TITLE : 水滸伝(二)
講談社電子文庫
水滸伝(二)
駒田信二 訳
目 次
第十六回
楊志《ようし》 金銀坦《きんぎんたん》を押送《おうそう》し
呉用《ごよう》 生辰綱《せいしんこう》を智取す
第十七回
花和尚《かおしよう》 単《ひとり》にて二竜山《にりゆうざん》を打ち
青面獣《せいめんじゆう》 双《ふたり》して宝珠寺《ほうしゆじ》を奪う
第十八回
美髯公《びぜんこう》 智もて挿翅虎《そうしこ》を穏《なだ》め
宋公明《そうこうめい》 私《ひそ》かに晁天王《ちようてんおう》を放《はな》つ
第十九回
林冲《りんちゆう》 水寨《すいさい》に大いに火《か》を併《う》ち
晁蓋《ちようがい》 梁山《りようざん》に小《すこ》しく泊《はく》を奪う
第二十回
梁山泊《りようざんぱく》に 義士晁蓋《ちようがい》を尊《そん》とし
〓城県《うんじようけん》に 月夜劉唐《りゆうとう》を走らす
第二十一回
虔婆《けんば》 酔って唐牛児《とうぎゆうじ》を打ち
宋江《そうこう》 怒って閻婆惜《えんばしやく》を殺す
第二十二回
閻婆《えんば》 大いに〓城県《うんじようけん》を鬧《さわ》がし
朱仝《しゆどう》 義もて宋江明《そうこうめい》を釈《ゆる》す
第二十三回
横海郡《おうかいぐん》に 柴進《さいしん》賓を留め
景陽岡《けいようこう》に 武松《ぶしよう》虎を打つ
第二十四回
王婆《おうば》 賄《まいない》を貪って風情を説き
〓哥《うんか》 不《おお》いに忿《いか》って茶肆を鬧《さわ》がす
第二十五回
王婆《おうば》 計もて西門慶《せいもんけい》を啜《そその》かし
淫婦 薬もて武大郎《ぶたいろう》を鴆《ころ》す
第二十六回
骨殖《こつしよく》を偸《ぬす》みて 何九叔《かきゆうしゆく》喪を送り
人頭を供《そな》えて 武二郎《ぶじろう》祭を設く
第二十七回
母夜叉《ぼやしや》 孟州道《もうしゆうどう》に人肉を売り
武都頭《ぶととう》 十字坡《じゆうじは》に張青《ちようせい》に遇う
第二十八回
武松《ぶしよう》 威もて安平寨《あんぺいさい》を鎮《しず》め
施恩《しおん》 義もて快活林《かいかつりん》を奪う
第二十九回
施恩《しおん》 重ねて孟州道《もうしゆうどう》に霸たり
武松《ぶしよう》 酔って蒋門神《しようもんしん》を打つ
第三十回
施恩《しおん》 三たび死囚牢に入り
武松《ぶしよう》 大いに飛雲浦《ひうんぽ》を鬧《さわ》がす
水滸伝(二)
第十六回
楊志《ようし》 金銀坦《きんぎんたん》を押送《おうそう》し
呉用《ごよう》 生辰綱《せいしんこう》を智取す
さてそのとき、公孫勝《こうそんしよう》が小部屋のなかで晁蓋《ちようがい》にむかって、北京の生辰綱《せいしんこう》(誕生日祝いの荷)は不義の財ゆえかまわずふんだくってしまおうと話しているところへ、外から飛びこんできたひとりの男がむんずとばかり公孫勝をつかまえて、
「不敵千万なやつめ、この場の密議は残らず聞いたぞ」
と、どなりつけたその人は、じつは智多星の呉用だったのである。
晁蓋は笑いながら、
「先生、ご冗談をなさいますな。さあおひきあわせしましょう」
ふたりは礼をかわしあってから、呉用がいった。
「世間のうわさに入雲竜の公孫勝、一清というお名前はかねて聞きおよんでおりました。思わぬところでお目にかかります」
晁蓋が、
「この方が智多星の呉学究先生です」
とひきあわすと、公孫勝は、
「加亮先生でいらっしゃいますか。お名前は世間のうわさで、しばしばうかがっておりましたが、このお屋敷でお目にかかれましたのはまったく奇縁。それというのも晁蓋どのが財をうとんじ義をまもるお方ゆえ、天下の豪傑がこぞってその門に投ずるためでしょう」
「まだ何人か仲間の者が奥にいますからおひきあわせします。ごいっしょに奥の間の方へ移っていただきましょう」
と晁蓋はいった。三人は奥へ通り、劉唐および阮《げん》三兄弟に会った。これぞまさしく、
金帛多く蔵する禍《わざわい》基《もとい》あり
英雄聚《あつま》り会する本《もと》期なし
一時の豪侠は黄屋《こうおく》(皇居)を欺き
七宿の光茫は紫微《しび》(天宮)を動かす
みなは晁蓋にいった。
「今日こうして一堂に会し得たのは、決して偶然ではありません。保正どの、どうか上座へおつきください」
「わしはとるにたらぬ貧乏あるじ。上座など大それたこと」
「しかし、保正どのはいちばんのお年上、わたしのいうとおり、どうぞそちらへ」
と呉用がすすめた。晁蓋はやむなく第一の席につき、呉用が第二、公孫勝が第三、劉唐が第四、阮小二が第五、阮小五が第六、阮小七が第七の席についた。今しがた誓いの杯をしたばかりであったが、ふたたび杯をととのえ、酒肴をそなえて、一同は杯を挙げた。そのとき呉用がいった。
「保正どのは、夢に北斗七星がこの家の棟に落ちるのをごらんになったとのことだが、今日こうして七人集まって義挙をはかることは、夢にあらわれた天象と見事に合致します。もはやかの莫大な財宝はわれらが手に落ちたも同然というもの。ところで、先日劉さんに、連中の通る道すじの探索をおねがいしましたが、今日はもうおそいから明朝にでもさっそく出かけてもらいましょうか」
すると公孫勝が、
「その件ならばわざわざご足労にはおよびません。わたしがその道すじはもう聞きこんでおります。黄泥岡《こうでいこう》の街道を通るのです」
「黄泥岡といえば、その東十里ばかりのところに安楽《あんらく》村という村があって、そこに白日鼠《はくじつそ》の白勝《はくしよう》という無頼《ぶらい》な男がおります。前にわたしのところに身をよせていたことがあって、路用の面倒などみてやったことがあるが」
晁蓋がそういうと、呉用が、
「北斗七星のはしの白い光というのは、その男にあたるのかも知れません。その男に手をかしてもらいましょう」
「ここから黄泥岡まではかなりあるが、どこか身をかくすところを見つけておかないと」
と劉唐がいった。すると呉用は、
「その白勝という男の家こそ恰好なかくれ場所です。ほかにも白勝にはやってもらわねばならぬことがある」
晁蓋がいった。
「ところで呉先生、わたしたちは頭で取るか、腕で取るか、どっちでいきます」
呉用は笑いながら、
「わたしにちゃんとはかりごとができております。あとは先方の出方次第で、力ずくでくるなら力ずくでいこうし、知恵でくるならこちらも知恵でやりましょう。ところでそのわたしの計略というのは、かくかくしかじかにすることなのですが、みなさんのお気にいるかどうか」
晁蓋はそれを聞いて大いによろこび、足をばたばたさせながらいった。
「なるほど、それは妙計。さすがは智多星といわれるだけあって、まったく諸葛亮《しよかつりよう》(孔明)もたじたじ。じつに妙計です」
「もうそれぐらいでおやめなさい。諺にも、壁に耳あり障子に目ありとか。わたしたちだけの話ですよ」
そのとき晁蓋がいった。
「それでは阮さんたち三人は、ひとまず帰っていただいて、定めの時がきたらわたしの屋敷へお集まりください。呉用先生はもとどおり塾の方へ。公孫先生と劉唐どのはわたしのところに逗留していただきましょう」
その日はそのまま夜まで飲みつづけ、やがてそれぞれ客間へ行って休んだ。翌日は五更(四時)のころに起きて朝食をすませたのち、晁蓋は花銀三十両をとり出して阮の三兄弟に贈った。
「ほんのしるしばかりです、どうかお納めください」
三人はどうしても受けとろうとしなかったが、呉用が、
「友人のせっかくの好意、無にしない方がよろしかろう」
といったので、三人はようやく受けとった。一同は屋敷の外まで送って出たが、そのとき、呉用は彼ら三人の耳に口をよせて、
「かくかくしかじかであるから、定めの刻限にはぬかりのないように」
阮の三兄弟は別れを告げて石碣村へと帰って行った。
晁蓋は公孫勝と劉唐を屋敷にとめ、呉学究は足しげくおとずれて協議をした。
まさに、
其の有《ゆう》に非ざるを取るは官も皆盗《とう》
彼の盈余《えいよ》を損ずるは盗も是れ公
計就《な》る只須《すべから》く安穏に待つべし
彼の宝担《ほうたん》の去《ゆ》きて匆々《そうそう》たるを笑う
くどい話はぬきにして、さて一方、北京大名府《たいめいふ》の梁中書は、十万貫の誕生日祝いの贈り物を買いととのえ、あとは出立の日を選び、宰領して行く者を決めて、立たせるだけになっていた。
ある日、梁中書が離れの部屋にいると、夫人の蔡氏がやってきて、
「あなた、生辰綱はいつお出しになりますの」
とたずねた。
「品物はみんなととのった。ここ二三日のうちに立たせるつもりだ。しかしまだひとつ、どうしたものかと迷っていることがある」
「どういうことですの、それは」
「去年も十万貫の金銀財宝を買って東京《とうけい》へ送ったが、宰領者の人選をあやまったために、途中で賊に取られてしまって、いまだにその賊もつかまらずにいるしまつ。今年も、うまくやりとげてくれそうなしっかりした者が配下に見あたらないので、迷ってきめかねているのだ」
すると蔡夫人は階段の方を指さして、
「あなたはいつも、あの男はたいへん腕がたつといっておられます。あの男に領状(注一)を出させて、使いにおやりになればよろしいでしょう」
梁中書が階段の下のその男を見ると、それは青面獣の楊志であった。梁中書は大いによろこび、よびあげて彼にこういった。
「わしはおまえのことをつい忘れておった。おまえがもし生辰綱を無事に送りとどけてくれたなら、かならずひきたててやるぞ」
楊志は手を拱《こまぬ》いてすすみ出て、
「閣下の御意とあれば、よろこんでおひきうけいたします。ところで、どのような準備で、いつ出発するのでございましょうか」
「大名府に十輛の太平車(荷車)をさし出させ、当方からは十名の護衛兵を選んで車の護送につける。車には一台ごとに慶賀太師生辰綱と記した黄旗を一本たて、また別に軍卒を車ごとにつきそわせる。そして三日以内に出発してもらいたいのだ」
「おひきうけいたしたいのはやまやまでございますが、それではとてもまいれません。どうかほかに勇敢な智略のある人に申しつけてくださいますよう」
「わしはおまえをひきたててやろうと思っているのだ。おとどけする生辰綱の文書のなかに別に封書を添えて、おまえのことを太師どのにねんごろにたのみ、帰りには勅命を拝領してもどれるようにしてやろうと思っているのだぞ。それをなぜ辞退する」
「申しあげます。去年は賊に強奪されて、いまだに賊はつかまりませんとか。今年は、道中の賊もさらにはびこっており、それに東京への道中は、陸路だけで水路はございません。通りますのは、紫金《しきん》山・二竜《にりゆう》山・桃花《とうか》山・傘蓋《さんがい》山・黄泥岡《こうでいこう》・白沙塢《はくさう》・野雲渡《やうんと》・赤松林《せきしようりん》と、いずれも賊の横行するところです。身になにも持たぬ旅人さえひとりで通ることのかなわぬ難所でございます。まして金銀珠玉とわかれば、賊はどうして奪わずに見すごしましょう。むざむざ命を落とすのが関の山でございます。こういうわけで行けないと申したのでございます」
「それなら、もっと兵士をさし添えて警護をかためようではないか」
「閣下、たとえ五百の兵を出されても、なんの役にもたちません。賊がきたと聞けば、彼らはさきを争って逃げ散ってしまいます」
「それでは、生辰綱は送りようがないとでもいうのか」
「もしわたくしの献策をお用いになれば、たしかに送りとどけられましょう」
「おまえにすべて任《まか》せる。おまえのいうとおりにしよう」
「わたくしの考えでは、車はいっさいつかわず、品物を十数個のかつぎ荷にして、旅あきんどの荷のようによそおい、腕のつよい護衛兵十名をえらんで人足のなりをさせ、それにかつがせるのでございます。そしてわたくしと、もうひとりの者とが、旅あきんどに身をやつし、ひそかに道を急いで東京へ送りとどけるというふうにしますならば、うまくいくかと存じます」
「いかにももっともだ。わしからは書面で、くれぐれもよしなにその方のことをたのんでおくから、勅命をいただいて帰ってくるように」
「おひきたてのほど、ありがとうございます」
梁中書はその日すぐ楊志に荷づくりをさせ、また兵士をえらんだ。
翌日、楊志がよばれて出頭すると、梁中書が出てきてたずねた。
「楊志、いつ出発いたす」
「申しあげます。明朝に予定しております」
と楊志は答え、領状をさし出した。
「夫人も贈り物を一荷、太師府の大奥の方へとどけるそうだからついでに宰領して行ってくれ。もっとも、おまえは奥むきの勝手は知るまいから、〓公《だいこう》(乳母《めのと》の夫)の謝都管《しやとかん》(都管は府の奥むきの執事)と虞候《ぐこう》(用人)ふたりを同行させよう」
「閣下、それではわたくしはまいれません」
「荷の用意もすっかりできたのに、なぜ行けぬなどという」
「その十荷の礼物は、すべてわたくしがこの一身にあずかりますもの、いっしょに行く人々もわたくしの思いのままにできます。早立ちといえば早立ちに、おそくといえばおそく、とまれといえばとまり、休めといえば休み、すべてはわたくしの命ずるままになります。それを今、都管どのと虞候どのに加わられましては、あの方たちは奥方さまのお側付《そばつき》、しかも太師府からおいでになっている〓公さまとあっては、もしも道中でわたくしと意見のあわぬことがおきても、わたくしにはどうすることもできませず、ひいては大事をあやまるようなことにならぬともかぎりません。そのときには申し開きのいたしようもありません」
「そんなことならなんでもない、三人にはわしからとくと申しつけておく」
「そのようにおとりはからいねがえますならば、よろこんで領状をお納めいたします。もしあやまちのあったときは甘んじて重罪に伏します」
梁中書はよろこんで、
「目をかけてやった甲斐があったというものだ。なかなかの人物だ」
と、さっそく、謝都管と虞候ふたりをよび出し、
「楊志提轄が、領状をさし出して金銀財宝十一荷の生辰綱を宰領し、都まで行って太師府へ送りとどけることになったが、これはすべて彼がその一身に任を負うているのであるから、おまえたち三人は、彼と同行するについて、早立ちもおそ立ちも、宿泊も休憩もすべて彼のいうままにして、決して逆らってはならぬ。夫人からいいつかっていることは自分たちで処理をするように。くれぐれも気をつけて、早く行って早く帰り、お役目を無事にはたせ」
老都管はうやうやしく承った。
楊志はその日荷物を受けとった。そして、翌日、五更(朝四時)に起きて荷物をみな屋敷の表の間《ま》の前にならべた。老都管とふたりの虞候も、小さな財宝の荷を持ち出し、荷物は計十一荷、選ばれた十一人の屈強な護衛兵は、全部かつぎ人足の身なりである。楊志は、日除け笠をかぶり、青い紗《しや》のうわぎを着、脚絆を巻き、麻の鞋《くつ》をはき、腰には腰刀をさし、手には朴刀をひっさげた。老都管も旅あきんどの身なりをし、ふたりの虞候はそのお供に変装して、それぞれ朴刀を持ち、籐《とう》の鞭を何本かたずさえた。
梁中書は文書と書状を手わたした。
一行はじゅうぶん腹ごしらえをしてから、表の間で梁中書に出発の挨拶をした。兵士たちは荷をかついで出発、楊志と謝都管およびふたりの虞候がそれを宰領し、一行は計十五人、梁中書の屋敷をあとに北京の城門を出、街道を東京へとむかった。
時はあたかも五月中旬、からりと晴れた日和とはいえ、旅にはつらい酷暑である。そのむかし呉七郡王《ごしちぐんおう》につぎのような八句の詩がある。
玉屏《ぎよくへい》の四下朱欄遶《しゆらんめぐ》り
簇々《そうそう》たる遊魚萍藻《ひようそう》に戯《たわむ》る
箪《むしろ》は舗《し》く八尺の白き鰕鬚《かしゆ》
頭は枕す一枚の紅《あか》き瑪瑙《めのう》
六竜熱を懼《おそ》れて敢て行かず
海水煎沸す蓬莱島《ほうらいとう》
公子猶《なお》嫌う扇力の微なるを
行人正に在り紅塵の道
この八句の詩のうたっているのは、炎天酷暑のみぎり、やんごとなき公子たちが、涼亭とか水閣といったところで、瓜や李を冷水に浮かべ、雪のように真っ白な蓮根の澱粉を調理して暑さしのぎをしながらも、なおかつ暑い暑いとこぼすその一方、旅あきんどたちは、ほんのわずかの利益を追い求めて、別に鎖や枷でひきたてられて行くわけでもないのに、暑熱も真っ盛りの三伏《さんぷく》(注二)の時候にひたすら道を行く、という意味のものである。
ところで楊志らの一行は、六月十五日の誕生日に間にあわせるべく、ひたすら道を急いだ。北京を立ってからの五六日は、毎日朝は五更(朝四時)に起きて、朝のすずしいうちに歩き、昼の日盛りは避けて休む、という旅をつづけたが、五六日すぎると、村里もしだいに稀になり、旅する人も滅多に見かけず、宿場をつなぐ道中は山路ばかり。そこで楊志は辰牌《しんはい》(朝の八時)にたって申時《しんじ》(夕方の四時)に休むことにした。十一人の護衛兵は、軽目の荷物はひとつもなく、みなずっしりと重いものばかり、暑くてやりきれないので、木立を見かけるとすぐかけこんで休もうとする。楊志は追って行ってせき立て、それでも動かないと、どなりつけたり、あるいは手荒く籐の鞭でひっぱたいたりして、しゃにむに歩かせるのだった。ふたりの虞候はちょっとした荷を負っているだけだったが、それでも喘《あえ》ぎ喘《あえ》ぎしてなかなか道がはかどらない。楊志は怒っていう。
「あんたたちはまったくわきまえのない人だ。責任はもちろんわたしにあるが、あんたたちだって連中をせき立ててくれなきゃならん立場なのに、あとの方からのろのろとくっついてくる。この道中は物見遊山とはわけがちがいますぞ」
「わたしたちだって、なにもわざとのろのろ歩いてるんじゃないよ。暑くて足が動かんからおくれるのだ。はじめは朝の涼しいうちに歩いたのに、こんどは、暑さの盛りをよって歩かせなさる。はじめのような具合にはいかんよ」
「なにをつべこべいいなさる。はじめに通ってきたところは安全なところだったが、このあたりは物騒なところで、昼日中《ひるひなか》でないと通れないのだ。朝早くや夕方に通るような者がどこにいる」
ふたりは口に出していいかえしこそしなかったが、肚《はら》のなかではぷりぷりしていた。
「こいつめ、人に悪態などつける分際《ぶんざい》かってんだ」
楊志が朴刀をひっさげ籐の鞭を握って荷物かつぎの連中のあとを追いかけて行くと、ふたりの虞候は、柳の木蔭に腰をおろして老都管のやってくるのを待ちうけ、
「あの楊のやつ、威張りちらすにもほどがあります。たかが提轄じゃありませんか。それなのに大きな面をして」
「閣下から、逆らってはならぬとじきじきのおおせをうけているので、わたしも我慢してはいるものの、この二三日はたしかに目にあまる。まあしかし辛抱《しんぼう》しなさい」
「閣下は、ただああいってあの場をつくろわれただけのことですよ、都管さま、もっとおさえをきかしてくださらないと」
「まあまあ、我慢しておきなさい」
その日は申牌ごろまで歩き、宿をさがして休んだ。十人の護衛兵は汗まみれになり、みなふうふう喘《あえ》ぎながら老都管に訴える。
「わたしたちは運がわるく、どうせ兵隊になった身であれば、お役目に出されることぐらいは覚悟していますが、こんな火のような炎天に重い荷物をかつがされ、それもこの二三日は朝のすずしいうちはわざと避けての道中で、なにかといえば籐の鞭が飛んできます。わたしたちだって人の子、なんでこんなにつらい目にあわなければならないのでしょう」
「まあそうこぼすな。東京へ着いたらわしが褒美をやるからな」
「都管さまのようにいってくだされば、わたしたちだって怨みはしないのですけど」
一夜明けてその翌日、一同は朝まだ暗いころに起きて、涼しいうちに出かけようとした。楊志は跳《は》ね起きてどなりつけた。
「どこへ行くんだ。もっと寝てからにするんだ」
すると兵士たちはいった。
「朝のうちに行かないで、昼日中の暑い時分に、歩けぬといってわしらを打つじゃないか」
「おまえたちになにがわかる」
と楊志はひどく怒り、籐の鞭をつかんで今にも打ちすえようとした。兵士たちは腹の立つのをおさえ、声を呑んで、しぶしぶ寝床に帰った。そして辰牌ごろになってから、ようやくゆるゆると飯支度をし、食いおわって出発となったが、ずっと追いたてられどおしで、日蔭があっても休ませてもらえない。十一人の護衛兵たちはぶつぶつと怨みかこち、ふたりの虞候も老都管のところへ行ってくどくどと不平を鳴らした。老都管は聞くだけで取りあわなかったが、心のなかでは楊志を怨んでいた。
くどい話はぬきにして、こうして旅をつづけること十四五日。一行十四人、ひとりとして楊志を怨まぬ者はなかった。
その日、宿で辰牌ごろにゆっくりと飯ごしらえをし、朝飯をすませて出発したが、時あたかも六月四日、昼にはまだ間があるというのに、空にはまっかな日がかがやいて一片の雲もなく、暑さのきびしい日であった。古人の八句の詩にいう。
祝融《しゆくゆう》(夏の神)は南より来って火竜《かりよう》に鞭うち
火旗《かき》は〓々《えんえん》と天を焼いて紅なり
日輪《にちりん》は午《ご》に当たって凝《こ》りて去らず
万国《ばんこく》は紅炉の中に在るが如し
五岳《ごがく》は翠《みどり》乾いて雲彩《うんさい》滅び
陽侯《ようこう》(水の神)は海底に海の竭《つ》くるを愁う
何《いつ》か当《まさ》に一夕金風の起こって
我がために天下の熱を掃除《そうじよ》せん
その日の旅は、山の狭間《はざま》のまがりくねった小径《こみち》ばかりで、ふり仰ぐ山嶺は南にまわり北に移る難行の道。楊志は十一人の兵を監督して行くことおよそ二十里あまり。兵士たちが柳の木蔭で一息ついて涼を取ろうとすると、楊志は籐の鞭を打ち振りながらどなりたてる。
「さあ急げ。早めに休ませてやるから」
兵士たちが空を仰げば、見わたすかぎり一点の雲もない。なんともたえられぬ暑さである。
熱気は人を蒸し、囂塵《ごうじん》は面《おもて》を撲《う》つ。万里の乾坤《けんこん》は甑《こしき》の如く、一輪の火傘《かさん》は天に当たる。四野雲なく、風は寂々《せきせき》として、樹焚《や》け、渓〓《たにさ》く。千山は灼〓《しやくえん》として剥々《ひつはくはく》と石裂《さ》け灰飛ぶ。空中の鳥雀は命将《まさ》に休《きゆう》せんとして、倒《さか》しまに樹林深き処に入《てんにゆう》し、水底の魚竜は鱗角脱《りんかくは》げて、直ちに泥土の窖中《こうちゆう》に鑽入《さんにゆう》す。直《ただ》に石虎をして喘ぎて休むこと無からしむのみならず、便《すなわ》ち是れ鉄人も須《すべから》く汗《あせ》落とすべし。
そのとき楊志は、一行をせきたてながら人影もない山路をたどって行ったが、やがて日が南中して正午ともなると、石は焼けきり、脚が痛んで歩けない。
「暑い。焼き殺されそうだ」
と兵士たちは喘《あえ》いだ。楊志は、
「さあ急げ。あの岡を越えたらなんとかしてやる」
すすんで行くうちに、その岡はしだいに近くなってきた。一同がその岡をふり仰げば、
頂上には万株の緑樹、根頭(ふもと)には一派の黄砂。嵯峨《さが》として渾《あたか》も老竜の形に似、嶮峻《けんしゆん》として但《ただ》風雨の響を聞く。山辺の茅草は、乱糸々《らんしし》として遍地に刀鎗を〓《あつ》め、満地の石頭は、可々《しんかか》として両行に虎豹を睡らす。道《い》うを休《やめ》よ西川《せいせん》の蜀道《しよくどう》は険なりと、須《すべか》らく知るべし此れぞ是れ太行《たいこう》山と。
そのとき、一行十二人は岡の上にかけあがって、荷をおろした。十一人(注三)の者は、みな松の木の下に寝ころんだ。楊志はいった。
「くそっ、ここをどこだと思ってやがるんだ。こんなところで涼むなんて。さあ起きて、早く行くんだ」
すると兵士たちは、
「八つ裂きにされたって、もう動けません」
楊志は鞭を振ってびしびしひっぱたいてまわったが、こちらを起こせばあちらが寝ころびあちらを起こせばこちらが寝ころがるという具合で、楊志もどうすることもできない。そのとき老都管とふたりの虞候は、喘《あえ》ぎ喘ぎやっとのぼってきて、松の木の蔭に休んだが、楊志が兵士らを打っているのを見て、
「提轄どの、ほんとに暑くって歩かれないのだ。彼らがわるいのじゃないよ」
と老都管がいった。
「都管どの、あなたはご存じないかもしれんが、ここは黄泥岡《こうでいこう》といって強盗の出るところです。静かなご時世にだって真っ昼間から出てきて追い剥ぎをやるというのに、疲れているからといって、こんなところで休んだらたいへんですよ」
「あんたのその科白《せりふ》は、もう耳にたこができるほど聞いたよ。いつもおどしてばかりいなさる」
ふたりの虞候がそういうと、老都管も、
「まあみんなに一息つかせてやろうじゃありませんか。日盛りがすぎてから立つことにしたらどうです」
「あなたまでそんなわからないことを。そんなことはできません。ここを下って行っても七八里のあいだは村ひとつないのですよ。いったいここをどこだと思って悠々と涼んでいなさるのだ」
「わしはちょっと一休みしてから出かけることにするよ。あんたはまあ連中を追いたてて先に行けばよかろう」
楊志は鞭を握ってどなった。
「歩かぬやつは誰でも、二十ぺん打つぞ」
兵士たちは、いっせいにぶつぶついい出したが、なかのひとりが楯ついていった。
「提轄どの、わしらは百斤を越える荷をかついでるんです。手ぶらで歩いてなさるあんたとはわけがちがいます。もっと人間なみにあつかってもらいたいものですな。たとえ留守司《りゆうしゆし》どのがご自身で宰領なさったって、わしらの言いぶんもすこしは聞いてくださるだろうに、あんたときたら、まるで情けも容赦もありゃしない、ただもうがむしゃらに追いたてせきたてるばかりだ」
楊志はどなりつけた。
「この畜生め、おれをやりこめようというのか。よし、ぶちのめしてやるぞ」
籐の鞭をふりあげて、真向から打とうとすると、老都管が声をかけた。
「楊提轄、まあ待って、わしのいうことを聞け。わしは東京の太師府で〓公とよばれていたとき、府の軍人に何千何万と会ったが、みんなわしにはかしこまって挨拶をしたぞ。別にいばるわけではないが、あんたはもともと死罪の軍人、それを梁中書さまが目をかけて提轄におとりたてになったものの、それとて芥子粒《けしつぶ》ほどの役柄ではないか。そんなにふんぞりかえってよいものだろうか。わしが梁中書さまのお屋敷の都管であることは別にして、よしんば一介の田舎親爺だとしても、年寄りのすすめを聞くのはあたりまえ、それなのに、ただむやみやたらに兵士たちを打ちまくるのは、いったいどういう料簡なのだ」
「都管どの、あなたは町のお方で、太師どののお屋敷で育ったお人。旅の難儀や危なさをご存じないのです」
「四川《しせん》や両広(広東・広西)にもわしは行っている。だが、あんたのようにいばりちらす者にはついぞ会ったこともないわ」
「今は平穏な時世とはわけがちがいます」
「そんなことをいうと、口をえぐり舌を抜かれようぞ。今、天下がどうして太平でないというのだ」
楊志がさらに言葉をかえそうとしたとき、むかいの松林のなかでちらりと人の影が動いた。きょろきょろとこちらの様子をうかがっている気配である。
「そら、いわんことじゃない。うさんくさいやつがうろうろし出したぞ」
そういうなり楊志は、鞭を投げ捨てて朴刀をひっつかみ、松林のなかへ駆けこんで行って、大声でどなった。
「こやつ、不敵千万なやろうめ、よくも荷物をねらいやがったな」
まさに、
鬼を説けば便《すなわ》ち鬼を招き
賊を説けば便ち賊を招く
却って是れ一家の人なるも
対面して識ること能わず
楊志が追いかけて行って見ると、松林のなかにずらりと一列に七台の江州車(手押しの荷車)がならべられ、七人の男が裸になって涼んでいた。そのうちのひとり、鬢のあたりに大きな赤あざのある男は、朴刀を持っていた。楊志がやってくるのを見ると、七人の者はいっせいに、あっと叫んで跳ね起きた。楊志が大声で、
「おまえたちは、なにものだ」
というと、七人の者は、
「おまえこそ、なにものだ」
といいかえした。
「おまえたちは賊だろう」
「それはこっちのいう科白《せりふ》だ。おいらは小あきんどだ。おまえにくれてやるような銭などないわ」
「おまえたちは小あきんどか。おれたちも大金なんか持ってはおらんわ」
「おまえはほんとになにものだ」
「おまえたちこそどこのものだ」
「おいらは七人兄弟で濠《ごう》州のものだ。棗《なつめ》を売りに東京へ行く途中ここを通りかかったのだが、聞けばこの黄泥岡ってところは、よく賊が出て旅あきんどから剥ぎ取るとか。しかし、おいらは道々話しあったんだ、おいらには棗が少々あるだけで、ほかにはなんにも金目のものは持っていないんだから大丈夫だとな。そこでかまわずにこの黄泥岡にのぼってきたんだが、なんともたまらない暑さだ、ちょっとこの林のなかで一休みして、夕方涼しくなってから出かけようと思っているところへ、誰かのぼってきたらしい気配がしたので、てっきり賊だと思ってこの兄弟を見にやらしたところさ」
「そうだったのか。おれもおなじ旅あきんどだが、さっきおまえたちがのぞいているのを見て、賊だとばかり思ってな、それで追いかけてきたのだ」
「あんた、棗でも持って行きなさるか」
「いや、結構だ」
楊志は朴刀をさげて荷物のところへひきかえしてきた。老都管は、
「賊がいるのなら逃げましょう」
「てっきり賊だと思ったら、棗売りのあきんどでした」
「さっきのあんたの口ぶりだと、彼らはみな空おそろしい連中のはずだったな」
「そんなにからまなくてもよいでしょう。何事もなければ幸いというものですよ。さあ、みんな、一休みして、すこし涼しくなってから出かけよう」
楊志がそういうと、兵士たちは、どっと笑った。
楊志は朴刀を地面に突き立て、木の下に腰をおろして涼を納れたが、それから、飯ならば半膳も食うか食わぬかというくらいのころ、遠くからひとりの男が桶を天秤にふり分けて、唄《うた》をうたいながら岡をのぼってきた。その唄は、
お日さまぎらぎら火事のよう
たんぼの稲もおおかた枯れた
百姓のはらは煮えたつけれど
おえらい人は団扇《うちわ》でおすずみ(注四)
男は唄をうたいながら、やがて岡にのぼってきて、松林に荷《にな》い桶をおろし、腰をおろして涼をとった。兵士たちは男に声をかけた。
「おい、桶のなかはなんだ」
「白酒だよ」
「どこへ持って行くんだ」
「里へかついで行って売るのさ」
「一桶いくらだ」
「五貫(一貫は千銭)ちょうどだ」
兵士たちは相談しあった。
「暑くて暑くてのどがからからだ。一杯ひっかけて、暑さしのぎにしようじゃないか」
銭を出しあっていると、楊志がそれを見つけていった。
「おまえたち、なにをしている」
「酒を買って飲みますんで」
楊志は朴刀を逆手に取ってその柄でなぐりつけながら、
「おれの指図もうけずに、勝手に酒をくらおうなんて、太いやろうだ」
とののしった。兵士たちは、
「たいしたことでもないのに、またさわぎたてなさる。わしたちが身銭を切って飲むだけのこと、あんたにはなんの関係もないじゃありませんか。どうしてなぐったりなどなさるんです」
「たわけ者め、きさまたちになにがわかるか。飲み食いばかりにがつがつしやがって。道中がどんなに危ないかてんでわかっちゃいないんだ。しびれ薬で盛りつぶされた好漢が、どれだけあるか知れないくらいなんだぞ」
酒売りの男は、楊志を見てせせら笑いながらいった。
「おまえさんはわけのわからん人だな。おいらまだ売ってもいないのに、つまらんことをいうじゃないか」
と、松の木のところでがみがみいいあっていると、むかいの松林のなかのあの棗売りのあきんどたちが、みんな朴刀を持ってやってきて、
「なにをさわいでるんだ」
とたずねた。酒売りの男がそれに答えて、
「おいら、この酒をかついでむこうの村へ売りに行く途中、暑いもんだからここで一休みしていたら、この連中が売ってくれというんだ。ところがまだ売りもしないのに、この人が、おいらの酒にしびれ薬がはいっているとかなんとかいいやがるんだ。笑わせるじゃないか。ご挨拶にもほどがあるよ」
「おいらは、てっきり、賊が出たんだと思ったが、なんだ、そんなことか。そんなちょっとしたひやかしぐらいなんでもないじゃないか。ちょうどおいらものどが渇《かわ》いて酒を飲みたいと思っていたところだ。あの連中が怪しむのなら、一桶おいらに売って飲ましてくれよ」
「いや、売らん、売らん」
「おまえもわからんやつだな。おいらはなんにもけちをつけてやしないぜ。どのみち村へ持って行って売る品物じゃないか、銭ははらうから、ここでおいらに売ってくれたってかまわんじゃないか。おまえもただで湯茶のほどこしをするわけじゃなし、おいらもそれで、のどのかわきをうるおさせてもらえるというわけだ」
「一桶売ってあげたっていいが、あっちの連中にけちをつけられたしろものですぜ。それにだいいち汲んで飲む碗もない」
「おまえもばか正直な。ちょっとぐらいいわれたって、なんでもないじゃないか。おいらは椰子《やし》の碗を持ってるよ」
ふたりのあきんどが車のところへ行って、椰子の碗を二つ取り出してきた。ひとりは棗を両手にいっぱい持ってきた。七人は桶のそばに集まって、蓋《ふた》をとり、かわるがわる酒を汲んでは、棗をさかなにして飲んだ。そして、まもなく一桶を空《から》にしてしまった。
「そうだ、まだ値をきいていなかったな」
「おいらはいっさいかけ値なしだ。一桶が五貫ちょうど、一荷《いつか》が十貫だ」
「五貫か、じゃ五貫やろう。ところで一杯だけまけてくれんか」
「いや、まからん。かけ値なしの値だからな」
ひとりが銭をはらっているすきにほかのひとりが桶の蓋をあけ、一杯すくって口をつけた。男が、気がついて取りかえそうとすると、飲みかけの碗をかかえて松林の方へ逃げ出したので、酒売りの男は追いかけて行った。と、そのすきにまたひとりが、松林のなかから駆け出してきたかと思うと、手にした碗を酒桶のなかにつっこんですくい取った。が、それに気づいた酒売りの男は、すっ飛んでくるなり碗をひったくって桶のなかへあけ、蓋をしてしまって、碗を地面へ捨ててつぶやいた。
「このあきんどたちはまったくがらがわるい。もっともらしいふりをしていて、こんなきたないまねをしやがる」
むこう側でこれを眺めていた兵士たちは、飲みたくてうずうずしていたが、なかのひとりが老都管にむかって、
「旦那さま、なんとかひとつたのんでくださいませんか。棗売りの連中は、一桶買って飲んでしまいましたよ。わたしたちもなんとかしてもうひとつの桶を買ってのどをうるおしたいのです。のどがかわいてたまらないのですよ。この岡のてっぺんじゃ、水をもらうところもありませんし、旦那さま、なんとかうまいこととりなしてくださいよ」
老都管は兵士たちにそういわれて、自分も飲みたいと思い、ついに楊志にむかっていった。
「あの棗売りの連中が一桶買って飲んでしまったので、あとはもう一桶だけだ。いっそみんなに飲ませて一息つかせてやったらどうかな。岡の上じゃ飲もうったって水もないんだし」
楊志は考えた。
「おれは遠くから見ていたが、あいつらは酒を買って飲んでしまったし、もうひとつの桶のも、碗に半杯ぐらい飲んだのをこの目でちゃんと見たから、まず大丈夫だろう。兵隊たちもおれにぶたれどおしでやってきたのだ、まあひとつ大目にみて飲ませてやろう」
そこで、楊志はいった。
「都管どのがそうまでおっしゃるのなら、それじゃ飲ませてやってから出発することにしましょう」
兵士たちはそれを聞くと、金を出しあって五貫こしらえ、酒を買いに行った。と、酒売りの男は、
「売らん、売らん。この酒にはしびれ薬がはいってるんだ」
兵士たちは追従笑《ついしようわら》いをして、
「兄さん、まあ意趣がえしをしなくたっていいじゃないか」
「売らん。あっちへ行ってくれ」
あの棗売りのあきんどたちがとりなして、
「おまえもへんてこなやつだな。あの人もまずいことをいったにはちがいないが、おまえもばか正直に真にうけたりして、わしたちにまで売るの売らんのとごねたが、この連中には関係のないことじゃないか。文句をいわずに売って、飲ませてあげなよ」
といったが、酒売りは、
「なんでもないのに疑ぐりやがって、ばかばかしい」
棗売りのあきんどたちは、酒売りをおしのけ、桶を兵士たちの方へわたして飲ませた。兵士たちは桶の蓋をあけたが、汲んで飲むものがないので、恐縮しながら椰子の碗を借りて使った。あきんどたちは、
「この棗もあげるから、酒の肴にしなさいよ」
「そんなにまでしていただいて」
と兵士たちが礼をいうと、
「なんのなんの。おたがいに旅のあきんどだ、棗の百ぐらい、なんでもありませんよ」
兵士たちは礼をいい、さっそく二杯汲んで、一杯は老都管に、もう一杯は楊提轄にと持って行った。楊志はもちろん口をつけなかったが、老都管はまず一杯飲み乾し、ついでふたりの虞候も一杯ずつあけた。兵士たちはいっせいに桶にとりついて、またたく間に飲み乾してしまった。楊志は、みんなが飲んでもけろりとしてるのを見て、もともと飲むつもりはなかったのだが、あまりの暑さとのどの渇《かわ》きにたえかね、手に取って半杯だけ飲み、棗もいくつかつまんだ。酒売りの男は、
「こっちの桶は、むこうの連中に一杯ぶんまけさせられてしまったから、そのぶんだけあんたたちのはすくなくなっている。だから銭は半貫だけまけとくよ」
兵士たちが金をあつめて男にはらうと、男は銭を受けとり、空《から》の桶をかついで、はじめのように唄をうたいながら岡をおりて行った。
七人連れの棗のあきんどたちは、松の木のそばに立って、十五人の者を指さしながら、
「倒れるぞ、倒れるぞ」
といった。十五人の者は見る見る頭が重たくなり、足が浮いてきて、たがいに顔を見合わせながら、みな、ぐったりと倒れてしまった。
すると、七人のあきんどは、松林のなかから七台の江州車をおし出してきて、車に積んであった棗はみんな地面にぶちまけ、かわりに金銀珠玉の十一荷を積みこんで、すっかりおおいをしてから、
「邪魔したな」
と声をかけて、まっすぐに黄泥岡の麓へ車をおして行った。これこそまさしく、
膏血《こうけつ》を誅求《ちゆうきゆう》して生辰を慶し
民の生の死と隣《とな》りあうを顧《かえり》みず
始めて信ず従来劫盗《きようとう》を招くは
虧心《きしん》(注五)必定にして縁因有ることを
楊志は口のなかで「しまった、しまった」というばかりで、手足はぐんなりとしびれ、もがいても起きあがれない。十五人の者はただ眼だけをきょろきょろさせて、例の七人が金銀財宝を積んで逃げて行くのを見まもるばかりで、起きることも、動くことも、ものをいうこともできないしまつ。
ところで、この七人の者はいったいなにものであろうか。ほかならぬ晁蓋・呉用・公孫勝・劉唐・阮三兄弟の七人だったのである。かの酒売りの男は、すなわち白日鼠の白勝で、どうやって薬を盛ったかというと、はじめ岡にかついで行ったときには二桶ともまがいもない上等の酒だったのだが、七人が一桶を空にしたあとで、劉唐が別の桶の蓋を取り、そこから半杯だけ汲み取って飲むふりをしたのはじつは彼らに見せて懸念《けねん》をなくさせるためだったのである。そのあとで呉用が松林へ行き、薬を取り出して碗のなかへいれ、駆け出してきて、まけさせて飲むようなふりをして碗で酒をすくったが、そのときに薬は酒のなかにまじってしまったのである。しかも呉用がわざとそれを半杯汲んで飲もうとするふりをしたのを、白勝がひったくって桶のなかへあけてしまったというわけで、これが計略である。この計略はすべて呉用が考えたもので、これをば「生辰綱を智取す」というのである。
ところで、楊志はもともとすこししか飲んでいなかったので、薬のさめるのもはやく、ようやくはい起きたものの、足はまだふらふらであった。見ればあとの十四人は、口からよだれをたらして、動くこともできないしまつ。まさに下世話にもいうとおり、
饒《たと》え〓《なんじ》奸なること鬼《き》に似るとも
喫了せり洗脚の水を
楊志はじだんだふんでくやしがった。
「とうとう生辰綱を取られてしまったわ。いったいどの面《つら》さげて梁中書どののところへ帰れるというのだ。この領状ももう反古《ほご》だ、えい、破ってしまえ。こうなってはもう、帰るところもたよるところもない。はてさてどこへ行ったらよいものか。いっそのこと、この岡で死んでしまった方がましだ」
と、着物をひっからげ、よろよろとよろめきながら黄泥岡の尾根の上から身を躍らせた。
まさに、花を散らす三月の雨、柳をくだく九秋の霜、というところ。さて黄泥岡に死を求めた楊志の命はどうなるであろうか。それは次回で。
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一 領状 また領紙ともいう。朝廷から金銭物品を受領した者がだす受領書のこと。ここでは生辰綱のあずかり書にあたるが、「あの男に領状を出させて」というのは、「あの男に品物を託して」というほどの意味である。
二 三伏 夏至の後の第三の庚《かのえ》の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋の後の第一の庚の日を末伏という。転じて夏の最も暑い候をいう。
三 一行十二人……十一人 原文はそれぞれ十五人……十四人だが、すぐあとに、三人がおくれてのぼってくる記述があるので改めた。
四 この唄は意訳したが、原文を読みくだせば、
赤日炎々として火の焼けるに似たり
野田禾稲《かとう》は半ば枯焦す
農夫の心内は湯の如く煮ゆるも
公子王孫は扇《せん》を把って揺るがす
五 虧心 良心に欠けるところのあること。
第十七回
花和尚《かおしよう》 単《ひとり》にて二竜山《にりゆうざん》を打ち
青面獣《せいめんじゆう》 双《ふたり》して宝珠寺《ほうしゆじ》を奪う
さて楊志《ようし》は、黄泥岡で生辰綱《せいしんこう》を略奪され、梁中書のもとへ帰るにも帰れず、その場で死を決して、いざ岡の上から身を投じて果てようとしたが、ふと気がついて足をふんばり、考えなおした。
「父母にさずけられたこの一人前の立派な身体、小さいときから十八般の武芸も学んで身につけたのに、このままおわらせてなるものか。ここで早まって死ぬよりも、後日あの強盗どもがつかまってからの思案にしよう」
またひきかえして十四人の者を見ると、みな目をきょろきょろさせて楊志を見返すだけで、起きあがることもできずにいる。楊志は指をつきつけてののしった。
「この不始末はみなおまえたちがおれのいうことをきかなかったからだぞ。おれまでもまきぞえにしやがって」
そして、松の木の根もとから朴刀をとりあげ、腰刀を腰にさし、あたりを見まわしたが、そこにはなにひとつあるわけもなかった。楊志は、ほっとため息をつき、すたすたと岡をおりて行った。
ほかの十四人は、二更ごろになってようやく薬からさめ、ひとりひとりはい起きたが、ただ口のなかで「困った、困った」とつぶやくばかり。老都管は、
「おまえたちが楊提轄の忠告をきかなかったばっかりに、わしはこれで命をとられることになったぞ」
「旦那、もうすんでしまったことですから、このうえはみんなでなんとか知恵をしぼってみましょう」
「なにかよい知恵でもあるというのか」
「わたしたちがわるかったのです。しかし昔の人のいいぐさにも、火の粉が身にふりかかってきたらはたき落とせ、蜂がふところにはいってきたら着物をぬげ、といいます。楊提轄どのがここにおればどうにもなりませんが、どこかへ行ってしまったのですから、どうでしょう、帰って梁中書さまに会い、なにもかもみんなあの人におっかぶせて、こういったら。あの人は道中ずっとわたしたちをなぐったりどなりつけたりして、もう動けないほどひどい目にあわせたうえ、強盗どもとしめしあわせてしびれ薬でわたしたちを盛りつぶし、手足を縛って、宝物をぜんぶかすめ取って行きましたと」
「そいつはなかなかうまい考えだ。それでは、夜が明けたらさっそくこの土地の役所へとどけ出て、虞候ふたりは賊の詮議の相談に残ってもらい、わしらは急いで北京へ帰って閣下にお知らせし、公文書を出してもらって太師さまへ申し伝えて、済州府《さいしゆうふ》に賊の逮捕方を命令してもらうことにしよう」
夜が明けると、老都管は一同を従えて済州府へ行き、係りの役人に訴えて出たが、その話はそれまでとする。
一方楊志は、朴刀をひっさげ、悶々たる思いで黄泥岡をあとに南をさして行くこと半日ばかり。夜中まで歩きつづけて、とある森のなかで休んだ。
「路用は一文もなく、どこにもひとりの知り人もいない、さてどうしたものやら」
やがて夜も明けてきたので、朝の涼しいうちに道を急ごうと、また二十里あまり歩いた。まさに、
面皮青毒《せいどく》雄豪を逞《たくま》しくす
白《むな》しく送る金珠十一挑
今日為何《なんす》れぞ行くことの急々たる
知らず若個《た れ》の籐条を打つかを
楊志はくたくたに歩き疲れて、とある居酒屋の前にさしかかった。
「酒でも飲まんことには、どうにもやりきれん」
と、その居酒屋へはいり、桑の木の机と椅子の席に腰をかけ、朴刀を側に立てかけた。すると、かまどのところにいた女が、
「お客さん、お食事をなさいますか」
ときいた。
「まず酒を二角ほどくれ。そのあとで飯にしてもらおう。ほかに肉があればすこし出してもらいたいな。勘定はあとでまとめてする」
女はひとりの若者をよんで酒をつがせ、自分は飯をたき肉をいため、とりそろえて楊志に食べさせた。
楊志は食べおわると、起ちあがり、朴刀をつかんで、すたすたと店から出て行った。女が、
「お客さん、お代はまだですよ」
というと、楊志は、
「帰りにはらうよ、今日のところはかけにしといてくれ」
そういってさっさと歩いて行く。酒をついだあの若者が追いかけてきて、楊志をつかまえた。楊志が拳骨でこれをなぐり倒すと、女はわあわあわめきはじめたが、委細かまわず楊志は歩いて行った。と、うしろからひとりの者が追ってきて、
「やろう、どこへ行きやがる」
楊志がふりかえって見ると、双肌《もろはだ》ぬぎになった男が、棒をつかんで追いかけてくる。
「身のほども知らぬやつめ、このおれにかかってこようというのか」
と楊志は足をとめて待ちうけた。見ればあの若者もさすまたを持ってそのあとにつづき、さらに棍棒を持った百姓二三人をひき連れてすっ飛んでくる。
「あいつひとりをやっつけてしまえば、あとのやつらはひっこむだろう」
と楊志は朴刀をかまえてその男にたちむかった。男も棒を振りまわしてかかってき、ふたりは二三十合わたりあったが、所詮、男は楊志の敵ではなく、受けとめて身をかわすのが精いっぱい。あとからきたあの若者や百姓たちが、いっせいに打ちかかって行こうとしたとき、男はぱっとうしろへ跳《と》びのいて、
「みんな、待った。そこな朴刀つかいの大男、名を聞かせてもらおう」
楊志は胸をたたいて答えた。
「おれは逃げもかくれもせぬ。青面獣の楊志というはこのおれのことだ」
「というと、東京《とうけい》殿司府の楊制使さまで」
「おまえ、どうして知っているのだ。わしはその楊制使だが」
男は棒を放り出して平伏し、
「お見それいたしまして、失礼つかまつりました」
楊志は男を立たせて、たずねた。
「あんたは、どなたで」
「わたくしはもと開封府の者で、八十万禁軍の教頭林冲さまの弟子でございます。姓は曹、名は正といい、代々肉屋が商売で、わたくしも畜生を殺す方では相当の腕利《うできき》、筋を抜き骨をこそげ、皮をはぎ毛をむしりますので、人からは操刀鬼《そうとうき》とあだ名されております。土地のさる分限者から五千貫をあずけられて山東へ商売に出たのですが、はからずもそのもとでをすってしまって帰ることもなりませんので、ここの百姓家の婿になってしまったのですが、さっきかまどのところにおりました女、あれがわたくしの女房で、このさすまたを持っているのが女房の弟というわけでございます。今あなたさまと手をあわせてお手並みのほどを拝見いたしましたが、林冲さまと相ならぶお腕前で、とてもわたくしなどのかなうはずはございません」
「ほう、あんたは、林教頭どののお弟子でしたか。あんたの師匠は高太尉のたくらみにかかって強盗に身をおとし、今は梁山泊におられますぞ」
「わたくしも、そんなうわさを耳にいたしはしましたが、たしかなことは存じません。制使どの、とにかくまあうちへきて、しばらくお休みくださいませ」
楊志は曹正についてまた店へ帰った。曹正は楊志を上座に迎え、女房とその弟をよんで挨拶をさせ、酒食をととのえてもてなした。酒をくみかわしながら曹正はたずねた。
「制使どのはどうしてこんなところへお見えになったので」
楊志は、制使に任ぜられて花石綱《かせきこう》をうしない、今はまた梁中書の生辰綱《せいしんこう》をうしなったいきさつをくわしく話した。
「そんなわけでしたら、わたくしのところにしばらくご逗留なさってください。いずれなんとか思案もつきましょうから」
「ご厚意はまことにありがたいが、役人が追手をさしむけてくるだろうから、落ちついてもいられないのだ」
「それでは、どこか行くあてでもございますので」
「梁山泊へ行って、あんたの師匠の林教頭どのをたずねようと思っている。以前あそこを通りかかったとき、山からおりてきたあの人に出くわして、わたりあったことがあるのだ。そのとき王倫がわれわれふたりの相譲らぬ手並みを見て、いっしょに山寨へ連れて行ってひきあわせてくれたことから知りあいになったのだ。そのとき王倫は、しきりにわしをひきとめてくれたが、わしは盗賊になることはことわったのだ。それで、今こうして金印《いれずみ》のはいった面をさげてやつのところへたよって行くのもいくじのない話なので、じつはどうしようかと迷っているところなのだ」
「それはごもっともなことです。わたくしもうわさに聞いておりますが、王倫というやつは料簡がせまく、滅多に人を信用しないたちで、林教頭さまが行かれたときもずいぶんひどいことをしたとか。いっそのことどうでしょう、土地は青州《せいしゆう》になりますが、ここからあまり遠くないところに二竜山《にりゆうざん》という山があって、その頂上に宝珠寺《ほうしゆじ》という寺があるのですが、この寺は山にかこまれたなかなかの要害で、のぼって行く道はたった一本しかないのです。じつはこの寺の住持というやつが還俗《げんぞく》して髪をのばし、ほかの坊主連中もこいつとぐるになって、五六百人もの者をよせ集め、近在を荒らしまわっております。その首領は金眼虎《きんがんこ》の〓竜《とうりゆう》というやつですが、制使どのにもし盗賊になる気がおありなら、そこへ行って仲間にはいられたらいかがですか」
「そういうところがあるのなら、そこへ行って安心立命をはかろう」
と、その夜は曹正の家に一泊したうえ、路用を借り受け、朴刀をひっさげ、曹正に別れを告げて、大股に二竜山へと急いだ。まる一日歩きつづけて、やがて夕闇のせまるころになると、行くてに高い山が見えた。楊志は、
「林のなかで一晩野宿して、山へは明日のぼろう」
と、林のなかへはいって行くと、なんとそこには、でっぷりとふとった坊主が真っ裸になって、背中にほった花模様の刺青《いれずみ》もあらわに、松の木の根もとに腰をおろして涼んでいる。
坊主は楊志を見ると、木の根もとから禅杖を取りあげ、ぱっと立ちあがって、
「やい、このやろう、どこからきやがった」
とどなった。まさに、
平《むな》しく珠宝の担を将《もつ》て空《くう》に落とし
却って宝珠寺に問うて帳を討《もと》む(注一)
寺裏の強人に投入せんと要《ほつ》して
先ず寺外の和尚を引き出《いだ》す
楊志はその声を聞いて、
「こいつも関西《かんせい》生まれの坊主だな。おれと同郷じゃないか。ひとつきいてみてやろう」
と思い、
「おまえはどこからきた坊主だ」
と声をかけたが、坊主は返事もせず、禅杖を振りまわしてがむしゃらに打ちかかってくる。
「無礼千万なくそ坊主め、ひとつこいつに鬱憤をはらしてやろうか」
と、楊志も朴刀を振りかざして、坊主に打ちむかった。かくてふたりは林のなかで、一来一往、一上一下の大たちまわりを演じた。そのありさまは、
両条の竜の宝を競い、一対の虎の《そん》を争う。禅杖起こること虎尾竜筋《こびりゆうきん》の如く、朴刀飛ぶこと竜鬚虎爪《りゆうしゆこそう》に似たり、〓律々《しゆつりつりつ》、忽喇々《こつらつらつ》として、天崩れ地〓《お》ち、陣雲の中、黒気盤旋《ばんせん》す。悪狠々《あくがんがん》、雄赳々《ゆうきゆうきゆう》として、雷吼《ほ》え風呼び、殺気の内、金光閃爍《せんれき》す。両条の竜の玉を競い、那《か》の身長《たけたか》く力壮《つよ》く霜なせる鋒に仗《よ》れる周処《しゆうしよ》(注二)を嚇し得て、眼に光を無からしめ、一対の虎の《えじき》を争い、這《か》の胆太く心〓《あらあら》しく雪なせる刃を旋《ふる》う卞荘《べんそう》(注三)を驚かし得て、魂魄《こんぱく》を喪《うしな》わしむ。両条の竜の宝を競い、眼球彩《さい》を放ち、尾擺《はい》し得て水母の殿台揺《ゆら》ぎ、一対の虎のを争い、野獣奔馳《ほんち》し、声震い得て山神《さんしん》の毛髪豎《た》つ。
そのとき楊志はこの坊主と四五十合もわたりあったが、なお勝負がつかなかった。ついに坊主の方が勝ちをゆずって、ぱっとうしろへ身をひき、
「しばらく待った」
と叫んだ。ふたりはともに手をひいた。楊志はひそかに感嘆して思うよう、
「この坊主、どこのどいつかは知らぬが、まったくすごい腕だ。このおれでさえもやっと受けとめたというところだ」
そのとき坊主がいった。
「おい、そこな青い面《つら》、おまえはいったい誰だ」
「おれは東京の制使、楊志というものだ」
「それじゃおまえは、東京で刀を売りに出て、ごろつきの牛二を殺した、あの男ではないか」
「この顔の金印《いれずみ》を見ればわかろう」
すると坊主は笑って、
「いや、とんだところで会ったなあ」
「和尚、あんたはいったい誰だ。どうしておれが刀を売りに出たのをご存じだ」
「おれはほかでもない、延安府の経略使、《ちゆう》老相公配下の軍官、魯提轄という者だ。拳骨三発で鎮関西なる肉屋をなぐり殺したために、五台山の山門をくぐって髪を落とし、坊主になったのだ。おれの背中に花模様の刺青があるところから、人は花和尚《かおしよう》の魯智深とよんでいる」
楊志は笑って、
「やっぱりおれの同郷だ。和尚の大名《たいめい》はあちこちで聞いていた。ところで和尚は大相国寺に逗留中とかのうわさだったが、どうしてこんなところにおられる」
「ひとくちには話せぬが、わしは大相国寺で菜園の番をしていたとき、豹子頭の林冲に会ったのだ。高太尉におとしいれられて命もあぶないようなので、わしも黙って見ているわけにはゆかぬ、そこで滄州まで送って行って命を救ってやったのだが、ところが帰ってきたふたりの護送役人が高〓のやつにこういいやがったのだ、野豬林《やちよりん》で林冲をばらしかけたら大相国寺の魯智深に邪魔をされたうえに、滄州までついて行かれたので、とうとう手をくだせなかったとな。そこであのたわけものめがわしに恨みを持ちやがって、寺の長老にいいつけて寺から追い出そうとしやがったばかりか、捕り手のやつらをよこしてつかまえにきやがった。それを近所のならず者たちがいちはやく注進してくれたので、わしは先手を打って菜園の隠居所に火をつけ、そのままずらかってあっちこっちと流れ歩いているうちに、通りかかったのが孟州《もうしゆう》の十字坡《じゆうじは》というところだ。そこで居酒屋の女房に危く命を取られかかった。というのは、しびれ薬で盛りつぶされたのだが、さいわいそいつの亭主がうまくそこへもどってきて、わしのこの風態を見、この禅杖や戒刀を見てびっくりし、あわてて毒消しを飲ませて助けてくれたのだ。亭主は名前をたずね、幾日かひきとめてくれて、義兄弟の約束をしたのだが、この夫婦というのが好漢たちのあいだでは名の通ったやつで、亭主は菜園子《さいえんし》の張青といい、女房は母夜叉《ぼやしや》の孫二娘《そんじじよう》といって、どっちもなかなか天晴《あつぱ》れなやつ。そこに四五日逗留しているうちに聞きこんだのが、この二竜山宝珠寺のことだ。身を落ちつけるには恰好のところだと聞いたものだから、わざわざ〓竜のとこへ一味にいれてくれとたのみに行った。ところがちくしょうめ、あいつはわしをことわりやがった。ついに喧嘩になったが、わしには歯がたたないものだから、麓の三つの関門をぴたりと閉めてしまいやがったのだ。ほかにはのぼる道もないので、さんざっぱら悪態をついてやったが、やつはおりてきて勝負しようとはしない。癪にさわってここでいらいらしているところへあんたがひょっこり姿をあらわしたというわけなんだ」
楊志は大いによろこんで、ふたりはその林のなかで剪払《あいさつ》をかわしあい、夜どおしそこへ坐りこんで、楊志は刀を売りに出たことから牛二を殺したいきさつ、生辰綱を取られてしまった顛末《てんまつ》をくわしく話し、また曹正に教えられてここへやってきたことも話して、
「関門を閉められてしまったのなら、ここにおってもしかたがなかろう。もちろんそいつがおりてくるはずもないし、とにかく曹正のところへ行って相談をしてみようじゃないか」
と、ふたりは急いで林を出て、曹正の居酒屋へひきかえした。楊志が魯智深をひきあわせると、曹正はさっそく酒を出してもてなし、二竜山を奪いとる相談にのった。曹正のいうには、
「ほんとに関門を閉めてしまったのでしたら、あなたがたおふたりの力ではもとよりのこと、一万の軍勢をそろえてのりこんでも破れるものじゃありません。計略にひっかけるより手はないでしょう。力ずくではとても見こみはありません」
魯智深はいった。
「まったくいまいましいやろうだ。はじめに行ったときは関門の外で会ったのだが、わしをいれないといいやがって喧嘩になり、わしはやつの下っ腹を蹴りあげてひっころがし、ついでに息の根をとめてやろうとしたのだが、手下どもが大勢たかってきてやつを救い出すなり山へ逃げこみ、くそいまいましくも関門を閉めてしまいやがったのだ。わしは下から悪口雑言を吐き散らしてやったが、どうしても果たしあいに出てきやがらないのだ」
「それほど要害の地ならなおさらだ、ふたりで知恵をしぼってなんとかものにしようじゃないか」
と楊志がいうと、魯智深は、
「ところが、のぼって行く道がないので、どうにも手のつけようがない」
すると曹正がいった。
「わたくしに、ちょっとした思案がございますが、お気に召すかどうか」
「それを聞かしてもらおう」
と楊志がいうと、曹正は、
「制使どのもそのなりではまずいのです。わたくしどもみたいにこのあたりの百姓のふりをしてください。和尚さんの禅杖や戒刀は、うちの女房の弟に六人ほどの仲間をつけて山の麓まではこばせ、和尚さんには縄をかけさせていただきます。わたくしは空結《からむす》びの方法を心得ておりますから大丈夫です。それでむこうへ着いたらこういってやるんです、おいらはこの近くで居酒屋をやってる百姓ですが、この坊主が店へやってきてべろべろに酔っぱらい、どうしても酒代をくれず、これから仲間を狩りあつめてこちらの山寨をのっ取るんだなどと大きな口をたたくものですから、おいらはみんなで、酔っているのにつけこんでふん縛り、お頭《かしら》さまへおみやげにと思って連れてまいりました。そういえば、やつらはきっと山へあげてくれます。山寨へ通されて〓竜の前に出たら、縄をひっぱって結び目をほどいて、すぐに禅杖をおわたししますから、あなたがたおふたりはいちどに襲いかかってください。やつは逃げるところもありませんし、やつを討ち取ればほかの連中はみんな降参するにきまっております。いかがです、この計略は」
魯智深と楊志はいっせいにいった。
「妙案、妙案」
このところをうたった詩がある。
乳虎《にゆうこ》の竜を称す亦枉《ま》げて然り
二竜山は許す二竜の蟠《わだかま》るを
人は忠義に逢いて情偏《ひとえ》に洽《あまね》く
事は顛危《てんき》に到りて策愈《いよいよ》全し
その夜、一同は酒盛りをし、道中のための乾糧《ほしいい》も用意した。
翌日は五更(四時)のころに起きて、一同じゅうぶん腹ごしらえをした。魯智深の荷物は曹正の家にあずけて置いた。その日、楊志・魯智深・曹正の三人は、曹正の妻の弟および五六人の百姓をひき連れて二竜山へと道を急いだ。昼すぎに林に着き、そこで着物をぬぎ、魯智深を空結びに縛って、ふたりの百姓が縄のはしを持ち、楊志は日除け笠をかぶり、破れた木綿のうわぎをひっかけ、朴刀をさかさまに持ち、曹正は魯智深の禅杖を持ち、ほかの者はてんでに棍棒をおっとり、前後から魯智深をおしかこんで行った。やがて山の麓に着いて関門を見あげれば、そこには強弩・硬弓・灰瓶《かいへい》(めつぶし)・砲石(投げ石)がずらりと並べられている。手下の者は坊主が縛られてきたのを関門の上から見つけて、飛ぶようにして山頂へ注進に行ったが、しばらくするとふたりの小頭目が関門の上にあらわれて、
「おまえたちはどこのものだ。何用できたのだ。その坊主をどこでつかまえたのだ」
とたずねた。曹正がそれに答えて、
「おいらはこの麓の村の百姓で、ちょっとした居酒屋をやってるもんですが、このでぶの坊主がひょっこりやってきて、酒をくらってぐでんぐでんに酔っぱらい、金をはらおうとはせずにくだをまいてほざくには、これから梁山泊へ行って何千何百人かよんできて、この二竜山をぶっつぶし、ここいら近在の村々をすっからかんにしぼりあげてやるぞ、などとたいそうなことをいいますんで、おいらはせっせと上等の酒をすすめて盛りつぶし、縄にかけてお頭さまへと連れてまいったのでございます。それもこれもおいらの村の、お頭さまへの忠義立てのしるしで、あとの災難をまぬがれようとしてでございます」
ふたりの小頭目は、それを聞くと小躍りして、
「でかしたぞ。おまえたち今しばらくそこで待っておれ」
と、山へ駆けあがって〓竜のもとへ注進におよんだ。
「あのでぶの坊主がつかまえられてきました」
〓竜はそれを聞いて大いによろこび、
「ここへひきたててこい。やつの生肝をつかみ出し、酒の肴にして先日の恨みをはらしてくれようぞ」
命をうけた手下の者が関門をあけて、上へ連れて行かせた。
楊志と曹正は、魯智深をしっかりと守って山頂へと送って行った。見れば、その三重の関門はまことに険阻なもので、左右の山がけわしくそそり立って寺をそのまんなかに包んでおり、峰々は雄壮にそびえ、その間にわずかに一本だけ関門へ通る道があって、三重に構えた関所には、ずらりと木《らいぼく》(投げ丸太)・砲石・硬弩・強弓が並び、竹槍がびっしりと立てつらねてある。三つの関門を通り抜けて宝珠寺の前に出て見ると、三重に構えた山門のむこうに鏡のような平地があり、そのまわりは木の柵でかこんである。寺の正面の山門には七八人の手下の者が立っていたが、縛られた魯智深を見つけると、指をつきつけて悪態を浴びせた。
「くそ坊主、この前はお頭に怪我をさせおったが、今日は取っつかまってきよったか。ゆっくりひき裂いてやるからな」
魯智深はおし黙ったまま、仏殿のところまでひきたてられて行った。見れば、仏像をすっかり取りはらってしまった御堂のまんなかに、虎の皮を張った床几が一脚あり、その左右には大勢の手下どもが槍棒を取って控えている。しばらくすると、手下ふたりに小脇をささえられて〓竜が姿をあらわし、床几の上に腰をおろした。曹正と楊志が、ぴったり魯智深により添って階段の下まですすむと、〓竜が、
「このくそ坊主め、よくも先日はおれを足蹴にかけて、下腹に怪我をさせおったな。いまだに青ぶくれの跡が消えないぞ。今日はおれが目にもの見せてくれる」
魯智深はかっと眼を怒らせて、大声でどなりつけた。
「たわけ者め、そこを動くな」
そのときふたりの百姓が縄のはしをぐいとひっぱると、結び目がほどけて縄はぱらりと解けた。
魯智深は曹正から禅杖を受けとるがはやいか風車のように振りまわし、楊志は日除け笠をはねとばして朴刀を振りかざし、曹正も棍棒を振りまわし、百姓たちもいっせいに気負いたってどっとばかりに襲いかかって行く。
〓竜がうろたえて腰を浮かしたときには、すでに智深の禅杖にまっこうから打たれて、頭蓋骨は真二つに割れ、床几までもこっぱみじんになった。まわりの手下どもは早くも四五人が楊志の朴刀に斬り倒されていた。曹正は大声でどなった。
「みんな降参しろ、刃むかうやつはひとりのこらずたたき殺してしまうぞ」
寺の内外の五六百人の手下たちと、小頭目数人らはみなちぢみあがって、なすすべもなく降参した。さっそく〓竜らの死体を裏山へかついで行って火葬にする一方、倉庫をしらべ、部屋をとりかたづけ、寺の裏にたくわえてある品物もあらためてから、酒宴の用意をはじめた。
魯智深と楊志は、かくして山寨の主《あるじ》におさまり、祝宴の酒盛りが開かれた。手下の者たちはみな帰順したので、もとどおり小頭目をおいて取締まらせることになった。曹正は、ふたりの好漢に別れを告げ、百姓たちを連れて家へ帰って行ったが、その話はそれまでとする。まさに、
古刹《こさつ》は雄奇にして翠微《すいび》に隠る
翻《かえ》って賊寨と為《な》り慈悲を仮《か》す
天生の神力の花和尚
棒を弄し刀を磨して住持と作《な》る
もう一首、楊志のことをうたった詩がある。
智ありて能く深く智深を助く
緑林《りよくりん》の豪客叢林《そうりん》を主《つかさど》る
竜を降し竜を伏す真の同志
獣面誰か知らん仏心を有するを
魯智深と楊志が二竜山で盗賊になったことはそれまでとして、さて、あの生辰綱を護送した老都管と護衛兵たちは、急ぎに急いで北京へ帰り、梁中書の屋敷に着くなりすぐ出頭していっせいに平伏した。梁中書は、
「遠路の道中ご苦労であった」
といい、さらに、
「楊提轄はどうした」
とたずねた。一同は、
「なんと申しあげたらよろしいでしょうか、やつめはまことに不敵な恩知らずの賊でございます。当地をたちましてから十四五日(注四)して、黄泥岡にさしかかったのでございますが、おりからのはげしい暑さにみんなは林にはいって涼をとりました。ところがなんと、楊志のやつは棗あきんどに化けた七人の賊と通じていたのでございます。楊志はそれらの者としめしあわせて、まず七台の江州車を押してきて黄泥岡の松林のなかで待ちうけさせ、あとからひとりの男に酒を一荷かついでこさせて岡の上で一休みさせたのでございます。わたくしどもは、ふとどきにもうっかりそれを買って飲みましたため、そやつの盛ったしびれ薬にあてられて、体の自由を奪われましたうえ、縄で縛りつけられてしまいました。楊志と七人の賊は、生辰綱のお宝も旅の荷もすっかり奪い取って、車にのせて持って行ってしまったのでございます。このことはすぐに、その土地の済州府《さいしゆうふ》へ訴え出て、虞候ふたりをそこに残して賊盗詮議の用命にあたらせることにしまして、わたくしどもは宙を飛んでご報告に馳せもどったしだいでございます」
梁中書はそれを聞くと大いにおどろき、
「あの流人のやろうめ、けがらわしい罪囚の身を、ひとかたならず目をかけてひきたててやったのに、なんたる不義忘恩をしやがったのか。つかまえたが最後、ずたずたに切り刻んでやろうぞ」
とののしり、さっそく書記にいいつけて公文書をつくらせ、急ぎの使者を済州へさしむけるとともに、書面をしたため、東京へ早馬を仕立てて太師に事の顛末を知らせた。
公文書をたずさえて済州へむかった使者のことはさておき、東京の太師の屋敷へ馳せつけた使者は、太師に会って梁中書の書面をさし出した。蔡太師はそれを見るとびっくりして、
「不敵千万な盗賊らめ、昨年もわが婿のよこした祝儀の品を強奪して今なおつかまらずにいるが、今年もまた出てきて不埒なまねをするとは。うち捨てておくわけにはいかぬ」
と、すぐ公文書を出し、府幹(府の用人)に持たせて夜を日についで済州へ行かせ、ただちに賊を逮捕してその旨報告するよう府尹に申しわたした。
さて済州の府尹は、北京大名府《たいめいふ》の留守司《りゆうしゆし》梁中書からの書状を受けとって以来、毎日、なんの手だてもなく悶々としていたが、そこへ門番がきて、
「東京の太師さまのもとより、府幹の方が役所に見え、火急の公文書を持参して、府尹さまにお目にかかりたいとのことでございます」
と告げた。府尹はそれを聞くとびっくりして、
「おそらく生辰綱のことであろう」
と、あわてて、役所へ出て行って府幹に会い、
「この件につきましては、さきに梁中書さまの方から虞候を通じて訴えがあり、すでに、捕り手の者に命じて逮捕につとめさせておりますが、今なお手がかりをつかむにいたっておりません。先日はまた、留守司どののお使者が見えて書状をいただきましたので、さらに尉司《いし》と緝捕観察《しゆうほかんさつ》(検察と捕盗の役頭《やくがしら》)をさきに立てて、刻限を切っての厳重な捜索を申しつけたのですが、なお逮捕を見るにいたっておりませぬしだい。もし、なんらかの手がかりでも得られましたならば、わたくしみずから太師さまお屋敷へご報告に参上いたします」
「わたしは、太師さまのお屋敷でご用をつとめるお側仕えの者ですが、このたび太師さまの直命《じきめい》をうけて一味の逮捕のために当地へ特派されてまいりました。むこうを立ちますときの太師さまじきじきのお達しは、済州府へ行ってそのまま役所に寝泊まりし、府尹どのが、一味七名の棗あきんどと酒売りの男一名および脱走軍人の楊志、これらの者の身柄を捕縛におよばざるかぎり、帰任まかりならぬとのこと。ここ十日のうちに一味全部を捕縛して東京へ護送するよう、もし十日の期限内に結着しないときは、府尹どのにはおそらく沙門島《しやもんとう》へ流罪の憂き目かと存じます。このわたくしも太師さまのもとへ帰任はかなわず、命のほども危ういありさまです。この厳命、もしお疑いの点がございますならば、太師府よりのこの書状にておたしかめくださいますよう」
府尹はそれを読んで大いにおどろき、さっそく捕り手の役人をよび出した。と、階段の下で、
「はっ」
と答えてすすみ出たものがいた。
「その方は誰か」
と太守(府尹)がいうと、
「三都緝捕使臣《さんとしゆうほししん》の何濤《かとう》でございます」
「先日の、黄泥岡にての生辰綱強奪事件はおまえの管轄だな」
「申しあげます。この事件をあずかりましてからは、わたくしは昼夜眠るいとまもなく、配下の腕ききのものをつかわして黄泥岡一帯の捜索にあたらせ、きびしく笞で責めたてて督励しておりますにもかかわらず、いまだに端緒もつかめないしだいでございます。これはわたくしが決してお役目をおこたっているためではなく、いかんとも手のほどこしようがございませんので」
「なにを申す。上緊《かみきび》しからざれば下怠る、というのはこのことだ。わしは進士に及第してからこのかた、各地に歴任してこの一郡の長にまでなったのは容易なことではなかったのだ。今日、東京の太師府から用人の方が見え、十日以内に賊の一味を逮捕して都へ送れとの厳命。もしその刻限にまにあわなければこのわしは官職を追われるだけではなく、沙門島へ流罪という憂き目を見なければならぬ。おまえは緝捕使臣でありながら、お役目に力をつくさず、このわしにまで憂き目を見せようというのか。まず、きさまを、雁も飛ばぬ辺境の地に流罪にしてやるぞ」
と、ただちに刺青師をよび、何濤の顔に「迭配 州」(○州へ流罪)と州名をあけて文字を入れさせたうえで、申しわたした。
「よいか何濤、賊の逮捕ができなかったときには、断じて重罪に処するぞ」
まったく、
臉皮《れんぴ》(面皮)の打稿(注五)太《はなは》だ乖張《かいちよう》(不合理)なり
自ら平安を要《ほつ》して人殃《わざわい》を受く
賤面計《けい》を作《な》すを煩わすこと無かるべし
本心也合《またまさ》に細かに商量すべし
さて何濤は命を受けて、役所から役人部屋に帰ってくると、配下のもの一同を機密房(会議室)へよび集めて捜索の相談をしたが、一同はたがいに顔を見あわせるばかりで、まるで、口に矢を射られた雁か、腮《えら》に針をひっかけられた魚かのように、一言半句も口をきかない。何濤は、
「きさまたちはこの部屋のおかげで、その日その日の口すぎをさせてもらっているくせに、いざこうした難事件にぶつかると、どいつもこいつも黙っていやがる。おれの面のこの刺青の字を見て、なんとも思わんのか」
「観察(緝捕使臣)どの、われわれだって木石じゃありません。それほどわからんやつらでもないつもりです。しかし、旅あきんどに身をやつしたあの一味は、おそらくよその州の強盗で、ふとお宝にめぐりあってまんまとさらって行き、今ごろは山寨にひきあげてはしゃいでいるのでしょう。これじゃつかまえられるわけがありません。たとえわかったにしたところで、それだけのことで、手がつけられるものじゃありませんよ」
何濤は、そう聞くまでは、まだ半分ぐらいは希望をつないでいたのだが、そういわれてみると、もはやなんの希望も持てなくなり、役人部屋を出ると、馬に乗って家へ帰り、馬を厩へひきいれてから、ひとりとじこもってふさぎこんでいた。そのさまは、
双眉には重上《じゆうじよう》す三鍠《さんこう》の鎖(注六)
満腹に填平《てんぺい》す万斛《ばんこく》の愁
網裏《もうり》に魚を漏らす何れの処にか覓《もとめ》めん
甕中《おうちゆう》に鼈《べつ》を挑《と》る誰に向かってか求めん
そのとき妻がたずねた。
「あなた、どうしてそんなに浮かぬ顔をしておられます」
「おまえにはいわなかったが、先日太守どのからわしに命令書が出たのだ。黄泥岡に盗賊の一味があらわれて、梁中書どのから舅の蔡太師さまへの誕生日祝いの金珠財宝あわせて十一荷を強奪したが、どこの誰ともわからない。わしはその書類を受けとってから、もうだいぶんたつが、いまだにそいつらを捕らえることができない。そこで今日は刻限の日を延ばしてもらいに行ったのだが、なんと、一味の逮捕を督促しに太師府から用人がきていて、すぐ一味の賊を捕らえて都へ送れというのだ。太守どのはわしに、賊の一件のことをたずねられるので、まだ手がかりがつかめず逮捕できないでいますと申しあげたら、太守どのはわしの顔に『迭配 州』の刺青を入れられた。やられる先の名だけ空《あ》けてあるのだ。こうなればもう命だってどうだか知れたもんじゃない」
「まあ、たいへんなことになったのですね。どうしたらよいのでしょう」
話しあっているところへ、弟の何清《かせい》が兄をたずねてきた。何濤は、
「なにをしにきた。ばくちにも行かずに、どうしたというんだ」
何濤の妻はよく気のつく女だったから、あわてて手招きして、
「台所の方へまわりなさいよ。話があるから」
何清がそのまま嫂《あによめ》について台所へ行き、そこへ腰をおろすと、嫂は酒や肉や野菜などをとりそろえ、酒の燗もして何清をもてなした。何清は嫂に、
「兄貴もずいぶん人をばかにする。いくらおれが碌でなしだといっても、兄弟じゃないか。兄貴はえらいつもりか知らんが、たかが緝捕観察、おれといっしょに酒を飲んだってなにも恥にはなるまい」
「あんたは知らないけど、兄さんは心配ごとがあるのよ」
「いつも銭や物をたんまりかせいできて、どこへやってしまったというのだね。銭や米がありあまってるのに心配ごともへったくれもあるもんか」
「そうじゃないのよ。このまえ黄泥岡で棗売りのあきんどたちが、北京の梁中書さまがお送りになった蔡太師さまへの生辰綱を奪ってしまったので、府尹さまのところへ太師さまからのお達しがあって、十日以内にみんなつかまえて都へ送るように、つかまえられなかったときは遠方の地へ刺青をして流すということなの。あんたも気がついたでしょうけど、兄さんも府尹さまから顔に迭配州の字を刺青されて、流される先の名だけあけてあるのよ。近いうちにつかまえてしまわないと、ほんとうにたいへんなことになるのだもの、あんたを相手にお酒など飲んでるどころじゃないのよ。あたしはこうしてあんたにお酒を出してあげてるけど、あの人はああしてずっとふさぎこんだままなのよ。わるくとらないでね」
「賊が出て生辰綱をふんだくったってことは、おれも人のうわさで聞いたが、それはどこでの話なんだ」
「黄泥岡だって話よ」
「どんなやつらがやったんかな」
「酔ってもいないのにどうしたっていうの。つい今、あたしが話したばかりなのに。七人連れの棗売りのあきんどたちがやったのよ」
すると何清は大声で笑い出した。
「なんだ、そうか、棗売りのあきんどが犯人だとわかってるなら、なにもふさぎこむことはないじゃないか。腕ききのやつをやってとっつかまえりゃいいのに」
「あんたはそうあっさりいうけど、手がかりがなんにもないのよ」
何清は笑って、
「嫂《ねえ》さん、まあたんと心配するがいいや。兄貴ったら、いつも出入りのあの飲み友達ばかり大事にして、じつの弟のおれのことはてんでふりむいてもくれないんだから、こうしていざというときには立往生てな具合になってしまうのさ。おれに相談をかけて銭を何貫かもうけさせてくれるなら、あんなこそ泥ぐらいなんの造作もないんだがなあ」
「おや、あんたなにか聞きこんでるのね」
何清は笑って、
「まあ兄貴がいよいよというときにでもなったら、そのときにはおれが出ていってうまくやってやるさ」
そういうと立ちあがって出て行こうとする。嫂はひきとめてさらに二三杯飲ませた。
女はこの話に、なにかわけがありそうに思って、急いで夫のところへ行ってくわしく話すと、何濤もあわてて弟をよび入れ、笑顔をつくりながらたずねた。
「おまえ、あの賊の足どりを知っているのなら、なぜわしを助けてくれないのだ」
「おれはなにも知らないよ。嫂《ねえ》さんに冗談をいってみただけのことさ。おれには兄貴を助けるなんてことはできやしないよ」
「なあ、おまえ、そんなに水くさいことをいわずに、ふだんわしがよくしてやったときのことを思い出し、冷たかったときのことには目をつぶってさ、ひとつわしの命を助けてくれよ」
「兄貴、あんたの配下には腕ききの捕り手が二三百人もいるじゃないか。その連中が兄貴のためにつくせないものを、おれのような弟ひとりが、どうして兄貴を助けることができるものか」
「あいつらのことはいわないでくれ。おまえのその口ぶりではなにか手がかりがあるようだ。よその者の顔を立ててやるよりも、このわしに足どりを明かしてくれたっていいじゃないか。お礼はちゃんとするよ。おれを安心させてくれよ」
「足どりなんておれはなにも知らんよ」
「そんなにわしを困らせないでくれ。親身の兄弟じゃないか」
「そうあわてることはないよ。いよいよってときには、おれがひときばりしてこそ泥たちをつかまえてやるよ」
嫂も傍《そば》から口をはさんだ。
「ねえ、とにかく兄さんを助けてあげてよ。それが兄弟の情っていうものじゃない? 太師府からの命令で、すぐに一味のものを全部つかまえよという大事件なのに、事もなげにこそ泥だなんて」
「嫂さん、あんたも知ってるとおり、おれはばくちのことでどんなに兄貴に叱られたか知れやしない。だが、いくらなぐられても、ぼろくそにいわれても、おれは一度も兄貴に楯ついたことはない。それだのに兄貴は、酒やご馳走のときはいつもほかの連中とばかりおたのしみだ。しかし今日はこの弟にも取り柄があると見えるらしいな」
何濤は弟の口裏からわけのありそうなことをさとって、いそいで十両の銀子を一枚とり出し、机の上においていった。
「なあ、ひとまずこれをとっておいてくれ。後日、賊をつかまえたときには、金銀緞子《どんす》の褒美の件はおれが必ずとりはからうから」
何清は笑いながら、
「兄貴、そいつは、苦しいときの神だのみというやつだぜ。おれがその金を受け取ったら、弟のやつがあんたをゆすったということになる。そいつはひっこめておいてもらいましょう。そういうもので釣られるおれじゃない。そんなことをするのなら、おれはなにもいわないが、もしあんたら夫婦がおれにわるかったというなら、話してもあげよう。いきなり銭なんか突き出してびっくりさせないでくれよ」
「銀子はお上から出た褒美の金だ。たかが三百や五百、どうってこともないしろものだ。そういわずにとっておいてくれ。ところできくが、例の一味についてどこでその手がかりをつかんだのだ」
何清はぽんと膝をたたいて、
「その賊の一味は全部おれのこの巾着《きんちやく》のなかにつかまえてある」
何濤はびっくりして、
「おまえの巾着のなかに賊の一味がいるっていうのか」
「兄貴、おどろくことはないよ。ちゃんとここにあるんだよ。さあ、その銀子はしまっておいてもらおうぜ。そういうものでおれを釣るのはやめてくれ。あたりまえのことをしてもらえば、それでいいんだ。それじゃ、話してあげよう」
何清は、あわてずさわがず、二本の指をそろえて突き出しながら話したが、そのことからやがて、〓城《うんじよう》県内にひとりの義に仗《よ》る英雄をひき出し、梁山泊中に一群の天を〓《ささ》げる好漢たちを集めることとなるのである。ところで何清が何濤に話したのは、いったい誰のことであったか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 宝珠寺に問うて帳を討む 宝珠の担(生辰綱)をうしなって、その勘定を宝珠寺から取ろうとするの意。
二 周処 晋の陽羨の人で、字は子隠。膂力衆にすぐれ、きわめて粗暴であったので、近隣の人々は、南山の虎、長橋の蛟と並び称して「三害」のひとつとした。それを知った周処は、虎を射殺し蛟を斬り殺して「二害」を除いたということが、『晋書』『世説新語』等にしるされている。
三 卞荘 春秋時代の魯の卞邑の大夫で、きわめて勇力があり、一挙に二匹の虎を屠ったという。隣国の斉は、この卞荘ひとりのために魯への侵略を思いとどまったといい、『論語』にも「卞荘子之勇」という言葉が見える。
四 十四五日 原文は六七日だが、第十六回に十四五日とあるので改めた。
五 打稿 下書き。ここでは「迭配 州」の刺青のことをいう。
六 三鍠の鎖 鍠は、剣に似た三刃の武器の名。三刃であるために三鍠といったのである。三鍠の鎖とは、眉をしかめて眉間に幾すじもの皺の出ているのを、鍠が鎖《くさり》のようにつらなっていると形容したのである。
第十八回
美髯公《びぜんこう》 智もて挿翅虎《そうしこ》を穏《なだ》め
宋公明《そうこうめい》 私《ひそ》かに晁天王《ちようてんおう》を放《はな》つ
そのとき何《か》観察は弟の何清《かせい》にいった。
「この銀子はお上から出た褒美の金だ。これでおまえを釣ろうというのではない。後ほどあらためて重いご褒美があろう。とにかくまあ話してくれ、賊の一味がどうしておまえの巾着のなかにはいっているのか」
すると何清は、ふところの紙入れのなかから帳面を取り出し、それを指さして、
「賊の一味は、これに載っているんだ」
「どういうわけでそれに書いてあるのだ。まずそれを聞こうじゃないか」
「じつはこういうことなのさ。おれはこないだばくちに負けてすっからかんになったのだが、そのとき仲間のひとりが北門から十五里さきの安楽村という村へ連れてってくれたのだ、そこの王《おう》という宿屋に賭場があるというのでね。ところが村へおふれがまわってきていて、宿屋稼業のものはみな、割印つきの帳面をそなえつけて、毎晩の泊り客のひとりひとりに、出先・行先・姓名・商売をたずねていちいち帳面につけておき、公儀のお調べのとき、月一回、里正のところへ報告に行くということになってるのだが、宿屋の若いもんが字が読めないものだから、たのまれておれが半月ほどやってやったことがあるのだ。あれは六月の三日だったかな、七人連れの棗売りのあきんどが七台の江州車をおしてきて泊まったんだ。そのうちの頭株《かしらかぶ》のひとりにおれは見覚えがあった。〓城《うんじよう》県東渓村の晁保正なのだ。なぜ知ってたかというと、おれはずっと前のことだが、やくざ仲間のひとりといっしょにそいつの家へ転《ころ》がりこんだことがあるんだ。それで覚えていたんだが、帳面をつけるときにおれが、お名前はとたずねたら、横合いから口ひげと顎ひげをはやした色の白い男が出てきて、わしたちは李《り》というもので濠《ごう》州から棗を売りに東京《とうけい》へ行くというじゃないか。おれはそのとおり書いておいたが、こいつはくさいなと思ったね。翌日やつらが立って行ってから、宿の主人が村の賭場へおれを連れてってくれたが、その途中、三叉路のところで、桶を二つかついでいる男に出くわしたのだ。おれは知らない男だが、主人が、白大郎《はくたいろう》、どこへ行くんだね、と声をかけた。するとそいつは、村の旦那のところへ醋(注一)を売りに行くのだと答えた。主人がおれに、あれは白日鼠《はくじつそ》の白勝といって、やっぱりばくちうちだと教えてくれたので、おれはちゃんと覚えておいたのだが、すると、そのうち、黄泥岡で棗売りのあきんどたちがしびれ薬をつかって生辰綱を奪ったというたいへんなうわさだ。おれは、これは絶対に晁保正にちがいないと思うんだ。白勝をつかまえて吟味すればすっかりわかるよ。この手帳はおれが書いた宿帳の写しだ」
何濤はそれを聞くと大よろこびで、すぐに何清を連れて州の役所へ行き、府尹《ふいん》に会った。府尹はたずねた。
「なにか手がかりがあったか」
「いささかございました」
府尹は奥へひきいれてくわしくたずねた。何清は逐一答えた。
ただちに、八人の捕り手のものが命をうけ、何濤・何清とともに夜どおしで安楽村へ急ぎ、宿屋の主人に案内させて白勝の家へ駆けつけたのは、三更(夜十二時)ごろであった。宿屋の主人に、火を借りる口実で戸をあけさせて見ると、白勝は寝床のなかでうなっている。女房にたずねると、
「熱病にかかったのですが、汗が出きらないものですから」
という。寝台からひきずりおろすと、白勝は熱で顔を火照《ほて》らせていたが、すぐ縄でしばりあげ、
「黄泥岡ではうまいことをやらかしたな」
とどなりつけた。だが、白勝はあくまでもしらをきりとおす。女房の方もしばりあげたが、これも白状しない。捕り手たちは家《や》さがしをはじめた。やがて寝台の下を見ると、地面がでこぼこしているので、みなはそこを掘り返した。三尺近く掘って、一同はわっと喊声をあげた。白勝の顔はまっさおになった。
地下から一包みの金銀を取り出し、白勝には覆面をかぶらせ、女房も召し連れて盗品をかついで一同は夜道を急ぎ、済州城へ帰って行った。
ちょうど五更(四時)の夜明けごろ、白勝を役所へひきたて、縄で縛りあげて、首謀者の名を詰問したが、白勝はいいのがれをいって、晁蓋以下七人のものの名はどうしてもいわなかった。三度四度とつづけさまに打たれて、皮膚が破れ、肉が飛び出し、鮮血がほとばしった。府尹は声をはげましていう。
「被告は盗品については白状におよんだ。こちらでは、〓城県東渓村の晁保正とわかっているのに、きさまはなぜいいのがれをしようとする。残りの六人の名を早くいえば、打つのはゆるしてやる」
白勝はなおもしばらくは口を割らなかったが、やがてこらえかねて白状をした。
「首謀者は晁保正でございます。彼が六人のものといっしょにわたくしをひっぱりこんで、酒をかつがせましたのでございますが、その六人はまったく見知らぬものでございます」
「それでよかろう。晁保正をとらえさえすれば、あとの六人も片がつく」
と、府尹はまず重さ二十斤の死刑囚の首枷を白勝にはめ、女房には手錠をかけて女牢へいれさせた。一方、さっそく公文書を出して、何濤を、腕ききの捕り手二十人とともに〓城県へ派遣し、晁保正および姓名不明の六人を即刻逮捕するよう県に命じることになり、生辰綱の護送にあたったふたりの虞候《ぐこう》を首実検の役として帯同させた。一行の指揮は何濤がとったが、騒ぎたてて事が漏れてはという懸念《けねん》から、夜陰にまぎれて〓城県へ駆けつけ、捕り手たちとふたりの虞候は宿屋にひそませておいて、二三人の者を従えて公文書をわたすべく急いで〓城県の役所へ行った。
それは巳牌《しはい》(朝の十時)ごろで、知県は朝の公務をおえて私邸の方へひきさがり、役所の門前はひっそりと静まっていた。何濤は門のむかいの茶店にはいり、茶を飲みながら待つことにした。一杯飲んだところで給仕にきいてみた。
「今日は、お役所はひどく静かじゃないか」
「知県さまがおひきさがりになったところで、お役人衆も訴人の者たちもみんなご飯を食べに行ってまだ帰ってこないからです」
「今日の当直の押司《おうし》(上級書記)は誰かね」
給仕は指さしていった。
「ほら、あそこへおいでになりました」
何濤がふりむいて見ると、ちょうど役所のなかからひとりの役人が出てくるところ。その男のようすは、
眼は丹鳳《たんほう》の如く、眉は臥蚕《がさん》に似たり。滴溜々《てきりゆうりゆう》として両耳は珠を懸け、明々《めいこうこう》として双睛は漆を点ず。唇は方(四角)に口は正しく、髭鬚は地閣《ちかく》(顔の下部)に軽く盈《み》ち、額は闊《ひろ》く頂は平らに、皮肉は天倉《てんそう》(顔の上部)に飽満なり。坐定する時は渾《あたか》も虎の相の如く、走動する時は狼の形の若《ごと》き有り。年は三旬《さんじゆん》に及び、万人を養済するの度量有り。身躯は六尺(注二)、四海を掃除するの心機を懐《いだ》く。志気は軒昂、胸襟は秀麗。刀筆《とうひつ》(事務の才腕)は敢て蕭相国《しようしようこく》(漢の名宰相蕭何《しようか》)を欺き、声名は孟嘗君《もうしようくん》(戦国斉《せい》の名宰相)に譲らず。
この押司は、姓は宋《そう》、名は江《こう》といい、兄弟順は三番目。代々この〓城県の宗家村に居《きよ》をかまえた家柄で、顔色黒く背たけが低いので、人々は黒宗江《こくそうこう》とあだ名していた。また、家にあってはよく親につかえ、義を重んじて財を軽んじる人だったので、人々は孝義《こうぎ》の黒三郎《こくさんろう》ともよんでいた。父親は健在だったが、母は早くなくなり、下に弟がひとりあって、鉄扇子《てつせんす》の宋清《そうせい》といい、父の宋太公とともに村で百姓をして、いくばくかの田地を守り暮らしていた。そしてこの宋江は〓城県で押司をつとめているのだったが、事務に精通していて、役人としても立派であるばかりか、また、槍棒を好んで、各般の武芸にも心得があった。日ごろのたのしみは天下の好漢たちとまじわりを結ぶことで、たよってくるものがあればどんなものでもこころよく迎え、家にひきとめて面倒を見、一日じゅうその相手をしていやな顔ひとつしない、そして帰って行くときにはできるだけの金を持たせてやるというふうで、まさに金を見ること土くれのごとく、人からたのまれてことわったためしはない。よく人の世話をやき、悶着がおこるといつも仲に立ってうまくまとめ、人の難儀には手をさしのべて救ってやる。棺桶の調達だとか薬の世話などもして、貧しい人たちを助けてやる。人の危険を救い、人の困窮にめぐむというのが、しょっちゅうのことだったので、山東河北にその名が高く、人々はみな及時雨《きゆうじう》とよんでいた。つまり、万物をめぐみうるおす旱天の慈雨になぞらえたわけである。臨江仙《りんこうせん》(曲の名)のうたに、この宋江の美点をたたえていう。
花村《かそん》の刀筆《とうひつ》の吏より起こり、英霊は上《かみ》天星に応ず。財を疎んじ義に仗《よ》り、更に多能。親に事《つか》えて孝敬を行い、士を待《ま》って声名有り。弱きを済《すく》い傾けるを扶けて心慷慨《こうがい》。高名は水月と双《なら》んで清く、及時《きゆうじ》の甘雨《かんう》と四方称《たた》う。山東の呼保義《こほうぎ》、豪傑宋公明。
さてそのとき宋江は、ひとりの従者を連れて役所の門前にあらわれた。すると、何観察は往来へ出て行って、
「押司どの、こちらにてお茶を一服どうぞ」
宋江は、相手がやはり役人らしい身なりなのを見て、急いで答礼をし、
「どちらのお方ですか」
とたずねた。
「押司どの、ともかく茶店へどうぞ。お茶を飲みながらのことにいたしましょう」
「かしこまりました」
と、ふたりは茶店へはいって席についた。従者は門前で待っている。
「失礼ですが、お名前は」
と宋江はたずねた。
「わたくしは済州府の緝捕使臣何観察というものです。失礼ですが押司どののお名前は」
「観察どのとは知らず失礼いたしました。わたくしは姓は宋、名は江といいます」
すると何濤ははっと平伏して、
「おうわさはかねがね承っておりましたが、ご縁がなくて今日までお目にかかれませんでした」
「これは恐縮に存じます。観察どの、どうぞ上座へおつきくださいますよう」
「いいえ、滅相もない」
「観察どのは上級官庁のお方、それに遠来のお客さまでもありますから」
ふたりはひとしきり座を譲りあったあげく、宋江が主人の席、何濤が客の席(上席)についた。宋江は給仕に茶を二杯いいつける。やがてそれがはこばれてきて、ふたりが飲みおわったところで宋江はいった。
「観察どのがこちらへお見えになったのは、なにか公務のご用でもおありなので」
「じつは貴県にちょっと重要な人物がおりますので」
「と、おっしゃるのは、盗賊の方の関係のことで」
「ここに、密封の公文書をたずさえておるのですが、よろしく押司どののご援助をおねがいします」
「観察どのは上級官庁から捕盗のために見えたお方、もちろんご用命は心してつとめさせていただきますが、いったいどのような緊急な事件なのですか」
「押司どのはその方の係りのお方ゆえ、お話しいたしますが、わたくしの方の府の管轄下の黄泥岡に、一味八名からなる賊があらわれ、北京大名府の梁中書《りようちゆうしよ》どのが蔡太師さまあてに送られた生辰綱の護送者十五名を、しびれ薬でしびれさせて、計十一荷の金銀財宝、金《かね》にして十万貫もの品を奪い取ったのです。このほど一味の従犯者一名、白勝というものを逮捕しましたところ、正犯の者七名はみな当県在住のものであることを自供しました。なにしろこの事件は、太師さまがじさじきご用人をさしむけられて、必ず早々に解決するようにとの厳命ですので、ぜひとも早急に押司どののご援助をいただきたいのです」
「たとえ太師さまの命令はなくとも、観察どのじきじき、公文書をたずさえて見えたとあっては、至急に逮捕に乗り出さないわけにはまいりません。ついては、白勝なる男の自供した七名の、その名前はなんといいましょうか」
「かくさず押司どのに申しあげましょう。貴県東渓村の晁保正がその首魁《しゆかい》です。ほかの六名はまだ名前が判明しておりません。どうかせっかくのお骨折りをおねがいします」
宋江はそれを聞いて、あっとばかり息を呑んだ。
「晁蓋《ちようがい》はおれの大事な兄弟分だ。どえらいことをやらかしたな。おれが助けてやらないことには、つかまってしまって、それっきりだ」
心中いささかうろたえながらも、さりげなく答えた。
「晁蓋というやろう、あいつはたいへんなくわせものの顔役でして、県内で誰ひとり憎まぬものはないというやつです。とうとうやらかしましたか。よろしい、ぎゅうという目にあわせてやりましょう」
「押司どの、どうか急いで着手してくださいますよう」
「承知しました。わけはありません。甕のなかのすっぽんで、目をふさいでいてもつかまえられます。ところでこの密封の公文書ですが、これは観察どのご自身で役所の方へ出していただきましょう。知県さまがごらんになって、しかるべき順序を踏んでから人を逮捕にさしむけるということになりましょうから。わたくしでは開封するわけにはまいりません。ましてやこれはひとかたならぬ大事件、人に漏れてはなりません」
「押司どののおっしゃることはごもっとも。それでは知県どののところへご同道ねがえますか」
「知県さまは朝の執務をおえられて今は小憩なさっていますゆえ、観察どのにはいましばらくここでお待ちください。間もなく登庁なさいますから、そのときはわたくしがお迎えにまいります」
「なにぶんよろしくおとりなしのほどねがいます」
「それはわたくしのつとめですから。そのようなお言葉、かえって恐縮に存じます。ではわたくし、ちょっと、家の方に所用がございますので、それをすませてすぐ帰ってまいりますから、それまでしばらくお待ちくださいますよう」
「どうぞどうぞ、押司どの。わたくしはここでお待ちしておりますから」
宋江は立ちあがって外へ出ると、給仕をよんでいった。
「あの客人が茶をいいつけたら出してくれ。代はわしがはらうから」
そして茶店をあとにすると、宙を飛んで宿へ帰り、まず従者に、茶店の門前へ小使をやって見張らせておくよういいつけ、
「もし知県さまが登庁されたら、すぐに茶店へはいって、あの役人に、押司はすぐまいりますからとあしらって、しばらく待たしておいてくれ」
といいおき、厩へ行って馬に鞍をつけ、裏門の外へひき出すと鞭をとって急いで飛び乗り、ゆるりゆるりと町をあとにして東門を抜け出るやいなや、鞭を打って馬を飛ばし、東渓村めざしてぱっかぱっかとまっしぐら。半時たらずで早くも晁蓋の屋敷へ着いた。下男はそれを見て屋敷のなかへ知らせに行く。まさに、
義は重く他《かれ》の不義の財を軽んず
天を奉じて法網《ほうもう》時有って開く
民を剥ぐ官府は賊よりも過《はなはだ》し
応《まさ》に知交のために賊を放《はな》ち来《きた》るべし
さて晁蓋は、ちょうど呉用・公孫勝・劉唐とともに裏庭の葡萄棚の下に席を設けて酒をくみかわしていた。阮《げん》の三兄弟はこのときはもうわけまえを受けとって石碣村へ帰っていた。晁蓋は下男から宋押司が門前にきていると知らされると、
「何人ついてきている」
とたずねた。
「おひとりでおいでです。馬を飛ばしてこられて、すぐお目にかかりたいとのことです」
「なにかおこったな、これは」
と晁蓋は急いで出迎えた。
宋江は挨拶をするなり晁蓋の手をとって傍の小部屋へはいった。晁蓋が、
「押司、どうしたんだ。ひどくあわてて」
とたずねると、
「兄貴、いいかね、わしは兄弟として、命をまとにあんたを救いにきたのだ。黄泥岡の一件がばれたのだ。白勝はいま済州の牢にいれられていて、あんたたち七人のことを自供したのだ。そこで済州府から何緝捕という男が何人かのものをひき連れ、太師じきじきの令書と済州府の公文書を持ってあんたたち七人の逮捕にきたのだ。あんたが首魁と目されている。さいわいに、この消息がわしの手に落ちたので、わしは知県は休んでいるといってその何観察を役所のむかいの茶店に待たせておき、急いで馬を飛ばして知らせにきたのだ。なにはさておき、三十六計逃げるにしかず、早く逃げないと大ごとになる。わしはこれからひきかえして、彼を役所へ案内して公文書をさし出させる。出せば知県はすぐに捕り手をさしむけ、夜どおしでやってくるだろうから、あんたたちはぐずぐずしている暇はない。手ぬかりがあったらとりかえしがつかないことになる。そうなったらなんといわれようとわしにはもう救い出す手だてはないからな」
晁蓋はそれを聞いてびっくりした。
「あんたの大恩には報いるすべもない」
「そんなことをいっているときじゃない。早く逃げ路をさがしてくれ。ぐずぐずしないようにな。わしはこれで失礼します」
「七人のうち阮小二・阮小五・阮小七の三人はわけまえを持って石碣村へ帰ったが、あとの三人は今ここにいるから、ついでに会ってやってくれ」
と、晁蓋は宋江を裏庭へ連れて行き、指さして、
「この三人の方は、こちらが呉学究どの、こちらが薊州《けいしゆう》から見えた公孫勝どの、こちらが東〓州の人で劉唐どの」
宋江はそそくさと一礼をすると、すぐに身をかえし、
「では気をつけて。大急ぎで逃げてくれ。わしはこれで帰る」
宋江は屋敷を出て、門前で馬に乗ると、鞭を打って飛ぶように県へむかった。そのころのある学者が、一首の詩を作ってこのことをうまくうたっている。その詩は、
保正何に縁《よ》ってか賊曹を養う
押司賊を縦《はな》つ罪逃れ難し
須《すべから》く知るべし法を守る清名《せいめい》の重きを
謂《い》う莫《なか》れ情を通ずる義気高しと
爵固《すずめもと》より〓《はやぶさ》を畏るるは能く爵を害すればなり
猫如《も》し鼠を伴とすれば豈猫成《な》らんや
空しく刀筆を持して文吏と称す
説くを羞《は》ず当年の漢相蕭《かんしようしよう》(漢の相・蕭何)
晁蓋が、呉用・公孫勝・劉唐の三人に、
「あんたがた、今きて挨拶した男をご存じか」
というと、呉用が、
「なんだってあんなにあたふたと帰って行ったんです。いったい誰ですか」
「三人ともご存じないのか。彼がきてくれなかったら、おたがいに今すぐ命をなくするところだったのだ」
三人はびっくりして、
「では手がかりをつかまれて、事がばれたとでもいうのか」
「そうなのだ。まったくあの兄弟が命がけで知らせにきてくれたから助かったのだ。白勝はもう、つかまって済州の牢にいれられている。われわれ七人のことは白状してしまったのだ。州では緝捕の何観察というものに何人かのものをつけてよこし、太師の令書をつきつけて〓城県にわれわれ七人を即刻逮捕せよと申しわたした。彼はその役人をうまく茶店に待たせておいて、馬を飛ばせて知らせにきてくれたのだ。彼が帰ると公文書が手わたされ、すぐにも捕り手のものが夜どおしで逮捕におしかけてくるだろうが、さてどうするのがよかろう」
呉用は、
「あの人が知らせにきてくれなかったら、一網打尽になるところ。ところで、あの大恩人の姓は、名は」
「本県の押司、呼保義の宋江という男です」
「宋押司の大名は聞いていたが、会ったことはなかった。つい近くに住みながら、ご縁がなくてお目にかかれずにいた」
と呉用がいうと、公孫勝・劉唐のふたりも口をそろえて、
「あれが世間に評判の高い、及時雨の宋公明どのか」
晁蓋はうなずいて、
「そうです。わしは彼とは心腹のまじわりを結んで義兄弟の盟《ちかい》をした仲だが、呉先生ははじめて会われたのでしたか。天下には、名は空しくはつたわらぬもの。わしも彼と兄弟の盟を結んでおいたかいがあった」
晁蓋はまた呉用にむかって、
「危険はさし迫っているが、どうやって逃れたものでしょう」
「相談するまでもありません。三十六計逃げるにしかず」
「宋押司も逃げるにしかずといったが、しかしどこへ」
「それはもうちゃんと考えてあります。すぐ五六荷の荷をつくり、それをかついで石碣村の三阮《げん》の家へ行くのです。とりあえず誰かひとりさきに行ってこのことを知らさなければ」
すると晁蓋がいった。
「阮の三兄弟は漁師、われわれが大勢でおしかけるわけにもいかんだろう」
「兄貴、あんたご存じないのか。石碣村のすぐさきは梁山泊ですよ。今あの山寨はなかなか意気さかんで、官軍の捕り手もよけて通るくらい。追及の手がきびしくなったら、みんなで仲間にはいればよい」
「なるほどそれは名案だが、やつらはわれわれをいれてくれるかどうか」
「われわれには金銀がある。それを贈《おく》ればいれてくれますよ」
まさに、
無道の時には多く盗有り
英雄進退両《ふたつ》ながら倶《とも》に難し
只《ただ》秀士(注三)の山寨に居るに因って
盗を買うは猶然《なおしか》く官を買うに似る
そのとき晁蓋はいった。
「こう手はずがきまれば早いほどよい。それでは呉用先生、あんたには劉唐と、うちの下男何人かを連れて、ひと足さきに荷をかついで阮家へ行き、手はずをととのえてもらいましょう。それから陸路づたいにわれわれを迎えにきてください。わしは公孫勝先生とふたりであと始末をつけてから出かけます」
呉用と劉唐は、生辰綱を奪って得た金銀財宝を五六荷の荷にまとめると、五六人の下男をよんでいっしょに酒食をすませ、呉用は銅錬《どうれん》を袂にいれ、劉唐は朴刀をさげ、五六荷の荷を護りながら一行十数人で石碣村へとむかった。晁蓋と公孫勝は屋敷にのこってあとかたづけをし、下男たちのうち、ついて行かないものにはいくばくか金をやってよそへやり、ついて行くというものは、みな屋敷にのこして、家財のしまつや荷づくりをさせた。まさに、
須《すべから》く信ずべし銭財は是れ毒蛇なるを
銭財の聚《あつま》る処即ち家を亡ぼす
人は義士と称するも猶保《なおほう》じ難し
天は鑒《みそなわ》す貪官《たんかん》の漫《みだり》に自ら誇るを
さて一方宋江は、馬を飛ばして宿にもどるなり、急いで茶店へ駆けつけた。見れば何濤は門前に出て人待ち顔。宋江は、
「観察どの、どうもたいへんお待たせいたしました。じつは田舎の親戚のものがやってまいりまして、家の雑事の相談でつい手間どってしまいまして」
「それではどうかご案内をおねがいいたします」
「では観察どの、役所へ」
ふたりが役所の門をはいって行くと、知県の時文彬《じぶんひん》はすでに登庁して執務中であった。宋江は密封した公文書を持ち、何観察を案内して、まず事務机のところへ行き、側付《そばつ》きのものに人ばらいの札をかけさせてから、すすみ出て上言した。
「済州府よりの公文書でございます。強盗に関する緊急の公務にて、緝捕使臣何《か》観察どのが特派されてこの文書をおとどけに見えました」
知県は受け取ってなかをあらためるなり、大いにおどろき、宋江にむかって、
「太師府から用人をさしむけられて、ただちに回答せよといわれる事件だ。すぐ捕り手をさしむけて一味の賊を召しとれ」
「日中《につちゆう》では消息の漏れるおそれがありますゆえ、夜になってからさしむけるのがよろしかろうと存じます。晁保正をとりおさえますれば、ほかの六人はひとりでにかたがつきましょう」
「東渓村の晁保正はひとかどの好漢《おとこだて》と聞いていたが、どうしてまたこんなことをしでかしたのか」
と、さっそく尉司《いし》(捕盗検察の官で都頭《ととう》の上役)および都頭をよび出した。その都頭は、ひとりは姓を朱《しゆ》、名を仝《どう》といい、もうひとりは姓は雷《らい》、名は横《おう》。いずれもただものではない。
そのとき朱仝と雷横のふたりは、奥へ通って知県の命を受けると、県尉(尉司の長)とともに馬に乗ってその役所へ行き、騎兵・歩兵・弓兵および土兵(雑兵)ら百人を集め、何観察ならびに虞候ふたりも首実検役として帯同することにして、その夜、一同は捕縄や武器を持ち、県尉は馬に乗り、都頭ふたりもまた馬に乗って、それぞれ腰刀と弓矢を身につけ、手には朴刀をとり、前後に騎兵・歩兵・弓兵をおしつらねて東門を出、東渓村の晁家めざしてまっしぐら。やがて東渓村に着いたのは一更(夜八時)ごろ。一同は、とある観音堂に勢ぞろいした。
朱仝がいった。
「あれが晁家荘だ。晁蓋の家は、前後に道がある。みなが門からおしかけて行けばやつは裏門から逃げようし、裏門からかかれば表門から逃げよう。おれはよく知っているが晁蓋はなかなかの腕きき、ほかの六人はどんなやつか知らぬが、もちろんおとなしいやつでないことはきまりきっている。こいつらがみんな死にものぐるいで、いっせいに斬りたててきたなら、下男たちの加勢もあることだし、とてもかなったものじゃない。そこで、東からと見せかけて西から攻めるというようなやりかたで、やつらをうろたえさせ、それからやっつけるのがよかろう。それで、おれと雷都頭とは二手《ふたて》にわかれ、人を半数ずつにわけて、みな徒歩でこっそりと行き、まずおれが裏門の方へ行って待ち伏せをするから、口笛を合図にあんたたちは表門からどっと打ち入り、片っぱしからとっつかまえてくれ」
すると雷横がいった。
「あんたのいうとおりだ。しかし朱都頭、あんたと県尉どのが表門から討ち入ってくれ、おれは逃げ路をおさえるから」
「いやあんたは知るまいが、晁蓋の家には逃げ路がじつは三つあるのだ。おれは以前にちゃんとそれを見て覚えているから、おれが裏へまわれば松明《たいまつ》がなくたってわかる。あんたにはあいつがどこをどう行くかわからないから、かえってこっちの様子をさとられでもしたらたいへんだからな」
すると県尉も、
「朱都頭のいうとおりだ。おまえ、みなの半数だけひき連れて行くがよい」
「いや三十人もあれば十分です」
朱仝はそういって弓兵十名と土兵二十名をひき連れてさきに出かけた。
県尉はふたたび馬に乗った。雷横は騎兵・歩兵・弓兵にその前後を護衛させ、土兵らを前面におしたて、二三十本の松明を煌々と照らし、〓叉《とうさ》(さすまた)・朴刀・留客住《りゆうかくじゆう》(袖がらみ)・鉤〓刀《こうれんとう》(くさり鎌)を手に、いっせいに晁家荘へとおしかけた。
屋敷の手前、半里ほどのところまできたとき、とつぜん晁蓋の屋敷から火の手があがった。母屋が燃えて、黒煙は地をおおい、紅焔は空に舞う。さらに十数歩も行かぬうちに、こんどは表門と裏門の四方八方、三四十ヵ所から火の手があがって、焔々と燃えさかった。
先頭には雷横が朴刀を振りかざし、そのあとには土兵どもが喊声をあげて、いっせいに屋敷の表門を破ってなかへおしいって見ると、あたりは火の明りで真昼のような明るさ。だが人影ひとつ見えない。と、そのとき裏手の方に喊声がおこって、
「表の方でとっつかまえろ」
と叫ぶ声がした。
もともと朱仝には、晁蓋を無事に逃がしてやろうという魂胆があったので、雷横をだまして表門から打ち入らせたのであった。ところが一方雷横もまた晁蓋を助けてやろうと考えていたので、さきほどふたりで裏門の攻め手の取りあいをやったのだが、結局雷横は朱仝にいいまかされ、しかたなしに表門へまわると、わざと大仰にさわぎたて、あてもなく打ちまくって、そのあいだに晁蓋を逃がしてやろうとしたのである。
朱仝が裏手へまわったときは、晁蓋はまだ荷物のかたづけもすんでいなかった。下男が駆けこんで行って、
「官兵がやってきました。一刻も早く」
と晁蓋に知らせると、晁蓋は、そこらじゅうところかまわず火をつけさせ、自分は公孫勝とともに下男十数人をひき連れ、鬨の声をあげながら朴刀を振りまわして裏門から打って出て、大声で叫んだ。
「かかってくるやつはぶった斬るぞ、命の惜しいやつは近よるな」
すると朱仝が暗闇のなかから叫んだ。
「保正、逃げるな。朱仝がここで長いこと待ちうけていたぞ」
晁蓋はそれには耳もかさず、公孫勝とともにめったやたらと斬りたてながら突きすすむ。朱仝はわざと身をよけ、退路をあけて晁蓋を逃がした。晁蓋は公孫勝に下男たちをひき連れてさきに立たせ、自分はしんがりをつとめた。朱仝は弓兵を裏門から屋敷内へと繰りこませて、
「表の方で賊をとっつかまえろ」
と叫んだのである。
雷横はそれを聞くと、身をかえして表門の外に出、騎兵・歩兵・弓兵にそれぞれ手分けして追跡させ、自分は火の明りのなかであっちこっちと人をさがすようなふりをしている。
朱仝は、土兵たちをほったらかしにしておいて、刀を振りまわしながら晁蓋のあとを追いかけた。晁蓋は逃げながらよびかける。
「朱都頭、なぜそうまでおれを追いかける。怨まれる覚えはないぞ」
朱仝は、ふりかえって後に誰もいないのをよくたしかめてから、
「保正、あんたはまだおれの計らいがわからんのか。おれは雷横が一徹なことをしてへたなまねをしたら困ると思い、やつをだまして表門へまわし、自分で裏手を受け持って、あんたを逃がしてやろうと思って待ちうけていたんだ。現に道をあけて通してやったじゃないか。あんた、ほかのところはどこもだめだから、梁山泊へ身を落ちつけなさるがよい」
「かたじけない。救命のご恩は、いつかきっとお返しする」
そこをうたった詩がある。
捕盗《ほとう》如何ぞ盗と通ずる
官応《かんぞうまさ》に盗《とうぞう》と同じかるべし
疑う莫《なか》れ官府の能く盗を為《な》すを
おのずから皇天の肯《あえ》て容《ゆる》さざる有らん
朱仝が追走しているおりしも、あとから雷横が大声で叫んだ。
「逃がすな」
朱仝は晁蓋に、
「保正、大丈夫です。あんたはただ逃げればよい。おれがやつらをはぐらかしてやるから」
と、朱仝はうしろをふりむいて、
「賊三名が東の小道へ逃げた。雷都頭、そっちをたのんだぞ」
雷横は人々をひき連れて東の小道へ転じ、土兵たちもそれを追いかけて行った。朱仝は晁蓋と話をかわしながら追って行ったが、それは護送しているようなありさまだった。やがて晁蓋の姿が暗闇のなかに見えなくなったので、朱仝は足を踏みはずしたようなふりをして、ひっくりかえった。あとから追ってきた土兵たちが、駆けよって朱仝をひきおこすと、
「暗くて道が見えず、田圃のなかへ足を踏みはずしてころんだのだ。左足をくじいたようだ」
「主犯をとり逃がしたか。こりゃいったいどうする」
と県尉がいった。
「わたしは、追いかけるには追いかけたのですが、月もないこの闇、どうすることもできません。土兵たちはどれもからきしだめで、出て行こうとはしないし」
県尉は土兵たちをよびたてて追跡を命じたが、土兵たちは、
「ふたりの都頭どのさえどうにもできず、近づけもしなかったというのに、おれたちの手におえるはずはない」
と、みな追いかけるまねをしただけですぐもどってきて、
「まっくらで、どの道を行ったものか見当もつきません」
雷横もひと走り追っかけてみてひきかえしたが、みちみち思うには、
「朱仝と晁蓋はとても親しい仲だ。やつが逃がしてやったにちがいないが、おれだってなにも買って出てまで憎まれ役になりたくはない。もともとおれだって、逃がしてやるつもりでいたのだ。もう遠くに逃げてしまったろう。おれのこの心意気を見せてやれなかったのは残念だ。しかし晁蓋というやつも人騒がせなやつだ」
そして帰ってきていった。
「とても追いつけません。まったくすごいやつらです」
県尉がふたりの都頭とともに晁蓋の家へもどったのは、四更(夜二時)ごろであった。何観察は一同が一晩じゅう大騒ぎをやったあげく、ただのひとりもつかまえられなかったことを知ると、
「ああ、どうしよう。済州に帰って府尹さまにあわせる顔がない」
とうち嘆く。県尉はしかたなく隣り近所のもの何人かをとらえて、〓城県へ護送して行った。知県は一晩じゅう一睡もせずに首尾いかにと待ちうけていた。そこへ、賊は全部逃走し、近所のもの数名をとらえてきたという知らせである。知県はひっぱられてきた近所の者をよび出して訊問した。みなは、
「わたくしどもは晁保正さんの隣に住んでおるとはいいましても、遠いのは二三里ばかりもはなれており、近いのでも村がちがいます。保正さんの屋敷にはいつも槍だの棒だのをつかう人が出入りしておりましたが、こんなことをなさろうとは思いもかけませんでした」
知県はいろいろ問いただしてなにか手がかりをつかもうとした。するとなかのひとりの、いちばん近所の男が、
「はっきりしたことは、あそこの下男にお聞きになれば」
といった。
「みんないっしょに逃げたというではないか」
「行きたくないものは残っております」
知県はそれを聞くと、大急ぎで、この近所の男を案内に立てて東渓村へ逮捕にやらせた。
二時《ふたとき》とはたたぬうちに、下男がふたりひきたてられてきた。よび出して訊問すると、はじめは口を割らなかったが、打ちすえられてついに白状した。
「はじめは六人の相談でした。わたくしの知っておりますのは、ひとりだけで、村の塾の先生の呉学究という人です。ほかに、公孫勝という道士さん。もうひとりは、色の黒い大男の劉という人。そのほかの三人は、見たことはありませんが、呉学究先生がひっぱりこんだ男で、姓は阮といって、石碣《せつけつ》村で漁師をやっている三人兄弟だと聞きました。いま申したことはみな、うそいつわりはございません」
知県はこれを供述書にとって、この男ふたりを何《か》観察にひきわたし、委細をしたためた公文書をつくって済州府へ提出することとした。宋江は、連行されてきた隣り近所のものの面倒をみてやり、保釈のはからいをしてやって、ひとまず帰宅させた。
さて一同は何濤とともにふたりの男を護送し、夜道を駆けて済州に帰った。おりよく府尹は登庁中で、何濤は一同をひき従えて出頭し、晁蓋が屋敷に火をつけて逃亡してしまったいきさつを報告し、ついで下男たちの供述を申しそえた。すると府尹は、
「そういうことならば、もういちど白勝をここへよび出せ」
と命じ、白勝に問いただした。
「阮という三人の者はどこの者だ」
白勝はごまかしきれず、やむなく白状した。
「三人の阮という者は、ひとりは立地太歳《りつちたいさい》の阮小二、ひとりは短命二郎《たんめいじろう》の阮小五、もうひとりのは活閻羅《かつえんら》の阮小七という者で、いずれも石碣村に住んでおります」
「ほかの三名の姓はなんというのだ」
「ひとりは智多星《ちたせい》の呉用、ひとりは入雲竜《にゆううんりゆう》の公孫勝、もうひとりは赤髪鬼《せきはつき》の劉唐といいます」
府尹はそれを聞くと、
「それでよい。こいつをもとどおり牢へいれておけ」
といい、ただちにまた何観察をよび出して、石碣村へ行ってこれらの賊を逮捕するよう命じた。
かくて何濤が石碣村へのりこんでいったために、天〓地〓《てんこうちさつ》、来《きた》り尋ねて風雲に際会し、水滸山城、行き聚まって人馬を縦横にするということに相なるのであるが、さて、何観察は石碣村へ行ってどのような捕りものをしたか。それは次回で。
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一 醋 物語の中では酒を売ったのであるが、ここでの原文は醋となっている。
二 身躯は六尺 すぐあとの記述に「顔色黒く背たけが低い」とあるが、詩の中の語なので、原文のままとした。
三 秀士 白衣秀士の王倫のこと。この詩の第三、四句は、山寨の主は王倫のような小人物だから、金銀を贈りさえすれば仲間にはいれるの意。
第十九回
林冲《りんちゆう》 水寨《すいさい》に大いに火《か》を併《う》ち
晁蓋《ちようがい》 梁山《りようざん》に小《すこ》しく泊《はく》を奪う
さて何観察は、そのとき府尹の命をうけて退庁すると、すぐ機密房にはいって一同にはかった。捕り手のものたちは、
「石碣《せつけつ》村といえば、湖が梁山泊《りようざんぱく》とすぐ隣りあっていて、ひろびろとした、蘆《あし》のおい茂った湖です。水陸両方から大軍を動かして行くのでなければ、誰もあそこへ賊をとらえに行くようなものはいますまい」
何濤はそれを聞いて、
「それもそうだ」
と、ふたたび役所へひきかえして、府尹に告げた。
「石碣村の湖というのは、すぐそばに梁山泊をひかえ、あたり一帯は深い入江、縦横に入り組んだ水路、そしてぼうぼうと蘆の茂った湖で、ふだんでも賊の出没するところですのに、今は強盗どもがたてこもっているのですから、これは大がかりな手勢をもって立ちむかわないことには、とても取りおさえることはできません」
「では、ほかに捕盗巡検《ほとうじゆんけん》を一名加え、官兵を五百人つけて、おまえといっしょに逮捕に行かせよう」
何観察はそれを聞くと、ふたたび機密房に帰り、捕り手一同を召集して五百余人を選び、それぞれに武器を用意させた。
翌日、捕盗巡検は済州府の公文書を受け、何観察とふたりで、五百の軍兵および捕り手のもの一同を集《つど》えていっせいに石碣村へおしよせて行った。
ところで、晁蓋と公孫勝は屋敷に火を放ったのち、十人ばかりの下男をひき連れて石碣村へむかったが、途中、武器を持って迎えに出てきた阮の三兄弟と出あい、かくて七人は阮小五の家に顔をそろえた。阮小二はこのときすでに家族のものをみな湖のなかに移していた。七人は梁山泊行きの相談をした。呉用のいうには、
「いま、李家道《りかどう》の辻で旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴《しゆき》が居酒屋の看板を出し、四方から集まってくる好漢の応待をひきうけている。仲間に加わろうとするものは、まずやつのところへ行くのが順序となっているのだ。われわれも舟を用意して荷物を全部積みこみ、すこし心付けをやってやつに手引きをさせようではないか」
一同が梁山泊行きの相談をしている最中、数人の漁師が駆けこんできて、
「官兵が村へおしよせてきました」
と知らせた。晁蓋は立ちあがって、
「きやがったか。こっちもあとへは退《ひ》かんぞ」
阮小二が、
「なに、おれがひきうける。やつらの大方は水のなかへたたきこみ、残りは串刺しにしてくれるわ」
といえば、公孫勝も、
「待て待て。おれの腕にまかせておけ」
晁蓋は、
「劉唐、それじゃ、あんたは呉学究先生といっしょに荷物と家族のものを舟に乗せて一足さきに出かけ、李家道の辻の左側で待っていてくれ。わしらはすこし様子を見て、あとから追いかけて行くから」
阮小二は二艘の舟を仕立てて、母親と家族のもの、および家財道具を舟に積みこんだ。呉用と劉唐は、おのおの一艘ずつ舟を宰領し、人手を七八人借りてきて舟を漕がせ、李家道の辻で待つことにした。ついで阮小二は、阮小五と阮小七に計《はかりごと》を授け、小舟でかくかくしかじかに敵を迎えよといいふくめた。ふたりはそれぞれ舟をあやつって出て行った。
さて、何濤と捕盗巡検は、兵をひき連れて石碣村へと迫《せま》ったが、みちみち目にとまる湖岸の舟はみなかっぱらって、水に心得のある兵は舟に乗せてすすませ、岸には岸で兵をすすめ、舟と馬とでたがいにさきをあらそいながら水陸両路を並進し、やがて阮小二の家に着くと、どっと喊声をあげて屋内に乱入したが、家のなかは空っぽで、がらくたが幾つか転《ころ》がっているばかり。ほかにはなにもない。
「ええい、近所の漁師を取っつかまえてみろ」
と何濤はいい、彼らに問いただしてみると、その答えは、
「あれのふたりの弟、阮小五と阮小七は、ふたりとも湖のなかに住んでおります。舟でなきゃ行けません」
何濤は巡検に相談した。
「この湖は、入江だの川筋だのがいくつもあるうえに、水路がややこしく、しかも深みの具合や岸の様子がどうなっているのかさっぱりわからないのですが、そんなところをばらばらに別れて行ったら、やつらの手にはめられるにきまっております。そこで、馬はここへ乗り捨てて数名のものにここを守らせておき、全員舟に乗りこんで一隊となって打ちむかうことにいたしましょう」
かくて、巡検と何観察および捕り手のもの一同は、みな舟に乗った。狩り集めた舟は全部で百艘あまり。櫓舟もあれば棹舟もあり、それらがいっせいに阮小五の漁村へとむかった。
水路を五六里ほど行くと、蘆の茂みのなかで何者かがはな唄をうたっているのが聞こえた。一同が舟をとめて聞けば、その唄は、
魚《さかな》相手にこの蓼児〓《りようじわ》で
暮らす一生田も植えず
泥棒役人ぞっくり殺す
それがおいらのご奉公(注一)
何観察以下一同のものはぎょっとした。見ればずっとむこうの方に、ひとりの男が小舟をあやつりながらうたっているのだった。顔を知っている者が指さして、
「阮小五だ」
と叫んだ。何濤が手をふって、かかれと合図すると、捕り手たちはいっせいにすすみ出て、それぞれ武器を手にして身がまえた。阮小五はからからと笑って悪罵を投げつける。
「百姓をさんざんいじめる泥棒役人め、よくもここまでやってきやがったな。罰あたりなまねがそれほどしたいのか。吠えっ面かかぬよう用心した方がかしこかろうぜ」
何濤のうしろに控えていた弓の上手が、矢をひきつがえてひきしぼり、いっせいに射放つと、阮小五は櫂を握ったままざんぶと水のなかへもぐってしまった。一同はそこへ漕ぎつけたが、無駄骨であった。
さらに舟をすすめて二つ目の入江にさしかかったとき、こんどは蘆の穂の茂みのなかから口笛が聞こえてきた。一同がそれっとばかり舟を漕ぎ出すと、行くてにふたりの男が一艘の舟をあやつっている。舳《へさき》に立ったひとりは、竹笠かぶって簑をつけ、手に筆管槍(長槍)をもてあそびながらうたっていう。
おれの生まれは石碣村
人を殺すがだいすきで
何濤の首をまずもらい
都の天子のおみやげに(注二)
何観察をはじめ一同のものはまたしてもぎくりとした。見れば前の男は槍をもてあそびながら唄をうたい、後の男は櫓をあやつっている。その顔を知っているものが、
「阮小七だ」
と叫んだ。何濤は、
「ものどもかかれ。あいつをひっつかまえるのだ。逃がすな」
とおめきたてた。すると阮小七は笑って、
「間抜けめ」
と、槍をひと突きすると、舟はくるりとむきをかえ、せまい入江のなかへはいって行った。一同は喊声をあげて追いかける。阮小七と漕ぎ手の男は、飛ぶように舟をすすませ、あいかわらず口笛を吹きつづけながら狭い水路を縫って疾走する。官兵はひたすら追いかけた。水路はみるみる狭《せば》まってきた。何濤がいった。
「待て、舟をとめろ。岸へつけろ」
岸へあがって見ると、見わたすかぎりただぼうぼうたる蘆の原で、一筋の道もない。何濤はいささかうろたえた。どうしてよいやら、見当もつかない。村人にたずねてみたが、その返事は、
「わしらはここの土地のものでございますが、ここいらはどういう具合になっているのかまるでわかりません」
そこで何濤は、捕り手のものを二三人ずつ乗せて小舟を二艘漕ぎ出させ、道のもようをさぐらせにやったが、二時《ふたとき》あまりたってもいっこうに帰ってこない。
「やつら、なにをぼやぼやしてやがるんだ」
と、何濤はこんどは五人の捕り手に舟二艘で道をさぐらせにやったが、またしても一時《ひととき》あまりたったが、なしのつぶて。何濤は、
「あの連中は長いことこの道で飯を食ってきて、すばしこい(注三)やつらばかりなのに、今日はどうしてこうもだらしないのか。いくらなんでも一艘ぐらいはもどってきてもよさそうなもんだ。いっしょにきた兵隊たちときたらまるであてはずれで、皆目《かいもく》西も東もわからんやろうばかりだし」
日はようやく傾いてきた。何濤は思案した。
「これじゃどうにもならん。ひとつ、おれが自分で乗り出そう」
舟あしの早い舟を一艘仕立て、老練な捕り手を数人えらんで、それぞれ武器をもたせ、五六本の櫂で漕いで出た。何濤は船首に乗り、蘆でうずまった水路をおしわけながら奥へと漕ぎいれて行った。
このとき、日はすでに西に暮れ落ちていた。漕ぎすすむこと五六里、ふと見ればかたわらの岸のうえを、鋤を持った男がひとりやってくる。
「おい、おまえはなにものか。ここはなんというところだ」
と何濤はたずねた。男は、
「おいらは村の百姓だ。ここは断頭溝《だんとうこう》といって、このさきは行きどまりだよ」
「舟が二艘、こっちへきたのに行きあわなかったか」
「阮小五をつかまえにきた舟のことかね」
「きさま、どうしてそれを知ってる」
「あの連中なら、このさきの森のなかで斬りあいをやってたぜ」
「そこまでどれくらいある」
「ついそこに見えるのがそうだよ」
何濤はそれを聞くと、加勢に行こうとして舟を岸に漕ぎよせさせ、まず捕り手ふたりにさすまたを持たせて、岸へあがらせた。と、男はいきなり鋤をふりあげ、ふたりの捕り手はその一撃をくらって、もんどりうって水のなかへ落ちた。何濤はそれを見てびっくりし、急いで立ちあがって、岸へ飛びあがろうとしたが、そのとき舟がとつぜんゆらりとゆれて岸をはなれたかと思うと、水のなかからひとりの男がもぐり出てきて何濤の両足をつかみ、ぐいとひっぱってずぶずぶと水のなかへひきずりこんだ。舟のなかに残っていた数人のものが逃げようとするところへ、鋤をもった男が飛び乗ってきて、鋤をふりかざし、つぎつぎに一撃をくらわして、脳味噌までも叩き出した。何濤は、水中の男にさかさまにひきずられて岸へあげられ、腹巻をほどかれて、その腹巻でしばりあげられた。見れば、水中の男はなんと阮小七であり、岸で鋤をもっていた男は阮小二だった。
ふたりは何濤を睨みつけてののしった。
「おいら三人兄弟は人殺しと火つけがなにより好きなのだ。きさまなんか、屁でもない。しゃらくさいまねをして、よくも官兵なんぞをひき連れておれたちをつかまえにきたな」
何濤はいった。
「親方、わしはただお上の命令で出てきただけで、わしの勝手にはなにもできないのです。わしはあなたさまを召しとろうなんて、そんな滅相なことは考えておりません。おねがいいたします。家には八十になる母親が待っていて、ほかには面倒を見てくれる者もないしだい、命だけはなにとぞお助けくださいますよう」
阮の兄弟は、
「こやつは粽《ちまき》にしばって、胴の間へ放りこんでおこう」
といい、いくつかの屍体は水のなかへ投げ捨てた。ふたりが口笛を一声吹くと、蘆の茂みのなかから四五人の漁師があらわれて、舟に乗りこんだ。阮小二と阮小七はそれぞれ一艘の舟に乗って漕ぎ去って行った。
さて一方、捕盗巡検は、官兵をひき連れて舟に乗っていたが、
「何観察は捕り手たちが役にたたぬといって、自分で道をさぐりに行ったが、これも出て行ったきりさっぱり帰ってこないが」
といっているうちに、はや初更(夜八時)のころになり、空はいちめんの星あかり。一同が舟のうえでのんびりと涼んでいると、とつぜん一陣の怪風が吹いてきた。それは、
沙《すな》を飛ばし石を走らせ、水を捲き天を揺《ゆる》がす。黒漫々《こくまんまん》として烏雲《くろくも》を堆起《たいき》し、昏〓々《こんとうとう》として急雨を催し来る。荷葉を傾翻し、波心に満ちて翠蓋《すいがい》交加し、蘆花を擺動《はいどう》し、湖面を遶《めぐ》って白旗繚乱《りようらん》す。吹き折る崑崙《こんろん》山頂の樹、喚《よ》び醒ます東海の老竜君。
その一陣の怪風が後方より吹きつけてきたのである。一同が顔をおおって驚愕し、悲鳴をあげてうろたえるあいだに舟の纜綱《ともづな》はことごとくひきちぎられてしまって、どうすることもできずにいるとき、うしろから口笛の音が聞こえてきた。吹きつける風にさからってふりむいて見ると、蘆の茂みのかたわらから光のさしているのが見えた。一同は、
「もうだめだ」
と、わめく。
大小の舟、四五十艘は、強風に吹きつけられ、たがいにぶっつかりあって、どうしようもない。火は、早くもすぐそこまで迫ってきた。見れば、それは小舟の集団で、二艘ずつひとつにつなぎあわせ、そのうえにはいっぱいに蘆の枯柴が積んであって、ぱちぱちと燃えさかりながら追い風に乗って突きすすんでくるのである。四五十艘の官兵の舟は吹きよせられてひとかたまりになっていたが、なにしろ水路が狭くてよけるにもよけようがない。大型の舟も十数艘あったが、これが火をつけた舟におされ、舟の大集団のなかを縫ってまわってほかの舟にまで火をつける。水のなかにも人がかくれていて、舟をうごかして焼きまわっていたのである。焼きたてられた大型船の官兵たちは、いっせいに岸へとび移って必死に逃げたが、しかし行手は蘆におおわれた沼ばかりで、道はひとつもない。と、見るまに岸の蘆にも火が移って、ぱちぱちと燃えはじめた。捕り手の官兵たちはすすむことも退くこともできない。風はますます強くなり、火勢はいよいよはげしくなる。官兵たちは火をくぐりぬけて泥沼のなかへ駆けこみ、立ちつくしていた。
そのとき火の海のなかに、とつぜん一艘の早舟が姿をあらわした。船尾にはひとりの男が櫓をあやつり、船首にはひとりの道士が乗りこんで、手にしたひと振りの宝剣をきらきらときらめかせながら大声でどなっている。
「ひとりも逃がすな」
泥沼のなかの官兵たちはあわててひとかたまりになった。道士の声がまだおわらぬうちに、蘆の茂みの東岸に、ふたりの者が四五人の漁師をひき連れてあらわれ、てんでに刀や槍をぎらぎら光らせながら飛び出してきた。また西岸にもふたり、おなじく四五人の漁師をひき連れ、きらきら光る飛魚鉤《ひぎよこう》(銛の類)をつかんであらわれた。こうして東西の両岸から四人の好漢とその部下のものがいっせいに襲いかかって片っ端から突き刺して、またたくまに多くの官兵をみな泥沼のなかに刺し殺してしまった。
東岸のふたりは晁蓋と阮小五、西岸のふたりは阮小二と阮小七、船上の道士は風を招きおこした公孫勝。この五人が、十数人の漁師をひきつれて、蘆原のなかに官兵をことごとく突き刺してしまったのである。生きのこったは何観察たったひとり。粽《ちまき》よろしくしばられて胴の間に転《ころ》がされていた。阮小七はこれを岸にひきずりあげ、指をつきつけてののしった。
「うぬめ、済州の良民をいじめる毒虫め。きさまなぞは粉々にひき裂いてやるのがちょうどよいところだが、帰してやるから、済州府のうすのろ知県にこういい聞かせておけ。おいらは石碣村の阮氏三雄と東渓村の天王晁蓋さまだ、うっかり触《さわ》りでもすれば大《おお》火傷《やけど》をするぞ。おれたちもきさまのところへ米を借りには行かぬから、きさまの方もおれのこの村までわざわざ死ににくるのはやめておけ、もしまともにぶつかってきやがるなら、きさまのようなけちな州尹はいわずと知れたこと、蔡太師が用人をよこしてつかまえにきたってこれまたいわずと知れたこと、蔡太師が自分で乗りこんできたって、おれが風穴の二三十もあけて見せてやるぞとな。きさまは帰してやるからもう二度とやってくるな。きさまのとこの間抜け知事にも、むざむざ命を捨てに行くのが関の山だといっておけ。ここには街道なんてものはないから、この弟に入り口まで送って行かせてやる」
阮小七は小舟に何濤を乗せ、街道への出口のところまで送って行くと、
「ここをまっすぐ行けば道がさがせる。ほかの連中はみんな殺されてしまったのに、きさまだけが無事に帰って行くわけにもいかんだろう、それに州尹のくそやろうに笑われるだろうから、きさまのその耳を二つちょんぎって、しるしにしてやろう」
と、阮小七は匕首を抜き、何観察の両の耳をそぎおとした。鮮血が淋漓《りんり》としたたった。小七は匕首を鞘におさめ、しばってあった腹巻をほどいて何濤を岸へ放りあげた。詩にいう、
官兵尽《ことごと》く付す断頭溝
何濤を放たんと要《し》て便《すなわ》ち休せず
耳朶を留着して説話を聴《き》かしめ
旋《また》驢耳を将《もつ》て驢頭に代《か》う(注四)
何濤は命びろいをし、道をさがして済州へ帰った。
さて、晁蓋と公孫勝と阮家三兄弟、および十数人の漁師たち一同は、六七艘の小舟に分乗して石碣村の湖を離れ、まっすぐに李家道の入口へむかった。
やがて到着し、呉用・劉唐らの舟をさがして合流した。呉用が官兵とのたたかいの模様をたずねると、晁蓋はその顛末をくわしく話した。呉用らは大いによろこび、一同は舟を並べて、旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴の居酒屋へ着いた。
朱貴は、大勢の者が仲間にはいりたいといってきたので、あわてて出迎えた。呉用が事のしだいを朱貴に話した。朱貴はそれを聞いて大いによろこび、ひとりびとりと初対面の挨拶をかわしたのち、一同を座敷に請じあげ、席がきまると、さっそく給仕にいいつけて山寨のおきまりの酒宴でもてなした。と同時に皮張りの弓をとり出し、鳴り鏑矢《かぶらや》をつがえて対岸の蘆の茂みのなかへ射ちこんだ。矢のとどくと見るや、そこから手下の者が舟を漕ぎ出してきた。朱貴は急いで手紙をしたため、仲間に加わろうとする好漢たちの数や姓名などをくわしく書いて、まずその手下の者に山寨へとどけさせた。そうする一方、また羊をつぶして好漢たちを歓待した。
一夜あけてその翌日の早朝、朱貴は大型の舟をよんで好漢ら一同を乗りこませると、晁蓋らの乗ってきた小舟ともども山寨へむかった。やがてある川口へ着くと、陸の方からかまびすしく打ち囃す銅鑼や太鼓の音が聞こえた。晁蓋が見ると、六七人の山の手下どもが偵察船四艘を漕ぎ出してき、朱貴を見ると一声挨拶をして漕ぎもどって行った。
さて一行は金沙灘《きんさたん》に上陸した。家族の乗った舟と漁師たちはそのままそこに待たせておいて、山からおりてきた数十人の手下たちに案内されて砦《とりで》の方へのぼって行くと、王倫が頭領たちをうち連れて砦の外まで迎えに出てきた。晁蓋が急いで礼をすると、王倫は礼をかえして、
「わたしは王倫です。晁天王のお名前は、耳にとどろく雷のように、かねてからうかがっております。今日はいかなるさいわいか、むさくるしい山寨へようこそおいでくださいました」
「わたくしは、書を読むことも知らぬがさつもの。このほど身のふつつかをもかえりみず参上いたしましたについては、甘んじて頭領配下の一小卒となります。どうかお見捨てくださいませんよう」
「お言葉恐縮です。まずはともかく山寨の方へおいでください。あちらでゆっくり承りましょう」
一行と従者たちは、ふたりの頭領のあとについて山をのぼって行った。山寨の聚義庁《しゆうぎちよう》につくと、王倫は礼をつくして一行を庁上にいざなった。晁蓋ら七人は右側に一列に控え、王倫と頭領たちは左側に一列に並び、ひとりひとり礼をかわしおわって、主客それぞれむかいあって腰をおろした。王倫は階前に控える小頭目たちをよんで挨拶をさせた。それがおわると、庁内の一隅より山寨の鼓楽の奏楽。ついで王倫は小頭目をよび、山をおりて家族たちをもてなすようにいいつける。砦の外《そと》にも来客をもてなす宿舎があった。詩にいう、
人夥《じんか》は分明に是れ一群なり
相留めて意気便《べん》に須《すべから》く親しむべきに
如何《いかん》ぞ彼を待《ま》って賓客と為す
只《ただ》身の主人と作《な》り難きを恐るればなり
さて、山寨では牛を二頭、羊を十頭、豚を五頭屠り、楽《がく》の音もにぎやかに盛大な酒宴が設けられた。こうして一同が酒をくみあっているとき、晁蓋は胸襟をひらいて、これまでのいきさつのすべてを王倫らに話した。それを聞くと王倫はしばらくは愕然とし、内心あれこれとためらって口ごもり、考えこんだまま、うわのそらで応答をしていた。宴会は夜になっておわり、頭領たちは晁蓋ら一行を送って砦の外の宿舎に休ませ、人をつけて世話をさせた。晁蓋はよろこんで、呉用ら六人の者にいった。
「わしたちは途方もない大罪を犯して、身をよせるところもない始末、王頭領がこうして歓迎してくれなかったら、わしたちは行くところもなかったのだ。この大恩は忘れてはならぬ」
呉用はただ冷笑している。晁蓋は、
「先生はどうして冷笑なさる。わけでもあるなら聞かせてもらおう」
「兄貴はすなおな人だ。あんたは王倫がわたしたちをここにおいてくれると思っているのですか。兄貴はあいつの心を見ずに、ただあいつの顔色や素振り、物腰を見ているだけだ」
「というのは、どういうことだ」
「兄貴は気がつきませんでしたか。朝の席であいつがあんたに話しかけていたときはまだ好意があったが、兄貴がおおぜいの官兵や捕り手や巡検らを殺したこと、何濤を逃がしてやったことを話し、阮氏三雄の大豪ぶりを披露したら、とたんに、あいつの表情がちらりとくもった。口さきの受け答えやその素振り、物腰には別段のかわりもなかったが、心のなかはそれとまるで裏腹だった。もしあいつにわたしたちをおいてくれる気があるなら、朝のときすぐ席次をきめてくれたはず。杜遷と宋万のふたりはもともと田舎者だから客あしらいのことなぞわかりもしないが、あの林冲というのは、もとは都の禁軍の教頭で、都そだちの、なにごともわきまえている男です。今はしかたなしに第四の席についているが、朝がた、王倫のあんたに対するあしらいぶりを見た林冲は、不満の色を浮かべて、しきりと王倫をにらみつけ、いらいらしているようだった。わたしの見るところ、彼はわれわれによくしたいのだが、それができないのだ。わたしが誘いの水をひいて、この山寨で同士討ち(注五)をやらせてみましょうか」
「わしたちの身のふりかたは、いっさい先生の妙策良謀におまかせしよう」
その夜は七人とも休んだ。
翌朝のあけ方、
「林教頭さまがお見えです」
という知らせがあった。呉用は晁蓋にいった。
「むこうからきてくれた。思う壺です」
七人の者は急いで起きて出迎え、林冲を宿舎のなかへ請じいれた。呉用がすすみ出て礼をいった。
「昨夜はひとかたならぬ歓待にあずかり、お礼の申しようもありません」
「いえいえ、失礼をいたしました。大切なお客さまとは存じあげながらも、わたしはその地位にありませんものですから。どうかおゆるしのほどを」
「わたくしども、いたらぬ者ながら、木石ならぬ身、あなたのひとかたならぬご好意のほどはよく存じており、深く感じ入っているしだいです」
と呉用はいい、晁蓋はなんども譲って林冲に上座をすすめた。林冲はどうしても聞きいれず、晁蓋を上座につかせて自分は下座についた。呉用ら六人もずらりと席についた。
「教頭どののお名前は久しく聞いておりました。このたびはお目にかかれてまことに望外のよろこびです」
と晁蓋がいうと、林冲は、
「わたくし、東京《とうけい》におりましたころには、人さまとのつきあいに礼を失した覚えはございませんのに、このたびはせっかくお目にかかりながら思いのままにおもてなしができず、じつはそれをお詫びにまいりましたしだい」
「ご好意のほど、ありがとうございます」
と晁蓋は礼をいった。呉用がたずねた。
「わたしが前々からうかがっておりますところでは、あなたは東京でなみなみならぬ武勇をあらわしておられたはずなのに、どうして高〓と仲たがいをして罪に落とされなさったのですか。またその後、滄州での軍のまぐさ置場の火事もやはり高〓の仕業だとか聞いておりますが、その後どなたのすすめでこの山へおいでになったのですか」
「高〓のやつにおとしいれられた話は、口に出すだけでも髪の毛も逆立つ思いなのですが、今もって復讐をとげることもできずにおります。この山へ身をよせましたのは、柴《さい》大官人どののご推薦によってです」
「柴大官人どのとおっしゃると、好漢たちが小旋風《しようせんぷう》の柴進《さいしん》とよんでいる、あの方のことですか」
「そうです」
と林冲が答えると、晁蓋が、
「柴大官人どのといえば、義を重んじて財を軽んじ、四方の好漢たちの世話をよくなさるお方とか。大周《だいしゆう》皇帝のご子孫とも聞いておりますが、いちどなりとお目にかかりたいものです」
呉用がまた、
「その柴大官人どのはお名前の天下に聞こえわたった人、あなたの武芸がよほどのものであったればこそのご推薦と思われます。これはわたくしお世辞を申すわけではありませんが、王倫どのとて第一の頭領の席をゆずられるのが理の当然というもの、それが天下の公論であり、また柴大官人どののご推薦にもこたえることでしょう」
「おほめにあずかって恐縮に存じます。わたしは大罪を犯したために柴大官人どののところへ身をよせたのですが、柴大官人どのからはおひきとめいただいたものの、ご迷惑をおかけするようなことがあってはと、自分でこの山へやってきたのです。だが、今日このように途方に暮れようなどとは夢にも思いませんでした。地位の高下がどうというのではありません。王倫が移り気で、いうことがあてにならず、仲間としてたのみにならないのです」
「王倫どのは、人当りがよくて和気靄々《あいあい》たる人のように見えますが、そのように狭量だとは、これはまたどうしたことです」
「このたびさいわいにも、あなたがたのような大豪の方々がおいでになってこの山寨にお力添えくださることは、錦上に花を添え旱天に慈雨を得るようなものですのに、王倫は自分よりもすぐれた者をねたむたちで、あなたがたにおさえられはせぬかとばかり気にしているようなしまつで、昨夜あなたが、みなさんがおおぜいの官兵を殺された顛末を話されると、これはいかんと考えてどうやら仲間にいれることをことわろうとしている様子です。みなさんがたを砦の外の宿舎へご案内したのは、そのためなのです」
すると呉用が、
「王頭領どのがそんなおつもりなのなら、われわれはそれをいいわたされるまえに、早々に立ち去ってどこか他所へ身をよせることにしましょう」
「いや、どうかそのようにお見捨てなく。わたしにもいささか考えがございます。そんなこともあろうかと思いましたので、かくも早朝からうかがったようなわけです。今日の彼の出かたを見て、もしも彼のいうことが昨日のようではなく、ちゃんと筋がとおっておればそれでよし、一言でもおかしな口をきいたら、そのときには万事このわたしにお任せください」
「あなたのひとかたならぬご配慮のほど、一同感謝にたえません」
晁蓋がそういうと、呉用は、
「しかしそれでは、われわれのためにあなたを古いお仲間と仲たがいさせることになります。ひきとめられればおらせてもらいますが、さもなければすぐお暇することにします」
「それは先生、正しくありません。昔から、賢者は賢者を惜しみ好漢は好漢を惜しむ、というではありませんか。あんなやろうなぞ、もののかずではありません。みなさんがた、ご心配はいりません」
林冲は立ちあがって、一同に別れをつげた。
「いずれまた後ほど」
一同は外に出て見送った。林冲は山をのぼって行った。まさに、
如何んぞ此《こ》の処《ところ》人を留《とど》めざる
言う休《なか》れ自ら人を留むる処有らんと
応《まさ》に人を留むべき者人の留まるを怕《おそ》れ
身は留まり難きを苦しみ客を留めて住《とど》まらしむ
その日、まもなく、手下の者がやってきて招宴の口上をのべた。
「これから山寨の頭領たちが、みなさまがたを山の南の水寨《すいさい》の亭《あずまや》で宴席にお招きでございます」
晁蓋がいった。
「頭領がたにおつたえください。すぐおうかがいいたしますと」
手下の者が帰ると、晁蓋は呉用にたずねた。
「先生、この集まりはどういうことになりましょう」
呉用は笑って、
「ご安心なさい。この集まりであなたは山寨の主《あるじ》となるでしょう。林教頭は今日はどうしても王倫と同士討ちをするつもりのようだが、万一すこしでもその気がくじけるようだったら、わたしがこの三寸不爛の舌でかならず同士討ちをさせます。兄貴たちはめいめい武器をしのばせて行ってください。わたしが手でひげをひねるのを合図に、兄貴たちは力をあわせてもらいたいのだ」
晁蓋ら一同はひそかによろこんだ。辰牌(朝八時)を過ぎると、三度も四度も使いの者が催促にきた。晁蓋ら一同の者が、それぞれ武器をふところにしのばせ、服装をととのえて出かけようとしていると、宋万がみずから馬に乗って迎えにき、手下の者が七台の轎《かご》をかついできた。七人はそれに乗って山の南の水寨へとむかった。山の南に着いて眺めると、まことにすばらしい風景。やがて山寨のうしろの水亭の前で轎をおりた。王倫・杜遷・林冲・朱貴らはみな外に出て迎え、水亭のなかへ案内して主客それぞれの座についた。水亭のまわりの景色はと見れば、
四面の水簾《すいれん》は高く捲かれ、周廻の花は朱欄《しゆらん》を圧す。満目の香風は、万朶の芙蓉緑水に舗《し》き、眸を迎うる翠色は、千枝の荷葉芳塘《ほうとう》を遶《めぐ》る。華簷《かえん》の外は陰々たる柳影、鎖〓《さそう》の前は細々たる松声。江山の秀気は亭台に満ち、豪傑の一群来って聚会す。
そのとき、王倫と四人の頭領、杜遷・宋万・林冲・朱貴は左手の主人の席につき、晁蓋と六人の好漢、呉用・公孫勝・劉唐および阮氏三兄弟は右手の客席につらなった。階段の下の手下の者たちは、かわるがわる立って酒をついでまわった。宴たけなわとなり晁蓋と王倫とはしきりと話しあっていたが、話が仲間入りのことになると、王倫はすぐほかの話をはじめて、ごまかしてしまうのである。呉用がそっと林冲の方を見ると、林冲は床几から腰を浮かしながら、王倫をいらいらした眼で見つめている。
酒宴はつづいて、昼すぎになった。王倫はふりむいて手下の者にいいつけた。
「持ってこい」
三四人の者が出て行ったが、やがてひとりが大きな盆を捧げてきた。盆には大きな銀塊が五個盛ってあった。王倫は立ちあがって杯をとりながら、晁蓋にいった。
「みなさまがたが仲間にはいろうとしておいでくださったことは、まことに光栄に存じます。しかしながら残念なことに、この山寨はほんの小さな水たまりのようなもので、あなたがたのようなまことの竜の身に、安んじていただけるところではありません。ほんのわずかで恐縮ですが、どうかこれをお納めくださって、ほかの大きな山寨へおいでをねがいます。そのせつには、わたくしも部下を連れてみずから麾下《きか》に加えさせていただきたいと思っております」
晁蓋はいった。
「わたくしは前々から、こちらの山寨では広く好漢をお招きになっていると聞いておりましたので、仲間にいれていただこうと思ってまっすぐここへきたのですが、かなわぬとならば、われわれ一同、おいとましましょう。そのはなむけの白銀はお受けするわけにはまいりません。偉《えら》ぶるわけではありませんが、小遣銭ぐらいなら多少持っておりますゆえ、そのはなむけはおとりさげねがいます。では、これにて失礼いたします」
「なぜご遠慮なさいます。みなさまがたをおとめしたいのはやまやまですが、いかんせん糧食も十分ではなく、建物もととのっておらぬありさまで、おとめしてもかえってさきざきのためいかがかと案ぜられ、お名前に傷をつけてもならぬと考えて、それでおひきとめするのを思いとどまったようなわけで」
王倫のこの口上がまだおわらぬうちに、とつぜん、林冲が両の眉を逆立て、両眼をかっと見開き、床几にかけたままで大声でどなった。
「きさま、この前おれがやってきたときはどうだった。糧食が不十分だの、建物が狭いのだのといいおったが、こんど晁の兄貴たちが見えたについても、おなじ科白《せりふ》をくりかえす。いったいどういうつもりなんだ」
呉用が口をはさんだ。
「頭領、まあそうお怒りにならないで。われわれがやってきたのがいけなかったのです。とんだことで、山寨に内輪もめをかきたてることになってしまって。王頭領は礼をもっておことわりになり、こうしてはなむけまでさし出されたわけで、さっさと出てうせろと追い立てておられるわけではありません。まあお怒りにならないでください。われわれもあきらめてひきさがりましょう」
しかし林冲は、
「あやつは笑いのなかに刀をかくし、口と心とのちがう腹の黒いやつ。今日こそはゆるさんぞ」
王倫はどなりつけた。
「口をつつしめ、ばかもの。酔ってもいないのにおれにつっかかってくるとは。上下の分をわきまえぬか」
林冲はかっとなって、
「なにを、落第書生め、胸中なんの学問もなく、それで山寨の主《あるじ》とはおこがましいぞ」
呉用がいった。
「晁の兄貴、われわれがこの山寨をたよってきたばっかりに、頭領がたに恥をかかせることになった。すぐ舟を仕立ててお暇しましょう」
晁蓋ら七人は立ちあがって亭をおりかけた。すると王倫がひきとめて、
「まあ宴席がおわってからにしてください」
そのとき林冲は、机を蹴飛ばしてぱっと立ちあがるや、懐からぎらぎら光る刀を抜き出して勢いすさまじく握りかまえた。
すかさず呉用は手でひげをひねった。と、晁蓋と劉唐は亭へかけのぼって王倫をかばうようなふりをしながら、
「同士討ちはやめなさい」
と叫ぶ。呉用も林冲をつかまえながら、
「頭領、早まったことをなさるな」
公孫勝もとりなすふりをして、
「わしらのために、仲間割れをしてはなりません」
阮小二は杜遷を、阮小五は宋万を、阮小七は朱貴を、とそれぞれひきとめる。
手下たちはびっくりして、目をみはり口をあけて、ただ茫然としているばかり。
林冲は王倫をとりおさえてののしった。
「うぬめ、田舎猿の貧乏書生め、きさまは杜遷どののお蔭でここへこれたのだぞ。柴大官人どのからはあれほどの援助をうけ、格別のご交誼にあずかりながら、おれをおまえに推挙なさったことにはなんのかんのと難癖をならべたて、こんどはまた豪傑のかたがたがわざわざたよっておいでになれば、またしても追いかえそうとしやがる。この梁山泊は、きさまだけのものではないぞ。きさまのようなねたみ深い胴欲者は、生かしておいてもなんの役にも立たぬわ。なんの才能も度量もないきさまごときやつを、山寨の主と奉るわけにはいかん」
杜遷・宋万・朱貴は、すすみ出て、なだめようとするものの、連中にがっしりととりおさえられていてどうすることもできない。王倫もこのとき逃げ出そうとしたが、晁蓋と劉唐のふたりが道をふさいでいる。形勢わるしと見た王倫は、
「ものども、どこにいる、出会え」
とわめく。腹心の部下も、何人かいるにはいて、助けに出て行こうとはするものの、林冲のすさまじい勢いにのまれて、誰ひとりすすみ出るものはなかった。
林冲は王倫をとりおさえてさらにひとしきりののしったのち、鳩尾《みぞおち》のあたりをぐさっとひと刺し、亭の上にたおしてしまった。あわれ、多年山寨の主であった王倫は、今ここに、林冲の手にかかってあえなく果てたのである。まさしく、度量大なれば福《さいわい》もまた大に、たくらみ深ければ禍もまた深し、という言葉そのままとはなった。これをうたった詩がある。
独《ひと》り梁山に拠るの志羞《は》ずべし
賢を嫉み士に傲《おご》りて寛柔を少《か》く
祇《ただ》寨主を将《もつ》て身の有と為し
却って群英を把《と》って寇讐《こうしゆう》と作《な》す
酒席に歓ぶ時殺気生じ
杯盤響く処人頭落つ
胸懐の褊狭真《へんきようまこと》に恨むに堪えたり
賢を留むるを肯《がえ》んぜずして命留《とど》まらず
晁蓋らは王倫が殺されたのを見ると、おのおの刀を抜きはなった。林冲ははやくも王倫の首を掻き落として、手にひっさげている。杜遷・宋万・朱貴はびっくりして平伏し、
「なにとぞご配下にお加えくださいますよう」
という。晁蓋らは急いで三人をたすけおこした。呉用は血の溜りのなかから寨主の床几をひきずってきて、しいて林冲にかけさせ、
「命令にしたがわぬやつは王倫がその手本だ。今日から林教頭どのを山寨の主にいただくぞ」
林冲はそれを聞くと大声で、
「先生、なんということをおっしゃる。わたしの今日のことは、あなたがたの意気に感じたればこそです。決してこの地位をうかがおうとしたのではありません。このわたしが主の席をけがせば、天下の英雄たちの笑いものになるだけのこと。たとえ死んでもこの席には坐りません。それよりも一言いわせてもらいたいのですが、承服していただけましょうか」
一同はいった。
「頭領のおおせ、もとより異存のあろうはずはありません。どうかお聞かせください」
林冲がしからばと、語り出した言葉のひとくさり。その短からぬ話から、やがて断金亭《だんきんてい》にあまたの断金(注六)の人を招きつどえ、聚義庁にいくたびか聚義の会が開かれることとなる。まさに、天に替わりて道をおこなえば人まさに至らんとし、義に仗《よ》りて財を疎《うと》んずれば漢《おとこ》すなわちきたる、というところ。さて、林冲は呉用にむかっていかなることをいったのか。それは次回で。
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一 魚相手にこの蓼児〓で…… この歌は意訳した。原文を読みくだせば、
魚を打つ一世蓼児〓
青苗を種《う》えず麻を種えず
酷吏官都《すべ》て殺し尽くし
忠臣報答せん趙官家
趙は宋の天子の姓である。
二 おれの生まれは石碣村…… この歌も同じく、読みくだせば、
老爺生長す石碣村
稟性生来人を殺すを要す
先ず何濤巡検の首を斬り
京師に趙王君に献与せん
三 すばしこい 原文は四清六活。四つも五つも兼ねること。すこしも抜け目のないこと。
四 驢耳を将て驢頭に代う 首を斬る代わりに耳をそぎ落としたの意。驢は罵言。
五 同士討ち 原文は火併《かへい》。併火《へいか》も同じで、標題の「火《か》を併《う》つ」(併火)はこれである。火は夥で、仲間の意味、併は〓で、たたかうこと。
六 断金 金を断つという意で、きわめて堅固なことにたとえる。ここにいう「断金の人」とは、やがて梁山泊にあつまる結束堅い好漢たちのこと。
第二十回
梁山泊《りようざんぱく》に 義士晁蓋《ちようがい》を尊《そん》とし
〓城県《うんじようけん》に 月夜劉唐《りゆうとう》を走らす
さて、王倫を殺した林冲は、その手に短刀を握ったまま一同を指さしながらいった。
「わたしはもと禁軍にあった身ながら、流罪になったあげく、ここにきたもの。このたびは豪傑の方々が、せっかくここに集まってこられたのに、いかんせん王倫は心せまくねたみ深く、いいのがれをしておことわりしようとした。そのため、わたしはやつを討ちとってしまったのだが、その地位をねらったわけではない。だいいちわたしのこの器量では、官軍をむこうにまわして君側《くんそく》の奸《かん》を除くことなどとうていできぬ。さいわいここに晁兄貴がおられる。義を重んじて財を疎《うと》んじ、智勇を兼ねそなえて、今や天下の人々の畏敬を一身に集めておられるお方だ。わたしは義を重んじるたてまえから、今、この方を山寨の主《あるじ》に迎えたいと思うのだが、どうだろう」
「頭領のお言葉、ごもっともです」
みなのものがそういうと、晁蓋は、
「いや、それはいかん。むかしから、強い客も主《あるじ》をしのがず、という言葉がある。わたしは、なんといってもたかが遠来の新参もの。どうしてそんなだいそれたことができましょう」
だが、林冲は手をとって晁蓋を床几におしつけ、
「さあ、もはやご謙遜のときではありません。したがわない者があれば、王倫が見せしめだ」
林冲はなんどもすすめて、晁蓋を床几につかせ、一同に亭の前で拝礼をさせた。一方、手下のものにいいつけて本寨に宴席の用意をさせ、また王倫の死体をかたづけさせ、人をやって山前山後の小頭目たちを本寨へよび集めた。
林冲ら一同は、晁蓋を轎《かご》に乗せ、みなで本寨へむかった。やがて聚義庁《しゆうぎちよう》に着き、一同は馬をおりてなかへ通った。みなは晁天王の手をとって第一の席につかせ、中央で香を焚いた。林冲は前にすすみ出ていう。
「わたくしはただ一個のがさつもの。槍棒の使えるのがせめてもの取りえで、無学無才、知恵も才覚もありません。このたびはいかなるしあわせか、豪傑のかたがたのお集まりをいただき、この山寨の大義も明らかになりました。もはやこれまでのようなきまりのないまねはできません。ついては学究先生には軍師となっていただき、兵権をとって将兵を指揮していただくために、どうか第二の席におつきください」
呉用は、
「わたしは、田舎の書生、胸中なんの経綸《けいりん》もなく、孫子呉子《そんしごし》の兵法を多少は読みかじりはしましたものの、どんな手柄もたてておりません。とてもそんな席にはつけません」
「今となってはご謙遜の儀は無用です」
と林冲はいう。呉用はしかたなく第二の席についた。ついで林冲は、
「公孫先生、どうか第三の席に」
すると晁蓋が、
「それはいけません。そんなにまでおゆずりになるのなら、わたしが座をおります」
「晁兄貴、それはちがいます。公孫先生は、その名天下に高く、用兵に巧妙で鬼神もあざむく策略を駆使される。しかも風をよび雨を起こす法術にかけては誰もおよぶものはないお方です」
公孫勝は、
「法術の心得だけは多少ありますが、済世《さいせい》の才腕などはまるでなく、とても上席をけがすようなことはできません。それよりもあなたこそどうぞ」
「このたび敵を打ちくだかれた先生の手腕はまことに見事なもの。ちょうど鼎《かなえ》の三脚のようなもので、ひとつ欠けてもいけません。まあそうご謙遜なさらずに」
公孫勝はしかたなく第三の席についた。林冲はさらに譲ろうとしたが、晁蓋・呉用・公孫勝は承知せず、三人は口をそろえていった。
「鼎の三脚にたとえてのおすすめに、われわれ三人、上座をけがしましたが、これ以上譲られるのなら、晁蓋以下われわれ一同はおいとまするよりほかありません」
と三人は林冲の手をとって、第四の席につけた。ついで晁蓋は、
「つぎは宋万・杜遷のおふたりについてもらいましょう」
杜遷と宋万のふたりは、王倫が殺されたのを見て思うよう、
「腕もろくにたたないおれたちだ、この連中にはとても、歯が立たないのだから、ここはおとなしく出ておくのが得《とく》というものだ」
ふたりはしきりに辞退して、結局、劉唐が第五の席につき、阮小二が第六、阮小五が第七、阮小七が第八、そして第九位に杜遷、第十位に宋万、第十一位に朱貴がついた。
かくて梁山泊には、十一人の好漢の席がきまった。山前山後あわせて七八百人の手下たちは、みな本寨の前に集まって、お目通りの挨拶をし、ずらりと左右に控えた。
晁蓋はいった。
「みなの者よく聞け。わしは林教頭に推されて今日から山寨の主になる。呉学究は軍師として公孫先生とともに兵権をとる。林教頭以下一同は山寨の取締りにあたる。おまえたち一同は、従前どおり、その職分によって山前山後の務めをはたし、水陸の備えをかたくして油断なきよう。ともどもに力をつくし、心をひとつにして大義をつらぬこうぞ」
ついで晁蓋は、両側の門長屋をとりかたづけさせて、阮家の家族を落ちつかせた後、奪い取った生辰綱の金銀財宝と、じぶんの家の費用にあてていた金銀財帛をとり出して、その場で小頭目をはじめ手下のものたち一同に祝儀として配った。そして牛や馬を殺して天地神明に祈り、一同の新たな結束を祝った。頭領たちは深夜まで酒をくみかわして散会したが、翌日もまた、酒宴を開いて祝い、かくて数日にわたる酒盛りがくりひろげられた。
晁蓋は、呉用をはじめ頭領たち一同とはかって、倉庫を整理し、砦の柵を修築し、槍や刀、弓や矢、よろいやかぶとなどの武器をつくって官兵の来襲にそなえる一方、船舶を動員して水戦の訓練をおこなったりして、万全の備えをしたが、そのことはそれまでとして、梁山泊の十一人の首領の結束は、さながら手足のごとく、また骨肉のごとくゆるぎなく結ばれた。それをうたった詩がある。
古人の交誼は黄金を断つ(注一)
心若《も》し同《ひと》しき時は誼《ぎ》も亦《また》深し
水滸に請う看《み》よ忠義の士
死生能く守る歳寒(注二)の心
ところで林冲は、晁蓋の寛容な態度、義を重んじて財を疎《うと》んじ、みなの家族を山にひきとってやっているのを見て、ふと、生死のほどもわからない、都に残してきた妻のことを思い出して晁蓋にその心をうちあけた。
「わたしは山にきて以来、妻をよびよせたいと思っていたのですが、王倫のあの気まぐれではとてもやっていけないだろうと思って、ついそのままにしておりまして、東京《とうけい》を落ちのびてからは生死のほどもわからずにおります」
晁蓋は、
「ご家族が都におられるのなら、ぜひこちらへひきとっていっしょにお暮らしなさい。すぐに手紙を書いて、誰か使いをやって早々に山へよんであげるがよいでしょう」
林冲はさっそく手紙を書き、腹心の手下ふたりにたのんで、山をおりて行かせたが、二月《ふたつき》とたたぬうちに手下が山に帰ってきていうには、
「東京城内の殿帥府の門前へまいりまして、張《ちよう》教頭(林冲の妻の父)どののおうちをおたずねしましたところ、奥さまには、高太尉に縁組みを無理じいされて、もう半年も前に縊死《いし》してしまわれ、張教頭どのもそれがもとで半月ほど前に病気で亡くなられて、ひとり残された女中の錦児《きんじ》は婿をとって家で暮らしているとのことでございました。近所の人たちにたずねてみてもおなじ返事で、間違いはございません。これがご報告でございます」
林冲はそれを聞いてはらはらと涙を流した。しかしそれでもう後顧のうれいは断たれたわけである。晁蓋ら一同もそれを聞くと、悵然《ちようぜん》として悲しんだ。
山寨にはその後、別に話もなく、毎日、兵の訓練と官兵に対する防備に明け暮れた。
ある日、頭領ら一同が聚義庁で会議をしていると、手下のものが麓から注進に馳せつけ、
「済州府が軍勢をくり出してきました。兵力は約一千、船舶は大小四五百艘、ただいまは石碣村の湖に停泊中です。以上、ご注進にあがりました」
晁蓋は大いにおどろき、ただちに軍師の呉用をよんで相談した。
「官兵がまもなくやってくるとのこと。いかにして防いだものか」
呉用は笑いながら、
「兄貴、大丈夫です。わたしに考えがあります。昔からいうように、水が出たら土で防げ、兵がきたら将で討てです」
呉用はすぐに阮氏三雄をよびその耳もとに口をよせていった。
「かくかく、しかじか」
さらに林冲と劉唐をよんで計をさずけ、
「あなたがたふたりは、かくかく、しかじか」
さらに杜遷と宋万をよんで、なにやらいいふくめた。まさに、
西に迎う項羽三千の陣
今日先ず施す第一の功
ところで済州府では、府尹《ふいん》は団練使《だんれんし》(民兵による軍団の司令官)の黄安《こうあん》と州の捕盗役人一名に対し、兵一千余をしたがえ、近在の船舶を徴発して石碣村の湖へ進発、二手に分かれてすすみ、梁山泊を攻め取るよう命令をくだした。
団練使の黄安は、手勢を統率して船に乗り、軍旗をはためかせて、鬨《とき》の声をあげながら金沙灘へとくり出した。やがて岸辺近くおしよせて行くと、ひゅうひゅうという笛の音《ね》が湖面をわたってどこからか聞こえてきた。
「画角《がかく》(つのぶえ)ではないか」
黄安はそういって、船列を二手に分け、蘆の茂った沼のなかに船をとめさせたが、ふと気がつくと、水面のかなたから三艘の舟がやってくる。見ればどの舟にもちょうど五人ずつ。四人が漕ぎ手で二梃櫓をあやつり、ひとりは舳《へさき》に立っている。頭にはまっかな頭巾をかぶり、身にはみな一様に、刺繍をしたあかいうわぎをはおり、手には留客住(袖がらみ)を持っている。三艘のものとも、みなおなじ服装である。顔を知っているものがいて黄安にいった。
「舟のあの三人は、ひとりは阮小二、ひとりは阮小五、ひとりは阮小七です」
「ものども、力の限り漕げ。あいつら三人をとらえるのだ」
両側に連なっていた四五十艘の船は、いっせいに鬨の声をあげつつ襲いかかって行った。すると三艘の舟は、口笛を合図に、いっせいに舳を転じた。
黄団練は、槍を振りまわしながらとび出して、大声で叫んだ。
「どうあってもあやつを殺すのだ。褒美は存分にとらせるぞ」
三艘の舟は前を逃げて行く。官軍の船はうしろから矢をあびせかけた。阮氏三兄弟は、それぞれ舟の胴の間から黒狐の皮を取り出して矢を防いだ。官軍の船はしゃにむに追いかける。二三里ほど追いかけて行ったところ、黄安のうしろから一隻の小舟が飛ぶようにやってきて、
「もう追ってはいけません。追って行ったわたしたちの船は、やつらの手にかかってみんな水底に沈められたうえ、船まで奪《と》られてしまいました」
「どうしてやつらの手にはめられたのだ」
と黄安がいうと、小舟の男は、
「わたしたちが船をすすめて行きますと、むこうの方から舟が二艘やってきました。五人ずつ乗っているのです。わたしたちがどんどん追いかけて三四里も行ったころでしたが、あたりの小さい入江のなかから、とつぜん七八艘の小舟があらわれて蝗《いなご》のように矢を射ってきました。急いで船をもどして幅の狭い川口へ乗りいれて行きますと、岸の上から二三十人のものが大きな竹縄を水の上にわたしていますので、近づいて行ってその縄を切ろうとしたところ、こんどは陸《おか》の上からやつらが目つぶしだの石ころだのを雨あられと投げてきたのです。わたしたちはたまらず船を捨て、水のなかへ飛びこんで命拾いをしたというわけです。一同ほうほうの態で陸へあがって見ると、やつらはみんなもういませんでしたが、馬までも取って行って、馬番の兵隊はのこらず沼のなかに殺されておりました。わたしたちは蘆の沢のなかでこの小舟を見つけ、こうして、すっ飛んで団練どのに報告にまいったのです」
黄安はそれを聞くと、「しまった、しまった」と大いにあわて、すぐさま白旗をふって追跡の中止を命令し、舟をもどすようよびかけた。命令をうけた多くの船はようやくむきをかえたが、まだ漕ぎ出しもしないうちに、ふと気がつくと例の三艘の舟が、うしろから、こんどは十数艘の舟をひき従え、いずれも四五人ずつ乗り組んで、赤旗をうちふり口笛を吹き鳴らしながら飛ぶように追いかけてくる。
黄安が舟を並べてこれを迎えようとしたとき、とつぜん、蘆の茂みのなかから砲声がおこった。見ればまわりはすべて赤旗。なすすべもなくうろうろしていると、追いかけてきた舟から、
「黄安、その首をおいて行け」
と、どなる声。黄安が必死になって舟を蘆の岸へ漕ぎよせて行くと、こんどは両側の小さな入江のなかからとつぜん四五十艘の小舟があらわれてきて、雨あられと矢を浴びせかける。黄安が矢ぶすまをかいくぐってようやく血路を見いだしたときは、つづく船はわずかに三四艘というありさま。黄安が早船に乗り移ってふりかえって見ると、うしろの方の部下の者はひとりひとり水のなかへ飛びこみ、舟もろともにひきさらわれて行くものもあって、あとのものは大方殺されてしまった。
黄安が早船に乗って逃げて行くと、蘆の沢のところに一艘の舟がいて、その上に劉唐がつっ立ち、黄安の船に鉤棒をひっかけてぱっと跳び移るや、やにわに腰をつかんでおさえつけ、
「じたばたするな」
とどなりつけた。乗組みの兵士たちは泳げるものは水のなかで射殺され、飛びこめないでいたものは船のなかでことごとく生け捕りにされてしまい、黄安は劉唐に岸へひきずりあげられた。遠くには晁蓋と公孫勝が山のすそに馬に乗ってあらわれ、刀をとり、手勢五六十と軍馬二三十頭をひき従えて、援護に駆けつけてきた。
かくて、捕虜にしたものは一二百名。奪い取った船を全部南麓の水寨へしまいこむと、大小の頭領たちは、一同うちそろって山寨へひきあげた。晁蓋が馬をおり、聚義庁へはいって席につくと、他の頭領たちもそれぞれ軍装を解き、武器をおさめ、車座になって席につく。黄安は将軍《だいこく》柱《ばしら》にしばりつけられた。奪った金銀や反物は手下たちに褒美としてあたえられた。
調べてみると、奪ってきた軍馬は全部で六百余頭。これは林冲の手柄であった。東の入江は杜遷と宋万の手柄、西の入江は阮氏三雄の手柄、黄安を捕虜にしたのは劉唐の手柄であった。
頭領たちは大いによろこんで、牛や馬を殺して山寨で祝宴を張ったが、食卓を飾るものは、手づくりの美酒に、湖でとれる新鮮な蓮根と魚。また南麓の木には季節に応じて、桃・杏《あんず》・梅・李《すもも》・枇杷《びわ》・棗《なつめ》・柿・栗。山寨で飼っている鶏・豚・がちょう・あひるなど、いちいちは述べきれない。頭領たちはただもう大よろこび。山寨にこもったばかりで、この大勝利を得たこととて、そのよろこびは格別であった。それをうたった詩がある。
笑うに堪えたり王倫の妄《みだ》りに自ら矜《ほこ》る
庸才大任に豈《あに》能く勝《た》えんや
一たび火併《かへい》(注三)して新主に帰して従《よ》り
会《まさ》に見る梁山の事業の新たなるを
まさに酒をくみかわしているところへ、手下のものが知らせにきて、
「麓の朱のお頭《かしら》からの使いのものがきております」
という。晁蓋がよんでこさせて用件をたずねると、
「今晩、数十人の旅商人が隊を組んで陸路を通ることを、朱のお頭が探知されました。以上、ご注進におよびます」
「ちょうど金や反物がたりないところだ。誰か手下を連れて行ってくれんか」
と晁蓋がいうと、阮氏三兄弟が、
「わたしたちが行きます」
と申し出た。
「おお、たのむぞ。十分気をつけて、めでたく首尾をはたしてくれ」
阮氏三兄弟は、すぐひきさがって着物を着かえ、腰に腰刀をぶちこみ、朴刀・さすまた・袖がらみを手にとり、百人あまりの手下を召し従えて、聚義庁へ行き、他の頭領たちに挨拶をして、山をおりると、金沙灘で船に乗りこんで朱貴の居酒屋へ行った。
晁蓋は、阮氏三兄弟だけでは手にあまるかもしれぬと考え、劉唐に百人余りの手下を集めさせ、麓へおりて行って援護するよう命ずるとともに、
「金や品物だけをうまく取るんだぞ。どんなことがあっても商人たちを殺《あや》めるではない」
といいつけた。劉唐は出かけて行った。
晁蓋は、三更(夜十二時)になっても一行が帰ってこないので、さらに杜遷と宋万に五十余名をつけて援護にむかわせた。晁蓋は呉用・公孫勝・林冲とともに酒をくみながら、ついに夜を明かした。と、そこへ手下の者がきて、
「阮のお頭三人が、二十台あまりの金銀財宝と驢馬《ろば》・騾馬《らば》四五十頭をぶん取られました」
と勝報をつたえた。
「人は殺めなかったろうな」
と晁蓋はきいた。
「商人たちは味方の勢いにおびえあがって、車も家畜も荷物もみんなうちすてて命がけで逃げて行きましたので、ひとりも人は殺しませんでした」
晁蓋は満足して、
「われわれが山寨へはいったからには、人は殺めまいぞ」
と、白銀一錠をその手下にあたえるとともに、酒やつまみものを麓へ持って行かせ、みずからも金沙灘まで出迎えに行った。見れば頭領たちは、車はすでにぜんぶ岸へひきあげ、これから馬をはこびに舟を漕ぎもどそうとしているところだったが、一同は、この出迎えに大いによろこんだ。
酒がすむと、使いのものを朱貴のところへやって、山上での酒宴に出かけてくるようにつたえさせた。
晁蓋ら頭領たちは、うちそろって山寨の聚義庁へあがり、車座になって席につくと、手下のものにいいつけ、たくさんの獲物をそこへはこばせて一包みずつあけた。絹や衣服はうず高く一方へ積みあげ、雑貨は雑貨で片方へ集め、金銀財宝はその真中に積んだ。このたいそうな分捕り品には、頭領たちも目を細くしてよろこんだが、まず庫《くら》の係りの小頭目にどの品も半分ずつにわけさせて、半分は庫へはこんで後日の用にそなえさせ、残りの半分はこれまた半分ずつにわけて、一つは頭領十一人が均分し、あとの一つは全山の手下たちに分けさせた。捕虜にした軍卒は顔に刺青《いれずみ》の番号を打って、屈強な連中は出先の方々の砦《とりで》に分遣して馬の世話や薪割りなどにあたらせ、そうでない者は諸方の車の整備とか、草刈りなどをやらせることにし、また黄安は裏寨《うらとりで》の牢に監禁した。
晁蓋はいった。
「このたびわれわれが山寨へやってきたのは、はじめはただ、難を避けるために王倫の配下になって、小頭目にでもしてもらおうと思っていただけだった。それが、はからずも林教頭のおすすめにあずかって主《あるじ》に祭りあげられたばかりか、思いもかけずひきつづいての二度のよろこび。官軍にうち勝って多数の兵と馬と船を手にいれたうえに黄安を生け捕り、つづいて莫大な金銀財宝を得た。これはみな兄弟たちの力だ」
「いや、すべては兄貴にそなわった福分《ふくぶん》のおかげでそうなったのです」
と頭領たちはいった。晁蓋はついで呉用にむかい、
「われわれ七人のものの命はみな宋押司と朱都頭のたまもの。古人の言にも、恩を知って報いざるは人に非ずとか。今日のこの富貴安楽は誰のおかげだろうか。近いうちに誰かに金銀を持って〓城県へ行ってもらわねばならぬ。これがまずなによりも大事なことだ。それから済州の牢にいれられている白勝、われわれはこれもなんとかして助け出さねばならぬ」
すると呉用がいった。
「兄貴、それについてはわたしに考えがありますから、ご心配なく。宋押司は仁義の人ですから返報などあてにしておられないにきまっていますが、といってまた礼を欠いてはなりませんから、そのうち山寨の方がひとかたづきしたら、われわれ兄弟のうちの誰かに行ってもらうことにしましょう。問題は白勝だが、これは白勝とはまったく面識のない人に行ってもらって、上下の役人に金をつかませ、監視の眼をゆるめておいて脱走させるということにしたらどうでしょう。その間、われわれは糧食の貯蔵、船舶の建造、武器の製作、山寨の柵や城壁の整備、家屋の建て増し、それに、衣服・よろい・かぶとの手入れ、槍や刀や弓や矢の製造、そういったことを相談して官兵の襲来にそなえましょう」
晁蓋はうなずいて、
「そういうことなら、すべて軍師の良策に従いましょう」
呉用はただちに頭領たちを手分けして事にあたらせたが、そのことはこれまでとしておく。
梁山泊は、晁蓋が山にはいってからというもの、こうしてはなはだ勢いさかんになったこともこれまでとして、さて、済州府の太守は、逃げ帰ってきた黄安の配下の兵から、官軍が梁山泊で潰滅した状況と黄安が捕虜になった顛末をつぶさに聞かされ、また、梁山泊の好漢たちは傍へも近よれないほどの勇猛ぶりで逮捕はとてもできそうにないこと、そのうえ、水路がわかりにくく、入江や川口が複雑で、とても勝つことはできないということなどをくわしく聞かされた。
府尹(太守)は、それを聞くとただうなるばかり。太師府の用人にむかって、
「この前には何濤《かとう》がおおぜいの兵を討ち取られて、たったひとり、ほうほうの態で帰ってまいりましたが、両方の耳をそぎ落とされ、その傷跡がいまだに癒えず家にこもって養生したままというありさま。連れて行った五百人はただのひとりも帰ってまいりません。このため重ねて団練使の黄安と本府直属の捕盗官一名に軍勢をつけて逮捕にさしむけたのですが、これもまたすっかり潰滅。黄安は捕虜となって山へ連れ去られ、以下の兵は殺されたものその数を知らずというありさまで、どうしても勝てないのです。いったいどうしたらよいでしょう」
太守がこのようにおどおどと、方策もなにもうしないはてているところへ、役所の小使がやってきて知らせた。
「東門の迎賓館に新任の府尹さまがお見えになるそうです。急報でございます」
太守はあわてて馬に乗り、東門外の迎賓館へ行った。見れば、砂塵を巻きあげて新任の府尹が到着、迎賓館の前まできて馬をおりた。府尹は館内へ導いて初対面の挨拶をかわしあったが、それがすむと新府尹は、中書省《ちゆうしよしよう》(内務省にあたる。軍事の枢務を司る)よりの交替辞令を取り出して府尹に手わたした。太守は読みおわるとただちに新府尹とともに役所へ行き、官印をわたし、府庫にあったすべての金銭や穀物などの引継ぎをおこなったのち、宴席を設けて新府尹をもてなした。その席上、前太守は梁山泊の賊のひじょうな跋扈《ばつこ》ぶりと官軍の潰滅ぶりをくわしく話したが、新府尹はそれを聞くと顔をまっさおにして、心のなかに思うよう、
「蔡太師がおれを推挙したのは、こんな土地柄の、こんなお役だったのか。ここには屈強な軍隊があるわけじゃなし、そんな盗賊をとらえることなんかできそうもない。やつらがお米拝借などといっておしかけでもしてきたら、こっちはもうお手あげだが」
前太守は次の日、衣服や荷物をまとめて東京へ処罰を受けに帰って行ったが、それはさておき、新任の宗《そう》府尹は、着任すると、このほど済州の警備に派遣されてきた新任の軍官を招いて相談をし、兵士の募集や軍馬の買入れ、まぐさや糧食の購買、民間の勇者や智略の士の募集などをして、梁山泊の好漢逮捕の準備をすすめた。と同時に、中書省へ請願して、近隣の各州各郡に対して討伐に協力するようにとの文書を出してもらい、またみずからは所属の各州各県に公文書を出して討伐のことを通知するほか、さらにその所属の県に対してそれぞれの管内の警戒を厳重にするよう命じたが、このこともこれまでとする。
さて済州府の孔目《こうもく》(文書係)は、使者に公文書を持たせて管下の〓城県へつかわし、県内の治安をひきしめ、梁山泊の賊を警戒するよう命じた。〓城県の知県は、公文書を読むと宋江《そうこう》にこれをわたし、各郷村に対して一致団結して警戒にあたれとのお触れ書を作るように命じた。宋江は公文書を見て思うよう、
「晁蓋らの一味も、とんでもない大罪を犯したものだ。生辰綱を奪い、捕り手たちを殺し、何《か》観察に傷を負わせ、おおぜいの官兵を叩きつぶしたうえに、黄安を捕虜にして山へひきずりあげてしまうなんて、これじゃ一家親族全部が死刑にされる重罪だ。追いつめられて仕方なしにやったことにしても、法のうえでは見逃されるわけはないし、もし抜かりでもしたら、どうしたらよかろう」
ひとり心のなかで気をもんでいたが、下役の書記の張文遠《ちようぶんえん》に、この文書ですぐ文案をつくって各郷各保へまわすようにいいつけた。張文遠はさっそくその仕事にとりかかった。
そして宋江は、ぶらりと役所を出て行ったが、ものの二三十歩と行かぬうち、うしろから誰かが、
「押司さん」
とよびかけた。ふりむいて見ると、仲人《なこうど》婆の王《おう》婆さんである。もうひとりの婆さんを連れていたが、その婆さんに、
「あんたはご縁があったんだよ。ほら、なさけぶかい押司さんがいらっしゃったよ」
という。宋江がむきなおりながら、
「なにか用かね」
とたずねると、王婆さんは立ちふさがって、連れの閻《えん》婆さんを指さしながら、
「押司さん、じつは、この人は東京から見えた人で、この土地の人ではないのです。家族は三人で、ご亭主の閻さんと婆惜《ばしやく》という娘さんがありますが、閻さんはもともと唄のうまい人で、娘の婆惜さんも小さいときから教えられていろんな唄がうたえます。年は十八で、器量よしです。三人はこの山東へある旦那さんをたよって見えたのですが、その方に出会えず、この〓城県へ流れてきなさったのですが、このへんの人は粋なことがきらいなもんだから、暮らしが立たず、お役所の裏のさびしい路地の奥に仮り住居していなさったところ、きのう、ご亭主がはやり病いで亡くなってしまわれたのですよ。閻婆さんは野辺送りをしようにも金がなく、どうにもこうにもならなくなって、このわたしに仲人をたのみに見えた、というわけなのです。わたしは、いまどきそう都合よく話はあるもんじゃないといったのですが、そうかといってほかに金を借りるあてもなし、ほとほと困りはててここを通りかかったら、押司さんがお役所から出て見えたので、わたしはこの閻婆さんといっしょにあとを追っかけてきたというわけなのですが、押司さん、気の毒と思って、お棺をなんとか工面《くめん》してあげてくださいませんか」
「そうか。まあ、おれについてこい。そこの路地口の居酒屋で筆と硯を借りて一筆書いてやるから、役所の東の陳三郎のところへ行って棺をもらってくるがよい」
と宋江はいい、さらに、
「ところで、あとのかかりの金はあるのか」
ときいた。
「押司さん、ほんとうのところ、お棺の金さえないしまつで、どうにも算段がつきません」
「それじゃ、別に十両やるから、これでなんとか始末するのだな」
「ほんとに命の親、すくいの神さまでございます。来世は驢馬になり馬になりましても、恩返しをさせていただきます」
「なにもそんなにまで」
宋江は錠銀を一枚、閻婆さんにやって、宿へ帰って行った。
婆さんたちは書付けをもって役所の東の陳三郎の家へ行き、棺道具一式をもらいうけ、家へ帰ってきちんと野辺送りをすませた。そのあと残った五六両は、親子ふたりの口すぎのたしにしたが、それはさておき、ある日の朝、閻婆さんは宋江のところへ礼をいいに行ったが、見れば宋江の宿にはひとりも女がいないので、帰ってきて隣の王婆さんにたずねた。
「宋押司さんのところには誰も女がいないらしいけど、奥さんはまだなんですか」
「宋押司さんの家族は宋家村におられるという話だけど、奥さんがあるなんてことはついぞ聞いたことはないねえ。お役所じゃ押司をつとめてなさるが、かりの宿みたいなもので、普段はお棺とか薬などの世話をして貧乏人の面倒を見るのが道楽、おそらく奥さんはまだないんだろうよ」
「うちの娘は器量もわるくはないし、唄もできるし、いろんな芸事も身につけていて、小さいとき東京にいたころは、しょっちゅう妓楼へ出入りしておりましたが、どこへ行ってもとても可愛がられましてね。妓楼の主人(注四)から養女(注五)にもらいたいという話もなんどかあったんですが、わたしの面倒を見てくれるものがほかにないのでことわったんですよ。それで養女にもやらなかったんですが、そのため今ではあの娘に苦労させることになりました。ところで、こないだ宋押司さんのところへ礼をいいに行ってみたら、宿には奥さんがいらっしゃらないようす、それでおたのみするのですが、宋押司さんに話してみてくださいませんか。もし奥さんをさがしていなさるのなら、うちの婆惜をもらっていただけたらありがたいと思うんですが。先日はあんたのとりなしで宋押司さんに急場を救っていただいたのに、そのご恩返しもできずにいるところですが、あの方にさしあげて親類のつきあいをしたいと思うのです」
王婆さんは承知して、その翌日、宋江のところへ行ってことこまかに話した。宋江ははじめは相手にしなかったが、この婆さんの言葉たくみな仲人口にいいくるめられてとうとう承知し、役所の西口の路地のなかに二階家を借り、家具や什器を買いととのえて閻婆惜親子を住まわせた。それから半月とたたぬうちに、閻婆惜は、髪には真珠や翡翠をあふれさせ、身体は絹ものずくめに飾りたてられた。まさに、
花容〓娜《じようだ》、玉質娉〓《へいてい》、髻《まげ》は一片の烏雲を横たえ、眉は半彎の新月を掃《はら》う。金蓮(足)は窄々《さくさく》として、湘裙《しようくん》より微《かす》かに露《あら》われ、情に勝《た》えず。玉笋(指)は繊々として、翠袖に半《なか》ば籠《こも》り、無限の意。星眼は渾《あたか》も漆を点ぜるが如く、酥胸《そきよう》は真に肪《あぶら》を截《き》れるに似たり。金屋《きんおく》(宮中)の美人御苑《ぎよえん》を離れ、蕊珠《ずいしゆ》(仙境)の仙子塵寰《せんしじんかん》に下る。
宋江はまた幾日かたつと、婆さんにもあれこれと髪かざりや着物をととのえてやり、婆惜にじゅうぶんな暮らしをさせてやった。
はじめのうちは、宋江も毎夜おとずれて婆惜といっしょに寝たが、やがて日がたつにつれてしだいに足が遠のいて行った。それはどうしてかというと、宋江はもともとれっきとした好漢で、槍棒の稽古はなによりも好きだが、女色にはたいして気がなかったのである。一方の閻婆惜は浮気っぽいたちであるうえに、年は十八九の花盛りである。というわけで、宋江はこの奥さまのお気に召さなかった。
ある日、宋江は、よせばよいのに下役の書記の長文遠《ちようぶんえん》を連れて行って閻婆惜の家で酒を飲んだ。この張文遠という男は、宋江と同じ部屋につとめる書記で、みなから小張三《しようちようさん》という名をもらっていたが、眉目さわやかに歯白く唇赤い美男子。いつもよく色町(注六)へ行っては、ふらふら遊びたわむれてあっぱれな蕩児ぶり、しかも歌舞音曲に明るくなんでもよくこなした。
一方の婆惜は、酒と色との遊女である。張三を一目見るなりたちまち心を動かし、情をこめた眼でじっと見る。張三の方でも、婆惜に気があると見てとり、情をこめて見つめかえす。宋江が手洗いに立ったすきに、婆惜はあろうことか口に出して張三にさそいをかけた。諺《ことわざ》にも、風がおこれば樹が騒ぐ、船が揺《ゆ》れれば水が渾《にご》るというが、張三とてもその道にかけては達者な男、もちろんそれがさとれぬはずはない。婆惜のからみかけてくる眼からその気じゅうぶんと見てとり、しかと心に含んでおいた。その後、宋江の留守の時をめがけて、張三は、宋江をたずねてきたようなふりをして出かけて行った。婆惜はひきとめて、お茶をもてなしなどして話しあっているうちに、とうとうふたりはできてしまったのである。婆惜はいったん張三とそうなってしまうと、まるで火のように燃えあがった。張三とてもその方にかけては達人である。古人の言葉にも、一に将《ひき》いず二に帯《つ》れずというが、まったくそのとおりで、宋江も決してそんなことはすべきではないところを張三を連れて酒を飲みに行ったために、浮気をされてしまったのである。昔から、浮気は茶がとりもち、酒は色ごとをとりもつというが、ぴたりとこれにあてはまったわけである。
閻婆惜は、小張三とできてしまってからというものは、宋江にはてんで見むきもしなくなり、宋江が行ってもあたり散らすばかりで、てんでとりあわない。宋江は好漢で女色は念頭になかったので、半月か十日にいちどしか行かなかったが、張三は婆惜と膠《にかわ》のごとく漆《うるし》のごとく、夜になると行き、朝になると帰るというありさまで、近所の人たちは誰知らぬものとてなかった。このうわさは宋江の耳にもとどいたが、宋江は半信半疑で思うよう、
「親のめあわせてくれた正妻というわけでもなし、あいつがおれをきらいだからといって、なにもさわぎたてることはあるまい。行かぬまでのことだ」
それから数ヵ月のあいだ、いちども行かなかった。閻婆さんからはたびたび使いの者がきたが、宋江はなんのかんのと理由をつけて足をむけない。まさに、
花娘《かじよう》は意《こころ》流水に随《したが》う有り
義士は心落花を恋う無し
婆は銭財を愛し娘は〓《しよう》(美男)を愛す
一般の行貨(あきない)両家の茶
話はここで分かれて、ある日の夕方、宋江は役所を出て、むかいの茶店で茶を飲んでいた。と、そこへ、頭には白い范陽《はんよう》の氈笠《せんりゆう》(注七)をかぶり、身には濃い緑のうすもののうわぎをまとい、足には脚絆をしめ、八つ乳《ぢ》の麻の鞋《くつ》をはいて、腰には腰刀をさし、背には大きな包みを背負ったひとりの大男が、びっしょり汗をかきながらはあはあ息を切らせて通りかかり、役所の方をじっとのぞきこんでいる。宋江はその大男をあやしげなやつだと思い、急いで立ちあがって茶店を出るなり、男のあとをつけて行った。二三十歩ほど行くと、男はふりかえって宋江を見たが、宋江の顔を知らないようである。宋江はどこかで見たことのあるような顔だと思ったが、うろ覚えで、すぐには思い出せない。男は宋江をしばらく見ていたが、そのうちに思いあたったのか、足をとめてまじまじと宋江を見つめた。だが別に声をかけてくるわけでもない。宋江は、
「おかしなやつだな。なんだって、じろじろ見やがるんだ」
と思ったが、やはり声をかけるのはひかえていた。すると男は、道ばたの床屋へはいって行って、
「にいさん、あそこにいる押司さんは誰だね」
とたずねた。床屋の男が、
「宋押司さまだよ」
というと、男は朴刀を手にさげながら近づいて行って、大きな声で挨拶をし、
「押司どの、わしをご存じでいらっしゃいますか」
といった。
「なにやらお会いしたことのある人のようにも思うんだが」
「ちょっとそこまでご足労いただけませんか。お話ししたいことがありますんで」
宋江は男について人通りのない路地のなかへはいって行った。
「あの酒屋でお話しいたしましょう」
と男はいう。ふたりははいって行って、人気のない小部屋をえらんで腰をおろした。男は朴刀を側へ立てかけ、包みをおろして机の下におしこむと、いきなりそこへ平伏した。宋江はあわててお辞儀をかえしながら、
「失礼ながら、お名前は」
「大恩人さま、お忘れでございますか」
「さてどなたでしたかな。たしかに見覚えはあるのですが、どうも失念してしまいまして」
「わしは晁保正どののところでお目にかかって、一命をたすけていただいた赤髪鬼の劉唐でございます」
宋江はそれを聞くなりびっくりして、
「あんた、むこうみずな。捕り手に見つからなかったからよかったものの、とんでもないことになりますよ」
「ご恩のほどかたじけなく、死も覚悟のうえでお礼にあがったのでございます」
「晁保正さんたち一同は、その後どうしていらっしゃいますか。あなたは誰の使いで見えたのです」
「晁頭領から大恩人さまにくれぐれもよろしく伝えてくれとのことでございました。命を助けていただきましてから、今は梁山泊の一の頭領になられ、呉学究が軍師になって公孫勝とふたりで兵権をあずかっています。林冲がいろいろ後押しをして王倫を殺してしまいました。もとから山寨にいるのは、杜遷と宋万と朱貴。それにわしら兄弟の七人をあわせて十一人が頭領です。いま山寨に集まる同勢は七八百人で、糧食はありあまるほど。これもひとえにあなたさまの大恩のたまもの。それにお報いすることができませんので、とくにわしが使いに立てられて、書面一通と黄金一百両を、押司どの、ならびに朱と雷のおふたりの都頭どのにお礼のしるしに、ここにあずかってまいったしだいです」
劉唐は包みを開き、なかから手紙をとり出して宋江にわたした。宋江は読みおわり、着物の襟をあけて書類袋(注八)をとり出し、その口を開けた。と、劉唐は、金子《きんす》をとり出して机の上においた。宋江はそれをひとつだけとり、手紙にくるんで書類袋にいれ、襟のなかにしまって、劉唐にいった。
「さあ、この金子《きんす》はもとどおりつつんでください」
さっそく給仕をよんで酒をいいつけ、また大切れの肉一皿と菜やつまみものをならべさせ、給仕に燗をさせながら劉唐と飲んだ。
やがて日が暮れると劉唐は酒をきりあげ、机の上の包みをあけて金子をとり出そうとした。宋江はあわてておしとめ、
「まあ、聞きなさい。あなたたち七人は山へはいったばかりで、金《かね》のいるときだ。わたしは別に暮らしに困っているわけでもないから、それは山寨へあずけておきましょう。わたしが困ったときには、弟の宋清に取りにやらせます。決してよそよそしくするわけではなく、現にこうしてひとつだけちょうだいしているのです。朱仝《しゆどう》は物持ちですからやるにはおよびますまい。あれにはわたしからそういってよく伝えておきます。雷横はわたしが保正に注進したとは知らないでいるし、それにあれはばくちに目のない男、もしばくち場へ持って行って妙なことにでもなればとりかえしのつかぬことになるから、あれには絶対にやってはなりません。ところで、わたしは、あなたをぜひとも家へおとめしたいのだが、もし人に知られでもすると、それこそ冗談ではすまないから、今夜は月夜のはず、すぐにも山寨へひきあげてください。お祝いにあがりたいのは山々ですが、なにとぞ、あしからずとおっしゃってください」
「ご恩がえしもできないからというので、こうしてわざわざわしにこれを持たせて、すこしばかりの志までにとよこされたわけなのです。保正兄貴は今や頭領、呉学究は軍師、おなじいいつけでも昔とはまるでわけがちがいます。このままではわしは帰れません。帰ったら叱られるにきまっていますから」
「そんなにきびしいのなら、それじゃ、わたしから一筆返事を書きますから、それを持って帰ってもらいましょう」
劉唐はぜひとも受けとってくれとしきりに宋江にいったが、宋江はどうしても聞かず、さっそく紙をとり出し、店から筆と硯を借りてくわしい返事を書き、劉唐にわたして包みのなかにしまわせた。劉唐はさっぱりした気性の男、宋江があまり辞退するので、とても納めてはくれまいとみきりをつけ、金子《きんす》をもとどおりつつんだ。外はもはや夜だった。劉唐はいった。
「では、ご返事をいただいたからには、急いで帰ることにしましょう」
「おひきとめしませんが、わたしの気持はわかっていただけると思います」
劉唐は四拝の礼をした。宋江は給仕をよんで、
「このお客さまが、白銀一両をやるとおっしゃる。もらっておくがいい。勘定は明日、わしがはらいにくる」
劉唐は包みを背負い、朴刀を手にとり、宋江とともに階下へおり、酒屋をあとにして路地の口へ出た。あたりはたそがれで、時節は八月の半ば、月がのぼってきた。宋江は劉唐の手をとって、
「道中お大事に。もう二度とおいでにならぬように。このあたりは捕り手が大勢いるから、うっかりできませんよ。わたしはお送りしないでおきます。では、これにてお別れしましょう」
劉唐は月夜をさいわいに西へと足をはやめ、夜どおし歩いて梁山泊へ帰った。
さて宋江は、劉唐と別れてから、ゆっくりと帰途につきながら思うのだった。
「捕り手に見つからずにすんでよかった。すんでのことで大事をひきおこすところだった」
また思った。
「晁蓋は賊になったばっかりなのに、えらくまた威勢がいいらしいな」
町角を二つ曲がったとき、とつぜんうしろから誰かがよんだ。
「押司さん、どちらのお帰りで。さっぱりお見えになりませんのねえ」
宋江がふりかえって見るとそれは閻婆さんだった。ここで出会ったため、宋江の小胆はひるがえって大胆となり、善心は変じて悪となるのであるが、さて宋江は閻婆さんをいかにあしらうであろうか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 黄金を断つ 断金に同し。第十九回注六参照。
二 歳寒 歳寒松柏の意。冬の霜や雪にも屈せずに緑色をたもっている松や柏のように、逆境にあっても節操をまげることのないものをいう。
三 火併 第十九回注五参照。
四 妓楼の主人 原文は上行首。
五 養女 原文は過房。子がなくて兄弟の子を養子にすること、女が転嫁すること、また継母となることをいう。ここではかりに養女と訳した。
六 色町 原文は三瓦両舎。妓楼や遊女屋などをいう。
七 范陽の氈笠 氈笠は氈帽に同じ。第三回注一参照。
八 書類袋 原文は招文袋。紙入れのようなものであろう。
第二十一回
虔婆《けんば》 酔って唐牛児《とうぎゆうじ》を打ち
宋江《そうこう》 怒って閻婆惜《えんばしやく》を殺す
さて、宋江は劉唐と別れてから、月の明るい往来をぶらぶらと帰って行ったのだが、そのとき、ばったり出あったのが閻《えん》婆さん。婆さんは追いかけてきて、
「押司さん、なんどもお迎えの使いをやりましたのに、えらい人にはなかなか会えぬ、とか。うちのあの子がなにかお気にさわったことをいったのかもしれませんが、この婆あの顔に免じて、ゆるしてやってくださいましな。わたしからもよくいって聞かせて、あの子にあやまらせますから。今夜はご縁があってお目にかかれたのですから、いっしょにきてくださいよ」
「今日は役所の仕事がいそがしくて、かたづけきれないのだ。そのうちに行くよ」
「だめだめ、娘が待ちこがれているんですから、ともかく行ってやってください。だいいち、こんなにほっておくなんてあんまりです」
「ほんとにいそがしいんだ。明日はきっと行く」
「今夜どうでもきていただきます」
と宋江の袖をとらえて、閻婆さんはまくしたてる。
「いったい誰が水をさしたんです。わたしら親子はこれからさき、ずっと押司さんにおすがりして行かなきゃならんのです。世間の人たちがなにをいおうと、そんなものほっておいて、しゃんとしてくださいよ。もしうちの子に落度《おちど》がありましたのなら、それはみんなわたしが始末させてもらいます。さあ、あれこれいわずにいっしょに行ってくださいよ」
「そうつきまとうな。仕事がかたづかないんだ」
「押司さんがちょっとぐらい怠けたって、知県さまのおとがめなんぞありゃしませんよ。今をのがしたらこんどはいつお会いできるやらわかりゃしません。押司さん、どうかいっしょにきてください。お話ししたいこともあるんですから」
宋江はさっぱりした人だったので、婆さんのしつこさに負けてしまい、
「手を放せ、行くから」
「押司さん、逃げなすっちゃいやですよ。年寄りの足じゃ追っつけませんからね」
「いつまでやいやいいってるんだ」
ふたりはいっしょに家の前まで行った。まさに、
酒は人を酔わさず人自ら酔う
花は人を迷わさず人自ら迷う
直饒《も し》今日能《よ》く悔を知らば
何ぞ当初に去《ゆ》きて為す莫《なか》らざる
宋江が立ちどまると、閻婆さんは手でさえぎって、
「ここまでいらっしゃって、はいらないって法はないでしょう」
宋江はなかにはいって腰掛けに腰をおろした。婆さんはわるがしこい女で、むかしから、やりて婆あにかかったら逃げられぬ、というが、まさにそのとおり。宋江が逃げはすまいかと用心し、すぐその横脇に腰かけて、
「娘や、おまえの大事な三郎さんがおいでだよ」
婆惜は寝台の上に寝そべり、灯りの火を見つめながらやるせない思いで、小張三がきてくれないものかと待ちあぐねていたときだったので、おまえの大事な三郎さんという声を聞くと、てっきり張三郎だと思いこみ、あわてて起きあがって髪をかきなでながら、
「まあ憎らしい。さんざん人をじらして。二つ三つたたいてやるから」
と飛ぶように階下へ駆けおり、格子《こうし》の隙間からのぞいて見ると、部屋の琉璃灯《るりとう》があかあかとともっていて、そこに照らし出されているのは宋江の姿だった。婆惜はくるりと身をひるがえして二階へもどり、また寝台の上に寝ころんだ。
閻婆さんは、娘が二階からおりてくる足音を聞き、ついでまたあがって行くのを聞きつけて、
「娘や、おまえの三郎さんが見えたというのにどうしたんだい、もどってったりなどして」
婆惜は寝台の上から、
「たかが家のなかでしょ。あの人ここまでやってこれないの。めくらでもあるまいしさ。あたしがお迎えに行くまでもなく、ひとりであがってきたらいいじゃないの。よしてよ、わあわあさわぎたてるのは」
「娘は、いくら待っても旦那さまがお見えにならないもんだから、ひどく癇をたてているんです。ですから、すこしは剣つくをくわされてもしかたがないってことですよ」
と、婆さんは笑顔をつくり、
「押司さん、さあ、ごいっしょに二階へ行きましょう」
宋江は、いまの婆惜の言いぐさを聞いてだいぶんむかむかしていたが、婆さんにひっぱられるまま、しぶしぶ二階へあがって行った。
そこは六本椽《たるき》の二階部屋で、こちら半分には食卓と腰掛けの一組がおいてあり、奥半分は寝室になっていた。その壁よりのところには、三方を花模様のとばりでおおった寝台が置かれ、その両側は手摺りで、上から紅絹の幕が垂らしてある。そばには衣桁《いこう》があって、手巾がかかっており、その片脇には洗面器。金蒔絵の机の上には錫の燭台。その横に床几が二つ。むこう正面の壁には、一幅の美人画がかけてあり、寝台とむかいあいに、椅子が四つ一列にならんでいる。
宋江があがって行くと、閻婆さんは部屋のなかへひっぱりこんだ。寝台にむかいあって宋江が椅子に腰をおろすど、婆さんは寝台に寝そべっている娘をひきおこして、
「さあ、押司さんがいらっしゃったのだよ。おまえはほんとにたちがわるいよ。お気にさわるようなことをいうものだから押司さんも腹をたててお見えにならなかったのさ。いつもは恋しがってるくせに、どうしたのさ。いざわたしがこうしてお連れしてくると、おきてあやまるどころか、ぷんぷんしたりなんかして」
婆惜は婆さんを手でおしのけて、
「なにをさわぎたてるのよ。あたしはちっともわるいことなんかしてやしません。この人が勝手によりつかないだけなのに、なんであたしがあやまらなけりゃならないの」
宋江はそれを聞いてもおし黙っていた。婆さんは椅子を持ってきて宋江の下手《しもて》におき、娘をそれへおしやっていうには、
「さあ、三郎さんといっしょにかけて。あやまるのがいやなら、それでもいいけど、癇をたてるのだけはよしておくれ。久しぶりに会ったのじゃないか。ちっとは可愛いらしい口をきいたらどうだい」
婆惜はてんで受けつけず、宋江のむかい側へ逃げて坐った。宋江はうつむいたまま黙りこんでいる。婆さんが娘の方を見ると、彼女もまたそっぽをむいている。婆さんは、
「そうそう、酒もなし汁もなしでは法事もはじまらないってね。上酒が一瓶あるから、さかなでも買ってきて、わたしからお詫びしようわい。おまえ、押司さまのお相手をたのむよ。はずかしがることはないよ。すぐもどってくるからね」
宋江は胸のなかで思案した。
「この婆あにとっつかまってどうにもならなかったが、おりていったら、あとから逃げ出してやろう」
ところが婆さんはそれを読みとり、部屋を出て行くとき、戸に掛けがねのついているのをさいわい、戸をしめるなりそれをおろしてしまった。宋江は舌打ちをして、
「くそ婆あめ、先手を打ちやがった」
婆さんは下へおりると、まずかまどの前で灯りをつけた。かまどには足を洗う湯がわいている。それにさらに薪をくべたしておいてから、小金をとり出して、路地を出て行き、季節の果物・魚・若鶏・酢のものなどを買った。帰ってくると、それらを皿に盛り、酒を燗徳利《かんどくり》に半分ばかりいれ、鍋で燗をして銚子についだ。それから数皿の料理と杯三つ、箸三組を盆にいれて二階へ持って行き、まず台の上におき、入口の戸をあけ、なかへ運びこんで卓の上にならべたが、宋江はと見ると、じっとうつむいているきり、娘はそっぽをむいたきりである。婆さんは、
「おまえ、さあ、お酌をしてあげなよ」
すると、婆惜は、
「勝手に自分で召しあがってよ。あたしは大儀だから」
「この子ったら、わたしは小さいときから気随気儘にさせてやったけど、人さまの前でそんなことではいけませんよ」
「酌をしてあげなきゃどうだっていうの。あたしの首をちょん切るとでもいうの」
婆さんは笑いかえしながら、
「ごめんごめん。旦那さまはわかったお方だから、まあ、おまえなんぞのいうことを本気にしたりなどなさるまいけど。いやなら、お酌はしなくていいよ。さあ、こっちをむいて、酒をおあがり」
婆惜は頑《かたくな》にむこうをむいたきりである。婆さんは自分で杯をとりあげて、宋江に酒をすすめた。宋江は気のすすまない酒だったが、一杯うけた。婆さんは笑いながら、
「押司さん、大目に見てやってくださいな。よけいな話はやめにして、またいつかゆっくりお話しいたしますが、世間には旦那さまがうちへおいでになるのを見て、なんとかかんとかろくでもないことばかりいいふらすずうずうしいやきもちやきがいますけど、押司さま、あんなのは相手になさらないでください。そんなことより、まあ、お酒をあがってくださいよ」
と、三杯ついで机の上におき、婆惜にむかって、
「おまえもわからないことをいわないで、一杯飲んでごらんよ」
「ほっといてよ。あたしはお腹がいっぱいで、飲もうたって飲めやしないのよ」
「この子ったら、大事な三郎さんのお相伴《しようばん》じゃないか。そんなこといわないで、一杯ぐらいいいじゃないか」
婆惜は、それを聞きながら、心のなかで考えた。
「あたしは張三のことしか心にないのに、こんなやつのお相伴なんてまっぴらだ。といって酔いつぶしでもしないことには、べたついてくることだろうし」
そこで、しぶしぶ杯をとりあげて半分だけ飲んだ。婆さんは笑いながら、
「おまえ、そんなにいらいらせずに、さあ、もっと気持よく飲んで、そして寝なよ。押司さんももっとどしどし飲んでくださいよ」
宋江はすすめられてふり切れず、三杯四杯とかたむけた。婆さんはぐいぐいと何杯か飲んでから、また燗をつけに下へおりて行った。はじめのうちは娘が酒を飲もうともしないので弱っていた婆さんも、娘がようやく気をとりなおして飲みはじめたのを見てうれしくなり、
「今夜一晩泊めさえすれば、こじれたご機嫌もけろりとなおろうというもんだ。もうしばらくのあいだつきまとってやって、あとはまたあとのこと」
と考えながら、かまどの前で大きな杯で三杯ほど飲んだが、まだ飲みたりないような気持なので、さらにもう一杯ついで飲んでから、また燗をして銚子に注ぎいれ、やっこらさと二階へあがって見まわすと、宋江は頭を垂れてむっつりと黙りこくり、娘はといえばこれもそっぽをむいて着物をいじっている。婆さんは、はははと笑いながら、
「ふたりとも、泥人形じゃあるまいし、どうして話をしなさらぬ。押司さんも男なら、もうすこしやさしくして、いきな話でもなさるものですよ」
宋江は、ほとほと途方に暮れ、口でこそなにもいわなかったが、心のなかはまったくやりきれない思いだった。閻婆惜はまた閻婆惜で思うよう、
「そっちでは知らん顔しながら、あたしの方からいつものようにちやほやして、いちゃついてもらいたいのだろう。もうそんなことしてやるもんか」
婆さんは、しこたまきこしめした酒のおかげで、ただもうぺちゃくちゃとしゃべりまくる。誰がどうしたの彼がああしたのと、あることないことつきまぜてのひとり芝居である。それをうたった詩をひとつ。
ただ孤老《ころう》(嫖客)の門を出《い》でざるを要《ほつ》して
花言巧語精魂を弄す
幾多の聡慧他《かれ》の陥《かん》に遭う
死後応《まさ》に須《すべから》く舌根を抜かるべし
さて、〓城県に、粕づけ売りの唐二哥《とうじか》、あだ名を唐牛児《とうぎゆうじ》というものがいた。いつも街をうろついて人にたかってばかりいる男だったが、つね日ごろ宋江の世話になり、なにか事件がおこると注進に駆けつけては何貫かの金をもらっていた。宋江が用事をいいつければ、命を投げ出してでも飛び出して行くというふうだったが、この日の夕方、ばくちに負け、どうにもこうにも動きがつかなくなって、宋江を役所へさがしに行き、宿の方へも行って見たが、どうしても見つからない。町の人たちが声をかけた。
「唐二哥さん、誰をさがしてるんだね。えらくあわてているが」
「おれは尻に火がついてるというのに、放蕩旦那はどこへ行かしゃったのか、さっぱり見つからねえんだ」
「放蕩旦那って誰のことだね」
「お役所の宋押司さんよ」
「それならさっき閻婆さんとふたりでむこうへ行きなさったぜ」
「そうだ。あの閻婆惜のあまめ、張三とできあって火の玉みたいに大あつあつ、それをずっと宋押司さんの目をごまかしてやがったが、とうとう勘づかれて、もう長いこと行かずにおられた。今夜はきっと、あのくそ婆あがまるめこんで連れて行ったにちがいない。ちょうど銭がなくってどうにもならんときだ。ともかくひとつのりこんで行っていくらかせしめ、ついでに一杯ありついてやろう」
まっしぐらに閻婆さんの家へ駆けつけて見ると、なかには灯《あか》りがついていて、門はしまっていない。段梯子のところまでしのびこんで行くと、二階で閻婆さんのげらげら笑っている声が聞こえる。唐牛児がぬき足さし足で二階へあがって行き、板壁の隙間からのぞいて見ると、宋江と婆惜はふたりとも首を垂れており、婆さんはその横の机のそばに坐って、ぺらぺらべちゃくちゃしゃべっている。
唐牛児はひょいとそこへ飛びこんで行って、婆さんと宋江と婆惜にそれぞれ挨拶をして、傍に控えた。宋江は、
「こいつ、いいところへきてくれた」
と、口をちょっととがらせて見せた。唐牛児ははしっこい男だったから、そのしぐさを見ると、宋江を見ながらいった。
「ずいぶんさがしましたぜ。こんなところでお酒盛りだったんですか。結構なことで」
「なにか役所の急ぎの用事でも」
「押司さん、お忘れになったんですか。朝方の例の一件ですよ。知県さまは役所でたいへんなおかんむりですよ。もう四五へんもお宿の方へ使いの者がさがしに行ったんですが、どこにもいらっしゃらないので、知県さまはもうかんかんですよ。押司さん、さあ、すぐ行ってください」
「そんなに急ぐのか。それじゃ行こう」
宋江が立ちあがって、下へおりようとすると婆さんがさえぎって、
「押司さん、お芝居はよしなさい。唐牛児もなかなかやるじゃないか。このろくでなし、わたしをだまそうってんかい。魯班《ろはん》(古代の名工)の前で斧を使って見せるというのはそのことだよ。知県さまはとっくに退庁なさって、奥方さまとさしむかいでおたのしみさ。お仕事でおかんむりなどとはばかも休み休みいうがいい。そんな手は、お化けならのるかもしれんが、このわたしはだまされやしないよ」
「ほんとなんだよ。知県さまは仕事を待ちかねておいでなのだ。うそなんかつくもんか」
「なにをぬかす。わたしの目はなんでも見通しなんだよ。今さっき押司さまが口をとんがらせて、おまえに芝居をしろと合図なすったじゃないか。だいたいおまえは、押司さんをおすすめしてうちへ連れてくるのがほんとうなのだ。それをなんだよ、あべこべにひっぱり出すなんて。人を殺すはゆるせてもその根性はゆるされぬ、というのは、このことだよ」
婆さんはぱっと立ちあがり、いきなり唐牛児の首っ玉を突きとばした。唐牛児がよろめくところを、部屋の外へ突き出し、さらに階下まで突きおろしてしまった。
「なんだって、突きとばしやがる」
と唐牛児がいうと、婆さんはどなりかえす。
「わからないのかい。人の商売の邪魔をするのは、人の親や女房を殺すのと同じことだよ。文句をいうならぶちのめしてやるぞ、この乞食やろう」
唐牛児は飛びかかって行って、
「さあ、ぶってみろ」
婆さんは、酒の勢いで、五本の指をおしひろげて、二つ三つつづけさまに平手打ちをくらわし、そのまま暖簾《のれん》の外へ叩き出してしまった。そして、暖簾をひきはずして家のなかへ放りこむと、観音開きの二枚戸をぴたりとしめ、閂《かんぬき》をかけ、なおもさんざん悪態をついた。平手打ちをくらわされた唐牛児は、門の前に立ってどなりかえす。
「くそ婆あ、あとで吠え面《づら》かくな。宋押司さんの手前かんべんしてるが、そうでなきゃこの家をこっぱみじんにぶちこわしてやるところだ。いつかはきっと、ぎゅっという目にあわしてやるからな。このままじゃおれの男がすたるわ」
唐牛児は、自分の胸をたたいて悪態をつき、帰って行った。
婆さんはまた二階へひきかえし、宋江をにらんでいった。
「押司さんも押司さんだ。なんだってあんな乞食ふぜいを相手になさいます。あいつはいつも酒をせびって歩きまわり、あることないことふれまわってばかりいるやつですよ。宿なしの野たれ死《じに》やろうのくせに、よくも大きな面してのりこんできて、人をなぶりなんぞしやがったもんだ」
宋江はまじめな人なので、婆さんに芝居と見ぬかれてしまうともう動きがとれなくなってしまった。婆さんは、
「押司さん、うらまないでくださいよ。わたしはただ、よくしてあげようと思ってのことなのですから。おまえ、旦那さんといっしょにこれを飲んでおしまい。ふたりともずいぶん会わなかったのだから、きっと早く寝たいだろうよ。さあ、かたづけにかかるとしようか」
婆さんは、さらに宋江に二三杯酒をすすめ、皿や杯をとりかたづけて下へおり、台所へ行った。
宋江は二階で、考えるのだった。
「こいつと張三とできているってことは、ほんとかうそかわからない。この目で見たわけじゃないからな。ここで帰ってしまえば、野暮《やぼ》なやつだというだろう。まして夜もふけたし、しかたがないから泊まって行くとして、この女がどんなふうにするか見てやろう。今夜はおれにどうもちかけるか」
と、そこへ婆さんがまたあがってきて、
「もうおそいから、ふたりで早くおやすみよ」
「ほっといてよ。あんたこそさっさとやすんだらどうなの」
婆惜がそういいかえすと、婆さんは笑いながら、
「押司さん、おやすみなさいまし。今夜はたんとたのしんで、明日の朝はおそくまでゆっくりと寝ていてください」
といって下へおりて行き、自分はかまどのあたりをとりかたづけて手足を洗い、灯りを吹き消して床についた。
さて宋江は、椅子に腰をかけたまま、女が以前のようにそばへよってきてやさしい顔でも見せてくれるなら、こっちもすこしは愛想よくしてやらんでもないがと考えていたが、なかなかどうして、婆惜は婆惜でこんなことを考えているのだった。
「あたしの思うは張三だけ。こんなやつに割りこまれたんじゃ、それこそ眼のなかに釘がはいったみたいだ。だのにこいつときたら、今でもあたしに前どおりちやほやしてもらいたいらしいが、あたしは今そんな気はないんだよ。舟は岸へつけるときまったもの、岸を舟へつけるなんてことはありゃしないんだ。おまえさんがあたしをかまいつけてくれなきゃ、こっちはかえって得《とく》というものさ」
さてみなさん、色恋というものはまったくこわいもので、相手がぞっこんあなたにほれているときならば、刀であれ槍であれ、水であれ火であれ、なにもかものり越えてあなたのもとへ突きすすんでくるが、いったん冷《さ》めたとなると、たとえ、あなたが金銀の山のなかに坐っていようとも、まるで見むきもしないもの。諺にも、すいたらしい目にゃ野暮も粋《いき》、気にくわなければ粋も野暮、というとおり。ところで宋公明《そうこうめい》は凜然たる一個の大丈夫《だいじようふ》、色恋の手管《てくだ》にはとんとわきまえがない。一方の閻婆惜は、張三にちやほやされ、大事にされ、可愛がられて、心もうわのそら、宋江などに気のあろうはずはない。
その夜ふたりは、灯りの下にむかいあって坐りながらたがいに口もきかず、それぞれ腹にふくむところのあるさまは、廟にはこびこむ前の、まだかわかぬ塑像にそっくりであった。やがて夜はしだいにふけて、窓には月影がのぼる。
銀河は耿々《こうこう》、玉漏《ぎよくろう》(時計)は迢々《ちようちよう》。窓《まど》を穿って斜月は寒光を映じ、戸を透《とお》して涼風は夜気を吹く。〓楼《しようろう》の禁鼓《きんこ》(時の太鼓)は、一更未《いま》だ尽きざるに一更を催し、別院の寒砧《かんちん》(きぬた)は、千搗《とう》の将《まさ》に残《ざん》せんとして千搗起こる。画簷《がえん》の間、叮《ていとう》たる鉄馬《てつば》(風鈴)は旅客の孤懐を敲砕《こうさい》し、銀台の上、閃爍《せんしやく》たる清灯は閨人《けいじん》の長嘆を偏照《へんしよう》す。淫を貪る妓女は心《こころ》火の如く、義に仗《よ》る英雄は気虹《にじ》の似《ごと》し。
そのとき宋江は、椅子にかけたまま女の方をそっと見て、ほっとため息をついた。時刻はもう二更(夜十時)のころである。女は着物もぬがずに寝台へあがり、刺繍の枕をひきよせると、身をねじって、壁の方をむいて寝てしまった。宋江はそれを見て、
「しようのないあまだ。てんでおれに目もくれずに寝てしまいやがった。今日は婆あにうまいこといいくるめられ、無理に酒を飲まされて、起きておられそうにもない。夜もふけたが、しかたがないから寝てしまおう」
と、頭巾をとって机の上におき、うわぎをぬいで衣桁にかけ、帯をほどいた。帯には懐刀と書類袋がついていたが、それは寝台の手摺りにかけ、絹靴と白靴下をぬいで寝台にあがり、女の足の方を枕にして寝た。
半時ばかりたったころ、裾の方で婆惜のせせら笑う声が聞こえた。宋江は腹がたって、眠るどころのさわぎではない。むかしから、歓楽の夜はふけやすく孤独の夜は明けがたし、というとおり、やがて三更(十二時)も過ぎて夜も深まると、酒の酔いもさめてしまった。いらいらしながらようやく五更(四時)になると、宋江は起きあがって洗面器の冷水で顔をあらい、うわぎを着、頭巾をかぶって、ののしった。
「このあまぁひどいやつだ」
婆惜も一睡もしないでいたが、その声を聞きつけると、くるりとむきなおり、
「なにさ、厚かましい」
宋江は憤然として二階からおりて行く。婆さんはその足音を聞きつけて寝床のなかから声をかけた。
「押司さん、もっと寝てらっしゃいよ。夜が明けてからになさいまし。こんなに早くどうなさったのですか」
宋江は返事もせずに門をあけた。すると婆さんはいった。
「お帰りなさるのなら、あとはしめてってくださいよ」
宋江は外へ出て門をしめたが、憤懣やるかたなく、まっすぐ宿へ帰るつもりで、役所の前を通りかかると、ちらっと灯りが目についた。見れば煎じ薬売りの王《おう》じいさんで、役所の前へ朝あきないに出ているところ。爺さんは宋江がやってくるのを見るとあわてて声をかけた。
「押司さん、今日はえらいお早いことで」
「いや、ゆうべ飲みすぎて時の太鼓をまちがえてしまったのだ」
「それは二日酔いですよ。酔いをさます二陳湯を一杯飲みなさったらどうです」
「それはなによりだ」
と宋江は腰掛けに腰をおろした。爺さんは濃く煎じ出したのを両手に捧げて宋江にわたした。宋江はそれを飲んでからふと気がついた。
「おれはよくこの爺さんの薬を飲むが、爺さんはついぞ代金をとったことがない。前にいつかお棺をやると約束したが、まだやらずにいる。そうだ、昨日、晁蓋がよこした金のうちひとつだけもらって書類袋のなかにいれておいたっけ、あれを棺桶料にやって爺さんをよろこばせてやろう」
宋江はそこで爺さんにいった。
「爺さん、おれはいつか棺桶代をやろうと約束したが、まだやらなかったな。今日は持ちあわせがあるからやるよ。すぐにも陳三郎のとこへいって買っとくんだな。おまえがめでたくなったら、そのときはそのときで別に野辺送りの費用は持ってやるよ」
「いつもいつも、お目をかけていただいているのに、このうえまた葬式道具をくださるなんて、あっしはこの世ではもうご恩返しもかないませんから、来世では驢馬になり馬になってもご恩に報いさせてもらいます」
「いや、なにもそんなにまで」
宋江はそういいながら、うわぎの襟をあけて書類袋をとり出そうとして、びっくりした。
「しまった。ゆうべ、あのあまの寝台の手摺りの上におき忘れてきた。かっとなってそのまま出てしまって、腰につけないできたんだ。金子《きんす》はどうでもよいが、あれを包んだ晁蓋の手紙だ。あれは酒屋にいるとき、劉唐の前で焼き捨てるつもりだったが、しかし、あれが帰ってそのことを話せば、おれがぞんざいにあつかったととられかねないと思って、まあ、宿に帰ってから始末しようとしていたところを閻婆さんにとっつかまって連れて行かれたのだ。昨夜も灯りの火で焼いてしまおうかと思ったが、あのあまの眼にとまったらばれやしないかと気になったので、つい焼かずじまい。今朝はまた今朝で急いで飛び出してきてしまって、事もあろうに置き忘れてしまった。あの女は唄の本かなんか読んでやがったから、字もよく読めるはずだ。あいつの手にはいりでもしたらまったく一大事だ」
宋江はすぐに立ちあがって、
「爺さん、わるいことをした。ほんとに嘘じゃない。書類袋のなかに金子《きんす》をいれてきたとばかり思っていたのだが、あわてて出てきたものだから、家におき忘れてきた。すぐ行って取ってくるよ」
「取りに行くことはありませんよ。あとでゆっくりもらえばよろしいのですから」
「いや、じつは、もうひとつのものもいっしょにおいてきたのだ。どうしても取ってこなければならんのだ」
宋江は大あわてに、閻婆さんの家へとかけもどる。まさに、
合《まさ》に是れ英雄事有り来るべし
天は篋中《きようちゆう》の財を遺失せしむ
已《すで》に知る着愛の皆冤対《えんたい》(あだ)なるを
豈料《あにはか》らんや酬恩の是れ禍胎《かたい》なるを
さて一方、閻婆惜は、宋江が家を出て行ったのを知ると起きあがってぶつくさとひとりこぼした。
「おかげでとうとう一晩寝ずじまいだった。あいつったら、厚かましい、あたしに愛想よくしてほしかったのだ。あんたなんかいやだよ。あたしには張三って人がちゃんとあるんだもの。あんたなんかにかまっていられるもんか。あんたがこなきゃ、あたしはうれしいのさ」
そんなことをつぶやきながら、蒲団を敷き、うわぎをぬぎ、裙子(スカート)をぬぎ、胸もまる出しにし、腰のものもぬぎすてたが、見れば寝台の前の灯りにあかあかと照らし出されて、紫のうすぎぬの帯が手摺りに垂れさがっている。婆惜はそれを見て笑いだし、
「黒三のやつ、大あわてにあわてて帯を忘れて行っちまった。しまっといて張三にあげるとしよう」
と手をのばしてひっぱると、書類袋と懐刀がぶらさがった。袋はなにやらちょっとした手応えがある。口をあけて机の上にさかさにふって見ると、出てきたのは例の金子《きんす》の包みと手紙。手にとって見ると、灯りに照らし出されたのは黄金色に輝く金《きん》の棒である。婆惜は顔をほころばせて、
「張三になにか買って食べさせるようにと、天がくださったのだ。張三はこのごろ痩せてきたので、なにか食べさせて精をつけてやろうと思ってたとこだったのに」
とつぶやいて金をそこへおき、例の手紙をひろげて灯りの下で見ると、「晁蓋」とあって、あれこれの用件が書かれている。
「まあ、釣瓶《つるべ》は井戸のなかに落ちるものとばっかり思っていたのに、井戸が釣瓶のなかに落ちてるなんて。あたしは張三と夫婦になりたいのだけど、それにはおまえというやつひとりだけが邪魔だった。ところが、こんどは、あたしの好きなように料理してやれるようになったじゃないか。おまえは梁山泊の強盗とぐるになってたんだね。それが一百両の金《きん》を送ってよこしたっていうのね。まあまあ待っておいでよ。あたしがゆっくり料理してあげるからね」
と手紙で金をもとどおりに包み、書類袋のなかへもどして、
「なにがどうあろうと、絶対に返してやりゃしないから」
と二階でひとりごとをつぶやいていると、階下でぎいっと門のあく音がした。婆さんがたずねた。
「どなた」
「おれだ」
と宗江。
「あたしが早いといったのに、押司さんが聞かずに行っておしまいになるから、ごらんなさい、早すぎてもどってこられたじゃありませんか。もういっぺんあの子と寝て、夜が明けてからお出かけなさいまし」
宋江は返事もせずに、まっすぐ二階へかけあがった。
婆惜は、宋江がもどってきた気配を見ると急いで帯と懐刀と書類袋をひとつに丸めて蒲団のなかへかくし、ぴったり壁により添ってぐうぐうと眠っているふりをした。
宋江は部屋のなかへ飛びこむなり、すぐ寝台の手摺りのところへ行って取ろうとしたが、なにもない。宋江はあわてて、昨夜からのむかっ腹をじっとおし殺しながら、手をかけて女をゆすぶった。
「おい、以前のおれに免じて書類袋を返してくれ」
婆惜は眠ったふりをして返事もしない。宋江はまたゆすぶって、
「さあ、意地わるなまねはするなよ。明日にでも頭をさげてあやまるから」
婆惜は、
「眠ってるのに、誰なの、うるさい」
「おれだと知ってるくせに、なぜ知らんふりをする」
婆惜はこちらへ身体をねじむけて、
「黒三さん、なに」
「書類袋を返してもらいたいのだ」
「あんた、どこであたしにあずけたの、返せなんて、あたし、あずかった覚えなんかないわ」
「おまえの足もとの手摺りの上に置き忘れたんだ。誰もここへやってくるわけではなし、おまえでなきゃほかに取るものはあるまい」
「まあ、あんた、いったい正気なの」
「昨夜のことはあやまる。明日にでも詫びをいれるよ。さあ、返してくれ、からかったりなんかしないで」
「からかうって、誰が。あたしは取ってなんかいやしません」
「さっきはおまえは着物をぬがずに寝ていたろう。今は蒲団をかけて寝てるじゃないか。起きて蒲団をしくときにとったはずだ」
すると婆惜は柳眉をきりきりと逆立て、目をかっと見開いて、いった。
「ああ、ちゃんとあたしが取りましたとも。だがあんたには返しませんよ。さあ、あたしを役人にひきわたして泥棒だと訴えなさいよ」
「泥棒だなんて、そんなことちっともいってやしないじゃないか」
「あたりまえよ、あたしは泥棒なんかじゃないわよ」
宋江はそういわれて、ますますうろたえ出し、
「おれはいちどだって、おまえら親子を粗末にした覚えはない。返してくれよ。おれはこれから用事があるんだ」
「あんたは、あたしが張三となんかあるように勘ぐって、いつも怒ってるじゃないの。そりゃ張三はあんたほどえらくはないでしょうよ。でも、打ち首になるほどの罪人ではなし、あんたみたいに盗賊と通じあってるよりましだよ」
「いい子だから、大きな声をしないでくれ。近所に聞こえでもしたらたいへんじゃないか」
「よその人に聞かれて困るなら、はじめからしなけりゃいいじゃないの。この手紙はあたしがしっかりあずかっておくわ。だけど、あんたがあたしのいう三つのことをかなえてくれるなら、見逃してあげないでもない」
「三つはおろか、三十だって聞いてやるよ」
「あぶないもんだわ」
「おれにできることならなんでもする。その三つというのはなんだ」
「ひとつは、今日すぐにもあたしの身売り証文を返してちょうだい。そして、あたしが張三のとこにお嫁に行っても決して異論はないという誓約書を書くのよ」
「いいとも」
「二つ目は、あたしのかんざしや衣裳や家にある家具類、これはみんなあんたがととのえてくれたものだけど、後日、もどせとは決していわないという誓約書を書くのよ」
「いいとも」
「三つ目のは、これはどうやらだめらしいわね」
「二つともきいてやったじゃないか。きっとかなえてやるよ」
「梁山泊の晁蓋というのがあんたに送ってよこした一百両の金、あれを気前よくわたしてちょうだい。これをかなえてくれるなら、あんたの、いの一番の大事には目をつぶってあげて、この袋のなかの供述書を返してあげるよ」
「はじめの二つは承知できたが、その一百両の金は、たしかにとどけてはよこしたんだが、おれは受けとらずにそっくりそのまま持って帰らせたのだ。もしも本当におれの手にあるなら、すぐにでもくれてやるが」
「ほらほら、やっぱりそうきなすった。役人は銭にたかり蠅は血にたかるっていうけど、そのとおりだわ。金はたしかにとどけてよこしたが、あんたはそれをことわって持って帰らせたというんだね。ばかも休み休みいったらどうなの。役人ってものは、なまぐさ食わぬ猫はないというたとえそのままよ。いちど閻魔に招かれて、帰してもらえた亡者はない、とやら、誰がだまされるものか。その一百両の金、あたしにくれたっていいじゃないか。盗んだものだということがばれると思うのなら、鋳つぶしてくれたらいいじゃない?」
「おれが嘘なんかいわない正直な人間だということぐらい、おまえだって知ってるだろう。もしもほんとうに嘘だと思うなら、三日の日限《ひぎ》りで待ってくれ。おれの家のいっさいを叩き売って一百両の金子をこしらえてやるから。さあ、書類袋を返してくれ」
婆惜はせせら笑って、
「黒三さんってなかなかお利口なのねえ。あたしをまるでこどもでもあやすつもりなのね。書類袋と手紙を返して、そして三日待って、それからお金をもらいに行くなんて、そんなのは、棺が出てから泣き男賃をもらいに行くってやつじゃないの。あたしは金と品物とひきかえでなきゃいやよ。さあ、お出し、あたしもわたすから」
「ほんとうにそのお金は持ってないのだ」
「明日の朝、お役所へ出ても、あんたはその金は持ってないというのね」
宋江はお役所と聞いてかっとなり、もうがまんができなくなって、ぐっとにらみつけ、
「返すか、返さんか」
すると女は、
「すごんで見せたら、あたしが返すとでも思ってるの」
「どうあっても返さんというのか」
「返すもんですか。いちどでたらなきゃ百ぺんでもいってあげるよ。返してもらいたかったら、〓城県のお役所へ出て返してやる」
宋江は婆惜の蒲団をひき剥ごうとした。女は例の品物を身体につけてかくしているので、蒲団にはかまわず、両手でしっかりと胸にかかえこんだ。蒲団をめくりとった宋江は、帯の端がその胸もとからはみ出しているのを見て、
「やはりここだった」
と、かまうものかと両手でひったくろうとした。女はどうしてもはなさない。宋江は寝台の傍で躍起にひっぱるが、女は死んでもはなそうとしない。宋江が力のかぎりひっぱった拍子に、懐刀が敷物の上にころがり落ちた。宋江はとっさにそれをひろった。
女は宋江が手に刀を握っているのを見て、
「黒三郎の人殺し」
と叫ぶ。この一声が宋江にその気をおこさせたのである。こらえにこらえた怒りの捨てどころがなかったおりとて、婆惜がつぎになにか叫ぼうとしたそのとき、宋江は左手でその身体をおさえつけ、右手でさっと懐刀をふるって婆惜の咽喉《の ど》もとをひとえぐりにえぐった。血が噴き出し、女がなおもわめきたてるところを、宋江はまだくたばらぬかとかえす刀でさらにひと掻き、ころりとその首は枕もとに落ちた。
手の到る処青春《せいしゆん》命を喪《うしな》い、刀の落つる時紅粉《こうふん》身を亡ぼす。七魄悠々として、已《すで》に森羅殿《しんらでん》上に赴き、三魂渺々として、応《まさ》に枉死城《おうしじよう》中に帰る。緊《かた》く星眸を閉じ、直梃々《ちよくていてい》として屍《しかばね》席上に横たわり、半《なか》ば檀口《たんこう》を開き、〓津々《しつしんしん》として頭枕辺《ちんべん》に落つ。従来の美興《びきよう》一時に休す。此の日嬌客も恋うに堪《た》うるや否や。
宋江はとっさの怒りに駆られて閻婆惜を殺してしまうと、書類袋をひきよせてなかの手紙をとり出し、残灯の火に焼き捨ててしまい、帯をしめて下へおりて行った。
婆さんは階下で寝ていて、ふたりが口論しあっているのを耳にしたときはすこしも意に介しなかったが、やがて娘が「黒三郎の人殺し」と叫ぶのを聞きつけると、なにごとがおこったのかとあわててとび起きて着物を着、二階へかけあがって行った。と、その出会いがしらにばったり宋江とぶつかって、
「どうなさったのです、喧嘩などして」
「あの娘があんまりひどいことをいうので殺してしまったんだ」
婆さんは笑い出して、
「なにをおっしゃいます。たとえ押司さんの目つきがわるく、酒癖がよくないからって、人殺しだなんて、押司さん、年寄りをからかうもんじゃありませんよ」
「嘘だと思うなら部屋にはいって見るがいい。ほんとに殺してしまったのだ」
「そんなばかな」
と、婆さんが戸をあけてのぞいて見ると、血だまりのなかに屍体が横たわっている。
「あっ、どうしよう」
「わしも男だ。逃げはせん。おまえのいうなりになろう」
「この娘はたしかにいけない娘でした。手をかけなすったのももっともなことかもしれませんが、このわたしはどうなるんでございましょう。誰も面倒を見てくれる者がいなくなって」
「それは心配せんでよい。わしには多少財産もあるから、暮らしに不自由のないようにして半世を安楽にすごさせてやろう」
「そうしていただければ結構です。押司さん、ほんとうにありがとうございます。ところで娘は寝台の上で死んでおりますが、どうしてお葬式を出しましょう」
「なんでもないさ。お棺の道具はわしが陳三郎のところへ行って買ってきてやろう。検屍の役人が納棺するときには、わしがうまくいいくるめておく。別に銀子を十両やるから、それでそのあとの始末をするがよい」
婆さんは礼をいって、
「押司さん、夜の明けきらない今のうちに、お棺を買ってきて納めてしまいましょうよ。近所の人たちに知られないように」
「そうだな、それじゃ、筆と紙を貸してくれ。書付けを書いてやるから、おまえ、取りに行ってこい」
「書付けじゃはかばかしくいきません。押司さんがご自分で取りに行かれないと、なかなか出してくれないでしょう」
「それもそうだ」
ふたりは下へおりて行った。婆さんは部屋のなかから錠を取り出してきて、門の外へ出て門に錠をおろし、鍵は身につけた。
宋江と閻婆さんのふたりは、役所の前にさしかかった。このとき、朝はまだ早く、夜は明けきっていなかった。役所の門はいまあいたばかりである。婆さんは役所の門の左側まできたとき、ぱっと宋江に組みついて、大声で叫んだ。
「人殺しがここにいます」
宋江はびっくりし、すっかり、あわててしまって、婆さんの口をおさえ、
「よせ、よせ」
といったが、とてもおさえきれない。役所の前にいた数人の捕り手のものが駆けよってきた。見れば宋江なので、
「婆さん、さわぐんじゃない。押司さまはそんなお人とはちがうよ。なにかわけがあるのならちゃんと筋道をたてて話さなきゃ」
となだめた。閻婆さんは、
「こいつが下手人なんですよ。さあ、とりおさえてください。いっしょにお役所へ行きます」
もともと宋江はよくできた人物だったので、上下の人々から敬愛され、県内のあらゆる人々から尊敬の目で見られていた。そんなわけで、捕り手のものたちも彼をとらえようとはせず、婆さんのいうことにも耳をかそうともしなかった。そのことをしめした詩がある。
好人難有れば皆憐惜《れんせき》し
奸悪災無ければ尽《ことごと》く詫憎《たそう》す
見るべし生平須《すべから》く自ら検《つつ》しむべきを
時に臨んで情義始めて憑《よ》るに堪えん
ああだこうだともめているところへ、唐牛児が、きれいに洗った粕づけの生薑《しようが》を大皿に盛って役所の前通りでの朝市にやってきた。彼は、閻婆さんが宋江をつかまえてわめきたてているのを見たとたん、昨夜の胸くそのわるさを思い出し、すぐ大皿を薬売りの王爺さんの腰掛けの上におき、飛び出していってどなりつけた。
「やい、胴欲婆あ、てめえはなんだって押司さんにかみついてやがるんだ」
すると婆さんはいいかえした。
「唐二、この下手人を逃がしでもしたら、おまえの命をかわりにもらうぞ」
唐牛児はかんかんに怒り、そんなことには耳もかさず、婆さんの手をぐいとひっぱってもぎはなすと、わけも聞かずにいきなり五本の指をおしひろげて、眼から火が出るほどの平手打ちを婆さんの顔にくらわした。とたんに婆さんはくらくらとなって手をはなしてしまった。宋江はすりぬけて、人混みのなかへ逃げこんだ。
婆さんはこんどは唐牛児をつかまえて、
「宋押司はわたしの娘を殺したのに、おまえが逃がしてしまったんだぞ」
唐牛児はうろたえて、
「おれはそんなこと知らん」
「お役人衆、人殺しをつかまえてください。つかまえんと、あんたたちもまきぞえですぞ」
と婆さんはわめく。捕り手たちは、相手が宋江のときには手をくだしかねていたが、唐牛児となると躊躇しなかった。どっとすすみ出て、ひとりは婆さんの小脇をとり、三四人のものが唐牛児をとりおさえて手とり足とり役所のなかへおしたてて行った。まさに、禍福に門なく惟《た》だ人のみずから招くのみ、麻を着て火を救わんとすれば焔を引いてわが身を焼く、というわけ。さて閻婆さんにつかまえられた唐牛児は、いかにして身を逃れるか。それは次回で。
第二十二回
閻婆《えんば》 大いに〓城県《うんじようけん》を鬧《さわ》がし
朱仝《しゆどう》 義もて宋江明《そうこうめい》を釈《ゆる》す
さてそのとき、捕り手たちが唐牛児をとりおさえて役所のなかへひきたてて行くと、知県は殺人事件と聞いて急いで役所へ出てきた。一同は唐牛児をその前におし据えた。知県が見ると、左手には老婆がひとりひざまずき、右手には男がひとりひざまずいている。知県はたずねた。
「どういう殺人事件か」
婆さんは訴えた。
「わたくしは姓を閻《えん》と申しまして、婆惜《ばしやく》という娘がひとりありましたが、宋押司に身売りして妾にいたしました。昨夜のことでございます。娘と宋江がいっしょに酒を飲んでおりましたところへ、この唐牛児がつかつかとはいってきてひと騒動おこし、悪態をついて帰って行ったのでございます。このことは近所の衆もみな知っております。今朝、宋江はいったん帰って行ったのですが、やがてまたひきかえしてきて娘を殺してしまったのでございます。そこでわたくしが組みついてお役所の前までやってきますと、またもや唐牛児が出てきて宋江を逃がしてしまいました。知県さま、なにとぞわたくしのためによろしくおとり裁きくださいますよう」
知県は(唐牛児に)いった。
「きさまはどうして下手人を逃がしたのか」
「わたくしは、あとさきの事情はなにも存じません。ただ、昨夜は一杯ありつこうと思いまして宋江をさがしに行きましたところ、この閻婆あがわたくしをこづき出したのでございます。今朝、粕づけの生薑のあきないに出かけましたところ、お役所の前で閻婆あが宋押司に組みついているのを見ましたので、ついなかにはいりましたら逃げて行ったというわけで、あの人が婆さんの娘を殺したということは知らなかったのでございます」
知県は声をはげましていった。
「なにをいうか。宋江は誠実な人柄、みだりに人を殺すようなことをするはずがない。この殺人はおまえがやったことにちがいなかろう。誰かおらぬか」
と当直の役人をよんだ。声に応じてそこへあらわれたのは、押司の張文遠である。閻婆さんが娘を宋江に殺されたと訴え出ており、被害者はほかならぬ自分のおんななので、さっそく両人から供述書をとり、閻婆さんにかわって訴状をしたため、関係書類をととのえると、ただちにその土地の検屍役人・町の世話役・隣家の者など関係者をよんで、ともども閻婆さんの家へ行き、戸を開け、現場で死体をしらべた。傍に兇器の懐刀がころがっていたが、この日の再三にわたる検証の結果、その刀でのどをえぐって殺したことがわかり、一同でその場の始末をつけたのち、死体は棺に納めて寺へあずけ、関係者一同を役所へ連行した。
知県は、宋江とはごく親しいあいだがらだったので、なんとか無事に逃がしてやろうとして、唐牛児ばかりを何度も詮議にかけた。唐牛児が、
「わたくしは、あとさきのことはなにも知りません」
と供述すると、知県は、
「では、なぜおまえは前の晩に被害者の家へ行って悶着《もんちやく》をおこしたのだ。きっとなにか関係があるはずだ」
「わたくしは、ふらっと酒をねだりに行きましただけで」
「たわけたことをいうな。こやつを打て」
左右に控えていた虎狼のような役人が、唐牛児を縄でしばりあげてひきたおし、三十五十と打ったが、いくら打っても供述はおなじであった。知県は、彼が事件に無関係だとはわかっていたが、宋江を助けてやりたい一心から、彼ばかりを追及し、枷をはめて獄に監禁してしまった。
すると張文遠がきて上申した。
「なんといいましても、現にこの刀は宋江の懐刀です。宋江をとらえてしらべないことには、解決がつきません」
知県は、彼の再三再四の上申をとりあげないわけには行かず、とうとう宋江の宿へ逮捕の役人をさしむけた。しかし宋江はすでに逃げてしまっていたので、役人たちはやむなく近所の者数名を連行してきて、復命した。
「下手人宋江は逃亡して、行方が知れません」
しかし張文遠は、また上申した。
「犯人の宋江が逃げたとあらば、その父親の宋太公および弟の宋清《そうせい》が現に宋家村に住んでおりますゆえ、ふたりを召し捕って役所に拘留し、これを人質として期限をきっての逮捕を命令されますよう。ぜひとも宋江をさがし出して詮議にかけねばなりませぬ」
知県はもともと捕縛の命令を出したくはなかった。なにはともあれ、ここはひとまず唐牛児に罪をなすりつけておき、そのうちころあいを見はからって釈放しようという考えでいたのだが、張文遠が書類をととのえ、閻婆さんをそそのかしてしきりに役所へ訴えさせるので、知県はどうにもしようがなくなってついに公文書を出し、二三名の捕り手を宋家村へつかわし、宋太公と宋清を召しとってこさせることにした。公文書を持った役人が、宗家村の宋太公の屋敷へ行くと、老人は出迎えて、座敷へ通した。役人が公文書を出して老人に見せると、宋太公はいった。
「どうぞおかけになって、わたくしの話をお聞きくださるようおねがいします。わたくしは先祖代々の百姓でございまして、ずっとここの田畑を守って暮らしております。不孝者の宋江は、小さいころから親のいいつけにさからい、百姓をきらいまして役人になりたいと申し、いくらとめても聞きいれません。そこでわたくしは、数年前に県のおえら方さまにやつの不孝の由を訴えて籍を抜きましたので、わたくしの家の籍にははいっておりません。あいつは町に住み、わたくしは倅《せがれ》の宗清とこの片田舎に住んですこしばかりの田畑を守って暮らしておるというようなしだいで、あいつとわたくしどもとは世帯はまったく別々、なんの関係もないのでございます。あいつのことですから、どうせいつかはなにかしでかすにちがいなかろうと思い、そのとばっちりをくわされたのではたまらないと思いまして、前の知県さまのご在任ちゅうにその由をとどけて証拠の書類を申しうけ、ちゃんと手許においてございますので、わたくし、ただいまとってきてお目にかけましょう」
役人たちは、いずれも宋江とは懇意にしていたものだったから、これは前もって用意しておいた口実だと見抜きはしたが、好んで憎まれ役になることもないと思って、
「証拠の書類があるのでしたら、それを出して見せていただきましょう。書きうつして知県さまにお見せします」
老人はさっそく鶏やあひるをつぶし、酒を出してもてなすとともに、十両あまりの銀子をさし出し、そのあとで証拠の書類を出して役人たちにうつしとらせた。
役人たちは宋太公のもとを辞して役所へ帰ると、知県に復命した。
「宋老人は、すでに三年前に宋江と親子の縁を切り、その証拠の書類をもらいうけておりまして、これがそのうつしでございます。拘引するわけにはまいりません」
宋江を逃がしてやりたい知県は、
「証拠の書類があるならば、彼には親族はないわけだから、一千貫の賞金をかけて諸方にふれを出し、見つけしだいとらえるよりほかはない」
ところが、張三がまた閻婆さんをそそのかし、役所へ行って髪ふり乱して訴えさせた。
「宋江は、宋清が家にかくまってお上にひきわたさないのでございます。知県さま、どうぞわたくしのために宋江をとらえてくださいませ」
知県は叱りつけた。
「あれの父親から、もう三年も前に親にそむいて役人になったとの訴えがあって、あれの籍はぬいてある。現に証拠の書類があるのに、その親兄弟をとらえて人質にして、宋江をとらえるということはならぬわ」
「知県さま、あいつが孝義の黒三郎とあだ名されていることは、誰知らぬものもございません。証拠の書類なんぞにせものです。知県さま、どうかわたくしのためにお力をおつくしくださいませ」
「なにをいうか。前の知県が判をおされた公文書をどうしてにせものというか」
閻婆さんは階段の下でなおもぎゃあぎゃあ喚《わめ》き、ひいひい泣きながら知県に訴えた。
「人殺しはなによりも大きな罪でございます。どうしてもおとりあげくださらないのなら、いたしかたございませんから州の役所へ訴えます。ほんとうに娘は可哀そうな死にかたをしました」
張三もまた出頭して、婆さんのために口を添える。
「知県さま、捕り手を出して逮捕いたしませんと、この閻婆さんが州へ訴えでもしたときはたいへんなことになりましょう。もし査問でもされるようなことがあれば、わたくしどもはその答弁に困ります」
知県は、それは確かに道理であると思い、やむなく公文書を出し、都頭《ととう》の朱仝《しゆどう》と雷横《らいおう》をつかわすことにし、よび出していいつけた。
「おまえたち両名、部下をひき連れて宋家村の宋の屋敷へ行き、犯人宋江をひっとらえてまいれ」
詩にいう。
関せず心事の総て他に由るに
路上何人か花を折るを怨みん
花の如き婆惜《ばしやく》の死を惜しむが為に
悄冤家《しようえんか》(色おとこ)は悪冤家《あくえんか》(仇役)と做《な》る
朱仝と雷横のふたりは、公文書を受けとると、ただちに土兵を四十名ばかり集めて宋家荘へ駆けつけた。宋太公はそれを知ると急いで出迎えた。朱仝と雷横はいう。
「ご老人、おとがめくださるな。わたしたちは上司の命でよんどころなく出むいてきたもの。ご子息の押司どのは今どこにおいでですか」
「お聞きください。不孝者の宋江はわたくしどもとはなんの関係もございません。前の知県さまのご在任ちゅうにすでにその由を訴えて、証拠のものもここにございます。あれとははや三年も前から籍を別にしており、世帯もまったく別でございまして、あれもまたいっこうによりつきません」
朱仝は、
「しかしながら、わたしたちは令状を持ってお役目でまいったもの。不在だとおっしゃっても、それを鵜呑みにしてしまうわけにもいきません。ちょっとさがさせてもらわないことには、ひきとれませんので」
と、三四十人の土兵に命じて屋敷をとりかこませ、
「おれは表門をおさえているから、雷都頭、あんたはさきにはいって行ってさがして見てくれ」
そこで雷横はなかへはいって行って、屋敷の内外をくまなくさがしたが、やがて出てきて朱仝にいった。
「ほんとにいないよ」
「おれにはどうも得心がいかん。雷都頭、あんたこんどは門をおさえていてくれ。おれが自分でじゅうぶんさがしてみよう」
すると宋太公が、
「わたくしも法はわきまえております。なんでかくまったりなどいたしましょう」
「なにしろ殺人事件なもんで。わたしたちを責めないでください」
「それならどうぞご自由に。よくさがして見てください」
「雷都頭、あんたはご老人を見張っててくれ。はなしちゃいかんぞ」
朱仝は屋敷のなかへはいって行き、朴刀を壁にたてかけ、門に閂《かんぬき》をかけると、仏間へはいって行って供物台を横へのけ、床板をめくった。床下には縄の端が見えていた。それをひっぱると、銅の鈴が鳴って、宋江が地下のあなぐらから出てきたが、宋江は朱仝を見てあっとおどろいた。朱仝はいった。
「公明兄貴、わしがあんたをつかまえにきたことを、わるく思わんでもらいたい。日ごろから仲よしで、なにごともかくしだてのないあいだがら。いつかは酒を飲みながら兄貴がこういったことがあった、おれの家の仏壇の下にはあなぐらがつくってあって、上には三世仏《さんぜぶつ》がおいてある、仏間の一ヵ所を板張りにして、その上に供物台をおいてあるから、危ういことでもおこったらそこへかくれにくるといいってな。わしはその話をおぼえていたんだ。今日は知県さまがわしと雷横に行けといわれたのも、そのじつ、どうにも世間の目をごまかせなくなったからなのだ。知県さまも兄貴を見逃そうと思っておられるのだが、張三と婆さんがやかましくいいたてて、県でとりあげなければ州へ訴え出るといいやがるもんだから、こうしてわしらふたりをここへよこされたわけなんだ。一本気な雷横には、うまくとりはからう才覚などなさそうだし、もし兄貴を見つけでもしたときはまるくおさめることなどできなかろうと思って、やつをだまして表の方で待たせ、こうして話をしにやってきたんだ。ここもわるくはないが、いつまでもおれるところじゃない。もし誰かに嗅ぎつけられて踏みこまれでもしたらどうする」
「わしもそう考えていたところだ。もし兄貴がこうしてかばってくれなかったら、わしはきっと縄目にかかっていたろう」
「そんなことはともかく、兄貴はどこへ身をよせるつもりだ」
「三ヵ所ある。ひとつは滄州横海《おうかい》郡、小旋風《しようせんぷう》の柴進《さいしん》の屋敷。ひとつは青州清風寨、小李広《しようりこう》の花栄《かえい》のところ。もうひとつは白虎山《はくこざん》、孔《こう》太公の屋敷だ。太公には息子がふたりあって、長男は毛頭星《もうとうせい》の孔明《こうめい》、次男は独火星《どくかせい》の孔亮《こうりよう》といい、なんども役所へたずねてきたことがあって顔なじみだ。この三ヵ所のどれにしようかと迷っているんだが」
「早く考えをきめて、すぐにもそこへ行くがよい。今夜さっそくたちなさい。ぐずぐずしているとあぶないよ」
「役所の人たちの方は兄貴によろしくやってもらいたい。それに必要な金や物はどんどん持って行ってくれ」
「そのことは心配なく。万事ひきうけた。兄貴はただ逃げさえすればよいのだ」
宋江は朱仝に礼をいって、またあなぐらのなかへもどって行った。朱仝はもとどおり床板をかぶせ、供物台をのせると、門をあけ、朴刀を持って外へ出て行った。
「ほんとうにどこにもおらん」
そして大声で、
「雷都頭、しかたがないから宋太公をとらえて行こうじゃないか」
雷横は、朱仝が宋太公をとらえて行こうというのを聞いて、思案をめぐらした。
「朱仝は宋江と親しくしてる。だのに親爺さんをひっぱって行こうなんて、こいつは心とは反対のことをいっているのだ。よし、もういっぺんいい出したら、おれもひとつ情をかけてうまくおさめてやろう」
朱仝と雷横は土兵を集合させ、一同で座敷へはいって行くと、宋太公はあわてて酒を出してもてなした。朱仝がいった。
「なにもそんなご心配はしてくださいますな。ところで、ご老人と四郎さんのおふたり、県の方へご足労いただきたいのですが」
「四郎さんはどこにおいでです」
と雷横が口をはさんだ。宋太公は、
「あれは近くの村へ農具をあつらえにやりましたので、留守をしております。宋江のやつめはもう三年も前に、親にさからう不孝者として籍をぬき、その証拠の書類もここにございます」
「いや、それは通りません。わたしたちふたりは、こちらの親子おふたりを連行して帰れという知県さまのご命令を受けておりますので」
すると雷横が、
「朱都頭、まあ、おれのいうことを聞いてくれ。宋押司が事件をおこしなさったのは、これはなんかきっとわけがあってのことだ。死罪にはなるまいよ。ご老人は証拠の書類を持ってなさって、しかもそいつは役所の判があって、にせものじゃない。わしらは日ごろ宋押司とはしたしくしていた仲だ。ここはひとつ、こちらの肩を持ってあげて、例の書類をうつしてひきさがればよいじゃないか」
朱仝は心のなかで、
「おれが逆なことをいったのは、やつに疑わせないためだったのだが」
と、ほくそ笑み、そして、
「あんたがそういうのなら、わしだってなにもすき好んで憎まれ役になりたくはないよ」
宋太公は礼をいった。
「おふたりの都頭どののおとりなし、厚くお礼申しあげます」
さっそく酒食を出して一同をねぎらうとともに、銀子二十両をふたりにおくった。ふたりは固辞して受けとらず、四十数名の土兵たちに配ってやった。そして証拠の書類をうつしとったのち、宋太公に別れをつげ、宋家村をあとにした。
朱と雷のふたりの都頭は一同をひき連れて県へもどった。県では知県は登庁ちゅうで、朱仝と雷横が帰ってきたのを見て次第をたずねた。ふたりは報告した。
「屋敷一帯と周辺の村々とを二度までもさがして見ましたが、当人はたしかにおりません。宋太公は病気で寝ついたままで、動くこともかなわず、もう長くはないようです。宋清は先月から旅に出たきりでまだ帰っておりません。そういうわけで、証拠の書類をうつして帰っただけでございます」
「そういうことならば、州へ上告し、また全国へ手配しよう」
それはそれとして、役所で宋江と親しくしていた人々は、宋江のためにみなで張三のところへ話をつけに行った。張三も、大勢の人たちの手前もあり、また、女は死んでしまったことでもあり、さらに張三自身、かねがね宋江から目をかけてもらっていた手前もあって、とうとう思いとどまった。朱仝はまたいくらかの金をあつめて閻婆さんにやり、州役所への告発をとりやめるようになだめた。婆さんも金をもらったので、どうにもしようがなく、しぶしぶ承知した。
朱仝はさらに、いくばくかの銀子を持たせて人を州役所へやり、それをばらまいて、書類の再審査命令が出ないようにとりはからった。知県もそれに尽力し、一千貫の賞金を出して全国に手配の文書をまわしただけで、あとはただ唐牛児を追及して故意に犯人を逃亡させたという罪にし、棒打ち二十のうえ刺青をして五百里以上の遠隔の地へ流す、ということにして、その他の関係者一同はみな釈放し、自宅にひきとらせたが、これは後日の話である。
朱仝のことをうたった詩がある。
一身の狼狽《ろうばい》は煙花(おんな)の為なり
地《ちいん》(あなぐら)に身を蔵《かく》すも亦拿《とら》わる可し
別れに臨んで叮嚀《ていねい》す好く趨避《すうひ》せよと
髯公《ぜんこう》(朱仝)端《まさ》に朱家《しゆか》(秦末の侠客)に愧《は》じず
さて宋江のことであるが、彼の家は農をいとなみながら、なぜあのようなあなぐらなどがあったのかというと、そもそも宋の時代には、官(大官)になるはやすく吏(小役人)になるは難し、といわれていたものである。なぜ官になるはやすいかといえば、当時、朝廷では腹黒い連中が大権を握り、おべっかつかいのとりまきどもがのさばっていて、縁故の者でなければ登用せず、賄賂をつかわなければとりたてずというようなありさま。またなぜ吏になるは難いかというと、たとえば押司など、もしなにかまちがいをすれば、軽くても辺境へ流罪になって労役が課せられ、重ければ家財没収のうえ、命までとられてしまうという始末であった。そのため、あらかじめあのようなかくれ場所を用意しておいたものである。また親に迷惑がかからぬように、親の方から不孝者と訴え出て籍をぬき、世帯を別にし、公儀からその証拠の書類をもらいうけて、たがいに出入りしないようにしたのだった。しかし財産などは実家の方へあずけておいたものである。宋の時代はこういう措置を講ずるものがきわめて多かったのである。
さて宋江は、あなぐらから出てきて父と弟に相談した。
「このたびは、朱仝のかばいだてがなければ、つかまっていたでしょう。この恩は忘れられません。これからわたしは弟とともに身をかくしたいと思いますが、運よく大赦の恩典にあずかることができましたならば、そのときはもどってきてお目にかかることもできましょう。お父さん、朱仝のところへ誰か人をやって、こっそりいくばくかの金銀をとどけてください。役人たちへの賄賂にし、また閻婆さんにもいくらか金をやって州への告訴をやめさせるように、朱仝にたのんでいただきたいのです」
「その方は心配しなくてよい。それよりおまえたちふたり、道中くれぐれも気をつけて行くようにな。むこうへ着いたら、信用のおける人にたのんで便りをよこしなさい」
その夜、兄弟ふたりは荷物をまとめ、四更(夜二時)ごろに起きて、顔を洗い、朝飯をすませ、旅装をととのえて、いよいよ出かけることになった。宋江は白い范陽《はんよう》の氈笠《せんりゆう》をかぶり、白い緞子《どんす》のうわぎを着、紅梅色の縦糸の紐をしめ、脚絆を巻き、乳《ち》の多い麻の鞋《くつ》をはき、宋清はその従者のいでたちで包みを背負い、ふたりそろって座敷へ行って父に別れの挨拶をした。親子三人はとめどなく涙を流したが、
「おまえたちふたり、長い道中だ。心配せずに行きなさい」
と老人がさとせば、宋江と宋清は、また、下男たち一同にさとす。
「しっかり家をたのんだぞ。ご隠居さんには朝晩、なにくれとなくゆきとどいた面倒を見てあげてくれ。食事もちゃんと手落ちのないようにな」
兄弟ふたりは、それぞれ腰に腰刀をさし、手には朴刀を持ち、宋家村をあとにした。ふたりは旅路についたが、時節はちょうど秋の末で冬のはじめ。見れば、
柄々《へいへい》と〓荷《きか》(蓮)は枯れ
葉々《ようよう》と梧桐は墜《お》つ
蛩《こおろぎ》は吟ず腐草の中
鴈《かり》は落つ平沙の地
細雨は楓林《ふうりん》を湿《うるお》し
霜重《しげ》く天気を寒からしむ
是れ路行の人にあらずんば
怎《いか》でか秋の滋味を諳《あん》ぜん
さて宋江兄弟はしばらくすすんでから、道々思案した。
「さて、おれたちはどこへたよって行ったものかな」
宋清のいうには、
「人のうわさでは、滄州横海郡の柴大官人どのの名が高い。なんでも大周皇帝嫡流《ちやくりゆう》の子孫だそうです。面識はないが、そこへたよって行こうじゃないですか。義を重んじて財を疎《うと》んじ、好んで天下の好漢たちと交《まじわり》を結び、流罪者を救い、当代の孟嘗君《もうしようくん》(注一)だというもっぱらのうわさです。ふたりでぜひそこへ行きましょう」
「おれもそう考えていたところだ。あの方とは手紙はいつもかわしているのだが、ついお目にかかるおりもなかった」
ふたりは話をきめて滄州へと路をとった。
道中はおきまりどおり、山を越え川をわたり、府を通り州をよぎる。およそ旅をする者は、宿屋に泊まればどうしてもまぬがれることのできないふたつのことがある。癩《かつたい》の食った碗で飯を食い、死人の寝た寝床で寝ることであるが、余談はさておき、かんじんの話をすすめよう。宋江兄弟は何日かたってようやく滄州の境までやってきて、人にたずねた。
「柴大官人どののお屋敷はどこでしょうか」
場所を聞いて、まっすぐにその屋敷へ行き、下男にたずねた。
「柴大官人どのはご在宅でしょうか」
すると下男は、
「東の別荘の方へ年貢を取りに出かけられて、こちらには見えません」
「ここから東の別荘までは、どのくらいあるのですか」
「四十里ぐらいです」
「どう行くので」
と宋江がたずねると、下男は、
「ちょっとうかがいますが、おふたりさんのお名前は」
「〓城県の宋江というものです」
「といいますと、及時雨《きゆうじう》の宋押司さまで」
「そうです」
「お名前は大官人さまがいつも口になさっていて、お目にかかれぬのが残念だといっておられます。宋押司さまなら、わたくしがご案内いたしましょう」
下男はさっそく宋江と宋清を東の別荘へ案内して行った。三時《みとき》とたたぬうちに、早くも東の別荘に着いた。宋江が見れば、まことに立派な屋敷で、整然たるたたずまい。そのさまは、
前は闊港《かつこう》を迎え、後は高峰に靠《よ》る。数千株の槐柳林《はやし》を成し、三五処の庁堂《ちようどう》客を待つ。屋角を転ずれば牛羊《ぎゆうよう》地に満ち、打麦場には鵝鴨《がおう》群を成す。飲饌《いんせん》は豪華にして、那《か》の孟嘗《もうしよう》の食客にも賽《まさ》り過ぎ、田園の主管《しゆかん》は、他《か》の程鄭《ていてい》(注二)の家僮を数《かぞ》えず。正に是れ家に余糧ありて鶏犬飽き、戸《こ》に差役《さえき》無くして子孫間《かん》なり。
そのとき下男がいった。
「おふたりさま、この亭《あずまや》でしばらくお休みください。大官人さまにお知らせして、お出迎えしていただきますから」
「承知いたしました」
と、宋江は宋清とともに亭で、朴刀をわきに立てかけ、腰刀をはずし、荷物をおろして、腰をかけていた。下男が奥へはいって行くと、やがて待つほどもなく、中央の正門が大きくあけはなたれて、柴大官人が四五人の従者を従えて駆け出してき、亭の上で宋江と対面した。柴大官人は宋江を見ると、ひざまずいていった。
「柴進、久しくお慕い申しておりました。今日、天のめぐみを得て思いがけなくもお目にかかることができ、日頃の渇望をいやすことができまして、しあわせこの上もありません」
宋江もひざまずいて答えた。
「宋江、おろかしき小役人の分際《ぶんざい》にて、今日あえてお世話になりにまいりました」
柴進は宋江をたすけおこして、
「昨夜は灯芯《とうしん》がはぜ、今朝は鵲《かささぎ》がさわぎましたゆえ、なにかの吉兆とは思いましたが、大兄がお見えになろうとは」
と、満面に笑みをたたえた。宋江は、柴進の心からの歓迎ぶりを見てひどくよろこび、弟の宋清をよんでひきあわせた。柴進は従者にいいつけ、宋押司の荷物をとりまとめて奥の座敷の西の離れの寝所《しんじよ》へはこびいれさせ、宋江の手をとってなかへ誘い、表座敷へ請じいれて主客それぞれの座についた。やがて柴進はたずねた。
「ところでうかがいますが、聞けば大兄には〓城県におつとめの身とか、それなのにどういうわけではるばるこんな辺鄙な片田舎へ見えたのですか。なかなかお暇もございませんでしょうに」
宋江は答えていった。
「大官人どののご高名は、耳に鳴る雷のように、かねてからうかがっておりました。また、しばしばお手紙をいただきながらも、つとめに追われてお目にかかるおりもありませんでしたが、このたびわたくし、だいそれたことをしでかし、兄弟ふたりして身のよせさきを考えましたあげく、大官人どのの義を重んじて財を疎んぜられることを思いおこし、あえてお世話になりにまいったしだいでございます」
柴進はそれを聞くと、笑っていった。
「大兄、ご安心ください。たとえどのような大罪であっても、わたしのところへおいでになればもうなんのご心配もいりません。大きなことをいうわけではございませんが、相手が捕盗の官軍であっても、この屋敷へはまともに踏みこむことはできないのですから」
宋江はそこで、閻婆惜を殺した顛末をくわしく話した。柴進は笑いながら、
「大兄、ご安心ください。たとえ朝廷の顕官を殺《あや》めなさったとしても、また府の庫《くら》の財物を奪いなさったとしても、わたしがこの屋敷にかくまってさしあげます」
そういってから、宋江兄弟に入浴をすすめ、二着ぶんのそろいの着物・頭巾・絹鞋・白靴下を出して、あとでそれに着かえるようにいった。ふたりは入浴をすませて、すっかり新しい着物に着かえた。下男は宋江兄弟のもと着ていた着物を寝所の方へ持って行った。
柴進は宋江を奥まった裏座敷に案内した。そこにはすでに酒食の用意がととのえられていた。柴進は宋江を正面の席に迎え、みずからはそのむかいに坐った。宋清は上座についた宋江の脇に坐った。こうして三人、座がきまると、十幾人かの側仕えの下男と数名の用人が、かわるがわる酒をついで、まめまめしくもてなした。柴進も、再三ふたりにくつろいで飲むようにすすめ、宋江はしきりに礼をいった。酔いがほどよくまわるにつれて、三人はそれぞれ日ごろ胸にいだいていた敬愛の念を披瀝《ひれき》しあった。やがて日も暮れてあかりがつけられると、宋江は、
「酒はもうこれで」
と辞退したが、柴進はどうしてもきかず、なおも飲みつづけてやがて初更(夜八時)のころとなったとき、宋江は小用にたった。柴進はひとりの下男をよび、提灯を持って宋江を東廊下のはずれまで案内して用を足してもらうようにいいつけた。
「ちょっと中座を」
といって宋江は、ぐるっとまわって正面の廊下へ出、ゆっくり歩きながら東廊下へ転じて行った。宋江はもうかなり酔っていて、足もとがふらふらし、歩くことだけでせい一杯である。その廊下にひとりの大男がいた。おこりをわずらって寒くてたまらず、提げ火鉢をそこへ持ち出してあたっていたのである。宋江はあおむいて、いっしょうけんめいに歩いていたので、うっかりその提げ火鉢の柄を踏んづけてしまい、火鉢の火がぱっとはねかえって大男の顔にかかった。男はびっくりし、どっと身体じゅうに汗をかいた。男は怒って宋江の胸倉をつかみ、大声でどなった。
「きさま、どこの糞やろうだ。おれをなぶりやがって」
宋江もびっくりして、とっさにいいわけもできずにいると、提灯持ちの下男があわてて叫んだ。
「無礼をするな。この方は大官人さまの大事なお客さまなのだぞ」
するとその男は、
「なにがお客さまだい。おれもここへきた当座はお客さまで、大事にもてなしてもらったもんだが、今じゃ下男どもの告げ口のおかげできらわれものだ。まったく人に千日の好《こう》なく花に百日の紅《こう》なしだわい」
と、宋江になぐりかかってきた。下男は提灯をほうり出し、なかにはいってなだめた。だが、男はなかなかきこうとはしない。と、そこへ、提灯が二つ三つ飛ぶように近づいてき、柴大官人がみずから駆けつけて、
「押司どの、どうも失礼いたしました。どうしてこんなところで喧嘩など」
下男が、提げ火鉢を踏んづけたことの一部始終を話すと、柴進は笑いながら、
「大男どの、あんたはこのえらい押司さんを知らないのか」
「えらい、えらいって、とても〓城の宋押司どのにはおよぶまい」
柴進は大声で笑いながら、
「大男どの、あんたは宋押司どのを知っているのか」
「いや、会ったことはないが、及時雨の宋公明といえば世間にその名も高い人だ。義を重んじて財を疎んじ、危《あや》うきを助けて困《くる》しめるをすくう、天下に名だたる好漢だよ」
「どういうわけで天下に名だたる好漢なのだ」
「簡単にはいえぬが、彼こそはまことの大丈夫《だいじようふ》。なにからなにまでそなわった完全な人なのだ。おれは病気がよくなったら、あの人のとこへたよって行くつもりだ」
「会いたいか」
「会いたいにきまっている」
「大男どの、遠くば十万八千里、近くばすなわち目《ま》のあたりだよ」
柴進は宋江を指さして、
「この方が及時雨の宋公明どのだ」
「それはほんとうか」
「わたしが宋江です」
と宋江はいった。
男は目を据えてじっと見つめ、それから頭をこごめてお辞儀をし、
「わしは、夢を見ているんじゃなかろうか。兄貴にお目にかかるなんて」
「どうしてそれほど」
と宋江がいうと、
「さっきはまことに失礼をいたしました。どうぞおとがめくださいませんように。すっかりお見それいたしまして」
と男はひざまずいて、立とうともしない。宋江はいそいでたすけおこして、
「ところで、あなたのお名前は」
ときいた。すると柴進がその男を指さしつつ、その名はしかじかと告げたのであるが、かくてここに、山中の猛虎も見て魄《はく》散り魂《こん》離れ、林火の盗賊も会って心驚き胆裂くる、という次第となるのである。まさに、説けば星月も光彩をうしない、語れば江山の水も倒《さか》しまに流れるというところ。はてさて柴進の説き出したその男は、そも何人であろうか。それは次回で。
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一 孟嘗君 戦国時代の斉の宰相で、客を好み、常に食客三千人をおいていたという。
二 程鄭 漢代の臨〓《りんきよう》の人で鋳鉄業をいとなみ、その富は卓王孫(卓文公の父)をしのいだといわれる大富豪。
第二十三回
横海郡《おうかいぐん》に 柴進《さいしん》賓を留め
景陽岡《けいようこう》に 武松《ぶしよう》虎を打つ
さて、宋江は酒席をはずそうとして手洗いに立ったが、廊下をつたって行くうちに、提げ火鉢の柄を踏んづけてしまったので、かの男はかっとなり、とびかかってきて宋江をなぐろうとした。と、そこへ柴進が追ってきて、たまたま宋押司とよんだために名がわかってしまったのである。かの男はそれが宋江だと知ると、ひざまずいて、立とうとはせず、
「お見それをして、つい失礼をいたしました。なにとぞお許しくださいますよう」
宋江は男をたすけおこして、たずねた。
「あなたはどなたですか。お名前は」
すると柴進が指さしながら、
「この人は清河《せいか》県の人で、姓は武《ぶ》、名は松《しよう》といい、兄弟順は二番目。ここにきてからもう一年になります」
といった。宋江は、
「世間のうわさに、武二郎《ぶじろう》というお名前はしばしば聞いておりましたが、今日ここでお目にかかろうとは思いもよりませんでした。なんともうれしいしだいです」
柴進は、
「豪傑どうしがはからずも顔をあわせるということは、めずらしいことです。どうぞあちらでごいっしょにお話しください」
宋江は大いによろこび、武松の手をとってともに奥の座敷へ行き、宋清にもひきあわせた。柴進が武松を自分の席に迎えようとすると、宋江はあわてて、いっしょにこちらへどうぞとすすめたが、武松はどうしてもきかない。しばらくゆずりあったあげく、武松は三番目の席についた。柴進はふたたび酒席をととのえさせて、三人に存分にお飲みくださいとすすめる。宋江があかりの下で武松を見れば、まことに堂々たる好漢で、
身躯は凜々、相貌は堂々。一双の眼光は寒星を射《い》、両彎《りようわん》の眉は渾《あたか》も漆を刷《は》きたるがごとし。胸脯は横闊にして、万夫も敵し難きの威風あり。語話は軒昂として、千丈の雲を凌《しの》ぐの志気を吐く。心雄《ゆう》に胆大に、天を撼《ゆるが》す獅子の雲端より下るが似《ごと》く、骨健《すこや》かに筋強く、地を揺《ゆる》がす貔貅《ひきゆう》の座上に臨めるが如し。天上の降魔王《ごうまおう》に同じきが如く、真に是れ人間《じんかん》の太歳神なり。
そのとき宋江は、武松のこの風貌を見て心中大いによろこび、さっそく武松にたずねた。
「二郎どのはどうしてこちらへこられたのですか」
武松は答えていうよう、
「わたしは清河県で、酒に酔っぱらって土地の機密《きみつ》(刑事)と喧嘩をし、ついかっとして一発くらわしたところ、そやつは目をまわしてひっくりかえってしまったのです。わたしはやつが死んだものと思ってそのまま逃げ、大官人どののところに身をよせて難をのがれたしだい。それからもう一年以上になりますが、あとで聞けば、なんとそやつは死んだのじゃなく、介抱されて息を吹きかえしたそうです。それで郷里へ帰って兄をたずねてみようと思っているところへ、あいにくなことにおこりをわずらって、出かけられずにいたのです。さっきはちょうどふるえのきたときで、あそこで火にあたっていたのですが、兄貴が提げ火鉢の柄を踏んづけなさったものだから、びっくりして、その拍子にどっと冷汗が出、どうやらそれでなおってしまったようです」
宋江はそれを聞いて大いによろこび、その夜は三更(夜十二時)ごろまで飲みつづけた。酒盛りがおわると、宋江は武松を西のはなれにひきとめて、いっしょに眠った。あくる日、起きると、柴進は羊や豚を殺し、宴席を設けて宋江をもてなしたが、そのことはそれまでとする。
それから数日たって、宋江はいくばくかの身銭《みぜに》を切って武松のために着物をつくってやることにした。それを知った柴進は、宋江にはどうしても金をつかわせず、自分から絹の反物を一箱出してきて、屋敷には仕立屋もいるので、三人の身体にあった着物を仕立てさせた。
ところでみなさんは、柴進がなぜ武松にだけ不愛想にしていたのかと不思議に思われるだろう。そもそも武松がはじめて柴進のところへたよってきたときには、別にかわりなく丁寧にもてなしていたのだったが、その後、武松が屋敷で酒を飲んで酔っぱらってばかりいて、しかも気性のはげしい男なので下男たちがすこしでもぞんざいな扱いをするとたちまち拳骨を振りまわすものだから、屋敷じゅうの下男はひとりも武松をよくいうものはなく、みんな彼をきらって、一同で柴進の前に出てさんざん彼の不行跡をいいたてた。そこで柴進は、彼を追い出しはしなかったが、そのもてなしがおろそかになったというわけである。しかし宋江が毎日、なにくれとなく目をかけてやり、酒の相手をしてやったので、武松も以前の悪癖はすっかりおさまってしまった。
宋江といっしょに十何日かすごした武松は、郷里がこいしくなり、清河県へ帰って兄に会いたいといい出した。柴進と宋江は、もうしばらくいて、それからでもよかろうとひきとめたが、武松は、
「長いあいだ、兄の消息がありませんので、ぜひ会いに行きたいのです」
という。
「二郎さんがどうしても帰りたいのなら、無理にはひきとめません。暇ができたらまた会いにきてください」
武松は宋江に礼をいった。柴進はなにがしかの金銀をとり出して、武松にわたした。武松はよろこんで、
「なにからなにまで大官人どのにご迷惑をおかけしまして」
と礼をいう。武松は荷物をくくり、哨棒《しようぼう》(棍棒)をにぎって、さて、いよいよ出かけようとすると、柴進はまた酒食を出して旅立ちを祝った。
武松は、新しい紬《つむぎ》の赤いうわぎを着、白い范陽の氈笠をかぶり、包みを背負い、棍棒をひっさげ、別れの挨拶をして出かけた。と、宋江が、
「ちょっとお待ちなさい」
と、部屋へもどっていくらかの銀子をとってきて、表門のところまで追いかけて行き、
「そこまで送って行こう」
と、弟の宋清とふたりで見送ることにした。武松が柴大官人に別れの挨拶をしたあとで、宋江は、
「大官人どの、ちょっと見送ってきます」
とことわった。
三人は柴進の東の別荘をあとにして、五六里ほど行った。武松はそこで別れを告げて、
「兄貴、もう遠くなります。どうぞお帰りください。柴大官人どのがきっとお待ちかねでしょう」
「いや、もうすこし行こう」
話をしながら、いつのまにかまた二三里ほど行った。武松は宋江をおしとめて、
「兄貴、もうこのへんで結構です。ことわざにも、君を送って一千里、されどいつかは別れあり、というじゃありませんか」
宋江は指さしながら、
「もうすこし行かせてもらおう。ほら、街道のあそこに小さな酒屋がある。あそこで二三杯飲んで別れましょう」
三人は居酒屋へはいった。宋江が上座にすわり、武松は木刀を立てかけて下座にかけ、宋清はその横に腰をおろした。給仕に酒をいいつけ、また、肴やつまみものや菜などをとって、机の上に並べさせた。三人が何杯かかさねているうちに、いつしか赤い夕日は西の方に傾いた。武松は、
「もうすぐ日が暮れます。兄貴、わたしをお見捨てでないなら、どうかここで四拝の礼を受けて、義理の兄になってください」
宋江は大いによろこんだ。武松は頭をさげて四拝の礼をおこなった。宋江は宋清に十両の錠銀を一枚出させて、武松におくった。武松はしきりに辞退して、
「兄貴も旅の空にあるお方です。なにかとおいりようでしょう」
「そんな心配はいらん。もし受けとらなければ、わたしはあなたを弟とは思いませんぞ」
武松はしかたなく受けとって胴巻のなかへしまった。宋江は小銭を出して酒代をはらい、武松は棍棒をとり、三人は外へ出て別れの挨拶をかわした。武松は涙をながし、お辞儀をして去って行く。宋江と宋清は酒屋の前に立ちつくして、武松のうしろ姿が見えなくなるまで見送ってから、ようやく帰途についた。五里も行かぬうちに、見れば柴大官人が馬に乗り、うしろに二頭の空馬《からうま》をひきながら迎えにくる。宋江はそれを見て大いによろこび、いっしょに馬に乗って屋敷へ帰った。馬からおりると、柴進は奥の座敷へ招いて酒を出した。宋江兄弟はそれからひきつづいて柴大官人の屋敷に逗留する。
ここで話は二つにわかれる。さて武松は、宋江と別れてから、その夜は宿屋にとまった。翌日は、早くおきて飯の支度をし、飯をすませ宿賃をはらい、荷物をからげ棍棒をひっさげて出かけた。道々、思うよう、
「世間では及時雨の宋公明といって、もっぱらのうわさだが、まったくそのとおりだ。兄弟の契りを結べて、ほんとうによかったわい」
武松は幾日か旅をかさねて、やがて陽穀《ようこく》県にはいった。県城からはまだはるか離れたところである。てくてくと歩いて昼ごろ、ちょうど腹がすいてきたとき、行くてに一軒の酒屋が見えた。軒さきに看札の旗がかかげてあって、それには五つの文字が書いてある。
三碗不過岡(三杯飲めば峠を越せぬ)
武松は店のなかへはいって腰をおろし、棍棒を立てかけて、
「おい、おやじ、酒だ、酒だ」
亭主は、碗三つと箸一ぜん、菜《さい》一皿を武松の前にはこんできて、なみなみと酒を一碗ついだ。武松は、碗をとりあげ、ひといきに飲みほして、
「なかなかよくきく酒だ。おい、おやじ、なにか腹のふくれる肴はないか」
「牛肉の煮たのならございます」
「よし、そいつを二三斤切ってもらって肴にしよう」
亭主はなかへはいって行って、煮た牛肉を二斤、大皿に盛って武松の前にはこんでくると、その手で二杯目の酒をついだ。武松は飲みおわって、
「うまい」
と、もう一杯つがせた。ちょうど三杯飲んでしまうと、それっきりもうつぎにこない。武松は机をたたいてよびたてた。
「おい、おやじ、どうして酒をついでくれん」
「肉ならさしあげますが」
「ほしいのは酒だが、肉ももうすこしもらおうか」
「肉ならお出ししますが、酒はいけません」
「はて、おかしな」
と武松は思い、亭主にたずねた。
「酒を売らんとはどういうわけだ」
「お客さん、うちの店さきの旗をごらんになったでしょうが。あれにちゃんと書いてございます。三杯飲んだら峠を越せぬとな」
「どうしてまた、三杯飲んだら峠を越せぬというのだ」
「うちの酒は、地酒ですけど銘酒なみのこくがあります。うちへおいでのお客さんは、どなたでも三杯で酔ってしまって、このさきの峠が越えられなくなるのです。それで、三杯飲んだら峠が越せぬ、というわけで。往来の旅の衆もここでは三杯お飲みになるだけで、それ以上は申しつけられません」
武松は笑って、
「そうかい。ところがおれは三杯飲んだが酔わんぞ。どうしてだ」
「うちの酒は透瓶香《とうへいこう》(香りが瓶をつきぬける)、またの名を出門倒《しゆつもんとう》(門を出たとたんにぶっ倒れる)といいまして、はじめ口にふくんだときはとろりときて、口あたりが滅法いいのですが、すこしたつとばたんと倒れますんで」
「なにをいってやがる。銭はちゃんとくれてやるんだ。もう三杯ついで飲ませろ」
亭主は、武松がけろっとしているので、もう三杯ついでやった。武松は飲みほして、
「まったくいい酒だ。おやじ、こんどは一杯ずつ金をはらう。どしどしついでくれ」
「お客さん、そうがぶ飲みなさってはいけません。この酒で酔いつぶれたら、なおす薬はありませんよ」
「なにをぐずぐずいってやがる。おまえがしびれ薬を盛ったって、おれにもちゃんと鼻があるんだからな」
亭主はまくしたてられてまた三杯ついでやった。武松は飲むほどに調子づいて、ただもうやたらに飲みたくなり、ふところから小粒の銀子をとり出して、
「おい、おやじ、この銀子をしらべてくれ。酒手と肉代はこれでたりるか」
亭主は勘定してみて、
「ありますとも。おつりをさしあげます」
「つりなんかいらん。酒をつげ、酒を」
「酒とおっしゃっても、まだ、五六杯ぶんもあるんです。とても飲みきれやしません」
「五六杯ぶんもあるのか。そんならそれをみんなついでくれ」
「おまえさまみたいなでっかい男が酔いつぶれでもなさった日にゃ、たすけおこしもできやしません」
「おまえの手なんか借りるようじゃ、おれの男がすたるわ」
亭主はもうどうしてもつがない。武松はむしゃくしゃして、
「おれはただで飲んでるわけじゃない。おれを怒らせるつもりか。おれが怒ったが最後、こんな家なんかこっぱみじんだぞ。こんなぼろ店なんかひっくりかえってしまうぞ」
亭主は、こやつ酔ったなと思い、怒らせたらうるさいと、また碗に六杯ついで飲ませた。武松は、こうして前後あわせて、十五杯もひっかけたあげく、棍棒を手にとり、立ちあがって、
「おれは酔ってなんかおらんぞ」
そして店を出て、
「三杯飲んだら峠を越せぬか。そんなばかなことがあるもんか」
と笑い、棍棒をさげてすたすた歩き出した。
亭主が追いかけてきて、よびとめた。
「お客さん、どこへ行きなさる」
武松は立ちどまって聞きかえした。
「どうしたんだ。酒代は残っていないはず。なぜよびとめる」
「親切でいってあげるんですよ。まあ、うちへひきかえして、お上《かみ》の立札の写し書をごらんなされ」
「なんの立札だ」
「このごろ、そこの景陽岡《けいようこう》では、夜になると眼の吊りあがった白額《しろびたい》の虎が出てきて人におそいかかり、もう二三十人もの大《だい》の男を殺したんです。お上ではいま、猟師連中にこいつを退治するよう刻限づきのお達しを出しておられ、峠ののぼり口にはあっちこっちに立札を立てて、往来の旅人たちは仲間をつくり隊を組んで巳《み》(昼前)午《うま》(昼)未《ひつじ》(昼すぎ)の三時《みとき》は通ってもよいが、あとの寅《とら》(夜明け前)卯《う》(夜明け)申《さる》(午後)酉《とり》(夕方)戌《いぬ》(夜)亥《い》(夜中)の六時は通ることを禁じておられます。また、ひとり旅の者は待ちあわせて、連れが大勢できてからみんなといっしょに通るようにとのこと。いまはちょうど未《ひつじ》もすぎて申《さる》の刻にかかる時分だというのに、見ればおまえさまは誰もさそわずにとっとと行きなさるが、こりゃわざわざ死にに行くようなもんです。まあ、わたしのところで泊まって、明日ゆっくり二三十人の連れが集まるのを待ってから、いっしょに無事に越しなさったらいいですよ」
武松は笑って、
「おれは清河県の者だ。この景陽岡をのぼりくだりしたのは十回や二十回じゃないが、いちどだって虎が出るなんて話は聞いたことがないぜ。そんなたわごとをいって人をおどかすもんじゃないよ。たとえ虎が出てきたって、おれはこわくなんかない」
「わたしは親切でおまえさまの命を助けてあげようと思ってるんですよ。嘘だと思うならうちへきてお上の立札を見なさるがいい」
「うるさい。ほんとうに虎が出たって、このおれさまがなんでおそれよう。おまえがおれを泊めたがるのは、夜中の三更(十二時)におれの金をとって、おれを殺そうという魂胆じゃないのか。それで虎なんぞ持ち出しておれをおどそうというのだろう」
「なんということを。わたしの好意をかえってわるくとってそんなことをいうとは。嘘だと思うのなら、勝手に行くがいい」
まさに、
前車は倒《たお》れ了《おわ》る千千輛
後車も過《す》ぎ了れば亦《また》然るが如し
分明に平川《へいせん》の路を指与《しよ》せるに
却って忠言を把《も》って悪言と当《な》す
酒屋の亭主は頭をふりふり店のなかへはいって行った。
一方、武松は棍棒をさげて、のっしのっしと景陽岡へさしかかった。四五里ほど行くと峠の下へついたが、見れば一本の大木の皮を削りとって、その白いところに二行に字が書きつけてある。武松もいくらかは字が読めるので、ふり仰いで読んでみると、
このごろ、景陽岡の虎、人を傷つくるにより、往来の旅商人は巳・午・未の三時に限り、仲間をつくり隊を組みて峠を越えるべし。みずから誤ること勿れ。
武松はそれを読むと笑って、
「こいつは酒屋のおやじのたくらみだな。旅あきんどをおどかして、自分の家に泊めようという算段か。こんなことでびくともするおれじゃないわ」
もう申《さる》の刻で、赤い日はしだいに山の端《は》に沈もうとしていた。武松は酒の勢いを駆って委細かまわず峠へのぼって行く。半里あまり行くと、荒れはてた山神廟があった。廟の前まで行って見ると、門に官印をおした告示が貼り出してある。武松が足をとめて読んで見ると、こう書いてあった。
陽穀県告示
景陽岡にこのほど一匹の虎あらわれて人命を傷害するにより、目下、各郷の里正《りせい》ならびに猟師に命じ、刻限を付して捕えしめおるも、いまだに捕獲にいたらざるゆえ、通行の旅商人らは巳・午・未の三時に限り、隊を組みて通行すべし。その他の時刻および単身の旅人は通行を許さず。生命の安全は保証しがたきゆえ、各人よろしく心得られたし。
武松は官印つきの告示を読んで、はじめて、ほんとうに虎が出ることを知った。ひきかえして居酒屋へもどろうとしかけたが、
「もどって行けば、あいつにあざ笑われるだろう。それではおれの男がすたる。ひきかえすのはしゃくだ」
としばらく、とつおいつ考えていたが、
「ええいくそっ、かまうもんか。のぼれ、のぼれ。出たら出たときのことだ」
と腹をきめた。
歩いているうちに見る見る酔いがまわってきたので、氈笠を背にはねのけ、棍棒を小脇にかかえこんで、一歩一歩と峠へのぼって行った。ふりかえって見ると、日はしだいに沈んで行くところである。おりしもちょうど十月、日は短くて夜の長い、暮れやすい時候である。武松はつぶやいた。
「虎なんぞいてたまるか。みんな勝手にこわがって、のぼらないだけなんだ」
武松はどんどん歩いて行ったが、酔いがまわってきて、身体がかっかと熱くなってくる。片方の手に棍棒をにぎり、片方の手で胸もとをおしはだけて、よろよろと雑木林のなかへはいって行った。が、見ればそこにてらてら光った大きな青石があったので、棍棒をそこへ立てかけ、身体を石の上に投げ出して眠ろうとした。と、そのとき、一陣の狂風がまきおこったのである。
古人の詩に、この風のことをうたった四句がある。
形無く影無く人の懐に透り
四季に能く万物を吹いて開かしむ
樹に就《お》いては撮《つ》みて黄葉を将《も》ち去り
山に入りては推《お》して白雲を出《いだ》し来《きた》る
そもそもこの世では、雲の湧くところからは竜が、風のおこるところからは虎が出る、ときまっているものである。例の一陣の風が吹き過ぎたと見るや、とつぜん雑木林のむこうでばさっと音がして、一匹の、眼の吊りあがった白額の虎が跳び出してきた。武松はそれを見るや、
「あっ」
と叫んで青石の上からころがりおち、棍棒を手ににぎって青石のかげに身をかわした。
虎は、飢えかつ渇いていた。両前足の爪を地面に立てて身をかがめるや、ぱっと飛びあがって中空からうちかかってきた。武松はぎょっとし、そのはずみに酒がみな冷汗になって吹き出てしまったが、そのとき早くかのときおそく、武松は虎のうちかかってくるのを見てひらりと体をかわし、虎のうしろへまわった。
虎というものは、人にうしろへまわられるのをなによりも苦手とする。虎は前足の爪を地面にひっかけ、腰をあげて後足で蹴りあげた。武松がぱっと身をかわして、脇へよけると、蹴りそこなったと見た虎は、うおうっと一声、さながら中空に鳴る雷のように、山を震いゆるがせて吼《ほ》えたけり、鉄の棒のような尾を逆立てて、振りはたいた。武松は、これも身をかわしてよけた。
だいたい虎が人をやっつけるのは、ひとうち、ひとけり、ひとはたきの三手で、この三手をしくじるとその勢いの半ばはそがれてしまうものなのである。虎はそのひとはたきもしくじったので、またもや一声うおうっと吼えたけって、ぐるりとむきをかえた。武松は虎がむきなおったのを見ると、棍棒を両手で振りまわし、あらんかぎりの力をしぼってまっこうみじんとうちおろした。と、ばさっと音がして、枝ごと木が頭の上に落ちかかってきた。眼をこらして見れば、棒は虎にはあたらず、あせったために枯木を打って、棍棒は二つに折れ、手には半分が残っているだけだった。
虎はうなり声をあげて怒りたち、ただひとうちととびかかってくる。武松がまたもやうしろへ十歩ほど跳ね飛んで身をかわすと、虎は得たりと両前足の爪をそろえて身がまえた。武松は折れた棒をなげ捨て、両手で虎の頭の斑毛《まだらげ》のあたりをむんずとひっつかみ、ぐいと下へおさえつける。虎はあわててもがいたが、武松の力におし伏せられて身動きもできない。武松は片足で虎の眉間《みけん》の両眼のあたりをねらって蹴りまくった。虎は吼えたてながら、身体の下の地面をひっかき、泥をかきあげて二つの山をつくり、穴を掘ってしまった。武松が虎の口をその穴のなかへおしつけると、虎は武松にしてやられてまったく力をうしなってしまった。武松は左手で頭の斑毛をひっつかみ、右の手を抜きとって鉄槌のような拳をにぎりかため、あらんかぎりの力を振るって滅多打ちになぐりつける。六七十ばかりもなぐると、虎は眼から口から耳から、どっと鮮血を噴き出した。武松は身に覚えの威力をつくし、腕に覚えの武芸をふるって、わずかのまにまるで錦の袋でもつくねたように虎をその場にたたきのめしてしまったのである。ここに景陽岡《けいようこう》での武松の虎退治をうたった古体の詩一編がある。
景陽岡頭《けいようこうとう》風正に狂い
万里の陰雲日光を霾《くら》ます
目に触《ふ》るる晩霞林藪《りんそう》に掛かり
人を浸す冷霧蒼穹《そうきゆう》に瀰《みなぎ》る
忽ち聞く一声霹靂の響《ひびき》
山腰より飛出《ひしゆつ》す獣中の王
頭を昂《あ》げ踴躍《ようやく》して牙爪《がそう》を逞《たくま》しくすれば
糜鹿《びろく》の属《ぞく》皆奔忙《ほんぼう》す
清河《せいか》の壮士酒未だ醒めず
岡頭に独坐して忙《いそが》しく相迎う
上下に人を尋ねて虎饑渇《きかつ》す
一掀一撲《いつけんいつぱく》何ぞ〓獰《そうどう》なる
虎来って人を撲《う》つ山の倒るるに似
人往《ゆ》いて虎を迎う巌の傾くが如し
臂腕《ひわん》落つる時飛〓《ひほう》を墜《おと》し
爪牙爬《か》く処泥坑《でいこう》を成す
拳頭脚尖雨点の如く
淋漓《りんり》として両手猩紅《しようこう》に染む
腥風《せいふう》血雨松林に満ち
散乱する毛鬚山奄《もうしゆさんえん》に墜つ
近く看《み》れば千釣の勢《いきおい》余りあり
遠く観《み》れば八面の威風斂《おさ》まる
身は野草に横たわって錦斑銷《きんはんあ》せ
緊《かた》く双睛を閉じて光閃《ひらめ》かず
かくて景陽岡の猛虎は、飯ならば一杯を食いおわるまもあらせず、武松の拳骨と足蹴りの乱打でもはや動かなくなり、わずかに奄々《えんえん》たる気息を保つだけとなった。武松は手をはなすと、松の木のところから例の折れた棒切れを見つけ出して手に持ち、虎が生きかえらぬよう、またひとしきりなぐった。虎はまったく息絶えた。武松はそこで、
「よし、この虎をひきずって麓へおりて行こう」
と、血の海のなかから両手をかけて持ちあげようとしたが、どうしても動かない。すっかり力を使いはたしたものだから、足腰の力がなくなっているのだった。武松はまた青石のところへ行って休みながら、思いめぐらした。
「日もだんだん暮れてきたが、また別の虎が出てきでもしたら、もう立ちむかえん。ひとふんばりして麓へおり、明日の朝ひきかえしてきてなんとかしよう」
と、石のあたりから氈笠をさがし出し、雑木林をめぐってのろのろとおりて行くと、半里も行かぬところでいきなり草叢のなかから虎が二匹、おどり出してきた。
「あっ、こんどはもうだめだ」
と武松がうなったとき、なんと、その二匹の虎は、闇のなかですっくと突っ立ったではないか。目をこらしてよく見ると、それはふたりの人間で、虎の皮の縫いぐるみをぴったり身にまとっているのだった。ふたりはそれぞれ手にさすまたを持っていたが、武松を見るとびっくりして、
「おまえさんは、律《どうりつ》(猛獣の名)の心臓か豹《ひよう》の肝か、獅子の腿《ふともも》でもくらいなさったのか。どえらい胆っ玉じゃないか。ひとりで、夜の暗闇に、得物《えもの》も持たずに、よくもまあ、峠を越えてきなさったもんだ。いったいおまえさんは、人間か化けものか」
「おまえたちこそ何ものだ」
「あっしらは、ここいらの猟師ですよ」
「なにをしにのぼってきたんだ」
ふたりはあきれかえって、
「おまえさん、知らないのかい。このごろ景陽岡にでっかい虎が一匹、毎晩出てきやがって人を襲うんだ。おいら猟師仲間のものだけでも七八人もやられたし、往来の旅の衆となると、数もかぞえきれんくらい、みんなそいつに食われてしまったんだ。それで知県さまは、土地の里正さんとおいら猟師仲間の者に退治するよう命令なさったのだが、なにしろ近づけもしないすごいやつなので、むかっていく元気のある者はひとりだっていないのさ。あいつのためにおいらはどれだけ罰棒を頂戴したことか。それでもやっぱり退治できねえ。今夜はまたぞろおいらふたりの番になって、十人あまりの村の衆といっしょに、毒矢を仕掛けたわなをあちこちに張り、ここでこうして待ち伏せしているところへ、おまえさんが悠々とくだってきなさるじゃないか。まったくあきれたもんだ。おまえさんはいったいどういう人だね。虎にぶっつかりはせなんだかね」
「おれは清河県のもので、姓は武といい、兄弟順は二番目だ。ついさっき、雑木林のところでその虎に出くわして、拳骨と足蹴りで殺してやったよ」
ふたりの猟師はそういわれると、きょとんとしてしまって、
「まさかそんなことが」
「嘘なもんか。ほら見ろ、この血しぶきを」
「どうやって、やっつけなさったんです」
武松は虎退治の一部始終を話して聞かせた。ふたりはそれを聞くと、おどろいたりよろこんだりしながら、仲間の村の衆をよんだ。すると、十人ほどの村の衆が、てんでに鋼《はがね》のさすまたや踏弩《とうど》(足で踏んでひく強弓)や刀や槍などを持って、すぐ集まってきた。武松はたずねた。
「あの連中は、なんでおまえたちふたりについてのぼってこなかったのだ」
「やつが、あんまりすごいやつだから、みんなのぼってこられなかったのですよ」
十数人の仲間がみなそこへ集まると、ふたりの猟師は、武松が虎を殺したことをみんなに話したが、みんなは本気にしない。
「嘘だと思うなら、おれについてこい。その目で見てたしかめるがいい」
と武松はいった。みんなはそれぞれ火打ち道具を持っていたので、さっそく火を切って五六本の松明《たいまつ》に燃やしつけ、武松について峠へのぼって行った。と、そこには虎がうずくまって死んでいるではないか。みんなは大よろこびで、まず、ひとりがその地の里正や金持たちのところへ知らせに行き、残ったもののうち五六人で虎をしばって麓までかつぎおろして行った。
麓まで行くと、すでに七八十人のものがわいわいと集まってきていて、まず死んだ虎をかついでさきに立ち、そのあとから武松を轎《かご》に乗せて、まっすぐに土地の金持の家へむかった。その家の者や里正たちは、みな門前に出迎え、虎を奥の座敷へかつぎこませた。土地の金持や猟師たち二三十人のものは、そろって武松のところへ挨拶にきた。みんなはたずねた。
「壮士、お名前はなんとおっしゃいますか。またどちらのお方でいらっしゃいますか」
「わたしは隣の郡の清河県の者で、姓は武、名は松といい、兄弟順は二番目です。滄州から帰ってくる途中、ゆうべ峠のむこうの居酒屋で大酒を飲み、酔っぱらって峠へさしかかったところ、ばったりこやつに出くわしたというわけです」
と、武松は虎を退治したときの身のさばき方から手足の使い方にいたるまで、ことこまかに話して聞かせた。すると金持たちは口々にいった。
「なんとえらいお方だろう」
猟師たちは、さっそく山の獲物を持ってきて、武松に酒をすすめた。武松は虎との格闘でくたくたに疲れていて、ただもう眠りたかった。その家の主人はさっそく、下男に客間をかたづけさせて、ひとまず武松をやすませた。
夜が明けると、家の主人は使いを出して役所へ知らせる一方、虎を乗せる台を組みたてて役所へ送りとどける用意をした。
明け方、武松が起きて洗顔をすませると、金持たちは羊一頭と酒一樽を持ってきて表座敷の前で待ちうけていた。武松は着物を着、頭巾をととのえてそこへ出て行き、一同に挨拶をした。一同は杯をささげて、
「あの畜生のためにどれだけおおぜいの者が命をとられましたことか、また猟師たちもとばっちりをくってなんど罰棒を頂戴したことかわかりません。このたび、あなたさまがお見えになって、この大害を除いてくださいましたことは、まず第一に本村一同のもののしあわせであり、第二にはこれで旅の衆も往来ができるようになりました。これもそれもみなあなたさまのおかげでございます」
武松は礼をかえして、
「いや、わたしの力ではありません。みなさんの余福にあずかったまでです」
村の人々もみなやってきて祝いの言葉をのべた。そして、朝っぱらからご馳走で祝いあったのち、虎をかつぎ出して台の上に乗せた。村の金持たちは武松の身体に紅い絹のきれ(注一)を掛けた。武松の荷物はその家にあずけて、一同うちそろって門の外へ出ると、早くも陽穀県の知県から使者が武松を迎えにきていた。武松はその挨拶をうけたのち、下男四人の舁《かつ》ぎあげる輿《こし》に乗せられ、おなじく紅い絹のきれをうち掛けられた虎を先頭に立てて陽穀県へと案内されて行った。
陽穀県の人々は、ひとりの壮士が景陽岡の虎をなぐり殺したと聞いて、喊声をあげていっせいに外へ飛び出し、城内は湧きたっていた。輿の上から武松が眺めると、人々はおしあいへしあいしながらわいわいと、大通りにも横丁にもあふれんばかりに虎見物に集まっている。役所の門前まで行くと、知県は早くも登庁して待ちうけていた。武松は輿をおり、虎はかついだまま本庁の前まではこばれて外廊下の敷石の上におかれた。
知県は、武松の風貌を眺め、また錦の毛をした巨大な虎を見て、
「この男なればこそだ。誰がこんな猛々しいやつをやっつけられよう」
と心にうなずき、さっそく武松を近くへよびよせた。武松がすすみ出て挨拶を言上すると、知県は、
「虎をうちとった壮士よ、どんなふうにしてこの虎をうちとったのか」
武松が庁前にかしこまって虎をうちとったしだいを述べると、庁上庁下の人々はみな舌を巻いておどろいた。知県は庁上で何杯か酒をあたえ、村の金持たちが集めた賞金一千貫をとり出して武松にわたした。だが武松は、
「わたくしは知県さまの余福にあずかって、たまたま、さいわいにもこの虎をうち殺すことができましたまでで、決してわたくしの力ではなく、褒美などいただける筋合いではございません。聞けば猟師の衆はこの虎のために知県さまからきついおとがめを受けましたとか、この一千貫をみなの衆にわけてあげたらいかがかと存じます」
「それならば、そうするがよかろう」
知県がそういうと、武松はその賞金を庁上から猟師たち一同にわけてやった。知県は武松の厚いこころざしを見て、彼をとりたてようと思い、
「おまえはもともと清河県のものではあるが、この陽穀県とはすぐ近くだ。わしはいますぐおまえを本県の都頭《ととう》に任じたいと思うが、どうだ」
武松はひざまずいて礼を述べた。
「知県さまのおとりたてを得ますならば、命あるかぎりつとめさせていただきます」
知県はすぐ押司にいいつけて文書をととのえさせ、その日さっそく武松を歩兵都頭に任じた。金持たちはみなやってきてお祝いをいい、四五日つづけて酒盛りをひらいた。武松は心のなかに思うよう、
「兄貴をたずねに清河県へ帰るつもりだったのに、なんと陽穀県の都頭になろうとは」
かくて武松は、知県には目をかけられ、土地の人にはその名をとどろかせた。
二三日たったある日のこと、武松が役所を出てぶらぶらと歩いていると、誰かがうしろから、
「武都頭、おまえ、このたびはえらく出世したな。どうしておれのところへよらないのだ」
と声をかけた。武松はふりかえって見て、
「あっ、どうしてまたこんなところに」
といったが、武松がこの人に出会ったために、やがては陽穀県に屍、血に染まって横たわり、はては鋼刀の響くところ人の首はころがり落ち、宝剣のふるうところ熱い血は流るるという次第になるのであるが、いったい武都頭をよびとめたは、いかなる人であったか。それは次回で。
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一 紅い絹のきれ 原文は段疋花紅。また花紅段疋ともいう。慶事のときにこれを肩に掛ける。
第二十四回
王婆《おうば》 賄《まいない》を貪って風情を説き
〓哥《うんか》 不《おお》いに忿《いか》って(注一)茶肆を鬧《さわ》がす。
さてそのとき武都頭は、ふりかえってその人を見るや、いきなりそこへ平伏した。なんとその人は、ほかならぬ武松のじつの兄、武大郎《ぶたいろう》だったのである。武松は礼をおわってから、
「一年あまりも兄さんに会わなかったが、どうしてこんなところにいるのです」
「おまえは行ったきり、長いあいだどうして手紙もくれなかったのだ。おれはおまえを怨んだり、なつかしがったりしていたよ」
「それはまたどういうわけです」
「怨んだというのは、おまえが清河県にいたころは、酒に酔うとすぐ人に手を出して、しょっちゅうお上のお世話になったものだから、おれもそのたびによび出されて、ただの一月《ひとつき》も無事だったことがなく、まったく苦労させられたよ。怨むというのはそのことなんだが、逆にお前がいてくれたらと思われてならなかったのは、おれはちかごろ女房をもらったのだが、清河県のやつらがずうずうしくみんなでやってきやがって、人をばかにしやがるんだが、誰も力になってくれる者がいないのだ。おまえがいたときには、そんなことをしにくるやつはひとりもいなかったのにな。おれはもうどうにもいたたまらなくなって、こっちへ越してきて借家住まいをしているのだ。おまえがなつかしかったというのは、そういうわけでだよ」
ところでみなさん、武大と武松とは同じ母親から生まれたじつの兄弟なのに、武松は身の丈八尺、堂々たる風貌で、全身に何千何百斤というたくましい力をみなぎらせている。だからこそあのような猛虎をもなぐり殺せたのだが、一方の武大ときたら、身の丈は五尺にもたらず、顔はみにくく、頭の恰好もぶざま。清河県の人々は、彼の背が低いので、三寸丁《さんずんてい》の穀樹皮《こくじゆひ》(ちんちくりんの黒あばた)とあだ名していた。
この清河県に住んでいる物持ちの家に、幼名を藩金蓮《はんきんれん》という小間使いがいた。年は二十《はたち》あまり、なかなか綺麗な女だったので、その物持ちは手を出そうとしたが、いうことをきくどころか女主人にいいつけてしまった。物持ちはそれを根に持ち、あべこべに嫁入り道具までつけて、武大からは一文もとらずに、ただでくれてしまったのである。
武大がこの女をもらってからというもの、清河県のあくどいごろつきどもは彼の家へおしかけて行ってふざけちらした。それというのもこの女は、武大がちびなうえに野暮くさく、不粋このうえもないので、万事につけて好き放題なまねをやらかしたが、なかでもいちばん好きなのは男をくわえこむことだった。それをうたった詩がある。
金蓮の容貌は更に題《うた》うに堪えたり
笑って蹙《ひそ》む春山八字の眉
若し風流の清子弟に遇わば
等閑に雲雨(情交)し便《すなわ》ち偸期(密通)す
さて潘金蓮が嫁いできてからは、武大がおとなしい律義な男だったので、例のごろつきどもが時をえらばずやってきては家の前で、
「せっかくのうまい羊の肉が、犬の口にはいってしまったわい」
とはやしたてた。こういうわけで武大は清河県にはいたたまらなくなり、この陽穀県の紫石街《しせきがい》へ引越してきて家を借り、毎日、もとどおり炊餅《すいへい》(むしだんご)を売り歩いているというわけ。そして今日、役所の前通りであきないをしていたところ、ばったり武松に出会ったのだった。武大はいった。
「こないだ、街の人たちが大騒ぎをして話しているのを聞いたのだが、なんでも景陽岡で虎を退治した武《ぶ》という名前の豪傑が、知県さまのお目にかなって都頭に任命されたとか。おれは、たぶんおまえのことかもしれんと思っていたんだが、思いがけなくめぐり会えたな。もう商売はきりあげるから、いっしょに家へ行こう」
「兄さんの家はどこだ」
武大は手をあげて指さし、
「すぐそこの紫石街だよ」
武松は兄にかわってあきないの荷をかついでやり、武大は道案内をして町角をいくつか曲がりながら、紫石街へむかった。二つほど角を曲がって、とある茶店の隣までくると、武大はよんだ。
「おい、門をあけな」
声に応じて蘆の簾がかかげられ、簾の下からひとりの女が顔を出した。
「あら、どうしたの。朝のうちにもどってきてさ」
「弟がきたんだ。さあ挨拶しなよ」
武大はそういって武松から荷を受けとり、いったん家のなかへはいって行ったが、すぐまた出てきて、
「さあ、はいって女房に会ってやってくれ」
武松は簾をかかげてなかへはいり、その女に会った。武大はまず女房に、
「やっぱりそうだったぜ。景陽岡で虎をなぐり殺して、こんど都頭になったてえのは、この弟だったのさ」
女は手をこまぬいてすすみ出て、
「ごきげんよろしゅう」
武松は、
「ねえさん、どうぞおかけになって」
といって、みずからは、金山がくずれ玉柱が倒れるように、ひざまずいて頭をさげた。女はすすみよって、武松をたすけおこし、
「そんなことをなさっては困ります」
「いや、どうぞわたしの挨拶をお受けください」
「あたしも、虎を退治なさったお人を県で迎えるといううわさを聞いて、見に行こうと思っていたのですけど、つい出かけるのがおくれてまにあわず、お見かけすることができなかったのですが、それがまああなただったとは。さあ、お二階の方へどうぞ」
武松がその女を見れば、
眉は初春の柳葉の似《ごと》く、常に雨恨雲愁《うこんうんしゆう》(淫欲のかげ)を含着《がんちやく》し、臉《かお》は三日月の桃花の如く、暗《ひそ》かに風情月意(浮気の色)を蔵着す。繊腰〓娜《じようだ》として、拘束的《からまれて》は燕懶《ものう》く鶯慵《ものう》く、檀口軽盈《けいえい》として、勾引得《さそわれて》は蜂狂い蝶乱る。玉貌妖〓《ようじよう》として、花は語《ことば》を解し、芳容窈窕《ようちよう》として、玉は香《こう》を生ず。
女は武大にいって武松を二階へあげさせ、主客それぞれの座につかせた。
さて三人が二階におちつくと、女は武大の方を見て、
「あたしがお相手してますから、あなた、なにかご馳走を見つくろってきて、おもてなししてあげたら」
武大は、
「うん、そうだな。それじゃ二郎、ちょっと待っていてくれ、すぐくるから」
と、武大は下へおりて行った。女は二階で、武松の立派な風貌を見ながら心のなかに思うよう、
「武松さんとうちの人とはじつの兄弟だというのに、なんてまあ、この人は立派でおし出しのいいこと。あたしもこういう人のところへお嫁入りしたなら、この世に生まれてきたかいもあるのだが、ところがどうだろう。三寸丁の穀樹皮ときたら、三分は人間だけど七分はお化け、どうしてあたしはこうも運がわるいのだろう。武松さんは、虎さえなぐり殺したほどだから、きっとあの方も強いにちがいない。まだひとり者だというから、そうだ、うちへ引越してこさせたらいいわ。こんな手近にいい縁があるとは」
女はこぼれるような笑顔をして武松にたずねた。
「こちらへいらっしゃってから、何日になります」
「十日ほどです」
「お宿は」
「当座しのぎに役所に泊まっております」
「それじゃ不自由でしょうね」
「いや、ひとりだからわけはありません。朝晩のことは従卒が世話してくれます」
「あの人たちのお世話なら、さぞ行きとどかないことでしょうねえ。いっそうちへ引越しておいでになったらどうなの。朝晩お茶など召しあがりたいときは、いつでもあたしがいれてさしあげますわ。いくらなんでも、あの野暮ったい連中よりはましでしょうから。おつゆだって、気らくに召しあがれますわ」
「ありがとうございます」
「お嫁さんもどこかにいらっしゃるのでしょう。こちらへおよびになって、ひきあわせなさいな」
「わたしはまだ嫁なんかもらっておりません」
「お年は」
「もう二十五にもなりました」
「あたしより三つお年上なのね。で、このたびはどちらからおいでになりましたの」
「滄州に一年あまりおりました。兄さんは清河県だとばかり思っていたところ、こっちへ越してきていなさったのでおどろきましたよ」
「ええ、いろいろわけがあったもんですから。あたしがお嫁にきてからずっと、あの人ったら、人がよすぎるものだから、人からばかにされてばかりいて、清河県にはおられなくなってここへ移ってきたのです。あなたのようなお強い方がついておいでなら、もう誰もなんともいうものはありゃしませんわ」
「兄さんはもともとおとなしい人です。わたしのようなあばれものとはちがいます」
女は笑いながら、
「そんなことおっしゃって。ことわざにもいうじゃありませんか、強くなければ世間はわたれぬって。あたしは勝気なたちなもんですから、うちの人みたいな、三べんよばれても返事だけ、四へん目にやっとふりむく、というような人はじれったくて」
「しかし兄さんはさわぎをおこしてねえさんに心配をかけるようなことはしませんよ」
二階で話をしているところへ、武大が酒や肉を買って帰ってき、台所へはこんでおいてから、あがってきていった。
「おまえ、下へ行って用意してくれ」
すると女は、
「まあ、なんて頓馬な人なんでしょ。お客さんをここにほったらかして、あたしにおりて行けだなんて」
「どうぞ、わたしにはお構いなく」
と武松がいうと、女は、
「お隣の王《おう》おばさん(注二)にたのんで調理してもらったらいいじゃないの。気がきかないにもほどがあるわ」
武大は自分で隣の王婆さんにたのみに行き、ちゃんと調理をして二階へはこびあげ、机の上にならべた。料理はおきまりの魚や肉やつまみものや菜。酒も追っつけ燗をして持ってきて、武大は女を主人の席に坐らせ、武松がそのむかい側、武大自身は横の席とそれぞれ座がきまると、武大がふたりに酒をつぐ。女は杯をとりあげて、
「なんのお構いもできなくてあしからず。さあどうぞ」
「いや、恐縮です」
武大はといえば、ただもう二階をのぼりおりして、燗をつけたり酒をついだりするのに大わらわで、ほかのことはなにもするひまがない。女は、こぼれんばかりの笑顔で、お世辞たらたら。
「どうしてもっとあがりませんの。お魚もお肉もちっとも召しあがらないじゃありません」
といいながら、うまそうなのをよりわけて箸でつまんでわたす。
武松は剛直な男だから、ただ女を嫂《あによめ》として応待するだけだった。ところが女は、小間使いあがりで人の機嫌をとるのはなれたもの。武大は武大で気の弱いお人好し、人をもてなすすべなど心得てはいない。女は何杯か飲むと、じっと目をすえて武松の方を見つめる。武松は見つめられてこまってしまい、下をむいて知らぬふりをしていた。
その日は、十何杯か飲んだところで武松は腰をあげた。武大は、
「もうすこし飲んで行けよ」
といったが、武松は、
「これくらいにして、いずれまたうかがいます」
ふたりは送って下へおりたが、そのとき女はいった。
「きっとうちへ越していらっしゃいね。越してらっしゃらないと、あたしたちが人さまから笑われますわ。じつの弟はほかの人とはちがいますもの。ねえ、おまえさん、一間《ひとま》かたづけてうちへよんであげて、隣り近所の人たちからなんとかかとかいわれないようにしなさいよ」
武大は、
「そうだ。おまえのいうとおりだ。なあ、おまえが引越してきてくれりゃ、おれも人にとやかくいわれっこないからな」
「おふたりが、そうおっしゃってくださるのなら、今夜、荷物をはこんでくるといたしましょう」
「きっとですよ。あたし、待ってますからね」
女はひとかたならぬ気のいれようである。まさに、
叔嫂《しゆくそう》言を通ずるは礼《れい》禁ずること厳なり
手《てず》から援くるは須く識るべし是れ権に従うを
英雄はただ念《おも》う連枝《れんし》の樹(兄弟の友愛)
淫婦は偏《ひとえ》に思う並蒂《へいてい》の蓮(男女の交情)
武松は兄夫婦に挨拶をして、紫石街をあとにし、まっすぐ役所へ帰って行った。おりよく知県は登庁中だったので、武松ははいって行って言上した。
「わたくしにじつの兄がおりまして、紫石街へ越してきております。わたくし、そこへ同居いたしまして、朝晩、お役所へ通わせていただければと存じますが、もとより一存では決められませぬこと、ご指図をいただきとう存じます」
「兄弟のあいだがらであれば、許すも許さぬもない。そこから毎日役所へかよったらよかろう」
武松は礼をいい、荷物や蒲団をとりまとめ、例の新調した着物やこのたび褒美にもらった品物などを、ひとりの従卒にかつがせて兄の家へ越して行った。女はそれを見て、闇夜に金を拾いでもしたようなよろこびで、相好をくずした。武大は大工をよんできて、階下に一間をこしらえさせ、寝台を一台と、ほかに机一脚、床几二つ、火鉢一つをおいた。武松は荷物を整理してから、従卒を帰し、その夜から兄夫婦の家に泊まった。
あくる日、夜が明けると女はいそいそと起きて洗面の湯をわかし、うがいの水を汲んで武松に朝の身仕舞をさせた。武松が頭巾をかぶり、家を出て、朝のつとめ(注三)に役所へ行こうとすると、女はいった。
「朝のおつとめが退けたらさっさと帰ってきてご飯をあがりなさいな。よそで食べたりなどしないで」
「そうします」
武松は役所へ行き、出勤の判を捺した(注四)。朝のつとめがおわって武松が家に帰ってくると、女は手を洗い爪をみがいて身なりをとりつくろい、食事の用意をして、三人はともに食卓をかこんだ。武松が食べおわると、女はお茶を両手に捧げ、武松に手わたして飲ませた。武松は、
「ねえさん、そんなにしてくださると、わたしはかえって居づらいおもいがします。役所から従卒をひとりよこしてつかいましょう」
すると女はやっきになっていった。
「なんだってそんな水くさいことをなさるの。肉親のあいだがらじゃないの。赤の他人の世話をするってわけじゃないわ。従卒をよんできて用事をさせるだなんて、あんなやつに鍋やかまどをいじくられたらきたならしいじゃないの。あたしは、あんなの見るのもいやだわ」
「そんなら、まあ、ねえさんのご厄介になります」
くどくどしい話はやめにして、武松はこの家へ引越してくると、なにがしかの銀子を武大にわたして餅や茶菓を買ってもらい、隣り近所の人たちをお茶によんだ。隣り近所の人たちの方でも、わりまえを出しあって武松におくった。武松はそこでまた一席設けて返礼をしたが、この話はそれまでとする。
引越してきて数日たったころ、武松は色物の緞子《どんす》を一匹取り出し、着物にでもといって嫂におくった。すると女はにこにこして、
「それはいけませんわ。でもせっかくだから遠慮するのもわるいし、ちょうだいしようかしら」
武松はこうして兄の家で寝起きし、武大は相もかわらず街へ炊餅を売りに出て行った。武松は毎日役所へかよってその帰りが早かろうとおそかろうと、女は、お汁《つゆ》はいかが、ご飯はどうと、てんてこ舞いをして世話をやくのだったが、武松はかえって居心地のわるい思いだった。女はしょっちゅう武松の気をひこうとつとめたが、なにしろ武松はかたい男で、まるで反応がなかった。
そうこうするうちにいつしか一月《ひとつき》あまりたって、はやくも十一月になった。明けても暮れても北風が荒れ狂い、空いちめんに雪雲が厚く垂れこめたと見るまに、ひらひらと白いものが、天をおおって降りはじめた。その雪のさまは、
眼波飄瞥《がんぱひようべつ》として風の吹くに任せ
柳絮《りゆうじよ》泥に沾《うるお》って私《わたくし》有るが若《ごと》し
粉態軽狂して世界を迷わす
巫山《ふざん》の雲雨も未だ奇と為さず
その日、雪は一更(夜八時)ごろまで降りしきり、さながらに銀の世界、玉の天地となった。その翌日、武松は朝早く役所へつとめに出たまま、昼ごろになっても帰らなかった。武大は女に追いたてられて商売に出て行った。女は隣の王婆さんにたのんで酒や肉などを買ってきてもらい、武松の部屋にはいりこんで火鉢に火をおこし、ひとり心のなかに思うよう、
「今日こそは、思いきってあの人にしかけてみよう。しかけたらあの人だってきっとこころをうごかすにちがいないわ」
女はひとりつくねんと簾のところにたたずんで、待っていた。と、やがて武松が玉の白雪を踏みしだきながら帰ってきた。女は簾をあげ、笑顔をつくって武松を迎える。
「寒かったでしょう」
「はあ、ありがとう」
と、武松は家へはいって、笠をとった。女が両手をさしのべてそれを受けとろうとすると、武松は、
「いや、ねえさんにしていただくなんて」
と自分で雪をはらって壁にかけた。そして腰につけた物入れをはずし、ひっかけていたうぐいす色の繻子《しゆす》のうわぎを脱ぎ、部屋にはいってそこへつりさげた。女は、
「あたし、朝から待ってたのに、どうして朝ご飯にお帰りにならなかったの」
「役所の友だちがおごってくれたんです。さっきもまた、出がけに一杯飲もうとさそわれたのですが、どうも気乗りがしないんでまっすぐ帰ってきたとこですよ」
「そうだったの。じゃ、火にでもあたりなさいな」
「ええ」
武松は雨靴をぬいで靴下をはきかえ、上履《うわば》きをつっかけ、床几をひきよせて火の近くに腰をおろした。女はおもての戸に閂をかけ、裏の方もしめておいてから、酒や肴、つまみものや菜などを武松の部屋へはこんできて、卓の上にならべた。武松は、
「兄さんは、どこへ出かけてるんです」
とたずねた。
「今日も商売なの。ふたりで飲みましょうよ」
「いや、兄さんが帰ってからいっしょにやりましょう」
「待ってなど、いられないわ。待ちきれなくてよ」
といいながら、さっそく銚子を一本あたためてきた。武松は、
「ねえさんは坐っていてください。燗はわたしがやりますから」
「じゃ、おねがいするわ」
女も床几を近よせてきて、火のそばへ腰をかけた。火のそばの机には杯盤がならべられている。女は杯をとりあげて手に捧げもち、武松をじっと見て、
「さあ、これをぐっとあけて」
武松は受けとって一息に飲みほした。女はもう一杯ついで、
「寒いわねえ。どう、ふたりで乾杯しましょうよ」
「おひとりでやってくださいよ」
と武松は杯を受けとって一気にあけ、一杯ついで女にわたした。女はそれを受けとって飲みほすと、銚子をとりあげてまた酒をつぎ、武松の前へさし出す。
女は白い胸もとをしどけなくはだけさせ、まげをがっくりと崩し、あふれるような笑みをうかべながら話しかける。
「ちょっと小耳にはさんだのだけど、あんた、お役所の東通りの方へ唄い女をかこってるっていうじゃないの。それ、ほんとなの」
「人のいうでたらめなんか、本気にしないでくださいよ。わたしはそんな男じゃありませんよ」
「さあ、どうだか。あんたは口と腹といっしょかしら」
「嘘だと思うのなら、兄さんにでもきいてごらんになればいい」
「あの人になにがわかるものですか。そういうことがわかるようなら、炊餅なんか売っちゃいないでしょうよ。まあ、もう一杯どうぞ」
と、女は間をおかせずに三杯、四杯とつづけさまについだ。そして自分でも三杯ほど傾けたが、そうするうちに、むらむらと身内がさわぎはじめておさえきれなくなり、ぺらぺらとつまらないことをしゃべりまくった。武松もだいたい察しがついて、相手にならず、うつむいていた。
女は立ちあがって燗をつけに行った。武松はひとり、部屋のなかで火箸で火をいじっていた。やがて女は銚子に一本、燗をつけてもどってきたが、一方の手に銚子を持ちながら、あいた片方の手をのばして武松の肩をぎゅっとつねり、
「こんな薄着じゃ、寒いでしょ」
武松はもうだいぶん腹をたてていたので、返事もしなかった。女は彼が返事をしないのを見ると、いきなり火箸をひったくって、
「あんたは火をおこすことを知らないのね。あたしがあんたに火をかきたててあげるわ。火鉢みたいにずっとあったかくするといいわよ」
武松はむかむかしながらおし黙っていた。女は火のようにすきごころを燃やしていて、武松が腹をたてていることなどおかまいなく、火箸をおくとこんどは杯に酒をついでぐっとあおり、半分ほど残して、じっと武松を見つめながらいった。
「ねえ、その気があるなら、この半分を飲んでちょうだい」
武松はいきなり杯をひったくって、床へぶちまけ、
「ねえさん、恥知らずなまねはおよしなさい」
と手で一押し。危うく女はひっくりかえるところだった。武松は眼を怒らせていった。
「わたしは天地に恥ずるところのない一人前の男、そんなみだらな、人でなしの犬畜生じゃない。ねえさん、そんな恥知らずなまねはよしなさい。もしこれから妙なうわさがそよりとでもたてば、わたしの目はねえさんをねえさんと見ても、拳骨の方はそんな見境いはありませんぞ。もう二度とこんなことはよしなさるがいい」
女は顔をまっかにして、皿や杯の後かたづけをしながら、
「じょうだんをいってみただけなのに、それを真《ま》に受けるなんて、人をばかにするにもほどがある」
と、ぶつぶついい、杯や皿を台所へはこんで行った。これをうたった詩がある。
酒は媒人《ばいじん》と作《な》りて色胆《しよくたん》張る
婬を貪りて綱常《こうじよう》を壊《やぶ》るを顧みず
席間便《すなわ》ち雲雨を求めんと欲し
激し得たり雷霆《らいてい》の怒り一場
さて、潘金蓮《はんきんれん》は武松をたらしこむことができなかったばかりか、逆にこっぴどくやりこめられてしまったが、武松は武松で、部屋にとじこもってぷりぷりしていた。
日はまだ高い昼すぎ、武大があきないの荷をかついで帰ってきて門をたたくと、女は急いで出て行って門をあけた。武大はなかへはいって荷をおろし、その足で台所の方へ行った。見れば女房が目をまっかに泣きはらしている。
「誰と喧嘩したのだ」
とたずねると、女は、
「あんたが意気地がないばっかりに、おかげであたしまでばかにされて」
「誰にだ」
「誰って、わかってるじゃないか。武二《ぶに》のやつ、ひどいのよ。大雪のなかを帰ってきたんだからと思って、急いで酒を出して飲ませてやったの、そしたら、人気《ひとけ》のないのにつけこんで、妙なことをいってあたしにいたずらしかけるじゃないの」
「わしの弟はそんな人間じゃない。むかしからまじめな男だ。大きな声をするな。近所のものに笑われるぞ」
と、武大は女房をふり捨て、武松の部屋へ行って声をかけた。
「おい、点心《てんしん》(おやつ)はまだだろう。いっしょに食べよう」
武松は返事もしない。しばらく考えていたが、やがて上履きを脱ぎ捨ててさっきの雨靴をはき、合羽をひっかけ、氈笠をかぶり、物入れを腰に結んで家を出て行く。武大は、
「おい、どこへ行くんだ」
と声をかけたが、それにはなにも答えず、とっとと出て行った。
武大は台所へひきかえして行って、女房にたずねた。
「よんだが、あいつは返事もしないでどんどん役所の方へ行ってしまった。いったい、どうしたというんだ」
すると女は悪態をついた。
「ぼけなす、わかりきったことじゃないか。あいつは、恥ずかしくて、おまえさんにあわす顔がないもんだから出て行ったのさ。見ててごらん、いまにあいつは誰かに荷物を取りによこしてここをひき揚げてしまうから」
「出て行かれたら、おれが人に笑われるよ」
「おたんちん、あたしがあいつにいたずらされても、人さまの笑いものにならずにすむとでもいうのかい。おまえさんはあいつといっしょにいたいかもしらんが、あたしはあんなやつ、ごめんだよ。あたしに離縁状をくれてからなら、いれてやるなりどうなり好きなようにするがいい」
武大はもうなにもいえない。
家のなかでふたりがいがみあっているところへ、武松が天秤棒をかついだ従卒をひとり連れてきて、つかつかと部屋へ通り、荷物をとりまとめて外へ出て行った。武大は追いかけて行って、
「おい、どうして越して行くんだ」
「兄さん、わけはきかないでくれ。いえば兄さんの面汚しだ。このまま行かせてください」
武大はそれ以上ききただすわけにもいかず、武松のいうままに引越させてしまった。女は家のなかから、べちゃくちゃとののしった。
「行っちまえ、行っちまえ。じつの弟が立身して都頭にまでなったのだから、どんなにか兄弟孝行してくれるかと思や、ひどいもんだ。あべこべに噛みついてくるなんて。木瓜《ぼ け》は花だけ、実はならぬ。まったくだわ。引越してくれて、こんなありがたいことはない。厄介者がいなくなってせいせいしたわ」
武大は、女房がこういってののしりたてるのを見ながら、どうしようもなく、むしゃくしゃしながらしきりに気にした。
武松が引越して行って役所で寝泊りするようになってからも、武大は相もかわらず毎日、街へ出て行って炊餅を売っていた。彼は役所へ出かけて行って弟と話をしてみたいとは思いながらも、女房からもうかまいつけるなと、くれぐれもいいつけられているので、武松をたずねて行くこともできずにいた。
たちまちのうちに日は過ぎ、いつしか雪もやんで、十日あまりたった。ところで、この県の知県は、着任してからもう二年半を越え、かなりな額の金銀をためこんでいたので、誰か東京《とうけい》へやってそれを親戚の家へあずけ、栄達をもくろむときの買収の費用にしまっておこうと考えていた。だが、途中で強奪されるおそれがあるので、誰か腕のたつ信用のおける人物をと考えめぐらしているうちに、ふと思いあたったのが武松のことである。
「そうだ、あれだったらきっとうまくやるだろう。あれほどの剛《ごう》のものだから」
その日すぐ武松を私邸の方へよびよせて、相談をもちかけた。
「わしは東京の城内に親戚があるのだが、そこへ贈り物を一荷とどけて、ついでに近況見舞の手紙をと思っているのだが、道中が物騒なようなので、その方のような剛のものでないと無事に行けそうもない。ついてはご苦労だが、その方、行ってくれぬか。帰ってきたらじゅうぶんに褒美をとらせよう」
武松は承知して、
「おひきたてにあずかっております身、なんでご辞退いたしましょう。おおせを受けましたからには、なにをさしおいてもまいります。わたくしはまだ、東京へはいちども行ったことがございませんので、ついでに見物もしとうございます。お支度の方がととのいますならば、明日にでも出かけましょう」
知県はよろこんで、酒を三杯ふるまったが、そのことはそれまでとする。
さて武松は、知県のいいつけを受けたのち、役所をさがって宿舎へ帰り、なにがしかの銀子をとり出し、従卒を街へやって酒一瓶のほかに魚や肉や肴などを買ってこさせたうえ、まっすぐに紫石街へとむかい、やがて武大の家についた。
武大が炊餅を売って家へ帰ってきて見ると、おもてに武松が腰をおろし、従卒を台所へやって料理をさせている。
女は、まだ武松にみれんがあったので、武松がご馳走を持ってきたのを見ると、胸のなかに思うよう、
「あいつ、あたしに気があって、また帰ってきたのかしら。あいつ、きっとあたしが忘れられないんだわ。まあ、ゆっくりさぐりをいれてみよう」
女はすぐ二階へあがって化粧をしなおし、髪を結い、派手な着物に着かえてから、おもてへ出て行って武松を迎えた。女はお辞儀をして、
「どうなさったの、長いことお見えにならないので、あたし、ずいぶん心配してたのよ。いつも兄さんには、お役所へ行っておわびをしてちょうだいってたのんでるのだけど、帰っての返事はきまって、どこにいるのかわからないっていうのよ。でも、今日はほんとによくきてくださったわね。まあ、どうしてこんなに散財なさったの」
武松は答えて、
「いや、おふたりに、ちょっとお話ししたいことがあってきたのです」
「それなら、さあ、二階の方へどうぞ」
と女はいった。三人は二階の客間へ行った。武松は兄と嫂を上座に据え、自分は椅子をひきよせてその横に腰をおろした。従卒が酒や肉を二階へはこんできて机の上にならべると、武松はふたりに酒をすすめる。女はしきりと武松にながし目を送ったが、武松はかまわず酒を飲んでばかりいた。杯が五度ほどめぐったところで、武松は勧杯《かんぱい》(接客用の大きめの杯)をとりよせて従卒につがせ、それを手にして武大の方を見ながらいった。
「兄さん、今日、わたしは知県さまから東京へ行くご用をいいつかりましたので、あした出発します。長ければ二月《ふたつき》、早くて四五十日の旅です。ところで話というのは、じつは、兄さんはおとなしい人だから、わたしが留守をすれば人からいじめられやしないかと、それが気がかりなのです。それで、まあ、たとえば毎日蒸籠《せいろう》十枚分の炊餅を売っているとするなら、明日からは五枚分だけに減らして、毎日おそく出かけ早く帰ることにし、誰とも酒を飲まないようにしてください。家へ帰ったらすぐに簾をおろし、日の高いうちに戸をしめてしまって、あれこれの小うるさいお節介口は封じてしまうことです。もし、誰かなぶったりするようなやつがいても、決して逆らわないでください。それはわたしが帰ってからちゃんとけりをつけますから。兄さん、今、わたしのいうことをなるほどと思いなさるならこの杯を受けてください」
武大は杯を受けとって、
「おまえのいうことは、わしも、もっともだと思うよ。いわれたとおりにするよ」
といって飲みほした。
武松はまた二杯目をつぎ、女にむかっていった。
「ねえさん、ねえさんは利口なお人だから、わたしがいちいちいわなくても心得てなさると思うが、兄さんはただもう正直一方の人だから、なにかにつけてねえさんに気をつけてもらわなければやって行けない。諺にも、表よりも裏が大事というとおり、ねえさんさえ家をしっかり守ってくださるなら、兄さんはなにひとつ心配せずにやって行けるというもんです。むかしの人も、籬《かき》が牢《かた》けりゃ犬ははいらぬって、そういってるじゃありませんか」
女は、武松からこんなふうにいわれると、耳のあたりから赤くなって、顔じゅうをまっかにし、武大に指をつきつけてののしった。
「このうすのろったら、よそへ行ってなにをしゃべってきたのさ。あたしをこんなにぶざまな目にあわすなんて。あたしはね、頭巾をかぶる男でこそないが、打てば鳴りひびく女なんだよ。拳の上には人を立たせ、腕の上には馬を走らせ、顔の上には人を歩かせるという男まさりなんだ。そこいらの、つつけば首をちぢめるすっぽん女房とはわけがちがうよ。おまえさんのとこへきてからこっち、それこそ蟻一匹だって家へいれなどしやしないのに、籬がゆるんでて犬っ子がもぐりこむだのなんだのと、いったいそりゃなんのことだい。その遠廻しな口ぶり、いちいち全部、あてこすっての言いぐさじゃないか。投げた瓦はみな地面へ落ちてくるんだよ」
武松は笑いながら、
「ねえさんがそんなふうにちゃんとわかっておいでなら、それで結構なんですよ。口と腹とはいっしょが肝心。あべこべでないようくれぐれもたのみますよ。ともかくわたしはねえさんの今の言葉をしっかり心にとめておきます。さあ、どうぞこれを空《あ》けてください」
女は杯をおしのけ、とっとと二階をかけおりて行ったが、梯子段の途中で、
「おまえさんほどの賢い人なら、嫂は母の代わりってことぐらい知っていてもよさそうなもんだよ。あたしが武大のとこへお嫁にきたときは、弟があるなんてことはついぞ耳にしたこともなかったが、いったいどこから飛び出してきたんだね。身内のものだかなんだか知らないが、むやみと横柄にふんぞりかえって、おかげでこっちはすっかりご難さ。さんざんくそいまいましい目にあわされてさ」
と泣きじゃくりながら階下へおりて行った。これをうたった詩がある。
良言逆《ぎやく》に聴いて即ち讐《あだ》と為す
笑眼登時《たちまち》にして涙流るる有り
〓《ただ》是れ両行の淫禍《いんか》の水
悲苦《ひく》に因《よ》らず羞《はじ》に因らず
さて女がさんざん手前勝手なことをならべたてて虚勢を張って見せたあと、武大と武松の兄弟ふたりは、何杯か酒をくみかわし、やがて武松は暇乞いをした。武大は、
「もう行くのか。早くもどってきてくれよな。待ってるぞ」
といいながら、覚えず涙を流した。武松はそれを見て、
「兄さん、商売に出るのはやめるがいい。じっと家にこもっておいでなさい。その日その日の入り用はわたしが届けてあげるから」
武大は階下まで武松を送った。武松は門を出るとき、またいった。
「兄さん、おれのいったことを忘れないようにな」
武松は従卒を連れて役所へもどり、支度をととのえた。あくる日は、早く起きて荷物をまとめ、知県のところへ行った。知県は、すでに車を一台仕立ててそれにつづらを積みこみ、屈強な兵士二名と役所内の腹心の部下二名を選んで用を命じてあった。この四人のものは、武松につき従い、庁前で知県に出発の挨拶を述べ、装束をかため、朴刀をさげ、車を護衛して、一行五人、陽穀県をあとに東京へと旅立って行った。
話はかわって武大郎は、武松がいいふくめて行ってからというもの、三四日間は女房からののしられどおしだったが、武大はじっとこらえて勝手にののしらせておき、ひたすら弟の言葉を守ってほんとうに毎日半分だけの炊餅をこしらえて売りに行き、まだ日の高い時分に帰ってきて荷物をおろすと、さっそく簾をおろし、門をしめ、家のなかにとじこもっていた。女はそれを見ると、いらいらして、武大の顔に指をつきつけながら悪態を浴びせかけた。
「ぼけなすのひょうろくだま、お天道さまはまだ頭の真上だというのに、忌中みたいに門を閉めてしまうなんて、そんなの見たこともないわ。なんの物忌みをしてるんだと人さまから笑われるじゃないの。弟のいうことばかりきいて、笑いものにされたってなんとも思わないのかね」
「物忌みだろうとなんだろうと、笑うやつには笑わせとけばいいさ。弟のいったことはいざこざのおこるのを防ぐいい手なんだ」
「ぺっ、ろくでなし、おまえさんも男じゃないか。ちっとは自分で分別したらどうなんだ。人のいいなり放題じゃないか」
武大は手をふって、
「なんとでも勝手にいえ。ともかくあれのいうことは金《きん》みたいな言葉なんだ」
武松が行ってしまってから十日あまりたった。武大はおそく出て早く帰り、帰ってくると門を閉めてしまうという毎日だった。女との喧嘩はなんべんとなくくりかえされたが、それもやがて慣れっこになって、なんでもなくなってしまった。それからは、武大が帰ってきそうなころになると、女の方からさきにとっとと簾をはずし、門をしめてしまうのだった。武大はそれを見、ひそかによろこんで、
「これなら、まあ、いいあんばいだ」
それからまた二三日たつと、冬ももうおわりに近く、春めいた陽気になってきた。その日、もう武大が帰ってくるころなので、女はいつものように、門のところへ行って竿《さお》で簾をはずしにかかったところ、ちょうど事がおこるめぐりあわせだったというほかない、そのとき簾の外をひとりの男が通りかかったのである。昔からいうとおり、ちょうどうまいことがなければお話にならぬわけで、三叉竿《みつまたざお》をしっかりと握らなかったため、つい取り落としてしまい、それがまたちょうど、逸《そ》れもせず片寄りもせずにその男の頭巾に命中してしまったのである。男は立ち止まり、癇癪玉を破裂させようとしてひょいとふりむいて見れば、あでやかな女である。男はへなへなとくずれ、怒気は遠くへ飛んで行ってしまって(注五)、たちまちにこやかな笑顔にかわった。
女は、わるいことをしたと思って、手をこまぬいて丁寧にお辞儀をし、
「ついうっかり手をすべらせてしまって、たいへん失礼をいたしました」
と詫びた。すると男は、頭巾をなおし腰をかがめてお辞儀をかえし、
「いや、なんでもありませんよ。お気になさいませんように」
おりからその顛末を見とどけていたのが隣の王婆さんだった。婆さんはそのとき、茶店の調理場にいて、目のあらい簾のかげでそれを眺めて、笑いながら、
「おや、旦那さま、誰もこちら側の軒を通ってくれなんていいはしませんのに。ほんとにうまく打たれなさったこと」
男も笑いながら、
「いや、わたしがわるかったんです。奥さんをびっくりさせてしまって。どうかあしからず」
「ごかんべんくださいまし」
すると男はまたにこにこして、大袈裟にかしこまり、
「いえ、どういたしまして」
そして、その二つの目でじっと女のからだを見つめる。やがて、立ち去って行きながらも、七八度こちらをふりかえり、ゆらりゆらりと、もったいぶって歩いて行った。
女は簾と竹竿を家へしまいこみ、門をしめて武大の帰ってくるのを待った。詩にいう、
籬牢《まがきかた》からざる時は犬も会《よ》く鑽《もぐ》る
簾を収め面を対して好《よし》と相看《あいみ》る
王婆よ負《たの》む莫《なか》れ能く勾引すと
須く信ずべし叉竿は是れ釣竿なるを
さてその男、姓はなに、名はなに、どこに住む人かといえば、陽穀県のごろつきの金持で、役所の前通りに生薬屋をひらいている男。若いころからわるがしこいやつで、拳術や棒術の心得もあり、このごろにわかにのしあがってきて役所の公事にまでくちばしをいれ、人にちょっかいをかけてゆすったり、かたったり、また調停に立って口銭《こうせん》をせしめたり、役人を抱きこんで人をおどしたりするのが仕事。そんなせいで町じゅうの人から一目《いちもく》おかれている男で、姓は二字姓で西門《せいもん》といい、名は一字名で慶《けい》という。兄弟順はいちばん頭《かしら》だったから、西門大郎とよびならわされていたが、このごろ成りあがってきて金を握るようになったので西門大官人とよばれている。
まもなく、西門慶はくるりとひきかえして王婆さんの茶店へはいって行き、奥の簾の下に腰をおろした。婆さんは笑いながら、
「旦那さま、今さっきのあの挨拶は、なんともえらい気張りようでございましたなあ」
西門慶は笑って、
「婆さん、ちょいとこっちへ。聞きたいことがあるんだ。ほれ、この隣のあの雌《めす》っ子、あれは誰の女房だね」
「あれは閻魔大王さまのお妹で、五道将軍(厄病神)さまのお嬢さん。どうなすったんで、そんなことを聞いて」
「おい茶化すなよ。まじめな話なんだぞ」
「へえ、ご存じないのですか。あの女の亭主は毎日、お役所の前で食べ物を売ってますよ」
「というと、それじゃ棗〓売《なつめもちう》りの徐三《じよさん》の女房かな」
王婆さんは手をふって、
「いいえ、ちがいます。あの男の女房だったら、そりゃもう似合いの夫婦なんですけど。旦那さん、もういっぺんあててごらんなさいまし」
「それじゃ、銀担子《ぎんたんし》(銀てんびん)の李二の女房か」
王婆さんはかぶりをふって、
「いいえ、あれの女房ならいい夫婦ですけど」
「それじゃ、花膊《かよくはく》(いれずみ腕《かいな》)の陸小乙の家内だろう」
婆さんは腹をかかえて笑い、
「いいえ、それがちがうんでございますよ。あれなら結構な連合いなんですけど。もういっぺんあててごらんなさいまし」
「婆さん、おれにはてんで見当もつかんぜ」
婆さんは大笑いして、
「いって聞かせてあげたら、旦那さまもきっと吹き出されましょうて。あれの宿六というのはね、ほれ、往来で炊餅を売っている武大郎なんですよ」
西門慶は足をばたばたさせて笑い出し、
「というと、三寸丁《さんずんてい》の穀樹皮《こくじゆひ》の、あの武大郎かね」
「そうなんですよ」
西門慶はそれを聞いてくやしがり、
「うまい羊の肉が、なんでまた犬なんぞにさらわれちまいやがったんだろうな」
「そうなんですよ。まったく可哀そうですよ。昔からいうじゃありませんか。駿馬は薄野呂を乗せ、美人は醜男《ぶおとこ》に抱かれるってね。縁結びの神さまも、ときどきあんないたずらをなさる」
「王おばさん、ところでおれの茶代は、いくら借りになってるかね」
「いくらもありません。そのうちに勘定させてもらいます」
「おまえさんの息子は、誰のところへ奉公に出てるんだっけな」
「お話にもなりません。さる旅あきんどについて淮河《わいが》の方へ出て行ったきり、いまだに帰ってきません。生きてるのか死んでるのか、それさえわかりませんので」
「おれのところへよこせばよかったのにな」
婆さんは顔をほころばせて、
「旦那さまが目をかけてやってくださりゃ、こんなありがたいことはありません」
「帰ってきたら、そのときは相談にのってあげよう」
なお、あれこれと四方山話をしたあとで、ではといって立ちあがり、店を出て行ったが、それからものの二時《ふたとき》とはたたぬころ、またしても店先へひきかえしてきて、簾のところに腰をおろし、武大の家の方を眺めている。
しばらくして王婆さんが出てきて、
「旦那さま、梅湯《メイタン》(梅茶。梅は媒《なこうど》に通じる)でもあがりなさいますか」
「そうしてくれ。すこし酸っぱく(酸は〓《そそのかす》に通じる)してな」
王婆さんは梅湯をつくり、両手に捧げ持って西門慶に手わたした。西門慶はゆっくりゆっくりそれをすすり、茶托を卓の上において、
「王おばさん、この梅湯はなかなかうまい。まだたくさんとっておきがあるかい」
王婆さんはにやにやしながら、
「あたしはこれでずっと媒《なこうど》をしてきてはいますが、家にはひとりもとっておきはありませんので」
「梅湯のことを聞いてるんだぜ。仲人話など持ち出して、まるで話がちがうじゃないか」
「あたしはまた、この媒《メイ》はなかなかうまいとおっしゃったように聞いたもんですから、それでそんな話をしましたんで」
「おばさん、おばさんが仲人をするのなら、ひとつおれにもとりもちをして、いい縁をまとめてくれないか。お礼はうんとするよ」
「旦那さま、もしお宅の奥さまに知れたら、このあたしが張り飛ばされちまうじゃありませんか」
「いや、あれはなかなかもののわかった女で、とても鷹揚《おうよう》にできてるんだ。いま家には何人か妾をおいているが、あいにくなことに、気にいったのはひとりもいないのだ。心配はいらんから、いいのがあったらひとつ世話してくれよ。おれの気にいりさえすれば、出もどりだってかまわんぜ」
「このまえ、ひとりいいのがいましたけど、おそらくお入り用ではございますまいと思いまして」
「いや、いいのだったら話をかけてみてくれ。礼の方はちゃんとするよ」
「器量はなかなかいいのですが、すこし年をとりすぎておりますので」
「一つや二つ上でもかまわんが、いくつだね」
「あのかみさんは、戊寅《つちのえとら》うまれの寅どしだから、ことしちょうど九十三」
西門慶は苦笑《にがわら》いをして、
「なんだ、この気違い婆あめ、気違い面《づら》してふざけやがって」
西門慶は笑いながら帰って行った。
やがて、日が暮れてきたので、王婆さんがあかりをつけ、戸をしめようとすると、また西門慶がひきかえしてきて、簾の下のさっきの席へ腰をおろし、武大の家の方をしきりに眺めている。婆さんは、
「旦那さま、和合湯はいかがです」
「たのもう。すこし甘くしてな」
婆さんは和合湯をつくって、西門慶に飲ませた。西門慶は夕方いっぱい、ずっとそこへ腰を据えていたが、やがて立ちあがって、
「おばさん、つけといてくれよ。明日、いっしょにはらうから」
「ようございますとも、ご機嫌よろしゅうおやすみください。明日もまた、はやばやとおいでなさいまし」
西門慶は苦笑いをしながら帰って行った。
その夜はそれきりで話もなく、そして、そのあくる日の早朝、王婆さんが門をあけて外を見ると、なんと西門慶が、またぞろ門の前を行きつもどりつぶらぶらしている。
「なんとまあ、あの刷子《は け》やろうの行ったりきたりして足まめなこと。よしよし、ちと砂糖をあいつの鼻の頭になすりつけて、なめもできず諦めもできずという目にあわせてやろう。あいつはお役所で人にたかって甘い汁を吸ってやがるんだから、すこしこちらに吐き出さしてやるとしよう」
と婆さんは考えた。この茶店の王婆あは、なかなかどうしてたいへんなくわせ者で、いってみればこうだ、
言を開けば陸賈《りくか》(漢初の論客)を欺き、口を出《いだ》せば随何《ずいか》(同上)に勝る。隻鸞孤鳳《せきらんこほう》も、霄時間《しようじかん》に交仗《こうじよう》して双と成し、寡婦鰥男《かふかんだん》も、一席話に搬唆《はんさ》して対《つい》と促《な》す。略《ほぼ》妙計を施せば、阿羅漢《あらかん》をして比丘尼《びくに》を抱住せしめ、稍《やや》機関を用うれば、李天王《りてんおう》(毘沙門《びしやもん》)をして鬼子母《きしぼ》を〓定せしむ。甜言《てんげん》もて説誘すれば、男は封渉《ほうしよう》(仙人)の如きも也《また》心を生じ、軟語もて調和すれば、女は麻姑《まこ》(女仙人)の似《ごと》きも能く念を動かす。教唆《きようさ》し得て織女《しよくじよ》(牽牛と相恋う)も相思を害し、調弄《ちようろう》し得て嫦娥《こうが》(〓《げい》を捨てて月に奔《はし》る)も配偶を尋ぬ。
さて王婆さんが門をあけて、店の調理場で炭火をおこしたり茶釜の用意をしたりしながら、こっそりと見ていると、朝早くから門の前を行ったりきたりしていた西門慶は、まっすぐ店のなかにはいってきて簾の下に腰をおろし、じっと武大の家の簾のなかをのぞいている。王婆さんは知らぬふりをして、調理場にひっこんだまま、七輪をぱたぱたあおぎつづけ、用を聞きに出て行こうともしなかった。
すると西門慶が声をかけた。
「おばさん、茶を二杯いれてくれないか」
「おや、旦那さま、ほんとうにしばらくぶりでございますね。まあ、どうぞおかけなすって」
と、濃い生薑《しようが》の茶を二杯いれ、持って行って机の上においた。西門慶は、
「おばさん、まあ、おれといっしょに飲めよ」
婆さんは声をあげて笑いながら、
「それは、お勝手がちがうというものでしょうよ」
西門慶もにやにやしていたが、しばらくしてたずねた。
「隣はなにを売ってるんだね」
「あつあつのお蕎麦《そ ば》と、ほかほかの大辣酥《だいらそ》(酒の名)でございます」
西門慶は苦笑いしながら、
「この婆あ、ふざけてばかりいやがる」
王婆さんも笑って、
「なにがふざけてるもんですか。あそこにはちゃんとご亭主がおりますからね」
「おばさん、まじめな話だが、あそこでいい炊餅をつくるなら、四五十ほどたのみたいのだが、家にいるだろうか」
「ほんとに炊餅がほしいのでしたら、おっつけご亭主が街から帰ってきますから、そのとき、お買いになればいいでしょう。なにもわざわざお出かけになることはないでしょうに」
「そうか、なるほどな」
と、お茶を飲み、しばらく腰を据えていたが、やがて立ちあがって、
「おばさん、代はつけておいてもらうよ」
「ああ、かまいませんとも、しっかり大きな字でつけておきますからね」
西門慶は笑いながら帰って行った。
王婆さんが調理場のなかから見ていると、西門慶はまたまた店さきを、ぶらぶらと、あっちへ行っては覗きこみ、こっちへもどってきてはまたじろりと眺め、およそ七八回も往復したあげく、またひきかえして店のなかへはいってきた。王婆さんは、
「旦那さま、これはお珍しい。いつお目にかかったきりですことやら」
西門慶は吹き出しながら、胴巻きから銀子を一両取り出して、
「まあ、とっときな。茶代だよ」
「なんだってまた、こんなに沢山ちょうだいするんですか」
婆さんはにやにやしながらそういった。
「なんでもいいから、取っときなったら」
婆さんは心ひそかにほくそ笑む。
「さあ、おいでなすったぞ。刷子やろうめ、今にきりきりと巻きあげてやるから」
と銀子をしまいこんで、
「旦那さま、のどがかわいておいでのようですね。とろとろ煎じたお茶でもいかがです」
「おばさん、よくそれがわかったね」
「そりゃもうお手のものでございますよ。なかへはいって見なくとも、顔さえ見れば景気はわかるって昔からいいますからね。あたしは、どんなへんてこな、ややこしい、あやしげなことだって、みんなちゃんとあてます」
「おれには胸に秘めていることがあるのだけれど、おばさんがうまくいいあてたら五両かけるぜ」
王婆さんは笑いながら、
「そんなこと、思案もなにもいりゃしません。ちょいと考えりゃ、それでぴたりとあてて見せますよ。旦那さん、お耳をちょいとこちらへ。あなたさまが昨日今日、えらく小ぜわしく足をはこんでいなさるのは、きっとお隣のあの人のことが気になるからでしょう。どうです、あたりましたでしょう」
西門慶は笑い出して、
「おばさん、おばさんはまったく、智は随何《ずいか》にまさり機は陸賈《りくか》をしのぐってとこだ。ほんとうのことをいうがね、どうしたわけか、こないだあの人が簾をはずしているのに会って、その姿を見染めてからというもの、もうまるで魂を吸い取られてしまったみたいなんだ。といって別に近づくきっかけもないし、ねえ、なんとか手はないものかね」
王婆さんは声をあげて笑いながら、
「あたしも旦那さんにほんとうのことをいいますがね、あたしんとこの茶店は、幽霊にたのんだ夜廻りってやつで、なんのたしにもならないのですよ。三年前の六月三日の雪が降った日に一杯の煎茶を売ってから、ずっと今日までまるで繁昌せず、もっぱらなんでも屋をやって口をぬらしている始末なんです」
「なんのことだね、そのなんでも屋というやつは」
と西門慶がたずねると、王婆さんは笑いながら、
「まず第一に仲人、それから妾の周旋、それに、腰たたき婆、取りあげ婆、また浮気の手引きから、連れこみ宿もひきうけます」
「おまえがあれをうまくまとめてくれたら、お棺代に十両くれてやるんだが」
「旦那さん、まあ、お聞きなさい。女をものにする(注六)ってことは、そりゃむずかしいことでして、五つのことが五つともそろわないことには、話になりません。第一には潘安《はんあん》(晋代の美男)のような男前、第二には驢馬《ろば》のような道具、第三には〓通《とうつう》(漢代の富豪)のような身代、第四には着物のなかの針でも我慢できるくらいの小《おと》なしさ、第五にはたっぷり間《ひま》のあること。この五つは一口に、潘《はん》・驢《ろ》・〓《とう》・小《しよう》・間《かん》といいますが、この五つが五つともそろわないとものになりません」
「ありていにいって、その五つならおれは全部そろえて持っている。まず第一のおれの男前だが、潘安にはそりゃかなわんが、まあまあ、ふめるだろう。第二に、おれは若いときから大きな道具を持っている。第三に、おれのところにはかなり身代もある。〓通にはおよばんが、不自由はしないよ。第四に、おれはとても我慢強い。たとえ、あの人に四百ぺん打《ぶ》たれたって、ただの一ぺんも打ちかえしはせんだろう。第五に、間《ひま》はたんまりある。でなきゃ、こんなにたびたび足をはこべる道理がない。おばさん、たのむよ。うまくまとめてくれ。まとめてくれたらお礼はたんまりするよ」
「旦那さま、あなたは五つとも全部そろっているとおっしゃったけど、あたしゃよく存じあげておりますよ。旦那さまにはひとつだけちょいとむずかしいのがあって、そのためにこの話はおいそれとは埒《らち》があくまいと思うのですよ」
「いってくれよ。なんだね、そのむずかしいのは」
「ずけずけいってのけますけど、ご免なさいましよ。いったい女をものにするのにいちばんむずかしいところは、十のうち九分九厘までお金で漕ぎつけたとしても、それでもやっぱりしくじることがあるということなんですが、それにつけてもあなたさまは、だいたい吝《けち》んぼうなたちで、鷹揚に金をばらまくってことをなさらない。そこがむずかしいところなのですよ」
「それならすぐにでもなおすよ。おまえのいうことをききさえすればそれでいいんだろ」
「旦那さまがお金に糸目はつけぬとおっしゃるなら、あたしにもちゃんと計略がありますから、すぐにでも、あの雌《めす》っ子におひきあわせしますよ。だけどねえ、旦那さまはうんとおっしゃるかどうか」
「いや、なんでもかんでもいいつけどおりにするよ。おばさん、うまい計略って、どういうことだね」
王婆さんは笑いながら、
「今日はもうおそいですよ。ひとまずおひきとりねがって、まず半年か三年ぐらい間をおいて、それからご相談にのるといたしましょう」
すると、西門慶はそこへべったりひざまずいて、
「おねがいだ。そうもったいをつけないでさ」
王婆さんは笑った。
「旦那さま、これはまたひどくおあわてで。あたしの計略というのは、それはそれは妙計で、武成王《ぶせいおう》(諸葛孔明)さまの廟《みたまや》に祀りあげられるのはちと無理な話だとしても、孫武子《そんぶし》が女の兵隊をしこんだ(注七)のにはひけをとりません。まず十中八九ははずれっこなしの妙計です。旦那さま、それじゃよく聞いてくださいましよ。あの女は、もとは清河県のお金持が買った召使いで、お針がとてもよくできるのです。旦那さま、そこでです。白の綾子《りんず》一匹と、藍《あい》の紬《つむぎ》一匹、白絹一匹、それから上等の綿を十両買って、みんなあたしにください。あたしはあの女のところへ行って、茶を飲みながらこういってみます。さるお方が、あたしのお墓行きの着物の布地《きじ》をくださったので、暦を見せていただきにきたのだけど、奥さん、いい日をさがしてくださいな、仕立屋をよんで縫わせますから。あたしがそういっても、あの女がなんの愛想も見せなければこの話はそれでおしまいでございます。もしあの女が、あたしが縫ってあげましょう、といって、あたしが仕立屋をよばなくてもすむようになれば、ここでまず一分だけの見こみができたというものです。そこでこんどは、あたしの家へきて縫ってくれるようにたのんでみますが、その返事が、いや、うちへ持っておいでなさいよ、あたしのところでさせてもらうわ、ときたら、この話はそれでおしまいです。でもあの女が大よろこびで、ええ、行って縫ってあげましょう、といえば、これで二分の見こみがついたというもの。こうして、家へきて仕事をしてくれるとなると、ご馳走を用意しておひるを出してやらなきゃなりませんが、最初の日はきなすっては駄目ですよ。二日目に、もしあの女が、ここでは具合がわるいからといって、家へ持って帰って仕事をするといい出せば、このお話はそれでおしまいです。もしひきつづいてあたしの家へきてするといったら、見こみは三分になります。この日も旦那さまはいらっしゃってはいけません、三日目のお昼ごろになったら、りゅうとした身なりでおいでください。そして咳《せき》ばらいを合図に、店さきで、しばらく王おばさんの顔を見ないがどうしたのだろう、とおいいなさいまし。あたしがすぐに出て行って部屋へご案内しますが、もしそのときあの女が、おいでになったのを見たとたんに立ちあがって帰ってしまうようなら、あたしとしてもひきとめることはできませんから、そのときにはこの話はここでおしまいです。しかし、はいっていらっしゃってもじっとしているようなら、見こみは四分ついたというところ。あなたが腰をかけなすったら、あたしがあの雌っ子に、この方はあたしに布地をくださった旦那さまで、たいへんお世話になっていますのよってなことをいって、ばりばりほめちぎってあげますが、そのときあなたは、あの女のお針仕事をほめておやりなさることです。そのときあの女が膠《にべ》もなく黙りこんでいるようなら、このお話はここでおしまいです。なにか返事をするようなら、これで見こみは五分まで漕ぎつけたというわけです。で、あたしはそこでこういいましょう。この奥さんはほんとにご親切に、あたしのために骨を惜しまず縫ってくださってるのですが、おひとりはお金、おひとりはお骨折り、あたしはおふたりになんとお礼申しあげていいやら、門付けの物乞いのまねをするわけではございませんが、この奥さんがここにおりよく居あわせておいでとはまたとない得難い機会、旦那さま、もしもなんでしたら、あたしのためにこの場をとり持ってくだすって、奥さんのお骨折りをねぎらってあげてくださいませんか、とこういいますから、あなたは銀子を出してあたしに買い物をしてくるようにおいいつけなさいまし。そのときもしあの女が座を立って逃げ出すようなら、あたしとしてもひきとめるわけにはいきませんから、このお話はここでおしまいでございます。が、そのままじっとしているようなら、見こみは六分まではかどったというわけです。あたしは銀子を持って部屋を出しなに、あの女にむかって、奥さん、すみませんけど、ちょっとのあいだ、旦那さまのお相手をしていてくださいねといいましょう。ここであの女がもしも立ちあがって家へ逃げ帰るようなら、あたしとしてもおしもどすわけにはいきませんから、この話はここでおしまいになってしまいます。もし、そのままじっとしているようならお話はぐんと調子がよくなって七分の見こみがついたというもの。買い物から帰ってきて机の上に用意をととのえたところで、奥さん、お仕事はひとまず切りあげてお酒を召しあがりなさいな、この旦那さまがせっかく買ってくださったのですから、とやりましょうよ。あの女がもし、いっしょにいただくのは遠慮するといって帰ってしまうようなら、この話はここでおしまいです。そうでなくて、帰らなくちゃ、とかなんとかいいながらも、口だけそういって身体は動かさないというような具合なら、この話はぐっと調子がよくなって八分の見こみまですすんだわけ。こうしてあの女がいい加減とろりと酔ってきて、話に加わってきだしたところで、あたしが、お酒がきれましたから、もっと買いたしていただけませんか、てなことをいいますから、そのときは、うん買ってきてくれってなことをおっしゃいませ。あたしは買いに行くふりをして部屋の戸をしめ、おふたりをなかへとじこめてしまいましょう。さてそのとき、あの女が腹をたてて飛んで逃げ帰っちまったら、このお話はここでおしまいです。ところが、戸をしめても別に腹をたてもしないようなら、見こみは九分まで漕ぎつけたというわけで、あとたったの一分でめでたく成就というしだい。だがこの一分こそむずかしいのですよ。いいですか、部屋に残されたあなたは、なにかこう甘ったるい話をもちかけながら口説き落として行きなさるわけですが、しかしどんなことがあっても焦って手荒なことをしてはいけませんよ。おじゃんになったって、あたしゃ知りませんからね。そこでまずあなたは、ふとしたあやまちめかして机の上の箸を着物の袖ではらい落とすのです。そうしておいて箸を拾うふりをしながら手をのべてあの女の足をぎゅっとつねってごらんなさい。それでさわぎたてでもしたらそのときは、あたしがのり出して行ってとりつくろいましょうけど、この話はそれでもうおしまいになってしまいます。もはやどうにも手のつけようがございません。しかし、そのときだまっているようなら、もう、見こみは十分。きっとあの女の方にもその気がありますから、まずはめでたしめでたしとなるでございましょう。いかがです。この計略段取りのしだいは」
西門慶はそれをきくと大いによろこび、
「凌煙閣《りようえんかく》(注八)の数にははいるまいけど、それにしてもたいした計略だ」
「忘れちゃこまりますよ、お約束の十両」
「蜜柑を食べたら洞庭湖(蜜柑の名産地)は忘れられないってことよ。ところで計略はいつ実行するのだね」
「今夜にもご返事いたします。これからすぐ、武大の帰らぬうちに訪ねて行って、とっくり話してまるめこみましょう。しかしあなたも綾子《りんず》と紬と白絹とそれから綿を、すぐ使いのものにとどけさせてくださいよ」
「おばさんがうまくまとめてくれたら、決して約束をすっぽかしたりはしないよ」
と西門慶は王婆さんに別れて、町の反物屋へ行き、綾子・紬・白絹と真っ白な上綿を買い求め、家から下男をよんで風呂敷に包ませ、それに粒銀を添えて茶店へとどけさせた。王婆さんは品物を受けとって、下男を帰した。詩にいう。
豈《あに》是れ風流争う可きに勝《た》えんや
迷魂陣裏《めいこんじんり》奇兵を出《いだ》す
十面〓光《がいこう》(注九)の計を安排し
祇《ただ》身を亡して陥坑に入るを取る
王婆さんが裏門をあけて武大の家へ行くと、女は出迎えて二階へあげた。
「奥さん、たまにはうちへお茶でも飲みにいらっしゃいよ」
と王婆さんがいうと女は、
「ここしばらく身体の具合がよくないもんですから、出かけるのが大儀なのよ」
「お宅に暦があったら、ちょっと見せてくださいな。裁《た》ちものをするのにいい日を選びたいので」
「おばさん、どんな着物をお作りになるの」
「それがね、あたしは病気がちで、いつどうなるかもわからないので、以前からお墓行きのときの着物をととのえておきたいと気にしてたんだけど、ありがたいことに近くのお金持の方が、あたしのその話をお聞きになって、布地を一揃い、綾子と紬と白絹と、そしてその上綿まで添えてめぐんでくださったんですよ。ところがそれもいただいたきりで、縫わずに一年以上もしまいこんだままにしてたんだけど、今年はどことなくひどく弱ってきたみたいなので、それにほら、ちょうど閏月にあたってるでしょ。そこでこの二三日のうちに仕立ててしまおうと思いたったら、こんどは仕立屋に足もとを見られて、いそがしいとかなんとかいってきてくれないのさ。ほんとにあたしゃ情けなくなってしまったよ」
女はそれを聞くと、笑いながらいった。
「お気にいらないかもしれないけど、よかったら、あたしでもしてあげますよ」
それを聞くと婆さんは相好をくずして、
「奥さんに縫っていただけたら、死んでも極楽へ行けるでしょう。お針がお上手だとは前から聞いてたけど、おねがいにあがるのもなんだしと、二の足を踏んでたんですよ」
「そんなことかまいませんわ。おひきうけしたんですから、縫ってあげますわ。どうぞ暦を持って行って黄道吉日を見てもらっておいでなさいよ。すぐとりかかってあげますから」
「やってやるとおっしゃるなら、奥さんが福の神さまです。日などどうだってかまやしません。そうそう、この前あたしが見てもらったのでは、明日が黄道吉日だってことでしたよ。あたしは仕立物など別に黄道の日でなくたってと思ってたもんだから、つい忘れてました」
「お迎えのときの晴着ですもの、ぜひ黄道の日にした方がいいのよ。ほかに日をしらべることなんかいりませんわ」
「それなら、たいへんあつかましいんですけど、明日からおねがいすることにして、では家の方へいらしてくださいな」
「おばさん、そうまでなさらなくても。あたしの方でしちゃいけませんの」
「というのはね、あたしも奥さんのお手ぶりを拝見したいのですよ。それに家には誰も店を見てくれる者もいませんし」
「それじゃ、あした朝ご飯をすませたらうかがいます」
婆さんは何度も礼をいい、二階をおりて帰ってきた。そしてその夜のうちに西門慶に委細を伝え、三日目(注一〇)には間違いなくくるように話をつけておいた。その夜はそれまでとして、さて、そのあくる日の朝、王婆さんは部屋をきれいにとりかたづけ、糸を買ったりお茶の用意をしたりして待ちうけていた。
隣では、武大が朝飯をすませ、荷ごしらえをして商売に出かけて行ったあと、女は簾を出しておいて、裏口から王婆さんの家へ出むいてきた。
婆さんは大いによろこんで部屋へ請じいれ、まず濃いお茶をいれ、松の実や胡桃《くるみ》の実をお茶受けに出し、それから机をきれいに拭《ふ》いたうえで、例の綾子・紬・白絹などを持ち出した。女は寸法を取って裁《た》ちあげると、さっそく縫いはじめた。婆さんはそれを眺めて、
「なんとまあ手のいいこと。あたしはこの年まで六七十年、こんな上手なお針は見たこともありませんよ」
などと、もうひっきりなしにほめそやす。女はずっと仕事をつづけた。やがて昼になると、王婆さんは酒食をととのえ、うどんを出してふるまった。それからまた仕事をつづけ、夕方近くなると、女は縫い物をかたづけて帰って行った。ちょうど武大が空の荷物をかついで帰ってきたところで、女は門をあけ、簾をはずした。武大は部屋にはいって女房の顔がほんのりと赤いのに気がつき、
「おまえ、どこで酒を飲んだのだ」
とたずねた。
「お隣の王おばさんにお墓行きのときの着物を縫ってくれってたのまれて、お昼をご馳走になったのよ」
「そりゃよくないよ。こっちもあの婆さんに世話になることもあるんだし、おまえが着物を縫うことをたのまれたって、お昼は家へ帰ってすませなよ。明日も行くんなら、お金を持って行って、なにか買ってお返ししとくがよかろうぜ。遠い親戚より近い他人っていうじゃないか。義理を欠いちゃいけないからな。遠慮してお返しを受け取らんようなら、家へ持ち帰って仕立ててとどけることにしろよ」
女はただ聞いていた。その晩はそれだけで別に話もないが、ここにそれをうたった詩がある。
奈《いかん》す可《べ》き虔婆《けんば》計を設くること深し
大郎は混沌にして因を知らず
銭を帯び酒を買って奸詐に酬《むく》い
郤《かえ》って婆娘を把って人に白送す
さて王婆さんは、計略成ってうまく潘金蓮を家へひっぱりこんだ。その翌日、朝飯をすませて武大が出て行ってしまうと、王婆さんはそっと女を迎えに行った。女はやってきて、縫い物を出し、仕事にとりかかった。王婆さんはお茶をいれて飲ませたりなどしたが、その話はそれまでとして、やがて昼になると、女は一貫の銭を取り出して王婆さんにわたし、
「おばさん、一杯買ってきてふたりで飲みましょうよ」
「あら、そんなことってないでしょ。あたしの方からおねがいして仕事をしていただいてるんですよ。奥さんにご心配かけさせるなんて、そりゃあべこべですよ」
「でも、うちのがそういいつけたんです。おばさんが遠慮なさるなら、家へ持ち帰って仕立てたうえでおとどけしろって」
婆さんはそれを聞くとあわてていった。
「ご主人ったら、ほんとによくお気がつくのね。それに、奥さんもそうおっしゃるんですから、それではひとまずいただいておくことにします」
婆さんはしくじってはたいへんと、自分も金を出し添えて、よい酒によい肴、めずらしいつまみものなどを買ってきて、鄭重にもてなした。
みなさん、お聞きください。女というものは、たとえどんなに利口でも、人からちやほやもちあげられると、まずもって十人のうち九人まではその手にのせられてしまうものです。さて王婆さんがこうして点心を出し、酒食をふるまうと、女はまたひとしきり仕事をし、やがて夕方近くなると、慇懃《いんぎん》に礼をいって帰って行った。
くどい話はぬきにして、いよいよ三日目。朝飯がすむと、王婆さんは武大が出て行くのを待ちかねて裏へまわり、
「奥さん、すみませんけど」
と声をかけた。女は二階からおりてきて、
「いま、出かけようと思ってたところなの」
ふたりは挨拶をしたのち、王婆さんの家へ行き、女は縫い物を出して仕事にかかった。王婆さんはお茶をいれて、ふたりで飲む。女は昼ごろまでせっせと縫いつづけた。
ところで西門慶は、一日千秋の思いで待ちに待ったこの日、新しい頭巾をかぶり、ぱりっとした着物を着こみ、四五両ほどの粒銀をふところにして、まっすぐ紫石街へと出かけて行き、茶店の店先までくると、咳《せき》ばらいをして、
「王おばさん、しばらく顔を見ないが、どうしているかね」
婆さんはそれに気づいて、
「どなた」
「おれだよ」
と西門慶。婆さんは急いで出て行き、笑いながら、
「おやおや、どなたかと思ったら、これはまあ旦那さまでしたか。ちょうどいいところへおいでくださいました。さあ、どうぞなかへはいって見てくださいまし」
と西門慶の袖をひっぱって部屋のなかへ連れこみ、女にむかって、
「この方なんですよ、あたしに布地をめぐんでくださった旦那さまというのは」
西門慶は女を見て挨拶をした。女はあわてて縫い物をそこへ置き、挨拶をかえした。王婆さんは、こんどは女を指さして西門慶にむかい、
「旦那さまから布地をめぐんでいただきましたのに、あれを一年もしまいこんだままにして手をつけずにおりましたところ、こんどたいへんありがたいことに、この奥さんが手を貸してやるとおっしゃいまして、それでようやくできあがることになったのでございます。ほんとに機《はた》を織るみたいなあざやかなお針ぶりで、こまかくて、きれいで、まったくたいしたものでございますよ。ほら、旦那さま、ごらんなさいまし」
西門慶は取りあげて見て、感嘆し、つぶやくようにいった。
「これはまったくすばらしい腕《うで》を持っていらっしゃる。まるで神業のようだ」
女は笑いながら、
「ご冗談をおっしゃって」
西門慶は王婆さんにたずねかける。
「ところで、この方はどちらの奥さんで」
「あててごらんなさいまし」
「そんなことをいったって、わかるはずはないじゃないか」
王婆さんはにっこり笑って、
「お隣の武大郎さんとこの奥さんです。ほら、いつか三叉竿でお気持よくぶたれなすったじゃありませんか。もうお忘れになりましたの」
女は顔を赤らめて、
「先日はとんだ粗相をいたしまして申しわけございません」
「いや、なんでもありませんよ」
と西門慶が答えると、王婆さんは話をひきとって、
「この方はね、とてもおやさしい方で、もともと根に持ったりなんかなさったことのない、ほんとうにいい方なんですよ」
といえば、西門慶は、
「あのときは知りませんでしたが、そうですか、武大郎さんの奥さんですか。大郎さんはわたくしも知っておりますが、なかなか甲斐性のある人です。町での商売は誰からも受けがいい。それに商売もうまいし、人がらもおとなしい。ほんとうに珍しい人です」
王婆さんもいった。
「そうですとも。奥さんだって武大郎さんのとこへ見えてからは、もう何事につけても、とてもすなおに従っておられますよ」
すると女は、
「うちの人は、もう仕様のない能なしですわ。旦那さま、ご冗談をおっしゃっては困ります」
「いや、それはちがいます。古人も、柔軟は立身のもと剛強は禍いを招くもと、といっております。あの武大郎さんのような善良な人こそ、万丈の水、涓滴《けんてき》の漏るなし(万にひとつのまちがいもない)というのですよ」
王婆さんもいっしょになって、
「そうですとも」
とおべんちゃらをいう。西門慶はなおもひとしきりほめあげてから、女のむかい側に腰をおろした。すると王婆さんは、
「奥さん、この旦那さまをご存じですか」
「いいえ、存じませんけど」
「この旦那さまは、この県のお金持で、知県さまでさえおつきあいをなさっている、西門大官人さまです。百万両もの財産をお持ちで、お役所の前通りに生薬屋をひらいていらっしゃいますが、お宅に積んだお金は星までとどき、お米は倉に腐るほど。赤いのは金、白いのは銀、丸いのは真珠、光るのは宝石、そのほかにも犀の角だとか、象の口の牙だとか」
婆さんはやたらに西門慶をほめちぎって、出まかせをいった。女は、じっとうつむいたままお針をつづけている。
西門慶は潘金蓮をまのあたりに見て、胸をわくわくさせ、すぐにも抱きあいたいと思うのだがそうはいかない。王婆さんはそこで、席を立って茶を二杯いれてきて、一杯は西門慶にわたし、もう一杯は女にさし出して、
「奥さん、旦那さまのお相伴をしてくださいな」
といった。茶を飲みおわるころになると、どうやら女は流し目をちらつかせはじめたようである。王婆さんは西門慶を見て、片手で顔をつるりと撫でて見せた。西門慶はそれを見て、五分の見こみがついたことがわかった。
王婆さんは切り出した。
「旦那さまがここへお見えにならなければ、あたしとしてもわざわざお宅へよびに行くようなことはできなかったでしょうが、ひとつにはご縁があったわけ、二つにはちょうどよいところへ見えたわけです。世話になるならひとりの主《ぬし》に、という諺もありますけど、あたしは旦那さまからはお金を、奥さんからはお骨折りを、おふたりからお世話になっております。あたしはなにも二股《ふたまた》かけておねがいするわけではありませんが、せっかく奥さんがここにお見えになっているのですから、旦那さま、あたしの代わりに主人になって、奥さんにご馳走してあげてくださいませよ」
すると西門慶は、
「いや、これはわたしもうっかりしていたな。さあ、お金はここにあるから」
と、袱紗包《ふくさづつ》みをまるごとわたし、それで酒食をととのえるようにいった。女は、
「あたし、こまりますわ」
と口ではいったものの、立ちあがろうとはしない。王婆さんが銀子を受けとって出て行くときも、女はじっと腰を据えたままだった。婆さんが部屋を出しなに、
「奥さん、恐れいりますが、しばらく旦那さまのお相手をしててくださいよ」
というと、女は、
「おばさん、あたしこまるわ」
といったが、しかし、やはり立ちあがろうとはしなかった。これも因縁というものであろうが、やはりちゃんとその気があったのである。西門慶のやつはといえば、ぴったりと眼を女にくっつけてはなさない。女も女で、ちらりちらりと西門慶をぬすみ見し、そのりゅうとした風貌に、だいぶん気持を動かしながら、うつむいて仕事の手を休めずにいる。
やがて王婆さんは、できあいの脂っこいあひるや、煮た牛肉、きれいに作ったつまみものなどを買ってきて大皿に盛り、肴や菜も添えて部屋の机の上へはこび、女を見ていった。
「さあ、仕事はそこで切りにして、一杯どうぞ」
「おばさん、おかまいなく。お相伴してあげてください。あたしは遠慮させていただきます」
女はそういったが、やはり立ちあがる気配はなかった。婆さんは、
「これは奥さんにと思って設けた席ですよ。そんなことおっしゃらずに」
玉婆さんが机の上にすっかりご馳走をならべると、三人はそれぞれ席について酒をついだ。すると西門慶は杯をとりあげて、
「奥さん、どうぞこれをお受けください」
「旦那さま、ありがとうございます」
と女は礼をいった。王婆さんは、
「奥さんがいける口だってことは知ってますよ。さあ、くつろいで飲んでください」
これをうたった詩がある。
従来男女筵《せき》を同じゅうせず
〓《しよう》を売り姦《かん》を迎う最も憐《あわれ》むべし
記せずや都頭(武松)の昔日の話
犬児今已に籬辺に到る
また詩にいう。
須《すべから》く知るべし酒色本《もと》連相《あいつらな》るを
飲食能く成す男女の縁
必ずしも都頭の多く嘱付《しよくふ》するにあらざるも
籬を開く日待《まさ》に犬来りて眠らんとす
さて女が杯を受けると、西門慶は箸をとりあげて、
「おばさん、奥さんにおすすめしておくれ」
婆さんはよいところを選んで取ってやり、女にすすめた。酒が三巡りすると、婆さんはまた燗《かん》をつけてきた。西門慶は、
「ぶしつけですが、奥さんはおいくつです」
とたずねる。
「二十三になります」
「わたしは五つ上です」
「身分は天と地ほどちがっていますのに」
すかさず王婆さんが口をはさんだ。
「まあ、ほんとに、さとい奥さん。お針ばかりか、学問もおできになる」
すると西門慶も、
「こういう人はめったにいない。武大郎さんはしあわせものだ」
玉婆さんは、
「そういうのもなんですが、旦那さまのところにはたくさんおいでなさるけど、この奥さんの上を行くような人は、いらっしゃらないのじゃありませんか」
「どういってよいか、やはり運がなかったというのだろうな。ついぞいい人にめぐりあえなくてね」
「でも、先《せん》の奥さんは、いい方でございましたよ」
「あれのことはいわないでくれ。ほんとにあれが元気でいてくれさえしたら、今のように、家に主なければ屋《おく》さかしまに立つ(家にしまりがないの意)、というようなざまにはならなかったろう。今も何人かおいてはいるが、そろいもそろって役立たずばかりでね」
すると、女がたずねた。
「それでは、その奥さまはいつお亡くなりになりましたの」
「いや、これはどうも。先の女房は、出《で》はいやしかったがなかなか賢いやつでして、なにもかもてきぱきと切りもりしてくれたものですが、運がなく死んでしまいまして、あれからもう三年になります。それ以来、家のなかはもうなにもかもめちゃくちゃで、わたしがこうやって出歩いてばかりいるのも、家にいるとくさくさしてたまらなくなるからなんです」
「旦那さま、そういっては失礼ですけど、あなたさまのその先の奥さまにしたって、武大さんとこのこの奥さんほどはお針の腕はございませんでしたろう」
「それに、あれはまたこの奥さんほどの器量よしでもなかったな」
婆さんは笑いながら、
「ねえ旦那さま、東通りの方にお妾さんを置いてなさるんでしょ。あたしも、茶飲み相手によんでくださいよ」
「ああ、あの唄い女の張惜惜《ちようせきせき》のことか。あれは巷《まち》の女で、好きでもないんだ」
「そういえば、李嬌嬌《りきようきよう》さんとは長い仲じゃございませんか」
「あれは今、家の方へひきとっているが、あれに家が切りもりできるのだったら、とっくに本妻にしてるとこなんだけど」
「もしも旦那さまのお気にいりそうなのが見つかりましたら、お話を持ってうかがってもかまいませんか」
「親爺もお袋もとっくに亡くなって、万事はわたしの思いのまま、口出しをするものなんかないよ」
「いえ、冗談ですよ。そんな方はおいそれとはございませんから」
「ないなんてことがあるものか。わたしはいかにも夫婦の縁がよくなくて、うまくぶつかりあえないだけのことさ」
西門慶と婆さんは、しばらくこんなやりとりをしていたが、やがて婆さんが、
「あら、これからってとこなのに酒がきれてしまいました。旦那さま、さし出がましいしだいですが、もう一瓶おたしなさったらいかがですか」
「袱紗《ふくさ》のなかに五両ほど小粒があったはずだ。みんなそっちへ預けておくから、ほしければほしいだけ遠慮なく買ってくればいいよ。残った分はおばさんにあげるよ」
婆さんは礼をいって、座を立ちながら女の方を見た。女は酒が腹にはいって浮気心をかきたてられ、そのうえまた、ふたりのとりかわす意味ありげな話を聞いて、じっとうつむいたまま、立ちあがろうとする気配はまるでない。婆さんはにやりと笑って、
「もう一瓶お酒を買ってきて、奥さんに飲んでいただきましょう。すみませんけど、奥さん、それまで旦那さまのお相伴をしててくださいな。お銚子にはまだ酒があったと思いますから、ごいっしょに召しあがっててください。あたしはお役所の前のあの店まで行って、上酒を一瓶買ってきますから、ちょっと手間どるかもしれませんけど」
女は、口ごもった声で、
「もう結構ですわ」
とはいったが、坐ったきり動こうともしない。
婆さんは部屋を出ると、縄で戸を縛りつけて、そのまま戸口に坐りこんだ。
さて西門慶は、部屋のなかで、酒をついで女にすすめながら、着物の袖で机の上をすっとはらって、箸を一膳、床の上へ掃き落とした。縁《えにし》の定むるところか、箸はものの見事に女の足もとに落ちた。西門慶は急いで身をかがめて拾おうとしたが、見れば、女のすんなり尖ったかわいい足(纏足《てんそく》した足)が箸とならんでそっくりかえっているので、箸の方はそのままにして女の足を、刺繍をかがった鞋《くつ》の上からぎゅっと握りしめた。すると女は、にっこり笑顔を見せて、
「あら、いたずらなさってはいけませんわ。あなた、ほんとうにあたしをさそいたいの?」
西門慶はひざまずいて、
「ねえ、おねがいします」
女は西門慶を抱きおこし、そのまま王婆さんの部屋で、着物をぬぎ、帯を解き、ひとつ枕に歓《かん》をともにした。そのさまは、
頸を交《ま》じえて鴛鴦《えんおう》の水に戯れ、頭を並べて鸞鳳《らんほう》の花を穿つ。喜孜々《きしし》として連理《れんり》の枝生じ、美甘々《びかんかん》として同心の帯結ぶ。朱脣を将《もつ》て緊貼《きんちよう》し、粉面を把《と》って斜に〓《わい》す。羅襪《らべつ》高く肩膊《けんぱく》の上に挑《かか》ぐれば、一湾の新月を露わし、金釵倒《きんささか》しまに枕頭の辺に溜《すべ》れば、一朶の烏雲を堆す。誓海盟山、搏弄《はくろう》し得て千般〓〓《いじ》、羞雲怯雨、揉搓的《じゆうさして》万種妖〓《ようじよう》。恰々《ごうごう》たる鶯声、耳畔を離れず、津々《しんしん》たる甜唾《てんだ》、笑って舌尖を吐く。楊柳の腰、脉々《みやくみやく》として春濃《こま》やかに、桜桃の口、呀々《ああ》として気喘《あえ》ぐ。星眼は朦朧として、細々として汗は流る香玉の顆《か》。酥胸《そきよう》は蕩漾《とうよう》として、涓々《けんけん》として露は滴《したた》る牡丹の心《しん》。直饒《た と》え匹配は眷姻《けんいん》と偕《とも》にすといえども、真実に偸期(密通)の滋味は美なり。
かくてふたりが雲雨《こ と》をおわって、着物をととのえようとしたとき、王婆さんが戸をおしあけてはいってきて、
「おふたりさん、うまいことをしなさったな」
西門慶と女が胆をひやすところを、さらに婆さんはいった。
「まあまあ、あたしゃ着物を縫ってくれとはたのんだけど、間男しろとはいわないよ。武大さんに知れたら、あたしにまでとばっちりがかかる。さきに行って告げとかなくちゃ」
と身をかえして出て行きかける。女はすそをつかんでひきとめ、
「おばさん、見のがして」
といい、西門慶も、
「おばさん、大きな声を出さないでくれよ」
王婆さんはにやりと笑って、
「そりゃ見のがしてあげんこともないが、そのかわり、あたしのいうことをひとつだけきいてもらいましょう」
「ひとつどころか、十だってききますから」
と女がいうと、
「ではね、あんたは今日から、武大さんの目をごまかして、毎日かならずこの旦那さまのいいなりになりなさい。そうすれば見のがしてあげましょうよ。もし一日でもいやだといったが最後、あたしゃすぐ武大さんにいいつけますよ」
「おばさんのおっしゃるとおりにします」
王婆さんはさらにいった。
「西門大官人さま、いまさらあらためて申しあげなくてもわかっておいででしょうけど、このとおり事はめでたく成就、お約束のしろものはきっと間違えないでくださいましよ。もし変な具合になったら、やはり武大さんにいいつけますからね」
「心配しなくたっていいよ。ちゃんとするから」
三人はまた酒をくみあったが、やがて昼すぎになると女は腰をあげて、
「武大のやつがもうじき帰ってくるでしょうから、あたし、おいとまさせていただきます」
と、そっと、裏口から家へ帰って行った。そしてなにはさておき、簾をはずしに出て行くと、ちょうどそこへ武大が帰ってきた。
さて、王婆さんは西門慶をじろりと見て、
「どうです、うまくいったでしょう」
「いやまったくたいしたもんだ。家へ帰ったら、さっそく錠銀を一枚とどけてよこすよ。約束のものは間違いなくちゃんとするからな」
「首を長くして待ってますよ。葬式すんで泣き代請求、すっぽかしてはいやですよ」
西門慶は笑いながら帰って行ったが、この話はこれまで。
女はその日を皮切りに毎日、王婆さんの家へかよいつめて西門慶といちゃつきあうようになった。ふたりは、漆《うるし》のごとく膠《にかわ》のごとく、はなれられない仲となったが、昔から好事は門をいでず悪事は千里を走る、というにたがわず、半月とはたたぬうちに、隣り近所では誰知らぬものとてなく、知らないのはただ亭主の武大だけであった。詩にいう。
半〓《はんしよう》の風流何の益かあらん
一般の滋味誇るを須《もち》いず
他時禍は起こらん蕭墻《しようしよう》の内
悔殺せん今朝野花を恋うを
話はここでひとまずうち切って、別の話に移る。さて、この県にひとりの小僧っ子がいた。年は十五六、姓は喬《きよう》といい、その父親が〓《うん》州へ流罪になっているおりに生まれたというので、〓哥《うんか》とよばれていたが、家には年老いた父親がいるきり。この小僧っ子は、なかなか小利口なやつで、日ごろは役所の前にならんでいるあっちこっちの居酒屋をわたり歩いて、季節の果物を売って暮らしをたてており、西門慶からいつもなにかと小使い銭をもらったりしていた。
その日、彼は一籃《かご》の雪梨を仕入れ、町をあっちこっちと、西門慶をさがし歩いていた。すると、あるお節介好きな男がいて、
「おい〓哥、おまえ、あの男をさがしているんだったら、おれがその行きさきを教えてやろうか」
「すまんな、おじさん。そうすれば、おいら四五十銭がとこもうかって、親父に孝行ができるんだ」
「西門慶のやつはな、炊餅売りの武大の女房とできてしまって、毎日、紫石街の王婆さんの茶店に入りびたっているから、今ごろはきっとあそこだぜ。てめえは小僧っ子だから遠慮するこたぁねえ、のりこんでってみろ」
〓哥はそれを聞くと、そのおじさんに礼をいい、それからこの小猿は、籃をさげてまっすぐ紫石街へ行き、茶店のなかへ飛びこんだ。おりしも王婆さんは、床几に腰をかけて糸をつむいでいるところだった。〓哥は籃をそこへ置き、王婆を見て、
「おばさん、こんちは」
「〓の小僧かい、なにか用かい」
「旦那に会いたいんでさ。親父のために四五十銭ほどもうけさせてもらおうと思ってよ」
「旦那って、どこのさ」
「ちゃんと知ってるくせに。ほれ、あの旦那よ」
「旦那って、苗字もあるだろうが」
「二字の苗字さ」
「なんという二字なんだよ」
「あんなこといって、からかってばっかり。おいらはな、西門の旦那に用があるんだよ」
〓哥はそういってなかへ駆けこもうとした。婆さんはむんずとひっつかまえて、
「これ小猿、どこへ行くんだ。人の家にはちゃんと内と外ってものがあるんだぞ」
「部屋のなかへはいって行きゃ見つかるさ」
「なにをこのくそ小猿め、西門の旦那なんて家にいやしないよ」
「なあ、おばさん、ひとりでかくし食いするこたああるまい。おいらにもちっと残り汁ぐれえなめさしてくれたっていいじゃないか。おいらはなにもかもちゃんと知ってるんだよ」
婆さんは怒った。
「しゃらくさい小猿め、おまえなんかになにがわかるか」
「おまえさんは、柄杓のなかで菜っ葉を刻むってやつで、ただの半かけも外へこぼさないつもりでいるようだが、おいらの口から外へ漏らした日にゃ、炊餅屋の兄さんはかんかんになるだろうよ」
婆さんは見事いいあてられて、かっとなり、
「この、くそ小猿め、よくも人の家へのりこんできて、いいたいことをいいやがったな」
「おいらが小猿なら、そっちは淫売宿(注一一)じゃねえか」
婆さんは〓哥をとっつかまえ、二三発拳骨をくらわせた。〓哥は、
「ややっ、ぶちやがったな」
「泥棒猿、大きな声を出しやがると、大びんたくらわして叩き出すぞ」
「鬼婆あ、なぐれるものならなぐってみろ。ただじゃ事がおさまらねえぞ」
婆さんはとっつかまえて大拳骨をふるい、そのまま往来へたたき出し、雪梨の籃も放り投げてしまった。雪梨はごろごろとそこらじゅうに転《ころ》げ散った。小猿は鬼婆に敵すべくもなく、悪態をつきながら、泣きながら、逃げながら、往来の梨を拾いながら、王婆さんの店に指をつきつけて、
「鬼婆あ、あとで吠え面かいたって、知らないぞ。おいらはどうしてもいいつけてやるから。見ていろ、今に騒動がおっぱじまるから」
と捨て科白《ぜりふ》を投げ、籃をさげてその人をさがしに駆け出して行った。このために、積悪のむくいは一度にあらわれ、狐兎《こと》のねぐらの草のしとねはひき剥がされ、鴛鴦《おしどり》の砂上の夢は破られる。さて〓哥のたずねる人とは誰か。それは次回で。
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一 不《おお》いに忿《いか》って 原文は不忿。不は丕に通し、大いにとよむ。不忿は「その本分をわきまえず不都合な」という意味の俗語であるが、ここでは「忿然不平」の意味と解した。
二 おばさん 原文は乾娘。母分、義母などをいう。ここではかりにおばさんと訳した。
三 朝のつとめ 原文は画卯。卯の刻に出勤して判を捺すことから、朝のつとめをいう。
四 出勤の判を捺した 原文は画了卯。前注参照。
五 遠くへ飛んで行ってしまって 原文は直鑽過爪〓国去了。爪〓《ジヤワ》の国へもぐりこんでしまった。
六・九 女をものにする 原文は〓《がい》光《こう》。挨光と同じで、待って埒《らち》をあける意。転じて、女をものにすること、密通の意につかわれる。
七 孫武子が女の兵隊をしこんだ 孫子が呉王闔廬《こうりよ》の前で宮中の美女百八十人に号令して、意のままに動かし、その兵法の一端を示した故事をいう。
八 凌煙閣 第十四回注一参照。
一〇 三日目 原文では明後日になっているが、前後の関係から三日目と改めた。
一一 淫売宿 原文は馬泊六。私娼が客を連れこむ待合や宿屋などをいう。
第二十五回
王婆《おうば》 計もて西門慶《せいもんけい》を啜《そその》かし
淫婦 薬もて武大郎《ぶたいろう》を鴆《ころ》す
さて、王婆さんにこっぴどく打ち据えられた〓哥《うんか》は、癪で癪でたまらず、雪梨の籃をさげて、武大郎をさがしに街へ飛び出して行った。町角を二つばかり曲がったところで、炊餅の荷をかついでやってくる武大郎の姿をとらえた。〓哥は彼をみとめるや、そこに立ちどまり、じろじろと武大を眺めやりながら声をかけた。
「長いこと会わぬ間に、えらく肥ったじゃねえか」
武大は荷をおろしながら、
「前からこうだよ。別に肥りなんかしねえさ」
「おいらはこないだから、麦〓《ふすま》を買おうと思ってさがしまわってるんだが、どこにもないんだ。聞けばおまえさんのとこにあるっていう話だが」
「ふすまなんて、そんなものがあるものか。なにもあひる(あひるの雌は淫らな鳥とされ、転じて女房を寝取られた男の意ともなる)を飼ってるわけじゃなし」
「へえ、ふすまはねえとな。だったらどうしてそんなにむくむく肥ってるのかな。さかさに吊りさげられたってへっちゃらだし、鍋のなかで煮られたって知らん顔だろ」
「くそ小猿め、よくも、ひでえこと吐《ぬ》かしやがったな。女房が男をこさえでもしたのならともかく、おれにむかってあひるとはなんだ」
「そうさ、おまえさんの女房は男はこさえちゃいまいが、間男はこさえてるぜ」
武大は〓哥をひっつかまえ、
「てめえ、おれの顔に泥を塗りやがって、どうしてくれる」
「おいおい、おいらにばっかり噛《か》みついて、女房を盗んだやつはほっとくのか。おめでたいったらありゃしねえや」
「なあ、たのむ。どこのどいつだか教えてくれ。炊餅を十くれてやるから」
「炊餅じゃ話にならねえよ。二三杯おごってくれなきゃ」
「飲めるのか、こいつ。じゃ、ついてこい」
武大はそういって荷をかつぎあげ、〓哥をとある小さな居酒屋へ連れて行き、そこで荷をおろした。そして幾つかの炊餅を取り出し、いくらかの肉を買い、燗酒も一本つけさせて〓哥についでやったが、この小童《こわつぱ》め、
「酒はもういらねえ、肉をもうちょっとほしいな」
「いい子だからさ、さあ、教えてくれ」
「まあ、そうせくなよ。こいつをみんな平らげてからいって聞かせてやるよ。だけど決してじたばた大騒ぎをやらかさねえようにな。おいらが力になって取っつかまえさせてやるから」
武大は、この小童の飲み食いがおわるのを見計らって、
「さあ、教えろよ」
と促した。〓哥は、
「どら、その前においらの頭のこの瘤《こぶ》を撫でてごらんよ」
「この瘤、こりゃ、いったいどうしたんだ」
「よく聞くんだよ。今日、おいらはこの雪梨を西門大郎さんのとこへ持ってって、すこしばかり小使い銭をせしめようと思ったのさ。ところがどこをどうさがしても見つからない。すると町の人が教えてくれたんだ。旦那は王婆さんの茶店で武大の女房とうまくやってるよ、毎日あそこへ入りびたっておいでだぜ、とな。おいらは、それじゃ、行って銅銭を四五十がとこものにしてこようと思って出かけて行ったのはいいが、腹もたとうじゃねえか、あの王婆あのちくしょうめ、おいらをなかへいれてくれねえばかりか、ぽかぽかなぐってたたき出しやがったのさ。そこでおいらはおまえさんをさがしたわけだが、今さっきあんなことをいってかんかんに怒らせたのは、じつは、こっちからけしかけでもしなきゃ、おまえさんの方からは、とてもいい出しっこないと思ったからさ」
「そりゃ、ほんとのことか」
「ほら、またおいでなすった。だから抜けてるっていうのさ。そのおかげであのふたりはうまうまと味をしめてるって勘定なんだぜ。おまえさんが出て行くのを待ちかねて、ふたりで王婆あの店でいちゃつきあってるというのに、まだ、ほんとかいだなんて、よくもいえたもんだ」
「いや、そういえばおれも、女房が毎日王婆さんの家へ着物を縫いに通ってるのに、帰ってくるといつも赤い顔してるんで内心変だとは思ってたんだ。きっとそうだ、間違いない。おれはこれから荷物をあずけといて、間男をとっつかまえに行こうと思うが、どうだろう」
「いい年して、てんで、なっちゃいねえじゃねえか。あの王婆あの狡《ずる》っ賢い犬野郎ときた日にゃ、そりゃたいした曲者《くせもの》だぜ。とてもおまえさんなどの手に負えるしろものじゃないよ。連中三人はきっとなにか合図をこしらえていて、おまえさんがのりこんで行っても、すぐにおかみさんをかくしちまうだろうよ。それに西門慶は腕のたつやつだから、おまえさんみてえなのは二十人ぐらいかかって行ったって、束《たば》にしてなぐりとばしてしまうよ。もしその現場をおさえられなかったときには、たんまりあいつの拳固をもらうのが関の山だろうさ。それにあいつは銭もあれば羽振りもきくから、逆に告訴でもされてごらん、おまえさんは役所へひっぱって行かれるだろうが、そうなったって誰もおまえさんの味方になってくれるものはありゃしないんだぜ。むざむざ命を落とすだけのことじゃないか」
「なるほどな、いちいちもっともな話だが、しかしおいらも黙ってひっこんじゃいられない。どうすればよかろう」
「おいらだって、あの老いぼれやろうに叩かれて業腹でたまらねえところなんだ。そうだ、こうしなよ。今日はちとおそ目に帰って行って、なんにも面《つら》に出さねえようにしてふだんとおなじにしてるんだ。そして明日の朝は、炊餅はすくな目につくって売りに出るんだ。おれは路地の口で待ってるよ。西門慶がはいって行くのを見かけたら、すぐによんでやるから、おまえさんは荷をかついだまま、そこいらまでやってきて待ちかまえているがいい。まずおいらが先にはいって行って、あの老いぼれの畜生婆あにちょっかいかけて怒らせてやるよ。きっとやつはおいらにつかみかかってくるだろうが、そしたらおいらはすぐ籃を表の通りへ投げ出すから、すかさずおまえさんは飛びこんでくるんだ。おいらがあの婆あをがっちりおさえている間に、おまえさんはしゃにむに部屋のなかへ踏みこんで行ってわめき散らすんだ。どうだろう、この手は」
「そうしてくれりゃ、ありがたい。ここに持ち合わせの銭が何貫かあるから持って行きな。米代にでもするといいや。それじゃ明日は朝はやく出てきて紫石街の入口で待っててくれ」
〓哥は数貫の銭と炊餅を幾つかもらって帰って行った。武大は酒代をはらって、荷をかつぎあげると、ひとめぐり歩いてから家に帰った。
女は、以前はいつも武大をののしって、さんざんいびりまわしていたのだが、このごろはさすがに自分のふしだらに気がひけてか、すこしは愛想よくするようにつとめていた。詩にいう。
〓性淫心〓《なん》ぞ肯《あえ》て回《かえ》らん
聊《いささ》か仮意を将《もつ》て強《し》いて相陪《あいばい》す
ただ隔壁《かくへき》に好漢を偸《ぬす》むに因って
遂に身中をして鬼胎を懐《いだ》かしむ
その夜、武大は荷をかついで家へ帰ってくると、いつもとおなじようにふるまって、おくびにも出さなかった。女は、
「あなた、お酒をお飲みになったの」
とたずねたが、武大は、
「うん、さっき仲間の者と二三杯」
と答えただけであった。女は晩飯を出して武大に食べさせた。その夜は別に話もなく、あくる日、朝飯がすむと武大は蒸籠《せいろう》に二三杯分だけの炊餅をこしらえて荷支度をした。女は、西門慶のことにばかり気をとられていたので、武大がどれだけ炊餅をつくったのか、てんで意にもとめてみなかった。こうして武大が荷をかついで売りに出て行ったあと、女はそれを待ちかねたようにそっと抜け出して王婆さんの家へあがりこみ、西門慶を待ちうけた。
さて武大は、荷をかついで紫石街の入口のところまで行くと、そこには〓哥が、籃を手にさげて張りこんでいた。
「どうだい」
と武大が声をかけると、
「まだちょっと早すぎらあ。ひとまわり売り歩いておいでよ。そのうちやつはやってくるだろうからな。ついこの近所で待ちうけてるんだよ」
武大がざっとひとめぐり売り歩いて帰ってくると、〓哥は、
「おいらが籃をほうり出すのを見たら、すぐと飛びこんでくるんだぜ」
武大が荷をよそへあずけたことはそれまでとして、さて〓哥は、籃をさげて茶店のなかへは
いって行くなり、
「やい、老いぼれの畜生婆あ、昨日はよくもなぐりやがったな」
婆さんは相かわらずの短気ぶりで、がばと立ちあがってどなりつけた。
「この小猿め、なんでもないのに、なぜ悪態をつきにくる」
「てめえのことを、淫売宿といおうが、食わえこみ婆あといおうが、それでどうだといいやがるんだ」
婆さんはかんかんになって怒り、〓哥をとっつかまえてなぐりつけた。〓哥は、
「なぐりやがったな」
と叫ぶやいなや、籃を表へ投げ出した。婆さんがなおも〓哥につかみかかろうとするよりもはやく、〓哥は、
「ぶってみやがれ」
と、叫びざま、婆さんの腰にむんずとしがみつき、下腹にがんと頭突きをくらわせ、婆さんはうしろの壁でもなければひっくりかえるところを、この小猿はなおも必死になって壁におしつけた。武大は着物をたくしあげて、ずかずかと茶店のなかへ飛びこんで行く。
婆さんは、武大がのりこんできたのを見ると、あわててさえぎろうとしたが、小猿は死にものぐるいでおさえつけて、いっかなゆるめようとしない。婆さんは、
「武大がきたよ」
と金切り声をあげるのが関の山。
奥の部屋にいた阿魔っちょは大あわて。走りよって、とりあえず戸口をおさえつければ、西門慶は寝台の下にもぐりこんでかくれる。武大は戸口のところまでおしかけて行って、手で戸をおしたが、どうしてもあかない。
「ちくしょう。いいことしやがったな」
とわめくだけで、どうするすべもない。
女は戸をおさえつけながら、大あわてにあわてて、
「なによ、ふだんは拳《けん》だの棒だのとえらそうなことをいってるくせに、いざとなったら、からっきしだめじゃないの。張り子の虎を見ただけでぶるぶるふるえちゃって」
といったが、それは、そういって西門慶をけしかけて、武大をなぐり倒して逃げ出させようという魂胆だった。寝台の下の西門慶は、女にそういわれて、よしやってやろうと思いたち、すぐはい出してきて、
「いや、そうじゃないんだ。腕には覚えがあるんだが、咄嵯《とつさ》に思案がめぐらせなかったのだ」
と、戸をあけ放って、
「さわぐな」
とどなりつけた。武大が武者ぶりついて行こうとするところを、西門慶はすかさず右足で蹴りあげた。小男の武大は、みぞおちをまっこうから蹴られて、ばったり仰向けざまにのけぞりかえる。西門慶は武大を蹴倒したと見るや、そのどさくさにまぎれて逃げて行った。旗色わるしと見た〓哥は、王婆さんをふりはなして逃げて行く。近所の者たちは西門慶のしたたかさぶりを知っているので、誰も口を出そうとするものはなかった。
王婆さんはさっそく、倒れている武大をたすけおこしたが、見れば口から血を吐き、顔の色は蝋のかすのように黄色くなっている。婆さんはあわてて女をよび、水をくんでこさせて息を吹き返らせ、ふたりで両方から肩を貸しあって裏口から二階へ連れてあがり、寝台の上に寝かせた。まさに、
三寸丁児は幹才没《な》し
西門の驢貨《ろか》甚だ雄なる哉
親夫を却って奸夫に害さしめ
淫毒皆一套と成り来る
その夜の話はそれまでとして、その翌日、西門慶はたいしたこともなかったと知ると、いつものようにやってきて女とちちくりあい、武大が死んでくれたらいいのにとねがうのだった。
武大は寝こんだままで、五六日たっても起きることができない。お湯をくれといっても持ってきてくれず、水がほしいといってもかまってくれず、いくら女をよんでも返事もしないどころか、こってりと厚化粧をして出て行ってしまって、赤い顔をして帰ってくるのだった。武大は何度か気も失わんばかりに怒りたったが、誰もかまってくれるものはない。武大は女房をよびつけていった。
「おまえのやったことは、おれはちゃんとその現場をおさえたんだ。しかもおまえは間男をけしかけておれのみぞおちを蹴らせ、こんな半殺しの目に遭わせながら、おまえたちは勝手に好きなことをしている。おれは死んだっていいのだ。どうせおまえらと張りあうことはできないんだから。だが、弟の武二は、おまえだってあいつの気性はよく知ってるだろう、そのうち帰ってきたら黙っておるはずはない。おまえがもしおれを可哀そうだと思って、今のうちにちゃんと介抱してくれるなら、あれが帰ってきてもなにもいわないでおこう。だが、看病なんかいやだというのなら、それもよかろう、あれが帰ってきてからおまえらふたりと話をつけるだろうから」
女はそういわれると、なにも返事はせずにそっと抜け出して行って、事のてんまつを王婆さんと西門慶に告げた。西門慶はそれを聞くと、氷室《ひむろ》のなかに吊りさげられでもしたようにふるえあがった。
「これは、えらいことになりやがったわ。景陽岡で虎をなぐり殺した武都頭といや、清河県きっての豪傑じゃないか。このおれとしたことが、今日の今日までおまえに夢中になり、おまえにおぼれきっていて、そこらへんのことにはまるっきり気がつかなかった。いったいどうしたらいいんだ。えらいことになったわい」
王婆さんはせせら笑って、
「あらあら、あなたが船頭で、あたしは乗合いのお客だったはずじゃないの。あたしはしゃんとしてるのに、どうしなすったの、ばたばたとうろたえたりなんかして」
「男のくせして、恥ずかしいしだいだが、こうなってくると、どうすればよいのかさっぱり見当がつかん。なにかいい知恵でも出してかばっておくれよ」
「おまえさんたちののぞみは、長い夫婦か短い夫婦か、どっちがいいのかね」
「おばさん、なんのことだね、その、長い夫婦、短い夫婦っていうのは」
「短い夫婦がおのぞみなら、おふたりは今日を最後に、きっぱり別れてしまって、武大がよくなったら詫びをいれ、武二が帰ってきてもなんのいざこざもおこらないようにしておくのさ。そしてあいつがまたいつか他所へお役目にでも出て行ったら、そのときはそのときでよりをもどす。これがいうところの短い夫婦ですよ。しかし、長い夫婦がおのぞみで、毎日いっしょにいてもびくびくしないで暮らしたいというのなら、それならそれであたしにちゃんと計略があるんだけど。しかしこいつばかりはなんとも伝授しにくい話なのでねえ」
「ねえ、たのむよ。なんとかいいあんばいに取り計らってくれよ。長くいっしょにいたいのだ」
「この計略には、ある品物が必要なのだが、それがまたなんともよくしたもんで、どこの家にもなくて、旦那さん、あなたのとこにだけある品物なんですよ」
「入り用ならおれのこの目玉だってくり抜いてわたすよ。いったいなんだね、その品物は」
「今あの阿呆は重態だから、その弱り目につけこんでさっさと始末してしまうんですよ。旦那さんの家からはすこし砒霜《ひそう》をもらい、奥さんには胸痛みの薬を一服買ってきてもらって、それに砒霜をまぜ、あのちび助をやっつけてしまうのさ。そして火に燃やしてきれいさっぱりなんにも残らないようにしてしまえば、たとえ武二が帰ってきたって、どうすることもできないじゃないの。昔から、嫂と弟は挨拶もかわさぬ、というのがおきてだし、はじめの嫁入りは親まかせ、二度の嫁入りは自分の勝手なんだから、義理にもあいつがとやかくいえた筋合いではなし、そうしてこっそり人目を忍びながら半年か一年を過ごし、武大の喪があけたら晴れて旦那さんが家に迎えなさるという寸法。これこそ長い夫婦、偕老同穴のちぎりめでたしというものではございませんかね。どうです。この計略は」
「なるほど、それはうまい考えだ。昔から、たのしむためには苦しめっていうからな。ええい、くそ、やっちまえ。毒をくらわば皿まで(注一)だ」
「そうですとも。草を抜くなら根っこから、春になったらまた芽が出るよ、とね。旦那さん、すぐに砒霜を取ってきなさい。さっそく奥さんにとりかかってもらうようにしますから。けりがついたら、たんまりお礼ははずんでくださいよ、旦那さん」
「もちろんさ。ご念にはおよばないよ」
これをうたった詩がある。
色を恋い花に迷いて肯て休せず
機謀只《ただ》望む綢繆《ちゆうびゆう》を永くせんことを
誰か知らん武二の刀頭の毒
更に砒霜に比して狼《はなはだ》しきこと一籌《いつちゆう》なるを
さて西門慶は、ほどなく一包みの砒霜を包んできて、王婆さんにしまわせた。婆さんは女にむかって、
「奥さん、それでは薬の和《あわ》せ方を教えてあげますよ。いま、武大は介抱してくれってあなたにたのんだのでしょう、それなら、あなた、すこしばかり愛想よくしておやんなさい。そしてあいつが薬を飲ませてくれといったら、この砒霜を胸痛みの薬のなかにまぜて、ひと眠りして起きたときに、その薬を飲ませるのです。そしてあなたはすぐに座をはずしなさい。毒がまわってくると、胃も腸もはじけるから、大声でわめき出します。そのときには蒲団をおっ被せて人に聞かれないようにするのが肝心ですよ。それから、前もって鍋にお湯を沸かしておいて、布巾を煮ておいてもらいましょう。毒がきいてくると目鼻耳口、からだじゅうの穴という穴から血が流れ出し、唇には食いしばった歯形がつくから、あの人が往生したら、すぐさま蒲団をはぎとって、煮ておいた布巾できれいに血の痕をぬぐいとり、さっさと棺桶におさめてかつぎ出し、焼いて煙にしてしまえば、なんてこともありゃしませんよ」
「そうすればいいにはいいでしょうけど、あたし、手が萎《な》えてしまって、そのときになれば死体のあと始末などできそうにもないわ」
「なんのなんの、そりゃ簡単ですよ。壁をちょいと叩いておくんなさりゃ、あたしが行って手伝ってあげますよ」
西門慶は、
「では、ふたりともうまく手落ちのないようにかたづけてくれよ。明日は五更(朝四時)に首尾を聞きにくるから」
といって帰って行った。王婆さんは砒霜をもみ砕いて粉《こな》にし、女にわたしてしまっておかせた。女が、家へ帰って二階へあがり、武大の様子を見ると、とぎれとぎれの息をつきながら今にも絶えいってしまいそうな様子だった。女は寝台の端に腰をかけて、空涙を流して泣いた。武大が、
「どうした。なぜ泣くのだ」
ときくと、女は涙をふきながら、
「あたし、つい、たいへんなことをしてしまって。あの下司《げす》めにだまされていたのです。だけど、ほんとにあんなことをしようとは思わなかったわ、あなたを足蹴《あしげ》にするなんて。あたし、あちこち聞きまわって、いい薬があるのを見つけたのです。買ってきて飲ませてあげようと思ったんだけど、あなたに疑ぐられやしないかと思って、まだ買いに行かずにいるんです」
武大は、
「おまえがおれをもとどおり元気にしてくれさえすれば、なにもかも水に流してやるよ。武二が帰ってきても、なにもいわないことにする。はやく薬を買ってきておれを助けてくれ」
女は銅銭を持って王婆さんの家へ駆けつけ、薬を買ってきてもらうと、それを持って二階へもどり、武大に見せていった。
「ほら、胸痛みの薬ですよ。これは夜中に飲ませるようにとお医者さんがいってました。そして飲んだら蒲団をかぶってすこし汗を出したら、明日は起きられるだろうって」
「それはありがたい。おまえ、すまないけど、それじゃ今夜はすこしおそくまで起きていてくれるか。真夜中ごろに調合して飲ませておくれよ」
「あんたは安心して寝てらっしゃい。あたし、ずっとそばにいてあげるから」
やがて夜になり、女は部屋にあかりをともすと、下へおりて行ってまず大鍋いっぱいに湯をわかし、そのなかへ布巾を一枚つけた。おりしも時の太鼓は三更(夜十二時)を告げた。女は毒薬を杯のなかにあけ、別に白湯《さゆ》を碗にくみいれて二階へ持ってあがり、
「あなた、薬はどこ」
と大きな声でたずねた。武大は、
「枕もとの敷蒲団の下にいれておいた。さあ、飲ませてもらおうか」
女は敷蒲団をめくって薬を杯のなかへあけ、薬の袋はそこへおいて、頭髪《あたま》から銀のかんざしを抜きとり、ぐるぐるかきまわしてよく混ぜあわせ、左の手で武大をかかえ起こし、右手で薬を流しこんだ。武大は一口がぶっと口にふくむと、
「おまえ、これはひどく飲みにくい薬だな」
「病気が治るのですもの、飲みにくいなんて、そんなこといわないで」
武大が二口目を飲みかけたときだった、この阿魔っちょめは、すかさず、がぶっと杯の薬を残らずのどのなかへ流しこんだ。そして、武大をそこへほうり出し、急いで寝台をとびおりた。武大は、ううん、とうなって、
「おまえ、この薬を飲んだら腹が痛くなってきたよ。あっ、うっ、ああ、なんとかしてくれ」
とうめくと、女は足もとの方へまわって蒲団を二三枚ひっ張りあげ、頭からすっぽりかぶせてしまった。武大は、
「息がつまる」
とわめいたが、女は、
「お医者さまが、汗を出さしたらはやく治るって、そうおっしゃってるんだから」
武大がさらになにかいいかけようとしたとき、女はあばれられたら事面倒とばかり、寝台の上に飛びあがって武大の上に馬乗りにまたがり、手でぎゅっと蒲団の角をおさえつけ、びくりともさせずにしめつけた。まさに、
油は肺腑を煎《い》り、火は肝腸を燎《や》く。心窩裏は雪刃の相侵すが如く、満腹中は鋼刀の乱攪《らんこう》するに似たり。渾身冰冷《ひようれい》して、七竅《しちきよう》に血流れる。牙関緊咬《がかんきんこう》して、三魂は枉死城中へ赴き、喉管枯乾《こかん》して、七魄は望郷台上に投ず。地獄は新たに添う毒を食うの鬼、陽間に姦を捉《とら》うるの人没了《な し》。
こうして武大は、ううんと二声三声うめき、苦しい息を一息ついたかと思うと腸や胃がはじけて息たえ、もはやぴくりとも動かなくなった。女が蒲団をめくって見ると、武大は歯を食いしばり、目から鼻から口から耳から、血をあふれ出させていた。さすがに女もぞっと怖気《おじけ》をふるい、たまらず寝台をとびおりて、壁をたたいて合図をした。王婆さんは聞きつけて裏口へまわり、咳《せき》ばらいをした。女が二階からおりて裏口をあけると、王婆さんはたずねた。
「やったかい」
「やったことはやったけど、もうあたしは手も足も萎えてしまって、あと始末ができないのよ」
「なあに、たいしたことじゃありませんよ。あたしがやってあげましょう」
婆さんは着物の袖をたくしあげ、お湯を桶にくみとって雑巾をなかにほうりこみ、二階へはこびあげると、蒲団をはぎとって、まず武大の口のあたりをきれいに拭きとり、ついで目や鼻や耳の汚《よご》れ血を拭き落として、着物をかぶせた。そしてふたりがかりでよたよたしながら下へはこびおろし、古い戸板の上にどたりと横たえ、頭髪《か み》を梳《す》き、頭巾をかぶせ、着物を着せ、鞋《くつ》も靴下もはかせてから、白い絹の布で顔をかくし、小ぎれいな蒲団を取り出してその死体に着せかけた。そうしておいて、また二階へとって返して抜かりなくあとかたづけをし、かくて王婆さんはひき揚げて行った。
阿魔っちょめは、おいおいと声を絞りながら、うちの人よ、うちの人よ、と空泣きをしたが、ところでみなさん、ちょっとお聞きください。およそ女というものは、三通りの泣き方をするもので、すなわち、声涙ともにくだるやつは、これは「哭《こく》」といい、涙はあるが声のないのは「泣《きゆう》」といい、涙は流さないで声だけのを「号《ごう》」というのだが、そのとき女は、夜っぴて「号」をやりつづけていたのである。あくる朝の五更、まだ夜も明けやらぬころ、西門慶が首尾やいかにと馳せつけてきた。王婆さんが事細かに話して聞かせると、西門慶は銀子をとり出し、お棺ならびに葬式の費用にといって、王婆さんにわたすとともに、女をよびよせてあとの相談をすることにした。阿魔はやってくると西門慶にむかって、
「うちの武大はもう死んでしまいました。たのむ人はあなた以外にはありません」
「それはよくわかっているよ」
と西門慶は答えた。王婆さんは、
「ところでとても大事な一件が残ってるんですけどね。というのはお役所の団頭(隠亡頭《おんぼうがしら》)の何九叔《かきゆうしゆく》のことですけど、あれはなかなかしっかりものだから、ひょっとして見抜かれでもしたら、葬式は出そうにも出せませんよ」
「いや、そのことだったら大丈夫。おれからよくいい含めておくから。あいつはおれには、さからいはしないよ」
「旦那さま、それじゃすぐにいっといてください。ぐずぐずしてはいられませんよ」
そういわれて西門慶は出て行った。
やがて夜もすっかり明けると、王婆さんはお棺をはじめ線香だの蝋燭だの紙銭だのといったものを買ってきて、女とともに飯を炊いて仏前に供えたり、灯明をあげたりした。近所のものがみなみなおくやみにやってきた。女は化粧した顔を手でおおって、空泣きをしながら応待した。近所のものは口々にたずねた。
「武大郎さんはどんな患《わずら》いで亡くなられたものですか」
阿魔は答える。
「胸痛みの患いで、日ましにわるくなるばかりで、とうとう昨夜の三更(十二時)ごろ、いけなくなってしまいました」
そして、さめざめと泣いて見せた。みなのものは、どうも死に様《よう》が変だと、はっきり気づいてはいたが、しいて問いただすわけにもいかないので、それぞれに口上を述べてなぐさめた。
「死んだものはまあ諦めるよりほかございませんよ。あとに残ったものはまだこれからやっていかなければならない身体ですから、あまりお力落しなさらないように」
女は口さきだけで礼をいった。人々がひきとって行ったあと、王婆さんは、お棺をとりよせてから団頭の何九叔をよびに行き、納棺に必要なものや、家のなかで必要な諸道具いっさいを買いととのえ、和尚もふたり、すこしおそ目にお通夜にきてくれるようにたのんだ。やがて、何九叔のところから一足さきに何人かの下働きの者がやってきて、下準備にとりかかった。
さて何九叔は巳牌(昼まえ)になってから、ゆっくり腰をあげたが、紫石街の入口のところまでやってくると、待ちうけていた西門慶に出会った。
「やあ、どちらへ」
と声をかけられて、何九叔は、
「ついこのさきの、炊餅売りの武大郎さんの納棺に出かけるとこなんで」
「相談ごとがあるんだが、ちょっとそこまで」
何九叔は西門慶について行って、角を曲がったところの小さな居酒屋へはいり、小部屋に通った。
「お頭、どうぞそちらへ」
と西門慶は上座をすすめた。何九叔は、
「そんな、滅相もない。旦那と同席できる分際じゃございませんのに」
「まあそういわずに、さあどうぞ」
ふたりは席につき、上等の酒がとりよせられた。給仕が野菜のもの、つまみもの、肴などを置きならべ、さっそく酒をついで出す。何九叔は不思議でならなかった。
「これまで一度だっていっしょに飲んだこともないのに、今日のこのふるまい酒にはきっとなにかわけがあるんだな」
半時ばかり飲んだころ、西門慶は、つと袂のなかから十両の錠銀を一枚とり出して卓の上におき、
「これはほんのしるしばかりだが。あとでまたお礼はさせてもらいます」
何九叔は拱手の礼をして、
「あっしは、なんのお力添えもしておりませんのに、旦那さまからお金をいただくわけにはまいりません。よしんばなにかあっしにご用のむきがおありだとしても、やっぱり、いただくわけにはまいりません」
「まあ、そういわずに、ともかく取っておいてもらいたい」
「いえ旦那、まずわけを話してみてください。おいいつけどおりにいたしますから」
そこで西門慶はいった。
「いや別になんということでもないのだがね。後ほどむこうからもお礼を出すだろうが、これからやる武大の納棺について、万事よろしく取り計らってもらいたいというわけなんで。錦の蒲団で包みこんで、あれこれいわないでおいてもらいたいのだ」
「なんのことかと思ったら、そんな些細なことだったのですか。別にたいしたことでもないのに、お金などいただくわけにはまいりません」
「受けとらないのは、ことわるということかな」
何九叔は、西門慶が名だたる悪党であり、役所うちを牛耳る黒幕の男だとして、かねてから煙たく思っていたので、突っぱねるわけにもいかなかった。ふたりはかさねて何杯か飲んだあげく、西門慶は給仕をよんで酒代はつけておくように、後日きて払うからといい、ふたりは二階をおりていっしょに店を出た。
「では、よく胸にたたんでおいてくれ。決してひとに漏らさないようにな。後日あらためてお礼はするからな」
西門慶は念を押して、すたすたと立ち去って行った。
何九叔は不審でならない。
「こいつはなんだか変だぞ。武大の納棺だというのに、あいつはなんだってこんな大金をくれたんだろう。なにかあるにちがいない」
武大の家の前までやってくると、下働きの連中が門口で待ちうけていた。何九叔は、
「武大はなんの病気で死んだんだ」
「家の人は胸痛みだといってますが」
簾をあけてなかへはいって行くと、王婆さんが出迎えて、
「ずいぶん待ちましたよ」
といった。
「いや、ちょっとした用事があったものだからついおそくなってしまって」
といっているところへ、奥から武大の女房が白い着物(喪服)を着て、空泣きしながら出てきた。何九叔は、
「お力落しでございましょうて。かわいそうにな、武大さんも死んでしまって」
女は涙をおさえるふりをしながら、
「どういったらよろしいのか。思いがけないことで、胸痛みを患ったのですが、たった二三日でいけなくなってしまって。あとに残されたあたしは、どうしたらいいのか」
何九叔は、頭のてっぺんから足の爪先まで阿魔っちょの風態を眺めて、口のなかで人知れずつぶやいた。
「武大の女房のことは人のうわさにきいてはいたが、顔を見るのは今日がはじめてだ。そうか、武大はこんな女房をもらっていたのか。西門慶がくれたあの十両、さてはなにかあるな」
と、何九叔は武大のなきがらを検《あらた》めようとしておおいの布をとりのけ、顔の白い絹布をめくり、五輪八宝(検屍の法)でその両眼をめくりかえしてじっとのぞきこんだとたん、あっと叫んで後《うしろ》ざまにぶっ倒れ、口から血を吐いた。見れば何九叔は、爪は青黒く、唇は紫に、顔の色は土気色に蒼ざめはて、眼は光をうしなって、まさしく、その身は山に銜《くわ》えられし五鼓《あかつき》の月の如く、命は油の尽きなんとする三更《やはん》の灯に似る、というありさま。はてさて何九叔の命はどうなるか。それは次回で。
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一 毒をくらわば皿まで 原文は、一不做二不休。乗りかけた舟だ、の意。
第二十六回
骨殖《こつしよく》を偸《ぬす》みて 何九叔《かきゆうしゆく》喪を送り
人頭を供《そな》えて 武二郎《ぶじろう》祭を設く
さてそのとき、床の上にひっくりかえってしまった何九叔は、下働きの若い者にたすけおこされたのであったが、王婆さんは、
「死体の毒にあたりなさったんだ。ともかく水をはやく」
と、いいつけて、二口、三口吹きかけるうちに、何九叔はしだいに身動きをしはじめ、やがて意識をとりもどした。王婆さんは、
「とにかく家へお連れして帰って」
といい、ふたりの若いものが戸板に乗せて急いで連れ帰った。家の者はひきとって寝台に寝かせたが、細君は泣きながら、
「元気で機嫌よく出て行ったのに、なんでまたこんなざまで。これまで死体の毒にあたったことなんか一度だってあったためしはないのに」
と寝台のわきでしくしく泣く。何九叔は若いものがそこにいないのを見すますと、女房を足でつついて、
「心配するな。おれはなんともないんだ。じつはな、さっき武大の家へ出かけて行ったところが、あそこの路地の入口のところまで行くと、役所の前通りで薬屋をやっている西門慶が待ってるじゃないか。やつはおれに酒をご馳走してくれたうえに、銀子を十両もくれていうことには、死体を棺にいれるときは、うまい具合にやってくれといいやがるんだ。武大の家へ行ってみると、出てきた細君というのが、どうもよくない阿魔なのさ。ははあ、こいつは臭いぞとおれはにらんだのだが、さておおいの布をめくって見るてえと、それがどうだ、武大の顔の色はどす黒く、目や鼻や口からはじとじとと血が滲《にじ》み出ており、唇には微《かす》かに歯形がついているのだ。わかりきったことさ、毒にあたって死んだ身体だ。こりゃ黙っちゃおれねえと、いったんはそう思ってみたが、かといって、武大にはこれといってたのむものもいないし、西門慶に憎まれるとなると、それこそ、蜂をつっつき蝎《さそり》に手を出すってやつで、大《おお》火傷《やけど》させられるのは目に見えている。また、それかといって、いい加減に納棺をすましてしまうと、武大には、ほれ、いつか景陽岡で虎をなぐり殺した武都頭という弟がちゃんと控えている。あいつはまばたきひとつしねえで人を殺しちまう男だ。やがて帰ってきた暁には知らずにはすむまいしさ」
すると細君のいうには、
「そういえばあたしも前に、人がうわさしてるのを聞いたんだけど、裏街の喬《きよう》爺さんの息子の〓哥《うんか》というのが、紫石街で、武大に加勢して間男をつかまえに行って、茶店で喧嘩騒ぎがあったんだって。じゃ、きっと、それなんだよ。そのことはあとでゆっくりその子から聞き出すことにして、さしあたって今日のこの始末はなにも困ることなんかないよ。若いものにいいつけてさっさと納棺してしまって、野辺送りはいつするのか聞いてこさせとくのよ。もしもそのまま家に留めて置いて、武松が帰ってきてから出すというのなら、なにもあやしいことはないだろうし、今すぐ埋葬するというのなら、これも別になんでもないのでしょうよ。しかし、火葬にするといい出せば、これは必ずなにかあってのことにきまってるから、そのときは、お葬式《とむらい》を送って行くふりをして、こっそり、お骨《こつ》を二三本拾ってきて、この十両のお金といっしょにしまっておくのよ。そうすれば、後日、動かぬ証拠としてものをいうだろうし、また、武二が帰ってきたとき、なにも音沙汰がないとなりゃ、それですましちまえばいいわけで、西門慶には顔がたち、こっちもこっちで家の入り用にも役立たせてもらえるというもんで、結構な話じゃないか」
「おまえ、なんとたいした目ききじゃないか。持つべきものは利口な女房だ」
何九叔はそういって、すぐ下働きの若いものをよんでいいつけた。
「おれはこんなざまで、行こうにも行けねえから、おめえたち行って死体は適当に始末してくれ。そのついでに、いつお葬式《とむらい》を出すか、それを聞いてきておれに知らせてくれ。むこうから出すお礼の銭帛は、おめえたちの方で文句の出ねえようにきちんと山わけして取っておけ。おれにといって出してきたものは受け取っちゃならねえぞ」
連中はかしこまりましたといって武大の家へ出かけて行き、納棺をすませて、しかるべき位置に据え、供養の用意をしてから、帰ってきて何九叔に、
「おかみさんのいうには、三日で祭事をすませて野辺送りをし、城外へ持って行って火葬にするってことです」
と報告をした。そして、めいめい金を分けあって帰って行ったが、そのあとで、何九叔は細君に、
「おまえのいったことは、ずばり当たったわ。おれはどうしても、その日は出かけて行って骨をぬすんできてやる」
さて、王婆さんは、つきっきりで女を指図しながら、その夜はお通夜をし、二日目は坊さんを四人まねいてお経をあげさせた、三日目の朝になると、隠亡の若いものたちがやってきてお棺を舁《かつ》ぎ出すはこびになった。隣り近所の人たちが、何人かやってきて葬列に加わった。女は喪服をまとって、その路すがらずっと「うちの人よ、うちの人よ」と空泣きをしながら、城外の火葬場へとたどりつくと、すぐ、火をつけてだびに付そうとした。するとそこへ、何九叔が手に一束の紙銭を持ってやってきた。王婆さんと女は、彼を迎えて挨拶をした。
「これはこれは、ご苦労さまでございます。お身体の方はたいしたこともなくてなによりでございました」
「いつぞやはお宅の大郎さんから蒸籠《せいろう》一枚分の炊餅をもとめましたのに、お金もはらわずそれなりになっているものですから、紙銭なりと供養させてもらおうと思って」
「まあまあ、それはご丁寧に」
何九叔は紙銭を焼きおわると、みずから火葬の采配をとって世話をした。王婆さんと女は礼を述べて、
「どうもほんとにお世話さまでございます。いずれ後ほど、あれこれいっしょにお礼をさせていただきます」
「いや、あっしは根が出しゃばりなもんだから、どこへ行ってもこうなんですよ。どうぞ、かまいませんから、おふたりとも詰所の方で会葬の衆のお相手をなさっててください。こちらはあっしが見てさしあげますから」
何九叔はそういって女と婆さんを追いやると、火箸で骨を二三片拾いとって、骨池のなかへつけてみた。と、見る間に骨はやわらかくなって、黒ずんでしまった。何九叔は、それをしまいこみ、詰所の方へ行って、みなひとしきり賑やかに言葉をかわしあったが、やがてお棺もすっかり焼けたので、火を消して骨を拾い、それを骨池のなかへつけた。隣り近所の人たちはそれぞれにひきとって行った。何九叔は家に帰ると、紙に年月日と会葬者の氏名を書きとめ、それを銀子といっしょに包み、布の袋を作ってそのなかにおさめ、部屋にしまいこんでおいた。
さて一方、女は、家へ帰ってくると格子の前に「亡夫武大郎之位」としるした位牌を据え、仏壇の前には琉璃灯《るりとう》をともし、なかには経旛《きようはん》(偈などを書いた旛《はた》)・銭〓《せんだ》(紙銭を積み重ねたもの)・金銀錠(金紙銀紙で作ったお金)・采〓《さいそ》(五色の紙で形どった絹の反物)などを飾ったが、しかし、毎日、西門慶とともに二階で好きほうだいのたのしみにふけっていた。それも、以前のように王婆さんのところでの人目をはばかりながらのたのしみとは違い、今や家には誰ひとり目ざわりになるものもいないこととて、西門慶は気ままに寝泊まりするようになった。かくて西門慶は四日五日と家に帰らない日がつづいたので、家の妻妾《おんな》たちはみな機嫌がわるかった。
そもそも女色というものはおとし穴だといえよう。いちどはうまくいっても、結局はしくじらずにはすまないようにできている。ここにそれをうたった詩がある。
風流《ふうりゆう》の二字の禅《ぜん》を参透《さんとう》するに
好姻縁は是れ悪姻縁なり
山妻小妾は家常の飯にして
相思を害せず銭を損せず
さて西門慶と阿魔は、日がな一日歓楽をむさぼり、勝手気儘に飲み、歌い、たわむれて、人の目もはばからない。
同じ町の人たちは、近くのものも遠くのものも、誰ひとり知らぬものとてなかったが、なにしろ西門慶というやつが悪党なのをおそれて、誰もさし出口をいうものはいなかった。
諺にも、楽しみきわまって悲しみ生じ否《わざわい》きわまって泰《やすらぎ》生ず、という。光陰は矢のごとく、いつしか早くも四十余日がすぎた。
さて武松は、知県から用命を受けたのち、車を宰領して、東京《とうけい》の知県の親戚の家へたどりつき、書面を手わたし、荷物をひきわたしてとどこおりなく用命をはたすと、街を見物してまわって数日を過ごし、やがて、返書をもらいうけて、一行とともに陽穀県にむかって帰途についた。往復の旅路は二ヵ月になんなんとし、出発のみぎりは春もまだ浅い新春のころであったのに、帰りついたのは三月の初め。武松は道中にあるとき、なにかしきりに胸さわぎがし、不安に襲われたので、とにかく急いで帰って兄に会いたいものだと、まず役所へ行って返書をとどけた。知県は大いによろこんで彼を迎え、その返書に目を通して金銀財宝は確かに送りとどけられたことをたしかめると、大判の錠銀をあたえて武松をねぎらい、酒食を出してふるまった。そのことはそれまでとして、武松はいったん宿舎へ帰って、着物・鞋《くつ》・靴下をとりかえ、新しい頭巾をかぶり、部屋の戸に錠をかけ、急いで紫石街へとむかった。
隣り近所の人たちは、武松が帰ってきたのを見ると、さてこそとばかり色めき、手に汗を握りしめながらひそかに話しあった。
「さあ、家内騒動がおっぱじまるぞ。あの厄病神が帰ってきたとなりゃ、そのままではすまんだろう。今にたいへんなことがおこるにちがいない」
武松は家の前までくると、簾をあげて中へはいった。と、その目の前に仏壇があって、「亡夫武大郎之位」としるした七つの文字。あっとばかり棒立ちに立ちすくんで、彼は両の眼をぐりぐりと見開きながら、
「これはおれの目がどうかしてるのかな」
と思い、大声をあげて、
「ねえさん、武二が帰ってきました」
とよんだ。
このとき、西門慶は阿魔と二階でおたのしみの最中だったが、武松の声を聞きつけると、びっくり仰天(注一)、一目散に裏口を抜けて、王婆さんの家へ駆けこみ、そこから逃げて行った。
女は、
「ちょっと待って、今、すぐおります」
と答えた。この阿魔は、武大を毒殺してからというもの、喪服を着るどころか、くる日もくる日も、こってりと厚化粧をして、西門慶といちゃついていたのだが、武松の「帰ってきました」というのを聞くと、あわてて、洗面器のところでおしろいを洗い落とし、かんざしや髪かざりを抜きとり、髪をおどろに振りさばき、紅い裙子《もすそ》や刺繍の襖《うわぎ》を脱ぎすてて、喪服の上下《うえした》に着換え、よよとばかり空泣きをしながら二階をおりて行った。武松は、
「まあ、そう泣きなさるな。いったい兄貴はいつ亡くなったんですか。どんな病気で、誰の薬を飲んだのですか」
女は泣きじゃくりながら、
「兄さんは、あんたが出かけなすって十日ほどしたころ、とつぜん胸痛みを患《わずら》いなさって、八日か九日寝ついたうえ、祈祷をしたり占いをしたり、薬という薬はみんな飲ませてあげたりして看病したのだけど、どうしてもなおらず、とうとういけなくなってしまったのです。あとにとり残されたあたしは、もう辛《つら》くて……」
隣の王婆さんも気配を聞きつけて、尻尾をつかまれてはたいへんと、急いで駆けつけてき、女に口裏をあわせてごたくをならべたてた。武松は、
「兄さんはこれまで、そんな病気はなかったんだが、どうしてまた胸痛みなんかで死んだのかな」
すると王婆さんは、
「都頭さんともあろう方が、そんなことをおっしゃって。諺にもいうとおり、明日の天気と人の身空はあてにはならぬもの。誰しもいつ、どんなことがおこるか知れたものじゃございません」
女は、
「このおばさんにはずいぶんお世話になりましたのよ。あたしはもう足をもがれた蟹みたいで、ほんとにこのおばさんのおかげでした。隣り近所の人たちは誰も助けてくれませんし」
「それで、どこに埋めてあるのです」
と武松がきくと、女は、
「あたしはたったひとりでしょ。墓をさがそうにもあてはないし、仕方がないので、三日が過ぎたら棺を出して火葬にしましたの」
「兄さんが死んでから何日になります」
「あと三日(注二)で、四十九日ですわ」
武松はしばらくの間、じっと考えていたが、やがてそこを出て役所へひきかえし、錠をあけて部屋にはいり、すっかり白の喪服に着換えると、従卒に麻紐をよらせて帯にした。そして、切っ先が長く、柄の短い、厚背でうす刃《ば》の短刀を身にひそませ、いくばくかの銀子を用意し、従卒に部屋の戸じまりをさせると、役所の前通りへ行って米・小麦粉・香料などの食品、および線香や蝋燭や紙銭などを買いととのえ、夜になってから武大の家の門をたたいた。
女が戸をあけると、武松は従卒にお斎《とき》をつくらせ、自分は仏壇の前で灯明をあげ、酒や肴を供え、二更(夜十時)ごろすっかり飾りつけがおわると、武松はそこへひれ伏して、
「兄さん、まだあんたの魂は遠くまでは行ってはおるまい。あんたは生きているときもはきはきした人じゃなかったが、死んでしまった今もまるではっきりしない。もしも無残に殺されでもしたのだったら、おねがいだ、夢枕にでも立って、そうと知らせてください。立派におれが仇を討ってあげるから」
といって酒をそそぎかけ、紙銭を焼いて大声で泣いた。隣り近所のものはみなその声を聞いてぞっとした。女も奥の部屋で空泣きをしていた。やがて武松は従卒といっしょにお斎《とき》と酒肴を食べ、茣座《ござ》を二枚さがしてきて、従卒は中門のところに、自分は仏壇の前にそれを敷いて横になった。女は二階へあがって行き、入口をしめ切って寝た。
三更(夜十二時)近くになったが、武松は輾転と寝返りをうつばかりでなかなか寝つかれない。従卒は高いびきをかいて死人のように眠っている。武松は起きあがって、仏壇のちらちらゆらいでいる琉璃灯のあかりをじっと見つめた。おりから、時太鼓が、遠くかすかに、ちょうど三更の三点を打つのが聞こえた。武松はほっと吐息を漏らし、茣座の上に坐りなおってひとりごとをいった。
「兄さんは生きているときも弱虫だったが、死んでもやはりはっきりしないな」
と、その言葉のまだおわらぬとき、とつぜん仏壇の下に冷気がまきおこった。まったくそれは骨にしみいり、肌をつき刺すような冷やかさで、仏前のあかりも吹き消されてまっくらになり、紙銭は壁のあたりに飛び散る。武松はこの冷気に吹きつけられて、髪の毛もことごとく逆立つばかり。じっと眼をこらして見つめると、仏壇の下から人影があらわれて、
「弟よ、おれは苦しんで死んだぞ」
と叫ぶ。
武松ははっきり見えないので、にじりよってたずねようとすると、冷気はふっと失《う》せて人影もかき消え、武松は茣座の上にばたりと倒れた。夢なのか現《うつつ》なのかと惑いながら、従卒の方をふりかえると、ぐっすり眠りこんでいる。武松は考えた。
「兄さんの死に方はどうもあやしい。さっきはなにかおれにいいにきたのだが、おれの精気が兄さんの魂魄をつきとばしてしまったのだ。今は思案もつかないから、夜があけてからなんとかしよう」
詩にいう。
怪しむ可し人の三寸丁と称するを
生前は混沌(おろか)なるも死しては精霊
同気の能く相感ずるに因らずんば
冤鬼何に従《よ》って夜形を現わさん
やがて、夜が明け、従卒は起きて湯をわかした。武松が顔を洗っていると、女が二階からおりてきて、武松を見ていった。
「昨夜はさぞおつらかったでしょう」
武松はたずねてみた。
「ねえさん、兄さんはほんとうになんの病気で死んだのです」
「あら、忘れたの。胸痛みで亡くなったと昨夜話したはずなのに」
「薬はどこで買いました」
「ここに薬の袋がありますわ」
「お棺を買いに行ったのは誰です」
「お隣の王おばさんにたのみました」
「舁いで行ったのは」
「ここの隠亡頭の何九叔さんよ。なにもかもあの人がとりしきってくれましたわ」
「そうでしたか。役所へ朝のつとめ(注三)に行って、また帰ってきます」
と武松は腰をあげ、従卒を連れて出て行ったが、紫石街の出口のところまで行くと従卒にたずねた。
「おまえ、隠亡頭の何九叔というのを知ってるか」
「都頭どの、お忘れになったのですか。前にお祝いをいいにきたことがあります。家は獅子《しし》街の路地にあります」
「案内してくれ」
従卒は、何九叔の家へ武松を案内した。そして門前までくると、武松は、
「おまえは先に帰れ」
従卒が帰ってしまうと、武松は簾をかきあげて声をかけた。
「何九叔さん、いるか」
何九叔はちょうど起きたばかりだったが、武松の声を聞くと、おどろきあわてて、頭巾をかぶる暇もなく、大急ぎで銀子と骨をとり出してふところにいれ、迎えに出て、
「都頭さん、いつお帰りでございました」
「昨日帰ってきた。ついてはちょっと話したいことがあるのだが、そこまでいっしょにきてもらえまいか」
「行きましょう。しかし、まあ、お茶でもおあがりなさって」
「いや、かまわないでくれ」
ふたりは連れだって外へ出、路地の入口の居酒屋にはいった。武松は給仕に酒を二角いいつけた。何九叔は立ちあがって、
「わたしはまだ都頭さんにお祝い(注四)もしていませんのに、かえってご馳走になったりしては」
「いいから、まあ掛けなさい」
何九叔にはだいたい察しがついていた。給仕は酒をつぎ、武松は黙って、ただ飲んでいる。何九叔は武松が黙っているので、手に汗をにぎりながら、なにかと話しかけてみたが、武松は乗ってこず、自分から話を持ち出しもしない。
何杯か飲んだとき、武松はとつぜん着物をまくりあげ、さっと短刀を抜き放って机の上に突きさした。給仕たちはおどろいて棒立ちになり、誰も近よってはこない。何九叔は顔を蒼ざめさせて息をつめたままである。
武松は両袖をたくしあげ、短刀を握りしめながら何九叔にむかっていった。
「わしはおろかものだが、恨みには仇《かたき》あり借金には貸し主があるってことぐらいは知っている。相手をとりちがえるようなことはせんから、なにもこわがるにはおよばぬ。ただほんとうのことをいってもらいたいのだ。兄の武大の死因がなんだったか、それをありていに教えてくれるなら、わしは、おまえさんに指一本触れやしない。もしおまえさんの体に傷をつけるようなことをすれば、わしの男がすたる。しかし、一言半句でもまちがったことをいったら、わしのこの刀が、すぐおまえさんのどてっ腹に風穴を三四百あけるだろう。まあ、そんな話はよしにして、おまえさん、まっすぐにいってくれ、わしの兄貴の死体はどんなふうだったか」
武松はそういって、両の手を両の膝頭の上に突ったて、両の眼をかっと見開いて何九叔をにらみつけた。
何九叔は、袖のなかから袋をとり出して机の上に置き、
「都頭さん、まあ、気を静めてください。この袋が、なによりの証拠なのです」
武松は手にとって開いて見た。なかからは二片の黒ずんだ脆《もろ》い骨と、十両の錠銀が一枚出てきた。
「どうしてこれが大事な証拠の品なんだ」
「あっしは前後の事情はまるで知りませんが、この正月の二十二日のことでした。あっしが家におりますと、茶店の王婆さんが武大さんのなきがらを棺に納めてくれとたのみにきたのです。約束のその日、紫石街の入口のところまで行きますと、そこでちゃんと待ちうけていたのが、役所の前通りで薬屋を開いている西門慶の旦那です。旦那はあっしをよびとめ、居酒屋へ連れて行って酒を一瓶ご馳走してくれたのですが、そのとき旦那は、この十両の銀子をあっしにくれていうには、おりいってのたのみだが、納棺する死体については万事、穏便にすませてくれ、とこうなんです。かねてからあいつは悪党だと聞いておりましたので、あっしもいやとはいえませず、酒をふるまわれ、金を受けとったというしだいですが、さて武大さんの家へ行って死体のおおいをはぐって見ますと、目にも鼻にも口にも耳にも血がこびりついていて、唇には歯形がついています。こいつは毒にやられて死んだ身体です。あっしはこりゃ黙っちゃおれんとは思いましたものの、かといって訴えて出る人がどこにもいないのです。当のおかみさんが胸痛みで死んだといってるんですからねえ。そこであっしは、なにもいわずに、自分で舌の先を噛み切って死体の毒に当てられたふりをし、家へかつぎこんでもらって、あと始末は下廻りの若い連中にまかせて納棺をすませましたが、金は一文も受けとっておりません、三日目には出棺して火葬にすると聞きましたので、あっしは紙銭を買って焼き場へ供えに行きまして、王婆さんとお宅の嫂さんを横へやったうえで、こっそりこの二片の骨をひろって家にしまっておいたのです。この骨は脆《もろ》くて黒いでしょう。これが毒殺死の証拠なのです。また、この紙には、年月日と時刻、それから会葬者の名前が書きつけてあります。あっしの申しあげることはこれだけです。都頭さん、あとはご賢察ください」
武松はたずねた。
「間夫《まぶ》はいったい誰なんだ」
「そいつは存じません。しかし人のうわさですと、なんでも梨売りの〓哥という小僧が、大郎さんといっしょに茶店へふんづかまえにのりこんだとかで、あそこの町の衆はみな知っております。くわしいことをたしかめたいとおっしゃるのなら、〓哥にたずねてみなさればよいでしょう」
「そうか、そういうものがいるんなら、いっしょにひと走りおねがいしたいのだが」
武松は刀をおさめて、骨と銀子とを懐中にしまい、酒代をはらってから、何九叔と連れだって〓哥の家へ出かけた。
〓哥の家へ行って見ると、ちょうど例の小僧っ子も、柳の笊をさげて、米を買って帰ってくるところだった。何九叔はよびかけた。
「おい〓哥、この都頭さんを知ってるか」
「ああ、虎がはこばれてきたときから知ってるよ。ふたりで、なにかおいらに用でもあるのかね」
〓哥はそういったものの、用むきはだいたい察して、
「待っておくんなさいよ。家のちゃんは六十だ。誰も面倒を見てくれるものがいないのに、おつきあいして役所へひっぱられるのは勘弁してもらいたいな」
「ああ、わかってるとも」
武松はそういって、懐から五両ばかりの銀子をとり出して、
「〓哥、これをちゃんにあげなよ。ちょいとそこまできてくれんか、話があるんだ」
〓哥は、
「五両ありゃ四五ヵ月は楽にしのげるだろう、ひっぱられたって」
と、胸算用し、銀子と米を父親にわたしておいて、ふたりについて路地の出口の飯屋の二階へあがった。武松は給仕に飯を三人前いいつけ、〓哥にむかって、
「おまえはまだ年も小さいのに、家の助けをして親には孝行、さっきやった金は少々だが、なにかのたしに使ってくれ。ついては、たのみたいことがあるのだが、それがかたづいたらもう十四五両やるから、商売のもとでにでもするがよい。で、くわしく話してもらいたいのだ。おまえがわしの兄貴といっしょに、茶店へ間夫をつかまえにのりこんだというのは、どういういきさつなのだ」
「いいますけど、怒らないでくださいよ。正月の十三日に、おいらは雪梨の籃を提げて、ひともうけさせてもらおうと、西門慶の旦那をさがしまわったんだが、どこにも見当たらないのだ。人にきいたら、旦那なら、紫石街の王婆あの茶店で炊餅屋の武大の女房といいことしてござるよ、ここんところすっかりのぼせあがって毎日あそこに入りびたりだ、というんだ。おいらはそれを聞いて、走って行ってみると、あの王婆あの老いぼれ豚め、立ちふさがってなかへ入れてくれないんだ。それでおいらが婆あの隠しごとをつっついてやったところ、牝豚め、おいらを拳固でしたたか張り飛ばして、叩き出したばかりか、梨をみんな往来へぶちまけてしまいやがったんだ。もう腹がたって我慢がならず、すぐ武大郎さんのところへ飛んで行っていっさい合財《がつさい》ぶちまけてやったのさ。すると、武大郎さんはすぐ行って間男をひっつかまえるといいなさったが、おいらはこういったんだ、そりゃだめだ、西門慶というやつは腕がたつし、もしも現場をおさえられないときは逆に訴えられでもしたらさんざんな目にあう、それよりも、明日おいらが路地の入口で待ってるから、炊餅はすくな目につくって出ておいでなさい、西門慶が茶店のなかへはいって行くのを見とどけたら、まずおいらが先にのりこんで行くから、あんたは荷をよそへあずけて待っていなさい、そしておいらが籃を外へほうり出したら、それを合図に、すぐなかへ飛びこんで現場をおさえなさい、と、そういってなだめ、いよいよのその日は、おいらはいつものように梨の籃をさげて茶店のなかへはいって行ったら、老いぼれの豚婆あ、案の定わめき散らしてつかみかかってきやがったので、おいらは籃を往来へおっぽり出すなりむしゃぶりついて壁におさえつけてやったんだ。そこへ武大さんが飛びこんできた。婆あのやつめは行かせまいとするんだが、おいらにおさえつけられてるもんだから手も足も出ず、武大だようと金切り声を出しやがった。するとなかのふたりは、がっちり戸口をおさえつけている。武大郎さんは外で地団駄を踏むばかり。そこへいきなり西門慶のやろうが戸をあけて飛び出し、あっというまに武大郎さんを蹴倒してしまいやがった。つづいてあとから女が出てきて大郎さんをかかえおこしたが、見れば大郎さんはぐんなりのびてしまっている。おいらはびっくりして飛んで逃げたのだが、それから六七日してから聞くてえと、大郎さんは亡くなったというのだが、どういう具合で亡くなられたのか、そいつはおいらも知らないんだ」
武松は念をおした。
「今のそれは間違いのない話だろうな。出まかせをいっちゃいけないぜ」
「お役所へ出て行ったって、このまんまいうよ」
「よくいってくれた。礼をいうぜ」
武松はそういって飯をとりよせ、食べおわってはらいをすませると、三人は階下へおりて行ったが、
「じゃ、あっしはこれで」
と何九叔が挨拶をすると、武松は、
「いっしょにきてくれ。証人になってもらいたいんだ」
といい、ふたりを連れてまっすぐに役所へ行った。知県はそれを見てたずねた。
「都頭、なんの訴えだ」
「わたくしの実兄の武大というものが、西門慶に女房をぬすまれたうえ、毒殺されたのでございます。ここにいる両名がその証人です。なにとぞよろしくおとりあげのほどを」
知県は、まず何九叔と〓哥の供述を聞きとり、その日、さっそく下役人たちと協議したが、この役人たちはみな西門慶の息のかかった連中だったし、知県とてそれは同じことだったので、彼らは馴れ合いの相談をやらかしたうえ、
「この事件は、詮議に上《のぼ》しにくうございます」
と上申した。知県は武松にむかって、
「その方とても本県の都頭をつとめる身、法度《はつと》のことはよく存じておるであろう。昔から、姦通は現場をおさえてから逮捕し、泥棒は盗品を挙げてから捕え、殺人はその被害者をたしかめてから捕えるという。その方の兄の死体はもはやないうえに、その方は姦通の現場をおさえているというわけでもなかろう。この両名の申したてだけを証拠に殺人事件として訴え出るのは、いささか穏当を欠く。早合点は禁物じゃ。その方、とくと思案して、それからのことにするがよかろう」
武松は懐から黒くなった骨片二つと、十両の銀子および一枚の紙片をとり出し、かさねて訴えた。
「おそれながら、ここにある物件までも、わたくしのでっちあげたものだとはいわれますまい」
知県は、それをあらためてから、
「ここはひとまずひきとるがよい。よく協議したうえで、とりあげるべきものならば、しかるべく手配してつかわそう」
武松は、何九叔と〓哥を自分の部屋に留めておくことにした。
その日のうちに、それを聞いた西門慶は、腹心の者を役所へ送りこんで、役人たちに賄賂をくばらせた。武松が翌日、朝早く役所へ出頭して、知県に即刻逮捕するよう催促したときは、なんと、この役人は賄賂に目がくらみ、骨と銀子を突きもどして、こういったのである。
「武松、人の口車にのせられて、西門慶を相手取るのはよした方がよかろう。この事件ははっきりしないのだからとりあげることはむずかしい。聖人の言葉にもあろう、経目《けいもく》のこともなお未《いま》だ真ならざるを恐る、背後の言、あに能く全く信ならんや、とな。早まったことは慎むがよいぞ」
牢役人も口を添えた。
「都頭どの、殺人事件というものは、死体・傷口・病態・物件・足どり、この五つが五つとも証拠として出そろっていなければ、詮議にかけるわけにはいかないのです」
武松はいった。
「知県さまがおとりあげくださらぬとならば、別に考えることにいたします」
そして、銀子と骨を受けとって何九叔に返し、ひきさがって自分の部屋へもどると、従卒に飯ごしらえをさせ、何九叔・〓哥とともに食事をした。そして、
「少々ここで待っていてもらいたい、すぐもどってくるから」
と、二三人の従卒を連れて役所を出て行った。硯と筆と墨、それに紙を四五枚買って、かくし持ち、ふたりの従卒にいいつけて、豚の頭ひとつ、あひる一羽、鶏一羽、酒を一荷、ほかに肴などを買って武大の家に並べさせた。そして自身は昼前時分になってから、従卒を一人連れて出むいて行った。
女は、すでに訴えが却下されたことを知っていたので、安心して、臆する色もなく、どうするか見てくれようと、大胆に構えこんでいた。武松は、
「ねえさん、ちょっとおりてきてください。用があるんだ」
阿魔は、のろくさと二階からおりてきて、
「用って、なに」
「明日は兄さんの四十九日でしょう。その節はいろいろと近所の人たちの世話になったろうから、今日はわたしがかわってみなの衆をふるまい酒によんで、お礼しようと思うのですよ」
女は、横柄な様子で、
「お礼なんかしなくたっていいのよ」
「礼はやっぱり礼ですから」
と、従卒にいいつけて仏前にあかあかと二本の蝋燭をともさせ、香を焚きくすべ、紙銭をならべ、供え物を飾らせなどしたのち、大皿にうずたかく酒食・果物を盛って、賑々《にぎにぎ》しく部屋に並べひろげた。そして、従卒のひとりには奥で酒の燗をみさせ、ふたりの者には戸口に机や腰かけを並べさせ、別のふたりには、家の表と裏の出入り口の見張り番に立つようにいいつけた。こう手くばりをしておいてから、武松は女にむかって、
「それでは客の相手をたのみますよ。これから行ってよんできますから」
といって、まず最初に、すぐ隣の王婆さんをよびに行った。婆さんは、
「そんなご心配はいりませんのに、お礼なんて恐れいります」
「いや、こちらさんにはたいへんお世話になりまして。いずれなんとかしますが、とりあえず一席用意しましたので、ご遠慮なくどうぞ」
婆さんは看板をしまって戸じまりをし、裏口からやってきた。武松は、
「ねえさんは主人の席、おばさんはそのむかいの席についてもらいましょう」
婆さんは、西門慶から知らせをうけていたから、安心して酒を飲んだ。ふたりはそれぞれ、
「どう出るか見てやろう」
という腹である。
武松はこんどは近所の銀細工屋の姚二郎《ようじろう》こと姚公卿《ようぶんけい》をよびに行った。二郎は、
「あっしは、ここんところ仕事に追われておりますんで、せっかくですが」
と断わったが、武松は、
「たった一杯のまずい酒、手間はとらせませんから」
と強《し》いた。姚二郎はしかたなくついてきて、王婆さんの下手に坐らせられた。
武松は、さらにむかいの二軒へ出かけて行った。その一軒は、仏具屋の趙四郎《ようしろう》こと趙仲銘《ちようちゆうめい》で、四郎は、
「店をほっておけませんので、どうもお邪魔させてもらいにくいので」
と辞退したが、武松は、
「いや、いけません。近所の衆がみんな顔をそろえておいでなのだから」
といって、いやがるのをひっぱってきた。
「お年寄りは親も同然。ねえさんの下手《しもて》に坐ってもらいましょう」
ついでむかいのもう一軒、酒屋の胡正卿《こせいけい》をよびに行った。この男は小役人あがりの男だったが、これはなんだかわけがありそうだと見てとって、なかなか承知しなかったが、武松は有無《うむ》をいわさずひっぱってきて趙四郎の下手につかせた。
武松は王婆さんにたずねた。
「おまえさんとこの隣は誰だっけな」
「うどん屋の張じいさんですよ」
爺さんはおりよく家にいたが、武松がはいってくるのを見ると、ぎょっとして、
「おいらは、別になにも」
とうろたえたが、武松は、
「近所の衆にいろいろお世話になったので、まずい酒でも一杯飲んでもらおうと思ってさ」
「とんでもない。あっしはなんのおつきあいもしてあげていないのに、およばれしに行くなんて」
「なんのおかまいもできないが、まあ、きてください」
爺さんもこうして武松にひっぱられてきて、姚二郎の下手に坐らせられた。
ところで、先にきた連中はなぜ逃げなかったのか、というと、それは、従卒がちゃんと表と裏の両方の出口をおさえていたからである。つまり監禁同然だったのである。
こうして武松がよんできたのは、隣り近所の四軒と王婆さん、それに嫂をいれて、あわせて都合六人の客。武松みずからは床几をひっぱってきて横手の席につき、従卒には表も裏も戸を閉めてしまうよういいつけた。奥に詰めていた従卒は酒をついでまわる。武松は大きな声で挨拶をした。
「ご近所のみなさん方、わたしはがさつものですが、ご勘弁ねがいます。どうぞ食べてください」
一同は挨拶をかえした。
「わたしどもの方こそ、都頭さんの無事にお帰りになったお祝い(注五)もしておりませんのに、今日はこんなおふるまいにあずかるなんて、話が逆《さか》さまで恐縮でございます」
武松は笑って、
「お粗末なものです。お笑いくださらんように」
従卒はせっせと酒をついでまわった。みんなびくびくしながら、いったい全体、どういうことになるのかと、おちおちしていられない。やがて酒が三杯ほどまわったところで、胡正卿が腰を浮かして、
「あっしは、ちといそがしいものですから」
と逃げかかったが、武松は声高に、
「まあ、待ってください。せっかくおいでいただいたからには、いそがしくても腰を据えてもらいましょう」
胡正卿の胸の中では、十五もの井戸釣瓶《つるべ》が、七つは上に八つは下にがらがら鳴りながら水をくむような大騒ぎであった。
「せっかくふるまってくれるにしては、おかしいぞ。席をはずさせないとはどういうわけだ」
といぶかりながらも、腰を据えるほかなかった。
武松は、
「さあ、もっと酒をついであげろ」
といい、従卒は四杯目をついでまわった。こうして七杯ばかりまわったが、一同はまるっきり、かの呂氏《りよし》(注六)一族の死の宴席に千度も侍《はべ》っているような心地だった。
と、とつぜん、武松が従卒にいいつけた。
「ひとまず杯盤をかたづけろ。一息いれるんだ」
そして武松自身は机を拭く。そこで一同が座を立ちかけると、武松は両手をひろげておしとどめ、
「いや、これから話があるんです。ここにおいでのみなさん方で、字の上手な方はどなたですかな」
姚二郎がそれに答えて、
「こちらの胡正卿さんはなかなかの書き手ですよ」
武松は礼をして、
「どうぞおねがいします」
と、両の袖をたくしあげて、着物の下からすらりとひき抜いたのはかの短刀である。右の手四本の指で柄を握り、親指は鍔《つば》にひっかけ、両の眼をかっと見開いて、
「みなさん、お聞きください。恨みには仇があり借金には貸し主があるとか。的《まと》を違えるようなことはしません。ただ、みなさんには証人になってもらいたいだけのことです」
というがはやいか、左手で嫂をむんずとひっつかまえ、右手は王婆さんにつきつけた。近所の者たちは、いやおどろいたのおどろかないの、目玉ぱちくり口あんぐり、ただもう茫然としてしまって、たがいに顔を見合わせるばかり、声をたてることもできないというありさま。
武松は、
「みなさん、おとがめくださるな。おどろかれるにはおよびません。わたしは命知らずのばかものですが、恨みは晴らすもの仇は討つものということは心得ております。みなさん方に刃物をふるうようなまねは決してしません。証人になってもらいたいというだけの話なんです。といっても、もしもどなたか逃げ出しでもして、わたしをかっとさせなすったときは、どうかあしからず、その方にはこの刀が六度か七度噛《か》みつくでしょう。それであっしの命がちょんになっても、それは覚悟のうえです」
みなはあっけにとられ、目も口も開いたままでふさがらず、身じろぎもできず、その場に釘づけになってしまった。
武松は王婆さんをにらみつけてどなりつけた。
「そこな死にぞこないの畜生め、よく聞いておけ。兄貴が死んだのは、みんなきさまのお蔭だぞ。あとで締めあげてやるから待っておれ」
そしてくるりとふりかえって、こんどは女をにらみつけながらどなりつけた。
「うぬ、この売女《ばいた》め、どうやって、兄貴を殺した。ありていに泥を吐けば宥《ゆる》してやらんでもないぞ」
「なにをたわごといってるのさ。あの人は胸痛みで死んだのよ。あたしの知ったこっちゃないよ」
といいかえす女に、武松はみなまでいわせず、机の上に短刀をぶすりと突きたてるがはやいか、左の手で女の髻《まげ》をひっつかみ、右手でその胸倉をつかまえ、机を蹴倒しざま、いとも軽々と机越しに女の身体をひっ張りよせて仏壇の前へほうり投げた。そして両足で女を踏んづけながら、右の手で短刀を抜きとって王婆につきつけ、
「老いぼれ犬、さあ、ありていに白状しろ」
婆さんは逃げようと気のみはやって足が動かず、
「まあ、お待ちなさって。申しあげます。申しあげますとも」
武松は従卒に紙・墨・筆・硯を取ってこさせて机の上に並べさせ、短刀で胡正卿を指さして、
「まことにすまんが、いうとおりそこへ書きとってくださらんか」
胡正卿はがたがたふるえながら、
「は、はい、書きます」
といって、硯に水をいれて墨をすり出した。そして筆を取り、紙をひろげて、
「王婆さん、さあ、正直にいいな」
王婆さんは、
「あたしはなにも知らないのに、なにをいわせようというのさ」
武松は、
「なんだと、この死にぞこないの畜生め、おれの方でなにもかも知ってるんだ。なにを今さら白っぱくれやがる。よし、いわなきゃ、まずこの売女を斬りきざんでしまって、それからきさまを殺してやるだけだ」
と短刀をとりあげ、女の顔をぴしゃぴしゃとたたいた。女はあわてて金切り声をあげた。
「おねがい、ゆるして。放してちょうだい、いうから」
武松は阿魔をぐいとひきおこし、仏壇の前へひざまずかせた。
「さあ、売女、いえ、いうんだ」
女はおどろきのあまり魂も身につかず、おろおろしながら白状におよび、いつかのあの日、簾をおろす拍子に竿を西門慶に打ちあてたことから、仕立物にはじまって、ついに密通をするに至った一件を逐一、述べ立てたうえ、どのようにして武大が蹴倒され、どういう具合で薬を盛る相談ができ、王婆あがどういってそれをそそのかし、そして始末をつけたか、細大もらさずすっかり泥を吐いた。武松はそれを一口白状させるごとに一句一句胡正卿に書きとらせた。
王婆は、
「ばかったれ。おまえさんが先に白状しちまったんじゃ、こっちはごまかすこともできやしないじゃないか。おかげでえらいことになってしまったわい」
とぶつくさいいながらも、ついに泥を吐いてしまった。
婆あの口供も胡正卿に書きとらせ、こうしてはじめからおわりまですっかり書き取ると、武松はふたりに爪印と書き判をさせ、そこに居合わせた四人の隣人たちにも署名と書き判をたのんだ。そして従卒に腹巻きをほどかせて、まず老いぼれをそれで後ろ手に縛り、口供書は巻いて懐におさめた。それから武松は、従卒に酒を一碗持ってこさせて仏壇の前に供え、女をひきずってきてそこにひざまずかせ、また婆あにもどなりつけてひざまずかせ、
「兄さん、そこで見ていてくださいよ。この武松が仇を討って恨みを晴らしてあげますから」
武松は従卒に命じて紙銭に火をつけさせた。女はただごとではない気配をかんじて、金切り声をあげてもがき立てようとしたが、その一瞬、武松は仰向けざまにひき倒すがはやいか、両足でその両腕を踏んまえ、着物の胸前を押しひろげるや、さっと短刀をふるってひとえぐりにえぐり、かえす手で短刀を口にくわえるや、両手をさしこんで肋《あばら》をばりばりとひき剥《はが》し、五臓六腑をつかみ出して仏前に供え、ざくっと一刀のもとに女の首を掻き落とした。あたりは一面に血潮の海。
居あわせた近所の者たちはおどろくまいことか、みんな面《おもて》をおおいかくしながらも、武松のこのすさまじさには手のくだしようもなく、いわれるままになっていた。
武松は従卒に二階から掛け蒲団を一枚とってこさせ、それで女の生首を包むと、短刀を拭ききよめて鞘にもどし、手を洗ってから一同に挨拶をしていった。
「どうもお手数をかけました。なんとも恐れいります。では、二階の方でひとまずくつろいでいていただきましょう。ちょっと出てきますから」
一同はたがいに顔を見あわせながら、いやともいえず、ぞろぞろ二階へあがって行った。武松は従卒にいいつけて、婆あをひきたてて二階へあげ、その戸口をしめさせた。そしてふたりの兵卒には階下で見張りをさせた。
女の生首の包みを持った武松は、まっすぐに西門慶の薬屋へ駆けつけた。番頭に会うとお辞儀をして、
「旦那は家においでですか」
とたずねた。番頭は、
「ついさっきお出かけになったところですが」
「ちょっとそこまできてくださらんか。話があるんだ」
番頭は、もとより武松を知らぬではなかったから、いやともいえずに武松のあとについて行き、人気《ひとけ》のない、とある路地のなかへ連れこまれた。と、武松は、いきなり物凄い形相でつめよって、
「おいきさま、命が惜しいか惜しくないか」
番頭は青くなって、
「都頭さん、あっしはなにも不調法をした覚えはございませんが」
「きさま、命がいらなきゃ西門慶の行く先をいわんでもいいぜ。惜しかったらまっすぐいえ。西門慶はどこにおる」
「たった今、さるお知合いの方と獅子橋の袂の大きな料理屋へ飲みに行かれましたが」
武松はそれを聞くと、くるりと身をかえしてとっとと立ち去って行った。番頭は胆をつぶしたあまり、しばらくは足もうごかせずにたちすくんでいたが、ややあって、しおしおと帰って行った。
武松は、獅子橋の袂の料理屋へ駆けつけると給仕をつかまえて、
「西門慶の旦那はどういう人と飲んでいるのだ」
「お金持ふうな方と、通りに面した二階の間で飲んでいらっしゃいます」
武松は真一文字に二階へ駆けあがって、座敷の外から格子のすき間越しにのぞいて見た。と、西門慶は主人の席に坐っており、それとむかいあって客席にひとりの男、そして唄い女がふたり両脇に侍っている。武松は、例の包みをほどいてひと振りした。と、血まみれの生首が転《ころ》がり出る。武松は左手にその生首をひっさげ、右手に短刀を抜き放ち、暖簾《のれん》をはねあげてずかずかとなかへ踏みこんで行ったかと思うと、女の生首を西門慶の顔にむかってぱっと投げつけた。西門慶は、それが武松だと見て愕然とし、
「あっ!」
と叫びざま、椅子の上に飛び乗って片足を窓枠にひっかけ、どこへ逃げようかと目を走らせた。下は往来で、跳《と》びおりられそうにもない。とまどっているその一瞬、武松は手で軽くはずみをつけてひょいと机の上に飛びあがり、杯や皿をことごとく蹴落とした。ふたりの唄い女は動顛《どうてん》のあまり棒立ちになり、金持の旦那は腰を抜かして昏倒してしまった。
西門慶は、武松のこのすさまじい襲撃に対して、手をふるうと見せかけて右足を飛ばし、ぱっと蹴りあげた。がむしゃらに突っかかって行った武松は、とっさに足に気がついてぱっと身をかわしはしたものの、相手の足は見事に武松の右手にきまって、短刀は蹴飛ばされ、そのまま往来へ落ちて行った。短刀を蹴落とした西門慶は、にわかに勢いづき、右手でねらいをつける素振りをしながら、左手で一発、武松のみぞおちへと当て身を飛ばした。武松は、それを軽くいなし、その反動で脇腹のあたりへ躍りこむがはやいか、左手で頭をつかまえ肩ぐるみ手もとにひっ張りこむとともに、右手で素早く相手の左足をしっかとつかんで、
「くそっ」
と声もろともに投げ落とした。
西門慶は、ひとつには怨霊《おんりよう》にとり憑《つ》かれ、二つには天の容《ゆる》し置き給わざるところ、そして三つには武松の強勇にかなうべくもなかったというしだいで、頭を下にし足を宙にさしあげ、真っ逆《さか》さまに往来の真中へ叩き落とされ、そのまま気を失ってしまった。
通りがかりの人々がみなぎょっとおどろくところ、武松は手をのばして腰掛けの下にころがっていた淫婦の生首をひっつかみ、あとを追って窓からのり出し、往来めがけてぱっと身を躍らせて飛びおりた。そして、まずかの短刀を拾って身がまえたが、見れば西門慶は道に叩きつけられてはや半死の態、長々と地面にのびて今はただ目だけをきょろきょろさせている。武松はそれをおさえつけ、ずばりと一刀のもとにその首を掻き落とした。そして二つの首をひとつに結《ゆわ》えあわせて手にとり、短刀をつかんでまっしぐらに紫石街へ駆けもどって行き、従卒にどなりつけて戸をあけさせると、二つの首を仏前に供え、碗の冷酒をそそぎかけながら、
「そこいらに迷っておいでの兄さん、どうか早く成仏してください。このとおり間夫と淫婦をうち殺して仇をとってあげましたぞ。さっそく成仏の祭りをしてあげますよ」
と告げた。
そして従卒にいいつけて、二階にいる近所の衆たちをよびおろし、かの婆あを一番前に引き据えた。武松は短刀を握りしめ、生首二つを手にさげたまま、一同にむかっていった。
「もうひとつたのみの用があるのだが」
みんなは、拱手してかしこまりながら口をそろえていった。
「どうぞおっしゃってくださいませ。わたしども一同、きっとおいいつけに従います」
かくて、武松がそこに語り出した言葉によって、景陽岡の好漢は屈して罪囚の身となり、陽穀県の都頭は変じて行者となり、そしてやがては、名を千古に輝かし、ほまれを万年にとどろかす、という次第となるのである。ところで、いったい武松はそこでいかなることを語り出したのであろうか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 びっくり仰天 原文は屁滾尿流。屁をひり小便をたれ流す。おどろきあわてる形容。
二 あと三日 原文では「再両日」つまり「あと二日」となっているが、後の日時関係から「あと三日」と改めた。
三 朝のつとめ 第二十四回注三参照。
四 お祝い 原文は接風。旅から帰ったものに対する祝い、あるいは歓迎の会をいう。
五 無事にお帰りになったお祝い 原文は洗泥接風。洗泥も接風と同意。
六 呂氏《りよし》 漢の高祖の后だった呂太后《りよたいこう》のこと。辣腕をふるった呂太后の死後、周勃《しゆうぼつ》・陳平《ちんぺい》らが宴会にことよせて一族を招き、ことごとく彼らを殺した。
第二十七回
母夜叉《ぼやしや》 孟州道《もうしゆうどう》に人肉を売り
武都頭《ぶととう》 十字坡《じゆうじは》に張青《ちようせい》に遇う
さてそのとき、武松は近所の者たちにむかってこういった。
「わたしは兄の仇を討って恨みを晴らすために、人殺しの大罪を犯したのですから、たとえ死刑になろうと、甘んじて受けるつもりです。さっきはみなさん方、さぞかしおどろかれたことでしょう。これから先、わたしはどうなるか命のほどもおぼつかない身の上ですから、兄の仏壇は今すぐ焼き清めてしまうつもりです。家にある調度いっさいは、恐れ入りますがみなさん方にお世話をねがって、全部、金に換えていただき、わたしのことでのお上からのご用向きの筋に使ってもらいたいのです。これからわたしは役所へ自首して出ますが、みなさん方は、わたしの罪刑の心配などちっともなさらんで、事実そのままの証言をしてください」
と、すぐその場で位牌と紙銭を焼き清め、ついで二階にあったつづら二つをとりおろしてきてなかをあらため、近所の人たちに、売りはらって金に換えてくれるようたのんだ。そして武松は、例の婆あをひき立てながら、二つの生首を手にぶらさげて役所へ出頭した。
このころには、すでに噂は陽穀県の町じゅうに知れわたっていて、通りへ見物に出てきた人の群はまるで山のよう。部下から報告をうけた知県は、さすがにびっくりしながらも、すぐさま登庁してきた。
武松は王婆さんをひき立てて前にひざまずき、兇器の短刀と二つの生首をその階段の下にさし出した。武松は左側に、王婆さんは真中に、そして近所のものたちは右手にと分かれてひざまずいた。武松は懐中から胡正卿が書きとった口供書をとり出して、一部始終を申し述べた。知県は係りの書記にいいつけ、王婆さんの口供をとって見たが、ぴたりと一致した。また近所のものたちもはっきりそれを傍証した。そこでさらに何九叔と〓哥を呼び出してしっかりと口供を取ったのち、当直の検屍役と委吏(監督の役人)一名に命じて関係者一同とともに紫石街へ出むいて女の死骸を検《あらた》めさせ、ついで獅子橋のたもとの料理屋へまわって西門慶の死体を吟味させた。一行は検屍の始末書の記載事項を遺漏なく記入しおわると、役所へひきかえして調書作成の係りへ提出した。知県は、大枷を命じて武松・王婆の両名にはめさせたのち、監禁しておくようにいいつけ、関係者一同は門長屋のなかに留置させた。
さて知県は、武松が義気に富んだ天晴《あつぱ》れな豪傑であることを思い、また東京《とうけい》へ使いに行ってくれたことも思いおこして、一肌ぬいで救ってやろうかという気にもなり、また武松のあれこれの長所も考えあわせて、さっそく係りの役人をよんで諮《はか》ってみた。
「考えてみるに、武松というやつは、なかなか義気のある男だ。ついては一同の供述書をすっかり書きなおしてこうしておいてくれないか。武松が亡兄の武大の祭りを営もうとしたところが、嫂がこれを邪魔だてしたので口論となり、はてに女が仏壇をひっくりかえしてしまおうとしたので、亡兄の位牌を守ろうとする武松とつかみあいの喧嘩となり、ついかっとなって思わず嫂を殺してしまった。するとそこへ、この女と情を通じていた西門慶がのりこんできて、強引にかばいだてしようとしたためになぐりあいとなって、両々相譲らずの揉みあいをつづけながら獅子橋のほとりまで揉みなだれ、ついにここで殺人沙汰におよんでしまった、とまあ、こんな具合にな」
この調書が読みあげられて、武松にも承認させ、護送の書状ができあがると、関係者一同は所属の上級官庁である東平《とうへい》府へ送られて、そこで判決が下されることになった。
陽穀県は田舎町ではあったが、なかなか義気に富む人物が多くいて、物持ちの連中はこぞって武松に銀子を送り、ほかにも酒食や銭や米をはなむけに送るものもすくなくなかった。武松は宿舎へ帰って荷物をとりまとめると、それを従卒にあずけ、また、十二三両の銀子を〓哥《うんか》の父親にあたえた。武松の配下の兵卒の多くは、続々と酒や肉を武松に送った。
かくて、県の役人は、護送の公文書を受けとり、事件の調書をはじめ何九叔の銀子や骨や口供書や短刀などをたずさえ、関係者一同をひき連れて一路、東平府へとむかった。
一行が府へ着くと、見物の人々が役所の入口に群がり集まっていた。府尹《ふいん》の陳文昭《ちんぶんしよう》は、その報告を受けとるとただちに登庁してきた。この役人はどういう人であったかというと、
平生正直、稟性《ひんせい》賢明。幼にして曽《かつ》て雪案《せつあん》に書を攻《おさ》め、長じては金鑾《きんらん》に向って策に対《こた》う。戸口増し、銭糧辧《ととの》い、黎民《れいみん》徳を称《たた》えて街衢《がいく》に満ち、詞訟減じ、盗賊休《や》み、父老讃歌して市井に喧《かまびす》し。慷慨の文章は李杜《りと》を欺き、賢良の徳政は〓黄《きようこう》(注一)に勝る。
この陳府尹は洞察力の鋭い人で、事件の全貌をすっかり見抜き、すぐに関係者一同をよび出して、まず陽穀県からの上申書に目を通し、ついで、それぞれの供述書および調書を読んだうえ、各人について逐一、吟味におよんだ。没収した物件や兇器の短刀などは、封印して庫《くら》係りのものにわたし、庫にしまわせた。武松の大枷は軽犯罪者用の枷にとりかえて牢にいれ、王婆の方は重罪の枷にかえて、提事司監《ていじしかん》(重罪・死刑囚を扱う官)にあずけて死刑囚の牢におしこめさせた。護送の役にあたった陽穀県の小役人は、呼び出して、身柄受けとりの返書の公文をわたし、何九叔・〓哥および武大の近所のものたち四人には、ひとまず県へ帰って自宅へひきとり、追っての沙汰を待つように命じ、訴人たる西門慶の妻女は、そのまま府に留置し、中央官庁からの指示に従って判決を下すことにした。かくて何九叔・〓哥および四人の近所のものは県の役人に連れられて県城へ帰って行った。武松は牢にいれられたが、番卒たちのなかには飯の差入れをしてくれるものも幾人かあった。
さて陳府尹は、武松が義に篤《あつ》い豪傑であるのに同情をよせ、しきりと人をやって見舞わせたので、牢役人や番卒たちも彼からは一文も金をとろうとはしなかったのみか、逆に酒食をあたえたりした。陳府尹はまた、その自供の書類をすっかり書きなおして軽くし、それを本省へ送って審議裁決を請うとともに、また極秘の手紙を持たせて腹心の部下を急ぎ京師へ送り、武松のために工作をした。本省の司法官には陳文昭が親しくしている人がいて、この事件は即刻、上司へとりつがれ、以下のような判決が下された。
王婆は、故意に事を構えて姦通をそそのかし、女を煽動して薬を飲ましめてその夫を毒殺させ、さらに女にすすめて武松を追い出させて実兄の供養を営ましめず、そのために人命を殺傷せしむるに至る。すなわち男女をそそのかしてことさら人倫を失わしめたる科《とが》により、寸刻《すんきざ》みの死刑に処す。
武松は、兄の仇を討たんがためとはいえ、姦夫西門慶の一命を殺《あや》めた。自首したりとはいえ、釈放の儀は相かなわぬ。よってここに棒打ち四十、二千里以外の地に流罪の刑に処す。姦夫と淫婦については、もとより重罪にあたるものながら、すでに死亡せるものゆえ不問に付す。
その余の関係者一同は無罪放免とする。
以上は、本宣告の現地到着の日、ただちに執行さるべきものとする。
東平府の府尹陳文昭は、この通達を見るとただちに告示をし、何九叔・〓哥・四人の隣人および西門慶の妻女たちの関係者一同を呼び出して判決を伝えた。牢からは武松をひき出して朝廷よりの判決を読んで聞かせ、大枷をはずして棒打ち四十の刑を執行したが、獄吏たち一同はいずれも彼に好意をもっていたため、棒がじかにその肌に触れたのはわずかに六七回どまりであった。そして武松は目方七斤半の鉄葉団頭の首枷をはめられ、顔にはおきまりの金印《いれずみ》を二行いれられ、孟《もう》州の牢城へ流罪ときまった。その他の関係者一同は本省の判決に従って無罪釈放となり、自宅へひきとらされた。
判決をいいわたされるべく大牢からひき出された王婆は、朝廷のお沙汰を読み聞かされたあと、罪の次第を制札に書きしるされ、供述書に書き判の署名をさせられると、ただちに木製の驢馬《ろば》に乗せられて、四本の大釘と三本の縄で縛《いま》しめられ、府尹は「〓《か》」(刻《きざ》み切り)と一字これに書きつけ、かくて人々におし立てられながら街頭へとひきずり出されて行った。破れ太鼓の音が二つ鳴り響き、ひびわれた銅鑼《どら》の音が一声鳴りわたるところ、罪状をしたためた制札を先頭におし立て、棍棒に追い立てられ、二振りの鋭い刀を振りかざされ、一本の造花をつけられ、東平府の街の真中にひき出されて、寸刻みの刑に処せられたのである。
さて、話は武松にもどる。道中枷をはめられて王婆さんの処刑を見物していると、そこへもとの隣人の姚二郎がやってきて、家財道具を売って得た金を武松にわたし、別れの言葉を述べて帰って行った。
役所では送り状が出され、ふたりの警固役人がそれを受領して武松を孟州まで護送し、身柄をひきわたすこととなった。かくて府尹はいっさいの処置をおわったのである。
さて武松は、ふたりの役人に護送されて出発することになったが、そのとき、ずっとつき従ってきた従卒には荷物をみんなわたして陽穀県へ帰って行かせた。こうして武松はふたりの役人とともに東平府を離れ、はるかなる道を孟州へとむかったが、ふたりの役人は武松が好漢であることを知っているので、道中はずっと小まめに身辺の面倒を見て、あなどるような素振りはついぞ見せることもなかった。武松も、ふたりのその親切ぶりに感じてさからうことなく、包みには金銀をかなり持っていたので、町や宿場を通るごとに酒や肉を買いもとめてふたりにふるまった。
途中のくどくどしい話ははぶくが、ともかく武松は、三月の初めに殺人を犯し、それから二ヵ月は監房で過ごして今、孟州への旅路にあるわけだから、季節はちょうど六月にはいったところで、炎々たる灼熱の太陽が空に照りつけて金石をもとかさんばかり、したがって朝の涼しいうちだけしか歩かなかったが、そのようにしておよそ二十日あまり行くうちに、とある街道に出、やがて、三人が峠の上に着いたときは、巳(朝十時)のころであった。武松はふたりにいった。
「ここで休まずに、早く峠をおりて酒にでもしましょう」
「それがよかろう」
三人が峠を越して見わたすと、ずっとむこうの岡の麓に、十軒あまりの草葺きの家が谷川沿いに立ちならび、柳の木に酒旗がかかげてある。武松はそれを見ると指さしながら、
「ほら、あそこに居酒屋がある」
三人がいっさんに峠を馳せくだって行くと、木樵《きこり》がひとり、岡のあたりから薪を背負ってやってきた。武松は声をかけた。
「ちょっとおたずねしますが、ここはなんというところです」
「この峠は孟州道の峠です。あのむこうのこんもりした森のあたりが、有名な十字坡《じゆうじは》です」
武松がふたりの役人とともに道を急いで十字坡に行きついて見ると、いちばん大きな木は四五人でもかかえきれないほどで、上の方はびっしりと枯れた藤かずらがからみついている。そこを通りすごして行くと、一軒の居酒屋があって、店先の窓のところにひとりの女が緑色の紗の衫《したぎ》(注二)をしどけなくのぞかせ、頭髪《あたま》にはごてごてとかんざしを鈴なりに飾りたて、鬢《びん》のあたりに野の花をかざして坐っていた。女は、武松とふたりの役人がやってくるのを目にとめると、すぐに出てきて丁寧に迎えた。下には生絹《きぎぬ》のまっかな裙子をはき、顔はいちめんにこってりと紅おしろいをつけ、胸もとをはだけて桃色の紗の胸あて(注三)を外にのぞかせ、それには金色のぼたんが一列についている。この女の人体《にんてい》いかにといえば、
眉は殺気を横たえ、眼は兇光を露《あら》わす。轆軸《ろくじく》の般《ごと》き蠢〓《しゆんふん》(注四)の腰肢、棒槌の似《ごと》き粗莽《そもう》の手脚。厚く一層の膩粉《じふん》を舗着して、頑皮を遮掩《しやえん》し、濃く両暈《りよううん》の〓脂《えんし》を〓就《としゆう》して、直に乱髪を侵す。金釧《きんせん》(金の腕輪)は魔女の臂《ひじ》を牢籠《ろうろう》し、紅衫《こうさん》は夜叉《やしや》の精を照映す。
そのとき、女は戸口まで出迎えていった。
「お客さん、休んでいらっしゃい。うちには上酒もあれば肉もあり、点心になさるのなら大きい肉饅頭もございますよ」
役人ふたりと武松は、なかへはいって行って柏《ひのき》の机と椅子の席につき、役人ふたりは棍棒を立てかけ、腰の提げ袋をとりはずして並んで腰をおろした。武松は、まず背負っていた荷物をおろして机の上におき、腹に巻いた胴巻きをはずし、布衫《うわぎ》(注五)もぬいだ。役人は、
「ここは誰といってうるさい目もあるわけじゃないから、わしらが責任を持って、ちょいとその首枷をはずしてあげましょう。くつろいで飲みなさい」
と、封印をはがしてその首枷をはずしてやり、机の下へおしこんだ。そうして三人は、上半身の着物をぬいで、かたわらの窓縁《まどぶち》にひっ掛けた。
そこへ女が、にこにこ笑いながら、
「お酒はいかほど」
といった。武松は、
「いくらもなにもない。どんどん燗をしてくれ。肉も四五斤たのむ。勘定はまとめてはらう」
「肉饅頭の大きなのがありますよ」
「じゃ、そいつも二三十もらって点心にしよう」
女は、ふふっと笑いながら、奥へはいって行き、大きな桶に酒をくんでき、机の上に大きな碗三つと箸三組、そして二皿に盛り分けた肉を出してきた。女はつづけざまに四五へん酒をつぎ、そしてかまどから肉饅頭を蒸籠で一枚ぶんはこんできて机の上においた。役人はふたりともすぐに手を出してむしゃむしゃやり出したが、武松は、ひとつとりあげてぱくんと割ってなかをあらためながら、
「おい、この肉饅頭は人間の肉か犬の肉か」
女はにこにこしながら、
「お客さん、ご冗談を。この太平無事なご時世に、人間の肉饅頭や犬の肉饅頭があるものですか。あたしのとこの肉饅頭は、先祖代々、牛ときまっておりますわ」
「しかし、おれは方々歩きまわってちょいちょい聞かされてきたもんだぜ。大木そびえる十字ざか、どなたもあそこを通りゃんすな、でぶのお方は肉饅頭、痩せのお方は川へどんぶり、ってな」
「よくもまあそんなことを。そりゃご自分の科白《せりふ》でございましょうが」
「この饅頭の餡のなかに、人間のあそこの毛のようなのが何本かはいってやがるんで、そうじゃないかと思ったのさ」
そして武松はさらにたずねた。
「ところで、ご亭主はどうしたんだい」
「よそへ商売に出かけて、まだ帰ってこないのです」
「そりゃあ、ひとりぽっちでお淋しいことだろうな」
女は笑いかえしながら、心のなかで思うよう、
「懲役やろうめ、今にお陀仏だというのに、あたしをからかいやがって。これこそ、飛んで火に入る夏の虫だ。手を出しもしないのに、そっちから飛びこんできやがったか。ようし、かたづけてやろう」
そこで女はいった。
「お客さん、ご冗談はおよしなさいな。さあ、もうすこしお飲みになったら裏の木蔭にでもはいってお涼みになるといいわ。お泊まりなさるのなら、お泊まりになってもかまいませんわ」
武松はそれを聞いて肚《はら》のなかで思うよう、
「こいつめ、わるい料簡をたくらんでやがるな。ようし、先手をうってなぶりまわしてくれよう」
そこで武松はまたいった。
「ねえさん、おまえさんとこのこの酒はひどく水っぽいな。ほかにいいのがあったら飲ませなよ」
「とても香りのいい上酒があることはありますが、どうもねえ、それがすこし濁ってるものですから」
「いいともさ、濁ってりゃ濁ってるほどうまいのさ」
女は得たりとほくそ笑み、すぐ奥へはいって行って、燗徳利に濁った酒をくんできた。武松はそれを見て、
「こりゃいい酒だ。しかし、あつあつに燗をしねえとうまくねえや」
「お客さんは目が高いですこと。それじゃ、お燗をつけてきますから味を見てくださいな」
女は肚《はら》のなかでほくそ笑んだ。
「この懲役やろうったら、よっぽどくたばるようにできてると見える。熱燗でいこうとおいでなすった。薬のめぐりがいっそうはやくなる勘定。やっこさんはもうこっちのものさ」
と、あつあつに燗をして持ってきて三人の碗についだ。そして、
「お客さん、さあ、飲んでみてください」
ふたりの役人はがつがつしていたので委細かまわず取りあげて飲んでしまったが、武松は、
「ねえさん、肴なしのやもめ酒はおいらはごめんだぜ。もちっと肉を切ってきてくれ」
といい、女が奥へひっこんだそのすきに、武松はこっそり酒をあけてしまい、わざと舌つづみを打って見せて、
「うめえや、滅法ききやがるじゃねえか」
女はもとより、肉を切りに行きなどしなかった。行くとだけ見せかけてすぐにひきかえし、手をたたいて叫んだ。
「くたばっちまえ、くたばっちまえ」
ふたりの役人は、あっと思う間もなく天地がひっくりかえってぐるぐるまわり出し、ものもいわずにばたんとひっくりかえってしまった。武松も目をふさいでばったり腰掛けの横に崩れ落ちた。
女は笑い出して、
「そうれ見たことか。たとえ鬼神をあざむくほどの知恵があるつもりでも、あたしの足を洗った水を飲んだじゃないか」
といい、奥にむかって、
「小二、小三、はやく出ておいで」
とよんだ。すると奥から、ふたりの胡乱《うろん》くさいのが出てきて、まずふたりの役人をかつぎこんだ。女は机のところへやってきて、武松の荷物と役人の提げ袋を取りあげ、さわってみて、中味が金銀らしいのでほくほく顔、
「今日は三匹も仕入れて、ここしばらく肉饅頭にはこと欠かぬ。しかもこんなものまで手にはいった」
と荷物と袋を奥へしまいに行き、もういちどひきかえしてきて見ると、ふたりの男は今しも武松をかつぎこもうとするところであった。が、どうしても持ちあげられない。床の上にぴんと身体を張っただけで、まるで千斤の重みでもあるかのようである。見ればふたりの棒鱈《ぼうだら》やろうは押しもならず、ゆすりもできずに手を焼いている。女はそれを見て、どなりつけた。
「このくそやろうども、飲み食いだけは一人前で、なんの役にもたたないじゃないか。あたしの手まで借りなきゃならんのかい。このくそでぶったら、ほんとにあたしにいたずらを仕掛けてきやがったが、これだけ肉付きがよけりゃ、牛肉として売るのにおあつらえむきだ。むこうの痩せっぽちは水牛ってとこか。かつぎこんで、まずこいつから料理だ」
女はそういいながら緑色の衫《したぎ》をぬぎすて、紅絹の裙子までとってしまい、両の腕《かいな》をむき出しにして近より、武松を軽々と持ちあげた。そのとき、武松はすかさず女に抱きつき、両腕でがっちり内懐へひきこみ、両足でもって女の下半身をぴたりとはさみこみ、馬乗りになっておさえこんだ。女は、豚が殺されでもする時のような金切り声をあげた。例の胡乱《うろん》くさい男ふたりは、あわてて武松にむしゃぶりつこうとしたその途端、武松の大喝をくらって棒立ちに立ちすくんでしまった。女は、床におさえつけられて、
「おゆるし、おゆるし」
とわめくばかりで、もがくことさえもできない。まさに、
虎を打つの人を麻翻《まほん》し
饅頭に発酵せんと要《ほつ》す
誰か知らん真の英雄の
却って悪き取笑《しゆしよう》を会《え》するを
牛肉に売ること成らずして
反って做《な》す殺猪の叫び
とそのとき、薪を背負ったひとりの男がさきほどから店先で休んでいたが、武松が女を床にねじ伏せてしまったのを見ると、大股に駆けよってきて、
「おねがいでございます。いかにもお腹立ちのことでしょうが、ご勘弁なすってください。申しあげたいこともございます」
武松はぱっと跳《は》ねおき、左足で女を踏みつけたまま、両の拳を握り固め、その男をきっと見据えた。見れば男は、頭には黒い紗の凹面巾《おうめんきん》をかぶり、身には木綿の白い杉を着、脚には脚絆を巻き、八つ乳《ぢ》の麻の鞋《くつ》をはき、そして腰には提げ袋。その人体《にんてい》は、額と頬骨の高くとがった鋭い顔つきで、ひげはまばら、年のほどは三十五六。男は武松を見やって、胸もとでうやうやしく拱手の手を組み、
「お名前をお聞かせいただきたく存じます」
「かくしもせず憚りもせぬ。都頭武松とはおれのことだ」
「というと、それでは景陽岡で虎を退治なすった、あの武都頭どので」
「そうだ」
すると男はかしこまって頭をさげ、
「お名前はかねてから聞きおよんでおりました。こうしてお目にかかれましたとは、またとないしあわせにございます」
「おまえは、この女の亭主なのか」
「はい。わたくしの家内でございますが、眼はありながらめくら同然。どのようなしだいで都頭どののお気に触れたかは存じませんが、わたくしからもおり入っておねがいします、なにとぞおゆるしくださいますよう」
まさに、
古より嗔拳《しんけん》は笑面に輸《ま》(負)く
従来礼数は奸邪を服す
只《ただ》義勇の真の男子なるに因り
兇頑なる母夜叉《ぼやしや》を降伏せしむ
武松は、男がひどく神妙なのを見て、すぐ女を放してやり、
「おまえさんたち夫婦も、どうやらただの人ではないようだが、名前を聞かせてもらおうじゃないか」
男は、女に着物をきちんとなおさせ、早く挨拶をするようにと促した。
「さっきは痛めつけたが、わるく思わないでくださるよう」
と武松がいうと、女は、
「とんだ見そこないをいたしました。ふとしたあやまちでございます。どうかおゆるしくださいませ。さあ、どうぞ奥の方へお通りくださいますよう」
武松はまたきいた。
「おふたりさん、お名前はなんとおっしゃる。なぜまた、わしをご存じで」
すると男はいった。
「わたくしは姓を張《ちよう》、名は青《せい》といいまして、もと当地の光明寺という寺の野菜畑の番人をしておりました。ところがふとしたいざこざから、ついかっとなってそこの坊さんを手にかけてしまい、お寺にも火をつけてすっかり灰にしてしまったのです。ところが、いつまでたっても誰も訴えもせず、お上からも詮議がかかってこないので、あっしもそのまんまずっとこの大樹坡《たいじゆは》を猟場に、剥ぎとり強盗をやっていたのです。そのうちある日のこと、ひとりの爺さんが荷物をかついで通りかかったのに目をつけ、老いぼれ爺なんざと頭からなめてかかって襲いかかって行ったところ、なんと、もみあって二十合もしのぎを削る大立ちまわりになりまして、あげくの果てにはその爺さんの天秤棒で見ん事叩きのめされてしまったのです。聞いてみれば、その爺さんというのは、弱年の頃からずっと追い剥ぎ稼業で世をわたってきた人なんだそうで、爺さんはあっしの腕を見こんでくれて、そのまま町の方へ連れ帰り、そこでしっかり仕こんでくれたうえに、娘の婿に迎えてくれたのです。町はやはり住めるところではございませんので、また舞いもどってきてここに草葺きの家を構え、酒を売って身過ぎをしているのですが、それはじつは看板だけで、往来の旅あきんどを待ちうけて、これと思ったやつにはしびれ薬を盛ってばらしてしまい、肉付きのいいうまそうなところは切り刻んで牛肉だといって売りつけ、こまぎれのはした肉は肉饅頭の餡《あん》に使い、そいつをあっしが里の方へ毎日かついで行って売りさばき、それで暮らしを立てている、とこういうわけなんです。あっしは天下の好漢たちと気があってゆききしあっているものですから、人さまからは菜園子《さいえんし》の張青とよばれており、女房は姓を孫《そん》といいまして、父親から武芸をとっくり仕こまれ、これまた母夜叉《ぼやしや》の孫二娘《そんじじよう》とあだ名されております。さきほど帰ってきて、女房の金切り声を聞いたのですが、相手があなたさまだとはまったく思いもかけないことでした。あっしは女房によくいいふくめて、殺《あや》めてはならぬ人たちはこれこれだと三通りの人をいってあるのですが、その三通りの人といいますのは、第一が諸国行脚の雲水です。それというのも、この人たちはあれこれとたのしい目を見て世をわたってきた人ではないし、それに出家の身でもあるのだから、とそういってあるのです。それなのにすんでのことで驚天動地のどえらいご仁を殺してしまいかけたことがありました。それは、もと延安府経略使《ちゆう》老相公のもとで堤轄《ていかつ》をつとめていた、姓を魯、名を達という人で、鎮関西とかいう男を拳固三発でもって殴り殺してしまったために、五台山へ逃げこんで坊さんになられた方、その背に刺青(注六)をなすっているところから、世間では花和尚《かおしよう》の魯智深という名で知られておりますが、その得物である渾鉄《あらがね》の禅杖は、目方が六十何斤もあるという凄いもの。この方がいつぞや、ここを通りかかられたおり、女房のやつめ、そのよく肥っておいでなのに目をつけて、酒のなかへしびれ薬を盛ってしまい、仕事場へかつぎこんで、いざ、ばらそうというところへ、おりよくあっしがもどってきまして、目にとまったのが尋常ならざるその禅杖、こりゃいかんというわけであわてて醒まし薬でよびもどし、義兄弟の盟いを結んだものです。聞けばこのごろは、二竜山の宝珠寺を乗っとって、青面獣《せいめんじゆう》の楊志とかいうのとふたりで、あの界隈一帯ににらみをきかしておいでだとか。あっしにも、何度か誘いの便りをよこしておいでなのですが、つい行けずにおりまして」
「そのふたりなら、わしもずいぶんあっちこっちで聞かされた名だ」
張青はさらにつづけた。
「いかにも残念でたまらないのはひとりの托鉢の僧でしたよ。この人は、身の丈が七八尺という巨漢でしたが、女房のやつ、これも盛りつぶしてしまいやがって、たった一足ちがいで坊さんは手足を切られてしまったあと、今ここに残っているのは鉄の鉢巻と墨染の衣に一枚の度牒《どちよう》だけ、ほかには別にたいしたものはありませんでしたが、ところがここに、滅多に見ることのできないめずらしい品物を二つ持っていましたよ。その一つは人間の頭蓋骨で作った数珠で、もう一つは雪のような、はがねぎたえの戒刀二振りです。この托鉢僧は、ずいぶんと人を殺したらしく、今でも、夜《よる》の夜中《よなか》になりますと、その戒刀が口笛のような音をたてて泣くのです。この人が助けられずにしまったのは残念で、今もって、しょっちゅう気になって仕方がないという具合なんです。それからあっしが女房にいいつけた第二の人というのは、世間をわたり歩く女芸人たち。これは所々方々の町を旅でつなぎながら即席の芝居をうってまわり、さんざん苦労して、頭をさげてもうけたお金だし、また、もしあの連中をばらしでもした日には、奴さんたちはそれからそれへと語りつぎ、舞台の上でもって、世にいう好漢なんぞという手合いは英雄どころか、とんでもない下司野郎だと触れまわすだろうから、とあっしはいってるんです。そして第三は、何処においてであれ、罪を犯して流罪になってくる連中です。この連中のうちには好漢がたんとおるから、どんなことがあっても手を出すな、とそういいつけてあるのですが、とんだことに、そのいいつけをまもらないで、今日という今日は、あなたさまに罰当たりな真似をはたらきかけやがって。おい、おれの帰りようがもう一足おそかったなら、どうなってたかわからねえとこなんだぞ。いったい、どうしてそんな料簡をおこしやがったんだ」
母夜叉の孫二娘は、
「もともとあたしも手を下すつもりはなかったんだけれど、見ると荷がずっしりと重たそうだったのと、おかしな話を持ちかけてきなすったものだから、ついその気になってしまって」
武松は、
「わしは凜然たる大丈夫、なにもむざむざ人をなぶりなどはしないさ。ただ、おまえさんがおれの荷物にぴったり目をつけているのに気がついて、どうやらこいつ臭いぞ、と勘ぐり、わざとあんな話を持ちかけて手を出させようと、ちょっかいをかけたんだ。あの酒はこっそり床にあけてしまって毒に当たったふりをしたら、思ったとおりじゃないか、わしをつかまえにきなすった。そこでいきなり組み敷いてしまったのだが、えらく手荒なことをしましたな。まあ、ねえさん、ゆるしておくんなさい」
張青は腹をかかえて笑い、立ちあがって武松をずっと奥の客間へ請じ入れた。座がきまると武松は、
「ところで、あの役人ふたりを放免してやってくれませんか」
張青は、武松を人間調理場へ案内して行ったが、なかにはいって見ると、壁には人間の皮が何枚か貼りつけてあり、梁《はり》からは人間の足が五六本ぶらさがっていた。ふたりの役人はといえば、ひっくりかえったまま調理台の上にのびている。武松は、
「おねがいだ。助けてやってくだされ」
すると張青は問いかえした。
「うかがいますが、あなたは今、どういう罪でどこへ流されて行きなさるところなんです」
武松は、西門慶と嫂を殺した次第を逐一話して聞かせた。張青は女房とともにしきりにほめそやしたが、武松にむかって、
「どう思いなさるかは知りませんが、ひとつ申しあげてみたいことがあるんですが」
「どうぞいってください」
そこで張青がゆるゆると武松に持ちかけた話によって、やがて武松は孟州城で大乱劇を演じ、安平寨《あんぺいさい》をでんぐりかえらせ、果ては象をひっぱり牛をひきずる男をば叩きのめし、竜をとりおさえ虎を踏んづかまえる男をば仰天させる、という次第とはなるのである。さて、張青は武松になんといったのであろうか。それは次回で。
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一 〓黄 襲遂と黄霸、ともに漢の宣帝に仕えた能吏。
二 衫《したぎ》 原文は衫児。ここでは汗衫のことで、肌着あるいは下着のこと。
三 胸あて 原文は主腰。肚兜と同じで、胸から腰までをつつむ。腹かけ、腹あての類。
四 蠢〓 蠢はおろかなこと、また、うごめく意。〓はあつまる。ここでは、どっしりとした太い腰の形容。
五 布衫《うわぎ》 綿布で作ったひとえの長《なが》上着。
六 刺青《いれずみ》 原文は花繍。刺青のこと。「花和尚」の「花」も刺青の意である。
第二十八回
武松《ぶしよう》 威もて安平寨《あんぺいさい》を鎮《しず》め
施恩《しおん》 義もて快活林《かいかつりん》を奪う
さてそのとき、張青は武松にいった。
「むごいことをいうようですが、これから牢城へ行って難行苦行なさるよりは、どうです、いっそのこと、この護送役人はここでころりと眠らしてしまい、しばらくあっしのとこに足をとめなすってはいかがです。盗賊に身を落としてもよいと思われるなら、そのときはあっしが二竜山の宝珠寺まで送って行って、魯智深らの仲間に手引きをしてさしあげますが、どうです」
「いや、そのお志はありがたいが、そうはできぬわけがあるんです。というのは、わしはもともと天下にのさばる強突《ごうつ》くばりどもをやっつけるのが念願。このふたりの役人はわしのためにこまごまと気を配ってくれて、道中はずっとわしにつくしてくれたのです。それをばらしたんじゃお天道さまだって黙ってはおりなさるまい。もしもおまえさんが、わしのためを思ってくださるなら、このふたりは殺さずに救ってやってくだされ」
「いや、よくわかりました。そうおっしゃるなら、さっそく眼を醒まさせてやりましょう」
張青はそういってすぐに子分をよびつけ、調理台のふたりを助けおこさせた。孫二娘が醒まし薬を碗につくって持ってくると、張青は耳をつかまえながら口に注ぎいれた。半時たらずでふたりは夢から醒めでもしたような調子で、もごもごと起きあがった。そして武松を見やりながら、
「おれたちったら、どうしてこんなにまで酔いつぶれてしまったのだろ。しかし、この家の酒は凄くいい酒だな。ほんのちょっぴりしか口にしなかったのに、あんなに酔ってしまうなんて。よく覚えておいて、帰りにもういっぺん飲むことにしよう」
武松は吹き出した。張青も孫二娘も笑った。ふたりの役人はきょとんとしている。
子分のふたりは、出て行って鶏やあひるを殺し、よく煮てから、杯盤をととのえた。張青は裏手の葡萄棚の下に机と椅子を据え、武松と役人ふたりを裏庭へいざなった。武松はへりくだって役人に上手《かみて》の席をすすめ、張青と武松はこれにむかいあって下手に坐り、孫二娘はその横に席をとった。ふたりの子分はかわるがわる立って酒をついでまわり、ご馳走の皿を出したりさげたりした。張青は武松に酒をすすめた。こうして夜になったころ、張青は例の戒刀二振りを持ち出してきて武松に見せた。はたせるかな、はがねぎたえの鍛えぬいた逸品であった。ふたりは、天下の好漢たちのことを話しあった。放火とか殺人とかいったたぐいのことばかりである。武松は、山東の及時雨の宋公明が、いかに義に篤く財に淡白な人物であるかを語り、今は故あって柴大官人の屋敷にかくまわれていることなどを話した。ふたりの役人は、そんな話を聞きながら、ただもう茫然とおどろき呆れ、平蜘蛛のように平伏してしまった。武松は、
「いや、おふたりがここまで送ってきてくださったについてはじゅうぶん感謝しております。あなたがたを殺そうなどと思ってはいないから、ご安心を。わしら好漢たちの話にびっくりしなさることはないです。わしらは、どんなことがあっても地道に暮らしている人たちに手をかけるようなことはしませんから。まあ、どしどし酒でもお飲みなさい。あした孟州へ着いたときには、それ相応のお礼はさせてもらいます」
その夜は張青の家に泊まった。そしてその翌日、武松がそれではと暇乞いをしようとすると、張青はかたくひきとめた。武松はそのままずるずると三日間逗留し、いろいろと歓待をうけた。武松は夫婦の厚意に感じいって、年からいうと張青の方が五つ年上なので、張青を兄と仰いで義兄弟の盟いを結んだ。かくて武松がふたたび出発したいと切り出すと、張青は酒宴を設けてはなむけとし、旅の荷物や包みや腰の提げ袋をとり出して返し、ほかに武松には十幾両かの銀子をおくり、役人には二三両ずつの小粒を心付けとしておくった。武松は、その十両もいっしょに役人ふたりにやり、ふたたび首枷をはめられ、封印ももとのように貼りつけられた。張青と孫二娘は門の前まで見送りに出た。武松は別れの挨拶をし、役人とともに孟州へと旅立って行った。詩にいう。
義《ちぎり》を結ぶ情兄弟の如く親し
勧《すす》めて落草を言うも尚逡巡《しゆんじゆん》す
須く知るべし憤って姦淫を殺す者
条に違い法を犯すの人作《た》らざるを
昼にはまだ間のあるころに孟州の町へ到着、すぐその足で州役所へ出頭し、東平府よりの送り状を提出した。州尹はそれを見て、武松の身柄をひきとり、公文の返書をしたためてふたりの護送役人にわたして立ち帰らせたが、そちらの話はさておき、武松はただちに公文書とともに州の牢城へ送られることとなった。その日、武松が牢城に着いて見ると、門に一枚の額がかかっていて、
安平寨《あんぺいさい》
と、三つの大きな文字が書かれていた。役人は武松を独房へいれると、公文書をさし出し、身柄引取りの文書をもらいうけるなど、おきまりの手続きをとったことはいうまでもない。
武松が独房にはいるとすぐ、十数人のおなじ囚人連中が、武松の顔を見にやってきていうには、
「おい大将、新入りだから知るまいが、その包みのなかになにか紹介状か鼻薬の持ち金でもありゃ出しておくんだね。追っつけ番卒がやってこようが、そのとき、さっさとくれてやるがいい。そうしときゃ、殺威棒をくらうときでも、手かげんをしてくれるよ。手土産をやってないと、どえらい目にあわされるぞ。あい身たがいの囚人同士ってわけで、こうして知らせてやるんだが、知ってのとおり、兎が死ねば狐が悲しむ、ものは同類あい憐れむってやつだ。きたばっかりのおまえさんじゃ、なんにも知るまいと思うから耳にいれておくよ」
「そりゃあ、どうもありがとうよ。わしもすこしばかり持ちあわせはあるが、むこうがおだやかにほしいというなら、さっさとくれてやりもするが、もし権柄《けんぺい》ずくでふんだくろうとでもしやがったら、一文だってやりはせんよ」
みんなは口をそろえていった。
「そんなことはいうもんじゃない。昔からいうじゃないか、官《かん》(役人)はこわくはないが、管《かん》(役目)がこわいってな。他所《よ そ》の家の屋根の下じゃ首をちぢめろ、だよ。気をつけた方がいいぜ」
といいもおわらぬうちに、ひとりが、
「番卒頭《がしら》がきた」
というと、一同はさっと散ってしまった。
武松が荷物を解いて、独房に坐っていると、そやつがはいってきて、たずねた。
「どいつだ、新入りやろうは」
「わたしです」
「きさま、眉毛も目の玉もついてるんなら、おれに口をきかせるって法はないぞ。景陽岡で虎を殺した好漢で、陽穀県の都頭をつとめた男だというからには、さぞかしもののわかったやろうだろうと思っていたら、まるで気のきかんやつじゃないか。きさまもここへきてしまえば、猫一匹だってきさまには殴れやしないんだぞ」
「これはまたえらいご見幕ですな。おれさまに袖の下を出してもらいたくていうのだろうが、びた一文だっていやだ。おれのこの拳骨、右左一対、これならいつだってやるよ。金銀もないことはないが、こいつは手もとにおいて酒を買って飲むんだ。さあ、どういうふうにおれを始末してくれる。いくらなんでも陽穀県へさしもどしというわけにもいくまいて」
番卒頭はかんかんに怒って行ってしまった。すると囚人ら一同が駆けよってきて、
「大将、ぶっ放しなすったな。だが、今にひどい目にあうぜ。あいつは典獄のとこへ説きつけに行きやがったんですよ。命だってあんた、危いぜ」
武松は、
「なにを、やるならどうにでもやりゃいいさ。おとなしく出てくれば、わしだっておとなしくやる。荒っぽくきやがるんなら、わしもその手で返してやるまでだ」
といっているところへ、三四人の者が独房へのりこんできて、
「新入りの武松」
とわめきたてた。武松は、
「おれさまはここにいる。逃げもかくれもせんよ。なんだってそう、ぎゃあぎゃあわめくんだ」
やってきた連中は武松を吟味の間へ連れて行った。典獄は庁上に坐っていた。五六人の番卒が武松をその真ん前にひき据えると、典獄は首枷をとりはずさせ、
「こら、囚人、しかと心得おけ。太祖武徳皇帝さまの定められたおん掟によって、すべて流罪の囚人は牢入りに当たって殺威棒一百を頂戴するのが定めじゃ」
手足をとりおさえる役のものが、背中を出させようとすると、武松は、
「ばたばた騒ぐんじゃない。打《ぶ》つんならさあ打つがよい。手も足もつかまえてもらわなくたって結構だ。もしもこのおれが、棒のひとつでも避《よ》けるようなまねをしたら、おれは好漢とは義理にもいえないわ。そのときは、それまで叩いてもらった分はご破算にして、もういっぺん、始めから叩き直してもらおう。またもし、このおれが呻き声を立てでもしたら、それとて立派な男とは義理にもいえないわ」
両側で見ているものはみな笑い出して、
「この気違いめ、死にたいとでもいうのか。どうやってこらえるか見てやろう」
武松はかさねて念をおした。
「叩くならびしびし叩いてくれ。おためごかしの棒などはごめんこうむる。胸くそがわるいからな」
一同はどっと笑った。
番卒が棍棒をとりあげ、今しも打ちおろさんとしたとき、さっきから典獄のかたわらに立っていたひとりの男、身の丈は六尺あまり、年は二十四五、色白の顔に三筋のひげをたくわえ、頭には白い手帛を巻き、身には紗の黒い上っ張りをうちかけ、白綿の腹帯で手を吊っているのが、典獄の側へ近よって、その耳になにごとかささやいた。と、典獄は、
「新入りものの武松、その方は道中でなにか病気を患《わずら》いはしなかったか」
「いや、病気なんぞしません。酒もくらえば肉も食い、飯も食えば道も歩けましたよ」
「こやつは途中で病気を患っている。病みあがりの顔色だ。このたびの殺威棒はあずかっておいてやれ」
両脇にいた処刑係りの番卒が、そっと武松に耳打ちをした。
「病気したといっときな。閣下がかばっていなさるのだ。そういっとくんだよ、病気しましたって」
武松は、
「いや、病気なんぞしねえよ。叩いてもらった方がせいせいすらあ。棒打ちのおあずけなどしていただくのはごめんこうむる。そんなものをあずけておいたら、かえって腹のなかに釣針をのみこんだみたいに、いつまでも気になってやりきれないよ」
みんなはどっと笑いどよめき、典獄も笑い出した。
「どうやらこいつは熱病にやられて、まだ汗が出切っておらず、うわ言をいっているらしい。なんといおうと、ともかく独房へおしこんでおけ」
三四人の番卒がもとどおり独房に送りかえした。囚人たちはみなより集まってきて、
「誰かえらい知合いでもあって、その人から典獄さんのとこへ手紙が届いてるんじゃないかい」
「そんなものはありっこないよ」
「それがなけりゃ、あの棒あずかりはいい知らせじゃねえよ。晩になったらきっと殺《ばら》しにこようぜ」
「殺すって、どうやってだ」
「夜になったら、黄色く黴《か》びた古米の飯二杯と臭い干魚《ひもの》を持ってきてご馳走し、腹がいっぱいになったところで土牢のなかへ連れこみ、縄で縛りあげてひっ転がし、藁むしろでぐるぐる巻きに巻いてしまい、目鼻耳口をぴったりふさいで壁際に逆《さかさ》とんぼにして立てとくんだ。半時とたたぬうちにあんたはお陀仏になっちまうぜ。こいつが盆吊《ぼんちよう》(かぶせつり)というやつさ」
「ほかにもなにか、おれを料理する手があるかね」
「もうひとつあるよ。おなじく縛っておいて、いっぱい土をつめた布の袋を体の上にのっけるやつだ。こいつもことりとゆくまでには一時《いつとき》とかからんよ。この手を土布袋《どふたい》(どのうぜめ)というんだ」
「もっとほかにないかね」
「おっかねえのはこの二つだけ、あとはもうたいしたことはない」
そんな話をしているところへ、ひとりの兵卒が盒子《ふたもの》を両手に捧げてはいってきて、
「こんどきた武松さんというのはどの人だ」
「わしだ。なにか用ですかい」
「典獄さまからこの見舞いだよ」
見ると大きな燗徳利にいっぱいの酒と、山盛りの肉一皿とうどん、そのうえ、お汁《つゆ》もある。武松は、
「そうかい。まずこいつを食わしといて、それからってわけらしいな。なんでもいいさ、ご馳走になっちまえ。あとはまたあとの思案というものだ」
武松は、その燗徳利の酒をぐびぐびと飲みほし、ついで肉もうどんもすっかり平らげてしまった。その男は器物をとりかたづけて帰って行った。
武松は、あれこれとひとり思案をかさねながら、あざ笑った。
「ふん、どうしやがるのか、見ててくれようわい」
やがて夜になった。と、さっきのあの男が、またしても盒子《ふたもの》をひとつ頭の上にのせてはいってきた。武松は、
「またなんの用でおいでなすった」
「晩飯を持ってきたのさ」
と幾品かの菜と、こんどもまた酒を大きな燗徳利につめ、大皿に山盛りの煎り肉と魚の吸い物一碗、そして大きな碗に山盛りの飯である。武松はそれを眺めてひそかに合点した。
「ははん、これを食ったあとで、こんどこそきっとやるんだな。ええい、構うもんか。おなじ死ぬなら満腹した亡者といこうぜ。思案するのはあとまわし、まずご馳走を食ってしまえ」
その男は武松が食いおわるのを待ちうけ、碗や皿をかたづけて帰って行った。それからいくらもたたぬうちに、またしてもおなじ男がもうひとり連れて、ふたりでやってきた。ひとりはたらいを、ひとりは大きな桶にいっぱいのお湯をはこんできた。そして武松にむかって、
「どうぞ、お湯をお使いなすって」
武松は考えた。
「お湯を使わせておいてからとっかかろうという魂胆かな。なにくそ、よかろうじゃないか、ひとあびさせてもらえるってえのは」
例のふたりはたらいに湯をあけて用意した。武松はたらいのなかに飛びこんでばちゃばちゃやった。浴びおわってあがると、手ぎわよく湯あがりの手拭いをわたして、拭《ふ》いたり着物を着せたりしてくれる。なかのひとりが湯を捨ててたらいを提げて出て行くと、もうひとりの方は籐の茣蓙《ござ》と紗の蚊帳《か や》を持ってきて敷いたり吊ったりしたうえ、夏枕をそこへ置き、おやすみなさいと声をかけてひきとって行った。
武松は戸をしめて閂をかけ、つくねんとしてひとり思案した。
「こりゃいったいどういうことだろう。まあ、どうなとするようにさせておいて様子を見てやれ」
と、ばたんとひっくりかえって、一晩無事に寝て過ごした。
夜が明けて起き出た武松が、やっと戸をあけたばかりだというのに、はやばやと昨夜の例の男が洗面の湯を提げてはいってき、顔を洗わせ、うがいの水もとって口をすすがせた。それのみか、髪結いの男を連れてきて髪をすき、髪を結い、頭巾までかぶせてくれる。さらにこんどはひとりの男が盒子《ふたもの》をたずさえてはいってきて、野菜もののお菜、大きな碗になみなみと盛った肉のおつゆ、そして山盛りのご飯をとり出す。武松は腹のなかでつぶやいた。
「なんとでもしたいようにするがいい。こちとらはご馳走になっとくから」
飯がすむと手まわしよくお茶、そしてお茶をやっと飲みおわったかと思うと、飯をはこんできたのがはいってきて、
「ここは部屋がよくないですから、あちらの部屋でくつろいでいただきましょう。食事のお世話をするにも便利ですから」
「さあ、おいでなすったぞ。どうしてくれるか、ともかくついて行ってみよう」
ひとりは荷物や蒲団を取りまとめにかかり、ひとりは武松を案内して独房を出る。連れて行かれて戸をあけ、なかへはいって見ると、さっぱりとした寝台と寝室のとばり、そしてそこに備えつけの机や椅子などの調度はどれもこれも新調のものばかり。武松は眺めまわしてつぶやいた。
「土の牢かとばかり思ってたのに、なんでまたこんなところへ連れてきやがったのかな。独房よりよっぽど上等じゃないか」
鶏鳴狗盗《けいめいくとう》を君笑うこと休《なか》れ
曽《かつ》て函関《かんかん》に向《お》いて孟嘗《もうしよう》を出《いだ》す(注一)
今日配軍上客と為《な》り
孟州に贏《か》ち得て姓名揚《あ》がる
武松が昼まで坐っていると、例の男がまたしても盒子《ふたもの》を提げてはいってきた。片手には銚子を持っている。持ってきたものをあけて見ると、四種のつまみものに鶏の丸煮一羽、そのうえ、蒸した饅頭までたくさんある。男は鶏を割《さ》き、銚子の上酒をついですすめる。武松はとつおいつ思案した。
「いったい全体、どうしたっていうんだろう」
夜になれば夜になったで、またぞろたんまりご馳走がつく。そして今日もまた湯を浴びさせてくれ、涼をとらせてくれ、寝《やす》ませてくれる。武松はつらつらと思う。
「囚人連中はああいったし、おれもそうだと思っていたが、どうしてこんなに丁寧にしてくれるのだろう」
三日目の日も、前日と変わることなく、飯だ酒だとご馳走が届けられる。
この日、武松が朝飯をすませてから外へ出て、牢城のなかをぶらついていると、他の囚人たちが日にかんかん照らされながら、水を汲んだり薪を割ったり、そのほかいろいろな雑役をやっている現場に出くわした。おりしも六月の炎天、暑さをしのぐところはどこにもない。武松は、手をうしろ手に組んだままの恰好で問いかけた。
「なんだってまたこんな日向《ひなた》に出て仕事をしてるんだ」
一同は笑い出しながら、
「ご存じねえとはおめでたいやね。おいらはここへ出て仕事をさせられるときがこの世の天国なんだよ。暑いのどうのと文句をつけるどころじゃないやね。手土産をとどけてない連中ときたら、しょっぴかれて大牢のなか、生きもならず死にもならずの半殺し、でっかい鎖でつながれながら、それでもしのいでいこうとしてるんだぜ」
武松はそのあと、天王堂(獄神を祀る)をぐるっとひとまわりしてみた。見ると、紙銭を焼く炉のあたりに、青石の、真中に穴をくりぬいた円石がおいてある。旗竿を立てる大きな石である。武松は、石の上に腰をおろしてしばらく休んでから、部屋へもどってつくねんと物思いにふけっていた。と、またしても例の男が、酒だの肉だののご馳走をはこんでくる。くどい話はぬきにして、武松がこの部屋に移ってきてから数日、くる日もくる日も美酒佳肴がはこびこまれてご馳走の大盤振舞い、殺害の気配などすこしも見られなかった。武松はどう考えてよいのかてんで見当もつかない。
数日たったある日の昼ごろのこと、例によって例の男がご馳走をはこんできた。武松はとうとう我慢しきれなくなり、盒子を手でおさえ、その男にたずねてみた。
「おまえさんは誰の家のものだ。なんだってこんなにやたらとご馳走してくれるんだ」
「いつか申しあげましたように、典獄さまのお側でご用をいいつかっておりますものです」
「それじゃきくが、毎日差し入れられるこのご馳走は、誰がいいつけたものなのだ。また、ご馳走してどうしようというのだ」
「典獄さまの若さまが、そうおいいつけなさっているのです」
「おれはただの囚人なんだぜ。そして典獄にはこれっぽっちも、なにもしてやった覚えもないのに、なんでまた大盤振舞いをしてくれるんだろう」
「さあ、てまえはなにも存じませんが。若さまは、ともかく半年か三ヵ月の間、おとどけするようにとおっしゃっておられます」
「はて、それはまた妙な話だな。いくらなんでも、よく肥らせておいてからつぶそうてんでもあるまいし。この謎はおれにはどうにも解けんよ。こんなわけのわからんご馳走は、おちおち食うわけにもいかん。おまえさん、いったい、その若さんというのはどういう人なんだね。どこでおれに会いなすったんだろう。それがはっきりしてからでなきゃ、おれはこのご馳走には手をつけんぜ」
「ほら、あなたさまがここへおいでになったとき、吟味の間におられましたでしょう。右の手を白いきれで巻いておいでだった人が。あの方ですよ」
「するとなにか、紗の黒い衫《うわぎ》を着て典獄の横に立っていた、あれがそうだというのか」
「そうなんです。あの方が若さまです」
「おれが殺威棒をくらおうとしたとき、あの人がとり止めさせたんじゃなかったか」
「そうなんです。若さまがお父上にお口添えなさったからこそ、あなたさまは打たれないでおすみになれたんで」
「いよいよもってわからん。おれは清河県のものだ。彼は孟州の人で、面識もなにもありゃしないのに、なんだってこんなに大事にしてくれるんだろう。なにかきっとわけがあるにちがいないが、いったい、その若さんというのは名前はなんというんだ」
「姓は施《し》、名は恩《おん》とおっしゃって、武芸がおできになりますので、金眼彪《きんがんひよう》の施恩という名で通っておいでです。」
武松はそれを聞いて、
「どうやら人物らしいな。おい、おまえさん、ひとつ行ってここへお迎えし、おれにひきあわせてもらえまいか。このご馳走はそれから箸をつけることにしよう。それができないというなら、おれは一口だって食わんぞ」
「なにもいうな、といいつけられておりますので。半年か三ヵ月たったのちに、会ってお話しするから、といっておられますので」
「いいからごたごたいわずに、行ってよんでこい。おれにひきあわせてくれりゃそれでいいんだ」
男は困るといって行こうとしなかったが、武松が疳をたかぶらせはじめたので、やむなく奥へとりついだ。
しばらくすると、施恩が奥から駆け出てきて、武松に敬礼をした。武松も急いで礼をかえし、
「わたくしはここにご厄介になっている囚人でございまして、一度もお目にかかったこともありませんのに、いつぞやは罰棒をゆるしていただくお取計らい、そして今日《こんにち》このごろは毎日、美酒佳肴でのご歓待、なんともいたみいったおもてなしでございます。まったくなんのお力にもなれずにいて、むざむざと禄を盗んで過ごすのはどうにも居心地がわるくてなりません」
「お名前のほどは、かねてより耳のあたりに雷のとどろくようにうかがっておりましたが、なにぶんにも遠くはなれていることとて、お目にかかることもかなわずにおりました。このたびはいかなるしあわせか当地へお越しくだされ、さっそくお目にかかりたい思いは山々でございましたが、あいにくなんの引出物もございませんので、はずかしく思って、あえてお目通りにおよばなかった次第でございます」
武松はたずねてみた。
「今しがた、お側の人のいわれることをうかがいますと、半年か三ヵ月したら、なにかわたくしにご用のむきがおありとか。それはいったい、どういうことでございましょう」
「益体《やくたい》もない下郎め、なんと口をすべらせましたか。しかし、これはそうたやすくは切り出しにくうございまして」
「これはまたえらくもったいぶったおっしゃりかたで。それじゃわたしはとりつく島もございませんや。まあいってごらんなさい。いったいわたしにどうしてくれとおっしゃるんですか」
「あやつめが口を切ったからには、それでは申しあげることにしましょうが、これは、あなたが歴《れつき》とした大丈夫、まことの男子であられればこそのおねがいなのでして、余人では所詮かなうべくもないことなのです。とはいってもあなたには遠路はるばるお越しになったばかりのところとて、お疲れもまだ十分にとれてはいないでしょうから、ここ半年か四五ヵ月ほどの間、ゆっくりお休みをとっていただいて、鋭気十分とおなりなすったその暁に、くわしく申しあげることにいたそうと思いますが」
武松はそれを聞くとからからとうち笑い、
「まあお聞きください。去年わたくしは三ヵ月もおこりを患ったあげくに、景陽岡で酒に酔っぱらったまま虎をぶちのめし、拳固と足蹴りで殺してしまいました。いわんや今日においてをや、というところです」
「が、まあ、今はあずかっておきましょう。もうしばらく休養をとっていただいて、お体がすっかり元気になられてから申しあげましょう」
「腑抜けてしまってるとばっかり思っておいでのようですな。そういうわけでしたら、そうだ、先日わたしは天王堂のとこで円石を見かけたのですが、あれは、いったい、どれくらいの目方のものでしょう」
「さあ、四五百斤ってとこでしょうか」
「いっしょに行ってください。このわたしにあれがひっこ抜けるかどうか」
「まあ、お酒からさきに召しあがって」
「いや、そちらをさきにやって、酒はあとでやらしてもらいましょう」
ふたりは天王堂へ出かけて行った。囚人たちは、武松といっしょに若さまが見えたというので、みな腰をかがめてお辞儀をした。武松は、円石に手をかけてちょっと揺すって見て、笑い出し、
「体がすっかりなまってしまいやがって、こりゃ、引き抜こうにも抜けませんな」
「四五百斤のしろものですぞ。そう簡単にいくはずはない」
「じゃ、とてもひっこ抜けないとお考えですな」
と武松は笑いながらいい、
「さあ、みんな退いてくれ。おれがひとつやって見せるから」
武松は肌ぬぎになって着物を腰に巻きつけると、例の円石に手をまわして、軽々と抱え上げてしまった。そして両手でどすんとそこへ放り出した。石は一尺ばかりも地にめりこんだ。囚人たちはみなぎょっとした。武松はふたたび右手を伸ばしてそれをひきおこし、空にむかってぱっと一丈あまりも投げあげ、そして落ちてくるやつをば、両手にひょいと受けとめ、なんの苦もなくもとのところへなおして、施恩と囚人たちの方にむきなおった。その顔には赤味ひとつ走らず、胸もどきどきさせず、息も切らしてはいない。施恩は近づいて行って武松に抱きつき、讃嘆の声をあげた。
「あなたという人は並みの人間じゃない。まったく神さまだ」
囚人たちもいっせいに嘆声を放った。
「神さまの化身じゃないのか」
詩にいう。
神力《しんりよく》人を驚かし心胆《しんたん》寒からしむ
皆義勇の気の弥漫《びまん》するに因る
天を掀《あ》げ地を掲《あ》ぐ英雄の手
石を抜くは応《まさ》に宜《よろ》しく丸を弄するに似たり
施恩はさっそく武松を私邸の座敷へ請じ上げた。武松は、
「さあ、こんどはぜひおっしゃっていただきましょう。どういうご用なんですか」
「まあ、とにかくおくつろぎになって。まもなく父も出てきてご挨拶申しあげますから、そのうえでおねがいいたしましょう」
「人にものをいいつける気ならば、そんな、女子供のやるような真似はおよしなさい。そんなことは、大事を遂げる器量とは申せませんぞ。よしんば命のやりとりであっても、わたしはおひきうけして、やってさしあげましょう。胡麻をするようなまねは、恥ずかしいことですぞ」
施恩は、拱手した手をぴったりと胸にさし置き、おもむろに口を切って語り出したのであるが、それによって、ここに武松はかの人を殺した手並みをふるい、ふたたびかの虎をしとめた威風をしめすこととなるのである。まさに、双拳おこるところ雲雷吼え、飛脚来《きた》るとき風雨おどろく、という次第。いったい施恩は武松にいかなることを説き出したというのか。それは次回で。
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一 函関に向いて孟嘗を出す 秦の昭王に幽閉された斉の孟嘗君がうまく脱出する故事で、彼は、狗の鳴き声のうまい食客を使って、いったん献上した狐の白裘を盗み出させ、これを王の寵姫に献じて脱出に成功する。しかし逃げて函谷関までたどりついたときはおり悪しく深夜で、鶏鳴をもって関を開くしきたりの函谷関が越えられない。そのとき、鶏の鳴き声のうまい従者が一行のなかにいて、その鳴きまねに和して鶏がいっせいに鳴き出したので、関は開けられて無事に落ちのびた。
第二十九回
施恩《しおん》 重ねて孟州道《もうしゆうどう》に霸たり
武松《ぶしよう》 酔って蒋門神《しようもんしん》を打つ
さてそのとき、施恩はすすみ出ていった。
「どうぞお掛けになったままで。わたくし胸中をくわしくおうちあけいたします」
「典獄の若どの、勿体《もつたい》ぶったいい方はやめにして、かいつまんだ肝心要《かなめ》のところだけを、どんぴしゃりと話してもらいましょう」
「わたしは弱年のころからあちこちの師匠について武芸を修め、すこしはそのたしなみも身につけて、この孟州にあっては金眼彪《きんがんひよう》という名で通っております。ところで、この町の東門のむこうに快活林《かいかつりん》という交易場がありますが、ここは山東や河北からの旅あきんどたちが集まってきて取引きをおこなうところで、大きな旅籠《はたご》が百軒あまり、ほかにばくち場とか両替屋が二三十軒ばかりございます。以前はわたしが、ひとつには武芸ができるため、二つには牢城内の命知らずの囚人ども八九十をうしろに控えているということのため、そこで料理屋を営みながら、旅籠・ばくち場・両替屋を支配しておりました。また旅まわりの女芸人たちがこの土地へやってくれば、まずまっさきにわたしのとこへ顔出しをさせ、そのうえで稼ぐなりなんなりさせてたものです。方々から毎日きまってなにがしかのつけとどけがあり、月末には月末で、二三百両もの冥加金がはいってくるというようなしだいで、なかなかもうけがあったのです。ところが、このほど当地の軍へ張団練《ちようだんれん》(団練は警備司令官)というものが東路州から赴任してきたのですが、それが、姓を蒋《しよう》、名は忠《ちゆう》といって、身の丈が九尺を越す巨漢なので門神《もんしん》(寺や廟の門に安置する像)とあだ名されている男をいっしょに連れてきたのです。この蒋というやつは、ただ柄《がら》が大きいというだけではなく、武芸も達者で、槍も棒もこなすうえに拳法もでき、なかでもいちばん得意なのは相撲で、やつの自慢によりますと、なんでも三年があいだ、泰岳《たいがく》(泰山のこと、ここの奉納相撲は天下第一といわれた)での試合に、一度も負けたことがなく、天下広しといえどもおれと肩を並べ得るやつはひとりもおらん、というのです。そうして、やつはわたしの縄張りを奪《と》りにかかったのです。わたしはもちろん突っぱねましたが、やつめに殴られ蹴られて、二ヵ月ほどというものは、寝たきりでした。この前あなたがお見えになったときは、まだ頭と手の包帯がとれずにいたところで、今もって傷口がふさがらないというありさまです。もとより、わたしも加勢をたのんで、やつのところへ殴りこみをかけようと思わないでもなかったのですが、なにしろ張団練は配下に正規軍を持っており、そいつらが立ちあがった日にはとうぜん牢城の兵隊とまずいことになるわけで、それを考えてわたしは怨みをのんで思いとどまったのです。あなたの大豪ぶりはかねてよりききおよんでいるところとて、この際、ぜひともお力を借りてこの無念の胸の内を晴らしたいと思い立ったしだい。このままでは死んでも死にきれません。しかしながら、あなたには長旅のお疲れのほどもさこそと思われて、まずはここ半年なり三ヵ月なり休養をとっていただき、お体がすっかり元気になられたところでご相談におよぼうと考えていたのです。ところが思いがけなく、あの下郎がつい口をすべらせてしまいましたために、かくおうちあけするしだいでございます」
武松はそれを聞くとからからと笑って、
「で、その蒋門神というやつは、いくつ頭があって何本腕があるのです」
「別に沢山あるわけではありません。やはり頭はひとつで腕は二本きりです」
「わしはまた、やつはてっきり三頭六臂《さんとうろつぴ》の化け物で、那〓太子《なたたいし》(仏教の修羅神)のような凄腕の男かと思いましたよ。それだったらこのわしも怯《ひる》みもしようが、なんのことはない、頭ひとつに腕二本、那〓太子の姿でもないとすりゃなにをおそれることがありましょう」
「ではござりましょうが、わたしは力も弱く業《わざ》も未熟なため、あいつにかなわないのです」
「大きな口をたたくわけではないが、わしは身に覚えのこの腕で世間の権柄ずくなやろうや、理不尽なやつらをやっつけてやるのが念願、事の次第がそうとあらば、こんなところでぐずぐずしている法はない。酒があるならひっさげて、路々そいつをひっかけながら、今すぐいっしょにのりこんで行きましょう。そやつをあの虎同然に叩きのめしてごらんにいれます。もし拳固がはずんで殴り殺しでもしたら、わしが命をさし出して償いをします」
「まあ、ごゆっくりなさってください。間もなく父がお目にかかりにまいりますから。うつべき手はうって、あまり軽率なことはしない方がよいでしょう。明日にでも人をやって様子をさぐらせ、当人が家にいるようなら明後日行くとして、いないようなら、またそのときのことで考えなおしましょう。ただ闇雲《やみくも》におしかけて行ったのでは、かえって藪蛇になってむこうに手を打たれてまずいでしょう」
武松はもどかしがって、
「若どの、だからこそあなたはやつにしてやられたのですよ。男がなにかやろうというからには、そんなことではだめだ。行くのなら行きましょう。今日の明日のとぐずぐずしていてはだめです。さあ、行くならすぐ行きましょう。むこうが手を打ったって知れたことです」
しきりにせきたてているところへ、屏風のむこうから典獄が出てきて声をかけた。
「義士よ、おうわさはかねがねうかがっておりましたが、このたびはさいわいにもお目にかかることができまして、愚息には雲をはらって天日を仰ぐ思いでしょう。さあ、奥でしばらくお話しください」
武松が奥へついて行くと、典獄は、
「義士よ、どうぞお掛けください」
と座をすすめた。武松は、
「わたくしは囚人でございます。あなたさまと対座することなどできません」
「まあ、そうおっしゃらずに。愚息はあなたのお見知りを得て、このうえもないしあわせとよろこんでおります。どうぞご遠慮なく」
武松はそういわれて、それならばと挨拶をしてむかいあわせに座についた。施恩はしかし、そこに起立したままでいる。
「若どの、どうして立っておられます」
と武松がいうと、施恩は、
「父がお相手をいたします。どうぞ、お構いなく」
「それではしかし、わたくしが恐縮です」
典獄は、
「ああおっしゃっておいでだし、ここはよそ目もないことだから」
と施恩にも腰をかけさせた。下僕たちが酒・肴・つまみもの・料理などをはこんでくると、典獄はみずから杯をとって武松にすすめていう。
「あなたの大豪ぶりは万人のみな敬服するところです。愚息が前に快活林で商売を営んでいましたのは、決して金もうけのためではなく、孟州という土地に活気をつけ、豪侠の気風を添えようとしたわけなのです。ところがはからずも蒋門神に、権柄をうしろだてに腕力でむざむざと奪われてしまいました。あなたの英勇をたのみとするほかには、この讐を報《むく》い恥を雪《すす》ぐことはできません。もしもあなたが愚息をお見捨てなくば、どうぞこの杯を乾して、愚息のささげる四拝の礼を受けてください。あなたを兄と仰いで恭敬の心をささげさせます」
武松はそれに答えて、
「なんの才学もないわたくしが、若さまの礼をお受けするなどとは、命冥加につきた話でございます」
杯を飲みほすと、施恩は、四拝の礼をささげた。武松は急いで礼をかえし、義兄弟の盟いを結んだ。武松は、その日すっかり上機嫌で酒を飲んで泥酔してしまい、人にたすけられて部屋に帰って寝たが、そのことはそれまでとする。
翌日、施恩父子は話しあった。
「武松は、昨夜はひどく酔ってしまったが、あれではきっと宿酔《ふつかよい》で今日はとても行けないだろう。行かせるわけにはいかないだろうから、人をさぐらせにやったら、やつは家にいなかったということにして、一日、日をのばし、そのうえでのことにしよう」
施恩はその日武松のところへ行って話した。
「今日はまだだめです。人をやって様子をさぐらせましたら、やつは家にいないらしいのです。あす朝飯がすんでから出かけてもらうことにします」
「明日でもそりゃ構いませんが、それじゃ今日一日、またむしゃくしゃして過ごさにゃならんというわけですな」
朝飯をすませて茶を飲みおわると、施恩は武松と連れだって、牢城のあたりをひとまわり散歩し、居間に帰って、槍術について話したり、拳や棒を論じたりした。やがて昼になったので、施恩は武松を私邸の方へ誘ったが、酒はほんのすこし出しただけで、肴や菜ばかりをふんだんに出した。武松は酒が飲みたいのだが、施恩が肴ばかりすすめるので、味気ない思いで昼飯をすませ、別れて客間にひきとり、ぼんやり坐っていた。すると、ふたりの下男が湯を使わせにきたので、武松はたずねてみた。
「おまえのところの若さまは、今日はどうしたことか肴ばかりすすめて酒はすこししか飲ませてくれなかったが、あれはどういうわけなんだ」
「ありていに申しますと、じつは今朝がた典獄さまと若さまがご相談になって、今日、あなたさまに行っていただくようおねがいしてはあるものの、昨夜はひどく酔われたから今日は宿酔で、大事をしくじられてはならないというので、お酒はわざと出すのを遠慮して、明日出かけていただこうということになったのです」
「すると、おれが酔っぱらえば、大事をしくじるというわけなのだな」
「そういうご相談でした」
その夜、武松は夜が明けるのを待ちかねてはやばやと起き出し、顔を洗い口をすすぎ、頭には万字頭巾をかぶり、身には木綿の代赭色の衫《うわぎ》をひっかけ、腰には赤い絹紐をしめ、脚には脚絆をつけ、八つ乳の麻の草鞋《わらぐつ》をはき、膏薬を一枚もらって顔の金印《いれずみ》の上に貼りつけた。施恩も早くからやってきて、私邸の方へ朝飯によんだ。飯がすむと施恩はいった。
「厩《うまや》に馬がいますので、用意させますから乗って行ってください」
「わたしは纏足の女子《おなご》じゃないから、馬なんかいりません。ついてはひとつだけおねがいしたいことがあるのですが」
「なんなりとおっしゃってください。いかようにもおいいつけに従いましょう」
「いっしょに町を出たら、三なくんば望《ぼう》を過ぎずってことにおねがいしたいんです」
「なんのことですか、その三なくんば望を過ぎずっていうのは。わたしにはわけがわかりませんが」
武松は笑いながら、
「こういうことなのです。蒋門神をやっつけてくれとおっしゃるなら、町を出てから先は居酒屋の前を通るたびに、酒を三杯ご馳走してもらいたいのです、三杯飲まなきゃ望子《ぼうし》(酒ばやし)を通りこさない。これを三なくんば望を過ぎずというのです」
施恩はそれを聞いて考えた。
「快活林は東門から十四五里もさきだ。その間に居酒屋は十二三軒もあろう、どの店にも立ちよって三杯ずつひっかけるとなると、まるまる三十五六杯飲んでからやっとむこうに行きつけるという勘定だ。これじゃ酔っぱらってしまってとても話にはなるまい」
武松は大いに笑いながら、
「酔って腕がなまってしまうとご心配ですか。ところがどうして、わしは酒がはいっていないと腕がふるえないんです。一分の酒なら一分だけの腕、五分の酒なら五分だけの腕、十分の酒を飲めば、どこから出てくるのかわからぬほどの力が出てくる。酔って胆が太くなっていたから、景陽岡であの虎を退治することができたんです。あのときはべろべろに酔っていたので、よく手が出たし、力も湧けば勢いづきもしたんです」
「そんなこととは存じませんでした。家には上酒がたくさんあるにはあるのですが、酔ってしくじられてはと案じたものですから、昨夜はわざと出さないで、深酒されないように計らったのです。飲めば飲むほど腕が立つとおっしゃるなら、ふたりの下男を、家にある上酒やつまみものや肴を持たせて先へやり、途中で待たせておいて、あなたと路々飲みながら行くとしましょうか」
「そうしてもらえれば、しめたもんです。行って蒋門神を叩きのめすのにも、胆が坐りましょう。酒がはいらないと、なかなか腕がふるえないのです。今朝はきっとやつをぶち倒して、みなの衆の笑いものにしてやります」
施恩はすぐ用意をし、ふたりの下男に食籠《じきろう》と酒をかつがせ、銅銭もいくらか持たせて一足先に出してやった。典獄はひそかに十人か二十人の屈強な大男を選んで、あとからついて行って加勢するようにいいつけた。
さて、施恩と武松のふたりは安平寨を立ち出《い》で、孟州の東門を出たが、行くことわずか四五百歩ばかりで、街道べりに居酒屋がある軒先に望子《さかばやし》がかかげ出してあった。食籠を持って下男ふたりは、すでにそこで待っていた。施恩が武松を誘ってなかへはいり、腰をおろすと、下男は肴をならべ、酒をついだ。武松は、
「小さな杯でなく、大きな碗にしてくれ。三杯でよいのだ」
下男は大碗をならべて酒をついだ。武松は、遠慮も会釈もなく、たてつづけに三杯飲むと、
さっさと席を立つ。下男はあたふたと器物をとりかたづけ、大急ぎで駆け出して行く。武松は笑いながら、
「はいるものがはいって、ちょいと元気が出ました。さて、出かけましょう」
ふたりは居酒屋を出た。おりしも時節は七月、残暑はまだ烈しかったが、はや秋風が立ちそめていた。ふたりは胸もとをひろげ、さらに行くこと一里あまり、村のはずれにさしかかると、早くもまた一本の酒旗が、林の上に高くかかげ出してあるのが見えた。行ってみると、それは濁り酒を売る小さな居酒屋である。見れば、
古道の村坊、傍渓《ぼうけい》の酒店。楊柳は門外に陰森として、荷華《かか》は池中に〓〓《いじ》たり。飄々たる酒旆《しゆはい》は金風に舞い、短々たる蘆簾《ろれん》は酷日を遮る。磁盆《じぼん》の架上、白冷々として村醪《そんろう》を満貯し、瓦瓮《がおう》の竈前《そうぜん》、香噴々として初めて社〓《しやうん》を蒸《む》す。未だ必ずしも樽を開かずして香ること十里、也応《またまさ》に壁を隔てて三家を酔わしむべし。
ふたりがこの鄙《ひな》びた居酒屋の店さきへさしかかったとき、施恩が立ちどまって、
「ここは濁酒《どぶろく》の店ですが、おやりになりますか」
「酸っぱくても辛くても、苦《にが》くても渋くても酒は酒にちがいないのだから、やはり三杯だ。三なくんば〓《さかばやし》を過ぎず、ですから」
ふたりはなかへはいって腰をかけ、下男たちは果物や肴をならべる。武松は三杯飲むと立ちあがって店を出る。下男たちはきりきり舞いで器物を始末し、先を急いで駆け出して行く。ふたりが店を出てさらに一二里も行かぬうちにまた居酒屋。武松ははいって、ここでも三杯ひっかけてすぐに出る。いちいち述べるのはやめておくが、ともかく武松と施恩は、道を行きながら居酒屋を見つけるたびになかへはいって三杯ひっかけながら、まずは十何軒かの居酒屋を飲んで通った。施恩の見るところ、武松はこれでもまだ十分とはいえぬ酔いようである。武松は、
「快活林までは、あとどのくらいでしょう」
「もうわずかです。ほれ、このむこうに見えるあの林がそうです」
「もうきてしまったのですか。それじゃあなたは、どこかそこいらあたりで待っていてください。わたしはやつをつかまえに行くことにしますから」
「そうさせていただきましょう。わたしの方はかくれるところもありますから、あなたはどうか十分、お気をつけてくださいますよう。決してなめてかかったりなどなさいませぬよう」
「大丈夫、ただ、下僕をわたしに貸してください。この先まだ居酒屋があるなら飲まなきゃなりませんから」
施恩は下男たちに武松を送って行くようにいいつけ、別れて立ち去った。
武松は、そこから三四里も行かぬうちに、さらに十何杯かの酒を飲んだ。時刻はもう昼ごろで、ちょうど暑い真っ盛り、しかしそよ風もすこしは吹いていた。武松は、酔いがまわってきだしたので、衫《うわぎ》をおしはだけ、じつはまだ六七分の酔いでしかなかったのだが、すっかり酔っぱらっているようなふりをしながら、前にのめり後へ踏んぞり、右によろり左にふらりと千鳥足を踏みながら、林の前あたりまでやってきた。すると下男たちが、むこうを指さしながら、
「あそこに見える丁字路の角のところ、あそこが蒋門神の料理屋です」
「もう着いたのか。じゃ、おまえさんたちはあっちへ退《の》いていてもらおう。おれがやつを叩き伏せたのを見とどけてからくるがよい」
武松が林のなかを通り抜け、むこう側へ出て行って見ると、そこに、金剛力士のような巨漢が、木綿の白い衫をひっかけ、床几を据え、蠅はらいを手に持って、槐《えんじゆ》の木蔭で涼んでいた。
武松がその男のようすを見るに、
形容は醜悪にして、相貌は〓疎《そそ》。一身に紫肉《しにく》横に舗《し》き、幾道の青筋《せいきん》暴起し、黄髯は斜に捲いて唇辺に幾陣の風生じ、怪眼は円《まる》く〓《みは》って眉下に一双の星閃《ひらめ》く。真に是れ神荼鬱塁《しんとうつるい》(魔除け、鬼やらいの門神)の像にして、卻《かえつ》て立地頂天の人に非ず。
武松は酔いどれのようなふりをしながら横目でじろりと眺めて、
「ははあ、この大男が蒋門神というやつなんだな」
と、そのままやり過ごし、さらに四五十歩ばかり行くと、丁字路の角の大きな料理屋の前に出た。軒先に旗竿を立て、大きな字で四字、
河陽風月《かようのふうげつ》
と記してある。表へまわって見ると、門前はずっと青漆の欄干をめぐらし、二本のすり箔の旗が立ててあったが、それにはそれぞれ五つの金の文字で、
酔裏乾坤大《すいりけんこんだいなり》
壼中日月長《こちゆうじつげつながし》
と入れてある。店内の一方の側には肉切り台と俎板および庖丁などの道具がならび、片方の側には饅頭をふかすかまどがある。奥の方には三つの大きな酒甕が、腰から半分を土間に埋めこんであり、甕にはそれぞれ酒が八分どおり満たしてある。中央には帳場があり、そこにひとりの若い女が坐っていた。この女は、蒋門神が孟州へきてすぐ娶《めと》った妾で、もとは西の花柳街で唄をうたっていた芸妓である。見ればこの女は、
眉は翠岫《すいしゆう》を横たえ、眼は秋波を露わす。桜桃の口は浅く微紅を暈《ぼか》し、春笋《しゆんしゆん》の手は軽く嫩玉《どんぎよく》を舒《の》ぶ。冠児は小さく、明《あきら》かに魚〓《ぎよしん》を舗《し》いて烏雲に掩映し、彩袖《さいしゆう》は窄《せま》く、巧みに榴花《りゆうか》を染めて薄く瑞雪を籠《こ》む。金釵《きんさ》は鳳を挿し、宝釧《ほうせん》は竜を囲む。儘教《ま ま》よ崔護《さいご》をして去《ゆ》いて漿《しよう》を尋《もと》めしめん、疑うらくは是れ文君《ぶんくん》(卓文君)の重ねて酒を売るかと。
武松は見て、酔眼をしばたたきながら店内へはいって行き、帳場とむかいあわせの席にかけ、両手で机をおさえつけ、まじろぎもせずに女を見つめた。女はそれに気がついてそっぽをむいてしまった。見まわしてみると、給仕が六七人いる。武松は机を叩いてよびたてた。
「ここの亭主はおらんのか」
給仕頭がやってきて武松にむかい、
「お客さま、お酒はいかほどお持ちいたしましょう」
「二角持ってこい。まずそれだけでよい。味見してやるから」
給仕は帳場へ行って例の女に酒を二角汲んでもらい、桶にうつし、一碗燗をつけて持ってきた。
「どうぞ、ためしてください」
武松は手にとって匂いをかぎ、頭を振っていった。
「いかん、いかん。とりかえてこい」
給仕は酔っぱらいと見てとると、帳場へ持ち帰って、
「まあ、とりかえてやってくださいよ」
女は受けとってそれをもとへあけうつし、すこしましな酒に汲みかえた。給仕は持って行き、また一碗燗をつけてはこんできた。武松は、それをとりあげて一口がぶっと飲んでみて、
「こいつもいかん。とっととかえてこい。ぐずぐずすると承知しねえぞ」
給仕はむっとしたが、だまって帳場へ持ち帰り、
「まあ、もう一度、もうすこしいいのとかえてやってください。相手にしないがいいです。酔っぱらいで、なにか因縁でもつけたくてうずうずしてるみたいですから。上酒にかえてやったがいいでしょう」
女がまた、さらによい上酒を汲んで給仕にわたした。給仕は桶を前に置き、また一碗燗をつけてきた。武松は飲んでみて、
「うむ、こりゃちといけるな」
そして、たずねた。
「おい、お前んとこの亭主はなんという姓だ」
「蒋《しよう》といいます」
「なぜ李《り》とはいわんのだ」
女はそれを聞いて、
「あいつ、どこかで飲んで、ここへ喧嘩を売りにきたんだね」
給仕は、
「よそものの極道にきまってますよ。なんにも知らないんですよ。まあ、ほっときなさいよ」
武松はそれを聞きとがめて、
「きさま、なんといった」
「いえ、こっちの話です。どうぞお構いなく、お客さんはお酒を召しあがってください」
「おい給仕、帳場のあの女をここへよんでおれのお相手をさせろ」
給仕はきつい声でたしなめた。
「なにをいうんです。あの人はここの奥さんですよ」
「ここの奥さんならどうしたというんだ。おれの相手をしたってよかろうじゃないか」
女はかっとなって、どなった。
「くたばりぞこないの罰当たりめ」
と、帳場をおしあけて飛び出して行こうとする。武松は早くも、代赭色の衫を肌ぬぎにして前ぶところにさしはさみ、桶の酒をぱっと土間にぶちまけてすばやく帳場のなかへ飛びこんで行くと、ちょうど出てくる女とまっこうからぶっつかった。武松は剛のもの、女に手向かえるはずはない。武松は片手で女の腰をひっつかまえ、もう一方の手では髪飾りを粉々に握り砕いて髪を鷲づかみにし、帳場越しに吊り出したかと思うと、いきなり酒甕にむかってぽんとほうり投げた。どぼんという音とともに、可哀そうに女は大酒甕のなかへまっさかさま。
武松が帳場のところから出てくると、店の給仕たちのなかの腕に覚えのあるやつらが、いっせいに襲いかかってきた。武松は、ひょいと手を伸ばしてひとりひっぱりよせるなり、両手でつかみあげて、おなじく大酒甕のなかへ放りこんだ。つづいてかかってきたひとりも、頭をつかんでただ一振りに投げ飛ばしておなじく酒甕のなかへ。ついでこんどはふたりがかりで手むかってきたが、ひとりは拳固、ひとりは足蹴りでかたづけた。はじめの三人は、三つの酒甕のなかに浸ったままで手むかいできるわけもなく、こんどのふたりは土間にのびてしまっている。あとの数人の腑抜けの仲間も殴りまわされて腰を抜かし、なかのたったひとり、ずるいやつが逃げて行ったきりだった。武松は、
「あやつは蒋門神のところへ注進だな。よし、こっちから出むいて行って往来のど真中でものの見事に叩きのめし、みなの衆の前で大恥をかかしてやろう」
武松はどしどしあとを追って行った。
例の男は宙を飛んで蒋門神のところへ馳せつけた。蒋門神は知らせをうけるとびっくりして、床几を蹴ころがし蠅はたきを放り投げて飛び出した。と、ちょうどそこへ武松がやってきて、往来の真中でばったり出くわした。蒋門神は、でかい男ではあったが、このところ、酒と女に現《うつつ》をぬかしていたので身体が弱っているところへ、びっくりして駆けつけてきたものだから、ふらふらになっていた。虎のような頑健さに加えて、ちゃんと腹に魂胆を持っている武松にかなうはずはない。ところが、蒋門神は武松を見て、こやつ、酔っているなとまずなめてかかり、しゃにむにぶっつかって行った。が、その一瞬、武松は両の拳を蒋門神の顔の前で空振りするや、ぱっと身を翻《ひるが》えして逃げ出した。蒋門神がかっとなって飛びかかってくるところを武松は足を飛ばしてその下腹を蹴りあげた。蒋門神が両手で抱えこんでうずくまると、武松はつとすすみよって右足を飛ばし、その顔面をまっこうから蹴上げて仰むけざまに転倒させた。そしてさらにひと足踏みこんで胸板を踏んづけ、すり鉢ほどもありそうな大拳骨でその顔面を殴りつけた。
そもそも、今話した、蒋門神を打ったこの撲《う》ち手《て》、つまり、狙うと見せかけた拳骨を空振りし、身を翻えしざま左足を飛ばす、そしてこれがきまると、とってかえしてこんどは右足を飛ばすというこの手、これが有名な「玉環歩《ぎよくかんほ》、鴛鴦脚《えんおうきやく》」と称せられるもので、武松が日頃きたえた十八番のきめ手、かりそめの手とはわけがちがう。さて打ちのめされた蒋門神がゆるしを乞うと、武松はどなりつけた。
「命がほしければ、おれのいう三つのことを聞け」
蒋門神は地べたで叫んだ。
「おゆるしください。三つはおろか、三百でもお聞きします」
かくて武松は蒋門神に指をつきつけて、三つのことをいったのであるが、そのためにやがて武松は、姿かたちを変えて主をたずね、髪を切り眉を剃って人を殺す、という次第になるのである。いったい武松のいった三つのこととはいかなることであったか。それは次回で。
第三十回
施恩《しおん》 三たび死囚牢に入り
武松《ぶしよう》 大いに飛雲浦《ひうんぽ》を鬧《さわ》がす
さてそのとき武松は、蒋門神を地べたに踏まえつけていった。
「命がほしければ、おれのいう三つのことを聞け」
「どうぞおっしゃってくださいませ。わたしめは、どんなことでもお聞きします」
「第一に、きさまは即刻、この快活林から立《た》ち退《の》くんだ。家財調度いっさいはそっくりそのままもとの持主の金眼彪の施恩に返せ。勝手に人のものをふんだくるとは太いにもほどがあるぞ」
「わかりました。わかりましてございます」
と蒋門神はあわてて答える。
「第二に、今おれが放してやったらすぐ、快活林のおもな顔役連中全部にたのんで、施恩どのに詫びをいれてもらうんだ」
「わかりましてございます」
「第三に、返すものを返してしまったら、きさまはすぐ快活林を出て行き、今夜のうちにきさまの田舎へ帰ってしまえ。孟州にいることはまかりならん。もしもここいらにうろついていたら、いっぺん見つけたらいっぺん殴り、十ぺんみつけたら十ぺん殴り、軽くて半殺し、重ければ命をもらうぞ。どうだ」
蒋門神はそういわれて、後生大事とばかり、しきりにいった。
「わかりました。よくわかりました。みんなおいいつけどおりにいたします」
武松がひっぱりおこして見ると、蒋門神の顔は殴られて青黒くなり、口は腫れあがり、首は横っちょにひん曲がり、額からは血を垂らしている。武松は蒋門神に指をつきつけながら、
「きさまのようなくそばかやろうは、ものの数《かず》じゃない。景陽岡の虎でさえも拳骨と足蹴りでぽかりとくたばらせてやったこのおれさまだ。きさまごときがなんだ。返すものはとっとと返してしまえ。ぐずぐずしていると、もうひと殴りして、あっという間にあの世へやってしまうぞ」
蒋門神はこの時はじめてそれが武松だとわかり、ただもう恐れに恐れてゆるしを乞うばかりであった。そこへ施恩が、屈強な兵士ども二三十人をひき連れて加勢に駆けつけてきたが、蒋門神がすでにたたき伏せられているのを見て大いによろこび、ぐるりと輪になって武松をとりかこんだ。武松は蒋門神に指をつきつけていった。
「もとの主がこうしてここにおいでだ。きさまは家から立ち退くと同時に、すぐに一同をよんできて詫びをいれるんだ」
「かしこまりました。それでは店の方へお越しくださいまし」
武松は一行をひき連れて店へ行った。見ればそこいらは一面に酒びたしで、さっきのふたりはまだ酒甕のなかでばたばたともがいているところ。女は今ようやくはい出してきたところであったが、あちこちにぶっつけて顔じゅう傷だらけで、腰から下の方はぼたぼたと酒のしずくを垂らしている。ほかの給仕たちはどこへ失《う》せたか影も形もなかった。
武松は一同とともに店のなかへはいって腰をおろすと、
「やい、とっとと出て行く支度をしろ」
とどなりつけた。蒋門神は車を用意し、身のまわりのものをとりかたづけて一足先に女を送り出す一方、傷を負わずにすんだ給仕をよびにやって、土地のおもだった顔役十数人に店にきてもらい、蒋門神にかわって施恩に詫びを入れてもらうことにし、ふんだんに上酒を出し、盛り沢山の肴をずらりと卓の上にならべ、一同に席につくようにすすめた。武松は施恩を蒋門神の上座に据え、一同の前にはそれぞれ大きな碗を出して給仕にどしどし酒をつがせた。こうして酒が数杯めぐったところで、武松は口を開いた。
「みなの衆、聞いてもらいましょう。不肖武松は、陽穀県で人を殺《あや》めたために当地へ流罪となってきたのだが、聞けば、快活林のこの料理屋は、もともと施典獄の若どのが建てて商売をはじめなさったのを、この蒋門神が力ずくでふんだくり、まんまと他人の飯櫃《めしびつ》を取りあげてしまったとのこと。このわしは若どのの家来でもあろうかとみなさんはお考えかも知れないが、そうではない。若どのとはなんの関係もないのだ。わしはただ天下のこうした無道なやつらをこらしめることが念願。不当に苦しめられている人を見れば、刀をひき抜いて助ける。そのためには命も惜しくはない。今日はほんとうは蒋のこのやろうをぶち殺して厄ばらいをするつもりだったのだが、みなさん方のお顔を立てて、ここはひとまず、命だけはあずかってやることにしたしだい。そのかわり、今夜のうちにもここを出て行かせる。もしもこやつがここいらをうろうろしていて、わしともういっぺん顔をあわせでもした日には、景陽岡の虎がその見本だと心得ておいてもらおう」
一同は、ここではじめて彼が景陽岡で虎を仕止めた武都頭であることを知り、みな立ちあがって、蒋門神にかわって詫びを入れた。
「なにとぞご容赦くださいますよう。やつには即刻ここより立ち退かせ、ここはもとのご主人にお返しいたさせますから」
蒋門神は武松にどやしつけられ、まったく一言もなかった。施恩は家具や調度をあらためて店を自分のものにとりもどした。蒋門神は恥じ入りながら一同に礼をいい、車を一台呼んできて、荷物を積んで出て行ったが、その話はそれまでとする。
さて武松は、一同をもてなし、存分に飲んでおひらきにした。夕方、みなはひきとって行ったが、武松はそのまま眠ってしまって、翌日、辰牌(朝八時)ごろになってやっと眼をさました。施典獄は、息子の施恩が快活林の料理屋をとりもどしたことを聞くと、馬を駆って店へ馳せつけてきて、武松に厚く礼を述べ、そのまま何日か居つづけて祝いの酒盛りを開いた。快活林の界隈一帯のものは、武松の大豪ぶりをみな聞きおよんでいるので、こぞって武松のところへ挨拶をしにやってきた。
やがて、店を改装して料理屋を開いた。典獄は安堵して安平寨へ立ち帰り、その任にもどった。施恩は人を出して蒋門神の動静をさぐらせて見たところ、かれは家族を連れてどこかへ行ってしまったとのことなので、こちらで安心して商売に打ちこみ、彼のことはうち捨てておいて、武松をそのまま店に逗留させた。それ以後、施恩の店は以前よりも四五割も利益をあげるほどの繁昌ぶりで、また諸方の旅籠やばくち場、両替屋などからの冥加金も前よりもはるかに多くなった。施恩は武松のおかげで肩身の広い思いをすることができるようになったので、さながら親に仕えるように大事にした。かくて施恩は孟州道快活林にかえり咲くことができたのであるが、この話はこれでうちきることにする。まさに、
人の道路を奪えば人も還《また》奪う
義気多き時は利も亦多し
快活林中重ねて快活す
悪人には自ら有り悪人の磨(磨滅)
日はめぐり星は移って、早くも一ヵ月あまりたった。炎暑はしだいにおとろえて玉の露は涼気を帯び、秋風は暑気を追ってすでに初秋の候となった。事あれば話は長くなり、なければ短くなる。ある日、施恩と武松が店の方で、たあいもないうわさ話や武芸の話などにうち興じていると、一頭の空馬をひいた二三人連れの兵隊が店の前にあらわれ、はいってきて主人にたずねた。
「虎を退治なすった武都頭どのとはどのお方です」
施恩はそれが孟州の警備に当たっている兵馬都監張蒙方《へいばとかんちようもうほう》の役所の近侍のものだと知っていたので、出て行ってたずねた。
「おまえさんたち、武都頭にどういう用があるんだね」
「都監さまのお使いでまいりましたので。武都頭どのがあっぱれなお方だとお聞きになって、馬でお迎えしてくるようにとのことで、お手紙もここにございます」
施恩はそれに目を通して思うには、
「張都監といえば父上の上司で、父上はその支配を受けておられるのだ。武松どのにしても流罪になってきた囚人だから、やはりその支配下にある身。とすれば行ってもらうよりほかあるまい」
施恩はそこで武松にいった。
「この方たちは張都監さまのところからあなたをお迎えにこられた使いの方です。ちゃんと馬の用意までしてこられたのですが、どうなさいます」
武松は剛直一本槍の男だから、委細お構いなしである。
「むこうさんがこいというなら、行ってみることにしましょう。どんな用事か知らないが」
すぐに着物や頭巾を着換え、小僧をひとり連れて馬に乗り、孟州の城内へとむかった。
張都監の私邸に着いてその門前で馬をすて、迎えにきた兵士のあとについて、ずっと奥へ通り、張都監の前に出た。張蒙方は武松がやってきたのを見ると、大いによろこんで、
「近うまいれ」
と呼びよせる。武松は、出て行って礼をささげ、手をこまぬいてそこに立った。
「その方のあっぱれな英雄ぶり、その無敵な武勇、人のためにはあえて死をも顧みない義気のほどは、わしも聞きおよんでいる。わしは身のまわりにそのような人物を求めておるところだ。どうだ、その方、わしの近侍になってくれぬか」
武松はひざまずいてお礼の言葉を言上した。
「わたくしは牢城の囚人にすぎません。あなたさまのおとりたてにあずかりますならば、一身を捧げてお仕えいたします」
張都監は大いに満足し、ただちに酒や肴をいいつけ、みずから杯を取り酒をすすめて、武松が十分に酔うまで飲ませ、表廊下の脇部屋をとりかたづけてそこに休ませた。翌日は施恩のところへ使いのものをやって、その荷物をはこんでこさせ、邸内に寝泊まりさせるようにしたうえ、しげしげと奥の間へ呼びいれ、酒食をととのえてねんごろにもてなし、どの部屋へも自由に出入りを許して、身内のものと同じようなあつかいをした。さらにまた、仕立屋に命じて、秋の着物を上から下まですっかり新調させたりなどした。武松はうれしくなって、心のなかに思うよう、
「まったくありがたい話だ、こんなによくしてもらうなんて。ここへきてからずっと都監どのにつきっきりで、快活林へ施恩に会いに行く暇もない。施恩はおれの様子を見にたびたび人をよこしているようだが、どうやら屋敷のなかへは、入れてもらえぬらしい」
武松は、張都監の屋敷に住むようになってから、都監に可愛がられたので、なにかと人々から公務上のたのみを受けたが、都監は彼がとりつげばなんでも聞きいれた。そのため、あちこちの人々から金銀や絹などが送られてきた。武松は柳行李を買ってそれらの品々をしまっておいたが、そのことはそれまでとして、そうこうするうちにいつしか早くも八月の中秋の候となった。中秋のそのよき眺めは、
玉露は冷々えして、金風は淅々《せきせき》たり。井畔《せいはん》の梧桐は葉を落し、池中の〓《かんたん》(蓮)は房を成す。新雁の声は悲しく、寒蛩《かんきよう》(こおろぎ)の韻は急なり。風に舞う楊柳は半ば摧残《さいざん》し、雨を帯ぶる芙蓉は嬌〓《きようえん》を逞しくす。秋色は平分に節序を催し、月輪は端正に山河を照らす。
そのとき張都監はずっと奥まった鴛鴦楼《えんおうろう》の間に宴席をしつらえて中秋の月をめで、武松もそこへよんで酒をふるまった。この席には都監の夫人をはじめ奥むきの女たち一同がより集まっていたので、武松は一杯飲んだだけですぐにさがろうとした。すると都監がよびとめた。
「どこへ行くのか」
「奥さまをはじめ大奥のお方たちのお席でございますので、遠慮させていただきます」
都監はからからと笑って、
「かまわぬ。わしはおまえが義士であることに敬意を表し、わざわざここへよんで、ともに酒をくもうというのだ。家族同然なのに、なぜ遠慮をする」
と、都監は強いて腰を据えさせようとする。武松は、
「わたくしは囚人の身でございます。あなたさまと同席することなどできません」
「義士よ、なにも改まるにはおよぶまい。ここには誰もほかに憚《はばか》るものはいないのだ。さあ、そこへ坐れ」
武松は再三辞退したが、張都監はどうしてもききいれずに同席を強いるので、武松はしかたなく、ご無礼いたしますと挨拶してずっと末座に身を小さくしてかしこまった。張都監は小間使たちにいいつけて酌をさせたが、一杯二杯と、たちまち六七杯も武松は杯をあけた。張都監は、こんどは肴の食卓をはこび出させて酒をすすめ、さらにさまざまなご馳走をつぎつぎと出させて、世間話をしたり槍法についてたずねたりした。そして、
「豪傑の酒盛りには小さな杯では面白うない。銀の大杯を出してついでやれ」
といい、矢つぎばやに、何杯もかさねさせた。そのうちに、月はあかあかと東の窓に射しかけ、武松はいい気持に酔ったが、酔うにつれてようやく礼儀作法も忘れて、ひたすら痛飲した。張都監は、お気にいりの玉蘭《ぎよくらん》という小間使をよび、歌をうたわせた。その玉蘭の容姿いかにと見れば、
臉《かお》は蓮萼《れんがく》の如く、唇は桜桃に似る。両彎の眉は画《えが》きて遠山の青く、一対の眼は明かにして秋水の潤《うるお》う。繊腰は〓娜《じようだ》にして、緑羅の裙《もすそ》は金蓮を掩映《えんえい》し、素体は馨香にして、絳紗の袖は軽く玉筍《ぎよくしゆん》を籠《こ》む。鳳釵《ほうさ》斜めに挿《さ》して雲髻に籠《こも》り、象板《しようばん》(象牙で作った拍子木)高く〓《ささ》げて玳筵《たいえん》に立つ。
張都監は玉蘭に指さしていった。
「この席は内輪の者ばかりだ。ただわしの腹心の武都頭がいるだけだ。なにか中秋の名月にことよせた歌をうたいなさい」
玉蘭は象板《しようばん》を手に持ち、すすみ出て一同に礼をしたのち、おもむろに声を張って東坡《とうは》学士の中秋水調歌をうたいだした。その歌は、
明月は幾《いつ》の時よりか有る
酒を把《とつ》て青天に問わん
知らず天上の宮闕《きゆうけつ》
今夕是れ何の年なるを
我《われ》風に乗って帰り去らんと欲《す》るも
ただ恐る瓊楼玉宇《けいろうぎよくう》の
高処寒に勝《た》えざらむことを
起ち舞いて清影を弄す
何ぞ人間《じんかん》に在るに似ん
高く珠簾を捲き
低く綺戸《きこ》により
照らして眠り無し
応《まさ》に恨み有るべからず
何事ぞ常《かつ》て別時に向《おい》て円《まどか》なる
人に悲歓離合有り
月に陰晴円欠有り
此事《このこと》古より全うし難し
但願くは人の長久《ちようきゆう》にして
万里嬋娟《せんけん》を共にせんを
玉蘭はうたいおわると象板を置き、前とおなじように一同にむかって礼をし、傍に控えて立った。張都監は、
「玉蘭、ひとわたりずっとみなに酌をしてくれ」
玉蘭ははいと答えて、歓杯《かんぱい》(客にすすめる大杯)をとりあげ、女中がそれに酒をつぐと、まず張都監にささげ、ついで夫人、そして三杯目は武松にすすめた。
「なみなみとついでやれ」
と張都監が声をかけた。武松は面《おもて》もあげえず、立ちあがっておそるおそる受け、都監夫妻にうやうやしく挨拶をして杯をとりあげると、一気に飲みほして杯をかえした。張都監は玉蘭を指さしながら武松にむかって、
「この女はなかなか利発で、音曲も堪能なら針仕事もうまいぞ。どうだその方、身分を問題にせずば、近いうち、吉日をえらんで妻に娶らせようぞ」
武松は立ちあがり、再拝の礼をして、
「わたくしのようなものが、あなたさまのお身内の方をいただくなどとは、滅相もないことでございます」
都監は笑いながら、
「わしがそういったからには、きっとその方にやる。遠慮せんでよい。約束は必ず守ってみせる」
そのとき武松はたてつづけに十何杯も傾けて、だいぶん酔いがまわってきたので、礼を失しないうちにと立ちあがって都監夫妻にお礼をいい、引きさがって廊下づたいに居室の前まできて、戸を開けたが、今のご馳走が腹にもたれてとても寝つけそうにもないので、部屋に着物と頭巾を脱ぎすて、棍棒を手にして中庭へ出て行き、月明りの下で棒を使いながらぐるぐるまわっていた。空を仰いで見ると、三更(夜十二時)ごろのようであった。武松が部屋へもどって行って、着物をぬいでさて寝ようとしたとき、とつぜん、奥の間の方で、
「賊だ、賊だ」
という叫び声がおこった。
「都監どのにあれほど目をかけてもらっているおれだ。奥に賊がはいったならば、駆けつけなければ」
と武松は忠義だてをしようと、棍棒をひっさげて奥へ駆けて行った。と、あの歌をうたった玉蘭がおろおろしながら走ってきて、指をさし示しながら、
「賊が裏のお庭へ逃げて行きました」
という。武松はそれを聞くと、棍棒をおっとって急いで庭のなかへ飛びこんで行ったが、ひとまわりしてさがしても見つからないので、ひきかえしてきたその途端、だしぬけに暗闇のなかから腰掛けが投げつけられ、それにつまずいて武松はもんどりうって転がった。と、七八人の兵士が飛び出してきて、
「とりおさえたぞ」
と叫び、武松をおさえつけて麻縄で縛りあげてしまった。武松はおどろいて、
「おれだよ、おれだよ」
と叫んだが、兵士たちはいっかな耳を貸そうとしない。見れば座敷のなかにはあかあかと灯がともされ、張都監が出てきて大声で呼ばわった。
「ものども、ひき立ててこい」
兵士たちは棒でたたいて追いたてながら、その前へつれて行った。武松は、
「賊ではございません。武松です」
と訴えたが、都監は見るなり血相をかえて怒り出し、
「この懲役やろうめ。もともと、真底《しんそこ》からの強盗だったのか。わしがせっかく、きさまの肩を持って、ひとかどの人間にしてやろうと骨を折ったのに、なんたることだ。わしは一度だってきさまに辛くあたった覚えはないぞ。ついさっきだって同じ席によんでいっしょに酒を飲み、どうにかして役人にとりたててやろうとしていたのに、よくもあんなことができたもんだな」
武松は大声でいった。
「ちがいます。わたしは、賊を捕えに行ったのです。それなのに、なんだって賊よばわりなさるのです。はばかりながら武松は、れっきとした好漢です。そんな不埒《ふらち》なまねはいたしません」
都監はどなりつけた。
「きさま、まだしらを切るつもりか。こやつを部屋へしょっぴいて行って、盗品をかくしているかどうか調べてみろ」
兵士たちは武松をひきたてて彼の部屋へ行き、例の柳行李をあけて見ると、上の方は着物だったが下の方には銀の酒器や皿が、金《かね》にしておよそ一二百両ばかりもかくしてあった。武松はそれを見て呆然とした。
「おれは知らぬ、おれは知らぬ」
というばかり。兵士たちはその行李を座敷の前へはこんで行った。都監はそれを見て、大声でののしった。
「懲役やろうめ、よくもやりおったな。見ろ、きさまの行李のなかから、ちゃんと盗品が出てきたではないか。これでもまだしらを切るつもりか。諺にも、衆生《しゆじよう》は度《ど》しやすいが人は度しがたい(注一)というが、きさまは、見かけはまっとうな面をしているものの、その根性は掻っぱらいだったのか。盗品が証拠としてはっきりしたからには、問答はいっさい無用だ」
と、ただちに盗品には封印をし、身柄はひとまず捕り手の評定部屋に監禁しておいて、夜が明けたら詮議にかけることにした。武松は、しきりに冤罪《えんざい》ある旨を訴えたが、てんでとりあってはくれなかった。兵士たちは盗品をかつぎあげ、武松を引きたてて評定部屋へおしこんだ。張都監はその夜のうちに、さっそく、使いを立てて府尹にわたりをつけておき、また、押司や孔目など、係りの役人たちにも金をつかませておいた。
あくる日、夜が明けて府尹が登庁すると、緝捕観察は、ただちに武松を引きたてて出頭し、盗品もそこへかつぎ出された。張都監のところからは、腹心のものが盗難の被害書を持ってきた。府尹はその被害書に目を通すと、左右の者に下知して武松を縄で縛《しば》らせた。獄卒たちは拷問の道具をそこへずらりとならべた。武松がわけを話そうとすると、府尹はどなりつけて、
「こやつは流罪の囚人だ。泥棒をはたらかぬはずはない。品物を見て、むらむらとわるい料簡《りようけん》をおこしたのであろう。これにある盗品が動かせぬ証拠。こやつのいいぶんなど、聞いてやる必要はない。容赦せずに、びしびし打ちのめせ」
獄卒たちは割れ竹を握って雨あられと殴りつけた。武松は、これはもうどうにもならぬとあきらめ、身に覚えのない罪状を白状した。
「今月の十五日、都監さまのお邸において、すくなからぬ銀の酒器や皿を垣間見て、よからぬ料簡をおこし、夜にまぎれてこれを盗んだのでございます」
と、口述書を提出した。府尹は、
「こやつは物に目がくらんだのだ。詮議するまでもない。枷をはめて牢にぶちこんでおけ」
獄卒は武松に大枷をはめて、死刑囚の牢におしこめた。詩にいう。
都監の貪汚実《たんおまこと》に嗟《なげ》く可し
妻を出《いだ》し婢《ひ》を献じて奸邪を售《う》る
如何ぞ太守の心買うに堪《た》えたる
也《まま》平人を把《と》って賊に当てて拿《とら》う
さて大牢におしこめられた武松は、
「やりやがったな、張都監のやつめ。わなを仕掛けて、うまうまとはめよったか。見ていろ、なんとかうまくここを抜け出たが最後、ただではおかんぞ」
獄卒たちは、武松の両足に昼も夜も枷をはめたうえ、両手にも木の枷をはめ、身動きもできないようにしてしまった。
ところで施恩だが、彼はさっそくこのことを人から知らされ、あわてて城内の父のところへ駆けつけて相談をした。父の典獄は、
「これはいわずとしれたからくりだ。蒋門神の仇討を、張団練が肩代りして晴らしてやったのだ。張都監を金でまるめこんでそんなおとし穴を考え出し、武松をうまくそこへはめこんだという筋書だ。もとより役人連中には金をつかませたにきまっている。役人たちはそのために武松の申し立てをとりあげず、いずれそのうちにばらしてしまおうという腹だろう。わしの見るところでは武松は死罪になるほどの罪状ではないから、こうなれば牢役人(注二)を抱きこんでうまくたのみこみ、身柄を無事にどこか他所《よ そ》の州へ移すように計らったうえで、なんとか手をうつよりほかなかろう」
「今の牢役人は、姓を康《こう》といって、わたしのごく親しい友達なのですが、彼にたのんでみたらどうでしょうか」
「あの人はおまえのために、お上の取調べを受けていなさるのだ。今をおいて、ほかに助けてあげる時はあるまい」
施恩は、一二百両の銀子を持って康牢番の家へ行ったが、おり悪しく彼はまだ牢から帰っていなかった。施恩は家の人にたのんで牢へよびに行ってもらった。まもなく康牢番は帰ってきて施恩にあった。施恩が事の次第をくわしく話すと、康牢番は、
「じつは、こういうわけなのだ。張都監と張団練のふたりは、同姓のよしみで義兄弟の盟いを結んでいる仲だ。蒋門神はいま張団練の家にかくれており、やつは張団練にたのんで張都監をまるめこみ、ああいう細工をしたというわけさ。役人連中はみな蒋門神から金をつかまされていて、おれたちももらっているよ。府尹はたいへんな身のいれようで、なにがなんでも武松をなきものにしてしまおうという魂胆だ。ところが本件の係りの書記の葉《しよう》孔目だけが承知しないので、今もって殺せずにいるのだ。この葉という人は、それは真っ直ぐな人で、義に篤くて、罪のない者を殺すようなことは決してしない人なのだ。そのおかげでまあ、武松は命が助かっているというわけだが、あんたの話でよくわかったから、牢のなかのことはすべておれがひきうけてやろう。これからすぐにでも行って彼の取扱いをゆるくしてやって、今後は決して辛い目には遭わないように面倒を見てやるよ。ところで、あんたのやることは、さっそく誰かを仲に立てて葉孔目にわたりをつけ、なるべくはやく判決をくだしてもらうことだ。そうすれば命は助かるよ」
施恩は一百両の銀子をとり出して康牢番にさし出した。康牢番は辞退して受けとろうとはしなかったが、押し問答の末やっと受けとった。施恩は彼と別れてそこを出ると、急いで牢城へ馳せもどり、葉孔目と親しい人をさがし出して銀子百両を送りとどけ、早急に武松の判決をくだしてもらいたいとたのみこんだ。葉孔目としても、武松はれっきとした好漢であることは承知していたし、彼自身なんとかうまくとり計らってやりたいという気もあったので、調書は手加減をして作ったのだが、しかし、府尹は張都監から賄賂をもらってたのみこまれていたので、軽い判決では承知するはずはなかった。だが、いくらなんでも窃盗で死刑にするというわけにもいかない。そこで、ずるずると判決をくだすのをひきのばし、そのうち牢のなかで殺害してしまおうという考えでいたのだった。ところが葉孔目は、ここに一百両の銀子を送られ、武松が無実の罪に陥れられたものだということがわかったので、調書はすっかり書き改めて罪を軽くし、武松に有利なようにして、あとは判決の時期のくるのを待つだけとなった。これをうたった詩がある。
臟吏《ぞうり》紛々として要津に拠り
公然として白日に黄金を受く
西庁の孔目心水の如く
真心を把《もつ》て賊心と作《な》さず
さて施恩はその翌日、たくさんの酒肴をきれいに飾って、康牢番の手引きで大牢のなかにはいり、武松に面会して差入れをした。そのときはすでに武松は康牢番の計らいでずっと寛大な扱いをうけるようになっていた。施恩は、二三十両ほどの銀子を出して、獄卒たちにばらまいておくことも忘れなかった。そして武松にはご馳走を食べさせたあとで、その耳にこっそりささやいた。
「このたびの災難は、都監が蒋門神のために計って、あなたをこんな目にあわせたのです。しかし、ご安心なさってください。もうちゃんと葉孔目さんという人にわたりがつけてありますから。あの人はなんとかうまくとり計らおうとして身をいれてくれてます。期限がきて判決がくだりましたら、それから手をうちましょう」
武松は、身体のいましめがとれたときからすでに牢破りの決心を固めていたが、施恩のこの言葉を聞いて、それは思いとどまった。
施恩は牢の武松をなぐさめて牢城へ帰って行ったが、それから中一日をおいて、ふたたび康牢番の手引きで牢へはいり、武松に面会してご馳走を差し入れた。彼はこのときも酒手にでもといって獄卒たち一同に小粒の銀をくばった。家に帰れば帰ったで役人たちに袖の下を送りこんで、関係書類を早くしてくれるようにたのみもした。そしてそれから数日後にも、施恩はかさねてご馳走をととのえ、何枚かの着物も仕立てて、このときも康牢番の手蔓で牢へはいり、獄卒たちに酒を振舞って武松のことをよろしくたのみ、武松には着物を着かえさせ、ご馳走をすすめた。
こうして施恩は出入りの顔が利くようになり、数日のうちに三度も大牢のなかへはいったのだったが、うっかりそれを張団練の腹心の部下に見つけられてしまった。その男が帰って報告すると、張団練はさっそく張都監に事の次第を通報、張都監はそれではと、かさねて府尹のところへ金品を届け、同時にこの一件を告げておいた。この府尹はいかにも金に汚い役人だったので、この賄《まいない》を受けとるとただちに部下を牢へ派遣して怠りなく見張らせ、関係者以外のものを見かけたならばしらみつぶしに吟味しろと命じた。施恩はそれを知ると、出かけて行くのはあきらめた。しかし武松は、康牢番や獄卒たちからひきつづいてよく面倒を見てもらっていた。こうして施恩は、そのことがあってからは、朝晩、康牢番の家へ出かけて行って彼の消息をきくほかは、手がとどかなくなってしまった。
それらのことはさておき、あれこれするうちに、早や二月《ふたつき》ばかりたったが、係りの書記の葉孔目は大いに身を入れ、府尹のところへ行ってせっせと事の真相を説明したので、府尹もようやく張都監が蒋門神から多額の金品をせしめ、張団練とふたりして武松を罪に陥れたということを認めるに至った。府尹は、
「とすると、自分たちは金もうけをし、わしには人殺しをさせようというわけか」
とばかばかしくなって、ほったらかしにしてしまった。
こうしていよいよ拘留期限の六十日が切れ、武松は牢から出され、法廷で枷がはずされた。担当の葉孔目は、罪状を読みあげて判決をくだし、棒打ち二十のうえ、恩《おん》州の牢城へ流罪とし、盗品はその持主に返還と申しわたした。張都監は用人をつかわして盗品を受けとるほか、どうする術もなかった。武松にはその場で棒打ち二十の刑を加え、金印《いれずみ》をいれたうえ、重さ七斤半の鉄板づくりの首枷をはめるとともに、送り状をしたため、ふたりの屈強な警護役人に護送を命令、日を切って出発することになり、指名された警護役人は、公文書を受けとり、武松を護送して孟州の役所を立った。
武松は棒打ちの刑のとき、典獄が賄賂を送りこんでくれたのと、葉孔目の取り計らいがきいていたことのほかに、府尹も彼が無実の罪に落とされた者であることを知っていたことのため、棒は手加減が加えられて、軽くすまされたのだった。
武松はこみあげてくる憤懣をこらえながら、道中枷をその身につけられて、州城を出て行った。ふたりの護送役人は、うしろから監視の目を光らせてついてくる。一里あまり行ったところで、街道すじの居酒屋のなかから、思いがけなく施恩が飛び出してきた。そして武松に、
「お待ちしてましたよ」
と声をかけた。見れば施恩は、またしても頭に包帯を巻き、腕を吊っている。武松は、
「だいぶんお目にかからなかったが、どうしたのです、その恰好は」
「いやね、牢へ三度お見舞いに行って以来、府尹がそれを嗅ぎつけてしょっちゅう監視のものを牢へよこすようになり、それに、張都監のやつも人をよこして牢の入口に見張りを立てるというありさまで、わたしはもう牢へお見舞いに行くことができなくなってしまったので、康牢番のところへ行って消息をたずねるほかなかったのです。半月ほど前のことですが、わたしが快活林の店に出ておりますと、だしぬけに、蒋門神のやろうが姿をあらわし、またぞろ、部下の兵士をひき連れて殴りこみをかけてきたのです。わたしはこっぴどく打ち据えられたうえ、人をなかに立てて詫びをいれることを迫られ、やつはふたたび店を強奪し、家財調度いっさいをまた巻きあげてしまったのです。わたしはまだ起きてはいけない養生中の身なのですが、今日、あなたが恩州へ流されて行かれると聞きましたので、それではと、ここに綿入れの着物を二枚、道中、着てお行きになるようにと思って持ってきたのです。ついでにあひるの丸煮を二羽持ってきていますから、どうぞ食べていってください」
と、施恩は、ふたりの護送役人にも、どうぞいっしょにと居酒屋のなかへよんだが、このふたりはどうしてもはいらず、ぷりぷりしながらいった。
「武松ってやつは札つきの泥棒やろうだ。そいつの酒を飲んだとなると、あとでお役所から叱られるわ。きさま、ぶん殴ってやろうか。それがいやならとっとと失《う》せるがいい」
施恩は、これはいかん、と見てとり、十両あまりの銀をふたりにさし出したが、この二匹、頑としてはねつけ、武松に出発を急げとがみがみいう。施恩は酒を二碗もとめて武松に飲ませたうえ、包みの荷物をその腰に結《ゆわ》えつけ、二羽のあひるはその首枷の上にひっかけた。そしてその耳もとに口をよせて、
「包みには三枚の綿入れのほかに小粒の銀子が一包みいれてあります。道中の用に足《た》してください。それから八つ乳の麻の鞋《くつ》も二足いれておきました。道中はなにぶんよくお気をつけなさって。あいつら二匹、どうも臭いですぞ」
「いや、ご念にはおよばん、わしもそれはちゃんと感づいているんだ。なあに、もう二三人くらい出てきたってへっちゃらだ。あなたはどうか、帰って十分ご養生なさってください。わしのことはご心配なく。わしにはわしの考えがあるから」
施恩は涙を流して武松に別れを告げ、立ち去って行った。
さて武松はふたりの役人とともに道中にのぼったが、そこから数里と行かぬうちにふたりは声をひそめて、
「あのふたり、どうしたのかな」
とささやきあっている。武松はそれを聞きつけて、
「くそやろうめ、しゃらくさい。このおれさまに手を出すつもりか」
と腹のなかでせせら笑った。武松の手は、右手は枷に釘づけにされていたが、左手は自由にしてあった。彼は枷の上からあひるを取りおろし、むしゃむしゃくらいつきながら役人ふたりには目もくれなかった。それからまた四五里ほど行って、もう一羽のあひるも取りおろし、右手でつかまえ、左手でひきちぎりながら傍目もふらずに食いつづけ、五里と行かぬうちに二羽ともぺろりと食いつくしてしまった。こうして町を出てから八九里ほど行ったところで、行くての道端に、手に朴刀をさげ腰に腰刀をぶちこんだ男がふたり待ちうけていて、武松を護送して役人がやってくるのを見ると、いっしょについてきた。見ていると、役人と朴刀をさげたふたりの男とは、眉をしかめ眼を動かしてなにやらひそかにとりかわしあっている。武松は早くも感づいたが、素知らぬふりをしていた。さらにしばらく行って、とある広々と開けた川っ縁《ぷち》に出た。あたりは小川と広い河だけである。五人が行きついたそこには、広い木の橋がかかっていて、牌楼《はいろう》があった。そしてその牌楼には額がかけてあって「飛雲浦《ひうんぽ》」という三字が書いてあった。
武松は白《しら》ぱっくれてきいてみた。
「ここは、なんというところです」
「きさま、盲目でもあるまいし、橋のたもとの牌楼の額に、飛雲浦とあるのがわからねえのか」
武松は立ち止まって、
「ちょいと小便をさせてもらいます」
すると、朴刀をさげたふたりがついと近よってきた。武松は、
「退《ど》け」
と叫びざま、足を飛ばして、まっさかさまに河のなかに蹴りこんだ。もうひとりのやつはあわてて逃げかかったが、それよりはやく武松の右足が飛び、どぼんとこれも水のなかへ。ふたりの役人はびっくりして、橋を駆けおりて逃げ出した。
「逃げるか、ちくしょう」
とおめきざま、武松は枷をぐいとひん曲げて半分にへし割り、橋を駆けおりてあとを追いかけた。ひとりは腰を抜かしてしまった。もうひとりの逃げて行くやつを、武松は、追いつくがはやいか、その背に一発拳固を飛ばしてぶっ倒し、水際にとり落とした朴刀を拾って踏みこみざま、幾太刀も浴びせてこれを刺し殺した。ついでとってかえして腰を抜かしたやつもぷすぷすと芋刺しにした。河のなかに蹴こまれたふたりは、ようやくはいあがって逃げ出そうとしたが、武松は追いかけて、ひとりは叩き斬り、さらに追いこんでもうひとりをむんずととっつかまえ、
「やいこら、ありていに泥を吐けば命だけは助けてやる」
とどなりつけた。男は、
「あっしらふたりは蒋門神さまの弟子なのでございます。お師匠と張団練さまとのご相談で、あっしらふたり、護送役人といっしょになって、あなたさまをかたづけるよういいつかりましたので」
「きさまの師匠の蒋門神はどこにおる」
「あっしどもが出かけますときには、張団練さまといっしょに張都監さまのお屋敷の奥の間、鴛鴦楼《えんおうろう》で酒盛りをしておられました。あっしらの返事をそこで待っておられるのです」
「そういうわけだったか。とすれば、てめえも生かしておくわけにはいかぬ」
と武松はばっさりこれも殺してしまった。そしてふたりの腰刀をとりはずし、ましな方のを身につけ、死体は大河の川口にほうりこんだ。ついで役人のふたりが生きかえりはしないかと気になったので、朴刀でそれぞれ幾太刀か刺した。そして橋の上にたたずみながら一息いれたのち、
「阿呆を四匹かたづけはしたが、しかし張都監と張団練、それに蒋門神をぶっ殺してくれないことには、腹の虫がおさまらぬ」
と朴刀をつかんだまま、しばらくの間、とつおいつ考えていたが、ついに意を決し、まっしぐらに孟州城へとひきかえした。この挙に出たばかりに、武松は何人かの胴欲なやつらを叩き殺して恨みを晴らし、画堂深きところ屍《しかばね》よこたわり、紅燭のかがやくところ血は楼に満つ、ということになるのであるが、さて武松は孟州城に帰って、いかなることをしたか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 衆生は度しやすいが人は度しがたい 原文は衆生好度人難度。はじめの「度」は救う、あとの「度」ははかるの意。
二 牢役人 原文は両院押牢節級。宋代の牢役人の名称で、また両院押牢あるいは両院押獄、押牢節級あるいは押獄節級、たんに押牢あるいは押獄といい、また院長ともいう。節級とは唐・宋代では下級の軍吏の称であるが、押牢節級をさす場合が多い。
水滸伝 第二巻 了
水滸伝《すいこでん》(二)
講談社電子文庫版PC
施耐庵《したいあん》/駒田信二《こまだしんじ》訳
(C) Setsu Komada 1984
二〇〇二年二月八日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
東京都文京区音羽二‐一二‐二一
〒112-8001
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