、若い頃は懸賞小説に当選して羽振《はぶ》りもよく、田舎町の名士だったが、今は「文士崩れ」の汚名を背負わされて、すっかり落ちぶれていた。
「筆が立つばっかりに町役場を止めてしまってな。今じゃあ、まるで乞食《こじき》だ」
「年中、夏服に夏向きの薄いレインコートだからな」
「冬物のベレー帽はないのかよう」
みんなの笑い者になっていた。
「僕は教師を続けながら書いてゆくつもりです」
「苦しい長い闘いなんだからね、腰を据えてやることだよ」
八木沼も孝二のやり方に賛成した。
「二足の草鞋《わらじ》が邪魔になることもあるが、君の場合は、それはもっと先の事だ」
八木沼はそう言って眼をつむったが、
「僕は戦地で芥川賞受賞の知らせを受けたんだが、帰還《きかん》してからは草鞋は一足に決めたんだよ」
二足の草鞋を履いていたのでは、集中力が分散してしまうという意味らしかった。戦後の苦しい時代を耐え抜いて来て、今なお、小説一筋に精進している八木沼の毅然《きぜん》たる姿が、孝二の眼の前に光り輝いていた。
「僕たちは、書く運命を背負わされているんだよ」と、八木沼はぽつんと言った。
孝二は八木沼浩平の、作品に賭《か》けるなみなみならぬ意気込みを肌に感じ、固い握手を交わして家を出た。
八木沼浩平と会ってから、小説に対する孝二の考え方が変った。それは、書く運命を背負わされて生まれて来た者とそうでない者との違いだった。母親だけの家庭に育てられた八木沼浩平は子供の頃から苦渋を嘗《な》めて育った。孝二はアイヌの子として差別の中で生きて来た。八木沼浩平は、それを書く運命として受けとめよ、と暗黙のうちに語ったのだと孝二は思った。
それから孝二は机に向かう時、「俺は書く運命を背負ってるんだ」と、いつも自分に言い聞かせた。
次に小学生の頃の嫌な思い出を素材にした作品「玉風の吹く頃」を書いた。
毎年、肌寒い四月早々に行なわれる身体測定では、和人たちの蔑《さげす》んだ白い視線が、じろじろ全身に突きささって来る。身長は目盛りの付いた柱に立って計るが、体重は重い分銅《ふんどう》のある竿計りで、ひとりひとり縄で編んだモッコの中に転がり込んで、分銅を動かして計るのである。孝二がモッコの中に転がった時に、その反動で分銅が跳ね上がって先生の足の上に落ちた。先生は烈火の如く怒り、孝二は罰として裸のまま長い廊下を何往復も走らされ、朝剃ってきた脛毛の傷痕から血が滲んでくる、という嫌な思い出を二十枚の作品に纏《まと》め、読売新聞社の「短編小説賞」宛に送った。選者は毎回代わっていたが、この時は武田泰淳だった。
応募してから数カ月がすぎ、木枯しが吹き荒れ、寒い日が続いていた。
「生徒の事故だな」
新聞社の旗を靡《なび》かせ校門を入ってきた車を見ながら、仲畑が言った。記者らしい男が車から下り、校長室へ入って行った。
「上尾先生、校長が呼んでます」
事務の吉川が職員室に呼びに来た。
「何だ、何だ」
生徒指導課長の森田が甲高い声で叫んだ。
「事故はどこだ」
先生たちは、新聞社の突然の来訪は事故以外に考えられなかったので、職員室の中は異様な空気に包まれた。そんな中を急いで職員室を出た孝二も何の事だか分らなかった。
校長室に入ると、記者らしい男が名刺を差し出して、「読売新聞社の戸川です」と言った。
「実は今日、東京の本社から上尾先生の作品が短編小説賞に入選されたので、作者の経歴などについて取材するようにと連絡がありました」
孝二は初めて事の次第を理解した。
「上尾先生にそんな勝れた才能があったのかい。おめでとう」
西山校長は手を差しのべて握手した。思いもかけぬ幸運だった。
「主人公の孝一が孝二だとすれば、上尾先生は、やっぱりアイヌなんだよ」
先生たちは作品の中身よりも、登場する人物の方に関心があった。
「下手な事は言えないぞ、書かれるからな」
森田は首をすくめた。
しかし、孝二は小説の事にはいっさい口を噤んで何ひとつ言わなかった。
母サトには、さっそく写真入りで掲載された新聞を送った。
マサ子も顔をほころばせ、心から嬉しそうだった。夕食の膳には孝二が好物のウニが載っていた。
「楽するために、街に出て来たんでないからね」
酔いが回ると、孝二は意気込んで言った。
「将来は、明治以降のアイヌの歴史を書いて見ようと思うんだよ」
「あなたならきっとうまくゆくと思いますよ」
二人は夜遅くまで語り合った。
同人誌『北都文学』から、年末の忘年会を兼ねた合評会の案内状が来た。
孝二は月寒《つきさむ》高校に勤めている西尾健太郎に電話をして、内規を作る相談をした。西尾は仲のいい平松民雄を誘って、三人で内規の骨子を作ることになった。
三人は豊平《とよひら》の喫茶店に集まった。
「民主的な同人誌にするためには、どうしても秋山準一の独断を許してはならんのだよ」
話は長い間|溜《たま》っていた西尾健太郎の愚痴《ぐち》から始まった。
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一、会費は会員が平等に納入する。
一、作品の掲載、同人誌優秀作の推薦は、会員の選挙によって選出された三名の合議に依って決める。
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「この二つは是非実現したいもんだ」
平松民雄は情を込めて言った。
「この機構改革案をどんな形で切り出すか?」
西尾健太郎は頭を悩ませる。
「僕は新参だし、切り出すのはやはり西尾さんだよ」
「僕だって苦手なんだよ。でも、民主的な運営はみんなの希望なんだから仕方がないな」
西尾健太郎は頭を掻きながら、なんとなく歯切れが悪い。
「駄目でもともとだよ、とにかく今のやり方に不満な連中が沢山居るんだからな」
平松はこの提案が無意味でないことを力説した。三人はうまくゆく事を願って別れた。
その日、秋山準一の奥座敷では忘年会が盛大に行なわれ、みんなは機嫌よく酔っていた。合評会が始まって間もなく、西尾健太郎は突然立ち上がって、「皆さんに御相談したいことがあります」と大声で言った。一瞬座は静まった。
「『北都文学』は秋山準一先生のご尽力で年々隆盛をきわめ、現在三十名の大世帯に発展しました。しかし、こう大きくなると、秋山先生おひとりでは負担が大き過ぎて運営もスムーズに行かなくなると存じます。そこで会の運営を合理化・能率化するために、機構を変えては如何《いかが》かと思い、皆さんに提案する次第であります」
西尾健太郎は汗を拭きながら坐ったが、発言の中味を知らない会員たちからは拍手がまばらにしか起こらなかった。
「機構をどう変えるんですか」
向こうの席から質問が飛んで来た。
「会費を平等に納入するとか、作品の掲載や推薦作の選考には複数で当たるとか」
西尾健太郎は何度も立ち上がって説明した。
「僕の選考では気に入らんと言うのかね」
気の短い秋山準一は早くも体をがたがた震わせていた。
「秋山先生が『北都文学』をここまで大きくされるには、リンゴの木を何本も注ぎ込まれたんだよ。先生が『北都文学』に賭《か》けた情熱は、それは大変なものなんだ。だから、作品の選考ぐらいでケチをつけるのはお門違《かどちが》いなんだよ」
小林光雄が額から湯気をぼうぼう吹き上げて言った。
「折角うまく運営してるのに、秋山準一で不満なら西尾君にやって貰おうじゃあないか」
向こう正面の同人席からも声が挙がった。孝二は聞きながら、最悪の事態になってしまった、と思った。
「西尾さんは、秋山先生の『北都文学』に対する貢献を十分認めた上で、今後の『北都文学』のあり方について民主的方法を考えているのですから、決して間違っているとは思いません。みんなでよく考えて見ようではありませんか」
孝二は立ち上がって西尾健太郎を援護した。しかし、この言葉が秋山を怒り狂わせる結果になった。
「若僧の分際で生意気な、今日限り破門だ!」
孝二は追い出されるように秋山家を飛び出した。そしてこの時を最後に、彼は二度と『北都文学』の門をくぐることはなかった。
20
ひと晩じゅう吹き通した風も朝になってようやく凪いだ。
札幌の雪は煙突から吐き出される煤《すす》にまみれて黒かった。その黒い雪をかき集めて雪像を造った。大通り公園の雪像造りは年ごとに盛んになっていた。札幌工業高校は昭和二十四年の一回目から参加して、この年で六回目をかぞえていた。
この年の札工の雪像はパリの「凱旋門」だった。生徒たちはスコップとモッコを持って集まった。一、二年は付近からモッコで雪を運び、三年生はそれを一段一段積み上げてゆく。凱旋門は巨大だった。いくら積んでも積んでも高くならなかった。
総指揮をしている建築科担当の半田が、設計図を片手に凱旋門の上に立って采配を振っている。だが、雪祭りの開催日が明後日だというのに、まだ半分しか出来ていなかった。
「今日は残業だ」と、半田が洟《はなみず》をすすりながら言った。
「そんな無茶な」
機械科担当の松山が口を尖《とが》らせた。
「作業の都合でやむを得ない措置なんだ」
「駄目だ、駄目だ」
松山は頑として応じなかった。
「どうしても協力できんというのか」
短気な半田は松山に殴りかかった。二人は組み合ったまま雪の中を転げ回った。
「やめ、やめ」
先生たちが集まってきて二人を引き離した。
「作業を続けろ!」
教頭の泉田が、半田に代わって凱旋門の上から大声で叫んだ。生徒たちはふたたび動き出した。
陽はすでに手稲山にさしかかっていて、授業時間はとうに過ぎていた。夕方になって寒気がぎっと身を締めつけてきた。濡れた軍手の先がかりかりに凍った。
一年生たちがバケツにお湯を汲んできた。生徒たちは凍った軍手をはめたまま、お湯の中に浸して融《とか》した。街灯が点《つ》くと、あたりが急に明るくなった。卒業した先輩たちが飴玉や熱い牛乳を持って陣中見舞いに訪れる。
「大雪像を造って、札幌市民を吃驚《びつくり》させてやるんだ」
腕章をはめた班長の三年生が先輩たちに説明する。生徒たちは飴玉を頬張って、ふたたび元気を出す。モッコを担いだ連中が掛け声勇ましく、跳ねるような足どりで雪像を登ってゆく。しかし、雪像はなかなか高くならなかった。
「雪集めが大変なんだよな」
大通り公園の向こう端から歩いてきた採鉱科担当の高橋がオーバーにくるまり、背中を丸めて寒そうに言った。彼は一年生を連れて、公園の隅々から雪をかき集めてはモッコで運んでいた。
「凱旋門なんか、だいたい無理なんだ」
高橋は吐き出すように言って、雪像の縁にどっかり腰を下ろした。
雪像造りも初めのころは雪ダルマや兎、狸ていどの小柄なものだった。それが年ごとに大きくなって、最近は授業を潰し、全校総出で大規模な雪像造りになってしまった。
北海道庁や国会議事堂があり、青函連絡船やD五一機関車があった。そして今年は凱旋門が現われた。生徒も先生も、どうしても完成させたかった。
「雪だ、雪が来たぞお」
生徒たちがうす暗い鉛色の空を見上げて叫んだ。大玉の雪が見る見る降り積もり、彼らはモッコを担いで走り回った。
「凱旋門は予定通りだ」
雪像の上に両股を開いてにょっきり立った総司令官半田は、洟《はなみず》を垂らし設計図を見ながら大声で叫んだ。しかし、作業はそれからさらに一時間も続けられ、生徒たちはへとへとになって家へ帰った。
「ばかでかい凱旋門を造ってるんだよ」
孝二は上り框に腰を下ろし、長靴を脱ぎながら言った。ストーブは音をたてて赤々と燃え盛る。
「今日の凍れは骨にしみたよ」
彼は和服に着替えて晩酌を飲み始める。
戸外ではぼたん雪が音もなく降っていた。
21
煤《すす》を含んだ雪は四月になっても解けずに、路上や家の北側にこびりついていた。泥んこ道は家から学校まで続いて、革靴はいつも泥だんごで膨《ふく》れ上がった。孝二は泥を捏《こ》ね回すように歩いた。
ようやく泥んこ道が乾くころ、こんどは馬糞風《ばふんかぜ》が吹く。冬じゅう路上に溜った馬糞が乾燥し、それが春風に乗ってもうもうと舞い上がる。眼も口も開《あ》いていられない。孝二は外から帰ってきて嗽《うがい》をした。
「拭いても拭いても、すぐ真っ白になってしまうんだから」
雑巾掛けをしていたマサ子が愚痴をこぼす。
家の南側に空地があった。畳二十枚ほどの広さだった。二人はここに畑を作った。孝二は鍬で、マサ子はスコップで土を掘り起こした。この辺りは一面の黒土で、腐蝕土の香ばしい匂いがする。
「いい土だ」と言って、孝二はふんふん鼻をならす。
孝二は鍬をふるい、真っすぐ見当をつけて畝《うね》を切る。畑の半分は馬鈴薯を、あとの半分に玉蜀黍《とうもろこし》を蒔《ま》いた。肥料は魚粕だった。
「玄人《くろうと》の手つきだもの、いいトウキビが穫《と》れるさ」
隣りの小野田のお婆さんが柵から顔を出して言った。褒《ほ》められて孝二は嬉しかったが、五日経っても一週間経っても芽が出なかった。
彼は暖かい長閑《のどか》な春を待った。植物たちのしなやかな芽を育《はぐ》くむ春雨を待った。
孝二は朝眼を醒《さ》ますと、顔も洗わずに庭に立っていつまでも畑を眺める。或る朝起きてみると、玉蜀黍の緑の葉っぱがぞっくり芽を吹いていた。
「出た、出た、新芽が出たぞお」
孝二は有頂天だった。声を聞いて外に走り出てきたマサ子は、一列に並んだ初々《ういうい》しい新芽を見てすっかり感激していた。
玉蜀黍の芽が出てから二、三日して、馬鈴薯の芽も出てきた。青くて幅広い厚い葉だった。
作物は順調に成長した。小野田のお婆さんは柵から顔を出して、「わたしの眼に狂いはなかった」と言った。
六月に入ると、馬鈴薯は畝をはみ出し、玉蜀黍は孝二の背丈より高く伸びていた。道路を挟んで向こう側の長屋のおばさんたちが柵にもたれて、「見事なもんだ」と見とれている。
孝二たち新婚の会話は、いつも威勢のよい畑のことから始まった。
「植物も人間も同じなんだ。へんにいじくらずに自然のままが一番すくすく伸びるんだよ」
自信に満ちた言い方だった。
「子育ても、こういう風にうまくゆくといいわね」
マサ子は青々と繁る玉蜀黍の葉波を窓越しに見ながら言う。
八月に入って馬鈴薯の収穫をした。畝の横っ腹から鍬を打ち入れると、握り拳ほどもある大きな薯がごろごろ転げ出る。
「豊作だ、豊作だ」と言って、孝二はそれを拾い集めてリンゴ箱に投げ入れた。マサ子が孝二の後から土を掻き回して、拾い残した薯を丹念に集めて歩いた。馬鈴薯はリンゴ箱に三つもあった。
マサ子は薯ダンゴが好きだった。茹《ゆ》でた薯に澱粉を混ぜて捏《こ》ね、平たく潰したダンゴに砂糖をまぶして食べるのである。
「戦争中は砂糖なしで、ダンゴだけでも貴重な食糧だったんだよ」
夕方から藻岩山を流れる雲が早くなった。なま暖かい風が渦巻いて、いつもの雨の徴候とは様子が違っていた。ラジオは台風十五号の本土接近を報じていた。
「北海道へ近づく頃には、いつも勢いが弱まってしまうから大丈夫だよ」
心配するマサ子に孝二は話した。だが、太陽が落ちたころから風は突風となって吹き荒れ、間もなく電灯が消えた。
「夏の停電は初めてだ」
孝二は抽出しからローソクを取り出して火を点《つ》けた。雨はまだ来なかったが、風は狂ったように吹いてくる。突風がごうっと音をたて、家がぎしぎし軋んだ。戸外で女の叫び声や犬の吠える声が聞こえ、それがますます激しくなった。サイレンが鳴り響いて、消防自動車が走り回る。人々の叫び声とサイレンの音と消防車の唸り声とがいっしょになって街じゅうが騒然としている。
「様子を見てくる」
孝二は長靴を履いて戸外に飛び出した。町内の人々が眼の前を駈け抜けてゆく。カーバイトの強烈な光が屋根を照らした。長屋の人々が屋根に上がり、太いロープでトタンを上から押さえつけていた。トタンは風に煽られて、ときどき膨れ上がっては飛び上がろうとした。そのたびに、彼らはなおも勇敢に駈け上がって、必死にトタンを押さえつけた。孝二も太いロープにつかまって力いっぱい引っ張った。押さえつけたり引っ張ったりしながら、長屋の屋根は太いロープでぐるぐる巻きつけられた。
「もう大丈夫だ」と、采配を振るっていた大男が言った。孝二は行啓通りを一巡して、そのまま家に帰った。
暴風雨はひと晩じゅう荒れ狂って朝まで続いた。
翌朝、ラジオは台風十五号の被害を報じていた。台風は北海道を直撃し、暴れ回って甚大な損害を与えたのだった。
青函連絡船の洞爺丸、十勝丸、日高丸などが沈没したが、特に洞爺丸は客船だったため、乗客千四百四十一人が溺死した。さらに岩内大火によって、焼失家屋三千二百九十八戸、死者五十名、さらに森林の風倒木六千四百石(損害百億円)という未曾有の大損害だった。孝二は台風の脅威を改めて思い知らされた。
翌日、札幌の街は嘘のように晴れ上がっていた。
「今まで見たことも聞いたこともない嵐だった」
「あの大きい連絡船が沈没したんだから、助けようもないわね」
「七飯浜《なないはま》へ寄り上がった溺死者は千人だって」
婆さんたちが道の真ん中で立ち話をしている。道路でも市場でも電車の中でも、台風の話で持ちきりだった。
「わが家の農場は健在だった」と言って、孝二は玉蜀黍をもいできた。実のぴんと入ったトウキビは黄金色に輝いていた。
玉蜀黍を茹《ゆ》でている処に、マサ子の父正太郎がひょっこり訪ねてきた。中折れ帽を被って袴を穿き、ステッキをついている。見るからに大正時代の紳士という感じだった。
「ひどい嵐だった。マサ子たちが心配で、夜もろくに眠れなかったよ」と、正太郎が言った。
「甘くみたわけでもないでしょうが、今度の被害はあまりにも大きすぎますね」
孝二は新聞に眼を通しながら言った。
「運の悪いときは、悪いことがいくつも重なるものでね。洞爺丸も岩内大火も、台風という自然現象に、人災という人間のミスがいくつも重なって、あんな恐ろしい結果になってしまったんだよ」
正太郎は茹《ゆ》であがった玉蜀黍を食べながら、よくしゃべった。
「日本の場合、地震や台風よりそれによって発生する火災が被害を大きくする。戦争だって、爆撃より実際には火災で日本じゅうが焼けつくされてしまったんだよ」
当時、町内会長だったという山田正太郎は自信に満ちた声だった。
「ところで孝二君、北大の知尾真佐雄先生が、この度『アイヌ語の研究』で朝日賞を受賞したそうだが」
「はい、新聞で見ました」と、孝二が応えた。
「立派なもんだよ」
山田正太郎は彼の優れた才能を賞賛した。
「若い人たちへの励みになるだけでなく、アイヌたちみんなの誇りなんです」
「そうだ、その誇りを大切にすることだ」と、正太郎は力を込めて言った。
穏やかな西日が窓から射し込んでいた。
「昨日の今日とは想像もできない静かさですね」
マサ子が立ち上がってレースのカーテンを下ろした。赤トンボが窓辺に群れていた。
夕陽が手稲山にさしかかる頃、正太郎は近くの停留所までマサ子に送られて帰って行った。
22
昭和三十年九月八日の早朝、夜空が白み始める頃、孝二は電話のベルで眼を覚ました。
「昨夜十二時十五分、二千五百グラムの男の子を産みました。母子ともに元気です」
北十三条にある天使《てんし》病院の看護婦からかかって来たのだった。
「子供が産まれた」
孝二は噛みしめるように反復した。彼はほっとして受話器を置くと、布団の中に潜《もぐ》り込んで赤子の顔を思い浮かべる。
赤ん坊は体じゅうが毛だらけだった。モンスパと母のサトは、マサ子が眼を醒《さ》まさないうちに毛を擦《こす》り落としてしまおうと、産湯《うぶゆ》の中に漂っている赤子の厚い毛をタオルでごっしごっしと擦りつける。赤ん坊は火がついたように泣いた。
「母親との対面には、さっぱりと身|綺麗《ぎれい》がいい。いっときの我慢だからな」
二人はなおも力を込めて擦り続ける。
「めんこい赤子が出来たぞ」
母のサトが声を弾ませて言った。マサ子が赤ん坊を抱き上げて、「陽一」と呼んだ。産まれる前から決めていた名前だった。
孝二が二度目に眼を醒《さ》ましたのは、新聞配達の駈け抜ける音だった。彼は赤子の濃い毛を思い出して、「馬鹿げたことだ」と吐き出すように言った。「大地を駈け回る元気で頑丈な赤子であれば、あとの事はどうだっていいことだ」と思った。
孝二はタクシーで天使《てんし》病院に駈けつけた。白衣を着た看護婦たちが急《せ》わしく廊下を歩いている。新生児室は二階にあった。部屋はガラス張りで、どこまでも透《す》けて見える。顔の色も形も同じような赤子がガラスケースの中に寝かされていた。
「上尾という者です」と、孝二は落ち着いて言った。
「上尾さんですね」
看護婦が念を押すように言い、馴れた手付きで赤子を抱いてきた。丸々と太った逞《たくま》しそうな赤ん坊だった。夢は正《まさ》夢だった。
「おいらを乗り越えて、強く逞しく生きるんだぞ」
孝二は祈るように呟やく。赤子が顔を真っ赤にして泣き出すと、看護婦は赤い頬《ほ》っぺを撫《な》でるようにあやしながら、新生児室の方へ連れて行った。
一週間後、マサ子は赤ん坊の陽一を連れて退院した。その日から家の中が急に明るくなり、一家の生活に活気があふれた。マサ子は授乳と産湯《うぶゆ》を使うのが日課だった。
赤ん坊は産湯が好きだった。手足をばたばた動かし、盥《たらい》のお湯をあたりに撒き散らした。赤ん坊が笑ったと言って喜び、声を出したと言って目を丸くした。
赤ん坊の成長は早かった。十カ月で歩き出し、一歳の誕生日を過ぎる頃には、片言《かたこと》を話した。
陽一が三歳の時、道営アパートの抽選にあたって、一家は豊平の団地に引っ越した。住居は三階で眺めがよく、窓からは市内が一望できた。中庭に子供たちの遊び場があり、市場が近くて便利だった。
陽一は戸外が好きだった。朝早くから夜遅くまで中庭で遊んだ。
「ブランコに乗りたいよう」
陽一は夜中にもっくり起き出して、ぐずり出す。
「始まった」
孝二とマサ子は顔を見合わせて観念する。言い出したら説得のきかない子供だった。父子《おやこ》は身支度をして戸外に出る。あたりは真っ暗で、今にも降り出しそうな空だった。
陽一はブランコに腰を下ろして漕ぎ出すのを待っている。
「発車」
ブランコが動き出すと、陽一は体を前後に動かして有頂天だった。
「みんなが寝静まったころ、どら猫が悪い子を捜《さが》してこの辺をうろついているんだよ」
孝二はブランコを漕ぎながら話し続ける。中庭を取り囲むように建った四階建てアパートの電灯が次第に消えてゆく。突然、暗闇に電光が走って雷鳴が轟いた。陽一は後ろを振り向いて、「もう帰ろう」と言った。
「せっかく来たんだ、もっとやっていこうよ」
孝二はなおもブランコを漕ぎ続ける。大粒の雨が音を立てて降って来た。
「大丈夫だよ」と言ったが、雨はいよいよ激しさを増して、父子《おやこ》はとうとうアパートの中へ逃げ込んだ。
「時間も天候も無いんだから」
マサ子が陽一に着替えをさせながら悪態をつく。
その年の夏ごろから、陽一の遊び場は中庭から近くの広大な月寒《つきさむ》公園に変った。公園には山も川も沢も沼も雑木林もあった。彼はマサ子の眼をはぐらかしては、しじゅう月寒公園に出かけた。
「まったく困った子だよ、見境いもなく、どこへでも行ってしまうんだから」
陽一はカブトムシやトンボやバッタを、ポケットいっぱいに詰め込んで持ち帰った。蛙や燕の雛《ひな》を捕えて来ることもあった。
「あれっ!」
蛙が部屋の中を飛び跳ねると、マサ子は悲鳴をあげて追いかける。家じゅう虫だらけでマサ子は不機嫌だったが、孝二は山野を駈け回る元気な陽一に満足だった。彼らは蜜柑《みかん》箱を改造して昆虫を飼った。蛍の灯を点《とも》したり、キリギリスを鳴かせたりして喜んだ。
孝二とマサ子は、いつも陽一の事で意見が分かれた。孝二は「子供は自由奔放がいいんだ」と言い、マサ子は「まるで柵を破った動物みたいだ」と言った。柵を破った動物が、和人どもを蹴散らして駈け回る姿を想像して愉快だった。
「ここはアイヌモシリなんだからな。誰に遠慮がいるもんか。走れ、走れ。モシリの果てまで突っ走れ!」
口論の後で、孝二は陽一の寝顔をじっと見て考えることがあった。
「血が騒ぐんだ」と、孝二は思った。それは弓矢を持ち、熊や鹿を追って山野を駈け回っていたアイヌたちの血が騒いでいるに違いなかった。
「後ろを振り向かずに、真っすぐに走るんだ」
孝二は寝ている陽一の頭を撫でながら、健《すこ》やかな成長を願った。
23
長い冬籠りから醒《さ》めて札幌の街にふたたび春が訪れた。長閑《のどか》な日が続き、手稲連峰の雪が解けてしまうころ、梅、桃、ライラック、タンポポが待ち焦がれていたように、いっせいに花を開いた。街にも郊外にも新緑が眩《まばゆ》く輝いて、甘い香りがあたり一面に漂っていた。
孝二はそんな中を、そよ風に吹かれてよく散歩した。林檎園を抜けて天神山に通ずる道と豊平川の土手を上がって藻南《もなみ》公園に通じる道があった。彼は天神山から札幌の街を眺めるのが好きだったが、その日は川風に吹かれて、せせらぎを聞こうと思った。
豊平川の清流はさざ波を立てて流れていた。彼は豊平橋を渡り終ると、川の岸辺に腰を下ろして川のせせらぎを聞いた。土手のすぐ横の広場に、札幌開祖、志村鉄一と彫った石碑が建っていた。彼が信州から札幌に移されたのは一八五七年、開拓使が函館から札幌に移住したのは一八六九年(明治二年)だから、その十二年前に志村鉄一は札幌に移住していたのである。
そのころの札幌は、戸数わずか二、三軒で辺り一面が薄野原《すすきのはら》だったらしい。その野っ原には鹿や狐が駈け回り、豊平川には鮭の大群が遡上《そじよう》した。
アイヌたちは、弓や鉤をふるって獲物を追いかけた。和人たちの道案内をして山野を駈け回ったが、アイヌ絵に登場する彼らはいつも襤褸《ぼろ》をまとってしょぼくれていた。
傲慢な和人たちが描けば、松浦武四郎の絵でさえ、アイヌたちは貧相に見えるのだが、孝二はそれが癪だった。アイヌたちは広大なアイヌモシリ(アイヌの土地)の中で、雄々しく逞《たくま》しくなければならなかった。瞳をかっと見開き、微笑をたたえていればもっといい。
「大柄で筋骨逞しいアイヌたちは、志村鉄一と並んで、こうして立っていた筈だ」
孝二は石碑を跨ぐように立ち、当時を思い浮かべていたので呼ばれたのが分らなかった。中沢ヌップがすぐ後ろに立っていた。
「川底の埋《う》もれ木を探しに来た」と言った。
中沢ヌップは旭川のコタン出身の彫刻家である。彼は彫刻だけでなく、絵や版画も優れており、最近は東京と札幌の間を飛び回って、たびたび個展を開いていた。孝二は個展を見るたびに心が騒いだ。
あの日は「面」と題した木彫りの個展であった。孝二は人目に触れずに、すぐ出るつもりだった。しかし、作品より先にヌップと眼が合って孝二は立ち竦んだ。
彼は会場の中央に、両足を開いて番人のように立っていた。髭面で眉が太く、目鼻立ちが大づくりで、見るからに精悍《せいかん》な顔付きだった。ヌップは腕組したまま、ゆっくり会場を回ってきて、木彫りの椅子に腰を下ろした。
「鼻の形で顔の表情が変るんだよ」
ヌップはこう言って笑った。孝二は一瞬声がつまったが、湖のように澄んだ彼の瞳に惹《ひ》かれて、思わず「いい表情です」と応えた。
「面」はいろんな形のもの、五十点ほどが壁に掛《か》かっていた。孝二は「面」を見た瞬間、巨石文化の「面」を思い浮かべた。目も鼻も口も、ゆったりして大きな形の顔だった。
「これが好きだ」と、孝二は栗の木で作った橙《だいだい》色の「面」を指差した。
「豊平川に百年以上埋まっていた木で作ったんだよ」
ヌップは満足そうに腹をゆすって笑った。
「面」は顔の中央が縦に二つに裂けて、その割れ目に小指ほどの楔《くさび》がぎっしり打ち込まれている。二つに割れた顔面は開こうとする力と閉じようとする力が拮抗《きつこう》し、張りつめた感じの「面」だった。孝二が求めたその「面」は色艶《いろつや》がいっそうよくなって、孝二を見下ろしている。
孝二とヌップはこのとき以来、昔からの知己のように心を剥き出しに話し合うようになった。
「俺は眼を合わせた瞬間に分ったよ」
ヌップは暗号を並べるように言った。互いに主語の「アイヌ」を省《はぶ》いて語り合った。二人はウイスキーをちびちびやりながら、取り止めのない話をした。
「作品の価値より先に、人種の違いを言う愚劣な奴《やつ》がいる」
どうかしてるんだ、とヌップは壁に掛けた「面」を振り返って吐き出すように言った。
「好奇心というより、結局は侮辱なんだ」
彼は怒りを込めて繰り返した。
ヌップは気が向くと、幼いころの貧乏生活や彫刻修業時代の苦しい生活を話すことがあった。
彼の父親は旭川界隈では名の通った狩人だったが、大雪山に出かけても熊も鹿も減少して、飢えを凌《しの》ぐのがやっとだった。子供たちは腹を空《すか》して父の帰りを待つのだが、彼らは骨をしゃぶって幾日も過ごさねばならなかった。
突然、村田銃の轟音が辺りに響き渡り、父は大熊を丸木舟に積んで石狩川を下だってきた。近所の子供たちが集まってきて炉縁に輪をつくると、母が湯気のぼうぼう吹き上がる肉の塊を大鍋から摘《つま》みあげて、「元気のいい子はおらんか」と言って、辺りを見回した。最初に名乗りでるのはいつもヌップだった。彼はいちばん大きな肉を掌に受けてじっと耐えた。強い狩人になる男の子はどんなに熱くても音《ね》を挙げてはならなかったので、子供たちは歯を食いしばって我慢した。弱い子には小さな肉塊があたり、強い子には大きな肉塊が与えられる。掌が赤く腫れ上がって、一週間も疼《うず》くことがあった。
ヌップはとりわけ我慢強く、勉強にも喧嘩にも強かったので、子供たちに小酋長と呼ばれて敬《うやま》われた。しかし、父の熊撃ちでは生計が立たなかったので、小酋長は小学校を卒《で》るとすぐ阿寒にゆき、観光客相手に土産物を彫って家の手助けをした。土産物を彫って五年経った。その年の暮れ、観光に来た東京の彫刻家と知り合ったことが機縁で、ヌップは本気で彫刻の勉強を始めたのだった。
「埋《う》もれ木は素性が素直で鑿《のみ》の滑りがいいんだよ」
ヌップは川岸に添って足を跳ね上げて歩いた。孝二はその後から付いてゆく。埋もれ木はなかなか見付からなかった。川の曲り角に来るとヌップは身を乗り出して埋もれ木を探した。
「洪水にでもならねば、ちょっと無理なようだ」
孝二たちは上流に向かって歩いてゆく。藻岩山の麓に湧いた春霞が軍艦岬に向かって這うように移動する。川岸にこんもり繁った柳の中から郭公の鳴き声が聞こえてきた。
「洪水を待つこったな」
二人は河川敷を通って土手に上がった。
ヌップの仕事場は豊平橋から南東に向かって五百メートルほど歩いた平岸通りにあった。重い引き戸を開けると、そこは窓の無いだだっ広い倉庫である。土間の中央に厚さ一尺もある天板の作業机と根っ株のような椅子が二、三脚置いてあった。
「あれは寝台なんだよ」と、ヌップは得意げに言う。半ば朽ち果てた馬橇が倉庫の奥の壁際に据えられていた。作業机の置いてある壁にはいろいろな種類の鑿《のみ》がきちんと並んでいた。
「鑿で命を彫り出してゆくんだ」と、ヌップは言った。
ヌップの作業場には仲間が絶えなかった。いつ訪れても先客がいて椅子が足りなかったので、彼らは勝手に外の木材置場から|どんころ《ヽヽヽヽ》(根っこ)を拾ってきて坐った。焼酎と荒い言葉とどんころはヌップの作業場には似合いだった。遊びにくる仲間には和人もアイヌもいて、世間話をしているうちに、話はいつかアイヌ差別に移ってゆく。
「これだからな」
或る日、孝二がヌップの作業場を訪ねると、江沢と竹内がすごい見幕でやり合っていた。アイヌ青年二、三人で発行している『アヌタリアイヌ』という新聞に載った「アイヌの人骨問題」のことだった。
「侮辱にもほどがある」と言って、江沢が旬刊紙『アヌタリアイヌ』を孝二の前に広げた。
「アイヌ人骨資料返還を」という太字の見出しで、詳しい記事が載っていた。「北大医学部解剖学教室に、研究資料として保管されているアイヌ民族の人骨資料は、昭和の初めから三十年代前半までの間に、道内各地はもとより旧樺太や千島の墓地から収集されたもので、その総数は千体にも及んでいる。この人骨収集は北大名誉教授児島作衛門が中心になって行なったものだが、これは学術研究を口実に行なわれた墓泥棒で、しかも、研究が終ったら返還するという約束が全く無視されたまま現在に至っている。我々は、今こそ学問の傲慢をあばき、研究の真実をつきとめ、一日も早く我々祖先の人骨返還を実現しなくてはならない」
「俺は反対だな」と、竹内が言った。「今さら返して貰っても、千体もある人骨をどこで保管するんだい」
「おいらの同胞なんだど、一日も早く取り返して弔ってやるのが当然だべ」
江沢は眼を剥き出して叫んだ。
「折角、静かに暮らしてるのによ、騒ぎ立てれば新聞に名前が出るんだぞ」
「名前が出てどうだというんだ。傷つくことを恐れては奴《やつ》らの思う壺《つぼ》だぞ」
江沢は立ち上がって、どんと作業机を叩いた。
「向田会長を呼べ!」
分別のある年輩の松井が割り込んで大声で言った。
「互いに勝手なことを言い合っていても話はさっぱり進まないもんな。ウタリ協会はそのためにあるんだろう」
松井のひと声で、その翌日、札幌在住のアイヌと和人の仲間たちがヌップの仕事場に集まった。その中にフミという三十年輩の女性もいた。
向田岩太郎は、会の冒頭で「アイヌ人骨返還は『ウタリ協会』の名誉にかけても実現したい」と、改まった声で言った。
墓泥棒を罵しる者や侮辱を憤る者、学者の傲慢をなじる者の中に、和人への抗議を渋る者が出て調子が狂った。騒ぎ立てては藪蛇になるというのである。
「人骨を掘って運び出したのは児島作衛門一派なんだぞ」
江沢が声を荒げた。
「児島作衛門の墓ば掘っ返してやるべえ」
金森が独り言のように呟やく。
「ついこの間、おらの名が新聞に出てな、それから子供たちはもう学校へ行きたがらねえのよ」
派手にやらかして新聞沙汰になるのはもうこりごりだと言った。彼はメーデーのとき、アイヌの「自主自立」を叫んで道庁に押しかけ、新聞に顔写真まで載ったのだった。
「人骨問題は、アイヌ全体の信仰にかかわる問題だからな」
酒好きな桃園はポケットからウイスキーの小瓶に詰めた焼酎を出してラッパ飲みしながら、「徹底的に打ちのめせ!」と叫びたてた。
「学者たちの糾弾には、学問の独り善《よ》がりを責め、世論に訴えるやり方が一番いい」と、こんどは和人の森山が意気込んで言った。
「そうだとも、傷つくことを恐れては事態はますます悪くなるばかりだ」
「なにさ」と、フミが森山を睨みつけた。
「骨を返せって、新聞や週刊誌で騒ぎ立てれって言うの」
この気持ちは、和人なんかには分りっこないと、きっぱり言い切った。話しながらフミの顔はみるみる引き攣《つ》ってゆく。そして、ふたたび何事かを言おうとする森山に向かって、
「さあ、何もかも、みんな剥き出しにさらけ出すがいい」と、金切声で叫び立てるのだった。
重く沈んだ中で孝二は、みんなの言い分に耳を傾けていた。ヌップや江沢は、初めから厳しい抗議を主張し、金森やフミは終始派手な抗議には反対だと言い、何とか穏便に済ませるように言い張った。
ふさふさした豊かな顎髭を垂らした長老向田岩太郎は、「強行であれ、穏便であれ、人骨返還はウタリ協会の使命なんだから、これが実現までは全力を尽くす」というのが、彼の結論だった。
「ところで」と、ヌップは改まった声で言った。「北大との交渉には誰が当たるんだい。話の内容も順序も決めておかねば、奴《やつ》らは巧妙だから逃げられてしまうど」
「交渉の窓口も交渉の母体も、『ウタリ協会』がよかべ」
松井が落ち着いて言った。反対意見はなかった。ただ、北大と交渉に当たる前に、「ウタリ協会」の総会を開いて、意見の統一をしておく必要があった。内部の分裂につけ込まれて攪乱《かくらん》されては、せっかく盛り上がった人骨返還問題も息が抜けてしまう。気を緩《ゆる》めてはならなかった。
「さあ、こんどこそ、学者どもの面《つら》の皮を引っぱがしてやるべえ」
酩酊《めいてい》した桃園が拳を振り上げて叫んだ。
24
アイヌ人骨資料返還問題は、遺体発掘後、間もなく始まっていた。釧路市在住の海馬年造《かいばとしぞう》は遺体返還を要請した最初の人だった。北大教授児島作衛門は、「骨を掘るのは、アイヌが日本人だということをはっきりさせるために必要なんだ、研究が済んだらすぐ返す。お国のために協力して欲しい」と、何度も言った。
そのころ、渡島《おしま》の八雲《やぐも》町に住んでいた海馬年造は息子の隆一といっしょに、児島教授が連れてきた作業員たちにまじって発掘作業を手伝っていた。昭和十年の夏だった。
「すぐ返す」という北大側の言葉を信じて、海馬年造は遺体が帰ってくるのを待った。だが、一年が三年になり五年経っても返ってこなかった。痺《しび》れをきらした年造は、北大の学長や医学部長宛に手紙を書いたが、しかし、いつまで待っても音沙汰がなかった。やがて戦争が終り、海馬一家は八雲から釧路に引っ越したが、その年から返還要請は年造から息子の隆一に引き継がれた。だが、隆一になっても同じことの繰り返しだった。腹を立てた隆一は、その一部始終を『アヌタリアイヌ』に書きたてた。その記事がそのまま『北海道新聞』に転載されると、あちこちから大学への非難の声が湧き上がって、北大でも無視することが出来なくなった。
「戦後、彼はたったひとりで返還運動を続けてきたんだから、大したもんだ」
江沢は感心して言った。
「われわれの遺体返還運動は、これからどう進めて行ったらいいのか、彼の考えを聞きたいもんだ」
松井の意見に賛成したアイヌたちは、それから間もなく海馬隆一に頼んでヌップの作業場に来て貰った。『アヌタリアイヌ』の編集部員もいっしょだった。
その日、ヌップは「アイヌ遺体の返還を考える会」と紙に書いて、入口に貼った。
海馬隆一は精悍な顔付きで、ヌップに劣らぬ大柄な男だった。彼は冷静だが、ときどき体をゆすって豪快に笑った。『アヌタリアイヌ』の編集員、高木、野村の若い青年たちは、彼の豪快な笑いに圧倒されて眼を丸めた。彼らは日高の漁村から出てきて、札幌の土産店で働いていた。青年たちはアイヌ差別と闘うために、『アヌタリアイヌ』という新聞を作ったのだが、馴れない彼らは割付も文章も下手で、お世辞にも立派な新聞とは言えなかった。
同胞たちが作業机を囲んで坐ると、海馬隆一は「子供のころの記憶だが、今でもはっきり覚えています」と、静かに切り出した。
「大事なことが二つありました。骨を掘って研究するのは、アイヌが日本人だということをはっきりさせるため。もうひとつは、研究がすんだら遺体をすぐ返すということでした。だが、結論から申しますと、この二つとも嘘だったのです」
彼は淡々と話した。編集者たちは身動きもせずに、たださらさらとペンを走らせている。
「遺体発掘には、僕のほかに当時八十歳ぐらいだったトヨ婆さんが立ち会い、埋葬の風習などについて、大学の先生に説明していました。トヨ婆さんが戦争中九十歳ぐらいで亡くなったとき、遺体をキナ(蒲《がま》で編んだ筵《むしろ》)でくるみ、ムリル(黒い紐《ひも》)でゆわえて埋葬する形にしたのを、北大から来た先生はそのまま持って行きました。それから四年ほど経って、トヨ婆さんの息子仁吉さんも亡くなったのですが、その遺体も持ってゆきました。仁吉さんの時は、僕が駅まで送ってこの手で貨車に積み込みました」
海馬隆一は当時を思い浮かべるように話して、息を継いだ。
「こんな関わりがあったので、トヨ婆さんにも仁吉さんにもすまなくて、一日も早く遺体を取り戻そうと、そればかりが気がかりでした」
上座に坐った松井や江沢が「うん、うん」と、頭を折って頷いている。
「僕は遺体返還を父から引き継いだ年、北大の学長と医学部長宛に返還願いの長い手紙を書きました。しかし、いくら待っても返事がないので、僕は腹に据え兼ねて、直接北大を訪ねることにしたのです。だが、それがかえって学校側の神経に触《さわ》ったようで、門前払いにあって、どうしても面会することは出来ませんでした」
海馬隆一は「万策尽きた」という顔で頭を左右に振りながら、静かに話を続けた。
「北大の有田学長から返事を貰ったのは、私が最初に手紙を出してからちょうど十年目、つい先頃アイヌ人骨問題が新聞に出てからでした。しかし、その内容は『大学は個々の自由な発想と創造的な研究活動を保証している。したがって、今回の人骨問題に関しても学長として関与できない』という、全く無責任でそっけないものでした。だから僕は北大のアイヌ研究の真相と実態を、どこまでも追求し暴《あば》いてゆくつもりです」
彼の言葉は自信に満ちていた。「アイヌ遺体の返還を考える会」が終ると、いつもの慣習にならって焼酎を飲んだ。
「奴らは権力を笠に着て押さえ付けてくるから、粘り強くやることだ」
海馬隆一は豪快に飲んで帰って行った。
その年の八月、「北大」と「ウタリ協会」の間に第一回の話し合いが持たれた。北大側からは相田医学部長ら三人、ウタリ協会側からは向田岩太郎会長ら三人が出席し、医学部の小会議室で行なわれた。双方六人の代表者たちは、初めから気が昂っていた。
「アイヌの人骨を研究して、それが和人と同じだろうがなかろうが――。和人と違うからどうだというんだ」
ウタリ協会の副会長貝沼は初めから喧嘩腰だった。
「大和民族とアイヌの違いを研究して、自分たちの優秀さを誇りたかったんだ」
こんどは協会の葛西事務長が言った。
「学問を冒涜《ぼうとく》するような発言は慎しみ給え」
相田医学部長は眉をひそめ、顎をしゃくりあげて反撥した。
「研究の良し悪しを言い合っても、話はこじれるばかりだ。そんなことより、千体もあるアイヌの人骨をどうしたらいいか、もっと具体的に話し合うべきだと思うけど」
向田会長は重苦しい声でたしなめるように言った。彼はいつも話がこじれないように、横道にそれないように気配りな発言をするのだったが、しかしそれだけに肝心なときの強烈な発言に欠けていた。「ウタリ協会はどうせ道庁とアイヌの苦情処理機関だから」と、陰口を叩く者もあった。
「アイヌ自身、遺骨返還を希望する者はほんの僅かなんだ」
北大の庶務課長木村が勝ち誇ったように言った。
「しかし、それは人骨を標本として北大に置いた方が良い、という意味ではないんだからな」
貝沼副会長が念を押すように言った。
「今さら、自分たちの骨だから勝手に持ち帰って弔えと言われたって、千体もある骨だもの、どうしようもなかべ」
葛西事務長が口を尖らした。
「あなた達は北大を責めるが、当時の責任者はみんな亡くなり、事実の確かめようがないのだから……」
医学部長が言い終らないうちに、
「それは変だ」と、葛西事務長が叫んだ。
「当時の責任者はいなくても、関係者は今もたくさんいるではないか」
今さら言い逃れは許すもんか、と貝沼副会長も立ち上がって詰め寄った。
「返還要求の出ている遺体は、さっそく返して貰いたいのです」
向田会長は殺気だった空気を柔らげるように言った。
「返還を申し出ている地区は、旭川、釧路、江別、浦幌の四地区です」と、医学部長が資料のプリントを眼で追いながら言った。
「返還要求の出ている地区が少なくて、実はほっとしているんです。遺体の包装と輸送に莫大な費用がかかるもんですから」
相田医学部長が呟やくように言った。
「遺体を収集した児島作衛門は、口では返すと言いながら内心は遺体返還までは考えていなかったようですね」
向田会長は眼をつむって、昔を思い出すように言った。
「児島という悪党は、口先だけで初めから返す気も弔う気もなかったんだよ。アイヌたちは虫けら扱いにされたんだからな」
葛西事務長がこらえきれずに怨《うら》みごとを言う。
「いい加減な感情論は学問への冒涜《ぼうとく》だ。無知とか虫けらとか、愚痴はやめ給え」
木村庶務課長は声を荒げた。
「千体の遺骨をどんな形で残したらいいか? 今まで通り大半は倉庫に保管し、そのうちの何体かは標本室に展示するという……」
医学部長の話がまだ続いているのに、「ちょっと待った」と言って、貝沼副会長は右手で上から押さえつけるようにして、「植物や動物の標本でもあるまいし、人間の標本なら模型でも代用できるし、何もアイヌの人骨を並べなくても」
「亡くなった児島教授の努力でせっかく生きた資料があるのだから」
「あなた方は、せっかく生きた資料があるのだから展示したいというのだろうが、私どもとしてはそれが差別だと言うんだ」
葛西事務長は大声を張り上げた。
「和人の人骨の中に、アイヌの人骨が何体か混じっているというなら、自然だと思うが」
彼は頭をかしげた。
「標本として、展示するのは止めて貰うべえ」
貝沼副会長は口を尖らした。
「倉庫に入れて、鍵を掛けておけというのですか」
木村課長が不満げに言った。
「倉庫は人間の入るところじゃあない。心安らかに眠って貰う為には、納骨堂を造ってもらいたいもんだ」
「納骨堂?」
医学部長が口をあんぐり開けて、唾をごくんと呑み込んだ。
「予算はどこから出るんだい」
彼は言葉が喉につかえたように、息を詰まらせて驚いている。
「墓を掘られたのはアイヌなんだからな」と言って、葛西事務長は一歩も引き下がらなかった。納骨堂建設の話は暗礁に乗り上げたまま、なかなか進まなかった。
第二回目の話し合いは、それからちょうど一年ぶりに行なわれた。しかし、その間にも「北大」と「ウタリ協会」との間では納骨堂建設の話は具体的に進められていて、二回目の話し合いは順調に進んだ。設計図も出来上がった。
納骨堂が建設される場所は、北大構内の医学部東側の空地だった。堂は鉄筋コンクリート造り、平屋で七十二平方メートルの広さである。その内部は遺骨を収納する納骨室とホール。納骨室は保存ケースが壁いっぱいに並び、ホールは東側に「神窓」が設けられ、中央に炉も切られて小さなチセ(家)の内部のようになっていた。
「来年八月完成の予定です」と、庶務課長が誇らかに言った。
「文部省にかけ合って、もっと早く完成してくれないべか」
葛西事務長は「ウタリ協会の話し合いでは、工事が遅すぎると言って不満の声が強いんだ」と言った。
「そんな無茶を言われても、国の予算はドンブリ勘定とは違うんだ」
庶務課長は不機嫌に言った。
納骨堂建設の話が持ち上がってから、ヌップの作業場に集まってくる連中は北大の工事について、強行派と穏健派が入り乱れて始終やり合った。
「イチャルパ(供養)の費用は当然『北大』で持つべきだ」
桃園たちが向田会長にねじ込んだ。
「納骨堂を建ててくれるだけでも有難いことなんだからな」
彼は真剣に宥めるのだが、桃園たちは「千体の遺骨が、シンリツモシリ(死後の世界)にもゆけずに彷徨《さまよ》っているというによ、イチャルパもせんでそれでもウタリ(同胞)の代表かよ」と言って、向田会長を罵しった。
25
夏休みが終ると北海道はすでに秋である。秋晴れが続いていた。孝二は朝早く家を出て、北大の医学部に向かった。
「祖母モンスパの遺骨が戻って来るんだよ。北大のトラックで十勝太へ運ぶことになったから、遺体に付き添って十勝の実家に行って来る」
孝二は遺体返還が決まった時、マサ子に言って聞かせた。職場には二日間の有給休暇をとった。
その日朝五時、北大の医学部で遺体を受領することになっていた。孝二が医学部に着くと、すでにトラックが来ていて、作業衣を着た人々が慌しく動き回っている。
「海馬さん四体、上尾さん一体、加藤さん一体、鈴木さん一体、計七体」と、トラックの運転手が医学部の人夫らしい人に大声で言った。孝二は頼まれた加藤や鈴木たちの遺体も確認し、差し出された書類に受領印を捺した。
「十勝までは十時間、釧路までは十三時間かかるから狩勝《かりかち》峠あたりで昼食になるな」と、運転手と人夫が話している。
遺体はキナでくるみ、ムリルで結わえられていた。思ったより小さかった。海馬隆一と孝二は、トラックの荷台に遺体といっしょに乗り込んで札幌を出発した。運転手の傍の助手席には、医学部から来た人夫が乗っている。トラックは野山を越え、畑を横切り、街を突っ切って国道をひた走った。
「昭和二十年の敗戦の年から父に代わって僕が北大に遺体の返還要請を始めたんです」と、海馬隆一が言った。
「『トヨ婆さんと、その息子の仁吉さんの遺体には、お前にも責任がある』と、父に言われてから、僕はもうじっとしてはいられませんでした。しかし、いくら手紙を出しても依然として返事が無く、腹に据え兼ねた僕は、北大へ出かけ、直接学長に逢おうと決心しました。だが、学長は僕を避けて逃げ回っていたので、僕は自宅まで押しかけて行きました。警察に突き出されて、ブタ箱に泊められたこともありました」
「それでも返還要求は止めなかったわけですね」
「辛抱強くしぶとく食い下がるだけが、残されたたったひとつの道だったんです」
「今度のことは、海馬さんの長い間の闘いがあったお陰で実現したんですから、全く有難いことです」
孝二は深々と頭を下げた。
「でも、僕はこれで終りだとは思っていません。アイヌ研究の在り方はどうなければならないか、また、北大がアイヌに対して謝罪するまでは追及してゆくつもりです」
隆一は感情を抑えて静かに話し続けた。
トラックは富良野《ふらの》の穀倉地帯にさしかかり、黄金色の稲穂の中を走り抜けて行く。太陽の光りが眩《まぶ》しかった。
涼風を突っ切ってトラックは休みなく走り続けた。田んぼから山に入ると、凸凹道が続き、遺体は荷台の中を転げ回った。隆一が藁縄《わらなわ》で遺体を荷台の横枠に縛り止めた。
突然、トラックが止まった。「さあ、昼飯だあ」と言って、運転手が下りてきた。狩勝《かりかち》峠だった。峠の向こうには十勝平野がどこまでも広がっていた。
「とうとう十勝に来た」と、孝二は情を込めて言った。
「婆ちゃ、十勝さ帰って来たんだど」
彼はモンスパに言い含めるように呟やいた。あと三時間で十勝太に到着する。十勝太では共同墓地に穴を掘り、供物を持ってモンスパの到着を待ち受けている筈だった。
トラックが動き出すと、荷台にさわやかな風が流れ太陽の明かるい光がはじけた。遺体を積んだトラックは、曲りくねった狩勝峠をいっきに駈け下りた。峠を下りると、こんどは畑が続いた。帯広を過ぎると右手に十勝川が流れていた。水量豊かに川いっぱいに溢れている。赤土色に濁った石狩川と違って、十勝川の流れは青く澄んでいた。
下流は広い湿原が広がっていて、その中に小さな沼が幾つも浮かんでいた。トラックがペカンペ沼をかわすと、間もなく、国道を逸《そ》れて十勝太に通じる狭い道に入った。
「モンスパが帰って来たどおー」
キラキラ声が原野に響き渡った。
ポロヌイ峠の入口には、周吉とサトを先頭にして、孫たちが一列に並んでモンスパを迎えた。ヘンケの孫加藤友作も、シュクシュンの孫鈴木春吉も、家族そろって遺体を受け取りに来ていた。ポロヌイ峠は街のように賑わっていた。
「婆ちゃ、よかったな。ここには友達もたくさんいるし、こんどこそ安心してゆっくり休んでけれ」
サトが泣き声で呼びかけるように言った。モンスパ、シュクシュン、ヘンケの遺体を車から下ろすと、トラックはすぐ国道の方に引き返して釧路に向かった。
モンスパの遺体は、頭の方を周吉と姉婿の亀太郎が持ち、足の方を孝二とサトが持って墓の方に進んだ。綿のように軽かった。そして左回りに三べん回って、静かに墓の穴深く降ろされた。
「こんどこそ、ゆっくり眠ってけれ」
周吉の最初のスコップが、十勝の黒土を深々と掬《すく》い上げた。サトや孫たちが後に続いた。高く盛り上げられた土饅頭のてっぺんに、孝二は「昭和三年五月十日没、モンスパ」と書いた卒塔婆を打ち建てた。
その晩、サトの家ではモンスパの遺体を取り戻した祝宴が盛大に行なわれた。仏壇には赤飯やリンゴ、バナナや桃が供えられ、ローソクの炎が勢いよく立ち昇った。祝い酒は腹にしみてうまかった。
「めでたいこった」
周吉もサトも願いが叶えられて、腹の底から嬉しかった。
突然、シュクシュンの孫春吉がのっそり入ってきた。彼は上り框《がまち》に腰を下ろすなり、「爺ちゃの遺骨が帰ってきたんだから、盛大に歓迎してやりたかった」と、頭をふりふり言った。
「不漁続きで、好きな焼酎も飲めねえだからな」
彼は周吉の家の華やかな祝宴の御馳走を上から覗《のぞ》き込んで、動物みたいに鼻をくんくん鳴らした。
「ほら、爺《じ》さまが帰って来たお祝いだ」
サトが焼酎瓶を傾けて春吉のコップになみなみと注《つ》いだ。
「秋味の密漁なら、誰にも負けんけどな」と、彼は天上を見上げて言った。春吉の早業《はやわざ》は部落でも評判だった。
「そらっ、監視が来たぞ!」
戯《おど》けた末娘のスエ子が調子に乗って急《せ》き立てた。と、春吉が上り框にすっくと立ち上がり、右手で櫂《かい》を操りながら、左手で巧みに網を手繰り上げた。
「早く、早く」と、見物人たちは金切声で囃し立てる。春吉の早業はしばらく続いて、彼は無事に逃げおおせるのである。拍手が響き渡って、二杯目のコップ酒が注がれる。
「お前らは、おらのことば足手まといに思ってるべ」と、春吉が改めて言った。
「どして、そんなこと」と、サトが頭を振って否定した。
春吉は貧乏人の子だくさんだった。双子に年子で、十歳を頭に七人の子供が犇めいていた。
「秋味で払うべえ」
いつも同じことを言って、米、味噌、醤油を借りてゆく。
「辛抱して困るなら分るけど、いも焼酎ばかり飲んで……」
「完全なアル中だもの」
アヤ子やスエ子が眉を吊り上げた。
「困ったときはお互いなんだからね」
サトはいつも仲に入って、春吉の味方になった。
「サトの子供たちは、こんな不具《かたわ》な俺が同胞《ウタリ》仲間にいることが気に食わんのか」
春吉は酒に酔って、マキリを振り回すこともあった。
「アイヌはいつも酒で失敗してるんだからな、飲む前に酒は気狂い水と思え」
周吉にたしなめられて、彼は「ほい、ほい」と調子のいい返事をするのだが、その翌日には、ふたたび酔っぱらって、サトの家に現われるのだった。
春吉が帰った後、もと周吉に使われていた牧夫の豊造夫妻が、子供たちを連れて、モンスパの仏壇を拝みにやって来た。彼はポロヌイ峠の麓で渡し守をしながら、小魚を獲って暮らしていた。
「ずい分立派になったもんだ。貫禄も風貌もバンとした立派な紳士だ」
豊造は孝二と自分の背丈と比べてみて、「立派だ、立派だ」と、何度も繰り返した。
「婆ちゃ、ここが穢《けが》れのないほんとのアイヌコタンだ。今度こそ、安心してゆっくり眠れよ。これもみんな孝二のおかげなんだからな。和人どもと闘う孝二ば見守ってやってけれ」
豊造は仏壇の前に手を合わせ、話しかけるように拝んだ。
「少数民族とか、先住権とか、街では大分盛り上がってるようだけどな」
豊造が新聞の見出しを諳《そらん》じているように言った。
「ところが、アイヌ問題はもう終ったと思ってる人が案外多いんだよ。アイヌたちは、戦後の民主憲法のもとで平和で幸福な生活を送ってると、信じ込んでいるんだ。しかし、明治時代に作られた『旧土人保護法』もまだ現存しているのだから、今、アイヌたちは非常に矛盾した法のもとに置かれているんだよ」
「和人たちにしたら、なるべく問題を荒立てないで『旧土人保護法』を廃止し、今のままで和人の中に組み入れてしまいたいのかも知れないな」
豊造は、そうはいかんど、という顔で口を尖らせた。
「シャクシャインの戦いに敗れてから、和人たちをシサム(隣人)として迎え入れ、和人たちの言われるままに三百年近くもじっと耐えて来たんだからな。今度こそ、良い便りがありそうなもんだ」
彼は大きな欠伸《あくび》をしながら、「思いきって、アイヌモシリ裁判でもやればいいのに」と、陰気な空気を吹き飛ばすように言った。
「新聞で騒ぎ立てるほど盛り上がってもいないし、実現も難しい」と、孝二は気難かしい顔を曇らせた。
「しかし、豊かなアイヌモシリの願いは、笑われても貶《けな》されても孫子の代まで粘《ねば》り強く言い続け、闘い続けるべきことだよ」
孝二たちは、その晩、遅くまで語り合った。
26
北の都札幌の街に長閑《のどか》な季節が訪れた。長い冬に閉ざされた世界から解放されて、人々は生き返った。豊平川の辺《ほと》りにも、大通り公園にも、花が咲き乱れ小鳥が囀り、吹き渡るのどかな風に若葉がさやさやとさやいでいた。
昭和三十四年六月、大通り公園には「安保反対」の赤い旗を持った労働者たちが溢れていた。高校生の顔もあった。宣伝カーの上では、労働組合の幹部たちがかわるがわる立ち上がって、声をからして檄《げき》を飛ばしていた。そのたびに割れるような拍手が起こった。
戦後、炭鉱の合理化反対に始まったデモ行進は破防法、教育委員任命制反対、勤評反対と続いて、最近では安保反対運動が日増しに高まり、連日のように街を練り歩いていた。
武装警官と全学連の衝突がエスカレートして、火炎ビンが投げられたり、警官隊の棍棒で学生が頭を殴られたりして、流血騒ぎを起こすことも珍しくはなかった。
「全学連のデモは命がけだからな、やり方が市街戦並みだ」
班長の高清水が張りつめた声をあげた。
全学連のデモ隊は、いつも北大の構内で編成され、組合のデモ隊とは街の中で合流した。
「ほら来た」
高清水が全学連の群れを最初に見つけた。彼らはヘルメットを被り、タオルで顔を隠し、眼だけ鷲のようにぎらぎら輝かせていた。「わっしょい、わっしょい」と、掛け声勇ましくこっちに向かって来た。前列の学生たちは長い竹竿で隊列を整え、道路いっぱいに広がって、じぐざくに曲りくねりながら、「安保反対」を叫び立てた。
「がんばれよ」
組会員から声がかかって、いっせいに拍手が起こる。デモ隊はいよいよ勢いづき、荒馬のように足を跳ね上げた。デモ隊は、まず駅前の北三条の交差点で盾を持った道警の機動隊とぶつかった。双方ぶつかり合ったまま、後ろには一歩も引き下がらなかった。しかし、全学連の一角が崩れると、機動隊の先頭が隊伍を組んだまま崩れたデモ隊を踏みつけて前に出た。
機動隊がデモ隊を取り囲んで、いっせいに棍棒の乱打を浴びせた。全学連はいったん引き下がって隊伍を整え、竹竿を横に長く持った先鋭隊を先頭に、機動隊めがけてどっと襲いかかった。棍棒が唸り、石が飛び交い、路上は忽ち乱闘場となった。
「徹底的に打ちのめせ!」
ジープが猛スピードで乱闘の中に割り込んできて、デモ隊長を乗せて立ち去った。全学連が薄野《すすきの》の方に消えた後、孝二たち労働者のデモ隊は札幌駅に向かって歩き出した。
昭和三十四年は春から安保反対のデモ行進で明け暮れたが、翌三十五年早々には日米安保条約が調印され、その年の七月には岸内閣が総辞職した。
「ストライキをしてもデモを繰り返しても結局は、炭鉱も勤評も安保も政府の思い通りだ」
孝二は投げやりに言った。
「だけど、内閣を総辞職に追い込んだんだからな」
成果は十分上がった、と高清水は胸を張る。
職員室では帰りを待つ同僚たちが、大きなコンクリートで造った四角な火鉢を囲んで雑談をしていた。
「おい、用心した方がいいぞ」
高清水が声を落として言った。
「昨夜の集まりには泉田教頭も顔を出したらしい。高校生の見張りなんだよ、彼はPTAの会長や役員とも親交があるからな、油断はできんぞ」
昨夜の「アイヌ解放の夕べ」には孝二も参加した。ウタリ協会と労働組合との共催だった。協会の事務長をしている葛西が、「アイヌの自立更生」について一時間ほど話した。話の後で、参加者たちの意見交換が座談形式で行なわれた。薄野《すすきの》の近くにある大谷会館の広い会場には、五、六十人ほどの参加者しかなく、集まりは閑散としていた。
孝二は「アイヌ解放の夕べ」の集まりには、ときどき参加していた。しかし、いつもアイヌの参加者は十人ほどしかなく、あとは大てい民主団体とか学生運動に関係する人ばかりである。だから、議論はいつも和人同士のやりとりが多く、アイヌの手の届かない遠くの方で行なわれるのが常だった。何ひとつ期待はできず、孝二はいつもがっかりして帰った。昨夜もそんな集まりだった。
「日本の国には国粋主義の亡者がうようよしてるからな」
同期の奈良が首をすくめる。
「戦争に負けても、お偉方《えらがた》はそのまま居坐っているからな」
孝二は首をかしげて溜息をついた。
「ぼやぼやしていると、国粋主義者たちがふたたび息を吹き返してくるから、よほど用心せんとな」
孝二は新緑に映えるアカシヤの街路樹に眼を向けたまま、奈良の話に耳を傾ける。
「ほら来た。亡者の御来場だ」
孝二は飛び退くように立ち上がった。泉田教頭が風を切って職員室に入ってきた。黒縁の眼鏡の奥で鋭い眼が電光のように光る。
「上尾君、君はアイヌ解放なんて、本気で信じてるのかい」
泉田は始めから突っかかって来た。彼は朝早くから方々の職員室を歩き回って、かなり心が昂っているらしく、口尻を頬骨の方まで引き攣《つ》らせている。
「アイヌ問題は同化・融合という理想的な形で、すでに終ってることぐらいは君も知ってる筈だ」
意気込んでいう泉田の決めつけた言い分を聞いて、「ここにも、アイヌを脱け殻と見る傲慢な和人がいる」と、孝二は思った。
「終ったという証拠はどこにあるんです」と、孝二は泉田先生に向き直って言った。
「それでは君、これから北海道を本拠に独立でもするというのかね」
彼は天井を仰いで大声で笑った。
「しかし、植民地主義が終った今、民族の解放を叫ぶのは当然の事ではないですか」
孝二が言い終らないうちに、泉田は「ばかばかしい」と言った。
「アイヌたちが何と言おうと、彼らが同化という自然な姿で、間もなく消えてしまうことは確かなんだ」
だが、二万五千人のアイヌたちが同化し終るまでには、これからさらに何百年もの間、苦難の道を歩き続けねばならないことを彼らは知っているのだろうか。
「アイヌ差別が続く限り、今にきっとどこかで爆発しますよ」
「そいつは戯言《たわごと》だ。へんに煽り立てて、世間を騒がすようなことは止《や》め給え」
自分たちが火種を蒔《ま》いておきながら、煽動を口実にまたまた解放の手を押え込もうとしている。
「北海道の開拓といい、アイヌ政策といい、実に適切なお上《かみ》の施政だった」
横から奥寺が口を入れた。アイヌのことになると、校長派も奥寺派もいっしょになって向かってきた。
「『旧土人保護法』は立派な法律とでも言うんですか」
孝二は大きく一歩踏み出した。
「世界の歴史を見給え。無知な原住民が抹殺されなかっただけでも、有難いことなんだ」
奥寺は優勝劣敗の原理を説き、抹殺された民族の名をいくつも挙げて説明した。
「PTAの役員たちは、社会改革と称する君たちの暴挙をいちばん嫌ってるんだ。運動とか解放とか物騒なことを言ってると、田舎の学校へ行って貰うことになるかもな。同じ教師仲間として、僕は忠告するよ」
泉田教頭は眼鏡の上から覗き込むように睨み付け、足を踏み鳴らして職員室を出て行った。
27
夕風が家並みにつらなる青い樹々の梢《こずえ》をゆるやかに渡っていた。建材を山と積んだ大型トラックが通り、そのすぐ後ろから薄野《すすきの》を曲ってきた電車がのろのろと通り過ぎた。街は夕凪のように静かだった。
孝二たちは電車通りを右に折れ、半町ほど歩いて大谷会館の前に立った。入口には「『第三回アイヌ解放の夕べ』ウタリ協会、地区労共催」と書いた大看板が立っていた。学生らしい男たちが甲高い声で「安保」のことを口走りながら、どやどやと中へ入って行った。
「今日も看板倒れかな」
奈良がその看板を見上げて苦笑した。いつも宣伝ほどに盛り上がらない集会を、彼はいぶかしく思っている。
奈良は学生時代には自治会の委員長として活動した闘士だっただけに、今でも市内の民主団体や労働運動に首を突っ込んで、抗議や集会に参加していた。対雁《ついしかり》文雄の傷害事件にも、生徒の味方になって、孝二といっしょに退学反対の先頭に立った同志だった。
「だけど、僕たちは所詮和人のものの考え方しか出来ないんだな」
理解しているようでも、解放を叫べば叫ぶほどアイヌの人々から遠去かってゆくような気がする、と奈良は言う。
「そうかも知れないな」
孝二は顔をそむけたまま相槌を打ったが、奈良の言葉は鋭く胸に突き刺さった。アイヌであることをもう既に明確にしている自分なのに、和人同士として話しかけてくる奈良に対して、曖昧な返事しか出来ない優柔不断な自分が見苦しかった。
「僕たちが頭の中でいくら考えても、とうてい彼らの考えている領域までは踏み込めないんだ」
じっさい、奈良のいうアイヌ解放には、先人の犯した罪の贖罪意識があって、それを叫び続けるだけで充分満足に見える。
「君は今まで差別したことがあるか?」と問えば、「とんでもない」と応えるだろう。奈良にもそれが嘘だとは分っていないのだ。彼は口を噤んだまま奈良の先に立って階段を昇って行った。
入口のところで、アイヌ青年が『アヌタリアイヌ』を配っていた。青年は緊張した顔で、「前の方が空《す》いています。なるべく詰めて坐って下さい」と言った。
会場は人がまばらだった。赤い鉢巻をした労働組合員、学生、それにアイヌが十人ほど、前の方に陣取っていた。そのもっと前の演壇近くに、社会科学研究会の部員らしい高校生も坐っている。その中に顧問の林もいた。
会は始まったばかりらしく、学生らしい男たちが、調子の悪い卓上マイクのコードを縮めたり伸ばしたりして調整しており、演壇にはK大学の高野教授が立っていた。彼は旭川在住の民族学者だが、親子二代のアイヌ研究者として知られていた。彼の専門はユーカラだったが、今日もそのユーカラについて話し始めた。
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」で始まるユーカラは、梟《ふくろう》をなぜ村の守り神として祭るかを教えると同時に、宝というものは貧しくても清い心を持った者だけにしか与えられない、ということを教えた歌である。
そこには豊かな自然と長閑《のどか》なアイヌの生活があり、谷|間《あ》いを流れる小川の辺《ほと》りにはスズランが咲き乱れ、子供たちは弓矢を持って丘の上を駈け回っている。
梟がコタンの上空にさしかかると、子供たちの放つ矢が遠く近く飛んで来た。「美しい鳥、神様の鳥」と叫んで、子供たちは追いかけて来る。その中に貧乏な子供がいて、その子を不憫に思った梟神は、その子の矢をつかんで舞い降りて来る。そして梟は貧乏な子に伴われて家に連れてゆかれる。
「梟の神様、大神様」貧しい家の老夫婦が、梟神を手厚くもてなす。梟神はみんなが寝静まってから起き上がり、歌いながら家の中を左へ右へ羽撃き、家の中に宝物をいっぱい散り落とし、ついでに家も大きく立派な家に造り替えてしまう。
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と歌いながら、梟の厚意に感激した老夫婦は、さっそく立派な御幣《イナウ》を造って梟神に供え、六つの酒桶に酒を作り、コタンの人々を招待して二日も三日も祭りを行なった。梟神は安心して天の神の国へ戻ってゆく。
そして次のようにユーカラは結ばれる。
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彼《か》のアイヌコタンの方を見ると、今はもう平穏で
人間たちはみんな仲よく、彼《か》のニシパは村の頭になっている
彼《か》の子供は、今はもう成人して、妻子を持ち、父や母に孝行している
酒を造った時は、酒宴のはじめに
いつでも御幣《イナウ》やお酒を、私に送ってよこした
私も人間たちの後ろに坐って
いつでも人間を守っている
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アイヌの人たちは沢山の神様を持っているが、その中でも一番偉い神がコタンクルカムイとして崇められている梟神である。梟神は人の心を見分ける事が出来るばかりでなく、いつもコタンの近くに住んでいて、身に迫る危険や獲物の居場所を教えてくれる頼りになるカムイだった。宝というものは、貧しくても清い心を持つ者だけにしか与えられないというが、この場合の清い心とは、人間の仲間だけでなく、動植物を含め、万物が互いに育て合う広い心をいうのだ。
高野教授は黒板に「ウレシパモシリ」(万物が共存する大地)と大書して、「だから、この大自然は人間だけのものではありません」と、力を込めて言った。
アイヌたちが山の王者キムンカムイ(山の神、熊)に対する時は、いつも清い心に立ち返る。熊は厚い毛皮と肉を持って人間の前に現われるのだが、梟は上空からそれを見つけて、人間に教えてくれる。イヨマンテ(熊送り)の時は、いつも近くの森の中から盛大な祭りを満足げに眺めている。
梟はまたコタンの守り神であると同時に、生命を育《はぐく》む湿原の番人でもあった。だから、野火が湿原を走り抜けたり、濁流が茅原に荒れ狂ったりする度に、梟は太い声で鳴きながらコタンの空を飛び回る。
聴衆は静かに聞き入っていた。高野教授は最後に、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と歌うように言って、演壇を下りた。
会場を出た孝二たちは、薄野の交差点を渡って繁華街に出た。街は赤いネオンに浮き上がっていた。二人は無言で歩いた。中華風のラーメン屋の前まで来た時、向こうから走って来たひとりの若者が、突然、眼の前に立ち止まった。幸夫だった。青いナッパ服を着た彼は、サンダルを両手に持ち、素足だった。小鼻をひくひくさせ、太い眉にふさふさした睫毛《まつげ》、凹んだ眼の底から黒い瞳が光る。
「殴り合いの喧嘩をしたんだ」と、幸夫は呼吸《いき》をきらして言った。
「相手は誰だ?」
孝二は身を乗り出したが、幸夫は弾かれたように跳び上がり、その勢いでふたたび大股で逃げ出した。
「待て」
追いかけて来た二人の警官が、孝二たちの眼の前を疾風のように駈け抜けて行った。そのすぐ後からパトカーがサイレンを鳴らして追い駈けてゆく。
「知り合いなんだ」
孝二は奈良にくったくない調子で言った。奈良は黙って頷いたが、探るような彼の眼は幸夫の正体を見抜いたようだった。
「僕は用事があるので」
彼は右手を軽く上げ、人混みの中に消えて行った。
長浜幸夫は孝二の小学校時代の同級生久造の弟だった。彼は半年ほど前から中沢ヌップの処で木彫りの修業をしていた。去年の冬帰省したとき、久造は孝二の手を固く握りしめて、「どうしても札幌で勉強したいとな、田舎者の分らず屋だども、頼む」と言って、涙を流した。
幸夫はアイヌ生まれのためにろくな職にもつけず、漁師になったり農家へ奉公に行ったりしたが、いずれも一カ月とは続かなかった。あちこち歩いた末、阿寒の土産店で働くことになったが、無口で暗い性格の彼は店員も嫌になり、辞めて観光土産の熊彫りを習った。一年ほど経ってようやく銭《ぜに》のとれる仕事ができるようになると、もっと深く彫刻のことが知りたくなり、当時田舎の方まで名の響いていた彫刻の師ヌップを慕って、札幌へ出て来たのだった。
孝二は奈良と別れた後、しばらくの間、路上で幸夫を待ったが、彼は戻ってこなかった。
翌朝、出勤した孝二は机上に置かれたメモを見た。「傷害事件の加害者長浜幸夫の身元引受人として、至急札幌中央署に出頭されたい。久保田文雄」と、したためられていた。久保田文雄とは幸夫の小学校時代の担任で、つい先頃札幌に転勤して来た先生である。
孝二はすぐ久保田家に電話した。奥さんが電話の向こうから、「今、生憎《あいにく》道南に出張中のため、上尾先生にお願いした次第です」と言った。電話の内容から大体のことが読みとれた。それにしても、アイヌ嫌いで口の軽い久保田に身元引受人を頼むとは――。確かに和人の久保田の方が顔の通りがいいかも知れない。だが、幸夫のこうした甘い考えが、孝二の心を掻き乱した。
「傷害事件を起こした本人と君とは、特別親密な関係にあるそうだからね。授業の方は何とか都合をつけるから、すぐ引き取りに行き給え」
生徒指導課長の森田は命令口調で言った。職員室の先生方はじろじろこっちを振り向く。「親密な関係」という、森田のうわずった調子には、確かに生ま生ましい嘲笑の響きがあった。
中央署は街の真ん中、北一条西五丁目にあった。鉄筋三階建ての堅牢な建物で、見るからに威風堂々としていた。半円形の石段を昇って中に入ると、広間のだだっ広い部屋は、各係ごとに机が配列されていて、警官はまばらだった。幸夫は入ってすぐ右側の席に俯向いて坐っていた。
「長浜幸夫の知人、上尾孝二という者です」
彼は傍で書きものをしている警官に名刺を差し出した。すでに事情を聞いているらしく、「ああ、上尾先生ですね」と言って、すぐ孝二の方に向き直った。
「喧嘩の発端は些細なことだが、相手に与えた傷害には責任を取って貰わねばなりません」
警官の口調は終始もの柔らかである。事件の概要を話してから、「かっとなってやった気持ちはよく分るが、治療費は全額支払って貰います」と言った。幸夫は背中を丸めて蹲《うずくま》り、牛のように黙っていた。アイヌを罵倒されたことから起こった喧嘩での暴力沙汰だろうが、孝二はすべてを認めて部屋を出た。
この事件は、孝二の心に嫌な傷を残した。それは幸夫の喧嘩騒ぎや傷害事件ではなく、警察の通りがいいからという理由で、アイヌ嫌いで有名な久保田に幸夫が身元引受人を頼んだことだった。幸夫の心情も分らないではないが、孝二は学校で森田課長に聞いたときから腸《はらわた》が煮えくり返っていた。身元引受人については警察側でどんな条件をつけようと、こちらには彼の師匠のヌップもいるし自分だっている。それを十分知っていながら、久保田の名を指したのだから腹が立つ。彼や奥さんに知れたからには、今ごろは事件に尾鰭《おひれ》がついて、十勝太の部落じゅうに知れ渡り、人々からは「やっぱり」と言われて、笑い者にされているに違いない。そして、兄の久造はこの噂を聞いて、どんなにか悲しんでいることだろう。
「なんで頼んだ」
孝二は厳しく詰め寄った。二人は豊平川の土手に腰を下ろして川の流れを眺めていた。人影がまばらで、初夏のほのかな風が川面を静かに渡っている。
「久保田先生にだよ」と、孝二はふたたび言った。幸夫は唇を固く噛みしめ、頬をこわばらせて、押し黙っている。ときどき顔を上げて、大きな眼でぎょろりと孝二を睨みつける。
「君の保護者は中沢ヌップなんだ。まったく性なしだなあ」と、忌々しげに言った。
「久保田先生なら怒らないし、和人だから警察の受けだっていいもの」
黙りこくっていた幸夫がようやく口を開いた。確かに彼の言う通りに違いなかった。しかし、孝二の眼は怒りの為に額の方まで吊り上がった。
「そんな甘い気持ちだから、和人に付け込まれる」と言いかけて声が詰まった。幸夫の言葉に偽りはないのだ、と孝二は思った。和人たちを欺瞞し、その中に紛れ込んで、ここまで這い上がって来た者が、幸夫に向かって「アイヌの意地を通せ」とは言えなかった。
「だが、ここで弱音を吐いては和人を見返す立派な彫刻家にはなれないのだ」
孝二は低く腹にたまる声で言った。だが、幸夫はなおも唇を噛みしめ、体をこわばらせて強情に身構えていた。
「僕たちアイヌは踏まれても蹴られても何度でも起き上がって、一歩でも半歩でも前進することだ」
「説教はもう沢山だ」
憮然《ぶぜん》とした幸夫の口から絞《しぼ》るような声が飛び出して、孝二の説教は途切れた。
家鳩の群が上空を大きく旋回して天神山の方へ飛び去った。
「今日は六月十日だな」
いっときして孝二が言った。十勝太の桜の開花は札幌よりちょうど一カ月遅いから、今が盛りだった。
「桜が咲けば運動会の練習が始まり、川鱒は大漁だ」
丸木舟が飛沫《しぶき》を上げて十勝川を走り回り、馬耕が始まって、十勝太は今が一番|華《はな》やかな季節だった。
「つまんない」と、幸夫は独り言のように呟やいた。小学校時代の仲間たちはみんな散り散りになって、友達のいない幸夫には十勝太もすでに懐しい故郷ではなかった。しかし、札幌とて群集の中に紛《まぎ》れてみても、決して住み良い街ではなかった。
「アイヌの誇りなんか爪の垢《あか》ほどもない俺たちに向かって、頑張れもへったくれもあるもんか」
幸夫は豊平川の流れに向かってべっと唾を吐いた。
風が立って川面にさざ波が走る。太陽はすでに手稲山に傾き、夕焼け雲が頭上高く膨《ふく》らんできたけれども、二人はいつまでも立ち上がらなかった。
28
「第四回アイヌ解放の夕べ」は、デモ行進から始まった。先頭に翻《ひるがえ》っているのは、中沢ヌップが作ったアイヌモシリの旗だった。図柄は北海道の地図の上に、アイヌ紋様で雄壮な梟《ふくろう》を描いたものである。
先頭集団には厚司《アツシ》を着、サパンペ(冠)を被ったウタリ協会の会長向田岩太郎や葛西事務長、それに民族衣装で着飾った女性たちが塊《かたま》っていた。
「デモというより、アイヌのお祭りだよ」
江沢が大旗を振りながら言った。
大通り公園を出発したデモ隊はわずか五十人ほどで、その中には社研の高校生もまじっていた。隊列の中に赤や緑で描いたプラカードがいくつもあった。「アイヌ解放」「アイヌの自立」「アイヌモシリの実現」「アイヌモシリを返せ」などなど。
デモ隊は駅前通りを静かに進んだ。通行人たちは物珍しげに立ちどまって眺めた。シュプレヒコールもなくジグザグもなくただ黙々と歩く。
「どうも盛り上がらないな」
松井が先頭に走り出て旗を大きく振り回したが、デモ隊は依然として静かだった。
「これじゃあ、まるで葬式デモだな」
松井が肩で溜息をついた。
「歩くだけでも、アイヌ解放のアピールになるさ」
松井と江沢が並んで歩いた。カメラマンがデモの先頭に立ちはだかるようにして写真を撮《と》ろうとすると、女性たちはいっせいに顔をそむけた。
「アイヌモシリを返したら、和人たちはどこさ行くべ」
「大体、アイヌだけでこの広い北海道をどうやって治めるべか、アイヌに聞いてみたいもんだ」
「そんな寝言《ねごと》みたいなこと、誰が本気にするんだ」
和人たちは、この奇妙な行列を腹をかかえて笑いながら見送った。
「解放や自立ならまだしも、アイヌモシリを返せとは、ちょっとオーバーだよ。道理に合ったスローガンでなければな」
奈良は、口元に笑みを浮かべて言った。
「しかし、北海道はもともとアイヌの土地だったんだから、その土地を返せ、というのは自然だと思うけどな」
孝二は真顔で言った。
「北海道がこんなに発展したのは、やはり血と汗で開拓した和人たちの功績だよ」
「しかし、進歩発展が人間を幸福にしてるかどうか、自然破壊の面から見ても、はなはだ疑問だと思うけどな」
「僕は科学の進歩を信頼するよ」
「僕なら自然の偉大さに最敬礼するな」
奈良と孝二の意見は噛み合わなかった。
デモ隊は駅前から植物園の周りを一巡して大通り公園に戻って来たが、行進は最後まで盛り上がらなかった。彼らはその足で大谷会館に集まった。
会場にはウタリ協会の各支部から集まって来た代表者たち二十名ほどが、演壇の前に陣取っていた。各支部の一般報告が行なわれた後、今年度の残された行事の話があった。
「国後《クナシリ》・目梨《めなし》の戦いにおける戦死者のイチャルパ(供養)について、根室支部山根エカシから説明していただきます」と、司会の葛西事務長が立ち上がって言った。
国後・目梨の戦いは一七八九年に起こったのだから、今年は百七十三年目になる。イチャルパ(供養)は戦後毎年かかさずに行なわれてきた。ノッカマップの岬にヌササン(野外祭壇)を設けて、和人に斬首された三十七名の霊に対して手厚く祀るのである。
ウポポ(歌)やリセム(輪踊り)が始まり、イチャルパが最高潮に達すると、アイヌたちは海の向こうのクナシリの方に向かってペウタンケ(霊を呼び寄せる叫び声)を始める。犬の遠吠えのような、悪魔の呪いのような、その声が腹に浸《し》み入るのである。孝二は一昨年ノッカマップを訪れて、そのせつない声を聞いた。哀調を帯びた忘れられない響きだった。
「イチャルパは例年通り九月二十日正午から始めます。出席の方は電話かハガキで連絡くだされば、根室駅まで小型トラックでお迎えに参りますから、一人でも多く誘って来てください」
山根エカシは愛嬌を振りまいて言った。
翌日、昼食を食べている処に、校内通達が回って来た。「高校生の政治活動禁止」の通達だった。
「一方的に禁止とはやり方が汚ないよ。職員会議を開いて、みんなの意見を聞くべきだよ」
組合の班長高清水が通達の撤回を求め、各職員室を回って連判状を集めて歩いた。この趣旨に賛同した組合員の奈良、花田、仲畑、林もいっしょだった。
「業務命令として出されたんだから、従わなかったら処分されるんだよ」
この通達に反対する先生たちは、放課後薄暗くなるまで他の先生達の説得にあたった。
連判状は全教員のちょうど半数の四十人ほど集まった。班会議を開き、校長交渉の代表者四名を選んだ。班長の高清水、社研顧問の林、それに奈良、上尾だった。
昼休み時間、選ばれた四人は質問事項を携えて校長室に入って行った。西山校長は肘掛けの付いた椅子にどっかり腰を下ろしていた。額が広く鼻髭を生やした彼は悠然としている。
「用件は何です」
西山校長は四人の顔をひとわたり眺めて言った。
「職員会議を開いて欲しいのです」
高清水はこう言って、連判状を差し出した。西山校長はそれを受け取ると、一頁目の趣意書から丹念に眼を通した。
「これは全道校長会で決めたんだ。多数決で決める性質のものではないんだよ」
校長は連判状を押し返した。話はこれ以上の進展はなく、双方の意見は堂々巡りだった。
五時限目のチャイムが校内に鳴り響いたとき、
「帰り給え」
西山校長の最後の言葉だった。
29
昭和四十年七月、うだるような暑い日だった。柩《ひつぎ》を乗せた馬車は凸凹道をゆっくり進んだ。馬車には一膳飯や位牌、鹿花《しかばな》を持った孝二、妻のマサ子、姉のトミエ、夫の亀太郎、トヨ子、夫の佐次郎、母のサト、その他に子供たちや孫たちが乗っていた。馬車の後ろに葬列が長々と続いた。
サンナシの森まで来ると、馭者をしていた村の青年久三郎が馬車を止めた。一般参列者とは、ここで別れることになっていた。
部落会長の兵藤が、喪主に代わり、参拝者一同に謝辞を述べ、さらに故人の冥福を祈った。
「周吉は一代で牧場主になったんだから、偉いもんだ」
アイヌ婆さんのキネとタミが話している。
馬車はふたたび動き出した。放牧牛たちが森の木陰から出て来て葬列に加わる。陽一やトヨ子の息子の周一郎が喜んで牛の尻尾に捕まり、引っ張られるようにして歩いた。
牛たちは空を仰ぎ、首を伸ばして鳴き立てた。泣き声は原野に響き渡って、その数はどんどん膨れてゆく。
「牛たちは、何もかも知ってるんだよ」
サトは目頭を押さえた。
「親方の死を心の底から悲しんでるんだよ」
キネ婆たちが涙を拭った。
ポロヌイ峠にさしかかっても、牛の群れは葬列を離れなかった。陽一や周一郎も尻尾の毛先を握りしめて、牛たちといっしょに走った。
「追《ぼ》え、追《ぼ》え、真っ向《こ》うから立ち向かって、叩きのめせ!」
兵藤会長が馬車の上から大声で怒鳴った。元気のいい若者たちが、柳の鞭をひゅんひゅん打ち鳴らして追いまくる。しかし、牛たちはなおも頭を振り乱して突っ込んで来たが、若者たちの馬力に押し返され、馬車がポロヌイ峠を登り切るころには、ようやく葬列から離れ、峠を駈け下りていった。
山の中は蝉の声が時雨のようにざあざあ降り注《そそ》いでいた。大きな虻《あぶ》が馬の首や腹に喰いついて離れないので、馭者の久三郎が柳の鞭で叩き落とした。
厚い鉄板の上に薪が積み重ねられ、藤吉爺さんは、いつでも火を放てるように待ちかまえていた。爺さんはこの道三十年のベテランだった。長い返し棒を上手に操り、骨箱一杯分の骨に焼いてくれる名人である。
「さあ、お別れをしてくろ」と爺さんは言って、柩の上に積み上げた薪に石油を振りかけた。みんなは手を合わせて咽《むせ》び泣いた。
青白い炎がごうっと音を立てて柩の前後を稲妻のように走り抜けた。
「骨揚げはマネ(合図)で知らせるからな」
爺さんは念を押すように言った。マネはポロヌイ峠の突端に上げることになっていた。
「可哀想によ」
突然、キネ婆が燃えさかる炎にかぶさるようにして涙声を上げた。
「周吉はシャモに焼き殺されたぞ、牛舎《うしごや》に火を点《つ》けたのはずるシャモに決まってるべ」
蝉の鳴き声といっしょに女たちの泣き喚《わめ》く声は、いつまでも続いた。マサ子はひとりみんなから離れ、泣き叫ぶ女性たちを驚いたように眺めていた。
「泣き喚《わめ》いたって、どうすべえ」
サトがキネ婆を制するように言った。孝二は髪を振り乱して泣き叫ぶキネ婆を抱きかかえて、もとの席に連れ戻した。
夏の陽が木立ちの葉陰を洩れて、眩しく照らした。
「見ろ、冥土の道に迷った周吉の魂がこの辺りにうろついて嵐を呼んだぞ」
タミ婆が一歩前に進み出て、西の空を指差した。真っ黒い夕立雲が生き物のように、もくもくと湧き上がってきて、四囲が急に薄暗くなった。指の向こうの暗雲の中を一羽の白鳥が南に向かって飛んで行った。
「さあ、雨の来ないうちに、みんな、乗った乗った」
久三郎が馬車の上に立ち上がって叫んだ。マサ子も陽一を抱きかかえ、トヨ子の手にぶら下がるようにして馬車に乗り込んだ。参拝者たちは慌《あわただ》しく馬車に跳び乗って山を下だった。
悪夢の発端は三カ月前に溯《さかのぼ》る。
農協から部落に今年度分三頭の補助牛の貸し付けがあった。この補助牛は産まれたばかりの雌牛を農家に貸し付け、大きくなって雌牛が産まれたら農協に返す制度だった。雌牛が産まれなければ、いつまでも返さなくてもよかったし、雌牛も一頭だけ返せばよかったので、毎年希望者が多く、なかなか割り当てが回ってこなかった。
「亀太郎は三年も前から農協に入っていて、独立して酪農家になりたいと言ってるんだ、頼む」
周吉は頭を床にこすりつけて頼んだ。
「みんなが貸与を受けた一番後でいいんだ。一頭ずつ増やしてゆく喜びと、仕事に意欲を持たせたいんだ」
「そんなに欲しいんなら、おめえとこの牛を亀太郎にやったらよかべ」
菊村が口を尖らせた。
「亀太郎は、わしらと竈《かまど》が違うんだから、当然権利はあるべ」
しかし、周吉の言い分に誰ひとり耳を傾ける者はなかった。
「馬鹿にすんな!」
黙って聞いていた亀太郎が弾かれたように飛び上がった。
「なんで差別する。俺だって正式の組合員だど」
「周吉は大きな酪農家なんだからな、彼に貰ったらよかべ」
寅之助が亀太郎の前に立ちはだかった。
「俺はみんなと平等にしてくれって言ってるんだ」
亀太郎は拳骨を振り上げ、寅之助めがけて飛びかかった。二人は折り重なったまま倒れたが、菊村が上に乗った亀太郎の足を引っ張ってひっくり返した。その菊村の足に喰いついた周吉は、頭を蹴られても離れなかった。
「やめろったら」
兵藤会長が仲に入って双方を分けた。
「俺は津軽衆だけどな、お前らとどこが違うべえ。農協の役員たちに補助牛のルールを聞いて、徹底的に闘ってやる」
亀太郎の眼は額の方まで吊り上がっていた。
「平等にクジを引かしてやったらどうだべ」
兵藤会長は亀太郎を宥めるように言って、組合員たちを見回した。反対は菊村ら五人だった。
クジ引きは宝引《ほうび》き綱によって厳正に行なわれた。まだ補助牛を貰っていない組合員は四人で空《から》クジは一本だった。
「ほら」と言って、兵藤が宝引き綱の束を谷口の前にどさりと落とした。谷口はクジ引きの名人だった。彼はその束から四本の綱を引き抜き、その中の一本に空クジのドッペ(穴のあいた銅貨を束ねたもの)を結んだ。
「ゆくど!」と、谷口は綱を床に叩きつけて気合いをかけた。四人は喰い入るような眼で綱を追いかける。彼は二、三度叩きつけた後、さっと綱を床の上にばら撒いた。四本の手がいっせいに伸びて綱を握る。
「捕まえたど」と、亀太郎が叫んで当たりクジを頭上にかざした。ドッペを引いたのは山本だった。人々は何となく浮かない顔をしていた。
「山本、来年は無条件に当たるからな」
兵藤会長が慰めるように言った。補助牛の配当が終って組合員たちはばらばらに帰って行った。周吉と亀太郎は願いが叶《かな》って気分よく集会場を出た。すでに陽が落ちて戸外は暗かった。
「今日は何もかもうまく行ったな」
今までだったら多数決で押し切られたが、今日は南部育ちの亀太郎のお陰でうまく行ったのだ。周吉は腹の底から嬉しかった。
しかし、クジは当たったが、肝心な補助牛はなかなかこなかった。四月が五月になり、六月に入ってようやく届いた。小柄で痩《や》せ細った牛だった。周吉と亀太郎は牛舎の一角を仕切り、補助牛が元気になるまで、そこで飼うことにした。彼らは柔らかな牧草や大豆や人参を与えたので、仔牛は日毎に元気になって行った。
「もう大丈夫だ」
周吉たちは、もうそろそろ放牧しようと考えていた。そんなある日の午後だった。
「火事だ!」
周吉が外へ飛び出したとき、炎はすでに牛舎全体を包んでいた。燃え盛る火の中から彼はいったん引き返し、濡れた筵《むしろ》を被ってもう一度飛び込んで行った。補助牛は牛舎から飛び出して助かったが、周吉はふたたび戻ってはこなかった。屋根が焼け落ちてもサトは牛舎をぐるぐる回りながら、周吉の名を呼び続けた。
30
葬式の終ったその晩、部落じゅうの人々が集まって忌中引きをした。祭壇には骨箱を中央に、花や果物が飾られ、参拝者たちは祭壇を拝んでは席に着いた。
ボンボン時計が八時を打って、ようやく酒宴が始まった。孝二は正坐し、出席した人々に向かって、生前の周吉への厚誼を謝し、今後いっそうの厚情と支援を願う型通りの挨拶をした。
「さあみんな、腹いっぱい飲んでけれ」
母のサトが孝二の側に坐って愛想よく言った。部落の役人《やくびと》や親戚たち四十人ほどが、開け放した部屋いっぱいに坐り、給仕人たちが忙しく働いている。その中にはマサ子も加わって動き回っていた。あっちからこっちから声がかかって、銚子が飛ぶように売れる。始まって三十分とたたないうちに、座が騒々しくなった。酔客の数が増えて、孝二は席をはずしてストーブの陰に身を潜《ひそ》めた。
「葬式も無事終ったし、今日は格別うまい酒だ」
兵藤会長は盃では小さすぎると言って、一合も入るコップに取り替えて、なみなみと注いで貰った。正面には部落の土木部長、配給部長、教育部長といった役人《やくびと》が、ぞっくり顔を並べている。
「周吉は運のいい男よな、一代で牛馬を貯《た》め、牧場を手に入れてよ。おまけに、子供たちはみんな和人《シヤモ》と結婚できたんだからな」
兵藤会長は酔っていた。
「財産を貯《た》めて、子供たちは和人《シヤモ》と結婚できたとな」
こんな幸福はない、とキネ婆は反芻《はんすう》する。彼女は涎《よだれ》を長々と垂らして、もう前後の見境いもなく酔っている。先刻墓場で「周吉が可哀想だ」と言って涙を流した同じ顔が、けろりとしてこう言える、身についた処世だった。
「盛大な飲み食いが供養になる。たらふくご馳走になるべえ」
コップを高々とかかげる兵藤の檄《げき》に応え、座は急に盛り上がった。笑いこける者があり、立ち上がって手を叩く者もあった。孝二は炉縁に蹲り、ランプの陰になって、酔客を苦々《にがにが》しく見つめていた。
孝二は父の死が哀れだった。最後まで闘い続けて死んで行った父が不憫《ふびん》だった。母のように口には出さなかったが、幼いころから出世を願い、望みをかけて来た父である。だから、暮らし向きの辛抱も、教育熱心も、夫婦喧嘩も、すべてが孝二の出世に繋がっていた。
「偉い人になって、和人《シヤモ》ば見返してやれ、孝二ならきっと出来る」
何度となく聞かされた言葉だった。だが、和人社会の中では出世はおろか、簡単な差別さえ跳ね返すことは容易でなかった。
「孝二、大学出身の力ば早く見せてけれ」
こう言われるのが辛かった。両親も姉妹たちも、大学さえ卒《で》れば、必ず出世できるものと思い込んでいた。しかし、孝二は父の前で将来の望みを語ることさえ出来なかった。孝二は、和人の亀太郎にせめてもの望みを繋いだ父の焼け爛《ただ》れた顔を思い浮かべ、胸を締めつけられるのだった。
「源、タント節ば出せ」
勢いに乗って、音痴の源次郎に向かって誰かが叫んだ。源次郎は困った顔をして四囲を見回し、「参ったな」と言った。笑い声がどっと起こって、「出せ、出せ」と、みんなの囃《はや》し声がかかる。源次郎は今にも歌い出そうと、大きな息を吸い込んでは止めた。
「供養ばせんとか」
うまく歌い出せないでいる源次郎を、土木部長の洋平がどやしつけた。
「おら、歌はふんとに駄目なんだ」
それでも、彼は何とかみんなの要望に応えようとして、味噌っ歯を剥き出して歌おうとした。酔客たちの手拍子が嵐のように轟いて、家じゅうがぐらぐら揺れ動いた。
「蛆虫《うじむし》ども、死んだ馬にたかった蛆虫どもだ」
孝二は突然立ち上がった。
「見ろ、和人たちは笑いこけながら、平気で罠《わな》を仕掛けてくる。いつもこの伝《でん》でやってくるんだ。歌がなんで父の供養になるもんか」
あたりに殺気が漲《みなぎ》り、和人たちの眼は鋭く吊り上がった。
「ほう、おらたちが蛆虫だとな」
いっときして、兵藤会長が押し殺した声で言った。その声は怒りに震えていた。
「誰のお陰でこうしていれるんだい。お上《かみ》から手厚い保護を受けてよ。おらたちの寛大な慈悲がなかったら、アイヌたちはもうとっくに抹殺《まつさつ》されていたんだぞ」
アイヌたちの行方は、すべて我々の料簡《りようけん》次第だ、という兵藤の言い分だった。
「旧土人保護法」によって、アイヌに無償で五町歩の土地を与えたり、就学の便宜をはかってきた、といって恩に着せるが、父周吉の口からは一度だって、「有難い」という言葉を聞いたことがなかった。貰った土地は真鴨の巣にしかならぬ不毛の地だったというし、学校は差別の温床で、アイヌの子供たちは誰ひとり喜んで学校へ行った者はなかったという。
「鹿も秋味も根こそぎ取り上げておいてな、餓死しそうになれば今度は手を差し伸べて、泥沼から掬い上げてくれると言うぞ」
酷なことをするもんだと言って、祖父オコシップはいつも嘆いていたというから、今さら、兵藤会長が「保護」を持ち出して来ても、いささかも有難味がなかった。
兵藤は尖った顎をしゃくり上げ、背中を丸めて立ち上がろうとした拍子に、足元がふらついて、腰から折れるように崩れた。彼はひどく酔っていた。周りの男たちに抱き上げられ、子供みたいに両足を踏んばって、「おめえたちは犬だ」「畜生だ」と、喚《わめ》き立てた。下座のアイヌたちは、マサ子や陽一といっしょに、互いに寄り添い、がたがた震えて兵藤の狂態を見つめている。
「おいら、犬ころで結構だい」
豊造が、身を乗り出して横から口を入れた。女房のフミが袖を引き、関わりを作ってはならぬ、と言って差し止めるのも聞かず、
「孝二の言い分が嘘だと言うなら、どうでも気がすむまで、おいら犬ころの頭のコンベ(天頂)を殴るがええ」
豊造はこう言って、みんなの止めるのも聞かずに、自分の頭を部屋の真ん中に突き出そうとする。フミの平手が亭主の禿頭をばしゃりと叩きつけた。源次郎は膝を抱くような格好で坐り、あっけにとられている。
「さあみんな、気分を直して、初めから飲み直してけれ」
物騒な喧嘩騒ぎを押し静めようと、サトは部屋の中央に立ち、大声を張り上げて何度も頼んだ。しかし、和人たちは示し合わせたようにいっせいに席を立ち、兵藤を先頭に辺り構わずがっと唾を吐き、足を踏み鳴らして帰って行った。
兵藤が怒り狂っている間じゅう、孝二は姉のトヨ子から謝罪するようきつく勧められた。どんなに腹が立っても、ここは謝ることが先決だと言うが、孝二はどうしても謝る気持ちにはなれなかった。いつもの伝《でん》で、捩じ伏せようとする彼らの横暴が許せなかった。
「そうだとも、謝る必要なんかあるもんか」
豊造が、和人たちの帰りを見届けて言った。
「あんな奴《やつ》、叩きのめせ」と、今度は山本エカシが拳骨を振り上げる。だが、それはアイヌたちの空《から》元気で、空《むな》しい響きとなって辺りに消え失せた。
豊造や山本エカシそれにキネ婆も加わって、炉縁を膳にして飲み直した。
「周吉は酒に飲まれるなと言ったど」
彼らは煮しめを手掴《てづか》みで頬ばり、太い涎《よだれ》といっしょに浴びるように飲んだ。炉縁に坐っていたマサ子と陽一が眼を丸めて、豊造達をじっと見つめている。
「わしらは呪われた身なんだ」
みんなが帰った後、執念深い彼らの仕返しが恐ろしいと言って、トヨ子が嘆いた。
「後でもかまわない、やっぱり謝った方がええ」と繰り返し言った。サトは祭壇の前に坐ってぼんやり眺めている。凍り付いたように家じゅうがひっそりしていた。
歪んだ母の顔と甲高い部落の人達の嘲けた笑い声が頭の中に渦巻いて、孝二は床の中に入ってもなかなか寝つけなかった。祭壇の中央に据えられた骨箱が孝二の正面に見えていた。骨箱を覆った金色の布が細めたランプの光りに反射してチカチカ光る。柱時計が一時を打ち、間もなく家じゅうが夜の底に沈んだ。
31
翌日、孝二は姉のトヨ子にせがまれ、謝罪を決意して兵藤会長の家に出かけた。途々、彼は謝罪の言葉を口ずさんで歩いた。だが、腹に据えかねる彼らのやり方に肝がやけて、どうしても納得できる言葉が出て来ない。土橋を渡り左に大きく曲って浜部落に入っても、気持ちが落ち着かなかった。十勝川の岸辺に建ち並んだ家々から、大柄な犬が飛び出して来て歯を剥いて吠え立てる。孝二は両手をポケットに突っ込み、後ろも振り向かずにすたすた歩いた。
村の神社の大鳥居を越えて少し行った処に木造二階建ての家があった。兵藤の家である。戸口の板壁に赤い郵便箱が据えられ、玄関には目の細い都会風の格子戸が入っていて、この辺りのどこの家より立派だった。孝二が格子戸にそっと手を触れただけで、からからからと軽い音を立てて滑るように開いた。中から兵藤の長い顔がぬっと現われ、「誰だあ」と言った。孝二は声を聞いただけで、足がこわばり引き攣って進むことが出来なかった。「何の用だ」とふたたび声がして、孝二は敷居を跨いで框《かまち》の前に立つ。兵藤と女房のヤス子が頭を青大将のように、にょっきり立てて睨みつける。
「僕の身勝手な我儘《わがまま》で、つい失礼をしてしまいました。どうかご勘弁願います」
孝二は無礼を詫び、深々と頭を下げて許しを乞うた。
「蛆虫とな、よくも言えたもんだ」
兵藤は顎をしゃくり上げた。
「気が立っていたもんですから、軽はずみの言動を後悔しています」
「それが本心なら、そこに土下座して謝れ」
兵藤が框に、にょっきり立って見下ろした。孝二はその場に土下座し、両手をついて頭を土間にこすりつけた。
「許しが出るまで、そのまま頭を下げてろ」
兵藤は右足を伸ばして、孝二の頭を上からぐいっと踏みつけた。頭が土間に圧《お》し付けられ、顔が捩《ねじ》れたまま、孝二は歯を喰いしばって我慢した。
(きっと恨みを晴らしてやる)
孝二は家に帰ってからも情けなかった。
初七日の日、サトは子供たちを奥の部屋に呼んで、父の遺言を伝えた。
「お前たち、これはお父《とう》の遺言なんだからね、ようく聞いてくろよ」
それは、結婚した娘たちにはめいめいに五町歩の土地と一頭の牛を分け与える、というものだった。
「お前たち、この土地と牛はわしらが一町歩の土地、一頭の馬から一生かかって貯めたんだからね、これを基《もと》にして少しでも増やしてくろよ」
娘たちはサトの言葉を噛みしめるように聞いた。
「十勝太の野山をわしらの子供たちで埋めつくせたら、お父《とう》だってどんなに喜ぶべか」
サトは眼を輝かせた。周吉が亡くなった今、サトは子供たちだけが頼りだった。
「ナミ、わずかばかりの銭《ぜに》だけどな、五万円だ」
サトは茶封筒に入れた銭をナミとマサ子に手渡した。ナミは「早くに家を出して貰ったのだから」と言い、マサ子は「主人だって学校を出して貰ったんだから」と言って辞退したが、サトは「目|腐《くさ》れ金だども、気は心だからな」と言って、彼女らの言い分を受けつけなかった。
ナミは現在《いま》、帯広市立病院で婦長をしているが、早くに病院の事務員と結婚して幸福に暮らしている。夫の健次郎は義理堅く、父の葬式には真っ先に駈けつけて手伝ったが、留守番の三人の子供が心配だからと言って、葬式の終った日に帰って行った。
「健次郎によろしく言ってくろ」
サトは輪になった子供たちを眺め回して、「婿も嫁《よめつこ》も、いい人ばかりで運がええだよ」と言って笑った。
陽一と周一郎が部屋の中をぐるぐる駈け回りながら、竹の物差しをぴしぴし打ち鳴らして牛追い遊びをしている。
「孝二には何もあげる物が無いけどね」と、サトが改めて言った。
「お父《とう》がいつも財布の中に入れて大事にしていた石の梟のお守りをあげるよ」
子供たちは折り重なって覗き込んだ。サトは三つ折りの大きな皮の財布から梟のお守りを取り出した。親指大のその梟は、羽がふっくらと膨らんでおり、眼が光り輝いて神々しかった。
「四十年も前、ポン滝岬の海岸で拾って来たんだ。コタンの守り神梟をお父《とう》は肌身離さず持っていたんだよ」
「最高の形見だよ」
孝二は梟を掌に載せてつくづく眺めた。
ポン滝の岬には七彩のきれいな石の寄り上がる場所があった。赤、青、紫、黄色、橙《だいだい》色――いろいろな石が波に乗って岸に打ち上げられた。子供のころ、孝二たちはよく石拾いに出かけた。
「ポン滝岬の沖合いには、宝石の山があるんだよ」
上級生の米太郎が得意顔に説明した。孝二たちは海岸を昆布刈石《こぶかりし》の方に向かって歩いた。岬まで来ると孝二たちは、きれいな石を探して走り回った。彼らは両方のポケットいっぱいに膨らませて意気揚々と凱旋するのだったが、鳥や動物の形をした石を拾ったことは一度もなかった。
「この梟は長い髭を生やしているから、コタンクルカムイの中でも古老の方らしいな」
孝二は威厳ある梟の風貌に満足だった。彼はその守り神を、自分の財布の奥深くしまい込んだ。
昼近くなって、弟子屈《てしかが》からフサが来た。周吉の妹である。根室《ねむろ》の方に出稼ぎに出ていて葬式には間に合わなかったのだ。大きな風呂敷包みを背負い、厚内《あつない》から海岸を歩いて来たという。
「周吉、おらだ、フサだ」
フサは仏壇の前に坐るなり、大きな涙をこぼして言った。
「シャモの胆ば抜かないうちになんで死んだ、あんなにけっぱっていたによ」
望みを叶えてやりたかったと言って、フサは悲しんだ。
フサは弟子屈へ引っ越してからもたびたび遊びに来たが、周吉との話はいつも和人をやり込める話ばかりだった。だが、「土地や漁場を盗んだ罪は重いど」と言っても、和人たちにはまるで通じない。まして憔悴《しようすい》した者同士の小人数の力では、腕ずくで立ち向かうことも出来ない。結局は少しでも暮らし向きを良くして、自分たちの言い分を思いっきりぶちまけてやると言うのが、精いっぱいの望みだった。
「孝二が大学を卒《で》たんだから、もう少しで恨みの限りをぶちまけてな、小さな胆のひとつも抜いてやれたのに」
フサは溢れ出る涙を手の甲でこすり上げ、怒りを込めて言う。彼女は同じことを何度も繰り返して、みんなが昼食を食べ終っても仏壇の前に坐りつくしていた。
祭壇にはフサが持って来た花咲蟹とトロロ薯が供えられている。出稼ぎ先の根室から背負って来たのだ。
「周吉の好物よな、腹いっぱい食べてけれ」
花咲蟹の長い足と泥の付いたトロロ薯の先が祭壇からはみ出してしまった。大きいにこしたことはないと言って、フサは満足顔に眺めていた。
うだるような暑さだった。フサは吹き出る汗をしきりに拭いている。
「肩を揉みましょうか」
マサ子が声をかけた。
「揉んでくれるのけえ」と言って、フサがにっと笑った。
「うまいもんだわ」
周りの人が集まって来て、マサ子の柔らかな手並に感心した。
初七日のお詣りがすむと、キネ婆や豊造のところに泊りこんでいた白糠《しらぬか》や広尾《ひろお》の知り合い客たちがみんな帰ってしまい、フサだけが残った。家の中は人気がないように深閑となった。
「雁《がん》の総立ちだもの」
サトがフサに暫くいて欲しいと頼んだ。
朝から雲けていてすっきりしない空だったが、午後になってとうとう降り出した。孝二たちはその晩、夜汽車で帰る予定になっていた。
「夕飯を早めにせえよ」
サトは孝二たちに持たせる土産を紙に包みながら、台所のトミエやトヨ子に声をかける。孝二はサトが作ってくれた土産をリュックサックに詰めた。サトが作ったという飯鮨、忌中引きの口取り、昆布と、大きなリュックサックがはち切れそうに膨《ふく》れ上がった。
「兄《あん》ちゃ、骨納めにはきっと来てや」
サトといっしょに荷物を作っていた妹のキヨ子が言った。孝二は母の傷心を思って快く約束した。炉縁の隅に蹲っていたフサが、思い出したように伜の洋吉のことを愚痴《ぐち》っぽく言う。
「洋吉の奴《やつ》、いつの間にか自分の本籍ば内地さ移してよ、そっちさ聞けばあっちだ、あっちさ聞けばそっちだ。嫁っこに目ば晦《くら》んで、おらたちのことが邪魔になってしまったんだか、シャモの目ばおっかねえのか、日本じゅう逃げ回ってよ」
情けないことだ、と言って首を振った。母もトヨ子も口を噤んでいた。
「街さ出て碌なことはない。久造も留治も失敗して帰って来たしな。洋吉だって、みんなを騙《だま》くらかして幸せの来る筈はないさ」
孝二は洋吉叔父のやり方を良いとは思わないが、心を察して気の毒だった。差別の強い和人の中では本籍を内地に移して、和人の中に紛れ込まねばならなかったのだろう。
「街さ出て碌なことはない」とフサは言うが、孝二だってこのままマサ子といっしょに身を晦《くら》ましてしまうかも知れないし、逆に故郷へ逃げ帰らないとも言い切れなかった。
「さあ、出発だあ」
亀太郎が馬車を仕立てて家の前に引き出して来た。マサ子は衣類や土産の入った大きなボストンバッグといっしょに馬車の中央に坐り、その傍に虫籠を肩からぶら下げて乗って来た陽一が胸を突き出して、
「これ、おじさんから貰った魔法の輪なんだよ」と言った。彼の胸には牛の鼻輪がぴかぴか光っていた。
マサ子は雨合羽を被ったまま何度も頭を下げた。
「家族みんな、達者で暮らしてくろ」
サトは溢れ出る涙を拭いながら声を詰まらせて言った。孝二たちは、サトや姉妹たちに見送られて家を出た。周一郎が橋の欄干《らんかん》に立っていつまでも手を振っていた。
雨は風を付けて淀みなく降りしきる。ポロヌイ峠を越えるころには、日はとっぷり暮れていた。雨合羽を着込んだ孝二たちは、雨に打たれて、ただじっと口を噤んでいる。坂があり、森があり、泥濘《ぬかるみ》があった。「越えっぱ」と呼ぶこの泥濘に、周吉はよく馬車を埋めてしまって、馬だけを連れて帰って来ることがあった。
「なあに、水が引くまで待てばええさ」
この周吉の粘り強さが財産を作った、とサトはいつも口癖に言っていた。
ここで生まれここで育った周吉は、この道を何十回何百回となく通ったのだ。いつも襤褸《ぼろ》を着て馬車の中に蹲っている父の懐しい姿を思い浮かべる。
駅に着くと、雨はいっそう激しく横なぐりに吹きつけてきた。別れ際に孝二は家の事を改めて亀太郎に頼んだ。
「なんも心配すんな、俺も佐次郎もいるだからな」
汽車が白煙を靡《なび》かせてホームに入って来た。孝二たち一家を乗せた夜汽車は、暗黒の空から降りしきる雨のなかを札幌に向けて走り出した。
32
父の葬式をすませて帰って来た孝二は、焼死した父が哀れで堪らなかった。どんなにか和人を見返してやる日を待ち望んでいたことだろう。
「躊躇することはない、飛び立つんだ」
周吉の声が頭から離れなかった。結婚の時アイヌを告白しながら、解放に向かって大きく踏み出せないでいる自分が情けなかった。孝二は汽車の中でも、札幌へ戻ってからも、そのことばかりを考えていた。
父の死――それは確かに一時代の終焉《しゆうえん》だった。孝二は父から何を引き継ぎ、現代をどう生きるかが、大きな課題だった。アイヌ解放運動に参加し、それを推進することは勿論大事なことだったが、その運動を後戻りさせない為には、運動の実態を記憶し書き留めることが、後世に伝える唯一の方法と孝二は思った。
彼は一週間を費して、周吉の焼死を克明に書き留め、兵藤の傲慢な振る舞いも書き添えた。
それから暫くして、孝二は父の焼死をテーマにした短編「サンナシの森」を書きあげた。
「小説って、一回ごとに上手になってゆくとは限らないものですね」
マサ子は漠然とした不安に包まれていた。
「そりゃあそうだよ。いつもいい作品が出来るとは限らないから、しっかり心の眼を開いて書かないと、だんだん下手になって行く事だってあるんだよ」
出来上がった作品を読みながら、孝二とマサ子は夜遅くまで語り合った。
「テーマがしっかりしていて、読んで面白い小説でなければ……」
「でも、評価は人によって違うでしょ」
「客観的な評価があるようで無くて、無いようであるんだから難しいよ」
「八木沼先生に見ていただいてるんだから、大丈夫ですよ」
マサ子は出来上がった作品の束を見た。作品はすでに三十を越えていた。
「作品も溜ったし、個人雑誌を作ろうと思うんだよ」
孝二は『北都文学』の同人を止め、発表の場が無くなった時から、秘かに考えていたのだった。
「個人雑誌?」と、マサ子は顔を曇らせた。同人誌は年々豪華になってゆく中で、タイプ印刷の個人誌では見栄えがしない。
「読んでくれる人がいるでしょうか」
マサ子は貧弱な小冊子を考えているらしかった。
「生活に無理がかかるだろうけど、頼むよ」と、孝二はマサ子に頭を下げた。
「タイプ印刷にして、一冊に短編四、五編掲載すれば」
六、七万円で出来る筈だった。
孝二は徐々にその準備を進めていた。雑誌の名は『十勝川』で、表紙の図柄は図工の先生に頼んだ。青い表紙に三本の川が曲りくねっている図柄だった。
『十勝川』は三十頁ほどの薄い小冊子である。巻頭の言葉に「個人誌を作って、思うことを自由に書いて見たかった。小説になるか、童話になるか、詩になるか、形にこだわらずに表現したい」と書いた。
短編は「凧」「自転車」「牛乳運搬」「ポロヌイ峠」の四作を掲載した。
『十勝川』は五十部ほど刷って、出版社と新聞社に送った。八木沼先生から、すぐ返事が来た。好感の持てる小冊子で、とても面白く読んだ、という手紙だった。短編は四作とも以前八木沼先生に見て貰ったものだった。
『十勝川』は年間三回ほど作る予定だったので、孝二は二号の準備に取りかかっていた。
創刊号を発送してからちょうど一カ月目だった。東京の『S文学』の出版部から手紙が届いた。「ポロヌイ峠」を『S文学』に転載したい、という内容だった。
「ポロヌイ峠」は父といっしょに漁師をしていたアイヌ青年冬吉が、部落のアイヌ差別と貧困に耐えきれずに部落を逃げ出す、という話である。冬吉は小さな弟や妹が多く苦しい生活だが、その朝、「兄《あん》ちゃは自分だけ幸せになるんだとよ」と、母が言った。「きっと金ば送るからな」と、彼は弟妹に言い含めて家を出るのだったが、街へ逃げても満足な職にも就けない事は誰もが知っていた。といった内容の作品だった。
『S文学』は、戦後昭和二十一年に創刊された文学団体の機関誌で、久保田正文、野間宏、針生一郎らが編集人となり、日本の民主主義文学の創造と普及を使命とした進歩的な雑誌だった。
孝二は『S文学』に載った「ポロヌイ峠」をつくづく眺め、「運がいい」と思った。
彼は団地サイズに創った小さな神棚に『S文学』を供え、「運命に感謝します。どうかお守り下さい」と言って手を合わせた。
彼は信仰心の厚い方ではなかったが、小説が書けなくなると、母サトや祖母モンスパの昔話を思い出した。昔話には、常に暖かい温もりと快いリズムがあった。腹の底から湧き上がって来る激しさと逞《たくま》しさがあった。
「差別なんか撥ね返せ、ここはアイヌモシリなんだからな」
遠くからモンスパの声がする。
「モンスパは撥ね返せと言い、サトは隠せと言った」
「どちらも生きる為の処世でしょうけれど、わたしはモンスパの方が好きよ」
マサ子は力を込めて言った。
「分ったよ、今度は男らしく堂々と闊歩するよ」
孝二は首を縮めた。二人はその晩マグロの刺し身を肴《おかず》にささやかな祝杯を挙げた。
「いい作品が出来たら、今度は『S文学』に載せて貰えるんだよ」
ほろ酔い機嫌の孝二は腹の底から嬉しかった。
「大きなテーマを持っているから、いくらでも湧き出して来るんだよ」
マサ子は孝二の作品のよき愛読者でもあった。面白い所に来ると笑い転げ、悲しい所では涙を流した。
「文学の面白味は十勝太のお婆さんも、札幌の女性も同じらしいね」
孝二は子供の頃のサトたちの小説談義を思い出していた。
日本も外国も同じように喜怒哀楽は変らない、とマサ子が言った。書くことを中心に、張りつめた毎日だった。
その年の夏、東京のF社の好意で『ポロヌイ峠』が出版された。短、中編七作を集めた三百頁ほどの単行本になった。
孝二は札幌の富貴堂書店の新刊本の中に『ポロヌイ峠』を見て胸が高鳴った。彼は人目を避け、書棚の裏手に回って本の売れ行きを窺っていた。中年の婦人が買った。年輩の紳士が買った。大学生らしい青年が買った。一冊売れるたびに、背筋を熱い血が走り抜ける。ひとりひとりに頭を下げたい気持ちだった。
「作品の評価は読者が決めるものだからね、弁解はならんよ」
八木沼浩平の教えだった。だから、孝二はどんな悪評にもじっと耳を傾けた。
「近代文学は心理描写が生命なのに、それが出来ないとなると致命傷だな」と、西尾健太郎が言った。孝二は聞きながら、自分の単純な文体でも心理描写は出来る筈だと思った。
「執拗なアイヌ差別や、複雑な都会人の心理描写を何とか描き切って見たい」と、彼は呟やく。
孝二は都会の中で変貌してゆくアイヌ青年を主人公にした新しい作品に取りかかった。
33
学校は学期末を迎えて忙しかった。期末試験があり、地区ごとに開催するPTAの連絡会があった。札幌工業高校は全道一区だったので、小樽、当別、江別、岩見沢、恵庭など、遠方から通学する生徒が多かった。
四月の総会で、PTAの連絡会を、各地区ごとに開催することになったので、書記の孝二は連絡会開催の調整で大忙しだった。学校側からは、教務課長、生徒指導課長、厚生課長、就職課長らが出席し、その地区の中学校の校舎を借りて開催した。
その日は恵庭地区の連絡会だった。学校側を代表する各課長ら四名と書記の孝二、総勢五名が午後のバスに乗って恵庭中学校に向かった。バスの中は蒸し風呂のように暑かった。就職課長の若い木山が、停車しているバスから跳び下りて行って、湧き水を頭から浴びて戻って来た。
バスは清田、北広島、島松を走り抜け、札幌工業高校を出発してから、わずか一時間で恵庭中学校に到着した。会議室にはもう父兄が集まっていた。孝二は黒板に会議の順序と議題を大書した。
会が始まると、教務課長の奥寺が学校代表として挨拶した。
「今日は特別暑いから、ネクタイ、ワイシャツなしで、気楽にやりましょう」
会議は初めから和やかに行なわれた。父兄の関心は単位認定と就職だった。就職課長の木山が、ひとりひとりについて汗だくになって説明した。
連絡会が終ると、引き続き懇親会に移った。
「恵庭の生徒には問題児がいないようで、僕らにとって誠に有難い事です」
酒好きの奥寺は終始にこにこして機嫌がよかった。彼はビールをがぶがぶ飲んで、ひとりではしゃいだ。彼は懇親会が楽しみで参加しているようだった。
夕方、先生たち一行はほろ酔い機嫌でバスに乗り込んだ。他に乗客がいなかったので、車中は先生たちの歌や踊りで賑わった。
「上尾先生の家へ寄って飲み直しだ」
バスが豊平の停留所に停まると、奥寺は一行の先頭に立ち、強引に孝二の家に立ち寄った。
マサ子が陽一を連れ、近くの雑貨店へビールを買いに走った。
「さあみんな、恵庭連絡会の成功祝いだ。たらふくご馳走になり給え」
奥寺は横柄で傲慢だった。
「恵庭には、今も自衛隊の広い演習地があるけど、昭和十一年には恵庭を中心に大規模な陸軍大演習が行なわれたんだよ」
彼は肩を張って得意げに言った。
「大陸侵攻にあたって、地形の似ている広大な北海道を演習地に選んだのだろうさ」
佐伯が相槌を打つ。
「大本営を北海道に移しての大演習は、空陸合同で実に壮観だった」
戦前を懐しむ奥寺はとても進歩派とは思われなかった。
「負けてよかったんだ、勝っていたら、日本人はますます増長して、何をやらかすか分ったもんでないさ」
孝二は苦々《にがにが》しく言った。
「君、言葉を慎しみ給え。僕は日本人である限り、負けてよかったとは今でも思っていないよ」
彼は眼を吊り上げた。
「僕は日本人に生まれなかったことを誇りに思ってます」
「どういう意味だい」
奥寺は顎をしゃくり上げた。
「僕はアイヌなんです」
口がこわばってうまく言えなかったが、一瞬、あたりが凍りついたように静まった。部屋じゅうに不穏な空気が漂い、先生たちは互いに顔を見合わせた。
ちょうどそこにビール箱を担いだ雑貨店の主人とマサ子たちが帰って来た。
彼女はテーブルの上にビールやコップを並べたり、深皿にビール豆を盛ったりして忙しく立ち働いた。
「アイヌだからって、どっちゅうことはないさ」
しばらくして木山が口を開いた。
「そうだとも、僻《ひが》むことも怖《おじ》けることもない、堂々としてればそれでええんだよ」
仲畑が木山の意見に賛成した。
「日本の保護を受けている者が、日本人を批判するのはお門違いだ」
奥寺が嘲けた声で詰《なじ》った。
「保護を受けるような状態に追い込んだのは一体誰なんだ」
孝二は彼を睨んで突っかかって行った。
「原始生活を送って来たアイヌは、開拓も開墾もからっきし駄目で、和人たちの足手纏いだった。それを保護して、やっと現在まで生き延びてこられたんだから、和人はアイヌたちの恩人なんだよ」
「恩人どころか」と言って、孝二は一段と声を張り上げた。
「松前藩のアイヌを虐待した酷いやり方は武四郎に転封《てんぽう》(領地を変えさせる)せよ、と言わせた程なんだ。しかし、それさえしないで悪政はその後も続けられたんだ」
有難いなんて爪の垢《あか》ほども思ってないと言うと、孝二は目を剥いて立ち上がった。殺気が部屋いっぱいに漲《みなぎ》った。
「十勝アイヌ!」
突然、奥寺は上体をしゃんと立て、人差し指を孝二に向けて言った。彼は早くも開拓使の高官、鈴木大輔になっていた。
「貴様を十勝アイヌ取締り役|乙名《おとな》(部落長)に任命する」
彼は肩を怒らし、大声を張り上げた。
「誰がおまえらの言うことなんか聞くもんか」
「命令に従わぬ者は打ち首だ」
奥寺は意気込んで立ち上がったが、孝二は素早く身を躱《かわ》すと、いきなり彼の両足を掬うように打ち払った。その拍子にひょろ長い彼の体は宙を舞って仰向けに落ちた。その上に孝二は素早く馬乗りになると両手で力一杯奥寺の首を締めつけた。
「やめ、やめ」
先生たちが慌てて中に割り込んで二人を引き離した。
「ええ加減にしてくれよ」
若い木山が舌打ちをしてから、散乱したコップの破片を片付けた。
「|おはこ《ヽヽヽ》の鈴木大輔が出たから、もう山は越えたな」と仲畑は言ったが、誰も笑わなかった。ときどき思い出したように喚き立てる奥寺は、先生たちに抱きかかえられて帰って行ったが、孝二もマサ子も振り向きもしなかった。
翌日、孝二はいつも通り学校に出勤した。彼は職員室に足を踏み入れた途端、冷やかな視線を感じて息が詰まった。昨日の「アイヌ宣言」が、もう学校じゅうに知れ渡ったんだな、と思った。
窓の外から早朝の柔らかな陽光が射し込んで来て、職員室は妙に明るかった。孝二は椅子に坐ったまま、本を開く気にもなれないでいた。
孝二は追い詰められた気持ちだった。校内には奈良や林のようなアイヌの理解者もいるが、泉田や奥寺のあの見下した偏見や粘ついた視線に頑固に逆らうなら、職場を追われる破目になるかも知れない。しかし、自分は新任当時、対雁文雄にアイヌ解放を言い聞かせもし、実行するとも言った。向田岩太郎のひ弱な解放を詰《なじ》ったのはつい先頃のことだ。躊躇《ちゆうちよ》することは、もはや許されない筈なのに、教職との引き替えを迫られて、たじろぐとはどうしたことだろう。
孝二は中学生のころ、将来、和人の奴隷《どれい》になるくらいなら自ら命を断つ、と真剣に考えたことがある。五体満足なのに国から保護を受け同情されて一生を送る、こんな恥辱はないと思った。
「俺は常に先頭を切って見せる」
孝二は和人の一歩先を歩くために、昼夜机にしがみつき、歯をくいしばって勉強した。
「命と引き替えなんだからな」と、いつも自分に言い聞かせた。孝二には青春の喜びも、楽しみのひとかけらもなかった。高校教師は長い歳月と苦労をかけて掴《つか》み得た地位なのだ。アイヌと蔑《さげす》まれても、ここで挫折してはならなかった。
「逆らわずに粘り抜く道だってある筈だ」
孝二は太い溜息を吐《つ》き、うっとうしい表情で職員室を出る。ちょうど終業のチャイムが鳴って、花田と山中が授業から帰って来た。狭い廊下を紺のスーツや赤いブラウスなど、色とりどりの服装の女生徒たちがぞろぞろ通ってゆく。その中の二、三人が傍に寄って来て、「来週の発表のこと、まだ何も指示されていないんです」と言った。テーマだけでも決めて欲しいと言う。生徒たちの不満そうな視線を避けて、孝二は頭を左右に振った。
「なかなか考えが纏まらなくてね」
右手で額をおさえ、しばらくして言った。
「明日にしてくれないか」
怪訝《けげん》な顔で見つめる生徒たちを後に、孝二は逃げるように歩き出した。
彼は新築校舎の一階から四階まで、コの字型の廊下をあてもなく歩き回る。しかし、生徒たちはどこにでもいた。話したり笑ったりしながら、陽気な群がいくつも通り過ぎる。「まるで街の雑踏だ」と思った。顔、顔、顔、その中には生徒指導課長の森田の顔もあった。金縁眼鏡の奥からこっちを見て嘲笑っていた。
34
昭和四十一年八月、北大医学部の敷地の中にアイヌ人骨の納骨堂が完成した。予定がのびのびになり、三年も遅れての完成だった。アイヌたちは自分たちの主張が通り、ようやく完成を見たので心の底から嬉しかった。
納骨堂は鉄筋平屋で、屋根はトタン葺《ぶ》きチョコレート色で、壁は淡い桜色だった。
「ばんとしたもんだ」
堅牢で美しい納骨堂にアイヌたちは満足だった。
この新築の納骨堂で、はじめてのイチャルパ(供養)がウタリ協会の手で行なわれた。イチャルパには全道二十一市町村のアイヌ、北大関係者など約二百人が参加して盛況だった。朝早くから本州から来た観光客や札幌の見物客も押しかけて賑わった。
白髭を長くのばしたアイヌの長老、日高静内町の高山と新冠《にいかつぷ》町の山田とが祭司を務めていた。
納骨堂内のホールに作った炉縁でのカムイノミ(神への祈り)から始まった。彼らはイセポトウキ(厚手杯)に盛った酒をトウキパヌイ(拝酒箸)の先に浸し、その雫《しずく》を赤く燃えた炭火の上に垂らして火の神に捧げた。高山たちはこの所作を繰り返しながら、「火の神に申し上げます。私たちの願いが叶えられますよう、先祖の神々にお願い申して下さい」と、口ずさんだ。これが終ると、納骨堂東側に設けられたヌササン(祭壇)での慰霊のカムイノミ、そしてウポポ(歌)、リムセ(輪踊り)と、供養は続いた。
ウポポは民族衣装、厚司に身を包んだ婦人たちが|ほかい《ヽヽヽ》(食物を盛る容器)の蓋を右掌で叩いて拍子を取りながら歌う賑やかな歌だったし、リムセは男女入り乱れて列をつくり、左へ左へと円陣を描きながら踊る激しい踊りだった。
孝二とヌップは並んで坐っていた。ヌップは歌や踊りになるとすっかり浮かれ出して、手を叩いたり歌を口ずさんだりした。
「イチャルパは霊《たましい》の再生を願うんだからな、激しくなければならんのだ」
アイヌたちは観客席から飛び出して、つぎつぎに輪の中に入って踊った。踊りの輪は膨れ上がって道路の方まではみ出し、その上に真夏の太陽が照りかえった。
踊れや踊れ、朝まで踊れ
月はまんまる、夜《よ》は長い
踊れや踊れ、朝まで踊れ
アイヌたちの怒りが爆発したような激しい踊りが、納骨堂の空にいつまでも響き渡った。
イチャルパの帰り、孝二はヌップの作業場に立ち寄った。江沢や竹内がひと足早く来ていて、焼酎を飲んでいた。
「来年のイチャルパはもっと盛大にやるべえ」と、江沢は腕を振り回して言った。
「リムセの輪を大学の構内から街の方まで広げて、和人《シヤモ》ば驚かしてやるべえ」
竹内は立ち上がって輪踊りを始めた。手を拍《う》ち足を蹴って左へ左へ回り出した。桃園とフミが輪の中に入ってリムセは一段と激しさを増した。
「アイヌの遺骨問題は、これで一応終ったんだ。問題は来年の開拓百年記念の方なんだ」
戸外から入ってきた松井が分別ありげに言った。
「どう問題なんだい」と、江沢が訊いた。
「開拓百年は和人たちのことだべ。そのずっと前から北海道にいたアイヌたちの歴史はどうなるんだい」
松井はこう言って、みんなの顔を見渡した。
「百年でも二百年でも、奴らの好きなようにさせておけばよかべ」
金森は投げやりに言ったが、
「そうはいかんさ」と、ヌップは反対した。
「和人たちの開拓百年を認めることは、アイヌが自分たちの歴史を否定することになるんだど」
「アイヌたちが認めないと言っても、開拓の事実は事実だからな」
ヌップと金森が大声を張り上げてやり合った。二人は初めから喧嘩腰だった。
「奴らが北海道に乗り込んで来て、開拓を始めてから百年が経つというだべ」
金森が筋道をたてて言った。
「だから、開拓はアイヌとは全く関係なく、奴らの思い通りに進められたんだよ」
「その通りだ」と、ヌップはきっぱり言った。
「しかし、『開拓』と『アイヌ』の関係については話は別だ。複雑な問題になってしまうんだよ」
金森は気難かしい顔になった。
「俺たちアイヌは、開拓によって生活を壊されてしまったことに腹を立ててるんだ」
ヌップは声を荒げて一歩前に進み出た。
「だけど、和人ぶりになって、アイヌたちの生活もずいぶん良くなったんでねえべか」
和人の森山が横から口を入れた。
「|ことば《ヽヽヽ》も|アイヌぶり《ヽヽヽヽヽ》も、みんな和人に取られてもか」
松井がむっとした顔で言ったが、
「汽車が走ったり、飛行機が飛んだり、文明の進歩は、何といっても一番大事だからな」
森山は誇らしげに言った。口論に結末をつけた言い方だった。
開拓百年の記念事業は予定通りに進められていた。札幌では郊外の丘陵地に「記念塔」が、また旭川では「風雪の群像碑」の製作が始まっていた。
記念碑は札幌を見下ろせる高台にあって、塔の高さはちょうど百メートルあった。また、群像碑は、北海道探検に遣わされた江戸幕府の武士が、アイヌの案内人を従えて山野を跋扈《ばつこ》する像だった。その像がまだ製作中に、アイヌたちからチャランケ(反論)がついた。
アイヌたちは、ウタリ協会長向田岩太郎を先頭に「開道百年記念事務局」へ押しかけ、
「アイヌの案内人が蹲っているのは、アイヌに対する侮辱だ、直ちに変更してほしい」と抗議した。しかし、事務局長は「製作者の意志を尊重して」と言って、取り合ってはくれなかった。
「俺たちの手で、このアイヌモシリで雄々しく戦い、潔《いさぎよ》く死んで行ったシャクシャインの力強い碑を造りたいもんだ」と、ヌップは言った。
「アイヌモシリの復活に賭けてな」
向田岩太郎を先頭に事務局に押しかけてから、ちょうど一週間ほど経った日の朝、孝二は新聞を見て驚いた。
「風雪の群像凶漢に襲われる」という三段抜きの大見出しが載っていた。風雪の碑が何者かに襲われ、刃物で傷つけられた上、公園に横倒しにされていた、という記事だった。
最初に、「風雪の群像」に抗議して事務局に押しかけたアイヌたちが取り調べを受けた。事件のあった晩、孝二はちょうど学校の宿直だった。
警察が孝二を学校に訪ねてきたのは、その日の昼ころだった。
「犯人はアイヌと踏んでいるんだ。必ず挙げてやる」
若い警官は意気込んでいた。孝二は気がかりで、その日の放課後ヌップの仕事場を訪れた。
「愉快なことをやってくれたもんだ」と言って、ヌップは豪快に笑った。
「犯人は?」
「共謀だか単独だか、まるで見当もつかないようだ」
ヌップは眼を吊り上げて鑿《のみ》を研《と》いでいた。十勝太から彫刻の勉強にきている長浜幸夫は、振り向きもせずに、作業場の隅でただ黙々と熊を彫っている。
「朝早くから、私服警官が作業場の周りに貼《は》りついてるんだ」
彼は酒の臭いを辺りにぷんぷん撒き散らした。
「華やかな開拓の陰には多くの人々が犠牲にされていったことを思い知るべきなんだ」
ヌップは怒りを込めて言った。張り込んでいる私服警官が、入口の扉の間からちらちら見える。
「彼らは勝手に捏造《ねつぞう》するからな、油断はできんど」
ヌップは鑿を根っ株に打ち込んで切れ味を見た。
警官が張り込んでいるせいか、いつも来る江沢も竹内も顔を出さなかった。
「祝い酒だ、飲め」と言って、ヌップはコップを頭上に振りかざした。
「もともとアイヌは剛力《ごうりき》で逞《たくま》しいんだ」
孝二はコップ酒をひと息に飲み干した。祝い酒はうまかった。
「開拓百年はアイヌモシリ復活の出発の年だ」と、孝二が言い、
「像の横倒しぐらいじゃあ、まだまだ足りねえ、叩き潰《つぶ》せ」と、ヌップは叫んだ。
35
札幌駅から下り列車に乗り、北に向かって十分ほど走ると厚別《あつべつ》駅に着く。そこを発車してしばらくすると、右手に広がる原始林の丘に開拓百年の記念塔が見える。塔は少しずつ伸びて完成に近づいていた。
「百年記念だから、百メートルまで伸びるそうだ。赤錆びた渋い鉄塔は開道百年にふさわしいね」
乗客たちが窓から身を乗り出して眺めた。塔の右手の林の中に煉瓦造りの記念館も造られていた。
孝二は大麻駅で列車を降りると、国道を札幌の方に引き返して記念塔に向かった。だらだら坂を下だった処から左に折れて原始林に踏みこんだ。道は上り坂になっていて、それがどこまでも続いている。原始林は楢、柏、紅葉、白樺などが鬱蒼《うつそう》と繁っていた。しかし、登りつめた丘の上は樹が伐り払われ平らに整地されて、新しい芝生が敷きつめられていた。その中央に、にょっきり建った記念塔は一本の巨大な大樹が根を張ったように広がっている。その根は直径三十メートルもあろうか、厚さ一センチもある赤錆びた鉄板が大地に爪を立てた化け物のように見える。
「これだからな」
孝二は塔を見上げて溜息をついた。天地を動かす台風にもびくともしない姿だった。
「塔が自然を圧倒している」と思った。
「ここに和人たちの傲慢がある」と、彼は呻くように呟やく。開拓当時は、公園の隅にささやかな記念碑を建てた。それが百年経って、山の樹を伐り丘を削って塔を建てた。おそらく二百年記念には、山を崩し、川を塞《せ》き止めて、もっと巨大な建造物を造るだろうと思った。
孝二は丘の上に腰を下ろして、対岸の手稲山を眺めた。山と山との間に広がる札幌の街は白く煙っていた。その中を断ち裂くように豊平川が流れている。百年前、この辺りには鹿や熊が群れていた。アイヌたちは村田銃を持って追いかけた。
明治八年、札幌の琴似《ことに》に初めて屯田兵が入殖してきたころ、金毛の大熊が頻々《ひんぴん》と出没して人家を襲った。一家七人、ひとり残らず荒熊に食い殺されたこともあった。
「助けてくれっ!」
和人が泡を食って、アイヌの家に駈け込んできた。
「よしきた」
村田銃を持ったアイヌたちは、山野を駈け回って人喰い熊を射留めた。彼らは親切に、寒さの凌《しの》ぎ方や動物や植物の食べ方を教えた。しかし、アイヌは和人にとって道案内人か用心棒でしかなかった。開拓とは縁のない狩猟民族の宿命だった。
孝二は立ち上がって、煉瓦造りの開拓記念館の方に行ってみた。森の中に建設された堅牢な建物だった。ヘルメットを被った作業員たちが、最後の仕上げに精を出していた。
記念館は、傲慢な和人を象徴する記念塔より、もっと豪華で絢爛《けんらん》とした建物だった。孝二は自信に満ちた和人たちの、ふてぶてしい姿を改めて見たような気がした。
「先生!」
教え子の武田がヘルメットを脱いで挨拶した。彼は建築会社で働いていた。
「中の展示を見せて欲しいんだけどね」
孝二が頼んでみた。
「開館までは禁止されていますけど、僕が付いて行ってあげますよ」と、武田が親切に言った。
入口のところに、今はすでに絶滅してしまったという、狼や|かわうそ《ヽヽヽヽ》の標本があった。だが孝二が子供のころは、まだ生き残っていた。
「この辺りは|かわうそ《ヽヽヽヽ》の巣だった」
新川橋の下を泳いでゆく、体の黒いつやつやした毛並の|かわうそ《ヽヽヽヽ》を父が見つけた。|かわうそ《ヽヽヽヽ》は魚獲りの名人で、浮き上がったその口には必ず魚をくわえていた。孝二たちは|かわうそ《ヽヽヽヽ》を追いかけて川幅の狭くなった山の方まで走ったものだ。
展示場の奥に進むと、アイヌのチセ(家)があった。チセの入口にセタ(犬)が繋がれており、炉には炭火が赤々と起きていて、その隅にはイナウ(御幣)が立っていた。
炉縁に坐った人形の女性が、ひとかかえもある木鉢で薯ダンゴを捏《こ》ねている。東側には神窓があり、その光で人形のエカシ(古老)が蹲って網を繕っている。奥座敷にはシントコ(米櫃)やカラウト(つづら)が置かれ、部屋の壁にはドーナツ型に乾燥した保存食のユリダンゴや、束ねられた薬草がぶら下がっていた。
狭い部屋の中に何でも詰めこんだといった感じの展示だった。孝二は武田に案内されてひと通り見て回った。
記念館には和人百年の歴史が克明に展示されていた。しかし、開拓者たちの生活向上に反比例して、アイヌたちの生活は日に日に苦しくなっていった筈なのに、その貧困と苦渋の歴史はどこにも陳列されていなかった。
アイヌたちは悲鳴も上げずにじっと耐えてきた。だが、アイヌは寒さや飢えに決して強いわけではない。耐えるしか方法がなかったのだ。
シャクシャインの戦いに敗れてから、侮辱され無視され通してきて、明治百年を経た今、アイヌモシリの実現は、いっそう絶望的に思われた。
「和人たちには、あの塔の高さだけの罪があるんだ」と、孝二は思った。彼は巨大な塔を振り返りながら、国道から札幌行きのバスに乗った。
36
ヌップの仕事場には江沢たちが来ていて、酒盛りが始まっていた。仕事場の前の木材置場には、大きな丸太が何本も転がっている。阿寒の山からトラックで運んで来たものだった。
「この丸太を四本組み合わせて、コタンに幸福の風を吹かすんだよ」と、ヌップが楽しげに言った。
「それはいい」と、孝二は眼を輝かした。彼は木の肌が好きだった。
「風はしょうしょうと吹いて、コタンの空に渦巻くんだよ」
ヌップは感慨を込めて言った。
「アイヌの存在を見せるためにも、この彫刻を記念館の入口の広場に建てて欲しいもんだ」
ウタリ協会の会長向田岩太郎がこう言って胸を張った。彼らはその晩、「開拓百年記念事務局」との交渉の段取りを夜遅くまで話し合った。
翌日、向田岩太郎はアイヌの代表三人を連れて事務局を訪れた。
「開拓は和人たちが汗を流して実現したんだ、アイヌたちの勝手な行動は許さん」
言下に断られて、向田会長は困惑した。
「アイヌだって、この百年、北海道に住んで一生懸命生きてきたんだ」
向田岩太郎の願いも空しく、代表者たちは野良犬のように追い返され、諦めきれない思いでヌップの仕事場に戻ってきた。
「何も、和人にぺこぺこ頭ば下げる必要はなかべ」
ほろ酔い気分の江沢が強気に言った。
「和人との折り合いがつかなければ、すべてがうまくゆかねえだからな」
向田岩太郎は、「和人とのごたごただけは回避して欲しい」と、みんなに頼んだ。
「誰に遠慮がいるもんか、ここはアイヌモシリだど、いちばん見晴らしのいいとこさ、建てるべえ」
チャランケ(議論)は、どうどう巡りでなかなか決着がつかなかった。岩太郎は「和人と折り合いがつかねば、せっかく貰っているアイヌたちの更生基金もなくなってしまう」と言い、江沢たちは、「和人たちの機嫌とりはもうやめて、アイヌたちを殺すか生かすか、決着をつけるべえ」と言い張った。ひと晩じゅうやり合って夜が白み始めたころ、「よし、やるべえ」と、ヌップは大声で叫びたてた。
「これはアイヌたちの当然の権利なんだからな、時間を百年前に戻して、胸を張って堂々とやるべえ」
その翌日から、アイヌたちはヌップの作業場に集まり、樹の皮を剥いだり、鑿《のみ》で孔を穿《うが》ったりして働いた。北の風には細い孔を、南の風には太い孔を穿《あ》けた。
「風の塔」建立の日、ヌップは天神山の頂上に立って采配を振るった。付近の人々が大勢集まって来て、巨大な風の神を見上げた。
「四方から風が起こって、アイヌモシリの空が荒れ狂うんだよ」
ヌップは風の神に跨って鑿を振るった。東風の樹に登っていた江沢が右手をかざして、
「疾風《はやて》に乗って大鷲が天に昇ってゆく」と、叫んだ。
「見える、見える」と、子供たちが叫び立てる。
「大鷲は風の神となって、ふたたびコタンに戻ってくる」と叫んで、ヌップは巨大な風の神(大樹)から、するするっと舞い降りた。
「さあみんな、風を呼ぶんだ」と、ヌップは言って先頭に立った。
風よ来い、高い峰から降りて来い
風よ来い、深い沢から昇って来い
アイヌたちが手を叩き、声を揃えて風を呼んだ。バッタ踊りみたいに飛び跳ねるので、子供たちも面白がっていっしょに踊った。
「健坊! 帰って来《こ》お」と、見物人の中から女の頓狂な声がした。しかし、子供たちは振り向きもせずに踊った。踊りは賑やかに夕方まで続いた。
翌朝、早く松井がヌップの作業場に駈け込んできた。
「風の神がのめくったど、天神山の麓まで転げ落ちた」
ヌップは床から跳ね起きて走った。
「野郎ども、ただで済まさんど」
だが、風の神は天神山の麓まで転がり、四本の柱はばらばらに散らばっていた。
「天神山は俺《おら》の土地だ、勝手な真似をしたら容赦しねえど」と、禿《はげ》頭の老爺が頭からぼうぼう湯気を吹き上げて怒った。
「ここはアイヌモシリだ」と言おうとしたが、禿頭の老爺はとても理解してくれそうになかったので、ヌップは観念した。
「頂上の二、三坪でええから、俺に貸してくれねえべか」
ヌップは頭を土にこすりつけて頼んだ。
「寝言《ねごと》ば抜かしくさってな。穴を埋めて、もとの姿にして返せ」
禿頭の老爺はヌップの頭を踏《ふ》んづけて帰って行った。
37
昭和四十三年、アイヌたちが風の神を製作した年の秋、北海道開拓百年の記念式典が札幌市民会館で盛大に行なわれた。記念塔も記念館も完成し、打ち上げ花火が札幌の街に轟いた。各市町村でも式典や記念行事があって、北海道じゅうが湧き立っていた。
孝二たち一家は豊平の道営アパートの一室で祝賀会の花火の音を聞いた。腹に響く音だった。
「今日の旗行列は豊平橋まで歩くんだよ」
小学校五年生の陽一が日の丸の小旗を振りながら浮き浮きしている。
「危いからね、車道へ飛び出すんでないよ」
マサ子は用心するように言って聞かせた。
「日本人が海を渡って北海道へやってきてから百年経つんだって、先生が言ってたよ」
陽一が得意顔で孝二の顔を覗き込んだ。
「ああ、そうだよ。北海道に渡ってきて、畑を耕したり、汽車を走らせたり、橋を架《か》けたりしたんだよ」
孝二は分りやすく説明した。
「日本人が来る前の北海道は動物だけが住んでたの?」
「日本人が来る前にはアイヌがたくさん住んでいて、動物たちととても仲よしだったんだよ」
「アイヌは畑を耕さなくても、汽車や電車がなくても、困らなかったんだろうか」
「そうだとも。すぐ近くの山にも川にも、食べ物はいくらでもあったんだよ。それに、アイヌは食べるだけしか獲らなかったから、食べ物が絶えてしまうことはなかったんだよ」
孝二は話しながら、自分たちがアイヌとして生まれて来たことを、後でとっくり言って聞かせようと思った。
陽一が学校に出かけた後、マサ子は今年二歳になるクミ子に着替えをさせていた。
「丸々に太って、腕にくびれた線があって、お父さんにそっくり」と言って、マサ子は笑った。この子供たちが結婚するころには、差別のない和やかな世の中になっていて欲しいもんだ、と孝二はしみじみ思った。
その日、孝二は夕食を家中揃って街で食べる約束をして家を出た。式典の行なわれている市民会館前の広場には、もうヌップたちが集まっていた。江沢、竹内、松井、金森ら、いつもの顔ぶれが揃っていた。
「ウタリ協会の連中はどうした」
江沢が伸び上がって彼らを探した。
「どうせ腰抜けどもだ、あてにならんど」と、ヌップが言った。
アイヌモシリの旗は江沢が持っていた。北海道を鮮やかに染め抜いたアイヌ紋様の大旗が秋風を受けてひらひらと翻える。
「式典の中へ殴り込め」
竹内は自分でも出来ないのに、煽り立てるように言った。
式典反対のアイヌたちが少しずつ増えて三十人ほどになると、江沢の音頭でシュプレヒコールが始まった。
「カイタク、ヒャクネン、ハンタイ」の叫び声が、会館の壁に|こだま《ヽヽヽ》して辺りに響き渡る。叫び声は何度も続いた。
「来た、来た」と、松井が首を引っ込めてひそひそ声で言った。アイヌたちの不穏な行動を嗅《か》ぎつけて、警察が動き始めたのだ。
ヘルメットを被り、棍棒や長い鉄板の楯を持った道警の機動隊が素早くアイヌたちを遠巻きに取り囲んだ。隊長らしい男が携帯マイクで、しきりに退去命令を叫び立てた。しかし、アイヌたちはなかなか退《ひ》き下がらなかった。
突然、ホースを持った機動隊員がアイヌたちに向かって放水してきた。新聞社のカメラマンたちが水の中を走り回った。アイヌたちは悲鳴を上げて四方に飛び散った。
「酷い奴らだ」
竹内や松井は頭から集中攻撃を浴び、ずぶ濡れになって四つん這いにのめくった。
「逃げろ、逃げろ」
アイヌたちは近くの喫茶店に逃げ込んでようやく息をついた。あっけないアイヌたちの抵抗だった。
夕方、孝二は豊平川縁の老舗《しにせ》大正寿司に立ち寄った。奥の|こあがり《ヽヽヽヽ》にマサ子たちは坐っていた。
「今日はめでたい日だからお寿司を食べるの?」
「いや、陽一がうんと食べて、早く大きくなるように食べるんだよ」
彼は子供たちのためにサビ抜きを注文し、ついでに銚子も頼んだ。
久しぶりの孝二たち家族の会食は、和やかに終ろうとしていた。
「やあ、上尾君」どやどやっと近づいて来たのは、奥寺を先頭に中畑、花田のメンバーだった。彼らはすでに相当酔っていた。
「開道百年の感想はどうだい」
奥寺が言ったが、孝二は取り合わなかった。
「君たちの出る幕はなかったようだね」と、奥寺の顔は勝ち誇っていた。
「弱い者たちの虐待の上に成し遂げられた開拓だった」
孝二は不機嫌に言った。
「発達の陰には、常に犠牲がつきまとうものなんだよ」
彼は銚子と杯を持って、勝利の乾杯を勧めてきたが、孝二は応じなかった。
十五年前、孝二が札工に赴任してきたころ、開拓使の孫、奥寺の傲慢ぶりに腹を立て、いつかきっとやり込めてやろうと思ったものだったが、しかし、彼らはこのごろ、ますます横暴に振る舞って勢いが盛んだった。孝二はいつも彼らの強引な意見に跳ね返されて苦い目に合わされた。とても叶う相手ではなかった。
「こら、十勝のぼんくら酋長、開拓百年の祝い酒は盛大でなければ、榎本武揚の怒りに触れるぞ」
奥寺の自慢が始まって、あたりに不穏な空気が漂った。彼が孝二に祝い酒を飲ませようとして差し出した杯を、孝二は力いっぱい振り払った。その拍子に銚子が床に落ちて、破片が四方に飛び散った。
「失礼な」と言って、傍の客が立ち上がった。
「気の荒い男なんだ、許してくれ給え」
奥寺は、周りの客たちに深々と頭を下げて許しを乞うた。彼の大げさな仕種に孝二はむらむらしたが、じっと歯を食いしばって耐えていた。
「こら、十勝の糞アイヌ」
酔っている奥寺は本性を剥き出した。
「この百年、和人はお前達アイヌをどれ程保護して来たか。土地を与えて農業を指導したり、授業料を免除して就学を奨励したりしたにも拘らず、その恩に報いるどころか、それを仇で返すとは。不届き者! 国賊!」
奥寺は孝二の眼の前に人差指を突きつけて大声で喚いた。
「何が保護だ。もともとここはアイヌモシリなんだ」
孝二は奥寺の襟首を締め上げていた。
「お客さん、ここで喧嘩されては他のお客さんたちに迷惑になります」
店の主人が出て来て止めに入った。孝二は奥寺の襟首を掴んだまま主人の開けた戸から、はじき出されるように外へ出た。
「お父さん!」
マサ子や陽一の甲高い声がする。中畑と花田もすぐ後を追いかけてきた。しかし、興奮した孝二は奥寺をひっ掴んだまま、雪崩《なだれ》るように豊平川の堤防を滑り落ちた。辺りは夕闇に包まれ、川の流れの音だけが聞こえてくる。
「開拓使の孫、奥寺公太郎を今俺の手で叩きのめしてやる」
殴りかかろうとする孝二の手を中畑が掴んだ。
「馬鹿な真似はよせ。そんなことをして、一体どうなるっていうんだ」
その言葉をずっと昔どこかで聞いたことがあるように孝二は思った。
38
孝二と陽一は朝早く新吉野駅(元下頃部)に降り立った。根室本線の鄙《ひな》びた小さな駅である。二人は外套に身を堅め、エナメルのぴかぴか光る長靴を履き、リュックサックを背負って完全武装だった。リュックサックには、握り飯や飴玉、チョコレートの入ったおやつ、それにコーヒーを詰めたポットが入っていた。
孝二は身のぎっと引き締まる凍れの中を、先に立ってすたすたと歩いた。国道を右に折れて小径に入ると、彼は速度を緩《ゆる》めて陽一を待った。一月というのに、湿原の凹《くぼ》みにはわずかに雪が残っているだけで、萱原《かやはら》と氷原がどこまでも続く。その氷原を二人はざくっざくっと踏みしめて歩いた。しばらく進むと、氷に閉ざされた十勝川が曲りくねって流れていた。赤錆た萱原に染め抜かれた白い帯のようだった。北風がぷっぷっと淀みなく吹きつけている。孝二が陽一を連れて来たのは、厳しい北国の氷原を見せたかったからだ。
「氷原は十二キロ先の河口まで続いてるんだよ」
「あの丘の突端のとこまで」
陽一は果てしなく続く氷原を伸び上がって見た。二人は川の曲り角からふたたび陸《おか》に上がり、大股で萱原を漕いでゆく。氷原は萱がぞっくり密生していて、躓《つまず》いたり滑ったりしてのめくった。陽一は膝株を就いたまま、両手を櫂にして滑って歩いた。
「右手の丘に突き出ているのは旅来《たびこらい》の砦《チヤシ》なんだよ」
孝二は丘の突端を指差し、そのずっと向こうに青白く輝いているのは日高の山々だ、と言った。
「あの砦で戦った大将は何と言うの」と、陽一が訊いた。
「今からちょうど三百年も前のことだけど」
孝二はこう言って、こんもり繁った葛《くず》の藪陰《やぶかげ》に腰を下ろして言って聞かせた。
シャクシャインの戦いで打ちのめされたアイヌたちは、日高の海岸から襟裳を越えて落ち延び、十勝の酋長シノチャインは翌年|旅来《たびこらい》の砦に立て籠《こも》って守りを固めた。
「打ちのめすまでは一歩も引き下がるな」
シノチャインは砦の上に両足を開き、仁王立ちに立って叫んだ。だが、シャクシャインの戦いに勝って勢いづいた和人は、船を仕立てて十勝川を溯って来た。戦いは三日三晩続き、ついに力尽きたシノチャインは敵の矢に胸を射抜かれて戦死した。後に踏みにじられた砦だけがはかなく残ったのだった。
話が終っても、二人は砦の丘を眺めたまま、しばらくの間立ち上がらなかった。
太陽が地平から高く昇ると、榛の枝に出来た銀の結晶がきらきら輝いてこぼれ落ちた。銀粉のような霜の花だった。
父子はぶ厚い川の氷を横切ったり、氷原に出たりして、河口に向かって黙々と歩いた。
「あの左側の丘陵には、ユクランヌプリ(鹿の天降る山)があって、神々が鹿のいっぱい詰まった袋を地上に向かって投げ降ろすんだよ」
山に大きな音がすると
ぴかぴか光る新しい角を振り振り
天から降ろされた若鹿たちが
人里の方へ雪崩《なだれ》のように
降りてくる降りてくる
孝二は節をつけて歌うように言った。
「鹿だあ!」
氷原を見つめていた陽一が、突然、キラキラ声を張り上げた。遥か遠くの氷原を親子鹿が走って行く。
「天から降ろされた鹿だあ」
陽一は昂奮のあまり、言葉がうわずっていた。父子は萱原を掻き分け、氷原を力強く踏み締めて進んだ。川や沼の氷の割れ目から吹き出した上水《うわみず》が凍って、氷の上にさらに厚い氷が出来ていた。
十勝川が大津と十勝太に分れる「二股」まで来ると、孝二は足を止めて、「確かこの辺に、国から貰った五町歩の土地があったんだ」と言った。
「今でも畑があるの」
「いやいや、この辺りはもともとはみんなアイヌの土地だったのさ。しかし明治以降お上《かみ》から貰った土地だけでも、アイヌたちの貰った給与地を全部合わせると百町歩の広大な畑があったが、その殆どが湿地だったので洪水でみんな流されてしまったんだよ」
陽一は流された土地を確かめようと、長靴の踵で力いっぱい踏みつけたが、氷はびくともしなかった。
太陽がトンケシ山のてっぺんにさしかかって、凍れが柔らいできた。しかし、北風は間断なく吹きつけてきて、粉雪は氷原に縞《しま》を作ってさらさらと流れてゆく。孝二たちは萱を踏み分け、野地坊主《やちぼうず》を跨《また》ぎ、|さびた《ヽヽヽ》や棒のある草藪を跳び越え、ポロヌイ峠の岬に向かって急いだ。
三日月沼の先端に湧き水の吹き出る所があった。付近一帯が水溜りになっていて、朝靄《あさもや》がかすかに立ち昇っている。
「水の湧き出る所は危いからな、埋まるなよ」
陽一はずぶずぶ埋まってゆく湿地帯を、両手を広げて飛ぶような恰好をして渡り歩いた。湧き水は四方に流れ出て、湯気の上がった湿地の周辺は白い氷の方錐形を造っていた。
二人が氷原に出ると、上空を丹頂鶴の夫婦が西に向かって飛んで行った。
「三日月沼の湧き水へ行ったんだよ」
父子《おやこ》は鶴の降りるのを見届けてから、ふたたび歩き出した。
「あの柳の下で一服するぞ」
孝二は川岸の大きな柳を指差した。陽一は柳を目差し、野地坊主《やちぼうず》の頭を踏んづけて、兎みたいにぴょんぴょん跳んでゆく。突然、柳の木の周りの草藪から大きな梟が飛び立って、陽一は野地坊主の頭から足を踏みはずしてひっくり返った。
「梟の方がもっと驚いたろうよ」
孝二たちは草藪の中に腰を下ろして熱いコーヒーを飲んだ。
「湧き水のとこに、タンチョウの食べる餌《えさ》はあるんだろうか」
「湿原の神様だもの」
大丈夫だよ、と孝二は言った。
「鶴はサロルンチリと言って、『葦原にいる鳥』という意味なんだよ。昔、手負い熊が葦原に逃れてきて、鶴の長い首を下敷きにして寝てしまった。鶴が苦しさの余り悲鳴をあげたが、そのお陰で村人たちは手負い熊を捕えることが出来た。それ以来、鶴は熊の居場所を知らせる神様として祭られるようになった、という話があるんだよ」
「それで湿原の神様なんだ」
陽一は熱いコーヒーですっかり元気を取り戻したようだった。
「さあ、もうひと息だあ」
二人は元気に立ち上がって、ふたたび氷原を歩き出した。狐やイタチが眼の前を横切るたびに、陽一はきゃっきゃっと歓声を上げた。孝二たちはもう何時間も氷原を歩いて来て、ようやくポロヌイ峠に辿り着いた。
肩から村田銃をぶら下げ、獲物の兎を入れた綱袋を背負った豊造が峠から下りて来て、ばったり出合った。
「僕、お父さんの故郷を初めて歩いたんだよ」
陽一は快活に言った。
「みんなが、首を長くして待ってたど」
川向こうに住んでいる豊造は陽一の頭に手を置いて、「孝二の長男坊だとな、利口そうな子よな」と、にこにこして何度も言った。
孝二たちは小学校の前まで来た。校門には「閉校」の立て札が掲げられていた。
「生徒の数が年々減って、去年の春、とうとう閉校になってしまったんだ」
豊造は賑やかな昔を想い出すように言った。
「お父さんもこの学校を卒業したの」
「そうだよ」
毎朝、オルガンの伴奏で、「広い世界を一面に、青くいろどる草になる」と、校舎がぐらぐら動くくらい大声で歌ったものだった。
「八十年も続いた学校だもの――思い出はいろいろあるさ」
孝二は感慨深げに言った。
「人間がいなくなった代わりに、丹頂鶴や鹿が戻って来たんだからな」
賑やかになったもんだ、と豊造は笑いながら言った。
「人間も自然も百年前に戻って、十勝太にはようやくアイヌモシリの時代がやって来たんだよ」
街に行ってしまった人間たちが戻って来ないことを祈るばかりだと言って、豊造はけらけら笑った。
「自然は和人だけのものでないだからな」
「そうとも、自然はそこに住んでいる人間みんなのものなんだ」
だから、アイヌたちにも先住権が認められる日がきっと来るに違いないと思った。
日高山脈から北風が吹きつけて来て、十勝川岸辺の萱原が叩きつけられるように波打つ。赤錆びた柏の葉っぱが空高く舞い上がり、太平洋の方に向かって細かな砂粒のように飛んでゆく。
日高おろしが吹き荒れて
原野の空に渦巻けば
カケスの群れが驚いて
ペチャクチャペチャクチャ
蓬の藪に逃げ込んだ
日高おろしが吹き荒れて
コタンの空に渦巻けば
カケスの群れが眼を回し
ペチャクチャペチャクチャ
サンナシの森に逃げ込んだ
浜の子供たちが歌って通り過ぎた。出迎えのサトやトミエやトヨ子たちが新川橋の上に集まっていた。亀太郎の伜、周一郎と愛犬ジョンが待ちきれずに飛び出してきた。陽一も走り出し、互いに手を振り合った。
「丹頂が来たぞおー」
孝二は空を飛ぶ丹頂鶴を仰ぎながら叫んだ。
[#地付き](完)
上西晴治(うえにし・はるじ)
一九二二年 北海道十勝に生まれる。大東文化大学文政学部日本文学科卒。札幌で高校の国語教師を務めながら小説を書き、一九六四年「玉風の吹く頃」で読売新聞短篇小説賞を受賞。一九七九年『コシャマインの末裔』で北海道新聞文学賞。一九九三年、本作品で第四回伊藤整文学賞を受賞する。著作に「オコシップの遺品」「ニシパの歌」「ポロヌイ峠」「原野のまつり」「トカプチの神子たち」等がある。
本作品は一九九三年二月、筑摩書房より刊行された。