童貞
酒見賢一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)禹《yu》
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シャのシィのグンが老牛とともに屠殺された日は、天はどんよりとして、陽は翳《かげ》り、河の水音のみは不吉めいて遠くから響き、壇の周囲はただ重苦しかった。
逞《たくま》しい女が石斧《いしおの》を振り上げ、鈍《にぶ》い刃が何度も叩き、たびに鮮血が散じ、壇の周囲の地に吸われた。肉が潰《つぶ》れ骨が砕《くだ》け、シャのシィのグンの四肢が解体された。最後に首が落ちたのである。
大女の傍《かたわ》らに控えていた十二、三の年と見える少女が、拝してすっと出た。恐る恐るのようにグンの屍《しかばね》に近付くと、慣れぬ手付きで鍼刀《しんとう》をとってグンの萎びた陰茎にあてた。薄い鍼刀の刃には欠けている部分があったのか、切り取ろうとして陰嚢に刃を引っかけてしまい、醜く裂けた血紐のついた睾丸をだらりと地に下げてしまった。
少女があわてて睾丸を拾い上げて注意深く切除し直し、水を注いで土泥を払う。陰茎はもう片方の手がしっかりと捧げ持っていた。
少年は二十歩も離れたところから、大人の男たちにまじりその様子をまたたきもせずに凝視していた。
少年は身震いした。何かが腹の中でぐにゃりとくの字に曲がるような感じがした。それは徐々に痛みにかわり、背骨の両側に疼痛を与えながら分散上昇し、最後に首筋に巻きついた。頭脳が痺《しび》れるような感覚がしばらく続いて少年を混乱させた。
少年は、自分は憤怒しているのだ、と思いたかった。シャのシィのグンは、少年が尊敬した唯一の大人の男であった。その死に怒り悲しまぬわけにはいくまい。
だが、少年は困惑していた。くの字に折れ曲がった腹の中の何かに触発された衝動が腰下に血液として集まり、少年の股のもう大人びた根が堅く勃起しているのをはっきりと感じたからである。おのれの根が堅く凝《こ》るのを呪《のろ》わしげに自覚した。
少年、シャのシィのユウはこの日の光景を生涯忘れることがなかった。
『英雄たるシャのシィのグンは女に殺された』
のである。必ずしも正確なものではなかったかも知れない。しかし光景は夢の中でまでしばしば侵入した。シャのシィのユウに忘却を許さなかった。
シャのシィのグンの処刑の儀式はシャの邑《むら》の女たちの主宰のもと、白日のもとに行われた。
まずシャのシィのグンは痩せた四肢、肋骨の浮き出した上半身を柱に磔《はりつけ》られたまま陽に曝《さら》された。七日目にグンを殺す為の儀礼がとりおこなわれた。その間、誰も、邑の首たる太女《たいじょ》をのぞいては柱に近付くことを許されなかった。
当日、シャの邑の男たちはぞろぞろとその祭祀の場に集まり取り囲むように見守らねばならなかった。一様に無関心とわずかな怯《おび》えがその顔にあった。その中で、一人の少年だけは光景から逃げるような目をしていなかった。男どもの壁を縫って、一番前に顔を出して、食い入るように見つめていた。
幔幕より屈強な女が現れまず四方を拝し、地に拝した。最後にグンへ拝したが、これはグンを捕縛していた柱に拝したものである。四人がかりで柱に縛られたシィのグンを降ろし、脇の下、股の下から腕を差し入れて壇に運んだ。
「おれは歩く。おろせ」
というグンの弱々しい声だがプライドを保つ言葉は逞《たくま》しい抱える母娘の耳には入ったろうが、距離をとってのぞむ邑人たちには届くことはなかった。
やがてシャのシィのグンは土を固めてつくられた壇の上に乗せられて、縄により固定された。同時に曳かれてきた牛は涙を溜めたような目をしていた。グンにはまったく関心を示さず、口中に反芻《はんすう》していた。グンを壇に呪縛した女たちは壇の四方に、三歩ほど離れて坐し、地に額《ひたい》をつけて動かなくなった。
それからまたしばらく時が過ぎた。
地を踏む強い音をたてて輿《こし》が幕内より現れた。不気味な容貌の女が、輿に乗って運ばれてきた。輿を担《かつ》ぐのはすべて女である。八人の女が輿の縦横の太い棒を厚い肉のついたあらわな肩に担いでいた。みな日に焼けて健康そうな体躯をしている。片脱ぎの衣は白く、それをきわだたせる。輿は一歩一歩とじらすように壇に近付いた。シャのシィのグンは首を横にしてそれを睨《にら》みつけていた。
手前に来ると担ぎ女たちはゆっくりと腰を落としながら膝を付き、輿の上の女が転げ落ちないように用心しつつ、輿をおろしていった。担ぎ女の額から大粒の汗がしたたり落ちる。輿が地に脚を着け、安定すると、輿上の太女はおもむろに地に足裏をつけた。太女は朱や藍の文《あや》によって顔から乳房のあたりまでを被っている。このためさらに不気味に見えた。
太女はまず丸くなって地に手をつき、頭を点《つ》き、拝する。次に河のほうへ身を転じて再び拝した。肥満している太女は頓《ぬかず》くと鞠《まり》のような形になった。
太女は地に拝礼し、河の神に拝礼した後、何事か常人には分からぬ呪文を幾度か唱した後に、ようやく壇上に顔を向けた。
太女の歩みは、一歩ごとにずしんという音を地に伝えるがごとく重かった。垂れた巨大な乳房と、衣に隠されている膨満な脂肪腹がそのたびに揺らいだ。輿を担いでいた女たちは非常な重さに耐えていたことであろう。太女はシャのシィのグンの顔を覗きこめる位置まで達して、なおもぶつぶつと呪詛した。
その時、グンは喋《しゃべ》った。グンは最後の声を振り絞ったかのようであった。麦藁の束が擦《こす》れ合うような声であった。
「シャの太女よ、殺す前にわが言を聞け。よいか、おれのやり方は間違ってはおらんのだ。あれで水は治《おさ》まる。何故、あと数年をおれに加さないのか。そうすれば必ずや河の神をおとなしくさせ、河神にその供犠《くぎ》を認めさせることが出来るのだ。今、おれを殺せば、お前たちはこれからまた長きにわたり河神に虐されることとなるだろう」
文《いれずみ》に覆われているため表情の見えない太女だったが、嘲笑《あざわら》ったようであった。
「ほざくなシィの男めが。お前の術は河に破れたのだ。なにが息壌《そくじょう》の術か。たった一度、河に洗われただけで、すべて流されてしまったではないか」
「違う。まだ途中だったから河の力に負けたに過ぎぬ。息壌をもっと多く、堅固に積めばわれらは河に打ち勝つことができる」
「お前は、神に誓って水を治めて、そして無様に失敗した。この上は償《つぐな》って神の前に戮《りく》されねばならぬ。シャの邑はお前を信じたために大変な禍をこうむってしまった。お前の術が河神をかえって怒らせ、シャの地は洪《おおみず》に浸されしぞ。何十人も流された。何十頭も流された。何十畝も流された。そんなことをもういくらも続けてなるものか。この上はお前を審判して刑し、河に謝罪するのみよ」
「ちがう」
グンに力があればなお駁《ばく》し続けたであろう。しかし、口は苦しそうにあえぐだけで言葉を出すことが出来なかった。シャのシィのグンの喉には、もはや太女に反論や罵言を投げつける気力が残っていなかったのである。
太女は壇の周囲をめぐり、呪詛し、頓《ぬかず》き、這ってから、壇から引いた。
やがて石斧を持った黒い衣の女と、鍼刀を捧げた赤い衣の少女が進み出て、冒頭のようにシャのシィのグンを殺して解体した。隣では老牛が、今度は別の赤い衣の女と黒い衣の少女に屠殺され、同じく解体されていった。
七つに屠解されたシャのシィのグンは、しずしずと歩く七人の女の手によって七つの方向へ、捧げ運ばれていった。特に男根を捧げ持った少女には、恐怖の色も嫌悪の色も、微塵《みじん》もなかった。陶酔の表情だけがあった。少女の手のかすかな震え、薄膜のはったような目、脂汗に照り映えた顔の肌、今にも倒れそうな興奮が、奇妙にも見つめる少年にも同じ濃度で共感された。
シャのシィのグンの、両手、両足、胴は皆、定めるところにより別々に埋められる。魔怪となって甦らぬように四方に分散して埋めるのである。頭部は太女が預かる。太女が一晩かけて呪術を施《ほどこ》し、その後に獣皮に包んで河に流すのだという。これでシャの地の部族の謝罪と誠意を河に示すことにする。
そして特に切り取られた男根は、シャの邑の中央の辻にある塚の中に供《そな》えられ、祈りを受ける。罪人の根であろうとその地に対する呪的な影響力は否定されず、新たな根のための材料となるからである。
「河を騒がした愚か者は戮された。皆の者、安心せよ」
太女は最後に疲れた声でそう宣言した。
犠牲の牛が適度な大きさに切り盛られるとようやく、シャのシィのユウたち、邑の普通の男たちは壇に近付くことを許された。男たちはこそこそと、牛の肉や筋や軟骨を拾いあげる。地と河に感謝の意を示して拝し、ふところに入れるのだった。
少年、シャのシィのユウは殺された牛の血肉とシャのシィのグンの血肉が混じり合っているような気がした。さっき腹の中の曲がったものが胃中をむかむかさせたので、祭肉を拾う気になれなかった。しかし、女たちが取り巻いて見張っている。拾わなかったのを見つかるとあとでうるさいことになる。シャのシィのユウは仕方なく、食べられもしない蹄を拾ってふところに入れた。これはシャのシィのグンの依《よ》る物《もの》となるだろうか、と思った。
壇の上と壇の周囲に散らばった臓物や肉片骨片がきれいにされると、太女は、
「わがシャの黄色い地よ、わがシャの黄色い河よ、覧せよ。これにてわが族の誠意を汲み、嘉《よ》く納めよ」
と宣告して、処刑と謝罪の儀礼を終えたのであった。
太女は邑に帰るべくまた苦労して輿に乗った。太女の腕にはまだ凝固していない血を流すグンの頭があった。太女に従う母娘たちは七十と七人いて、その後にまた従う普通の女たちが大勢続いた。
男たちはこの後、壇と壇の周囲を浄め、幔幕を片付け、すべての雑事を終えてから邑に帰るのである。女にはこの後、酒と祭肉に宴して邑の辻の塚の前で歌い踊る。しかし、男には歌も踊りも与えられないのである。
シャのシィのユウは黙って雑役しながら、シャのシィのグンが殺された時に自分の中に起きたことを理解しようとした。何が腹の中で曲がったのだろう。考え確かめるのは恐ろしいものと真正面に向き合うような勇気を必要とすることであった。
清掃の仕事を終えると、男たちはそれほど大した労働でもなかったにもかかわらず、疲れ切ったような顔で泥を含《ふく》んだ風に吹かれながら帰路についた。誰しも口にこそ出さないが、本当はシャのシィのグンを悼《いた》んでいた。
シャのシィのユウは最後尾を歩いた。
シャのシィのユウは、風がシャのシィのグンの血肉の匂いと、太女たち女の匂いの両方を含んでいるように感じた。夕陽は赤く、背中を押すように照った。反対からは月が自分の時間を知らせに浮かび上がっている。夕陽と月と風と河の響き。これがシャの地なのであった。
突然、シャのシィのユウの中に、
(おれはシャのシィのグンを継ごう)
という意思が天啓《てんけい》のように生じた。すると英雄的な興奮がユウの身体を包み、それが正しい、ということを認識させた。腹の中のくの字は祝うようにさらに曲がった。
(グンを継ぐのだ)
この決意が、如何《いか》なる事態を招来するものなのかシャのシィのユウには勿論はっきり分かっていた。
(おれが女に殺されるか、おれが女どもを殺すかだ)
復讐の決意でもある。シィのグンの挫折と死は、シャのシィのユウの生死を決定した。
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そもそものこと、シャのシィのグンが殺されて河の神に供せられた理由が語られねばなるまい。
シャのシィのグンは優れた男であった。なのに殺された。優れていたことが死の原因の一つであった。シャのシィのユウにはその本当の意味が分からなかった。
まずシャの邑にとって不可侵なるもの河≠ェあった。この地に生きる人々の喜怒哀楽から隔絶して、誰も想像もし得ぬ太古の時より流れていた。
シャの邑からほどないところを流れるこの大河は数年に一度は必ず濫《みだ》れた。泥色をした水が地にあふれ襲うように迫る様は、巨竜が勝手気ままにうねるかのようであり、雨風をともなってすべてを飲み尽くしてゆくのであった。シャの邑やその畑はその都度きれいさっぱり洗い流された。むろん多くの人が死に、家々が失われ、作物が駄目になり、狩猟の獲物も激減している。河が暴れた年の末にはさらに多くの者が餓えて死んだ。
河に対して母娘たちの祈祷は無力なものである。シャの邑の伝承により、毎年数人の男と牛羊が生贄《いけにえ》として沈められている。言い伝えによればこれで河は穏やかになるはずなのである。それでも河は無情にも怒る時には怒り、前触れなく暴れた。これでは祭祀にいかほどの効果があるのかが疑わしく、太女母娘たちの沽券《こけん》にかかわる問題であった。しかし、他に河の気紛《きまぐ》れな怒りを鎮める手立てを彼女たちは思いつかず、ただ定期的に生贄を沈め続けるよりほかなかった。
ある年、邑のすべてを決める者である太女と母娘たちが合議してシャのシィのグンという美しく賢く逞しい男を選び、少々勿体無くもあるがこれを生贄にしようとした。今までの適当に選んだ醜い役立たずの男どもでは河の神はお気に召さなかったものと思われたのである。河の神は女である。欲するとすれば英《すぐ》れた雄に違いない。
邑の長たる太女が一応占ってシャのシィのグンにおごそかにそれを命じた時、シャのシィのグンは、齢、二十の後半であった。、
「沈むだけが生贄の能ではありますまい。どうか数年を我に与えよ。きっと河の神を鎮めて洪水にならぬようにしてみせよう」
と不敵なことを言った。邑にこれほどの大言を吐ける男がいたことに女たちは驚いたが、これほどの生意気な男だからこそ生贄にする価値があるのである。
「シャのシィのグンよ、きっと河神を慰められるか」
と揶揄するような口調の問いに、グンは、
「出来まする。ただし、太女さま、母娘さま方は、すべてわたしに任せていただく必要があります」
と答えた。
この提案は母娘たちにとって前代未聞の不敬なものである。シャの邑は、そこに人が住むようになって以来、取り仕切る存在は女であった。支配は太女と母娘の犯すべからざる任務であった。そして男には何ひとつ任せないことがこの邑のしきたりなのである。シャのシィのグンは女の支配に挑戦しようとしたのである。そんな男が現れたのは初めてであったろう。
太女らはシャのシィのグンの提案を頭から無視し、引っ立てて河に捧げるのは簡単であった。だが女たちの内には、あの不敵だが力強い男に何か魅かれるものを感じた者も少なくなかった。もうとっくに生の女では無くなっていた太女はグンに惑わされることはなく、邑の総支配者としてグンを供犠《くぎ》にすることを言い張った。しかし、母娘の多くはまだ女であって、本能として惑わされることにやぶさかではない。しばらく煮え切らぬ議論が続いた。
結局は占卜《せんぼく》して決めることになった。亀甲は、グンに河を慰めさせよ、という結果を告げた。
「六つの年の間」
と太女はしぶしぶながらに認め、シャのシィのグンにこの期限を与えた。
「六年、お前は河につかえよ」
そして太女はぎろりと目を剥いて、六年のうちに河の神の気紛れな氾濫《はんらん》を治めることが出来なければ、最高の儀式をもって戮すと申し伝えた。グンは謹んでそれを受けた。
シャのシィのグンはその日以来、全身全霊をかけて治水事業に打ち込むことになった。
グンには河を治める成算があった。おのれの魅力で河の女神をたぶらかせるなどという考えは持っていなかった。これまで何人の男が河に沈められてきたか。それでも氾濫はやむことがない。河の女神は太女以上に男嫌いであると思ったほうがよい。逆に女を沈めたほうがよいのではないかとすら思うのだがそれは不可能なことである。
グンはかれに与えられた配下の男たちを前に説いた。シャのシィのグンは合理的で具体的な治水の術を内に秘めていた。
「まずは河の勢いを殺すことだ」
と言った。
「河の勢いを少しでも減らすためには上流を堙《ふた》げばよい。水かさが一時は増すが心配はいらぬ」
堰《せき》をつくりある程度の水止めをする。強い流水を前にしては工事など出来はしない。
「つぎに河の縁に大いに土を積み、あふれる水よりも高き堤をつくるべし」
それでも大雨の際の怒流を防ぐことは難しいと思われる。雨季の強流はちゃちな堤防などひと息に押し流してしまうであろう。
「だから、そのつぎに地を削って支流をつくる。それを通じて隣の沢水や池に河の水が流れ込むようにするのだ。そうすれば河の勢いのいくばくかがそちらに向かうようになろう。いくつかの支流をつくればもはや河はシャへ向かって暴れ込む力はなくすであろう」
その上、支流を畑の方にひくことによって灌漑《かんがい》を行うことも考えられた。
シャのシィのグンの基本方針は右のようなものであった。この工事が完成すれば、よほどのことがない限り河の水がシャの邑を呑み流れるようなことは絶えて無くなろう。シャのシィのグンはそう確信していた。
これら河神への物理的慰撫工作はシャのシィのグンが何年も暖めていた方策であった。
グンも子供の頃、洪水によって二度も家を流され、畑を洗われた苦い経験を持つ。母娘たちの河の神への祭祀では根本的に河を手なずけることは出来ないと思っていた。そこでシャのシィのグンは、毎日のように、雨の日も風の日も休まず河を睨みに出かけていった。そして、河の女神を大人しくさせることの出来る手段を思い描いたのであった。
しかし、シャは女の邑である。一介の人夫に過ぎぬグンにこの法を試みる機会が来るとは思われなかった。グンが女たちに申し立てるなどということも考えられない。
(一生に一度の機会でよいのだが)
グンは半ば諦《あきら》めて普通の男のように働くしかなかった。それがその機会が唐突に訪れたのである。沈められる供犠に選ばれるという土壇場の機会ではあったが、グンの言葉は奇跡的に母娘たちに通じた。シャのシィのグンはこれは神の要請でもあるに相違ないと思い、おのれのすべての力を注ぐことを誓った。
大がかりに、土を河辺に盛り、土を河辺に削るという。こんな大それた、しかし、単純で有効な案を考えついた女はこれまで一人もいなかった。いたかもしれないが、その女は実行しなかったのである。
(見事に河を治めて、女たちの鼻をあかしてやる)
当然ながら、河の女神を服従させることは邑の女どもを服従させることに通じていた。奇妙にも胸が躍っていた。シャのシィのグンとそれに従う男衆は、そういう胸をわくわくさせる感情を初めて持つことが出来た。
工作はよく進んだ。計画が合理的であるからばかりではない。グンには指導者としての適性があり、工事に参加した男たちは日頃の元気のないしょぼくれた顔に生気を甦らせて、鍬《くわ》をふるい、もっこを担《かつ》いだのである。長らく女に奪われていた自信あふれるという心の状態を思い出したかのようであった。
「六年あれば十分だ」
とグンは自分に言い聞かせ、人々にもそう言い切った。毎日、朝早くから男たちは生き生きと出かけていった。皆が堂々たる勇士に見えてきた。その中でもシャのシィのグンは格別であった。
グンに憧れの混じった眼差《まなざ》しを向ける女も多くなった。とくに若い女は露骨であった。シャのシィのグンはとくに女を拒まなかった。密《ひそ》かにグンと同衾した女は多かったに違いない。交わりのことも決定権は女のほうにある。それが破られつつあるのである。すると母娘たちもどこかそわそわし始める。母娘たちの中には口にこそ出さないが、シャのシィのグンの男性たるものの性質の良き部分に感応を呼び覚まされ、それに傾いてゆきたいと思うものすら現れ始めていた。
母娘にしてそうなのだから、一般の女たちのグンを見る目は太女に対する時よりも輝き熱を帯びていった。シャのシィのグンはかつて現れなかった強烈な魅力を持った英れた雄だったのである。太女の胸にも忘れかけていた小さな渦が生じ、それが為に母娘たちに無用に声を荒げることも多くなった。太女の政治的な無意識的な勘はこれは危険な兆候であると告げていた。
一年、一年と過ぎていった。その間、工事を台無しにするような長雨も氾濫もなく順調であった。シャのシィのグンの工夫も止むことがなかった。堤を築くにもただその辺りの土を運び固めるだけでは流されてしまう土量が多くて、やや能率が悪かった。グンは土の質を調べることにも余念がなく、近辺を土捜しに歩いた。そのうちもってこいの土質を近くの小山に発見した。この土はシャの邑では主に焼き物に使われていて、母娘らは器の神の山の土として尊重していた。
グンがそれを切り出して土嚢として使ってみると、土は水に漬けると膨《ふく》らんで、まるで増えるかのように見えた。しかも粘着性を失うことがなく溶けにくい。一度乾くと岩のようになった。水場の使用に最適であり、焼いて土器にするよりも水を遮《さえぎ》るのに利用すべきと思われた。グンはこの土を息壌《そくじょう》と名付けて小山から次々と運ばせて用いた。
予想していたことながら、太女たちは器の神が怒ると言い出し、息壌を使うことに難色を示した。グンは、
「山の神の土ならば河の神の水に合っていよう。これこそ適というもの」
と言って無視した。息壌を使うと工事はますます進捗《しんちょく》し、堰は剛《つよ》くなり、堤は見る見るうちに高くなる。まるで土が自分で増え続けているかのように錯覚したほどである。
太女母娘はシャのシィのグンのやり方に不満がなかったわけではない。不満だらけといってよかった。しかし、最初に誓った時にすべてグンに任せると約束している以上、黙っていなければならなかった。
母娘は基本的には神に事《つか》える巫女《みこ》である。太女はその長である大巫女である。そういうかの女らは、シャのシィのグンが河の神に事えるのに祈るでなく詛《のろ》うでなく、物理的な方法をもってしているのを見て大いに危惧を抱いた。一体、河の女神に事えるのに、その腰の線に土塊を積んで辱《はずかし》め、また新たに削って皺《しわ》を増やして嬲《なぶ》るようなことをしてよいものか。よいはずがない。
「河の神はお怒りになる。きっとお怒りになるわい」
太女は日に何度もつぶやくようになった。ついに我慢出来ずグンを呼びつけると、
「あのような無礼な事業は即刻中止せい」
と叱り付けた。が、目前の事業に熱中しているグンの耳はまったく受け付けなかった。
「既に約束したことであろう。あと二年ある。功の成るのも目前だ。太女といえども口出しは無用に願いたい」
と口ごたえをした。グンは言い捨てるやさっさと出ていった。
太女はかつてこれほど強い言葉を男に投げられたことがなかった。おそるべき侮辱である。男如きが反抗していると感じると、太女は激怒のあまり目の前が冥《くら》くなり、座席からのけぞり落ちそうになったほどである。その後も太女は何度もシャのシィのグンを呼び付けて中止を勧告したがグンはもちろん聞かなかった。
現実にまだ未完成にもかかわらずグンの治水工事の効果は現れてきていた。以前なら中雨が続いても、すぐさま水は川べりからはみ出してシャの邑を軽く舐めに来ていたものであった。しかし、グンの基礎工事が進むにつれて少々の雨くらいなら水の浸入をほぼ許さないようになっていた。この目に見える験《しるし》に対して太女に論理的に反駁《はんばく》する法はない。ただ悪感情をグンに募らせるのみである。口を衝《つ》くのはグンの無作法を罵る言葉だけであった。太女の非生産的な小言にグンは嫌気がさしていた。最後には、息をきらしてグンを呼び付けるべく現場にやってくる太女の使者へ、
「今、忙しい。邪魔をするなと太女にはそう言っておけ」
と怒鳴って追い返すまでになった。
シャのシィのグンに傲《おご》りがなかったと言ったら嘘になる。真に治水を完遂したかったならば、太女を必要以上に刺激してはいけなかったのだ。政治以前の問題である。女に呪われては男は生きてゆくことが出来なくなる。しかし、仕事に夢中であるグンにはそんな雑念はことごとく無用なのであった。
シャのシィのグンの独断専行に太女はついに最後の呪いの言葉を吐き散らすしかなかった。
「わが胎より出たるもののくせに、わが胎より出たるもののくせに、われに逆《さか》らうか」
聞いていた側近の母娘ですらぞっとした。シャのシィのグンは事実として太女の胎から出たるものではなかったが、太女母娘は邑の女と男すべての母親であると言える。その意味ではこの呪いは間違いなく最大級の呪いであった。
言い伝えでは、女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》という大女神がこの地の土をこねて最初の赤ん坊を作り、面白くなってさらに女を作り、男を作り、どんどん数を増やして地に満たそうとしたという。だからこの地の人の肌の色は黄色いのである。
しかし手作業で人をこねていては時間がかかるし、そのうち最初に作った人間は寿命が尽きてどんどん死んでしまう。これでは人口増加は難しいと思われる。そこで女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》は人に人を自分で産み増やさせようと、婚姻というきまりを作ったのである。女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》は※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の神となり、求子の神ともなった。
※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の力は極めて霊妙なものであり、造化の秘密さえそこに隠している。白※[#「鳥+(睨−目)」]《はくげい》という鳥は雌雄が凝視し合うだけで子を化《な》すことが出来るという。ある虫は雄が風上に鳴き、雌が風下で応じて鳴くだけで子を化すことが出来るという。類という獣は両性を具有でもしているのか、単独で子を化すことが出来るという。これ皆、※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の力による。人間も同じく、最初の時は、女は男と向かい合っただけで感応して、子供を孕《はら》むことが出来たという。決して男と女が交わったから赤子が生まれたのだと考えてはならない。女が姙《みごも》る原因は※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》≠フ神力なのであり、男の力をまったく必要としないのである。
だからシャのシィの人々には誰にも父親というものがいない。母親だけがいる。口に出す必要もないほどに当り前なことであった。つまりはシャの邑には父親という概念が存在しない。在るのは太女であり母娘であり女たちであるところの母親だけである。
女が姙るのは※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の力がその胎内に忍び込むからである。しかし、太古の時は女は男と向かい合うだけでよかったものが、今では何故か男と接し媾《まぐ》わわねばならなくなっている。※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》である女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》は婚姻をつくったが、女が女だけで子を作ることが出来るというなら、男はただ労働するだけの人としてあまりにも無意味無価値の生き物でしかないことになる。それを哀れんだ女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》が、ほんの少し男にも役割らしきものを与えてやった。だからやむなく交媾のかたちがあるのである。本当は男の精などは、必要なのか不必要なのかすらよく分からない、女にとって意味不明の付け足しに過ぎないのである。
基本的なさだめでは女は女の精だけで子供を産むことが出来る。男はただ女たちの為に働くために存在するに過ぎない。本来、子作りに男は必要ないはずなのだが、実際には交わらないと子は孕めないらしいということは母娘たちにも分かってはいる。男の精は単なる付け足しではないようである。女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》の手違いなのか、その点だけは不審であるが、おそらく太古の時の女の力が少々薄くなってきたからであろうと思われる。ならば力を取り戻すべく、太女たちはもっと深く強く※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の祭祀に励む必要があると考えるのである。当然ながら邑の子供は、皆、女たちのものであった。シャの邑には生むものたる母しか存在しない。生まない男は何ものも持つことのない不完全な存在と考えて然《しか》るべきだ。
しかし、何故か立派な男が時折り生じるのである。父≠ニいう意味をかすかに匂わせる漠然としたものをその男の中に感じ取ることがある。シャのシィのグンのような稀なる男が、その存在しないはずの父親の形をとって体現することもあるのである。
シャのシィのグンに憧れて見上げる年少の者は男女の性にかかわらず、皆、グンに父≠ニいうものの影を見出すのであろう。グンの人気と威厳の深層には母に圧殺されている父の概念が刺激され浮かびあがろうとあがいている。
一方、太女母娘は伝承として女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》を代理するものであり、※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の威力が太女たる者の権威の源泉である。
「わが胎から出たる」
というこの粘液質の呪いが、シャの邑の者を呪縛しているのであった。胎から出て、その身を分けて生じた片割れのものが太女に逆《さか》らうなど言語道断の憎んであまりある非道なのであった。
太女の心の中では、シャのシィのグンは本人にその意思があるかないかは不明であるが、天地の大女神である女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》の権威を冒すものとなっていた。もし女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》が怒るとなれば、河の女神が怒るどころの騒ぎではない。造化の神への冒涜《ぼうとく》である。シャの邑はおろか天地のすべての人間の存続の危機であろう。太女が最後の言葉まで使ってグンを呪うのも無理からぬことではあった。
シャのシィのグンが太女の威命さえ却下出来ることに男たちはこれまでにない巨大な興奮と期待を抱き、治水工事にさらに精励した。もはや女たちが何と言おうと止まることはないのである。グンの指導者としての資質はこの時、太女を凌駕していたであろう。
グンはもはやこれまでの男がそうしてきたように女に道を譲ってへこへこしたりすることをしなくなった。かえってグンとすれ違おうとする女のほうが先に譲って尊敬の眼差しを送ったりする。それだけで太女にはシャの邑の秩序が紊乱《びんらん》していると思われた。太女は、シャのシィのグンに六年の期日を与えたことを深く後悔し、それ以前にシャのシィのグンを河の生贄に選んでしまったことを後悔した。
目の前におのれの太女たる地位が脅《おびや》かされるという血が逆流しそうな恐怖があり、グンにくびり殺されるような悪夢があり、怒りはその後に弱々しく続くのである。
(シャの邑のために、シャのシィのグンを除かねばならぬ)
すり替えられた理屈が、感情によって邪悪な呪詛の念に変わるのにそう時間はかからなかった。
(シィのグンの事業は中絶すべし。そしてシィのグンは死ぬべし。必ずかくなるべし)
太女の暗い顔には皺が増え、顔に蜘蛛の巣が描いてあるかのように見えた。太女の顔を覗いた者たちは一様に背筋を寒くした。
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シャのシィのユウが幼年から少年になるちょうどその時期に、シャのシィのグンの事業が目前に始まってあった。
シャのシィのグンは少年たちにとって、成るべき英雄存在であったことは言うまでもない。とくにシャのシィのユウはグンの英雄性に熱狂的に取り憑かれていた。
幼いシャのシィのユウはまだ世間を知らない。シャという邑の意味も正体も分かっていなかった。遊びの中だけに生きていた。その目の前にシャのシィのグンが颯爽と登場したのである。シャのシィのユウは、母娘たちに叱られることも多かったが、遊びの時間を犠牲にしてたびたびグンたちの労役についてゆくようになった。ユウはグンの工事の現場を見るのが好きであった。
最初の頃、河の景観はおそるべき壮大さで、シャのシィのユウを圧倒するだけであった。
(この黄色い河の大きさはなんということであろう)
シャのシィのユウは短い手足で土を掴んで攣《よ》じのぼり、すでに築かれている堤《つつみ》から河を眺めることが出来た。
河は異様な力を誇る生き物である。ユウの目には神というよりそう映った。水上をはしり砂塵をふくんだ風が吹きつけ、ユウは打ちのめされたように尻餅をついた。とにかく河は巨大であった。晴れた日でも対岸が遠くかすんで見えるほどの幅があった。濁った流れは意外なほどに早く、ところどころに罠《わな》のような渦を用意しているという。泳いで向こう岸へ渡るなどとは自殺行為と言われていた。
シャのシィのユウが母娘たちに聞いたところでは、この黄色い河は遠い昔、西方の巨蛇《おおへび》がうねりのたうちながら通った際に地を削っていったために出来たという。そこに地の果てから水が流れ込んでこうなった。蛇は過ぎる時によほど苦しかったものか激しく身を揉んだ。だから河は湾曲し、ところどころ曲がりくねっているのだという。
ユウは河を見つめつつ自分の想像にのめり込むこともある。その想像は迫真力でユウを打った。河の幅と同じ太さの巨蛇が、土塵を巻き上げつつ地をえぐりながら過ぎる凄まじい地響きを幻聴することさえ出来た。その轟音は濁流の騒ぐ音より遥かにおどろおどろしいのである。
そしてシャのシィのユウはぼんやりと坐り溜め息をついた。まだ物心がついたかつかないかの頃の洪水にあった記憶がある。泥流が怪物の舌のように邑に迫り、見る見るうちに浸し、すべてを押し流してしまう。異様な唸りが同時に聞こえた。ユウは叩くような雨の中を、誰かにひっ抱えられて逃げている。悪夢である。だが本当に起きたことだ。これからもいつ起きてもおかしくないことだ。
常には悠々と流れる河ではあるが一度怒れば凄まじい損害を人々に強《し》いる。とても人の手でどうこうできる存在とは思われない。おそらく少年の日のシャのシィのグンも同じように感じて、ユウのようにぼんやりと坐り、溜め息をついたに違いない。河は神であり、また怪物なのである。魚や貝など、河が人に恵むものも少なくはない。しかし、河の本性は泥流を氾《あふ》れさせ、シャの邑をぺろりと一呑みにしてしまう強力な神秘の生き物なのである。破壊と死の女神の姿こそが河の本当の姿なのだと思われた。
今、シャのシィのグンという傑出した男が、その恐ろしい河に真っ向から戦いを挑んでいる。なんという勇気であろう。またなんという知恵であろう。まさしく英雄というほかないではないか。この英雄はシィのユウの心と身体を熱くさせずにはおかなかった。
幼いシャのシィのユウの目は河から転じ、大声をあげて工事の指揮をとるグンを見やる。グンに従う生き生きとした男たちの仕事をこれも飽きずに眺めて続けることが出来た。堤のやや高いところに立ち、ほとんど全裸となって指揮する日焼けした男はまぎれもなくシィのユウの英雄であった。
「坊主、熱心だな。それほど面白いか」
とシャのシィのグンが声をかけてくれた時などは、ユウは咄嗟《とっさ》のことに返答も出来ず、ただ首を上下させるだけであった。その後、しばらくして、
「シャのシィのユウか。覚えておこう」
とグンに名を覚えてもらった時は有頂天になった。
シャのシィのユウは、ユウは邑に帰る途中でも、帰ってからも、家に入ってからも、夢の中でさえも、シャのシィのグンの言葉を何度も繰り返し甦らせて喜んだ。するとユウには身体をうずうずとさせる、力に充ちた強さへの憧れの感情がどっと胸に湧き出すのである。
同時に、シャのシィのユウの目には治水という作業がひどく楽しそうな遊びにも見えていた。飽きないのはそのせいもあった。
(シャのシィのグンの工事は、あれはきっと大がかりな泥遊びなのだ)
子供たちが小川の岸に石や土を積んで堤防を作り、流れを堰き止めようとするあの遊びである。小川から水を引いて貯水させ、水溜に小蝦《こえび》を泳がせることも出来た。
しかし、この遊びはいつも意地の悪い終わりを迎えるのである。頃合いになるとせっかく作った堤防に指か木の枝で穴をあけるのである。すると、最初、小さい穴からちょろちょろと水が通る。次第に泥土を押し流し穴が大きくなり、ついには土の堤防が大きく決壊して、小川の中に没するのである。それには奇妙な快感があった。人が苦労して作ったものがあっけなく破壊されることへの何とも言えぬ爽快さである。シャの男の子たちは例外なくこの遊びが好きであった。
シャのシィのグンも子供の頃はこの遊びに熱中したであろう。女の子には分からない。単に河に堤防を作るのみならず脇に水をひいて支流をつくるということも、グンが子供の頃の実験というか、遊びを応用して思いついたものであろう。もうずっと前に工事のミニチュア版が出来上がり、実際に効果的だということを確認していたのだろう。だが、グンも承知していた通り、遊びの本当のクライマックスはほんのわずかに入れた亀裂が、徐々に壁を溶かし崩し、何時間もかけて作ったダムを無残にも押し流してゆくところにある。
シャのシィのグンは大人になった。だからやっていることは遊びではない。シャのシィのグンの治水工事はクライマックスを迎えてはならぬ大人の遊びなのである。グンも人夫たちも誰しもシャのシィのグンの大きな堤防にほんのちょっとした穴を開けて、その結果を見たいという誘惑にかられることがあったろう。子供の頃の記憶が唆《そそのか》すのか。河が女であり、それに作業するのが男たちなのならば、なんと厄介至極な悪戯な衝動なのであろう。
シャのシィのユウがこの邑から最初に遁《に》げ出そうと試みたのはシャのシィのグンが初めてユウに声をかけてくれた時から一年半ほど過ぎてであった。シャのシィのユウは幼児ではなく少年となりつつあり、声も変わり、身体も変わろうとしていた。
シャの邑の生活が始まるのは、月がはっきりと空に見え始める夕刻であった。この邑の人々の日常に時間秩序を与え、規制するものは月が痩せて消えてまた肥る蝕《しょく》の循環であった。太陽のようなただ眩《まぶ》しいだけで、人々に一月の情報をあまり知らせることの少ない粗暴なものは指標とするには粗雑で頼りなかった。
月は太陽の母である。伝承はそう伝えていた。太陽は月に従ってのぼりくだるから、母たる月に男どもは従うべきなのである。月は日に日に身を太らせて、満ちれば逆に日に日に細くして暦を知らせる。満月は月がその胎内に太陽を姙《みごも》り、臨月に至った姿である。だからあれほど明るく、丸々と肥え太っているのである。月は太陽を出産すると、また痩せてゆき、新月には身を失う。その時古い太陽は西の涯に落ちて死に、また新しく月に産み落とされる太陽に代わるのである。月は新月の闇の中で再び※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の儀式をして生まれ変わる。月は一月のうちに生と死と出産を繰り返し、人々に日の移り変わりを教える。なんと正しいものであろうか。
女たちの周期は月に正しく従うとされる。これも母娘をはじめとする女たちの偉大さの根拠の一つである。女は月のように生み育てる力を与えられているのである。太陽のただただ熱と光を発して空を駆け回る愚かさこそが男の本性なのである。よって太陽たる男は月たる女に訓導を受けねばならぬとされるのだ。
母娘たちの語る昔話はこの類ばかりであった。シャのシィのユウはこの類のはなしを耳にたこができるほど聞かされてきた。ユウは腑に落ちないところはあるものの、それは本当なのだろうと思っていた。常識として誰もが知って、語っていることだ。
ユウは母娘たちに可愛がられて育った。多くの夜の時間を母娘のなかで過ごした。ほとんどの幼児にとってそれが普通であった。普通の子供同様シャのシィのユウにもそれは好ましかった。だが、いつしかシャのシィのグンの影響はユウに微妙な変化をもたらしている。女たちにくるまれて眠るのが嫌になる時もあらわれ始めた。嫌な時には徹底的に嫌になった。家の外の土の上でもよいから、一人で眠りたいとさえ思うようになっていた。
シャのシィのユウは、ある晩、同じ月の話をまた聞かされた。ちょうど女が嫌になっていた夜であった。ユウは無邪気を装って、
「では月をはらませるのはだれか」
と訊いてみた。ユウをわが乳房に抱き寄せながら話をしていた母娘の身体が硬化したのが分かった。夜目には分からないが、母娘はおそらく目もきつく眉もつり上がっていたであろう。
「はらませる、などという言葉を使ってはならぬ」
強い語気であった。
「月は自らはらみ、みずから処するのだよ。※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》の力なのだから、だれによってでもない」
と叱るように言われた。
シャのシィのユウの中にむくむくと反抗心が頭をもたげた。一方的に叱られることに腹立ちを感じた。
「はらませるものがいなければ、勝手にはらむものか。月に精を与え太陽をはらませるものがいておかしいか」
と言ってしまった。
「一体、そんな悪い言葉をだれに訊いたのか」
母娘は咎《とが》めるように言い、隣にいた母娘も身を寄せてきた。
「女ひとりでは子ははらめない。だから男がいる。そんなことは誰でも知っている」
口が滑ったというか、止まらなかった。
月の話も常識ならば、男と交わらねば女が孕まないということも常識であった。邑のある年齢以上の者はいつしか何となくそれを知るようになる。ただこの事は女たちに遠慮してか、つねにひそひそ話としてしか語ることが出来ない性質の裏面の常識とでもいうものであった。
もし子を妊むことに必ず男が必要だとなれば、男の重要性を考慮して父とでも呼ばねばならなくなる。だがシャの邑には父親≠ニいう概念は存在しない。存在すべきではないというのがこの邑の者の見解である。男父無用はこの邑を支配する母娘たちの考えであって、存立の基盤なのであった。
「お言い。だれがお前の耳にそのような邪な考えを吹き込んだ?」
ついに闇の中、姉妹たちも三、四人が集まり、ユウを責め始めた。家の中には他にはユウと同じく男の兄弟がいて、それぞれに女にくるまれるように寝ていた。息を殺してこの顛末《てんまつ》を聞いている。ユウは莫迦だからあきらかに悪いことを言ってしまったのである。兄弟らは恐しくなって闇の隅に身体を堅くしていた。
シャのシィのユウも失言をしたとは思っていた。だが、この夜は謝る気にもならなかった。嫌気と反感がどうにも抑え切れなかったのだ。
「べつにだれに言われたわけでもない。自分で思ったのだ。女だけで人を産めるものか。邑の者はだれだって分かっている」
禁句を重ねられたことに母娘はざわめいた。ユウへの非難と恐れが入り交じった声であった。母娘はヒステリックに、
「お前たちはみなわれらが産み、育てたものなのだ。わたしだけがお前の親なのであり、男のことなど関係はない」
と叫んだ。
「子供とてそのような邪言をなすからには許さんぞ」
「折檻《せっかん》じゃ、折檻じゃ」
シャのシィのユウは、うんざりしてきたし、もちろん腹立ちはますます大きくなっていた。
まだユウが十にならぬ頃は女の腕力に及ばず、生意気を言えば折檻と言い、好きなようにいじめられてきた。女の折檻とは陰湿なもので、ねちねちとしつこく、尻を叩かれ、頬をつねられ、爪を立てられながら、小言が長々と続くのである。ひどい時には夜明けまで眠る間も無く叱られ続けになる。
だが今は違う。ユウの身体は母娘たちに劣らぬほど大きくなり、筋骨は太く強くなっている。外を走ったり、物を持ち上げたり、投げたりする時、体にうずうずする力の余りを感じる年になっていた。ユウは面倒くさいと思った。折檻などされるつもりはさらさらなかった。
ユウは、掴んで爪を立てていた母娘を殴りつけた。ギャツという悲鳴をあげて、その母娘はのけぞった。もう一人、そばにいた姉の髪の毛を引っ張ってぶん殴った。実際に殴ってみると、意外にも自分の力は女たちよりも強いということが分かってきた。
「母に乱暴するとは、なんということぞ。子供だとて容赦せぬぞ」
「容赦せぬなら、どうする」
「死ぬほどの折檻を加えてやる。掟《おきて》をやぶるような者は息子ではない」
女の怒りの熱い湿気のような匂いがむっと漂った。だがもう恐くはなかった。ユウは、言った母娘の顔面を蹴り倒すと、悲鳴とユウに対する汚い罵言が飛び交う中、跳ね飛んで家の外に転がり出た。
雲が無く、三分の二ほど肥えた上弦の月が出ていた。月明かりに照らすと自分もかなり血を流していることが分かった。ほとんどが母娘の爪や装身具による裂傷であった。
「お前のせいだぞ」
とユウは月を見上げて怒鳴った。
ユウは身体こそ大きくなったが、まだ子供の域から抜け出ていない。家出することの意味がよく分かっていなかった。だがこうなった以上、邑も飛び出して遁げるより仕方あるまいと思っていた。捕まればどんなひどい折檻を受けるか。それを考えるとやはり恐ろしくなってきた。
出ていく前に友人のシャのシィのグンを訪ねようと思い、邑の隅っこに雑然と建てられている男用の家へ向かった。このシャのシィのグンは、治水者の英雄シャのシィのグンとは別人である。同名異人であった。シャは土地の名称、シィは部族の名称、グンやユウが個々の者の名称である。男にはとくに同名異人が多かった。音は貴重な霊物なのであって数に限りがある。シャの邑では男に与えられるような音は厳しく制限されていた。
その、もう一人のシャのシィのグンは大変な老齢であった。普通の男たちとは別棟の、この光もよくささない小屋に坐りきりで暮らしている。働かせるにも、生贄《いけにえ》に捧げるにも、女の相手をさせるにも、旬を過ぎておりすべてにおいて役立たずなのだが、とにかく長く生きている、という点だけは尊重すべきものである。グン老人は、邑の女で最も年長の太女が小娘だった頃にはもう白髪頭をさらしていたというから、実際いくつなのか見当がつかない。本人ももう齢を数えるのに飽きていた。
成人した男などは、小さい家にすし詰めにされて寝るのが普通であった。女に呼ばれた時だけはるかに豪華な房に通される。グン老人に限って一家が与えられており、他に比べてゆったりとしている。
ユウたち、まだ大人と認められる前の少年たちは、母娘の家で過ごすことになっている。母娘どもに人形かおもちゃのように扱われながら過ごすのである。その暖かく柔らかい肉の布団の中で過ごすことは少年たちにとりそう気分の悪いことでもない。
母娘たちはこの期間のうちに息子たちを完全に自分のものにしてしまう。ユウはそうなる前に我慢ならぬものを心の中に生じさせようとしている。だが、ユウに限らずどの息子にもそういう心の兆《きざ》しはあろう。ただ母娘の下で男となってしまえば、いつしかその激しい兆しも心の奥に消えてしまう。シャの邑の家のシステムは少年を自然に去勢してしまうのである。
グン老人の粗末ながらも一軒屋は長生の特典のようなものである。男も女も普通は四十歳前後で寿命が尽き、五十を越すのは稀であった。グン老人はそんなものはとっくに越えており、それでもまだ死の影すらうかがえない壮健さを持っている。長生きするものは、たとえそれが男であろうとも、何かの力を与えられた畏れの多い存在と思われている。
さらにグン老人は数代前からの見聞を持っていた。その博識は恐るべきものがあり、こればかりは太女も到底及ばなかった。滅多に行われない祭祀をする必要などが起きた場合は、太女はグン老人に物を問わねばならなかった。こういうわけで女たちはグン老人に関しては様々に例外を認めざるを得ず、少々、遠慮するところがあった。ただし、シャの邑の者には、グン老には無用に近付かぬようにと、きつくお達しをしてある。グン老が余計な知識を人々の耳に吹き込むのは風紀上よろしくないということだ。
シャのシィのユウは、何が原因だったかは忘れたが、グン老人の家に飛び込んできて隠れていた。子供らで遊んでいたのか、折檻から逃れてきたのか、そんなところであったろう。ユウは是非も知らない幼児であったから大人のようにグン老人に遠慮はしなかった。グン老人も強いて追い払うようなことはせず、時々話し相手にした。それ以来友人となった。
ユウはこのグン老人から多くの話を聞いた。グン老人はこの邑では格別の存在であって、この世に恐いものはないようだった。幼児のユウの話し相手としても真剣で、隠し立てすることはなく実に辛辣に物を言う。さっきの、「月と女をはらますものの譚」も、グン老人に聞いたものであった。ユウは大人の中ではシャのシィのグンの次にこの老シャのシィのグンを尊敬していた。
ただ、この老人はシャのシィのグンに批判的であった。ユウが以前、シャのシィのグンの壮挙のことを尋ねた時、
「河に細工して治めようなんて了見はだな、無理なことだ」
と言われた。
「グン老はあの仕事ぶりを見ていないからそう言うのだ」
とシャのシィのユウが憤って言うと、
「見なくてもわかる。シィのグンはやり過ぎておる。若気のいたりというやつだ。所詮、女と河には勝てやしない」
と、グン老人は否定的にこたえた。ユウは腹を立てたが、グン老人と喧嘩をしたくなかったから、それ以来グンの話を老人の前でするのをやめた。
ユウが小屋にそろりと忍び込むと、ちゃんと気配がある。グン老人は闇の中で起きていた。あまり眠らないらしい。ユウはこの老人が眠っているところを見たことがなかった。
「シィのユウかね。ああ匂うな。ここへ来るときは女の匂いを洗い流してから来るようにと言っておろうが」
「悪かった。だが、急いでいるのだ。別れを言いにきたのだから許せ」
「ほう」
「邑を出る」
「なるほど」
グン老人は驚かない。
ユウが事情を話すと、
「馬鹿だな。女の前でそんなことを言うやつがあるか。それも、お前のような子供が言うのでは実感がないわい」
と言われた。
「グン老に聞いたということは、言わなかったぞ」
グン老人は笑った。
「わしが言ったと言ってやればよかったのだ。べつに隠すことはない」
死が恐くない老人は、この世にはもう恐いものがないのである。
「とにかく、邑を出る。世話になった」
「止めやせんよ」
よくある事だと言わんばかりであった。実際、グン老人は邑を離れようと骨折った男どもを何十人も見てきたのだ。家出は骨のある若い男のはしかのようなものであった。
「ただし、言うておくが、お前の力では、ここを出ても生きていけやせん。また戻ってくることになろう」
「戻ってなど来るものか」
「邑を出れば自分で食わねばならん。女に甘やかされて暮らしてきたばかりのお前にそんな術があるのかね。それにだ。人に食い物を与えてくれる大地や樹木や河はこれみなすべて女なのだよ。女ににらまれたお前をどれも養ったりはしない」
グン老人は諭《さと》すように言った。
「かく言うわしも、こうも寿《とし》がながくていられるのは、それを女に許されているからだ」
「グン老、見ているがいい」
シャのシィのユウは、そう言うと、老人の家を出た。
グン老人は、よっこらしょ、と立ち上がると家の外まで出てみた。ユウが邑の門を出て、荒野の闇の中に入ってゆくのがおぼろげに見えた。月明かりは、邑を捨てようとする少年を照らすには、これほど合ったものはない。
(そう言えば、わしも昔、邑から出たことがあった)
なんと懐かしいことか、久しぶりに思い出してしまった。
(だが、邑の外もおそろしかった。女の中にいるのと同じくらいおそろしかったなあ。だが、子供には口で言うても分かるまい。おのが身で学んでくれば上々よ)
べつに若き日の自分を重ねるつもりもない。
(わしが大昔に家出したのは、結局のところ、母娘どもに拗《す》ねて見せただけのことだったようだ。わしは三日で帰ったが)
そんな心理を今となればよく理解できた。
(さて、シィのユウはどうかな?)
ともあれ楽しみであった。
シィのユウはこれまでの長い人生の間に見てきたシャの邑で生き死にした男たちと違うところがある。グン老人はそう感じることがある。かえって女たちを押さえて治水に邁進《まいしん》している噂の英雄シャのシィのグンのような男のほうが何人か余計に現れたと思う。
ではどこが違うのか、と問われると即答出来ぬのだが、敢えて言うとおそれげがない≠ニ感じるのである。あの年齢の男の子供というのはもっと可愛げがあるものである。男の子供は自然に女に媚びる仕方を覚えるし、頭のいい子供ならば女の子のように振る舞って女の歓心を買うことも覚える。そうするとより多く女たちに可愛がってもらえ、快適に生きていける。シャのシィのユウはそういう所がひとかけらもなかった。はたから見ていて非常に危なっかしかった。今の家出がその闕点《けつてん》の延長上にあるのならそれは問題であろう。
シャのシィのユウは、とにかく女に対し、邑に対し、時には神々へもおそれげが無さ過ぎる感がある。これは大袈裟に言えば生存を維持する精神能力に欠陥があるということだ。生来、女の恐さに無頓着なのか。このシャの邑では男があまりに可愛げなく振る舞うのは命を短くするもとである。グン老人はシィのユウがもう少し大人になったら、
「もうちょっとおそれろ」
と、教えてやる必要があると思っていた。処世訓を垂れるようで嫌ではあるが、友人を早死にさせたくなければきちんと言ってやるべきだろう。
シィのユウの場合、先天的な性格に加え、シィのグンのような男の影響を受け過ぎたこともよくなかったかも知れない。
(シィのグンか、ふむ)
老人の記憶の中にはシャのシィのグンと似たような構想を抱いて河に臨んだ男の話もあった。その時代の太女を説得して治水に手をつけたはよいが、意気込みは盛んで、計画は杜撰《ずさん》であった。結局、その男は工事中に油断して、河に飲み込まれてしまったと伝え聞く。実話ではなく伝説であるのかも知れない。女神に逆らって破滅した男たちは太古の時から何人も生じたのであろう。それらが教訓の伝説となって語り継がれたのである。
グン老人はシャのシィのグンが現在進行させている治水事業も、過去の男のしてきた事と五十歩百歩の違いであろうと思っている。
(そうだ。何人もいたのだ)
と、グン老人は少々悲しんだ。
現実はグン老人の言ったとおりであった。シャのシィのユウはごく短期間でうちのめされていた。
シャのシィのユウに体力や反抗心はいくらかついたかもしれないが十三、四の甘やかされた少年に違いないのである。ユウには自力で生きていく技術もなく、またその意志力も不足していた。シャの邑から遠く離れる決心はつかず、近辺の林や山に隠れた。兎や鳥にはことごとく逃げられ、魚類はユウの小さな手をすりぬける。シャの邑の周囲を、草を噛み水だけを飲んでうろつくしかなかった。屋根のない所で日や風に晒されて生きることが、少年に耐えられぬほどの辛《つら》さ厳しさを教えた。
十日もすると、シャのシィのユウは精も根も尽き果てて、意地などはとっくに蒸発してしまっていた。もっとも十日も耐えたのだから、グン老人は大いにユウの忍耐と勇気をほめるに違いない。母娘たちが幼児の頃から男を自分たちの住家にとりこみ、肌を接して甘やかすようなことをするのは男から邑を出るような意志力または独立心を奪うためなのかも知れない。
しまいにユウの心を占めたのは、
(居心地のよかったあの家から、何故、逃げるようなことをしたのか。おれは馬鹿だった。帰りたい。帰りたい)
という安楽への希求だけであった。しかし、母娘を怒らせたことへの反省と、まだ屈服せず残っている反抗心が心中で葛藤していた。前者が徐々に優位にたち、ユウの心が、帰らんかな、の一心に塗りつぶされるのも時間の問題であろう。
小雨の日にシャのシィのユウは疲れ切った体を窪みと形容したほうが似合う洞窟に横たえていた。腹が減って動けなかった。濡れた衣や泥まみれの手足がどうにも情け無かった。これが冬場であればユウは死んでいたに違いない。寒さに負けて早々に邑に帰っていたかも知れない。
シィのユウはぐったりとして、力の無い目で、何もない灰色の景色を見ていた。水に濡れた汚い黄土色の地平線が果てしなかった。
その時、なにやら遠くに動くものが見えはじめた。人と四つ足の生き物の群れであった。どこかの部族が移動しているのであろう。連れている動物はやたらと大きく見えた。
群れはユウのほうへ向かってきた。
シャのシィのユウは大きな動物は最初、それを牛だろうと思っていたのだが、近付いてくるにつれ牛とは違う歩き方をしているのが分かった。体躯は全体として灰色であり、大きいものは背中が人の背丈より高かった。背に荷物を乗せ、人を乗せているものもいた。異様な動物が揺れながら地を踏んで近づいてくる。
(幻か)
とユウは思った。じきに単調な地響きが確実に尻に伝わるようになった。衰弱のためか危機感は希薄であった。シャのシィのユウはぼんやりと近付いてくるものを見続けた。
かなり接近して、その動物の細かい点が見えるようになった。まず頭部に垂れる鼻らしさものが長く、また耳も垂れて大きかった。歩くと左右に大きく揺れ、長鼻を時々自分の意思で頭の上まで持ち上げたりした。耳はぶあつく大きく頭の横から被さっているようである。身体は縦横に太く、頑丈そうで、皮膚もぶ厚そうで、その支える足も太かった。いかにも力が強そうな獣であった。
引き連れる人間はその長鼻の動物の首から背中に縄をかけ、手には笞《むち》を持ち、時々横腹や尻を叩いていた。おとなしい動物なのだろう。人々もこのあたりの者ではあるまい。遠くの地の部族であろう。髷の止め方や衣服がユウたちとやや異なる。顔つきは全体的に細長く額が広い。色黒に見えるが、日焼けなのかもしれない。色の白い少女も少なくない。
やがてユウが潜《ひそ》んでいる窪みの前をその動物どもと部族たちが通り過ぎていった。ひどく間近であったから、部族が喋っている声すら聞くことができた。異語であってユウにはその意味は分からなかった。長鼻の動物の巨大さ、ゆっくりと歩くだけで水溜に大水が跳ねて地に響く。その様子に圧倒された。
男たちが長鼻の動物を引率して通ったあと、籠《かご》や荷物を担《かつ》いだ女たちが続いて通った。女たちは明らかに男たちから離れて歩くことを義務付けられているようであった。歩には男に少なからず遠慮が見られた。シャの邑とは逆であった。
そのうち、一人の少女がユウを見つけて、何事かを言った。ユウは本来なら逃げ出すべきところであろう。魁偉《かいい》な巨獣を引き連れた異族が恐ろしくないはずがない。ユウは飢えと疲労にしっかりと捕らえられている。もし連中が近付いてきたら噛みついてやろう、くらいは考えたが、それまではぴくりとも動きたくなかった。
少女は活発に群れの先のほうへ走り、大人の男を呼んで、何事か話しユウのほうを指さしている。男は最初、少女を叱りつけたようであった。ぱんと少女の頭を叩いた。それでも少女は男の袖を引き、何やら口説いている。やがて男はにやりと笑って、少女に頷《うなず》いた。少女はひたすら頭を下げる。これはユウには衝撃であった。女が男に何かの許しを請《こ》うなど、そんな光景はシャの地ではありうべからざるものである。
少女は手に、ほんの少しだが、乾肉を載せていた。それをユウに示すようにしながら近付づいてきた。しきりに声を出しているが意味が分からない。
(食い物をくれるというのか)
ユウは一瞬、どうしようかと頭を混乱させた。少女といえども女だ。それがそろりそろりとユウに近付いてきた。そしてユウが態度を決めかねているうちに少女はユウの目の前に膝をついた。ユウの心臓は激しく悸《う》っていた。緊張と警戒のためだけだったろうか。少女は細い顔に目尻を下げて、ユウに微笑んだように見えた。その瞬間、シャのシィのユウの脳裏で何か鮮烈な感情がばっと輝いたようであった。
少女の顔を雨の滴《しずく》が伝い落ち、髪のほつれが襟もとまで垂れている。手真似で乾肉を食べる仕草をして見せるのである。シャのシィのユウは、この時、初めて女を見て快さを感じた。シャの邑ではついぞこんな気持ちを起こしたことはない。異族の少女はユウの手をとるとその乾肉を掌に包ませた。ユウが何か言い、何かを動作であらわす前に、少女はぱっと立ち、大分先に進んでしまっている群れを追い始めた。一度だけユウを振り返り見た。灰色の景色の中に消えていった。やがて群れ自体も遠くに去り、見えなくなった。
ユウは少しだけ身を乗り出した。道には獣の大きな足跡と、人の履《くつ》を履《は》いた足跡と、裸足の足跡が雨に打たれている。裸足の小さな足跡はあの少女のものであろう。
(あの女をおれのものにしたい)
という奇妙な考えが忽然《こつぜん》と浮かんだ。シャの邑にはそんな思想は存在しない。無論、ユウもそんな考えを持ち得ようはずはなかった。しかし、シャのシィのユウはそう思ったのであり、その新しい震えるほどに魅力的で自分を興奮させる考えに取り憑かれた、少女のくれた肉を食うどころではなかった。
(シャとはちがう世界があるのだ)
こういう意味の興奮がシャのシィのユウを不思議な空想へ向かわせたのである。
シャのシィのユウは異族と巨大な動物についてグン老人にせっかちに尋ねた。
「それは象じゃな」
とグン老人はこともなげに言った。
この大地の南の方には長鼻を有《も》つ大きな動物が棲息しているという。そのあたりに住む部族は、ユウたちが牛や馬を使役するように象を使役するという。野生の象は、まれに、河の流域に棲みつくこともあるらしい。
「グン老よ、あの部族はシャの地に邑をつくるのだろうか」
「はて、南の部族が、このあたりにまで来るというのは。そうじゃな。よほど大きな禍が起きて土地に住めなくなったのであろうよ。さすればこの近くの土地に移り住むこともあるやもしれぬ」
「洪水に襲われたのか」
大禍と言えば、シャのシィのユウは河の氾濫しか思い浮かばない。グン老人は、
「さてな。天地の神々は、いろいろな禍を用意しておる。水ばかりとは限るまい」
と言った。
大きな動物だった。鼻が目だって長くてよく動き、毛が少なく皮膚があつい。水犀に似たところもあるがそれより一回りも大きかった。シャのシィのユウは、象を使えば、シャのシィのグンの工事、土を削り、もっこを運ぶ仕事などがずいぶんはかどるに違いないと想像した。
そのうち、黙って物思いにふけってしまったユウにグン老人が、
「シィのユウよ、お前、家出から戻って顔付きが変わったぞ。なんぞ悪い神に悪戯でもされたか」
やや心配そうに言った。
「いいや」
ユウはあの異族の娘の顔をいつでも瞬時にありありと思い浮かべられることを発見して驚いていた。この時はただそれだけのことである。
結局、シャのシィのユウはシャの邑に帰ったのである。
予想に反して母娘らの折檻はそれほど厳しくなかった。母娘たちは野でひどい苦労をしたらしいことで罰になると考えるのか、家出の一度くらいには寛大であった。
ただシャのシィのユウが飛び出す前に行った母娘への侮辱の態度は忘れていないようであった。そして、グン老人には二度と近付かないよう、耳を貸さないよう、とくどくどと叱られた。話の出所がグン老人であることは感付かれてしまっていた。悪い友達とは付き合うな、という母心であろう。しかし、シャのシィのユウの耳にはまったく入っていなかったことは言うまでもない。
||||
シャのシィのユウもまた少し背が伸びて筋骨もどうやら男としての形を成してきた。女たちにも男として見られる時期に入った。
少年は成人すると狩猟や農作業を主にやることになる。少女は成人すると土器作りや機織りをおもにやることになる。また酒を醸《かも》すのも女の仕事である。女の仕事の価値は男の仕事に比べれば、格段に上等の事とされている。男がやる仕事は常に卑事なのである。
シャのシィのユウは、シャのシィのグンの工事に参加することを望んだ。母娘たちは反対した。そこで、ユウは甘えたり、だだをこねて大げさに拗《す》ねて見せた。媚びるようで嫌だったが、これは母娘を説得するにはけっこう有効な方法であるという。グン老人に教わった知恵であった。グン老人は長い時間、女たち男たちを観察してきた人間である。思いのほか女心にも通じているらしい。
そうしてユウはグンの仕事を手伝うことを許された。喜んでもっこを担ぎ、鍬《くわ》をふるったものである。
シャのシィのグンはユウを可愛がった。人が言うにはユウは骨格や顔かたちが、グンの少年の頃によく似ているという。そのせいだったのかも知れない。
ユウとグンは二十近く歳が離れている。シャでは交媾の事はあくまで女が主体であり、女が相手を選んでよい一種の雑婚の形態であった。グンも成人して幾人かの女に選ばれて隣に寝てきたのである。思い切った推測をすれば、グンの血がユウに流れていたとしても不思議ではない。ただ父≠ェ存在しない以上、血の流れを確かめるすべがなく、流れていたとしても無意味なのである。
「河は女なのだ」
と真っ黒に日焼けしたグンは、たまたまそばにいたユウに言ったことがあった。
「前から知ってはいたが、近頃はさらによく分かるようになった」
「はい」
ユウにはまだよく分からなかった。しかし、グンが言うのだから、そうなのだろうとは思った。
男たちが労働にくたくたになる頃にちょうど日が暮れる。太陽は男たちに帰る時間を教えてくれるものであった。
この位置からだと、西を見れば、ちょうど河の真ん中あたりに太陽が沈んでゆくように見えた。太陽は夕刻になると必ず、大地か河に喰われるように沈んでゆくのである。
夕陽は河に映えて、しかもそれは歪《ゆが》みつつ流されていく。河の面が赤く染まり、美しくはあった。だが、それは河が夕陽を喰おうとしているようにも見えるのだ。シャのシィのユウは夕陽が少しずつ河にかじられて血を流しているのだと想像した。
シャのシィのグンも同じことを思ったのかも知れない。もう一度、
「この河は女なのだ」
と、グンは静かな声で言った。
「あと二年ある。なんとかなろう」
このグンの言い方には微妙な苛立ちが感じ取れた。
工事を始めて四年目が過ぎている。何しろグンには何もかも初めての大規模な治水工事である。順調に進むこともあれば、計画通りに進まないこともあった。河の流れは時としてグンの予想や常識を覆すのである。例えば季節によっては河が勢いよく逆流することもあった。せっかく掘削《くっさく》した支流にどうしても水が流れ込まないこともあった。
自然のする事は仕方がないが、測量の手抜かりはあってはならない。グンは危険を冒して、自らの胴を太い縄で縛り、数人の男に命綱を委《ゆだ》ねて河に入って調べねばならなかった。水の表面から見ただけではまったく分からない深い太い底流が、幾筋も流れて交錯しているのである。淵も不規則に存在した。グンは渦に巻かれ溺れそうになりながら、頭の中に河の新しい地図を作っていかねばならなかった。
じきに、たった六年ではグンの考えていたことの半分、基礎段階までしか出来ないことが分かってきた。真の完成にはまだあと六年は欲しいのである。治水とは十年、五十年、百年の計であるべきだ。当然、男手ももっと大勢欲しかった。だが、グンの工事を呪っている太女がこれ以上の労働力をグンに与えるはずはない。
とはいうものの、基礎段階が完成するだけでも画期的なことであった。それが成ればよほどの豪雨でも続かぬかぎり、河の氾濫《はんらん》を阻止することは可能だと思われる。残された時間は少ない。まだ現段階では一たび雨を得れば、河の女神はいつでも気ままに氾濫することが出来るであろう。
(女め)
人前では絶対に面に出さないが、グンには焦りが生じていた。幸運にもグンが工事にかかってからの四年のうちは大雨がなかった。しかし、これから先は分からない。
グンの心の奥底には失敗の予感が生じ始めていた。不敵な自信もそれが大きくなるにつれて失われていった。グンはそのためか工事の理屈を男たちにしばしば教え諭すように話すようになった。不安だったからである。してきた事とすべき事を言葉にしてまとめ、自信を甦らせようとした。
シャのシィのユウのような、まだ半人前の者にもグンは詳しく教えてくれた。秘伝と言ってもいい、グンが自らの身体を張って調べて頭の中に作り上げた河の流れの構造図をも隠さずにユウたちに伝授していった。それでも苛立ちが消えなかった。
(焦ってはならん。あと二年もあるではないか。その間、雨の神よ、なにとぞ大雨を降らせてくれるな)
グンは折りに触れてはそう雨師《あまがみ》に祈るようになった。
少年シャのシィのユウは、一人前に仕事に出かけるようになってはいたが、まだ女の肉に包囲されて暮らしているような状況は変わり無かった。それに嫌気がさして再び家出を企んだこともあった。シャのシィのユウに男の兆《きざ》しがあらわれはじめると、女のほうもユウの変化を敏感に察知している。
シャのシィのユウくらいの歳になれば、女の家から追い出され、男たちの小屋に移っていてもおかしくはない。実際、シャのシィのユウの兄弟や同じ年に生まれた男の子はほとんどが大人扱いされて追い出されている。なのにシャのシィのユウは、未だに女たちに留められていた。ユウは生贄《いけにえ》として殺したくなるような美人であった。見目《みめ》がよいのである。なかなか見飽きない少年であった。シャのシィのユウを囲む母娘たちは、それ故、シャのシィのユウをなかなか手放さなかったのである。
母娘たちは本当はシャのシィのユウをいつまでも美しい子供に保っておきたかった。幼いシャのシィのユウの外見は、中身のある種の図太さとは正反対の、中性的な美しい顔立ちと、細い手足を持っており、女たちをそそっていた。ユウと同じ年に生まれた男の中でも格段に愛らしかった。それでも子供は成長するのが自然の掟である。
残念なことに男は成長すると身も心も醜くなる。細くきれいだった声が低く濁《にご》ったものに変わっていくのもその証拠の一つであろう。生殖器が生々しく猛《た》けくなるのも然《しか》りである。ところがシャのシィのユウは、男になろうとしているのにその美しさはあまり低下しなかった。だから放されるべき時期にもシャのシィのユウは女の居にいなければならなかったのである。これがシャのシィのユウの精神に魔を棲まわす結果となったことを母娘たちは決して理解しないであろう。シャのシィのユウの女への嫌悪と窒息するような閉塞の感覚は増すばかりで、耐えられぬほどになろうとしていた。だが女たちは解放してくれない。ユウの苦痛が女たちにまったく伝わっていないことは明らかだった。
シャのシィのユウは、シャのシィのクウという母娘の家で生まれた。クウは女の子を八人生み、男の子を四人産んだ。ユウはその末の男子である。ユウは、人が女の、
「わが胎より出たる」
ところを目撃したこともあった。母娘はシャのシィのユウの後に三人の女児を出産している。それを物心ついた頃に見た。
普通ならばこの霊妙なる儀式は男の目から隠されるべき光景であろう。ユウのおぼろげな記憶には、腹が盈《み》ちて巨大になった母が苦痛の声をあげて獣のように四つん這いとなり、何人かの母娘に手伝われて、紐のついた塊子をその柔らかくぬめぬめとした谷から産み落とした場面が残っている。シャの男はほとんどが子供の頃に母の出産の場面を見たことを憶えているはずである。
その赤く生々しい光景は禁忌なる生臭い神秘を強烈に心に刻み込ませるであろう。それだけでも男への凄まじい呪術となり呪縛の威力を終生抱かせるに十分である。
「わが胎より出たるもののくせに、われに逆らうか」
という太女の呪詛は、それ故、男にとって震え上がるほどの陰惨な呪いとなるのである。
女が身を分かつ場面に比べれば、母娘が不特定多数の男を選んできては同衾し、激しく交わる光景はさほどショッキングではなかった。ユウと同じ年の女の子供が同じ場面をどういう気持ちで見ていたのかは分からない。男の子供であるシャのシィのユウは女の家で育てられ暮らさねばならぬのだから次第に慣れていった。無理にでも慣れざるを得なかったのである。
今、家には母娘を含めて九人の女がいる。二年前に一歳年上の最後の兄が追い出されてからはユウだけがこの家の男であった。九人の女の中にシャのシィのユウは一人置かれているのである。これだけでもシャのシィのユウは鬱鬱たる思いをした。
ある日、シャのシィのユウは決意して、
「おれがその腹より出でたる母娘よ」
とユウはこの室のあるじであるシャのシィのクウに丁寧に呼びかけた。かの女はもう五十に近い歳を持ち、子こそ産まないが、女の力をふるい老いた肉体ながらこの家に権力を行使していた。
「何故、おれはいつまでもこの室にとどめられる」
とユウは訊いた。すると母娘クウは、
「シィのユウ、気にすることはない。この室はお前の家ではないか」
「だが、おれと同じ歳のやつらはもうみな岩穴の月を試みている。おれもその資格をもつ時がきたはずだ」
岩穴の月、というのは、成人の通過儀礼のことである。シャの邑の東方にある岩穴で七日を過ごすというものだ。
一応、男にはそういうものが課せられているが、その意味は月への服従を示すことにあり、つまりはシャの邑の母系の社会へ屈服して参入するという儀式である。もはやシャの女には逆らえなくなることもまた意味する。ユウはそんな意味は知らないが、ともかくこの家を出たいから申し出たのだった。
家の中にいた若い女たちは、きゃっ、きゃっと笑った。ユウの姉妹たちはとっくの昔に色づいていた。最も年長の姉はすでに母娘クウの隣に座し、次席の権力者となっており、この家で選んだ男とむつみあうことまで許されている。この姉たちは皆、シャのシィのユウに殊更なる関心をもって接していた。見て可愛がるだけでなく、性的な力をもってこの弟を馴らしてみたいと思っているのだった。ユウより年下の妹でさえすでに女であった。シャの邑では熟するのは女のほうが格段に早いという傾向がある。
母娘クウは、くつくつと笑い、ユウを立たせた。
「シィのユウよ、お前にはまだ日が足らぬのだよ」
そして、ユウの衣の裾をめくり、その陰茎をさらした。ユウのそこはまだ無毛に近かった。
「根《こん》たる男の根の裾野には、こわごわとした毛が生えるべきもの。男の家を出るはそれにより判断する。お前にはまだその資格がないのだよ」
確かにユウは陰毛をまだ持たなかった。だがまったく無いわけではなく、その兆候は少しずつある。
「シィのファンや、見せておやり」
ファンはシャのシィのファンである。ユウが生まれた翌年に生まれた娘であった。
ファンは、浅黒い顔にまんまるい目をつけた小柄な娘である。父親≠ェ無いのだから当然だが、ユウに似たところは少しもなかった。ファンはすすと母娘の前に出ると、ユウを振り向いて舌を出した。赤い舌はちょろちょろと動き、ユウをからかった。
ファンがユウに向かって裾を持ち上げ、やや足幅をとると、ファンの鶏のときかのような部分が腿と太腿の間に現れた。とさかのように閉じた部分の上方から臍の下にかけて、ファンの丘を被う黒い髪の毛が渦を巻くようにして突き出された。
ファンは渦巻く部分を強調させながら、腰と尻をくねらせて、ユウをあざ笑うかのように動かした。股間のとさかのような形の部分はそれにつれて赤く染まり、わずかに開いて十分に陰部をなすことを示した。ユウはうつむいて唇を噛んだ。ユウより年下のファンでさえ、ああも熟しているということだ。しかし、ユウの茎のにはまだ産毛のような毛がふわりとしているだけであった。ユウは屈辱に目頭を熱くした。
「わかったかや。ユウや、そなたはまだ伸び足りぬ。ファンでさえもう人の手は借りぬ。だがお前はまだそのしるしさえもちゃんと持っていないではないか」
母娘のクウは好色な笑みを浮かべた。
「ああ、ユウや、そう悲しむことはない。おかげで、お前は、どうしようもない下劣な男の中に、まだその仲間に入らずにすんでいるのだよ。つまりはお前は選ばれた特別な者なのかもしれないのだよ」
ユウは下を向いた。涙がこぼれ落ちそうになっていた。
「いいかい。太女様はわたし言った。お前に目をかけてなさるとね。お前が美しいからだよ。お前の男が他の男どものようにならずに、いまだに子供なのは、これは大いなるしるしなのだよ」
以前に家出した時の無鉄砲なユウならば怒りに満ちて反抗したであろう。ユウはあの時よりさらに力強くなっている。今のユウが暴力をふるえば、九人の女を相手に半死半生の目にあわせることもいと易しかったはずだ。
何故かシャのシィのユウの反抗心に火はつかず、ただ意気は消沈した。性的な未熟を指摘された精神的損傷が想像以上に大きかったのである。そしてもはや子供に非《あら》ざるシャのシィのユウもその心をシャの邑の気配に多く犯され、この社会に生きる者として掟《おきて》に閉じ込められねばならぬことに何の不思議もないのである。
母娘のクウはでっぷりとした腹を揺らしながらユウに近寄った。そしてユウを抱き締め、頬をユウの頬にすりつけた。
「何が悲しい? ああ、うるわしい。よき美しきユウよ、お前は愚かな男になどならずともよい」
と慰めた。
ユウの姉娘たちは、息を吸い、吐く音をたてながらユウに身を接した。クウがユウを放すと代わって姉娘たちが、ユウをかわるがわるに抱き締めた。背中にしこった乳首を押しつけるものがいる。ユウの手をとっておのれの下の戸に導くものがある。一番年上の姉はすでに二年前に子供を産んでいて、男のなんたるかも知っていて、当然のようにユウの男の茎に手を伸ばしてぎゅっと握った。
シャのシィのユウは、女のいやな匂いと、すりつけられる湿った膚の気持ち悪さを必死でこらえていた。ぬるま湯のような体温とむっとするような刺す匂いを持った姉娘たちに代わる代わる抱かれた。ユウの根は外では時々吃立するのだが、この家にいるときはまったく萎んだままである。シャのシィのユウは陰茎に存在する力を自ら無意識に押し留めていたのだろう。この女たちの前で男の根を雄雄しくしてしまうのは敗北である。嫌悪の情が、ユウの根をぴくりともさせなかった。
シャのシィのユウの根が堅く勃《お》きないのを知り、姉妹たちは誤解する。ユウはやはりまだ子供なのだと改めて思った。姉娘たちはそれをつまらないと感じたが、ユウに触れる接触の楽しみを捨てなかった。ユウが子供なのならば自分たちで大人にしてやる愉しみがあるではないか。ユウはじっと耐えた。姉娘たちの貪欲《どんよく》さへの嫌悪はもはや本能のようになっている。
シャのシィのユウは男として認められない恨《うら》みを胸にしまいこんで、明け方近くまで姉娘たちの身体に触れられねばならなかった。ユウはそのまま眠りについた。
その日以降、それは行事のようになってしまった。ユウはただ家の姉娘たちのなぐさみものにされることに耐えねばならなかった。シャのシィのユウは、一日も早く、一人前の男になりたかった。一日も早く、女どもから遠く逃れたいと願った。
|||||
その後、間もなくシャのシィのグンの破滅の時がやってきた。
グンの悪い予感は的中し五年目の夏に大雨が降った。シャのシィのグンは、ずぶ濡れになって毎日のように現場に出た。河の濁流は水嵩《みずかさ》を増していくばかりであった。
(明日でいい、明日雨がやんでくれれば)
と毎日のように思った。息壌を堤防に積んでいた人夫が何人か流され、さらに悪いことには器の山が土砂崩れを起こして息壌の運送がたちまち半分以下となった。そして、雨は翌日もその翌日もやまなかったのである。
母娘たちのほとんどは雨のやむように祈祷をしていた。グンの工事への不満はともかくとして、洪水の辛さは身に染みて知っている。雨師に祈り、河の神に祈っている。
ただその中で太女とごく少数の母娘だけはなんと雨乞いの祈祷を行っていたのである。大雨の中で雨乞いとは狂気の沙汰であった。雨中に太女が仔牛や仔羊の喉を裂いて呪う姿は鬼気迫るものがあったという。この時、太女はシャのシィのグンを憎むあまり自らの呪いに憑かれてしまっていた。グンの堤防が決壊し、水がシャの邑に迫っていることを聞いた時太女は身を痙攣させて気絶してしまった。それはどう見ても歓喜のあまり失神したものとしか見えなかった。
水がシャの邑をさんざんに洗い流してひいていった後、洪水の悲惨なあとの中を、茫然とした魂のぬけたような姿で歩くシャのシィのグンを見ることが出来た。太女は邑の復興を指示するよりも先に、嬉々としてグンに罪を宣告したのである。
そして、太女の感情的な祭祀、グンの処刑が行われるに至ったことは冒頭にすでに述べた通りである。
満月の日を待って、夕暮れ近くにグンの頭を羊の革の袋に包み河に流すという、この祭祀の最後の儀式が執《と》り行われた。太女の輿の後には邑の者全員が続いた。
シャのシィのグンが心血を注いだ堤防はほとんど跡形《あとかた》もなくなっていた。掘削《くっさく》はしたものの水が流れ込まなかった人工の支流だけがその遺跡をとどめていた。河の猛威の凄まじさに邑人たちは改めておののいた。グンはやはり挑むべきでないものに挑み、その罪ゆえに敗れたのだと納得させられる。
太女は河べりの小高いところに立ち、ぬかずき、拝礼を何度も捧げた。そしておもむろにグンの頭を取り出した。何の未練もなく憎々しげにグンの頭部を河に投じるかと思われたが、太女はそうはしなかった。意外にも太女は突如、働哭《どうこく》したのである。これには邑の者たちは、女も男もあっけにとられた。
太女はグンの頭を革袋から取り出して、手をそえて捧げ持った。グンの顔は歪んだ醜い表情のまま固まっている。太女はそれに頬ずりし、大粒の涙で濡らした。さらに胸に抱き締めてしばらく泣き続けた。
取り囲んでいた母娘たちもすすり泣きを始めた。太女が本当に悲しんでいるのが分かったからである。やがて女たちのほとんどがグンのために泣いて、男の中にも泣く者があらわれた。
太女はいつまでもグンの頭を離そうとはしなかった。愛撫し、口づけし、乳房の間にいだき、飽くことを知らなかった。シャのシィの太女はシャのシィのグンの心からの敵ではなかった。グンが死に、それが判明した。シャのシィのグンとは素晴らしい愛しい男であった。これほど立派な男はもうシャに現れないかも知れない。太女は最良にして最愛の息子を失ったのである。この愛憎に矛盾はない。太女はグンのかさかさの髪に顔をうずめてただただ哀しみにくれた。この時の太女はグンの母に間違いなかった。
あたりはだんだんと暗くなっていった。月の支配する夜が来るのである。母娘の中でも最年長の者が、しずしずと太女に近付いて、
「太女さま、そろそろいかせておあげになるよう。河の神がお待ちです」
とたしなめるように告げる。太女は、はっとして拝礼した。もう一度、働哭して別れを告げてから、グンの頭を革袋で包みなおした。
「河よ、わが邑のすぐれたる息子を受け取ってくだされ。そして、河よ、お気を鎮め、われわれか弱き者をこれ以上、水を浸していじめなさらぬように」
と呪詛した。太女は革袋を手放した。革袋は河の流れに受け取られた。グンの頭はしばらく流れたあと河に嘉納されて沈んでいった。
シャのシィのユウは一部始終を魂に刻み込むような目つきで見ていた。あまりに強く凝視していたため、シャのシィのユウは自分があのグンの頭になっていたような錯覚を覚えた。太女の胸やねばっこい涙を浴びる感触が自分の頭にもまざまざとあり、凄まじい嫌悪感が身を包んだ。それは太女一人に対するものではない。シャの女どもすべてに対するものであった。
シャのシィのユウは太女に騙《だま》されようとはしなかった。かれの英雄が女に殺され、かれのまだ意識化していない唯一の父≠ェ母親に殺されたのである。それを眼前に見たし、今、とうとう父の頭は河の女神にも分け与えられ、食われてしまった。
シャのシィのユウの心は、静かに堅くなった。憤激の度は果てしなさ過ぎて消えており、かえって心の底に蟠《わだかま》って固まった。シャのシィのグンはシャのシィのユウの一部になっていった。
シャのシィのユウは、先日のグンの処刑の光景を脳裏に甦らせた。
(シャのシィのグンはこういう愚かな母娘どもに殺されたのだ。きっとこの女どもは、シャのシィのグンのことも、過ぎた折檻を与えてしまった程度にしか思っていない。そうに違いないのだ)
シャのシィのユウは、シャのシィのグンの後継者であるが、後継者となる前にひっそりと破滅してしまう覚悟を固めていた。
||||||
シャのシィのユウは美しく逞しい少年に成長する。
もう青年といったほうがいいだろう。額《ひたい》が広く、目は透き通っており、頑丈そうな顎をなめらかな頬がおおっている。母娘のめがねにかなった成長ぶりである。
見かけだけではなく、中身も大したものであった。背丈は高く、強靱な筋骨は農事に力を発揮し、卓越した運動能力は狩猟の際に多くの獲物をもたらした。
シャのシィのユウが道をゆくと、女たちは皆一様にはっとした。中年の女は年甲斐もなくうっかりと振り返ってしまった。若い娘たちは羞《は》じて頬を染めた。いつしかシャの地でユウを知らない者はいないほどとなっていた。しかしこれだけでは男にしては見てくれのよい、有能な人夫であるという意味以上のことはない。
シャのシィのユウは今は母娘の家を出て、男たちの住居に移っている。つまり、他の女たちは母娘クウやその姉妹たちに遠慮する必要がなくなったということである。
ただしシャのシィのユウはただならぬ問題児であった。それは徐々に明かとなっていった。
女は日中、往来でも、仕事中でも、これという男を見つけると秋波を送り、自分の臥所《ふしど》に誘っていることを暗に示した。こういう場合、シャの邑の男は女に誘われるがままとなるのが普通であった。男は女たちに共有されているのである。誘われれば月の時間である夜にその女の家に行った。
しかし、シャのシィのユウはそういう誘いをことごとく無視してしまって平然としていた。翌日、当の女は咎めるような視線をシィのユウに向けるが、一顧だにしないのである。どの女に対してもそうした。女という女を寄せつけようとしないこの態度は異常であった。
女を振ることはシャの邑では犯罪といってもよいほどの悪い行為である。だが、シャのシィのユウがあまりに美しく優秀であり、また堂々としているのでしばらくは表だった非難は躊躇《ためら》って鳴らされなかった。それにしても、事はシャの邑の掟、禁忌に触れるものであるだけにこのまま済むとは思われない。ユウの周りには嫌な空気が漂うようになった。
シャのシィのユウは、少なくともシャのシィのグンが殺されるまでは、少々の反抗的なところもなくはなかったが普通の従順な少年と思われていた。あのグンの死以来であろう。ユウの中の何かが決定的に変わってしまっており、シャのユウはそれを隠そうともしない。とくに女に従うことを嫌っていると見える。女に対してひどく寡黙《かもく》である。母娘に糾されても黙り通し、何の説明もしようとはしない。
シャのシィのグン老人はその噂を聞いて、最初は、
(ほう。やはり少々変わっておるわい)
くらいに思っていた。
自来、女に誘われて臥所《ふしど》にゆくというのは苦役ではない。若い盛りなら、別して楽しみというものである。如何《いか》にシャの邑が女の邑であり、男が女の卑なる者に甘んじているとはいえ、女との関係がすべて苦であるというのならば邑は自然に崩壊しているであろう。グン老人は久しく邑の日々を眺めてきたわけだが、シャの邑はこれはこれで楽しい生き場所であり、人間の社会としてかなり安定している、という洞察を持っていた。
グン老人にも、大昔のことだが、女に誘われれば大層嬉しかった思い出がある。男どもと雑魚寝しているよりは、女の家で寝るほうがよほどましであった。若い男が集まっての話題は、誰に声をかけられたとか、誘われた回数を自慢し合うというのは今も昔も変わるまい。シャのシィのユウはそういう話題が出た時、仲間にどんな顔をしているのであろう。この頃、ユウは滅多《めった》にグン老人の所に来なくなっていたから、
(こういう時こそ、暇潰しに顔を出さぬか)
などと怒っていた。
グン老人がそういう興味を募らせていたある日、シャのシィのユウが魚を下げてぶらりとあらわれた。
「やあ、シィのユウよ、待っておったぞ」
グン老人は待ってましたとばかりに言った。だが、次の言葉が出てこなかった。ぎょっとしたのである。この物に動じることの少ない年寄りを驚かしたのは、シィのユウの目であった。
なんと形容すべきか分からない。燃えるようなのだが冷たく、強いのだが生気がない。敢えて言えば野の獣が、獲物を狙い目をぎらぎらさせたまま頓死したら、こういう目の色になるのではないか。
「どうかしたか、グン老」
とユウのほうが先に言った。その声はいつもの声とあまり変わらなかった。
グン老人は伊達に長生きしているのではない。
(こりゃあ、よくないわい)
と直感した。興味はある。用心深く、
「シィのユウよ、巷の噂では、お前は女を手ひどく避けているそうだが本当かね」
と訊いた。ユウは別に気にする様子もなく、
「ああ」
と言った。
「まだ女と寝たことがないというのも本当かね」
「ああ、本当だ」
「そりゃ、いかんな」
「どうしてだ」
老人は難しい顔になり、慎重に言った。
「わしとお前は友人だ。だからあえて率直にきくが、お前は男としてかたわなのかね」
もしそれならば問題はないと言える。ユウの男性機能に故障ありとすれば、誘って無視された女のプライドも守られるからだ。
しかし、ユウは、違う、と首を振った。
「まだ試したことがないので、断言はできないが、おれは男としてかたわではないと思う」
「そりゃ、なおいかんな」
「どうしてだ」
シャのシィのユウとて分かっているのである。だが、何かを見極めようとしてグン老人に訊くのである。
「お前はシャの邑の者なのだよ。子供のような意地を張って女にあたっているのなら、それは間違いのもとだ」
「そうかい」
「前にも忠告したはずだ。女ににらまれたら最後、すべて女の力を持つものはお前を養わなくなるぞ」
すべて女の力を持つものとは、自然に匹敵する。河であり、大地であり、野山である。河は魚介を与え、地は作物を与え、野山は山草、木の実、また狩猟の獲物を与える。すベて養うものである。
「そうだろうか」
「そうじゃよ」
「だが、グン老人よ、おれが女に従おうが従うまいが、関係なく河はあふれ、地を洗い、多くの女と男を等しく殺す。そして女はおれたちを平気で殺すではないか」
シャのシィのユウは押し殺した声で言った。
グン老人は思い当った。
「シィのユウよ、お前は、まだシィのグンのことを根に持っておるのか」
と言った。シャのシィのユウは、それには答えず、焼けた魚をかじり始めた。
「やめい。やめい。お前の目の色の理由が分かったわい」
「魚を食え、グン老」
「無駄なことじゃ。やめい」
「何をやめろという?」
「その嫌な目つきをやめろ。わしをなめるでないぞ。お前が馬鹿なこと考えているのはお見通しじゃい。何故、死に急ぐ必要がある」
シャのシィのユウは、初めて笑った。
魚の骨をぶっと、グン老人に向かって吹きつけた。
「グン老、うるさいぞ。お前は今まで通りに、起きることを黙って見ておればよいのだ。そして憶えて皮肉に語り継げ。お前はそういう役にしかたたぬ男なのだから」
老人に接するにしても、友に対するにしても暴言であろう。もう以前のシャのシィのユウではないのだ。
「お前はシャのシィのグンの鬼に取り憑かれておる」
「そうか。それならば、そういうことにしよう。グン老よ」
シャのシィのユウは、言い捨てて立ち上がった。そして出て行った。
グン老人はしばらく震えが止まらなかった。グン老人はシィのユウに愚弄された。腹は立たなかった。それよりも恐ろしさが先に立った。そして、しばらくして落ち着くと、
(シィのユウは可哀相なやつだ)
と思った。
何十年かぶりに泣きたくなった。
シャのシィのユウはその後も非行を続けあらためなかった。つまり、母娘に逆らい、誘う女を振り続けた。邑の孕むことの可能な女の半数近くがユウから多大な侮辱を受けることになった。
シャのシィのユウは、他人にすれば捨て鉢なその行いを、不敵にも見せつけるように続けた。シャのシィの太女はその話を以前に耳に入れていた。本来ならすぐさま処罰を考えるところであるが、しばらく捨ておいた。シャのシィのユウがどういうつもりでそういう埒《らち》もない反抗をするのかがよく今一つ分からなかった。またシャのシィのユウは稀なる美しい男だったので早いうちに態度を改めるならば不問に付すつもりであった。それを間接的に伝えさせたこともある。太女にすれば母親の情けであった。
だが、シャのシィのユウは愚かにも心を入れ替える気配もない。太女もこれには仕方がなく、腹を立てた。シャのシィのユウはとうとう罪に問われることになった。
シャのシィのユウは太女の前で申し開きをせねばならぬ。どういう処分にするかは太女がそれを聞いた後に決定する。
シャのシィのユウが太女の家に連行されてきた。両の手を後ろ手に縛られ、縄を母娘が持って続いた。シィのユウはふてぶてしく女たちの顔を見渡した。悪びれた様子もなく、太女母娘らの針のような視線の前に立った。太女の家には邑の主だつ母娘が皆集まっていた。邑の中心にある太女の家はすべてを兼ねる大房である。行政府や裁判所などその時に必要なあらゆる役所となるのである。
シャのシィのユウは大胆に薄く笑って、自分からは何も言わなかった。弁護もせずわびもしない。太女らを挑発する態度をいささかも崩さなかった。
じつの所、シャのシィのユウはこの時を待ち望んでいた。そうでなければわざとらしい反抗を続けたりするものか。ユウはグンの後を継ぐことが自らの運命だとあの時に悟った。強烈な啓示があり、凄まじい感動とともにそう悟ったのである。だが、奇妙にもグンを継ぐとは具体的にどういうことなのかがまだはっきりと分からなかった。
何かを、河を制すべく堤防のようなものを再び作ればよいのか。シャの邑の女に支配されて生きる以上、それは不可能であろう。かりに太女がもう一度、治水の許可と時を与えたとしても、シャのシィのグンの二の舞となることは目に見えている。
何か、とにかく女なるものにやみくもに復讐すればよいのか。それとも進んでグンのように惨《みじ》めに女に殺され、女たちの心に痕跡を残すべき鬼となればよいのか。そのへんがシャのシィのユウには曖昧《あいまい》であって、ユウの心を悩ませてもいた。悩みが嵩《こう》じると必ずと言っていいほど、あの象を率いた異族の少女のなつかしい顔が異様に鮮明に思い浮かんでくるのである。すべて何かが繁《つなが》っていてユウに求められているのだと思った。
それにしてもシャの女と妥協するつもりはさらさらない。最も危険で重大な時に、邑が、女たちが自分を罰しようと動いた時に、自分が一体何をするために生まれてきた男なのかが判明するのではないか。それはユウの期待なのであった。
太女は険しい表情で、まず※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》に祈ったあと、ゆっくりとユウに目を向けた。グンを殺した時の、どろどろとした粘着性を帯びた光があった。
「シィのユウよ。問うにより、虚偽なく答えよ」
太女は小柄ながら肥りたるんだ身体を座に置いている。左右に中年の母娘が侍していつでも身を支えられるようにしている。太女も高齢であり、それほど長い寿命を残してはいないであろう。だが数十年にわたりシャの邑に君臨し支配を極めた者の、さすがに圧するような威厳がある。そういう太女と面と向かい、恐ろしくないといえば嘘になろう。しかし、ユウはこれと対決することを自ら望んでしまったのである。
『天地の大母神なる女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]《じょか》』
の威を、この老女は体現しているという。
「シィのユウ、何故、お前をのぞむ女のもとへ一度たりとも、おもむかぬのか? 答えよ」
と陰気だがよく響く声が訊いた。
「太女に申す。そもそも、何故、おもむかねばならないのか」
とユウは逆に問うた。
「※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》ゆえに男は女に感応するからよ」
太女は言った。が、ユウはこんな答えにはうんざりしていた。
「母娘には何度も言われた。女は男などいなくても子を産むのだと」
「その通りぞ」
ユウは続けて言ってはならぬことを言った。
「それが本当なら、おれが女のもとへゆく必要などあるまい。女は自家で勝手に子を産んで増えればよいではないか」
誰もが知っているというのに禁忌とされている事柄である。
太女は、沈黙し、怒りのために顔を赤くしていた。母娘たちはこの不穏な言動にざわめいている。シャのシィのユウは気が違ったのか、やけくそになっていると思った。
太女は老獪である。おのれの怒り面を消して同様にさっと手を振って母娘たちを黙らせた。聞かなかったことにしたのである。ただし腹の中は煮えたぎっていよう。
「もう一度、聞いてやろう。何故、女のもとへ通わないのか」
シャのシィのユウは太女が逃げを打ったことに別に憤《いきどお》りは湧かなかった。かえって可笑《おか》しくなった。
「いいだろう。答えてやる。シャのシィのユウは道端などでお前たちに選ばれねばならぬいわれはない。おれが女を選ぶのだ」
もはや常人の言葉とは思われなかった。またしても一触即発の険悪な空気が場を支配した。これだけでシャのシィのユウは大罪人である。
太女はシャのシィのユウの言葉を別の意味にとり直した。太女は長らしく落ち着いて、わざと声を穏やかにして訊いた。珍しいことながら、シィのユウにはどうしても通じたい特定の女がいるのかも知れないと想像したのである。そういうことは許されないとはいえ男にも感情があるのなら、あっておかしくはないことだ。太女は理解したように、
(それを許さぬほどの無慈悲さはないのだよ)
という顔付きをしてみせることを忘れなかった。そして言った。
「シィのユウよ、お前の優れた性質に免じて、特に聞いてやろう。非常の特例ながらお前に一度だけ女を選ばせてやらぬでもない。その者の所へ通わせてやろう。一体、邑のどの美しい女がのぞみなのか」
この話を飲めばさきの凶悪な暴言はゆるしてやってもよい、というような含みがそれとなく汲みとれた。
しかし、これはシャのシィのユウと同じ次元の提案ではなかった。シャのシィのユウは、そっけなく、
「誰ものぞみはしない。どの女も嫌いだ。とくにシャの邑の女はみな嫌いだ」
と言い放った。
ここに至って、太女は沈痛な表情を浮かべるしかなかった。もはやざわめく者もいなかった。太女はおごそかに、
「シィのユウよ。お前を処罰するしかない」
と言った。
「わが胎から出たるものが、どうしてそうも邪佞の者となってしまったのか」
とあくまで母としては許し、そして、
「今年の河の神への生贄がまだ決まっていなかった。お前にそれを申しつけようぞ。お前は心が曲がっているようだが美しい男である。河も喜んで納めよう」
と太女としては死刑と同じ事を宣告した。
その瞬間、シャのシィのユウに、激しい衝動が訪れた。
「おれを河にくれてやるというのか!」
かっと全身が熱くなり、同時に、シャのシィのユウを悩ませていたものすべてが連絡した。あのグンが殺された時に生じた腹の中で何かが曲がる感覚が強烈に発生した。
シャのシィのグンの鬼が憑いているとグン老人が言ったのは間違ってはいなかったろう。シャのシィのユウは、シャのシィのグンの後を継ぐべき事業のありようを今すべて知ったと思った。それならば、まずは、シャのシィのグンを鎮める祭祀を行わねばならぬ。河の女神に復讐するのはその後である。シャのシィのユウはユウの自由を後ろ手に束縛していた縄を気に断ち切った。縄を捕らえ支えていた母娘がその拍子にふっ飛んでしまった。シャのシィのユウには優れた腕力と運動能力があった。シャの邑人なら誰でも知っていることだ。
グンを鎮魂させる法はただ一つ。
(女の血で贖《あがな》う)
ことのみであった。
ユウは突進して真っ先に太女を撲殺した。太女は他愛なく仰向けになり、動かなくなった。これが初めての殺人であった。ユウの初めての殺人は母親でありかつ大女神の権威を代理する者に対して行われた。周囲では悲鳴と絶叫が持ち上がり、それは太女の家の外まで広がっていった。シャのシィのユウの暴力の衝動は次にユウを取り囲んで針のような視線を送っていた継母のような母娘たちに向かった。身体の欲するままに殴り、掴み、叩き付けていた。母娘たちはその場に凍り付いたようになり、なす術もなくシィのユウに殺されていった。
その中には真にシャのシィのユウを分娩した母であるクウもいる。恐怖が深く刻まれたクウの最後の表情が、シャのシィのユウにまだ残っていたかも知れない惻隠《そくいん》をぶつりと断ち切った。
シャのシィのユウにはすでにシャの邑の神とは別の神が乗り移っていた。ユウはいつの間にか矛《ほこ》を手に持っていた。鎮魂の祭祀の場は太女の家を離れ、邑の周辺へと移っていった。その間に何十という人間が死んでいた。女ばかりではない。止めようとした男も躊躇いなく殺されていった。叫喚と悲鳴はユウの周囲に絶えることがなく、溝には血の流れが生まれた。ユウは作りかけの陶器、壷や皿も、それを女が作っているという理由だけでわざわざ踏み潰す手間をかけた。シャのシィのユウは今や邑を破壊する凶神と化していた。邑を全滅させられることができれば凶神は本望である。
邑の広場には祭礼の塚が立っている。犠牲者の男根が埋められ、特別な豊饒儀礼を行う場所であった。シャのシィのユウはその前に立ち、血塗れになって動いていた。この男根の塚も女の支配の象徴であり、叩き潰すべきものの一つである。生贄の男性器がいつもいつも大地の女を喜ばせると思っているのなら大間違いなのだ。刺し貫いて、地を裂き、血塗れにすることもあるのだ。それでも豊饒を祈るというのなら勝手にすればよい。
もはやシャのシィのユウの目には個々の人間の顔などは映っていない。ただシャの邑≠ニいう名の、シャのシィのユウを産み、育て、養い、護り。捕らえ、しがみつき、押さえつけ、食い殺そうとした女が敵としてあるだけである。この恐るべき強力な敵手はユウよりもはるかに強いのである。シャのシィのユウが真に死力を振り絞って戦っても勝てる見込みはあまりない。
阿鼻叫喚の中を荒ぶる神なるシャのシィのユウが移動すると、踏むたびに死者の山が築かれた。
爆発的な歓喜と巨大な罪悪感がシャのシィのユウの中に嵐のごとくうねっていた。母を殺すことに罪悪を感じぬ息子がいるものか。母を殺すことに喜びを感じない息子がいるものか。この二つの感情がシャのシィのユウの目的ではなかったが、感じたくはないが感じさせられる異様な激情があった。
シャのシィのユウはこの時、英雄である以上の何者でもなかったろう。英雄はときとして神とも称される。ユウが神ならば敵はすべて邪神である。なんと多くの女の顔をした邪神を殺戮したことだろう。殺戮に酔う神は疲れも衰えもまったく覚えることがない。
「グン老、いるか! この先もおめおめと生き延びるのなら、この禍事をとこしえに語り継げ。シャのシィのユウのことを忘れさせるな! それがお前の仕事だ」
シャのシィのユウの心の一部は、そう叫んでいて、実際に口をついて出ていた。
洪水ではない。たった一人の卑しく無価値な取るに足らぬはずの男が、シャの邑を血で洗い流そうとしているのである。
女が死に、男が死に、少女は殺され、幼児も虐殺された。シャの邑の人々にとっての大惨事は永遠に続くかと思われた。
「おれを見よ。おれとともに来い。おれとともに死ね」
シャのシィのユウが、シャの邑という名の女の心臓に、とうとう槍を深々と突き立てた、と思った瞬間、意識が炸裂して果てた。
|||||||
シャのシィのユウは、偏枯《へんこ》なる姿で、矛を杖として歩いていた。
ユウの右足は槍の鉾《ほこ》に貫かれた上、腱を断ち切られてしまっていた。また腰骨の一部が砕けてしまった。この二つの怪我は治癒することなく生涯つきまとうことになろう。ユウは腰をかがめ足をひきずり、つまり偏枯として歩いていくしかなかった。
シャの邑がどうなったのかユウには分からない。覚えていないのである。だが、自分が今、何の目的でどこへ向かって歩いているかは知っていた。シャのシィのユウのなすべき事はまだ終わっていないのである。
シャのシィのユウは河に向かっている。遅々として歩いていた。ユウの意思はただひたすら河に向かってユウを歩かせた。
砂塵をふくんだ風は逆風である。今日は、いつもより強くユウにあたった。風も女であり、ユウを止どめ、懲らしめようとしているのかも知れなかった。
河はいつもと変わらず、何事もなく、ただ悠々と流れていた。母殺しの凶神と化したユウが近付いてくるというのに、何の変化も示さなかった。これが河の女神の余裕というものだろうか。
(河よ、見ているがよい)
シャのシィのユウは、河べりから、さらに一歩一歩と進んだ。水が足を濡らしはじめてもまだ進んだ。シャのシィのユウは比較的、流れが穏やかで浅いところをグンに聞いて知っていた。
やがて水は胸のあたりまできた。いくら水の流れが緩《ゆる》いといっても偏枯なるユウは油断すると流されてしまいそうになる。
「河よ。おれはお前に捧げにきたのではない。お前を犯すためにきたのだ。一度ですむと思うな。いつかお前をひれ伏させてやる」
シャのシィのユウは水中でぼろぼろになってはためき泳いでいる衣を開いた。シャのシィのユウは童貞であった。しかし、女の中に入ったうえは、その次に如何にすべきかは本能的に知っているのだった。
水はユウの体温を奪い、浮遊する土砂でざらついた流れはユウの身体に押しつけられ、皮膚を削りとってゆくかのようであった。シャのシィのユウの根は大人しく萎み、水流にもてあそばれてしまっている。陰毛とともにゆらぎ、女の手がからかっているかのようだ。ユウはギリリと歯を食いしばった。
シャのシィのユウはあの腹の中の何かが曲がる感覚を必死に呼び起こした。すると、ユウの男根は徐々に身を堅くしはじめた。濁った水流がユウの股間を撫でて過ぎるなかをゆっくりと堅さを増していった。ユウはさらに腹の中のくの字に意識を集中させるが、その根にはまだ必要な真の堅い力が宿らなかった。
シャのシィのユウはさらに力を求めた。脳の中に、象を駆る異族の少女の顔を重ね合わせた。途端に下腹に鮮烈な欲望が疼き、腹の中のくの字のものがぐにゃりと曲がり切った。すると足りなかった力が脊椎、背腰筋を貫いて通った。ユウの茎は隆々と勃起した。
シャのシィのユウは、心身を熱っぽくさせて、その頼もしい硬い根に手を添えた。わが物ながら実に頼もしかった。この力の張った堅さがあればすべての女どもを貫くに足りるであろう。シャのシィのユウはそしておもむろに河の女神を呪い、添えた手を握り前後させ始めた。
力の存在に目覚めたシャのシィのユウに大して長い時間は必要無かった。じきにユウの吃立は手の中で激しく震えるきざしを示した。河の神はシャの邑の女たちと同様に、ユウが本当に奮《ふる》うと意外にも弱くなり、無抵抗に奪われると感じられた。
「さあ、女、受け止めろ。これでお前はおれのものだ」
もとよりユウの目は濁れる水中を見ることは出来なかった。シャのシィのユウの吃立の先端から吐き出された白濁した精は女神の泥流の中に確実に流れ込んでいった。
シャのシィのユウは、男根の脈動に身を委ねながら、ひたすら快かった。
(おれはとうとうやったのだ)
末端の快は添え物にすぎない。河という、人にとって度しがたい畏《おそ》れるべき女を犯したことが脈動の本当の意味なのである。無論、この一事だけで河のすべてを征服したとは思わない。徹底的に蹂躙《じゅうりん》するのはこれからだ。シャのシィのグンのやり残したことはあまりにも多かった。シャのシィのグンの治水のやり方は誤りではないであろう。
ただグンは根本的な所で間違いを犯していた。女を支配し黙らせてから、おもむろに治水に取りかからねばならなかったのだ。グンはまだ女を甘く見ていたし、敵として争うべき相手という覚悟に欠けていた。だから易々《やすやす》と罪を獲《え》て殺されてしまった。シャのシィのユウは同じ失敗をしてはならない。これから始めるのである。
シャのシィのユウの根の快感は信じられないほど長く続き、死と同じ意味になるくらいに大きく長かった。やがてユウからすべてのことが現実感を失い始めた。危機感もない。ユウは杖である矛を離して身を傾ける。それを河の流れは女のように優しく包んで、しかし、支えようとはしなかった。ついに力尽きたシャのシィのユウの身体は夢見心地のまま河に流されていった。
||||||||
かつてシャの邑の溌剌《はつらつ》とした青年を知る者には別人と見えても仕方がないであろう。だがそれはシャのシィのユウの姿であった。
櫛《くしけず》らぬ髪の毛を適当に束ね、生えっぱなしにしてあるひげは塵をたっぷりと吸っていた。骨と見紛《みまご》うばかりに細い脛《すね》はびっこを引き、歩く度に大きくかしいだ。粗衣の破れからは肋《あばら》の浮いた胸がのぞいた。だが、偏枯なる者の今にも行き倒れそうな歩行に似つかわしくない炯炯とした目が、シャのシィのユウの内部に在る強烈な生命力を表して余りあった。
シャのシィのユウの彷徨は終わっていなかった。すべきことがあるのである。すべきことはもう分かっていると思っていた。だが、偏枯なるシャのシィのユウはまだ足りぬ何かを思い描き、それを確認して手にすべく歩かねばならないのである。
シャのシィのユウは河沿いに旅をしていた。東へ向かった。グン老の言っていた話を信じるなら、東の涯には海があるはずである。まずそれを見ようと思った。
黄河を這い削った大蛇はその海に逃げて竜とも化したという。そして河の水も最後に東海に流れ込んでゆくのだという。黄河だけに限らず、この大地を切り裂いて流れる水どものほとんどが東海に帰ってゆくのだとも聞いている。
このシャのシィのユウはかつて家出した時の、飲み食いして自分を養う術《すべ》を知らずに挫折した無力なシャのシィのユウではなかった。浅瀬で魚を捕り、水鳥を獲り、水草を摘《つ》んで食いつなぐことが出来る。これは河に養って貰っているのではなく、女から奪っているのだと思った。シャのシィのユウはシャの邑人のように供物を捧げたり、祈ったりせずに獲り上げた。つまり河に貢がせているのだ。そうきつく信じていた。
だがもう幾日、歩き続けただろうか。ユウの目に映る景色にはシャにいた時とほとんど何の変化もない。向こう岸がかすんで見えないほどの河があり、黄色っぽい土が遠くまで広がっている。
ユウはシャの邑人が祀っていた河は、あれだけの巨大さにもかかわらず、河のほんの一部分にすぎず、河の女神の胴体のほんの一部でしかないということを知った。
(河の身体のすべてをこの目に焼きつけてやる)
そしてシャのシィのユウは歩くのである。河が別の貌を見せるのを拒むのなら、見せるまでつきまとうだけである。
また河に沿って河を呪いながら見つめるシャのシィのユウは口では説明しにくい、河の流れる理《ことわり》のようなものを何となく悟った。風が吹き、木葉が色づき、陽が上り沈む如くに、河にも流れるきまりがある。シャの地にいて河を見ているだけでは捕まえることの出来ない理であったろう。水面を流れる丸太や雑塊、岸辺の土砂の削られよう、小川が流入する地の様子、またそこに生いる草木のそよぎ。
シャのシィのユウは注視する。河は時々化粧を落とした顔をユウに故意にか偶然にか、油断して見せるのである。女の隠し事をまた一つ知ってやったと、シャのシィのユウは、そういう時、わずかに口を開いて笑った。放浪して学ぶことがユウにシャのシィのグンを越えさせることになった。だからこそシャのシィのユウは河のすべてを見たいと望み、ひたすらに河に沿って歩くのである。
一冬を越し春を迎えた。目に映る河はますます太り幅広くなっていた。しかし、東海に近付いたという気配はまったくしなかった。
一体、あとどれほどの距離をこの壊れかかった足で踏まねばならぬのか。シャのシィのユウは絶望はしないが、自分の為さねばならぬ仕事の巨大さを思うと焦らぬこともない。だが河の正体を知らずに治水にかかることは卑怯だと思う。河の海に流出するところを確認した後は、河の源の、これほどの大量の水を産み続ける西の岳《たけ》にいる女を見にゆかねばならない。河の頭から爪先までを全部治めて初めて治水と呼べ、河を征服したと声を大に出来ると思っていた。シャの邑一帯が水に害《そこ》なわれなくなる程度の治水など、ユウはそんな小さなことのために命を受けたのではない。憑かれたように故郷を屠戮して出奔したのは断じてそんな小さなことのためではないのだ。
シャのシィのユウがその集落を見つけたのは春も爛《た》けて、どうやらまた河が暴れの虫をむずむずとさせてくる頃であった。
(東海へゆく)
シャのシィのユウはまだ足を止めるつもりはなかった。
これまでも他地の邑に行き会うことはあったが、シャのシィのユウはたいていは接触を避けて通ってきた。ユウと部族は違っても、どこもシャの邑と大して変わらぬ、河にひれ伏すように生きる邑ばかりであった。河の女神への忠誠は河の畔に生きる部族の宿命なのであった。またユウはあれ以来人嫌いになっていた。特に女の姿を見ると吐き気を催すほどになっている。凶暴な気分が蘇り、何をしでかすか自分でも分からないという恐怖があったのだ。
シャのシィのユウは最初はその邑とも関係がないつもりであった。人間を避けて河を見るために下ろうとした。だが、遠目に見慣れぬ獣が歩いているのが目に入った。長鼻の巨獣を確認すると、一瞬、その場に凝固してしまった。
「象」
異風の男たちは象の前足、脇の下、首に綱をかけて、手に笞を持ち、巨獣を操っている。シャのシィのユウはふらふらと引きつけられた。我知らず心臓が高鳴るのである。
この邑は象を駆る種族の集落なのである。ユウが以前に見た、あの異族と同じ部族なのかどうかは分からない。ユウは杖を激しくついて邑に向かった。シャのシィのユウに再び神が呼びかけた。果たすべきことがある。まだ手に入れていないものがあるのだった。
邑人は邑にふらふらと、だが、確信のある顔付きで入ってきた異様な姿のユウにぎょっとしたようだった。敝衣破履、頭髪蓬々、杖をつき片足を引きずり、だが目は欄々と輝いている。人と思われなかったのかも知れない。稀に客神が人の邑を訪れることがある。門を潜るときも誰も邪魔をしなかった。
その邑の者は明らかにユウたちと異なる族のようであった。小屋の建て方は柱を立てて床が地に着かぬように工夫されていた。男も女も見慣れない入り組んだ模様の入った服を着ている。シャのシィのユウはそんな人々の中を進んでいった。男の目も女の目もユウに注がれている。
ユウはこの異族は少年の頃に見たあの移動中の一族であると確信した。河の流域にはシャとそれほど異なった部族は住んでいなかった。象を使うような部族は少なくとも河のそばには住んでいなかった。彼らは肌の色はやや浅黒く目が大きい。何を話しているのかよく聞き取れなかった。言語が違うのである。グン老の言っていたように南方の種族であるに違いない。
シャのシィのユウが、
「おれはシャのシィのユウだ。シャの地から旅を続けてきた。そして河に沿って行《さ》るべき者だ」
と言うと、異族たちは言葉がよくわからぬまでも、シャのシィのユウに敬遠する態度を示した。敬遠とは神や神に近いものに馴れ馴れしく近寄る不遜《ふそん》を犯さぬように、敬意を表して身を遠ざけて天罰などを被《こうむ》らぬようにするための法である。
邑の代表者らしき老人が若者を従えて偏枯なるシャのシィのユウの前にやってきた。女たちは建物に入り、物陰に隠れてしまっている。驚いたことにかれらは男を長とする部族なのであった。
異族もこの地に定住を始めて数年、この付近の邑の者たちと交易など接触を持ったりしている。ある程度、言葉を使えるようになっている。老人がもごもごと呟くように言った後、背後に控えていた若者が、
「わが氏はテュシャンなり。旅してこの地に族したり。貴方が目的を持つ神ならば、目的を話すがいい。供物を欲する神ならば、求める供物の名を言うがいい。苦しみさすらいし人ならば、しばらくここに憩うがいい」
と言った。シャの邑にも客神や客人を迎える儀礼はあるが、こういうふうには言わなかった。
「おれは神ではない。シャの地より出奔せしシィのユウである。かつて他人に何も求めたことはない。欲しいものは奪うからである」
と答えた。老人はまたもごもごと口を動かし両手を結んだ。また若者が、
「シィのユウ。神にあらざるというか。爾《なんじ》が姿、只者《ただもの》とも見えず。人でもよし。許す。好きなだけわが邑に滞在せよ」
と言った。シャのシィのユウは老人の真似をして手を結んで拝した。
シャのシィのユウはこのテュシャンと名乗る部族の邑に留まることにした。シャのシィのユウは急ぐ旅であることを知りつつ滞在することに決めた。ここでなすべきことは分かっていた。
シャのシィのユウは家を一軒与えられ、少女が一人、世話係としてつけられた。
その日は、婢妾《ひしょう》として付けられた少女に足を洗われ、身体を拭かれ、髪を櫛られ、真新しい衣を着せられた。そうやってきれいにされるとシャのシィのユウは痩せてはいるが、剽悍《ひょうかん》で凛々《りり》しい若者であることが明かになった。その後、捧げられるかの如く食事を供された。得体の知れない放浪者に対してひどく厚遇であった。ユウを本当に客神と思っているのか、それともテュシャンのしきたりなのか。シャのシィのユウは敢えて倣岸《ごうがん》な態度でこれを受けた。
(おれのすべきことを天命が嘉《よみ》し、支援している)
そうとでも考えねば不思議であった。シャの土地の神の目前で同族を殺戮し、河の女神を侵犯して来たのである。本来ならとっくに行き倒れているはずだ。片足一本で贖罪《しょくざい》が終わったとはとても思われない。
(よかろう。もっと、死よりも辛《つら》い巨大な難苦をおれに背負わせよ)
だからこそシャのシィのユウは傲岸であろうとしたのだ。
少女は夜は身をもってシャのシィのユウに供するつもりであったのだろう。夜も目を閉じずにユウのかたわらに侍していた。だが、シャのシィのユウはついぞ隣に添えとは言ってくれなかった。明け方、少女が牀《しとね》に肘をついてうとうとしていると、シャのシィのユウはもう牀の上にはいなかった。
シャのシィのユウは朝日が上る頃には河の畔《ほとり》にいた。土手の草の上に腰をおろし、河の流れを観察した。しばらくして岸辺に降りてみた。異族なりの治水の術を持っているかも知れないと思ったからである。だが案に相違して、防水のことはほとんど何も施されてはいなかった。この邑はおそらくまだ大きな水害に遭ったことがないのであろう。定住して何度か河に洗われてから、ようやく河の恐さを知り、対処を考えるようになるのである。ユウは岸辺を往復して観察を続けた。
シャのシィのユウは終日河を眺めてから家に戻った。少女は甲斐甲斐しくユウに仕えた。しかし、前日と同じくユウは少女に馴染むことなく眠ってしまった。
翌日もシャのシィのユウが河を眺めて戻ると、別な少女がそこにいた。ユウは別に何も言わなかった。その少女も同じように足を洗い、身体を拭い、髪を櫛ってくれた。最初の少女のほうが三つとも上手であった。ユウははじめて、
「前の娘はどうしたのだ」
と訊いた。その少女は困ったような顔をした。シャのシィのユウは言葉が分からぬのだろうと思い、それ以上は訊かなかった。
その娘も二日たつと、またべつな少女と交替してしまった。ユウが、
「何故だ」
と問うと、三人目の少女は、あなたの気に入らず選ばれなかったから退がった、という意味のことをたどたどしくしゃべった。それでシャのシィのユウは娘たちはただの世話係ではなく、神の嫁に供せられていたのだと知った。テュシャンの邑の俗なのだろうが、シャの邑では考えられぬことだった。
だが、それでもシャのシィのユウは目前の娘を隣に寝かせてやろうという気にはならなかった。
シャのシィのユウは翌日、邑の長のところへ行って娘を代える必要はないと言った。老人は、
「爾《なんじ》がシャの精を、爾の杖を通して、テュシャンの女に注がせたくはないのか。テュシャンでは客神の精は遺すのである」
と若者を通して言った。
「テュシャンの長老よ、おれは人の女を知らぬ。しかし、わが女は決まっているのだ」
と答えた。若者に伝えられると老人は、奇妙な表情で笑った。どういう意味に解したのかはユウには分からない。
シャのシィのユウは河の他に、象のことをもっと知りたかった。幾日かを象使いについて歩いた。
象の労働力はユウの想像以上であった。力は牛などにくらべて桁《けた》違いのものがあった。象は牛と同じく地の草や水辺の草を食う。シャの牛が二頭で引く物を、象は一頭で楽に引くことが出来た。さらにその長い鼻を器用に使って物を巻くようにして運ぶのも見た。そして意外に歩くのも早いのである。そして水際の仕事にも慣れていると見えた。シャのシィのユウは象の生息地にも河のようなものがあるのであろうと推測した。或は湿地帯のようなものがあろうと。水に強いということはいいことだ。ユウは象を使って治水の工事を行うところを想うと腕がうずうずした。
シャのシィのユウはしばらくとどまり見たいものは見た。これ以上ユウここにとどまる理由はない。象を工事に使おうという発想も将来においてものになるかどうかという所である。まだユウは河を知り切ってはいない。河に寄り、放浪することを続けねばならないのである。
だが、ユウは容易に離れがたかった。
シャのシィのユウの頭にあるのはあの時の、小雨に濡れながら乾肉を差し出したあの娘の顔なのである。仮にあの娘がこの邑にいるとしても、どうしているかなど知りようもない。あの時はユウより少しばかり年下と思われた。印象をたよりにその年頃の女の顔をずっと捜していた。だが、どうもこの邑にはいないようであった。
(どこかに出されたのか。死んでしまったのか)
シャのシィのユウは、しかし、思い切れないのである。
(おれがここに来た以上、あの娘は生きておれを待っているはずなのだ)
女を唾棄すべきものと思い定め、女の相手は河だけで沢山だと考えているシャのシィのユウが、たった一人だけ必要とする女がいるのである。
それを考えている時、シャのシィのユウの顔は恐い顔になっているようだった。世話係の少女が部屋の隅で近寄りがたくしているのに気が付いた。するとシャのシィのユウは腹立たしくなり、酒を求め、悪酔いして少女に酒器を投げ付けたりした。そんな日に寝床に入ると、シャの邑の悪夢を見ることになった。魘《うな》されて夜中に飛び起きることもあった。
シャのシィのユウが例によって河を視察して邑に戻ると車が何台か入っており、門前が賑やかであった。
「何が来たのだ」
と訊いてみると、
「交易に出かけた者らが戻った」
ということだった。
テュシャンの部族がここに邑を作ったからといって、すぐに自給自足が実現するはずもない。この邑の歴史はまだ始まったばかりと言ってよかった。よって近隣の邑に頼ることも多いのである。
例えばテュシャンたちは故地から稲という穀種を持ってきていた。だが、気候のせいか土地の質のせいか、容易に根付かなかった。農を黍粱《きび》などに転換せねばならなかった。家畜にしても畑だけに使うのならば、象では牛刀で鶏を裂くようなものであり、牛や馬のほうが使いよい。テュシャンの部族は最初の数年はそれに苦労した。幸いにもテュシャンの色鮮やかな陶器や珍しい文様の織物は河の流域の人々に好評であった。
シャのシィのユウは笑顔で隊商を迎えて車に山と積まれた品物を吟味することに夢中の人々を離れたところから見ていた。興味のなさそうな目であった。だが、その帰還した人々の中に一人の女の顔を見出して、たちまち目の色を変えた。慌てるあまり杖を手放しそうになった。
その女はあの雨の日の少女であり、シャのシィのユウの脳裏に住み着いてしまっているたった一人の女であった。あの時よりも背も伸び、身体も大きく全体的にふっくらとなっている。だが面影は、あの日の少女のものとまごうことなく重なった。
シャのシィのユウはその女に近付いていった。
女はシャのシィのユウが自分のところへ向かって来るのに気が付いて表情を堅くした。見慣れない恐い目をした男が迫ってくるのだから無理もない。シャのシィのユウは女の前に立つと、
「明日の朝、河の辺に来い」
と言った。女はユウの眼光にたじろいだ様子であった。交易隊に参加しているのだから言葉は通じているはずである。女は諾とも否とも言わなかった。答えを待たずにシャのシィのユウはその場を離れてしまった。
シャのシィのユウはこの邑で特殊な待遇を受けている。客だからである。客はいずれ去る。去るべきだから客であり、厚遇するのであるともとれる。シャのシィのユウはそれを心得ていたし、邑長をはじめとした人々もそれは同じであったろう。
(あの女は果たして来るか)
あの女はもう既に邑の男のものになっているかも知れない。だがそんな事は関係ないのである。明日の朝、シャのシィのユウは邑を出るのである。
シャのシィのユウはまだ暗い時間に邑を出た。白々と明け始めた頃、河辺に立った。
(あの女が来なければどうするのか)
シャの.シィのユウは自問して、
(来る)
と決めつけた。
そして確かに女は来た。シャのシィのユウは堤から見下ろして待った。女は昨日とは違い、無地の模様のない衣をつけていた。
「テュシャンの娘」
とシャのシィのユウは呼びかけた。これがその女の名となった。
テュシャンの娘は哀しそうな顔をしていた。だが唇を引き締め、眉には決意があった。テュシャンの娘はユウの目の前まで来た。
「テュシャンの娘、何故、来たのだ」
シャのシィのユウは自分が呼んだくせに、訊いてしまった。不思議な感激が言わせたのである。テュシャンの娘の返事はなかった。テュシャンの娘はユウの前にひざまずいた。顔をあげユウを睨《にら》みつけた。
もうシャのシィのユウは自分を抑さえることが出来なかった。テュシャンの娘を抱き締めて、草むらに倒れ込んだ。顔を真上から見下ろして、
「お前はおれの女だ」
と言った。テュシャンの娘は真上にあるシャのシィのユウの顔を見上げている。
その憎むような目がユウをひるませたが、かまわずに衣の裾を開いてのしかかった。この時シャのシィのユウは人の女をまだ知らなかった。だが女の上に乗った今、次に何をすべきかを知らぬほどの愚か者ではなかった。
シャのシィのユウは懸命にテュシャンの娘を犯した。ある意味では河の女神を犯した時よりも難しかった。だが、テュシャンの娘の身体は河の女神よりもよほど温かく、逆らうことも激しく、包むことも柔らかかった。
犯行が終わった時、シャのシィのユウは、テュシャンの娘がどうして必要だと思ったのかを知り、シャの邑が何だったのかを知り、テュシャンの娘が自分にとって何なのかを知った。テュシャンの娘を身をもって犯した時にシャのシィのユウは、本当の意味でシャの邑の女たちの呪縛から解放されたと感じていた。シャのシィのユウはようやく童貞であることをやめたのである。
テュシャンの娘は邑長の命令のもとにシャのシィのユウのもとにおもむかされたのであろう。長の老人はシャのシィのユウを神のごとき者、または天に命じられた者と見抜いたのである。テュシャンの娘は供物としてシャのシィのユウに捧げられたのであった。テュシャンの娘は突然の運命が辛かったに違いない。テュシャンの娘はシャのシィのユウを憎むような目で見ることをやめなかった。涙を浮かべてさえ、憎む目をユウに向け続けたのである。
後にテュシャンの長は陶器にシャのシィのユウの姿を描いて残すように命じた。
ユウの姿は、魚身に描かれ、時には竜身に描かれたりした。シャのシィのユウが河を治めるべき神と思われたからであろう。偏枯であり跛《は》であったため、一本足のかしいだ姿は人面魚身のように写されたのであろう。
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シャのシィのユウはテュシャンの娘を連れて放浪した。テュシャンの娘はユウにほとんど口をきくことがなかった。憎むような目も変わらなかった。だが、テュシャンの娘はシャのシィのユウに従って歩いた。ずっと歩いてきたのである。
シャのシィのユウには一つ気になっていることがあった。ユウはあの少年の日に大人に叱られながらもユウに乾肉を分けてくれた少女の顔を鮮明に記憶している。片時も忘れたことがないと言ってもよいくらいだ。だがテュシャンの娘は果たして穴ぐらに空腹をかかえて身じろぎもしなかった異風の少年のことを覚えているのだろうか。ユウにとりあの出会いはひどく重要なことなのであり、あの出来事がなかったら確実にユウの人生は変わったものになっていた。おそらくユウはシャを出ることもなく、不満と屈辱を胸に湛《たた》えたまま早死にしていったに違いない。
そんな重大な日のことをテュシャンの娘が忘れているとすれば辛《つら》すぎる。シャのシィのユウはテュシャンの娘に思い切ってその日の情景を詳しく話し、
「お前はおれをおぼえているか」
と真剣に尋ねた。テュシャンの娘は答えなかった。ただ憎むような目をユウに向けるのみである。テュシャンの娘に憎悪の目で見られ続けることはユウにはひどくこたえることであった。
日を重ね、月を重ねた。二人はひたすら河に沿って東へ下った。
夏に霖《ながあめ》で暴水する寸前の河を危険を冒して見に行ったこともある。冬に表面が凍って地面のように堅くなった河の上をわざわざ歩きに行ったこともある。気付かずに薄氷を踏み割ってしまえば、そのまま氷板の下に殺される危険がある。如何なる危険な場所にもシャのシィのユウはテュシャンの娘について来るように要求した。テュシャンの娘はいずれの時にもシャのシィのユウに従いてきた。気丈に何も言わずにただ従いて来たのである。
シャのシィのユウは、そういうテュシャンの娘を試すようなことをする度に愛しさが胸にあふれ泣き出したくなるのだった。
いつしかテュシャンの娘は身寵《みごも》っていた。その腹が目立つようになった頃、二人は河の終点に着いた。
シャのシィのユウとテュシャンの娘は巨大な河が海に流れ込む場所が望める断崖に立った。だがシャのシィのユウにはそこが河の終点にはとても見えなかった。河は東海とつながってさらに遠くまで流れてゆくのである。河は東海と一心同体なのであり、海にそそいでいるわけではないのではないか。波涛の砕ける断続的な響きがシャのシィのユウを包み込んでいた。
シャのシィのユウは水平線を遥かに眺め、興奮に胸が高鳴るのを覚えた。
(とすれば海をも治めねばならぬということだな)
シャのシィのユウが振り向くとテュシャンの娘も目を瞠《みひら》きにして河と海の混じる所を見ていた。憎むような目はそこにはなかった。
「江」
とテュシャンの娘がつぶやいた。
「江とは何だ」
とユウは訊いた。
「テュシャンの氏族が昔いた所にも、河のように巨きな竜水があった。その名を江というのです」
テュシャンたちは江の河口の近くに住んでいたのだ。そしてテュシャンの娘がまともにユウに口をきいたのはこれが初めてであった。
「江か。おそらくそこにも女がいて支配していよう。河を治めたら、次は江を仕置きしよう。どうせ同じことだ」
とシャのシィのユウは言った。
途方もないことであった。シャのシィのユウは河を冶め、海も治め、遠い南にあるという江にも挑もうというのである。だがシャのシィのユウには怖《お》じ気《け》も気後《きおく》れもなかった。これから無限に続くかも知れない治水の事業に闘志をかきたてられるばかりであった。
この時、テュシャンの娘はシャのシィのユウのことを理解し、シャのシィのユウを許してやったのかも知れない。テュシャンの娘はユウの隣に寄り添うように立った。
シャのシィのユウがやろうとしていることはもはや治水にとどまるものではなかった。河と江を制し支配する。遥かな海にまで及ぼす。シャのシィのユウもはっきりとは分かっていなかったであろう。それはシャのシィのユウがこの世界に王者となることを意味する。シャのシィのユウの頭の中で新世界のヴィジョンが突如として爆発的に形をとり始めた。
シャのシィのユウはテュシャンの娘の腹を指さして言った。
「お前の腹の中にいるのはおれの子であり、おれのものだ。それを紛《まぎ》らわしくせぬようにその承《う》け継ぐ名を定めよう。そしてお前は絶対に他の男と交わるようなことをしてはならぬ。もう女は※[#「示+某」、第4水準2-82-73]《ばい》などが入り込むすきを作ってはならない」
シャのシィのユウが行く所には母も存在するが、父も存在するのだ。母はたった一人の男と間違いのないように交わるべきだ。そして氏姓を制定し、それに違反せぬようにする。
支配権を女の手に委ねるようなことをしてはならぬ。家を支配するのは男である。女にはその一部だけを委任する。婚姻に秩序をつくり男の親から間違いなく子供へつながる血の系統を確かにさせる工夫をせねばならぬ。テュシャンの氏がそうであったように、シャのシィのユウの一族もそれを根本としたい。テュシャンたちよりももっと徹底した父権の世界を確立させるのである。
「お前が卑しいからそうするのではない。男と女に分を設けて、従うものと従わされるものの関係を新しくしたいのだ」
シャのシィのユウは思い浮かぶことを次々に口にのばらせた。、シャのシィのユウは新世界の構想を飽きずに語り続けた。これがシャのシィのグンの事業のゆきつく所だったのだろうか。あまりにも壮大すぎるものである。いやおそらくこれからシャのシィのユウが多大な犠牲を払って起こすにいたる新しい事業なのであろう。
「今後、わが一族をしめす形は、河を削って通ったという偉大な原始の巨蛇としよう」
テュシャンの娘は自分の下腹をそっと押さえて微笑んで聞いた。
シャのシィのユウはその姿を見て眩《めまい》を覚えた。
(難事もお前がいるからやれるのだ)
とシャのシィのユウはテュシャンの娘に言おうとした。シャのシィのユウが家出した時にテュシャンの娘に出会った。それだけが大きな意味を持っていたのかも知れない。だが言うのはやめた。ここまで来て女を甘やかすわけにはいかないからだ。
代わりにシャのシィのユウは、
「太陽は太陽、月は月だ。どちらも生む力を持っているはずだ。すべての養うものが女であるなどということは嘘であろう。おれは旅を続けてそれが分かった。この理、もっと深く考究するにしくはない。シャの女の言葉などにいつまでも呪縛されていてはならない」
と言った。それから付け加えるように、
「お前はいつまでもおれのものだ。おれはお前のたった一人の男だ。いいな」
と強い口調で言った。テュシャンの娘は諾とも否とも言わなかった。テュシャンの娘は女である自分の微笑を向けるだけで、それに答えることが出来たのである。
(作者蛇足 漢字に付された音というものは、古代よりそれほど大きく変化していないという。この小説の登場人物の名の音に、その頃にはまだ存在しなかった漢字を敢えてあてようと思えば、シャは夏《xia》、シィは※[#「女+以」、第3水準1-15-79]《Si》、ユウは禹《yu》であり、グンは鯀《gun》となろう。テュシャンは塗山《tu shan》か。ただし実際そんなことはこの小説にとってどうでもよいことである)[#地付き](完)
[#改ページ]
底本
講談社
童貞《どうてい》
1995年1月27日 第1刷発行
著者――酒見《さけみ》賢一《けんいち》