KINO'S TRAVELS ―the Beautiful World―
KEIICHl SlGSAWA
ILLUSTRATION:KOUHAKU KUROBOSHI
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キノの旅
―the Beautiful World―
「はずれ」
―You Didn't Miss.―
時雨沢恵一
KEIICHl SlGSAWA
イラスト●黒星紅白
ILLUSTRATION KOUHAKU KUROBOSHI
[#改ページ]
「はずれ」
―You Didn't Miss.―
それは、ある国でのできごとでした。
キノはパースエイダー(注・銃器のこと)を構えていました。ちなみにキノは、白いシャツに黒いペスト姿でした。腰はベルトで締めていましたが、腿にも背中にもホルスターはありません。
それは長いライフルタイプのパースエイダーで、木でできたストックがついていました。右手に構えて、右頬をストックにつけて、左手は軽く添えるだけ。
右目で狙いをつけて、それでも左目は視界を狭めずバランスを崩さないように、しつかりと開いたままでした。
キノは立ったまま、狙いをつけています。右足を少しだけ引いて,背筋をほんの少しだけ曲げて、安定した体勢を作っていました。
一度息を吸いました。それから、少しだけ吐き出して、ふっと止めました。
キノの右手人差し指が、じわっと引き金を絞りました。
ぽかん!
気の抜ける音がしました。
それと同時に、小さなコルクの弾が撃ち出されて、飛んで――“三等”と書かれた木の板の左上を通り過ぎていきました。
「はい外れー。残念だね少年!」
一人のオヤジが言いました。彼はどこからどう見てもオヤジで、汗で汚れた白いTシャツを着て、頭に鉢巻きを巻いていました。
「もうちょっと右下を狙わないとダメだったね。残念!」
オヤジは、これっぽっちも残念そうでない口調で、明るく言いました。
空気ライフルの構えをといたキノが、それを目の前の机に置きながら言います。
「これ、やっぱり飛ぶ先が一定していませんよ」
キノは、やや撫然とした表情でした。オヤジはそんなキノを見て、楽しそうに言います。
「外した人はみんなそう言うんだよねー!」
その場から、少し笑いが聞こえました.キノの後ろで見ていた入達でした。
そこは、お祭りの会場でした。夏の夜の公園をライトが明るくして、虫が集まって飛び交います。歩く人が多い太い道の左右に、簡単な小屋が並んでいます。小屋の脇では、エンジン発電椴がぶうぶうと唸っています。少し離れたところから,へんてこな太鼓のリズムと、ひょろひょろとした笛の音が聞こえてきます。
キノがいる小屋には、机があって、離れたところに高さの違う棚がいくつもありました。棚の上には、小さなぬいぐるみや人形などの景品、“四等”と書かれたやや大きめの板や、“二等”と書かれた小さなマッチ箱や、“一等”と書かれた消しゴムなどが並んでいました。オヤジの座るイスの後ろに、景品がいろいろと並んでいました。小屋の上に看板があって、“射的”、そう書かれていました。
「なんならもう一度やってみなって! 今度は外さないかもよ?」
オヤジがキノに言いました。キノは撫然とした顔のまま、
「もういいです。これでは何発撃っても当たりません」
「あー、だめだめ。道具のせいにしない。おじさんちゃんと手入れしてるもの。もっとウデを鍛えてからね」
オヤジの言葉に、周りの人達が、再び楽しそうに笑っています。キノは無表情で、その場を後にします。
キノの次に空気ライフルを持った男性が、机の上に代金を置いて言いました。
「よーしパパがんばっちゃうぞ!」
「おかえりー。どうだった?」
射的小屋のすぐ近く。太い道と交わる、細い側道がありました。そこに、ちょうど街路樹の作るライトの影に、エルメスがセンタースタンドで立っていました。戻ってきたキノに言いました。
エルメスは、何も荷物を積んでいませんでした。その後輪に、頑丈そうな鎖と鍵で繋がれていました。
キノが答えます。
「全然だめだった」
「えー? キノともあろうお方が?」
とてもびっくりしているエルメスに、
「弾の飛ぶ先が分からないんだ。撃った五発、全部別のところに飛んだ」
「なーんだ」
「あれは師匠がやったら……」
「やっぱ、一つもダメ?」
「いいや。的にライフルを投げつけて全部倒していただろうね」
「あー、分かる気がする」
キノは鍵と鎖を外します。それを後輪脇の箱に入れて、エルメスを前に押してスタンドを外しました。
「さて、ホテルに戻るか」
キノはエルメスを押して、脇道から別の通りに出ます。そこにはテントが一つあって、警備の警官が数人いました。
「ご協力感謝します」
そう言って警官は、キノにホルスターごと、キノが『カノン』と呼ぶ大口径リヴォルバーと、『森の人』と呼ぶ自動式ハンド・パースエイダーを返しました。
「こちらもどうも」
キノが言って、鍵と鎖を返しました。
夜の道でした。
左側の林からば、お祭りの明かりが少し漏れてきて、真っ暗ではありません.道は舗装されていて少し下り坂で、右脇にはガードレールが。それを越えると、コンクリートで固められた斜面。そして、暗くてよく見えませんが水が流れる音がします。小川でした。
「お巡りさんの言うとおりだ。裏道はすいてる」
キノはエルメスのエンジンをかけず、ヘッドライトだけをつけます。またがったまま、坂道をするすると下っていました。
「あれは当てられないよなあ……」
やがてキノが、ぽつりとつぶやきました。そして、
「せめて『カノン」を使わせてもらえれば――」
「犯罪です。的を粉々に吹っ飛ばす気?」
エルメスが冷静な口調で言いました。
キノとエルメスは、チェーンが空転する音をたてながら、誰もいない坂道をのんびりと下ります。祭りの公園と明かりは後ろに去って、かわりに街灯が等間隔で流れてきます。坂の先には街の灯りが見えていて、夜の風が、キノの頬を撫でて、髪を揺らしていきました。
しばらくして、エルメスが言います。
「キノが遊びにお金を使うなんて珍しいね。何がほしかったのさ? まさか、お入形じゃないよね」
「ん? ああ――、“三等”の籠の中にあったやつなんだけどね」
「何?」
エルメスが聞いて、キノがぽつりと答えます。
「ブックカバー」
「はい?」
「たぶん、ブックカバーだったと思う。緑色で、文庫本の大きさのカバーだ。押しだした模様がついていて、紐の栞もついていた」
「でもキノ,本なんか持ってないじゃん」
エルメスが言いました。キノが一度、小さく頷いて、
「そうなんだけどね。なぜか.とても気に入ったんだ。それに、少し改造したら、『森の人』の予備弾倉を二つ、ポケットに隠して入れておくのにちょうどいいなとも思って」
「そんな使い方をする人ば、世界中でキノだけだろうねえ」
エルメスが、感心しているのか呆れているのか分からない口調で言いました。
キノは少し楽しそうに徹笑んで、
「明日、出発する前に探してみようかな。本屋さんなら、置いてあるかな?」
「どうだろう? 人気があるから売り切れていたりして」
「もしあったら、この国のみやげに買っていこう」
「“キノ。一発も当てられませんでした”記念?」
「まあ、それでもいいや」
夏の夜の坂道を、エンジンをかけずに、キノとエルメスが下っていきました。
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キノの旅
公式設定資料
―みたいなもの―
時雨沢恵一
KEIICHl SlGSAWA
イラスト●黒星紅白
ILLUSTRATION KOUHAKU KUROBOSHI
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キノ
なんと言っても主人公。
以上。
だけだと短いので.名前のことなどを。
「大人の国」から始まったこの話で応募原稿を書こうとした際に.肝心の名前がなかなか決まりませんでした。名前が決まらないと、文章が書けません。
そんなとき、既に大まかなプロットやキャラ設定ができていた別の話の主人公(男性)の名前が雰囲気にぴったりだと思い、緊急避難的に借用という形になりました。さて、いつ返せることやら……。
エルメス
キノの旅の相棒にして、ボケ役(?)のモトラド。
モデルになったのは.1930年代頃のイギリス製オートバイ、「ブラフシューペリアSS100(Brough Superior SS100)」です。“オートバイのロールスロイス”と呼ばれた高級車でした。アラビアのロレンスが愛用して乗り継いだことで有名でもあります。ちなみに彼は、乗車中の事故で亡くなりました。
キノの旅の原型を思いついたとき、ちょうど私(時雨沢)はこのバイクのことを知り、キノの相捧にどうだろうと思っていました。それから何年も経って、実際書く段階になって、とある別のバイクとどちらにしようかとても悩みましたが、初志貫徹でこうなりました。
ちなみにこのバイクには、いろいろタイプがあります。その中で、たまたま手元にあったバイクの本に大きく見開きで乗っていた一台を、メインのモデルとしました。
名前は、ギリシャ神話における商業・旅人・窃盗の神様から。ヘルメスにしなかったのは、エルメスが本文中で言っていたとおり。
ところで、エルメスはどうして喋るんですか? と聞かれることがあります。
ここに答えを書きます――「お喋りな性格だから」
カノン
キノが右腰に吊っている、ハンド・バースエイダーです。かつての師匠の愛用品でもありました。
モデルになったのは、俗に「51ネービー」と呼ばれる、コルト社製、M1851ネービー・リヴォルバーです。
51ネービーは36口径(弾丸の直径が1インチ=2.54センチの100分の36と言うことです。本当は数字の前に点をつけて“.36”と書くのが正しいのですが、ここでば本文中に倣います)ですが、『カノン』は44口径にしました。理由はニつあります。
一つは、口径が大きいと威力と迫力が出ること。師匠好みですね。ちなみに口径の大きい拳銃をカノン=大砲と呼ぶことがあります。
もう一つは、アメリカ時代に友人が持っていた51ネービー(むろん本物ですが.昔のコルト社製ではなく、スペインかどこかで作られたレプリカでした。値段は1万円以下……)が44口径で作られていたからです。不可能じゃないのなら採用、ということにしました。
実際には51ネービーが『カノン』そのものではなく、あくまでモデルです.劇中登場の液体火薬や『カノン』の性能は、基本的にフィクションです。
『カノン』の名前は、既出の“大砲(cannon)”と私が好きなクラシック音楽『バッヘルベルのカノン』(canon)からつけました。ちなみに『バッヘルベルのカノン』は、キノが「大人の国」で歌った歌のモデルでもあります。
森の人
キノが背中につけている、かつては“師匠の相棒”の愛銃だった自動式です。
モデルになったのは、コルト・ウッズマンマッチターゲット。22ロ径ロングライフル(LR)という小さな弾を使う、標的射撃用の拳銃です。
辞書を引くとウッズマンとは「森の生活に慣れた人」、「木材伐採人」などとあります。『森の人』はほとんど直訳です。なお、オランウータン(マレー語で“森の人”)とはかなり全然関係ないです。
フルート
キノの3丁目の銃。普段は鞄に分解してしまってあって、たまに“ライフルタイプのパースエイダー”と呼ばれて話に登場します。
名前の由来は、楽器のフルートからです。
シズ
応募原稿の「コロシアム」の話を書いている途中で、ふと思いおこして加えたキャラクターです。結果的にこの話は膨らみ、さらに別の話で登場させることができて満足しています。
シズが着ている緑のセーターは、.『ウーリー・プーリー』と呼ばれる、イギリス製のセーターです。緑色のタートルネックを着て、ジーンズをはけば、シズコスプレの出来上がり。簡単です。
名前は、キノに対比させて二文字でいこうと思いついて、“静”も考えたのですがやめました。
シズのバギー
シズと陸が旅に使うバギー 喋りません
アメリ力陸軍使っている偵察用バギー、ファスト・アタック・ヴィークルがモデルです。
会社は“Chenowth”で.チェノースと普段呼ばれます。「コロシアム」でエルメスが『シエノウスのバギーだよ』と言っているのは、わざと少し変えました。
シズの相棒というか.部下というか、僕(しもべ)というか。
陸のモデルは、そのまんま私の知り合いが飼っている犬です。ロシア原産のサモエド犬で、大きくて白くてもこもこです。名前もそのままですので、命名者にそれなりの敬意を表し、“陸”だけは漢字になっています。
もちろんそちらの陸は喋りません。
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キノの旅
the Beaudful World
著/時雨沢恵一
発行      2002年10月25日
発行所     株式会社メディアワークス
〒101-8305 東京都千代田区神田駿河台1−8 東京YWCA会館
電話03-5281-5213(編集)
印刷所     旭印刷株式会社
アートディレクション……鎌部善彦
[NOT FOR SALE]
◎KElICHI SIGSAWA/Media Works 2002
Printed in Japan.
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