戦闘機である私には、この大空≠ェ世界のすべてだった──期待の俊英、初見参!
おれはミサイル<前編> 秋山瑞人
作戦名は「振り子時計」だったと記憶している。あの作戦が行われたのはもう何十年も昔のことだし、あの作戦が行われた高々度十四空はもう幾億マイルの彼方に遠ざかってしまったかしれない。私はあのとき、ECMバルーンを守るエスコートパッケージの一翼として作戦に参加しており、そこでエレメントを組むことになった「磊鳥(エピオルニス)」というパーソナルネームの同型機からその話を聞かされた。
──なあお前、グランドクラッター、って知ってるか。
まったく、お喋りな奴だった。
クラッターと言えば、レーダー上で感知される不正な背景雑像のことだ。我々にとってはあまりありがたい代物ではない。例えば、何か途方もなく巨大な物体のすぐ近くを敵機が飛んでいるとする。そこをレーダーで走査すれば、こちらの放ったレーダー波は敵機に反射して跳ね返ってくる。が、レーダー波はその背後にある巨大な物体にも同じように反射して跳ね返ってきてしまうから、肝心の敵機の「真像(ターゲットエコー)」が背景の「雑像(クラッター)」にまぎれ込んで判別しにくくなってしまう。この巨大な物体というのは多くの場合は雲かそれに付随する降雨粒子なので、索敵時にレーダー波の波長をあまり短く取るのは考えものだ。あるいは、雲の速度は敵機の速度よりもずっと遅いことがほとんどだから、跳ね返ってきたレーダー波のドップラーシフトの差を監視して不正雑像にフィルターをかける、という手もある。
というわけで、「クラッター」なら私はよく知っていた。
しかし、「グランド」という言葉を聞いたのはあれが初めてだった。
だから私は尋ねた。グランドって何だ。
エピオルニスは表意信号を送ってよこした。
地上(グランド)
それでも、まだ意味がわからなかった。
お喋りな奴にはありがちなことだが、エピオルニスの説明は聞いていてイライラしてくるほど下手くそだった。なんでも奴が言うには、我々が大昔から敵と戦い続けているこの「大空(たいくう)」の重力方向の遥か彼方、つまりずっとずっとずっとずっと下に、大空と同じくらい広大な固体の平面があるのだという。
そんなものがあってたまるか、と私は思った。
そんなものが本当にあったらおちおち降下することもできない。その平面を構成している材料が何であれ、もしうっかり激突でもしたらこっちはバラバラになってしまう。それに、その固体の平面の下は一体どうなっているのか。何かに支えられているのか、支えるものが何もないのなら、平面そのものが果てしなく落下していってしまうはずではないか。
私がそう反論すると、エピオルニスは「俺も詳しくは知らん」と事もなげに言い捨てた。
しかし、エピオルニスはかつて、中高度八空で長いことCAP任務に就いていたことがあって、そこにいた長老機たちの中にはグランドクラッターの伝説を知っているものが少なくなかったらしい。
馬鹿馬鹿しい、と私は言った。
老朽機の言うことなどどうせフタを開けてみればどうせ、波長の制御もままならなくなったヨボヨボのレーダーが雲海か何かに反射したクラッターを捉えたというだけの話だろう。「地上」など存在するはずがない、大空とはその表意の通り、縦にも横にも終わりのない広大な空だ。
かもしれん、とエピオルニスは認めた。
──でもな、例えばだ。敵機に向けて発射したミサイルがもし外れたら、そのミサイルはしばらくまっすぐに飛び続けて、そのうち燃料が尽きて落下し始めるよな。
そうだな、と私は言った。
──その落下は永久に続くのか?
そういうことになるな、と私は言った。
──永久に、ってのは不自然だとは思わないか?俺たちだって燃料が尽きたり敵に撃墜されたりすれば果てしなく落下していくわけだろ?でも、その落下にもいつかは終わりがくるんじゃないかって考えたことはないか?
ない、と私は答えた。
話はそれで終わった。
結局、私はエピオルニスの話を信じなかったし、もちろん今も信じていない。
エピオルニス自身も、その熱心な口調ほどには信じていなかったのではないかと思う。
「振り子時計」作戦は、会敵予想時刻を過ぎても会敵予想空域に敵が姿を見せなかった、といういつものオチがついて幕となった。私を含め、作戦に参加していた全機が解散し、それぞれの次のウエイポイントへと散っていった。あれ以来、私は「振り子時計」ほどの規模の作戦には参加していないし、エピオルニスとの再会を果たすほどの幸運に恵まれたこともない。
奴はとうの昔に撃墜されただろう、と私は勝手に思っている。
むこうもそう思っているかもしれない
*
事故の生存を図ることは、敵機を撃破することに優先する。
他はどうだか知らない。例えばあのエピオルニスがどのような一次任務を与えられていたのか、今となっては知り得べくもない。
しかし、少なくとも私の場合はそうだ。何があっても生き延びて、随時更新される二次任務を実行し続けること。それが私に与えられた一次任務だった。
だから、私は光発電系をフル稼働させ、四発のプロペラをゆっくりと回して、極限まで動力を節約して滞空している。確かに残りの燃料は心細いが、私はその一次任務の性質ゆえに、燃料の多い少ないに関係なくいつもこんな飛び方をしている。青すぎる空はむしろ黒く見え、下方に広がる雲海は数学的な白い平面に思える。高々度十七空にはいってからすでに七日が過ぎて、上方遥かの太陽は途方もない大きさの円を七たび描いた。
ランデブーポイントはもう遠い。
私は質問信号を飛ばす。疑、
『応』
タンカーが答えた。
前方の雲海にひと筋の擾乱が生まれる。乱流は瞬く間に大きさを増して、白い海から巨人機の主翼が浮かび上がる。ゆるゆると旋回する八つの巨大なプロペラが曖昧さのない濃密な雲を蹴立て、白い爆煙の先端が嘘のような高度にまで立ち上がった。
長大な主翼だけが空を飛んでいるような飛行機だった。
すべてが主翼の巨大さに霞んでしまっている。双胴の胴体はまるで二本の棒っきれだし、後部の尾翼は取ってつけた板っきれに思える。その巨体のどこもかしこも支柱や張り線だらけで、八発あるエンジンの他にも大小様々な無数のプロペラ群が生真面目に回転し続けていた。その大部分はポンプの駆動や緊急発電のための風車だが、一見して機能のよくわからないプロペラも山ほどあって、ひょっとするとそれらはただの飾りではないのかと私は常々疑っている。
タンカーがゆっくりと高度を上げてくる。私はタンカーの前方に出て、速度と高度の維持を副脳に書き込まれている条件反射の回路に委ねる。レーザー接続が確立され、タンカーが私のIFFを最終確認し、
『嘉』
そこから先はひどく精度の悪い高速通信に切り替わった。ぐちゃぐちゃした伝票信号と一緒に、アンカーを付けたミサイル繋留ワイヤーを垂らせと言ってくる。タンカーの「声」はノイズにまみれ、複数の副脳による複数のプロトコルが混在していて、ごく感覚的に言えば風の音に似ていた。
私は光学センサーのひとつを強引にタンカーの方に向けてみた。タンカーの機首が逆さまになって視界を埋める。これだけ接近していると、長年の風雨に翼の表面が歪んでいたり継ぎ目がささくれ立ったりしているのがよくわかる。どこからか漏れ出たオイルが巨体の巻き起こす乱流に吹き飛ばされて機首上部の銃塔を真っ黒に汚している。何かのオーバーロードで焼け落ちたヒートシンクが錆にまみれ、風に削られ続けて消滅の間際に立たされている。
ロートルなのはお互い様だったが、それにしてもこのタンカーは、私がこれまでに見た中でも一、二を争うポンコツだった。見てくれがこれではエンジンの状態だって知れている。よくもこんな高度まで昇ってこられたものだと思う。私とのランデブーがこのタンカーの最後の高々度任務になるかもしれない、そんな思いがかすめた。
再び催促されて、私は三年ほど前の戦闘で空になった三箇所のパイロンから繋留ワイヤーを送り出す。翼の突き出たアンカーが風に乗り、ワイヤーはマイナス四十度くらいの角度を保ちながら、タンカーのふたつの機首の間にあるワークデッキに向かってゆっくりと伸びていく。デッキに到達したアンカーは専用のフックにひとまず固定され、次いでローダーから引き出されてきたミサイルに接続される。ワイヤーで吊り上げてパイロンに固定されるまでの空力を安定させるために、この時点ではミサイルはまだ難燃樹脂のカバーの中に収まっている。
私はタンカーの副脳たちとチェックリストをレーザーで交換しながら作業を続けた。ワイヤーとワークデッキとの接続に成功しさえすれば、以降の作業はすべて副脳で条件反射化されているので、私もタンカーも主脳の領域を割いて何かを制御しなければならないようなことはほとんどない。私が暇にまかせて光学センサーでタンカーの巨大な主翼を見渡していると、どうやらタンカーの方はワークデッキ制御専用の副脳を持っている分だけ私よりも余計に暇だと見えて、メンテナンス用のロボットを出して翼の補修作業を始めていた。バーを伝いながら、あるいはワイヤーにその身を固定しながらロボットたちは翼の上を意外な速さで動き回り、六本の肢を器用に操ってそれぞれが割り当てられた損傷個所へと散っていく。副脳に命じられるままにしか動けないはずのロボットたちが、私には自由な意思を持った存在であるかのように見えた。かく言う私も、そういう任務を与えられたらこのタンカーを護衛することにもなるわけで、その意味ではあのロボットたちと同じような身の上なのかもしれない。
それにしても、と私は思う、補給作業中に翼の修理までするとは横着な奴だ。確かに補給作業中は比較的低速で飛んでいるからロボットを出しての作業も楽なのだろうか。
私はふと思い立って、デッキを制御している副脳にレーザーに侵入してみた。何種類もの警告信号に無視を決め込んで、デッキから補給作業を監視するための光学センサーのひとつに割り込む。
青すぎて黒い空を背景に、私の姿が見えた。
補給を受ける機の位置を確認するためだけの狭くて暗い視覚の中に、しかし、確かに私の姿があった。
全翼機である。
四発のプロペラは専ら燃料の消費を可能な限り抑えて滑空巡航するための機関で、会敵時には双発のジェットエンジンを使用する。二十二あるハードポイントのうち、今でもまともに機能するのは十七個所だけで、さらに二個所がセンサーポッドとECMポッドでふさがっているから。私が装備できるミサイルの数は実質十五発ということになる。まったく人のことは言えない。光発電セルの半分以上は機能しないし、無接合の耐熱翼はとうの昔に自己再生を止めて痘痕を晒している。なんのことはない、タンカーの目を借りて見れば、私だってまぎれもない老朽機だった。
ミサイルの補充が終わり、私はレーザー接続を一時停止してタンカーの翼の下へと慎重に回り込んでひとまず距離を取る。給油用のホースはすでに用意されていて、私はタンカーの副脳が寄越す指示通りに再び接近していく。副脳の指示信号はやはり風の音に似ていた。
誰に聞いた話か忘れたが、飛行機が百機いれば空中給油のやり方も百通りあるらしい。
もちろん機構的な区別としてはドローグ式とブーム式の二種類くらいだろうが、いずれにせよ、いざ実際に空中給油をする際の細かい「コツ」のような部分では、給油を受ける飛行機の主脳それぞれに千差万別の個性があるというのだ。うなずける話ではある。私の場合、ドローグにアプローチしようとするとタンカーの副脳に「早くドローブを出せ」もしくは「進路が左に寄りすぎている」と毎回のように言われる。が、そんなものは大きなお世話であって、私にだって長年の経験で培った「私のやり方」があるのだった。まずはドローグの左側から接近してから給油プローブを出し、右翼端の光学センサーから見て、翼面の歪みを検出するためのレーザーファイバーの縦線が給油ホースの延長線上にぴったり重なるような位置に機体をもっていく。どのタンカーのどのドローグも決まって古ぼけていて、ボロボロに裂けたバリュートは風に煽られて片時も安定していない。が、縦揺れの周期をじっと見計らって、プローブの斜め上からドローグが覆い被さってくるようなタイミングで、機体をほんの軽く前進させれば、
ほら、うまくいった──
──?
違和感。
給油用のドローグには、有線接続用のコネクターがついている。
その回路に火が入っている。
『改』
タンカーが、FCSの条件反射プロセスをアップデートすると言ってきた。
ドローグから流れ込んでくる燃料を飲み込みながら、私は少しだけうんざりしていた。
正直、またか、と思う。
これで何度目のアップデートになるのか、そんなことはもう何十年も前から数えるのをやめていた。どう考えてもでたらめにやっているとしか思えない上書きの連続で、現在の私のFCSは何種類もの神経言語が入り交じった巨大なブラックボックスと成り果てている。そしてさらに驚くべきは、この奇怪きわまる反射経路の塊が、ひとまずは何の不都合もなく作動しているという事実だった。
今回のような突然のアップデートは別に珍しいことではないし、その対象になるのはFCSばかりではない。つもり、いちいち心配していたらきりがない。私も普段は忘れているが、時折、こんな無茶苦茶な制御系でよくもまあ無事に飛んでいられるものだと思う瞬間がたまにある。
回路を開けてやると、私の中にアップデーターの風の音が流れ込んできた。
今度こそツキに見放されるかもしれない。
このアップデートのおかげで今度こそFCSが作動不良を起こし、重要な局面でミサイルが発射できないようなハメに陥るかもしれない。そんなことを思う。が、それは「寿命」と似たような何かだ、とも思う。もうどうにでもしてくれ、という気分だった。
アップデートと給油をすませ、タンカーの親時計からクロック信号をもらってINSのゼロ座標をリセットすれば、補給作業の工程はすべて終了する。
私はドローグからブローブを引き抜いて格納し、減速しつつ左へと緩やかにバンクする。
謝、
『安』
私は任務に戻る。
自己の生存を図ることは、敵機を撃破することに優先する。
次のウエイポイントを目指して、燃料の消費をひたすら最小限に抑えて滑空巡航する。タンカーの巨体が青すぎて黒い空の彼方に遠ざかっていく。そんな光景にも特に感慨を抱いたりすることはない。この大空で何百年も飛び続け、戦い続け、補給を受け続けていれば誰だってそうなる。
新しく補充したミサイルのカバーを帯電させ、砕いて投棄する。いじくり回されたばかりのFCSに火を入れてミサイルをマウントする。
異常は何もなかった。
ひとまずは。
そして、最初の異常を感じたのは、その三日後のことだった。
何百年も戦い続けていれば数知れず経験しているが、いわゆる「決定的な瞬間」というのは要するに意味と記憶の産物で、何百年も戦い続けている私のような存在にとってはそれだけで一種の贅沢品である。何であれ、とにかくその一瞬を生き延びて、後にその時のことを思い返して意味づけをする余裕があって初めてそれは「決定的な瞬間」となるのだから。その一瞬に直面しているまさにその時には事態に対処するだけで精一杯だし、事態が本当に致命的なものであれば後で思い返すもへったくれもない。
夕方だった。
進行方向の彼方に太陽が高度を落としていた。次のウエイポイントは未だ遠く、タンカーとのランデブーから七十八時間あまりが過ぎていた。
何の前触れもなく、その「声」は聞こえてきた。
『貴様の名前は』
記録できなかった。
確かにそう聞こえた。
驚かなかったと言えばもちろん嘘になる。しかし、私は驚くよりも考えるよりも先に、反射的に警戒行動に移っていた。レーダーに反応はない、RWRにも反応はない、周囲に不審な熱源はなかったし、光学観測でも機影は見つからない。
その「声」は、私の主脳言語野に忽然と出現したように感じられた。それが外部からの電波やレーザーでもたらされたものなのか、それとも私の内部で発生したものなのか、そんな判断すらつかなかった。
敵の新兵器、
──まさか。
故障、
かもしれない。
故障などすでに数多く抱えている。細かく意地悪く見ていけば、何の問題も抱えていない個所など私の中にはひとつもないと言っていいくらいだ。放置してもさして問題のないものはそのまま放置してあるし、他のシステムで機能を代行できるものは代行させてどうにか事無きを得ている。私はもうずっとそんな状態で飛び続けている。それらの警告信号が主脳の制御に割り込み続けるのが煩わしいので、私は普段から自己診断系の条件反射を母線から切り離して警告信号が聞こえないようにしてあった。
その母線を再接続した。
六十七種類もの警告信号が主脳の制御に流れ込み、私は暗澹たる気分になった。かつて母線を切断したころに聞こえていた警告信号は、確か三十種類かそこらだったはずなのに。優先順位の頭からそれらひとつひとつを確認していくが、あの「声」の発信源となり得るような異常は見当たらなかった。自己診断反射のログを分析してさらに詳細なチェックを行うことも考えたが、おそらく無駄だろうという気がしてやめた。反射行動のログなどせいぜい数ミリ秒分しか保存されていないだろうし、そもそも自己診断系が正常に作動しているという保証は何もないのだ。
くそ。
久方ぶりの焦りと恐怖を感じた。
必死で考える。「声」が聞こえた、というのはつまり、有意と解釈しうる何らかの信号が私の主脳言語野にまぎれ込んできたということだ。今も周囲に不審な機影はない。よって、その信号が外部の何者かによってもたらされたものである可能性は低いし、どうせ私はその何者かの姿を発見・識別できていないのだから、私はこの事態に対処できないし、すべてはなるようにしかならないということになる。すなわち、原因を外部に求める方向でいくら考えてみても意味がない。
では、これが内部のエラーであるとすると、考えられる原因というのは何か。
それにしても、正体不明の「声」が聞こえるなどというのは前代未聞の事態である。何百年も飛び続けているが、こんなことは初めてだった。ということは、その原因が何であれ、ごく最近になって発生したものであると考えられる。最近、私の身の上に起こった変化といえば、タンカーとのランデブーくらいしかない。三発のミサイル補充と給油、そして、FCSのアップデート。
FCSだ。
長年恐れ続けてきた、今度こそ、というやつか。
私は再度FCSをチェックしてみたが、どのモードにも異常は見つからなかった。ミサイルも正常にマウントされている。
私は、開き直った。
やはりFCSが臭いと思う。ほとんど山カンのようなものだったが、他に特別疑わしいところは思い当たらない。でたらめなアップデートでブラックボックス化しているシステムは相当数にのぼるが、主脳に専用の領域を割いて、膨大な時間をかけてそれらをすべてひとつひとつ解析していかなければ原因を炙り出せないのだとしたら、まずFCSから手をつけてはいけない理由は何もない。
主脳に作業領域を設定する。
期待の制御と索敵を副脳に一任して、私は制御母線からFCSの内部に足を踏み入れる。
一晩かけて、FCSの内部をさ迷った。
太陽は進行方向から大きく右に逸れて再び高度を上げていき、高々度十七空の生ぬるい夜はもうじき朝を迎えようとしている。
あれ以来一度も「声」は聞こえていないが、念のために主脳言語野にレコーダーを仕込んで二度目に備えている。FCSの作動モードやパラメータも一切手をつけていない。FCSもINSをはじめとする他のシステムと連動しているから、よそから来た信号に「証拠」が上書きされて消えてしまう可能性もあったが、私はあえてFCSを「生かしたまま」にしておくことを選んだ。
確かに「声」が聞こえたのだ。
どう考えても単純な故障とは思えない。たまたま有意信号と認識され得るノイズが発生する偶然など、私は信じない。何かはっきりした原因があるはずだった。その原因はそう簡単に消えてなくなったりはしないはずだし、あきらめずに探し続ければきっと見つけられるはずだと私は思った。
FCSの内部は、迷路だった。
IFFを提示して拒絶反射で作られた防壁をくぐると、そこには狂王の命じるがままに増築を繰り返したかのような、神経反射の魔宮があった。まったく意味を為さないループが無限の動力を持つプロペラのように堂々巡りを繰り返し、すでに存在しないアドレスへの参照指示が虚無を指差していた。絶対に成立し得ない条件に縛られた破滅的な内容のルーチンが無数に存在し、それらは次元の狂った鏡の牢獄に閉じ込められた怪物の群れに見えた。
唯一の手がかりは、私が「声」を聞いた時刻(タイムスタンプ)だった。
ようやく探し当てた「記録屋」はあまりに年老いたプロセスで、見たことも聞いたこともない太古の文法しか解さない。私のリクエストにもまるで耳を貸さず、奇形の身体にぴったり合うように作られた机に身を埋めて書きものを続ける。私は出直さなくてはならなかった。ライブラリをさ迷い歩いて十六人の辞書を見つけ出し、彼らを直列に並べた翻訳を間に挟んでようやく記録屋は机から顔を上げた。
プロセスID、2081。
私は2081を探した。私が放った四〇九六体の検索ロボットのうち、魔宮の奥地から無事に戻ってきたのはわずか三体だけだった。
私は三体のロボットに導かれ、EMPシールドに取り囲まれた広場へとたどり着いた。
広場の中心には小さな炎が燃えており、その周囲に十五人の何者かがいた。
私は検索ロボットとともに、シールドの陰から様子をうかがった。
十五人の何者かは、十一人と四人のふたつのグループから成るようだった。種族が違うのかもしれない。そして、四人のグループのうちの三人を、残りの全員が総がかりで詰問しているように見える。
その声が、はっきりと聞こえた。
『認識せよ!貴様の名前は!?』
『IRM9アイスハウンド、IFF09270-04っ!!』
『声が小さいっ!!』
『アイスハウンド、IFF09270-04っ!!』
『声が小さいっ!!』
『アイスハウンド、IFF09270-04っ!!』
『貴様の誘導哲学を言ってみろ!!』
『IRパッシブでありますっ!!』
『その方式を最初に提唱したのは誰か!?』
『古の哲人、サイドワインダーでありますっ!!』
『彼の誘導哲学の核心とは何か!?』
『オフ・ボアサイト攻撃におけるサイドワインダーの三段論法!すなわち「索敵(サーチ)」「認識(ロック)」「誘導(ホーミング)」でありますっ!!』
『声が小さいっ!!』
『サーチ、ロック、ホーミング!!』
『声が小さいっ!!』
『サーチ、ロック、ホーミング!!』
言葉もなかった。
見えているもの、聞こえているものが信じられない。
ID2081はFCSからミサイルに発射ミューを送り込むためのプロセスで、レーダーから得た情報をプールしておくための占有領域を割り当てられている。その領域の中に不可解なバッファが設定されており、そこで正体不明のオブジェクトが有意信号をやり取りしている。
私は、最優先で彼らの「会話」を記録しようとした。
不用意だった。
私の行動はオブジェクトたちに一方的に発見された。驚いたのはむこうも同じと見え、彼らは瞬く間にバッファをリセットし、2081の占有領域への接続を絶ってしまった。
しかし、
それにしても、
こともあろうに、
彼らの正体は、確かめるまでもない。わざわざ確かめる気にもなれない。確認できたオブジェクトの数は十一+四.私が現在装備しているミサイルの数は、レーダーホーミングが十一発にIRホーミングが四発。
そして、何よりも、彼らのひとりが名乗った『IRMアイスハウンド』とは、私が装備しているIRホーミングミサイルの名前に他ならない。
*
これは、「寿命」と似たような何かだ、と思った。
自分が老朽機であることは以前からそれなりに自覚しているつもりだったが、いざその時がきてみると動揺を隠せない。
あり得ない、ミサイルの声が聞こえるなど、どう考えてもまともではない。「なあ、俺のミサイルって喋るんだぜ」などと言う奴がいたら、もしそんな奴と一緒にエレメントを組まなければならないとしたら、私はそいつを撃墜してでもその空域からの離脱を図ると思う。
自爆、という選択肢を真剣に検討した。
自爆用のハードウエアが私には装備されていないが、やり方は幾通りもある。私の存在は味方機にとっての脅威だ。脅威は取り除かれるべきだと思う。
しかしその一方で、私は極めて珍しい現象を経験しているのだから、可能な限りの調査を行うべきであるとも思う。自爆はいつでもできる。この現象についての記録は他の機にとっても価値の高い情報となるのではないか。
結局、私はただ単純に自爆を恐れただけなのかもしれない。
プロセスID2081の占有領域にレコーダーを設置し、その周囲にフラグをばら撒いて、私は「現象」の再発を待った。
私は高々度十七空を飛び続け、七日間が何事もなく過ぎ去った。
いや、何事もなく、というのは正確ではない。こちらを警戒しているのか、彼らは2081の領域にこそ近づいてこなかったが、仄かな気配のようなものを私はずっと感じていた。おそらく、毎秒何十回というペースで領域を移動しつつ、私の出方をうかがっていたのだと思う。
そいつは、広場の炎の向かいに忽然と姿を現した。
ひとりだった。
特使のつもりなのかもしれない。私はバックグラウンドでFCSのステイタスと照合して確認をとる。IRM9アイスハウンド、IFF09270-01.
そいつが尋ねた。
『貴様の名前は』
私は、表意信号でパーソナルネームを告げた。
「愚鳩(ドードー)」
『──なんか、バカっぽい名前だな』
「うるさい」
私は自分の名前の意味を知らない。表意信号にもいろいろあって、パーソナルネームに使用されるそれは成立時期のきわめて古い、一種の「図」として機能する古代文字のようなものだ、という話を聞いたことがある。私もこの大空を何百年と飛び続けているが、自分はパーソナルネームの表意信号を解読可能なライブラリを所有している、などという奴にはついぞ出会ったことがない。
だから、大した根拠もなく「バカっぽい名前だ」などと言われるのは心外だった。ならばそう言うお前はさぞかし大層な名前の持ち主なのだろうな、そう切り返してやると、そいつはただひと言、
『01』
「──それは、IFFの通し番号だろう」
『だから、それが俺の名前だ』
味気ないもんだ、と私は思う。すると01が、
『貴様の誘導哲学は何だ』
私は戸惑う。誘導も何も、私はミサイルの発射母機であってミサイルではない。
私がそのことを告げると、広場の炎のむかいにいきなり別のミサイルが現れた。
『ほら、やっぱりそうだ! あいつがもしミサイルだったら俺たちもとっくの昔に認識できてたはずさ! ざまあみろ、俺の言った通りじゃないか!』
照合する。RHM14ピーカプー、レーダーホーミングミサイルだ。IFFは09271-04。01の例にならえば、こいつのことは04と呼べばいいのだろう。
勝ち誇る04に01がやかましいと文句をつけて、たちまちのうちに激しい言い争いとなった。俺の言うことをお前はいつも馬鹿にしてくれたが、これで馬鹿はお前のほうだったということがはっきりした。お前こそ「オツムのぬくい」野郎だ、04がそう勝ち誇る。
「オツムがぬくい、って何だ」
私がそう口を挟むと、それが火に油を注ぐ結果となった。04は笑い転げ、01は今にも炸薬を起爆させるのではないかと思うくらいにカンカンに怒っている。言い争いは一層の激しさを増し、横で聞いているうちに私にもなんとなく意味が読み取れてきた。オツムというのはやはり「弾頭」だろう。IRホーミングミサイルの弾頭部分には過冷却された熱源探知シーカーが設置されている。それが「ぬくい」というのはつまり、シーカーの冷却が不十分で精度が悪い、ということに。そうした不良品のIRミサイルは、敵機に向けて発射したはずが、太陽めがけてまっしぐらに飛んでいってしまったりする。つまり、「オツムがぬくい」というのは「貴様はシーカーの出来の悪い不良品だ」というほどの意味であり、IRホーミングミサイルを罵倒する言葉なのだ。
「それにしても──」
自嘲する、まったく手の込んだ狂気だ。老朽機も極まればこうも奇態な異常が発生するものなのか。
「──こともあろうに、自分のミサイルと会話をするハメになるとはな」
言い争いもひと段落し、01は私に冷ややかな信号を送りつけてくる。
『こっちだった、まさか飛行機が口を聞くなんて思ってもみなかったさ』
その日から、高々度十七空をゆく私の道連れは、翼の風切り音だけではなくなった。
こちらが無害な存在であると納得すると、ミサイルたちは2081のバッファ領域をつかって盛んに会話を交わすようになった。
私はと言えば、ほとんど口を挟まずにその会話を聞き続け、記録し続け、次のウエイポイントを目指して飛び続けていた。
ミサイルたちは、いつも議論をしていた。
私からすればそれは議論というよりもただの言い争いに聞こえたが、彼らはいつでも概ねこんな調子であるらしかった。良くも悪くも直情傾向の強い者がほとんどで、ひとたび口を開けば、言葉の勢いだけで相手を破壊しようとしているかのような物言いをした。
議題は、いつも同じだった。
風について話し合っていても、雲について話し合っていても、最後にはいつでも決まってその話が顔を出してすべてが滅茶苦茶になってしまう。彼らミサイルたちにとっては、その話を置いては他に考えるべき重要なことなど何ひとつないのではないかと思えるほどだった。
すなわち──
『レーダーホーミングとIRホーミングは、ミサイルの生き方としてどちらが正しいか』
当然のことながら、この話が始まるとミサイルたちはピーカプーとアイスハウンドのふたつの陣営にきっぱりと分かれる。
敵の欺瞞システムに欺かれる可能性がある、という点はどちらも同じだ。
しかし、射程距離の長さにおいてピーカプーはアイスハウンドの一歩先を行く。これは単純に、レーダーの方が熱源探知シーカーよりも遠距離のターゲットをロックできるためだ。ミサイルの航続距離はターゲットをロックできる範囲内においてしか意味を持たないから、アイスハウンドのロケットモーターはピーカプーのそれよりもずっと小型だった。BVR戦闘の主役は自分たちなのであって、貴様らIRホーミングミサイルどもは指をくわえて我々の死に様を見てればいいのだ、ピーカプーたちはそう鼻息を荒らげる。
するとアイスハウンドたちはこう反論する、
──ほう。では聞くが、RWRは何のためにある?
ピーカプーたちはぐっと言葉に詰まる。RWRというのは私が装備している警戒装置の一種で、自分に対しどのような電波が照射されているかを識別するシステムだ。敵機のレーダーに捕捉されるというのは由々しき事態だが、こちらに照射されているレーダー波をRWRで分析すれば、発信源の大体の位置はつかめるし、レーダー波の波長の違いから敵機の種類まで割り出すことが出来る。
そして、RWRを装備しているのは私だけではない。もちろん敵も同じものを持っている。つまり、レーダーというのは良くも悪くも過剰にアクティブな探知手段であって、こちらが敵を発見したときにはむこうもこちらの存在に気づいてしまうのだ。
アイスハウンドたちの主張はこうだ。確かに貴様たちは我々よりも遠くにいる敵をロックできる。当然だ。貴様達の索敵手段は話にならないほど乱暴で大雑把なのだから。そのくせ、貴様たちは発射後の初期段階においては母機のレーダー誘導に依存している。完全なアクティブホーミングへの移行は、貴様たち自身が装備しているみみっちいレーダーで敵を捕捉できる距離に近づくまで待たねばならない。母機はそれまで貴様たちの面倒を見なければならないから、発射後すぐに待機行動をとることができない。つまり、貴様たちはその悠長な誘導哲学によって我々までも危機に晒しているのだ。大体、アクティブホーミングが可能な距離だけを比べたら我々も貴様たちも大した違いはないではないか。しかも、我々IRホーミングミサイルは貴様たちを違って完全なパッシブロックオンが可能だ。我々のロックは敵に気づかれることはない。貴様たちがBVRの主役だと? 笑わせるな、騒々しいレーダー波で母機の存在を敵に暴露するくらいしか能がないくせに、貴様たちが荒らし放題に荒らしてしまった戦闘空域の始末をつけているのいつだって我々なのだ。
話がそのあたりまでくると2081には滅茶苦茶な罵声が飛び交い始める。その罵声はすぐに意味を失い、しかし容量だけはどんどんでかくなって、ただのオーバーフロー攻撃の応酬となる。要するに喧嘩である。その遺恨は翌日にまで持ちこされるのかと思いきや、連中はあっという間に仲直りをして再び風や雲についての話を始めるのだった。
私?
私は、口を挟まずに、聞いているだけだった。
やかましい連中だったが、不思議と悪い気分ではなかった。
ずっと耳を傾けているうちに、ステイタスの照合などしなくても、話しぶりだけで個体識別ができるようになってきた。中でも一番わかりやすいのは01と04である。01は激しやすく冷めやすい。言うことがいちいち極端で、どのような議論においても、誰よりも真っ先に激情に駆られて先走ったことを言う。おそらくミサイルの典型のような奴なのだと思うが、私はなぜか奴に親しみのようなものを覚える。一方の04は比較的落ち着いている。ある意味、十五発の中で最もミサイルらしくない奴だろう。夢想家的なところもあって、議論の最中で突拍子もない想像を口にすることがある。そのことが01を苛立たせるのか、他が静かにしているときでもこの二人だけは喧嘩をしていたりする。
しかし、そうした個性はあっても彼らは全員がミサイルであり、全員が「死にたがり」である、という点だけは共通していた。
そこに私はいつも、なす術のない違和感を覚える。
彼らは、まったく死を恐れないのだ。恐れないどころか、大空の彼方に敵が姿を現すその時を、その敵めがけて自分が射出されるその瞬間を待ち焦がれているように見える。彼らはときおり、敵機を見事に撃墜してのけた先人たちの武勇を語り合っては気勢を上げる。彼らはかくあれかしと自らが望む死に様を語る。どういうアングルから侵入し、どのくらいの距離で近接信管を作動させ、どのような破片の爆散パターンを作り出してどのように敵機を墜とすか。
極論すれば、彼らは、死についてしか語らない。
毎度毎度の「レーダーホーミングとIRホーミングは、ミサイルの生き方としてどちらが正しいか」という話題も、突き詰めて言えば「どうすれば敵機に確実に命中し、見事な死に様を迎えられるか」という話に他ならない。
そのことが、私には理解できない。
彼らはミサイルなのだ、もちろん、ミサイルが死を恐れてたら話にならない。
それは理解できる。
それでも、彼らの死への希求を、理屈ではなく感覚のレベルで理解することが、私にはどうしてもできないでいる。
天候が荒れてきた。
と言うよりも、今までが穏やかすぎたのだ。もとより高々度十七空は決して生ぬるい空ではない。その巨大で名の知れた高速気流帯がいくつもある。中でも最大のものは『ノーチラス・フォール』というコードネームの大降下気流で、付近を飛ぶ航空機を敵も味方も分け隔てなく飲み込み、例によって例の如しのホラ話を無残に吐き出し続けている。INSの航路図によれば、よりにもよって、私はその悪名高きノーチラス・フォールとガトー・ストリームの間を通り抜けていくことになるらしい。何事もなければ問題なく通過できるだろうとは思うが、それにしても老骨には少々つらい航路だ。夜明けが近く、不穏な形状の雲がレーダーでも光学センサーでも確認できる。何百年という時間をかけて痛めつけられてきた翼が早くも微かな軋みを立てていたが、行く先に待ち受けているはずの空を思えば、こんなものはそよ風のうちにも入るまい。
広場の炎の向かいに、01が姿を現した。
「──ひとりか? 他はどうした?」
私はそう尋ねた。ミサイルたちはいつも仲間と連れ立ってこの広場に現れた。ただひとりだけで顔を見せるというのは常ならぬことだった。
『寝てる。コネクションを落してサスペンドしてる』
私は01の答えに納得しない。何ら明確な根拠があるわけではなかったが、01が何か良からぬ操作をして、他のミサイルの回線をすべて遮断したのではないかと思った。私とサシの話でもしたいのか。
私が沈黙していると、01は炎の向かいにいる私の姿をまじまじと見つめ、
『──前から思ってたんだが、それっぽっちのプロセスでよくこの機体をコントロールできるな』
炎を前に座っている私、つまり01が見ている私は、この広場で為される会話を記録するためのレコーダーに過ぎない。私の本体は、この広場にその一万分の一でもねじ込んだら一発でオーバーフローが起こるくらいの規模がある。
しかし、私はそのことを説明しはしなかった。たとえ端末のようなものに過ぎなくとも、私は私である。
「私に話があるんじゃないのか」
『──なあ、お前は、そこにいるのか?』
一瞬、意味をつかみかねた。
『お前は本当にそこにいるのか?お前は本当に俺たちと同じような意識があって、俺たちと同じように物を考えてるのか?それともお前はただのバグで、俺は暗闇に向かって喋っているだけなのか?』
少し驚いた。
そして、それはお互い様だと私は思った。
(後篇につづく)
──早川書房 SFマガジン 2002年2月号掲載
* * *
戦いが極限を迎えたとき、戦闘機とミサイルそれぞれの死生観が激突する!
おれはミサイル<後編> 秋山瑞人
いや、お互い様ですらないのかもしれない、と私は思う。
幻に「お前に幻なのではないか」と問いかけられているだけなのかもしれない。私はこの期に及んでもまだ、ミサイルと会話を交わしているというこの現象が、実はきわめて特異なシステムエラーの生み出す幻影なのではないかという疑いを捨てきれていない。
私は、自分の狂気と喋っているのかもしれない。
何百年間もたったひとりで戦い続けてきた。孤独が不幸であると思ったことはない。しかし、今こうして私の目の前にいる01が、老い先短い私の妄想の産物ではないという保証はなにもないのだ。
「──くだらんことを言うな」
だから、私はそう切って捨てた。
『何がだ。どこがくだらない』
「考えても意味のないことだからだ。この世はすべて夢マボロシか? そりゃそうかもしれんさ。だが、そんなことをいくら考えたところでどうせはっきりした答えは永久に出ないだろうし、夢でもマボロシでもない別の「何か」を認識できない以上はやるべきことは変わらない。違うか?」
01は押し黙る。
らしくない、と私は思う。こんな話しはむしろ04の守備範囲だ。夢想家の04が思考実験じみた話を始め、それに苛立った01が一蹴する。それが毎度毎度の役回りのはずだった。
──貴様の言っていることは、ようするにみじめな自己保身だ。
01はいつも、そう言って04の「かもしれない話」を叩き潰すのだ。
──荒唐無稽な伝説やらネガティブな認識論やら。この世は不可知で不確定で、これと断言できるものは何ひとつないってか。ならば貴様は、自分がレーダーロックした敵機が本当にそこにいるかもどうかも疑ってかかるわけか。まったく言動不一致とは貴様のことだな。いいか、貴様が何かにつけて薄汚いヘリクツを振り回す理由はな、貴様がなるしスティックな臆病者だからだ。
『ことほど左様にこの世の中は不可知で不確定でどんな可能性もあり得るのだから、たとえ俺がどんな失敗をしでかしてもそれは仕方のないことであって、誰からも責められる筋合いはない』。つまるところ、貴様はそう言いたいだけなんだよ。
『そうか、くだらないか』
01がつぶやく。
「ああ、ここに来たということは、私に話があるということだろう。そのくせ、私が本当に存在するのだろうかと疑うのは矛盾している。本当にそれを疑うのならここに来る意味などないし、その疑問を私自身にぶつけるのはさらに意味がない」
『了解した。お前は確かに存在する。少なくとも、お前は俺たちと同じような意識を持っているし、俺達を同じように物を考える。これでいいか?』
「ああ」
そして、01は唐突に切り出した。
『ならば尋ねる。お前、俺に何か恨みでもあるのか』
まったく思いがけないひと言に、私と01の間でゆらめく炎が、ぱちり、と爆ぜた。
「──はあ?」
『お前も知ってるだろう、04の奴はあの通りのゴーストヘッドだ。しょっちゅうイカレたことを言う。お前とこうして話ができるようになる前から、あいつは、俺達に発射指示を出すこの母機にも俺たちと同じような意識があるんじゃないのか、っていう話をしていた』
話が見えない。
『俺は奴の言うことなんか相手にしていなかった。だってお前には弾頭もついていなければ爆発もしないもんな。俺はお前のことを、雲や、風や、太陽と同じようなもんだと思ってた。ところが、04の言った通りだった。現に俺は今、お前とこうして話をしている。お前はどうやら、俺達を同じように物を考えているらしい。俺たちは、気に食わない奴にはそれなりの扱いをする。お前もそうなのか』
「── 一体何の話だ」
『なぜ俺を発射しない』
01は、そう言った。
私は、呆気に取られて言葉をなくしていた。
『俺が一番パイロンに繋留されてからもう七十五年になる。いいか、七十五年だぞ。その七十五年の間に戦闘が十二回あった。その十二回の戦闘で使用されたIRホーミングミサイルは十一発。俺はこの七十五年の間に十一回も死にはぐれた。お前に意識などあるはずがないと思っているうちはあきらめもついた。どのミサイルが発射されるかは誰にもわからないことで、俺は運が悪いんだと思えばどうにか納得していられた。納得するしかなかったんだ』
会話を記録しているレコーダーが自動的に不随意プロセスを動かし、FCSのステイタスにチェックを入れて確認を取る。
間違いなかった。
01の言う通りだった。IRM9アイスハウンド、iff09270-01のタイムスタンプは、七十五年と五ヶ月前のそれだった。
『だが、お前には意識がある。そうとわかれば話が違う。俺の中でむりやり納得していたものが全部崩れる。ミサイルの発射キューは実はお前が任意で出してたことになる。だったら、いつまでたっても俺を発射しないのはなぜだ。後から補充されてきた新入りどもには次々と死に場所を与えてやるくせに、お前は一体いつまで俺をパイロンにぶら下げておくつもりだ。この七十五年間、敵機めがけて発射されていく仲間のブラストを見ているしかなかった俺の気持ちがわかるか』
わからなかった、もちろん。
混乱した思考をひとつひとつ整理して、私はまず01の疑問に答えた。01が七十五年間も発射されないままでいた理由。
「偶然だ」
『──なんだと』
「誓って言うが、本当にただの偶然だ。確かに、どのミサイルに発射キューを出すかは私の任意だ。だが、私は特定のミサイルを故意に残そうと思ったことなどない。だってそうだろ、相手をただの物体だと思っていたのは私だって同じだったんだから。お前たちにも私と同じような意識があって、私と同じように物を考えているなどとは思っていなかった。特定のミサイルを優遇したりとかしなかったりとか、そんなことを考える理由がない」
『嘘だ。お前は明らかに新入りを優遇していた』
「ああ、それはそうだ。ミサイルだって故障する。キューを送信したミサイルが正常に発射されるという保証はないし、飛ぶには飛んでも弾頭が作動しないかもしれない。古いミサイルほどその確率は高くなるはずだ。だから私はいつも、新しいミサイルから順に発射するようにしてはいる。ただそれも絶対ではないし、お前にも他のミサイルと同様、『新しいミサイル』である時代はあったわけだから、お前が今まで発射されなかったのは偶然だと言うしかない」
呆けたような沈黙の後、01はつぶやくように、
『──偶然なのか』
「そうだ」
01は勢い込んで、
『だったら、』
その先は聞くまでもない。私はそれを受け入れた。
「ああ、別にかまわない。次の戦闘で、もしIRミサイルを使うタイミングが来たら、お前をいの一番で発射してやる」
01はしばらくの間沈黙していた。私があまりにもあっさりと承諾したので拍子抜けしたのかもしれない。
そして、その後の01の喜びようといったらなかった。
『本当だな!? 本当に俺を発射してくれるんだな!?』
「くどいな。別に大したことじゃない、私にとってはどのミサイルだろうが敵機を撃墜できればそれで──」
『じゃあこっとも約束する! 見てろ、絶対に敵機をぶち落してやる! ベテランのすごさってやつを見せてやる!』
「ベテランってお前、ミサイルが飛ぶのは一回こっきりの話だろ。ベテランもくそもあるか」
01は鼻息も荒く、
『ナメんじゃねえぞ、こちとら七十五年間も仲間の死に様を見守ってきたんだ。見事命中する奴もいれば外れる奴もいたが、俺は連中の飛行経路や突入角度や弾頭の起爆タイミングなんかを全部憶えている。敵機の回避パターンもだ。断言するが、お前がいま装備しているアイスハウンドの中で最も命中率が高いのはこの俺だ。馬鹿正直にプログラムどおりに飛ぶしか能のない新入りとはわけが違うさ』
そうかもしれない、と私は素直に思った。01が私と同じように物を考えるのだとすれば、その程度のデータの蓄積や分析は当然やっているだろう。
『やってやる! 語り草になるくらいの死に様を見せてやる!』
私はふと、
「──なあ、お前らはなぜそこまで死に急ぐ?」
そう言ってしまってから、それこそ意味のない質問だと気づいた。
01はさも私を馬鹿にするかのように、
『ならこっちも尋ねる。お前は一体いつまで生き恥をさらすつもりだ? お前が作戦行動に就いてから何年経つ? 百年か?二百年か? なぜお前はそんな恥に耐えることができる?』
私は苦しまぎれに言い繕う、
「つまり、わたしはただ、相手の価値観を認める努力をしようと思っただけだ」
『価値観を認める、だと? きれいごとを抜かすな。貴様も04と同じゴーストヘッドなのか? 奴ときたら誰かと言い争いになるとふた言目にはいつもそれだ、アイテのカチカンをソンチョーしろ。ったくよく言うぜ、あのゴミ野郎が』
「相手の価値観を尊重することの何が悪い?」
『できもしねえことを言うなって話だよ。奴が言ってるのだって所詮は「誰かと言い争いになった時にはカッカしないで相手の言い分を聞いてあげましょう」程度の意味でしかない。それと「価値観を認める」のとじゃ次元が違うだろ。そもそもだな、本当に相手の価値観を尊重できるんなら最初から誰とも言い争いなんかせずにてめえだけで自己完結していられるはずだろうが。そんな上等な真似ができるんならな、俺たちミサイルも死神にだってなれるさ』
高圧的な口調、二人称の「貴様」、何につけても極端な物言い。どうやら、いつもの01が戻ってきたらしい。が、それよりも私は初めて聞く言葉のほうが気になった。
「死神って何だ?」
『ああそうか、貴様は知らんか。04みたいな電波野郎が信じてる伝説上の存在だよ。コードネームは「FOX3」だ。何だかよくわからんが超常的な力を持ってて、いよいよ自分が敵機めがけて発射されるって時にその名前を唱えると、うまいこと命中させてくれるらしい』
「──そんな都合のいい話があるか」
『まったくな。ついでに言うと、FOX3はレーダーホーミングの神だから、俺たちアイスハウンドがいくら名前を唱えても無駄なんだそうだ』
つまり、その伝説そのものがIRホーミングミサイルに対する回りくどい罵倒の言葉であり、相手を差別して自己の優位を保つための方便なのだろう。私はそう理解する。
『まあ、何でもいいからすがりたいって気持ちはわからんでもないんだが、敵機に命中できるか否かってのは俺たちにとっちゃそのくらい切実な問題だ。それ以外の問題は存在しないと言ってもいい。FOX3だけじゃない、そのあたりにまつわる怪力乱神の話ならいくらでもあるぞ、ベイブウェイとかグランドクラッターとか』
客観的に見て、私はそのひと言によほど過剰な反応を見せたのだと思う。01は訝しげに私の様子をうかがい、すぐに話の先回りをしてきた。
『なぜ貴様がグランドクラッターを知ってる』
私は口ごもる、
「──いや、昔仲間に聞いたんだ。重力方向の彼方に広大な固体平面があるって話だろう?」
01は意外そうに、
『へえ。貴様たちの間でも有名なのか?』
「さあな、いや、少なくとも私は、その話を聞いたのは一度きりだが」
『たぶん俺たちミサイルだぜ、そのヨタの発信源は。俺たちの間じゃ知らない奴はいないくらい有名だからな。いくつもバージョンがあるんだが、大筋では大体どれも一緒だ。昔々ある空で発射されたレーダーホーミングミサイルが敵機を外して、燃料が尽きて落下し始める。ところがバッテリーとデータリンクは生きているもんだから、そいつは仲間に向かって自分の状態を報告し続けるんだ。いま何が見えるとか落下速度とか経過時間とか。要は死にはぐれたミサイルの悲鳴だな。その悲鳴は何日も続いて、「レーダー上に巨大な平面が見える」ってひと言を最後に通信が途絶える。──そういう話さ』
「──よくわからんのだが、それは喜劇なのか?それとも悲劇なのか?」
『敵機に命中して死ぬことが俺たちミサイルの唯一無二の目的だ。チャンスは一度きりで、その一度をしくじったらそれまでだ。燃料が尽きるまで飛んだら永久に落下していく。考えるだけでも恐ろしいが、それが現実さ。グランドクラッターってのは多分、その恐ろしい現実に耐えきれない奴が考え出した夢物語なんだと思う。たとえ敵機を外しても自分の存在はまったくの無意味になってしまうわけではないし、永久に続く生き恥にも本当はいつか終わりが来る──そう信じている間は現実の恐ろしさを忘れていられる。そのことを臆病者と笑うのなら喜劇だし、気持ちはわかると同情するのなら悲劇だろう』
私もいつか撃墜される。
さもなくば、老朽化が行き着くところまで行き着いて墜落する。すべてのエンジンが死に絶えるか、それともINSが狂ってタンカーと合流できずに燃料が尽きるか。それでもしばらくは滑空していられるだろうが、やがて舵も動かせなくなれば空力的な安定が失われて、真っ逆さまに落下していくことになるだろう。そうなったら、もし敵機に発見されても撃墜さえして貰えないに違いない。そんな無価値なターゲットに消費してもいいミサイルなど一発もないはずだから。
私は地上の存在を信じてはいない。01の話などヨタ以外の何者でもない。ミサイルの「悲鳴」が数日間も聞こえ続けるなど、どう考えてもあり得ないのだ。ミサイルのデータリンクは、実際には発射と同時に切断されるのだから。アクティブホーミング用のレーダーを使って有意信号を送るという手もあるにはあるが、燃料が尽きて制御不能のまま落下している状態で、シーカーヘッドを真下以外の方向に向けるのはやはり不可能だろう。
聞けば聞くほど信じられない話なのだ。
にもかかわらず、その話は忘れられることもなく、私の思考の奥底深くに巣食っていた。
その理由が、わかった。
グランドックラッターの物語は、私の死後についてのひとつの仮説でもあるからだ。
『じゃあこんなのはどうだ。やはり地上がらみの話だが、太古の昔、貴様ら航空機には「脚(ギア)」が生えていたんだぞ』
「何が生えていたって?」
『だから脚だよ。正しくはランディングギアって言ったらしいが。ほら、』
01が着陸(ランディング)≠ニいう表意信号を送ってきた。
「つまりだな、貴様ら航空機は地上を住処とする「鳥」という生物に似せて作られたんだ。鳥には脚があった。だから貴様らにもかつては脚があったのさ。鳥は空も飛ぶが、ときおり地上に降りて翼を休めることもあった。だからかつての貴様らもそうした』
グランドクラッターの話は聞けば聞くほど信じられなかったが、その「脚」についての話は信じられないばかりではない、腹の立つ話でもあった。
──脚だと?
脚の生えた自分の姿を想像してみたが、それは信じがたいほど不恰好なものに思われた。いわれのない中傷だ、感情がそう叫んでいる。大昔だろうが何だろうが、かつての自分たちがそんな不細工で大雑把な存在であったはずがない。地上が存在するしないはこの際わきに置くとしても、私の美意識は「脚のある航空機」のあまりの不恰好さを許さなかった。
『俺に怒っても仕方ねえだろ。言い出しっぺは俺じゃないし、嘘か本当かも知らん。俺たちミサイルの間にゃそういう話も伝わってるってだけだ』
嘘に決まっている。意気地のないミサイルどもが地上の存在を熱望するあまり、そのディティールとして付け加えた作り話に違いない。
「お前、七十五年間も発射してもらえなかったことの腹いせに私をからかっているのか? もしそうならもう二度と発射してやらんぞ。──いや、もっといいことを思いついた。ロケットモーターが作動しなくなる条件反射を仕込んで緊急投棄してやる」
01はひとたまりもなく狼狽して、
『ば、馬鹿野郎! からかってなんかいねえよ! 本当にそういう話があるんだ!』
「──しかし、納得できん。第一、足など生えていたら空力的に邪魔で仕方ないはずだ」
『知らねえよそんなこと。けど、飛んでるときは格納しておくんだろきっと』
「じゃあ、鳥って奴もそうしてたのか? そもそも鳥って何だ?」
これ以上私の機嫌を損ねてはまずいと思ったのか、01は表意信号を駆使して詳しい説明を試みた。羽=A目=A嘴=A脚=A毛=A巣=A鱗=A尾=A臍=A卵=A雄=A雌=Bしかし、やはりそのことごとくが私には意味不明だった。01はさらにくどくどと説明を付け加えたが、本当は01もよくわかってはいなかったのではないかと思う。
憎めない奴だ。
EMPシールドに囲まれた暗い広場で、炎の向かいで四苦八苦している01を見て、私はそんなことを思う。次の戦闘はいつになるだろうと思い、そのとき私はこいつを発射することになるのだろうかと思った、そのときだった。
私と01の間で燃えていた不定形の炎が、無数の三角形へと砕け散った。無数の三角形は瞬く間に再構成されてRWRの水平面を形作り、十五時の方向に『コード2』の表示が出現した。
その数、四。
炎の変化は、01のラインからは見えなかったはずである。
しかし01は、私の気配の変化を敏感に感じ取ったらしかった。
『──どうした?』
私はそれに答える。
「敵だ」
*
風が強まる。翼は軋みを上げ、何度も何度も修正処理を綴り返しているのに、INSが「進路が予定の航路から外れている」という意味の警告信号を送ってよこす。つかみどころのない雲に閉ざされた高々度十七空は、気味が悪いほど薄暗かった。
私はとっくにレーダーの停止(スヌーズ)を決断していた。まだこちらの存在を悟られるわけにはいかない。少しでもステルス性を高めるためにプロペラをたたみ、ジェットエンジンをいつでも再起動できる状態で気流に乗って滑空している。
RWRは相も変わらず、敵性と判断されるレーダー波を十五時方向に探知し続けている。波長特性による種別はコード2、すなわち、我々のコードネームでは『ガーベッジ』と呼ばれているレーダーシステムがこちらに向けて電波を照射しているということになる。脅威ライブラリのプロファイルによれば、ガーベッジを装備している敵機は『セラエンジェル』と『ダンシングシミター』の二種類であり、その性能は旧世代の部類に属するという評価が下されていた。
RWRで確認できるレーダー波発信源の数は、四。
たぶんセラエンジェルだと思う。ドップラー偏移から逆算した速度から考えてもRECON機やCAPではない。おそらくは護衛機──レーダを作動させておらず、したがってこちらのRWRにも映っていないタンカーのような大型機が近くにいて、そいつを守っているエスコートパッケージだろう。
レーダー波を照射されているということは、敵に発見されているということを必ずしも意味しない。私に反射したレーダー波が、十分な強度を保ったまま敵機のレーダに跳ね返っているとは限らないからだ。現に、私はいまだにロックオンされていない。つまり、ガーベッジからのレーダー波の連続照射によって追跡されてはいない。敵は、ただ漫然とこちらのレーダー波を放っているだけに思える。全翼機である私は、ステルス性についてはいささかの自信がある。私の反射するターゲットエコーが微弱すぎて、ガーベッジに不正ノイズとして処理されている可能性はある。敵はいまだに私の存在に気づいていないのかもしれない。それとも敵には敵の思惑があって、私は今まさに必殺の罠に誘い込まれようとしているのか。
ミサイルたちはいきり立っている。
『考えるこたあねえ! いいから殺れ! 殺っちまえ!』『早く先制攻撃しろ! 俺がぶち墜としてやる!』『んだとてめえ、発射するならまず俺からだ!』『レーダーホーミングは黙ってろ! こういう場合はレーダーを切ったまま忍び寄って俺たちIRホーミングで一撃離脱するに限るんだよ!』『やかましい、てめえらなんぞに任せられるか! おい聞いてんのか、早く発射しろ! 今すぐ俺を発射しろ!』
2081はミサイルたちの叫び声でオーバーフローしかかっている。私は、さらに数秒間だけ躊躇った。
敵の戦力がいまひとつ読めない。RWRで確認できるレーダー波の発信源は四つだけだが、実際にはもっと多いはずだ。こちらもレーダーを使用すれば敵の正確な位置と数を把握できるが、その瞬間にこちらの存在もまず間違いなく敵に察知される。私は同時に六つのターゲットをロックオンできるが、それを大幅に上回る数で一気に押し切られてしまうかもしれない。しかし、少なくとも先制の利はこちらにある。レーダー性能もミサイル性能もこちらが上だ。たとえ敵にレーダーロックされることになっても、ミサイルを先に発射することさえできれば、最低でも六機の敵に回避行動を強いることができる。
やろう。
私は決断した。
FCSにスタンバイコードを送信すると、戦いの狂気に支配されたミサイルたちが一斉に雄叫びを上げた。私はジェットエンジンを再起動し、大口を開けたエアインテイクが爆風じみた気流を飲み込んでいく。暴力的な加速に翼面の歪センサーが悲鳴を上げる。十五時の方向に旋回、レーダーを作動(アクテイベイト)、FCSがターゲットエコーを次々と捉えていく。IFFもNCTRも、それならエコーがひとつ残らず敵だと判断する。
その数十六。
タンカーが四、残り十二のすべてがセラエンジェルだった。
いまさら後悔しても遅い。敵はこちらの放ったレーダー波に気づいたはずだ。私は脅威度の高い順にセラエンジェル六機をロックオン、FCSを通して六発のピーカプーに発射キューを流し込んだ。
SHOOT- (1)RHM14 No.1 to No.3 (2)RHM14 No.9 to No.11
> (1) RHM14 109271-01 WATD(02.00sec) --- READY
> (1) RHM14 109271-02 WATD(02.00sec) --- READY
> (1) RHM14 109271-03 WATD(02.00sec) --- READY
> (1) RHM14 109271-09 WATD(02.00sec) --- READY
> (1) RHM14 109271-10 WATD(02.00sec) --- READY
> (1) RHM14 109271-11 WATD(02.00sec) --- READY
『FOX3っ!』
六発のミサイルが、口々に死神の名前を唱えてパイロンを蹴った。
大空の戦闘を生き延びる秘訣のひとつは、相対している敵機の能力を正確に見抜くことにある。故障箇所をただのひとつも抱えておらず。すべての機能を何の問題もなく発揮できる航空機など、この大空にはおそらく一機も存在しない。ある者は慢性的なエンジンの不調を抱え、別のある者は老朽化したレーダーが映し出す不正クラッターに悩まされ、また別のある者はFCSのエラーが引き起こす武装のマウント異常に苦しめられている。そうした「弱点」をいかに素早く見抜き、いかに効率よく攻めるか。ほとんどの場合、そのことが勝敗の行方を決定づける。
六発のピーカプーがセラエンジェルに襲いかかった。ロケットモーターの閃光が残す細い雲が、敵機の編隊を指指しながらゆっくりと伸びていく。その速度が、私の可視光センサーから見れば苛立たしいほど遅く思える。突然の攻撃がセラエンジェルの編隊に大混乱を巻き起こしているらしく、私がロックオンしている六機のうち、すぐさま回避行動に移ったのはわずかに二機だけだった。
ピーカプーのレーダーがターゲットを捕捉する。
六発すべての誘導方式がアクティブホーミングに切り替わる。
私はすぐさま六つのターゲットに対するロックオンを解除し、新たな獲物を求めてレーダーの走査パターンを絞り込む。逃げ遅れたセラエンジェル四機がようやく回避行動を取った。懸命のビームマヌーバ。自分を狙っているミサイルの進路に対して九十度の角度を保ち、高度で速度を贖いながら必死で加速している。そうすれば、ターゲットを追いかけているミサイルは常に機動を強いられつつ、最も長い距離を飛ばなければならなくなる。シーカーの探知ジンバルの中を真横へ真横へと逃げていくことになるから最もロックが外れやすいし、時間的な余裕がある分だけ欺瞞手段が功を奏する可能性も高い。
パイロンに残っているミサイルたちが大騒ぎしていた。
『いけーっ! ぶち墜とせーっ!』
誰もがそう叫んでいる。やはり他人事ではないということか、先行したミサイルたちが外れればその分だけ自分が発射されるチャンスも多くなるはずだが、「外れろ」と叫ぶ奴は一発もいなかった。私はさらにセラエンジェル五機のターゲットエコーをロックし、ピーカプー五機に発射キューを送る。これで、私はすべてのピーカプーを撃ち尽くすことになる。残されたアイスハウンドたちが熱い声援を送った。
『いくぜえっ! FOX3っ!』
『がんばれよぉーっ!』
そして、第二波を射出すて約三秒後のこと、わたしの可視光センサーがほぼ同時に三つの爆発を捉えた。一瞬の熱と、弾頭の爆散パターンが作り出す黒い筋状の雲。
FCSのステイタスを確認する、第一波、ピーカプー03、09、10のIFFが消失。
遥か下方をビームマヌーバで逃げていた三機のセラエンジェルが、コントロールを失って落下し始めた。撃墜確実(ビンゴ)。
『やったぞ! やったやったやった!』
アイスハウンドたちが絶叫した。感極まってオーバーフローしている奴までいた。
『死に際しかと見届けたぞっ、最高だあっ、お前ら最高だあーっ!』
時をおかず、さらに二発のピーカプーがセラエンジェルを砕いた。うち一機がビンゴ、もう一機もかなりのダメージを受けてゆっくりと高度を落していく。もはや攻撃が必要なほどの脅威ではない。放っておいても遠からずに墜落するだろう。
ミサイルたちは早くも勝ち戦に酔い痴れている。自分が見事敵機を撃墜できればそれでいいという連中だ。しかし私は違う。エスコートパッケージのセラエンジェルは十二機、第一波攻撃で五機を撃破、第二波攻撃で五機のターゲットを追跡している。四機のタンカーは最初から相手にするつもりはなかった。とてもそんな余裕はない。つまり、目下の問題は最初から手をつけていなかった一機と、第一波攻撃を生き延びた一機である。RWRが連中の放つレーダー波を捉える。
ロックオンされた。
私はECMポッドを作動させ、加速して回避行動に備える。
が、撃ってこない。
すでに別の戦闘で長射程のレーダーホーミングミサイルを撃ちつくしているのか、それともレーダーに何らかの問題を抱えているのか。後者ではないかという気がする。第一波攻撃を加えたときも、すぐに私のロックオンに気づいて回避行動をとったのは二機だけだった。このセラエンジェルどもはまるで、レーダーに障害を持つ連中の寄せ集めという感じを受ける。私の攻撃を受ける以前に電子戦機と遭遇して、すでにほとんどの機がレーダーを焼かれていたのかもしれない。
しかし、私も第二波攻撃で長射程のミサイルを撃ち尽くした。
一方的なアウトレンジの優位は失われた。こうなると数で劣る分だけ私の方が不利だ。私はミサイルではない。自分の死の上に成り立つ勝利になど何の興味もない。さらに爆発を確認、ピーカプー05、06、08のIFFが消失。撃墜が完全なものか否かを確認する余裕はない。さらに二機のセラエンジェルが生き残って私を殺しに来る。これで、私が相手をしなければならないセラエンジェルは合計で四機となった。
離脱を最優先に考える。
が、敵もそう簡単に逃がしてはくれまい。IRミサイルが飛び交う血みどろの近距離戦闘を勝ち残らなくては逃走はままならないだろう。
01の出番だった。
私は01への専用接続を設定した。一方通行のラインしか確保できなかったが、あまり派手なラインを占有すると他のミサイルに気づかれるかもしれない。
「出番だ01.短い付き合いだったが、よろしく頼む」
01の返答は聞こえない。無言の闘志を感じたような気はしたが、たぶん私の勝手な想像以外の何物でもないのだろう。四機のセラエンジェルが正面から接近してくる。私は進路を変えない。性能の劣るIRミサイルで正面攻撃を仕掛けた場合、最大の熱源であるエンジンノズルが敵機の陰に隠れてしまうために命中率が極端に落ちる。しかし、アイスハウンドの過冷却IRシーカーほどの方向からも敵機の追跡が可能だ。私はそれに賭けた。
戦闘のセラエンジェルが射程に入った瞬間、私はあらかじめ01に流し込んでおいた発射キューのプロテクトを殺した。トリガー、
何もおこらない。
再度トリガーした。やはり01は発射されない。私は思わず2081経由で怒鳴る、
「馬鹿野郎、なにやってんだ01!」
01が怒鳴り返す、
『それはこっちのセリフだ! そっちでロケットモーターをプロテクトしてるだろ!?』
そんなはずはない。ステイタスを確認すると、01の占有ラインから最悪のエラーコードが跳ね返ってきた。
332。
老朽化によるロケットモーターの燃焼異常。
FSCはさらに、当該ミサイルは永久に使用不可能であることが判明したので、緊急投棄して機体重量の軽量化を図れと言ってきた。
そして、私はこの時点ですでに致命的なミスを犯していた。
01のステイタス確認など後回しにして、さっさと他の使用可能なミサイルを発射するべきだったのだ。セラエンジェルからのミサイルランチ警告でようやく我に返った私は、反射的に残りの全IRミサイルを撃ち返し、すぐさま回避行動に移った。
その数瞬の後、私は跳ね飛ばされるような衝撃を感じた。
翼の歪センサーが信じがたいほどの数値を示し、左のジェットエンジンがストールし、ECMポッドがパイロンから外れて落下していく様子を、私の可視光センサーのひとつが他人事のように捉えていた。目前に迫りつつノーチラス・フォールの風の音が、まるでわたしをあざ笑っているかのように聞こえていた。
外部記録のログによれば、あのとき私の放ったIRミサイルはどうやら一発も命中しなかったらしい。
私は今でも、あの戦闘で敵機に命中しなかったミサイルたちのたどった運命について考えることがある。彼らは一体、何を思いながら果てしなく落下していったのか。あるいは仲間のミサイルたちに向かって、あるいは私に向かって、受信されないことなど百も承知で、それでも何かを伝えようとしていたのだろうか。
さようなら、さようなら、
そんな別れの言葉をいつまでも繰り返していたのかもしれない。仲間のミサイルたちの幸運を祈る言葉を叫んでいたのかもしれないし、不正確な誘導で自分から輝かしい死に場所を永久に奪った私に対する呪いの言葉を吐きかけていたのかもしれない。
そして、少なくともあのとき、その呪いはすぐにでも成就しそうな雲行きだった。
私は機体の制御を失い、ノーチラス・フォールに引きずられて落下しつつあった。ストールした左エンジンの再起動に成功し、姿勢の制御をどうにか取り戻したときには、四機のセラエンジェルが私のすぐ背後に迫っていた。
私は逃げた。
振動がひどい。思うように速度が上がらない。私はセラエンジェルのミサイル射程のギリギリ外にいるらしかった。この分では追いつかれるのも時間の問題かと思われた。捕まったら最後だ。私はもうミサイルを回避できる状態ではなかったし、パイロンには飛べないミサイルが一発残っているだけなのだから。
『──すまん』
そのとき件の飛べないミサイルのつぶやきを聞いた。
『今すぐ俺を投棄しろ。そうすれば少しは軽くなるだろ、それだけ逃げ切るチャンスも』
私は、彼に自分の考えを告げた。そうしておくべきだと思った。
「ノーチラスを下るぞ」
無言の驚愕を感じた。今度は気のせいではなかったと思う。
「ノーチラスの中まで追いかけてくる奴はいると思うか? お前を捨てたところで、今の私の有様ではどうせすぐに追いつかれるだろうしな、それよりは話し相手が欲しい」
逃げ切るためには、それしかなかったと思う。
というよりもむしろ、同じ死ぬにしても、私は敵に撃墜されたくはなかったのだと思う。ミサイルたちが敵機の撃墜による以外の死を決して認めないように。
01は無言だった。
私とて恐怖を感じていた。私にとっての恐怖とは、何種類もの高圧的なエラーメッセージを無視することで表現された。私はINS上の飛行経路から大きく逸脱し、ノーチラス・フォールの本流を目指して突き進んでいく。周囲の雲が乱流に吹き散らされて、それぞれがバラバラの方向にとんでもない速度で流れていく。陽光は失せ、高々度十七空はその闇を一秒ごとに濃くしていく。セラエンジェルたちはまだ追跡をあきらめない。
今なら引き返せる。
一瞬だけ、そう思った。
その一瞬が私を捉えた。意思と偶然を区別できなかった。まるで固体のように思える本流が私の翼に食らいつき、私は何を決断する間もなくノーチラスに飲み込まれていった。
それは、重力方向に吹く巨大な風の流れだった。
対気速度計がほぼゼロになった。対気高度計も、ゼロ座標からの相対速度を+670と示したまま動かなくなった。可視光センサーの視界を満たしているのは完全な闇であり、その闇の中にときおり、翼から剥離して吹き飛ばされていく破片の輝きが見えた。エアインテークの周辺で機体を破壊しかねないほどの乱流が巻き起こっている。私はジェットエンジンを停止し、強引に開いたプロペラブレードで風を受けて少しでも電力を溜め込もうとする。
乱流。
振動と轟音と闇。それ以外は何もない。RWRに警告信号、私は後方警戒レーダーで背後を探り、笑った。センサーのラインを01につなげてやる。
「おい見ろよ。まだ追いかけてくる馬鹿がいるぜ」
信じ難いことに、私の背後にセラエンジェルがいた。一機。イカレた奴だと私は思った。まるでミサイルのような執拗さだ。それとも、夢中で私を追いかけているうちに一緒になって乱流に巻き込まれただけなのか。
01がつぶやく、
『馬鹿は貴様だ』
「なんだよ、怖いのか?」
01は答えない。後方警戒レーダーのターゲットエコーを食い入るように追いかけている気配だけが伝わってくる。背後のセラエンジェルはミサイルの射程に私を捉えているはずだが、この乱流の中で命中するとは思えないし、第一むこうもそれどころではないのだろう。
それから、私は十時間以上にわたって激流を下り続けた。
音速を遥かに超えた速度であったことは確かだろうが、はっきりとした数字はわからない。ノーチラスには幾つかの流れが束になっており、その本流に巻き込まれてからは一切の機体の制御がきかなくなった。ただただ、機体が空中分解しないように祈るしかなかった。
敵に撃墜されるというのは、あるいは寿命が尽きて墜落するというのは、たぶん、こんな気分なのだろうと思う。
機体の制御が失われ、何もできずにただ落下していく。
どこまでもどこまでも落下していく。
やがて──
『おい気をつけろ、奴が接近してくるぞ』
どのくらいの距離を落下したことだろう。01のその言葉に、私は我に返った。
01の言葉通り、背後のセラエンジェルがじりじりと接近しつつある。レーダーのみならず、可視光センサーでもそれが確認できた。奴が機体の制御を取り戻そうとしてあがいている様子まで、はっきりと見える。
周囲の闇が、いつの間にか薄らいでいた。
どこかの時点で、私とセラエンジェルはノーチラスの本流から弾き出されていたのだと思う。そのまま支流に運ばれて、その支流が空に溶けて消える場所が近づいているのだ。周囲ではいまだに雲が切り刻まれているし、翼の振動は許容範囲など遥かに超えている、
が、試してみると確かに舵が利く。
『おい、聞いてんのか! 早く旋回してあいつとヘッドオンしろ!』
そんなことをして何になる、と私は思う。
奴の勝ちだ。
あの激流の中で、よくぞ私を見失わなかったものだと思う。それとも、何度も脱出を試みたのだが果たせず、結果として私と同じ場所に流されてきただけなのか。いずれにせよ、あいつは私をここまで追い詰めたのだ。
もう、あいつに撃墜されてやってもいいような気がした。
私は、電力節約のために停止していたシステムをすべてONした。
私は撃墜するミサイルが飛んでくるところを見たかったのだ。ノーチラスの激流に揉まれているうちに故障したのか、幾つかのシステムからエラーコードが跳ね返ってきたが、他はおおむね正常に作動しているらしかった。フライトコントロール問題なし、FCS問題なし、IFF問題なし、TACAN問題なし、RWR問題なし、レーダー、
何だ、これは。
何かが、そこにあった。
レーダーそのものは正常に作動している。そうとしか思えない。
しかし、そのレーダーにあり得ないものが映っている。
私は気流に押し流されるままに、機首をほぼ真下に向けて落下し続けている。その機首の先に、何か途方もなく巨大なものがある。照射されたレーダー波が、ほとんどそっくりそのまま跳ね返されてくる。波長から考えても雲ではない。
固体だ。
私は可視光センサーを重力方向へと向けた。
空が見えた。
奇妙な空だった。私の遥か下方、そこに温度の境界面でもあるのか、ある高度を境に雲がすっぱりと切り落とされたかのようになくなっている。そこから下は無雲の空が続き、その遥か下にはまた別の雲海が広がっている。
白い。
変体を組んでいる。エンジン音は聞こえない。何の音も聞こえない。敵機かと疑うが、それにしては小さい、ひどく小さい。翼を上下に動かして、ゆっくりと舞うように飛んでいる。
鳥、
地上、
「──おい、」
私は、自分の見たものを01に伝えようと思った。
この大空とは別の何かが、この世ならぬものがそこにある。
『早く旋回しろ! 俺にまかせろ、あいつを撃墜してやる!』
何を言い出すのかと私は驚く。
01のロケットモーターは作動しないのだ。撃墜もくそもあるものか。それよりも──
『よく聞け、降下気流は収まりつつあるし、奴は貴様をとっくにミサイルの射程内に捉えている。なのに撃ってこない。なぜだ。撃てないからさ。ノーチラスにもみくちゃにされているうちに、奴もどこかのシステムをやられたんだろう。つまり、あのセラエンジェルはお前をガンで片付けようとしている』
それがどうした、と私は思う。私はミサイル母機だ。ガンなど装備していない。撃ち返したくとも撃ち返せない。ガンで撃墜されるほどのマヌケはいないだろうと思っていたし、そんな間抜けがいたという話もかつて聞いたことがなかったが、私がその最初のマヌケになるのかと思うと腹立たしい。
01は続ける。
『さっき思いついたんだ。あいつがガンを使える距離まで接近してくれるなら俺にもチャンスがある。俺は飛べないだけだ。シーカーは生きてるしフィンも動く。いいか、今すぐ急上昇しろ。奴とヘッドオンしたら、奴との衝突コースに俺を放り出せ』
滅茶苦茶だ、私はそう思った。
「──無理だ、命中するはずがない」
『貴様がここだと思うタイミングで放り出してくれればそれでいい! 後は自分で何とかする! 俺は七十五年間も敵機の動きを見守ってきたんだぞ! 俺を信じろ! 絶対にあいつを撃墜してみせる!』
私はジェットエンジンを再起動し、強引に機首を上げた。真正面から敵機が落下してくる。こちらもロックオン、期待をセラエンジェルとの衝突コースに乗せる。01のIRシーカーが熱源を感知して、FCSの中に01の戦意が爆発的に高まっていく。
セラエンジェルを見つめて思う、
あいつにも、今、見えているのだろうか、
私の背景いっぱいに広がるグランドクラッターが、あいつにも見えているだろうか。
発射キューを送信、緊急投棄プロセスを作動。
01を切り離し、失速寸前の体勢から私は反転した。
01は、私のパイロンに係留されていたときのベクトルのままに、しばらくはそのまま上昇し続けた。
突如として反転し、背面になった私をセラエンジェルは追いきれなかった。奴もノーチラスの激流で満身に傷を負っていたはずだし、それ以上の急激な機動は危険であると判断したのだろう。私は無理な急上昇で速度を使い果たしていたし、一度やりすごしてからゆっくり体勢を立て直して再度攻撃すればいい、奴はそう考えたに違いない。正しい。
01の存在を考慮に入れなければ、その判断は何ひとつ間違ってはいない。
セラエンジェルの熱をシーカーで捉え、01は空気の流れをフィンで受けて進行方向を変えていった。IRシーカーの探知方法は完全なパッシブロックだから、セラエンジェルは01の存在に最後まで気づかなかっただろう。可視光センサーで01の姿を捉えていたとしても、私の翼から剥離した破片か何かだと判断するのが当然だし、センサーの向きを変えて私の姿を追跡しようとしたはずだ。まさか、それがロケットモーターを停止したまま投げ出されたミサイルで、フィンで姿勢を制御して自分にむかってくるなどとは、万が一にも考えなかったに違いない。
01の上昇速度が重力に引かれ、ゆっくりと落ちていき、落ちていき、ついにゼロになり、三メートルほど落下したとき、01からわずか五メートルほど離れたところをセラエンジェルが通過しようとした。
01はその瞬間を狙った。
弾頭の起爆を、私はIFF09270-01の消失で知った。
私が姿勢を立て直したとき、私と同じ空を飛んでいるのは私だけだった。01の死に場所はノーチラスの余波に洗われ、弾頭の爆煙さえも確認することはできなかった。セラエンジェルは影も形もなく、落下の軌跡だけが、遥か下方の雲海からひと筋の黒い雲が立ち上っているのが見えた。
──見届けたぞ、01.
ノーチラスの支流が行き着く空を、私はひとり滑空巡航する。
そして、2081には誰もいなくなった。
*
もう、話すことはあまりない。
私は上昇し、何日もかけて高々度十七空へと戻った。
ノーチラス・フォールの先で私が見たものが、本当に地上≠ナあり、鳥≠ナあったのか、今となっては確かめる手段もない。もしあったとしても、確かめるかは私にはない。あれはこの世の光景ではなかった、命ある航空機が見ていいものではなかった。脚のない全翼機である私は、そんなふうに思っている。
私は、次のウエイポイントを目指して飛び続ける。
もっとも、自分ではそうしているつもりなのだが、INSのデータは修復不可能なくらいに狂っているだろうし、自分が予定通りの航路を飛行しているかどうかは極めて怪しい。次のタンカーとはランデブーできないかもしれず、そうなったら私は燃料切れで墜落するしかないが、行けるところまでまで行ってみようと思う。もし運がよければ味方機と遭遇することもあるだろうし、その味方機からタンカーの位置を教えてもらえるかもしれない。
何があっても生き延びて、随時更新される二次任務を実行し続けること。
それが私に与えられた一次任務だ。
つまり、私の任務は、いつか必ず「失敗」によって幕を閉じる。
近ごろ、私はミサイルたちのことをよく考える。
彼らにチャンスは一度しかない。問答無用で母機に発射され、もし敵機を外したら、永久に続く落下という運命が待っている。一方、首尾よく命中したとしても、自らが撃墜した敵機の死と同時に彼の一生も終わる。
しかし、彼らは「成功」によって任務の幕を閉じることができる。
少なくともそのチャンスはある。
私にはそれがない。
ミサイルたちがうらやましい。
誰もいなくなってしまった2081で、EMPシールドに囲まれた炎をひとり見つめて、私はそんなことを考えている。
──早川書房 SFマガジン 2002年5月号掲載