キノの旅W the Beautiful World
時雨沢恵一
プロローグ 「紅い海の真ん中で・b」
―Blooming Prairie・b―
歌声が聞こえる。
そこは、紅い世界だった。
一面に紅い花が咲き乱れ、隙間なく大地を埋め尽くしている。
何もない、ただ蒼いだけの空が広がる。
草原には、誰の姿も見えない。
それでも歌声は、紅と蒼の空間を流れていく。
それは、ゆっくりで、アップテンポで、なめらかな歌だった。
楽しそうに、悲しそうに、歌は続く。
きれいな高音が伸びて、歌は終わった。
すぐにどこからか、
「アンコール」
声が聞こえた。
「もう二、三曲聞きたい。もしくは……」
声が言った。別の声、さっきまで歌っていた声が聞く。
「もしくは?」
「起こして」
最初の声が答える。
「あはは。分かった。じゃあもう少し――」
紅い草原に、再び歌声が聞こえた。
そしてそれが終わった時、最初に聞こえた声が訊ねる。
「これからどうするの?」
別の声は、
「いつかと同じさ。どこかへ行こう」
すかさず答えた。
「そうだね。そうしよう」
最初の声が、嬉しそうに同意した。
そして言う。
「そろそろホントに起こしてほしいなあ。キノ」
第一話 「像のある国」
―Angel?―
ある時、谷にある小さな国に、旅人が来た。
モトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)に乗ってやって来た若い旅人は、豊かできれいな農地と、歴史ある古く狭い町並みを楽しそうに見て回った。そして、広場にある木で造られた像の前で足を止めた。
単純に人間の格好をした像で、手には長い棒を持っていた。足下に、なんだかよく分からない生き物も造られている。
若い旅人は、住人に聞いた。
「これは何ですか?」
住人は、笑顔で答える。
「これは、昔空から降りてきて、国を救ってくれた天使の像です。人々を苦しめる二十二人の悪魔を、棍棒の一振りであっという間に退治して、この国に安穏をもたらしてくれたんです。そして、空に帰られました」
「天使? 空から降りてきた? 何それ?」
モトラドが聞いた。
住人は目を細めて、こう答える。
「お伽話ですよ。これからこの国に伝わる――」
第二話 「×××××」
―Solo―
その場所は、すてきな草原でした。大地を埋め尽くす草は、花も、静かに風に揺れています。
一本だけあるのは、真っ直ぐな道でした。白い道が、どこまでもどこまでもどこまでも伸びています。どこへ続いているのかは分かりません。
一台のモトラドが、道を走っていました。荷物をたくさん積んでいます。
運転手である旅人が進む先に何かを見つけて、スピードを落としました。道端で手を上げているのは、小さな子供でした。
モトラドが止まりました。その小さな子供は、
「連れていってください」
そう言いました。モトラドが即座に言います。
「ダメだよ。もう乗るところがないから」
旅人が訊ねます。
「どこから来たの?」
子供は答えません。
「どこへ行くの?」
子供は答えません。
「キミの名前は?」
「×××××」
子供は答えました。そして、もう一度同じことを言います。
「連れていってください」
「ダメだよ。もう乗るところがないから」
モトラドが即座に言いました。
旅人も、うめくように言います。
「ボクには、誰かの命を預かることなんてできないよ。自分一人の命を守るので精一杯なんだ。だから連れていけない。どうにかして、諦めてくれると嬉しい。エゴだよ……。これはエゴだ」
「どのみち二人乗りで旅はムリさ」
モトラドが静かに言いました。
旅人は子供に近づいて、しゃがんで、子供の顔を見ながらこう言いました。
「さよならだ。×××××ちゃん」
旅人はモトラドに跨って、すぐに走り出しました。
その場所は、すてきな草原でした。大地を埋め尽くす草は、花も静かに風に揺れています。
一本だけあるのは、真っ直ぐな道でした。白い道が、どこまでもどこまでもどこまでも伸びています。どこに続いているのかは分かりません。
そこには小さな子供が残されました。
いつまでもいつまでも、そこには小さな子供が残されました。
“この場所を知らず 夢の地を目指し 夢の地に着いて この場所を知らず”
―Wherever I go, there I am―
第三話 「二人の国」
―Even a Dog Doesn't Eat.―
「いらっしゃい! 旅人さん。我が国にようこそ!」
その番兵は、実に嬉《うれ》しそうに言った。
「これは入国にあたっての質問です。お答えください。あ、それほど悩まずに、即決《そっけつ》でいいですよ。フィーリングで選んでください」
高い城壁にある門の前。小さな詰め所に番兵が一人いて、たった今到着した旅人にいきなり分厚《ぶあつ》い書類を差し出した。そしてペンも。
旅人は少し驚いて、受け取った書類を見つめた。
十代中|頃《ごろ》。短い黒髪はボサボサだが、大きな目を持つ顔は精悍《せいかん》だった。首にはゴーグルをさげていた。
黒いジャケットを着ていて、腰《こし》を締めた太いベルトに、いくつかポーチをつけている。右腿《みぎもも》には、ハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは鉄器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)のホルスターがあった。八角形のバレルを持つ、リヴォルバーが収まっている。
旅人が、番兵に聞いた。
「ボクだけでいいんですか? あいつも入国を希望しますが?」
そして、後ろに止まっている一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)を、親指で指さした。鞄《かばん》や寝袋《ねぶくろ》など、旅荷物が満載《まんさい》されている。
「旅人さんだけでいいです。えーっと、お名前は?」
「キノです」
その旅人、キノはそう言って、再びモトラドを指さした。
「あちらは、相棒《あいぼう》のエルメス」
「どうもね」
エルメスと呼ばれたモトラドが、遠くから挨拶《あいさつ》する。番兵が会釈《えしゃく》した。
「あらためて今日は。我が国にようこそ。書類は、キノさんだけで結構です。時間がかかるとは思いますが、できれば全《すべ》てにお答えください。イスとテーブルは、こちらのをお使いください」
「はあ……。これが、入国に必要なんですね?」
「はい、そうです」
キノが確認するように聞いて、番兵ははっきりと頷《うなず》いた。
キノは分かりましたと言って、イスに座る。分厚《ぶあつ》い書類をめくった。
名前や年齢《ねんれい》、性別や身長体重。趣味や好きな食べ物、好きな色、好きな音楽や嫌《きら》いな音楽、自覚している性格、物事の考え方、服装の趣味。
さらに、インクをこぼしたような絵が何に見えるか? 自分を動物にたとえるなら? 拳闘《けんとう》を見てどう思うか? 農仕事についてどう思うか? 子供は好きか? 朝起きるのは早いか? ペットを飼うことは好きか嫌いか? 観劇や読書で泣くことがあるか? 猫《ねこ》と犬のどちらが好きか? 色つきの夢を見るか? 他人が自分を見る目を気にするか? 老人と一緒に暮らすことが嫌《いや》ではないか? 賭事《かけごと》は好きか?
「……はあ」
キノは何度かため息をつきながらも、質問に全《すべ》て答えた。そしてニコニコしながら待っていた番兵に返した。
すると番兵は、審査書類を作るのに必要だと、キノの写真を撮《と》った。上半身正面と、全身。笑顔で写るようにたのまれたが、キノはどう見ても仏頂面《ぶっちょうづら》で写った。
「はい、どうもありがとうございました」
ようやく入国の許可が下りて、分厚く重い城門が聞いていった。キノはすっかり熟睡《じゅくすい》していたエルメスを、叩《たた》いて起こした。
国に入った時には、だいぶ太陽は傾いていた。おまけに、空には黒雲が立ちこみはじめる。
キノは安ホテルを探し、そこに入った。
すぐに雨が降り出した。
キノはこの日の外出を止めて、食事を取りシャワーを浴びて寝た。
次の日。キノは夜明けと同時に起きた。
雨は上がっていた。キノは部屋で軽い運動をする。その後、『カノン』と呼ぶパースエイダーの訓練もする。
キノはホテルで朝食を取った後、エルメスを叩《たた》き起こした。荷物をホテルに預け、観光に出発した。
それほど広くない国だった。
城壁で囲まれた平らな土地。きれいに区画された通りがあって、とても歴史がなさそうな、コンクリート製の無粋《ぶすい》な建物が並んでいる。
「美しくない町だねえ」
エルメスが言った。
キノは道行く人に、この国の見所《みどころ》はと訊《たず》ねた。返事は、どれも似たり寄ったりだった。
「旅人さんに見所って言うほどはねえ……。治安がとてもいいってことくらいかな」
「…………。難しいこと聞くね。強《し》いて言うなら……。難しいこと聞くね」
「酒がおいしいかな。え? 飲まない? じゃあ、特にこれといって……」
「ないよ。ここは新しい国だからね。それに、観光地じゃないしね」
キノは、あてもなくエルメスを走らせた。そのうちに国の端《はし》についてしまい、戻った。
キノは通りのオープンカフェで、のんびりとお茶を飲んだ。
休憩《きゅうけい》を終え、広い歩道|脇《わき》に止めたエルメスに戻ってきた時、通りで大声が聞こえた。
キノとエルメスが声の方を見る。車道におりるためのスロープの前で、若い男女が派手に怒鳴《どな》り合っていた。すぐに激しい取っ組み合いになった。
「なんだ?」
キノが驚いて言った。エルメスは楽しそうに、
「見てのとおり、ストリート・ファイトだね。どちらかというと、フックを小刻みに繰り出す男が優勢。でも、女の蹴りのキレもいい。あっ、左ハイキックが決まった」
「誰が実況しろって……」
「二人を止める?」
「どいてもらいたいな。話くらいは」
キノがそう言って、二人に近づこうとした時、
「あっ! 旅人さん。何をなさるつもりですか?」
後ろからキノを呼び止めたのは、制服を着た若い警官だった。
「お巡《まわ》りさんとはちょうどいいや」
エルメスが言って、キノが、
「喧嘩《けんか》してる人達がいるんです。代わりに行ってもらえますか」
警官は首を横に振った。
「あれは、放っておいていいんですよ」
「いいんですか?」
「ええ。問題ありませんよ。それに、もう終わったようですね」
見ると争いは収まっていて、二人は並んで歩き去った。
警官が、キノに諭《さと》すように言った。
「旅人さん。一つお願いがあります。喧嘩している男女を見ても、絶対に止めに入らないでください。この国では、カップルや夫婦同士の喧嘩に首を突っ込む人は誰《だれ》もいません。それほど深刻にならずにすぐ終わりますから」
「そんなもの、ですか」
キノが訝《いぶか》しげに聞いた。警官は笑顔で、
「ええ。もし関わりになられても、恐らく何一つ旅人さんに得るものはないと思うんです。それより、我が国の観光をお楽しみください。よそにはない、いいところがたくさんありますから。それでは、本官はこれで」
警官が敬礼をして去った。
「いいところ=H どこに?」
エルメスがぼそりと言った。
キノは適当に昼食を取って、エルメスの燃料を補給した。その後短い議論をして、今日の観光は打ち切って、ゆっくり休むことで意見をそろえた。ホテルへと走る。
信号で止まっていた時、横の車から声をかけられた。
「今日は! 旅人さん!」
運転していたのは、眼鏡《めがね》をかけた三十代ほどの男性だった。スーツにネクタイ姿。
「旅人さん。もしよかったら、私の家のお茶に招待されてくれませんか? 今から帰るところで、すぐそこです。いかがでしょう? 私の妻も交《まじ》えて、旅や我が国についてのお話をできませんか?」
暇だからいいんじゃない、とエルメスが言う。キノは頷《うなず》いた。男に、車の後をついていくことを告げた。
男の家は、二階建ての家が横にいくつもつながった集合住宅だった。
玄関前に、男の奥さんが出迎えた。長い髪に、きれいな顔立ちをした女性だった。
「こちら、私の妻です。美人でしょう?」
男は楽しそうに言って、奥さんの頬《ほお》にキスをした。
「今日は。ようこそいらっしゃいました。旅人さん、モトラドさん」
奥さんは笑顔で挨拶《あいさつ》をする。キノが挨拶を返して、自分とエルメスを紹介《しょうかい》した。
男が家に招き入れる。扉《とびら》を閉めるためにキノの後ろに回った女は、キノの右腿《みぎもも》に吊《つる》された『カノン』を見つけた。ほんの一瞬《いっしゅん》、目を見開いた。静かな口調で言う。
「旅人さん。パースエイダーをお持ちなんですね」
「え? ええ。あ、お嫌《きら》いでしたら、すぐにしまいます」
キノが慌《あわ》てて言って、女は微笑《ほほえ》んで首を振った。
「いいえ、それはそのままでかまいませんわ。旅は、危険ですものね。この国にはいつまで?」
キノが答える。
「明日まで、おそらく朝には出発します」
「そうですか……」
女は、小さくつぶやいた。
キノは男にすすめられ、ダイニングのイスに座った。エルメスが、その後ろにセンタースタンドで立つ。
男がとなりのキッチンにいる奥さんに声をかけた。
「何か飲み物がほしいな。たのむよ」
「はい。今お持ちしますわ」
奥さんの弾《はず》んだ声が返ってきた。男がキノに丁寧《ていねい》に話しかける。
「我が家にようこそ。外の人とお話ができる機会は少ないんですよ。旅人さんにモトラドさん。この国は、今のところどうですか?」
「退屈《たいくつ》」
エルメスがすぐに言った。
男は笑いながら、
「ははは。モトラドさんは正直ですね。実際この国は退屈なんですよ。美しい景色や、重厚《じゅうこう》な歴史があるわけでもない。でも、いいところです。平和ですし、治安もいいです。のんびりとした生活を楽しめます。私は、休みにはいつも仲間とテニスを楽しんでいますよ」
女がお盆《ぼん》に載《の》せて、瓶《びん》とコップを持ってきた。それは酒だった。コップになみなみ注いで男に出す。
男は少し驚いた顔をしたが、すぐにそれを一気に飲み干して、ふうっ、と一息ついた。ゆっくりと顔が赤くなる。男は側《そば》にいた奥さんに聞いた。
「おーい、つまみがないよ」
「あ、はい。今お持ちしますわ」
奥さんは、そう言って振り返ろうとした。その瞬間《しゅんかん》、男が怒鳴《どな》り声を上げた。
「はい今≠カゃねえ! 今ないだろうがこのバカ!」
男は立ち上がった。奥さんの髪を両手でつかむと、そのまま引っ張った。
「きゃ」
女の短い悲鳴を残して、二人はとなりの部屋に消えた。
何かを打ちつける音が、数回聞こえた。
『このヤロ! このヤロ! こにャローが!』
男の怒鳴り声が聞こえた。くぐもった罵声《ばせい》が続く。
『このグズ! もうちっと気を利かせろよ! 俺《おれ》に恥《はじ》をかかせるつもりか! 働かないつもりか! 自分が誰《だれ》に食わせてもらってると思うんだ! ああーっ! 聞こえてるのか? サンド!』
しばらく何も音がせず、やがて、
『けっ! もういいからさっさと料理を作れ。早くしろ。今日は気分がいいからこの辺で許してやる。急げボケ!』
男の声が聞こえて、どさっ、と何かが落ちる音が聞こえた。
男は、真っ赤な顔をしてダイニングに戻ってきた。イスに座ると、急に恐縮《きょうしゅく》した様子で、慇懃《いんぎん》に言った。
「いやどうも、お見苦しいところを申し訳ありません。いつもはもうちっとはよく働くんですが、もともとグズなんで、どうかお気を悪くしないで、勘弁《かんべん》してやってください。そうだ、旅人さんも、このお酒一杯いかがですか?」
キノは先ほどから変わらない表情のまま、
「いえ、アルコールは飲みませんので」
「ああ。こちらはお一ついかがです?」
男は、テーブルの上の小皿に入ったビスケットをすすめた。
キノは、いただきます、と言って一つつまんで口に入れた。ちょうどその時、女がふらふらとダイニングに現れた。髪は乱れて、額《ひたい》の横を手でおさえていた。キッチンへ、幽霊《ゆうれい》のように歩いていった。男が背中に怒鳴《どな》る。
「旅人さんにお茶だ! 急げ!」
男は上機嫌《じょうきげん》のまま、手酌《てじゃく》で自分のコップの酒をあおった。陽気な口調で、饒舌《じょうぜつ》になる。
「いやあ、私は旅人さん達が羨《うらや》ましいんですよ! 実に羨ましい! 色々なところに行って、旅して。うんうん。私も、昔はモトラドに乗ったことがあるんですよ。エンジンがこう、横にどかんって二つ出てるヤツねえ……。自慢じゃないけど、うまかったんですよ。あ、ホント言って転んじゃってね、借りてちょっとだけしか乗ってないんですけどね。うんうん。……ヒック! ういー。で、でねえ、旅なんて行きたかったんですよ。旅人さん! 旅は楽しいでしょう!」
キノは笑顔を男に向けた。
「ええ、とっても。色々な、国ごとの風習の違いを目《ま》の当たりにできることが」
「キノも言うね」
エルメスが、誰《だれ》にも聞こえないようにつぶやいた。
「そーう、それですよ!」
男は膝《ひざ》をばしんっ、と叩《たた》いて、上半身はぐらつかせながら笑顔で言った。
「いろんな国。そんなのがたくさんあって、ういっ、それを見て回る! うんうん。いいですねえー。やっぱ人間若いうちは、そうじゃなくっちゃねえ。おうっと!」
男は身を乗り出そうとしてバランスを崩《くず》し、よろけた。その腕が、料理を運んできた奥さんに当たる。女は皿を落とし、料理は全《すべ》て床《ゆか》にばらまかれた。
「あっ!」
女が声を上げた。
男は急に表情を変えた。鬼《おに》のような形相《ぎょうそう》で奥さんを睨《にら》みつけた。
「何があっ!≠セ! おい! このグズ! ぼうっとしてやがって。つまみが、ダメになったじゃないか! ういっ、……役立たず! ゴミ! 拾って食え!」
キノはもう一つ、ビスケットを食べた。
男は奥さんの長い髪を引っ張り、むりやり顔を引き寄せた。そのまま、となりの部屋に引きずっていった。
『このバカ野郎《やろう》が!』
乾《かわ》いた音が何度も聞こえ、そして男の罵声《ばせい》が続いた。
『まったく! お客様につまみ一つ出せないんだな! オマエは。使えねえな。人間のクズだよ! ……けっ、こんなのと一緒にいる俺《おれ》の身にもなれよ! 何か言えよ! サンド! ボケ! 聞いてんのかよ!』
しばらく静寂《せいじゃく》があって、
『ムカつくな、オマエのトロさはよ! せっかくお客さんが来てるってのによ! 誰《だれ》のおかげで食っていけると思ってんだ! 誰の金で生活できるんだ! 誰が働いてんだ! ああ? ……もういい、仕事で疲れた! 寝る! オマエは後かたづけして、きれいにしておけ! 床《ゆか》ぴかぴかにしておけ! 分かったか、カス!』
そしてまた、何かが落ちる音が聞こえた。
男がダイニングに戻ってきた。
「いやあ、旅人さんにモトラドさん。大変|恐縮《きょうしゅく》ですけれど、私はこれで失敬させていただきます。お話が聞けて楽しかったですよ。もしよかったら、ゆっくりしていってください。何かあったら、どんなことでも妻に命令していいですから。ほんとーに、使えないやつですけれど」
丁寧《ていねい》な口調でそう言い残し、となりの部屋に入ると、
「働け!」
奥さんを引っぱり出してきた。最初に殴《なぐ》られた額《ひたい》は膨《ふく》らんでいて、口元は切れて血が出ていた。男は奥さんを、ダイニングの床に捨てるように放りだした。
男はふらついた足取りで部屋の奥に消えた。やがて階段を上がる、危《あぶ》なげな足音が聞こえた。
キノはエルメスを一瞥《いちべつ》して、イスから立ち上がった。女が床に落ちた料理を拾うのを、手伝おうとした。
「いいんです。お止めください」
女がキノを制止した。
「すいません。ホントにいいんです。座っていてください」
「そのとおりだ、キノ。拾う必要はまったくないよ」
エルメスが後ろから言った。キノはエルメスを再び一瞥して、イスに座った。
女は切れて血がにじむ口元をおさえながら、落ちた料理を拾い、床を拭《ふ》いた。
テーブルの上を片づけた女は、キッチンで手を洗い、顔を拭いた。その後、キノにお茶を一杯差し出した。キノは礼を言って受け取った。
「すこし、お待ちください」
女はそう言い残しダイニングを出た。階段を上がる音と、おりてくる音が聞こえた。
女はダイニングへ戻り、キノの向かいに座った。右目の上に目立つこぶがあり、下唇《したくちびる》では血が固まりかけていた。
「驚かれたでしょう……」
女が口を開いた。
「ええ、まあ。ただ、午前中、道の真ん中で堂々と喧嘩《けんか》してるカップルを見ましたから。止めようとして、警官に止められました」
「そうだったんですか……」
「そういう国なんだってね」
エルメスがそう言って、女は一度|頷《うなず》いた。
「ええ。この国には、愛し合う二人の間には遠慮があるべきではないという風習と法律があります。ですから、配偶者に対しては、殺人以外は一切罪にならないんです」
「…………」「…………」
「でも、私にとっては驚くべきことではないんです。昔からずっとそうでしたから」
「なるほど」
キノが言った。
「ねえ、なんであんなのと結婚したのさ?」
エルメスが無遠慮に聞いた。
女は微笑《ほほえ》んだ。自嘲《じちょう》と、よくぞ聞いてくれたという喜びの感情が入り乱れた微笑みだった。
「ホント、そうですよね。私ったら、どうしてあんなのと結婚したのかしら?」
「結婚前からあんな?」
エルメスがさらに無遠慮に聞いた。
「いいえ、違いましたよ。初めてお見合いの席で会った時、誠実そうで素敵な人だって思いました」
女がそう言って、キノが聞いた。
「オミアイ=Aって何ですか?」
「始めて会った席なんだから、レストランの名前か何かかな。違う?」
エルメスもそう言うと、女は、ああ、と頷いてから、
「お見合いというのは、この国の風習で、結婚を希望する男女が第三者の紹介《しょうかい》で初めて会うことです。お互いの家庭環境や、経済状況とかが似た、将来うまくいけそうなカップルを会わせてみて、結婚を後押しというか……、手助けするんです」
「すると、前から好きでない人と結婚することもある、ということですか?」
キノが驚いて聞いた。女が答える。
「ええ。そうとも言えるかもしれません……。この国では、結婚をしていない大人《おとな》は、一人前ではないと見られます。男性は家庭を持ってそれを守っていないと。女性は家庭の中できちんと家事をこなしていないと」
「はーん」
「だから、みんな二十代も後半になると焦《あせ》り出します。このまま自分は一生結婚できないのではないか。一人前だと見なされなくなるのではないかって。そんな時、でしたらお見合いはどうですか、って勧められることが多いんです」
「そうですか……。でも、結婚っていうのは本来、好きあっている人達が、いつも相手と一緒にいたいからするものですよね?」
キノが聞いた。
「ええ」
「すると、オミアイっていうのは、結婚をしたいがために、相手を選ぶ……。手段と目的がひっくり返ってませんか?」
女は少しの間考えて、そして軽く頷《うなず》きながら言った。
「そういえばそうですね。でも、旅人さん。結果的に結婚生活がうまくいけば、同じことですわ。好きあって結婚しても、うまくいかない場合もあれば、お見合いで結婚して、二人の生活を楽しめる場合も……、時にありますから。私の両親も、お見合いで知り合って結婚して、とても幸せな家庭を築きました。私はそれを見て育ったんです。だから私は、両親を人生の手本に、同じようになるのが夢でした。旅人さんも、そうでしょう?」
「…………」
「でも、奥さんの場合は、旦那《だんな》があれだった、と」
キノが黙り、エルメスが話を戻した。
「ええ……。結婚する前は、そして結婚してしばらくは、お互い気を使いますから、分からなかったんです。でも、生活をしていくうちに遠慮がなくなってくると……、もう駄目《だめ》、ですね。いいえ、だからああなったのかもしれません。ある時あの人が、床《ゆか》に小さな埃《ほこり》が落ちているのを見つけて、いきなり殴《なぐ》りかかってきたんです。その時はもうびっくりして、何が起きたのかまったく分かりませんでした。私は殴られ続けました」
「ふむふむ」
エルメスが相づちを打った。
「それ以来、あの人は些細《ささい》なことですぐに暴力を振るうようになりました。お酒が入っているとエスカレートします。私は階段から突き落とされたり、たばこの火を押しつけられたり……雪が降る真冬に薄着で外に締め出されたこともありました」
「…………」
「他《ほか》には?」
エルメスが楽しそうに聞いた。女は顔色を変えず、淡々《たんたん》と、
「私のけががひどくて、殴《なぐ》ると手が汚れるような時は、他《ほか》にいろいろなことをされました。私の古い友人に、私が精神的におかしいとか、はずれの女≠セとか言ったり、暴力はなくても、きっかり一時間おきに恐ろしい形相《ぎょうそう》で怒鳴《どな》られたこともあります。結婚した時持ってきた私の物は、今は何もありません。みんな捨てられるか壊されました。去年まで私は猫《ねこ》を飼《か》っていたんですが、私のいない間にあの人に床《ゆか》にたたきつけられて……、仕方なく安楽死させました。さすがにこの時は、あの人は動物|虐待《ざゃくたい》で罰金刑《ばっきんけい》になりました。ただしその後、私がそんな物を飼っていたせいだと殴られましたけれど」
「…………」
「ふむふむ」
「私が勉強をしたくて買ってきた本や教材は、全《すべ》て燃やされました。家庭の主婦がインテリである必要はないと言われました。それならと料理と家事の本を買ってくると、お前は何をやってもダメだからと、無駄遣《むだづか》いをなじられて本は捨てられました。それ以来、家計がどうなっているのか分かりません。私の生命保険はいつの間にか解約されていましたし、今の私のお小遣いはまったくと言っていいほどありません。言われました。奴隷《どれい》は金を持つ生き物じゃない、お前は黙って俺《おれ》に従っていればいい、って」
「はーん。なるほど、よく分かったよ」
エルメスが感心して言った。女は続けた。
「それでも最初のうちは、暴力を振るわれた次の朝に、あの人が土下座《どげざ》して泣きながら謝《あやま》ったりして、私も泣いて、『ああ、この人は本当は優しい人なんだ』、そう思って全てを許すなんてことを繰り返していたんですよ。暴れた後しばらくは、何もなく、気持ち悪いくらい優しいんです。だから、私が妻としていたらないから、未熟だからあの人が怒るのかと、ずいぶん悩みました。他にも、例えばもし、あの人に人間的に弱いところがあるのなら、それを治すことは私にしかできない。これは私の使命なんだ。そんなふうに思ったこともあります」
そう言って、女はフッと笑った。
「その、離婚はされないのですか?」
キノが聞いた。すると女は、殴られていた時よりも悲しそうな顔をした。
「やはりご存じないのですね……。いいえ、旅人さんは知らなくてあたりまえですね、すいません。この国では、離婚は卑《いや》しいこととして一切認められていません。どちらか一方が死ぬことのみによって、結婚生活は終わるんです」
「ありゃりゃ。宗教?」
「いいえ。社会通念上、とでも言うのでしょうか。昔は認められていたらしいんですが、その時でさえ、離婚をしたということは、この上なく不名誉とされていました。離婚をした人は、家庭を守れなかった社会不適合者として、どうしようもなくなったらしいんです。そんな人をなくすため、離婚は法律で全面的に禁止されたんです」
「……そうですか」
キノは力なくつぶやいた。そしてエルメスをちらっと見た。
キノが、何か言おうとした時、
「旅人さん」
女はあざが浮いた顔をキノに向け、声を押し殺しながら言った。
「頼《たの》みたいことがあります……」
キノは奥さんに向き直った。静かに睨《にら》み返す。
「なんでしょう。ボクにできることですか?」
「ええ。旅人さんにしかできないことです。お手数は取らせません。できる限りのお礼もしたいと思います。この家の中で、必要な物があったら何でも持っていってかまいません。頼みとは、私の夫に関することです……」
「やっぱり?」
エルメスが短く言って、
「なんでしょうか?」
キノが聞いた。
女は一度振り返り、誰《だれ》もいないことを確認した。思い詰めた表情を作り、小声で、しかしはっきりとキノに言った。
「旅人さん。あなたのパースエイダーで、私の夫を撃ち殺してほしいんです」
「分かった! 引き受けた!」
エルメスが短く素早く楽しそうに言って、
「すいません、こいつの言うことはしばらく無視してください」
キノが訂正《ていせい》した。
女の表情は変わっていなかった。キノを見つめ、
「お願いします。今なら寝ています。寝室の鍵もあります」
キノは軽く首を振りながら言った。
「結論から言うと、ダメです。お受けできません」
「やっぱ、ダメ?」
エルメスが軽い調子で聞いた。
「ダメだよ。それは殺人だ」
キノがそう言うと、エルメスはやや呆《あき》れた口調で、
「キノ。今まで何人も撃ち殺してるじゃん。説得力ないなあ」
「事情が違う。この場合は、この国の法律で罰《ばっ》せられてしまう。そういう意味での殺人だ。ここで刑務所に入りたくない」
「まあねー。この奥さんがこの後何されたって、キノは死なないし、旅は続けられる。そう考えると、別にどーでもいいことだしね」
エルメスが、どこまでが皮肉なのか分からない発言をした。
「あ、あの……」
置いてきぼりをくった女が、遠慮気味に口を挟《はさ》んだ。そして、
「その点でしたら大丈夫《だいじょうぶ》です。殺人には、なりません」
きっぱり言った。
キノは、目覚めたら太陽がかなり高いところにあった時のような顔をした。
「どういうこと、ですか?」
「法律です。この国では、国外から来た人が犯罪を起こしても、一日以内に出国すれば、罪には問われないことになっているんです。それは、なぜかというと……、元々は警察も必死になって追っていたんですが、結局、すぐに国外に逃げてしまう犯人を捕まえることはできなかったんです。そこで、警察は無能だという市民の批判から逃れるため、外国人の違法行為を見逃すための法律をあえて作ったんです。ですから、旅人さんがこの国でたとえ何人殺してしまっても、明日の朝、問題なく出国できるでしょう」
「…………」
キノが無言でいると、エルメスが、
「だってさ」
女は続けた。
「警官が旅人さんを制止したのは、きっとこの法律が理由です。ただし、このことをあなたに伝えた私は、見つかれば罪になりますが……、それでもかまいません」
キノはしばらく考えた。そして言う。
「……一つ、いや、二つ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「もし、あなたが暴力に耐えかねてという理由で旦那《だんな》さんを殺した場合、どんな罪になるんですか?」
「死刑《しけい》です。配偶者《はいぐうしゃ》を殺した人間は、第一級殺人者として、間違いなく死刑になります。夫婦間の暴力は罪にも問題にもなりませんから、私はなんの意味もなく配偶者を殺したことになります」
「…………。もう一つは変なことです。旦那さんが言った、サンド≠チて、なんですか?」
女は微笑《ほほえ》みながら答えた。
「サンドバッグのことです。よくそう呼ばれます」
「…………」
「だってさ、キノ。聞いてる?」
「聞いてるよ」
女はキノを見て、拝《おが》むような、そして崇《あが》めるような表情を作った。
「お願いします……、どうか……」
「どうする? キノ」
キノは立ちあがった。右腿《みざもも》の、六発の弾《たま》が装填《そうてん》されている『カノン』を見た。そして言った。
「帰るよ、エルメス」
「やっぱね」
エルメスが短く答えるのと同時に、女は信じられないといった形相《ぎょうそう》になった。イスを蹴飛《けと》ばし立ち上がると、キノの足にしがみついた。
「そんな! お願いします! もうこんな生活、いやです! 見たでしょう! 見たでしょう? 私はずっと暴力を振るわれるんです! 旅人さん! 他《ほか》に方法がないんです! ねえ! これが最初で最後のチャンスなんです! きっと私今まで、そのために我慢してきたんです! ねえ!」
「おじゃま、しました」
キノは祈《いの》る女の手を冷静に、ゆっくりと払《はら》いのけた。
エルメスのスタンドを外し、玄関に向かって押しはじめた。
「お願いします……。どうか……」
ドア近くで、キノは床《ゆか》に泣き崩《くず》れた女へと振り返った。
「クッキー、ごちそうさまでした」
そして、大きく見開いた目から涙を流す女に向かって、最後に言った。
「残念ながらボクは、神様にはなりたくないんです」
集合住宅から、キノ達は通りに出た。
「気分がよくない」
キノが短く言った。
エルメスはなだめるように、
「気持ちは分かるよ、キノ。けど、この国のことは、この国で解決するしかない。旅人が何を言ってもやっても、それが自分達のルールだって言われればそれまでだ。ナイゼル艦長《かんちょう》ってやつさ」
「誰《だれ》? ……内政干渉?」
「そうそれ」
そう言ってエルメスは黙った。
「まったくもって、エルメスの言うとおりだ。分かってるから、なおさらだ」
「ご愁傷様《しゅうしょうさま》。キノ、イライラは甘《あま》いものをお腹いっぱい食べると治るよ。あ、これは知識だけど」
キノはふーっ、と息を吐いた。
「そうしよう。朝行ったカフェに、何かあったかな……」
キノはエルメスのエンジンをかけた。帽子《ぼうし》とゴーグルをつけて、通りを走り出す。
「キノぉ。気づいたとは思うけど」
走りながら、エルメスが遠慮がちに言った。
キノは頷《うなず》いた。
「ああ。何も言わずに昼間から強いお酒を出したのと、料理の皿を落としたのは、わざとだった。……見たよ」
「芸が細かかったね。感動しちゃった」
「人間には、いろいろあるのさ……」
「おや、旅人さん」
午前中会った警官が、キノとエルメスに話しかけた。閉店して片づけられたオープンカフェ前の、閑散《かんさん》とした歩道。キノはがっかりした顔で帽子をかぶろうとしていた。
キノは返事をせず、警官に近づいた。意外そうな顔をした警官のすぐ右脇《みぎわき》を、無視するようにすれ違う。
その瞬間《しゅんかん》、キノは右手を警官の腰のホルスターへ伸ばし、ハンド・パースエイダーを抜き取った。
警官はすぐにそれに気がついたが、同時に背中に何かが押し当てられるのを感じ、彼の体は凍《こお》りついた。耳のすぐ後から、声が聞こえた。
「ちょっと動かないでください。手も上げなくていいですよ」
「た、旅人さん? な、なななな、何をするんですか?」
「何も。ただ、ボクがここで引き金を引いたら、何かまずいことでもあるんですか? 法的にです。ちなみに明朝《みょうちょう》出国します」
警官は一瞬《いっしゅん》絶句した。そして、ゆっくりと話す。
「……だ、誰《だれ》から聞いたんです? いや、誰が教えたんですか? もしよかったら、それだけでも、お教え願えませんか。そ、それでですね、それを本部に、れ、連絡する時間もいただけたら、嬉《うれ》しいです」
それを聞いたエルメスがちゃかす。
「キノ。この人は大変仕事熱心な警官だ。すばらしい。尊敬するよ。二階級特進させよう」
キノは普段と変わらぬ口調で、
「教えてもらった訳ではないんです。とある人を、拷問《ごうもん》したんです。そしたら白状しましたよ。明日出国するボクがここで何をしても、一切合切《いっさいがっさい》、罪にはならないって」
「…………」
「撃っていいですか?」
「……ええっとですね。いいえ。私には愛する妻がいるんです。正直言ってまだ、死にたくはないですねえ」
「……そうですか。では、これはお返しします」
キノはそう言うと、警官のホルスターにパースエイダーを戻した。
驚いて振り返った警官は、自分の背中に当てられていたキノの左手の指を見て、大きく息を吐いた。何度か首を振る。そしてまた息を吐いた。
しばらくして、キノが言った。
「変な法律ですね」
警官は若干《じゃっかん》キノを睨《にら》みつけながらも、丁寧《ていねい》な口調で、
「そうですね。正直言って、本官は、昨日改正しておくべきだったと思いますよ」
「賛成です。ボク達も何をしでかすか分かりませんからね」
「スピード違反とか。畑泥棒とか。営利|誘拐《ゆうかい》とか。食い逃げとか」
キノとエルメスが楽しそうに言うと、警官はもう一度、長く息を吐いた。
「大丈夫《だいじょうぶ》です。明日必ず出国します。何もしません。それに、このことを誰にも言わないことを約束します。……ところで、一つ聞いておきたいんですけれど」
「……なんでしょう」
「配偶者《はいぐうしゃ》に何をしても、罪にはならないって法律。改正の予定とか、それに似た動きとかはないんですか?」
キノはそう質問した。すると警官は、
「なんのためにです?」
まるっきり訳が分からない、といった表情を作った。
「あれは、いじる必要はないでしょう」
警官ははっきり言って、エルメスがすぐさま聞いた。
「でもさ、お巡《まわ》りさん。相手を殴《なぐ》っても何してもいいんだよ」
「ええ」
「構わない、と?」
キノが聞いて、警官はああ、と小さくつぶやいた。そしてゆっくりと、まるで子供に道を教えるように、キノ達に言った。
「そのことなら問題ありませんよ。夫婦ですから」
「…………」「…………」
「夫婦間のいざこざは、どんな国にもありますよね。これらをなくすのは不可能ですし、警察の介入《かいにゅう》も無理です」
「虐待《ぎゃくたい》もですか?」
キノの質問に、警官は軽く頷《うなず》く。
「ええ。どちらかが勝ち続けている夫婦|喧嘩《げんか》のことをあえて虐待《ぎゃくたい》と呼べば。それでも警察は関与しません。だってそれは夫婦間の問題ですから。どんなことだって、夫婦の問題には、他人が口出しするべきではないし、口出しできるものでもないんです。たとえるなら、それは内政|干渉《かんしょう》ってやつですよね」
「内政干渉ね」
エルメスが短く言った。
「人はそれぞれ、自分の生き方を自分で決める権利と義務があります。そして、夫婦とは二人で一人の、いつまでも協力して生きていかなくてはならない、辛《つら》い時も病める時も、いつも苦楽を共にする運命共同体なんです。お互いに遠慮せず、一つ屋根の下で生きていく。そんな二人の行動を、他人の意見や、ましてや法律なんかで縛《しば》ってはいけないんです。いいえ、縛れるものではないんですよ」
「…………」
「さっきも言いましたけれど、私だって結婚しています。だから分かるんですよ。夫婦として一緒にいると、一番近くにいるからこそ、愛し合っているからこそ喧嘩することもあるんです。でもそれは、何度も言うようですけれど二人の問題で、二人で解決すべきなんです。そしてそれで、仲がいっそう良くなったりすることもありますしね」
「そうですか?」
キノがかなり訝《いぶか》しげに聞いた。警官は笑顔で答える。
「旅人さんが結婚すれば、すぐにでも分かりますよ。その時に、ああ、このことだったんだ、てね」
「…………」
「なるほどね」
エルメスはつぶやいて、
「キノ、気分はどう? 撃つつもり、ある?」
警官が一瞬《いっしゅん》、びくっと体をこわばらせた。
「え! ……ええと」
キノは右腿《みぎもも》の『カノン』を軽く叩《たた》き、脅《おび》える警官をちらっと見た。それから心底|面白《おもしろ》くないように言った。
「いいや……」
警官が息をつく音が聞こえた。同時にキノは警官を睨《にら》んだ。
再び体をこわばらせる警官に、キノは鋭い視線を送ったまま、訊《たず》ねた。
「甘《あま》いものが食べられる店を探しています。どこかないですか?」
夜。キノがすでに寝てしまった頃《ころ》。
キノが昼間訪れた家で、男が目を覚ましてダイニングにおりてきた。テーブルに突っ伏して寝ていた自分の妻に、すぐに食事を作るように命令した。
妻が何がいいですかと聞くと
「君が作るものなら何でもいいよ。どうせブタの飯みたいにまずいんだからね」
男は優しく言った。
女はキッチンで肉を切り、フライパンでステーキを作った。それをフライパンごとダイニングに持ってきた。
皿を前にして座る男に、女は静かに話しかけた。
「ねえあなた。今日私、一つだけ分かったことがあるの」
男がつまらなそうに返事をする。
「なんだ? サンド」
女は、泣きはらして真っ赤になった目で微笑《ほほえ》んだ。
「この世に、神様も仏様もいないって。だから奇跡《きせき》は起こらないんだってこと。人間の問題は、人間の手によって解決されるべきだって分かったの。だから、つまり……。私が間違っていたのね。自分の努力なしで、物事が全《すべ》て望む方的に行くものだと思っていた……。いつか優しい魔法使いのお婆《ばあ》さんが、一振りで私の願いを叶《かな》えてくれると思っていた……。私のお父さんもお母さんも、お互いに何にもしないで、いつもあんなに仲がよかった訳じゃない。たぶん……。いいえきっとそうだわ」
「ふん。相変わらずどうしようもない馬鹿だな。ふざけたこと言ってないで早く盛りつけろ。酒も持ってこい。食後の運動をするからそこにいろ、サンド。ボケ。グズ」
男が言って、しばらく女は、手にじゅうじゅうと音を立てるフライパンを持ったまま立っていた。
「早くしろ。今ひっぱたかれたいのか?」
男は、妻の顔を見ないで言った。女はそれでも、何かを考えながらぼうっと立っていた。男がいらついて声を上げた。
「おい!」
女はそれでも突っ立ったまま。
とうとう男は、イスを蹴飛《けと》ばして立ち上がった。
やがて、一軒の家のダイニングから悲鳴が生まれた。高く長い絶叫《ぜっきょう》だった。それは近所中に響き渡り、そして誰《だれ》も気にとめなかった。
次の日。キノが入国してから三日目の朝。
エルメスが目を覚ますと、キノは荷物を全て積み終えていた。
「あ、おはよ。もう出発?」
エルメスの質問に、キノがゴーグルのレンズを拭きながら答えた。
「ああ。長くいても面白《おもしろ》くないしね。……太りそうな国だ」
キノは、エルメスを西側の城門へと走らせた。
途中エルメスが一言、どうする? と聞いたが、キノは、
「放っておこう。別にあの人が何をするでもなし」
「そうだね。何かするとしたら、こっちだもんね」
城門前について、キノはエルメスを止める。エンジンを切っておりた。城門の中へエルメスを押していこうとした時、
「旅人さーん!」
キノが振り返った。昨日会った女が、少し離れたところに止まった車から、笑顔で手を振っていた。
女は車を走らせて、キノ達の近くに止めた。
すばやく車から降りてきた女が、キノ達の前に立った。彼女の額《ひたい》のあざは青くくっきりとしていたが、表情は晴れやかだった。
「おはよう。見送りに来たの。よかった、間に合って」
「どうも……。おはようございます」
キノが複雑な表情で挨拶《あいさつ》を返した。女は笑顔のまま、車を外から軽く叩《たた》いて、
「ほら、あなた。旅人さんを一緒に見送りましょうよ。早く」
女の夫が、ゆっくりと車からおりてきた。
男は頭にネットをかぶり、側頭部には大きなガーゼが当てられていた。左腕はギプスで固められ、それを首から吊《つ》っていた。眼鏡《めがね》のつるも、曲がっている。
「どう、したんですか?」
キノが聞いた。男は答えない。女は少し恥ずかしそうに笑うと
「昨晩、ちょっとね」
とだけ言った。そして夫の肩を叩《たた》く。
男はびくっ、と体をふるわせた。そして無言のまま立っていると、女が後ろから聞いた。
「あなた。旅人さんにご挨拶は?」
「あ、ああ……。やあ……、お、おはよう……」
男が小さな声で言った。女は車の座席に手を伸ばして、棒《ぼう》を取り出した。パイ生地をのばす時に使う、太い麺棒《めんぼう》。
女はそれで、夫の背中を殴《なぐ》った。
「ぎゃっ!」
男が悲鳴を上げて、身をよじる。女は続けざまに、無抵抗の男の背中を七回殴りつけた。
「声が小さいわ。ちゃんと挨拶《あいさつ》してよ」
「す、すいません」
男は何とかそれだけ言う。女は身をかがめて、夫の太腿《ふともも》を棒《ぼう》で強烈に殴《なぐ》った。男は倒れ込んだ。その際左腕をぶつけて、再び悲鳴が上がった。
キノは昨日と同じように、顔色を変えず、ただそれを見ていた。
道路にはいつくばる男を無視して、女がキノに何か言おうとした。その時、
「おや、旅人さん! 出国ですね?」
遠くから大声で話しかけてきたのは、昨日キノに冷や汗をかかされた制服警官だった。早足でキノ達に近づく。
「いや、どうも。またお会いしましたね。出国なされるみたいで、ご滞在は満足いただけましたか?」
警官が笑顔で聞いた。キノがええ、と言って、エルメスも楽しそうに返事をする。
「とっても。特に、朝からお巡《まわ》りさんに尾行《びこう》されるなんて経験は、あまりできないよ」
警官は一瞬《いっしゅん》目を見開いた。その後ばつが悪そうに、
「い、いやあ……、お気づきでしたか。すいません、これも仕事で……。ほら私、大変仕事熱心なもので」
「あ、ちょっと面白《おもしろ》い」
そう言って、エルメスと警官が笑った。
少し和《なご》やかな雰囲気《ふんいき》の中、
「た、助けてくれ!」
男が急に起きあがり、突如|絶叫《ぜっきょう》した。警官の足に右手でしがみつく。
「お、お巡りさん! ちょうどいい! た、助けてくれ! こ、この女に、ひどい暴行を受けた!」
警官は、男をうっとうしそうに見た。女に顔を向ける。
「ええ。夫です」
女が言った。
「た、た、助けて! お願いだよ! 保護してくれよ! 殺される!」
「またまたご主人、落ち着いてくださいよ」
警官が男の手を冷静に、ゆっくりと払《はら》いのけた。
女が夫に顔を、すうっ、と近づけた。優しそうな笑顔で言う。
「安心してあなた。私はあなたを殺したりはしないわ」
「ひぃ!」
男は逃げるように顔を引いた。
「急所は外しているわ。私が独身時代医者だったのは、あなたも知っているでしょう?」
「ほうら、奥さんもこう言ってますよ。旦那《だんな》さん、あなたもしっかりしないと」
警官が言って、男は側頭部《そくとうぶ》のガーゼを指さした。
「でも、昨日! 見ろよこの傷! 昨日、いきなり熱いフライパンで殴《なぐ》られたんだぞ! その後、倒れたところをイスで、めちゃくちゃに殴られて、左腕が、骨にひびが入ってるんだ! 見ろよ!」
男はギプスの左腕も見せる。
「夫婦|喧嘩《げんか》の痕《あと》ですね。いやあ、男の勲章《くんしょう》じゃないですか!」
警官は楽しそうに言って、小さくガッツポーズを作った。近くを、老|紳士《しんし》がくすっと微笑《ほほえ》んで、彼の伴侶《はんりょ》らしい老婦人をつれて通りすぎた。
「そんな……」
男がつぶやいた。直後、奥さんの蹴りが脇腹《わきばら》に入った。
「げほっ!」
男は脇腹を押さえながらしゃがみ、倒れて静かになった。
女は警官に何度か頭を下げた。
「どうもすいません、お巡《まわ》りさん。お手数おかけしましたわ」
「いえ、いいですよ。本官は皆様の安全を守るためにいます。どんな些細《ささい》なことでもご相談に乗りますよ。……って、実は犯罪が少なすぎて暇《ひま》なのもあるんですけどね」
そう言って警官は敬礼とウインクをした。女は、
「まあ」
軽く驚いて微笑んだ。
「助けて……。お願い、殺される……。お巡りさん……」
足下からか細い声が聞こえた。
警官は憮然《ぶぜん》とした表情で、しゃがみ込んだ。横になってうめく男に言った。
「はいはい旦那さん、警察もあまり暇ではないんです。殺されるだなんて被害|妄想《もうそう》はやめてね。奥さんと仲良くね。何かあったら二人で解決するんですよ。夫婦なんだから」
警官は立ち上がった。キノとエルメスに向かって恭《うやうや》しく敬礼をする。
「旅人さん。私はこれで失礼します。後をつけたのは謝《あやま》ります。でも、ご滞在本当にありがとうございました。後は門番の兵士に任せますので。あ。あの店のルートビアフロートはおいしかったでしょう?」
キノが軽く頭を下げて、
「ええ。いろいろありがとうございました」
「どうもね」
警官は、それでは、と言って、歩き去った。
警官が見えなくなってから、女がキノとエルメスに言う。
「旅人さん、お礼が言いたいの。だから会いたかったの」
「お礼、ですか? ボクに?」
女は、目を細めた。
「ええ。昨日、あの時、あなたの方が正しかったわ。ありがとう」
「…………」
「これは人間の、二人の問題なんだから、自分達で解決しないとね。もう私、神様を待つのは止めた。これからは自分で自分の幸せをつかめるように、頑張《がんば》って素直に生きていくつもり。そうだ! 旅人さんに、この国の記念に、おみやげを何か渡したいわ。すぐに戻ってくるから、ここで待ってて!」
女はしゃがむと、倒れていた夫の耳を引っ張り、口を近づけた。
「あなた、すぐに戻るわ。旅人さん達に粗相《そそう》のないようにね」
「…………」
「返事は!」
耳元で突然大声を出され、男の顔がゆがんだ。
「……は、はい。分かりました」
「あ。それと財布《さいふ》を渡して。これからは私が持つわ。あなたによけいな手間をとらせないように。いい?」
「……はい」
男がそう言った瞬間《しゅんかん》、女が手を離した。男の頭が道路に落ちて、鈍《にぶ》い音がした。眼鏡《めがね》がずれた。
女は倒れた男の懐《ふところ》から財布を抜き取った。軽い足取りで、近くの店に入っていった。
キノは先ほどから変わらない表情のまま、男がゆっくりと身を起こすのを見ていた。
男は座り込んだ。頭のガーゼから、血がにじみ出てきた。キノを見上げて、拝《いが》むような、崇《あが》めるような表情を作った。
「た、旅人さん……。お、お願いが、一つ、あります」
男が弱々しく言う。
「なんでしょう?」
「あ、あれを殺してくれませんか?」
「あれ=Aとは?」
キノは、いたって普通の口調で聞き返す。男が、顔をふるわせながら声を荒だてた。
「私の妻です! こ、こ、ここだけの話、旅人であるあなたが何をしても、すぐに出国すれば罪には問われないんです。た、ただし、このことをあなたに伝えた私は、見つかれば罪になりますが……、それでもかまいません! で、ですから、そのパースエイダーで、妻を射殺してください! お礼は何でもします!」
「だってさ。どうする? キノ」
「お断りします」
キノの返事に、男は泣き出しそうな顔を作って、すぐに本当に泣き出した。
うなだれて鳴咽《おえつ》しながら、男がつぶやくように言う。
「……なんで、なんで私がこんな目に遭《あ》わなければ……。どうしてなのか……、皆目《かいもく》分かりません。私が、かつてあれに何かしましたでしょうか? それとも、突然妻が暴力的になって夫を襲うのはよくあることなんですか?」
「さあ。ボクは未婚だから分かりません」
キノが言った。
男は、ああ、と小さくつぶやいた。何度か鼻をすする。
「……私は今まで、立派に家庭を支える、よき夫であろうと、精一杯努力してきました。つきあいを断ってまで、仕事から早く帰ってきて……、妻との、会話の時間をできるだけ作ったり、休日には、家に一緒にいたり、同じ趣味を持ったり」
「…………」「…………」
「もちろん、やりたいことも、けっこうあったけれど……、ある程度は仕方ないと、自分を犠牲《ぎせい》にして、夫婦仲円満をめざして、がんばってきました。だから……、妻も、絶対に喜んでいてくれると思ったのに……。どうして、どうしてこんなことになって……。彼女は絶対に、昨日から、どこかおかしい。むりやりでも、病院に連れていくべきなんでしょうか? ああ……」
「今までに、何か奥さんを怒らせることでも?」
キノが聞く。
「分かりません……。思いつきません……」
「例えば、つい手が出ちゃったとかさ」
エルメスの質問に、男は少し顔を上げた。少し饒舌《じょうぜつ》になった。
「それは……、どうしても妻が間違いを認めなくて、このままではいけないと殴《なぐ》ったこともありましたが、女性相手ですから手加減したつもりです。それな――」
男の上半身が急に倒れた。
「ぎゃっ!」
眼鏡《めがね》が吹っ飛んだ。男が、顔を道路で擦《こす》る。戻ってきた女が、男の右腕を思いきり蹴《け》り飛ばしていた。
女は夫を放ったまま、キノに小さな紙袋を差し出した。
「はい。これをこの国のおみやげに。開けてみて」
キノが中を見た。輪がついた薄く小さな鉄板に、鴨《かも》に似た水鳥が二羽、寄り添って彫られていた。エルメスにも見せる。
「お守りなの。大きなものは旅にじゃまかと思って」
「ありがとうございます。これ、どんな御利益《ごりやく》のお守りですか?」
キノが聞いて、女は笑顔で答えた。
「幸せな結婚生活のための。この鳥はおしどり≠チていって、一生同じ相手と暮らすの。昔から仲のいい夫婦は、おしどり夫婦≠ネんて呼ばれているわ。いつかどこかで、旅人さんがすてきなパートナーを見つけられますように」
「…………。ありがとう、ございます」
キノは、なんとも形容しがたい表情で礼を言った。そして、エルメスを押して、門の中に入っていった。一度だけ振り返ると、女が男を何度も殴《なぐ》っているのが見えた。
「じゃーん。これを見てください!」
楽しそうに言いながら、詰め所の番兵がキノに、窓口越しにパネルを見せた。そこには数人の男性の顔写真と、その下に大まかなプロフィールが書き込んであった。
「なんですか、これ?」
キノが聞く。
「よくぞ聞いてくれました! これは、我が国が独自に開発した歴史あるカップル相性《あいしょう》診断方式、名付けてパーフェクト・マッチング・メソッド=Aがはじき出しました、キノさんにぴったりの結婚相手となりえる、男性のリストです!」
「はい?」
「見せて見せて!」
エルメスがはしゃいで言って、番兵はエルメスに見えるように角度を軽く変えた。
「入国なされた時に、質問に答えていただきましたよね。あれでキノさんの人となりをいろいろな角度から判断させていただきました。その上で、キノさんと価値観、生活上の考え方、属性、フィーリングなどがこれ以上ないほどぴったり合う未婚男性を、我が国の住人の中から選び出したのです!」
「なんのためにです?」
番兵がニヤリと笑った。
「ここだけの話、いま彼らとのご面会を希望なされるのでしたら、特別に後一ヶ月間、我が国の滞在許可が下ります。そしてもし、彼らのうちの誰《だれ》かとご成婚、なーんてことになれば、なんと我が国の市民権を無条件で獲得できるんです」
「…………」「そりゃすごい!」
キノが押し黙って、エルメスが楽しそうに言う。
「でしょう? いやあ、キノさんは運がいい。偶然、ほんとに偶然今は特別キャンペーン中ですから、こんな大サービスが可能なんですよ。どうでしょう? こんないい機会、他《ほか》にはないと思うんですけどねぇ。旅をしていると、ステキな異性と知り合う機会が少ないでしょうからねぇ」
「そうそう。そうなんだよ。特にキノは時たま撃ち殺しちゃうし。びびって逃げられることもあるし。下から見ていてはらはらだよ」
エルメスは実に楽しそうだった。番兵は早口で続ける。
「どうです、キノさん? 私達のデータでは、結婚が人生を幸せにする§Z十七%の独身男性が、そして八十二%の独身女性がそう思われています。しかし、黙っていても出会いはある£j性は四十三%、女性はなんと二十九%です。あなたの人生をもう一度考える面も含めて、とりあえずお試《ため》し期間だけでもいかがですか? 他《ほか》にも何千人もの男性のデータがありまして、その中から毎週五十人ほどを網羅《もうら》したファイルが送られてきます。出会いの場を提供するステキなパーティーも、なんと週に二回もあります。しかも当組織は国営ですからね、会場は迎賓館《げいひんかん》! 国営オーケストラの生演奏に、時には首相の励ましのスピーチもあります!」
「…………」
「どうでしょう? 人間は支え合って生きていく動物だと言った学者がいました。結婚とは人間が作り出す群の最小、そして最終形態である=Aそう残した詩人もいましたよね。こうも言われます。結婚は悲しみを半分に。喜びを二倍にしてくれる=v
「…………」
「結婚もしないで、人生を語るなんて、人間として間違っていると思いませんか? 結婚こそが人生のゴールであって、そこからの本当の人生のスタートでもあります。それまでの生活なんて、その下準備なんです。リハーサルなんですよ」
「…………」
「キノさんはお若いけれど、だからってのんびりしていると、あっという間に売れ残っちゃいますよ。さあ! 今すぐこの契約書《けいやくしょ》にサインして、我が国でステキなパートナーを見つけちゃいましょう!」
指で頭を抑えていたキノが、すっ、と顔を上げた。そして、
「知ってますか? ボクがここで何をやっても、罪にはならないんですよ」
ぼそっと脅《おど》した。
「よい旅をー!」
番兵は爽《さわ》やかな作り笑顔で元気よく言った。同時に詰め所のシャッターが、一瞬《いっしゅん》で閉まった。
「…………」
キノは何度か首を振りながら、エルメスに跨《またが》ってエンジンをかけた。ゴーグルをはめる。
「行こうか、エルメス」
「結婚しなくていいの?」
エルメスがちゃかして聞いて、キノが答える。
「旅をしてる方が安全だ」
「そだね」
走り去り際、キノがそびえ立つ城壁を見ながらつぶやいた。
「お幸せに」
第四話 「伝統」
―Tricksters―
キノ達が訪れたのは、小さな国だった。
深い森に覆《おお》われた山のふもとに、派手さのない城を中心にした街が広がる。ツタだらけの城壁は、午後の散歩で一周できそうだった。
キノが城門を叩《たた》き、詰め所の門番に入国許可を申請《しんせい》する。
伝統がありそうな礼服にヘルメット姿の番兵は、キノ達が初めてこの国を訪れると知り、これ以上ないほど嬉《うれ》しそうな顔をした。
番兵は電話でどこかと話す。城壁の中から、打ち鳴らす鐘《かね》の音が聞こえ出した。
「めったにいらっしゃらないお客様のご到着を、国中に知らせているんです。歓迎の準備のために」
番兵が笑顔で言った。
やがて城門が開いて、キノはエルメスを押して中に入っていった。内門をくぐると、大勢《おおぜい》の住人が出迎えてくれる。
「…………」「…………」
そして、キノもエルメスも黙った。
住人は、耳≠頭につけていた。髪の上に、左右対称に二つ。きれいな三角形のそれは、猫《ねこ》の耳そっくりだった。
「いらっしゃい! 旅人さんにモトラドさん。我が国にようこそ!」
リーダーらしい壮年《そうねん》の男が、そう言って代表で握手《あくしゅ》を求めてきた。彼の笑顔の上、きっちりと固められた髪に、焦《こ》げ茶色の猫耳≠ェついていた。
自己|紹介《しょうかい》をしたキノとエルメスは、国家元首という焦げ茶猫耳男に案内されて、城を利用した執務室《しつむしつ》に案内された。
お茶を出した、紫の猫耳をつけた秘書の女性が去って、男は簡単な国の説明をする。
大昔に、とある王家の避暑地《ひしょち》として城と街が造られたこと。その王家がどこかで滅んだ後も、住人はこの地で繁栄を続けていること。
人口は少ないが、とても平穏に暮らしていること。そして――大昔からの伝統で、住人は頭に猫耳をつけていること。
「これをつけることによって、人間の可愛《かわい》らしさを引き出すんです。誰《だれ》かがどんなに激しく怒っていても、これが揺れていれば不思議と微笑《ほほえ》んでしまう。昔の人が考え出した、人間関係を円滑《えんかつ》にする手段です。素晴らしい伝統です」
男が耳を揺らしながら熱く語った。髪型を変える時や、成長によって取り替える時など、ごくわずかな例外を除いては、住人は常に頭に猫耳《ねこみみ》をつけている。
部屋の壁には古そうな油絵が飾られ、裸《はだか》の女性が猫耳をつけて優雅に微笑んでいた。
男が聞く。
「キノさんも、せっかくいらしたのですから、我が国の伝統に触れてみませんか?」
「どういうことでしょう?」
キノが聞き返すと、男は机の下から、辞典ほどの大きさの箱を取り出した。開けてキノに見せる。中には、シックな黒い猫耳セットが入っていた。
「キノさんにお貸しします。みんながつけている中で、キノさんだけがないというのも居心地が悪いかと思います。御滞在中いかがでしょう? キノさんの髪と同じ色です。きっとお似合いですよ。もちろん、決して強制などいたしませんが……」
「今からでもいいから、耳をつけてあげればいいのに。昨日、あの人少しがっかりしてたよ」
エルメスが言った。
入国二日目の昼下がり。キノはエルメスを押しながら、ゆっくりと狭い街並みを見学していた。荷物は全《すべ》て、タダであてがってもらった部屋に置いてある。それでも一応、昨日渡された猫耳は持っていた。
子供達が、キノ達を見つけて手を振ってくれた。全員の頭に、色とりどりの猫耳がついていて、首を振ると可愛《かわい》らしく揺れる。
「旅人さんはー、耳つけないのー?」
無邪気《むじゃき》に聞いてきた。
食事とお茶をごちそうになったお店では、幅広の猫耳をつけた恰幅《かっぷく》のいいおかみさんに、
「あらーあんた、整ったいい顔してるわね。耳をつけるとみんなからもっと格好よく見られるのに」
とても残念そうに言われた。
城の造りを見学している時には、小さな子供に指をさされた。
「ママ。あの人耳つけてないよ。へんー」
子供は母親に、あの人は旅人さんなの。生まれた国が違うから、私達とは少し違うのよ。耳つけてなくてもいいのよ。そう穏やかにたしなめられた。
通りで話しかけてきた初老の女性は、旅人さんが猫耳をつければ、きっと急に異性にもてるでしょうね、と言った。
「いかに耳が似合っているかどうかで、その人の魅力《みりょく》が変わるんですよ。私も若い頃《ころ》は、そりゃもう一番素敵に見えるように、毎日鏡を見て研究したものですわ」
そして、その秘密をこっそり教えましょうかと誘われた。
その日の夜。
旅人歓迎のお祭りが開かれた。住人が、伝統的な猫耳《ねこみみ》踊りを披露《ひろう》してくれた。人々が輪を作り、手を猫のように曲げて、軽快な音楽で跳ねるように踊る。
楽しそうに見ていたキノも、猫耳をつけて参加を勧められた。
「ボクは、踊りのセンスがないってよく言われます。みなさんの足を踏んでしまうといけないので」
キノは丁重《ていちょう》に断った。そして、
「それにしても、素敵な踊りですね。感激しました。来てよかったと思います」
そうつけ加えた。
翌朝。
キノ達は多くの猫耳住人に見送られて、出発した。
旅人が見えなくなって、元首の男はやや残念そうに、頭から焦《こ》げ茶の猫耳を取り外した。他の住人も、解散しながらそれぞれの猫耳を外していく。
男の側《そば》に秘書の女性が来て、耳を受け取った。彼女も自分の猫耳を外し、回収箱≠ニ書かれた網籠《あみかご》に入れた。
女性が、残念そうな顔をした男に言う。
「駄目《だめ》でしたね。引っかかりませんでしたね」
「駄目だったなあ……。状況終了の鐘《かね》を」
「手配いたしました」
「これで、五百四十九勝二百三十三敗だな。私の任期中では三勝八敗か……。ここ数年の旅人は、周りに流されない人が多いな」
「まったくですね」
「まあいい。さあて、今度は何にするか。早く決めて、準備と練習をしないとな。絵も描《か》き変えないといけないし――」
森の中の道を、モトラドが走っていた。
「まさか猫の耳とはね……。みんななかなか可愛《かわい》かった。何度も笑いそうになるのをこらえたよ。あの踊りはとてもよかった」
キノが笑顔で言った。
「キノもつければよかったのに。絶対似合ったよ」
「いいよ。嘘《うそ》をついて話に乗ってあげるのは、ボクには向かないよ」
するとエルメスは、いたってまじめな口調で、
「キャラクターの意外性をちょっとでも見せるサービス精神ってものがないね、キノ」
「なにそれ……? でも、アイデアがとても豊富だな。ボクが聞いただけでも……、亀《かめ》の甲羅《こうら》を背負う、おしりにライオンの尻尾《しっぽ》をつける、烏の真似《まね》をして歩く、激しく踊って挨拶《あいさつ》、急に泣き出して挨拶、歌いながら食事、……あとなんだっけ?」
「烏の羽を頭に飾る、いつもケンケンで右足から入室、空を指さしながら左手だけで食事、目の周りが白いメイク、挨拶が親指立てて『イエーイ!』」
「そう、そうだった。ボクも、出会った旅人にネタばらしをしておかないと。引っかかりたい人は引っかかって、みんなに楽しんでもらう、と」
とても楽しそうなキノに、
「まったく……。向こうも向こうなら、こっちもこっちだ」
エルメスが呆《あき》れた様子で言った。
「――そういえば、半年前に来た旅人さんはよかったなあ」
執務室《しつむしつ》で、元首の男がいきなりつぶやいた。
「え? ええ。あの時は、頭にリンゴを載《の》せて生活=Aでしたよね。本当に、すぐにやってくれました。リンゴ踊りにも参加してくれましたし」
秘書が返して、男は天井《てんじょう》を見ながら、
「あんなに丁寧《ていねい》に、真剣に真似をしてくれた人はいなかったな。『伝統とは、いいものですね』、なんて言ってくれて。育ちがいいんだろうね……。ああいう人に、もっと来てほしいよ」
感慨深く言った。
秘書は、その時の様子を思い出して少し微笑《ほほえ》んだ。
そして言った。
「たしか、緑のセーターを着た、バギーに乗っていらした方でしたよね」
第五話 「仕事をしなくていい国」
―Workable―
「きれいな国だな」
城門をくぐり終え、景色を見た旅人が言った。
その旅人は十代半ばほど。短い黒髪を持ち、長い茶色のコートを着ている。
「だね。久しぶりに、モダンで整った国に来た。入国審査が全自動なだけはあるね」
旅人が押していたモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が答えた。後輪|脇《わき》と上に、旅荷物を満載したモトラドだった。
旅人とモトラドの目の前には、完成された街並みが広がっていた。何本も並ぶ、整った太い道路。あちこちにもうけられた、緑の曲豆かな公園。国の中央に建ち並ぶ、外見も配置も美しくデザインされた建造物。
夕日に照らされるその姿が、機能美も相まって一つの絵画にも見えた。
「さて、どうする? キノ」
モトラドが聞いて、キノと呼ばれた旅人が答える。
「今日はもう泊まるところを探そう。散策は明日だ」
「りょーかい」
モトラドが言った時、目の前で車が一台止まった。荷台つきの車で、誰《だれ》も乗っていない。
車に積まれた機械が、どうぞお乗りください、目的地までお連れします、と告げる。
キノが値段を聞いて、その必要はないと返事が来た。
「どうする? エルメス。乗っちゃっていいかい?」
エルメスと呼ばれたモトラドが答える。
「いいんじゃない。ホテルとか、自分で探すよりは早いでしょ」
「分かった」
キノは、エルメスを荷台に押し載せようとした。すると自動的にクレーンが伸びて、エルメスをひょいと吊《つ》って載せた。すぐにベルトと車輪止めが出てきて、固定した。
「よくできてるね」
エルメスが感心して言った。
キノが座席に乗る。やはり自動的にベルトが締められて、車は走り出した。
広い道を、他車と一定の間隔を取りながら走った。公園では、遊び終えたらしい子供達が車に乗り込んでいるのが見えた。
そして車は、ビルの並ぶ中心部へ向かう。
到着したのは、きれいで立派なホテルだった。玄関で機械が出迎えた。宿泊の料金はまったく取らないという。
キノとエルメスは小型の車に乗せられ、座ったまま立派な部屋まで案内された。
ボーイの役目を果たした機械が、礼を述べて部屋を出ていった。
「楽な国だな」
キノが、コートをイスに掛けながら言った。下には黒いジャケットを着ていた。
右腿《みぎもも》に、大型のハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)を吊《つ》っている。腰の後ろにはもう一丁《いっちょう》、自動式をつけていた。
「なんにもしなくていいよね」
エルメスが言った。キノは荷物をおろしながら、
「結構前から、旅人の噂《うわさ》では聞いてたんだ。機械が発展していて、人間のすることがほとんどないんだって。だから住人は、仕事を一切しなくていいらしい」
「へえ。じゃあ、この国の人は毎日何やってるの? 歌って踊ってるとか」
エルメスの質問に、キノはさあ、と首を傾《かし》いだ。そして、
「前みたいにお互い会っていない≠謔、でもないし、何かはやってるんだろうね。明日はそれを見に行こう。楽しみだ」
「見てみて気に入ったら、移住でもする?」
エルメスが聞いた。
次の日。キノは夜明けと共に起きた。
いつもどおり、運動とパースエイダーの訓練と整備をする。シャワーの後朝食を取って、いつもより少し早めに、エルメスを叩《たた》いて起こした。エルメスは、だいぶ早いと文句を言った。
ホテルの前で、キノがエルメスのエンジンをかけようとすると、また無人の車が来た。
「ホントに、なんにもしなくていいねえ。楽をすると、エンジンが鈍《にぶ》るよ」
エルメスが、感嘆しているのかグチっているのか分からない台詞《せりふ》を吐《は》く。
行き先を聞いた車に、キノは、人の集まるところと言った。曖昧《あいまい》すぎると返事をされる。
キノは少し考えて、
「この国の多くの人が、もし朝向かうところがあればそこ」
そう言った。車は、了解《りょうかい》しました、中央区のビル街に向かいますと言って走り出した。
車は、大通りを行く。美しくそびえるビルに近づくにつれ、道を走る車も増えてくる。見ると、ネクタイを締めスーツをきっちりと着込んだ大人《おとな》の男女が乗っていた。全員、あまり明るい顔はしていなかった。
やがて、ビルの並ぶ区画で車は止まった。キノとエルメスはおりる。その付近では、他《ほか》にもたくさんの人達が車からおりて、早足でビルの中に消えていった。空の車が去って、また別の車が人を乗せてくる。
「…………」
キノは、しばらくその景色を眺め、
「どう思う?」
エルメスに聞いた。
「仕事に向かってる人達。どこの国でもありえる、普通の朝の出勤風景」
エルメスが正直に答えた。
「やっぱり、そう見えるよなあ……」
キノが怪訝《けげん》そうに言った。
「この国じゃ、仕事しなくていいんじゃなかったの?」
「そのはずだったけれど……」
周りを見回したキノは、たまたますぐ近くで車をおりた中年の男に声をかけた。しかし男性は、
「急いでるんだよ」
つっけんどんに言い放って、ビルの中に消えた。
「せわしないね」
エルメスが言った。キノは誰《だれ》かに話を聞くためにビルに入ろうとしたが、関係者以外立入禁止ですと、入り口にある機械に丁重《ていちょう》に断られた。
やがて、出勤≠キる人も見えなくなった。
ビル街の通りには、キノとエルメスだけがぽつんといた。
「どうする?」
エルメスが聞いた。
キノが少し考えて何か言おうとした時、一台の車が近くに止まった。ドアが開くと、若い男が慌《あわ》てて飛び出してきた。
男はビルに入ろうとして、そして入れなかった。肩を落とし、歩道をとぼとぼと歩き出した。
「ちょうどいい。あの人に聞こう」
キノが言った。
「そっか、旅人さんか」
若い男が、あまり元気のない口調で言った。スーツにネクタイ姿で、歳《とし》は二十代の前半くらい。
キノとエルメス、そして男は、ビル街の一角にある公園にいた。噴水《ふんすい》前のベンチに座っている。周りには誰もいなかった。キノが話しかけた時、男はそれなら落ち着けるところへ行くかと、歩いて少しの距離のここへ誘った。
男は、その辺を巡回《じゅんかい》している機械を呼びつけて飲み物を注文した。これが通貨代わりさと言って、カードを機械に通した。紙コップでお茶が出てくる。キノの分は無料だった。
「僕らが、ビルの中で何をしているのかだったっけ」
男がお茶を半分飲んでから言った。
「ええ」
「〈仕事〉をしているんだ。毎日」
男が言った。
「仕事、ですか?」
「ああ。僕は寝坊で遅刻して、会社に入れなかった。なんてミスだ。うっかりしてた……」
男はそこまで言ってから、
「まあ、今さらどうしようもないな。これからは絶対に同じ失敗をしないようにするよ」
明るい口調で言った。
「でもさ、この国じゃ機械が全部やってくれて、人間は働かなくていいんじゃなかったの?」
エルメスが聞いて、男はそうだよ、と簡単に言った。そして続ける。
「働かなくてもいいけれど、〈仕事〉はしないと」
「?」「?」
怪訝《けげん》そうなキノの顔を見て、男が言う。
「あ、そうか――。あのね、僕の言っている〈仕事〉と、旅人さんとモトラドさんの考えている仕事は、違うものだと思うよ」
キノが聞く。
「つまり、あなたの言う〈仕事〉は、人のために働く、何かをする……、何かを作ったり、売ったり、人にサービスをしたりする訳ではないと?」
「そうだよ。今旅人さんが言ったのは、この国では古い定義だ。僕らは、それらはしなくていい。機械が全《すべ》てやってしまうからね。まあ、絵|描《か》きとか、音楽家とか、人間としての特殊能力を求められる一部の人は別だけれど、ほとんどの人、つまり僕みたいなサラリーマンはしなくていい」
キノは頷《うなず》いて、
「なるほど。そこまでは分かりました。すると、あなたや他《ほか》の人達が毎日している〈仕事〉とは何ですか? それに、なぜそれをするのですか?」
男は、質問を聞きながら小さく数度頷いた。そして答える。
「まず、なぜかというと、お金を稼《かせ》ぐためさ。これは昔の仕事と同じだ。この国では最低限の生活は保障されているから、まったくお金がなくても、ただ生きていくことはできる。政府所有の建物に住めるし、服も支給されるし、死なない程度に食事もできる。けれど、そんな刑務所みたいな生活|誰《だれ》も望まないよ。よりお金があれば、いいところに住める。いい物が買える。美味《おい》しい物が食べられる。たくさん〈仕事〉をすれば、それだけたくさんお金が入る。やっぱり生きていくためには、稼《かせ》ぐことが必要なんだ」
「ふむふむ」「なるほど」
「それで、何をしているかというと」
「はい」
「ストレスをもらっているのさ」
「はい?」
キノが聞き返した。
「ストレスをもらっているんだ。肉体的、そして主に精神的に、決して快適ではない刺激を受ける。それがこの国における〈仕事〉の定義だね」
男が空《から》になった紙コップをベンチ脇《わき》に置いて、すぐに清掃機が拾い上げた。男が続ける。
「実際具体的に何をしているかは、僕の〈仕事〉経験を例にしよう。この国では、ほとんど全《すべ》ての人がサラリーマンだから、だいたい同じだと思ってくれていい。――まず、完璧な服装をして時間までに出勤する。朝一番で会社に入ったら、朝礼で社長の挨拶《あいさつ》を延々《えんえん》聞かされる。これは特に内容がないように文章が作られていて、直立不動で聞いているととにかく辛《つら》い。まあ、言ってる方も辛いだろうけれど。その後、僕は上司《じょうし》にこっぴどく叱《しか》られる。叱られる要因は毎日ランダムに機械で選ばれる。昨日は、週末に天気がよかったことを叱られた。その後はいろいろあって……、間違って作られた書類を直すとか。ひたすら意味のない計算をするとか。断ることが〈仕事〉の人に何かをひたすら頼むとか。性格判断でうまくいかないと分かっている同僚同士で互いのネクタイのセンスを罵《ののし》り合うとか。顧客《こきゃく》に扮《ふん》した人の苦情に頭をひたすら下げ続けるとか」
「…………」「…………」
「必要ない物を倉庫に取りに行って、わざと数時間待たされるとか。それを置きに行って、また数時間待たされるとか。それで帰ってきて、先輩に遅いぞこのヤロウボケカスノロマってどやされるとか。意味もなく家々を訪ねて長距離をひたすら歩かされるとか。十人乗りのバスに二十人で乗って、ぎゅうぎゅう詰めの不快感を味わうとか。苦手で嫌《きら》いなスポーツを上司とやらされて、ド下手《へた》な人をこれ以上ないほど誉《ほ》めるとか。女子社員だと、犯罪すれすれの性的ないやがらせとか。延々とお茶くみとか。一日中コピーとか。とにかくいろいろだ。――そして、〈仕事〉内容によって変わるストレス量によって、手に入る給料額が変わるのさ。正社員として登録してあって、平日朝から夕方まできっちり〈仕事〉をする人と、半日だけのパートタイマーじゃ〈仕事〉の厳しさも給料も違う。もちろん同じ職種でも個人の年齢や経験にもよるよ。経験者は、よりストレス量がもらえる重要な〈仕事〉に回される。僕なんかはまだ新入社員扱いだから、大したことはないね。早くもっと稼げるようになりたいよ」
キノが男に聞く。
「その、〈仕事〉のシステムは、いつ頃《ごろ》からあるんですか?」
「いつ頃からって言っても……、僕が生まれるずっと前からさ。ちょっとよく分からない」
「〈仕事〉で、体などの調子を崩《くず》すことは?」
「それはあるよ、もちろん。なんだかんだ言ってもストレスだから、溜まってしまってどうしようもなくなって、突然胃にぽっかり穴が空《あ》いて病院に運ばれたり、髪の毛が全部抜けたり、夜まったく眠《ねむ》れなくなったり、肌《はだ》がぼろぼろになったり、食べ過ぎをやめられなくなったり、見えないものが見えるようになったり、殺人をしたり、自殺をしたり。でも、ほとんどの人は問題ないと思うよ。余暇《よか》をうまく使って、発散できる。平日だったら〈仕事〉帰りに仲間とお酒を飲んだりしてね。みんな問題なく、毎日しっかりとこなすよ」
「そもそも、なんでお金を稼《かせ》ぐためにストレスなの?」
エルメスが聞いた。
男は肩をすくめて、
「さあ。誰《だれ》がいつ考えたかは知らないけれど、」
そして続ける。
「とても素晴らしいアイデアだと思うよ」
「そう?」
「うん。人間は、人生で楽だけをしちゃいけないんだ。毎日ある程度|辛《つら》い経験をしないと、だらけてしまってダメになる。人間をぐうたらにしない何かが、人生には必要なんだ。大昔はそれが、毎日の生きるために働くことだったんだろうけれど、今は〈仕事〉だ。昔の人がこのシステムを生み出した気持ち、分かるような気がするよ。機械が何もかもやってしまい、みんなが一生だらだらと生きて行くだけじゃ、いつか国が滅びてしまう。国民に毎日の張りを与えて、がんばっただけお金を与える。一石二鳥だね」
「この国での今の暮らし、気に入ってます? お仕事≠ツらくないですか?」
キノが聞いた。
「ああ、気に入ってる。〈仕事〉は、たまに辛《つら》いと思う。でも、社会的責任て言うのかな、ストレスをきちんと毎日もらって、社会人としての使命を果たすことはとてもいいことだ。僕も去年までは未成年で、のんびりと馬鹿やっていた。『ああ、来年から毎日〈仕事〉だな……。毎朝スーツ着てネクタイ締めて出勤か……』なんて、イヤだと思う気持ちがあった。でも今は、毎日がしゃんとして、緊張感っていうか、心地よい張りがある。社会人になって初めて、一人前って認められた気がするよ。そういえば、初任給|貰《もら》った時の、両親の笑顔は忘れられないな。親父《おやじ》は言ってくれた。『これでお前も立派な大人《おとな》だ。これまで育てた甲斐《かい》があった』って。あの時は嬉《うれ》しかったな……」
「ふむふむ」
エルメスが相づちを打った。
「僕の好きな言葉に、こういうのがある。『〈仕事〉は、遊びほど疲れるものではない。遊び終えた夕方より、〈仕事〉を終えた夕方の方が清々《すがすが》しい』――僕は人生で、遊びほうけた後の夕方より、〈仕事〉を終えた夕方の方をたくさん持ちたいと思うよ。毎日遊び疲れるより、毎日〈仕事〉の心地よい疲労を味わって、だからこそ貴重な余暇《よか》を本当に楽しむ。そうやって歳《とし》をとっていって、やがて家庭を持ち、自分だけではなく愛する家族のためにも全力で〈仕事〉をするんだ。家族に笑顔で出迎えられたら、一日の疲れなんて吹っ飛ぶだろうね。そしてきっちりと定年まで勤め上げる。それまでは、それはもうできる限り上を目指してがんばる。最低でも部長、できれば専務や、気持ち的にはもちろん社長を。僕の一生の夢だ。それが努力次第でしっかりと実現できるんだから、この国は本当にいいところだよ。国民一人一人に、生き甲斐《がい》と目標をもたらしてくれるんだから」
男が蒼《あお》い空を見上げ、爽《さわ》やかな笑顔で言った。キノに向いて、
「もし旅人さんが移住を考えているのなら、この国はかなりいいよ。お勧めするよ。〈仕事〉は全員にある。だから中流の、努力次第ではそれ以上の暮らしが約束されている。移民はいつでも歓迎だしね。――答えになったかな?」
「ええ。どうもありがとうございます」
キノが笑顔で言った。
「他《ほか》に何か、もし聞きたいことがあれば」
キノが少し考えて、
「一つだけ。これは〈仕事〉とは関係ないことですが、昨日泊まった時、ボクのホテル代や食事代はタダで、国が出してくれたと思います。もしボクが、旅に必要な買い物をする場合、その支払いはどうなります?」
「あー、どうだろう……。たしか、数日以内なら、お客様扱いとしてほとんど無料だったと思うよ。あんまり長いといろいろあるだろうけれど。旅人さんはカードも持っていないし、この国じゃ市場での物々交換も難しい。店にある機械に聞いてみると、もっと詳《くわ》しく教えてくれると思う」
「なるほど。ありがとうございます。いくつか必要なものがあったので」
「そっか。さて、そろそろ僕は帰るよ。明日からまたがんばらないと。今日は部屋で自己|啓発《けいはつ》のための本でも読もうかな。あ、買い物するなら中央区のショッピングセンターがいいよ。なんでもそろうし、車ですぐだ。それじゃ」
キノが再び礼を言って、男は去った。
キノはベンチで、もう一杯お茶を頼んだ。高くそびえるビルと、誰もいない公園の景色を見ながら、のんびりと飲んだ。
「この後どうする? キノ。国を見て回る?」
エルメスが聞いた。キノは、真っ直ぐ前を見据《みす》えながら答える。
「エルメス。ボクは……、とてもいいことを聞いた……」
「はい?」
「さっきの人にさ。とても、いいことを聞いた。貴重な話が聞けた。これから、ボクがなすべきことが分かった気がするよ……」
キノの真面目《まじめ》な顔と真剣な口調に、エルメスが驚いて聞く。
「はあ? ちょっとどうしちゃったの? ……まさかキノ、この国が気に入って住むとか言わないよね」
キノはエルメスを見て、
「言わないよ」
当たり前のように言った。そして、
「ボク達は、〈買い物〉に行くべきだ」
「はい?」
「だって、タダだろう? 弾薬とか、食料とか、燃料とか、服とか……。他《ほか》にも、よその国で何かに換えられそうなものを思いつくまま。こんなチャンスはめったにない。今日と明日を使って、貰《もら》えるだけ貰ってから出国しよう」
「…………」
キノは立ち上がった。そして飲み終えた紙コップを、丁寧《ていねい》に清掃の機械にまで持っていって渡した。
「行こう、エルメス。人間、楽ができる場合は楽をした方がいい。今がまさにその時だ」
戻ってきたキノが元気よく言って、
「あの師匠《ししょう》にして、この弟子あり……」
エルメスが小声で、感慨深げにつぶやいた。
「ん。何か言った?」
キノが、エルメスを押しながら聞いた。エルメスは普段の口調で、
「なんにもー」
答えた。
第六話 「分かれている国」
―World Divided―
道は、二つに分かれていた。
一つは坂道を上がり、北方にある森の高地へと続く。
一つは南へ下り、遠くに蒼《あお》く見える海へと伸びる。
「さて、キノ。どっちに行く?」
そこに止まっていたモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が言った。モトラドには、後輪の両脇《りょうわき》と上に旅荷物が満載《まんさい》されている。
「そうだな……」
そばに立つ、キノと呼ばれた人間がつぶやいた。歳《とし》は十代の中頃《なかごろ》。短い黒髪と、精悍《せいかん》な顔を持つ。首にゴーグルをかけて、手には茶色のコートを持っていた。
黒いジャケットを着て、腰を太いベルトで締めていた。右腿《みぎもも》にハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)のホルスターを吊《つ》り、腰の後ろにはもう一丁《いっちょう》、自動式もつけていた。
キノが振り返って、後ろを見た。そそり立つ城壁と、今は閉まっている内門があった。
城壁は、北に延々《えんえん》伸びて山の中に消えて、南にも延々伸びて坂の下に消えていた。囲んでいるようには見えない。国の外にいるのか、それとも中にいるのか分からなくなる場所だった。
「ふう。大きな国だな。地図がほしい」
コートを丸めながら、キノが言った。
「とりあえず、海の方でどうだい? エルメス。特に理由はないけれど、たぶん誰《だれ》かいるだろう」
キノが聞いて、エルメスと呼ばれたモトラドは、
「いいんじゃない」
キノは、コートを荷台にくくりつけて、エルメスのエンジンをかけた。帽子《ぼうし》をかぶり、ゴーグルをはめて、ゆっくりと海への道を下っていった。
しばらく坂を下り、斜面の先に海岸線と街並みが見えてきた頃。
一台のホヴィー(注・=『ホヴァー・ヴィークル』。浮遊車両のこと)が、下から飛んできた。デッキには数人の男が乗っていた。急ターンして高度を下げ、キノ達と併走する。
「旅人さんですかー?」
荷台から、男が大声で呼びかけた。キノが頷《うなず》くと、男は嬉《うれ》しそうに大げさな身振りで、道の先にある街を指さした。
「いらっしゃーい! 道なりに、あそこへ行ってくださーい!」
キノが数回頷いて、左手の親指を立てた。ホヴィーの男達が手を振った。それからホヴィーは急加速して、先に下りていった。
キノとエルメスは、海岸治いの街へ入った。左側に防波|堤《てい》と磯《いそ》が、そして蒼《あお》く輝く海が丸く広がる。それに面して、白い石造りの家が斜面に建ち並んでいる。多くの人が、キノ達を見かけて窓から手を振ってくれた。
港のある広場に、人々が集まっていた。キノは、招かれるように入って、エルメスを止めた。
「いらっしゃい。久方ぶりの旅人さん!」
長老らしい老人が、キノに笑顔で言って、
「今日は。ボクはキノ。こちらは相棒《あいぼう》のエルメス」
キノが帽子《ぼうし》を取って挨拶《あいさつ》した。エルメスも、どうもねーと言った。
長老らしい老人は、自分は長老だと自己|紹介《しょうかい》をした。屋根のあるベンチにキノを誘《さそ》って、二人は座った。エルメスは脇《わき》にスタンドで立つ。
みんなが注視する中、長老はめったに来ない旅人を街をあげて歓迎して、宿も食事も無償《むしょう》で提供すると伝えた。キノが礼を言った。
何か聞きたいことはありますかと言われて、キノは、全自動だった城門に地図がなかったのと、道が分かれている訳を聞いた。
長老は少し顔を曇《くも》らせた。
「実は……、今この国は分裂しているんです。海岸部と、北方の高地と」
「なんで?」
エルメスが聞いて、
「まあ……、考え方の違い、でしょうか。国が広いこともあって、ほとんど断絶状態です。本当は仲良くやらなくてはいけないんでしょうが、いや、お恥ずかしい」
そして長老は、唐突《とうとつ》にキノに聞いた。
「ところで、好き嫌《きら》いはありますか?」
「はい?」
「キノさんは、これだけはどうしても食べられない料理や食材はありますか?」
キノは少し考え、いいえと言って首を振った。
「体が受けつけないものも?」
「特にありません」
長老はにっこり笑って、
「それは、大変にいいことです。私達は、普段あまり贅沢《ぜいたく》な食事はしない主義です。……ですが、」
そう言うと、キノに、自分達を囲む人々を見るように手振りで促《うなが》した。みんな何かに期待するような、弾《はず》んだ目をしていた。長老が続ける。
「何かを祝うべき時だけは、全員一緒に、豪華《ごうか》な食事をする風習があります。もし、久しぶりの客人であるキノさんが、騒がしいことがおいやでなければ――」
キノが、そこにいる全員の意図を理解して頷《うなず》いた。
「――ボク達を歓迎するお祝いをしてくださる。みなさんで」
それを聞いた、囲む人々の目が輝いた。
「そうです」
長老が楽しそうな、かつ深刻な面持ちで言った。
キノは立ち上がった。くるりと人々を見回して、そして長老に向いて言った。
「じゃあ、お願いしようと思います」
全員が歓声を上げた。
キノとエルメスは、海がよく見える部屋に案内された。
エルメスから荷物をおろした後、部屋に長老からの使いが来た。猟《りょう》を見学しませんかとの誘《さそ》いだった。ホヴィーで海に出て、祝いの席でみんなに振る舞う、大型の獲物を狙《ねら》うという。
キノは、おもしろそうですねと快諾《かいだく》して、エルメスにどうするか聞いた。
「どうせ暇《ひま》だし」
そう言ったエルメスを押して、キノは部屋を出た。
港に数台のホヴィーが並んでいた。キノはエルメスごと、ホヴィーのデッキに乗った。
ホヴィーの一団は浅く浮かび、澄んだ凪《なぎ》の海へ飛んでいった。キノ達の乗ったホヴィーが、少し上空から後に続いた。
「とにかく獲物は大きいですよ。豪快《ごうかい》な猟です」
案内役を買って出た若い男性が、楽しそうに言う。下を見ると、ホヴィーのデッキで、男達が木箱から何かを出していた。子供の背ほどの細長い筒《つつ》で、グリップと、肩に載《の》せるパッドがあった。片方の端《はし》には、円錐形《えんすいけい》を底で張り合わせたような、太めの出っ張りがあった。
「あれは、爆薬のつまった先端を、火薬で飛ばす道具です。ロケット弾≠ニか言って、大昔に、戦争で使われたそうです。車とか、固いものを破壊するのに」
「あれを、猟に使うんですか?」
キノが聞いて、
「ええそうです。あれが必要な獲物なんですよ」
案内人がにやっと笑って答えた時、運転席から、
「いたぞ! 左」
声が来た。指し示す海面で、噴水《ふんすい》のような水しぶきが上がった。
ホヴィーが散らばりながら、挟《はさ》み込むように近づいていく。キノ達の乗ったホヴィーは、少し高度を取った。一人がデッキから身を乗り出して、旗を振って方向の指示を出していた。
キノ達の真下の海面で、黒い大きな影が、ゆらっと動いた。
それは、巨大な生物だった。太めの流線型をしていた。巨大な尾ひれを静かに上下させ、ゆっくりと進む。先から尾までの長さは、ホヴィーの数倍あった。
「大きい」
キノがつぶやいた。
「鯨《くじら》ですよ。海で最大の生き物です。見るのは初めてですか?」
「ええ。本で読んだことだけは。それにしても大きい」
「こんなところで、タダで鯨見学≠ェできるとはね」
エルメスが言った。
「いえいえ、見所《みどころ》はこれからですよ。――我々はあれを狩ります」
ホヴィーが左右から近づいて、鯨の左右に何かを落としていった。小包ほどの円筒《えんとう》で、挟むように数個ずつ。
それらが、水中で爆発した。水柱が、鯨の両脇《りょうわき》で連続して上がった。くぐもった爆発音が響く。
鯨の巨体がうねった。暴れるように尾ひれが海面を派手に叩《たた》き、頭がぐっと持ち上がった。
その瞬間《しゅんかん》、ちょうど真上をすり抜けようとするホヴィーから、
ぶしゅっ!
ロケット弾が発射された。白煙で軌跡《きせき》を残し、水面から出た鯨の頭に命中した。
頭が爆発した。
肉片と血が混じり合って広がり、そして落ちて、海面で派手な音を立てた。
鯨は一瞬《いっしゅん》、巨体をよじるように波を立て、そして動かなくなった。生きるのを止めた。真っ赤な海水が、体を包み始めた。
「やったー!」
案内人以下、ホヴィーに乗っていた全員が大声を上げた。
ホヴィーから、ロープを持った数人が飛び込んだ。尾ひれと、数台のホヴィーが結ばれる。
巨大な死体は血の航跡《こうせき》を残しながら、陸地へと引かれていった。
広場の脇、船をおろすためのスロープに、頭の欠けた鯨が引き上げられた。会場の準備をしていた人達から、歓声が上がった。
すぐに解体作業が始まった。巨大なノコギリを、ホヴィーで引っ張る。あふれ出た血で、港はどす黒く染まった。
切り分けられた、それでも大きなブロックを、今度はトラックで広場に運ぶ。さらに数人がかりで切っていった。
切り終えた肉は、三つに別れて置かれていた。長老が、キノに説明する。
「テント脇《わき》が、今日私達が食べる分です。トラックに乗せたのは、保存食にします。そして、」
長老は、広げた大きなシートの上に山と積まれた、肉や骨や内蔵のかけらを指さした。見ると、食べられそうな部位もたくさんあった。
「あれは他《ほか》のみんなの取り分です」
「他のみんな、とは?」
キノが聞いた。
「今ここにはいない、私達の仲間です。後でご紹介《しょうかい》しますよ」
長老は、にっこりと笑って言った。
「――さあ、みなさん頂きましょう」
長老の挨拶《あいさつ》で、広場を埋《う》めた人々は一斉《いっせい》に食事を始めた。
となりに座るキノにも、皿《さら》が運ばれていた。若い女性達と、ごつい男達がエプロン姿でせわしく働いている。長老が、我が国では料理と盛りつけがうまい人が、何より魅力的《みりょくてき》に見られると言った。
「ささ、キノさんもどうぞ」
長老が勧めた。
一つの皿には、大きなエビが載《の》っていた。胴体《どうたい》がぱっくりと開いていて、中に、切った生の身が置いてある。死にかけのエビの頭と足が、時折何か思い出したように、ぴくぴくと動く。
別の皿には、頭と背骨と尾ひれだけの魚が、叩《たた》いて切り刻《きざ》んだ身と置いてあった。二度と水を通すことのない口とエラが、ぱか、ぱか、ぱか、と開いたり閉じたりする。
炭火《すみび》のオーブンには、生きたままの貝やエビが載せられた。それらはしばらくのたうち回って、そのうち泡《あわ》を吹いて絶命した。
さきほどの鯨《くじら》の肉だという、ステーキも運ばれてきた。あまり焼かないのが美味《おい》しいのだと、皿には血溜まりができていた。
「…………」
キノは、しばらくそれらを眺めた。
「まったく」
エルメスが言った。
部屋のベッドに、キノがシャツ姿で仰向けにひっくり返っていた。ふーっと息を吐く。そして言った。
「ああ、美味《おい》しかった……」
「さいですか。だからって倒れるまで食べなくても」
エルメスが相当|呆《あき》れて言った。キノは天井《てんじょう》を見ながら、
「旅人に求められるのは、食べられる時に食べられる能力だってさ。誰《だれ》かが本で書いてた」
「さいで」
部屋の外では、太陽がだいぶ傾き、空の色が変わり始めていた。広場からの、テーブルとイスを片づける音が聞こえてくる。
「キノさん。起きてらっしゃいますか?」
声が聞こえて、ドアがノックされた。
「長老からの使いです。仲間に取り分を分けにいきます。見学しませんか?」
夕暮れで、海は金色に輝く。その上を、二台のホヴィーが飛んでいた。
一台にはキノとエルメス、長老などが乗っていた。もう一台は、車体下に何かをぶら下げていた。それは端《はし》のロープをまとめて包まれたシートで、中には鯨《くじら》の肉片が入っている。
だいぶ沖に出て、ホヴィーは停止した。
長老がデッキに立ち、
「お受け取りください」
短い口上を述べた。手を軽く振り下ろす。
シートの片方のロープが外れて、中身が落ちた。水面に、バラバラの死肉が広がる。
すぐにそこへ、魚が集まってきた。大小さまざまな種類が、海面をせわしく波立たせる。海鳥が頭上を舞う。
「私達の仲間です」
長老が言った。
「私達と同じように、自然の中で、他の生き物を糧《かて》として生きるものたちです」
キノが下をのんびりと見ながら、
「これが、彼らの分ですね」
満足げに言った。
長老も、下をのんびりと見ながら、
「ええ。こうして彼らも育ち、その彼らを別の彼らが食べ、さらに別の彼らが食べる。それぞれの数が増えすぎないように、減りすぎないようにしながら、この海にたくさんの仲間が生きています。普段は採るだけの我々も、せめて祝いの時くらいは」
「なるほど……」
キノが言って、デッキの枠《わく》にゆっくりと寄りかかった。西の空を見る。オレンジ色の塊《かたまり》が、そろそろ水平線に触れそうだった。
彼らと別れ、長い影を作りながら、ホヴィーは帰路についた。
夜。キノは長老達に誘《さそ》われて、お茶を飲んでいた。
明日はどうされますか、と長老に聞かれて、キノは北方の高地に行ってみるつもりですと答えた。
すると、長老以下一緒にお茶を飲んでいた人達が、
「止めた方がいいですよ!」
急に大声を出した。
キノが、何か危険なことでもあるのかと聞いて、彼らは首を振った。長老が言う。
「いや、それはないと思います。ただ……」
長老が、悲しげな顔をした。
「奴《やつ》らは、とても残酷《ざんこく》なんです。それで、私達とはとても相容れなくて」
「残酷、ですか?」
キノが聞いて、長老はゆっくりと頷《うなず》いた。
そして言う。
「でも、キノさんが行って、奴らの残酷さ、醜《みにく》さ、そのありのままを見てくるのは、決して悪いことではないと思いますよ」
次の日の朝。キノは夜明けと共に起きた。
いつもどおりの運動、パースエイダーの訓練と整備をした。
キノは、長老宅で豪華《ごうか》な朝食をごちそうになった。さらに、魚の身を乾燥させた保存食をもらい、キノは丁重《ていちょう》に礼を言った。
キノは、昨日下りてきた道を走り登っていた。東の城門の前を通り過ぎる。
しばらく坂を上がり、斜面の先に鬱蒼《うっそう》とした森と街並みが見えてきた頃《ころ》。昨日と同じように、ホヴィーが飛んできて併走《へいそう》する。
「旅人さんですかー?」
荷台の男が聞いた。
キノとエルメスは、森の手前の街へ入った。右側に葉があざやかな森が広がり、それに包まれるように、白い石造りの家が斜面に建ち並ぶ。多くの人が、キノ達を見かけて窓から手を振ってくれた。
木製のやぐらがある広場に、人々が集まっていた。キノは招かれるように入って、エルメスを止めた。長老と挨拶《あいさつ》を交わす。
みんなが注視する中、長老はめったに来ない旅人を街をあげて歓迎して、宿も食事も無償《むしょう》で提供すると伝えた。キノが礼を返した。
長老は、唐突《とうとつ》にキノに聞いた。
「ところで、好き嫌《きら》いはありますか?」
「いいえ。体が受けつけないものも特にありません。それと、お祭りのようなものは嫌いではありませんよ」
キノがすかさず言った。住人の目が輝く。
エルメスが、
「まったく」
誰《だれ》にも聞こえないようにつぶやいた。
歓迎のお祭りに出される獲物の狩りを見学しませんか。
そう誘いが来て、キノは快諾《かいだく》した。エルメスにどうするか聞く。
「やっぱりどうせ暇《ひま》だから」
そう答えたエルメスを押して、ホヴィーに乗る。
ホヴィーの一団は浅く浮かび、森の中へ飛んでいく。キノ達の乗ったホヴィーが、少し上空から後に続いた。
「とにかく獲物は大きいですよ。豪快《ごうかい》な猟です」
案内役を買って出た若い男性が、楽しそうに言う。下にいるホヴィーのデッキで、男達が昨日と同じロケット弾を組み立てていた。
やがて運転席から、
「いたぞ! 右」
声が来た。指し示す木々の間で、何かが動いた。
ホヴィーが、挟《はさ》み込むように、散らばりながら近づいていく。キノ達の乗ったホヴィーは、少し高度を取った。一人がデッキから身を乗り出して、旗を振って方向の指示を出していた。
キノ達の真下の地面で、黒い大きな影が動いた。
それは、巨大な生物だった。岩のような体に、細長い鼻が伸びている。大きな耳を振り、太い四つ足を動かして、ゆっくりと進む。伸ばした鼻先から尻尾《しっぽ》までの長さは、ホヴィーの二倍はあった。
「大きいですね」
キノがつぶやいた。
「象《ぞう》ですよ。森で最大の生き物です。見るのは初めてですか?」
「ええ。本で読んだことだけは。それにしても大きい」
「こんなところで、以下|略《りゃく》」
エルメスが小声で言った。
「さて、見所《みどころ》はこれからですよ。――我々はあれを狩ります」
ホヴィーが左右から近づいて、象《ぞう》の左右に何かを落としていった。小包ほどの円筒《えんとう》で、挟《はさ》むように数個ずつ。
それらが、地表で爆発した。地面がえぐれ、土が象の両脇《りょうわき》で連続して跳《は》ね上がった。くぐもった爆発音が響く。
象の巨体が震えた。暴れるように足音を派手に響かせながら走り出した。木々が薄い空間に飛び出した。
その瞬間《しゅんかん》、ちょうど真横をすり抜けようとするホヴィーから、
ぶしゅっ!
ロケット弾が発射された。白煙で軌跡《きせき》を残し、木の陰から出た象の頭に命中した。
頭が爆発した。
肉片と血が混じり合って広がり、そして落ちて、地面を濡《ぬ》らす音を立てた。
象は一瞬《いっしゅん》、巨体をよじるように体を立てた。そして横に地響きとともに倒れて、動かなくなった。生きるのを止めた。真っ赤な血が、地面を染め始めた。
「やったー!」
案内人以下、ホヴィーに乗っていた全員が大声を上げた。
地面ギリギリのホヴィーから、ロープを持った数人が飛び降りた。四肢《しし》と、数台のホヴィーが結ばれる。
巨大な死体は血を点々とたらしながら、空中を運ばれていった。
広場の脇、噴水《ふんすい》近くのスペースに、頭をなくした象は引き上げられた。会場の準備をしていた人達から、歓声が上がった。
すぐに解体作業が始まった。大きなノコギリを、トラックで引っ張る。あふれ出た血で、石畳《いしだたみ》はどす黒くなった。
切り分けた大きなブロックを、数人がかりで広場に運んで、さらに切っていった。
切り終えた肉は、三つに別れて置かれていた。長老が、キノに説明する。
「テント脇が、今日私達が食べる分です。トラックに乗せたのは、保存食にします。そして、」
長老は、広げた大きなシートの上に山と積まれた、肉や骨や内蔵のかけらを指さした。見ると、食べられそうな部位もたくさんあった。
「あれは他《ほか》のみんなの取り分です」
「他《ほか》のみんな、ですか」
キノが笑顔で言った。
「今ここにはいませんけれど、後でご紹介《しょうかい》しますよ」
長老は、にっこりと笑って言った。
「――さあ、みなさん頂《いただ》きましょう」
長老の挨拶《あいさつ》で、広場を埋《う》めた人々は一斉《いっせい》に食事を始めた。
となりに座るキノにも、皿《さら》が運ばれていた。若い女性達と、ごつい男達がエプロン姿でせわしく働いている。長老が、我が国では料理と盛りつけがうまい人が、何より魅力的《みりょくてき》に見られると言った。
「ささ、キノさんもどうぞ」
長老が勧めた。
一つの皿には、丸|焦《こ》げの猿《さる》が載《の》っていた。胴体《どうたい》がぱっくり開いていて、そこに、切った香草《こうそう》がつめてある。猿の四肢《しし》が突っ張って空を向き、まるで人間の赤ん坊のようだった。
別の皿には、茹《ゆ》でた首から上だけの羊《ひつじ》が、でれんとした脳味噌《のうみそ》を曝《さら》しながら置いてあった。二度と光を通すことのない白濁《はくだく》した目が、くり取られてそえてあった。
広場の脇《わき》では、生きた鶏《とり》が数羽運ばれていた。細い二本の棒《ぼう》に首をはめられて固定され、すぐに手斧《ておの》で切り落とされた。胴体だけが羽ばたいて、しばらくあちこち走り回ってから絶命した。長老が、後で揚げて食べると言った。
さきほどの象《ぞう》の肉だという、ステーキも運ばれてきた。あまり焼かないのが美味《おい》しいのだと、皿には血溜まりができていた。
「…………」
キノは、しばらくそれらを眺めた。
「二日連続」
エルメスが言った。
部屋のベッドに、キノがシャツ姿で仰向《あおむ》けにひっくり返っていた。ふーっと息を吐《は》く。そして言った。
「ああ、美味《おい》しかった……」
「自分ばっかいい思いして」
エルメスがやや棘《とげ》のある口調で言う。
キノは寝転がったまま
「たまには、こういう国があってもいい……。それにしても、羊の脳味噌があんなに柔《やわ》らかくて美味しいとは知らなかった。やっぱり食わず嫌《ぎら》いはいけないな」
「さいで」
部屋の外では、太陽がだいぶ傾き、空の色が変わり始めていた。広場からの、テーブルとイスを片づける音が聞こえてくる。
「キノさん。起きてらっしゃいますか?」
声が聞こえて、ドアがノックされた。
「長老からの使いです。仲間に取り分を分けにいきます。見学しませんか?」
夕暮れの森の上を、二台のホヴィーが飛んでいた。
一台にはキノとエルメス、長老などが乗っていた。もう一台は、車体下に何かをぶら下げていた。それは端《はし》のロープをまとめて包まれたシートで、中には象《ぞう》や他《ほか》の動物の肉片が入っている。
だいぶ森に入って、ホヴィーは停止した。
長老がデッキに立ち、
「お受け取りください」
短い口上を述べた。手を軽く振り下ろす。
シートの片方のロープが外れて、中身が落ちた。大地に、バラバラの死肉が広がる。すぐにそこへ、動物が集まってきた。小さなものから、烏、大型の肉食動物まで。みな一心不乱に食べる。
「私達の仲間です」
長老が言った。
「私達と同じように、自然の中で、他の生き物を糧《かて》として生きるものたちです」
キノが下をのんびりと見ながら、
「これが、彼らの分ですよね」
満足げに言った。
長老も、下をのんびりと見ながら、
「ええ。こうして彼らも育ち、その彼らを別の彼らが食べ、さらに別の彼らが食べる。それぞれの数が増えすぎないように、減りすぎないようにしながら、この森にたくさんの仲間が生きています。普段は採るだけの我々も、せめて祝いの時くらいは」
「なるほど……」
キノが言って、デッキの枠《わく》にゆっくりと寄りかかった。西の空を見る。オレンジ色の塊《かたまり》が、そろそろはるか遠くの稜線《りょうせん》に触れそうだった。
彼らと別れ、長い影を作りながら、ホヴィーは帰路についた。
夜。キノは長老達に誘《さそ》われて、お茶を飲んでいた。
昨日はどうされたんですか、と長老に聞かれて、キノは海沿いの街で泊めてもらったと言った。
すると、長老以下一緒にお茶を飲んでいた人達が、
「奴《やつ》らは非道《ひど》かったでしょう!」
急に大声を出した。
長老が、悲しげな顔をした。
「奴らは、とても残酷《ざんこく》です。大海原《おおうなばら》に生きる、かわいいお魚さんや貝さんを殺します。それも生きたまま、死にゆく様《さま》を冷酷《れいこく》に眺めながら食べる。しまいには、とても頭がよくて愛らしい鯨《くじら》さんまで手にかけてしまう……」
長老は口調を荒げて、
「そのくせに奴らは、私達が森の生き物を自然から授《さず》かり、毎日の糧《かて》として食べる行為を残酷だ残忍《ざんにん》だ冷酷だなどとほざく。自分達の真の残酷さにまったく気がついていない人間に、そんなことを言われる筋合いはこれっぽっちもありません。あんなことを平気でやってしまう取らと、私達はとても相容れることなんてできません」
「そうですか。それで分かれて暮らしてる訳ですね」
キノが聞いて、長老はゆっくりと頷《うなず》いた。
そして言う。
「でも、キノさんが行って、奴らの残酷さ、醜《みにく》さ、そのありのままを見てきたのは、決して悪いことではないと思いますよ」
次の日、つまりキノが入国してから三日目の朝。
キノは夜明けと共に起きた。いつもどおりの運動、パースエイダーの訓練と整備をした。
キノは、長老宅で豪華《ごうか》な朝食をごちそうになった。さらに、獣《けもの》の肉を乾燥させた保存食をもらい、キノは丁重《ていちょう》に礼を言った。
盛大な見送りを背に、キノ達は出発した。
誰《だれ》も住んでいない、広大な国土を走る。西門に到着した時には、昼を過ぎていた。
やはり全自動の城門をくぐり、国の外に出た。
「さーて、行こうか」
エルメスが楽しそうに言ったが、キノは元気のない声で、
「いいや。その前に……」
「ん?」
「お腹がすいた」
エルメスが呆《あき》れて、ああ、とため息をついた。そして皮肉気味に、
「そりゃそうだ。あれだけ夜も朝も食べれば、胃が膨《ふく》らむからね」
「仕方がない。もらった干物《ひもの》をあぶって食べよう。出発はそれからだ」
キノはエルメスからおりた。センタースタンドで立たせる。
「まあいいや。空腹で転ばれたらかなわないし」
エルメスが言って、
「ところで、魚のミイラと、獣《けもの》のミイラ。どっちを食べるの?」
キノは、荷物の中から目指すものをまさぐりながら、
「両方」
キッパリと答えた。
第七話 「ぶどう」
―On Duty―
「なあ、君」
男が、いきなり話しかけた。
話しかけられたのは、通りのオープンカフェでお茶を飲んでいた人間で、十代の半ばほど。短い黒髪に、目の大きな、精悍《せいかん》な顔を持つ。黒いジャケットに、腰を太いベルトで締めて、右腿《みぎもも》にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)のホルスターを吊《つ》っていた。
話しかけた男は、三十歳ほど。こざっぱりとした服を着た、普通の男だった。
「ボク、ですか?」
その質問に、男が領《うなず》いた。歩道の隅に止まっている、後輪|脇《わき》に荷箱がついたモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)を指さした。
「あれは君のかい。旅人さんか?」
「ええ。昨日からこの国におじゃましています」
若い旅人はそう言って、自己|紹介《しょうかい》をする。
「ボクはキノ。あちらは相棒《あいぼう》のエルメス」
「キノさんね。で、いつまでこんなこと続けるつもりだい?」
男は立ったまま、キノと名のった旅人に、棘《とげ》のある口調で言った。
キノが普通の表情のまま、男に訊《たず》ねる。
「こんなこと、とは?」
「モトラドで旅をするってことさ。君はずいぶん若いようだけれど、学校には行かないのかい? まあ、君の生まれた国ではいいのかもしれないが、それなら、仕事はどうなんだ?」
「……全《すべ》て説明するのは、難しいですね」
キノが軽く首をすくめながら答えた。
「失礼するよ」
男は短く言って、キノの向かいに座った。
男は、キノを見て、実際ほとんど睨《にら》みつけながら、
「旅をしていて、楽しいかい?」
「ええ」
「それが、人生の無駄遣《むだづか》いであってもかい?」
「…………」
男は、出来の悪い生徒を叱《しか》るような口調で、
「君が今やっていることは、今は楽しいかもしれない。今はね。でも、将来的にはなんのためにもならない行動だ。あちこちをふらつきました、行きました見ました。ただそれだけだ。一見自由な行動かもしれない。でもそれは、本来人間がするべき義務を、放り出して遊んでいるだけだ。単なる根無し草さ」
「…………」
キノが黙ってお茶を口に運んだ。男が続ける。
「人間には、果たさなくちゃならない義務がたくさんある。一つは、仕事をすること。定職に就《つ》くことで、他人や国に奉仕《ほうし》する。つまり社会人としての義務だ。もう一つは、結婚して家庭を持つこと。配偶者を幸せにして、そして子供を生み、しっかりと育て、新しい社会に送り出す。こっちはもっと根本の、人間としての義務だ。旅なんかして、ふらふらして、今の君にこれらが果たせるとはとうてい思えない。異論はあるかい?」
「いいえ」
キノが軽く微笑《ほほえ》んで返した。
男は少し饒舌《じょうぜつ》になり、
「だからね、旅なんて人生のまるまる無駄遣《むだづか》いだ。さっきそう言ったんだよ。きついことを言っているように見えるかもしれない。でも、悪いけど今の私には、その資格がある。仕事もしているし、家庭を守ってもいるからね。だから、君にはもう少し、人生をまじめに考えてほしい。そう思って話しかけたんだよ」
「なるほど。参考にします」
「それと、もう一つ」
男が言った。
「はい」
「モトラドなんか乗るのも、止めた方がいいね」
「そうですか?」
キノが軽く聞いた。
「ああ。モトラドは危険だ。おまけに二人しか乗れない。移動手段としては非常に野蛮《やばん》で原始的なものだよ。ちゃんとした大人《おとな》には、そんな家族に心配と不便を強《し》いる自己中心的な遊びは許されないね。車を買って、大切な人達をしっかりと移動させられる手段を持つべきだ。モトラドで旅なんて、最低かつ最悪の組み合わせだ」
キノは、エルメスをちらっと見て、
「ご心配ありがとうございます。でも、ボクはそれを続けたいと思います」
それを聞いた男の顔が、少しこわばった。キノを指さしながら、先ほどより強い口調で、
「君ね、私の言っていることぜんぜん理解してないだろう。年長者の意見を何だと思ってる? 若いからっていつまでも時間の無駄遣《むだづか》いが――」
急に男はハッとして腕時計を見て、そして顔色を変えた。立ち上がると、
「いつか人生が後悔するよ!」
てにをは≠ェ狂った台詞《せりふ》を言い残し、急いで去った。
男が見えなくなった後、
「面白い人だったね。何が彼を動かしたんだろう?」
エルメスが言った。
「なんだ、起きてたんだ。さあね。旅人とモトラドに恨《うら》みでもあるのかな」
キノが言った。お茶を手に取り、別の手で地図を広げた。
「まあ、どうでもいいや。エルメス。これを飲み終わったら、南地区にある神殿に行ってみよう。ここは前に会った人から、親を質に入れてでも見ろと言われた」
「了解《りょうかい》。この国は忙しいね」
「ああ。三日で足りるかな。北にある古代巨大生物の骨ってやつも見てみたいし、近くの岩山道路も景色がステキらしい。地底魚の蒸し焼きも食べてみたいし、夕方はこの野外コンサートにも行きたい。それから――」
男が焦《あせ》って走ってついたのは、商店が建ち並ぶ通りの入り口だった。
初老の女性と、三十ほどの女性。そして小さな子供二人が立っていた。走ってきた男を見つけると、全員が睨《にら》みつけた。
「遅いわよ! 車一つ置くのに、何時間かかってるのよ!」
奥さんらしい女性が、キツイ口調で男に言う。
ごめん、ごめんな、と言って男は、何度も低頭した。
「ほんとしっかりしてよね」
奥さんが、舌打ち混じりに言った。
その時、やかましいエンジン音が大きくなり、やがて、目の前をモトラドに乗った旅人が通り過ぎた。旅人は男を見つけ、左手で挨拶《あいさつ》して去った。
「誰《だれ》よ? あれ」
奥さんが男に聞いた。
男は、さっきちょっと少し話をした旅人さ、なんでもないよ、と簡単に言ったが、奥さんは急に目を吊《つ》り上げ、
「旅人? ちょっとあなた! まさかまだ、一人で旅に出たいなんてバカなこと思っているんじゃないでしょうね?」
奥さんの詰問《きつもん》に、男はそ、そんなことないよ、と手と首を振った。
「ほんとでしょうね?」
睨《にら》まれた男が、本当だよ。君達をおいて、旅なんか出られる訳ないじゃないか。仕事もあるしね、と言うと
「ならいいけどね」
そして奥さんは振り向こうとして、それを途中で止めて、
「あっ! まさかあなた、モトラドなんて乗ってないでしょうね? あれだけ誓《ちか》ったのに、隠れて勝手に乗ったりしたら離婚よ!」
男は、だ、大丈夫《だいじょうぶ》だよ。ちゃんと売ったじゃないか。モトラドなんて危険なだけだよ。君達のこと考えたら、乗れる訳ないじゃないか、と言った。
「ふん。約束破らないでね。今死なれたらたまったもんじゃない。……それより、もっときりっと働いて、お給料上げなさいよ。これじゃ子供にいい服も買ってやれないじゃない」
奥さんが面白くなさそうに言って、初老の女性も、
「そうですよ。わたしゃ、娘を不幸にするためにあんたに嫁《とつ》がせた訳じゃないですからね。うだつが上がらないなら上がらないなりに、人の二倍三倍働いて、自分の奥さんと子供達を幸せにしないと。それが社会人としての、そして人間としての義務ってものです。分かってますね?」
男は、はあ、と短く義母に言った。
奥さんは手荷物を男に押しつけながら、
「さあ、行きましょう! さっさとこれ持って! たまの休みくらい家族サービスしなさいよ! 早く早く!」
子供を連れて、商店街に入っていく。
男がポツリと、仕事で疲れてんだけどな、とつぶやいた。
「何か言った?」
奥さんが振り向きもせずに聞いて、男は、なんにも、と即座《そくざ》に言った。
男は道に目を向ける。見えない旅人の背中を見て、聞こえないエンジン音を聞いた。
それから、慌《あわ》てて家族の後を追った。
第八話 「認めている国」
―A Vote―
潅木《かんぼく》がまばらに伸びる草原を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。
後輪|脇《わき》とその上に、旅荷物を満載《まんさい》したモトラドだった。遠慮ない爆音を響かせながら、ただ真っ直ぐ延びた一本道を行く。赤茶色をした道の土は、乾期のせいで細かくひび割れていた。
運転手は茶色のコートを着て、余った長い裾《すそ》を両腿《りょうもも》に巻きつけてとめていた。頭には、鍔《つば》と耳を覆《おお》うたれのついた帽子《ぼうし》。目にはゴーグルをしている。その下の表情は若い。十代の半ばほど。
進む先の太陽が眩《まぶ》しいのか、運転手は左手で鍔を少し深くした。
「うん。やっぱりいらないな」
運転手はいきなり言った。モトラドが聞き返す。
「何がさ? キノ」
「コート。この時期なら、走る時はいらない。少し暑いや」
キノと呼ばれた運転手は、コートの襟元《えりもと》を開けて、風が入るようにした。下には黒いジャケットを着ている。
「止まって脱《ぬ》ぐ?」
モトラドが聞いた。
「いや、いい。見えてきたし。ほら、エルメス」
キノが指さした道の先、地平線の少し手前に、寝かせた棒《ぼう》のような長方形の影が見える。国の城壁だった。
「あの国から出る時は、ジャケットだけにしよう。コートは荷台だな。そのうちどんどん暑くなるから、シャツも薄手のやつに取り替えないと」
「防寒着とかは? さすがにもういらないんじゃない?」
エルメスと呼ばれたモトラドが聞いた。キノが頷《うなず》く。
「そうだな。防寒帽も防寒手袋もいらないだろうな。この先、次の冬までずっと持ち運ぶ余裕《よゆう》はない。売るか、何かと交換するか、捨てるしかないな。結構気に入ってたんだけど」
キノが少し残念そうな口調で言った。
「まあ、しょうがないね。いらないものをすっぱり捨てられるのも、人間の才能だよ」
エルメスがなぐさめた。そして続ける。
「たまにド下手《へた》な人もいるけれどね。いらないものを捨てられなくて、部屋の半分が占領されている人とか」
「いつか会った物書きさんがそうだったな。本が捨てられなくて喘《あえ》いでた」
キノが言った。
迫る城壁はどんどん高くなり、やがて城門前に到着した。
城門で、入国審査を済ませる。
キノは、注文どおりのホテルを紹介《しょうかい》された。ついた時には、日は暮れかけていた。
シャワーと食事の後、キノはロビーにかかっている、この国の地図を見ていた。
「おうっ! 旅人さんいらっしゃい! よく来たな! ようこそ当ホテルへ!」
大きなだみ声で呼びかけられて、キノが振り向く。
五十代ほどの男性が立っていた。従業員とは思えないほど、ラフな格好をしていた。
訝《いぶか》るキノに、
「俺《おれ》はな、このホテルのオーナーだ。まあ座れよ。この国で分かんないことがあったらいろいろ教えてやるぞ」
男が、ロビー中に響くほどの大声で言う。かなり酔《よ》っているようだった。フロントで番をしている従業員が、あからさまに眉《まゆ》をひそめるのが、キノには見えた。
キノが挨拶《あいさつ》をしてソファーに座る。男が向かいに座った。
男は聞きもしないのに、自分がこのホテルを始めたこと。今は子供達に全《すべ》てを任せて、自分は悠々《ゆうゆう》生活していることなどを、一方的に大声で語った。
キノは適当に相づちを打っていたが、
「旅人さんは、お祭りにあわせて来たんだろ?」
男のその言葉に反応して、何のことか聞いた。
「なんだ、知らなかったのか。おっし! 教えてやる。まず、この国のことを少しな」
男がそう言って、簡単な説明をする。
この国は王国で、そして王は必ず医師でなくてはならないという決まりがある。
福祉がしっかりしたこの国では、医療費は一切かからず、全員が王立病院で治療を受けられる。そして、王の元で働く医者の社会的地位は高い。
「で、お祭りなんだが、正確にはお祭りがあるんじゃなくてな、投票日があって、祭りはそのおまけだ。投票祭だな」
男が言った。
「投票、ですか? 何を選ぶんですか?」
キノの質問に、男はニヤリと笑った。そして、
「いらない人≠選ぶんだ。そしてその人に死んでもらうんだ。いらないもんは、すっぱり処分するんだな」
わざと声を低くして言った。
男は、これは歴史的に重要なものなんだと言って、投票の説明を始めた。
百五十年ほどの昔。不作が続き、この国は深刻な食糧《しょくりょう》危機に陥った。飢《う》えと病気が蔓延《まんえん》した。
当時の主は、最後の手段として間引《まび》きを計画した。死ぬべき人を選ぶために、国民全員に、自分にとって必要な人≠投票してもらい、誰《だれ》からも選ばれなかった人≠国が殺すことに決めた。たとえそれが自分であってもと、王は実行した。
恐怖の投票の結果、誰からも必要とされていない人は、一人もいなかった。
『たとえどんな状態であろうとも、いらない人などいない――』
王は国民の意識にいたく感激して、自分の決断を恥じ、皆で困難を分かち合い乗り越える道を選んだ。
やがて危機は脱し、そしてこのことは、この国が今のような福祉国家になるきっかけにもなった。
以来、この歴史的に重安な意味を持つ投票を、毎年必ず行うようにした。字の書ける国民全員に、自分にとって必要だと思う人の名前を、何人でも書いてもらう。
毎年、誰からも名前を書かれない人はいない。この国では全《すべ》ての人がお互いを必要とし合って生きている。そのことを全員で祝う。
「なるほど……。では、実際に処分なんてことはないんですね」
キノが聞いた。
「おう! もちろんさ。そんな人の話聞いたこともないよ。必要とされていないから、あなたハイ死んでもらいます≠ネんて、ここはそんなイカレ国家とは違う。一応処分のための装置なんてものがあるが、使われたことは一度もない。わざと錆《さ》びつかせて王城に飾ってあるんだそうだ。どうだ、いい話だろう? 感動したか!」
男はそう言って、だみ声でとてもうるさく笑った。
「あの……」
男の横に、背広を着た三十歳ほどの男が立ち、かなり困った顔で男に言う。
「お父さん、もう少し静かに願えませんか?」
「なんだと! オマエいつからそんな偉《えら》くなった! ここは俺《おれ》が始めたホテルだぞ。分かってるのか?」
男が、すぐに怒鳴《どな》り返した。背広男がうろたえる。
「いや、ですからね――」
「おい! もういいから下がれ! 仕事しろ仕事! オマエが俺《おれ》みたいにのんびりできるのは、まだまだ先だ。俺に指図《さしず》するなんて、二十年早い。今の俺は客でもあるんだぞ! おい支配人! 分かったか! 返事はどうした?」
「……はい」
息子《むすこ》が、これ以上ないほど苦《にが》い顔をして去る。男はその背中に向けて、ふんっ! と鼻をならした。
男はキノに向き直った。相変わらずの大声で、
「まあ、祭りではみんな飲んで騒ぐからさ、旅人さんも遠慮なく参加するといい。みんなただだからよ、うまいもんたらふく食ってきなよ」
「ありがとうございます」
キノが神妙《しんみょう》に礼を言った。
その後キノは、必要ない自分の冬装備を、交換もしくは売却できるところはないか訊《たず》ねた。
男はおっ、と驚いて、
「そんなことなら俺に任せろ。明日ホテルの取引先の店に、どんなボロでも高く引き取ってもらうように頼んでやる。向こうとは長いつき合いだ。そんくらい引き受けさせてやる。祭り始まったら俺んとこ来なよ」
そして男は、また大声で笑った。キノが言う。
「それは助かります」
「いいってことよ! 人間ってのは、お互い助け合って生きてくもんだしな! 旅人さんにとっては、俺はまさに必要な人間って訳だ!」
男は周りをはばからず、がなった。
軽くロビーを見回したキノが聞く。
「ところで、ボクに投票権は?」
「残念ながら、旅人さんにはないなあ」
男が言った。
入国二日目の朝。
キノは夜明けと共に起きた。
熟睡《じゅくすい》中のエルメスの脇《わき》で、軽く運動をする。そして、キノが『カノン』と呼ぶハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)の訓練と整備をした。
キノが朝食を取っていると、数回花火が鳴った。道路では広報車が、
『みなさん本日は投票日です。忘れないで投票しましょう』
伝えて回っていた。
食事の後、キノは部屋に戻った。
鞄《かばん》を開けて、分厚《ぶあつ》い防寒用の上着とパンツ、厚めの耳たれのついた防寒帽、革製の防寒手袋を取り出した。きれいに畳《たた》むと、机の上に置いた。
それらをしばらく眺《なが》めていたキノが、ポツリと言う。
「役に立ったよ。……ありがとう」
「どういたしまして」
エルメスが言った。
「なんだ、起きてたんだ」
キノが笑顔で振り向いた。
「ううん。これも含めてたんなる寝言」
「そうか……。じゃあ、そろそろ起きてもらうか」
キノが言うと、エルメスは深刻な口調で、
「それは難しいねえ。ほら、春眠《しゅんみん》|暁《あかつき》を覚えず≠チてやつさ」
「…………」
キノが黙った。
「どうしたの? キノ」
「間違えなかったね」
「シツレイな」
キノとエルメスは、投票所へ見学に向かった。道行く人達の後を追う。
国の中央に、緑に囲まれた大きな建物があって、人々が入っていく。王が院長を務める中央病院だと、警備兵から説明を受けた。
キノとエルメスは入れないとのことで、入り口でしばらく見学する。
「今年こそ絶対、お前の名前は書かない」
「あら、私もよ」
手を取り合って冗談《じょうだん》を言い合うカップルがいた。家族で来て、投票後に芝生《しばふ》でのんびりと昼食を食べている人達もいた。
「平和だねえ」
エルメスが言った。
昼を少し過ぎた頃《ころ》。キノが食堂でお茶を飲んでいると、再び花火が鳴った。投票が終わった合図だと、誰《だれ》かが教えてくれた。結果を調べて、誰も必要とされていない人はいない≠ニ分かったら、祭りが行われる。
「夕方には分かるよ。まあ、ない年なんて絶対にないけれどね」
誰《だれ》かさんは言った。
午後遅く、適当に観光を終えて、キノ達はホテルへと戻ってきた。ホテル周りの道路や広場では、露店《ろてん》やテーブルの設置、飾りつけなど、祭りの準備がせわしなく行われていた。
太陽が城壁の下に沈む頃、三度目の花火が鳴った。そして広報車が、祭りが予定どおり行われることを告げた。
夕闇《ゆうやみ》の中、祭りが始まり、あちこちに照明がついた街はにぎやかになる。
キノはホテルのオーナーを見つけ、防寒着の売却を頼めるか聞いた。すでに相当できあがっていた男は、おう任せろと大声で言って、近くにある店にキノを連れていった。
怒鳴《どな》り込むように入っていくと、店の主人にいくらつくか聞いた。主人が値段を言う。男は、昔からのつき合いだろう、もっと上げろ、とごり押しして、かなりむちゃな要求をした。しばらくやり合った後主人は、実にいやそうな顔をして、だいぶ高値で渋々《しぶしぶ》交渉に応じた。
「じゃあな! 旅人さん、祭り楽しめよ!」
男が上機嫌《じょうきげん》で店を出ていく。店の主人は、しらけた目で見送った。
キノが店の主人に言う。
「あの方には、みなさんいろいろとあるようですね」
主人はキノを見て、
「そのへんが分かっていてあの男に頼んだあんたも、なかなか大したタマだよ。……まあ、そうでなきゃ旅なんてやってられないのかもな。まあいい。気にしないでくれ」
「それは、どうも。ところで、そこにあるシャツを四枚ください」
主人は、あいよ、と言って、手に取ったシャツを紙にくるむ。ふと手を止めた。
「……あの人もなあ、前はあんなじゃなかったんだよ。一人で始めて、ずっと立派にホテルを切り盛りしてたのにさ、奥さんを亡くして、周りの勧めで引退したら毎日酒|浸《びた》りだ。今じゃ近所だけじゃなく、家族にも従業員にも煙《けむ》たがられてるよ。まったく、ああはなりたくないね。誰かに迷惑《めいわく》をかけるだけの人生なんて」
主人がうんざりした口調で言った。
キノは小さく、なるほど、とつぶやいた。
その後キノは祭りに粉《まぎ》れ込み、配られている食事を食べられるだけ食べて、必要なものを安値で買い込んで戻ってきた。
ホテルに戻ってきた時、通りではホテルのオーナーが酔《よ》って騒いでいた。
次の日、つまりキノが入国してから三日目の朝。
キノは相変わらず、夜明けと同時に起きた。『カノン』の整備と訓練をする。
そして、キノは通りが少し騒がしいことに気づいた。玄関前に車が止まり、制服姿の警官が数人入って来るのが窓から見えた。
キノがロビーにおりる。寝間着姿のオーナーの息子《むすこ》や家族、その他《ほか》の従業員が警官に話を聞いていた。
ボーイの一人に、何があったのかとキノが訊《たず》ねる。彼は
「オーナーさんが死んだ」
渋《しぶ》い面持《おもも》ちで伝え、
「?」
キノが訳を聞いた。
オーナーは昨夜帰ってこなかったが、祭りなので誰《だれ》も気にしていなかった。しかし、明け方に裏路地で倒れているところを発見されて、先ほど運ばれた病院で死亡が確認された。心臓発作だったらしい。
「だから、深酒はやめろって言ったのに……」
オーナーの息子《むすこ》が、心底《しんそこ》|呆《あき》れた様子で、力無く言った。
その後キノは、息子や家族が警察と一緒に出ていくのを見送った。
ボーイに、葬式《そうしき》は今日あるのかと聞いた。ボーイが答える。
「いや、残念だけれど旅人さん、この国に葬式というものはないんだ。家族とのお別れが済んだら、今日の昼過ぎにでも、遺灰《いはい》が国の外にある合同墓地に入れられるよ。……人間、死んでしまったらそれまでさ」
昼頃《ひるごろ》。
キノは荷物をととのえ、エルメスに燃料を補給して出国した。ジャケット姿で、腰を太いベルトで締めている。右腿《みぎもも》には、『カノン』のホルスターを吊《つ》っていた。
コートは、丸めて荷台にくくりつけてあった。
西側の城門を出てすぐ、道の右側に公園のようなものが広がっていた。大きな木が植えられて整地され、ベンチと屋根がある休憩所《きゅうけいじょ》と、大きな石碑《せきひ》が所々に建っている。
その一角に数人が集まり、何かをしていた。彼らは解散して、キノ達の方へ来た。一人がキノを見て、やあ旅人さん、と声をかけた。死んだオーナーの息子だった。
「終わりましたよ。あそこの石碑です。もしよかったら……」
「ええ」
「私達は、もう戻ります。旅人さん、お元気で」
城門をくぐっていく一行を見送った後、キノはエルメスを押して石碑に向かった。
白衣を着た若い男が一人と、掃除をする数人の作業員が残っていた。
「先生。私達はお先に」
作業員達が白衣の男に挨拶《あいさつ》をして、道具をまとめて城門へ戻っていった。
男は、書類に何か書き込んでいた。キノに気づいて、手を動かしながら言う。
「私は、医者なんです。埋葬《まいそう》証明を書かないといけなくて」
「なるほど」
キノは石碑《せきひ》の前で帽子《ぼうし》を取り、軽く目を閉じ小さく口を動かした。医者に、埋葬された人のホテルに泊まっていたことを告げた。
「そうですか」
医者はつぶやいた。手を止めてキノを見た。
「あ、えーっと……。すると旅人さん達は、出国して、もう遠くに行くんですよね。今、少し時間ありますか? ちょっとお話がしたいんですけれど」
「ないことは、ないですけれど」
「何? 面白い話?」
エルメスが聞く、医者は、
「そうですね。面白いかどうかは分かりませんが、きっと旅|土産《みやげ》にはなると思います。この国の素晴《すば》らしいシステムについてです」
医者が細かい書類仕事を終えて、ファイルを閉じた。その後、待っていたキノとエルメスを、近くの休憩所《きゅうけいじょ》に案内する。
医者はキノにベンチを勧め、自分も座ろうとして、白衣が汚れるからと言って止めた。キノは脇《わき》に止めたエルメスに座った。
「で、話って?」
エルメスが聞いた。医者は軽く微笑《ほほえ》んで、
「実は、今朝死んで、先ほど埋葬されたあの人、私が殺したんです」
ごく普通の口調で言った。
キノが表情を変えず、訊《たず》ねる。
「どういうことですか?」
「もう、そのままの意味です。私が、あの男の人を直接殺したんです。彼が明け方中央病院に運ばれた時には、単なる急性アルコール中毒で、意識も、混濁が認められましたがありました。でも、処置後にアノニマだって判明したんです。だから薬物を点滴《てんてき》して、死んでもらったんです。結構緊張しました。なにせ私一人でやるのは初めてでしたから」
「話が見えないよ。アノニマ≠チて何?」
エルメスが聞いた。
医者は、
「あ、すいません……。えっと、アノニマっていうのは、この国の医療用語で、投票で誰《だれ》からも名前を書かれなかった人。存在継続を認められなかった人≠フことです。えっと、投票のこと、歴史背景とかご存じですか?」
キノが頷《うなず》いた。そして言う。
「初回から今まで、誰《だれ》も処分されてない、と聞きましたけれど」
医者は少しおどけて、
「それ全部|嘘《うそ》です」
「……では、本当はいたと?」
医者が頷《うなず》いた。
「ええ。大飢饉《だいききん》時の初回から、アノニマは結構いたんです。間引《まび》いてほしい子供とか、役に立たない老人とかが主に。当時の王様は、一度やると決めたら実行する信念の人だったらしいんですが、おおっぴらに処分はやはりまずいと思ったんでしょうね。恐怖統治だと思われたら、他の幸せになってもらいたい、必要とされている国民にもよくない。そこで、誰にとっても心理的に苦にならない、こっそり処分することを考えついたんです」
「具体的には、どーするの?」
エルメスが聞く。
「簡単ですよ。あっ、王が医者で、中央病院院長として全《すべ》ての医者を率いているのは知ってますか?」
医者は、少し誇《ほこ》らしげに言った。キノが頷く。
「私達医者が、処分を、病院内でいろいろな手段で完了させるんです。投票で結果が出ると、その人はリストに載《の》せられます。そして、その人が病院に来たり運ばれたりした機会に、そこで死んでもらうんです。次の投票までに」
「なるほど」「はーん」
「重傷重病で運ばれてきた人は、放っておけば死にます。そうでない人も、適当に薬物を打ったり、無駄《むだ》な点滴《てんてき》をしたりして、様態《ようたい》が急変したということで処分できます。一番やりやすくて数が多いのが交通事故ですね。大したことない怪我《けが》でも、実は頭を打っていて脳内出血があった、とかの理由が使えます。他に簡単なのがアルコール中毒ですね」
医者は続ける。
「でも、たまに本当に、油断も隙《すき》もないアノニマがいるんですよ。怪我はしない、病気にはならないって人が。そういう場合はどうしようもなくて、法律で定めた年次定期検診の際に、実際にはない病気を原因に処分されたりします」
キノが聞く。
「それを、毎年ずっと続けているんですか?」
「ええ、そうです。もう伝統みたいなものですね。年にだいたい、一ダース前後でしょうか。処分される人は」
「ばれませんか?」
「まあ、怪《あや》しまれることはありますが……。でも、本物の不慮《ふりょ》の死もよくあることですし、なんと言っても、元々は誰《だれ》からも必要とされていない人≠ナすから。死因が怪しいとうるさく突っ込まれることなんて、絶対にありません。家族がいても、一応|大仰《おおぎょう》に悲しんだりしますがいなくなってくれて内心大喜びでしょうね。次の日には、いえ、埋葬《まいそう》終わったらもうすっきりしていますよ。保険はきっちりおりますし、埋葬費用は国が持ちます。ちなみに交通事故の場合、加害者は処分協力者として、とても有利な判決が出るようになっています」
「なるほど」
医者は手持ちの書類をめくった。
「えっと、この人の場合……、ああ、やっぱり去年も一昨年も少ないですね。最近よっぽどうるさがられていたんでしょう。今期最初に処分されたのは、本当に偶然です。ちょうどよく病院に運ばれたので、当直だった私が任されたんです。簡単なケースだったから」
医者は書類を閉じた。そして大きく息を吐《は》く。
「でも、実際にやると結構緊張しましたよ。途中がばっと起きられたらどうしようなんて。無事終わって、死亡診断書も書いて、埋葬も終わって。医者としての経験をまた少し積めたかなって気分です。だから、誰かに話を聞いてほしくって」
医者は、軽く照れながら言った。
「このことを知っているのは、医者だけですか? 看護婦さんも?」
キノの質問に、医者は頷《うなず》いた。
「医師と看護婦だけです。王立大学を医学や看護で卒業して、さらに国家資格試験があるんです。合格して王に謁見《えっけん》する時に初めて、全《すべ》ての話を直々《じきじき》に聞かされるんです。あ、実際に処分を行えるのは医者だけですよ」
「初めてそれを知った時、どう思いました?」
「感動……、しましたね。それは、驚きましたし、少し騙《だま》されていたって感覚もありましたけれど、それでも王の力強い言葉に心打たれました。『諸君。無駄《むだ》なものは、いらないものだ。人にとっても国にとっても、必要あるものをきちんと保持し、必要ないものをすっぱりと処分することが必要なのだ。そして、諸君らは高い技量と志によって、これからその担《にな》い手となる』――いや……、感動しました……」
医者が、少し目を潤《うる》ませた。それからキノを見て、熱心に語りかける。
「私思うんですが、人間とは、人と人との間に生きるものでしょう? だから、そこでいらないって判断された人は、いてはいけないんです。処分されるべきなんです。これは、とても自然なことです。無駄のない国造りです。本物の福祉政策です。そしてそれができるのは、医療に携《たずさ》わる者だけです。だから私は、この仕事にとてもやり甲斐《がい》を感じているんです」
キノは黙って、医者の話を聞いていた。
「処分に失敗、なんてことはないの?」
エルメスが訊《たず》ねると、医者は、
「とんでもない!」
大声で言って、さらに熱く語り始める。
「医者や看護婦に、ミスなんて許されませんよ! 私達は、プライドにかけてそんなことはしません。もし人間に、時間や状況に追われてミスをしてしまう可能性があるのなら、それを数人の知識と経験で補完するのが、人間の知恵というものです。それすらできない人達がいたら、すぐにでも免状《めんじょう》返納してほしいですね」
医者は厳しい口調で言った。
「私は、治療も処分も、もっともっと経験を積みたいです。救うべき人を確実に救い、処分すべき人を確実に処分する=B早く一人前になりたいです」
「なるほど。うん。なかなか面白かった」
エルメスが言った。医者は、少し熱くなっていた自分に照れた。
「話を聞いてくれてありがとう。国の中だと、このことはおおっぴらに話せないから、とてもすっきりしました。旅人さんも、体の具合が悪くなったら、いつでも来てくださいね。私が責任を持ってお世話します。私達はどんな難手術でも長期入院でも、そして相手が旅人さんでも、お金なんて一切取りませんから。この国が誇《ほこ》る、最高の治療を約束しますよ」
医者は軽く手を振って、城門へと戻っていった。
キノはエルメスを押して墓地から出て、エンジンをかける。一回だけちらっと石碑《せきひ》を見て、発進させた。
「…………」
しばらくキノは、無言でエルメスを走らせた。灌木《かんぼく》が伸びる草原の一本道を行く。
やがて、エルメスが言う。
「キノ。今キノが何考えているか当ててみようか」
「ん? ああ」
キノが言って、
「当たったらすごいな」
そうつけ足した。
エルメスが、
「うーんと……、キノは、あの医者の話を聞いて、今までの自分の経験からこう考えている」
少しもったいつけてから言う。
「ああ、タダだったのか……。どうせなら大したことのないケガでもして、病院で健康診断でも受けておけばよかった。注射は嫌《きら》いだけれど=v
「…………」
キノが黙った。モトラドは、規則正しいエンジン音を響かせて、淡々《たんたん》と走る。
「エルメス……」
「ん?」
キノが渋《しぶ》い顔をして言う。
「正解。一字一句」
エルメスが、
「でしょー?」
楽しそうに言った。そしてすぐに、
「あ! そういえば」
大きな声を出す。キノが何、と聞いた。
「防寒手袋、売っちゃったんだっけ?」
「ああ」
キノが頷《うなず》いた。
「でもさ、今している手袋が痛むのがいやだから、薪拾《まきひろ》いとかの作業用に、ぼろぼろになるまでは取っておくことにしようって言ってなかった? しばらく前に」
「…………」
キノが急ブレーキをかけた。エルメスは、後輪を派手に滑《すべ》らせながら止まる。
キノが、自分がたった今走ってきた道を向いた。地平線の先に、城壁の影すら見えなかった。
「……言った」
憮然《ぶぜん》とした顔で道を眺めるキノに、エルメスが普段と変わらない口調で言う。
「キノらしからぬポカミスだね」
「…………」
キノは苦い顔をしたまま、首を軽く振った。
「どうする? 戻る?」
エルメスの質問に、
「それはできない」
キノはきっぱりと答えた。
「手袋は?」
キノは、進む方向へ視線と前輪を向けながら答える。
「いつかどこかで、代わりになるものを捜《さが》そう」
「そだね」
「行こうか」
キノはそう言うと、エルメスを発進させた。
一瞬空転した後輪が土煙を上げる。そしてモトラドは走り去った。
第九話 「たかられた話」
―Bloodsuckers―
私の名前は陸、犬だ。
白くて長い、ふさふさの毛を持っている。いつも楽しくて笑っているような顔をしているが、別にいつも楽しくて笑っている訳ではない。生まれつきだ。
シズ様が、私のご主人様だ。いつも緑のセーターを着た青年で、複雑な経緯《いきさつ》で故郷を失い、バギーで旅をしている。
そして私は、シズ様と共にある。
ある時のこと。
私達は、森に覆《おお》われた高地にある、小さな国にたどり着いた。
谷のなだらかな斜面を使い、人々が酪農《らくのう》をしていた。谷底の平らな土地に、川を挟《はさ》むように造られた街が一つある。城壁は、街を囲む高いものと、農地を囲む、石で造られた簡易《かんい》なものとがあった。
「のどかで、きれいなところだな」
運転席で、シズ様が楽しそうに言った。いつものセーター姿だ。
「小さいですね。まるで村ですが」
私が言うと、シズ様は落ち着いた口調で、
「国は、大きければいいものでもないよ。問題は、そこに住む人達が満ち足りていて、幸せに暮らしているかどうかだ」
シズ様は目を細めて続ける。
「何が幸せなのかの答えはないけれどね。何が必要で、何が必要ではないのかも」
「…………」
私が見ていることに気づいたシズ様は、ふっと笑って、
「とりあえず行ってみよう」
バギーのギアを入れた。
私達は斜面を下っていった。
農作業をしている住人達がバギーに気づいて、一瞬《いっしゅん》ぎょっとした表情を作った。シズ様はバギーをおりた。歩いて近づき、彼らに声をかけた。彼らが急いで国へ戻る。しばらく待っていると、数人の男達が来た。
シズ様は旅の者だと自己|紹介《しょうかい》して、入国と滞在の許可を求めた。男達は、シズ様に武器を持っているか聞いた。
シズ様が、運転席|脇《わき》にあった愛用の刀《かたな》を見せる。それだけですかと聞かれ、シズ様は頷《うなず》いた。彼らはシズ様に、入国しても満足のいくおもてなしなどできないが構わないかと聞いた。シズ様が再び頷いて、彼らは許可を出した。
バギーを、城門近くにある大きな倉庫へ隠してくれと言われた。理由は後で話すとも言われた。
シズ様はバギーを隠し、黒い大きな布バッグを取り出した。刀もその中に入れた。案内人の後を歩き、城門をくぐる。
街中には、二階建ての家ができる限り密集して建てられている。路地は、迷路のように入り組んでいた。
シズ様は、これらはとても古くて珍《めずら》しいと言いながら、楽しそうに眺《なが》めていた。路地が数歩ずつ複雑に折れ曲がっているところでは、
「ここは、かくれんぼにちょうどいい」
そう言って、案内人のやや呆《あき》れた視線を浴びた。
しばらく街を歩き、シズ様と私は集会場のような家に案内された。
この国のまとめ役だという、数人の男達と、お茶を配る女性達がいた。イスを勧められて座ったシズ様と、彼らが挨拶《あいさつ》を交わす。
彼らはとりあえず来客を歓迎したが、
「旅人さんですか。なんというか……、ようこそと言いたいのですが、よくない時に来てしまいましたね」
男の一人が暗い面持《おもも》ちで言った。他《ほか》の人達も、まるで葬式《そうしき》のような雰囲気《ふんいき》になった。
「何か、問題があるみたいですが……。もしよろしければ」
シズ様が言った。
彼らはお互いを少し見て、内一人が口を開いた。
「この国は、盗賊《とうぞく》にずっとたかられているんです」
彼らの話はこうだ。
大昔から、この国に外敵もなく、人々はのんびりと暮らしていた。
国は小さく、軍隊や警察はなかった。若い男達が、めったにないもめごとの平定に当たっていた。
数年前のことだ。馬に乗った男達の一団が来た。飢えていたらしいその男達は勝手に家畜を殺し、食べてしまった。
住人は当然抗議をしたが、すると向こうは開き直った。自分達は盗賊《とうぞく》をしていると言い、止めに入ったこの国の男数人を撃ち殺した。
恐怖に震える住人に、盗賊達は月に一度この国に立ち寄るから、食料を用意しておけとたかりの命令を出した。もし言うことを聞かなかったら、暴れ回って国を滅ぼしてやると脅《おど》した。
「たとえ城壁にこもっても、外に居座られたら作物は取れないし、川に毒でも入れられたら生きていけません。食料だけですむのならと、私達は協議の末、勇気を持って苦渋《くじゅう》の選択をしたんです」
男の一人が言った。
「なるほど」
シズ様が小さく言った。
それ以来、盗賊達は毎月|凡帳面《きちょうめん》にやって来て、悪《わる》びれることもなく食料を持ち去っていく。
盗賊達のせいで、それまで十分にあった食料の余裕《よゆう》がまったくなくなってしまった。もし大きな不作が来れば、住人は確実に飢えてしまう。全員が、毎日毎日余分に働かなくてはならなくなった。
「そのことがみんなに平穏をなくさせていて、最近は精神的にも辛《つら》いんです……」
男の一人は言った。
「よく分かりました。辛いお話、ありがとうございます」
そう言ったシズ様は、しばらく何かを考えていた。そして聞く。
「次に奴《やつ》らが来るのは、いつですか?」
「それがもう、明日ですよ。食料の準備はできています。いつまで続けられるのかは分かりませんが……」
「数は?」
「いつも二十人くらいです。でも、全員男で、馬に乗ってパースエイダー(注・銃器のこと)を持っていて……、人殺しをなんとも思っていない、残忍《ざんにん》な奴らですよ。旅人さんも、旅の途中で取らにかち合わないように注意した方がいいです。車を奪われて殺されてしまいますよ」
シズ様はそうですね、と小さく返した。
「もし旅人さんが、どこか近くの国に行った時、私達の受難を話してくれると助かります。でも……、こんな小国のために人を派遣《はけん》してくれる酔狂《すいきょう》な国なんてどこにもないでしょうね。そのメリットもないですし……。分かってはいるんです。自分達の問題は、自分達で解決しなくてはならないことは。でも、できないことはどうしてもできない。残念ですが、食料だけですんでいると思うしかないんでしょうね」
男の一人が、悲しそうに言った。他《ほか》の住人達も、諦《あきら》め顔で頷《うなず》いていた。
シズ様は、再び何かを考えていた。
そして、重苦しい雰囲気《ふんいき》の男達に、質問があると言った。
男達がなんですかと返す。注目されたシズ様は、
「街をもう少し見てもかまいませんか? とても興味があるので」
笑顔で聞いた。
若い男の案内を一人つけてもらい、シズ様は先ほどよりずっと楽しそうに、ずっと細かく街を見学した。路地の一本一本を見て回る。複雑な繋《つな》がりを確認したり、同じところを行ったり来たりした。
女性や子供達が、この旅人は一体何をやっているのかと、とても不思議そうに見ていた。そして私は、
「いぬー。おっきなしろいいぬー」
子供に追いかけられそうになった。
門の近くにある広場があった。そこに、住人が箱や袋をいくつも積んでいた。案内人が言う。
「あれが、明日持っていかれる食料ですよ」
「大量だな。あんなに持っていかれたら困るのは分かる気がするよ。その時、住人のみんなはどうしているんだ?」
シズ様が聞いた。
「殺されたらたまりませんから、みんな家の地下倉庫にひそんでいます。誰《だれ》も外には出ません。まだないけれど、女子供を連れていかれるようなことになってしまったら……、ああもう、そんなこと考えたくもないです」
首を振りながら答える案内人に、
「そうか」
シズ様が小さく言った。
この日の夜。
シズ様と私は、あてがわれた集会所の一室にいた。小さな部屋にベッドが一つあるだけだが、振る舞ってくれた質素《しっそ》な夕食も含めて、シズ様は丁重《ていちょう》に礼を言った。
「一宿《いっしゅく》|一飯《いっぱん》の恩義《おんぎ》、ですか?」
ランプの灯《あか》りで刀《かたな》の手入れを始めたシズ様に、私はそう聞いた。
シズ様はたっぷり時間をかけて手入れを終えると、鞘《さや》に戻した。
「そんな、たいそうなものじゃないと思っている」
シズ様が、私を見て言った。
「困っている人がいて、自分が助けることができるとする。その場合、自分がそれをするのにあまり大きな理由が必要だとは思えない。それはその人のためじゃないのかもしれないしね」
「分かりました。方法は?」
シズ様は、
「説得≠キるよ」
短く言った。
「この国の住人が、シズ様の行動をすんなり認めるとは思えません。よけいなことをして住人皆殺しはいやだと考えるのでは?」
私が聞くと
「ああ、だからこれは勝手にやる。……しかし、まだやると決めた訳ではなかった」
「?」
私の顔を見て、
「説得≠ェできない相手だったら、すぐにでも尻尾《しっぽ》を巻いて退散しよう」
シズ様は少しおどけた様子で言った。それから、
「だから、この国の住人を一概《いちがい》に責める訳にはいかないんだ。人にはできることと、できないことがある。自分に向いていること、向いていないことがある」
淡々《たんたん》と、そうつけ加えた。
私は、もう一つだけ聞くことにした。
「この国、気にいられましたか?」
シズ様は少し微笑んだ。
「まあね」
次の日。
住人は全員、朝から扉を固く閉めて家にこもっていた。天気はよく、街を歩く人は誰《だれ》もいない。
私達も地下室に隠れているように言われて、そうしていなかった。私達は部屋にいた。
シズ様は、左腰に穴のあいた防水のパーカーを着て、バギー用のゴーグルを首に下げていた。
ゴーグルには、目の位置にフィルムが張ってあり、左右にそのロールケースがついている。泥《どろ》などで汚《よご》れた時、紐《ひも》を引くと巻き上げられて、一瞬《いっしゅん》で視界を確保するためだ。
愛用の刀《かたな》を立てかけて、シズ様は窓から広場を見ていた。
食料の入った箱が積み上げられていて、山羊《やぎ》も一頭|繋《つな》いであった。そして、その先に見える城門は、略奪者《りゃくだつしゃ》達に向けて開いていた。
私はシズ様の足下で横になって、ただ待っていた。
昼頃《ひるごろ》だろうか、馬が駆《か》ける音を聞いた。こちらに向かってくる。
「来たか」
シズ様が言った。私も起きあがった。
城門をくぐり、馬に乗った男達が現れた。
若い男から、壮年《そうねん》くらいまで。薄汚《うすぎたな》いが動きやすい服装。長いライフルタイプのパースエイダーを背負っている。
彼らは無警戒《むけいかい》で次々と門をくぐり、広場で馬からおりた。さほど広くない広場が、馬と男達で埋まった。
男達は収穫に歓声を上げる。さっそく、箱を鞍《くら》にくくりつけ始めた。
「二十二だな」
シズ様が言った。
「同意します。全員男です」
「パースエイダーはほとんどがライフルか。思ったとおりだ。好都合《こうつごう》だな」
「すると?」
私は聞いた。
「ああ」
シズ様が答えた。
ゴーグルをはめて、パーカー越しに刀《かたな》をベルトに差した。
シズ様が広場に向かって歩いていくのを、私は家の影で見ていた。
パーカーに刀にゴーグル姿の、実際かなり妙《みょう》な姿のシズ様に気づいて、盗賊《とうぞく》達が一瞬《いっしゅん》変な顔をした。数人がすぐにパースエイダーを背中から下ろして、装填《そうてん》する。
「今日は」
シズ様が、ゆっくり近づきながらごく普通に話しかけた。作業をしていなかった盗賊《とうぞく》の内の一人、髭《ひげ》の中年男が、仲間に軽く手を振った。髭《ひげ》男の脇《わき》でライフルタイプのパースエイダーを構える一人を残し、彼らは積み込み作業に戻る。
「おう。兄ちゃん、この国のもんじゃないな」
髭の男が言った。シズ様はそれなりの距離を持って、彼らの前で立ち止まった。
「ええ、旅の者です。この国には昨日」
「知ってんのか知らねえが、これは俺達の正当な稼《かせ》ぎだ。じゃますんなよ。ゴーグルと刀の兄ちゃん」
「じゃまなんかしませんよ」
シズ様はすぐに言って、それからつけ足した。
「でも、これで最後にしてもらえませんか? この国の人達、困っています。それを言いたくて」
「は? ここの連中に頼まれたのか?」
髭《ひげ》の男が聞いて、
「いいえ。勝手にやっていることです」
「…………」
髭の男が、しばらく呆《あき》れた様子でシズ様を見ていた。
「兄ちゃん。長生きできねえぞ」
「そうですか?」
髭の男は渋《しぶい》い口調で、
「勝てない争いをする奴《やつ》は、バカだ。俺《おれ》の経験から言うと、殺されておしまいだな」
諭《さと》しと脅《おど》しが入っていた。
「そのとおりだと思います。ところで、先ほどの答えを?」
シズ様は言いながら、軽く手振りを加えて微妙《びみょう》に体を動かし、察せられることなく彼らに半歩近づいた。
「はあ?」
「これで最後にしてくれませんか?」
言いながらもう半歩。
「…………」
髭の男が呆れて、今度はシズ様を撃つようにと指を振った。
男がパースエイダーを狙《ねら》い直し、シズ様の心臓めがけて、至近距離から撃つ。シズ様は左手で鞘《さや》を抜いた後、右手で刀《かたな》を、左手で鞘を引く。現れた刀身が、弾を斜めにはじいた。
シズ様が二歩踏み込み、撃った男に自分の左肩をぶつけて、抜き終えていた刀を深々と心臓に突き刺した。左腕で男を払い倒しながら刀を引き抜いて、ちょうど目の前にいる髭男の首を薙《な》いだ。それがころんと落ちる前に、その後ろにいた男を袈裟《けさ》に斬《き》った。この間、四秒くらい。
ぶしゅぶしゅしゅ、と音を立てながら、シズ様の回りで面白いように血が噴《ふ》き出る。少しシズ様にかかったが、防水のパーカーが役に立っていた。三人が倒れた。
盗賊《とうぞく》の何人かはその光景を見ていたが、彼らは固まっていた。何があったのか、とりあえずすぐに理解できていなかった。
「て、て、て、て」
近くにいた一人が、何か言おうとしていた。
「てめえ!」
やっと言えたその言葉は、遺言《ゆいごん》になった。直後に腹を斬り裂《さ》かれた。
シズ様は小走りで、作業中の彼らの中に入り、進路上手近な者から斬っていった。それはとてもリズミカルだった。
一人目の右斜め前にいた二人目は、喉笛《のどぶえ》を刃先でえぐられた。三人目は胸を真一文字《まいちもんじ》に捌《さば》かれた。四人目は箱を持ち上げていて、斬《き》られた両腕と首がとれた。箱だけは真下に落ちて、男の肩に当たった。
シズ様は走りながらくるりと回転して、勢いを乗せて五人目の胴《どう》を薙《な》いだ。
上半身だけが地面に落ちた時、シズ様は広場を走り抜け、家の脇《わき》に身を隠すところだった。反応が早かった誰《だれ》かが撃ったが、すでに見えなくなっていたシズ様に当たる訳はなかった。
広場に八人分の死体、もしくはまもなく死体≠ェ転がっている。残った盗賊《とうぞく》達が、
「くそ!」「殺せ!」「追えよ!」「畜生《ちくしょう》め!」「ふざけんな!」「あのヤロウ!」「ぶち殺せ!」
思い思いに今の気持ちを叫んでいた。
私は家の裏から身を翻《ひるがえ》して、広場を迂回《うかい》して路地を走った。シズ様が行った方へ行く。すぐに、細い路地の角で待ち伏せをしているシズ様を見つけた。
私が近づこうとして、シズ様は手を軽く振って私を脇に下げた。
路地の角から長いパースエイダーのバレルがのぞいた。シズ様はそれを左手で引っ張り、つられて出てきた男の喉《のど》に刃先を突き立てた。同時に発砲されたが、弾はあさっての方向に飛んで、家の壁を穿《うが》った。
「殺《や》ったか?」
角の向こうから、盗賊の声が聞こえた。シズ様が応《こた》える。
「ああ」
シズ様は差した男をこちらへ引きずり倒し、飛び出して私の視界から消えた。
「ぶごげっ!」
「てめっぶっ!」
二つほど、誰かさんの声が聞こえた。それからシズ様は、刀《かたな》の血を振り払いながら戻ってきた。
私が近づくと
「ここで三つだから、残りは半分か?」
私は頷《うなず》いた。
シズ様は路地を足音もなく駆《か》けた。私も追う。
やや太めの路地との交差で止まる。広場の方向から、
「誰かが撃ったぞ」
「殺ったかな?」
声が聞こえた、私が鼻を低くして覗《のぞ》く。三人がこちらに、パースエイダーを中腰で構えながら来るのが見えた。
私が人数を告げる。シズ様は少し待ってタイミングを合わせた後、私の後ろ足を軽くこづいた。
私が飛び出す。
「うわっ!」
男が驚いて、パースエイダーで私を狙《ねら》う。私は反対側に飛び込んだ。
「ちくしょう、犬だ」
「びびってんじゃねえ!」
男達がさらに近づく。そしてシズ様が飛び出し、先頭にいた男をすれ違いざまに斬《き》った。反応する間もなく、彼は首から噴水《ふんすい》を上げていた。そのすぐ後ろにいた男は、シズ様の左肘《ひだりひじ》打ちを顎《あご》に食らう。シズ様がそのまま右手を前後に動かす。刀《かたな》も前後に動き、男の脇腹《わきはら》を貫く。
「やろう!」
最後尾《さいこうび》の男が、ハンド・パースエイダーをシズ様に向けた。シズ様は左手で、もうすぐ死体≠押して倒した。
男は両手を突き出して撃った。近すぎだった。シズ様は右前に一歩踏み出して、射線から簡単にずれていた。下から上へと軽く振り上げただけで、男の両手首はパースエイダーごと前へ落ちた。
「はへ?」
男が短くなった両手を見る。心臓の鼓動《こどう》にあわせて、リズミカルに血を噴《ふ》き出す不思議な手だ。シズ様はその男の胸倉《むなぐら》を左手で掴《つか》んで、私のいる角へと下がってくる。
「ひゃっ? ひゃっ? ひゃっ?」
引っ張られている男が、お手玉をするように手をばたばた振る。その時、二人の足の間から、遠くでシズ様を狙う影が見えた。
ひゅっ! ぱぼん。
弾が空気を切り裂《さ》く音に、その弾が頭を破裂させる音が続く。シズ様が掴んでいた男の頭が、半分なくなった。ちょっと引っ張っただけで身代わりになってくれたそいつを放り出して、シズ様は私がいる角に戻ってきた。直後に弾が数発、壁にはぜた。
「あと八つ」
シズ様は小走りで路地の奥へ進む。途中ゴーグルの紐《ひも》を引いて、血で汚《よご》れた視界を確保した。頬《ほお》についた脳のかけらも払った。
シズ様は、そして後についた私は、路地が数歩ずつ複雑に折れ曲がっているところに来た。シズ様はパーカーをわざとばたつかせ、あちらこちらに血痕《けっこん》を落とした。同じところを行ったり来たりした。
それから、角の家の壁を背中につけて、静かに待った。
それほど経《た》たずに、声が壁に反響しながら聞こえてきた。
「おい逃げようぜ。親分|殺《や》られちまったよ」
「このままにしてたまるか! あいつぶっ殺してやる!」
「でもよ」
「うるせえ!」
二人の男が、うるさくやってきた。
シズ様は、黙って待っていた。足音が近づく。
男達は血痕《けっこん》に引きずられ、近くにある三《み》つ又《また》を反対方向へ行った。シズ様は飛び出した。二人が来た路地をちらっと確認、そして後を追う。私も後を追う。
二つ角を曲がると追いついた。二人の背中にシズ様が加わって、まるで三人は仲間のようだった。
手前の一人に、シズ様は後ろからそっと左手を回した。口を塞《ふさ》いで、脇腹《わきばら》を刺《さ》し貫く。
静かに死んだ男を解放して、二人目もだいたい同じような目に遭《あ》わせた。
「あと六つ」
シズ様はかくれんぼにぴったりだった路地を抜け、すばやく左右を確認しながら街中を駆《か》けた。
急にシズ様が止まり、私は追突しそうになる。
誰かの、
「くそ、また行き止まりだ」
「こっちだ」
焦《あせ》っている声と、バタバタと走る音が聞こえた。
シズ様は声の方へと走る。二人の男が、広場に向けて走っていた。シズ様はわざと身を曝《さら》して、
「もう終わりですか?」
二人の背中に大声で呼びかけた。
「て、てめぇ!」
驚いて振り返った一人が発砲する。初弾はてんで外れ。二発目は狙《ねら》いが正確だったのか、シズ様はからかうように身を引いた。
私にここにいるように手振りして、シズ様が裏路地に消える。
撃った男が、パースエイダーを構えたままこっちへくるのが見えた。後ろの一人が肩を引いて、
「もう追うな!」
彼を止める。
「でもよ!」
「分かんねえのか? ここで殺《や》り合っちゃだめなんだよ。一度引くぞ!」
後ろの一人は冷静だった。細く入り組んだ路地を全《すべ》て覚え、かつ無音で殺せるシズ様に対し、長いパースエイダーを振り回す彼らはどこまでも不利だ。
そう思っているうちに、裏路地から迂回《うかい》したシズ様が飛び出して、冷静だった頭を斬《き》り落とした。
カッカしていた男も、目前の血のシャワーに驚いているうちに、心臓を一突きにされた。
「あと四つか」
「近くにはいません」
私はシズ様の後を追いながら答えた。
「逃げられるとやっかいだな」
シズ様は、男達が入ってきた門へと走った。門に一番近い家の陰から、広場を窺《うかが》う。
死体が転がり馬が立ちつくす広場に、四人はいた。内三人は、自分の馬に無理矢理食料を積んでいる。がめつく山羊《やぎ》まで引っ張ろうとしていた。
一人が怒鳴《どな》る。
「オイ! テメエら自分だけ逃げようってのか!」
近くにいた男を馬から引きずり下ろそうとして、
「うるせぇ!」
彼が抜いたリヴォルバーで撃たれた。胸に二発。
「あと三つ」
シズ様が言った。
直後に別の男が、門に向けて馬を走らせる。
自分の脇《わき》を通り過ぎることを察したシズ様は、数歩下がった。そして、家に向けて走る。
「よっ!」
壁に躯《か》け登り、一瞬《いっしゅん》だけの高さを稼《かせ》いだシズ様は、右手を真横に伸ばした。刀は馬の耳をかすめ、騎手《きしゅ》の喉《のど》に当たり、そのまま反対側に抜けた。
シズ様が着地する。首なし騎士《きし》は少しの距離を走り、やがて馬が止まると倒れ落ちた。
「あと二つ」
シズ様が言って、ゆっくりと角から出た。
その二つ≠ヘ馬に荷を積み終えて、まさに跨《またが》ろうとするところだった。首が飛んだ仲間を見て、堂々と現れたシズ様を見て、動きが止まった。
シズ様は広場へ、散歩をしているかのように歩く。私も少し離れて続いた。
「し、死ね!」
仲間を撃った男が、シズ様にパースエイダーを向けた。シズ様は見ていた。男が撃った。
まず二発が外れた。三発目を肩、四発目を脇腹の位置で、シズ様は刀身《とうしん》ではじいた。
シズ様は歩き続けた。驚愕《きょうがく》の表情で、男は引き金を引き続ける。
かちゃ、かちゃ、かちゃ。
「ひっ!」
男はシリンダーを横に出して、空薬莢《からやっきょう》を捨てた。腰のベルトから、弾をはめた装填《そうてん》具を取り出す。そして、
「ひっ!」
両手が震えて弾が入らない。手元と歯から、カチカチカチカチ音が生まれる。
シズ様の足音が近づく。
「ひっ! ひっ! ――あっ!」
必死の努力も虚《むな》しく、弾は装填具からばらけて地面に落ちた。
「うわあぁ!」
男はリヴォルバーを投げつけた。それは誰《だれ》もいない空間を飛んで――どすっ――、落ちた。男の視界にシズ様はいなかった。
男の目は、面白いくらいに見開かれていた。私と一瞬《いっしゅん》視線が合う。同時に、彼の後ろにいてやはり固まっていた男が、喉《のど》から血を噴き出しながら崩《くず》れ落ちた。
「なあ」
「ひゃあ!」
背中から、男は右肩に刀身《とうしん》を載《の》せられた。
シズ様が質問をする。
「お前達に、他《ほか》に仲間はいるか?」
男は直立不動のまま、素直に答えた。
「いいいいいいいい、いません!」
「お前達がいなくなって探しにくる組織は? 国は?」
「ないです!」
「お前達はちゃんとした戦闘訓練を受けていない。なぜ盗賊《とうぞく》なんてやっていた?」
「ららら、ら楽なんですよ。い、いやあ、前は農民だったんですけど……、まじ、めにやるって辛《つら》くって……。国、追い出されちまったし……」
「それで、小国相手にたかりか?」
「え、ええ。い、生きるって楽じゃないですよね!」
「……ああ。まったくそのとおりだ」
男は同意されたのが嬉《うれ》しいのか、首と視線をシズ様に向けて、やや引きつった笑顔で言う。
「で、でしょう?」
シズ様は、優しく微笑《ほほえ》んだ。
「それももう終わる」
言いながら、シズ様が手を動かした。
「はい?」
男の最後の言葉になった。
引きつった笑顔は、笑顔のまま転がっていった。
シズ様は主を亡くした馬たちをなだめ、まとめて繋《つな》いだ。ゴーグルを外して顔を拭《ふ》いた。パーカーも脱《ぬ》いで丸める。ゴーグルと一緒に、血に濡《ぬ》れていないところを探して置いた。
「シズ様」
私は話しかけた。
「ん?」
「お見事でした」
「よしてくれよ」
シズ様は苦笑して頭を振った。
「人殺しが何より得意だなんてことは、誉められることでも、誇《ほこ》れることでもないよ」
住人が恐る恐る家から出てきたのは、だいぶ経《た》ってからだった。
シズ様は刀《かたな》を拭《ふ》き終わり鞘《さや》に収め、広場にのんびりと座って待っていた。
路地のあちこちで、死体に驚く悲鳴が上がった。
やがて広場に、中央は死体だらけで紅《あか》く染まっているので縁《ふち》に、多くの人々が集まってきた。さすがに子供はいなかった。
人々は遠巻きに、驚きの目でシズ様を見ていた。
「……旅人さん。あなたがやったのか? 剣《けん》一本で?」
男の一人が話しかけた。シズ様は立ち上がった。
「ええ」
「ぜ、全員……?」
別の男が聞いた。
特に嬉《うれ》しそうでもなく、悲しそうでもなく。シズ様は無表情で受け答えをする。
「全員です。二十二人。彼らに仲間はいません。これからは食料を用意する必要はないでしょう。元の暮らしに戻れますよ」
それを聞いた人々の顔に、安堵《あんど》の色が走る。
しかしそれは一瞬《いっしゅん》だけだった。やがてシズ様を見る目は、昨日までとは違うものに変わっていった。男達が、小声で話すのが見えた。
シズ様が結果を悟《さと》ったのか、ほんの少しの間、軽く目を閉じた。
「やりすぎだ……」
男の一人がそう言って、口火を切った。
「そうだ。これはどう見てもやりすぎだ。非道《ひど》すぎるよ」
別の男が言う。
「だって、こんな……、殺さなくたってよかったろう! それも全員。なあみんな?」
男が声を荒げると、人々は険《けわ》しい顔をして、そうだ、と答える。全員がシズ様を、遠巻きに、そして険しく冷ややかな目で見ていた。
男が一人、数歩前へ出た。
「旅人さん。あなた、自分のしたことが分かっていますか?」
男が言う。
「人殺しですよ!」
「…………」
シズ様は黙ったまま、男の言葉を聞いていた。
「私達は、この国の人達は、どんな理由があっても、人に怪我《けが》を負わせるなんて、ましてや殺すなんてことはしません。それは悪です。やってはいけないことです。違いますかみんな?」
人々から、先ほどより大きく、肯定の声があがる。
「旅人さん。私達はあなたとは違います。人に暴力を振るったなんてことを、少しでも肯定することはできません。私達は、あなたに死体の山を築いてほしいなんて頼んだ覚えもありません」
「そうです。これは、私が勝手にやったことです」
シズ様が、自分を睨《にら》む人々を見渡しながら、厳《おごそ》かに言った。
「旅人さん。私達は、あなたのような人に、私達の国にいてほしくありません。今すぐ、この国から出ていってください。これは私達全員の考えです」
男が、住人を代表して言った。
シズ様は、小さく頷《うなず》いた。
「分かりました。――どなたか、私のバッグをお願いします。集会所にあります」
すぐにバッグが、シズ様の前へ運ばれた。
シズ様が礼を言って、バッグにパーカーとゴーグルを引っかける。腰に刀《かたな》をさしたまま、シズ様はバッグを持った。
「申し訳ありませんが、死体の片づけはお願いします。パースエイダーとか、馬とかは、まだ充分に使えます。全《すべ》て、あなた方の物です」
シズ様が言う。誰一人、言葉を返す者はいなかった。シズ様は冷たい視線に向けて、
「泊めていただいて、感謝します。それでは、失礼します」
丁重《ていちょう》に礼を言った。
「行こう、陸」
シズ様が歩き出した。開いている門へ向けて。
私はついていく。
森の中の道で、シズ様はバギーを走らせていた。いつもよりゆっくりとだった。木漏《こも》れ日《び》が、ちらちらとバギーに降りそそいでくる。
振り向いても、小さな国は木々と谷の向こうに見えない。
私は助手席から聞いた。
「残念だと、お思いですか?」
シズ様は、首を振った。ハンドルを握るその表情は、見える分には、いつもと変わらない。
「あそこは彼らの国だ。そして、彼らの選択だ。それに従うよ」
シズ様が言った。そして、
「私は、あれ以上は必要とされていなかった。そして、それでいいんだ」
そうつけ足した。
「たかられましたね」
私が聞いて、
「ああ。たくましい人達だ」
シズ様は頷《うなず》いた。
私は、もう一つだけ聞くことにした。
「あの国、お気に入りでしたか?」
シズ様は少し微笑《ほほえ》んだ。
「さあね」
第十話 「橋の国」
―Their Line―
砂浜を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。
後輪両|脇《わき》と上に、旅荷物を満載《まんさい》したモトラドだった。波打ち際《ぎわ》に近い、比較的締まった砂の上を、薄い轍《わだち》を残しながら北へと向かう。
左側には、蒼《あお》く澄んだ凪《なぎ》の海が、どこまでも広がっていた。右には、幾千万の砂丘がうねる、広大な砂漠があった。そこは、水と砂の世界だった。
モトラドの運転手は黒いジャケットを着て、腰を太いベルトで締めていた。右の腿《もも》に、ハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器《じゅうき》。この場合は拳銃《けんじゅう》)のホルスターを下げている。中には大口径のリヴォルバーが収まっていた。
運転手は鍔《つば》と耳を覆《おお》うたれのついた帽子《ぼうし》をかぶり、銀色フレームのゴーグルをしている。十代の半ばか、少し過ぎたくらいの、若い人問だった。
ふいに、運転手がモトラドのタンクを叩《たた》いて、進む先を指さした。
だいぶ遠く、蒼《あお》い海面上に、白い線が陽炎《かげろう》のように浮いているのが見えた。近づくにつれ、線には足があることが分かる。それは橋だった。
大きな橋だった。
幾本もの橋脚《きょうきゃく》が、海の中から規則的に建ち並び、アーチ状に白い石が組み上げられている。幅は大きな車が余裕《よゆう》ですれ違えるほど。水面からの高さは、人がどうにか飛び込めるくらい。
橋は砂漠から突然生まれ、真っ直ぐ西へただひたすら向かって、水平線と共に消えていた。
モトラドは、橋のたもとに到着した。運転手がおりて、見上げる。
運転手はモトラドと、その場で少し会話をする。
まさにこれが、探していた橋だった。これを渡れば、隣の大陸へと渡し賃を払わずに行ける。
運転手が嬉《うれ》しそうに言った。
一方モトラドは、それなりに不思議がった。なぜ、何もなく誰《だれ》も住んでいないところに、こんな立派な橋があるのか。そして建材となった大量の白い石は、一体どこから運ばれてきたのか。
運転手は、橋のことを教えてくれた旅人の、誰一人としてその答えを知らなかったことを告げる。それでも構わない、重要なのは橋があることだとつけ加え、モトラドはそれには同意した。
今日中に渡りきれるかとモトラドが聞いて、運転手は素直に、距離からしてまず無理だと答えた。橋の上で野宿《のじゅく》をして、次の日に渡りきる予定で行こうと言った。
運転手はモトラドを発進させて、橋を走り始めた。
橋の石畳《いしだたみ》は、小さな石が規則的に組まれ、表面はなめらかに整形されていた。モトラドはその上を快適に走り続ける。道の両脇《りょうわき》に、きれいに細工《さいく》された石の欄干《らんかん》が続いた。
走り出してすぐに、周りにはもう海しか見えなくなった。蒼《あお》く輝く水面を、白い橋がすっぱりと切り分けていく。橋の進む先は、水平線とともに大地の向こう側へと落ちて消えていた。
騒々《そうぞう》しいエンジン音を海の上へ響かせながら、モトラドは西へと行く。
やがて、静かに日が暮れていった。傾いた太陽が橋と水面を黄金色に照らす頃《ころ》、運転手はモトラドを止めた。
夜が来て、海は黒く静かだった。地にあるもの全《すべ》てを押しつぶすかのように、空に星が輝く。運転手は、眩《まぶ》しすぎると文句《もんく》を言った。
そして橋の上に毛布を敷いて、くるまって眠った。
次の日。
運転手は夜明けと共に起きた。薄い紫《むらさき》の空だった。
軽く運動をして、右腿《みぎもも》に吊《つ》っているパースエイダーの整備と訓練をした。携帯《けいたい》食料の朝食を取った。鞄《かばん》の上に縛《しば》りつけた缶《かん》から、自分へは水を、モトラドへは燃料を補給した。
太陽が昇り、雲のない空と、波のない海が蒼《あお》く染まる。運転手はモトラドを叩《たた》き起こし、西へ向けて再び走り出した。
昼頃だった。
止まって、とモトラドが突然大声で言った。
運転手は急ブレーキをかけた。海の真ん中で停止する。
何かを見つけたとモトラドが言った。運転手はモトラドをターンさせて、来た橋を、言われたとおりに少し戻った。
モトラドは運転手に、今日の前にある欄干《らんかん》を見るように言った。それは他《ほか》の欄干とまったく同じ形状をしていた。運転手は訝《いぶか》って、これがどうしたのかと訊《たず》ねる。
モトラドは、そこには何か字が彫ってあると言った。運転手はモトラドから降りて、その欄干を調べた。手袋を取って、手で表面を触《さわ》る。
字は確認できたが、風化があちこちにあって、文として読むことはできないと運転手が言う。モトラドがかわりに読むことを提案した。ここから先の欄干に、延々《えんえん》と文字が刻んであることも伝える。
運転手は少し考えた。そして、時間をあまり浪費できないから、文の内容によると答えた。興味がなかったら、すぐに出発すると。
モトラドは了解《りょうかい》して、最初の欄干《らんかん》にある文を読んだ。
『私達は、私達の義務を成し遂げなくてはならない。私達はここに橋を架《か》ける。私達がなぜ何をしたのかをこうして欄干に残す。いつかこの橋を渡る誰《だれ》かのために』
運転手は、即座にモトラドのエンジンを切った。一瞬《いっしゅん》で、辺りには音がなくなる。
運転手はモトラドを押して、次の欄干の前へ行った。そうやって、全《すべ》ての文を立て続けに読んでいくことを、モトラドに告げた。
モトラドは了解して、消えかけた文字を読んでいく――
『私達は、橋の東側の海岸に住んでいた。城壁があり、国があった。なぜ私達が、砂しかない不毛な地に住み始めたのか、長い間知らなかった。それを気にもせず、私達は魚を食べ、歌い、踊り、享楽《きょうらく》とともに生きてきた』
『国の近くには、私達がピラミッドと呼ぶ、巨大な建造物がいくつもあった。白い石をきれいに積み上げて造られたそれを、誰がいつどんな目的で建てたのかも知らなかった。しかし、これ以上便利なものはなかった。私達は石を取り出し、家を造り、道を造り、城壁を補修した』
『ある時のことだ。我々の仲間が、海の底から何かを発見して、全員で引き上げてみた。それは大きな金庫のようなものだった。私達が苦労して開けると、中にはたくさんの書類が入っていた。何か価値がある物でもと思っていた私達は、ひどく落胆《らくたん》した』
『しかしその書類によって、私達は答えを知ることになる。なぜ私達がここにいるのか? 何をすべきであったのか? 今まで何をしてきたのか? これから何をすべきなのか?』
『書類の一つは橋の計画書だった。目の前の海峡に、幾多の橋脚《きょうきゃく》を立て、石を組み、美しいアーチ橋を水平線の向こうへ、隣の大陸へと渡す。それは壮大な計画だった。そのために必要な、膨大《ぼうだい》な量の設計図もあった』
『書類のもう一つには、二つの事実が明記されていた。一つは、架橋《かきょう》材料の石材を必要充分量、予定地海岸に積み上げておくこと。もう一つは、刑務所に収監《しゅうかん》されている罪人を大量に近くに住まわせ、建設作業要員として働かせること。橋完成の際には、全員の刑期《けいき》を抹消《まっしょう》し、元の国へ戻す旨《むね》も記載《きさい》されていた』
『先ほどの四つの問いの答えはこうだ。私達は使命を帯《お》びてやって来た。橋を造り上げるべきだった。それを無視し、その事実を隠蔽《いんぺい》し、魚を食べ、歌い、踊り、享楽とともに生きてきた。そして――』
『私達のすべきことはただ一つ。計画書どおりに橋を架ける=B国民全員の意見は一致した。詳細《しょうさい》な設計図はある。必要な材料もある。昔より多くの人もいる。やらない理由も、やれない理由もなかった』
『完成後もし迎えが来たら元の国に戻るか、それともこの地に留まるかは個人の判断に任せるとして、私達は希望を胸に、しておくべきであったことを始めた。私達がここにいるべき理由を達成すべく、橋を造り始めた』
『建設は、ゆっくりと、そして着実に進んだ。設計図のとおり、橋脚《きょうきゃく》には水に浮きそして沈めることのできる石を使った。それはピラミッドの中にあった。石を指定された場所へ浮かべて運び、穴を開け沈ませながら組む。できた土台に砂を流し込むと、頑強《がんきょう》な橋脚ができあがった。一本完成するたびに私達は喜び、そこへ石を組み上げ、橋を延ばしていった』
『潜《もぐ》りが上手《じょうず》で、海中で橋脚を組む者。石を海岸からはこぶ者。力をもって石を組み上げる者。技術をもって表面を美しく平らに仕上げる者。今までより遥《はる》かに簡単に、橋の上から魚を捕る者。それを調理する者。仕事を分担し、時には交代しながら、私達の生活は続いた。毎日が充実した、素晴《すば》らしい日々だった』
モトラドがそこまで読み上げて、運転手は感心したようすで、なるほどと言った。足下の石畳《いしだたみ》を撫《な》で、手前の欄干《らんかん》を叩《たた》き、近い橋脚を見下ろした。
この先を続けて読むか、それとも謎《なぞ》は解けたからもう出発するか、モトラドが訊《たず》ねた。
運転手は、なぜ国がなくなってしまったのか。そして、橋を造った人達がどこにもいないのはなぜか。ひょっとしたら元の国に全員が引き上げることができたのか。そのことは知りたいと言った。
モトラドは了解《りょうかい》して、次を読み進む――
『橋とともに生まれた子供が、作業でその力を振るい始める頃、私達はそれに気がついた。計画書どおりに造っていたはずが、石材の残量が少ない。そしてやがて足りなくなる。理由はすぐに分かった。かつて家や城壁の修繕《しゅうぜん》に使われたからだ。私達は己の愚《おろ》かさを再び強く恥じ、橋を完成させられないのではと恐怖した』
『解決方法は、一つだけあった。私達は家を取り壊《こわ》し、その石を使えるところに使い始めた。石の加工に多くの時間を費やし、作業効率は落ちた。家を失った人は、別の誰かと暮らすことを余儀《よぎ》なくされた。しかし、橋を完成させるために惜しむべきものなどあろうか』
『これ以上は家を壊せなくなると、私達は城壁を使い始めた。無駄が出ないように、慎重《しんちょう》に石を削《けず》り使った。もともと攻めてくる敵などはいなかったが、国は砂まみれになった。我々は城壁をまず家にして、橋の上に建てた。そしてそこに住みながら、橋を延ばしていった』
『いつしか、国にあった城壁と家は全《すべ》て解体され、その地は砂漠へと戻った。私達はそんなことには構わず、ゆっくりと着実に、なすべきことをこなしていった。橋を延ばしていった。しかし、いつか石材が足りなくなるのではという不安は、常についてまわった』
『そして遂に、私達は進む先に水平線以外のものを見た。遂に視界に入ったのは、海峡対岸の砂漠だった。その時の私達の喜びを、ここに書き残すことは到底不可能だ』
『橋脚《きょうきゃく》用の石材を使い果たし、最後の橋脚が完成した。もはや私達は、計画の達成を疑っていなかった。石はぎりぎりで足りるだろう。私達は家を逐次《ちくじ》解体し、その石を使った。私達は橋の上で眠《ねむ》った。体をこわす者が増えたが、気にとめることではなかった』
『全《すべ》ての石を使いきった時、私達は橋の完成と未完成を知った』
『橋は完成した。たった一部分を除いて。それは橋のほぼ中央、最後の家があった場所だった。そこから橋を組み上げるための石を取り出して、初めて気がついたのだ。そこだけに石畳《いしだたみ》がなく、荒々しく石が露出する長い窪《くぼ》みとなっていたことに。愚かな手違いだった』
『とても橋としては使えない、長く大きな窪みだった。この窪みを埋めて、計画通りに橋を完成させるには、もっと石が必要だった。砂漠の中に、あるはずもなかった。橋の他《ほか》の部分で、石を取り外せるところなど絶対になかった』
『私達はいくつかの試みをした。砂を固めて、レンガを造ってみた。固まらなかった。大量の砂で窪みを埋《う》めて、水をかけてみた。人が乗るとずぶずぶと沈んだ。どこか遠くへ石を取りに行こうかとも考えた。無理な話だった』
『私達は、しばし途方に暮れ、己の愚かさをただひたすら悔いた。もともと材料は充分足りるはずだったのだ。それを家や城壁に使い、浪費してきたのは他でもない私達だ。私達の失態なのだ。目の前の埋まらない窪みに、私達はただただ打ちのめされた』
『あと少しだった。この窪みさえ埋めることができればいいのだ。そうすれば橋は完成するのだ。何か硬い、石畳のかわりになるような材料がほしかった。私達は悩み、考え、やがて素晴《すば》らしい解決方法を見つけた。思えば簡単なことだった。私達には、窪みを埋める材料は初めから備わっていたのだから』
『私達は私達の中から、まず力の弱い老人や女性を選び、殺した。死体から肉を削《そ》ぎ落とした。白くて硬い骨が、大量に手に入った。これこそが、窪みを埋める最後の材料だ。大きさをそろえて、隙間《すきま》ができないように並べていった』
『窪みはゆっくりと埋まっていった。私達は次に子供を全員殺し、その骨を手に入れた。子供の骨は小さく弱く、踏み固めると時に割れるため、あまりはかどらなかった。それでもその肉は、魚を捕る時にとても役だった』
『私達は最後に、順番を決めて男を殺し始めた。男の骨は大きく硬い。窪みが小さくなる度に、私達は心から喜んだ。手足の骨や肋骨《ろっこつ》を組み合わせて並べ、隙間《すきま》に砕いた頭蓋骨《ずがいこつ》などを埋め込んだ。全《すべ》ては順調に進んだ』
『そして窪みは全て埋まった。もう私以外誰もいないが、問題はない。後は一人でもできる。背骨を並べて、石畳と同じように表面を加工するだけだ。そう、橋はできるのだ。だから私はここに残す。すなわち――』
運転手が、すなわち≠フ続きはと聞いた。モトラドが、ここで文が終わっていると告げる。そして感心したようすで、最後の一人の行方《ゆくえ》は知らないけれど、つまりはここだねと言った。
運転手がなんのことか聞いて、モトラドは運転手に、足下を見るように促《うなが》した。少し先から、石畳《いしだたみ》の造りが微妙《びみょう》に異なっていた。運転手がしゃがんで、よく調べ見て、驚きと感嘆の声を上げた。
そこに組まれていたのは、人間の背骨だった。形を撃えられた背骨が、模様を描くように並べられている。少しだけ色が違う部分には、細い骨が隙間《すきま》なくはめこまれ、さらに表面がなめらかに加工されていた。
運転手が顔を上げた。骨の部分はしばらく続き、そしてその先はそれまでと同じ石に戻る。
蒼《あお》い世界の白い線の上で、運転手はしばらく考えていた。遠くを見ながら、何か考えていた。
そして、モトラドに振り向いた。今日はここで泊まると言った。
モトラドが驚いて訳を訊《たず》ねる。運転手は、いつものルールさ、と短く返した。
不思議がるモトラドを、運転手はセンタースタンドでしっかり立たせた。後輪上のキャリアから、荷物をおろした。
そうだ今日はのんびりと釣《つ》りをしよう。たまには魚を食べよう。そう言って運転手は、後輪脇《わき》の箱をひっかき回した。糸や針を取り出す。
竿《さお》なんか持ってないじゃん、とモトラドが言った。
運転手は大きな鞄《かばん》を開けた。上蓋《うわぶた》の内側に、ライフルタイプのパースエイダーが、分解して縛《しば》りつけてあった。運転手はそれを取り出すと、前後を差し込んでピンで留めた。バレル先端に、糸をつけて重りを挟《はさ》んで針をゆわく。ついでに鈴も。
モトラドが、師匠《ししょう》が見たら嘆くよ、と言った。
運転手は携帯《けいたい》食料をちぎって適当に餌《えさ》をつけて、糸を落として欄干《らんかん》の手前に座った。帽子《ぼうし》を取って、のんびりと蒼い空を眺めた。それから大きく、ゆっくりと伸びをした。
ねえ、そんなんで釣れるの? モトラドが聞いた。
さあね。運転手は答えた。
蒼い海の中に、どこまでも真っ直ぐな、一本の白い線があった。
それは、海を渡る壮大な橋だった。そして一台のモトラドが止まっている。脇では一人の人間が、ライフルで釣りをしている。
橋の石畳は、そこからしばらくの長さだけ、他《ほか》と違っていた。
微妙に色を違えて造られた模様は、上から見ると、巨大な文字として読むことができた。
そこには、文の続きが書いてあった。
『私達は、成し遂げたのだ』
第十一話「塔の国」
―Free Lance―
キノと名のる旅人がいました。キノはとっても若い人間でしたけれど、だいたい誰にも負けないパースエイダー(注・銃器のことです)の名手でした。
キノの旅の相棒は、モトラド(注・二輪車です。空を飛ばないものだけを指します)のエルメスです。後部座席は荷台になっていて、荷物をたくさん積み込んで、キノはそれは旅人なんですから、いろいろな国を見て回っています。
ある時キノとエルメスは、進む先の森の向こうにとても高い塔を見つけました。ものすごく高いので、だいぶ遠くからでも、まるで雲の下に線が垂れているように見えます。
キノ達が到着すると、そこには一つの国をぐるりと囲むおきまりの城壁があって、その中に太いレンガ造りの塔が建っていました。
入国すると、塔の周りでは、今でもたくさんの人達がせっせと働いていました。
「ようこそ旅人さん。見学はご自由にどうぞ」
国の人が言いました。キノはこんにちはと言った後、
「立派な塔ですね。もしよかったら、今までどれくらいの時間をかけたのかと、なぜ建てるのかを教えてください」
そうすなおに聞きました。
「時間は、この塔は二百三十年かかっています。なぜ建てるのかは、私達にも分かりません」
国の人は、さらりと言いました。
そしてこう続けました。
「文字が生まれるより前の大昔から、この国は塔を建ててきたからです。理由はとてもどうでもいいのです。塔を建てることが、私達の生きがいです」
次の日、キノは夜明けと共に起きました。
だいぶお日様が昇った頃、相変わらずネボスケ野郎のエルメスを叩き起こして、キノは塔の見学にまた行きました。この日は天気がとてもよかったので、ものすごく高いところにある塔の先端が、かろうじて見えました。
塔の近くでは、川が運んでくる土を乾かして、レンガを作っています。そしてそれを、塔の中にある階段で運んで、上へ上へと塔を延ばしていきます。たまに組み損なったレンガが、とんでもない早さで落っこちてきます。当たると危ないです。
キノが用心深く、そして興味深く塔を見学していた時です。建物については一言も二言もうるさいエルメスが、小声でぼそっと言いました。
「キノ、これは崩れるよ。基部のレンガの亀裂が群になってる。強風が吹いたら、明日にでも」
キノはふーんと小さく頷きました。そしてこのことを、国の誰にも言いませんでした。
その日の夜は嵐でした。
次の日、キノ達が入国してから三日目の朝です。
キノが宿でビュッフェスタイルの朝食をがんばって食べていると、外が急に騒がしくなってきました。誰かが叫んでいます。
「塔が崩れるぞー! 西側は気をつけろー!」
キノとエルメスと宿のみんなが慌てて道に出ると、塔がゆっくりと崩れていくところが見えました。弱くなっていた基部がぼろぼろに砕けて、塔は自分の重みに耐えかねて、主に西側にレンガをばらまきながら、だいぶ時間をかけて完璧に崩れました。
轟音がやんで、しばらくして埃が晴れると、塔があったところにはレンガの山ができていました。キノはエルメスとそこへ行きました。
たくさんの人達が、レンガ山の上で嬉しそうに踊って、楽しそうに大声で叫んでいます。
「崩れた! 崩れたぞ!」「二百三十年ぶりだわ!」「私達の世代に崩れたぞ! この目で見た!」「ひゃっほう! おめでとう!」
一人がキノに言いました。
「旅人さん。いよいよ崩れました。私が生きているうちに見ることができて幸せです」
「これからどうするの?」
エルメスが聞くと、すぐに答えが返ってきます。
「新しいのを建てるんですよ、もちろん! 今度は、三百年は崩れないものをめざします!」
「なるほど」
キノが言いました。
やがて国の人達は、みんな集まって話し合いをはじめました。
「やっぱり基部のレンガは大きくしないとタメなんだ。今度は上に行くにつれて微妙に小さくしていく組み方を試してみよう」
「風も重要だろう。外側のレンガをピカピカに磨いてみたらどうだろう? 塔全体にかかる力が弱くなるかもしれない」
「じゃあ計画をどうだ? 今から十年のうちに瓦礫をどかして、その間に設計だ。次の二十年で基部のレンガを作ろう。それから三十年で基部の完成をめざそう。後は着実に昇っていくだけだ」
キノは楽しそうに語り合うみんなに、
「ボク達は、そろそろ出国します。みなさんお元気で」
そう挨拶をしました。みんなは笑顔で手を振ってくれました。キノ達は宿に戻ろうとしました。
その時、一人の男の人がキノに近づいて、それはもう焦ったようすで話しかけてきました。
頼みがあるんだ! としがみつくように言いました。キノがなんでしょう? と返します。
「俺をここから連れ出してくれ!」
男はそう言いました。キノが訳を聞くと、男は言いました。
「俺はこの国にはもういたくない。いつかは倒れるだけの塔を、ひたすら建て続けるなんてばかみたいだ。もういやだ」
「…………」
「旅人さんも、この国のことをホントはおかしいと思ってるんだろう? 狂ってると思ってるんだろう? 正直に言ってくれよ!」
キノは正直に言いました。
「ボクには分かりませんよ。みんなが狂っているのか、それとも、あなただけなのか」
男は泣き出しそうな顔をして、キノに頼みました。
「お願いだから、一緒に連れてってくれよ。こんな国に一生住みたくないんだ。助けてよ」
キノが、それは無理ですよと言うと、男はそれなら力ずくでも納得させるぞ、痛い目に遭いたくなければ俺の、とそこまで言ったところで、キノがそれはきっとお互い困りますと言いながらコートの下のパースエイダーをよく見せたのでそれ以上は止めました。
男はぺたんと座り込んで、とうとう泣き出しました。
「もうこんな生活いやだよ……。この国には、自由がないんだ。塔の建築に反対すると、非国民として人柱にされてしまう。俺はこれからどうすればいいんだ……」
キノは、エルメスに人柱って何? と聞きました。エルメスが簡単明瞭に答えて、キノは、
「なるほど」
と言いました。男はまだ泣きながら、
「俺は、塔を建てるだけの人生はいやだ。もっと他のことがやりたいんだ。別のことがしたいんだ。でも自由がないんだ。この国には自由がないんだよ。自由が欲しいんだよ」
キノはエルメスをちらっと見て、それから男の耳にそっと口を近づけて言いました。
「塔を建てるのがいやなら、例えばレンガに彫刻をする名人になって、すばらしいレンガをたくさん割り出すなんていうのはどうです?」
「!」
男は急に顔を上げました。さっきまで泣いていた目を大きく開きました。
「そうか! それは楽しそうだ! そいつはいいぞ! 俺はこれからそれをやるよ! レンガに自由に模様を彫り込むんだ!」
男は立ち上がると楽しそうに飛び跳ねながら、みんなへとだっしゅで駆け寄りました。
「聞いてくれ! 俺はこれからレンガに彫刻をすることにする。一つ一つに、とってもきれいな飾りを施すんだ!」
みんなが口々に、
「うわあ。いい考えじゃないか!」
「賛成! それを階段とかに使おう! すてきになるだろう!」
「やったぞ、君! それはまかせたぞ!」
男が、照れくさそうに微笑むのが見えました。
そしてキノ達は、その場を後にしました。宿に戻って荷物をまとめると、出国しました。
キノの旅はまだまだ続きますが、この話はこれでおしまいです。
エピローグ 「紅い海の真ん中で・a」
―Blooming Prairie・a―
その国は、廃墟だった。
石の城壁は、あちこちで完全に崩れ、意味をなさずにいる。城門には、閉めるための扉が倒れていた。
無事な姿の建物は、一つもない。窓は割れ、天井は落ち、壁は欠けている。燃え落ちている家がある。他を巻き込んで、まるまる横倒しになっている塔がある。ビルは崩壊して、レンガの山が道を塞いでいる。
晴れた空の下、壊れた街は静かだった。
西門の近く。瓦礫が少なく地面が見えているところに、エルメスがセンタースタンドで立っていた。
周りには誰もいなかった。
やがてエルメスは、
「退屈」
ひとりごちた。
廃墟を歩く音が聞こえ、キノがエルメスへと戻ってきた。
キノは茶色のコートを羽織っていた。その肩や、帽子、足などは埃まみれになっていた。右手に持っていた『カノン』を、ホルスターに戻した。
「どうだった? キノ」
エルメスが聞いて、
「一人も。骨は、あちこちに。たぶんほとんどの人は下敷きになったんだと思う」
キノは埃を払いながら、淡々と言った。
「原因はなんだろうね。地震か、竜巻とか……。想像つく?」
「いいや」
キノは短く答えて、コートを羽織った。エルメスに跨る。
「もう、この国に用はない。二度と訪れることもないだろうね」
「分かった」
キノはエンジンをかけた。騒々しい爆音が、廃墟に響く。
帽子をかぶり直し、ゴーグルをはめたキノは、一度だけ振り向いて廃墟を見た。
「…………」
そしてエルメスを発進させた。
誰もいない道を走り、やがて、門が頭の上を通り過ぎた。
門の外に続く、なだらかに丘が連なる草原の一本道を、モトラドは行く。
「ねえ、キノ」
走りながら、エルメスが話しかけた。
「ん?」
「これからどうする?」
「そう、だなあ……」
キノがそう言って、少し考える。
大きな丘を走り登り、その頂上へ着いた時、
「歌おうかな」
キノが言った。目の前に、一面紅い世界が広がっていた。丘の向こう側から地平線の果てまで、隙間なく咲き乱れる花に覆われていた。
キノはその中へエルメスを突っ込ませて、花を蹴散らして進みやがて止まる。すぐにエンジンを切ると、
「うわあ!」
エルメスが叫ぶのも気にせず、横に倒した。自分もそのまま、花の中に仰向けに倒れ込む。
いくつもの、紅い花びらが散った。
エルメスが、おどけた口調で言う。
「非道いなあ。こんな非道いことをするのはいったい誰?」
「あははっ」
キノは楽しそうに笑うと、空を見ながら、大きく息を吸った。
そして歌い出した。
あとがさ[#誤植ではない]
―Preface―
みなさんこんちは。最後まで読んで頂いてありがとうございます。毎度おなじみ、作者の時雨沢《しぐさわ》|恵一《けいいち》です。
『キノの旅』もとうとう四巻まで来ました。これもひとえに読者のみなさまのおかげです。
いやもう感謝感激|雨霰《あめあられ》!
急転直下の展開で、作者にもこれからどうなるのか全く予想がつきませんね(笑)。
今回キノがラストで宇宙へと旅立ったのは、最初期に考えた構成アイデアのままです。初めてその存在が明確になった真の敵、四大|魔王《まおう》宇宙≠ニの戦いもほぼそのままです。最後のバトルで缶《かん》切りが重要な役目を果たしたのも、三章でお湯がなかなか沸《わ》かなかったのがその伏線だったことも、自分の思ったとおりに書けたと満足しています。
本当は三巻に出すつもりだったのに、キノのキャラがもっとしっかり立ってからの方がいいだろうとのことで、ここにて初登場! となりました。
エルメスが緑色の宇宙船に変形するガジェットも、二巻の終わりには出したかったんですけどねー、こんなに後ろに来ちゃいました。予定が狂ったところもあるので、これから展開どーしよー、ってな感じです(笑)。
陸《りく》が実は敵のスパイで、シズがクロロホルムをかがされてさらわれたことに驚いた方もいると思います。刀も五つに折れちゃったし、シズ様どーなっちゃうのー? って、それは作者にも分かりません(爆)。だってまだ決めてないから(再爆)。
だけど一つだけ言えるのは、キノとシズの明日を求める真の戦いは始まったばかり。まだまだこれからだってことです。
四大魔王宇宙≠フ一人を倒し、師匠《ししょう》すら手にできなかった伝説のパースエイダー、『ビッグカノン 〜魔射滅鉄〜』を手にした今、キノ達が向かうは深《しん》宇宙の外れです。
これからは、どうやって魔の空間ヴォイド≠抜けていくのかの謎《なぞ》、立ち寄る惑星でのヒューマンストーリー、そして次々に襲ってくる敵特殊部隊ザ・暗黒武官四十五色≠ニのスリリングな戦いが、ストーリーのメインになってくると思います。
そうそう、最終章で第二宇宙速度を出したときにキノが言った、『だって目薬は苦《にが》いから』は、これからの展開の大きな大きなヒントです。あーあ、書いちゃった(笑)。
余談ですが、今回師匠が再登場して、食事シーンでシズとの丁々《ちょうちょう》|発止《はっし》の掛け合いがありました。時雨沢はああいった小粋《こいき》な会話が大好きで、ホントはあれだけで、地の文なしで一つの章を構成するつもりでした。
しかし編集さんの、「長すぎるよ」の一言でやむなくカットカットカット(涙……)。いつか機会があれば、なぜシズがあそこまで炭火《すみび》焼きにこだわったのか、きちんと説明をしたいです。
さて、今後の『キノの旅』ですが、次の三巻ほどはバトルメインの、比較的ハードな展開が続くと思います。第二部は一転シックに、たどり着いた惑星でキノが悪質な株取引に巻き込まれます。有り金もエルメスも失ったキノが、いかにして挽回《ばんかい》するか。電撃文庫初の証券ドラマになると思います。二部はだいたい二十巻を予定しています。
第三部は急転直下、キノはある惑星で学校に行く羽目になります。それまでの敵がどんどんクラスメイトに! 特に重要な役が、学校を仕切る謎《なぞ》の生徒会長として再登場する驚きの――おっと言えねえ(笑)。たぶんみなさんブッ飛ぶと思いますよ(ニヤリ)。
まだまだ続く『キノの旅』。今のところ第三十四部までのプロットが終わって、のべ四百五十四巻を計画しています。長いつき合いになると思いますが、これからもバリバリ書いていきますので、応援よろしくお願いします!
二〇〇一年 夏                  時雨沢《しぐさわ》|恵一《けいいち》