TITLE : 海潮音・牧羊神
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目 次
海潮音
海潮音以後 抄
牧羊神
散文詩 ボオドレエル
詩人の望む所は親子眷属の愛にあらず、又権勢利達にもあらず、美は其欲する所なれど、未だ最上の目的にあらず、まして黄金をや。彼が日夜輾転反側して熱望する所のものは幽婉縹緲、捉ふべからざるかの陰影なり。……
(文芸論集より)
海潮音   遥に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず
大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりてあまぐもとなる、あまぐもとなる。
獅子舞歌
海潮音序
巻中収むる処の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亜に三人、英吉利に四人、独逸に七人、プロ〓ンスに一人、而して仏蘭西には十四人の多きに達し、曩の高踏派と今の象徴派とに属する者其大部を占む。
高踏派の壮麗体を訳すに当りて、多く所謂七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉体を飜するに多少の変格を敢てしたるは、其各の原調に適合せしめむが為なり。
詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山嶽と共に旧きものならむ。然れども之を作詩の中心とし本義として故らに標榜する処あるは、蓋し二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の仏詩は高踏派の名篇に於て発展の極に達し、彫心鏤骨の技功実に燦爛の美を恣にす、今〓に一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ルレエヌの名家之に観る処ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱へ、自由詩形を説けり。訳者は今の日本詩壇に対て、専ら之に則れと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情は寧ろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又徒らに晦渋と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳の新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦坦たる古道の尽くるあたり、荊棘路を塞ぎたる原野に対て、之が開拓を勤むる勇猛の徒を貶す者は怯に非らずむば惰なり。
訳者嘗て十年の昔、白耳義文学を紹介し、稍後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にルレエヌ、ルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上文人の作なほ未だ西欧の評壇に於ても今日の声誉を博する事能はざりしが、爾来世運の転移と共に清新の詩文を解する者、漸く数を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全欧思想界の一方に覇を称するに至れり。人心観想の黙移実に驚くべき哉。近体新声の耳目に嫺はざるを以て、倉皇視聴を掩はむとする人人よ、詩天の星の宿は徙りぬ、心せよ。
日本詩壇に於ける象徴詩の伝来、日なほ浅く、作未だ多からざるに当て、既に早く評壇の一隅に囁囁の語を為す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きに傲る者なりと非議する評家よ、卿等の神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新声の美を味ひ功を収めざるに先ちて、早く其弊竇に戦慄するものは誰ぞ。
欧洲の評壇亦今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。仏蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。訳者は芸術に対する態度と趣味とに於て、此偏想家と頗る説を異にしたれば、其云ふ処に一一首肯する能はざれど、仏蘭西詩壇一部の極端派を制馭する消極の評論としては、稍耳を傾く可きもの無しとせざるなり。而してヤスナヤ・ポリヤナの老伯が近代文明呪詛の声として、其一端をかの「芸術論」に露したるに至りては、全く賛同の意を呈する能はざるなり。トルストイ伯の人格は訳者の欽仰措かざる者なりと雖も、其人生観に就ては、根本に於て既に訳者と見を異にす。抑も伯が芸術論はかの世界観の一片に過ぎず。近代新声の評隲に就て、非常なる見解の相違ある素より怪む可きにあらず。日本の評家等が僅に「芸術論」の一部を抽読して、象徴派の貶斥に一大声援を得たる如き心地あるは、毫も清新体の詩人に打撃を与ふる能はざるのみか、却て老伯の議論を誤解したる者なりと謂ふ可し。人生観の根本問題に於て、伯と説を異にしながら、其論理上必須の結果たる芸術観のみに就て賛意を表さむと試むるも難い哉。
象徴の用は、之が助を藉りて詩人の観想に類似したる一の心状を読者に与ふるに在りて、必らずしも同一の概念を伝へむと勉むるに非ず。されば静に象徴詩を味ふ者は、自己の感興に応じて、詩人も未だ説き及ぼさざる言語道断の妙趣を翫賞し得可し。故に一篇の詩に対する解釈は人各或は見を異にすべく、要は只類似の心状を喚起するに在りとす。例へば本書六〇頁「鷺の歌」を誦するに当て読者は種種の解釈を試むべき自由を有す。此詩を広く人生に擬して解せむか、曰く、凡俗の大衆は眼低し。法利賽《パリサイ》の徒と共に虚偽の生を営みて、醜辱汚穢の沼に網うつ、名や財や、はた楽欲を漁らむとすなり。唯、縹緲たる理想の白鷺は羽風徐に羽撃きて、久方の天に飛び、影は落ちて、骨蓬の白く清らにも漂ふ水の面に映りぬ。之を捉へむとしてえせず、此世のものならざればなりと。されどこれ只一の解釈たるに過ぎず、或は意を狭くして詩に一身の運を寄するも可ならむ。肉体の欲に〓きて、とこしへに精神の愛に飢ゑたる放縦生活の悲愁ここに湛へられ、或は空想の泡沫に帰するを哀みて、真理の捉へ難きに憧がるる哲人の愁思もほのめかさる。而して此詩の喚起する心状に至りては皆相似たり。七二頁「花冠」は詩人が黄昏の途上に佇みて、「活動」、「楽欲」、「驕慢」の邦に漂遊して、今や帰り来れる幾多の「想」と相語るに擬したり。彼等黙然として頭俛れ、齎らす処只幻惑の悲音のみ。孤り此等の姉妹と道を異にしたるか、終に帰り来らざる「理想」は法苑林の樹間に「愛」と相睦み語らふならむといふに在りて、冷艶素香の美、今の仏詩壇に冠たる詩なり。
訳述の法に就ては訳者自ら語るを好まず。只詩訳の覚悟に関して、ロセッティが伊太利古詩飜訳の序に述べたると同一の見を持したりと告白す。異邦の詩文の美を移植せむとする者は、既に成語に富みたる自国詩文の技巧の為め、清新の趣味を犠牲にする事あるべからず。而も彼所謂逐語訳は必らずしも忠実訳にあらず。されば「東行西行雲眇眇。二月三月日遅遅」を「とざまにゆき、かうざまに、くもはるばる。きさらぎ、やよひ、ひうらうら」と訓み給ひけむ神託もさることながら、大江朝綱が二条の家に物張の尼が「月によつて長安百尺の楼に上る」と詠じたる例に従ひたる処多し。
明治三十八年初秋
上田 敏
ガブリエレ・ダンヌンチオ
燕の歌
弥生《やよひ》ついたち、はつ燕、
海のあなたの静けき国の
便《たより》もてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋《と》むる
あ〓、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染《そめ》分《わけ》縞《じま》は
春の心の舞《まひ》姿《すがた》。
弥生来《き》にけり、如月《きさらぎ》は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠《りす》の毛《け》衣《ごろも》脱ぎすてて、
綾《りん》子《ず》羽ぶたへ今様に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるる枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足《あし》速《ばや》の
恋慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。
けふは野山も新《にひ》妻《づま》の姿に通ひ、
わだつみの波は輝く阿《あ》古《こ》屋《や》珠《だま》。
あれ、藪《やぶ》陰《かげ》の黒《くろ》鶫《つぐみ》、
あれ、なか空《そら》に揚《あげ》雲雀《ひばり》。
つれなき風は吹きすぎて、
旧《ふる》巣《す》啣《くは》へて飛び去りぬ。
あ〓、南国のぬれつばめ、
尾《を》羽《ば》は矢《や》羽《ば》根《ね》よ、鳴く音《ね》は弦《つる》を
「春」のひくおと「春」の手の。
あ〓、よろこびの美鳥《うまどり》よ、
黒と白との水《すゐ》干《かん》に、
舞の足どり教へよと、
しばし招かむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗《れい》人《じん》の
イソルダ姫の物語、
飾り画《ゑが》けるこの殿《との》に
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環ここにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ大《おほ》神《かみ》。
〔フランチェスカ・ダ・リミニ〕
声《もの》 曲《のね》
われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂《しづけき》に、滴《したた》りの落つるを将《はた》、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶《たえ》間《ま》なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。
〔シォパン即興楽〕
篠 懸
白波の、潮《しほ》騒《ざゐ》のおきつ貝なす
青《あを》緑《みどり》しげれる谿《たに》を
まさかりの真昼ぞ知《しろ》す。
われは昔の野山の精を
まなびて、ここに宿からむ、
あ〓、神寂びし篠《すず》懸《かけ》よ、
なれがにほひの濡髪に。
〔讃 歌〕
海 光
児等よ、今昼は真《ま》盛《さかり》、日ここもとに照らしぬ。
寂《じやく》寞《まく》大《たい》海《かい》の礼《らい》拝《はい》して、
天《あま》津《つ》日《ひ》に捧ぐる香《かう》は、
浄まはる潮《うしほ》のにほひ、
轟ぐ波《な》凝《ごり》、動《ゆる》がぬ岩《いは》根《ね》、靡く藻よ、
黒《くろ》金《がね》の船の舳《へ》先《さき》よ、
岬《みさき》代《たい》赭《しや》色《いろ》に、獅子の蹈《ふみ》留《とどま》れる如く、
足を延べたるここ、入《いり》海《うみ》のひたおもて、
うちひさす都のまちは、
煩《わづ》悶《らひ》の壁に悩めど、
鏡なす白《しら》川《かは》は蜘《くも》手《て》に流れ、
風のみひとり、たまさぐる、
洞《ほら》穴《あな》口《ぐち》の花の錦や。
〔讃 歌〕
ルコント・ドゥ・リイル
真 昼
「夏」の帝《みかど》の「真《ま》昼《ひる》時《どき》」は、大《おほ》野《の》が原に広ごりて、
白《しろ》銀《がね》色《いろ》の布《ぬの》引《びき》に、青《あお》天《ぞら》くだし天降《あもり》しぬ。
寂《じやく》たるよもの光景《けしき》かな。耀く虚《こ》空《くう》、風絶えて、
炎《ほのほ》のころも、纏ひたる地《つち》の熟睡《うまい》の静《しづ》心《ごころ》。
眼《め》路《ぢ》眇《べう》茫《ばう》として極《きはみ》なく、樹《こ》陰《かげ》も見えぬ大野らや、
牧の畜《けもの》の水かひ場《ば》、泉は涸れて音もなし。
野末遥けき森陰は、裾《すそ》の界《さかい》の線《すぢ》黒《くろ》み、
不動の姿夢《ゆめ》重く、寂《じやく》寞《まく》として眠りたり。
唯熟したる麦の田は黄金海と連なりて、
かぎりも波の揺《たゆ》蕩《たひ》に、眠るも鈍《おぞ》と嘲《あざ》みがほ、
聖なる地《つち》の安らけき児等の姿を見よやとて、
畏れ憚るけしき無く、日の觴《さかづき》を嚥《の》み干しぬ。
また、邂逅《わくらば》に吐息なす心の熱の穂に出でて、
囁《つぶやき》声《ごゑ》のそこはかと、鬚《ひげ》長《なが》穎《かひ》の胸のうへ、
覚めたる波の揺動《ゆさぶり》や、うねりも貴《あて》におほどかに
起きてまた伏す行末は沙《すな》たち迷ふ雲のはて。
程遠からぬ青草の牧に伏したる白《はく》牛《ぎう》が、
肉《しし》置《おき》厚き喉《のど》袋《ぶくろ》、涎《よだれ》に濡らす慵《ものう》げさ、
妙《たへ》に気《け》高《だか》き眼《まな》差《ざし》も、世の煩累《わづらひ》に倦みしごと、
終《つひ》に見果てぬ内心の夢の衢《ちまた》に迷ふらむ。
人よ、爾の心中を、喜怒哀楽に乱されて、
光《くわう》明《みやう》道《だう》の此《この》原《はら》の真《ま》昼《ひる》を孤《ひと》り過ぎゆかば、
〓《の》がれよ、ここに万《ばん》物《ぶつ》は、凡べて虚《うつろ》ぞ、日は燬《や》かむ。
ものみな、ここに命なく、悦《よろこ》びもなし、はた憂なし。
されど涙《なんだ》や笑《せう》声《せい》の惑《まどひ》を脱し、万象の
流転の相《さう》を忘《ばう》ぜむと、心の渇《かわき》いと切《せち》に、
現《うつそ》身《み》の世を赦しえず、はた詛ひえぬ観念の
眼《まなこ》放ちて、幽遠の大歓楽を念じなば、
来れ、此地の天《てん》日《じつ》にこよなき法《のり》の言葉あり、
親み難き炎《えん》上《じやう》の無《む》間《げん》に沈め、なが思、
かくての後は、濁世の都をさして行くもよし、
物の七《なな》たび涅槃《ニルヴナ》に浸りて澄みし心もて。
〔古代詩集〕
大飢餓
夢円《まどか》なる滄溟《わだのはら》、濤《なみ》の巻曲《うねり》揺蕩《たゆたひ》に
夜《や》天《てん》の星の影見えて、小《を》島《じま》の群と輝きぬ。
紫《し》摩《ま》黄《わう》金《ごん》の良夜《あたらよ》は、寂《じやく》寞《まく》としてまた幽に、
奇しき畏《おそれ》の満ちわたる海と空との原の上。
無辺の天や無量海、底《そこ》ひも知らぬ深淵は
憂愁の国、寂光土、また譬ふべし、〓《げん》耀《えう》郷《きやう》。
墳塋《おくつき》にして、はた伽藍、赫《かく》灼《やく》として幽遠の
大《だい》荒《くわう》原《げん》の縦《たて》横《よこ》を、あら、万《まん》眼《がん》の魚《うろ》鱗《くづ》や。
青《せい》空《くう》かくも荘厳に、大《だい》水《すゐ》更に神《かみ》寂《さ》びて
大光明の遍《へん》照《ぜう》に、宏《くわう》大《だい》無《む》辺《へん》界《かい》中《ちゆう》に、
うつらうつらの夢枕、煩悩界の諸《しよ》苦《く》患《げん》も、
ここに通はぬその夢の限も知らず大いなる。
かかりし程に、粗《あら》膚《はだ》の蓬起《ふくだみ》皮《がは》のしなやかに
飢にや狂ふ、おどろしき深《ふか》海《うみ》底《ぞこ》のわたり魚《うを》、
あふさきるさの徘徊《もとほり》に、身の鬱憂を紛れむと、
南《なん》蛮《ばん》鉄《てつ》の腮《あぎと》をぞ、くわつとばかりに開いたる。
素より無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
参《からすき》の宿《しゆく》、みつ星《ぼし》や、三《さん》角《かく》星《せい》や天《てん》蝎《かつ》宮《きう》、
無限に曳《ひ》ける光《くわう》芒《ばう》のゆくてに思《おもひ》馳《は》するなく、
北《ほく》斗《と》星《せい》前《ぜん》、横はる大《だい》熊《いう》星《せい》もなにかあらむ。
唯、ひとすぢに、生《せい》肉《にく》を囓まむ、砕かむ、割《さ》かばやと、
常の心は、朱《あけ》に染み、血の気に欲を湛へつつ、
影暗うして水重き潮の底の荒《くわう》原《げん》を、
曇れる眼《まなこ》、きらめかし、悽惨として遅遅たりや。
ここ虚《うつろ》なる無《む》声《せい》境《きやう》、浮べる物や、泳ぐもの、
生きたる物も、死したるも、此空《くう》漠《ばく》の荒《あら》野《ぬ》には
音信《おとづれ》も無し、影も無し。ただ水《みづ》先《さき》の小《こ》判《ばん》鮫《ざめ》、
真《ま》黒《くろ》の鰭《ひれ》のひたうへに、沈沈として眠るのみ。
行きぬ妖怪《あやかし》、なれが身も人《にん》間《げん》道《だう》に異ならず、
醜《しう》悪《を》、獰《だう》猛《まう》、暴戻のたえて異なるふしも無し。
心安かれ、鱶《ふか》ざめよ、明日《あす》や食《く》らはむ人間を。
又さはいへど、汝《なれ》が身も、明日や食はれむ、人間に。
聖《せい》なる飢《うゑ》は正《しやう》法《ほふ》の永くつづける殺《せつ》生《しやう》業《ごふ》、
かげ深《ふか》海《うみ》も光明の天《あま》つみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶《ふか》鮫《ざめ》も、残《ざん》害《がい》の徒も、餌《ゑ》食《じき》等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。
〔悲壮詩集〕
沙漠は丹《たん》の色にして、波漫《まん》漫《まん》たるわだつみの
音しづまりて、日に燬《や》けて、熟睡《うまい》の床に伏す如く、
不動のうねり、大《おほ》らかに、ゆくらゆくらに伝《つたは》らむ、
人住むあたり、銅《あかがね》の雲、たち籠むる眼《め》路《ぢ》のすゑ。
命も香も絶えて無し。餌《ゑば》に飽きたる唐《から》獅《じ》子《し》も、
百里の遠き洞《ほら》窟《あな》の奥にや今は眠るらむ。
また岩清水迸《ほとばし》る長《ちやう》沙《さ》の央《なかば》、青葉かげ、
豹も来て飲む椰《や》子《し》森《りん》は、麒麟が常の水かひ場。
大日輪の走《は》せ廻る気重き虚《こ》空《くう》鞭うつて、
羽《は》掻《がき》の音の声高き一《いつ》鳥《てう》遂に飛びも来ず、
たまたま見たり、蟒蛇《うはばみ》の夢も熱きか円《まろ》寝《ね》して、
とぐろの綱を動せば、鱗《うろこ》の光《ひかり》まばゆきを。
一天霽《は》れて、そが下に、かかる炎の野はあれど、
物《もの》鬱《うつ》として、寂《せき》寥《れう》のきはみを尽すをりしもあれ、
皺《しわ》だむ象の一群よ、太しき脚の練《ねり》歩《あし》に、
うまれの里の野を捨てて、大《おほ》沙《すな》原《はら》を横に行く。
地平のあたり、一団の褐《くり》色《いろ》なして、列《つら》なめて、
みれば砂塵を蹴立てつつ、路無き原をし直《ひた》道《みち》に、
ゆくてのさきの障碍《さまたげ》を、もどかしとてや、力《ちから》足《あし》、
蹈鞴《ただら》しこふむ勢に、遠《をち》の砂《すな》山《ゆま》崩れたり。
導《しるべ》にたてる年《とし》嵩《かさ》のてだれの象の全身は
「時」が囓みてし、刻みてし老《ろう》樹《じゆ》の幹のごと、ひわれ
巨巌の如き大《おほ》頭《がしら》、脊《せ》骨《ぼね》の弓の太しきも、
何の苦も無く自《おのづ》から、滑らかにこそ動くなれ。
歩み遅むることもなく、急ぎもせずに、悠然と、
塵にまみれし群《ぐん》象《ざう》をめあての国に導けば、
沙《すな》の畦《あぜ》くろ、穴に穿ち、続いて歩むともがらは、
雲突く修《す》験《げん》山《やま》伏《ぶし》か、先《せん》達《だつ》の蹤《あと》蹈《ふん》でゆく。
耳は扇とかざしたり、鼻は象牙に介《はさ》みたり、
半《はん》眼《がん》にして辿りゆくその胴《どう》腹《ばら》の波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟《けむり》となつて散乱し、
幾千万の昆虫が、うなりて集《つど》ふ餌《ゑ》食《じき》かな。
饑渇の攻《せめ》や、貪《たん》婪《らん》の羽《は》虫《むし》の群《むれ》もなにかあらむ、
黒《くろ》皺《じわ》皮《がは》の満身の膚《はだへ》をこがす炎暑をや。
かの故《ふる》里《さと》をかしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼《め》路《ぢ》のあなたに生ひ茂げる無花果《いちじゆく》の森、象《きさ》の邦。
また忍ぶかな、高《たか》山《やま》の奥より落つる長《ちやう》水《すゐ》に
巨大の河《か》馬《ば》の嘯きて、波涛たぎつる河の瀬を、
あるは月《げつ》夜《や》の清光に白みしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦《よし》蘆《あし》を蹈み砕きてや、降《お》りたつを。
かかる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
涯《きはみ》も知らぬ遠《をち》のすゑ、黒《くろ》線《すぢ》とほくかすれゆけば、
大《おほ》砂《すな》原《はら》は今さらに不動のけはひ、神寂びぬ。
身《み》動《じろき》迂《うと》き旅《たび》人《うど》の雲のはたてに消ゆる時。
〔夷狄詩集〕
ルコント・ドゥ・リイルの出づるや、哲学に基ける厭世観は仏蘭西の詩文に致死の棺《たれ》衣《ぎぬ》を投げたり。前人の詩、多くは一時の感慨を洩し、単純なる悲哀の想を鼓吹するに止りしかど、此詩人に至り、始めて、悲哀は一種の系統を樹て、芸術の荘厳を帯ぶ。評家久しく彼を目するに高踏派の盟主を以てす。即ち格調定かならぬドゥ・ミュッセエ、ラマルティイヌの後に出で、始て詩神の雲髪を捉みて、之に悛厳なる詩法の金櫛を加へたるが故也。彼常に「不感無覚」を以て称せらる。世人輙もすれば、此語を誤解して曰く、高踏一派の徒、甘じて感情を犠牲とす。これ既に芸術の第一義を没却したるものなり。或は恐る、終に述作無きに至らむをと。あらず、あらず、此暫〓濫用せらるる「不感無覚」の語義を芸文の上より解する時は、単に近世派の態度を示したるに過ぎざるなり。常に宇宙の深遠なる悲愁、神秘なる歓楽を覚ゆるものから、当代の愚かしき歌物語が、野卑陳套の曲を反復して、譬へば情癡の涙に重き百葉の軽舟、今、芸苑の河流を閉塞するを敬せざるのみ。尋常世態の瑣事、奚ぞよく高踏派の詩人を動さむ。されど之を倫理の方面より観むか、人生に対する此派の態度、これより学ばむとする教訓は此一言に現はる。曰く哀楽は感ず可く、歌ふ可し、然も人は斯多阿学徒の心を以て忍ばざる可からずと。かの額附、物思はしげに、長髪わざとらしき詩人等も、此語には辟易せしも多かり。されば此人は芸文に劃然たる一新機軸を出しし者にして同代の何人よりも、其詩、哲理に富み、譬喩の趣を加ふ。「カイン」「サタン」の詩二つながら人界の災殃を賦し、「イパティイ」は古代衰亡の頽唐美、「シリル」は新しき信仰を歌へり。ユウゴオが壮大なる史景を咏じて、臺閣の風ある雄健の筆を振ひ、史乗逸話の上に叙情詩めいたる豊麗を与へたると竝びて、ルコント・ドゥ・リイルは、伝説に、史蹟に、内部の精神を求めぬ。かの伝奇の老大家は歴史の上に燦爛たる紫雲を曳き、この憂愁の達人は其実体を闡明す。
読者の眼頭に彷彿として展開するものは、豪壮悲惨なる北欧思想、明暢清朗なる希蝋田野の夢、または銀光の朧朧たること、其聖十字架を思はしむる基督教法の冥想、特に印度大幻夢涅槃の妙説なりけり。
黒檀の森茂げき此世の涯の老国より来て、彼は長久の座を吾等の傍に占めつ、教へて曰く『寂滅為楽』。
幾度と無く繰返したる大知識の教話によりて、悲哀は分類結晶して、頗る静寧の姿を得たるも、なほ、をりふしは憤怒の激発に迅雷の轟然たるを聞く。是に於てか雷火ひらめき、萬雷はためき、人類に対する痛罵、宛も薬綫の爆発する如く、所謂「不感無覚」の墻壁を破り了ぬ。
自家の理論を詩文に発表して、シォペンハウエルの弁証したる仏法の教理を開陳したるは、此詩人の特色ならむ。儕輩の詩人皆多少憂愁の思想を具へたれど、厭世観の理義彼に於ける如く整然たるは罕なり。衆人徒らに虚無を讃す、彼は明に其事実なるを示せり。其詩は智の詩なり。然も詩趣饒かにして、坐ろにペラスゴイ、キュクロプスの城址を忍ばしむる堅牢の石壁は、かの纎弱の律に歌はれ、往往俗謡に傾ける当代伝奇の宮殿を摧かむとすなり。
エミイル・ルハアレン
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ
珊瑚礁
波の底にも照る日影、神寂びにたる曙の
照しの光、亜《ア》比《ビ》西《シ》尼《ニ》亜《ア》、珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深《ふか》海《うみ》の谷《たに》隈《くま》の奥に透《すき》入《い》れば、
輝きにほふ虫のから、命にみつる珠《たま》の華。
沃《ヨウ》度《ド》に、塩にさ丹《に》づらふ海の宝のもろもろは
濡髪長き海《かい》藻《さう》や、珊瑚、海胆《うに》、苔《こけ》までも、
臙《えん》脂《じ》紫《むらさき》あかあかと、華《くわ》奢《しや》のきはみの絵模様に、
薄色ねびしみどり石、蝕《むしば》む底ぞ被《おほ》ひたる。
鱗《こけ》の光のきらめきに白《はく》琺《はう》瑯《らう》を曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を尋《たづ》ぬる一《いち》大《だい》魚《ぎよ》、
光透《すき》入《い》る水かげに慵《ものう》げなりや、もとほりぬ。
忽ち紅《こう》火《くわ》飄《ひるが》へる思の色の鰭《ひれ》ふるひ、
藍を湛《たた》へし静寂のかげ、ほのぐらき青《せい》海《かい》波《は》、
水《みづ》揺《ゆ》りうごく揺《えう》曳《えい》は黄金、真珠、青《せい》玉《ぎよく》の色。
〔戦勝標〕
ささらがた錦を張るも、荒《あら》妙《たへ》の白《しら》布《ぬの》敷くも、
悲しさは墳塋《おくつき》のごと、楽しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま恋ふる凡べてここなり、
をさな児《ご》も、老も若も、さをとめも、妻も、夫も。
葬《はふり》事《ごと》、まくばひほがひ、烏羽玉の黒十字架に
浄き水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆ここに物は始まり、皆ここに事は終らむ、
産《うぶ》屋《や》洩る初日影より、臨終の燭《そく》の火までも、
天《あま》離《さか》る鄙《ひな》の伏屋も、百《もも》敷《しき》の大《おほ》宮《みや》内《うち》内も、
紫《し》摩《ま》金《ごん》の栄《はえ》を尽して、紅《あけ》に朱《しゆ》に矜り飾るも、
鈍《にぶ》色《いろ》の樫《かし》のつくりや、楓《かへで》の木、杉の床にも。
独《ひと》り、かの畏も悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの失《うせ》にし床に、
物古りし親のゆづりの大《おほ》床《どこ》に足を延ばして。
〔戦勝標〕
出 征
高《たか》山《やま》の鳥《と》栖《ぐら》巣《す》だちし兄鷹《せう》のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は倦《うん》じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄《を》誥《たけ》ぶ夢ぞ逞ましき、あはれ、丈夫《ますらを》。
チパンゴに在りと伝うる鉱《かな》山《やま》の
紫《し》摩《ま》黄《わう》金《ごん》やわが物と遠く、求むる
船の帆も撓《し》わりにけりな、時《とき》津《つ》風《かぜ》、
西の世界の不思議なる遠《とおつ》荒《あり》磯《そ》に。
ゆふべゆふべは壮大の旦《あした》を夢み、
しらぬ火や、熱《ねつ》帯《たい》海《かい》のかぢまくら、
こがね幻《まぼろし》通ふらむ。またある時は
白妙の帆船の舳《へ》さき、たたずみて、
振《ふり》放《さけ》みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海《わだつみ》の底よりのぼる、けふも新《にひ》星《ぼし》。
〔戦勝標〕
シュリ・プリュドン
夢のうちに、農《のう》人《にん》人曰く、なが糧《かて》をみづから作れ、
けふよりは、なを養はじ、土を墾《は》り種を蒔けよと。
機《はた》織《おり》はわれに語りぬ、なが衣《きぬ》をみづから織れと。
石《いし》造《つくり》われに語りぬ、いざ鏝《こて》をみづから執れと。
かくて孤り人間の群やらはれて解くに由なき
この咒咀《のろひ》、身にひき纏ふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐愍《あはれみ》垂れさせ給へよと祷りをろがむ
眼前《まのあたり》、ゆくての途のただなかを獅子はふたぎぬ。
ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼《まなこ》ひらけば、
雄雄しかる田つくり男、梯《はし》立《だて》に口笛鳴らし、
絵具《はたもの》の〓《ふみ》木《き》もとどろ、小山田に種《たね》ぞ蒔きたる。
世の幸を今はた織りぬ、人の住むこの現《うつし》世《よ》に、
誰かまた思ひあがりて、同《はら》胞《から》を凌ぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。
〔詩 集〕
シャルル・ボドレエル
信天翁《おきのたいふ》
波《なみ》路《ぢ》遥《はる》けき徒然《つれづれ》の慰《なぐさめ》草《ぐさ》と船《ふな》人《びと》は、
八重の潮路の海《うみ》鳥《どり》の沖の太《たい》夫《ふ》を生《いけ》擒《ど》りぬ、
楫《かぢ》の枕のよき友よ心閑《のど》けき飛《ひ》鳥《てふ》かな、
奥《おき》津《つ》潮《しほ》騒《さゐ》すべりゆく舷《ふなばた》近《ちか》くむれ集《つど》ふ。
ただ甲《かふ》板《はん》に据ゑぬればげにや笑《せう》止《し》の極《きはみ》なる。
この青《あを》雲《ぐも》の帝王も、足どりふらら、拙くも、
あはれ、真白き双《さう》翼《よく》は、ただ徒らに広ごりて、
今は身の仇、益《やう》も無き二つの櫂《かい》と曳きぬらむ。
天《あま》飛ぶ鳥も、降《くだ》りては、やつれ醜き瘠《やせ》姿《すがた》、
昨日《きのふ》の羽根のたかぶりも、今はた鈍《おぞ》に痛はしく、
煙管《きせる》に嘴《はし》をつつかれて、心《こころ》無《なし》には嘲けられ、
しどろの足を摸《ま》ねされて、飛《ひ》行《ぎやう》の空に憧《あこ》がるる。
雲居の君のこのさまよ、世の歌《うた》人《びと》に似たらずや、
暴風雨《あらし》を笑ひ、風凌ぎ猟《さつ》男《を》の弓をあざみしも、
地《つち》の下《げ》界《かい》にやらはれて、勢《せ》子《こ》の時に煩へば、
太しき双《そう》の羽根さへも起《たち》居《ゐ》妨《さまた》ぐ足まとひ。
〔悪の華〕
薄《くれ》暮《がた》の曲《きよく》
時こそ今は水《みづ》枝《え》さす、こぬれた花の顫《ふる》ふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈《くるめき》よ、
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
痍《きず》に悩める胸もどき、〓オロン楽《がく》の清《すが》掻《がき》や、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈《くるめき》よ、
神輿《みこし》の台をさながらの雲悲しみて艶《えん》だちぬ。
痍《きず》に悩める胸もどき、〓オロン楽《がく》の清《すが》掻《がき》や、
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優《やさ》心《ごころ》。
神輿《みこし》の台をさながらの雲悲しみて艶《えん》だちぬ、
日や落入りて溺るるは、凝《こご》るゆふべの血《ち》潮《しほ》雲《ぐも》。
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心、
光の過去のあとかたを尋《と》めて集むる憐れさよ。
日や落ち入りて溺るるるは、凝《こご》るゆふべの血潮雲、
君が名残《なごり》のただ在るは、ひかり輝く聖《せい》体《たい》盒《ごふ》。
〔悪の華〕
破《やれ》 鐘《がね》
悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉《ゐろり》の下《もと》に、
燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、ききつつあれば、
過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。
喉《のど》太《ぶと》の古《ふる》鐘《がね》きけば、その身こそうらやましけれ。
老《おい》らくの齢《とし》にもめげず、健《すこ》やかに、忠《まめ》なる声の、
何《い》時もいつも、梵《ぼん》音《おん》妙《たへ》に深くして、穏《おほ》どかなるは
陣営の歩哨にたてる老兵の姿に似たり。
そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
寒《さむ》空《ぞら》の夜《よる》に響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
覚《おぼ》束《つか》な、音《ね》にこそたてれ、弱《よわ》声《ごゑ》の細《ほそ》音《ね》も哀れ、
哀れなる臨終《いまは》の声は、血の波の湖《みづうみ》の岸、
小山なす屍《かばね》の下《もと》に、身《み》動《じろぎ》もえならで死《う》する、
棄てられし負傷《ておひ》の兵の息絶ゆる終《つひ》の呻吟《うめき》か。
〔悪の華〕
人と海
こころ自由《まま》なる人間は、とはに賞《め》づらむ大《おほ》海《うみ》を。
海こそ人の鏡なれ。灘の大《おほ》波《なみ》はてしなく、
水や天《そら》なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深《ふか》海《うみ》の潮《しほ》の苦《にが》味《み》も世といづれ。
さればぞ人は身を映す鏡の胸に飛び入りて、
眼《まなこ》に抱《いだ》き腕にいだき、またある時は村《むら》肝《ぎも》の
心もともに、はためきて、潮《しほ》騒《ざゐ》高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音《おと》の、物狂ほしき歎《なげ》息《かひ》に。
海も爾《いまし》もひとしなみ、不思議をつつむ陰なりや。
人よ、爾《いまし》が心《しん》中《ちう》の深淵探《さぐ》りしものやある。
海よ、爾《いまし》が水《みな》底《ぞこ》の富を数へしものやある。
かくも妬《ねた》げに秘《ひめ》事《ごと》のさはにもあるか、海と人。
かくて劫《ごふ》初《しよ》の昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨の弛《ゆるみ》なく、修《しゆ》羅《ら》の戦《たたか》ひ酣《たけなは》に、
げにも非命と殺《さつ》戮《りく》と、なじかは、さまで好《この》もしき、
噫、永遠のすまうとよ、噫、怨《をん》念《ねん》のはらからよ。
〔悪の華〕
黒《くろ》葉《ば》水松《いちゐ》の木下《このした》闇《やみ》に
並んでとまる梟《ふくろう》は
昔の神をいきうつし、
赤《あか》眼《め》むきだし思案顔。
体《たい》も崩さず、ぢつとして、
かにを思ひに暮がたの
傾く日《ひ》脚《あし》推しこかす
大《おほ》凶《まが》時《とき》となりにけり。
島のふりみて達人は
道の悟りや開くらむ、
世に忌《ゆ》忌《ゆ》しきは煩悩と。
色《しき》相《さう》界《かい》の妄《まう》執《しう》に
諸《しよ》人《にん》のつねのくるしみは
居《きよ》に安《やすん》ぜぬあだ心。
〔悪の華〕
現代の悲哀はボドレエルの詩に異常の発展を遂げたり。人或は一見して云はむ、これ僅に悲哀の名を変じて鬱悶と改めしのみと、而も再考して終に其全く変質したるを暁らむ。ボドレエルは悲哀に誇れり。即ち之を詩章の龍蓋帳中に据ゑて、黒衣聖母の観あらしめ、絢爛なること絵画の如き幻想と、整美なること彫塑に似たる夢思とを恣にして之に生動の気を与ふ。是に於てか、宛もこれ絶美なる獅身女頭獣なり。悲哀を愛するの甚しきは、いづれの先人をも凌ぎ、常に悲哀の詩趣を讃して、彼は自ら「悲哀の煉金道士」と号せり。
先人の多くは、悩心地定かならぬままに、自然に対する心中の愁訴を、自然其物に捧げて、尋常の失意に泣けども、ボドレエルは然らず。彼は都府の子なり。乃ち巴里叫喊地獄の詩人として胸奥の悲を述べ、人に叛き世に抗する数奇の放浪児が為に、大声を假したり。其心、夜に似、暗憺、いひしらず、汚れにたれど、また一種の美、たとへば、濁江の底なる眼、哀憐悔恨の凄光を放つが如きもの無きにしもあらず。
(エミイル・ルハアレン)
ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき淒惨の光を与へぬ。即ち未だ会てなき一の戦慄を創成したり。
(〓クトル・ユウゴオ)
ポオル・ルレエヌ
譬 喩
主は讃《ほ》むべき哉、無《む》明《みやう》の闇や、憎《にく》み多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子《いぬ》のやうに従ひてむ。
生《いけ》贄《にへ》の羊、その母のあと、従ひつつ、
何の苦もなくて、牧《ぼく》草《さう》を食《は》み、身に生《お》ひたる
羊《やう》毛《まう》のほかに、その刻《とき》来《き》ぬれば、命をだに
惜まずして、圭に奉る如くわれもなさむ。
また魚とならば、御《み》子《こ》の頭《かしら》字《じ》象《かたど》りもし、
驢馬ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より穣《はら》ひ給ひし豕《ゐのこ》を見いづ。
げに末《すゑ》つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心素《す》直《なほ》にも忍《にん》辱《にく》の道守るならむ。
〔詩 集〕
よくみるゆめ
常によく見る夢ながら、奇《あ》やし、懐《なつ》かし、身にぞ染む。
会ても知らぬ女《ひと》なれど、思はれ、思ふかの女《ひと》よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば、異りて、
また異《ことな》らぬおもひびと、わが心《こころ》根《ね》や悟りてし。
わが心根を悟りてしかの女《ひと》の眼に胸のうち、
噫、彼女《かのひと》にのみ内《ない》証《しよう》の秘めたる事ぞなかりける。
蒼ざめ顔のわが額《ひたひ》、しとどの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術《すべ》あるは、玉の涙のかのひとよ。
栗色髪のひとなるか、赤《あか》髪《がみ》のひとか、金髪か、
名をだに知《し》らね、唯思ふ朗ら細《ほそ》音《ね》のうまし名は、
うつせみの世を疾《と》く去りし昔の人の呼《よび》名《な》かと。
つくづく見入る眼《まな》差《ざし》は、匠《たくみ》が彫《ゑ》りし像の眼か、
澄みて、離れて、落《おち》居《ゐ》たる其音《おん》声《じやう》の清《すず》しさに、
無《む》言《ごん》の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。
〔詩 集〕
落 葉
秋の日の
〓オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
〔詩 集〕
仏蘭西の詩はユウゴオに絵画の色を帯び、ルコント・ドゥ・リイルに彫塑の形を具へ、ルレエヌに至りて音楽の声を伝え、而して又更に陰影の匂なつかしきを捉へむとす。
(訳者)
〓クトル・ユウゴオ
良 心
革《かは》衣《ごろも》纏《まと》へる児等を引《ひき》具《ぐ》して
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離《さか》り迷ひいで、
タ闇の落つるがままに愁《しう》然《ねん》と、
大《おほ》原《はら》の山の麓にたどりつきぬ。
妻は倦み児等も疲れて諸《もろ》声《ごゑ》に、
「地《つち》に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山《やま》陰《かげ》にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉の暗《やみ》夜《よ》の空を仰ぎみれば、
広大の天《てん》眼《がん》くわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わななきて「未だ近し」と叫びつつ、
倦みし妻、眠れる児等を促《うなが》して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃《のが》れゆく。
かかなべて、日には三十日《みそか》、夜《よ》は、三《み》十夜、
色変へて、風の音《おと》にもをののきぬ。
やらはれの、伏《ふし》眼《め》の旅は果もなし、
眠なく休《いこ》ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシユルの国、海のほとり、
荒《あり》磯《そ》にこそはつきにけれ。「いざ、ここに
とどまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰《いん》雲《うん》暗《くら》きめぢのあなた、
いつも、いつも、天《てん》眼《がん》ひしと睨みたり。
おそれみに身も世もあらず、戦《をのの》きて、
「隠せよ」と叫ぶ一《いつ》声《せい》。児《こ》等《ら》はただ
猛き親《おや》を口に指あて眺めたり。
沙漠の池、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このむたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布《ぬの》の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ。
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼《まなこ》睨《にら》む」とカインいふ。
角《かく》を吹き鼓《つづみ》をうちて、城《き》のうちを
ゆきめぐる民《たみ》草《ぐさ》のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅《あかがね》の壁築《つ》き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何《いかに》せむ、
「いつも、いつも眼《まなこ》睨《にら》む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦《とりで》守《も》る城《しろ》築《つき》あげて、
その邑《まち》を固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶の祖《おや》トバルカインは、いそしみて、
宏大の無《む》辺《へん》都《と》城《じやう》を営むに、
同胞《はらから》は、セツの児《こ》等《ら》、エノスの児等を、
野辺かけて狩《かり》暮《らく》しつつ、ある時は
旅《たび》人《びと》の眼《まなこ》をくりて、夕されば
星《せい》天《てん》の征《そ》矢《や》を放ちぬ。これよりぞ、
花崗《みかげ》石《いし》、帳《とばり》に代り、くろがねを
石にくみ、城《き》の形、冥《みやう》府《ふ》に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁《かべ》建《たて》終り、大《おほ》城《き》戸《ど》に
刻める文字を眺むれば「このうちに
神はゆめ入る可からず」と、ゑりにたり。
さて親は石《せき》殿《でん》に住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「墳塋《おくつき》に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、吾《われ》も亦何をも見じ」と。
さてここに坑《あな》を穿《うが》てば「よし」といひて、
ただひとり闇《あん》穴《けつ》道《だう》におりたちて、
物陰の座《ざ》にうちかくる、ひたおもて、
地《ち》下《げ》の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天《てん》眼《がん》なほも奥《おく》津《つ》城《き》にカインを眺む。
〔古今伝説集〕
ユウゴオの趣味は典雅ならず、性情奔放にして狂〓激浪の如くなれど、温藉静冽の気自から其詩を貫きたり。対聯比照に富み、光彩陸離たる形容の文辞を畳用して、燦爛たる一家の詩風を作りぬ。
(訳者)
フランソワ・コぺエ
礼 拝
さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日惨憺を極む。
街《まち》既《すで》に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降《ふ》りしきれば、
「憎つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く罵《ののし》りつ。
明《あけ》方《がた》よりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦がき紙筒《はやごう》を
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいや益しに、
勢《いきほひ》猛《まう》に追ひ迫り、
黒《こく》衣《い》長《ちやう》袍《はう》ふち広き帽を狙撃す。
狭き小《こう》路《ぢ》の行《かう》進《しん》に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任《にん》にしあれば、
精《せい》兵《へい》従へ推しゆく折しも、
忽《こつ》然《ねん》として中《なか》天《ぞら》赤《あか》く、
鉱《くわう》炉《ろ》の紅《こう》舌《ぜつ》さながらに、
虐殺せらるる婦女の声、
遥かには轟轟の音とよもして、
歩《ほ》毎《ごと》に伏《ふく》屍《し》累累たり。
屈《こご》んでくぐる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血淋漓たる兵が、
血《ち》紅《べに》に染みし指をもて、
壁に十字を書置くは、
敵潜めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが、手《て》練《だれ》の旧《ふる》兵《つはもの》も、
落《おち》居《ゐ》ぬけはひに、寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。
忽ち、とある曲《きよく》角《かく》に、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常《ひごろ》は猛けき勇士等も、
精《しやう》舎《じや》の段の前面に
ただ僧兵の二十人、
円《ゑん》頂《ちやう》の黒鬼に、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凛凛しさよ、
血染の腕《かひな》巻きあげて、
大十字架にて、うちかかる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩したりしが、
冷然として、残忍に、軍は倦みたり。
皆心中に疾《やま》しくて、
とかくに殺戮したれども、
醜行已に為し了はり、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍より
階《きざはし》かけて、紅《べに》流れ、
そのうしろ楼門聳ゆ、巍然として鬱たり。
燈《とう》明《みやう》くらがりに金《きん》色《じき》の星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂の香を放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇に対ひ、
歌《か》楼《ろう》のうち、やさけびの音《おと》しらぬ顔、
蕭《しめ》やかに勤《ごん》行《ぎやう》営む白髪長身の僧。
噫けふもなほ俤にして浮びこそすれ、
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流に烟《けぶり》たち、
朧《ろう》朧《ろう》たる低き戸の框《かまち》に、
立つや老僧。
神《しん》壇《だん》龕《づし》のやうに輝き、
唖然としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日精舎の奪掠に
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御《み》燈《あかし》に
煙草つけたる乱《らん》行《ぎやう》者《もの》、
上《うは》反《ぞり》鬚《ひげ》に気《き》負《おひ》みせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
ただ此僧の髪白く白く
神寂びたるに畏《かしこ》みぬ。
「打て」と士官は号令す。
誰あつて動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素《そ》振《ぶり》神《かう》神《がう》しく、
聖水大《たい》盤《ばん》を捧げてふりむく。
ミサ礼《らい》拝《はい》半《なかば》に達し、
司《し》僧《そう》むき直る祝福の時、
腕《かひな》は伸べて鶴《かく》翼《よく》のやう、
衆《しう》皆《みな》一歩たじろぎぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音澱《よどみ》なく、和《わ》讃《さん》を咏じて、
「帰命頂礼」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
「全能の神、爾等を憐み給ふ。」
またもや、一声あららかに
「うて」と士官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中有名《なうて》の卑怯者、
銃《じう》執《と》りなほして発砲す。
老僧、色は蒼《あを》みしが、
沈勇の眼《まなこ》明らかに、
祈りつづけぬ、
「父と子と。」
続いて更に一発は、
狂気のさたか、血《ち》迷《まよひ》か、
とかくに業《ごふ》は了りたり。
僧は隻腕、壇にもたれ、
明いたる手にて祝福し、
黄《わう》金《ごん》盤《ばん》も重たげに、
虚《こ》空《くう》に恩《おん》赦《しや》の印《しるし》を切りて、
音《おん》声《じやう》こそは微《かすか》なれ、
〓《げき》たる堂上とほりよく、
瞑《めい》目《もく》のうち述ぶるやう、
「聖霊と。」
かくて仆れぬ、礼《らい》拝《はい》の事了りて。
盤《ばん》は三度び、床上に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎《おそれ》をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。
聊《れう》爾《じ》なりや「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓《こ》手《しゆ》。
〔現代詩集〕
ヰルヘルム・アレント
わすれなぐさ
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
〔詩 集〕
カアル・ブッセ
山のあなた
山のあなたの空遠く
「幸《さいはひ》」住むと人のいふ。
噫、われひとと尋《と》めゆきて、
涙さしぐみかへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸《さいはひ》」住むと人のいふ。
パウル・バルシュ
森は今、花さきみだれ
艶《えん》なりや、五月《さつき》たちける。
神よ、擁《おう》護《ご》をたれたまへ、
あまりに幸《さち》のおほければ。
やがてぞ花は散りしぼみ、
艶《えん》なる時も過ぎにける。
神よ擁《おう》護《ご》をたれたまへ、
あまりにつらき災《とが》な来《こ》そ。
オイゲン・クロアサン
けふつくづくと眺むれば、
悲みの色《いろ》口にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。
秋風わたる青《あを》木《こ》立《だち》
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル
わかれ
ふたりを「時《とき》」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。
されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
テオドル・ストルム
水無月
子守歌風に浮びて、
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足《たり》穂《ほ》うなだれ、
茨には紅き果《み》熟し、
野《の》原《はら》には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
ハインリッヒ・ハイネ
花のをとめ
妙《たへ》に清らの、あ〓、わが児《こ》よ、
つくづくみれば、そぞろ、あはれ、
かしらや撫でて、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙《たへ》にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。
〔詩 集〕
ルビンスタインのめでたき楽譜に合せて、ハイネの名歌を訳したり。原の意を汲みて余さじと、つとめ、はた又、句読停音すべて楽譜の示すことろに従ひぬ。
(訳者)
ロバアト・ブラウニング
瞻 望
怕《おそ》るるか死を。――喉《のど》塞《ふた》ぎ、
おもわに狭《さ》霧《ぎり》、
深《み》雪《ゆき》降り、木《こ》枯《がらし》荒れて、著《し》るくなりぬ、
すゑの近さも。
夜《よる》の稜威《みいづ》暴風《あらし》の襲来《おそひ》、恐ろしき
敵の屯《たむろ》に、
現身《うつそみ》の「大《だい》畏《ゐ》怖《ふ》」立てり。しかすがに
猛《たけ》き人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
障《しやう》礙《げ》は破《や》れぬ、
唯、すゑの誉《ほまれ》の酬《むくひ》えむとせば、
なほひと戦《いくさ》。
戦《たたか》ひは日ごろの好《このみ》、いざさらば、
終《をはり》の晴《はれ》の勝負せむ。
なまじひに眼《まなこ》ふたぎて、赦《ゆ》るされて、
這《は》ひ行くは憂《う》し、
否残《のこり》なく味《あぢは》ひて、かれも人なる
いにしへの猛者《もさ》たちのやう、
矢《や》表《おもて》に立ち楽世《うましよ》の寒冷《さむさ》、苦痛《くるしみ》、暗黒《くらやみ》の、
貢《みつぎ》のあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽《こつ》然《ねん》と禍《わざはひ》福《ふく》に転ずべく
闇は終らむ。
四《し》大《たい》のあらび、忌《ゆ》忌《ゆ》しかる羅《ら》刹《せつ》の怒《ど》号《がう》、
ほそりゆき、雑《まじ》りけち
変《へん》化《げ》して苦も楽《らく》とならむとやすらむ。
そのとき光《くわう》明《みやう》、その時御《み》胸《むね》
あはれ、心の心とや、抱《いだ》きしめてむ。
そのほかは神のまにまに。
〔曲中人物〕
春の朝
時は春、
日は朝《あした》、
朝《あした》は七時、
片《かた》岡《おか》に露みちて、
揚《あげ》雲雀《ひばり》なのりいで、
蝸牛《かたつむり》枝《えだ》に這《は》ひ、
神、そらに知《し》ろしめす。
すべて世は事も無し。
出 現
苔むしろ、飢ゑたる岸も
春来れば、
つと走る光、そらいろ、
菫咲く。
村雲のしがむみそらも、
ここかしこ、
やれやれて影はさやけし、
ひとつ星。
うつし世の命を恥《はぢ》の
めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
君がおも。
〔クロアジツク二詩人〕
岩陰に
嗚呼、物《もの》古《ふ》りし鳶《とび》色《いろ》の「地《ち》」の微《ほほ》笑《ゑみ》の大《おほ》きやかに、
親《した》しくもあるか、今朝《けさ》の秋《あき》、偃曝《ひなたぼこり》に其《その》骨《ほね》を
延《のば》し横《よこた》へ、膝《ひざ》節《ぶし》も、足も、つきいでて、漣《さざなみ》の
悦《よろこ》び勇み、小《こ》躍《をどり》に越ゆるがままに浸たりつつ、
さて欹《そばだ》つる耳もとの、さざれの床《とこ》の海《うみ》雲雀《ひばり》、
和毛《にこげ》の胸の白《しろ》妙《たへ》に転《てん》ずる声のあはれなる。
この教こそ神《かん》ながら旧《ふ》るき真《まこと》の道と知れ。
翁《おきな》びし「地《ち》」の知りて笑《ゑ》む世の試《こころみ》ぞかやうなる。
愛を捧げて価値《ねうち》あるもののみをこそ愛しなば
愛は完《まつ》たき益にして、必らずや、身の利りとならむ。
思《おもひ》の痛み、苦みに卑《いや》しきこころ清めたる
なれ自らを地に捧げ、酬《むくひ》は高き天《そら》に求めよ。
〔曲中人物〕
至上善
蜜蜂の嚢《ふくろ》にみてる一《ひと》歳《とせ》の香《にほひ》も、花も、
宝玉の底に光れる鉱《かな》山《やま》の富も、不思議も、
阿《あ》古《こ》屋《や》貝《がひ》映《うつ》し蔵《かく》せるわだつみの陰も、光も、
香《にほひ》、花、陰、光、富、不思議及《およ》ぶべしやは、
玉《ぎよく》よりも輝く真《まこと》、
珠《たま》よりも澄みたる信義、
天《あめ》地《つち》にこよなき真《まこと》、澄みわたる一《いち》の信義は
をとめごの清きくちづけ。
〔アソランド〕
ブラウニングの楽天説は、既に二十歳の作「ポオリイン」に顕れ、「ピパ」の歌、「神、そらにしろしめす、すべて世は事も無し」といふ句に綜合せられたれど、一生の述作皆人間終極の幸福を予言する点に於て一致し「アソランドオ」絶筆の結句に至るまで、欲は有神論、霊魂不滅説に信を失はざりき。此詩人の宗教は基督教を元としたる「愛」の信仰にして、尋常宗門の縄墨を脱し、教外の諸法に対しては極めて宏量なる態度を持せり。神を信じ、其愛と其力とを信じ、之を信仰の基として、人間恩愛の神聖を認め、精進の理想を妄なりとせず、芸術科学の大法を疑はず、又人心に善悪の奮闘争鬩あるを、却て進歩の動機なりと思惟せり。而してあらゆる宗教の教義には重を措かず、ただ基督の出現を以て説明すべからざる一の神秘となせるのみ。曰く、宗教にして、若し、万世不易の形を取り、万人の為め、予め、劃然として具へられたらむには、精神界の進歩は直に止りて、厭ふべき凝滞はやがて来らむ。人間の信仰は定かならぬこそをかしけれ、教法に完了といふ義ある可からずと。されば信教の自由を説きて、寛容の精神を述べたるもの、「聖十字架祭」の如きあり。殊に晩年に〓みて、教法の形式、制限を脱却すること益著るく、全人類に亙れる博愛同情の精神愈盛なりしかど、一生の確信は終始毫も渝ること無かりき。人心の憧がれ向ふ高大の理想は神の愛なりといふ中心思想を基として、幾多の傑作あり。「クレオン」には、芸術美に倦みたる希臘詩人の永生に対する熱望の悲音を聞くべく、「ソオル」には、事業の永続に不老不死の影ばかりなるを喜ぶ事の果敢なき夢なるを説きて、更に個人の不滅を断言す。「亜刺比亜の医師カアシッシュの不思議なる医術上の経験」といふ尺牘体には、基督教の原始に遡りて、意外の側面に信仰の光明を窺ひ、「砂漠の臨終」には神の権化を目撃せし聖約翰の遺言を耳にし得べし。然れども是等の信仰は、盲目なる狂熱の独断にあらず、皆冷静の理路を辿り、若しくは、精練、微を穿てる懐疑の坩堝を経たるものにして「監督ブルウグラムの護法論」「フェリシュタアの念想」等之を証す。之を綜ぶるに、ブラウニングの信仰は、精神の難関を凌ぎ、疑惑を排除して、光明の世界に達したるものにして永生の大信は世を終るまで動かざりき。「ラ・セイジヤス」の秀什、この想を述べて余あり、又、千八百六十四年の詩集に収めたる「瞻望」の歌と、千八百八十九年の詩集「アソランドオ」の絶筆とは此詩人が宗教観の根本思想を包含す。
(訳者)
ヰリアム・シェイクスピヤ
花くらべ
燕も来《こ》ぬに水仙花、
大《おほ》寒《さむ》こさむ三月の
風にもめげぬ凛《り》凛《り》しさよ。
またはジュノウのまぶたより、
〓イナス神《がみ》の息《いき》よりも
なほ臈《らふ》たくもありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
嫁《とつ》ぎもせぬに散りはつる
色《いろ》蒼《あを》ざめし桜《さくら》草《さう》、
これも少女《をとめ》の習《ならひ》かや。
それにひきかへ九《く》輪《りん》草《さう》、
編《あみ》笠《がさ》早百合《さゆり》気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶《いち》尾《はつ》草《ぐさ》のよけれども、
あ〓、今は無し、しよんがいな。
〔冬物語〕
クリスティナ・ロセッティ
花の教
心をとめて窺へば花自《おのづか》ら教へあり。
朝《あさ》露《つゆ》の野薔薇のいへる、
「艶なりや、われの姿、
刺《とげ》に生《お》ふる色《いろ》香《か》とも知れ。」
麦《むぎ》生《ふ》のひまに罌粟のいふ、
「せめては紅《あか》きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
験《けん》ある露の薬水を
盛《も》りささげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく、
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫《すみれ》草《ぐさ》、
「人はあだなる香《か》をきけど、
われらの示す教暁《さと》らじ。」
〔詩 集〕
ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ
小 曲
小曲は刹那をとむる銘《しるし》文《ぶみ》、また譬《たと》ふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎしひと時に、劫《ごふ》の「心」の
捧げたる願《ぐわん》文《もん》にこそ。光り匂ふ法《のり》の会《ゑ》のため、
祥《さが》もなき預《かね》言《ごと》のため、折からのけぢめはあれど、
例《いつ》も例《いつ》も堰《せ》きあへぬ思《おもひ》豊《ゆた》かにて切《せち》にあらなむ。
「日《ひ》」の歌は象牙にけづり、「夜《よる》」の歌は黒檀に彫《ゑ》り、
頭《かしら》なる華《はな》のかざしは輝きて、阿《あ》古《こ》屋《や》の珠《たま》と、
照りわたるきらびの栄《はえ》の臈《らふ》たさを「時《とき》」に示せよ。
小曲は古《こ》泉《せん》の如く、そが表《おもて》、心あらはる、
うらがねをいづれの力しろすとも。あるは「命《いのち》」の
威力あるもとめの貢《みつぎ》、あるはまた貴《あて》に妙《たへ》なる
「恋」の供《ぐ》奉《ぶ》にかづけの纏頭《はな》と贈らむも、よし遮莫《さもあらばあれ》
三《みつ》瀬《せ》川《がは》、船はて処、陰《かげ》暗《くら》き伊《い》吹《ぶき》の風に、
「死」に払《はら》ふ渡《わたり》のしろと、船《ふな》人《びと》の掌《て》にとらさむも。
〔命の家〕
恋の玉座
心のよしと定《さだ》めたる「力《ちから》」かずかず、たぐへみれば、
「真《まこと》」の脣《くち》はかしこみて「望《のぞみ》」の眼《まなこ》、天《そら》仰《あふ》ぎ
「誉《ほまれ》」は翼《つばさ》、音《おと》高《だか》に埋《うづみ》火《び》の「過去」煽《あふ》ぎぬれば
飛《とぶ》火《ひ》の焔《ほのほ》、紅《あか》紅《あか》と炎《えん》上《じよう》のひかり忘《ばう》却《きやく》の
去《い》なむとするを驚かし、飛《と》び翔《か》けるをぞ控へたる。
また後《きぬ》朝《ぎぬ》に巻きまきし玉の柔《やは》手《て》の名残よと、
黄《こ》金《がね》くしげのひとすぢを肩に残しし「若《わか》き世《よ》」や
「死《し》出《で》」の挿頭《かざし》と、例《いつ》も例《いつ》もあえかの花を編む「命《いのち》」。
「恋」の玉《ぎよく》座《ざ》は、さはいへど、そこにしも在《あら》じ、空《そら》遠《とほ》く、
逢《あふ》瀬《せ》、別《わか》れの辻《つじ》風《かぜ》のたち迷ふあたり、離《さか》りたる
夢も通はぬ遠《とお》つぐに、無言《しじま》の局《つぼね》奥《おく》深《ふか》く、
設けられたり。たとへそれ、「真《まこと》」は「恋《こひ》」の真《ま》心《ごころ》を
夙《つと》に知るべく「望《のぞみ》」こそ、そを預言《かねごと》し「誉」こそ、
そがためによく、「若《わか》き世《よ》」めぐし、「命《いのち》」惜しとも。
〔命の家〕
春の貢
草うるはしき岸の上に、いと美はしき君が面《おも》、
われは横《よこた》へ、その髪を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はな白《じろ》みてや、黄《こ》金《がね》なす
みぐしの間《ひま》のここかしこ、面《おも》映《はゆ》げにも覗《のぞ》くらむ。
去年《こぞ》とやいはむ今年とや年の境《さかひ》もみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、半《なかば》たゆたひ、小《こ》李《すもも》の
葉もなき花の白《しろ》妙《たへ》は雪《ゆき》間《ま》がくれに迷《まど》はしく、
「春」住む庭の四阿《あづま》屋《や》に風の通《かよひ》路《ぢ》ひらけたり。
されど卯月の日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎて眼《まなこ》閉ぢ給へ、いざくちづけむ君が面、
水《みづ》枝《え》小《こ》枝《えだ》にみちわたる「春」をまなびて、わが恋よ、
温かき喉《のど》、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは、
契《ちぎり》もかたきみやづかへ、恋の日なれや。冷かに
つめたき人は永久《とこしへ》のやらはれ人と貶《おと》し憎まむ。
〔命の家〕
ダンテ・アリギエリ
心も空に
心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の傍《かたへ》に近づかば
心に思ひ給ふこと応《いら》へ給ひね、洩れなくと、
綾《あや》に畏《かし》こき大《おほ》御《み》神《かみ》「愛」の御《み》名《な》もて告げまつる。
さても星影きららかに、更け行く夜も三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち四《よ》方《も》は照渡り、
「愛」の御姿うつそ身に現れいでし不思議さよ。
おしはかるだに、その性《さが》の恐しときく荒《あら》神《がみ》も
御《み》気《け》色《しき》いとど麗はしく在《いま》すが如くおもほえて、
御《み》手《て》にはわれが心《しん》の臓《ざう》、御《おん》腕《かひな》には貴《あて》やかに
あえかの君の寝姿を、衣《きぬ》うちかけて、かい抱き、
やをら動《うご》かし、交睫《まどろみ》の醒めたるほどに心《しん》の臓《ざう》、
ささげ進むれば、かの君も恐る恐るに聞《きこ》しけり。
「愛」は乃《すなは》ち馳せ走りつ、馳せ走りながら打泣きぬ。
〔新 生〕
エミイル・ルハアレン
鷺の歌
ほのぐらき黄《こ》金《がね》隠《こもり》沼《ぬ》、
骨蓬《かうほね》の白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
徐《おもむろ》に影を落しぬ。
水の面《おも》に影は漂《ただよ》ひ、
広《ひろ》ごりて、ころもに似たり。
天《あめ》なるや、鳥の通《かよひ》路《ぢ》、
羽ばたきの音もたえだえ。
漁子《すなどり》のいと賢《さか》しらに
清らなる網をうてども、
空《そら》翔ける奇《く》しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。
また知らず日に夜《よ》をつぎて
溝《みぞ》のうち泥《どろ》土《つち》の底
鬱憂の網に待つもの
久《ひさ》方《かた》の光に飛ぶを。
〔詩 集〕
ボドレエルにほのめき、ルレエヌに現れたる詩風はここに至りて、終に象徴詩の新体を成したり。この「鷺の歌」以下「嗟嘆」に至るまでの詩は多少皆象徴詩の風格を具ふ。
(訳者)
法《のり》の夕《ゆふべ》
夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥」の
黝《ねずみ》の色の毛《け》布《ぬの》もて掩《おほ》へる如く、物寂《さ》びぬ。
万《ばん》物《ぶつ》凡《なべ》て整《ととの》ふり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物の象《かたち》も筋めよく、ビザンチン絵《ゑ》の式《かた》の如《ごと》。
時雨《しぐれ》村《むら》雨《さめ》、中《なか》空《ぞら》を雨の矢《や》数《かず》につんざきぬ。
見よ、一天は紺《こん》青《じやう》の伽藍の廊《らう》の色にして、
今こそ時は西《せい》山《ざん》に入日傾く夕まぐれ、
日の金《こん》色《じき》に烏羽玉の夜《よる》の白《しろ》銀《がね》まじるらむ。
めぢの界《さかひ》に物も無し、唯遠《とほ》長《なが》き並《なみ》木《き》路《みち》、
路に沿ひたる樫の樹《き》は、巨人の列《つら》の佇立《たたずまひ》、
疎《まば》らに生《お》ふる箒《ははき》木《ぎ》や、新墾《にひばり》小《を》田《だ》の末かけて、
鋤《すき》休《やす》めたる野《の》らまでも領《りやう》ずる顔の姿かな。
木《こ》立《だち》を見れば沙《しや》門《もん》等《ら》が野辺の送りの営《いとなみ》に、
夕暮がたの悲みを心に痛み歩むごと、
また古《いにしへ》の六《ろく》部《ぶ》等《ら》が御《ご》世《せ》安《あん》楽《らく》の願《ぐわん》かけて、
霊《りやう》場《ぢやう》詣《まうで》、杖重く、番《ばん》の御《み》寺《てら》を訪ひしごと。
赤《あか》赤《あか》として暮れかかる入日の影は牡《ぼ》丹《たん》花《くわ》の
眠れる如くうつろひて、河《かは》添《ぞひ》馬《め》道《だう》開けたり。
噫、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく静かなる夕《ゆふべ》の空に二《ふた》列《ならび》、
瑠璃の御《み》空《そら》の金《きん》砂《すな》子《ご》、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らず星辰は
壇に捧ぐる御《み》明《あかし》の大《だい》燭《そく》台《だい》の心《しん》にして、
火こそみえけれ、其棹《さを》の閻《えん》浮《ぶ》提《だ》金《ごん》ぞ隠《かく》れたる。
〔沙 門〕
時《と》 鐘《けい》
館《やかた》の闇の静かなる夜にもなれば訝《いぶか》しや、
廊下のあなた、かたことと、〓《かせ》杖《づゑ》のおと、杖の音《おと》、
「時」の階《はしご》のあがりおり、小《こ》股《また》に刻《きざ》む音《おと》なひは
これや時《と》鐘《けい》の忍《しのび》足《あし》。
硝子《がらす》の蓋《ふた》の後《うしろ》には、白《しろ》鑞《め》の面《おもて》飾《かざ》りなく、
花形模様色褪《ざ》めて、時の数字もさらぼひぬ。
人の気《け》絶《た》えし渡《わた》殿《どの》の影ほのぐらき朧《ろふ》月《げつ》よ、
これや時《と》鐘《けい》の眼の光。
うち沈みたるねび声に機《しかけ》のおもり、音《おと》ひねて、
槌《つち》に鑢《やすり》の音《ね》もかすれ、言葉悲しき木《き》の函《はこ》よ、
細《ほそ》身《み》の秒の指のおと、片《かた》言《こと》まじりおぼつかな、
これや時《と》鐘《けい》の針の声。
角《かく》なる函《はこ》は樫《かし》づくり、焦《こげ》茶《ちや》の色の框《わく》はめて、
冷《つめ》たき壁に封じたる棺《ひつぎ》のなかに隠れすむ
「時」の老《らう》骨《こつ》、きしきしと、数《かず》囓《か》む音の歯ぎしりや、
これぞ時《と》鐘《けい》の恐ろしさ。
げに時《と》鐘《けい》こそ不思議なれ。
あるは、木《き》履《ぐつ》を曳《ひ》き悩み、あるは徒跣《はだし》に音を窃《ぬす》み
忠《まめ》忠《まめ》しくも、いそしみて、古《ふる》く仕ふるはした女《め》か。
柱《はしら》時《ど》鐘《けい》を見《み》詰《つ》むれば、針《はり》のコムパス、身の搾《しめ》木《ぎ》。
〔詩 集〕
水かひば
ほらあなめきし落《おち》窪《くぼ》の、
夢も曇るか、こもり沼《ぬ》は、
腹しめすまで浸りたる
まだら牡牛の水かひ場《ば》。
坂くだりゆく牧《まき》がむれ、
牛は練《ね》りあし、馬は〓 《だく》、
時しもあれや、落日に
嘯《うそぶ》き吼ゆる黄《あめ》牛《うし》よ。
日のかぐろひの寂《じやく》寞《まく》や、
色も、にほひも、日のかげも、
梢のしづく、夕《ゆふ》栄《ばえ》も。
靄は刈《かり》穂《ほ》のはふり衣《ぎぬ》、
夕闇とざす路《みち》遠み、
牛のうめきや、断末魔。
〔弗羅曼景物詩〕
畏 怖
北に面《むか》へるわが畏怖《おそれ》の原の上に、
牧羊の翁《おきな》、神楽月角《かく》を吹く。
物憂き羊《ひつじ》小《ご》舎《や》のかどに、すぐだちて、
災殃《まがつび》のごと、死の羊群を誘ふ。
きし方《かた》の悔《くひ》をもて築きたる此小《こ》舎《や》は
かぎりもなき、わが憂愁の邦《くに》に在りて、
ゆく水のながれ薄荷《めぐさ》〓《がま》蓮《ずみ》におほはれ、
いざよひの波も重きか、蜘《くも》手《で》に澱《よど》む。
肩に赤十字ある墨《すみ》染《ぞめ》の小羊よ、
色もの凄き羊群も長《なが》棹《さを》の鞭に
撻《うた》れて帰る、たづたづし、罪のねりあし。
疾風《はやて》に歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
今、わが頭《かしら》掠《かす》めし稲妻の光に
この夕《ゆふべ》おどろおどろしきわが命かな。
〔詩 集〕
火 宅
嗚呼、爛《らん》壊《ゑ》せる黄《わう》金《ごん》の毒に中《あた》りし大都会、
石は叫び烟《けむり》舞ひのぼり、
驕慢の円《まる》蓋《やね》よ、塔よ、直《すぐ》立《だち》の石《せき》柱《ちゆう》よ、
虚空は震ひ、労役のたぎち沸くを、
好むや、汝《なれ》、この大《だい》畏《ゐ》怖《ふ》を、叫喚を、
あはれ旅《たび》人《うど》、
悲みて夢うつら離《さか》りて行くか、濁《だく》世《せい》を、
つつむ火焔の帯の停車場。
中《なか》空《ぞら》の山けたたまし跳り過ぐる火《くわ》輪《りん》の響。
なが胸を焦す早《はや》鐘《がね》、陰陰と、とよもす音も、
この夕《ゆふべ》、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤《あか》赤《あか》、
千万の火粉《ひのこ》の光、うちつけに面《おもて》を照《て》らし、
声《こわ》黒《ぐろ》きわめき、さけびは、妄執の心の矢《や》声《ごゑ》。
満身すべて涜《とく》聖《せい》の言葉に捩《ねぢ》れ、
意志あへなくも狂瀾にのまれをはんぬ。
実《げ》に自らを誇りつつ、将《はた》、咀ひぬる、あはれ、人の世。
〔詩 集〕
ジォルジュ・ロオデンバッハ
黄 昏
夕暮がたの蕭《しめ》やかさ、燈火《あかり》無き室《ま》の蕭《しめ》やかさ。
かはたれ刻《どき》は蕭《しめ》やかに、物静かなる死の如く、
朧《おぼろ》朧《おぼろ》の物影のやをら浸み入り広《ひろ》ごるに、
まづ天井の薄《うす》明《あかり》、光は消えて日も暮れぬ。
物静かなる死の如く、微《ほほ》笑《えみ》作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別れの手《て》振《ぶり》うれたくも
わが俤は蕭《しめ》やかに辷《すべ》り失《う》せなむ気《け》色《はひ》にて、
影薄れゆき、色《いろ》蒼《あを》み、絶えなむとして消《け》つべきか。
壁に掲《か》けたる油《あぶら》画《ゑ》に、あるは朧《おぼろ》に色褪めし、
框《わく》をはめたる追憶《おもひで》の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図《づ》の上に心の国の山《さん》水《すゐ》や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。
タ暮がたの蕭《しめ》やかさ。あまりに物のねびたれば、
沈める音《おと》の絃《いと》の器《き》に、〓《かせ》をかけたる思にて、
無言を辿《たど》る恋なかの深き二人《ふたり》の眼《まな》差《ざし》も、
花毛氈の唐《から》草《くさ》に絡《から》みて縒《よ》るる夢心地。
いと徐ろに日の光《ひかり》隠《かぐ》ろひてゆく粛《しめ》やかさ。
文《あや》目《め》もおぼろ、蕭《しめ》やかに、噫、蕭《しめ》やかに、つくねんと、
沈黙《しじま》の郷《さと》の偶座《むかひゐ》は一つの香《かう》にふた色の
匂《にほひ》交《まじ》れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。
〔沈黙郷《しじまのさと》〕
アンリ・ドゥ・レニエ
銘《しるし》 文《ぶみ》
夕まぐれ、森の小路の四《よつ》辻《つじ》に
夕まぐれ、風のもなかの逍遥に、
竃《かまど》の灰や、歳《さい》月《げつ》に倦み労れ来て、
定《ぢやう》業《ごふ》のわが行末もしらま弓、
杖と佇む。
路《みち》のゆくてに「日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは玄《げん》妙《めう》の、静《せい》寧《ねい》の「死」の大《おほ》神《かみ》が、
わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
黄《わう》金《ごん》の、浦《うら》安《やす》の妙《たへ》なる封《ふう》に。
高《たか》樫《がし》の寂《せき》寥《れう》の森の小路よ。
岩角に懈《け》怠《たい》よろぼひ、
きり石に足《あし》弱《よわ》悩み、
歩む毎《ごと》、
きしかたの血《ち》潮《しほ》流れて、
木枯の颯《さつ》颯《さつ》たりや、高《たか》樫《がし》に。
噫、われ倦みぬ。
赤楊《はんのき》の落葉の森の小路よ。
道行く人は木葉《このは》なす、
蒼ざめがほの恥のおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘《ぬかりみ》の、したたりの森の小路《みち》よ、
憂愁を風は葉竝に囁ぎぬ。
しろがねの、月《つき》代《しろ》の霜さゆる隠《こもり》沼《ぬ》は
たそがれに、この道のはてに澱みて
げにここは「鬱憂《うついう》」の
鬼が栖《す》む国。
秦皮《とねりこ》の、真《ま》砂《さご》、いさごの、森の小路よ、
微《そよ》風《かぜ》も足音たてず、
梢より梢にわたり、
山《やま》蜜《みつ》の色よき花は
金《こん》色《じき》の砂《すな》子《ご》の光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず、
このさきの都のまちは
まれびとを迎ふとききぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ。
他の生《しやう》の途《みち》のかたはら、
「物《もの》影《かげ》」の亡《なき》骸《がら》守る
わが「願《ぐわん》」の通《つ》夜《や》を思へば。
高《たか》樫《かし》の路われはゆかじな、
秦皮《とねりこ》や、赤楊《はんのき》の路《みち》、
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆかじな。
噫、小《こ》路《みち》、
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり来たるか、
地《ぢ》響《ひびき》のわれにさきだつ。
噫、小路、
安《あん》逸《いつ》の、醜《しう》辱《じよく》の、驕《けう》慢《まん》の森の小路よ、
あだなりしわが世の友か、吹《ふく》風《かぜ》は、
高《たか》樫《かし》の木下《このした》陰《かげ》に
声はさやさや、
涙さめざめ。
あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。
〔夢路〕
愛の教
いづれは「夜」に入る人の
をさな心も青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
従《しよう》容《よう》として、ひとりきく、
「冬《ふゆ》篳《ひち》篥《りき》」にさきだちて、
「秋」に響かふ「夏《なつ》笛《ぶえ》」を。
(現世にしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あ〓、聞け、楽《がく》のやむひまを
「長《なが》月《つき》姫《ひめ》」と「葉《は》月《づき》姫《ひめ》」、
なが「憂愁」と「歓楽」と
語らふ声の蕭やかさ。
(熟《じゆく》しうみたるくだものの
つはりて枝や撓《たわ》むらむ。)
あはれ、微風《そよかぜ》、さやさやと
伊《い》吹《ぶき》のすゑは木枯を
誘ふと知れば、憂《う》かれども、
けふ木枯もそよ風も
口ふれあひて、熟《うま》睡《い》せり。
森陰はまだ夏《なつ》緑《みどり》、
夕まぐれ、空より落ちて、
笛の音《ね》は山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」を揺《そそ》りぬ。
曙の美しからば、
その昼は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身の夜も楽しかるらむ。
ほほゑみは口のさうび花《くわ》、
もつれ髪、髷《わげ》にゆふべく、
真《ま》清《し》水《みず》やいつも澄みたる。
あ〓人よ、「愛」を命の法《のり》とせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「夜《よる》」に入らむ時。
〔田園清興〕
花 冠
途のつかれに項《うな》垂《だ》れて、
黙然たりや、おもかげの
あらはれ浮ぶわが「想《おもひ》」。
命の朝のかしまだち、
世《せい》路《ろ》にほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
透しみすれば、わななきて、
顔背《そむ》くるぞ、あはれなる。
思ひかねつつ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるる、
あら、なつかしのわが「想《おもひ》」。
げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでて、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが跫音もきのふかな。
さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
願《ぐわん》の泉はとめたるか。
あな空《むな》手《で》、唇乾《かわ》き、
とこしへの渇《かつ》に苦《にが》める
いと冷やき笑《ゑみ》を湛へて、
ゆびさせる其足もとに、
玉の屑《くづ》、埴土《はに》のかたわれ。
つぎなる汝《なれ》はいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみの臈《らふ》たき風《ふ》情《ぜい》、
嫋《なよ》竹《たけ》の、あえかのなれも、
鈍《おぞ》なりや、宴《うたげ》のくづれ、
みだれ髪、肉《しし》おきたるみ、
酒の香に、衣《きぬ》もなよびて、
踏む足も酔ひさまだれぬ。
あな忌《ゆ》忌《ゆ》し、とく去《い》ねよ、
さて、また次《つぎ》のなれが面《おも》、
みれば麗《れい》容《よう》うつろひて、
悲み、削《そ》ぎしやつれがほ、
指《ゆび》組み絞《しぼ》り胸《むね》隠《かく》す
双《さふ》の手《て》振《ぶり》の怪しきは、
饐《す》ゑたる血にぞ、怨恨の
毒ながすなるくち蝮《ばゑ》を、
掩《》はむためのすさびかな。
また「驕慢」に音《おと》づれし
なが獲《え》物《もの》をと、うらどふに、
えび染《ぞめ》のきぬは、やれさけ、
笏《しやく》の牙《げ》も、ゆがみたわめり。
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「楽《げふ》欲《よく》」に
らうがはしくも走りしは。
酔《すゐ》狂《きやう》の抱擁《だきしめ》酷《むご》く
唇を囓み破られて、
満《まん》面《めん》に爪《つめ》あとたちぬ。
興《きよう》ざめたりな、このくるひ、
おれを棄《す》つるか、わが「想」
あはれ、恥かし、このみざま、
なれみづからをいかにする。
しかはあれども、そがなかに、
行《おこなひ》清《きよ》きただひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「想」の姉妹と
道《みち》異《こと》なるか、かへり来《こ》ぬ
――あ〓 行かばやな――汝《な》がもとに。
法《はふ》苑《をん》林《りん》の奥深く
素《す》足《あし》の「愛」の玉《ぎよく》容《よう》に
なれは、ゐよりて、睦みつつ、
霊《りやう》華《げ》の房《ふさ》を摘みあひて、
うけつ、あたへつ、とりかはし
双《さふ》の額《ひたひ》をこもごもに、
飾るや、一《いつ》の花の冠《くわんむり》。
〔埴土《はに》の円《まる》牌《がた》〕
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤは金工の如くアンリ・ドゥ・レニエは織人の如し。また、譬喩を珠玉に求めむか、披には青玉黄玉の光輝あり、此には乳光柔き蛋白石の影を浮べ、色に曇るを見る可し。
(訳者)
フランシス・〓エレ・グリフィン
延びあくびせよ
延びあくびせよ、傍《かたはら》に「命」は倦みぬ、
――朝《あさ》明《け》より夕をかけて熟《うま》睡《い》する
その臈《らふ》たげさ労《つか》らしさ、
ねむり眼のうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
大《おほ》影《かげ》の奥にかくれつ。
今にして躊躇《ためらひ》なさば、
ゆく末に何の導《しるべ》ぞ。
呼ばはりて過ぎ行く夢は
去りぬ神秘《くしび》に。
いでたちの旅路の糧《かて》を手《た》握《にぎ》りて、
歩《あゆみ》もいとど速《はや》まさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また帰り来なくに、
進めよ、走《は》せよ、物陰に、
畏《おそれ》をなすか、深《しん》淵《えん》に、
あな、急げ……あ〓遅れたり。
はしけやし「命」は愛に熟《うま》睡《い》して、
拷鋼《たくずぬ》の白腕《しろたたむき》になれを巻く。
――噫《ああ》遅《おく》れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……
さるからに、
むしろ「命」に口触れて
これに生《う》ませよ、芸術を。
無《む》言《ごん》を祷《いの》るかの夢の
教をきかで、無《む》辺《へん》なる神に憧《あこが》るる事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を長久《とは》にせよ。
死の憂愁に歓楽に
霊《れい》妙《めう》音《おん》を生ませなば、
なが亡《な》き後《あと》に残りゐて、
はた、さざめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年《こぞ》を繰返《あこぎ》の愛のまねぎに。
さればぞ歌へ微《ほほ》笑《ゑみ》の栄《はえ》の光に。
〔命の光〕
アルベエル・サマン
伴 奏
白《しろ》銀《がね》の筺《はこ》柳《やなぎ》、菩《ぼ》提《だい》樹《ず》や、榛《はん》の樹《き》や……
水《みづ》の面《おも》に月《つき》の葉《おち》落《ば》よ……
夕《ゆふべ》の風に櫛《くし》けづる丈《たけ》長《なが》髪《がみ》の匂ふごと、
夏の夜の薫《かをり》なつかし、かげ黒き湖《みづうみ》の上、
水薫《かを》る淡《あは》海《うみ》ひらけ鏡なす波のかがやき。
楫の音《と》もうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。
船のあし、空をもゆくか、
かたちなき水にうかびて
ならべたるふたつの櫂《かい》は
「徒然《つれづれ》」の櫂《かい》「無言《しじま》」がい。
水の面《おも》の月影なして
波の上の楫の音《と》なして
わが胸に吐《と》息《いき》ちらばふ。
〔詩 集〕
ジァン・モレアス
賦《かぞへうた》
色に賞《め》でにし紅《こう》薔《さう》薇《び》、日にけに花は散りはてて、
唐棣花《はねず》色《いろ》よき若《わか》立《だち》も、季《とき》ことごとくしめあへず、
そよそよ風の手《た》枕《まくら》に、はや日《ひ》数《かず》経《へ》しけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。
噫、歓楽よ、今さらに、なじかは、せめて争はむ。
知らずや、かかる雄《を》誥《たけび》の、世に類《たぐひ》無く烏滸《をこ》なるを、
ゆゑだもなくて、徒に痴《し》れたる思、去りもあへず、
「悲哀」の琴《きん》の糸の緒《を》を、ゆし按《あん》ずるぞ無《む》益《やく》なる。
ゆめ、な語りそ、人の世は悦《よろこ》びおほき宴《うたげ》ぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しき癡《し》れごこち。
ことに歎くな、現《うつし》世《よ》を涯《かぎり》も知らぬ苦《く》界《がい》よと。
益《やう》無《な》き勇《ゆう》の逸《はやり》気《ぎ》は、ただいち早く悔いぬらむ。
春《はる》日《ひ》霞みて、葦《よし》蘆《あし》のさざめくが如《ごと》、笑みわたれ。
磯《いそ》浜《はま》かけて風騒ぎ波おとなふがごと、泣けよ。
一切の快《け》楽《らく》を尽し、一切の苦《く》患《げん》に堪へて、
豊の世《よ》と称《たた》ふるもよし、夢の世と観《くわん》ずるもよし。
死者のみ、ひとり吾に聴く、奥《おく》津《つ》城《き》処《どころ》、わが栖《すみ》家《か》。
世の終《をふ》るまで、吾はしも己が心のあだがたき。
忘恩に栄華は尽きむ、里《さと》鴉《がらす》畠《はた》をあらさむ、
収穫《とりいり》時《どき》の頼《たのめ》なきも、吾はいそしみて種を播かむ。
ゆめ、自らは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ。
あはれ侮《ぶ》蔑《べつ》や、誹膀をや、大《おほ》凶《まが》事《ごと》の迫害《せまり》をや。
ただ、詩の神の箜《く》篌《ご》の上、指をふるれば、わが楽《がく》の
日毎に清く澄みわたり、霊《れい》妙《めう》音《おん》の鳴るが楽しさ。
長雨空《そら》の喪《はて》過《す》ぎて、さすや忽ち薄日影、
冠《かむり》の花《はな》葉《ば》ふりおとす栗の林の枝の上に、
水のおもてに、遅《おそ》花《ばな》の花壇の上に、わが眼にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の日《ひ》脚《あし》の白《しろ》みたる。
日よ何の意ぞ、夏《なつ》花《はな》のこぼれて散るも惜からじ、
はた禁《とど》めえじ、落葉の風のまにまに吹き交ふも。
水や曇れ、空も鈍《に》びよ、ただ悲みのわれに在らば、
想《おもひ》はこれに養はれ、心はために勇《ゆう》をえむ。
われは夢む、滄《さう》海《かい》の天《そら》の色、哀《あはれ》深き入日の影を、
わだつみの灘《なだ》は荒れて、風を痛み、甚振《いたぶ》る波を、
また思《おも》ふ釣《つり》船《ぶね》の海人《あま》の子を、巌《いは》穴《あな》に隠《かぐ》ろふ蟹を、
青眼のネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。
又思ふ、路《みち》の辺《べ》をあさりゆく物《もの》乞《ごひ》の漂浪《さすらひ》人《びと》を、
栖《す》み慣れし軒《のき》端《ば》がもとに、休《いこ》ひゐる賤《しづ》が翁《おきな》を、
斧の柄を手《た》握《にぎ》りもちて、肩かがむ杣《そま》の工《たくみ》を、
げに思ひいづ、鳴《なる》神《かみ》の都の騒擾《さやぎ》、村《むら》肝《ぎも》の心の痍《きず》を。
この一切の無《む》益《やく》なる世の煩累《わづらひ》を振りすてて、
もの恐ろしく汚れたる都の憂《うれひ》あとにして、
終《つひ》に分け入る森陰の清《すず》しき宿《やどり》求めえなば、
光も澄める湖《みづうみ》の静けき岸にわれは悟らむ。
否《あらや》、寧《むしろ》われはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし大《だい》揺《えう》籃《らん》のわだつみよ、
ほだしも波の鴎《かもめ》鳥《どり》、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩《いは》枕《まくら》汚《けが》れし眼《まなこ》、洗はばや。
噫いち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯《う》月《つき》の贈物、われはや、既に尽し果て、
秋のみのりのえびかづら葡萄も摘まず、新《にひ》麦《むぎ》の
豊《とよ》の足《たり》穂《ほ》も、他《あだ》し人《ひと》、刈《か》り干しにけむ、いつの間《ま》に。
けふは照《てる》日《ひ》の映《はえ》映《ばえ》と青《あを》葉《ば》高《たか》麦《むぎ》生ひ茂る
大《おほ》野《の》が上に空高く靡《な》びかひ浮ぶ旗《はた》雲《ぐも》よ。
和《な》ぎたる海を白帆あげて、朱《あけ》の曾《そ》保《ほ》船《ふね》走るごと、
変《へん》化《げ》乏しき青《あを》天《ぞら》をずべりゆくなる白雲よ。
時ならずして、汝も亦近づく暴風《あれ》の先《さき》駆《がけ》と、
みだれ姿の影黒み蹙《しが》める空を翔《かけ》りゆかむ、
嗚呼、大空の駆《はせ》使《づかひ》、添はばや、なれにわが心、
心は汝《なれ》に通へども、世の人たえて汲む者もなし。
〔詩 集〕
ステファンヌ・マラルメ
嗟《と》 嘆《いき》
静かなるわが妹、君見れば、想《おもひ》すずろぐ。
朽《くち》葉《ば》色《いろ》に晩《おそ》秋《あき》の夢深き君が額《ひたひ》に、
天《てん》人《にん》の瞳《ひとみ》なす空色の君がまなこに、
憧るるわが胸は、苔古りし花《はな》苑《ぞの》の奥、
淡《あは》白《じろ》き吹《ふき》上《あげ》の水のごと、空へ走りぬ。
その空は時雨《しぐれ》月《づき》、清らなる色に曇りて、
時《をり》節《ふし》のきはみなき鬱憂は池に映《うつ》ろひ
落《らく》葉《えふ》の薄《うす》黄《ぎ》なる憂悶《わづらひ》を風の散らせば、
いざよひの池《いけ》水《みづ》に、いと冷《ひ》やき綾《あや》は乱れて、
ながながし梔子《くちなし》の光さす入日たゆたふ。
〔詩 集〕
物象を静観して、これが喚起したる幻想の裡、自から心象の飛揚する時は「歌」成る。さきの「高踏派」の詩人は、物の全般を採りて之を示したり。かるが故に、其詩、幽妙を虧き、人をして宛然自から創作する如き享楽無からしむ。それ物象を明示するは詩興四分の三を没却するものなり。読詩の妙は漸漸遅遅たる推度の裡に存す。暗示は即ちこれ幻想にあらずや。這般幽玄の運用を象徴と名づく。一の心状を示さむが為、徐に物象を喚起し、或は之と逆まに、一の物象を採りて、闡明数番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。
ステフアンヌ・マラルメ
テオドル・オオバネル
白 楊
落日の光にもゆる
白《はく》楊《やう》の聳《そび》やく並木、
谷《たに》隈《くま》になにか見る、
風そよぐ梢より。
〔詩 集〕
故 国
小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅葦増雲《パライソウ》。
〔詩 集〕
海のあなたの
海のあなたの遥けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遥けき国へ。
〔詩 集〕
オオバネルは、ミストラル、ルウマニユ等と相結で、十九世紀の前半に近代プロ〓ンス語を文芸に用ゐ、南欧の地を風靡したるフェリイブル詩社の翹楚なり。
「故国」の訳に波羅葦増雲《パライソウ》とあるは、文禄慶長年間、葡萄牙語より転じて一時、わが日本語化したる基督教法に所謂天国の意なり。
(訳者)
アルトゥロ・グラアフ
解《かい》 悟《ご》
頼み入りし空《あだ》なる幸《さち》の一《ひと》つだにも、忠心《まごころ》ありて、
とまれるはなし。
そをもふと、胸はふたぎぬ、悲みにならはぬ胸も
にがき憂《うれひ》に。
きしかたの犯《をかし》の罪の一つだにも、懲《こらし》の責《せめ》を
のがれしはなし。
そをもふと、胸はひらけぬ、荒《あばら》屋《や》のあはれの胸も
高かき望に。
海潮音以後 抄
印度古詩
きみがまなこは青《せい》蓮《れん》に、
きみが皓歯《しらは》は茉《まつ》莉《り》花《くわ》に、
かんばせ、はすの香《か》に匂ふ。
さればその身も、たをやげる
葉にこそあれと、思へども思へども、
石にも似たるその心。
をとめなれども、足《あし》曳《びき》の
山の猟夫《さつを》のわがきみは、
梓《あづさ》の弓の眉《まゆ》止《と》自《じ》女《め》、
征《そ》矢《や》うち放つながしめに、
せんたや われは手《て》負《おひ》じし。
蔓《つる》草《くさ》の嫋《なよ》びし姿、〓《くじか》なす情《なさけ》のまざし、
照る月の飽《あか》ざるおもわ、孔雀にも似たる濡《ぬれ》髪《がみ》、
戯れて顰《ひそ》める眉は、音《おと》無《なし》の漣《ささなみ》なせど、
あな悲し、君は宿らず、美はしき物の一つに。
足は向けども心はむかぬ。
風に向ひし絹《きぬ》の幟《はた》。
ゆく水の、はやくも君を想はする
漣《ささなみ》みれば、月がたの額《ひたひ》を忍《しの》び、
息《おき》長《なが》の鳰《にほ》鳥《どり》みれば、ささらがた、
錦《にしき》の紐《ひも》のなつかしき。この泡沫《うたかた》は
吾《わぎ》妹《も》子《こ》の靡かす裳《も》裾《すそ》、かの岸に
せぜらぐ波は、吾《わぎ》妹《も》子《こ》の舞の足《あし》踏《ぶみ》、
お〓、それ、げにも水こそは
わが恋ふる人、おもひびと。
サッフオ
夕づつの清光を歌ひて
汝は晨朝の蒔き散したるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懐に稚児《うなゐご》を帰す。
君のねがひ
君のねがひ望みたまふもの、
もし道にかなひて尊きことならば、
または、
くちに正しからぬ言葉をたくみたまはずとならば、
いかでか羞は君の眼を蓋ふべき、
あからさまにいひいでたまふべきに
忘れたるにあらねども
たかき樹の枝にかかり、
梢にかかり、
果実とるひとが忘れてゆきたる、
いな、
忘れたるにあらねども、
えがたくて、
のこしたる紅き林檎の果のやうに
ダンテ・アリギエリ
あはれ今
あはれ、今、「愛」の路行く君たちよ、
止りても君よ、世の中に、
われのに似たる悲みをする人ありや。
願はくば、わが言ふところ、聞き終り、
さもこそと、憐み給へ、
われこそは憂愁の宿《やど》なれ、戸なれ。
巧績《いさをし》のたえて空《むな》しきわれなるに
「愛」は情《なさけ》のいと深く、
心楽しきうまし世にわれを据ゑ置き、
人皆のうらやみ草《ぐさ》とし給ふに、
脊《そ》向《がひ》にて囁く声す、
『この若人《わこうど》の、いかなれば、かくも栄ゆる』。
あな、気《け》疎《うと》しや、勢はすべて痿《な》えけり
諸《もろもろ》の「愛」の宝もほろびけり。
はかなくも残れる身には、
来しかたの追憶《おもひで》も憂し。
さながら、われは零落の身を恥らひて
貧しさを掩《おほ》はむとするなれの果《はて》
おもてには快《け》楽《らく》をよそひ、
心には悩みわづらふ。
泣けよ恋人
泣けよ、恋人、神の身の「愛」の君だに、
愁歎のいはれを識《し》りて泣き入りぬ。
「愛」は悲み堪へ難く、いらつめたちの
双《さう》眼《がん》に溢るる涙、眺めたり。
忌《ゆ》忌《ゆ》しき「死《しに》」の大《おほ》君《ぎみ》は貴《あて》なる人も
憚らず、さすがに徳を避けたれど、
なべての人が、たをやめの誉とふもの、
めぐしくも、毀《こぼ》ちたるこそ無《む》残《ざん》なれ。
聞けよ、諸《もろ》人《びと》「愛」は今、このたをやめを
褒めたたふ。見ようつそ身に現れて、
眠れる如きかんばせの上《うへ》にあらずや。
折ふしは天《てん》頂《ちやう》高くうちあふぎ、
かくて貴《あて》なる魂《たましひ》のゆくへや求《と》むる。
塵の世の濁《にごり》に染まぬたましひの。
きその日は
きその日は思むすぼれ、とぼとぼと
馬を進むる憂き旅路、これも旅かや
まのあたり、路のもなかに「愛」の神、
巡礼姿、しほたれて、衣《ころも》手《て》軽《かろ》し。
うれはしき其かんばせは、さながらに、
位はがれしやらはれのやつれ姿か、
憂愁の思にくれて吐息がち、
人目を避けて、うなだるるあはれの君よ。
ふとしもわれを見給ひて呼び給ふやう、
『われは、今、かの遠里をはなれ来ぬ。
さきにはそこに汝《なれ》が身の心《しん》の臓《ざう》をぞ
置きたれど、新《あらた》の悦《よろこ》び得させむと
持ち来りぬ』とのたまひつ、忽ちわれに
憑《つ》きたまひ、消え失せたるぞ不思議なる。
ありとあらゆるわが思
ありとあらゆるわが思《おもひ》、「愛」と語りて弛《たゆ》みなく
その種《くさ》種《ぐさ》の語《かたらひ》の数《かず》いと繁きひといろは、
勢《いきほひ》猛《まう》にわれをしも力の下に圧《お》さむとし、
またひといろは勢《いきほひ》を誇り語りて、らうがはし。
あるは望を抱きつつ、悦われにあらしめつ、
あるは頻にわれをしも憂ひ悲《かなし》ましむれども、
「憐《あはれみ》」仰ぐひとことは、すべての思皆おなじ、
心の底に潜みたる「恐」によりてふるひつつ。
さてはいづれの思をば、頭の心と定むべき。
語り出むと思へども、語らふべきを吾知らず。
ただ茫然と、迷《まど》はしき「愛」の衢《ちまた》にひとり立つ。
かくて思のいづれにも適《かな》はむ事を求むれば、
他に詮《せん》術《すべ》のあらばこそ、口《くち》惜《を》しけれど吾は唯
身のまもりにと呼《よば》はらむ、かたきの姫の「憐《あはれみ》」を。
よそ人のあざむが如く
よそ人のあざむが如く、君も亦あざみ給ふか
我君よ、君はた知らじ、覚りえじ、世に不思議にも
俤のかくは移ろひ、変りたる深きいはれを、
そは君がたへなる色を仰ぎ見し惑ひ心地ぞ。
我心、君もし知らば「憐愍《あはれみ》」のいかで堪ふべき
かうやうのつらき恥目に我心悩ましむるを。
見よ、「愛は」君います辺《あたり》、のびらかに心のどけく、
広大の無《む》辺《へん》力《りよく》をぞ安んじて振ひ行ふ。
それ〓に怯《おび》え戦くわが生気、逐ひやらはれて
家も無く、あるは苦み、あるは失せ、今ただ
「愛」は
残りゐてふみ止まれる独《ひとり》住《ずみ》、心地もよきか、
思ふまま君を仰ぐも羨まし、これわが顔の
さま変る故と知らずや。黙しつつ唯茫然と
われここに佇みきけば、官能の逃げ惑ふ声。
忌忌しき「死」の大君は
忌《ゆ》忌《ゆ》しき「死《しに》」の大《おほ》君《ぎみ》は慈悲の敵《あだ》なり、
昔より悲の母、
かたくなに、言《こと》向《む》けがたき司《つかさ》かな。
われも心に「憂愁」の種《たね》を播かれぬ、
いざさらば憂ひて已《や》まじ
この舌の君さいなみに倦みぬとも。
われ今ここに君が身をつゆばかりだに
慈悲無しと思ふものから、
まがごとの大《おほ》凶《まが》事《ごと》と、君が罪
鳴《なら》して責めむ。世の人も知らぬにはあらず、
しかすがになほ憤り、
けふよりぞ「愛」の恵みに帰依すべき。
いと美しき礼《れい》譲《じやう》はこの塵の世を捨てたるか。
をみな心の麗《うるは》しき徳《とく》性《せい》さへもうせにしか。
わかき命《いのち》のまさかりに、
「愛」の色《いろ》香《か》を毀《こぼ》ちたる憎き「死」の神。
この淑女《いらつめ》の誰なるを、ここに語るは憚れど、
そが本《ほん》性《じやう》の気高きを述べたればこそ人知らめ
後《ご》世《せ》の福《さいはひ》得べき身ぞ
天つ御空に此君を仰ぎ見すらむ。
びるぜん祈祷
母なるをとめ、わが子のむすめ、
賤しくして、また、なによりも尊く、
永遠の謀のさだかなるめあて、
君こそは人性を尊からしむれ、
物みなの造りぬしも、
其造りなるを卑まざりき。
その胎に照りたる愛は、
この花をとこ世に静けく、
温め生ふし開き給ひぬ。
ここにゐては愛の央の松あかし。
下界人間に雑はりては、望の生ける泉なり。
大なる哉、徳ある哉、われらの君よ、
恩寵《めぐみ》をえまくほりする者、
君の御前にまだ来ぬは、
その願ひ翼なくして飛ぶを思ふや。
御慈悲《いつくしみ》は、願ひ人を助くるのみならず、
おのづから願に先だつこと多かり。
君に憐、君に悲、君に恵、
造化のよしといふよき物は君に集ひぬ。
〓に今、宇宙の池のいと深き底より、
この天堂にしも、また昇り、
霊のひとつびとつを眺むるもの、
伏して願はくは、終の福《さいはひ》にむかひ、
眼うち仰ぎ得むことを祈る。
今彼の眺を望むばかり、
己が眺を望む時にも切ならざりし吾。
〓に一切の祈を捧げて、
足らざること勿れと念ず。
君よ、人間の迷雲を此人より払ひて、
至上の悦をえさせたまへ。
重ねて祈り申さく
思のままのなべてを行ふ后《きさい》の宮よ、
かかる大観の後までも、
かれが心をそこなはず、
君の護のあるが故に、
人間の混乱を滅ぼし給へ。
わが祈に添ひてベアトリチエと諸聖と、
合掌祈念するをも、うけさせ給へや。
歌よ、ねがふは
「歌」よ、ねがふは「愛」の神さがし求めて
かの君の前に伴ひ歌はなむ。
「歌」はわが身の言別を、主はかの君を
恐無く正《まさ》眼《め》に見つつ語りなむ。
礼《ゐや》には篤き「歌」なれば、よしそれ唯の
ひとりにて、
げに往きぬとも、恐るべき事は無けねど、
安かれと、心知《じら》ひに伴ふや
「愛」の神
それ後見と傍らにあるこそよけれ、
かの君が「歌」の言の葉きき給ふ
その時なほも憤解けもやらぬを
介添の「愛」の執成《つくろひ》無かりせば、
忽ちにして侮蔑《さげすみ》の恥目あらむと。
「歌」よ、調も美しく「愛」に伴ひ
告げよかし、
まづ憐愍を、かの君に乞ひ得たるのち
『わが君よ、われを送りしかの人の
いひけらく、
この言開《ひらき》ねがはくば聞き給ひねと。
見よ「愛」は色よき君が力にて
思ふがままに、かの人の色を変らせ、
またよその淑女《いらつめ》をこそ思はすれ、
思の底の真心はつひに動かじ』
また歌へかし『わが君よ、かれが心は
信かたく
君に仕ふるそのほかに二心無し、
夙よりぞ君に帰しぬ』と。かくてなほ
疑はば
重ねて歌へ『「愛」にこそ質し給へ』と。
終りには、いとしとやかに奏すべし
『このわが願つひにしもかなふことなくば
よしむしろかれが命を絶ち給へ、
君に仕ふるかれが身はゆめ背かじ』と。
立去る前に憐愍の鑰とも仰ぐ
「愛」をよび
わが思ふことつばらかに述べよと乞ひて
『この「歌」の調の報いえさせむと
かの君の
かたへにとまり、ねもごろに言別給ひ
かくて其願とどかば、かの君の
顔容いとも麗はしき様を示せ』と。
貴なるや、なれ、わが「歌」よ、心あらば
かくも歌ひて、とこしへの誉をあげよ。
神 曲 部分訳
地獄界
第一歌
人の世の途の半、影暗き森に迷ひぬ。夜もすがら眠れる如く彷徨ひし悩心地の苦しさは、憶ひいづるだに、痛ましく、死もこれに越えじと覚ゆ。
第三歌
われ過ぎて、歎のまちに、われ過ぎて、とはの悩に、われ過ぎて、ほろびの民に
第七歌
外界の空美しく、日のめ楽しきに、われら内心に煙を抱きて、鬱鬱たる怒を養ひけり。されば今ここに来て、泥濘に沈みぬ。
第八歌
時はまだなるに来りしは誰ぞ
われは来れども留らず、汚なき汝こそは誰ぞ
見る如くわれは泣く者なり
笑ひて、悲みて、ここに残れ。この罰当、汚くはあれどわれよく汝を知る
噫、義憤の人や。福なる哉、汝を孕みしひとは
さなり、師の君、この湖を去る前に、かれ、したたかに汚水を飲み咽びたらばいかに面白からむ
師よ、既に谷間の円廓現はる。朱塔聳えたちて火焔のうちより抜けたる如し
第十歌
此塋の民を見うるか。蓋、上げられて、番人なし
噫トスカアナびと。生きながら語りつつゆくは誰が子ぞ。訛は正にわが故里、わが騒がしし国の人なるを示せり。暫は留らずや。
彼等、われに、わが後に、わが党に仇なせり。されば二度までも追ひ散しぬ
さればなり、追はれしことはあれど、二度とも四方より寄せかへしぬ。しかすがに君のともがらは此術をよく知り給はず
君が詩才の高きが為に、この幽獄をゆきうるならば、わが児はいづこにありや、なにとて、ここに無き
われ独にて来らず、かしこに控たるはわが導者なれども、おもふに君がグイドオの敬はざりし人
何と謂はるる、ざ《ヽ》り《ヽ》し《ヽ》、さては、あれも亡《なき》人《ひと》か、美しき光、はや其眼に映らざるか
わが党の者、軍に拙しとならば、この床の悩よりも心苦しきを
第十一歌
すぐなる道よりフォティヌスの迷はしし法をアナスタシウスここに埋む
如何なれば、金利を貪りて自ら富しし者、神怒に触るるか
地に盈てよ、之を従はせよ
汝は面に汗して食物を食ふべし
第十三歌
なぜ、われを裂くや、汝、憐のかげばかりもなきか、曾ては人間の身の、今、樹と化しぬ。噫もしわれら朽なはの形あらば、汝の手かくまでもむごかるまじ
第十四歌
やあ、カパネウスその驕慢はまだやまぬか、罰は加はるべきぞ、汝の狂妄をほかにしてこれにふさはしき呵責はあらじ
第十五歌
新月の宵のたそがれに、ふりかへる如く、老いたる裁縫師《したてや》のめぞ通す眺に似たりしが、一影進み出でて裾ひかふるは、涸れ萎みたる姿、やつれにたれど、忘れもえせぬ旧師ブルネット・ラティニがありし世の俤なり。「思ひもよらぬこと、ここに在はすか。ブルネット様」
第十七歌
見よ、怪獣の尾を尖らし、山を過ぎ、柵を破り、剣をこぼつを、全世界の穢、よこしまの象《しるし》ゲエリュオオンこれなり。
わらは病のもの、爪の白むをみて、ふるひいづるやう
さながら鷹を放ちて、獲物なく、鳥は宙にかかりてたち迷ふを、噫、噫、路たがへりと鷹匠の叫ぶ
第十八歌
かれ、知れる顔なり。まて、うつむける者、ネディコならずや
きりきり歩め、この忘《くつ》八《は》め、ここに売物の女はゐぬぞ、
さればなり、汝の髪のまだ乾きたるころ、曾て見かけしやうに覚ゆ。
喋舌りて倦まざりし〓の為に、ここまでも沈み終ぬ、
なほ少し頭を伸して、あの乱髪の妖婦を見よ、汚なき爪にて掻きこはし、まろびつ、起きつするさまを
第二十一歌
かの市にはまだ多の餌あり。金銭の為ならば否を応とす。急ぎ帰りてつれ来らむ
第二十四歌
一年のまだ若き時、日は宝瓶宮に髪を浸し、夜もはや平分に近く、おく霜はなほ色白き姉の姿を地にまぬれど、その筆の綾、つづき短きをりしも、牧草乏しき一農夫、暁に起きいでて白妙の野を眺め、腿うちはたきて、家に入り、すべ知らぬものの如く嘆く。ややありて又出づるに、世はときの間に変りぬ。乃ち〓執りて羊追ふなり。ヱルギリウスのけはひ亦斯くの如くなりき
浄罪界
第一歌
東、青玉の艶《えん》なる彩、澄たる空のおもてより第一天に拡ごりて、心眼共に傷ましき陰雲の気ぬけでたるわが眺こそよろこびしか。愛のこころを誘《さそ》ふなる明星、東を笑はしめ、伴なる双魚宮の光をおほひぬ。
曙、朝影に勝ちて、あなたに追へば、はるかにわだつみの顫へるを眺む。
第二歌
白くほの朱き曙の頬も歳たけまさりて黄にかはりぬ。
第三歌
われこそは女王コスタンザに孫なるマンフレディなれ。帰りてわが姫に語れよ、わが為に祈れ
第五歌
夕ざれば風なき空を飛ぶ星か、あるは八月の雲、夕陽を包むより迅く
われはモンテフェルトロのブオンコンテわれを思ふ者ひとりジオ〓ンナあるのみ。されば肩身せまく、この群と共に歩む
噫、うつし世に帰り給ひ、長途のつかれやみしとき、第三の霊かたりつぐ。思ひおこさせ給へ、われピヤを。シエナわれを生みマレムマ殺しぬ。宝玉の指環もて、はじめてわれを娶りし人ぞしらむ。
第六歌
噫、ロムバルディヤの人、雄雄しくも世を卑める立姿、気高いかな、あてなる哉、眼のはたらき。黙然として手も挙げず、ただ過ぎ行くを見送るは、山負ひたてる獅子ともいはむ。
噫、口惜しき伊太利亜国、憂の宿家《やどり》、颶風に漂ふ舵なし小舟、今は県《あがた》の姫君ならで穢れ果たる悪処なり。
第八歌
朝に友と訣れて、海をゆく者、夕ざれば、客愁あふれ心とく。または、巡礼の初詣、今日も暮れぬといふ鐘のをちに響くを耳にして、身も世もあらず憧がるるたそがれ時となりにけり。
遠海を越えて、この麓に来給ひしまで幾年を過し給ひし
おお、けさ悲の獄より参りぬ。まだ第一生にありながら、他生の歓を得むとてなり
第十三歌
われはサピヤ(智恵子)といへど智恵なかりき。おのれに幸来るよりもひとに不幸の落つるがうれしく
第十五歌
児よ、何ぞ、吾等にかくなしたるや。父もわれも憂ひて尋ね迷ひぬ
かくて吾等を愛する者を懲らしなば、如何にして悪意ある徒を罰すべきぞ
第十六歌
応、問はるるがごとし。怒の絆《ほだし》、ゆるめ解くなり
第十七歌
読者よ、憶ひ回らせかし。人もしアルプスの峰雲に包まるれば、膜の下なる土龍の眼もてみる如くなれど、湿りて厚き霧もやうやうわかれ、日光微に見透かずや
第十八歌
急げ、たゆたふな。時は尊し。神恩熱意を励し給ふ
海の開きしを見し者、後嗣をヨルダンに送りし者、事の終までアイナイヤスと悩まざりし者、彼等いち早く死ぬべし。誉なき一生を選びたればなり
第二十一歌
彼と世を同うする為ならば、浄罪界を脱けいづるに、なほ太陽の一廻転を待つともよし
わが眼を天に導くなるこの人こそは、君が神人の歌に力添へしかのヱルギリウスなれ
第二十二歌
君は燈をあとに提げて夜行く人の如し。身は照らさねど、後人に教ふらく、世は改り、義は帰り、原人のさまも戻りて、新しき人、天より降らむと。われは君に縁りて歌人なり、君によりて信者となりぬ。
第二十三歌
噫この蒼ざめたる痂《もがさ》の身、痩せさらぼへる肉を見よ
第二十四歌
われはただ「愛」の述ぶるがままに記し、心の命ぜらるるを現すものの一人のみ。
第二十七歌
思へ、思へ、ゲエリュオオンの背にさへ汝を導きしを。神に近づきて、何のたゆたひかあらむ
われはレアなり花筺を束ねて倦まず、わが姉のラケルに送れば、ひもねす明鏡に其色を映さむ
第二十八歌
旅の人近より給へ、楽園の林にゐて、神、歓ばし給ふDelectasti(詩篇九十二章四)の聖咏を聞かば心自ら悟りぬべし
第二十九歌
アダムの女のうちにて汝は福なり、汝の美はとこしへに福なり
第三十歌
われは屡〓見たり、朝ぼらけ、東はさうびの色、西天静冽の影涼しきに日の面、朝霧の幕に和らぎ、永く眼のえ眺むるを。之と同じく天人の手より投られ、うちそとに散らばふる花雲の胸より、橄欖にほはせたる白雪の《かほぎぬ》かいやり、然えたつ朱《あか》の衣《きぬ》のうへ緑《みどり》袿《うちぎ》の女こそ現れたれ。
哭くこと勿れ、まだ哭く勿れ、噫ダンテ
眺めよ、われこそは、われこそはベアトリチェなれ。
第三十一歌
君が美しき眺をはなれて、われは癡れたる逸楽にむかひぬ
天堂界
第一歌
万動の源の栄光は宇宙に汎くして、ひと処に耀きおほく、ほかには少し。光のいと多き天にわれ在りて種種の事見たれども、再び語らむこと知らず又能はず。そはわれらの智は其求むる物に近づくまま深く打沈みて、記憶、その路を遡りえざればなり。しかすがにわが心に蓄へ得たる霊界のこと、ここにわが歌の種なるべし。
第二歌
昔ヤアソオンが龍歯を播きしよりも不思議なる霊界の天にわれは翔らむ。わが歌船の澪に続きて、おぼつかなくも従ひくる小船の読者、心せよ
第三歌
琢きたる透明のびいどろより、或は底暗きまでは深からぬ、静に澄める流より、顔のおもちの薄影あがるは、白き額の真珠さへ、めに映つること、かく遅からじ
なほ多くの真を知り、尚多くの愛を得むとて、ここよりも上天に昇らむの思あるか
第四歌
同じく味旨からむ食物を放し置かるれば、まだ歯にかけぬ間に、餓死来らむ。または猛なる両狼の間、羊はいづれもの恐はさに佇み、あるは双鹿を追ひて犬のたちどまらむ如し。
第六歌
皇帝コンスタンティヌス、鷲旗を東に戻ししこのかた、百年に百年を加へ、また数年、神の霊鳥、東欧の涯に止まり、初めて出でし山と隣りす。かくは歴代の帝をつぎて、われはカイサルなり、ユスティニヤヌスなり。吾今覚ゆる元愛の御心に従ひ、法典を検して、不能を除き、峻刑を和げむと欲して未だ果さざるに、アガベエトゥスの勧に心機転じて、聖教に帰依し、愈〓羅馬の律例を輯めて法典編纂の業に従ひ、軍政をベリサリウスに委ねき。
第十歌
元始不滅の徳(神)は其子を眺むるに、各とこしへにはき出づる愛(聖霊)を以てすれば心霊に在り空間に在る者、皆大なる秩序を有す。之を観る者たれか暁らざらむ。
第十一歌
人間の惑へるわづらひよ。弁証いかに空なる哉。翼うてどもなほ沈みぬ。或は律法に従ひ、あるは医術に趣き、又桑門に帰す。詐譎兇暴をもて領土を貪るあり。ひとりは掠奪、他は俗務、又は肉楽の絆に汚れ、或は自ら安逸に漂ふ。われひとり万事を厭離して、ペアトリチェと共にかかる栄のもてなし受けたり
第十二歌
薄霧に曳くや二の虹の暈、ならびをそろへ、色おなじきが如く
基督みをしへの恋人、聖なる相撲、味方には柔に、敵には恐ろし
第十三歌
一束、既に禾きて、とりいれたれば、猶、他のをとわが愛動きぬ
アダムも基督も人智の完全に非らずや。さるを何とて智ソロモンに及ぶ者なしと伝ふるか
滅びざる物、滅ぶる物、皆真意の反映なり、即ち神力発現して無数の現象を生ずるなれど、天の銘ずる力、地の銘ぜらるる材と等しからず、例へば人に賢愚の差別ある如し。
第十四歌
未だ声にても心にても彼の述べざることなれど、ここに一の疑おこらむ。そは人人の今花さきにほふこの光明はとこしへに続くべきにや、若し永く残るものとすれば、終の審判の後、現身を帯ぶるとき、人胎の眼にてかかる盛光を堪へうべきか
宛も炭は焔を出せど生きたる光もて、それに打勝ち、原の形を存する如く
噫聖気のまびかりや。わが眼けおされて堪うまじきに、にはかに耀めく照しかな。
第十五歌
黒白の決して更はることなき大なる書《ふみ》(神意)を読みて、われは永く渇を覚えたるに、いしくも来れり、わがうまご、今〓にわが望を果しぬ。汝にしも翼をかしてかかる高みまで昇らせたる、そこのをんな君こそ辱じけなけれ
第十七歌
最愛のもの、すべてを棄つるに至らむ。追放の弓の一の矢これなり。他人の食のいかに鹹らきを、よその階のあがりおり、いかに嶮しきを閲し尽さむ
第十八歌
あはれ願くは神《かん》怒《いかり》に怒り給ひて、此星の光を汚す商売の殿堂をほろぼさなむ。噫天つみいくさよ、迷蒙の地の為に祈れ。また法王の高位にゐて、神権を濫用し、売かひする者。かの彼得保羅に鑑めや。されど或は遁辞あらむ。「バプテスマ」の約翰に帰依して、かのみでし等を顧みる暇なし
第十九歌
ここに人あり、信度の岸に生る、為に基督を説くものなく、自ら読みかきの力もなきに、心も業も人智の及ばむかぎりは、正しく、言行ともに罪なきを、信なく受洗なく、世を去りぬ。何の正義を以て彼をしも罰せむ。信なかりしは彼の過失か
第二十一歌
何故ありて、人よりも先ち給ふか、又天楽の絶えたるはいかに
そは上天の楽声に慣はぬ為なり。又われまづ汝と語らふは、ほかの霊よりも愛多しといふにあらず、ただ神意を奉ずるのみ
第二十三歌
なつかしき木影のなかの親鳥は物みな隠す夜もすがら、かはゆき子鳥の巣に籠り、憧るる顔を眺めむと、又は餌じきを尋ねむと、つらき勤も嬉しくて、時に先ち、梢にとまり、燃ゆる慈愛に日を待ちて、曙の来るを見つむるがごと
見よ基督凱旋の大軍を、諸天のめぐりに集められたる収穫をと秀容のきらびやかなる語らむに言葉なし。静けき満月の夜、そらの隅隅を画くとこしへの神女(星宿)のなかにトリ〓ヤ(月)の笑みわたる如く幾千の燈火に優れて、凡べてを各をともす大日輪の来るを見る
第二十四歌
噫汝よき基督教者、語れ明かせよ。「信」とは何ぞ。
信とは望の実質にして、まだ見ぬものの論拠なり。われ之を其本体とす。
第二十五歌
望は彼にさはなり。かかればこそ生きながら神秘を垣野見うるなれ。されど望の性と源とに就きては、彼自らより答上ぐべし
望とは神恩及び生前の徳より生ずる当来栄光を確に待つことなり
以賽亜も約翰も愛福者に二重の衣あるを説《とけ》り、肉胎の復活と霊魂の不滅とは望の実質なりかし
第二十六歌
ペアトリチェの齎しし焔なほわが心に燃ゆ。而して神はすべて他の愛の「アルパ」なり「オメガ」なり、始なり終なり
善きが故に善きを愛する如く神を識るはやがて之を愛するなり。古哲しか説きぬ。聖経また証しす。
然り、前には神みづから善なるが故に愛せざる可からずといひしが、神われらに対しても善なるが故にしかす可しといふ追随の説あり、
神即ち至上の善を享有する度多きに従ひ、万物は愈〓 神を愛すること深し
第三十歌
愛に満ちたる智の光、悦に満ちたる真《まこと》の善の愛、なべての美にたちこゆる悦
光は河の姿にて妙《たへ》なる春をゑがきたる両岸の間に黄みたり。生きたる火花、流よりたち、よもに咲きいづること、黄金に紅玉はめたる如く、かくて香にさまだれてか、妙なる渦《うづ》に跳りつつ、ひとつ沈めば他はうきぬ。
この流も、見えがくれのトパジオ黄玉も、わか草のゑみに至るまで、皆真体の影うすきまへおきのみ
第三十三歌
母なる処女《をとめ》、わが子の女《むすめ》、賤くして、又何よりも尊く、とこしへの謀の定かなるめあて、君こそは人生を尊からしむれ。物みなの造《つくり》主《ぬし》、その造りとなるを卑まざりき。その胎に照りたる愛はこの花をとこよに静けく温め生ふし、開き給ひぬ。ここにゐては愛の央の松明。下界人間に雑りては望の生ける泉なり。大なる哉、徳ある哉、恩寵《めぐみ》をえまくほりする者、君の御前にまだ来なくに、願は翼なきも既に飛び来らむ。御いつくしみは願びとを助くるのみならず、自ら願に先つこと多かり。君に憐、君に悲、君に恵、造花のよしといふよき物、君に集ひぬ。〓に今宇宙のいと深き池の底より、この天堂にしもまう昇り、霊のひとつびとつを見る此者、伏して願はくば終の福にむかひ、眼うち仰ぎ得むことを祈る。今彼の眺めを望むばかり己が眺を望むときにも切ならざりしわれ〓に一切の祈を捧げて足らざること勿れと念ず。君よ、人間の迷雲を此人より払ひて、至上の悦を開かせ給へ。重ねて祈り申さく、思ひのままのなべてを行ふ后《きさい》のみやよ。かかる大観の後までもかれが心を害はず、君の護のあるが故に人間の混乱をほろぼし給へ。わが祈に添ひてベアトリチェと諸聖との合掌祈念するをも見給へ。
新 生(章第一)
わが物覚の本のあるくだりにして、その前には別に読むほどの事も無きあたりに、朱字の標題を掲ぐ。即ちIncipit Vita Nova〔新らしき生《いのち》始まる〕と物したり。此の標題の下に書いつけたる言の葉を、われ今此草子に寫さむとす。凡べてにはあらずとも、せめてその大意を示さむ。
われ生れ落ちてよりこのかた、光の天《そら》は既に九《ここの》たび自動して、またも殆ど同じ点に復へりし時、わが心の栄《さかえ》ある君は、まのあたり現はれ給ひぬ。人は只之をべアトリチェと呼びまつれど、終に其真意を暁らざるなり。この君世に出でてより、星天、東に移ること既に一度の十二分の一なれば、君は九歳《ここのつ》の始つかた、われに現はれ給ひ、われは九歳《ここのつ》の末つかた、君を仰ぎぬ。衣の色はいと貴《あで》なる紅染の嫻やかにふさひて、帯などの粧も童女の振にかなひぬ。その時わが心の奥の間《ま》に住む生気はげにいと劇げしく、顫ひいで、身のうちのいと微かなる脈にもわななきて、顫ひつついふやうEcce Deus fortitor me,qui veniens dominabitur mihi〔見よ、われよりも強き神は来りて、予を知ろしめさむとす〕と。
その時、諸の官能の気が、すべての知覚を伝達する上《かみ》の間《ま》に住む心気も、いとど奇みいでて、殊更に視覚の気に語るやうApparuit iam beatitudo vestra〔汝が福《さいはひ》は今こそ現はれたれ〕と。
その時人間の養を受くる処に住む本来の気も泣きいでて、泣くなく次のやうに語りぬ。Heumiser! quia frequenter impeditus ero deinceps〔あはれ哀い哉、今より後、われいたく妨げられむ〕と。
乃ちその時よりして「愛」はかくも速に契りしわが心を知ろして、わが想像の之に与へる力に因り、われを領しわれを治めければ、その意のままに従ふほかなかりき。屡〓われに命じて、かの若き天人をとめかしといへるがままに、幼けなきわれも幾度か、かの君のあと追ひて仰ぎまつれば、げに詩人ホメエロスの詞にて、「これは人間のものならず、神の女《むすめ》なり」とや称ふべき貴《あで》に妙《たへ》なる御姿にこそありけれ。かくて心に止まること絶間なき此君の形は「愛」を思ひあがらしめて、われを治めさせたれど、その力もとより品高きものから、徒らに「愛」のわれを虐ぐるをゆるさず、理性の忠やかなる誡に聴きて益ある折からには、必らず之に耳を仮さしめたり。されど抑もかかるうひうひしき年比の情と行とを詳らかに述べむも、仇なる物語のやうなれば、今はたここに説かじ、其隠れ潜みたる原の本より、なほ引きいづべき様様の事どもを略きて、わが物覚のうち、更に大なる節のもとに書いつけたる言の葉を語りなむ。
このいと貴《あで》なる君の、前に述べる出現ありてより、ここら久しく経て、宛も九年になりぬる其終の日、妙なるこの君は、純白の衣まとい、年嵩の二人の淑女《いらつめ》の間に介まりて、会々われに現はれ給ひぬ。大路すぎさせ給ふまま、わがもの怯ぢて佇めるあたりを眺め、今は永生にその報えたまふ譬しへもなき礼《ゐや》をもてわれに会釈し給ひけり。われは時に福《さいはひ》のきはみを尽したる心地ありき。このいと楽しき礼《ゐや》のわれに達せしは、正に其日の九時にして、御《み》詞《ことば》のわが耳に入りしも、この時始めてなればげにも嬉しく聞き入りて、われは宛がら酔へるが如く、人の群より遠ざかり、独りわが家の寂寞にたれ籠めて、つらつらこの礼《ゐや》篤き君をおもひぬ。
かくて思めぐらすほどに、楽しき眠襲ひきて不思議の幻はつと起りぬ。おもへらく、火の色の雲わが居間におりたちぬと、その中にある形を見れば、こは何人も仰ぎみて恐ろしとおもふ俤の主《しゆ》なれども、心に悦び給ふさま見えわたるこそ奇やしけれ。のたまふ言葉の多くはわかねど、僅かに知りえたるその中にEgo dominus tuus〔われは汝の主なり〕といふを聞きぬ。軽ろく紅染に包まれたるのみにて、ほかには衣ひとつつけぬ人ありて、其腕に眠れるを、われはひしと眺めたるに、こは畏こくも前の日の礼《ゐや》を施し給ひけるかの会釈の君なるを知りぬ。主《しゆ》はまた双の手の一に燃えたてる物を捧げながらVide cor tuum〔汝が心の臓を見よ〕とわれに語れるやうに覚えき。斯ること暫らくして、眠れる君を揺り醒ますやうなりしが、やがて巧に説き伏せけむ、常に燃ゆるかの物を進めければ、かの君も恐るおそるたうべにけり。されどこれもたまゆらにしてかの霊の悦もいとつらき悲にかはりて、泣くなく君を腕に収めて、久方の空高く走りぬれば、その時覚えたる大苦悶にえたへず、わが微かなるまどろみの夢は破れぬ。直に心づきて思ひ運らせば、折しも夜の第四時にして、即ち夜の終の九時間の第一時なりき。
かくてこのありし事どもを思ひつつ、われは之を公にして其頃の名ある歌人に示さむとせしが、われも既に自ら韻を聯らねて物語する技を習ひえたれば、一首のソネットオ編みて「愛」に仕ふる諸の従《ず》者《さ》を呼びかけ、わが幻の説きわけを乞はむとて、夢の裡なる事どもを歌に語りぬ。
アルフレッド・ドゥ・ミエッセ
春 夜
詩 神
うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。
はつざきのはなさうび、さきいでて、
このゆふべかぜぬるし、はるはきぬ。
あけぼのを、まつやかのにはたたき、
あさみどり、わかえだにうつりなく。
うたびとよ、こといだけ、くちふれよ。
詩 人
たにまのけしきさとくらく、
おぼろにかすむはざまかな。
かつきさうぞくやさかたの
もりのあたりをうかびでて、
いまはたのべをすべりくる
すあしのまへに、はなあかし。
ゆめか、うつつか、かつみえて、
かつほろびぬるたたずまひ。
ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン
「黒瞳」より
おくつきに跪き
わが父の墳《おく》塋《つき》に
とこしへの愛を
われにちかひぬ。
汝もし操なくば
一《ひと》日《ひ》たてし誓に
願くば過《よぎ》る勿れ
わが父の墳《おく》塋《つき》を。
天の星、
谷の花、
ここにして子らは日をみむ、
ここにしてわがおやゆきぬ。
うれたくも、
子らなくば
なが胸ぞ子らの墳《おく》塋《つき》ならば
よぎる勿れわが父の墳《おく》塋《つき》を。
やまこえて
あだ人来《きた》る
其眼くろし
其髪くろし
くろからむ其子らの眼も
くろからむ其かみもまた。
ルイ・べルトラン
ハルレム
アムステルダムに金の雄鶏鳴けばハルレムに金の雌鶏卵を生む
ノストラダムス百首。
弗羅曼の画風を約《つづ》めて一幅漫画にしたやうなハルレム。ヤン・ブラアケル、ペエテル・ネエフ、ダ〓ツド・テニイルス、パウル・レンブラントの画によく出て来るハルレム。
掘割の水は青く揺すれ、御《み》堂の色硝子は金に耀き、ストゥウルといふ石造の張出に干《ほし》物《もの》は乾き、屋根の上には緑の唐《から》華《はな》草《さう》。
市庁の大時計のまはりに羽搏する鸛《こふ》の鳥は頸を中天にさし延ばして雨の水玉を喙に受けてる。
二重頤を撫でさすつて、さも屈託なささうな市長殿。鬱金香を見詰めつつ、恋に身の細る花売むすめ。
マンドリイヌの爪弾に浮かれ出すジプシイをんな。ロメルポツトを弾く老人、膀胱に息を入れてる子供。
薄暗い居酒屋の中で、酒盛の一座が煙草を喫んでる。旅籠屋の女中が雉子の死んだのを窓に吊してる。
石 工
石工の長曰く見よ、この稜堡を、この支柱を。
末代までの固《かため》と人はいふらむ。
シルレル「〓ルヘルム・テル」
石工アブラハム・クツプフエルは鏝を片手に足場の上で歌つてゐる。随分高く登つたものだ。大鐘の銘の文句を読んでると、飛《とび》迫《やり》控《びかへ》の三十もあるこの御《み》堂、御堂の三十もあるこの市《まち》と、同じ高さに足が来てゐる。
ここに見る石《いし》鬼《おに》の樋《ひ》嘴《さき》は石《いし》葺《ぶき》屋《や》根《ね》の水を吐き出して、台《うてな》に、窓に、隅《すみ》折《をり》上《あげ》に、鐘楼に、櫓に、軒に、足場に、この入り雑つた深《ふか》穴《あな》へ落すのだ。そこに鼠色の一点と見えるのは、広げた侭のぎざぎざした兄《せ》鷹《う》の鷹の羽。
眼《め》の下には、星形に切り開いた堡塁、菓子の身の雌鶏よろしくふん反り返つた城砦、噴水の涸れてゆく御殿の中庭、陰は常に柱を心《しん》に移動する僧院の廻廓。
皇帝の軍隊が郊外に宿営してゐる。あすこに一人の騎兵が太鼓を調べてゐる。アブラハム・クツプフエルの処からも、あの三角帽、赤糸肩章、前《まへ》立《だち》、色《いろ》布《ぎれ》で結いた弁髪の見別がつく。
また其上に一群の兵隊が眼に入ひる。逞ましい枝振の羽《は》根《ね》飾《かざり》をした遊苑に、深緑の広広した芝生の上で、竿の端に置いた木製の鳥を覘つて火縄銃の射的をしてゐる。
さてその夜ここに伽藍の釣合のよく取れた本陣が、十字架形に腕を広げて眠むるとき、梯子の上から、はるかに遠くを望めば、軍兵たちが焼打にした一村の焔が夜天に尾を曳く彗星のやうだ。
欝金草売
花のなかなる鬱金草は鳥のなかなる孔雀の如し。かれに香無くこれに歌無し。かれは其袍を、これは其尾を衿る。
「珍華園」
あたりはしんとしてゐる。博士ホイルテンの指の下に羊皮紙の擦れる音ばかりだ。博士は彩色の飾《かざり》文《も》字《じ》を散らした聖典を見つめてゐて、たまに眼を放てば、うつすり曇る水盤の中に泳ぐ二尾《ひき》の魚の金《きん》と紅《あか》とを眺めるのみだ。
部屋の扉がすうつと開《あ》いた。花屋は鬱金草の鉢をいくつも抱へて会釈しながら博学の君の読書を妨げて真に相済まずといふ。
――先生、御覧下さいまし、逸品も逸品、珍の珍とも申したいこの一株の球根は東羅馬皇帝の後宮にも百年に一度しか咲かぬ花の種で御座いまず。
――なに、鬱金草。と老博士はせつ込んだ。あの厭はしいヰツテムベルヒの市にルツテル、メランクトンの異端邪説を生み出した驕慢と淫楽とを象《かたど》る花か。
ホイルテン師は聖典の釦《とめ》金《がね》を掛けて、眼鏡を鞘に収め、さつと窓掛を押しのけると、花は日なたに咲きにほふ。嗚呼主の君の受難の花。刺《とげ》の冠、海綿、苔、釘、五つのおん傷がちやんと見える。
鬱金草売は謹んで無言のままに首《くび》を俛れた。壁際高くホルバインの傑作、アルバ公爵の肖像画が掛けてあつて、そこより瞰《にら》む糺問法官の眼光に竦んで了つた。
五本の指
これまでに誰一人身代限やお仕置になつたことの無い正しい家柄
「ジアン・ド・ニルの家」
親指は肉付豊かな仏《フ》蘭《ラ》曼《マン》の酒屋の亭主、根が剽軽な巫山戯もの、三月醸造極上麦酒《ビール》の招牌《かんばん》を出した戸口のとこで煙草をのんでる。
人差指はその家婦《かみさん》だ。干《ひ》鱈《だら》のやうに乾《ひ》涸《から》びた男まさり、朝《あさ》つぱらから女中を打《ぶ》ちどほしだ、嫉《や》けるのだらう、徳利は手を離さない、好きだから。
中指は息子だ。地体、荒削の不器用に出来た体で、酒造人《とうじ》でなかつたら兵隊、人間に生れなければ馬にでもなつた男だ。
薬指は此《この》家《や》の娘、身軽な小意気なヅエルビイヌ、奥様がたへは笹《ささ》縁《べり》のれいすも売るが、殿御に媚は売り申さぬ。
小指は家《うち》中《ぢゆう》の秘《ひ》蔵《ざう》児《つこ》、泣虫の小僧だが、始終母親の腰巾著になつて引摺られてゐるから、まるで啖人鬼《ひとくひ》女《をんな》の口にぶら下《さが》る稚《ち》児《ご》のやうだ。
人間の手の五本の指は都《みやこ》ハルレムの花壇にかつて咲いた色珍らしい五弁のにほひ阿《あ》羅《ら》世《せ》伊《い》止《と》宇《う》。
胡 弓
こはいかに、紛ふ方なき親友ジアン・ガスパル・ドビユロオ、綱渡の一座中世に隠れ無き道化ものの蒼ざめ窶れたる姿にあらずや。悪戯《いたづら》と温順とを浮べたる名状し難き顔色にてこなたを見詰めたり。
テオフイル・ゴオテイエ――「オニユウリユス」
月夜の晩に
ピエロオどのよ、
文《ふみ》がやりたい
その筆かしやれ、
明《あかり》が消えて
見えなくなつた。
後《ご》生《しやう》だから早く
この戸をおあけ。
俗詞
唱歌の長が弓を当てて胡弓の唸《うなり》を試《た》めしてみると、楽器は忽ち哄笑《たかわらひ》や顫音《ふるえごゑ》のおどけた鳴動をして答へた。伊太利亜狂言がよく消化《こな》れずに腹の中にあるのだらう。
まづ始には女《をんな》目《め》付《つけ》のバルバラが呟《つぶや》くやう、あのピエロオの抜作め、気の利《き》かないのも程がある、カサンドル様の仮髪《かづら》の箱を落《おと》して、白粉《おしろい》を皆《みんな》播いて了つたぞ。
そこでカサンドルは大事さうに仮髪《かづら》をお拾ひなさる、アルルカンは粗忽者の尻をいやといふほど蹴飛すと、コロムビイヌは笑ひこけて涙を拭《ふ》く、ピエロオは厚化粧の苦《にが》笑《わらひ》で耳までも口を開《あ》いた。
然し間もなく月夜になると、明《あかり》を消したアルルカンは友達のピエロオに懇願して、ちよいと戸をあけて、火を点《つけ》させてくれろといふ、さては親仁《おやぢ》の金箱ぐるみ、娘をつれて駆落するのか。
琴屋の畜生、ヨブ・ハンスめ、こんな糸を売り居つたなと唱歌の長は少督をいひつつ、埃《ほこり》だらけの箱の内へ埃だらけの胡弓を仕舞つた。糸は切れたのである。
錬金道士
吾徒の術を修する法二あり。一は師に就いて口より口へ授かり、はたまた悟徹と示現とによつて過を知らんとす。また一の法は斯道の書を読むにあれど、其文難解にして頗る晦渋なれば、人もしここに理と真とを求めんとすれば、其心まづ精緻にして根気よく勤勉にして且つ細心ならざる可からず。
ピエロ・〓コ哲学奥義解
まだいかぬ――而もわが身は三日三晩のその間、燈火の薄暗い光のもとにライムンド・ルルリの秘法書を繙いてゐた。
どうもいかぬ、唯ちらちらする蘭引の滾《たぎ》る音につれて、火《ひ》蛇《へび》の精の嘲《せせら》笑《わらひ》が聞えるばかり。彼はわが冥想を乱さうとして戯弄するのか。
或時は彼、わが鬚の中に爆発物を仕掛け、また或時は其弩《おほゆみ》よりして、わが上衣の上に火矢を放つ。
また彼が其武具《もののぐ》を磨き立ててゐる時は、炉の下の灰が、呪文書の紙の上、机に載せた墨汁の中に吹きつけて来る。
その時蘭引はいよいよちらついてきて、滾《たぎ》り嘯《うそぶ》く其声は、聖エロイ様の火箸で鼻を撮《つま》まれた鬼の泣声によく似てゐる。
然しまだいかぬ――そしてわが身はもう三日三晩のその間、燈火の薄暗い光のもとにライムンド・ルルリの秘法書を繙いてゐよう。
サバトの門《かど》出《で》
女は夜半に起きて燭を点じ泥を取つて身に塗り、さて呪文を唱ふれば、身たちどころにサバトの集会に向ふ。
ジアン・ボダン「方士鬼に憑かるる事」
羹《あつもの》を吸ふもの十二人、各の手にある匙は亡者の前腕の骨である。
炭火は赤く炉に燃え、燭は煙つてだらだらと蝋を流し、皿の中からは春さきの溝《どぶ》のやうな臭《にほひ》が立つ。
マリバスが笑つたり、泣いたりすると、破《やれ》〓オロンの三筋の糸を弓で扱《こ》くやうな唸《うなり》が聞える。
然し一人の兵隊はそら恐しい事だが、机の上に蝋燭を立てて魔法の書を開け広げた。本の上には火に迷つて来た虫が跳ねてる。
此虫が飛び跳ねてゐる最中、毛むくじやらの脹れた腹の処から、蜘蛛が出て来て、幻術の書の辺《へり》を這つて行く。
而も此時方士も魔女も既に煙突から飛び出してゐたのだ。或は箒木、或は火ばさみに跨り、そしてマリバスは揚《あげ》鍋《なべ》の柄《え》に乗つて出でいつた。
ステファンヌ・マラルメ
エロディヤッド
ヒユイスマンスの小説『さかしま』の主人公ジアン・デ・ゼツセントが愛吟、
マラルメ作『エロデイヤツド』の断章
……………………噫なんぢ、鏡よ、
愁によつてその縁《ふち》の中に凍りたる水よ、
いくたびも、いく時も、我が夢を悲み痛みて、
なんぢが底深き氷の下に沈みたる
落葉に似たるわが思出を求めつつ、
われは汝《なんぢ》の奥にはるかなる影とあらはる。
しかも、ああ、夕《ゆふべ》となれば冷《れい》然《ぜん》たる泉の中に、
乱れ散るわが夢のはだか身を知る怖《おそれ》かな。
エロディヤッド
げに唯わが為にわが為に、孤り空しくわれは咲きにほふと、
汝等こそは知れ、眩ゆくも入組みたる谷《たに》窪《くぼ》の奥に、
はてしなく埋もれて、紫《むらさき》水《ずゐ》晶《しやう》の色に映《は》ゆる園《その》生《ふ》よ、
太古の土のをぐらき眠の下《した》に隠れてゐて、
上《かみ》の世の光を守る、人知らぬ黄金よ、
または純なる珠《しゆ》玉《ぎよく》の如きわが双《さう》の眼が
劉亮たるその明《めい》光《くわう》を仮《か》り来る汝《なんぢ》宝《ほう》石《せき》よ、
つづいては、このわが若き盛《さかり》の雲の髪に、
末恐ろしき美《び》美《び》しさとおもたげの振《ふり》とを添ふる汝《なんぢ》諸金銀よ、
さて汝《なんぢ》女《によ》人《にん》よ、小《こ》賢《ざか》しき末の世に生れあひて、
口《くち》寄《よせ》巫《み》女《こ》が栖《す》む洞穴の悪《まが》事《ごと》をなすべき身なるに、
めづらしや、人間の語《ご》を引いて、匂《にほひ》はしげき空《そら》焚《だき》の薫《くん》じたる
わが打掛の花の蕚《うてな》のもなかより、
裸体の白き身《み》慄《ぶるひ》は、ぬけいでむといふか、
さらば予言せよ、おのづから女も衣《きぬ》を解《と》くといふ
肌ぬるき真《ま》夏《なつ》の青《あを》空《ぞら》の眼に、
星の如く慄ふわが恥の身の触れたらば、
われは絶《たえ》入《い》らむと。
われは処《しよ》女《ぢよ》の荒《すさ》まじさを愛す。
ねがはくば、この髪の毛に浮ぶ怖《おそれ》を身につけまとひ、
夕ざれば臥《ふし》所《ど》に入りて、このまだ犯されぬ
蛇《へび》の如きわが無《む》益《やく》なる肌《はだ》身《み》を
汝《なんぢ》が蒼《さう》白《はく》の光に散る冷《ひや》ききらめきに任《まか》さむ、
今ぞ限と見ゆる汝よ、浄《きよ》き心に燃ゆる汝よ、
垂《たる》氷《ひ》は光り、無情の雪降る白き夜《よる》よ。
また孤独なるその妹《いもと》、噫永久のわが妹《いもと》、
わが夢つねに汝に向はむ、かく思ふ時早くも
わが心、世に珍らしく澄みわたりゐて、
無為寂寞の国に孤り立つを覚ゆ、
周囲の万《ばん》物《ぶつ》皆悉く一《いち》面《めん》の鏡にむかひて、
眠るに似たるそが静寂のおもてなる、
夜《や》光《くわう》の玉の眼差《まなざし》のエロディヤッドの影を拝す、
噫究極の美なるかな、げにわれこそは孤《ひと》なりれ。
めのと
悲しや、姫ははかなくなり給ふか。
エロディヤッド
否とよ、おうな、
心静かにここを去れ、立去りながら、わが無情をゆるせかし、
まて、そのまへにこの窓の戸を閉ぢよ、
厚きぐらすを透きて、セラフ天《てん》女《によ》の如くほほゑみたる
その青《あを》空《ぞら》、清き青《あを》空《ぞら》は堪へ難くうるさし。
見よ夕波の
たゆたひて、知らずや、かしこ掻曇る夜《よる》の一《いつ》天《てん》、
葉《は》越《ごし》にもゆる金星のものすさまじき
憎しみの眼をもて瞰《にら》むかの邦を。
われはそこへ行かむ。
ともしびをまたも挑《かか》げよ、
をさな気《き》の戯ならず蝋の火は軽き焔よ、
金燭の空しくなめて、珍らしき涙流しつ、
また…………
めのと
さてまた
エロディヤッド
さらば、さらば
噫わが脣の裸の花は
真《まこと》を言はず。
何事かえ知らぬ事の近づくよ、
或は蓋しわが口は、身に迫り来る不思議をも
おのが叫の心をも、つひに暁《さと》らで傷つける
幼き年の滅びゆく吐息を洩し夢の緒《を》に
貫《ぬ》きたる冷《ひや》き宝《ほう》玉《ぎよく》の散りこぼるるを思ふらむ。
白 鳥
純潔にして生《せい》気《き》あり、はた美《うる》はしき「けふ」の日よ。
勢猛き鼓翼《はばたき》の一《ひと》搏《うち》に砕き裂くべきか、
かの無慈悲なる湖水の厚《あつ》氷《ごほり》、
飛び去りえざりける羽《は》影《かげ》の透きて見ゆるその厚氷を。
この時、白鳥は過ぎし日をおもひめぐらしぬ。
さしも栄《はえ》多かりしわが世のなれる果《はて》の身は、
今ここを脱《のが》れむ術《すべ》も無し、まことの命《いのち》ある天上のことわざを
歌はざりし咎《とがめ》か、実《みのり》なき冬の日にも愁は照りしかど。
かつて、みそらの栄《はえ》を忘《ばう》じたる科《とが》によりて、
永く負されたる白《しろ》妙《たへ》の苦悶より白鳥の
頚《くび》は脱《のが》れつべし、地、その翼《はね》を放たじ。
徒《いたづら》にその清き光をここに託《たく》したる影ばかりの身よ、
已《や》むなくて、白《はく》眼《がん》に世を見下げたる冷《ひや》き夢の中《なか》に住《ぢう》して、
益《やう》も無き流《る》竄《ざん》の日に白鳥はただ侮蔑の衣《きぬ》を纏《まと》ふ。
薄紗の帳
薄《はく》紗《しや》の帳《とばり》たれてあれど、
こよなき「あそび」は思ふらく、
げにもゆゆしき涜《けがれ》かな、
徒《いたづら》なりや床《とこ》は無し。
この一面に白《しろ》妙《たへ》の
房《ふさ》と房《ふさ》とのからみあひ、
蒼《あを》みて曇る玻《は》璃《り》の戸を
空《むな》しく打つて事も無し。
されど黄《こ》金《がね》の夢の身には
楽《がく》の音《ね》籠《こ》もる虚《うろ》のなか、
琵《び》琶《は》悲《かな》しげに眠りゐて、
いづこの〓《まど》か知《し》らねども、
よそにはあらず、われとわが
胎《たい》より生《あ》るる子《こ》はあらむ。
註、Une dentelle s'ab litの句を以て起るマラメルの難解詩を訳してみた。薄紗の帳白く垂れて軽く窓の板玻璃を打つ景を詩人が見て、之はどうしても帳中に伉儷の契浅からぬ想思の人の床が無ければならぬと「こよなきあそび」即ち芸術の方面から推察する処、実は之が空しく、そこに何も無いと知つて、宛も冒涜の感を起すといふのが、初、二節の意である。然し「黄金の夢」即ち空想豊かなる詩人の胸には琵琶が常に蔵れてゐる。この空想よりして詩人は外物の助をからず、われとわが身より物象を創作する、此場合について言はば「床」を創作し得るのだ。この一篇の中心思想は芸術の特権を説いた処にあるのだらう。
ソネット
絹には「時」の薫《くん》ずれど
「妄《まう》執《しふ》」の色褪せにたり、
鏡のそとに溢れたる
雲の御《み》髪《くし》に如《しか》めやも。
心急《いら》れの旗じるし
道の衢《ちまた》にいきほへど、
われはた君がねくたれを
枕《まくら》きてあらむ、眼もきりて。
げに脣のいとせちに
憧るとてもあやなしや、
君恋ひわたる貴《あて》人《びと》が、
丈《たけ》長《なが》髪《がみ》のふくだみに
玉を擲つここちして
「名《みやう》利《り》」の叫ふたがずば。
アルテュル・ランボオ
酔ひどれ船(未定稿)
われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し。
喊き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙に結ひつけ射止めたり。
われいかでかかる船員に心残あらむ、
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ、
かの乗組の去りしより騒擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。
荒潮の哮《たけ》りどよめく波にゆられて、
多さながらの吾心、幼児の脛よりなほ鈍く、
水のまにまに漾へば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。
颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓よりも軽く波に跳りて、
永久にその牲《にへ》を転ばすといふ海の上に
うきねの十日、燈台の空《うつ》けたる眼は顧みず。
酸き林檎の果を小児等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを、
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。
これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪りゆけば、其吃水《みづぎは》蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の愁然として下り行く。
また忽然として青海の色をかき乱し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱《あか》みぞわきいづる。
われは知る、霹靂に砕くる天を、龍巻を、
寄《よせ》波《なみ》を、潮ざゐを、また夕ぐれを知るなり、
白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり、
人のえ知らぬ不思議をも偶《たま》には見たり。
神秘のおそれみにくもる入日のかげ、
紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。
古代の劇の俳優《わぎをぎ》が並んで進む姿なる
波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。
夜天の色の深《こ》みどりはましろの雲のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。
幾月もいくつきもヒステリの牛小舎に似たる
怒涛が暗礁に突撃するを見たり、
おろかや波はマリヤのまばゆきみあしの
いきだはしき大洋の口を篏し得ると知らずや。
君見ずや、世にふしぎなるフロリダ州、
花には豹の眼のひかり、人のはだには
手綱のごとく張りつめし虹あざやかに染みたるを、
また水天の間には海緑色のもののむれ。
海上の沸きたちかへる底見ればひろき穽《わな》あり、
海草の足にからみて腐爛するレ〓ヤタン
無風《なぎ》のもなかに大水はながれそそぎて
をちかたの海はふち瀬に滝となる。
氷河、銀色の太陽、真珠の波、炭火の空、
鳶色の入江の底にものすごき破船のあとよ、
そこには虫にくはれたるうはばみのあり、
黒き香に、よぢくねりたる木の枝よりころがり落つ。
をさなごに見せまほし、青波にうかびゐる
鯛の族《ぞう》、黄《こ》金《がね》の魚《いろ》くづ、歌へるいさな。
花と散る波のしぶきは漂流を祝ひ、
えも言へぬ風、時々に、われをあふれり。
時としては地極と地帯の旅にあきたる殉教者、
吐息をついてわが漂浪を楽しくしながら、
海は、われに黄色の吸《すひ》枝《くち》ある影の花をうかぶ、
その時われは膝つく女のごとくなり。
半島のわが舷《ふなべり》の上に投げ落すものは、
亜麻いろの眼をしたる怪鳥の争、怪鳥の糞、
かくて波のまにまに浮き行く時、わが細綱をよこぎりて、
水死の人はのけざまに眠にくだる……
入江の底の丈《たけ》長《なが》髪《かみ》に道迷ふわれは小舟ぞ、
あらし颶風によつて鳥もゐぬ空に投げられ、
甲鉄艦《モニトル》もハンザの帆船も
水に酔ひたるわがむくろ、いかでひろはむ。
思ひのままに、煙ふきて、むらささ色の霧立てて、
天をもとほすわが舟よ、空の赤きは壁のごと、
詩人先生にはあつらへの名句とも
太陽の蘚苔《こけ》あり、青海の鼻涕《はな》あり。
エレキの光る星をあび、黒き海馬の護衛にて、
くるひただよふ板小舟、それ七月は
杖ふりて燃ゆる漏斗のかたちせる
瑠璃いろの天をこぼつころ。
五十里のあなた、うめき泣く
河馬と鳴門の渦の発情《さかり》をききて慄《ふる》へたるわれ、
嗚呼、青き不動を永久に紡ぐもの、
昔ながらの壁にゐる欧羅巴こそかなしけれ。
星てる群島、島々、その狂ほしく美はしき
空はただよふもののためにひらかる、
そもこの良《あたら》夜《よ》の間に爾はねむり、遠のくか。
紫摩金鳥の幾百萬、ああ当来の勢《せい》力《りき》よ。
しかはあれども、われはあまりに哭きたり。
あけぼのはなやまし、月かげはすべていとはし、日はすべてにがし、切なる恋に酔ひしれてわれは泣くなり、龍骨よ、千々に砕けよ、われは海に死なむ。
もしおれ欧羅巴の水を望むとすれば、
そは冷やかに黒き沼なり、かぐはしき夕まぐれ、うれひに沈むをさな児が、腹つくばひてその上に五月の蝶にさながらの笹舟を流す。
ああ波よ、一たび汝れが倦怠にうかんでは
綿船の水《み》脈《を》ひくあとを奪ひもならず、
旗と炎の驕慢を妨げもならず、
また逐《おひ》船《ぶね》の恐しき眼の下におよぎもえせじ。
ジュル・ラフォルグ
お月様のなげきぶし
星の声がする。
膝の上、
天《てん》道《たう》様《さま》の膝の上、
踊るは、をどるは、
膝の上、
天《てん》道《たう》様《さま》の膝の上、
星の踊のひとをどり。
――もうし、もうし、お月様、
そんなに、つんとあそばすな。
をどりの組へおはひりな。
金《きん》の頚《くび》環《わ》をまゐらせう。
おや、まあ、いつそ難《あり》有《がた》い
思《おぼし》召《めし》だが、わたしには
お姉《あねえ》様《さま》のくだすつた
これ、このメダルで沢山よ。
――ふふん、地球なんざあ、いけ好《すか》ない、
ありやあ、思想の台《だい》ですよ。
それよか、もつと歴《れき》とした
立派な星がたんとある。
――もう、もう、これで沢山よ、
おや、どこやらで声がする。
――なに、そりや何《なに》かのききちがひ。
宇宙の舎密《せいみ》が鳴るのでせう。
――口のわるい人たちだ、
わたしや、よつぴて起きててよ。
お引《ひき》摺《ずり》のお転《てん》婆《ば》さん、
夜《よ》遊《あそび》にでもいつといで。
――こまつちやくれた尼《あま》つちよめ。
へへへのへ、のんだくれの御《ご》本《ほん》尊《ぞん》、
掏摸《すり》や狗《いぬ》のお守《もり》番《ばん》、
猫の恋のなかうど、
あばよ、さばよ。
衆星退場。静寂と月光。遥に声。
はてしらぬ
空《そら》の天《てん》井《じよ》のその下《した》で、
踊るは、をどるは、
はてしらぬ
空《そら》の天《てん》井《じよ》のその下《した》で、
星の踊をひとをどり。
月の出前の対話
――そりやあ真《しん》の生活もしてはみたいさ、
だがね、理想といふものは、あまり漠《ばく》としてゐる。
――そこが理想なんだ、理想の理想たる処だ。
訳《わけ》が解《わか》るくらゐなら、別の名がつく。
――しかし、何事も不《ふ》確《たしか》な世の中だ。哲學また哲学、
生れたり、刺《さし》違《ちがへ》たり、まるで筋《すぢ》が立つてゐない。
――さうさ、真《しん》とは生《い》きるのだ
といふんだもの、
絶対なんざあ、たつ瀬《せ》があるまい。
――ひとつ旗を下《おろ》して了《しま》はうか、えい、
お荷物はすつかり虚《きよ》無《む》へ渡して了《しま》はう。
――空《そら》から吹きおろす無《む》辺《へん》の風の声がいふ、
「おい、おい、ばかもいい加減にしなさい」
――もつとも、さうさな「可《か》能《のう》」の工《こう》場《ぢやう》の汽笛は、
「不可思議」のかたへ向つて唸《うな》つてはゐる。
――其《その》間《かん》唯《ただ》一《いつ》歩《ぽ》だ。なるほど黎明《しののめ》と
曙のあはひのちがひほどである。
――それでは、かうかな、現実とは、
少《すく》なくとも
「或物」に対して益があるといふことか。
――そこでかうなる、ねえ、さうぢやないか、
薔《ば》薇《ら》の花は必要である――其必要に
対してと。
――話が少《すこ》し妙《めう》になつて来たね、
すべては循環論法に入《はひ》つてくる。
――循環はしてゐるが、これが凡《すべ》てだ。
――何だ、さうか。
なら、いつそ月の方《はう》へいつちまはう。
日 曜
ハムレツト――そちに娘があるか。
ポロウニヤス――はい、御座りまする。
ハムレツト――あまり外へ出すなよ。
腹のあるのは結構だが
そちの娘の腹に何か出
来ると大変だからな。
しとしとと、わけもなく、事もなく雨が降る、
雨が降るぞや、川《かは》面《づら》に、羊の番の小《こ》娘《むすめ》よ……
どんたくの休日《やすみ》のけしき川に浮び、
上《かみ》にも下《しも》にも船がない。
夕がたのつとめの鐘が市《まち》に鳴る。
人《ひと》気《け》の絶えたかしっぷち、薄ら寂しい
河《か》岸《し》っぷち。
いづこの塾の女生徒か(おお、いたはしや)
大抵はもう、冬《ふゆ》支《じ》度《たく》、マフを抱《かか》へて
有《も》つてるに、
唯ひとり、毛の襟巻もマフも無く
鼠の服でしよんぼりと足を引《ひき》摺《ず》るいぢらしさ
おやおや、列を離れたぞ、変だな。
それ駆《かけ》出《だ》した、これ、これ、ど、ど、
どうしたんだ。
身を投げた、身を投げた。大変、大変。
ああ船が無い、しまつた救《きゆう》助《じよ》犬《いぬ》も
居ないのか。
日が暮れる、向の揚《あげ》場《ば》に火がついた。
悲しい悲しい火がついた。(尤もよくある書《かき》割《わり》さ)
じめじめと川もびつしより濡れるほど
しとしととわけもなく、事もなく、雨が降る。
ピエロオの詞
また本《ほん》か。恋しいな、
気《き》障《ざ》な奴《やつ》等《ら》の居ないとこ、
銭《ぜに》やお辞《じ》義《ぎ》の無いとこや、
無《む》駄《だ》の議論の無いとこが。
また一《ひと》人《り》ピエロオが
慢性孤独病で死んだ。
見てくれは滑稽《をかし》かつたが、
垢《あか》抜《ぬけ》のした奴《やつ》だつた。
神様は退去《おひけ》になる、猪《を》頭《かしら》ばかり残つてる。
ああ天下の事日《ひ》日《び》に非なりだ。
用もひととほり済んだから、
どれ、ひとつ「空《むだ》扶《ぶ》持《ち》」にもありつかう。
サロメ、サロメ、
恋の多くが眠つてる
蘭麝に馨る石の唐櫃
モリス・マアテルリンク
温 室
森の奥なる温室、
永久に鎖《と》ざせるその戸、
その円《まる》屋《や》根《ね》の下にあるもの、
これに準《なぞ》へて、わが心の下にあるもの。
飢《うゑ》に悩む王女の思、
荒《あれ》野《の》に迷ふ船《ふな》乗《のり》の愁、
不《ふ》治《ち》の患者の窓《まど》下《した》に起る楽隊の音。
さていとも温《ぬく》き隅《すみ》に行きてみよ。
収穫《とりいれ》時《どき》のある日に気《き》絶《ぜつ》したる女とも
いふべし。
病院の中《なか》庭《には》に駅《えき》伝《でん》の馭《ぎよ》者《しや》来り、
麋《おほしか》の狩《かり》人《うど》の成《なれ》の果《はて》なる看護人、かなたを
通り過ぐ。
月影にすかし見よ。
(物皆ここに処を得ず。)
法《はふ》官《くわん》の前に狂人立てりともいふべし、
軍《いくさ》ぶね、帆を張りて運河に浮び、
白百合に夜《よ》の鳥啼き、
真《ま》昼《ひる》がた、葬《さう》礼《れい》の鐘は鳴る、
(かの鐘《かね》形《がた》の玻璃《ぐらす》器《き》の下に。)
平《へい》原《げん》に病人の舎《しや》営《えい》あり、
晴れし日に依的児《ええてる》匂ふ。
あな、あはれ、あな、あはれ、いつか
雨ふらむ
雪ふらむ、風ふかむ、温室に。
牧《まき》の島には羊の群《むれ》
氷河の上に美《び》美《び》しき木《こ》立《だち》、
大理石造の玄関に百合の花。
人の通《かよ》はぬ森の奥に祭あり。
氷の淵に東邦の本《ほん》草《さう》は茂りたり。
聞け、今水門は開かる。
大西洋定期船は運河の水を揺《ゆ》り乱る。
ああ、されど看護の尼は炉を掻《か》いたり。
……「病院」の一節……
祈 祷
あはれみたまへ、もくろみの
戸にたたずめるうつけさを、
わがたましひは、しろたへの
無能に無《む》為《ゐ》にあをざめぬ。
業《わざ》をやめたるたましひは
吐《と》息《いき》に蒼《あを》きたましひは、
ただ眺むらむ、痰れはて、
莟の花に震ふ手を。
かおりしほどにわが心、
紫紺の夢の玉を吹き、
蝋《らふ》の繊《せん》手《しゆ》のたましひは
月の光をふりそそぐ。
月の光に明日《あす》といふ
黄《き》花《ばな》のさゆり透きみえて、
月の光に半の影は
ひとり悲しくあらはれぬ。
愁のむろ
胸にある青き愁よ、
さいはひを求めてやまず、
よよと泣く月の光に
夢青く力無けれど。
この青き愁の室《むろ》に
さしよりて透《すき》見《み》をすれば、
ぐらす戸《ど》の緑のあなた、
月を浴び、玻《は》璃《り》に覆《おほ》はれ、
生ひ繁げる葉もの、花もの
夢の如く、不動に立ち
宵よひは、忘《ばう》我《が》の影を
愛《あい》執《しふ》の薔《さう》薇《び》におとす。
水は、はた、ゆるく噴《ふ》きいで、
薄《うす》曇《ぐも》る不断の息《いき》に、
月影と空とをまぜて、
夢の如く節《ふし》もかはらず。
こころ
わが心
ああ、げに蔽《おほ》はれたるわが心かな。
わが願《ねがひ》の羊《やう》群《ぐん》は温室の内に在りて、
牧《まき》に暴風《あらし》の来《きた》るを待つ。
まづ最も病《や》めるものを訪《と》はむ。
そはあやしき臭《にほひ》を放てり。
その中に入《い》れば、われ母と共に戦場を過ぐる
如し。
真《ま》昼《ひる》がた人人、一戦人を葬り、
歩《ほ》哨《せう》は時の食《しよく》を喫《きつ》す。
また最も弱きものを訪はむ。
そはあやしき汗を流したり。
ここに新《しん》婦《ぷ》は病み、
日曜に謀叛起り、
小《せう》児《に》、牢《らう》に引かる。
(その先、はるかに霧を隔てて、)
厨《くりや》の口に横はるは垂《すゐ》死《し》の女か、
あるは不治の患者の床の下に野菜を切る
看護の尼か。
終《つひ》に最も悲しきものを訪はむ。
(毒あるが故に、これ最後にしたり。)
ああ、わが脣は手《て》負《おひ》の接吻を受く。
この夏、城の妃《きさき》は皆わが心の塔の内に飢死したり。
今ここに曙の光、祭を照し、
河岸《かし》づたひ羊の歩むを見る、
また病院の窓に帆あらはる。
胸より心へ行く道の遠さよ。
歩哨は悉く受持の池に死したり。
ひと日わが心の郊外に小《ささ》やかなる祭ありき。
日曜の朝、人、失鳩答《しきうた》を刈《かり》入《い》れたり。
天《そら》晴《は》れたる断《だん》食《じき》の日、尼《あま》寺《でら》の童貞は挙《こぞ》りて運河に船の行くを眺めたり。
其時、白鳥は毒《どく》水《すゐ》の橋の下に悩みぬ。
囹圄《ひとや》の周《めぐり》なる樹《き》樹《ぎ》の枝は伐《き》りとられ、
六月の午後、人、薬《やく》水《すゐ》を齎し、
患者の食《しよく》は眼《め》路《ぢ》のかぎりに拡げられたり。
わが心よ。
萬物の悲しさ、ああ、わが心よ、ああ、萬物の悲しさ。
めつき
憐《あはれ》なる疲れたるこのめつき
汝等のめつき、わがめつき、
今は亡きめつき、今に来るべきめつき、
終《つひ》に来ずして已《や》むとも、実は世に在る目《め》付《つき》。
日曜の日、貧者を訪ふ如きもあり、
家無き病人の如きもあり、
白布に被はれたる牧に羊の迷ふが如きもあり。
また類《たぐひ》罕《まれ》なる目付もあり、
円天井の下、閉ぢたる広間の内、童貞の刑に就くを眺むる如きもあり。
何《なん》ともわかぬ悲みを思はしむる目付あり。
即ち工場の窓に居る農民を、
機《はた》織《おり》となりし園丁を、
蝋人形の見世物の夏の昼《ひる》過《すぎ》を、
庭に居《ゐ》る病人を見る女《によ》王《わう》の心を、
森の中なる樟脳の香《か》を、
祭の日、塔に王女を押籠むるを、
水《みづ》温《ぬる》き運河の上、七日七夜を舟にて行くを思はしむ。
憐み給へ、収《とり》穫《いれ》時《どき》の病人のやうに、小《こ》股《また》にて出て来る目付を。
憐み給へ、食事の時に迷《まひ》児《ご》となりしやうなる目付を。
憐み給へ、外科医を仰ぎ見る怪《け》我《が》人《にん》の目付を、
そのさま、暴風雨《あらし》の下の天幕《てんと》に似たり。
憐み給へ、誘惑せらるる処女の目付を
(噫、乳の流は闇に逃げ入る、
白鳥は蛇の群《むれ》のなかに死したり)
また憐み給へ、終《つひ》に屈したる処女の目付を。
路無き沼に棄てられし王女の姿かな。
また暴風雨《あらし》の中を照り輝ける諸《もろ》船《ふね》の真帆あげて遠ざかり行くが如き目付もあり。
また何処《いづこ》にか他《ほか》に居《ゐ》る事能はずして苦む目付あり、げに憐むに堪へたるかな。
殆ど区別なく而も実は相《あひ》異《ことな》れる苦悶の目付。
何《なん》人《びと》も終《つひ》終にそれと暁《さと》り得ぬ目付。
殆ど無言なる目付。
また憐《あはれ》なる囁きの目付、
押《おし》殺《ころ》されたる憐《あはれ》の目付。
あるものの中に在れば、病院となりし古《こ》城《じやう》に居《い》る心地す。
また他のものは尼《あま》寺《でら》の小さき芝《しば》生《ふ》の上に百合の紋章打つたる天幕《てんと》を張りたる如し。
更に他のものは温室に収容したる負傷者の風《ふう》ありて、
また更に他のものは病人無き大西洋定期船に乗組みたる看護の尼の姿あり。
噫すべてかかる目付を眺め知り、
かかる目付を受け入れて、
かかる目付の応接におのが目付を費《つか》ひはて、
それより後《のち》は、わが眼をもまた閉ぢえざるとは。
燧 玉
悔《くい》といふ燧玉《ひとるたま》、手にとりて
過ぎし日を其《その》下《した》に照らしてみれば、
内《ない》証《しよう》のかくれたる色青き
底の上に、うるはしき花は浮ぶ。
その玉の照らしたるわが願ひ、
その願ひ、つらぬけるわが心、
その心、思ひ出に近づけば、
忽ちに枯《かれ》草《くさ》はもえあがる。
このたびは思ひをと、かの玉に
窺《うかが》へば、晶玉のつとひかり、
忘れたる悲みの花びらは、
ほのぼのとおもむろに咲きにほふ。
記憶にはあともなく消えはてし
ありし夜のことわざも帰り来て、
なよげなる毳《けば》をもて撫《な》でらるる
新しき望あるわが心。
エミイル・ルハアレン
都 会
路はすべて都会にむかふ。
煤煙のおくのかた、
かなた、階《かい》は階を重ね、
幅広き大《だい》石《せき》段《だん》のかずかず、
絶頂の階までも、天までも上《のぼ》る往《ゆき》来《き》の道となりて、
夢の如く都会は髣髴たり。
ふりさけみれば、
鉄材を網に組みたる橋《けう》梁《りやう》の、
虚《こ》空《くう》に躍りて架《かか》るあり、
石あり、柱あり、
ゴルゴンの鬼《き》面《めん》これを飾る。
郊外に聳ゆるは何《なん》の塔ぞ、
屋根あり、破《は》風《ふ》ありて、家《か》屋《をく》の上に峙《そばだ》つは、
下搏つ鳥の鼓翼《はばたき》に似たり。
即ちこれ触手ある大都会、
屹《きつ》然《ぜん》として、
平野田園の尽くる処に立つ。
紅《あか》き光の、
きらめくは、
標《へう》柱《ちゆう》の上、大《だい》円《ゑん》柱《ちゆう》の上、
昼なほ燃えて、
巨大なる黄《わう》金《ごん》の卵《たま》子《ご》の如し。
天《てん》日《じつ》ここに見えず、
光明の口にはあれど、
煤煙の奥に閉さる。
揮《き》発《はつ》の油《あぶら》、瀝《れき》青《せい》の波は、
石《せき》造《ぞう》の波止場、木製の仮《かり》橋《ばし》を洗ひ、
ゆききの船の鋭き汽笛、
霧の奥に恐怖《おそれ》を叫ぶ、
緑色の船の燈《ひ》はその眼《まなこ》、
大洋と虚《こ》空《くう》とを眺むらむ。
川《か》岸《し》は荷車の轣《れき》轆《ろく》に震ひ、
芥《あくた》車《ぐるま》、蝶《てふ》番《つがひ》の如く軋《きし》り、
鉄の権衡《はかり》は角《かく》なる影を落して、
忽ちこれを地下室の底に投ず
鉄橋ありて、中央に割れて開けば、
帆《ほ》檣《ばしら》の森に立つすさまじき絞《かう》台《だい》の姿。
また中《ちゆう》天《てん》に銅《あかがね》の文《も》字《じ》、
長大にして屋根を越え、
壁を越え、軒《のき》蛇《じや》腹《ばら》を越え、
対立して宛《あだか》も戦場の観あり。
かなたには馬車動き、荷車過ぎ、
汽車は走り、努力は飛ぶ、
皆停車場に向ふ。見よ、金《こん》色《じき》の欄干《てすり》、
処《しよ》処《しよ》に連りて泊《は》てたる船の如し。
鉄《てつ》路《ろ》また枝《し》線《せん》を広げて軌道地下に入り、
隧道《トンネル》、洞穴を潜行すれば
忽ち歴歴たる光明の網と変じて、
沙塵と騒擾との中《なか》に現はる。
即ちこれ触手ある大都会。
見よ、この市街を。――人波は大《おほ》綱《づな》の如く、
大厦高楼のめぐりに絡《まと》はるなか、
道は遠長く紆《うね》りて、見えつ隠れつ、
解《ほぐ》し難くうち雑りたる群集の、
手《て》振《ぶり》狂ほしく足《あし》並《なみ》乱れ、
眼には憎《にくみ》の色を湛へ、
駈《かけ》抜《ぬ》く「時」をやらじとばかり、歯にて引《ひき》留《と》む。
さる程に朝《あした》より夕《ゆふべ》をかけて、タ暮が夜《よる》になりても、
騒擾と喧囂と憂愁の中《なか》に立ち、
「偶《ぐう》発《はつ》」の方《かた》にむかひて人が播く労作の辛苦の種《たね》も、
「時」すぐに奪ひて去るをいかにせむ。
ここに暗《あん》憺《たん》として薄暗き帳場、
〓眼《ひがら》にして疑の念《ねん》深き事務室、
はた銀行も狂乱大《たい》衆《しゆう》の風の音《おと》に、
はたと戸を閉づ。
戸《こ》外《ぐわい》には天鵞絨《びろうど》のぬめりの光、
赤く曇りて襤《ぼ》褸《ろ》布《ぬの》の燃ゆるが如く、
点《てん》燈《とう》の柱《はしら》柱《ばしら》に退《すさ》りゆく。
生活は酒精の故に醗酵す。
人道にむかひて開く酒場こそ
争闘爛酔の影映《うつ》す
鏡明るき殿堂ならずや。
壁に背《そびら》をもたせつつ、
燐寸《マチ》箱《ばこ》を売る盲人《めしひ》もあり、
一つの穴に落ち合へる酒色と饑餓との民もあり。
肉の悩みの相《さう》剋《こく》が、
小《こう》路《ぢ》に跳りかつ消ゆる其声黒し。
かくて怒号の叫びつぎつぎに高まさりて、
憤《ふん》怒《ぬ》の声暴風《あらし》となれば、
金《こん》色《じき》と燐光の快《げ》楽《らく》を追ふに、
眼も眩みてか、人皆は互《かたみ》に蹂《ふ》みあふ。
近づくは女《によ》人《にん》か、はた蒼《さう》顔《がん》の傀儡か、
異性の徴《しるし》は髪の毛にのみめだちぬ。
かかるとき、偶《たま》偶《たま》に煤《すす》けたる赤《あか》黒《ぐろ》き空気の幕が、
日をさかり巻《まく》れあがれば、
光を仰ぐ大衆の、
大叫喚の海潮音、
広場に、旅館《ホテル》に、市《いち》場《ば》に、住《すま》居《ゐ》に、
とよもし呻《うな》る声強《つよ》く、
垂《すゐ》死《し》の人も安んじて、
今《いま》際《わ》の時を送り得ず。
昼既に斯《かく》の如きを――夕暮が、
黒檀の槌《つち》をもて天《てん》空《くう》を彫《ゑ》りきざむ時、
をちかたの都会の光、平原を領する顔に
巨大なる夜《よる》の間《ま》の望の如し。
そそりたつ此大都会、如《によ》法《ほふ》、楽《げう》欲《よく》と光《くわう》華《くわ》と游《いう》狎《かふ》となり。
光明は闌《らん》干《かん》として天《あま》雲《ぐも》のあなたに流れ、
千万の瓦斯の燈《ひ》は金《きん》光《くわう》の林の如く、
鉄路、軌道を投げて憚ることなく、
佯《いつは》りの幸福を追へば、
富貴と勢力とこれに伴ふ。
城壁のしるく見ゆるは大軍の屯《たむろ》するに似て、
またもたちのぼる煤煙は、
田野を招く劉喨たる角《かく》の声。
これ即ち触手ある大都会、
貪《どん》婪《らん》の蛸《たこ》に比すべし、骨《こつ》堂《だう》なり、
威力ある屍《かばね》なり、
かくて諸《もろもろ》の路ここよりして遥に、
かの都会にむかふ。
思 想
驕慢の都、その宿命に駆らるる上を、
眼にはみえねども儼《げん》然《ぜん》として、
悲よりも高く、悦よりも高く、
生《せい》生《せい》として思想を領す。
沈静なる勢力と熱意との世のはじめ、
精神の炬火もえいでしよりこのかた、
人間の頭脳に入りまじりて、
黄金の迷宮に、
かれを包みしは思想、
光《くわう》芒《ばう》これが為に更にまさりぬ。
かくて思想の力益〓強く、
人間の恐怖と熱望と批判とを統治し、
心情と生気とを動かし、
有《う》情《じやう》と非《ひ》情《じやう》とを眺めて、
宛《あだか》もその常に閉さざる〓《まぶた》の下、
無限の眼《まなこ》は開きたるに似たり。
かくて思想は広大の物界に震動して、
大《たい》方《はう》の世界に火焔の環《わ》をめぐらせり、
いづれかはじめの光なるを知らず。
されど天《てん》空《くう》に常《つね》見《み》ゆるその金《きん》光《くわう》を仰ぎみれば、
人は自己の光よりこれらを生《う》みし事を忘れ、
さすがはこれらの光《くわう》華《くわ》に酔《ゑ》ひて、一《ひと》日《ひ》、神を造りぬ。
けふもなほこの光、久《く》遠《をん》に亙《わた》る如し
されど之を養ふに力と美とを欠きたり、
常に静まらず、とこしへに新《あらた》なる、
現実の血なくんば久しくは保たじ。
われらの今常に之を濺ぐ、
一世の思想家は其心益〓明にして精《せい》なる可し。
生命の高貴なる工《こう》人《じん》として、
額《ひたひ》は輝き心は跳り、
新しき光もて忽ち頭悩を照せる、
光明をこそ駆使すべく、
征服の途にその歩《ほ》調《てう》益〓 勇ましく、
悠久たる覆《ふく》載《さい》の下《もと》、人こそは至上の者と、
自《みづか》らの高貴なるに感ず可し。
広遠にして富貴なる哉、めもはるに、
華《はな》さきわたる大思想家よ。
世 界
世界は星と人より成る。
空高く、
とこしへに無《む》声《せい》なるいつの時より、
空高く、
奥深くして風荒るる天上のいづこの庭に、
空高く、
いづれの太陽を央《なか》にして、
ものに譬ふれば
火焔の蜂の巣をさながらに、
勢力彌《び》漫《まん》したる虚《こ》空《くう》の大《だい》壮《さう》観《くわん》中《ちゆう》、
幾《いく》千《ち》万《よろづ》の不可思議にして壮烈なる
星の巣立は飛散す。
星ありき、何《いつ》の世とは知らねど、蜜蜂の如く、
これら衆《しゆう》星《せい》をまき散しぬ。
これ、今、金《こん》色《じき》の精気の中《なか》、
花に、籬《まがき》に、園《その》生《ふ》の上に飛びかひて。
夜《よる》は輝き、昼は隠るる
久《く》遠《をん》の天の運行に、
往きつ、離《さか》りつ、はた戻りつ、とこしへに囘転す、
母なる星のめぐりを。
嗚呼熾烈なる光明の、狂へる如き大《たい》旋《せん》転《てん》よ。
白《はく》色《しよく》の大静寂、かれを領す。
うまれの火《くわ》炉《ろ》を中心に、狂ひつ、とどろきつ、
廻転する金《こん》色《じき》の天体は、宇宙の則《のり》に従ふなり、
嗚呼大《だい》法《はふ》に従ひて、而も無辺なる大《だい》群《ぐん》飛《ぴ》よ、
焔の落《おち》葉《ば》か、燃え上る草むらか、
更に更に遠く進み、更に更に高く跳り、
発生し、死滅し、はた増殖して、
輝くもの、燃ゆるもの、
さながら似たり、
宝《はう》冠《くわん》のおもてを飾る珠《たま》の光に。
かくて地球も其昔、いつとは知らず在《ざい》天《てん》の
大宝冠より滴《したた》りたる夜《や》光《くわう》の玉のひとひかり。
緩漫にして遅鈍なる寒気、鉛の色の湿りたる空気は
この炎炎として猛烈なる火《くわ》気《き》を静めて、
大洋の水、まづ其《その》面《おも》を曇らせ、
山岳、つぎに其氷りたる脊《せき》椎《つゐ》を擡《もた》げ、
森林は、底《てい》土《ど》の下《した》より顫《ふる》へて、
朱《しゆ》に染《そ》みて骨《こち》骨《こち》しき猛獣の怒号、争闘に戦《をのの》き、
天災、東より西へ流れて、
大陸は作られ、また滅びぬ。
かしこ、旋風の怒をなして渦巻く処、
狂瀾怒涛の上、岬はつきいでぬ。
突進し、震《しん》蕩《たう》し、顛覆する天地の苦闘、
漸くにして其狂乱を収むるや、
影と争との幾千年後、
徐ろに人は宇宙の鏡に顕《あら》はる。
彼はじめより主《しゆ》たり、
忽然として
其上半身を直立し、其額を上げ、
万物の主《しゆ》たりと名乗る、かくて其祖より離れぬ。
昼あり夜《よる》あるこの地球は、
はるばると限なく
東西にひろがり、
はじめの思想の、はじめの飛躍、
人間の
至上なる脳の奥より
日の下《もと》にあらはれぬ。
嗚呼、思想よ、
恐ろしき飛躍なる哉、火《くわ》焔《えん》の散らふに似たり、
其争ふや赤く、其和するや緑に、
天上の星《せい》光《くわう》、雲を破る如く、
はてしらぬ原にかがやき
火の如くなりて虚《こ》空《くう》に転じ、
山を攀《よ》ぢ、川を照らし、
新《しん》光《くわう》明《みやう》を隈《くま》なく放ちぬ、
海より海へと、静寂の邦の上に。
されどこの金《こん》色《じき》の喧《けん》囂《がう》の中《なか》、
いつも空にある如く、今も空にある如き
大諧音の終に起らむを望みて、
さながら
日輪の如く、
あらはれ、のぼるものは、
此世の民の中より出《い》づる
天才なり。
火《くわ》焔《えん》の心を有し、蜜の脣を有して、
天才は事も無げに、「道」を語りぬ。
苦悶の闇に迷ふ凡《はん》百《びやく》のともがら、
皆この大思想の巣にかへり来て、
切なる求道、狂ほしき疑惑の、
満《まん》干《かん》の波はひたせども、
此突如たる光明に影も停《とど》まりつ、
万の物質に新しき震動は伝り、
水も森も山岳も、山風に、浜風に、
身の軽きをおぼえて、
波自《おのづ》から跳り、枝自《おのづ》から飛びて、
白き泉の接吻に岩も動かぬ。
万物其基《もとゐ》よりして革《あらた》まりぬ。
真と善と、愛と美と醜と、
水《すゐ》火《くわ》が作る微妙なる結合は、
宇宙の精神の経《けい》緯《い》となりて、
愛する物が織りなせる世のすべては、
終《つひ》に天上の則《のり》に従つて生く。
世界は星と人より成る。
俊 傑
「智慧」は山嶽の中腹に坐して
山川の白《しら》波《なみ》
左に折れ、
右に外《そ》れ、
谷間の岩を縫ひつ、絡《まと》ひつ、
流るるを見て、
分別らしき眼《まな》差《ざし》に、不安の色を浮べたれど、
井然たる山《さん》下《か》の村落に、
軛《くびき》に繋《つな》がれたる牛《うし》馬《うま》の
列も乱さず、静かに労作に向ふを見ては、
「智慧」の脳中に築かれたる宮殿に、
炬火の焔、沈として、平安は復《もど》り来りぬ。
平静なる山川の景に、何の変化も無し。
人もし仰いで高きを望まば、
「智慧」は徐ろに手を挙げて、
著るき山路を指すを知らむ。
唯ひとりの炎炎たる熱望を抱きて、
一たび昇るとも、又更に高く昇らむとする人、
かの金《こん》色《じき》の眩《げん》暈《うん》を避け難き人は、
其精神の声のみを聞きて、毫も他を聞かず。
其大飛躍に足《あし》代《しろ》となるものは喜悦なり、
危きを侵し、難きに就く沈痛の喜悦なり。
飄逸にして且活躍を好む其心は、
大《たい》風《ふう》の黒き喇叭のいと微かなる音をだに逸せず。
斯る人は人生の戦闘を一の祝祭とす、
そこには人、群《ぐん》を成して行かず、ひとり行くを悦ぶ。
眼もくらむ深《み》雪《ゆき》の光、
白妙の剱《けん》が峰を被ふはふりぎぬ、
かじかむ指を囓み、張りつむる胸を〓《むし》る
大《たい》風《ふう》の擦《おろ》子《し》、極寒の万《まん》力《りき》、
岩より岩へ転ずる雪なだれ、
是等のものも終《つひ》に止めえじ、
かの粛《しゆく》粛《しゆく》として頑強に巓《いただき》にを極めむとする歩《あゆみ》を。
しかすがに楽しきは谷底の命かな。
人の姿、人の声、
藺《ゐ》を席《むしろ》とし、日光を敷石としたる室《へや》、
砂《しや》石《せき》の甕、木づくりの古椅子。
週と日はすべて
労作と辛苦との浅黒き藪《やぶ》に暮しつ。
日曜のたび毎に
紅白の花をかざして、
朝には御《み》堂《だう》の鐘の声を聴く。
夕されば、少女の姿、つねよりも艶《あだ》めきて、
口ふるれば、恥らひて身は竦《すく》めども、
かたくなに否むとに非らず、忽ちに諾《うべ》なふもよし。
されどかの絶壁の細道をたどりて
徐ろにのぼりゆく人人は、
喜悦に酔ひ、未来に酔ひ、
人里を思ひ出づる歌声に耳をも仮さず、
孤独なるその振舞を世の人の顧みずとも何かあらむ、
天に向ひ、無限に向ひ、今開く此戸よりして、
後の世に挙りて必らず続かむと、
わが夢の終《はて》をも問はず、
巓《いただき》の金《きん》の照しと白《しら》雪《ゆき》と蹈み轟かし、
いや高き光を、空に仰ぎつつ、
築き上げたる熱望と意志との巌《いはほ》。
フェルナン・グレエグ
われは生きたり
われは命《いのち》の渦巻の中《なか》にあり……
弱し、顫へたり、蒼ざめたり、不安なり、苛《いら》苛《いら》し。
悔に、願に、祈に、
思出に、望に、欲に満ちたり……
われとわが求むる處を知らず、
われとわが誰なるをも知らず、
散乱し、変化し、様様に分裂したるを感ず。
幸なるか、知らず、唯、
われは生きたり。
われは愛す、何とは無しに愛す。
われは戦慄す、魅《みい》られたる人の如くに恐る。
わが愛するは昵《なづ》さはる温《をん》柔《にう》の黒き眼にして、
嬉しげに、優しげに、かはるがはる麗はしく、
閉づれば長く曳く睫《まつげ》の影、
見開いたる時の愛らしさ。
わが愛するは清き脣、香《にほひ》よき脣、
煙の如く繊《ほそ》やかに吹きまよふ丈《たけ》長《なが》の髪、
珠《たま》ひとつ、にこやかに笑《ゑ》む細き指なり。
しかもわれ何故に愛するかを、
また何故に愛せられたるかを究《きは》めず、唯、
われは愛す。
われは栄誉を欲す、而も知らず、
果して之を欲するか否かを。
われは思考す、而して其思想を、
定かならぬ恐懼の話《ことば》に述ぶ。
ここのわが額《ひたひ》の中《なか》に詩ありと感ずれど、
後後に生き残るべき詩なるか、否か、知る由なし、
唯之を叙《の》ぶれば、心昂《あが》り、思ひ楽し。
この声抑ふ可からず。
われは詩人なるか、知らず、唯、
われは歌ふ。
われは生きて万物の中を行く。
善か、悪か、知らず、
そは屡〓万物に昵《なづ》さはれ、
また屡〓傷つけらるればなり。
われは愛す、夏も、夕も、糸《いと》杉《すぎ》も、薔《ば》薇《ら》も、
色青き大《たい》山《ざん》、鈍《にび》色《いろ》の名《な》無《なし》の阜《をか》、
大《だい》海《かい》の轟、巴里の轟も。
善か、悪か、知らず、唯、
われは生き、われは行き、われは万物を愛す。
われまた男女の間を行く。
額《ひたひ》の下に、眼の中に、その魂《たましひ》を見てあれば、
巣立に散り行くおもしろさ。
世は影の鳥、火の鳥の飛び去る如く、
われ高《かう》山《ざん》に昇りて、その過ぐるを眺む……
男はわれを害し、女はただ泣けども、
われはその男女を愛す。
われは生きたり。
――かくて、われは死なむ。後《のち》にか、遥《はる》か後《のち》にか、はた今直《すぐ》にか、
知らず、
けだし、わが行く処は、
あなたの、あなたの知らぬ国、
勇んで窓を飛び出づる鳥の如く、
あなたの、あなたの知らぬ国へ行きて
神の光に甦《よみが》へらむ。否、
知らず。
或《あるひ》はわが行きて長久《とこしへ》の眠に朽ち果つる処は、
地下の数尺、
草木も、天も、懐かしきかの眼もあらぬ
忌《いま》はしき闇の世界か。
しかはあれど、われは命《いのち》の熱《あつ》き味を知る。
このわが小さき瞳《ひとみ》にも
ただ稲妻の束《つか》の間《ま》に
久《く》遠《をん》にわたる光明は映《うつ》りたらずや、
われも亦聖《せい》なる宴《うたげ》に列《つらな》りて、わが歓楽は飲みほしぬ、
また何の望かあらむ。
われは生きたり。
――かくてわれは死なむ。
ポオル・フォオル
両替橋
ポン・トオ・シアンジユ、花《はな》市《いち》の晩。風のまにまに、ふはふはと、夏水仙のにほひ、土の〓ひ、あすはマリヤのお祭の宵《よ》宮《みや》にあたる賑《にぎ》やかさ。西の雲間に、河《か》岸《し》並《なみ》に金《きん》の入日がぱつとして、群集の上に、淡《うす》紅《あか》の光の波のてりかへし。今シアトレエの広《ひろ》場《ば》には、人の出さかり、馬車が跳《をど》れば電車が滑る。辻の庭から打《うち》水《みづ》の繁《し》吹《ぶき》の霧がたちのぼり、風《ふ》情《ぜい》くははるサン・ジアツク、塔の姿が見《み》栄《ばえ》する……風のまにまに、ふはふはと、夏水仙の匂ひ、土のにほひ。……その風薫《かを》る橋の上、ゆきつ、もどりつ、人《ひと》波《なみ》のなかに交つて見てゐると、撫子《なでしこ》の花、薔薇の花、欄《らん》干《かん》に溢れ、人《じん》道《だう》のそとまで滝と溢れ出る。花はゆかしや、行く人の裾に巻きつく、足へも絡《から》む、道ゆく車の輪に絡《から》む。
角《かど》のパレエの大《おお》時《ど》鐘《けい》、七時を打つた――都《みやこ》の上に、金《きん》無《む》垢《く》の湖水と見える西の空、雲重《かさな》つてどことなく、雷《らい》のけしきの東の空。風の飜《あふり》が蒸《むし》暑《あつ》く、呼吸《いき》の出《で》入《いり》も苦しいと……ひとしほマノンの恋しさに、ほつと溜《ため》息《いき》二度ついた……風の飜《あふり》が蒸《むし》暑《あつ》く、踏まれた花の香《か》が高い……見渡せば、入《いり》日《ひ》華《はな》やぐポン・ヌウフ、橋の眼鏡《めがね》の下を行く濃い紫の水の色、みるに心が結ぼれて――えい、かうまでも思ふのに、さても情《つれ》ないマノンよと恨む途《と》端《たん》に、ごろ、ごろ、ごろ、遠くで雷《らい》が鳴りだして、風の飜《あふり》が蒸《むし》暑《あつ》い。
植木鉢、草花、花束、植木棚、その間《ま》を静かに流れるは、艶《つや》消《けし》の金《きん》の光を映《うつ》しつつ、入日の運《うん》を悲んで、西へ伴《ともな》ふセエヌ川、紫色の波長く恨をひいてこの流、手《て》摺《すり》から散る色びらをいづこの岸へ寄せるやら。夕日は低く悩ましく、わかれの光悲しげに、河《か》岸《し》を左《さ》右《いう》のセエヌ川、川一《いつ》杯《ぱい》を抱きしめて、咽《むせ》んで揺《そそ》る漣《さざなみ》に熱い動《どう》悸《き》を見せてゐる。……われもあまりの悲しさに河《か》岸《し》の手《て》摺《すり》に身をもたせたが……花のかをりの夜《よる》の風、かへつてふさぎの種《たね》となり、つれないマノンを思ひ出す。
あれ、ルウヴルの屋根の上、望《のぞ》みの色の天《そら》のおく、ちろりちろりとひとつ星、おお、それ、マノンの歌にも聞いた。「あれこそなさけのひとつ星、空には、めうとも、こひびとも、心変りのないものか。」涙ながらに、金《きん》星《せい》を仰いで見れば、宝石の光のやうにきらめくが、憎らしいぞや、雲めが隠す、折《せつ》角《かく》楽しい昨日《きのふ》は夢、せつない今日《けふ》が現《うつつ》かと、つい煩《ぼん》悩《なう》も生《しやう》じるが、世の恋人の身の上を何《なん》で雲めが思ふであらう。……もう、もう、そんな愚癡はやめ……星も出よ、あらしも吹けよ、唯ひとすぢに、あの人を思ふわが身には、どうでもよい。ある日マノンの歌ふには。「移ろひやすい人心」。そこでこちらも早速に「君が色《いろ》香《か》もかんばせも」と鸚鵡《あうむ》返《がへし》をしておいた。したが、あらしに打たれる花は、さぞ色褪せることだらう。……ぴかりと稲妻はたたがみ、はつとばかりに気がついた。
雨こそは、さても真《ま》面《じ》目《め》に、しつとりと人の気分を落ちつかせ、石の心も浮きあけて冷《つめ》たい光を投げかける。雨よ、この燃える思を冷《ひや》やかに、乱れた胸を平《たひ》らかに、このさし伸べた熱《ねつ》の手を涼《すず》しいやうにひやせかし、おお、ぽつりぽつりやつて来た。……ああ、さつとひと雨……おや、もう月の出か。さては村《むら》雨《さめ》の通つたのか。何となく明《あか》るいぞ。風のまにまにふはふはと、撫子《なでしこ》が匂ふ、夏水仙が匂ふ、薔薇が匂ふ、土が匂ふ。ルウヴル宮《きゆう》の屋根の上、なさけの星も傾いた。どれこの花束を買ひませう。おやおや気でもちがつたか。そして心で笑ひつつ、薔薇の花束ひと抱《かか》へ、さきの口《く》説《ぜつ》もどこへやら、マノンのとこへ飛んで行く。
夏の夜
蟋蟀が鳴く夏の夜の青空のもと、神、仏蘭西の上に星の盃をそそぐ。風は脣に夏の夜の味《あぢは》ひを伝ふ。銀《ぎん》硝《すな》子《ご》ひかり涼しき空の為、われは盃をあげむとす。
夜《よる》の風は盃の冷《ひや》き縁《ふち》に似たり。半《はん》眼《がん》になりて、口なめずりて飲み干さむかな、石榴《ざくろ》の果《み》の汁を吸ふやうに満《まん》天《てん》の星の涼しさを。
昼間の暑き日の熱のほてり、未だに消えやらぬ牧の草《くさ》間《ま》に横はり、ああこの夕《ゆふべ》のみほさむ、空が漂ふ青《あを》色《いろ》のこの大《おほ》盃《さかづき》を。
このをとめ
このをとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、恋やみに。
ひとこれを葬りぬ、葬りぬ、あけがたに。
寂しくも唯ひとり、唯ひとり、きのままに、
棺のうち、唯ひとり、唯ひとり、のこしきて、
朝まだき、はなやかに、はなやかに、うちつれて、
歌ふやう「時くれば、時くれば、ゆくみちぞ、
このをとめ、みまかりぬ、みまかりぬ、恋やみに。」
かくてみな、けふもまた、けふもまた、野に出でぬ。
別 離
せめてなごりのくちづけを浜へ出てみて送りませう。
いや、いや、浜風、むかひ風、くちづけなんぞは吹きはらふ。
せめてわかれのしるしにと、この手拭をふりませう。
いや、いや、浜風、むかひ風、手拭なんぞは飛んでしまふ。
せめて船《ふな》出《で》のその日には、涙ながして、おくりませう。
いや、いや浜風、むかひ風、涙なんぞは干《ひ》てしまふ。
えい、そんなら、いつも、いつまでも、思ひつづけて忘れまい。
おゝ、それでこそお前だ、それでこそお前だ。
ギイ・シャルル・クロオ
窓にもたれて
夜《よ》の紫の肩巾《エシヤルブ》が
ふはりと地の肩の上に滑り落ちる
黄昏の窓にもたれて
今宵もまた空の悲劇を見はじめると、
雲はけふどこへいつたか、
いつもの逢《あひ》引《びき》にかげもみせない。
西《さい》方《はう》一面に和《な》ぎわたり、
光いつとなく白《しら》んで薄れて、
さながら、あまりに脆《もろ》く美しい花束が
ちよいとのことにこぼれ散るやうだ。
夕《ゆふ》影《かげ》はいま山あひの虚《うろ》の窪《くぼ》まで及んだが、
むかうの阜《をか》は入日のはての光を浴びて、
あのカナアンの国よりもなほ遠い
神の誓の郷《さと》のやうに照りわたる。
温《をん》柔《にう》の気、水の如く中《ちゆう》天《てん》に流れ跳《をど》つて、
一分《ふん》一分《ふん》の嬌《なま》めいて滑りゆくには、
つい、ぼんやりと、恍惚《うつとり》して了《しま》ふところを、
これではならぬと、やつとこさ、
胸の思をなだめて眠《ね》かす、
心いきの小《こ》歌《うた》もくひとめた。
おや、うしろの方《はう》でらんぷがつく。
見よ、大空の奥深く、
千《せん》万《まん》年《ねん》も倦まずに、飽きずに、また、こよひ、
ちろり、ちろりと見える、聞える、
色の数《かず》数《かず》顫《ふる》はせた、星の光の節《ふし》まはし。
譫 語
新しき美をわれは求める。
墓の上に遠慮無く舞踏するわれらだ。
爾《なんぢ》等《ら》はモツアルト、ラフアエルを守れ、
ベエトホン、シエイクスピア、マルク・オオレルを守れ、
われは敢て異端の道を択ぶ。
爾等の旌《はた》に敬礼しようや。
もし古《いにしへ》の俊傑が復活するとならば、
このわが身《み》中《うち》に、このわが血液に甦《よみが》へるべし。
爾等の見《み》窄《すぼ》らしい絵《ゑ》馬《ま》の前に、
なんでこの身が、額《ぬか》づき祈らう。
むしろ、われは大《たい》風《ふう》の中を濶歩して、
轟き騒ぐ胸を励まし、
鶫《つぐみ》鳴く葡萄園に導きたい。
沖の汐風に胸ひらくとも、
葡萄の酒に酔《ゑ》はうとも、何《なん》のその。
古書に傍《ばう》註《ちゆう》して之を汚す者よ、
額《ぬか》づき拝《はい》せ、われは神だ。
われ敢て墓の上に舞踏して憚らぬ所以のものは、
全世界の美、われにとりては、
朝毎、朝毎に、新しいからだ。
世間のある人人には……
世間のある人人には、その日日の消光《くらし》が
ひとりで牌《ふだ》を打つパシアンスの遊びの如く
またはすつかり覚えこんだ日課を
夢うつつで譫《うは》語《ごと》に言ふ如く、
またはカフェエに相変らずの顔触と
薄ぎたない歌留多札を弄ぶやうだ。
ある人人には、一体、生《いのち》はごく手軽な
造作も無い尋常一様の事で、
手紙を書いたり、一寸は「あそび」もしたり、
とにかく「用事」は済せてゆく。
してその翌日《あくるひ》も同じ事を繰返して、
昨日《きのふ》に異《かは》らぬ慣《しき》例《たり》に従へばよい。
即ち荒つぽい大きな歓樂《よろこび》を避《よ》けてさへゐれば、
自然また大きな悲哀《かなしみ》もやつて来《こ》ないのだ。
ゆくてを塞ぐ邪魔な石を
蟾蜍《ひきがへる》は廻つて通る。
しかし、君、もし本当に生きてゐたいなら、
其日其日に新しい力を出して、
荒れ狂ふ生《いのち》、鼻息強く跳ね躍る生《いのち》、
御《ぎよ》せられまいとする生《いのち》にうち克たねばならぬ。
一刻も息《やす》む間《ま》の無い奇蹟を行つてこそ
乱れそそげたこの鬣《たてがみ》、
汗ばみ跳《はず》むこの脇腹、
湯気を立てたるこの鼻《はな》頭《づら》は自由に出来る。
君よ、君の生《いのち》は愛の一念であれ、
心残の銹も無く、
後悔の銹もなく、
綱鉄の清い光に耀け。
君が心はいつまでも望と同じく雄大に、
神の授の松明を吝むな。
塞《ふさ》ぎがちなる肉《にく》身《しん》から雄雄しい声を噴《ふき》上《あ》げよ、
苦痛にすべてうち任《まか》せたその肉《にく》身《しん》から、
従《しよう》容《よう》として死の許嫁《いひなづけ》たる肉《にく》身《しん》から叫べ。
宝玉は鉱石を破つて光る。
レミ・ドゥ・グルモン
シモオヌ、そなたの髪の毛の森には
よほどの不思議が籠《こも》つてゐる。
そなたは乾《かれ》草《くさ》の匂がする。
ながく眠《ね》てゐた石の匂がする。
鞣《なめし》皮《がは》の匂がするかと思へば、
麦を箕《み》に煽《あふ》りわける時の匂もする。
また森の匂もするやうだ。
朝配つて来る包麺《パン》の匂もする。
廃園の石垣にそつて乱れ咲く
草花の匂もする。
懸鉤子《きいちご》の匂もするやうだし、
雨に洗はれた蔦の匂もする。
日が暮れてから刈りとつた
羊《し》歯《だ》の匂、藺《ゐ》の匂がする。
柊《ひひらぎ》の匂、苔の匂、
垣根の下に実《み》が割れた朽《くち》葉《ば》色《いろ》の
萎れた雑草の匂がする。
蕁麻《いらぐさ》の匂、金雀花《えにしだ》の匂がして、
和蘭陀《おらんだ》げんげの匂もして、乳の匂がする。
黒種草《くろんぼさう》の匂、茴香《うゐきやう》の匂、
胡桃《くるみ》の匂がする、またよく熟《う》れて
摘みとつた果《くだ》物《もの》の匂がする。
柳や菩《ぼ》提《だい》樹《じゆ》が弁《べん》の多い
花を咲かせるときの匂がする。
蜜蜂の匂もする。牧《まき》の草《くさ》原《はら》に、
さまよふ生《いき》物《もの》の匂がする。
土の匂、川の匂、
愛の匂、火《ひ》の匂がする。
シモオヌ、そなたの髪の毛の森には
よほどの不思議が籠つてゐる。
柊冬青
シモオヌよ、柊《ひひらぎ》冬青《そよご》に日が照つて、
四月は遊にやつて来た。
肩の籠《かご》からあふれる花を、
茨《いばら》に柳に橡《とち》の樹《き》に、
小川や溝や浅沼の
汀《みぎは》の草にもわけてやる。
水の上には黄《き》水《すい》仙《せん》、
森のはづれへ日《にち》日《にち》花《くわ》、
素《す》足《あし》もかまはず踏み込んで、
棘《いばら》のひかげへすみれぐさ、
原《はら》一《いち》面《めん》に雛《ひな》菊《ぎく》や
鈴を頚《くび》環《わ》の桜《さくら》草《さう》、
森の木《こ》の間《ま》にきみかげ草《くさ》、
その細《ほそ》路《みち》へおきなぐさ、
人《じん》家《か》の軒へあやめぐさ、
さてシモオヌよ、わが庭の
春の花には苧環《をだまき》、遊《いう》蝶《てふ》花《くわ》、
唐《たう》水《すゐ》仙《せん》、匂の高い阿《あ》羅《ら》世《せ》伊《い》止《と》宇《う》。
さしあげた腕
見渡すかぎり、一面に頭《あたま》の海である。高くさし上げた腕の森が、波に半身を露はす浮《う》標《き》のやうに突出してゐる。跪いて祈る一大民衆だ。
さし上げた腕の間から皆めいめいに上《うは》向《むき》の頭がみえる。海《かい》藻《さう》や地衣《こけ》がこの浮《う》標《き》に垂《たれ》下《さ》がつてゐる。東から吹く風に、この髪の毛がふくらんで、おのづと拍子をとつて波動してゐる。それが、また、ひとつの祈にみえる。
民衆は跪いてゐる。恐と望とに狂ひ歓ぶ無数の眼が髣髴として乳色の光を放ち天の一方に靉《たなび》いてゐる。多くの魂はこの真珠の光を散らして天《あま》の川《がは》を登つて行く。さうして銀《ぎん》河《が》白《はく》道《だう》がその夜の色の桁、火の涙、血の黴の条理《すぢめ》と共に、かなた至上高点に巻込まれて、消失せる処は、稲《いな》魂《だま》の光明に包まれた「五角」である。
「五角」は動く、車輪の如く、自身を軸にして囘転する。其稜《かど》稜《かど》から発散する火焔は車輪のぐるりに巻きついてゐる。「五角」は無上の速力にて囘転し、宇宙の極《はて》までも、燃立つ大気の旋《せん》風《ぷう》を伝へる。広大無辺の旋渦《おほうづ》の為、朦朧として絶えず輪転する波の上、〓《あな》を脱け飛んだ眼球や燐の光を放つ木《こ》の実《み》の殻が浚はれて浮きつ、沈みつ〓《もが》いてゐる。
跪いてゐる民衆は、今この神神しい光景《けしき》をみて、愛と恩謝とで身を顫はした。恭敬は衆人の胸中にひれ伏し、謙遜は、其体内で、生の破片《こはれ》の中、扁《ひら》石《いし》の上に身を臥せる。かの旋風の猛威にも抵抗しえた白道の上に、多くの魂が跳上がる、遮二無二推しかける。火に燃えぬ石綿の微塵が真珠の光を放つて、押し合ひ、へし合ひ、夜の色の桁を乗越え、火の涙を飛び、血の黴を泳ぎこしてゆくのが見える。……
車輪は囘転を止めた、五角形に戻つてくる。その稜《かど》稜《かど》は消えてゆく、円になる、だんだん膨れてきた、こんだは球《きう》だ。この光景《けしき》の神神しさは、先のに、をさをさ劣らない。腕は更に筋張つてさし上げられる。上《うは》向《むき》の頭《あたま》はなほ一層屹となつて、無限の顔をぢつと睨み、その大威徳を見つめてゐる。白道の上を復《また》、立籠める魂の塵屑は蟻集して衝天の勢を示し、清浄無垢の「球《きう》」に照る清く澄みわたつた金色を威嚇してゐる。
ここに凡ての手、凡ての頭《あたま》は一斉に動揺する。先鋒に立つ蟻どもは、あの荘厳な球の上に、汚斑《しみ》の如く見え、間もなく其両極を連ねて、多くの魂は一線を引いて了ふ。「球《きう》」は暗くなつた。民衆は其神を克服したのである。
下界には松明がひとつ、びとつ、燈がひとつ、びとつ、消えてゆく。腕も頭も中《なか》空《ぞら》に失せる。唯ひとり敗残の体《からだ》の上を吹過ぎる東の風が当《たう》来《らい》に向つて、生の原子の香を送るばかりだ。
宇宙は真暗である。まだ形も定らずに茫然とした神は火の消えた釣《つり》燭《しよく》台《だい》のやうに、暗闇の「三角」が自然に出来た。
一切の魂は池上に帰つて来た。さうしてそれが粘《ねん》泥《でい》の上に落ちると、原子は基本体を中心にして集中する。東の風は地球を一周し了つて、生の原子の香を籠めて立帰つたからだ。
松明にも燈にも火が点く。頭は上向になる。腕はさし上げられる。無意識の祈が乳色の光となつて、多形の理想を指して上がると、多くの魂は天の白道を登りはじめる。これから後、この上は吊《つり》下《さ》がつてゐる。もう見物人が居ないから、無限は劇場の戸を閉ぢて了ふ――然し冥想して夢むらく、嘗つて「五角」であつた、これから「三角」にならう。
薄暗い「球《きう》」は軸の上に囘転する、漸《だん》漸《だん》膨れて来るやうだ。金《こん》色《じき》の稜《かど》が肌の上に現はれる。無数の蟻はぼうつと明くなつてきた宇宙の上に降りはじめる。球《きう》はぱつと破裂する。その破片《こはれ》が引力によつて中心に吸集されると、ひとつ道がかなた至上高点に巻込まれて消失せる処は、稲魂の光明に包まれた「三角」である。
わるい花
花屋の前を通り過ぎた。威《い》勢《せい》よく反《そり》身《み》になつてゐる花もある、しよんぼりと絶え入つてゐる花もある、その花屋の前を通りすがると、妙に気を揺《そそ》る意地の悪い香がした、胸苦しいほど不思議の香がした。そこでなかへ入つて行つて尋《き》いてみた。
「おかみさん、どうぞ、その花をお呉んなさい、その一つで三つの花、薔薇と鈴《すず》振《ふり》花《はな》と茉《まつ》莉《り》花《くわ》の三つの香がする薫《かをり》の高い意地悪さうな花をさ。その変にほんのりと匂つて来て胸苦しくさせる花をお呉んなさい。
「旦那、もう茉《まつ》莉《り》花《くわ》も、薔薇も鈴振花も、すつかり切らしました。何《なん》ぞほかに新しい花を召しますのなら、どうか名を仰有《おつしや》つて下さいまし、女の胸の上、恋人の床の上に萎《しを》れる花の名はみんな存じてをりますから。
「おかみさん、その一つで三つの花といふのは、新しい花ぢや無いよ。丁度私と同《おない》年《どし》ぐらゐの花だが、暴風《あらし》の晩に萎れて了つたかも知れない。
「旦那、私どもでは、萎れた花なんて置きませんです。宅《うち》の品はみんな新しい若い、愛の充ちた花で、蘆や薄荷の茂《しげみ》の中で、水に浸つて生きてをります。
「おかみさん、私のいふ花が生きてるか、死んでるか知らないが、何しろ今その意地悪の悲しい香がして来てゐる。噫恨めしいその香はどこからして来るんだらう。
「旦那、多分、お痛《いた》はしいお心からでは御座んせんか。暴風《あらし》の晩にたつた一遍かいだばかりで、一生忘られない花の香もありますから。たしか、今暴風の晩と仰有《おつしや》いましたね。
「おかみさん、何《なん》でも花はそこにあるよ。後《ご》生《しやう》だ、取つてお呉れ。その妙に気を揺《そそ》る意地の悪い香が、通りすがりにしたばかりで、ここへ入つて来たんだ。私のいふ愛と恨のその花を取つてお呉れ。
「旦那、それでは御自分で、花の中をお探し遊ばせ。その間《ま》にちよいと私はこの大きな菖蒲を活けてをります。
「おかみさん、そら、あつた、ここにあつた、ひとりぽつちで忍冬《すひかづら》の中に潰《つぶ》れてゐた。たつた、ひとりぽつちでさ、この花は世界に一つしか無いんだ。それ、暴風《あらし》と涙と幸《さいは》ひの香《にほひ》がしないかね。
「旦那、私には砂《すな》地《ぢ》と浜の香しか致しません。それは金雀花《えにしだ》ぢやあ御座いませんか、風で忍《にん》冬《どう》の蔓に絡《から》んだのです。色が褪めて、黄ばんで醜《きたな》いぢや御座いませんか。
「おかみさん、生きてるよ、金いろだよ、美しいよ。まるで清い小さい心の臓だ、蝋の涙だ。蝋と愛と死のこの香がしないのかねえ。
「旦那、何の香も致しません。然し先程、薔薇と鈴振花と茉莉花の香と仰有いましたでは御座いませんか、ひとつ品の良い香のする綺麗な花《はな》環《わ》をお造《つく》り申しませう、庚《かう》申《しん》薔《ば》薇《ら》に葉《は》鶏《げい》頭《とう》でも添《あしら》ひまして。
「おかみさん、私の要るのはこの花ばかりだ。この小さい涙の玉、この黄いろい心の臓だ。何なら、一番立派な葬式《ともらひ》葬式の花環の代を上げてもいい。
「旦那、これは差上げませう、よろしう御座います、この黄《き》いろい心《しん》の臓《ざう》なら、心から悦《よろこ》んで差上げます。
「おかみさん、私も心からお礼を申すよ。
花屋の敷居を跨いで、もう戸の外に出てから、私は振返つて、かう言つた。
「おかみさん、この胸《むな》苦《ぐる》しいほど恨めしい花が、今日丁度にも置いてあつた花屋の前を通りすがつたとは、よほど廻合が悪かつたのだ。おかみさん、今お呉れだつたこの涙と愛と死の小さい心の臓は、実にわるい花だよ。私が聞いてならない事を、この花は聞かせてくれた。おかみさん、この花を持つて帰つて殺してやるんだ、この心の臓を突《つき》通《とほ》してやるんだ。私の愛の思出や、感情の玩具《おもちや》や、古い絵《ゑ》草《ざう》子《し》に挿《はさ》んだ押《おし》花《ばな》や風が忍《にん》冬《どう》の蔓《つる》に隠して置く花なんぞは嫌ひだ。おかみさん、これには段段訳もあるがそれは言へない、また察しても貰ひたくないほど、深い訳がある。これからよく忍多に気を付けてお呉れ、この花屋の前を通るとき、この堪へ難い愛の香がしないやうにして貰ひたい。」
とはいふものの、大事を取つて、今にここの前を避けて通る、愛と若さと死の皮肉な花が、威《い》勢《せい》よく反《そり》身《み》になつたり、しよんぼりと絶入つてゐる家の前を。
ポオル・クロオデル
椰子の樹
われらが故里の国の樹木は、すべて人間のやうに直立してゐて、しかも不動である。其根を土に突込んで、腕を広げたままでゐる。ここはさうでない。霊木榕樹《あかのき》は単独に聳えたつのではなく、多くの糸を吊下げて、地の胸を撫《なで》探《さが》し、宛も自ら築きたつ殿堂のやうだ。しかしこれから椰子の樹のことを語らう。
この樹には枝が無い、幹の頂上に椰子の葉の房を翳してゐる。
椰子の葉は勝利の章、中空高く、梢の敷桁となつて、光明の中に揺《ゆれ》動《うご》きつつ広がり、しかも其自由の重みに項垂れる。極熱の日の、長い真昼時、椰子はあまりの幸福に恍惚として、その葉の簇を開き別けつつ、四方に離れ支《わか》れる処、幼児の頭蓋をさながら大きな青い頭のやうに、椰子の実は列んで載つてゐる。椰子の樹はかうして其心底を示すのである。椰子の下葉は、精一杯に開いて、項《うな》垂《だ》れがちである、中の葉の前後左右、出来得るかぎり、支《わか》れてゐる。梢の葉は高く聳えて、手の置処に困る者の如く、又は降伏を示す人のやうに、ただゆるゆると手真似をしてゐる。幹は硬直の木質で出来上つてゐるのではない、環絞の材である。嫋やかな、丈長草のやうにいつも地の夢のままになつて、すなほに靡く。中天の日に向つて聳える時も、或は瀬の早い泥水の河岸、はたまた海と空との上に、あの度外れて大きな房を傾ける時も。
夜、浜伝ひを帰り来れば、西南の時風にはたかれて進む獅子のやうな印度洋の怒涛が、恐しい泡沫を磯際にぶつけてゐる。小船や動物の骸骨の如く椰子の枝葉が散らばつてゐる水際を歩いて行くと、弓手の方に眼に入るものは、薄暮の天を斜に匍匐する大蜘蛛のやうに、薄暗い空の下、葉の無い森の上を動いて、いかにも清い光に湿つて、水の上に長く影を曳いてゐる太白星である。その時一もとの椰子の樹が、恋慕に悩む者の如く、海と星とに、なだれかかつて、おのが心を空の火に近づけようとしてゐる。われここを去つて、復、帰り来る時、たしかにこの夜を思ひ起すであらう。椰子の樹の長髪が眼に残つてゐる。森の周柱を透いて見える天には、海をふまへた大暴風が、山の如くむくむくと立上つてゐた。足元近くまた大洋の蒼白の色を見た。
噫、錫崙《セイラン》、われ汝を思ふ、汝の木の葉、芒果《マング》の肉の色をした汝の道を裸形にて通ふ、眼《まなこ》優しい汝が民よ、われ病を獲て、涙ぐましく、汝が曇りがちの空の下に肉桂の葉を囓みつつ、揺られゆく時、侍者がわが膝に載せてくれた淡紅の花よ。
アダ・ネグリ
わが生《せい》の奥深く、微かなる声のわれを呼ぶを感ず。
当来の命《いのち》よ、眠れるわれを覚《さま》さむとして来るは汝《なれ》か。
嗚呼、命、新らしき命……わが内臓はとどろきぬ、
岸《が》破《ば》と跳りぬ。そはなれが呻吟《うめき》の声か接吻《くちづけ》か。
なれこそは未知なれ。あるは恐る、悲みに絶望に捧げむと、
わが血もてなれを養ひ、わが心もてなが心を形《かたち》造《づく》るを。
しかすがに此の手を延べて、静かなる慰撫《いたはり》の手《て》振《ぶり》優しく、
命に酔《ゑ》ひしわれは笑ふ、力の夢、美の夢おもひ。
我汝を愛す、我汝を招《まね》ぐ、嗚呼、わが児《こ》、善悪の名によりて。
そは永久《とこしへ》の聖《せい》なる自然、汝《なれ》を此世に呼びたればなり。
是時われ思ふ、大《たい》衆《しゆう》の女《によ》人《にん》を、恐ろしき刻《とき》の近づくままに、
誰もひとしき厳《おごそか》の念《おもひ》、胎《たい》を溢れて心《むね》に満つるを……
女《によ》人《にん》大《たい》衆《しゆう》は其眼に神秘の喜悦あり、戦慄あり。
この神秘ありて、其胎《たい》は肉と心との新らしき生《せい》を迎ふ、
愛の花《はな》瓶《がめ》よ、諸《もろもろ》の男子の上に、諸の冷《つめ》たき学術の上に、
無心の勢《せい》力《りき》万物の種《たね》は、祭壇に捧ぐる如く、汝《なれ》を奉《ほう》ぜむ。
種《たね》は聖《せい》なり。これ凡《すべて》なり、力なり、愛なり、光なり。
胎《たい》こそは讃《ほ》むべきかな、悩《なや》みてこれを養ふ。
あはれ、眼《まなこ》は大《おほ》空《ぞら》の閑《のど》かなる影を映して、
襁褓《むつき》を縫ひ、面《かほ》〓《ぎぬ》を縫ふ白《しろ》妙《たへ》の手によりて、
あはれ、其日待つ当《たう》来《らい》の命《いのち》の呼吸、眼に見えぬ深き処に
ひよめき、うごめく胎《たい》児《じ》の蠢《しゆん》動《どう》によりて、
鮮血《あけ》は泉と迸り、母の全身色を失《う》する
一《いち》期《ご》の悲鳴によりて、最後の苦悩によりて、
薔《ば》薇《ら》色《いろ》の裸《ら》形《ぎやう》の児《こ》――哀いかな――或は悩の床に
又或は死の床に生れ落つる幼児の名によりて告ぐ。
地上の男子よく聞き給へ――何事ぞ互《かたみ》に剣《つるぎ》磨《と》ぎ給ふは――
よく聞き給へ、聞き給へ、人は皆同《どう》胞《はう》なり。
真《まこと》にわれ汝《なんぢ》等《ら》に告ぐ――嗚《を》滸《こ》なりや、忘れやしつる――
われら皆裸《はだか》にて生れ、母の胎《たい》を裂きて生る。
真《まこと》にわれ汝等に告ぐ、哀願の腕《かひな》かくの如く延べたり。
汝等を生まんとして開きたる母の胎《たい》を辱しむる勿れ。
相和《やはら》ぎて楽みて、自他の別《べつ》無き畝《うね》に種《た》子《ね》撒《ま》け
強き女《によ》子《し》等《ら》は揺籃の傍《そば》に歌ひて微笑まむ。
照《てる》日《ひ》の畠《はた》の収穫《とりいれ》に、歓喜《よろこび》の野の麦《むぎ》刈《かり》に、
母なる自然の前に額《ぬかづ》き、平和の感謝捧げなむ。
牧羊神
上田 敏
牧羊神
阜《をか》の上の森陰に直《すぐ》立《だ》ちて
牧《ぼく》羊《やう》の神パアン笙《しやう》を吹く。
昼さがりの日暖かに、風も吹きやみぬ。
天《そら》青し、雲白し、野《の》山《やま》影短き
音《おと》無《なし》の世に、ただ笙の声、
ちよう、りよう、ふりよう、
ひうやりやに、ひやるろ、
あら、よい、ふりよう、るり、
ひよう、ふりよう、
蘆《あし》笛《ぶえ》の管《くだ》の簧《した》、
震《ふる》ひ響きていづる音《ね》に、
神も昔をおもふらむ。
髯《ひげ》そそげたる相《さう》好《がう》は、
翁《おきな》さびたる咲《ゑ》まひがほ、
角《つの》さへみゆる額《ひたひ》髪《がみ》、
髪はららぎて、さばらかに、
風雅の心浮べたる
――耳も山羊《やぎ》、脚《あし》も山羊《やぎ》――
半《はん》獣《じう》の姿ぞなつかしき。
音《ね》の程《ほど》らひの揺《ゆり》曳《びき》に、
憧《あこが》れごこち、夢に入るを
きけば昔の恋がたり、
「細《ほそ》谷《だに》川《かは》」の丸《まる》木《き》橋《ばし》、
ふみかへしては、かへしては、
あの山みるにおもひだす、
わかき心のはやりぎに
森の女《め》神《がみ》のシュリンクス
追ひしその日の雄《を》誥《たけび》を。
岩の峡《はざ》間《ま》の白《しら》樫《かし》の
枝かきわけてラウラ木や
ミュルトスの森すぎゆけば、
木《き》蔦《づた》の蔓《つる》に絡《から》まるる
山《やま》葡萄《ぶだう》こそうるさけれ。
去年《こぞ》の落《おち》栗《ぐり》毬《いが》栗《ぐり》は
蹄《ひづめ》の割《われ》に挟《はさ》まれど、
君を思へば正《しやう》体《たい》無しや、
岩《いは》角《かど》、木《こ》株《かぶ》、細流《せせらぎ》を
踏みしめ、飛びこえ、徒《かち》わたり、
雲の御《み》髪《ぐし》や、白《しろ》妙《たへ》の
肌理《きめ》こまやかの肉《しし》置《おき》の
肩を抱《し》めむと喘《あへ》ぎゆく。
やがてぞ谷は極《きは》まりて。
蔦尾《いちはつ》草《ぐさ》の濃《こ》紫《むらさき》
にほひすみれのしぼ鹿《がの》子《こ》、
春《はる》山《やま》祇《づみ》の来て遊ぶ
泉のもとにつきぬれば
胸もとどろに、かの君を
今こそ終《つひ》に得てしかと
思ふ心のそらだのめ。
浅《あさ》沢《ざは》水《みづ》の中《なか》島《じま》に
仆《たふ》れてつかむ蘆《あし》の根《ね》よ。
あまりに物のはかなさに、
空《むな》手《て》をしめて、よよと泣く
吐《と》息《いき》ためいきとめあへず、
愁ひ嘯くをりしもあれ、
ふしぎや、音《おと》のしみじみと、
うつろ蘆《あし》茎《ぐき》鳴りいでぬ、
蘆《あし》《つつ》響《ひび》き鳴りいでぬ。
さては抱けるこの草は
君の心のやどり草《ぐさ》
恋は草、草は恋。
せめてはこれぞわが物と
笙《しやう》にしつらひ、年《とし》来《ごろ》の
つもる思を口うつし
移して吹けば片岡に
夫《つま》呼《よ》ぶ雉子の雌《めん》鳥《どり》も、
胡桃《くるみ》に耽《ふ》ける友《とも》鳥《どり》も、
原ににれがむ黄《あめ》牛《うし》も、
牧《まき》に嘶《いなな》く黒《くろ》駒《ごま》も、
埒《らち》にむれゐる小《こ》羊《ひつじ》も、
聞《きき》惚《ほ》れ見《み》惚《ほ》れ、あこがれて、
蝉の連《つれ》節《ぶし》のどやかに、
蜥蜴《とかげ》も石《いし》に眠るなる
世は寂寥《さびしら》の真《ま》昼《ひる》時《どき》、
蘆に変りしわが恋と
おのれも、いつか、ひとつなる
うつら心や、のんやほ、のんやほ、
常春藤《いつまでぐさ》のいつまでも
うれし愁《うれへ》にまぎれむと、
けふも日《ひ》影《かげ》の長閑《のどけ》さに、
心をこめて吹き吹けば、
つもる思も口うつし、
ああ蘆の笛、蘆の笙《しやう》の笛。」
日はややに傾きて、遠《とお》里《ざと》に
靄《もや》はたち、中《なか》空《ぞら》の温《ぬく》もりに、
草の香《か》のいや高き片岡、
夢薫《かを》り、現《うつつ》は匂ふ今、
眠《ねむり》眼《め》の牧《ぼく》羊《よう》神《しん》、笙《しやう》を吹きやみぬ。
森陰に音《おと》もなし、
村《むら》雨《さんめ》ははららほろ、
山《やま》梨《なし》の枝にかかれば、
けんけんほろろうつ
雉子の鳴く音《ね》に覚まされて、
磐《いは》床《どこ》いづる牧羊の神パアン、
胸《むな》毛《げ》の露をはらひつつ
延《のび》欠《あくび》して仰ぎ見れば、
有《あり》無《なし》雲《ぐも》の中《なか》空《ぞら》を
ひとり寂しく鸛《こふ》の鳥、
遠《をち》の柴《しば》山《やま》かけて飛ぶ。
かへりみすれば、川《かは》添《ぞひ》の
根《ね》白《じろ》柳《やなぎ》を濡《ぬれ》燕《つばめ》、
掠《かす》め飛び交《か》ふ雨あがり、
今、夕《ゆふ》影《かげ》のしるけきに、
生《いき》のこの世の忙《せは》しさよ、
地《つち》には蟻のいとなみを、
空には蜂の分封《こわかれ》を
つくづく見れば、宿《しゆく》命《めい》の
かたき掟《おきて》ぞいちじるき。
水の面《おもて》に映りたる
おのが姿に恋じにの
玉《ぎよく》玲《れい》瓏《ろう》の水《すゐ》仙《せん》花《くわ》、
花は散りてし葉の上を、
蟻は斜に、ましぐらに
――なに営《いとなみ》のすさびなる――
生《いき》の力に駆られたり、
またある時は糧《かて》運ぶ
いそしき業《わざ》のもなかにも。
蟻《あり》塚《づか》近き砂の上、
二《に》疋《ひき》の蟻の足とめて、
なに語りあふ、たゆたへる
遇《あ》ふさ離《き》るさのみち惑《まどひ》、
虫の世界のまつりごと、
健《けな》気《げ》にも、はた傷《いた》ましや。
空は今何の反《そり》橋《はし》ぞ、
天《あま》馳《はせ》使《つかひ》わたらすか、
東の山に虹かかり、
更に黄《こ》金《がね》の一《いつ》帯《たい》の
霓《あふさ》わたせるけしきにて、
鹿とり靡く弓《ゆみ》雄《をら》が
鳴鏑《かぶら》射《い》放《はな》つ音たてて、
蜂の巣《す》立《だち》の子《こ》別《わかれ》に
父《おや》蜂《ばち》さそふ細《さい》工《く》蜂《ばち》、
七《しち》歩《ほ》ばかりの後《うしろ》より、
やや高く飛ぶ女《ぢよ》王《わう》蜂《ばち》、
たとへば修《しゆ》羅《ら》の巷《ちまた》にて、
乱《らん》飛《ぴ》、乱《らん》廻《くわい》、虎《とら》走《ばしり》、
勇《ゆう》猛《まう》たぐひ無き兵も、
パアンふと脅《おびやか》しぬれば
人《ひと》崩《なだれ》つきて、人《じん》馬《ば》落ちかさなり、
惑《まど》ひ、ふためき走るごと、
大《だい》騒《さう》乱《らん》のわたましや、
生《せい》の力《ちから》の仕《し》業《わざ》なる。
遥に山のあなたには、
人の築きし城のうち、
国富み栄え、民繁き
都はあれど、ものみなは
かたみにつらき犠牲《いけにへ》の
鬮《くじ》のさだめを免《のが》れあへず、
青《あを》人《ひと》草《ぐさ》の細《さい》工《く》蜂《ばち》、
黄泉《よみ》の坂《さか》路《ぢ》のさかしきに、
とはに磐《ばん》石《じやく》押《お》し上ぐる
シシユフォス王《わう》の姿かな。
種《たね》とり蜂《ばち》のふところ手、
夢の浮世のぬめり男《を》の
しやらりしやらりとしたる身も、
子《こ》別《わかれ》過《す》ぎし初《はつ》秋《あき》の
朝《あさ》の命《いのち》を知らざるや、
イクシオオンのたえまなく
車《しや》輪《りん》に廻《めぐ》るあはれさよ
それにひきかへ王《わう》蜂《ばち》の
満ち足らひたる幸《さひはひ》は
こよなき物と見えながら
ウラノスはクロノスに、クロノスは
其子ジウスに滅され、
ジウスの代《よ》さへ危きを
プロメエチウスは知るといふ
流《る》転《てん》の世こそ悲しけれ。
噫勢《せい》力《りき》の強くとも
命《めい》の掟《おきて》になに克たむ。
理《り》を知る心深ければ
悲《かなしみ》さらに深まさる。
慰《なぐさめ》はただこの笙の笛、
牧羊神の笛の音《ね》に、
世の秘《ひめ》事《ごと》ぞかくれたる。
名《な》に負《お》ふパアン吹く笛の音《ね》に、
この天《あめ》地《つち》のものみなは、
挙《こぞ》りて群《む》れゐふくまれて、
身も世も忘れ、処《とこ》、時《とき》の
弁《わい》別《だめ》も無き酔《ゑひ》心《ここ》地《ろ》、
夢見る心地誘《さそ》ふなる
不思議の笙の笛の声、
悠《のび》やかに、朗かに、あんら、緩《ゆる》やかに、
森の泉に来て歎く
谺《こだま》姫《ひめ》さへほほゑませ、
谷《たに》の八《や》十《そ》隈《くま》吹き靡け、
人《ひと》里《ざと》遠く伝はれば、
牧《ぼく》人《じん》〓《つゑ》を擲《なげう》ちて、
羊《ひつじ》踊《をどり》をひとをどり、
生《いき》の悦《よろこび》みちわたる
面《おもて》にしばし夕《ゆふ》づく日、
耀《かがや》ふみれば宿《しゆく》命《めい》の
覊絆《きづな》はいつか解《と》かれたり。
をちこち山《やま》の影長く、
夕《ゆふべ》の空の艶《えん》なるに
なほも笛吹く牧羊神。
雲の湊《みなと》の漁火《いさりび》か、
ちろり、ちろりと、長庚《ゆふづつ》は
朝《あさ》が散らせるよき物を、
羊を、山羊《やぎ》を集むるか、
母の乳《ち》房《ぶさ》に髫髪《うなゐ》児《ご》を
呼びかへすなるひとつ星
ああ二つ星、三つ星と
数《かず》添《そ》ふ空の縹《はなだ》色《いろ》、
深《ふか》まさり行く夕まぐれ、
羊の鈴の音《ね》も絶えて、
いづこの野辺の花《はな》垣《がき》か、
燕の妹、雉子の叔母、
舌を絶《た》たれし弟《おと》姫《ひめ》の
あの容《かほ》鳥《どり》の歌の声《こゑ》、
間《ま》無《な》く繁《しげ》鳴《な》く恨《うらみ》さへ、
和《やわ》らぎたりや、この夕《ゆふべ》。
ここにパアンも今はとて、
さらばの音《ね》取《とり》、末《すゑ》長《なが》く、
「さらば明日《あす》参《まゐ》らう。
うえうちり、たちえろ」
白《しら》樺《かば》木《こ》立《だち》わけ入れば
東の阜《をか》に月はのぼりぬ。
汽車に乗りて
赤松の林をあとに、
麻《あさ》畠《ばたけ》ひだりにみつつ、
汽車はいま堤《つつみ》にかかる。
ほのかなる水のにほひに、
河《かは》淀《よど》の近きは著《し》るし。
三《み》稜《くり》草《ぐさ》生《お》ふる河《か》原《はら》に
葦《よし》切《きり》はけけしと噪《さわ》ぎ、
鵠《くぐひ》こそ夏は来らね、
たまたまに百舌《もず》の速《はや》贄《にへ》
箆《へら》鷺《さぎ》の何をか思ふ
しよんぼりと立てる啜《なはて》に、
紡績の宿にやあらむ、
きり、はたり、はたり、ちやう、ちやう、
筬《をさ》の音《おと》ややにへだたり、
道《だう》祖《そ》神《じん》祭《まつ》るあたりの
鉄道の踏切近く、
縄《なは》帯《おび》の襤褸《つづれ》の衣《ころも》、
勝《かち》色《いろ》は飾磨《かしま》の染《そめ》の
乳《ち》呑《のみ》子《ご》を負《お》へる少女《をとめ》は
浅《あさ》茅《ぢ》生《ふ》の末《す》黒《ぐろ》に立《た》ちて
万《ばん》歳《ざい》と囃《はや》し送りぬ。
万《ばん》歳《ざい》はなれにこそあれ、
幾《いく》年《とせ》を生きよ、里《さと》の子。
人の世に尊きものは
土の香《か》ぞ、国《くに》の御《み》魂《たま》ぞ。
偽《いつはり》の市《まち》に住へば
産《うぶ》土《すな》の神《かみ》に離《さか》りて
養《やしなひ》をかきたる人も、
埴《はに》安《やす》の郷《さと》の土より
生《はえ》ぬきのなれに呼ばれて
本然の命にかへる。
道《みち》芝《しば》の上《うへ》吹《ふ》く風よ、
農《のう》人《にん》の寝《ね》覚《ざめ》に通ふ
微かなる土のおとづれ、
なつかしき母の声《こわ》音《ね》か。
昼さがり草の香《か》高く
松《まつ》脂《やに》のにほひもまじる
地の胸の乳《ち》房《ぶさ》のかをり
蘇《そ》門《も》答《た》剌《ら》の香《かう》も及ばじ。
忽ちに鉄のにほひす。
鳴《なる》神《かみ》の落ちかかるごと、
汽車は今、橋に轟く。
桁《けた》構《がまへ》眼《め》路《ぢ》をかぎりて、
ひとり見る蛇《じや》籠《かご》の礫《こいし》。
ちやるめら
薄《うす》日《び》のかげも衰へて、
風冷《ひや》やかに雲低き
鈍《にび》色《いろ》空《ぞら》のゆふまぐれ、
はづれの辻《つじ》のかたすみに、
ちやるめらの声吹きおこる。
はじめの節《ふし》のゆるやかに
心を誘《さそ》ふ管《くだ》の声、
音《ね》は華《はな》やげるしらべかと
おもへば、あらず、せきあぐる
悲《ひ》哀《あい》の曲の揺《ゆり》曳《びき》に、
みそらかけりて、あの山越えて、
越えてゆかまし夢の里。
よしや、わざくれ、身はうつし世の
栄《はえ》にまぎるるとがめびと、
有《う》為《ゐ》の奥《おく》山《やま》、路《みち》嶮《けは》し。
響《ひびき》はるかに鳴りわたる
おほまが時のうすあかり、
飴《あめ》屋《や》の笛にそぞろげる
子供心もおのづから
家《いへ》路《ぢ》をおもふ二《に》の声に
夢の浮《うき》橋《はし》、あら、なつかしや
恋ひし、なつかし、虹の橋、
いつしいづれの日に架《か》けそめて、
涙の谷の中《なか》空《ぞら》を
雲につらぬるそり橋か。
細き金《かな》具《ぐ》の歌《うた》口《ぐち》に
かなしみあふれ、気も萎《な》えて、
折りまはしたる声のはて、
忽ちくづれ調《てう》かはる
ああ、ちやるめらの末の曲。
「やぶれ菅《すげ》笠《がさ》、しめ緒《を》が切れて
さらにきもせず、すてもせず。」
人に思のなまなかあれば、
夢に現《うつつ》を代《か》へ難き
――えい、なんとせう――あだ心。
踏 絵
真《しん》鍮《ちう》の角《かく》なる版《いた》に
ビルゼンの像あり、
諸《もろもろ》の御《み》弟《で》子《し》之を環《めぐ》る
母にてをとめ、
わが児《こ》のむすめ、
帰《き》命《みやう》頂《ちやう》礼《らい》、サンタ・マリヤ。
これもまた真《しん》鍮《ちう》の版《いた》、
万《ばん》民《みん》にかはりて、
髑髏《されかうべ》の阜《をか》にクルスを
負《お》ふ猶《ゆ》太《だ》の君《きみ》
那撒礼《なざれ》のイエスス
キリストス、神《かみ》の御《み》子《こ》。
不思議なる御《み》名《な》にこそあれ、
イエスス・キリストス、
かみのみこ、よの人のすくひ、
げにいきがみよ。
始《はじめ》なり、終《をはり》なり。
絵《ゑ》踏《ぶみ》せよ、転《ころ》べ、転《ころ》べと
糺《きう》問《もん》ぞ切《せつ》なる。
いでや、この今日《けふ》の試《こころ》みに
克ちおほせなば、
パライソに行き、
挫けたらむには、インヘルノ。
伴《ば》天《て》連《れん》の師の宣《のたま》はく
マルチルの功《いさを》は
大《だい》悪《あく》の七《なな》つのモルタル
科《とが》を贖《あがな》ふ。
プリガトリオを
まつしぐらゆけ、パライソヘ。
大日本朝日の国の
信者たち、努《つと》めよ、
名にし負《お》ふアンチクリストの
カを挫く
義《ぎ》軍《ぐん》の先《さき》駆《がけ》、
上《かか》れ、主《しゆ》の如く磔《はた》刑《もの》に
この標《しるし》世に克つ標《しるし》、
あらたかの標《しるし》ぞ
ありし、ある、あらむ世をかけて
絶えず消えせぬ
命《いのち》の光《ひかり》、
高くに仰げ、サンタ・クルスを。
見よ、かかる殉《じゆん》教《けう》の士《し》を。
天《あま》草《くさ》は農《のう》人《にん》、
五《ご》島《たう》には鯨《いさな》とる子も
ガリレヤ海《かい》の
海人《あま》の習《ならひ》と
悲《かなし》み節《せつ》を守りつぐ。
代《よ》代《よ》に聞く名こそ異《こと》なれ。
神はなほこの世を
知《し》ろす、ただひとりおぼつかな
今の求《く》道《だう》者《しや》、
「識《し》らざる神」の
証《あかし》にと死する勇ありや。
啄 木
婆《ば》羅《ら》門《もん》の作れる小《を》田《だ》を食《は》む鴉《からす》
なく音《ね》の耳に慣《な》れたるか、
おほをそ鳥《とり》の名にし負《お》ふ
いつはり声のだみ声《ごゑ》を
又無き歌とほめたつる
木《づ》兎《く》、梟《ふくろふ》や椋《むく》鳥《どり》の
ともばやしこそ笑《せう》止《し》なれ。
聞かずや春の山ぶみに、
林の奥ゆ、伐《ばつ》木《ぼく》の
丁《たう》丁《たう》として山更に
なほも幽《ゆう》なる山《やま》彦《びこ》を。
こはそも仙《せん》家《か》の斧の音《ね》か、
よし足引の山《やま》姥《うば》が
めぐりめぐれる山めぐり、
輪《りん》廻《ゑ》の業《ごふ》の音づれか。
いなとよ、ただの鳥なれど、
赤《あか》染《ぞめ》色《いろ》のはねぼうし、
黒《くろ》斑《ふ》白《しら》斑《ふ》の綾《あや》模《も》様《やう》
紅《こう》梅《ばい》、朽《くち》葉《ば》の色ゆりて
なに思ふらむ啄木《きつつき》の
つくづくわたる歌の枝。
げに虚《うつろ》なる朽《きう》木《ぼく》の
幹にひそめるけら虫は
風雅の森のそこなひぞ、
鉤《か》けて食ひね、てらつつき、
また人の世の道なかば
闇《やみ》路《ぢ》の林ゆきまよふ
悩の人を導きて
観《くわん》楽《らく》山《ざん》にしるべせよ。
ああ、あこがれのその歌よ、
そぞろぎわたり、胸に沁み
さもこそ似たれ、陸奥《みちのく》の、
卒《そ》都《と》の浜辺の呼《よぶ》子《こ》鳥《どり》、
なくなる声のうとう、やすかた。
さかほがひ
阿《あ》古《こ》屋《や》の珠を
溶《と》きたる酒は
のこさで酌まむ。
ほせよさかづき
ほせよ、ほせよ、觴《さかづき》。
のめや、うたへや、
うたへや、のめや。
あゝ、おもしろ
あゝ、おもしろの
さかほがひ。
薫《かをり》はたかき
さゆりの花は
かざしにささむ。
たをれ、かざしに、
たをれ、たをれ、挿頭《かざし》に
のめやうたへや、
うたへや、のめや。
あゝ、おもしろ、
あゝ、おもしろの、
さかほがひ。
色さへ香《か》さへ
妙《たへ》なるひとを
あかずもこよひ
みるが楽しさ、
みるが、みるが楽しさ。
のめや、うたへや、
うたへや、のめや。
あゝ、おもしろ。
あゝ、おもしろの
さかほがひ。
まちむすめ
かなしき契となりてけり
さめてうれたき夢のあと
きはみて落つるいてふ葉の
あしたの霜のうづむごと
ああわが恋はきゆべしや
月はしづみてほしかげの
きらめくよひの浴《ゆ》帰りに
霜夜の下駄のおとかぞへ
別れしひとのおもかげを
おもひきたればときの鐘
鐘にうらみはむかしより
こひするひとの情なれど
かねをうらむも世の中に
ひとめの関のあればなり
げにつれなきは義理の道
さはいへ空の高みくら
此世の末のさばきにて
善悪さだめたまふとき
をとこをんなが一生の
切なる恋はいづれぞや
恋よなさけよひとの世に
かばかり猛きものあらず
かばかり続くものあらず
静はのこる星月夜
鎌倉山は春のくさ
心はみづの姿なき
涸れ乾きたる物識よ
われも学びの宮に入り
その高欄のゑをあふぎ
其きざはしの花をつみ
昔のうたの意をひろひ
いまはた絶えぬ芸術の
光をめには見たれども
恋はくせ者いつのまに
情けの征矢を放ちけむ
別れのうさは物がたり
こひのくるしき楽みは
歌の言葉のあやとこそ
思ひしわれもこの秋の
傾くなべにかつしりぬ
学びは荒みたならしの
琴の声さへものうきに
いかでやきかむ諌め言
親しきひとよわが友よ
黒髪のちから誰かしる
すこしちぢれし前髪に
くしさへすてしやさ姿
巴里の都のかきつばた
ぐりぜつとをぞ忍ばるる
あだといきとのまち娘
かたこそちがへ盃の
色こそ変れうま酒の
西と東とへだたれど
人の心にけぢめなし
とは吾今ぞ明らめし
夕日かぐろひ西雲は
なまりの如く紅葉の
色あせ黒む別れには
えがたき家の宝をぞ
毀ち破りし心地せる
楽しきひびの戯れに
惜しき機《おり》をや失ひし
悲しき今の別れにて
かくまで深き思かと
暁ればのぞむ恋の淵
夢にも似たる命よと
僧も詩人もかこち顔
吾果いはむ波の穂の
花にうまれし神の道
墓無き夢の夢なりと
大路のそらの電線に
夕闇おちてはた暗き
逢魔がときの蝙蝠の
軒を掠めて狂ふなる
苦しき恋もするものか
蓮葉しづみふゆ波の
龍紋小紋織りみだず
池の水とり夜を寒み
寝れぬままに妻鳥の
翅の温みを慕ふごと
われはなんぢを慕ふなり
みだれいてふの町むすめ
かへれかなしきわが恋よ
あひびき橋のらんかんに
月をあかしの夜をしらば
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、時代的背景と作品の価値とにかんがみ、そのままとしました。
(角川書店編集部)
海《かい》潮《ちよう》音《おん》・牧《ぼく》羊《よう》神《しん》
上《うえ》田《だ》敏《びん》
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平成13年2月9日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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角川文庫『海潮音・牧羊神』昭和27年1月30日初版刊行
昭和39年7月10日19版発行