蓬莱学園の初恋!
新城十馬
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)弁天《べんてん》女子|寮《りょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから目次]
-------------------------------------------------------
[#ここから目次]
目 次
第一章 朝比奈純一《あさひなじゅんいち》、自分の運命を目撃《もくげき》する
第二章 『あの娘《こ》』と授業と路面電車
第三章 反省房《はんせいぼう》発・学園最悪の特急便
第四章 「弁天《べんてん》女子|寮《りょう》」で、深夜(その1)
第五章 「弁天《べんてん》女子|寮《りょう》」で、深夜(その2)
第六章 塔のてっぺんにて
短時間になされた重要な会話と決心
第七章 「みんな、ぼくの話をきいてくれ!!……」
エピローグ
あとがき
[#地付き]口絵・本文イラスト 中村博文
[#地付き]マップ製作 竜胆丈二
[#ここまでで目次終わり]
[#改ページ]
「蓬莱学園《ほうらいがくえん》―――世界でも有数の巨大高等学校。住所は東京都台東区|宇津帆島《うつほじま》。ただし、場所は北緯《ほくい》二十度五十分・東経《とうけい》百四十度三十一分(東京の真南二千五百q)である。生徒数は約一〇万人、一学年六〇クラス。通称
『世界一危険な学園』。同学園は日本全国、さらには世界各地から集まったユニークな生徒たちによる、奇想天外な冒険譚《ぼうけんたん》で知られ……」
「初恋《はつこい》―――学園生徒が突発的にいだく感情。潜伏《せんぷく》期間は1秒〜1時間。発熱・手の震《ふる》え・授業放棄・学園敷地内|放浪《ほうろう》をともなう。治療《ちりょう》法は恋の成就《じょうじゅ》、もしくは完璧《かんペき》な失恋のどちらか。ただし成就することはめったにない。……↓『追っかけ』『授業放棄』『朝比奈純一《あさひなじゅんいち》』の項《こう》を参照」
[#地付き]―――蓬莱学園式典実行委員会発行
[#地付き]「宇津帆島全誌《うつほじまぜんし》」より抜粋《ばっすい》
[#改ページ]
第一章 朝比奈純一《あさひなじゅんいち》、自分の運命を目撃《もくげき》する
高度は五〇〇メートル。
南国の青い空に、黄色い悲鳴《ひめい》がひびきわたった。ほんの一瞬《いっしゅん》おくれて、今度は高校生がひとり降ってきた。
もっとくわしくいうと、美人の女子高校生だ。長い黒髪、白い肌《はだ》、緑のブレザー、チェックのスカート。上着の胸にはきれいな紋章《もんしょう》。
眼下にひろがる大海原《おおうなばら》、ぽつりとうかぶ島影ひとつ……その小さな美しい島にそびえる巨大高等学校・『蓬莱《ほうらい》学園』の校章である。
大自然の法則は残念ながら、美醜《びしゅう》を考慮してくれない。美女だろうがなんだろうが、東京タワー一個半の高さから落ちれば即死だ。
パラシュートは? 持っていない。
命綱《いのちづな》? 見あたらない。
個人用ロケット? まさか!
飛びおり自殺? にしては、そんなに高いビルディングなぞあるわけが……いや、代わりのものがある。飛行船だ。
銀にかがやく空の鯨《くじら》、ふっくらとしたツェッペリン飛行船が悠々《ゆうゆう》と大空をゆくではないか。彼女はあすこから飛び降りたのだ。
それとも落とされたのか? いかなる不幸が彼女の身にふりかかったのだろう。金か、恨《うら》みか、陰謀《いんぼう》か、はたまた邪教《じゃきょう》の生けにえか。死の跳躍《ちょうやく》をもたらしたのは誰の手か。
今や学園は目の前だ。もう駄目だ、こいつは駄目だ、地面は本当にすぐそこだ。美女は恐怖《きょうふ》に顔をゆがめ、歯をくいしばり、とうとう覚悟を決めて………
という事態には、なっていない。女生徒の顔には恐怖も絶望もない。どころか、悠然とほほえんでいる。
これは何だ、どうしたことだ。さっきの悲鳴《ひめい》は何だったのか。
悲鳴は地上からきこえたのだ。そしてそれは、喝采《かっさい》にとってかわった。地面を埋め尽くす生徒、生徒、生徒。みんな、歓声をあげて、落ちて来る彼女をみあげているではないか。
一巻の終わり、という寸前、彼女の制服が手品よろしくパラリと割れた。下から鮮やかなオレンジのハイレグ水着が登場だ。わきの下に七色の翼《つばさ》が広がる。速度がおちた。
落ち行く先には巨大な樽《たる》が待ちかまえる。たてよこ深さが十メートル、水が満杯にはっている。悲鳴と喝采の大合唱。
着水!
「成功だあ!」
ひと呼吸のち、彼女が水面に浮かびあがって手をふれば、どっと拍手が沸《わ》き起こる。その上で、なんとも大きな横断幕《おうだんまく》が、へんぽんとはためいていた。
書いてあるのは……
『学園曲芸部は君を求む!! 新入生クラブ勧誘《かんゆう》週間アトラクション・ショー〜〜』
クラブ勧誘……その一言で、蓬莱《ほうらい》学園は壮大な乱痴気騒《らんちきさわ》ぎに突入する。
そして学園の敷地という敷地には、三種類の生徒しか存在しなくなるのだ。つまり、歓迎する生徒、される新入生、する生徒から逃げ回る新入生だ。
一四〇以上のクラブと、いくつあるのか誰も知らない同好会が、いっせいに勧誘をはじめる。騒ぎは、ひとりの生徒も例外なく巻き込んでしまう。本当にただの一人も、見のがさないのだ。
そして、走りまわる彼らの間を埋めつくしているのが、蓬莱学園の魂《たましい》……すなわちクラブの備品である。
無数の横断幕が、蜘蛛《くも》の巣《す》のようにめぐらされている。所せましと並んでいるのは屋台と出店だ。
ハリボテの巨大美人、応援団の大太鼓《おおだいこ》、金メッキの戦車、たいまつ、めぐらされたロープに万国旗、四輪駆動車、路面電車、花火に爆竹《ばくちく》、獅子舞《ししまい》に竜《りゅう》と、何でもござれ。
上空は、複葉機《ふくようき》から最新ジェット機まで、何十何百という飛行機が飛びかう。なかには「飛んでいる」とは言えないような、あやしげな機械もある。
けばけばしい風船が一斉にはなたれ、真っ白な鳩の群れが青い空を漂白し、チラシと紙吹雪はあたりかまわず弾《はじ》け散る。
亜熱帯、クラブ勧誘、一〇万人。これでお祭りにならないはずがない。
「さあキミ、ちょっと寄っていかんか」
「見てくだけでいいから、ねっ、ねっ!」
「ここよ、あなたの青春はぜんぶここにあるのよ!」
「入って! おねがいだから入ってちょうだい!」
「うちに入らないというなら、まずこの俺を倒していけ!」
さて……。
そんな十万人のただ中に、ひとつの予感を胸に秘め、一人の新入生が立っている。
〈何かが、おこる〉
朝比奈純一《あさひなじゅんいち》、それがこの生徒の名前だ。いまはまだ無名の一年生、しかし彼の予感が本物なら、いずれ学園全土に知れわたろう。
〈何かが、おころうとしている〉
不思議な予感……今のアトラクションを見るうちに、いや、この島に一歩足をふみ入れた時から、それは彼のうちでふくらみはじめていた。
「どうだいお客さん……じゃなかった新入生の君!」
と、そこへいきなり声をかけてきたのは、ハチマキにハンテン、手にはメガホン。一目で呼び込み係とわかる、満面に笑みをうかべた安っぽそうな青年である。
「今のが曲芸部部長の演技さ、感動しただろう!? 君もあんな離れ技ができるようになりたいと思わんか、んんん?」
語り口調《くちょう》も、なんとも安っぽい。この手の連中は信用がおけない。
「いやその、そんなことは……」
しかし大混雑《だいこんざつ》のさなか、声は相手にとどかなかった。返事が聞こえないのをイエスの返事と早合点《はやがてん》したらしく、
「そうだろそうだろ、そうこなくっちゃいけないや! どうだい、これからくわしい説明会があるんだ、ちょっとよっていかないか? なぁに大丈夫《だいじょうぶ》、君ならほんの一週間も練習すりゃァ、あのくらい楽々こなせるようになるぜ。俺《おれ》が保障する。さあどうだい、さあさあさあさあ!」
なんとも強引《ごういん》な勧誘だ。このままでは朝比奈純一、あわれ曲芸部に連れさられ、末はロープかブランコか……なんてことになりかねない。
「ざ、残念だけど、もう別のクラブに入っちゃったんで」三十六計逃げるにしかず、純一は素早く、断わる口実をひねりだした。
「どこに?」
「えーとえーと、株式《かぶしき》研究会」
ちらりと手元の入学案内パンフレットを盗み見て、最初に目についたクラブの名前をいった。
ところが。
「ははあ、それはちょうどよかった」呼び込み青年は、にんまり笑った。「俺もじつは株式研《かぶしきけん》なんだ。これ一本やりで、もう2年間」
「………じゃ、なんで曲芸部の勧誘《かんゆう》をしてるんです?」
「バイトだよ、決まってんだろ」と青年。くるり、と背中を見せた。『公認勧誘/請負《うけおい》いたします/文科系クラブ連盟《れんめい》』とある。
「割がいいんだよ、クラブ勧誘ってのは。かきいれ時だな、言ってみりゃ」
彼は、調子よくまくしたてた。
「巨大高校・蓬莱《ほうらい》学園、その実体は課外活動、ってわけさ。どこのクラブも団体も、予算獲得で目の色変えてる御時世《ごじせい》だ。人が多けりゃでっかくなれる、でっかくなりゃあ予算もとれる。うちのクラブは株式で独立採算だから、まだ大人しいもんだけど」
「で、ヒマのあいだに他のクラブの手伝いをしてるんですか」
「バイトだよ、歩合給《ぶあいきゅう》。それが蓬莱学園なんだよ、新入生くん」
青年は片目をつぶってみせて、
「才能があれば何でもできる、才能のない奴ぁ金をつかう。腕っぷしで名を売る者もいる。コネがあるなら、また結構。さもなきゃ気の合う仲間とつるむ。
十万人だ、どんな奴だっているぜ! 事件屋・ブン屋・私立探偵《しりつたんてい》、バクチに役者に用心棒、ハッカー、船乗り、剣士に株屋とくらぁ! 君のお得意は何だい、ええ?」
呼び込み青年はぐるりと彼のまわりをめぐり、頭から足先までを値踏《ねぶ》みした。さすがに株屋、その眼光はいかにも鋭い。
さて、問題の純一はどのような人物か。
高一にしては小柄《こがら》な体格だ。はっきりいえばチビである。きゃしゃな体は、まちがっても体育系クラブ向きではない。
といって、勉強ができそうなタイプでもない。芸術家の繊細《せんさい》な指先も持っていない。金がないのは、雰囲気《ふんいき》からわかる。もちろんコネもないだろう。
顔に愛敬《あいきょう》がないわけじゃないが、女生徒の関心を集めるには、まだまだ足りない。かろうじて見所があるのは、意志が強そうな目の輝きぐらいか。
……とまあ、このくらいは本人も承知している。だから、こう尋ねた。
「金も才能も何にもない生徒はどうすりゃいいんです?」
「そりゃあまあ……」青年はしばらく頭をかいて、「根性《こんじょう》でごまかすしかないな」
青年も、そして純一本人も、芽生《めぱ》え始めた予感を勘定に入れていなかった。そいつがこれから、何をしでかすのかも。
「ま、その話はまた今度、今日のところはひとまず俺と……」
青年が無理矢理つれていこうとした、その瞬間《しゅんかん》、
「そこ! 勝手に列を離れないように!」鋭い声がとんだ。「そこの……おまえ!」
声の主は女性だった。
短い金髪、切れ長の目には青い瞳《ひとみ》。理知的をとおりこして、冷たい理性がにじみでる。
容姿《ようし》からして欧州の出だが、それにしては流暢《りゅうちょう》な日本語だった。この学園に長いのか、それとも語学の才があるのか。
すらりと細くて、背が高い。ちょっと痩《や》せすぎのところが、玉に傷。まるで、毛先を短く刈ったモップのようだ。
雑踏《ざっとう》をかきわけて純一たちに近づいてくる彼女、およそ豊満とは言いがたい胸元には、
『ベアトリス・香沼(Beatrice Kanuma)』
の名札があった。
腕には『蓬莱《ほうらい》学園公安委員/新入生案内/癸酉《みずののととり》組担当』の腕章《わんしょう》付き。
(どういうネーミングの委員会なんだい、いったい)
純一は鼻白《はなじろ》んだ。活動内容を想像するに、あまり楽しい雰囲気《ふんいき》じゃなさそうだが……。
ベアトリス嬢は純一たちの前に立つと、冷たくいった。
「さっきから捜《さが》していたのだ。一年生はこれからまっすぐ学生|寮《りょう》へむかう。ただちに列にもどりなさい。以後、勝手な行動は慎《つつし》むように。それから、過度の勧誘《かんゆう》行為は処罰《しょばつ》の対象になるぞ」最後の一言は、わきの青年に向けられていた。
「へいへい」呼び込み青年はすんなり引き下がった。「『悪運《バッドラック》ベッキィ』殿にかかわっちゃあ、たまらねえや」
「何か言ったか?」ベアトリスの眼光は、耳におとらず鋭い。男言葉が不思議に似合っていた。
「いえいえ、なんにも」
「『悪運《バッドラック》ベッキィ』って?」状況《じょうきょう》をつかみきれない純一が、ぽろりと口にしてしまった。
青年は思わず首をすくめ、悪運《バッドラック》ベッキィ……もとい、ベアトリス・香沼委員は新入生をにらみつける。
「言っておくが」と目を細め、頬《ほお》を紅潮《こうちょう》させて、
「私はおまえから慣《な》れ慣れしく呼びかけられるたぐいの人間ではないし、そんな人間になりたいとも思わない。ましてそれが、私のあずかり知らぬところで呼び慣わされている低俗な通称《つうしょう》なら、なおのことだ。仮に再び、そういった不愉快《ふゆかい》な態度にでるのなら……」
「のなら?」
「本土から二五〇〇q離れたこの学園の敷地内で、わが公安委員会に許可されている職務権限の大半を、おまえは肉体的かつ心理的に学習することになる」
ベアトリスの視界からはずれたところで、呼び込み青年が純一に手真似《てまね》をしてみせた。
首を手で締《し》めあげ、指で喉《のど》をかき切る真似をし、耳を左右の親指で押すと両目をぐるぐる回し、鞭打《むちう》たれる仕草をして、最後には電気ショックでしびれるジェスチャーのおまけつき。
「ははあ」ようするに公安委員会とは、そういうことをするトコロらしい。
「何だ?」
冷静さを取り戻《もど》したベアトリスが振り返るのと同時に、青年は仕草をやめた。間一髪《かんいっぱつ》セーフ。
「ま、ま、ここはひとつ穏便《おんびん》に。んじゃ、そういうわけで」呼び込み氏は純一に手を振って、すたこら雑踏《ざっとう》にまぎれて消えた。
「そのうち部室で会おうぜ。理科系クラブ会館だ。じゃあな」
「……さて、アサヒナ・ジュンイチ、一年|癸酉組《みずのととりぐみ》、92−875198番」金髪の公安委員は手元の書類の束をめくり、赤ペンでチェックをいれた。
「…………」
「呼ばれたら返事をするように」
「はいはい」
「一度でいい」すっかり冷たい態度だ。「勝手に列を離れると他の皆が迷惑《めいわく》する。離陸時問も遅れている。こちらへ」
ぐい、と純一の腕を引く。ずいぶんと強引《ごういん》だ。言葉づかいといい、態度といい、どうもこの手の人種とは波長が合わない。
「離陸って?」
「あれだ」
人混《ご》みをこえて指さした先には、ツェッペリン型飛行船が一|隻《せき》、でんと横たわっていた。ま白い腹には大きく、
『新入生、大歓迎〜〜この島に来たるすべての若人《わこうど》よ、素晴《すば》らしき高校生活を期待せよ!〜〜』
船内に押し込まれ、座席に座るが早いか、飛行船は音もなく地面から離れていた。信じられないくらい静かでスムーズだった。
「……ようこそ蓬莱《ほうらい》学園へ、新入生の皆さん……」
船内放送が天井《てんじょう》のスピーカーから流れだした。
「ようこそ、日本でいちばんドラマチックな高校へ。本日、学園案内のしめくくりとして、ただ今から空中|遊覧《ゆうらん》説明会をおこないます。主催は式典実行委員会新入生徒歓迎局、協賛は飛行委員会・公安委員会・クラス代表会議・…………」
つづいてベアトリス嬢がマイクを握《にぎ》り、自己紹介をする。
「私が今日から一週間、あなたたちの案内および監査《かんさ》を担当する。
おそらくあなたたちのうち数十名は、これから七日間のうちに何か不必要な悶着《もんちゃく》をおこし―――迷子になったり、クラブの先輩に無理難題《むりなんだい》をおしつけられたり、路面電車に轢《ひ》かれそうになったり、昼ご飯を食べそこなったり、財布《さいふ》を落としたり、教室がわからなくなったり、裸人倶楽部《らじんくらぶ》に勧誘《かんゆう》されたり、授業代返|詐欺《さぎ》にひっかかったりして―――私に事後処理のお鉢《はち》がまわってくるだろうことは過去の統計からも充分に予想される。
人生に避けがたい悲劇があるとしたら、これはその中でも最も頑固《がんこ》なものの一つだ。私はすでにあきらめている。したがって、あなたたちも、問題をまったくおこさないなどという楽天的な発想は捨てて、できるだけ平穏《へいおん》な問題群を早めにおこし、小規模な段階で私に連絡《へんらく》するように」
彼女の言葉は、今の今まで明るい青春の希望に燃え上がっていた新入生たちの心へ、暗くて重たい影をおとすのに充分だった。
しかしただ一人、くじけていない者がいる。言わずと知れた、われらが朝比奈君だ。別に、強固な意志があるわけでも、明るい生活信条にしがみついているわけでもない。単に、聞いていなかっただけだ。
そして、さっきから自分の中で動き始めた予感……小さくて刺《とげ》だらけの何かをかすかに感じているだけだ。
〈何かが、起こる〉
だが、何が?
「……さて、諸君はこれから鈴奈森《すずなもり》・中央校舎・幽霊塔《ゆうれいとう》・墨川《すみかわ》上空をできるだけおとなしく回遊し、可及的《かきゅうてき》速《すみ》やかに学生寮―――男子は恵比寿《えびす》寮、女子は弁天《べんてん》寮―――に到着した後、なるべく無駄口《むだぐち》をたたかずに個室に入ることとなる。授業日程などは後から指示がある。下界の馬鹿|騒《さわ》ぎからは可能な限り目をそらして……」
ところがどっこい、船内も『馬鹿騒ぎ』の例外ではなかった。
「全員、突撃っ!」
「おうっ!」
奇声《きせい》があがったとたん、『勧誘《かんゆう》至上!』『課外活動万歳!』『造反有理』などの鉢巻《はちまき》もあざやかに、船尾の待合室から在校生が文字どおりあふれ出てきた! あわれ船内は、あっというまに在校生で一杯となる。
「なんの騒ぎだ!」
ベアトリス嬢がどなった。ということは、まったくのハプニングらしい。
「船長、話がちがうではないか! 寮に着くまでは……」
「いやあ、そうはいってもね、人手不足の昨今、どこのクラブもキレイ事だけじゃやってられんから」
「そんな無茶な……責任者を呼びなさい! 飛行委員長は何をしている!」
「まあまあ、落ちついて落ちついて」
船をあやつる飛行委員の答えにベアトリスが頭をかきむしっている間にも、事態はおそるべき勢いで進行していた。勧誘員と新入生、あたかもヘビとカエルのごとし。飛行船は、悲鳴とチラシの一大|交歓場《こうかんじょう》と化している。
純一の目の前にも、異様な迫力をもった集団が押しよせてきた。
「よぉ兄さん、空手部むきの体つきじゃないか、ここはポンと気前よく、うちの部に」
純一は、お世辞《せじ》にも筋肉質とはいえない腕をふって、丁重《ていちょう》におことわりした。と、息つく間もなく、
「いやいや、アンタは茶道部のほうがにあってるよ。ささ、何も言わずにここんとこヘサインを」
「なにをおっしゃる、この若旦那《わかだんな》は『古典からくり研』に来たいと、さっきからいってるじゃないか。なあ、そうだろう?」
「応援団! 男子たるもの、応援団に入らんで高校三年間をどう過ごすというのだ!」と、どなりちらす本人は、どう見ても三年以上、ご厄介《やっかい》になっているような風体《ふうてい》だ。
「えー、マン研、マン研、マンガ研究会をよろしくー」
「性と愛の科学研よね、そうよね、ボウヤ?」
「本日限り、本日限りとなっております、どちらさまもお取り逃しのないよう……」
はてさて、これがさっきから感じていた何かだろうか?
(違う!〉
熱気はある.ひしひしと感じる。だがしかし。
(これじゃない!)
何か、もっと熱くて、もっと大きなものだ。純一の心の奥底に横たわる、小さくて刺《とげ》だらけの何かが、くすぶり続けているのだ。
ひとつだけ、これだけは間違《まちが》いない。
彼の人生にとって、とてつもなく重要な事件が、もうすぐおきようとしている。
だが、いったい何が?
「不思議な運勢をせおってるねぇ、あなた」
「えっ?……」
後ろから急に声をかけられた。びっくりしてふりむいた純一の目の前に、ぬっと現れたのは、不気味なフードをかむった女生徒である。
「そうとも、じつに不思議な運勢さ。水晶玉が教えてくれたよ。世界で一番おかしなこの学園ですら、ちょいとお目にかかれないくらいの不思議さだね」
一見ふつうの女子高生……しかし雰囲気《ふんいき》はまるで老婆のようだ。学年はおろか、いったい何歳なのかもわからない。
小さくて刺だらけの何かが、そんな彼女の言葉にぴくりと動いた。
「誰かが、近くにいるよ」
占《うらな》い師の扮装《ふんそう》をした彼女は、ささやいた。
不思議なことに、まわりの騒ぎが遠のいたようだった。女占い篩のかすれた声だけが、とうとうと響いた。
「すぐ近くに、あなたのこれからを全部変えてしまう人間がいるのさ。その人の影に導かれて、あなたはずいぶんといろんな目に遭《あ》うね。……深いところ、暗いところ、狭《せま》いところ、汚いところ、明るいところ。おお、いろんなところにあなたは行くのさ。そして最後には、四方を大勢の敵に囲まれた、世にも恐ろしい場所にたどり着くんだ。
その、ただひとりの人のために」
純一は、あらためて目の前の女性を見た。
もしかしてこれも、手の込んだクラブ勧誘《かんゆう》のひとつなんだろうか?
「勧誘じゃあないよ」
彼の表情を読んだのか、女|占《うらな》い師は静かにいった。
「最初はそのつもりだったけどね。これだけ面白いものを見せてもらったら、損得ぬきで話してみたくもなるさ」
「誰がいるって? どこに?」
純一も、いつのまにやら小声になった。
「これを」彼女は、なにかをそっと取り出した。「覗《のぞ》いてごらんよ」
それは古びた双眼鏡《そうがんきょう》だった。
「これで?」
「外を」
「外?」
「窓の外をさ。かまえて、下を見るんだよ」
純一は双眼鏡をかまえ、下を見た。
そして、それが起こった。
自分の人生が変わる瞬問《しゅんかん》は、めったにあるものではない。
ましてや、その瞬間に「ああ、今がそうなのだ!」と理解できるような人間は、ほとんどいない。
朝比奈純一は、そんな幸福な人種のひとりだった。
下を見た瞬間、彼をとりまく世界がぐるりと回転し、まばたきの間に姿を変え、よろめき、向きを変えて流れ始めた。
ひとりの少女がそこにいた。
(…………!)
少女がそこにいた。
他のものは、なに一つ目に入ってこなかった。群衆もチラシも風船も、走り回る路面電車の群れも、色彩を失ってどこかに消えてしまった。
騒音は静寂《せいじゃく》のなかに溶《と》けていった。全世界が舞台の裏にしりぞいた。
そして彼女の愛らしい姿だけが、彼の中に流れ込んでくる。
何をしている風でもない、少女は木陰に立ってどこかをぼんやり眺《なが》めている。たったひとり、このお祭騒ぎの中で、叫びもせず、走りもせず、動かなかった。
彼女のまわりが、ほのかに明るくかがやいていた。誰かがひそかに手びきをして、スポットライトをあてているようだ。
たぶんそれは、陽《ひ》の光がどこかのクラブの展示物に反射した、何でもない偶然《ぐうぜん》だったのだろう。
だが純一にとっては、偶然ではなかった。
それは啓示《けいじ》だった。
少女の姿が、くっきりとうかびあがっている。これだけ距離があるのに、すべてがはっきりと見えて来る。
肩にとどく髪のやわらかさ、両の瞳《ひとみ》の愛らしさ、鼻すじ、くちびる、白いブラウスに細い腕……なにもかもが一度に、純一の心臓を直撃する。ただ見ているだけで、幸せな気持ちになる。
それはなんと不思議な力だろう。なんと甘い胸の痛みだろう。
(これだ)
予感は正しかった。
奇跡《きせき》、魔法、宿命の女《ひと》、理想の女性像、万に一つの有り得ない出来事。呼び方なんぞはどうでもいい。大した違いはありはしない。
彼にはわかっている、それで充分だ。
(あの娘が!)
そのとき。
彼女が顔をあげて純一を見た。
ありえないことだが本当だった。まっすぐに、ふたりの視線が重なり合ったのだ。
向こうから、こちらが見えるはずがない。双眼鏡《そうがんきょう》を持つ純一の手が震《ふる》えた。距離は三〇〇、いや五〇〇メートルはある。絶対だ。
見えるわけがない!
それから、もっとありえないことが起こった。
彼女がこちらを見て……そして、ほほえんだのだ。ちょっとかなしそうに、小首をかしげて。
その薔薇色《ばらいろ》のくちびる!
純一の奥深くに眠る、小さくて刺だらけの何かに、たしかにその時、火がついた。
「朝比奈! 落ちる気か!」
ぐい、と制服のエリをつかまれた。いつのまにか、純一は窓から半身をのり出していたのだ。あやうく墜落《ついらく》の一歩手前である。
衿《えり》をひかれて、双眼鏡の視界がぐらりと揺れた。少女の姿がはげしくぶれた。雑踏の中へ、彼女の姿が消えそうになる。
「おとなしく座れというのに!」ひっぱるのは誰あろう、ベアトリス・香沼である。「列から勝手に離れるだけではあきたらず、今度は飛び降り自殺までしなくちゃ気がすまんのか、おまえは!」
「離せ!」総生徒数一〇万人……我にかえった純一の顔から、血の気がひいた。もしここで、あの娘を見失ってしまったら!
「離せってば!」純一は無我夢中《むがむちゅう》、窓の枠《わく》にしがみついた。「離せ、降ろせ、引き返せ!」
「落ち着け、新入生!」
(畜生、なんとかしないと!)
彼の中の、何かがうごめいた。一瞬のひらめき。
「今すぐ離せ、悪運《バッドラック》ベッキィ!」
この言葉は効いた。
「私をそのように呼んで……!」タダではおかない、と叫ぼうとした彼女の、腕の力が少しだけゆるんだ。今だ!
上着を振り捨てて純一、窓にとびついた。
「馬鹿者!」ベッキィの悲鳴。
足元の感触《かんしょく》が急に柔らかくなった。いやいや、『柔らかい』なんてものじゃない。足の下に何もなくなったのだ。
朝比奈純一は、開いた窓から大きく一歩、空に踏み出していた!
「きゃああああああああ!」
彼の名誉のために記しておこう、これは彼のあげた悲鳴ではない。近くにいた女生徒のものだ。
本人は自分のおかれた状況《じょうきょう》をまるで理解せず、双眼鏡をかまえたまま、腕を前に伸ばし、ばたばたと振り回していたのだ。届《とど》くはずのない腕が、彼の視界の中で、彼女の姿をつかまえようともがき続ける。
「行かないでくれ! たのむ!」
「朝比奈、朝比奈、目を覚ませ!」
「離せってば!」
「新入生が落ちるぞ!」勧誘員《かんゆういん》たちも気がついた。いっせいに叫ぶ、「もったいない!」
「わが援団にまかせろ!」
「ひっぱれ、せっかくの一年生!」
「助けた者勝ちだ! つかまえたクラブの新入部員にしろ!」
と、最後のかけ声がとんだとたん、どっとばかりに救いの手が殺到《さっとう》した。
「きゃああ!」
「わああっ」
「押すな!」
「押せ! もっと押せ!」
「行かないでくれ!」
「あっ!」
「あっ!」
「わっ!」
三十人の足が、同時に青い空へ踏《ふ》み出した!
……風をきり、ぐんぐんと地上へ落ちていく途中《とちゅう》、純一は、目の前でベアトリスの唇《くちびる》が動くのが読めた……。
『ドウセ、コンナコトニナルト、ワカッテイタノダ』
着水!
「おおっ、また成功だあ!」
ようやく散りかけていた観客たちは、時ならぬ第二弾に惜しみない拍手をおくった。
「さすが曲芸部、二回続けてだぜ」
「やっぱり有力クラブはやることがハデだわね」
「金、かけてんだろうなあ。いいなあ」
などと、てんでに好き勝手なことをしゃべっている。
しかし落ちてきた本人は、たまったものではなかった。
「助かった……?」
あわや一巻のおわり、と覚悟していた純一は、水面に顔を出してあたりを見回した。
「助かった!」
と、続いて浮かび上がったのはベアトリス委員の金髪である。
「こういうのは助かった、とはいわない」じろり、と彼をにらんだ。「面倒《めんどう》なことになった、というのだ」
純一はつかんでいた双眼鏡《そうがんきょう》をもちあげた。レンズが割れている。
あきらめきれずに覗《のぞ》き込んでも、目に映るのは逆さにひっくりかえった群衆だけ。
だが、しかし。
もう双眼鏡はいらない。
あの美少女のおもかげは、しっかりと彼の脳裏《のうり》にやきつけられていた。
「こうなったからには、覚悟はしているのだろうな」とベアトリス。
「してるとも」と純一。
彼女は『この事態の責任をどうとるつもりなのか』という意味で聞いたつもりだった。だが彼のカのこもった返事には、謙虚《けんきょ》な気持ちがまったく欠けていた。
「……なんだと?」
「あの娘を見つけるんだ」
純一の瞳は、あのおそるべき情熱にとりつかれた者だけに許された、危険な輝きをうかべていた。
「たとえどんな邪魔《じゃま》があろうと、絶対にあの娘《こ》を見つけるんだよ!」
ベアトリスの全身を悪寒《おかん》がはしりぬけた。それは、水の冷たさからくるものでは断じてなかった。
彼女の前にいるのは、恋する少年だった。
そして、悪い騒動の始まりなのだ。
* * * * * * * * * * * * * * *
蓬莱《ほうらい》学園ラジオ・TV放送委員会『蓬莱ニューストゥデイ』より――
「……では次のニュース。毎年恒例、新入生クラプ勧誘週間がはじまりました今日、学園各地でさまざまな騒ぎがおきています。
鈴奈森東部では、曲芸部のアトラクションに触発《しょくはつ》されてか、飛行船から生徒二人が落下するというハプニングがありましたが、さいわいなことに、樽《たる》型水力|緩衝器《かんしょうき》〈飛騨匠《ひだのたくみ》三号〉が真下にあったため両者とも奇跡《きせき》的に軽傷でした。生徒会ではこうした騒ぎを『いきすぎた勧誘行為によるもの』と警告、今後の動向次第では来年度から勧誘週間の全廃もありえるとしています。
ご存じのとおり、クラブ勧誘は人手不足のおりから年々過激になっており、最近では非合法な手段で部員をかきあつめたり、幽霊《ゆうれい》部員で水増しするクラブも目立ってきました。こうした現状について専門生徒は『生徒会首脳部の無策』ときびしく糾弾《きゅうだん》し……(後略)」
[#改ページ]
第二章『あの娘《こ》』と授業と路面電車
「一、十、百、千、万……一〇〇〇〇〇分の一」
ベアトリス・香沼《かぬま》は、わざわざ指折りして数えた。
「女生徒だけにかぎっても、五万人の中から捜《さが》し出す勘定《かんじょう》になるぞ」
「今ので、『あの娘《こ》』の見つかる確率が倍になったじゃないか」純一《じゅんいち》はやりかえした。
「……どうしておまえのいう『あの娘《こ》』が女生徒だとわかる?」
ベアトリスの暗示する可能性はあまりに気色の悪いものだったので、純一は我慢できずに、あとをついてくる金髪の公安委員に向きなおった。
「たのむから、悲観的なことばっかりいわないでくれよ!」
「悲観論は私の信条なのだ、残念ながら」
「ははあ、だからあだ名が悪運《バッドラック》ベッキ……」
「二度と」彼女は歯ぎしりして、「その呼び名を口にするんじゃない。さもないと……」
「公安委員会に引ったてていくつもりなら、飛行船でのさわぎはあんたの不手際《ふてぎわ》が原因だったとその場で密告してやる!」
「…………」彼女は、じろりとにらみ返した。
「なんだよ」
「こんなことになるとわかっていたのだ、私は」
……といったような会話を、二人は樽《たる》からひっぱり出されて以来、延々と続けていた。
『あの娘』をさがす純一と、純一を見はるベッキィ。
あたかも火と水の組み合わせだ。ふつうならば水のほうが勝つところだが……
われらが朝比奈《あさひな》純一、そこはちょいと違っていた。
たとえば、とある木曜の正午前、四時限目も終わらんとする中央校舎のだだっ広い廊下《ろうか》。
「ぜんぶの教室をまわってでも、あの子を見つけるからね。時間の無駄《むだ》だよ、授業なんか」
そういって、純一は授業をすっぽかし、校舎じゅうを歩き回っているのだ。
右手にもつのは、小さな黒いメモ帳。『あの娘《こ》』探索《たんさく》調査のために、わざわざ購買部《こうばいぶ》で買ってきたのである。頑《がん》じょう、耐水、中性紙、と三拍子そろった優れもの。
そして左手には、これまた新品の油性サインペン(太さは0.3ミリ)。
準備は万端、仕上げをご覧《ろう》じろ、だ。
「おまえの行為そのものが、壮大な無駄《むだ》だと私は思うが」
「そいつはこれからのお楽しみ、さ」
一クラス五百人を擁《よう》する蓬莱《ほうらい》学園の教室……。
それは、厳格《げんかく》なる勉学の場というよりは、ちょっとした競技場の観覧席である。
階段状に、上から下へ机と椅子《いす》がならぶ。一番下の段、巨大黒板まで、ゆうに百メートル。幅とて、奥行きに負けていない。
それが、生徒でギュウギュウづめになっているのだ。
どこまでいっても生徒、生徒、生徒、右も左もモスグリーンの制服だ。教師の姿はずっと下、豆粒よりも小さい。
「せめて、出席をとってからこっそり抜けだす、くらいの芸当はしないのか?」
「そっちこそ」と純一、「授業はどうしたんだよ」
「私はちゃんと出席をとった後で抜けだしてきた」彼女は胸をはった。「そもそも、おまえがなにかとんでもない問題を引き起こすのが目に見えているのに、ほっておくわけにはいかない」
「おせっかいだな」
「職務だ」と、腕章《わんしょう》を指し示す。「私の管轄《かんかつ》なのだ、おまえのクラスは。そして私の知る限り、このクラスで物騒《ぶっそう》な騒動に肉薄しているのは、朝比奈、おまえだけだ。まったく、癸酉組《みずのととりぐみ》といえば去年までは非常に模範《もはん》的なクラスだったのに……」
「あは、そりゃあどうも」
「おまえをほめているのではない」勘違《かんちが》いしている彼に、ベッキィはタメ息をつく。
と、そんなことをやっているうちに、そろそろ授業も終わりに近い。
「十、九、八、七、……」
「今度はなんなんだよ、まったく」
「もうすぐ昼休みなのだ」ベアトリスは腕時計の秒針を見つめていた。
「五、四、……」
「それがどうしたのさ」
「おまえは、わが蓬莱学園の昼休みを経験したことがあるか?」
「昨日が入学式だったんだぞ」純一は小馬鹿にしたように、「あるわけないだろ」
「では、これからおこる出来事は良い教訓になるだろう」
言い終わるがはやいか彼女は、すばやく壁にへばりついた。
「?」
廊下《ろうか》じゅうにベルが鳴りひびいた。次の瞬間《しゅんかん》、六〇かける三学年分の教室で、いきおいよく扉《とびら》が開いた。
そして純一は、制服の大洪水《だいこうずい》のまっただ中にいた!
「昼メシだ、昼メシ!」
「走れ! 急げ!」
「ミッちゃん、野菜サンド三つお願いね!」
「五分で売り切れだ!」
「今日こそ食うぞ、『八味|鍋《なべ》』のランチ!」
「制限時速は六〇qです、制限時速を守って……」
「どこ? わたしのお財布《さいふ》はどこ?」
「いくぞ、野郎どもぬ ぶっちぎりだァ!」
「隙《すき》あり!」
さっきまで物音ひとつしなかった廊下が、今や狂乱の巷《ちまた》と化したのだ。もがけばもがくほどはまっていく。しかも生徒はいつ果てるともなく教室から溢《あふ》れでてくるではないか。
「朝比奈、これが学園の昼休みだ」
そういってから、ベッキィはあたりをみまわした。
「朝比奈?」
彼の姿はどこにもない。どこか遠くのほうから、
「……助け……!!」
かすかな悲鳴がきこえた。はるか廊下の曲がり角、制服の濁流《だくりゅう》のかなたに彼の腕がちらりとみえた。それもすぐに波間に呑《の》まれる。
「これで一日、無駄《むだ》にしたな」
ベアトリス・香沼の悲観的なセリフには年季が感じられた。
たとえば金曜日の放課後、中央校舎|隣《となり》の学園事務局。
学園生徒に関する書類が全部ここにある、と聞いてはだまっていられない。
「まだあきらめないのか?」
「まだまだ!」純一は包帯でぐるぐる巻きにされた左腕をふりまわした。「いちいち教室を見てまわるなんて、考えてみりゃ非効率的さ。事務局で生徒の書類を見れば、いっぱつだ! なんでこれを初めに思いつかなかったんだろう?」
「私の口から答えを言わせて自分をおとしめたいのか、それとも今のは単なる修辞《しゅうじ》的発言なのか?」ベッキィが皮肉った。
純一は無視して事務局の扉《とびら》を叩《たた》いた。
カウンターの向こう側にずらりと並ぶ、事務のお姉さんたちが、いっせいに彼を見る。
さて、どうやって突破しよう?
「在校生の一覧を見たい、ですって!?」
彼の用向きを聞いたとたん、彼女たちの顔色がさっと変わった。
「プライバシーの問題があるのはわかってます」純一は相手の機先を制した。「でも、これはとっても重要なことなんです。人の命がかかってるんですよ、少なくとも二人の生徒の命が!」
「なんだ、その命というのは」横からベッキィが、真剣な表情でささやいた。
「そんな事になっているなどとは、私は知らされていないぞ!」
「ぼくの命だよ」純一は小声でこたえた。「それから『あの娘』のと」
「…………」
「なんですって?」事務員が聞きとがめる。胸の名札には『中村渠早苗《なかんだかりさなえ》』と書いてあった。
「いやその、なんでも」
「あなたたち何なの、いったい?」じろり、と他の事務員たちも怪訝《けげん》そうである。「たしか公安委員じゃなかった、そっちの金髪の人?」
そうだ、その手があったか!
「じつはですね」
純一は急に神妙《しんみょう》な表情をつくって、カウンターに身を乗り出した。
「委員会首脳部からの特命で、調査をおこなっているんです。これはまだ極秘《ごくひ》事項なんですが……」
「朝比奈!」ベッキィが止める間もあらばこそ、公安委員会特別調査員に就任《しゅうにん》した純一は、事務のお姉さんを押しのけて、部屋の奥、ぶ厚い扉の前に進む。
「ははあ、ここが資料室ですね」
「え、ええ。でもここはちょっと問題が……」早苗さんが青ざめる。
「問題を調べるのが、我われ委員の仕事であります」
「朝比奈、いいかげんにしないと……」
「鍵《かぎ》を」彼は手を差し出した。
「あのぉ、本当に開けないほうが」
「朝比奈!」
「それでは」
純一はもったいぶって鍵をまわした。
次の瞬間、扉が弾《はじ》けとんだ。耐え続けた内側からの圧力から、いっきに解放されたのだ。顔写真、統計書類、身上書、成績表、古新聞が轟音《ごうおん》と共に、雪崩《なだれ》をうってあふれ出た!
「うわわっ!」
あっというまに、腰まで書類につかる三人。
「だから開けないほうが良いっていったのに」早苗さんがいった。
「……も、もしかしてこれが」
純一が、まきあがったホコリに激《はげ》しくせきこんだ。
ベアトリスは、思わず書類の海をかきわけて後じさり、ハンカチを口元にあてた。
扉の中は、延々と並ぶ書類|棚《だな》の列だった。どこまでいっても書類棚、書類棚、書類棚。
ほとんどが木製で、ゆがんでいる。まるで線路のように、平行線を描きながら奥へ奥へと続いていた。いちばん奥は見えなかった。霧がかかっているのだ。
そしてすべての棚が、厚いホコリと変色した書類で、びっしり埋めつくされていた。
蜘蛛《くも》の巣《す》、腐《くさ》りかけた履歴書の束、かたむいた棚、出席簿の山、ちらちらと光を反射しながら空中を踊るこまかいホコリ、へこんだ床板、その上に無造作《むぞうさ》に散らばっている文書、どこか棚の裏を走り回るネズミたちの鳴き声、肌《はだ》にからみつく湿《しめ》った空気……
書庫、などという可愛《かわい》らしいものではない。
むしろ、B級ホラー映画に出てくる死体安置所に近い。
あまり長い間見つめていると、不気味な何かが伝染してしまいそうだった。
「………………」と純一。
「どうせこんなことだろうと、わかっていたのだ」とベアトリス。
女子事務員の早苗さんが、訳知《わけし》り顔でうなずいた。
「しかもこれ、順序も内容もムチャクチャなんですよね」
彼女の話によれば、『九〇年動乱』のどさくさで生徒会と理事会が業務を放棄《ほうき》してから、ずっとこの調子なのだそうだ。
「それで、これを全部見るのか? 全部?」金髪の公安委員の言葉のはしには、面白がっている調子が少なからずあった。
ここで引き下がってなるものか!
「見るとも!」
せきこみながら純一は、広大なる書類の墓場《はかば》へ果敢《かかん》にとびこんでいった。
……そして六時間後。
すっかり日も暮れたころ、彼の捜索は入口から約四〇センチ進んでいた。残りがどれだけあるのか、考えたくもない。
校舎は人影もなく、しんと静まりかえっている。事務員たちも、とっくに帰ったあとだった。
彼のまわりをとりまくのは、ぐしゃぐしゃになった書類の束。ひっかきまわしているうちに、紐《ひも》はほどけ、背表紙はこわれ、あたりにばらばらに散らばっている。
「朝比奈、まだ……」
「あきらめないぞ!」
息は切れ切れ、ノドはひりひり、体はホコリと汗まみれ。とても見られたものじゃない。
「ひどい格好《かっこう》だ」
できるだけホコリの源に近づかないようにして、ベアトリスは冷静にいった。
「以前、エジプトのピラミッド盗掘《とうくつ》についての研究書を読んだことがあったが、ちょうど今のおまえの……」
「エジプトなんか知るもんか」
「もう時間も遅い、おなかもすく」
「じゃ、ぼくの代わりに食事してこいよ」
「………………」
だが、彼の中で燃えるものだけは、ベアトリスとて認めないわけにはいかなかった。
「もう少し建設的な方向に、その類《たぐ》い稀《まれ》な情熱を向けてみれば、おまえも私も幸福になれるというのに」
「たとえば、どういうことにさ」
ベアトリスは、ちょいと小首をかしげてから、
「フェルマーの最終定理について思いをめぐらす、とか」
しばらくの沈黙。
「……なんだいそれ」
「数学だが?」彼女はさらりといった。「なんなら、レオーノフ教授の贖罪数《しょくざいすう》についてでもいいぞ」
「………………」
なんと恐るべきことか、この女生徒は数学が好きなのだ!
「ベッキ……じゃなかったベアトリス、人を好きになったことってないの?」
「そんなことはない、私は人間を愛しているとも」明快な答えがかえってきた。「彼らが秩序と理性に盲目的に従う場合は、とくに好きだぞ」
純一の肩に、どっと疲れがおそってきた。
「どうやら引き揚《あ》げるつもりになったようだな」ベッキィがいった。
さらに土曜日、三度目の正直。
「まだまだ、あきらめるもんかい!」純一のかけ声だけは、あいかわらず元気いっぱい。
しかし腕の包帯に、今度は湿布剤《しっぷざい》が加わっている。
「書類なんかに頼《たよ》ってたらダメだ、やっぱり」
「今日のコースは何なのだ? 下水の掃除でもするか?」
「先生に聞くんだよ! 『あの娘《こ》』の姿格好《すがたかっこう》を説明すれば、きっと誰か……」
「それはこれからのお楽しみだな」
学園教師が集まるところはいくつかある。
まずは中央校舎一階、職員室。あるいは学園西部にそびえる教職員棟や、研究部。『学食横町』と呼ばれる一角には教師専門の喫茶店《きっさてん》もあった。
学園の地理に不案内な純一は、手あたり次第に調査を開始した。その結果……
●代表的ケース@:生物教師(女性、二〇代)
「見たことないわね」
「はあ」
「…………」
「………………」
「まだ、なにか?」
●代表的ケースA:現国教師(男性、三〇代)
「女生徒を捜してる? ほほお、髪が肩まであって、笑うと可愛《かわい》くて、入学式に見たっきり。なるほどなるほど、わかったぞ」
「ご存じなんですか?」
「君は五〇〇人の若造どもを相手に授業をしたことがあるか?」
「いいえ」
「それがどれほど過酷《かこく》な作業で、どれほど心身をむしばんで、なにかといえば騒ぎ立てて授業をぬけだそうとする奴らをひっつかまえ、形容詞節の中へ引きもどすのにどれほど俺が苦労しているか、奴らの顔なぞ見るのもイヤで、それなのに連中の顔を五〇〇個おぼえるなどという芸当ができるかどうか、考えてみた事があるか?」
「いいえ」
「それでも君は俺に、その女生徒を知っているかと尋ねるのか?」
「なんで教師なんかやってるんです2」
「(うつろな目をして)俺もそれが知りたくてしょうがないんだ」
「……お大事に」
●代表的ケースB:数学教師(男性、七〇代)
「彼女の学年はわからんのかね? クラスは? クラブは? なんと。そりゃあ難《むずか》しいのお。一〇万人の中のひとりか。まてよ、そういえばどこかで」
「見たんですか?」
「むむむむ、ちょっと待て」
(十分経過)
「おお、そうじゃ、思いだした。これはラムゼー多角体で解けるかもしれん。いやなに、君とその娘さんが出会える確率を計算するんじゃ。仮に、君に友人が3人いたとして、彼らのさらに友人の友人の(中略)……の友人が、どこかで問題の娘さんと友人であるためには、うむ、これでいい。約○・○〇〇三%、無いに等しいというわけじゃ。よろこべ、朝比奈くんとやら、答えが出たぞ。……おい朝比奈くん、どこへいったんじゃ?」
●代表的ケースC:世界史教師(男性、五〇代)
「さあ、わからんなあ。なにしろここ半年ほど、授業をやってなかったから。え? いやいや、ちょっと資料を捜しに研究部の図書館へ行ってたら、おもいのほか時間がたっちまってな」
●代表的ケースD:外国語教師(男性、米国人、三〇代)
「ナー、イネヴ・イーンナ・ガアライデァ・ベォオ。サイズ、ノワックドゥン・パァスブリリメッパ・テンダワズ・チューデンゼイゼズ、クデイ?(さあ、そんな子はみたことないなあ。だいたい一〇万人もの生徒の顔なんて覚えてられないよ、だろ?)」
「はあ?」
「アーセッァネヴ・イーンアッチュウ・ルッン。ッユディギッ?(だから、君が捜してる子は知らないってば。わかる?)」
「???」
「ジーウィズ、ディズズガーウン・ノーウィ(だめだ、こりゃ)」
「(ベッキィにむかって)……これ、何語?」
「これはあくまでも私の個人的かつ大胆な推測だが、おそらく英語だ」
●代表的ケースE:社会科教師(男性、三〇代)
「おまえらこんなところにいて、授業どうしたんだ。いまは三時間目だぞ」
「〔しまった!)えーとえーと、じつはホームルームの課題で、先生にアンケートをとってる最中で」
「ほう、担任は誰だ」
「………(そういえば、ぼくの担任って誰だっけ)」
「教えてやろう。オレだ」
「へっ?」
「おまえだな、始業そうそうトンズラこいて、一度も授業に出ていないってのは!」
「(ベッキィにむかって)逃げろ!」
「なに?(つられて走り出す)」
「こら待てっ」
……かくして、その日は遁走《とんそう》のうちに夕暮れとなった。
ようやく追っ手をふりきってから、
「なぜ私も一緒に逃げまくらねばならんのだ?」ベッキィは息も絶えだえ、「納得のいく説明がほしいぞ」
「いやまあ、なんとなく雰囲気《ふんいき》がね」純一はとぼけた。
「ああいう時って、仲間と一緒に走り出すじゃないか。ほら、映画なんかでさ」
「おまえが、自分のおかれた苦難についてドラマチックかつ無責任な幻想《げんそう》を抱くのは一向にかまわないが、その中に私を含めるのは、頼むから、やめてくれ」
「頼んでついて来てもらってるわけじゃないんだぜ、いっとくけど」
「もしこれが、おまえに頼まれてやっているのだったら」と、ベアトリス・香沼は盛大なタメ息をついた。「とうの昔にこんな依頼《いらい》は断わって、私はどこか第三世界の低開発国に亡命するぞ」
さらにさらにの日曜日、四度目の正直。
「あれは、三度目までではなかったのか?」
「あると思えばあるんだい!」
純一、だんだんヤケになってきた。今日は包帯と湿布《しっぷ》にくわえて、足の筋肉痛&ノドの痛みが加わっている。
「今度という今度は、まちがいなし。ここに頼めば絶対さ」
彼がひらひらと振ってみせたのは、部員|勧誘《かんゆう》のチラシである。
おもてには、
『探偵《たんてい》・推理小説研 失《う》せ物・尋ね人・事件・密室、謎《なぞ》を解《と》くなら我らにおまかせ』とアール・ヌーヴォー風の書体が踊る。
「ほほう、いいところに目をつけたな」ベッキィは、はじめて彼のやることに賛美の言葉をおくった。
探偵研といえば、蓬莱《ほうらい》学園有数の「実用派クラブ」である。
かつて全学園を震《ふる》え上がらせた『鈴奈森《すずなもり》の辻斬《つじぎ》り魔《ま》事件』や、多くの犠牲者《ぎせいしゃ》を出した『五つの歪《ゆが》んだ壷《つぼ》の謎』、当時の生徒会をゆるがした『マーフィーの醜聞《しゅうぶん》』、新しくは『校庭密室殺人事件』などを解決し、有名中の有名団体。学園のどこかで奇怪な事件がおきれば、まず一番に駆《か》けつけるのが彼らなのだ。
「そうとも、クラブだよ! この学園で何かをしようとおもったら、とにかくクラブに頼らなくちゃ」
えらそうなことを言ってはいるが、純一自身は、栄光ある探偵研の歴史などまるで知らない。たまたまチラシを拾っただけだ。あとは、初日の呼び込み青年の受け売りである。
「なるほど。いちいちもっともだ」
「人|捜《さが》し、といえば私立探偵。私立探偵にいちばん近いものといえば……もちろん探偵研究会!」
かくして駆けこんだのは、学園中央部にそびえる『文科系クラブ会館』。
日曜日は休日、とはいっても授業がやすみになるだけだ。
むしろ、学園の真髄《しんずい》はこの日にあるというべきか。ありとあらゆるクラブ活動に精《せい》を出す生徒たちの熱気でいっぱいだ。
その一角、資料と証拠《しょうこ》物件でいっぱいになった大部屋……。
「『謎《なぞ》の美少女』を探しているのです」
純一は、なるべく相手が興味を引きそうな表現を使った。
「数日前に一度見かけたきり、以来姿をあらわさない。もしや、何かとてつもない陰謀《いんぼう》に巻き込まれているのではないかと夜も寝られず、授業も聞こえず……」
「うむ、確かに事件のにおいがする!」
「うんうん」
部員たちは案の定《じょう》、大きくうなずき合う。
「これは謎の連続消失事件の発端《ほったん》となるかもしらん。全員集合! これから推理大会だ!」
「賛成!」
部員がいっせいに起立して、てんで勝手にしゃべり始めた。いやいや、それどころか、どこから聞きつけたか人数がどんどんふくれあがり、部室はぎゅうぎゅうづめになる。
「あのー、できれば彼女のクラスとか、地道《じみち》に調べてほしいんですけど」
純一がいっても、まるでダメ。部員一同、すでに自分たちの趣味《しゅみ》の世界にドップリはまってしまった様子だ。
「何をいう! そんな暇があったら、純粋な演繹《えんえき》的論理だけで謎の美女のかかわる犯罪《はんざい》を突きとめるのが先だ!」
「いいえ、現場第一よ! まずは、その女生徒の現れたという場所へ行かなくっちゃ」
「こういう時って、いちばんあやしくない人物があやしいんだよな」
「いや、二番目にあやしいヤツが一番あやしい」
「えーとですね」と純一、「まだ事件は、なんにも……」
「『利益ある者を調べよ』、これが鉄則だ!」
「記述者が犯人なのよ、最近のはやりでは」
「きっとどこかに、彼女の遺《のこ》したメッセージがあるはずだわ!」
「まちがいなく叙述《じょじゅつ》トリックだね、ボクにいわせれば」
「倒叙《とうじょ》じゃないの?」
「部長、どうしましょう?」
「ここにいてもラチがあかない、ひとまず『五角館《ごかくかん》』へいこう。あすこなら広いし、大声で議論もできる」
「賛成!」
「では、いざ諸君!」
「おう!」
「いやあの、『おう!』じゃなくてですね……あっ、ちょっと待って!」
彼の抗議なぞどこへやら、頼《たの》みの探偵《たんてい》たちは虫眼鏡《むしめがね》やらノートやらパイプやらを引っぱり出して、風のごとくに消えてしまった。
部室に残るは、あっけにとられた純一とベアトリスのみ。
「アイディアは素晴《ずぱ》らしかった」と、公安委員女史。「これで騒《さわ》ぎは一段と大きくなって、おまえは当初の目的から着々と遠ざかっている」
「まだまだ、こんなのは小手調《こてしら》べだ!」
彼は廊下《ろうか》に走り出るや、壁一面にとりつけられた案内版をにらみつけた。
「他にもたくさんクラブはあるんだ!」
「たとえば?」
「こいつだ!」と、壁を埋めつくすクラブ一覧の筆頭《ひっとう》を指した。
『アイドル研究会……一階A通路一〇一号室』
アイドル研、といっても既成のアイドル研究以外にも守備《しゅび》範囲は広がっている。生徒一○万人を擁《よう》するこの巨大学園、美男美女がいないはずはない。これを調査し、分析《ぶんせき》し、ことのついでにプロマイドをつくって売りまくるのが、ほかならぬアイドル研なのだ。
だがしかし……
学園でもっとも頼りになる(と純一が考えていた)探偵推理研で、あの有様。ほかのクラブも推して知るべし、であった。
「うちのファイルには載《の》ってないねえ」
応対した部員が、本棚《ほんだな》よりも大きそうなファイルをめくり終わって残念そうに言ったのが、二時間後。
「そんなバカな!」
「バカとはなんだ、失礼な」
部員は、ぶ厚い眼鏡をぐいっとおさえた。
「わが研究会の情報は完璧《かんぺき》なんだぞ! 学園中のすべての美男美女を網羅《もうら》しているんだ。一人のこらずだぞ! 毎年のミス&ミスター蓬莱《ほうらい》の予測だって、的中率87%をほこっているし。それに、それにな、今年からは新入生チェックも始めてるんだ。とくに今年はこの野々宮《ののみや》さん、彼女がとってもカワイいくて、見ろよこの写真、膝《ひざ》のあたりがもう、うひひひ」
「頬《ほお》ずりなんかしてないで、もう一度調べてください! いや、それよりぼくが自分で」
「何をいう、部外者にさわらせるもんか! ええい、寄るなさわるな。だいたい、うちのファイルに載ってないんなら、君の捜《さが》してる女生徒はたいして美人じゃ……」
「なんだと!」
「やめろ、朝比奈!」
もうすこしで大乱闘になるところを、金髪の公安委員にひき止められる。その剣幕《けんまく》におされたか、相手は妥協案《だきょうあん》をしめした。
「……美人じゃないか、ええと、さもなきゃ、幽霊《ゆうれい》だね」
「ゆうれいぃ?」なんだか話がおかしくなってきた。
「そうさ。この学園じゃあ、そんなに珍しかないよ。現に、年に一人かふたりは、惚《ほ》れた相手がじつは……ていう奴がいるんだ」
「………まさか、そのファイルなんて、あります?」
「ないよ」と返事。
「ここにはね。そっち関係は超常心理学研の管轄《かんかつ》だから」
今度は理科系クラブ会館にかけこんで……
「美人の幽霊? 最近は和服ものしかないわよン。幽霊塔のやつとか、『あかずの校舎』の十二単衣《じゅうにひとえ》とか」こたえる女生徒の手にはあやしげな探知機、首には数珠《じゅず》とロザリオがあった。「それにあんなところに出るなんて、幽霊にしては変だわン。すくなくともアタシたちの記録にはないわねン。もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「ロボット工学研のつくった、人造美人だったりして」
そのロボット工学研究会は、おなじ理科系会館の最上階。
「うちじゃあ、そんなものは造ってませんが。巨大なやつとか、合体《がったい》するのはありますけどね。ええ、むしろ、それは古典からくり研じゃないですか?」
われらが純一、そろそろパターンが見えてきたが、いまさら止まるわけにいかない。
「なに、人造からくり美人? そんなあやしいものはつくっとらんぞ、失敬な! いやしくも蓬莱《ほうらい》塾以来の伝統をほこる我が『からくり研』、人形浄瑠璃《にんぎょうじょうるり》やお茶|汲《く》み人形、さては木造怪獣は手がけても、そのような人心をまどわすような所行は断じてこれを為《な》さざるべし! あの狂的科学部ならいざ知らず……」
「ボクたちが美人女生徒をつくってる? からくり研が言っていた? あはは、いや失礼。いくらボクたちの技術がすすんでいるといっても、そこまでは。ボクらがつくれるものといったら、せいぜい自爆装置《じばくそうち》とか永久機関とか人面犬レーザ砲とか対戦車スライムとか地球|空洞化爆弾《くうどうかばくだん》とか(中略)とか、それくらいですよ。いや、もちろん全部が成功しているとは言いませんがね、うふふ。ところでキミ、たずね人だったら放送委員会へ行ったほうが、てっとり早いんじゃないですか?」
「狂科からいわれて来たんですって? 大丈夫《だいじょうぶ》? どこも改造されなかった? いえ、ちょっと聞いてみただけ。ふんふん、人|捜《さが》しね。そおねえ、事件てわけじゃないし……お昼の番組でたずね人コーナーにまわそうかしら。じゃ、この書類に必要事項を書いてちょうだい。学年、クラス、氏名、住所。
それから、ここに所属クラブ名を記入して」
純一は、ふと書類から顔をあげた。
「あの、まだどこにも入ってないんですけど」
そのとたん、空気がこおりついた。
「…………なんですって?」
「ですからどこのクラ」
ブ、といいおわる前に、彼のまわりに百人の人垣ができた!
「放送委員会に入りましょう!」
「きみっ! うちに入らんか、うちに!」
「入って、おねがい! 人手がたりなくてしょうがないのよ! アタシなんか、もう三日も寮に帰ってないのよ!」
「聞いたぞ聞いたぞ! どうですか、キミ、わが軍事研に入りませんか。今なら三割引きで情報局員に……」
「イスラム研にはいって、空中モスクをつくろう!」
「なによあんたたち、部外者は出てって!」
「おっと、そういう態度に出るならこっちにも考えがある。おおい、みんな、ここに今年最後の未所属生徒がいるぞおっ」
「あ、あの、ぼくは……」
「なにっ」
「かかれ!」
いまや純一は学園最後の珍獣《ちんじゅう》、ただ一匹のこされた獲物《えもの》であった!
「文芸部に! 文芸部に!」
「栄光の海洋|冒険部《ぼうけんぶ》!」
「ハードロック研だ!」
「我輩《わがはい》といっしょに複葉機研《ふくようきけん》で大空をとぼう!」
「エーテル研もあるわよ」
「突撃報道班《とつげきほうどうはん》です! このたびの騒ぎの張本人として、ご自分の悲惨《ひさん》な状況をどう思われますか?」
「朝比奈、にげろ!」
だが、学園に禁猟区《きんりょうく》は存在しなかった。
「できればとっくにやってるってば……ぎゃああ!」
……と、そんなこんなで純一が翌週のお天道《てんと》様をおがむ頃には、すっかり消耗しきっていた。
そんな彼など気にとめず、蓬莱《ほうらい》学園はいつもと変わらぬ朝の登校風景だ。
だが、そこはさすがに日本一の巨大学園。本土で見られるありきたりの風景では、決してない。
あちこちに、かしましい女子生徒の群れ。あるいはいかつい体育系連中の列。はたまたひ弱そうな男子学生。これが一〇万人ぶん積もり積もれば、それは戦場を意味する。
そして、その一〇万人を学生寮から校舎へ運ぶ路面電車が、ひっきりなしに動きまわっているのだ。
格好《かっこう》はいっぱしの電車の車両。だが、勢いと数は、市街バスやタクシーに近いものがある。ごうごうチンチン音をたて、パンタグラフはバチバチと火花を散らし、騒《さわ》がしいことこの上ない。
まだ入学一週間目、われらが純一は初心者マークである。大混雑《だいこんざつ》のただ中で押され流され、とてもまっすぐ歩けない。
「頭痛がするよ」純一は包帯をまいた頭を、これまたバンソコだらけの手でおさえた。
「たまには良いだろう」と、ベッキィ。「おまえが入学してからこっち、それはずっと私の役目だったのだから」
「なんなら交替《こうたい》しようか、今日から?」
「……というと、まだ捜《さが》すつもりなのか、あの女生徒を?」
「もちろん。なんでさ」
「いったいおまえには、『諦《あきら》め』や『常識』といった概念《がいねん》に対する、尊敬の気持ちはないのか?」
ベアトリスは、いつになく大声になった。
「どうあがいたって無駄《むだ》なのだ、この蓬莱学園で名も知らないひとりの人間を見つけようなどというのは!
いいか朝比奈、この世界には絶対に変えることのできない根本的な法則がある。それは、すべての事象《じしょう》は悪化するという法則だ。
陽子は崩壊《ほうかい》し、熱は拡散し、生命は消滅《しょうめつ》し、環境は破壊《はかい》され、麻薬《まやく》がはびこり、悪徳政治家は法の網をくぐりぬけ、貧困は地上に蔓延《まんえん》し、離婚《りこん》と犯罪は増加の一途《いっと》をたどり、戦争と内乱は軍需《ぐんじゅ》産業をうるおし、無実の博愛《はくあい》主義者は獄死《ごくし》し、朝食の食パンはマーガリンをぬった側が下になって床《ゆか》に落ちるのだ!
これは万古普遍《ばんこふヘん》の真理だ!」
「で、今朝もパンを落としたってわけ?」
「今朝は、ご飯だったから……いや、そんなことはどうでもいい。とにかく、負けを認めないおまえの精神構造は尋常《じんじょう》ではない。
事実を直視しろ、朝比奈! いったい、いかなる異様な期待感が、そうまでおまえを動かしているのだ? この期《ご》におよんで、なぜおまえは彼女が見つかるだろうなどという盲目的妄執《もうもくてきもうしゅう》にしがみついていられるのだ?
特に優れた能力や才能のあるわけでもない、生徒会の要職にあるのでも、血統正しい生まれでもない、一介の高校生にすぎないおまえが?」
「そんなこといわれたってさ」
「何なのだ? これ以上どんな希望が、おまえの内に燃えさかり得るというのだ?」
「…………」
ちょっと考えてから、恋する若者はこたえた。
「……だって、もしかしたら今この瞬間にも、『あの娘』とすれ違うかもしれないじゃないか」
「あのなあ、朝比奈……」
その時、彼らの前を黄緑色の路面電車が一両、ガタゴトと通りすぎた。
純一は凍《こお》りついた。
白いブラウス、ばら色のくちびる、細い腕、愛らしい瞳《ひとみ》。
その間、約四秒。
『あの娘《こ》』が電車に乗っていた。
残像が、恋する若者の瞳に刻《きざ》み込まれた。そして、陽炎《かげろう》のように消え失せた。
「あっ……」
純一のアゴが、がくんと下がった。
「何なのだ、今度は」
「あ、あ、あ、あ、あ」
「当ててみせよう。アゴがはずれたな。そういうものだ、人生とは」
「あ、あ、あの、あの、あの」
「?」ようやく何かがおかしいと感じたか、彼女は恋する少年の視線を追った。雑踏《ざっとう》の間を、電車はガタコトと揺すりながら去っていくところだった。
「『あの娘』だ!」
「なに!?」
「いたんだってば! あすこに!」いい終わるが早いかスパートをかけようとした純一!
が、ベアトリスは冷静に意見した。
「それで? 走って電車に追いつくつもりか、朝比奈?」
まさに彼女の言うとおり、今からでは無理だった。
路面電車の速度は馬鹿にならない。みるまに距離は大きくひらいていた。もはや、雑踏の向こうにパンタグラフがちらりとのぞくだけだ。
それも、すぐに見えなくなった。
短い距離ならどうにもなろう。ひらけた場所なら、まだなんとかなる。しかし、雑踏をぬって長い距離を追いつくとなれば………純一は楽天家かもしれないが、そこまで楽天家ではなかった。
さあ、どうする?
(…………!)
彼の中で、何かがちくりと動いた。
何か、小さくて刺だらけのものが。
「ベアトリス!」くるりと彼女に向き直り、「路面電車を運営してるのは、なんていう部署?」
「鉄道管理委員会だ。生徒の自主的管理に任《まか》されている。それがどうかしたのか」答えてから、ベッキィは思いきり後悔した。
「それだけ聞けば充分」
純一は、とつぜん鼻をつまんだ。息を止めて、みるみる顔が赤くなる。頬《ほお》をふくらませて、横目で線路をにらんでいる。
鐘をチンチンならしながら、次の電車が近づいてきた。真っ赤に塗装された、けばけばしい車体だ。
横腹に大きく、
『御意見無用・一番星』
と、はげかかった文字。
「なにをしている?」ベッキィは頭を押さえた。「いや、言わなくていい! おまえのやりたいことはもう分かった。ひとつだけ助言しておこう。やめておけ』
「ううぅぅー?」
鼻をつまんだまま、純一は走り出す。赤い『一番星』号にタイミングをあわせ、彼はパッと乗員|昇降口《しょうこうぐち》の手すりに飛びついた。
鼻から指をはなしたかと思うと、
「先輩! 先輩!」
扉《とびら》もぶち壊《こわ》れよとばかり、叩きはじめた!
「……こうなるだろうと思ったのだ」ベッキィもすかさず、彼を追ってジャンプする。
「大変です、先輩!」
思いきり深呼吸する彼は、まるで大した距離を走ってきたようにみえる。
「早く! 電車を止めて!」
「何だ、何だぁ?」
運転手が、ふりむいた。びっくりするほど丸まる太っている。今にもやぶけそうな制服の肩章《けんしょう》には、三年生の縫《ぬ》いとりがある。
いきなり現れた見知らぬ少年に彼は不審顔《ふしんがお》、扉の窓を開けて、
「誰だぁ、おまえはぁ」
「鉄道管理委員です、先輩!」純一は嘘をついた。
「見かけないツラだなぁ」と太った運転手……いや、運転生徒とでもいうべきか。「俺はこうみえても、たいていの仲間の顔はおぼえてるんだがぁ」
「あー、ええと、先日入ったばかりの新入りで」
冷汗をひっこめようと純一は努力をした。
「いや先輩、そんなことはどうでもいいんです! 後ろにひっかかってるんですよ、生徒が!」
「なに!? この電車にかぁ?」
「それを知らせようと走ってきたんです! もうズルズルひっぱっちゃって大変です。あたりはぐちゃぐちゃ、悲鳴《ひめい》がぎゃあぎゃあ、もう大惨事《だいさんじ》。早く、とにかくこっちへ!」
と必死《ひっし》の形相《ぎょうそう》、口からでまかせ、息を切らせた迫真《はくしん》の姿に、運転手はころっとだまされて、
「ちくしょう、俺の無事故《むじこ》記録がぁ!」
カン高い悲鳴をあげた。
「俺のぉ、俺の記録が! ああぁ! ああぁ!」
あらぬ言葉をまき散らし、急ブレーキをかける。巨大な肉体をむりやり運転席からひきはがすと、体じゅうの脂肪《しぼう》をゆらしながら、ころがるように後ろへ走って行った。
それをしっかり見とどけてから、純一はひょいと運転席にすわった。
「さてと」
「朝比奈……」と、彼の後を追って乗りこんだベッキィ。
「いいから、いいから」
純一の目の前には、なんだかよくわからないレバーが三本と、メーターがいくつか。どれが何だか、素人《しろうと》の彼には見当もつかない。
しかし、恋する若者に常識は通用しないのだ。
「朝比奈ちょっと待て、それは……」
彼は目の前のレバーをにぎった。
「よせ!」
身ぶるい一つ、『一番星』はゆっくりと動きだした!
蓬莱《ほうらい》学園路面電車……平均時速はおよそ四〇キロ。重量は数トンにもなる。
たくさんの校舎に囲まれた蓬莱学園の中心部を、それが何十何百両、がたがたごうごうと走り抜けていくのだ。
決められたレールの上しか走らないとはいえ、下手《へた》な扱《あつか》いをしては危険なしろものだ。
ましてや、そんなものを素人《しろうと》があやつって、別の車両を追いかけようなどというのは、はっきり言って……
「無茶だ!」ベアトリスが叫んだ。「不可能の極《きわ》みだ! いますぐ止めろ、朝比奈!」
純一は口を一文字にむすんで、左手のレバーをぐいっと回した。
速度がさらに上がった。登校風景が、横|殴《なぐ》りの雨のように流れ去った。激《はげ》しい振動が加わった。
なるほど、けっこう速いぞ、この路面電車というやつは!
「止めろというのに!」
「いやだ!」
「さもないと命がないぞ」
「脅迫《きょうはく》する気か!?」
「前を見ているだけだ、おまえと違って」彼女は進行方向を指さした。
「へ!?」
純一の心臓が喉《のど》まで跳《は》ねた。真っ赤な車両がいきなり横からあらわれ、前を横切るところだったのだ!
「ぶつかる!!」
「よく分かっているではないか、その通りだ」とベッキィの諦《あきら》めきった台詞《せりふ》。
こん畜生《ちくしょう》!
とっさに純一の両手が動いた。
当たるをさいわい、勝手自在に運転装置をいじくりまわした。ブレーキが金属製の悲鳴をあげた。対向車両の運転手がぐんぐんアップになった。額にふき出る汗の粒《つぶ》まで見えた。
「おお、神様!」ベッキィが乗客全員の祈りを代弁した。
(いや、まだあきらめるもんか!)
衝突《しょうとつ》!
いや違った、ぎりぎりセーフだ、『一番星』は右へ急力ーブをきった。どうやら神様はご在宅らしい。
遠心力が車内を左へ吸いよせて、
「うぎゃっ」
乗客がこぞって窓へ押しつけられた。
「運転手、馬鹿野郎!」
「ちょっと、変なトコさわんないでよ!」
「なにやってんだ!」
「金返せ!」
しかし運転手は、客席の騒《さわ》ぎなど無視している。それどころではないのだ。
衝突《しょうとつ》をかわしたまではよかったが、黄緑の電車は『あの娘《こ》』を乗せてまっすぐ進んでいったのだ。いっぽうこちらは十字路を右へ、あわれ右と左に泣き別れ。
(もどらなくちゃ!)
すばやくレバーを戻《もど》した。速度が落ちる、客は手前につんのめる。
だが、もう遅い。まわりは街路樹《がいろじゅ》、電信柱、そして呆然《ぼうぜん》と朝の爆走《ばくそう》を眺《なが》める登校中の生徒たち。黄緑の車両はどこにもなかった。
見失った!
「残念だったな、朝比奈」とベッキィ。「これに気を落とさず、つらい人生を生き抜くことだ。心配はいらん、これよりも悪いことはこれからいくらでも起こるのだから」
「うるさいな!」
純一が怒鳴《どな》ったはずみに手が動いて、レバーをはじき、電車は再び急発進、次の十字路を左ヘカーブ。
「痛っ!」ベッキィ、横の手すりに頭をぶつけた。
「ごめん!」
「気にしないでいい、朝比奈」と彼女は冷静に、「どうせおまえが気にしているのが例の女生徒だけだ、ということはわかっている」
「いや、まあその……あはは」
と、手前の交差点の左から、見|慣《な》れた車両が近づいてくるではないか。ぐるりと横町をまわってきたのだ!
「さっきの電車!」
今度は逃さない!
暴走《ぼうそう》電車・一番星、またまた急加速!
「痛!」
派手な音をたてて、またもベッキィの頭が手すりに激突《げきとつ》。乗客一同も、そろって後ろへつんのめった。なんとも大変なシーソー・ゲームだ。つき合わされた方はたまったものではないが、
「失礼、皆さん!」と、素人《しろうと》運転手君はお気楽な調子。
「いいかげんにしないか、運転手っ!」
「降ろしてぇ! お願いだから降ろしてええ!」
「き、気持ち悪い……吐《は》き気がするよぅ」
運悪く乗り合わせた生徒たち、前後左右に揺れまくる電車のせいでメロメロである。
「…………」ベッキィは横目でにらんだ。
「よし、きたぞぉ!」純一はにやり笑った。あの娘が乗る車両の後ろにピタリとつける。
もう少し、もう少しで『あの娘』と会えるんだ!
「人生って、たまにはいいこともあるみたいだね」
「あとで壮大な悲劇的オチをつけるための伏線《ふくせん》に違いない」
「そいつはこれからのお楽しみさ!」
手前四メートル、いや三メートル。『一番星』の鼻先が目前の電車にふれんばかりだ。黄緑の車両の中が丸見えだ。叫び回る者がいる、うずくまる者がいる、呆然とこちらをながめる生徒がいる、さらにはVサインを出している馬鹿もいる。
そして『あの娘』も、そこにいた。
夢にまでみた『あの娘』が!
「よおし、もうちょい!」
だが、ベアトリスは事態を冷静に観察していた。
「で、どうやってあれを止めるのだ? 衝突《しょうとつ》して壊《こわ》すのか?」
「!…………」
何も考えていない純一であった。
電車を運転しているうちは、絶対にむこうに移れない。かといって、止めればもとのもくあみではないか。
だが、彼はスピードを落とさない。ふたつの電車は、一メートルのすきまをたもって爆走《ばくそう》する。屋根の上では激《はげ》しい火花が散る。赤、青、黄色と、まるで花火のような美しさ。
飛びちる七色の火花……そうだ!
「あとの運転、頼んだ、ベッキィ!」
言いざまに、彼は横の扉《とびら》を蹴《け》りあけ、身をのりだした。時速八十kmの向い風が、頬《ほお》をなぶった。
なんと、彼はこのまま『あの娘』の車両へ跳びうつるつもりなのだ!
「運転をまかせておいて、私が速度を落とすだろうとは考えないのか、朝比奈?」
「思わないよ、ベアトリス・香沼」彼はすかさず、できるだけ純情そうな声で返事した。
「君がここで速度を落とせば、さっきから後ろでもんどりうっている連中が、扉を開けて運転室に殺到《さっとう》してきて、君をしめあげて、またニュースざたになる。そうなれば君の大切な委員会は、君のとっても熱心な仕事ぶりに関して素敵《すてき》な結論を……」
はっきりいって脅迫《きょうはく》である。しかし今の純一には、世間的なモラルなど気にかけている余裕はない。
「こういう人生は最悪だ」ベッキィがため息をついた。「自分がもっとも嫌悪《けんお》するたぐいの人種と、利害が一致するというのは」
「運命だよ、運命!」
「これが運命なら、私はたった今から自由意志論者に転向するぞ!」
そんな捨てゼリフが耳に入ったか入らなかったか、純一の身は次の瞬間《しゅんかん》、ひらりと風に舞った!
「そこの生徒、今すぐ電車を停止したまえ!」
「へっ!?」
訂正《ていせい》しよう。ひらりと舞ったようにみえた。
その寸前に、一陣の風のごとくに現れた集団があったのだ。
全員が馬にまたがって、いつのまにやら路面電車はぐるりと囲まれているではないか。その数、およそ三十騎。
「な、な、な……」
純一があっけにとられる間もなく、
「蓬莱《ほうらい》学園の治安をあずかる『学園|銃士隊《じゅうしたい》』の名において、君、今すぐ止まりたまえ!」先頭を疾走《しっそう》する生徒が叫んだ。いや、むしろ「銃士が叫んだ」というべきか。
そう、まさしくそれは「銃士」のコスチュームであった。
映画か、さもなくぱ女の子むけの絵本からぬけでたような衣装だ。帽子に袖口《そでぐち》、裾《すそ》に衿《えり》、ところかまわずヒラヒラのフリルがついた派手な服。腰やら肩やら金ぴかの飾《かざ》りがきらきら陽《ひ》に映《は》える。
十七世紀、欧州はフランス王国をかっ歩した騎士《きし》らの最後の後継者《こうけいしゃ》が、今やわれらが純一を取りかこみ、マスケット銃《じゅう》をぴたりと向けて、
「とまりたまえ!」
と、どなっているのだ。驚かないほうがどうかしている。
「銃士隊だってぇ?」と純一、「なんで、そんなものが学校にあるんだよ!」
「課外活動の一環《いっかん》だ」ベッキィがこたえた。「探偵《たんてい》も科学者もレポーターもいるのだ、銃士がいても不思議ではなかろう」
「そんなムチャクチャな!」
「無茶は蓬莱《ほうらい》学園のミドルネームだ」ベアトリスが、純一を諭《さと》した。「それに、あのふざけた格好《かっこう》だけで判断しないほうがいいぞ、連中の実力を」
「公安委員会より怖いのかい? この仮装《かそう》大会が?」
「怖くはない」と、確信にみちた返事。「ただし、彼らの銃の引き金は非常に軽い。なにしろ一般クラブや委員会とちがって、生徒会から予算をもらっていない『非公認団体』だからな。完全な中立を守るため、あえてそうしているのだそうだ。だから、一般生徒の支持もあつい」
「ようするに、ベッキィのところはサイフのヒモをにぎられてる上に人気がないから、ヤバいことは見つからないようにやるってことだろ」
「今の発言は聞かなかったことにしておこう」
「三つだけかぞえる!」
先頭を駆《か》ける銃士が、マスケット銃をかまえた。
「これが最後の警告だ! それより後となれば、われわれは騎士道精神にしばられることなく、君に接することになろう……ひとつ!」
とめられてたまるか!
「ふたあつ!」
そう決心した瞬間《しゅんかん》、純一の体は路面電車から離れていた。
「みっ……」
「あっ!?」
と、ベアトリスも銃士たちも叫ぶヒマはなかった。なんという素早《すばや》さ、すでに恋する少年は、手前の電車に乗りうつっているではないか!
騎馬の集団がまわりをかこみ、すでに電車の速度を落としていたのだ。まさに怪我《けが》の功名《こうみょう》、不幸中のさいわい。暴走《ぼうそう》状態のままだったら、道路にころがり落ちていたにちがいない。
「しまった!」
銃士たちの体勢がくずれた。騎馬の足並みが乱れ、隊列に隙《すき》が生まれた。
「前の電車をとめろ! 乗客をおろすんだ!」
「馬では不利だ、上へ! 屋根の上へ!」
純一が電車の屋根にしがみつくのと、
「にげろお!」
乗っていた生徒たちが車中から逃げだすのと、ほとんど同時だった。沸騰《ふっとう》したヤカンからお湯がふきでるように、緑の制服があふれだす。
「まってくれ!」
純一は、制服のただなかに、めざす少女の背中をみた。
「まって! 行かないで!」
「貴様こそまて、のっとり犯め!」
恋する若者の事情などおかまいなく、銃士《じゅうし》の群れがつかまえにかかる。
「神妙《しんみょう》に、われらが軍門にくだりたまえ! さもなくば……」
「まってくれ!」
夢中でふりまわした腕が、偶然《ぐうぜん》にも、絶妙《ぜつみょう》な角度で銃士のみぞおちにきまった。
「ぐわっ」
それがまったくの偶然だったことは、いくら強調しておいても、しすぎではなかろう。
「……あれ?」
「やったな!」
「みろ、剣を奪ったぞ!」
そのとおり、純一に殴《なぐ》られた銃士の剣は、ひらりと空中を舞《ま》い、いつのまにか彼の手の中にあったのだ。
「反抗する気だ!」
「おのれ、われわれの神聖《しんせい》な剣を!」
「かかれっ」
「え、いやその、これは……わーっ!」
『一番星』号の上で、ついに乱闘がはじまった。
サーベルが鳴り、ゲンコツがとび、靴《くつ》がぬげおち、砂煙があがり、悲鳴《ひめい》をあげ、純一の剣が一撃ではねとばされ、誰かが銃《じゅう》を撃《う》ち、電車の電線が断ち切られ、銃士たちが嵐のようにおそいかかり、純一はころげまわり、パンタグラフが折れ、乗客は逃げだし、取材班がかけつけ、純一が屋根からおっこちて、必死《ひっし》に走るその姿、応援団があらわれて、レポーターもあらわれる、またまた銃が撃ちならされ、樹の枝がはじけとび、女生徒の悲鳴はフォルテッシモ、あっちもこっちも大さわぎ、ころがる生徒、つまづく生徒、まるでクラブ勧誘《かんゆう》の再現フィルム。
『あの娘《こ》』のことなど、気にしていられる状況《じょうきょう》ではない。
だから、彼女がとった奇妙《きみょう》な行動に気がついたのは、ベアトリス・香沼ただひとりだった。
路面電車の運転席は、地面よりも一段高い。そして、屋根の上でどたばた騒《さわ》ぎを演じている連中よりも、ずいぶんと冷静でいられる。
その運転席にさっきからいたベアトリスには、はっきりと見えたのだ。
ひとりだけ、おかしな行動をとる少女が。
逃げる乗客は、まっすぐ走っていればなんの問題もない。そのまま銃士隊の陣内《じんない》だ。逃げこめば安全は保証される。じっさい、幾十人もの生徒たちが、われ先にそちらへ走っていった。
だが、少女はそうしなかった。くるりと右に向きをかえて、走りだしていた。
まるで、銃士隊から逃げ出すように。
ベアトリス・香沼の理性が告げていた。あれが、朝比奈純一のさがしている女生徒だ。
と、その時、
「そこまでだ、おまえらっ!」
土煙《つちけむり》をあげて、騒ぎの中心に突進してきた集団がいる。
あちらがマスケット銃なら、こちらは日本刀をひき抜いて、
「こっから先は、おれたち『校内|巡回班《じゅんかいはん》』の管轄《かんかつ》だっ! 手をひいてもらおうか!」
「なにっ」
なんと、学園の警備《けいび》団体がもうひとつあらわれたのだ。
その名も校内巡回班。
姿、立居ふるまい、まるで幕末《ばくまつ》の剣士集団である。『誠《まこと》』の旗を持たせて歴史を百年ほどさかのぼり、京の都にほおりこんでも、なんの違和感《いわかん》もなさそうだった。
「まて、ここで面倒をおこしては厄介《やっかい》だ、引け、銃士《じゅうし》諸君!」
「くそぉ、せっかくの活躍の場を……:」
課外活動の活発なこの学園、警備《けいび》団体にも守備範囲がきまっているのだ。にげまわる生徒たちは、これさいわいと、
「おたすけえぇ!」
前か後ろか、好みの救出者のもとに駆《か》けていく。
少女は、ほんの一瞬《いっしゅん》だけ立ち止まった。あたりをすばやく見まわした。そして、また別の方角に走りだした。
安全と平穏《へいおん》を守ってくれる二つの警備団体から、できるだけ離れるようにして。
そしてふたたぴ、群衆の中へ消えたのだ。
一〇万人のなかへ。
無名と匿名《とくめい》のなかへ。
ベアトリスは電車の運転室から降りて、生徒をかきわけ、彼女が最初に向きを変えて走りだした場所に行ってみた。
べつに、今から彼女を追いかけるつもりではない。何かが、少女のポケットから落ちるのを見ていたのだ。
かわいらしい靴跡《くつあと》のわきに、それは落ちていた。
小さな、安っぽい財布《さいふ》。
ずいぶんと古くさいデザインである。拾って、中味をあらためる。鍵《かぎ》が五、六本とりつけられていた。
お金も、あるにはあった。五円玉一枚と一円玉で、合計十四円。
「…………?」
ベアトリスは、ふと、混乱《こんらん》のそもそもの原因をおもいだした。
「そういえば、朝比奈はどこへいったのだろう?」
……十五分後、一両の路面電車からはじまった乱闘《らんとう》は、学園中央部全土に広がるバカ騒ぎと化していた。
「隊長! 聖《ひじり》隊長!」
ひとりの銃士が、仲間のあつまる路面電車『一番星』のもとへ走ってきた。
すると、ひときわ目立つ金髪の美青年が、待ちかねたように、
「首尾《しゅび》はどうだ? あの一年生は!」
「だめでした、騒ぎが『境界線』のむこうにまでひろがって……奴らに、巡回班に奪《うば》われました!」
「おのれ!」
聖、とよばれた隊長殿、怒りにまかせて、手にした絹のハンケチを地面にたたきつけた。
「あそこまで追いつめておいて、みすみす他の団体に持っていかれるとは……」
「隊長!」
「隊長!」
「……だが、このままではおかんぞ」
彼は、サーベルの切っ先を空に向けた。刃の背にくちびるがふれる。
さっと、腕を天にのばした。
学園|銃士隊《じゅうしたい》の、誓いのポーズだ。
「必ずや、あの一年坊主をつかまえ、正義と公正の名のもとに裁きを受けさせようではないか……たとえそのために、我が命をおとすことがあっても!」
* * * * * * * * * * * * * * *
蓬莱《ほうらい》学園ラジオ・TV放送委員会『蓬莱ニューストゥデイ』より:
「……さて、次のニュースです。学園中央部で今朝七時半頃、登校中の生徒を満載《まんさい》した路面電車が暴走《ぼうそう》するという事件がありました。
調べによりますと学生寮付近の線路上で鉄道管理委員を名のる一年生男子・朝比奈純一(十五歳)が運転手をだまして車両をのっとり、数十分にわたって学園各地を暴走したあとで、巡回班によって捕縛《ほばく》・連行されました。これが引き金となって各所で連鎖《れんさ》的に事故が発生、学園銃士隊と校内巡回班が出動するさわぎとなりましたが、さいわいにも被害は少なく、建築物破損二十三か所、軽傷者百五十八人にとどまっています。
朝比奈|容疑者《ようぎしゃ》は取りおさえられた際、『あの娘《こ》をみつけた』『もう少しで話ができるところだったのに』など、わけのわからないことを口ばしっており、当局では厳重|拘留《こうりゅう》もありうるとしています。なお同容疑者が、先日委員会センターをさわがせた『最後の未所属生徒』と同一人物である、との未確認情報もはいっています。
さて次の話題は季節の風物詩、雨木桜の模様《もよう》を……」
[#改ページ]
第三章 反省房《はんせいぼう》発・学園最悪の特急便
蓬莱《ほうらい》学園校内|巡回班《じゅんかいはん》……。
と言えば知らぬ者とてない、強者《つわもの》ぞろいの一団である。
学園の治安をあずかること三十余年、公安委員会・学園|銃士隊《じゅうしたい》とならぶ「三大|警備《けいび》団体」に数えられている。
数年前までは、そこに生活指導委員会……通称「SS」という団体があった。だが、今や伝説と化した『九〇年動乱』の結果、生徒会をもあやつって恐怖《きょうふ》政治をしいたSSは廃止《はいし》された。現在では反生徒会秘密組織として地下に潜伏《せんぷく》、非公認活動にいそしんでいるといわれる。
そのSSと、三〇年間にわたって対立してきたのが、巡回班なのだ。
近代銃火器に、真剣と根性《こんじょう》のみで抗して四半世紀以上。ついにはそれに打ち勝ったのだから、実力のほどは推《お》して知るべしだ。
班を構成するのは、いずれも海千山千の剣士ばかり。特別に、学園敷地内での帯刀《たいとう》をも許されている。彼らに目をつけられたら、命がいくつあってもたりない。たちまち委員会センター地下にある「反省房《はんせいぼう》」にひっぱられてしまう。
巡回班の反省房……そこは学園の暗部、恐怖のマト、まともな神経の生徒ならけっしてかかわりたくない場所だった。
だが……。
われらが朝比奈純一《あさひなじゅんいち》、そんなことは知るはずもない。おとなしく、せまくてきたない反省房の中、粗末な椅子《いす》に座っていた。
目の前には同じく粗末な机がひとつ。まわりは年季で黒ずんだ塗《ぬ》り壁、床《ゆか》はひんやりと黒い土だ。
あかりは、天井《てんじょう》から垂《た》れさがる裸《はだか》電球が一つきり。正面に、蝶《ちょう》つがいのゆるんだ黒い板の戸が、むっつり彼をにらんでいる。
純日本風の土蔵《どぞう》、というのが第一印象だった。
後ろ手にしばられた状態で、気がついたのがついさっき。最後の記憶は路面電車の乱闘《らんとう》と、雑踏《ざっとう》に消える『あの娘《こ》』の背中だった。
一体ここはどこだ? どのくらい、つかまっていたのか?
こうしている間にも『あの娘』は……。
「そうだ、こんなところに座ってる場合じゃない!」
純一は結論をくだした。
椅子《いす》の背に結ばれた両手をふりほどこうと、必死でもがいた。しかし縄はきつかった。しかも、あわてればあわてるほど、よけいに結び目がきつくなる。
(おちつけ、純一、おちつけったら!)
と、その時である。
ゴン、と妙な音がした。
戸の向こうからだ。
はて何だろう、と思う間もあらぱこそ、
「さあてと、てめえが学園の治安を乱す極悪人《ごくあくにん》、ってぇわけかい」
ずいっ、と戸板を足で押しあけ、大股《おおまた》で入ってきた青年が一人。
その姿はと見てみれば……
筋肉質の細い躯《からだ》、長髪を無造作《むぞうさ》に後ろへ垂《た》らし、身にまとうのは制服ならぬ薄ぎたない紺《こん》の着流し。くたびれた帯《おび》をきゅっと締《し》め、はだけた胸元に黒いYシャツ、下は黒いズボンがのぞく。足には履《は》きつぶしたスニーカー。
年の頃なら十九か、はたち。目つきの異様な鋭《ずるど》さは、獲物《えもの》を狙《ねら》う鷹《たか》のようだ。
そして、右手につかむは日本刀。一メートルもありそうな大太刀《おおだち》、正真正銘《しょうしんしょうめい》、斬《き》れば血の出る本物である。
「…………」
絵に描いたような貧乏剣士の登場に、純一はおもわず四方の壁をぐるりと見まわしてしまった。
どこかで『時代劇愛好会』か何かのカメラが回っていると思ったのだ。
「なにやってんでぇ」剣士が眉《まゆ》をよせた。
「いやその、べつに」
「ふん」
剣士は、どっかと、無作法にも机に腰をおろし、剣を横に置くと、ふところから書類を取り出した。
「えーとなになに、路面電車運行妨害、登校妨害、所属|詐称《さしょう》、委員会業務|執行《しっこう》妨害、鉄道委員への暴行、騒乱|教唆《きょうさ》、備品|破壊《はかい》、授業拒否、だらしない制服……うへっ、入学そうそう上等じゃあねえか。この俺様だって、ここまではやらなかったぜ」
どうやら時代劇愛好会の撮影《さつえい》ではなさそうだ。察しのわるい純一も、事の次第がみえてきた。
これは巡回班《じゅんかいはん》士による尋問《じんもん》なのだ。
尋問者は書類をめくった。
「……で、なんだ、その実体は女のケツを追っかける一年坊主ってわけかい。ホントかよ、おい。SS残党じゃあねえのか?」
彼は、紙束をぽいと投げ捨てて、
「へっ、まさかな……よおし! ちぃっと痛いメみてでも、事の一部始終、あらいざらい吐《は》いてもらうぜ。朝比奈|鈍一《どんいち》とやら」
「純一《じゅんいち》」
できるだけ相手を傷つけないような口調《くちょう》で、彼は訂正《ていせい》した。
剣士はたった今ほおり投げた書類をすばやく拾いあげ、鼻先に近づけて、ぐっとにらみつけた。
しばしの沈黙。
「うるせえっ! 細かいことにいちいち気がつくんじゃあねえ、おめえはよ!」
気がつくも何も、自分の名前だ。
「そっちこそ、失礼な奴だな!」
まっかになった剣士につられて、純一も大声になった。
「いきなり入ってきたかと思えば人の名前をまちがえて、いったい何様と……」
おもってるんだコノ野郎、と言いたかったが、剣士の方が早かった。
ちらり、と彼の右腕が動いた。
次の瞬間《しゅんかん》には、すでに刀が抜かれ、ひゅんと一振りしたかとおもうと、純一の喉元《のどもと》ぴたりと切っ先が定められていたから、たまらない。
「…………!」
純一はこわばった笑みをうかべた。両手はふさがれ、体は硬直したので、他に何もできなかったのだ。
剣士も、にやりと笑った。
切っ先は、これっぽっちも動かない。
「俺様にむかってそんな口をたたいて、五体満足にすんだ奴ぁ知らねえな…………この、神酒坂兵衛《みわさかひょうえ》さまにむかってよ!」
兵衛の真剣が、純一の喉《のど》と生命にあと数ミリとせまった、ちょうど同じ時刻……。
ベアトリス・香沼《かぬま》は女子生徒の住む『弁天寮《べんてんりょう》』中央|制御室《せいぎょしつ》で、物思いにふけっていた。
むこうが土蔵《どぞう》なら、こちらは超近代的なコンピュータ・ルーム。数年前に改築なったこの女子寮、一世紀以上の歴史をもつ蓬莱《ほうらい》学園で、もっとも電子管理がゆきとどいた建築物だった。
わけても制御室は最新設備でいっぱいだ。細長い部屋いっぱいに、コンピュータのディスプレイやらスイッチやらが詰《つ》まっている。巡回班の設備に比べれば、ゆうに二〇〇年ぶんは進んでいるだろう。もしかしたら、世界のどこよりも進んでいるかもしれない。
学園の科学技術の最先端……それが女子寮であり、中央制御室だった。
ベアトリスが座るデスクのまわり、四方の壁は天井《てんじょう》までモニター画面が埋めつくしている。その数たるや、百や二百ではおさまらない。すべて、女子寮の要所要所を監視《かんし》するカメラからの映像なのだ。
一〇万人の生徒がいれば、女生徒だけでも五万人。そんな人数が一か所にかたまって暮らすとなれば、『要所』だけでも大した数になる。
数百の映像は、まるでまばたきするように替《か》わっていた。
モニター画面ひとつで、いくつかの監視《かんし》カメラを受け持っている。そのため、数秒に一回、映す映像を切りかえる仕組みになっているのだ。
廊下《ろうか》が切り替わり、広間が映る。階段が消えて、娯楽《ごらく》室になる。暗がりから明るい部屋へ、人ごみから無人の廊下へ、青から赤へ、金から銀へ……それは幻想《げんそう》的な光景だった。
しかしベアトリス・香沼は、そんな美しさをうっとり眺《なが》めるような乙女チックな人間ではなかった。
「……ふむ!」
彼女はひとり、監視デスクの前で、映像群のまばたきを不愉快《ふゆかい》そうにながめていた。
公安委員活動の一部とはいえ、彼女には一番つらい時間である。一人だけの宿直がさみしいのではない。事件がなくてヒマだからでもない。
無秩序《むちつじょ》だからだ。
あちらで廊下を歩く者あらば、こちらでは大浴場《だいよくじょう》にむかう者がある。かなたに騒《さわ》ぐ一群あれば、こなたにマクラなげをする連中がいる。頃は夕暮れ、動きはバラパラ、合理性も効率もあったものではない。
なぜ彼女たちは、全員同時に規律正しく、まっすぐ就眠《しゅうみん》へむかえないのだ?
「どうやらこの大宇宙は」ベアトリスはつぶやいた、「私向きには、できていないらしい」
おもわず、タメ息がついて出る。
大宇宙と張《は》りあっても勝ち目はないことはわかっているのだ。
ならば今は、自分の身のまわりだけでも、理性的に整頓しておこう。無秩序きわまりない同級生たちの行動をぼんやりながめているよりは、よほど建設的だ。
(そのためには周辺的諸問題の根源に取り組まねば)
さて、彼女の脳裏《のうり》にうかんだ『諸問題の根源』とは何か? いまだおさまる気配のない学園物価高か。クラブで日常化しているという幽霊《ゆうれい》部員問題か。はたまた次の生徒会選挙をめぐる陰謀《いんぼう》のうわさか。
いや、そのどれでもない。
問題は、ひとりの生徒に集約されるのだ。
(朝比奈純一!)
そう、まさに彼であった。
……うら若き乙女が、特定の男子生徒をこれだけ深く想《おも》っていれば、ふつうなら頬《ほお》のひとつも染めるところだ。
ベアトリスは頬を染めるかわりに、眉間《みけん》にしわをよせていた。
(あの新入生にひっぱりまわされて、もうすぐ一週間)
一週間つづく問題というものは、えてして人生最後の日までまとわりつくものだ。
こんな状況《じょうきょう》は、断じて打破しなくてはいけない。
(秩序を守るには、災《わざわ》いの種は事前に摘出《てきしゅつ》し、排除するのがもっとも効率的である)
それが彼女の信条だった。
(ならば、あの危険きわまりない一年生が捜《さが》している女生徒についても、同じ態度をとるべきではないか?)
彼が反省房《はんせいぼう》でおとなしくしているあいだに、彼女の素性《すじょう》と所在をあきらかにする。
そして適切な処置をとる。
(それがもっとも良い方法だ)
だが、ここで朝比奈純一のばかげた先例にならうつもりは、まったくない。
彼女を見つけるのに、学園内を走りまわる必要はないのだ。
(状況《じょうきょう》を分析すれば、あの女生徒の所在は推論できるはずだ。
それから、ゆっくりとカメラをまわせばいい)
女子|寮《りょう》のいたるところにある、監視《かんし》カメラを。
ベアトリス・香沼は椅子《いす》の背にゆったりと体重をあずけた。そして胸の上で手を組むと、冷徹《れいてつ》で論理的な思考を開始した。……
いっぽうの朝比奈純一、あいかわらずの絶体絶命。
「おうおう、どうしたい?」
事態はぜんぜん改善していないのだ。それどころか切っ先が、じりじりっとせまる。にやにや笑いもそのままに、兵衛は左手で頬《ほお》をせわしく掻《か》く。
腕はきかない、逃げ場もない。味方もいなければ武器もない。
最低最悪、どたん場だ。いったいこの窮地《きゅうち》から逃れる道があるのだろうか?
どうする、純一!
「じぶんの立場、てぇやつをわきまえるか? んんん?」
御免《ごめん》なさい、の一言もあれば許してもらえよう。ふつうの人ならば、まちがいなくそうしただろう。
しかし純一は、そうはしなかった。
かわりに彼の中で、小さな刺だらけの何かが、ちくちくと動きだしていた。
(おかしいぞ)
頭の片隅《かたすみ》が不思議にも、しごく冷静にはたらいていた。
(このヒョウエとかいうやつ、妙に落ちつきがない。さっきからひっきりなしに頬を掻いて。それに、この貧乏くさい格好《かっこう》。剣だけは立派なくせに)
くるくると、いろんなカケラが頭の中でまとまりはじめた。
(なんでこいつは制服を着ていない? 部屋に入ってきたときの、あの変な音は何だったんだ? 落ち着きのなさは、なぜだ?)
「どうしたい、鈍一《どんいち》、なんか言ってみやがれ!」兵衛が大声を出した。
(なにかを急いでるんだ!)
尋問者《じんもんしゃ》が急ぐ必要があるのはなぜだ? 貧乏、急ぎの用事、しかし楽しそうな笑い。
貧乏人は何が楽しい?
(……そうか!)
「寮《りょう》にもどれば、たくさんあるんだけどね」
純一のわけ知り風な物言いに、兵衛は一瞬《いっしゅん》、剣を引いた。
「なに?」
「今は持ってない、といってるんだよ」はたして読みは当たっているか?「お金は、さ」
貧乏剣士は、柑好《そうごう》をくずした。
「へっ、新入りにしちゃあズイブンと物わかりがいいじゃねえか。最初からそういうカワイイ事を言ってくれりゃあ、俺様もこんな荒事にでる手問ヒマがはぶけるってもんだぜ。で、いくらぐれぇ出せる?」
やっぱりそうだ。それが目的だったのだ!
無罪放免《むざいほうめん》で帰すかわりに、それ相応の謝礼が入る。尋問係の役得《やくとく》だ。不真面目《ふまじめ》な班士|連中《れんちゅう》のこづかい銭かせぎ、といったところか。
「あせるなよ、出せるものも出せなくなっちゃう」
「いくらだ?」相手はくりかえした。
「その前に、この縄《なわ》をといてほしいもんだね」
「おっと。へへへ、こいつぁ気がつかねえで」
兵衛はいそいそと後ろにまわった。ようやく両手が自由になる。
しかし、まだ問題が解決したわけではないのだ。
自慢ではないが、朝比奈純一、腕っぷしにはまるで自信がないのだ。ましてや、余分の金などこれっぽっちもない。一介《いっかい》の貧乏学生、という点では、目の前の貧乏剣士とたいした差はないろう。
(どうしよう?)
一か八か、こいつを殴《なぐ》って逃げだすべきか、それとも何とかしてだますか、いやしかし待てよ……。
と、壁の向こうで音がした。
数人が、小走りに行き来するような音だ。
「ちッ」
と兵衛、それを聞いたとたん、すっと目を細めて立ち上がった。
「こうしちゃいられねえや」
「えっ?」
「おう、一緒《いっしよ》に来い」
ぐいっ、とひっぱられたと思う間もなく、純一と兵衛は廊下《ろうか》に跳び出ていた。
「ちょいとばかし、走るぜ!」
「うわっ!」
奥に引きずり出された純一は、いきなり何かにつまづいた。
「なんだこれ?」
廊下の黒ずんだ床板《ゆかいた》にゴロリと転《ころ》がっていたのは、なんと巡回《じゅんかい》班士ではないか!
一発の峰打《みねう》ちで気絶しているのだ。
(……さっきの、ドンという音は!)
純一は思いあたった。この生徒が倒れた時の!
「いやなに、ちょいと寝てもらっただけさ」
と兵衛、純一が何かを言う前に、まったく悪びれずに答えた。
「本当なら、こいつがおめえの尋問《じんもん》をして、こづかい稼《かせ》ぎにありつくはずだったんだけどよ。俺様も台所の事情ってのがあってな、おとなしくしてもらったってえわけだ」
「……じゃ、あんた、巡回班士じゃなかったのか!?」
純一は仰天《ぎょうてん》した。それじゃあ、さっきの問答は一体……なんともまあ、ずうずうしい男ではないか!
「おい、人聞きの悪りぃことホザくんじゃねえよ!」
兵衛はカッとなって純一の襟《えり》をつかんだ。
「こう見えてもな、俺様はつい二年前まで校内巡回班三番隊隊長、それも副長さんから直々《じきじき》に薩摩示源流《さつまじげんりゅう》を御教授いただいたッてぇくらいなんだぞ!」
「そんで、今は?」
「今でも班士だ、俺ゃあ」彼は胸をはった。「ただ、ちょいとばかし、関係者の皆さまにはごぶさたしてるけどよ」
「それがなんでまた、こんなチンケな小遣《こづか》いかせぎしてるんだよ」
「物価高なんだよ、最近はよ」
この男が言うと、奇妙《きみょう》な説得力がある。
「どっちもこっちも値上げ値上げ、学園中が銭の都合で動いてるンだ。まったく、やってらンねえよ。そのうち生徒の売り買いだってやるぞ、あいつら」
と……。
「あっちだ!」
ぼやぼやしているうちに、とうとう班士たちが近づいてきた。角ひとつ曲がった先にまで迫《せま》っている気配だ。
「姐《ねえ》さん!」廊下《ろうか》の向こうから大声が、「舞《まい》さん、こっちですぜ! 兵衛のヤツがまた……」
「なんですって!」
りんとした女生徒の声がかえってきた。
「また神酒坂の旦那《だんな》なのかい!? まったく、なんてことでしょうね! 今度という今度はこのあたしが……」
「やべえ!」兵衛はぎくりと身を震《ふる》わせた。「ありゃあ苦手だ」
「なんだい、『舞さん』て」と純一。
「いやなに、俺様のお師匠《ししょう》の妹さんでな、これがまた鼻っ柱がつえぇのなんのって……来たっ!」
兵衛がどのくらい『舞さん』を苦手に思っているのか、その見事な走りっぷりが如実《にょじつ》に物語っていた。
走る走る、また走る! うす暗い木造の廊下を右へ曲がり、左へ折れて、
「あっちだ!」
「こっちだ!」
「早く来やがれ、鈍一《どんいち》!」
「純一だってば!」
足は止まらず息は続かず、前は真っ暗、後ろは追っ手、横には刀をかまえた剣士、まさしく命がけの遁走《とんそう》だ。
だが、どんな悪い事も永遠にはつづかない。もうこれ以上走れない、というその時、二人の足がぴたりと止まった。
「……これからどうするんだよ?」純一がいった。
逃げきったわけではない。反省房《はんせいぼう》の外に脱出できたわけでもない。その証拠に、後ろからは追っ手の声がどんどん迫る。
「どうする、っていってもよ」
事実はまったくその逆。
真っ黒な壁が、そこにあるはずの廊下のかわりに立ちはだかっていた。
逃げる彼らの目の前は、行き止まりだったのだ!
「まずは事実を整理してみよう」
ベアトリスは人さし指を立て、声に出してみた。まるで、架空《かくう》の生徒に向けて講義を始める女教師のようだ。
「事実1……彼女はクラブ勧誘《かんゆう》初日、学園中央部にて目撃《もくげき》された。
事実2……彼女は(唯一かつ主観的な)目撃者によると、同中央部の木陰にひとり立ち、何もせずにあたりをながめていた。
事実3……彼女は本日登校時、中央校舎に向かう路面電車の車中にて再び確認された。
事実4……彼女はその際、追って来る朝比奈純一を避けた。
事実5……彼女はその際、各種|警備《けいび》団体の保護を求めなかった。
事実6……彼女の唯一の遺留品《いりゅうひん》は、金品わずか・鍵《かぎ》多数をふくむ古びた財布《さいふ》である。これは私が保管している。
事実7……彼女は足跡を残している。サイズは小さい。
事実8……彼女は学園の有名人ではない。これは自明。
事実9……彼女は、(私を除けぱ唯一かつ主観的な)目撃者によると、非常にかわいらしい」
何もない空中に、九つの事実を書きこんだ。しばらく考えてから、彼女はいい直した。
「事実9、削除《さくじょ》」
空中をごしごしと消す仕草。
「ふむ」
あまりにも情報が少なくはないか。これだけの貧弱な事実から、いったいどんな有益な結論が導き出せるというのか?
「……なんと簡潔で美しい事実ではないか!」
ベアトリス・香沼は、やる気まんまんであった。
そのとき兵衛と純一は……。
「ちくしょう!」
進退きわまった兵衛がまずやったのは、悪態《あくたい》をつくことだった。このあたりからして、彼の性格がわかろう。
「どうしよう?」
純一のほうは、前向きに考えようとした。しかし、いいアイディアがうかぶはずもない。
「どうしようもこうしようも」
左右の壁は冷たい土である。これっぽっちもすきまはない。
正面は、なぜかレンガづくり。どうやら昔《むかし》のハイカラな建物の一部が、そのまま残っているらしかった。ながい歳月をたえぬいたそのガンコさ、ふたりの逃亡者《とうぼうしゃ》をあざわらうかのようだ。
そして後ろからは、
「いたぞっ」
「袋のねずみだ!」
「四番隊、五番隊、前へ!」
「鉄砲《てっぽう》隊はまだか!」
「囲め! ぬかるなよ、相手はあの兵衛だぞ!」
みるみるうちに、退路《たいろ》は完璧《かんぺき》にふさがれてしまった。遠巻きに、しかし、じりじりと剣士たちはせまる。
この大捕《おおと》り物《もの》に腰をぬかしたのか、とつぜん純一はレンガの壁にへばりついた。
「なにやってんだ、おめぇ?」
兵衛がおどろくのも無理はない。彼は必死に壁をまさぐっていたのだ。
「金目のものでも見つけたか?」
「いやその」と純一、「映画だったら、このあたりに抜け道があるはずなんだけど」
次の瞬間《しゅんかん》、兵衛のげんこつが彼の脳天《のうてん》にとんだ。
「痛いじゃないか!」
「あたりめえだ!」と兵衛。「なにが抜け道だ、馬鹿野郎! そんな都合のいいもんが、おいそれとあるわきゃねえだろ!」
「四番隊、抜刀《ばっとう》!」捕り方の声がとんだ。
二十人が、すらりと真剣をぬいた。
純一と兵衛、おもわず顔を見合わせる。
「さがせ!」
いったがはやいか、三方の壁を手あたりしだいにさぐりはじめた!
しかし、壁たちは断固《だんこ》として、秘密の通路の所在をおしえてくれない。もしも、そんなものがあるにしてもだ。
やはり、こんな安直な方法ではだめなのか?
「だめだ、ねえぞ!」
いやいや、あきらめてはいけない、どこかに必ず、どこかに……。
「構《かま》えっ」
(待てよ?)
純一は自分の足もとを見た。
足もとの、板張りの床《ゆか》を。
「突撃《とつげき》い!」
「兵衛、下だっ!」
二十本の剣がつっこんでくるのと、兵衛が床を一刀両断《いっとうりょうだん》するのが、同時だった。そして斬ったがはやいか、ふたりの逃亡者の姿は煙のごとく、床板と共にかき消えた。
「なにっ!?」巡回班士たちが、どっとかけよる。しばらくの静寂《せいじゃく》。やがて、盛大な水音と、
「うわあああああっ!」
「汚ねえっ!!」
なさけない悲鳴《ひめい》がきこえてきた。
「……ほんとに馬鹿だねえ、神酒坂の旦那《だんな》も」
床にぽっかりと、人が簡単にはいれるくらいの大きな長方形の穴があいていた。それを見おろして、例の『舞《まい》の姐《ねえ》さん』が鼻をつまみながら、しみじみと言った……
「ちょいとお説教してやろうとおもっただけなのに……なにも好きこのんで下水道なんかに、とびこむこともなかろうにさ」
この蓬莱学園でもっとも汚い場所、下水道に!
「……これらの事実から、導き出せる推測は以下のとおりだ」
数分間考えてから、ベアトリスは講義を再開した。
椅子《いす》をくるりと回して、壁のモニター群に背をむける。無数の映像が、彼女の動きにつられるかのように、またたいた。
「推測1……事実6と7から、彼女は(当学園においてひんぱんに出没《しゅつぼつ》するとされる)幽霊《ゆうれい》その他の超自然的現象ではない。あくまでも実在する――そして一〇万人の中に埋没した――一女生徒にすぎない。また、事実6を検討《けんとう》すれば、彼女が人造美人などではないことも類推される。
推測2……事実4と5から。彼女は学園|警備《けいび》団体にかかわる種類の騒ぎを避《さ》けている。朝比奈を避けるだけなら、いずれかの団体に保護を求めればいい。また、巡回班《じゅんかいはん》と学園|銃士隊《じゅうしたい》が現在わが学園を二分する警備勢力である以上、すくなくとも一方に助けを求めるのが正常な判断だ。在校生は全員この事実を受け入れているし、彼女が新一年生ではないことは、次の推測から明らかとなる」
セリフに合わせて、ほっそりした人さし指が空中を動いた。
うん、なかなかいい調子ではないか。
「推測3……彼女は二年もしくは三年生である。事実2から。あの時点で、新入生が単独で行動することはできないからである。最悪のケースであった朝比奈純一でさえ、わずか五十四秒で私が捕獲《ほかく》した事実からしても、これはかなり信頼できる」
純一が今までにこの点に気づかなかったのは、ベアトリスからみれば不思議なことだ。
だが、わざわざ自分の推測を教えて勇気づけてやる義理もない。
いずれにせよ、これで全学園人口の三分の一は削除《さくじょ》できたことになる。
「推測4……彼女は二年|癸酉組《みずのととりぐみ》の生徒ではない。推測1と3から。なぜなら、もし同クラスに在籍《ざいせき》しているなら、いくらなんでも私が知らないはずがないからだ。
推測5……彼女は公安委員ではない。推測4と同じ理由から。なお、同じ論法で、朝比奈が訪問した各団体は除外できる。
推測6……彼女は裕福《ゆうふく》ではない。または財布《さいふ》を二種類以上常備している。事実6から。ただし事実3および8を子細《しさい》に検討するならば、貧乏であるほうが確率が高いというべきだろう。朝の路面電車ラッシュを避けることは、裕福な生徒ならば可能である。事実、有力なクラブや委員会の首脳をつとめる生徒たちは、自動二輪や運転手付き自家用車を活用している。また、この学園において有名人であるとは、学園経済の中枢《ちゅうすう》にいるのと同義である。
推測7……彼女はクラブ勧誘《かんゆう》に参加せず、勧誘される立場にもなかった。事実1と2から。目撃によれば、彼女は全生徒が浮かれ狂っているさなか、ひとり何もせずに立っていたことになる。勧誘期間中、学園には三種類の人間しか存在し得ないことは、ひろく知られている。すなわち、勧誘生徒・被勧誘生徒・勧誘生徒から逃げ回る生徒である。そのいずれにも参加していないとすると……」
何かが彼女の言葉を止めた。
「……ふむ?」
ベアトリスが推理のとっかかりを見つけた、ちょうど同じころ、純一と兵衛の逃亡《とうぼう》コンビは、もっと切実なものを見つけようと必死《ひっし》になっていた。
すなわち……
「出口だ、出口! どっかに地上への出口があるはずだ!」
「そんなこといったって!」と純一。「こんなもんに乗ってちゃ、捜《さが》せないよ!」
彼らが乗っているのは、長さニメートル半、幅は一メートル、長方形のふるびた板だ。
さきほど切り抜いた廊下《ろうか》の床板《ゆかいた》を、そのまま即席のボートとしてつかっているのだ。
ボートがあるなら、水の流れもあるはずだ。
もちろん、流れはあった。
「じゃあおめえ、このくそ汚ねぇどぶ川につかりてぇかよ!」
「やだ!」
「じゃあ捜せ!」
兵衛はどぶ川といった。じつに控《ひか》え目な表現だ。
むしろ、これは『地底の大河』というべき巨大さだった!
天井《てんじょう》と壁はなめらかにつながり、うす暗いアーチとなってどこまでもつづく。高さ数十メートル、右も左も同じくらい。ということは、おそらく深さもそれくらいはあるだろう。普通なら下水に並行《へいこう》してついているはずの足場は、にごった波の下に沈んでいた。
どうどうと、下水は勢いよく流れる。下流へ、下流へ、二人を乗せた板を運ぶのだ。しだいに速度は増している。
まるで大きな魚の腹の中に呑《の》まれた気分だった。
そこかしこに浮かぶのは、巨大な学園が生み出した、壮大なゴミ&汚物《おぶつ》&廃棄《はいき》物である。
なまもの、燃えるゴミ、空き缶、ビニールと、なんでもござれ。小は紙屑《かみくず》・歯ブラシ・ビニール袋・リンゴの芯《しん》・ピンクのバインダーから、大は机・本棚《ほんだな》・ビデオデッキ・自転車・四メートルのヌイグルミまで。さらには正月の門松《かどまつ》やら飛行機のエンジンまである。
そのほとんどが、新品同様。
一○万人がそろって、下水をゴミ箱とカン違いしている……わけでもあるまい。これこそが、蓬莱《ほうらい》学園の知られざる一面なのだ。
そして、ああ、下水の臭《にお》いだ!
これがまたひどい。くさい、なんていう単純なものではない。この世のすべてが最後にたどりつき、ここで『糞ったれ、どうとでもしやがれ!』と居直ったかのようだ。
はじめは鼻の奥が、きりきりと痛みだす。痛みはすばやく目頭《めがしら》にひろがる。そのうち舌の先端がしびれてくる。お次は肺《はい》の番だ。なま暖かい塊《かたまり》がぐるぐると動きまわる感覚が襲《おそ》う。と、そっちに気をとられているうちに、むっとした熱気が悪臭《あくしゅう》をひき従えて、服の裏に忍び込む。
その頃には、なんともおそるべきことに、鼻がすっかり臭いに慣《な》れてしまう。もう、なにも感じないのだ。こんなひどい臭いに慣れてしまうなんて! もしかしたら、もう平和な日常には帰れない身体《からだ》になってしまったのでは? そんな、まさか!
一刻もはやく、ここから逃げ出さなければ!
「とにかく壁をつかめ!」鼻をつまんだまま、兵衛が叫んだ。
「やだよ、気持ち悪い! なんかヌルヌル動いてるぞ!」
「じゃあ、オールになりそうなものでも捜《さが》しやがれ!」
「あれなんか、どうだ?」純一は、後ろから流れてきたラケットを指さす。
「よし、そいつだ! つかめ!」
「自分でやれよ!」
「できるか、そんな気持ちわりい! おめえがやれ!」
「やだってば!」
ラケットは、怒鳴《どな》りあう二人を横目に、悠然《ゆうぜん》と流れ去った。
「あーあ、行っちゃった」
「行っちゃった、じゃねぇだろっ」
「そっちこそ、なんだよ!」
「なにいっ」
一時が万事、この調子。
『絶体絶命』から逃げだして、たどりついたのは『空前絶後』。両者の努力もむなしく、下水からの脱出法《だっしゅつほう》は、なかった。
蓬莱学園の消化器管に呑みこまれた二人組、このまま誰にも知られることなく、腐り、溶かされ、流されてしまうのか?
「畜生《ちくしょう》、ほんのちょびっと小遣《こづか》いかせぎをしたかっただけなのによ!」
兵衛の呪《のろ》いの言葉は、ごうごうと流れる水音にかき消された。
「絶対に筋がとおらねえ! なにひとつ悪りぃことなんかしてねえんだぜ、俺様は!」
自分のおこないをまったく反省しないのが、この男の特徴であった。
「大した善人だよ、ほんと」つい、純一の口がすべった。
「なんかいったか?」
「い、いや、なんにも」
「てやんでえ」彼の地獄耳《じごくみみ》は、悪態を聞きのがさなかったようだ。「路面電車|強奪《ごうだつ》野郎なんかに比べたら、俺様のほうがなんぼかマシだぜ!」
「強奪じゃない、ちょっと借りたんだ! それに、好きでこんなことになったわけじゃない」
「好きこのんでこんなところに来る奴がいたら、俺様じきじきに、たたっ斬ってやらぁ!」
と、腰の得物《えもの》をぽん、とたたく。
「ついでに、ここへ俺様を連れてきた奴もだ」
「もっとひどいことになってたかも知れないんだよ、いっとくけど」
命の危険を感じた純一、あわてていった。
「ここよりひどい場所があるってんなら、教えてほしいもんだぜ!」
だんだん雲ゆきがあやしくなってきた。
やつあたり、という素敵な言葉がある。
今、神酒坂兵衛の中で、それが着実に育ちつつあるのだ。
悪臭《あくしゅう》のせいか、それともやり場のない怒りのためか、彼の目は真っ赤に血走っている。
(まずい!)
このままいくと、自分の首と胴《どう》が永遠にオサラバ、なんてことになりかねないぞ。
どうしよう?
「あるさ」彼はこたえた。そのとたん彼の内にある何かが、ちくりと痛んだ。
「どこでぇ」
どこだろう?
「ぼくのかよってた中学」考えるより先に、口が動いていた。
「おめえの中学、下水がつまってたんじゃねえのか?」
「臭《にお》いの話じゃないってば!」
「わ、わかってらあ、そんなこたぁ」と兵衛。「……そんなにひどかったのか?」
「まあね」
「どんくらい?」どうやら剣士は、純一の身の上に興味をいだいたようだった。これでとうぶん、斬られずにすみそうだ。
まるでシェヘラザードになった気分だが、ぜいたくはいってられない。
純一は話しはじめた。
そして言葉が、昔のいたみをよみがえらせた。
…………………………
……中学に関してのいい思い出なぞ、彼の中にはなかった。
純一は、「純粋な問題児」だった。
暴力《ぼうりょく》をふるうわけでもない。仲間とつるんで悪さをはたらくでもない。登校拒否をするでもない。かといって、教師がかんたんに制御《せいぎょ》できる無気力生徒でも、もちろんない。ああしろと言えばこうする、するなと止めればやりたがる、右といったら左に走り、ほっておけば示しがつかない。
まさしく「問題児」。
そんな彼と教師たちの関係は、「ズレていた」という形容が最適だった。たとえば、中学時代の担任氏との平均的な会話は、こんな調子だ――
担任「朝比奈クン、君ね困るんだよね。(一、二、または三)学期といえばね一番大事な時期なんだからね。それでねこんな調子じゃあね。たとえ(県内の三流公立高校名)でもね、すごくむずかしいんだよね」
純一「…………」
担任「だいたいね君は前から(不快な形容詞)なんだよね。君がクラスにいるとせっかくみんなが真面目《まじめ》に勉強しようという雰囲気《ふんいき》がくずれるんだよね。もうすこしなんとかならないかね。たとえば、このあいだも(上位成績生徒の名字)くんとか(上位成績女生徒の名字)さんとかのね、邪魔《じゃま》になってたんだよね」
純一「…………」
担任「人の話を聞くときくらいね、こっちを向くもんだよね、君ね」
あんまり会話になっていないといえば、まったくその通り。真面目に話をする気なぞ、どっちにも最初からないのだからしょうがない。
そんな彼に気をとめてくれるほど、世の中の受験体制は甘くない。例の会話は、中三の二学期の終わりともなれば、こんなふうになる――
担任「もうね、君の面倒《めんどう》なんかみたくないんだよね。でも一人分でも進学率下がると、またいろいろとまずいからね。かといって専修学校じゃ素行不良はいやがるんだよね」
純一「はあ」
担任「それでね、これはあんまり知られてない話だけどね、君のような情緒《じょうちょ》的に問題のある生徒を引きうけてくれる学校があるんだよね。それも東京にね。
入試も簡単、内申書は悪くてもかまわない、クラブ活動も活発、おまけに何年かよっててもいいんだよね。君も高校に行ける、お母さんも安心できる、うちの学校も出荷《しゅっか》、じゃなかった進学率がキープできる、いいことだらけだね。うんそうだ、そうしようね、はい決まり。(と担任氏は、せっせと書類に記入をして)朝比奈君、そこ行ってね、君の反社会的な性格を根っこから治してもらうといいよね」
純一「東京?」
鉄条網《てつじょうもう》つきの頑丈《がんじょう》な壁の中に、全国のフダつき連中をブチ込んで、竹刀《しない》と日章旗でもってシゴいているのだろうか。担任氏の話を聞いていると、そんなイメージになってしまう。
(どうせ、他にましな針路《しんろ》があるわけじゃなし)
で、やって来たのが蓬莱《ほうらい》学園。……
…………………………
「……ひでぇ先公だ!」
彼の身の上を聞きおえた兵衛は、本気で怒っていた。
この場に例の教師がいたら、問答無用でたたっ斬っていただろう。すくなくとも純一はそう感じた。
ふしぎな連帯感《れんたいかん》が生まれたような気がした。
そうとも。この男だって、もしかしたら根は善良な人間かもしれない。
「この場にそいつがいたら」と兵衛、「俺様が身ぐるみひっぺがして売り飛ばしてやるのによ!」
いやいや、どうやら連帯感は保留したほうがよさそうだ。
「そっちはどうなのさ」金銭的な憤慨《ふんがい》をつづけている相棒《あいぼう》に、彼はたずねた。
「ああん?」
「なんでこの学園に来たのかってこと」
と、急に、兵衛はしどろもどろになる。
「そりゃあおめえ、その、なんだほれ」
「兵衛……」
「だ、だからよ、人にはそれぞれ事情ってやつがだな」
「兵衛!」
「べ、べつに俺様はなにも隠しだてすることなんかねえぜ! なんでえ、おめえが話したからって、こちとらがいわなきゃならねえ法はねえじゃねえかよ、だろ? だいたいだな……」
「兵衛、いいから黙《だま》って!」純一は、べつに兵衛の身の上を聞きたかったわけではない。
それどころか! さっきから聞こえてくる不気味な音に意識を集中させようと、貧乏剣士にむかって『黙れ』の合図を送り続けていたのである。
「音だあ?」
「そうだよ、ほら!」
じっと耳をすます両者に、だんだんはっきりと聞こえてきたのは……。
ごうごうと、壁という壁をゆるがし、しだいに大きく激《はげ》しくなり、にごった空気を容赦《ようしゃ》なくゆすっている、その音は……。
まるで何かが吹き出すような、大地の底で呪《のろ》われた太古の怪物《かいぶつ》が身じろぎするような、彼らの本能に危険信号を送ってやまない、その音の正体は!
「まさか……」
「まちがいねえ」兵衛が叫んだ。「滝だっ!」
さて、中央|制御《せいぎょ》室のベアトリスは……。
「ここに問題は集約される」
講義|口調《くちょう》も、いまや最高潮のもりあがりをみせていた。
「まず、彼女は一年生ではありえない。この点はすでにくわしく検討《けんとう》され、私は強い確信をいだくにいたった。
ということは、二年生もしくは三年生ということになる。
そして、彼女はどこのクラブにも所属していない。
なぜなら、クラブに属しているなら、あの勧誘騒《かんゆうさわ》ぎから自由でいられるはずがないからだ。二年生は三年生からの圧力によって、文字どおり命がけで新規部員を誘い込む。三年生は二年生の士気を鼓舞《こぶ》するため、また互いに牽制《けんせい》するがゆえに、これもまた命がけで勧誘活動をおこなう。
そもそも、わが公安委員会が勧誘期間の警備《けいび》を担当しているのも、クラブ同士の衝突《しょうとつ》があまりに激化《げきか》し、各種警備団体にまかせておけなくなったためなのだ。
その事実だけをとってみても、部員がどれほど懸命であるかわかろうというものではないか?」
彼女は壁のモニター群に同意を求めた。モニターたちに反論する意図《いと》はまるでなく、ただ静寂《せいじゃく》をもって賛成の意をしめした。
無秩序《むちつじょ》なパジャマの群れも、女生徒たちの黄色い声もない。
美しい論理が、全女子|寮《りょう》をあやつっているのだ。
金髪の公安委員はほほえんだ。
「よろしい、つづけよう。
いま提示された、第二のテーゼを分割してみる。
1、『クラブに参加している生徒は、すべて勧誘活動に参加している』。これを言い替《か》えると、
1b、『勧誘活動に参加していない生徒は、すべてクラブに参加していない』。
そして、
2、『彼女は勧誘活動に参加していない』。
よって、
3、『彼女はクラブに参加していない』。
だが、そんなことはありえないのだ!」
ベアトリス・香沼は机をおもいきり叩《たた》いた。
モニターたちはびっくりして、せわしなくまたたいた。
「なぜなら、あの放送委員会での騒動《そうどう》であきらかになったように、現時点でクラブに参加していない人間は、朝比奈以外にいないからだ! そしてすでに、彼女が一年生であるという可能性は、消去されているからだ!」
金色の髪をかきあげ、彼女は広い室内をぐるぐる歩きはじめた。
「一年生でもなく、二年生でもなく、そして三年生でもない学園女生徒とは何者か?」
さあ、いよいよクライマックスだ。
壁のモニターたちは向学心にもえる生徒よろしく、神妙《しんみょう》にベアトリスの次なる言葉を待った。
「最初の段階で、幽霊《ゆうれい》や人造美人の可能性は排除《はいじょ》されている。よって、今までの推論に矛盾《むじゅん》しない可能性は、一つしかない。
すなわち……」
「なんで下水道に滝があるんだよ!」
純一の悲鳴《ひめい》は、学園で一番きたならしい水音にかき消された。
「知るか、そんなこと! それより漕げ!」
「漕ぐ!?」今度の悲鳴は、水音よりも大きかった。「漕ぐだって! この泥水《どろみず》を!? 漕ぐって、なにでだよ! この手でか!?」
「ぼやぼやしてっと、おめえと泥水の区別もつかなくなる、なんてえ羽目になっちまうぞ!」
とかなんとか、非建設的な怒鳴り合いをしているあいだにも、ぐんぐんと滝は迫りくる。
「きっちりつかまってろよ!」
しかし彼らの乗る板は、下水の洗礼《せんれい》によってどこもかしこもツルツルだった。
「つかまるところなんか、ないじゃないか!」
「じゃあ、つかまってるフリでもしてやがれ!」
目の前が、ぱっとひらけた。
どうどうと流れてきたねずみ色の大河が、ぶっつりと中空でとぎれた。とぎれて、そのまま下向きに、おそろしい勢いで落ちた。
見おろした底の、なんと遠いことか!
「助けてええぇえぇぇぇぇ!」
「馬鹿野郎おおおぉぉぉぉっ!」
[#地付き]「ぇぇぇぇ」
[#地付き]「……ぉぉぉ……」
一生の時問が、ほんの一瞬《いっしゅん》ですぎさった。
そしてはげしい衝撃《しょうげき》!
「……助かった!」
まだ五体満足、命がある! ちょっと臭いが、生きている!
「揺らすな、この餓鬼《がき》ゃあ、ひっくり返る!」
「助かった! 助かった!」
「まだ助かってねえっ!」
「え?」
「聞け!」
まったく兵衛のいうとおり。滝はすでに後ろに去ったはずが、まだ前方の暗闇《くらやみ》から轟音《ごうおん》がとどろいてくるではないか。
「まさか、また滝が?」
「いや……あれだ!」
兵衛の示した先は、さっきよりもぐっと高くなった天井《てんじょう》……。
その天井にぽっかりあいた黒い穴から、どうどうと、汚水《おすい》がほとばしり落ちる!
「……放水!」
まさしく放水である。
それも、ひとつやふたつではなかった。天井の右側、左側、そして中央……穴は、横三列に、えんえんと続いていた。
そのすべてから、どす黒い、粘《ねば》っこい水が、太い柱となって流れ落ちていた。
学園各地の汚水と廃棄物《はいきぶつ》が、一堂に集結せんとしているのだ!
あんなものの直撃をうけたら、純一たちの乗る『ボート』なぞ、ひとたまりもない。
「どうすんだよ!」
「うるせえっ、いま考えてるんだ!」
「どれだけくだらないアイディアでもいいから、早めに思いついてくれ!」
「言ってばかりいねえで、おめえもなんか考えろっ」
しかし、櫂《かい》もなにもない板の上で、貧乏剣士と一年生がいくら頭をひねったところで、事態が好転するはずもない。
「来たぞ!」
「ぎゃあ!」
「今度は右だ!」
「ひゃああ!」
「左!」
「うわああ!」
「臭《く》せえっ」
ざんぶざんぶと放水が襲《おそ》いかかる。
汚いだけではない。水面は渦を巻き、流れは右に左に曲がるのだ。その容赦《ようしゃ》なさは、彼らの悲惨《ひさん》な末路《まつろ》を暗示するかのようだ。
と、兵衛が、
「やべえ……こりゃあどうやら南西にむかってるぜ!」すっかり汚《きたな》くなった顔をあげた。
「南西?」
「おうよ、あすこを見な!」彼は天井《てんじょう》を、たった今やりすごした放水の出所を指さした。
そこにはくっきりと、『三四番 弁天《べんてん》川/五角館廃水口《ごかくかんはいすいこう》』
とあった。
「このままだと、もっとでっけえ放水に巻き込まれちまうぜ」剣士は真面目《まじめ》な顔つきになった。「なんつっても、こっちにゃ弁天寮があるんだからな!」
弁天寮……そう、学園人口の半分を擁《よう》するあの巨大女子寮については、すでに多くが語られている。
地上に出ている部分は、清潔・豪華《ごうか》・超近代的。
だが、その下で日夜生み出されている廃棄物のことは、誰もふれようとしない。
いま、蓬莱《ほうらい》学園史上はじめて、ふたりの崇高《すうニう》な冒険者《ぼうけんしゃ》……もとい、犠牲者《ぎせいしゃ》が、その真実に触《ふ》れるため、むりやり押し流されていくのだ!
惜《お》しむらくは誰も彼らの末路《まつろ》を知ることがない、ということだが。
「やべえ、マジでやべえぜ!」
……だが、兵衛の悲嘆《ひたん》をよそに、純一の考えていたのはまったく別のことだった。
「決めた!」
「なんでえ」
「このまま流されてしまおう」
兵衛は刀の柄《つか》で純一の頭をおもいきり殴《なぐ》った。
「痛いっ!」
「ぜんぜん解決になってねえじゃねえか!」
「違うってば、最後まで聞けよ!」
「おぅそうかい、聞こうじゃねぇかよ」兵衛はえらそうに腕を組んだ。「そのかわり今度つまらねぇことを言ったら、次の一発はとんがった先、くらわすぞ!」
純一は頭のこぶをさすりながら説明した。
「いいかい、この先は女子寮なんだろ? そこへ行けば、学園中の女生徒がいる。そうだね?」
「そうだ」
「僕が捜《さが》しているのは、女生徒だ。だね?」
「だから何だってんでぇ」
「ならば、この学園で女生徒をいちばん簡単に見つけられる場所はどこだい?」
「…………」兵衛、しばらく真面目《まじめ》に考え込んだ。
「あのねえ……」
「わかったっ!」と兵衛、「女子寮だっ」
「ご名答」
純一は、とりあえず褒《ほ》めておくことにした。ここで斬《き》られては元も子もない。
「なるほど、こいつぁアレだな」兵衛はヒザをぽんとたたいた。「将を射んと欲すればまず馬を射よ、ってやつだ」
「……この場合、虎穴《こけつ》に入らずんば虎子《こじ》を得ず、だろ?」
「…………」
「…………」
なにやら、まずい雰囲気《ふんいき》になってしまった。
「気にくわねえ餓鬼《がき》だな、てめえはよ」
「その、ひとつの可能性とは」
ベアトリスの人さし指が、ぴん、と立った。
「じつは彼女が非常に手の込んだクラブ勧誘《かんゆう》の一環《いっかん》である、ということだ」
彼女をとりまく無機質《むきしつ》のモニター群は、見事な論理の展開《てんかい》に感嘆した。そして拍手《はくしゅ》のかわりに、画像を規則的に切り替えた。
「……そう、この結論に矛盾《むじゅん》はない。だが、そこまでだ。すべての事実に符号しているわけでもない。あらたな疑問すら生まれる。
こんなクラブ勧誘《かんゆう》で、誰が入部するというのか? どこのクラブがこんな面倒《めんどう》かつ非効率的方法をとるというのか? なぜ彼女は警備《けいび》団体を避《さ》けたのか?
すべてが朝比奈に焦点《しょうてん》をあてたものだとは、とうてい考えられない。あまりにも偶然《ぐうぜん》の要素が多すぎる。飛行船の離陸がもう少し早かったら? 横風がもう少し強く、船の航路が変更《へんこう》されていたら? 朝比奈が双眼鏡《そうがんきょう》をのぞかなかったら? 女性に関する彼の趣味がちがっていたら?」
……ならば、不特定多数にむけたものだろうか。
「しかし、それもまた符合《ふごう》しない。問題の女生徒を見るためには、上空からでなくては意味がない。地上の、あの混乱《こんらん》の中で、ただ立っているだけの彼女を見つけることは不可能だからだ。
結論。彼女は上空の、もしかしたら見ていないかもしれない不特定多数の新入生にむけて、効果もなく意図もはっきりしない、壮大な勧誘行為の一環として、ひたすら立ち続けていたことになる。
ばかばかしい!」
彼女があの時あの場所にいたこと、それを朝比奈純一が見つけたこと、彼がそれ以来、彼女を追いかけていること……これらはすべて偶然《ぐうぜん》でなくてはならない。
「ということは、今までの論理に欠点があった、ということだ。
しかし、しかしだ(と、従順な聴衆《ちょうしゅう》である映像たちにむかって)、これまでの推論に欠点のあったはずがないではないか。事実はすべて確認されている。推測はいずれも妥当《だとう》なものだった。私はなにひとつ見落とさなかった。この学園のおかれた状況《じょうきょう》、クラブの動向、生徒の傾向と生活|環境《かんきょう》、すべて考慮にいれている。
だいたい、この学園の生徒に……」
ベアトリス・香沼は急にしゃべるのをやめた。
(生徒?)
部屋じゅうのモニターが、じっと彼女を見おろした。
完全きわまる沈黙。
(いったい誰が、彼女は学園生徒だといったのだ?)
誰も。
ただ、彼女が蓬莱《ほうらい》学園の制服を着ていただけだ。
「まさか」
そして彼女は警備団体から逃げだした。
まるで……
まるで、自分の正体を知られたくないかのように。
「……まさか、まさか、まさか!」
彼女は自分のたどりついた結論におどろき、おもわず机をたたいた。
そのとたん、
「ぃぃぃいいいえええええいぇやああああっ!!」
足の下から奇怪《きかい》な声がひびいて、目の前の床《ゆか》がすっぽりとぬけた!
「きゃ……!!」
ベアトリスの驚きといったらなかった。
なにしろ床にとつぜん穴がポッカリ開いたかとおもったら、悪臭《あくしゅう》をはなつ凸凹コンビがとびだしたのだ。
しかもそのうちの一人は、見おぼえがあるときている。
彼女ならずとも、唖然《あぜん》とするところだろう。
「ベッキィ!?」
「朝比奈!」
そう、まさしくわれらが朝比奈純一と、貧乏剣士・神酒坂兵衛《みわさかひょうえ》にまちがいない。
あの恐怖《きょうふ》の下水道からどうやって脱出《だっしゅつ》したのか、ようやく地上への道をさがしあてたら、出てきた場所が奇遇《きぐう》にも中央|制御室《せいぎょしつ》の床下とは。
「これはいったい……」
それにしても、床下からあらわれた二人組、なんともひどい風体《ふうてい》ではないか。
純一の制服はぐっしょり汚れ、きれいな緑のはずが、不気味なネズミ色に変色している。汗か下水か、臭《にお》いが混《ま》ざり、とても耐えられたしろものではない。
兵衛のほうも髪はぼうぼう、息はきれぎれ。例の古着もあちこちに、染《し》みやら何やらこびりつく有様。口にするのがはばかられるような物まで付いている。
「朝比奈!!」
ベアトリスが、あらためて悲鳴《ひめい》をあげた。彼らの具合を心配して……ではなかった。
じつは臭いが問題だったのだ。
「なんだあ、この金髪姉ちゃんは?」兵衛が、床をくり抜いた刀をおさめた。「おめえの知り合いか、鈍一《どんいち》」
「純一だってば」
この神酒坂兵衛という男、いったん間違《まちが》っておぼえた事は、テコでも直らないらしい。頑固《がんこ》なのか、それとも単にネジが一本ゆるんでいるのか。
「そうだ! ベッキィ……」
純一が手を伸ばした。
「私に近よるな!」ベッキィ、後ろに飛びすさる。「二人ともだ! 朝比奈、この……このおぞましい、悪臭《あくしゅう》まみれの灰色の塊《かたまリ》をなんとかしろ!」
「なんだとぉ?」
灰色の塊……もとい、兵衛は気色ばんだ。いいように言われて、黙っているほど優しい男ではない。
「てめえ、言わしておきゃあいい気になりやがって、この兵衛さまの愛刀・虎徹《こてつ》のサビにしてやろうか、ええ!」
「く、来るな、ここをどこだと思っている! この美しい精密機械群をなんだと思っているのだ! たとえ塵《ちり》ひとつでも故障してしまうのに、それをおまえたちは……」
「しゃらくせい、こちとら人間さまでいっ! 機械がなんだってんだ!」
「朝比奈、なんとかしろ!」
だが、返事がない。
「……どうした、朝比奈?」
さっきから彼はこれっぽっちも動いていなかった。かっと両目を見ひらき、ただ一か所を見つめていた。
「なんだおめえ、なんか変なモンでも食ったか」兵衛が、彼ならではの心配をする。
心配ご無用、純一はおかしくなったのではない。
「『あの娘』だ!」
「なに!?」
彼の指さす一点に、金髪委員と貧乏剣士の視線がすいよせられた。
壁の一点、ずらりと並ぶモニターの一番右の列、てっぺん近く……小さな画面に、忘れもしない少女の姿を見つけたのだ!
少女は、そこにいた。
まるでガラスに閉じ込められた小さな人形のように。
どこか、広い会議室のなかだ。
豪華《ごうか》なテーブルと東洋風の壼《つぼ》が、画面のはじにみえる。生徒会や有力なクラブに属する女生徒たちが、重要な会合をひらく所なのだろう。
重たそうな扉《とびら》をそおっと開けて、彼女は入ってくるところだった。
入ったあと、ノブのロックをまわす。
ほっとした表情。
音のない世界の中で、少女は優雅《ゆうが》に歩をすすめた。その姿は、最初に見かけた時とまったく変わらなかった。
やわらかい髪。
白いブラウス。
愛らしい瞳《ひとみ》。
そして薔薇色《ばらいろ》のくちびる。
純一の中にひそむ、何かが甘く痛んだ。彼女は存在する。幻《まぼろし》ではない、たしかにこの寮のどこかに存在するのだ。
だから、あとはあすこへ行って、声をかけるだけだ。
一陣のつむじ風が、ベアトリスの後ろをとおりすぎた。
「朝比奈?」
ドアは開けはなたれ、彼の姿はなかった。
ただ、兵衛が床《ゆか》にひっくり返っているだけだ。顔にはべったりと、純一の靴跡《くつあと》がのこっていた。
「……あ、あのヤロぉ……」
衝撃《しょうげき》からようやく立ち直った兵衛は、彼にしては珍しく正当な怒りに燃えて、身をおこした。
「生かしちゃおかねえっ! 虎徹《こてつ》のサビにしてくれる!」
「私としては、できれば五体満足のまま彼を連行してきてほしいのだが」ベアトリスが冷静に注文をつけた。
「うるせえ、女はすっこんでろ!」兵衛は獣《けもの》のようにうなる。「俺は一度言ったら退《ひ》かねえんだっ! 絶対にあの餓鬼《がき》を……」
彼女は黙ってスカートのポケットから五百円玉を取り出し、ポイと床に放り投げた。
小気味よい音をたてて、硬貨が跳ねた。ふたたび床にふれる前に、それは兵衛の手にしっかりと握《にぎ》られていた。
「……あの餓鬼を五体満足のまま、とりおさえてやるぜ」
と、すました顔で宣言した。
「俺様は一度いったら退かねえ男なんだ」
「それはもう、そうでしょうとも」ベアトリスは満足げにうなずいた。
* * * * * * * * * * * * * * *
蓬莱学園ラジオ・TV放送委員会『タッチダウン・ニュース』より:
「……えー、ただ今はいりました速報です。今から二〇分ほど前、学園|弁天《べんてん》女子|寮《りょう》の地下区画に、二人組の不審《ふしん》な人物が侵入《しんにゅう》したらしいとの未確認情報がありました。ただ今この放送を見ている女生徒のみなさんは、調査に協力をお願いします。なお、この二人組は男性である可能性が高いとのことです。
一部の報道関係クラブでは、数時間前に巡回班反省房《じゅんかいはんはんせいぼう》から脱走《だっそう》した『最後の未所属生徒』朝比奈純一(一年癸酉組《みずのととりぐみ》)との関連も取りざたされており……」
[#改ページ]
第四章 「弁天《べんてん》女子|寮《りょう》」で、深夜(その1)
走る、走る、走る!
朝比奈純一《あさひなじゅんいち》、一世一代の疾走《しっそう》であった。真っ白な超近代的建築の中をひた走る。夢にまでみた少女めざして。
この寮《りょう》のどこかに『あの娘《こ》』がいるのだ。きれいな部屋の中、長い長い廊下《ろうか》のむこう、どこかに、どこか、どこ……。
「あれ?」
いっきに廊下をつっぱしり、階段をやたらめっぽうに駆《か》けのぼり、十字路を二七回も曲がってから、彼は重大なことに気がついた。
「……『あの娘』、どこにいるんだっけ?」
モニターに映っているのを見て、気がついたら走りだしてて、それから…………あれ?
(いや、そもそも自分はどこにいるんだろう?)
なんとおそるべきことか。彼は、自分が迷子《まいご》になっているという事実を、ようやく理解したのだ。
学校の中で迷子!
それも女子寮の中で!
入学一週間めの男子高校生にとって、これほど赤面に値《あたい》する事態もなかろう。
(……ど、どうしよう?)
パニック!
いや、おちつけ。冷静になるんだ。よし、冷静になったぞ。
まずは、ここがどこだか確かめなくては。どこかに見取り図か何か……まてよ、それよりも誰かに聞いたほうが早い。きめた、そうしよう。
左右の壁には、個室のドアがずらりと並び、途切《とぎ》れることなく、何百メートルと続いている。前も後ろも同じ風景、同じ白、同じ無機質《むきしつ》。まるで合わせ鏡《かがみ》の間にはさまれてしまったみたいだ。
よけいに混乱《こんらん》してきた純一は、ほとんど反射的に、一番近いドアをノックした。
「はあい、どなたあ?」
「あのーすみません、ここがどこだか教えてほしいんですけど……」
ドアの向こうには、花柄《はながら》のベッドにごろりと寝ころんで、顔より大きなセンベイをかじっている、丸まると肉づきのよい女の子がいた。
「…………!」
純一の、最後まで残っていたひとかけらの冷静さが、頭上三十センチあたりでパチンとはじけた。
「男!」
ピンクのパジャマの彼女はセンベイを投げ捨てると、ノドから大音声《だいおんじょう》をしぼり出した。
「誰かっ! オトコよおおおっ!」
しまった!
今ごろしまったと思っても、遅すぎる。
「男?」両|隣《どなり》のドアが勢いよく開いた。
「おとこ!」そのまた隣のドアから、パジャマ姿がとび出た。
「オトコ!」
開いたドアのさざ波が、ものすごい勢いで、右と左へ広がっていった!
純一は、文字どおり波紋《はもん》をひきおこしたのだ。
さっきまで、廊下《ろうか》は味気ない白一色だった。まばたきする間に、それがカラフルなネグリジェとパジャマでいっぱいになった。
その模様を見てみれば、まさに千差万別。水玉あり、縞模様あり、ネコあり花ありペンギンあり。ハートが飛びちりフリルがおどる、百花|繚乱《りょうらん》、この世の神秘《しんぴ》。
うれしはずかし、あまりの華《はな》やかさに、ついつい逃げ出すのを忘れていたら……
「オトコ! オトコ! オトコ!」
黄色い大合唱がはじまった!
「夜這《よば》い! ヨバイだわ!」
「ハンサム? ねえねえ、ハンサム?」
「きゃあきゃあきゃあきゃあきゃあ」
「変態《へんたい》だわ!」
「自警団《じけいだん》に連絡《れんらく》を!」
「はい、おねえさま」
「つかまえろ!」
「むいちゃえ!」
「むいちゃえ! むいちゃえ!」
陽気なアマゾネス軍団が、純一めがけて押しよせた。
「ひゃあああああ!」
まちがっても、よろこびの叫びではない。よろこんでいる場合ではないのだ。このまま捕《つか》まったら、夜這《よば》いの現行犯にされてしまう。そんなことになったら……
(まちがいなく『あの娘』に嫌われる!)
自分の名誉よりも何よりも、まずその事を心配した一途《いちず》さ。いかにも純一らしかったといえよう。
「のがすかぁ!」
ショートカットの女生徒がタックルをかけた。
「ごめん!」
とんでよけると、今度は背後にひかえた桃色の柔《やわ》らかい壁に衝突《しょうとつ》だ。ふんわり香る、セッケンの匂《にお》い。
「きゃあああ、エッチぃ!」風呂あがりの『壁』嬢《じょう》が叫んだ。
「ごめん! ごめん!」
どっちへ動いても「ごめん、ごめん」の連発だ。それもそのはず、まわりはすっかり囲まれているのだ。そして包囲の輪は、じわじわと狭《せば》まりつつある。
万事休すか? われらが朝比奈純一は、女子|寮《りょう》をお騒《さわ》がせした一介《いっかい》の変質者《へんしつしゃ》として終わってしまうのか?
「馬鹿野郎か、おめえはよ!」
と、その時だれあろう、女生徒の壁をおしわけて、どなりちらしながら突進してきた汚らしい影が一つ!
「兵衛!」
「おうよ、俺様だ!」
剣士が鯉口《こいくち》を切って、吠《ほ》えた。
「ついて来い、この餓鬼《がき》ゃあ! おらおら、おんな子供は近づくんじゃねえ! 近づきゃ、ちぃっとばかり痛いメにあうぜっ!」
たんかをきったとたんに、廊下《ろうか》をうめつくした女生徒軍団が、ぴたり、と止まった。
(さすが、この男!)
口先だけではなさそうだ。
と、次の瞬間《しゅんかん》――
「兵衛!」
「兵衛だわ!」
「兵衛ですって?」
「あたしの二千円返して!」
「三百円返して!」
「こないだのツケ、払って!」
「やだ、キタなぁい! ヘンな臭《にお》いがするぅ!」
「おねえさま!」
「むいちゃおうぜ!」
さらに輪をかけた騒《さわ》ぎとなってしまった。女子寮を襲《おそ》う変質者《へんしつしゃ》のみならず、借金だらけの剣士をも取り押さえるべく、女生徒たちは攻撃を再開した!
「やべえっ」
ひっとらえにきたはずの兵衛、なかよく純一とならんで走りだす始末。必死《ひっし》に、鞘《さや》ごと剣をふり回しながら、
「速く走りやがれ、この餓鬼ゃあ!」
「よけい怒らせちゃったじゃないか!」
「俺のせいじゃねえっ!」
「それっ、のがすな!」どっと追いかける女生徒たち。
男子生徒が女子寮に忍び込んだ、という重大な事実もある。あるにはあったが、
〈大手をふって廊下を走りまわる絶好の機会を、のがしてなるもんですか!〉……むしろ、そんな明るい気分にあふれていた。
お祭り騒ぎがあれば、事の是非《ぜひ》はさておいて、何をおいても駆けつける……蓬莱学園|魂《だましい》、面目躍如《めんもくやくじょ》だ。
だが、しかし。
「お待ちなさい、みなさん!」
そんな楽しげな捕《と》り物《もの》ごっこに、水をさす無粋《ぶすい》な声があった。
「誰!?」
「なによぉ?」
「廊下をはしる必要はありません、みなさん。なぜなら……」
と、人垣を悠然《ゆうぜん》とかきわけて、のっそり現れたのは、数人の屈強《くっきょう》な女生徒。
これは形容のまちがいではない。
本当に『屈強』なのだ。
いずれも背は高く、がっしりとして筋肉質。それも、ただの「運動好き」タイプではない。まちがいなく、特別に訓練された戦闘用の身体である。
先頭に立つ、身の丈《たけ》二メートルはありそうな黒ジャージの三年生が言葉を続けた。
「……なぜなら、私たち〈女子寮|自警団《じけいだん》〉の目のとどくところ、廊下《ろうか》を走る生徒は存在してはならないからです」
女子寮自警団!
そういえば、つい先ほど誰かが通報していたはずだ。にしても、現場に駆《か》けつけるその速さ、尋常ではない。
さわがしかった女生徒たちが、誰ともなく音をたてるのをやめた。彼女たちの多くにとっては、噂《うわさ》は耳にするものの、じっさいにその勇姿を見るのは久しぶりなのだ。
女子寮自警団。
数年前、蓬莱《ほうらい》学園が動乱のただ中にあった頃、一部の女生徒有志があつまって寮の安全を守るために結成されたという団体……
と、ここまでは名前をきけばわかる。
最初は、ほんのあたりまえの組織だったが、のぞき・痴漢《ちかん》・下着|泥棒《どろぼう》と被害《ひがい》はいっこうに減らない。さすがの彼女らも、ガマンの限界。ついに、ひとりの有力な一年生を名誉団長にいただき、あっというまに強力な自衛集団へ変貌《へんぼう》したのである。
その変身ぶりを知らずにちょっかいを出した最初の男子生徒こそ、哀れであったといえよう。
彼の名前は伝わっていない。ただ、こんなふうに彼の物語は終わることになっている――
『……だけどあいつのズボンだけは、とうとう返してもらえなかったんだとさ』
以来、よからぬ考えの男子には恐怖《きょうふ》の的《まと》、かよわい女子にとっては憧《あこが》れと尊敬の対象となった。ことに中興《ちゅうこう》の祖とあおがれる名誉団長には、生徒会長すら一目《いちもく》置く、といわれる。
そして今、先頭をきって現れた、黒ジャージの巨大女生徒……彼女こそが、すでに在学中から伝説と化した『名誉団長』なのだろうか?
彼女の背後に並ぶは、いずれも強者《つわもの》ぞろい。そこらの軟弱《なんじゃく》な男どもなぞ、まとめて雑巾《ぞうきん》しぼりにかけてしまえそうだ。この軍団を率《ひき》いるには、そうとう武術に長《た》けた人物でなくては無理《むり》ではないか。とすると、やはり……。
「りぼん団長、どういたします」
黒ジャージの女が、そっと後ろにささやいた。恐れを知らぬ侵入者《しんにゅうしゃ》どもは、とうに廊下《ろうか》を曲がって姿を消している。しかし、声にあせりはみじんもない。
「決まってんだろぉ」
返事は黒ジャージの足元からした。はて、答えが返ってくるには妙なところだ。
「とっつかまえて、簀巻《すま》きにしてやるんだよ」
団長、と呼ばれた生徒が、黒ジャージの腿《もも》の横からひょいと顔を出した。小さい体は、他の団員のかげに隠《かく》れて見えなかったのだ。
なんとそれは、いまだ幼さがのこる美少女だった。
きびきびした動き、ぱっちりした目、きれいな髪を横にたくし、紅色のリボンできゅっと縛っている。小柄《こがら》な体をつつむのはピンクの運動着。アイドル研究会が、小躍りしながら『赤丸急上昇』の印をつけそうな女の子である。
その彼女が、しかし、にやりと不敵な笑みを浮かべた――
「このオレの……紅柄《べにがら》りぼん名誉団長の前でふざけたマネをしてくれたんだ、ただで帰すわけにはいかねえぞぉ!」
女運の悪さもここに極《きわ》まったか、朝比奈純一!
ところかわって……
「ばかな」
中央|制御室《せいぎょしつ》のベアトリス・香沼は、ひとつのモニターをにらんで腕ぐみをしていた。なにをかくそう、純一が追いかける『あの娘』の映像である。
「そんなばかな」
ばかな、と彼女がつぶやくのも無理はない。
つい先ほど、冷徹《れいてつ》な論理の連鎖《れんさ》によって『あの娘』は蓬莱《ほうらい》学園の生徒ではない、と証明したのではなかったか。
ただ制服を着ているだけではなんら確実ではないと、おそるべき盲点《もうてん》を発見したばかりではなかったか。
その彼女が今ここに、女子寮内にいる。女生徒がいるべき場所に、しっかりといるのだ。やっぱり彼女、ただの女生徒だったのか?
「D−00199A」
ベアトリスは彼女のいる部屋番号をチェックした。
「特別会議室……女子|寮《りょう》の西端か」
会議室? 夜中に女生徒がひとりで入室するには、ずいぶん奇妙《きみょう》な場所ではないか?
いや……
不審《ふしん》な点はそれだけではなかった。
「いったい何をしているのだ、あの女は?」
画面の中で、少女はゆっくりと動いていた。
ひょいとかがんで、大きなテーブルの下をのぞく。
あるいは、高価そうな壺《つぼ》の中をさぐる。
花瓶《かびん》、壁にかかった印象派の絵、テーブルの裏、ガラス細工《ざいく》の下、灰皿、シャンデリア、壁紙、電話の底、壁にかけられた鏡のまわり、もう一度テーブルの裏、ついにはカーペットまでめくり出す。
熱心さと罪悪《ざいあく》感と臆病《おくびょう》さがいりまじったような、奇妙な動作だった。
「???」
会議室のカーペットの裏に大切な用事がある、臆病な女生徒。なんとも不思議な存在である。
もしも本当に女生徒ならば。
「私の推論はまちがっていなかった」ベアトリスがつぶやいた。
彼女の正体がなんであろうと、これは学園女生徒のとりうる行為では、絶対にない。
そして彼女の正体も、いずれあきらかになるのだ。
(わが公安委員会の手によって)
だが、その前にやっておくべき事があった。
「あの汚ならしい巡回班士《じゅんかいはんし》だけでは、手におえない……か?」
五百円で買収《ばいしゅう》した時よりも、事態は深刻になっていた。かといって、公安委員会の御出動をおねがいしては、ペアトリスの評価にかかわる失態《しったい》だ。
寮のどこかに、恋する若者がいる。
そして西の端には、制服を着ているが、生徒ではない女性がいる。あとは単純な足し算だ。
あのふたりを出会わせてはいけない!
「よし」
ベアトリスはモニターの制御《せいぎょ》装置に手をのばした。
すべての画面が、彼女の指の動きにしたがって色彩を変えた。右から左へ、映像はすさまじい勢いで変化した。
「どこにいる、朝比奈純一?」
ベアトリスは冷静に目標を追っていた。
そう……。
まだ、この時は冷静だったのだ。
「へっ、これだけ離れりゃあ、しばらくは見つかるめぇ」
どこをどう走ってきたのか……
われらが純一と兵衛は、暗くて狭《せま》い掃除用具置き場の中にひそんでいた。
人がふたりにモップが十本。これでギュウギュウづめだ。
床《ゆか》にはうっすらとホコリがたまる。ながいあいだ使われた様子がない。隠《かく》れ場所としては悪くなかろう。
「い、いやあ、(息切れ)た、助かったあ……(息切れ)あ、ありがと、兵衛」と、純一は唾《つば》をのみこんで、「やっぱり、一緒《いっしょ》に逃げるのっていいよね」
「へっへっへ、なあに」剣士は、薄暗がりで照れた。「おめえにくたばってもらうわけにゃ、いかねえからな」
そして真顔になって、すらりと剣を抜いた。
「さもないと、俺様の出番がなくなっちまう」
三尺の白刃《はくじん》が、洩《も》れてくるかすかな光を吸いこんで、ちろちろと映《は》えた。
純一は息をのんだ。
こんな狭《せま》い場所でどうやって抜いたのか、まったく不思議だが、刀はまちがいなく目の前にあった。
「……なに、この光ってるの?」純一は、とぼけようとした。
「いやいや、気にするねぇ」
「もしかして、さわると痛い?」
「まぁ、そう深く考えんなよ」
光はじりじりと純一に近づいた。あとじさりは……できない。どっちも壁なのだ。あせってもがいた純一の上にモップの柄がのしかかり、よけいに身動きがとれなくなった。
「さっき顔を踏《ふ》んだこと、怒ってるのかい?」
「そんなんじゃねえよ」
「……じゃ、なんでぼくを斬るんだ?」彼は核心にふれた。
「いいや」と短い返事。「もっとひでえ目にあうんだよ、おめえはよ。おとなしくお縄《なわ》を頂戴《ちょうだい》しやがれ。金髪の姉ちゃんもお待ちかねだぜ」
なんでベッキィが!?と考えて、すぐに思いあたった。
「いくらだったんだよっ」
「おっと、そいつぁ企業《きぎょう》秘密ってやつだぜ」兵衛はもったいをつけた。
やっぱりだ! あの金髪公安委員にやとわれたのだ!
「たくさんかい?」
「そうさなぁ……しいて言やあ、このお仕事がおわると、おめえには想像もできねえくれぇの銭ががっぽりとフトコロに……」
しかし、これはちょっとおかしな話だ。先ほど兵衛がもらったのは、たったの五百円ではなかったか。ベアトリスも、後から追加|報酬《ほうしゅう》を払うなどとは言っていないはずだ。
「こっちはむこうの倍だす」純一はあわてた。
「へへえん?」
「三倍!」
「もうひと声!」
なんと、兵衛は、彼とベアトリスを天秤《てんびん》にかけて自分の値段をつりあげようとしているのだ。
この非常時に、なにをのんびり商談なぞしているのか。いまこの瞬間《しゅんかん》にも、おそるべき自警団《じけいだん》が扉《とびら》をやぶって襲《おそ》いかかって来るかもしれないというのに。なんという現金な性格だろう。
だが純一には、そんな彼のがめつい腹づもりは分かるはずもない。
「五倍!」
「とはいえ、よく考えてみりゃ、そうカンタンに先約を蹴っちまっちゃあ、俺様の評判にもかかわる。こちとらにも信義ってもンがあらぁな」
貧乏剣士は、懐手《ふところで》でアゴをなぜた。
「それによ、てめえにそんな財布《さいふ》のアテがあるかどうか、どうしたら俺にわかるってんだい? な、そうだろ」
彼の口調《くちょう》からして、信義よりも財布のほうが重要なポイントらしい。
「アテ?」
「おうさ。せんだっての反省房《はんせいぼう》の貸しもあるこったしよ。つまり証拠《しょうこ》ってぇのか、なんてぇのか。おめえさんに乗りかえる前に、俺様も安心してえのよ。
なに、こっちはべつにどうでもいいんだ。アテがないとなりゃあ、公安なり銃士隊《じゅうしたい》なり鉄道管理委員会なりへと、おめえを売っぱらって……」
まずい方向に話が転《ころ》がりはじめた。純一は最後の賭《か》けに出た。
「……あんた、お金のほかに、人生を生きぬいていく動機って、ないのか?」
「もちろんあるぜ、そりゃあ」兵衛がこたえる、「各種有価証券も受けつけてンだ。どうでえ、あんがい融通《ゆうずう》がきくだろ」
純一はタメ息をついた。だめだこりゃ。
(どうする?)
『五倍』などと言ったものの、純一に金の当てがあるわけがない。だいたい、ベアトリスが払う額さえわからないのだ。このままでは万事休す、一巻の終わりだ。
(それとも……)
それとも、終わりにしたほうが楽だろうか。
これだけの苦労して、ケガをして、走り回った後で、本当にハッピーエンドが自分を待っていてくれるだろうか?
はじめて、疑問が純一の内にわきあがってきた。『あの娘』を見てから、はじめての疑問が。
とたんに、体じゅうの痛みがよみがえった。
足はしびれ、腕は傷《きず》だらけ。包帯はゆるみ、喉《のど》はヒリヒリ、制服も泥《どろ》だらけでひどい臭《にお》いがする。
まるで馬鹿みたいなありさまだ。
たった一人の女の子と、言葉をかわそうとしただけで!
もし、ここであきらめれば……。
(面倒《めんどう》はおしまいだ。もう走らなくてもいい。下水《げすい》に流されなくてもいい。こんな狭苦《せまくる》しい掃除用具入れに隠《かく》れなくてもいい。たぶんこの学校から追い出されるだろうけど、もともと来たかったわけでもない。適当な追っ手につかまって、ゆっくり休んで、お風呂に入って、ごめんなさいと言って、そして)
純一は目を閉じた。
光の中にうかぶ、かわいらしい少女がいた。
(そして、『あの娘《こ》』とは二度と会えない)
純一の中の、小さくて刺《とげ》だらけの何かが燃えあがった。彼自身も正体を知らないそれが、たしかに動いた。
彼は目をあけた。
(こんなところで、あきらめられるか、畜生《ちくしょう》!!)
目を開けたとき、彼は今までの純一とはちがっていた。
「わかったよ、兵衛」
純一は、低い声でいった。
「これは絶対に秘密だったんだけど、君にだけは本当のことを教えよう」
「……なんだとぉ?」
「じつはね、僕はただの学生じゃあないんだ」
純一は制服の内ポケットをさぐった。指先が、黒いメモ帳にあたる。
あの、購買部《こうばいぶ》で買った耐水性のメモ帳に。
(よかった、まだあった!)
すばやくそれを引っぱりだす。ほんのチラリと端をのぞかせ、
「これがぼくの身分証明」
目にもとまらぬ速さでひっこめた。
「特命を受けて、秘密機関から派遣《はけん》されてきたんだ。目的は、ある女生徒を無事《ぶじ》に……」
「すまねえ、暗くてよく見えなかったんだが」
「……無事に保護し、本国に送還《そうかん》することだ」
純一は兵衛のつっこみを大胆に無視した。
「彼女は、欧州にある某立憲《ぼうりっけん》君主国の継承権第二位の王女だ。ところがただひとりの肉親、姉の王女は子供の頃から病弱で、とても次代女王の重責を担《にな》えそうにない。彼女を排《はい》しようとする有力貴族は陰謀《いんぼう》をたくらむ。大臣たちは浮き足だつ。国論はまっぷたつ。
これを好機とみた悪い摂政《せっしょう》が、ひそかに第二王女を亡《な》きものにせんと刺客《しかく》を送りこんだ。そのまま王国をあやつろうというハラなんだ。今や王国存亡の危機、腐敗《ふはい》と圧政が迫《せま》っている。
そこで、ぼくの所属する機関に、国を憂《うれ》える老騎士《ろうきし》から要請《ようせい》があった。なんとか王女を救ってほしいと。機関はこれを承諾《しょうだく》し、若くて優秀な人材として、このぼくが……」
「なんか、どっかで聞いたような話だなぁ」
「そ、そうかい?」
冷汗が滝になって全身をすべりおちた。
「おうよ。とくにその、お姫様だ、姉《あね》いもうとだ、悪い摂政《せっしょう》だ、ってぇあたりがよ」兵衛は暗闇《くらやみ》の中で、ふと遠い目をして、「でもまあ、そういうこたぁ、この蓬莱学園じゃあよくあることかもしれねえな、うん」
おどろくべきことに彼は、いいかげん極《きわ》まりない純一のホラ話を信じてくれたようだ。
「信じたの? 本当に!?」
言い出した本人のほうがびっくりしては、しょうもない。
「あたぼうよ。それとも何かい、信じちゃいけねえワケでもあンのかよ」
「いやその、べつに」
「へっ、おかしな餓鬼《がき》だな」兵衛は、剣をおさめた。「さて、それだけの機関とやらがバックについてりゃ報酬《ほうしゅう》のほうは大丈夫《だいじょうぶ》、と。そうと決まりゃあ、さっそく動こうじゃねえか。時は金なり、ウチワは左、カネがなるのは法隆寺《ほうりゅうじ》、とくらあ」
「動くって、どっちへ?」
「俺様の勘《かん》のよさをしらねえな」
剣士は暗閣《くらやみ》の中で、しばし何かに聞き入るように、じっと体を硬くした。
次の瞬間《しゅんかん》、
「こっちだっ」
白刃一閃《はくじんいっせん》、用具置き場の壁が、ざくり、と割れた!
ちょうどその頃、女子|寮《りょう》から北東へ数q……。
『鈴奈森《すずなもり》』とよばれる学園森林区域の中ほどにある、廃校舎《はいこうしゃ》の一角。そこで、おりしも一人の男性が、そなえつけの白黒テレビに見入っていた。
〈……です。一部の報道関係クラブでは、数時間前に巡回班反省房《じゅんかいはんはんせいぼう》から脱走《だっそう》した『最後の未所属生徒』朝比奈純一(一年生)との関連も取りざたされており、各団体の思惑《おもわく》もからんで、今後の捜査《そうさ》の進展が懸念《けねん》されております。
この時間は予定の番組を変更して、女子寮に侵入《しんにゅう》した不審《ふしん》な男子生徒を……〉
「こいつだ!」
叫んだのはだれあろう、学園|銃士《じゅうし》隊長・聖《ひじり》剣一郎であった。
学園の治安をあずかる銃士隊の本拠地《ほんきょち》は、じつは半分ぶち壊《こわ》れた木造校舎を間借りしているだけで、みるからにみすぼらしい。
高貴なる中立、「非公認団体」の地位をたもつには、予算も自前である。すべてを寄付と参加費だけでまかなわねばならない。物価高もいちじるしい蓬莱学園では、台所事情は苦しいものがあるのだ。
だから、活躍のチャンスは絶対にのがさない。
そして、うけた辱《はずかし》めは必ずそそぐ。
さもなければ赤字になる。
「こいつにまちがいない!」
銃士隊本部の宿直室に、剣一郎の大声がひびきわたった。
「隊長!?」
「聖隊長!」
となりの仮眠《かみん》室にいた当直銃士たちも目をさます。
「全員戦闘準備!」
隊長はサーベルをひっつかんだ。
「両学生|寮《りょう》に緊急|連絡《れんらく》、隊員をすべて弁天《べんてん》寮正門前に集結させろ! 諸君、朝の屈辱《くつじょく》を今夜そそぎ、明日を我らの栄光の夜明けとしようではないか!」
「了解!」
そんな事などつゆ知らず、例のコンビは……。
「ここ、どこ?」
文字どおり五里霧中《ごりむちゅう》であった!
「しらねえ」
頃合いよし、と用具置き場から(壁を斬り裂いて!)出てきたまではよかったが、兵衛の勘《かん》とやらに頼ったのが失敗のもと。
熱い霧にすっぽりつつまれた不思議な場所へ、二人は迷い込んでいた。バナナやパパイヤ、それに細長いシダ類など熱帯の植物が、所せましと生えている。きつい芳香《ほうこう》が鼻につく。見通しはまるできかない。数歩先の樹の幹《みき》すら、頭か爪先《つまさき》をぶつけるまでわからないのだ。
「ジャングルだよ、これ」
純一は手近のバナナを一房《ひとふさ》もぎとった。ふんわりと、鼻をくすぐる良い匂《にお》い。どうやら、夢や幻《まぼろし》ではなさそうだ。
「本物か?」
「みたいだ」
二人の腹が、そろって鳴った。そういえば、純一は朝から何も食べていない。あまりにいろんなことがあったから、すっかり忘れていたのだ。
彼らはちょっと気恥《なは》ずかしそうに、おたがいの顔を見た。
「映画のヒーローとかだったら、食事の時間なんかカットして、ずっとアクションを続けてられるんだけどね」と純一。
「俺たちゃ映画ン中にいるわけじゃねえ」
剣士は右手一本で、巧《たく》みにバナナの皮をむいた。
「本物だ」
頬《ほお》をふくらませて、もぐもぐと動かすあいだも、彼の左手は得物《えもの》の鯉口《こいくち》をきったままだ。警戒《けいかい》はゆるめていない。
あっというまに、二人で一房《ひとふさ》たいらげた。
「けっこういけるね、これ」口いっぱいにほおばったまま、純一が言った。「どうやら状況《じょうきょう》は良くなってきてる」
「のんきだな、おめえは。どこが良くなってんだよ。下水に滝壼《たきつぼ》、こんだぁジャングルだぜ……まったく、なんてところだい」
それにしても、なんで女子寮の中にジャングルが? 理科の勉強に、と温室をつくったのだろうか。それともすでに、ここは女子寮ではないのか。あちこちさまよっているうちに、まったく関係のない秘境《ひきょう》に迷い込んでしまったか。おなかがふくれたら、こんどはそんな不安が頭をもたげはじめた。
「聞いたか?」
急に兵衛がささやいた。
「え?」
「ほれ!」
純一の耳にもやっと聞こえた。霧のむこうから、大きな獣《けもの》のようなうなり声がする。
それから、もっと小さく、かん高く……まるでガラスをひっかくような音も。
「まさか」
次の房《ふさ》をもぎながら、純一は霧の中をじっと見つめた。
一瞬《いっしゅん》、無骨《ぶこつ》な恐竜《きょうりゅう》が、小さなネズミの巣《す》を踏みあらしている図を想像してしまった。
「わからねえぞ」と兵衛は、次のバナナを口に押しこみながら、「このふざけた学園のこった、恐竜が出てきたって俺様はおどろかねぇな」
「……それって、兵衛が絶対に驚かないって意味? それとも恐竜が出てくる可能性があるって意味?」
「両方だ」
ようやく霧が晴れてきた。
いや……これは霧ではない。バナナの密林が先入観となっていたのか、それとも空腹《くうふく》のせいで頭がまともに働いていなかったのか、すっかり間違《まちが》えていたのだ。
霧ではない。
これは湯気《ゆげ》だ。
「?」
大きなシダの葉を横に押しのけたとたん、ぱっと視界がひらけた。見なれないものが、純一の手前に立ちふさがっていた。
(これは!)
純一の口から、食べかけのバナナがぽろりと落ちた。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「うわあああああああああああああああああああああああ!」
「ひゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ほとんど同時に三つの叫び声が発せられた。声は、ものすごいエコーをうみだした。純一、兵衛、そして女生徒の声。
そう、女生徒だ。
それもそのはず、何をかくそう、そこはとてつもなく広い風呂場だったのだ!
奥ゆきたっぷり数百メートル、天井《てんじょう》まで十メートルはある。そこから岩壁《がんぺき》一面をつたって流れ落ちるのは人工の滝《たき》だ。さっきの獣《けもの》の正体は、これだったのだ。
そのまわり、壁ぎわには、たくさんのバナナ・パパイヤ・パンの樹が元気に生い茂っている。誰かおかしな趣味《しゅみ》の女生徒が植えたのか、いつのまにか生えてきたのか、それとも風呂場で食べるのか。ジャングルとまちがえたのもムリはない。
これを『風呂』と呼んでしまっては、設計者に失礼だろう。たかが漢字二文字で全貌《ぜんぼう》をあらわせるほど、かわいらしい代物《しろもの》ではない。
大浴場《だいよくじょう》、いやさ、超巨大温泉だ!
たちのぼる湯気のむこうには、無数の湯ぶね、無数の腰かけ、無数の蛇口《じゃぐち》、無数の鏡《かがみ》、無数のシャンプー、無数のてぬぐい、無数のシャボンに無数のタイル。
そしてもちろん無数の、しかも無防備《むぼうび》な女生徒たち。
(…………!)
純一と向かい合ってしまった娘のすぐ後ろ、奥にむかって幾列《いくれつ》も、蛇口とシャワーが並んでいる。
そこは、やわらかい肌《はだ》であふれていた。
純白、漆黒《しっこく》、桃色、黄色、褐色《かっしょく》、小麦色……なんとたくさんの肌色が、この世には存在するのだろう!
湯気はゆらめく、曲線はゆれる。これぞまさしく生命の神秘、宇宙の奇跡、人類|普遍《ふへん》の究極真理。
……なんていう哲学的な事を考える余裕《よゆう》が、純一たちにあったかどうか。
すくなくとも女生徒たちにはなかった。
純一が、なにか釈明《しゃくめい》らしきことを口にしようとした。
その前に、目の前の娘が、タイルばりの床《ゆか》にころがっていた石鹸《せっけん》入れをひっつかんだ。
「あの……」
「痴漢《ちかん》よおっ!」
彼女が石鹸入れを投げた。残響《ざんきょう》が、
「ちかんよお!……ちかんよお!……ちかんよお!……」
「ちがう!」石鹸入れは、みごと命中!「痛い!」
「変態《へんたい》!」後ろの女生徒が気づいた。すばやく洗面器を投げる。「へんたい!……へんたい!……」
「ちがうってば!」
「バカ、スケベ!」隣《となり》の女の子がシャンプーをつかんだ。
「こないで!」一〇人が一〇個の洗面器をつかんだ。
さあ、もう止まらない。一〇人があっというまに二〇人、そして.五〇人、一〇〇人の入浴娘《にゅうよくむすめ》たちが、いっせいに牙をむいた!
「誤解《ごかい》だ……痛いっ!」
「出てけ!」「この!」「やだぁ!」「たたっ殺しちゃる!」「たすけてえ!」「もうお嫁《よめ》にいけなぁい!」「馬鹿野郎!」「えっち!」「どアホウ!」
雨あられと二人めがけてとんできたのは、洗面器はもちろん、腰かけ、シャンプー、石鹸《せっけん》入れ、亀《かめ》の子タワシにドライヤー、ラジオ、髭《ひげ》そり、扇風機《せんぷうき》。
「髭そり? 扇風機?」
「気にしてるときかよ、この餓鬼《がき》ゃあ! 走れ!」剣士は純一の襟首《えりくび》をつかんで走りだした。
だがしかし、湯気がたちこめて前は見えない、床のタイルは水びたしで足がすべった。
おもった方向にはまるで進めず、かわりに、
「こっち来るなあ!」
「阿呆《あほう》!」
「この覗《のぞ》き野郎!」
「ぎゃっ」
「いっぺん死ねや、ドスケベ!」
「けだもの!」
「悪魔《あくま》!」
「鬼!」
「SS残党!」
前から横から、入浴用具が容赦《ようしゃ》なく襲《おそ》いかかった。
「どっちだぁ、出口はぁ!」
「兵衛、来た方へもどるんだ!」
「んなこといったって……痛てえ!……どっちから来たんだか、わかんねえンだよっ」
「すけべ! ヘンタイ! 女の敵!」
「学園の敵!」
「人類の敵!」
「非学生! 売学奴《ばいがくど》!」
「やっちゃえ!」
「むいちゃえ!」
逃げているつもりが、どんどん奥へ追い込まれてゆく。四方八方から怒りの洗面用具がとんでくる。これはもう限界だ、これ以上は命があぶない。
「こんちくしょうめ、いいかげんにしやがれっ」
叫ぶが早いか、ぷっつりと堪忍袋《かんにんぶくろ》の緒《お》を切る音も高らかに、兵衛の愛刀が、すらりと抜かれた!
「しまいにゃ女だろうと容赦《ようしゃ》しねえぞ、俺様は!」
そして、なんとも表現しかねる奇声《きせい》をとばすや、白刃《はくじん》は湯気を両断した。
冗談《じょうだん》ではなく、本当に、風呂の湯気をまっぷたつに斬《き》って捨てたのだ。ともかく純一には、彼の剣さばき、それくらい見事に感じられた。
「ぃぃぃぃいいいいええぇぇぇえええええやあああぁあぁおおおぉぅぅぅっ!!」
奇声がふたたび、風呂場の岩壁《がんぺき》がぐらぐらと揺れた。
さらにひと振り、またひと振り!
「どけどけどけええっ!」
「きゃあああ、こっちに来たわよおっ」
「ヘンタぁイ!」
形勢|逆転《ぎゃくてん》、兵衛が剣をふるうたび、女生徒たちは右に左に逃げだした。
「ほれほれほれえっ」
兵衛、すっかり調子にのっている。かよわい女性に刃物《はもの》をむけて、なにをいい気になっているやら。まったくいいかげんな男である。
「兵衛、やめろぉ!」
「うるせえなっ鈍一《どんいち》、だまってろ! もうちょいでこいつらの根性《こんじょう》をたたきなおしてやれるんでぇっ」
と、怒鳴《どな》りかえしてから、兵衛はぎょっと立ち止まった。
「ぼく、何もいってないよ」
純一が横から返事をした。
だが、最初の声は後ろからきこえたのだ。
「てことは……?」
「オレだぁっ」
次の瞬間《しゅんかん》、兵衛の斬《き》った湯気の裂《さ》け目から、一台のオートバイが突っ込んできた。
薄紅色《うすべにいろ》に塗《ぬ》られた巨大な自動二輪に、さっそうとまたがるのは他ならぬ、ピンクの運動着も鮮やかな、紅柄《べにがら》りぼん名誉団長!
「やいやいやいやい、神聖《しんせい》なる乙女の園《その》・弁天《べんてん》女子|寮《りょう》に土足で踏《ふ》み込んでくるとはズイブンな度胸じゃないかよぉ! りぼん様が、じきじきに引導《いんどう》わたしてやるんだから、おとなしく往生《おうじょう》しろよぉ!」
「おねえさま!」
「りぼんのおねえさまだわっ」
「きゃああ、すてきぃ!」
りぼん嬢、同性の人気は大したものだ。
「そおれ、みんな、ぬかるなよぉ!」
彼女がさっと腕をひとふり、ずらり七台、これまた紅色に塗られたバイクがあらわれた。またがるのは七人の戦闘女生徒だ。団長とは大違いのその姿、なんと迷彩色《めいさいしょく》のパジャマに身をつつんでいるではないか。手には迷彩の手袋、足には銀の錨《いかり》がうちこまれた黒いブーツと、ちぐはぐな出で立ち。背には棍棒《こんぼう》やら鞭《むち》やら、物騒《ぶっそう》な七つ道具をかついでいる。上から下まで完全武装だ。
「げっ」
「ひえっ」
兵衛と純一、たとえ本物の密林のまん中で本物の蛮族《ばんぞく》に囲まれたとしても、この時ほどは震《ふる》えあがらなかっただろう。
「網《あみ》を!」りぼんが手をふりあげた。
七つの分銅《ふんどう》が、湯気を切り裂《さ》いて飛んだ!
「からめとれ!」
分銅にはロープがついていた。ロープは網に姿を変え、網は左右にひろがって、風呂場をすっぽり包みこんだ。
兵衛の腕に分銅が当たり、
「あちっ!」
剣がはじきとばされた。純一と兵衛は、もつれにもつれた網の目にからまって、身動きがとれなくなった。凸凹コンビがとらわれるが早いか、
「ホース、前へ!」
湯気の中から五十人の団員がとびでてきた。手に持つのは、丸太ほどもありそうな太いゴムホース。
「冷水班、かまえ!」
「やべえっ!」兵衛が床《ゆか》に落ちた愛刀を拾おうと、必死《ひっし》でもがいた。「どきゃあがれ、鈍一《どんいち》!」
「純一だってば!」しかし、思うように動けない。
「射てぇっ!」
五十本の水の柱がハレンチニ人組を襲《おそ》った!
これをくらって立っていられるはずがない、すってんころりと横に転《ころ》がった。さあ、倒してしまえばしめたものだ。
「オートバイ部隊! ひっぱりまわせ! 巨大|浴場《よくじょう》一周旅行だよ!」
「了解!」
エンジンがうなった。青黒い排気が吹き出た。網がぴんと伸びた。
「うわああああ!」
「ひゃあああ!」
湯気と洗面器のあいだを縦横無尽《じゅうおうむじん》、言語道断《ごんごどうだん》、彼らは時速七〇qで引きずられていった!
「痛てえっ」剣士が悲鳴《ひめい》をあげた。「痛てっ、痛てっ! 熱ちい、熱ちい! 冷たい! 熱ちちっ!」
悲鳴の後ろ半分は、湯ぶねに落とされた瞬間《しゅんかん》のものだ。バイク軍団は、湯ぶねをとびこえ、バナナとパパイヤをかすめて走る。黄色い房《ふさ》やら硬い木の実が、次から次へと落ちてくる。そして極めつけは、浴槽攻撃。
「そらそら、お次はラジウム温泉だ!」武装女生徒たちが嬉《うれ》しそうに叫んだ。「たっぷり味わうがいいさ!」
紅色のバイクが湯ぶねの上を軽がると跳んだ。引きずられた二人は、ぼちゃんと落ちた。
「熱つっ!」
ラジウムづけになった二人組、いつまでも浸《つ》かっていたわけではない。バイクはまだまだ止まらない。
「今度は流れるお風呂だ!」バイクが跳び、二人が落ちる。摂氏《せっし》六五度のお湯が、横なぐりに襲いかかった。
「ぎゃああ!」
「ほうら、岩風呂だよ!」硬い玄武岩《げんぶがん》が、いきなり目の前にあらわれた。
「うぎゃ!」
「すべり台付き湯ぶね!」二人はすべり台から熱湯に突き落とされた。
「渦巻《うずま》き風呂!」二人はぐるぐる回転した。
「電気風呂!」二人はシビれた。
巨大浴場《よくじょう》、まさしく巨大である。湯ぶねから湯ぶねへ、浸《つ》かっては飛びでて、また浸かる。とても他では体験できない、究極の秘湯めぐりとはこの事だ。引きずりまわされた二人、たまったものではない。
「痛い!」
「熱ちいっ」
「そんくらい、なんだよぉ! 柔肌《やわはだ》みられた乙女のハートの方が、もっと傷ついてんだぞぉ!」先頭のりぼん団長が、ぴしゃりと言った。
「これが乙女のやることかよ……熱ちちいっ!」
兵衛の言うことにも一理ないではないが、風呂場に闖入《ちんにゅう》した分だけ、立場が弱かった。
「そおれ、このまま自警団《じけいだん》本部まで走るぞぉ!」
「りぼん様ぁ、がんばってぇ!」
「フレーフレー、おねえさま!」
浴場は、今やすっかり草競馬と化した。入浴していた女生徒たちは壁に鈴なり、色とりどりのタオルを巻いて、あるいはあられもない格好《かっこう》のままで、大喜びで観戦している。
「これでもくらえ、デバガメ野郎!」
「ざまあみろ!」
「女の子を甘くみるんじゃないわよ!」
自警団に声援がとび、純一と兵衛には熟していない青いバナナがとんだ。
「痛えっ」
「いたたた!」
未熟バナナはけっこう硬い。もしやこんな時にそなえて植えてあったのでは、と思わせるほどだ。
(くそお、何とかしないと!〉ひきずられていく純一の視界に、キラリと光るものが入ってきた。
進行方向二〇メートル、空色のタイルの床にころがっているプラスチック製の洗面用具……。
剃刀《かみそり》だ!
「しめた!」
なんでそんなものが女子|浴場《よくじょう》にあるのか、男子生徒である純一には分からなかったが、この際こまかい事にかまっていられない。網の中で体勢をたてなおす。
ぐんぐん接近する救いの神に、網の目のあいだから、おもいきり手を伸ばした。
剃刀の柄《え》が指先に触《ふ》れ、そして、つかみそこなった。
(!)
次の瞬間《しゅんかん》、純一は足を伸ばした。剃刀が裾《すそ》にひっかかった。素早く手にとる。網を切ろうとした。しかし、切れない!
「そうだ、兵衛に!」剃刀を渡そうと、彼のほうにふりむいた。
そこには貧乏剣士の足があった。
「兵衛ってば!」さっきの湯ぶね攻撃で、上下逆さまになってしまったのだ。「頭はどこだ、おい!」
「んああ?」返事も情けない、グロッキー寸前だ。
「ほら、君の大好きなもんだよ!」
「金か!?」とつぜん、声に張《は》りがでた。「どこだ!」
「違うよ、これ!」と、もがきながら、剃刀を彼の利き腕のあるとおもわれる方へ押しやる。「これで網を!」
「へっ、無いよりマシか!」
一息深呼吸して、
「でぃやあああぁあああぁあぉおおおおおっ!」
ぱらりと網が、二つ、四つ……いや、数百のこまかい糸くずに変わった。
「なにをぅ!?」
りぼん嬢と団員たちが驚いた時には、もう手遅《ておく》れ。
「走れ、兵衛!」
「あたりきよ、こんなおっとろしい所に長居は無用でぇ!」
自由になった二人組、立ち上がって走りだした。こうなっては、バイクはむしろ不利である。
「こっちに来たわよぉ!」
「きゃあああ!」
草競馬は一転、ふたたび遁走《とんそう》がはじまった。二人組はバイクを避《さ》けて、浴槽《よくそう》から浴槽へ、ひらりひらりと逃げまわる。八|艚《そう》ならぬ八|槽跳《そうと》びとは、まさにこの事。
「にがすな! 出口をかためろぉ!」
号令一下、女生徒たちが脱衣所《だついじょ》への道をふさいだ。
「俺の虎徹《こてつ》!」
兵衛が、浴場のかたすみに転《ころ》がっていた愛刀にとびついた。相手が刃物でなければ、頬《ほお》ずりしそうな勢いである。
「これさえありゃあ百人力、鬼に金棒、キ○ガイに刃物だぜ!」剣士は、むちゃくちゃな科白《せりふ》をはいた。
「出口は無理だ! 兵衛、あっちを!」純一の指さす方向……電気風呂の奥、バナナの森のわきに、鉄の扉《とびら》がまちかまえていた。上に真っ赤な電灯と、
『作業用出入口(関係者以外立入禁止)』
の文字。
「よっしゃあ!」
兵衛は、目にもとまらぬ速さで八双にかまえた。
「いぇええええぇぇぇえやああっっ」
気合いもろとも、ばっさり切断すれば、砕《くだ》けた扉の向こうは水道管だらけの暗い通路。
どうやら作業用の回廊《かいろう》らしい。これぞ天のたすけ!
「ついでに、こうだっ」
行きがけの駄賃《だちん》、とばかりに、一番太そうなパイプを斬《き》って捨てる。
すさまじい量の熱湯が、どっと大浴場へそそぎ込んだ。
「きゃあああ!」
「危ない!」
バイクが倒れ、バナナが流れ、洗面器と女生徒がさかさまになって押し流された。巨大浴場は、見るまに温水プールに変わってしまった。
「いくぞ、鈍一《どんいち》っ」
声が、逃げる兵衛の後を追って、風呂場の外へ駆《か》けていった。
「どうも、お邪魔《じゃま》しましたぁ!」純一は、最後に礼儀正しくあいさつしてから、すぐに兵衛を追いかけた。「お大事にぃ!」
「こらまてぇ!……まてえ……まてえ……」
ようやく自警団《じけいだん》が態勢を立て直したときには、ハレンチ二人組は闇《やみ》の中にとけて消えていた。
「ちっくしょお!」
と、なんとも乙女チックな悪態《あくたい》をついてから、りぼん団長は思案した。
作業|回廊《かいろう》の構造は、迷路といっていいほど複雑である。この中を、まともに追いかけてもしょうがない。むしろ、外から奴らの居場所を見つけて、じわじわと詰《つ》めていくのが正解だ。
「ここは最新設備ってやつに頼るとするかぁ……だれか、中央|制御室《せいぎょしつ》に連絡《れんらく》を!」
暗闇《くらやみ》の中、大小無数のパイプの間を、いったい何分、いや何十分ほど走ったか……
凸凹コンビは、すでに方角も時間もわからなくなっていた。
「兵衛!」
「なんだぁ!」
「ここまでくれば、もう走る必要はないよ」
今のさわぎですっかりキレイになった純一が、息をきらしてパイプの間にすわり込んだ。
「なんでわかるんでぇ」
「また、行きどまりだからさ」
聞くが早いか兵衛は剣をふるい、床板《ゆかいた》を斬《き》り裂《さ》こうとした。
にぶい、イヤな音が暗黒をゆるがした。残響《ざんきょう》が配水管をゆさぶり、そのまたむこうの配水管をゆさぶった。
三十秒後、ようやく音がおさまってから、
「今度はダメみたいだね」
「……欠けちまいやがった」暗闇になさけない声。
「どうする?」
「そうさなあ、また巡回班《じゅんかいはん》の倉庫にでも忍びこんで、べつのをもう一本……」
「ちがうってば!」どうもこの男とは波長が合わない。「ぼくが言いたいのは……」
純一がいいかけたとき。
「ちょっと待った!」
なんということか、こんどは横の壁が、うなり出したのだ!
「ひえっ……」
純一は、おもわずこみあげる悲鳴《ひめい》を必死で止めようとした。
ジャングル浴場が終わったとおもったら、すぐこれだ。今度はいったい、どんな恐るべき仕掛けが彼らを待ち受けているのか?
この超近代的|秘境《ひきょう》空間に、終わりはないのか?
「な、な、な……」兵衛が身がまえた。
鬼が出るか、蛇《じゃ》が出るか!?
と思ったら、
〈神酒坂兵衛、聞こえるか? 朝比奈?〉
「ベアトリス!」
誰あろう、地下の中央|制御室《せいぎょしつ》にいるはずのベアトリス・香沼の声であった。あれほど冷たい声でも、なつかしく感じるから不思議なものだ。
「こりゃいったい……!?」
〈壁に電話がある、受話器をとれ。今、あかりをつける〉
壁の一部が赤く輝きはじめた。非常用ランプの色だ。
さすがは最新建築、いたるところに緊急|連絡機《れんらくき》が設置されているのだ。さっきの奇怪な音は、ただのモーター音だったようだ。
凸凹コンビは、肩をくんで安堵《あんど》のタメ息をついた。
〈なにを二人して、すわり込んでいるのだ。はやく安全な場所へ移動しろ〉
「行きどまりだってえのに……」がなりたてる兵衛に、
〈四メートルもどって、右へ曲がれ〉
指示と同時に、天井《てんじょう》から道路標識のようなプレートがするすると降りてきた。表面はテレビ画面になっていた。寮の拡大図が映し出されている。
図は、どんどんと拡大されて、とうとう壁の裏をはしる狭苦《せまくる》しい通廊《つうろう》になった。
すなわち、彼らの現在位置だ。
赤い一筆書きが、そこから発していた。しばらくもどり、せまい十字路を右へすすみ、もっとせまい角を曲がって、ぐるりとめぐって大まわり、そして行き着く先には……。
『弁天寮《べんてんりょう》東部。非常用|脱出口《だっしゅつこう》』
真っ赤な文字が点滅《てんめつ》していた。
〈この道順で行けばいい〉
「便利な世の中になったもんだぜ」兵衛がかるくロ笛をひと吹き、「男子寮じゃあ、こうはいかねえや」
剣士はまるで気づかない様子だった。純一には、しかし、ひっかかる点がある。
(……道順が面倒《めんどう》すぎるのは、なぜだ?)
あのプレートの表示どうりなら、左からもっと簡単にいく道があるではないか。たとえば西まわりの通路が。
なぜベッキィは、そちらの道を示さないのか?
もっとはっきり言おう。
学園の治安を守る公安委員は、なぜ騒動《そうどう》の中心人物である純一に、もっと簡単な道順を示さないのか?
「そうか、右だね」
答えはひとつだ。
〈右だ〉
次の瞬間《しゅんかん》、純一は左へ走りだした。
〈朝比奈!〉
「お、おい、おめえ、どこ行くんだよ!」兵衛が後を追う。
「決まってるだろ、『あの娘』がいるところさ!」
「?」
「わかんないのか? ベッキィはぼくらに、行かせたくないんだ!」と、全速力で走りながら、「だからベッキィが行くなという方角に走れば、ぜったいに『あの娘』のところにつくはずだ。だろ!?」
兵衛はようやく合点《がってん》がいった、という顔をした。
「おい、なかなかオツムのいい餓鬼《がき》だな、おめえ」
「そりゃどうも」
〈こら、朝比奈!〉ベアトリス・香沼の悲鳴《ひめい》が水道管の谷間にひびいた。
「こら、朝比奈!」
中央制御室《せいぎょしつ》にひびいた肉声は、それよりは多少余裕のあるトーンだった。
「なんと……」
完全に読まれてしまった。
いざというときの、あの一年生の知的|瞬発力《しゅんぱつりょく》を計算にいれていなかったのだ。
「やるではないか、朝比奈」
論理的な快挙《かいきょ》は賞賛に値《あたい》するのだ。それが、あの朝比奈純一によるものだとしても。
「しかし、まだ事態を収拾《しゅうしゅう》する余地はあるぞ」
モニターの中を必死《ひっし》で走る凸凹コンビの小さな背にむかって、彼女はつぶやいた。
手元の制御盤《せいぎょばん》には――
使用スピーカー指定
○全館|一括《いっかつ》            ○
●個別(番号を指定してください) ●
番号指定●本館B2−01772
キーボードをたたいて、
番号指定●本館B2−01743
純一たちの進行方向に切り替《か》えた。
お釈迦《しゃか》さまの手のひらの上の、小さな反乱者《はんらんしゃ》。
そして西の端には、奇妙《きみょう》なふるまいをつづける臆病《おくびょう》そうな娘がいる。
「そうとも」
逃げるのはひと組、ゴールは一か所。一対一の、単純な図式だ。あとは女子寮がほこる管理システムをフルに活用すればいい。
「……まだ大丈夫《だいじょうぶ》だ」
彼女は、まちがっていた。
[#改ページ]
第五章 「弁天《べんてん》女子|寮《りょう》」で、深夜(その2)
「女生徒諸君、静粛《せいしゅく》に! 静粛にしたまえ! 君たちに危害は加えない! ただ、正義と学園治安の名のもと、ほんのいっとき我われ銃士隊《じゅうしたい》に協力してほしいだけなのだ!」
弁天寮の正面ホールに、澄《す》んだバリトンがひびきわたる。
だれあろう、聖《ひじり》剣一郎隊長である。夜の夜中に銃士を引き連《つ》れ、堂々と寮の玄関から乗りこんで来たのだ。
「銃士隊よ!」
「かっこいいわあ」
「聖さまぁ、こっちむいてえ!」
兵衛の時とは、ずいぶんな扱《あつか》いのちがいだ。彼がこの差を知ったら、ケガ人の十人や二十人は出るに違いない。
「隊長、ここは男子|禁制《きんせい》なんですよ!」
数少ない女性隊員たちも、ひさびさの非常呼集に駆《か》けつけている。
「非常事態なのだから、しかたがない。男子入寮は、いつぞやの七不思議さわぎの時にもあっただろう。非難は後からいくらでも受ける。今は一刻をあらそうんだ」
「でも……」
「銃士隊の名誉がかかっているんだぞ! あの一年坊主をほおっておけば、我々のメンツは丸つぶれ、これまで隊の栄光ある伝統を築きあげてきた先輩《せんぱい》諸氏にもうしわけがたたん! ここで自警団《じけいだん》に先を越されては……」
「きゃああ、聖さまあ!」
「愛してるわよーっ」
「ありがとう、諸君、ありがとう!」
女生徒の無責任な喝采《かっさい》に、聖隊長は我が意を得たりと手をふった。
「あのですね……」
「さあ諸君、ともに行こうではないか!」彼はサーベルをかかげた。「あの不埒《ふらち》な小僧をつかまえ、正義がこの学園に厳然《げんぜん》とあることを示すのだ!」
「一人がみんなのため!」
女生徒軍団が唱和《しょうわ》した。
「みんなで一人のために!」
……と、一部で楽しく盛りあがっている同じ頃、中央|制御室《せいぎょしつ》と女子|寮《りょう》をまたにかけた奇妙《きみょう》なチェスゲームが進行しつつあった。
武器は、声とポーカーフェイス。ゲームの焦点《しょうてん》は、相手の考えを読みとること。賞品は謎《なぞ》の少女だ。
戦っているのは誰あろう、朝比奈純一《あさひなじゅんいち》とベアトリス・香沼《かぬま》である。
ちょうど今、ベッキィに『手番』がまわってきたところだ。
「朝比奈、そこを左だ! 左に曲がれ!」
〈了解、ベッキィ!〉
監視《かんし》カメラとマイクを通して、純一の返事が伝わってきた。彼女の指令に反して廊下《ろうか》の十字路を右へ曲がる……かと思わせて、やっぱり左へ曲がる。
(またやられた!)
ベアトリスは髪をかきむしった。
その青ざめた顔色をみると、どうやらこの勝負、彼女のほうが負け込んでいるらしい。
「今度こそ絶対に、裏の裏の裏をかいてくるとおもったのに!」
あの暗闇《くらやみ》の回廊《かいろう》からこっち、ずっとこんな調子なのだ。
ウソの道順を教えれば、その裏をかかれる。かといって本当の事をいえば、たまたまその時にかぎって、いうとおりに走り出す。またまた裏をかいて嘘《うそ》っぽい本当をいうと、むこうも信じていないようなフリをして正しい道を進んでしまう。
最後の手段、防火用シャッターを閉じても、
「兵衛、こっちが正しい道だ!」
「おうよ、まかしとけ!」
……で、あとにのこるのは丸い穴のあいたシャッターが二枚、三枚。
裏と思えばまた表、表とみれば実は裏、右なら左、左は右に。そのうち、どっちがどれだけ裏をかいているやら、わからなくなる始末だ。
二十八手で、われらが朝比奈純一は、問題の会議室まで直線で五〇メートル、曲がり角よっつと階段ひとつにまで肉薄《にくはく》していた。
超技術の秘境《ひきょう》・弁天《べんてん》女子寮を相手にして、これは驚くべき成績だった。
(いったい私は朝比奈を妨害しているのか、助けているのか?)
金髪の公安委員は、自分の行為について深刻な哲学的|懐疑《かいぎ》をいだきはじめていた。それほどに、純一の移動経路は見事だったのだ。
〈次はどっちだい、ベッキィ?〉
スピーカーから聞こえる声にも、画面に映る姿にも、余裕《よゆう》が感じられた。
最初、純一は壁の左端のモニターに映し出されていた。いま、彼をとらえる画面は右から三列目にある。
画面は左が東、右が西に対応する。そして、
(なんという事だ、このままでは)
西の端にあるのは例の会議室。
二十八手で、チェックメイトまであと一歩!
制御室《せいぎょしつ》のモニター群を舞台《ぶたい》にした壮大な人間チェスゲームに、いよいよエンディングがせまる。
(このままでは!)
その時、電話が鳴った。ベアトリスは驚いてとびあがった。鳴っているのは、モニター群のわきにそなえつけられた緊急《きんきゅう》電話だ。
電話の上のデジタル表示は、
●B2−001780●
となっている。
巨大|浴場《よくじょう》の近くだ。
〈中央制御室! こちら女子寮|自警団《じけいだん》!〉
受話器をとるがはやいか、元気のいい声がとびだしてきた。
〈二人組の侵入者《しんにゅうしゃ》を発見、水道管の修理回廊に逃げ込まれた! やつらの現在位置を教えてほしい!〉
「了解しました。いま確認中です」ベアトリスは冷たくいって、純一たちの映るモニターを見た。
女子寮自警団か。ほかの団体の手を借りるのは美意識に反するが、こうなってはやむをえない。
「確認しました、番号は……」
ベアトリスは言いかけて、ふと会議室のモニターに目を転じた。
そして言葉がとまった。
〈もしもし? 中央|制御室《せいぎょしつ》? おい、どうしたんだよぉ!〉
豪華《ごうか》な会議室の一角で、奇妙《きみょう》な行為が演じられていたのだ。
少女はさがしていた品物を花瓶《かびん》の底に見つけたようだ。うれしそうに、そっとつまみあげる。
手の平にのるほどの小さな機械。
公安委員のベアトリス・香沼は、一目見ただけで、機械の正体がわかった。
「……盗聴機《とうちょうき》」彼女はつぶやいた。
夜中に、生徒でない少女が、会議室で盗聴機をいじっている。
〈なんだって? おい、もしもし、制御室!! 当直は誰だよぉ、おい!〉
ベアトリスは、あわてて口もとから受話器を遠ざけた。
モニターの中の少女が動いた。
(いや、いじっているのではない)
少女は、機械を大事そうにポケットに入れた。
回収しているのだ。
彼女はようやく気がついた。
これは緊急事態だ。
蓬莱《ほうらい》字園弁天女子寮を舞台にして、ひそかな陰謀《いんぼう》が進行しているのだ。
もはや、女子寮の闖入者《ちんにゅうしゃ》を相手にバカげたチェスゲームをやっている場合ではない。
「どうせこんなことになると、わかっていたのだ」
〈もしもし! おいってば、もしもし!〉
ベアトリスはタメ息をつくと、受話器をもどした。電話のむこうのどなり声はぷつりと途切《とぎ》れた。
かわりにマイクをつかんだ。
「わかった、朝比奈、降参《こうさん》だ! もう妨害はしない。正しい順路を教えよう。ただし、絶対に見つからないように気をつけろ。それから例の娘に会ったら、すみやかに女子寮から……」
だが、どういうわけか返事がなかった。
「朝比奈?」
どの画面にも、彼は映っていなかった。
ちょっと目をはなしていたあいだに、何かがおきたのだ。
「朝比奈、応答しろ! 朝比奈!」
ベッキィは必死《ひっし》で、身体の震《ふる》えをとめようとした。
「朝比奈!」
どこにもいない。まさか、もう例の会議室へ入ったのか?
彼女はもう一度、右端の画面を見た。
あいかわらず、少女はひとりだった。
胸ポケットをさぐり、今度はスカートのポケットに手をつっこむ。それを合計三回。
おまじないか?
ちがう。なにかを捜《さが》しているのだ。
急に、彼女は落ち着きをなくした……ように、ベアトリスには見えた。
少女は青ざめ、会議室の電話に走った。そして受話器をつかんだ。
電話をかけるつもりだ。
どこへ? なんのために?
ベアトリスは、自分はそれをチェックできる立場にあることを思いだした。あわてて手元のスイッチを操作《そうさ》する。
〈……だと?〉
電話の声が制御室《せいぎょしつ》にひびきわたった。
会議室の少女の声は、はっきり聞こえない。ベアトリスは必死《ひっし》でスイッチをいじくりまわしたが、無駄《むだ》だった。
〈『鍵《かぎ》をなくしました』で、すまされると思っているのか!?〉ふたたび、電話のむこうの声。男性だ。
映像《えいぞう》の少女がびくっとふるえた。
鍵?
公安委員はポケットから財布《さいふ》をひっぱり出した。路面電車の騒ぎのときに拾ったやつだ。鍵が、じゃらりと癇《かん》にさわる音をたてた。
〈馬鹿者! あれをつくるのにどれだけ苦労したと思ってるんだ! 生徒会長の個室だぞ! 学園最高機密なんだぞ! 日替《ひがわ》りでかわるんだぞ!〉
鍵をもつベッキィの手がゆれた。
画面の中で、しばらくの静寂《せいじゃく》。
しどろもどろの釈明《しゃくめい》をするには、ちょうどいい長さの時間だ。
〈もういい!〉
と、謎《なぞ》の男性の声。
〈盗聴機《とうちょうき》をもって今すぐに帰ってこい。会長のほうは別の策《さく》を考える。まったく、きさまにはとことん失望したよ!〉
それはどこかで聞いた声だった。低くて、ねばり気のある、えらぶった声。
(そうだ)
ベッキィは必死で思いだそうとしていた。
(あれはたしか、生徒会定例会議の警備《けいび》にあたっていたとき)
蓬莱《ほうらい》学園の生徒会は、執行部《しっこうぶ》と、学園の重要な実務をこなす十五の委員会からなっている。
あのときは生徒会長と副会長、書記、そして各委員会から首脳陣《しゅのうじん》が三人ずつ出席していたはずだ。
スキャンダル。
最初に頭にうかんだのは、それだった。生徒会首脳部の誰かが生徒以外の人間をつかって、女子寮に盗聴機をしかけている。
あるいは、わが公安委員会もかかわっているかもしれない。もしそうなら……
〈二級生徒のくせに〉
耳なれない単語が、制御室《せいぎょしつ》のスピーカーから流れでた。
その言葉がきこえたとたん、画面の中の少女が凍《こお》りついた。
二級生徒のくせに。
〈きさまらは我われの情けで、このすばらしい学園に居させてもらってるんだ。それをだな……〉
数秒の静寂《せいじゃく》。それから、
〈……授業なんか、知るか! 契約にはそんなことは書いてないだろうが。学園に居させてやる、とは言ったが。……うるさい! きさまたちは我々の命令した仕事を、きちんとこなしていればいいんだ。仕事をして、家族に仕送りをして。……なんだと!?
おい、わすれるなよ、自分たちの立場を!
きさまらは生徒様じゃないんだ! 買われてきたんだぞ!〉
ベアトリスは会議室の少女の正体を理解した。
『二級生徒』の正体を。
ちょうどそのころ……
われらが純一と兵衛は、問題の会議室まで、曲がり角あと二つとせまっていた。
だがしかし、そろそろ運もつきたようだ。
「いたぞ、あそこだ!」
角のむこうから銃士隊《じゅうしたい》、階段の下から自警団《じけいだん》、廊下《ろうか》を走るは女生徒たち、どっちへ走っても一巻のおわり。
「今度こそにがさないぞぉ!」
「観念《かんねん》しろ、この悪党《あくとう》どもめ!」
「むいちゃえ!」
「やべえ!」兵衛がうなった。
「かくれて、かくれて!」純一が廊下の小さな扉《とびら》をつかんで、中にもぐりこんだ。
部屋はまっくらやみ、あかりのスイッチもわからない。
「どうすんでぇ!?」
「いいから!」壁をさぐると、奥に扉が二つある。「二手に分かれるんだ! ぼくは右へ行く!」
「んじゃ、俺様は左だ」
暗い小部屋からもっと暗い小部屋へ、剣士と一年生は走り出す。
「……おい、まだ扉があるぜ!……」壁をへだてて、兵衛の声がとどいた。
「静かに逃げろよ、ばれちゃうだろ!」
「……悪かったな!……」
「だから、静かにってば!」
「……わかったよ、うるせえな!……」
そんな声を聞きつけたか、
「にがすな!」
「あっちだ!」
「その部屋だ!」
「突撃《とつげき》報道班です、今の心境を一言!」
「なに、突撃?」
「突撃だって!?」
「突撃命令だ!」
「全員、突撃よ!」
「突撃!」
号令一下、女子寮を走り回っていた団体・個人すべてが、純一の逃げこんだ小部屋へ殺到《さっとう》した!
「押すな!」
「だれか電気をつけろ!」
「痛い、痛い、痛い!」
「こっちに扉《とぴら》があるわ!」
「むこうにもあるぞ!」
「そのまたむこうにもあるぞ!」
「どこまでもあるぞ!」
「なんだぁこりゃあ」りぼん団長が頭をかかえた。「すっかり迷路じゃないかよぉ!」
そのとおり、扉のむこうにまた扉、小部屋の裏にまた小部屋と、終わりもなく続いているのだ。いったい何を考えて、こんなおかしな部屋を設計したのか、まったく理解に苦しむ。
「かまうものか!」聖《ひじり》隊長がサーベルをかかげた。「暗闇《くらやみ》のなにするものぞ、果てしなき扉のなにするものぞ! すすめ、諸君!」
「朝比奈、あんなところに!」
ベアトリスはようやく彼の居場所を発見した。
真っ暗な小部屋の群れ……じつは、会議室から壁一枚へだてた警備《けいび》関係者の待機《たいき》部屋である。いざというときには要人《ようじん》が脱出《だっしゅつ》するのにも使える。どうりで、入り組んだつくりをしているはずだ。
「あの馬鹿者!」
今やその秘密の部屋&回廊《かいろう》で、何百人もの追跡者《ついせきしゃ》がおしくらまんじゅうをしている。
「朝比奈、早くそこから出ろ!」彼女はマイクのスイッチを入れた。
〈ベッキィ!?〉
暗闇《くらやみ》の画面から返事がかえる。
「おまえがそこにいると……!」
(おまえがそこにいると、おまえを追いかけて殺到《さっとう》した膨大《ぼうだい》な数の一般生徒が、二級生徒とやらの犯行現場を、生徒会のスキャンダルを目撃《もくげき》してしまうではないか!)
彼女はあやうく口を押さえて、文章の後ろ半分がノドからとび出るのをふせいだ。
〈ベッキィ、どうした? 大丈夫《だいじょうぶ》か?〉
純一の声だ。
〈なにかトラブルでもあったのか?〉
おまえがそのトラブルなのだ、大馬鹿者!
ベアトリスの胃がしくしく痛んだ。
ああ神様、いますぐ女子寮をぱっくり二つに割って、この悪魔《あくま》のような一年生を地獄《じごく》に落としてください。私はもう耐えられそうにありません。
「朝比奈」
ベッキィは失いかけた理性を必死でたぐりよせて、自分と大宇宙のあいだの妥協案《だきょうあん》を実行することにした。
「左手の壁一メートルのところに扉がある。行きどまりだが、鍵《かぎ》がかかるようになっている。そこに入って、鍵をかけて、絶対にそこから出るな。わかったか?」
〈どうして……〉
「いいから早く!!」
「おらおらおら、俺様に近づくんじゃねえっ」
いっぽうの兵衛は、ここぞとばかりに暴《あば》れまわっていた。暗い部屋の中、追っ手は思うように動けない。しかし、兵衛には野生の直感があった。ひらりひらりと敵をよける。
たまたま直感がはずれたとしても、
「いいええぇぇええああっ!」
「ぐわっ」
と、愛刀・虎徹《こてつ》が火花を散らす。
「心配いらねえ、峰打《みねう》ちだ」
うそぶく彼の手の中には、いつのまにやら相手の財布《さいふ》があった。
「これがホントの行きがけの駄賃《だちん》、てやつだぜ、へへっ!」
趣味《しゅみ》と実益をかねた、まことに楽しい脱出行《だっしゅつこう》であった。こんな騒ぎなら、毎日でも大歓迎だ。
そんなノンキな事を考えていたら、
「おまち、そこまでだよっ」
明るい廊下《ろうか》に走りでたとたん、制服の美女がぱっと両腕をひろげて、通せんぼをした。
古風な長い黒髪、すずしげな目、武器も何ももたずに剣士の前に立ちはだかったのだ。なんという無謀《むぼう》なふるまいか。
しかし兵衛は相手をみるや、みるみる青ざめる。
「姉御《あねご》!」
やべえ、の三文字が彼の顔にくっきり浮かびあがった。
「兵の字っ」
彼がただひとり苦手とする女性……大河内舞《おおこうちまい》は、りんとした声でいった。
「どっかで聞いたような名前をテレビで連呼してるっていうから来てみれば案の定《じょう》、お尋ね者を反省房《はんせいぼう》から逃がすだけならいざ知らず、素人衆《しろうとしゅう》にまで御迷惑《ごめいわく》をかけてるなんて……ああ、なさけないこと! お兄様がきいたらなんておっしゃるか! いいえ、お兄様の手をわずらわすまでもないわ。今日という今日は、このわたしが勘弁《かんべん》しませんよっ」
純一はころげるように、最後の部屋へかけこんだ。
すばやく扉の鍵《かぎ》をしめる。
またまた真っ暗な部屋……のはずが、不思議なことにぼんやりと明るかった。長方形の窓が、反対側の壁にぽっかりとあいている。光はそこからくるのだ。
そして光の中に、『あの娘《こ》』がいた。
「……ベッキィ……」
純一は、姿なき案内者の名前をよんだ。
「おいベッキィ!」
〈静かにしろ、見つかるではないか!〉
「『あの娘』がいる!」
〈そうだ、だからしばらくそこで大人しくしていろ〉
純一は急いで口をとじて、暗闇《くらやみ》の中で幾度もうなずいた。ふるえる体をひきずるように、よつんばいになって窓に近づく。
〈それでいい〉
彼のなさけない姿が見えるのか見えないのか、ベアトリスは悠然《ゆうぜん》といった。
〈私はこれから重要な電話をかけなくてはいけない。しばらく手伝えないが、ひとりで大丈夫《だいじょうぶ》だな?〉
純一は阿呆《あほう》のように首を縦《たて》にふるだけだった。
一瞬《いっしゅん》たりとも、窓から視線をはずさなかった。
よつんばいの手を壁にのばし、窓のガラスにぴったりとオデコをつけた。ひんやりとした感触《かんしょく》が心地よかった。
今の純一の心境なら、たとえガラスが煮えたぎっていたとしても、やっぱり心地よいと感じただろう。
少女は目の前にいた。
窓を、純一のほうをまっすぐ見ている。
ゆっくりと近づいてきた。細い腕をそっとのばした。ガラスの表面を、かわいらしい人さし指でなぜた。
ちょうど、純一の額《ひたい》が当たっているところだ。
「あ、あ、あ、あの……」
しどろもどろになる純一を無視して、少女はふと小首をかしげ、今度は一歩さがると、やわらかい髪の毛の先を指でいじくりはじめた。
「……あの?」
なにか変だ。
少女は、髪の毛のほつれをなおした。それから両手を後ろにまわして、にっこり笑い、つづいてアカンベーをし、最後にかなしそうな顔をした。
目のはしに、涙がうかんでいた。
そっと、それを指でぬぐった。
唇《くちびる》がうごき、きこえない言葉がつぶやかれた。
純一はようやく真相を悟った。
これはマジック・ミラーなのだ!
「いったいなんで……」
純一のいる場所は警備室であり、脱出口であり、さらには監視部屋でもあったのだ。
だが、もちろんそんなことが彼に分かるはずもない。
「ねえ、君! ねえ!」
純一は、あらんかぎりの力でガラスをたたいた。だが、なんという頑丈《がんじょう》さか。まるで揺れない。音もしない。
ガラスのむこうの少女はまだ何かをつぶやいている。
ほんの数十センチ手前に、彼女を死にものぐるいで追いかけてきた少年がいるとも知らずに。
なんという、もどかしさ!
「ちくしょう!」
純一は狂ったようにガラスをたたき続けた。
「ここだ、ぼくはここだ! おおい! おおいってば!」
ここまで来て、ここまで来て!
「朝比奈、よせ!」
ベアトリス・香沼は右手のマイクにむかって叫んだ。
〈なんだって、香沼くん? どうかしたのか?〉
彼女の左手にある受話器から、かん高い声が返ってきた。
「いえ、あの、ちがいます。委員長に言ったわけでは……こら、朝比奈! やめろ!」
ちょっと目をはなすとすぐこれだ!
〈香沼くん。あとでまた、かけ直してくれても……〉
男の声は、すこし不安そうだった。ベアトリスが委員長、と呼ぶからには、相手は公安委員長なのだろう。有能な女性委員のおつむがおかしくなったのか、とでも思ったに違いない。
「いえ、すぐにすみます。しばらくお待ちを」
ベアトリスのほうは、なんとも丁寧《ていねい》な口調《くちょう》である。これだけをとっても公安委員長の恐ろしさがわかろうというものだ。
〈ベッキィ!〉
いっぽう、とても丁寧と言いがたい声は、われらが純一。
〈どっちに行けばいいんだよ? いや、もういい! 自分でさがす!〉
「いいから、絶対に動くな!」
ベッキィはデスクを叩《たた》いて叫んだ。数年ぶりの、心からの叫び声だった。
〈香沼くん、すこし休んだほうが〉
「いえ、委員長、これは……」
指先が、なにかのスイッチにふれた。
〈なんでだよ、ベッキィ! だいたい……〉
「黙《だま》れ! とにかく、あの娘が会議室にいることがバレてはならないのだ!」
弁天《べんてん》女子|寮《りょう》のありとあらゆる場所で、生徒たちはベッキィの悲鳴《ひめい》を聞いた。
〈……会議室にいることが!……〉
制御室《せいぎょしつ》のすべてのモニターの中で、主要な顔ぶれが驚いて立ちどまった。
銃士《じゅうし》たち、巡回班士《じゅんかいはんし》たち、自警団《じけいだん》の屈強《くっきょう》な女性たち、レポーターたち、聖《ひじり》隊長、りぼん団長、兵衛と舞、純一。
〈……会議室に!……〉
そして会議室の少女も。
〈香沼くん?〉
ベッキィは指先のスイッチを見た。
使用スピーカー指定
●全館|一括《いっかつ》           ●
○個別(番号を指定してください)○
ランプは赤々と、『全館一括』の上下に繹いていた。
ベアトリス・香沼はスイッチの並ぶデスクに顔をつっ伏《ぷ》した。
「……おお神様」
ベアトリスの叫びにいちぱん驚いたのは例の少女だった。
それはそうだろう。誰にも知られずに仕事をしていたとおもったら、いきなり全館にひびきわたる大声で、自分のことが放送されたのだ。驚かないほうがどうかしている。
純一のしがみついていた窓から、彼女の姿が一瞬《いっしゅん》にして消えた。
「まってくれ!」
反射的に、出口にとびついて鍵《かぎ》をあけるのと、
「今の声だ! こっちから聞こえたぞ!」
そこに銃士隊《じゅうしたい》隊長・聖剣一郎が突っ込んできたのが同時だった。
純一が扉《とびら》に体当りしてとびだした。扉はものすごい勢いで外に開いた。そこにちょうど聖隊長がいた。
「ぎゃああ!」
次の瞬間《しゅんかん》、純一の手には、なぜか銃士隊のサーベルとマントがあった。
「あれ?」
しかし、この際そんなことは重要ではない。
「どけどけどけぇ!」
恋に狂った少年はマントをひっかけると、サーベルをふりまわして追跡《ついせき》を開始した!
「ぼくに近づくなよ! 手かげんの仕方なんか知らないんだからね!」
気絶した聖隊長が部下の銃士たちによって発見されるのは、もう少し後のことだ。
〈……香沼くん、大丈夫《だいじょうぶ》かね?〉
「大丈夫です」
ベッキィはデスクにつっ伏《ぷ》したまま、受話器に答えた。
「大丈夫です、本当に」
〈それで、報告の続きをお願いしたいのだが……たしか、二級生徒とか言ったね?〉
「はい」
〈なるほど〉
小さく聞こえたのは、ため息だろうか?
〈それは、たしかに問題だ〉
「姐御《あねご》、堪忍《かんにん》、かんに……いてえっ」
「ええい、だまりなさい!」
制服の美女は、天下の弁天女子寮の廊下《ろうか》のまんなかで、貧乏剣士に愛のビンタをくらわしていた。
「そこにお座り、この人はもう! なんなの、この財布《さいふ》の山は!? ちょいと、なんとか言ってごらんなさい!」
「だから姐御……」
「口ごたえするんじゃないよ!」
またまたビンタ。今度は往復だ。
「なんだなんだ」
「やだあ、兵衛だわ!」
「俺の財布だ!」
「あの、新聞部ですが現在の心境を」
こんな光景はめったにみられるものではない、あちこちから見物人がぞろぞろ集まって、黒山の人だかり。兵衛が、かっとなって、
「てめえら、見せ物じゃねえぞ!」
「素人衆《しろうとしゅう》になんて口のきき方だい、兵の字!」
さらにビンタがとぶ。
と、ちょうどそこへ、廊下《ろうか》のむこうから走ってきたのは、どこかで見たような少女である。
「あれ? いまのはたしか……」
「よそ見してんじゃありません!」
「いてえっ」
少女はあっというまに走り去る、その後ろから突っ込んできたのは……
「鈍一じゃねえか!」
「兵衛!」
純一と銃士隊《じゅうしたい》、自警団《じけいだん》と女生徒、そのほか途中から参加したクラブや委員会のメンバーが、見物人の山に正面からぶつかったから、たまらない!
「にがすな、隊長のかたき!」
「全女生徒の敵!」
「突撃《とつげき》報道班です、なにか一言!」
「ビデオ研です、わらって!」
「応援団、三三七|拍子《びょうし》っ」
たちまち廊下は大混乱のちまたと化した。
生徒の上にまた生徒、パジャマの下に銃士隊、ホースとカメラがぶつかって、バイクとサーベルが入り乱れた。おしくらまんじゅう、にっちもさっちもいかない。
「『あの娘』、どっちに行った!?」サーベルを振りながら純一が叫んだ。
「おうよ、あれなら」兵衛は、迷彩《めいさい》パジャマを着た巨大女生徒の下敷になったまま、アゴをしゃくって、「あっちの角を」
「わかった!」純一が、するりと大混戦から抜け出た。「ありがとう!」
息を切らせながら、角を曲がる。
たのむ、これが最後の曲がり角であってくれ!
それは最後の角だった。
まっすぐに、細い通路がのびていた。
つきあたりには大きなドアが一つだけ。
少女がそのドアをあけ、素早く中にすべりこみ、しめるところだった。
「しめた!」
純一は走った。もう疲れきっていた。だが、これが最後だ。この部屋に追いつめた。ドアが近づいた。ドアにたどり着いた。ドアに手をかけた。
ドアをおし開けた。
そこは草原だった。さわやかな風のふく、白い草原だった。
どこまでも純白の世界が、恋する若者の前にひろがっていた。
「…………?????」
なんともいえない良い香りがただよう。なつかしい、不思議な匂《にお》い。天国とは、こんな香りがするものだろうか。
いったい何がどうなって、この現実ばなれした異世界へまぎれこんでしまったのだろう。
純一は、手にしていたサーベルをこわきに挟《はさ》み、手を前にのばした。
白くてやわらかい塊に、おもっていたよりも早く指が触《ふ》れた。
「……これは!」
彼が今まで一度も触れたことのないものだった。
それもそのはず。
彼が握りしめていたのは、かわいらしいイチゴのプリントつきスキャンティーだったのである。
「物干し!」
ようやく自分のいる場所がわかった。これは草原でも天国でもない。
五万人の下着とシーツを収容する、壮大な洗濯場《せんたくじょう》の一角なのだ!
白は漂白《ひょうはく》された洗濯物、そよ風は全自動の乾燥設備、天国の香りは莫大《ばくだい》な量の洗剤なのだ!
はるか右から左のかなたへ、肩の高さあたりに、何干本ものロープが並行にならんでいた。洗濯物は、そのロープに干されている。
きらきらと純白にかがやく木綿《もめん》の草原、ポリエステルの大洋だ。
天井《てんじょう》から無数の黄色い電灯が、無言でこちらを見おろしていた。人工の風が、人工の草原の中を、ごうごうと吹き抜けた。合成|繊維《せんい》が風にあわせて揺れた。
広大な洗濯世界!
五万人の女生徒がいれぱ、たしかにこんな場所があってもおかしくない。
おかしくはないが、それにしても……
純一の背筋を、冷たいものがはしった。
ここは、人間が足を踏《ふ》み入れてはならない異世界ではないか……
この世界で一生を過ごしたら、どんな不気味な神話が生まれるだろう……
いや、もしかしたら今この瞬間《しゅんかん》も、この人工草原に棲《す》みついた奇怪《きかい》な獣《けもの》の目が、こっちを見つめているのではないか……?
そんな、根拠《こんきょ》のない妄想《もうそう》がうかんだ。
どこまでも続く、五万人の洗濯物。
まあ、少なくとも、男子生徒が踏み入れてはいけないことは確かだ。
(そうだ、こんなところでつっ立ってる場合じゃない)
純一は目をこすろうとして手を上げ、まだ右手に握っていたイチゴのスキャンティーをまっかになって放りなげてから、あらためて目をこすった。
地平線のかなた、なだらかなキャミソールの丘のあたりで何かが動いていた。
やわらかい髪が。
『あの娘』だ!
もう動かないかとおもったが、疲れきった足は、それでもちゃんと前へ進んでくれた。
一歩、また一歩。
下着の列をくぐり、またくぐり。
歩みは、だんだんと速くなった。
恋する若者は、白い洗濯物とロープをかきわけていく。
いとしい少女のあとを追いかけていく。
どこまでも、どこまでも洗濯物《せんたくもの》はつづく。靴下《くつした》の平原。フロントホック・ブラジャーの森。枕カバーの峡谷。
純一はそのただ中にあって、砂粒よりも小さかった。
よくよく考えれば、じつにバカバカしい光景である。手にはサーベル、肩にはマントをひっかけて、下着をかきわけながら女の子を追いかけるなんて!
もし誰か、真面目《まじめ》な観察者が、はるか高みの天井《てんじょう》からこの光景を見おろしていたならば、彼は苦笑を禁じえなかったに違いない。
だがしかし、しばらく観察を続けたあげく、やがてこう結論づけるに違いない――
恋する者が真剣になってやる事は、ただの人が見れば、いつでもバカバカしい事ではないだろうか?
いや、人生そのものでさえ、はたから見ればバカバカしいの一言に尽きはしまいか?
ならば、だれが彼を笑うことができよう。
彼を責めることができよう。
風は、向い風になってきた。
純一は、目を細めた。
「これは……?」
風の勢いはつよくなる。
シーツとストッキングが、左右へ大きくたなびいている。
いやいや、ちょっとまて。ただ揺れているのではない。よくよく見れば、動いているのだ。
一列は右へ。また次の一列は左へ。右、左、右、左。
どんどん速度があがりだした。
(……取り込み!)
洗濯物のぶらさがるロープが、巻きとられている……もう乾燥時間はおしまいです、と全自動取り込み装置が動き始めたのだ。最後の仕上げに、風は暴風《ぼうふう》となって洗濯物のシワをのばす。
人工嵐の中をブラジャーが、キャミソールが、ストッキングが、色物の洋服が、スキャンティーが、シーツが、枕カバーが、白と茶色の靴下が、袖《そで》なしのブラウスが、きちんと材質と色別に分類されたまま、どこか遠くにある壁の中へ呑《の》みこまれていく。
下着の海は純一の目の前でまっぷたつに割れた。
あらわとなった海底に、『あの娘《こ》』の姿がうかびあがった。
遠くから風にのって、
「あっちだ!」
「こっちだ!」
「そこだ!」
「後ろだ!」
追っ手の声が、かすかにきこえる。
いそげ!
レースの峡谷を越え、Tシャツのせせらぎをくぐり、いそげ純一!
(もう少しだ!)
あと百メートルで、彼女の背中に追いつく。
彼は物干《ものほ》しロープを跳《と》び越えた。
もうちょっとで『あの娘』と話ができる。
彼は真っ白な世界を走った。
足がもつれた。だが、もう少しだ。
そうだ、これでクライマックスだ、ハッピーエンドだ。
今までの苦労も実る、ようやくゆっくり休める。一件落着、もうおしまい、エンディングテーマがきこえてきて、スタッフの名前が画面の上へ流れるんだ。あと三〇メートルで『あの娘』に話しかけて、友達になって、恋人になって、いっしょに学食でお昼を食べて、今度の日曜はどこか景色のきれいな所へ行って、夏休みには旅行をして、あと一〇メートルで手が届《とど》く、秋には銀杏《いちょう》の下で手をつなぎ、クリスマスにはプレゼント、お正月には凧《たこ》あげて、バレンタインはチョコレート、妄想はどんどん続いていく、あと三メートル、また夏がきて、秋が、冬が、も一度春が……
そうだ、これでようやくぼくは
「公安委員会非常|連絡《れんらく》局副局長の香田忍《こうだしのぶ》である!」
[#地付き]ぼくは幸せになれるんだ、と夢を見たのが甘かった。
「………………え」
純一には、何がおきているのか分からなかった。
「香田副局長である!」
えらそうな顔をして、先頭の公安委員がくり返した。
そう、先頭だ。
いったいどこからあらわれたのか、彼の後ろには、ずらりと百人近い公安委員が一列|縦隊《じゅうたい》で並んでいたのである。
香田副局長は書類をひろげてふんぞりかえった。どことなく、犬に似た顔つき。声も犬の鳴き声にそっくりである。すくなくとも、権力の犬であることはまちがいなさそうだ。
「そこの女、神妙《しんみょう》にしろ!
公安委員長・離修竜之介閣下《るすりゅうのすけかっか》の指令にもとづき、女子寮事務局の許可を得て、きさまを『SS残党』破壊《はかい》工作員容疑で現行犯|逮捕《たいほ》するっ!」
SS……生活《S》指導《・》委員会《S》!
かつて蓬莱《ほうらい》学園を恐怖《きょうふ》によって支配したといわれる委員会!
軍事研から武器|弾薬《だんやく》を奪《うば》い、クラス代表会議をあやつり、生徒会|執行部《しっこうぶ》を屈服《くっぷく》させて学園全土をほしいままにした、あの忌まわしい委員会!
『九〇年動乱』として語り継《つ》がれるあの伝説の時代、多大な犠牲《ぎせい》をはらった学園闘争によって同委員会はついに廃止され、蓬莱学園は平和をとりもどした。
だが、安心はできない。
彼らの一部は退学をまぬがれ、今でも一般生徒として何くわぬ顔をして生活しているかもしれないのだ。SS残党とよばれる彼らは生徒会を転覆《てんぷく》させ、ふたたび権力をにぎるため、暗躍《あんやく》をつづけている。そうとも、そうに違いない。
校舎の影に、クラブ活動の背後に、奴らのうごめく姿が見えはしまいか? きのうの休講は、すこし不自然ではなかったか? 学生食堂の値上がりには、奴らの陰謀《いんぼう》の匂《にお》いがしないか? 机の奇妙《きみょう》な落書きは、奴らの秘密の暗号ではないのか?
気をつけろ、奴らはどこにでもいる。もしかしたら君の親友が、ガールフレンドが、はたまた担任の女教師が、SS残党のメンバーかも知れないのだ!
……在校生のあいだで今でも語られるそんなウワサを、純一はまったく知らない。
ただし感じとることはできた。
その一言が、学園につたわる怖るべきタブーだということを。
自分が、ふれてはいけない何かの目の前に立たされていることを。
「つれていけ!」副局長が腕をふりかざした。
純一の前を、少女が引き立てられていく。
白いブラウスが、
薔薇色《ばらいろ》のくちびるが、
やわらかそうな黒髪が、
きゃしゃな腕が、公安委員会の名のもとに連れていかれる。
そして美しい瞳《ひとみ》が。
ふたりの……純一と彼女の視線が、からみあった。
悲しみだろうか。あきらめだろうか。瞳にうかんだ表情は。苦しみだろうか、怒りだろうか。
彼にはわからなかった。
(刺が)
純一の中の、刺がきしんだ。
美しい瞳!
ふたりは永遠に見つめあって、まばたきするうちに引き離されていた。
「さあ来るんだ、このSS女め!」
瞳は遠ざかった。白いブラウスは遠ざかった。
公安委員の列は、あっというまに立ち去って、今はもうだれもいない。洗濯物《せんたくもの》もすっかりとりこまれた。あたたかい風が、最後にのこったシーツの上を吹きぬけていった。
純一は、あと一メートル三七センチの地点で、呆然と立ちつくしていた。
シーツは、ゆっくりと壁の中に取りこまれていった。
そして一つだけ確かなことがあった。
こいつはまだクライマックスじゃない。
……巨大洗濯場の風が最後のシーツの上をむなしく吹きぬけた時、ベアトリス・香沼は中央|制御室《せいぎょしつ》で自己嫌悪《じこけんお》におちいっていた。
〈そんなに気に病《や》むことはない〉
彼女の耳元の受話器から、委員長のかん高い声がもれてくる。
「いいえ。責務をまっとうできなかったのは事実です、委員長」とベアトリス。
相手は電話のむこうで笑った。
〈責務? なにをいうんだ、香沼くん。
きみは立派に仕事をはたしているよ。生徒会をゆるがすはずの秘密は洩れていない。女子|寮《りょう》の諸君は、ひさしぶりのレクリエーションに満足している。学園|銃士隊《じゅうしたい》は今回の大胆な突入によって、さらに人気を博するだろう。学園生活は、これまでになく安泰だ。そして、おそるべきSS残党の工作員は我われがつかまえた〉
「委員長!」
〈ああ、君の意見はわかっているとも。工作員などではないと言いたいのだろう? そうとも、もちろん違う。
君の迅速《じんそく》な報告にもとづいて公安委員会|資料《しりょう》局がでっちあげた話だ。あの女性は二級生徒だよ、まちがいなく。君もそれを知っているし、私もそれを知っている。だが[#「だが」に傍点]、彼らは知りたがっているだろうか[#「彼らは知りたがっているだろうか」に傍点]?〉
ベアトリスには、電話のむこうで委員長が大げさに手をひろげるのが見えるような気がした。
〈SS残党というのは、とても便利な言いのがれなのだ……誰もこわくて反論できない。どんな時でも使うことができる。
そして、みんなが聞きたがるような気持ちのよい恐怖《きょうふ》だ。
あなたのすぐ後ろに、奴らがいるかもしれない……ほら、やっぱりいた! さあ、つかまえろ! 容赦《ようしゃ》するな! 奴らはあなたの楽しい学園生活を破壊《はかい》する異分子だ! つかまえろ、正義はこちらにあるぞ!……〉
ひとしきりの笑い声。
〈そんな楽しい学園生活を、じつは二級生徒とよぱれる者たちが縁の下で支えていました……なんて事は、だれも知りたくない。
反論できない嘘《うそ》の正義の側に立つほうが、肩がこるような真実よりも、はるかに気持ちがいいのだ。
だから私も二級生徒のことなんか口にしない。そんなものは知りもしない。
もちろん君も知らないのだ。そうだね?〉
ベアトリス・香沼にも委員長の言わんとすることはわかった。つまり、
(秘密をもらすな、さもなけれぱ!)
一般には、これは脅迫《きょうはく》とよばれる行為だ。
公安委員会では、これは忠誠の儀式《ぎしき》とよばれる。
「もちろん知りません、委員長」
ベアトリス・香沼は職務《しょくむ》への忠義に命をかける女性だった。
〈よろしい!〉
委員長の口から、いつもの決めゼリフが発せられた。
〈さっきも言ったとおり、君は実によくやってくれたのだよ〉
「はい、委員長」
〈そこでついでにあと一つだけ、やってもらいたい事がある〉………………
* * * * * * * * * * * * * * *
蓬莱《ほうらい》学園ラジオ・TV放送委員会『報道特別番組・女子寮暴動生中継』より――
「……あ、ただ今あたらしい情報がはいったようです。栗尾《くりお》さん?」
「はい、こちら京子です! 女子寮内では大変なことになっています。今や学園の注目を一身にあつめている『最後の未所属生徒』朝比奈純一が追っていたのは、SS残党であったことが判明しました! 発表によりますと、公安委員会はついさきほど女子寮公共|洗濯場《せんたくじょう》に突入、生徒会|転覆陰謀《てんぷくいんぼう》の容疑《ようぎ》により同女生徒を拘束《こうそく》しました。彼女はSS残党の破壊《はかい》工作員で、爆発物を女子寮|要所《ようしょ》にしかけ、さらに今回の暴動を扇動《せんどう》したとのことです。くりかえします、朝比奈が追っていたのはSS残党の破壊工作員でした!
ご存じのとおりSS(正式名称・生活指導委員会)は、あの『九〇年動乱』で廃止《はいし》されるまで数十年にわたり学園全土を支配してきた恐怖と暴力の委員会で、現在は地下に潜伏《せんぷく》して活発な反学園的犯罪をくりひろげています。今回の暴動も、生徒会選挙に焦点《しょうてん》をあわせた謀略《ぼうりゃく》ではないかとSS専門生徒は分析しています。以上、現場でした!」
「はいわかりました、気をつけて取材をつづけてください。
なお、予定しておりました『蓬莱ノーカット映画劇場・ナチスゾンビVSソサエティーの逆襲《ぎゃくゅう》』と『番外地! 死ぬまでロック』『プロ野球思いこみ情報』は、日をあらためて放映いたします。ご了承ください。……」
[#改ページ]
第六章 塔のてっぺんにて短時間になされた重要な会話と決心
「あの娘《むすめ》は、生活指導委員会残党の破壊《はかい》工作員ではない」
ベアトリス・香沼《かぬま》は断言した。
「へへん」と、鼻をならしたのは神酒坂兵衛《みわさかひょうえ》。
純一《じゅんいち》は何もいわない。だまって、手すりにもたれかかるように立っている。
弁天《べんてん》女子|寮《りょう》の騒動《そうどう》から二日後。
学園敷地の北、島の住民が店をひらく繁華街・宇津帆新町《うつほしんまち》……。
大正時代の雰囲気《ふんいき》をそのままのこす、学園の『城下町』である。住人の数、およそ三〇〇人。大半が、生徒のための店をひらいている。水路が流れ、路面電車がはしる、箱庭のようなきれいな街。
そんな街の一角に高くそびえる古風な塔のてっぺん、展望台に彼ら三人はいた。
『新十二階』と名づけられた塔である。その昔《むかし》、関東|大震災《だいしんさい》以前に、東京は浅草に建っていたものを、この南洋の孤島で再現したのだった。高さは六十七メートルと、現代の感覚からすればそれほど大層なものではない。
しかし、ほかにビルもない新町あたりでは、じつに見晴らしのいい場所だった。
純一のいるところからは、南国の白い雲と青い空の下、春のあたたかい陽射《ひざ》しにまどろむ蓬莱《ほうらい》学園の全容が一望にみわたせた。
ぐるりを[#「を」に「ママ」の注記]かこむ環状線《かんじょうせん》。東西にしげる二つの森。
あちこちに建つ白い校舎群。まばらに頭をだしているクラブの倉庫や練習場。まんなかにぽっかりとあるのは記念講堂だ。
亜熱帯《あねったい》の小さな島、豊かな自然にめぐまれて、クラブ活動は活発で、美男も美女もよりどりみどり、才能さえあれば誰でも楽しくすごせる夢の学園。
つい一週間前までは、夢のようにみえた学園。
あれから、なんという変わりようだったろう。
一週間前、彼は一介《いっかい》の新入生だった。
一週間前、純一は飛行船にのって、上空から『あの娘《こ》』を見つけた。
そして今日。
彼は路面電車をひっくり返し、反省房を脱走し、下水道を流されてから、女子寮で暴動をまきおこした後、どこをどう逃げ回ったものか、力つき、傷だらけで、白い古風な塔のてっぺんに立っている。
「なんでおめえに、あの娘《むすめ》っこの正体がわかるんだ?」兵衛の口調《くちょう》はきびしかった。「学園テレビじゃあ、さんざん言ってるぜ。SSの手先だ、極悪人《ごくあくにん》だってよ」
「テレビをすべて信じているのなら、おまえはよほどの愚《おろ》か者か、さもなければ公安委員会が夢みる理想的一般生徒だぞ」
「俺様はバカじゃねえぞ!」と兵衛。「それに、おめえさんに夢みられるなんざ、ぞっとしねえ」
「あの娘はSS残党ではない」ベッキィは兵衛を無視して、言葉をつづけた。「だからこそ事態はさらに悲観的《ひかんてき》だ。これは蓬莱学園の、最暗部に横たわる機密なのだ。この件にかかわれば、本当にただではすまない」
「SSの連中よりヤバい相手なんざ、想像もできねえな」
「彼女は『二級生徒』だ」
「二級……?」
純一がふりむいた。
「きかねえな、そんな生徒は」と兵衛。
「聞くはずがない。この私でさえ、つい数日前まで知らなかったのだから」
青い空を、一羽の海鳥が飛んでいった。
ベアトリスは説明をつづけた。
「ほんのわずかの者だけが、その存在を知っている。生徒会のトップ、有力なクラブの首脳部《しゅのうぶ》、それから一部の古参《こさん》教師。二級生徒たちは……」
「たち?」
「そうだ。あの娘だけではない。ほかにも大勢いる。最低でも数百人。もしかしたら数千人になるかもしれない。
彼らは、学園の正式な生徒ではない。
多くは、問題をおこして本土にいられなくなった未成年や、在学中に借金で破産《はさん》した生徒、家の都合で授業料が払えなくなった者などだ。社会的、あるいは経済的な弱者というのが共通点だ。そんな彼らをこの島に集める。秘密裡《ひみつり》に学園内で生活させてやる。よほどのことがないかぎり、見つかることはない。そう、たとえば、どこかの警備《けいび》団体に保護されて、学年やクラスを調べられないかぎりは。
そして、ここで誰にも知られずにひっそりと暮らすかわりに、委員会や有力クラブの命令で、いろいろな仕事をしてもらうわけだ」
「どんな仕事?」
「……いろいろな仕事だ」
ベアトリスの口調《くちょう》は暗かった。純一は彼女の言葉が暗示するものを感じとった。
春の陽射《ひざ》しがまぶしい青空の下では、とても口にできないような仕事なのだ。
「どこの部署が、あるいは誰が中心になって二級生徒を管理運営しているのかは、わからない。この慣行《かんこう》がいつから始まったかも不明だ。二〇年前の酒橋《さかはし》生徒会という説もあるし、戦後まもなくの鮫島《さめじま》生徒会が始めたのだともいわれる」
ベアトリスは、伝説的なふたつの暗黒《あんこく》生徒会の名をあげた。兵衛はしきりにうなずいた。
純一は、そんな名前なぞ聞いたこともなかった。だがそれを聞いた瞬間《しゅんかん》、学園の過去が、黒い影となって、自分の背後に忍び寄ってくるのを感じた。
不思議なことに、彼はその影をずっと昔から知っている気がした。
「いずれにせよ背景にあるのは人手不足だ。あのムチャクチャな勧誘騒《かんゆうさわ》ぎや、幽霊《ゆうれい》部員のウワサなども、根本は同じだ。
いや、蓬莱《ほうらい》学園唯一の問題だといってもいい。
学園祭、体育祭、活躍の場面はいくらでもある。人手があればあるほど、派手な活動ができる。そうすれば実績ができ、予算も有利になる。その予算をつかって、翌年の新入生勧誘は大じかけができる。学園経済の原則だ」
どこかで聞いたようなセリフだ。
すぐに純一は思いだした。なんのことはない、最初の日、あの調子のいい呼び込み生徒がいっていた事と同じではないか。
ベアトリスはさらに続けた。
「彼らは授業にも出ないし、出なくても怪しまれない。もともと出席簿に載《の》っていないのだから。彼らは常に、『廊下《ろうか》で見かけるだけの、どこか別のクラスの生徒』でしかない。どこにもいない、そしてどこにいてもおかしくない生徒だ。巨大学園という特徴を見事に利用しているな。
二級生徒が配給されるのは、有力なクラブや委員会だけだ。必要になれば各団体の首脳部《しゅのうぶ》が呼び出して、任務をあたえる。成功すれば、これまでどおりの無名の生活にもどれる。次に必要になるときまで。
ただし、特定の二級生徒が有名になってしまった場合は別だ。たとえばどこかの馬鹿な新入生が彼女に一目ぼれして、学園中を追い回したりすると、その時は……」
彼女はコホンと咳《せき》をした。
「……その時は、彼女は二級生徒ではなくなる。生徒証も履歴書《りれきしょ》も、本土の住所も与えられて一般生徒になる。
そしてSS残党というレッテルをはられるのだ。
そうすれば、万人の前で堂々と追放することができるからな」
「おいおい、ちょっと話がみえねえぞ」兵衛がわりこんだ。「ようするに、あれだろ? 俺たちゃ、生徒会のお偉いさんたちがかこってるニセ学生とやらに首をつっこんじまったってわけだ。で、それのどこがSSよりヤバいんだ? どっかの貧乏野郎が何人だか、金ほしさに雇《やと》われてるだけだろ? だからどうしたってンだよ」
「何人か、ではない。数千人だ。そして雇われているのでもない。買われてきたのだ」
ベッキィが訂正《ていせい》した。
「我々が首をつっこんだのは、少なくみつもっても累計《るいけい》五〇〇〇人以上、四万人以下の組織的|人身売買《じんしんばいばい》だ。こんなスキャンダルがあきらかになってみろ、今の生徒会はたちどころにひっくり返るぞ。それどころか次の選挙も……」
「ちょっと大げさじゃねえか? たかが高校の」
「人口一〇万人の巨大学園より大げさでないものがあるなら、教えてほしいものだ」彼女はぴしゃりと言った。
さっきの海鳥が、また上空を横ぎった。
もしかしたらあいつはこの学園でいちばん自由な生き物かもしれない、と純一は思った。
「……ベッキィ?」
「なんだ」
「ベッキィは、どうやってこれだけの秘密を調べたんだ? それに、どうしてそれをぼくに教えるんだ?」
「公安委員会の首脳部《しゅのうぶ》にコネがある、とだけ言っておこう」
それは嘘ではなかった。
まったくの真実でもなかったが。
「ふたつめの質問の答えは……おまえがこれ以上|愚《おろ》かな行動に出る前に、忠告するためだ。
朝比奈、今度ばかりは冗談《じょうだん》やトンチではすまない。下水道を流れたり、風呂場の格闘でごまかされはしない。
おまえがこれ以上動けば、むこうも本気になるぞ。ここが、そんじょそこらの高校とはわけがちがうことは、身にしみてわかっただろう。
その蓬莱《ほうらい》学園の存在そのものを、おまえは危険にさらしているのだ。
それでもまだ、あの娘を追いかけるか? 救い出すのか? 会って、言葉をかわすだけのために? 手をつないで歩くだけのために?
おまえは自分を何様だと思っているのだ。映画のヒーロー? 白馬の騎士? 伝説の勇者?
おまえの魔法《まほう》の剣はどこにある? 伝説の予言書は? 味方の軍勢は?
それとも、ひとりでやるか?
おまえにそれができるのか、朝比奈? この学園を、一〇万人の生徒を敵にまわして、たったひとりで?」
海鳥が、今度こそ飛び去った。
いれちがいに巨大な銀色の鯨《くじら》があらわれた。
「……飛行船だ!」
三人の視界を圧倒したのは、まさしくツェッペリン型飛行船だった。
しかも、見おぼえのあるやつだ。よくよくみれば、初日に純一たちが乗っていたのと同じ船体ではないか。
彼らのいる『新十二階』をかすめて、ゆったり横を通っていく。優雅《ゆうが》でゆっくりな動きだった。
人手が足りないのか、横腹には、いまだに勧誘《かんゆう》初日に見た文字が消されずにのこっていた――
『〜〜この島に来たるすべての若人《わこうど》よ、素晴《すば》らしき高校生活を期待せよ!〜〜』
だが、勧誘週間はもう終わっている。飛行船がいまやっているのは、別のお仕事だ。
何千、何万というチラシが、花|吹雪《ふぶき》のように船底からバラまかれていた。
「なんだぁ、こりゃあ……」
兵衛が、あんぐりと口をあける。
純一の上に、はらりと一枚が降ってきた。そこには、こんな文字が書いてあった……。
----------------------------------------
学園裁判、開廷決定!
日時・明日昼休み〜六時間目(延長あり、授業欠席は担任の許可を得ること)
場所・学園中央部、穂北眞八郎記念大講堂
被告《ひこく》・生活指導委員会残党女性工作員
主席判事・香田忍第一検察局局長(公安委員会非常連絡局副局長兼)
〜〜話題|沸騰《ふっとう》の裁判劇! 勧善懲悪《かんぜんちょうあく》、痛快無比! 即日判決!
これをのがせば末代までの恥! 次の裁判まで待てない人は、すぐに行こう!〜〜
主催・公安委員会&軍事研 協賛・生徒会書記局、司法研、ラジオ・TV放送委員会
------------------------------------------
楽しそうな行進曲の演奏をたれ流しながら、チラシはどんどん降ってきた。
「……でございます! みなさま、お誘い合わせのうえ、御来場のほどを!……」
演奏をかき消すように、船の拡声器からダミ声がなりひびいた。
「……毎度、おさわがせしております、みなさまの公安委員会広報局でございます……明日は学園裁判、学園裁判がひらかれます! 検察担当委員は『絶対停学』を求刑すると予告しております! はたして十二年ぶりの絶対停学は見事おこなわれるのでしょうか?
近来まれにみる一大裁判劇、にっくきSS工作員の運命やいかに!……観覧はお一人様二〇〇円、一階アリーナは全席指定、二階の西側が……」
「よくもまあ」兵衛がうなった。「はずかしげもなくやりやがるな、あの連中は!」
学園生徒のお祭り心に火をつけんと、なんとも大げさな宣伝《せんでん》ぶりである。
だが、純一が気になったのは、別のことだ。
「絶対停学って、なんだ?」
聞いたことのない言葉である。
それでも、いやな予感が彼の背中をつたった。
「ま、簡単にいやぁ、永久追放てぇやつだな」兵衛がこともなげに答える。「島から追い出すんだ。そんで、この島はおろか、蓬莱《ほうらい》学園に関係する場所にゃあ、二度と足をふみいれることかないません、ってこった」
「ただしこれまでの統計によれば、学園を出たら最後、どの陸地にも二度とふみいれることはない」
ベッキィは、海を指さした。
「なぜなら受刑者は島の断崖絶壁《だんがいぜっぺき》から、あの太平洋に、じかに追放されるからだ」
「そんなバカな!」
「飛行船と路面電車と銃士隊《じゅうしたい》があるくらいだ。裁判のひとつやふたつ、あってもおかしくなかろう」
「そんな……!」
「それが蓬莱掌園なのだ」
ベアトリス・香沼は厳粛《げんしゅく》に宣言した。
純一の胸に、最後の一撃《いちげき》。
海鳥は遠くで鳴いている。
飛行船の銀色にふくらんだ腹が、塔のわきを通りすぎる。
『〜〜この島に来たるすべての若人《わこうど》よ、素晴《すば》らしき高校生活を期待せよ!〜〜』
そこにはそう書かれていた。
とつぜん、純一は気がついた。
『この島に来たるすべての若人よ』
あの時の、『あの娘』の笑顔の意味に。
あれは純一を見ていたのではなかった。
彼にほほえんだのではなかったのだ。
『すばらしき高校生活を』
あの娘は、これを見つめていたのだ。
飛行船の文字を。
そして泣いていたのだ。
この島に来たことに。二級生徒として買われてきたことに。幸福な高校生活などありえないということに。
『期待せよ』
じぶんは、〈すべての若人〉の中には含まれていない。
目の前でおこなわれていることは、じぶんとは関係がない。
じぶんはここには属さない。仲間に入れてもらえない。
『あの娘』は泣いていたのだ。
(「君ね困るんだよね、こんな調子じゃあね」)
刺が、胸を突いた。
(「君のような生徒をひきうけてくれる学校があるんだよね」)
彼はもう一度、塔の南にひろがる壮大な景色をながめた。
環状線《かんじょうせん》、森、校舎群、大講堂。
さっきとは、まるでちがって見えた。
今、彼女は学園から追放されようとしている。トカゲの尻尾《しっぽ》のように。いらなくなったオモチャのように。
抹殺《まっさつ》されようとしている。
汚名《おめい》をきせられて。
純一は、ようやく敵の顔をみつけた。
「三角」
「えっ?」唐突《とうとつ》な純一のひとことに、ベアトリスはおもわず聞きかえした。
「やっとわかったんだよ、今の状況《じょうきょう》が」
純一は、晴ればれとした顔を二人の仲間にむけて、
「これは三角関係なんだよ。ぼくと、『あの娘』と」
そして南を、指さした。
「……この蓬莱学園の」
ベアトリスは唖然《あぜん》として、恋する少年を見つめた。
いや、正確には恋の三角関係にある少年だ。
あきらめも、理性も、常識も、まったく入りこむ隙《すき》がなかった。
そして(彼女の豊富な数学知識が正しければ)、三角形はもっとも強固な図形なのだ。
「おお、神様」
彼女の説得は、彼の内で消えかかっていた炎を、ふたたび燃え上がらせただけだった。
「ぼくは『あの娘』を助け出す」
純一はいった。
「もう決めたんだ。とめても無駄《むだ》だよ」
「そんなことはわかっている。おまえを止められるものなら、とうの昔《むかし》にやっていた」
彼女はタメ息をついた。
「だが、どうやって助けるというのだ?」
「まかせてくれ」と純一。「じつは、たった今、いい方法をおもいついたんだ。絶対に成功する」
そう言いきる彼の表情は、確信に満ちていた。
ながい沈黙。
「わかった、おまえの勝ちだ、朝比奈純一」
とうとうベアトリス・香沼はいった。
その瞳《ひとみ》の底には、奇妙《きみょう》な影が沈んでいた。
「ここまできたら、乗りかかった船だ。私も協力することにしよう」
「本当に!?」
絶対に止められると予想していた純一は、喜びにとびあがった。
「信用しろ」
「ありがとう、ベッキィ! そうとも、いつかはわかってくれると思ってたよ!」
感謝の握手《あくしゅ》をせんと突進してきた純一を、金髪の公安委員は非常に苦労して押しのけた。
「さて、おまえはどうするのだ、神酒坂?」
「ちぇっちぇっ、しょうがねえな!」と、剣士は頭をふった。「やりゃあいいんだろ、やりゃあ」
「いいのかい? あまり金にはなりそうもないよ」
「んなこたぁわかってるよ、でもしょうがねえだろ! いいか、考えてもみろ」と、兵衛の顔は真剣である。「仮にも学園一の名剣士とうたわれたこの俺様が、たかが一年坊主の口車《くちぐるま》にのって女子|寮《りょう》の風呂場をかけずりまわる手伝いをしていたなんて、皆さまにバレてみやがれ。いっぺんで客がよりつかなくなっちまわあ! いやさ、それどころか恥ずかしくって、廊下《ろうか》も歩けやしねえ。
だからよ、こうなったら儲けは多少無視しても最後までいっちまって、派手な立ち回りを演じといたほうが、今後のためにもなるんだよ。わかるか?」
本気で言っているのか、それとも純一を助けると素直に言うのを照れているのか。はたからでは、ちょっと判断がつかない。
「わかるよ、もちろん」
とりあえず純一はそう答えておくことにした。
「わかりゃあいいんだ、わかりゃあ。さて、そうと決まりゃあ話は早ええ。さっさと片付けようじゃねえか、ええ?」
「最後に確認しておきたいのだが」とベアトリス、「本当に、本当にちゃんとすばらしい名案があるのだろうな?」
「もちろん、とっておきのヤツが」
純一はニッコリほほえんだ。
そしてこの瞬間《しゅんかん》、彼の頭の中には、名案なんぞこれっぽっちも存在しなかったのだ。
[#改ページ]
第七章 「みんな、ぼくの話をきいてくれ!!……」
翌日真昼、天気は快晴。
「……そして問題の囚人《しゅうじん》は西側の『学食横町』わきを通り、北の『革命《かくめい》広場』から、あの記念講堂に入ってくると発表されてる」
恋する少年は学園中央部の地図をひろげて、ふたりの共犯者《きょうはんしゃ》に説明した。
「そこでぼくたちは、このあたりから」―――と、地図の一点をしめして―――「南西からまわりこみ、正面入り口の前の『講堂坂』で騒ぎをおこして警備《けいび》の注意をひき、護送中を襲《おそ》ってそのまま森の中へ逃げる」
「完璧《かんぺき》じゃねえか」と兵衛。
「ありがとう」
始めから終わりまで、その場しのぎのデマカセ……とても完璧とは言いがたい計画を説明した純一は、できるだけ感情をあらわさないように返事をした。
映画や小説でかじったデタラメを、思いだした順に次々と並べ立てただけだ。完璧なわけがない。
「で、現在位置は?」
「正直いって、どこだかわからない」純一は、まわりを見わたした。
見わたそうとしたが、できなかった。
なぜなら三人は、すさまじい大群衆のまっただ中にいたのだから!
学園十万人の生徒が一人のこらず記念講堂に入ろうと殺到《さっとう》したのだ。右に左、前や後ろはもちろんのこと、上空までも生徒だらけ。もしかしたら地下にもいるかもしれない。
その混乱ぶりたるや、クラブ勧誘《かんゆう》の比ではなかった。
地震が揺すり、校舎がくずれ、島の火山が噴火《ふんか》したうえ、海があふれて怪獣《かいじゅう》が出現し、空から火の玉がふってきて、ついでに外宇宙からは邪悪《じゃあく》な宇宙人が来襲《らいしゅう》してきた……
と説明しても、事清を知らない人が見たら信じてしまっただろう。
「押すな、押すなってば!」
「中に入れろぉ!」
「まだ進まねぇのかよ、裁判が始まっちゃうぞ!」
「横四列でお並び下さい、ただいま係の者が整理券をおくばりしております、いましばらく……」
「あたしの財布《さいふ》がないわ!」
「おれのカツラがない!」
「えー、おせんにキャラメル」
などという、この手の騒《さわ》ぎにはつきものの叫びもあがれば、
「券ないか、券ないか、券ないか、高く買うよ、高く」
「放送委員会です! そこで踏《ふ》みつぶされている皆さん、なにか一言」
「怪奇猟奇《かいきりょうき》研特製、学園裁判のパンフレットはいかがですか? 一部五〇〇円、ほかでは見られない貴重な記録写真も……」
「諸君、聞いてくれ! 公安委員会は講堂の地下に、SS工作員の死体を三つ隠《かく》しているんだ!このおそるべき事実を……」
「オペラグラスはいかがですか、特製オペラグラス、SS工作員の表情がよく見えまーす」
「SS女工作員が十四歳の時のしゃれこうべ、三九〇〇円でどう?」
「どや、にいちゃん、一口のらんか? 判決は絶対停学か、罪一等減じて五〇年停学か」
「絶対停学にふた口」
といった生徒まであらわれる始末だ。記念講堂を中心に、半径五〇〇mはこれっぽっちの隙間《すきま》もない。
ようやく純一たち三人が講堂の西壁にたどりついたのが、裁判開始の五分前。
北にある正面入り口まで、約一〇〇メートル。混雑《こんざつ》はいっそう激しくなっている。
「どうすんでぇ、一体!」兵衛がどなった。「おめえの計画とは、ずいぶん話がちがうぜ、おい!」
「あと四分四十五秒」ベッキィが腕時計をみた。
「入れろ! 入れろ! 入れろ!」入り口に殺到《さっとう》した生徒たちがシュプレヒコールをあげた。
「大丈夫だってば」純一は、できるだけ明るい声を出した。「こういう時は成功することになってるんだよ、映画なんかでは!」
「映画なんかでは、だとぉ!?」と兵衛。
「おまえの見てきた映画とやらは、きっと十八歳『以上』上映禁止となっているに違いない」とベッキィ。
「入れろ、入れろ!」とシュプレヒコール。
「どうしても中止するつもりはないのか?」ベッキィが念を押した。
「なにを今さら」
「そうか、わかった」
彼女は、胸ポケットから小さなハンドマイクを取り出した。
そして言った。
「諸君、解禁《かいきん》だ! おのぞみの人物を今から引きわたす!」
声は、講堂周辺に設置された二十個のスピーカーを通じて、あたりに響《ひび》きわたった。
「それっ!」
「全員、突入!」
「おくれをとるな!」
金髪の公安委員が解除令《かいじょれい》を言い終えるより早く、彼らを囲んでいた群集が、いっせいに制服の上着を脱《ぬ》ぎ捨てて、学園銃士隊《じゅうしたい》と女子寮|自警団《じけいだん》と校内|巡回班《じゅんかいはん》と鉄道管理委員会に姿を変えた!
「なにぃ!?」
あわてて剣を抜こうとした兵衛の後頭部に、巨大なドラム缶《かん》がぶちあたった。
「風呂場のおかえしだよ!」黒いジャージの巨大な女生徒が、使用済みの缶をぽいっと投げ捨てた。
剣士は、ばったり大の字に倒れた。
そして純一のほうは?
なんと情けない! もうすっかり捕《つか》まっているではないか。頭から足の先まで、太いロープでぐるぐる巻きであった。
「やいやい、この一年坊主め! よくも俺の、俺の記録をふいにしやがったな!」と叫んでいる男をよく見れば、なんと、あの路面電車騒動のとき犠牲《ぎせい》になった、丸まる太った鉄道委員だ。
「げげっ」
委員は、ぶよぶよの肉体をゆすって、
「おまえのせいで、ケガ人百五十八人はぜんぶ俺のせいになっちまったんだぁ! よくもよくも、俺の記録を、俺の愛車をぉ!」
純一の首をつかんでゆさぶった。
「べ、ベッキィ!?」
くるしい息のあいだから、純一は公安委員にさけんだ。
「非常にすまないと思っている、朝比奈」とベアトリス・香沼はいった。「だが私は公安委員として、委員会の指令に逆らうわけにはいかないのだ。おまえが塔の上であきらめていれば、こんな事はしないでもすんだのだが……」
「ベッキィ、どうして裏切ったんだ!?」
「裏切った?」金髪の公安委員はびっくりして聞き返した。「私が?」
「だって、味方になるって言ったじゃないか!」
「ああ、あれは嘘《うそ》だ」と、あっけない返事。「任務の一環《いっかん》なのだ、しょうがない」
「そんな…………ずるい!」
「おまえの常人離れした情熱には敬意を表するし、時おりみせる異様な知性の高さにも興味はある。だが、委員会の任務が最優先だ。私は情にほだされて、土壇場《どたんば》で改心して味方につく格好《かっこう》のいい憎まれ役を演じるつもりは、まったくない。
朝比奈、パンはマーガリンの側を下にして落ちるのだ」
「ベッキィ!」
「連行しろ!」鉄道委員がどなった。
「わたすもんか!」
「みんなで四分の一ずつ分けるってのは?」
「これはうちのものだ!」
「そうはいくか、よこせ!」
「なにを!」
純一と兵衛は、ずるずると引きずられていく。
「ベッキィ!……」
最後にもう一度だけ、純一の悲鳴《ひめい》がきこえた。そして、群衆の混沌《こんとん》の中に消えていった。
「さて」
彼女は、今度は携帯《けいたい》電話をとりだして、
「委員長? ……はい、私です。任務は終了しました」
〈で? 首尾《しゅび》はどうだった?〉
「朝比奈純一には、どこの組織も荷担《かたん》していませんでした。……はい、そうです。まったくクリーンな一般生徒です。はい、警備の連中にわたしました、指令どおりに。たぶん彼らの間で争奪戦《そうだつせん》をやっていることでしょう」
なんと用心深いことか! 公安委員会の首脳部《しゅのうぶ》は、朝比奈純一をうたぐっていたのだ。
彼が、どこかの反生徒会組織のはなった密偵《みってい》ではないかと考えたのだ。
そんなバカバカしい心配を……と、純一を少しでも知る者なら考えただろう。が、あいにく新入生の彼を知る者といえば、たったいま連れていかれた貧乏剣士のほかには、このベアトリスのみ。
そして公安委員会にとって、ちょっとでも有名になった生徒とはすなわち容疑者《ようぎしゃ》なのだ。
〈なんだ、そうか〉
電話の相手は、急に興味をなくしたようだった。
〈もうすこし面白い裏があるかと思ったのにな〉
「それで、あの二人はどのような処分に」
〈ああ、使い道はちゃんと用意してある、心配するな。班士《はんし》のほうは、巡回《じゅんかい》班への牽制《けんせい》につかえる。なんなら、校則改正で刀剣類取り締まり法を通過させるとき、切札にできる。うん、たぶんあいつはSS残党と関わりがあるに違いないぞ。香沼くんもそう思わないかね?〉
「委員長がそうおっしゃるなら」
重要なのは、真実ではない。委員会が兵衛をSS残党だと決めたら、SS残党なのだ。
〈それから、あの少年はたしか未所属生徒だったな。これもやっぱりSSの一味だろう。ただのおかしな一般生徒では視聴者が納得《なっとく》しないだろうしな。放送委員会をうまくおだてて、クラブ活動促進キャンペーンのアドバルーン役をやってもらうか。みなさん、クラブに積極的に参加しましょう……参加しない人は、もしかしたらSSかもしれません、とな! どうだ、香沼くん、面白かろう? SS大陰謀《だいいんぼう》の第二弾というわけだ。きっと生徒のみなさんは楽しんでくれるぞ。生徒会選挙まで、そっちの話題でいっぱいだ〉
「はい、委員長」
〈よろしい。では講堂の警備《けいび》にまわってくれ。南側の放送室が仮設本部だ〉
「了解しました」
ベアトリスは純一たちが連れていかれた方向に背をむけ、群衆のあいだをぬって歩き出した。
良心の呵責《かしゃく》は、かけらもなかった。
本当になかった。
学園裁判は始まっていた!
全長一二〇〇メートル、幅四五〇メートル、高さ二〇〇メートルの超巨大講堂は、無数無限の生徒で満杯だった!
講堂、といっても、ただの四角いがらんどうの建物ではない。
東西南北、四つの壁は、なだらかなスロープとなっている。よくよく見ればそのすべてが、階段状の座席なのだ。
世界で一番大きな陸上競技場をもってきて、さらに無理やり何倍にもふくらませた……そんな形容がぴったりだ。
そして階段席は、異様《いよう》な熱気にうかされた若者たちでいっぱいだ。
興奮《こうふん》して手をふる生徒、どなりちらす生徒、アラレをほおばりつつパンフレットをめくる生徒、横断幕《おうだんまく》をもって走りまわる生徒、旗をふる生徒、紙テープをなげる生徒、鳴り物をならす生徒、判事の名前を連呼《れんこ》する生徒、座布団《ざぶとん》をなげつける生徒、立ち上がってウェーブをおくる生徒、生徒、生徒、生徒、生徒。
競技場ならトラックがあるところ……一階の指定席には、委員会や有力クラブの首脳部《しゅのうぶ》が、四方のスロープよりはもう少し上品にすわっている。
一階の北側、一段高くなったところにひかえるのは、公安委員会から派遣《はけん》された判事、検事、それから公選弁護人役にまわった司法研部員たち。
「……よってわたくしは、被告《ひこく》に対し、学園に対する罪《つみ》への唯一の刑罰《けいばつ》、すなわち絶対停学を求刑するものであります!」
ゴチック風デザインの検事席で、がりがりにやせた委員が声をしぼりだした。
「……であります!……」
声は、数秒かかって講堂の端にとどいた。
「絶対停学!」
「絶対停学だ!」
「停学!」
「停学!」
検事の声が講堂の各地にとどくには、時間差があった。前から順に、観衆はどよめきはじめた。
前から後ろへ、どよめきは波となってひろまった。
「停学だ! 停学だ! 停学だ!……」
波は打ちよせ、はねかえった。講堂は震動《しんどう》した。空気は沸騰《ふっとう》した。紙テープがとびかい、旗がふられた。
蓬莱《ほうらい》学園生徒はひとつの楽器と化した。
奏でているのは、おそるべき運命のメロディだ。
そしてただひとりの聴衆《ちょうしゅう》……被告《ひこく》である少女は、講堂のまん中にいた。
アリーナの手前三〇〇メートル、さびた鉄パイプの折りたたみ椅子《いす》に、ぽつんと座っている。
まわりには誰もいない。
ほそい両手が、背もたれのうしろで縛《しば》られている。両足もガムテープで椅子にくくりつけられている。身動きひとつできない。
服は、きびしい尋問《じんもん》の様子をもの語るかのように、あちこちが裂けていた。ブラウスの袖《そで》はほつれ、白い肩がのぞいていた。スカートの裾《すそ》は鉤裂《かぎさ》きになっていた。
美しい流れるような髪は、くしゃくしゃになって、彼女の額に垂《た》れていた。
唇《くらびる》の右端には青あざができ、血の流れた跡《あと》がのこっていた。
少女は力なくうなだれたまま。
大観衆の罵倒《ばとう》も、怒号《どごう》も、彼女にはとどいていなかった。
気絶しているわけではない。彼女と学園生徒の間に、透明の物体が立ちふさがっていたのだ。
防音ガラス。
少女のまわり、ちょっとした部屋ほどの空間が、防音ガラスでかこまれている。あまりにもきれいに磨かれているので、ちょっと見ただけでは、気がつかないほどだ。
目に見えない箱の中にとらわれた少女。
外の声はきこえない。当然、中からの声もきこえない。
命ごいも、二級生徒の真実を暴露《ばくろ》する叫びも。
だから少女はうなだれていたのだろう。
が、不思議なことに、箱の外にはマイクが立っていた。裁判は公正を期している、という建前のシンボルとして。
なにか言うことがあるなら、言うがいい―――マイクは無言で彼女にそう告げていた―――だが、おまえの声をきく者は誰もいないのだ!
そう、裁判は始まっていた。だが、それはゆっくりと、裁判以外のものに変わりつつあった。
それはお祭りだった。
それは魔女狩《まじょが》りだった。
それは生けにえをささげる邪教の儀式《ぎしき》だった。
誰も彼女の味方をしようとは思わなかった。
それは、公安委員会がのぞむ状況《じょうきょう》だった。
「……弁護側の証人|喚問《かんもん》は!?」つい先日は非常|連絡《れんらく》局の副局長、つまり検察側だったはずの香田判事が、槌《つち》でテーブルをたたいた。
「ひっこめ弁護人!」すさまじいヤジがとびかう。
「ありません、閣下《かっか》」公選弁護人はそれだけ言って、すぐに座った。
「では、検察側の証人喚問を!」
「はっ!」
検事役の生徒がすっくと立ち上がった。
「検察側は証人として、被告《ひこく》を喚問いたします、閣下!」
箱の中の少女に、さっとスポットライトがあてられた。
観客は、どっと笑った。
防音ガラス箱の中の人間を喚問するとは! こいつはいい、これはまったくお笑いだ。答えられるなら答えてみるがいい、SS工作員め!
「いよっ、検察、千両役者!」の声がとぶ。
ふたたび講堂は大笑いの渦《うず》。
……その時、われらが朝比奈純一はどこにいたか?
彼女を救うと心に誓った少年はどこにいたのか?
まだ講堂の外か? いや、あそこにいるのは徹夜《てつや》で並ばなかった生徒だけだ。
彼女にいちばん近い場所、一階のアリーナだろうか。だが、そこにいるのは学園の主要な生徒だ。
西側のスロープ席の下から十六段目にいるのは、彼ではないか。いやいや、これは違う。
よく似ているが別人だ。
ではどこだ? まさか、つかまったまま、というわけではあるまい。あれだけ強く決心したのだ。やっぱりダメでした、では話にならない。
追っ手をのがれて、どこかに隠《かく》れているにちがいない。そして、さっそうと登場する機会をねらっているにちがいない。
いまや裁判は最高潮《さいこうちょう》、まさに絶好のタイミングである。
さあ、純一はどこにいるのだ?
「逮捕者《たいほしゃ》がでました! 逮捕です、逮捕です! なんとあの朝比奈純一です! 彼が学園裁判に姿をあらわしました!! たったいま、鉄道管理委員会が幾多《いくた》のライバルをおしのけて、ついに彼をつかまえました!」
そう、実は純一は、さっきからつかまったままなのだ。
記念講堂の北の端、階段席の裏側で、報道陣と見物人がひしめいている。なにかとおもったら、鉄道委員たちが純一と兵衛をひったてていく現場ではないか。
「ええい、邪魔《じゃま》だ、通せ!」
必死《ひっし》で委員がどなっても、
「どこへ連行するんです? なにか一言! こっちむいて、はいスマイル!」
「委員会センターへ行くんだよ!……いいから、通せよ!」
「あっ兵衛だ……みなさん、あの神酒坂兵衛もつかまっています、やはり朝比奈が大金持ちの一人息子で、にげだしたフィアンセをさがしに学園に渡ってきたというウワサは本当だったのでしょうか! ちょっとコメントを!」
「ああ?」気絶していた兵衛、まだ意識がはっきりしていない。
「通せってば!」
「一言、どうか一言!」
「どうする?」と鉄道委員のかたわれが、太った相棒《あいぼう》にいった。
このままでは報道関係の生徒につぶされかねない。しかし講堂の外に一歩でたら、混雑《こんざつ》にまぎれて逃げられる。どうせ行くなら講堂を横切ったほうがよさそうだ。
「しょうがない、上から行こう!」
太ったほうが横の階段を指さした。そこには、こんな札が立っていた。
『↑講堂最上部回廊(学園裁判開廷中 報道関係者立入禁止)』
ベアトリス・香沼が三階の放送室に入ったころには、裁判はすでにすばらしい盛りあがりをみせていた。
「どうです、様子は?」
「いい調子だよ」
音声調整係の三年生がこたえた。カラフルなスイッチだらけの制御装置《せいぎょそうち》の前にひとりで座っている。
「万全といってもいいね。とくに検事がもえてる。ビデオで売り出すときが楽しみだ」
「なるほど」
彼女は放送室の窓から、スポットライトのあたる被告席《ひこくせき》を見おろした。
「……という事実が報告されています。被告は、これを認めますか?」
せめたてる検事の声が、マイクをとおして響《ひび》きわたった。
「どうなんです!? なんとか言ったらどうですか!」
爆笑の渦《うず》。
調整係がつまみをまわした。客席のあちこちに仕掛けられたマイクが笑いをひろいあげ、増幅《ぞうふく》した。
「よし!」と調整係。
ガラスの中の少女は何もいわずにうなだれたままだ。
「被告に警告します!」
香田判事がまたまた槌《つち》をふりまわした。
「だまっていては審理が進みません! 意図的な遅延《ちえん》は法廷|侮辱罪《ぶじょくざい》になりますよ! 以後、事実を認める場合は沈黙したままで、異議のある場合のみ発言を許可します!」
観客席から拍手喝采《はくしゅかっさい》。
「閣下」と弁護人が立ちあがりかけた。「それについて異議が……」
「だまれ売学奴《ばいがくど》、非学生!」すさまじいブーイング。
「却下《きゃっか》します」と判事。
弁護人はそそくさと座った。
たぶんクラブのくじ引きで負けて、この『憎まれ役』を押しつけられたのだろう。命をかけてまで、見も知らぬ女生徒のためにがんばる義理はない。
ベアトリスには、彼の心の動きが、手にとるようにわかった。
(……そうとも、これでもできるだけの事はやってるんだ。誰にもボクを責めることはできないぞ。悪いのは魔女狩《まじょが》りを楽しんでる客席の連中だ。ボクじゃない。……)
「では次の質問にうつります!」
検事はうれしそうに飛びはね、言葉をつづけた。この調子でいけば、裁判がおわるころには踊りだしているにちがいない。
「被告《ひこく》は昨年十一月五日の三時間目、第二校舎五十四番教室の休講を策謀《さくぼう》し、担当教師をだまして無理やり休ませたことがありますね? イエスかノーか、はっきり答えてください!……」
たしかにいい調子だ。
とどこおりなく、最後まで裁判はおこなわれるだろう。あの断崖絶壁《だんがいぜっペき》まで。
彼女に良心の呵責《かしゃく》はなかった。
本当に?
本当に。
最上部|回廊《かいろう》……
記念講堂のいちばん上をぐるりとめぐる、全長三・五q以上の長い回廊だ。
講堂のミニアチュ[#「ミニアチュ」に「ママ」の注記]ア[#「ミニチュア」の誤記]模型をつくったとしよう。そして天井《てんじょう》をぺろりとめくり、中をのぞきこんだとしよう。
四方の壁の上の縁《ふち》が、まるで糊代《のりしろ》のように、内側に折れ曲がっているのが見えるはずだ。
講堂の巨大さにくらべれば、絹糸《きぬいと》ほどに細い幅だが、たしかにある。
それが最上部回廊だ。
その回廊のすぐ下からは、スロープ状の客席がはじまっている。
まさしく、講堂でいちばん高い場所。
客席とのあいだは、高い手すりとガラスでへだてられていた。ガラス窓のむこうの下は、熱狂と歓声のうずまく裁判風景。そしてこちら側は……。
「おらおら、きりきり歩け!」
鉄道委員に背中を押されながら、しぶしぶ進んでいく純一&兵衛の凸凹コンビのあわれな姿があるのみだ。
兵衛は、すっかり気がぬけた様子だ。観念《かんねん》しているのか、それともまだドラム缶攻撃の後遺症《こういしょう》があるのか。どちらにしても頼りにはならない。
もう逃げ道はない。手助けしてくれる味方もない。
なにもない。
(どうにかしなくては!)
ただひとつ、純一の常軌《じょうき》を逸《いっ》した情熱をのぞいては、なにもなかった。
ガラス窓のむこうは裁判だ。
裁判の九九・九九九パーセントが観客だ。のこりの○・○〇一パーセントは『あの娘』だった。
純一には、彼女の姿がはっきりと見えた。ななめ下、五〇〇メートルのかなた、一〇万人の罵倒《ばとう》のかなたに彼女の姿が見えていた。
力なく、うなだれた彼女が。
「もう少し先なら、下の階におりられそうだぜ」太った委員が相捧《あいぼう》にいった。「あのへんの階段がすいている」
「そしたら委員会センターへ直行だ」相棒がにやりと笑った。「オレたちの大切な電車さまを手荒にあつかったらどんな目にあうか、たっぷりと教えてやれる」
そして、もうすぐ彼女の姿は見えなくなる。
(どうにかしなくては)
なにかうまい方法があるはずだ。
両手はしばられている。兵衛の剣は委員に奪《うば》われた。体力も限界だ。
それでも、なにかあるはずだ。
一〇万の観客が怒りの声をあげている。
もうこれが最後のチャンス。
考えろ、畜生《ちくしょう》、考えるんだ!
そのとき、回廊《かいろう》の先に大きな手押し車があらわれた。
公安委員らしい生徒がひとり、それを押している。
車には、大きな長方形の箱が山積みになっていた。裁判の関係書類をつんでいるのだろう。
手押し車は、ぐらぐらと左右に揺れていた。ちょっとつついただけで崩《くず》れてしまいそうだ。
純一の中の、小さな刺《とげ》だらけの何かが、動いた。
(そうだ!)
まだ方法がある。あきらめるな!
距離を目測する。およそ一五〇メートル。接近中だ。
いそげ!
「……兵衛!」
計画の中核《ちゅうかく》を担《にな》うはずの相棒に、純一はささやいた。
「あんだぁ、ちきしょう」ほとんどやる気をなくした返事である。
「金《かね》だぞ」
常人には聞きとれないくらいの小声だ。
しかし兵衛は常人ではなかった。
すくなくとも、金に関しては。
「…………なにっ」
「金塊《きんかい》がどっさりだ、あの中に」と目線《めせん》で手押し車を示した。
「どうして、わかる」小声で、緊張《きんちょう》した詰問《きつもん》。
どうして??
しまった、考えてなかった。
手押し車はさらに接近中だ。すれちがうまで、あと一〇〇メートル。
「箱のわきに印がある」
純一は一世一代の大嘘《おおうそ》をついた。
「ちいさい菱形《ひしがた》が二つ。ベッキィに教えてもらったんだ、委員会の符丁《ふちょう》だって」
兵衛は目をほそめて、前方八○メートルの手押し車につまれた箱を、にらみつけた。
神様仏様、そのほか何でもいいです、兵衛の視力と頭の出来が自分より悪くありますように!
「はっきりたぁ言えねえが」あと七〇メートルで、兵衛が結論づけた。「いわれてみりゃ、そんなのが見えるな」
神様、ありがとう!
「で、どうすんでぇ?」
「最後のチャンスだ」
これは嘘ではなかった。あと五〇メートル。
「君には迷惑《めいわく》ばっかりかけたよね。ウソもついたし、顔も踏《ふ》んだし。だからここで、あれを奪《うば》って、せめて君だけでも逃げてくれぼくが……」
「こら、きさまら! なにをしゃべってるんだ!」
太った委員がどなった。
「い、いえ、何でも」あと三〇メートル!
まだ、まだあきらめるな!
「……で?」兵衛は、さらに声をひそめる。
「ぼくが、むこうから来るやつに飛びついて動きをとめる。合図と一緒《いっしょ》に、君はうしろのやつから剣を奪《うば》いかえす。そのまま君は、手押し車を盾《たて》にしてつっ走る」
「おめえは?」
「いいよ」できるだけ純真そうな表情をつくって、「気にすんな」
「そうかいそうかい、そいつぁすまねえな」
兵衛は、一も二もなく話にのってきた。なんといいかげんで自己中心的で現金な性格だろうか。
しかし、今ほどそれをありがたく思ったことはなかった。
「あとでおめえの墓《はか》に線香の一本もあげてやるぜ、鈍一《どんいち》」
「純一《じゅんいち》だってば」あと十メートル。「いちにの三、でいくからね」
車の音が回廊《かいろう》に響《ひび》く。運んでいる委員が、いぶかしげにこちらをジロリと見る。
心臓がガンガン鳴っているのがわかる。これは本当に自分の心臓だろうか? この音で、計画がばれたりしないだろうか?
四メートル。
そして『あの娘』は泣いていたのだ。
よし!
「いち、にぃの、……」
さん、のかけ声と同時に多くのことがいっぺんにおこった。
まず兵衛の腕がぐんとのび、愛刀をむんずとつかんだ。そのまま、おどろく鉄道委員ともども、もんどりうって回廊にころがった。
そして純一がとびはねた。
ただし、彼が約束した方向とはまるで正反対に。兵衛の脱出《だっしゅつ》を助けるどころか、うしろへむかって跳びすさったのだ。
兵衛の刀が鞘《さや》をはねた。おそるべき竜が封印《ふういん》を解《と》かれ、復讐《ふくしゅう》にあらわれたかのようだった。
委員が悲鳴《ひめい》をあげようとして口をあけた。虎徹《こてつ》が光った。委員が、つむじ風にのみこまれるように吹き飛んだ。
峰打《みねう》ちらしく、血は流れていない。
手押し車が音もなく動きだした。純一が取っ手をつかんだ。兵衛が上半身を回転させた。
書類をいれた箱がひとつ、床《ゆか》に落ちた。
つづいてまた一っ。
太った鉄道委員が純一につかみかかろうとした。泡《あわ》が口からふきでていた。
回廊《かいろう》の窓ガラスがゆれた。
純一は手押し車にだきついた。兵衛が足をすべらせて、床にたおれた。兵衛の上に書類を入れた重たい箱が落ちてきた。窓ガラスにひびがはいった。
窓ガラスが割れた。
太った委員が手すりにぶつかって気を失った。
純一を乗せた手押し車が窓から飛び出た。そして二〇〇メートル下のアリーナ席へむかって落下した。
これだけのことが一度におきたのだ。
一〇万人の人間があっけにとられていた。
学園裁判の真っ最中に、みっともない格好《かっこう》をした男子生徒がひとり、手押し車に乗って天からふってきたのだ。
手押し車は、すさまじい音とともに着地し、そのままアリーナ席の前をすべるように通過した。
そして講堂中央の巨大なガラス箱にぶちあたって停止した。
被告席《ひこくせき》の少女が、顔をあげた。
おどろくべきことに、朝比奈純一はまだ生きていた。
さっきまで被告席を照らしていたスポットライトが、彼にむけられた。純一の姿が、二○万個の瞳《ひとみ》の前にくっきりとうかびあがった。
二〇万の瞳孔《どうこう》がいっせいに焦点《しょうてん》をあわせ、彼のほうを向いた。
突然の闖入者《ちんにゅうしゃ》。なんの力もない、ただの新入生。
映画のヒーローでもない。白馬の騎士《きし》でもない。伝説にうたわれた勇者でもない。
はっきり言おう。
それは、馬鹿まるだしだった。
「あ、あの…………」
純一は立ち上がった。
「ぼくは……」
一〇万人は完壁《かんぺき》な静寂《せいじゃく》の中で、この状況《じょうきょう》を理解しようと頭をひねっていた。誰も、彼をつかまえようとはしなかった。
誤解《ごかい》の構図《こうず》はこんな調子だった―――
観客――これはきっと、公安委員会のアトラクションにちがいない。さもなければ、こんな騒《さわ》ぎをあの連中が許すはずがないからな。うん、きっとそうだ。
アリーナの観客――どうせこれは、弱小クラブの連中のいやがらせにちがいない。まったく、公安委員会は何をしているのだ。はやくつかまえてしまえばいいものを。
検事――弁護側の妨害工作だ! くそっ、あとで正式に抗議しなければ。だが今は判事にまかせるのが得策だ。
弁護人――公安委員会の奴らも、こんな手の込んだ方法で証拠提出をしなくてもいいのに。どうせ負けは決まってるんだから。あーあ、早く裁判終わらないかな。
判事――これはいったい何事だ? わかったぞ、委員長の新しい冗談《じょうだん》にちがいない! しかしなぜ私には知らされていなかったのだ? も、もしかして私は委員長に信頼《しんらい》されていないのか? よし、ここは静観して動きを見よう。
警備員《けいびいん》――判事が止めようとしないんだから、これはきっと計画の一部なのだろう。なんの計画か知らないけど。
「ぼくは……」
純一のふるえる声を、ガラス箱の前に立てられたマイクがひろいあげた。
声はコードの中を走りぬけ、放送室のアンプをとおりぬけ、講堂の各所に配置されている高性能スピーカーから流れだした。
「ぼくは、みんなに言いたいことがあります」
「おい、なんだありゃあ?」
放送室の三年生がヘッドフォンをむしり取った。
「こんなの台本にないぞ! 香沼くん、なにかきいてたか?」
「おお神様」ペアトリスがつぶやいた。
「なに?」
「いえ、なんでもありません」
いったいぼくは何が言いたいのだろう? と純一の頭が思った。
言わなくてはいけないことがあるんだ、と純一の心が叫んだ。
「言わなくてはいけないことがあります」
と純一の口が動いた。
「それは、この学園のことです。この裁判のことです。この、ガラスの箱の中にいる女生徒のことです。ただ、彼女は本当は生徒ではないんです。彼女はこの学園に買われてきたんです」
観客が、ようやくざわめきだした。
「みなさんは、二級生徒という言葉をきいたことがありますか?……」
言葉は自然にあふれてきた。
純一には自分がなにをしているのかわからなかった。わかっているのは、彼の中の何かだった。
何か、刺だらけの小さなもの。
長いあいだ、彼がかかえてきたもの。
それは燃えていた。
それは二級生徒に関する真実の物語を語っていた。
もはや、観客席は静かではなかった。
学園の有力団体が金にあかせてニセ生徒をつかっていること、そのうちの一人が女子|寮《りょう》でつかまったこと、SS残党の容疑《ようぎ》をきせられ、停学の刑にかけられようとしていること……。
すべてがマイクを通し、アンプを通し、スピーカーから暴露《ばくろ》された。
「あれは!」
観客席の一角で、聖《ひじり》剣一郎はとびあがった。
「あの一年坊主は!」
鉄道委員に持っていかれたとおもったら、こんなところに降ってくるとは!
これぞ神のおみちびきだ。
「学園|銃士隊《じゅうしたい》、全員戦闘準備!」
「了解!」
隊長が身をかがめ、席を離れた。警備《けいび》の公安委員に見とがめられないように、いちばん近い階段めがけて四つんばいになって走りだす。まわりにひかえていた銃士《じゅうし》たちが、それに続いた。
「ジョゼ、反対側からまわりこめ! はさみうちだ!」
「わかりました!」
「そんなものは存在しない!」
判事が、顔を真っ赤にして叫んだ。小さな疑惑《ぎわく》が、彼の中で大きくなってきた。もしかしたらこれは、委員長|閣下《かっか》の余興《よきょう》ではないかもしれないぞ。いやしかし、そんなバカな。
「存在するはずがない! 証拠がない! 証人がいない! 私は認めない!」
「彼女に聞いてみろ! 彼女はここにいるんだ!」
純一はマイクをつかんだ。
「ここにいるんだ!」
(「君がクラスにいると、せっかく勉強しようという雰囲気《ふんいき》がくずれるんだよね」)
彼の中で、古い言葉がよみがえってきた。
あれはいつだったか? 誰が彼にいったのか?
(「社会的、あるいは経済的な弱者というのが共通点だ」)
それはベッキィのせりふだ。
ならば、ぼくも二級生徒じゃないか、と純一は思った。
もうすこしでぼくも、二級生徒になっていたかもしれないじゃないか。
(「それでね、これはあんまり知られてない話だけどね、君のような生徒を引きうけてくれる学校があるんだよね」)
ひきうけてくれる学校。
買い取ってくれる学校。
どれほどの違いだというのか?
「そうとも! 彼女はここにいる! だけどこんなかたちで、ここに居たかったわけじゃない!
彼女を……彼女たちを、こんなめにあわせているのは誰だ?
ただ、ぼくたちよりほんのすこし、運が悪かっただけで!
ぼくたちだって二級生徒になっていたかも知れないじゃないか!
だったら、どうしてぼくたちに彼女が責《せ》められるんだ!?
二級生徒をつくっているのは誰だよ!
ぼくたちじゃないと、言いきれるか?
ぼくたちの手は汚《よご》れていないと、言いきれるか?」
「どうなってんだ!?」
放送室の調整係が頭をかきむしった。
「くそっ、しょうがないな、いっぺんマイクを切るぞ! 香沼くん、委員長に連絡《れんらく》を!」
ベアトリスの返事をまたずに、調整係はスイッチに手をのばした。
「マイクを! マイクを切れ!」
香田判事が両手をふりまわした。どうやらこれは、委員長の考えだした余興《よきょう》ではないらしい! なんてことだ!
「放送室の責任者は誰だ!? 電話を貸せ、電話!」
判事付きの書記が、携帯《けいたい》電話をかかげて走ってきた。
「おい、調整係! なにをぼさっとしている、いますぐにあのマイクを切れ!」判事の声が爆発《ばくはつ》した。
〈もうしわけありません、閣下《かっか》〉と、冷静な返事。〈ただ今|誠心誠意《せいしんせいい》努力しておりますが、回線の調子がおかしくて……もしかしたら、生徒会に反感をいだく一部生徒のサボタージュかもしれません〉
「なんだと!」
〈どうします、委員長に報告しますか?〉
「いや、するな!」こんな大失態《だいしったい》が報告されては、身の破滅《はめつ》だ!
〈わかりました。ひきつづきお待ちください〉
判事は電話をたたきつけた。
そして講堂の反対側で、ベアトリス・香沼は受話器をおいた。
彼女の横では、頭をしこたま殴《なぐ》られて気絶した調整係がひっくり返っていた。
なんども言うようだが、彼女には良心の呵責《かしゃく》はこれっぽっちもなかった。
さっきまでは………純一の言葉を聞くまでは。
彼女は、大げさにため息をついた――
「どうせこんなことになると、わかっていたのだ」
「やつを取り押さえろ!!」
ようやく事態《じたい》の真相に気づいた判事の号令がくだった。
五〇〇人の公安委員が、純一めがけて走りだした。
ほとんど同じタイミングで、四方の階段から銃士隊《じゅうしたい》と女子寮|自警団《じけいだん》と鉄道管理委員会と巡回班《じゅんかいはん》と報道関係クラブの部員が突っ込んできた。
「彼女を責《せ》められるやつなんか、誰もいないんだ!」
無数の腕が、彼を押さえにかかった。
純一はマイクを離さなかった。
「どうだ、できるか? できるんなら、ここへ降りてこいよ! 降りてきて、彼女を指さして言ってみろ! 『おまえは自分より弱いから、自分よりも低い人間だから、おまえは責められてもいいんだ』って!
だれでもいい!」
二つの委員会と三つの団体が、彼をふんづかまえ、ひきずっていこうとした。公安委員が純一のマイクをうばった。
次の瞬間《しゅんかん》、報道関係クラブのマイク二五〇本が、コメントをもとめて突き出された。
純一は絶叫《ぜっきょう》した。
「降りて、彼女を責めてみろよ! そんな高い所から見物していないで! 自分は、自分だけは絶対に二級生徒にはならなかっただろうって、心の底から信じられる奴は、今すぐここに降りてこい!
降りてこい!!」
永遠につづくかと思われた絶叫は、とうとうおわった。
警備《けいび》の者たちが動きをとめた。
講堂は静まりかえっていた。今なら純一の心臓の鼓動《こどう》は、いちばん遠いスロープに座った生徒にも聞こえるかもしれない。
「……降りてこい!……」最後のエコーが消えた。
純一は中学時代を思い出した。
そして、自分の中にある小さい刺だらけのものの正体を、知った。
ひとりの男子生徒が立ちあがった。
西側のスロープの下から二十六段目、まんなかあたりに座っていた青年だ。
純一が彼を見た。純一をつかまえようとした者たちが、つられて彼を見た。一〇万人の観客が彼を見た。
恋する少年の胃に、するどい痛みがはしった。そしてすぐに、何かがようやく終わったような哀《かな》しさがこみあげてきた。
彼女を責《せ》める生徒があらわれたのだ。
(これでジ・エンドだ、この馬鹿さわぎも)
純一は顔をふせた。
できるだけのことはやった。
悔《く》いはない。
青年は、座席のわきの長い階段を、ゆっくり降りはじめた。彼の足音は、静まりかえった講堂の中に反響《はんきょう》した。
なんの変哲《へんてつ》もない、特徴もない、ただの平凡な一生徒だ。
まるで、一週間前の純一のように。
ようやく彼は、いちばん下の段にたどりついた。右足が講堂の床《ゆか》にふれた。
背丈《せたけ》は中くらい。やせた体。ぶ厚い、お世辞にもファッショナブルとはいえない眼鏡《めがね》をかけていた。制服はシワだらけで、髪には寝ぐせがついたまま。
まったくパッとしない。
彼は何かをこらえるように、おぼつかない足どりで純一の前に歩いてきた。
純一にしがみついていた者たちが、ひとりまたひとりと手を離し、後じさった。
「君は」
床《ゆか》にしりもちをついていた純一が、そっと口をひらいた。
「君は、彼女を責《せ》めるのかい……?」
青年の緊張《きんちょう》した頬《ほお》が、小刻《こきざ》みにゆれているのがわかった。
「ちがいます、僕は」
青年はつばをのみこんだ。
そして勇気をふりしぼって、ふるえるノドの奥から声をだした。
「僕も、二級生徒です」
「僕も、二級生徒です」
まちがいない。
たしかに青年はそう言ったのだ。
ふるえながら。
「ウソだ!」香田判事が槌《つち》をふりまわした。「ウソだ、ウソだ、ウソだ!」
さらに、もう一人が無言で立ちあがった。東側のスロープ、下から四十九段目。
そしてまた一人。今度は南側、上から三段目。
ひとり、またひとり。
だが、彼らは独《ひと》りではなかった。
彼らは階段にむかって歩き出していた。
十人、百人、千人。
どこも、ふつうの生徒と変わらなかった。
彼らと自分たちの、どこが違うというのか?
純一と、『あの娘』のどこが違うというのか?
千人、二千人、三千人。
もう、どこからどこまでが二級生徒かわからなかった。ただの生徒、二級生徒、ただの生徒。誰にも区別ができなかった。
知らない顔があった。知っている顔があった。聖《ひじり》隊長がいた。紅柄《べにがら》りぼん嬢《じょう》がいた。大河内舞の姐さんもいた。黒ジャージの女生徒もいた。路面電車の中で悲鳴《ひめい》をあげていた乗客もいた。株式研《かぶしきけん》の呼び込み青年がいた。応援団員がいた。アイドル研のメガネの部員がいた。占い研の年齢不詳《ねんれいふしょう》の女|占《うらな》い師がいた。
「ウソだ、ウソだ!」判事が叫んでいた。五千、六千、七千!
階段はいっぱいだった。床《ゆか》はいっぱいだった。みんな、走りだしていた。
とつぜん、純一はわかった。
あの小さくて刺だらけの何かは、誰の中にもあるのだ。
ただ、いつもは顔を出さないだけで。
「大変です、大変なことになりました!」
どこか遠くで、放送委員がマイク片手に叫んでいた。
「会場は混乱してきました、いったい何がどうなったのでしょうか、いえ、そんなことは問題ではないのかもしれません!……」
ベアトリス・香沼が放送室から出たとたん、
「おい、そこの金髪の姉ちゃん!」
誰かが後ろから声をかけてきた。
粗末《そまつ》な着物をまとった長髪の剣士……いわずとしれた神酒坂兵衛である。
「今までどこにいたのだ、神酒坂?」
「どこもなにも、ちょいとトンズラこいてやろうとおもったら、いきなり目の前がマックラになってよ。気がついたらこれだ」
兵衛は、頭のコブをさすった。どうやら回廊《かいろう》でころんで気を失い、いままで寝ていたらしい。
「いったい何なンでえ、この騒《さわ》ぎは」
講堂の中は、混乱していた。走り回る生徒たち、逃げる判事、叫ぶ公安委員。椅子《いす》やら座布団《ざぶとん》やらメガフォンやらが、そこらじゅうを飛びかっている。
「どうやらおまえは、今年度最大のスペクタクルを見のがしたようだな」
「けっ」
「なんなら、あとで朝比奈から詳細《しょうさい》を聞くといい。……まあ、彼を見つけられれば、だが」
「そうだ、あの餓鬼!」兵衛は、はっと気がついた。「あのやろう、ていのいいこと言って、俺様をダシにしやがったんだ! ちくしょう、どうするか……」
「どうするのだ?」
「決まってんだろ、慰謝料《いしゃりょう》をブンどるんだよ!」
ベアトリスは彼をまじまじと見つめて、にやりと笑った。
「なんでぇ」と兵衛。「俺様が金とって、なんかおかしいか」
「いや、なんでもない。ただ……」と金髪の公安委員は腕を組んで、「おまえも『二級生徒』なのではないか、と推測しただけだ」
「ばっ! ばか言うんじゃねえよ!」
兵衛は心底《しんそこ》から驚いたようだった。それとも、図星《ずぼし》をいわれて焦《あせ》っているのだろうか?
「お、お、俺様が、なっ、なっ、なんでそんな」
「条件は合致《がっち》するぞ。貧乏で、授業に出ないで、裏のきたない仕事をうけおって、それに……」
「しょっしょっ証拠《しょうこ》でも、あ、あ、あンのかよ!」
「いいや。ただの推測だ。気にするな」
それだけいうとベアトリスはくるりとうしろを向き、混乱と無秩序《むちつじょ》にむかいつつある学園生徒たちを見つめた。
とても楽しそうに、見つめた。
* * * * * * * * * * * * * * *
蓬莱《ほうらい》学園ラジオ・TV放送委員会『学園裁判特別|実況《じっきょう》生中継! SS残党の手先に正義の鉄槌《てっつい》を!」より――
「……です! もう放送席は乱闘《らんとう》のちまたと化しています! 報道の自由は、正義は、公正は……ちょっと、どこさわってんのよ、スケベ!
皆さん、会場は大混乱です。問題の女生徒は、じつは『二級生徒』であることが判明いたしました! おこった群衆は判事を裸《はだか》にむいております。あっ、また別のクラブが突入してきました。被告席《ひこくせき》のガラスがぶち破られています! 中から被告が出てきます。誰かに手をひかれているようです。例の未所属生徒でしょうか、ちょっと遠くてわかりません!
あっ、判事が逃げだしました! 裁判はどうなったのでしょうか? このまま学園の秩序と平穏《へいおん》は永遠に失われてしまうのでしょうか? ああ、もうダメです、全学園のみなさま、もうこの放送も終わりです、さようなら、さよう……」
「放送委員会、ひっこめ!」
「なによ、いいでしょ、放送させてくれたって! 面白けりゃいいのよ!……」
[#改ページ]
エピローグ
……混乱《こんらん》と無秩序《むちつじょ》におぼれつつある一〇万の生徒のただ中で、純一と少女がむかいあっていた。
スポットライトが、ふたりを祝福するようにふりそそいでいた。ちょうど、最初の日の、あの時のように。
講堂じゅうに反響《はんきょう》する一〇万人の悲鳴《ひめい》と怒号《どごう》は、ふたりの耳には届《とど》いていなかった。
ガラス箱は粉々《こなごな》に砕《くだ》けていた。
彼女を縛《しば》っていたロープは、床《ゆか》に捨てられていた。
公安委員は判事と一緒《いっしょ》に消えうせていた。
ふたりの間に立ちふさがるものは、もう何もなかった。
「あの……」
少女は、かわいらしい口をひらいた。
「助けてくれて、ありがとう」
「え? いやぁ、このくらい」純一は真っ赤になって、「どうってことないよ、ほんと。毎日だってできるさ」
彼のうしろを、折りたたみ式のイスがとんでいった。そのむこうでは、公安委員と銃士《じゅうし》がとっくみあいのケンカをしている。
「毎日でも?」
「毎日でも」
純一の頭の上を、書類の束がすっとんでいった。警棒《けいぼう》とマイクと座布団《ざぶとん》がその後を追いかけた。悲鳴はいちだんと大きくなった。
「あのぉ、あなたは……」
少女はちょっとだけ迷ってから、おもいきって口にした。
「あなたは……どなたなんでしょうか?」
「ええっ??」
純一は自分がまだ自己紹介《じこしょうかい》もしていないことに、ようやく気づいた。
「あ、ぼ、ぼくは朝比奈純一、朝ご飯の朝に比べるの奈良で、いやそんなことはどうでもいいや、一年|癸酉《みずのととり》組で、新入生で、十五歳で、でも今度の誕生日がきたら十六で、母親は健在で、それから、それから……」
自警団《じけいだん》員が金切り声をあげながら、ふたりのわきを駆《か》けていった。
「どうして、わたしを助けてくれたの?」
「あ、あの、いや、一度、きみと話がしたくって」
ええい、勇気を出せ!
「つまり、その……今度の日曜日、ひま?」
「えっ!?」
レンチとお菓子の袋が純一の肩をかすめた。
「あ、いや、なんか用事があるならいいんだ、別に。……その次の日曜日は?」
「どうして……?」
「どうしてって」
「だって……あなた、わたしのこと何も知らないのに」
少女は涙ぐんだ。
「わたしがどんな人間なのか。どんな悪いことをしてきたのか。そうよ、わたし悪いことをたくさんしてきたわ。お金のために、自分だけが助かるために。誰かから命令されてるんだから自分は本当は悪くないんだ、って、ずっと自分に言いわけしながら。とっても卑怯《ひきょう》なことや、人を平気で苦しめることや、それから……」
「ぼくは、きみのことなら何でも知ってるよ」
考えるより早く、言葉が出てきた。
「え?」
純一は、胸ポケットから黒い手帳をとりだした。
そこには、彼の調べた事柄《ことがら》がすべて書いてあるはずだった。彼の知る、彼女のすべてがあるはずだった。
そっとぺージをめくる。
そこには何も書いていなかった。
「きみはとっても優しい人なんだ」純一は、真っ白なぺージを読みはじめた。「それでいて、芯《しん》はとっても強くて、きれいなものや、正しいことが大好きなんだ。今まではちょっと不幸が重なったけど、けっして希望を捨ててはいない。好きなこともたくさんある。好きな人もたくさんいる。読みたい本があって、行ってみたい場所があって、やってみたい事がある。間違《まちが》いもしでかすけれど、それを直すことを恐れたりしない。
過去にしばられず、未来を見つめてる、素敵《すてき》な女の子なんだ」
「でもわたし、そんな素敵な人じゃないわ」
「じゃ、これからそうなればいい」
純一はにっこり笑った。
「それにさ……自分が本当は何者か、なんてことは、誰だって知らないんだよ」
ぼくだって自分がこんなことをする奴だとは知らなかったぐらいだ。
少女は驚いたように、まばたきをした。
「そうかもね」
「そうだよ」
と大きくうなずいてから、純一は重大な事実に気がついた。
「……でもやっぱり、ひとつだけ聞いていいかな? きみの、きみに関するとっても重要で個人的なことなんだけど」
少女はすこし体をかたくして、みがまえた。やっぱり、これは避けてとおれない事なのだ。だが、隠しだてをするつもりがない。それは、彼女の瞳をみればわかった。
そっとため息をついた。そして勇気をもって顔をあげた。
「いいわ。なに?」
「きみの名前、なんてんだっけ」
「!?」
「名前」
「………ああ!」
彼女はおかしそうにクスリと笑って、目のはじにうかんだ涙をふき、小さな手を口元にやった。
それから、まるでさえずるように、
「あのね、わたしの名前はね……」
こうして、ようやく純一はその娘の名前を知ったのである。
[#地付き]*「蓬莱学園の初恋」おわり*
[#改ページ]
あとがき
日本本土から数千q、はるか南の青い島、鳥もかよわぬ絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》にそびえる巨大学園、そこに集《つど》うは一〇万人のひとクセありそな生徒たち、はたしてここでまきおこる驚異《きょうい》と冒険、ドラマとサスペンスや如何《いか》に!…………
などという、無茶苦茶な、しかし古典的なプロットを最初に思いついたのは、すでに今から二年前。ネットゲームなるRPG(大規模に郵便を使ってやるやつです)の舞台設定《ぶたいせってい》としてでしたが、ところがどっこいそれだけでは終わらないのが蓬莱学園《ほうらいがくえん》。ゲーム「蓬莱学園の冒険!」は九〇年の十二月、好評のうちにエンディングをむかえ、さてようやくヒマになる、と楽観したのもほんの束《つか》の間《ま》、テーブルトーク製作に追われ、発売されたと思ったら、今度はなんと小説が出た。
これもひとえに関係者&皆さまの応援のおかげと感謝感激雨あられ、次はいったい何だろう、やっぱり○○○かしらん、それとも○○になるのかな、いつになったら休めるんだい、と思わぬこともないけれど、それはさておき、ここで今日初めて「蓬莱学園」なるものに出会った方も、以前からこの不思議で巨大な架空《かくう》世界にお付き合いいただいている方も、今後ともよろしくお引き立てのほどを、初の「蓬莱学園」小説の発行を機会に、まずはお願い申し上げます……
と、最後まで講談調でやるのはけっこうしんどいので、ここでいったん休憩《きゅうけい》。いつもの通り、話題ごとに分けて書きます――
一、……この小説を買おうか買うまいか悩《なや》んだあげく、どんな話か見当をつけようと「あとがき」の立ち読みをはじめた方へ。
あなたの気持ちはよっくわかります。ぼくも同じ事をやったことがあります。じっくり悩んでから身を切る思いで大切なお金を払いましょう。読み終えた後、あなたは以前よりも(ほんの少しかもしれませんが)充実《じゅうじつ》した気分になることを請け合います。
それから、この小説は蓬莱学園RPGを持っていなくても、さらにはRPGとは何なのか知らなくても、じゅうぶんに楽しめるので、安心して読んでください。
二、……この小説を読み終えて、初めて「蓬莱学園」を知った方へ。
ようこそ蓬莱学園へ!
そんじょそこらの学園ものとは、ここはひと味もふた味も違うことはすでにお分かりいただけたことでしょう。学園創設以来、すでに一三○年余、いや、その前史までかぞえれば、数百年、数千年の過去にまで設定はさかのぼり、舞台も本土はおろか、中央アジア、南米、合衆国、さらには南極から地球の中へもひろがってしまうという物語世界が、この「蓬莱学園ワールド」。
あなたは今、そんな広大な庭に最初の一歩を踏《ふ》み入れたのです。
この小説だけでも充分《じゅうぶん》に楽しめるのはもちろんですが、背景の設定を知っておけば、さらに面白さが深みを増すでしょう。たとえば、ちらりと出てきた「女子|寮《りょう》の七不思議」とは何なのか、校内|巡回班《じゅんかいはん》と生活指導委員会のあいだにどんな因縁《いんねん》があるのか、学園のクラブは何をしているのか、生徒会選挙とはどんなものなのか、などなど……
くわしい背景設定を知りたい人は、有限会社・遊演体から発売されているボックス型RPG「蓬莱学園の冒険!! 基本セット」を参照して下さい。ちょっと大きな街のゲームショップなどで売っています。どうしても見つからない時は、お店にたのんで取り寄せてもらいましょう。
蓬莱学園ワールドは、ただ見ているだけの世界ではありません。自分のキャラをつくり、新しい設定をつくり、学園史の空白を埋《う》め、それをどんどん公認のワールド設定に付け加えていくものです。小説を読み、ゲームを進めていくうちに、あなたが考え出したアイディアが蓬莱学園の歴史を創《つく》り出していくことになるのです。
「へへんだ、おいらは小説だけ読んでりゃいいんだい!」という人は、小説の第二弾が発行されるように富士見書房へどしどしハガキを出しましょう。「RPGってなに?」という人は、本屋で雑誌や解説書を捜《さが》しましょう。
三、……すでにRPG版「蓬莱学園」で遊んでいる方へ。
今回初登場したキャラクターの、小説終了時でのデータを公開します。NPCとして使うもよし、初期値を逆算してこの小説をリプレイしてみるもよし。要はあなたのアイディアしだい。
◆朝比奈純一《あさひなじゅんいち》◆
陽・火・信  生活態度「恋と青春」
能力値……539・3873  財力3、学力3、蓬莱パワー6
技能……ラブコメ・レベル8、弁論部レベル7相当(ただし入部はしていない)
備考:負傷レベルは「重傷」一歩手前。
◆ベアトリス・香沼《かぬま》◆
陰・水・忠  生活態度「目的追求(規則正しい生活)」
能力値……472・3747  財力4、学力5、蓬莱パワー3
技能……公安委員会レベル7、数学研レベル8
(ちなみにもう一人重要な登場人物がいるのですが、彼女については、みなさんで想像してみて下さい。ここで書くと、オチがばれてしまうので……)
四、……技術的|注釈《ちゅうしゃく》について幾つか。
路面電車が道を曲がる際の線路切り替《か》えシステムは(そんなものが本当にあるにしても)、本土のそれとは違った蓬莱学園独自のものが使われているようです。学園の線路は非常に入り組んでいうえダイヤがめちゃくちゃなので、かなり敏感《びんかん》な装置が車両の底についているのでしょう。というわけで、第二章の馬鹿騒ぎが成立する次第。
ベアトリスの正式な愛称は「ベッキィ」ではなくて「トリシァ」またわ「ベティ」です。ただし、それでは音の雰囲気《ふんいき》が趣味にあわなかったので、ここでは変更しました。また、「バッドラック」も「悪運」というのも多少ニュアンスの違いがあるのですが、やはり音の雰囲気を最優先しました。
第二章にちらりと出てくる「贖罪数《しょくざいすう》」とはワシーリィ・レオーノフ教授の数学的功績のひとつです。可能なすべての演算《えんざん》に関して不変である数(もしくはそのような数をもつ演算系)なんだそうですが、ぼくにもよくわかりません。くわしくは論文集「クリプキの可能世界論理とC=P実数論」(蓬莱学術出版、一九八八年)を参照して下さい。
五、……最後に、次の方々に、それぞれの理由から感謝をささげます。
まずは、彼らなくしてはこの小説もありえなかった遊演体スタッフ&アルバイト、そして大勢のライター&イラストレーターの皆さまに……。
いつも素晴《すば》らしいイラストを描いてくれる、中村博文氏に……。
「蓬莱学園のヒゲ親父」神酒坂兵衛をデザインしてくれた、冨士宏氏に……。
世間でよく聞く、小説家の「いやー、まだ書けてないんですよー、アハハ」という科白《せりふ》が冗談《じょうだん》でも謙遜《けんそん》でもなく本当にマジなのだ、と気づかせてくれた担当の(拓)氏に……。
『書き続けなさい』と言ってくれたミセス・ウォーカーに……。
『描けないならば今は描かずにおいて、描けるようになるまで練習しろ』と教えてくれたミスター・フェルトに……。
最良の場所だった「あの図書室」と、三年間を過ごした仲間たちに……。
やる気をおこさせてくれたファンタジー研究会に……。
今から考えれば、そもそものきっかけをつくってくれた畏友《いゆう》、I・T氏に……。
迷惑《めいわく》をかけた(に違いない)家族&祖父母、とくに世界の反対側で時間と好機を与えてくれた両親に……。
そしてもちろん、この小説を読んでくれた皆さんに。
ではまた近いうちに、宇津帆《うつほ》島《じま》で……。
[#地付き]一九九一年六月
追記…このたび、『蓬莱学園ファンクラブ』が発足しました。当面は会員制速報誌『蓬莱ニューズレター』で最新&極秘の学園情報をお伝えしていきたいと思います。興味のある方は、返信用封筒にて〒228 相模原市上鶴間3498第2足立ビル4F『蓬莱FC事務局』までお問い合わせ下さい。詳しい案内をお送りします。
※炊者注……このあとがきは初版を底本として使用したため、後の版で書き加えられている注が抜けています。内容はたしか「ファンクラブの受付はすでに終了しています」というものだったので、間違っても問い合わせないようにおねがいします。
★峻氏の RubyMate ver2.61 を使用してルビ中空白を除去