Special Booklet II
キノの旅
―the Beautiful World―
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時雨沢恵一
KEIICHl SlGSAWA
イラスト:黒星紅白
ILLUSTRATION:KOUHAKU KUROBOSHI
[#改ページ]
「流行の国」―Natural Selection―
〈作者からのお知らせ〉
文中の( )には、十方のお好きな言葉をお入れくださり作者からのお知らせでした。
どこまでも貰い空の下、荒野の一本道を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。道の脇には、まばらに生えるサボテンしか見えない。
モトラドはX型二気筒空冷エンジンを持ち、排気は左右の二本出し。前後スポークホイールにドラムブレーキ、ヘッドライトの後ろには小振りのシールドがつく。幅広の燃料タンクの後ろには、一人乗り用のサドルシート。後部座席はなく、パイプキャリアになっている。後輪両脇には黒い箱が、キャリアの上にも大きな革製の旅行鞄が置かれ、寝袋やコートも縛りつけられていた。
「ねえキノ」
モトラドが、その運転手に話しかけた。
運転手は、若い人間だった。十代の中頃。短い黒髪に、鍔と耳を覆うたれのついた帽子をかぶり、目にはゴーグルをしている。服装は、
「黒いそっけないジャケットにパンツ。足下はブーツ。シャツは普通の白い長袖。腰に太いベルトして、それにパースエイダー(注・銃器のこと)のホルスターとかポーチとか色々。あと手袋。寒い時だけは茶色のコート」
モトラドが言った。そのとおりの風体の、キノと呼ばれた運転手は少し驚いた様子で、
「いきなりなんだい? エルメス」
運転しながら一瞬だけ下を見て、モトラドにそう聞いた。エルメスと呼ばれたモトラドが、すぐに返す。
「飽きない?」
「飽きる? 何を? ――ああ、服?」
「そう、服装。出発した時からいつもずっと同じ。( )じゃん」
「…………。えっと、……“着たきり雀”?」
「そうそれ!」
そう言ってエルメスは少し黙った。そして聞く。
「どう?」
「そうだなあ、飽きたことはないな。これは機能的だし、旅をしている限り、変えることはないだろうね。それに、ボクにとっては大切な贈り物で、思い出も詰まってる」
「まあねー」
エルメスが答えた。しばらく淡々と道を走り、ふとキノが言う。
「ちょっと話は飛ぶけど、前に色々教えてもらっている最中に師匠が言った。“私は黒い服がとても好きですよ”って」
「へえ。なんで? シックに見えるから?」
エルメスがかなり興味を持って訊ねて、
「いや。――“夜間潜入に適しているから”だって」
答えを聞いて黙った。
荒野の中に、小さく丸い国があった。
遠くに見えてから、かなりの距離をさらに走り、キノとエルメスは城門に到着する。煉瓦造りの城壁は、どこにも何一つ装飾がない、そっけないものだった。
キノは出てきた茶色の軍服姿の番兵に三日間の滞在許可を求めて、それはすぐにおりた。案内されて城門をくぐり授けて、国内の景色を眺める。
夕暮れ少し前の太陽に照らされて、国内には緑があった。国中央に建物が整然と建ち、その円周上にきれいに区画された農地が広がる。計画都市の見本のような、絵で描いたような国内の景色だった。
「きれいな国ですね」
「うん。よくできてる」
キノとエルメスが感想を言って、見送り役の若い番兵は少し複雑な表情を作る。
「私にはあまり……。この国の人間には、これが当たり前でしたから」
「なるほど」
中心部に宿泊施設があって、旅人は例外なく歓迎されると教わり、キノとエルメスは畑の間の道を走り始めた。どこまでも其っ直ぐで太い道があって、左右には扇形の農地が。作物の違いで色が違う様がよく分かる。茶色の農作業用つなぎを着た人達が、トラクターの影で荷物の片づけをしていた。キノに手を振って、キノが振り返した。
農地の内側には、まずまったく同じ集合住宅が並んでいた。長方形の建物は城壁と同心円を描いて並び、走っても景色が変わらない。建物に番号がなければ、簡単に迷子になれそうだった。
中心部は中心部で、やはり同じ建物が同じように建てられている。ほとんど人通りもなく、小さな車は路肩に並んで止まっていた。さらに進むと、本当の円の中心は、丸い公園だった。
国の造りはどこまでも徹底していて、よくいえば幾何学的に美しく、悪くいえば画一的で無表情だった。
「何はともあれ、ここまでできるのはすごいよ」
エルメスが言った。そして統ける。
「人もね」
「人?」
キノが、公園とビルの問でエルメスを止めた。ビルから出てきた数人の男女に目をやる。彼らは、全員まったく同じ服を着ていた。薄緑色のシャツとパンツ。きりのいい時間だったのか、多くの人がピルから現れ、車に乗って居住地へと走っていく。
「みんな同じ格好」
「ほんとだ。制服かな?」
キノはエルメスを走らせ、教わったとおりの場所の、公園に面した建物へと入った。
質素だが清潔感のあるホテルのロビーで、従業員が笑顔で出迎える。彼もまた、先はどの人達と同じ服装をしていた。
「制服、とはちょっと意味が違うんですが……。まあそうも言えるかもしれません」
部屋に案内された後、キノが従業員に服装のことを訊ねて、彼はそう答えた。ホテルの中で働いている人も、皆同じ服装だった。
「この国では皆同じ服を着ています1“外”に働きに出る、つまり農業に従事する人の服、“内側”で働く、公務員や私達のような仕事の服」
「なるほど」
「ちなみに家で着る服もまた、決められています。寝る時に着る服もです」
「いつもですか?」
「いつもです。季節によって生地と袖の長さが変わりますが」
「はあ……」
キノがやや驚いた様子で言って、エルメスは、
「キノに人のことは言えない」
小さくつぶやいた。従業員が続ける。
「我々は普段は同じ服装ですが、祭日だけは、自分の好きな服を着ることができます。中央の公園や大通りで、露店や出し物が出て、多くの人が、自分の好きないろいろな服装で集まって楽しく過ごします」
「いいですね。それは今度いつですか?」
キノが聞くと、従業員は楽しそうに笑って、
「それは明日です。旅人さん連は運がいい。農繁期は五十日に一日くらいしかないのに、まさに明日とは。ホテルの食堂は休みますが、露店では無料で食事が振る舞われます。楽しんでいってください」
「はい、ボクは死ぬほど食べます。覚悟しろよ」
エルメスが言った。キノがタンクを叩いた。
翌日、キノは夜明けと共に起きた。天気はいい。
キノはベッドから起きて、無意識にパジャマの肩で頬を擦って、
「…………」
一瞬ほわっとした表情を作る。数度くり返した。
キノは名残惜しそうにしながら、いつもの自分の服装に着替える。腰のベルトにホルスターを吊るし、『カノン』と呼ぶハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)の抜き撃ち練習と、その後整備を行った。
シャワーをあびて窓から外を見ると、ちょうど朝日が昇っていた。緑が広がる公園内で、多くの人が祭りの準備をしていた。今のところ、皆昨日と同じ農作業用の服を着ている。
キノが部屋で、広げた荷物の整理やチェックをしていたとき、突然音楽が聞こえ始めた。外のスピーカーで大音量で流されている、勇ましいのか単に派手なのか判断に苦しむ音楽だった。散々音をまき散らしてから、
『本日は待ちに待ったお祭りです! 皆様におかれましては! ご自由な服装で普段の――』
気合いの入った声が流れる。
「う、うるさい。――こんな早くから」
エルメスが、ぼやきながら起きた。振り向いて、キノがつぶやく。
「いいなこれ」
「何がさ?」
「エルメスを叩かなくてすむ」
「じゃあ行こうか」
「了解。みんなどんな服を着ているんだろうね」
キノはエルメスを押して、フロントに『祭日です』と書かれた札を残して誰もいなくなったホテルのロビーを進む。
ドアを開けて、外に出て、店や人でにぎわう公園にすぐに入って、
「…………」「あれ?」
キノとエルメスはそこで止まった。キノが、見間違いではないのかと辺りを見回す。
「何これ?」
エルメスが聞いて、
「さあ……」
キノが答えた。
キノ達の前には、公園の芝と通路と露店と、そして楽しそうにそこに集まるこの国の国民がいた。老若男女、いろいろな人がいた。そして、全員同じ服を着ていた。
その服は、昨日の“制服”とは違っていた。彼らは、
「緑色のセーター……、今はそれほど寒くはないから生地は薄めだけど。肘と肩のところに、あて布が貼ってあって、首はタートルネック。下は、藍色のパンツ」
エルメスが言った。全員その服装で、さらに、
「何あれ? キノ」
「……さあ? マスコット……、かな?」
全員が左右どちらかの足に、白い生き物のぬいぐるみをバンドでとめていた。腿まで届きそうな大きなぬいぐるみで、動物は、おそらく犬。片足だけにつけているので歩きにくそうだが、気にしているような人はいない。さらに、
「で、あれも何? アクセサリー?」
「……さあ?」
全員が左腰、ベルトの位置に長い棒を差していた。黒く塗られた木の棒だった。後ろに突き出て邪魔そうだったが、気にしているような人はやはりいない。
その場で悩んでいたキノとエルメスの前へ、一人の男がその姿で現れ、
「やあ、旅人さんですね! お祭りの時に来られるとは運がいい。楽しんでいってくださいね」
そう言ってから、キノをじろじろと、まるで観察するように眺めてから去っていった。彼以外にも、国民はキノをじっくりと眺め、妙に納得した様子で領いたり、隣の人と話をしたりする。
「なんだろね?」
「さあ……。それにあの格好、どこかで見たような気がするんだけど……。まあいいや、食べよう」
「やっぱそれか。――そしてキノは、祭りを存分に楽しみましたとさ」
エルメスが言ったとおり、食べる物を食べて、見学できるところを見学して、キノは夕方にホテルに戻ってきた。全員同じだったあの服装のことは誰にも聞かなかったし、誰からも言ってこなかった。ただ、どこへ行っても、誰からもじろじろと見られた。
かなりじろじろと見られた。
三日目の朝。
キノはいつもどおり朝を過ごし、名残惜しそうにシャワーをあびて、ホテルを後にする。使ったパジャマを記念に持って行っていいと言われたが、
「とても残念ですが……、旅には向きません。余計な荷物は一つも持てませんので」
キノは断って、エルメスから、
「冷静な判断だね」
とても誉められた。
西側にある城門では、やや歳がいった番兵が、一人で仕事をしていた。
キノはそこで、出国のための手続きをする。台帳の『出国します』に丸を書いて終わりだった。
「はい、御滞在どうも。よかったらまた立ち寄ってください」
番兵が言った。そして少し笑って、
「その時は、別の格好でいらっしゃるとなおさらいい」
「あ……! あの格好……」
キノが何かに気づき、そして納得した様子で領く。
「あの格好、前に来た旅人のものなんですね?」
キノが番兵に聞いて、彼は楽しそうに頷いた。エルメスが、
「あー、そういうことか。どこかで見たことあると思った。・.・・特にあの変な白い生き物」
「でも……、どうしてですか?」
キノが訊ねると、番兵は、私が言ったって内緒ですよ、と前置きして、
「ファッションなんです」
そう答えた。
「はい?」
「ファッションです。流行。――えっと、この国では生活服が細かく決められているってことはご存じですか? 制服ではなく」
キノが頷いた。祭りの時だけは自由に何を着てもいいことも聞いた旨を伝える。
「そうなんです。そこで、国民は自由に自分で選んで何を着るかなんですが……」
「ふむふむ」
エルメスが相づちを打って、
「選べないんですよ」
「はい?」
今度は聞いた。番兵は笑いながら、
「いやあ、選べないんです、みんな。生まれてからずっと決められた服があって、何も悩まずにそれを着ていればよかったんですから。祭日には服装が自由だって、では何を着ればいいのか、何を着れば目立つのか。いいえ、その前に、何を着れば恥ずかしくないのか? ですね。――かといって、普段の格好では祭りの気分に水をささないかと気にしてしまう。しかし新しい服装を考え出すような考えもありません。みんなとても悩みます」
「それで、“入国した旅人の服装をまるっきり真似てしまう”、ですか?」
「そうです。祭り以前に入国した旅人さんの服装。それならば前例がありますから恥ずかしくもありませんし、それどころか格好よく見えます。だから皆、服屋に一斉に注文します」
「なるほどね」
そして番兵は、目の前のキノをじろじろと眺め、
「ですから、次回の祭りでは……」
「みんな黒いジャケット〜」
エルメスが言った。
荒野の一本道を、モトラドが走っていく。
「自然なこと、ねえ……」
キノがつぶやいた。番兵はその後、『でも、自分達にないものに憧れてそれを手に入れようとするのは、とても自然なことですよ』――そう言った。エルメスが、もし別の旅人が来たらどうなるのと聞いて、番兵は、流行は新しいほうがとにかく優先される、と答えた。
「ま、ボクはこの服でいいかな」
キノは自分の体をざっと見てそう言って、
「そうだね」
同意したエルメスのアクセルを開けた。
ほとんど全裸だった。
身につけているものといえば、簡単に頭に巻いたバンダナと、ごく少ない装飾品、そして背負った護身用のライフルだけ。
男が子供から大人まで十人。女も同じように。二十人ほどの一団の、全員が軒並み全裸だ
った。
「“自然なこと”、ですか?」
キノが訊ねて、一団の代表らしい筋骨隆々で全裸な男が、
「はい!そうです!」
一歩前へ進み出る。体の一部が揺れた。
「私達は、生まれたままの姿こそ人間の最も自然な姿であると確信しています。その真理を皆に指し示し新たな道を拓くため! こうして旅を続けています」
「なるほど……」
「寒くないの?」
キノの脇に止まっているエルメスが聞いて、男の脇にいた全裸な女性が、
「全然。子どものころからですから」
爽やかな笑顔で答えた。
その後ろにいた十代後半の全裸な子供達数人が、声を揃える。
「そうです! 私達こそ、最も自然に近いのです! キノさんもどうですか? 真理に触れてみませんか?」
「あの、ボクは止めておきます。――ところで、皆さんはこれからどちらに?」
全裸な男が答える。
「はい。私達は東に向かいます。途中国があれば、全てに立ち寄って真理を説くつもりです」
「そうですか……」
キノは、全裸な一団が、馬車に揺られて去っていく様を見送った。
「キぺあの人達があの国に行ったら」
エルメスが言う、
「着てもらえなくなるよ。――悔しくない?」
キノはエルメスにまたがり、
「そんなことは、かなりどうでもいい」
エンジンをかけた。
[#改ページ]
「あとがきなシズと陸」―Preface―
〈作者からのとても重大な注意事項〉
このあとがきはもれなく豪快にフィクションです。このあとがきのシズや陸は、実在のシズや陸とは全然まったくこれっぽっちも関係ナッシング。これを読まれることによって貴方のシズイメージが崩落したり、陸への想いが霧散したりしても、原作者である時雨沢は謝罪や賠償に応じられませんので、この一人と一匹が大好きで大好きでもう辛抱たまらない人は、この先お読みにならない方がいいと思った。
「シズ様」
「なんだい。陸」
「あとがきです」
「そうか。…………」
「…………。シズ様」
「なんだい」
「このページには地の文がありませんので、何か言わないと、行が進みません」
「そうだな……。とはいえ……、この私がはたして何を言えばいいのか。読者諸氏も、私の言葉などより、主役であるキノさんの鮮やかなパースエイダーさばきや、エルメス君のナイスなボケに注目しているのだろう」
「そんなに悲観的にならないでください、シズ様。シズ様は、女子を中心に読者人気も決して悪くはありません。そして男子読者にとっても、“ヘタレ”、“なまくら男”、“キノをつけ回すロリコンストーカー″などとしての地位を確固たるものにしているではありませんか」
「……刀のサビになりたいワンちゃんはどこかな?」
「申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」
「…………。まあ、せっかくではあるから、作者にかわって謝辞や未来の抱負でも述べるか。本来あとがきとはそういうものだ。しかし既刊文庫のあとがきは、のべつ幕なしに狂っているからな」
「同意します。作者は×××××です」
「そうだな。――ところで、ゲームを予約してくれた人が、現時点で約一万人ほどいるらしい」
「素敵な人達ですね」
「ああ。そしてそれ故に、予約特典としてこれを読んでいるわけだ」
「そうですね。その人達へのメッセージですね」
「ああ。じゃあ、陸。よろしくな」
「――って、言い出しっぺがやれよ! なあっ!」
「……何か聞こえたかな? ふいに元気よく刀を振りたくなった。上腕二頭筋準備レディ」
「この季節に吹く風の音でしょう。いやマジで。――それでは借越ながらわたくLが」
「たのむ。正直私は、いろいろともう疲れた」
「へタレ」
「ふぬわあぁ!」
「ひゃっー」
「――ちっ! 踏み込みが浅かったか……」
「元気が出られたようで何よりです。……うひょー、アブネー」
「まあいりそろそろ言うべきことを言え。ページがなくなるぞ」
「分かりました。――“ありがとう。これからもがんばります”」
「……終わりか?」
「終わりです」
「……淡泊だな」
「さっぱりしてます」
「……まあいいか」
「いいです」
「で……、オチは?」
「ないです」
二〇〇三年 七月 シズと陸
[#改ページ]
Special Booklet II
キノの旅
the Beaudful World
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著 時雨沢恵一
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発行 2003年7月25日
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発行所 株式会社メディアワークス
〒101-8305 東京都千代田区神田駿河台1-8
東京YWCA会館
電話03-5281−5213(編集)
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印刷所 図書印刷株式会社
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アートディレクション 鎌部善彦
NOT FOR SALE
EKElICHI SIGSAWA/Media Works 2003
Printed in Japan.
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