〜ラベンダー書院物語〜
【その男、発情中につき】 樹生かなめ
「英典《ひでのり》くん、司法試験を受けてちょうだい」
元旦の朝、新年の挨拶をするべき席での母親の第一声に、八木沢《やぎさわ》英典は目を見開いた。
「……は?」
「いいわね、司法試験を受けて……」
穏やかな母親が恐ろしいほど、真剣な顔をしていた。慌てて周囲を見渡すと、父親と妹も母親と同じ表情を浮かべている。突拍子もない母親の言葉は家族全員の希望らしい。
「何を言っているんだ」
英典は文学部出身で、専攻は近世文学だった。希望した通りのコースを進んでいる。司法試験云々など、一度も考えたことはない。
「末は博士か大臣か……と、言われていた英典くんです。司法試験なんてすぐに合格しますよ。弁護士にでもなればいいわ」
「あのね…お母さん……」
英典は子供の頃から優秀で、神童との誉《ほま》れが高かった。それは、毎日毎日、気が遠くなるほど勉強した結果である。かといって、勉強だけしかできないガリ勉というわけでもなく、体育の授業で恥をかくことはなかった。
華奢な体つきをしているけれども、身長は一七五センチほどあるし、顔が小さいので全体のバランスがよい。母親譲りの女顔は上品に整っていて、澄んだ瞳はとても印象的だ。高い鼻梁はどこか貴族的な雰囲気が漂っているし、薄い唇には禁欲的な色気があった。一言で表現すれば優男《やさおとこ》だろうが、誰からも弱々しい男だと言われたことはない。
『大正時代の書生という風情《ふぜい》がある』
『旧制高校の学生みたいだね…なんというのか……三島由紀夫の世界の青年みたいだ』
そんなことを作家やライターから何度か言われたことがあった。英典は苦笑で答えたけれども。
今まで、英典は申し分ない男だったのだ。
「司法試験がいやならば、国家試験を受けてちょうだい。えっと、国家試験のT種よ……今からでも遅くないわ……英典くんならば、優秀な官僚になるはず…優秀な英典くんが…あ…あんな…あんな本……あんな本を……」
英典は自分とよく似ている母親の顔をじっと見つめた。雪のように白い肌は怒りのためか赤くなり、上品な薄い唇は震えている。きっと、英典の勤め先が出版している本を脳裏に浮かべているのだろう。
「……はい?」
「あんなふしだらな本ばかり出している出版社なんて、早く辞めてちょうだい」
母親はエロ本という言葉を知らないのか。口にしたくないのかもしれない。英典は自社の出版物に対する形容に苦笑を漏らしてしまった。
「ラ…ラ……ラ…………ラベンダー書院なんて、お願いだから辞めてちょうだい……」
ラベンダー書院……社名の由来は『そこはかとないロマンの香りが漂っているだろう』ということらしい。ラベンダー書院の創立者は、ラベンダーが咲き誇る北の大地に夢を馳せる関西出身の男であった。たしかに、響きが綺麗なので何も知らない女の子は興味を持つかもしれない。可憐な紫色の花を連想する女の子もいるだろう。だが、女性をターゲットにした書物は一冊も発行していない。
英典の勤め先であるラベンダー書院は、男だったら誰もが知っている、というエロ出版社の最大手だ。ラベンダー色の文庫で占められたコーナーがある書店も多い。
詰め襟の学生服を着ていた頃、英典はロマンどころか淫猥《いんわい》な匂いを発散させているラベンダー書院の本が並ぶ一角に近づくことすらできない純情な少年だった。あの頃が嘘のようだ。今では、ラベンダー書院で編集者として働いているのだから。
「いや…だから……仕方がないんだよ……」
「どうして、T大を卒業した優秀な英典くんが、そんないかがわしいところで働かなくてはいけないの……」
「出版界も不況なんだ。そこしかなかったんだよ……」
最高学府を現役で合格し、立派な成績で卒業した英典には、不況といえどもいろいろな道が開けていた。国家試験を受けていたら、最難関のT種であっても合格していただろう。
だが、英典は迷うことなく、文芸誌を精力的に出版している文芸平安社に就職を決めた。文学青年の英典にとって、夢でもあった就職先だ。しかし半年前、文芸平安社は出版不況の波を受けて倒産してしまった。ここから、非の打ち所のなかった英典の人生のローリングストーンは始まっている。
社会人になって三年目、英典は二十五回目の誕生日を仕事場で迎えたばかりだ。
「あんな会社はさっさと辞めて、ここに戻ってきなさい…生活費のために焦ったんじゃないの?」
とうとう、母親は泣きだしてしまう。
英典と同じように、両親の手を煩《わずら》わせることなく育った妹の英理《えり》も母親に続いた。
「自慢のお兄ちゃんだったのに…あんないやらしいところは辞めてよ……」
ラベンダー書院に再就職したと報告した時、母と妹は何も言わなかった。どのような出版社か知らなかったからだろう。
英典にしても、不況の中での再就職は難しくて苦労した。第一、出版社に就職しても、事務や営業ではどうしようもない。編集として働くことのできる出版社は限られていた。
「お母さんにとっても英典くんは自慢の息子だったわ…子供の頃からよくできて…中学校では生徒会長までやって…それなのに…どうしてあんなひどいところに…世間さまに顔向けできない……T大学を出ているのに…」
「うちの業界にはT大卒なんて掃いて捨てるほどいる。僕だけじゃない」
出版社の編集は高偏差値の秀才で占められている。最高学府卒業の編集など、そこら中に転がっていた。そもそも、それなりの大学を卒業している者が編集になるのだ。事実、ラベンダー書院の編集部は高偏差値の集団で、T大卒もいるし、心臓が弱い中年の編集長などはお坊ちゃま学校と名高い大宮学院卒の紳士であった。
父親がポツリと言った。
「隣の一誠《いっせい》くんなんて高卒なのに年俸一億…だったかな」
隣に住んでいた五つ下の遠藤一誠は、信じられないほど頭が悪かったが運動神経は異常なほどよかった。野球だけで三流私立高校に進学し、甲子園で名前を上げ、ドラフト一位で人気球団に入団している。その活躍は野球に疎《うと》い英典の耳にも届いていた。ルックスもよいので、コマーシャルにもよく出ている。本業だけでなく、副業の収入も凄いだろう。
「一誠はプロになったんだろう。サラリーマンと一緒にするなよ…」
「あんなに頭の悪かった一誠くんが年俸一億で、秀才の英典が……年収は一千万ほどあるのか?」
「…ないよ……人生には割りきることも必要だ」
好きなことをしているのだからしかたがない……と、英典は割りきっている。本を読むことが好きだが作ることも好きなのだ。ずっと、本の世界に関わって生きていきたかった。
「町内で三馬鹿のうち一人と言われていた一誠くんの契約金で……あそこは家を改築してね。まだまだ綺麗だったのに……。お隣は立派になっているだろう」
都心から遠く離れた新興住宅街で、同時期に建てられて売りだされた建売住宅だが、同じように古くなっていた。片方が改築すれば、古いままのほうは醜く浮いてしまう。改築はお隣と同時期にするという暗黙の了解があったらしいが、一誠のプロ入りで呆気《あっけ》なく破られてしまっていた。今の父親に改築する経済力はないだろう。
役所に勤めている父親は真面目な男で、英典が知る限り母親に金や女の苦労をさせたことはない。また、母親もひたすら優しく、とても家庭的だった。四つ年下の妹はそこそこの女子大に通っている。八木沢家はどこにでもある中流家庭だ。
「悪かったな……」
「一誠くんがハワイに連れていってくれるとかで……お隣の奥さんと娘さんがはしゃいでいた。向こうで正月を過ごしてくるそうだ。ハワイで一番高いホテルのスイートルームに何日も泊まるらしい」
馬鹿一誠という評判が立って、何度も一誠の母親は悔しい思いをしていた。その息子が親孝行をしてくれる……と、一誠の母親は自慢をしたいのであろう。
「英典くん、編集者になって何かいいことがあったの? 何か得るものがあったの? 何もないでしょう」
「とりあえず、椅子で眠ることは上手くなったかな」
ヤケクソで答えた英典に対して、母親と妹の叱責《しっせき》が飛んだのは言うまでもない。
ラベンダー書院の社員として迎えた初めての正月休みはさんざんで、英典はお雑煮を食べると逃げるように実家を後にした。
お正月とあって、車道を走る車は少ないし、街中は閑散としている。だが、着物姿の女性たちが休眠中の都会に彩《いろど》りを添えていた。車内の広告は謹賀新年一色だ。
勤務先への通勤時間は約四十分、一階にパン屋やクリニックなどのテナントが入ったマンションビルの五階に、英典は部屋を借りていた。駅から徒歩七分という場所にあるし、近所にコンビニが二つもあるのでとても便利だ。家事が不得意な英典でも、一人暮らしの不便を感じたことはない。
トイレは独立しているし、小さなお風呂と洗面台のスペースもそこそこあって、ワンルームにしては広かった。だが、部屋は増え続ける書籍のために狭くなっている。スライド式の本棚を二つも置いているが収納しきれなくなっていて、本や雑誌を床に積み上げていた。
おまけに、雑誌の山と文庫の山は英典の身長以上の高さになっている。地震があれば無事ではすまないだろう。スペースを取られるベッドは二年前に捨てた。
家賃はギリギリのライン……というところだ。場所はいいけれども建物自体が古いので、家賃は押さえられているのだろう。堀りだし物の物件だった。
カップラーメンを食べながら、さして興味もない正月番組を見た。何やら、プロ野球の選手がたくさん出ている。洒落《しゃれ》たスーツを着込んだ一誠も、人気球団のスター選手として出ていた。
「漢字もろくに読めなかった大馬鹿が……」
このままでは留年してしまう……という切羽詰《せっぱつま》った一誠の勉強を何度か見たことがある。一誠の両親に頼み込まれたのだ。
一誠の頭は本当にひどかった。小学校低学年程度の漢字の読み書きしかできない。ついでにいうと、字も汚い。書き順も滅茶苦茶だった。消しゴムのかけ方から教えた覚えがある。
「THIS IS……これを覚えさせるのにどれだけ苦労したか…Xを代入した計算もまったくできなかったな……」
顔立ちが甘く整っている一誠は人気アイドルに似ていると、美人アナウンサーにちやほやされている。
英典はズルズルと一個九十九円のカップラーメンを食べた。
何か、面白くない。
目標であったT大学に入学してもよい成績を取るために必死で、とうとう彼女はできなかった。英典は二十五年ほど生きてきたが、人を恋しく思ったことなどない。初恋らしきものは一応あったけれども、つき合いたいと思った異性はいなかった。基本的に英典には恋愛感情が抜け落ちている。恋人だらけのクリスマスに孤独を感じたこともない。
「あいつがあの馬鹿高に進学できたのも、留年しなかったのも野球のおかげだぞ……あいつができるのは野球だけだ……」
今まで、人を罵《ののし》ったことなどなかった英典だが、一誠を見ていると何かムラムラしてくる。
中学校の時、『開校以来最高の馬鹿』と陰で囁《ささや》かれていた一誠が、高級ブランド品を身に纏い、美人アナウンサーと楽しそうに喋っている。
中学の時、『開校以来最高の秀才』と囁かれていた英典が、消費税込み五百六十三円のジャージの上下を着て、いつ崩れるかわからないほど高く積み上げた書籍の山の中で特売品のカップラーメンを食べている。ソファは丸めた布団で、寝る時にはそれをまた広げて使うのである。
「こんな馬鹿が出ている番組、替えてやるっ」
チャンネルを回すと、スポーツドリンクのコマーシャルが流れていた。ユニフォーム姿の一誠が美味《うま》そうにスポーツドリンクを飲み干している。一誠の背景はリゾート地の青い空と海、BGMはカリスマと形容されているミュージシャンのシングルカット。
口下手で照れ屋の一誠を嫌いではなかった。弟のいなかった英典にとって、弟のような存在だったといっても過言ではない。
強豪がひしめいている地区に高校があったので、いつもあと一歩というところで甲子園出場の切符を手に入れることはできなかった。最後の夏、一誠が甲子園に出場した時は、テレビの前に座って応援したものだ。夏の甲子園で一誠がホームランの新記録を作った時には、自分のことのように嬉しかった。だが、今では無性に腹立たしい。これが醜い嫉妬だと英典はわかっている。よくわかっているが、やはりムカつく。
「こんな大馬鹿をコマーシャルに使うなんて……あいつは九九《くく》もなかなか覚えられなかったんだぞ……」
英典は低く呟《つぶや》くと、テレビを切った。気分を紛《まぎ》らわすために、コンビニで買った週刊誌をがばっと開くと、車の広告が目に飛び込んでくる。若者にターゲットを絞った車の前で、白いシャツとジーンズというラフな姿に身を包んだ一誠が自然体で微笑んでいた。ユニフォームを着ていないので、何も知らない人が見ればルックスで稼いでいるモデルと間違うだろう。野球選手とは思えない容姿だ。坊主頭の一誠のイメージが強いだけに、髪の毛があると違和感もある。スポーツマンらしくカットされていてもだ。
「こんなところにも……」
英典は週刊誌を閉じて、カップラーメンを食べることに専念した。いつからのびたカップラーメンを平気で食べられるようになったのか、もう覚えていない。
スライド式の書棚に収めている文芸平安社で携《たずさ》わった文芸誌が、カップラーメンを食べ終えた英典の視界に飛び込んできた。出版業界の良心だと自負していた文芸誌に、英典の青春のすべてを注ぎ込んだといっても過言ではない。目にするだけで切なくなってしまう。苦労も大きかったが、やりがいはあった。
広告は取れなくなっていたが、三億当たれば一年ぐらいはやっていけただろう。編集長が毎週のように宝くじを買っていたから、廃刊の予兆は感じていた。それだけではない、どちらかといえば根暗の編集長がやたらと明るくなって、いつの間にか机の上が綺麗になって、ライバル誌を気にしなくなって……先輩社員ともども廃刊は一応覚悟していたけれども、まさか会社が倒産するとは思わなかった。
この文芸平安社時代にも彼女はできなかった。最大の理由は多忙だろう。ただこの時、銀座のホステス相手に童貞は捨てている。著名な作家の接待で行ったクラブで、客のつかない女性に誘われたのだ。
一夜の代償は聞かなくてもわかっていた。銀座も不況の波に直撃されていたし、指名のないホステスはとても厳しくなっている。ゆえに、英典は初めての女性に熱くなることもなかった。今ではまったく交流はないし、そのクラブは文芸平安社より先に営業不振で閉店した。銀座の女を体現していたようなママの行方《ゆくえ》は誰も知らない。
英典は情熱の限りを尽くした文芸誌から視線を外した。
仕事が始まってから数日たったが、街中はお正月関連のもので溢れている。ショーウィンドゥのディスプレイはお正月用だし、新年会受付けます…という張り紙をしている飲食店もあった。
編集プロダクションに大型書店、大手出版社から小さな出版社までひしめきあっている場所にラベンダー書院はあった。ここは本の街とも呼ばれている。
戦前から日本の純文学を担《にな》ってきた文芸平安社は消えたが、男の下半身のために奮闘してきたラベンダー書院は生き残っている。
英典は編集部のドアを挨拶とともに開けた。
「前でも後ろでも構いません。とりあえず、入れてください。そうです、なんでもいいです……入れてください」
先輩社員の鈴木が、電話で担当作家と打ち合わせをしていた。
解説などされなくても、英典は会話の内容がわかる。いや、ラベンダー書院の編集者ならば誰でもわかるだろう。
「はい…野菜ですか? いいですね…野菜、野菜、野菜……はい、キュウリでもニンジンでもナスでもセロリでもゴボウでも松茸でもシメジでもナメコでもズッキーニでもニガウリでも大根でも構いませんから……ちゃんと入れてください。え? ズッキーニはキュウリによく似た野菜です。はぁ……え? 両方いっぺんに入れても問題ありませんよ……ええ、大根をあそことアナルに入れてください。練馬大根でも構いません」
見るからに文系という容姿を持つ鈴木は、ヘルシーとは天と地がひっくりかえっても言えないベジタブルな話を真剣にしている。
大手の出版社に就職したものの経理に配属された鈴木は、迷った末に退職したという。鈴木も経理がやりたくて出版社に就職したわけではないからだ。中堅どころの出版社に再就職したが倒産して、編集プロダクションに再就職したがまた倒産して………流れた先がこのラベンダー書院だった。室生《むろう》学院卒の秀才なので、一般企業に就職していたらエリートとして陽の当たる道を進めただろう。おまけに、鈴木は外交官の息子だ。
この業界にこういった男は多い。何も、英典だけではないのだ。
英典もメールのチェックをした。担当作家から締め切りを三日ほど過ぎた原稿が届いている。締め切りは初めからサバを読んでいるので、三日ほどの遅刻は苦にならない。
「大根責めでイキまくる舞子はイケると思います。はい…総仕上げはピンクローターとバイブ……はい、それでいきましょう。前と後ろに入れたまま、首輪と手錠、それで街の中を歩かせるのですね。乳首には洗濯バサミ……OKです。楽しみにしています。きっと、燃えますよ……そりゃ、最高でしょう」
手を替え品を変え、ポルノ作家は男の欲望を文章で煽《あお》る。ネタのつきたポルノ作家を盛り上げるのは担当編集者の仕事でもあった。文芸平安社にいた頃は、やたらとプライドが高い純文学作家に振り回されたことがあるが、ここではそういうことがない。銀座での接待を求める作家もいないので、そちらのほうでは楽だった。
英典もぼんやりとしている暇はない。来月、出版予定のゲラも届いてきている。英典がチェックを入れて、著者校正に回さなければならない。
ハードな陵辱ものを得意とするこの作家の原稿チェックは大変だった。何せ、呆れかえるほど誤字脱字が多い。おまけに、文章も稚拙《ちせつ》どころか滅茶苦茶で、校正を入れないと読めた代物ではなかった。だが、締め切りだけはきちんと守ってくれるし、どういうわけか売れるのだ。
この作家さん…小学校の国語の教科書を読んで勉強したほうがいいかもしれない……英典はどうしようもない文章を綴《つづ》っている原稿に溜め息をついた。
いや、これでいいのかもしれない。これは、英典が好きな行間に景色が浮かび上がってくる小説ではない。所詮《しょせん》、ポルノなのだ。見事な文章を書いたとしても、読者が萌えなければ仕方がない。
そう頭ではわかってはいても、どうしようもない文章の羅列には大きな溜め息が漏れてしまう。眉間《みけん》の皺《しわ》も深くなった。
「…女は悶《もだえ》ながら身悶えた……? なんていう文章だ……」
いつしか、英典はブツブツと口に出してしまう。だが、誰も咎《とが》める者はいなかった。隣では、電話を終えた鈴木も独り言を口にしながら原稿に目を通している。
「…社長夫人はお×んこに入れていた極太のバイブを壊してしまう。チョロチョロチョロ……と……え? あぁ……おしっこが漏れたのか……」
好きな仕事をしているとはいえ、なんの因果で……と、腐っていては進まない。英典は文学から遠くかけ離れたエロ文学を読み続けた。ちなみに、英典はラベンダー書院に就職するまで、このようなエロ小説に目を通したことはなかった。女性の陰部にいろいろな表現の仕方があると知ったのもさまざまな体位があると知ったのも、ここに来てからである。
「八木沢くん、僕は食事に出るけど」
「平田さん、僕も行きます」
鈴木のお昼は決まっている。子離れができていない母親が作った弁当だ。英典は鈴木に一声かけてから、平田とともに外に出た。
T大の先輩にあたる平田は、当然というのか、編集部内では一番気心の知れた先輩社員だ。
「八木沢くん、何にする?」
「このところ夜はレトルトのカレーが続いているんで…カレー以外がいいです…」
自分でもよくわからないが、英典はどういうわけかデパートの食料品売り場で開催されていたカレーフェアなるもので、レトルトのカレーばかり大量に買い込んでしまった。徹夜明けの日に……。
我に返ったのは一晩寝てからだったが、床の上に放置されたレトルトのカレーの量に英典は我が目を疑ったものだ。
チーズカレーにビーフとマッシュルームのカレーにチキンカレーに野菜カレーに豆のカレーになすのカレーにトマトとビーフのカレーにシーフードカレーにりんご入りのビーフカレーにりんごとヨーグルトのまろやかカレーに牛タンカレーにほたてカレーにまぐろカレーにたらばがにカレーにソーセージ入りカレーにポークカレーにジャワカレーにマトンカレーにインドカレーにキーマーカレーに、マニア向けとしか思えないブルーベリーカレーにビールカレーに百年前のレシピで作られたという百年前のカレーにイノシシカレーまで……どうして僕はこんなにカレーばかり買ったんだ………と。
徹夜明けで疲れていたのだろう。下品な四文字熟語がふんだんに盛り込まれた原稿と一晩中向かい合って、精神に支障をきたしたわけではない……はずだ。
…と、英典は思い込んでいる。
「そうか……」
出口に向かって歩いていると、目の前をラベンダー書院一の色男と形容されている花崎が通り過ぎていく。
「今夜ですね…前みたいにドタキャンは許しませんよ。…もちろん、君との夜はスペシャル・スイートで迎える…シャンペンはドンペリのピンクでいいかな」
花崎は携帯に向かって楽しそうに喋っているが、とても絵になっている。くたびれ果てたヨレヨレの編集者の中で、ただ一人男性フェロモンを発散させている色男だ。ラベンダー書院に入社した女性社員は、必ず花崎の容貌に度肝《どぎも》を抜かれるとまで言われている。淡い恋心も抱くらしい。無駄なのに……。
花崎とスペシャル・スイートに泊まる相手が女性だったら、英典と平田も何も思わないだろう。だが、花崎のお相手は絶対に男だ。素性は知らないが性別だけは聞かなくてもわかっている。
「花崎くんは根っからの男好きだからな……」
真性ホモが男女ものポルノを作っている……なかなかシュールな話だろう。女に情が湧かないだけに、さくさくさくっ…と、ひどいSMを担当作家に書かせられるらしい。いつも虐《しいた》げられているのは女だ。花崎が携わった文庫でぬるいものはなかった。官能小説界では『ラベンダーのお花』として、その名を通している。
「平田さん……」
「君も綺麗な顔をしているし…気をつけたほうがいいぞ。失恋したての花崎くんは少々危ない」
平田の言葉に嘲笑は含まれていなかった。本気でそのように思っているようだ。英典が苦笑を浮かべたのはいうまでもない。
都会の金曜日の夜はどこも人で溢れているが、六本木はまた格別だろう。流行の発信地で、話題になったスポットも多い。テレビドラマのロケでもよく使われている。
六本木にオープンしたばかりの店は、グルメ雑誌に紹介されているだけあって、それほど遅い時刻ではないのに満席だった。水族館をイメージしたという店内は洒落ているが、店員のルックスも見事なまでに揃っている。場所柄、着飾った客の中には欧米人も多く見られた。照明を低く落とした店内には、ブロークン・イングリッシュが飛び交っている。たまに流暢《りゅうちょう》なクイーン・イングリッシュも聞こえてくるが。
何度も何度も英典は断ったけれども、大手の新聞社に勤めている大学時代の友人はしつこく食い下がった。なんでも、一人ぐらいイケメンが欲しい……とのことだ。
イケメンと称された英典は、つき合いで合コンなるものに参加している。
「私たちはJWLでの同期なんです」
お相手の女性連はスチュワーデスで美人揃いだ。T大卒で揃えてくれ、との指示があったらしい。何か、狙っているようだ。
狙われているらしいT大卒のエリートたちはふんぞり返っている。
「僕たちは大学時代の友人で……」
幹事の紹介後、簡単な自己紹介が始まった。
「財務省に勤めています」
「厚生労働省に勤めています」
「文部科学省に勤めています」
T大学卒の官僚たちの自己紹介は簡単に終わった。だが、男ウケのいいファッションに身を包んだスッチーさんたちの目はらんらんと輝いている。
「大学院に通っていましたが、この度、コロンビア大学院に行くことになりました。アメリカにいらっしゃることがあったら、是非お声をかけてください」
スチュワーデスたちの歓声があがった。国際線に配属されている彼女たちにとって、アメリカは遠い国ではない。
男性群のトリは英典だった。
「出版社に勤めています」
顔と頭は反比例……というように、最高学府を卒業したエリートたちの容姿はお世辞にも褒められたものではない。だが、そんな中でただ一人、異彩を放っているのが英典だ。たとえ一番安いスーツを着ていても。
スチュワーデス達のボス的存在の女性が、英典に微笑みながら突っ込んできた。
「どこの出版社にお勤めなんですか?」
「ラベンダー書院です」
一瞬、場が静まり返った。女性にはあまり知られていない出版社だ。でもこの反応だと、彼女たちは知っているのだろう。
「私…学生の頃、本屋でアルバイトしていたことがあるんですけど……」
「そうですか……」
美貌のスチュワーデスたちは、何やら小声でヒソヒソと話し始めている。
「あの紫色の本よ……本屋に紫色の本ばかり並んでいるところがあるじゃない……」
「紫色の本って…あの…紫色の本?」
「あの…男性向けの……?」
女性連のなんともいえない視線が英典に突き刺さる。
大学時代の友人たちの意味深な視線も英典に向けられる。
滅多に合コンなどに参加することはなかったけれども、人数合わせのつき合いで参加したら一番人気は英典だった。その英典が勤め先で白い視線を向けられている。ラベンダー書院に対する偏見はどこにでもあるようだ。女性なので尚更《なおさら》か。
「どうしてT大学を出てラベンダー書院なんかに勤めているんですか?」
それが女性の垂涎《すいぜん》の的《まと》であるスチュワーデスの言う言葉か……思わず唸《うな》ってしまうが、怒ることはしない。ここはにっこり笑って余裕の態度だ。
「出版不況の嵐に負けました」
だから…来たくなかったんだ……と、英典は人知れず溜め息をついたがもう遅い。
「ラベンダー書院……」
「そんなにカッコイイのに……」
「ラベンダー書院…ですか……」
いったいどのような妄想を抱いているのだろう。女性群の間で、ラベンダー書院と勤務している編集者に対するコメントが絶妙のタイミングで続く。
「清潔そうなのに……」
「ラベンダー書院なんですか……」
「普通の背広を着ているんですね…」
「ラベンダー書院なのに……」
「あ、会社では違う服を着ているんですよね」
「ラベンダー書院ですものね」
英典は何かいたたまれなくなってしまう。とりあえず、非常に居心地の悪い席だった。今まで、どこにいてもこんな思いをしたことはないというのに…。
スチュワーデスのターゲットから外れたらしい英典は、運ばれてくるアレンジ料理に集中するしかなかった。ズッキーニとキャビアの冷たいカッペリーニ、フォアグラを豆腐で挟んで焼いたステーキにホタテの貝柱のポワレ、味噌で煮込んだ牛テールなど、究極の個性を追求しているという創作料理をこのメンバーでシェアする。
「こちら…どうぞ……」
小皿に取り分けられたバルサミコ風味の鰹のたたきを、ラベンダー書院に引いているスッチーさんから手渡される。英典は苦笑を浮かべながら礼を述べた。
「ありがとう……」
世界各国のワインが揃えられているというワインリストから、女性連はボルドー産のサンテミリオンを選んだ。どこがどう美味いのか、英典にはよくわからなかったけれども。
「僕たちのなかで一番頭が良かったのは英典ですよ。本当に優秀な男で、教授からは大学院に進むように何度も誘われていました」
幹事である新聞記者の友人が英典に対する弁護のようなものを披露してくれるが、迷惑にしかならない。
「もう…僕のことはいいから……」
そちらで盛り上がってください……と、英典が涼やかな目で訴えた時、目の前にいた女性連の代表が、店内に入ってきた長身の男に視線を止める。食い入るように見つめた後、頬を紅潮させながら囁いた。
「遠藤一誠がいる……」
その名前に、JWLのスチュワーデスたちは色めきたった。
「え? 東京シャークの? どこ?」
「どこにいるの?」
「優勝した時、ポロポロと涙を流していたのが可愛くって……。私、ファンなの」
去年、東京シャークは優勝している。都内の関連デパートでは優勝セールが行われたし、華やかな優勝パレードもあった。人気も実力もありルックスもよい一誠は、カメラに追いまわされていたようだ。
「長瀬に似ているっていうけど、長瀬よりもイケてるじゃない」
一誠くんて、カッコイイよね……と、理知的なムードを漂わせている女性が女子高生のようにはしゃいでいる。
女性とはこういうものなのか、スチュワーデスはもっとこう………と、英典を筆頭にあまり女性に縁《えん》のなかったT大卒の面々は呆然としてしまう。
「大きい……! 一九〇センチあるのよね。足も長いわ」
「サイン貰う!?」
「誰かカメラ持ってない?」
女性連の視線は東京シャークの人気選手である一誠に集中した。
一誠はチームメイトである先輩の宇都宮《うつのみや》と連れ立っている。宇都宮は「球界の紳士たれ」と言われている東京シャークにあるまじき“六本木の種馬”と呼ばれている遊び人の選手だ。二人には当然のように美女が張りついている。
注目を集めている野球選手とモデルの四人組は、VIP席らしい奥まったスペースに消えていった。
…と思うと、一誠だけが引き返してくる。
まさか……と、英典は思った。
「え、こっちに来るわよ」
「きゃっ」
英典の前に並んでいるスチュワーデス達は嬉しそうに慌てた。
「や、やだ……私の口紅、剥げてない?」
「えっと…鏡……」
一誠は絡みつく視線をすべて無視して、英典の前に立つと一礼した。
「英典さん」
こいつ……来るなよ…………と、英典は心の中で毒づいたが表には出さない。
「……やぁ」
「お久しぶりです」
一誠の声はとても低いがよく通る。
エロ出版社勤務の英典のところにプロ野球界のホープと目されている一誠が挨拶にきたので、スチュワーデスたちは驚いているようだ。固唾《かたず》を飲んで見守っている。ここで口を挟むほど礼儀知らずではないらしい。
「あぁ……」
久しぶりに間近で見た一誠は、途方もなく大きかった。こいつ、こんなに大きかったっけ……と、長身の一誠を見上げてしまう。アルマーニらしいが、黒のシンプルなスーツが長身に映えて、悔しいけれどもよく似合っている。腕時計はダイヤ入りのロレックスだ。
「今日は仕事で?」
仕事でこんなところに来るかよ、と場を読めない一誠に呆れてしまう。
「いや……」
スチュワーデスと友人たちの視線がなんともいえなくて、英典は席を立った。そして、一誠をVIP席のほうへ戻らせようと歩きだす。
何も言わなくても通じたのか、一誠も店内をゆっくりと歩きながら口を開いた。
「英典さん、相変わらず、美人ですね」
「一誠、何を言っているんだ…」
「美人だから」
「だから…昔も教えただろう。男に美人なんて言うもんじゃない」
昔、勉強を教えていた時──。英典は坊主頭の一誠に一生懸命、現在進行形なる英文法を説明していた。なのに、一誠は英典の顔を見ているだけで、説明を聞いている様子がない。窘《たしな》めると「英典さん、美人だから」というとんでもない答えが返ってきて面食らった。
「そうですか」
「一誠だって、美人なんて言われたらいやだろう」
「そんなの言われたことありません。美人がいやなら……綺麗…とか」
「一誠……。綺麗も男に対して失礼だぞ」
「じゃあ、英典さんは可愛い、でいいですか」
「一誠……」
どうして英典が眉を顰《しか》めているのか、一誠にはわからないのだろう。
「あの……」
英典さんは美人だから…だの、英典さんは色っぽい…だの理解しがたいことを照れながら言う男だった。成長していない一誠に溜め息をつく。
「そういう言葉は女性に言ってあげなさい」
「女は化粧してるから美人かどうかわからない」
「……………」
「英典さん、化粧していないでしょう」
「当たり前だ。……お連れさんが待っている。早く行ってあげなさい」
熱帯魚の水槽で仕切られた向こう側のテーブルには、一誠のチームメイトと綺麗なモデルが待っている。どういうわけか、六本木の種馬の宇都宮が英典にウィンクを飛ばしてきた。どのような反応を返せばよいのかわからないが、とりあえず、曖昧《あいまい》な微笑を浮かべてみせる。
「あの……英典さん」
「遅くなったけれど、優勝おめでとう」
「ありがとうございます」
「身体に気をつけて頑張ってくれ。活躍を楽しみにしている」
その瞬間、一誠は直立不動の体勢を取る。それから、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あぁ…じゃあな……」
成績はどうしようもないほど悪かったし、授業中は寝ていたらしいが、生活態度は真面目だった。挨拶もきちんとするし、礼儀も正しかったと記憶している。六本木なんぞを値の張るスーツを着こんで徘徊《はいかい》していても、そんなところは変わっていないようだ。
「一誠、その方は?」
のんびりと挨拶なんかしているから、こういうことになるのか。笑みを浮かべた宇都宮が近寄ってきて、一誠に英典の紹介を求める。
「うちの隣の家の人です、八木沢英典さん……」
「お前の隣の家っていえば…昔は『馬鹿一誠くん』とか揶揄《からか》っていたのに、今では『東京シャークの一誠くんとそのご家族とは親しくおつき合いさせていただいております』とか、そこら中で言ってるおばはんちの息子さん? 系列のホテルでも割引を求めてそんなことを言ったんだろう」
「そっちじゃないほうです」
「あぁ…もしかして、T大に行ったあの頭のいい人……その人か?」
一誠は宇都宮には英典のことを話したことがあるらしい。
野球しか知らなかった一誠に、さまざまな影響を与えたのはこの宇都宮だろう。ブランド名のついたスーツを着込み、ダイヤモンド入りのロレックスの腕時計をはめて、六本木を泳ぎ回る遊び人……野球のほうでもそこそこの成績は出している。ちなみに、自分がはめていた高価な腕時計を女の子にプレゼントするのが口説きの常套《じょうとう》手段らしい。
「そうです」
「お前に勉強を教えた時、あまりの頭の悪さに熱を出して寝込んだっていう?」
「そうです…」
「はぁ〜あんたがあの英典さんですか…」
宇都宮に意味深な笑みを向けられた英典は、思わず眉を顰めてしまった。
「いったい…一誠は僕のどんな話をしているのですか?」
「一誠の成績に溜め息をつく隣のお兄ちゃんの話には笑わせてもらった。笑えたぞ…」
「笑い話ではないと思いますが…」
いくら野球で入学しているとはいえ、この成績ではいくらなんでも留年しかねない……一誠の家族は真っ青になっていた。英典も必死になった。切羽詰っているはずの一誠が一人でのほほんとしていた。
後から知った話だが、野球推薦で入学した一誠には特別な措置が取られたらしい。なんてことはない、教師が予《あらかじ》め再試の問題と答えを教えたのだ。いくら一誠でも、問題と答えが初めからわかっているテストならば、及第点は取れるだろう。答えを丸暗記していれば百点満点でも取れたはずだ。何も一誠に限ったことではなく、そういうことがまかり通っている偏差値の低さと野球で有名な私立高校だった。
「いや、笑える。一誠に勉強は無理だ。じっとしていることすらできないんだから…」
一誠は長時間机に向かうことすらできない男だった。いつも身体を動かしていないと気がすまないらしい。少しはじっとしていろ……と、英典も何度か注意した覚えがある。
「たしかに、多動性症候群の症状があるかもしれませんが……」
「さすがに小難しいことを言うな。…で、今はどこに勤めているんですか?」
「出版社に勤めています」
「げっ、マスコミ関係者かよ。『彼を詳しく知る人物によると』とかで、一誠がどんなに馬鹿だったのか、小さな過去を大きく書きたてるのか。マスコミさんや、女とメシを食ったからって女は妊娠なんかしないぞ。いい加減にしてやってくれ」
宇都宮の表情は険しく、口調はきつかった。自分自身、さんざん私生活を暴露《ばくろ》されているので、マスコミには何やら偏見があるようだ。それだけ、派手なことをしているということなのだが。
「何を想像していらっしゃるのか存じませんが、僕はそういったことに興味はありません。スポーツライターでもありませんから……」
英典は紙面を埋める苦しみを知っているので、マスコミを非難することはしない。人権を踏みにじるような取材は肯定しないけれども。
「出版社ってどこ?」
「ラベンダー書院です」
え………………と、宇都宮は顔を歪ませた。馬鹿にしているフシはない、どちらかといえば同情しているようだ。
「ヌードモデルとかやっているんですよね、綺麗だし…。いくらで脱ぐの? 社員だからもしかしてタダとか?」
宇都宮にとんでもないことを言われて、英典は言葉を失ってしまった。一誠も硬直している。
「輪姦《まわ》されてるんですよね? それだけえっちっぽいんだし……。男がOKならうちの一誠の相手もしてやってよ」
いったいこいつは何を言っているのだ、冗談でも限度というものがあるだろう……英典は宇都宮を真正面から見据えた。だが、冗談ではないらしい。宇都宮の顔はどこまでも真剣で揶揄《からか》っている様子はなかった。出版物から妄想を掻き立てているのだろうか。内情を知らずあれこれ言う輩《やから》は多いが、しかしこれは……。
英典は優しい笑みを浮かべながら反撃に出た。
「何を仰っているのやら。もしかして、うちの愛読者ですか? うちは宇都宮さんの好きそうな本を出版していますから……。ありがとうございます。今月の新刊予定は五冊ほど、発売日は月末です。宇都宮さんも気に入ると思います。是非、お求めになってください」
「T大を出ているのに……」
「はい…室生学院や大宮学院を卒業した名家のご子息でも、スポーツ新聞の記者になっておりますよ。国立大卒の記者でも、野球選手のコメントを取るのに躍起になっているでしょう。この業界はそういうものです。宇都宮さんはご存知だと思っていましたが…。でも、お二人とも本当によかったですね、プロで活躍されて。そうでなければ、職業は限られていたでしょうから」
お前らみたいな馬鹿にどんな仕事があると思う。よかったな、野球ができて……と、英典は心の中で呟く。どこか儚《はかな》げでおとなしそうな外見をしているが、中身はそうでもなかった。
「まぁ…な。俺も一誠も野球一本でやってきたし、これからもやっていくつもりだ」
「あなた方にはそれしか道はないと存じます。進むことのできる道が一つしかなければ精進できるでしょう。どうぞ、野球で身を立ててください。どうか、全国の少年に夢を…いえ、知能が低い少年に大きな夢を与えてやってください。たとえ、知能指数がどのように低くても莫大な年俸を稼ぐ男になれるのだと、その身で以て証明してください。少年の非行も少なくなるかもしれません。社会のためにも、日本の未来のためにも…あなたたちが野球界で活躍する意義がございます」
君らは野球で食べるしかないだろう。全国の馬鹿少年に馬鹿でも稼げるという夢を見せてやれ……と、英典の瞳は雄弁に語っている。
宇都宮だけでなく一誠も、嫌味混じりの英典の言葉に気づいているようだ。一誠は無言で聞いているが、宇都宮は煩《うるさ》そうに返事をした。
「あぁ…」
「引退後の生活も選手時代の成績次第だと存じております。プロの野球選手の哀れな末路が紙面を騒がせることがございますが……どうか、宇都宮さんと一誠が落ちた英雄などになりませんように、心からお祈り申し上げます」
普通の男ならばこれからという時期に、スポーツ選手は人生の一幕を下ろす。引退後、身を持ち崩したスポーツ選手も多い。
今が旬という選手に、避けることのできない引退をちらつかせて揺さぶった。おまけに、二人の前できっちりと手を合わせて合掌までしてみせる。見ようによっては宗教勧誘の兄ちゃんだ。
「あ……あぁ…」
「六本木がお好きだと聞き及んでおりますが、身体が資本のスポーツ選手です。どうぞお身体はくれぐれもご自愛なさってください」
いくら宇都宮が名うての遊び人であっても、体育会系の男が文系の男に口で勝てるわけがない。嫌味炸裂の英典に思いきり引いている。
「あぁ…」
「火のないところに煙は立ちません。どうか東京シャークの鉄則でもある『球界の紳士たれ』をお守りくださるよう願っております。人気球団のスター選手ともなりますと、どうしても大衆の興味が注がれます。メディアは大衆に情報を知らせる媒体ですから……でも、メディアは野球界を支えています」
メディアにそっぽを向かれたら、プロ野球はどうなるかわからない。持ちつ持たれつの関係だろう。それでなくても、サッカー人気に押されている。赤字経営の球団は多いし、すべての球場の観客動員数も年々減少している。金満球団の東京シャークが他球団から四番打者を引き抜いてばかりいるのも、野球人気下降の要因の一つだろう。何せ、選手を揃えている東京シャークが強すぎて面白くないのだ。ペナントリーグに大衆を魅了させるドラマはない。優勝して当然の東京シャークとまで囁かれている。
「あぁ…」
「今後、ますますのご活躍を期待しております。この言葉を挨拶とさせていただきます」
「ども……」
「失礼します」
顔をひきつらせている宇都宮と呆然としている一誠に、英典は極上の笑顔を向けると、悠然とした態度でその場を去った。
あの後、宇都宮と一誠はいけすかない男だと罵りあうのだろうか。もう、どんなに罵られても構わない。所詮、住む世界が違う男たちだ。さよなら、一誠。遊びすぎて変な病気を貰うなよ。飲みすぎて身体を壊すなよ……と、英典は心の中で金の匂いがする一誠に別離の挨拶をした。
合コンの席に戻った英典は、待ち侘びていたらしいスチュワーデス軍に質問攻めにあってしまった。
「東京シャークの遠藤一誠と知り合いなんですか?」
「ちょっとね……」
「あの…一誠くんの彼女って本当に女子アナの板東久美子なんですか?」
一誠の彼女としてではなく、板東久美子は巨乳アナウンサーとして何度か週刊誌等で上がってもいる。メディア的にはつり合いの取れたカップルらしい。
「さぁ……?」
「一誠くんってどんな人だったんですか?」
体育以外はオール1の大馬鹿……とは言えない。遠い存在になったとはいえ、英典は一誠の足を引っ張るような性格はしていなかった。
「あまり詳しくは……」
「私、一誠くんと一度お話がしてみたいわ」
「ちょっとした顔見知り…それだけです」
あいつは昔からよく知っているんだ、というように、英典は有名人との交流を自慢するような男でもなかった。
「そうなんですか……」
「でも、わざわざ挨拶に?」
「律儀な男ですね」
年俸一億の人気選手の出現で、容姿のよろしくないT大卒のエリートの魅力が半減したのだろうか。それに、野球選手と結婚したスチュワーデスも多い。合コンの話題はもっぱら一誠になる。
「ユニフォームを脱いだら単なるお兄ちゃん…ていうのが野球選手だけど、一誠くんは違いますね」
「目がきりっとしていて爽やかです」
一誠のくっきりとした二重瞼はアイドル並だった。
「鼻筋も通っていますよね。あばた面でもないし…」
鼻筋は通っていたが、中学生の頃は顔中ニキビだらけでした……と、一誠の過去を知っている英典は心の中で呟く。
そのうち、過去の一誠の写真を誰かが雑誌に売るかもしれない。顔にニキビはあるものの、その頃から目鼻立ちは整っていたので、整形疑惑は囁かれないだろう。
「板東久美子が一誠くんを狙っているらしいけど、英典さん、お知り合いなら忠告してあげてください。性格の無茶苦茶悪い女ですよ…」
一誠とはそういう話をしたことがない。お隣さんといっても挨拶をする程度、一誠の勉強をみたことがあるから少しだけ近くなったのだ。
「板東久美子と同じ高校に通っていたっていう先輩がうちの会社にいるんですけど…もう、みんなから嫌われていました。そこら中から嫌われていたどうしようもない嫌われ者です」
「あんなわがまま女と結婚したら、一誠くんは駄目になってしまいます」
彼女たちは野球に詳しいわけではない。一誠に詳しいのだろう。そして、一誠の容姿と年俸がなければ、ここまで騒ぎはしなかったはずだ。英典は冷静に分析していた。
「そう……」
「ここぞという時は必ず打つバッターでしょう。打者としては最高だって」
「レギュラー争いの凄い東京シャークでも、たった二年で不動のレギュラー。今ではもう不動の三番打者ですよね。天才だって……」
合コンの席で他の若い男を褒めちぎられ、英典の友人であるエリートたちはいたくプライドが傷つけられたらしく、仏頂面を浮かべていた。だが、誰も「あんな頭の悪そうな奴」と罵らない。立派だと、大人だね……と、英典は褒めてやるべきなのだろうか。褒めるつもりなどないけれども。
しかし、予定されていた二次会はキャンセルされなかった。
合コンの参加者はカラオケボックスに流れるが、当然の如く英典は辞退した。プライドがやたらめったら高い財務省勤めの友人も英典の後に続く。一誠登場後に豹変したJWL女性連の態度が気に食わなかったのだろう。
とりあえず、とても疲れた義理コンだった。明日、明後日は休日で予定はない。仕事も持ち込まない。心身ともに休めよう……と、英典は決めていた。
翌日、電話の呼びだし音で叩き起こされた。きっと、この電話がなければ日が暮れるまで寝ていただろう。とりあえず、銀縁《ぎんぶち》のメガネをかける。枕もとに置いてあった目覚まし時計は三時を告げていた。
電話の主は昨夜会った財務省に勤めている友人だ。
『相談があるんだが………』
悪い奴ではないのだが、信じられないほど気位が高い友人から思いがけない言葉が飛びだしてきたので、英典は受話器を落としそうになる。この友人は、他人に相談を持ちかけるような男ではなかった。
「なんだ……?」
『その…英典のところの本のことだが……』
「あぁ、読めなんて言わない。文芸平安社にいた頃は世話になったな。何冊も買って、配ってくれたんだろ」
文芸誌が売れないことを知っていて、売上に協力してくれたこともある。根は優しい男だった。
『あぁ…それはいいんだ……僕も本は好きだから…』
「そうか」
『その……ラベンダー書院の本は書店で買うことが躊躇《ためら》われる』
二十代半ばの成人男性が思春期の少年のように照れている。思わず、英典は吹きだしてしまった。
「だから、買わなくっていいって」
『いや…その……』
「……ん?」
『読んでみたい……』
英典は自分の耳を疑ってしまった。マンガは読まない。大衆向けの週刊誌は読まない。低俗なテレビ番組も見ない……そういう男だったのに。
「ポルノだぞ? エロだぞ? エログロだぞ?」
『あぁ…わかっている』
「女が犯される話だぞ?」
『それはわかっている。その…金はちゃんと払うし……手数料も払うし……。インターネットでも買うことができると知ってはいるが…その…そういう本を買ったという名前が残ることは…非常に困る……』
どんな顔をしているんだ、テレビ電話だったらよかったのに……と、英典は心底から思ってしまった。しかし、エリートだと自負している男はなかなか大変なようだ。
「あぁ……じゃあ、どんなのがいい?」
『どういうものがあるのだ?』
「人妻とか女教師とか女子高校生とか熟女とか、看護婦とか婦人警官とかの制服モノ…いろいろと……」
『人妻と熟女を希望する』
財務省勤めの友人はきっぱりと言いきった。
「…そうか」
『五万円で買えるだけ買ってくれたまえ』
「五万円分って………」
『このことはどうか内密に……』
受話器を置いた英典は笑ってしまった。だが、笑いはさらに続いた。厚生労働省に勤めている友人からも同じ用件で連絡が入ったのだ。この友人は“女子高校生と女教師”を指定した。コロンビア大学院に留学する友人など、売れ筋のシリーズをすべて購入するということだ。トドメとばかりに、文部科学省に勤めている友人からも連絡が入る。仕事の参考のために…なんて初めは取り繕っていたが、すぐに本心を吐露《とろ》した。色欲にまみれた本が欲しいのだ。でも、書店で買うのは恥ずかしい……と。
「なんだかんだ言って、みんな好きなんじゃないか」
英典は苦笑を浮かべながら、小さなキッチンでレトルトのカレーを温めようとして…やめた。パジャマ兼部屋着のジャージの上下に、グレーのコートを着込んで外出する。近所にある小綺麗な定食屋に入った。気取らなくてもいい店で、気さくな夫婦が切り盛りしている。
「いらっしゃいませ」
「てんぷら定食」
店内に設置されているテレビをぼんやりと見ながら、てんぷら定食を食べた。衣がさくっとしていてとても美味しい。
お菓子のコマーシャルで一誠の姿を見る。子供と一緒に笑っているが、どこまでも爽やかな好青年だ。
コマーシャルはスポーツドリンクに車にお菓子に湿布薬にカメラのフィルムに……一誠は場外で稼ぎまくっている。あの容姿でこれだけ露出していれば、野球に疎い女性のファンもつくだろう。コマーシャルで一誠の頭の中身が発覚することはない。
書店に立ち寄って、新刊書を物色した。不況だと囁かれて久しいが、新刊の数が減ることはない。新しいレーベルも増えていた。
雑誌のコーナーで一誠の名前を見つける。
シーズンオフだけあって、プライベートが書きたてられていた。英典もこの業界の住人なので、記事をすべて信じることはしないが……どこまでが真実なのか掴みようがない。
気づくと、東京シャークと一誠の名前が記されている週刊誌をすべて購入していた。
「僕は…いったい何をしているんだ………」
ワンルームに戻った英典は呆然としてしまう。何かにとりつかれて購入したレトルトカレーの再現だ。しかし、もうどうしようもない。缶コーヒーを片手に読み始めた。敷きっぱなしの布団の上で。
プロ野球界(助っ人外人除く)で立派な一物の持ち主ベスト3なるものに、一誠はランキングされている。
『加藤百太《かとうももた》(23)は遠藤一誠(20)の持ち物のあまりの見事さに驚いて、思わず頭を下げてしまったそうだ。宇都宮雄介(24)など、遠藤の股間に向かって挨拶をしている。柏手《かしわで》を打った後、拝む選手もいるそうだ』
東京シャークのホームランバッターはこちらでも大砲……ということだ。
才色兼備の板東久美子が遠藤一誠のあの巨砲を食わされているとは、という一説には失笑してしまう。英典にしてみれば、それがどうした……だ。
グルーピーとの一夜のお遊びもすっぱ抜かれている。告白したのは他でもない、お相手だった若い女性だ。A子なる女性は一誠の巨根ぶりを熱っぽく語った後、テクニックはまるでナシ……で、締めくくっている。
「馬鹿な奴……」
一誠に対する同情はまったくわかなかった。
東京シャーク選手内の関係図が掲載されている週刊誌もあった。
生《は》え抜《ぬ》きと外様《とざま》の二つにわかれている、というような簡単な関係図ではない。力のある選手を頭にした派閥がいくつもあるそうだ。投手は一匹狼から子分持ちの生え抜き、リリーフのグループまで、いくつもの派閥があるらしい。打者は四つの派閥に分類されていた。一誠は宇都宮や加藤といった若手選手の派閥に属している。宇都宮とは出身高校も同じなので、つるむのも当然か。
ぼんやりと誌面を眺めていると、インターフォンが鳴り響いた。
「誰だ……?」
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン……かつてないほど、インターフォンが激しく鳴らされる。古い建物なのでオートロックではない。来訪者はダイレクトに玄関に立つことができる。
「新聞の押し売りか?」
英典は形の良い眉を歪ませながら、玄関口に立った。
ドアも激しく叩かれるが、煩《うるさ》いことこの上ない。その上、聞き覚えのある声で名前が呼ばれた。
「英典さんっ、英典さんっ、英典さんっ……」
「一誠…どうしてここが…………」
近所迷惑極まりない来訪者はジーンズ姿の一誠だった。走ってきたのか、呼吸が荒く、頬も赤い。髪の毛は乱れていた。
「おばさんに聞いたので……。上がらせてください」
「あぁ…上がれよ」
「失礼します」
こいつもうちの本がほしくて来たのか? と、来訪の理由を想像した英典は薄く笑った。
「狭いけど……」
布団が敷きっぱなしなので座るスペースは限られている。布団をたたもうとした瞬間、一誠に飛びつかれた。
「おいっ?」
一九〇センチ・八五キロの筋肉質男に飛びかかられたら、一七五センチ・六四キロの優男は後ろに倒れこむだけだ。運良くというのか、英典の身体は敷きっぱなしの布団の上に沈む。ただ、かけていた銀縁のメガネが枕のほうへ飛んでしまった。
極度の近視なので、裸眼だと視界がぼやけて周囲がよく見えない。でも、至近距離ならばなんとなく見える。一誠の顔は目前に迫っていた。
「憧れていた英典さんが…あんなひどい目に遭っているなんて……。あんな……男に…懐中電灯なんて入れられて……」
何やら、一誠はとても苦しんでいるようだ。
いや、悔しそうだといったほうが正しいのか。
「懐中電灯って」
「懐中電灯なんか…あんなの……。俺の入れますっ」
鍛え上げている一誠の大きな身体は、とても重いし硬かった。全身で体重をかけてくるので息苦しい。
「はっ……?」
「懐中電灯なんかより俺のほうが絶対いいですっ、俺のでイってくださいっ」
「おい…懐中電灯って…イってくださいって……」
あの手この手で女性を淫らに喘がせているラベンダー書院の文庫において、懐中電灯は何度か使用されているアイテムだった。異物挿入に萌えるポルノ作家と愛読者がいる。
「英典さんをイかせる自信はありますっ」
「何か……何を考えている……?」
「今は英典さんのことしか考えていない」
「あの、落ち着こうな」
英典は宥《なだ》めるように広い一誠の背中を軽く叩いた。
熱でもあるのか、体温がやたらと高い。回した腕から上体の厚みを感じることができるが、贅肉らしきものはまったくない。これがプロの選手の身体なのだろうか……と、感心せずにはいられなかった。そんな悠長なことをしている場合ではなかったのに。
「俺と一緒になってくださいっ」
「一緒になるって……ちょっ……やめろっ」
一誠の手は妖しい動きを見せている。
「昔から好きだったんですっ」
「おいっ……?」
「好きで…好きで仕方がなかった」
こいつ、そういう趣味があったのか……と、惚《ほう》けている場合ではない。自分を取り戻した英典は凄み返した。
「一誠、落ち着いてくれ」
「俺、学歴ないけど、年俸ならそこそこある」
「それは知っている」
「俺が働いて食わせます。俺のモンになってください」
これは、一誠流のプロポーズだろう。女性だったら喜んだかもしれない。しかし、英典は戸籍も心も身体も男だ。スカートを穿いて人生を過ごす予定はまったくない。なんでもありのこの業界に入ってからは、そちらの男から言い寄られたこともあったが相手にしなかったし、尊敬する先輩という存在はいたけれども心をときめかせたことなどなかった。
「馬鹿野郎っ。俺の性別を忘れたのか!」
「いくら馬鹿でもそれは覚えていますっ!」
重い身体の下から這いずり出ようとしたが、一誠の足で下半身の動きを止められる。
ボディビルダーのようなマッチョ男ではないが、プロの世界で生きている一誠の身体能力は計り知れない。大学の体育の講義以来、運動などしたことのない英典とは比べようもないだろう。
腕力勝負はどんなに抵抗しても無駄だと、英典の脳裏に諦めが走る。けれども、抵抗しないわけにはいかない。
無我夢中で腕を振り回すと、一誠の上体が引く。
下半身は馬乗りになった一誠の足で押さえられているが、上半身は自由だ。英典は細い腕を振り続けた。だが、英典の腕は一誠の身体ではなく、富士山のごとく聳《そび》え立っていた雑誌の山の裾に当たってしまう。
「痛っ……」
バラバラバラバラバラ……と、音を立てて雑誌の山が崩れていく。おまけに、雑誌は英典の顔を直撃した。
「うぅ……」
英典の首から顔まで、インキの匂いのする雑誌で埋まってしまう。好運の女神は一誠に微笑んだようだ。
「英典さん、大丈夫ですか!?」
口ではそんな殊勝なことを叫んだ一誠だが、息苦しさに唸っている英典を助けるどころか猛スピードで衣服を剥いだ。
「一誠っ……」
雪崩《なだれ》を起こした雑誌の中からやっと顔を出した時、英典の薄い胸を覆うものはなくなっていた。
血走った一誠の目は一段と危なくなっている。巨乳が好きだと書きたてられている一誠なのに、平べったい胸に興奮を隠さない。
「ずっと…ずっと……ずっと……」
「やめっ、やめっ…やめろって!」
右の突起を口に含まれて、英典は身体を捻《ひね》った。
胸に舌を這わせている一誠の後頭部めがけて、硬く握った拳で殴る。
思いきり殴ったが一誠にダメージはなかったらしい。でも、真剣な目で凄まれてしまった。
「あんなところにいたら輪姦されるっ。英典さんがばこばこにヤられるなんて、許せないっ!!」
わけのわからない男は何を言いだすのかわからない。天才打者などと讃えられているようだが、来た球を打つというのが一誠だ。すべてにおいてこの男に計算はない。いや、計算する頭がないのだと、英典は読んでいるのだが──。
「な……なんだと?」
「ラベンダー書院は無茶苦茶危ないって、社員は強姦魔ばっかりだって」
「あ……?」
「あそこは強姦されるところだって、宇都宮さんから聞きましたっ」
一誠は宇都宮から途方もないことを刷り込まれてやってきたようだ。宇都宮にしてみれば、英典から受けた辛辣《しんらつ》な嫌味に対する報復だろうか。それとも、本当にそう思い込んでいるのだろうか。
「…ぼ、僕は男だぞ。おまけに、僕はそこの社員だぞっ」
「なんか『ラベンダーのお花』って呼ばれている花崎とかいう男はスケコマシ……じゃねぇ、男専門の強姦魔だって、聞きましたよっ」
「は…花崎さん?」
たしかに、ラベンダー書院随一の色男である花崎は新宿二丁目に入り浸るホンモノだが、強姦云々の噂は聞いたことがない。お相手はコロコロと変わっているようだが、失恋を繰り返しているのだ。どうしていつも恋人から捨てられるのか知らないけれど。
「そいつを筆頭にヤバイのが揃っているって……」
「あの…あのなっ。僕はホモじゃないし、そのろくでもない噂を真に受けるな。うちの編集部には強姦するような精力の余っている男はいない!」
うちの編集部がレイプ軍団だったら、机の中に酸素呼吸器を常備している編集長が悪の親玉だろう。どう考えても無理があるぞ……と、英典は心の中で反論した。例外はただ一人、失恋後の花崎さんだけだ……と、つけ加える。
「あの編集部に女が行ったら輪姦されるから行くなって。男でも、綺麗な男は危ないって……英典さんなんか無茶苦茶危ないっ」
一誠は英典の言葉をどこまで理解しているのか。…まったく聞いていないのかもしれない。
「馬鹿っ、落ち着いてくれっ」
「英典さんなんてすっごく綺麗だから、エロ雑誌で脱がされるかもしれない! 俺以外の奴が英典さんでヌくのはいやだっ」
とんでもないことを聞いてしまった英典は、上品に整った顔を激しく引きつらせる。自分が一誠のマスターぺーションのオカズになっているなどと、夢にも思わなかった。
「……い…一誠………」
「英典さんの調教は俺がヤります。ラベンダー書院の変態なんかにヤらせないっ」
一誠の手が英典のズボンと下着を一気に引き摺り下ろした。“調教”なる言葉に度肝を抜かれた英典は丸出しになった股間に意識がいかない。
「ちょ…ちょ…ちょ…調教だとぉ!?」
「英典さんは俺の尻奴隷にする!」
“尻奴隷”は自社出版物の中で頻繁に出てくる言葉だが……もちろん、真っ白な英典の裸身は怒りで震えた。
「馬鹿野郎ーっ」
「もう、誰かにヤられたんですかっ。過去のことは忘れてください。これからのことを考えてください。俺が守ります。必ず幸せにしますっ」
細い英典の身体にのしかかっている大きな一誠の身体も力が入っていて、喋るたびに震えている。
「馬鹿野郎ーっ、誰がそんなの」
「やっぱりあのエロ作家にヤられたんですか?」
「は?」
「あの『女教師の特別授業』に出てくる八木沢先生って、やっぱり英典さんのことなんですかっ!?」
一誠が口にした『女教師の特別授業』は英典が担当した文庫だ。
編集部では月に五冊から八冊ほど発行しているが、登場人物の名前がつきるらしい。男性編集者の名前が小説の中で登場することもあった。
八木沢英子なる美貌の女教師の名前は八木沢英典からもじったものだが、もちろんモデルではない。英典としては、遅筆な担当作家にどう名前を使われようと、締め切りまでに仕上げてくれればいい、という気持ちだ。他にもこういう編集はいるだろう。
「違うって。名前のストックがつきるらしくって、編集の名前を使う作家がいるんだっ」
「ストックってなんですか?」
「あ……その、名前の…」
体育以外オール1の頭に合わせて言い直そうとしたが、頭に血が上っている若い男は聞く耳を持たなかった。あろうことか、八木沢英子なる架空の人物の破廉恥極まりないセリフを口にした。
「あんなエロ作家のことなんて忘れてくださいっ。『お×んこ見せてあげる』は俺に言ってくださいっ」
「馬鹿っ、僕にお×んこがあるか! よく見ろっ」
口は禍の元というのか、口が滑ったというのか、常の英典ならば絶対口にしないようなことを叫んでしまう。
一誠に凄い勢いで両足を掴まれて、左右に開かされた。
「見ます!」
裸体で局部丸見えの大股開きなど、誰の前でもしたくない。欲望で目がギラついている男の前など問題外だ。しかし、飛距離のあるホームランを大量生産する男の腕力にかかっては、閉じることができない。
「いや…見なくてもいいっ、見るなっ」
「誰にも渡すもんか、俺のモンだ!」
開いたままの両足が高く掴みあげられるので、細い英典の腰もずり上がる。秘部に熱い視線を感じて、英典は羞恥心でいっぱいになった。
「頼む…た…」
「はいっ、任せてください。頑張りますっ」
「違う、頼むから落ち着いてくれーっ」
「英典さんーっ」
語気も荒いが鼻息も荒い一誠は、英典の秘部しか見ていない。何かに取り憑かれたかのように凝視する。
「やっ………」
欲望を持って見つめられている秘孔は熱かった。まるで、火傷でもしたかのように。
「綺麗です」
うっとりと呟いたかと思うと、一誠の顔が英典の足の間に入り込んだ。
「やめ……やめろっ…て」
秘孔に生温かいものを感じて、英典の全身に衝撃が走る。
「可愛い…」
「やめっ…そんなところっ……舐めないでくれっ……」
一誠は躊躇《ためら》うことなく、英典の身体の最奥に舌を這わせた。
当然ながら、英典はそんなところを男に舐められたことはない。乳幼児の頃はいざ知らず、自身の記憶にある限り、誰にも見せたことはない。五つも年下の野球馬鹿に舐められているなど、考えただけで英典の神経はおかしくなりそうだ。でも、腕力では到底太刀打ちできない。どんなに暴れても無駄だ。一誠には片手で押さえ込まれてしまう。
「でも…濡れています」
「誰が濡らしたんだっ、もう舐めるな、触るな、見るなっ」
卑猥な音は局部から響き続けているが、乾いていたはずの秘孔がしっとりとしてきたことに英典も気づいている。狭い器官は敏感だった。
「やっ…やっ…あっ……」
入口周辺だけでなく内部にまで、一誠の舌は入っていた。
ペチャペチャペチャペチャ……淫らな音が部屋の中に響き渡る。もちろん、英典の耳にも届いた。ますます屈辱感が大きくなる。
「んっ……」
「英典さん……」
なめらかな白い英典の肌は羞恥心で染まり、涼やかな瞳は潤み、上品な口元からは不規則な吐息が漏れている。男を煽る扇情的な姿だ。
「あっ…やっ……やめっ……」
「気持ちいいんですか?」
「やっ…んんっ……」
「お尻の穴…開いたり閉じたり……」
一誠の説明に、英典の精神と身体は更に熱くなった。男に秘部を舐められて、感じている自分の身体が信じられない。秘孔は収縮を妖しく繰り返しており、男性器までおかしくなってくる。
仕事だけの日々の中、あまり下半身に構ってやったことはない。また、下半身を持てあましたこともなかった。それなのに……。
「やっ……」
「英典さん…感じてる……」
「あっ……あっ……ああぁっ……」
排泄孔は性器へと変わっていて、そこだけがやたらと熱い。下半身が小刻みに震え、乾いていた秘部は一誠の唾液によってぐっしょりと濡れていた。見なくてもその湿り具合がわかる。
「舐められるの…好き……?」
身体は英典の意思を裏切って、一誠の舌に悦びの涙を流している。
一誠のほうは英典の双丘の割れ目から離れそうにない。
過去、絡みつくような一誠の視線は何度も感じていたが、まさかこういったことを望んでいるとは知らなかった。一誠はあまりにも爽やかなスポーツマンだったから。
「も……もうやめっ…頼むからやめてくれ……」
悔しさと羞恥で目から大粒の涙が溢れた。
「英典さん、泣いているの?」
濡れた唇を自分の舌で舐めながら、一誠は甘く整った顔を上げた。生々しい行為を目の当たりにした英典はいたたまれなくなって瞳を閉じる。
「一誠…もう…やめてくれ……」
「じゃあ、前戯はこれでいいですか」
「おいっ…?」
「大丈夫です、ちゃんと持ってきたから」
一誠はジャケットのポケットの中から、小さなボトルを取りだした。オイルだと、横文字のロゴが入っている。使用目的がわからないラベンダー書院の編集部員ではなかった。
「あぁっ? 一誠っ…そんなのっ……」
そんなものを用意してこの家にやってきたのか、最初からヤる気だったのかよ……と、今更ながらに目の前が真っ黒になる。しかし、目前に無明《むみょう》の闇が広がっても、身体の中に指が入ってくる感触を当然ながら感じてしまう。
「んっ……」
長い一誠の指がオイルの滑りを借りて入ってきた。
「やっ…一誠……」
英典は手を伸ばして一誠の身体を退けようとした。でも、身体の中で妖しく蠢く指に思わず下半身が震える。グルグルと円を描くように掻き回されているのだ。グチャグチャグチャ……と、湿った音が局部から響いてきた。
「あっ…やっ…一誠……」
指が増やされたのがわかった。一誠が身につけていた渋みの入った柿色のセーターを思いきり引っ張るが、二本の指が抜かれることはない。内部を解《ほぐ》すように動いていた指に前立腺を摺り上げられて、英典の口から嬌声が漏れた。
「ああっ……」
「英典さん…いいの…?」
「やっ………」
自分の口から出た声と不本意ながらも感じてしまっている身体に、英典は狂いそうだった。排泄するための器官は完全な性器に変わっている。今にも理性がブチ切れそうだ。男としての尊厳はどこかに消えてしまったような気がする。
「ここですね…」
一誠は英典のイイところを発見し、そのポイントを執拗に突く。
突かれたほうは堪《たま》らなかった。
「もっ…やっ…一誠……!!」
「英典さんの中、柔らかい……」
「一誠っ…うっ………」
このままでは駄目だ。英典は首を伸ばして、一誠の肩に噛みついた。
ざっくり編みのセーターだが、筋肉がついた一誠の硬い肩にちゃんと歯は当たっている。
プロである一誠は、身体が資本だと充分承知していた。でも今の英典に、一誠の身体を思いやる余裕はない。
「英典さん、俺の口はこっち…」
めでたい男というのだろうか。とことん馬鹿というのだろうか。一誠は英典が「キスをしようと思った」と思ったらしい。
「その頭どうなっているんだ!?」
思わずそう叫ばずにはいられなかった英典は、最後の抵抗とばかりに食いついた肩を離してしまった。
「英典さんのことでいっぱい」
おまけに、一誠の唇が英典の半開きの唇に重なる。当然のように舌が深く入ってくるので、英典はむせかえりそうになった。
「っ……」
キスの最中ですら、英典の身体の中に埋め込まれた一誠の指は動いている。もう、英典はどうにもならない状態に陥《おちい》っていた。前立腺への刺激で男性器は熱くなっているし、秘部への愛撫で知らず知らずのうちに腰が妖しく動いている。そんなところも、一誠の淫らな行為の後押しをしているのだろう。
官能小説の世界では後ろの穴も重要不可欠な存在だ。美貌のヒロインはアナル責めに喘いでいる。虚構のものだと一笑するつもりはない。
でも、まさか、自分が、自分の身体が……と、英典は信じられなかった。初めての実体験はハードすぎる。
一誠のキスはやたらと甘かった。頭と唇がだんだんと痺れてくる。
「英典さん……」
深く重なり合っていた唇が離れる。
飲みきれなかった唾液が薄い唇から漏れ、涼やかな英典の瞳は潤みまくっていた。日頃のストイックな姿は消え去っている。
「綺麗だ…」
夢を見ているような瞳をした一誠が小さく呟いた。
身体の中から指が出ていくが、痺れている下半身のせいで動けない。いや、指は引き抜かれても、押さえつけられている手と足の力は緩むことがなかった。
そうこうしているうちに、ジッパーを下ろす音が聞こえてきた。
一誠は右手と足で英典の身体を布団の上に押しつけながら、器用にも左手で己の男性器を取りだしている。
一誠の股間のモノを見た英典は絶句した。
巨根なんてものではない。
馬だ。
「英典さん、いきます」
想像を絶する巨大な肉棒が自分に向かって伸びてくる。
どこにソレを入れようとしているのか……聞かなくてもわかっていた。
「無理だーっ!」
「失礼しますっ」
足を抱え上げられて、オイルで濡れている秘部に先端が定められた。
腕力では敵《かな》わないが、頭と口では負けない。英典は一誠を止めるセリフを思いついた。
「板東久美子はどうするんだっ、結婚するんだろうっ」
「彼女とは別れました!」
一誠の真剣な顔と口調に、板東久美子なる美人アナウンサーへの未練はないことがわかる。嘘がつける男ではないので、彼女との別離は真実だろう。
「別れるな! さっさとヨリを戻せっ」
「動かないでください」
「うっ……」
メリ…………といういやな音が秘部から響き、英典の身体に凄まじい衝撃が走る。視界にいくつもの星が散った。
「じっとしてて……」
痛いなんてものではない。
「身体の力を抜いてください」
息ができない。
「大丈夫です」
大丈夫ではない。
「ちゃんと入ります」
入るわけがない。
「入れてみせます」
入れないでくれ。
一誠の男根はゆっくりと奥に侵入してくる。英典の全身から脂汗が噴きだし、瞳からは大粒の涙が途切れることなく溢れつづけていた。勃起していた男性器は、激痛と圧迫感に負けたようだ。常の状態に戻っている。
「くうっ…」
いったいどこまで入ってくるのか。鋼鉄のような肉棒は奥へ奥へと進入してくるばかりで、一向に止まる気配がない。
ぐったりとしている英典にやっと気づいたのか、一誠は詫びらしき言葉を口にした。
「すみません……」
謝罪の言葉を口にする前に、それを引き抜いてほしい。それは凶器以外の何物でもないだろう。僕を殺す気か……!
だが、息も切れ切れの英典には切実な思いを口にすることができない。
「痛いだけですか?」
一誠の手が英典の股間に伸びる。巧みな手淫が始まったが、下半身はどこか麻痺しているのか勃起などしない。後ろへの激痛がすべてを上回っているのだ。
「俺の、デカチンだって…言われてるけど……」
一誠にも己の一物がどれだけのものか、自覚はあるらしい。女性ならばこのサイズに喜んだのだろうか。
板東久美子さん……こんなのを相手にしていたなんて尊敬します。
縦も横も半端ではない一誠の巨根を受け入れていた女性に、英典は心の底から感心してしまう。
一誠の巨大な肉棒がゆっくりと出ていった。だが、英典の身体は麻痺していて、まったく動かすことができない。秘孔にはまだ太いものが突き刺さっているような感覚がある。一誠の巨大な肉棒から与えられたダメージは、あまりにも大きかった。
英典から少し離れた一誠は、傍らで何やらゴソゴソやっている。
「んっ…?」
「これで…拡げたら……」
「ま、待てっ」
一誠は放り投げていたジャケットのポケットから、妖しい光を放っているバイブレーターを取りだした。
どうしてそんなものがポケットに入っているんだ。どうしてそんなものを持ってくるんだ……呆気に取られているうちに、バイブレーターを身体の中に埋め込まれる。一誠の男根よりもずっと楽だった。
「ふっ……」
「宇都宮さんから貰ったんだ。新品だって」
「うっ…」
たしかに、常識外れの一誠の男根よりは一回りも二回りも小さいが、異物の挿入は苦痛を伴う。しかし、ペニスを模倣したバイブレーターはぬめぬめとしたオイルの助けを借りて、奥まできっちりと入った。押し込める一誠の手にも躊躇いはないようだ。
「これで慣れたら俺のも……」
「やめて…いい加減にしてくれっ……」
「もっと慣れていると思ってたけど」
初めはひんやりと冷たかった異物も、馴染んでくれば温かい。馬のような一誠の巨根ほどきつくないので、荒くなるとはいえ息もできるし、一応声も出せる。秘孔からオイルが漏れているのがわかった。
「僕は…男とどうこうなったことはないっ…」
「本当に?」
「あぁ…」
「俺が初めて?」
とても嬉しそうな顔で念を押される。
「あぁ…」
「すげぇっ。嬉しい!」
「そ、そんなに……喜ぶなっ…………」
自分が初めての男だと知って、一誠はガッツポーズを取った。硬く握った拳は歓喜のためか揺れている。
「嬉しいです。本当に俺が初めてなんですね?」
「あぁ…。こんなにひどい目に遭ったのは初めてだ」
「任せてください。すぐによくなります」
「おいっ…」
カチリ……バイブレーターのスイッチが入った。
「やっ…一誠!」
身体の中にある異物がクネクネと動きだす。同時に、一誠の手が英典の男性器を扱《しご》きはじめた。
「あっ…あっ……やめて……」
「綺麗だ……」
「一誠──っ! …うっ……」
巧みな手淫で英典の下半身は熱くなってきた。身体の中に埋め込まれたバイブレーターにも煽られている。痛感と快感が混じったような、いいようのない感覚が身体の底から湧きあがってきた。
「英典さん、勃った……勃ちましたっ」
一誠は勃起した英典の男性器に心の底から喜んでいるようだ。
「馬鹿っ…」
「よかった」
「よくないっ…!」
いっそのこと、不能だったらよかったのに……!
男としてのプライドぐらい、英典だって持っている。年下の男と妖しい玩具に惑わされる自分が許せなかった。
「恋人の間でセックスは重要な問題です」
「誰が…恋人……くっ……」
「あっ、イくのはちょっと待って」
硬くなった男根をぎゅっ……と、強く握られて、英典は唇を噛み締めた。
「じゃ、失礼します」
バイブレーターが引き抜かれたと思うと、一誠の巨大な肉棒が迫ってきた。
「無理だっ」
「無理じゃない」
「やめろっ」
英典は無我夢中で腕を振り回した。一誠に掴まれ、英典はその逞しい腕に思いきり噛みついた。
「痛……!」
思いきり歯を立てたので、さすがの一誠も痛かったようだ。
怯んだ瞬間を、英典は見逃さなかった。
咄嗟に掴んだ雑誌を、一誠に向けて放り投げる。しかし雑誌攻撃など、一誠は軽く避けてしまう。おまけに、雑誌は積み上げていた新聞紙に当たったらしい。新聞紙が雪崩を起こして、床の上に散らばった。新聞独特の匂いが部屋の中に漂う。
「俺の部屋より汚いかも」
先ほど崩れた山積みの雑誌の残骸に新聞紙が加わり、床はまったく見えなくなってしまった。地震後の部屋のような惨状だ。
「どけっ……」
英典は床に散らばったものを手当たり次第投げ始めた。
「英典さん、恐くないから」
「やめ……」
布団の上にうつ伏せの状態で押し倒される。背後から伸しかかってくる一誠の身体は錘《おもり》のように重い。濡れた秘孔を一誠の巨大なものの先端でこじ開けられた。
「んっ……」
二度目だからか、バイブレーターに耐えたからか、さっきの挿入時ほどの激痛は走らなかった。
「恐くないって……」
一誠の巨根が身体の中にゆっくりと入ってくる。
腰を掴まれて、高く上げさせられた。
「んっ…んっ……」
信じられないところまで一誠は入ってくる。いくらなんでもこれ以上入ってこないだろう……と、踏んでいたのに。
「イイです……」
「やっ…ふっ…………」
一誠がゆっくりと動きだした。
つられるように、細い英典の腰も動く。
「前、触ってあげるから…」
一誠の手が熱くなっている英典の男性器に伸びた。
「んっ……」
凄まじい圧迫感と痛みで息もできない状態だが、男性器の熱で相殺されるのだろうか。英典の身体は一誠を受け入れる器となっていた。巨大な肉塊に身体は軋んでいるが、それと同じくらい快感も得ている。
「あっ…ふっ……」
英典の嬌声の淫らさに、若い男は煽られたらしい。赤黒い肉塊は一段と強度を増し、腰の動きは激しくなった。粘膜をまさぐるように男根を回している。
「んっ…んっ…………」
後背位で回転運動………と、英典は今の状態を言葉で表した。何か考えていないと我を失ってしまいそうだったからだ。
「くっ……」
回転の次はピストン運動……。また、大きくなったか?
一誠は前傾姿勢で抽送運動に励んでいる。
しかし冷静に考えていられたのはここまでだった。
背中にかかっている一誠の息がとても荒い。そしてそれ以上に、英典の呼吸は乱れ、彼の下半身もとても熱く激しく感じていた。
「んっ…んっ……んっ……」
英典の身体はそうすることが自然なように、一誠の動きに合わせていた。
「英典さん……」
「んっ…ああっ…あっ……」
「イキますっ……」
一誠は英典の身体の中に精を飛ばした。
「んっ…………」
身体の中に飛沫を感じた英典から、とうとう理性が吹き飛んだ。もういい、諦めた……と、そんなやけっぱちな気持ちもあった。
「英典さん、俺…まだ……」
一度放っても、一誠は満足しておらず、男根を引き抜くことはしなかった。それどころか、震えている英典の腰を掴んで立ち上がった。
「うっ……」
後ろには一誠のものが入ったままだし、英典も絶頂を迎える寸前だ。英典は立っていられなくて前屈みになるが、一誠の左腕が腰に回って離さない。筋肉に覆われた腕にしっかりと支えられていた。
「ふっ…ふっ……」
一誠の右手が英典の男性器を追い上げる。
小さな冷蔵庫に向かって、英典は白い精を放った。
「英典さん…凄い…締まるっ……」
「一誠……!」
英典は立位で攻められている。
飛沫を飛ばした冷蔵庫に手をついて英典は悶えた。男根の挿入感が甘美な疼きとなってきている。
「イイ……」
「あっ…あぁっ……」
「英典さんもイイ?」
自分の身体が信じられない……英典の下半身に快感が走っていた。意思に反して、甘い嬌声が漏れる。
「あっ…そんなにっ……」
「英典さんの中、凄くイイ……」
「あっ…あっ……駄目っ……」
ギュッ……と、秘部が窄《すぼ》まる。もちろん、英典は意識してやっているわけではない。身体が自然にそうなってしまうのだ。
「そんなに締めつけたら……!」
「あっ…一誠……はっ……あっ…………」
潤みまくった英典の瞳は切なそうに細められ、半開きの唇からはひっきりなしに甘い声が漏れる。更なる快感を求めるために、細い腰は大きく揺れていた。
「英典さんも感じてる……?」
「あっ…馬鹿……あっ……あぁっ……」
「出るっ……」
一誠が二度目の精を英典の奥深くに放った。
秘孔から精液と潤滑剤の交じり合ったものが漏れて、足を伝って流れていく。
「英典さん、もっとしたい…」
英典の視界が白くかすみ、身体の感覚がなくなっていく。
もう……駄目だ…………。
薄れていく意識の中、英典の脳裏には坊主頭の一誠がいた。詰め襟の学生服を着た一誠は、ペコリと頭を下げている。無言で頭を下げるのが、あの頃の一誠の挨拶だった。
「英典さん?」
英典は意識を完全に手放した。
どれくらい意識を失っていたのか、判断がつかない。
はっきりと覚醒した時、英典の身体の上には毛布がかけられていて、隣には一誠が横たわっていた。安らかな寝息を立てて眠っている。風呂にでも入ったのか、一誠からは石鹸の匂いがしていた。
身体の感覚がないというのか、どこもかしこも痛すぎるというのか……苦手なマラソン大会の後だってこんな状態になったことはない。全身の倦怠感が凄まじく、指一本動かすことができなかった。喉や目まで痛い。身体の中には、まだ硬いものが突き刺さっているような気がする。
時間ぐらいは知りたくて、英典は枕もとにあるはずの目覚まし時計を視線だけで探した。散らばっていた雑誌や文庫は種類別に積み上げられている。一誠が整理したのだろうか。でも、あるはずの目覚まし時計が見当たらない。メガネもない。
カーテン越しに漏れてくる明るい光から、夜ではないということだけがわかった。車道を走る車の音が微かに聞こえてくる。
「え……」
ズキズキと熱を持っている秘孔に硬いものを感じた。身体の中に突き刺さっているような感じがするのではなく、本当に突き刺さっていたのだ。秘孔にはなんとあのバイブレーターが埋め込まれていた。
放置プレイか……。誰がこのようなものを入れたのだ、と思い悩む必要はない。犯人は傍らで子供のような寝顔を晒している大男だ。
「一誠……」
腹部に力が入らないので、怒りを込めた声は弱々しく掠れている。
「英典さん」
子供の頃から朝練に励んでいる一誠の寝起きはよく、瞳を開けた途端、英典に向かって優しく笑った。長い腕で愛しそうに抱き締めてくるが、もちろん、英典は微笑むようなことはできない。怒鳴ろうとしたけれども、震えた声しか出なかった。
「一誠…こ…………れ……」
バイブレーターを引き抜いてくれ……と、英典は目で訴えたけれども、一誠に通じるはずもない。
「英典さん、色っぽいv」
「こ…この……こ……」
声が掠れて上手くものが言えない。身体がいうことを聞いたら、たとえ敵わなくても一発ぐらい殴っている。凶器を持って。
「英典さん、もしかして何か飲みたい? なんか飲んだほうがいいんじゃないですか?」
「冷蔵庫……」
「はい」
一誠は英典を胸の中に抱いたまま、情事の痕跡を残す小さな冷蔵庫のドアを開けた。長い一誠の腕でこそできる離れ業だろう。ほとんど何も入っていない冷蔵庫の中から、清涼飲料水のペットボトルを取りだす。
「英典さん、飲めますか」
「あぁ…」
冷たい清涼飲料水は英典の喉を潤し、身体に少しだけ力を与えた。とりあえず、声は出せるようになったようだ。
「一誠、これを抜け」
「早く慣れてほしい」
一誠の頬は赤く染まり、照れている様子があるものの、口調には迷いも照れもない。本心からそう願っているのだろう。
「ふざけるな、抜けっ」
「早く慣れるためにも入れておいたほうがいいと思う。身体がなまると大変です。ケガで二軍落ちした先輩なんてどれだけ苦しんだか」
プロとしての身体と体力、そして技術……それらのものを維持することは難しい。戦線離脱期間に失ったものを取り戻すためにどれだけの努力を必要とするのか……一誠は野球に喩えているようだ。英典の排泄孔を。
「野球じゃないんだっ、早く抜いてくれ! こ、こんな……こんなの……何を考えているんだよっ。一誠がこんなひどいことをする子だなんて夢にも思ってみなかったぞ……君は…君は……弟みたいで…可愛かったのに……馬鹿だけど素直で……とてもいい子だったのに……なんてことを……」
感情が昂ぶって、気持ちを上手く言葉にすることができない。瞳からは悔しさと羞恥のせいか、涙が溢れてきた。
「弟なんていやです。それに、よがってたでしょう。そんなに悪くなかったはず……」
「一誠っ! き…君は……君は…いつの間にそんな男になったんだっ。あんなにいい子だったのに!」
「英典さん、いい子はやめてください。優しくするから……」
「馬鹿! 一度、死ねっ」
今までの人生の中で、どんなにむかついたことがあっても、ここまで口汚く罵ったことはなかった。
「死ねっ、死ねっ、死ねっ……」
一誠の顔が悲しそうに歪む。感情がそのまま顔に出るような男なのだ。
言い過ぎた……と、英典は我に返る。
だが、身体の奥に感じるバイブレーターの存在は、言葉の暴力に対する後悔を一瞬だけのものにしてしまう。
「英典さんのためだったら、死んであげますよ」
低く通る声できっぱりと言い放った一誠の瞳に濁りはなかった。
「……君は……君は……君はっ」
「英典さんのためだったら、いつでも死んであげます」
「馬鹿野郎…馬鹿、馬鹿、馬鹿……」
英典はもうなんと言えばいいのかわからない。子供のように泣きじゃくっていた。
「昔から…子供の頃から好きでした……。英典さんの部屋の明かりがついているのを見て……よくドキドキしていました」
一誠は英典の瞳に浮かんだ涙を唇で掠め取る。優しく宥《なだ》めるかのように。
「馬鹿…馬鹿……馬鹿っ……! 小学校からやり直せっ。いや、幼稚園からやり直せっ」
「一生大事にします」
大事にすると何度も聞いた。だが、本当に大事にしてくれるというならば、この行為はやめてほしい……。
「英典さん、大丈夫ですか? 眠りっぱなしだったから…」
大丈夫なわけがない。
「何回もしたら『もっともっと』になるんですよね。いっぱいいっぱいしましょう」
自分から求めてくる淫らな英典を想像しているのだろう。アイドルタレントのように整っている一誠の顔が、好色オヤジのように緩んでいる。
「一誠っ…」
「好きです」
口下手な男のくせに、一誠は愛の言葉を惜しまない。
「…………」
「幸せにします」
「何度も聞いた」
「頭悪ィけど野球じゃ誰にも負けねぇ。英典さんが自慢してくれるような男になります」
「プロにはそういう奴が腐るほどいるんだろう」
「誰にも負けねぇ」
勉強の成績は努力にほぼ比例する。でも、本の売り上げは努力に比例しない。どのような犠牲を払っても売れないものは売れない。その反面、どうしてアレが売れるんだ……と、首を傾げるようなものもある。
それと同じとは言わないが、プロのスポーツ選手も努力だけでは食べていくことができない。運と才能が必要だが、一誠は自分に自信があるようだ。若さゆえの傲慢さなのだろうか。ついつい英典は釘を刺してしまう。
「特に東京シャークは金で他の球団から主砲を引き抜いてくる。生き馬の目を抜くような東京シャークのレギュラー争い……僕でも知っているよ。他のチームに行けば一軍で活躍できるのに、それを恐れて球団側は放出しない。二軍で才能のある選手を飼い殺す」
「俺に英典さんみたいないい頭はない。でもその分、運と丈夫な身体はある」
「運か……」
「チャンスになると俺に打順が回ってくる。これも運だ」
「その場面でホームランを打てるのも運か……」
「それは俺の実力です」
実力だと言いきった一誠は、プロのメシを食っている男だった。
自信満々の一誠に英典は苦笑を漏らしてしまう。でも、自惚《うぬぼ》れるなという思いは抱かなかった。一誠がプロの世界で少しでも長く生きていけるように……と、本心から強く願ってしまう。ひどいことをされた後なのに……やはり、憎むことができない。
「一誠、腕が動かない…。頼むから抜いてくれ。今ならすべて忘れてやるから…」
「何を聞いていたんですか」
「一誠、抜けっ…!」
一誠は英典の身体の上にかけられていた毛布を剥ぎ取った。意識を失っている間につけられたらしいキスマークだらけの裸体の奥には、妖しい玩具が突き刺さっている。だが、一誠は局部をじっと見つめるだけで、英典の指示に従うことはしなかった。
腕に力が入らない。でも、呼吸を大きく吸って、英典は気持ちだけで腕を局部に伸ばした。バイブレーターに左右の手を添え、引き抜こうとするが…。
一誠がその手を止めた。それどころか、英典の手に添えた自分の手に力を込め、更に奥へと差し入れる。グチュ……湿った音が秘部から響いてきた。
「一誠っ。抜いてくれ…つらい……」
「もう、英典さんは俺のモンです」
「あのな……」
「絶対幸せにする」
「板東久美子の二の舞はいやだ」
どうやったらこの男は引くのか、どこを突いたら諦めるのか……英典は冷静に考えた。
「それは…そりゃ、綺麗な人だったし…英典さんと同じ歳だったから興味も持ったし……英典さんは俺なんか相手にしてくれないって諦めていたから」
「ラベンダー書院の男は手軽になったのか?」
真面目な優等生には手が出せないが、エロ出版社の編集ならば力ずくでものにすればいいとでも思ったのだろうか……英典は自嘲気味に笑った。
「あんな危ないところでエロいことをされているんだったら、俺のモンになったほうが幸せです」
「全部、一誠の勘違いだって、わかったな?」
「危ないところには変わらねぇ」
ラベンダー書院に対する偏見はまだ払拭されていないようだ。
「…一誠」
一誠の手でバイブレーターが動かされた。
「うっ……」
カチ……スイッチが入れられた。
「俺のモンになって」
「一誠っ……やっ…………」
大人のための玩具はドリルのように英典の粘膜を抉《えぐ》りまくった。消耗しきった身体にはどこまでも残酷な動きだ。しかし秘部に痛みはない。それどころか、甘く疼いている。
「俺のモンになってくれる?」
「一誠、切れっ」
「俺のモンになってくれたら切る」
「い……一誠……」
カチリ……機械音が鳴ったと思うと、バイブレーターの動作が変わった。グルグルと身体の中を回転している。
「やっ…待て……」
「俺のモンになる?」
右に回転していたバイブレーターは左回転へと変わった。容赦のない動きで、肉壁を抉りまくっている。
「一誠も男、僕も……男……」
「男同士でもえっちできるじゃん」
「それだけじゃないだろう」
「それでいい」
一誠には常識と倫理観がごっそりと抜け落ちている。
「よくないのっ」
「なんでもいいんです。…英典さんが欲しい…」
不吉な機械音がまた鳴って、バイブレーターの回転が速くなる。
「うっ……」
「誰にも渡さねぇ……」
「あっ……いやっ……」
「俺のモンになって」
「わ、わかった…わかったから……」
前立腺をグリグリと擦られて、麻痺しているはずの下半身がおかしくなってきた。秘孔はズキズキと熱く疼き、股間で息を潜めていた男性器は力を持ちはじめている。このままでは危ない。
命を持たないバイブレーターに犯されて、射精などしたくなかった。それも、真っ直ぐな視線を投げてくる一誠の目の前で。
「約束ですよ」
「あぁ…わかった…。だから……やめてくれっ」
「本当?」
勃起しかかった英典の男性器に一誠は手を伸ばした。ゆるゆると扱きはじめる。先走りの滴が秘部まで流れた。
「あぁ……」
「じゃあ、英典さんも誓って」
「……あ?」
どうしようもない射精感に英典は支配されていた。淡泊なはずの自分の身体が、どうしてこんなに簡単に熱くなってしまうのか、疲労しきっているはずなのに、どうしてまた勃起してしまうのか……信じたくない事実に目を背けたくなる。でも、これが現実だ。
「八木沢英典は一生、遠藤一誠を愛しぬく…って」
「わ、わかった。誓う……誓ってやるからっ……」
「ちゃんと言って」
とことん屈服させないと気がすまないのか。
一誠は英典の口からどうしても誓いの言葉を言わせたいらしい。
「八木沢英典は……一生、遠藤一誠を愛しぬきます……」
「うん」
命を持たない異物は、やっと淫猥な動作を停止した。
しかし、英典のモノを扱く一誠の手は止まらなかった。
「イってください」
「ふっ……」
英典は下肢を震わせながら、大きな一誠の手に白い精を放った。濃厚な匂いが部屋の中に漂う。
「英典さん、無茶苦茶色っぽい」
ぬっとりとした視線で見つめてくるのは一誠だ。手についた白い液体を舐めているので、英典は見ていられない。
「…もう…………」
「抜くの?」
「抜いてくれ……」
グチュ……グチュリ……いやらしい音とともに、身体の中からいつ動き出すかわからないバイブレーターが引き抜かれた。
でも、英典の秘部は馴染んだ玩具を失うと、寂しそうに疼いている。思う存分広げられた秘孔は、入れてくださいとねだっているかのようにぱっくりと口を開けたままで、なかなか閉じようとはしない。慎ましさの欠片《かけら》もなかった。
英典の意思に反する淫らな秘孔は、一誠の目を楽しませている。
「英典さん」
「見るな」
「そんなに恥かしがらなくても……」
「……ところで…今、何時だ?」
「十一時半です」
「テレビをつけてくれ。観たい日曜の特番があったんだ」
「英典さん、今日は月曜日です」
一誠はなんでもないことのように言い放ったが、英典は目を見開いて聞き返した。月曜日の十一時など、もう仕事は始まっている。
「……え?」
「英典さん、ずっと眠りっぱなしで……」
「一誠が来たのは土曜日の午後だったな?」
嵐の来訪は土曜日だった。この記憶に間違いはないと思いつつも、英典は確認のために尋ねる。
「はい」
「丸一日眠りっぱなしか…。って、その間、ずっと僕の中にアレを入れていたのかっ! …そんなことを言っている場合じゃないっ。電話だ」
無断欠勤など社会人のするべきことではない。
「電話ですか?」
「会社に連絡を入れないと…無断欠勤はヤバ……くっ……」
英典は身体に力を入れようとしたがまったく入らない。下半身はどんよりと重くて動かないし、背中はズキズキと痛む。やっとのことで腕を伸ばしたけれども、肩には何か背負っているようだ。英典は立つことすらできなかった。あれだけのことをされたのだから、当然かもしれない。
「身体中が痛い…下半身不随になった気分だ……」
今日休んだぐらいで身体は動くようになるのだろうか。無理に会社に行っても、椅子に座っていることができないなら、どうにもならないだろう。
「英典さん、そんなに痛いなら医者に行きますか?」
「ふざけるなっ。電話を取ってくれ……。それと、僕のメガネは?」
英典は布団の上に座ることもできない。寝転がったまま、チェストの上に置いてある電話を指した。
一誠は素直に従う。
銀縁のメガネをかけた英典に、一誠は“昔の英典さんがいる”と微笑んだ。高校生の頃から変わっていないと言いたいらしい。
「静かにしていろよ」
一誠に釘を刺してから、英典は編集部に電話をかけた。
「おはようございます、八木沢です……」
応対してくれたのは一誠に『強姦魔』とのレッテルを貼られた“ラベンダーのお花”こと花崎だった。今、ホンモノの花崎とは接したくない気分だが仕方がない。
「連絡が遅くなって申し訳ございません。実は…昨日、車にひかれまして……」
電話の向こうにいる花崎も驚いていたが、隣にいる一誠も驚いていた。
不自由な身体を持てあましている英典にしてみれば、車にひかれたのではなく、大型トラックにひき殺されたような気分だったが。
「たいしたことはないんですが、しばらくはじっとしていろと医者に言われまして……いえ、今日、退院しますので、そんな……。お見舞いなどは結構です。何せ、友人が運転する車と衝突したものですから…警察にも届けてはいません…はい……」
この話はフィクションですが許してください……と、心の中で呟きながら、英典は電話を切った。
「英典さん…どうして……」
当然のように、眉を思いきり顰めた一誠が尋ねてくる。
「ありもしない葬式に参列されると困るから、言い訳としても両親を殺すわけにはいかない。死亡が祖父母でも面倒だ」
「英典さん?」
「いつ、この全身筋肉痛がひくかわからない。風邪なんていってみろ。二、三日中に出社しないとヤバイだろうが。健康管理もできないような男だと思われるのは癪《しゃく》に触る。休日の事故だったらまだいいさ」
英典にも英典なりのポリシーがあった。
診断書を提出しろと言われたら、馴染みの医者に三万ほど包めばいい。文芸平安社時代に知り合った総合病院の院長は、いろいろと危ない橋を渡ってくれる医者だった。
知り合ったきっかけを思いだすと、今でも胃がシクシクと痛んでしまう。締め切りをとっくにすぎても原稿の上がらない担当作家が、胃癌と偽って逃げ込んだ先が、その総合病院の院長だったのだ。担当作家から泣きつかれた院長は下手な嘘をついたけれども、借金取りの如く原稿取りに焦っていた英典はすぐに見破ってしまった。“時間に追い立てられて小説を書きたくない”と言い張る作家に、病室で原稿を書かせた英典は“鬼”と罵られてしまったが、以来、どういうわけかその院長とは馴染みになってしまっている。
「そんな…」
呆れるほど馬鹿正直な一誠は、まったく理解できないらしい。
「作家さんが事故に遭いまして…と、印刷所にかけあったこともあるな」
担当の女性社員は休日返上で働いたそうだ。ちなみに、そんなことが何度もあって、結婚を前提につき合っていた彼氏からフラれたとか。
「その仕事、英典さんには合っていないと思う」
「いや……一誠が野球が好きなように、僕もこの仕事と世界が好きなんだよ」
好きだということは一誠にもわかるのだろう。彼自身、子供の頃から“野球ばっかりして、少しは勉強しなさい”と罵られてきたのだから。
「好きなんですか」
「一誠、そろそろ帰りなさい」
「いやです」
「こんな狭い部屋に二人でいたら息が詰まるだろう」
「いやですよ。一緒にいたい……」
「じゃあ、タオルを濡らして持ってきてくれ。気持ち悪いんだ……」
風呂にでも入りたいところだが足腰が立たない。
「あぁ…じゃ、風呂に入りましょう」
「いや、タオルで拭くからいい……わっ…」
一誠に抱き上げられて、英典は風呂まで運ばれる。
お姫さま抱っこなどされたのは当然ながら初めてだが、一誠の足取りはたしかで軽々と運んでいた。
スポーツ選手を追いまわす女性の気持ちがわかる……ような気がした。鍛え上げられた逞しい身体に包まれたら、よろめいてしまうこともあるだろう。こんなこと、普通の男は簡単にできないはずだ。無理にしたとしても、ギックリ腰の危険性がある。
「ありがとう。出てくれ……」
湯を張ったユニットバスに身体を沈めた。適温の湯にガチガチの身体が癒されていくような気がする。
「一緒に入りましょう」
一誠はさっさと自分の衣服を脱ぎ捨てた。鍛え上げられた裸身が現れる。
「こんな狭いのに…無理だ」
「大丈夫です」
一誠も狭いバスタブの中に入ってくる。背後から英典を抱え込むような姿勢を取った。腕が英典の胸部で交差する。
「一誠……」
首筋に一誠の唇を感じて、英典は身体をしならせた。それでも、一誠の唇は英典の身体から離れない。彼の股間が英典の臀部に当たっていた。
「憧れの生徒会長に…ずっとこうしたかった」
「憧れってね……」
「俺の他にも英典さんを狙っていた奴はいましたよ。生徒会の役員だった奴と殴りあったこともある。こっちが暴力事件を起こせないと知っててナメやがって」
野球部員が暴力事件など起こしたら、出場停止処分を食らうだろう。それは甲子園を目指していた一誠もよくわかっていたはずだ。
「副会長が骨折で入院したことがあったが…まさか、それって……」
「はい……。どうしても許せなかった…」
「馬鹿」
生徒会長として生徒会を運営していた時代、補佐である副会長がそんな下心を抱いていたとは知らなかった。もちろん、一誠が陰でそんなことをしでかしていたこともまったく気づかなかった。
「馬鹿じゃねぇ。あいつ、ほっておいたら英典さんに何をするかわからなかった」
一誠の股間の一物が勃起していた。当然、英典の尻丘の割れ目に固いものが当たっている。危険を感じた英典は逃げようとしたけれども、狭いバスタブの中では移動するスペースがない。
「一誠…ちょっ……」
「もう一回」
背後にぴったりと張りついている一誠が、どのような表情を浮かべているのか知らないが、その俊敏な動作は英典を慌てさせるものだった。一誠の手で、英典は腰を浮かせられ、お湯で柔らかくなっている秘部にその大きな男根の先が当てられた。
「待てっ。それでなくても寝たきり老人状態なのに……!」
「おむつ買ってきますから」
「いらねーよっ」
一誠といるとついつい口が悪くなってしまう。
「俺のモンだし…入れさせてね」
「やだっ…んんっ……」
「そんなに暴れても無駄です」
「あんっ……」
英典は一誠の巨根の上に腰を下ろされた。グサリ……と、奥まで突き刺さっているが、お湯のせいか惨《むご》い痛みはない。
「英典さんの中…熱い……」
「あっ…あっ……」
痛くもないし、圧迫感もない。麻痺していて、身体のすべての感覚がなくなっているのだろうか。でも、震えるような快感は肌を走っていて、上ずった声が自然と漏れる。場所が場所だけに英典の声はとても響いた。
「もっと…色っぽい声を聞かせてください」
「やっ…あっ……そんなに揺らさないで……」
「英典さん、可愛い」
「馬鹿っ、あっ…やっ……ああっ…」
お湯まで秘部の中に入ってくる。一誠を深く飲み込んだ英典の身体は、とろけるような快感に支配されていた。
「英典さんの乳首、綺麗なピンク」
一誠の手に胸の突起をきつく摘《つま》まれて、英典は嬌声を上げた。
「あぁ──っ。……んっ」
「胸も感じるの?」
背後から聞いてくる一誠の声はとても弾んでいた。
「やっ…ああっ…やんっ……」
「女の子みたい」
「馬鹿っ、やっ…もうっ、触るなっ」
一誠に弄《いじ》くられた左右の乳首は固くなり、男性器も勃っている。性感帯と化した胸と秘部を刺激されて、英典は涙目で身悶えるしかなかった。
「女の子より綺麗ですよ…」
「あっ…はあんっ……ああっ……あっ……」
「英典さんが一番イイ」
「ああんっ……」
英典は自分の発した声が信じられなかった。でも、声を押さえることができない。身体の奥から湧き上がってくる痺れるような快感も、無視することができなかった。
「英典さん、そんなにイイ?」
「あっ…駄目……!」
「駄目って言うわりに、お尻のほうは凄いですよ」
「あっ…ああっ……あひぃっ……」
英典の粘膜は、嬉々として一誠の巨大な肉塊を貪っている。
「俺の千切れそう……」
「ああっ…あっ……やっ……」
込み上げてくる射精感にとうとう堪えられなくなった英典は、狭いバスタブの中で絶頂を迎えてしまった。
「英典さん、俺はまだですよ…」
「あっ……」
「まだまだです」
「やっ…もうっ……もうっ……」
ユニットバスの中で、英典はたっぷりと喘がされてしまった。
翌日、物音で目を覚ました英典は、予想通りの身体の状態に溜め息をついた。腰と背中が痛くて身動きすることもできない。でも、昨日の状態よりは幾分マシだろう。枕もとに置いていたメガネを探す。
「…え………?」
銀縁のメガネをかけた英典は、周囲を確認すると絶句した。
優雅なアーチを描いている白い天井が広がっている。大きな窓がいくつもある部屋はやたらと広く、白い壁もドアもやたらと遠くに見える。フローリングの床の上に家具らしきものは何も置かれていなかったが、新築の匂いがする。
スライド式の本棚もなければ、山積みの雑誌もない。小さな冷蔵庫もなければ、木目調のチェストもなかった。
「ここは…どこだ……?」
たしか、自分の部屋にいたはずだ。見慣れた布団で寝ているが、だだっ広い部屋に見覚えはない。
トンネルを抜けると雪国……ではなく、目覚めたら知らない部屋なんて……基本的にクールな英典はパニックを起こしかけていた。
隣に一誠はいないが、東京シャーク・グッズである一誠の背番号のついたユニフォームを着たキャラクターのぬいぐるみが、英典に寄り添うように寝かされていた。こういうことをするのは一誠しかいないだろう。
一誠の名前を呼ぼうとした時、ドアが開いた。
端正な顔立ちをしたジーンズ姿の青年が顔を出す。にっこりと笑いながら、英典に近づいてきた。
「初めまして。東京シャークの加藤百太と申します」
「……え?」
「綺麗な人だって、一誠と宇都宮さんから聞いていたけど……想像以上ですね。俺も好みです」
一誠とも宇都宮とも違うムードを漂わせている男だった。切れ長の一重瞼だが、陰気ではない。身体つきもどちらかといえばほっそりとしていて、お公家さんといった風情があり、プロの野球選手には見えなかった。だが、英典も東京シャークの加藤百太のことは紙面で見かけて知っている。ドラフト一位で入団した東京シャークのホープで、一誠の一年先輩である。一誠とも仲がよいとされていた選手だ。
「君は……」
「残念。一誠より先に会いたかったな…」
「あの……加藤くん、ここは?」
英典が縋《すが》るような目で加藤に尋ねた時、首からタオルをかけた宇都宮が部屋に入ってきた。飲みながら歩いていたのか、手にはペットボトルを持っていた。肩まで捲《まく》り上げたシャツと洗いざらしのジーンズという宇都宮は、六本木の種馬というよりも、肉体労働者といった風情が漂っている。額からは大粒の汗が吹きでていた。
「加藤、そろそろ帰るぞ……と、英典さん、起きたんですか?」
汗だくの宇都宮に答えたのは、涼しそうな顔をしている加藤だった。
「宇都宮さん、英典さんてやっぱり綺麗な人ですね」
「そうだろ。一誠って、面食いだったんだよな」
「一誠は巨乳好きだと思ってました」
「ヤツの初恋のお兄ちゃんだ。胸よりも顔だってさ…頭もいいし、優しいんだって」
「一誠の初恋のお兄ちゃんって、あの永遠のオナペットとかいう……」
「ズリネタから嫁さんになったんだって。あいつもたいした奴だぜ。伊達に生き馬の目を抜く東京シャークで三番を打っているわけじゃねぇ。ヤる時ゃヤるぜ」
ケラケラケラケラ……と、宇都宮は高笑いを響かせた。
この二人は、一誠と英典の間に何があったのか知っているらしい。頭上で交わされる会話に、英典は羞恥と屈辱感で真っ赤になった。
ドアの向こう側では何やら物音がしている。
「それはそっちに置いてください」
指示を出している声の主は一誠だ。それに対する声がいくつも返ってくる。一人や二人ではない。
「俺もこの人…好きです。俺がバックバージン貰いたかった」
加藤の言葉に宇都宮はニヤリと笑った。
「輪姦されていると思ったのにバックバージンだったとは……。それで、もう、あいつの馬並に慣れましたか?」
薄笑いを浮かべている宇都宮に、掛け布団を剥ぎ取られてしまう。
英典は自分の姿を確認して……真っ青になった。上はパジャマを着ているが、下は何も身につけていないのだ。すんなりとした白い足がパジャマの裾から伸びている。辛うじて局部は隠れていたが、見ようによっては裸身よりも卑猥な姿だった。
「えっちな身体していますね」
「宇都宮さんっ。やめてください!」
「あいつの大砲を咥えこんだんだ…もしかして、あそこの穴、緩くなった?」
宇都宮に足を掴まれて、開かされた。隠したい場所を興味津々といった瞳で覗き込まれる。思うがままにならない身体が恨めしい。
「宇都宮さんっ」
「そんなに真っ赤になって…可愛いな。一誠が血迷うわけがわかるぜ……」
「やめてくださいっ」
「ま…あいつ、イイ奴だからよろしくな。頼んだぜ」
一誠を語る宇都宮には、弟を想う兄といったムードが漂っていた。実力も人気も年俸も上の一誠に対する邪気や妬みはない。だが、英典に対する態度は無礼極まりなかった。
「宇都宮…さ……」
英典が怒鳴ろうとした時、低い声が響き渡った。
「何してるんですかっ」
首からタオルをかけた一誠が、鬼のような表情を浮かべて立っていた。食べかけのアイスキャンディーを手にしている。
「お前と間違われた……英典さん“優しく抱いて”だってさ。よっ、色男〜」
宇都宮は一誠の凄みに負けるような男ではない。ニヤニヤと笑いながら、しゃあしゃあと嘘をついた。
「英典さん……」
「じゃあな。引越しも済んだし、帰らせてもらうぜ。よろしくやってくれ」
宇都宮は加藤とともに部屋から出ていった。
一誠は駆け寄るようにして英典のもとにやってきた。
「あっ……」
すぐさま左右の足を掴まれて、胸につくほど折り曲げられてしまった。当然、秘孔が一誠の目前に迫る。
「ちょっ……一誠っ」
雪のように真っ白な肌の間に息づく蕾には、薄い色がついていた。
一誠は局部をじっと覗き込む。その痕跡がないか、確かめているらしい。
「英典さんっ、どうして俺と宇都宮さんを間違えるんですか…あ、メガネしていないとわからないの? そんなに綺麗で可愛いんだ、“優しく抱いて”なんて誘ったら襲われます。そういうのは俺だけに言ってください!」
荒い息と視線を秘部に感じて、英典は頬を染めながら口を開いた。
「違うっ。宇都宮さんの嘘だ」
「嘘って……じゃあまさか、英典さん……宇都宮さんを誘ったの。ひどい、俺の女房になったんでしょう?」
一誠は、宇都宮を疑う神経を持ち合わせていないのか……。
「女房?」
「英典さんは俺の女房になったんだし、ここは俺のモンだっ」
「うっ……?」
身体の中に冷たいものが差し込まれて、当然の如く、英典は身体を痙攣させる。何を突っ込まれたのか……。一誠の手から食べかけのアイスキャンディーが消えていた。肉壁の体温が急激に下がっていくような気がする。
「おっ、おいっ…いったい何をっ……!」
真っ青になった英典は、腰を大きく揺らして捻じ込まれるアイスキャンディーから逃れようとした。
「英典さん、俺より宇都宮さんのほうがいいの? そんなこと、言わせませんよ」
「違うっ……うんっ」
冷たいアイスキャンディーをぐっ……と、身体の奥まで押し込まれた後、グルグルと回された。英典の弱々しい抵抗では、屈強な一誠の力を押し戻せない。
「つ…つめたっ……!」
「何が違うんですか」
「…宇都宮さんが僕にっ……」
英典の身体の中でアイスが溶け、出口へ向かって逆流していた。秘部がてかてかと濡れ光っている。
「宇都宮さんが英典さんに何かしたの?」
「布団を捲られて、覗き込まれた…………」
「まったく。だから、英典さんは無防備だって……。そんなに色っぽいんだ、危ないって言っているでしょう。これからは気をつけてください」
気をつけるも何もないだろう。そもそも、今回のことに関して、英典に非があるとは思えない。動けない身体にしたのは他でもない一誠だし、危ない男を呼んだのも一誠だ。
「一誠っ……」
一誠は片手で自分のズボンの前を開くと、巨根を取りだす。それからどうなるか……英典の予想通り、アイスでドロドロになった体内に埋められた。アイスは潤滑剤と化している。
「英典さん。もう、目が離せない……」
「やっ…あっ……」
冷たくなっていた体内に熱いものを捻じ込まれて、英典は下半身を思いきり痙攣させた。
ズッ…ズッ……ズッ……規則正しい抽送の音が局部から響いてくる。
「もっ…あっ……一誠……」
「宇都宮さんには俺からよく言っとくけど……他の男の前で色気を振りまかないでください」
冷たさと熱さと……英典の体内で相反する感覚がグチャグチャに混ざり合う。激痛と快感も交互に襲ってきた。
「あっ…ああっ……あんっ……」
「英典さん、聞いていますか?」
「あっ…あぁっ……あっ……」
「英典さん、ちゃんと聞いてくださいね」
「あっ……」
慣れとはこんなに恐ろしいものなのか、それとも身体に学習能力がありすぎるのか、英典の秘部は一誠の巨根に感じるようになっている。後ろへの刺激だけで男根が熱くなってしまった。あの日からさんざん絞り取られているというのに。
「色っぽい英典さんを見るのは、俺だけです」
「あっ……」
体内に半分ほどいきりたった男根が埋め込まれたかと思うと、激しく抜き取られる。しかしまたすぐに、奥深くまで埋め込まれてしまう。
「可愛い英典さんを見るのも、俺だけです」
体内に男根のすべてを捻じ込まれ、英典の全身が揺れるほど激しく抜き差しされる。しばらく揺さぶられた後、今度は円を描くようにゆるやかに体内で回された。
「やっ…はっ……ああっ……」
グチャグチャ…ズッズッ…グチャグチャグチャ……溶けたアイスキャンディーと交接音が混ざり合い、これ以上ないというくらいの卑猥な音を奏でていた。恥骨がぶつかり合う音まで響いてくる。
「もちろん、淫乱じみた英典さんを見るのも俺だけです」
淫乱じみたという言葉に、英典の飛びかけていた理性が戻った。聞き流せない形容である。
「やっ…何がっ……淫乱っ……」
「英典さん、身体はえっちです」
一誠は楽しそうにきっぱりと言いきった。
「どこがっ……はっ…」
「ラベンダー書院の女の子よりえっちですよ」
「馬鹿っ、馬鹿一誠…勝手なことばかり…あっ……」
「身体は素直なのに強情ですね」
英典は秘孔に男根を捻じ込まれて感じている自分の身体が恨めしかった。でも、口に出して認めたくはなかった。
「あっ…馬鹿っ……あっ…」
「ここ、英典さんのイイところでしょう」
一際深く体内を抉られて、英典は全身をガクガクと震わせる。薄い唇からははばかりのない声が漏れてしまった。
「あぁーっ」
「ここを擦って…そう言ってみてください」
淫らな言葉を言わせようとする一誠に向かって、英典は首を左右に振った。かすかに残っていた意地だろうか。
でも、艶めいた声を殺すことはできなかった。
「やっ…あふっ……ふっ……」
「もっと強く擦ってあげるのに」
「やっ…あっ……ああんっ……」
「英典さんも好きなくせに」
「やっ…ああっ……あっ……ああっ……」
「英典さん、臍につきそう」
英典の男性器は破裂寸前だった。先走りの滴が流れて、テラテラといやらしく光っている。
「あっ……ああんっ……」
「イくの?」
「あっ…ああっ……」
「じゃ、一緒にイきましょう」
「あっ……」
一誠が英典の体内の己の欲望をはきだした。つられるように、英典も絶頂を迎える。ことが終わっても、一誠の腕から英典は解放されなかった。
「い…一誠……」
まだ息が整わないが、英典には言いたいことが山ほどある。ありすぎて、どれから言っていいのかわからない。
「あぁ。広いところを買いました」
一誠の先制攻撃に、英典は怒鳴ろうとしていたことを忘れてしまった。
「……は?」
「青山のマンションです。広い部屋がいっぱいあるから、二人でいても息が詰まるようなことはないでしょう」
一誠はマンションのパンフレットと書類の束を、英典の前に差しだした。表紙に載っている外観の写真から察するに、とてもグレードの高いマンションだ。駅前にあった大手の不動産会社と建設会社の名前が記載されている。
昨日の今日でこのマンションを買ったのか。いや…いくらなんでも……いくら一誠でもそんなことは……英典は確かめるように尋ねた。
「一誠…まず、確認したい。昨日は月曜日だった。今日は火曜日だね? 僕は何日も寝ていたわけじゃないね?」
「はい、今日は火曜日です」
「この青山のマンションを買ったのか? ここがそうなのか?」
この部屋はそこはかとない高級感が漂っている。天井も高いし、大きな窓枠の作りも見事だ。
「俺と一緒に暮らしてくれるんですよね? 広いところがいいんでしょう」
「いつの間にそんな話になったんだっ」
一誠にとって、弁当とマンションは同じ程度のものなのだろうか。財力ではなく、その性格に驚いてしまう。
「英典さんが住んでいた五階じゃないけど十三階です。夜景が綺麗だって……この十三階は全部俺らの家で、他の人ンちはないから広いですよ」
「おいっ、ペントハウスを買ったのか」
「すぐ入れて一番広いところを買うって言ったら、ここを紹介してくれました。俺ってやっぱ運がイイ。ちょうどキャンセルがあったんだって。こんなことは滅多にないって言ってましたよ」
去年の日本シリーズでラッキーボーイという称号を貰った一誠は、自分の運の強さを信じて疑わない。十三階など不吉だといって敬遠する人もいるというのに……いや、一誠はそのことを知らないのだろう。知っていても、気にしないのかもしれない。
「ペントハウスをキャンセルする客がいるのか…不動産関係は専門外でよく知らないが、注文で作るものじゃないのか……いや、そんなことじゃない。どうやって払うんだ」
「俺がちゃんと払います」
一等地である青山のペントハウスなどいったいどれぐらいするのか……英典には想像もつかない。きっと何億もするのだろう。一億で購入できるとは思えない。
他人事ながら、真っ青になった。いや、自分の一言で不動産に走ったとなれば、責任を感じないわけにはいかない。
いくら広告で稼いでいるとはいえ、どうやって返済するのだ。おまけに、一誠はケガがつきもののスポーツ選手だ。スター選手とはいえ、どうしてこんな若い男に不動産屋は家を売ったのだろう。駅前の大手不動産会社は東京シャークと関係があるのだろうか……。
しかし英典がここで慌てていても仕方がない。
「契約…したのか? 実印を押してきたのか? って、もう入室しているから駄目なのか…転売しろ」
「どうして?」
「こんな高いところ……売りなさい、売らないと別れるぞっ」
ここで思いとどまらせないとどうなるかわからない。猪のような猛突進に引き摺られて、すぐにでも住民票を移すことになってしまうだろう。
「別れるのはイヤです」
「ならば、売れ」
「どうして?」
「いつまでプロでやれるかわからないんだ。散財するな」
「散財ってなんスか?」
一誠は“散財”の意味がわからない。紙面に書かれた漢字も読めないだろう。これくらいで、英典は驚かない。
「無駄遣いをするな」
「無駄じゃない」
「無駄だっ!」
「無駄じゃねぇ」
「落ち着いて考えようね。何も考えずに行動するのは赤ちゃんのすることだよ」
「無駄じゃねぇよ…」
不毛な言い合いに英典は渋面を浮かべた。
「君は……」
「好きだから…少しでも一緒にいたい」
この馬鹿が……と、慣用句となっている文句を呟いている場合ではないだろう。なんとかして、この話は破棄させたい。英典は必死になって、一誠が納得できるような文句を考えた。
「あんまり一緒にいたら飽きるぞ」
「飽きねぇ」
「世の中には倦怠期というものがある。どうして不倫がはびこっているのか…よく考えような。突っ走るだけではいけない…わかるね?」
「英典さん。誰かを好きになったこと、ナイんですか?」
ズバリと図星を指されてしまった。
「………一誠」
「いつもクールで冷静だったけど……」
「クールと冷静はほぼ同じ意味、ダブリだぞ」
「今まで誰かを欲しいって思ったことないでしょう」
君は頭が良すぎて恋愛ができないんだね……と、著名な作家に言われたことがある。人間を書く作家の観察力を見くびるなとつけくわえられた。
たしかに、女に狂って身を持ち崩した男には嘲笑しかない。年上の男に熱中しているらしい一誠も理解できなかった。
「………ノーコメント」
「恋愛音痴……」
ボソっ……と、呟くように一誠は言い放った。
「…………」
「それでよく、あの文学とかいう仕事をしていましたね」
自分が恋に狂ったこともなければ夢中になったこともないので、よけいに情緒溢れる文章で綴られる物語に魅かれたのかもしれない。
作家が書いたリアルな恋物語には、読者ウケを配慮した注文も編集として冷静につけることができた。
「悪かったな」
「俺に夢中になって」
「…………」
「俺とちゃんと恋愛して」
愛の宣言を無理矢理させたということには薄々気づいているらしい。救いようのない馬鹿だと思っていたのに。
「俺がたくさん愛してあげるから…英典さんは愛されてね」
単純な男は感情をストレートに表現する。だが、少々クセのある男は感情をオブラートで包む。
「とりあえず、この青山のマンションはやめよう」
一誠は首をゆっくりと左右に振った。
「いやだ。もう引っ越しは済みました。英典さんの部屋の荷物も運んでいます」
英典が寝ている間にマンションを購入して、引っ越しまでして……その行動力には脱帽する。チームメイトの宇都宮と加藤の手助けもあったのだろうが。
「一誠……」
「ここで一緒に暮らす。ここがいやなら違うところを買うから……どこがいいですか? ここよりも少し狭いけど、目黒のマンションも広かったですよ。田園調布は中古だけど庭付きの一軒家だった。不動産屋を呼びましょうか? 英典さんが好きなところを選んでください」
「一誠、よく聞いてね。君は私生活を覗かれて当然のスター選手、男と同棲しているなんてバレたらヤバイだろう。リスクが大きすぎる」
マスコミの餌食になるのは何があっても避けたい。同性愛記事はタブーだと聞いたことはあるけれど、ゴシップ色の強いものでは派手に書きたてられている。
「リスクって?」
「危険がいっぱい、とても危ない、遠藤一誠はホモ…僕との同棲が発覚したら疑惑ではすまないよ。球団のほうにはどういう言い訳をするんだ?」
頭の良い男ならばちゃんと話せばわかってくれるだろう。男同士のリスクなど説明しなくても理解しているはずだし、引くことも知っているはずだ。
でも、この男は………英典は一誠の性格を冷静に分析した。
子供の時から「野球選手になる」と宣言していた一誠だ。両親は無理だと決めつけて勉強させようとしたけれども、一誠だけは夢に向かって努力した。誰に何を言われても、くじけることはなかったし、弱音も吐かなかったそうだ。
走りだしたら一直線……その気性は変わっていない。向かってこられたほうは受けるしかない……のかもしれない。馬鹿一誠……嫌いではない。正直に言えばとても可愛い。いきなりやってきて淫らなことをしまくった行為は許しがたいし、本人の了解もなくこの場所に運ばれたことも笑って済ませられないが。しかし、もう詰《なじ》ることはしない。どんなに罵っても無駄だからだ。
「引っ越し業者を手配してくれたのも、いろいろな手続きをとってくれたのも球団の人です。球団のほうは何も言わなかった。それに、英典さんのことは誰にバレてもいい…選手生命はある。メジャーもあります」
「君がよくても僕は困る。とても困るな…八木沢家の恥だと両親からも嘆かれるだろう。これ以上、母を泣かせたくはない」
同性愛に偏見を持っているわけではない。でも、英典は世間というものを知っていた。
「英典さん、俺のテストを見て言ったよね。『こんなに悪い点数で恥ずかしくないのか。こんな成績で恥ずかしくないのか』って……俺は全然恥ずかしくなかった。今もそうだよ。英典さんが俺の彼氏だってバレても恥ずかしくない。構わない。どうして恥ずかしいの…」
「………世間ってものが…」
「T大を出てエロ・ラベンダーに勤めているのに…世間?」
T大学を卒業してラベンダー書院に勤めていることを、馬鹿一誠にまで白い目で突かれる。
「一誠…………」
「世間を気にするなら、まずエロエロ・ラベンダーを辞めたほうがいいと思う」
「エ…エロエロラベンダー……?」
「英典さんまでエロエロ・英典ですよ」
「エロエロ・英典……?」
一誠につけられたキャッチフレーズに、英典は白い細面を痙攣させた。もちろん、今までそのようなことを言われたことはない。
「誰になんて思われてもいいじゃん、俺たち二人が幸せなら……」
「一誠……」
「宇都宮さんと加藤さんは応援してくれた。だから、今日も引っ越しの手伝いに来てくれたんだ」
このような関係、誰にも知られたくはなかった。チームメイトに告白する一誠なら、祝福する宇都宮も宇都宮だ。
「よくも…人に話したな……」
「大切な人ができたって…報告しました」
「一誠…君の言う大切という言葉の意味を理解しかねる……大切という言葉の意味を言ってごらん?」
「大切って……何があっても俺が守る。大事にする。誰にも貸さない。俺の宝物」
「………一誠…」
根性と気合いで生きているような一誠が一度思い込んだら、どんなに怒っても宥《なだ》めすかしても駄目だった。猪のように直線にしか走れない男だ。結局、折れるのは引かない男に体力負けした年上の男だった。
英典は思わず自分の人生を振り返ってしまった。
どこで人生を間違えてしまったのだろう。
あの怒濤の土曜日、尋ねてきた一誠を部屋に上げなければ強姦されることもなかった。その前日、六本木で再会したこともいけなかった。どんなに頼まれても、義理コンに参加しなければよかったのだ。
昔から僕のことが好きだったと口にしているが、そんな素振りは見せなかった。憧れているといっていたから、単に憧れの人として思っていてくれたのかもしれない。そんな一誠を暴走させたのは、レイプ集団の中で弄ばれている僕という思い込みだった。
やはり、ラベンダー書院が踏み外した人生の元凶か……。
文芸平安社が倒産しなければ……ここまで来ることはなかっただろう。
そもそもの転落のきっかけは文芸平安社の倒産だ。あのままお固い出版社に勤めていれば、一誠も向かってこなかっただろう。
いや……もっとさかのぼれば、一誠の隣に家を買った父親にも責任があるかもしれない。もし、お隣さんでなければ、五つも歳の離れている体育会系の一誠とは挨拶すらしなかっただろう。
僕の人生……そんな幼い時から間違えていたのか?
いや……やはり、ラベンダー書院か……。T大入学も間違っていたのか。いや……そもそも人生のつまずきは…………。
神妙な顔つきで黙り込んでしまった英典の気持ちなどおかまいなしに、一誠はふたたび股間を膨らませていた。
「もう一回…」
「僕が大事なら、そういう身体に負担がかかることはしないこと」
一誠に「負担」という言葉の意味は教えている。ちゃんと理解しているようだ。
「じゃあ…キスして……」
「あぁ……」
迫ってくる一誠の唇に触れるだけの軽いキスをした。舌などは入れないし、音も立てない。
「もう一回して」
「あぁ……」
肉感的な一誠の唇はとても熱かった。
こんな軽いキスだけでご機嫌になるのだから、安い男というべきなのか。一誠は嬉しそうな笑顔を浮かべている。見ているほうが照れくさくなってしまう。
「英典さん、あんまり寝すぎるのもよくないですよ…たぶん……」
「あぁ…わかっているけど……」
足腰に力が入らないし、何より起き上がる気力が出ない……そんな英典だった。体内の残留物に嫌悪はあるが、風呂に入る体力もない。きっと、一誠も入ってくるだろう。それだけはもう避けたかった。
「メシ、食いますか? 買ってきます」
「あぁ……」
「ちゃんと食わないと…英典さん、鰻好きだったよね?」
「あぁ……」
「じゃ、鰻でも……出前を取りましょう」
英典は布団の中で過ごしたが、一誠はゴソゴソと動き回っていた。荷物を片づけていたのだろうが、汗まみれになった一誠はとても嬉しそうだった。
「これは英典さんが担当したんですか?」
一誠は何冊ものラベンダー書院の文庫を、寝込んでいる英典の前に持ってくる。その中には英典が担当した文庫があったが首を振った。
「いいや……」
「英典さんが担当したのはどれですか?」
今後のこともあるから、一誠には読ませないほうがいいだろう。何をされるかわからない。
「読む必要はない」
「読みたい」
「君はマンガしか読まなかったのに……エロ本といっても漢字がたくさんあるから、君にはわからないだろう」
辛辣な言葉にも怒ることなく、一誠はすんなりと聞いている。
頭は悪い、でも野球では誰にも負けない……そんな確固たる信念と自信があるから、鷹揚なのかもしれない。真っ直ぐな一誠に男の性格のいやらしさはなかった。T大卒にコンプレックスが刺激される男がいて、ネチネチとくだらない嫌味を言われることも多いというのに。
「根性で読みます」
「読書は根性でするものではないと思うが…」
「じゃあ、気合いで読みます」
読むといってきかない一誠に、英典は比較的おとなしめの文庫を指した。
「これですね」
一誠はぬるいエロ本を熱心に読みはじめた。顔に感情がモロに出る男だが、声にも出るらしい。
「うおっ……」
どんな場面を読んでいるのか知らないが、何度もおたけびのような声を上げていた。床であぐらをかいているが、爪先や膝や手など……どこかしら揺れている。落ち着きのないところはまったく変わっていない。
日課のように庭で素振りをしていた野球小僧時代の一誠を思いだして、英典は苦笑を浮かべてしまう。
だが今の一誠は、もはやその頃のウブな男ではなかった。
「英典さん、これしてほしい」
そのページの内容を確認した英典は、眩暈《めまい》を起こしそうになった。女主人公がバキュームフェラで男に仕えている。
「…だ、駄目っ。……口が裂ける」
「先っぽを舐めるだけでいいです」
淫らな妄想にふけっていたのか、一誠の股間はすでに膨らんでいてジーンズの上からでもその大きさがわかる。
「僕…もう眠いから」
「英典さん……」
淫らな奉仕を求める一誠に背を向けると、英典は瞳を閉じた。
砂漠に水を撒いても、すぐに干上がってしまうだろう。
熱くなっている奴はどうやったって冷めない。
英典は諦めとともに、爽やかな笑顔を浮かべながらまとわりついてくる一誠を受け入れていた。とりあえず、ある程度のことならば、一誠は文句一つ言わずに従う。
「新聞が読みたい」
英典の前に新聞が差しだされた。
「はい」
「お茶」
その一言で、一誠はキッチンに走る。
生ゴミを簡単に処理できるディスポーザーやハンドシャワー付の混合水栓、シンクもレンジフードも非常に大きく、食器洗い機も食器乾燥機も装備されたキッチンだった。冷蔵庫は英典が使用していたものを置いているが、買い替えることになっている。電子レンジもあったほうがいいということで、一誠が大型電気店に走ったが、何をどう間違えたのか、トースターを買ってきた。ミキサーとホットプレートは本人の意思で購入したが、使いこなせるのか知らない。
「どうぞ」
「ありがとう……」
「掃除は俺がするから」
英典は少々部屋が汚くても構わない。たぶん、一誠もそうだろう。でも、英典を思ってそんなことを口にする。
「そうか」
「メシは…たまには作ってね」
今のところ、食事はすべて店屋物にコンビニの総菜だ。英典はともかく、身体が資本の男の食生活がそれではいけないだろう。一誠は高価な栄養補助食品を何種類も口にしているが。
「あぁ……」
「俺、英典さんが作ってくれたものならなんでも食うから」
「そうか……」
やはり、諦めるしかないのだろうか。
嬉しそうな一誠の顔を眺めていると、英典は何も言えなくなってしまう。
泣かせたくはないし、恨まれたくもないのだ。もちろん、嫌われたくもない。ほだされてしまったのだろうか。馬鹿な子ほど可愛いというけれども、何か無性に可愛くて仕方がない。
「ここはペットOKなんだ。犬とか猫とか……一個ぐらいなら飼ってもいいよね?」
「一誠、動物は一個二個と数えるんじゃない。一匹二匹と数えるんだ」
「そうなんですか……」
捨て犬やら捨て猫やらを拾ってきては、母親に怒鳴られる……ということを子供の頃の一誠は繰り返していた。動物好きらしい。
一誠は動物とは通じ合うものがあるのかもしれない……英典は人として生きている一誠に対してそんなことを考えてしまった。
「浮気したら泣きます。エロ書院まで行って、大騒ぎしてやる」
後も先も考えられないこの一誠ならばやりかねない。英典は腹の底から搾《しぼ》りだすような声で頼むだけだ。
「それだけはやめてくれ」
「じゃあ、浮気しないでね」
「どっちかっていうと、一誠のほうがしそうだな」
一誠には誘惑が多いはずだ。だが、一誠は首を左右に振った。
「俺はしない」
「グルーピーに情事を暴露された記事は読んだぞ」
一誠は言い訳をまったくしなかった。
「英典さんがいてくれたらもうしねぇ」
「そうか……」
浮気してもいいぞ……と、言いかけたけれどもやめた。そんなことを言ったら、どんな目に遭うかわからないからだ。
「誰かに僕のことを聞かれたら、私設マネージャーと言うんだぞ」
プロの野球選手に私設マネージャーなる人物が張りついているのか、英典は知らない。後援会や代理人なるものはよく聞くから、おかしくはないだろうと踏んでいる。
「私設マネージャー?」
「私設秘書でもいい」
「はぁ……」
「口が裂けても……彼氏だとか恋人だとか言うんじゃないぞ」
「はぁ……」
「その気の抜けた返事はなんだ。元気だけが取柄の一誠くん、大きな声で返事をしようね」
「はい」
一誠には何度も言い聞かせた。
この億ションにはそれなりの人が住んでいるので、東京シャークの若僧ごときに騒いだりはしないようだ。その中には人気タレントもいるので、管理人もそこら辺は気を使っているのか、報道関係者は見事な締めだしを食らっている。受付で目を光らせているので、セールスすら中には入ってこない。
「確認するけど……僕らのことを言ったのは宇都宮さんと加藤くんだけだね?」
「はい…よかったなって……」
宇都宮は兄貴みたいな存在だと一誠は言った。ドラフト一位で入団して、一年目から活躍したのだ。おまけに、その目立つルックスで女性人気も抜群、やっかみもあったのだろうがチームメイトの一誠への風当たりは強かった。どんな対応をしても叩かれる一誠を、全面的に庇ったのが宇都宮だという。
一軍入りがほぼ同時の加藤とは、お互いに励ましあって海千山千のプロの中で戦ってきた……と。
「よかったな…だと……」
「はい、よかったなって…宇都宮さんが……」
本当に一誠を弟のように思っているなら社会に反することは止めろ……と、英典は宇都宮に言いたい。宇都宮が歪んだ情報を一誠に与えなければ、このようなことにはならなかったはずだ。
「あの人、俺が英典さんのこと好きだって知っていたし……」
「………………」
「いい人です」
「揶揄《からか》われているとしか思えないが……」
新居祝いと称して、正確には新婚祝いらしいが、宇都宮から大きな丸いベッドを贈られていた。どこで購入したのかは知らないが、ベッドは回転する。おまけに、付属品として添えられていたシーツや枕カバーなど……すべてどぎついピンクだった。見た時は眩暈がしたものだ。涙を飲んで、ピンク色の中で眠っている。
「痛……」
「英典さん、だっこしようか?」
「いいよ……」
まだ腰が痛くてよろめいていたが、英典はペントハウスの内部を隅々まで見て回った。
「ここは、どうなっているんだ。庭までついているのか……」
アーチ型バルコニーにインドアガーデン、開放感のあるスタイルサンルームまでついた見事なペントハウスは7LDK、廊下や柱など、いたるところに天然大理石が使用されている。どこもかしこも、ゴージャスの一言につきた。
広すぎる各部屋に家具はほとんどない。寮で生活していた一誠が持ち込んだものはまったくといっていいほどなかったし、英典の荷物の大半は書籍だ。快適といえばそうだろうが、寒々しさも感じる。
「クローゼットがいくつもあるから、収納家具はいらないな」
洋室にはクローゼットやウォークインクローゼット、和室には押し入れもある。収納もとても充実していた。
「倉庫みたいなところもありますよ」
「はぁ…」
ガス温水式床暖房で部屋は快適温度に保たれている。とりあえず、ここで住んでいれば光熱費もかさむだろう。年上のプライドなど捨てて、一誠の稼ぎに頼ることにした。管理費も馬鹿高い。
「英典さん、欲しいものがあったらなんでも買ってあげる」
「どうも……」
英典が所有しているビジネススーツは安売りで有名な紳士服店で購入した三着のみ、腕時計は大学の合格祝いで父親から貰った日本製のもの、財布と定期入れは高校生の時から使用しているノーブランドだ。ボトルをキープしている店はない。免許は一応持っているが、車は所有していない。貯金は二十代サラリーマンの平均以下、月給の大半は生活費に消えていた。でも、世の会社勤めの独身男とはこういうものだろう。プロに進んだ一誠がかけ離れているのだ。
四十畳の洋室にはファンからのプレゼントが山となって積まれていた。
「凄いな……」
「貰ったのは全部、英典さんにあげるから」
一誠を思って編んだセーターなど、英典は袖を通す気にもなれない。金のチェーンネックレスなどのアクセサリーも、身につけるような性格をしていない。ファンからの贈り物を質屋に叩き売るような男でもなかった。
「いいよ」
「ギャラもあげる。好きに使ってください」
ギャラが振り込まれている預金通帳を見た英典は言葉を失った。真面目に働いているのが馬鹿馬鹿しくなりそうな金額だったからだ。
「頑張って、このペントハウスを完済してくれ……」
「完済って何?」
「頑張って、このペントハウスの代金を払い終えてくれ」
「もう、払い終えました」
「………………」
場外の収入で早くも完済したというのか…いや、芸能人はローンを組むことが難しいといわれているが、プロのスポーツ選手もそうなのか…ならば一誠はそれだけのキャッシュを持っていたということなのか……英典はもう何も言えない。
「英典さん?」
「いや、なんでもない。しかし…君ならいくらでも綺麗な女の子が寄ってくるだろうに。何もわざわざ年上の男に手を出さなくても……」
「プロに入った途端、派手に騒ぎだした女の子?」
「一誠……」
「プロでホームラン打ってから態度が変わった女もいたよ」
自分自身ではなく東京シャークの遠藤一誠に魅かれてやってくる……ということに、ちゃんと気づいているらしい。
丸刈りから脱皮した一誠のルックスに、魅かれた女性もいるだろう。男の目から見ても、際立った一誠の容姿は魅力的だった。引退後はうちに所属してください……と、擦《す》り寄ってくる芸能プロが後を絶たないのも頷ける。CDデビューを持ちかけるレコード会社もいたそうだ。一誠個人のカレンダーの販売数は球界一、人気絶頂のアイドルタレントと張り合っているという。
「馬鹿のくせに……」
「いくら俺でもそれぐらいわかるよ。あまりにも周りの態度が変わったから……変わらなかったのは英典さんぐらい」
何度も口汚く罵っていたんだぞ……と、英典は心の中で薄く笑った。
「そうか……」
「変わってくれたらよかったのにって、俺の年俸目当てでもいいから擦り寄ってきてほしかった」
「一誠の年俸か……」
一誠の年俸で出版社は立ち上げられるだろうか……と、咄嗟に英典はそんなことを考えてしまう。
資本金さえなんとかなれば後はどうにかして…エログラビアで巨乳モデルと絡んでいた文芸平安社の同期を誘えば…平田さんも協力してくれるかもしれない……英典は頭の中でどんどん進んでいく計画を止めた。人の金を元手に会社を興しても、潰した時、責任の取りようがない。
「何かよく知らない親戚がいっぱい増えたし、高校時代の連れからは金を貸してくれって言われたし、全然知らなかった中学校の同級生からは、結婚式に出てくれって頼まれたし……そんなことばかり……」
一誠は年俸と広告収入に関する有名税をきちんと払わされているようだ。変わった周囲に一番戸惑っているのは一誠本人かもしれない。とりあえず、どんなにちやほやされていても、有頂天にはなっていないようだ。
「そいつらのことも許してやれ、一誠。でも、利用されて巻き込まれて、泣かないように……裁判沙汰にでもなったら選手生命も危ないからね」
「うん」
一誠は唇を尖らせて、英典の頬にキスを落とした。
「保証人になってくれって頼まれても断るんだぞ」
「保証人って?」
「一誠が高校に進学する時、うちが保証人になったぞ」
「あぁ……あれか……」
「その人を保証するということだ。その人が不始末をしたら代わりに責任を取る。借りた金を返せなくなったら代わりに返すことになりかねない。少々のことで、自分の名前と印鑑は押さない。いいね」
「うん……」
顔中にキスの雨を降らせる一誠の股間は熱くなっていた。触れ合ったところから、その大きさがわかる。恐怖しか感じない巨大な一物だ。
「馬鹿だから……馬並みなのかな……」
「どういうこと?」
「馬鹿って漢字を知ってる?」
「………………」
馬鹿一誠と陰で呼ばれているのは知っているらしいが、その漢字は知らないらしい。当て字なので仕方がないのか。
「動物の馬と鹿の漢字で馬鹿……」
「何が言いたいんですか?」
「いや……馬じゃなくって鹿ぐらいだったらまだ……鹿のがどれくらいのものか知らないけど……馬よりは小さいだろう」
救いようのないダジャレを口にしようとしてやめた。
「もしかして?」
「いや……今のは忘れてくれ」
「俺のデカチンは小さくできないけど、英典さんのお尻の穴だったら努力次第で大きくなります。ここを肛門拡張ポンプとかアナルストッパーで鍛えたら…えっと、アナルストッパーじゃなくて、アナル調教用ラバーバンドだったかな……」
「どこでそんな言葉を覚えたんだっ」
「英典さんとこの本」
大人の玩具のオンパレードといった文庫もある。英典など、その手のパンフレットを資料として持っていた。世の中、金さえ出せばいろいろなものが買える。いや、巷にはとんでもないものが売られているのだ。
「そうか……もう、教育上悪い本に目を通すのはやめようね…一誠、聞いているのか?」
「ええと、もう買ってありますから…」
一誠は箱をゴソゴソと取りだして、英典の前に突きだした。中には異様すぎるものが入っている。
英典の背筋に冷たいものが走った。
「一誠、いやだぞ、絶対にいやだぞっ!」
「そうですか……」
「当たり前だっ」
英典は一誠のそばから離れたが当然のように追ってくる。手にアナルストッパーを持っているので、英典は必死だった。肛門拡張ポンプは床の上に転がっている。
その時、インターフォンが鳴り響いた。
英典にとって、地獄に仏の来訪者だった。
「一誠、お客さんだ」
「俺、今日はテレビ出演の仕事が入っていて……。球団の人だと思う」
オフシーズンといっても、一誠には副業がある。広報からの指示で、インタビューやらテレビ出演やらポスター撮りやら……いろいろな仕事が入っているようだ。
「そうか。いってらっしゃい」
球団という組織に所属しているので、取材を受けろと広報から指示されたら、拒否するわけにはいかない。ファンサービスを惜しむつもりは毛頭ないが、やはり野球以外の仕事は苦手らしかった。
「一緒に行ってくれないんですか?」
まだ、歩くのもやっとだというのに、テレビ局なんぞに行くことはできない。何より、いつもネタを探して目を光らせているような人種が多い業界へ、一誠とともに出向きたくはなかった。
「冗談だろ……。さぁ、待たせてはいけません、早く行ってあげなさい」
「じゃあ……」
一誠は英典のズボンと下着を引き摺り下ろした。もちろん、英典は慌てるが、行動は一誠のほうがすべてにおいて素早い。
「一誠っ……」
英典はうつ伏せで床の上に押しつけられる。その力に手加減はなかった。
「じっとしてて……」
「やめっ、別れるぞっ」
「お願い…痛くないから、じっとしていてください」
一誠は英典の頭に臀部を向ける形で馬乗りになった。そして、英典の秘孔の中に肛門拡張ポンプを捻じ込む。
「あっ……」
「ソフトな感触で大きく膨らみ、自由自在に肛門を押し広げるんだって……俺に合わせてLサイズを買っておきました。早く慣れてくださいね」
不気味な音とともに空気が入ってくる。体内に埋められた黒い革のバルーンは、その空気音とともに大きくなっていった。
「一誠…やめ……もう…やめて……」
「白いお尻がプルプル震えて…可愛い……」
「一誠っ」
肉壁が大きく拡げられる感触に、英典は我を忘れて泣き叫んだ。
「英典さんのお尻の中、やっぱり柔らかいよ。いくらでも大きくなる」
インターフォンはしつこく鳴り続けているが、一誠は構うことなく、英典の秘部に熱中している。いや、膨らんでいくバルーンを飲み込む英典の身体に興奮しているようだ。声も鼻息も荒かった。
「やっ…やっ……あぁっ……もう…抜いてくれっ」
「これ以上は膨らまないのか……」
最大径八・五センチ、長さ十五センチ……英典の体内で黒革のバルーンはMAX状態になった。
前立腺に当たっているので、英典の下半身もおかしくなっている。持てる限りの力を振り絞って、英典は堪えていた。こんなもので熱くなっては、一誠の行動を増長させるだけだ。
「もぅっ……一誠……はっ…お腹が…」
「うん…英典さんのお尻はよく開きました……」
プシュー……ポンプの空気が抜かれる。
「あっ……」
アナル拡張ポンプが引き抜かれたが、拡げられた秘孔は大きな口を開いている。なんでも入ります……そんな卑猥な状態だ。英典の意思で閉じることはできない。何より、身体から力が抜けて指一本動かすことができなかった。
「俺が入れたかったけど……」
一誠は残念そうに呟きながら、ぐったりとしている英典の下半身にアナルストッパーを装着した。
「えっ……?」
「アナルストッパー、鍵つき」
カチリ……と、無情にも鍵の音が英典の股間で鳴った。
アナルストッパーなど装着されたほうはたまったものではない。
「おいっ、なんてものをっ」
「俺がいない間に男に襲われるかもしれない」
一誠はどこまでも真剣な表情を浮かべながら、きっぱりと言いきった。ここの防犯システムは完璧だというのに。
「そんなこと、あるはずないだろっ」
「英典さん、綺麗だし……ほっといたら危ない」
「外せーっ!!」
これからテレビに出演するという一誠の顔を思いきり殴った。でも、所詮は平手だし、英典の腕力ではタカが知れている。何より、アナルストッパーなどつけていては、身体に力が入らない。
「いやです」
こっちのほうでは、まったく英典の言うことを聞かない一誠だった。元々、聞くつもりなどないのだろう。
「一誠、外しなさい、いい子だから……」
「だから…いい子なんて言わないでくださいって……。帰ってきたらすぐにえっちできますね」
結局、それか……上品に整った英典の顔が歪んだ。
「一誠、君の頭はどうなっているんだっ」
「英典さんでいっぱい」
「一誠っ、鍵を渡しなさい」
「似合いますよ……」
一誠の鼻の下は思いきり伸びている。
黒い革で作られたアナルストッパーを身につけた英典は卑猥の一言に尽きた。白い肌に黒が映えているのだ。
思わず鏡に映った自分の姿を見てしまった英典は、顔をしかめた。まともに見ることなどとてもできない。
「待ちなさい、鍵をっ…鍵っ」
「じゃあ、行ってきます」
チュ……と、英典の唇にキスを落とすと、一誠は出かけていった。
「あの野郎っ! こんなのどこで手に入れたんだ…僕をなんだと思っているんだ……昔はあんなに爽やかだったのに…健全なスポーツマンだったのに…あの馬鹿っ…変な知恵ばっかり回りやがって……!! おい、これ…やけに頑丈だぞ…」
英典はなんとかして鍵をこじ開けようとしたが、無駄な努力だった。
「あいつが帰ってくるまでこのままか……」
それでなくても身体が重くて歩くのもやっとという状態なのに、このようなものを装着されて……英典はベッドの上で横たわっていることしかできない。
時間がたつにつれ、アナルストッパーに馴染んだ粘膜が何やらおかしくなってくる。アナルストッパーなる威力をその身で体験してしまった英典だ。
「あいつ…あいつ……あいつ……」
一誠が帰ってくるまで、英典は悶々と時を過ごすことになる。唇から一誠への罵りが止まらなかった。
「英典さんっ」
外に出れば美女の誘惑も多いだろうに、一誠は英典のもとに真っ直ぐ戻ってきた。手に抱えきれないほどのプレゼントを持って。
「一誠……」
「俺がいなくて寂しかった?」
「早く外せっ」
「英典さんのお尻の穴、大きくなったまま?」
一誠は英典の顔を見たらすぐに股間を膨らませる。条件反射にでもなっているのだろうか。
「馬鹿一誠っ、早く外しなさいっ!」
「どうして怒っているんですか、これも調教の一つです」
「何が調教だーっ」
英典の平手が一誠の端正な顔に飛んだ。もちろんというのか、一誠にダメージは与えられない。何より、どうして英典に殴られたのかを理解できないらしい。でも、暴力に対する文句は出なかった。
「英典さんのお尻を大切に開発しようと……」
「一誠っ」
「エロ書院の女の子はアナルストッパーに喘いでいたのに…あ、蝋燭と鞭がなかったから駄目なのかな…でも、俺は英典さんを鞭なんかでぶてません」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿ーっ、あれは男の妄想だ、男の夢だっ、現実の世界に持ち込むなっ」
「英典さんのお尻のためにも必要ですよ」
「早く外せーっ」
「じゃ……四つん這いになってください」
一誠はなんでもないことのようにサラリと言った。だが、指示された内容はとんでもなかった。英典にとっては。
「えっ……?」
「四つん這いになったら外してあげます」
「こっ…この野郎っ」
「ほら…早く、早く……」
「一誠っ」
英典は泣き喚《わめ》きたくなったが、引かない子供に白旗を掲げた。床に手と膝をついて、一誠の前で獣のような姿勢を取る。
一誠はアナルストッパーを外してくれた。
「あっ……」
「英典さんのお尻の穴、いい具合になっています」
長時間、アナルストッパーを飲み込んでいた秘孔は大きな口を開けていて、英典の意思ではどうすることもできない状態になっていた。もちろん、そんな淫らな身体を目の当たりにした一誠は勢い込んでいる。
「ああっ……」
腰を凄まじい力で掴まれたと思うと、男根を埋め込まれた。
「英典さん、ズブズブ入っていく」
「ああんっ……あっ……」
アナルストッパーで解されていた秘部は、あっさりと巨根を飲み込んでしまう。それも、嬉しそうに。
「全部入った」
「あっ…ああっ…あふっ……」
「痛くないでしょう」
激痛と圧迫感はある。だが、それ以上に、身体には快感が走っていた。
「ああっ……」
「ヤるたびによくなってる」
英典の身体は回を重ねるごとに柔らかくなっていた。
「ああっ…あっ……やっ……」
「やっぱり、肛門拡張ポンプとアナルストッパーがよかったのかな。俺の調教は間違っていなかった」
「馬鹿野郎っ」
怒鳴った拍子に一誠の男根をきつく締め上げてしまったようだ。一誠は低い呻き声を漏らした。
「英典さん、締まるっ」
「やっ…ああっ……あっ……ああっ…………!」
「英典さんもイイ?」
「あっ…あっ……一誠……」
アナルストッパーよりも太くて長い一誠の巨根に、英典の身体は酔いしれている。前立腺を擦り上げられ、簡単に男性器が勃ってしまった。先走りの滴が際どいところを伝って、秘孔まで流れている。
「英典さん、凄くイイです」
濡れた秘孔を馬並の巨根が自在に出入りしている。
「はっ…あっ……そんなに……動くなっ……」
「英典さんもお尻振ってる……」
淫らな英典の痴態に、若い一誠は興奮しきっている。英典を責め立てる腰の動きが一段と激しくなった。
局部から交接音が絶え間なく響く。
「あふっ……やっ……」
「英典さん、そんなに締めつけたら俺の千切れる」
「あっ…ああっ……やっ…そこは…そこは駄目だって……」
「駄目って……腰をクネクネさせてるじゃん、ここがイイんですね」
一誠に強制されたわけでもないのに、英典の腰も淫らに揺らめいていた。クネクネと生き物のように蠢いている。
「あっ…あっ……もうっ……!」
「英典さん、イイって言ってよ」
「あっ…やん……やだっ」
「ほら…どこがいいの?」
ポンポン……と、左右の尻丘を軽く叩かれて、脳天が痺れた。
「馬鹿っ……」
「お尻の穴がイイんでしょう」
「いやっ…あっ……はっ……」
「英典さん、お尻で感じるようになったもんね…これからもっと楽しくなりますよ」
「……馬鹿一誠っ、四桁の引き算もできないくせにっ」
お仕置きとばかりに、派手に腰を使われた。
とうとう腕で身体を支えていられなくなって、英典は顔をシーツの上に擦りつけた。臀部だけを一誠に差しだした、とてつもなく淫らな格好だ。
「ああっ…あっ……」
「英典さん、最高」
「やぁっ…あっ……あんっ……」
今日はさんざんだった。
いや、今日もさんざんだった……というべきだろう。
英典は怠い身体を引き摺りながら、根性だけで肛門拡張ポンプとアナルストッパーを捨てた。卑猥な道具に対する悪夢がまだ身体に残っているし、開きっぱなしだった秘部もおかしい。でも、一誠からアナルストッパーについての詫びは一言もなかった。
「サイン会……?」
広々としたリビングには一誠が淹れたコーヒーの匂いが漂っていた。
一誠は仕立てのよい黒のスーツに身を包み、左の手首にはロレックスの腕時計がはめられている。髪の毛も整えられていた。憎たらしいけれども、惚れ惚れするほどの男っぷりだ。
「はい」
「写真集…これか」
大手出版社から『遠藤一誠』の写真集が出版された。撮影者は著名な写真家で、東京シャークと一誠のファンということだ。
「どうしてもっ…て。俺だってこういうの苦手なんだけど、立っているだけでいいからって…勝手に撮るからって……」
「はぁ〜」
人気タレントのヘアヌード並の値段がついている一誠の写真集は、早くも再版を重ねていた。ページを捲《めく》ると、照れくさそうな笑みを浮かべている好青年がいる。とてもじゃないが、年上の男に突進している猪には見えない。もちろん、年上の男にバイブレーターを突っ込むような男にも見えない。アナルストッパーを装着させる男にも見えない。ファンが知ったら、卒倒するだろう。
「それで…今日、その発売記念のサイン会なんですけど」
「いってらっしゃい」
上半身裸の写真もあった。胸部は盛り上がり、腹部は見事なまでに割れている。毎日欠かさずトレーニングに励んでいて、体脂肪率はとても低いという。一誠の引き締った身体は、男性美を忠実に体現していた。著名な写真家が惚れこむのもよくわかる。見慣れたはずの英典でも、その姿には感嘆が漏れた。
「今日も一緒に来てくれないんですか?」
「僕が一誠のサイン会に行っても仕方がないだろう」
できることなら、外での接触は避けたい。サイン会など、問題外だ。
「連れてきていいって、言ってました」
「誰が?」
「球団の人…サイン会する書店さんがメシも奢ってくれるって…」
「いや、行っておいで」
「じゃあ…えっと、アナルストッパー、捨てちゃったんですよね」
「馬鹿、僕に何をする気だっ、もうあんなことはいやだぞ!」
「懐中電灯…と、貞操帯……」
一誠はなんでもないことのように恐ろしい単語を口にした。
その用途がわからない英典ではない。懐中電灯を体内に埋め込まれ、貞操帯を装着されるのだろう。そんなことをされたら、無事では済まない。いかがわしい器具を装着されるのは二度といやだった。
「一誠っ、絶対にいやだーっ!!」
「英典さんを一人にしておくのはいやです。それに帰ってきたらすぐにえっちしたい」
「君は…君は……君は……」
「じゃ、一緒に行きましょう」
「…………」
英典も怠い身体に背広を着込み、一誠のサイン会に行くことになる。いくら日曜日でも会社を休み続けている今、外に出るのは控えたいのに……いや、出版社の関係者もいるならば、非常にヤバイ。
だが、引かない子供に勝つ術はない。
明日の月曜日、何がなんでも出社することを心に決め、英典は一誠に従うことにした。
久しぶりに部屋の外から出ると、冷たい空気に身が引き締まる。部屋の中に閉じ込もることは苦痛ではない。でも、やはり外の空気は心地良かった。
「英典さん……」
一誠に手を握られて、英典は焦った。慌てて、手を振り解《ほど》く。男同士で手を繋《つな》いで外を歩くわけにはいかない。
「一誠…外では……」
「手ぇ繋ぐくらいいいじゃん。クールな中西さんだって奥さんと手ぇ繋いで歩いているよ」
一誠は東京シャークのエースナンバーを背負う男の私生活を引き合いに出した。冷静沈着と名高い男だが、愛妻家としても名を馳せているそうだ。
「中西さんの奥さんは女性だろう……」
「手ぇ繋ぐのがいやなら、腕を組んで歩きましょう」
一誠は英典に腕を絡ませろというポーズを取った。
「だから…外での接触はやめようね」
「冷てぇ…」
英典は一誠の文句に耳を傾けなかった。
「ここが…青山プラザ・カーライル……」
英典は振り返り、さっきまで自分がいたマンションを、初めて外から見た。
洗練された街並に相応しい建物だった。レンガ色のフレームと壁、アール形状のバルコニー、スカイテラスにスタイルサンルーム……海外でも活躍している建築家が手掛けたそうだが、シャープな直線と柔らかな曲線が上手く融合され、重厚な外観も高級感に溢れている。敷地内には見事な庭園があるし、周囲にはグリーンゾーンを巡らせていた。
テレビモニター付のオートロックシステムなので、室内のインターフォンから来訪者を映像と音声で確認できるし、二十四時間体制のセキュリティもしっかりとしている。すべて一億以上の値段がついている億ションだ。
不景気でも勝ち組はいるということであっという間に完売したそうだが、政治家に青年実業家、医者に弁護士、タレントに歌手……そういった人々が住人らしい。世帯主に平凡な月給取りはいないそうだ。
「凄いところだな……」
慎ましく育っている英典は溜め息しかでない。以前、担当していた人気作家がこのような高級マンションに住んでいたが、そこよりも数段グレードが高そうだ。
「英典さん、やっぱり気に入らないの?」
「そういうことを言ってるんじゃない……」
「そうですか」
一誠の運転する車で待ち合わせ場所へと向かった。
英典の年収よりも高い外車ではなく、一誠がコマーシャルに出ている車だ。免許を取って間もないというけれども、危なくはなかった。あの頭でどうやってペーパーテストを合格したのかと不思議だったが。
「来週の土曜日、子供に野球を教えに行くんですが一緒に行きましょう」
「野球? 僕が行っても……」
「ボランティアみたいなモンですから……」
「ノーギャラ?」
「はい…子供に野球を教えるのに金なんか取れません」
芸能活動よりも子供に野球を教えるほうがずっと好きだ……と、一誠は頬を紅潮させていた。
自分の過去でも見ているのだろうか、一誠も野球小僧上がりである。周囲の対応がどのように変わっても、一誠自身、何も変わっていない。純粋な一誠は好ましくもあり、腹立たしくもある。もし、一誠が鼻持ちならない男になっていれば、どんな手を使っても逃げていただろうに……と、英典は思った。
「そうか」
「英典さんも一緒に行きましょう」
「ま…考えておく……」
返事を濁した英典に一誠は何も言わなかった。
「よろしくお願いします」
落ち着いた感じのする球団関係者は英典に対して穏やかな笑みを浮かべているだけで、腹の底はまったく見えない。写真集を出版した版元の社員も同じだ。
サイン会場となる大型書店には、一誠宛の大量のアレンジメントとフラワーカウンターが送られていた。どれも値の張りそうなものばかり。
ここまで花が贈られた方は初めてです……と、担当の書店員が感心していた。たしかに、花屋が開けそうだ。
「甲子園の時からファンでした! これからも頑張ってくださいっ」
「ありがとう」
サイン会は長蛇の列……着飾った若い女の子が手にプレゼントを持って並んでいる。整理券もだいぶ出ていたようだが、当日はさらに集まったそうだ。書店側は列整理に奔走していた。
その人気を間近で見た英典は溜め息しか出ない。ここまでたくさんの若い女の子が並んだ、本のサイン会など見たことがなかった。
「カッコイイです……生で見るほうが……あのっ、これからも頑張ってくださいね。応援しています」
「ありがとう」
北海道や九州から飛行機に乗ってやってきた女の子もいたが、一誠への思いと行動力には脱帽だ。一誠の前に立った途端、泣きだす女の子もいた。
「一誠くん、ずっとずっとずっと……ずっと前から好きでした」
「ありがとう」
ファンの女の子と応対する一誠は爽やかで、懐中電灯と貞操帯を持ちだした男には見えない。
英典よりもずっと若くて可愛い女の子がたくさん並んでいた。年上の美女もいる。どうして自分が惚れ込まれたのか……英典は理解に苦しむところなのだが。
二時間ぐらいで終わるだろうと言っていたサイン会は、四時間近くかかった。並んでくれた人にはサインをします──それが一誠の意向だったのだ。
「大丈夫か?」
サイン会終了後、一誠は腱鞘炎になっていた。
「大丈夫……」
ファンが持参したプレゼントも凄かった。きっと、五十畳以上あるリビングは贈答品で埋もれてしまうだろう。プレゼントの置き場所として別の部屋を使用することになるかもしれない。
「一誠くん、上座へどうぞ」
あいつ、上座なんて知っているのか……という英典の心配をよそに、一誠は指された上座に座る。
老舗の料亭で懐石をご馳走になったが、英典がいたたまれなかったのは確かだ。絶品の料理の味を楽しむことすらできなかった。
「一誠くん、飲んでください」
「車で来ていますから…」
一誠は酒を勧められても飲まなかった。飲んだら乗るな…を実践しているのだ。
「お送りしますが」
「結構です」
送ってくれるという話を一誠はあっさりと断った。とりあえず、腱鞘炎はおさまったようだ。
「いいサイン会をありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
車の中で二人きりになると、英典の肩の力が抜けた。
「一誠……凄い人気だな」
「俺、野球選手ですよ。そりゃ、これも一種の人気商売ですが……」
一誠もプロのスポーツ選手としてのプライドは持っている。稼げる時に稼げ、がまかり通っている世界の住人でも、ルックスだけで騒がれたくはないのだろう。
「応援してくれるのは嬉しいけど…野球で応援してほしい。サイン会より球場に来てほしい」
「そうか……」
「英典さんと俺、お似合いだって言ってくれましたよ」
一誠はハンドルを右に切りながら、なんでもないことのようにとんでもないことを言い放つ。あまりにもあっさりと言われたので、英典は理解できなかった。
「……は?」
「球団の人も出版社の人も、いい人を捕まえましたねって……末永くお幸せにって…英典さん、みんな祝福してくれてますよ」
「まさか……あの人たちに言ったのか?」
英典の声と身体は恐怖と怒りで震えていた。
「はい」
「馬鹿ーっ、馬鹿にもほどがあるぞっ、いったい誰のためだと思っているんだ。君のためだろっ! 東京シャークの遠藤一誠・ホモ発覚・板東久美子はカモフラージュだった…なんていう記事が出る。メジャーにも行けなくなるぞ。大リーグにも行けなくなる」
「英典さん、メジャーも大リーグも一緒」
一誠のペースに巻き込まれて調子を狂わせてしまうというのか、自分を見失ってしまうというのか……いや、これは笑って済ませることなどできない。
「君と一緒にいると馬鹿になるような気がする……。何を考えているんだ、君の選手生命は終わりだぞ!」
「アメリカのほうがホモは多いって聞いた」
「この関係がバレたら僕は非常に困る」
「どうして? クビになってもいいじゃん」
「クビって……」
「俺が働くから英典さんは働かなくってもいいのに……俺の年俸は英典さんに全部あげるって言ってる」
僕が悪い男だったら君の年俸なんて使い果たす。それだけじゃない、利用しまくる。絞れるだけ絞りとってから捨てるぞ……と、やたらと気前の良い一誠に頭を抱える。
「クビになってください。俺、英典さんが何をしているかって、気になって仕方がないから……。貞操帯つけて会社に行っていても心配です」
「そんなこと、絶対にいやだぞっ」
「英典さん、隙がありすぎる」
「僕は君みたいな子供じゃない」
「もう、子供じゃありません」
「子供だよっ……誰にも言うなってあんなに釘を刺したのに……頭が悪すぎるのもほどがあるっ!」
自分から小声でも言えない関係を暴露するなど、狂気の沙汰としか思えない。おまけに、相手は友人ではないのだ。
「向こうから言ってきたんですよ。英典さん、色気がありすぎるから……」
「何が色気……」
何をしていても、一誠の澄んだ目は英典を追っていた。その視線から感づかれたのだろう。
「変な歩き方してるし……」
「変な歩き方って……そうしたのは誰だっ、僕の身体のことを考えず、ひどいことばかりしたのは君だろうっ」
「ひどいことなんかしてない」
一誠は助手席で怒りまくっている英典に視線を流しながら、はっきりと言いきった。
そのふてぶてしい態度に、英典の怒りのボルテージがあがる。
「それすらもわからないほど君は馬鹿なのか。もう、君とはつき合えない。ここで別れよう。停めてくれ」
「冗談……」
一誠は速度を上げた。
「停めなさい」
「いやです」
外は闇に包まれていて、冷たい夜風が吹いている。国道には制限速度など軽く無視した車が走っていた。たしかに、ここで停車は無理だ。しかし、今の英典にそんなことは関係なかった。
「停めなくても飛び降りる」
「そんなことできないくせに……」
一誠の言葉がトドメだった。
英典は走行中の車のドアを開けると、周りも見ずに飛び降りた。
「英典さんっ!?」
車道に倒れ込んだ身体を立て直す暇もなく、目前に赤い車が迫っていた。
ひかれる──!!
車にひかれましたという嘘で欠勤を出したが、本当になったな……。
編集長、今回の事故はノンフィクションです。
衝撃を覚悟した瞬間、英典の身体は力強い腕に抱え込まれる。
英典に迫っていた赤いポルシェは猛スピードで走り去っていった。
「い、一誠……?」
英典の身体を庇うように、車道を転がったのだ。一誠の額はぱっくりと切れていた。手から血が流れている。
「一誠……一誠!?」
国道なので、次々に車が走ってくる。衝撃を受けたはずの一誠は英典を抱き上げると、すぐに愛車の中に戻った。
あっという間の出来事だった。
「英典さん、ケガは?」
「僕はない」
「よかった……」
一誠が大人の男に見えて、英典の心が騒いだ。何か熱いものが込み上げてくる。でも、今はそういう場合ではないだろう。
「僕より君だ……救急車を呼ぼう」
「俺、頑丈だから大丈夫です。英典さんが無事ならそれでいい」
額の傷から流れた血が一誠の目に入る。英典はハンカチでその血を拭《ぬぐ》った。髪の毛に隠れる場所だから、完治すれば目立たないだろう。不幸中の幸いだ。
「一誠……」
「心臓、止まるかと思いました……。もう、こんなこと、やめてくださいね」
「すまない……」
英典は素直に詫びた。
「はい」
「一誠、病院に行こう」
「手のほうは単なるかすり傷だし、いいですよ」
「顔……顔も大切な商売道具だろうが……副業も大切な収入源だ」
英典だって、一誠の甘い顔立ちに何度か見惚れたことがある。醜い傷跡など残したくはなかった。
「俺の商売道具は身体です。顔はどうなっても構わない」
ポーズではない、本心からそう思っているのだろう。どう言えば病院に行ってくれるのか……英典は考えた。
「僕、顔に傷がある男はいやだな……」
「…………」
「僕も一誠の顔は好きだから…」
「…………」
「病院に行こうね」
「キスしてくれたら行く」
英典は一誠の希望通り、その肉感的な唇に自分の薄い唇を合わせた。それから、懇意にしている総合病院の院長に連絡を入れる。
「絶対に傷が残らないように……縫ったら跡が残る? お願いです、アイドルみたいな男前なんです、傷を残さないようにしてあげてください。あと……念のために精密検査もしてやってください。身体が資本の男なんです」
院長は腕のいい外科医を呼びだしてくれるそうだ。
英典は一誠に総合病院までの行き方を指示した。
「英典さん、俺の顔…そんなに……」
「せっかく男前なのに、傷を残すもんじゃない。反対だったら、きっと一誠も同じようなことをしているぞ」
「……そりゃ、英典さんがケガなんかしたら…」
「勝手に車から飛び降りたのは僕……そういう時は見捨てればいいんだよ」
「いやですっ! 英典さんは俺が守るし」
「一誠……」
英典は心の底から一誠に詫びていた。
流れた血ほど傷は深くないということで、英典はほっと胸を撫で下ろした。
マンションに帰ると、一誠は当然のように伸《の》しかかってきた。額と右手に包帯を巻いているというのに、その絶倫ぶりには肩を落とすしかない。
「一誠、今日は安静にしておこう」
「こんなの平気」
「そんなにしたいのか」
「はい……」
インサートしてこそセックス……と、思っているフシが一誠にはあった。でも、怪我をした一誠の身体を思えば簡単には頷けない。何より自分自身、明日は出社しなければならない。
英典は一誠の股間で息づいているものを見て、溜め息をついた。そっと手を伸ばして触れてみる。
「大きいよな……」
「はい……」
大きさを確かめるように両手で包み込むと、脈を打ちながら膨張していった。今にも破裂しそうなサイズだが、まだまだなのだろうか。英典には判断がつかない。
「おいで……」
英典は太股の間に一誠の巨根を挟んだ。そして、思いきり力を入れる。
「英典さん…これって……素股《すまた》?」
「そういう言葉は知っているんだな」
内股に感じる肉棒は熱くて硬かった。下半身を動かして、強く擦ると先走りの滴が漏れてくる。
「ソープに行ったことがあります」
「プロに入ってからか?」
「はい……」
「東京シャークの遠藤一誠だってバレなかったのか?」
「すぐにバレたけど……ソープのお姉さん、特別サービスだっていろいろしてくれました」
ソープ嬢の特別サービスの中には、本番も含まれていたのだろう。一誠の表情に照れが見えた。
「……一誠」
「もう行かねぇ」
「まぁ……これだったら…」
英典は一誠の首に白い腕を回した。白くて細い身体とほどよく焼けた逞しい身体が密着する。
「はい……」
一誠が激しく動きだす。太股に挟み込んだ巨根が、ますます大きくなっていくのがわかった。英典の下半身も甘く痺れる。
「英典さん……も…」
一誠の手が英典の男性器に伸びた。
「んっ……」
「英典さん…イイ……!」
「んっ…あっ……そんなに強く握るな……」
「英典さんの可愛い……」
「そりゃ…君のに比べたら……」
二人を乗せたベッドは派手な音を立てて軋み続けた。
翌朝、貞操帯を持って迫る一誠と一悶着あったが、これは英典が勝った。だが、出版社まで送るという一誠には負けた。
「彼女の送り迎えは彼氏の仕事」
英典を彼氏と言ったり彼女と言ったり……一誠は何も考えていないのだろうが、言われたほうはいろいろな意味で複雑な気分だ。
「ここでいい」
車はラベンダー書院がある通りに入った。
見慣れた光景が車窓の外に広がっている。
「英典さん、行ってきますのキスは?」
一誠が顔を近づけてくるが、英典は優しく微笑みながら行ってきますの挨拶を口先だけでした。
「じゃあな……」
英典はそそくさと車から降りてビルへ向かったが、背後から追ってきた一誠に引き寄せられ、また口づけをされそうになった。英典はすばやく後ろに飛び下がる。
「行ってきますのキスぐらい……」
「帰ってから」
「じゃ、そこで待ってるから」
「……あ?」
「英典さんの会社終わるまでそこの店で待ってる」
一誠は雑居ビルの一階にある喫茶店を指した。
……こいつを成人した男だと思うから、腹が立つのだ。何もわからない子供だと思えば、許せるだろう。英典は一呼吸置いてから、一誠に言葉を投げた。
「何時間ねばるつもりだ…いいから、もう早く帰りなさい」
「待ってるから」
「あのな…っと、オープン戦はいつからだ? そろそろキャンプじゃないのか? うちでやる自主トレでは無理があるだろう。スポーツジムにでも行ってクールダウンとかいうこともしてきなさい」
一誠を子供だと思い込んでも、あまりにも大きな図体をしているので、やはり笑ってはいられない。ついつい口調がきつくなった。
「だから……今のうちに…少しでも一緒にいたい」
「小娘みたいなことを言わないの……」
一誠を動物だと思えば許せるかもしれない。戸籍を持っている一誠を巨大動物だと思い込んで、ぐっと堪えた。
「英典さんて冷たい…」
「悪かったな。とりあえず、帰れ……君は目立ちすぎる」
気づいているのかわからないが、背広姿の中年の男が一誠に視線を流しながら通り過ぎていった。見るからに編集者という若い男は、一誠を見ると足を止めた。前方から歩いてくる男はフリーライターという風情がある。どこにでも首を突っ込み、ネタを漁る人種が多い。ここで一誠とぐずぐずしているわけにはいかない。
「じゃあ、帰り……俺が迎えにくるから連絡を入れて」
二人の携帯の番号は、それぞれの携帯に記録されている。昨夜、一誠に頼まれて記録したのだ。
「あぁ…」
「必ずくださいよ? 変な男に誘われてもついていかないでくださいよ」
「あぁ……」
一誠は車のほうへ走っていった。
編集部のメンバーは、事故に遭ったという作り話を信じてくれているようだ。後ろめたい気もしないではないが、英典は涼やかな瞳で嘘をつきつづけた。いつからこんな性格になったのか、もう覚えていない。
しかし、病み上がりで向かい合うラベンダー・エロスの世界は、英典の心と腰にやたらと響いてつらかった。
どうしてこの作家は後ろが好きなんだ。女性には受け入れるための女性器があるんだから、後ろにこだわる必要はないだろう。
女性のアナルを犯すことに並々ならぬ執念を燃やしているポルノ作家の第一稿は、今の英典にとって拷問に等しい。読んでいるといろいろなことを思いだして、秘部が痛んでくるような気がする。
アナルバージンが極太のバイブをそう簡単に飲み込めるか…初めてでそんなに喘ぐはずはないだろう……と、実体験を元に厳しいチェックを入れてしまう英典であった。
しかし、男の夢を壊してはいけない。恥じらいながらも女主人公は悶える。抵抗していても女主人公の前も後ろも濡れている。もちろん、ディルドウだろうがピンクローターだろうがバイブレーターだろうが野菜だろうが懐中電灯だろうがドライヤーの先だろうが……なんでもどこにでも飲み込み、かつ腰まで淫らに振りまくる。どんな淑女でも、どんな傲慢な女性でも、ただのメスに落とされる。
これが、この官能文学の世界での鉄則だ。
思い直した英典は、せっかく入れたチェックを消した。
「八木沢くん、加藤くんからお電話です」
「加藤……?」
電話の主は東京シャークの加藤百太からだった。何事かと身構えてしまう。向こうも小声だった。辺りを憚りながら電話をかけてきているのだろうか。
『一誠のことで話があるんですが…』
「はい……」
『あいつ、ヤバイことになっているんです。選手生命も危ない…あいつは馬鹿だから聞く耳を持たなくて…その…ここでは話せないんですが……とりあえず、会って相談をさせてもらえませんか?』
一誠の選手生命の危機……英典の脳裏に自分の姿が思い浮かんだ。
ソープ嬢と結婚した男がスキャンダルで潰されている。いや、離婚した後、奇跡の一軍復帰を遂げたけれども、ソープ嬢スキャンダルは払拭されていない。マウンドでどんな実績を上げても、“ソープ”と罵られている。男の世界なので余計に囃し立てられたのだろうが、ニューハーフとこじれた選手もさんざんな目に遭っていた。爽やかさがウリのスポーツ選手にとって、その私生活のスキャンダルは選手生命を奪いかねない。
「わかりました…伺います………」
その日、英典はビルの裏口から出て、待ち合わせ場所に向かった。
一誠には『残業で遅くなる』というメールを打つ。すぐに電話がかかってきたが、英典は無視した。携帯の電源を切る。
仕事帰りのサラリーマンにOL、大学生風の若い男女……都会的なムードが漂っている街にはカップルが溢れていた。みんな、それぞれに楽しそうだ。腕を組みながら歩く若い男女に以前は何も感じなかった。
だが、今は違う。
どういうわけか、一誠の笑顔が脳裏に浮かんでくるのだ。
英典は自嘲気味に笑った。
「ここだな……」
指定された東京シャーク系列のホテルの一室に辿りつく。フロントを通さず、ダイレクトに部屋まで来てくれということだった。
「加藤くん……?」
「お待ちしていました」
加藤は品のいいスーツに身を包み、艶然と微笑んでいた。やはり、野球選手というよりも、お公家さんか歌舞伎役者だ。
優雅な家具や装飾品が並べられた部屋はやたらと広く、ベッドはダブルだった。大理石のテーブルの上には、クリスタルの花瓶に挿された深紅の薔薇とコーヒーが載せられている。オーク材の机の上にはノートパソコンが置かれていた。
「それで…一誠がヤバイって……やっぱり、僕のことなんですか? 球団上層部のほうから何か……」
「ま、コーヒーでも飲んでください。ここのはお勧めです」
マイセンの白いコーヒーカップから湯気が立っている。英典は勧められるままに、琥珀色のコーヒーを飲み干した。高級ホテルのコーヒーだけあって、とても美味い。炭焼きだろう。
「それで……?」
「男と同棲するなんて……フロントのほうは単なる友人との同居だと思っているみたいですが……あいつをよく知っている奴だったら同棲だって気づきます。英典さん、色気がありすぎるし…いつバレるかわからない。あいつにはスポーツライターだけでなく、ゴシップ専門のライターやカメラマンまで張りついていますから……一誠にターゲットを絞って追いかけているカメラマンがいるんですが、英典さんのことを嗅ぎつけたようです。それとなく聞かれて、僕も…惚《とぼ》けてはおきましたが…」
すっぱ抜かれるのは時間の問題です……と、加藤は長い説明を締めくくった。
「身を引け……と、言っているのですね。僕に異存はありません。加藤くんも一誠を説得してください」
英典はきっぱりと言いきった。だが、言いきった途端、寂寥感が込み上げてくる。痛みだした胸に形のいい眉を顰めた。
「やっぱり……一誠の片思いなんですね」
何やら、加藤はとても嬉しそうだ。口調もやたらと弾んでいるし、口元もだらしなく緩んでいた。
「……加藤くん?」
「英典さんみたいな人があんな馬鹿を本気で相手にするとは思えなかったけど…あいつに押しきられたんでしょう。あいつ、宇都宮さんに煽られてね…ラベンダー書院は危ないって……」
「…その…………?」
「あいつは、このところ思い上がっていましてね…写真集にサイン会、イメージモデルにコマーシャルにカレンダー……まるで、芸能人です。オーナーの寵児として名前を馳せているので、球団も監督もあいつは特別扱い。……自分を見失っています。思い上がっているといったほうが正しい。でも、僕は違います」
一誠を語る加藤の顔には並々ならぬ嫉妬があった。
「加藤くん……?」
「僕は…あいつよりもずっと優しい男です。あいつとは僕が話をつけますから……僕にすべて任せてください」
「…………あの?」
「一目見た時から心を奪われました。あんな馬鹿のことは忘れてください……悪い犬に噛まれたと思って……」
こいつ…何を言っているんだ……。英典は絡みつく視線と言葉を無視した。
「先ほどまでの話はなんだったのでしょう。一誠の選手生命に関わるお話ではなかったのですか?」
「申し訳ない、あなたの心を知りたかったのです。僕の気持ちも知ってほしかった」
「それが用件ならば帰らせていただく」
「すみません……やっぱり、勉強だけしてきた方って…スレていませんね」
加藤は意味深な笑みを浮かべたが、英典は冷たい視線で無視する。そして、最後の挨拶を口にした。
「失礼する」
英典は立ち上がろうとした。だが、眩暈に襲われてふたたびソファに沈んでしまう。視界が霞んできた。全身から力が抜けていく。
「綺麗ですね。あんな馬鹿には勿体ない……」
「君…あのコーヒーに……」
コーヒーに何か入れられていたのだろう。疑うこともせず、飲み干してしまった。後悔しても遅い。指先の感覚がまるでなかった。
「心配しなくてもすぐに抜けますよ……」
細いと思っていた加藤だったが、その腕力は凄かった。あっさりと英典は抱き上げられて、ベッドの上に放り投げられる。
「あっ……」
スプリングの効いたベッドに、英典は沈みこむ。加藤はネクタイを緩めながら、その英典の身体の上に伸しかかってきた。一誠ほど重くもないし硬くもないが、やはりプロの身体だ。筋肉がきっちりとついていた。
「僕が囲ってあげます」
「か、かこ……?」
「たとえ僕が結婚しても、それが理由であなたを捨てることはしない。生活の面倒は僕が見てあげます。安心してください」
「君に生活の面倒を見てもらうつもりはないっ。やめてくれ!」
「やめられるわけないでしょう…真っ白ですね……僕、肌が白い人って好きなんです。あと、髪の毛がサラサラしている人も……」
薬で麻痺した身体は、思うように動かない。加藤の手によって、英典の衣服は剥ぎ取られていく。ワイシャツのボタンはすべて外され、胸を覆うものはもはや何もない。
「うっ……」
「キスマークがある…あいつにつけられたんだ……!」
ズボンと下着を下ろす際、太股に見つけた紅い跡を加藤の長い指で突かれた。
「おい、訴えるぞっ」
「男同士では強姦罪は成り立たない……ご存知のはずですよ。それに、こんなことで騒いだらどうなるか…頭のいいあなたならわかっているでしょう」
「…………」
「もう…僕のものになりなさい……大切にしますから……」
一誠の告白とはまったく違った。どちらがどうと言うことはできない。だが、とりあえずこの男はいやだった。聞いているだけで無性に腹が立つ。
「言葉と行動が比例していない人は嫌いだ」
「これからの僕を見てください……」
とうとう、下半身が剥きだしにされる。秘部に冷たいものを感じて、英典は身体を竦ませた。
「うっ……」
ヌルヌルとしたものと一緒に、加藤の指が秘孔の中に入ってくる。
「使い込んでいると思ったけど……」
「やめっ…やめてくれっ……」
「一誠のデカイのくわえ込んでいるのに…全然、緩んでいませんね」
探るように内部を掻き回されて、英典は動かない腕を必死に振り回そうとした。足も加藤の顔の前で固定されたまま、閉じることができない。
「やっ…あっ…うっ……」
「知っていますか、一誠の女だった板東久美子、あのデカイのハメていたんでユルまんになったと…もっぱらの評判ですよ。一誠のお古っていうレッテルがついたから、球界では誰も相手にしません」
英典の身体は痺れていて動かすことができない。おまけに、秘孔がズキズキと熱を持って疼いている。何か、硬いもので突き刺されないとすまない……そんな感じだ。
おかしい…いくら、男を知った後の身体でもこれは異常だ……思い当たった英典は、潤滑剤として使用された小瓶に視線を流した。シーツの波間に沈んでいるラベルを読んだ英典は絶句してしまう。
「っ………!!」
「僕の…一誠みたいに大きくないけど、硬度と持続力はあります。比べてみてください……きっと気に入ってくれますよ」
「なんてものを…塗ったんだっ……」
「習慣性はないそうです…イイ気持ちでしょう……もう、入れてほしい?」
英典の秘孔は男を欲しがっていた。加藤の指を離すまいと、必死になって締めつけている。だが、精神と心は屈服していなかった。唇を噛み締めて、湧き上がってくる快感を押し流す。
「今ならすべて忘れてやる。だから……やめてくれ」
「僕好みの身体に変えさせてみせる……」
「ふざけるなっ…」
加藤がジッパーを下ろして、すでに熱くなっている己の一物を取りだした。一誠の巨根には遠く及ばないが、それでも並以上だろう。
女のように男を受け入れなければならないのなら一誠のほうがいい。どんなに苦しくても一誠のほうがいい。気が遠くなるほど馬鹿でも一誠のほうがいい。あいつは可愛い……英典は一誠を思い浮かべながら、唯一動いた首を振った。
「欲しいくせに。素直になったらどうです?」
「やめろ…」
「見かけによらず強情ですね……」
秘孔に硬いものが合わされた時、ドアがけたたましい音を立てながら開いた。
「加藤さんーっ」
怒髪天をつくとはこういうことだろう。鬼のような形相をした一誠が立っていた。背後では顔面蒼白の宇都宮が一誠の腕を掴んでいる。
「一誠、英典さんは身を引くそうだ…諦めて…」
一誠は加藤にすべてを言わさない。宇都宮の腕を振り払うと、凄い勢いで加藤に飛びかかっていた。
「ふざけるなっ」
英典の身体の上から加藤は引き摺り下ろされる。
「一誠っ?」
英典が一誠の名前を呼ぶと同時に、宇都宮が一誠を背後から押さえ込む。だが、先輩命令には絶対服従のはずの後輩は止まらなかった。
「ぐっ……」
一誠は一年先輩である加藤の顔面を殴り飛ばす。不吉な音がしたので、鼻の骨でも折れたのだろうか。
「一誠、そこら辺でやめろ」
加藤の歌舞伎役者のような顔は血まみれになった。それでも、一誠は止まらない。蹲《うずくま》る加藤の襟首を掴み、腹部に何度も膝を入れる。
「人の女房に手を出していいと思っているのかっ、いくら加藤さんでも許せねぇっ」
「一誠、加藤を殺すなっ」
セーブル製の大きな飾り花瓶が、派手な音を立てながら壊れた。ルームライトも倒れ、壁にかけられていた風景画まで床に落ちる。部屋の崩壊は進んだ。
「英典さんは俺のモンだっ、誰にも渡さねぇよっ」
「加藤もちょっと魔が差しただけだ……」
宇都宮は必死になって、暴れまくる一誠を止めようとした。手加減なしの暴力を受けた加藤は、もう気を失っている。野球でも腕っ節でも一誠のほうが上だ。
「英典さんは誰にも貸さない。英典さんのケツは俺だけのモンですっ」
「わかった…英典さんは一誠のもの、俺も加藤にはよく言ってやる。だから、それ以上やめろ、加藤もお前と同じ身体が資本のプロなんだ…英典さん、加藤の無礼は俺からも詫びる。頼むから、この暴れ馬を止めてくれ」
カードタイプのルームキーを持っているホテルマンは、真っ青な顔で立っていた。東京シャークの関係者でなければ、とっくの昔に警備員を呼ばれていただろう。とりあえず、頭に血が上っている一誠を鎮めなければならない。
「一誠っ。僕は何もされてないから……もう、やめてくれっ」
「何もされてないって……それでっ?」
潤んだ瞳の英典が身につけていたものは、ボタンがすべて外れたワイシャツと靴下だけ……淫靡な姿だった。
「本当だ。何も…何もされてない……暴力はやめなさい。君はプロだろう。暴力事件を起こしたらどうなるか……よくわかっているんじゃないのか」
「あいつ……俺の……俺の英典さんに……」
悔しくてたまらないのか、一誠の目は怒りで赤くなっている。噛み締めたのか、唇は切れていた。固く握った拳にも血が滲んでいる。
「こんなこと、なんでもない……なんでもないから……」
「英典さんっ……」
ぎゅ……と、一誠に抱き締められた。英典を守りたがっている腕は温かいし、とても優しい。英典は素直にその広い胸の中に己を委ねた。
「とりあえず、落ち着こうな……」
宇都宮が英典のコートを一誠に渡した。
「英典さん…身体……」
仰向けになったままピクリとも動かない白い英典の身体に、一誠は気づいたようだ。
「動かないんだ」
「加藤……よくも………」
「一誠、いいからっ…もういいから………頼むから落ち着いてくれ……!」
コートを羽織らされると、一誠の力強い腕に抱き上げられる。
「一誠…どこに……」
目が据わっている一誠から返事はない。英典を抱いたまま、大股歩きで部屋を出る。代わりに、宇都宮の声が背後から届いた。
「一誠、せめて裏口から出ろっ」
宇都宮の言葉が届いたのか、一誠は非常階段を使って下まで降りる。東京シャーク系列のホテルなので、よく知っているらしい。
「一誠……?」
「英典さんのケツ…濡れてる……」
一誠の口調には明らかに怒気が込められている。
「あ…なんか……塗られただけ……」
「塗られただけ? だけ?」
打ちっぱなしのコンクリートの壁に、語気の荒い一誠の声が響き渡った。
「一誠の選手生命が危ない……と、相談を持ちかけられたんだ。のこのこ出ていった僕も悪い」
「何が、選手生命」
「だって…僕と一緒に暮らしてるし……」
「そんなことで潰れるような男だと思っているんですか。俺、野球には自信がある。私生活なんかで潰されない」
非常出口から外に出ると、辺りは夕闇に包まれていた。時間帯もあるが、駅から離れたところに建っているホテルなので、付近に人影はなく、閑散としている。ホテルの隣には木々が生い茂った公園があった。噴水が見える。
冬の夜風は冷たいけれども、秘部が疼いている英典の下半身はやたらと熱い。触れ合っている一誠の身体も英典に温もりを与えた。
「一誠……」
一誠は目を据わらせたまま、広い公園に入っていった。
この季節、外で励むにはつらいだろう。カップルの姿はあまり見当たらない。だが、芝生の上では毛皮のコートを着た女性と金髪の若い男がいちゃついている。幸いにも、こちらに気づいた様子はない。
「どこに……」
公園を通り抜けると思ったが、大きな木の下に押し倒された。芝生の上なので痛くはないが柔らかくもない。すぐに、一誠が覆い被さってくる。
「一誠。こんなところで……頼むから、やめてくれよ」
こんな場所で押し倒されて……次に何が起こるのか、想像した英典は真っ青になった。野外プレイなど冗談ではない。
「あいつに、何をされたの?」
「だから…塗られただけ……」
「熱くなってる」
疼いている秘孔に指を突っ込まれたのだから堪らない。英典は自分でも信じられないほど、上ずった声をあげてしまった。
「ぁんっ……」
「そんな色っぽい声、あいつに聞かせたの?」
「違う…何か変なの塗られたんだ……効いてきたんだろ…………やっ、そんなに掻き回さないで……」
秘部を掻き回される音が木枯しに乗って響いてくる。野良猫だろうか、どこからともなく猫の鳴き声も聞こえた。
「女みたいにグショグショに濡らして……あいつ、指を入れてたよね。まさか、あいつの汚ねぇの、入れられてないよね?」
「あっ…あっ……入れられてない……」
粘膜を探る指に思いやりの欠片もなかった。怒りが強すぎて、一誠自身、自分を持てあましているのだろう。怒りと苦しみと後悔と……負の感情が複雑に込められている。いつも、呆れるほどプラス志向の男なのに。
「あいつ、英典さんの中に出してないよねっ?」
「見れば…わかるだろう……」
「見せてよ」
「一誠……?」
「あいつのが残ってないか……英典さんのケツの穴を開いて見せて……」
破廉恥なことを口にした一誠の目は充血していた。
「一誠………僕、身体が痺れて動けないんだ……」
一誠は英典の身体の上から引いた。そして、力が入らない英典の身体を四つん這いにさせる。
「やっ……」
咄嗟に、英典は芝生を掴んだが、腕に力が入らない。それでも、腰は一誠の手に掴まれている。双丘だけを一誠の顔面に差しだすことになった。見てください……と、ねだっているような体勢に英典の頬は染まる。
「俺のケツなのに……」
濡れている秘孔が見つめられて熱い。
「俺の尻奴隷なのに……」
自社出版物で頻繁に聞く言葉が耳に痛い。
「俺の肉奴隷なのに……」
一誠は自分で何を言っているのかわかっているのだろうか。卑猥な言葉で犯されているような気がする。
「俺のお×んこなのに……」
言葉責めはもう許してほしい。
「悔しいっ…英典さんは俺が守るって言ったのに…あんな奴にっ! あいつがあんな奴だなんて知らなかった俺が馬鹿なんだけどっ…あんな奴に見せなきゃよかった…俺の大事な人だって…一生連れ添う人だって……そう言ったのに…………」
一誠の慟哭《どうこく》に英典は胸が苦しくなった。加藤もいい先輩だと聞いていた。一誠にすれば、裏切られた悔しさもあるのだろう。
「一誠……」
「英典さんは全部俺のモンなのに……!」
冷たい空気にあたったせいか、以前より身体が動く。渾身の力を込めて、腕を後ろに回した。そして、自分で自分の秘孔を開く。中の色まで見えるように。
「見えるか……?」
妖しいオイルで濡らされた秘孔を開く英典の指も震えていたが、精神のほうも痺れてきていた。
「英典さん」
「中に…加藤くんのものは残っていないだろう……?」
淫らな英典の姿を見た一誠は息を飲んでいる。
英典の狙い通り、先ほどまでの壮絶な怒りは影を潜めていた。単純な男にはストレートな誘惑をしてやればいい。英典は年上のプライドと男のプライドを捨てた。暴れ馬はごめんだ。
「英典さん、無茶苦茶色っぽい……」
「馬鹿、よく見て」
「見てる……」
双丘の割れ目に、一誠は女性を魅了する甘く整った顔を近づけている。疼く秘孔に一誠の荒い息がかかっているのが、はっきりとわかった。
夕闇の中、浮かび上がる白い臀部に、若い男が煽られないわけがない。
「僕の恥ずかしいところはどんな色をしてる?」
「どんな色って…まぐろの刺身みたい……」
一誠らしい形容に英典は薄く笑った。
どんなに怒り狂っていても一誠だと……。
「この中でイったのは君だけだ……そんなことを許したのも君だけだよ」
「英典さんっ」
「僕の中に入れていいよ……」
荒れた男を静めるには、この手段しかないだろう。いや、英典の身体も一誠を求めていた。濡れた排泄孔は熱いものを欲して疼いている。
「いいの?」
英典は一誠の目の前で細い腰を軽く揺らした。
一誠が欲しくて堪らなかった。
「あぁ…入れて……一誠の大きいの……」
ズブリ……という音とともに、一誠の巨根が身体の中に入ってきた。英典のあられもない痴態を見ただけで、一誠の男根は勃起していたのだ。
「あっ……!」
「英典さん、凄い……」
圧迫感よりも快感が勝っていた。秘孔は逞しい男根に歓喜の涙を垂らしている。英典の上品な唇から、はしたない声が漏れた。
「あっ…ああっ……あふっ……」
「締まる……」
「あふっ……んっ」
グイグイグイ……と、一誠に腰を大きく回されて、たまらず英典も喘いだ。秘部から湧き上がってくる快感は凄まじく、英典の男性器も熱くなっている。媚薬の効果もあるのだろうが、今にも頂点を極めそうだ。その部分には、まったく触れられていないというのに。
「英典さん……すっげぇ…………」
「あっ……あっ…一誠……」
英典の身体は快感の渦に巻き込まれている。前立腺が男根で擦られると、脳天まで痺れた。更なる刺激を求めて、思わず自分から腰を揺らしてしまう。
淫らな英典の姿に、膝立ちで犯している一誠が煽られないわけがない。若い男は野生の動物のごとく、英典の身体を貪った。
「英典さんも腰振ってる……」
「あっ…あんっ…………」
英典も臀部を突き上げ、熱くなった肉壁も怒張しきった巨根を締めつけていた。肉の悦びに陶酔している。
「もっと…ケツ振ってっ……」
一誠の言葉通り、英典も痺れている腰を思いきり揺らした。
「はっ…あっ……んんっ……あっ……」
「英典さんっ……」
「もうっ…イくっ……!!」
ピストン運動が始まって、三分もたたないうちに、英典は己を解放してしまう。身体は硬直し、目前に火花が散った。
つられるように、一誠も英典の身体の中で絶頂を迎える。当然のこととして、英典は若い精液を身体の中で受け止めた。
「英典さん、最高……」
二人の荒い息が、鬱蒼とした木々の中にひっそりと響き渡る。噴水の向こう側にカップルがいるが、お互いに何をしているかわからないだろう。
「まだ…いいよね」
「一誠?」
「こんなんじゃ、収まらない」
「あっ……」
繋がったまま、英典は上体を起こされた。あぐらをかいた一誠の上に腰を下ろすことになる。背中に広い一誠の胸があたり、秘孔にはふたたび力を取り戻した巨根が突き刺さっていた。自分の体重もかかっているので、先ほどの挿入感とはまた違う。
「んっ…一誠……」
「英典さんは俺のだっ」
「一誠…そんなに……乱暴にしな……いで……」
背面座位…男のほうが楽な体位だな……こんな時でも、英典の脳裏には官能小説編集者としての言葉が脳裏に浮かぶ。密着感があるという体位をその身で体験した。
「あっ…ふっ……一誠……」
「イイ……の……?」
「イイ…………」
英典は素直に感想を口にした。
ガクガクと上体を揺さぶられたが、秘部に突き刺さっている男根は抜けない。背後から回された手で胸の突起を執拗に弄くられ、快感が増していた。英典の身体は完全に男を受け入れる器となっている。
「あっ…んっ……あふっ……」
「どこがイイの?」
「どこって…あっ……」
頭の芯まで赤黒い肉棒に突き刺されているような気がした。
「お尻の穴がイイの?」
「イイ……」
「はっきり言って」
「お尻の穴がイイ…」
一誠に指示された通り、英典は破廉恥な言葉を口に出した。英典の精神も身体以上に痺れている。絶え間なく襲ってくる射精感に、理性と常識など吹き飛んでいた。もちろん、年上のプライドもだ。
「どんな風にイイの?」
「馬鹿…あっ……」
「俺に教えてよ、英典さんがどんな風に感じているのか」
年下の男の要求は止まらなかった。
「一誠……」
「俺の尻奴隷じゃん、教えてよ」
平常の精神を保っていたならば、一誠の頬を殴っていただろう。しかし、今の英典は一誠の身体に引き摺られていた。
「ジンジンする…っていうのか…深くて…深くて……あっ……あっ…ああんっ…もぅっ……もうっ、イくっ」
「イきたいの?」
「イきたい……」
「しょうがないな……イっていいですよ」
「あっ…一誠……!」
英典は芝生の上に白い飛沫を飛ばした。
「俺もイくっ……」
一誠も英典の身体の中に己の欲望を放出した。
「あ……」
英典の瞳は潤んだまま、呼吸も荒い。首筋にかかる一誠の吐息も荒かった。しかし、英典の身体から一誠の肉塊はまだ出ようとはしない。
「英典さん」
ズルリ……と、一誠の巨根が英典の秘部から出ていった。
「あっ……」
「こっち向いて」
身体の感覚が麻痺している英典が動くより、一誠の腕のほうが早かった。
「一誠……」
英典は一誠と向かい合う。
潤んだ瞳で見た一誠は、憎たらしいほど男前だった。こんな時でも、一種の清涼感を身に纏っている。
「英典さん、しっかりと捕まっていてね」
「えっ……?」
一誠は英典の腰を掴んだまま立ち上がった。腕力と背筋力があるからこそ、できることだろう。生半可な男ではできない。
「はっ……」
一誠の腕と腰が絶妙のタイミングで動いた。弛緩している英典の秘孔に、一誠の巨根が突き刺さる。
「ああっ…んっ……」
これがかの有名な駅弁ファックか…………宙に浮かんだ英典の意識が朦朧としてくる。でも、秘孔に与えられる刺激はきっちりと感じていた。肉欲には底がないようだ。
「あっ…あんっ……一誠……もうっ……駄目……!」
落とされまいと、英典は一誠の首に左右の腕を巻きつけた。すんなりした足も引き締まった一誠の腰に巻きつける。
「俺はまだまだ」
「落ちるっ……落ちちゃうっ…」
「俺にしがみついてて」
英典は一誠の首に回していた腕に力を入れた。力強い一誠の腕と鍛え上げられた肉体は頼もしい。しがみついていると、愛しさが込み上げてくる。
「ああっ…あんっ……もぅっ……」
「もっと喘いで」
「やぁっ…一誠……一誠……」
「イイでしょう」
「もうっ……壊れる……」
「壊れない」
「もうっ…許して…………!」
夜空を飛んでいるような浮遊感が英典を襲った。
「んっ……」
背中をしならせた英典は、細い声とともに己を解放する。一誠は暫くの間持ちこたえていたが、英典の身体を大いに揺すぶった後、飛沫を飛ばした。
「あっ……」
ズルリ……と、いやらしい開閉を繰り返している秘孔から巨根が出ていく。ようやく解放されたはずなのに、英典の秘孔は寂しさに疼いていた。もう、英典の肉壁は一誠のサイズに慣れてしまったのかもしれない。
「英典さん……」
「ん……?」
「変な男についていかないでって……頼んだよね」
ぐったりとしている英典の身体を一誠は手放さない。英典を身体に張りつかせたまま、口を開いた。
「だから…一誠のことで……」
「宇都宮さんから加藤さんが何か企《たくら》んでいるって聞かなかったら…加藤さんが英典さんに一目惚れしたなんてことも聞かされて…どれだけ焦ったか…」
「一誠……」
「加藤さんが部屋を予約していたってことも聞いて…英典さんは帰ってこないし…会社にかけてもいねぇし…あ……もうちょっと行くのが遅かったらどうなっていたか……どこから怒ればいいのかわかんねぇ……」
一誠の怒りは鎮火していなかった。下半身が落ち着いたので、ふたたび燃え上がったのだろうか。
英典のぱっくりと開いた下の口から、一誠が放ったものがとめどもなく流れて、すんなりとした足にいくつもの筋を作っていた。一誠の腰に足を巻きつけたままなので、秘孔が閉じないのだ。無理もないだろう。
「俺のためを思うなら身を引け……とか、そういう馬鹿げたことを言われたの? それは英典さんが欲しい加藤さんの嘘だよっ、それでなんて答えたの? 身を引くって答えたの?」
怒りは英典に向けられたようだ。
しかし、彼にも言い分はある。
「一誠のためだと思ったんだ…僕の存在は君のマイナスになってもプラスにはならない」
「俺を思ってくれるんなら俺のそばにいて。それが一番嬉しい……ずっと俺のそばにいてくださいっ」
一誠は英典を赤ん坊のように抱っこしたまま、目と鼻の先にあった水のみ場に向かった。
時節柄、レンガ造りの花壇に花は咲いていない。虫も飛んでいなかった。野良猫はいるけれども、得体の知れないオーラを振りまいている一誠のそばには近寄ってこない。ふだんは、一誠を見ると動物は寄ってくるのに。
「一誠…もう、下ろして。どこに……」
どこにでも見かけられる水飲み場で一誠は立ち止まった。
「俺、いっぱい出したし…洗ったほうがいいよね」
「えっ……!?」
信じられないことが身の上に起こった。水飲み口の上に、腰を下ろされたのだ。すぐに、一誠は蛇口を捻った。
「放水…」
「やっ……やっ……や──っ……」
英典の秘部には冷たい飲み水が勢いよく注ぎ込まれていく。
「英典さん。俺のカミさんになったって、わかっているよね?」
「一誠、やめろっ……やめてくれっ」
「英典さん、あなたは誰のモノですか」
「あっ…ああっ……あんっ………冷たいっ……」
「えっちな身体だな……英典さんは何をしてもよがる」
「やぁっ…やっ……」
身体の中に水が流れてくる感触に、英典は身悶えた。粘膜もいびつな形の水飲み口に蹂躙《じゅうりん》されている。
一誠の凄まじい力でもって、水飲み台の上に固定されているので、英典は逃げることもできない。
これは…放水プレイじゃない、恥辱プレイか…SMの一種で…なんていうんだ……英典は薄れていく意識の中、一誠の迸るような激情を感じていた。
「英典さん、あなたは誰のモノ?」
「一誠、一誠…わかってるからっ……ああっ……あんっ……あっ……」
一誠の顔にも飛沫は飛んでいた。衣服も濡れているが、英典を追い詰める一誠はそんなことには構ってはいない。
「自分が誰のモノかちゃんと言ってください」
「一誠の…一誠のモノだっ」
「そうです、英典さんは全部俺のモノです」
「あっ…ああっ…あふっ………もう、助けてっ」
「もう、二度と変な男と会わないでくれ。英典さん、凄く綺麗なんだから…スタイルもいいし色っぽいし可愛いしそそられるし声も綺麗だし髪の毛も綺麗だし…っと、誰が狙うかわかんねぇよ…いや、みんな狙うよ…ちゃんと、気をつけて……ホテルなんかに呼びだされたらわかるだろうっ」
「わかった…わかったから…」
「あんな奴に服を脱がされて…あんな奴に触らせて……許せねぇ…」
どこから怒っていいのかわからない……あれは一誠の心の底から出た言葉だったのだろう。どれをどうやってどのように…どこに怒りをぶつければいいのかわからないのだ。それだけ怒りが大きかったのだろう。身体で宥めればなんとかなる……と、踏んだ英典は甘かった。
「僕が…僕が悪かったから……」
「これからはもう…遠慮しねぇ、思いっきりえっちさせてもらう」
初めから遠慮なんかしていないだろう、どうしてそうなるんだ……という言葉は口にしない。
「わかった…だから……もう、やめてくれ……」
身体の中にあった一誠の残留物と潤滑剤は、あらかた流されただろう。肉壁は注ぎ込まれる冷たい水のせいで、人としての体温を失っている。
「英典さんの足腰が立たなくなるくらいやりまくってやる」
「わかった…わかったから…」
「いいね……? いっぱいえっちさせてもらうよ」
「いい……していいから……」
水飲み台の上で開かれていた左右の足にも秘孔から流れた水がかかるが、すでに下半身の感覚はなかった。
「これから…何をしてもいい?」
「あぁ…いい……いいから……」
「なんでもさせてくれるね」
「いい…好きなようにしていいから……」
大粒の涙をポロポロと零しながら、英典は何度も頷いた。それで、やっと満足したのか、一誠は英典の身体を水飲み台から解放する。
冷たい水のシャワーを受けた肉壁はおかしくなっていた。もちろん、英典の身体も鉛を背負っているかのように重い。何より、身体は寒さのあまりに固まっていた。
「一誠、寒い……」
「英典さん……」
ぎゅっ……と、一誠に抱き締められて、英典は涙で濡れている瞳を閉じた。一誠の肌の温もりが、氷のように冷たくなっていた英典の身体を優しく包む。
「僕が風邪をひいたら君のせいだ」
「うん……」
「“うん”じゃ、ないだろうっ」
「ごめんなさい……」
先ほどまで、英典を責めていた男とは思えないほど、その腕も口調も優しい。やっと落ち着いたのだろう。
「馬鹿は許せるけど、暴れ馬は許せない」
「ごめん…でも、英典さんも悪い……」
「一誠……」
「俺、絶対に英典さんを離さねぇから……! ずっと好きだったんだ…誰にも渡さねぇ……俺が守る」
英典にとって史上最低の夜だった。これから、何があっても忘れられないだろう。
翌日、英典は熱を出した。
真冬の寒空の下、あられもない姿で性交に励み、あまつさえ冷たい水を下の口から大量に飲まされたのだ。熱を出しただけですんだのだからラッキーかもしれない。
「痛い…」
腰も重かったが、身体の節々も痛かった。アクロバティックな体位をこなしたのだから、当然だろう。英典はピンク色のベッドの中で唸っていた。
「エロ書院は休んだほうがいいです」
かたや一誠のほうはピンピンしていた。昨夜の暴れぶりが嘘のように、漫然の笑みを浮かべている。性欲が満たされたせいか、肌の艶までいい。
「あぁ」
「でも、今夜もえっちしますから…」
「え? 昨日あれだけやったのに!? 僕も熱を出しているのに!?」
「あれだけって……三発しかやってねぇ。それに、熱を出した時えっちするとイイって…言うじゃないですか。昨日、公園でした約束は覚えていますよね。いっぱいえっちさせてもらいます」
一晩のうちに、一誠から遠慮と忍耐の文字が抜け落ちていた。
「…………一誠」
「いってらっしゃいのキスして」
キスを求めて尖らせた唇が迫ってくる。英典は熱っぽい唇を一誠の肉感的な唇に押し当てた。触れるだけの軽いキスだ。
「早く帰ってくるから」
チュッチュッチュッ……という軽快な音を立てて、優しい笑みを浮かべた一誠が英典の唇にキスを返す。
「早く帰ってくるから待っていてね」
帰ってくるな……と、英典は心の中で凄んでしまった。
一誠はコマーシャルの収録ということで出ていったが、英典はまたもや欠勤を出すことになる。今回は交通事故を欠勤理由にすることはできない。素直に体調不良で届けた。一日出勤しただけでまた欠勤……英典は肩を落とすしかない。
怠い身体を引き摺りながら病院に行き、点滴を打つ。医者に頼み込んで、薬もどっさりと貰った。
帰り、薬局で腰痛・肩こり・筋肉痛に効く湿布や塗り薬を買い込んだ。腰痛バンドも買った。熱さましシートも買った。体調を整えるためのサプリメントやハーブティーのティーバッグ、疲労回復のためのドリンク剤もいろいろと買った。薬用石鹸とラージサイズのゼリー付コンドームまで買ってしまった。
薬局から出た時、英典の両手は買い物袋で塞がっていた。足元がおぼつかなくて、フラフラしている。
それでも、暴走男が度を越して求めてきた時のため、防犯用スプレーまで買ってしまった。
帰宅すると息をつく間もなく、注文していた電動マッサージ椅子が届いた。あの狭いワンルームでは買うことができなかったものだ。
電動マッサージ椅子を堪能していると、インターフォンが鳴る。
「はい?」
『東京シャークです』
「え……?」
一誠あてのプレゼントが、球団側から転送されてきた。でも、その量が半端ではない。もうこれで終わりだろうと思っていても、また運ばれてくる。広いはずのリビングは段ボールの山で浸食されていた。
「まだあるんですか?」
「軽トラック三台分ほど……」
プレゼントが詰め込まれた段ボールの箱を運んできた球団職員は、苦笑を浮かべながら答えてくれた。サイン会の時の落ち着いた紳士とは違う職員だが、こちらも温厚そうな男だ。
「トラック三台……」
「東京シャークの遠藤一誠は球界の寵児ですから。何より、女性ファンがついていますしね」
トラック三台分のプレゼント…人気があるのは知っていたけど、これはいったい……英典は呆然としてしまう。
「バレンタインは来月ですよね、誕生日のプレゼントでもないですね、いったいどういうプレゼントなんですか?」
「サイン会に行けなくてごめんなさいというプレゼントと写真集がとても素敵でしたというプレゼントが多かったでしょうか。サイン会ではサインをありがとうございましたというプレゼントもありますし、ただ単に頑張ってくださいというプレゼントとか…いろいろと…まとめて届けさせていただきました」
「はぁ……そんなの…いったい何が贈られてきたんですか?」
「お菓子とか手編みのマフラーとか手袋とかセーターとか…あと、腕時計とかスーツとかアクセサリーとか本とかCDとか……いろいろなものが届けられています。こちらでもチェックさせていただきましたが、危ないものは排除させていただきました」
「危ないもの?」
「手作りの一誠人形に盗聴器が埋め込まれていました」
一誠の私生活を知りたがっている者は多いだろう。盗聴器が送り込まれてくることもあるのだ。
「盗聴器ですか………」
「許しがたい行為ですが、ファンのしたことですのでここは穏便に…こちらのほうで対処しますから……」
人のよさそうな職員は軽く頭を下げる。
慌てて、英典も頭を下げた。
「そうですね…お願いします……それで、その……まだまだありますか?」
「はい……」
「あちらの部屋にも置いてください」
「かしこまりました」
一誠と同居している男をどのように思っているのだろう。私設マネージャーと聞かされているのだろうか。
球団職員は不要な口は一切叩かず、帰っていった。何か、黙認されているような気がしないではないのだが。
一番上に積まれていた段ボールの中を覗くと、世界的に有名なブランドのロゴが入った箱がたくさん詰め込まれていた。
「高いのに…」
プレゼントが詰められた段ボールの山を見ていると、下がりかけていた熱がぶり返してきたような気がする。
英典は溜め息をついた後、キッチンに立った。
不眠症患者になりすまして処方してもらった錠剤の睡眠薬を砕く。やはり、昨日の今日では身体が持たない。でも、拒むとどうなるかわからない。帰ってきた一誠のテンション次第では、飲み物に砕いた睡眠薬を入れて眠らせるのだ。自分から寝てしまえば、英典が恨まれることはないだろう。姑息な手段かもしれない。だが、加藤に一服盛られた英典にはもはや何かが抜け落ちていた。
窓の外には見事な夜景が広がっていた。
両親にはまだ引っ越したことを告げていない。真実を告げるつもりはないけれど、知ったらどう出てくるか……恐くて想像すらできない。
立派な人生を歩むどころか、男同士の肉体関係にズルズルとハマっています。女役は僕です。無茶ばかりするけど、結構けなげなので、ほだされてしまったのかもしれません。あんな大きな図体をしているけど、とても可愛いんです。手を引いて歩いてやりたいほど可愛いなんて…今まで誰にも思ったことはありませんでした。恋愛感情が抜け落ちている僕がこんな気持ちになっているのです。もう、許してください……。
家族に向かって呟いた言葉を一誠の関係者にも向ける。もちろん、一誠の女性ファンにも。
そうこうしているうちに、玄関のほうから物音が響いてくる。
広いところなので玄関口の音など滅多に響いてこない。しかし、動作が荒っぽい一誠はいろいろなことをして物音を響かせる。おまけに、今日はいつもより派手だ。興奮しているのだろう。
恐る恐るリビングのドアから顔を出すと、一誠がオヤジのようにズボンのジッパーを下ろしながらやってきた。大理石をあしらった玄関ホールには紺色のパーカーが脱ぎ捨てられており、英典の部屋に続くドアの前ではベルトが落ちている。ヤる気満々の一誠は脱ぎながら突き進んでくる。
「英典さんっ、英典さんっ、英典さんっ」
「一誠……」
若い一誠の男根は、早くも臨戦状態に入っていた。布越しにもはっきりとわかる。股間が異様に盛り上がっているのだ。
「えっち」
「あ…あぁ……」
「なんでもしてくれるんですよね?」
そんなことを約束した覚えはない……と、言いきれない英典がいた。あの時、自分が何を口走ったのか、はっきりと覚えていないのだ。
「……ちょっと待て」
今にも下着を脱いで飛びかかってきそうな一誠から英典は逃げた。そそくさと、キッチンに向かう。
一誠がズボンを脱ぎながら追ってきた。
「どうして逃げるの?」
今晩は……やはり、回避したほうがいい。このテンションの高さでは、どのようなことをさせられるのかわからない……恐怖に駆られた英典は、睡眠薬入りのジュースを注いだコップを手にした。
「一誠、疲れただろう。飲みなさい。……身体にいいそうだ」
「英典さんっ」
一誠は生まれたままの姿になっていて、股間の一物は天狗の鼻のように伸びていた。英典の言葉など聞いていない。
「もう…そんなに……」
「英典さんっ」
裸の一誠に抱き締められて、一誠はジュースを零しそうになった。
「喉…乾いていないか? 一誠のために買ってきたんだよ。ビタミン・ミネラル・カルシウム…そういったものがたくさん入っているそうだ。薬剤師さんも絶賛していた」
「あとで飲む、今は英典さんを飲むからいい」
特製ジュースを作っても、飲んでもらわなければ意味がない。
「一誠…ちょっ…体調がとても悪くて……」
一誠は山と積まれた段ボールには目もくれなかった。大きな瞳には英典の姿しか映されていない。
「明日も会社を休めばいいじゃん、クビになってよ」
「一誠……」
「俺、ここに英典さんを監禁したい」
「監禁…そんな難しい言葉をよく知っていたね……」
そもそも、本人の承諾なしにこのペントハウスに英典を連れてきたのは一誠だ。拉致・監禁とまではいかなくても、拉致・軟禁になるのではないだろうか。思わず、英典は遠い目をしてしまう。
「うん…『調教された女社長』みたいに……俺も英典さんを監禁したい」
「一誠……」
その夜、英典がラベンダー書院の女主人公並に喘がされたのはいうまでもない。
fin.