柴田練三郎
決闘者 宮本武蔵(上)
夫婦非命
「うっ!」
ひくい呻《うめ》きをあげて、足を停《と》めた男が、両手で、右脚の膝《ひざ》がしらを、押えた。
台地の斜面をうねる道であったが、べつに勾配《こうばい》が険しかったわけではない。路面は、白く、平坦《へいたん》で、石ころなどなかった。
ゆっくりと足をはこんでいて、何かにつまずいたのでもないのに、急に、その膝がしらに、激しい疼痛《とうつう》をおぼえたのである。
四、五歩うしろを、三歳ばかりの幼童を背負うて、ついて来ていたその妻が、おどろいて、寄って来た。
「また、出ましたか?」
「うむ。もう、出ぬと思って居《お》ったが、忘れた頃《ころ》に、出おった」
良人《おつと》が、うずくまると、妻は、幼童を背中からおろしておいて、その膝がしらを、もみはじめた。
美作国《みまさかのくに》吉野郡宮本村の地下牢人新免武仁《じげろうにんしんめんたけひと》と、その妻|佐久《さく》、そして、その子|弁之助《べんのすけ》は、山ふたつ越えた播州佐用《ばんしゆうさよう》村にある佐久の実家へ行って、その帰途であった。
新免武仁は、頬《ほお》にほつれ毛をまつわらせ乍《なが》ら、必死に、膝がしらをもむ妻を、眺《なが》めやって、
――苦労をかける。
沁々《しみじみ》と思った。
新免武仁は、この一円――五千石を領する新免|伊賀守《いがのかみ》の血族で、宮本村の長《おさ》であった。
しかし、宮本村の支配者ではなかった。宮本村の近くにそびえる竹山という山嶽《さんがく》に城を構えた平田|将監《しようげん》が、新免伊賀守の代理として、首領の座に在った。
新免武仁は、その平田将監と、些細《ささい》な事から仲たがいして、宮本村に居ついたまま牢人していた。
当然、田畑をたがやさなければ、くらしのたたぬ身となったが、新免武仁は、その農耕を、妻にまかせたきりで、兵法修業のみにうち込んで来た。
いずれは、しかるべき武将に随身して、戦場で、めざましい働きをしてくれようという野心を蔵したのである。
新免武仁は、刀槍《とうそう》の術に、天稟《てんぴん》をそなえていたのである。
その修業が一時中断されたのは、三年前、突然、右脚の膝がしらに、もの凄《すご》い疼痛が起ったためであった。武仁は一月あまり、寝たきりであった。
ようやく、癒《い》えたものの、武仁は、もう、それまでのように、二十日も一月も、山中にこもって、けものを追い、立木を搏《う》つ荒修業をつづけることはしかねた。
いわば、この三年間は、妻を野働きさせて、ぶらぶら遊んでいる無能な地下牢人ぐらしであった。
山ふたつ越えて来ただけの短い旅で、突如として、膝の患部が再発したことは、その疼痛に堪えることよりも、将来に対する絶望感で、新免武仁を、呻かせた。
――おれは、この妻にたよって生きるだけの廃人になりはてたか。
自身に、呟《つぶや》いた。
その時――。
ゆっくりと、大股《おおまた》で、そこへ近づいて来た者があった。
十歩あまりのむこうに、立ちどまったなり動かぬので、新免武仁は、何気なく、視線を挙げた。
とたん、
「おっ!」
思わず、膝がしらの疼痛を忘れるおどろきの声を発した。
新免武仁と同じ地下牢人の、播州|石海《いわみ》村に住む平田無二斎が、そこに傲然《ごうぜん》と仁王立ったのである。
新免武仁と平田無二斎は、宿敵であった。
七年前、新免伊賀守の面前で、真剣の試合をしている。
無二斎の頬から上唇《うわくちびる》へかけて、凄《すさま》じい刀痕《とうこん》が走っているが、それが、その試合の結果であった。
武仁の方は、左腕|上膊《じようはく》の肉をひと殺《そ》ぎされていた。
「新免――、なんのざまだ、それは?」
平田無二斎は、揶揄《やゆ》のひびきをこめた声音で、問うた。
あたりに人影のない台地の野道ではあるが、武士たる身が、白昼、蹲《うずくま》って、妻に膝をもませている光景は、慙《は》じねばならぬ振舞いに相違なかった。
痛風が起って、歩けなくなった、という弁解をすることは、いかにも、未練たらしい。
まして、対手《あいて》が、宿敵の平田無二斎である。
新免武仁としては、絶対に見せてはならぬ男に、この惨《みじ》めな光景を、目撃させてしまったわけであった。
武仁は、妻を押しのけて、立った。
「この道を歩いて来たことは、身共を訪ねて、宮本村へ往《い》ったことか、平田無二斎?」
武仁は、訊《たず》ねた。
「左様――」
無二斎は、にやりとして、こたえた。
七年前、無二斎は、武仁に向って、
「お主に勝つ一手が成ったならば、必ず、宮本村を訪《おとの》うぞ」
血まみれの顔面から、狂気じみた眼光を放って、云《い》ったことであった。
今日、その一手を編んで、宮本村を訪うたところ、武仁が留守であったので、ひきかえして来た――その帰途、無二斎は、武仁の武士にあるまじき惨めな姿を、目撃したのである。
「勝負、受けよう!」
新免武仁は、云った。
佐久が、小さな悲鳴をあげた。悲鳴をあげたが、兵法者の妻として、良人の病気を理由に、試合を拒絶することは、口にできなかった。
「おれの成った一手を、受けるか、新免?」
無二斎は、うそぶくように云った。
「受けよう!」
武仁は、差料《さしりよう》を、さきに抜いた。そして、
「佐久、はなれろ!」
と、命じた。
佐久は、幼童を抱きかかえると、喘《あえ》ぎ乍ら、なだらかな斜面を、降りた。
無二斎は、桜の杖《つえ》に仕込んだ無反《むぞ》り三尺の長剣をゆっくりと抜いて、鞘《さや》にしたのを、抛《ほう》りすてた。
武仁は、青眼《せいがん》に構え、無二斎は、|こぶし《ヽヽヽ》を額に当てる上段にとった。
野道は、無二斎の立つ地点の方に、やや上っていた。
距離は、十歩あまり。
対峙《たいじ》して、しばらく、両者は、微動もしなかった。
武仁も無二斎もまばたかず、斜面の下方に退いた佐久も、そしてその双腕に抱きしめられた幼童もまた、まばたかなかった。
突如、無二斎が、地をすべるように進んだ。
進みつつ、上段にふりかぶった三尺の白刃を、直立から徐々に横へ傾けた。
それに対して、武仁は、疼《うず》く右膝を曲げて、右肩を落し、青眼の剣を、やや高めに変えた。
無二斎は、三歩の距離に迫って、いったん、足を停めた。
次の瞬間――。
凄じい懸声もろとも、地を蹴《け》った。
武仁は、当然、横へ一線を引いた敵の長剣が、こちらの頸《くび》を薙《な》いで来るものと思い、疼く右膝を折って、身を沈めざま、突きを放った。
意外の業《わざ》が、無二斎には、工夫されていた。
跳ぶとみせて、わずかに両足を地上から浮かせただけで、両脚を直線になるばかりにぱっと拡《ひろ》げ、その股間《こかん》の宙を、武仁に突かせておいて、掩《おお》いかぶさるかたちになって、その長剣を――掴《つか》んだ手もとから二寸ばかりのところを、武仁の頸根へ、ざくっと割りつけた。
剣の闘いは、常に、切先《きつさき》二寸あまりで敵を斬《き》る。その部分に心気と力が最もこめられるし、間合をはかっての一撃であれば、当然、そうなる理《ことわり》であった。
刃の中央部を使うのは、脇《わき》を駆け抜けざまに、胴を薙ぐ一手だけである。刃の根もとを使う業は、兵法にはなかった。
無二斎は、敢《あ》えて、長剣の根もとを使う業を工夫したのである。
勝負は、一方の白刃が、敵の五体のどこかへ一閃《いつせん》した刹那《せつな》によって終るのが当然であるが、この場合は、ちがっていた。
無二斎は、武仁の頸根へ割りつけた長剣を、鋸《のこぎり》で木材を挽《ひ》き切るように、渾身《こんしん》の力をこめて、ぎりぎりと斬った。
あまりのむごたらしい光景に、佐久は、視界が暗紫色に烟《けむ》って、その場へ、倒れた。
佐久が、意識をとりもどしたのは、おのが下肢《かし》が、ひえびえとした空気にあてられていることによってであった。
着物の裾《すそ》が捲《まく》られ、下着も剥《は》がれ、下肢はあらわになっているばかりか、大きく押しひろげられているのであった。
佐久は、視野いっぱいにかぶさって来ている無二斎の髭面《ひげづら》に、あっとなって、はね起きようとした。
「観念することだぞ、新免の妻女! これは、敗者の妻たる身の宿運と、あきらめることだ」
無二斎は、冷然として、うそぶいた。
双手《もろて》も両膝も、動けぬように押えつけられていて、佐久には、わずかに、首を振ることと、叫ぶ自由があるばかりであった。
「殺せっ!」
佐久は、絶叫した。
「殺すかわりに、おれの妻にする」
「ああっ!」
佐久は、ぬめぬめとした重い厚いものが、秘部に押しつけられる悪寒《おかん》で、総身を粟立《あわだ》たせ、顫《ふる》わせた。
おのが村を、すぐ目の前にした台地の野のまん中で、良人を惨殺《ざんさつ》され、さらに、自分が犯されるという生地獄に遭《お》うた佐久は、いっそ、気が狂いたいと願った。
わが子がいなければ、佐久は、ためらわず、舌を噛《か》み切ったに相違ない。
佐久は、太いものが一杯に、体内に押し入って来るや、三歳のわが子に、救いをもとめるように、視線を宙にさまよわせた。
わが子の姿は、視線に入って来なかった。
「弁之助っ!」
佐久は、絶叫した。
佐久の視界からはずれた場所に、立ちすくんでいた幼童は、母の絶叫で、急に、われにかえったように、走った。
走り寄ったのは、血まみれになって、地面に俯《うつぶ》している父親のそばであった。
弁之助は、その手から、白刃を、把《と》った。
三歳の幼童には、それはあまりに重すぎた。
弁之助は、それをすてると、父親の腰から、脇差の方を抜き持った。
両手に|ひし《ヽヽ》とにぎりしめるや、無二斎の背中をにらんで、近づいて行った。
「弁之助!」
佐久は、なお、わが子の姿をもとめて、呼びつづけていた。
もはや下半身は、完全に無二斎の暴力にゆだねられてしまっていた。
弁之助は、母親の視角が、掩いかぶさった無二斎によってさえぎられ、盲となった一線を、まっすぐに進んで来た。
無二斎は、夢中になって、佐久の股間を押しあげ、突きあげる。
ついに――。
弁之助は、無二斎の背後に来た。
三尺の小さな躯《からだ》に、憎しみと怒りをみなぎらせて、切先をその背中めがけて、
「やあっ!」
と、突き刺そうとした。
不運であったのは、その瞬間に、佐久が片脚の自由をとりもどして、激しくもがいたことであった。
弁之助は、その片脚に打たれて、よろけた。
無二斎が、ぱっと上半身をよじった――その空間を、弁之助の突き出した白刃が、走った。
切先は、無慚《むざん》にも、母親佐久ののどを、まっすぐに、刺した。
よろけ込んだ弁之助の体重が、白刃にかかったため、切先は、したたかに、のど奥まで貫いてしまった。
噴きあがる血《ち》飛沫《しぶき》をあびて、弁之助は、気を喪《うしな》った。
どさっ、と板敷きへ抛り出されて、弁之助は、目をひらいた。
おそろしく穢《きたな》い、暗い屋内であった。
弁之助は、倒れたまま、丸い大きな眸子《ひとみ》をいっぱいに張って、この家へ、自分をはこんで来た男を、仰いだ。
父親を殺し、母親を犯した男は、囲炉裏端へ、どっかと胡座《あぐら》をかき、粗朶《そだ》をくべて、炎をあげさせると、自在からつるした釜《かま》の蓋《ふた》をとって、中をかきまわしはじめた。
弁之助は動くことができなかった。
ただ、このおそろしい男を、まばたきもせずに、瞶《みつ》めていることだけで、せい一杯であった。
無二斎は、幼童の視線など無視して、釜の中をゆっくりとかきまわすことに余念がない様子をみせていたが、やがて、木椀《きまり》に、芋粥《いもがゆ》をすくい入れると、はじめて、弁之助へ、目をくれた。
「おい、起きて、ここへ来て、食え」
「…………」
「腹が空《す》いているだろう。食え」
「…………」
無二斎は、弁之助が動かぬとみると、さっさと、芋粥をすすりはじめた。
たちまち、五、六杯平げると、無二斎は、
「わっぱ、強情を張らずに、食え」
と、うながした。
弁之助は、その時はもう起き上っていたが、その場を動こうとしなかった。
「わっぱ――。この平田無二斎は、お前の父親とは、尋常の果し合いをしたのだ。運がよく、こっちが勝っただけのことだ。よいか、おれが、お前の父親を、斬ったのは、芸者《げいしや》の業がまさったからだ。よくおぼえておけ。……お前は、しかし、父親が斬られるところを、目撃した。わしが、憎かろう。敵《かたき》を討ちたい、と思って居ろう。乳ばなれしたばかりの、その幼稚では、わしは、討てぬ。大きくなるまで、待たねばならぬ。……この家で、わしが、養ってやる。剣の術も、教えてやる。……わしが敵であることを片刻《かたとき》も忘れずに、一心不乱に修業して、強うなれ。強うなったら、いつ、わしを襲ってもかまわん。隙《すき》をうかがって、斬りつけて来い。厠《かわや》にしゃがんでいるところだろうと、睡《ねむ》っているところだろうと……いつでも、かまわんぞ。隙があったら、襲って来い。お前は、父親の血を享《う》けて、おそらく、天稟をそなえて居ろう。胆《きも》っ玉のほどは、もう見とどけた。天下に名をとどろかす兵法者になれる奴《やつ》だ」
無二斎は、そう云ってから、木椀を押しやり、
「さあ、食え! 敵にめぐんでもらう、と思うな。敵を討つためには、はやく大きくならねばならんから食うのだ、と思え」
と、すすめた。
弁之助は、ようやく、炉端へ寄った。
無二斎は、芋粥を喰《た》べはじめた幼童を、見まもって、
「うんと食え。はよう大きくなれ。そして、わしを襲って来い」
と、云った。
屋内には、闇《やみ》が降りて来ていた。
天正十三年早春のことであった。
姥棄《うばすて》小屋
悪鬼――それだった。
くわっと、双の目玉をとび出さんばかりに、ひき剥《む》き、口を大きくひらいた凄《すさま》じい形相が、じわじわと、迫って来るのだ。
その頸根《くびね》からは、どくどくと鮮血を噴かせつつ、悪鬼の顔が、二倍になり、三倍になり……視野いっぱいに、ひろがった。
「ひゃああっ!」
弁之助は、恐怖で、あらんかぎりの叫びをほとばしらせた。
目覚めてみると、いつの間にか、はね起きていた。
全身ぐっしょりと、汗をかき、口の中は、からからにかわいていた。まだ、胸が動悸《どうき》打っている。
弁之助は、のろのろと、視線を移して、囲炉裏のむこうに寐《ね》ている無二斎を、見た。
こちらへ背中を向けた無二斎は、ビクリともせぬ。
弁之助は、力なく両手で、自在にかけられた鉄瓶《てつびん》をかかえると、ひき寄せた。
燠《おき》がのこっていて、鉄瓶の湯は、まだ熱いくらいであった。
ごくごくと飲んでいると、無二斎の視線を感じた。
ちらと、眸子《ひとみ》を動かしてみると、無二斎は、首だけねじって、こっちを、じっと瞶《みつ》めていた。
「また、父親が、夢の中へ出て来たのか?」
無二斎は、かわいた声音で、訊《たず》ねた。
「うん――」
弁之助は、うなずいた。
「はよう仇を討ってくれ、とお前を、せっつくのか?」
「いいや!」
弁之助は、かぶりを振った。
この家へ、つれて来られてから、もう七年の歳月が経《た》っていた。
夢の中に、父親のもの凄《すご》い姿が現れるようになったのは、一年ばかり前からであった。
父親は、悪鬼|宛然《さながら》の形相を、迫らせるだけで、口をきこうとはしなかった。
弁之助は、自分の悲鳴で、目をさました。囲炉裏へころげ落ちたこともある。今夜のように、はね起きることも、たびたびであった。
しかし、弁之助は、その悪夢をみることを、おそれてはいなかった。
――また、みた。
そう思うだけであった。
奇妙なことに、目覚めていて、父母が横死した光景を、記憶によみがえらせても、弁之助は、べつに胸が動悸打ったりなどしなかった。
その無慚《むざん》な光景は、昨日のことのように鮮やかであり乍《なが》ら、弁之助の感情は死んでいた。
自分を養ってくれている無二斎が、父母の敵であることは、もとより忘れてはいなかった。しかし、憎しみは、すこしも湧《わ》いてはいなかった。
弁之助が、無二斎を、父母の敵として意識し、反抗を示したのは、
「今日から、兵法を教えてくれる」
と、木太刀を投げ与えられた時であった。
五歳になった正月であった。
「いやじゃ」
弁之助は、かぶりを振った。
「兵法を学ぶには、師が要るぞ」
「いやじゃ!」
「芸者にならねば、このおれが、討てぬぞ」
「自分で、一人で、習う」
弁之助は、無二斎をにらみかえし乍ら、こたえた。
幼童とも思われぬ面魂《つらだましい》をみせた。
「勝手にしろ」
無二斎は、爾来《じらい》二度と、教えてくれよう、という言葉を口にしなかった。
弁之助の方は、その日から、自分で、木太刀をつくって、夜明けに起き出ると、立木を搏《う》つのを日課にした。
雨にも風にも雪にも屈せず、その独習は、今日まで、一日も欠かさずに、つづけられていた。
それ以外のことは、弁之助は、一切無二斎に反抗しなかった。命じられたことを、忠実に守った。
それにしても、奇妙なくらしであった。
無二斎と弁之助のあいだには、無駄話《むだばなし》というものは、一言も交されなかった。必要以外の対話はなかった。
したがって、囲炉裏をへだてて坐《すわ》っても、沈黙があるだけであった。
弁之助の性根は、重苦しい沈黙の世界で、鍛えられた、といえる。
七歳の時、弁之助は、後脚に猟師の矢を受けた小猿《こざる》を、山中でひろって、家へもどって来た。
弁之助は、無二斎に、養ってもいいか、と願わなかったし、無二斎も何も云《い》わなかった。
なんとはなく、小猿を一員に加えて、三月あまりが過ぎた。弁之助は、特別に可愛《かわい》がりもしなかったが、小猿の方では、よくなついた。
弁之助が命ずることなら、なんでもおとなしくきいた。
弁之助が、夜明けに起き出て、木太刀で立木を搏つのを、小猿は、同じ場所に、ちょこんとうずくまって、半刻でも一刻でも、見物していた。
食事も、弁之助のそばで、与えられるものを喰べて、勝手に、いやしくつかみとろうとはしなかった。
猿は、尻癖《しりぐせ》がよくない動物であったが、その小猿は、弁之助に教えられた通り、家の裏手の一箇処を自分の厠にした。
ある宵《よい》であった。
黙々とした夕餉《ゆうげ》がはじめられた時、粗朶火《そだび》がはねて、小猿の顔へとんだ。すると、おとなしい小猿が、急に、叫びをあげてはねまわったあげく、狂ったように自在へとびついて、激しくゆさぶった。
瞬間――。
無二斎は、膝《ひざ》を立てざま、小猿を掴《つか》むや、大きくゆれる釜《かま》の中へ――煮えたぎる芋粥《いもがゆ》の中へ、ぐいぐいと、突き込んだ。
小猿が、芋粥をはね散らして、もがいたのは、ほんのわずかの間であった。
無二斎は、小猿が動かなくなっても、なおその頸を掴んで、頭を芋粥の中へ、突き込んでいた。
弁之助は、その間、一言も発せず、眦《まなじり》が裂けるばかり双眸《そうぼう》をみひらいて、じっと、むごたらしい光景を、凝視していた。
無二斎は、小猿の死体の沈んだ芋粥を、平然として、木椀《きまり》にすくい取って、喰べた。
流石《さすが》に、弁之助の方は、喰べなかった。
無二斎は、おのれの残忍な振舞いについて、弁解らしい言葉も吐かず、また、弁之助に、「恨むか?」とも訊ねなかった。
その夜から、また、無二斎と弁之助だけのくらしにもどっただけである。
「弁――、明日、京都へ行く。お前もついて来い」
無二斎は、そう云い置いて、くるりとむこう向きになった。
弁之助は、しばらく、粗朶を燃やして、その焔《ほのお》へ、じっと眸子を落していたが、つと立って、屋外へ出た。
宙に月光が満ちていて、樹木が別の生きものになったようであった。
弁之助は、左手に、木太刀を携《さ》げて、なかば無意識に、おのが独習場への道を辿《たど》っていた。
かなり更《ふ》けていたが、夜明けにはまだ、遠い時刻であった。
近年、山火事があって、弁之助の辿る道は、四方を見渡せる草地の中にあった。
渠《かれ》の独習場は、火事をまぬがれて、まるく焼けのこった松林であった。すべて赤松で、間隔がひらき、足場が馳《は》せまわるのに都合がよかったので、片はしから幹を搏つ独習場にはうってつけであった。
林の中には、小屋があった。癩病を患《わずら》った年老いた母親を、里人が、すてるために建てたのである。
いまは、無二斎が、矢や槍《やり》で殺した狐《きつね》や狸《たぬき》や鹿《しか》の皮を剥《は》ぐ弁之助の仕事場になっていた。
けものの皮を剥ぐのは、少年にとって、いやな仕事であった。しかし、それが、無二斎の唯一《ゆいいつ》の内職であり、皮が、米や粟《あわ》や塩や燈油《とうゆ》や小袖《こそで》や杉原紙など、日常の品に交換されるのであってみれば、弁之助は、せっせとその仕事にはげまざるを得なかった。
林の中に入った弁之助は、その小屋から、灯《ほ》かげがもれているのをみとめた。
何者かが、入り込んでいるのであった。
小屋は、無二斎の所有ではないから、何者が入り込もうとさしつかえないのであったが、里人ならば、姥棄《うばすて》小屋など、忌《い》みきらって、近づくことさえしない筈《はず》であった。
弁之助は、跫音《あしおと》をしのばせて、近寄ってみた。
丸太を重ねた壁なので、いたるところ、隙間《すきま》があった。
弁之助は、自分が剥いで蔭乾《かげぼ》ししている鹿皮の上で、下半身はだかになって重なり合っている男女の姿を、見出した。
女は、大きく下肢《かし》を拡《ひろ》げて、男の腰をはさみ乍ら、物狂おしげに、男の頬《ほお》や耳朶《じだ》を噛《か》んでいた。
鹿皮に匍《は》った長い髪の毛が、絶えまなくうごめいていた。
男は、じっとしていた。
弁之助は、瞶めているうちに、ゆくりなくも、七年前の光景が、脳裡《のうり》によみがえって来た。
野の斜面で、無二斎にのしかかられた母親が、着物も下着もはだけさせられて、大きく下肢を押し拡げられていた光景が、いま目撃する女の姿と、同じであった。
弁之助の五体に、突如として、激しい衝動が起った。
弁之助は、音もなく、するりと、小屋の土間に入り込んだ。
男と女は、それに気づかずに、重なり合っている。
女の身もだえは、いよいよせわしいものになり、男もまた、徐々に腰を動かしはじめていた。
一瞬――、
「ああっ! ……もう!」
女が、官能の疼《うず》きに堪えられぬみだらな声を発するのと、弁之助が、ぱっと板敷きにとびあがるのが、同時であった。
五歳から五年間、立木を搏ちまくった独習の業《わざ》を、その一撃にこめて、弁之助は、男の脳天めがけて、木太刀を振りおろした。
「げえっ!」
男は、悲鳴とともに、いったん、頭をはねあげ、がくがくと上下に、二、三度振った。
弁之助は、一撃だけで容赦せず、
「えいっ! えいっ! えいっ!」
懸声とともに、男の頭を、搏ちつづけた。
頭蓋《ずがい》が砕け、脳漿《のうしよう》らしい白いものが、とび散って、はじめて、弁之助は、木太刀を振りおろすのを止めた。
男の下で、女は、悲鳴をあげつづけていたに相違なかったが、それは、弁之助の耳に、とどいていなかった。
女は、強い気象であったとみえて、弁之助が静止すると、男の死体を押しのけて、はね起きると、
「こ、この餓鬼っ!」
憎悪《ぞうお》と憤怒をこめた形相になって、睨《にら》みつけた。
「………?」
弁之助は、ちょっと当惑して、一歩|退《さが》った。
「わ、わっちの、大事な人を、こ、ころして……、こ、この餓鬼っ! ど、どうしてくれるのじゃ!」
「…………」
弁之助は、女を救ったつもりであった。女が、男の頬や耳朶を噛んでいるのは、反抗しているのだ、と受けとった弁之助であった。
逆であったことを知らされて、弁之助は、立往生せざるを得なかった。
「わっちも、ころせ! さ――ころせ!」
胸の豊かな隆起も、股奥も、あらわにして、女は、喚《わめ》いた。
弁之助は、さらに、一歩後退した。
「ころさぬかや、この餓鬼! この人が死んでしもうた上は、わっちも、生きている甲斐《かい》は、ないんじゃ! ころせ! さ――ころせ!」
女は、いざって、進んで来た。
弁之助は、土間へ降りた。
「ああっ!」
女は、はらわたをしぼる絶叫をあげると、その場へ俯《うつぶ》して、五体をよじ曲げ乍ら、慟哭《どうこく》しはじめた。
弁之助は、戸外へとび出した。
自分のやった行為に、少年の心は、悔いをわかせてはいなかった。
ただ、ちょっと、ぼんやりした気分であった。
女が慟哭する声に追われるようにして、歩き出し乍ら、弁之助は、
――わしが入って行ったのに、気づかなんだあいつが、間抜けだったのじゃ。
と、呟《つぶや》いていた。
弁之助が、渓谷《けいこく》へ降りて、清冽《せいれつ》な流れに裸身をひたした時、空がしらんで来た。
弁之助は、いくども、顔を洗った。
男の頭からとび散った脳漿が、顔にひっかかっていたのである。
いくど洗っても、それは、こびりついていて、とれそうもない気がした。
弁之助は、ぬるぬるした岩苔《いわごけ》をむしり取って、それで、顔面をこすった。
やがて――。
弁之助が、ふらりと家へもどってみると、無二斎は、もう起き上って、釜に粟粥を煮ていた。
弁之助は、黙って、台所に行って、片隅《かたすみ》の壺《つぼ》から、梅干をとり出した。
弁之助が、炉端へもどった時、戸口に、幽霊のような人影が立った。
男を殺された女であった。
女は、のろのろとした動作で、土間に入ると、弁之助を指さした。
「この餓鬼めが、わっちの大事な人を、ころした」
無二斎は、しかし、無表情で、見かえしているばかりであった。
「どうしてくれるのじゃ? ……どうして、くれるのじゃ?」
女は、くりかえした。
無二斎は、弁之助へ、視線を向けると、
「まことか?」
と、たしかめた。
「うん――」
弁之助は、みとめた。
「なぜ、殺した?」
「姥棄小屋で、寐《ね》ていたから……」
無二斎は、視線を女にもどした。
「どうしてくれるのじゃ? ……え、このしまつ、どうつけてくれるのじゃ?」
無二斎は、こたえぬ。
女は、板敷きへ上って来た。
その時、無二斎は、火箸《ひばし》を一本、灰から抜いた。
次の刹那《せつな》、火箸は、飛んで、女ののどを貫いた。
女のからだは、大きくのけぞって、土間へ落ちた。
「弁――、それを背負うて、小屋へ行って、男と一緒に埋めてやれ」
無二斎のひややかな命令が、下された。
精気
この二十日あまり、雨の降らぬ街道は、春の強風で、土煙を、竜巻《たつま》きのように舞いあがらせていた。
通行人は、その黄色な竜巻きが襲って来ると、あわてて、松林や田圃《たんぼ》に遁《に》げているが、それを避けもせずに、まっすぐに歩いて行く二人連れがあった。
平田無二斎と弁之助であった。
弁之助の方は、無二斎が、平然として、竜巻きの中へ入るので、しかたなく、自分も小さな躯《からだ》をはこんでいた。そして、それから出ると、べっべっと、唾《つば》を吐いていた。
松林のむこうには、明石《あかし》の浜辺がひらけていた。
もし強風がなければ、汐騒《しおさい》の音ものどかにひびく、美しい春景色なのであった。
尤《もつと》も、風がなくても、無二斎は、景趣に心を奪われるような男ではなかった。弁之助の方は、腹の虫を鳴らしていた。
もう、午《ひる》を過ぎて、半刻《はんとき》以上も経《た》っていた。
弁之助は、無二斎が、いつ昼食にしてくれるのか、そればかりを待っていたのであるが、数歩前を大股《おおまた》に歩く足は、一向に停《と》められる気配はなかった。
弁之助は、前方から、十数人の供をしたがえて、馬を進めて来る武士をみとめて、
――あの人たちは、もう、昼飯を喰《た》べたのじゃろ。
と、思った。
従者に、槍《やり》を三本も立てさせているばかりか、日の丸を染め抜いた幟《のぼり》をはためかせて、これは、その武名を誇示している城貰《しろもら》い牢人《ろうにん》なのであった。
城貰い牢人、と称される牢人者は、いわば、この戦国末期の最も華やかな存在であった。諸方の戦場で、その合戦のみにやとわれて、目ざましい働きをして、わざと随身をことわって、名を売っておき、次第にその評価をたかめておく。やがて、いずれかの大大名の客分となって、一城をあずかる。
よほど、おのが腕前に自信がなければ、やれない生きかたであった。
後世の浪人者とは、全く質を異にした武辺《ぶへん》であった。
八字|髭《ひげ》をはねあげ、部厚い胸を張った姿は、いかにも、充分に天下にその名を売りひろめている|てい《ヽヽ》と見受けられた。
街道の中央を悠々《ゆうゆう》と馬を進めて来て、みすぼらしい兵法者とその養い児《ご》を、脇《わき》に寄らせておいて、行き過ぎようとした。
と――突如。
黒光りしている逞《たくま》しい駿馬《しゆんめ》が、なにに驚いたか、悲鳴をあげて、前脚を棹立《さおだ》たせた。
並の武士ならば、不意をくらって、宙にもんどり打ったかも知れなかった。
あやうく、ぶざまな転落をまぬがれた城貰い牢人は、無二斎に向って、
「待て!」
と、鋭く声をかけた。
無二斎は、じろりと、仰ぎ視《み》た。
「貴様、身共を龍堂寺又兵衛景正と知って、おのれの兵法を試したか?」
馬が、無二斎の無言の気合をかけられて、棹立ったことを、城貰い牢人は、さとったのである。
「御辺《ごへん》が、どのような武名を所有されて居るのか、それがしの知るところではない」
無二斎は、ひややかにこたえた。
「ただ、そちらも牢人ならば、こちらも牢人。風体《ふうてい》の差によって、こちらに道をゆずらせた思い上った傲慢《ごうまん》ぶりが、気に食わなかったまでのこと――」
「ほざいたことぞ! 貴様は、よほど、おのが兵法をうぬぼれて居るとみえる。……すでに、一騎討ちの場所も、えらんで居ろう。先に立て!」
龍堂寺又兵衛は、無二斎を睨《にら》みおろして、云《い》った。
無二斎は冷たくうすら笑って、
「場所は、そちらで指定されい。但《ただ》し、時刻は、半刻後にいたそう」
「半刻後とは?」
「合戦に、戦機熟する時刻があるように、兵法試合にも、身心を剣気で満たすまでの時間を置かねばなり申さぬ。戦場武者たる御辺には場所をえらばせ、兵法者たるそれがしは、時刻指定をいたす」
龍堂寺又兵衛は、小ざかしいうそぶきをあげるものぞ、とせせら嗤《わら》ったが、その申入れを承知した。
決闘の場所は、指定された。
少年の弁之助にとって、最も興味のあったことは、無二斎が、半刻の時間をかけて、どのように五体に剣気を満たすのか、ということであった。
無二斎は、弁之助を連れて、磯馴《そな》れ松のならんだ林を抜けて、明石の浜辺へ出た。
海原には、無数の白浪《しらなみ》の段がついていて、その上を渡って来る汐風は、顔に痛いくらいであった。
彼方《かなた》の島影が、ゆれているほどの強い風であり、無二斎と弁之助が立った浜辺の白砂を、絶え間なく烟《けむり》のように舞い立たせて、目をあけていられないくらいであった。
目路《めじ》のとどくかぎり、人影は、見当らなかった。
無二斎は、砂上へどっかと腰を据《す》えると、海原へ向って、大きく双眼をみひらき、無言をつづけた。
弁之助には、無二斎が、海の広さや強さを、心懐に映しとろうとしているのであろうか、と、思われた。
長い沈黙ののち、無二斎は、
「むっ!」
と、ひくい呻《うめ》き声を、もらした。
弁之助は、それを、戦場武者を斬《き》る一手を編んだ瞬間の声と受けとった。
そうではなかった。
「弁――」
無二斎は、海原へ視線を放ったまま、呼んだ。
「はい」
「おれが命ずる通りにせい」
「…………」
無二斎は、袴《はかま》の紐《ひも》を解いて、それをずり下げ、前を、はだけた。
男根――その呼称にふさわしい、喬木《きようぼく》の根そのままの|しろもの《ヽヽヽヽ》が、むくっと直立しているのを、弁之助は、見せられた。
「弁――、これを、くわえろ。吸え!」
無二斎は、命じた。
その視線は、依然として、海原へ投じられていた。
弁之助は、ためらった。
これは、尿を放出するだけの器官という観念しか、弁之助にはなかった。そんな不潔なものを、くわえて、吸うことに、屈辱感をおぼえたのは、当然である。
無二斎は、
「くわえろ!」
重ねて命じると、猿臂《えんぴ》をのばして、弁之助の頭髪を、|むず《ヽヽ》とつかんだ。
弁之助は、ひき寄せられるままに、頭を、それに、近づけた。
異常な臭気が、鼻孔を刺した。
弁之助は、目蓋《まぶた》をふさいだ。
無二斎は、それを押し込むようにして、弁之助にくわえさせた。
十歳の少年の口腔《こうこう》では、容《い》れかねるほど、それは巨《おお》きかった。
無二斎は、その根もとの方へ五指を当てると、ゆっくりと、しごきはじめた。
弁之助は、息苦しさに、いくどか口をはなそうとしたが、頭髪を片手づかみにされているので、顔を動かせなかった。
無二斎のしごきかたが、しだいに、速度を増して来た。
一瞬――。
「うーむっ!」
無二斎が、もの凄《すご》い呻きを発した。
刹那――、弁之助の口腔内に、なまあたたかい液体が、あふれた。
あまりの息苦しさに、弁之助は、頭髪の痛さも忘れて、首を振ると、男根から口をはなした。
とたんに、無二斎の方から、弁之助を突きはなした。
「げえっ! げえっ! ……ああっ、げえっ!」
弁之助は、その液体と唾を、夢中で、砂地へ吐き出した。
胃袋になにか入っていたら、それも一緒に吐き出したに相違ない。
ようやく、唇《くちびる》を袖《そで》でぬぐって、ひと息ついてから、無二斎の方を視やった。
無二斎は、どたりと仰臥《ぎようが》すると、目蓋を閉じた。そして、そのまま、動かなかった。
弁之助は、自分が吐き出したものへ、視線を移した。
男根から噴き出したのは、尿とはちがった、濁酒のようなとろりとした白い液体であった。それが、砂に散って、みるみる乾きかけていた。
弁之助は、無二斎が、体内に澱《よど》んでいる毒液を棄《す》てたのだ、と納得した。
――これをすてると、心気がひきしまるのじゃな。
自分に云いきかせてから、弁之助は、急に、はげしい空腹感に堪えかねた。
「……腹が空《す》いた」
無二斎にきこえるように呟《つぶや》いた。
無二斎は、死んだように身じろぎもせぬ。
弁之助は、勝手に午食を摂《と》ることにして、斜《はす》に背負うた包み荷の結びを解いた。
筍皮《たけのかわ》をひらいて、握り飯をつまもうとすると、
「食いものの匂《にお》いを、かがせるな!」
無二斎の叱咤《しつた》が、あびせられた。
弁之助は、あわてて、風下の方へ、二間ばかりはなれた。
決闘の場所は、浜辺と反対側の草地であった。
目じるしは、大きく樹冠をひろげた樅《もみ》の木であった。
池のようにひろがった草地に、それが一本だけ、高くそびえていた。
時刻が来た時、城貰い牢人の龍堂寺又兵衛は、すでに、そこに到着していた。
無二斎の方は、その時まだ、砂地に仰臥したままであった。
又兵衛の供の者が、奔《はし》って来て、
「約束の刻限でござるぞ!」
と、松林の中から呼んでも、なお、無二斎は、起き上ろうとはしなかった。
弁之助の方が、そわそわして、立ち上った。
ようやく、身を起した無二斎は、大きく背のびしてから、何を考えたか、渚《なぎさ》へ歩いた。
弁之助の見まもる中で、無二斎は、打ち寄せる波へ、身をはこび入れ、胸までつかった。
雫《しずく》をしたたらせ乍《なが》ら、無二斎は、まっすぐに、草地へ向って、歩き出した。
あとにしたがう弁之助は、無二斎が、なぜ、濡《ぬ》れ身になったのか、判《わか》らなかった。
松林を抜け、街道を横切って、草地に入った無二斎は、
「弁――」
と、呼んだ。
「はい」
「真剣の試合というものを、よう見て置けい。……闘いに勝つ、ということが、どういうものか、それを知るのだ」
「はい」
樅の木に、近づいて行くにしたがって、龍堂寺又兵衛の苛立《いらだ》っている態度が、はっきりと、みとめられた。
無二斎が、三間の距離に近づくと、又兵衛は、もう、うしろに控えた従者の手から、大身の槍を、つかみ取っていた。
「参るぞ!」
自分の方から、ずかずかと迫って来た。
無二斎は、酷薄な冷笑をうかべると、
「死にいそぎされることはあるまい」
と、云った。
「増上慢の高言で、逆上させようとするのも、兵法の一手か!」
又兵衛は、叫んだ。
「その語調に、すでに、みだれがある」
無二斎は、云った。
「黙れ! おのれこそ、卑劣の策をえらぶところに、すでに、敗北のきざしがあるぞ!」
「さあ、どうであろうか」
「この槍さきを、受けてみせい」
又兵衛は、ぴたっと、構えた。
おそらくは、十指にあまる功名首を奪ったであろうその槍は、その瞬間から、城貰い牢人の腕と同然に活《い》きたものとなった。
無二斎は、背負うた四尺の長剣を、天を刺すがごとく、派手な抜きかたをして、それなり、片手づかみに直立させた。
又兵衛は、じりっじりっと肉薄して来、無二斎は、不動の姿になって、これを待つ。
弁之助は、生まれてはじめて視《み》る決闘に、固唾《かたず》をのんだ。
又兵衛は、九尺|柄《え》を、一杯の長さにして、石突きのところを掴《つか》んでいた。
その背後に、もう一本の槍を持った従者が、つき添うていた。
主人が、槍を両断されると、間髪を入れずに、その予備の槍を渡すためであった。戦場に於《お》けるこの訓練は、ゆきとどいているに相違なかった。
又兵衛は、穂先を、一間の近くにまでさしつけると、そのまま、停止せずに、
「やああっ!」
修羅場《しゆらば》裡鍛えの懸声とともに、無二斎の胸めがけて、突き出した。
無二斎は、直立させた四尺の白刃を、振りおろした。
槍は、|けら《ヽヽ》首のところを、両断された。
次の瞬間――。
又兵衛の手には、従者のさし出した槍が移っていた。
とみるや――。
「やああっ!」
再び、凄《すさま》じい懸声もろとも、突きを放った。
この時、無二斎は、槍を両断した剣を、それなり、ダラリと地摺《じず》りに下げていたが、第二撃に対して、無造作とも見えるはねあげの一閃《いつせん》を生んだ。
第二の槍も、あっけなく、|けら《ヽヽ》首のところから、両断された。
又兵衛は、ぱっと、跳び退った。
無二斎の方は、なぜか、動こうとせぬ。
別の従者が、第三の槍を持って、馳《は》せ寄って来た。
無二斎は、又兵衛に、その予備槍を把《と》るにまかせた。
流石《さすが》に、又兵衛は、こんどは、敢《あ》えて肉薄しては来なかった。
すると、無二斎の方がはじめて、進みはじめた。
その足のはこびかたも、いかにも、無造作なものに見てとれた。
待つ側に立たされた又兵衛は、あきらかに、待つことの不得手を、その表情に示した。
距離が縮まった。
又兵衛は、三度《みたび》、柄を両断されるおそれを抱いたに相違なかったが、刃圏内に入って来た無二斎を、ただ睨《にら》んでいることには堪えられなかった。
又兵衛は、突きを放った。
同時に、無二斎の長躯《ちようく》が、宙に躍った。
鳥に似た軽やかさで、無二斎は、又兵衛が突き出した槍の穂先に、ひょい、ととまった。
「いかにっ!」
無二斎が、その声とともに、にたりとするのを、弁之助は、みとめた。
龍堂寺又兵衛が、脳天から唐竹割《からたけわり》に斬り下げられる光景は、弁之助の目に、いっそ華やかなものに映った。
毒酒
「弁! きょろきょろすな!」
不意に、無二斎が、足を停《と》めると、振りかえって、叱咤《しつた》した。
京の街衢《がいく》であった。
生まれてはじめて、華やかな首都へ連れて来られた弁之助は、あらゆるものに目を奪われて、無二斎からおくれがちになっていた。
巨刹《きよさつ》の総門の天に冲《ちゆう》する豪華さ、目路《めじ》の果てまでつづく白い塀《へい》の長さ、そして、往還の広さ。
彼方《かなた》に五重塔が、東山を背負うてそびえ、此方《こなた》に伽藍《がらん》が、碧落《へきらく》を截《き》りぬいている。
往還を、しずしずと、唐車が往《い》く。
袈裟《けさ》で頭を包み、大薙刀《おおなぎなた》をひっかついだ僧兵が、列をなして、高下駄《たかげた》を鳴らして通る。御所の女房らしい美しい装いの婦人が、市女笠《いちめがさ》で顔をかくして、過ぎて行く。
商人や物売りの風体《ふうてい》まで、どこやら垢《あか》ぬけている。
もとより――。
十歩に一人の割あいで、さまざまの装いで威儀を誇った武士と出会う。
天下は、豊臣秀吉《とよとみひでよし》の独裁下に、兵火をしずめ、聚楽第《じゆらくだい》の成った京の都は、史上最大の殷賑《いんしん》ぶりであった。
尤《もつと》も――。
聚楽第の主人は、目下、朝鮮を占拠して明国《みんこく》に攻め入るべく、肥前|名護屋《なごや》に本陣をさだめて、そちらへ、おもむいていた。
弁之助は、無二斎に叱咤されて、いそいで、距離を縮めて、そのうしろに従った。
無二斎の方は、何者が往き過ぎようと、一切目をくれずに、大股《おおまた》に歩いていた。
その風体は、うす穢《ぎたな》さに於《お》いて、最も目立っていた。
やがて――。
無二斎がえらんだ烏丸通《からすまどおり》の旅籠《はたご》は、自身の風体にふさわしい古ぼけた貧しい構えであった。
旅籠のあるじとは、旧知で、無二斎は、挨拶《あいさつ》に来たあるじと、久闊《きゆうかつ》を叙してから、上京の目的を問われて、
「昌山公《しようざんこう》の御前で、吉岡憲法《よしおかけんぽう》と試合をする」
と、こたえた。
昌山というのは、前|征夷《せいい》大将軍|足利義昭《あしかがよしあき》のことであった。
十五代将軍であった義昭は、天正《てんしよう》元年、織田信長《おだのぶなが》に反抗して、宇治の槙島《まきしま》城に挙兵し、一敗地にまみれて、信長に無条件降伏し、室町幕府に終止符をうった人物であった。
信長によって、京を追放された義昭は、紀伊由良《きいゆら》、そして備後《びんご》の鞆《とも》、と辺境で流人《るにん》同様のくらしをつづけ乍《なが》ら、なお、いつの日にか、京都へ還《かえ》って、政権の座に復帰することを、夢みていた。
そのために、義昭は、紀伊由良に於いても、備後の鞆に於いても、衆を抜く豪勇の武辺《ぶへん》を、つぎつぎと引見して、随身の約束をさせることに、努めた。
平田無二斎が、義昭に、目通りしたのは、備後の鞆の時代であった。無二斎は、義昭の身辺護衛の屈強の武士を、七人までも撃ち負かして、他日、将軍の座に復帰した時に、召出すであろう、という言葉をもらったのであった。
義昭が憎みつづけた織田信長は、天正十年六月二日、本能寺で斬死《ざんし》したが、政権はついに義昭にはもどらなかった。
政権は、羽柴《はしば》秀吉の手ににぎられた。
義昭は、柴田勝家《しばたかついえ》に味方して、秀吉を敵にまわす誤算を犯したり、その後、さまざまのうろたえた振舞いを示した。
秀吉は、しかし、義昭を許して、京都へ帰らしめた。
秀吉には、こんたんがあった。信長に代って、独裁者の道を突き進むにあたって、自身の出身を、貴族化するたくらみをわかせたのである。
織田信秀の鉄砲足軽木下|弥《や》右衛門《えもん》の伜《せがれ》である、という素性をかくし、おのれが高貴の人を父に持っていることにしたくなったのである。
秀吉は、左右に常侍して伽役《とぎやく》を勤めている大村|由己《ゆうこ》に命じて、『秀吉事記』を作らせた。
その中で、
[#この行1字下げ]「秀吉の母は、荻|中納言《ちゆうなごん》の女《むすめ》で、禁中に仕えているうちに、懐妊して、産んだのが、すなわち秀吉である」
と、書かせた。
すなわち、荻中納言の女が、天皇のお手がついて、産んだのが、秀吉である、ということにしたのである。
見えすいた嘘《うそ》を、平然とつくりあげる秀吉が、征夷大将軍になることをのぞんだのは、当然である。
そのために、足利義昭を、京都へ呼びもどし、その猶子《ゆうし》になって、望みを達しようとしたのであった。
京都へ帰って来た義昭は、しかし、秀吉の申入れを、一蹴《いつしゆう》した。室町幕府最後の将軍としての意気を示した、といえる。
秀吉は、しかし、憤《いきどお》って、義昭を殺すほど、度量はせまくなかった。秀吉は、近衛《このえ》前関白|前久《さきひさ》の猶子となって、関白に任ぜられた。
義昭は、出家して、昌山と号し、秀吉から一万石の捨扶持《すてぶち》をもらい、いまは、山城槙島に住んでいた。
織田信長に最後の反抗をこころみた槙島城の城趾《じようし》に、ささやかな庵《いおり》をむすんで、六十に手のとどく老いの身を、無為にすごしているのであった。
足利昌山が、その無聊《ぶりよう》をまぎらわせるために、思いついたのは、吉岡憲法に、さまざまの兵法者と試合させて、これを観《み》ることであった。
京都今出川の吉岡道場には、いまなお、
「扶桑《ふそう》第一、将軍家指南、室町|兵法所《ひようほうどころ》」
という看板が、かかげられている。
将軍家とは、勿論《もちろん》、足利将軍を意味している。
四代足利|義持《よしもち》の頃《ころ》、吉岡|直元《なおもと》という者が出て、将軍家兵法指南となって、この看板をかかげ、その後、いくたびかの兵火を蒙《こうむ》り乍らも、一度もはずされたことはないのであった。
直元・直光《なおみつ》・直賢《なおかた》と、吉岡家には、天稟《てんぴん》を備えた達人がつづき、将軍家指南が有名無実となったいまも、門弟の数は千を越えていた。
当主は、直賢であった。
憲法というのは、代々当主の称《よ》び名であった。
憲法のほかに、剣峰、憲房、建法などと署名しているが、如法《によほう》(法《のり》にしたがって行なう)といった意味あいで、正直を家憲としているのであった。
したがって、吉岡家では、いまなお、前征夷大将軍足利義昭に対して、君臣の礼儀をまもっていた。
義昭の方も、吉岡憲法を兵法指南役とみなして、月に一度か二度、強いという評判の兵法者を指名して、憲法と立ち合わせて、これを観ているのであった。
「弁――、これから今出川の吉岡道場へ行け」
夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》が下げられた時、無二斎が命じた。
「はい」
弁之助は無二斎を視《み》かえした。
「憲法は、大層酒好きの男ときいた。……お前は、台所に忍び入って、憲法が飲む酒へ、これを――」
と、竹製の薬筒をさし出し、
「人目につかぬように、入れろ」
「…………」
弁之助は、薬筒を受け取ったが、すぐに立とうとしなかった。
「はよう、行け」
「これは、毒薬じゃが……」
弁之助は、俯《うつむ》いたまま、呟《つぶや》くように云《い》った。
「今宵《こよい》、飲めば、明朝は、四肢《しし》から力が抜けて居る」
「卑怯《ひきよう》なことじゃ、と思うが――」
「黙れ! 兵法とは、勝つことだ。勝つためには、手段をえらばぬ。約束の刻限をおくれて、対手《あいて》を苛立《いらだ》たせるのも手段、不意に背後から出現して一太刀に仆《たお》すのも手段、試合の前に、対手の体力を衰えさせるのも、兵法の一手だ。……大事の試合の前夜ならば、酒を断ち、色を避けて、精進するのが兵法者の心得であろう。憲法が、もし、わしとの闘いを、おのが生涯《しようがい》の大事と思いなせば、そうするだろう。この平田無二斎を、軽くみて、平常通り酒をくらうとすれば、その酒に毒がまぜてあっても、それは、くらった奴《やつ》の不覚と申すものだ。……行け!」
「…………」
弁之助は、薬筒を懐中にすると、黙って、立ち上った。
部屋を出がけに、弁之助は、ふりかえって、
「もし、見つけられてしもうたなら――?」
と、訊《たず》ねた。
「その時は、これも兵法の一手、とわしが云った、とこたえろ」
無二斎は、冷然として、こたえた。
捕えられた弁之助が、どのような処罰を受けるか――そんなことは、まるで、考慮に入れていない態度であった。
今出川の吉岡道場は、巨刹にひけをとらぬ規模を持った構えであった。
門扉《もんぴ》はなく、誰でも自由に出入りできた。
弁之助は、朱塗りの酒樽《さかだる》を、携《さ》げていた。これは、無二斎と弁之助の会話を、偶然ぬすみぎいた旅籠のあるじの智恵《ちえ》であった。
「台所に忍び込んで、酒に毒をまぜるのは、わっぱには、無理な仕事じゃ」
そう云って、あるじは、はじめから毒をまぜた酒を、弁之助に持参させたのである。
弁之助は、表玄関に立った。
「たのもう!」
大声をあげた。
出て来た門弟は、乞食《こじき》にもひとしい貧しい装《なり》をした少年を、見下して、眉宇《びう》をひそめた。
「なんだ?」
「明朝、昌山公の御前で、こちら様と試合をする平田無二斎から、使いに参りました」
弁之助は、旅籠のあるじから、教えられた口上を述べた。
「ふうん! 敵からの進物か。妙な作法だな。……待って居《お》れ」
門弟は、酒樽を受けとって、奥へ入った。
弁之助は、玄関さきで、かなりの時間を待たされた。
ひきかえして来た門弟は、
「上れ」
と、促した。
弁之助が、みちびかれたのは、道場であった。
「そこで待て」
がらんとした広い道場の中央に、弁之助は、坐《すわ》らされた。
いくつかの燭台《しよくだい》が配置されてあったが、それでも隅《すみ》は暗かった。百人以上が一時に稽古《けいこ》をしても、充分撃ち合えるほどの広さであった。
弁之助は、鏡のように光る床板上に、大きくゆれるおのが影法師を、じっと瞶《みつ》め乍ら、待った。
総髪に、白装の人物が、上段に現れた。弁之助より、三、四歳年長の少年をともなって、座に就いた。
「わしが、吉岡憲法だが……、そなたは、平田無二斎の弟子か?」
弁之助は、弟子ではない、とこたえたかったが、事情を説明しなければならぬのが面倒なので、
「はい」
と、うなずいた。
「無二斎が、贈ってくれた酒には、毒がまぜてあった」
憲法は、云った。
「そなたは、毒酒とは、知らずに、持参したか?」
「知っていました」
「知っていて――、師の振舞いを、卑怯と思わずに、持参したか?」
「無二斎は、申しました。もし、見つけられたら、これも兵法の一手、とこたえろと」
「ふむ、兵法の一手か、成程!」
憲法は、苦笑した。
「ところで、当道場の家法として、禍《わざわい》をもたらした者は、生かして門外へ出さぬことに相成って居る。そなたは、毒酒を持参した。生かして還すわけには参らぬ」
「…………」
「無二斎は、その予想をしたであろうに、そなたの生死など、思慮の外へ置いたらしい。よほど、酷薄な性情を持った兵法者と思われる。……覚悟は、よいか?」
「はい」
弁之助は、うなずいた。
「不敵な面魂《つらだましい》よ。……わっぱゆえ、手討ちにすることもできぬ。師について、剣を習って居ろう?」
「…………」
弁之助は、沈黙をまもった。
無二斎からは、手ほどきを、受けてはいないのだ。五歳から、立木を搏《う》つ独習を、一日も欠かさずにつづけて来たばかりである。
しかし、このことも、説明の必要があるので、弁之助は、口をつぐむことにした。
憲法は、弁之助の沈黙を、べつに意味のあるものとは、受けとらず、
「これは、わしの嫡男《ちやくなん》の清十郎だ。そなたと立ち合せる。不具にならずに、門を出られたならば、幸せと思うがよい」
と、云った。
弁之助は、生まれてはじめて、試合の機会を与えられた。
清十郎が、父に一揖《いちゆう》しておいて、床へ降り立つと、壁から、木太刀を二振り把《と》って、弁之助の前へ近づいた。
「いずれかを、えらべ」
弁之助は、短い方を、手にした。
弁之助は、とうてい十歳とは思われぬ太い骨格を持っていたが、清十郎は、それよりもさらに逞《たくま》しく、十四歳だが、すでに青年の体躯《たいく》であった。
弁之助の上背は、清十郎の胸までしかなかった。
「いざ!」
清十郎は、青眼《せいがん》に構えて、声をあげた。
父以上の芸者《げいしや》になるであろう、と称されているその構えは、みじんの隙《すき》もなく、いかにも、颯爽《さつそう》とした気魄《きはく》をみなぎらせていた。
それに対して、弁之助の構えは、ぶざまなものであった。
立木を搏ちまくるのに、構えなど不要だったので、弁之助は、独習場に於《お》けると同様、木太刀をかつぐような恰好《かつこう》で、対峙《たいじ》したのである。
清十郎は、しかし、軽蔑《けいべつ》の表情などすこしもみせず、じりじりと肉薄して来た。
間合がきまると、清十郎は、一瞬の停止を置いてから、
「えいっ!」
と、撃ち込んだ。
弁之助は、一度は、それを、ぱあん、とはらった。
払われた木太刀を、つばめがえしに、はねかえして来る業《わざ》を、弁之助は、予測すべくもなかった。
清十郎の第二撃は、突きであった。
弁之助は、その突きを胸にくらって、棒倒しに、うしろへ、ひっくりかえった。
それなりに、失神してしまった。
意識をとりもどした時、門の外へ、|ぼろきれ《ヽヽヽヽ》のように、ほうりすてられていた。
疼《うず》く胸を押えて、よろめき立った弁之助は、月明に浮いた大看板を眺《なが》めて、生まれてはじめて、火のような闘志で、全身をかっと熱いものにした。
――よし! いつか、この看板を取ってやる!
沢庵《たくあん》
朝陽《あさひ》がさしそめた頃合《ころあい》、鴨川《かもがわ》に沿うた街道を、大小二つの人影が、その影法師を、長く地に匍《は》わせて、黙々として、歩いていた。
街道上には、まだ、ほかに、通行人は見当らなかった。
小さな人影は、三歩の等間隔を保って、大きな人影に、従っているのであったが、六尺の巨躯が大股《おおまた》に進んで行くのに、おくれないために、せわしい歩きかたをしなければならないので、顔をしかめ、鼻のあたまに汗をかいていた。
小躯には、胸の疼痛《とうつう》があったのである。これは、かなり激しかった。昨日、吉岡道場で、その嫡男清十郎の突きをくらい、それが、にぎりこぶしほどに、はれあがっていた。そのために、夕餉《ゆうげ》も朝食も、のどを通らなかった。
旅籠《はたご》のあるじが、黒い塗り薬で冷やしてくれたが、あまり効目はなかった。
弁之助は、旅籠へ戻って来て、毒酒が露見した旨《むね》を、無二斎に報告したが、胸を突かれて失神したことは、黙っていた。
無二斎の方も、弁之助が無事に戻ることができたのを、いぶかる様子もみせなかった。
夕餉の膳《ぜん》に向った時、無二斎は、弁之助が、いったん木椀《きまり》と箸を把りあげ乍《なが》ら、また、置くのを視《み》て、
「なぜ、食わぬ?」
と、訊《たず》ねた。
弁之助は、黙って、胸をはだけて、赤くはれあがった箇処を示した。
「…………」
無二斎は、じっと凝視したが、何も云わなかった。
夕餉がおわった時、無二斎は、旅籠のあるじを呼んで、
「こいつの胸を、ひやしてやってくれ」
と、たのんだ。
牀《とこ》に就いてから、弁之助は、にわかに熱を出した。
――あいつ!
弁之助は、疼痛と熱に堪えるために、吉岡《よしおか》清十郎が木太刀を構えた姿を、思い泛《うか》べ、それを、闇《やみ》の中で睨《にら》みつづけた。
おかげで、当然、熱が呼ぶであろう悪鬼|宛然《さながら》の父親の形相が現れる悪夢をみなかった。
夜明けに、目覚めた時には、熱は引いていた。
旅籠のあるじは、一日寝ているようにすすめたが、弁之助は、無二斎が、立ち上ると、そうきめられたように、自分も立っていた。無二斎は、「やすんで居れ」とは、云わなかった。
無二斎の大股な歩行ぶりは、弁之助の容態など一切考慮しないものであった。一度も、ふりかえろうともしなかった。
十歳の少年にとって、一歩|毎《ごと》に増す疼痛と、二度も食事を抜いたことは、尋常の気力で堪えられるものではなかったが、この少年の脳裡《のうり》には、跟《つ》いて来たことを後悔する気持は、みじんも起っていなかった。
と――。
無二斎が、足を停《と》めた。
弁之助も、立ちどまったが、とたんに、くらくらと眩暈《めまい》が襲って来た。
「弁――」
「はい」
「あの舟から――」
無二斎は、葦《あし》のしげった岸辺にもやってある高瀬舟を指さして、
「艪《ろ》を取って来い」
と、命じた。
弁之助は、眩暈をはらうために、双の手の甲で、目蓋《まぶた》をこすってから、斜面を降りはじめた。
途中で、露に濡《ぬ》れた草に、足をすべらせて、葦ぎわまで、落ちた。
艪は、重かった。小脇《こわき》にかかえたり、かついだりし乍ら、けんめいに、斜面をのぼろうとする少年の姿に、無二斎は、しかし、一瞥《いちべつ》もくれずに、袴《はかま》をまくりあげて、ながながと放尿していた。
路上へ艪をひきあげた弁之助は、そのまま、ぺったりと坐《すわ》り込んで、喘《あえ》いだ。
無二斎は、すっと、艪を掴《つか》みあげて、三、四度素振りをくれてみてから、脇差を抜くと、削りはじめた。
削り乍ら歩き出した無二斎が、二十歩も遠ざかってから、弁之助は、ようやく身を起した。
前征夷大将軍|足利義昭《あしかがよしあき》が、隠栖《いんせい》する槙島城趾《まきしまじようし》は、現在の宇治市槙島町の北方に在った。
宇治川と巨椋池《おぐらいけ》が、その両側にあり、宇治川の支流が南北から巨椋池に流れ込んでいたので、一洲をなしていた。(巨椋池は、現在は埋め立てられて、あとかたもない)
往時は、景勝の地として、名が高かった。殊《こと》に、紅葉の頃の景色が秀《すぐ》れていて、後嵯峨帝《ごさがてい》は、前《さき》の太政大臣近衛兼経《だじようだいじんこのえかねつね》の槙島の山荘に、しばしば御幸されて、御製をものされた。
将軍義昭は、ここに、山城を築き、難攻不落を確信して、織田《おだ》信長と闘って、もろくも敗北し、城も天下の政権も失ったのである。
焼きはらわれた城趾は、ただの小山に還《かえ》り、わずかに、松林の木立の中に、石垣《いしがき》のみが、ほの白く浮いているばかりであった。
無二斎は、麓《ふもと》に至った時、その艪を、三尺ばかりの木太刀に仕上げていた。
「お前は、ここで、待って居《お》れ」
弁之助は、大手跡の空地で、無二斎から命じられて、
「わし、試合を見とうて、ついて来たのじゃ」
と、仰いだ。
「見るな!」
無二斎は、斬《き》りすてるように、云《い》った。
「見たい!」
弁之助は、叫んだ。
明石《あかし》では、城貰《しろもら》い牢人《ろうにん》龍堂寺又兵衛との果し合いを、見せておき乍ら、肝心の吉岡憲法との試合を見せぬとは、どういうわけなのか、弁之助には、判《わか》らなかった。
無二斎は、その理由を云いきかせる代りに、
「わしが、死体になったら、この剣を、故郷へ持ち帰って、父親の墓の前へ供えろ」
と、云いのこした。
無二斎が、試合を見せなかった理由が、弁之助に合点されたのは、ずっと後年になってからであった。無二斎は、吉岡憲法に、絶対に勝つ、という自信を持っていなかったのである。敗れ去る惨《みじ》めな姿を、弁之助に、見せたくなかったのである。
弁之助は、しかたなく、木立に消える無二斎の後姿を見送ってから、巨椋池の畔《ほとり》へ降りて、とある柳の木の根かたに、腰を下した。
風もなく、うららかな春光が、宙に満ちて、弁之助の顔の前へたれさがった柳の枝も、なにやら、ものうげであった。
弁之助は、ようやく、激しい空腹をおぼえた。胸の疼痛が、うすらいだせいでもあった。
大きな口をひらいて、深呼吸してみたが、あまり患部にひびかなかった。
「弁当を持って来るんじゃった」
弁之助は、小舟がゆっくりと、こちらの岸辺へ進んで来るのを眺め乍ら、呟《つぶや》いた。
小舟をこいでいるのは、まんじゅう笠《がさ》をかぶった僧侶《そうりよ》であった。
小舟は、弁之助の目の前の岸辺に着けられた。
僧侶は、釣竿《つりざお》と竹籠《たけかご》を携《さ》げると、
「よいしょ」
と、懸声をかけて、岸へ跳んだ。
僧侶の身で、魚を獲《と》っていたのである。この当時としては、許されぬ破戒であった。
僧侶は、しかし、べつにあたりをはばかる様子もなく、すぐ脇に少年が憩《いこ》うているのにも気がつかぬていで、釣竿を肩にかつぐと、すたすたと、縄手《なわて》へ出ようとした。
その時、竹籠の中から、鮒《ふな》が一尾、はねあがって、地べたへ落ち、ばたばたした。
弁之助は、手をのばして、それを、ひろうと、竹籠の中へ、ぽんと、投げ込んでやった。
僧侶は、笠の下の顔をほころばせて、
「これが、運不運と申すものじゃな。舟から池へ跳べば、生命《いのち》がたすかったものを、地べたへ跳んでは、時機を逸したことじゃて」
と、云った。
「お坊様、その魚、すぐ食うのか?」
弁之助は、訊《たず》ねた。
「わしは、食わんぞよ。庵《いおり》には、猫《ねこ》が十七匹、待って居る」
「わしにも、食わせて下され」
僧侶は、弁之助を浮浪児と看《み》て、ついて来るがよい、と許した。
「遠くなら、駄目《だめ》じゃ」
弁之助は、かぶりを振った。
「どうしてだな?」
「わしの養い親が、吉岡憲法殿と、いま、前の将軍様の御前で、試合をしているのじゃ。わしは、それが、おわるのを、ここで、待っている」
「ほう、そなたの養父は、兵法者か」
「うん――」
「なんという名だな?」
「平田無二斎」
「その名は、きいたことがある。愚禿《ぐとく》も、播州《ばんしゆう》生まれでの、平田家当主が、代々無二斎を名のっていることは、知って居る。先代無二斎が、陶晴賢《すえはるかた》の客分となって、毛利《もうり》元就《もとなり》に攻め滅された時、二十人以上も斬り伏せて、立腹《たちばら》切った話を、小僧の頃《ころ》、きかされた。……そうか、そなた、平田無二斎の養い子か。さ、ついて来るがよい」
「遠くないのかえ?」
「ははは……、庵は、城あとにある。愚禿は、猫を十七匹つれて、昌山公の食客になっている沢庵《たくあん》というなまぐさ坊主《ぼうず》じゃ」
この半年の間に、昌山公の前で、吉岡憲法と試合をして、不運にして、一命を落した兵法者が三人居り、そういうこともあろうと、これを葬《ほうむ》って、回向《えこう》してやるために、この沢庵が食客として招かれたのだ、ときかされて、弁之助は、そのあとに従った。
「そなたも、兵法者になるつもりか?」
沢庵は、訊ねた。
「うん、なる。日本一の兵法者になる」
弁之助は、こたえた。
「面魂《つらだましい》があるの」
沢庵は、笑った。
「平田無二斎から見込まれたわっぱゆえ、天稟《てんぴん》をそなえて居ろうな」
「見込まれたのじゃない。無二斎は、わしの父《とと》と果し合いをして、殺した。その時、わしの母《かか》も死んで、わしが一人ぼっちになったから、自分の家へ、つれて行ったのじゃ」
「なんと! そなた、父の敵《かたき》に、養われて居るのか?」
「うん――。その時、三つじゃったわしに、無二斎は、はよう大きくなって、自分を襲って来い、と云うた」
「兵法者とは、なんとまあ、図太い性根を持って居るものよ。……それで、そなた、いずれ、無二斎を討つ存念かな?」
弁之助は、その時は、返辞をしなかった。
ゆるやかな坂道を登りきると、高い石垣が、頂上をさえぎって居り、沢庵の草庵は、その石垣下に、建っていた。
戸口にも、土廂《つちびさし》の上にも、丸竹の縁側にも、猫がうずくまっていたが、沢庵の姿を見ると、啼《な》き声をたてたり、立って背を伸ばしたりした。
三匹ばかり寄って来て、沢庵の衣の裾《すそ》へ、顔をこすりつけた。
「待って居れ。今朝は、一匹に一尾宛の大漁じゃ」
沢庵は、台所へまわって行った。
弁之助は、縁側に腰かけて、耳をすました。
石垣の上の広場が、試合場にあてられている、と沢庵は、教えてくれたが、なんの物音も、つたわっては来なかった。
試合を見たい、という衝動が起ったが、弁之助は、怺《こら》えた。
魚の焼ける匂《にお》いが、流れて来て、弁之助は、それを、胸に吸い込んだ。
縁側に、ごろんと寝て、うとうとする時間があった。
沢庵に呼ばれて、目をさました時、弁之助は、別の世界にいるような気がした。
このような、のんびりと、陽《ひ》だまりの中でうたた寝したのは、生まれてはじめてのことだったのである。
沢庵は、囲炉裏端に、膳部をととのえて、待っていてくれた。
大きな木椀には、麦飯が山盛りにしてあった。
弁之助は、夢中で、喰《た》べた。
そのさまを、見まもり乍ら、沢庵は、
「無二斎と父御が果し合いした際、そなたの母者も、亡《な》くなった、と申して居ったが……?」
と、訊ねた。
「うん。わしが、父の脇差で、無二斎を突こうとして、まちごうて、母を突き刺してしもうた」
弁之助は、鮒の身をかじり乍ら、こたえた。
沢庵は、異常な悲惨事を、こともなげな口調と態度で、語る少年に、眉宇《びう》をひそめた。
「そなた、その日のことを、思い出して、辛《つろ》うはないか」
弁之助は、かぶりを振った。
「辛うはないのだな」
「しかたがなかったのじゃ」
こたえてから弁之助は、沢庵に視線をかえした。
「お坊様、わしは、やっぱり、父の敵を討たなけりゃ、いけんかな?」
「そなた、どうやら、無二斎を、憎んでは居らぬようだな?」
「うん……」
「父の敵は、不倶戴天《ふぐたいてん》というが、さて、その不倶戴天の敵に養われているとなると、どうしたものかな」
沢庵は、茶を飲み乍ら、すすだらけの天井を仰いだ。
しばらく沈黙を置いて、沢庵は、云った。
「討てる秋《とき》が来れば、討つがよし、討てぬと思えば、討つのをあきらめるがよし――ま、坊主の言葉など、こんなものであろうな」
「…………」
弁之助は、黙って、沢庵の顔を眺《なが》めているばかりであった。
沢庵は、弁之助の眼眸《まなざし》に、視線をかえすと、
「無二斎の方は、どうかな。もしかすると、そなたを、ひそかに、愛して居るかも知れぬ」
弁之助は、かぶりを振った。
無二斎から、愛されているなどとは、夢にも考えられなかった。
自分に毒酒を持たせた無二斎は、吉岡道場で殺されても一向にかまわぬ、と考えていたからに相違ないのだ。
――お坊さんというものは、お人好《ひとよ》しなのじゃな。
弁之助は、そう思った。
その折――。
太鼓の音が、ひびいて来た。
「試合が終ったぞ……。どちらが勝ったか、どれ、ひとつ、見とどけて参ろう。お経をあげずにすませれば、これに越したことはないが――」
そう云って、沢庵は、立ち上った。
この時、沢庵は、まだ、二十七歳の若さであった。
夢遊剣
石垣《いしがき》と石垣が、左右から迫った坂道は、切通しになって居り、そこから、足利昌山の屋敷内になっているようであった。
坂道は、敵の攻め入るのを防ぐために、石垣で、桝形《ますがた》に屈折して居り、見通しはきかなかった。
弁之助は、沢庵が試合場へ登って行ったあと、そこの石垣あとに凭《よ》りかかって待っていた。
ふと――。
ゆっくりと、石垣を匍《は》い降りて来る蛇《くちなわ》をみとめた弁之助は、その行方を、目で追った。
蛇は、弁之助の眼前まで降りて来て、石垣へもぐり込もうとした。
弁之助は、つと双手をのばして、蛇のしっぽをつかんだ。
力まかせに、石垣の隙間《すきま》から、ひき抜いてやろうとしたが、意外にも、蛇は、わずか三寸ばかり首を突っ込んだだけで、ビクともしなかった。
いや、弁之助が、渾身《こんしん》の力をこめて、ひっぱるにも拘《かかわ》らず、ずるっずるっと、隙間へ、その胴をすこしずつ入れて行った。
「畜生っ!」
弁之助は、胸の疼痛《とうつう》を怺えて、必死の力をふりしぼった。しかし、蛇の必死の力の方が、まさっていた。
ついに――。
蛇は、弁之助が掴《つか》みしめたしっぽのところまで、もぐり込んでしまった。弁之助は、総身汗だらけになっていた。
ついに、あきらめて、双手をはなした時、石垣をまわって、無二斎が、姿を現した。
――勝ったのじゃな!
弁之助は、胸をはずませて、無二斎を迎えた。
無二斎の顔面は、蒼白《そうはく》であった。しかし、大股《おおまた》の足どりは、変らなかった。
弁之助へ、じろっと一瞥《いちべつ》をくれただけで、何も云《い》わずに、切通しを降りた。
あとに従った弁之助は、無二斎の右手の甲を、血汐《ちしお》がつたって、地面へ、ぽとりぽとりと落ちるのをみとめて、思わず、
「あ――血じゃ!」
と、叫んだ。
無二斎は、無言であった。
沢庵が、弁之助の背後へ近づいて、
「無二斎殿、手当をして進ぜる。そこを、右折されよ」
と、云った。
やがて、炉端に坐《すわ》った無二斎は、片肌《かたはだ》をぬいだ。その右腕の上膊部《じようはくぶ》が、三倍にもはれあがり、紫色に変じていた。骨は折れているに相違なかった。
沢庵は、小壺《こつぼ》を持って来て、黒いどろりとした塗り薬を、その患部いちめんに、|へら《ヽヽ》で塗りつけ乍《なが》ら、
「もしかすれば、もうこの腕は、使いものにならぬかも知れぬ」
と、呟《つぶや》くように云った。
無二斎の沈黙はつづいていた。
沢庵は、手当を終えると、
「無二斎殿、吉岡憲法に勝ったのは、御辺《ごへん》が、はじめてじゃ。……しかし、御辺は、その右腕を不具にしたが、憲法は、どこも傷つかなんだ。試合には勝ったが、御辺の方が損をしたことになる」
と、云った。
無二斎と吉岡憲法は、一刻《いつとき》近くも、不動の対峙《たいじ》をつづけたのであった。
突如として、攻撃に出たのは、無二斎の方であった。
この攻撃でも、無二斎は、意外の業《わざ》を発揮した。
すなわち――。
艪《ろ》を削りあげた木太刀を、電光の迅《はや》さで、片手突きに憲法の股間《こかん》へ、突き入れたのであった。
刹那《せつな》――、憲法は、無二斎のその右腕を搏《う》った。当然の業であった。無二斎は、右腕を犠牲にして、憲法の急所を、衝《つ》いたのであった。
憲法は、無二斎の右腕の骨を砕くと同時に、前へのめり込み、それなりに、昏倒《こんとう》した。無二斎は、倒れなかった。
無二斎の明白な勝であった。
勝ったものの、無二斎の右腕は、もはや永久に使用不能となったのである。
たしかに、沢庵の云う通り、試合に勝つために、無二斎がえらんだ迅業は、損をしたことになる。
「御辺は、まことの兵法者でござるな。勝利を得るためには、いかなる手段もえらばぬという考えかたのようじゃな」
「それが、まちがっていると、申されるのか?」
無二斎は、はじめて、口をひらいて、沢庵を見据《みす》えた。
「人にはそれぞれ生きかたがあるので、かるがるしゅう、是とも非とも、断定はでき申さぬが、……兵法者として、右腕を喪《うしな》うのは、辛かろう」
「勝てばよいのだ、それがしは――」
無二斎は、叫ぶようにこたえた。
「勝てばよい、か。成程――それも、男子の性根のひとつじゃな。……ところで、無二斎殿、このわっぱのことじゃが――」
沢庵は、云った。
「愚禿《ぐとく》に、あずける気持には、ならぬかな?」
「おことわりする」
無二斎の返辞は、|にべ《ヽヽ》もなかった。
「この小僧には、使命がござる」
「使命とは?」
「父親の敵《かたき》であるそれがしを討って、扶桑《ふそう》第一の兵法者になる、という使命でござる」
「ほう……、御辺は、このわっぱに、討たれてやる存念をお持ちかな?」
「むざと討たれてやる存念は、毛頭みじん、持っては居《お》り申さぬ。……それがしを、首尾よく、討つことができるならば、必ず、扶桑第一の兵法者になるであろう、と確信いたす。そのためには、そばに置いておかねばなり申さぬ」
沢庵は、やれやれ、といったあんばいに、肩をすくめた。
その折、一匹の猫《ねこ》が、戸口から板敷きへ、跳びあがって来た。
蛇をくわえていた。
弁之助は、それを眺《なが》めて、その蛇が、どうも、自分が石垣の隙間からひきずり出しそこねたやつのような気がした。
――自分が獲《と》れなかったのに、猫めが獲り居った。
弁之助は、屈辱を感じた。
程なく――。
無二斎は、弁之助を連れて、宇治川沿いの街道を、西へ向っていた。
無二斎と弁之助のあいだには、依然として、対話はなかった。
弁之助は、三歩おくれて、その等間隔を保っていた。
手負うた無二斎は、しかし、決して、のろい歩行ぶりをみせてはいなかった。
舟着場へ降りて、無二斎は、はじめて、弁之助に、口をきいた。
「あそこで、渡しを待つふりをして居る三人の武士を、わしは、舟の中で、斬《き》る。……お前は、しかばねから、金をひろえ」
「………?」
弁之助は、けげんの視線を、無二斎の横顔へ、仰がせた。
三人の武士は、床几《しようぎ》に竝《なら》んで、いかにも、春の陽《ひ》だまりの中で、のんびりと舟を待っているように見える。
無二斎が、どうして、三人を斬る、というのか、弁之助には、理解しがたかった。
無二斎が、斬取り強盗を働くとは、考えられなかった。
渡し舟が、向う岸からはなれて、ゆっくりと流れを渡って来ていた。
無二斎と弁之助は、三人の武士から、かなりはなれた地点に、佇《たたず》んで、待った。
客は、ほかに、旅商人が一人いるだけであった。
舟は、こちら岸に着いた。
無二斎と弁之助が、さきに乗り込んだ。
三人の武士は、無二斎をはさむようにして、座をえらんだ。
弁之助は、舳先《へさき》に腰を下して、どういうことになるか、といっぱいに眸子《ひとみ》を瞠《みは》り、固唾《かたず》をのんでいた。
無二斎は、平然として、川面《かわも》へ視線を投じている。
三人の武士も、無二斎から顔をそらして、何気ない様子を示していた。
舟が、流れの中央に出て、船頭の棹《さお》の操作がせわしくなった時であった。
武士の一人が、いかにも退屈そうに、腰を上げて、両手をたかだかと、さし挙げた。
次の瞬間――。
向きなおりざまに、抜きつけの一撃を、無二斎の脳天めがけて、あびせた。
その不意撃ちに合せて、ほかの二人が、白刃をひらめかすのを、弁之助は、視《み》た。
同時に、無二斎の五体は舷《ふなばた》よりひくく、沈んだ。
不意撃ちをあびせた武士の刀身は、無二斎の首が在った宙で、ぴたりと停止した。
無二斎が、その胴を薙《な》いだ迅業を、他の二人へ送る迅業へ継続させるさまは、弁之助をして、その白刃の閃光《せんこう》を目で追うことさえ許さぬほどの、人間ばなれしたものであった。
一人は、右手を手くびから両断され、もう一人は、顔面を逆斬りに割られた。
無二斎は、左手ひとつで、それをやってのけたのである。
三人の武士が、崩れ伏した時、無二斎は、もう衄《ちぬ》れた白刃を、水へ漬《つ》けていた。
弁之助は、いつの間にか、茫然《ぼうぜん》と、棒立っていた。
「弁――」
無二斎が、無表情で、命じた。
「金子《きんす》を取りあげろ」
それをきいた旅商人が、恐怖に縛られていた身をぶるるっと、ふるわせて、次に斬られるのは自分の番ではないかという戦慄《せんりつ》から、おのが身を、流れへ躍らせた。
弁之助は、まず胴を薙ぎ斬られて事切れた武士の懐中をさぐった。
その財布を無二斎へ渡しておいて、次に、右手を喪った武士のそばへ寄った。
舷へ頸根《くびね》をあてて、ぐったりとなっていたその武士は、眦《まなじり》が裂けんばかりに、かっと双眼をひらいて、弁之助を、睨《にら》みつけた。
「ごめん――」
弁之助が、その懐中へ、手をさし入れようとすると、武士は、わななく左手で、それを拒もうとした。
とたんに、無二斎が、水からあげたばかりの白刃で、その左手を、肱《ひじ》から、すぱっと両断した。
三人の懐中から奪い取った財布が、おのれに渡されると、無二斎は弁之助に、
「川へ突き落せ!」
と、冷酷な命令を下した。
船頭は、艫《とも》で、腰を抜かして、へたばり込み、痴呆《ちほう》の表情になって居り、舟は、流れるままになっていた。
十歳の少年の手には、武芸で鍛えた死人の躯《からだ》は、ひどく重かった。
ようやく、三個の死体を、流れへ突き落した弁之助は、こんどは、船頭に代って、棹を把《と》らねばならなかった。
岸辺にあがってから、弁之助は、はじめて、あの武士たちは何者だったのか、と訊《たず》ねた。
「吉岡一門だ」
無二斎は、云いすてた。
再び、何事もなかったかのように、無二斎と弁之助の沈黙の旅が、つづけられた。
その夜の宿は、路傍に建ち腐った阿弥陀堂《あみだどう》であった。
無二斎は、弁之助が水でうるけさせた糒《ほしい》も、口にせず、横たわると、それなり、泥《どろ》のように睡《ねむ》った。
弁之助の気がつかぬことであったが、無二斎は、全身が燃えるような高熱に冒されていたのである。
弁之助も、腹がくちくなると、睡魔にひき込まれ、板壁に額をくっつけるようにして、まるくなった。
どれくらい睡ったか、凄《すさま》じい呻《うめ》き声が、弁之助を、はね起きさせた。
夢の中で、悪鬼の形相をした亡父が、ほとばしらせたものと思い、弁之助は、また横になろうとした。
すると、
「むむっ!」
その呻きは、無二斎の口から発しられた。
弁之助は、悪夢にうなされる無二斎を、これまで、まだ一度も見たことがなかった。
――へえ! 夢を見ているのか!
弁之助は、興味を持って、破れ窓からそそぎ込む月光の中で、無二斎の寐姿《ねすがた》を、見やった。
弁之助を、ぎょっとならせたのは、次の刹那であった。
無二斎が、左手を、頭の上の剣へのばすやいなや、異常な叫びとともに、抜きはなって、きえーっ、と宙を截《き》ったのである。
高熱に冒された所作は、それだけで、すまなかった。
よろよろと、立ち上った無二斎は、幽鬼|宛然《さながら》に、ふらふらと三、四歩進むや、
「おのれかっ! ……来いっ!」
と、喚《わめ》きざま、白刃を、縦横に振りまわしはじめたのであった。
弁之助は、危険なので、あちらへ、こちらへ、身をかわさなければならなかった。
ひとしきり、白刃をふりまわした無二斎は、首をぐらぐらとゆれさせ乍ら、狂った視線を、阿弥陀像へ、据えた。
「そこか! ……よしっ!」
上段にふりかぶって、すっと迫るや、阿弥陀像の首を、刎《は》ねた。
首は、ころがって、弁之助の前に来た。
「次だ! どいつだ、次は――」
無二斎は、よろめき乍ら、弁之助の方へ向いた。
「おのれか!」
すうっと、青眼《せいがん》につける悽愴《せいそう》をきわめた姿に、弁之助は、胴顫《どうぶる》いして、夢中で、阿弥陀像の首をひろいとって、投げつけた。
無二斎は、飛んで来た首を、ま二つにしようと、斬りおろしたが、はずれて、したたか、胸を打たれた。
そして、そのまま、もの凄《すご》い音をたてて、仰向けに倒れた。倒れると、二度と起き上ろうとせず、死んだように微動もしなくなった。
弁之助は、無二斎が、また再び、突然、はね起きるのではあるまいか、という恐怖で、しばらく、寐姿を、瞶《みつ》めつづけていた。
そのうちに、どうにもふせぎきれぬ睡気を催して来たので、そっと、無二斎の左手から、白刃を奪い取って、鞘《さや》に納めると、首のなくなった阿弥陀像へ、たてかけておいて、横になった。
弁之助が、目をさましたのは、朝陽がさし込んだ頃合《ころあい》であった。
目をさまさせたのは無二斎であった。
「おい、起きろ!」
その声で、弁之助は、はね起きて、無二斎をふり仰いだ。
それは、いつもの無二斎にまぎれもなかった。
昨夜の狂乱は、自分の悪夢であったような錯覚が起きそうであった。
弁之助が、道をへだてた小川で、顔をあらってもどって来ると、無二斎は、もう、播州《ばんしゆう》への近道である杣道《そまみち》へ、百歩も遠く、歩み入っていた。
修業虫
巨《おお》きな蓑虫《みのむし》が、立木の高い枝から、ぶら下っていた。
人間が、自分を蓑虫にしたてていたのである。おのが両足を縛って、その縄《なわ》で枝からからだを逆吊《さかさづ》りにしたのである。からだに、蓆《むしろ》をまといつけていた。
弁之助であった。
京都から、帰って来て、すでに一年が過ぎていた。
無二斎と弁之助の二人ぐらしは、相変らずであった。
ちがったことといえば、無二斎が、炉端に坐《すわ》っている時間が多くなったことである。
上京するまでの無二斎は、終日炉端に坐っているような無為な日を送ってはいなかった。
朝食を摂《と》ると、ふらりと家を出て、夕刻戻って来るか、一夜を空けて、翌朝戻って来た。そして、弁之助が姥棄《うばすて》小屋へ行ってみると、いつの間にか、狐《きつね》とか狸《たぬき》とか鹿《しか》とか熊《くま》とかの屍体《したい》が、そこに置かれてあった。
けもの獲《と》りに、山中に入らぬ日は、庭で、木太刀の凄じい素振りをやっていた。
右腕を役に立たぬものにして、京都から帰って来た無二斎には、炉端で、茫然とつぶす時間が多くなっていた。
それと対蹠《たいしよ》的に、弁之助の立木|搏《う》ちの独習は、さらに激しいものになっていた。
尤《もつと》も、弁之助が、自身を蓑虫にする思案は、この日が、はじめてであった。
今朝、この独習場へやって来て、ふと、枝はしにぶらさがっている枝葉や小枝で作った蓑から、頭だけのぞけて、その樹木の葉を、むしゃむしゃ喰《た》べている幼虫を、眺《なが》めて、
――わしも、やってやろうか。
と、思いついたのであった。
蓑虫というやつは、雄の方はその中で羽化して出て行くが、雌の方は、羽化しないで生涯《しようがい》をその中で送るふしぎな昆虫《こんちゆう》であった。
弁之助は、自分を蓑虫にすると、地上数尺の宙に、ぶらんとぶらさがって、ゆっくりと、振動させた。
蓑虫は、錘《おもり》になった。
逆吊りのからだは、振幅を大きくし、容赦なく、幹へぶちつけられた。
「痛っ!」
弁之助の思案は、振り子にしたわが身を、幹へあたらぬように、宙で、ひらりとかわすようにすることであった。
吉岡道場で、嫡子《ちやくし》清十郎の撃ち込みを、一度は、払ったが、つばめがえしにはねかえして来た業《わざ》を、予測もできなかったのは、
――わしが、動かぬ立木をたたく稽古《けいこ》だけをしていたからじゃ。
と、反省した弁之助であった。
弁之助は、猪《いのしし》とか鹿とか、素早く逃げたり、また攻撃して来るけものを対手《あいて》にして、修業をしなければならぬ、と考え乍《なが》ら、帰って来たのであったが、無二斎に、それを告げると、
「生命《いのち》を落す覚悟なら、やれ」
と、云《い》われたものであった。
弁之助は、一日、山奥へわけ入って、山犬の群に出会うた。
無二斎から云われた通りであった。
弁之助は、数丈の断崖《だんがい》から落ちて、谷間の樹木の枝に、ひっかかることによって、辛うじて、山犬どもから食い殺される悲惨からまぬがれたのであった。
やはり、まだ、弁之助の独習対手は、動かぬ立木であった。
立木が攻撃してくれぬのであってみれば、自分のからだを、最も不自由な状態に置いて、独習するよりほかはなかった。
わざと、幹へぶちあたるように、わが身を振り子にし乍ら、間髪の差で、ひらりと、かわす、というのは、容易な業ではなかった。
「痛っ!」
蓆でくるんだ小躯《しようく》が、容赦なくたたきつけられる衝撃は、堪えられぬくらいであったが、弁之助は、いったんやりはじめたその独習を、中止しようとはしなかった。
ようやく――。
十数度目に、幹から、すりかわすことができた瞬間、弁之助は、
――これだ!
と、胸で叫んだ。
昏《く》れがた、炉端へ戻って来た弁之助は、|ぼろきれ《ヽヽヽヽ》のように、倒れた。
額にも、頬《ほお》にも、手にも、打ち身の痕《あと》がついていた。裸になれば、いたるところに、それがついているに相違なかった。
無二斎は、弁之助の姿を、じろりと見やったが、例によって、何も云わなかった。
弁之助は、起きて、芋粥《いもがゆ》をすする体力さえも失ってしまっていた。
しかし、無二斎から、
「起きろ!」
と、命じられると、のろのろと身を起した。
台所へ、梅干を取りに行って来ただけで、眩暈《めまい》がし、胸が破れそうに喘《あえ》いだ。
たった一|椀《わん》の芋粥をすすり了《お》えるのに、必死の気力をふりしぼらなければならなかった。
――明日は、起きられんじゃろう。
自分に呟《つぶや》いてから、そのまま、失神状態に陥《お》ちた。
たしかに――。
夜明けに、目覚めた瞬間、全身は、疼痛《とうつう》に包まれていた。
歯を食いしばったが、呻《うめ》き声がもれた。
にも拘《かかわ》らず、弁之助は、
――今日も、やってやる!
と、自分に云いきかせた。
無二斎が、起き上る前に、弁之助は起き上っていた。
朝餉《あさげ》の仕度も、ちゃんとやってのけた。
無二斎は、弁之助が出て行こうとするのを、黙って、見送ったばかりであった。
その日の蓑虫稽古では、二度ばかり、弁之助は、気遠くなったが、屈せず、つづけた。
やがて、ようやく、幹からすりかわして、
――やったぞ!
と、歓喜した次の瞬間、振りもどされた身が、反対側の幹へ、したたか、頭をたたきつけられて、こんどは、本当に、意識を喪《うしな》ってしまった。
ふと気がつくと、地べたへ、横たえられていた。
誰かが、宙に逆吊りになった身を、おろしてくれたに相違ない。
弁之助は、それが無二斎のしわざだ、と直感した。
木樵《きこり》とか、地下人《じげにん》ならば、こちらが意識をとりもどすまで、そばについていてくれるに相違ないのだ。よもや、自分自身に、こんな苛酷《かこく》な修業を課しているとは、看《み》て取れぬ筈《はず》であった。
無二斎だから、黙って、地べたへおろしておいて、家へ帰ってしまったのだ。
弁之助は、木太刀にすがって、家まで辿《たど》りついた。
無二斎は、そ知らぬふりで、木片を削っていた。
無二斎は、炉端で長い時間をすごすようになってから、気まぐれに、木片を削るようになっていた。
どうやら、仏像をつくろうとしているようであったが、その手つきは、ひどく不器用で、ようやく、形らしいものになった時、無二斎は、必ず、削りそこねて、それまでの努力を水の泡《あわ》にし、炉の中へ、抛《ほう》り込む失敗をくりかえしていた。
左手だけで、削るのであったから、やむを得ぬ仕儀であった。しかし、眺めている弁之助の目には、なんとも、じれったい光景であった。
こんどは、かなり、はっきりとした形になっていた。
弁之助は、黙って、その手もとを、眺めた。
無二斎も、なにも云わぬ。弁之助を、地べたへおろしておき乍ら、そ知らぬふりをしているのであった。
弁之助は、前日ほど、からだが痛くなかった。幹へぶちつけられた数は、前日よりも多かったのであるが、その衝撃をすこしでも軽くする加減の仕様を、おぼえていたのである。
最後に、頭をぶちつけて、失神したのは不覚であったが、
――明日は、もっと、うまくやれる。
という自信が、できていた。
翌朝――。
弁之助が、出て行こうとすると、無二斎は、はじめて、口をひらいた。
「首を振るから、幹をかわせぬ。腰のひねりが、肝心だ」
「うん――」
弁之助は、うなずいて、戸口を出た。
その日、弁之助は、ただ二度しか、幹にぶつからなかった。
腰のひねり加減で、面白いほど、幹から身をかわすことができた。
炉端に戻った弁之助は、
「うまくやれた」
と、報告した。
そのとたん、無二斎は、膝《ひざ》にはさんでいた仏像らしいものを、削りそこねて、頭の半分を殺《そ》ぎ落した。
無二斎は、鋭い眼光を、弁之助に当てた。
弁之助は、びくっと、肩をすくめた。
無二斎は、その木片を、粗朶火《そだび》の中へ、たたき込んだ。
――三人のさむらいを、いっぺんに、斬《き》った左手なのに、どうして、こんなに下手なのじゃろ?
弁之助には、それが、ふしぎでならなかった。
自分なら、左手ひとつで、ずっと巧く、仏像がつくれるように思えた。
二十日あまり過ぎた。
弁之助の蓑虫稽古は、もはや、自由自在であった。わざと、幹へ、わが身をたたきつけるように振り乍ら、間髪の差で、するりと、かわすことができるようになった。
のみならず、腰をひねって、逆吊りの身を水平にしざま、足で、幹を蹴《け》る余裕さえも持てるようになった。
海老《えび》のように身を曲げて、幹すれすれにかわす業もおぼえた。
無二斎は、弁之助の上達のさまを、どうやら、こっそりと、物蔭《ものかげ》から、眺めている模様であった。
弁之助が、自由自在に、宙をはね躍るようになってから、ある宵《よい》、
「明日からは、別の修業をせい」
と、云って、脇差《わきざし》を、投げて寄越した。
「どんな修業じゃ?」
「両足をくくった縄《なわ》を、高枝へむすびつけるのは、これまで通りでよい。こんどはその立木の梢《こずえ》のてっぺんから、とび降りるのだ」
「…………」
「とび降り乍ら、その脇差で、枝を両断せい。……枝を、何本、両断できるかだ」
「やる!」
弁之助は、胸をはずませた。
無二斎が命じたその修業は、蓑虫になって、幹からかわす稽古とは、比べもならぬ至難であった。
その初日には、弁之助は、一枝さえも両断できずに、いたずらに、脇差をふりまわしたばかりであった。
五日目に、ようやく、梢から跳んだ刹那《せつな》、一枝を斬ることができた。
十日目に、次の枝を割りつけ、そのまま、脇差を取られてしまった。
一月が過ぎた頃《ころ》、ようやく、三本の枝が両断できるようになった。
落下の速度に合せて、脇差をふるい、次つぎと枝を斬る、ということは、斬った刹那、落下の速度が停止するのを計算に入れ、次の枝を斬るまでの空間に於《お》いて、脇差をふるい得る状態に、身を置かねばならぬ業を会得《えとく》していなければならなかった。
すなわち――。
枝を両断した瞬間には、もう脇差をふりあげ、その次の枝にそなえる――その迅《はや》さが、落下の速度よりも、まさっていなければならぬことだった。
それにしても、十一歳の弁之助には、いかに、はるか高い梢から身を躍らせても、三本以上の枝を、両断することは、不可能のようであった。
三月が経《た》ち、木枯しが吹きはじめた頃、弁之助は、勢いよく、家へ馳《は》せ戻って来ると、土間から、
「今日は、四本、斬った!」
と、叫んだ。
無二斎は、返辞をしなかった。
その膝の上では、相変らず、木片が削られていた。
あれから、まだ、一体も、無二斎は、完成していなかった。
弁之助は、ついに四本を両断した興奮で、思わず、云わでものことを口走った。
「わしは、四本斬ることができたのに、仏像は、いつ、できあがるのじゃ?」
瞬間――、無二斎の左手は、動きを停《と》めた。
やおら、顔をあげて、じろりと、弁之助を視《み》た。
次の刹那、無二斎は、弁之助めがけて、その小刀を、投げつけた。
弁之助は、その場を動かずに、わずかに、顔をそらした。
小刀は、耳朶《じだ》すれすれに、飛んで、背後の柱へ、ぐさと突き立った。
弁之助は、にやっとした。
「弁っ!」
無二斎は、凄じい形相になった。
「おのれは、この無二斎を、なぶるか!」
叫びざま、こんどは、うしろに置いた大刀から、小柄《こづか》を抜きとって、投げた。
弁之助は、ひょいと、首をすくめて、小柄を、頭上にかわした。
無二斎は、大刀を抜きはなつと、突っ立った。
「弁っ! 来いっ! 見事、父母の仇を討ってみせろ!」
咆《ほ》える無二斎を、土間から見上げ乍ら、弁之助は、
――気が狂うた!
と、直感した。
無二斎の視線は、弁之助の顔の上に定まらず、うろうろとゆれているのであった。
「弁っ! 来ぬかっ!」
土間へ向って踏み出して来た足どりも、夢遊病者のように、おぼつかなかった。
弁之助は、四本の枝を両断した脇差を抜いたが、もとより斬り合う気持は、すこしもなかった。
戸口へ、じりじりと、後退した。
「弁っ! 父母の仇を討つ勇気はないのか。この無二斎が、おそろしいか?」
無二斎は、土間へ降りた。弁之助は、おもてへ、出た。
「弁! おのれは、もう、わしを討てるだけの業を、そなえたのだぞ! ……かかって来い! ……さあ、かかって来い!」
無二斎は、戸口から一歩出ると、白刃をふりかぶった。
弁之助は、十歩もはなれて、その姿を、じっと見まもっていた。
その日――。
弁之助は、渓流《けいりゆう》できれいに洗いあげた十数本の大根を、かついで戻って来て、檐下《のきした》へ、吊《つ》り下げる仕事に、精を出していた。
うすぐらい炉端には、幽鬼のような姿で蹲《うずくま》ったなり、微動もせぬ無二斎がいた。
弁之助に小刀や小柄を投げつけ、大刀で追いまわしてから、一月あまり経っていた。
無二斎は、戸外へは一歩も出ぬようになっていた。
その挙動は、すこしずつ面妖《おか》しくなっていた。弁之助がはこぶ食事を、黙々として、摂《と》るだけで、もう木片を削る暇つぶしさえも止してしまっていたし、いつの間にか炉の火が消えていても、粗朶を加えることも忘れて、虚脱のていで終日を送るようになっていた。
夕餉《ゆうげ》のあと、もぞもぞと動くので、立ち上るのか、と思っていると、前をまくって、炉の中へ、放尿するのであった。
もし、きたない、とでも云《い》えば、狂気を爆発させるおそれがあったので、弁之助は、無二斎が為《な》すままに、眺《なが》めているよりほかはなかった。
ある時、赤く熾《おこ》った炭火を、右手の掌《てのひら》へのせた時には、弁之助も、はっとなって、眉宇《びう》をしかめ、
「止《や》めんされ」
と、とどめた。
無二斎は、右腕を動かすことはおろか、その五指で物をにぎることさえもできなくなっていたのである。
炭火で掌を焼けば、その刺戟《しげき》で、五指が動かせるようになるのではあるまいか、と無二斎は、ふと思いついたのかも知れなかった。
弁之助は、いやな臭《にお》いをたてて、掌が焼けるのを、黙視できず、火箸《ひばし》で、炭火をつまみあげて、すててやった。
無二斎は、しかし、別に、邪魔されたことを慍《おこ》らず、うつろな視線を、焼けただれた掌へ、いつまでも落していた。
弁之助は、しかし、あきらかに神経が狂って来た無二斎と、ひとつ家にくらすことをおそれる様子など示さず、げんに、大根を乾《ほ》し乍《なが》ら、のんびりと、無心に、京都でおぼえて来た流行歌《はやりうた》をうたっていた。
京の土産に、なにもろうた
おきゃがり小法師に、振り鼓《つづみ》
張子の虎《とら》に、塗りの稚児《ちご》
|しし《ヽヽ》やむすびに、笹《ささ》むすび
山科《やましな》むすびに、風車
山雀瓢箪《やまがらひようたん》、友鳥|胡桃《くるみ》
虎まだらの狗《えの》っころ
「わっぱ――」
不意に、背後から声をかけられて、ふりむくと、猩々緋《しようじようひ》の陣羽織をつけた大兵の武士が、立っていた。
地下人《じげにん》のほかに、この家を、武士が訪れるなど、絶えてなかったことである。
「平田無二斎殿のすまいは、ここか?」
立派な風貌《ふうぼう》と行装《こうそう》の武士は、訊《たず》ねた。
「うん」
弁之助が、うなずくと、武士は、
「徳川家康《とくがわいえやす》の旗本近習・別所|内蔵助《くらのすけ》が参った、と取次いでくれい」
と、云った。
すると、弁之助は、板敷きを指さして、
「あるじは、あそこに居《お》る。わしが取次がんでも、お前様が勝手に、入って行ったがよかろ」
と、こたえた。
「うむ。それも、そうだの」
別所内蔵助は、大股《おおまた》に、土間へ入って行った。
無二斎は、訪客から名のられても、じろりと一瞥《いちべつ》をくれただけで、答えもしなければ、動こうともしなかった。
「失礼いたす」
別所内蔵助は、炉をへだてて坐《すわ》ると、
「主人家康に命じられて、参上いたした。このたび、主人家康が、上洛《じようらく》のみぎり、さきの将軍家|昌山公《しようざんこう》を、槙島《まきしま》の隠居所に、お訪ねして、四方山《よもやま》の話をつかまつった際、談たまたま兵法に及び、昌山公には、吉岡憲法《よしおかけんぽう》と諸流の芸者《げいしや》との試合を観《み》るのを唯一《ゆいいつ》のなぐさみにされていたところ、昨年春さき、憲法と御辺《ごへん》との試合に於いて、はじめて憲法がおくれをとった由《よし》。……その話をきいた主人家康は、御辺のことを忘れがたく、一度、その手の内を観たいもの、とわれら近習にも、もうして居り申した。……主人家康は、太閤《たいこう》が伏見に築城されるのを見おわって、ひとまず、江戸へひきあげることに相成ったのでござるが、その前に、是非、御辺の手の内を観たい、と申し、それで拙者が使いとして罷《まか》り越した次第でござる。まげて、ご承諾のほどを、おねがい申す」
そう述べて、頭を下げた。
依然として、無二斎のうつろな眼眸《まなざし》は、炉火へ落されているばかりであった。
「如何《いかが》でござろうか。何卒《なにとぞ》ご承諾頂きとう存ずる」
別所内蔵助は、かさねて、返辞をうながした。
徳川家康が、無類の兵法好きであることは、兵法者ならば誰もが知っているところである。
家康自身が、その業前《わざまえ》を観たい、と希望しているときかされて、欣喜《きんき》しない兵法者はいない筈《はず》であった。
当然、平田無二斎も、即座に承諾するもの、とばかり思ってやって来た別所内蔵助であった。全くあてはずれの無二斎の態度であった。
内蔵助は、三度《みたび》、返辞を促した。
ようやく、無二斎は、のろのろと顔をあげた。
無二斎は、しかし、返辞を待つ内蔵助の顔から視線をそらして、
「弁――」
と、呼んだ。
弁之助が、縁側のさきに姿をみせて、
「なんじゃ?」
と、問うと、無二斎は、
「お前の名前を、きめてくれたぞ」
と、云った。
「名前?」
「そうだ。わしは、無二斎だ。だから、お前は、無三四《むさし》――どうだ、今日からは、|むさし《ヽヽヽ》と名のれ」
「…………」
弁之助は、とまどって、まばたきしたばかりであった。
無二斎は、別所内蔵助から家康の招聘《しようへい》をきかされ乍ら、弁之助の兵法名を、考えていたのである。
流石《さすが》に、別所内蔵助は、顔色を変えた。
「平田殿! 拙者がもとめて居る諾否の返辞は――?」
大声を発した。
無二斎は、ふたたび、視線を、炉火に落して、
「それがしは、ごらんの通り、右腕の自由を喪《うしな》って、不具者と相成って居る。……それがしの代りに、それがしの養い子を――新免|むさし《ヽヽヽ》を、貴殿に同道させ申す」
と、こたえた。
「あのわっぱを! 莫迦《ばか》な! あれは、まだ十二、三の洟《はな》たれではござらぬか!」
内蔵助が、侮辱に堪えぬように、呶鳴《どな》ると、無二斎は、はじめて、冷たい眼眸を、訪客に当てた。
「左様、あやつは、当年十一歳にしかならぬ。しかし、あやつは、もはや、この平田無二斎にまさる業前をそなえて居り申す」
「拙者は御辺にからかわれるために、わざわざ、参ったのではない!」
「信じられぬ、といわれるなら、貴殿、こころみに、あやつの腕をためされては、どうだ!」
「くだらぬ!」
「くだらぬ?」
無二斎の双眸《そうぼう》から、はじめて凄《すご》い光が、発した。その光をあびて、内蔵助は、思わず、ぶるっと身顫《みぶる》いした。
「くだらぬ、といわれたな?」
「い、いや、べつに、他意があって、罵《ののし》ったわけではござらぬ。ただ、いかに、天稟《てんぴん》をそなえて居ろうとも、まだ十一歳のわっぱを、御辺の代りに、主人の前へ、ともなうことはでき申さぬ」
「だから、貴殿自身で、あやつの腕をためしてみては如何だ、と申して居る」
「拙者は、すでに、いくたびも戦場を往来して、名ある首も二、三取って居る武辺でござるぞ」
「その武辺が、十一歳の小伜《こせがれ》と立ち合って、敗れたらば、これは、面白かろうと、それがしは思ったまでだ」
内蔵助は、にがにがしげに、
「つまり、御辺は、わが主人の招聘に応じぬ、といわれるのだな?」
「新免|むさし《ヽヽヽ》が、同道つかまつる」
「それは、こちらで、おことわりいたす」
内蔵助は、はねつけた。
と――。
無二斎が、背後の大刀を把《と》ると、ゆらりと、立ち上った。
「…………」
内蔵助は、怪訝《けげん》の視線を仰がせた。
無二斎は、ゆっくりと縁側へ出た。
「弁――、脇差《わきざし》を取って来い」
「どうするのじゃ?」
「父母の仇を討て。そうすれば、この徳川の旗本近習衆も、納得がゆくだろう」
「…………」
「弁! 愚図愚図すな!! 脇差を取って来い!」
無二斎の態度は、先般、弁之助を追いまわした時の夢遊病者のような、狂ったものではなく、毅然《きぜん》たる気色をみなぎらせていた。
弁之助が、脇差を取って来ると、無二斎は、内蔵助に、
「それがしは、この小伜の父親新免|武仁《たけひと》を斬《き》り、母親を犯した男でござるよ。本日|只今《ただいま》、仇討をさせ申す。首尾よく、本懐を遂げたならば、それがしの代りに、徳川殿へ推挙して頂きたい。如何であろう?」
と、たのんだ。
「承知いたした」
内蔵助は、うなずいたものの、十一歳の少年の腕で、平田無二斎が討てる道理がない、と思った。
無二斎は、内蔵助の肚裡《とり》を読んで、
「但《ただ》し、それがしは、わざと、こやつに、討たれてやるような、うすっぺらな人情|沙汰《ざた》を、貴殿に目撃させたりはいたさぬ。みじんも容赦なく立ち合って、こやつが、討つことが叶《かな》わなければ、斬り殺すまでのことだ。とくと見とどけられい」
そう云いおいて、鞘《さや》をすて、左手|青眼《せいがん》につけた。
無二斎と弁之助の決闘は、前者が前進し、後者が後退することに、終始した。
目撃者の別所内蔵助は、やむなく、移動する二人に従《つ》いて、歩かなければならなかった。
弁之助は、五歩の等間隔を保って、後へ退《さが》りつづけた。
無二斎は、「退るな」とは、云わなかった。
弁之助が、後退するまま、幽鬼|宛然《さながら》の痩躯《そうく》を、前へはこんで行った。
段畠《だんばたけ》のあいだの切通しの小径《こみち》を過ぎ、苔《こけ》むした墓碑がちらばった廃寺のわきを通り、桑畠の斜面を経て、決闘場所は、弁之助がこの六年間|搏《う》ちまくった赤松の林の独習場へ移った。
弁之助が、思わず知らずに、そこへ、無二斎を、さそい込んだ結果になった。
しかし、そこに至っても、弁之助には、無二斎に撃ち込む業も勇気もなかった。
ただ、はじめて、足を停《と》めたばかりであった。
無二斎も、立ちどまって、五歩の距離を縮めようとはしなかった。
いくばくかの時刻が経過した。
遠い地点に佇立《ちよりつ》する別所内蔵助は、ようやく苛立《いらだ》った。
つと――。
無二斎が一歩出た。
弁之助は、退らなかった。
突如として、無二斎の五体が、躍った。
目撃者の内蔵助は、無二斎が閃《ひらめ》かせる白刃の光芒《こうぼう》と、立木が両断されて傾くさまと、そのむこうの木立の蔭《かげ》を、ひらっひらっと、跳びはねる少年の迅影を、夢の中の世界の出来事のように、眺めたことだった。
弁之助は、姥棄《うばすて》小屋の脇まで、遁《のが》れた。
十数本の赤松の幹を、一太刀ずつで両断して、追い迫り乍らも、無二斎は、いささかの呼吸の乱れもみせてはいなかった。
その地点で、また、両者の間隔は、五歩あまりになり、弁之助は、それを保ちつつ、後退した。
小屋の後は、かなり急な勾配《こうばい》になり、斜面に立木はなかった。
弁之助は、その斜面を、ひょいひょい、と跳ぶようにして、退りつづけた。
斜面の中ほどに、巨《おお》きな岩がひとつ、あった。
それは、むかしから、そこにあったのではなく、幾年か前の暴風雨の際、山つなみで、山奥からころがり落ちて来たものであった。
倒木にひっかかって、そこで、停止していたのである。
弁之助が、その岩の上に、ぴょんと跳びあがった時、無二斎の口から、はじめて、
「もう退ることは、許さぬぞ、弁!」
その叱咤《しつた》が、噴いた。
「…………」
弁之助は、じりじりと肉薄して来る無二斎を、じっと見下していた。
「弁! 来い!」
岩の真下に立つや、無二斎は、叫んだ。
次の刹那《せつな》――。
弁之助の小躯《しようく》は、岩を蹴《け》って、宙のものとなった。
「おおっ!」
無二斎が、宙を翔《か》ける弁之助に対して、きえーっ、と大刀を振った――瞬間、巨大なけもののごとく、岩がゆれ動いた。
弁之助に蹴られた岩は、腐った倒木にわずかに支えられていただけなので、その微《かす》かな衝撃だけで、幾年めかに、斜面をころがり落ちる運命にしたがったのである。
「ああっ!」
無二斎が、はじめて、人間らしい悲鳴をほとばしらせた。
悲鳴は、宙にひろがり、無二斎の姿は、岩の下へかくれた。
そして、岩は、一人の稀世《きせい》の兵法者の五体を押しつぶしておいて、凄《すさま》じい音響をたて乍ら、斜面をころがり落ちて行き、姥棄小屋へぶつかって、停った。
小屋は、ななめに傾いてしまった。
弁之助は、斜面の一隅《いちぐう》に、立っていた。
弁之助は、岩が無二斎を押しつぶしておいて、ころがり落ちるさまを、はっきりと、見て取っていた。
あれほどおそろしい存在であった無二斎も、やはり、ただの生身《なまみ》の弱い人間でしかなかった証左を、見せつけられて、弁之助は、茫然《ぼうぜん》となっていた。
やがて、そっと、そこへ歩み寄った弁之助は、無二斎の首だけが、傷つかずに、仰向けられて、残っているのをみとめた。
その双眸は、光を喪《うしな》ったまま、ぱっくりとみひらかれていた。
弁之助は、肩をすくめて、目蓋《まぶた》を閉じた。
小声で、呟《つぶや》いたのは、
「わしは、|むさし《ヽヽヽ》と名のる」
その言葉であった。
姉と弟
春が闌《た》けていた。
|むさし《ヽヽヽ》となった弁之助が、歩いて行く山越えの道に沿うて、花は咲きみだれていた。
花は、山も野も彩《いろど》っていたが、|むさし《ヽヽヽ》の双眸《そうぼう》は、一瞥《いちべつ》もくれようとせず、まっすぐに、行手の宙へ向けられていた。
歩く、ということは、前方へ鋭い視線を放って、歩度をかえずに、つよく地面を踏んで行く――そのならわしを、|むさし《ヽヽヽ》は、無言|裡《り》に、亡《な》き無二斎から教えられていた。
|むさし《ヽヽヽ》は、無二斎がのこした無反《むぞ》り三尺の剣を、肩にかついでいた。
ほかには、荷物を何も持っていなかった。
無二斎の遺骸《いがい》を、平田家の庭さきに埋めて、屋内をきれいに掃除し、そのまま、|むさし《ヽヽヽ》は、八年間住み馴《な》れた家に、別れを告げて来たのであった。その際、無二斎の遺品は、その長剣のほかは、何ひとつ持ち出さなかった。
これからどうやって生きて行けばいいのか――そのことを、|むさし《ヽヽヽ》は、すこしも考えてはいなかった。考えていないので、不安もなかった。
ただ、無二斎が亡くなったのであるから、平田家を去るのがあたりまえのような気がして、|むさし《ヽヽヽ》は、去って来たのである。
とりあえず――。
|むさし《ヽヽヽ》は、生家を訪れることにして、道をひろっていた。
鎌坂峠を越えれば、もう美作国《みまさかのくに》であった。
峠で出会うた木樵《きこり》らしい男に、吉野郡宮本村をたずね、
「この道をまっすぐ辿《たど》れば、村へ出る」
と、教えられていた。
竹藪《たけやぶ》に掩《おお》われた丘陵を匍《は》うた道が、一上一下していて、やがて、|むさし《ヽヽヽ》は、眼下に、小さな盆地を見出した。
段になった田や畑がいちめんにひろがり、二、三十戸の聚落《しゆうらく》がそこにあった。
「おぼえている!」
|むさし《ヽヽヽ》は、村の中央にそびえる巨樹へ、眼眸《まなざし》を当てて、呟いた。
|むさし《ヽヽヽ》の記憶に、その巨樹が、あった。三歳まで育った生家が、そこに在った。
巨樹は、多羅葉《たらよう》であった。
|むさし《ヽヽヽ》は、台地の斜面を駆け降りた。
桑畑の中の細い径《みち》を抜けると、籾干《もみほ》しの庭が、だだ広く、ひろがっていた。
家の構えは、大きく、どっしりとして、平田家とは比べもならなかった。
|むさし《ヽヽヽ》は、庭に立つと、
「たのもう!」
と、大声をあげた。
|むさし《ヽヽヽ》の背丈もとどかぬほど高い縁側に、人が出て来た。
若い女であった。
櫛《くし》で長い黒髪を梳《す》き乍《なが》ら、
「誰だえ、おまえは?」
と、訊《たず》ねた。
「弁之助、ただいま、帰り申した」
|むさし《ヽヽヽ》は、胸を張って、告げた。
「弁之助じゃと?!」
若い女は、梳く手を止めて、じっと、凝視していたが、不意に、高い鋭い声音で、
「ならぬ! 入ってはならぬ!」
と、叫んだ。
「どうして、入ってはいかんのじゃ?」
「おのれ! そらぞらしゅう、とぼけ居《お》って――。父母の敵《かたき》に育てられた腑抜《ふぬ》け者が、ようも、おめおめと、戻り着き居った。恥を知れ! どこへでも、去《い》ねさらせ!」
若い女は、眦《まなじり》をひきつらせて、きめつけた。
「そういうあんたは、誰じゃな?」
|むさし《ヽヽヽ》は、訊ねた。
「おまえの姉じゃ!」
若い女は、こたえた。
若い女、といっても、もう二十四、五になっているらしい。
|むさし《ヽヽヽ》にとって、自分に姉がいたことなど、初耳であった。
「わしに、姉者がいたのか」
「この通り、ここに、いる。おまえが生まれた頃《ころ》、母《かか》の実家にあずけられていたのじゃ。……姉が、こうして、家を守っていることも知らずに、親の敵に育てられて居った腑抜け者めが――去ね! どこへでも、去ねさらせ!」
|むさし《ヽヽヽ》は、しかし、踵《きびす》をまわす代りに、縁側へ近づいた。
「こりゃっ、寄るな!」
姉の於幸は、縁板を踏み鳴らして、叱咤《しつた》した。
|むさし《ヽヽヽ》は、姉を見上げて、
「親の仇は、討った」
と、告げた。
「なんじゃと? まことか?」
「うん――まことじゃ」
「家に入れてもらいたさに、嘘《うそ》をつくと、承知せんぞ。平田無二斎ほどの兵法者が、おまえのような小わっぱに、むざと討たれるものか!」
「無二斎は、岩に負けたのじゃ」
「岩に?」
|むさし《ヽヽヽ》は、その時の状況を、語った。
「そうか。おまえが、その手で討ちとったのではないにしても……、ともかく、親の敵を討ったことには、なるのじゃな。よかろ。許してやるから、裏手へまわるがいい」
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》の帰宅を、みとめた。
|むさし《ヽヽヽ》が、裏庭へまわって行くと、於幸は、素裸になって井戸端に立て、と命じた。
|むさし《ヽヽヽ》は、汲《く》みあげられた釣瓶《つるべ》の冷水を、三杯も、頭から、ぶちかけられた。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》を仏壇の前にともなって、首尾よく仇討を遂げた報告をさせると、態度をあらためて、下座に就き、
「只今《ただいま》より、そなたが、この新免家のあるじです」
と、云った。
「わしはちょっと立ち寄ってみただけじゃ」
長くとどまる気持はない、と|むさし《ヽヽヽ》が、告げると、於幸は、つよくかぶりを振った。
「親の敵を討ったからには、そなたは、新免家のあるじとして、この家を守らねばなりません」
「家を守るのは、いままで通り、姉者のつとめにしてもろうた方がよいわ」
|むさし《ヽヽヽ》は、そうこたえてから、あらためて、古びた屋内を見わたし、
――こんな家を守るのは、ねがい下げじゃ。
と、思った。
あるじになる、ということに、十一歳の少年は、なんの興味も悦《よろこ》びも、おぼえなかった。
於幸は、家をすてて、いったい、なにが目的で生きるのか、と|むさし《ヽヽヽ》に問うた。
「日本一の兵法者になるのじゃ」
|むさし《ヽヽヽ》は、こたえた。
「この家に住んでいて、修業ができぬことはあるまいに――」
「独り稽古《げいこ》では、上達が知れている。わしは、もうあきた。……こんどは、一流の兵法者と試合をして、わしは、強うなってやる」
「そなたは、まだ十一歳ではないかえ。十五歳になってから、修業に出ても、おそうあるまい」
|むさし《ヽヽヽ》は、返辞をしなかった。
於幸は、せめて、三年間は、家にいて欲しい、とくりかえし、たのんだ。
|むさし《ヽヽヽ》は、ついに口をつぐんだままであった。
於幸は、十四歳の時から、この家を守って来たのであった。
両親の敵討ちをして、戻って来た弟の弁之助を迎えてみると、にわかに、もう一人きりでくらすことが、いやになったようであった。
裏手の小屋に作男三人を住まわせて、男まさりの気象を駆り立て乍ら、今日まで八年の歳月をすごして来たことが、かえりみられ、
――とうとう、弟に、あるじの座をゆずる日が来た!
という悦びが、胸にあふれた模様であった。
その夜――。
|むさし《ヽヽヽ》は、姉の居間からの話し声で、目をさました。
「……いやだ、といったら、いやなのじゃ!」
於幸の高い声が、はっきりとひびいて来た。
それまで、こちらをはばかって、ひそひそと声音をひそめていたのが、急に、於幸の気持がたかぶって、思わず知らず、叫んでしまったものと思われた。
|むさし《ヽヽヽ》は、きき耳をたてた。
「よいかえ。今夜から、この家のあるじは、わたしではないのじゃ。弟の弁之助になった。それゆえ、わたしの気ままな所業は許されぬ。……お前がたが、忍んで参るのは、今夜限りで、遠慮してもらわねばならぬのじゃ」
その宣言に対して、男が、なにやら、ぼそぼそした口調で、云った。
すると、於幸が、いちだんと高い声音で、
「あるじは、もう、わたしではない、ということを、いくどくりかえしたら、合点してもらえるのじゃ。……よいかえ。わたしは、お前がたのうち、誰にも、からだを許しても、心は許してはいないのじゃぞえ。好きになった男は、一人も居らぬ。……わたしは、お前がたに、手ごめにされたわけでもなく、脅《おど》かされた次第でもなく、地下牢人《じげろうにん》衆の子弟らが、女子《おなご》の肌《はだ》に飢えたあまり、喧嘩沙汰《けんかざた》にあけくれているときいて、つい、わたしでよければ、と忍んで来るのを許したまでのこと。……始めがあれば、終りがある、それがものの理《ことわり》ではないかえ。今夜限りに、わたしの慈母|観音《かんのん》のつとめは、終りにして欲しい。そう申して居るのじゃ」
と、云った。
しかし、次の瞬間、於幸の悲鳴が、つらぬいた。
男が、肯《き》き入れず、於幸に襲いかかったに相違なかった。
|むさし《ヽヽヽ》は、長剣をひっ掴《つか》むと、縁側を奔《はし》った。
於幸の悲鳴は、つづいていた。
「姉者!」
叫んで、杉戸をひき開けたとたん、|むさし《ヽヽヽ》は、男にのしかかられた於幸の、むき出された白い下肢《かし》を、燈台《とうだい》のあかりの中に、見出した。
姥棄《うばすて》小屋でからみ合っていた男女の姿が、|むさし《ヽヽヽ》の脳裡を、ちらと、掠《かす》めた。
「姉者! こやつを、どうするのじゃ?」
|むさし《ヽヽヽ》は、訊ねた。
於幸の返辞よりも、男がはね起きて、刀をひろい取る方が、早かった。
|むさし《ヽヽヽ》は、反射的に、長剣を抜いた。
「弁之助! ならぬ!」
於幸が叫んだ時には、男の方も、抜刀していた。
「わっぱ! 退《ど》け!」
まだ十七、八歳の地下牢人の息子は、対手《あいて》が小童と視《み》て、ずかずかと、出て来た。
|むさし《ヽヽヽ》は、三尺の白刃を、まっすぐに突き出して、動かなかった。
「弁之助、退きなされ。去《い》なせるのじゃ」
於幸が、たのんだ。
しかし、|むさし《ヽヽヽ》は、構えたまま、
「お主、やるか」
と、云った。
「やるか、とは――?」
「わしを斬《き》らねば、この家を出て行くことは、できんぞ、というとる」
「ばかなっ!」
若者は、いかにもばかばかしげに、吐き出した。
「おのれのような小わっぱに――ばかな!」
「通ってみせろ」
「性根のほどはみとめてくれる。怪我《けが》せぬうちに、退け」
十四、五歳にみえるとはいえ、三尺の白刃を持つには、あまりにも小躯《しようく》にすぎたし、いかにも重げであったので、若者の方は、ひと払いして、庭へ出ようとした。
そして、そうしようとした瞬間、若者は、少年が、かるがると上段にふりかぶるのを視せられた。
「こやつ!」
若者は、むかっとなって、青眼《せいがん》に構えた。
「弁之助!」
於幸が、声をふりしぼった。
「そなたは、知らぬことじゃ。退きなされ! おねがいじゃ。権蔵《ごんぞう》殿を、去なせるのじゃ」
その叫びのおわらぬうちに、|むさし《ヽヽヽ》は、すすっと進んだ。
若者は、こんどこそ、長剣を払いとばすべく、懸声もろとも、一撃をあびせた。
同時に――。
|むさし《ヽヽヽ》は、縁板を蹴《け》って、はねあがった。
はねあがるとともに、ふりかぶった白刃を、対手の肩へ、搏《う》ちおろした。
尋常の業《わざ》ではなかった。立木の梢《こずえ》のてっぺんから飛び降りざまに、枝を両断する修業をやった者にして、はじめて、為《な》せる業であった。
「わああっ!」
若者は、したたかに、左肩を割りつけられて、悲鳴をほとばしらせると、大きく五体を傾けて、縁側から、庭へ落ちた。
「な、なんということを!」
縁側へ奔り出て来た於幸が、おそろしげに、口走った。
「そなたは、まだ十一歳なのに、人を斬るなんて……」
|むさし《ヽヽヽ》は、黙って、踵《きびす》をまわすと、すたすたと、自分の部屋へ戻った。
生まれてはじめて、人を斬ったことに、やはり、かなりの興奮をおぼえていた。
|むさし《ヽヽヽ》は、さっと、夜具にもぐり込んで、頭からひっかぶった。
――わしは、強いぞ! どんな強い大人と立ち合うても、負けんぞ!
自分に、叫んだ。
朝餉《あさげ》の座で、姉と弟は、向かい合ったが、どちらも、押し黙っていた。
庭へ落ちた若者が、死んだかどうか、弟は訊ねなかったし、姉も云わなかった。
|むさし《ヽヽヽ》が、箸を置いた時、於幸は、おずおずと、眸子《ひとみ》をあてて、
「そなた、平田無二斎について、稽古にはげんだのかえ?」
と、訊ねた。
「いいや、一人で、習うた」
「一人で……?」
「うん」
「一人で習うて、その年齢《とし》でも、あれほどの手練者《てだれ》になれるであろうか?」
「…………」
「……わたしには、そなたの将来が、そらおそろしゅう思われる」
「…………」
「そなたは、ああして、人を斬っても、なんとも、感じないのかえ?」
「平気じゃ」
「平気?! ほんとに、平気かえ?」
「うるさいのう」
|むさし《ヽヽヽ》は、舌打ちした。
「わしは、これから、百も二百も真剣勝負をしてくれるのじゃ。勝つか、負けるかじゃ。勝ったら、次の勝負をしてくれる。負けたら死ぬまでじゃ。わかったか、姉者!」
高札
「弁之助――」
遠くで、姉の於幸の呼ぶ声が、きこえた。
|むさし《ヽヽヽ》は、返辞をせぬ。
家から竹藪《たけやぶ》ひとつへだてて、渓流《けいりゆう》が村へ落ちていた。
|むさし《ヽヽヽ》は、流れの中央に突き出ている岩へ岸から倒れた椋《むく》樹の上に、立って、晩秋の陽《ひ》ざしの透《とお》った清冽《せいれつ》な水へ、じっと視線を落していた。
この年、凄《すさま》じい颱風《たいふう》が、美作国《みまさかのくに》を、二度も襲い、人家の倒壊をはじめ、山津波で田畑を石や泥《どろ》で埋めていた。
|むさし《ヽヽヽ》の立つ渓流の周辺も、荒涼たる景色になっていた。
しかし、水の流れが、もとの静けさにもどると、あの濁流の渦《うず》をどうのがれたか、ふたたび、鮠《はや》の群が、せわしく走りまわっていた。
|むさし《ヽヽヽ》は、携えた手槍《てやり》で、その鮠を突いていた。
生家へ帰って来てからの二年間、それも、|むさし《ヽヽヽ》の日課のひとつになっていた。
岸辺に置かれた竹籠《たけかご》の中には、二十数尾が、投げ込まれていた。
水面を掠《かす》める鮠の影は、まことにすばやいものである。しかし、|むさし《ヽヽヽ》は、狙《ねら》った刹那《せつな》、その突きを絶対に仕損じることをしなかった。
これをはじめた頃《ころ》は、失敗をくりかえしたが、立木の梢から落下しざまに、枝を両断する修業を積んだ|むさし《ヽヽヽ》が、その突きのコツを会得《えとく》するまでには、一月もかからなかった。
目と腰が、鍛えられていたからである。
目と手槍の穂先と水中の魚影は、目に見えぬ一直線の糸でつながれているあんばいであり、手槍をぱっと打ち込む一瞬には、腰のひねりが肝要である、と知った時から、|むさし《ヽヽヽ》は、ほとんど仕損じることはなくなった。
於幸が、竹藪から姿を現し、
「あ、また、ここかえ」
近づいて来た。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》が、鮠を突くのを、まだ見たことがなかったので、立ちどまると、黙って眼眸《まなざし》を当てた。
|むさし《ヽヽヽ》は、右手づかみの手槍を、ゆっくりと、挙げた。
目と狙った鮠をむすぶ一直線上に、穂先を置き、それを、徐々に引いたのである。
鮠は、動く。当然、目線も動く。したがって、穂先も、動く。
一瞬――。
穂先が、水面を刺した。
於幸は、挙げられた穂先で、鮠がばたばたするのを眺《なが》めて、ほっと溜《た》めていた息を吐いた。
鮠が、竹籠へ投げ込まれるのを待ってから、於幸は、
「弁之助――」
と呼び、あわてて、
「|むさし《ヽヽヽ》、無想寺のお住持《じゆつ》さんが、ご用じゃ、というて、みえている」
と、告げた。
|むさし《ヽヽヽ》は、姉から、「弁之助」と呼ばれると、絶対に返辞をしなかったのである。
|むさし《ヽヽヽ》は無想寺の住職の来訪の用向きが、なんであるか、すでに判《わか》っている様子で、合点すると、歩き出した。
あと二月で十四歳になる|むさし《ヽヽヽ》は、竹籠をかかえてあとへ従った姉とは、ほぼ背丈が、同じになっていた。
「お住持さんは、若が、えらいことをしてくれた、と云《い》うてなさったが、そなた、何をしたのかえ?」
於幸は、訊《たず》ねた。
|むさし《ヽヽヽ》は、返辞をしなかった。
無想寺は、村はずれの丘陵上にある。|むさし《ヽヽヽ》は、そこへ、漢学を学びにかよっていた。
住職の観道は、すでに古稀《こき》を越えていたが、なまぐさ坊主で、十七、八の下婢《かひ》を、村の貧家から連れて来て、どうやら夜伽《よとぎ》をつとめさせている模様であった。
観道に云わせると、|むさし《ヽヽヽ》は、あまり優秀な弟子ではなかった。
観道は、まず、|むさし《ヽヽヽ》に、『論語』を教えたが、
「己《おのれ》に克《か》ちて礼に復《かえ》るを仁と為《な》す」
といった言葉を、かみくだいて説いてみせても、なんの反応も示さないので、苛立《いらだ》ったのである。
「勇者は懼《おそ》れず」
子罕《しかん》篇にあるその一句を、解釈しようとすると、
「孔子《こうし》という人は、きまりきったことを教えているのじゃな」
と、さもばからしげに、|むさし《ヽヽヽ》が呟《つぶや》いたので、観道は、むかっとなったものであった。
観道は、皮を剥《む》いて乾《ほ》したばかりの吊《つる》し柿《がき》の下で、縁側に腰をかけて、待っていた。
長い白髯《はくぜん》をあごにたくわえ、立派な風貌《ふうぼう》であったが、絶えず貧乏ゆすりをしたり、まばたきしたり、ひどくおちつきのない態度が、俗な人柄《ひとがら》をあらわしていた。
|むさし《ヽヽヽ》が、庭に入ると、観道は、
「お主、なんの存念で、一流兵法者の高札に、いたずらをしたぞ?」
と、大声で、訊ねた。
五日ほど前から、無想寺には、新当流の兵法者有馬|喜兵衛《きへえ》が、逗留《とうりゆう》していた。
有馬喜兵衛は、徳川|家康《いえやす》の師範役としてきこえている有馬|豊前守時貞《ぶぜんのかみときさだ》の一族であった。京畿《けいき》一円で、かなりの武名を得ていた。
喜兵衛は、無想寺のある丘陵の麓《ふもと》を通っている佐用《さよう》街道の辻《つじ》に、
『兵法試合、望み次第にいたすべし
[#地付き]扶桑《ふそう》第一 有馬喜兵衛』
という高札を立てたのであった。
|むさし《ヽヽヽ》は、昨日、無想寺へ習学に行った帰途、その高札を眺めると、手習筆で、「扶桑第一」という四文字を塗り消し、そのわきに、
『明日、勝利は、我にあるべし
[#地付き]新免|武蔵《むさし》』
と、記したのである。
|むさし《ヽヽヽ》を、無三四、とせずに、武蔵、としたのは、なんとなく、その名の方が強そうに思われたからであった。
有馬喜兵衛は、この不敵な挑戦《ちようせん》に、腹を立てた。
「扶桑第一」というのは、京都今出川の吉岡《よしおか》道場の看板に記されてある言葉であった。その四文字を塗り消したのは、あきらかに、吉岡道場の看板を見ている者のしわざに相違なかった。
「扶桑第一は、吉岡|憲法《けんぽう》であって、お前ではない」
そうあざけって、塗り消したもの、と受けとれた。
「新免武蔵とは、何者でござろうか?」
有馬喜兵衛は、観道に訊ねた。
観道は、自分の教え子の一人である新免家の遺児弁之助が、|むさし《ヽヽヽ》と自称していることを知っていた。
「あれは、まだ十三歳の小伜《こせがれ》でござる」
観道が、手のつけられぬひねくれ悪童のいたずらゆえ、看《み》のがして頂きたい、と陳弁してやると、喜兵衛も苦笑して、
「わっぱを対手《あいて》に、試合をしても、はじまらぬ」
と云ったが、しかし、高札をけがした罪は許されぬことゆえ、その子供に謝罪させるように、要求した。
観道は、やむなく、新免家を訪問して来た次第であった。
「これ、こたえぬか。なんの存念で、一流兵法者の高札に、いたずらをしたぞ?」
観道は、|むさし《ヽヽヽ》を、睨《にら》みつけた。
「いたずらなんぞ、せぬ」
|むさし《ヽヽヽ》は、こたえた。
「お主は、本気で試合をするつもりで、あんなまねをしたのか?」
観道は、唖然《あぜん》として、|むさし《ヽヽヽ》を見やった。
「本気じゃ」
「なんという増上慢《ぞうじようまん》! ……於幸殿、きいたか。有馬喜兵衛は、新当流の使い手として、京・大坂で、その名が鳴りひびいて居《お》る兵法者なのじゃよ。これと試合をしようなどとは、正気の沙汰《さた》ではない」
有馬喜兵衛は、たとえ対手がわっぱであろうとも、許しがたい悪戯《いたずら》である、と大層立腹しているので、やむなく、丘陵の麓の草地に、竹矢来を組んで、試合場を設け、見物人が集ったところで、|むさし《ヽヽヽ》を連れて行き、喜兵衛に、詫《わ》びさせることにして、その旨《むね》をつたえに来たのだ、と気ぜわしい口調で、しゃべった。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》に、
「そなた、詫びるかえ?」
と、訊ねた。
「いいや――」
|むさし《ヽヽヽ》は、かぶりを振った。
於幸は、観道に、
「あやまらぬ、と申して居ります」
と、云った。
「謝罪をせぬと、ひと打ちに、あの世行きになるぞ」
観道は、いまいましげに、|むさし《ヽヽヽ》を睨んだ。
「わしは、試合をしたいから、ああ書いたのじゃ。お住持さんは、よけいな心配を、しなさるな」
「なんじゃと! ……お主はよくよく、人に憎まれるように生まれついた悪|たれ《ヽヽ》じゃのう」
観道は、ともあれ、今夜、よく姉者から説ききかせて、得心させた上で、明朝、試合場まで連れて来るように、と於幸に云い置いて、縁側から降りた。
庭を横切りかけて、ふと気づいたように、吊し柿をふり仰いで、
「今年は、颱風のために、乾し柿もすくなかろう。……於幸殿、いまから、無想寺の分として、十吊しばかり、予約しておき申すぞ」
と、云いのこした。
夕餉《ゆうげ》の座に就いた時、於幸は、給仕をし乍《なが》ら、
「そなた、本当に、有馬喜兵衛と、試合をするつもりかえ?」
と、訊ねた。
「する」
|むさし《ヽヽヽ》は、山盛りの麦飯を、せっせと頬《ほお》ばりつつ、うなずいてみせた。
於幸の目に映るその|むさし《ヽヽヽ》の姿は、やはり十三歳の少年でしかなかった。
「そなたは、まだ子供ゆえ、明日の試合場で、有馬喜兵衛という兵法者に、頭を下げても、べつに恥にはならぬ、と思うけど……」
「姉者!」
|むさし《ヽヽヽ》は、於幸へ、鋭い視線を当てた。
「わしは、もう、子供ではない!」
「そなたは、自分では、そう思うて居ろうけど……」
「わしは、親の敵討《かたきう》ちもした。姉者に夜匍《よば》うて来た奴《やつ》も斬《き》った。鮠を狙えば、必ず仕止める。……わしは、新免家の当主じゃ。姉者は試合を止める権利を持って居らん」
|むさし《ヽヽヽ》は、きっぱりと云ってのけた。
「大人ぶりはよいが、もし試合に負けて、生命《いのち》を落したら、新免家の血統は、絶えてしまうではないかえ」
「その時は、姉者は、強い赤児《やや》を産むがよかろ」
「わたしは……」
於幸は、目を伏せた。
「子の産めぬからだなのじゃ」
「産めるか産めぬか、もう一度、逞《たくま》しい男をえらんで、はげんでみたらよかろ」
「姉に、恥をかかせるものではないぞえ」
於幸は、慍《おこ》った表情になった。
|むさし《ヽヽヽ》は、そのあとは、於幸が何を云おうと、一言も口をきかずに、夕餉を摂《と》り了《お》えた。
その夜、於幸は、牀《とこ》に就いて半刻経《はんときた》っても、一刻が過ぎても、睡《ねむ》れそうもなかった。
右に寝返り、左に寝返っているうちに、於幸は、なんとなく、自分の肌《はだ》を与えた男たちを、思い泛《うか》べていた。
於幸が、からだを与えた男は、十三人いた。
いずれも二十歳前の若者ばかりであった。
於幸が最初にそうしたのは、幼い頃から自分を可愛《かわい》がってくれた一人の老婆《ろうば》に、たのまれたからであった。
地下牢人《じげろうにん》のその家は、老婆と十七歳になる孫の若者の二人ぐらしであった。老婆の息子――若者の父親は、ある戦場で、討死していた。
老婆は、ある宵《よい》、於幸を招いて、このたび孫が、備前《びぜん》の宇喜多《うきた》家のお召しを受けて、合戦に加わることになったが、
「……もし、孫が、父親のあとを追って、討死した場合、この家の血すじは絶えてしまう。そなたのからだをかりて、この家を継ぐ者をつくっておきたいのじゃが、この願いを、ききとどけて下され」
と、両手をついて、たのんだのであった。
十七歳のその孫は、いかにも脆弱《ぜいじやく》そうな風貌と骨格の持主であった。
戦場へ出せば、すぐにも、討死してしまいそうであった。
於幸は、母親代りになって、なにくれと面倒をみてくれた老婆に対しての礼心から、その依頼を承知した。
又八郎というその若者は、男女の契《ちぎ》りに関しても、知識はなく、いたずらに、五体をふるわせるばかりであった。処女であった於幸の方が、誘導しなければならなかった。
明けがたになって、ようやく、又八郎は、於幸の体内へ、したたかな放射をし了えて、ぐったりとなった。
於幸は、その時のことを、思い泛べた。
重くのしかかって来た又八郎を、いとしいものに感じたのを、於幸は、おぼえている。
地下牢人の子弟らが、大名に傭《やと》われて戦場へおもむくにあたって、ひそかに、新免家をおとずれて、於幸のからだを抱いて行くようになったのは、それからであった。
又八郎は、還《かえ》らず、於幸も、その子を腹に宿すことはできなかったが、奇妙なならわしだけが、つくられたのであった。
戦場へおもむく、という名分なしに、地下牢人の子弟らが、忍んで来るようになったのは、四年ばかり前からであった。
すでに、七人あまりの若者に、からだを与えていた於幸は、欲情処理だけに夜匍うて来る若者を、こばむことができなかった。
いや、於幸は、男に抱かれるよろこびを知ってしまっていたのである。
弁之助が帰って来たのを機会に、於幸が、若者たちを拒絶したのは、新免家の体面を保たねばならぬ、と|ほぞ《ヽヽ》をきめたためであった。
しかし――。
この二年間の空閨《くうけい》は、於幸にとっては、辛《つら》かった。肌さみしさに、俯《うつぶ》せて、敷具にしがみついたことも、二度や三度ではなかった。
男に抱かれなければ、生きられぬ肌になっている、とわかり乍らも、堪えなければならぬのは、於幸にとって、人知れぬ苦痛であった。
――よう、二年も、堪えた。
於幸は、自分に呟《つぶや》いた。
その折――。
しのびやかな跫音《あしおと》が、近づいて来た。
――男が来た!
於幸は、にわかに、胸がおどった。
「姉者――」
呼んだのは、意外にも、|むさし《ヽヽヽ》の声であった。
初試合
「姉者――」
|むさし《ヽヽヽ》は、於幸が返辞をせずにいると、二度、呼んだ。
瞬間――。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》が、なぜ、この夜更《よふ》けに忍んで来たか、その目的を直感した。
――弁之助は、明日の試合で、負けるかも知れぬ、と考えたのだ。死んでしまうかも知れぬ。女の肌を知らずに、死んでは、あの世へ行って、悔いがのこる。姉のからだで、女というものを知っておこう。そう考えたに相違ない。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》の肚《はら》を、そう読みとった。
儒教が、人間の本能をしばりつけてしまったのは、徳川期に入ってからのことであった。
この時代には、父と娘が、母と息子が、そして兄弟姉妹が、男女の交合を持っても、さして、けがらわしい行為とは思われていなかったのである。
於幸は、しかし、とっさに、弟を寐牀《ねどこ》に迎える気持にはなれなかった。
息をころして、じっとしていると、|むさし《ヽヽヽ》は、
「姉者――」
三度《みたび》、呼びかけて来た。
いくばくかののち、跫音が、遠ざかって行った。
於幸は、ほっと吐息をもらして、闇《やみ》に眸子《ひとみ》をひらいた。
――わたしのからだは、十三人もの男に与えている。こんなからだで、弁之助に女を知らせたところで、なんの冥加《みようが》になろう。わたしが、無垢《むく》の肌ならば、よろこんで、許すのだが……。
――もし試合に負けて、一命を落すことになっても、いっそ、女を知らないままで逝《い》った方が、すがすがしいように思われる。
於幸は、胸の裡《うち》で、呟いた。
と――。
裏手で、物音が起った。
はっと耳をすました於幸は、それが、水音であるのをさとった。
――弁之助は、欲情を払うために、垢離《こり》を掻《か》いている。
於幸は、思わず、微笑した。
於幸が、平静さを失って来たのは、それから四半刻《しはんとき》も経《た》たないうちであった。
|むさし《ヽヽヽ》が、水垢離をとったのち、籾干《もみほ》しの庭へまわって、白刃の素振りをはじめて――その激しい懸声を、きいているうちに、於幸の気持は、みだれて来た。
それは、まぎれもなく、男の五体からほとばしる精気であった。
「えいっ! やああっ!」
「とおっ!」
「やああっ! えーいっ!」
静寂の夜気をつんざいて、ひびいて来る懸声は、とうとう、於幸の肢体《したい》に、名状しがたい痙攣《けいれん》を生ましめた。
掛具をはねて、起き上った於幸は、抑えようとしても抑えきれぬ興奮で、ふらふらと、立った。
そっと、縁側に出た於幸は、月明の中で、白刃をふるう|むさし《ヽヽヽ》の素裸を、見出した。
青い光に染められた生まれたままのその姿は、別の生きものでもあるかのように、いっそ美しいものに、於幸の眸子に、映った。
じっと見まもるうちに、於幸の胸は、せわしく叩《たた》かれる鉦《かね》のように、鳴った。
夢遊病者のように、庭へ降りた於幸は、ふらふらと、|むさし《ヽヽヽ》に、近づいた。
「|むさし《ヽヽヽ》――」
呼びかけた時、於幸は、胸の動悸《どうき》もしずまり、別の女性《によしよう》に――どこからともなく現れた|あか《ヽヽ》の他人の女性になったような気がしていた。
|むさし《ヽヽヽ》は、素振りを止めて、姉を視《み》かえした。
於幸は、寐衣を脱ぐと、それを地面にひろげておいて、その上へ、ゆっくりと仰臥《ぎようが》した。
この姉の振舞いは、|むさし《ヽヽヽ》を、とまどわせた。
|むさし《ヽヽヽ》には、十三人もの男を忍び込ませた寐床で、弟と抱き合うのを避けて、自然のままの世界をえらんだ姉の気持を、まだ、理解できなかった。
於幸は、目蓋《まぶた》を閉じて、しずかに、|むさし《ヽヽヽ》を待っている。
|むさし《ヽヽヽ》は、ふうっ、と熱い息を吐いた。
十三歳の少年の心中では、激しい争いが起っていた。
やがて――。
「姉者! もう、よい!」
たたきつけるような語気で、|むさし《ヽヽヽ》は、云うと、大股《おおまた》に歩いて、縁側へとびあがっていた。
於幸は、なお、そのままの姿勢で、目蓋だけをひらいた。
下弦の月が、雲を縫っていた。
仰いでいるうちに、於幸の双眸《そうぼう》から泪《なみだ》があふれた。
「|むさし《ヽヽヽ》のばか!」
その呟きが、もらされた。
翌朝――陽《ひ》がさしそめた時刻、於幸と|むさし《ヽヽヽ》は、家を出た。
二人は、黙々として、道を辿《たど》って行った。その沈黙は、朝餉《あさげ》の座からつづいていた。
無想寺のある丘陵の麓《ふもと》には、街道わきの空地に竹矢来が組まれ、すでに、数十人の見物人が集っていた。
無想寺住職観道は、矢来の出入口に立って待ち受けていたが、於幸と|むさし《ヽヽヽ》が近づくと、於幸に、
「とくと、申しきかせたであろうな?」
と、訊《たず》ねた。
於幸は、顔を伏せた。
観道は、舌打ちして、|むさし《ヽヽヽ》に、
「詫《わ》びるのじゃぞ。な、詫びれば、許してもらえるのじゃ。お主は、まだ十三歳じゃ。詫びて、恥にはならぬ。よいな。ひたすら、詫びるがよい」
と、云《い》いきかせた。
|むさし《ヽヽヽ》は、口をひきむすんだままであった。
観道は、いまいましげに、また舌打ちして、|むさし《ヽヽヽ》が、携えている樫《かし》の木太刀を、
「それを、こちらへ寄越せ」
と、手をさし出した。
|むさし《ヽヽヽ》は、意外に、素直にそれを、観道へ渡した。
有馬喜兵衛が、丘陵を降りて来た。
四十年配の、鼻梁《びりよう》の高い頤《おとがい》の張った、猪首《いくび》の男であった。
胸の厚さが、目立った。
「ほう――、新免|武蔵《むさし》とは、お主か」
喜兵衛は、薄ら笑った。
「さ、詫びるのじゃ」
観道が、|むさし《ヽヽヽ》の背中を小突いた。
喜兵衛は、頭を立てて、じっと眸子を据《す》えて動かぬ|むさし《ヽヽヽ》の態度を、小面《こづら》憎い、と視て、
「面だましいはあるのう。討ちすてるのは惜しいが、そうやって頭《ず》を高うしている限り、今日までの短命だぞ!」
と、きめつけた。
観道が、苛立《いらだ》って、
「詫びぬか、これっ!」
と、頭へ手を置いて、むりやり下げさせようとした。
とたん、|むさし《ヽヽヽ》は、観道へ渡しておいた木太刀を、掴《つか》み取るがはやいか、
「えいっ!」
と、喜兵衛めがけて、突きを放った。
「おっ!」
体をひらいて、これを躱《かわ》した喜兵衛は、ぱっと跳び退って、
「わっぱ! 死にたいか!」
と、叫んだ。
|むさし《ヽヽヽ》は、無言で、二の突きを送った。
喜兵衛は、これを、差料《さしりよう》の柄《つか》で、払うと、
「容赦せぬ!」
呶号《どごう》とともに、抜刀した。
|むさし《ヽヽヽ》は、右へ五歩ばかり、奔《はし》って、上段にふりかぶった。
喜兵衛は、竹矢来を背にして、青眼《せいがん》につけた。
見物人は、どよめいた。観道と於幸は、息を呑《の》んだ。
誰の目にも、これは、試合にならぬ、と映った。
一流の兵法者が、真剣を構えて、木太刀をふりかぶった少年に、対峙《たいじ》したのである。これを斬《き》り伏せるのは、造作もない、と思われた。
|むさし《ヽヽヽ》の態度は、たしかに、少年にあるまじく、高慢なものに相違なかったが、さりとて、一流の兵法者ともあろう者が、憤《いきどお》りにまかせて、討ち取るのは、あまりに大人気ない。
見物人の表情は、その気持をあらわしていた。
一人が、
「こらえてやりなされ!」
と、叫ぶと、つづけざまに、同じ意味の言葉が、喜兵衛に向って、飛んだ。
於幸が、われにかえったように、
「お住持《じゆつ》さま、止めて下され!」
と、たのんだ。
「心配無用じゃ。有馬殿は、|むさし《ヽヽヽ》の木太刀を刎《は》ねるだけに、とどめてくれよう」
観道は、こたえた。
事実、|むさし《ヽヽヽ》が、撃ち込むや、喜兵衛は、観道の予言通り、余裕を持った一閃《いつせん》で、その木太刀を、両断した。
しかし――。
試合は、それで、終らなかった。
|むさし《ヽヽヽ》は、竹矢来にとびつくや、猿《ましら》の迅《はや》さで、それを駆けあがった。
そして、矢来を蹴《け》って、おのが身を、宙に躍らせた。
喜兵衛は、あっけにとられて、|むさし《ヽヽヽ》の奇妙な行動を、目で追った。
|むさし《ヽヽヽ》が、宙をくるっと一廻転しつつ、脇差《わきざし》をひらめかすのをみとめて、喜兵衛は、あわてて、
「おっ!」
と、防禦《ぼうぎよ》の構えをとろうとした。
しかし、そのいとまを与えられず、したたかな衝撃を、頸根《くびね》にくらって、よろめいた。
ひらりと、地上へ降り立った|むさし《ヽヽヽ》は、ツツ……と進んで、
「見たか!」
一喝《いつかつ》しざま、喜兵衛の顔面を、まっ二つに、斬った。
その日から、於幸は、|むさし《ヽヽヽ》の姉ではなく、主《あるじ》につかえる女中になった。
姉弟としての会話は交されなくなり、|むさし《ヽヽヽ》に対する於幸の態度は、おそれを帯びたものになった。
|むさし《ヽヽヽ》は、もともと無口な少年であったが、於幸の方も、なんとなく寡黙《かもく》になり、長く対座するのもはばかるようになった。
家の中の空気は、冷たくなり、時折、訪れる地下人《じげにん》たちも、その冷たさを感じた。
於幸は、しばしば、堪えられぬ思いに駆られたが、どうすべくもなかった。
考えてみれば、肉親の情愛をおぼえる歳月を、姉弟は、与えられていなかったのである。
|むさし《ヽヽヽ》は、十一歳で、生家へ帰って来るまで、姉の存在を知らなかったし、於幸の方は、父母の仇敵《きゆうてき》に育てられている弟を憎んでいたのであった。
ともに、同じ屋根の下で、くらすようになってから、わずか二年あまりで、肉親の情愛が生まれる道理がなかった。
有馬喜兵衛との試合の前夜、|むさし《ヽヽヽ》が姉の寐所へ忍んだのも、また、於幸が、弟に肌《はだ》を許そうとしたのも、肉親の情愛が生まれていない証左であった。
於幸は、有馬喜兵衛を斬殺《ざんさつ》した|むさし《ヽヽヽ》の凄《すさま》じさを、目撃して、
――おそろしい!
と、戦慄《せんりつ》した。
その意識が、以後、於幸からはなれることはなくなったのである。
いや、|むさし《ヽヽヽ》をおそれたのは、於幸ばかりではなかった。
宮本村の住民たちも、|むさし《ヽヽヽ》をおそれるようになった。
|むさし《ヽヽヽ》と、道で出会うと、あわてて、顔を伏せて避けた。|むさし《ヽヽヽ》と同じ年頃《としごろ》の少年たちが、遠くで、その姿を見かけただけで、びくっと、立ちすくんだり、奔って遁《に》げた。
|むさし《ヽヽヽ》と親しく口をきく者は、誰一人いなかった。
「行方知れずの権蔵も、やはり、|むさし《ヽヽヽ》に殺されていたのじゃな」
人々は、私語し合った。
於幸の許《もと》へ忍んで来た権蔵は、その夜限り、姿を消していた。於幸が、どこかへ、死体を葬《ほうむ》ったに相違なかった。
地下人たちは、よもや、|むさし《ヽヽヽ》が斬ったとは考えず、権蔵が、京の都へでも行ったもの、と思っていたのであるが、有馬喜兵衛との試合を目撃してから、そうではなかった、と疑惑の念が生じたのである。
新免家は、宮本村の長《おさ》の家であったので、地下人たちは、たとえ権蔵が|むさし《ヽヽヽ》に殺されていたとしても、これを表沙汰《おもてざた》にして、とがめ責めることはできなかった。
ただ、おそれて、敬遠するのが、地下人たちのえらんだ態度であった。
|むさし《ヽヽヽ》は、しかし、そのように扱われることを、すこしも苦痛におぼえる様子はなかった。
於幸や地下人のみならず、無想寺の観道までが、自分を敬遠したいそぶりをみせるのを、みとめても、|むさし《ヽヽヽ》は、そ知らぬふりで、漢学を学びに、かよいつづけた。
|むさし《ヽヽヽ》が、無想寺に行く時刻は、ほぼきまっていて、その頃合、他の少年は、姿をみせなくなった。
観道も、あきらかに、迷惑がって、なろうことなら、教えるのを止《や》めたい、という気色を示したが、|むさし《ヽヽヽ》の方は、かよいつづけた。
ある日、
「べつに、学者になるわけでもないのじゃから、これぐらいにしておいては、どうであろうかな」
と、遠慮ぎみに、うちきりを口にしてみたが、|むさし《ヽヽヽ》は、返辞をしなかった。
また、ある日、
「お主は、日本一の兵法者になる存念の模様じゃが、それならば、そろそろ、兵法修業の旅に出てもよかろう、と思うが……」
と、すすめて、|むさし《ヽヽヽ》から、じっと視かえされると、観道は、思わず、背すじが、寒くなった。
|むさし《ヽヽヽ》が、村民一同を、無想寺本堂に集めて欲しい、と観道にたのんだのは、それから、数日後であった。
「なんのつもりかな?」
観道は、怪訝《けげん》の視線をかえしたが、|むさし《ヽヽヽ》は、ただ、
「集めて下されば、よい」
と、云って、その目的を口にしようとはしなかった。
新免家の当主が、そう依頼する以上、観道は、拒絶するわけにはいかなかった。
人買い
その日、早朝。
無想寺本堂に集った宮本村の住民は、六十七人であった。
|むさし《ヽヽヽ》は、かれらをおよそ半刻《はんとき》も待たせておいて、姿を現した。
べつに服装もあらためていなかったし、蓬髪《ほうはつ》もそのままで、指の爪《つめ》に垢《あか》をためていたし、素足であった。
住職観道が、人を待たせた無礼を咎《とが》めようとしたが、|むさし《ヽヽヽ》は、そのいとまも与えずに、すたすたと、正面の須弥壇《しゆみだん》に至って、一同に対した。
鋭い眼眸《まなざし》で、ずうっと見わたしてから、
「わしは、この宮本村の長《おさ》・新免家の当主武蔵である」
まず、あらたまった名のりかたをした。
六十七人の地下人たちは、押し黙って、|むさし《ヽヽヽ》の顔を、見まもった。
「わしは、宮本村の長・新免家の当主として、はじめて、お主らに、物申すのである。……まず、わしが長たることをみとめぬ者は、申し出てもらおう。この場にて、討ち果す」
「…………」
一人として、しわぶきひとつ、たてなかった。
「では、これより、申し渡す儀を、違約いたすまいぞ。……わしが亡父新免|武仁《たけひと》は、お主らの家に、田畑ならびに山林を貸し与えたが、その分に応じての納品を課さなんだ。それぞれの心次第で、届けられる収穫物を、受けたばかりじゃった。姉の於幸もまた、亡父のしきたりにしたがった。わしもまた、当主となってから、お主らに、なんの手伝いもたのまなんだ。お主らは、新免家の寛大にあまえて居《お》ったのじゃ!」
|むさし《ヽヽヽ》は、語気をきびしいものにしたし、異常なまでに、双眸《そうぼう》に凄じい光を加えた。
「申すならば、お主らは、新免家を尊敬することを忘れ、当主のわしが、まだ十五歳にも満たぬのを見くびって、かろんじて居った。わしが、有馬喜兵衛を討ちはたして以来、お主らの態度は、許しがたいものがあった。不埒者《ふらちもの》ども! 猿《さる》にも頭領があり、蟻《あり》にも王者がいることを忘れたか!」
もし不服をとなえる者が出れば、即座に、帯びた脇差を抜きはなってみせる気色をみなぎらせた|むさし《ヽヽヽ》に対して、全員が、顔を伏せた。
「こん後は、新免家をないがしろにすることは、断じて、許さぬ! お主らは、来年より、米一石につき、銅銭十枚を、新免家に納めよ。よいな?」
|むさし《ヽヽヽ》は、申し渡した。
観道が、地下人側に立って、
「銅銭十枚とは、いささか、苛酷《かこく》にすぎるが……」
と、独語するように云《い》うと、|むさし《ヽヽヽ》は、
「黙れっ!」
と、一喝《いつかつ》した。
「黙れとは! 師に対して無礼な――」
「わしには、生涯《しようがい》、師というものはない。住職は、宮本村の長に、すこしばかりの漢学と習字の手ほどきをしただけじゃ。……下婢《かひ》を手ごめにするような生臭|坊主《ぼうず》など、師として仰げるか。よけいな口を出すと、容赦せぬぞ!」
|むさし《ヽヽヽ》は、きめつけておいて、再び村民一同に向かうと、
「わしは、近いうちに、兵法修業のために、旅へ出る。兵法修業ゆえ、行くさきざきで路銀をかせぐような、貧乏たらしいまねなどはせぬ。お主らが納めてくれる金を、その費用にあてる。よって、お主らが、納金を怠ることは、許さぬ。……但《ただ》し、わしは、必ず、日本一の兵法者となってみせる。約束する。お主らから路銀をもらうかわり、これよりやる試合には、宮本武蔵と名のって、宮本村の名を、天下に知らしめる、と約束するぞ」
と、云った。
村民たちのうち、一人として、これに応《こた》えて、口をひらく者はなかった。
|むさし《ヽヽヽ》は、胸を張ると、
「わしは、一年に一度、必ず、帰って来る。その時、新免家をないがしろにし、納金を怠った者があれば、問答無用に、討ち果す。お主ら、かまえて、違約いたすな!」
と、念を押した。
六十七人の目には、わずか十三歳の少年が、畏怖《いふ》すべき堂々たるおのが村の長に、映ったから、奇妙であった。
明日、年があらたまって、十四歳を迎える大《おお》晦日《みそか》の午《ひる》、食膳《しよくぜん》に就いていた|むさし《ヽヽヽ》は、於幸に向って、
「姉者、わしは、今日、発足する」
と、告げた。
「え?」
於幸は、びっくりして、まじまじと弟の顔を見まもった。
「今日は、年の暮じゃがな。明日――めでたい元旦《がんたん》に、出発するのは、いけぬのかえ?」
「いや、年の暮だからこそ、わしは、今日、出て行くのじゃ。わしは、まだ、半人前だから、元旦に発足するのは、はれがましい。旅に出て、元旦を迎える」
そう云われると、於幸には、反対する理由はなかった。
於幸は、いそいで旅装と糧食と路銀を用意した。
|むさし《ヽヽヽ》は、ただ、
「行って来る」
と、かるく頭を下げておいて、家を出た。
於幸は、戸口に立って、|むさし《ヽヽヽ》の後姿を見送った。
|むさし《ヽヽヽ》は、籾干《もみほ》しの庭を、大股《おおまた》に歩いて、桑畑の中へ降りて行ったが、一度も振りかえろうとしなかった。
於幸は、|むさし《ヽヽヽ》の姿が、桑畑の彼方《かなた》に小さくなって現れるまで、佇立《ちよりつ》していた。
その小さな姿が、ふりかえって、手を挙げてくれるのを、待っていたが、その期待は裏切られた。
「無情者よ」
於幸は、呟《つぶや》いた。
呟いたとたん、眸子《ひとみ》が潤《うる》み、泪《なみだ》がほろほろと頬《ほお》をつたい落ちた。
大晦日といっても、べつに、村景色は変らなかった。
地下人たちは、明日の元旦を、一日休むだけで、あとはただ、昨日を明日につなぐその日をすごしているばかりであった。
|むさし《ヽヽヽ》は、街道に出るまでに、薪《たきぎ》をたばねている男と鍬《くわ》をふるっている男に出会った。
無想寺本堂に集められた六十七人のうちの男たちであった。
かれらは、鄭重《ていちよう》に、|むさし《ヽヽヽ》に、礼をした。
|むさし《ヽヽヽ》は、かるくうなずいてみせただけで、行き過ぎた。
|むさし《ヽヽヽ》が、この村へ還《かえ》って来た時、肩にかついでいた無二斎形見の無反《むぞ》り三尺の剣は、いかにも長いものであったが、いま、背負うているそれは、さほどの長さには、見えなかった。
二年間で、|むさし《ヽヽヽ》の背丈が、ぐんと伸びた証拠である。骨格はもう青年のものであった。
有馬喜兵衛を討ちはたした空地わきに出たが、|むさし《ヽヽヽ》は、もう、そのことは忘れてしまったように、一瞥《いちべつ》もくれようとしなかった。
街道は、そこから数町行くと、宿場町になっていて、さすがに、大晦日らしいあわただしいにぎわいをみせていた。
人々のなかには、|むさし《ヽヽヽ》と有馬喜兵衛との試合を見物した者も幾人かいて、好奇の視線を投げて、私語し合った。
|むさし《ヽヽヽ》は、そ知らぬふりで、すたすたと、通り抜けて行った。
宿場はずれに、阿弥陀堂《あみだどう》があった。
その扉《とびら》の前に、腰かけている十歳あまりの少女へ、|むさし《ヽヽヽ》は、ふと、視線を向けた。
顔見知りであった。
|むさし《ヽヽヽ》が、渓流《けいりゆう》で鮠《はや》を手槍《てやり》で突いている修業ぶりを、この少女は、しばしば眺《なが》めに現れていたのである。家が近くだったに相違ない。
|むさし《ヽヽヽ》は、一度、少女に命じて、枯枝を集めさせ、岸辺で、鮠を焼いて、少女にも喰《た》べさせたことがあった。
しかし、|むさし《ヽヽヽ》は、少女がなんという名前か、それさえもきかずじまいであった。
|むさし《ヽヽヽ》と少女のあいだには、会話は交されなかったのである。
|むさし《ヽヽヽ》は、少女に、
「枯枝をとって来い」
と、命じ、鮠が焼けると、
「食え!」
と、命じただけであった。
少女は、鼻すじの通った、唇《くちびる》のかたちのいい、|あご《ヽヽ》の細い、どことなくさびしい翳《かげ》のある面立《おもだ》ちであった。
|むさし《ヽヽヽ》の脳裡《のうり》に、姉の於幸以外にのこっている唯一《ゆいいつ》の異性が、この少女であった。
立ちどまって、少女を見やった|むさし《ヽヽヽ》は、
「どこへ行く?」
と、訊《たず》ねた。
「はい。京へ、参ります」
少女は、こたえた。
「一人でか?」
「いいえ――」
かぶりを振ってから、少女は、顔を伏せた。
その様子を凝視しているうちに、|むさし《ヽヽヽ》は、なぜ京へ行くのか、さとった。
「おまえ、京の廓《くるわ》へ、売られて行くのじゃろ?」
「はい」
少女は、うなずいた。
器量の佳《よ》い少女をさがして、どんな山奥の寒村までも、人買いがやって来るのは、この時代には、べつに忌《い》みきらわれたことではなかった。
「お前の家のむすめは、高う売れるのう」
「まずのう」
こうした会話が、なにげなく交されていたのである。
この少女は、高く売られる美貌《びぼう》を持っていた。
今年、美作国《みまさかのくに》を襲って来た凄《すさま》じい颱風《たいふう》が、おそらく、少女の家の田畑をも、石と泥《どろ》で埋めたに相違なかった。
いかにも人買いらしい目つきの六尺ゆたかの男が、せかせかとした足どりで、戻って来ると、
「さあ、いそがにゃ、日が暮れる」
と、少女を促した。
「お主――」
|むさし《ヽヽヽ》は、人買いに声をかけた。
「そのむすめを、なんぼで、買《こ》うた?」
人買いは、けげんな面持で、|むさし《ヽヽヽ》を見かえした。
「なんぼで買うたか、あんたらの知ったことじゃなかろう」
「なんぼで買うたか、きいている」
人買いは、舌打ちしたが、その金額を、口にしてみせた。
それは、|むさし《ヽヽヽ》の懐中にある路銀の十倍であった。
「買いもどしたいかの?」
人買いは、にやにやした。
「…………」
「幼馴染《おさななじみ》で、別れがつらい、というところであろう。あんたの気持は、ようわかる。わしも、あんたの年頃《としごろ》に、隣りの家のむすめが売られて、気が狂いそうになったものじゃった。その痛手が、わしに、こんなあきないをさせるようになった、というわけよ。……気の毒じゃが、あきらめてもらわねばならん」
人買いは、少女の手をひいて、歩き出した。
「待て!」
|むさし《ヽヽヽ》は、呼びとめた。
人買いは、大きく手を振っておいて、さっさと遠ざかろうとした。
「待てっ!」
|むさし《ヽヽヽ》は、叫んだ。
人買いは、少女を突きとばしざまに、|むさし《ヽヽヽ》に向かい立つと、険悪な形相で、
「わっぱ! とりもどそうとでも思うて居るのなら、料簡《りようけん》ちがいだぞ!」
と、冷たく薄ら笑った。
「お主が、嘘《うそ》を吐《つ》くまでは、そんな気はなかった。嘘が、腹が立った」
|むさし《ヽヽヽ》は、云った。
「ふん。嘘が腹が立った、とな。わっぱにしては、頭が働くのう。……腹が立ったから、とりもどす、というのか」
「とりもどす!」
「ほざいたものよ。よかろう、とりもどしてみせろ」
「お主が、死ぬことだぞ」
「嗤《わら》わせる」
人買いは、左手に携《さ》げていた桜の杖《つえ》を、小脇《こわき》にかかえるようにした。仕込みであった。
人買いを商売にしているからには、これまで、幾度も、こうした場面を経て来ているに相違なかった。
腕におぼえのある身構えであった。
|むさし《ヽヽヽ》は、ただ、両手を空けて、対手《あいて》を、瞶《みつ》めているばかりであった。
人買いにとって、まだ少年でしかない地下|牢人《ろうにん》の、平然たる態度は、いかにも小面《こづら》憎いものであった。
「そりゃっ!」
いきなり、抜きつけの突きを、|むさし《ヽヽヽ》に、送った。
|むさし《ヽヽヽ》は、ぱっと身を沈めた。
次の瞬間、人買いは、巨漢にあるまじく、惨《みじ》めな悲鳴をあげた。
|むさし《ヽヽヽ》が、股間《こかん》へとび込んで、その睾丸《こうがん》を、掴《つか》んだのである。
「ああっ!」
人買いは、激痛に堪えきれず、上半身をねじった。
|むさし《ヽヽヽ》は、それだけで容赦しなかった。
地ひびきたてて、仰向けに倒れた対手に、のしかかるや、すばやく、脇差を抜いて、男根と睾丸を、えぐり取った。
人買いは、笛の音のような奇妙な声をもらして、悶絶《もんぜつ》してしまった。
|むさし《ヽヽヽ》は、血まみれの手を、人買いの着物の袖《そで》で拭《ふ》くと、立ちすくんでいる少女を、振りかえった。
「おまえ、家へもどれ」
「…………」
少女は、じっと、|むさし《ヽヽヽ》を見かえしているばかりで、声も出ない様子であった。
|むさし《ヽヽヽ》は、その場を、はなれた。
十歩ばかり歩いてから、|むさし《ヽヽヽ》は、頭をまわした。
少女は、あとを跟《つ》いて来ていた。
「ついて来るな!」
|むさし《ヽヽヽ》は、叱咤《しつた》した。
少女は、俯《うつむ》いた。
|むさし《ヽヽヽ》は、再び歩き出した。
さらに、十歩ばかり遠ざかってから、|むさし《ヽヽヽ》は、振りかえってみた。
少女は、同じ地点に佇《たたず》んだままであった。
夕闇《ゆうやみ》が降りて、その姿を包もうとしていた。
慶長五年夏
「暑い!」
呻《うめ》くように、牢人者の一人が、洩《も》らして、寐《ね》がえった。
暑気の堪えがたさを、いままで、誰も口にしなかったのが、ふしぎなくらい、この旅籠《はたご》の二階は、異常な蒸し暑さであった。
大坂の市《まち》の入口にあたる、太閤秀吉《たいこうひでよし》が、朝鮮遠征にあたって新たにつくった海沿いの街道に面して居《お》り、海原を渡って来る汐風《しおかぜ》が、窓から吹き込んでいたが、その汐風までが、熱気をはらんでいたのである。
それに――。
この旅籠は、開業以来の混雑を呈していた。
去年のはじめあたりまでは、だだ広い二階に、せいぜい三、四人の旅客が、ごろごろしていたに過ぎなかった。
去年春、故太閤秀吉の葬儀が行なわれたのを契機として、京都、大坂の様相が一変したのである。
再び、槍《やり》一本で、一国一城の主になれる戦乱の時世がめぐって来るに相違ない、とばかり、一領の具足を背負った牢人者たちが、西から東から、どっと流れ込み、旅籠という旅籠が、満員になったのである。
いま――。
この二階は、およそ十七、八人の牢人者が、一畳を奪いあうほどのこみあいぶりであった。
いずれも、うすよごれて、長い年月の牢人ぐらしの垢《あか》をつけた連中ばかりなので、名状しがたい臭気が、暑気に溶けて、いよいよ、室内を息苦しいものにしていた。
加えて、無数の蠅《はえ》と蚊が、飛びまわって、いささか誇張して云《い》えば、人間どもを餌《えじき》にしているあんばいであった。どの手も、もの倦《う》げに、蚊をたたいたり、蠅を追いはらったり、緩慢な動作をくりかえしていた。
その中で、一人だけ、蠅にたかられようと、蚊に食われようと、平然として、微動もしない男がいた。
蓬髪《ほうはつ》をたばねもせずに、肩に散らし、色褪《いろあ》せた萌黄《もえぎ》の小袖《こそで》に、鹿皮《しかがわ》らしい、古びて、いたるところ裂けたり穴のあいた細袴《ほそばかま》をはいていた。
無反《むぞ》り三尺の長剣を抱いて、壁に凭《よ》りかかり、目蓋《まぶた》を閉じて、身じろぎもせぬ。
袖からのぞいた双腕の逞《たくま》しさは、人の目を牽《ひ》くほどであったが、日焼けた面貌《めんぼう》には、少年の稚《おさなさ》がのこって居り、髭《ひげ》も薄かった。
すぐ前に、十二、三歳の少年が、かなり年老いた父親とともに、うずくまっていたが、その眼眸《まなざし》に、興味の色をこめて、牢人者というより浮浪者に近い風体《ふうてい》の若者を、見まもっていた。
蠅がなんびき顔にたかろうと、腕に食いつかれた蚊にいくら血を吸われようと、全くなにも感じないかのごとく、不動の姿勢をつづけていることは、少年の興味をそそらずには、いないようであった。
少年は、その腕の血を吸いすぎた蚊が、ぽとりと膝《ひざ》へ落ちるのを眺《なが》めて、思わず、吐息した。
その折、しきりに空咳《からぜき》をしていた少年の父親が、わが子の視線に気づいて、壁に凭りかかった若者を、視《み》やった。
「失礼だが……」
呼ばれて、若者は、目蓋をひらいて、初老の牢人者へ、視線をかえした。
「お手前は、ただの牢人衆ではなく、どこか山中で、兵法の修業を積んで来た御仁のように、お見受けするが――」
「いささか――」
若者は、みとめた。
「それがしも、タイ捨流・丸目蔵人《まるめくろうど》先生を師とする兵法者でござるよ。肥後では、すこしは名もきこえて居り申す。青木城左衛門と申し、これは伜《せがれ》で、城之助と申す。……お手前は、なんと申される?」
「宮本|武蔵《むさし》」
若者は、こたえた。
「まだ、二十歳前とお見受けするが……」
「十八歳」
「ほう、十八歳でござるか。兵法修業は、幾歳から、されたな?」
「五歳から、いたした」
「五歳! ……城之助、きいたかの。わしが、お前に、教えるのも、五歳からにいたせばよかったの。去年はじめて、木太刀を持たせたのは、おそすぎたようだ」
どうやら、この青木城左衛門という人物は、風貌もしゃべりかたも、人の好さをあらわしている。
「お手前が、さきほどから、蠅や蚊にたかられるにまかせて、平気で居られるのは、それも修業のひとつと、お見受けするが――」
「野宿に馴《な》れているせい、と存ずる」
武蔵は、こたえた。
「城之助、この御仁のようでなければ、一流の兵法者には、なれぬぞ。痛くても、痛いと感じず、痒《かゆ》くても痒いと感じないように、心身をきたえてこそ、はじめて、剣の極意を会得《えとく》できるのだぞ。この御仁をみならって、お前も、蠅や蚊にたかられるにまかせてみい」
「はい――」
城之助は、うなずいた。
「ところで、お手前も、明朝の試合に、出場するために、この宿をとられたのかな?」
青木城左衛門は、訊《たず》ねた。
この旅籠から、数町さきの空地に、竹矢来が組まれ、高札が立ててあった。
高札には、
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『一流兵法者召抱えの事
一、面目秀れたる勝を挙げたる者、足軽大将として、騎馬十騎、足軽二十人を与えらる
一、武器、勝手たるべし
[#ここで字下げ終わり]
慶長五年六月二十日
[#地付き]石田治部少輔《いしだじぶしようゆう》家中』
と、記されてあったのである。
この高札を読んだ者の多くは、
――いよいよ!
と、合点したことであった。
徳川|家康《いえやす》が、会津の上杉景勝《うえすぎかげかつ》を征伐すべく、大坂を発して行ったのは、つい数日前のことであった。
この年正月、家康が、大坂城本丸に入って、豊臣秀頼《とよとみひでより》と同じ作法で、諸大名の賀礼を受けた事実は、遠方に在る牢人者の耳にまで、とどいていた。
去年三月、前田利家《まえだとしいえ》が逝《い》って以来、家康の態度は、自身が天下人たることを、公然と示しはじめていたのである。
これに対抗するのは、石田|三成《みつなり》を措《お》いて他にいないことは、いささかでも天下の形勢を看《み》ようとする者の目には、明らかであった。
去年秋、会津にひきあげた上杉景勝は、三成とひそかに盟約を交しているに相違ない。
――合戦は、もう、すぐ起る。
家康が勝つか、三成が勝つか。
いずれにしても、この合戦は、五年あるいは十年もつづくように思われる。
天下は、再び、太閤秀吉が天下を手中におさめる以前の状勢にもどるに相違ない。
石田三成は、家康が大坂を去った隙《すき》に、挙兵することに、|ほぞ《ヽヽ》をきめたのだ。だから、強い武士を募集しているのだ。
主家が滅んだ者、主人に追われた者、そして、いまだ随身奉公したことのない者にとって、まさに、千載一遇の好機と思われた。
「参加いたす」
武蔵は、青木城左衛門の問いにこたえた。
「もとより、それがしも、参加いたすが、さて、これは、対手《あいて》次第でござるな」
「…………」
「もしも、途方もない使い手であったならば、あわれや、この伜が孤児になり申す。……五十路《いそじ》を越えたこの身には、明朝の試合が、最後の機会でござろうが、たとえ敗れるにせよ、見苦しいざまだけは、伜に見せたくござらぬよ」
「…………」
「なにせ、十五年ばかり前に、備中《びつちゆう》で、試合をしたきり、ずうっと、勝負から遠ざかって居り申したのでな、老いの坂にさしかかっての試合は、気が重うてなり申さぬ。……お手前は、まだ、二十歳に満たぬ若さとは、まことに、うらやましい。それがしも、お手前の年頃《としごろ》には、おのが一剣をふるえば、国でも城でも取れるような意気込みでござったな」
「…………」
武蔵は、きいているのかいないのか、城之助へ、冷たい眼眸を当てていた。城之助の方は、武蔵の耳朶《じだ》に食いついた蚊を、じっと、瞶《みつ》めていた。
城左衛門は、なお、しきりにしゃべりつづけていたが、武蔵が城之助を呼んだので、口を閉じた。
「おい、わしと稽古《けいこ》をするか?」
「お願い申します」
城之助は、顔をかがやかせて、すぐ立ち上った。
「わしも拝見いたそう」
城左衛門が、腰を上げかけると、武蔵は、
「その儀は、おことわりいたす」
と、ひややかに、拒絶した。
城左衛門は、どうして見物させないのか、理由がわからぬままに、しぶしぶ、腰をもどした。
武蔵は、城之助をつれて、旅籠を出ると、むかいの路上に、筵《むしろ》を敷いて、具足やら刀やら槍をならべている露店へ近づいた。
木太刀も五、六本、ならべてあった。
武蔵は、枇杷《びわ》の木らしい、ところどころ凹《へこ》んだり傷がついている一振をえらんだ。三尺二、三寸はあろう。
武蔵は、それを城之助に持たせると、磯馴《そな》れ松をくぐって、浜辺へ出た。
五、六歩の距離をとって、向い立つと、
「かかって来い」
と、武蔵は、促した。
城之助は、気象の強さを、おもてにあらわして、必死に、長い木太刀を振りかぶるや、奔《はし》って、
「ええい!」
と、撃ち込んだ。
城之助の目には、躱《かわ》す武蔵の動きは、映らなかった。
ふわっ、と宙に浮いたおのが身の軽さをおぼえ、次の一瞬には、したたか、砂地へたたきつけられていた。
しかめ面になって起き上った時、いつの間にか、木太刀が、武蔵の手に移っているのを知った。
「そこの石をひろって、両手で、頭の上へのせろ」
武蔵は、命じた。
城之助は、命じられた通りにした。石は、両手にあまるほどの大きさであった。
武蔵は、ゆっくりと、木太刀を、青眼《せいがん》から上段に移した。
無言|裡《り》の気合が、城之助の全身を痙攣《けいれん》させた。
その時、頭上の石は、二つに割れていた。城之助は、武蔵が搏《う》った刹那《せつな》、目蓋をふさぎ、それなりひらくことを忘れた。
城之助が、そっと薄目をひらいてみると、武蔵は、裸身になっていた。
そこに城之助がいることなど、忘れたように、武蔵は、渚《なぎさ》へ歩み出ると、ざぶざぶと、波の中へ入って行った。
武蔵が、城之助の視力ではとらえられぬほどの沖あいへ、泳ぎ出て、ひきかえして来るまでには、一刻《いつとき》以上もかかった。
渚にあがって来た武蔵の影法師は、長かった。汐風は、ようやく熱気を減じていた。
城之助は、武蔵が脱ぎすてた小袖《こそで》と袴《はかま》のわきに蹲《しやが》んで、待っていた。
「お前の父親は、明日の試合には、負けるぞ」
武蔵が、云《い》ったのは、松の木立を抜けようとした時であった。
「どうして、そんなことを申されるのじゃ?」
城之助は、武蔵を睨《にら》みあげた。
「負けるから、負ける、と云っている」
「試合をしてみなけりゃ、わからんじゃろうに――」
「試合をせんでも、はっきりと判《わか》る。お前は、父親の試合を見るな」
「…………」
城之助は、旅籠の客の中で一番うすぎたないこの若者に対して、憤《いきどお》りをおぼえて、口をひきむすぶと、ぱっと先に駆け出した。
武蔵は、それきり、旅籠には、戻って来なかった。
翌日、その試合場では、午前中だけで十一番の勝負が行なわれた。
青木城左衛門が、出場したのは、第八番目の試合であった。
対手は、美濃牢人《みのろうにん》秋山九十郎と名のる、顔の半面を髭《ひげ》で掩《おお》うた、肩幅の異常に広い男であった。
得物は、長槍であった。
城左衛門は、白鉢巻《しろはちまき》に、革襷《かわだすき》をあやどり、袴のももだちをとった尋常のいでたちで、ふつうの差料《さしりよう》を携《さ》げて、進み出た。
秋山九十郎は、双肌《もろはだ》を脱いで、胸毛をあらわにした。肩にも腕にも胸にも背中にも、刀槍《とうそう》の傷痕《きずあと》があった。
その傷痕を誇示するかのように、秋山九十郎は、胸を張って、穂先を天に突きあげて、
「えい! えい! おおっ!」
と、しごいてみせた。
城左衛門が、青眼につけると、九十郎は、長槍をかつぐかたちに、石突きを前にして、背後に穂先をかくす変形の構えをとった。
すなわち、突くのではなく、なぐりつける戦場戦法を放つことを予告したのである。
闘いが開始されるや、城左衛門は、いたずらに、後退するばかりであった。
凄《すさま》じい唸《うな》りをたてて、弧を描きつつ襲って来る長槍を、城左衛門は、払うことさえできず、まして、反撃の隙をとらえることなど思いも及ばず、あとへあとへ、退《さが》った。
ついに、あと一歩で、竹矢来に背中がふれる地点まで城左衛門は、追いつめられた。
九十郎は、その時はじめて、穂先をぴたりと城左衛門の胸に、狙《ねら》いつけた。
城左衛門は、満面に汗を噴かせ、はっきりと肩と胸に喘《あえ》ぎをみせていた。
九十郎は、余裕のあるひと息を入れて、
「えいっ!」
と、凄じい懸声を放った。
城左衛門は、つられて、その突きを払った。いや、突いて来るであろう穂先を、払った。
突きは、なされなかった。
城左衛門は、むなしく、宙を払ったばかりであった。
そして、城左衛門の構えが崩れた――その刹那、九十郎は、こんどこそ、本当に、突きを放った。
城左衛門の胸は、貫かれた。
九十郎は、ひとえぐりしてから、穂先をひき抜いた。
重傷を負いつつ、城左衛門の振った一閃《いつせん》が、槍の柄《え》を両断した。
「こやつがっ!」
九十郎は、差料を抜きざま、城左衛門の顔面をななめに斬《き》り、その一撃を旋回させて、首を刎《は》ねとばした。
「父上っ!」
矢来にしがみついた城之助が、絶叫した。
その折、ゆっくりと、矢来の内へ入って来た者があった。
武蔵であった。
伏見城
秋山九十郎は、近づいて来た武蔵が、黙って、両断された槍《やり》の穂先を、ひろい取るのを眺《なが》めて、眉宇《びう》をひそめた。
「なんの振舞いだ?」
九十郎は、険しい表情で、問うた。
「試合は、御辺《ごへん》が、この槍で、青木城左衛門の胸を貫いたので、終った筈《はず》だ。にも拘《かかわ》らず、御辺は、城左衛門の首を、刎ねた」
「それが、どうした」
「御辺の勝は、見苦しい」
「なにっ!」
「御辺は、対峙《たいじ》した時、青木城左衛門が、立ち合うに足らぬ老い衰えた対手《あいて》だ、と看《み》た筈だ。とすれば、せいぜい、差料をはじきとばす程度にとどめておくべきだったのだ。御辺は、兵法者としては、下等な男だ」
武蔵は、抑揚のない、かわいた声音で、九十郎をきめつけた。
九十郎のこめかみが、痙攣《けいれん》した。
まだ二十歳にも満たぬ、乞食《こじき》ていの若者に、容赦なく、真実を口にされて、九十郎は、内心|忸怩《じくじ》たるものがあった矢先だけに、かっと逆上した。
言葉にならぬ呶号《どごう》をあげざま、白刃を、大上段にふりかぶった。
その時、検分席から、石田家の家臣が、
「試合は、一騎討ちだぞ! 勝ち抜きではないっ! 引けっ!」
と、叫んだ。
すると、武蔵が、
「これは、試合ではござらぬ。敵討《かたきう》ちとお思い下され」
と、云いかえしておいて、
「城之助、入って来い」
と、叫んだ。
城之助が、駆け寄って来ると、武蔵は、槍の穂先を渡した。
「怯《お》じるな。まっしぐらに、突け!」
そう命じておいて、自身は、足早やに、九十郎の背後にまわって行った。
当然、九十郎は、背後に神経を配らざるを得なかった。
武蔵の姿を、視野のはしに容《い》れておくべく、九十郎は、地歩を移したが、それは、無駄《むだ》であった。九十郎が動くと同時に、武蔵も城之助も動き、三者をむすぶ直線は崩れなかった。
九十郎としては、少年の突進に備えるよりも、まず武蔵を刃圏外に置かねばならなかった。
ぱっと、五体を翻転させざま、九十郎は、武蔵めがけて、凄じい一撃をあびせた。
武蔵は、跳び退った。
城之助が、その隙《すき》に、懸命に奔《はし》った。
九十郎は、武蔵を刃圏外へ追った余裕を得て、突進して来た城之助に向きなおった。
その刹那《せつな》――。
武蔵が、かるがると、一間余を跳躍するや、九十郎の背中を、蹴《け》った。
のめった九十郎の胸めがけて、城之助は、渾身《こんしん》の力をこめて、穂先を突き出した。
「ううっ!」
九十郎は、背中まで貫かれて、それなり、立ち往生した。
城之助は、突き刺したまま、柄《え》をはなすことができず、九十郎の巨躯《きよく》を支えるかたちになったのである。
武蔵が、九十郎の襟首《えりくび》をつかんで、ひき倒すと、城之助は、柄から双手《もろて》をはなして、しりもちをついた。
武蔵は、その日の試合では、第十六番目に出場の予定にされていたが、勝手に敵討ちの助太刀をした咎《とが》で、取消された。
おのれがいま頃《ごろ》は試合をしていたであろう時刻、武蔵は、鴨川《かもがわ》に沿うた街道を、京へ向って歩いていた。
うしろに、城之助が、従っていた。
武蔵が連れたのではなく、城之助の方が跟《つ》いて来たのである。
武蔵が大股《おおまた》に歩く速度に、おくれないために、城之助は、時どき、小走りにならなければならなかった。
炙《あぶ》りつける午後の陽《ひ》ざしの下の道中であった。城之助の全身は、汗でずぶ濡《ぬ》れていた。
ふと――。
武蔵が足を停《と》めて、城之助を視《み》かえった。
城之助は、手の甲で、顔中の汗をぬぐい乍《なが》ら、仰いだ。
じっと瞶《みつ》めていたが、武蔵は、また、黙って歩き出した。
「ついて来るな!」
と、叱咤《しつた》しかけて、ふっと、八年前の自分の姿を、城之助にみとめたのである。
無二斎にともなわれて、京へ上って来た日のことが、なつかしいものに想《おも》い泛《うか》べられた。
――あの日の自分は、無二斎の庇護《ひご》の下に歩いていた。このわっぱは、父を喪《うしな》って、行きどころがなく、しかたなく、自分に、ついて来ているのだ。
武蔵は、すげなく、追いはらうわけには、いかなかった。
しかし、京の街に入ったならば、別れなければならぬ、と考えた。武蔵は、吉岡《よしおか》道場へ乗り込み、当主清十郎を撃ち負かして、その大看板を取る目的を持っていたのである。
伏見城を、彼方《かなた》に眺めるところまで来た時、街道上に、人が群れているのを、武蔵は、見出した。
近づいて行って、そこに木戸が設けられて、通行止めになっていることが、判《わか》った。
眺めていると、伏見側からは、通ることを許されているが、こちら側から入るのは、厳重に制限を加えられている模様であった。
およそ、百人以上も、そこに足止めをくらっていた。武蔵は、通してもらえないのが,殆《ほとん》ど武士ばかりであるのをみとめて、
――京に入るのは、あきらめなければならぬのか?
と、思った。
その折、伏見側から出て来た一人の雲水が、武蔵のわきを通りかかって、笠《かさ》の下から、
「ほう!」
と、声をあげた。
「そなたは、以前、平田無二斎に連れられていた――たしか、新免弁之助といった……あの少年が、成長したのではあるまいか?」
武蔵の方は、それが、沢庵《たくあん》であることが、すぐ判った。沢庵は、八年前とすこしも変らぬ貌《かお》をしていた。
しかし、武蔵は、なつかしい様子などすこしも示さず、黙って、頭を下げた。
「逞《たくま》しゅう育ったものじゃな。よほどの修業を積んだとみえる。……無二斎は、どうしたな?」
「逝《みまか》りました」
「そなたが、討ったのかな?」
沢庵は、興味深げに、訊《たず》ねた。
武蔵は、無二斎が自滅した時のありさまを、言葉すくなく、語った。
いくども、うなずいて、きいた沢庵は、
「いかにも、無二斎らしい最期《さいご》だの。……で、そなたは、いよいよ、日本一の兵法者になるべく、京へ上って来た、という次第かな?」
「吉岡道場の大看板を、取るつもりです」
「兵法者としては、あっぱれな意気込みじゃが、それは、いくさが終ってからのことにせねばなるまい」
「いくさは、もうすぐ、はじまりますか」
「明日にも、はじまろうな。いくさのまっ最中に、試合をして、たとえ勝っても、世間の評判にはなるまい。……天下が治ってから、それからのことにするがよかろう。どうせ、吉岡道場を敵とするなら、これは、生命《いのち》がけだから、その看板をはずす秋《とき》を考えたがよい。つまり、そなたの名を、日本中にひろめる秋をな」
「しかし、いくさは、はじまれば、五年も十年もつづくのではありますまいか」
「いや――」
沢庵は、かぶりを振った。
「天下分け目のいくさというものは、あんがい、かんたんに片がつくものじゃ。小ぜりあいは、しばらくつづくかも知れぬが、主軍が激突すれば、一日で終るに相違ない」
「………?」
武蔵は、沢庵の明快な予想を、なかば不審の気持で、きいた。
「それまで、待つのじゃな、吉岡との試合は――」
「…………」
「そうだ、そなたにとって、このたびのいくさは願ってもない好機じゃな」
「………?」
「せっかく、修業したその業前《わざまえ》を、戦場で、役立ててみせてはどうかな。どんな強者でも、敵にえらべるではないか」
「無名では、足軽にしか、やとってもらえますまい」
「足軽、結構ではないか。足軽は、侍大将を討ってはいかぬ、という掟《おきて》はない。あわよくば、総大将を討ち取って、功名を挙げることも、可能であろう。吉岡と試合するより、この方が、よほど、白刃の振り甲斐《がい》があると申すものじゃて」
沢庵は、そう云《い》って、笑った。
武蔵は、からかわれているとは、受けとらなかった。
「どちらへ、やとわれればよいか、お教え下され」
「ふむ。東軍か、それとも西軍か――この選択は、いささか、むつかしいの。どちらが、よかろうな?」
「和尚《おしよう》殿の予想では、どっちが勝ちますか?」
「それは、この坊主《ぼうず》にも、かるがるしく予断は許されぬ。……ただ、そなたが、総大将の首級を取ることができる、と考えて、取り甲斐のあるのは、徳川内府であろうな」
「…………」
「そなたが、徳川内府の首級を取れば、西軍に勝利をもたらす。そなたは、石田|治部少輔《じぶしようゆう》から、たぶん、数万石の大名にとりたてられよう」
「もし、徳川方にやとわれて、石田|三成《みつなり》の首級を取れば?」
「徳川内府は、足軽ごときやからの手柄《てがら》として、みとめてはくれまい」
「わかりました」
武蔵は、肚《はら》をきめた面持《おももち》になると、
「和尚殿、このわっぱをおあずかり下され」
と、たのんだ。
沢庵は、城之助を見やって、
「どこでひろったな?」
と、訊ねた。
武蔵は、事情を説明した。
沢庵は、快く承知した。
武蔵はすぐに、沢庵に別れを告げると、大坂へ向って、大股《おおまた》に歩き出した。
その後姿を見送って、沢庵は首を振った。
「この坊主のおだてかたが上手だったのか、それとも、あの若者が狂気の持主なのか――どうも、わからん」
徳川|家康《いえやす》と石田三成が、天下を争う合戦は、その年七月十九日薄暮から、火ぶたをきった。
家康の股肱《ここう》の臣・鳥居元忠《とりいもとただ》が守る伏見城を、宇喜多中納言秀家《うきたちゆうなごんひでいえ》、島津兵庫頭義弘《しまづひようごのかみよしひろ》、小早川《こばやかわ》中納言|秀秋《ひであき》、鍋島信濃守勝茂《なべしましなののかみかつしげ》ら諸将の兵が、攻撃したのである。
伏見城は、秀吉が最後に築いた城であった。
一瞥《いちべつ》、さして要害堅固とも思われぬ平城《ひらじろ》であったが、西軍がひとたび攻めかかってみると、これは、容易なことで陥落させられぬと判った。
東南の川、東北の谷が、守備の利を与えていたし、濠《ほり》も城壁も、銃撃攻防の工夫が為《な》されていた。
加えて、鳥居元忠以下城兵千八百余人は、のこらず三河出身で、徳川家に対する忠節心でこりかたまっていた。
十九日薄暮から開始された銃撃攻めは、二十日、二十一日と、次第に熾烈《しれつ》の度を加えたが、城兵は、いささかも屈せず、応戦した。
寄手は、城壁まで、肉薄しては、また退く攻撃を、いたずらにくりかえした。
二十二日、二十三日、二十四日、二十五日と、日は過ぎたが、戦況はすこしも変らなかった。
二十五日には、宇喜多秀家はじめ、諸将が、馳《は》せつけて来て、評定を開き、部署をあらためて、南方追手口を除き、すべての攻口を、大将自身が司令となって、督戦することになった。
さらに、大坂からは、小西行長《こにしゆきなが》、長曾我部盛親《ちようそかべもりちか》、毛利元康《もうりもとやす》、吉川広家《きつかわひろいえ》、毛利勝永、安国寺恵瓊《あんこくじえけい》らが、自身で兵を率いて来て、ぞくぞくと、攻囲に加わった。
その総兵数は、二十六日には、四万を越えた。
守将鳥居元忠としては、援軍ののぞみのない状況下で、この大軍に攻めかかられたのであるから、降伏か総討死か、いずれかをえらばなければならなかった。
元忠は、後者をえらび、城兵に覚悟をきめさせた。
二十六日、二十七日、二十八日と、四万の兵が総がかりに襲いかかったが、伏見城は、ビクともしなかった。
二十九日には、石田三成が、佐和山からやって来て、諸将を督励した。
晦日《みそか》の猛攻は、四回にも及んだが、なお、城の守備は堅かった。
攻防は、銃撃に終始した。
一度、島津の兵が、西北の極楽橋から、突入せんとして、白兵戦をくりひろげたが、城兵は死力をつくして撃退し、橋を落した。
攻囲軍は、どうあせっても、濠を渡って、城壁にとりつくことが、できなかった。
晦日の夜に入って攻囲軍は、銃撃を一時中止して、ひと息入れざるを得なかった。
東方に陣を布《し》いた宇喜多秀家の許《もと》に、石田三成をはじめ、諸将が合して評定がひらかれた。
陣屋の周囲には、無数の篝火《かがりび》が焚《た》かれ、士も兵も、なんとなく重苦しい沈黙を守って、評定の終るのを待っていた。
その中に、武蔵が、いた。
武蔵は、足軽ではなく、士分の扱いを受けて、足軽三人を家来として与えられていた。宇喜多軍に、新免伊賀守《しんめんいがのかみ》が、兵百七十人を率いて参加したと知って、その血族である武蔵は、新免隊に身を投じたのである。
武蔵は、この戦いで、まだ一度も、無反《むぞ》り三尺の長剣を抜いていなかった。
銃撃戦は、武蔵にとって、働く余地がなかった。
銃|一挺《いつちよう》が与えられていたが、武蔵は、足軽の一人に持たせて、自分は、ただ、眺《なが》めているばかりであった。
自分が働きを示すのは、城内に躍り込んだ時だ、と考えていた。
――鳥居元忠の首を、わしが、挙げてくれる!
それまで、待っているよりほかはなかった。
武蔵は、地べたに胡座《あぐら》をかいて、夜空にそびえる伏見城の天守閣を、眺め乍ら、
――いくさは、くだらぬ!
胸裡《きようり》で、その呟《つぶや》きを持っていた。
この十日間、銃撃戦に加わってみて、昨日まで鋤鍬《すきくわ》しか持たなかった百姓の次男三男の足軽も、五歳から一心不乱に兵法修業をした自分も、全く同じ状態で、弾丸を受けることが、次第に堪えられなくなっている武蔵であった。
一発の弾丸をくらえば、あっけなく、虫けらのように生命を落してしまうのであった。それでは、なんのために兵法修業をしたか、わからぬ。
武蔵は、そんなばかばかしい死にかたをしたくなかったのである。
首化粧
伏見城は、八月|朔日《ついたち》を以《もつ》て、陥落したが、これは、裏切りによるものであった。
城には、本丸のほかに、西丸、三の丸、松丸、名古屋丸、及び治部少輔丸があった。
このうち、名古屋丸と松丸を守っていたのは、甲賀|作左衛門《さくざえもん》、岩間光春、深尾清十郎であったが、いずれも、甲賀の忍び衆であった。甲賀の地下《じげ》ざむらいとして、その忍びの術を売っていたのが、家康に召出されて、徳川領の代官にとりたてられていた。伏見城の攻防が開始されてから、急遽《きゆうきよ》、馳せつけて来て、寄手の目をかすめて城内に入り、鳥居元忠の味方に加わったのである。
いわば、伏見城守備軍の中では、異質の隊であった。
攻めあぐんでいた寄手としては、この異質の隊を、裏切らせる方法を、考えたのである。
諸将評定の座で、石田三成が、そのことを云《い》い出して、思案の挙句、卑劣な手段がえらばれた。
甲賀忍び衆は、他所に知行地を与えられて、そこにおもむいていても、故郷に妻子を置いておくならわしを守っていた。そこで、その妻子を虜囚にしておいて、甲賀に在る忍び衆の一人をやとって、城内へ忍び込ませ、裏切りを迫らせたのであった。
「もし、内通をがえんじなければ、妻子一同を、城の大手門前で、磔《はりつけ》にするであろう」
この脅迫は、効果があった。
甲賀忍び衆は、やむなく、裏切りを約し、八月朔日の夜明け前、松丸、名古屋丸に放火し、五十余間にわたって、城壁を破壊した。
長束正家《なつかまさいえ》、小早川秀秋の兵が、破壊された城壁を、乗り越えた。
夜半から吹きつのった烈風が、寄手の攻撃に荷担して、城内の火勢をあおった。
城兵が、阿修羅《あしゆら》となって、城壁を乗り越えて来る敵を防いでいるすきに、鍋島勝茂の兵が、大手門を焼いて、鯨波を噴かせて、突入した。
松丸、名古屋丸を、朝陽《あさひ》が昇るとともに、奪った寄手は、一時、攻撃を中止して、鳥居元忠に、降伏をもとめた。
元忠は、それを拒否した。
寄手は、再び、攻撃を開始し、巳刻《みのこく》(午前十時)に至って、島津義弘の兵が、治部少輔丸に突入して、これを奪った。
半刻《はんとき》後には、天守閣が、燃えあがった。
守備の将士とその従兵は、次つぎと、部署を奪われるとともに、討死した。
鳥居元忠は、側近の家士から、
「もはや、これまででござる」
と、自決をすすめられたが、
「いや、まだだ!」
と、きき入れず、手兵二百を率いて、本丸から、奔《はし》り出た。
主将とその手兵の闘いぶりは、凄《すさま》じかった。これと激突したのは、小早川秀秋の兵であったが、みるみる斬《き》りたてられて、崩れた。
宮本武蔵は、いつの間にか、宇喜多勢からはなれて、小早川勢の中にいたが、
「あれが、鳥居元忠だぞっ! 討ちとれっ!」
という叫びをきくや、猛然と、元忠めがけて、突進した。
その突進ぶりは、敵の目にも味方の目にも、人間ばなれした奇怪なものに映った。
奔るよりも、跳ぶ方が多く、跳びざま、刀や槍《やり》をはねとばしておいて、敵の顔を襲った。
武蔵は、まだ、一兵も斬ってはいなかった。
斬るのは、主将鳥居元忠だけと、肚《はら》にきめて居《お》り、突進をはばもうとする敵兵に対しては、もっぱら、その顔面を蹴《け》って、仰倒させるにとどめた。
しかし――。
元忠を、十歩あまりむこうに視《み》た地点で、武蔵は、その手兵から十重の壁をつくられて、はじめて、無反り三尺の剣を、振わなければならなかった。
きえーっと、刃音が発する毎《ごと》に、手兵の首が刎《は》ね飛んだ。
しかし、武蔵が、いくら斬っても斬っても、十重の壁は、崩れなかった。その手兵は、元忠を守るために、すすんで、おのが首を、武蔵に提供するかのごとく、そこへ馳せ集ったからである。
その壁の厚さに、武蔵は、しだいに、あせりはじめた。
その折――。
後方から、鉄砲が撃ちかけられて、武蔵は、あやうく、味方の弾丸で、仆《たお》れるところであった。
地面に身を伏せた武蔵は、その手兵の壁が、どっと崩れるのを眺めて、思わず、
「ばかなっ!」
と、叫んだ。
鉄砲隊を引き具して、襲いかかったのは、雑賀重朝《さいがしげとも》であった。
雑賀重朝は、地面に伏せた武蔵の上を跳び越えて、
「鳥居元忠殿っ! 武辺《ぶへん》の|すわり《ヽヽヽ》場をえらばれい!」
と、叫んだ。
武蔵には、それが、どういう意味か、判《わか》らなかった。
ただ、自分の上を跳び越えた雑賀重朝に対して、無性に腹が立った。
躍り立ちざまに、重朝の脇《わき》を馳せ抜けて、元忠へ向って、突進した。
元忠は、重朝の叫びに応《こた》え、身をひるがえして、本丸へ退いて行こうとしていたが、その手兵は、再び壁をつくって、武蔵の突進をはばんだ。
武蔵は、さらに、十箇以上も、首を刎ねたが、ついに、元忠に追いつくことは、叶《かな》わなかった。
それから、四半刻も経《た》たないうちに、城内は、寄手の兵で、充満した。
本丸ひとつだけのこして、すべての丸が占拠された。
本丸にしりぞいた守兵は、十人から二十人が一隊となって、撃って出て来ては、ことごとく討死する、という凄惨《せいさん》な最期《さいご》ぶりを示した。
およそ、二百あまりの守兵が、そうして討死し果てた時、奇妙な静寂の一瞬がおとずれた。
――いまだ!
武蔵は、直感した。
風の迅《はや》さで、疾駆して、本丸の石段を中段まで登った刹那《せつな》、背後から、
「うつけ者っ!」
呶号《どごう》とともに、槍が投げつけられた。
身を沈めて、武蔵は、それを頭上に掠《かす》めさせて、
「なんだっ!」
と、振りかえった。
雑賀重朝が、そこにいた。
「あれが、見えぬか、うつけ者!」
指さされて、武蔵は、石段の上を仰いだ。
壇には、白木の台が据《す》えられ、その上に、同じく白木の折敷《おしき》(盆)が置かれ、勝栗《かちぐり》、昆布《こんぶ》、打蚫《うちあわび》の肴組《さかなぐみ》、そして盃《さかずき》の土器が、伏せて、のせてあった。
それが、出陣、凱陣《がいじん》に於《お》ける三献の儀式のための道具であることは、武蔵も、きき知っていた。しかし、陥落寸前に於いて、それが、持ち出されている意味を、武蔵は、とっさに、しかと判断しかねた。
台のうしろには、鹿《しか》の敷皮をかけた床几《しようぎ》が置かれ、それに、徳川家の家紋である葵《あおい》の紋章の入った旗が、突き立ててあった。
武蔵は、石段の中ほどに、足を釘《くぎ》づけにされた。
守兵は、もはや、一兵も、討って出ては来なかった。
やがて――。
本丸の奥から、どおん、どおん、どおん、と陣太鼓が、三打された。
それを待っていた雑賀重朝が、石段を登って来て、武蔵に、
「ついて参れ」
と、促した。
本丸内には、文字通り、死の静寂が占めていた。
いたるところに、守兵が、切腹して、俯《うつぶ》していた。
重朝は、まっすぐに、中門をくぐった。
そこから、また、石段がつづき、登りきった場所に、陣幕がめぐらしてあった。
その中に、俯していたのが、鳥居元忠であった。
重朝は、武蔵に、
「首を取れ」
と、命じた。
「…………」
武蔵は、切腹した主将の首を刎ねる役目に、抵抗をおぼえて、重朝を、睨《にら》みかえした。この部将に邪魔されたために、鳥居元忠を斬れなかった、という腹立ちが、まだ、心の裡《うち》にのこっていた。
「首を取れ!」
重朝は、重ねて鋭い語気で命じた。
武蔵は、むすっとした表情で、元忠の死体を起すと、幡連《ばれん》に凭《よ》りかけておき、正面から、無造作な一閃《いつせん》をはなった。
首は、宙へ飛んで、重朝の足元に落ちた。
「|おんし《ヽヽヽ》は、よくよく、作法を知らぬ野ざむらいだの」
重朝は、にがにがしげに、云った。
首を取るのは、後方から、のど皮一枚のこして、いわゆる抱き首に、斬り落すのが作法であった。すなわち、落される者自身が、おのが首を膝《ひざ》に抱くかたちになるのであった。
雑賀重朝は、しかし、武蔵が、元忠の首級を狙《ねら》った目ざましい働きぶりをみとめていて、
「|おんし《ヽヽヽ》を、大坂までの首持参人にしてやろう」
と、云った。
武蔵は、返辞をしなかった。
そこへ、一人の中年の女性《によしよう》が、柄《え》が左右についた黒塗りの桶《おけ》と、同じく黒塗りの函《はこ》をかかえて、どこからともなく、陣幕の中へ入って来た。
「お首の化粧の儀、お申しつけられませ」
そう願って、重朝に頭を下げた。
戦いが終れば、首実検というのが行なわれる。遠くまで送られると、季節によって、腐るのがはやい。そこで、これに化粧する慣習があった。
この女は、これまで、その任務《つとめ》をして来た者であろう。
首化粧は、送られて来た敵将の首にほどこして、実検する大将に、不快の念をすくなくさせる目的の仕事であった。
女は、城が陥落するにあたって、味方の主将の首が大坂城に送られる前に、化粧しておこう、と考えたのである。
おそらく、これが、この女の最後の勤めになるに相違ない。
戦国の時代に生まれた女性たちは、こうした大層気味のわるい慣習の中で、生きなければならなかったのである。
合戦がつづけば、城内にはこばれて来る敵首は、日毎に増える。それらに、首化粧するのが城住みの女性たちの任務のひとつであった。
腐りかけた首や、傷だらけの首を、洗い、頭髪をくしけずり、結いあげ、化粧する、という無気味な作業を、女性たちは、黙々として為《な》したのである。
「よい」
重朝は、許した。
「忝《かたじけ》のう存じます」
女は、元忠の首を、自分の膝へのせた。首と同じくらい蒼褪《あおざ》めた女の顔は、しかし、能面のように動かなかった。
黒塗り桶の水に、白の布をひたして、ゆっくりと、首を洗いはじめた。
元忠の顔は、矢傷を蒙《こうむ》っていた。
顔を洗いおわると、女は、頭髪を、水でしめらせて櫛《くし》で、梳《す》きあげた。その梳きかたも、いかにも、のろいものであった。
重朝も武蔵も、そしてその他の寄手の兵も、黙って、その作業を、見まもっていた。
女は、梳きあげた頭髪を、高くひきしぼって、そのもとどりを、畳み元結という白紙をたたんだ元結で、結び終えると、櫛の峰で、かるく、脳天を、四つ叩《たた》いた。
四は、死を意味し、これは、引導を渡す縁起であった。
次に、女は、函の蓋《ふた》をひらいて、化粧道具をならべた。
――くだらぬならわしだ!
眺め乍《なが》ら、武蔵は、胸の裡で、呟《つぶや》いた。
自分が、もし武将で、戦いに敗れて、首を取られ、女の手で、こんな首装束をほどこされることを、想像しただけで、腹が立った。
――死んだ人間は、すぐ、穴の中へ、投げ込まれるべきではないか。首実検などというくだらぬ慣習がのこっているから、こんな死恥をかかされるのだ。
変色した元忠の首が、白粉を塗られ、頬紅《ほおべに》を刷《は》かれ、口紅を差されて、みるみる生彩を帯びて来るのを、眺めているうちに、武蔵は、なにか叫びたい衝動をおぼえて、くるっと踵《きびす》をまわした。
「|おんし《ヽヽヽ》、どこへ行く?」
重朝が、咎《とが》めた。
「首持参人の儀、おことわりいたす」
武蔵は、云った。
「|おんし《ヽヽヽ》の働きぶりを、高名帳に記してやろう、と申して居るのだぞ」
「それがしは、鳥居元忠殿の首級《しるし》を挙げたわけではござらぬ」
「挙げては居らぬが、働きぶりは、高名帳に記してくれるに足りる」
「一番槍、一番首の手柄《てがら》もたて居り申さぬゆえ、高名帳に記して頂く名は、持ち申さぬ」
武蔵は、かるく一礼しておいて、さっさと、石段を降りた。
「埒外者《らちがいもの》よ」
重朝は、うとましげに、吐きすてた。
伏見城が全く陥落した未刻《ひつじのこく》(午後二時)過ぎ、武蔵は、宇喜多《うきた》軍新免|伊賀守《いがのかみ》隊からはなれて、一人で京の都への道をひろっていた。
五歳の正月から、今日まで、兵法独習にはげんで来た自分が、その業前《わざまえ》を、戦場で発揮しようとしたのは、愚かであった、とさとったのである。
――あの城攻めで、もし、わしが、はやって、一番駆けしようとしていたら、鉄砲に撃たれて、死んでいたかも知れぬのだ。
名ある士が、雑兵とともに、一発の弾丸をくらって、あっけなく討死してしまう光景を、武蔵は、一度ならず、目撃していた。
武蔵にとって、それは、まことに、ばかばかしい死にかたであった。
そして、また――。
せっかく、城内にくりひろげられた修羅場《しゆらば》で、敵の主将をみとめて、その首級を奪ってくれようと、鬼神のごとく襲いかかって行こうとしたのに、雑賀重朝によって、戦陣作法とやらを楯《たて》にとられて、はたせなかったのも、ばかばかしかった。
――戦さは、殺し合いではないか。作法もくそもあるものか。
武蔵は、もう合戦に加わるのは、まっぴらであった。
海賊
徳川|家康《いえやす》と石田|三成《みつなり》が、天下を分ける決戦は、沢庵《たくあん》が武蔵に予言した通り、たった半日を以《もつ》て、終った。
慶長五年九月十五日|辰刻《たつのこく》(午前八時)に、井伊直政《いいなおまさ》軍と宇喜多|秀家《ひでいえ》勢の間に、霧と雨の中で、戦いの火ぶたがきられ、未刻(午後二時)に及んで、東軍の勝利が、決定した。
その日――。
武蔵は、伊予国《いよのくに》の沖あいにちらばる島のひとつにいた。
漁夫の小屋が二十数軒、海辺にならんでいるばかりの小さな島であった。
摂津から、小舟を漕《こ》ぎ出して、讃岐《さぬき》沖を過ぎた武蔵は、なんとなく、この島へ流れついたかたちで、もう十日あまりが経《た》っていた。
武蔵は、漁夫たちに歓迎されないまま、山の中腹にある鎮守神の小さな社殿に、寐起《ねお》きしていた。
武蔵が、小舟を、浜辺へ着けた時、鐘が鳴らされ、各小屋から、男ばかりではなく、女子供までが、得物をつかんで、とび出して来たものであった。
自分は美作国《みまさかのくに》の地下牢人《じげろうにん》で、宮本武蔵といい、兵法修業で諸方を経巡《へめぐ》っている者だ、と云《い》ったが、漁夫たちは、肯《き》き入れず、即刻立ち去るように、云いたてた。
武蔵は、黙って、砂地へ降りた。
三人ばかりが、棒をふるって、撃ちかかって来たのを、武蔵は、ほとんど動きを示さずに、三本とも両断してみせた。その迅業《はやわざ》が、島に逗留《とうりゆう》することを、漁夫たちに黙認させた。
勿論《もちろん》、漁夫たちは、武蔵に、口もきかず、食糧の給与もこばんだ。
武蔵は、かなりの量の糒《ほしい》を持参していたので、山で鳥を獲《と》り、海で魚を釣《つ》れば、べつにその日その日をすごすのに不自由をしなかった。
この日の朝も、武蔵は、海上へ突出した巨岩の上に立って、竹竿《たけざお》をさしのべ、糸をたらしていた。
どういうものか、半刻《はんとき》近く、待っていても、魚は、かかって来なかった。
背後に、人の気配を察知して、振り向くと、岩蔭《いわかげ》に、すばやく、顔が、かくされた。
武蔵は、そこへ近づいた。
岩蔭に、身を縮めていたのは、十五、六の娘であった。
「魚がよく釣れる場所を、教えてくれ」
武蔵は、たのんだ。
娘は、じっと、武蔵を仰ぎ視《み》ていたが、
「たすけて、つかわされ!」
と、云った。
「………?」
「わっちは、海賊に、つれて行かれる。……たすけて、つかわされ!」
娘は、合掌した。
眉目《びもく》の整った、肌理《きめ》のこまかな、ういういしい娘であった。
「海賊が、来るのか?」
「はい。今日、来ます」
「どうして、連れて行かれるのだ?」
「今年は、わっちに番がまわって来たのじゃ」
「では、毎年、この島から、娘が一人ずつ、海賊に連れ去られるのか?」
「毎年じゃない。三年に、一人ずつ――」
娘は、武蔵の鋭い視線を受けとめていたが、急に、泪《なみだ》をわきあがらせて、嗚咽《おえつ》を怺《こら》えるために、肩を烈《はげ》しく上下させた。
「かしらの家へ、つれて行け」
武蔵が、云うと、娘は、かぶりを振った。
「わっちが、お前様に、たのんだことが知れたら、慍《おこ》られる」
漁夫たちは、海賊と、この契約をむすぶことによって、島の平和を保っているようであった。
「海賊は、お前を連れに、幾人やって来るのだ?」
「沖に、船を停《と》めて、四、五人が小舟で、やって来ます」
「船には、どれくらいの人数が、乗って居《お》るか、わかるか」
「百人じゃとも、二百人じゃとも、きいて居ります」
「…………」
武蔵は、宙へ視線を据《す》えて、ちょっと、思案していたが、娘をうながすと、歩き出した。
浜辺の村落では、騒動になっていた。
海賊にひき渡す人身御供《ひとみごくう》の|さき《ヽヽ》が、姿をかくしたのに、気がついたのである。
海賊がやって来るのは、正午であった。
|さき《ヽヽ》が、山の中にひそんでいるとすれば、それまでに、さがし出さねばならなかった。
「|さき《ヽヽ》が、首でも縊《くく》って居ったら、どうするぞ」
一人が、云い出し、皆は、顔を蒼《あお》ざめさせた。
島には、年頃《としごろ》の娘は、|さき《ヽヽ》以外には、いなかった。あとは十歳以下の少女ばかりであった。
「手分けして、さがし出すのじゃ。いそげ!」
島長《しまおさ》の指令で、一同は、山をめがけて奔《はし》った。
島長自身は、中風をわずらっていて、杖《つえ》にすがらなければ、歩行が困難であったので、一人、家に残った。
美しく凪《な》いだ海原を、かすむ目をほそめて、眺《なが》めやり乍《なが》ら、
「因果なことよのう」
と、歎息《たんそく》した。
三年に一人ずつ、この二十余年間に、七人の娘が、海賊の手に渡されていた。娘たちの運命が、どうなったか、島の者の耳には、風の便りにも、きこえて来ていなかった。
判《わか》っているのは、豊後《ぶんご》水道をへだてる海賊の本拠地へ、連れ去られることだけであった。
想像できるのは、そこで一妻多夫のくらしを送らされることであった。そして、幾年かの後、遠く南蛮へ、売られるのではあるまいか。
島長の視野の中へ、ゆっくりと、一個の人影が入って来て、朝陽《あさひ》を背負うて、庭に立った。
それが無理に島へ押し入って来た若い牢人者であるのをみとめて、島長は、眉宇をひそめた。
「海賊が、人身御供を受けとりに、やって来るそうだな」
武蔵が云った。
「お前様の与《あずか》り知らぬことじゃ」
「娘が、わしに、救いをもとめて来なければ、与り知らぬことだった」
島長は、武蔵の言葉に、いったん息をのんだが、あわてて、
「では、|さき《ヽヽ》は、鎮守様に、ひそんで居るのじゃな?」
と、いざり出た。
「お主らが、協力すれば、わしが、海賊を片づける」
武蔵は、云った。
「ば、ばかな! なにを、|こけ《ヽヽ》を云われるぞ!」
島長は、自由のきく片手を、烈しく振った。
やはりこの牢人者の逗留を黙認したのは、あやまっていた、という悔いが起った表情になり、
「海賊に、歯むかえば、この島の者は、み、みな殺しに遭う。小娘一人を贄《にえ》にするのは、しかたのないことなのじゃ。……よけいな邪魔だては、迷惑でござる」
と、拒絶した。
「てだてがある」
武蔵は、無表情で、云った。
「てだてなど、あろうはずがない」
「ある!」
「ない! ない! お前様は、どれほどの芸者《げいしや》か知らぬが、対手《あいて》は、海賊じゃ。勝てる道理がない。業自慢は、他所《よそ》で、みせなされ」
「わしは、やるときめたことは、やる」
「疫病神《やくびようがみ》じゃ」
島長は、吐きすてた。
正午――。
沖あいに停泊した黒い船から漕ぎ出された小舟が、まっすぐに、島へ進んで来た。
小舟には、四人の男が、乗っていた。
渚《なぎさ》へ、乗りあげると、一人が舳先《へさき》に立って、
「どうした、出迎えは居らんのか」
と、大声をあげた。
白砂と磯馴《そな》れ松が、ひろがっているばかりで、人影はひとつも見当らなかった。
三年前に、やって来た時には、島民全員が、出迎えたことを、海賊らは、知っていた。
「なんのざまだ。一人も、出迎えとらんとは――。土産をくれてやらんぞ」
四人は、葛籠《つづら》を持って、白砂へ降りると、松林へ近づいた。
武蔵が、木立の中に立って、かれらを待ち受けていた。
「なんだ?」
四人は、一斉《いつせい》に、目を光らせた。
武蔵は、なにも云わず、かれらが近づくままに、両手をだらりと下げていた。
「なんだ、おのれは?」
険しい語気で、訊《たず》ねかける正面の者に対して、武蔵の返辞は、目にもとまらぬ迅さの抜き討ちであった。
あとの三人が、なにか叫びたてて、ぱっと散ると、抜刀した。
武蔵は、一人へ向って、切先《きつさき》を突きつけた。
その背中めがけて、刃音が鳴った。
しかし、それは、武蔵の誘いであった。
横へ滑るまでは、振り向きもせず、宙を截《き》った敵が、たたらを踏んで来たのへ、ぞんぶんの胴薙《どうな》ぎをくれた。
その胴薙ぎを、弧線を描く閃光《せんこう》へ継続させるや、脇《わき》に構えた敵を、脳天から、ま二つに、斬《き》り下げた。
残った一人は、逃げ腰になった。
武蔵は、衄《ちぬ》れた無反《むぞ》り三尺の白刃を、片手に携《さ》げて、のそりと迫った。
「一人だけ、生き残ろうなどと、卑怯《ひきよう》な料簡《りようけん》を起すな」
「くそっ!」
海賊は、振りかぶった。
武蔵は、待っている。
「うぬがっ!」
猛然と斬りつけて来たのを、武蔵は、無造作に、すっとかわした。
位置がすりかわって、向きなおろうとした刹那《せつな》、武蔵の片手斬りが、その首を刎《は》ねた。
遠くで固唾《かたず》をのんでいた島民たちが、どよめいた。
小半刻過ぎて、小舟は、渚をはなれた。
四人の男に、一人の娘が、乗り込んでいた。
かれらの服装は、乗り着けて来た海賊どもの死体から剥《は》いだものであった。その一人は、武蔵であった。娘も|さき《ヽヽ》ではなく、若い漁夫であった。
艫《とも》の蔭には、七人あまりが、泳ぎ乍ら、跟《つ》いて行く。かれらは、それぞれ、鉈《なた》を背負うていた。
武蔵は、舳先にうずくまって、しだいに近づく黒い海賊船を、じっと見まもっていた。
船に、どれくらいの頭数がいるのか、見当もつかぬ。島長の推定では、五、六十人であろう、ということであった。
漁夫たちは、闘うすべを知らぬ。武蔵のたてたてだてが、海賊に看破《みやぶ》られたならば、武蔵一人が、海賊全員をむこうにまわして、阿修羅《あしゆら》とならねばならぬ。
そうなれば、生還は、百に一もおぼつかぬ、と知りつつ、武蔵の若い面貌《めんぼう》は、無表情であった。
さいわいに――。
舷《ふなばた》から、こちらを見下している者が一人もいなかった。
胴の間から、歌声と手拍子が、ひびいて来ているところから察して、酒盛りの最中に相違ない。
小舟は、海賊船の艫寄りの蔭に着いた。
跟いて泳いで来た七人が、すばやく、散って、水面から消えた。
闘うすべは知らぬが、鉈をふるって、船底へ穴をあけ、船を沈めることは、まかせられる漁夫たちであった。
いわゆる城攻め用の継梯子《つぎばしご》がおろされてあり、まず、武蔵が、それに、とりついた。
舷まで、登って、そっと、首をのぞけてみると、甲板上に、人影は見当らなかった。
武蔵は、小舟の四人に合図をしておいて、艫で、すばやく、持参した狼煙《のろし》の道具を据えて、燧石《ひうちいし》を打った。
黒煙が、むくむくと昇りはじめると、武蔵は、次に、胴の間の出入口のまわりに、鉄製の菱《ひし》を、いちめん撒《ま》きちらした。
島蔭から、狼煙の合図によって、六|艘《そう》の漁船が、漕ぎ出されるのと、胴の間が騒然となるのが、ほとんど同時であった。
海賊どもが、船底に、穴があけられたことに、気がついたのである。
武蔵は、菱をへだてて出入口に向かい立って、待ちかまえた。
最初の首がのぞいて、武蔵をみとめるや、なにか呶号《どごう》をあげて、とび出して来た。
武蔵は、菱を踏んでよろめいたところを、片手斬りに、仆《たお》した。
つづいて、二人が、躍り出て来たが、ともに、菱に足をとられて、ぶざまに、よろめいた。
武蔵は、たやすく、その二人を、討ち取った。
もうその時、船底へ、水は噴きあがって、船体は、右方へかたむきかかっていた。
「おいっ!」
頭《かしら》らしい首が、出入口から、凄《すご》い形相で、のぞいて、
「ど、どうしようというのだ?」
と、喚《わめ》いた。
「おのれらを、一人残らず、討ち取ってくれる」
武蔵は、冷やかにこたえた。
「ま、待てっ!」
頭は、片手を突き出した。
「もう、手おくれだ。観念しろ」
「待てっ! 話に応ずるぞ!」
「嗤《わら》わせるな。出て来い。一騎討ちをしてくれる」
「青二才め!」
頭は、すでに、そこに、菱が撒かれているのを知っていて、まず槍《やり》の長柄《ながえ》で、それを払っておいて、ぬっと出た。
武蔵は、槍に対して、青眼《せいがん》に構えた。
頭は、穂先をびくびくと痙攣《けいれん》させ乍ら、一撃を狙《ねら》った。
その手下どもが、ぞくぞくと、胴の間から、とび出して来た。
「ややあっ!」
頭が、鍛えあげた懸声もろとも、突きを放った。
武蔵は、その柄を両断しざま、頭の顔面を、斜めに、斬った。
手下どもは、頭を討たれるや、武蔵に襲いかかるのを止《や》めて、舷を躍り越えて宙へ飛んだ。
そこへ――。
漁船六艘が、島の漁夫全員をのせて、非常な速度で、近づいて来た。
漁夫たちの手には、銛《もり》が持たれていた。
竜神《りゆうじん》
およそ七十人の海賊を、その船もろとも、一挙に、海底の藻屑《もくず》にしてしまった勝利は、島民たちを、一昼夜も、うかれさわがせた。
十歳あまりの子供たちまでが、からだ中を真っ赤にして、酔いつぶれた。
海賊に反抗して、これと闘う、などということを夢にも考えたことのなかった島民たちであった。
ひとたび、闘ってみると、敵の半分に満たぬ頭数で、海賊どもをみなごろしにすることができたのである。あっけないくらいであった。
歓喜は、島長《しまおさ》の家の酒宴の座で、あさましい光景を呈した。
「次郎、お前は、銛で何人、ど突き殺したかい?」
「五人、いや、六人じゃ」
「よっしゃ。そのほうびに、わしの嬶《かか》を、抱かせてくれるわい。……おい、嬶、次郎に抱かれてやれ。次郎、遠慮するな、わしが許したのじゃ」
二十歳あまりの若者が、ちょっとしりごみするのを、三、四人の男が、よってたかって、子供の三人もいる女の上へ、のしかからせると、はやしたてた。
したたかに酔っている女は、
「ははは……、父《とと》の許しをもろうたのじゃ。次郎に、女を知らせてやる果報を、みんな、見てつかわされ」
と、大声をあげ乍《なが》ら、両脚をはねあげると、若者の腰をはさんだものであった。
犬や猫《ねこ》の|それ《ヽヽ》と、すこしもかわらぬ、きわめて素朴《そぼく》な営みが、満座の中で、はじめられると、漁夫たちは、そのまわりを、唄《うた》い乍ら、踊り狂った。
そのうちに、「わしの嬶と、おまえの嬶をとりかえるかや」と云い出す者も、出て、それは、たちまち、実行に移された。
一人として、拒む女は、いなかった。
なかには、五十に手のとどく女が、まだ十五、六の若者をとらえて、
「ほれ、お前も、女を知れや」
と、乳房をくわえさせ、片手を股間《こかん》へもぐらせる眺《なが》めもあった。
奇妙なことに――。
この勝利をもたらした最大の功績者である武蔵だけが、ぽつんと、上座にとりのこされた。
武蔵は、ただ、上座に据《す》えられているだけであった。
酒を飲むことを、武蔵自身が、拒絶して、素面《しらふ》でいるのは、渠《かれ》一人であったせいもあろうが、すすんで、からだを提供しようという女は、いなかった。
最大の功績者であっても、武蔵は、やはり他国者《よそもの》でしかなかった。
しかし、疎外《そがい》されていることに、武蔵は、なんの苦痛もなかった。自分の方から、親しく、猥雑《わいざつ》な空気に溶け込もうとする気持は、みじんもなかったからである。
島民たちに、恩をきせる気持もなかった。
黙って、冷たく、座敷にくりひろげられた十数組にものぼる本能の行為を、眺めているばかりであった。
武蔵のすぐ目の前では、隣家の女房の股《また》を思いきり押しひろげて、その陰部へ、顔をうずめている者がいた。
そのかたわらで、五、六歳の男の児《こ》が、官能の波のうねりに身もだえて呻《うめ》きたてる母親の表情を、きょとんと、見まもっていた。
武蔵は、その光景を、べつに、あさましいとも、見苦しいとも、感じてはいなかったし、興奮もおぼえてはいなかった。
やがて――。
ねぐらである鎮守神の社殿へ帰るべく、立ち上った。
庭へ降りたが、とどめる者は、いなかった。
坂路《さかみち》へさしかかった時、背後に、追うて来る者があった。
武蔵は、振りかえって、それが、|さき《ヽヽ》であるのをみとめた。
|さき《ヽヽ》は、島長から、従《つ》いて行け、と命じられた、と告げた。
そういえば、島長は、座敷には、姿を現してはいなかった。どうやら、心労で、病躯《びようく》の加減が、わるくなった模様であった。
「…………」
武蔵は、|さき《ヽヽ》を鋭く視《み》かえしたが、従いて来いとも、来るな、とも云《い》わずに、坂路を登って行った。
社殿に、戻ってみると、いつの間にか、夜具や食器や燭台《しよくだい》が、はこび込まれていた。島長の指図で、この|さき《ヽヽ》という娘が、はこんで来たものであろう。
|さき《ヽヽ》が、あらためて、両手をつかえて、
「海賊を退治して下されて、お礼を申し上げます」
と、頭を下げた。
武蔵は、島民の口から感謝の言葉を、きかされたのは、いまがはじめてであるのに、気がついた。
海賊船を沈め、波間を逃げまどう海賊どもを、一人のこらず、銛で突き殺しておいて、島へ漕《こ》ぎ戻る時から、武蔵だけは、狂喜の埒外《らちがい》に置かれていたのである。
浜辺に待っていた老人や女子や子供たちも、武蔵に対しては、目もくれなかった。
武蔵は、さっさと一人はなれて、社殿へ帰って行き、|さき《ヽヽ》の迎えで、島長の家へ降りて、酒宴に加わったのであった。
武蔵が、座敷に姿を現した時は、もう全員が酔っぱらっていて、誰も、上座に坐《すわ》った渠に気がつかぬていたらくであった。
「わっちが、今日から、お前様のお世話をします」
|さき《ヽヽ》は、申し出た。
「世話は、要らぬ」
武蔵は、こたえた。
「させて下され」
|さき《ヽヽ》は、けんめいな眼眸《まなざし》を、すがらせた。
「要らぬ!」
武蔵の返辞は、|にべ《ヽヽ》もなかった。
「させて下さらぬと、長の爺様に、叱《しか》られます」
「わしが、要らぬ、と申したと、長につたえろ」
すると、|さき《ヽヽ》が、にわかに、双眸《そうぼう》に泪《なみだ》をあふらせた。
「わっちが、お世話をしたいのでございます」
「…………」
「させて下され。おたのみ申します」
「恩がえしか」
「お世話するぐらいでは、恩がえしにはならんのじゃけど……、一生懸命、お世話しますから、させて下され」
|さき《ヽヽ》のけなげな様子は、島長の家でうかれさわいでいる島民たちの無礼な態度と、きわめて対蹠《たいしよ》的であった。武蔵は、これ以上冷たく拒否することはできなかった。
その夜、|さき《ヽヽ》は、武蔵と牀《とこ》をならべて、やすんだが、燭台のあかりを消してから、しばらくして、
「わっちを、抱いて下されても、よいのじゃけど……」
呟《つぶや》くように、云った。
しかし、武蔵は、ねむっているのかいないのか、なんの返辞もしなかった。
|さき《ヽヽ》は、それから一刻《いつとき》以上も、闇《やみ》に眸子《ひとみ》をひらいて、待っていた。武蔵は、身じろぎもせず、寐息《ねいき》さえも、きかせなかった。
十八歳の武蔵に、欲情が起らなかったわけではなかった。堪えたのである。
釣《つ》りあげたままになっていた蔀《しとみ》から、夜明けのあわあわとしたあかりがさして来た時、武蔵は、不意に、身を起した。
その表情は、欲情に堪えかねた険しい色を刷《は》いていた。
鋭い眼眸を、隣りの牀へ向けた武蔵は、ぐっすりと睡《ねむ》り入っている|さき《ヽヽ》の寐顔を、しばらく、凝視していた。
寐顔は、あどけなく、やすらかであった。
それを凝視しているうちに、武蔵の気持は、平静をとりもどした。
|さき《ヽヽ》が目をさました時、武蔵の姿は、牀の中になかった。
芋粥《いもがゆ》が煮えた頃《ころ》、武蔵は、ふらりと戻って来た。その手には、雉《きじ》が携《さ》げられていた。
黙々として健啖《けんたん》ぶりをみせる武蔵を、|さき《ヽヽ》は、見まもり乍ら、
「お前様が、島長になって下されば、よいのじゃけど……」
と、云った。
「…………」
「ずっと、この島に逗留《とうりゆう》して下さいますか?」
|さき《ヽヽ》は、訊《たず》ねた。
「明日、出て行く」
武蔵は、冷たい語気で、こたえた。
「え? 明日、去《い》なれるのですか?」
|さき《ヽヽ》は、おどろいて、声音を高いものにした。
「うむ。明日、出て行く」
「どうして――? どうして、去なれるのじゃ? みんなが、お前様をすげのうするので、いやになられたのですか?」
「いや、こんな島に、いつまで逗留していても、なにもならんからだ」
「…………」
|さき《ヽヽ》は、俯《うつむ》いた。
武蔵は、|さき《ヽヽ》の頬《ほお》を、泪がつたい落ちるのを、みとめたが、なにも云わなかった。
|さき《ヽヽ》が、漁夫の娘らしく、今夜は大時化《おおしけ》になる、と予言して、せっせと社殿を防備しはじめたのは、まだ午《ひる》になったばかりであった。
武蔵が、空や海原を眺めても、べつに、その気配はなかった。
風がすこしばかりつよく吹きつけているだけであった。
一刻も経《た》たぬうちに、武蔵は、|さき《ヽヽ》の予言が正しかったのを、知らされた。
晴れわたっていた空が、あっという間に、鉛色の厚い重い雲で掩《おお》われ、海原もまた色を変えた。
波浪はさほど高くなった、とは見えなかったが、海鳴りが無気味にたかまって来た。
「こんなおそろしい景色になったのは、はじめてじゃ」
蔀の隙間《すきま》から、眺めて、|さき《ヽヽ》が、呟いた。
島長が、漁夫の一人に、背負われて、山へ登って来たのは、吹きつのる烈風に、雨がともなった頃合であった。
ずぶ濡《ぬ》れになって、武蔵の前に坐った島長は、喘《あえ》ぎ乍ら、
「竜神が、怒られた」
と、云った。
「…………」
武蔵は、島長が半身不随の身を、わざわざ、ここへはこんで来た理由が、判《わか》らぬままに、その必死な形相を、見まもった。
「竜神のお怒りを、しずめなければならんのじゃ」
島長は、そう云って、|さき《ヽヽ》へ視線を移した。
「|さき《ヽヽ》、竜神のお怒りをしずめるために、料簡《りようけん》を加えにゃならん。……ききわけてくれよのう」
その言葉をきいて、武蔵は、合点した。
武蔵は、島長に従いて来た五人の漁夫の、石のように固い冷たい面貌《めんぼう》を、視やった。
|さき《ヽヽ》が、その場に、哭《な》き伏した。
「|さき《ヽヽ》、しようがないわい。覚悟をしてくれよのう」
島長は、頭を下げた。
|さき《ヽヽ》は、俯《うつぶ》したままで、激しく、頭を横に振った。
武蔵が、口をひらいた。
「お主らは、海賊どもを海底へ沈めて、けがしたので、竜神が怒った、と思って居《お》るらしいが、阿呆《あほ》らしい」
「阿呆らしいじゃと!」
島長はじめ、漁夫たちは、武蔵を睨《にら》みつけた。
「海賊どもを沈めなくても、これぐらいの時化は、四、五年に一度は、襲って来るだろうに――」
「ただの時化ではないのじゃ。すてておけば、わしらの小屋は、ぜんぶ、波に呑《の》まれてしまう!こんな大時化は、はじめてじゃ」
「この娘を、海へほうり込めば、時化はおさまる、とお主らは、本気で考えているのか」
武蔵は、薄ら笑った。
「|さき《ヽヽ》を、おとなしゅう、海賊に渡しておけば、こんなことにはならなかったのじゃ」
外で唸《うな》りたてる烈風は、たしかに、島民たちにそんな後悔を起させるくらい、凄《すさま》じかった。
その唸りはまだ間歇《かんけつ》であったが、夜に入れば、どんな荒れ狂いぶりを示すか、かれらには、容易に予想がつくのである。
「|さき《ヽヽ》を、人身御供《ひとみごくう》にすることは、ことわる!」
武蔵は、きっぱりと云った。
「お前様は、他国者じゃ! 口出しはせんでおいてもらおう」
「お主は、|さき《ヽヽ》を、おれに、くれた。|さき《ヽヽ》は、おれのものだ。お主らが、勝手に、|さき《ヽヽ》を海にほうり込むことは、許さぬ!」
「|さき《ヽヽ》を竜神に捧《ささ》げにゃ、この大時化は、しずまらんのじゃ。ききわけてつかわされ」
島長は、両手をついて、ねがった。
その時、|さき《ヽヽ》が、身を起した。
「わっちは、覚悟しました。竜神のところへ行きます」
「おお、ようききわけてくれた。……|さき《ヽヽ》、この通りじゃ」
島長は、合掌してみせた。うしろの漁夫たちも、合掌した。
「待て!」
武蔵が、さえぎった。
「|さき《ヽヽ》の代りに、おれが、人身御供になってくれよう」
「…………」
一同は、あっけにとられて、武蔵を視た。
「海賊どもを、海底へ沈めたのは、この宮本武蔵だ。……竜神というものが、その海底にいるなら、おれが、行って、仔細《しさい》を述べてくれる。|さき《ヽヽ》を人身御供にするよりは、その方が、理窟《りくつ》にかなって居るではないか」
「…………」
「もし、どうしても、|さき《ヽヽ》を海へほうり込む、というのなら、おれは、お主ら島民全員をむこうにまわして、闘うぞ!」
そう云いはなって、武蔵は、立ち上った。
島長が、漁夫たちをふりかえって、武蔵の申し出を容《い》れる旨《むね》を、告げた。反対者は、いなかった。
この島の鬼門は、外側に突出した小さな岬《みさき》であった。浜辺からのぞむと、恰度天狗《ちようどてんぐ》の首が海面上へ、さしのばされている形状を呈して居り、島民たちは、おそれて近づかなかった。
風雨にたたきつけられる磯馴《そな》れ松の林の中に、ひとかたまりになって、息を殺した島民たちは、昏《く》れのこって、黒い影になった天狗の首の、その長い鼻の上から、武蔵が、身を躍らせて、荒れ狂う波浪の中へ落下するのを、見とどけた。
別離
まるで、生きた襤褸《ぼろ》であった。
顔面も頸《くび》も、胸も腹も、腕も脚も、いたるところ、傷だらけで、文字通り満身|創痍《そうい》であった。
そのほとんどは、擦過傷であったが、頬《ほお》や手くびには、柘榴《ざくろ》のような裂傷もつくられていた。
裂けちぎれた衣服は、肩や腰に、くっついているだけであった。
胸はなお、|※[#「韋+備のつくり」]《ふいご》のように、烈《はげ》しく上下しつづけていた。
さし込んで来た朝陽《あさひ》が、その無慚《むざん》な顔面に当っている。
|さき《ヽヽ》が、その寐顔《ねがお》を、凝視している。
|さき《ヽヽ》は、昨夜、武蔵が、この社殿から出て行ったのち、鎮守神に祈りはじめて、朝までまんじりともせずに、合掌の姿勢を崩さなかった。
扉《とびら》が、烈しい音をたててひらかれ、人が崩れ込んで来たので、振りかえると、それが、生きた襤褸となった武蔵であった。
大時化の海原へ、身を投じた武蔵が、その波浪の底から、陸へ匍《は》いあがり、人手の扶《たすけ》もかりずに、この社殿まで、戻り着いたのである。
|さき《ヽヽ》には、鎮守神のお加護としか考えられなかった。
武蔵が岬の天狗岩から飛び込んだのは、颱風《たいふう》の最も荒れ狂った頃合《ころあい》であった。島民のうちで、誰一人、渠《かれ》が生きて戻って来ると思った者はいなかった。
|さき《ヽヽ》一人が、祈願をこめたのであるが、彼女自身とても、ただひたすら奇蹟《きせき》の起るのを待ったばかりであった。
その奇蹟が、まさしく起ったのである。
武蔵は、擦過傷と裂傷を蒙《こうむ》っただけで、四肢《しし》も折らず、目もつぶれず、どうやら内臓もこわれずに、帰って来た。
倒れ込んだ瞬間、体力も気力も尽きはてて喘《あえ》ぎのみを、|さき《ヽヽ》に示したのであった。
|さき《ヽヽ》の細腕では延べた寐具へ移すこともできなかった。
|さき《ヽヽ》にできたのは、その無数の傷へ、薬を塗りつけてやることだけで、あとは、息をのんで、寐顔を見まもっているよりほかに、すべはなかった。
その喘ぎが停《とま》った時、息をひき取ってしまうのではあるまいか、という危惧《きぐ》が|さき《ヽヽ》の心をとらえていた。
もう一刻《いつとき》以上が、経《た》っているのである。
「も、もし――」
|さき《ヽヽ》は、そっと、上下する逞《たくま》しい胸へ、片掌《かたて》をふれさせた。
「もし――武蔵様! ……もし!」
けんめいに呼ぶと、はじめて、閉じた目蓋《まぶた》が、微《かす》かに痙攣《けいれん》した。
「武蔵様! ……お粥《かゆ》を、召し上って下され!」
|さき《ヽヽ》は、たのんだ。
木椀《きまり》に盛って、枕《まくら》もとに置いてある芋粥は、もう冷えていた。
武蔵は、目蓋をひらいた。双眸《そうぼう》は、充血していた。
「……勝った!」
その呟《つぶや》きが、もらされた。
|さき《ヽヽ》は、武蔵を、かかえ起した。
とたん、武蔵は、おびただしく、汐水《しおみず》を吐いた。
しかし、汐水を吐いたことで、武蔵は、はっきりと意識をよみがえらせた。
指二本、口腔《こうこう》の奥へ突き入れて、汐水をのこらず吐き出してしまうと、しばらく、仰臥《ぎようが》して、宙へ眼眸《まなざし》を送っていた。
それから、自身でむくっと起きあがると、|さき《ヽヽ》があたためなおした芋粥を、すすった。
その時、漁夫の一人が、|さき《ヽヽ》を迎えに来て、はじめて、武蔵の生還を知って、仰天すると、大声をあげて叫びたて乍《なが》ら、海辺へ駆け降りて行った。
ほどなく――。
島長《しまおさ》が、背負われて、山へ登って来た。
「お前様のおかげで、竜神《りゆうじん》がお怒りをしずめて下されて、忝《かたじけ》のうござりました」
島長は、礼をのべて、平伏した。
境内には、一人残らず、島民が集って来た。
海辺にならんだ二十数軒の小屋は、倒壊からまぬがれたのであった。波浪に奪われた舟は、たった一|艘《そう》だけであった。
まるで、昨夜の颱風は、悪夢ででもあったかのように、今朝は、美しく晴れて、凪《な》いでいた。
武蔵は、島長を見据《みす》えて、
「海の底には、竜神などは、居らなかった」
と、云った。
「いいや、お前様は、わしらを、救うて下された。まちがいないことじゃ。このご恩は、子孫につたえて、忘れ申さぬ」
島長は、境内に詰めた島民たちをふりかえると、
「お礼を申せや」
と、促した。
六十余人の老若男女は、合掌すると、一斉《いつせい》に、念仏をとなえはじめた。
「止《よ》せっ!」
武蔵が、一喝《いつかつ》した。
島民たちは、沈黙した。
「ことわっておくが、わしは、お主らを救うために、海へとび込んだのではない。また、この娘が、人身御供《ひとみごくう》にされるのをふびんに思うて、身代りになってやったのでもない。勝手に、わしから救われたなどと、思いちがいをするな。……わしは、ちょうどよい機会だから、自分の体力と運を、ためしたまでだ。大時化と勝負してやったのだ。勝負して、勝ったのだ。……わかったか。わかったら、もう、去《い》んでくれ」
「|さき《ヽヽ》――」
武蔵が、呼んだ。
あかりを消して、牀《とこ》に就いてから、半刻以上も経っていた。
「はい――」
|さき《ヽヽ》は、昨夜一睡もしていないにも拘《かかわ》らず、なお、睡魔におそわれてはいなかった。
「お前は、竜神のところへ行くと、肚《はら》をきめた時、すこしも、おそろしゅうはなかったのか?」
武蔵は、訊《たず》ねた。
「しかたがない、と思いました」
「あきらめた、というのか?」
「はい」
「しかし、お前は、海賊の手に渡されるのが怕《こお》うて、わしに、助けを乞《こ》うたではないか?」
「あの時は、死んでも、いやだ、と思いましたのです」
「海賊の手に渡されても、殺されはしないのだぞ。荒海へほうり込まれたら、死んでしまったではないか」
「…………」
「死ぬことの方に、覚悟をきめることができたとは、どうしても解《げ》せぬ」
「…………」
「お前のような、まだ十六の小娘に、どうして、死ぬ覚悟ができたのか」
「…………」
「わしは、岬の天狗岩からとび込む時、死ぬ覚悟など、しては居《お》らなんだぞ。必ず生きて還《かえ》ってやる、という気持しかなかった。……わしは、死ぬ覚悟など、老いぼれて死期を迎えても、できはせん、と思っている」
「…………」
「わしよりも、お前の方が、強いのか?」
「いいえ! そんなことはありませんです。武蔵様ほど強い御仁《おひと》は、日本中に居りません。……わっちは、あの時、ただ、しかたがないから、あきらめただけです」
「本当に、ただ、しかたがないから、あきらめただけだったのか?」
武蔵の語気は、|さき《ヽヽ》に嘘《うそ》をつかせまいと、鋭いものになった。
|さき《ヽヽ》は、しばらく沈黙を置いてから、ひくい声音で、
「本当は……」
「本当は?」
「わっちは、長の爺様はじめ、みんなが、憎かったのです」
「ふむ!」
「あの時、長の爺様は、こう云いました。|さき《ヽヽ》を、おとなしゅう、海賊に渡しておけば、こんなことにならなかった。……それをきいた時、わっちは、長の爺様を、殺してやりたいほど、憎うなりました。……武蔵様のおちからで、海賊を退治してもろうたら、みんな、有頂天になって、うかれて、さわいだくせに、時化《しけ》が来たら、急に、海賊を海底へ沈めたので竜神が怒られた、とふるえあがって、海賊を退治したことを後悔したりして……。こんな男らしゅうない卑怯者《ひきようもの》が島の長かと思うと、わっちは、こんな島で生まれて育ったのが、はずかしゅうなったのです。……わっちには、貴方《あなた》様が、どんなに立派なおさむらいかということが、判《わか》りました。それじゃによって、わっちは、死んでくれよう、と覚悟をきめたのです。貴方様に、わっちが、立派に死ぬところを、見て欲しかったのです」
「…………」
「貴方様が、生きて戻らなかったら、わっちは、やっぱり、あの天狗岩から、とび込んで、死ぬつもりでした」
「…………」
「武蔵様!」
|さき《ヽヽ》は、闇《やみ》のなかで、武蔵の手をさぐりもとめた。
武蔵は、|さき《ヽヽ》に手をにぎられるにまかせて、微動もしなかった。
|さき《ヽヽ》が示した娘心の綾《あや》の微妙さは、武蔵を、とまどわせていた。
武蔵にとって、それは、生まれてはじめて知らされた女子《おなご》の恋情であった。|さき《ヽヽ》は、島長を憎悪《ぞうお》することによって、恋情を燃やしたのである。
――女子とは、こういうものなのか!
女子は、男を恋すると、死ぬ覚悟ができるのだ。
――おれは、女を恋しても、その女のために死ぬ覚悟など、できぬ。
武蔵は、全身の疼痛《とうつう》も忘れて、自分に呟いた。
十日後、武蔵は、その島を、離れた。
その前夜、武蔵は、|さき《ヽヽ》を抱いた。
それは、ごく自然なむすばれかたであった。どちらも、言葉としなかった。いつとなく、手と手がふれ、武蔵が、引き寄せ、|さき《ヽヽ》が、その胸の中に入ったのであった。
|さき《ヽヽ》は、男が体内に押し入って来た瞬間、小さな呻《うめ》きをあげて、その痛みに堪えた。
武蔵は、したたかな精気の放射を終えて、|さき《ヽヽ》の上からはなれる時、ひくく、
「ゆるせ」
と、云《い》った。
明日は、|さき《ヽヽ》をすてて、島を去ることを、詫《わ》びたのである。
この島に流れついた時に、漕《こ》いでいた同じ小舟で、武蔵がはなれたのは、岬《みさき》の天狗岩《てんぐいわ》の下からであった。
見送ったのは、|さき《ヽヽ》ただ一人であった。
|さき《ヽヽ》は、天狗の首の、颱風の夜、武蔵がとび込んだその長い鼻の上に、佇立《ちよりつ》していた。
そこに立って、見送ってくれ、と所望したのは、武蔵であった。
「しかし、お前は、決してとび込んではならぬぞ」
武蔵は、かたく約束させておいた。
はるかな高処《たかみ》に佇立する|さき《ヽヽ》の姿を仰ぎ乍ら、武蔵は、ゆっくりと、小舟を漕いだ。
武蔵は、ひとつの賭《かけ》をしていた。
最後の朝餉《あさげ》を摂《と》り了《お》えた時、武蔵は、|さき《ヽヽ》に、云ったのである。
「わしは、いつの日にか、また、この島へやって来るとは、約束できぬ。二度と再び、お前に、逢《あ》えぬかも知れぬ。……しかし、わしは、生涯《しようがい》、妻は持たぬ。これだけは、約束できる」
それから、見送りは、お前一人で、天狗岩の鼻の上に立って、してくれ、とたのんだのであった。
|さき《ヽヽ》は、泣かなかった。
ただ、
「行っておいでなされませ」
と、両手をつかえて、頭を下げた。
武蔵は、湖面のような海上に、単調な艪音《ろおと》をひびかせ乍ら、しだいに、沖へ出た。
視線は、依然として、|さき《ヽヽ》の姿へ、当てていた。
その姿が、小さくなるにつれて、武蔵ははじめて微かな胸の痛みをおぼえた。
もう一度、島へひきかえして、|さき《ヽヽ》を抱きしめてやりたい衝動が起った。
その衝動が、ふっと、不吉な予感になった。
「|さき《ヽヽ》っ!」
武蔵は、十八歳の若者らしい叫びをはりあげた。
「生きて居れよ! また、逢うぞ! 島へもどって行くぞ!」
しかし、その叫びは、どうやら、|さき《ヽヽ》の耳にとどかぬ距離になっていた。
武蔵は、生きて居れよ、と叫びつづけた。
しかし――。
「ああっ!」
武蔵は、双眸をひき剥《む》いた。
天狗岩の鼻の上から、その小さな姿が、はなれて、すうっと、海へ落下する光景を、武蔵は、目撃しなければならなかった。
いちどは、錯覚かと、わが目をうたがった。
錯覚ではなかった。
天狗岩の鼻の上には、もはや、その姿は、なくなっていた。
「ばかっ!」
武蔵は、絶叫した。
「|さき《ヽヽ》のばかっ!」
武蔵の双眸から、どっと泪《なみだ》があふれ出た。
頬《ほお》を流れるにまかせて、武蔵は、漕ぎつづけた。
武蔵は、賭にやぶれたのである。
やはり、|さき《ヽヽ》は、そこから、身を投げてしまった。
名状しがたい悔いが、武蔵の胸を噛《か》んだ。
「|さき《ヽヽ》のばか! 死んで、なにになるんだ! 生きて居れよ、とあれほど、云うたのに……ばかが! ばかな奴《やつ》だ!」
武蔵は、|さき《ヽヽ》の姿が、小さく点になってしまうのを期待していたのである。
武蔵の身勝手な期待であった。
|さき《ヽヽ》は、やはり、身心を与えた男が、永久に、去ってしまうのに、堪えられなかったのだ。
もしかすれば、|さき《ヽヽ》は、朝餉の時、武蔵から、別離を告げられると、すぐ、死ぬ覚悟をしたのかも知れなかった。
武蔵は、|さき《ヽヽ》に、その死場所を、指定してやったことになる。
――もしかすれば?
武蔵の脳裡《のうり》を、おそろしい思いが、掠《かす》めた。
――|さき《ヽヽ》は、わしから、あそこで見送ってくれ、と云われた時、そこからとび込んで死ね、と云われたと受けとったのではあるまいか?
武蔵は、あわてて、その思いをふりはらうと、狂ったように漕いだ。漕ぐことしか、いまの武蔵には、為《な》すすべはなかったのである。
独楽《こま》
鋭い唸《うな》りを発して、一個の独楽が、五月晴《さつきば》れの空中へ、翔《か》けあがった。
翔けあがるとともに、澄んだ宙に、それは溶け入って、見えなくなり、ただ、唸りだけがひびいていたが、やがて、落ちて来た。
独楽は、まるで生きもののように、鴨川《かもがわ》沿いの街道を大股《おおまた》に歩いて行くおのれを投げあげた所有主の肩へ、ひょいととまって、なお、しばらく、廻《まわ》っていた。
コトリ、と停止して、傾いたが、肩からは落ちなかった。
独楽をそのまま、肩にとまらせて、大股に歩くのは、二十歳ばかりの若者であった。
五尺そこそこの小兵だが、おそろしく胸が厚い。双眼が普通人の二倍はあろう。それが、極端に左右へひらいているのが、愛嬌《あいきよう》になっている。
筒袖《つつそで》に、葛袴《くずばかま》をはき、小刀を腰に帯びていた。
連れがいた。
同年配の娘であるが、若者より三寸ばかり上背があった。双眸《そうぼう》が、糸のように細いのも、対蹠《たいしよ》的であった。貌《かお》だちは、むしろ整って、好みによっては、美しいと視《み》るむきもいるであろう。桂包《かつらづつ》みという頭巾《ずきん》の白地にも負けぬほど、色白で、ぽってりと肉《しし》のりがゆたかであった。
「のう……、その独楽を、売れば、小さな家が買えたのに――」
娘は、云《い》った。
「ばかをぬかせ。この独楽は、わしが生涯《しようがい》の伴侶《はんりよ》じゃ」
「生涯の伴侶は、|うち《ヽヽ》ではないのかえ?」
「万寿《ます》、お前は、この独楽に、やきもちを焼いて居《お》るのか」
「そうじゃないけど、そんな独楽なんぞ、七助《ななすけ》殿の器用さなら、なんぼでも、作れる、と思うがな。……せっかく、あの店で、それを高う買《こ》うてやる、というてくれたのに、手ばなそうとせんのは、どういう料簡《りようけん》かのう」
「この独楽は、わしが、いのちを入れてくれて居るわい。いのちを入れる独楽など、一生のうち、ひとつか二つしか、作れはせん。……神楽笛《かぐらぶえ》と鳥皮沓《とりかわぐつ》と鷺足《さぎあし》の鏡筥《かがみばこ》を売った代金だけで、万寿は、満足せんのか」
「|うち《ヽヽ》は、鏡筥をのこして、代りに、その独楽を手ばなせばええ、と思うただけじゃ」
「やっぱり、お前は、この独楽に、やきもちを焼いて居るわい」
七助と呼ばれた若者は、肩から独楽を取ると、くるくる細い麻紐《あさひも》を巻きつけ、
「ほれっ! 万寿を笑うてやれ」
と、空高く、投げあげた。
すがたを消して、唸っていた独楽は、主人の命令に忠実に、万寿の頭上へ、落ちて来た。
「いやっ!」
桂包みのあたまを、振って、万寿は、逃げた。
七助は、笑い乍《なが》ら、片掌《かたて》に受けとめた。
「万寿、お前は、すこし欲が深すぎる」
「なにを云われるぞ。|うち《ヽヽ》は、この京の片隅《かたすみ》に、小さな家を持って、お前と、つつましい夫婦ぐらしをしたいだけなのじゃ。ほんのささやかなのぞみしか持っては居りませんがな。女子《おなご》の幸せなんて、男とちごうて、小さな家と、優しい良人《おつと》と、子供が二人――男の子と女の子があれば、それでもう、充分……」
「止《よ》せ!」
七助は、急に、険しい語気で、万寿の言葉を、さえぎった。
「わしが、淡路島をすてて、京へ出て来たのは、鳴門流《なるとりゆう》兵法の名を天下に挙げる目的なのだぞ。……お前は、わしが駄目《だめ》だ、というのに、無理矢理くっついて来た女子じゃということを忘れたか。……家作りや子供作りは、十年もさきの話だ。阿呆《あほ》らしい! わしのそばにいられることだけでも、幸せと思え!」
「…………」
万寿は、ちょっと、うらめしげに、七助の横顔を、見下したが、黙って、その頭髪にくっついているごみを取ってやった。
「おっ!」
街道から、葦《あし》のしげった岸辺へ降りかけて、七助は、その巨《おお》きな双眸を、さらに大きくひき剥《む》いた。
淡路島から、漕《こ》いで来た舟を、そこに、もやってあったが、見知らぬ男が、勝手に乗っているのを、みとめたのであった。
勝手に乗っているだけでなく、艫《とも》に腰を据《す》えて、悠々《ゆうゆう》と、小刀で削っているのは、不埒《ふらち》なことに、わが舟の艪《ろ》なのであった。
「おどれがっ!」
七助は、斜面をすべり降りると、鳥のように、葦の上を跳んで、舳先《へさき》に突っ立った。
「わしらの艪を、なんとするぞ!」
凄《すさま》じい呶号《どごう》に対して、侵入者は、顔も擡《あ》げずに、艪を削りつづけ乍ら、
「木太刀をつくって居る」
と、こたえた。
「なんじゃと!」
「幾年も、水をきった枇杷《びわ》の艪が、木太刀の材料としては、最良だ。代金は、その足もとに置いてある」
たしかに、七助が突っ立った舳先には、丁銀が二つならべてあった。
「誰が、売るというた?」
七助は、叫んだ。
「欲しいから、買うた」
対手《あいて》は、こたえた。
七助は、自分とさして年歯のちがわない、蓬髪《ほうはつ》、敝衣《へいい》の侵入者を睨《にら》みつけて、
「おのれは、兵法者か?」
と、訊《たず》ねた。
「うむ」
「名乗れっ!」
「宮本|武蔵《むさし》」
対手は、依然として、艪を削りつづけ乍ら、こたえた。
艪は、もはや、艪としては、役立たぬ形になってしまっていた。
「盗人《ぬすつと》めが! 致し様があるぞ!」
七助は、叫ぶと、右手を、懐中に入れた。
「淡路の七助が、鳴門流兵法をみせてくれる!」
「…………」
武蔵は、はじめて、眼眸《まなざし》を擡げて、七助の眼光を受けとめた。
「覚悟はよいな?」
「うむ」
武蔵は、七助の懐中から、いかなる意外の武器がとび出して来るか、見当もつかぬままに、うなずいてみせた。
懐中にかくした七助の右手が躍った刹那《せつな》、独楽が流星の迅《はや》さで、武蔵の顔面を襲って来た。
武蔵には、艪を以《もつ》て、これを空中へ、払いあげる迅業《はやわざ》があった。
しかし、次の瞬間には、独楽を旋回させた麻紐が、蛇《へび》のごとく宙をのびて、頸《くび》に巻きつくのを、どう払ういとまも余裕もなかった。
ぐぐっと、頸を締めあげられた武蔵は、空中に払いあげた独楽が、七助の肩へ舞いもどって、なお、まわりつづけるのを視た。
「いかに、宮本武蔵!」
七助は、左手で麻紐を、ひきしぼり乍ら、すでに右手に小刀を抜き持っていた。
「降参するか、武蔵! 鳴門流兵法は、小太刀の秘技だ。動けば、生命《いのち》はないぞ!」
「…………」
武蔵の顔面は、血汐《ちしお》を噴かんばかりに、朱にそまった。
「降参しろ、盗人め!」
「…………」
武蔵は、しかし、頤《おとがい》を咽喉《のど》にめり込ませるばかりに引いて、辛うじて悶絶《もんぜつ》からまぬがれつつ、降参しようとはしなかった。
七助の肩で、独楽が停止するのを、苦痛を怺《こら》え乍ら、みとめた一瞬、武蔵の脳裡《のうり》に、ひとつの賭《かけ》が、ひらめいた。
――その独楽は、此奴《こやつ》にとって、おのが生命の次に、大切な品に相違ない!
武蔵は、そう直感した。
不意に――。
武蔵の首が、舷《ふなばた》から外へ、ぐらっと出た。
七助の肩から、独楽が、左腕の斜面をころがって、水面へ落ちた。
水面へ落ちた独楽を、麻紐をすてた七助の左手が、反射本能に似た素早さで、つかむのと、武蔵が、その艪で、七助の右手の小刀を払いとばすのが、同時であった。
麻紐を払いすてて艫にすっくと立った武蔵は、
「料簡せい、淡路の七助」
と、云った。
「料簡せい、とは?」
七助は、なお武蔵を激しく睨みつけ乍ら、問いかえした。
「勝負なら、後日にと云うて居るのだ」
「なんだと?」
「わしは、この京で、大試合をやらねばならぬ。その得物にするために、お主の舟の艪を、無断で買《こ》うた」
「大試合とは?」
「室町兵法所の吉岡《よしおか》清十郎に、挑戦《ちようせん》するのだ」
「阿呆な!」
七助は、乞食《こじき》にもひとしい身装《みなり》をした武蔵を、嗤《わら》った。
「お主のような、どこの馬の骨とも知れぬ男を、吉岡道場が、対手にするはずがあるか。玄関ばらいをくわされるだけじゃ」
「策がある」
「策とは!」
武蔵は、それにこたえず、
「お主との勝負は、その大試合のあとにする」
と、云った。
七助は、武蔵が艪を削った目的が判《わか》ってみると、同じ無名の若い兵法者として、親しみをおぼえた。
「料簡しよう」
武蔵は、七助から、昼食を摂《と》ってゆけ、とすすめられて、腰を下した。
七助は、堤の斜面に佇立《ちよりつ》している万寿に、
「おい、万寿――、客をもてなせ」
と、命じた。
「なんたらことを!」
万寿は、ばかばかしげに、首を振った。果し合いをした敵と、あっさり友人になってしまった七助を、万寿は、すこし軽蔑《けいべつ》した。
――こんな人の好さで、どうして、鳴門流兵法の名を、天下にひろげることができるものじゃろうかしらん。
そう疑わずにはいられなかった。
七助は、武蔵に、万寿を、「妻じゃ」とひきあわせた。
万寿は、武蔵の魁偉《かいい》といえる容姿に、あらためて目を置いた瞬間、ふっと、不吉な予感をおぼえた。
――この御仁《おひと》は、おのがまわりの親しい者たちを、肉親も恩義ある師も友達も、みんな犠牲にしてしまう、業力《ごうりき》の熾《さか》んな兵法者に相違ない。神力さえも及ばぬほどの強い業力を持って居るようじゃ。
これは、良人の身を案ずる妻のカンであったろう。
万寿は、自分がそんな予感を起したことを、武蔵に看破《みやぶ》られるのをおそれて、そそくさと、昼食の仕度にかかった。舟底には、海の魚をおよがせてあった。
七助の方は、武蔵に、畏敬《いけい》の念をこめた眼眸を当てて、
「お主、本当に、吉岡清十郎に、果し合いを申し入れる肚《はら》か?」
と、訊ねた。
「うむ」
「勝つ自信があるのじゃな?」
「ある」
「吉岡清十郎に勝てば、一躍、天下に名はひろまるのう」
「…………」
「わしも、鳴門流兵法の名を挙げたくて、淡路から出て来たのじゃが、吉岡道場へ挑戦しようなどという考えは、夢にも起さなんだな」
「…………」
「無名の兵法者で、室町兵法所に、勝負を挑《いど》んだ者が、これまで、一人でも、いたかのう?」
「…………」
武蔵は、七助にしゃべらせるにまかせておいて、十一年前の屈辱を、思い泛《うか》べていた。
十一年前――。
弁之助であった武蔵は、無二斎の命令で、吉岡道場へ、毒酒を持参し、それを、当主憲法に、看破されて、道場で,嫡男《ちやくなん》清十郎と、立ち合わされたものであった。
清十郎は、弁之助より四歳上であったが、すでに青年の体躯《たいく》を有《も》ち、父以上の芸者《げいしや》になるであろう、と称される技倆《ぎりよう》を持っていた。
勝負にはならなかった。
弁之助は、清十郎の突きを胸にくらって、棒倒しに、うしろへひっくりかえり、それなり失神してしまったのであった。
意識をとりもどした時には、門外へ、すてられていた。
あの日の屈辱を、武蔵は、忘れない。
火のような闘志で全身をかっと燃やしたのも、その時が、生まれてはじめての経験であった。
――よし! いつか、この門にかけられた看板を、取ってやる!
自分に云いきかせ、その執念は、今日までつづいているのであった。
「助勢をしようか」
七助のその申し出で、武蔵は、われにかえった。
「無用だ。わし、一人でやる」
武蔵は、ことわった。
「吉岡道場には、千六百人の門弟がいるそうじゃ。……お主が、武運あって、清十郎に勝っても、それだけですむまいのう。門弟らが、黙って、ひきさがっては居るまいが――」
「そうだろうな」
「お主が、生きながらえることは、まず、おぼつかぬのう」
七助が、なかばからかいの口調で云うと、武蔵は、その言葉をはじきかえす強い語気で、
「わしは、死なぬぞ! 勝って、生きのびる!」
と、叫ぶようにこたえた。
艫《とも》で、魚を焼いていた万寿《ます》が、びっくりして、首をまわした。
武蔵と七助の姿を、見比べると、いかにも、七助の影が薄かった。
――ええもう! こんなおそろしい妖気《ようき》をただよわせる男なんぞ、もてなしとうはないわ。はよう、どこかへ、立ち去って欲しいものじゃ。
万寿は、いらいらした。
七助が、すっかり、武蔵に心服している様子も、万寿には、やりきれなく、腹立たしかった。
「ばからしい!」
万寿は、思わず、小声で、吐きすてたことだった。
佐々木小次郎
兵法試合所望之事
[#この行1字下げ]剣は利《するど》しと雖《いえど》も|※[#「がんだれに萬」]《と》がざれば斬《き》れず、我兵法之家に生まれて家業を受け、少年より朝鑽《ちようさん》暮研、一念を続《つ》ぎ、勝つことを知りて、未《いま》だ負くることを知らず。此度《このたび》京師に到《いた》りて、扶桑《ふそう》第一兵術者に、挑戦雌雄を決する者|也《なり》
日時 来《きた》る十七日|払暁《ふつぎよう》
場所 洛北蓮台野《らくほくれんだいの》
慶長八年五月十日
[#地付き]播州《ばんしゆう》・新免伊賀守《しんめんいがのかみ》血族
[#地付き]宮本武蔵
吉岡清十郎殿
[#この行1字下げ]附けたり。此挑戦之儀、もし万一拒絶さるるに於《お》いては、当日、別に高札を立てて、其許《そこもと》の卑怯《ひきよう》を、天下に嗤うべし。
この高札は、三条大橋の袂《たもと》に、未明のうちに立てられていた。
そして、これは、通行人を蝟集《いしゆう》させ、噂《うわさ》をひろめる絶大な効果があった。噂をきいて、わざわざ、高札を読みにやって来る者も、すくなくなかった。
無名の兵法者が、高札を立てて、扶桑第一室町兵法所の当主に挑戦したのは、前代未聞《ぜんだいみもん》のことであった。
高札というものは、権力者が一般に下達するために立てる、というのが当時の常識であった。
例えば、天下分け目の戦いをするにあたって、石田|三成《みつなり》が、徳川|家康《いえやす》を何故《なにゆえ》に討つか、という名分を箇条書きにしてみせるとか、あるいは、関ケ原役に大捷《たいしよう》した家康が、三成以下の落人詮議《おちうどせんぎ》をするとか――。
兵法者が、おのが業前《わざまえ》を世に知らせるために、公示という手段をえらんだのは、まさに、本邦はじまって以来のことであった。
それまで、高札を立てて、試合を挑むなどということに、考え及んだ兵法者は、ただの一人もいなかった。
戦場武者は、功名首、一番|槍《やり》などの武勲を高く売ることを心掛けたが、兵法者――芸者となると、ひたすら、その武芸をみがくことに一念を続《つ》いで、名利の道をひらくことを、いやしいものとした。ひとつには、織田《おだ》信長も、豊臣秀吉《とよとみひでよし》も、武将らの殆《ほとん》どは、兵法者の働きを高く買わなかった故もあった。
兵法者をみとめたのは、家康であった。
したがって、家康にならって、諸大名が、あらそって、兵法者を召し抱えるようになったのは、関ケ原役後のこの三年あまりの傾向であった。
いうならば、兵法者が、はじめて、地位を与えられる世を迎えたばかりであった。
ただ、「室町兵法所・吉岡道場」だけは、兵法の家としては、別格であった。足利《あしかが》将軍家指南という由緒を有《も》ち、それ故に、世間から尊敬されていた。
また――。
憲法染め、という家業を持ち、天子はじめ摂家の束帯、衣冠の袍《ほう》の染めを、一手にひき受けていたのである。このことでも、ただの兵法道場主ではなかった。
十五代足利|義昭《よしあき》が、信長に敗れて政権を喪《うしな》っても、「室町兵法所」の看板の価値は下らず、また、信長、秀吉が逝《い》って、徳川家康の手に天下が移っても、依然として、吉岡道場の名が衰えないのは、いまだ世間に、将軍といえば足利家という観念が根強く残って居《お》り、宮廷御用の憲法染めに対する敬意があったからである。
政権が誰の手に移ろうと、吉岡家は、やはり、扶桑第一の兵法所であった。
その名家の当主に向って、あろうことか、無名の兵法者が、京の都の中央場所に、高札を立てて、堂々と挑戦したのである。
「きちがいだのう、この男は――」
紺掻《こんか》きの職人は、ばかばかしげに、かぶりを振ったし、
「ふん。小ずるい名売りだ。吉岡家が受けぬと看越《みこ》して、挑み居ったな」
流浪《るろう》の垢《あか》にまみれた牢人者《ろうにんもの》は、いまいましげに吐きすてた。
ののしりとあざわらいの中で、
「…………」
無言で、鋭く、高札を凝視したなり、しばらく、その場を動かなかったのは、一瞥《いちべつ》して、兵法者と判《わか》る一人の武士であった。
六尺を二、三寸も越えた長身で、総髪を肩に散らしていた。その髪毛は、根来塗《ねごろぬり》の朱漆《しゆうるし》のようにあかかった。
眉《まゆ》の底に、褐色《かつしよく》の双眸《そうぼう》が光り、異常に鼻梁《びりよう》が高かった。
その背中には、四尺あまりの長剣を負うていた。
「おや?」
人垣《ひとがき》の中から、この兵法者の異相をみとめて、声をあげた者がいた。
淡路の七助《ななすけ》の妻万寿であった。
「なんじゃ、あの兵法者?」
七助が、万寿の視線を追って、眉宇《びう》をひそめた。
万寿は、しかし、良人《おつと》の声も耳に入らぬていで、兵法者の横顔を瞶《みつ》めつづけた。
七助に、その横腹を小突かれて、万寿は、あわてて、われにかえり、
「なに?」
と、視線をかえした。
「あの兵法者を、お前、知っとるんか?」
「あ――ああ、あれは、|うち《ヽヽ》の生まれて育った故郷の、越前《えちぜん》の一乗谷の巌流館《がんりゆうやかた》の若じゃがな」
万寿が、母親の生家がある淡路島の野々村へやって来たのは、二年前であった。万寿は、父母に相次いで逝かれて、孤児になり、淡路島の祖父をたよって、やって来たのであった。
「なんという名じゃ、あいつ?」
踵《きびす》をまわして、大股《おおまた》にそこをはなれた異相の兵法者の後姿を、見送り乍《なが》ら、七助は、訊《たず》ねた。
「小次郎《こじろう》殿――佐々木小次郎殿」
万寿は、こたえた。
「ふん」
七助は、なんとなく、そのあとを追うように、歩き出した。
万寿は、ちょっと当惑の面持《おももち》で、良人を視《み》やったが、しかたなく、そのあとに従った。
七助は、視線を佐々木小次郎に当てていたが、別のことを口にした。
「武蔵が策があるといったのは、高札を立てることだったのだな。あっぱれな名策だな。……そうじゃ、高札を立てたところまでは、武蔵の思案は、秀《すぐ》れて居る。しかし、ひとつだけ、肝心のことを、忘れて居るんだ、武蔵は。――吉岡清十郎に挑戦することは、清十郎一人を、撃ち倒せば、それで勝、ということにはならん――それを、武蔵は、忘れて居るわい。清十郎に挑戦するのは、吉岡道場千六百人を、敵にまわすことになるんだ。生きのびられる道理がない」
大声で、独語していた七助は、突然、万寿をふりかえって、
「万寿! お前のはじめての男は、あの佐々木小次郎じゃろうが――?」
と、云《い》った。
万寿は、不意を衝《つ》かれて、どぎまぎした。
七助は、その様子を、冷やかに見据《みす》えて、
「あたったろう」
と、口辺へ薄ら笑いを刷《は》いた。
万寿は、顔をそむけて、
「むりやり、手ごめに、されたのじゃ」
と、こたえた。
「ふん。なんぼいいわけをしても、お前が、あいつを好きだったことは、ちゃんと、わかるぞ。……まだ、忘れては居らなんだのだな。めぐり逢《あ》ったら、胸がどきどきして、わしのことなど忘れてしもうたな」
「ちがう! 手ごめにした憎い奴《やつ》なのじゃ。忘れて居らなんだなど……と|やくたい《ヽヽヽヽ》もない――」
「万寿! わしは、わしもやきもちを焼くちゅうことがどういうことか、わかったぞ。うん! わしは、やきもちを焼いて居るぞ。畜生! お前が、あいつを、じっと瞶めとった顔つきは、尋常ではなかったぞ。あいつに、お前は、はじめて、からだをくれたのか、くそ!」
「くれたのじゃありません。奪われたのじゃ」
「同じことじゃ」
「ちがいます。あげたのと、とられたのとでは、天と地の相違があるがな。……当ておとされて、気を失っている間に、犯されてしもうたのじゃ」
「わしが云いたいのは、手ごめであろうとなんであろうと、いったん、からだをくれたはじめての男のことは、女子《おなご》は、決して忘れはせん、ということだ。……わしは、お前が、あいつに、抱かれた光景を想像すると、五体が、かあっと熱うなるぞ。みい、この手の熱さを――」
七助は、万寿の手をぎゅっとつかんでみせた。
「阿呆《あほ》らしい! ……七助殿、別の道を行こう」
万寿は、七助の袖《そで》をひっぱった。
「いいや、わしは、あいつを斬りたくなっとる! あいつが、お前のはじめての男と知っては、すてておけん。お前を抱いた男は、この世に一人だけ、生きのこって居ればよいのだ」
「無茶なことを云わずに、……忘れて下され、な、お願いじゃ」
「きいた以上、忘れるわけにはいかん」
「七助殿。あの佐々木小次郎という兵法者は、名人越後様から、百年に一人の天才よ、とほめられて、お師匠様の打太刀をつとめた御仁《おひと》なのじゃから……」
良人に、無謀な|まね《ヽヽ》をさせまい、とうっかり告げた万寿の言葉は、逆効果となった。
七助は、いきなり、万寿の頬《ほお》へ、激しい平手打ちをくらわせた。
「ばかっ!」
七助は、もの凄《すご》い形相になると、
「あいつを、殺すぞ」
叫ぶとともに、奔《はし》り出した。
万寿は、悲鳴をあげた。
七助にとって、幸運であった、といえたのは、渠《かれ》が、佐々木小次郎に、十歩の距離まで迫った時、突如として、五人の武士が、物蔭《ものかげ》から躍り出て来て、小次郎を包囲したことであった。
もし、それがなかったならば、七助は、あるいは――いや、おそらく、佐々木小次郎の四尺の長剣の下に、朱にそまって仆《たお》れたに相違ない。
七助自身、おのれの悲惨な最期《さいご》を想像させられたのは、それから、四半刻《しはんとき》後であった。
佐々木小次郎は、自分を包囲した五人の武士を、無表情で、見まわした。
「お主ら、どこの家中だったか?」
「空とぼけるな、佐々木小次郎!」
「とぼけては居らぬ。……この身は、諸方で恨みを買いすぎて居るので、いちいち、おぼえて居らぬ」
「ほざき居る! おのれが犯した女性《によしよう》も、数が多く、おぼえて居らぬ、と申すか。……姫君は、六日前、自害して、相果てられたぞ!」
「姫君?」
小次郎は、ちょっと、首をかしげたが、
「ああ――あの|あばた《ヽヽヽ》か。あれは、身共が、くどいたのではない。あちらが、誘うたので、抱いたまでだ。……女子は、強い男を好む。一太刀ずつで十人を抜いた身共に心を奪われただけのことだ。ただの一人も、身共と相討ちさえもできなんだお主ら家中の不甲斐《ふがい》なさが、姫を、身共に惚《ほ》れさせた。つまり、姫を自害に追いやったのは、お主ら家中ということになる。逆上して、身共を討とうと、追って来たとは、身の程知らずもはなはだしい。第一、討手となって、身共を斬れるものならば、それも、よかろう。わざわざ、犬死しにやって来たとは、笑止というもおろかな話ではないか」
生来の能弁とみえて、対手《あいて》がたに言辞を折らしめぬ抑揚自在の語気で、まるで、あらかじめつくっておいた草稿でも朗読するように、云ってのけた。
五人の武士が、一斉《いつせい》に、
「問答無用っ!」
と、叫んで、抜刀したのは、小次郎の能弁をよく知っていたからであったろう。
「お主ら、諸人の往き来のはげしいこの路上に、みにくい屍《しかばね》をさらすつもりか」
小次郎は、薄ら笑った。
「言辞を弄《ろう》して、遁《のが》れようとしても、そうは、させぬぞ!」
「ははは……身共が、お主ら家中の十人を、骨も折らぬ程に軽く撃ち負かしたのを、業《わざ》が足らぬ、と勘違いして居るのであろうが、あき盲もはなはだしい。身共が、この背中の物干竿《ものほしざお》を、ひとたび抜いたがさいご、ひと呼吸の間に、お主ら五人の首が、飛ぶのだ。……五人で、一時にかかれば、容易に討ちとれる、などと考えているのは、甘い。ことわっておく。身共は、闘うのは好きだ。しかし、お主ら程度の未熟者を五人や十人、敵にまわして闘ったところで、一向に、面白くない。だから、身の程知らずの討手の役は、止《よ》すがよい、と申して居るのだ。無益の殺生《せつしよう》をしたくないとか、憐憫《れんびん》で、闘うのを拒否して居るのではないのだぞ。お主らは、おのれの腕の及ばざることを知らねばなるまい。それとも、あの|あばた《ヽヽヽ》の姫の入聟《いりむこ》になろう、とそれぞれ内心抱いていた野望が、水の泡《あわ》となったので、やけくそになって、討手役を引き受けたか。それならば、いよいよ、間抜けた振舞いだ。ついでに申しておけば、あの|あばた《ヽヽヽ》の姫の肌《はだ》は、身共が抱いた数多い女子のうちでも、下の部類に属する味のわるさであったな」
云いたいことを、云いたて乍ら、小次郎は、悠々《ゆうゆう》と歩いて行った。
五人のうち、一人も、斬《き》りかからなかったのも、奇妙な眺《なが》めであった。
小次郎の態度と言辞に、圧倒された、とみるよりほかはなかった。
小次郎は、渠ら五人と、そのうしろに数百人の群衆をしたがえて、磧《かわら》へ降りた。
群衆の中に、七助と万寿が、まじっていた。
小次郎は、流れの際《きわ》に進んで、向きなおると、
「不具になっても、生き残りたい者は、いまのうちに、顔色で告げておけ。手加減の致し様がある」
と、不遜《ふそん》な言葉を投げた。
その決闘は、またたくうちに、終了した。
正面の一人が、襲いかかると同時に、小次郎は、物干竿と称する背中の長剣を抜いた。
一閃裡《いつせんり》に、二つの首が、刎《は》ねとばされた。
小次郎の長身が翻転した刹那《せつな》、一人が胴薙《どうな》ぎをくらった。
そのまま、静止の一瞬を置かずに、小次郎は、胴薙ぎの一撃を、飛燕《ひえん》が舞うに似た迅業《はやわざ》へ継続させて、ややはなれて立った者の顔面を、逆斬りに、両断しておいて、その長身を、うしろへのけぞらした。
とみた時には、背後から迫った最後の敵の胸を、ふかぶかと、刺し貫いていた。
敵の躯《からだ》を柱にして、それに長剣を突き刺しておいて、長剣とさしのべた腕と長身を、一直線に、四十度あまりの角度に倒れかからせて、動かぬ佐々木小次郎の残心の姿勢は、思わず、見まもる群衆を、どっとどよめかせた。
なかでも、七助の巨《おお》きな双眼は、さらに大きく、眦《まなじり》が裂けるばかりに、みひらかれていた。
崖《がけ》の下
武蔵《むさし》は、宇治の槙島城趾《まきしまじようし》にある「昌山庵《しようざんあん》」にいた。
足利《あしかが》家最後の将軍|義昭《よしあき》が、出家して、昌山と号し、豊臣秀吉《とよとみひでよし》から一万石の捨扶持《すてぶち》をもらって隠栖《いんせい》していた家である。
昌山は、他界するに際して、沢庵《たくあん》にその草庵をゆずったのであった。
このたび――。
武蔵が、訪れると、沢庵は托鉢《たくはつ》に出かけて、遠方へ旅をし、少年が一人、留守居をしていた。
青木城之助。武蔵が、関ケ原役の起った年、沢庵にあずけた少年であった。
城之助は、あれから三年を経て十五歳になっていたが、身丈も骨格も発達していなかった。不幸にも、萎病《なえびよう》(小児|麻痺《まひ》)に罹《かか》って、右脚がひと握りの細さになっていたのである。
武蔵は、そのあわれな脚を、見せられたが、べつに、憐憫の情を催した気色もつくらず、
「お前は、坊主《ぼうず》になるよりほかはあるまい」
と、云った。
城之助は、俯《うつむ》いた。頬にひとすじ、泪《なみだ》の痕《あと》をつけたが、
「……片腕でも片脚でも、兵法者になれる、と和尚《おしよう》様は、申されました」
と、こたえた。
武蔵は、黙って、城之助の必死な眼眸《まなざし》を受けとめたが、そのことには、なんともこたえず、
「しばらくの間、逗留《とうりゆう》させてもらう」
と、云って、座敷に通った。
次の日の夜明け前に、武蔵は、三条大橋の袂《たもと》に、吉岡《よしおか》清十郎に対する挑戦《ちようせん》の高札を立てたのであった。
あとは、吉岡道場の出様を待つばかりであった。
武蔵は、この「昌山庵」に、草鞋《わらじ》をぬいでからは、決闘に備えての修業を、一切しなかった。
朝は、午《ひる》ちかくまで寝ていたし、午後は、巨椋池《おぐらいけ》に小舟を漕《こ》ぎ出して、鮒《ふな》を釣《つ》った。
そして、今日は、林の中から、手ごろの木片をひろって来て、小刀で削りはじめた。
座敷の床の間には、六牙《ろくげ》の白象《びやくぞう》に乗った等身大の普賢菩薩《ふげんぼさつ》が安置してあった。昌山公が、ここに隠栖してから、昼夜、延命を願って、祈祷《きとう》をこめたに相違ない。
武蔵は、その菩薩を摸《も》すことにしたのである。武蔵は、左手に小刀を握って、木片を削った。
城之助が、怪訝《けげん》そうに、その手もとを見まもって、
「どうして、そのようなことをされるのですか?」
と、訊《たず》ねた。
「べつに、意味はない」
武蔵の返辞は、それであった。
たしかに、意味のない暇つぶしの手すさびであった。武蔵は、神仏の存在など、信じてはいなかった。
神仏などは、死というものをおそれる人間が、勝手につくりあげたものだ、と思っていた。
武蔵は、その普賢菩薩をなんとなく眺めているうちに、ふっと、無二斎が、炉端で木片を削っていたことを思い出したのである。
無二斎は、吉岡|憲法《けんぽう》との試合で、右腕の骨を砕かれていたので、左手だけで、木片を削って、仏像をつくろうとしたのであった。
しかし、その手つきは、なんとも不器用で、ついに、一体も完成することなく、畢《おわ》っている。
武蔵は、そのことを思い出して、自身も、仏像を彫ってみる気になったのである。
さりとて、左手で普賢菩薩をつくることで、無二斎の霊魂をなぐさめよう、などという殊勝な心掛けが、脳裡に働いた次第ではなかった。
ただなんとなく――というのが、いちばん正しい表現のようであった。
樹木のない白砂の、美しく箒目《ほうきめ》をつけられた庭に、人影が現れて、大股《おおまた》に縁側に近づいて来たが、武蔵は、視線をくれようともせず、左手を動かしつづけた。
どうやら、形らしいものができかかっていた。
「お主――」
声をかけられて、はじめて、武蔵は、訪問者を視《み》た。
一瞥《いちべつ》して、それは、叡山《えいざん》の荒法師であった。
白羽二重《しろはぶたえ》の五条|袈裟《けさ》で、目ばかりに顔を包んでいる裹頭《かとう》は、叡山の荒法師の特長であった。また、五寸あまりの一本足の高歯の足駄《あしだ》を履いているのも、渠《かれ》ら独特のいでたちであった。
中国古代の文献によると、険しい勾配《こうばい》の山へ登る時は、足駄の後歯を抜き、降《くだ》る時は前歯を抜いた、という。
山法師が、足駄の中央に一本だけ歯をかませる工夫をしたのは、登降に便だったからである。
「いま、わっぱからきいたが、お主、宮本武蔵という兵法者だそうだな?」
荒法師の眼光は、鋭かった。
「左様――」
武蔵は、視線を手許《てもと》にもどして、うなずいた。
「おれは、火焔坊《かえんぼう》。比叡颪《ひえいおろし》できたえられたあばれ坊主だ。薙刀《なぎなた》を把《と》っては、海内《かいだい》無双だが、胆《きも》のすわりかたに於《お》いては、当庵の和尚に敵《かな》わぬ」
問われもせぬに、大声で名のっておいて、座敷に上って来た。
「お主、三条大橋ぎわに、吉岡清十郎に試合を挑《いど》む高札を立てて居《お》るが、いい度胸だのう。……吉岡が受けぬ、と見越しての売名であろう、と牢人者《ろうにんもの》などは、ひがんだそしりをもらして居るが、勝算はあるのか?」
「勝つ自信がなくして、挑戦はせぬ」
「しかし、そうやって、普賢菩薩を摸して延命を願っているところをみると、内心おそれて居るのではないかな」
火焔坊は、にやにやした。
「暇つぶしだ」
「暇つぶし? ……暇つぶしなら、ほかにすることがあろう」
「なにがある?」
「やれやれ――」
火焔坊は、鼻毛を抜いて、吹きとばすと、
「お主は、生まれてはじめて、京へ上って来た田舎者だろう」
「…………」
「京へ上って来て、肝心のことを、やって居らぬ、とみえる」
「肝心のこと?」
「そうだ。肝心のことだ」
「神社仏閣巡りのことか?」
「ばかばかしい。金箔《きんぱく》の壁や狛犬《こまいぬ》や仁王や羅漢《らかん》や千手|観音《かんのん》を眺めたところで、はじまらん。男が京へ上って来たならば、まず最初に、京女の柔肌《やわはだ》を知らねばならん。……どうだ、まだ、抱いて居らんだろう?」
「…………」
「その顔つきでは、抱くことさえも思い及んでいなかったようだな。……それとも、お主は、兵法大事ゆえに女色を断っている、とでもいうのか?」
「…………」
武蔵は、黙って、火焔坊の鋭い眼光を受けとめている。
「人間は、生きているうちに、やりたいことをやらねば、大損をするぞ。桑楡《そうゆ》まさに迫って、あわてふためいても、もう手おくれだ。伊勢《いせ》物語にもあるではないか。ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを――。無常の風は、時を択《えら》ばぬ。ましてや、お主のように、おのれを刀俎《とうそ》として人を魚肉にするのを生きる冥利《みようり》としている兵法者は、明日はどうなるかわからぬ身だ。……生きているうちに、やりたいことをやっておかねばならん。女を抱けば、切先《きつさき》がにぶる、などと殊勝げな考えかたをして居るのであれば、それは、所詮《しよせん》、お主が、真の兵法者ではない証左だ。……廓《くるわ》へ、案内しよう」
火焔坊は、さそった。
「なぜ、それがしに、女を抱かせるのだ?」
武蔵は、たった今、顔を合せたばかりの他人が、どうして、親しげに、遊里へ誘うのか、解《げ》せなかった。
「ははは……己《おのれ》の欲《ほつ》せざるところは、人に施す勿《なか》れ、だ。論語にも、都合のいい文句があるて」
火焔坊の饒舌《じようぜつ》に乗って、武蔵は、昌山庵を出た。
門口《かどぐち》に立った城之助の心配そうな眼眸に見送られて、武蔵は火焔坊と肩をならべ乍《なが》ら、
「山法師は、御辺《ごへん》のような破戒|無慚《むざん》ぞろいか?」
と、訊ねた。
「乱世、死人は乱麻のごとし。……沢庵和尚ならば、さしずめ、人を殺して以《もつ》て自ら生き、人を亡して以て自ら存するは、君子の為《な》さざるところ、といましめるであろうが、強い奴《やつ》の方が生きのこるのは、生きものの法則ではないか。石田|三成《みつなり》が滅びて、天下は徳川|家康《いえやす》のものに相成ったのをみても、わかろう。……お主が、これから、天下無双の剣名を挙げるために、どれだけの犠牲をつくるかのう。るいるいたる死屍《しし》を踏みこえて、勝者は、その名を、後世にのこすのだ。おれは、お主が、そこいらの兵法者に目もくれず、吉岡清十郎を敵にえらんだのが、大いに気に入ったぞ。やるがいい。のぞみとあれば、おれの仲間を説いて、百人が二百人でも、助勢してくれようわい」
「助太刀は無用だ。それがし、一人で、吉岡清十郎とその門弟どもを相手にして、闘ってみせる」
武蔵は、きっぱりとこたえた。
「あっぱれ!」
火焔坊は、大声を発した。
坂道が切通しになり、それを抜けると、崖沿いになった。
「お主――」
火焔坊が、立ちどまると、
「お主が、吉岡清十郎に勝つ自信を持って居るなら……、その芸者《げいしや》ぶりを、この目に見せてもらおうか」
と、もとめた。
「………?」
「おれが思うに、吉岡道場に於いては、清十郎自身はいざ知らず、親戚《しんせき》縁者ならびに高弟らは、評議の結果、お主の挑戦を無視黙殺する公算が大だ。……そうさせぬために、おれの三寸の舌を掉《うご》かすことが必要だ。おれは、吉岡一門とも、きわめて懇意だ。説いて、必ず、清十郎に、お主の挑戦を受けさせてみせる。……しかし、その前に、お主の芸者ぶりを、とくと見とどけておかねばならぬ」
「…………」
「見せてもらおうか」
武蔵は、ちょっと考えていたが、
「のぞみとあれば――」
と、云《い》った。
「うむ。……願おう」
火焔坊は、ぎらぎら光る眼眸を、武蔵の顔へ据《す》えた。
「どうだ、この崖から跳び降りられるか?」
そう云われて、武蔵は、崖下へ、視線を落した。
丈余の下方に、ちょうど苅《か》りとられたばかりの篠竹《しのだけ》が、槍《やり》の穂先を植えられたあんばいに、無数にならんでいた。
「できるか?」
「…………」
「尋常の者ならば、両の蹠《あしうら》が、あの殺《そ》ぎ竹に、突き刺されるだろう。お主には、微傷だに負わずに、ここへ戻って来てもらおう」
火焔坊は、冷酷な所望をした。
武蔵は、一歩、崖縁へ寄った。
次の瞬間、武蔵の長躯《ちようく》は、空中のものになっていた。草履だけが、崖縁に残された。
途中、武蔵は、ぱっと両手を、翼のようにひろげて、落下して行った。
「おっ!」
みはった火焔坊の双眼に、武蔵の五体が、かるがると、鋭くとがった殺ぎ竹の上に立つのが、映った。
そして、そのまま、しばらく静止していた武蔵が、刀の下げ緒を解いて、火焔坊めがけて、投げあげて来た。
猿《ましら》のように身軽く、絶壁をのぼって来た武蔵が、するりと、草履をはくのを眺《なが》めて、火焔坊は、首を振った。
「おどろいたのう。お主、蹠を貫かれなんだか?」
「いや――」
武蔵は、かぶりを振ると、歩き出した。
殺ぎ竹に足が達した刹那《せつな》、それを指ではさんで、立ったのである。
しかし、それに成功したのは、右足だけであった。左足は、蹠を突き刺されていた。
武蔵は、傷ついたことを、火焔坊に気づかせまいと、絶壁をのぼるあいだに、傷口へ、赤土をこすりつけて、血どめをしたのであった。
普通の者ならば、疼痛《とうつう》に呻《うめ》いて、歩行は不可能であったろうが、武蔵は、気ぶりにも示さず、跛もひかなかった。
東寺《とうじ》に近い九条大宮にある小さな廓に登楼するまで、火焔坊は、ついに、武蔵が傷ついていることに、気がつかなかった。
なまめかしい声に迎えられて、肩をならべて、大階段をのぼろうとしたとたん、うしろにしたがった花車《やりて》が、
「あ! おさむらい様、血が!」
と、叫んだ。火焔坊が、ふりかえってみると、武蔵が通ったあとには、点々と血汐《ちしお》が、蹠痕《あしあと》をつけていた。
――これが、廓の遊びというものか。
武蔵は、美しく装った遊女が三人、なんという踊か、いかにもかんまんな所作を、絃歌《げんか》に合せて、披露《ひろう》するさまを、ぼんやりと眺めて、思った。
武蔵には、なんの面白味も感じられなかった。
この青楼には、火焔坊は、しばしばやって来るとみえて、すでに、そのそばには、馴染《なじみ》の敵娼《あいかた》がはべって、火焔坊の膝《ひざ》へ手を置いていた。
武蔵の脇《わき》は、空けられていた。
「お主の敵娼は、お主にふさわしい、ういういしいのを命じたから、期待していてもらおう」
火焔坊は、そう云って、おのが敵娼付きの遊女たちに、踊を命じたのであった。
――こんなものが、なにが、面白いのか?
武蔵には、わからなかった。
遊女たちは、お化《ばけ》のように、まっ白に、顔を塗りつぶしていて、武蔵の目には、すこしも、美しいと映らなかった。
その踊も、隙《すき》だらけで、ひどく間が抜けたものに、看《み》て取れた。
しばらく眺めているうちに、武蔵は、退屈した。
無遠慮に、大あくびをしたとたん、左の蹠の傷が、疼《うず》いた。
武蔵は、廓というところは、寐部屋《ねべや》へ通されて、遊女がやって来て、すぐ、牀《とこ》に入るものだとばかり思っていたのである。
長い時間、飲んだり、踊を見物したりするというのは、ひどく無駄なことのような気がした。
武蔵は、|こども《ヽヽヽ》に、つがれるままに,盃《さかずき》を口にはこんだ。
やがて――、
影のように、一人の遊女が、武蔵のかたわらへ来て、座に就いた。
遊女
それから、さらに、半刻《はんとき》以上も、武蔵は、遊興の退屈に堪えた。
「どうじゃ、ひとつ、加茂踊りを教えようか」
火焔坊に誘われて、武蔵は、ばかばかしさに、首を振った。
「わしは、寐る」
|にべ《ヽヽ》もない返辞をすると、火焔坊は、にやにやして、
「抱き心地のええ女子《おなご》をあてがわれたので、牀入りをいそぐのか。善哉《ぜんざい》、善哉!」
そう云われて、武蔵は、自分の敵娼にまだ一瞥《いちべつ》もくれていない自分に、気づいた。
かたわらへ、視線をまわしてみると、眉《まゆ》も鼻すじも頸《くび》も、すべてが細い、肌《はだ》が透るように薄い、遊女の衣裳《いしよう》がいかにも重げにみえる姿が、そこにあった。
もし、姿勢に華やいだ匂《にお》いがあれば、すでに、武蔵は、彼女へ眼眸《まなざし》を向けていたに相違ない。儚《はかな》いまでに影が薄いので、かたわらに来て、座に就いても、武蔵に無視されたのである。
武蔵は、その華奢《きやしや》なからだを、抱き心地がよさそうだ、とはいささかも感じなかった。
黙って、廊下へ出た。
すぐに、|こども《ヽヽヽ》が先に立って、部屋へみちびいた。
長い廊下を、上ったり下ったり、曲ったりして、案内されたのは、離れであった。
どうやら、そこは、その遊女のすまいのようであった。
武蔵は、延べてある牀に胡座《あぐら》をかくと、大あくびをした。
遊女は、花模様の寐衣を持って来て、着換えるように、すすめた。
「わしは、牀の中では素裸で寐る」
武蔵は、そうこたえてから、ふと、遊女の面差《おもざし》に、遠い記憶があるのに、気がついた。
「…………」
鋭く凝視されて、遊女は、俯《うつむ》いた。
武蔵は、はっきりと思い出した。
遊女は、故郷の渓流《けいりゆう》で、獲《と》った鮠《はや》を、岸辺で焼いて、一緒に喰《た》べた――あの少女に、まぎれもなかった。
武蔵が、日本一の兵法者になる志をたてて、故郷をあとにした八年前の大《おお》晦日《みそか》、人買いに連れて行かれようとする彼女を、その人買いの手から救って、家へ戻らせている。
しかし――。
少女は、やはり、売られたのである。
かなりの沈黙を置いてから、武蔵は、口をひらいた。
「そなた、ここへ売られて来て、何年になる?」
遊女は、俯いたなり、かぼそい声で、五年になります、とこたえた。
「そなたは、遊女になるよりほかは、なかったのだな」
「……はい」
「売られて来て、すぐ、客を取らされたのか?」
遊女は、かぶりを振り、二年ばかり、|こども《ヽヽヽ》でくらしました、とこたえた。
「客を取ってから、三年になるのか」
「…………」
「毎夜、一人の客に抱かれても、もう千人の男が、そなたのからだを知って居るわけか」
武蔵は、残酷な言葉を口にした。
遊女の頬《ほお》を、ひとすじ泪《なみだ》がつたい落ちた。
武蔵は、衣服を脱ぎすてると、牀へ仰臥《ぎようが》した。
「名前は?」
脱ぎすてられた衣服をたたんでいる遊女に、武蔵は、訊《たず》ねた。
夕加茂《ゆうかも》、という返辞に、武蔵は、にがにがしげに、
「売られる前の名だ」
と、云った。
遊女は、ちょっとびっくりした表情で、武蔵を視《み》やったが、
「|きち《ヽヽ》、と申しました」
と、こたえた。
「わしの家に住まわせて、わしの姉者の妹|ぶん《ヽヽ》にしてやれば、よかった。そうすれば、千人もの男に、からだを弄《なぶ》られずにすんだのだ」
「…………」
「いまとなっては、もうおそいが……、残念なことをした。わしは、諸方を流浪《るろう》し乍《なが》ら、川べりで、獲った魚を焼いて食っている時など、お前に枯枝をひろわせて、一緒に鮠を食ったのを、思い出していた」
「…………」
「こん後は、もう、あの時のことを思い出さんだろうな。……お前の遊女姿を、見てしもうたのだ。腹が立つ。廓《くるわ》へなんぞ、来るのじゃなかった」
「…………」
「お前、|きち《ヽヽ》じゃなくなった。夕加茂という女郎だ」
夕加茂は、かぼそい声で、許しを乞《こ》うた。
不意に――。
武蔵は、むくっと起き上ると、下帯をはずした。
「夕加茂――、これを、くわえろ!」
曾《かつ》て、無二斎が、明石《あかし》の浜辺で、弁之助であった武蔵に、そうさせたように、武蔵は、幼馴染の女に、それを命じた。
「吸え!」
「…………」
夕加茂の細い貌《かお》が、悲しげに歪《ゆが》んだ。
「吸え! そなたは、女郎だ。わしは、客だ、客の云いつけ通りにしろ」
「は、はい――」
武蔵が、仰臥すると、夕加茂は、そっと、いざり寄った。
「そなたが、吸っているあいだに、わしは、ねむる。……これは、試しだ。ねむれるかどうか試してみるのだ。そなたは、朝まで、くわえて、決して、はなしてはならんぞ」
「は、はい――」
遠くで、子刻《ねのこく》(午前零時)を告げる拍子木の音が、ひびいた。
夕加茂は、武蔵の股間《こかん》に、顔をうずめて、微動もせずにいた。
武蔵の男根をくわえて、もう二刻《ふたとき》近くが経《た》っていた。
くわえてほどなく、それは、にわかに、怒張して、夕加茂の口腔《こうこう》一杯にあふれたものであった。
武蔵自身は、その変化を起しつつも、身じろぎもしなかった。怒張は、やがておさまり、夕加茂は、武蔵のすこやかな寐息をきかされた。
そのまま、夕加茂は、くわえつづけて、彼女自身微動もせずに、時刻が移るにまかせたのである。
武蔵の寐息は、一瞬も、とぎれることはなかった。
夕加茂には、睡魔は襲って来なかった。
――あさましい!
その気持は、くわえた時に起ったが、いまは、消えて、武蔵のこころみを手だすけしているという静かな意識しかなかった。
夕加茂が、客からこのような奉仕を強要されたのは、今宵《こよい》が、はじめてであった。
その限りでは、武蔵は、最も残忍な客であった。
夕加茂は、それを命じられた時、武蔵が、千人もの男に抱かれた自身をさげすんだのだ、と受けとって、悲しかった。武蔵も自分も、あさましく思われて、泪があふれた。
しかし――。
その怒張が終って、寐息がきこえはじめた頃合《ころあい》、夕加茂には、これが兵法者としてのこころみなのだ、と解《わか》った。
そして、二刻近く経ったいま、夕加茂は、|きち《ヽヽ》といった少女の日の思い出を、なつかしいものに、脳裡《のうり》によみがえらせていた。
武蔵は、手槍《てやり》で、渓流を走る鮠を、幾尾か突くと、|きち《ヽヽ》に、
「枯枝をとって来い」
と、命じ、鮠が焼けると、
「食え!」
と、命じたものであった。
武蔵と|きち《ヽヽ》との間には、そのほかの会話は、何ひとつ交されなかった。
今日、八年ぶりに、めぐり逢《あ》うと、武蔵は、鮠を食え、と命ずる代りに、男根をくわえろ、と命じたのである。
夕加茂には、鮠を食わせた武蔵と、男根をくわえさせた武蔵が、まぎれもなく、同一人であることを、しだいに、さとることができた。
夕加茂は、こうしていることに、一種のやすらぎとよろこびをおぼえた。
ずっと以前から、こうした夜がめぐって来る予感を持っていたような気さえした。
武蔵のために、自分が役に立っていることに、女のよろこびがあった。
――朝が来て、この御仁《おひと》がお目ざめになるまで、こうして、いよう。
夕加茂は、自分にいいきかせていた。
と――。
武蔵の寐息が、停《とま》った。
はっとなった夕加茂は、肩に手をかけられて、そっと押しのけられた。
「片隅《かたすみ》に、寄っていろ」
ささやいておいて、武蔵は、無反《むぞ》り三尺の剣をつかんだ。
夕加茂は、床の間へいざって耳をすましたが、べつに、あたりに、怪しい気配はないようであった。
武蔵は、牀の上に、素裸で、突立って待っている。
この離れに、忍び寄って来た者があり、その気配は、すぐに、遠のいていたが、武蔵には、必ず、再びやって来る予感があった。
――来たぞ!
武蔵は、闇《やみ》の中で、呟《つぶや》いた。
こんどは、跫音《あしおと》を消してはいなかった。
「宮本武蔵!」
高く、よく通る声音が、呼んだ。
「起きて、出て参れ。勝負するぞ」
武蔵は、すぐに出て行こうとせず、
「立合いを挑《いど》むなら、まず、名乗るがよかろう」
と、云《い》った。
「吉岡《よしおか》道場――松本左源太。三条大橋に高札を立てたおのれの増上慢《ぞうじようまん》の面《つら》を砕きに参った。出い!」
「当主吉岡清十郎殿の許しを得て、参ったものではあるまい」
「許しを得ようと、得まいと、おのれの知ったことか!」
松本左源太は、呶鳴《どな》った。
月光をあびた松本左源太の黒影は、かたわらの石燈籠《いしどうろう》よりも、巨《おお》きかった。吉岡道場随一の巨漢であり,膂力《りよりよく》十人力を誇っている男であった。
武蔵は、その姿を、板戸の蔭《かげ》から、のぞき視た。
「出い! 宮本武蔵! 高札を立てた身の程知らずの振舞いが、どのような悲惨を招くか、思い知らせてくれる」
「…………」
武蔵は、それきり、左源太がいかに呶鳴り立てようと、返辞をしなかった。
左源太は、武蔵が出て来る気配もないのに苛立《いらだ》って、いきなり、石燈籠の笠《かさ》をつかむと、板戸めがけて、投げつけた。
凄《すさま》じい響きに、女の悲鳴が、あがった。
「武蔵っ! 出ぬなら、こっちから押し入るぞ!」
左源太は、喚《わめ》きざま、抜刀した。
すると、
「宮本武蔵は、屋根だ」
左源太の後方から、そう教える者があった。
左源太が、振り仰ぐのと、いつの間にか屋根へ抜け出ていた裸形の武蔵が、そこから跳ぶのが同時であった。
虚を衝《つ》かれた左源太が、頭上から襲って来た敵の一撃をふせぐ咄嗟《とつさ》の業《わざ》を失ったのは、やむを得なかった。
脳天から真二つに割りつけられて、吉岡道場で右翼の座を占める兵法者は、断末魔の叫びをあげるいとまもなく、地面へ崩れ落ちた。
武蔵は、月明りをすかし視た。
離れと母屋《おもや》をつなぐ渡廊下に、人が一人、立っていた。
持っている手燭《てしよく》の炎を逆に受けたその風貌《ふうぼう》は、甲冑《かつちゆう》武者がつける練頬《ねりぼお》という革製の総面を、連想させる奇怪さであった。
根来塗《ねごろぬり》の朱漆《しゆうるし》のような総髪の下に、異常に突出した鼻梁《びりよう》があった。
「この者が、知己ならば、仇を討つか?」
武蔵は、問うた。
「知己ではない」
対手《あいて》は、応《こた》えた。
「しかし、いずれの日か、身共は、お主と勝負して、斬《き》る」
「なぜ、いま、立ち合わぬ?」
「お主は、吉岡清十郎に挑戦《ちようせん》した。お主は、吉岡清十郎とその一門をむこうにまわして、闘うがよかろう。……身共は、越前《えちぜん》一乗谷の郷士佐々木小次郎。吉岡清十郎と勝負して、室町兵法所の看板をはずしてくれるべく、上洛《じようらく》して参ったが、お主に、一歩さきを越された。さきを越されたからには、双方の勝負を待ち、勝者の方へ、挑むことにする。……お主のかけひき、強さは、たしかに、只今《ただいま》、看《み》とどけた。吉岡清十郎との勝負は、面白いものになりそうだ。やるがいい。但《ただ》し、お主は、たとえ吉岡清十郎に勝っても、無事に、京都を退去することは、おぼつかぬぞ。清十郎には、伝七郎という、兄をしのぐ手練者《てだれ》の弟が居る。お主は、その弟とも、勝負せねばなるまい。そうして、天運あって、伝七郎に勝ったとしても、吉岡一門の怨《うら》みを買う以上は、名目人を立てた一門何百人かを敵として、闘わねばなるまい。生きのびられるか、どうかな。……生きのびたあかつき、お主の面前に、この佐々木小次郎が立つ。その時こそが、まことの扶桑《ふそう》第一を競うて、雌雄を決する大勝負となろう」
そう云いはなっておいて、小次郎は、武蔵の言葉をきこうともせずに、踵《きびす》をまわしていた。
武蔵が、部屋に戻ると、夕加茂が、胸で合掌していた。
武蔵は、ごろりと、牀に横になると、
「抱いてやろう」
と、云った。
夕加茂が、微《かす》かにわななき乍ら、そばへ寄ると、武蔵は、かるがると抱きすくめて、
「鮠の味を、おぼえているか」
と、訊ねた。
「はい――」
夕加茂は、こくりとうなずいた。
「うまかったか?」
「はい」
武蔵は、夕加茂の下肢《かし》をひらかせた。
「わしは、そなたのはじめての男に、なってやればよかった」
「……は、はい」
「しかし、あの時、そなたは、男を知るにはまだ稚《おさな》すぎた」
「はい」
「たのみが、ひとつある」
「はい」
「わしが、死んだら、骨をひろって、故郷へ持ちかえり、あの渓流へ、投げ込んでくれ。たのんだぞ」
夕加茂は、武蔵の胸に、顔をうずめた。
夫婦というもの
「すまぬ!」
すくめた肩へ、坊主頭《ぼうずあたま》をねじ込むようにして、火焔坊が、武蔵の前に平伏したのは、夜が明けて早々に、離れに入って来て、いきなりであった。
「吉岡道場を甘く看たのは、この火焔坊一代の不覚であった」
火焔坊は、昨夜、武蔵が敵娼《あいかた》の夕加茂と離れにひきとってから、すぐ、吉岡道場へおもむいたのであった。
清十郎ならびにその高弟たちを前にして、火焔坊は、宮本武蔵なる兵法者が、扶桑第一の室町兵法所当主として、充分に一騎討ちするに足りる芸者《げいしや》であることを、述べたてたのであった。
すでに、吉岡道場では、宮本武蔵の挑戦を黙殺する評議をすませていたところであった。
火焔坊が、いかに、とうとうと三寸の舌を掉《うご》かしても、当主清十郎は、黙然として、挑戦に応ずる気色を示さなかった。
火焔坊は、石地蔵に向って、説きたてているようなばからしさに、|むなくそ《ヽヽヽヽ》のわるい思いをして、ひきあげて来た。
結果は、この青楼に、武蔵がいるのを教えたことになり、高弟の一人が、討手として乗り込んで来たのであった。
「すまぬ! 面目ない!」
火焔坊は、率直に、詫《わ》びた。
武蔵は、無表情で、
「高弟の一人を、斬ったからには、吉岡清十郎は、受けて立たざるを得まい。御坊が、道場へおもむいたのは、無駄《むだ》ではなかった」
と、云《い》った。
「ふむ。そう云われれば、たしかに――」
火焔坊は、合点してから、
「おれは、今朝、もう一度、吉岡道場へ行って来る。お主が、昌山庵《しようざんあん》に戻っていてくれれば、清十郎の返辞を持って行くぞ」
と、云った。
「その必要はないと思うが……」
「いや、おれとしては、黙って、待っているのは、気がすまぬ」
火焔坊は、巨《おお》きな躯幹《くかん》を、気ぜわしげに動かして、出て行った。
武蔵が、腰をあげたのは、それから半刻《はんとき》後であった。
夕加茂は、武蔵のために、心をこめて茶粥《ちやがゆ》をつくったのを、せめてもの愉《たの》しい思い出として、送り出さなければならなかった。
武蔵は、別離にあたって、一言も、優しい言葉をのこさなかった。
昨夜、抱いた時、
「わしが死んだら、骨をひろって、故郷へ持ちかえり、あの渓流《けいりゆう》へ投げてくれ」
とたのんだ――その言葉で、胸裡のすべてを告げたようであった。
夕加茂は、庭へ降りた武蔵に、縁側で両手をつかえて、
「行っておいでなされませ」
と、云った。
これは、一夜妻が、客の来訪を待つ遊女の挨拶《あいさつ》であった。
しかし、夕加茂は、その挨拶に、必死の思いをこめた。
吉岡清十郎との試合に、必ず勝って、もう一度、自分を一夜妻として抱いて欲しい、という願いで、夕加茂の胸は熱くなっていたのである。
店を出た時、武蔵は、自分より一歩さきに出た客の後姿へ、目をとめた。
それが、昨夜、自分に向って、高言をあびせた佐々木小次郎であることは、すぐに判《わか》った。
四尺あまりの長剣を背負うたその長身は、通行人の目をそばだたしめるに足りた。
それと気づかずに、むこうからやって来た者をして、すれちがいがけに、はっと、道を避けさせる、鬼気迫るものを、小次郎は、あたりに撒《ま》いていた。
廓《くるわ》の大門を出て、ものの十歩も行った時であった。
突然、松林から奔《はし》り出て、小次郎の行手をさえぎった者があった。
武蔵は、はっとなった。
淡路の七助であった。
「佐々木小次郎と見受けた。尋常の勝負を所望! それがしは、鳴門流《なるとりゆう》兵法淡路|七助《ななすけ》――」
そう名乗って、七助は、右手を懐中にして、身構えた。
小次郎は、じっと見据《みす》えていたが、
「尋常の勝負を挑《いど》むにしては、顔つきが険しすぎるぞ。意趣があってのことだろう」
と、云った。
「おのれの胸にきけ」
「身共を恨む者は、十指ではかぞえ足らぬ。そっちで、なんの意趣か、申せば、思い出してくれよう」
「万寿《ます》という娘を、おのれは、手ごめにしたことがあろう」
「万寿?」
小次郎は、思い出そうとしたが、記憶に甦《よみがえ》らぬようであった。
七助は、いよいよ、表情を険悪なものにして、
「おのれが、故郷《くに》の巌流館《がんりゆうやかた》で、手ごめにした娘だ!」
と、叫んだ。
「故郷に於《お》いても、手ごめにしたのは、一人や二人ではない。万寿というのがどの娘か、思い出さぬ」
「く、くそっ!」
七助は、総身の血汐《ちしお》を逆流させると、小次郎の背後に立つ武蔵に向って、
「武蔵殿、見分してつかわされ。この横道者めは、わしの妻を、犯して居《お》り乍《なが》ら、思い出しもせぬのじゃ。生かしてはおけぬ。鳴門流兵法をもって、討ちとってくれる」
と、云った。
武蔵は、黙って、腕を組んでいた。
小次郎の方は、すでに、武蔵がうしろから来ていることを知っていたとみえて、振りかえろうともせず、
「淡路七助とやら、勝負に条件をつける」
と、云った。
「条件とは――?」
「お主の女房は、そこいらの木立の蔭《かげ》に、身をひそめて居るのではないか?」
「それが、どうした?」
「ここへ呼ぶがよい。勝負を見とどけさせろ」
「なにをっ?」
「身共が、勝ったら、もう一度、抱いてくれよう。女房に、そう云いつけておけ」
「なんじゃと?」
七助の面が、朱になった。
「おい、そこいらに身をひそめて居る万寿とやら、姿を見せろ。思い出してくれよう」
小次郎が、呼んだ。
武蔵は、七助が奔り出て来た松林の中へ、視線を送った。
じっとしゃがみ込んでいる万寿の姿が、見わけられた。
万寿は、動こうとしなかった。
七助が、なにか、言葉にならぬ叫びをほとばしらせた。
同時に――。
懐中から、七助の憤怒がこめられた独楽《こま》が、流星の迅《はや》さで、小次郎めがけて、飛んだ。
小次郎は、充分の余裕をみせて、右方へ跳び躱《かわ》した。
独楽は、大きく旋回して、再び、小次郎を襲った。
小次郎は、さらに右方へ、六尺余を跳躍すると、木立のきわへ立った。
独楽は、三度《みたび》、小次郎を狙《ねら》って、鋭く唸《うな》りをたてつつ、空中を截《き》った。
刹那《せつな》――。
小次郎の背中から、物干竿《ものほしざお》が、白光となって閃《ひらめ》いた。
独楽は、真二つになって、地面へ落ちた。
「お、おのれっ!」
七助が喚《わめ》いた瞬間、小次郎の長身は、かるやかにひるがえって、林の中へ馳《は》せ入った。
「万寿っ!」
七助が、絶叫した。
万寿が、身を起して、遁《のが》れるいとまはなかった。
小次郎は、万寿を当て落して、小脇《こわき》にかかえるや、
「淡路七助とやら、勝負は身共の勝だぞ。宮本武蔵も、見とどけたであろう。約束通り、女房をもらって行くぞ。明日は、返してやる」
と、云った。
七助は、
「南無《なむ》っ! 八幡《はちまん》っ!」
と、絶叫して、小刀を抜きはなった。
おのれが生命《いのち》を入れたかけがえのない独楽を両断されたばかりか、さらに、万寿を奪われようとして、七助は、狂気の形相と化した。
とたん、
「七助っ! 見苦しいぞ」
武蔵の凄《すさま》じい一喝《いつかつ》が、あびせられた。
「武蔵殿っ! ま、ま、ま、万寿を!」
「勝負は、お主の負けだ! 負けた以上、約束を守るがいい。それが、兵法者の作法だ」
「し、しかし――」
「見苦しいぞ! たかが、女子《おなご》の一人や二人、なんだ! くれてやれ」
冷酷な武蔵の言葉に、七助は、「う、う、う……」と、呻《うめ》くと、その場へ坐《すわ》り込んで、うなだれてしまった。
「……万寿は、わしの、妻なのじゃ。……わしは、万寿に惚《ほ》れているのじゃ。万寿も、わしに、惚れている」
武蔵は、かまわず、歩き出した。
七助は、林の中をすかし視《み》て、万寿を救いに行きたい衝動を示したが、武蔵の後姿へ視線を移すと、がっくりとなってしょんぼり立ち上った。
武蔵のあとへ追いついた七助は、
「万寿はもう、わしのところへは、戻っては参らぬ」
と、独語するように、云った。
「鳴門流兵法を、天下に知らせるためには、女子は、居らぬ方がいい」
「万寿は、犯されたならば、生きて居らぬと存ずる」
「死なせておけばよかろう」
「お手前には、夫婦の情など、おわかりにはなり申さぬ」
「兵法者が、妻を持ったのが、まちがって居るのだ」
「ああ! つらい! こんなつらいことが、またとあろうか! 万寿が、あやつのために、脚を押し拡《ひろ》げさせられて……、ああっ、つらい! なんぼうにも、わしは、死ぬほどつらい……」
不意に、七助は、くるっと踵《きびす》をまわすと、小次郎と万寿が消えた林へ向って、まっしぐらに奔った。
武蔵は、ちらっと振りかえったが、べつに足も停《と》めなかった。
七助は、狂おしく、妻の名を呼びたて乍ら、その林を、くぐり抜けた。
そこから、山麓《さんろく》まで、野がひろがっていたが、小次郎と万寿の姿は、見当らなかった。
七助は、|畷を《なわて》疾駆して、山麓に達すると、のどが破れるほど、妻の名を呼びつづけた。
こだまが、かえって来たばかりであった。
小次郎が、万寿をかかえて、山へ入ってしまったのであれば、もはや、さがしあてることは不可能に思われた。
「勝手にしろ! 万寿なんぞ、死んでしまえ!」
七助は、ののしりつつも、山へ踏み込んだ。
四半刻も、うろうろと、さがしまわった挙句、再び麓《ふもと》へ降りた七助は、小さな流れに沿うた土手を、ふらふらとひろって行った。
土手下に、人影がうずくまっていたが、七助は、目をくれずに、行きすぎ、十歩も遠ざかってから、なんとなく、頭をまわした。
「万寿っ!」
七助は、はじかれたように、馳せ戻ると、土手下へ、すべり降りた。
「万寿っ!」
夢中で、肩へ手をかけると、ぱっと、その手をはらいのけられた。
「な、なんだ?」
七助は、大きな双眼を、さらに二倍もみひらいた。
万寿が、哭《な》きじゃくって、すがりついて来る代りに、こっちの手をはらいのけたのである。七助は、とまどわざるを得なかった。
七助が眺《なが》める万寿の横顔は、きわめて、冷たいものだった。
「万寿!」
「さわらないで!」
「なんじゃと?!」
「あんたなんぞ……もう、良人《おつと》とは、思えん!」
「万寿! うぬは、むかしの男に、抱かれたら、わしが、いやになったのじゃな?」
「阿呆《あほ》らしい! うちは、あんたの卑怯《ひきよう》さに、腹を立てとるんじゃ」
「卑怯だと?」
「卑怯じゃないか。妻が奪《と》られるのを、指をくわえて、見とったのじゃ。卑怯者!」
「万寿、うぬは、手ごめにされたはずかしさを、ごまかすために、わしに、食ってかかるのか!」
「うちは、手ごめにされたりはせん」
「あやつが、あのまま、許してくれるような男か!」
「なにもせなんだのだから、しかたがなかろ」
「うそをつけ!」
「なにもせなんだから、せなんだというとるだけじゃ」
「本当に、なにもしなかったのだな?」
「うたぐりぶかい御仁《おひと》じゃな」
万寿は、つんつんして、そっぽを向いた。
「よし、あやつが、本当になにもせなんだか、どうか、たしかめてくれるぞ」
「ええ、ええ、どうぞ――」
七助は、万寿の前へまわると、跼《こご》みかかって、着物の裾《すそ》へ、手をかけた。
万寿は、さも、ばからしそうに、小さく、なにか呟《つぶや》いた。
七助は、その脛《はぎ》を、膝《ひざ》を、太腿《ふともも》を、むき出させた。
そして、ぐっと、股《また》を押しあけると、顔面を、そこへ、近づけた。
黒い茂みの蔭は、かわいていた。
微《かす》かな臭気が、鼻孔を刺したが、これは、万寿自身が、常ににおわせているものであった。
「どうじゃえ? 手ごめにされているかえ?」
「……む!」
七助は、そっと、そこへ唇《くちびる》をつけた。
「いや!」
万寿は、七助の首を、ぎゅうとはさみつけた。
吉岡《よしおか》家の人々
吉岡清十郎は、居室で、几《つくえ》に向って唐詩選を、ひらいていた。
清十郎が、唐宋《とうそう》の詩人にしたしむようになったのは、父憲法が逝《い》ってからほどなくであった。
そのきっかけは、昌山庵《しようざんあん》に住む沢庵《たくあん》という飄々《ひようひよう》たる僧侶《そうりよ》と知りあって、渠《かれ》から、
「死生のなんたるかを知るには、刃《やいば》の下をくぐるだけでは足り申さぬ。文学に熱中してみることも必要でござる」
と、一冊の書を渡されたことによる。
それが、唐詩選であった。
清十郎は、忽《たちま》ちにして、唐詩にとり憑《つ》かれた。剣の天稟《てんぴん》を称《うた》われていた清十郎は、自分の中に、意外の資質があることを発見したのであった。
爾来《じらい》、清十郎は、道場に在る時間よりも、居室にとじこもる時間の方を、多く持つようになって、今日に至っている。清十郎は、すでに、数百篇をものして居り、沢庵から、
「御辺《ごへん》は、天才でござるよ」
と、讃辞《さんじ》を呈されている。
清十郎は、剣を把《と》るよりも、詩作に耽《ふけ》る方が、おのれの資質に叶《かな》っている、という考えを、年毎《としごと》に強めていた。
道場に隣接する仁和寺《にんなじ》の梵鐘《ぼんしよう》が、酉刻《とりのこく》(午後六時)を告げるのをきいて、清十郎は、われにかえった。
出かけるべく立ち上った清十郎は、次の間に入って、自身で、袴《はかま》をはいた。
清十郎は、この半年あまり、夕餉《ゆうげ》を自宅では摂《と》らなくなっていた。別宅を設けていたのである。
袴をはき、扇子を腰にさした時、妻の音羽が、跫音《あしおと》を立てずに入って来て、仕切りの襖《ふすま》ぎわへ、ぴたりと坐った。出かける良人に、差料《さしりよう》を渡そうともせず、冷たい眼眸《まなざし》をあてて、
「三条大橋の袂《たもと》に、高札を立てた宮本|武蔵《むさし》に、松本左源太が、討たれました由《よし》」
と、云《い》った。
その声音は、表情よりも、もっと冷たいものであった。
清十郎は、返辞をしなかった。
「貴方《あなた》様は、それでも、宮本武蔵と試合をなさらぬご存念でございますか?」
「…………」
「左源太が討たれる前までは、名もない田舎兵法者が、名を売りたさに、高札を立てたのを、とりあう必要もないものとわたくしも存じましたので、黙って居《お》りました。なれど、左源太が討たれたいまは、貴方様の態度も、おのずからあらためられなければなるまい、と存じます。左源太が、当道場の門弟筆頭であったことは、京洛《けいらく》で、知らぬ者とて居りませぬ。その左源太が、討たれたいま、当主たる貴方様が、なお、武蔵の挑戦《ちようせん》を拒否なさるに於《お》いては、卑怯者《ひきようもの》よばわりをされるのは、目に見えて居ります。当道場の名誉にかけて、貴方様は……」
音羽が、そこまで云った時、清十郎は、廊下へ出ていた。
音羽が、眉宇《びう》をひきつらせると、
「あるじ様っ! 女子《おなご》の色香に迷うている時ではございますまい!」
と、鋭い高声を送って来た。
清十郎は、ついに、一言も返さず、玄関を出た。
清十郎は、妻を娶《めと》った時から、一度も、愛そうとする努力を払っていなかった。その容貌《ようぼう》も、挙措も、気象も、なにもかもが、きらいであった。
音羽は、片山|伯耆守《ほうきのかみ》久安のむすめであった。清十郎の父憲法が、扶桑《ふそう》第一の兵法を、後世に継ぎ続かせるために、清十郎の妻には、兵法の達人のむすめを迎えねばならぬ、と考えて、音羽をえらび、幼い頃《ころ》から許婚《いいなずけ》にしておいたのである。
片山伯耆守は、抜刀術に於いて、日本随一と称せられていた。関白|秀次《ひでつぐ》に厚遇されて、五千石をたまわっていた。
秀次が、高野山で悲運の生涯《しようがい》を終えたのちも、伯耆守は、豊臣《とよとみ》家から千石の扶持《ふち》を与えられ、慶長のはじめ、勅命を蒙《こうむ》って、参内し、磯之波《いそのなみ》という抜刀法を天覧に供し、従五位下《じゆごいげ》に叙せられていた。その時、伯耆守に任じた。
兵法者として、叙位|叙爵《じよしやく》の栄誉を蒙った数尠《かずすくな》い達人の一人であった。
そのむすめである音羽は、気位も高く、気象も激しく、小太刀による抜刀術に於いては、吉岡道場の高弟たちも、敵ではなかった。
伯耆守は、関ケ原役後、豊臣家の扶持をはなれたが、家康《いえやす》に乞《こ》われて、江戸へ下り、旗本たちに、あらたに工夫した斬引《きりび》き居合法という秘技を教えていた。
音羽は、吉岡清十郎の妻であることよりも、片山伯耆守久安のむすめであることを、誇りとしていた。
清十郎は、その高慢な妻をきらって、三年前より、別宅を設け、そこに、心から愛する女を置いていたのである。
本能寺裏手にある、人一人が通れるだけの細い小路《こうじ》に入る時、清十郎は、いつも、ほっとしたやすらぎをおぼえる。
清十郎が、格子戸《こうしど》を開けると、杉乃《すぎの》という女は、すでに、上框《あがりかまち》に坐って、迎えている。清十郎の跫音が、小路にひびくのを、ききとっているのであった。
杉乃は、禁裏に仕えるごく軽い身分のさむらいのむすめであった。
優しい気だてであったし、歌道にあかるかった。
二年前、石清水八幡《いわしみずはちまん》へ詣《もう》でた帰途、野伏《のぶせり》の集団に襲われて、母親を殺され、十八歳の身を十数人から犯されて,縊《くびくく》って死のうとしたところを、清十郎に救われ、そのまま、この家に囲われたのであった。
清十郎は、女を置くために、この家を設けたのではなかった。孤独になって、詩作に耽るために、買い入れたのであった。
結果は、杉乃を得て、妾宅《しようたく》になってしまった。
いまでは、杉乃の給仕で夕餉を摂り、夜更《よふ》けまですごすならわしになっていた。
清十郎は,盃《さかずき》を二、三杯、口にはこんでから、杉乃を視《み》た。
「そなたは、兵法者であるわしと、唐詩を作るわしと、どちらを好む?」
そう訊《たず》ねた。
杉乃は、清十郎の視線を、澄んだ眸子《ひとみ》で受けとめて、
「わたくしは、太刀をお把りになったお姿を拝見して居りませぬ」
「うむ――」
「そのお姿を、想像いたしますと、なんとのう、怕《こお》うございます」
「唐詩を作って居るわしの方が、好きなのだな?」
「はい。お机に向っておいでのお姿は、お優しゅうて……」
「しかし、わしは、吉岡道場の当主だ。剣名を維持せねばならぬ」
「はい」
杉乃は、目を伏せると、小声で、
「お辛《つろ》うございましょう」
と、云った。
「宮本武蔵という兵法者が、わしに試合を挑《いど》んで、三条大橋の袂に、高札を立てた。このことは、そなたも、耳にして居ろう」
「はい」
「道場の高弟の一人――松本左源太という男が、先走って、廓《くるわ》に遊んで居る武蔵に、試合を挑んで、斬られた」
「…………」
「高弟を斬られても、わしが、挑戦を拒んだならば、世間は、わしを、卑怯者とあざわらうであろうか。そなた、どう思う?」
「わたくしには、よくわかりませぬが……、旦那《だんな》様が、もし、おいやでございましたら、むりに、試合をあそばさずとも――」
「そなたは、わしを、卑怯者とは思わぬというのだな?」
「決して!」
「わしは、二十歳までは、扶桑第一の兵法所のあるじとして、一心不乱に、兵法修業にはげんで来た。おのれに、剣以外に生きる道はない、と云いきかせて来た。……しかし、沢庵殿と知り合って、文学というものを教えられてからは、人間が学ぶべきものは、兵法ではない、と考えるようになって来た。第一義とすべきもの……これは、兵法ではなく、文学である、と考えるようになって来た。……唐宋の詩人たちが、後世にのこした詩は、くりかえし読めば読むほど、わしを、感動させる。……それにひきかえて、剣を構えて、心気を冴《さ》えわたらせようとする時、わしを襲うて来るのは、なんともいえぬ虚《むな》しさだ。……わしは、もう吉岡道場を背負うて立つ資格を失って居る男かも知れぬ」
「…………」
奥の部屋で、嬰児《えいじ》の泣き声が、起った。
清十郎には、正妻の音羽とのあいだには、子供がなかった。杉乃は、去年の暮に、男児を産んでいた。
音羽が、このことを知って、嫉妬《しつと》の鬼になったのは、当然であった。その妬心の凄《すさま》じさが、さまざまのかたちになって、現れているのである。
杉乃が、嬰児の許《もと》へ行き、一人になった清十郎は、しばらく、杉乃の子守|唄《うた》をきいていたが、
――道場をすて、剣をすてて、この家に移り住むことが許されぬものか?
と、思った。
同じ頃合――。
音羽は、良人の居室に入って、詩稿を入れた文函《ふばこ》を、さがし出して、蓋《ふた》をひらいていた。
音羽が把り出したのは、清十郎が最近作った詩であった。
つぎつぎと詩箋《しせん》をめくっていた音羽は、やがて、おのが予感に応《こた》える一篇を発見した。
それは、はじめて、わが子を双手《もろて》に抱きあげた感動をうたった一篇であった。
詩箋を持つ音羽の双手が、顫《ふる》えた。
びりびりとそれをひき裂いた――その折であった。
廊下に、荒々しい跫音が、ひびいた。
音羽は、あわてて、ひき裂いた詩箋をふところに入れ、文函に蓋をした。
「おう、姉上か」
入って来たのは、清十郎の弟の伝七郎であった。ここ一月あまり旅に出ていて、今日、帰って来たのである。
腹ちがいなので、風貌も似て居らず、性格もちがっていた。
当時、狂暴性を帯びた青年を、「乱気者」といったが、伝七郎は、まさに、その乱気者であった。
「兄上は、また、他出か」
「女子《おなご》のところへ――」
音羽は、ひくいかわいた声音でこたえた。
「野伏に手ごめにされた公家《くげ》ざむらいの娘に、うつつをぬかして、兄上も、どうかして居る」
伝七郎は、にがにがしげに、吐き出した。
「嬰児《やや》ができたので、それを抱くのが、愉《たの》しみの模様です」
「ばかばかしい! そんな腑抜《ふぬ》けでは、宮本武蔵などという何処《どこ》の馬の骨とも知れぬ田舎者に、おくれをとるおそれもある」
「清十郎殿は、宮本武蔵と試合する存念など、毛頭ありはしませぬ」
「ばかなっ! 松本左源太が斬られたそうではないか。左源太を斬られて、黙って、すっ込んで居れるものか。……姉上も、亭主に、女子にうつつを抜かされては、面白うなかろう。場合によっては、拙者が、女子と子供を、遠方へ追いはらってもよいのだ」
「それよりも……」
音羽は、薄く笑って、
「伝七郎殿が、この吉岡道場を継がれるとよいのです」
と、云った。
「いや、当主は当主。兄上を追うことは、世間の取沙汰《とりざた》を蒙ることになる」
「わたくしは、もはや、清十郎殿に、愛想がつきて居ります。……世間のそしりを受けぬうちに、いっそ、剣をすてて、出家|遁世《とんせい》されるがよい、とさえ思って居ります」
「ふうん」
伝七郎は、じろじろと、義姉を眺《なが》めやった。
音羽は、美貌に於いては、島原の大夫《たゆう》よりもすぐれていた。
伝七郎は、その美貌にひそかにひかれていたし、また小太刀の抜刀術の名手としての彼女を尊敬もしていた。
音羽の口から、良人を憎む言葉をきかされて、伝七郎の胸は、にわかに、擾《さわ》いだ。
「兄上が、貴女《あなた》を裏切って居るのならば、姉上も、良人を裏切れば――五分と五分だな」
不意に、伝七郎は、そう云った。
音羽は、まばたきもせずに、伝七郎の視線を受けとめた。
「そのからだ、頂戴《ちようだい》できるか、姉上?」
「…………」
「条件は、兄上を血迷わせている女子と子供を、遠方へすてて来ること。如何《いかが》だ?」
「…………」
伝七郎は、音羽の返辞を待たずに、にじり寄ると、その肩を抱いた。
音羽は、拒否せず、目蓋を閉じて、からだの重みを、伝七郎の腕にあずけた。
伝七郎は、その唇《くちびる》へ、おのが口を重ねると、激しく吸った。
音羽は、伝七郎の片手が、胸へさし入れられると、唇をはなして、
「清十郎殿が憎い!」
と、呟《つぶや》いた。
「憎まれるがよい。貴女には、拙者が、まことの良人になろう」
「清十郎殿は、武蔵に討たれればよいのじゃ!」
音羽は、畳の上へ、倒され乍《なが》ら、口走った。
「音羽! もう拙者のものだぞ!」
伝七郎は、裳裾《もすそ》を捲《まく》り、掌を脛《はぎ》から内腿《うちもも》へ、すべり込ませた。
音羽は、その片手を、いったん、股奥でぎゅっとはさみつけておいて、
「伝七郎殿! 誓うてたもれ! ……わたくしを、生涯《しようがい》,すてぬと、誓うて――」
「うむ! すてぬ! 決して、すてはせぬ」
伝七郎の指は、かたい濃い秘毛の蔭《かげ》を、さぐった。
音羽は、下肢《かし》をひらいた。
伝七郎の指が、体内を侵した刹那《せつな》、音羽は、双手を頸《くび》に巻きつけて、身もだえ乍ら、
「いや! いやっ!」
と、媚《こび》をこめた叫びを発した。
しかし――。
伝七郎が、掩《おお》いかぶさって、|それ《ヽヽ》を押し入れて来た時、頬《ほお》と頬を合せ乍ら、天井に向ってひらいた音羽の双眸《そうぼう》は冷たくかわいていた。
音羽にとって、この密通は、良人に愛されぬ女の復讐《ふくしゆう》でしかなかった。伝七郎という男を、音羽は、好きではなかったのである。
官能は、燃えてはいなかった。
おのが上で、伝七郎が無我夢中で蠢《うごめ》くのを、音羽は、芯《しん》の冴えた脳裡《のうり》で、わずらわしいものにさえおぼえていた。
伝七郎が、したたかな精気の放射を終えると、音羽は、自分の方から、すばやく押しのけて、身を起すと、乱れをととのえた。
――良人は、いま頃、あの女子を抱いているのだ。
音羽は微《かす》かな悔いをはらいのけるために、胸のうちで、そう呟いた。
誘拐《ゆうかい》
三日ばかり降りみ降らずみの、鬱陶《うつとう》しい日がつづき、その朝、空が晴れわたると、京洛《けいらく》は、にわかに、夏がおとずれた暑気で、行き交う人々の服装が白くなり、挨拶《あいさつ》もこれからの数十日を堪えねばならぬ言葉になった。
吉岡清十郎は、久しぶりで、沢庵《たくあん》を昌山庵にたずねるべく、巨椋池《おぐらいけ》の畔《ほとり》を歩いていた。越後上布《えちごじようふ》の帷子《かたびら》をまとうていたが、松葉を散らした染めは、清十郎自身の工夫で、よく似合っていた。
清十郎が、沢庵に逢《あ》おうとする目的は、ふたつあった。
ひとつは、懐中にある近作の詩を、披露《ひろう》することであった。
気に入ったのを、二篇ばかり、したためて来た。いずれも、完成するまでに、十日以上も費している。
春愁
楊柳池塘燕子斜飛来飛去向誰家春風
不管女児歎吹入短牆多落花
郭公
五月孤邨聞郭公前山躑躅尚残紅傷心一片
軽陰外声入瀟瀟微雨中
清十郎にとって、沢庵の批評をきくことができるのが、詩作のはげみになっている。
去年の秋、「秋懐」という一篇を示して、
「御辺《ごへん》は、天才でござるよ」
と、讃辞《さんじ》を呈された時、清十郎は、昌山庵からの帰途、われを忘れたものであった。
[#この行1字下げ]爽気《ソウキ》ハ南澗《ナンカン》ニ生ジ、秋光ハ北淵《ホクエン》ニ遍《アマネ》ク、鱸《ロ》ハ水波ノ上ニ跳ビ、蓴《ジユン》ハ浦沙《ホサ》辺ニ老ユ、云々
という詩は、作りあげた時は、あまりに技巧をこらしすぎた、と思っていたのである。
沢庵にほめられてから、清十郎は、自信を得た。それまで、沢庵は、決して、ほめてはくれなかったのである。むしろ、けなす方が多かった。
いま、懐中にしている二篇は、自分でもかなりの詞藻《しそう》を駆使した自負がある。
沢庵が、なんと批評してくれるか、愉《たの》しみである。
そして、その批評を受けたあと、清十郎は、もうひとつの相談をする肚《はら》であった。
剣をすてる。
そのことであった。
剣をすて、吉岡道場を出て、杉乃と嬰児《えいじ》をともなって、山科《やましな》あたりに閑居したい。その意嚮《いこう》をもらしたならば、沢庵は、なんと云《い》うであろうか。
沢庵の賛意を得たならば、清十郎は、明日にも、実行したいと考えている。
ゆるやかな坂道を登って行き乍ら、清十郎は、沢庵が、きっと賛成してくれるに相違ない、と思った。
昌山庵は、陽盛《ひざか》りの中で、ひっそりとしていた。
清十郎は、庭へまわった。
「まだ、托鉢《たくはつ》から戻られぬのか?」
清十郎は、空虚な座敷へ、近づいて、失望をおぼえた。
縁側によった清十郎は、ふと、床の間へ、視線を置いた。
等身大の普賢菩薩《ふげんぼさつ》のわきに、それを摸した一尺ばかりの像が、置いてあった。
摸して、およそ、これほど似ていない像はなかった。
その面貌《めんぼう》は、菩薩ではなく、人間そのものであった。のみならず、最もなまぐさい、精気をみなぎらせた、剽悍《ひようかん》とさえいえる悪相であった。
これは、あきらかに、普賢菩薩をけがしている、といえる。
普賢菩薩は、釈迦《しやか》の右方の脇士《きようじ》である。左方の脇士である文殊菩薩《もんじゆぼさつ》が智慧《ちえ》の表現であるのに対して、行願の表現で、慈悲をつかさどる。延命の徳があるのを以《もつ》て、延命菩薩とも称《よ》ばれている。
その貌《かお》は、文殊よりもさらにおだやかで、慈悲をただよわせていなければならない。
「これは、まるで、不動だ!」
清十郎は、唖然《あぜん》として、呟いた。
その折、次の間で、人の気配がしたので、清十郎は、振りかえった。
沢庵に養われている城之助が、そこにいた。
清十郎は、よもや、と思い乍ら、
「この仏像は、そなたが彫ったのか?」
と、訊《たず》ねた。
城之助は、顔をこわばらせて、かぶりを振った。
「いったい、誰が彫ったのか?」
「…………」
城之助は、こたえなかった。
清十郎は、床の間へ寄ると、仏像を把《と》りあげて、あらためて、しげしげと見まもった。
その貌から受ける印象は、やはり、堪えがたいほどの不快感であった。
――これは、よほど業念の熾《はげ》しい人間が、彫ったものに相違ない。しかし、それならば、なぜ、摸すのに、不動をえらばなかったのか?
その疑惑で、じっと凝視していると、庭さきに人影が、さした。
視線を移した清十郎は、はっとなった。
――この男だな。
そう直感した。
蓬髪《ほうはつ》、敝衣《へいい》の青年が、四肢《しし》をひとくくりにした狸《たぬき》を、ぶら携《さ》げていた。
眼光の鋭さは、なみなみならぬものがあり、ひきむすんだ口もとにも、肩にも、狸をぶら携げている拳《こぶし》にも、大地を踏んだ双足にも――五体すみずみにまで、鋭気がみなぎっていた。
「城之助!」
大声で呼び、城之助が走って来るや、
「皮を剥《は》いでおけ」
と、狸を渡しておいて、座敷へ上った。
「身共は、吉岡清十郎と申す」
清十郎が名のると、対手《あいて》は、無表情で、
「存じて居《お》り申す。十一年前、それがしは、お手前様に、道場にて、突きを胸にくらって、失神いたした」
と、云った。
「十一年前?」
「平田無二斎の使いとなって、毒酒を持参し、その罪を問われた小わっぱでござる」
「おお!」
清十郎は、思い出した。
「で――いまは、御辺は、なんと名のられる?」
「宮本|武蔵《むさし》」
「………!」
清十郎は、口をひらいたが、言葉が出ぬまま、武蔵の炯々《けいけい》たる眼光を、受けとめた。
「吉岡殿には、この昌山庵に、それがしが在ることを、ご存じなくて、お立ち寄りなされたか?」
「う、うむ。……身共は、沢庵殿に、会いに参った」
「和尚《おしよう》殿は、いまだ、遠方でござる。……ここで、再会いたしたのも、縁《えにし》と申せる。試合の儀、ご承諾頂きたい」
武蔵は、申し入れた。
清十郎は、沈黙した。
武蔵は、つづけて、云った。
「十一年前、それがしは、道場の門前へ、抛《ほう》り棄《す》てられた時、必ず、この大看板をはずしてみせる、とおのれに云いきかせ申した。是非とも、それがしの挑戦《ちようせん》を、お受け下され」
清十郎は、それにこたえるかわりに、
「この仏像は、御辺が、刻まれたか?」
と、訊ねた。
「左様――」
武蔵は、うなずいた。
清十郎は、また、しばらく沈黙を置いてから、
「試合の儀は、おことわりいたさねばならぬ」
と、云った。
「なにを理由に?」
「身共は、剣をすてる所存で、沢庵殿にその相談をいたすべく、ここへ参った」
「剣をすてる?」
武蔵は、信じられぬ言葉をきいた険しい表情になった。
「莫迦《ばか》なっ! そんな莫迦なことはないっ! 吉岡道場の当主が、剣をすてるとは――。それとも、なにか、病痾《びようあ》にさいなまれている、とでも申されるのか?」
武蔵は、激しい気魄《きはく》で、迫った。
清十郎は、病痾はない、とこたえた。
武蔵は、自分に納得できる説明を、もとめた。
清十郎は、
「他に、生甲斐《いきがい》を見出した、と申そうか」
と、こたえて、懐中にした詩箋《しせん》を、武蔵にさし出した。
「楊柳池塘《ようりゆうちとう》、燕子《えんし》斜めに飛び来《きた》り飛び去りて、誰《た》が家に向う。……いったい、この漢詩が、どうしたといわれる?」
「兵法修業よりも、詩作の方が、わが性根に合うている、と知った、と思われるがよい」
「莫迦なっ!」
武蔵は、もう一度、吐き出した。
しかし、詩箋をすぐに突きかえすことはせず、清十郎の顔と詩箋を、見くらべていたが、あらためて、「春愁」「郭公」の二篇を、黙読しはじめた。
やがて――。
武蔵は、詩箋を清十郎に、返して、
「兵法と詩作が、両立せぬ筈《はず》はない」
と、云った。
清十郎は、微笑して、
「詩作している時の悦《よろこ》びを知ったため、剣を構えた時、虚《むな》しさをおぼえるようになっては、兵法者としては、失格でござろう」
「判《わか》らぬ! 判り申さぬ!」
武蔵は、叫ぶように云った。
「御辺は、女子《おなご》を愛したことがおありか?」
「いや――」
武蔵は、脳裡《のうり》に、ちらと非業《ひごう》の最期《さいご》を遂げた|さき《ヽヽ》の俤《おもかげ》が掠《かす》めたが、きっぱりとかぶりを振った。
「身共は、一人の女子を愛し、その女子の産んだ嬰児《やや》を愛して居り申す」
「…………」
「御辺は、兵法修業と女子供を愛することもまた、両立する、といわれるか」
「…………」
「身共との試合の儀、あきらめて頂きたい」
清十郎は、目礼して、座を立った。
武蔵は、何か激しい言葉を送り出しかけたが、ぎゅっと奥歯を噛《か》んだ。
清十郎を憤怒させる出来事が起ったのは、それから三日後であった。
仁和寺《にんなじ》の梵鐘《ぼんしよう》が酉刻《とりのこく》を告げると、清十郎は、道場を出た。
宵《よい》を迎えても、京の街は、暑気が散らなくなっていた。
川畔へ、夕涼みに行く通行人でにぎわった往還をひろい乍《なが》ら、清十郎は、山科《やましな》の閑居で、杉乃《すぎの》と嬰児とすごす光景を、想《おも》いえがいていた。
杉乃は、嬰児を寐《ね》かしつけて、蚊帳《かや》の中にいる。自分は、庭さきで、降るような星空を仰ぎ乍ら、詩作に耽《ふけ》っている。杉乃が、そっと蚊帳から出て来て、うまいお茶をはこんで来てくれる。そして、自分が口ずさむ新作に、杉乃は、かたわらに控えて、つつましく、耳をすます。
静かな、美しい宵のひとときなのだ。
人間の幸せとは、これではなかろうか。
清十郎は、本能寺裏手の細い小路《こうじ》に入って行き乍ら、ひとり微笑した。
しかし――。
格子戸《こうしど》を開けると、当然、そこに迎えているべき杉乃の姿が,上框《あがりかまち》になかった。
「………?」
不審のままに、座敷に上った清十郎は、人の気配のない静寂に、
「どうしたというのだ?」
と、呟《つぶや》いた。
他の時刻に、用足しに出ることはあっても、この時刻には、必ず、待っている杉乃であった。
――なにか、よくせきの急用でも起ったか?
杉乃のいないこの家の空虚さが胸にこたえ乍ら、清十郎は、几《つくえ》に向いかけて、その上に、一通の封書が置いてあるのをみとめた。
表には、「吉岡清十郎殿」とあり、裏には、「宮本武蔵」としたためてあった。
不吉な予感にかられつつ、披《ひら》いてみると――。
[#この行1字下げ]『兵法試合の儀、御承諾なき時は、女子と嬰児の生命は無之《これなき》ものと御覚悟あるべく、両名の身柄《みがら》一時お預り仕《つかまつ》り候《そうろう》。試合の後、お返し申すべく』
清十郎の顔面から、全く血の気が引きさった。
「卑劣なっ!」
普賢菩薩を摸して、不動に近い悪相を刻んだ男は、やはりそれだけの邪悪の根性の持主であったのだ。
「……許せぬ!」
清十郎は、叫ぶと、手紙をひき裂いた。
道場へ帰って来た清十郎は,急遽《きゆうきよ》門弟一同を呼集するように命じた。
清十郎が、高弟たちに一言も相談せずに、いきなり、道場に詰めた七百余人を前にして、
「宮本武蔵の挑戦《ちようせん》を受けることにいたした」
と、宣言している時、妻の音羽は、小倉山の麓《ふもと》にある尼寺《あまでら》の庫裡《くり》で、伝七郎と、忍び逢うていた。
「杉乃という女子を、どこへ拉致《らち》されたぞえ?」
音羽は、伝七郎に身を凭《よ》りかけ、股間《こかん》の奥を弄《もてあそ》ばれるにまかせ乍ら、訊ねた。
「それは、そなたにも明かせぬ」
伝七郎は、にやにやした。
不意に――。
音羽は、妙な嫉妬《しつと》の情にかられた。
この伝七郎という男を、好きでもないのに、音羽は、ひとつの疑惑をわかせると、かっとからだが熱くなった。
「伝七郎殿――」
「なんだな?」
「そなた、杉乃を、もう、犯したのではないかえ?」
「ふふふ……」
「さては――」
音羽は、さっと身を起して、居ずまいをただした。
「犯したのじゃな?」
「そんなことは、どうでもよかろう」
「いいえ、どうでもよくはありませぬ。わたくしは、杉乃と同じように、貴方《あなた》からもてあそばれるのは、誇りが許しませぬ」
「同じようには扱っては居らぬ」
「いいえ! 貴方が、杉乃を犯したのであれば、清十郎殿の立場に入れかわっただけのことではありませぬか。もし、清十郎殿が、宮本武蔵に敗れて、一命を落すようなことがあれば、貴方は、わたくしを妻にし、杉乃を妾《めかけ》にして、のうのうとすごされるのか?」
「嫉心か。……止めてもらおう」
伝七郎は、荒々しく、音羽を抱きすくめると、また、股間の奥へ片手をさぐり入れようとした。
「いやっ!」
音羽は、身もだえると、伝七郎の耳朶《じだ》に噛みついた。
飯粒
「どういうのであろうな、これは?」
長い托鉢《たくはつ》の旅から帰って来た沢庵《たくあん》は、三条大橋を渡って来て、その袂《たもと》に、通行人の足を停《と》めさせている高札へ、歩み寄ってみて、怪訝《けげん》の首をかしげた。
高札は、二つ立てられていた。
ひとつは、吉岡《よしおか》清十郎に対する宮本武蔵の挑戦であった。もうひとつは、その試合を承諾した吉岡清十郎の応答であった。
武蔵が指定した日時は、明日|払暁《ふつぎよう》であった。
沢庵には、武蔵の挑戦はうなずけた。しかし、これを承諾した清十郎の心が、合点しがたかった。
宮本武蔵が高名の兵法者ならば、吉岡道場としては、面目上、受けて立たざるを得ないであろう。武蔵は、どこの馬の骨とも知れぬ無名の男である。吉岡家としては、これを黙殺しても、べつに、体面が傷つく筈もない。
武蔵は、
[#この行1字下げ]『此《この》挑戦之儀、もし万一拒絶さるるに於《お》いては、当日、別に高札を立てて、其許《そこもと》の卑怯《ひきよう》を、天下に嗤《わら》うべし』
と、高札に附記しているが、吉岡家にすれば、これは無名の兵法者の勝手な口上である。
室町兵法所としては、斯様《かよう》な申入れを、いちいち肯《き》き入れているわけにはいかぬ、という態度を示しても、べつに世間は、卑怯の取沙汰《とりざた》はすまい。
まして、沢庵が知っている清十郎の人柄は、こうした挑戦に応じる血気を持っていないのである。
――近頃《ちかごろ》のあの仁は、道場のあるじであることさえ、わずらわしげな様子であったが……?
にも拘《かかわ》らず、武蔵の挑戦を、受けている。沢庵には、納得がいかなかった。
沢庵は、吉岡道場を訪ねてみることにした。
「あるじは、他出いたして居《お》ります」
門弟の言葉に、むなしく、玄関から踵《きびす》をまわした沢庵は、門を出た時、
――もしや?
と、清十郎の行先を思った。
沢庵は、本能寺裏手にあるその別宅を、知っていたのである。
その家の格子戸《こうしど》を、沢庵が開けた時、あたりは、宵闇《よいやみ》につつまれていた。
沢庵は、屋内に灯《ひ》がないので、
――ここではなかったか?
と思い乍《なが》らも、念のため、案内を乞《こ》うてみた。
奥に、人の気配があった。
「上らせて頂こう」
ことわって、沢庵は、草鞋《わらじ》をぬいだ。
清十郎は、座敷にいた。あかりもつけず、黒い影になって、几《つくえ》に向かっていた。
「どうされた?」
沢庵が、訊《たず》ねると、清十郎は、ようやくわれにかえって、立つと、灯を入れた。
「不調法のていを、おみせいたす」
頭を下げて、詫《わ》びた。
「女子衆《おなごしゆう》や嬰児《やや》は――?」
沢庵が、問うと、清十郎は、かぶりを振り、
「宮本武蔵に、人質として拉致され……」
と、ひくく吐き出した。
「武蔵に?!」
沢庵は、大きく目をみはった。
清十郎は、家に残された「宮本武蔵」の書状を、沢庵に渡した。それは、二つにひき裂かれていた。
一読して、沢庵は、
「武蔵が、このような卑劣なまねをするとは、信じられぬが――」
と、云《い》った。
「沢庵殿は、昌山庵《しようざんあん》から、ここへ参られましたか?」
「いや、三条大橋の高札をみて、まっすぐに、こちらをおたずねしたが……、武蔵は、昌山庵に身を寄せて居りますのか」
清十郎は、五日前、昌山庵を訪問し、武蔵に会った旨《むね》を、語った。
自分は、剣をすてる存念なので、試合の儀はことわる、と返辞をし、ついでに、いまのおのが心懐と状況を説明しておいたところ、これに対して、卑劣な手段に訴えて来た。
語るうちに、清十郎は、怺《こら》えきれぬ憤怒で、身を顫《ふる》わせた。
「信じ難い!」
沢庵は、くりかえした。
「武蔵という男、兵法試合をするために、生まれて来たような一刻者ではあるが、そのために、如何《いか》ような卑劣な手段もえらばぬ、という恥知らずではない。それは、わっぱの頃から見知っているこの沢庵が、はっきりと申せる」
「しかし、げんに、こうして、置手紙を残して居り申す。他に、このような仕業《しわざ》をたくらむ者があるとは、考えられません」
「…………」
沢庵の脳裡《のうり》に、清十郎の妻音羽の顔が、ちらりと泛《うか》んだ。
しかし、その名を口にするのは、流石《さすが》に、はばかられた。
武蔵は、淡路の七助の舟の艪《ろ》で作った枇杷《びわ》の木太刀を、もう一寸ばかり短く切り、そして細めに、削りなおしていた。
この木太刀で、明朝、吉岡清十郎と試合をするつもりであった。
かたわらで、城之助が、息を詰めて、見まもっていた。
武蔵は、城之助が話しかけないかぎり、おのれの方からは、絶対に口をきかなかった。
二人の間には、もう二刻《ふたとき》近くも、沈黙があった。夕餉《ゆうげ》がおわってから、はじめられたので、かなりの時刻になっていた。
武蔵は、黙々として削りつづけ、城之助も、一言も話しかけずに、じっと見まもっている。
ようやく――。
武蔵は、削りおわって、しばらく、青眼《せいがん》に構えていたが、
「城之助」
と、呼んだ。
「はい」
「飯粒を一粒、持って来い」
「はい」
城之助は、いそいで、台所へ行って、飯粒を掌《てのひら》へのせて来た。
「そこへ、仰臥《ぎようが》して、鼻のあたまへ、それをのせろ」
「…………」
城之助は、ちょっと、ためらった。
「心配要らぬ」
城之助は、仰臥すると、飯粒を鼻のあたまへのせた。
武蔵は、片膝《かたひざ》を立てると、城之助の顔の上で、まず青眼に構えた。
城之助は、目蓋《まぶた》を閉じた。
曾《かつ》て、大坂の市《まち》に近い浜辺で、城之助は、頭にかなりな大きさの石をのせて、武蔵から、木太刀で二つに割られたことがある。その時、城之助は、いささかの衝撃も蒙《こうむ》らなかった。
いまは、武蔵は、鼻の上に飯粒をのせて、これをま二つにしようとしている。
米粒ではなく、飯粒をえらんだのは、なにかの考えがあってのことに思われる。
城之助は、武蔵が、すうっと、木太刀をふりかぶる気配を感じた。
城之助は、武蔵の剣を天才と信じている。しかし、やはり、不安はあった。怕《こわ》かった。
城之助の五体が、ぎゅっと縮まり、固くなった。
「えいっ!」
凄《すさま》じい懸声とともに、宙を截《き》る木太刀の唸《うな》りが、城之助の顔面へ降った。
それきり……静寂が来た。
城之助は、鼻のあたまに、微《かす》かな異常もおぼえなかった。
城之助は、そっと、目蓋をひらいてみた。木太刀は、鼻のあたまへ、撃ちおろされたまま、ぴたりと停められていた。
武蔵の表情は、かなり険しいものになっていた。
飯粒は、ま二つにされて居らず、鼻のあたまと木太刀のあいだに、そのままのかたちをとどめていた。
木太刀が、すっと揚げられると、飯粒は、それにくっついて来た。
「……米粒なら、ま二つにできたが――」
武蔵が、呟《つぶや》いた時、いつの間にか帰って来て、縁側に立っていた沢庵が、
「飯粒を、吉岡清十郎に、みたてたか」
と、笑い乍ら、云った。
すると、武蔵は、その飯粒を、木太刀から取って、宙へはじきあげざま、落ちて来るのを、片手撃ちに、びゅんと、斬《き》った。
やはり、ま二つにすることは叶《かな》わず、飯粒は、切先に、ぴたりとくっついた。
「未熟だ!」
武蔵は、おのれをあざけって、飯粒をつまみ取ると、口に入れた。
沢庵は、座に就くと、
「吉岡清十郎に、逢《お》うて参った」
と、告げた。
「…………」
武蔵は、黙って、沢庵を視《み》かえした。
「吉岡清十郎が、なぜ、お主の挑戦に応じたか、お主の方には、その理由が判《わか》って居るかな?」
「理由? 気持が変っただけのことでござろう」
「いや――」
沢庵は、かぶりを振った。
「吉岡清十郎には、別の家に囲うている惚《ほ》れた女子がいた。その女子と女子の産んだ嬰児が、拉致された。手紙がのこしてあり、宮本武蔵の名で、兵法試合を承諾せぬ時は、女子と嬰児の生命《いのち》は無きものと覚悟せよ、と……」
「莫迦《ばか》なっ!」
武蔵は、叫んだ。
「わしに、おぼえはない! そんな卑劣な手段をとってまで、試合をする武蔵ではない。……御坊は、それを、わしの仕業と信じられたのか?」
「いや、信じはせなんだ。信じはせなんだが、何者の仕業にせよ、清十郎が、応諾の高札を立てた以上は、試合は避けられぬ、と思った」
「…………」
「吉岡清十郎という兵法者、生まれた家をまちがえたようだ。畿内《きない》随一の兵法道場の嫡男《ちやくなん》に生まれ、父親の意嚮《いこう》にしたがって、その京流を後裔《こうえい》にまで継がせるために、一流兵法者の娘を妻にもらった。その妻たるや、心|驕《おご》って、冷血で、しかも、石女《うまずめ》である。清十郎自身は、兵法よりも、唐詩作りに情熱を傾けたい文藻《ぶんそう》の人である。と来ては、これは、生まれた家をまちがえた、としか云い様がないの」
「拉致した下手人が判明するまで、試合をのばしてもよい」
武蔵は、云った。
「もうおそい。吉岡は、高札で、応諾の公示をしてしもうた」
沢庵は、云ってから、立ち上って出て行こうとしたが、ふと、首をまわして、
「明朝の試合、お主が勝つか、吉岡が勝つか――それは、当人にも判るまいが、対手《あいて》の構えを看《み》て、手加減の工夫は、できぬものであろうかな?」
と、訊ねた。
「…………」
武蔵は、黙っていた。
「できぬものであろうな」
云いすてて、沢庵は、居室へ去った。
その夜のうちに、沢庵は、清十郎に書状をしたためて、城之助を使いとして、持たせてやった。
「先生――」
廊下に、門弟の声がした。
「寅刻《とらのこく》(午前四時)であります」
「うむ」
清十郎は、やおら、起き上った。
殆《ほとん》ど睡《ねむ》っていなかった。
「湯漬《ゆづ》けを召上りますか?」
「いや――。茶と梅干だけでよい」
清十郎は、ゆっくりと身仕度をし乍ら、昨夜おそく届けられた沢庵の手紙の内容を、思い出していた。
杉乃《すぎの》と嬰児《えいじ》を拉致《らち》したのは、自分ではない、と宮本武蔵が強く否定したこと。拙僧も、それを信じる。御辺《ごへん》には、できがたいことであろうが、一時の恥をしのんで、試合を放棄されては如何《いかが》であろうか。そして、道場を、伝七郎殿にゆずって、隠居されることを、おすすめしたい。御辺は、まだ、人生五十年のうちの半ばに達したばかりの若さである。文学の徒として生きるには、充分の歳月を、将来に持っている。拙僧は、御辺の文藻を高く評価するがゆえに、おすすめするのである。
手紙は、そういった内容であった。
清十郎は、沢庵のすすめにしたがおうと考えた。
しかし――。
夜が更《ふ》けるにつれて、清十郎は、杉乃と嬰児を拉致したのが、宮本武蔵でないとすれば、二人はもはやこの世の者ではあるまい、という思いをつよくしたのであった。
拉致した下手人が何者であるか、およその見当がついたからである。
杉乃と嬰児がもはやこの世の者でないとすると、山科《やましな》あたりに閑居する希望は断たれたのである。
清十郎は、約束通り武蔵と闘う肚《はら》をきめたのであった。
清十郎は、道場へ出た。
見分させるべくえらんでおいた門弟十人が、すでに、控えていた。
清十郎は、黙って、茶を喫し、梅干を一粒口に含んだ。
それから、門弟たちに向って、これは一騎討ちであるゆえ、試合途中はもとより、たとえ自分が敗れても、絶対に手出し無用である、と申し渡した。
あかあかと照らされた玄関に出た清十郎は、背後の気配に、頭をまわした。
妻の音羽が、そこにいた。
「…………」
清十郎は、じっと、音羽を見据《みす》えた。
音羽は、おもてを伏せた。
――相違ない! この女が、下手人なのだ!
清十郎は、確信した。
いきなり、妻を手討ちにしたい激しい衝動が起った。
それを抑えるために、清十郎は、ひとつ、深い呼吸をして、足早に、玄関を出た。
門を出て行き乍ら、ふっと、
――生きて再び、この門をくぐれぬかも知れぬ。
不吉な予感をおぼえた。
清十郎は、その予感をふりはらおうとはせず、暁闇《ぎようあん》の往還を歩き出した。
試合場になった蓮台野《れんだいの》は、紙屋川の西にひろがる原野であった。
公卿《くげ》がたが、葬儀をとり行なうことで知られたところで、人家はなく、彼方《かなた》此方《こなた》に、歴朝の皇陵が、盛りあがっている。
そういう野であるから、吟遊の風流人でさえ、杖《つえ》をひくこともなく、白昼といえども、人影は絶えて居り、掠《かす》めるものといえば、野生の生きものだけであった。
憎悪《ぞうお》心中
靄《もや》の中で、夜明けが来た。
床几《しようぎ》に腰を下した吉岡清十郎も、その後方に控えた門弟十人も、靄の中で、しわぶきひとつたてずに、動かずにいた。
武蔵が指定した時刻は、暁であったが、明けてからすでに、半刻《はんとき》以上が過ぎていた。
靄の奥から、近づいて来る人の気配は、さらになかった。
ようやく――。
門弟たちは、苛立《いらだ》って来た。
一人が、「来るのか、来ないのか?」と独語するのをきっかけにして、三人ばかりが、動いた。
それぞれ、別々の方角へ、歩いて行き、すかし視《み》ていたが、もとの位置へひきかえして来た。
「怯《お》じ気づいたのかも知れぬ」
「いや、この靄のはれるのを待っているのだろう」
「近くにひそんでいるというわけか」
私語しあっている時、一人が、
「来たぞ!」
と、叫んだ。
一同は、緊張した。
清十郎だけは、床几から立たなかった。
黒い影が、靄の中に滲《にじ》み出た。
いったん、立ち停《どま》ったが、すぐに、大股《おおまた》に近づいて来た。
「先生!」
清十郎は、呼ばれると、かぶりを振った。
「あれは、武蔵ではない」
十歩ばかりの距離に近づいて来て、立ち停った者を、清十郎も門弟たちも、黙って凝視した。
只者《ただもの》ではなかった。
眉《まゆ》の底に光る褐色《かつしよく》の双眸《そうぼう》も異常なら、鼻梁《びりよう》の高さも、肩に散らした総髪の朱《あか》さも、六尺を二、三寸も越えた長躯《ちようく》も、すべて、尋常ではなかった。
「越前《えちぜん》一乗谷の牢人《ろうにん》・佐々木小次郎、御辺と宮本武蔵との試合を見分いたす」
拝見と云《い》わずに、見分と云ったところに、この人物の傲慢《ごうまん》な気象が示された。
「ご随意に――」
清十郎は、こたえた。
小次郎は、つづけて、云った。
「御辺の得物、拝見いたす」
清十郎のわきに、刀架が据えてあり、それに、日頃《ひごろ》道場で使い馴《な》れた木太刀が、一振り架けてあった。
清十郎が黙っていると、小次郎は、無遠慮に手をのばして、把《と》った。
それは、鞘付《さやつ》きの木太刀であった。鞘付きの木太刀は、居合用で、清十郎が、音羽を娶《めと》った時、片山|伯耆守《ほうきのかみ》から贈られた品であった。
瘠《や》せ形の華奢《きやしや》なつくりで、反《そ》りは浅く、長さも二尺三寸であった。当時の木太刀は、普通三尺以上、肉太の頑丈《がんじよう》なのが、好まれた。二尺三寸は、小太刀に属した。
どうかすると、四尺以上の木太刀を用いる兵法者や武辺者がみられた。伊達政宗《だてまさむね》の家臣遠藤文七郎、原田左馬介など、朝鮮遠征に於《お》いては、六尺の木太刀を、金具をつけ、緒紐で、肩にかけていた。
木太刀にも、その刃部に、鉄の筋金を嵌《は》め込んだのもあった。また、振出し剣というのもあった。
慶長五年、馬庭念流《まにわねんりゆう》・樋口定次《ひぐちさだつぐ》と,天流《てんりゆう》・村上天流斎が、試合して、後者が勝ったことがある。天流斎が、振出し剣を用いたからである。振出し剣は、木太刀に真剣を仕込み、一見ただの木太刀とみせかけ、試合をして、いざ、敵に撃ち込む際、木太刀とみせかけた鞘を飛ばして、真剣で斬《き》るしかけになっているのであった。
「ふむ」
小次郎は、小太刀の木太刀を、ひと振りしてみて、
「この赤樫《あかがし》は、寿命が尽きて居る」
と、云った。
あざけるような口調であった。
清十郎は、沈黙を守っている。
門弟たちが、憤然となった。一人が、声をあらげて、
「試合の前、不吉なことを申されるなっ!」
と、小次郎を睨《にら》みつけた。
「事実を申して居る」
小次郎は、冷然として、
「疑われるなら、寿命の尽きて居る証拠をみせてもよい」
「それには、及ばぬ」
清十郎が、云った。
小次郎は、木太刀を刀架にもどすと、
「なろうことなら、腰の真剣を使われい」
と、云いのこして、大股に遠ざかった。
高札を読んで、見物しようと、夜明け前に家を出て来た者も、すくなくなかったに相違ない。しかし、その場所へ、一人も近づくことが叶《かな》わなかった。吉岡道場の門弟たちが、蓮台野に入る二筋の道をふさいで、見物しようとする人々を、はばんだからである。
もし、武蔵が、その二筋の道のいずれかを歩いて来たならば、門弟のうち、誰かが、先に奔《はし》って、報《しら》せに来る筈であった。
武蔵は、まったく別の方角から、蓮台野へ入って来る、と思われた。
靄がのこりなくはれて、薄陽《うすび》がさして来た時、武蔵は、不意に、清十郎と門弟十人の背後に、雑木の林の中から出現した。
「来たっ!」
門弟の叫びに、清十郎は、床几から立ち上って、向きなおった。
武蔵は、着流しで、襷《たすき》もかけて居らず、寸を縮めた木太刀を、左手に携《さ》げていた。跣《はだし》であったし、腰に、刀も帯びていなかった。
清十郎は、小次郎から寿命が尽きたと云われた赤樫の木太刀を把った。
距離は、二十歩あまりあった。
清十郎は、しかし、すぐに、青眼《せいがん》に構えた。京流の作法は、敵の姿を――それが、いかに遠くであっても――見出した瞬間に、構えをとることであった。
武蔵の方は、艪《ろ》を削った枇杷《びわ》の木太刀を、だらりと携げたなりで、ゆっくりと進んで来た。襤褸《ぼろ》にひとしいその小袖《こそで》は、雨に振りかかられたように、濡《ぬ》れていた。
武蔵は、実は、昨夜のうちに、この蓮台野に来て、雑木林の中で、夜霧に濡れて睡《ねむ》ったのである。
七、八歩に迫った時、武蔵は、いったん立ち停って、
「吉岡殿、それがしは、御辺《ごへん》と試合をするために、卑劣な手段など、とらぬ」
と、云った。
「下手人は、判明いたした」
清十郎は、こたえた。
「では、尋常の勝負を――」
「うむ! 参ろう」
清十郎は、構えを上段に移した。
武蔵が二歩ばかり進むや、清十郎は、突如として、奔った。
奔り寄る清十郎に対して、武蔵は、左半身になって、木太刀を、突き出した。
清十郎が、これを、ぱあん、と払いあげた。
刹那《せつな》――。
赤樫は、真二つに折れ飛んだ。
「うむ!」
清十郎は、折れた木太刀をすてて、腰の差料《さしりよう》の柄《つか》に、手をかけた。
武蔵には、清十郎が、抜きはなつのを待つ余裕があった。
ぎらっと白い光芒《こうぼう》が、宙に閃《ひらめ》いた瞬間、武蔵は、清十郎の頭上へ、木太刀を振り下した。
清十郎は横薙《よこな》ぎにした構えで、そして、武蔵は、頭蓋《ずがい》を搏《う》った構えで――両者は、その残心の構えを、ほんのしばし、固着させた。
まず――。
清十郎が、かっとみひらいていた双眸を、徐々にふさいだ。
武蔵が木太刀を引くのと、清十郎が膝《ひざ》を折るのが、同時であった。
三、四歩後退した武蔵は、くるっと踵《きびす》をまわすや、非常な足早さで、遠ざかって行った。
門弟たちが、倒れ伏した清十郎のそばへ、馳《は》せ寄った。清十郎は、昏倒《こんとう》していたが、頭蓋は、砕けてはいなかった。
雑木の林ぎわで、武蔵を待ち受けていたのは、佐々木小次郎であった。
武蔵は、小次郎と視線を合せたが、無表情で、脇《わき》を抜けて行こうとした。
「お主――」
小次郎は、呼びとめた。
「お主は、まず、吉岡清十郎に勝った。しかし、身共が見とどけたところでは、まことの勝ではなかった」
「…………」
「吉岡清十郎は、精根が乏しく、心気がみだれて居った。すなわち、闘う前に、すでに、試合をすてていた。したがって、お主の勝は、自慢にならぬ」
「…………」
武蔵は、射込むような激しい小次郎の眼眸《まなざし》を、無言で、受けとめたままであった。
「お主自身も、清十郎が試合をすてているのを看《み》てとって、わざと、止め撃ちにして、頭蓋を微塵《みじん》にせなんだのではないのか?」
「…………」
「お主のかけひき、強さは、敵の息の根を止める容赦のない性情から発している筈《はず》だが、面妖《おか》しい! この試合は、ばかげて居る」
「…………」
「試合をすてた兵法者などに、手加減する必要があろうか!」
武蔵は、しかし、ついに、口をひらかずに、雑木林の中へ、消えた。
清十郎が、意識をとりもどしたのは、戸板にのせられて、数町もはこばれてからであった。
清十郎は、目蓋《まぶた》をひらいた。
夏雲の白さが、目にしみた。
――生きていた。
清十郎は、自分に呟《つぶや》いた。
生きていることに、悦《よろこ》びよりも、虚《むな》しさをおぼえた。
室町兵法所の当主吉岡清十郎は、今日を以《もつ》て、ほろび果てたのである。昨日までは、むしろ、それをのぞんでいた清十郎であった。
しかし、無名の兵法者に、敗れ去ったいま、やはり、胸を侵して来たのは、生きていることの虚しさであった。
今日からは、世間からさげすみの目で見られる廃人となった、という気持を払うべくもなかった。
清十郎は、吉岡道場へ、戸板にのせられたまま、かつぎ込まれることに、堪えがたい屈辱をおぼえた。
しかし、清十郎は、わが家で、為《な》さねばならぬことがあった。
門前へ戻り着くと、清十郎は、戸板を地面へおろさせ、起《た》ち上った。
眩暈《めまい》が襲って来て、よろめいたが、門弟が支えようとする手を振りはらって、清十郎は、一歩一歩、踏みしめた。
表玄関には、誰の指図か、一人も出迎えてはいなかった。
清十郎は、居室に入った。
そのまま、倒れ込みたいのを、必死に怺《こら》えて、床柱に凭《よ》りかかると、疼痛《とうつう》と眩暈に堪えた。
伝七郎が、ずかずかと入って来た。
「兄者、ぶざまな負であったそうだな?」
冷やかに、あびせかけて来た。
「…………」
「佐々木小次郎とか申す兵法者が、兄者の得物を視て、寿命が尽きている、と云ったそうなが、どうして、考慮せずに、それを使ったのか? はじめから、真剣で立ち合えばよかったのだ」
「伝七郎、お前は、わしが負けるのを、のぞんでいたのではないのか?」
「ばかな! 吉岡道場の恥をのぞむわけがない」
「わしが、負ければ、お前が、あとを継ぐことができる」
「兄者は、出家|遁世《とんせい》するつもりか?」
「出家などせぬが、道場は、明日から、お前のものだ」
「室町兵法所を継ぐからには、兄者が蒙《こうむ》った恥は、雪《そそ》ぐ」
「べつに、恥を雪いでくれとは、たのまぬ」
「いや! このままでは、すまさぬ。宮本武蔵という奴《やつ》、この伝七郎が、必ず撃ち殺してくれる」
伝七郎は、昂然《こうぜん》と胸を張って、云った。
「音羽を、呼んでくれ」
清十郎は、命じた。
伝七郎は、ちょっと、猜疑《さいぎ》の表情をつくったが、出て行った。
清十郎は、宙に双眸を据えて、身じろぎもせずに、待っていた。
音羽は、なかなか現れなかった。
ようやく、衣《きぬ》ずれの音が、廊下にした。
音羽は、入って来ると、
「伝七郎殿に、道場をゆずられたとか……」
と、云った。
「うむ――」
「貴方《あなた》様は、どうなさるのです?」
「…………」
「いとしい女子《おなご》と子供の許《もと》へ、行かれるのですか?」
「生きて居れば、だ」
「…………」
「音羽――、杉乃《すぎの》と嬰児《やや》を、どこへかくした?」
「そんなこと……、わたくしが、知っている筈がありますまい」
「そなたの仕業《しわざ》ではない、と申すのか?」
「存じませぬ、一向に――」
「そうか、知らぬ、というのか」
「存じませぬ」
音羽は、良人《おつと》が、苦しげに、俯《うつむ》くのを、冷やかに、見まもった。
突如――。
清十郎が、脇に置いた差料を、つかんだ。
音羽は、はっとなって、起《た》とうとした。
「地獄へ往《い》けっ!」
呶号《どごう》とともに、白刃が、抜きつけに送られて来たのを、音羽は、かわすいとまはなく、懐剣を鞘《さや》ごと抜いて、受けた。清十郎は、撃ち込んだまま、ひと息入れねばならなかった。
音羽は、憎悪をこめて、睨みあげつつ、懐剣を抜く隙《すき》をうかがった。
「……むっ!」
清十郎は、ぱっと、白刃を振りかぶった。
音羽は、なにか鋭い叫びをほとばしらせ、懐剣を抜きざまに、突きかけて来た。
清十郎は、その突きをかわしたとたん、床の間へ倒れた。
「死ねっ!」
音羽は、夜叉《やしや》の形相で、襲いかかった。
伝七郎が、駆けつけて来た時、夫婦は、折り重なって、仆《たお》れていた。
音羽の懐剣は、良人の胸を貫き、清十郎の差料は、|はばき《ヽヽヽ》から二寸あまりのところを、妻の頸根《くびね》へ、食い込ませていた。
伝七郎は、夫婦ともに事切れているのをたしかめて、
「ふん――」
と、鼻を鳴らすと、部屋を出た。
廊下を大股に歩き乍《なが》ら、
「おれは、やる! 宮本武蔵を、真二つにしてくれる!」
と、うそぶいた。
残党
太鼓に合せて、猿《さる》が踊っている。唐人姿の少年と少女が丈余の空中へ張った綱を渡っている。牢人者《ろうにんもの》が、二間をへだてて、戸板に凭《よ》りかかった娘の顔や頸《くび》や脇腹《わきばら》へすれすれに、手裏剣を撃ち込んでいる。百面相もいる。胸に掛けた箱の上で、人形に猥褻《わいせつ》な営みを演じさせている傀儡師《くぐつし》もいる。四十雀《しじゆうから》使いもいる。
広い六条河原も、毎月|朔日《ついたち》になると、何処《どこ》からともなく、さまざまの見世物師が、一尺の空地もあまさず場所取りして、得意の芸で、客を呼ぶならわしができていた。
このならわしは、三年前からできた。
三年前――慶長五年十月朔日、天下分け目の合戦に敗れて、捕虜となった石田|治部少輔三成《じぶしようゆうみつなり》、小西行長《こにしゆきなが》、安国寺恵瓊《あんこくじえけい》の三人が、この六条河原で、首を刎《は》ねられた。
この時、引導を渡す役目は、七条道場|上人《しようにん》であった。
上人が三人の前に立って、十念(南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》の名号を十回となえること)を授けようとすると、三成も行長も恵瓊も、一斉《いつせい》に、冷笑して、これを拒否した。
三成は法華宗《ほつけしゆう》であり、行長は切支丹《キリシタン》であり、恵瓊は禅宗だったからである。
三成は、処刑奉行の奥平信昌《おくだいらのぶまさ》を呼び、
「われらは、念仏の代りに、見物の諸人の中から、芸の達者をえらんでもらい、これを眺《なが》めて、死出の土産にいたしたい」
と、申し入れた。
奥平信昌は、承知すると、家来に命じて、蝟集《いしゆう》した見物人につたえさせた。
それに応《こた》えて、十人あまり、竹矢来の中に入って来て、妙技を示した、という。
爾来《じらい》、朔日になると、六条河原で、見世物師が、その芸を競うならわしができた。
かれらの目的は、見物人の鳥目《ちようもく》をかき集めることよりも、大名に買われることにあった。
聚楽第《じゆらくだい》繁盛の頃《ころ》、出雲《いずも》の於国《おくに》が、佐渡をまわって、京へ出て来て、三条河原に小屋掛けして、歌舞伎《かぶき》芝居を興行した。この一座は、座がしらの於国をはじめ、全員が女で、しかも、黒髪を短く切り、男装をして、刀をさし、対馬守《つしまのかみ》とか長門守《ながとのかみ》とか丹後守《たんごのかみ》とか名のって、今様を歌い、舞った。
衆道のさかんな時世であったので、武将たちは、男装の歌舞伎女を、あらそって、買った。
大名が、「芸人を買う」ようになったのは、この時からであった。
芸人としては、何様お抱えになれば、多額の収入になり、箔《はく》が付いた。
いわば、六条河原の見世物興行は、大名の買い待ちといえた。
この朝――。
河原の東寄りの一角で、十重もの人垣《ひとがき》をつくらせている見世物師がいた。
独楽《こま》芸であった。
まず直径五寸あまりの大独楽をまわして、左手の甲にとまらせておき、その上へ、つぎつぎに、小振りの独楽をのせてゆき、およそ十五、六もの独楽を積んでおいて、一挙に崩した――とみた瞬間、一個のこらず、あるいは頭上で、あるいは肩で、指の上で、廻転《かいてん》させる、という鮮やかな技を披露《ひろう》したのである。
次には、双手《もろて》を同時に振って、二個の独楽を、空高く翔《か》けあがらせ、しばらく、宙に溶け入らせて唸《うな》りだけをひびかせておき、口笛を合図に落下させて、両の肩にとまらせる見事な芸当を演じてみせた。
但《ただ》し――。
当人は、ひどく仏頂面《ぶつちようづら》で、拍手|喝采《かつさい》をあびても、にこりともせず、頭も下げず、終始無言であった。
鳥目がばらばらと投げられると、黙々として、ひろい集め、その場へ胡座《あぐら》をかくと筍《たけのこ》の皮をひらいて、焼飯を頬《ほお》ばりはじめた。
見物人から、もっと見せろ、とせがまれても、ぶすっとして、返辞もしなかった。
見物人があらかた散った頃合であった。
淡路の七助《ななすけ》の前に立って、
「お主の業を、買い申そう」
と、申し入れた者があった。
七助は、ぎょろっと巨《おお》きな双眼を、仰がせた。
猿――まさしく、造化の神が、その皺《しわ》一本にも、猿猴《えんこう》に似せるべく、丹精こめた、といえそうな面貌《めんぼう》であった。
七助と同じく、筒袖《つつそで》に、葛袴《くずばかま》をはいていたが、刀だけはちゃんと大小を帯びていた。
「いずれのご家中か?」
七助は、訊《たず》ねた。
すると、猿ざむらいは、なぜか、にやっとした。顔中が、皺になった。
ひょいと、首を突き出すと、
「われらがあるじは、百万石相続の器量人でござる」
と、云《い》った。
「どういうことじゃ?」
七助は、こやつ性根が狂っているのではないか、と訝《いぶ》かった。
「つまり目下は、得度剃髪《とくどていはつ》されて居《お》り申すが、好機再びひらけなば、われらがあるじは、禅衣の下に腹巻を着し、法師あたまに兜《かぶと》をいただき、三軍を叱咤《しつた》して、葵《あおい》の紋の旗じるしをふみにじってくれんずと、朝《あした》に韜《とう》|※[#「金+今」]《けん》を誦《ず》し、夕《ゆうべ》に兵機を練って居られる、というあんばいでござる」
「なんじゃ」
七助は、ばかばかしげに、かぶりを振った。
「関ケ原の役に、石田治部少輔に味方して、さんざんに敗北して、領土を失うて、どこかにかくれて居る大名、というわけか」
「はやく申せばそうなる」
「おそく云うても、そうじゃ。……徳川方に睨《にら》まれた乞食《こじき》大名に、随身する阿呆《あほう》が、居ろうか。ばかばかしい」
「まあ、きかっしゃい。お主とても、われらがあるじの高名を耳にすれば、ただの乞食大名ではない、と合点されるであろうて」
「誰人じゃ?」
「元信州上田城の城主|真田安房守昌幸《さなだあわのかみまさゆき》殿ならびに、その次男|左衛門佐幸村《さえもんのすけゆきむら》殿――。どうでござる、このご父子が、いかに気概に富み、名節を重んじ、楠木正成《くすのきまさしげ》以来の大将才を具備されていることは、すでにきき及んで居られよう」
「…………」
七助は、関ケ原役では、真田昌幸、幸村父子が、西軍に味方して、江戸から信濃路《しなのじ》を進んで来る徳川|武蔵守秀忠《むさしのかみひでただ》の軍勢を、上田城に拠《よ》って、迎撃し、さんざんになやまし、そのために、秀忠が関ケ原に到着したのは、合戦の終った二日後で、父|家康《いえやす》の激怒を買った、という取沙汰《とりざた》ぐらいは、耳にしていた。
しかし、真田父子が、百万石相続の器量人であるなどという噂《うわさ》は、きいたこともなかった。
「ははあん、お主は、われらがあるじの豪邁有為《ごうまいゆうい》の天質を、まだご存じないかと思われる。されば、説明つかまつる」
猿ざむらいは、述べはじめた。
曾《かつ》て――。
本能寺の変があって、織田信長《おだのぶなが》の覇業《はぎよう》も、その人とともに忽焉《こつえん》として亡《ほろ》びた後、徳川家康は、織田|信雄《のぶかつ》を援《たす》けて、羽柴《はしば》筑前守《ちくぜんのかみ》であった秀吉《ひでよし》と対抗することになった。
家康は、後顧のうれいを絶つべく、小田原|北条《ほうじよう》氏と講和をむすび、甲州を家康、上州を氏直《うじなお》が切取ることになった。
当時、真田昌幸は、信州から上州に攻入って、利根、吾妻《あずま》両郡をおさめ、沼田城を占拠して嫡男伊豆守信幸《ちやくなんいずのかみのぶゆき》をして、守らせていた。
家康は、昌幸に対して、沼田城を北条氏直に引渡すように命じた。昌幸は、これを拒否した。
すでに、秀吉と織田信雄の和睦《わぼく》は成ったが、家康は、真田昌幸に対しては憤《いきどお》りを抑えることができずに、大久保忠世《おおくぼただよ》、鳥居元忠ら六将に命じて、大兵を発して、上田城を攻囲させた。
昌幸の方は、日頃から、この事のあるべきを予期していたので、越後《えちご》の上杉景勝《うえすぎかげかつ》に応援をもとめておいて、徳川勢を城下にひきつけ、智略《ちりやく》縦横、さんざん撃破した。徳川勢は、景勝の援軍が寄せて来るときこえたので、這々《ほうほう》のていで、ひきあげた。
この戦いでは、次男幸村はまだわずか十六歳であったが、五百の兵を率いて、城から抜け出ると、森林をくぐって、鳥居元忠の殿《しんがり》軍を奇襲し、一挙に二千余を殺し、さらに敗走するのを二里余を追い散らしておいて、颯《さつ》とひきかえし、高砂《たかさご》の曲を口ずさみ乍ら、悠々《ゆうゆう》と帰城した、という。
いわば、家康にとって、真田父子は、多年の宿怨《しゆくえん》を有する小面憎い存在であった。
本来ならば、関ケ原役後、真田父子を捕えて、首を刎ねてしまうところであった。
ところが、家康は、父子を許した。のみならず、徳川方に味方した嫡男の伊豆守信幸には、その父の遺領を継襲させ、増封までほどこし、十一万石の大名にしたのである。これは、すなわち、真田昌幸、幸村父子が、いかに非凡の将才を具備しているか、という証左であった。家康は、信幸に説かせて、昌幸、幸村父子を、徳川家に随身させようという肚《はら》なのである。
父子が応諾すれば、家康は、ただちに二十万石以上の領土を与えるに相違ない。
しかし――。
いま真田父子は、高野に入って、おのおの得度剃髪し、昌幸は一翁閑雪《いちおうかんせつ》、幸村は伝心月叟《でんしんげつそう》と号し、山麓《さんろく》北谷の九度《くど》山に隠栖《いんせい》して、悠々自適のくらしを送っている。
そう述べたててから、猿ざむらいは、
「わがあるじは、かねがね、申されて居る。一年の計は、穀を樹《うえ》るに如《し》くは莫《な》く、十年の計は、木を樹るに如くは莫く、終身の計は、人を樹るに如くは莫し、と……。大坂城には、いまだ、太閤《たいこう》おん遺児の秀頼《ひでより》公が、在《おわ》す。日本全土には、徳川内府の下風に就くことをいさぎよしとせぬ武将が、幾百となくちらばって居る。五年後あるいは十年後、必ずや徳川家打倒の狼火《のろし》があがるに相違ない。その秋《とき》にそなえて、われらがあるじは、人材を集めて居られる」
と、説いて、にやっとしてみせた。
たしかに――。
この年――慶長八年二月十二日、徳川家康は、右大臣に任じ、征夷《せいい》大将軍を拝し、源氏長者、淳和《じゆんな》・奨学《しようがく》両院別当となり、牛車兵仗《ぎつしやへいじよう》をゆるされて、名実ともに、天下人に成り上っていた。そして、孫娘の千姫《せんひめ》を、大坂城の秀頼にとつがせることもきめてしまい、豊臣《とよとみ》家をして、摂津、河内《かわち》、和泉《いずみ》のうちの六十五万七千四百石の外様《とざま》大名におとしてしまっていた。このことを、不遜《ふそん》の振舞いとして、家康を憎む秀吉恩顧の大名らは、すくなくなかったのである。
秀吉が逝《い》ってから、まだ歳月は、わずか五年しか経《た》っていなかったからである。
いくばくかの後――。
淡路の七助は、猿ざむらいの能弁にさそわれて、本願寺門前を通って、北へ、肩をならべていた。
「……ところで」
七助は、ふと、気づいて、
「貴公は、なんといわれるのじゃ?」
「姓は猿飛《さるとび》、名は佐助《さすけ》。左衛門佐幸村殿の股肱《ここう》でござる」
「猿飛佐助!」
――貌《かお》が猿じゃから、猿飛と名づけたのじゃろうが、なにやら、この男、油断がならぬぞ。
七助は、そう思った。
やがて、七助がともなわれたのは、嵯峨野《さがの》の車折《くるまざき》神社の東にある帷子之辻《かたびらのつじ》であった。
上嵯峨、下嵯峨、太秦《うずまさ》、常盤《ときわ》、広沢、愛宕《あたご》に通じる辻であった。
帷子之辻というのは、檀林《だんりん》皇后の遺骸《いがい》を、嵯峨野に葬《ほうむ》った際、帷子が柩《ひつぎ》から落ちて、地面を舞ったことから、その名称が起った、という。
小松の林がひろがり、その中に、風雅な古びた屋敷が、ひっそりと構えられていた。
京の都に住む者なら、一瞥《いちべつ》して、これは、五摂家のいずれかの別邸と判《わか》る。
七助は、ただ、
――立派な構えじゃな。
と、眺めた。
みちびかれたのは、百畳敷きぐらいの大広間で、ひとかかえもある太柱が、天井を支えて居り、七助など、こんなだだ広い座敷など、故郷の寺院の本堂にも、見たことはなかった。
すでに、三十人ばかり、それぞれ風体《ふうてい》の変った連中が、集っていた。
七助が、座に就いた時、広縁に跫音《あしおと》がひびいた。
入って来たのは、年歯《ねんし》はまだ二十五、六歳の、眉目《びもく》凛々《りり》しい武士であった。
二間床を背にして、正座すると、声を張って、
「身共は、毛利豊前守勝永《もうりぶぜんのかみかつなが》である」
と、名のった。
その名は、大方に知れていた。
勝永の父|壱岐守《いきのかみ》勝信は尾張《おわり》の人、秀吉がまだ大いに顕《あらわ》れぬ時代からこれに随従し、各地の戦いに武勲を樹《た》て、九州が平定するに及んで、豊前の小倉六万石の城主に封ぜられ、ならびに香春城も併有して、実高十万石を誇っていた。それまでは、森姓であったのを、秀吉の命令で毛利にあらため、壱岐守と称して、九州奉行を兼ねた。勝永は、その嫡男であった。
関ケ原役が起るに及んで、父子ともに、西軍に属した。
父勝信は、本国小倉城にたてこもったが、二十二歳の勝永は、藩兵を率いて、東上し、伏見の攻城にも参加し、転じて、美濃《みの》の南宮山まで押し出して、東軍に対抗したが、大敗して、京の建仁寺に入り、処罰を待った。
勝信、勝永ともに、領土没収ののち、山内土佐守一豊《やまのうちとさのかみかずとよ》にあずけられ、家族とともに、土佐の浦戸に押送《おうそう》された。
山内一豊は有情の人物で、勝信父子に千石の捨扶持《すてぶち》を与え、勝信を城内に、勝永を郊外の久万《くま》に住まわせた。
一豊は、父子に対して、その行動については、領内に於《お》ける限り、どんな自由をも許したので、勝永の方は、もっぱら、鷹狩《たかがり》をしてすごした。
しかし、二十代半ばの血気の身が、配謫《はいたく》の閑散人として、鷹狩ぐらいで、いつまでも、うさばらしをして居るのに堪えられず、浦戸の湾から、関船《せきぶね》一|艘《そう》を、ひそかに漕《こ》ぎ出して上洛《じようらく》して来たものと思われる。
「……去る者、日々に疎《うと》し。損を避け、得に就くのは、人情とは申せ、方今、天下を眺めるに、太閤が逝かれてのち、恩顧の大名どもが、大坂に背《そびら》を向け、ただひたすら、徳川家の下僕たらんと、きゅうきゅうとして、おそれおののいて居る醜態は、御辺《ごへん》らの目にも、あまるものがあろう」
毛利勝永は、三十余人へ、鋭い眼光を送り乍ら、説きたてはじめた。
七助は、勝永のよくまわる舌を、ぼんやり眺めていた。
およそ四半刻《しはんとき》も、息もつがせず喋《しやべ》ってから、勝永は、同じ志を誓う、というのであれば、一人一人に、黄金三枚宛くばって、これより、高野山麓北谷の九度山に、真田安房守昌幸殿を訪れる、と申し渡した。
と――その時。
無遠慮に、大あくびをした者があった。
「くだらん!」
吐きすてたのは、太柱の蔭《かげ》にいた男であった。
「喪家の犬が吠《ほ》えたてて、一命をなげ出させるのに、たった黄金三枚とは、笑止。どうせ釣《つ》るなら、十枚も出すがよかろう」
ののしっておいて、ぬっと立った者を、見やったとたん、七助の顔色が一変した。
それは、佐々木小次郎であった。
殺生《せつしよう》関白遺孤
毛利勝永は、まだ二十四歳の青年であったが、大志を抱くだけあって、胆《きも》がすわって居《お》り、自制心が強かった。
佐々木小次郎の雑言に対して、勝永は、微笑をつくった。
「御辺の生命は、黄金十枚にあたいする、というのか?」
「笑止! この佐々木小次郎の業前《わざまえ》は、金子《きんす》であがなえるような安っぽいものではない」
「では、一万石相続のねうちがある、とでも――?」
「左様――、まず、三万石というところかな」
「その三万石相続の業前を、披露《ひろう》してもらおうか」
勝永は、もとめた。
「ははは……」
小次郎は、高笑いした。
「喪家の犬に、三万石を空約束してもろうて、うれしがるほど、それがしは、間抜けなお人好しではない。……それがしの業前がみたいのであれば、とりあえず、黄金五十枚も、賞品にされるがよかろう」
おのが業前は、金子であがなえるような安っぽいものではない、とうそぶき乍《なが》らも、小次郎は、その直後、やはり、本心をあらわした。
三十余人の視線を集めて、
「いかがだ、豊前守殿?」
小次郎は、冷たく薄ら笑ってみせた。
勝永は、ばかばかしげにかぶりを振ると、
「お主は、無縁の徒だ。去るがよい」
と、こたえた。
その時、
「あいや、しばらく」
声をかけたのは、七助をここへともなって来た猿飛佐助であった。
「佐々木小次郎殿、黄金五十枚の代りに、絶世の美女を賞品にいたす、と申したら、いかがされるな?」
「…………」
小次郎は、じろっと、佐助を視《み》やった。
「絶世の美女、とだけ申しても、信用なさるまい。その素性をあきらかにしておき申す。高貴の姫君でござる」
「公卿《くげ》の女《むすめ》だ、とでもいうのか?」
「左様でござる。名は伏せ申すが、高貴のお公卿のおん血すじであることは、神明に誓い申す」
「貧乏公卿の女を、買《こ》うて来て、賞品にするというのか」
小次郎は、せせら嗤《わら》った。
「絶世の美女、実は、疱瘡《ほうそう》病みの人三化七《にんさんばけしち》であった、というのが落だろう」
「なんの! 蛾眉明眸《がびめいぼう》、玉指素腕《ぎよくしそわん》、細腰雪膚《さいようせつぷ》、李花《りか》の春風に払わるるごとき、気品高き姫君であることは、拙者が、この目で見とどけて居り申す」
「おいっ!」
小次郎が、不意に、殺気を長躯《ちようく》にみなぎらせた。
「この佐々木小次郎を、からかって、ただですむと思って居るのか!」
「からかって居るなどとは、とんでもない。佐々木小次郎殿、拙者は、ご貴殿の業前がいかなるものか、すでに、承知つかまつる。ご貴殿の業前ならば、充分に三万石のねうちがあると心得るがゆえに、味方に迎えたく、敢《あ》えて、提供すべからざる|もの《ヽヽ》を、賞品にいたそう、と申し出た次第でござる」
「それならば、誰人の息女か、はっきりと云ってもらおう」
佐助は、ちょっと沈黙を置いたが、
「やむを得ぬ。申し上げる。……姫君のおん父君は、関白|秀次《ひでつぐ》様でござる。おん母君は中納言一御台菊亭晴季《ちゆうなごんいちのみだいきくていはるすえ》様の次女にあたらせられるおかたでござる」
と、云《い》った。
一座は、ざわめいた。
関白秀次の息女が、まだ、この世に生きのびて、育っている、と佐助は、云ったのである。
信じ難いことであった。
関白秀次は、八年前――文禄《ぶんろく》四年七月に、叛逆罪《はんぎやくざい》に問われて、関白職を剥奪《はくだつ》され、高野山に送られ、そこで切腹して相果てている。そして、越えて八月には、その夫人藤原氏と三人の子供,寵妾《ちようしよう》とその子供たち三十八人は、三条河原で、斬《き》られているのであった。
秀次は、三好一路《みよしいちろ》の長男で、その母は豊臣秀吉の異母姉(瑞龍院日秀《ずいりゅういんにつしゆう》)であった。永禄十一年に生まれ、一時は宮部継潤《みやべけいじゆん》の養子になり、のち阿波《あわ》の三好|康長《やすなが》の養子となって、三好孫七郎と称したこともあった。
天正《てんしよう》十九年に、秀吉の養子となり、その年の暮には、内大臣に進み、秀吉から関白職をゆずられて、聚楽第《じゆらくだい》に居を構えた。
やがて、秀次は、世人から、殺生関白といういまわしい呼び名を与えられ、その乱行はまさに悪鬼の所業にも似ている、と誇大な取沙汰《とりざた》をされた。
秀次が、狩猟を嗜《たしな》み、女色を好んだのは、事実であり、気象も短気であったことは、その行状から察しられた。しかし、世人が噂《うわさ》するような残忍非道の人物ではなかった。
殺生関白、という醜名をかぶせられたのは、正親町《おおぎまち》院崩御の御一七日も過ぎないうちに、鹿狩《しかがり》を催したことである。これを関白職にあるまじき振舞いとして、公卿衆以下世人は、非難したのである。
きわめて中性的な公卿衆が、百余年間、さんざんにいためつけられた武士に対して、時世が治ってから、なにかにつけて、侮蔑《ぶべつ》反感の態度を示すようになった――その一例といえた。
いつの世も、成上り者は、軽蔑される。秀吉もまた、太閤となり乍ら、公卿衆から、軽蔑されていた。太閤となったが、征夷《せいい》大将軍になれなかったのも、その素性のいやしさのためであった。足利義昭《あしかがよしあき》の猶子《ゆうし》になって、望みを達しようとして、失敗している。
聚楽第を築いて、天皇の行幸を仰いだりしたが、徒労であった。
宮廷の人々はじめ、京都の住民たちは、政権が次つぎと覇者《はしや》の手に移るのを眺《なが》め乍ら、おのが身を守ることに狡猾《こうかつ》な智慧《ちえ》をやしなっていた。他国から乗り込んで来る武士に対して、表面では、いんぎんに、おだやかに、かれらの力を利用したが、絶対に心を許さず、内心では、軽蔑していた。
秀吉が、贅《ぜい》をつくした聚楽第に、いくばくも住まず、関白職を秀次にゆずったのを機会に、これを与えて、新たに築いた伏見城に移り、秀次を処罰した直後、聚楽第を毀《こわ》してしまったのも、理由のひとつは、そこにあった。
富と力をもって、豪華雄麗の建物をつぎつぎとつくり、茶湯、花見などの大宴遊会を催し、天下を挙げて享楽《きようらく》の気分を煽《あお》って、桃山時代という一時期をもたらした秀吉は、しかし、宮廷の公卿衆を抱き込むことだけは、成功しなかった。
宮廷の公卿及び京都の住民たちは、秀吉の富と力を費した所業を、黙って、冷やかに眺めただけである。
秀吉の最後の大宴遊は、慶長三年の醍醐《だいご》の花見であるが、そのために、渠《かれ》は数回も醍醐に下見分におもむき、醍醐三宝院を再建し、新道をつくり、その左右に桜樹を植えさせ、泉水の水をかえ、滝を落し、名石をはこばせ、寝殿を新築し、築地《ついじ》をつらね、古い二王門を見苦しいと毀して、新しい二王門を馬場の前に建てた。
醍醐三宝院は、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、湯屋、三門、そして五重の塔ことごとく、建てなおされたくらいであった。
まさに、破天荒の豪華な花見であった。
にも拘《かかわ》らず、この花見には、秀吉が願った天皇行幸はなされず、堂上公卿は一人さえも参加しなかった。
公卿衆が、いかに成上り者秀吉を軽蔑していたか、その証左である。
まして――。
その養子である秀次が、関白となり乍ら、どれほどの甚《はなはだ》しい侮辱を蒙《こうむ》っていたか、容易に想像がつく。
正親町院崩御の御一七日も過ぎないうちに、秀次が、鹿狩を催したのは、宮廷とは、全く無関係なくらしをしていたことであり、催せば忽《たちま》ち、殺生関白の汚名をかぶせられた。
武弁殺伐の気風のみなぎった時代であった。秀次に、いささかの粗暴の振舞い――北野へ鹿狩におもむく途中、通行の盲人に無礼の挙動があったと怒って、その右腕を斬り落したごとき――があったとしても、べつにあやしむには足りぬ。
その小疵《しようし》を剔抉《てつけつ》し、細瑾《さいきん》を誇大に云いふらして、いかにも、秀次が、鬼畜のような性情の持主であると、秀吉の耳に入れたのは、秀頼《ひでより》を産んだ淀君《よどぎみ》の側近のしわざであった。
秀頼が生まれてから、秀吉の盲愛は、あさましいくらいであった。五十八歳でもうけた唯一《ゆいいつ》の実子であった。盲愛をそそがぬのが、おかしいくらいである。
秀頼を盲愛するとともに、秀吉は、養子秀次をうとましい存在と思うようになった。
淀君とその側近は、そこにつけ込んだのである。
秀次には、叛逆の気持など、みじん毛頭もなかった。叛意を抱く理由もなかった。
秀次は、むしろ学者|肌《はだ》の人物であった。古人の筆蹟《ひつせき》を愛し、京都の金蓮寺の開基であり、尊円親王《そんえんしんのう》の直門流であった素眼|和尚《おしよう》の筆蹟が、京都四条の質屋に入れられてあるときいて、秀次は、これを受け出して、表紙を修補し、朱を添えて、金蓮寺に返している。奈良の僧徒を召して、『源氏物語』を写させたことは、『多聞院《たもんいん》日記』に記されている。
秀次自身、尊円親王の直門流を習って、すこぶる運筆の妙を得ていた。
五山の僧徒、有職《ゆうそく》家、神道《しんとう》家、歌人、記衆らに命じて、謡曲百番を校正註釈せしめた事実もある。これは、秀次に、謀叛《むほん》沙汰の起る一月ばかり前のことである。秀次に、叛意のなかった反証となる。
秀次は、淀君とその側近によって、叛逆者にされたのであった。
文禄四年七月三日――。
秀吉は、石田|三成《みつなり》、増田長盛《ましたながもり》を、聚楽第に遣して、謀叛の企てがある疑いを、詰問《きつもん》させた。
秀次は、七枚つづきの誓紙をしたためて、異心のないことを陳《の》べた。
しかし、秀吉の疑惑は霽《は》れず、同月八日、前田玄以《まえだげんい》を遣して、秀次を召喚した。
秀次は、伏見城へおもむいたが、秀吉は謁見《えつけん》を許さず、関白の位を剥奪し、高野山の木食上人《もくじきしようにん》に命じて、厳重な監視のもとに、青巌寺に幽閉してしまった。そして、程なく、福島正則《ふくしままさのり》ほか二名を遣して、秀次に自決を逼《せま》った。
秀次は、割腹した。二十八歳であった。
秀吉は、秀次を自決せしめたことまでは、知っていた。
しかし――。
秀次の夫人藤原氏とその三人の子供、そして、寵妾とその子ら三十八人を、洛中引きまわしの上、三条河原で斬ったことは、秀吉の命令ではなく、秀吉自身ついに知らされなかった。
淀君とその側近がやってのけた残忍な暴挙であった。
眷属鏖《けんぞくみなごろし》は、八月二日の朝であった。
『甫庵《ほあん》太閤記』は、そのあわれなさまを、次のように記している。
[#この行1字下げ]……追い立ての官人ら、とくとくと声々に急ぎつる有様あわれなり。とても叶《かな》わぬ道にせまりし事を、各々《おのおの》覚悟し給《たも》うて、三十余人の衆よろぼい出給えば、物のわけを知らぬ河原の者、小肘《こひじ》つかんで引き立て、車一|輛《りよう》に二、三人ずつ引き乗せ奉《たてまつ》るさえ、若君姫君の御事さま、さてもさてもと云わぬ者もなく、その身の事は申すに及ばず、見物の貴賤《きせん》も、どうと泣き出し、しばしば、物のわけもきこえざりけり。世に在りし時は、花やかなる有様にてあるべきが、昨日に今日は引きかわり、白き出立ちの他はなし。若君姫君を御乳姆にも早や添い参らせず、御母親の膝《ひざ》の上に抱き給いしに、何心もなくおちもここへなんとのたまうのも、いたけなさ、憐《あわ》れさ、この上あらんとも覚え侍《はべ》らず。三条河原に着しかば、車より抱き下し奉りぬ。各々秀次公の御首の前へ、われ劣らじと、はらはらと寄り給い、伏し拝み候《そうら》いしさま、浅からず見えにけり。
その朝――。
三条河原には、二十間四方に、濠《ほり》を掘って、鹿垣《ししがき》をめぐらし、橋の下南には、三間の塚《つか》を築いて、その上に、秀次の首級を、西向きに据《す》えてあった。
これは、夫人及び側妾らに、拝ませるためであった。
死にのぞんで、彼女たちは、それぞれ、辞世をしたためた。
[#この行1字下げ]ああ、心ある哉《かな》。人より先にと思えるかたもありて、太刀取りの前へ急ぎ給うもあり。また人よりあとにと臆《おく》したるもありて、さまざまとりどりに、哀れなり。こは如何《いか》に、と見るところに、五十|許《ばか》りなる鬚男《ひげおとこ》の、そのさまより心も荒げに見えしが、さも美しき若君を、狗《えのこ》の引き下ぐるように物し、二太刀に刺し候えば、御母親ほか一同|哭《な》き立て給いけり。見る人たちの袖《そで》も打ちしおれ、声を添えしも理《ことわり》なり。三歳になり給いし姫君、母上お辰のお方(十九歳)へ抱きつき、我をも害し侍るか、と仰《おお》せければ、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と唱え候え、父関白殿にもやがて逢《あ》い侍るぞ、と念仏すすめ候えば、愛《う》いことに、十遍ばかり唱え給う。愛きことの限りなきことなるべし。荒げなる河原の者ども云いけるは、左様にあこがれ給いても、叶わぬ事なりとて、母上の御膝より奪い取りて、胸もとに二太刀刺して、投げ棄《す》てにけり。いまだ、びくびくとし給うに、母上は心も狂《く》れまどい給わん許りなるに、さもなくして、まずまず、我を害し侍れよとて、西に向い給えば、御首は前に在り、見る目も昏《く》れて、肝魄《きもたま》も消えはて、われからなくぞ覚えける。はや、八、九人も害し、かばねを若君の上に打ち重ねければ、心ならずか、女房走り寄り、関白家の御子の上に、かくあればとて、重ね侍るものか、奉行は何のためぞ、斯程《かほど》の事をも別し候わぬか、とさんざんに罵《ののし》り侍れば、それよりけしき物なりて見えにけり。憐れなるかな、悲しいかな、斯く痛ましくあらんと兼ねて思いなば、見物に出でまじきものをと、千悔の声々も多かりけり。三十余人、斬り重ねければ、河水も色を変じたり。
まことに、惨たる光景であった。
「実は、それがし――」
猿飛佐助は、大声をあげた。
「あるじ真田左衛門佐幸村より、あわれなる上臈《じようろう》とその子らを、一人でも救えるものなら、救うて参れ、と下知を受け、凶刀をふるう河原の者に身をかえて、三条河原へおもむいて居ったのでござる。……なにさま、奉行以下百余の検見役人の監視下でござったれば、ようやく、お一人しか、刺し殺したとみせかけて、お救い出来なかった次第でござる。そのおかたこそ、当時九歳の一御台菊亭晴季様の孫姫でござった。……お判《わか》りかな、佐々木小次郎殿。姫君が、それがしの申し上げることならば、どんなことでも、すなおに、おききとどけ下さることが――」
そう云って、佐助は、にやっとしてみせた。
姫君
夜が、かなり更《ふ》けていた。亥刻《いのこく》(午後十時)をまわって、かなり経《た》つ。
淡路の七助は、鹿《しし》ケ谷《たに》奥の竹藪《たけやぶ》の中に、うずくまって藪蚊に襲いかかられ乍《なが》ら、待っていた。
竹藪にかこまれて、一軒家があった。洩《も》れ灯《び》にすかして視《み》ただけで、荒れかたがひどかった。構えはかなりのもので、生垣《いけがき》をめぐらし、庭も広く取ってあった。
南禅寺道に沿うた家や、鹿ケ谷の聚落《しゆうらく》には、これほどの構えは見当らず、公卿《くげ》の別荘であることは、疑いを入れなかった。
七助は、その家から、絶世の美女が忍び出て来るのを、待っているのであった。
真田左衛門佐幸村《さなださえもんのすけゆきむら》の股肱《ここう》と称する猿貌《さるがお》の男に、たのまれたのである。
「うるさいっ!」
七助は、払っても払っても、顔面にとびついて来る執拗《しつよう》な藪蚊の群に、いい加減|苛立《いらだ》ち乍ら、二刻《ふたとき》ばかり前の、帷子之辻《かたびらのつじ》の古屋敷の庭に於《お》いてくり展《ひろ》げられた試合を、思い泛《うか》べていた。
三試合が行なわれ、三人の芸者《げいしや》が死んだ。勝利を一人占めしたのは、佐々木小次郎であった。
庭に降り立って、挑戦者《ちようせんしや》を待つ小次郎に対して、十人あまりが応じて、座を立った。猿飛佐助が、関白秀次の忘れがたみを賞品にしたほかに、毛利勝永が、黄金十枚を三方にのせて、小姓にはこばせて来たからであった。
最初の挑戦者は、戦場|槍《やり》に満々たる自信を持った鬚武者《ひげむしや》であったが、一間|柄《え》をくり出した瞬間、それを両断され、腰の差料《さしりよう》へ手をかけるいとまもなく、脳天から唐竹割《からたけわ》りにされた。
二番手は、十本の手裏剣と小太刀を得物にしており、どうやら伊賀《いが》か甲賀の忍び者であったが、投げた手裏剣を一本のこらず、搏《う》ち落され、小太刀を閃《ひらめ》かせて地を蹴《け》り、宙を翔《か》けたが、地上へ戻った時には、その双脚を刎《は》ねられていた。
三番手は、四尺以上の長剣を、大上段にふりかぶって、猛虎《もうこ》のように突撃したが、胴を薙《な》ぎはらわれて、そのまま、泉水へとび込み、水面を紅に染めてしまった。
勝永が、その試合までで、中止させたが、中止させなくても、名のりをあげた挑戦者たちは、すでに怯《お》じ気立ってしまっていた。
ところで――。
その三試合の間、猿飛佐助は、七助に、ひそかに、ささやいていたのである。
「佐々木《あやつ》は、不敗だ。この座にいる者のうち、勝てるのは一人も居《お》らぬ」
「小次郎が不敗と知って、どうして、関白秀次殿の姫君を、賞品にするのじゃ」
「あやつを討ち取るためには、好餌《こうじ》を投げねばならぬ」
「討ち取る?」
「あやつ――佐々木小次郎は、拙者の仇敵《きゆうてき》でござる。憎みてもあまりある仇敵でござる」
佐助は、告げた。
真田家には、六連銭組、という忍者の一隊が組織されていた。安房守昌幸《あわのかみまさゆき》が、甲信の諸郡を鎮定した頃《ころ》に、つくられたのである。
左のごとき逸話が、のこされている。
天正十三年八月二日、家康《いえやす》が、大久保忠世《おおくぼただよ》、平岩親吉《ひらいわちかよし》、鳥居元忠、柴田康忠《しばたやすただ》らに命じて、真田昌幸、幸村父子のたて籠《こも》った上田城を、攻めた時のことである。
その時、昌幸は、禰津長《ねづちよう》右衛門《えもん》と、碁を囲んでいたが、敵勢の鯨波が城内にひびいて来るまで、平然として、起《た》たず、いよいよ、その先鋒《せんぽう》が、大手ぎわまで押し寄せて来た、という報に接して、はじめて、碁石をすて、湯漬《ゆづ》けを三杯、さらさらとかき込んだ。
それから、六連銭組を呼び、
「かねての手筈《てはず》通りにせよ」
と、命じた。
ただちに、武者|溜《だま》りには、百頭の猛々《たけだけ》しい悍馬《かんば》が、揃《そろ》えられた。それらの悍馬には、その頸や胴に、槍が数十本も結びつけられ、宛然《さながら》、針鼠《はりねずみ》のようなすがたになっていた。
徳川勢が、大手の橋際《はしぎわ》で、鬨《とき》の声をあげるや、城門がさっと開かれた。
槍で武装された悍馬百頭は、奔流のごとく驀地《まつしぐら》に、徳川勢の陣へ、突進した。
そのうしろから、躍り出た六連銭組は、いずれも、火矢を携えていた。
同時に――。
城壁上からは、無数の青竹を弓なりにたわめて、油袋を、空に投げ放った。
油袋が、徳川勢の陣中へ落下して、将兵がそれを全身にあびた瞬間、六連銭組が、ひょーっと火矢をとばした。
忽《たちま》ち――。
二万余の徳川勢は、火焔《かえん》の渦《うず》の中で、焼けただれ、逃げまどい、さらには、狂いたけった槍馬の奔駆をくらって、阿鼻《あび》地獄の贄《にえ》になり、およそ七千余の将兵が斃《たお》れてしまった。
この六連銭組も、昌幸、幸村父子が関ケ原役後、高野|山麓《さんろく》北谷の九度《くど》山に隠栖《いんせい》してからは、散りぢりになってしまった。
しかし、これは、世間の目をごまかすためで、いざ鎌倉《かまくら》となれば、即刻得物をひっ携《さ》げて馳《は》せ参ずる用意がある者百騎を下らぬ。
この真田六連銭組の中でも、十騎が死生を倶《とも》にする誓を立てて、義兄弟の血盃をくみかわしていた。
猿飛佐助も、その一人であった。
佐助が、十騎中で最も親しかったのは筧十蔵《かけいじゆうぞう》であった。
筧十蔵は、関ケ原役後、斑鳩《いかるが》の里に、草庵《そうあん》を編んで、土地の少童たちに、兵法を教えてすごしていた。
たまたま、そこへ、現れたのが、佐々木小次郎であった。
小次郎の執拗な挑戦を、拒絶しきれずに、受けて立った十蔵は、業前《わざまえ》の差を如何《いかん》とも為《な》しがたく、左腕を肱《ひじ》から両断されて、屈服した。
小次郎は、勝利の報酬として当然の仕儀だ、とうそぶいて、十蔵の妹を拉致《らち》して行った。
犯されて、棄《す》てられたその妹は、自害して相果てた。
「あやつ! 不倶戴天《ふぐたいてん》の仇敵でござる!」
すでに、二人を斬《き》り、三番手と対峙《たいじ》した小次郎へ、憎悪《ぞうお》の視線を食いつかせ乍ら、佐助は、呻《うめ》くように、云《い》ったことだった。
おそらく、佐助は、心の奥底で、ひそかに、筧十蔵の妹を、想《おも》っていたに相違ない。
「……それで、関白|秀次《ひでつぐ》殿の姫君を、餌《えさ》にして、どうやって、討ち取ろうというのじゃ?」
七助は、訊《たず》ねた。
「拙者が、あやつを、その家へ案内いたす。お主には、あとから、そっと、ついて来られい。……その家の閨《ねや》で、姫君と拙者がすりかわり、あやつが、獣欲で心|急《せ》いて、隙《すき》が生じたところを、討つ」
佐助は、そう云った。
剣魔とも称《い》える稀代《きたい》の天才児も、美しい女体を抱こうとする瞬間には、わずかの油断をみせると思われる。
そこを、討つ。
策はこれしかない、と佐助は、|ほぞ《ヽヽ》をきめた模様であった。
で――。
七助は、関白秀次の息女夕姫が、佐助とすりかわって、家から忍び出て来るのを、竹藪の中で、辛抱強く、待っている次第であった。
「おそいな!」
もしかすると、佐助が失敗したのではあるまいか、という疑いもわいた。
無数の藪蚊に食いつかれて、七助は、顔面のかたちが変ったようである。目にも耳孔にも口にも、とび込んで来るほど、藪蚊の襲撃ぶりは、ひどかった。
――もう我慢がならぬ!
七助が、立ち上った――その時、家の裏手に、黒い影がひとつ、現れた。
「おっ! 出て来た!」
星空の下で、それを女人とみとめて、七助の胸は躍った。
関白秀次の忘れがたみで絶世の美女、ときかされているのであれば、鼓動が早鳴るのは、人情というものであろう。
黒影は、小走りに生垣を抜けて来た。
竹藪を奔《はし》り出た七助は、その美しい貌《かお》をとくと見さだめる余裕はなく、
「てまえ淡路の七助と申しまする。ご案内役をつかまつる」
と、云った。
対手《あいて》は、無言であった。
微《かす》かに伽羅《きやら》の匂《にお》いがした。
それを、鼻孔に吸い込んで、ぐっと生唾《なまつば》をのみ込んだ七助は、対手の手を把《と》って、奔り出そうとした。
とたん、ぴしっと、こっちの手を打ち払われた。
「こ、これは、ご無礼……」
七助は、とまどいつつ、頭を下げた。
姫君をともなうさきは、もう七助の肚《はら》にきめてあった。
竹藪をくぐると、廃寺の土塀《どべい》が長くつづく坂道になる。鹿ケ谷の聚落へ出て、そこから、南禅寺道を通って、如意山の麓沿《ふもとぞ》いの疎水《そすい》をつたって行く。
そのかなりの道程を、七助も口をきかず、女人も沈黙をまもって、急いだ。
――あの猿面の忍者の奴《やつ》、首尾よく、仇を討つことができたかな?
七助は、そのことを考えていた。
七助にとっても、佐々木小次郎は、妻を犯した憎むべき敵《かたき》であった。
他人の手をかりて復讐《ふくしゆう》するのは、いささか本意に反するが、あの傲慢《ごうまん》な兵法者をあの世へ送ることができるのは、溜飲《りゆういん》が下ることである。
しかし、猿飛佐助という男がどれほどの忍術達者か知らぬが、佐々木小次郎が、むざむざ討たれるとは、どうしても、七助には、思われなかった。
佐々木小次郎の強さ、しぶとさは、尋常一様のものではない、と考えられるのだ。
町家のならぶ通りへ出た時、はじめて、うしろをついて来ている姫君が、口をきいた。
「何処へ参るのじゃ?」
「宇治でござる」
七助は、こたえた。
「宇治のどこじゃ?」
「宇治の、槙島《まきしま》城のあとでござる。さき頃まで、昌山公《しようざんこう》がお住いでござった。昌山公といわれるのは――」
「そんなことは、存じている」
――絶世の美女にしては、ひどうトゲトゲしい口調じゃわい。
七助は、姫君が本当に美しい貌を所有しているのかどうか、とくと見とどけたい衝動にかられた。
「いまは、誰人が、住んでいるのか、訊ねているのじゃ」
七助には、高処《たかみ》から見下すような(高貴の婦人であれば、それが当然なのであろうが)態度が、少々面白くなかった。
「お行きなされば、おわかりでござる」
「おたのみ申す」
七助が、昌山庵の玄関で、大声をあげた時には、もう空は、淡々《あわあわ》と明けていた。
すぐに、返辞があった。
沢庵《たくあん》は、すでに、起きていて、几《つくえ》に向って、中庸《ちゆうよう》の勅版の仕事にとりかかっていた。
勅版とは、その言葉のごとく、天皇が自ら名著を覆刻印刷することである。
沢庵は、後陽成帝《ごようぜいてい》から、その下命を蒙《こうむ》ったのである。
百余年間、戦国|擾乱《じようらん》の時代がつづき、士大夫の学を講ずる者はなくなり、文学は全く地を払っていた。わずかに、一線の命脈が、五山の僧徒の間につながれているばかりであった。公卿の中には、その家に所伝の学を講究する者もないではなかったが、きわめて微々たるものであった。
太閤となった秀吉は、無学の徒で、学問に関する限り、冷淡であった。家康も、ようやく天下を取ったばかりで、まだ、儒学の奨励をする余裕はなかった。
家康自身は、一代の碩学《せきがく》として名高い藤原惺窩《ふじわらせいか》に師礼をとっていたが、諸侯に学問の用の大なるを説くまでにはいたっていなかった。
家康が、惺窩の推挙によって林道春《はやしどうしゆん》を朝夕の顧問にするのは、数年後のことである。
ただ一人、後世に伝えるべき書を刊行することに、心をくだいたのは、天皇ご自身――後陽成帝であった。
帝は、即位のはじめから、近衛信輔《このえのぶすけ》及び五山の碩学を召して、書を撰《せん》せしめ、また西洞院時慶《にしのとういんときよし》に命じて朝儀を撰せしめ、あるいは、孝経《こうきよう》を印刷して公卿に頒《わか》たれたのであった。
先年、帝は、沢庵を召されて、論語、孟子《もうし》、大学、中庸を上板し、これを一般庶民に頒ちたい、とご相談になった。沢庵の能筆を高く買われたからである。
沢庵は、おひき受けして、去年までに、論語と孟子と大学を彫刻し、印刷していた。
のこっているのは、中庸だけであった。
一文字一文字を、逆に、板に彫る根気を要する仕事であった。
長い托鉢《たくはつ》の旅から帰って来た沢庵は、いよいよ、腰を据《す》えて、この最後の仕事にとりかかったのである。それを、夜明けから、陽《ひ》がさす頃合までの一刻に、あてていた。
大きく背のびした沢庵は、几の前から立って、玄関へ出た。
七助は、武蔵が吉岡《よしおか》清十郎に勝った日、その祝賀を述べに、この昌山庵を訪れていたので、沢庵とは、顔見知りになっていた。
「これは、はやばやと、何用じゃな?」
「折入って、お願いの儀があって、罷《まか》り越しました。……和尚《おしよう》様、人を一人、おあずかり頂けませぬか?」
沢庵は、玄関の外に佇《たたず》む女人へ、視線を向けた。
「あれかな?」
「左様でござる」
「下婢《かひ》に使える女子ではないようじゃな」
「滅相もない!」
七助は、小声になり、
「関白秀次殿のご遺児でござる」
「殺生関白の遺児が、まだ、この世にのこっていたというのかな?」
沢庵は、眉宇《びう》をひそめた。
七助は、佐助からきかされた話を、手短かに、つたえた。
と――。
沢庵は、人差指に唾をつけて、眉《まゆ》をこすってから、
「言問わぬ木すら妹《いも》と兄《せ》ありと云うを、ただ独子にあるが苦しさ、かの。……生きのこった以上は、生きのびなければなるまいな」
「和尚様、何卒《なにとぞ》お願い申します」
「あいにくだが……」
沢庵は、笑って、
「この草庵には、若い女人を泊める部屋はない」
と、云った。
同居
夕姫は、沢庵と七助が問答しているあいだ、玄関からすこしはなれた地点で、所在なげに、佇《たたず》んでいた。
何気なく投げている視線へ、一個の逞《たくま》しい裸身が入って来て、夕姫は、思わず、顔を伏せた。
下帯を締めただけの裸の男は、まっすぐにこちらへ進んで来た。
「……無礼な!」
夕姫は、小声で呟《つぶや》いた。
男が、脇《わき》を通りすぎる際、夕姫は、もうすこし声を高くして、無礼な、と咎《とが》めた。
なんの反応もなかった。
夕姫は、男が自分の美貌《びぼう》に一瞥《いちべつ》もくれなかったことにも、腹が立った。
その後姿を、睨《にら》みつけて、夕姫は、三度《みたび》、
「無礼なっ!」
と、叫んだ。
対手は、全く馬耳東風であった。
逞しい裸身は、石垣《いしがき》と石垣のあいだの切通しの坂を降りて行った。
朝食前に、巨椋池《おぐらいけ》でひと泳ぎするのが、武蔵の日課になっていた。
岸辺に一|艘《そう》の小舟が、待って居《お》り、艫《とも》に腰を下しているのは、城之助であった。
武蔵が、乗ると、城之助は、棹《さお》を把《と》って、小舟を、岸辺からはなした。
頃合《ころあい》の距離まで、漕《こ》ぎ出されると、舳先《へさき》から、武蔵が、とび込んだ。
とたんに、城之助は、手槍《てやり》をつかんで、鋭く、水面へ眸子《ひとみ》を配った。
ただの泳ぎではなかった。小舟のまわりをもぐって、水面へ顔をのぞかせたところを、城之助に、手槍で突かせたのである。これは、城之助自身の修練にもなっていた。
「手加減すると、容赦せぬぞ!」
武蔵から、厳しく命じられている城之助は、手槍を構えて、ひと突きのために息を貯《た》めている。
ざわっ、と右舷《うげん》の下に、水音が起った。
城之助は、だまされぬ。
武蔵が、足で蹴《け》あげておいて、左舷側へ、音もなく、すっと首をのぞける可能性が大きかったのである。城之助は、これまで、幾度か、この手でだまされて、武蔵に、空気を吸い込む一瞬を与えていた。
――浮いたぞ!
頭髪らしい黒いものが、ゆらゆらと滲《にじ》み出て来るのを凝視した城之助は、
「えいっ!」
貯めていた息を、満身からの気合にして、びゅっと、水中へ穂先を突き込んだ。
なんの手ごたえもなかった。
武蔵は、艫のむこうで、浮きあがって、深呼吸していた。
「おっ!」
それに気づいた城之助が、艫へ身を移した時には、もう、そこには、小さな波紋がのこっているばかりであった。
それから、三度ばかり突き損じた挙句、城之助は、
――こんどは、屹度《きつと》、舳先のむこうへ浮くに相違ないぞ!
と、カンを働かせた。
そっと、舳先へ忍び移った城之助は、やがて、おのがカンが当ったのを知った。
武蔵は、顔を仰向けて、すっと水面を割って現れた。
瞬間――。
城之助は、その顔めがけて、手槍をくり出した。
水《みず》飛沫《しぶき》がはねあがった。
城之助は、したたかな手ごたえに、胸をどきっとさせた。
飛沫が消えてみると、穂先は、武蔵の顔面を刺し貫く代りに、合掌のかたちに、ぴたっとはさまれていた。
城之助は、渾身《こんしん》の力をこめてみたが、掌を合されただけにも拘《かかわ》らず、突くことも抜き取ることも叶《かな》わぬまま、
「…………」
大きく吐息した。
武蔵は、下帯が濡《ぬ》れたまま、草庵《そうあん》へ戻って来て、座敷に坐《すわ》っている若い婦人を見出した。
先刻、玄関の前ですれちがった美女であった。その美貌は、武蔵がこれまで出会ったことがない程の臈《ろう》たけたものであった。武蔵が、すれちがいがけに一瞥さえもくれなかったのは、遠くでそのあまりの美しさをみとめたが為《ため》であった。
沢庵をたずねて来た客で、こちらが戻って来た頃には、立ち去っているものと思っていたのである。
「………?」
おのが居間に与えられている座敷に、その美女が坐っている不審で、武蔵は、珍しく表情を動かした。
夕姫の方は、裸身を仁王立たせて、黙って自分を見下す青年に対して、柳眉《りゆうび》を微《かす》かにふるわせた。
「その方、挨拶《あいさつ》の作法も心得ぬのか」
「…………」
武蔵は、美女の高慢な態度に、べつに抵抗をおぼえる気色もみせず、片隅《かたすみ》へ行って、濡れた下帯をはずした。
「ぶ、ぶれいなっ!」
夕姫が、悲鳴に近い叫びをあげた。
武蔵が、小袖《こそで》をつけた時、沢庵が、頃合を見はからったように、入って来た。
「武蔵殿、これは同居人じゃよ。……部屋がない、とことわったが、たってのたのみなので、お主と同居してもらうことにした」
沢庵は、微笑し乍《なが》ら、そう云った。
――おれをためすつもりなのか?
武蔵は、沢庵を見かえした。
「これは、関白|秀次《ひでつぐ》殿の忘れがたみ、夕姫と申されるそうな」
「………?」
武蔵も、流石《さすが》に、ちょっとおどろいて、視線を、夕姫へ移した。
「関白秀次殿の眷属《けんぞく》は、文禄《ぶんろく》四年の八月に、三条河原で、一人のこらず斬《き》られた、ときき及び申すが……」
「一人だけ、生き残ったのじゃな、この姫君がな――。これが、まこと関白秀次殿の忘れがたみならばな」
沢庵が、云《い》うと、夕姫は、きっとなって、
「わたくしの父君が、関白秀次様であることは、まぎれもない!」
と、声音を張った。
「当人がそう申されるのだから、信じることにいたそう。母君は、一御台菊亭晴季《いちのみだいきくていはるすえ》殿の姫君で、勿論《もちろん》、あわれや、三条河原で、非業《ひごう》の最期《さいご》をとげられた。そして、その時、貴女《あなた》は、まだ九歳であった」
「そうじゃ」
「母君とともに、黄泉《よみ》の路《みち》を歩むさだめであったところ、真田左衛門佐幸村《さなださえもんのすけゆきむら》の下知を受けた、なんとやら申す忍びの者が、河原の者に化けて、貴女を殺したふりをして、救うた。そうでござるな」
「相違ない。猿飛佐助と申す男が、わたくしを救うて、守り育ててくれたのじゃ」
「なんと因果な話ではござるまいか。武蔵殿も、そう思わぬか?」
沢庵は、さもさも憐憫《れんびん》に堪えぬように、首を振ってみせた。
「そうときけば、武蔵殿も、この高貴の姫君との同居を、不服とはいたすまい。なにせ、この草庵に、住める部屋は、二つしかないのでな。まさか、坊主《ぼうず》が、ご婦人と、牀《とこ》をならべてやすむわけには参らぬ」
――やはり、おれをためすつもりだな。
武蔵は、さとった。
自分が住むこの座敷と、沢庵の居室のほかに、城之助が起居する小部屋もあり、別に、物置にしてある板敷きもあったのである。
沢庵は、この姫君が、異常なまでに驕慢《きようまん》な気象の持主であるのをみとめて、わざと、決闘ひとすじに生きている兵法者と、ひとつ部屋に入れてみる皮肉なこころみを思いついたに相違ない。
――和尚は、この小ざかしげな、つんと高い鼻を、おれに、へし折らせようというつもりか? それとも、おれが、この美しさに迷って、色香に溺《おぼ》れるのを期待して居るのか?
武蔵は、沢庵の処置に、いささか腹が立った。
「では、仲ようすごしてもらおうか」
沢庵は、さっさと、去った。
「武蔵とやら――」
夕姫が、呼んだ。
「…………」
「そなた、牢人者《ろうにんもの》であろう」
「…………」
「わたくしは、関白秀次の娘じゃ。身分が、天と地ほどちがう。……部屋がない由《よし》ゆえ、やむなく、同室するが、そなたを、家来として扱うても、べつに異存はあるまいな?」
武蔵には、もとより異存はある。しかし、いまは、わざと沈黙をまもった。
「よいな?」
夕姫は、念を押した。
武蔵は、返辞をせず、床の間に寄って、小刀と木片を把った。
また、普賢菩薩《ふげんぼさつ》をもう一体つくろうとするのであった。
「これっ! 武蔵、なぜ、返答をせぬ?」
夕姫は、叱咤《しつた》した。
武蔵の口は、貝のようにかたくひきむすばれていた。
夕姫は、苛立《いらだ》ち乍らも、なんとなく、木片を、さくっさくっと削りはじめた武蔵の手の動きを眺《なが》めやった。
同じ朝――。
猿飛《さるとび》佐助という猿面忍者は、鹿《しし》ケ谷《たに》奥のその屋敷で、仰臥《ぎようが》していた。
顔面から血の気が引き、ちりめん皺《じわ》も増えた模様である。
夕姫とすりかわって、褥《しとね》の中へ、佐々木小次郎が入って来ようとするところを、討ち取ろうという企ては、失敗し、逆に、小次郎の魔剣ともいうべき迅業《はやわざ》で、袈裟《けさ》がけに、左肩を割りつけられたのであった。
並の者なら、おびただしい出血で、生命《いのち》を落していたところである。天井裏へのがれて、すばやく、血止めをしてから、裏手の竹藪《たけやぶ》にひそみ、手当をすませ、小次郎が立ち去ったのを見はからって、座敷に戻って来たのであった。
かなりの重傷であったが、これまで、これぐらいの刀創《かたなきず》や槍傷は、幾度か蒙《こうむ》っているので、このまま、相果てるおそれはすこしも持たなかった。
それよりも、逆に斬られた無念が、胸を疼《うず》かせている。
――彼奴《きやつ》、強かった!
そのことは、率直にみとめざるを得ない。
それにしても、誑《だま》して、誘い込み、隙《すき》をうかがって、不意討ちをしかけようとしたのは、こちらであった。
佐助は、小次郎を寝所に案内する前に、夕姫の美しい姿を、渠《かれ》にかい間視《まみ》させている。当然、褥に入ろうとした小次郎には、欲情をそそられて、一瞬の油断が生まれていたに相違ないのである。
にも拘らず、小次郎は、佐助の電光の一撃を苦もなく躱《かわ》したばかりか、鴨居《かもい》へ跳んだ佐助へ、一颯《いつさつ》の刃風を送りつけ、ぞんぶんに、その物干竿《ものほしざお》へ血汐《ちしお》を吸わせたのであった。
「……無念!」
佐助は、呻《うめ》いた。
その折、庭さきに跫音《あしおと》が、ひびいた。
佐助は、はっとなった。小次郎がひきかえして来たのなら、遁《のが》れる体力はもうのこってはいないのである。
佐助は、視線だけをまわした。
縁さきに近づいたのは、淡路の七助であった。
「やはり、そうであったか。……お主の負じゃったのだな」
七助は、座敷へ上って来た。
「負けた」
佐助は、わるびれなかった。
「あやつの剣は、人間ばなれがして居る。ただの修業で、仕上る迅業ではない。……勝てぬ! あの魔剣に勝てる者は居らぬ!」
「それは、わしもみとめる!」
「お主も、みとめるか?」
「げんに、鳴門流《なるとりゆう》兵法のこのわしが、投げ独楽《ごま》で挑《いど》んで、わが生命の次に大切な独楽を、ま二つにされて居るのじゃ」
「そうか。お主の独楽芸も、あやつの敵ではなかったか」
佐助は、歎息《たんそく》した。
「しかし……」
七助は、宙を見据《みす》えて、云った。
「もしかすれば、あの御仁なら、佐々木小次郎と互角に闘えるかも知れん」
「何処の何者だな?」
「先日、吉岡《よしおか》清十郎と試合して、勝った宮本武蔵――」
「吉岡清十郎に勝ったから、というて、佐々木小次郎に勝てるとは、かぎるまい」
「わしは、なんとなく、宮本武蔵ならば、互角に闘うような気がする。武蔵の強さも、わしは、知っている」
「ならば、ひとつ、闘わせるか。……あやつが、大路を横行しているのは、とても我慢がならぬ!」
「…………」
七助は、武蔵をそそのかして、佐々木小次郎と試合させる気持は、その場では、起らなかった。
しかし、両者は、いずれ他日、決闘する運命にあるような気がした。
「ところで、姫様を、どこへあずけてくれたな?」
佐助が、訊《たず》ねた。
「さきの将軍家の、昌山公《しようざんこう》の家じゃ。いまは、沢庵《たくあん》というお坊さんが住んで居《お》られる」
「姫様は、承知されたか?」
「……あの姫君は、なんとも、ひどう気の強いおかたじゃな。わしの女房も気が強いが、あの姫君にくらべれば、まるで問題にならん」
「ご不幸なお身の上だからな、あれほど気象が勝って居られなければ、徳川の天下になってしもうたこの世を、生きのびては行けまい」
「それにしても、天は二物を与えぬのう。……目がくらむほど美しゅう生まれ乍ら、あの気の強さでは、どんな男でも、しりごみしてしまうて」
七助は、沢庵が、武蔵と同居するのでよければ、という条件で、あずかるのを承知したことを思い泛《うか》べた。
――いま頃《ごろ》、武蔵と姫君は、どういう様子で、ひとつ座敷ですごしているのであろうか?
想像が、つきかねた。
武蔵も、尋常一様の気象の男ではないのである。
――沢庵殿が承知しても、武蔵は、承知せず、姫君と大喧嘩《おおげんか》をして、突き出しているのではあるまいかな? それとも、姫君の高慢を怒って、犯してしまう肚《はら》になったか?
いずれにしても、あの二人の同居は、見ものに思われた。
贋正宗《にせまさむね》
「武蔵、湯浴《ゆあ》みをしたい。仕度してたもれ」
夕姫が、命じたのは、午《ひる》の食事が終った頃であった。
「そんなことは、城之助に申しつけられい」
武蔵は、夕姫に背中を向けて、木片を削り乍《なが》ら、拒絶した。
「わたくしは、同居のそなたを、家来として扱うが、異存はないな、と申しましたぞ」
「それがしは、返辞をいたしては居らぬ」
「わたくしは、故関白秀次様の女《むすめ》じゃ。そなたは、氏素性も知れぬ牢人者ではないか。家来として扱うて、なんの不都合があろう」
「…………」
「湯浴みをしたいのじゃ。昨夜、鹿ケ谷からここまで歩いて来て、汗をかいた肌《はだ》が、気持がわるうてならぬ。……はよう、仕度をしてたもれ」
「…………」
武蔵は、黙殺の態度をとった。
夕姫は、その背中を睨《にら》みつけているうちに、柳眉《りゆうび》をひきつらせた。
次の瞬間、懐剣を抜いた夕姫は、その背中めがけて、投げつけた。
宙を截《き》る刃音に応ずる武蔵の動作は素早かった。
躱しざまに、飛来した懐剣を、木片で受けた。
仏像のかたちになりかかったその首へ、ぐさと突き立った白刃を、じっと瞶《みつ》めていた武蔵は、やおら立ち上って、縁側へ出ると、城之助を呼んだ。
「姫君が、湯浴みを所望して居る」
「はい」
城之助は、うなずいて、去った。
武蔵が元の座に戻って、再び作業をはじめるのを、夕姫は、見まもり乍ら、
「そなた、女子《おなご》がきらいなのか?」
と、訊ねた。
「きらいではない」
「きらいとしか思われぬ」
「…………」
「わたくしが、懐剣を打ったのを、慍《おこ》りもせぬ。なぜ、慍らぬのじゃ?」
「…………」
「なぜ、慍らぬのじゃ?」
「慍れば、斬《き》ることになる。貴女《あなた》を斬る剣を持っては居らぬ」
武蔵は、そうこたえておいて、あとは、夕姫が、なにを問いかけて来ても、口を一文字にひきむすんだきりであった。
やがて、城之助が行水盥《ぎようずいだらい》をはこんで来て、庭さきに据えた。
「湯浴みは、ここでする」
夕姫は、盥を座敷へはこんで来るように、命じた。
城之助は、武蔵を視た。武蔵は、振りかえろうともしなかった。
城之助は、命じられた通り、盥を座敷へはこびあげておいて、湯を容《い》れた桶《おけ》を、携《さ》げて来た。
夕姫は、立ち上って、鉢《はち》の木帯を解いた。
城之助は、夕姫がなんのためらいもなく白い帷子《かたびら》を脱ぎすてるのを視て、あわてて、庭へ降りた。
夕姫は、二布《こしまき》を払うと、盥の中へ、すっと入って、坐《すわ》った。
「武蔵、湯をかけてたもれ」
「…………」
「ほほほ……」
夕姫は、高い笑い声をあげた。
「わたくしのはだかを眺めるのが、怕《こわ》いのかえ、武蔵?」
そう云《い》われて、武蔵は、はじめて頭をまわした。
夕姫は、惜しげもなく、絖《ぬめ》のように白い胸を、こちらに向けて、すっと頭を立てていた。
朝霞《あさがすみ》に映えた桃の実にも似たふたつの隆起を、まともに見せつけられて、武蔵は、思わず、息をのんだ。
「ほほほ……、顔の色が変ったぞえ、武蔵――」
驕慢《きようまん》を語気にこめて、夕姫は、からかった。これをきくや、武蔵は、やはり、まだ二十一歳の青年であった。
ぱっと立って、湯桶を把《と》るや、その雪の膚《はだ》めがけて、ざあっと、そそいだ。
「おお! 気持よい!」
夕姫は、目蓋《まぶた》を閉じると、双の掌で、肩を、胸を、そして、腹を撫《な》でた。
その仕草が、武蔵の官能をそそった。
「……むっ!」
奥歯を噛《か》みしめた武蔵は、桶の湯をあまさず、夕姫にかけておいて、元の座に戻った。
「あと二桶も所望じゃ」
夕姫は、云った。
城之助が、空になった桶を携げて、湯を取りに行った。
「武蔵、背中を流してたもれ」
「城之助にやらせるがよかろう」
「本当は、自身が流したいのであろう」
「…………」
「流したいのなら、素直に、流せばよいのに――」
――これも、試練だ!
武蔵は、自分に云いきかせた。
「よし、流してやる」
布をつかんで、裸女の背後に立った武蔵は、
「流す前に、たずねておこう。……この肌は、まこと、まだ男の手にふれられて居らぬのか?」
と、訊ねた。
「無礼な問いをいたすまいぞ」
「処女の身が、平気で、肌を男の目にさらしているとは、解《げ》せぬ」
「そなたは、わたくしの家来ではないか。湯をかけさせたり、背中を流させたりして、なんのふしぎがあろう」
「それがしは、若い男だ。……肉を投げられた餓狼《がろう》になるおそれがあるのだ。貴女の振舞いは、まるで、千人の男に抱かれた遊女だ」
武蔵は、布を湯につけると、ゆっくりと、背中を流しはじめた。すこし力をこめれば、薄い嫩《やわら》かな白蝋《はくろう》に似た皮膚は、破れてしまいそうであった。
骨が細く、そして肉の盈《み》ちた滑らかな曲線には、十七歳の処女の清らかな匂《にお》いがただようている。
武蔵は、ゆっくりと流しているうちに、矢庭に抱き締めたい衝動が起り、生唾《なまつば》をのみ下した。
湯桶をはこんで来た城之助が、びっくりして、目をみはった。
武蔵は、城之助に目撃されることを慙《は》じる気色もなく、桶を受けとって、肩からそそいだ。
城之助は、いそいで、沢庵の居室にひきかえして来ると、その旨《むね》を報《し》らせた。
沢庵は、微笑して、
「ほう、武蔵がな。……やるものぞ」
と、云った。
「わたくしには、武蔵殿が、なんとなく、阿呆《あほう》にみえました」
「よかろうではないか。絶世の美女から、背中を流せと云われれば、これを承知するのが、男の果報じゃ。……五七の雨に四つ旱《ひでり》、六つ八つ風に、九は病い」
その時刻に、地震があればそれぞれの災害がある、という諺《ことわざ》を口にした沢庵は、
「まだ、八つ(午後二時)には半刻《はんとき》もある真昼じゃ。地震が起っても、被害はなかろう。暮れるまでには、武蔵の色情も冷えよう」
「和尚《おしよう》様! 美しい女子というものは、地獄の使い、と申しますが、そんなにおそろしい生きものなのですか?」
城之助は、真剣な面持《おももち》で、訊ねた。
「おそろしい生きものじゃな。宝積経にも、大蛇《だいじや》を見るとも女を見るな、といましめてある。……城之助も、姫君の白い肌を見せられて、心の臓がどきっと鳴ったのではないかな?」
「は、はい」
城之助は、みとめた。
「花が美しく咲くのは、蝶《ちよう》を招くためであるように、女子の肌が美しいのは、男を誘うため――自然の摂理であろうて。その美しい肌に、敢《あ》えてさからって、|※[#「にんべん+畏」]紅倚翠《わいこういすい》の欲情を抑えるのは、よほどの勇気をふるい起さねばなるまい。武蔵は、目下、おのれをためしている最中じゃ。やらせておけばよい。おのれに克《か》つもよし、女色に耽溺《たんでき》するもよし」
「…………」
「城之助、わしは、実は、武蔵が、恥をさらすのを、のぞんで居るのだて」
「なんですか?」
「姫君が、悲鳴を発するのを、わしは、いまやおそし、と待ちうけているところだ」
「………?」
「姫君が、悲鳴をあげたならば、わしは、かけつけて、武蔵を、大莫迦者《おおばかもの》め、と叱咤《しつた》してやろうと、待ちうけているのだが……、さて、どうなるであろうかな。白昼、背中を流したぐらいでは、武蔵も、恥をさらすまいな。今夜が、見物《みもの》であろうな。今夜、武蔵が、おのれに克つことができたら、あっぱれとほめられてよい。姫君の方が、好奇心の働くままに、肌を許してしまえば、話が別になるが、羞恥《しゆうち》というものを知らぬ、心|驕《おご》った娘は、そうむざと、操《みさお》を与えるものとは思われぬ。武蔵が襲いかかれば、必ず悲鳴をあげるだろう。……ははは、この坊主《ぼうず》は、その時を待って、面白がってやろうと考えているのじゃよ、城之助」
同じ時刻――。
吉岡《よしおか》伝七郎は、俗に三筋町と称《よ》ばれる六条柳町の廓《くるわ》へ、入って行った。
この廓は、去年、二条から移されたばかりで、二条時代の数倍の規模になっていた。
二条の廓は、大内裏に近くて、おそれ多いことがあったため、このたび、この地に移されたのであった。
北は六条、南は魚棚《うおのたな》,東は室町、西は西洞院《にしのとういん》の間、上ノ町、中ノ町、下ノ町の三筋を設けて、ずらりと大青楼が簷《のき》をならべ、戸毎《こごと》に屋号入りの暖簾《のれん》をかけ、戸外に床几《しようぎ》を出して、遊女たちが、これに坐って、遊歩の客を招いた。
青楼の遊女たちに、階級が生じたのも、この頃である。
最上位の遊女を、太夫《たゆう》といった。太夫、というのは、元来五位の公家《くげ》の通称であった。
室町時代の末、八代将軍|義政《よしまさ》が、猿楽《さるがく》を好んで、観世能楽師に、太夫の名称を与えて、優遇した。芸人に、官名に擬した名称のつけられた嚆矢《こうし》である。
すなわち、遊女も、太夫と称せられるのは、技芸に秀《ひい》でた傾城《けいせい》に附せられた。
ただ、美貌《びぼう》だけでは、太夫になれなかった。多芸多能でなければならなかった。
したがって、この頃の太夫は、後代の花魁《おいらん》とは比べもならぬ権勢を誇っていた。
太夫ともなれば、一箇年の代償を、楼主に支払っておいて、なんの羈絆《きはん》も制裁も受けず、自由気ままにくらしていた。
どんな高位な公卿《くげ》、武家であろうと、大町人がいかに金子《きんす》を積もうと、気に食わなければ、その座敷へ現れようとさえしなかった。
当時、太夫は、三筋町の七人衆といって、七人いた。林家の吉野《よしの》太夫を筆頭に、同家の対馬《つしま》太夫、土佐太夫、柏屋《かしわや》の三笠《みかさ》太夫、宮崎屋の小藤太夫、若女郎家の葛城《かつらぎ》太夫、永楽屋の初音太夫であった。
この太夫たちを買おうと思えば、まず廓通いに、半年以上の準備修業をし、通人の手ほどきを受け、衣服、持物万端格に合せ、巨万の金子をこしらえ、あらかじめ、茶屋で、身の取りまわし、はずみ、いきはりなどという作法を習ったものであった。
それでいて、太夫を、わがものにできるのは、百人に一人もいなかった。
太夫は「吉野さま」と尊称され、客は、「買手ども」と、蔑称《べつしよう》されたのも、皮肉であった。
伝七郎は、まっすぐに、青楼永楽屋の前に行った。
戸外の床几に坐っている遊女の一人に、
「灰屋紹由《はいやじようゆう》が、登楼して居ろう。吉岡伝七郎が逢《あ》いに参った、とつたえてくれ」
と、たのんだ。
「船橋様は、太夫のお部屋ゆえ、お会いできませぬ」
遊女は、こたえた。
廓通いの大通人の一人灰屋紹由は、船橋(一条|堀川《ほりかわ》)に住んでいるので、この遊里《さと》では、そう呼ばれていた。
いかに、吉岡道場の当主といえども、廓では、そのしきたりを破ることはできかねた。
「たのむ、至急の用件で参ったのだ、取り次いでくれ」
伝七郎は、頭を下げたが、遊女は、受けつけなかった。
伝七郎は、苛立《いらだ》って、|※[#「やまいだれに間」]癖《かんぺき》の青筋を、こめかみに走らせたが、遊女の方は、そ知らぬふりをしていた。
恰度《ちようど》、そこへ――。
一人の客が、暖簾をくぐろうとして、伝七郎を視《み》やった。
灰屋紹由に招かれて、やって来た連歌の友人の里村昌琢《さとむらしようたく》であった。
昌琢は、少年時代、蹴鞠《けまり》の会で、伝七郎と技を競ったことがあった。
「伝七郎殿か」
声をかけられて、伝七郎は、ちょっと対手《あいて》が何者か判《わか》らなかったが、名のられて、
「おう、貴殿か――」
「紹由殿に逢われたいのであれば、ご一緒に――」
昌琢は、誘った。
「忝《かたじけ》ない」
しかし、伝七郎が、初音太夫とともにいる灰屋紹由の座敷へ通されてから、やってのけた振舞いは、大層不粋なものであった。
伝七郎は、紹由の前に、ずかずかと進んで、端座するや、いきなり、携げて来た差料《さしりよう》を、ひき抜いた。
禿《かむろ》たちが、きゃっと悲鳴をあげた。
「紹由殿、御辺《ごへん》に鑑定してもらったこの無銘刀、正宗とは、まっ赤ないつわりでござったぞ。ごらん下されい!」
切先《きつさき》から三寸ばかりのところが、|のこぎり《ヽヽヽヽ》のように刃こぼれがしていた。
紹由は、べつに眉宇《びう》もひそめずに、受けとってから、じっと、その箇所を瞶《みつ》めた。
「石を割ろうとなされたか?」
「左様――、庭の燈籠《とうとう》の笠を、斬ろうとこころみて、このざまでござる。拙者の腕前が、未熟とは、心得申さぬ」
昂然《こうぜん》と、伝七郎は、頭をあげて、云った。
「なぜ、燈籠などを――?」
「拙者は、近ぢか、兄清十郎を負かした宮本武蔵なる兵法者と、試合をいたす。……武蔵を斬るためには、まず、利剣の冴《さ》えを知っておかねばならぬ、と存じて、燈籠に立ち向い申した。……正宗ならば、まっ二つに、斬れた筈《はず》!」
伝七郎は、紹由を睨《にら》んだ。
本阿弥光悦《ほんあみこうえつ》とともに、灰屋紹由の名は、刀剣鑑定の達人として、あまりにも高い。
伝七郎は、去年大坂で入手したこの無銘刀を、紹由から、正宗に相違ない、と鑑定されて、秘蔵して来たのである。
石燈籠を両断しようとして、むざんに刃こぼれしたいまいましさに、じっとして居られず、呶鳴《どな》り込んで来たのであった。
小鳥
座敷には、息苦しい沈黙がこもった。
里村昌琢も、初音太夫も、そして稚《おさな》い禿たちも、いつわり鑑定をなじる吉岡伝七郎に対して、灰屋紹由が、どう応《こた》えるか、固唾《かたず》をのんで、見まもっている。
紹由の顔色は、きわめて穏やかであった。
伝七郎に対して、すぐには返辞をせず、しずかに、刃こぼれの白刃を、鞘《さや》にもどした。
「紹由殿、自身の鑑定がまちがっていた、とみとめられるか?」
伝七郎は、睨みつけて、是が非でもその不明を詫《わ》びさせようという気色であった。
すると、紹由は、微笑して、
「石は――殊《こと》に、燈籠の石というものは、きわめて固いもの」
至極ありふれた言葉を、口にした。
「だから、いかなる名刀でも、斬《き》れぬ、と弁解されるのか?」
「いや、剣の利鈍を試すのに、わざわざ、石のように固いものをえらばれる必要はないように思われる。……石というものは、斬るべきものではなく、割るもののように心得ます」
「なに?!」
伝七郎は、眉間《みけん》に険しい色を刷《は》いた。
「割るためならば、白刃ではなく、木太刀で足りると存ずる」
「紹由殿! 本阿弥光悦と竝《なら》び称される刀剣鑑定の達人が、おのが目の狂いを、遁辞《とんじ》によって、ごまかそうとしても、そうは参らぬぞ!」
「遁辞でない証拠を、いま、ごらんに入れましょう」
紹由は、庭の一隅《いちぐう》を、指さした。
「あの燈籠は、お手前が斬ろうとなされたのと、似て居《お》りましょうか?」
「うむ――」
伝七郎は、うなずいた。
紹由は、初音太夫に、木太刀を所望した。初音太夫は、ちょっと不安な面持になったが、黙って、立って行った。
木太刀が持参されるあいだ、紹由は、伝七郎に酒をすすめ、昌琢と連歌の話をし、座敷の雰囲気《ふんいき》をなごやかなものにする自然な態度を保った。
やがて、初音太夫が、両の袖《そで》で包むようにして、木太刀を持って、入って来た。
「いそいで、とり寄せましたゆえ、お気に召すかどうか存じませぬが……」
紹由は、受け取ると、素振りもくれずに、庭へ降りて行った。
燈籠に近づいた紹由は、その笠を片手で撫《な》で乍《なが》ら、ゆっくりとひとまわりした。
縁側には、伝七郎だけが仁王立ちになり、他の人は、|ひそ《ヽヽ》と坐《すわ》っていた。
紹由は、こちらに背中を向けて、燈籠にむかい立つと、一歩退った。
その背中を瞶める里村昌琢は、ごくっと生唾《なまつば》をのみ込んだ。昌琢は、紹由が剣の修業をした、ときいたことはなかった。しかし、いま、この廓で、燈籠を木太刀で割ることに失敗すれば、忽《たちま》ち噂《うわさ》は、京洛《けいらく》の内外にひろまり、刀剣鑑定の達人としての名声はもとより、廓通いの大通人として受けていた尊敬も、失われるに相違なかった。
つまり、割ることの不可能な燈籠を、木太刀で叩《たた》いた道化の振舞いを、嗤《わら》われて、紹由は、廓へ通うこともはばからねばならぬ身になろう。
場所が、いけなかった。この廓内では、間抜けた、不粋な嘲笑《ちようしよう》を招くような振舞いは、禁物であった。
紹由は、やりそこなえば、その道化者になるのであった。
昌琢は、脇下から冷汗が流れるのをおぼえた。
紹由は、親友の心配を背中に受けつつ、無造作に木太刀を振りかぶると、
「えいっ!」
懸声もろとも、燈籠の笠へ、搏《う》ちおろした。
「あっ!」
「おっ!」
初音太夫も昌琢も、叫びをあげた。
笠は、ふたつに割れて、激しい地ひびきをたてたのである。
紹由は、座敷に戻ると、顔面をこわばらせた伝七郎に向って、
「ご存じのごとく、手前は、べつに兵法を学んだ者ではなく、業《わざ》など知り申さぬ。しかし、ごらんの通り、燈籠の笠を二つに割りました。業で割ったのではないことが、お判《わか》りでしょう。……石は、きわめて固いものですが、石工《いしく》は、これを、どんな大きなものでも、小さな鎚《つち》で、いくつにでも割ってみせます。石にも、表と裏があり、それを見分ければ、裏の一箇処を――石工はこれを目と称《よ》んで居りますが――叩くと、かんたんに割れるものなのです。……石というものは、斬るものではなく、割るものであることが、これでよくお判りと存ずる」
と、云《い》った。
「しかし――」
伝七郎は、率直に、頭を下げることのきらいな男であった。
「御辺が、燈籠を割ってみせたことは、この刀が正宗である証明には相成らぬ!」
大声で、そう云った。
刃こぼれしたこの刀が、正宗に相違ないという証拠をみせてもらおう、と伝七郎は、迫った。
紹由は、伝七郎の鋭い眼眸《まなざし》を、受けとめていたが、
「是非にも、とおのぞみなら、おみせしますが、それには、条件がひとつ――」
「きかせられい」
「ここは、廓の中でござるゆえ、それらしい趣向が必要と存ずる。その趣向には、やはり、お手前にも、一役加わって頂かねばなりますまい」
「一役とは?」
「正宗であることを、お手前の秀《すぐ》れた業で、示して頂きましょう」
伝七郎は、承知した。
紹由は、初音太夫を視やって、
「そなたに、残酷な所望をせねばならぬ」
と、云った。
「なんなりと、仰《おお》せつけられませ」
「そなたが、わが身の次に大切にしている番《つがい》の四十雀《しじゆうから》を、わしにくれ」
「はい」
「それから、そなたには、この座敷で、一糸まとわぬ素裸になってもらう」
「…………」
初音太夫は、流石《さすが》に、そのたのみに対しては、ちょっと、ためらいの色を、目もとに滲《にじ》ませたが、ほかならぬ紹由が、刀剣鑑定のあやまりを問われて、おのが目の正しさをあかす趣向を思案したのであってみれば、拒絶はできなかった。
禿の一人が、初音太夫の部屋から、鳥《とり》籠を携《さ》げて来た時、紹由の愛人は、屏風《びようぶ》の蔭《かげ》で、華やかな衣裳《いしよう》を、ゆっくりと脱ぎすてはじめていた。
紹由は、別の禿に命じて、持って来させた細筆と硯《すずり》と、それから、米粒を二粒のせた皿を、膝《ひざ》の前に置いていた。
「昌琢殿、一句、お願いいたしましょうかな」
「かしこまりました」
紹由は、伝七郎の険しい視線をあび乍ら、筆を把《と》ると、墨をふくませた。
即興の句をしたためるのは、短冊《たんざく》ではなく、米粒であった。
禿が、米粒をつまみあげて、その上に、天眼鏡をかざして、待った。
紹由は、昏《く》れなずむ庭へ、視線を投げていたが、やおら、細筆を米粒へ、近づけた。
すらすらと、筆を走らせ終ると、
「どうぞ――」
と、昌琢へ、一揖《いちゆう》した。
昌琢は、禿から、その米粒をさし出され、天眼鏡でのぞいた。
ひと声は枕《まくら》のいづこ郭公《ほととぎす》
いかにも、紹由らしい句であった。
昌琢は、ふかくうなずいて、細筆を手にした。
禿が、新しい米粒の上へ、天眼鏡をかざした。
昌琢もまた、一句ものするのに、さして時間を費さなかった。
袖にうつりてかほるたちはな
紹由は、それを読んで、
「おみごと!」
と、微笑した。
――いったい、なんの遊びだ?
伝七郎は、おのれ一人が疎外《そがい》された苛立《いらだ》たしさに、露骨に不快な表情になった。
しかし、次の瞬間には、屏風の蔭から、すっと現れた裸女に、はっと息をのんで、われを忘れた。
三筋町で美貌《びぼう》と技芸を誇る太夫ともなると、その裸身もまた、目を奪う美しさであった。
明りを増して来た燈台の灯火に映えて、その肌膚《きふ》はいよいよ滑らかな白磁の深味をおびていたし、肩から胸、胴から腰、そして脚にかけて、豊艶《ほうえん》なふくらみは、幽幻とさえいえる流れる線を描いてみせていた。
「そこへ仰臥《ぎようが》して――」
紹由は、なにげない口調で、命じた。
「はい」
初音太夫は、畳の上へ、裸身を横たえて、目蓋《まぶた》を閉じた。
燈台の灯火のまたたきにつれて、裸身の起伏する流線が、陰翳《いんえい》をゆれさせる。
紹由は、皿から、即興句をしたためた二粒の米粒をつまみあげると、下腹を彩《いろど》る茂みへ、落しておいて、鳥籠をひき寄せた。
籠の中を、しきりに、飛びまわっていたひと番の四十雀は、戸が開けられ、紹由の掌《てのひら》がさしのべられると、まず一羽が、ぴょんと、その上に乗った。
紹由は、それを、初音太夫の右の膝がしらに、移らせておいて、次の一羽を掌にのせ、これを、左の膝がしらに、とまらせた。
「さあ、おやり」
紹由の優しい声音に促された二羽の小鳥は、ぴょんぴょんと、白い豊かな太腿《ふともも》の上を進んで行き、恥毛の上に落された米粒を、それぞれ、ひょいと、くわえた。
一羽が、さてこれからどうするのだっけ、といったふうに、きょときょとと首をまわすのが、いかにも可愛《かわい》かった。もう一羽の方は、米粒を、いったん、恥毛へ落して、くわえなおした。
一羽が、腹の上を進みはじめると、もう一羽も、それにならった。
充分に訓練された行動であったとはいえ、人間の目には、それは、いかにもはらはらさせられる、遠い距離に映らずにはいなかった。
ゆるやかに起伏する腹、胸を越えて、二羽がとび着いたのは、まるやかな頤《おとがい》であった。
殆《ほとん》ど同時に、くわえていた米粒を、おのが飼い主が閉じたかたちのいい唇《くちびる》の上へ、ひょいとのせた。
「なんと!」
昌琢《しようたく》が、思わず、感嘆の声をもらした。
四十雀にほどこされた訓練は、それだけではなかった。
役目を了《お》えた小鳥たちは、休息の場所も、ちゃんと教えられていた。
二羽がとまったのは、ふっくらと盛り上った胸の隆起の上に|つん《ヽヽ》と立った乳首であった。
紹由《じようゆう》は、四十雀たちが、双の乳首へとまると、
「吉岡殿、お手前の手練ぶりを拝見いたしましょう」
と、云った。
「………?」
「お手前は、太夫の股《また》の間に坐って、抜きつけの一撃をもって、乳首にとまったこの二羽の四十雀の脚を、両断される。この趣向は、いかがですかな?」
「……む!」
「お手前の業の冴《さ》えと、刀の斬れ味が、一致すれば、二羽の脚を刎《は》ねることは、可能かと存ずる。業に狂いが生じたり、刀の斬れ味がにぶければ、小鳥は飛んで逃げるか、あるいは、太夫の乳首を傷つけるおそれがありましょう。小鳥を遁《のが》さず、乳首も傷つけず、みごとに、脚を両断することがおできになれば、宮本武蔵との試合は、お手前の勝利かと存ずる」
紹由は、そう云って、伝七郎をじっと瞶《みつ》めた。
「よし! つかまつろう」
伝七郎は、その差料を携げて立った。
紹由は、初音太夫の双の足くびへ手をかけると、すっと、左右へ大きく拡《ひろ》げさせた。
名にし負う三筋町七人衆の一人の秘処が、惜しげもなく、あらわになった。
伝七郎は、その前へ、正座した。
好色の情が人一倍激しい青年である伝七郎に、与えられた座が、そこであった。視線を、そこからはずしつつも、意識が、あらわにされた秘処にとらわれようとするのは、防ぎがたかった。
一閃裡《いつせんり》に迅業《はやわざ》を為《な》すためには、この上の不都合な座はない、といえる。心気一如の凄《すさま》じい気合によってこそ、小鳥を乳首の上に釘《くぎ》づけにし、みじんの狂いもなく、乳首上を紙一重で脚を截《き》ることができるのである。いささかでも、心気がみだれるのは、許されぬ。
伝七郎は、正念を据《す》えるべく、その相貌に、厳しい色を刷いた。
眼前に横たわるものを、木石と同様に思いなそうとする努力は、伝七郎としては、生まれてはじめてのものであった。
初音太夫が、ほんの微《かす》かな息づかいも、胸にあらわさぬように、抑えてくれていることが、伝七郎の努力をたすけた。
もし、初音太夫が、目に見えぬ程度にもせよ、胸を上下させたならば、忽《たちま》ち、伝七郎の正念はみだれたに相違ない。
二羽の四十雀は、飼い主の股間《こかん》に座を占めた男が、何をしようとするのか知らぬままに、可憐《かれん》にも、乳首の上で、動かぬ。
一瞬――。
伝七郎は、無言の気合をほとばしらせざま、差料を抜きつけた。
文字通り、目にもとまらぬ迅業であった。
白い閃光が、仄暗《ほのぐら》い宙を掠《かす》めた、と見た次の刹那《せつな》――。
二羽の小鳥が、脚を喪《うしな》って、裸身の両脇へ、ころりと落ちた。
「あっぱれな業前でござる」
紹由が、ものしずかな語気で、ほめた。
伝七郎は、ほっと、大きくひと呼吸した。
初音太夫は、禿《かむろ》が持ってきた衣裳をまとうと、脚を喪った二羽の小鳥を両掌《りようて》にすくいあげた。
「ゆるしてたもれ」
そっと詫《わ》びて、頬《ほお》ずりするのを、昌琢は、ふかい同情の目で、見まもった。
「紹由殿、この刀を、まちがいなく正宗である、とみとめて、宮本武蔵との試合には、存分に、斬れ味をためすことにいたす」
伝七郎は、紹由の思いついた趣向に応えることのできた得意を、満面に示して、一礼すると、立ち上った。
紹由は、伝七郎が去ると、
「昌琢殿、不快な思いをさせ申した。ごかんべんを――」
と、頭を下げた。
「あれほどよく飼い馴《な》らされた四十雀を、犠牲《にえ》にされて、まことに、惜しいことをなされた」
「なんの、贋正宗とつめ寄られては、やむを得ぬ仕儀でござったわ」
紹由は、笑って、
「太夫、そもじに大層な借ができた。このつぐないは、なんとしようぞ」
と、云った。
初音太夫は、美しい微笑をかえしただけであった。
伝心月叟庵《でんしんげつそうあん》
その草庵は、あぶら蝉《ぜみ》の音の満ちた櫟林《くぬぎばやし》の中に、ひっそりとわだかまっていた。
高野山の麓《ふもと》にある北谷の九度《くど》山。
いま、座敷で、几《つくえ》に向って、孫子をひもといている僧体の人物が、真田左衛門佐幸村《さなださえもんのすけゆきむら》であった。
号して伝心月叟といい、ここに隠栖《いんせい》して、読書に余念がない。
悠々《ゆうゆう》自適のくらしであったが、配流《はいる》される際、豊かな軍資金をかくした次第ではなかった。
幸村が考案した一種の打紐《うちひも》を製《つく》ることを、たつきにして、一族郎党のうち十余名が、それに専念していたのである。大変丈夫で、調法な紐であったので、諸方から注文が殺到して、いくら作っても、間に合わぬくらいであった。後世にまでのこった「真田紐」が、これである。
実は、打紐作りは、真田六連銭組百余騎が、その行商にかこつけ、日本全土をくまなく歩きまわって、諸侯の動静を探索する目的もあったのである。
この草庵は、一族が打紐を作っている館《やかた》からは、二町あまりはなれていて、沈思孤座を好む幸村のかくれ住いであった。父の昌幸《まさゆき》は、いまは、病いを得て、館の奥の一室に臥牀《がしよう》している。
櫟林のあぶら蝉が、急に、音を絶やしたので、幸村は、孫子から顔をあげた。
人影がひとつ、こちらへ近づいて来る。
「………?」
幸村は、眉宇《びう》をひそめた。
股肱《ここう》の一人|猿飛《さるとび》佐助が、戻って来たのであるが、その歩行ぶりが、いつもの佐助とはちがっているのであった。
常人の目には、別状のない歩行ぶりであったが、幸村が視《み》ると、一瞥《いちべつ》して、異状がみとめられた。
――猿め、手負うて居《お》る。
佐助が、あるじにそれとさとられるほどの重傷を蒙《こうむ》ったのは、いまだ曾《かつ》てないことであった。
幸村は、しかし、佐助が庭に入って来ると、わざと、そ知らぬふりをした。
沓石《くついし》に佐助が蹲《うずくま》って、
「佐助、只今《ただいま》帰参つかまつりました」
と告げるのを待って、幸村は、
「毛利|勝永《かつなが》は、手練者《てだれ》を幾人集めたな?」
と、訊《たず》ねた。
「手練者というものは、野《や》には、やたらに居らぬことが判《わか》り申してござる」
佐助は、こたえた。
幸村は、「ふふふ……」と笑った。
毛利|豊前守《ぶぜんのかみ》勝永が、二十四歳の血気の身を、配謫《はいたく》の地に跼《こご》めていることに堪えられず、浦戸の湾から関船《せきぶね》一|艘《そう》を、ひそかに漕《こ》ぎ出して、まず最初にたずねたのが、この伝心月叟庵であった。
勝永は、頭を立て胸を張り、徳川|家康《いえやす》打倒の烽火を一両年裡にも挙げる企てがなされなければならぬ、と説いたのである。
幸村の態度は、その雄弁に対して、冷淡であった。
談合|一刻《いつとき》ののち、勝永は、かなり憤然たる気色を示して、
「……では、身共独力で、御辺《ごへん》が麾下《きか》の六連銭組にまさるとも劣らぬ手練者を、二百騎も集めてみせ申す」
と、高言して、座を立ったのであった。
幸村は、勝永がはたしてどれだけの手練者を集められるか、念のため、佐助に、見に行かせたのである。
佐助が、その召募のさまを、報告するのを、黙ってきき了《おわ》った幸村は、
「佐助、何者に手負わされたな?」
と、訊ねた。
「佐々木小次郎、と申す兵法者でございます」
佐助は、わるびれず、畏友筧十蔵《いゆうかけいじゆうぞう》の左腕を両断し、その妹を犯して自殺せしめた佐々木小次郎に対して、復讐《ふくしゆう》せんとして、失敗した仔細《しさい》を、包まず、語った。
幸村は、そのことに就いては、おのが意見を加えず、
「……で、夕姫の身柄《みがら》は、沢庵《たくあん》という和尚《おしよう》の庵《いおり》に預けたなりか?」
「はい。……ここへ、お連れいたそうか、と存じましたが、なにさま、人目に立つお美しさゆえ――」
「沢庵は、いま頃《ごろ》、姫をもてあまして居るのではあるまいかな」
「御意――」
佐助は、同意した。
幸村は、ちょっと沈黙を置いてから、
「佐助、これからは、私怨《しえん》をはらすことなど、止《や》めにしておけい」
と、云《い》った。
「はっ!」
佐助は、平伏した。
「われらの敵は、ただ一人――あの老人だけでよい」
伝心月叟庵に、二人の客が訪れたのは、その日の黄昏刻《たそがれどき》であった。
一人は白馬にまたがり、一人は駕籠《かご》に乗っていた。
白馬にまたがっていたのは、宇喜多秀家《うきたひでいえ》の謀臣|明石掃部助全登《あかしかもんのすけたけのり》であった。
関ケ原役に於《お》いて、宇喜多秀家は西軍首脳の一人となったが、その兵略戦闘は、明石掃部助の頭脳にまかされた。
備前|美作《みまさか》から軍を発して、石田|三成《みつなり》の軍と合して、伏見城を攻め落し、さらに伊勢《いせ》を徇《したが》えて、関ケ原に押し出し、先鋒《せんぽう》となって、東軍の勇将中村一栄と福ケ畷に闘って、これを撃破し、さらに,驍将福島正則《ぎようしようふくしままさのり》の兵を、しばしば退《しりぞ》けたのは、掃部助の秀《すぐ》れた力によるものであった。
武運つたなく、西軍が敗退するや、掃部助は、主君秀家が、裏切り者の小早川秀秋の牙営《がえい》へ突入せんとたけり立つのをとどめ、再挙の催しこそ肝要である、と忠告して、備前へ落ちのびさせた。
おのれは、ふみとどまって、殺到する敵勢を、わずか数十騎で引き受け、主君の騎影が、遠く山蔭《やまかげ》にかくれるまで、敵の士卒を一人も通さず、やがて、血路をひらいて、何処へともなく駆け去った。
掃部助が、ひそかに備前へもどって来た時、主君秀家は行方知れずになり、留守居の士卒らは、望みを失って、四散し、そのあとに、土寇《どこう》が蜂起《ほうき》して、岡山城内に乱入し、藩庫の金穀から、館邸の什器《じゆうき》にいたるまで、ことごとく掠奪《りやくだつ》し去ったあとであった。
……爾来《じらい》、掃部助は、備中《びつちゆう》の足守《あしもり》に潜居していた。
掃部助がともなった客は、意外にも、一人のよぼよぼの異邦人であった。
掃部助は、これは伴天連《ばてれん》ルイシ・フロイシである、と幸村にひき合せた。
幸村は、むかし聚楽第《じゆらくだい》で、関白|秀次《ひでつぐ》に、キリシタン宗門の法《のり》を説いた伴天連がいた、ときいたことがあった。それが、この人物であった。
掃部助は、この老伴天連をともなった理由をあかす前に、
「今月、江戸|中納言《ちゆうなごん》(徳川|秀忠《ひでただ》)が、秀頼《ひでより》公の舅《しゆうと》になる由《よし》、左衛門佐殿は、この儀、どうお思いでござろう?」
と、問うた。
「時勢であろうか」
幸村は、しずかな語気で、こたえた。
豊臣《とよとみ》秀頼の正室として、秀忠の女千姫《むすめせんひめ》が大坂城へ輿入《こしい》れする日が、いよいよ、今月末に迫っていた。
家康は、この婚儀は、亡《な》き太閤《たいこう》の遺言である、と公表していた。
たしかに、豊臣家と徳川家は、姻戚《いんせき》関係にあった。秀吉の妹が家康の継室になったし、家康の子|秀康《ひでやす》が秀吉の養子になった。また、秀忠の妻は、秀頼の母|淀君《よどぎみ》の妹であった。
秀頼が、従妹の千姫を妻にしても、べつにふしぎはない。きわめてありふれた政略婚姻である。
秀頼は十一歳、千姫は七歳である。
しかし――。
幸村や掃部助には、徳川家康の肚裡《とり》は、あまりにも見えすいていた。
家康は、血族の関係など、一向に拘泥《こうでい》する人物ではないのである。織田信長《おだのぶなが》の機嫌《きげん》を損じまいために、わが子|信康《のぶやす》を殺しているし、秀吉との|好を《よしみ》失わないために、女婿《じよせい》である北条氏直《ほうじよううじなお》を滅すことに、加担している。
孫娘一人を犠牲にすることぐらい、家康にとって、蚊に食われる程の苦痛もないに相違ない。千姫を秀頼にくれるのは、大坂方を油断せしめる方便であり、豊臣家が、徳川幕府支配下の摂津、河内《かわち》、和泉《いずみ》六十五万七千四百石の一客藩に落ちたことを、天下に知らしめる策のひとつでもあった。
「千姫は、明日にも、江戸から伏見城に到着して、船で、大坂に向うそうな。大久保忠隣《おおくぼただちか》が、輿にしたがい、黒田長政《くろだながまさ》ら西国大名が、河辺を守護するという……」
「…………」
「如何《いかが》でござろうな、左衛門佐殿。行列を途中で襲うて、千姫を拉致《らち》しては――?」
「婚儀をさまたげたところで、どれほどの意義があろうか?」
「内府の鼻をあかし、大坂城の片桐市正《かたぎりいちのかみ》など腑抜《ふぬ》けどもを、仰天させることが、意義なし、と申されるか?」
「いまさら、世間をさわがせてみたところで、一客藩に下った豊臣家を、もはや太閤の時代にひきもどすよすがもない」
「左様、大坂城内には、もはや人は居り申さぬ。しかし、野には、人が居り申すぞ」
「たとえば?」
「ここに、真田左衛門佐幸村と、明石掃部助全登が居るではござらぬか!」
掃部助は、昂然《こうぜん》として、そう云いはなった。
秀頼と千姫の祝言《しゆうげん》をさまたげることは、家康の腹黒い遠謀に、一矢《いつし》射立てるとともに、野にひそむ豊家恩顧の面めんを、奮い立たせるきっかけともなる。
掃部助は、そう云いたいのであったろう。
また――。
幸村をして、この冒険をやらせれば、幸村がこの九度|山麓《さんろく》でただいたずらに打紐を製っているのではないという証拠を観《み》ることができる。来《きた》るべき秋《とき》にそなえて、たくわえている幸村の底力の一端を、のぞくこともできる、というものである。
「左衛門佐殿、大坂城内には、太閤殿下が秀頼公にゆずられた金銀が、どれくらいあるか、ご存じであろうか?」
「噂《うわさ》によれば、大層なものの由――」
「身共がきき及んだところでは、金子《きんす》十二万枚、銀子十八万枚、銀銭三万貫……。このほか、大判千枚吹きや二千枚吹きの黄金分銅など、かぞえきれず。さらにまた金銀子ばかりではなく、一色何千貫もする宝器、什物が山をなし、そのほか、あらゆる物資が、九重の天守閣の各階に、ところせましと貯《たくわ》えてあり申す……。この莫大《ばくだい》な遺産に比べれば、徳川家が江戸城や駿府《すんぷ》に貯えた軍資金など、ものの数ではござるまい」
「……ふむ?」
幸村も、うなずかざるを得なかった。
幸村自身も、曾《かつ》て、石田|三成《みつなり》からきかされたことがある。大坂城に集められた黄金の茶器だけでも、値段にすれば、数十万両になる、と――。
「左衛門佐殿、この莫大な遺産でもって、イギリス、オランダあるいはポルトガルより、大砲、鉄砲を買い入れたならば、たとえ百万の敵が押し寄せても、わずか一万の兵で、撃破し得ること、断言でき申す」
「…………」
幸村は、眉宇を動かさずに、黙然として、掃部助を、見まもっている。
掃部助は、この時はじめて、ともなって来た老伴天連を、指さした。
「南蛮の火器を買い入れるについては、この伴天連殿が、堺《さかい》におもむき、各国商人と一手にとりしきること、約束してくれ申した」
幸村は、伴天連フロイシへ、視線を移した。
老伴天連は、ぼそぼそとした口調で、しかし、正確な日本語で、自分が何故に明石掃部助に、援助しようとしているか、その理由を、述べた。
キリシタン宗門は、すでに秀吉《ひでよし》在世の頃から、排斥されているが、家康が天下人になってからは、幕府の方針として、厳しい禁圧政策がとられることが、条文化した。
家康は、たしかに、海外の商船がやって来ることを、望んでいるし、奨励している。
しかし、キリシタン宗門だけは、断乎《だんこ》として、禁圧しようという態度を示している。
伴天連として、徳川幕府が、これより永く天下を支配するのは、絶望的なのである。
そこで――。
豊臣《とよとみ》秀頼が、天下人になったあかつきには、キリシタン宗門を、仏教と同等にとり扱ってもらえることを条件として、イギリス、オランダ、ポルトガル各国の商船から、火器を買入れることに、必死の尽力をしよう、という心得でいる。
「左衛門佐殿、如何でござる? ご賛同願えますか?」
掃部助は、老伴天連が語り了えるやいなや、厳しい表情で、幸村の返辞をもとめた。
明石掃部助全登は、幸村から、即座の応諾を得られずに、かなりの不満を抱いて、辞去して行った。
去るにのぞんで、老伴天連を、しばらく、ここに逗留《とうりゆう》させて欲しい、と残した。
幸村は、下僕に、フロイシを館の方へ案内させておいて、再び、読書をはじめた。
それから、小半刻を過ぎた頃合――。
伝心月叟庵《でんしんげつそうあん》に、さらにまた、二人の客が訪れて来た。
こんどは、若い男女であった。
さきに、庭に入って来て、幸村へ呼びかけたのは、蓬髪敝衣《ほうはつへいい》、殆《ほとん》ど乞食《こじき》にひとしい青年の方であった。
「真田幸村殿に見参つかまつる」
「………?」
幸村は、月あかりに、その姿をすかし視た。
――兵法者か。
対手《あいて》は、鄭重《ていちよう》に頭を下げた。
「それがし,播州新免伊賀守《ばんしゆうしんめんいがのかみ》血族にして、宮本|武蔵《むさし》と申す兵法修業の若輩でござる」
「なんの用か?」
幸村は、そのうすよごれた長身から、鬼気ともいえる鋭気が放たれるのを感じた。
――吉岡《よしおか》清十郎に挑戦《ちようせん》して、勝ったのが、この若者か。
武蔵が、用向きを述べようとするよりも早く、小走りに武蔵の脇《わき》をぬけ出て来たのは、市女笠《いちめがさ》をかぶった若い女人であった。
「左衛門佐、わらわじゃ」
「お!」
幸村は、びっくりした。
「これは、夕姫君!」
「しばらくここに逗留します」
夕姫は、さっさと、座敷へ上って来た。
武蔵は、庭に立っている。
「これ、武蔵、その方も、上って参るがよい」
夕姫は、命じた。
「左衛門佐、この宮本武蔵なる者、わらわの家来じゃ。ここまで、わらわの供をさせたのは、衆を抜く手練者であるゆえ、御辺の下で働かせれば、役に立とうと存じてじゃ」
不義回想
武蔵は、幸村からも、座敷に上るようにすすめられたが、固辞した。
自分は、姫君が、この九度《くど》山へ身を寄せたい、と望んだので、案内役をつとめただけである、と云《い》って、頭を下げると、踵《きびす》をまわしていた。
すると、夕姫が、
「武蔵!」
と、鋭く叫んで、庭へとび降りた。
袖《そで》をつかんで、
「行ってはなりませぬ!」
と、つよくひっぱる夕姫へ、冷やかな眼眸《まなざし》をくれた武蔵は、
「この宮本武蔵は、お身様の家来ではござらぬ」
と、云った。
「いやじゃ! わたくしは、そなたをはなさぬ!」
夕姫は、激しくかぶりを振った。
「わたくしは、只今《ただいま》より、そなたを家来とは思いませぬ。……わたくしを、そなたの伴侶《はんりよ》にしてたもれ」
「伴侶?」
「妻にして欲しい。わたくしは、そなたのような男らしい男に、はじめて出逢《でお》うたのじゃ。肌《はだ》を許す男は、そなた以外に考えられぬ」
夕姫は、幸村がそこできいているのもはばからずに、はっきりと云った。
武蔵と夕姫は、昌山庵《しようざんあん》で、二夜を同じ座敷ですごしていた。武蔵は、異常な忍耐心で、ついに、夕姫に一指もふれなかったのである。
娘心の微妙な変化が、その間に起ったに相違ない。勝気なだけに、心匠の黒白は、はっきりしていた。
ここまでの道中のあいだに、夕姫は、武蔵の妻になる、と自分に云いきかせたに相違ない。
「さ――上ってたもれ。どこへも行かせませぬ」
夕姫は、武蔵の袖を、ぐいぐいひっぱった。
とたん――。
幸村は、夕姫の上半身がぐらっと傾くのを視《み》た。
当て落した夕姫を、抱きあげて、縁側へ近づいて来る武蔵に、幸村は、微笑した。
武蔵は、夕姫を、そっと縁側へ横たえておいて、退《さが》った。
「その方――」
幸村は、云いかけた。
「これほどの美女に云い寄られて、心を動かさぬとは、よほどのすね者だな」
「…………」
「女子《おなご》よりも、兵法の方が、大事か?」
「この姫君の対手をつとめる男は、他にいると存じます」
武蔵は、こたえた。
「その方が、吉岡清十郎に試合を挑《いど》んで、勝った噂は、ここまでもきこえ居《お》るが、兵法試合を生甲斐《いきがい》にいたして居るのか?」
「ほかに取柄《とりえ》のない者でありますれば……」
「たとえば、戦さに臨んで、功名|手柄《てがら》をあげ、立身する、といった存念はないのか?」
「それがしは、先年、東西手切れにあたって、宇喜多《うきた》軍新免伊賀守隊に属しました。伏見城を攻めて、名のある武辺が、雑兵とともに、流れ弾丸《だま》をくらって、虫けらのように討死するさまを、幾度も、目撃つかまつり……、こんなばかげた死にざまがあろうか、と思いました。……それがしは、幼児の頃《ころ》より、兵法を学び、兵法をもって生涯《しようがい》を生きる思念ひとすじにすごして参った者。名もない敵勢の雑兵が放った流れ弾丸をくらって、相果てるのは、堪えられませぬ。……されば、同じ死ぬならば、敵もまた兵法ひとすじに生きた者をえらびたく存じます。それならば、たとえ敗れて生命《いのち》を落しても、いささかの悔いもありませぬ」
「ふむ」
幸村は、うなずいた。
「では、次の試合対手は、何者をえらぶかな?」
「吉岡清十郎の舎弟伝七郎より、果し状をもらって居りますれば、九日の後に――」
「吉岡伝七郎は、去年、ここに数日逗留したことがある。その折、手の内をみたが、あれは、生まれ乍《なが》らの兵法者だな。強い」
「…………」
「吉岡道場の京流は、将軍家指南を看板にしたために、どうやら、型ばかり華やかになって、道場|業《わざ》に堕《お》ちた模様であった。その方が勝った吉岡清十郎の剣は、そうではなかったか?」
「御意――」
「しかし、弟の伝七郎の業は、京流から抜け出て居る。諸方を流浪《るろう》して、野盗山賊の群にまじったり、あるいは、伊賀衆など忍びの仲間にも近づいて修業しているふしがうかがえる。道場でのみ練磨《れんま》した兄の清十郎の剣とは、おのずから、鋭さがちがって居ろう」
「…………」
「試合までにまだ九日あるのであれば、おのが業に、もうひと工夫加える必要があろうな」
「…………」
「その方,柳生庄《やぎゆうのしよう》をおとずれたことはあるかな?」
「ありませぬ」
「兵法者ならば、一度は、おとずれてみるがよい。姫君を送ってもらった礼に、わしが、柳生|石舟斎《せきしゆうさい》に、添状をしたためてつかわそう」
「忝《かたじけ》のう存じます」
武蔵は、胸をはずませて、頭を下げた。
夕姫が、意識をとりもどしたのは、武蔵が立ち去って半刻《はんとき》も過ぎてからであった。
幸村から、すでに武蔵はいない、と告げられると、夕姫は、しばらく、宙を睨《にら》んでいたが、急に、泪《なみだ》をあふらせた。
袖でぬぐいもせず、泪が頬《ほお》をつたうにまかせていたが、やがて、
「館《やかた》の方へ参って、安房守《あわのかみ》殿に挨拶《あいさつ》いたします」
と、云った。
幸村には、異常に烈《はげ》しい気象の娘の心中が、どのようにおさまったのか、ちょっと窺知《きち》しかねた。
ともあれ、もの狂おしい振舞いをみせられないだけでも、たすかった思いで、幸村は、腰を上げた。
館の奥の一室では、安房守|昌幸《まさゆき》が、老いた伴天連《ばてれん》ルイシ・フロイシを、枕辺《まくらべ》に坐《すわ》らせて、しずかに語り合っていた。
夕姫は、昌幸と挨拶を交したのち、フロイシにひきあわされると、
「其許《そこもと》は、わが父君のそばにいた御仁《おひと》ではないか?」
と、訊《たず》ねた。
フロイシは、そうだ、とこたえた。
「わが父君が、どのようなお方であったか、きかせてたもらぬか? ……父君は、まこと、世上|取沙汰《とりざた》されたように,殺生《せつしよう》関白とおそれられた残忍なお方でありましたか?」
夕姫は、真剣な面持《おももち》で、フロイシを、瞶《みつ》めた。
フロイシは、しばらく、口をつぐんで、視線を、膝《ひざ》へ落していた。
「伴天連殿、御辺《ごへん》が眺《なが》めた真相を、姫君に、打明けられては、如何《いかが》か?」
昌幸が、すすめた。
フロイシは、視力の衰えた双眸《そうぼう》に、過ぎ去った遠い日のことを想《おも》い泛《うか》べて、
「お話しいたしましょう」
と、云った。
夕姫は、まばたきもせずに、異邦の宗門の使徒を、見まもって、その言葉を一語もききのがすまい、と耳をかたむけた。
フロイシは、まず、
「関白殿は、立派なお方でありました。ご家来衆には優しく、学問がお好きで、私の説法も熱心におきき下さいました」
と、云った。
ポルトガルから、茫々《ぼうぼう》たる巨海の浪《なみ》を押し渡って来たこの伴天連が、まねかれて、聚楽第《じゆらくだい》に入った時、秀次は、理想的な天下人とみえた。
背は高く、恰幅《かつぷく》おおらかに、面長で、色白で、頬は豊かに,頤《おとがい》は細く、眉《まゆ》は月形に、まなこつぶらに、鼻筋が通って、口元はしまり、やや前額が出ているほかは、まず申分のない関白ぶりであった。
武人に似合わず、生得優しく、識見が高く、かくべつ文事を嗜《たしな》むことにおいて、当代に比肩《ひけん》する者がない、という評判をきいて、フロイシは、聚楽第に上ったのであるが、まさしく、評判の通りであった。
その秀次が、突如として、学術|挽回《ばんかい》の志を放棄したばかりか、優美な性情をも一変させて、殺生関白と化したのは、フロイシが上ってから、一月も経《た》たないうちであった。
その乱行は、一日、北野へ遊山《ゆさん》に出た折、道を行く座頭をみとめて、酒をくれようと、呼び寄せ,盃《さかずき》を把《と》らせておいて、いきなり、その右腕を斬《き》り落すことから、はじまった。
座頭は、見えぬまなこをひき剥《む》いて、声をかぎりに救いをもとめつつ、のがれようともがいた。
秀次は、その血まみれの有様を、冷やかに眺めていたが、扈従《こじゆう》の熊谷大膳亮《くまがいだいぜんのすけ》に、血刀を渡して、
「彼奴《きやつ》の左腕も、斬り落せい」
と、命じた。
大膳亮が、何故にこのような下者《げもの》をいたぶられますのか、と訊ねると、秀次は、いまいましげに、
「その猿面が、気に食わぬ!」
と、云いすてた。
それから数日後――。
「伴天連殿、今日は、生殺自在の神技をみせようか。お主が申す天主《デウス》の大能にも勝る妙力の程をな――」
秀次は、にやりとして、近習の一人に、「あの女子を、庭さきへ、曳《ひ》き出せい」と、命じた。
大奥の女房の一人で、茶坊主《ちやぼうず》と密通した咎《とが》で、閉じ込めているあいだに、臨月の腹になった女であった。
秀次は、差料《さしりよう》をひっさげて、庭へ降り立つと、うなだれた女に、
「そちは、いまだに、腹の児《こ》は、この秀次の種じゃ、と云いはって居るそうな。茶坊主めと通じては居らぬ、とあくまで否定いたすか?」
と、訊ねた。
女は、微《かす》かな声音で、茶坊主とは通じていない、とこたえた。
「もう一度、糺《ただ》すぞ。腹の児は、この秀次の種に相違ないのだな? しかと、そうか?」
「はい――」
「よかろう、では、関白秀次自ら、その腹の児が、わが子かどうか、あらためてつかわす」
小者を呼んで、女を素裸に剥いて、四肢《しし》を押えつけるように命じた。
哭《な》き叫んで許しを乞《こ》う女が、そうされるのを、冷笑し乍ら待ちかまえた秀次は、おもむろに、差料を抜きはなつと、
「神仏になと、亡《な》き親へなと、祈りをこめい!」
と、云いざま、鳩尾《みぞおち》のあたりへ、ぶすりと一突きくれて、それを抜きもやらずに、ぎりぎりと下腹の果てまで、裂き下した。
「下郎ども、胎児をひきずり出せ」
と、命じておいて、
「女どもは居らぬか! 嬰児《やや》が生まれたぞ! 産湯《うぶゆ》をつかわせて、関白に似て居るか、茶坊主めに似て居るか、とくとあらためい」
と、呼ばわったことであった。
秀次が、フロイシを、久しぶりに、居室に招いたのは、それからしばらく経ってからであった。
秀次は、沈鬱《ちんうつ》な、孤独の寂寥《せきりよう》を刷《は》いた面持でいたが、
「お主は、霊魂《アニマ》がある、と申していたな。その霊魂が、来世は天主の検断を受けて、不替の苦楽を申しつけられる、と申していたが……?」
フロイシは、その通りだと、こたえた。
霊魂は、色身が寂滅した後も不易であること。天主の御検断も、不替の苦楽も、しかとまことであること。はやく洗礼《バラチシモ》を受けて、御子ゼズス・キリシトの教《のり》に添わないと、永劫《えいごう》| 地獄 《インヘルノ》の苦患《くげん》は、一定《いちじよう》であること。身罷《みまか》っての後の悔いは、もうおそい。わけて、濫《みだ》りに人を殺《あや》め、日夜|邪淫《じやいん》に荒《すさ》む行状は、来世の応報はもとより、今生の天罰もさぞや、と存ずる。天罰を受けてしまっては、天主の恩寵《ガラサ》を招く由《よし》もない。洗礼など、思いもよらぬ。是非ぜひ、正路にお立ちかえりあそばされたい。
「この言葉は、おのが一命にかけて申し上げるもの、とてまえが申しますと、関白殿は、かまえて相違ないな、と念を押されておいて、その一命取るぞ、と叫びざまに、刀を抜いて、てまえの鼻さきに突きつけられました。てまえが、平然として、欲しくばさしあげましょう、と申して、口のうちで、ゼズス・マリアを誦《とな》えますと、関白殿は、白刃を投げすてられました」
フロイシは、人間の元祖アダンとエワの物語をあらためて語り、さらに、ローマの皇帝《カイザル》コンスタンチノ大王の例を、ひいた。コンスタンチノ大王が、ゼズス・キリシトの夢のお告げを蒙《こうむ》って、軍神の旗印に十字架《クルス》をつけて、合戦にのぞみ、大勝を得、ついにローマの国を治定して、国中にキリシタンの法を敷いた次第を、逐一物語った。
「関白殿は、じっと耳をかたむけて、きいて居られましたが、やがて、キリシタン宗門では、人妻の不義をなんと処分いたすのか、と問われました。てまえが、ただひとえに天主のご成敗におまかせつかまつる、とこたえますと、関白殿は大層不興げなご様子で、良人《おつと》として不埒《ふらち》の妻の成敗は、叶《かな》わぬのか、と呻《うめ》くように仰《おお》せでありました。てまえが、キリシト御出生の前までは、すべて姦淫《かんいん》を犯した女人は、石で打ち殺すのが、ジュデヨの民の慣《なら》いでありましたが……、とお教えすると、関白殿は唇《くちびる》をふるわせて、石で打ち殺すのか、と叫ぶように仰せでありました」
フロイシは、そこまで語ってから、しばらく沈黙を置いた。
昌幸も幸村も夕姫も、固唾《かたず》をのんで、フロイシの次の言葉を待っていた。
フロイシは、重い口をひらいて、つづけた。
「関白殿は、それから、次のような問いをなされました。ある人妻が、良人の留守中、その良人の義父に招かれて、その家に行き、一夜の伽《とぎ》を強《し》いられた、とする。人妻は、拒むか、然《しか》らずんば、死ぬべきであったにも拘《かかわ》らず、うかうかと、義父に身をまかせて、何食わぬ顔で、戻って参った。この女、石で打ち殺すねうちがあろうな、と――。てまえは、その成敗は、天主にまかせるよりほかに道はありませぬ、とおこたえつかまつりましたが……」
フロイシは、そう語って、口を閉ざした。
夕姫が、|きっ《ヽヽ》となって、
「わが父君は、太閤《たいこう》殿下に、御台所《みだいどころ》を奪《と》られたのですか? そうなのですね?」
と、フロイシに訊ね、昌幸、幸村を見やった。
三人は、黙然としてこたえなかった。
昌幸は、思い出していた。関白秀次が奥州《おうしゆう》へ出陣した留守中、秀次の御台所が、伏見城に招かれて、十日あまり泊め置かれた事実があったことを……。
秀吉の好色は、並はずれて居り、大名衆の北の方など、その容色に目をとめると、平気で、城内へとどめて、一夜の伽をさせるのは、隠密《おんみつ》乍ら、知らぬ者はなかったのである。
関白秀次は、愛する妻を義父に犯されて、人格を一変させたのであった。
「幸村――」
昌幸が、長い沈黙を破って、云《い》った。
「関白殿が、もし在世であったならば、徳川内府と石田|治部少輔《じぶしようゆう》が天下を分けた合戦は、起らなかったであろうな」
幸村は、父の言葉に、ふかくうなずいた。
待伏せ
「暑いのう!」
一人が、呻くようにもらすと、隣りの者も、
「たまらん! いっそ、この襲撃、秋風が吹く頃《ころ》までのばすか」
と、云った。
「莫迦《ばか》を申すな。同じ土地に三日ととどまって居《お》らぬ一所不住の彼奴を、いつまでも、追いまわして居れるか」
すこしはなれた置石に、仰臥《ぎようが》していた髭《ひげ》だらけの者が、いまいましげに、吐き出した。
奈良の街から三里あまりはなれた、月ケ瀬街道沿いに、建ち腐った廃寺のひとつ。
杉や松の木立の中に、詣《もう》でる者の絶えた寺院の数は、五つや十ではなかった。その崩れかかった山門を利用して、腰掛け茶屋が、つぎつぎと出現したのは、関ケ原役後の現象であった。
店びらきしたのは、地下《じげ》の者ではなく、西軍に荷担した主家を喪《うしな》って、禄《ろく》をはなれた牢人者《ろうにんもの》たちであった。
関ケ原役で、牢人した武士は、およそ十三万人といわれている。
西軍の大名で、徳川幕府に改易させられた家は、八十余にのぼり、領土三百八十万石を没収されているのである。
例えば、大和一国だけを眺めても、関ケ原役の前と後では、領主は、一変している。
役前の配置は、次の通りであった。
増田長盛《ましたながもり》(郡山《こおりやま》二十万石)
本多俊政(高取二万五千石)
多賀秀種《たがひでたね》(宇陀《うだ》二万石)
宇多忠頼(大和の内一万三千石)
小堀正次《こぼりまさつぐ》(大和の内五千石)
これが、役後となると、次の配置になった。
織田有楽《おだうらく》(大和の内三万石)
福島正頼《ふくしままさより》(松山三万石)
片桐且元《かたぎりかつもと》(竜田《たつた》二万八千石)
本多俊政(高取二万五千石)
桑山一晴《くわやまかずはる》(布施一万六千石)
片桐|貞隆《さだたか》(小泉一万石)
桑山|元春《もとはる》(大和の内一万石)
すなわち。
封土禄高に変更のなかったのは、ひとり本多俊政だけで、小堀正次は加増転封となったが、その他はすべて改易没収されている。
増田長盛の郡山二十万石が没収されただけでも、七千人以上の家臣が、扶持《ふち》をはなれてしまっているのであった。
他の職業に就く才覚も|よすが《ヽヽヽ》もないままに、主家から離散した牢人たちは、没収された領土の内に、身をひそめた。
奈良から高野山にかけて、旅人の姿の多い街道に、腰掛け茶屋が、ぞくぞくと出現したのも、牢人たちのほそぼそと糊口《ここう》をしのぐたつきであった。
もとより、殆《ほとん》ど無一物の身であるため、廃寺の山門を無断で借りて、その妻子や郎党に働かせる惨《みじ》めさであった。
この茶屋も、そのひとつのようであった。
そして――。
憩《いこ》うているのも、また、貧窮でよごれている牢人者四人であった。
もう半刻《はんとき》以上も、ここに居すわってうだるような暑気に、待伏せの焦躁《しようそう》を増し乍《なが》ら、互いに、仲間であることに不信さえおぼえているような、露骨に嫌悪《けんお》の表情をむき出している様子であった。
「……酒でも、くらえば――」
一人が呟《つぶや》いたが、いずれも懐中に鐚銭《びたせん》一、二枚しかないらしく、麦湯一杯を飲んだだけで、注文する者もなかった。
と――。
「おっ! 来た!」
さっと立ち上った者に、つられてあとの三人も、木立越しに、鋭い視線を、街道に投げた。
「ちがう! 彼奴は、常に編笠《あみがさ》をかぶって居る」
投げ出すように、一人が、云った。
左右の二人が、異口同音に、
「待ち呆《ぼう》けだ!」
と、腹立たしげに、叫んだ。
しかし、置石にいた髭の牢人者は、近づいて来る人影を、じっと凝視していたが、
「うむ、やはり――」
と、合点した。
「なんだ、あいつ?」
「わしの知り人だ」
「ふうん――」
三人は、自分たちよりもうすぎたないなりをしたその人影に、うんざりした面持《おももち》になった。
ゆっくりと大股《おおまた》に、山門前にさしかかったのは、武蔵であった。
「おい、武蔵――宮本武蔵」
呼びかけられて、武蔵は茶屋へ頭をまわした。
「わしだ、武蔵。新免新九郎だ」
髭の牢人者は、名のった。
「…………」
武蔵は、黙って、見なおした。
武蔵は、名乗りを必要とする場合、おのれの素性をあきらかにするため、「播州新免伊賀守《ばんしゆうしんめんいがのかみ》血族」と云っている。
その新免伊賀守の舎弟に、新九郎という荒武者がいた。
少年の頃から、兵法にはげみ、二十歳になると、館《やかた》を出て、武者修行の旅にのぼった。
関ケ原役が起り、伊賀守が、宇喜多秀家の軍に兵百七十人を率いて参加した時、新九郎は、何処からともなく帰って来て、兄を扶《たす》けて副隊長となった。
武蔵が新免隊に入ったのは、宇喜多軍が、伏見城攻略に押し寄せた際であった。武蔵を、血族として迎えて、士分の扱いをし、足軽三人を家来にくれたのは、新九郎であった。
兵法者同士のよしみをおぼえたのであったろうし、新九郎は、一瞥《いちべつ》して、武蔵が尋常の業前《わざまえ》の持主ではない、と看《み》て取った模様であった。
しかし、武蔵は、功名首ひとつも挙げぬまま、伏見城攻略の直後、姿を消してしまったのである。
宇喜多軍は、関ケ原で壊滅し、行方不明を伝えられた秀家は、のち捕えられて、八丈島へ流された。新免伊賀守は、家来をわずか数人ともなって、故郷へ遁《に》げ戻ったが、落人詮議《おちうどせんぎ》の網をのがれることが出来ぬ、とさとって、割腹して相果てた。
そこまでは、武蔵は、風の便りで、知っていた。
副隊長であった新免新九郎がどうなったか――その生死すら、あれから故郷の宮本村へ帰っていないこともあり、武蔵の耳には、入ってはいなかった。
新免新九郎は、生きのびていた。兵法者たる面魂《つらだましい》はどこにすてたやら、いかにも物欲しげな扶持離れの牢人者の風態《ふうてい》になって――。
「武蔵、わしの顔を見忘れたわけではあるまい。何故こたえぬ?」
「…………」
武蔵は、しかし、黙って一礼すると、歩き出そうとした。
「待て、武蔵!」
新九郎は、いそいで、武蔵の行手をふさいだ。
「話があるのだ、きいてくれ」
曾《かつ》て、新免隊に野良犬《のらいぬ》のように入って来たのを、血族として迎え、士分の扱いをして足軽三人も家来にくれてやったこの新九郎に対して、傲慢《ごうまん》ともいえる態度を示すのを、内心、許せぬと憤《いきどお》りつつ、表面では、下手に出た。
武蔵は、新九郎を瞶《みつ》めかえしている。
「武蔵、お主が、兵法者として、天下に名を挙げようとしていること、すでに、わしもきいて居る。室町兵法所の当主|吉岡《よしおか》清十郎を、撃ち負かした壮挙は、四方にひびいて居る。新免家血族として、わしも、鼻が高い。……話というのは、お主の、その兵法者としての秀《すぐ》れた業前を、借りたい」
「…………」
「お主、諸国を経巡《へめぐ》って居るのであれば、神子上典膳《みこがみてんぜん》という名を、耳にして居ろう。一刀斎伊藤弥五郎景久《いちとうさいいとうやごろうかげひさ》の高弟だ」
「…………」
武蔵は、なお口をひきむすんでいたが、双眸《そうぼう》に光を加える表情で、神子上典膳という兵法者の存在を知っていることを示した。
「東国に於《お》いて、無敵を称《とな》えた神子上典膳は、北国から西国へ移って、数十|度《たび》の試合をして、ことごとく、その土地の一流|芸者《げいしや》を敗って、今春、畿内《きない》に現れた。すでに、兵法好きの諸大名を歴訪して、天下一流一刀根元、とうそぶく一刀斎ゆずりの業前を披露《ひろう》して居る。……お主、神子上典膳と、試合をする気にならぬか?」
「…………」
「おっつけ、典膳は、ここへ参る」
そう云われて、武蔵は、はじめて、口をひらいた。
「お手前様が、神子上典膳と立ち合うべく、ここで、待って居られるように、お見受けしますが――」
「実は、そうであったが、お主を見かけて、この試合、お主にゆずってもよい、と考えたのだ。……もとより、われわれ四人が、助勢する」
「おことわりします」
「ことわる?」
「試合の対手《あいて》は、おのれ自身で、えらび、きめます。……御免」
歩き出そうとする武蔵に向って、新九郎は、あわてて、両手をひろげた。
「待て! 待ってくれ! ……われわれは、神子上典膳を、是非にも討ち果さねばならぬのだ。たのむ! お主の秀れた腕を、借りたい」
「…………」
「典膳は、諸大名を歴訪して、その業前を披露したが、その高慢|不遜《ふそん》ぶりによって、どの屋敷でも、すくなからぬ不興を買《こ》うた。目をかけた家臣を撲殺されて、典膳を憎んだ大名は、一人二人ではないのだ。……われわれは、さる大名の依頼によって、典膳を討とうとして居る」
――神子上典膳を首尾よく討ち果せば、随身の希望を叶《かな》えてくれる、という餌《えさ》を投げられたのか。
武蔵の口辺に、冷笑が刷《は》かれた。
新九郎は、その冷笑に気づかぬ振りをして、
「お主に助勢してもらえば、百人の味方を得たたのもしさがある。……たのむ。この新免新九郎が、血族として、こうして、頭を下げる。たのむ!」
神子上典膳が、そこへ姿を現したのは、それから小半刻の後であった。
その時、武蔵は、その場にいた。
新九郎のたのみを承諾して、とどまったのではなかった。新九郎に対しては、返辞をしなかったが、
――伊藤一刀斎が、神子上典膳にさずけた一刀流とは、どういう剣か、観《み》たい。
その欲求が、わいたからであった。
「彼奴! 来たぞ!」
苛立《いらだ》つままに、街道へ出て、沿うて流れている小川へ、首を突っ込んでいた一人が、何気なく、彼方《かなた》を見やって、はねあがって叫ぶや、新九郎は、
「たのむぞ」
と、武蔵を、片手拝みにしたものであった。
武蔵は、四人が松の木立の中へ身をひそめるのを見送って、山門下から動かなかった。
新九郎ら四人が待ちのぞんだ旅客は、編笠で灼《い》りつける陽《ひ》ざしをさけ、肩のあたりに汚染《しみ》のひろがった浅葱《あさぎ》の帷子《かたびら》に、白袴《しろばかま》をはいて、かなりの急ぎ足で、近づいて来た。
討手がたの予測たがわず、神子上典膳が、この月ケ瀬街道を辿《たど》るのは、神戸《ごうど》の柳生谷を訪れる目的に相違なかった。
柳生谷の小柳生城には、柳生|石舟斎宗厳《せきしゆうさいむねよし》が、八十歳になって、いまなお、健在である。
神子上典膳ほどの兵法者が、大和路へ足を入れて、石舟斎に会わぬ筈《はず》がなかった。
典膳が、大和に現れたのは、石舟斎に会うため、とも推測できる。
典膳は、上総《かずさ》国御子神村の人である。しかし、その祖先は、大和と伊勢《いせ》にまたがる領地を持つ御子神十市兵部頭であった。典膳の祖父の代に、事情あって、上総に移り、安房《あわ》の山中に、部落をひらいた、といわれている。
三方を山にかこまれ,渓流《けいりゆう》沿いに、ひとにぎりほどの田畠《たはた》しかない僻邑《へきゆう》に、御子神一族が入ったのは、それだけの仔細《しさい》があったに相違ない。
上総城主|万喜少弼《まんぎしようひつ》から、そこに部落をひらくことを、黙認された由《よし》である。
由緒ある家名を、部落の称にし、郷士岩波と名のったが、万が一の場合、万喜家に迷惑をかけぬ配慮であったろう。
典膳は、物心ついた頃、一族が伊勢を立退《たちの》く際、数百人を殺傷しなければならぬ騒動があった、ときかされた。
いわば――。
同じ大和国の一小区を占める小柳生庄に、元弘《げんこう》の頃から、領主として家系を継いで来た柳生家とは、おそらく、そのむかし、御子神家は、親しい間柄《あいだがら》であったに相違ないのである。
石舟斎は、したがって、御子神家が、伊勢から立退かざるを得なかった事情にも、あるいは、くわしいかも知れぬ。
新免新九郎らは、一流兵法者ならば、当然柳生谷へ足を向けるであろう、と予測したが、典膳には、おのが祖先の秘密をあきらかにしたい目的があったのである。
神子上典膳が、師一刀斎の命令によって、下総《しもうさ》国|葛飾《かつしか》郡小金ケ原で、兄弟子小野善鬼と真剣の勝負をし、これに勝って、甕割《かめわ》りの太刀と一刀流伝書をさずけられたのが,天正《てんしよう》十七年――二十歳の時であるから、すでに、十四年が経《た》っている。
師一刀斎と、その日を限りに別れて、孤独な流浪《るろう》をつづけ乍ら、さらに、一刀流の剣をみがいた典膳は、三十代に入って、まさに兵法者として、油の乗りきった男盛りであった。
不意に、木立から、四人の牢人者が奔《はし》り出て来て、四方をふさいだが、典膳は、編笠をあげて、視《み》ようともしなかった。
これまで、幾度も、このような襲撃に遭っているに相違なかった。
「神子上典膳、その一命を申し受ける。覚悟!」
新九郎の声もろとも、四本の白刃が抜きはなたれた。
「意趣か?」
典膳が、問うた。
「意趣ではない。お主の業前を看るのだ」
「それがしの業前を看るために、自身の生命《いのち》を落すのか」
「その増上慢が許せぬのだぞ、神子上典膳!」
新九郎は、あびせておいて、
「武蔵っ!」
と、叫んだ。
「武蔵っ! 何をいたして居《お》る! 剣を競えっ!」
武蔵は、しかし、山門下で、微動もせぬ。
「武蔵っ! 来ぬか!」
新九郎は、絶叫した。
「…………」
武蔵の眼眸《まなざし》は、典膳の姿へそそがれて、まばたきもせぬ。
小金ケ原
一刀流の創始者は、伊藤弥五郎景久である。
弥五郎は、伊藤入道景親の末裔《まつえい》で、伊藤弥左衛門友家の子として、天文十九年八月に、伊豆大島で、生まれている。幼名を前原弥五郎といい、生来骨格が逞《たくま》しく、膂力《りよりよく》すぐれ、五体が異常に敏捷《びんしよう》であった。
物心ついた頃《ころ》から、小舟で、荒海に出て、水中にもぐって魚を手づかみにする修練を積んだ。
けだし、艪《ろ》をこぐことによって、腰をきたえ、魚を手づかみにすることによって、迅業《はやわざ》を学び、それが、青年になって、剣を把《と》った時、大いに役立った模様である。
弥五郎は、十五歳の夏、板子一枚にすがって、大島を脱出した。その年、弥五郎は、伊豆三島に道場をひらいていた富田一放という兵法者と試合をし、一撃で、仆《たお》している。富田一放は、富田|越後守《えちごのかみ》重政の高弟であった。
三島神社の祠官《しかん》織部某は、弥五郎の勝利を祝って、神宝一振りを贈り、
「これは、備前の名工一文字作で、渠《かれ》が、三島神社に大願をかけて、二十一日間|参籠《さんろう》したのち、境内に小屋をつくって打ちあげ、奉納した品である。刀の鞘《さや》をつくらず、白刃のまま、縄《なわ》にむすんで、棟上にかけておいたところ、三年を経て、縄が切れて、刀は落ちた。その時、神前に供えておいた酒瓶《さかびん》が、ま二つに割れた。この由来によって、甕割りの太刀と称されている」
と、説明した。
爾来《じらい》、その名刀は、神子上典膳に与えられるまで、常に、弥五郎の腰に佩《お》びられていた。
弥五郎が就いた師は、高上金剛刀を極意として、剣名をはせた中条流の達人・鐘巻自斎通家《かねまきじさいみちいえ》であった。
弥五郎は、自斎の家で五年余をすごし、その天稟《てんぴん》と鍛錬の功をみとめられて、奥秘の刀法である妙剣、絶妙剣、真剣、金翅鳥《こんじちよう》王剣、独妙剣の五点をさずけられた。
その後の弥五郎は、家を持たず、諸国を放浪した。出会った強敵は、数知れず、闘ってことごとく勝った。
一流を樹《た》てた兵法者は、すべて武者修行によって、その業を練りあげた。
塚原卜伝《つかはらぼくでん》も上泉伊勢守《かみいずみいせのかみ》もその高弟の疋田豊五郎《ひきたぶんごろう》も丸目蔵人佐《まるめくらんどのすけ》も、そして天流流祖の斎藤伝鬼坊《さいとうでんきぼう》も、それぞれ、諸方を経巡《へめぐ》って、強敵と闘い、合戦に参加し、人里はなれた山中に孤居して、会得《えとく》の道をひらいている。
戦乱の時世を生きた兵法者は、名利に心を奪われる者は、尠《すくな》かった。渠らは、ただひたすら、剣の業をみがくことのみに専念した。いうならば、学者に、書を読んで睡気《ねむけ》を催すと、錐《きり》で股《もも》を刺す者がいるごとく、剣の道以外は一切思念を払わぬ monomania ぞろいであった。
『小松軍記』にある。
南部無右衛門という兵法者は、諸国|廻遊《かいゆう》後、稲葉彦六郎《いなばひころくろう》一道の口入で、二千石を得たが、上下をわきまえず、礼法を無視し、行状は狂人としか受けとれなかった。
『義残後覚』にある。
鹿島《かしま》源五という兵法者は、六十六箇国を武者修行して、無敵であった。ある人が、織田《おだ》信長へ、禄《ろく》三千貫で推挙しようと、云《い》った。
源五は、薄ら笑って、
「織田|上総介《かずさのすけ》という武将は、主君として随身しがたい不快な人物と思われる。その機嫌《きげん》をうかがって、禄をぬすむ兵法者がいるならば、それは、二流でござろう」
と、云いすてた、という。
伊藤弥五郎も、その一人であった。
モノマニアであるために、山中や洞窟《どうくつ》や伽藍《がらん》内に孤座しているうちに、突如として、霊験に打たれて、奥旨《おうし》を悟ることができた模様である。
弥五郎が、一刀流を樹てた端緒は、ある時、某伽藍に入って、鉄如意《てつによい》を握っていた時であった。
不意に、掌中のそれが、火をつかんでいるように堪えがたく熱いのを覚えた。一瞬、はっと心気が動くと、忽《たちま》ち、鉄如意は、氷のごとく冷えた。弥五郎は、鉄如意冷熱の変化は、おのが心気の盈虧《えいき》によるもの、と判断した。それから幾年かの後、弥五郎は、自らの意志によって、掌中の鉄如意を、思いのまま、熱いと覚え、冷たいと感じることができるようになった。
鉄如意を剣にかえるや、弥五郎の心気は、そのまま、白刃につたわり、みなぎった。
剣心一如の妙理を一心刀と称し、やがて、おのが流名を一刀流とし、自ら一刀斎と号するに至った。
弥五郎は、一刀斎となる前に、完全な死地に追い込まれる凄絶《せいぜつ》な争闘を経験している。この争闘が、さらに、その一刀流を、大きなものにした、といえる。
京都に在った頃のことである。
伏見でかなりの道場を経営している兵法者がいた。
弥五郎に、試合を挑《いど》み、木太刀で肩の骨を砕かれ、右腕が萎《な》えて、不具となった。
これをうらんだ某は、門弟どもを使嗾《しそう》して、弥五郎に復讐《ふくしゆう》を企てた。
弥五郎は、二条の廓《くるわ》の遊女となじみ、これを落籍《ひか》せて、寓居《ぐうきよ》に入れていた。
その宵《よい》、女の酌《しやく》で、したたかに酔うた弥五郎は、蚊帳《かや》に入って、前後不覚に睡《ねむ》った。
夜半に至って、十余名の襲撃があった。弥五郎が、目覚めたのは、蚊帳の四つ乳《ち》を切られた瞬間であった。四肢《しし》はしびれていた。酒に毒がまぜてあったのである。枕元《まくらもと》をさぐったが、大小は無くなっていた。女が持って逃げたのである。
投網《とあみ》にかかった魚の|てい《ヽヽ》になった弥五郎めがけて、敵がたは、四方から、斬《き》りつけ、突き刺した。
その下を、どうかいくぐったか、おのれ自身、おぼえがなかった。
いつの間にか、蚊帳の下からくぐり抜けた弥五郎は、無意識|裡《り》に、床の間に活《い》けてあった白百合《しらゆり》を一本、掴《つか》んでいた。
一人が猛然と斬りつけて来るや、百合の茎を両断させておいて、とがったその切口で、対手《あいて》の片目を突き刺した。
ひるんだ対手の手から、刀を奪った弥五郎は、あとはただ、日頃の手練の迅業を発揮すればよかった。
またたくうちに、八名を斬った弥五郎は、庭に降りて、生垣《いけがき》の陰にひそんでいる裏切り女の首を刎《は》ねた。
この経験は、弥五郎にとって、貴重であった。百合の茎でさえ、いざとなれば、得物となることを知ったのである。
弥五郎は、一刀流極意五点に、さらに、この経験によって会得した払《ふ》捨刀《しやとう》を加え、その日を境として、酒と女を断ち、孤身|飄々《ひようひよう》たる兵法者となった。
伊藤一刀斎は、天下を周遊する間に、自身語るに足りる強敵との試合だけでも、三十三回行ない、五十七人を斃《たお》している。木太刀で不具にした対手は、六十二人の多きにのぼった。
当時の作法では、敗者がおのが所有する奥旨を、勝者にことごとく献じて、門下に入らなければならなかった。
一刀斎は、いつの試合にも、勝つと、風のごとく立ち去って、敗者に奥旨を献じさせなかった。
その生涯《しようがい》で、弟子として許したのは、伊藤孫兵衛、小倉一学、間宮新左衛門、高津市左衛門、古藤田勘解由左衛門《ことうだかげゆざえもん》、小野善鬼、神子上典膳《みこがみてんぜん》の七人だけであった。
遁世《とんせい》を想《おも》う老いをおぼえた頃、一刀斎は、小野善鬼と神子上典膳の二人の弟子をつれて、旅をしていた。
小野善鬼は、伊勢桑名の船頭であった。たまたま、その船に乗客となった一刀斎が、大酔した戦場武者が大あばれするのを、二十歳にも満たぬ船頭が、棹《さお》一本で苦もなく、海へ突き落すのを視《み》て、天稟ありと思い、弟子にしたのであった。
神子上典膳の方は、安房に名高い古刹《こさつ》石堂寺で、一刀斎にひろわれたのであった。
安房郡御子神村に生まれた典膳は、三男で、兄二人は父母の躾《しつけ》に従って、課せられたつとめにさからうことはなかったが、末弟の典膳のみは、野性の粗暴児であった。
その祖父は、典膳が六歳まで生きていたが、別室に孤坐して、絶えて家人と談笑したことがなく、父次郎左衛門は、なりわいは、木樵《きこり》と農耕であったが、その態度はついに武辺の謹厳を崩さなかった。
三男の典膳は、家風にそむく異端児として育ち、ついに、父がもてあまして、村から二里下ったところにある石堂寺に、僧籍に入れるべく預けたのであった。
その古刹へ、一刀斎が訪れたことが、典膳の運命を変えた。
善鬼、典膳二人の弟子をともなって、一刀斎が、下総国に入ったのは、天正十七年の晩秋であった。
一刀斎は、葛飾郡小金ケ原で、二人の弟子に、真剣の勝負を命じた。
「勝った者に、甕割りの太刀と一刀流伝書をくれよう」
そう云ったのである。
小金ケ原は、当時は、櫟《くぬぎ》を主とする雑木林にかこまれた一町四方ばかりの原野であった。
後年は、佐倉炭の本場になったが、それは、その時より二百年を経た寛政年間に、相模《さがみ》の炭焼きを迎えて、櫟を伐《き》り出させてからのことであった。
当時は、斧《おの》も鍬《くわ》も入れる者はなく、櫟の密林は、人の入るのを拒否する深さであった。原は、幾年か前の野火で焼きはらわれて、できたものであった。焼野に、芝が生え、宛然《さながら》、湖のような静かなひろがりをみせていた。身丈にあまる薄《すすき》や葎《むぐら》は、芝に遠慮したように、雑木林ぎわに、岸辺のかたちをつくって、原の周囲を包んでいた。
その原のちょうど中央に、ひとかかえもある櫟の巨樹が、なかば、落葉して、そびえていた。
善鬼と典膳は、その巨樹の傍《かたわら》で、決闘した。
夜が明けたばかりの時刻であった。
一刀斎は、暁闇《ぎようあん》のうちに、そこへ来て、巨樹の根かたへ腰を下していた。
朝陽《あさひ》がさした時、まず、姿を現したのは、善鬼であった。
四半刻《しはんとき》過ぎて、典膳が、雑木林の中から出て来た。
「典膳、おそいぞっ!」
叫びざま、善鬼は、三尺二寸の長剣を鞘走らせた。
相|青眼《せいがん》――双方は、二間の距離を保って、対峙《たいじ》した。
同じ青眼であるが、その構えには、おのずから異質なものがあった。
典膳は、切先《きつさき》を鶺鴒《せきれい》の尾のごとく、すこしずつ、動かしていた。その身もまた、踵《かかと》を地面から浮かして、ほんの微《かす》か乍《なが》ら、前後にゆれさせていた。
おのれより業のまさった強敵に対して、まずおのが身を守るために、絶えず、切先を動かしていれば、刀身が居着かず、また、敵の心気をまどわして、その起り頭《がしら》をも擾《みだ》し得る利があるのであった。
典膳は、師より教えられたこの法を守ったのである。
これに対して、善鬼の長剣は、やや上段に構えられて、ぴたっと宙に停止していた。
おのれより腕の劣った者に対して、上段の方が、起り頭の自由があり、また敵を威圧する体勢となるからであった。
すなわち。
同じ体勢でも、典膳は守勢であり、善鬼は攻勢であった。
典膳が、伏目であるのも、業の劣った者の構えであった。
伏目になるのは、「帯の矩《かね》」といい、強敵とまともに視線を合わせれば、こちらの心気をことごとく看《み》て取られるおそれがあるので、わざと、視線をはずしたのである。
体躯《たいく》にも、いちじるしい差があった。善鬼は六尺を越えた巨漢であったし、典膳は、五尺二寸の小兵であった。
対峙は、それから、半刻以上もつづいた。
その間、善鬼が、三度ばかり、凄《すさま》じい威圧の懸声が放ったばかりであった。
善鬼は、決して、典膳をあなどってはいなかったようである。典膳とおのれの間には、業にかなりの径庭《けいてい》がある自負を持っていたし、小兵の典膳のいかにも貫禄《かんろく》うすい構えぶりを看ては、万が一にも、おのれが敗れるなどとは思わなかったに相違ない。
やがて――。
善鬼が、急に、ぴくりと肩を痙攣《けいれん》させた。おのが背中に、師一刀斎の視線を感じたからである。
陽脚がうつるにつれて、善鬼は、その陽をまともに受けぬために、すこしずつ、身を移していたのであるが、一本櫟の根かたに腰かけた一刀斎へ、ちょうど背を向ける位置になったのである。
善鬼は、背中に、師の視線を刺されて、痛みをおぼえる形相になった。
――師は、おれが、敗れるのをのぞんでいる!
そう感じたのである。
その刹那《せつな》、善鬼の構えに、わずか乍ら、隙《すき》が生じた。
典膳は、それを遁《のが》さず、
「えいっ!」
電光の突きを放った。
善鬼が、これを払って、横へ跳んだ。
典膳は、この機をのがさず、第二の突きに出た。並の者ならば、この突きをかわすことは不可能であったろう。
幼時から、船頭として、腰に自在の動きの会得がある善鬼は、横へ跳びかわしつつ、太刀を振りかぶって、大上段から斬りおろす業をそなえていた。
一刀流の青眼の利が、突きにあることは、すでに、一刀斎の教えるところであった。
一刀流にかぎらず、すべての一騎討ちの兵法には、斬るよりも突きに利があることは、その後、定評となった。
しかし、利があるところ、最も業の精妙を要するのは、いうを俟《ま》たぬ。もし、突き損じれば、利はたちまち不利となり、攻守は、そのところを一瞬裡に代える。
突きは、絶対に一撃で仕止める迅業《はやわざ》でなければならなかった。
典膳は、その突きを、二度までも仕損じた。
善鬼は、大上段からの一閃《いつせん》を、まっ向から、典膳の頭上へあびせた。
その凄じい刃風の下で、当然、典膳は、血煙りをあげる運命にあった。
典膳を救ったのは、一匹の鼠《ねずみ》であった。
光に似た迅さで、一匹の鼠が、奔《はし》って、善鬼の帯のあたりへ、跳びついた。
と見た一瞬、典膳もまた、無我夢中で、一刀を突き出した。
はたして、実際に、鼠が善鬼に跳びついたかどうか、判《わか》らぬことだった。
典膳が、われにかえった時、善鬼は、ふかぶかと、胸を刺し貫かれて、かっと、双眼をひき剥《む》いていた。
善鬼が、|※[#「手へん+堂」]《どう》と仆《たお》れてから、典膳は、一本櫟をふりかえった。
すでに、師一刀斎の姿は、そこからかき消えていた。
師が腰かけていた石の上には、一振りの刀と巻物が、置かれてあるばかりであった。
新免新九郎ら四人の牢人者《ろうにんもの》は、いわば、兵法者の中でも最もおそるべき迅業を具備した兵法者に向って、白刃を向けたことになる。無謀というもおろかな、狂気|沙汰《ざた》といえた。
多敵の位《くらい》
「やあっ!」
「おおうっ!」
四方より、満身からの懸声をあびせられ、じりじりと切先を詰められ乍ら、神子上典膳が、いまだ、編笠《あみがさ》をすてようともせず、佇立《ちよりつ》したままでいるのを、武蔵《むさし》は、十数歩はなれた山門下から、凝視していた。
もし、自分が襲われたならば、当然、立木か何かを後楯《うしろだて》にして、身構えた筈《はず》である。
典膳は、往還をひろって来て、不意に、討手が躍り出て来るや、しずかに立ちどまり、包囲されるにまかせて、微動だにせずにいるのである。
これは、どういうことなのか?
典膳は、四人の牢人者を、とるに足らぬ弱敵と看てとったのか?
武蔵の目には、渠《かれ》らが弱敵とは映らなかった。すくなくとも、正面から迫る新免新九郎の剣には、獰猛《どうもう》といえる実戦鍛えの鋭気がみなぎっている。
この一撃に備えるためにも、立木か何かを背にする必要があるのではあるまいか。
それをせぬのは、よほど、業に自信があるに相違ない。
それにしても、武蔵には全く合点しがたい典膳の自若ぶりであった。
「参るぞっ!」
新九郎が、叫びざま大上段にふりかぶった。
と――、同時に。
背後の一人が、無言|裡《り》に、斬《き》りつけた。
正面の新九郎が初太刀を放つとみせて、背後から襲わせる――多敵攻撃の一手であった。
この攻撃に対して、典膳は、すっと一歩出た。
背後の一人は、切先及ばず、その編笠を両断したばかりであった。
正面の新九郎が、双手《もろて》を空けたなりで一歩出て来た典膳に向って、一瞬、怯《お》じ気めいた狼狽《ろうばい》の色を面|てい《ヽヽ》に掠《かす》めるのを、武蔵は、視《み》た。
次の刹那――。
新九郎は、凄じい呶号《どごう》もろとも、振りおろした。
両者の位置が、すりかわった。
典膳の右手には刀があり、新九郎の方は、味方三人の身構える中へ、ふらふらとおよいだ。
悲鳴ものこさず、地べたへ仆れる新九郎を、牢人者たちは、茫然《ぼうぜん》と眺《なが》めた。
典膳は、その場に立って、待っていたが、三人が動かぬのを視てとるや、白刃を腰に納めて、武蔵のいる山門の茶屋へ歩み寄った。
床几《しようぎ》に腰を下してから、典膳は、うしろ庇《びさし》を両断された編笠をはずした。
秀麗ともいえる鼻梁《びりよう》秀でた風貌《ふうぼう》があらわれた。
典膳は、甘酒を所望してから、自分を凝視しつづける武蔵へ、顔を向けた。
「あれは、御辺《ごへん》の連れではないのか?」
三人の牢人者が、何処へともなく逃げ去った路上に、さびしく仆れている新九郎の屍骸《しがい》を頤《おとがい》で差した。
「いや、ここで、偶然、めぐり逢《お》うただけでござる」
武蔵は、こたえて、ひとつ、深い呼吸をした。
ようやく、緊張が解けたのである。
武蔵は、はじめて、決闘の神髄を目撃した思いであった。
神子上典膳は、四人に襲撃されたが、たった一人を斬っただけであった。包囲された時、正面の敵を斬れば、事はおわる、と考えたに相違ない。そして、その通りにした。阿修羅《あしゆら》のごとくに身を翻転させて、迅業を継続させた次第ではなかった。あたかも、一騎討ちのごとく、新免新九郎を斬ったにすぎない。
新免新九郎は、他の三人と比較にならぬ業前の所有者であった。これは、目撃する武蔵の目にも、明白であった。
典膳は、そうと看て取ったから、新九郎一人を斬ったのである。新九郎を斃《たお》せば、あとの三人は、殺意をうしなって、案山子《かかし》同様になる、と判断したのである。そして、その通りになった。
四人を一人のこらず、斬り伏せる必要はなかったのである。
これはどういう徒党であるか、如何《いか》なる理由で襲撃して来たか、それぞれがどの程度の業前を持っているか――一瞬裡に判断し、観察した典膳は、まさしく、真の決闘者というべきであった。
後年――。
小野次郎《おのじろう》右|衛門忠明《えもんただあき》となったこの兵法者は、多敵の位《くらい》というものを、門下に教えている。
「敵が、数百数千の多勢をもって、我に攻めかかって参ろうとも、おどろくにはあたらぬ。八方を囲まれても、斬りかかって来るのは、八人を越えることは、まず考えられぬ。八人と申しても、我との距離が、遠きも近きもある。進退に於《お》いて遅速もある。したがって、我に近い二尺のところに踏み入って来た敵を、間合と心気をはかり、機に応じて一人ずつ斬れば、なんのおそれるところはない。申さば、百人が攻めかかって来ても、これを一人と心得ることができる。殊《こと》に、敵が多数の場合は、進退駆引は混乱|騒擾《そうじよう》しやすく、我が一人の時は、働きに冷静沈着の利がある。多敵に対しては、その闘う力を殺《そ》ぐことを主眼として、手でも足でも斬るがよい。決して、猛進したり、首を刎《は》ねたり、唐竹割《からたけわ》りにしたりしようとせぬことである。敵が十歩動けば、我は三歩動いて、前後左右に転じつつ、あるいは目を突き、手くびを刎ね、足を薙《な》ぐ。要は、心身の力の消耗を極小にとどめて、冴《さ》え冴えとした心気をもって、一瞬一人一殺を為《な》すことである」
「神子上典膳《みこがみてんぜん》殿!」
武蔵は、典膳が甘酒を喫《の》みおわって、床几から立ち上った時、のど奥からしぼり出すように、その名を呼んだ。
「…………」
典膳は、黙って、武蔵を視かえした。
「それがしは……、宮本武蔵と申す」
「試合をのぞむのであれば、おことわりせねばならぬ」
「兵法者ならば、挑《いど》まれて、拒絶するのは卑怯《ひきよう》と存ずる」
「卑怯――」
典膳は、微笑した。
「卑怯とは、根性がいやしく、臆病《おくびよう》なことをいうのであろう。身共は、根性がいやしいわけでもなく、御辺をおそれて居るのでもない」
「では、何故に、それがしとの立合いを、拒絶なさるのか?」
「あらかじめ身共の勝利があきらかな試合など、やってもはじまらぬ」
「それは、高言が過ぎるように存じられる」
武蔵の双眸《そうぼう》が、光った。
「身共は、これまで、おのれを思い上らせたことはない」
「では、どうして、それがしに勝つと自負される?」
「御辺が、吉岡《よしおか》清十郎に挑んで、これを撃ち仆して居るからだ」
「…………」
「身共は、御辺が、試合所望の高札を立てる一月ばかり以前に、吉岡道場をたずねて、清十郎に会った。……その時、すでに、吉岡清十郎は、兵法者ではなかった」
「兵法者ではなかったとは?」
「吉岡清十郎は、兵法者である誇りをすてて、隠居|遁世《とんせい》して、詩人として生きたい意嚮《いこう》を抱いていた。……身共は、それと察して、吉岡京流との立合いをあきらめた。御辺は、吉岡清十郎が、剣を振るよりも、詩を作ることに生甲斐《いきがい》をおぼえている人間であったことを知らなかったのではないか」
「知り申さなんだ」
「うつけ者と云《い》わざるを得ぬ。……いやしくも、京の都のまん中に、高札を立てて、試合を所望するならば、その対手《あいて》が如何なる人物か、見とどけておくべきではなかったか。すでに兵法者たる面目をすてた者に、試合を挑んで、これに勝ったところで、なんの意義があろう。……そのようなうつけ者が、この神子上典膳とたたかって、勝てる道理があるまい」
云いすてて、典膳は、歩き出した。
武蔵のこめかみを、青筋が走った。
奔《はし》って、典膳の行手をふさぎ、一刀を抜き放ちたい衝動が起った。
その衝動を辛うじておさえたのは、典膳の言葉に肺腑《はいふ》を衝《つ》かれていたからであった。
敵の人となりを知らずに挑戦《ちようせん》したうつけ者!
典膳の叱咤《しつた》は、理をふまえていた。
武蔵は、清十郎との試合の直後、これと同じような軽侮の言葉を、佐々木小次郎からあびせられていた。
小次郎は、武蔵に向って、「吉岡清十郎は、精根が乏しく、心気がみだれて居《お》った。すなわち、闘う前に、すでに、試合をすてていた。したがって、お主の勝は自慢にならぬ」と、云ったものであった。
武蔵自身も、清十郎が試合をすてているのを看てとって、わざと止め撃ちにし、頭蓋《ずがい》を微塵《みじん》にすることを避けた。そのことも、小次郎は、指摘した。
しかし――。
武蔵は、その時は、沈黙を守ったまま、その場を立ち去った。小次郎の言葉を、ただ、きき流したにすぎなかった。
清十郎が、闘志を喪失し、試合を放棄していたのは、当人の勝手である、と武蔵は思ったからである。
いま――。
典膳から、清十郎は遁世して詩人のくらしを送ろうとしていた人物であった、と教えられたが、武蔵は、すでにそのことを知っていた。
武蔵は、棒立ったなり、遠ざかる典膳の後姿を、見送らなければならなかった。
その日――武蔵は、柳生谷へ向って、歩くことを止《や》めた。
神子上典膳が、月ケ瀬街道を東へ向って、進んで行くのは、柳生|石舟斎宗厳《せきしゆうさいむねよし》を小柳生城にたずねて行くものと、武蔵にも判《わか》ったからである。
典膳のあとを跟《つ》いて行くのは、武蔵にとって、いかにも屈辱であった。
宝蔵院を、たずねてみよう。
日蓮宗《にちれんしゆう》の檀林《だんりん》である奈良の宝蔵院が、槍術《そうじゆつ》で有名になったのは、先代の住職|覚禅房胤栄《かくぜんぼういんえい》が、名を挙げたからであった。
乱世が百年もつづけば、寺社といえども、自衛のために、武器を把《と》って、外敵をふせがざるを得なかった。
奈良の各寺院も、武辺をやとって、法燈《ほうとう》を絶やさぬ非常の防備をしたが、そのうち、僧たちが、やとった武辺に、武技を習うようになった。
殊に、日蓮宗の檀林ともなれば、もともと闘争的空気が濃かったので、僧たちも、ひとたび薙刀《なぎなた》や槍《やり》を習うようになると、にわかに、熱心になり、経文をよむよりも、懸声勇ましく、得物をふりまわす修業の方に、多くの時間をさくようになった。
宝蔵院住職胤栄が、槍の一代の権威にのし上ったのは、出るべくして現れた、といえる。
胤栄は、いまは八十の坂をこえて、二代目|胤舜《いんしゆん》に職をゆずっているが、宝蔵院流と称される槍術は、いよいよさかんになり、奈良の名物となっていた。
兵法者ならば、奈良へ足を踏み入れると、必ず、一度は、宝蔵院を訪れて、その槍術をみる。
武蔵もまた、柳生谷行きをあきらめると、宝蔵院をたずねてみることにした。
奈良の地理にくらい武蔵は、たずね歩いているうちに、行き暮れて、猿沢池《さるさわのいけ》に近い旅籠《はたご》に、一泊することにした。
古ぼけた木賃なので、相宿《あいやど》であった。
武蔵が、その部屋に入った時、先客は、横になって、ねむっていた。
夕風が入って来て、いくらかしのぎよくなっていたが、蚊と蠅《はえ》の渦《うず》の中で、旅商人らしいその男が、悠々《ゆうゆう》と睡《ねむ》りつづけているのが、武蔵の心をひいた。
夕餉《ゆうげ》の膳部《ぜんぶ》は、自分で階下へ取りに行かねばならなかった。
先客は、その時刻が来ても、起き上らず、武蔵が摂《と》っているあいだ、微動もしなかった。
やがて――。
武蔵が、風呂《ふろ》からあがって来ると、先客はようやく起き上って、大あくびをした。
三十年配の、無精|髭《ひげ》をはやした、あまり風采《ふうさい》のあがらぬ男であった。
――商人、とは思えぬ。
武蔵は、怪しい、とみたが、べつに気にせずに、片隅《かたすみ》に積まれた薄穢《うすぎたな》い寝具を延べた。
「おさむらい様――」
男が、呼びかけた。
「うむ――?」
「失礼でございますが、貴方《あなた》様は、ただのご牢人《ろうにん》ではないように、お見受けしますが?」
「…………」
「武者修行の御仁で――?」
「うむ」
「兵法を学んでおいでになるのは、つまり、それは強うなって、どこかのお大名に、なるべく高い禄高《ろくだか》で召抱えられたい、というお気持からでございますかね?」
「べつに……」
武蔵は、横になった。
「てまえのような者には、そこのところが、よく判りませんので……、ひとつ、お教え頂きたいと存じます。……武芸試合をなさる。死ぬか生きるか。その瞬間を生甲斐になすっておいででございますかね?」
「まアそうだ」
「強い敵に、勝った――その快感で、満足なさる。そういうわけでございますね?」
「うむ」
「偉いものだ。てまえらとは、性根がまるっきりちがっていなさる」
「…………」
「綺麗《きれい》な女を抱こうとか、ぜいたくなくらしをしてみたいとか、そんな気持は、まるっきり起そうとなさらないんで――?」
目をさましたとたんに、おそろしく、よく喋《しやべ》る男であった。
「わしは、ねむい。黙っていてくれ」
武蔵は、云った。
「これアどうも、失礼いたしました。ごゆっくり、おやすみ下さいまし」
男は、あとは、一言も口をきかなかった。
男に背中を向けた武蔵は、渠《かれ》がそれからの半刻《はんとき》あまりを、どうすごしたか、知らなかった。妙なことに、男は、夕餉の膳も、はこんで来ようとはしなかった。
ふっと、武蔵の目をさまさせたのは、出窓の板戸が、しのびやかに開けられる微《かす》かな音であった。
男は、そこから、すっと、出て行った。
――……?
武蔵は、やはり怪しい奴《やつ》だった、と思ったが、べつに自分とはかかわりのないことなので、そのまま、睡った。
蚊の群は、間断なくうなりたてて、襲いかかって来ていたが、武蔵の睡りをさまたげることにはならなかった。
宝蔵院衆
その男が、再び、音もなく、出窓から戻って来たのは、明けがたであった。
武蔵は、気づいたが、そ知らぬふりをして、微動もしなかった。男が、牀《とこ》に入って、双腕をのばし、ひとつ大きく背のびしたことまで、武蔵は、背を向け乍《なが》ら、察知したものだった。
みしみしと、階段をのぼって来る跫音《あしおと》が、きこえたのは、それから四半刻も経《た》たないうちであった。
男は、心地よさそうにいびきをかいていた。
いきなり廊下と仕切る杉戸が、ひきあけられて、男は、ぱっとはね起きた。
顔をのぞかせたのは、背中に瘤《こぶ》を盛り上げた、隻眼《せきがん》の、なんとも名状しがたい陰惨な面貌《めんぼう》をした男であった。
そのうしろに、槍《やり》を携えた法体の巨漢が、ぬっと立っていた。
傴僂《せむし》は、はね起きた男を視《み》て、にやっとすると、
「伊賀《いが》の妻六――やっぱり、賊は、お主であったのう」
と、云った。
伊賀の妻六、と正体を衝かれた男は、ふてくされた態度をとって、
「甲賀の牛助が、ここにいたとは知らなんだ」
と、吐きすてた。
「おのが仕業《しわざ》と看破されたからには、いさぎよく観念せい、妻六。……それにしても、えらぶにことかいて、宝蔵院の宝蔵を狙《ねら》って、日蓮|上人《しようにん》の金無垢《きんむく》の御像を盗み出すとは、盗賊に堕《お》ちても、流石《さすが》は、伊賀の上忍《じようにん》として名をはせたお主だのう」
甲賀の牛助は、十年あまり前まで、忍びの術を競った対手を、しげしげと見まもった。
「おいっ!」
牛助のうしろに仁王立った荒法師が、凄《すさま》じい大声で、呶鳴《どな》った。
「上人の御像を、どこへかくした? ……返せば、生命《いのち》だけは、たすけてくれる」
「まことでしょうな? お返しすれば、一命をとりとめることをお許し下さるので――?」
伊賀の妻六は、上目づかいに、荒法師を仰いだ。
「たしかに、約束してくれよう。どこへかくした?」
その秘仏は、一尺を越えるので、相当の膂力《りよりよく》があっても、一人では、ひっかかえて、遠方まではこぶことは不可能であった。
「油坂の中途の松林の中に、一時、かくし申した」
「案内せい」
妻六は、ちらと武蔵の方へ視線を投げてから、立ち上った。
武蔵は、依然として、むこう向きにやすんだままであった。
妻六は、荒法師の立つ廊下へむかって歩き出した。
とみた――刹那《せつな》。
妻六の五体が、目に見えぬ翼でも持っているごとく、宙のものとなった。
「おっ!」
「妻六っ!」
甲賀の牛助と荒法師が、叫んで奔った時には、もう妻六の姿は、天井板を破って、屋根裏に消えていた。
「牛助、追え!」
「かしこまった!」
牛助が、ぽっかりあいた天井の穴へ、とびついた。
荒法師の方は、槍の穂先で、武蔵が腰に掛けているぼろ夜具をはねとばした。
そうされて、はじめて、武蔵は、やおら身を起した。
「牢人、おのれも、賊の一味であろう?」
「それがしは、相宿になっただけの者だ」
「弁解無用っ!」
荒法師は、憤怒にまかせて、槍をひとしごきするや、武蔵の胸|いた《ヽヽ》めがけて、飛電の迅《はや》さで、突き出した。
武蔵は、坐《すわ》ったままで、差料《さしりよう》を抜きつけに、一閃《いつせん》させた。
穂先は、|けら《ヽヽ》首から刎《は》ねとんで、壁に突き立った。
「う、むっ!」
荒法師の顔面に、朱が散った。
「やはり、そうであったか。おのれは、賊の一味どころか、頭目だな?」
廊下へ跳び退るや、だだっと階段を駆け降りて行き、賊の頭目がこの旅籠の二階にいるぞっ、と叫びたてた。
武蔵は、とんだ迷惑な濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》をきせられ乍ら、べつにあわてもせず、無表情で、身仕度をした。
出窓から、そっとのぞいてみると、往還上には、槍を携えた荒法師の群がいた。
――十人、いや十一人か。
かぞえておいて、武蔵は、平然と、階段を降りた。
宝蔵院衆十一人は、武蔵が旅籠から、一歩踏み出すや、
「こやつか」
「青二才ではないか」
「こやつと、逃げた奴と、二人だけなら、われわれが、この人数でくり出すまでもなかったのう」
「こりゃ、神妙にせい! 御像を返さぬと、その咽喉《のど》をいも刺しにしてくれるぞ!」
と、呶鳴った。
武蔵は、唖のように沈黙を守ったままで、歩き出した。
「おのれがっ!」
正面から、一人が、穂先を突きつけて、
「不敵らしゅうみせかけて、遁走《とんそう》の隙《すき》をうかがっても、そうは参らんぞ! われら宝蔵院衆の槍に包囲されたおそろしさを知れ!」
と、あびせた。
武蔵は、ちょっと足を停《と》めたが、すぐに足を踏み出した。
「痴《し》れ者め!」
正面の荒法師は、なかば威嚇《いかく》のつもりで、武蔵の咽喉めがけて、びゅっとくり出した。
瞬間――。
武蔵の右手があがった。
槍の穂先は、武蔵の咽喉にふれていた。しかし、そこで、ぴたりと停止して、突くことも引くことも叶《かな》わなかった。武蔵の右手が、柄《え》をむずと掴《つか》んでいたのである。
「むっ!」
「むむっ!」
槍をくり出す速度よりも、武蔵が右手をあげて柄を掴む方が、間髪の差で迅かったことは、宝蔵院衆の舌を巻かせた。
――こやつ、ただの牢人者ではない!
一瞬|裡《り》に、十一人のあいだに、凄じい殺気がみなぎった。
武蔵は、なおも無言で、柄を掴んだまま、歩き出した。掴まれた方は、どどっとよろめいた。
次の刹那。
槍の柄を、ぱっとはなした武蔵が、地を蹴《け》った。
のけぞった荒法師が、ほとばしらせた絶鳴をまだ宙にのこしているうちに、その首は、真紅の尾をひいて、地面へころがっていた。
そして、その時、武蔵は、疾風を起して、奔《はし》っていた。
「お、おのれっ!」
「待てっ!」
宝蔵院衆は、突如として味方を一人|斬《き》られて、いずれも悪鬼の形相になると、武蔵を追った。
武蔵の脚は、荒法師の一団をひきはなすに、充分の走力をそなえていた。
しかし、武蔵は遁《に》げるために疾駆したのではなかった。
ものの三町も奔ったところに、勾配《こうばい》のゆるやかな坂があった。
草で掩《おお》われた丘陵の中腹に樟《くす》の巨樹が、いずれ王朝時代になにか悲恋の物語でも地下人《じげにん》につくらせたと思わせるそびえかたをしていた。
武蔵は、その樹冠の下に達するや、くるっと向きなおって、追跡して来た群を迎えた。
渠《かれ》の疾駆は、決闘の場所をえらぶためだったのである。
十人がそこに殺到するや、武蔵は、はじめて、口をひらいた。
「それがしは播州新免伊賀守《ばんしゆうしんめんいがのかみ》血族宮本武蔵。宝蔵院の宝蔵から仏像を盗んだ賊の頭目でも一味でもない」
しかし、その言葉は、もはや、宝蔵院衆の耳には入らなかった。
いずれの口からも、野獣の咆哮《ほうこう》に似た叫びが発しられ、それぞれの槍の穂先からも、殺気の焔《ほむら》が燃え立った。
武蔵は勿論《もちろん》、きせられた濡れ衣を脱ぐために、名のったのではなかった。そのつもりならば、旅籠から出た時、名のった筈《はず》である。弁明する代りに、一人を斬り殺しているのである。
武蔵は、これが兵法の決闘であることをあきらかにするために名のったにすぎぬ。
「おおっ――りゃっ!」
真正面から突進した荒法師は、したたかな手ごたえを双手《もろて》につたわせた瞬間、それが武蔵を貫いたのではなく、樟の幹を突き刺したのだとみとめるいとまもなく、袈裟《けさ》がけに斬り下げられて、血煙をあげた。
返り血をあびて、ぶるっと武者顫《むしやぶる》いした武蔵の姿は、まさに阿修羅《あしゆら》であった。
槍術《そうじゆつ》をもって天下に鳴る宝蔵院の門下たちも、僧侶《そうりよ》であることにかわりはなく、渠らのうち、いまだ人を殺した経験者は一人もいなかった。
いまはじめて、真槍をふるって、一人の牢人者を突き殺そうとしているのであった。
まことの殺し合いの修羅場に置かれて、すでに味方を二人までも斬られた宝蔵院衆は、血汐《ちしお》にそまった武蔵の姿を睨《にら》んで、その凄絶《せいぜつ》さに、あるいは、息をのみ、あるいは、呻《うめ》きをもらし、あるいは、火のように熱い息を吐いた。
一人対九人の、異常な静寂を呼ぶ不動の対峙《たいじ》の時を、迎えた。
地震《ない》が起り、次にさらにもの凄《すご》い地震が襲って来るあいだの、名状しがたい無気味な静寂といえた。
その静寂を破ったのは、宝蔵院衆の一人の口から噴いた、
「生かさぬぞっ!」
その一言であった。
「ありゃりゃ!」
「うおーっ!」
荒法師たちは、日頃《ひごろ》道場で鍛錬に鍛錬を重ねた業前を、五体の血の一滴までも闘志にかりたてることによって、発揮すべく、武蔵が背負うた巨樹を軸にして見事な円陣をつくると、ぐるぐるとまわりはじめた。
武蔵は、動かぬ。
ただ、待つ。
九人が描く円周の、どこから、襲って来るか予測しがたい以上、武蔵としては、待つよりほかにすべはなかった。
――ここで、死ぬかも知れぬ!
ちらと、脳裡を、不吉な思いが、掠《かす》めた。
宝蔵院衆は、ふた巡りし、さらに三巡りした。
一人一人が突きかかるよりも、襲撃は一閃裡に為《な》し、一挙に九本の槍で武蔵を仕止めてくれようとする戦法とみえた。
したがって、前後左右どの方角からも、槍をくり出す気色を示さず、ゆっくりと廻《まわ》りつづける。
ただ、その穂先の狙いつけるところだけちがっていた。一槍は挙げられて武蔵の頭部を狙い、一槍は下げられて脚部を狙い――同じところを狙った槍は、一本もなかったのである。
武蔵にとって、ここは、全くの死地といえた。
かくまでに一糸|紊《みだ》れぬ円陣を描くことのできる渠らが、武蔵に、斬って出て血路をひらく余地を与えるべくもなかった。
武蔵が動いた刹那、九本の槍は、頭へ、胸へ、胴へ、脚へめがけて、一挙に襲いかかって来るに相違ない。
さりとて、不動の構えで待ちつづけるのは、生地獄の苦痛であった。
ひと巡りする毎《ごと》に、九人の心気がかよわせる脈絡は緊密になり、闘志はいやが上にも盛り上るかに思われる。
うかがうべき隙は、等間隔を保った渠らの円陣のどこにも、みじんも見出されないのであった。
いわば――。
これは、生贄《いけにえ》をとらえた蛮族の祭儀ともみえる光景であった。
鬼神にひとしい迅業《はやわざ》を使う自信を蔵する武蔵も、やはり、まだ二十一歳の血気であった。
この死地の責苦に、ようやく堪えられなくなった。
斬って出るべく、ひとつ、ふかく朝の大気を胸に吸い込んだ。
とたんに、九人の足が、ぴたりと停められた。
武蔵の背筋を、はじめて、恐怖に似た悪寒《おかん》が走った。
この丘陵を、むこう側から登って来る人影がひとつあった。
市女笠《いちめがさ》をかぶった若い女人であった。
「この丘を越えれば、奈良であろうか?」
呟《つぶや》いた声音は、夕姫のものであった。
夕姫は、昨夜|更《ふ》けてから、北谷|九度《くど》山の真田館《さなだやかた》を、こっそり抜け出て来たのであった。武蔵のあとを慕うたのである。
頂上をすぐそこに仰ぐ地点で、夕姫は、背後に人の気配を感じて、ふりかえった。
くさむらに、小さな姿が立っていた。
のびるにまかせた蓬髪《ほうはつ》になかばかくれた顔は、まっ黒で、眸子《ひとみ》ばかりが光っていた。
膝《ひざ》までの布子は、襤褸《ぼろ》にひとしい。しかし、腰には、ちゃんと小刀をおびていた。
「わっぱ、この丘のむこうは、奈良であろう?」
夕姫は、訊《たず》ねた。
「うん、そうじゃ」
少年は、うなずいてから、夕姫が歩き出すと、なんとなく、あとにしたがった。
「女子衆《おなごしゆう》――」
「なんじゃ?」
「一人で、奈良へ行くのは、剣呑《けんのん》じゃな」
きいた風な口をきいた。
「どうして――?」
「奈良には、やけくそになった牢人者が、うようよしている。あんたのような、きれいな女子衆が、たった一人で入って行くと、すぐに、とびかかって来るがな」
「…………」
「女子衆は、尼《あま》さんになるために、奈良へ行くのかい?」
「わたくしは、人をさがしている」
夕姫は、ふと思いついて、少年をかえりみて、
「そなた、さがしてたもらぬか。宮本武蔵という若い逞《たくま》しい兵法者を、わたくしは、さがしている。……礼をしようぞ」
「ふうん。女子衆は、その兵法者に、惚《ほ》れているのか」
「これ! わっぱのくせに、はしたない口をきいてはならぬ」
「人にたのみごとをし乍ら、えろう威張って居《お》るんじゃな」
少年は、夕姫と肩をならべた。
その顔にも、胸にも、脚にも、刺草《いらくさ》のように、野性のつよい生気があふれている少年であった。
家来願い
「そなた、なんという名前じゃ?」
「伊織《いおり》――山野辺《やまのべ》伊織」
「さむらいの子か?」
「うん――」
「幾歳になる?」
「八つ――いや、もう、九つかも知れん」
「そのような浮浪児になって、どれくらいに相成るのじゃ?」
「そんなことは、どうでもよいわ」
伊織は、ぱっと駆け出した。
頂上に達したのである。
「女子衆、ほれ、あれが奈良の街じゃ」
と指さした伊織は、ふと中腹へ目をとめて、
「おりゃっ、斬《き》りあいじゃ! ……女子衆、みなされ。やっぱり、奈良は、おそろしいところじゃろうが――」
と云《い》いつつも、すぐにも、樟《くす》の巨樹の下でくり展《ひろ》げられている修羅場《しゆらば》へ、駆け降りて行きたそうな気色をみせた。
夕姫は、眉宇《びう》をひそめて、見下したとたん、はっとなった。
多勢の荒法師に包囲されて、樟の幹を背負うた者が、まぎれもなく自分の慕う青年だったのである。
「武蔵っ!」
思わずその名を叫んだ――その刹那《せつな》。
ぱっと、武蔵の足もとから、白煙が噴いた。とみるや、濛《もう》っと舞い立って、たちまち、武蔵の姿を包んだ。
凄《すさま》じい懸声と刃音と、肉と骨が断たれる音と断末魔のひびきが、ごく短い寸秒の間に起って、消えた。
白煙がうすれた時には、もう、樟のまわりには、人影はなかった。
くさむらに、三個の屍《むくろ》が横たわっているばかりであった。
夕姫は、遁走《とんそう》する武蔵の速影をみとめることはできなかった。
右方の斜面を疾駆して行く荒法師の群が、ちらと、視界を掠めて、武蔵の遁走した方角を知ったにすぎなかった。
「…………」
夕姫は、大きく肩で息をついた。
「……だから、わしが、云うたじゃろ。女子衆が一人で、奈良へ行くのは、剣呑じゃと――」
伊織が、したり顔で、云った。
「伊織――、おぼえておくがよい、一人で闘っていたあの兵法者が、わたくしのさがしている宮本武蔵なのじゃ。そなた、あとを追うてたもれ」
「へえ、ほんまかい?」
伊織は、目をまるくした。
「夕姫が、あとを慕うて参った、と告げてたもれ。さ、はようせぬか!」
「|ゆう《ヽヽ》……姫? へええ、姫君か、お前様は――」
「いそぐのじゃ! きっと、つたえるのじゃぞ!」
伊織は、奔《はし》り出した。
小半刻《こはんとき》の後――。
武蔵は、およそ二里をへだてた、雑木のふかい谷間にいた。
灌木《かんぼく》を押しわけて、涼しいせせらぎの音をたてている流れの際《きわ》に出た武蔵は、水をふたつに割っている巌《いわ》の上に、腰を下している男を、見出した。
武蔵を騒動にまき込んだ張本人の盗賊――伊賀《いが》の妻六であった。
武蔵が、ここへ遁《に》げて来るのを、ちゃんと見越して、こうして待ち受けていた――その微笑を、顔にうかべていた。
武蔵は、その微笑へ、冷たい視線を返したが、黙って為《な》したのは、顔を流れにつけることだった。
濡《ぬ》れた顔を擡《あ》げた武蔵は、
「樟の高処《たかみ》にひそんでいたのは、お前であったのか?」
と、訊ねた。
そこから、焔硝玉《えんしようだま》を投げてくれた者がいたので、武蔵は、死地を脱することができたのである。
「お前様を、まきぞえにしてしもうたお詫《わ》びのしるしでござった」
「わしの遁げるさきざきを、ちゃんと見通したとは、流石《さすが》は伊賀の忍びだけのことはあるな」
「いや――、あの樟の樹《き》にのぼっていたのは、甲賀の牛助めの追跡を、ふりきるためでござった。偶然にも、そこを、お手前様が、決闘の場所に、おえらびなされた」
伊賀の妻六は、巌から跳んで、武蔵のかたわらに来た。
「それにしても、お手前様は、お強い。宝蔵院衆を十人以上もむこうにまわして、勝負をしようとされたとは――」
「兵法者ならば、当然の仕儀であろう」
「お手前様は、宝蔵院衆が、どれほどの手練者《てだれ》ぞろいか、見とどけられたではござらぬか。……宝蔵院衆に、歯向うて、奈良を生きて再び出られる兵法者は、一人も居り申さぬ」
「そういうお前は、宝蔵院の宝蔵へ忍び込んで、日蓮《にちれん》の金像を盗み出したではないか」
「ははは……、忍び崩れの盗賊ともなれば、不可能と思われる危険な離れ業をやってみたいのが、人情でござるわい」
「盗賊の生甲斐《いきがい》か。……わしが、強敵をえらんで試合をする。その勝利を生甲斐にするのと、かわりはないな」
伊賀の妻六は、武蔵に向って、
「失礼|乍《なが》ら、お手前様に、お近づきを得たのが、うれしゅうござる。しばらく、お供をさせて下さるわけには参りませぬかな?」
と、願い出た。
「ことわる」
武蔵の返辞は、にべもなかった。
妻六は、ことわられると、にわかに真剣な表情になった。
「盗賊|ずれ《ヽヽ》を家来にできぬ、というお気持は、よく判《わか》りますが、そのうち、きっと、なにかのお役に立つと存じますが……」
「盗賊であることを、忌《い》むのではない。わしは、孤独を好む。仲間をもとめる気持は、みじんもない」
「日蓮上人の金無垢《きんむく》の御像を、呈上つかまつる、と申しても、駄目《だめ》でござるか?」
「くどく云うな!」
武蔵は、歩き出した。
その後姿に向って、妻六は、無駄と知りつつ、
「お供をしたいものでござる」
と、大声で云った。
武蔵は、大股《おおまた》で、遠ざかって行き、木立の奥へ消えた。
「やれやれ――」
妻六は、かぶりを振った。
「兵法者というものは、あのように、人にもおのれにも、きびしゅうせねばならぬものかのう」
妻六は、しかたなく、武蔵とは反対の方角へ――上流へ向って、歩き出そうとした。
その時、木立のむこうから、呼び声がひびいて来た。
「宮本武蔵どのっ! どこじゃ? そこいらに、かくれては居らんのか?」
――子供の声だな。
妻六は、雑木の斜面を抜けて行った。
そして、呼びたてる少年伊織の面前へ、ひょいと現れた。
「わっぱ、あまり大声をあげるな。武蔵殿は、宝蔵院の坊主《ぼうず》どもに、追われているのだ」
「知って居るわ」
「知っているなら、坊主どもの耳にとどかぬように、心くばりをせい」
「坊主どもが、ひきあげて行くのを、わしは、見とどけたわ」
「そうか」
妻六は、ほっとして、
「わっぱは、どうして、武蔵殿をさがして居るのだ?」
と、訊ねた。
「たのまれたのじゃ」
「誰に?」
「どこかの姫様に――」
「姫様?」
「うん。目がつぶれそうなくらい綺麗《きれい》な姫様に、宮本武蔵に逢《あ》いたいから、さがしてくれ、とたのまれた」
「まことか?」
「嘘《うそ》をついて、なにになるのじゃ」
伊織は、肩をゆすってみせた。
「いや、疑ってわるかった。ゆるせ。……その姫様は、どこにおいでかな?」
「宮本武蔵が、闘うていたむこうの丘で、待っている」
「では、ひとつ、わしが、代って、お会いしようかの」
「お主が会うて、どうするのじゃ。姫様は、宮本武蔵に会いたいと申されているのじゃないかよ」
伊織は、うさんくさげに、妻六を睨《にら》みつけた。
「武蔵殿は、もうここらあたりには、居らぬ」
「どっちへ行った?」
「わっぱの足では、追いつけぬ」
「わしは、たのまれたのじゃ。たのまれたからには、果さにゃならん!」
「その姫様は、むりなたのみをしたものよ。……忍者のわしでも、もう追いつけぬ。姫様に、わしから、そう説明してやろう」
「忍者かい、お主――」
伊織は、好奇の目つきになった。
「これでも、関ケ原の役には、石田|治部少輔《じぶしようゆう》殿にやとわれて、徳川|家康《いえやす》の寐首《ねくび》をかいてくれようと、その本陣に忍び込んだものであった。本陣まで忍び込んだ者は、この伊賀の妻六の外には一人も居らぬ。……ああ、あの時、軍馬の腹の下をくぐり抜ける際、琵琶股《びわもも》に、わしの忍び刀の|こじり《ヽヽヽ》がふれさえしなければ、家康の寐所へ忍び込むことができたものを――」
「琵琶股に、刀の|こじり《ヽヽヽ》がふれたので、どうしたのじゃ?」
伊織は、顔中に、興味の色を満たした。
「軍馬の髦《たてがみ》に、たくさんの鈴がつけてあった、と思うがよい。軍馬め、おどろいて、棹立《さおだ》ちになり居った。鈴が一斉《いつせい》に鳴ったために、わしは、見つけられてしまったわい」
妻六は、伊織を話にひき込んでおいて、歩き出した。
目のつぶれそうなほど美しい姫君が、一人旅をしている、などとは信じがたかったが、妻六は、きいたからには、会わずにはすまされなかった。
夕姫は、宝蔵院衆が、斃《たお》れた同門の屍をかつぎ去ったあとの、樟《くす》の巨樹の根かたで、待っていた。
なまぐさい血のにおいが、焔硝のにおいとともに、まだ、そこにのこっていた。
――武蔵は、あのように、行くさきざきで、生きるか死ぬかの斬りあいをし乍ら、強くなろうとしているのであろうか?
それを、おそろしい、と思うよりも、なんというあっぱれな生きかたであろう、と心がひきしまるのをおぼえている夕姫であった。
はじめて恋した男が、壮烈無比な道をえらんでいるのを、目のあたりに眺《なが》めて、この勝気な娘の慕情は、いよいよ炎を熾《さか》んにしている。
「あ――、もどって参った」
夕姫は、のびあがったが、すぐ、美しい眉宇をひそめた。
伊織とならんで、こちらへ登って来るのは、武蔵ではなかった。
伊織は、途中から、連れよりさきに、駆けあがって来た。
「姫様、こらえて下され。追いつけなんだ」
ぺこんと、頭を下げた。
「すぐにあきらめたとは、何事じゃ。わたくしは、二刻でも、三刻でも、ここで待っていたものを……」
「姫様、この者はな、忍者じゃが、忍者の足でも、宮本武蔵には、追いつけなんだのじゃ」
そう弁解されて、夕姫は、男へ視線を移した。
妻六の方は、すでにもう、美貌《びぼう》に、目をうばわれて、一種の痴呆《ちほう》の顔つきになっていた。
「いや、まさしく……、これは、天女と申さねばならぬて」
感動をその独語にして、妻六は、ふかぶかと頭を下げた。
「てまえは、伊賀の妻六と申す者でござる。お見知りおきを――」
「その方、武蔵と知りあいか?」
「武蔵殿が、この樟の下で、宝蔵院衆に、包囲されているところを、ごらんなされましたか?」
「眺めていた」
「白い煙が起って、それにまぎれて、武蔵殿は、遁《のが》れ去ることができましたが、あれは、この樹の高処にひそんでいたてまえが、焔硝玉を投げおろしたためでござる。……武蔵殿の危急を救ったのは、実は、この伊賀の妻六にまぎれもござらぬ」
「そうであったのか」
「ところで、姫様は、武蔵殿をさがして居られる、とこのわっぱよりきき及びましたが、おさしつかえなくば、お会いなされようとする仔細を、この忍びめに、お打明け下さいますれば、武蔵殿を屹度《きつと》さがしあてて、おん前にともなうこともできようかと、存じられます」
「わらわは、武蔵の妻になる決意をしました。めぐり合わねば、夫婦《めおと》にはなれまい」
夕姫は、はじらうところなく、こたえた。
「ほう!」
妻六は、目を剥《む》いた。
「いったい、貴方《あなた》様は、いずれのお家の姫君でありますかな?」
「わらわは、関白|豊臣秀次《とよとみひでつぐ》が娘じゃ」
「うへえっ!」
妻六は、大袈裟《おおげさ》な驚愕《きようがく》の|てい《ヽヽ》を示した。
「お言葉まこととすれば、これは、なんと申そうや――」
「わらわの顔《おもて》を、とくと視《み》るがよい。ただのさむらいの娘と思えるか」
「たしかに!」
妻六は、うなずいた。
いそいで、膝《ひざ》を折ると、
「伊賀の妻六、ただ今より、姫様の家来となって、お仕えつかまつる。お許し下さいましょうや?」
と、両手をつかえた。
かたわらに佇《たたず》む伊織の方が、大人びた表情で、
――本気で、家来になる、と云《い》って居るのかな?
と、半信半疑の視線を、妻六に落していた。
「家来になりたいのであれば、なるがよい。武蔵を一刻もはやくさがしあてて、わらわに逢わせてたもれ」
夕姫は、云った。
「承知つかまつりました」
妻六は、平伏した。
伊織が、ふんと、小さく鼻を鳴らした。
伊賀谷
――はてな?
杉の密林の中の、一上一下する杣道《そまみち》を無心の足どりで辿《たど》って来た武蔵は、急に立ちどまって、灼《や》けつくように熾烈《しれつ》な陽《ひ》ざしの山峡に、視線をめぐらした。
まっすぐに、山峡を抜けているはずの杣道が、密林を出たところで、失《なく》なっていたのである。
山峡の杣道は、ほとんど例外なく、渓《たに》に沿うているものであり、武蔵も、杉の密林を抜ければ、涼しい音がひびいているものと思って、山を降りて来たのである。
流れのかわりに、武蔵の前面にひろがっているのは、身丈ほどの夏草でうずまった野であった。
両側からけわしい勾配《こうばい》で山が迫ったこの谷間には、当然、白い水泡《みなわ》を散らして淙々《そうそう》と音をたてている渓流《けいりゆう》があるべきであった。
いつの頃《ころ》か、水が涸《か》れて、磧《かわら》は、雑草に掩《おお》われてしまっている。
武蔵は、はるか彼方《かなた》までつづいている野を見やって、
――これを、押しわけて行くのか。
と、思うと、いささか、うんざりした。
しかし、辿って来た道を、ひきかえす気にもならなかった。
早朝から、この午刻《うまのこく》(午後零時)まで、ずうっと、杉の密林の中を、歩きつづけて来て、その間、見はらしのきく場所には一箇処も行き会わなかったのである。
やむなく――。
武蔵は、夏草を押しわけて、踏み込もうとした。
とたん、ぱっと跳び退った。
草蔭《くさかげ》に、一斉にうごめいたのを、蝮《まむし》とみとめたのである。
この野は、蝮の栖息地《せいそくち》か。
武蔵は、踵《きびす》をまわさざるを得なかった。
密林の中で、|けもの《ヽヽヽ》径《みち》をさがすことにした。
ものの二町もひきかえして、それらしい径を見わけた。
どこかの尾根に出ることになろうと灌木《かんぼく》をゆれさせながら、踏みわけて行くと、不意に木立が切れた。
「………?」
家が、そこに在った。
ゆるやかな斜面に、高い石垣《いしがき》を築き、築墻《ついじ》をめぐらし、茅葺《かやぶ》き切妻合掌造りの大屋根が、美しい傾斜と切角《きりかど》をみせていた。
石垣の下は、広い桑畑であった。
――隠れ館《やかた》か。
百年の栄耀《えいよう》も、風前の塵《ちり》にたとえられる乱世がうちつづくうちに、権勢争奪の圏外へ追われたり、遁れ出た人々が、人里はなれた山奥に、終《つい》の栖《すみか》をつくるようになっていた。丹波、若狭《わかさ》、伊賀、大和などの国に、この「隠れ館」が多いのも、それを設ける絶好の地形が、いたるところにあったからである。
武蔵が突如として出現した一軒家を、それと看《み》たのも、当然であった。
しかし、桑畑を抜けた時、武蔵の顔に不審の色が刷《は》かれた。
門が設けられず、ただの石段が、庭へ通じていたのである。どこにも、砦構《とりでがま》えらしい備えはなかった。
隠れ館ならば、築墻には銃眼がひらかれているし、棟門がいかめしく、外と内を遮断《しやだん》しているはずであった。
――何者の住居なのか?
武蔵は、不審のままに、石段を登って行こうとした。
と――その時。
ぬっと、石段上に立った者が、
「おい、牢人《ろうにん》――、ここを、伊賀谷と知って、迷い込んで参ったか?」
と、あびせかけた。
人間ばなれした巨漢であった。顔面のなかばを掩《おお》うた髭《ひげ》は、針のように太く濃かったし、裸の上半身は,熏革縅《くすべがわおどし》のように厚かった。
――そうか。もうここは、伊賀谷であったのか。
武蔵は、巨漢を仰ぎ視《み》て、
「ここらあたりは、まだ、大和と思って居《お》り申した。通り抜けることを、お許し下され」
「名のれ!」
「播州新免伊賀守《ばんしゆうしんめんいがのかみ》血族・宮本武蔵と申す」
「関ケ原で、野良犬《のらいぬ》になった小者か」
「お手前様は――?」
「宍戸梅軒《ししどばいけん》。この伊賀谷の南谷の頭領だ」
「通り抜けの儀、お許し下さるか?」
「許そう」
「忝《かたじけ》のう存ずる」
「但《ただ》し――」
「………?」
「通り抜けるにあたっては、謝礼をして行け」
「謝礼できるほどの路銀を所持いたさぬが……」
「されば、その|おんもの《ヽヽヽヽ》でも置いてゆくか」
「|おんもの《ヽヽヽヽ》?」
「その差料《さしりよう》のことだ」
武蔵は、そう云われて、むかっとなった。
「兵法者が、無腰になるわけには参らぬ」
「兵法者だと!」
宍戸梅軒の双眼が、光った。
「兵法者が、伊賀谷に迷い込んで来て、生きて出られると思うか」
うそぶいて、髭面《ひげづら》をにやりとさせた。
伊賀と甲賀は、「忍び」の里として、あまりにも名高い。
近畿《きんき》、東海にまたがるこの両《ふた》つの山岳地帯は、応仁の乱が起った頃から、およそ百余年間、いわゆる闕所《けつしよ》であった。つまり、いかなる大名の支配にも属さなかったのである。
但し、中央の権力闘争とは無縁に置かれたことは、伊賀、甲賀を平和な別天地にしていた次第ではない。
この地域には、地侍が分散して居り、渠《かれ》らは、応仁の乱後、それぞれ党をつくり、砦を構え、兵力を蓄え、山ひとつ谷ひとつへだてた隣の村落と、はてしない闘いをくりかえすようになっていた。
伊賀、甲賀の山岳に住みついた地侍の徒党数十組が、互いに敵視しあい、ほんのひとにぎりの土地を奪いあって、攻防の血の雨を降らしつづけたのである。
そのために、山岳峡谷を馳《は》せまわる独特の戦法を、渠らは、発達させた。
においを消し、音を断ち、身を影と化して、敵に近づいて、不意に襲いかかって殺す――。
鯨波を噴かせて激突する軍勢と軍勢の戦いは、伊賀、甲賀では、ただの一度もくりひろげられなかった。
当然、人間とは思われぬ異常な業《わざ》が修練によってつくり出され、発達し、やがて、その術が、諸国の大名の目をつけるところとなった。
『太平記』(元和本)に、伊賀からやとわれた「忍び」の徒党の凄《すさま》じい闘いぶりが、記されている。
備前国・三宅三郎高徳《みやけさぶろうたかのり》が、新田左衛門佐義治《につたさえもんのすけよしはる》を総帥《そうすい》とし、丹波国・荻野彦六朝忠《おぎのひころくともただ》と謀《はか》って、足利《あしかが》将軍を討とうと、兵を挙げた時のことである。
この計略は、事前に露見し、荻野朝忠は、山名伊豆守時氏《やまないずのかみときうじ》に攻められて降伏した。
三宅三郎高徳に対しては、備前、備中《びつちゆう》、備後《びんご》三国の守護が、五千余騎を催して、攻めた。
高徳は、瀬戸内海へ遁れて、ひそかに上洛《じようらく》した。そして、諸国へ檄《げき》をとばして、応援をもとめた。
応援の兵が、ぞくぞくと京都へ上って来て、坂本、宇治、醍醐《だいご》あたりに、ひそかに布陣した頃、これらを探知した京都所司代・都築入道は、まず、高徳がやとって、潜入させた伊賀の「忍び」の徒党を、四条|壬生《みぶ》の宿舎に、夜襲した。
「忍び」の徒党は、我に十倍する夜襲隊を迎え撃って、阿修羅《あしゆら》となって奮戦した。ただの一人も遁走《とんそう》する者はなく、宿舎の内外であばれまわったのち、一斉《いつせい》に、屋根へ馳せのぼるや、矢種のあらん限りを射つくしておいて、全員腹をかっさばいて相果てた。
爾来《じらい》、伊賀、甲賀から、大名にやとわれて、出て行き、超人業を発揮した例は、かぞえきれぬ。
天正《てんしよう》十年――。
本能寺の変で、織田《おだ》信長が明智光秀《あけちみつひで》に弑逆《しいぎやく》された際、信長の招きで、堺《さかい》の遊覧におもむいていた徳川家康は、孤立無援の窮地に陥った。
一時は、自決を覚悟したほどであったが、肚《はら》をきめて、敵中突破を図った。
木津川、宇治川を渡って、甲賀から伊賀へ入り、伊勢へ抜け出て、白子浜から海路を、三河へ逃げ戻る計画をたてた。
明智勢の追撃をふりきる唯一《ゆいいつ》の道順であったが、伊賀、甲賀には、地侍の徒が居り、これは、兇悪《きようあく》な盗賊団とかわりはなかった。たとえ、通り抜けようとするのが、足利将軍であろうとも、渠らは、襲いかかって、みな殺しにして、金品を奪う兇暴性をそなえていたのである。
家康は、毒を以《もつ》て毒を制するにしかず、と使者を伊賀へ趨《はし》らせて、頭領の一人|服部半蔵《はつとりはんぞう》を説いて、味方につけた。
服部半蔵は、伊賀者二百名を集めて、伊賀組を編成し、家康の援護をつとめた。おかげで、家康は、ぶじに甲賀、伊賀を越えて、九死に一生を得た。
いま、服部半蔵は、家康から三千石の知行を与えられて、伊賀組同心千騎を率いている。
しかし――。
徳川家に随身した服部半蔵とその配下は、伊賀に於《お》いては、例外的な存在であった。
伊賀者は、決して、どの大名にも、随身せず、ただ期間を限って、やとわれて、働くだけであった。任務をすませれば、次には、その大名の敵方にやとわれることも、なんの矛盾もおぼえなかった。
渠らは、忍びの術を、売ったのである。術を売るが、心を売るのは拒否した。すなわち、家来になって、忠誠を誓うのは、ばかばかしいこととした。それが、渠らの面目であった。
たとえ対手《あいて》が、名のある武将であろうが、隣村の幼馴染《おさななじみ》の忍び仲間であろうが、絶対に心を許さず、常に孤単で生きる強い意志を保持する――それが忍者というものである。という信念が、伊賀者には、受け継がれていた。
その信念が、見知らぬ他国者《よそもの》に対して、残忍|無慚《むざん》な行為をとらせるのも、やむを得なかった。
宍戸梅軒は、そういう伊賀者を代表する男であった。
「兵法者ならば、その差料は|なまくら《ヽヽヽヽ》ではあるまい。置いて行かせるぞ」
宍戸梅軒は、云った。
「…………」
武蔵は、黙って、仰ぎ視ている。
上半身はだかの宍戸梅軒は、腰に、ごく短い黒い棒を、差しているだけで、双の掌《て》には、何も持っていなかった。
「おい、石段を上って来い。ここまで上ることができたら、いのち冥加《みようが》な奴《やつ》とみとめて、一命だけはとりとめさせてくれる」
そう云って、梅軒は、腰の黒い棒を、すっと抜き取った。
それは、せいぜい二尺あまりの長さであったが、先端に、環がつけられ、それに鎖がつないであった。
梅軒は、その鎖を、胴に巻いていたのである。
胴を二巻きもした鎖のさきには、ひと掴《つか》みの大きさの鉄の円球がつけてあった。
さらに――。
梅軒が、黒い棒を、左手に握りしめて、直立させるや、きらっと煌《きらめ》いて、鎌《かま》が、はね出た。
刃渡り一尺あまりの鎌は、むしろ刀よりも無気味なものに眺《なが》められた。
――鎖鎌使いか、こいつは!
武蔵は、鎖鎌というものを、はじめて眺めさせられて、にわかに、心身をひきしめた。
梅軒は、ゆっくりと、鎖を振って、鉄球を旋回させはじめた。
ぎらつく陽光に溶けた鉄球から、なんとも名状しがたい唸《うな》りが生じて、武蔵を待つ。
「どうだ、宮本武蔵――。上って来ることができるか? ……さあ、上って来い」
梅軒は、針髭の蔭から、黄ばんだ歯を剥《む》いた。
「…………」
「おそろしゅうて、上って来られぬのなら、おれが降りて行くぞ。……おのれは、もはや、遁走することは許されぬのだ」
それは、武蔵も、すでに覚悟していた。
いつの間にか――。
桑畑の中から、十人あまり、伊賀衆が、音もなく現れて、武蔵の背後をふさいでいたのである。
武蔵は、石段を登って行って、鎖鎌と闘うか、それとも、伊賀衆の陣へ斬《き》り込むか、いずれかを、えらばなければならなかった。
そっと視線をまわしてみると、伊賀衆はいずれも忍び刀を得物にしているだけである。
多勢ではあるが、この陣を突破する方が、鎖鎌と闘うよりも、まだ、遁れる確率が高いように思われる。
鎖鎌というものには、今日はじめて接したのである。それが、どれほどおそるべき武器か、予想がつかぬのである。
忍者の里の頭領が使う鎖鎌である。凄じいまでの技をひそめているに相違ない。
「待たせるなっ、青二才! 上って来いっ!」
梅軒が、呶号《どごう》した。
武蔵は、それからなおしばし、石段下に佇立《ちよりつ》していた。
ついに――。
進退|谷《きわ》まった武蔵が、えらんだのは、差料を抜きはなって、石段を登って行くことだった。
「けなげだぞ! よし、見ン事、この鎌と分銅から、五体を躱《かわ》してみろ」
梅軒は、けたたましいまでの笑い声を、噴かせた。
石段の幅は、二間の広さであった。
武蔵が、身をかくすべき物は、何もないのだ。
唸る鉄球の中へ、身を容《い》れてゆくよりほかに、すべはないのであった。
鉄球をくらえば、頭蓋《ずがい》は微塵《みじん》に砕け、四肢《しし》に当れば骨は折れ、胴ならば、臓腑《ぞうふ》は滅茶滅茶《めちやめちや》になろう。
その悲惨をまぬがれようとして、刀をふるうことになろうが、その刀身に、鉄球を分銅にして、鎖が巻きついたならば、どうなるか。
梅軒は、鎖をたぐり寄せて、利鎌《とがま》で、首を掻《か》こうとするであろう。
樹木か岩か、何かへ鎖を、巻きつかせない限り、とうてい、こちらに勝算はない。
身の楯《たて》になる物のない石段を、登って行くのは、無謀以外の何ものでもない。
それでも、武蔵は、登らざるを得ないのであった。
「ふっ、ふっ、ふっふ……」
生贄《いけにえ》を得て、その残忍性をかきたてられた梅軒は、たぎって来た闘志を、異様な声音にして、針髭の蔭から、吐き出した。
武蔵の眸《ひとみ》の中で、梅軒の巨躯《きよく》が、さらに大きくふくれあがった。
[#地付き](中巻につづく)
(本編に使用した漢詩は、故阿藤伯海先生の御作を借用しました。作者)
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。
[#地付き](編集部)