TITLE : 水滸伝(三)
講談社電子文庫
水滸伝(三)
駒田信二 訳
目 次
第三十一回
張都監《ちようとかん》 血鴛鴦楼《えんおうろう》に濺《そそ》ぎ
武行者《ぶぎようじや》 夜蜈蚣嶺《ごしようれい》を走る
第三十二回
武行者《ぶぎようじや》 酔って孔亮《こうりよう》を打ち
錦毛虎《きんもうこ》 義もて宋江《そうこう》を釈《ゆる》す
第三十三回
宋江《そうこう》 夜小鰲山《しようごうざん》を看《み》
花栄《かえい》 大いに清風寨《せいふうさい》を鬧《さわ》がす
第三十四回
鎮三山《ちんさんざん》 大いに青州道《せいしゆうどう》を鬧《さわ》がせ
霹靂火《へきれきか》 夜瓦礫場《がれきじよう》を走る
第三十五回
石将軍《せきしようぐん》 村店に書を寄せ
小李広《しようりこう》 梁山《りようざん》に雁を射る
第三十六回
梁山泊《りようざんぱく》に 呉用《ごよう》戴宗《たいそう》を挙げ
掲陽嶺《けいようれい》に 宋江《そうこう》李俊《りしゆん》と逢う
第三十七回
没遮〓《ぼつしやらん》 及時雨《きゆうじう》を追〓《ついかん》し
船火児《せんかじ》 夜潯陽江《じんようこう》を鬧《さわ》がす
第三十八回
及時雨《きゆうじう》 神行太保《しんこうたいほう》に会い
黒旋風《こくせんぷう》 浪裏白跳《ろうりはくちよう》と闘う
第三十九回
潯陽楼《じんようろう》に 宋江《そうこう》反詩を吟じ
梁山泊《りようざんぱく》より 戴宗《たいそう》仮信を伝う
第四十回
梁山泊《りようざんぱく》の好漢 法場《ほうじよう》を劫《おびや》かし
白竜廟《はくりゆうびよう》に 英雄小聚義《しようしゆうぎ》す
第四十一回
宋江《そうこう》 無為軍《むいぐん》を智取し
張順《ちようじゆん》 黄文炳《こうぶんへい》を活捉《いけど》る
第四十二回
還道村《かんどうそん》に 三巻の天書を受け
宋公明《そうこうめい》 九天玄女《きゆうてんげんじよ》に遇う
第四十三回
仮李逵《にせりき》 剪径《せんけい》して単人を劫《おびや》かし
黒旋風《こくせんぷう》 沂嶺《ぎれい》に四虎を殺す
水滸伝(三)
第三十一回
張都監《ちようとかん》 血鴛鴦楼《えんおうろう》に濺《そそ》ぎ
武行者《ぶぎようじや》 夜蜈蚣嶺《ごしようれい》を走る
さて張都監は、張団練のたのみをきいて蒋門神《しようもんしん》の仇討ちをひきうけ、武松を殺害しようとたくらんだのであったが、事は思惑に反し、刺客に出した四人の者は逆に武松の手にかかって飛雲浦《ひうんぽ》で討ちはたされてしまった。そのとき、武松は橋の上にたたずんで、とつおいつ考えていたが、心中の恨みせきもあえず、ついに意を決して、張都監のやつ、このままに生かしておいてなるものかと、死骸から抜きとった腰刀を腰にたばさみ、これまた死骸から選りとったところの朴刀《ぼくとう》を手にひっさげながら、くるりとひきかえして孟州城へむかった。城中にはいったときは、はやくもたそがれ時分、家々は軒なみに戸をしめきっていた。見れば、
十字街には〓煌《けいこう》たる灯火、九曜寺には杳靄《ようあい》たる鐘声。一輪の明月青天に掛かり、幾点の疎星碧漢《へきかん》に明らかなり。六軍の営内、嗚々《おお》として画角《がかく》(角笛)頻りに吹き、五鼓の楼頭、点々として銅壺《どうこ》(水時計)正に滴《したた》る。両々の佳人は繍《しゆうばく》に帰り、双々の士子は書幃《しよい》に掩《かく》る。
さて、武松は城内にはいるや、足をしのばせて張都監の屋敷の裏手、裏庭の土塀の外へまわった。そこは厩舎《うまや》のあるところ。武松はその物蔭に身をひそめて聞き耳を立てた。馬丁はまだ屋敷の方に詰めていて、帰ってきていないようである。と、まもなくぎいっと音がしてくぐり戸があき、提灯をさげて馬丁がなかから出てき、うしろ手にくぐり戸をしめた。暗闇のなかに身をひそめていた武松は、そのとき一更の四点(夜の九時すぎ)を告げる時太鼓の音を聞いた。例の馬丁はかいばをやってしまうと、提灯をつるし、蒲団をのべ、着物をぬいで寝台の上に横になった。武松は出て行ってごとごとと戸をゆすぶった。馬丁は、
「おれさまはな、たったいま横におなり遊ばしたばかりだよ。お召しものを盗みにくるのはちと早すぎようぜ」
とどなった。武松は朴刀を戸に立てかけて腰刀をひき抜き、こんどはがたんがたん戸をゆすぶった。馬丁は癇癪をおこし、寝台を跳びおりて素っ裸のまま、かいばをまぜる棒をつかんで戸の閂《かんぬき》をはずし、戸をあけようとした。とたんに武松は戸をおしあけて躍りこみ、むんずと馬丁をとっつかまえた。馬丁は声を立てようとしたが、見れば相手は、灯影にぎらぎらと光る白刃をひっつかんだ男、とたんにひるんでへなへなとなり、
「命ばかりはお助け」
と、やっとそれだけいった。
「きさま、このおれを知っておるか」
馬丁はその声に武松と気がつき、
「あっしは、なにも知らぬことなのです。どうか、命ばかりはお助けを」
「正直にいいなよ。都監は、今どこにいる」
「張団練さまと蒋門神さまとのお三人で、一日じゅうずっとお酒盛りでございまして、鴛鴦楼《えんおうろう》の間でまだそのつづきをやっておられます」
「嘘《うそ》じゃなかろうな」
「あっしが嘘をつけば、瘡《かさ》っかきになりましょう」
「そうか。じゃ、おめえは生かしちゃおけぬ」
と、ばっさり斬り殺して蹴り飛ばし、刀を鞘におさめておいてから、武松は、灯のあかりをたよりに、施恩が送ってくれた綿入れの着物を腰からとりはずし、着ていた古い着物をぬぎすて、新しいのを二枚かさねて着こみ、きりりと身ごしらえをすると、腰刀を鞘ぐるみ腰にぶちこみ、馬丁の掛けていた夜具で小粒の銀を包み、それを提げ袋のなかにおしこんで戸口のところにひっかけておいた。ついで武松は、開き戸をはずして土塀に立てかけてから、灯を吹き消してするりとそこを抜け出し、朴刀を手に持ったまま、戸をつたってじわじわと土塀の上にはいあがった。
外は月夜で明るかった。武松は、土塀の上からぽいと内側へ跳びおりると、まずくぐり戸をあけ、土塀に立てかけていた開き戸をもとのところへもどしてから、とってかえして、くぐり戸をしめた恰好にしておき、閂はすっかりはずしておいた。そうして武松は、あかりのともっているあたりを目指して忍んで行った。そこは台所だった。女中がふたり、お燗の銅壺のそばでぶつぶついっている。
「まるまる一日、なんだかんだとこき使って、まだ寝ないつもりか、お茶をくれなんていってるよ。あのふたりのお客ったら、遠慮するってことをてんで知らないんだから。あれだけ飲んでいながら、階下《し た》へおりて寝《やす》む気配なんか、まだちっとも見えやしないよ。いつまでもおしゃべりばっかりしてさ」
ふたりの女中は盛んにこんなことをいって、ぶつぶつ恨みがましくこぼしている。このとき武松は朴刀をそこへ立てかけておいて、血まみれの腰刀を腰から抜き放ち、戸に手をかけてぎいっとおしあけ、なかへ躍りこむや否や、ひとりの女中の髷《まげ》をひっつかんでばっさり斬り殺した。もうひとりは逃げようとしたが、思うばかりで両足は釘で一本に打ちとめられでもしたかのよう、声を立てようとすれば、これまた口が唖にでもなったかのように、ただ呆然たるありさま。
いやいや、それは女中さんならずとも、かくいうわたくしにしてからが、もしも目《ま》のあたりにそれを見でもしたら、おなじくおどろいて舌が縮みあがったことであろう。
武松はこれもばっさりかたづけてしまい、その二つの死骸をひきずってかまどの前あたりに転《ころ》がしておいて、台所の灯を消し、窓から射しこむ月明りをたよりに奥へ奥へと忍びこんで行った。以前、この屋敷へ自由に出入りしていた武松にとっては、勝手のよくわかった家内《いえうち》であった。足をしのばせて鴛鴦楼の梯子段のとこまで忍びこんで行った彼は、抜き足さし足で、梯子段を手さぐりながらあがって行った。
側仕えの連中はおつきあいするのにしびれを切らして、みんなどこかへ逃げて行ってしまっていた。
洩れ聞こえてくる話し声は張都監と張団練、そして蒋門神の三人の声である。武松は、二階の上り口で聞き耳をたてた。蒋門神のやつがしゃべっている。お世辞たらたらのごたくである。
「なにもかも閣下のお力、恨みを晴していただいてほんとうにありがとうございます。お礼は後ほどしっかりさせていただきます」
「いや、これも張団練どののお顔を立ててしたことですよ。そうでもなきゃ、誰がこんなご苦労なことをやるもんですか。おまえさんもさぞかし金を使ったことだろうが、そのかわり、うまく料理できたわけだ。今時分は、そうだな、ばっさりやられて、やつめくたばっているところですよ、飛雲浦でかたづけてしまうようにいっておいたからな。明日の朝あの四人が帰ってくればはっきりするが」
と張都監の声。そしてこんどは張団練の声だった。
「四人がかりで一匹ですもの。仕損じるなんてことはまずないでしょう。やつにいくら命があったって、ちょっと間にあいませんや」
すると蒋門神が、
「あっしも、あいつらによくいい含めておきましたです。ともかくあそこで手をくだして、殺《ばら》してしまったら急いで報告に帰ってくるようにと」
これぞまさに、
暗室従来欺く可からず
古今奸悪は尽く誅夷《ちゆうい》せらる
金風未だ動かざるに蝉先ず噪《さわ》ぐ
暗に無常を送りて死するも知らず
武松はそれを聞いて、心頭に怒りの炎のむらむらと燃えあがること三千丈、天をも突き破らんばかりのすさまじさ。右手に刀を握りしめ左手は五本の指をおし拡げて、二階の間へと躍りこんだ。見れば何本もの絵蝋燭《えろうそく》があかあかと照り輝き、あちこちに射しこむ月の光とあいまって部屋は煌々たる明るさに照り映えていた。目の前の杯盤はまだならべられたままである。床几にかけていた蒋門神は、
「あっ、武松が」
と見るなり、五臓六腑も雲の彼方にふっ飛ばして、愕然となった。
という説明もじつはまどろっこしいくらいで、その瞬間、蒋門神はあわてふためいてすぐさま立ちあがろうとしたが、それよりはやく武松の一刀がまっこうから襲いかかって床几もろとも叩き斬ってしまった。武松がくるりと身を転じて刀をかえすところ、張都監はようやく足をひいて身構えたばかり、武松の一刀はその耳のつけねから首筋へかけてざくりと斬りこみ、都監はどっと床に崩れる。かくてふたりはともに息も絶え絶えになりながら断末魔のあがきを残すのみ。残る張団練はさすがに武官だけあった。酒に酔っていたとはいえ、まだまだしぶといところがあって、相棒のふたりが斬って倒されたと見るや、所詮逃げおおせぬと胆を据えた彼は、床几をひっつかんで打ちかかってきた。とっさに武松はそれを受けとめるなり、ぐいとおしかえした。酒がはいっている張団練ではもとよりのこと、よしんばしらふであったとしても武松の怪力の前には敵すべくもなかったろう。ばったりとうしろにのけぞりかえると、武松は踏みこんで、さっとその首を刎ねた。蒋門神とて剛の者、懸命に踏んばって立ちあがったが、そこへ武松の左足が素早く飛んでただの一蹴り、もんどりうって蒋門神が横転すれば、武松はそれをおさえつけて首を掻き、ぐるりふりかえって張都監をつかまえ、これも首を刎ねた。
見れば机の上には酒だの肉だの、どっさりご馳走が並んでいる。武松は盃をとりあげて一気に飲みほし、立てつづけに三杯四杯とあおったのち、死骸から着物の端を破りとって血にひたし、白壁の上に大きく書きつけた。
人を殺せしは虎を仕止めし武松なり
そして机の上にあった酒器をとってぺしゃんこに踏んづけ、幾つか懐にねじこんで、さて階下へおりて行こうと思ったとき、都監の夫人の声が聞こえてきた。
「二階のお客さまはひどく酔っぱらっておいでらしいよ。さあ、誰か行って介抱してあげておくれ」
といいもおおせず、はやくもふたりのものがあがってくる。武松はするりと梯子段の片脇に身をひき、じっと様子をうかがっていると、そこへあがってきた側近のものというのが、このあいだ武松をふん縛った連中だった。武松は暗闇のなかにまぎれて彼らをやり過ごし、その退路を断った。二階の間にはいったふたりは、そこに三つの死骸が血の海のなかに横たわっているのを見ておどろき、たがいに顔と顔を見合わせるばかりで声も立て得ずにいる。いってみれば、それは脳天をかっさばいて桶で氷や雪をそそぎこむ、とでも形容したらよかろうか。ふたりはあわてふためいてひきかえそうとした。武松はすりよって行ってうしろから刀を振りかぶり、ざくりとひとりを斬り倒した。残るひとりはそこへひざまずいて命乞いをしたが、武松は、
「なにを、見逃してなどやるものか」
とふんづかまえるなり、首をはねてしまった。武松は殺しも殺したり、さしも絢爛たる奥の間もかくて血しぶきにまみれはて、灯の影の射すところ、死屍累々と横たわるという修羅場。武松は、
「なにをくそ、毒をくらわば皿までもだ。百匹殺したって、ひきかえる命はひとつだけだ」
と刀をひっさげて二階をおりて行った。すると、
「お二階はなにかあったのかしら。ひどくそうぞうしい様子だけど」
と夫人のたずねる声。武松はその部屋へむかってつかつかと近づいて行った。夫人は大男がはいってくるのを見ながらも、なお平然としてたずねる。
「どなた」
武松の刀がいきなりさっとその顔面をまっこうから斬りつけた。夫人はそこに倒れてうめき声をあげる。武松はおさえつけて首を刎ねようとしたが、刀が深く斬りこんでいかない。おや、といぶかって、武松は月の光にすかして刀を検《あらた》めた。見れば、刀の刃《は》がぼろぼろにこぼれてしまっているのだ。
「当り前だ。これじゃ首が落ちっこない」
とつぶやき、そこを離れて裏門の外へ出て行き、朴刀を手にとって、刃こぼれ刀はそこに投げ捨てた。そしてふたたびとってかえして鴛鴦楼の階下へ乗りこんで行くと、あかりがちらついた。先日、歌をうたったあの小間使の玉蘭が、ふたりの女中を連れてきて、そこに夫人が殺されているのをあかりの下に見いだし、
「あっ」
と悲鳴をあげたその瞬間、武松は朴刀をつかんで玉蘭のみぞおちめがけてぐさっと突き刺した。ふたりの女中もおなじく武松の朴刀にかかって、あいついで殺された。武松は表の間を出て表門に閂をかけ、またひきかえしてくるや、女ども二三人を見つけ出してこれもまたその部屋で刺し殺した。
「ああ、これでやっとせいせいした。さあ逃げようか」
と、武松は腰刀の鞘をそこにほうり投げ、朴刀をぶらさげてくぐり戸の外へ出て行き、厩舎《うまや》にはいって提げ袋をとりはずすと、懐にねじこんでいたぺしゃんこの銀の酒器をとり出し、そのなかへ詰めこんで腰にくくりつけ、そして朴刀を逆手《さかて》につかみ、大股に逃げ出して行った。城壁のところまで逃げてきて、
「門があくのを待っていたら、とっつかまるにきまっている。夜のうちに城壁を乗り越えて逃げ出そう」
と城壁にとりついて、はいあがった。孟州という町は小さな町だから、その土塁づくりの城壁もさほど高くはなく、はいあがれもしたわけだった。武松はその城壁の姫垣から下の様子をうかがい、朴刀を繰り出してさぐって見たうえ、切先を上にし、握りの方を下にして立て、これを支え棒につかって、ぽんとひと蹴り蹴って堀の縁におり立った。月明りにすかして見ると、堀の水はせいぜい一二尺どまりの深さ。おりから十月も半ばのこととて、渇水期にあたっていた。武松は堀の傍で靴下をぬぎ、脚絆をはずし、裾をまくりあげてむこう岸へわたった。わたり切ってから武松はふと、施恩がくれた包みのなかに八つ乳《ぢ》の麻の鞋《くつ》が一足入れてあることを思い出し、これ幸いとそれをとり出して穿いた。
城内で告げる時の太鼓は、はや、四更の三点(三時すぎ)を知らせていた。
「さんざんな目に遭ったが、今日、やっとこさ思いを晴らすことができた。となると長居は無用、さっさと高飛びすることだ」
と、武松は朴刀をひっさげて、東へと小路をたどって行った。詩にいう。
只《ただ》路上に刀を開くを図《はか》り
還《また》楼中に酒を飲むを喜ぶ
一人にして多人を害却し
殺心は殺手よりも惨なり
然らずんば冤鬼《えんき》相纏《まと》いて
安《いずく》んぞ身を抽《ぬ》いて便ち走るを得ん
武松は、五更ごろの一時《ひととき》をずっと歩きづめに歩きつづけた。空はまだ薄暗く、朝の光はまださしそめてもいなかった。夜っぴての大活躍にぐったりと疲れはてた武松は、加えて棒傷がうじうじとうずき出してきて、どうにもこらえられなくなってきた。と、行くてにこんもり茂った林があって、そこに小さな荒れた廟があるのに気づいた。武松は廟のなかに駆けいって朴刀をそこへ立てかけて、包みをおろしてこれを枕にし、さあ眠ろうとばかり、ばたんと身を投げ出して横になった。目をつむろうとしてふと気がつくと、廟の外から二本の熊手がぬっとばかり伸びてきて、自分の身体をひっかけたかと思うと、だしぬけにふたりの男が飛びこんできてがっしりおさえつけ、きりきりと縄で縛りあげてしまった。この四人連れは、
「この頓馬やろう、よく肥えてやがるぜ。兄貴にいいお土産ができたぞ」
武松はもがいたが、どうにもならず、包みも朴刀も奪われ、まるで羊がひかれて行くように足を宙にばたつかせながら村の方へとひきずられて行った。四人連れの男たちは、その路々いぶかしがって口々に、
「このやろう、どこからきやがったのだろう。身体じゅうべっとり血を浴びてやがる。泥棒をやりそこなってぶん殴られでもしたのかな」
武松はむっつりと黙りこくって、彼らに勝手にしゃべらせておいた。四五里も行かぬうちに、早くも、とある草葺きの家にたどりつき、そのなかへおしこめられた。すぐ横手に小さな出入り口があったが、そのむこう側にはまだ灯がともし放しになっていた。やろうども四人は、武松の着物を剥ぎとって土間の柱に縛りつけた。ふと見ると、かまどのところ、梁の上から人間の足が二本ぶらさがっている。武松は思うよう、
「なんてこった。死神にとっつかまったか。ばかにしてやがる、ほんとうに。こんなざまならいっそ孟州府へ自首して出るんだったわ。首をちょん切られたって、せめてもいさぎよい名前くらい、この世への置き土産にできたろうに」
まさにそれは、
奸邪を殺し尽《つく》して恨み始めて平らぐ
英雄難を逃れて名を逃れず
千秋の意気生きて愧《はじ》なく
七尺の身躯死して軽からず
四人の男どもは武松の包みを手に提げて、大きな声でよんだ。
「兄貴、姐御《あねご》、起きてきなせえ。ちょいとした獲物が網にひっかかりましたぜ」
するとむこう側からそれに返事があって、
「よしきた。そのままにしとくんだよ。あたしがいって料理してやるから」
お茶なら一杯も飲みおわらぬほどの間をおいて、ふたりのものがはいってきた。女が先に立ち、そのあとから大男がついてくる。このふたりは、まじまじと武松を見つめていたが、女の方が、
「おや、これはまた、武都頭さんじゃござんせんか」
大男も、
「おい、はやく縄を解かんか。義弟の縄を」
武松がよく見れば、大男とは誰あろう、菜園子《さいえんし》の張青《ちようせい》その人で、女は母夜叉《ぼやしや》の孫二娘《そんじじよう》ではないか。やろうども四人はびっくり仰天、すぐに縄をほどき、着物を持ってきて着せかける。頭巾は、びりびりに破れてしまっていたので、羅紗地のかぶり笠を持ち出してかぶせてくれる。十字坡《じゆうじは》には張青の店と仕事場があちこちにあったので、武松はそれとは気がつかなかったのである。
張青は、すぐに表の方の客間に請じいれて挨拶をかわした。張青はあっけにとられながら、
「いったい、どうなさったというんです」
と、せきこんでたずねた。
「いや、それがなかなか簡単にはいえないことで。お別れしてから牢城へ行ったわけだが、行くと典獄の息子の金眼彪の施恩というのが、いっぺん会っただけで昔馴染のように、くる日もくる日も美酒佳肴でたいへんなもてなしをしてくれるのだ。それというのも、彼は城外の東はずれにある快活林というところで料理屋をひらき、こいつがなかなか繁昌していたらしい。ところがそこへ、張団練というやつが連れてきた蒋門神というやろう、こいつめが団練を笠に着てのしまわり、ぬけぬけとその店を強奪してしまったというんだ。施恩にそううちあけられて、わしは我慢ができず、酒を飲んで行って蒋門神のやつを叩きのめし、快活林を施恩にとりかえしてやったんだ。施恩はそれを恩に着て、ずいぶん大事にしてくれたが、ところが張団練にまるめこまれた張都監ってやつが、わしを側仕えにとり立てておいてわなに落としこみ、蒋門神の仇を討つ、とこういうたくらみをひきうけやがったんだ。そして八月十五日の夜、賊がはいったといってわしを奥へ誘いこみ、その間にやつらは銀の酒器や皿をわしの行李のなかへつっこみ、とりおさえて孟州府へ突き出し、むりやり賊をはたらいたと白状させ、牢にぶちこんでしまいやがったのさ。でもまた、施恩が役人連中にと金をばらまいてくれたおかげで手ひどい目にはあわされずにすんだ。それにまた係りの役人の葉孔目って人が、これがまた義のためには欲得をはなれてはたらく人で、罪のない人間は絶対に殺さぬという人、そこへもってきて係りの牢役人の康牢番という、施恩がごく親しくしてる人と、このふたりがいろいろと骨を折ってくれたおかげで、拘留期限が切れしだい、棒打ちの刑を執行したうえで恩州に流罪になるように事をはこんでくれたのだ。そうして町を出て行って、昨夜のことだ。まったく因業にもほどがある。張都監のやつめがたくらんだのだが、蒋門神の弟子ふたりにいいつけて護送役とぐるになり、途中でわしをかたづけてしまおうというのだ。飛雲浦の人気《ひとけ》の失せたあたりまでやってくると、手をくだそうとしやがったが、わしは素早く先手をとって、弟子のやろうふたりを河のなかに蹴りこみ、ふたりの糞役人は逃げるやつをとっつかまえて朴刀で刺し殺し、河のなかに投げこんでかたづけちまったが、それだけじゃどうにも腹の虫がおさまらん。そこで孟州の町へとってかえしてのりこんで行ったというわけだが、もどって行ったのが一更の四点(九時すぎ)ごろ、厩舎《うまや》の庭でまず馬丁をひとりばらし、土塀を乗り越えて行って台所で女中ふたり、それからまっすぐ鴛鴦楼《えんおうろう》に駆けあがって張都監と張団練と蒋門神の三人をきれいに殺してやり、ついで側近のやろうふたり、それから階下へおりて都監の女房や女子《おなご》衆や小間使だのってのを全部たたき殺したあげく、夜道を駆けて逃げ出し、城壁を跳び越えて出てきたというわけだ。そして五更の一時《ひととき》をずっと歩き通しに歩きつづけるうちに、にわかに疲れが出てきて、おまけに棒傷がうずき出して歩けなくなり、小さな廟をめっけてちょっと一休みときめこんだら、この四人が縛りあげてしまったというわけなのだ」
例のとんちきやろう四人は、そこにはいつくばって、
「あっしども四人は張の兄貴に面倒を見てもらってるやろうでございますが、ここんところばくちの負けがこんで空《から》っけつなので、それで森のなかへしのびこんで網を張っておりましたら、あなたさまが小路づたいにべっとりと血みどろの姿でやっておいでになり、土地廟(農神を祀る鎮守のほこら)にはいって行かれるのを見かけたんです。どういう方か知らないながらも、ただ張の兄貴からこのごろいつも、生かしたままでつかまえるんだといいつかってますので、熊手とからめ縄しか持って出ないことにしているのですが、兄貴のそういういいつけでもなかった日には、あなたさまに手をかけてしまうところでございました。まったくもって目玉はあっても節穴同然で、知らぬこととはいいながらだいそれたことをいたしまして、どうかご勘弁なすってくださいますよう」
張青夫婦は笑いながら、
「わしらも、気にかかることがあったものだから、ここのところ口を酸っぱくして、つかまえるなら生かしたままでと、よく念をおしてはいたんです。もちろんこの連中には、こっちの腹のうちなどわかってはいないんだが。それにしても、疲れきっておいでのところだったからよかったようなものの、そうでもなかった日には、てめえたち四人など、いうもおろか、四十人かかったって歯が立ちゃしなかったのだぞ」
例の四人はひたすら平身低頭をくりかえして恐れいるばかり。武松は、そんなまねはよしなと声をかけて、
「ばくち銭がないのか。じゃ、わしがくれてやるよ」
と、包みのなかから十両ばかりとり出して四人にわけてやった。四人ははいつくばって礼をいう。それを見た張青も、銀子を二三両とり出してあたえ、むこうへ行ってわけるようにいった。
そして張青は、
「じつをいいますと、あんたが行っておしまいになってから、どうせあんたはなにか事をしでかしてこちらへ舞いもどってきなさるにきまってると思ったので、それであの連中に、獲物は生かしたままで捕えるようにといい含めておいたのです。なにしろあいつらときたら、相手がちょろいと見ると生捕りにしてくるが、手剛《てごわ》いと見たら必ずばらしてしまうんですから。それでやつらには刃物は持たせず、熊手とからめ縄しかわたしてやらないことにしてるんです。さっきは、やつらの注進を聞いて、あっしは、ひょっとしたら、あんたじゃないかと思ったもんだから、待て、おれが行ってみる、と急いで声をかけておいたのですが、案の定でしたな」
孫二娘は、
「蒋門神を叩きのめしなすったうわさは聞きましたよ。それがそれ、酔っぱらったままだったというので、ここを往来なさる衆が、みんなびっくりしておいででしたよ。だけど快活林で商いをしている旅商人たちは、誰でもいつもそこまでしか話さず、それから先のことはなにも聞けませんでしたが。でもまあ、さぞお疲れでございましょう。ともかく客間の方へ行ってお休みなさいまし。お話はまたあとでゆっくりうかがいましょう」
張青は武松を客間へ案内して休ませた。夫婦は台所へおりて行き、武松をもてなすべく精一杯のご馳走をつくりにかかった。やがて支度もととのって、武松が目をさましたらつもる話のあれこれを語りあわんものと待ちうける。ここに詩がある。
金宝には昏迷し刀剣には醒《さ》む
天高く帝遠くして総《すべ》て霊《れい》無し
如何ぞ廊廟《ろうびよう》に凶曜《きようよう》多き
偏《ひとえ》に是れ江湖に救星有り
さて一方、孟州城内の張都監の屋敷では、かくれていて難を逃れたものもあった。五更ごろになって、彼らはやっとはい出してきて、みんなで奥の近侍のものや外の当直の兵士などをよび集め、なかをのぞいて見て、大騒ぎになった。しかし、近所のものたちは誰も駆けつけてこようとしなかった。夜が明けるのを待ちかねてさっそく孟州の州役所に訴え出たが、府尹《ふいん》はその知らせをうけると大いにおどろき、ただちに部下を派遣して殺されたものの数、下手人の侵入経路および逃走の足どりなどを調べさせ、詳細な現場調書をつくらせた。帰ってきて彼らは府尹につぎのように報告した。
「まず最初に厩舎に侵入して馬丁をひとり殺し、もと着ていた着物を二枚ぬぎすてています。つづいて台所へ忍びこみ、かまどのところで女中をふたり殺し、裏門のそとには犯行に使った刀の刃《は》こぼれのしたのを一振り置きすてていました。そして二階では張都監と近侍のもの二名、ほかに客としてよばれてきていた張団練と蒋門神のふたりが殺されております。そこの白壁には血にひたした着物の端切れで、人を殺せしは虎を仕止めし武松なり、と大きく書きつけてあります。階下では、夫人が刺し殺されているほか、玉蘭および女中二名、そして女子衆が三人、これもおなじく刺し殺されております。以上で殺されたものは男女あわせて十五名。そのほか金銀の酒器が六個盗まれております」
府尹は報告書類に目を通すと、すぐに部下を出して孟州城の四方の城門をおさえさせる一方、兵卒および捕盗役人をはじめとして城中の区や町の世話人たちをよび集め、犯人の武松を逮捕すべく軒なみしらみつぶしに家宅捜査をしてまわるように命じた。と、その翌日には飛雲浦の里正《りせい》から、
「当村にて四人のものが殺されております。飛雲浦の橋のところに犯行を犯した血痕が残っており、死体はいずれも川のなかに投げこまれています」
と報告があった。府尹はその訴えをうけると、現地管轄の県役所の捕盗役人を現場へ急行させるとともに、四人の死体をひきあげて綿密にしらべさせた。それによってふたりは州役所詰めの警吏であることがわかり、あとのふたりもそれぞれ身もとがわかって、死骸はいずれも棺に納められた。また、早急に犯人を逮捕し、厳重な刑を執行されたいという告訴状がみなのものから提出された。町は三日間、城門を閉め切りにして、家から家へと軒なみにしらべられた。それぞれの組、それぞれの町、どこもみな片っ端から詮議された。府尹は文書を出し、その管轄下にあるすべての郷《まち》・保《むら》・都《おおあざ》・村《こあざ》に対して、家なみ軒ごとにまわり歩いて犯人をさがし出せと命じ、武松の原籍・年齢・人相・風態等を絵にかき出して三千貫の賞金を懸けた。そして武松のかくれ家を嗅ぎつけて役所に届け出たものにはお触れ書の次第にしたがって賞金をあたえる、もし犯人をかくまって一宿一飯の便宜をあたえたものがあれば、発覚次第ただちに犯人と同罪の厳重な処罰を行なう、とあまねく近隣の諸州にもその逮捕方をよびかけた。
一方、武松は張青の家で四五日休養をとったが、外の様子をさぐってみたところ、捜索は櫛の歯のようなこまかさで、警吏たちはふり散らすように町から出て行って逮捕にむかったとのこと。張青はそれを知ると、やむなく武松にいった。
「わしは、こわくていい出すんじゃないが、やはりこの家にいてはまずいと思うんだ。お上《かみ》の詮議がとてもきびしくなってきて、軒なみに家宅捜査してまわっている。これでは明日にでもひょんなことにならぬとも限らないが、そうなったらわしら夫婦の好意もかえって仇になりかねない。それで、わしはあんたのために屈強なかくれ場所をさがしておいた。前にもちょっと話したと思うが、行ってみる気があるかどうかだ」
「わしもここ数日いろいろと考えてみた。わしがここにいることは、いずればれるにちがいない。そうなればもちろん、ここにじっと腰を据えてなどいられるわけはない。それにしても、たったひとりの兄は人でなしの嫂《あによめ》の手にかかって殺されてしまうし、こちらへくればきたで、またあんなひどい目に遭わされちまうしで、家も身寄りもすっかりなくなってしまった。こんなざまだから、兄貴が、恰好なところがあるから、そこへ行けというのなら、わしはもちろんよろこんで出かけるよ。で、それはいったい何処なんだ」
「青《せい》州管下の二竜山宝珠寺というところだ。花和尚《かおしよう》の魯智深《ろちしん》と、青面獣《せいめんじゆう》というやはり好漢の楊志《ようし》が、そこを根城にして一帯をあばれまわり、あの界隈をがっしり牛耳《ぎゆうじ》っていて、青州の官軍の捕り手なんぞ、まるでよせつけもしないという勢いだ。無事に災難をよけて通るには、まずあそこへ行く以外には手がなかろう。どこかほかへ高飛びしたとしても、結局はつかまえられるのが落ちだ。わしのところへはあそこからしょっちゅう誘いの手紙がくるのだが、わしは住みなれたこの土地に未練があって、なかなか思い切れないので、行かずにいるんだ。わしが手紙を書いて、あんたの力量のほどをくわしくいえば、わしの顔を立ててきっと仲間にいれてくれるだろう」
「いや、よくわかった。わしもその気はなくはなかったのだが、まだ時運もこず、因縁もめぐりあわせず、機縁が熟さなかった。今、こうして人を殺し、事がばれて、身のおきどころもないしまつだから、それはまことに勿怪《もつけ》のさいわいというもの。ぜひたのむ。すぐ手紙を書いてくれ。今日のうちにでも出かけて行きたい」
張青はさっそく紙をとり出し、くわしい手紙を書いて武松にわたし、酒食をととのえてそのかどでを祝った。そのとき、母夜叉の孫二娘が張青の方にむきなおって、
「おまえさん、今のこの恰好のままでこの人を送り出すなんて法はないよ。これじゃすぐそこでつかまってしまうよ」
武松がきいた。
「あねさん、それはどういうわけで。なぜすぐつかまってしまうというんです」
「今ではお上からのお触れ書が行く先々に出ていて、あなたの首には三千貫の賞金が懸けられ、人相書にははっきりと原籍から年恰好まで書きこまれて、あっちこっちに貼り出してあるんですよ。それにそのお顔にはちゃんと二行の金印《いれずみ》まではいっているんだし、このままで出て行ったら、しらを切ろうったって切りようがないじゃありませんか」
「それじゃ、顔に膏薬を二三枚貼っといたらいいだろう」
と張青がいうと、孫二娘は噴《ふ》き出して、
「世間でかしこいのは、あんたひとりだけじゃありませんよ。ばかなこといわないでよ。そんな小細工で、どうして役人の目がごまかせるものですか。あたしにひとつ思案があるんだけれど、しかし、あなたが承知なさるかどうか」
「わしは、とにもかくにも逃げなきゃならんのだから、いやも応もありませんよ」
孫二娘は腹を抱えて笑いながら、
「いいますけどもね、しかし、おこらないでくださいね」
「わかりましたとも。なんでもおっしゃるとおりにしますよ」
「二年前に、ひとりの托鉢憎がここを通りかかったので、わたしはそれをしびれ薬でころりとかたづけ、まあ、何日分かの饅頭の餡にしてしまったんだけど、ところでその坊さんが後に残していったものが、鉄の鉢巻一つ、着物が上下ひとそろい、ころもが一枚、まじり色の短いしごき帯が一本、度牒《どちよう》が一通、人間の頭蓋骨を一百八個つないで作った数珠一本、鮫皮の鞘が一本、この鞘のなかには真っ白の、煉鉄ぎたえの戒刀が二振りはいってるんです。この戒刀は真夜中になるといつも、ひゅうっ、ひゅうっと口笛の音を立てて泣くというしろものですが、これはいつかごらんにいれましたっけ。ところで今、ここを無事に切り抜けるには、髪を剪《き》って行者の姿に身をやつし、前髪で額の金印《いれずみ》をかくすのです。そうしてこの度牒をお守りとして身につけて行くんです。まったくのところ、前世からのそういう定めでもあるのか、その托鉢憎の年恰好や顔形があなたとそっくりなんですよ。ついでに彼の法名も借りなすったらいいでしょう。そうしたらこの先の道中は、誰もとがめるものなんかありますまいよ。いかがです、そうしてみなすったら」
「おまえ、なるほどうまいことを考えたな。そいつにはおれも気がつかなかったぜ」
張青は手をうってそういった。まさに、
緝捕《しゆうほ》急なること星火の如く
顛危《てんき》好《まさ》に風波に似たり
若し災禍を免除せんと要せば
且つ須《すべから》く個の頭陀《ずだ》と做《な》るべし
張青は武松にむかって、
「で、どうする」
「いいことはいいのだが、しかしこのおれじゃどうみたって坊主には見えんだろう」
「まあ、やってみることさ」
と張青はいった。孫二娘は、奥へ行って包みを持ってき、ほどいて、あれやこれや着物をたくさんとり出し、下のものから上のものまですっかり武松に着せた。武松は我が身を見まわしてみて、
「こいつはどうも、おれの誂《あつら》え仕立てみたいじゃないか」
墨染めの衣《ころも》を着、しごき帯をしめると、氈笠《せんりゆう》をぬいで髪を振りほどき、ほどいた髪を前と後に梳《す》き分け、鉄の鉢巻をかぶって、首に数珠をかけた。張青と孫二娘はそれを眺めて感嘆の声を放った。
「まるでこれは、前世から決まった約束ごとみたいじゃないか」
武松は、鏡を借りて自分の姿をうつして見るなり、腹をかかえて笑い出した。
「なにがそんなにおかしいんだ」
と張青がいうと、
「いやさ、自分が自分を見ても噴き出さずにはおれんよ。わしでも行者になれるてんだからおどろくよ。さあ、それじゃ髪を切ってもらおうか」
張青ははさみをとりあげ、前髪と後髪をきれいに切りそろえた。詩にいう、
打虎は従来李忠《りちゆう》あり
武松の綽号尚《なお》空《くう》に懸る
幸いにして夜叉の能く法を説く有り
頓《とみ》に行者をして神通を顕わさしむ
武松は、事情が切迫してくる一方なので、ただちに荷物をとりまとめて旅立とうとした。すると張青が、
「まあ、わしのいうことを聞きなさい。わしが得をしようてんじゃないが、じつは張都監のところからとってきた酒器、あいつはここに置いて行った方がよい。小粒の銀とかえてあげるから、路銀はそれを使いなさい。用心には用心をしといた方がいいと思うのだ」
「まったくだ。よくぞ気をつけておくんなすった」
と武松は全部とり出して張青にわたし、小粒の金銀ととりかえてもらった。そしてそれを提げ袋にいれて腰にくくりつけた。かくて武松は腹いっぱい食べて腹ごしらえをすると、張青夫婦に別れの挨拶をし、例の戒刀二振りを腰にぶちこみ、その夜すっかり支度をととのえた。孫二娘は度牒をとり出して、錦の袋を縫っていれたうえ、武松の胸の前に掛けさせた。武松はふたりに礼をいって、さて、出かけようとすると、張青がねんごろにさとした。
「道中はくれぐれも気をつけるんだぜ。何事につけても尊大ぶるのはいけない。酒もすくな目に心掛け、人とのすったもんだをおこさんようにな。出家らしく振舞って、なにかにつけておとなしくして、正体を見破られないように気をつけるんだ。二竜山へ着いたら、すぐにも便りをたのむ。わしら夫婦も、ここにはそう長くはおられまいから、追っつけ家をひきはらって山へのぼることになろう。どうか、体には十分気をつけてな。魯のお頭《かしら》と楊のお頭には、くれぐれもよろしくつたえてくれ」
武松はいとまごいをして家を出、両袖をたくしこみ、肩をゆすぶって歩いて行った。張青夫婦は見送りながら、
「あっぱれ堂々たる行者《ぎようじや》ぶり」
と嘆声を放ったが、その姿いかにといえば、
前面の髪は掩映《えんえい》して眉に斉《ひと》しく、後面の髪は参差《しんし》として頸《うなじ》に際《さい》す。〓直綴《そうじきとつ》(墨染の衣)は好《さなが》ら烏雲《ううん》の体を遮るに似、雑色〓《ざつしよくとう》(まじり色の帯)は如《あたか》も花ある蟒《うわばみ》の身に纏わるに同じ。額上の界箍児《かいこじ》(はちまき)は燦爛として火眼金睛に依稀たり、身間の布衲襖《ふのうおう》は斑爛《はんらん》として銅筋鉄骨に彷彿たり。戒刀両口、〓《ささ》げ来《きた》って殺気秋に横たわり、頂骨百顆、念ずる処《ところ》悲風路に満つ。人を〓《くら》う羅刹《らせつ》も須《すべから》く拱手すべく、法を護る金剛も眉を皺《しか》めなん。
その日の夕まぐれ、張青夫婦に別れを告げた武行者は、大木しげる十字坡を後にして道中を急いで行った。時に季節は十月の候、日のいちばん短い時節のこととて、見る見るうちに日は暮れ落ちた。そこから五十里ちかく行くと、行くてに高い山が望まれた。武行者は、月影を踏みながら上へ上へとのぼって行く。はや初更のころであったろうか、山頂に突っ立って四方を眺めわたすと、月は東の空にさしのぼり、月明りに映えて山頂の草木はきらきらと燦めいていた。と、そのときであった。つい目のさきの林のなかから人の笑う声がした。
「はて、おかしいぞ。こんなもの淋しい山のてっぺんに、いったい何ものだろう、笑っているのは」
そこへ近づいて行って様子をうかがうと、松林のなかの山沿いに草の庵がある。十間《ま》あまりの草葺きの家である。観音開きになった小窓があけ放たれ、ひとりの道士が女を抱いて窓辺で月を見ながらたわむれている。武行者はそれを目にとめるや、むらむらと心には怒りが、胆には憎しみがこみあげてきた。
「山中の森の中で、出家のくせになんてことをしやがる」
と腰から二振りの、ぎらぎらと白光りする例の戒刀を抜き放ち、月の光にかざして刃を見つめながら、
「凄い逸品だとはいっても、おれの手にわたっただけで店びらきはまだだ。あのくそ道士を試し斬りにしてやろう」
とその一本を手中にのこして一本は鞘にもどし、ころもの両袖をつかんで背中に結びあわせると、つかつかと歩みよってその門を叩いた。道士はそれを聞きつけると、背にしていた窓をしめた。
武行者は、石を拾ってはげしく門を叩いた。すると、ぎいっと音がして横手の門があき、中から童子《どうじ》が出てきて、
「いったい何ものだ、きさまは。夜の夜中に大さわぎしやがって。戸を叩いたり打《ぶ》ったり、なにをしやがるんだ」
武行者はかっと眼を見開いて、どなりつけた。
「うぬめ、きさまから血祭りにしてくれるわ」
と叫んだ声の消える間もあらせず、さっと手のひるがえるところ、ちゃりんと一声、刀が鳴り響いたと見るや、童子の首は飛んで体はどっと地面に倒れた。とたんに奥にいた道士が、
「何ものじゃ、子供を手にかけおったやつは」
と大声でおめきたて、たたっと飛び出してくるなり、二本の宝剣を振りまわして襲いかかってきた。武松はからからとうち笑い、
「きさまなんざ、おれの小手先きの芸で間にあうわ。よくぞおいでなすった」
と鞘のなかからもう一本の戒刀をひき抜き、二本の戒刀を振りまわしながら道士に立ちむかって行った。かくてふたりは、月光を浴びながらおしつもどしつの果し合いを繰りひろげる。両剣は閃々たる寒光を放ち、双刀は森々たる冷気を飛ばし、しばしわたりあって両者しのぎを削りあうところ、さながら雄の鳳《おおとり》が雌の鸞《おおとり》にいどみかかるが如く、また、鷹の兎につかみかかるが如くであった。両者はわたりあうこと十数合、やがて山の一辺に一刀の鳴り響いたとみるや、ふたりのうちのひとりがそこに倒れた。げにそれは、寒光影裡に人頭の落ち、殺気叢中に血の雨を噴く、というところ。ところで、ふたりのこの果し合いにおいて倒れたのはどちらであったか。それは次回で。
第三十二回
武行者《ぶぎようじや》 酔って孔亮《こうりよう》を打ち
錦毛虎《きんもうこ》 義もて宋江《そうこう》を釈《ゆる》す
そのとき、両者しのぎを削ってわたりあうこと十数合、武行者がわざと見せた隙に、道士はまんまとひっかかって、得たりと両剣を振りかざして斬りこんでくるところを、武行者はさっと身をかわして飛びのくやいなや、狙いをつけた戒刀を一閃、道士の首はそのかたえにまろび落ち、体は石の上にどっと崩れた。
武行者は大音によばわっていった。
「おい、庵のなかの阿魔《あま》、ここへ出てこい。おまえは殺しゃしねえ。わけがききたいのだ」
女はなかから駆け出してきて、地面にひれ伏してお辞儀をした。
「よいからお辞儀はやめろ。ところできくが、ここはなんというところだ。また、あの道士はおまえの何だ」
女は泣きながら話した。
「あたしはこの山の麓の、張《ちよう》太公の娘でございます。この庵はあたしの家のご先祖さまのお墓の庵なのでございます。あの道士はどこのお人か知りませんが、占いや地相を見る大家だというふれこみであたしの家へ身をよせたのです。父と母は、ついうかうかと、彼を家に泊めてしまい、ここのお墓の地相を見てくれとたのみましたところ、彼にうまくいいくるめられて、そのままずるずると何日も家に置いてやることになったのでございます。そのうちある日あたしを見かけ、それからというもの、どうしても出て行こうとせず、三四ヵ月も居坐ったあげく、あたしの家の父も母も兄も嫂《あによめ》も、みんなひとりのこらず殺《あや》めてしまい、あたしをだましてこの庵へ連れてきたのです。あの童子も、どこからかさらってきたのです。ここは蜈蚣嶺《ごしようれい》といいますが、あの道士はこの山はたいへん地相がいいのだと申しまして、それにあやかって、飛天蜈蚣《ひてんごしよう》の王《おう》道人と名乗っていました」
「身寄りのものはいないのか」
「いえ、何軒かあるにはあるのでございますが、みな百姓をしているものですから、談じこむなんて、そんな真似はとてもできませんので」
「こいつは金を貯えていやしなかったか」
「一二百両も貯めていたでしょうか」
「あるなら早くとりまとめてきな。この家は火をつけて焼きはらってしまうから」
「うかがいますが、お酒や肉は召しあがられますか」
「あるんだったら、持ってきて食わせてもらおう」
「なかへはいって、おあがりなさったら」
「なかに待ち伏せしているやつがいるんじゃないのか」
「だますなんて、そんなことをしたら、首がいくつあったって追っつかないでしょう」
武行者は女についてなかへはいって行った。小窓のわきの机の上には酒や肴がならべてあった。彼は大きな碗を借りてたっぷり飲んだ。そのあいだに女は、金銀や反物をとりまとめた。武行者は家のなかから火を放った。女は一包みの金銀を武松にさし出して命乞いをした。武行者は、
「おまえさんのものだよ、それは。持ってって暮らしのたしにしな。さあ、行った、行った」
女はひれ伏してよろこびをいい、山をくだって行った。武行者は、死骸を二つとも火中に投じたのち、戒刀を鞘におさめ、夜立ちして山を越え、はるか青州への旅にのぼった。
それより旅をつづけること十数日、その間に通り過ぎた宿場宿場には、そしてまた村里にも町々にも、案にたがわずいたるところに高札がかかげられて、武松の召しとり方を呼びかけていた。しかし、すでに行者の姿に身をやつしていた武松は、路々だれからもとがめられずに通り過ぎてきた。時候は十一月で、寒気はことのほか厳しさを加えていた。
その日、武行者はみちみち酒を買ったり肉を買ったりして歩いたが、どうにも寒くてやりきれない。とある峠をのぼりつめて行くてを見ると、けわしい高い山がそびえていた。武行者は峠をくだって四五里ほど行ったところで居酒屋を見つけた。門前に清流を控え、その裏手には巨岩の累積した岩山を背負っている。それは村里の鄙《ひな》びた居酒屋で、
門は渓澗《けいかん》を迎え、山は茅茨《ほうし》に映ず。疎籬《そり》の畔《ほとり》に梅は玉蘂《ぎよくしん》を開き、小窓の前に松は蒼竜を偃《ふ》す。烏皮の卓椅は、尽《ことごと》く瓦鉢甌《がはつじおう》を列着し、黄土の牆垣は、都《すべ》て酒仙詩客を画着す。一条の青旆《せいはい》は寒風に舞い、両句の詩詞は過客を招く。端的《ま さ》しく是れ驃騎を走らすものも香を聞《か》ぎては須《すべから》く馬を住《とど》むべく、風帆を使うものも味を知りて也《また》舟を停むべし。
峠を越えてきた武行者は、いっさんにその居酒屋のなかへ駆けこみ、腰をおろすがはやいかよびたてた。
「おい、おやじ、ともかく酒を二角たのむ。肉もいるぞ」
「お客さん、じつは酒は田舎の白酒《どぶろく》がすこしございますが、肉はすっかり売り切れてしまいまして」
「それじゃ、酒だ。寒いのでぬくもらなきゃ」
亭主はすぐに酒を二角汲んできて、大きな碗につぎ、一皿の野菜の煮つけを口取りに出した。二角の酒はまたたく間に飲みつくし、さらに二角たのむと、亭主は汲んできて大碗につぐ。武行者はがむしゃらに飲んだ。峠を越えるときに、すでに酒はほどほどにはいっていたのである。そこへもってきてこの四角(約二升)を一気に飲み、加えて寒風に吹きなぶられた後だものだから酔いがいっぺんに出てきた。武行者はからみ加減になった。
「おい、おやじ、ほんとか。売るものがないなんていってやがるが。おまえさんとこで食うものでもいいさ。なにか出しなよ。勘定はいっしょにするから」
亭主は笑いながら、
「こういう出家《しゆつけ》は初めて見た、酒でも肉でもじゃんじゃんあがりなさる。出そうたって、ない袖はふれませんよ。ねえ、ここいらでもう切りあげなさいよ」
「ただで飲もうってんじゃないのだぞ。どうして売ってくれぬ」
「今さっきいったじゃありませんか。白酒だけしかございませんのさ。ほかにはなんにもございません」
こうして店ですったもんだしているところへ、外からひとりの巨漢が、三四人のものをひき連れてはいってきた。武行者がその巨漢を見れば、
頂上の頭巾は魚尾《ぎよび》赤く、身上の戦袍は鴨頭《おうとう》緑なり。脚には一対の〓土靴《てきどか》を穿き、腰には数尺の紅膊《こうとうはく》を繋《し》む。面は円く耳大きく、脣闊《ひろ》く口は方。長《たけ》は七尺以上の身材、二十四五の年紀有り。相貌堂々たる強壮の士、未だ女色を侵さざる少年郎《しようねんろう》。
この大男が一同をひき連れてはいってくると、亭主はにこにこ愛想笑いを浮かべて出迎え、
「若さま、いらっしゃいませ。さあどうぞこちらへ」
「いいつけておいたものは、できてるか」
「へい、鶏肉《にわとり》も牛肉もすっかり用意ができております。おいでになるのを待ちかねてたところなんで」
「おれの、あの青い絵付きの瓮《かめ》の酒、あれはどこだ」
「へい、こちらにございます」
男は連中をひき従えて武行者と真むかいの、上手《かみて》の席にかけ、ついてきた連中はその下手に居流れて坐った。亭主は青い絵模様のついた瓮を両手に抱いて持ってき、泥の封を切って、白い大きな鉢に注ぎ入れる。武行者はそれを眼のはじっこでちらちらとにらんだ。穴蔵で多年、年を経た上酒だ。風の加減で芳しい香が漂ってくる。その香を嗅いだ武行者は、のどの奥がうずうずとむずかゆくなってきて、今にも横から奪いとって飲みかねまじき勢い。見ていると、亭主は、こんどは台所から皿に盛った二羽の鶏の丸煮と大皿山盛りの上等の牛肉を捧げて出てき、その男の前に置いた。そして野菜のものもならべると、酒を柄杓《ひしやく》で汲みとって燗をつけに行く。
武行者は、見れば自分の机の上にはたった一皿の煮付けだけしかないのだ。これで腹が立たないとしたら、それこそどうかしているというものだ。まさに目の毒とはこのこと、そこへもってきて酔いがまわってきたせいもあって、武行者は、今にも机をこっぱみじんに叩き割りかねまじい見幕《けんまく》でどなり立てた。
「やいこら、おやじ、きさま、人をばかにするのもほどがあるぞ」
亭主はあわててそこへ飛んできて、
「行者さん。たのみます。そうどなり散らさないでください。酒がいるのでしたら、おだやかにそうおっしゃってください」
武行者は両の目をひんむいてどなりつける。
「きさまったら、なんともかんともひどいやろうだな。見ろ、あの青い絵付きの瓮《かめ》の酒、そして鶏に牛肉、あいつをなぜおれにゃ売ってよこさない。おれだって、おなじように銀子《か ね》ははらうんだぞ」
「あれは、みんなあの若旦那さまがご自分で持っておいでになったもので、あっしのとこは席をお貸ししているだけの話なんです」
がつがつしている武行者にとっては、そんな返事など耳にはいらばこそ、
「なにをぬかしやがる」
とどなりつける。亭主は、
「おまえさまみたいな出家は、まったくはじめてだ。そんな無茶なことがありますか」
「なんでこの旦那さまが無茶だ。ただ飲みでもしたというのか」
「出家が自分で自分のことを旦那さまっていうなんて、はじめて聞いたよ」
聞くなり武行者は、ぱっと立ちあがり、いきなり五本の指をおし拡げて、亭主の横っ面を一発張り飛ばした。亭主はよろよろとよろけながらむこうへつんのめって行った。これを見たむかいの席の例の大男は、かんかんになって怒り出した。亭主の顔半分はひどく腫れあがり、しばらくの間はそこにのびたっきりだった。かの大男はすっくと立ちあがり、武松に指をつきつけていった。
「やい、乞食坊主。坊主のくせになんて真似をしやがるんだ。よくも乱暴をやりやがったな。おまえ知らんのか、出家たる者嗔心《しんしん》を起こすことなかれっていうだろう」
「おれがあいつをなぐったんだ。おまえは黙ってひっこんでおればいいんだ」
大男は怒るまいことか、
「好意でいってやってるのに、なんだ、この乞食坊主め、おれにつっかかってきやがって」
武行者はかっとなって、机をぐいとおしのけて前へ躍り出し、
「きさま、誰にむかってそんな口をきいてやがるんだ」
大男はせせら笑いながら、
「おい、乞食坊主。おれと喧嘩をしようというのか。鬼門に家を建てる(注一)ってのはそのことだ」
といい、手まねきして叫んだ。
「やい、この糞行者め、さあ出てこい、始末をつけてやろう」
「きさまは、このおれが、きさまをおそれて手を出さんとでも思っているのか」
武行者がぱっと戸口へ飛び出して行くと、大男はするりと外へ走り出た。武行者は追いかけて表へ出た。大男は武松のたくましい体躯を見て、これはうかつにはかかれぬと思い、慎重に身を構えて(注二)彼を迎えた。武行者がどっと踏みこんで行って相手の手をつかむと、大男は力まかせに武松をひっ転がそうとした。だが、いかんせん、彼の千斤の怪力にはかなうべくもなかった。武松はぐいと手を引っ張って内懐《うちぶところ》に引きつけるなり、ぽうんとむこうへはね飛ばした。まるで子供をひっ転がすようなもので、構えも型もあったものではない。大男が連れていた三四人の百姓どもは、それを見て手足をわなわなとふるえさせ、突っかかって行くどころのさわぎではない。武行者は大男を足で踏まえつけ、拳骨をふるって、急所をなぐりつけた。二三十発なぐってから、ひっぱり起こして門外の谷川のなかへぽいとほうりこんでしまった。かの三四人の百姓どもはいっせいに、
「あっ」
と叫び、泡をくいながら、ぞろぞろ谷川のなかへはいって行って大男を助けあげ、肩を貸しながら南の方へ逃げて行った。
一発くらわされた店の主人は、からだがしびれてしまって、しばらくは動くこともできなかったが、やがてひとりでごそごそと奥の方へ逃げこんで行った。
武行者は、
「しめ、しめ。みんな行っちまいやがった。旦那さまがご馳走になるとしよう」
と、碗で白い鉢のなかから酒をくみ、がぶがぶと飲んだ。机の上の二羽の鶏と大皿山盛りの牛肉は、まだ手つかずのままだったが、武行者はこれも箸を使わずに両手でひきちぎってがつがつと食った。こうしてものの半時とはたたぬまに、酒も牛肉もあらかた食いつくしてしまった。
存分に飲み食いをした武行者は、衣の袖をたくしあげて背中で結び、店を出て谷川沿いに歩いて行った。ところが、北風に吹きあおられて足もとがきまらず、つんのめるようにしてすすんで行った。
居酒屋を出て四五里とは行かぬうちに、かたわらの土塀のなかから赤犬が一匹飛び出してきて、武松にむかって吠えたてた。武行者がふりかえって見ると、大きな赤犬が吠えながらあとを追ってくる。酔っぱらっていた武行者は、なにか事あれかしと思っていたおりもおり、追いかけてきて吠え立てるその犬がひどく疳にさわって、いきなり右手で戒刀をひき抜き、大股で追いかけて行った。犬は谷川の岸に沿って逃げながら吠えた。武行者は戒刀で斬りつけたが、むなしく空を斬り、力あまってふらふらとよろめき、もんどりうって谷川のなかへさかさまに転げ落ちて、そのまま起きあがることができない。季節は冬で、谷川の水は涸れていて、一二尺ばかりの深さしかなかったが、その冷たさといったらない。はいあがったものの、全身ずぶ濡れ。戒刀はと見れば谷川の水のなかにつかったままである。武行者は、からだをこごめて刀を拾いあげようとしたところ、途端にまたどぼんと川のなかに落ちてしまって、水のなかでばたばたとあがくよりほか能がない。
そのとき、岸の近くの土塀のかげから一団の人々が出てきた。その先頭のひとりの大男は、頭には氈笠をかぶり、身にはうこん色の麻の衲襖《わたいれ》を着、手には棍棒を持っている。それにひきいられている十数人のものどもは、てんでに、白木の棒をひっつかんでいた。そのなかのひとりが手をあげて指さしながら、
「ほれ、谷川にはまっているあの行者、あいつが下の坊っちゃんをなぐったんです。下の坊っちゃんは、さっき、あなたさまが見つからないので、おひとりで作男ども二三十人をひき連れて、居酒屋へこいつをつかまえに行かれましたが、こいつめ、こんなところにいたのか」
そういっているところへ、むこうの方からさっきのなぐられた男が、着物を着換え、朴刀を手にとり、うしろに二三十人の作男どもをひき連れてもどってくる。従う連中はいずれも名の通った面々。そもそもどういう名かというと、
長《のつぽ》の王三に、矮《ちび》の李四。急《いらち》の三千に、慢《のろま》の八百。笆上糞《ほしくそ》に、屎裏蛆《くそのうじ》。米中虫《こめくいむし》に、飯内屁《へつぴりむし》。鳥上刺《とげちんちん》に沙小生《あばただんな》。木伴哥《ぬうぼうあにい》に、牛筋《ばかぢから》たち。
こういった十人か二十人ほどは、みな頭株《かしらかぶ》の作男で、そのほかの連中はいずれも村の与太公たちだった。この面々はてんでに槍や棒をおっとって、かの大男の後につき従い、口笛を吹きながら武松をさがしにやってきたのであるが、急いで塀のところまで駆けてきて、そこに武松を見つけると、かの大男は、彼を指さしながらうこん色の襖子《わたいれ》を着た大男にむかって、
「このくそ坊主なんです。わたしをなぐったやつは」
「とっつかまえて家にひきずりこみ、みっちり締めあげてやろう」
と、襖子の大男がいうと、はじめの大男は、
「おい、やっちまえ」
とどなった。三四十人の連中がいちどにつかみかかり、憐れ、酔っぱらった武松はもうあらがう力もなく、懸命にはいおきようとするところを一同におそいかかられ、手とり足とりされながら岸へひきあげられた。そこの土塀に沿って曲がって行くと大きな屋敷があって、まわりは高い白壁の土塀でとり囲まれ、柳や松がその外にめぐらされている。一同は武松をなかへひきずりこむと、着物を剥ぎとり、戒刀と包みをとりあげたのち、ひきずり立てて行って柳の大木に縛りつけた。そして、
「籐の鞭を持ってこい。びしびし打ち据えてやるんだ」
といいつけ、四五回たたいたが、そのとき屋敷のなかからひとりの男が出てきて声をかけた。
「ご兄弟、誰を打っていなさる」
するとふたりの大男は拱手の礼をして、
「お師匠さま、こうなんです。弟がつい今しがた隣り村の友達三四人と、このむこうの街道はずれの居酒屋へ一杯やりに行ったところが、なんとも太いやろうです、この糞行者めが喧嘩を吹っかけてきて、弟をこっぴどく打ちのめしたうえ、川のなかへ叩きこみ、おかげで頭や顔を傷だらけにされて危うく凍え死ぬところだったというのですが、友達に助けてもらって、家に帰ることができたしだいです。帰って着物を着かえてから、人を連れて、あらためてやつをさがしに行きましたところ、このやろうめ、酒や肉をすっかり平らげてしまって、べろんべろんに酔っぱらったまま表の谷川にはまりこんでいるじゃありませんか。そこでさっそくとりおさえてきて、びしびし打ち据えているところですが、よく見るとこの糞坊主め、出家とはまっかなにせもので、顔にはちゃんと金印《いれずみ》が二行はいっています。髪を垂らしてかくしてるところを見ると、どうやらこいつは牢破りをしてきた囚人らしいです。問いつめてよく洗ってみたうえで、お役所に突き出してくれようと思ってます」
なぐられた方の大男は、
「そんなことをしたって、つまらんよ。このやろうは、おれをなぐって身体じゅう傷だらけにしたんだ。ひと月かふた月、養生せんことには、なおらんだろう。こんなやろうは、なぐり殺して火にくべてやるがいいんだ。そうでもせんことには、腹の虫がおさまらんよ」
そういって、籐の鞭をとりあげ、また打ち据えようとした。すると、家から出てきたその男が、
「まあ、お待ちなさい。ちょっと見せてもらいましょう。この人も好漢なのじゃないかな」
武行者は、このときはもう酒の酔いも醒めて、意識ははっきりしていたが、じっと目をつむったままで、打たれるままにして一言も声を出さなかった。その人はまず背中の方を見て、棒傷に目をとめた。そして、
「これはおかしい。刑をうけてから間もない傷あとのようだぞ」
そして前にまわり、髪をつかんで武松の顔をひきおこし、その顔をまじまじと見て、
「ややっ、武二郎さんではないか」
武行者もはっとして両眼を見開き、その人の顔をのぞきこんだ。
「おお、兄貴じゃないか」
すると、その人は、
「早く縄を解け。これはわたしの弟だよ」
うこん色の襖子を着た男も、なぐられた男も、みなびっくりして急《せ》きこんでたずねた。
「この行者がお師匠さまの弟とは、それはまたどういうわけです」
「この人だよ、いつもわたしが話しているあの、景陽岡で虎を退治した武松というのは。しかしどうして行者になどなったのか、それはわたしも知らないのだが」
ふたりの兄弟はそれを聞くと、あわてて武松のいましめを解き、かわいた着物を何枚かとってこさせて武松に着せてから、手をとって客間へ請じ入れた。武松がひざまずいて礼をしようとすると、その人は、半ばはおどろき半ばはよろこびながら、武松をおしとめ、
「まだ酔いもさめないだろう。まあ、そこへかけて話そう」
武松はその人に出会って大いによろこび、酔いもあらかた醒めてきたが、湯をもらって顔を洗ったり口をゆすいだり、酔いざましのつまみものを食べたりした後、武松はその人に改めて礼をし、そして一別以来の消息を語りあったのであるが、その人というのは、ほかでもない、〓城《うんじよう》県の生まれで、姓は宗、名は江、字《あざな》は公明というその人なのであった。武行者は、
「柴大官人どののお屋敷にいらっしゃるものとばかり思っておりましたが、どうしてまたこんなところにおいでなのですか。こうしてお会いしてるなんてまるで夢を見ているようです」
宋江のいうには、
「柴大官人どののお屋敷であなたと別れてから、わたしはずっと半年ほど腰を据えていたのだが、家の方がどうなっているのかわからず、父も心配していることだろうと気になって、ひとまず宋清を家へ帰らせてみたのです。ところがそのあとで家から手紙がとどいて、裁判沙汰の方は、朱と雷のふたりの都頭が奔走してくれたおかげで、家のものは無事にすみ、本人だけを逮捕するということになって逮捕状が出され、諸方で捜索されている、と知らせてくれました。まあこの一件はうやむやになってしまったようです。ところで、ここに孔太公という人がおられて、わたしの家の方へなんども使いのものを出してわたしのことをたずねておられたのだが、その後、宋清が家へ帰って、宋江は柴大官人どののお屋敷にいるとつたえたものだから、わざわざ使いのものを柴大官人どののお屋敷へよこされて、わたしをここへひきとってくださったのです。このあたりは白虎山《びやつこざん》というところで、このお屋敷は孔太公のお屋敷です。さっきあなたとやりあった相手は、孔太公の下の息子さんで、この人は気が短くて喧嘩好きなので独火星《どくかせい》の孔亮《こうりよう》という名で通っています。こちらのうこん色の襖子《わたいれ》を着ている人は、孔太公のご長男で、毛頭星《もうとうせい》の孔明《こうめい》といわれておいでです。ふたりとも槍棒《そうぼう》が好きなところから、わたしがちょっと見てあげているので、それで師匠などとよばれているしだい。ここへきてからもう半年にもなるが、このほど思い立って清風寨《せいふうさい》(寨とは地方駐屯軍の軍営)へ出かけてみる気になり、この二三日ちゅうに立とうと思っているところです。あなたのうわさは、柴大官人どののお屋敷にいたとき風のたよりに聞いたのですが、景陽岡で虎を仕止めなすったこと、陽穀県で都頭になりなすったこと、そして西門慶と喧嘩のあげく、殺しなすったというところまではうかがってますが、その後はどこへ流されなすったので。そしてまた、なんで行者になどなりなすったんで」
武松は、
「柴大官人どののお屋敷でお別れしてから、わたしは景陽岡へのぼって虎をやっつけ、それを陽穀県の県城へはこんで行ったら、知県が都頭にとり立ててくれたまではよかったのですが、その後、嫂《あによめ》というのがなんともひどい女で、西門慶とけしからんことをやりやがったうえに、わたしの兄の武大を毒殺しやがったんです。それでわたしは、ふたりとも殺して自首して出、いったん東平府に身柄をあずけられたのですが、そこの陳という府尹がずいぶん親身に肩を持ってくれて、そのおかげで孟州送りの流罪ということになったのです」
と語り、そののち十字坡で張青と孫二娘にめぐり会ったいきさつから、孟州について施恩に会ったこと、蒋門神を叩きのめしたこと、張都監以下十五人を殺したこと、そして張青の家へ逃げこみ、そこで母夜叉の孫二娘が托鉢姿の行者にしてくれたこと、それから蜈蚣嶺《ごしようれい》を越えるときに試し斬りで王道人を斬ったこと、そのあげくそこの居酒屋で酒を飲み、酔っぱらって孔の若旦那に乱暴をはたらいたことまで、わが身におこったことのいっさいを、くわしく宋江に話した。孔明と孔亮はそれを聞いて大いにおどろき、ぱっと平伏した。武松もあわてて礼をかえして、
「いや、さっきはどうもたいへんご無礼いたしました。おゆるしください」
「いえ、どういたしまして。わたしたちこそたいへんなお見それをいたしました。無礼のほど、なにとぞおゆるしくださいますよう」
武行者は、
「ご好意につけこんでのおねがいですが、わたしの度牒や手紙、それから荷物や着物を、火に乾かしてくださいませんか。また、戒刀二振りに数珠、これもちゃんと仕舞っておいていただけたらありがたいのですが」
「それはご心配なく。ちゃんとかたづけておかせました。間違いのないようにして、お返しいたします」
武行者は礼をいった。
宋江は、孔太公に出てきてもらって、挨拶をかわさせた。太公は酒席を設けてもてなしたが、そのことはそれまでとする。
その夜、宋江は武松を誘って臥床《ふしど》をならべ、ここ一年あまりのことをいろいろと話した。宋江は心からこの歓談をよろこんだ。翌日、夜が明けて起き出ると、ふたりは朝の身仕舞いをすませ、表座敷へ出て、そこで朝食をいっしょに食べた。相伴《しようばん》として孔明が同席したが、孔亮も傷病みの身でありながら、それをおしてもてなしに出てきた。孔太公は羊や豚をつぶさせ、盛んなご馳走振舞いでもてなしてくれた。また、この日、近所のものや親類のものなど、ぞくぞくと挨拶にやってき、家に召しかかえられているものたちも出てきて挨拶した。宋江はひとかたならぬ喜びようだった。その日、宴果ててのち、宋江は武松にたずねた。
「ところで、これからどこへ身をよせるつもりです」
「昨夜もお話ししましたように、菜園子の張青が手紙を書いてくれて、二竜山宝珠寺にたてこもっている花和尚の魯智深のところへ行ってその一味に加わったらどうかとすすめてくれました。追っつけ自分も行くからと彼はいっておりました」
「それもわるくはなかろうが、じつは、このほど家からきた便りによると、清風寨の知寨《ちさい》(寨の長官)の小李広《しようりこう》の花栄《かえい》(李広は漢の時代の弓の達人)というのが、わたしが閻婆惜を殺したことを聞いて、ぜひこちらへきて身をよせるようにという誘いの手紙をなんどもよこしているということなのです。ここからは清風寨はすぐそこで、わたしはこの間うちから、出かけよう出かけようとしきりに思ってはいるものの、空模様が怪しくて出発がのびのびになっているのです。近いうちに出かけるつもりだが、どうです、いっしょに行ってみませんか」
「そうおっしゃってくださるのはたいへんありがたいのですが、しかしそれはかえってご迷惑をかけることにはなりますまいか。わたしはたいへんな重罪を犯した身で、たとえ恩赦の沙汰がくだってもそれにあずかることのできないほどの重罪人です。そのためにこそわたしは二竜山へ行って、盗賊に身を落として世をしのぶほか道はないと踏ん切りをつけたしだいです。それにまた、ごらんのような行者姿、ごいっしょに歩きでもすれば、路々人に見とがめられてひょっとしてぼろを出すようなことにでもなったら、兄貴にも災難が降りかかってこずにはすみますまい。兄貴とわたしとは生死をともにすると誓いあった仲だとはいえ、累《わざわい》が花栄さんの寨におよびでもすると、これはいかにもまずいです。やはりわたしは二竜山へ行かせてください。もしも天のお慈悲をうけて、いつかまたの日、命を永らえて朝廷より良民にもどしてもらうようなことでもあれば、その時こそはおたずねして行きたいと思います」
「そうか。あんたにいつでもよろこんで良民に立ちもどろうとの心づもりがあるなら、きっと天の助けがありましょう。そのつもりの二竜山行きなら、わたしも強《た》っていっしょにとはいわぬ。が、せめてあと幾日か、いっしょにここに逗留してから行ってください」
こうしてふたりは、孔太公の屋敷でなお十日あまりいっしょに過ごした。そして宋江と武松はいとまごいをした。だが、孔父子が固くひきとめたので、なお四五日滞在し、そのあげく宋江はどうしてもといい出し、孔太公もそれではとあきらめて、そのかどでを祝って宴席を設け、まる一日歓待につぐ歓待をした。そしてその翌日、真新しい行者の衣裳ひとそろえをはじめ、墨染めの衣、また、武松がたずさえていた度牒に手紙、鉄の鉢巻に数珠・戒刀・金銀などを出して武松にわたしたうえ、ふたりに対して路用のたしにといって銀五十両をさし出した。宋江は固く辞退して受けとろうとはしなかったが、孔父子はどうしてもとってくれといってきかず、無理矢理に包みのなかへおしこんでしまった。宋江が身ごしらえを固め、武器をとりそろえると、武松も武松で、きたときと同じように行者の衣を着つけ、鉄の鉢巻をしめ、頭蓋骨の数珠を首にかけ、戒刀を二本腰にぶちこみ、包みをこしらえて腰にくくりつけた。宋江は朴刀をひっさげ、腰刀を佩《は》き、氈笠をかぶって孔太公に別れの挨拶をした。孔明・孔亮のふたりは、作男にいいつけて荷物をかつがせ、ふたりでずっと二十里あまりも送ってきて、そこで、宋江と武行者に別れを告げた。宋江は自分で包みを背負い、
「作男の衆の見送りも、もう結構です。ここからは武の兄弟とぶらぶらやって行きますから」
孔明と孔亮は別れの挨拶をして、そこから作男とともに帰って行ったが、それはそれとして、さて、宋江と武松のふたりは、みちみち話をかわしあいながら夕暮れまで歩きつづけて宿についた。翌朝は早立ちをして、連れ立って旅をつづけ、朝飯をとってからさらにすすむこと四五十里で、とある町についた。瑞竜鎮《ずいりゆうちん》という町で、ここから三本路が分かれて出ている。宋江は通りすがりの人に声をかけてたずねてみた。
「手前どもは、二竜山と清風鎮に行こうとする旅のものですが、どの道をとったらよいでしょうか」
「それは別れ別れの道になりますな。二竜山は西へむかう道ですし、清風鎮は東へむかう道をいって、清風山を越えたそのむこうです」
宋江はそれを聞くと、武松に、
「今日はお別れしなければなりませんな。ここで別れの杯をかわしましょう」
浣渓沙《かんけいしや》(曲の名)の詞で、別れの心をうたったもの。
手を握り期《ご》に臨んで別れの難きを話《かた》る。山林の景物は正に闌珊《らんさん》たり。壮懐は寂莫として客嚢は殫《つ》く。
旅次愁《うれ》え来りて魂断《こんだん》せんと欲《す》。郵亭《ゆうてい》宿する処、鋏《つか》空しく弾ず(注三)、独《ひと》り憐れむ長夜の苦《いた》く漫々たるを。
武行者はいった。
「もうそこ一丁場だけ見送らせてください」
「いや、それはやめておきましょう。よしんば千里送るともついの別れは免れじ、というじゃありませんか。かまわずにあなたはあなたの長い道中をすすんでください。そして、できるだけ早くむこうへ行きつきなさるよう。仲間に加わりなさったら、よくよく酒はつつしむようになすって、朝廷から帰順の勧告が出たときにはためらわずに魯智深や楊志を誘って投降しなさるがよいと思います。そうしてさいわいに辺境の防備にでも出され、槍一筋の武勲を立てて妻子にまでもその栄誉をうけさせ、後の世まで長くその名を残すようにされたならば、これこそ甲斐のある一生というものでしょう。わたしなどは、なんの能も持ちあわさぬおろかさで、忠心はあるにはあっても、その実をともなわせることはできませんが、あなたの、その目ざましい豪雄ぶりをもってするならば、間違いなく大事を遂げることができましょう。そのことをしかと胸にたたんでおいてください。おろかなわたしの言葉でも、よく心にとめられ、他日また会えるようにこころがけてください」
武行者は神妙にうなずいた。ふたりはその居酒屋で数杯、杯をかさねたのち、酒代をはらって店を出た。やがて町はずれの三叉路のところまでくると、武行者は四拝の礼を納めた。宋江は涙をあふれさせて別れを惜しみ、かさねてねんごろにいいふくめた。
「さっき申しあげたわたしの言葉、どうか心によく含んでおいてください。酒にはよくよく気をつけなさるよう。体はくれぐれも大事になさいよ」
武行者はひとりで西へむかって行った。
ところでみなさん、武行者が二竜山へ行って魯智深と楊志の一味に投じたことは、ここではひとまずあずかっておくが、よくご記憶にとめておかれたい。
さて、宋江は武松と別れると、彼とは逆の方向に、東へむかって道をたどり、清風山へとむかった。その道すがらに思い偲《しの》ぶのは武行者のことばかり。幾日か道中をつづけると、やがてその行くてはるかに清風山の姿が見えた。その山のありさまいかにといえば、
八面は嵯峨《さが》たり、四囲は険峻たり。古怪の喬松は鶴蓋盤《かくがいわだかま》り、〓《さが》たる老樹は藤蘿《とうら》を掛く。瀑布飛流して、寒気人に逼《せま》って毛髪冷《ひ》え、緑陰散下《さんか》して、清光目を射て夢魂驚く。潤水時に聴く樵人の斧の響くを。峯巒《ほうらん》特起し、山鳥《さんちよう》声哀《かな》しむ。麋鹿《びろく》群を成し、荊棘《いばら》を穿って往来し、狐狸隊を結び、野食を尋ねて前後に呼号す。若し仏祖修行の処に非ずんば、定めて是れ強人打〓《だきよう》の場ならん。
宋江は、前方にそびえるこの高山を眺め、その険しい山容、その生い茂る樹木のさまを眺めて見あかず、先へ先へと急いでその日の宿のこともつい忘れてしまった。ふと気がつくと、はや夕景色。宋江はあわてた。
「夏ならばなんとか森のなかで一晩ぐらいしのげもしようが、今はいかんせん、冬のさなか、風と霜のはげしいさかりだ。夜分の冷えこみはとても我慢できたものではない。またひょっとして猛獣毒蛇のたぐいが出てきたら、とても手には負えん。命だってどうなるかわかりゃしない」
と東へ通じる裏路を、がむしゃらに急いで行った。歩きに歩いておよそ一時《ひととき》あまり、ますますうろたえるばかりで、足はまるで宙を踏んでいるようであった。そのため、そこにひっ張ってあった一本のからめ縄にひっかかり、林のなかで鈴が鳴り響いたかと思うと、いきなり飛び出してきたのが、待ちもうけていた十四五人の山賊の子分たち。わっと喊声をあげて、宋江をひっころがし、麻縄で縛りあげると、朴刀も荷物も奪いとり、松明《たいまつ》の火を息を吹きかけて燃やし立てながら、山の上へとひき立てて行った。宋江は空しくほぞを噛むばかりで施す術《すべ》もない。やがて山寨のなかへ送りこまれた。
火の明りのなかで見まわすと、ぐるりは木柵を打ちめぐらして、その中央に草屋根の建物があり、座敷には虎の皮を張った床几が三脚据えてある。その奥には、百あまりの小部屋を連ねた草葺きの家。山賊の子分たちは、宋江を粽《ちまき》のようにからげ、ひきずり立てて将軍柱(大黒柱)にしばりつけた。そこにいた数人の連中は、
「親分はたった今、眠らしゃったとこだ。注進に行って邪魔をするのは良かねえよ。酒が醒めなすったら出てもらって、この頓馬やろうの生肝をえぐり出し、親分には酔いざましの吸い物にあがっていただいて、おいらは生きのいい肉をちょうだいしようや」
将軍柱に縛りつけられた宋江はつらつら考えた。
「おれはどうしてこうも運が悪いのだろう。ひとりの売女《ばいた》を殺したばっかりに、こんな因果なめぐりあわせになるなんて。こんなところで果てようとは、まるで夢にも思わなかった」
そのとき、子分どもがあかりをあかあかとともした。宋江はすっかり凍え切って身体がしびれ、身動きすることもできずに、ただ目だけきょろつかせてあたりを眺めまわしながら、首をうなだれてしきりに吐息をついた。やがて二三更かとおぼしきころだった、奥の方からどやどやと子分たちが四五人出てきたかと思うと、
「親分がお起きだぞ」
といい、あかりの芯《しん》を切って火をかきたてた。宋江がそっとうかがって見ると、そこへ出てきた親分というのは、髪は鵝梨《がり》(大梨)の形の髷に結い、それを紅い絹の布で包み、赤茶色の麻の衲襖《わたいれ》を着こんでいる。出てきて、真中の虎皮の床几に腰をおろした。その風態はといえば、
赤髪黄鬚《せきはつこうしゆ》双眼円《つぶ》ら
臂《うで》長く腰闊《ひろ》く気は天に冲す
江湖称して作《な》す錦毛虎《きんもうこ》と
好漢原来却って姓は燕《えん》なり
この好漢は、山東は莱《らい》州の生まれで、姓は燕、名は順《じゆん》といい、あだ名を錦毛虎といった。もと牛や羊の博労《ばくろう》をしていたが、資本《もとで》をすってしまったので、緑林《や ま》にはいってこの渡世に身を落としたもの。酔いから醒めた燕順は、真中の床几にかけると、
「やろうども、この牛はどこでとらえた」
「裏山で張っていたら、林の鈴が鳴りまして、それがこやつでした。ひとり旅のもので、包みを背負い、からめ縄にひっかかってころがったところをおさえました。酔いざましの吸い物にでもなすってください」
「うむ、お誂えむきだ。すぐにふたりの親分をおよびしてこい。いっしょにすすろうて」
子分が出て行くと、間もなく左右の端からふたりの好漢があらわれた。左のは五尺にも足らぬ背丈の、鋭い眼付きをした男。
天青の衲襖錦繍《のうおうきんしゆう》もて補《おぎな》う
形貌は崢〓《そうこう》性は〓鹵《そろ》し
財を貪り色を好み最も強梁《きようりよう》す
放火殺人の王矮虎《おうわいこ》
この好漢は、両淮《りようわい》の生まれで、姓は王、名は英《えい》といい、五尺にもたらぬ小男なので、矮脚虎《わいきやくこ》という名で通っている。その前身は荷車引きだが、道中で品物を見てむらむらと悪心をおこし、つい旅あきんどを襲ったところ、露見して役人にとらえられた。だが、牢を破って逃げ出し、清風山にのぼって燕順とふたりでこの山を根城に近郷近在を荒らしまわっているのである。
右の方からあらわれたのは、生白い顔の男で、口のまわりには二筋のひげを貯え、すらりと背が高くて肩幅のひろい、瀟洒《しようしや》な感じの男。これも薄紅色の頭巾をかぶっている。
衲襖は銷金油緑《しようきんゆうりよく》
狼腰《ろうよう》緊《きつ》く征裙《せいきん》を繋《か》く
山寨紅巾の好漢
江湖白面《はくめん》の郎君《ろうくん》
この好漢は、浙西《せつせい》は蘇《そ》州の生まれで、姓は鄭《てい》、名は二字名で天寿《てんじゆ》といった。生まれついての色白の美男なので、白面郎君という名で通っていた。その前身は銀細工屋だが、弱年のころから武芸が好きで、その後、落ちぶれて他郷をさまよっているうちに、ふとここを通りかかって王矮虎と出くわし、六十合もわたりあったが勝負がつかなかったので燕順がその腕を惜しんで山にひきとめ、かくて第三の椅子に坐ったというわけである。
こうしてそこに、三人の頭領がならんだのだが、まず王矮虎が口を切って、
「やろうども、酔いざましの吸い物とはいいあんばいだ。さっそくそやつの生肝を抜いて、ぴりっと辛いやつを三杯つくってこい」
といいつけた。すぐ、ひとりの子分が銅のたらいに水をいっぱい汲んできて、宋江の目の前に置いた。そして、もうひとりが、袖をまくりあげ、ぎらぎら光る肝えぐりの短刀を手に取ると水を汲んできたのが、両手に水をすくいとって宋江のみぞおちあたりにぶっかけた。それというのも、人間の生肝は熱い血で包まれているので、冷水をぶっかけてそれを散らした後でとり出さないと、歯当りがわるく味が落ちるからだった。その子分は水を、宋江の顔にはねかかるほどぶっかけた。宋江は溜息をしてつぶやいた。
「あわれ、宋江もここで果てるのか」
そのとき燕順は、この宋江という言葉を耳に聞きとめて、
「待て。水をかけるのは待て」
と大声をあげて制止し、
「おい、こやつ、宋江とかなんとかいわなかったか」
「なにやらもぞもぞと、あわれ宋江もここで果てるのかとかいったようでしたが」
すると燕順は立ちあがって、
「おいこら、てめえは宋江を知っているのか」
とたずねた。
「わたしがその宋江です」
燕順はにじりよってきて、
「なに、どこの宋江だ」
「わたしは済州〓城県の押司をつとめていた宋江です」
「というと、山東の及時雨の宋公明、閻婆惜《えんばしやく》を殺して世間を逃げまわっているあの宋江だというのか」
「どうしてそれを知っているのだ。わたしはその宋三郎だが」
燕順はそれを聞くとあっとおどろき、いきなり子分の手から短刀をひったくって麻縄をずたずたに切り放ち、着ていた赤茶色の麻の衲襖《わたいれ》をぬいで宋江に着せかけ、抱きかかえて真中の虎皮の床几にかけさせた。そして王矮虎と鄭天寿にも席をおりさせて、三人そろってうやうやしく平伏した。宋江も床几からすべりおりて答礼し、
「お三人、殺しもせずにかえってご鄭重な礼とは、なぜまたそのような」
といって、また平伏して礼をした。三人の好漢はそろってひざまずいた。
やがて燕順が、
「あっしとしたことが、己《おのれ》のこの目の玉をばくり抜いてやりたいばかりでございます。なんともはやたいへんなお見それようをいたしまして。ふとした間違いからとはいえ、事の次第も問いただすこともせず、すんでのことであなたさまを手にかけてしまうところでした。もし、天のさいわいにめぐまれずに、あなたさまがそのお名前を口にされなかったら、あっしらは気づく術もございませんでした。あっしは山にはいってからもうこれで十年あまりにもなるのですが、あなたさまが、欲得をはなれて義に篤く、もっぱら困苦に喘いでいる人たちを助けておられるというかずかずの噂は、久しく聞きおよんでいるところでございます。ご縁がうすくて、いっこうお目にかかる機会にめぐまれないのを残念に思っていた次第でした。今日はまたいかなしあわせか、こうしてお目にかかることができまして、このうえもないよろこびでございます」
「いや、わたしなど、そのようなお言葉をいただく柄ではございません」
「あなたさまが、いたって鄭重に人をもてなされ、好漢連中を大事にもてなしてくださるという噂は、ひろく天下にかくれもない話で、誰しもがお慕い申しあげるところです。このごろの梁山泊の、天下に鳴り響くあの隆々たる勢いも、聞けば、あなたさまのお力にあずかってのものとか。それにしても、たったおひとりで、どこからこちらへいらっしゃったのでございますか」
宋江は、晁蓋を救ってやったこと、閻婆惜を殺したこと、そして柴進と孔太公のところで長らく厄介になっていたこと、そしてこのたびは清風寨へ行って、小李広の花栄をたずねようと思い立ったことなどの一部始終をくわしく話した。三人の頭領は大いによろこび、さっそく着物を出して宋江に着せるとともに、羊や馬を屠って夜どおしの酒盛りをひらき、翌朝の五更時分まで飲みつづけた。頭領たちは子分を宋江にかしずかせて、寝所をととのえさせた。翌日宋江は辰牌(八時)ごろに起き、道中でのさまざまな出来事を話し、また、武松の剛勇ぶりも話してきかせた。すると、頭領三人は、足ずりをして大いに口惜《く や》しがった。
「おれたちはついてないわい。うちの山へきておくんなさったらなあ。他所《よ そ》へ行っちまいなすったのか」
さて、話は端折って先を急ぐが、こうして宋江は清風山へきて六七日間というもの、連日にわたって美酒佳肴の大歓待をうけたことはさておき、時はちょうど十二月の初旬、山東あたりのしきたりではこの月の八日はお墓参りをすることになっている。その日のこと、子分のものが麓から注進に駆けあがってきた。
「本街道を、供を七八人連れた轎《かご》が一台通って行きます。盒子《は こ》を二つかついでいて、お墓参りです」
色好みの王矮虎は、それを聞くとその轎は女にちがいないと合点し、手下四五十人を勢ぞろいさせて山をくだって行こうとした。宋江と燕順がやめさせようとしたがきかず、彼は槍と刀をひっつかみ、がんがんと銅鑼《どら》を打ち鳴らして山をおしくだって行った。宋江・燕順・鄭天寿の三人は、山寨に残って酒をくみあっていたが、連中が出て行ってからおよそ二三時《とき》ほどすると、物見の子分がもどってきて、
「王のお頭が、途中まで追いかけて行きなさると、七八人おった兵隊やろうどもはみんな逃げてしまい、轎に乗っていた女ひとりを捕えただけで、ほかには銀の香盒《こうごう》がたった一つ。あとはなにも獲物なしでございます」
「その女はどこへ連れて行った」
と燕順が問うと、
「王のお頭が裏の部屋へとっととかついで行かれました」
燕順は声をあげて笑った。宋江は、
「王英さんはそんなに女好きなのですか。好漢らしくもない」
「彼はなんでもよくいうことを聞いてくれるのですが、ただ、あのほうだけがどうも」
宋江は、
「いっしょに行って諫めてやろうじゃありませんか」
燕順と鄭天寿は宋江を案内して裏の王矮虎の部屋へ行き、戸をあけた。王矮虎は女を抱いて、しきりに迫っているところだった。三人がそこへはいってきたのを見ると、彼はあわてて女を突きはなし、三人を迎えた。見ればその女は、
身には縞素《こうそ》(喪服)を穿ち、腰には孝裙《こうくん》(喪のもすそ)を繋《か》く。脂粉を施さざれども、自然に体態妖〓《ようじよう》。鉛華を染むることを懶《おこた》れども、生定して天姿秀麗なり。雲は春黛《しゆんたい》に含まれ、恰《あたか》も西子《せいし》(注四)の眉を顰《ひそ》むるが如く、雨は秋波滴《したた》って、渾《さなが》ら驪姫《りき》(注五)の涕《なみだ》を垂るるに似たり。
宋江は女にむかってたずねた。
「あなたはどちらのお方ですか。今ごろお出かけになるとは、なにか急なご用でもおありだったのですか」
女は羞《は》ずかしげにすすみ出て、うやうやしく三度お辞儀をかさねてからいった。
「わたくしは清風寨の知寨(寨の長官)の妻でございます。母が亡くなりまして今日がちょうど一周忌で、お墓参りに出かけたところでございます。遊山などでは決してございません。親分さま、どうかおたすけくださいませ」
宋江はびっくりして、思案した。
「おれはこれから知寨の花栄のところへ行こうと思っている矢先なのに。これは花栄の奥さんじゃないか。ここはなんとしてもたすけてやらなくては」
そこで宋江はたずねた。
「ご主人の花栄どのは、ごいっしょにお出かけにならなかったのですか」
「いいえ、親分さま、わたくしは花栄さまの家内ではございません」
「しかし、さっきあなたは、清風寨の知寨のご夫人だとおっしゃったのではなかったかな」
「それはこうなのでございます。清風寨には知寨がふたりおりまして、ひとりは文官、もひとりは武官がつとめ、武官の方が花栄さまで、文官のほうはわたくしの夫の劉高《りゆうこう》がつとめております」
宋江はそれを聞いて、
「この女の夫が花栄と相役《あいやく》だとすると、ここはたすけてやらぬことにはむこうへ行ったとき都合がわるい」
と考え、そこで王矮虎にむかって、
「おねがいがあるのだが、聞いてもらえましょうか」
「どうぞ、遠慮なく何なりとおっしゃってください」
宋江はいった。
「好漢としてもっとも恥ずべきこと、人から笑われること、それは溜骨髄《りゆうこつずい》(精気を漏らす)の三字でしょう。今、この方《かた》の話を聞いてみると、君命を承《う》けた、れっきとしたお役人のご夫人。どうでしょう、わたしのこの顔に免じ、かつはまたわれらが同士の大義の二字のためにも、この方をこのまま麓へおろしてさしあげ、ご主人のもとへ帰してあげなすっては」
「それじゃ、わしのいいぶんも聞いてもらいましょう。わしはずっとつれ添うあねごなしできております。それに見てごらんなさい、このごろの世の中ときちゃ、踏んぞりかえった役人ばらのおかげで、ひどい世の中になってるじゃありませんか。これぐらいなことをしたって、なんの構うことがあるものですか。まあ大目に見て見逃しておくんなさい」
宋江はそこへひざまずいて、
「連れそうあねごがほしいといわれるのなら、そのうちわたしがよい人を見つけ、結納も出してあげて、立派に連れ添わせてあげましょう。なんといっても、このご婦人はわたしの友人の相役の方のご夫人です。なんとか、ゆるしてあげてくれませんか」
燕順と鄭天寿はあわてて宋江をたすけおこして、
「ともかく立ってください。このことは、おひきうけしますから」
「そうしていただければ、かたじけない限りです」
と宋江はくりかえして礼をいった。燕順は、宋江がどうしてもこの女をたすけようとしているのを見て、王矮虎が納得しようがしまいがそんなことは構わず、轎《かご》かきにむかって、連れて行けといいつけた。女はそれを聞いて、
「親分さま、ありがとうございます」
と、いくども頭をさげて宋江に礼をいう。宋江は、
「わたしにお礼はいりません。わたしは山の親分ではなく、〓城県からきた旅のものです」
女は丁寧に礼をいって山をおりて行った。轎かきのふたりも命びろいをし、女を舁《か》きあげて山をおりて行ったが、その韋駄天《いだてん》ぶりたるや、親が足を二本しか生みつけてくれなかったのがいかにも残念でたまらぬ、とでもいいたげな恰好であった。
王矮虎は、ばつが悪くもあれば腹立たしくもあり、むっつりと黙りこんでいる。宋江は前の広間へ連れ出して、
「そう怒りなさるな。いずれそのうちになんとかしてお世話してさしあげ、ご満足のいくようにとりはからいますから。きっと約束いたします」
燕順と鄭天寿は噴き出した。王矮虎はこの場はいちおう宋江の顔を立てざるを得ない羽目になってしまって、不満ではあったけれども、面にはあらわさず、にやにや笑いでごまかしながら宋江とともに山寨の酒盛りにもどった。
さて一方、清風寨の兵士たちは、あっという間に夫人を奪われてしまい、しおしおと寨へ帰って行って知寨の劉高に報告した。
「奥方さまを、清風山の山賊にさらわれてしまいましてございます」
劉高はそれを聞いて大いに怒り、なんたる腑抜けぞろいだ、なぜ奥をうちすててもどったと、大きな棍棒で、供をして行った兵士たちをなぐりつけた。一同は、
「わたくしどもはたった六七人の同勢、やつらは三四十人もおりました。どうにも手の出しようがございませんでした」
「黙れ。おまえたち、行って奪いかえしてこい。さもないと牢に叩きこんで締めあげてやるぞ」
兵士たちは、しかたなく案内の兵士七八十人に泣きつき、てんでに槍や棒をたずさえて奪いかえしに行った。ところが思いがけなく、途中まで行くと轎かきふたりが夫人を舁きあげて、すっ飛んでくるのに出会った。兵士たちは夫人を迎えて、
「どうやって、山から逃げ出しなさいました」
女はそれに答えて、
「あのやつら、わたしを山寨にさらいこんだものの、劉知寨の奥方だと名乗ってやったら、びっくりして地べたにはいつくばり、さあ、麓へお連れして行けって轎かきにいいつけたのさ」
兵士たちは、
「奥方さま、おねがいでございますが、どうか閣下の前では、わたくしどもが乗りこんで行って奪いかえしたということにしておいてくださいませんでしょうか。そうでないとわたくしども、お仕置きを加えられますので」
「いいとも。うまくいっておいてあげますよ」
兵士たちは大いによろこんで礼をいい、轎をとりかこんで帰って行った。轎かきの足のその速いこと。
「おい、おまえたち、街ではいつもあひるみたいにのろくさ歩きやがるくせに、今日はなんだってまた滅法はやい歩き方をするんだ」
と人々がいうと、ふたりの轎かきは、
「いや、もう歩けないんだが、うしろから大きな拳固でなぐられるんで、仕方がないんだよ」
みんな笑いながら、
「何をいってやがる。幽霊にでもとっつかれたのか。うしろには誰もいやしないじゃないか」
轎かきはうしろをふりかえって見て、
「ありゃありゃ、あんまりあわてくさって、自分の足のかかとが自分の頭の鉢を蹴っ飛ばしてやがる」
一同はどっと噴き出した。
轎をとりかこんで寨にたどりつくと、劉知寨はこれを見て大いによろこび、夫人にたずねた。
「誰にたすけ出してもらった。よくもどってこれたな」
「やつらはわたしをさらって行きましたが、わたしがいうことをきかないものですから、殺そうとしました。そのときわたしが知寨の奥方だといいましたら、それを聞いて手をくだすのをやめ、泡をくって平蜘蛛のようにはいつくばりました。そうしているところへ、この連中が駆けつけて奪いかえしてくれたのです」
劉高はこれ聞くと、酒十瓶と豚一頭を出させて、兵士たちに褒美としてあたえた。
それはさておき、宋江は女を救って帰してやってから、なおも五六日、山寨に逗留したが、やがて花知寨のところへ出かける決心をして、山をおりたいといって頭領たちに暇を告げた。頭領三人は固くひきとめたがとめきれず、名残りの宴をひらいたうえ、それぞれはなむけの金品を贈って包みのなかにしまわせた。その日、宋江は朝まだきに起き出して身仕舞をすませ、朝食を食べて荷ごしらえをととのえると、三人の頭領と別れの挨拶をかわしたのち、山をくだって行った。三人の好漢は酒・つまみもの・肴などをたずさえて見送りに出、ずっと二十里ばかりも先の本街道のところまで送り、そこで別れの杯をくみかわしたが、三人は名残りを惜しんで、
「清風寨よりお帰りの節は、きっと山へお立ちよりくださいますよう。そしてごゆっくり逗留なさってください」
とねんごろにいった。宋江は包みを背負い、朴刀をひっさげて、
「それでは、またいつか会いましょう」
といい、ご機嫌ようと挨拶をして、袂を分かって行った。
もし私が宋江と同時代のものであり、ともに肩をならべて育った身であったとすれば、その腰に抱きつき、その腕をつかみ、なんとしてでもひきもどしたことであろう。かくて宋江は花知寨のもとへ身をよせたばかりに、すんでのことで、その身のむくろを野末にさらす羽目におちいることとはなるのである。まさに、坎〓《わざわい》に遭《めぐ》り逢うもみな天の数《さだめ》、風雲に際会するも豈《あに》偶然ならんや、というところ。いったい宋江は花知寨のところで、いかなる人に出くわしたというのか。それは次回で。
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一 鬼門に家を建てる 第二回注一四参照。
二 身を構えて 原文は做箇門戸。第九回注三・四参照。
三 鋏空しく弾ず 孟嘗君の食客の馮煖というものが、待遇に不満を抱き、柱によりかかりながら刀の柄を鳴らしつつ「長鋏よ帰来《か え》らんか、食うに魚なし」と歌った。それを聞いた孟嘗君は魚を出してやったが、しばらくすると彼はまた刀の柄を鳴らしながら「長鋏よ帰来らんか、出ずるに車なし」と歌った。孟嘗君が車をやると、さらにまた「長鋏よ帰来らんか、以て家と為すなし」と歌ったという。「鋏を弾ず」はその故事を指す。
四 西子 越王勾践《こうせん》が敗れて呉王夫差《ふさ》に献した西施のこと。夫差の寵愛を得たが、あるとき胸をわずらって郷里へ帰った。痛む胸をおさえ眉を顰《ひそ》めて歩く西施が、またひとしお美しいとて、郷里の女たちはみなそれをまねたという。顰《ひそみ》にならうということばはこの故事による。
五 驪姫 晋の献公の妃。西施とともに美女の代名詞となっている。
第三十三回
宋江《そうこう》 夜小鰲山《しようごうざん》を看《み》
花栄《かえい》 大いに清風寨《せいふうさい》を鬧《さわ》がす
さて、この清風山は、青州からはさして遠くはなく、わずかに百里あまりのところにある。そして清風寨は、青州へつながる三叉路の基点に位置し、土地の名は清風鎮という。この三叉路は、そこから悪名高い三つの山に通じていた。そのためにこそ、清風鎮に寨(地方駐屯軍基地)が設けられたのであったが、土地柄に似合わず戸数は四五千を数えていた。清風山からはわずか宿場ひとつ分《ぶん》とすこしだけの距離のところである。
その日、三人の頭領が山へひきかえして行ったことはさておき、宋江はただひとり、荷物を背にして道をたどりつつ清風鎮につくと、まずは花知寨の住所を問うてみた。そこの住人は、
「清風寨のお役所でしたら、町の真中にございますが、その南側の小さい寨《やかた》が文官の劉《りゆう》知寨さまのお家で、北側にある小さい寨が武官の花《か》知寨さまのお宅です」
宋江は礼をいって、そこから北の寨にむかった。その門前にやってきて見ると、門番の兵卒が何人か立っており、名前を質《ただ》して奥へひっこんだ。すると、なかから若い士官があらわれ、宋江の手をとってお辞儀をした。その人物はと見れば、
歯白く唇紅く双眼俊《しゆん》なり。両眉は鬢《びん》に入りて常に清く、細腰寛膀《かんぼう》は猿形に似る。能く乖劣《かいれつ》の馬(注一)に騎《の》り、海東青(注二)(鷹)を放つを愛す。百歩楊《やなぎ》を穿つ(注三)神臂《しんび》健かに、弓は開いて秋月分明《ぶんめい》に、雕〓《ちようれい》(鷹の羽)の箭《や》は発して寒星迸《ほとばし》る。人は称す小李広《しようりこう》、将種《しようしゆ》(注四)是れ花栄《かえい》。
出てきた年若い将軍こそ、これぞほかならぬ、清風寨の武官の知寨、小李広の花栄であった。この花栄のいでたちいかにと見れば、
身上の戦袍は金翠の繍《しゆう》
腰間の玉帯は山犀《さんせい》を嵌《は》む
滲青《しんせい》の巾〓《きんさく》は双環小に
文武の花靴は抹緑《まつりよく》低し
花栄は宋江に挨拶をしたのち、兵士に命じて、包み・朴刀・腰刀を収めさせ、宋江の手をとって表広間に誘い、その真中に据えた涼牀《こしかけ》に掛けさせた。そしてここでもまた四拝の礼をささげたのち、起立して口上を述べた。
「お別れしてからもう五六年にもなりますが、いかがお過ごしかといつも気にかけておりました。聞けば、なにか、性《たち》のわるい女を殺《あや》められたために諸方に逮捕の手がまわされたとか、わたしはそれを聞いて、まるで針の筵にでも坐るような思いで、ぶっつづけに十何通かの書面をお宅へさしあげ、いかようなことかとおたずねにおよんだ次第でしたが、はたしてお受けとりいただきましたものやら。今日はまたいかなるしあわせか、ここにおはこびくださいまして、こうしてお目にかかれましたのはまことにうれしい限りでございます」
といってまたひざまずいた。宋江は手をとっておしとめ、
「そうまでご丁寧にされては恐縮です。どうかおかけなさって。くわしくお話しいたしましょう」
花栄は斜に座をとって坐った。宋江は閻婆惜《えんばしやく》を殺した顛末から、まず柴大官人、ついで孔《こう》太公の屋敷へと身をよせたこと、そしてそこで武松にめぐり会ったこと、および清風山にひきずりこまれそこで燕順に出会ったことなど、ひとつひとつくわしく語り聞かせた。聞きおわると花栄は、
「それはたいへんでございました。せっかくこうしておいでくださったうえは、何年なりとゆっくり腰を落ちつけていただきましょう。万事はそれからのこととして」
「あなたのことは、弟の宋清が孔太公どのの屋敷の方へよこしてくれた便りで知ったのですが、それでなくてもわたしはぜひいちどおうかがいしようと思っていたところでした」
と、宋江が答えると、花栄は奥の間へ請じ入れ、妻の崔《さい》氏を呼んで挨拶をさせ、また妹にもいって親しく礼をさせた。そして着物・靴・靴下の着換えを出し、お湯をつかわせたのち、奥座敷で旅休めの宴席を設けた。
この宴席で、宋江は劉知寨の夫人を救ってやったいきさつを話したが、それを聞いた花栄は、眉根をしかめていうのだった。
「あんな女なんか、救っておやりになることはなかったのです。まったく、くたばってしまえばよかったんです」
宋江は、
「それはまた面妖《めんよう》な。わたしは、清風寨の知寨の夫人だと聞いたものだから、あなたの同僚の方の面目にかかわることだと思って、王矮虎にうらまれるのを覚悟のうえで、躍起になって、帰れるようにはからってあげたのですが、どうしてまた、そんなことをおっしゃるのですか」
「いや、それはこうなのです。別にえらぶるわけではございませんが、この清風寨は青州でも特に重要な地、だがわたしがここを固めているかぎりは、近在のあちこちに巣くっている盗賊どもに、この青州に手出しをさせるような真似は決してさせるもんじゃありません。ところが、このほどへなへな書生が正知寨として赴任してきたのです。そやつは文官のくせにからっきし学問のないやつで、ここへ赴任してきてからというもの、土地の金持連中をたぶらかしたり、法度を乱したり、もうあらゆる悪事の仕放題という始末なのです。わたしは武官で副知寨ですから、事あるごとにこいつの風下に立ってくそいまいましい目にあわされるばかりで、あんなけがらわしい犬畜生など、いっそぶち殺してしまってやろうかと思うほどです。そいつの女を、なんでまたあなたは救ってやりなさったのです。あの阿魔というのがじつにけしからんやつで、いつも亭主をせっついてはよからぬことをそそのかし、良民をいじめ、賄賂をむさぼりたくっているというひどい女、あんな下司《げす》やろうは、思いきり恥しめてやるのがちょうど似合いというもので、たすけてやりなすったのは、まったく見当ちがいというものでしたよ」
宋江はそれを聞いて、
「いや、それはお言葉とも思えません。昔から、うらみは解くべし、結ぶべからず、というが、おふたりは同僚相役同士の間柄、たとえ多少の踏みはずしがあったとしても、まずいことは隠してやり、いいたいことは表に出して、飾ってやるようにすべきものではないでしょうか。もうすこしお考えになった方がよいと思いますが」
「なるほどごもっともです。こんど役所で劉知寨に会いましたら、細君を救ってあげられた一件を、よく伝えておいてやりましょう」
「そうなされたら、あなたの気持も知ってもらえましょう」
花栄夫妻をはじめ家族一同は、朝に夕にいろいろとご馳走をととのえて、至れりつくせりに宋江にかしずいたが、その夜は几帳つきの寝台で奥の間に寝かせ、あくる日もまた酒席を設けて歓待した。くどくどしい話はさしひかえるが、とにかくこうして、宋江が花栄の寨《やかた》にたずねてきてからずっと四五日の間というものは、酒盛りの連続だった。花栄の配下には何人か側仕えのものがいて、これが毎日交替で彼のお供につき、花栄から小遣いに小粒をもらって、清風鎮の町を案内してまわり、街のにぎわいとか、町はずれの道観(道教のお寺)や仏寺などを見物して宋江にたのしんでもらおうということになった。こうして彼らはその日を皮切りに、宋江を案内して町へぶらぶらと遊びに出かけたのであったが、清風鎮には、それでも何軒かの芝居小屋もかかっており、茶店とか料理屋などもあることはいうまでもない。その日は、宋江はお供のものといっしょに芝居小屋をちょっとのぞき、それから近くの郊外のお寺や道観をひろい歩きしてまわり、町へもどって料理屋へ導かれ、酒を飲んだ。店を出るときその日のお供が酒代をはらおうとすると、宋江はそれを聞かず、自分で小粒をとり出してはらった。帰っても宋江は別に花栄にそれをいいもせず、お供のものはお金を得《とく》したうえに遊べたというので大よろこびであった。こうして毎日ひとりずつ宋江のお供をしてそぞろ歩きに出かけたが、いつも宋江が金を出してくれるので、寨にきていらい彼は誰からも好かれたのである。
宋江が花栄の寨にやってきて、一月《ひとつき》あまりたち、ようやく十二月もすぎてしまって新春を迎え、やがて元宵節《げんしようせつ》(正月十五日の夜)が近づいてきた。
清風寨の町では、町の人たちはよりより相談しあって、元宵の日を祝う灯籠まつりの話をすすめた。それぞれ分け前を出しあって、土地大王(農神・鎮守神に当たる)の廟の前に飾り灯籠(標題の小鰲山)を設け、上を五色の絹や造花で飾り、五六百の飾り提灯を吊した。その境内でいろいろな催し物をにぎやかに奉納し、家々はまた家々で、その門前に灯籠棚をつくって提灯を吊し、街では街でさまざまな市《いち》や見世物が出たりして、もとより京師《みやこ》のにぎわいにはおよぶべくもないが、それなりに、人の世のたのしいにぎわいのひとつにはちがいなかった。
その日、宋江は寨で花栄と酒をくみあった。きれいに晴れあがった日だった。巳牌《しはい》(十時)ごろに花栄は馬に乗って役所に出て行き、下士数百人を集めて市内の夜間巡邏《じゆんら》を命ずるとともに、兵士を分散して四方の木戸の守備を固めさせる手配をした。そして未牌(昼すぎの二時)ごろ寨に帰り、宋江といっしょに点心を食べたが、そのとき宋江が、
「今夜、町では飾り灯籠の火がはいるそうで、わたしもひとつ見物したいと思っております」
と話した。花栄は、
「わたしがお供して行きたいのですが、何分にも職分にある身とて、ごいっしょにというわけにもいかず、残念です。お出かけになるなら家中のものを二三人連れて遊んでおいでなさい。わたしはお祝いの酒盛りでも用意してお待ちしております」
宋江は礼をいった。やがて夕方になり、東の空に満月がさしのぼった。まさに、
玉漏銅壺(水時計)よ且《しばら》く催すこと莫《なか》れ
星橋の火樹(花火)明に徹して開き
鰲山(飾り灯籠)高く青雲の上に聳ゆ
何処の遊人か看《み》来らざらん
その夜宋江は、花栄の家の側仕えのもの二三人と連れだって、ぶらぶらと町へ出て行ったが、見れば家ごとにその門前に灯籠棚がしつらえられ、吊した提灯にはさまざまな昔話の絵が書きこまれ、また五色の絹の短冊をひらめかせた牡丹提灯もあれば、芙蓉の提灯、蓮の花の提灯など珍しいものもあった。一行四五人は手をつなぎあって、大王廟の前にやってき、そこの仕掛け灯籠を眺めた。
山石穿って双竜水に戯れ、雲霞映じて独鶴天に朝す。金蓮灯・玉梅灯、一片の瑠璃《るり》晃《きら》めき、荷花灯・芙蓉灯、千団の錦繍《きんしゆう》散ず。銀蛾綵《いろどり》を闘わせ、双々繍帯《しゆうたい》香毬《こうきゆう》に随い、雪柳輝を争い、縷々《るる》華旛《かはん》翠《すいばく》を払う。村歌社鼓、花灯影裏に嘩〓《けんてん》を競い、織婦蚕女、画燭光中に同じく賞翫す。佳麗風流の曲無しと雖も、尽く賀す豊登《ほうとう》大に年有る(注五)を。
宋江らの一行はこの仕掛け灯籠の傍でしばらく見物したのち、人波を縫いながら南の方へむかった。そこから五六百歩ばかり行くと、そのむこうにあかりがあかあかと照り映えて、一群の人群れが広壮な屋敷の門前をとり囲み、銅鑼の音とはやし立てる声で賑やかにさんざめいている。宋江がなんだろうとのぞいてみると、道化にわか(注六)の一隊だった。背の低い宋江には人々のうしろからでよく見えなかったが、供のものが彼らと知りあいだったので、道をあけて前へ出してくれた。道化役者はいかにも泥くさい身ごなしで、くねくね演《や》っている。宋江は腹をかかえ、声をあげて笑った。
と、そのときであった。その屋敷のなかで劉知寨夫婦が何人かの女たちといっしょに見物していたが、かの劉知寨夫人が宋江の笑い声を聞きつけ、あかりの下に宋江の姿を見つけると、指でさし示しながら夫にむかって、
「あれ、あそこにいる黒んぼのちび、あいつなんですよ、この前清風山であたしを掠《さら》った賊の親玉というのは」
と告げた。劉知寨はびっくりして、ただちに左右のものに、
「あの、笑っている色の黒い男、あいつをとりおさえろ」
宋江はそれを聞くなり、身をひるがえして逃げ出した。だが、家十軒ぶんほど逃げて行ったところで、追いかけてくる兵士たちにつかまって、ひきもどされてしまった。まるで熊鷹におそわれた紫燕《つばめ》か、猛虎につかみかかられた仔羊のようであった。寨《やかた》のなかへ連れこまれ、四本の麻縄で縛りあげられたうえ、役所の中庭へとひき立てられた。お伴の連中は、宋江捕わると見るや花栄に知らせるべく馳せ帰って行った。
劉知寨は官邸へ出て行き、
「きゃつをここへひき立てい」
と下知。一同は宋江をおし立ててその前にひざまずかせた。
「うぬめ、清風山の強盗め、よくもしゃあしゃあと灯籠見物になど乗りこんできやがったな。とりおさえた以上は四の五のいわせはせぬぞ」
宋江は訴えた。
「わたしは〓城《うんじよう》県からまいりました旅あきんどで、張三郎《ちようさんろう》と申します。花栄さまとは昔なじみの友達づきあいをねがっており、こちらへやってまいりましてからもすでにかなりの日もたっておりまして、清風山で強盗など、とんでもございません」
するとそこへ劉知寨の夫人が屏風のむこうから姿をあらわし、
「こいつったら、まだしらを切ってあんなことを。おまえはあたしに親分さまって、そうよばせたじゃないか」
と叱りつけた。
「奥方さま、それはお話がちがいましょう。あのとき奥方さまに、わたしは〓城県からきた旅人だが、おなじ憂き目にあってここにつかまえられ、山をおりられないでいる、とそう申しあげたはずではございませんか」
劉知寨が口をはさんだ。
「きさまがほんとに旅あきんどで、そしてあそこに掠《さら》いこまれたものだというのなら、こうして山をくだって灯籠見物としゃれこむようなことができるはずはない」
女もそれにおっかぶせて、
「おまえは山でどうだったというのさ。真中の床几にふんぞりかえって坐りこみ、あたしに親分さまといわせながら、えらそうに構えていたじゃないか」
「お待ちください奥方さま、もうすっかりお忘れなのですか。わたしがきりきり舞いをしてあなたさまをお助け申しあげたことを。どうして今日はわたしを強盗よばわりなさるのです」
女はそれを聞くとかんかんに腹をたて、宋江に指をつきつけてののしった。
「なんというしぶといやつ。打ち据えてやらなきゃ本音はとても吐きゃしませんよ」
「そうだ」
と劉知寨はいって、
「割り竹でもってこやつをぶちのめせ」
とどなりたてた。宋江はぶっつづけに幾度も打ち据えられ、皮膚が裂け肉が綻び、鮮血が迸り出た。そしてそのあげく、劉知寨は鉄の鎖をつけさせ、明日は護送車を仕立てて〓城虎《うんじようこ》の張三《ちようさん》として州の役所へ押送しろと命じたのであった。
一方、宋江について行ったお供のものは、あわてふためいて花栄のもとへ注進に駆けもどったが、花栄はそれを聞いてびっくりし、とるものもとりあえず一通の書面をしたため、側近のしっかりものふたりを使いに立てて、劉知寨のところへ行って宋江の身柄をひきとってくるようにといいつけた。使者は、書面をたずさえて急ぎ劉知寨の屋敷へ馳せつけた。門番の兵士は奥にはいって、
「花知寨さまからの使者が手紙をたずさえてまいっております」
と告げた。劉知寨は官邸の方へまわせと命じた。使者は書面をさし出した。劉知寨が封を切って読んで見ると、
とり急ぎ書面をもって口上にかえさせていただきます。このほど済州よりまいりましたわたくしの親戚のもので劉丈《りゆうじよう》と申しますものが、灯籠見物のおり、はしなくもご無礼をいたしましたとか、まことに恐縮至極に存じます。つきましてはなにとぞよろしくご海容のうえご放免くださいますよう、いずれ後ほどあらためて参上いたしお礼を述べさせていただきたく存じますが、まずはとりあえずここに一筆走り書きをもってお願い申しあげる次第でございます。
劉高は読みおわるなり大いに怒り、手紙をびりびりひきさいてののしった。
「花栄のやつめ、無礼にもほどがある。大命を奉じて官途にある身が、よくぞ強盗どもとぐるになって我輩を瞞着《まんちやく》しおった。あやつはすでに〓城県の張三だと白状におよんでいるのに、どうしてきさまは、劉丈だなどと書いてよこしおった。きさまになぶられる我輩ではないぞ。姓を劉とでもいっておけば、同姓のよしみで我輩が放免してくれるものと思ったのか」
とおめきたて、左右のものに下知して手紙の使者を叩き出させてしまった。追い出された使いのふたりは、泡をくって馳せもどり、花栄に委細を報告した。花栄は、
「兄貴がえらいことになった。すぐに馬の用意をせい」
と大さわぎし、よろいを着て弓矢を身につけると、槍を手にとって馬にまたがり、槍棒を持った手兵四五十をひき連れ、どっとばかりに劉高の寨《やかた》へおしかけて行った。門番の兵士は花栄のその当たるべからざる勢いを見るや、立ちさえぎるどころのさわぎではなく、度胆を抜かれてちりぢりに逃げてしまった。花栄はそのまま官邸の中庭まで馬を乗りいれ、手に槍を握ったまま馬をおり立つところ、手勢の四五十はずらりとそこに控えた。花栄は大声によばわった。
「劉高どの、出てこられよ。もの申したいことがござる」
劉高はそれを聞いて怖気《おじけ》をふるった。花栄が腕したたかな武官であることに怖れをなし、出て行くだけの勇気がなかった。花栄はしばらくそこに立っていたが、ついに劉高が姿をあらわさないので、兵士たちに、左右の廻廊の部屋部屋を捜索せよと命じた。兵士たちがいっせいにのりこんで行くと、間もなく廻廊の小部屋のなかから宋江が見つけ出された。宋江は麻縄で高々と梁に吊りあげられたうえに、鉄の鎖でつながれ、両足は打たれて肉が飛び出していた。兵士たちは麻縄を切り、鉄の鎖をほどいて宋江を助け出した。すぐに花栄は兵士にいいつけて家へ送り帰させ、みずからは馬にうち乗り、槍を手にひっつかんで大声でいい放った。
「劉高どの、お主はたしかに正知寨にはちがいないが、だからといってこの花栄をどうしようというのだ。どこの誰だって親類縁者というものはあろうぞ、いったいなんのつもりで我輩の従兄をその家内《いえうち》にとりおさえ、無理無体に強盗よばわりしようというのだ。人をなぶるのも大概にしろ。そのうちきっぱりけりをつけさせてもらおうぞ」
そういいすて、花栄は兵士をひき連れ、宋江を見舞わんものと寨へひきあげて行った。
劉知寨は、花栄が宋江の身柄を救い出して帰って行ったのを見ると、すぐさま兵を二百名ばかり召集し、花栄の寨《やかた》を襲って宋江を奪いかえしてこいと命じた。この二百の同勢のなかには、ついこのほどやってきたばかりの教頭(武芸師範)がふたり加わっていた。そのうちの上位の方の教頭はなかなか腕のたつ男だったが、そうはいってもやはり花栄には歯が立つものではなかった。といって劉高の命令にそむくわけにもいかず、同勢をひき連れて花栄の寨《やかた》へ繰りこんで行った。門番の兵士は花栄に急を告げに奥へ駆けこんで行った。時刻は夜のまだ明け切っていない早朝、二百名あまりの寄せ手は、門前にひしめきあいながら、誰ひとり先陣を切ってのりこんで行こうとするものはなかった。みな花栄の手並みに怖れをなしているのだった。とこうするうちに、たちまち夜はすっかり明けてしまった。両開きの表門はあけ放されたままである。そのとき、花知寨が官邸の方へあらわれて、左手に弓を持ち、右手に矢を持ってそこに腰を据えた。寄せ手の連中は門前におしひしめいている。花栄は弓を起こして大声でいった。
「よいか兵士ら、恨みは仇にかえせ、借金は貸し主に返せ、だ。劉高の下知を受けてきたにしろ、やつのために忠義立てするのはよせ。おい、その新参の教頭、お主らはまだこの花栄の腕のほどは知るまいから、今日ここでそれをお目にかけよう。それでもなおかつ劉高のために一肌ぬいで働こうというほどの命知らずなら、よいわ、のりこんでくるがよいぞ。さあ、見ておけ、表門の左の扉のその門神《もんしん》が的だ、その金剛杖の先っぽに射あてて見せようぞ」
と、矢をつがえ、きりきりといっぱいにひきしぼって、
「やっ」
と、かけ声とともにひょうと矢を射はなてば、見事に門神の金剛杖の先端に命中した。
よせ手の一同はあっとばかり息をのんだ。
つづいて花栄は二の矢をとりあげ、
「ものども、今いちどこの矢を見ておけ。右っ側の門神の〓《かぶと》の朱《あか》い纓《ふさ》がその的だ」
と大声で叫び、ひょうと一矢を放てば、逸《そ》れもせず外《はず》れもせぬどまんなか、纓のまんまんなかに当たった。こうして二本の矢が二枚の扉にずばりと突ったったのである。花栄はついで三の矢をとりあげ、
「よいか、この三の矢の的は、きさまたちの隊の、白衣をまとった教頭のみぞおちがそれだ」
とどなると、
「うえっ」
とその男は悲鳴をあげ、くるりと身をひるがえして逃げ出した。兵士たちもわっと叫んでいっせいに逃げ出す。
花栄は門を閉めさせておいて、奥の間へひきさがり、宋江を見舞った。
「わたしが抜かったことをしたばかりに、どうもたいへんな目に遭わせまして」
と花栄がいうと、宋江は、
「わたしはどうということもありませんが、劉高のやつはとてもこのまま黙っているはずはありません。こちらとしてもなにか考えておかなくてはなりますまい」
「わたしは、こんな地位など投げすてて、あくまでもあいつとやりあいます」
「あの女にはおどろきましたな、恩を仇でかえし、亭主をけしかけてこんな目にあわせてくれるなんて。わたしもじつは、本名を名乗ってやろうかといちどは思ってみたのですが、そうすれば閻婆惜の一件がばれそうだと思いなおして、〓城県からきた旅あきんどで張三というものだといっておいたのです。が、劉高のやつめ、ひどいやつで、〓城虎の張三などといいたて護送車で州役所へひき立てようとした。もしも清風山の賊の首魁《しゆかい》とでも見られでもしたら、ひとたまりもなく八つ裂きにされるところでした。もし救い出してもらえなかったら、たとえ銅の唇、鉄の舌でまくしたてようとも、やつらにいいひらきをすることはできなかったでしょう」
花栄は、
「わたしはわたしで、あいつは読書人だから、同姓なら同姓としての思いやりもあるだろうと考えたものですから、劉丈といってやったのです。あんな不人情なやつとは思いませんでした。こうしてお助けしてしまったからには、もうこっちのものです、なんとかかたをつけてやりますよ」
「いや、それはまずいでしょう。あなたがああして腕ずくで救い出してくださった以上は、よくよく腰を据えてじっくり考えなくてはなりませんぞ。ここは、飯を食うにはのどに詰めぬよう道を歩くには躓《つまず》かぬよう、というたとえのとおり、一にも二にも用心が肝心です。やつはあなたにみんなの前でわたしを奪いとられたのみならず、あわてて奪還にさしむけた部下さえも追い散らされてしまったという始末ではありませんか。こうなればやつは、おとなしくひきさがろうはずはありません。今にきっとあなたを訴えて出ますよ。わたしは今夜のうちにも清風山へ逃げることにしますから、そのときになったらあなたはあくまでも白《しら》を切りとおし、例によって例のごとき文官と武官の仲たがいからの裁判沙汰ということにしてしまいなさるがよい。万が一もういちどやつにわたしがとっつかまりでもすれば、あなたはやつの前で、いい抜けようにもいい抜ける言葉がないというものです」
「わたしは所詮いのしし武官です、あなたのような深慮遠謀はまるで考えつきませんでした。しかしながら、そのお傷ではとても歩けないでしょう」
「いや、大丈夫です。こうせっぱつまってきたからには猶予してはおられません。なんとしてでも山の麓まで行かないことには」
と、さっそく膏薬を貼り、すこしばかりご馳走を食べ、荷物は花栄の家にあずけておいて、夕ぐれにふたりの兵士の見送りをうけて寨《やかた》を出て行った。かくて宋江は夜をこめて急いだ。
それはそれとして、劉知寨は兵士たちがちりぢりに逃げ帰ってきて、
「花知寨は恐るべき猛勇ぶりです。あの弓勢には誰だって近づけるものではありません」
といい、ふたりの教頭も、
「彼の矢を受けたが最後、風穴をあけられるだけです。とうてい立ちむかえません」
劉高というやつは、やはり文官だけはあって、めぐらす魂胆はなかなかたいしたもので、そのときもすぐに思案をめぐらせて、
「やつめ、ああして掠《さら》って行ったが、このぶんでは今夜中にも清風山へ落としてしまうだろうな。そして明日になったら白っぱくれるつもりだろう。これじゃ上司へ訴え出ても、文官と武官とのおきまりの悶着と見なされるだけのことで、どうにもやっつけようがなくなってしまう。よし、今夜、兵を二三十人繰り出して五里ほどむこうの一里塚で待ち伏せてやろう。うまくつかまえられたら、ひきずりもどしてこっそり寨《やかた》のなかへとじこめておき、同時に夜にまぎれてひそかに使いを州役所へ飛ばして士官に知らせ、身柄をひきとりにこさせるついでに、花栄もいっしょにひっくくって亡きものにしてやろう。そうすればこの清風寨はおれのひとり天下、やつのために煙たい思いをせんですむ」
と、すぐさま夜陰に乗じて二十人あまりの兵をよびつどえ、てんでに槍や棒を持たせて繰り出して行かせた。すると、およそ二時《ふたとき》ばかりもたったころ、出て行った兵士たちが宋江をうしろ手にいましめて帰ってきた。劉知寨は大いによろこび、
「やっぱり思ったとおりだったわい。奥庭の方へ監禁しておけ。よいか、このことは他へ漏らすでないぞ」
そしてすぐさま親展の上申書をしたため、腹心の部下ふたりに旨をふくめて、早馬を青州の役所へ飛ばしたのである。
その翌日、花栄は、宋江が無事に清風山へ行ったものとばかり思って家にじっとひきこもったまま、
「あいつ、どうしやがるか見ていてやろう」
と思い、手も出さずにいた。劉高も劉高で、知らんふりをしていて、どちらからもなにもいい出さない。
ところで青州の府尹は、そのときちょうど役所の方へ出ていた。この府尹は、姓は二字姓で慕容《ぼよう》、名は二字名で彦達《げんたつ》といって、今上徽宗《きそう》陛下のおきさきである慕容貴妃《ぼようきひ》の兄にあたる人であった。妹の権勢を笠に着て、青州で無道な振舞いをはたらき、良民をいためつけ、僚友を裏切ったり、したい放題の身勝手ばかりやっていた。このとき、彼は朝食を食べに私邸の方へさがろうとしたその矢先、側近の役人が、賊に関する至急の報告だといって劉知寨からの上申書をさし出した。府尹はそれを受けとって一見するや、あっとばかりおどろき、
「花栄といえば功臣の子孫にあたるが、これはまたどうしたというのだ、清風山の賊と手を結ぶなどとは。なみたいていの罪ではないが、ほんとうのことだろうか」
と、すぐ州の兵馬都監《へいばとかん》(州軍の総指揮官)に命を伝えるべく役所へよび出した。
そもそもこの都監は、姓は黄《こう》、名は信《しん》といい、身につけた武芸はたいしたもので、その威によってよく青州を鎮《しず》めていたので、鎮三山《ちんさんざん》(三山の鎮め)とうたわれていた。それというのも、この青州は、三つの悪名高い山をその治下に持っていた。第一は清風山、第二は二竜山、そして第三は桃花山で、そのいずれもが強盗と追剥ぎの出没するところである。黄信は、この三つの山のものどもを根こそぎひっくくって見せると豪語していた。そのために、鎮三山とよばれていたのである。
この兵馬都監の黄信は、役所へ出頭して府尹から命をうけると、ひきさがって屈強な精鋭五十名を召集し、よろいを着、馬に乗り、かの喪門剣《そうもんけん》(喪門は兇神の名)を手に、夜どおしで清風寨へ行き、まっすぐ劉高の寨へ乗りつけてその門前で馬をおりた。劉知寨は出てきてこれを迎え、奥の間に請じいれた。礼をかわしおわると劉高はご馳走を出して歓待し、兵士たちをもねぎらった。
劉高が奥から宋江をひきずり出してきて黄信に見せると、黄信は、
「これはもはや吟味するまでもない。さっそく今夜中に護送車を作ってこやつをぶちこみましょう」
と、頭に紅い帽子をかぶらせ、それに清風山の賊魁・〓城虎の張三と書いた紙の旗を挿した。宋江は申し開きもできず、されるがままになるよりほかなかった。ついで黄信は劉高にたずねた。
「あなたが張三をつかまえたことは、花栄も知っているのですか」
「いえ、わたくしは昨夜の二更(十時)ごろこやつをつかまえて、そのままひそかに寨の中にかくしておきましたので、花栄はこやつが無事に行ってしまったものと思って、私邸でのうのうと構えこんでいることでしょう」
「それなら事は簡単だ。明日の朝、酒肴を用意して、本寨の表広間にそれを並べ、まわりには伏兵四五十名を忍ばせて、手配をととのえておくのです。そうしておいてから、わたしが花栄の家へよびに行って、こういいましょう、慕容閣下にはあなたがた文武両官の仲がうまくいっていないと聞いて心配され、一席設けて仲裁に立つようにとのことで、我輩はその使者としてまいった。そういって、だましてつれてくるのです。わたしが杯を投げたら、それを合図に、いちどに立ちあがってとりおさえ、いっしょに州へひき立てていくのです。この計略はどうでしょう」
劉高は、
「さすがはあなたさまの計略、至極妙計と存じます。袋のなかのねずみ同然でございます」
とほめそやした。
こうしてその夜は計略をまとめ、翌日は夜が明けるとまず本寨へ出かけて行って左右両脇の幔幕《まんまく》の内に兵をしのばせ、広間には、いつわりの宴席を用意した。そして朝食のころあいを見て黄信は馬に乗り、わずか二三名の従者を従えて花栄の寨《やかた》に出かけて行った。番兵が奥へはいってそれをとりつぐと、花栄は、
「なんの用事できたといっている」
「黄都監がご挨拶にうかがったと、ただそう伝えてくれとのことでございました」
花栄はそれを聞くと、すぐ出て行って迎えた。黄信が馬をおりると、花栄は表の間に請じ入れ、たがいに挨拶をかわした。花栄はたずねた。
「で、どのようなご用事でお見えになりましたので」
「府尹閣下のおいいつけでまいったのです。この清風寨では、なぜか文武両官の仲がうまくいっていないようだが、おふたりの私怨によって、公事に失態をきたすようなことがあってはまことに遺憾である、とおおせられて、おふたりの仲なおりのために、酒肴までたずさえさせて、わざわざわたしをお差遣わしになったのです。すでに本寨の表広間に支度をととのえてありますゆえ、どうぞ馬でごいっしょにおいでいただきたい」
花栄は笑っていった。
「わたしは別に劉高どのをあなどったりなどしてはおりはしません。あの人は正知寨でもあることですから。ただ、あの方はしきりになにかとわたしのあらをさがしてばかりいなさる。府尹閣下にまでご心配をおかけし、あなたさまにも、こんなむさいところへまでわざわざおはこびいただくような仕儀になったとは、なんとも恐れいったことでございます」
すると、黄信はその口を花栄の耳によせて、
「いや、府尹閣下はあなたひとりのことをご心配なさっているのです。もし兵乱でもおこったときには、文官の彼など何の役にも立ちませんのでな。ともかくここは一つわたしのいうとおりにしてくださらんか」
「ご配慮のほど、まことにかたじけのうございます」
黄信は、花栄をさそって、馬でいっしょに出かけようとした。
「いかがです、一献傾けて、それから出かけられては」
と花栄はひきとめたが、黄信は、
「話がすんでからゆっくり飲みましょう」
という。花栄は仕方なく馬の用意をいいつけた。こうして、ふたりは馬をならべて行き、やがて本寨について馬をおりると、黄信は花栄の手を取って表広間のなかへと導いた。見れば劉高は先にそこにきている。三人はそれぞれ挨拶をかわした。黄信が酒をいいつけると、従者ははやばやと花栄の馬をそとへひき出し、寨の門をしめ切った。
花栄は計略とは知らず、黄信はおなじ仲間の武官だと信じ切っていたから、たくらみを胸に秘めているとはついぞ思ってもみなかった。黄信は酒を一杯ささげてまず劉高にすすめ、
「府尹閣下はあなたがた文武両官が不和であることを聞かれていたくご心配になり、今日こうしてわたくしを差遣わされて、おふたりの調停役をするようとのことなのです。どうか朝廷への忠義をなによりの大事とされ、向後はなにかにつけて、おたがいに力を貸しあうようにされますように」
劉高は、
「このわたくし、いかに不才とはいえ、いささか物の道理はわきまえているつもりですのに、府尹閣下にご心労をおかけしたとは恐縮千万です。わたしどもふたり、別段いがみあっているわけではございません。それは、余人どものとりかわすでたらめな風説にすぎません」
「それは結構」
黄信はそういって豪傑笑いをした。劉高が杯をほすと、黄信は、ついで二杯目の酒をくみ、花栄にすすめていった。
「劉知寨はああいっておられますが、やはり間人《ひまじん》のいい出した妄言からおこったことでしょう。まずはこれをお空《あ》けください」
花栄は杯を受けて飲みほした。劉高は別の杯をとって酒をつぎ、黄信に返杯をしていう。
「わざわざこんなところまでおいでくださいまして、ご苦労さまでございます。どうぞこの杯をお受けくださいませ」
黄信は杯を受けとると、それを手に持ったまま、ぐるっと周囲を眺めまわした。すると十数人の兵士が広間の方へおしよせてくる。黄信が杯を床へほうり投げると、とつぜん奥の間の方でどっと喊声がおこり、両脇の幔幕のかげから四五十人の屈強な兵士が飛び出してきたかと思うと、いっせいに襲いかかってきて花栄をその場にねじ伏せてしまった。
「縄をかけい」
と黄信が大声でどなった。
「わしが、なにをしたというのだ」
と花栄が叫ぶと、黄信はからからと笑ってどなった。
「きさま、まだしらを切るのか。清風山の盗賊どもと通じあって朝廷に背きながら、なにをしたかとは、いうにもほどがあるというものだ。きさまのこれまでの面子《メンツ》を立ててやろうと思えばこそ、家族のものをおどろかすのだけは勘弁してやったのだぞ」
「証拠でもあるのか」
「証拠か、見せてやるとも。正真正銘、まごうことなき証拠だ。あらぬ罪を着せたりなどしはせぬ。おい、ものども、やつをここへひき立ててこい」
声に応じて、そこへ外から押し立てられてきたのは、一台の護送車、一本の紙の旗、一筋の紅い鉢巻。見れば、ほかならぬ宋江ではないか。あっとばかり目を見張り、たがいに顔と顔を見あったまま声も立て得ない。黄信は、
「さあどうだ。訴人の劉高もちゃんとここに控えておるぞ」
「それがどうしたというのだ。彼は親戚のもので〓城県からまいったもの。いかに賊に仕立てあげようとしても、司直の前へ出れば立派に筋を通してみせる」
「それならそれでよかろう。わしは州へ引き立てていくばかりだ。立派に申し開きをしてみるがよい」
黄信はそういい、劉知寨に命じて寨兵一百名を召集し、護送にあたらせることとした。そのとき花栄は黄信にむかい、
「都監どの、うまくわたしをおびき出してひっ捕えはしたものの、朝廷に出ても、立派に申し開きの立つこの身だ。ともに武官たるのよしみに免じて、官服剥奪の儀は見逃してもらいたい。このままの姿で護送車に乗せてくれ」
「おやすいご用だ、よかろうとも。劉知寨ともども州の役所に出むいてはっきり白黒をつけるがいい。かりそめにも罪のない一命を損なうようなことがあってはなるまいからな」
かくて黄信と劉高はともに馬に跨《またが》って、二台の護送車を警護し、護送車をとりかこむ州兵四五十と寨兵一百をひき従え、青州府へと道を急いだ。こうしてここに、火焔の山中に数百の人家をついえさせ、刀斧《とうふ》の林中に、一二千の人命をはてさせることとなるのであるが、これぞまさしく、事を生《かま》うれば事を生《かま》えられん、君怨む莫《なか》れ、人を害すれば人また害す、汝嗔《いか》る休《なか》れ、というところ。さて、青州に送られて行った宋江は、いかにして危地を脱するか。それは次回で。
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一 乖劣の馬 荒馬のこと。また劣馬ともいう。乖はそむきもとる、劣は優の反対。能く乖劣の馬に騎るとは、手におえぬ駻馬をも乗りこなすの意。
二 海東青 また海青ともいい、〓《くまたか》の類のなかで最も俊れたもので、遼東に産し、その羽は裘《かわごろも》の材料として甚だ珍重されるという。
三 楊を穿つ 第十三回注二参照。
四 将種 将たる人の意。種は種類。『史記』陳渉世家にいう「王侯将相、寧《いずくん》ぞ種あらんや」の「種」である。
五 豊登大に年有り 「年有り」(有年)とは、五穀がよくみのることをいう。豊登もまた同じ意味である。
六 道化にわか 原文は鮑老。舞劇の一種で、唐代には婆羅といい、宋代になって鮑老あるいは鮑鑼といったという。『東京夢華録』巻之七に次のような説明が見える。
「仮面して髪を披《さば》き、口に狼牙の烟火を吐き、鬼神の状の如き者、場に上れば、青帖金花の短後の衣、帖金の〓《くろ》袴《ばかま》を著け、跣足《せんそく》にて大銅鑼を携え(たる者)、随身して歩舞し進退する有り。これを鮑鑼と謂う」
第三十四回
鎮三山《ちんさんざん》 大いに青州道《せいしゆうどう》を鬧《さわ》がせ
霹靂火《へきれきか》 夜瓦礫場《がれきじよう》を走る
さて、黄信《こうしん》は手に喪門剣《そうもんけん》(凶剣)をよこたえて馬に乗り、劉《りゆう》知寨も身には戎衣をまとい手には叉《さすまた》をとって馬にまたがり、従う一百四五十の州兵および寨兵は、それぞれ纓鎗《えいそう》(穂先に房のついた槍)や棒を持ち、腰には短刀や利剣をたばさみ、軍鼓二声・銅鑼一声と打ち鳴らしつつ、宋江と花栄を護送して青州へとむかったのであった。
一行が清風寨を出て三四十里ばかり行くと、前方に大きな森が見えた。ちょうどその山の鼻にさしかかったとき、先頭の寨兵が指さして、
「森のなかから、様子をうかがっているやつがいる」
という。
みな立ちどまってしまった。黄信は馬上からたずねた。
「なぜすすまぬのか」
「前の森のなかから様子をうかがっているものがいるのです」
州兵がそう答えると、黄信は大声で命じた。
「かまわずに、さっさと行け」
やがて森に近づいて行くと、とつぜん銅鑼の音ががんがんと二三十、いっせいに鳴りひびいた。寨兵たちはうろたえて、たちまち逃げ腰になる。
「待て。一同、陣をしくのだ」
と黄信は叱咤し、また、
「劉知寨どの、護送車の警護をたのみますぞ」
と叫んだ。だが馬上の劉高は返事をすることもできず、ただ口のなかでぶつぶつと念じるばかり。
「天の神さま、お助けください。十万巻のお経をあげ、三百座のお寺を建てますから、どうかお助けくださいますよう」
そのおびえきった顔はまるで冬瓜《とうがん》のお化けのようで、青くなったり黄色になったり。
だが黄信は、さすがに武官だけあって胆っ玉がすわっていた。馬に鞭うってすすみ出て見ると、森の四方から整然と隊伍を分《わ》かって四五百の山賊の手下どもがやってくるところであった。いずれも丈《たけ》高く屈強な体つき、凶悪な面構《つらがま》えで、頭は赤い布でつつみ、身には衲襖《のうおう》(広袖の上着)をまとい、腰には利剣をさげ、手には長槍をとり、早くも一行をぐるりととりまいてしまった。そこへまた森のなかから三人の好漢が跳り出てきた。ひとりは青、ひとりは緑、ひとりは紅の着物を着、それぞれ銷金の万字型頭巾をかぶり、腰刀《ようとう》をたばさみ、朴刀をかまえて行くてに立ちふさがった。真中が錦毛虎《きんもうこ》の燕順《えんじゆん》、かみ手が矮脚虎《わいきやくこ》の王英《おうえい》、しも手が白面郎君《はくめんろうくん》の鄭天寿《ていてんじゆ》。三人の好漢は大声でよばわった。
「往来のものどもはここで足どめだ。通り賃三千貫を出せば通してやる」
黄信は馬上から大喝した。
「きさまたち、無礼をするとゆるさんぞ。おれは鎮三山《ちんさんざん》(三山の鎮《しず》め)だ」
すると三人の好漢は眼をむいてどなりかえす。
「鎮三山だろうが何だろうが、通り賃三千貫はもらいうける。なければ、通してやるわけにはいかぬ」
「わしは上司から公務をおおせつかってきた都監だ。きさまにくれてやるような通り賃など持たぬわ」
三人の好漢は笑い出して、
「上司や都監はおろか、たとえ天子さまのお通りでも三千貫の通り賃はもらいうけるんだ。なければかたにその囚人をおいて行って、銭を持って買いもどしにくるがよい」
黄信は大いに怒って、ののしった。
「強盗め、何たる無礼千万な!」
と、左右のものに命じて軍鼓と銅鑼を打ち鳴らさせ、馬に鞭あて剣を振りまわしつつ、燕順めがけて突きすすんで行った。三人の好漢はいっせいに朴刀をかまえて黄信を迎えうつ。黄信は三人がかりでむかってくるのを見ると、必死になって十合あまり馬上でわたりあったが、とうてい三人には敵すべくもない。しかも劉高は文官で、加勢に出ることなど思いもよらず、形勢わるしと見て逃げ出す機をうかがっている。黄信は三人に手捕りにでもされては面目はまるつぶれだと、ついに単騎で、ぱかぱかと、もとの道へとってかえした。三人の頭領は朴刀をふるってあとを追う。黄信は一行の者をかえりみるいとまもあらばこそ、ただひとり馬を飛ばして清風鎮へ逃げ帰ってしまった。
州兵たちは、黄信が馬をかえしたと見るや、わっと喚《わめ》いて護送車をふり捨て、ちりぢりに逃げうせてしまった。ただひとりとりのこされた劉高は、これはたいへんとばかりあわてて馬首をめぐらし、ぴしぴしと鞭をふるったが、馬が駆け出そうとした矢先、山賊の手下のものが絆馬索(からめ縄)をぐいとひっぱったため、馬はもんどりうって倒れ、劉高は落馬した。手下どもはどっとおしかけ劉高を捕え、護送車を奪って打ち破りにかかったが、花栄はすでに自分の護送車をやぶって外へ跳び出し、いましめの縄をひきちぎり、もう一つの護送車をたたきこわして宋江を救い出した。そのとき手下の何人かはすでに劉高をうしろ手にしばりあげ、さらに追って行って彼の乗馬を奪い、ほかに三頭の挽馬もとりおさえていた。そこで劉高の着物を剥ぎとって宋江に着せ、馬に乗せて先に山寨へ送った。三人の好漢は花栄や手下たちとともに劉高を素っ裸のまま縛りあげ、山寨へひき立てて行った。
そもそも、この三人の好漢は、宋江の消息がわからなかったので、腕ききの手下を何人か下山させ、清風鎮へ偵察にやったのであった。すると、
「都監の黄信が杯を投げるのを合図に花知寨と宋江を捕え、護送車におしこめて青州へ送るそうだ」
という人々のうわさであった。その知らせを聞いた三人の好漢は、配下をひき連れ、まわり道をして街道に出、あらかじめその行くてをおさえ、さらに小道の方にも見張りの者を出しておいたのであった。こうしてふたりを救い出し劉高を捕えて、一同は山寨へひきあげたのである。
その夜、山寨に着いたのはすでに二更(十時)のころで、一同は聚義庁に顔をそろえると、宋江と花栄を真中の座につかせ、好漢三人はそれとむかいあって席をとり、酒食のもてなしをした。燕順は手下たちにも、自分たちで勝手に一杯やるようにといった。
花栄は席上で三人の好漢に礼を述べた。
「わたくしも兄貴も、あなたがた三人のおかげで命びろいをしました。その上、仇《あだ》を報いることができて、お礼の申しあげようもありません。ただ清風寨には家内と妹が残っております。きっと黄信に捕えられると思うのですが、助け出すことはできないものでしょうか」
すると燕順は、
「知寨どの、ご安心ください。黄信も今すぐ奥さまを捕えるようなことはしますまい。もし捕えたとしてもここを通るよりほか道はないのです。あす、われわれ三人が山をおりて奥さまと妹さんをお連れしてまいりましょう」
といい、さっそく手下のものを偵察に下山させた。
「たいへんお世話になります」
と花栄は礼をいった。
宋江が、
「劉高のやつを連れてきてくださらぬか」
というと、燕順は、
「やつを大黒柱にしばりつけ、腹をひきさき肝をえぐり出して、兄貴のお祝いにしましょうや」
すると花栄も、
「わたしがこやつをひきさいてやりましょう」
宋江は劉高をののしっていう。
「きさまとはもともと何のうらみつらみもないのに、よくもまああのばか女のいうことを聞いて、わしを殺そうとしおったな。こうしてつかまった今、文句があるならいってみろ」
「兄貴、いったって無駄ですよ」
と花栄は、刀でぐさりと劉高の胸をひとえぐりし、その肝を宋江の前にさし出した。死骸は手下のものが脇の方へひきずって行った。宋江は、
「これで、このけがらわしいやろうはかたがついたが、まだあの淫婦がのこっている。殺して、うさを晴らさぬことには」
すると王矮虎がいう。
「兄貴、大丈夫です。わたしがあす、山をおりて行ってつかまえてきます。こんどはわたしに楽しませてくださいよ」
みんなはどっと笑った。
その夜は酒盛りがおわるとそれぞれ床についたが、翌日起きると、一同は清風寨襲撃の一件を相談した。燕順がいった。
「きのうは手下たちもなかなか骨折りだったから、今日は一日やすませて、あすの朝、山をおりてもおそくはなかろう」
「わたしもそう思う。人も馬も休ませてやらなくては。急《せ》くことはないでしょう」
と宋江もいった。
山寨では兵馬をととのえ出発の用意をしたが、それはさておき、一方、都監の黄信は、単騎で清風鎮の大寨に逃げ帰ると、ただちに寨兵を召集して四方の柵門を厳重に警戒させるとともに、上申書をしたため、ふたりの教頭に馬を飛ばして慕容《ぼよう》知府のもとへとどけさせた。知府は軍事緊急事項の急報と聞くと、夜中を役所へ出て、黄信からの上申書を披見した。と、花栄が謀叛をおこして清風山の賊と結び、清風寨はいまや風前の灯で、事態は急をつげているゆえ早急に良将を派遣して地方を守護されよとある。知府は大いにおどろき、すぐ使者を青州の指揮司(州の軍政の長官)、州軍の総管たる秦《しん》統制(統制は征討軍の指揮官)のもとへつかわし、軍事上の重大要件について相談したいゆえ至急出頭されたいと伝えさせた。
この人は山後《さんご》(大行山脈のむこう側の意。四川省)開州の生まれで、姓は秦《しん》、名は一字名で明《めい》といった。気が短く怒りっぽいたちで、その声が雷鳴のようだというので霹靂火《へきれきか》の秦明とあだ名されている。代々武官をつとめる家の出《で》で、狼牙棒《ろうがぼう》(先太《さきぶと》の棒に多くの針を植えつけた武器)をつかって万夫不当の勇をふるった。知府からのよび出しをうけると、彼はただちに府へ出むいて行って知府に会った。たがいに挨拶をすませると、慕容知府は黄信からの緊急上申書をとり出して秦明に見せた。秦明は大いに腹を立てて、
「紅頭巾《あかずきん》(賊徒の異名)め、よくも無礼千万な。いえ、ご心配にはおよびません。およばずながらこのわたくし、ただちに兵を出してやつめをとらえないでは、誓ってふたたびお目にはかかりますまい」
「将軍、猶予すればやつらに清風寨をうばわれるかも知れませんぞ」
「もとより猶予はできません。今夜ちゅうに人馬をうちそろえ、あす出発いたします」
知府は大いによろこび、すぐさま酒肉乾飯をととのえさせ、城外にはこんで将兵たちをねぎらう準備をした。
秦明は花栄が謀叛をおこしたと知らされて、憤然たる思いで馬に乗り、指揮司の役所に駆けもどるやただちに一百の騎兵と四百の歩兵を召集し、城外に集結して出陣の隊伍をととのえさせた。
一方、慕容知府は、城外の寺院で饅頭を蒸《む》し、大碗をならべて酒をあたため、ひとりあたり酒三杯、饅頭二個、煮た肉一斤のわりあいで用意をした。ようやく支度ができたところへ、城内を出てくる人馬の姿が見えた。その隊伍は整然として、
烈々たる旌旗《せいき》は火に似、森々たる戈戟《かげき》は麻の如し。陣は八卦を分かって長蛇を擺《はい》し、委実《まこと》に神《しん》驚き鬼《き》怕る。槍は緑沈《りよくちん》と紫焔《しえん》を見《あら》わし、旗は繍帯《しゆうたい》と紅霞《こうか》を飄《ひるがえ》す。馬蹄来往し乱れて交加《こうか》(いりまじる)。乾坤に殺気生ず、成敗誰が家にか属せん。
その日の早朝、秦明は人馬をととのえて城外に集結し、先頭に「兵馬総管秦統制」と大書した紅旗をおしたて、兵をひきいて壮途についた。慕容知府がうち見れば、秦明は全身隙なく武装して城を出てくる。まさにたぐいなき英雄ぶりであった。
〓《かい》上の紅纓《こうえい》は烈焔を飄《ひるがえ》し、錦袍《きんぽう》の血は猩猩《しようじよう》を染む。連環《れんかん》の鎖甲《さこう》(くさりかたびら)は金星を砌《たた》み、雲根(雲形)の靴は抹緑《まつりよく》(萌黄色)に、亀背(中高《なかだか》)の鎧は銀を堆《つ》む。坐下の馬は〓豸《かいち》(不正を忌む神獣)に同じきが如く、狼牙棒は密に銅釘を嵌《は》む。怒る時、両目は便《すなわ》ち円《まる》く〓《みは》り、性は霹靂の火の如し、虎将是れ秦明。
そのとき霹靂火の秦明は、馬に乗って城を出るや、慕容知府が将兵をねぎらうために城外にいるのを見て、いそいで武器を兵にあずけて馬をおり、知府に会って礼をした。知府は杯をとりあげて、
「首尾よくやって、はやく凱旋なさるように」
とねんごろに言葉をかけた。将兵のねぎらいもおわって、号砲が鳴らされると、秦明は知府に別れを告げてひらりと馬に乗り、隊伍をととのえ、兵を督励しつつ、威風凜々、ひたすらに清風寨へとむかった。
そもそも清風鎮は、青州の東南方にあって、真南から清風山にむかうのが近道で、ほどなく山の小道にさしかかった。
一方、清風山の山寨では、偵察に出ていた手下たちがくわしく情報をさぐって山の上へ知らせた。山寨の好漢たちはこれから清風寨へ襲撃に立とうとしていたところだったが、
「秦明が兵をひきいてやってきました」
という知らせをうけると、みな顔と顔を見あわせておどろいた。すると花栄がいった。
「いや、あわてることはありません。昔からいうとおり、危急の戦《いくさ》には捨身になれ、です。ともかく手下のものたちに十分に腹ごしらえをさせて、わたしのいうとおりにしてください。はじめのうちは力でたたかい、あとは計略を用いて、かくかくしかじかにしてはどうです」
「それは妙計だ。そうしましょう」
と宋江はいう。その日、宋江と花栄は策略を決めた上で、手下たちにそれぞれ用意をさせた。花栄は駿馬一頭、衣甲一揃、弓矢鉄槍を選び、万端の用意をととのえて待った。
さて一方、秦明は、兵をひきいて清風山の麓に着き、山から十里へだたったところに陣をとった。そしてその翌日五更(四時)に飯をたき、全軍が腹ごしらえをすますと、一発の号砲を合図にまっしぐらに清風山へとくり出し、広くひらけた地形に拠って陣形をととのえるや、軍鼓をうち鳴らした。すると、山の上から天をふるわせるような銅鑼の音がひびきわたって、一隊の人馬が飛び出してきた。秦明が馬をとめて狼牙棒を横たえ、目を怒らせて見わたせば、山賊の手下たちが小李広の花栄をおしたてて山をおりてくるのであった。彼らは坂路の下までおりてくると、一声の銅鑼の音を合図に陣をしいた。と、花栄が馬上で鉄槍をさしあげて、秦明にむかって礼をおくった。秦明はどなりつけていう。
「花栄、きさまは代々の武門の家に生まれ、朝廷より命をうけた役人だぞ。知寨に任ぜられて一地方をあずかり、国家の禄をはむ身でありながら、なにが不足で賊と手を結び、朝廷にそむきたてまつるのか。わしは今、きさまを召し捕りにきたのだ。ものの道理がわかるなら、馬をおりて縄をうけよ。そうすれば手足をけがさずともすむわ」
花栄は笑顔をつくって、
「総管どの、まあお聞きください。この花栄がなんで朝廷にそむいたりなどいたしましょう。まことは、劉高のやつがあらぬことをかまえ、公《おおやけ》ごとにかこつけて私怨をはらそうとしましたため、わたくしは追いつめられて身を投ずるところもなく、しばらくここに身をひそめましたもの。どうかご賢察のうえ、よろしくおとりなしくださいますよう」
「こやつ、さっさと馬をおりて縄をうけぬか。なにをぐずぐずしておるのだ。出まかせに何のかのといって人をまどわそうとするのか」
と秦明は左右のものに命じて両側に軍鼓をうち鳴らさせ、みずからは狼牙棒を振りまわしつつ花栄にむかってうちかかって行った。花栄は、はっはと笑って、
「やい、秦明、きさまは、ひとが顔を立ててやっているのがわからんのか。おれはおまえを上官として立ててやっているのだ。なにをおまえなんかが恐いものか」
と、馬を走らせ槍をしごいて、秦明とたたかった。清風山麓におけるこのふたりのはたしあいは、まことに、いうなれば、よき碁がたき同士の手あわせには僥倖の勝はなく、良将同士の一騎うちには存分に腕がふるえるというもの。この両将のしのぎのけずりあいたるや、
一対の南山の猛虎、両条の北海の蒼竜。竜怒る時、頭角崢〓《そうこう》たり、虎闘う処、爪牙獰悪《どうあく》なり。爪牙の獰悪なるは、銀の鉤《かぎ》の錦毛の団を離れざるに似、頭角の崢〓たるは、銅の葉の金色の樹に振揺するが如し。翻々復々として、点鋼鎗《てんこうそう》は半米の放閑(わずかな隙)も没《な》く、往々来々として、狼牙棒は千般の解数(さまざまな手並)有り。狼牙棒の当頭(真向《まつこ》う)に劈下すれば、頂門(脳天)を離るるに只分毫を隔て、点鋼鎗の用力(力いっぱい)に刺来すれば、心坎《しんかん》(胸もと)を望んで微《わずか》に半指を争う。点鋼鎗を使う壮士は、威風上《かみ》は斗牛に逼って寒く、狼牙棒を舞わす将軍は、怒気起こって雷電の発するが如し。一個は是れ社稷《しやしよく》を扶持する天篷将《てんぽうしよう》(道教の猛神)、一個は是れ江山を整頓する黒〓神《こくさつしん》(道教の荒神)。
そのとき秦明と花栄はたがいにわたりあうこと四五十合にもおよんだが、勝敗は決しなかった。やがて花栄は何合かわたりあったのち、わざとすきを見せてさっと馬首を転じ、山麓の小路の方へ逃げ出した。秦明が猛りたって追いかけて行くと、花栄は槍を了事環《りようじかん》(武具をひっかけておく環。鞍につけられている)にかけて馬をひきとめ、左手に弓をとり右手で矢を抜き、弓をひきしぼってくるりと身をねじむけるや否や、秦明の〓《かぶと》のいただきをねらって射放《いはな》った。と、矢は見事に〓にあたって、斗《ます》ほどもある大きな赤い纓《ふさ》を射ち落とした。手並のほどを思い知れといわんばかりである。秦明は一驚を喫して、それ以上は追いかけ得ず、いきなり馬をかえして手下たちを斬りまくろうとすると、みなはどっと喊声をあげて山へのぼり、花栄も別の道から山寨へひきあげてしまった。
秦明は彼らがみな逃げてしまったのを見ると、ますます腹をたてて、
「小癪なかっぱらいどもめ」
と、銅鑼や軍鼓をうち鳴らして山へのぼった。全軍はいっせいにときの声をあげ、歩兵を先頭にのぼって行ったが、やがて峯を二つ三つ越えると、とつぜん、上の方から投げ丸太や投げ石や目つぶしの灰や、糞小便などが断崖にそって落とされてきた。先頭のものはひきかえすこともかなわず、たちまち四五十人がやられるというありさまで、あとは退却して山をおりるよりほかなかった。
気の短い秦明は、むかつく心をおさえることができず、人馬をひきいて山麓を迂回しながらのぼり口をさがした。さがしているうちに昼ごろになった。と、とつぜん西の山の方で銅鑼が鳴り、林のなかから一対の赤い旗をおしたてた一隊が飛び出してきた。秦明が人馬をひきいて追いかけて行ってみると、銅鑼も聞こえず赤い旗も見えない。秦明は道をさがしたが、道らしい道もなく、木樵のとおるこみちが何本かあるだけであった。その道も、折りたおした樹木をやたらに交叉して入口がふさいであるので、のぼって行くことはできない。兵卒に命じて道をあけさせていると、そこへ物見の兵が知らせにきた。
「東の山の方に銅鑼が鳴って、赤い旗の一隊があらわれました」
秦明は人馬をひきいて、飛ぶようにして東の山の方へ駆けつけた。と、すでに銅鑼も聞こえず赤い旗も見えない。秦明は馬を飛ばしてあたり一帯に道をさがしまわったが、どこもみな、折りたおした樹木で木樵の道がふさがれている。と、そこへまた物見の兵が知らせにきた。
「西の山の方に銅鑼が鳴って、赤い旗の一隊があらわれました」
秦明は馬に鞭うってまたもや西の山の方へ駆けつけた。と、すでにひとりの賊の姿もなく、赤い旗も見えない。気の短い秦明は、歯ぎしりをして、歯をみな噛みくだいてしまえないのを無念に思うほどのありさま。西の山の方で、こうしてぷりぷりといら立っていると、こんどは東の山の方で大地をふるわせて、銅鑼の音が鳴りわたった。急いで人馬をひき連れて東の山の方へ駆けつけてみると、またもや、すでにひとりの賊の姿もなく、赤い旗も見えない。
秦明はかっとなって胸もはりさけんばかり。なおも兵卒を叱咤して山頂への道をさがさせていると、またもやとつぜん西の山の方にときの声があがった。秦明は怒気天を突き、大いに兵を駆りたてて西の山へ行き、山頂から山麓まで見まわしたが、どこにも人影一つ見えない。秦明は兵卒にどなりつけて、そのあたりののぼり口をさがさせた。すると兵のひとりが、
「このあたりにはまともな道はどこにもございません。東南の方に広い道が一本ありますが、そこならのぼれるでしょう。こんなところでいつまでも道をさがしていると、とんだ目にあわぬともかぎりません」
秦明はそれを聞いて、
「そういう道があるのなら、急いで駆けつけよう」
と、一行の人馬を駆り立てて東南の方へと急いだ。
見る見る日は暮れてしまい、しかも人も馬も行軍にすっかり疲れきっていた。めざす山麓にようやくたどりついて、さてこれから陣をかまえ飯ごしらえをしようとしていると、山の上に松明《たいまつ》の火が乱れおこり、銅鑼や軍鼓が乱れ鳴った。秦明はかっとなって、四五十騎を従えて山を駆けのぼって行った。と、ふいに山上の林のなかからばらばらと矢が飛んできて、またも何人かの兵が手傷を負うた。秦明はやむなく馬をかえして山をおり、兵卒になにはともあれ飯ごしらえをするようにと命じた。ようやく火を燃やしつけたばかりのとき、山の上に八九十の松明があらわれ、口笛を吹き鳴らしながら山をおりてくる。秦明が急いで兵をひき連れて追って行くと、松明の火はいっせいにぱっと消えた。
その夜は月はあったが、雲にさえぎられてうす暗かった。秦明は腹が立ってならず、兵卒に命じて松明に火をつけさせ、あたりの木立を焼きはらわせた。と、山の鼻のあたりから鼓笛の音が聞こえた。秦明が馬を飛ばしてのぼって行って見ると、山の頂上に十数本の松明をともし、その明りに照らされて、花栄が宋江の相伴をして酒をくんでいるのであった。秦明はそれを見ると憤怒やるかたなく、馬をとめて山の下から大いにののしった。すると花栄がそれに答えていう。
「秦統制どの、まあそういら立たず、ひとまずひきかえしてお休みなさい。あすは、あなたかわたしか、どちらかが死ぬまでの勝負をやりましょう」
「逆賊め、すぐおりてこい。今ここで三百合わたりあって、こんどこそ勝負をつけてやろう」
花栄は笑って、
「秦総管どの、あなたは今日はもうお疲れだ。たとえわたしが勝ったとしても、腕のせいとはいえなかろう。まずひきかえして、あすまたおいでなさい」
秦明はいよいよ腹をたて、いつまでも山の下でののしっている。道をさがして山へのぼって行きたいのだが、花栄の弓がこわくもあるので、こうして坂の下でののしっているだけなのだった。
わめき立てているとき、ふと本隊の人馬の騒ぎ立てる声が聞こえた。秦明が急いで麓へもどって見ると、むこう側の山の上から火砲や火箭《かせん》がいっせいに火の雨をそそぎかけ、うしろには二三十名の手下どもが一群になって、暗がりのなかから弓や弩《いしゆみ》を射かけているのだった。全軍の人馬はわめき声をあげながら、いっせいにむこうの山際のくぼみのなかへと逃げた。時刻はすでに三更(夜十二時)のころであった。全軍の人馬がようやく弓矢をのがれたとき、これはいかに、かみ手の方から水がどっと流れてきて、一行の人馬はみな谷川のなかで死にものぐるい。ようやく岸にはいあがったものは、ことごとくみな手下たちの熊手にひっかけられ、生け捕られて山の上へ連れて行かれ、岸にとりつくことのできなかったものは、ひとりのこらず谷川のなかに溺れ死んでしまった。
ところで秦明は、このとき怒気天を突いて脳天も砕けんばかりだったが、かたわらに一すじのこみちがあるのを見つけて、馬に鞭うって山へ駆けのぼって行った。ところが、まだ四五十歩も行かぬうちに、馬もろともおとし穴のなかにころげ落ちてしまった。すると両側にかくれていた五十人の熊手のものが、秦明をひきずりあげ、身につけた戦襖も衣甲《よろい》も頭〓《かぶと》も武器も、すっかりとりあげたうえ、縄でしばり、乗馬もひきあげて、ともに清風山へひき立てて行った。
そもそもこの計略は、すべて花栄と宋江のふたりが考えたもので、まず手下たちに命じて、あるいは西へ、あるいは東へと、秦明の人馬をおびきよせ、くたくたに疲れさせて策をうしなわせる一方、あらかじめ土嚢で谷川の両側をせきとめておいて、夜がふけてから人馬をその谷のなかへ追いこみ、上流から水を切って落として、その激しい流れでことごとく人馬を葬ってしまったのである。
なんと、秦明のひきいていた五百の人馬は、その大半が水におぼれてみな相果ててしまい、生け捕りになったものは一百五六十、奪われた良馬は七八十頭。逃げおおせたものはひとりもなかったのである。そして最後に秦明が、馬もろともおとし穴に落とされて生け捕られてしまったのである。
手下たち一同が秦明を山寨にひき立てて行ったときは、すでに夜も明けがたであった。五人の好漢が聚義庁に集まっているところへ、手下のものたちが、秦明をしばって庁前に連れて行った。花栄はそれを見ると、急いで床几をはなれて床の下に出迎え、自分でその縄をほどき、手をとって庁上に迎えあげて、そこに平伏した。秦明はあわてて礼を返し、
「わたしは捕われ人だ。裂き殺そうともあなたたちの勝手なのに、どうしてわたしに礼をなさるのです」
花栄はひざまずいたまま、
「手下どもには尊卑の見さかいがなく、あやまって無礼をはたらきましたが、なにとぞおゆるしくださいますよう」
と、さっそく着物をもってこさせて、秦明に着せた。秦明は花栄にたずねる。
「あちらの、頭《かしら》だった好漢はどなたです」
「この方はわたくしの兄貴分で、〓城《うんじよう》県の宋押司、宋江というお方です。こちらの三人はこの山寨の主《あるじ》で、燕順どの、王英どの、鄭天寿どの」
「こちらのお三人は承知しておりますが、宋押司どのというと、山東の及時雨の宋公明どのでしょうか」
「そうです」
と宋江が答えた。秦明はあわてて平伏して、
「お名前はかねがねうけたまわっておりますが、ここでお目にかかろうとは思いもかけませんでした」
宋江もあわてて答礼をした。秦明は宋江の脚の不自由なのを見て、
「足がご不自由のようですが、どうかなさったのですか」
とたずねた。宋江は、〓城県を出てから劉知寨に拷問をうけるまでのことを、ひととおり秦明に話した。秦明は首をふりながら、
「一方のいい分だけを聞くと、とんでもないまちがいをしでかすものです。州へ帰りましたら慕容知府によくわけを話すことにいたしましょう」
燕順は、しばらく滞在するようにと秦明をひきとめ、さっそく牛や馬を殺させて、酒宴の用意をした。捕えて山に連れてきた兵卒たちは、山のうしろの小屋に収容して、彼らにもまた酒食のもてなしをした。
秦明は数杯飲むと、立ちあがって、
「みなさん。ご一同のおなさけによってこの秦明の一命を助けてくださいましたからには、わたしの衣甲《よろい》・頭〓《かぶと》・鞍馬《う ま》・武器をお返しねがって、州へ帰していただきたいのですが」
燕順はいう。
「総管どの、それはどうでしょうか。あなたのひきいてこられた青州の五百の人馬は、ことごとくなくなってしまったのに、どうして州へ帰れましょう。慕容知府はあなたを罪されるにちがいありません。それよりはいっそのこと、むさくるしいところですがしばらくこの山寨にとどまられてはいかがですか。ご滞在をねがえるようなところではありませんが、かりにわたしたちの仲間に身を落とし、秤で金銀をわけ、好き放題に美衣をまとうて暮らせば、ふんぞりかえったおえらがたの風下に立つよりましではありませんか」
秦明はそれを聞くと、庁からおりて、いった。
「この秦明は、生きては大宋国の民であり、死しては大宋国の鬼となるのです。朝廷はわたしを兵馬総管に任ぜられ、さらに統制使の官を授けられて、わたしは一度も不当なあしらいをうけたことはありません。それに、どうして盗賊なぞになって朝廷にそむくことができましょう。みなさんがわたしを殺すつもりなら、さっさと殺してください。わたしは決してあなたがたのいうとおりにはなりません」
花栄は急いで庁からおりて、ひきとめた。
「秦さん、まあ怒らずに、わたしのいうことを聞いてください。わたしも朝廷から命をうけた役人の息子ですが、どうしようもなく、追いつめられてこうなったのです。総管どのが強盗がいやだといわれるなら、決して無理じいはいたしません。ただ、今しばらく席におなおりください。酒盛りがすみましたらわたしが、衣甲《よろい》も頭〓《かぶと》も鞍馬《う ま》も武器もお返しいたします」
だが秦明はどうしても聞かなかった。花栄はさらにすすめて、
「総管どのは昨夜から一日一晩、身も心も辛苦なさったわけで、あなたもさぞかしお疲れでしょうが、馬にも十分に餌をやらなければなりますまい」
秦明はそういわれて心に思うよう、
「それはもっともだ」
そこでふたたび庁にのぼり、席について酒を飲んだ。五人の好漢はかわるがわる杯をとり、相伴をして酒をすすめた。秦明は一つにはすっかり疲れていたため、二つには好漢たちのすすめにほだされてうちくつろいで飲んだため、つい酔いをすごし、かかえられて寝台にはこばれ、眠ってしまった。
一同はその間に事をはこんだのであるが、それはそれとして、さて秦明は、ぐっすり眠って翌日の辰牌(朝八時)になってようやく目をさますと、とび起きて顔を洗い口をすすぐなり、すぐ山をおりようとした。好漢たちはみなでひきとめ、
「総管どの、まあ朝飯をすましてからお立ちください。麓までお送りしますから」
といったが、性急な秦明はすぐ山をおりるという。一同は急いで酒食をととのえてもてなしてから、頭〓と衣甲をとり出して秦明に着せ、また馬をひき出し、狼牙棒をとり出して、先に手下のものを麓へやって待たせておき、五人の好漢はみなで秦明を送って山をおり、別れの挨拶をしてから、馬と武器をわたした。
秦明は馬に乗り、狼牙棒を持ち、日もはや高くのぼったなかを、清風山をあとにして一路青州へと駆けつけた。あと十里ばかりのところまで行ったとき、時刻はちょうど巳牌《しはい》(昼前十時)ごろであったが、はるかに煙塵の舞い立っているのが見えて、あたりは人影一つない。秦明はそれを見て内心いぶかりながら、やがて城外に着いて見ると、もとあった数百の人家はことごとく焼きはらわれてなにもなくなり、ひろびろとしたその瓦礫場《がれきじよう》(焼野原)には、ごろごろと、男女の死骸が無数に横たわっている。秦明は見てびっくりし、馬に鞭うって瓦礫の原から城壁の下に駆けつけ、
「門をあけろ」
と大声で叫んだ。見れば、門の前の吊り橋は高々と吊りあげられていて、兵士・旗・投げ丸太・投げ石が、ずらりと並んでいる。秦明は馬をとめて大声でよばわった。
「吊り橋をおろして、おれを通せ」
城壁の上では、それを秦明だとみとめると、軍鼓を鳴らし、ときの声をあげた。
秦明は叫んだ。
「おれは秦総管だ。なぜおれを通さぬか」
すると、慕容知府が城壁の上の姫垣のところにあらわれて、どなりつけた。
「逆賊め、なんたる恥知らずなやつだ。昨夜は人馬をひき連れて城を攻め、あまたの良民を殺し、あまたの人家を焼き払いながら、今日もまたやってきて、だまして城門をあけさせようとしおる。朝廷《おかみ》がきさまに不当なことをされたことがいちどでもあったか。たわけものめ。それを、よくもまあ人でなしなまねをしおったな。すでに朝廷へは上告の使者をたてたゆえ、いずれきさまをつかまえて、ずたずたにひき裂いてくれるぞ」
秦明は大声で叫んだ。
「閣下、それはちがいます。わたくしは人馬をうしないましたうえ、やつらにつかまって山に連れて行かれ、いまようやくのがれてまいったところです。どうして昨夜城を攻めたりなどいたしましょう」
「きさまのその馬・よろい・武器・かぶと、わしがそれを知らぬとでもいうのか。城壁の上にいるみなのものも、きさまが紅頭巾《あかずきん》どもを指揮して殺人放火をはたらいたのをはっきりと見ているのだ。それをいまさら白っぱくれようというのか。よしんばきさまが負けいくさをしてつかまったとしても、五百の兵卒のうちただのひとりも逃げて知らせに帰ったものがないとはどうしたことだ。きさまは今うまうまと門をあけさせて家族のものを連れ出そうという魂胆だろうが、きさまの女房は今朝方とっくに殺してしまったわ。うそだと思うなら、その首を見せてやろう」
兵卒が槍をとり、秦明の妻の首級を穂先にかけて、秦明に見せた。気の短い秦明は女房の首を見るなり胸もはりさけんばかりにかっとなり、いいわけもできずに、ただ、
「ひどいことを!」
と、もだえるばかり。そこへ、城壁の上から弓や弩《いしゆみ》が雨のように射はなたれてきたので、しょうことなく秦明は身を避けた。あたりを見まわすと、まだいたるところにぷすぷすと余燼が燃えくすぶっている。秦明は瓦礫の原へ馬をかえし、いっそ死んでしまいたいと思ったが、しばらく考えてのち、馬を駆ってもときた道へひきかえした。
十里ほど行ったとき、とつぜん、林のなかから一群の人馬が飛び出してきた。先頭の五頭の馬の上なる五人の好漢は、ほかならぬ宋江・花栄・燕順・王英・鄭天寿の面々で、あとに一二百の手下を従えている。
宋江は馬上で礼をして、
「総管どの、どうして青州へお帰りにならなかったのです。ひとりでどこへ行かれます」
秦明はそういわれて、かっとなり、
「どこのどいつかしらぬが、どうあってもこの天地の間に生かしてはおけぬやつ、一寸だめしに切り刻んでやらねばすまぬやろうが、このわたしに化けて城を攻め、民家をこわし良民を殺し、おかげでわたしの家族はみなごろしになってしまい、このわたしはまんまと今や天にも地にも身のおきどころをなくされてしまったのだ。もしそやつを見つけたら最後、この狼牙棒でたたきのめさずにはおくまい」
すると宋江は、
「総管どの、まあお気をおしずめください。奥さまがおなくなりになったのなら、よろしい、わたくしが仲人をしてさしあげましょう。よい思案がありますから、総管どの、どうかおいでください。ここでは話もできませんゆえ、山寨へ行って申しあげるとして、ごいっしょにまいりましょう」
秦明はぜひもなく、いわれるままに、ふたたび清風山へ帰って行った。
途中はかくべつの話もなく、やがて山の亭のところまできて馬をおり、一同はそろって山寨にはいった。すでに聚義庁には手下のものが酒肴の用意をととのえていた。五人の好漢は、秦明を庁上に迎えいれて、真中の席につかせた。そして五人はずらりと並んで平伏した。秦明はあわてて答礼をし、同じく平伏する。
宋江が口をひらいた。
「総管どの、どうか悪く思わないでください。きのうはあなたを山にひきとめようとしたのに、どうしてもお聞きいれくださらなかったので、この宋江が計略をめぐらし、あなたの姿によく似た手下のものに、あなたのよろいかぶとをつけさせ、あなたの馬に乗らせ、狼牙棒を横たえさせて、青州城下へやり、手下のものたちを指揮させて、人殺しをやらせたのです。ほかに燕順と王矮虎が五十名あまりをひき連れて加勢に行き、あなたが家族を連れ出しに行かれたように見せかけました。殺人放火によって、あなたの里への未練をたち切ろうとしたわけです。ここに一同くれぐれもおわび申しあげます」
秦明はそうと聞くと、むらむらと怒りがこみあげてきて、宋江らとたたかおうとも思ったが、しかしまた、胸によく考えてみるに、一つにはそれは天上界の星のめぐりあいであり、二つには彼らに捕えられはしたものの礼をもってあつかわれたこと、三つには彼らとたたかっても勝目はなかろうと思ったため、やむなく怒りをおしこらえて、いった。
「あなたがたがこの秦明をひきとめようとなさるのは、好意からとはいえ、あまりにもひどいやりかたではありませんか。おかげで家内じゅうのもの全部が殺されるうき目にあったのですぞ」
「そうでもしないことには、どうしてあなたに思いきりがつきましょう。奥さまをなくしてしまわれたことについては、ちょうど、花知寨どのになかなか賢《かしこ》い妹さんがいられるので、わたくしに仲人にならせていただき、支度をととのえて、あなたの奥さまにしたいと思うのですが、いかがでしょうか」
秦明は一同がこのように敬い大切にしてくれるのを見て、ようやく安んじて仲間にはいった。そこで一同は、宋江を真中にして、秦明はかみ手に、花栄はしも手に、三人の好漢は順番にそれぞれ席につき、笛や太鼓の音もにぎやかに酒盛りをしながら、清風寨襲撃の一件を相談した。
すると秦明がいった。
「それはたやすいことです。心配なさるほどのことではありません。第一に黄信という男はわたしの配下ですし、第二に彼の武芸はこのわたしが教えてやったのです。第三に彼とわたしはごく親しい仲です。あす、わたしがまず出かけて行って柵門をあけさせ、よく話して仲間にさそいいれましょう。そして花知寨どのの家族をひきとり、また劉高の女房のあばずれを捕えてあなたの怨みを晴らし、わたしの仲間入りのみやげにいたしましょう」
宋江は大いによろこんで、
「そういうふうにおひきうけくだされば、まことにしあわせです」
その日は酒盛りがおわると、それぞれひきとって休んだが、翌日、起きて朝食をすませると、一同、武装に身をかためた。秦明は馬に乗って、ひと足さきに山をおり、狼牙棒を手に、清風鎮へと急いだ。
一方、黄信は、清風鎮に帰ってから、町の民兵を徴発し、寨兵を召集して、日夜防備をかため、柵門を堅守した。しかし外へたたかいに出ようとはしない。しばしば物見の兵を出したが、青州からの援兵はこなかった。
ところがその日、知らせがあって、
「柵の外に秦統制さまが単騎でお見えになって、門をあけろといっておられます」
という。黄信がそれを聞いて、すぐ馬に乗って門のところへ駆けつけて見ると、なるほどひとり一騎で、従卒も連れていない。黄信はすぐ柵門をあけさせ吊り橋をおろさせて、秦明を迎えいれ、本寨の庁舎の前まできて馬をおり、なかに請じて挨拶をすませてから、たずねた。
「総管どの、どうしてただおひとりでここへ見えたのです」
秦明はまず人馬をうしなったことを話してから、
「山東の及時雨の宋公明は、財をうとんじて義を重んじ、ひろく天下の好漢たちとまじわりをむすんで、誰からもあがめられている人物だが、それがいま清風山にきているのだ。このほどわしも山寨でその仲間にはいったのだが、あんたはまだ妻もないひとり身だから、わしのいうことをきいて、山寨へ行って仲間にはいらないか。そうすれば、文官どもの風下でいやな思いをしなくてもすむというものだ」
「あなたがそこにいらっしゃるのでしたら、この黄信も、もちろんそうします。それにしても宋公明どのが山にいるとははじめて聞きましたが、いったい及時雨の宋公明どのはどこからやって行ったのでしょう」
秦明は笑いながら、
「あんたが先日護送して行った〓城虎《うんじようこ》の張三というのがそうなのだ。本名をあかすとおたずねものの身の上がばれそうなので、張三と名乗っていたのだ」
黄信はそれを聞くと足ずりをして、
「もし宋公明どのだと知っていたら、途中で逃がしてあげたのに。それとは知らずに、劉高のいうことばかり聞いて、すんでのことであの方の命をとってしまうところでした」
秦明と黄信のふたりが、役所で出発の相談をしていると、そこへ寨兵が駆けつけてきて、
「二隊の人馬が、銅鑼と軍鼓を鳴らしたてながら町へ攻めよせてきます」
と知らせた。秦明と黄信はそれを聞くと、ともに馬に乗って、敵を迎え討つべく出かけた。柵門のところまで行って眺めると、砂塵日をおおい、殺気天をさえぎり、二隊の人馬、町にむかい、四人の好漢、山をくだりくるというところ。さて、秦明と黄信はいかにしてこの敵を迎えるか。それは次回で。
第三十五回
石将軍《せきしようぐん》 村店に書を寄せ
小李広《しようりこう》 梁山《りようざん》に雁を射る
そのとき秦明《しんめい》と黄信《こうしん》のふたりが柵門の外に出て見ると、二隊の人馬が今しも到着したところであった。一隊は宋江と花栄、一隊は燕順《えんじゆん》と王矮虎《おうわいこ》で、それぞれ一百五十余人をひき連れていた。黄信は寨兵に吊り橋をおろさせ、寨門をひろくあけはなたせて、二隊の人馬を町へ迎えいれた。宋江はさっそく号令して、ひとりの住民も殺すな、ひとりの寨兵も傷つけるなと伝え、まず南寨に打ち入って劉高《ちようこう》一家のものをことごとく殺した。王矮虎はまっさきに劉高の女房をうばいとり、手下たちは家財道具や金銀財宝をのこらず車に積みこみ、馬や牛や羊もことごとくひき出した。花栄は自分の家へ行って家財道具いっさいを車に積み、妻と妹をひきとったが、家にいた清風鎮のものにはみな暇をやった。好漢たちはこうしてすっかり始末をつけてしまい、一行の人馬は清風鎮をあとに、こぞって山寨へひきあげて行った。
車輛人馬が山寨に着くと、鄭天寿がこれを出迎えて、一同は聚義庁に集まった。黄信は好漢たちと挨拶をかわしたのち、花栄のつぎの席についた。宋江は花栄の家族を宿舎におちつかせ、劉高の財物を手下のものたちに分けてやった。王矮虎は劉高の女房をつかまえて自分の部屋にかくした。ところが、燕順がたずねた。
「劉高の女房はどこにいる」
王矮虎は答えて、
「こんどはぜひ、わたしのかみさんにくださいよ」
という。
「やるにはやるが、ちょっとここへよんできてくれないか。話があるのだ」
と燕順はいい、宋江も、
「わたしも聞きたいことがある」
という。王矮虎が庁の前へよんでくると、女は泣きながらゆるしを乞うた。宋江はどなりつけて、
「この、あばずれ女め。わしは好意でおまえを助けて山から逃がしてやったのだ。おまえをれっきとした役人の奥さんだと思ったからだ。それなのに恩を仇でかえすとは何たることだ。こうしてつかまえられては、もはや一言もあるまい」
そこへ燕順がとび出してきて、
「こんなあまには、話なんかむだです」
と、腰刀をひき抜くや一刀両断のもとに斬りすててしまった。王矮虎は女が斬られたのを見ると、猛然と怒って、朴刀をひったくるなり燕順とやりあおうとしたが、宋江がなかにはいって、なだめた。宋江のいうには、
「燕順がこの女を殺したのはもっともだ。まあ、考えてもみなさい。わたしがあれほど骨折って助けてやり、山から逃がして夫のところへ無事に帰してやったのに、逆に噛みついてきて、亭主にわたしを殺させようとしたのだ。だから、あんたがこいつをそばにおいていたら、やがてはろくなことはありますまい。そのうちわたしがいいのをもらってあげて、満足のいくようにしますよ」
「おれもそう考えたのだ。生かしておいても何の役にもたたない。いつかはひどい目にあわされるのが落ちだよ」
と燕順もいう。王矮虎はみんなからなだめられて、だまりこんでしまった。燕順は手下のものたちにいいつけて死骸や血痕のあと始末をさせ、ついで祝いの酒盛りをひらいた。
翌日、宋江と黄信が世話役になり、燕順・王矮虎・鄭天寿が仲人になって、花栄がその妹を秦明に嫁がせた。支度いっさいは宋江と燕順が用意した。その祝宴は四五日もつづいた。婚礼がすんでから六七日たったとき、手下の物見のものが山へ知らせにきていうには、
「青州の慕容知府が、花栄どの、秦明どの、黄信どのの謀叛のことを中書省(詔勅や文書を司る省)に上申し、近く大軍を起こして清風山を掃蕩するとのことです」
好漢たちはそれを聞いて協議した。
「こんな小さな寨《とりで》は、いつまでもおるべきところではない。もし大軍がやってきて、包囲でもされたら、防戦することはとてもおぼつかなかろう」
すると宋江がいった。
「わたしに一計があるのですが、はたしてみなさんの気にいるかどうか」
「どうぞ、その妙計を聞かせてください」
と一同はいった。
「ここから南の方に、梁山泊というところがあるのです。まわりは八百里あまりで、そのなかに宛子城《えんしじよう》と蓼児〓《りようじわ》があり、晁天王《ちようてんおう》が四五千の人馬を集めて湖をおさえ、捕盗の官兵もてんで手が出せないというところです。われわれもここをたたんで、みなでその仲間にはいることにしてはどうかと思うのです」
「そういうところがあるのなら、もっけの幸いというものですが、しかし誰か橋わたしをしてくれるものがなければ、受けいれてはくれますまい」
と秦明がいった。
宋江は大いに笑って、生辰綱《せいしんこう》の金銀強奪の一件(第十六回)にはじまって、劉唐《りゆうとう》が手紙を持ってきてお礼の金子をくれたことから閻婆惜《えんばしやく》を殺すようになり(第二十・二十一回)、ついに世間を逃げまわる身になったまでのことを話した。秦明はそれを聞くと大いによろこんで、
「すると、あなたはそこの大恩人というわけですな。ぐずぐずしている場合じゃありませんから、早くここをたたんで出かけようじゃありませんか」
と、さっそくその日、相談をとりまとめた。そこで、車数十輛を用意して、家族のものや金銀財物・衣服・行李などを乗せ、駿馬も二三百頭。手下のものでついて行きたくないものには、なにがしかの金をやって、自由にほかへ行かせ、ついて行きたいというものは隊列に組みいれて、秦明のひき連れてきた兵卒をあわせて、総勢四五百人。宋江はこれを三隊に分けて下山させ、梁山泊の討伐にむかう官軍のように見せかけることにした。山頂のとりかたづけがすっかりおわり、車の積みこみもすむと、火をつけて山寨を一物もあまさず焼きはらい、三隊にわかれて山をおりて行った。宋江は花栄とともに四五十名の手下と三四十頭の馬を従え、五六輛の車と家族の一団をまもりながら先頭に立った。秦明と黄信は八九十頭の馬と輜重車《しちようしや》をひきいて第二隊となり、しんがりは燕順・王矮虎・鄭天寿の三人がまもって、四五十頭の馬とて一二百名の手下をひき連れ、一同清風山をあとにして梁山泊へとむかったが、道中、このおびただしい人馬を見ても、その旗じるしに「賊徒討伐軍」と明らかに書かれているので、誰もとがめだてするものはなかった。こうして、行くこと六七日で、遠く青州をはなれ去った。
さて宋江と花栄のふたりは騎馬で先頭に立ち、そのうしろには家族たちを乗せた車輛がつづき、後続の人馬とは二十里の距離をおいてすすんだが、やがて、とあるところにさしかかった。そこは地名を対影山《たいえいざん》といって、両側に似た形の高い山がそびえ、そのはざまに一すじのひろい駅路が通っている。ふたりが馬ですすんで行くと、山の中から銅鑼や太鼓の音が聞こえてきた。
「前方に賊がいるようです」
といって花栄は槍をとり、弓矢をすぐ使えるように用意して、弓袋のなかにおさめた。一方、騎馬の兵に命じて後続の二隊に急いで追いつくように伝えさせるとともに、車輛人馬を停止させた。
宋江と花栄のふたりは、二十余騎の人馬をひき連れて偵察に出たが、半里ほど行くと、はやくも一群の人馬の姿が見えた。総勢一百余人でその先頭におしたてられたのはひとりの年若き勇士。そのいでたちいかにといえば、
頭上の三叉《さんさ》の冠は、金を圏《めぐ》らし玉を鈿《ちりば》め、身上の百花の袍《うわぎ》は、錦もて織れる団花《だんか》(まるい花模様)。甲《よろい》は千道の火竜の鱗を披《き》、帯は一条の紅の瑪瑙《めのう》を束ぬ。騎するは一匹の〓脂《えんじ》(べに)もて抹《ぬ》り就《な》せる竜の如き馬。使うは一条の朱紅もて画《えが》ける桿《え》の方天《ほうてん》の戟《ほこ》。(注一)背後の小校は尽く是れ紅衣紅甲なり。
その勇士は、戟を横たえて馬をとめ、坂の下で大声によばわっていう。
「今日こそははっきりと勝負を決しようぞ」
すると、そのむかいの山のうしろからどっと一隊の人馬がくり出してきた。おなじく総勢百十余人、その先頭におしたてられたのは、白い装束のひとりの年若き勇士。そのいでたちいかにといえば、
頭上の三叉の冠は一団の瑞雪を頂き、身上の〓鉄《ひんてつ》の甲は千点の寒霜を披《き》る。素羅《しらぎぬ》の袍は光《ひかり》太陽を射、銀花の帯は色《いろ》明月を欺く。座下に騎するは一匹の宛《えん》(西域の大宛国)を征する玉獣、手中に輪《ま》わすは一枝の寒戟《かんげき》の銀の蛟《みずち》。背後の小校は都《すべ》て是れ白衣白甲なり。
その勇士も、手には一枝の方天の画戟をとっていた。こちらはすべてまっ白な旗じるし、あちらはすべてまっ赤な旗じるし。と見るまに、両側の紅白の旗がゆらぎ、地をふるわせてにぎやかに軍鼓がうち鳴らされると、ふたりの勇士がやにわに、おのおのの手に画戟をかまえ、馬を飛ばして、真中の大通りで鋒をまじえ勝負をあらそった。
宋江と花栄はそれを見ると、馬をとめて観戦したが、まさに見事な鍔《つば》ぜりあい。そのさまは、
旗仗盤旋《ばんせん》(うずまき)、戦衣飄〓《ひようよう》(ひるがえり)、絳霞《こうか》(赤い霞)の影裏、幾片の地を払う飛雲を捲き、白雲の光中、数団の原を燎《や》く烈火を滾《まろ》ばす。故園の冬の暮に、山茶(つばき)と梅蘂《ばいずい》(うめの花)と輝きを争い、上苑の春の濃《たけなわ》に、李粉(すももの白い花)と桃脂(ももの赤い花)と彩《いろどり》を闘わす。這箇《こなた》は南方丙丁《ひのえひのと》の火《か》に按じて、〓摩天《えんまてん》(赤い空)に丹(赤)を走らす炉に似、那箇《かなた》は西方庚辛《かのえかのと》の金に按じて(注二)、泰華峯《たいかほう》(注三)頭に玉(白)を翻す井の如し。宋無忌《そうむき》忿怒して、火の騾子《う ま》に騎《の》って霜林(白)を奔走し、憑夷神《ひよういしん》嗔《いかり》を生じて、玉の〓猊《し し》に跨って花界(赤)を縦横す。
ふたりの勇士は、たがいに方天の画戟を使ってわたりあうこと三十余合におよんだが、勝敗は決しなかった。宋江と花栄のふたりは馬上で観戦しながら喝采した。花栄がじりじりと馬を乗り出しながら眺めると、ふたりの勇士のたたかいはいよいよはげしくなり、一つは金糸の豹尾《ひようび》のふさをつけ、一つは金糸の五色の旛《はた》をつけた二つの戟が、一つにからみあい、先端のひもがもつれてしまって解けなくなってしまった。花栄は馬上でそれを見るや、馬をとめ、左手で弓袋から弓をとり出し、右手で矢壺から矢を抜き出して、矢をつがえ、弓をひきしぼり、豹尾のふさのもつれをねらって、ひょうと射《い》はなてば、ねらいたがわずふさを射《う》ち切った。と、二つの画戟はぱっと両側に分かれ、二百余人のものはいっせいに喝采の声をあげた。
ふたりの勇士はその場でたたかいをやめ、馬を飛ばして宋江と花栄の馬前に駆けつけてくると、馬上で一礼して、
「神箭《しんせん》将軍のおん名をうけたまわりたく存じます」
という。花栄は馬上で答えた。
「この兄貴分は、〓城県の押司、山東の及時雨の宋公明。かくおうわたしは清風鎮の知寨、小李広の花栄です」
ふたりの勇士はそれを聞くと、戟をおさめて馬からおり、金山を推し玉柱を倒すがごとくうやうやしく平伏して、
「お名前はかねてよりうけたまわっておりました」
宋江と花栄は、急いで馬からおりてふたりを扶《たす》けおこし、
「おふたりの勇士のお名前をお聞かせください」
すると赤い装束の方がいった。
「わたくしは、姓は呂《りよ》、名は方《ほう》といって、生まれは潭《たん》州のものですが、かねてより呂布《りよふ》(注四)のひとがらに傾倒して、そのために方天の画戟を学び、人々から小温侯《しようおんこう》の呂方とよばれております。生薬をあきなって山東にまいったのですが、もとでをすってしまって郷里《く に》へ帰ることができなくなりましたので、かりにこの対影山を占領して、ものとり強盗をはたらいておりますが、このほど、この勇士がやってきまして、わたくしの山寨を奪おうとし、めいめい一山ずつ分けあおうといってもどうしても承知しないのです。それで毎日山をおりて果たしあいをしているのですが、はからずも今日、ご尊顔を拝することのできましたのは、前世からの因縁《いんねん》というものでしょうか」
宋江はさらに、白装束の方に名前をたずねた。すると、その人は答えていう。
「わたくしは、姓は郭《かく》、名は盛《せい》といって生まれは西川《せいせん》(四川の西部)の嘉陵《かりよう》のものですが、水銀のあきないに出ましたところ、黄河《こうが》で嵐にあって船が転覆し、郷里へ帰れなくなりました。嘉陵におりましたとき、その土地の軍隊の張提轄に方天戟を学び、以後かなり使えるようになりましたので、人々から賽仁貴《さいじんき》(注五)の郭盛とよばれております。世間のうわさに、対影山に戟つかいがいて山を占領し、ものとり強盗をはたらいているとのことでしたので、戟の手並をくらべにやってきて、つづけて十何日かたたかいましたが、いまだ勝負がつかずにおりましたところ、はからずも今日、おふたりにお目にかかれましたのは、天のめぐみでございましょう」
宋江も、自分たちのことをすっかり話してから、
「さいわいお会いできたのですから、おふたりの仲裁をしたいと思うのですが、いかがでしょうか」
といった。ふたりの勇士は大いによろこんで、ともに承知した。
詩にいう。
銅錬《どうれん》(くさり)もて刀を勧《なだ》むるは猶易《やす》き事なり
箭鋒《せんぽう》(矢)もて戟を勧むるは更に希奇(まれ)なり
須《すべか》らく知るべし豪傑の心を同じくする処を
堅金をも利断するは疑うを用いず
やがて後続の隊の人馬も到着すると、ひとりずつひきあわされて対面の挨拶がかわされた。まず呂方が山に招いて、牛や馬を殺して宴席を設けると、翌日は郭盛が酒盛りに招いた。
宋江がふたりに、仲間入りをしていっしょに梁山泊へ行き、晁蓋の一味に加わるようにすすめると、ふたりは小躍りしてよろこび、ともに承知して、さっそく両山の人馬を勢ぞろえし、財物をとりまとめて出発しようとした。すると、宋江がいった。
「しばらくお待ちなさい。このまま行ったのではまずい。われわれ四五百もの人馬が梁山泊へむかうとなると、あちらでも物見のものが四方で目を光らせておりますから、もしわれわれをほんとうに討伐にきたのだと思われてはたいへんなことになります。それで、わたしと燕順が先に行って知らせますから、あなたがたはあとから、これまでどおり三隊にわかれてきてください」
「もっともなご意見です。そのとおりにして、つぎつぎに出かけましょう。兄貴はすこし先にお立ちください、わたしたちは人馬を督励して、あとから出発いたします」
と花栄と秦明がいった。
対影山の人馬はこうしてつぎつぎに出かけたのであるが、それはさておき、宋江と燕順は、おのおの馬に乗り、随行のもの十数名を連れて梁山泊へと先発した。二日ばかりたったある日、昼ごろまで道をすすみつづけていると、街道のかたわらに一軒の大きな酒屋が見えた。宋江はそれを見ると、
「みんな歩きつかれたようだから、すこし酒を飲ませていこう」
と、燕順とともに馬をおりて酒屋へはいり、みなのものにも、馬の腹帯をゆるめてから店にはいってくつろぐようにといった。
ところが、宋江と燕順が先に店にはいって見わたしてみると、大きな座席は三つしかなく、小さな座席も、すこししかない。しかもその大きな座席の一つは、すでに先客があってふさがれていた。宋江がその男を見るに、そのいでたちいかにといえば、
一頂の猪嘴《いぐち》の頭巾を裹《かむ》り、脳後には両個の太原府の金不換《きんふかん》(珍稀)の紐糸《ちゆうし》の銅鐶《どうかん》(とめわ)。上には一領の〓《くろ》き袖衫《うわぎ》を穿《き》、腰には一条の白き膊《お び》を繋《し》め、下面には腿絣《ももひき》、護膝《ひざあて》に、八答《やつち》の麻鞋《あさぐつ》。〓子《たくし》の辺には短棒を倚着し、横頭の上《へん》には個《ひとつ》の衣包を放着す。
その男は身の丈《たけ》八尺ばかり、黄色い骨ばった顔で、両眼するどく、ひげは一本もはえていない。宋江は給仕をよびよせて、
「供《とも》のものが大勢いるのだが、われわれふたりは奥を貸してもらうとして、ひとつあの客人にいって、大きい座席を供のものたちにゆずって酒を飲ませてくれるよう、たのんでみてくれないか」
「承知いたしました」
と給仕はひきうけた。宋江と燕順は奥に腰をかけて、まず給仕に酒をいいつけた。
「供のものにはひとりあて大碗に三杯ずつ、それに肉があったらそれももらうから、みんなに出してやってくれ。それからここへきて酒をついでもらおう」
給仕も、供のものたちがぞろぞろと炉のところに立ちふさがっているのを見た。そこで給仕は、役人らしい恰好をしているその客のところへ行って、
「おまえさん(注六)、すみませんが、ひとつここの席をあけて、奥のふたりの旦那さんのお供たちをかけさせてくださいませんか」
するとその男は、おまえさんとよばれたのが癪にさわって、がみがみといった。
「きた順というものがあろうじゃないか。どんな旦那のお供か知らんが、席をゆずれとはなんだ。このおれさまは、ゆずってなんかやらん」
燕順はそれを聞いて、宋江に、
「無礼なやつじゃありませんか」
「ほっておきなさい。相手にしないがよい」
と宋江は燕順をおしとめた。
男は宋江と燕順の方をふりむいてあざ笑っている。
給仕はまた、丁寧にいった。
「おまえさん、わたしどものあきないを助けると思って、席をかわってくださってはいかがでしょう」
すると男はひどく怒って、卓をたたきながら、
「このくそやろうめ、相手を見てものをいえ。おれさまがひとりきりなのをばかにしやがって、席をゆずれとは何たることだ。たとえ天子さまでも、なにをくそ、ゆずってなんかやるものか。つべこべいやがると、このげんこつが承知しないぞ」
「わたしは別になにもいってませんよ」
と給仕がいうと、
「このやろう、なんだと」
と男はどなりつけた。燕順はそれを聞くと、我慢しきれなくって、
「おい、そこな男、なにも糞威張りすることはなかろう。ゆずらぬというのなら、ゆずらなけりゃいいんだ。くそおどかしなんかしやがるな」
男はぱっと立ちあがり、短棒をひっつかんで、いいかえした。
「おれはこいつにどなってるんだ。いらぬおせっかいをするな。このおれさまが頭をさげるのは、天下にふたりきりしかないんだ。ほかのやつらはみな、足の下に踏みつぶしてくれるぞ」
燕順はむっとし、腰掛けをふりあげて打ちかかって行こうとしたが、宋江は、その男のいうことが一風かわっているので、なかに割ってはいってなだめた。
「まあ、両方とも静まりなさい。ところでおたずねしますが、あんたが天下に頭をさげるたったふたりの人というのは、どういう人です」
「いって聞かせば、たまげてしまうだろうよ」
「どうか、そのふたりの好漢のお名前を聞かせてください」
「そのひとりは、滄《そう》州は横海《おうかい》郡の、柴世宗《さいせいそう》さまのおん孫で、小旋風《しようせんぷう》の柴進《さいしん》、柴大官人という方だ」
宋江はひそかにうなずき、かさねてきいた。
「もうひとりは」
「これもまたたいへんな方だ。〓城《うんじよう》県の押司、山東の及時雨《きゆうじう》、呼保義《こほうぎ》の宋公明《そうこうめい》という方だ」
宋江は燕順を見てそっと笑った。燕順は早くも腰掛けを下におろした。男はさらにいった。
「おれさまは、このおふたりのほかは、たとえ大宋皇帝さまだろうとちっともこわくはないのだ」
「ちょっと待ちなさい。ところでうかがいますが、今おっしゃったそのおふたりは、わたしもよく存じあげているが、あんたはどこでそのおふたりにお会いになったのです」
「あんたもお知りあいとなら、正直にいいますが、三年前、柴大官人さまのお屋敷に四ヵ月あまり厄介になっていたんだ。だが宋公明さまには、まだ一度もお目にかかったことはない」
「それではあんたは、黒三郎に会いたいのですな」
「今ちょうど、さがしに行くところなのだ」
「誰にたのまれてさがしに行かれるのです」
「あの方の弟の鉄扇子《てつせんし》の宋清《そうせい》さんに、手紙をことづかって、さがしに行くんだ」
宋江はそれを聞くと大いによろこび、身をのり出して男をひきとめ、
「縁があれば万里へだてていてもめぐりあい、縁がなければ目のまえにいても会えない、というが、このわたくしが黒三郎の宋江です」
男はしばらく顔を眺めてから、はっと平伏して、
「お目にかかれましたのは、天のめぐみ。すんでのことで、孔太公さまのところまで無駄足をふみに行くところでした」
宋江は男をなかへひきいれて、たずねた。
「家の方は、このごろ、かわったことはありませんか」
「申しあげます。わたくしは、姓は石《せき》、名は勇《ゆう》といって、生まれは大名府《たいめいふ》のもので、ばくち渡世。土地の人たちから石将軍《せきしようぐん》というあだ名でよばれておりましたが、ばくちのことで人をなぐり殺してしまい、柴大官人さまのお屋敷に逃《のが》れておりますうちに、天下往来の好漢たちがあなたのお名前をうわさしているのをたびたび聞きましたので、それではと、あなたをたよって〓城県へ行きましたところ、聞けばなにやら事件があって出奔なさったとのことなので、四郎(宋清)さんにお目にかかって、柴大官人さまのことを話しましたところ、四郎さんはあなたが白虎山の孔太公さまのお屋敷におられると教えてくださったのです。そこでわたしがどうしてもあなたにお目にかかりたいと申しますと、四郎さんはわざわざこの手紙をお書きになって、孔太公さまのお屋敷へとどけるようにといわれたのです。もしあなたにめぐりあったら、大急ぎで帰ってくるようにいってくれとのことでした」
宋江はそれを聞くと、なにやら胸さわぎがしてきて、
「うちにはなん日泊まりましたか。父に会いましたか」
とたずねた。
「一晩だけ泊めていただいて、すぐにたってきました。お父上にはお会いしませんでした」
と石勇はいう。宋江は梁山泊へ行くようになった事の顛末を石勇に話した。すると石勇は、
「わたくしが柴大官人さまのお屋敷を出てから、世間で聞くのはあなたのおうわさばかり、義をおもんじ財をうとんじ、困《くる》しめるをすくい危うきをたすけるお方とのこと。そのあなたがあそこへ行って一味に加わられるのなら、わたしもぜひ連れて行ってください」
「おっしゃるまでもありません、ひとりぐらいたやすいことです。さあ、燕順さんにおひきあわせしましょう」
と宋江はいい、給仕に、
「おい、ここへ酒を三杯ついでくれ」
酒がすむと、石勇は包みのなかから手紙をとり出して、そそくさと宋江にわたした。宋江がうけとって見ると、封が逆にしてあり、「平安」の二字も書いてない。宋江はますます胸さわぎがし、急いで封を切ってなかごろまで読んでいくと、あとの方に、
父上は今年正月初頭、病にてみまかられました。目下、柩は家にとどめて、兄上ご帰宅のうえ葬儀をいとなまれますようひたすらにお待ちしております。くれぐれもゆめゆめ時日をおまちがいなきよう、宋清泣血《きゆうけつ》(注七)してこの手紙をさしあげます。
宋江は読みおわると、
「あっ!」
と叫び、度をうしなって、われとわが胸をたたきながらみずからをののしり、
「不孝者め、よからぬことをしでかして、父が亡くなったというのに人の子たるつとめもはたし得ぬとは、畜生も同然だ」
と、頭を壁にぶちつけながら大声で号泣した。燕順と石勇が抱きとめたが、宋江は泣いて気をうしない、しばらくしてようやく正気にかえった。燕順と石勇のふたりは、
「兄貴、まあそうまで思いつめなさらずに」
と、なぐさめた。
宋江は燕順にたのんでいうよう、
「みんなのことを考えないわけではないのだが、じつは父のことがずっと気になっていたところ、亡くなったとなると、是が非でも大急ぎで帰らなければならぬので、あなたたちだけで山へのぼっていただきたいのです」
燕順はいさめて、
「兄貴、お父上はもうなくなられたのですから、いますぐ家へ帰られたところで、会えるわけのものではありませんし、この世では誰だって父母の死なない人はないのですから、どうか気を大きく持って、わたしたちを連れて行ってください。そうしてからわたしがお供をして葬式をしに帰られたって、おそくはないでしょう。昔から、頭のない蛇はうごけないとかいいますが、あなたがついて行ってくださらなければ、むこうではとてもわたしたちを相手にしてはくれないでしょう」
「もしみんなを山へ送って行くとすれば、あまりにも日をとりすぎるので、そんなことはとてもできない。そのかわりに、委細をうちあけたくわしい手紙を書くから、石勇さんも仲間にいれて、あとの人たちを待ちあわせていっしょに山へのぼってください。知らなければ知らないですみましょうが、こうして天がわたしに知らせてくれた以上は、まるで一日が一年のようで気が気でありません。馬もいらないし供もひとりもいらない、夜どおしひとりで駆けて家へ帰ります」
燕順と石勇はどうしてもひきとめることができなかった。
宋江は給仕にいって筆と硯を借り、紙を一枚もらって、泣きながら手紙を書き、ねんごろに依頼した。書きおわると、封をせずに燕順にわたし、石勇の八つ乳《ち》の麻の鞋《くつ》をもらってはき、いくらかの銀子をふところに、腰刀を腰にさし、石勇の短棒を持ち、飲みもせず食いもせずに、すぐ出かけようとした。燕順が、
「兄貴、秦総管も花知寨もみなおいでになってから、ちょっと会って出かけられてもおそくはないでしょう」
といったが、宋江は、
「いや、待ってはいられない。わたしの手紙を持って行けば、なんの面倒もないはずです。石さん、あんたからくわしい事情を話してくださるように。どうか兄弟たちによろしくつたえてください、父の喪に駆けつけるこのわたしの気持を察して、わるく思わないでいただきたいと」
宋江はひとまたぎで家につきたいばかりの思いで、飛ぶようにして、ひとりで駆け出して行った。
さて燕順と石勇は、その店ですこしばかり酒を飲み点心を食べて、酒代のはらいをすませると、石勇を宋江の馬に乗せ、供のものを連れて、酒屋から四五里ほど行ったところで大きな宿屋を見つけ、そこに泊まってあとのものを待った。
翌日の辰牌(朝八時)ごろ、全部のものが着いた。燕順と石勇はみなを迎えて、宋江が父の喪に馳せ帰ったことをくわしく話した。一同はうらみがましく、
「なぜ、ひきとめなかったんだ」
と燕順にいった。石勇がいいわけをして、
「お父上が亡くなられたと聞くと、ご自分も死にたいようなようすで、とてもじっとしてなどおられず、待ちきれずに飛ぶようにして家へ帰って行かれましたが、くわしい手紙を書きのこして行かれて、わたしたちに、ただ行くよう、むこうでこの手紙を見せればなんの面倒もないとのことでした」
花栄と秦明はその手紙を読んで、みなにはかった。
「途中まできてしまってからのことだから、どうにもうごきがつかない。帰るにも帰れず、わかれるにもわかれられない。とにかくまあ、行くとして、手紙はやはり封をして、みなで山へ行ったら見せてみよう。むこうで受けつけてくれなかったら、そのときはまた、そのときのことだ」
九人の好漢は一団となり、四五百の人馬をひき連れて梁山泊へと近づき、山へ上る道をさがした。一行が蘆《あし》のなかを通って行くと、とつぜん水の上に銅鑼《どら》と軍鼓の音が鳴りひびいた。見れば、山も野も色とりどりの旗じるしにおおわれ、入江のなかからは二艘の快舟《はやぶね》が漕ぎつけてきた。先頭の舟には四五十名の手下のものが乗りこみ、そのへさきの真中に坐っている頭領は、すなわち豹子頭《ひようしとう》の林冲《りんちゆう》。あとにつづく見張船にもおなじく四五十名の手下のものが乗りくみ、そのへさきに坐っている頭領は、すなわち赤髪鬼《せきはつき》の劉唐《りゆうとう》。先頭の林冲は舟の上から大声でよばわった。
「おまえたちは何ものだ。どこの軍だ。おれたちを捕縛にくるとはしゃらくさい。ひとりあまさず殺しつくして、わが梁山泊の大名を知らせてくれるぞ」
花栄や秦明らはみな馬からおり、岸辺に立って答えた。
「われわれは官軍ではありません。山東の及時雨の宋公明の兄貴よりの手紙をたずさえ、わざわざ大寨へ仲間にいれていただきにきたのです」
林冲はそれを聞くと、
「宋公明の兄貴の手紙があるのなら、この先の朱貴の居酒屋へおいでください。手紙を拝見したうえであらためてお目にかかりましょう」
船上で青旗がうちふられたと見るや、蘆のなかから一艘の小舟が漕ぎ出てきた。三人の漁師が乗っていたが、ひとりが舟の番をし、ふたりは岸にあがってきて、いった。
「将軍さまがた、どうぞこちらへ」
湖上の二艘の見張船は、一艘の舟の上で白旗がうちふられると、銅鑼の音が響いて、二艘ともいっせいに去って行った。一同はそれを見て、
「まったく、これでは官軍などとてもよりつけまい。われわれの山寨とはくらべものにならぬ」
と舌をまいた。一同はふたりの漁師のあとについて、大まわりして旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴の屋酒屋に着いた。朱貴は話を聞き、一同を出迎えて挨拶をし、さっそく牛を二頭殺して山寨おきまりの酒食を出してから、手紙を受けとって目をとおすと、水亭から一本の鏑矢《かぶらや》を対岸の蘆のなかへ射ちこんだ。するとすぐ快舟《はやぶね》が一艘漕ぎ出してきた。朱貴はその舟の手下のものにいいつけ、手紙を持たせて山へ知らせにやる一方、店では豚や羊を殺して九人の好漢をもてなし、配下の人馬をあちこちに宿営させた。
翌日の辰牌(朝八時)ごろ、軍師の呉学究がみずから朱貴の居酒屋へ一同を迎えにきて、ひとりひとりと挨拶をかわし、それがすむと、一同からくわしい事情を聞いた。そうするうちに、早くも二三十艘の大きな空《から》の櫓舟《ろぶね》が迎えにきた。
呉用と朱貴は九人の好漢を案内して船に乗せ、家族・車輛・軍馬・行李などもそれぞれの船に分乗させて、金沙灘《きんさたん》さしてすすんだ。岸にあがると、松林のこみちから、多くの好漢たちが晁《ちよう》頭領につき従い、みなで鼓笛を鳴らしたてながら迎えに出てきた。晁蓋は頭《かしら》として、九人の好漢と挨拶をかわしてから、関門のなかへ迎えいれ、一同はそれぞれ馬や轎《かご》に乗って聚義庁についた。ひとりひとりの挨拶がおわると、左側の床几には晁蓋・呉用・公孫勝・林冲・劉唐・阮小二・阮小五・阮小七・杜遷・宋万・朱貴・白勝。白日鼠《はくじつそ》の白勝はこのときより数ヵ月前、済州の大牢を脱獄し、梁山泊にのぼって仲間いりをしていたのである。これはみな呉用が人をやって策を講じ、白勝をすくい出したのだった。また右側の床几には花栄・秦明・黄信・燕順・王英・鄭天寿・呂方・郭盛・石勇。二列にわかれて坐り、真中の香炉に香を焚いて、ひとりひとり誓いをたてた。その日はにぎやかに楽《がく》を奏し、牛馬を殺して酒宴がもうけられた。一方ではまた、新参の手下たちに聚義庁の前で目通りの礼をおさめさせてから、小頭目たちにもてなしをさせた。また、裏山の建物をとりかたづけて家族のものをそこにおちつかせた。
花栄と秦明が、席上、宋公明の美点をいろいろとほめ、清風山であだをむくいた一戦のことを話すと、頭領たちはそれを聞いて大いによろこんだ。つづいてまた、呂方と郭盛のふたりが戟の手並をくらべてわたりあったことから、花栄が一矢でふさのひもを射ち切ってふたりの画戟を分けたことに話がおよぶと、晁蓋は信じかねて、
「それほど射たれるのなら、後日またお手並を拝見したいものです」
と、あいまいな受けこたえをした。
やがて酒もほどよくまわり、ご馳走もかずかず出たころ、頭領たちが、
「いかがです、ちょっとそのへんをぶらついてきてから、またやりなおすことにしましょう」
といった。頭領たちはたがいにゆずりあって階段をおり、ゆっくり歩をはこびながら、山の眺めをたのしんだ。山寨の第三の関門のところまで行ったとき、空に数行の雁の鳴きわたって行く声が聞こえた。そのとき花栄は心のなかに思うよう、
「晁蓋はさっき、おれがふさのひもを射ち切ったことをほんとうにしない様子だったが、ひとつこの機会に手並のほどをみんなに見せてやって、のちのちまで敬服させてやろう」
見まわすと、ついてきた供のもののなかに、弓矢をたずさえているものがいたので、花栄はそれに弓を借りた。手にとって見ると、金泥で鵲《かささぎ》の画を描いた細い弓で、これは恰好の弓だと思い、さっそくよい矢を一本とって、晁蓋にむかい、
「さっき、わたくしが戟のひもを射ち切った話が出ましたとき、みなさんには信じられない様子でしたが、遠くに雁がわたっていますので、決して自慢をしようというわけではありませんが、この矢で、あの雁の列の先頭から三番目のやつの頭を射ってお目にかけましょう。もしあたらなくても、みなさんがた、お笑いくださいませんように」
と、花栄は矢をひきつがえ、満々と弓をひきしぼり、ねらいをさだめて、空中へひょうと射放った。見れば、
鵲画《しやくが》の弓は満月を彎《ひ》き、〓〓《ちようれい》(鷲の羽)の箭《や》は飛星を迸《ほとばし》らす。手を挽《ひ》くこと既に強く、弦を離るること甚だ疾《はや》し。雁の空に排《なら》ぶは皮の張れる鵠《まと》の如く、人の矢を発するは膠《にかわ》の竿を展《の》ぶるに似たり。影は雲中に落ち、声は草内にあり。天漢の雁行驚いて折断し、英雄の雁序《がんじよ》(注八)喜びて相聯《つらな》る。
そのとき花栄のはなった矢は、ものの見事に雁の列の三番目のに命中し、雁は坂の下へ落ちた。すぐに手下のものに取ってこさせて見ると、矢はちょうど雁の頭をつらぬいていた。晁蓋をはじめ頭領たちはそれを見て、みな、あっとおどろき、感嘆の声をあげ、花栄を神臂将軍《しんぴしようぐん》とほめたたえた。呉学究は、
「あなたは、小李広(李広は漢の人、岩を虎と見あやまって射抜いた)とはご謙遜にすぎます。養由基《ようゆうき》(春秋の人、百歩はなれて柳の葉を射抜いた)もおよばぬ名手です。まことに山寨にとっては大いなるしあわせです」
とほめたたえた。これより梁山泊では、誰ひとり花栄をうやまわぬものはなかった。
頭領たちはふたたび聚義庁にもどり、夕方まで酒盛りをして、それぞれ休んだが、翌日も山寨では酒宴がもうけられ、席次がきめられた。もともと秦明は花栄より年長者だったが、花栄の妹を妻に迎えているということから、一同は花栄を林冲のつぎにすすめて第五の席につかせ、秦明が第六、劉唐が第七、黄信が第八の席につき、阮氏三兄弟のつぎに燕順・王矮虎・呂方・郭盛・鄭天寿・石勇・杜遷・宋万・朱貴・白勝とつづき、以上あわせて二十一人の頭領の席次がきまり、祝賀の宴もおわると、山寨では、大船・家屋・車輛・諸道具を増補し、槍・刀・もろもろの武器・よろい・かぶとを鋳造し、旗さしもの・袍襖(戦衣)・弓・弩《いしゆみ》・矢などを整備して、官軍に抵抗する用意をしたが、このことはそれまでとする。
ところで宋江は、村の居酒屋をあとにしてから夜を日についで駆けもどったが、その日の申牌(午後四時)ごろ、郷里の村の入口の張《ちよう》社長(社長は組頭)の居酒屋について一休みした。この張社長は、宋江の家としたしく往き来していだが、宋江が憂い顔をして、眼には涙さえうかべているのを見て、
「押司さん、一年半もお帰りになりませんでしたね。今日はひさびさのお帰りだというのに、どうなさいました。お顔の色がすぐれませんが、なにか心配ごとでもおありなので。裁判の方のことは恩赦が出ていますので、おとがめもきっと軽くすみましょう」
「それはおっしゃるとおりですが、わたしの裁判は二のつぎとして、親身の父親が亡くなったのに、ふさがずにおられますか」
すると張社長は大笑いして、
「押司さん、ご冗談でしょう。お父上はたったいまここで酒を飲んで帰られたところですよ。半時とはたっていますまい。なんだってまたそんなことをおっしゃるので」
「おじさんこそわたしをからかわないでくださいよ」
宋江はそういって、手紙をとり出して張社長に見せて、
「弟の宋清がはっきりと、父上は今年の正月のはじめに亡くなられたから喪に帰ってくるようひたすら待っている、と書いているのですよ」
張社長は読んでみて、
「へえ、そんなばかな。だって、このおひるごろ東の村の王太公と、わたしのとこでお酒をあがって行かれたばかりなんですよ。わたしがなんでうそなぞいいましょう」
宋江はそれを聞くと、いよいよいぶかしく、どうにも合点がいかない。しばらくあれこれ考えていたが、やがて日が暮れてきたので、張社長に別れて家へ走り帰った。
門をはいって見ると、なんのかわった様子もなかった。下男たちは宋江を見て、みな出てきて挨拶をした。宋江はたずねた。
「父上も、四郎も家にいるか」
「大旦那さまは、毎日あなたさまのお帰りをお待ちかねでございます。お帰りになられたので、さぞかしおよろこびのことでございましょう。ついさっき、東の村の王社長とごいっしょに村の入口の張社長の店で酒を召しあがって帰ってみえ、いまお部屋で休んでおられます」
と下男はいった。宋江はそれを聞いてびっくりし、短棒を放り出して、まっすぐ座敷へ通って行くと、宋清が出てきて、挨拶をした。宋江は弟が喪服をつけていないのを見て、かっとなり、宋清を指さしながらどなりつけた。
「この不孝者め、なんたることだ、父上は現におられるというのに、あんな手紙をよこしておれをなぶったりなどしやがって。おかげでおれは二度も三度も死のうとまで思い、泣いて気をうしなったほどだ。よくもこんな不孝なまねができたものだ」
宋清がいいわけをしようとすると、衝立《ついたて》のむこうから宋太公が出てきて、
「これ、そうおこるな。これは弟のやったことではないのだ。わしは毎日、どうかしておまえに会いたいものだと思案したあげく、四郎にいいつけてわしが死んだと書かせたのだ。そうすればおまえも飛んで帰ってくるだろうと思ったからな。聞くところによると、なんでも白虎山のあたりには山賊がうろうろしているというので、わしは、おまえがついひきずりこまれて賊の仲間にはいって、不忠不孝なやつにならんともかぎらぬと思い、それで大急ぎで手紙を書いてよびもどそうとし、ちょうど柴大官人のところからやってきた石勇というのがいたので、それに手紙をことづけてやったというわけなのだ。これはみんなわしのやったことで、四郎のしたことじゃない。あれをおこらないでやってくれ。わしはついさっき、張社長の店からもどってきたところへ、おまえが帰ってきたことを聞かされたのだよ」
宋江は聞きおわると、父の前に平伏した。憂いとよろこびの相なかばする気持であった。宋江はついで父にたずねた。
「お上の方はこのごろどんな様子ですか。恩赦が出たから罪はきっと軽くなるだろうと、さっき張社長がそんなことをいっておりましたが」
「弟の宋清もまだ帰ってこなかったときのことだが、朱仝《しゆどう》と雷横《らいおう》との尽力のおかげで、以後は諸方に手配書がまわされる(現地おさえだとその家族に累がおよぶから)ということになり、それからはもうわしをしらべにこなくなった。こんどおまえをよびもどしたのも、なんでもこのごろ朝廷では皇太子をお立てになって、恩赦の詔書がくだされ、大罪を犯した民間のもの全部が罪一等を減ぜられるとのことで、実施のお布令がもう各地にきているとか、たとえおまえが見つかって召しとられたとしても、せいぜい流罪にされるぐらいのもので、命にかかわるようなことはないのだから、いいなりになっておいて、そのときにはまたほかに手をうてばよいと思ってだ」
「朱と雷のふたりの都頭は、うちへたずねてきますか」
と宋江がきくと、宋清が、
「このまえわたしの聞いたところでは、ふたりともお役目で出かけているそうです。朱仝さんは東京《とうけい》へ、雷横さんはどこへ出られたか知りません。いま県の役所では、このごろきた人で趙《ちよう》という姓のふたりが代理をつとめております」
宋太公は、
「道中さぞ疲れたことだろう、部屋へ行ってすこし休むがよい」
といった。
一家あげてよろこびあったが、その話ははぶく。やがて見る見る日が暮れて東の空に月がのぼり、およそ一更(八時)のころ、家のものがみな眠ってしまったなかで、とつぜん前後の門に喊声があがった。見れば四方はいちめんの松明《たいまつ》で、それがぐるりと宋家荘をとりかこみ、声々に、
「宋江を逃がすな」
と叫んでいる。
宋太公はそれを聞くと、
「しまった」
と、しきりに音《ね》をあげるばかり。このことから、大江の岸に好漢英雄よりつどい、鬧市《どうし》の叢に忠肝義胆きたりあらわる、という次第となるのである。ところで、屋敷のなかなる宋公明は、いかにして身を逃れるか。それは次回で。
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一 方天の戟 槍のように突き、また朴刀のようにたたき斬る戟《ほこ》。方天画戟は、これに塗り絵をほどこしたものをいう。
二 南方丙丁の火に按じて……金に按じて 五行の火《か》は、方位は南で色は赤、同じく金《きん》は、方位は西で色は白。
三 泰華峯 華山のことで、また西岳ということから、西にかけて用いたもの。
四 呂布 東漢の人。腕力強く、弓馬を善くし、また方天戟の使い手で、飛将と称された。司徒王充とともに董卓を殺して温侯に封ぜられた。呂方を小温侯というのはこのためである。
五 仁貴 薛《せつ》仁貴のこと。唐の人で、太宗のとき遼東に遠征し、白衣を着、戟をふるって勇戦し、敵兵二十万を潰滅せしめたという。また高宗のときには、しばしば高麗・契丹・突厥を破って功をたてた。「賽仁貴」とは「仁貴まさり」の意で、郭盛を薛仁貴にくらべたのは、その白衣と戟とからである。
六 おまえさん 原文は上下。敬語ではあるが官人と呼ぶよりも劣る。
七 泣血 かなしんで血の出るほど泣くという意味で、親の喪に服しているものの称。
八 雁序 飛雁の列の順序あること。転じて兄弟の順あることにたとえる。
第三十六回
梁山泊《りようざんぱく》に 呉用《ごよう》戴宗《たいそう》を挙げ
掲陽嶺《けいようれい》に 宋江《そうこう》李俊《りしゆん》と逢う
さて、そのとき宋《そう》太公が梯子をとって塀の上にのぼって見ると、むらがる松明《たつまつ》のなかにおよそ一百余人の人々が見えた。その先頭のふたりは、〓城《うんじよう》県の新参の都頭で兄弟同士、ひとりは趙能《ちようのう》といい、ひとりは趙得《ちようとく》といった。ふたりは大声でよばわっていうよう、
「宋太公、おまえも分別があるなら、息子の宋江をこれへさし出せ。しからばわれわれもよしなにとりはからってやろう。もしさし出さないときは、としよりのおまえもいっしょに捉えて行くぞ」
宋太公はいった。
「宋江がいつ帰ってきました?」
「でたらめをいうな。やつが張社長の店で酒を飲んで出て行くのを、村の入口で見たものがいるのだ。ここまであとをつけてきたものもあるのだぞ。さあ、もはやいいのがれはできまい」
と趙能がいった。宋江は梯子のそばで、
「父上、なにをいいあいなどしておられます。わたしは自分で役所へ出て行ったってかまわないのです。県の役所にも府の役所にも知りあいがおりますし、それにもう恩赦も出ているのですから、減刑になることはまちがいありません。こんなやつらにとやかくいったって、どうにもなるものではありません。この趙というやつはもともとごろつきで、こんど急に都頭になったやつ、義理などわきまえてはいませんよ。それにわたしとはなんのつきあいもない仲ですから、いうだけむだというものです」
宋太公は声をふりしぼって、
「わしはおまえをひどい目にあわせてしまったのう」
「いいえ、ご心配にはおよびません。見つかってしまったのがかえってよかったくらいのものです。もしあのまま世間をわたりあるき、殺人放火の仲間に出くわして網にかかってしまったなら、ついに父上にはお目にかかれないところでした。いま見つかって、たとえ他国へ流罪になったとしても、それには期限のあること、やがては帰ってきて、生涯おそばにお仕えすることができましょう」
「おまえがそういうのなら、わしは役人たちに金をつかって、らくなところへ行けるようにはからおう」
宋江はそこで梯子の上にのぼって叫んだ。
「おまえさんたち、まあ、そうさわぎなさるな。わたしの罪は、恩赦も出ていることとて、死罪というわけでもなし、まあ、おふたりの都頭さん、うちへはいって一杯やってください。あす、ごいっしょに役所へ出頭しますから」
「うまいことをいうな。われわれをだましてひっぱりこもうというのだろう」
と趙能がいった。
「親兄弟をまきぞえにするようなことはしません。さあ、安心してはいってください」
と、宋江は梯子をおりて表門をあけ、ふたりの都頭を座敷に請じ入れて、夜中《やちゆう》、鶏を殺し、あひるを割き、酒を出してもてなし、また一百人の土兵たちにもみな酒食をもてなしたうえ、心づけの金品をおくった。さらに、二十両の花銀(刻印のはいった通用銀)をとり出し、ふたりの都頭におくって、心づけ(注一)とした。まことに、
都頭銭を見るや便《すなわ》ち好し
銭無ければ悪眼もて相看《み》る
此れに因って銭を好看と名づく
銭有らば法も無く官も無し
その夜、ふたりの都頭は宋江の屋敷に泊まり、翌朝の五更(四時)、宋江とともに県役所の前まで行って、夜のあけるのを待った。役所のなかへ送りこんだときは、ちょうど知県が登庁したところであった。都頭の趙能と趙得が宋江をひきたててきたのを見ると、知県の時文彬《じぶんひん》は大いによろこび、宋江に供述書を書かせた。宋江はすらすらとしたためた。
わたくしこと不届にも、昨年秋、閻婆惜《えんばしやく》を身うけして妾とせしところ、素行おさまらざるため、一時酒の勢いにて口論殴打し、誤って殺害におよび、以来罪を避けて逃亡中なりしも、今般逮捕送庁せられ、取調べを受くることとなりたるについては、ただ甘んじて罪に服せんとするものなり。
知県はそれに目を通すと、ひとまず牢に監禁しておくように命じた。町じゅうの人々は宋江が逮捕されたと聞いて同情をよせないものはなく、みな知県のところへ出かけて行って、釈放されるよう嘆願し、日ごろの宋江のよいところをあれこれと述べたてた。知県もだいたい宋江を寛大に見てやろうと思っていたので、あっさりと供述をみとめ、首枷《くびかせ》も手枷もゆるして牢に軟禁した。宋太公も金品をつかって役人たちにたのみこんだ。このときは、閻《えん》婆さんはすでに半年も前に死んでいて、訴人にたつものもなく、張三(閻婆惜の情夫)も、おんなが死んでしまった以上、わざわざ憎まれ役を買って出るようなことはしなかった。役所では関係書類をととのえて、六十日の取調べ期限があけるのを待って、済州へ送って判決をうけさせた。
済州の府尹は送られてきた罪状書を見ると、大赦前の事件で恩赦に該当し、すでに減刑になっていることなので、棒打ち二十のうえ江《こう》州の牢城送りと判決した。役人のなかには宋江と知りあいのものもいたし、そのうえ金品もおくってあったので、名目は棒打ち流罪といっても、横槍をいれる告訴人があるわけでもないので、みな手かげんをしてひどい目にはあわさなかった。かくてその場で道中用の枷をはめ、一通の送り状をつくり、ふたりの護送役人に送らせることになった。役人はおきまりどおり張千《ちようせん》・李万《りまん》(張も李もありふれた姓)のたぐい。
そのときふたりの役人は、公文書を受けとり、宋江を護送して州役所の前まで行った。すると宋江の父宋太公と弟の宋清とがそこに待っていて、酒を出してふたりの役人をもてなし、心づけをおくり、宋江には着物を着かえさせ、包みをこしらえ、麻の鞋《くつ》をはかせた。そうして宋太公は、宋江を物蔭によんでねんごろにいいさとした。
「江州はよいところで、魚も米もゆたかな土地だというので特別に金をつかってそこへ行けるようにしたのだ。まあ、気を大きく持って、しんぼうしてくれ。そのうち四郎を見舞いにもやるし、入り用の金を幸便のあるつどとどけてあげよう。これから旅にのぼるについては、梁山泊がちょうどその道筋にあるわけだが、たとえ山の連中がおりてきて、おまえを山へ連れこんで仲間にいれようとしても、決してそのさそいに乗って、人さまに不忠不孝とののしられるようなまねをしてはならんぞ。このことだけはよくおぼえておくようにな。それじゃ、道中気をつけて行くがよい。天のおめぐみで、できるだけはやく帰ってきて親子兄弟いっしょにたのしく暮らしたいものじゃ」
宋江は涙ながらに父親に別れの挨拶を告げた。弟の宋清は一宿場だけ送って行ったが、宋江は別れるとき、弟にたのんでいうには、
「これでお別れだが、わしのことはなにも心配しなくてよい。ただ、父上は年をとっておられるし、わしはお上の厄介になって、故郷にそむいて行く身だから、どうかおまえは家で朝晩お側につかえてよく面倒をみてあげてくれ。わしのために江州まで出かけて、父上を世話する人もなくほっぽり出すようなことはしないように。わしは世間に知りあいも多いから、そこへたよって行けば誰でもなんとかしてくれるし、金などどうにでもなる。天のお慈悲のあるかぎりは、いつかは帰ってくるよ」
宋清は涙を流して別れを告げ、家に帰って父の宋太公につかえたのであるが、その話はこれだけとする。
さて、宋江は、ふたりの役人と旅路についたが、かの張千と李万は、宋江から心づけをもらっているうえに、相手が好漢だというので、道中なにくれとよく宋江の世話をした。こうして三人は一日じゅう旅をつづけ、夕暮れに宿をとって休み、火をおこし、飯をたいて食べた。また酒や肉を買って宋江はふたりの役人にご馳走をしたが、そのとき宋江は彼らにむかっていった。
「正直な話、これから先の道はちょうど梁山泊のそばを通るのですが、山寨の好漢たちがわたしのことを耳にし、山をおりてわたしを奪いにきて、おふたりをおどろかすような羽目にならぬとはいえません。それで、あすは早目に起きて、間道をえらんで行くことにしましょう、まわり道をすることになりますが、しかたがないでしょう」
「あなたがいってくださらなければ、われわれには気がつかないところでした。間道はわれわれは心得ておりますから、それを行けば彼らに出くわさずにすみましょう」
とふたりの役人はいい、その夜、話をとりきめて、翌日は五更に起きて飯ごしらえをし、役人ふたりと宋江は、宿をあとにして間道づたいにすすんだ。およそ三十里ばかり行ったとき、とつぜん、まむかいの坂路のかげから、ばらばらと一群の人々がとび出してきた。宋江はそれを見る
と、
「しまった!」
と叫んだ。やってきたのはほかでもない。頭《かしら》たる好漢は赤髪鬼の劉唐、四五十人をしたがえて、ふたりの役人におそいかかってくる。張千と李万はわっと叫んでひとかたまりに地面にうずくまってしまった。宋江は大声でいった。
「兄弟、誰を殺そうというのだ」
すると劉唐は、
「兄貴、こいつらふたりを殺さないでどうするというのだ」
「あんたの手を汚すにはおよばん。刀をくれ。わしが殺してしまおう」
ふたりの役人は、
「もうおしまいだ」
と悲鳴をあげる。劉唐は刀を宋江にわたした。詩にいう。
罪有り官に当たって肯《あえ》て逃れず
人の救解するに逢うて愈《いよいよ》堅牢なり
心を存すること厚き処機巧を生じ
公人を殺さず郤《かえ》って刀を借る
宋江は刀を受けとると劉唐にたずねた。
「どうして役人を殺そうとなさる」
「山の兄貴の命令で聞きこみのものを出したら、兄貴がつかまったというので、すぐ〓城県へ乗りこんで牢を破ろうと思ったのだが、兄貴は牢にもいれられず、ひどい目にあってもいないとわかった。そのうちに、こんど江州送りになると聞きこんだので、途中で道をとりちがえぬよう、大小の頭領たちに四方の道で待ちうけさせ、兄貴を迎えとって山へお連れしようということになったのだ。このふたりの役人を殺さないでどうする」
「そういうことは、みなさんがこの宋江をすくってくれることにはならないのだ。かえってわたしを不忠不孝の地におとしいれることになる。そうやってわたしを山へさらって行くなら、それはこの宋江を殺すようなもの。いっそ自分で死んでしまった方がましだ」
と、宋江は刀をのどに突きつけてみずから首を刎《は》ねようとした。劉唐はあわててその腕をとりおさえ、
「兄貴、ともかくまあゆっくり相談しようじゃありませんか」
と、刀を手からもぎとった。宋江は、
「みなさんが、わたしのためを思ってくれるなら、このまま江州の牢城へ行かせてほしい。期限があけて帰ってきたら、そのときはきっとみなに会おう」
「兄貴、そのことはわたしの一存ではきめられない。むこうの街道に軍師の呉学究が花知寨といっしょに兄貴を待ちうけているから、子分をよびにやって相談することにしよう」
「相談するのは勝手だが、わたしの考えはかわらないよ」
手下のものが知らせに行くと、まもなく、呉用と花栄が馬をならべて先頭にたち、うしろに数十騎を従えて、駆けつけてきた。馬をおりて挨拶をするなり、花栄は、
「兄貴の首枷をとってあげないか」
「いや、なにをいわれる。これは国のおきてだ、勝手なまねはできぬ」
宋江がそういうと、呉学究は笑いながら、
「あなたの気持はよくわかりました。なにもたいしたことではないでしょう、あなたを山寨にひきとめさえしなければそれでよいのだ。晁頭領は長らく兄貴にお会いしないので、このたびはぜひ兄貴とうちとけた話をしたいとのこと、それでほんのしばらくで結構ですからちょっと山寨へきてください、すぐにお見送りしますから」
「さすがは先生です。よくこの宋江の気持がわかってくださった」
宋江はそういって、ふたりの役人をたすけおこし、
「このふたりを安心させてやりましょう。たとえわたしが死んでも、この人たちを殺すわけにはいかぬ」
「押司さんのおかげで命びろいをいたしました」
とふたりの役人はいった。
一行は街道からはなれて蘆の岸辺に出た。そこにはすでに船が待っていた。すぐに山前の道へわたり、そこからは山轎でずっと断金亭《だんきんてい》(応接所)まで行って一休みした。手下のものがあちこちへ飛んで頭領たちに知らせた。頭領たちはみな集まってきて、宋江を迎えて山をのぼり、聚義庁にはいって挨拶をかわした。晁蓋は礼をいった。
「〓城で命を救っていただいてから、わたしたち一同ここへきましたが、一日もご恩を忘れたことはありません。先日はまた、豪傑のみなさんを山へおすすめくださって、おかげで山寨はますます威光を加えることができ、お礼の言葉もありません」
「わたしはお別れしてから、淫婦を殺し、一年半ばかり世間を逃げあるいたあげく、山へあなたをおたずねしようと思っていましたところ、偶然、村の居酒屋で石勇に会い、父が亡くなったという家からの手紙をとどけられたのです。ところが、じつはそれは、わたしが好漢たちの仲間いりをしてはと心配した父が、にせの手紙を書いて家へよびもどしたのでした。そしてお上につかまりはしましたが、いろいろな人たちの尽力でひどい目にもあわされず、このたび江州送りになりましたがそれも楽なところです。お招きをいただいてやってまいりましたが、こうしてお目にかかりましたうえは、なにぶんにも定めの刻限があってゆっくりするわけにもいきませんので、これにておいとまさせていただきます」
「そんなにお急ぎにならなくてもよろしいでしょう。まあ、いましばらくおくつろぎください」
ふたりは真中の席についた。宋江は役人ふたりを自分のすぐうしろにかけさせて、かれらと離れないようにした。
晁蓋は頭領たち一同を宋江に目通りさせてから、左右二列に居並ばせ、また小頭目たちには酒をつがせた。晁蓋がまず杯をとり、ついで軍師の呉学究へ、公孫勝へ、以下末席の白勝にいたるまで杯をまわした。こうして杯が数巡したとき、宋江は立ちあがって礼をいい、
「みなさんのご好意はよくわかりましたが、わたしは罪人の身で、これ以上お邪魔できませんので、これで失礼させていただきます」
「それはまたおかしなことを。ふたりの役人をかたづけてしまうのがいやだとおっしゃるのなら、たっぷり金銀をやって彼らを帰してしまい、われわれ梁山泊のものにあなたをひきさらわれたといわせたら、彼らが罪になることもありますまい」
晁蓋がそういうと、宋江は、
「そんなことはいわないでいただきたい。そういうことはこの宋江を救ってくださることにはならず、明らかにわたしを苦しめることになるのです。家には年をとった父がいますが、わたしはなにも孝養をつくすことができずにいるのに、その父のいましめにそむいてわざわいをおよぼすようなことがどうしてできましょう。このまえは、ふと思いたってみなさんの仲間入りをしようとしたのですが、天のおぼしめしで、石勇と村の居酒屋で出くわし、家へ帰るようにみちびかれたのです。父はわけを話してわたしにはっきりと裁きをうけさせ、さっそく流罪ということになったのですが、そのときもまたねんごろにわたしをさとし、いよいよ出かけるときにも、おまえひとりの身勝手のために家のものが難儀するということのないように、この年寄りをびっくりさせたりおろおろさせたりしないようにと、くりかえしいわれてきたのです。こんなにはっきりと父にいましめられながら、どうして従わないわけにいきましょう。従わなければそれこそ、上は天の道にそむき、下は父の教えにたがい、不忠不孝の人間となりはてて、たとえこの世に生きていたところでなんの生きがいもありません。もしどうしても山からおろしてやらぬといわれるのなら、いっそのことみなさんの手で殺してもらいましょう」
いいおわると、雨のように涙を流してそこにひざまずいた。晁蓋・呉用・公孫勝はいっせいに宋江をたすけおこして、
「どうしても江州へ行かれるというのなら、まあ今日一日だけゆっくりして行ってください。明日の朝はお見送りしますから」
と何度も宋江をひきとめたあげく、山寨ではその日一日じゅう酒盛りをしたが、首枷をはずさせようとしても宋江はどうしても聞かず、ふたりの役人から始終はなれずにいた。
その夜は一泊し、翌日は朝早く起きて、どうあっても立つという。すると呉学究が、
「まあ、お聞きください。わたしのごく親しいもので、いま江州で牢役人をしている男がおります。姓は戴《たい》、名は宗《そう》といって、土地のものからは戴院長(院長は牢役人、つまり両院押牢節級の尊称)とよばれておりますが、この男、一日に八百里の道を歩く術を心得ていますので、人々から神行太保《しんこうたいほう》(太保は呪術をつかう行者の称)というあだ名をちょうだいしており、また、いたって欲のない、義にあつい男です。昨夜わたしは、あなたにことづけようと思って手紙を書いておきましたから、むこうへいらっしゃったら、彼とお近づきになっておかれるがよいでしょう。また、なにかご用がありましたら、なんなりとわたしどもにご連絡くださいますよう」
頭領たち一同はもはやひきとめることができず、送別の宴を設け、盆いっぱいの金銀を出して宋江におくり、またふたりの役人にも二十両の銀子をあたえた。そして、宋江の荷物をかついでやって、一同は山の下まで見送り、ひとりひとり別れの挨拶をかわした。呉学究と花栄はそこからさらに渡しをわたって、街道を二十里さきまで見送った。頭領たち一同は山へひきあげていった。
さて宋江は、ふたりの護送役人とともに江州さしてすすんだが、ふたりの役人は、山寨のおびただしい人馬の数を見、頭領たちがひとりひとり宋江に平伏するのを見、さらにはまた金ももらったので、道中ずっと気をくばって宋江の世話をした。こうして三人は旅をつづけること半月あまり、やがて、前方に高い山の見える、とあるところに着いた。ふたりの役人は、
「しめた。あの掲陽嶺《けいようれい》をこえると潯陽江《じんようこう》です。あとは江州まで船で、そう遠くはありません」
といった。宋江は、
「陽気も暖かいし、すずしいうちに山を越えて、それから宿をとることにしましょう」
「そういたしましょう」
と三人は山を越えるべく足をはやめた。やがて峠を越えると、麓に一軒の酒屋が見えた。うしろには断崖がそびえ、前には異様な木が茂り、屋根はみな草葺きである。その木のこかげに酒旗がかかげ出してあった。宋江はそれを見ると、心中うれしさがこみあげてきて、
「ちょうど腹がぐうぐういっているところだ。こんな山のなかに酒屋があろうとは。さあ、一杯ひっかけていくとしましょう」
と、役人にいった。三人は酒屋にはいって行った。ふたりの役人は荷物をおろし、水火棍《すいかこん》を壁によせかける。宋江はふたりを上座にすすめ、自分は下座に席をとった。しばらく待っていたが誰も出てこない。宋江が、
「おい、どうした、亭主はおらんのか」
とよぶと、奥から、
「はい、ただいま」
と返事があって、ひとりの大男が出てきた。その男のありさまいかにといえば、
赤色の〓鬚《きゆうしゆ》(〓《みずち》のようなひげ)乱撒《らんさつ》し
紅絲の(血ばしった)虎眼〓円《せいえん》なり
掲嶺《けいれい》に人を殺すの魔崇《ましゆう》か
〓都《ほうと》(冥府)の催命《さいめい》の判官《はんがん》か
出てきたその男は、頭にはやぶれ頭巾をかぶり、身には木綿の背心《はいしん》(袖なし)をつけ、両の腕はむき出しに、腰には木綿の布きれをまきつけ、宋江ら三人にむかってお辞儀をしていった。
「お酒はいかほどお持ちしましょう」
「歩いて腹をすかしているのだが、肉はないか」
と宋江がいうと、
「牛肉の煮たのと、渾白酒《どぶろく》だけしかございませんが」
「いいとも。まず、牛肉の煮たのを二斤と酒を一角もらおう」
「はなはだ申しかねますが、この峠の店では前金《まえきん》でちょうだいしてから飲んでいただくことにしておりますので」
「先にはらって飲む方が、こっちだって気がらくだ。さあ、金をはらおう」
と宋江は包みをあけて粒銀をとり出した。男はそばにつっ立って盗み見をし、ずっしりと重たげなその包みを見てこれはうまい儲けものだと内心ほくそ笑んだ。そして宋江から金を受けとると、奥へはいって行って酒を一桶くみ牛肉を一皿切ってきて、大碗三つと箸を三ぜん並べ、酒をついだ。三人は酒を飲みながら話しあった。
「このごろ世間にはわるいやつがいて、多くの好漢たちがその手にひっかかってしまうとのこと。酒や肉のなかにしびれ薬をいれて、もりつぶしてしまい、持ちものをふんだくって、肉は饅頭の餡にしてしまうというのだが、どうも信じられん話だ。そんなことがあるはずはなかろう」
すると店の男は笑いながら口をはさんだ。
「お三人さん、いいましたな。それを食っちゃいけませんぜ。わたしんとこの酒や肉にもちゃんとしびれ薬がもりこんでありますからな」
「われわれがしびれ薬の話をしているのを聞いて、この兄さんは冗談をいいよる」
と宋江は笑った。ふたりの役人が、
「兄さん、あついのを一杯もらおう」
というと、
「あついのがよければ燗をしてきましょう」
と男は燗をつけてきて三つの碗についだ。歩いて腹もへり、のどもかわいていたので、酒や肉を見れば手をつけずにはおられない。三人はそれぞれ一杯ずつひっかけたが、と、たちまちふたりの役人は、目をむき口のへりからよだれをたらし、たがいにとりすがりあいながらあおむけにひっくりかえってしまった。宋江はぱっと立ちあがって、
「おふたりさん、たった一杯でそんなに酔ってしまうなんて、どうなさった」
と、傍へ行ってひき起こそうとしたが、思わず自分も頭がくらみ目がかすんできて、ばったりとたおれてしまった。眼をきょろつかせながら三人は顔を見あわせるばかり。しびれてしまって身動きもできない。店のその男は、
「ありがたや、ありがたや。ここのところずっと時化《し け》つづきだったが、今日は三匹もさずかりものがあったわい」
と、まず宋江をさかさにひきずって崖のふちの人肉料理場へいれ、人殺し台の上にのせてから、ふたりの役人をそこへひきずって行った。それから男はまた出てきて、包みや荷物をすっかり奥の部屋へはこびこんだ。あけてみれば金銀ばかり。男は、
「酒屋かせぎも長いことになるが、こんな囚人にあったのは初めてだ。罪人の分際でどうしてこんな大金を持っているのか、まったくこれこそ、天のさずかりものというものだ」
と、包みをしらべてからまた包みなおし、店の若いものが帰ってきたらさっそく料理にとりかかろうと、門口へ出て行った。
しばらく門口に立って眺めていたが、誰も帰ってこない。とそのとき麓から峠をさしてのぼってくる三人連れが見えた。男はそれを見ると急いで出迎えて、
「兄貴、どこへお出かけですか」
三人のうちのひとりの大男が答えて、
「ある人を迎えに、峠へのぼってみるとこだ。もう見えそうなころあいだと思って、毎日やってきて麓で待ちわびているのだが、いっこうに姿が見えん。いったいどこでどう手間どっておいでなのか」
「誰を待っていらっしゃるんで」
「どえらい好男子を待っているんだ」
「どういうどえらい好男子なので」
「お名前はおまえも聞いているだろう、済州は〓城県の宋押司の宋江という方だ」
「するとあの世間に名高い、山東の及時雨の宋公明さんで」
「そうだ、その人だよ」
男はかさねてたずねた。
「どういうわけで、その方がここを通りなさるので」
「それはわしも知らなかったのだが、このほど済州からやってきた知りあいのいうには、〓城県の宋押司の宋江さんが、どういうことでだか知らないが、済州府に召し捕られて江州の牢城送りにきまったとのこと。そうだとすれば、わしはきっとここを通りなさると思うのだ。ほかに道はないからな。あの方が〓城におられたときでも、わしはなんとか出かけて行ってお会いしたいものだと思ったくらいだ。こんどここを通りなさるとあればお近づきをねがうなによりの機会。そこで毎日この麓でお待ちし、もうこれで四五日になるのだが、流罪の囚人などただのひとりも通らない。それできょうはこのふたりの兄弟とぶらぶら峠へあがって見て、おまえのとこで一杯ひっかけ、ついでにおまえを見舞ってやろうと思って出かけてきたのさ。このごろの店の景気はどうだね」
「それがですよ兄貴、じつは、ここ何ヵ月というものさっぱりだめだったのに、今日はまたどういう風の吹きまわしか、三匹も獲物が手にはいったんです、しかもそいつがちょっとものをもっていましてね」
すると大男はあわててたずねた。
「その三人というのはどういう人間だ」
「役人がふたりと、罪人がひとりで」
大男はぎくっとして、
「その囚人というのは、色が黒くて背のひくい、肥った人とちがうか」
「そうですな、たしかに背はあまり高くはなく、顔の色の赤黒い男です」
大男は泡をくってたずねた。
「まだ手をくだしはすまいな」
「つい今しがた料理場へひきずりこんでおいたところで。若いものらが帰ってこないのでまだ料理はしておりませんが」
「ちょっとおれに見せてくれ」
四人はこうして崖ぶちの人肉料理場へはいって行った。見れば人殺し台の上には宋江が寝かされており、ふたりの役人は地べたにころがされていた。かの大男は宋江の顔をのぞきこんで見たものの、もともと面識があるわけではなく、顔の金印《いれずみ》(流罪地の名がほってある)をしらべて見てもはっきりせず、さっぱり見当のつけようがなかったが、ふと思いついて、
「そうだ、役人の包みをとってきてくれ。公文書を読んで見ればわかる」
「そうですな」
と店の男はいい、部屋へ行って役人の包みをもってき、ひらいて見ると、一枚の大きな錠銀と、ほかに小粒の銀がすこしばかりあった。公文書の袋をあけて送り状を読んだとき、一同は、
「ありがたや」
と声をあげた。かの大男は、
「きょうわしが峠に出かけてきたというのは、まったくもって天のおみちびきだった。まだ手をくだしていなくてよかったが、すんでのことで兄貴を殺してしまうところだったわい」
まさに、
冤讎《えんしゆう》の還報は回避し難く
機会の遭逢は遠く図《はか》る莫《なか》れ
鉄鞋《てつあい》を踏破するも覓《たず》ぬる処無きに
得来るときは全く工夫《くふう》(労)を費やさず
大男はすぐ店の男にいった。
「はやく醒まし薬を持ってこい。ともかく兄貴を助けるんだ」
店の男もあわてて、いそいで醒まし薬を調合して大男とともに料理場へひきかえすと、まず首枷をはずしてかかえおこし、醒まし薬を口のなかへそそぎこんだ。四人はそれから宋江を表の客間にかつぎこんだ。大男が宋江のからだを支えていると、宋江はしだいに意識をとりもどしてきて、眼をきょろつかせつつ、そこに立っている一同を眺めまわしたが、見知らぬものばかりである。そのとき大男は、ふたりの弟分のものに宋江のからだを支えさせておいて、自分はそこにひざまずいて礼をした。宋江はたずねた。
「どなたでしょうか。夢かな、これは」
するとまた、店の男も礼をした。宋江は礼をかえしながら、
「おふたりさん、どうぞお立ちになってください。ここはいったいどこでしょうか。またおふたりのお名前はなんとおっしゃいましょうか」
大男がそれに答えていった。
「わたくしは、姓は李《り》、名は俊《しゆん》と申しまして、生まれは廬《ろ》州のものでございます。もっぱら揚子江で船をあやつって、船頭を稼業にいたしておりますが、水泳《およ》ぎがうまいところから人さまから混江竜《こんこうりゆう》(揚子江をひっかきまわす竜)の李俊《りしゆん》とよばれております。こちらの、酒屋の亭主は、この掲陽嶺のもので、人殺し稼業をしておりますので、人さまから催命判官《さいめいはんがん》の李立《りりつ》というあだ名をちょうだいしております。また、こちらのふたりの弟分は、この潯陽江のほとりのもので、塩の闇あきないをやっておりまして、当所へ商売にきてはいつもわたくしの家に身をよせているものでして、泳ぎも達者ですし舟も漕ぎます。ふたりはじつの兄弟で、ひとりは出洞蛟《しゆつどうこう》(洞から出てきた蛟《みずち》)の童威《どうい》といい、もうひとりは翻江蜃《ほんこうしん》(江をかきみだす蜃《みずち》。蜃は蜃気楼《しんきろう》をつくるみずちの一種)の童猛《どうもう》と申します」
このふたりも宋江に四拝の礼をささげた。宋江が、
「さっきはこのわたしをしびれさせておきながら、どうしてまたわたしだということがわかりました」
とたずねると、李俊は、
「わたくしの知りあいのもので、このほど商売に出かけて行って済州から帰ってまいりました男があなたさまのおうわさを聞かせてくれまして、なにかの事件で江州の牢城へ流されなさるとのこと。わたくしはかねがねおん地まで出むいて行ってお近づきを得たいと心にかけておりましたが、ご縁がうすく、お訪ねすることもできずにおりましたところ、このたび江州に見えるとのことなので、それならばまちがいなくここを通られるはずだと思いまして、ここ六七日のあいだずっとこの麓でお待ちしていたのですが、お会いできませんでした。きょうは天のおみちびきか、なんの気なしにふと思いたってこのふたりの兄弟といっしょに峠にのぼり、酒を一杯ひっかけるつもりでふらりと李立のところへ立ちよって見ますと、話を聞かされて、びっくりし、急いで料理場へ行って見ましたところが、お顔を存じあげておりません、そのときふと公文書のことを思いつき、それをとり出して見てはじめてあなただということがわかったわけなのです。ところで、あなたは〓城県で押司をつとめておいでだとうかがっていましたが、どういうわけでまた江州へなど流されなさいますので」
宋江は、閻婆惜を殺した一件にはじまって、石勇と村の酒屋でめぐりあい、ことづけられてきた手紙を読んで家に帰り、そこで召し捕られてこのたび江州送りとなったまでのいきさつを逐一話した。四人のものはしきりに嘆息した。李立は、
「いかがでしょうか、いっそここへ腰をおちつけなさっては。江州の牢城へ行ってつらい目にあうことはおやめになっては」
といった。すると宋江は、
「梁山泊でもしきりにひきとめられたのですが、わたしはそれもふりきってきたのです。郷里の年とった父にまでわざわいのおよぶのが心配だからです。ここに腰をすえるなんて、どうしてそんなことができましょう」
李俊は、
「兄貴は義士だから、そんなでたらめなことをなさるはずはない。さあ、早くあのふたりの役人を醒ましてやってくれ」
といった。李立は急いで若いものにいいつけた。そのときはみなもう帰ってきていたので、さっそく役人を表の客間にかつぎこみ、醒まし薬を飲ませた。助けられたふたりの役人は、たがいに顔を見あわせながら、
「おれたちは、旅でよっぽどくたびれていたんだな。えらく簡単に酔ってしまって」
一同はどっと笑った。
その夜、李立は酒を出して一同をもてなし、家に一泊させた。そして翌日も酒食をととのえて歓待したうえ、包みを出してきて宋江とふたりの役人にかえした。こうして別れの挨拶をかわしたのち、宋江は李俊・童威・童猛およびふたりの役人とともに峠をくだり、李俊の家へ行って休んだ。李俊は酒食を出して鄭重にもてなし、盟《ちかい》を結んで宋江を兄と仰ぎ、そのまま幾日か家にひきとめた。宋江がいよいよ出発しようとすると、李俊もひきとめることはできず、なにがしかの銀子をとり出してふたりの役人におくった。宋江はふたたび首枷をつけ、包みや荷物をとりまとめ、李俊・童威・童猛に別れを告げて、掲陽嶺をあとに、一路江州へとむかった。
三人はしばらく歩き、やがて未牌(昼すぎ)ごろになって、とあるところに着いた。見れば人家が密集してにぎやかな町である。町にはいって見ると、人だかりがして、なにかをとりまいて見物している。宋江がわりこんで行ってのぞいて見ると、槍棒をつかって人寄せをする膏薬売りだった。宋江とふたりの役人はそこにたたずんでしばらくその男のつかう槍棒を見物していたが、やがて武芸者は槍と棒をおいて、こんどは拳をつかって見せた。
「うまい、たいしたものだ」
と宋江は感心した。
男は、こんどは一枚の皿を手にして口上をのべはじめた。
「わたくしは身すぎ世すぎのために特にご当地に参上いたしましたる遠国のもの。みなさまがたをあっとおどろかせるほどの手並とてござりませぬが、なにとぞごひいきにあずかりまして、遠くにはご評判、近くにはご吹聴をいただき、打ち身の膏薬ご入用のむきは、さっそくお買いあげくだされまするよう。もし膏薬をご入用でないときは、銀子なり銅銭なり、いくらかおめぐみくだされまして、この皿が空《から》でまわりませぬようおねがいいたします」
武芸者は皿をひとめぐりまわしたが、誰も金を出してやるものはなかった。すると男は、
「みなさま、どうかおなさけをかけられまするよう」
と、もう一度皿をひとめぐりまわしたが、人々はみな知らぬ顔をして、こんども金を出してやるものはひとりもいなかった。宋江は、彼が頭をさげて二度までも皿をまわしたのに誰も金を出してやらぬのを見て、役人にいって、五両の銀子をとり出させ、
「武芸者どの、わたしは罪人の身としてなにもさしあげるものがないが、ほんのわずかな志のしるしのこの五両、あしからずお収めくださるよう」
男はその五両の白銀を受けとると、手にささげもって収めの口上をのべた。
「音に聞こえたこの掲陽鎮《けいようちん》に、わたしをひいきにしてやろうという、もののわかった好漢が、たったひとりも見えぬとは。かたじけなくもこの方は、その身は現に捕われの身、しかもこの地を通られただけというのに、なんと五両の白銀をおめぐみくだされた。これこそ、
むかしおかしや鄭元和《ていげんか》
お茶屋でせっせと金はたく
金はあってもけちはけち
身なりはよくともきたない心(注二)
この五両の銀子は、ほかのお方の五十両にもまさります。ここにひれ伏してお礼を申しあげ、おん名をうけたまわって、天下にふれまわらせていただきたく存じます」
「いや武芸者どの、それしきのものを、なんのお礼におよびましょう」
と宋江は答えたが、ちょうどそのとき、人垣をおしわけてひとりの大男がとび出してきて、大声でどなりつけた。
「やいこら、きさまはいったい、どこのくそやろうだ。どこからやってきた懲役やろうだ。よくもおいらのこの掲陽鎮に、泥をぬりやがったな」
と、両の拳《こぶし》をにぎりかためて宋江にうちかかってきた。この争いがおこったばかりに、潯陽江上に、海をかきみだす蒼竜のごとき幾人かの好漢が集まり、梁山泊中に、山をよじのぼる猛虎のごとき一群の英雄が加わることと相なるのであるが、さてその男は何ゆえに宋江にうちかかって行ったのであろうか。それは次回で。
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一 心づけ 原文は好看銭。すなわち銭のこと。すぐあとの詩に「此れに因って銭を好看と名づく」とある。
二 むかしおかしや鄭元和…… 原文は、読みくだせば、
当年郤って笑う鄭元和
只青楼に向《おい》て笑歌を買う
慣使は論ぜず家の豪富を
風流は在《あ》らず着衣の多きに
鄭元和の故事は、唐代小説『李娃伝《りあでん》』に発して、のちさまざまな形でひろく一般に流布した物語である。鄭元和は刺史《しし》(地方官)のひとり息子として育ち、学才あって大いにその将来を嘱望され、多額の金を持って都の長安《ちようあん》に遊学する。そこで名妓李娃《りあ》と知りあい、遊学資金をことごとくいれあげて相愛の仲となるが、やりて婆は無一文になった鄭元和をきらって李娃をかくしてしまい、鄭元和は路頭にまよう身となる。のち、都に出てきた父にふとしたことで見つけられて、きびしく打たれたあげく、父からも見すてられて乞食の境涯におちる。ある大雪の日、飢えと寒さに迫られながら物乞いをしていた鄭元和は、思いがけなく李娃と再会する。李娃は憐んで着ていた着物をぬいで着せかけ、家にひきいれる。金を目当てのやりて婆は鄭元和を追い出そうとするが、李娃はどうしてもはなさず、ついに夫婦となって鄭元和に金をみつぎ、官吏登用試験を受けさせる。やがて鄭元和は抜群の成績で合格し、しだいに栄達をとげ、李娃は研国《けんこく》夫人に封ぜられてその徳をたたえられたという物語。
第三十七回
没遮〓《ぼつしやらん》 及時雨《きゆうじう》を追〓《ついかん》し
船火児《せんかじ》 夜潯陽江《じんようこう》を鬧《さわ》がす
さて、そのとき宋江がうっかり五両の銀子をかの武芸者にやると、掲陽鎮《けいようちん》の人だかりのなかから大男がぬっとあらわれ、眼をむいてどなりつけた。
「あいつめ、どこであの糞武芸をおぼえてきやがったのか、おいらのこの掲陽鎮までのさばり出てきて大きな面をしてやがるので、おれはみなのものに、やつをかまいつけるなといいつけておいたのだ。それなのにきさまはなんだって、金持風を吹かし、やつに金などくれてやったりして、おいらのこの掲陽鎮に泥をぬりやがったんだ」
「わしは自分の金をあげたのだ、おまえさんにはかかわりのないことだ」
宋江がそういいかえすと、男は宋江をひっつかまえて、どなった。
「この懲役やろうめ、おれに口答えするか」
「してはいけないというのか」
と宋江。すると大男は両の拳をふりあげてまっこうからなぐりかかってきた。宋江が身をかわすと、大男はさらに踏みこんでくる。しからばと宋江が相手になろうとすると、そのときかの槍棒つかいの武芸者が人々のうしろからとび出してくるなり、片手で大男の頭巾をつかみ、片手を腰のあたりに構えて大男の脇腹めがけてがっとひと突き。大男はよろよろっとよろけて地べたにころがった。大男がなおも起きあがろうとしてもがくところを、武芸者はさらに足蹴りをとばしてひっくりかえした。ふたりの役人が武芸者をとりなだめていると、大男ははい起きて、宋江と武芸者にむかい、
「このままただではすまさんぞ。よくおぼえておきやがれ」
というなり、南の方へ逃げて行った。
宋江はまずたずねた。
「武芸者どの、お名前は? またどこのお方で」
「わたくしは河南の洛陽のもので、姓は薛《せつ》、名は永《えい》といい、祖父は経略使の《ちゆう》老相公の馬前におつかえした武官でございましたが、同僚にそねまれて栄進の道をふさがれてしまいましたため、子孫はこうして槍棒をつかって人寄せをする薬売り渡世。世間の人さまから病大虫《びようたいちゆう》(虎まがい)の薛永とよばれております。して、あなたさまは、どなたさまでいらっしゃいましょう」
「わたしは姓は宋、名は江といって、〓城県のものです」
「では、山東の及時雨の宋公明さんでは」
「そうです」
薛永はそう聞くと、ひざまずいて礼をした。宋江はあわてておしとめ、
「ちょっと一杯おつきあいをねがえませんか」
「ありがとうございます。ぜひいちどお目にかかりたいと思いながら、手蔓もなくお目にかかれずにおりました」
と薛永は急いで槍棒や薬のふくろをとりかたづけ、宋江といっしょに近くの酒屋へ飲みに行った。ところが酒屋の亭主のいうには、
「酒も肴もあるにはあるのですが、おまえさんたちに売ってあげるわけにはいきませんので」
「どうしてわしらには売らぬというのだ」
と宋江が聞くと、酒屋の亭主は、
「さっきおまえさんたちがやりあいなさったあの大男が、使いのものをよこして、もしおまえさんたちに飲み食いさせたら、この店をたたきつぶしてしまうといいつけてきたのです。ここいらではあの人ににらまれたらおしまいです。あの人はこの掲陽鎮の顔役で、さからうものは誰もありません」
「そういうことならあきらめるとしよう。そいつがねじこんでくるにきまってるだろうからな」
と宋江はいった。薛永は、
「わたしはこれから宿へ帰ってはらいをすませます。いずれ一両日中に江州へ出かけますから、そこでまたお目にかかりましょう。あなたさまは先にお出かけください」
宋江はまた二十両ほどの銀子をとり出して薛永におくり、別れを告げてたち去った。
宋江はしかたなくふたりの役人とともにその酒屋を出てから、また別の店へ飲みに行ってみたが、その店の主人も、
「若旦那からしかといいつけられておりますので、あなたがたにはどうしても売ってあげられません。いくら歩いてみても、結局むだ足をはこびなさるだけでしょう」
という。宋江とふたりの役人は、どうすることもできず、つぎつぎに何軒かまわってみたが、どこもおなじ挨拶をくりかえすだけであった。三人は町はずれまで行って、何軒かの木賃宿を見つけたが、宿をかりようとすると、どうしても承知しない。わけを聞けば、みなおなじことをいう。
「若旦那からたびたびおいいつけがあって、おまえさんたち三人を泊めてはならんということなので」
そのとき宋江は、これではとてもだめだと見きりをつけ、三人は街道の方へと急いだが、いつしか夕日は西の空に沈み、あたりには夕闇が迫っていた。見れば、
暮煙遠岫《えんしゆう》に迷い、寒霧長空《ちようくう》を鎖《とざ》す。群星は皓月《こうげつ》を拱《きよう》して輝《ひかり》を争い、緑水は青山とともに碧《みどり》を闘わす。疎林の古寺に数声の鐘韻《しよういん》悠揚とし、小浦の漁舟に幾点の残灯《ざんとう》明滅す。枝上の子規《しき》(ほととぎす)夜月《やげつ》に啼《な》き、園中の粉蝶《ふんちよう》(白いちょう)花叢《かそう》に宿る。
宋江とふたりの役人は、日が暮れてきたのを見てますますあせり出した。
「なんとなく槍棒つかいを見物したことから、やつにうらまれてしまい、いまや行くところももどるところもない羽目になったが、さて、どこへ行って泊まったものか」
と三人は相談しあったが、ふと見れば、はるかむこうの方に、木の間がくれにあかりの漏れているのが見えた。宋江は、
「あそこのあかりのついているところには人家があるにちがいないから、なにはともあれ、なんとかたのみこんで一晩の宿をかり、あすは早立ちすることにしましょう」
「あのあかりのところは、しかし街道筋ではありませんよ」
と役人がその方を眺めていった。
「やむを得んでしょう。街道筋ではなくても、あした二三里ほどよけいに歩けばすむことでたいしたことはないでしょう」
こうして三人はそこへの道をたどって行ったが、二里ほど行くと、林のむこう側に大きな田舎家が見えてきた。
宋江はふたりの役人とともにその屋敷の前に行って、門をたたいた。下男がそれを聞きつけて、出てきて門をあけた。
「誰だね、夜中に門をたたきなさるのは」
宋江は腰をひくくして答えた。
「わたくしは罪を犯して江州へ流されて行くものですが、きょうは宿をとりそこねまして、泊まるところがございませんので、お宅さまに一晩ご厄介になりたくてまいりましたので。お礼はあすの朝きまりどおりはらわせていただきます」
「そういうわけなら、そこでちょっとお待ちなされ。大旦那さまに話してみるから、おゆるしが出たら泊まっていくがよい」
下男は奥へ知らせに行ったが、やがてもどってきて、
「大旦那さまが、どうぞといっておられますよ」
宋江とふたりの役人は、なかへはいって奥の座敷へとおり、あるじの老人に挨拶をした。老人は下男に、門長屋へ案内して休ませ、晩飯もあげるようにといいつけた。下男は承知して、門のそばの草葺きの家へ連れて行き、あかりをともして三人を休ませ、また三人分の飯と吸いものと菜を持ってきて三人に食べさせてから、碗や皿をとりかたづけて、奥へひきとって行った。ふたりの役人は、
「押司さん、ここは人目もありませんから、いっそ首枷をはずして楽におやすみなさい。そしてあすは早く立ちましょう」
「それはありがとう」
と、さっそく枷をはずし、ふたりの役人とともに外へ小用をたしに出たが、見れば空は満天の星月夜で、麦打場のわきの小屋のうしろにひとすじの小さな道の通っているのが見える。宋江はそれを目にとめておいた。三人は用をたして部屋にもどり、戸をしめて床についた。
宋江がふたりの役人と、
「ここのご主人が一夜の宿をかしてくださって、たすかりましたな」
と話していると、屋敷のなかに、誰かが松明《たいまつ》をともして麦打場にやってきて、あたりを照らしまわっている気配がした。宋江が戸のすき間からのぞいて見ると、老人が三人の下男を連れて、松明をかざしながらあちこち見まわしているのだった。宋江は役人にいった。
「ここのご老人もわたしの父親とおなじで、何もかも自分でなさる。いまごろになってもまだ寝ずに、こまごまと自分で見まわっておられる」
そういっているとき、とつぜん外の方で誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「門をあけろ」
下男が急いで行って門をあけると、六七人のものがどやどやとはいってきた。その頭格《かしらかく》の男は手に朴刀をつかみ、あとについてきた連中もてんでに稲叉《いねさし》や棍棒を持っている。松明のあかりにすかして宋江がのぞいて見ると、その朴刀をひっさげた男は、なんと、掲陽鎮で自分たちになぐりかかってきたあの男ではないか。宋江がうかがっていると、老人のいうのが聞こえた。
「おまえは、どこへ行って誰と喧嘩をしてきたのだ。日も暮れてしまったというのに、槍だの棒だのをひきずって」
すると大男は、
「おとっさん、兄貴はうちにいますか」
「飲んだくれて裏の亭で寝ているよ」
「よし、起こしてきていっしょにやつを追っかけよう」
「おまえはまた、誰と喧嘩をしてきたのだ。兄を起こしなどすれば、事がめんどうになるぞ。まあ、わしにわけを話してみなさい」
「おとっさん、こういうわけなんです、きょう町に槍棒つかいの薬売りの男が、こいつがまたなんとけしからんやつで、わしら兄弟になんの挨拶もせずに町へきて薬売りをおっぱじめ、槍棒をつかって見せやがるんで。それでわしは、町じゅうのものに、びた一文くれてやってはならぬと十分いいつけておいたんだが、どこからきやがったのか、ひとりの囚人やろう、そやつが好漢面《づら》をして出しゃばり、五両の銀子をくれてやっておいらの掲陽鎮の面目をふみにじりやがったんだ。そこでやつめをなぐりとばしてやろうとしたところが、薬売りのちくしょうめが、首筋をつかまえてわしをひっころがし、したたかぶんなぐったうえ、足蹴りにし、おかげでまだ腰が痛いというていたらく。わしはすぐ方々に人をやって、酒屋や宿屋に、やつらに酒を飲ましたり泊めたりしないようにいいつけ、やつら三人に今夜はどこへも行きどころがないようにしてやったんだ。そう手をうっておいたうえで、ばくち場の連中を狩り出して宿屋へおしかけ、薬売りのやろうをつかまえて、思いきりぶんなぐってやったんだが、いまは都頭さんのとこへひきたてて行って天井つるしにしてあります。あしたは川っぷちへ連れて行って、ぐるぐる巻きにしばったうえ、川のなかへ投げこんで意趣がえしをしてくれようと思っているんです。ところが、ふたりの役人の連れていた囚人やろうの方はまだつかまりません。この先には宿屋はないんだし、どこに泊まりやがったのか皆目《かいもく》見当がつかない、そこでこれから兄貴をおこして、手分けしてそやつをふんづかまえに行こうと思っているんです」
「これ、そんな後生《ごしよう》でもないことはよしたがよい。その人は自分の金を薬売りにめぐんでやったのだ、おまえがどうのこうのいう筋あいのものじゃない。なんでおまえがその人をなぐったりなどせにゃならんのだ。だからこそむこうさんにぶたれたのだ。ひどい傷を受けたわけでもないのだから、おとなしくわしのいうことを聞いて、兄にいうのはやめなさい。おまえが人になぐられたと聞けば、兄はきっとそのままではすまさんにきまっているが、そうなれば、またぞろ人殺しさわぎになる。さあ、わしのいうことを聞いて、部屋に帰って寝なさい。こんな夜ふけに、ひとさまの家をたたきおこして村をさわがせるもんじゃない。ちょっとはおまえも陰徳をつんだらどうだ」
男は老人のいうことなど聞きいれず、朴刀をひっつかんだまま屋敷のなかへはいって行った。老人もそのあとを追ってはいって行く。
宋江はそれを聞いて役人にいった。
「こいつはまずいことになった。さてどうしたらよかろう。こともあろうにあの男の家に泊まりこんだとは。ともかく逃げるよりほかありますまい。もしあいつに知られたら、きっと殺されるでしょう。たとえ老人はだまっていてくれても、下男はとてもかくしてはくれますまい」
「そうですとも。まごまごしてはおられません。早く逃げ出しましょう」
とふたりの役人も口をそろえていった。
「表の道へ出てはあぶない。部屋のうしろの壁を破って出て行きましょう」
ふたりの役人は包みをかつぎ、宋江は首枷を手にさげ、部屋の内側からうしろの壁に穴をあけて出、三人は星月夜をたよりに森の奥へと、こみちをいっさんに逃げて行った。まさに、あわてて道をえらばずというたとえのとおり。こうしてひとときばかり行くと、前方に、蘆の穂がはてしなく生い茂り、滔々と波だち流れるひとすじの大川が見えた。これぞほかならぬ潯陽江のほとりに出たのである。これをうたった詩がある。
天羅地網《てんらちもう》に撞入《とうにゆう》し来る(天地の網にひっかかり)
宋江時《とき》蹇《けん》(不運)なる実《まこと》に哀れむに堪えたり
纔《わずか》に黒〓凶神《こくさつきようしん》(北方の死神)の難を離れしに
また喪門白虎《そうもんびやつこ》(西方の凶神)の災に遇《あ》う
そのときとつぜん、うしろの方に喊声が聞こえ、松明の光が入り乱れ、口笛を吹きならしつつ追手が迫ってきた。宋江はこれは一大事とばかり、
「天の神さま、お助けください」
と口走る。三人が蘆の茂みのなかに身をかくして、うしろの方を眺めると、松明はしだいに近づいてくる。三人はいよいようろたえ、むちゃくちゃに蘆のなかを突きすすんで行ったが、前方を見れば、天のはてに行きついたのでなければ地のはてまでもきたのか、目をこらしてよく見れば、大川が行くてをさえぎっており、横の方もまたひろびろとした入江だった。宋江は天を仰いで嘆息した。
「こんなひどい目にあうのだとわかっていたら、しばらく梁山泊におればよかった。まさかこんなところで相果てようとは」
宋江が土壇場に追いつめられたそのとき、ふと見れば蘆の茂みをおしわけて一艘の舟が音もなく漕ぎ出てきた。宋江はそれを見るなりよびかけた。
「船頭さん、その舟をよせてわれわれ三人を助けてくれんか。金は出すから」
船頭は舟の上から、
「おまえさんたち三人はなにものだね。どうしてこんなところへきたんだね」
「追剥《おいはぎ》ぎに追っかけられて、ずっとここまで逃げてきたのだ。さあ、早く舟をよせてわしらを渡してくれ。金はよけいにはずむから」
船頭は、よけいにはずむと聞いて、舟を岸につけた。三人は急いでとび乗った。役人のひとりは包みを胴の間に投げいれ、ひとりは水火棍で舟を突き出した。船頭は櫓をとりつけながら、胴の間にどさりと落ちた包みの手ごたえのある音を聞き、心中ひそかにほくそ笑みつつ櫓をあやつってその小舟を川の真中に漕ぎ出した。
岸では追手の連中が、早くも川ぶちまで迫ってきた。松明が十数本、頭格の大男ふたりはそれぞれ朴刀をおっとり、あとに従う二十余人は、てんでに槍だの棒だのを持って、口々に叫んだ。
「おい船頭、早く舟をもどせ」
宋江とふたりの役人は、胴の間にひとかたまりになって身を伏せながら、
「船頭さん、舟をもどさないでおくれ。お礼の金はうんと出すから」
船頭はうなずいて、岸の連中には答えず、上流にむかってぎいぎいと漕いで行った。岸の連中は大声で叫ぶ。
「やい船頭、舟をもどさんときさまも殺してくれるぞ」
船頭はふんと鼻で笑ったきり、やはり相手にしない。岸の連中はまた叫んだ。
「きさまはどこの船頭だ。舟をもどさんとはよくよくずぶといやつだな」
船頭はあざ笑って、
「おれさまは張梢公《ちようしようこう》(梢公は船頭)ってんだ。くだらんちょっかいはよしたがよかろう」
すると岸の松明のむれのなかからあののっぽの男が、
「なんだ、張兄貴だったのか。おいら兄弟ふたりが目に見えんのか」
「目がないわけでもあるまいし、見えないでどうする」
「見えるのだったら漕ぎもどしてくれ、話があるんだ」
「話があるなら、あすにしてくれ。乗った人がお急ぎなんだ」
「おいら兄弟はその乗っている三人をつかまえにきたんだ」
「この三人はおいらの身うちだ。めしの種だ。お連れして行って板刀麺《はんとうめん》(板刀はだんびらの類。板刀麺はいわば手打ちうどん)を食べていただくんだ」
「ともかく漕ぎもどしてくれ、相談しよう」
「おれの飯の種をかい。漕ぎもどして行ってそれをおまえにやるのかい。それではあんまり話がうますぎるじゃないか」
「張兄貴、そうじゃないんだ。おいら兄弟はただその囚人をつかまえたいだけのことだ。さあ漕ぎもどしてくれよ」
船頭は櫓をあやつりながらいいかえす。
「まったく久しぶりのお客さまなんだ。それを渡してもあげずに、おまえに横取りされたんじゃたまらない。まあわるく思うなよ。いずれまたお目にかかろう」
宋江は船頭のことばのうらを知るよしもなく、胴の間でそっとふたりの役人にいうのだった。
「なんとも奇特な船頭さんだ。われわれ三人を救ってくれたうえに、連中のてまえもうまくいいぬけてくれた。この恩は忘れられないな。それにしても、この舟に乗せてもらえたのは、なんともありがたいしあわせだった」
さて船頭は、舟をあやつって岸を遠くはなれた。三人が胴の間から岸の方を眺めてみると、松明は蘆の茂みのなかにまだあかるく輝いていた。宋江は、
「ありがたや。好人《こうじん》相逢い悪人遠く離るとはまさにこのこと。どうにかこれで災難をきりぬけたわい」
そのとき船頭が、櫓をあやつりながら湖州《こしゆう》ぶしの歌をうたい出した。その歌は、
大川すじはおれがもの
お上も天もこわかない
どんな魔人がこようとも
身ぐるみ剥《は》いで追っぱらう(注一)
宋江とふたりの役人は、その歌を聞くと、へなへなと力がなえてしまった。しかし宋江はまた、
「ふざけて歌っているのだろう」
と思い、三人、胴の間であれこれといいあっていると、とつぜん船頭が櫓をはなしていった。
「やいこら、二匹のくそ役人め、日頃はおいら闇商売のものをいじめやがるが、今日こそはこのおれさまの手にかかったな。やい三匹、板刀麺が食いたいかそれとも〓飩《こんとん》(わんたんの類)が食いたいか」
「親方、からかわないでくださいよ。いったいその板刀麺というのはなんのことで。また〓飩とはどういうことで」
と宋江がいうと、船頭はかっと眼をむいて、
「おれさまはきさまにふざけてるんじゃないぞ。板刀麺が食いたけりゃ、この船板の下に、風をも斬りさくばかりの業物《わざもの》があるんだ、三太刀四太刀と手間はいらねえ、たった一太刀で一匹ずつ、三匹ともみな水のなかへ斬りすててやろう。もし〓飩の方が食いたけりゃ、三匹ともさっさと着物をぬぎ、まっ裸で川のなかにとびこんでお陀仏しやがれ」
宋江はそれを聞くとふたりの役人をひきよせて、
「これはえらいことになったぞ。福《しあわせ》は双《なら》び至るなく禍《わざわい》は単《ひと》り行かず(わるいことはかさなる)とはこのことか」
「やい三匹、よく相談してさっさと返事しやがれ」
と船頭はがなりたてる。宋江は、
「船頭さん、まあ聞いてください。わたしはよんどころなく罪を犯して江州へ流されて行くもの、あわれと思って三人とも見逃してくださらぬか」
「なにをぐずぐずいってやがる。三匹はおろか半匹だって見逃してやるもんか。おれさまはその名も高い狗瞼《くれん》(犬面《いぬづら》)の張旦那だ、おやじだろうとおふくろだろうと知ったことじゃねえ。四の五のいわずにさっさと水のなかへはいってしまえ」
宋江はまたたのんだ。
「包みのなかの金も品物も着物もなにもかも全部あげますから、三人の命だけはたすけてやってください」
船頭は船板の下からぎらぎら光る板刀をとり出して、どなった。
「やい三匹、どうするつもりだ」
宋江は天を仰いで嘆息した。
「わたしが、天をうやまわず地をおそれず、親不孝なまねをして罪を犯したばかりに、あなた方ふたりをまきぞえにしてしまった」
ふたりの役人は宋江にすがりついて、
「押司さん、しかたがありません。こうなったら三人いっしょに死ぬまでです」
船頭はまたどなりつけた。
「やい三匹、さっさと着物をぬいで川へとびこめ。とびこむならよし、とびこまんならおれさまが水のなかへ斬り落としてやる」
宋江とふたりの役人が、抱きあって、あわや水のなかへとびこもうとしたとき、ぎいぎいと櫓の音が水面にひびいてきた。宋江がうかがって見ると、一艘の快船《はやぶね》が上流から飛ぶように漕ぎくだってくる。舟には三人のものが乗っていて、ひとりの大男が手に托叉《たくさ》(刺叉《さすまた》のような武器)を横たえて船首に立ち、ふたりの若者が船尾で快櫓《はやろ》をあやつって、星あかりのなかを見る見る近づいてきた。船首で托叉を横たえた大男が叫んだ。
「そこにおるのはどこの船頭だ。ここいらで仕事をするとは横着なやつめ、舟の品物は、見とどけたからには分け前を出せ」
こちらの舟の船頭は、ふりかえって見て、あわてて答えた。
「誰かと思ったら李の兄貴じゃないか。兄貴はまた仕事に行くのですかい、なぜおいらを連れて行ってくれぬ」
すると大男は、
「張の兄弟、おまえ、またここであの手をやってるんだな。舟のなかはどんなしろものだ、ものになりそうか」
「お笑い草までに話そうか。おいら、ここんところずっと仕事がなく、ばくちにも負けて一文なし。洲《す》のとこでしょげていたら、岸の方で大勢が三匹の獲物を舟に追いこんでくれたというわけ。それがこの黒いちびの囚人を連れたふたりの糞役人の一行なのさ。どこからきたのか知らんが、江州へ流されて行くのだといってやがるくせに、枷はつけておらん。追っかけてきた岸の連中は、町の穆《ぼく》さんとこの兄弟ふたりで、どうでもこいつをよこせとせがんだが、こいつはちょっとものになるとにらんだので、わたしてやらなかったんだ」
大男は舟の上から、
「えっ、それはまさかおいらの兄貴の宋公明じゃなかろうな」
宋江はその声に聞きおぼえがあったので、胴の間から大声でよんだ。
「その舟の好漢はどなたで。宋江をたすけてください」
大男はびっくりして、
「ほんとうに兄貴だ。早く出ておいでなさい」
宋江が船の上へもぐり出て見ると、皎々たる星あかりのもと、船首に立っている大男は、ほかでもない、これぞまさしく、
家は潯陽江の浦上に住し、最も豪傑英雄と称す。眉《まゆ》濃く眼《まなこ》大にして面皮紅《くれない》に、髭鬚《ししゆ》鉄線を垂れ、語話銅鐘《どうしよう》の如し。凜々たる身躯長《たけ》八尺、能く利剣霜鋒《そうほう》を揮《ふる》い、波を衝き浪に躍って奇巧を立つ。廬《ろ》州の生《せい》なる李俊《りしゆん》、綽号《あだな》は混江竜《こんこうりゆう》。
船首に立っている大男は、これぞまさしく混江竜《こんこうりゆう》の李俊《りしゆん》で、そのうしろの、船尾で櫓をあやつっているふたりは、ひとりは出洞蛟《しゆつどうこう》の童威《どうい》、ひとりは翻江蜃《ほんこうしん》の童猛《どうもう》であった。
季俊はそれが宋公明だとわかると、こちらの舟にとび移ってきて、あっと叫び、
「兄貴、びっくりなさったでしょう。わたしのくるのがもうすこしおそかったら、一命も危うかったところ。きょうは天のおみちびきか、家におってもなにやらじっとしておれず、いっそ塩の闇あきないにでも出かけようかと思って舟を出してきたのだが、兄貴のこんな危い瀬戸際に出あわそうとは、まったく思いもかけぬことでした」
船頭はぽかんとして、しばらくはものもいえずにいたが、このときやっと口をひらいた。
「李の兄貴、この色の黒い人が、山東の及時雨の宋公明さんなので」
「そうだとも」
船頭ははっと平伏して、
「あなたさま、なんで早く名乗ってくださいませんでしたので。そしたらわたしもあくどいまねをせんですみましたのに。すんでのことであなたをあやめるところでした」
宋江は李俊にたずねた。
「この好漢はどなたで。名前はなんとおっしゃる」
「じつは、この好漢はわたしと盟《ちかい》を結んだ弟分で、小孤山《しようこざん》の産、姓は張《ちよう》、名は横《おう》、あだ名は船火児《せんかじ》といって、もっぱらこの潯陽江でこういうおとなしい仕事をやっております」
宋江とふたりの役人は笑い出した。
そのとき二艘の舟は並んで洲の方へ漕いで行き、舟をつなぎとめた。そして宋江とふたりの役人を胴の間から岸へたすけあげると、李俊は張横に、
「なあ兄弟、いつもおれがいっているように、天下の義士は、この山東の及時雨、〓城の宋押司さんのほかにはないのだ。さあ、よくお顔を拝見しておくがよい」
張横は火打ち石をたたき、あかりをつけて宋江を照らすと、身をひるがえし、再び砂浜の上に平伏して、
「兄貴、どうかわたくしの罪をおゆるしくださいますよう」
宋江がその張横を見れば、
七尺の身躯、三角の眼、黄髯《こうぜん》赤髪、紅《くれない》の睛《ひとみ》、潯陽江上に声名あり。浪を衝くこと水怪の如く、浪に躍ること飛鯨に似る。悪水狂風都《すべ》て懼《おそ》れず、蛟竜見る処魂《こん》驚く。天列宿《れつしゆく》(諸星)を差《つかわ》して生霊を害す。小孤山下に住し、船火《せんか》(水夫)張横と号す。
張横は拝しおわって、たずねた。
「あなたさまには、どういうことでこんなところへ流されて見えましたので」
李俊が宋江の罪を犯したしだいを話して、このたび江州送りになったのだというと、張横はそれを聞いて、
「それでは兄貴、ひとつわたしのことを聞いてください。わたしたちは、同じ腹から生まれたふたり兄弟で、わたしが上です。弟というのがまたなかなかのしたたかもの。身体じゅう白練《ねりぎぬ》のようにまっ白でして、四五十里も泳ぎ、七日七晩ももぐり、まるで一匹の白条《は や》のように水のなかをすすみます。そのうえ武芸のたしなみもありますので、人さまから浪裏白跳《ろうりはくちよう》(浪くぐりのはや)の張順というあだ名をちょうだいしております。はじめわたしたち兄弟は、揚子江のあたりで分《ぶん》にあった仕事をしておりました」
「どういうお仕事で」
と宋江がいうと、張横は、
「わたしたち兄弟は、ばくちに負けるてえと、まずわたしが舟を出して、川べりのさびしいあたりで闇の渡し舟をはじめるのです。そうすると、何百文かの銭をけちけちするやつや、急ぐやつらがわたしの舟に乗ってきます。舟がいっぱいになったころ、弟の張順が、ひとり旅の旅人といった身なりで、大きな包みをしょって乗りこんでくるのです。わたしは舟を川の真中あたりまで出すと、漕ぐのをやめて錨《いかり》をおろし、板刀をつきつけて渡し賃をゆするのです。渡し賃はもともと五百銭ちょうどのところを、三貫出せと吹っかけるんです。まず弟をつかまえてゆすると、弟はわざと承知しないふりをする、そこでわたしは、そんならまずこいつからだと、片手で頭をひっつかみ片手で腰をひっさげて、川のなかへどぶんと投げこんでしまい、さあ、頭なみ三貫出しやがれ、というと、みんなすっかり度胆をぬかれて、われさきに出す、それをすっかり巻きあげてから、みんなをさびしいあたりへ送って行って、岸へあげてやるのです。弟は水のなかをもぐってむこう岸へついていて、人がみんないなくなってから、金を弟と山分けしてばくちをやりに行くというぐあいで、そのころわたしら兄弟は、そんな仕事をして暮らしておりましたんで」
「大川べりは、あんたの闇の渡し舟に乗りにくるお客さんがさだめし多かったでしょう」
と宋江がいうと、李俊らはどっと笑い出した。張横は、話しつづけた。
「いまはふたりとも商売がえをして、わたしはもっぱらこの潯陽江での闇の商売、弟の張順はここんところ江州で魚問屋をやっております。これからあなたさまがあちらへおいでなさるなら、弟に手紙を一本やりたいと思うのですが、どうも字を知らないものですから、書こうにも書けませんので」
「わしが村へ行って、塾の先生にたのんで書いてもらってやろう」
と李俊がいった。童威と童猛をのこして舟の番をさせ、宋江ら三人は李俊と張横のあとについて、提灯をかざしながら村へむかった。半里ほど行くと、松明が岸辺でまだあかあかと輝いているのが見えた。
「あの兄弟たち、まだ帰らずにいるな」
と張横がいうと、李俊が、
「兄弟たちって誰だね」
「町の穆さんとこの兄弟だよ」
「それじゃあのふたりもよんで、兄貴に挨拶させよう」
宋江はあわてて、
「いや、それはいけません。あのふたりはわたしをつかまえようとして追っかけているところなんです」
「いやご心配なく。あのふたりは、相手が兄貴だと知らなかったまでのこと。彼らもわたしたちの仲間なのです」
と、李俊は手をあげて招き、口笛をぴゅっと鳴らした。すると、松明の連中はいっさんに駆けつけてきたが、李俊と張横が宋江にかしずいて、いっしょに話をしているのを見て、兄弟ふたりはびっくりして、
「兄貴たち、どうしてその三人と知りあいなんで」
李俊は大笑いして、
「この方を誰だと思う」
「知らないよ。町で槍棒つかいに金をくれてやっておいらの掲陽鎮の面目をまるつぶしにしやがったんで、ふんづかまえてやろうと思ってたんだ」
「この方は、わしがいつもよくあんたらに話している、山東の及時雨、〓城の宋押司の宋公明兄貴なのだ。さあ、ふたりとも挨拶するがよい」
兄弟ふたりは朴刀をほうり出し、身をひるがえして平伏した。
「お名前はかねがねうけたまわっておりましたが、きょうこうしてお目にかかろうとは思いもかけぬことでございました。それにしてもさっきはどうもたいへんご無礼をいたしまして、なにとぞおゆるしくださいますよう」
宋江はふたりをたすけおこして、
「どうかお名前をお聞かせください」
李俊がかわっていった。
「この兄弟ふたりの金持は、この土地のもので、姓は穆《ぼく》、名は弘《こう》、あだ名は没遮〓《ぼつしやらん》(さえぎるものなし)。弟の方は穆春《ぼくしゆん》、あだ名は小遮〓《しようしやらん》といって、掲陽鎮の一方の親分です。ここには三方の親分がおりまして、兄貴はご存じないからついでに申しますと、掲陽鎮の峠から麓の一帯は、わたしと李立とが親分、掲陽鎮はこの兄弟ふたりが親分、そして潯陽江での闇商売は張横と張順のふたりが親分。これを三方の親分といいますんで」
「そんなこととはまるで知りませんでした。みなおなじ兄弟とならば、どうかあの薛永《せつえい》さんをゆるしてやってくれませんか」
と宋江がいうと、穆弘は笑いながら、
「槍棒つかいのあいつのことですか。いや、ご安心ください。すぐにも弟の穆春に連れてこさせて、兄貴におかえしします。とにかく、わたしの家までおいでいただいておわびをいたしたいのですが」
「それがいい、それがいい、すぐあんたの家へ行こう」
と李俊もいう。穆弘は下男ふたりを舟の番に行かせ、童威と童猛をよんでいっしょに屋敷に集まることにし、一方、屋敷へは知らせのものをやって、酒食をととのえ羊や豚を殺して宴会の準備をさせた。
一同は童威と童猛を待って、いっしょに屋敷へむかった。ちょうど五更(朝四時)のころ、一同は屋敷に着き、穆太公に出てもらって挨拶をし、座敷へ通って主客それぞれの席についた。宋江が穆弘を見るに、なかなか立派な人物で、
面は銀盆に似、身は玉に似たり。頭は円く眼は細く眉は単《うす》し。威風凜々とし、人に逼《せま》って寒し。霊官《れいかん》(天宮につかえる道教の武神)斗府《とふ》を離れ、佑聖(同じく道教の猛神)天関《てんかん》を下る。武芸高強にして心胆《しんたん》大に、陣前に空しく還《かえ》るを肯《がえ》んぜず、攻城野戦して旗旛《きはん》を奪う。穆弘は真に壮士、人は号す没遮〓と。
宋江は穆太公とむかいあって席についた。話をしているうちに、夜はあけた。穆春も病大虫《びようたいちゆう》の薛永《せつえい》を連れてきて、ともに座につらなった。穆弘は宴席をととのえ、宋江ら一同を歓待して酒をくみかわし、夜になると、ひきとめて屋敷に泊まらせた。翌日、宋江が出発しようとすると、穆弘はどうしてもはなさず、ほかの一同をも屋敷にひきとめ、宋江のおともをして町へ遊びに出かけ、掲陽鎮の内外の景色を見物した。こうして三日ほど滞在したあげく、宋江はさだめの日限をたがえてはと、どうしても出かけるといい出した。穆弘ら一同もそれ以上ひきとめることはできず、その日、送別の宴を張った。翌日は早く起きて、宋江は穆太公および好漢ら一同に別れを告げたが、いよいよ出発のとき、薛永にむかって、
「しばらく穆弘さんのところに滞在なさい。そのうち江州へいらっしゃったら、またお目にかかりましょう」
といった。穆弘は、
「兄貴、どうぞご心配なく。ここでお世話をしますから」
といい、盆いっぱいの金銀をとり出して宋江におくった。そしてふたりの役人にも、なにがしかの銀子を心づけした。別れのとき張横は、穆弘の屋敷うちで人にたのんで書いてもらった手紙を、張順にわたしてくれるようにと宋江にことづけた。宋江はその場でそれを包みのなかにしまった。一同は潯陽江のほとりまで見送って行った。穆弘は舟をよんできて、さきほどの荷物を積みこんだ。人々はみな岸へ行き、首枷をととのえ、酒肴をとりよせて舟の上で杯をかわして行《こう》を送り、かくて一同は涙ながらに別れた。そして、李俊・張横・穆弘・穆春・薛永・童威・童猛ら一同はそれぞれ家へ帰って行ったが、この話はそれまでとする。
さて宋江は、ふたりの役人とともに舟で江州へむかったが、こんどの船頭は前とちがって、帆をいっぱいに張り、やがて江州の岸におくりとどけた。
宋江はもとどおり首枷をはめ、ふたりの役人は公文書をとり出し、荷物をかついで、ただちに江州の役所へ出頭した。ちょうど府尹は登庁していた。この江州の府尹は、姓は蔡《さい》、名は二字名で得章《とくしよう》といって、いまを時めく蔡太師蔡京《さいけい》の第九子、そのため江州の人々は蔡九知府とよんでいた。この男は、役目を笠にきてものをむさぼり、そのふるまいは奢侈驕慢。そもそも江州というところは租税の入りのよい土地で、かつ人口が多く物産もゆたかである。そのため太師は特に彼をここの知府にしたのであった。
ふたりの役人は、そのとき、役所へ公文書をさし出し、宋江の身柄をひきわたした。蔡九知府は宋江の人柄の非凡なのを見て、
「その方の枷には州の封印がないがどうしたのか」
とたずねた。ふたりの役人がそれに答えて、
「道中、春雨にふられましたので、濡れてはがれたのでございます」
「すぐ書類をととのえて、城外の牢城へ送って行け。当役所からも役人をつかわして護送させる」
ふたりの役人は宋江を牢城へ送って行ってひきわたすことになった。そのとき江州府の役人は書類を持って、ふたりの役人とともに宋江の護送にあたったが、役所を出ると酒屋にたちよって酒を飲んだ。宋江は銀子を三四両ばかりとり出して江州府の役人にやり、身柄のひきわたしが円滑におこなわれるようにたのんだ。するとその役人は宋江を独房へ護送して沙汰を待たせておいて、さっそく典獄や看守のところへ行って宋江のためによいように話し、身柄をひきわたして受領のかきつけをもらうと、役所へ帰って行った。ふたりの護送役人も、宋江に包みや荷物をわたし、何度も礼をいって別れを告げ、城下へひきかえして行った。ふたりは、
「おっかない目にもあったが、しかし金はたんまりもうかったな」
などと話しあいながら州の役所へ出頭し、返書をもらいうけると、済州さしてもどって行った。
さて宋江はというと、ここでもまたつけとどけをし、看守が独房にやってきたときに、銀子十両をやり、典獄には十両のほかに心づけをそえておくった。牢城内の事務のものや使いはしりの軍卒などにも、みな、お茶でも飲んでくれといってなにがしかの銀子をやった。そのため宋江は誰からも好かれた。やがて点視庁(吟味所)によび出され、枷をはずして典獄に目通りすることになったが、典獄はすでに賄賂をとっているので、
「それにある新入りの罪人宋江、しかと聞け。前朝の太祖武徳皇帝さまの聖旨により、すべて流刑の囚人は、その牢入りのさいにまず殺威棒《さついぼう》一百をちょうだいするのがさだめじゃ。ものども、こやつをとりおさえてねじ伏せい」
と庁の上からいったが、宋江が、
「わたくし、道中ではやり風邪をわずらいまして、いまもって本復いたしません」
というと、
「こやつ、たしかに病気らしい様子。顔色が黄色く肌が痩せてその症状があらわれている。それゆえ棒はひとまずあずかりにしてつかわす。この男、県の小役人であったとならば、当牢城の書記部屋に配属して書記を申しつける」
と、その場で辞令が出されて、書記を申しつけられた。宋江は礼を述べて独房にひきさがり、荷物をとりまとめて書記部屋へ移った。囚人たちは宋江が面目をほどこしたのを見て、みなで酒を買ってきて祝った。翌日、宋江は酒肴をととのえて、みなに返礼した。また看守や牌頭《はいとう》(囚人の世話係)にもおりを見ては酒をご馳走してやったし、典獄へはいつも贈り物をした。こうして宋江は金銀財帛をたっぷり持ちあわせていたおかげで、おのずから彼らとつきあいを深めることができ、半月もいるうちに、牢城じゅうのものから好かれるようになった。むかしからいうとおり、世情《せじよう》は冷煖《かんだん》を看《み》、人面《じんめん》は高低《こうてい》を逐《お》う(人情は都合のよい方へなびく)ものである。
ある日、宋江が看守と書記部屋で酒を飲んでいると、看守が、
「このまえも話したが、あの牢役人へのおきまりのつけとどけ、あれをどうしていつまでもほっておきなさるのです。もう十日以上もたちますよ。あの人がそのうちやってきたときには、まずいことになりますぜ」
「いや、かまいません。その人が金をくれといったって、やりませんよ。もしあなたがお入り用というのなら、いつなんどきでも遠慮なくいっていただいてかまいませんが、その牢役人には一文だってごめんです。その人がやってきたらわたしは話したいことがあるんです」
「押司さん、あの人はなかなかひどい人で、そのうえ腕も立つ。ちょっとしたことから、ひどい目にあわされますよ。そのときになって、わたしにどうして知らせなかったのかといったって、知りませんよ」
「なに、ほっときなさい。とにかく安心しててください。わたしにちゃんとした考えがあるんです。すこしぐらいはくれてやることになるかも知れないし、あるいはむこうで、受けとらぬというかも知れない」
ちょうど話しあっているところへ、牌頭がやってきて、
「牢役人さまがお見えになって、いまお役所の方でかんかんになって、新入りの流人めはなんだっておれにきまりの金をおさめんのか、と、がなりたてておいでです」
と告げた。
「ほら、ごらんなさい。あの人がのりこんできたら、わたしたちまでやられます」
と看守がいうと、宋江は笑いながら、
「看守さん、ちょっと失礼させてもらいます。また日をあらためて飲むとしましょう。出むいて行って話をつけてきますから」
看守もたちあがって、
「わたしは、顔をあわすのはごめんです」
宋江は看守に別れ、書記部屋を出て点視庁へ行き、その牢役人に会った。
宋江がこの人物と相い見《まみ》えたばかりに、ここに、江州城裏は翻《ひるがえ》って虎窟狼窩《こくつろうか》となり、十字街頭は変じて屍山血海《しざんけつかい》となり、ついにはまた、天羅を撞破《とうは》して水滸に帰し、地網を掀開《きんかい》して梁山に上らしむ、ということと相なるのである。ところで、宋江とこの牢役人との会見はどのようであったか。それは次回で。
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一 大川すじはおれがもの…… この歌は意訳したが、原文を読みくだせば、
老爺生長して江辺に在り
宮司を怕《おそ》れず天を怕れず
昨夜華光《かこう》来って我を趁《お》う
行に臨んで奪下す一金磚《きんせん》
華光とは妖神の名で、金磚をその法宝(神力のある得物)としてつかう。金磚とは実体はさだかでないが、これを敵に投げつけて倒す、つぶてのたぐいである。
第三十八回
及時雨《きゆうじう》 神行太保《しんこうたいほう》に会い
黒旋風《こくせんぷう》 浪裏白跳《ろうりはくちよう》と闘う
さて、そのとき宋江《そうこう》は看守に別れ、書記部屋を出て点視庁へ行って見ると、その牢役人は床几に腰をかけて正面に座をしめ、大声でどなりつけていた。
「どいつだ、新入りの囚人というのは」
「これでございます」
と牌頭が宋江を指さすと、牢役人はののしって、
「やいこら、黒ん坊のちび助め、きさまはいったい誰の威勢を笠にきて、このおれにおきまりの金をよこさぬ」
「ことわざにも、人情《つけとどけ》は人の情、人の情願にあり(心づけは心しだい)という。人のものを無理にとろうとは、ちとみみっちすぎやしませんか」
両側で見ていた連中は、それを聞いて手に汗をにぎった。その男は大いに怒って、大声でどなりつける。
「この懲役やろうめ、よくも無礼千万な。こともあろうに、この俺にむかってみみっちいとは、よくもほざいたな。おい、拷問係のものども、こやつをねじ伏せて仕置棒で百回ひっぱたけ」
その場にいた牢城のものたちは、みな宋江としたしい連中だったので、ひっぱたけといわれるとみんないっせいに逃げてしまい、あとにはその牢役人と宋江とだけがのこった。その男は連中がみな逃げてしまったのを見ると、ますます怒りたち、自分で仕置棒をつかみとるや、宋江目がけてなぐりかかった。宋江が、
「あなたはわたしを打とうとなさるが、わたしにどんな罪があるとおっしゃるんです」
というと、男はどなりつけて、
「この流罪人め、きさまはおれの手のなかに握られているしろものなのだ。咳ばらいひとつしたって、それが罪だ」
「いくらわたしのあらさがしをしても、まさかわたしを死罪にすることはできますまい」
男は怒って、
「なに、死罪にはならぬとな。きさまをかたづけてしまうぐらいなんの造作もないことだ。まるで蠅一匹たたき殺すようなものだ」
宋江はあざ笑って、
「おきまりのつけとどけをしないのが死罪になるなら、梁山泊の軍師、呉学究《ごがつきゆう》と近づきをもっているものは、いったいどういう罪になるんでしょうね」
男はそれを聞くと、あわてて、手にもっていた仕置棒を投げすてて、
「きさま、なんといった」
「かの軍師、呉学究と近づきをもっているもの、といったのです。それがどうだとおっしゃるんで」
男は手足をばたばたさせ、宋江にとりすがって、
「あんたはいったい誰なので。どこでそんなことを聞いてきなさった」
宋江は笑いながら、
「わたしは山東の〓城県の宋江というものです」
男はそれを聞くと大いにおどろき、あわてて礼をした。
「これはこれは及時雨の宋公明さんでいらっしゃいましたか」
「おっしゃるほどのものではございません」
「ここではお話もできませんし、ご挨拶もかないません。町へ出て行ってゆっくりとお話をうかがいたいと思いますが、ご足労をねがえませんでしょうか」
「よろしいとも。では、部屋にかぎをかけてまいりますから、ちょっとお待ちを」
宋江は急いで部屋に帰って、呉用の手紙をとり出し、銀子を身につけて部屋を出、戸にかぎをかけ、牌頭にあとのことをたのんで、男といっしょに牢城を出て町へ行き、とある通りに面した料理屋の二階にあがって腰をおろした。男はたずねた。
「呉学究どのと、どこでお会いになられましたので」
宋江はふところから手紙をとり出して男にわたした。男は封を切ってずっと目を通し、袂のなかにしまいこむと、立ちあがって、宋江にむかって礼をした。宋江は急いで礼をかえし、
「さきほどはたいへんご無礼なことを申しあげました。どうかあしからず」
「わたくしはただ、宋という姓のものが牢城に送られてきたとだけ聞きまして、いつもなら送られてきた流罪人は銀子五両をとどけてくるのがしきたりなのに、こんどは十日以上たってもなんの挨拶もいってよこしませんので、今日はひまなのをさいわい、ひとつ巻きあげてくれようと思ってやってきたところだったのですが、それがあなたさまだったとは、まったく思いもかけぬことでした。さきほどは牢城で、はなはだご無礼な言葉を吐きちらして、どうかおゆるしくださいますよう」
「お名前は看守の口からもしばしば聞いておりまして、ぜひお目にかかりたいと思いながら、お住居もわからず、また町へ出るおりもありませんので、あなたの方からおいでになるのを待ってお目にかかろうと思い、そのためにかく遅くなってしまったのです。決して五両の銀子がおしかったからではなく、あなたがきっとご自分でお見えになるだろうと思ってわざとのばしておりましたしだい。いまさいわいにお目にかかることができまして、ようやく思いをとげることができました」
ところで、その男というのはそもそもなにものであるかというと、これがすなわち、呉学究の推薦した江州の牢役人戴院長《たいいんちよう》の戴宗《たいそう》なのである。そのころ、宋の時代には、金陵《きんりよう》一帯の牢役人は家長《かちよう》とよび、湖南《こなん》一帯の牢役人は院長《いんちよう》とよばれていたのだった。この戴院長は、他人にはまねのできない道術を心得ていた。旅に出るとか、緊急の軍事情報文書を飛ばすとかいう場合、二枚の甲馬《こうば》(神仏の像をかいたお符《ふだ》)を両脚に結びつけて神行《しんこう》の法をつかえば、日によく五百里を行き、四枚の甲馬を脚に結びつければ日によく八百里を行く。そのため人々から神行太保の戴宗とよばれていたのである。それをうたった臨江仙《りんこうせん》(曲の名)のうたがある。
面は闊《ひろ》く唇は方《ほう》に神眼突《つきだ》す。痩長清秀《そうちようせいしゆう》の人材、〓紗巾《そうしやきん》(黒い紗の頭巾)の畔《へり》に翠花《すいか》開き、黄旗(伝令旗)に令《れい》の字を書《しよ》し、紅串《こうかん》(赤いふさ)は宣牌《せんぱい》(通行手形)に映ず。健足追わんと欲す千里の馬、羅衫《らさん》(うすものの上衣)常に塵埃《じんあい》を惹《ひ》く。神行太保、術《じゆつ》奇なる哉、程途《ていと》八百里、朝《あした》に去《ゆ》いて暮に還《かえ》り来る。
そのとき戴院長と宋公明とは、いろいろ来《こ》し方ゆくすえを語りあった。戴宗も宋江も大いによろこびあった。ふたりはその小部屋に坐り、店のものをよんで酒やつまみものや肴や野菜のものなどととのえさせ、料理屋の二階で酒をくみかわした。宋江が道中あまたの好漢たちと出あい、彼らと知りあいになった顛末を物語ると、戴宗も心をうちひらいて、呉学究とまじわりをむすぶようになったいきさつを物語った。こうしてふたりがともにうちとけて話しあいながら、二三杯の酒をかたむけたときだった、とつぜん階下にさわがしい物音が聞こえた。と、給仕があわただしく小部屋に駆けこんできて、戴宗にいうよう、
「院長さん、あなたでなければあの男はどうにも手におえません。おそれいりますが、なんとかとりしずめてくださいませんか」
「誰だね、下でさわぎをおこしている男は」
と戴宗が聞くと、給仕は、
「いつも院長さんとごいっしょの、あの鉄牛《てつぎゆう》の李《り》兄いです。下で主人に金を貸せといってるんです」
戴宗は笑いながら、
「誰かと思ったら、またあいつが下であばれてるのか。兄貴、どうかしばらくお待ちになってください。すぐ帰ってきますから」
と、立ちあがって、階下へおりて行った。待つほどもなく、ひとりの黒光りするような男を連れてあがってきた。宋江はその男を見てびっくりし、戴宗にたずねた。
「院長、その兄さんはどなたで」
「これはわたしのとこの牢の小役人で、姓は李《り》、名は逵《き》といい、生まれは沂《ぎ》州沂水《ぎすい》県の百丈《ひやくじよう》村のもので、黒旋風《こくせんぷう》の李逵《りき》というあだ名をちょうだいしており、その郷里では李鉄牛《りてつぎゆう》とよばれております。人を殴り殺したために逃げ出してきたのですが、恩赦に浴したのに、この江州に流れついたまま郷里へは帰ろうとしないのです。酒ぐせがわるいので、多くの人から煙たがられていますが、よく板斧《はんぷ》(まさかり)二梃をつかいこなし、拳法も棒術もできます。いまはここの牢につとめております」
彼をうたった詩がある。
家は住す沂州翠嶺の東
人を殺し火を放ち行兇を恣《ほしい》ままにす
煤墨《ばいぼく》を〓《ぬ》らざれども渾身《こんしん》黒く
〓砂《しゆしや》を着《つ》くるに似て両眼紅《あか》し
閑《かん》(ひま)に渓辺に向《おい》て巨斧を磨《と》ぎ
悶《もん》し来れば巌畔に喬松を斫《き》る
力は牛の如く猛く堅《かた》きこと鉄の如し
地を撼《ゆす》ぶり天を揺《ゆる》がす黒旋風《こくせんぷう》
李逵は宋江を見ながら戴宗にたずねた。
「兄貴、この黒ん坊はなにものかね」
戴宗は宋江に笑いかけながら、
「押司さん、ごらんのとおりの、がさつもので、礼儀も何も存じません」
すると李逵は、
「なんだって兄貴、おれがどうしてがさつものだというんだ」
「このお方はどなたさまで、とでも聞くのならよいが、こともあろうに、この黒ん坊はなにものかね、などという、これががさつものでなくてなんだというのだ。ところで、いって聞かせてやるが、この方はおまえがいつもお慕いしている義士の兄貴だ」
「というと、山東の及時雨の黒《くろ》宋江だとでもいうのかい」
戴宗はどなりつけて、
「こら、なんて失礼な口の利きかたをするやつだ。分別を知らないにもほどがある。さあ、ぼやぼやしてないで、さっさと平伏しろ」
「ほんとうに宋公明なら、そりゃ平伏するよ。だが、もしつまらんやつだったら、そんなやつに平伏なんかできるか。兄貴、おれをだまして平伏させて、あとで笑うんじゃあるまいな」
そのとき宋江がいった。
「わたしはほんとうに山東の黒《くろ》宋江です」
すると李逵は手を打って叫んだ。
「旦那、なぜもっと早くいって、この鉄牛をよろこばせてくれないんです」
と、身をひるがえして、ぱっと平伏した。宋江は急いで礼をかえして、
「壮士、どうぞおかけなさい」
というと、戴宗も、
「さあ、こっちへきて坐りな。いっしょに飲もう」
「ちいさい杯で飲むなんぞ面倒くさくてならん。大碗でもらいましょう」
と李逵。
「さっきは下で、なにを怒っていなさった」
と宋江がたずねると、
「わしは錠銀の大きなのを質にいれ、小粒銀を十両借りて使ってしまったんです。そこでこの店の亭主から十両借りて錠銀を請け出し、借りた十両も返し、てまえの入用にも使おうと思ったんですが、ところが亭主のくそやろうめ、素直にうんといやがらねえ、そんならというわけで、なぐりとばして家のそこらじゅうを叩きこわしてやるといきまいていると、兄貴がやってきて二階にひっぱりあげられてしまったというわけなんです」
「十両あれば請け出されるんですな。で利子の方はどうなんです」
「利子はちゃんと用意しております。元金《もときん》の十両さえあればかたがつくんです」
宋江はそう聞くと、ふところから十両の銀子をとり出して、
「じゃ、これで請け出して、用をたしなさるがよい」
と李逵にわたした。戴宗は急いでとめようとしたが、そのときにはもう宋江はわたしてしまっていた。李逵は金を受けとると、
「こいつはありがたい。それじゃおふたりさん、ちょいとここで待ってておくんなさい。銀を請け出してきてすぐお返しします。そして宋の兄貴と城外のどこかで一杯やるといたしましょう」
「まあゆっくりして、二三杯飲んでからになさい」
と宋江はいったが、李逵は、
「いや、すぐ行ってきます」
と、簾をおしはらって階下へおりて行った。
戴宗は、
「あいつには、金などお貸しなさらん方がよかったんです。おとめしようとしたのですが、もうあいつの手にわたってしまったあとでしたので」
「それはどういうことで」
「あいつはまっすぐなやつではありますが、酒とばくちに目がありません。あいつが質草にするような錠銀など持っているはずはないのです。うまいこといってあなたから金をせしめたのですよ。せかせかと出て行ったあの様子では、ばくちをやりに行ったにきまっております。勝てば返しもしましょうが、もし負けたらあなたに返す十両の金の工面のしどころはないのです。どうやらこの戴宗、兄貴に面目ない思いをしなければならぬようになりそうです」
宋江は笑いながら、
「院長、なにもそうよそよそしくなさらなくても。たかがあれだけの金、どうということもありません。すってしまってかまいませんとも。わたしの見たところ、なかなかどうして、心のまっすぐな男のようですよ」
「あいつ、腕はたつのですが、がさつなのが困りものです。江州の牢でも、いったん酔ったとなると、囚人たちには手を出しませんが、仲間うちの手ごわい牢番をなぐりつけます。おかげでわたしもずいぶん迷惑をしております。弱いものがいじめられているのを見るとだまっておれない性分で、いつでも出て行って強い方をやっつけるのです。それで江州の町の人たちはみな、やつをおそれております」
ここに、そのことをうたった詩がある。
賄賂《わいろ》は公行《こうこう》し法は枉《ま》げて施《ほどこ》さる
罪人は多く不平の虧《き》(不当な害)を受く
強をもって弱を凌ぐは真《まこと》に恨むに堪えたり
天は拳頭をして李逵に付《さず》けしむ
宋江は、
「もうすこし飲んでから城外をぶらついて見ませんか」
といった。戴宗は、
「いや、うっかりしておりました。ごいっしょに大川の景色を見にまいりましょう」
「わたしも江州の景色を見たいと思っておりました。それは結構です」
と、ふたりが酒をくみかわした話はそれまでとして、一方、李逵はというと、例の銀子を手にいれて心のなかに思うよう、
「かたじけなや、宋江の兄貴。深いつきあいもないこのおれに、さっさと十両の金を貸してくれた。義をおもんじ財をうとんじるという世間のうわさは、ほんとうだ。ところで、こんどこの地へ見えたというのに、あいにくこのごろのおれときたら、ばくちですっかりすってしまい、一席設けて顔を立てようにも一文なしだ。まあ、いま手にはいったこの十両で、ばくちをしに行こう、何貫かでももうけたら、一席設けて飲んでもらって、ちょいと面目がほどこせるというもんだ」
と、李逵はいそいで城外へ駆けて行き、小張乙《しようちよういつ》のばくち場へ行ってさっそく場に出、その十両の金をほうり出して、叫んだ。
「さあ、駒《こま》をよこしな、いっちょう張るぞ」
小張乙は、李逵がいつもきれいなばくちをうつのを知っているので、
「兄貴、まあこの場は休んで、次の場に張りなよ」
「いや、まずこの場に張る」
「それじゃ、わきに張るがよかろう」
「いや、わきには張らん。どうでもおれはこの場に張る。五両をひとかけとしよう」
ひとりのばくちうちがちょうど張ろうとしていたところだったが、李逵はいきなりその駒をひったくって、
「さあ、誰が相手になる」
「それじゃおれが五両張ろう」
と小張乙がいった。李逵は、
「やっ」
と叫んだ。ころころっとまわって出た目は叉(半)だった。小張乙は金を手もとにかきよせた。李逵は大声で、
「おい、おれのそいつは十両だぜ」
「もういっぺん五両張りなよ。快(丁)が出たらこの金を返すよ」
李逵はふたたび駒をつかんで、
「快!」
と叫んだ。ころころっとまわって出たのは、またしても叉の目。小張乙は笑いながら、
「ひとの駒を横取りなんかせずに、ひと場休むがいいといってやったのに、いうことをきかんもんだから、つづけて二度も叉の目が出てしまったじゃないか」
「おれのその金は、人さまのものなんだ」
「誰さまのものだろうと、もうおっつきゃしないよ。負けちまってから、なにをいうんだ」
「しょうがないな。まあ、おれにちょいと貸してくれないか。あしたもってきて返すから」
「ふざけたことをいいなさんな。ばくち場じゃ親子も他人ってむかしからきまってるんだ。はっきりと負けたくせに、なんだってなんくせをつける」
李逵は上衣を前にひっからげて、どなりつけた。
「やいこら、返す気か返さん気か」
「李の兄い、あんたはいつもはきれいなばくちを打つのに、今日はどうしてそうきたないんだ」
李逵は返事もせず、いきなり床の上から金をかっさらい、ついでにほかの連中がかけていた十両あまりの金もふんだくって、上衣のかくしのなかにおしこみ、両の眼をひんむいて、
「おれさまは、いつもはきれいに張るが、きょうだけはそうはいかん」
小張乙がぱっととびついて行ってとり返そうとするところを、李逵はひと突きに突きたおし、十二三人のばくちうちたちが金をうばい返そうとしていっせいにつかみかかってくるのを、李逵は四方八方になぐりまわり、一同をひとり逃さずたたきのめして、門の方へ出て行った。すると門番が、
「兄さん、どこへ行きなさる」
というのを、李逵はぐいと横へおしのけ、一蹴りに門を蹴りあけて外へ逃げ出した。みんなはあとを追ってきたが、ただ門のところで、
「李の兄貴、あんまりひどいじゃねえか、おいらの金をみんなかっさらって行くなんて」
と口々に叫ぶばかりで、誰も奪いかえしに行こうとするものはなかった。詩にいう。
世人無事にして帳《かけ》を嬲《みだ》らず
直道ただ用いて賭上に在り
李逵の不直なるも亦妨《さまた》げず
又賭賊《とぞく》の為に榜様《ぼうよう》(手本)と作《な》る
李逵がどんどん逃げて行くと、とつぜん、うしろから追いかけてきたなにものかが、肩先をつかまえてどなりつけた。
「こやつ、なんでひとの金などかっさらう」
「なにを、きさまの知ったことか」
と李逵はいいかえしたが、ふりむいて見るとなんとそれは戴宗であった。そしてそのうしろには宋江も立っている。それを見るなり李逵は大いに恥じ入って、
「兄貴、すまん。この鉄牛、いつもきれいなばくちをやるのだが、あいにくきょうは兄貴の金をすってしまい、一席設けて兄貴をおよびするつもりの金がなくなってしまったもんだから、のぼせあがってしまって、ついわるいことをしてしまったんです」
宋江はそれを聞くと大笑いして、
「金がいるのなら遠慮なくわたしにいってください。今日ははっきり負けたわけなんだから、はやく返してやりなさい」
李逵はしょうことなしに上衣のかくしからとり出して、宋江にわたした。宋江は小張乙をよんできて、そっくり返してやった。小張乙は受けとって、
「おふたりの旦那さま、わたしの分だけで結構です。この十両は李の兄貴が二度張ってわたしに負けたものにはちがいありませんが、わたしはその分は遠慮させてもらいます。あとあとまでうらまれてはかないませんから」
「いいからもって行きなさい。気にすることはないよ」
宋江がそういっても、小張乙はどうしても受けとろうとしない。そこで宋江は、
「誰も怪我はなかったかな」
ときいた。
「駒ふり、銭あつめ、門番、みんななかでたたきのめされております」
「それならこれをみんなの薬代にしてもらおう。もともとこの兄弟は出かけたがらなかったのだが、わたしが無理に行かせたのだから」
小張乙は金をおさめ、礼をいって帰って行った。宋江は、
「李の兄貴もいっしょに、これから三人で一杯やりましょう」
すると戴宗が、
「むこうの川沿いに琵琶亭《びわてい》という料亭があります。唐の白楽天《はくらくてん》にゆかりのあるところ(白楽天は『琵琶行』を作った)です。そこへ行って、川の景色を眺めながら飲むことにいたしましょう」
「それでは町で肴でも買って」
「いやその心配はいりません。むこうで売っておりますから」
「それはなによりです」
こうして三人は琵琶亭にむかったが、ついて見ると、一方は潯陽江に臨み、一方は店の主人の住居になっていて、琵琶亭には席が十あまりあった。戴宗はこぎれいな席をえらんで、宋江を上座につかせ、自分はそのむかいに、李逵はその横に、三人それぞれの座につくと、給仕をよんで、野菜・つまみもの・海魚・酒の肴などをとりよせた。給仕は玉壺春《ぎよくこしゆん》と銘のある酒を二樽もってきた。この酒は江州では名だたる銘酒である。その封が剥がされる。宋江は眼をあげて大川の景色を眺めわたしたが、まことにすばらしい眺めで、
雲外の遥山翠聳《みどりそび》え、江辺の遠水銀《しろがね》翻える。隠々たる沙汀に、幾行の鴎鷺《おうろ》飛び起《た》ち、悠々たる小浦に、数隻の漁舟〓《こ》ぎ回《かえ》る。翻々たる雪浪、長空を拍《う》ち、払々たる涼風、水面を吹く。紫宵峰《ししようほう》は上穹蒼《きゆうそう》に接し、琵琶亭は半《なかば》江岸に臨む。四囲空闊《くうかつ》、八面玲朧《れいろう》。欄杆《らんかん》の影は玻璃《はり》を浸《ひた》し、〓《そう》(窓)外《がい》の光は玉壁《ぎよくへき》を浮かぶ。昔日の楽天《らくてん》声価重く、当年の司馬(注一)涙痕多し。
そのとき、三人が座につくと、李逵がいった。
「酒は大碗についでくれ。小さな杯じゃ面倒くさいわ」
戴宗は叱りつけて、
「野暮なやつだ、文句をいわずにただ飲めばよかろう」
宋江は給仕にいった。
「われわれふたりは杯をもらおう。この兄さんには大碗をあげてくれ」
給仕はかしこまってひきさがり、碗をもってきて李逵の前におき、酒をつぎ且つ肴をならべた。李逵はにこにこしながら心につぶやく。
「まったく宋の兄貴はいいお人だ。人のうわさのとおりだ。おれの気性をちゃんとお察しだ。こんな立派な人と義兄弟になれて、ほんとによかったなあ」
給仕は六七杯もつづけて酒をついだ。宋江はこのふたりに出あったことを心のうちによろこびながら、なん杯かかさねているうちに、ふと魚辣湯《ぎよらつとう》(辛子のきいた魚の吸いもの)がほしくなって、戴宗にたずねた。
「ここにはいきのいい魚はないでしょうか」
戴宗は笑いながら、
「ごらんのとおり川いっぱいの漁船です。このあたりは魚も米も豊富なところ。いきのいい魚ならいくらでもありますよ」
「酒の口なおしにぴりっとした魚の吸いものがほしいのですが」
戴宗は給仕をよび、辛子をきかして白葱《しろねぎ》を浮かせた魚の吸いものを三人前いいつけた。ほどなく吸いものができてきた。宋江はそれを見て、
「美食は美器に如《し》かず(食べものは器《うつわ》しだい)といいますが、酒屋ながらなかなかよい器をそろえておりますな」
と、箸をとりあげ、戴宗と李逵にもすすめて、みずからも魚をつつき、汁をすすった。李逵はといえば、箸などつかわず、碗のなかに指をつっこんで魚をすくいあげ、骨もろともむしゃむしゃとたいらげる。宋江はそれを見て、くすくす笑いながら、二口ほど汁をすすったが、それきり箸をおいて、もう口をつけようとしなかった。戴宗が、
「どうやらこの魚は塩をしたものらしい。お口にあわないでしょう」
というと、宋江は、
「わたしは酒のあと口には、いきのいい魚の吸いものが好きなのですが、この魚はどうもよくありませんな」
「わたしもこれは食べられません。塩をしたものでは口にあいませんな」
李逵は自分の碗の魚を食べてしまって、
「おふたりとも食べなさらんのなら、わしが食ってあげますよ」
と、手をのばして宋江の碗のなかのをすくって食べ、さらに戴宗のもすくって食べて、ぽたぽたと卓の上に汁をこぼした。宋江は李逵が魚の吸いもの三杯を骨もろとも食べてしまったのを見て、給仕をよび、
「この兄さんは腹をすかしているようだから、大切りの肉を二斤ほどもってきてくれ。代はあとでいっしょにはらうから」
すると給仕のいうには、
「てまえどもの店では、羊の肉だけで、牛肉はありません。脂ののった羊肉なら、いくらもございますが」
李逵はそれを聞くと、魚の汁をまっこうからぶっかけて給仕の身体じゅうをびちゃびちゃに濡らしてしまった。
「また、なんてことをするんだ」
と戴宗がどなりつけると、李逵は、
「このやろう、なんとも無礼なやつだ。おれには牛肉が似合いだとばかにしてやがって、羊の肉は売らんというのか」
「てまえはただ、ちょっとおうかがいしてみただけで。ほかのことはなにも申してやしません」
という給仕に、宋江は、
「さあ、とにかく切ってきな。金はわしがはらうから」
給仕は腹のたつのをおさえおさえ、羊の肉を二斤切り、大皿に盛りあげてきて卓の上においた。李逵はそれを見ると、遠慮えしゃくもなく、いきなりつかみあげてむしゃむしゃと頬張り、見る見るうちに二斤の羊の肉をたいらげてしまった。宋江はそれを眺めて思うよう、
「盛んなもんだ、いかにも豪傑だ」
李逵は李逵で思うよう、
「宋の兄貴は察しがいい、魚よりか肉の方がよさそうだと、ちゃんと、こっちの心を汲んでくださった」
戴宗は給仕をよんでいった。
「いまの吸いものは、器《うつわ》がなかなか上等だが、なかの魚は塩もので食べられたものじゃない。なにかいきのいいのがあったら、別に辛味のきいた吸いものをつくってきて、酒の口なおしにこの旦那にさしあげてくれ」
「じつを申しあげますと、院長さん、あの魚はゆうべのものでした。きょうのいき魚は、あいにくまだ舟のなかで、問屋の親方がやってこないものですからまだ売りに出さないのです。それでまだいきのいい魚が手にはいりませんので」
すると、いきなり李逵が立ちあがって、
「よし、おれが行って、生きているのを二匹もらってきて兄貴たちにご馳走しよう」
「おまえが行ってはいかん。給仕にたのんで、二三匹無心してきてもらえばいいんだよ」
と戴宗はおしとめたが、李逵は、
「舟の漁師がくれないはずはありませんよ。なにもたいしたことじゃないんだから」
と、戴宗がとめるのも聞かず李逵はぱっと飛び出して行った。
「兄貴、あんなやつをおひきあわせして、どうもあいすみません。てんで人前もなにもおかまいなしで、おはずかしいしだいです」
戴宗がそういうと、宋江は、
「生まれつきああなんでしょうから、いまさらどうにもかえられますまい。わたしはかえって、あのいかにも一途《いちず》なところが好きです」
ふたりは琵琶亭で楽しく語らいをつづけた。詩にいう。
〓江《ぼんこう》の煙景は塵寰《じんかん》(俗世)を出《い》ず
江上の峯巒《ほうらん》は髻鬟《けいかん》(まげ)を擁す
明月 琵琶 人見えず
黄蘆《こうろ》 苦竹《くちく》 暮潮還《かえ》る
さて、李逵が川ぶちまで行って見ると、八九十嫂の漁船が一列にならんで楊《やなぎ》の木かげにつないであった。舟の猟師たちは、ともの方で舟ばたを枕にして寝そべっているのもあれば、へさきで網をつくろっているものもあり、また、川のなかで水を浴びているものもいた。季節はちょうど五月のなかば、西の空には夕日がまさに沈もうとしている。だがまだ、船艙(胴の間に水をいれて生け簀《す》にしている)をあけて魚を売りに親方のやってくるようすもない。李逵は舟のそばへ行って大声でよびかけた。
「おい、舟のなかの生きた魚を二匹くれんか」
「わしらは問屋の親方がこないうちは船艙があけられないんだよ。あのとおり、ふり売りの魚屋連中も、みんなあすこに腰をおろして待ってるだろう」
と漁師は答えた。李逵は、
「糞親方なんぞ待つことがあるか。とにかくおれに二匹くんな」
「まだ、紙(商いをはじめる前に縁起を祝って焼く紙銭)も焼いていないのに、船艙をあけることなんかできんよ。魚はやれないね」
李逵は誰も魚をくれるもののないのを見て、一艘の舟にとび乗った。漁師はとめだてすることなど、とてもできない。李逵は舟のなかの勝手は知らないので、委細かまわず、竹の簀をひき抜いてしまった。漁師たちは岸の上で、
「わっ、しまった!」
と叫ぶばかり。李逵は舟板の下に手をつっこんでさぐって見たが、もとより魚は一匹もいるはずはない。というのは、こうした大きな川の漁船は、船尾に大きな穴をあけて川の水をかよわせ、そこに魚をいかしたまま放して、竹の簀で穴をふさいでおくのである。こうして船艙にはたえず新しい水がかよい、生きた魚がはなし飼いにされている。江州の魚はいきがいいというのは、このためである。李逵はそういうことは知らないので、竹の簀をひき抜いて船艙の生きた魚をみな逃がしてしまったのだった。
李逵はさらに別の舟にとび移って、竹の簀をひき抜いた。と、七八十人の漁師たちが、どっと舟へかけあがり、竹棹をふるって李逵に打ちかかってきた。李逵はかっとなり、上衣をかなぐり捨てれば、下は碁盤縞の布一本を結んだだけ。滅多やたらに打ちかかってくる竹棹を両手で受けとめ、たちまちその五六本をひったくって、まるで葱《ねぎ》でもねじるように、へし折ってしまった。漁師たちはそれを見て肝をつぶし、みな纜《ともづな》をといて舟を漕ぎ出して逃げて行った。李逵はぷりぷり怒って、すっ裸のまま、へし折った竹棹を二本もって岸へあがり、ふり売りの魚屋たちに打ちかかって行った。ふり売りたちは、みな、ちりぢりに天秤をかついで逃げて行く。
ちょうどそのさわぎの最中に、小路からひとりの男が出てきた。人々はそれを見るなり叫んだ。
「ああ、親方さん、あの黒ん坊の大男がここで魚をふんだくろうとして漁船をみんな追いちらしてしまいましたぜ」
するとその男は、
「そんなふとどきなまねをしやがった黒ん坊の大男というのは、いったいどいつだ」
人々は手で指さしながら、
「ほら、あそこの川のふちで、まだ人を追っかけてあばれております」
男はつかつかと近づいて行って、どなった。
「このやろう、豹の心臓か虎の肝でもくらってきやがったのか。おれさまの商売を邪魔するとは、ゆるさんぞ」
李逵がその男を見ると、身の丈は六尺五六寸、年の頃は三十二三、口のまわりには三すじの黒髯《くろひげ》、頭には青い紗の万字頭巾をかぶり、頭巾の下には頭のてっぺんを紅いひもでしばった《たぶさ》がすけて見え、身には白い上衣をひっかけ、腰には絹の腹巻きをしめ、足には縞の脚絆を巻き、乳《ち》の多い麻の鞋《くつ》をはき、手には秤《はかり》をさげている。この男、魚を売りにやってきたところ、李逵がそこで縦横に人をなぐりまわしているのを見ると、秤をふり売りにあずけ飛び出して行ってどなった。
「このやろう、誰をなぐりやがる」
李逵は返事もせずに、竹棹を振りまわしてその男にうちかかって行った。男がとびこんできてさっと竹棹をうばいとると、李逵は男の髪をむんずとつかんだ。男は李逵の股にもぐりこんでひっころがそうとしたが、李逵の水牛のような力にはとうてい歯が立たず、そのままおしつけられて身をひねることすらできない。男はそこで拳《こぶし》をふるって相手の脇腹を打ったが、李逵にはまるで通じない。男はこんどは足蹴りを飛ばそうとしたが、李逵は頭をつかんでおさえつけ、鉄槌のような大きな拳固《げんこ》を振りあげて、まるで太鼓でもたたくように男の背中を打ちまくる。男はもはや手も足も出ない。李逵がそうしてなぐりつけているところへ、誰かがうしろから腰をだきかかえ、もうひとりの男が手をつかんで、
「やめろ、やめろ」
とどなった。李逵がふりかえって見ると、なんとそれは宋江と戴宗。李逵が手をはなすと、男はやっとぬけ出して一目散に逃げて行った。
戴宗は李逵をとがめて、
「わしは魚をもらいに行くのはよせといったろう。またぞろこんなところで喧嘩して。もし人をなぐり殺しでもしてみろ、牢に入れられて死刑になるぞ」
「あんたを巻きぞえにしなきゃいいんだろう。おれがなぐり殺したものは、おれひとりで始末をつけるよ」
と李逵はいいかえす。宋江は、
「まあ、そういがみあいなさるな。さあ、上衣をとってきて、一杯飲みに行こう」
李逵は柳の木の根もとから上衣をひろってき、腕にひっかけ、宋江と戴宗について出かけた。ところが十歩あまりも行かぬうちに、誰やらうしろからののしり叫ぶ声が聞こえた。
「黒ん坊やろう、こんどこそけりをつけてやるぞ」
李逵がふりかえって見ると、さっきの男が、すっ裸になって水《すいこん》(うすい布の股引の類)をぴったりはきこみ、白の練《ねりぎぬ》にもまごう真っ白な肌をあらわし、頭は頭巾をかなぐりすてて例の紅いひもでしばった意気な《たぶさ》を見せ、岸づたいにただひとり、竹棹で漁船をあやつりながら追ってきて、大声でののしるよう、
「一寸きざみ五分だめしにしてもなおあきたらぬ黒ん坊め、きさまなんぞをおそれるようじゃ、おれも好漢とはいえぬ。逃げるやつは好男子とはいえぬぞ」
李逵はそれを聞くと大いに怒り、おうっ、と一声吼えるや、上衣を投げすて、身をひるがえして飛びかかって行った。男は舟をよせて岸辺につけ、竹棹で舟を止めながら、大いにののしった。李逵もののしりかえし、
「好漢なら岸へあがってきやがれ」
男は竹棹で李逵の脚を突く。李逵はけしかけられて烈火のように怒り、ぱっと舟に飛びこんだとたん、男はまんまと李逵を船のなかにおびきよせ、竹棹を岸につっぱり、両足をぐっと踏んばれば、舟は突風にひるがえる枯葉のごとく、矢にも似た速さで川の真中へと突きすすんだ。李逵は水の心得がなくもなかったが、さして得手ではなかったので、こうなってはいささか狼狽の態。男はののしるのをやめ、竹棹を投げすてて、
「さあこい。こんどこそはけりをつけてくれるぞ」
と、李逵の腕をひっつかみ、
「なぐるのはあとだ。まず、ちと水を飲ましてくれるわ」
と、両足でぐらぐら舟をゆすぶると、舟底は天をむいて、英雄は水のなかへ。ふたりはもんどりうってどぼんと川のなかに落ちこんでしまった。
宋江と戴宗があわてて岸へ飛んで行ったときには、舟はすでに川のなかにひっくりかえっていた。ふたりは岸に立って、ただ困った困ったとうろたえるばかり。川岸にははや四五百人の人がむらがってきて、柳のこかげで見物しながら口々にいっている。
「あの黒ん坊のでっかい男も、こんどはひっかかったな。なんとか命はたすかるにしても、腹のはちきれるほど水を飲まされるだろうて」
宋江と戴宗が岸で見ていると、ぱっと水面が割れて、男が李逵をひっさげて出てき、また沈んで行った。ふたりは川の真中のみどりの波のなかで、ひとりは真っ黒な肌をあらわし、ひとりは真っ白な肌をさらし、くんずほつれつ争いあう。岸の上の四五百人のものはみな、やんやの大喝采。そのありさまは、
一個は是れ沂水《ぎすい》県に精を成せる異物、一個は是れ小孤山《しようこざん》に怪を作《な》せる妖魔、這箇《こ れ》は酥団《そだん》(乳酪)を結びて肌膚《きふ》を就《な》し、那箇《あ れ》は炭屑《たんせつ》(炭粉)を輳《あつ》めて皮肉を成す。一個は是れ馬霊官《ばれいかん》(道教の猛神)の白蛇《はくだ》(その使わし)の托化《たくか》(生まれかわり)、一個は是れ趙元帥《ちようげんすい》(道教の猛神)の黒虎《こくこ》(その使わし)の投胎《とうたい》(生まれかわり)。這箇は万々の鎚の打ち就せる銀人の似《ごと》く、那箇は千々の火の錬《きた》え成せる鉄漢の如し。一個は是れ五台山の銀牙の白象《はくぞう》、一個は是れ九曲河《きゆうきよくか》の鉄甲《てつこう》(黒鱗)の老竜。這箇は布漆《ふしつ》(うるし塗り)の羅漢の神通《じんつう》を顕《あら》わせるが如く、那箇は玉碾《ぎよくてん》の金剛《こんごう》の勇猛を施《ほどこ》すが如し。一個は盤旋《ばんせん》すること良《やや》久しく、汗流れて遍体に真珠迸《ほとばし》り、一個は〓〓《しゆうし》すること多時にして、水浸《ひた》して渾身《こんしん》に墨汁を傾く。那箇は華光教主《かこうきようしゆ》(妖神)を学んで、碧波深き処に向《おい》て形骸を現わし、這箇は黒〓天神《こくさつてんしん》(凶神)の像《ごと》く、雪浪堆《たか》き中に在って面目を呈す。正に是れ玉竜天辺の日を攪《か》き暗《くら》まし、黒鬼水辺の天を掀《か》き開く。
このとき宋江と戴宗は、李逵がその男のために水のなかにひきずりこまれ、溺れて目を白黒させてはまたひきあげられたり沈められたり、何十回となく水のなかにつっこまれるのを見ていたが、そのありさまは、
舟を陸地に行《や》るは力能く為すも
拳《こぶし》江心に到っては施すべき無し
真《まこと》に是れ黒風白浪を吹き
鉄牛児は水牛児と作《な》る
宋江は李逵がやられているのを見て、戴宗に、人をたのんでたすけさせるようにいった。戴宗が人々にむかって、
「あの、白い大男はなんというやつだ」
とたずねると、顔を知っているのがいて、
「あの好漢はこの地の魚問屋の主人で張順《ちようじゆん》という人です」
宋江はそれを聞くと、はっと思い出して、
「それでは、浪裏白跳《ろうりはくちよう》とあだ名されるあの張順では」
「そうです。その人です」
と人々はいう。宋江は戴宗にむかって、
「わたしは、彼の兄の張横というものに手紙をあずかって、牢城においてあるのだが」
戴宗はそれを聞くと、岸から大声でよびかけた。
「張二兄い、待ってくれ。あんたの兄さんの張横さんからの手紙をもっているんだ。その黒い大男はおれたちの弟分だ、かんべんしてやって、岸へあがってきてくれ、話があるんだ」
川の真中の張順は、戴宗が自分をよんでいるのを見て、日ごろその顔は知っていたので、さっそく李逵をはなし、泳いできて岸にはいあがり、戴宗にむかって礼をし、
「院長さん、どうも手荒なまねをしてすみません」
「わたしの顔に免じて、ここはひとつ、あの弟をたすけてやってください。あとで、あんたにある人をおひきあわせします」
戴宗がそういうと、張順はまた水のなかへ飛びこんで、泳いで行った。李逵はちょうど川の真中で頭を出したりひっこめたりしてもがいていたが、張順は見る見るそこへ泳ぎついて、李逵の片腕をつかまえると、両足で水を踏んでまるで平地を歩くかのよう、水は腹まではつかず、臍の下あたりまでひたすだけ。片腕をのばして李逵を岸の方へ連れてくる。川ぶちで眺めていた人々はみなやんやの喝采をおくり、宋江もしばし呆然と目を見はっていた。やがて張順と李逵は岸へあがった。李逵は息をきらしてへたばりこみ、しきりと水を吐いた。
「とにかくまあ、琵琶亭へ行ってお話ししましょう」
と戴宗はいった。張順は上衣をとってきて着、李逵も上衣を着て、四人はまた琵琶亭へ行った。
戴宗は張順にむかって、
「張二さん、わたしをご存じで?」
「よく存じあげておりますとも。ただ、これというご縁がないものですから、お近づきをねがうおりがなかっただけで」
戴宗は李逵を指さして、また張順にたずねた。
「この男はご存じで? 今日はとんだご無礼をやらかしましたが」
「李の兄いなら知っておりますとも。もっとも手あわせをしたのははじめてです」
すると李逵が、
「おまえ、たんまり水を飲ませてくれたな」
「おまえも、たんまりぶんなぐってくれたな」
と張順。
「これでふたりは仲のよい兄弟になったわけだ。ことわざにもいうとおり、喧嘩しなけりゃ仲よしにはなれぬ(雨降って地かたまる)とな」
戴宗がそういうと、李逵は張順に、
「おまえ、道でおれに出くわさんようにするがいいぜ」
「おれは水のなかでおまえを待ってるぜ」
と張順。
四人はどっと吹き出し、口々に、
「いや、これはご無礼」
戴宗は宋江を指さして、張順にいった。
「張二さん、この方をご存じですかな」
張順はよく見てから、
「いえ、存じあげません。ここいらでお見かけした覚えはございませんが」
すると李逵がぱっと立ちあがっていった。
「この兄貴がすなわち、黒《くろ》宋江」
「というと、あの山東の及時雨、〓城の宋押司さんで?」
「そうです、公明兄貴です」
と戴宗が答えると、張順は平伏して、
「お名前はかねがねうけたまわっておりましたが、こうしてお目にかかれようとは思いもかけぬことでございました。世間をわたり歩く人々の口から、危うきをたすけ困《くる》しめるをすくい、財をうとんじ義をおもんじられるという、あなたさまの清いお人柄は、もうたびたび聞かされておるところでございます」
「いやいやお言葉いたみいります。先日こちらへまいります道で、掲陽嶺《けいようれい》の麓の混江竜《こんこうりゆう》の李俊《りしゆん》さんの家になん日か逗留させてもらいましたが、その後、潯陽江《じんようこう》で穆弘《ぼくこう》さんに出くわしたことから、あなたのお兄さんの張横さんにお会いし、あなたあての手紙を一通ことづかってきました。それは牢城の方においてあって、ここには持ってきておりませんが。きょうは、戴院長、李の兄いといっしょにこの琵琶亭で一杯やりながら川の景色をたのしんでいたのですが、ふとわたしが酒のあとで、口なおしにいきのいい魚の吸いものを所望しましたところ、李の兄いが、自分で行ってどうしても手に入れてくるといい出して聞かず、わたしたちふたりも、とめきれなかったのです。そのうちに川岸の方でなにやら騒がしい声がしますので、給仕を見にやらせますと、色の黒い大男が喧嘩しているという、わたしたちふたりがあわててとめに行ったところ、はからずもあなたにお会いしたというわけです。こうしていちどに三人もの豪傑にお会いできたのは、宋江このうえもないしあわせです。さあ、ごいっしょに一杯やりましょう」
と、また給仕をよんで、杯や皿を新しくさせ、改めて料理をととのえさせた。張順は、
「いきのいい魚がご所望なら、わたしが行ってすこし持ってきましょう」
「それはありがたい」
と宋江がいうと、
「わしもいっしょに行こう」
と李逵がいう。戴宗は叱りつけて、
「またはじまった。まだ水が飲みたりないのか」
張順は笑いながら、李逵の手をとり、
「さあいっしょに魚をとりに行こう。みんながどうするか見てやろう」
まさに、
殿に上って相争うこと虎に似
水に落ちて闘うことまた竜の如し
果然和気を失わず
斯《こ》れ草沢の英雄為《た》り
ふたりは琵琶亭をおりて江岸に出た。張順が一吹き口笛を吹き鳴らすと、川の上の漁船はみないっせいに岸辺へ漕ぎよせてきた。張順が、
「金色の鯉のあるのはどの舟だ」
というと、こちらから、
「わしの舟へどうぞ」
あちらからも、
「わしの舟にあります」
と、見るまに十数匹の金色の鯉が集まった。張順は、そのうちから大きなのを四匹えらんで柳の枝にとおし、李逵を料理ごしらえのためにさきに亭に帰らせ、自分は、ふり売りたちをよび集め、子分にいいつけて秤ではかって魚を売らせた。張順はそれから琵琶亭へひきかえして、宋江の相伴をした。
宋江は張順に礼をいった。
「こんなにたくさんいただきまして。一匹ちょうだいすれば十分でしたのに」
「いや、ほんのすこしで、おっしゃるほどのことではありません。あまりましたら、お持ちかえりになって飯の菜にでもなさってください」
張順と李逵は年の順からいえば李逵の方が年長だったので、李逵が三番目の席につき、張順は四番目の席についた。こうしてふたたび給仕をよんで銘酒の玉壺春を二樽いいつけたほか、海のものや酒の肴、つまみものなどをとりよせた。張順は給仕に、一匹の魚は酒で蒸して辛味のきいた吸いものにつくり、一匹はなますにつくるよういいつけた。
四人は酒をくみかわしながらうちとけて語りあい、いよいよ話のはずんできたとき、見れば、年のころ二八《にはち》ばかりの、紗の衣裳をまとったひとりの女がはいってきて、ていねいに四人に挨拶をすると、声をはりあげて歌をうたい出した。李逵はこのとき、ちょうどおのれのさまざまな武勇談を披露におよぼうとしていたところだったが、その矢先に歌い出され、三人は歌の方に聞きいって、話の腰を折られてしまった。李逵はむらむらと怒りがこみあげてきて、いきなりたちあがり、二本の指でその女の額をついた。と女はきゃっと一声悲鳴をあげて、ばったりと倒れてしまった。一同が駆けよってみると、女の頬は土気色にあおざめはて、口には言の葉も絶えている。料亭のあるじはつかつかと歩みよって四人の前にたちふさがり、お上へ訴え出ようという。まさにこれ、香《こう》を憐れみ玉《ぎよく》を惜しむ情緒なく、鶴を煮《に》、琴を焚いて是非を惹《ひ》く、というありさま。さて、宋江ら四人はいかにしてこの料亭から逃れ出るか。それは次回で。
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一 司馬 白楽天のこと。白楽天は唐の憲宗の元和十年(八一五)江州の司馬に左遷され、ここで『琵琶行』を作った。その詩はかつて長安で名妓とうたわれた女の、運命にもてあそばれる姿をうたってみずからの敗惨の嘆きを託している。「涙痕多し」とはそれをいったもの。
第三十九回
潯陽楼《じんようろう》に 宋江《そうこう》反詩を吟じ
梁山泊《りようざんぱく》より 戴宗《たいそう》仮信を伝う
さて、そのとき李逵《りき》が指さきで女をおし倒すと、料亭のあるじが立ちふさがって、
「四人の旦那、なんてことをなさるのです」
といい、あわただしく給仕や番頭を呼びたててみなに女の介抱をさせ、しゃがんで水を吹きかけた。すると間もなく女が息を吹きかえしたので、助けおこして見ると、額の薄皮がちょっとすりむけている。女はそれで目をまわして倒れたのだったが、助けられて正気づき、まずは何よりという次第。女の両親は、相手が黒旋風《こくせんぷう》だと聞くと、あっとおどろいて、しばらくは呆然たるありさま。談じこむどころのさわぎではなかった。女はと見ると、もう口もきけるようになったので、母親は手巾をとり出して頭を繃帯してやり、かんざしや耳環をなおしてやった。宋江が、
「おまえさんはなんという姓で、どこのものだね」
とたずねると、老婆が答えて、
「申しあげます。わたくしども夫婦は、姓は宋《そう》と申しまして、もともと都のものでございます。子供はこの娘ひとりきりで、幼名《おさなな》を玉蓮《ぎよくれん》と申します。父親がすこしばかり歌を教えまして、この琵琶亭ででたらめにうたわせて、それで口すぎをしているという次第でございます。そそっかしいものですから、よく様子を考えもせずに、旦那さまがたがお話をしておられるのもかまわず、いきなり歌い出しましたことから、いまこちらのおかたの手がそれて、ちょっとした怪我をしただけでございまして、お役所へ訴えて旦那さまがたにご迷惑をかけるようなことは決していたしません」
宋江は老婆の話しぶりが穏やかなのを見て、
「それでは誰かわしについて牢城まできてくれんか、娘さんの治療代に二十両あげるから。そのうちによいお婿さんを見つけて嫁にやるんだな。こんなところで歌をうたってかせぐことはやめさせるがいい」
夫婦はいっしょに礼をいった。
「そんなにたくさんいただきますなんて」
「わしは一旦いったことはかならず守る。うそはいわぬ。ちゃんとあげるから、おやじさんをわしについてこさせなさい」
「お情けのほど、ありがとうございます」
夫婦ふたりは礼をいった。
戴宗は李逵をとがめて、
「きさまというやつは、なにかといえばすぐごたごたをおこす。見ろ、また兄貴に散財させることになったしゃないか」
「指のさきでちょっとこすったら、むこうで勝手にひっくりかえってしまいやがったんだ。おいら、こんなひ弱いあまっ子ははじめて見たよ。かまわんから、おれの横っ面を百ぺんぶんなぐってくれよ」
宋江たち一同はどっと笑った。
張順が給仕を呼んで、
「きょうの勘定はおれがはらうからな」
給仕はそれを聞いて、
「かまいませんから、このままお帰りくださいませ」
ところが宋江は承知しない。
「わたしがおふたりをさそったのに、あなたに勘定をはらわせるなんてことはできませんよ」
張順は張順で、あくまで自分がはらうといい張る。
「ありがたくも兄貴に会えたんです。あなたが山東におられたときにも、わたしたち兄弟ふたりで出かけて行ってご厄介になろうと思っていたほどです。きょう、こうしてお目にかかることができたのは、このうえもないしあわせというもの。このはらいはその気持のほんのわずかなしるしです。これしきのことで礼がつくせるわけではありませんが」
すると戴宗が、
「公明の兄貴、せっかくの張二兄いの心づくしだ。聞いてやりなさったらよいでしょう」
「張順さんがはらってくれるのなら、いずれ日をあらためて、一席設けてお返しすることにしましょう」
宋江がそういうと、張順は大いによろこび、二匹の鯉をたずさえて、戴宗・李逵とともに、かの宋老人をともない、宋江を送って琵琶亭を出、牢城に着いた。五人は書記部屋にはいって腰をおろした。宋江はさっそく小さな錠銀二枚で二十両をとり出し、宋老人にあたえた。老人は礼をいって帰って行ったが、このことはそれまでとする。やがて日が暮れて、張順は魚をさし出し、宋江は張横の手紙をとり出して張順にわたし、ふたりは互いに別れを告げた。宋江はまた五十両の錠銀をとり出して、李逵にいった。
「これをもって行って、つかってください」
戴宗と李逵も別れの挨拶をして、町へ帰って行った。
一方、宋江は、一匹の魚を典獄におくって、一匹は自分で食べた。魚はいきがよくて口あたりがよかったので、宋江はいささか食べすぎたところ、夜の四更(二時)ごろになって、腸がよじれ腹がさけるかと思うほど痛みだし、夜明けごろまでずっとつづけざまに二十回ほどもくだし、ついに目がくらみ気が遠くなって、部屋のなかで寝ていた。宋江は人柄のよい男だったので、牢城内のものはみんなで粥を煮たり湯を沸かしたりして、まめまめしく看病した。
翌日、張順は宋江が魚好きだと知って、またもや金色の大きな鯉を二匹持って、手紙をとどけてくれた礼をいいに行ったが、なんと、宋江は下痢をして床についており、囚人たちがおおぜいつきそって看病しているではないか。張順がそれを見て、医者を呼んで診《み》てもらうようにすすめると、宋江は、
「口ぎたないまねをして魚を食べすぎ、腹をこわしただけなのです。下痢どめの六和湯を一服買ってきていただけませんか、あれを飲めばなおると思うのです」
そして張順にたのんで、その二匹の魚を、一匹は王典獄におくり、一匹は趙看守におくった。張順は魚をおくりとどけてから、六和湯を一服買ってきて宋江にわたして帰って行ったが、このことはそれまでとする。
牢城内ではみなが薬を煎じて看病したが、翌日になると、戴宗と李逵が酒や肉をとりそろえて、書記部屋へ宋江を見舞いにきた。が、見れば宋江は急病がなおったばかりのところで、酒や肉など口にできない。そこでふたりは、ふたりだけでその部屋で飲み食いし、夕暮れになって挨拶をして帰って行ったが、このこともそれまでとする。
ところで宋江は、牢城で五六日養生するうちに、どうやら身体もしゃんとしてきて病気がなおったようなので、町へ出かけて行って戴宗を訪ねようと思った。そのまま一日すごしたが、誰も訪ねてこなかったので、翌日、朝食をすませてから、辰牌(八時)ごろ、すこしばかり金をふところにし、部屋の戸にかぎをかけて牢城を出た。ぶらぶら歩いて行って、やがて町へはいり、州役所のあたりで戴院長の家はどこかとたずねてみると、
「あの人は家族がないので、いつも城隍廟《じようこうびよう》の隣の観音庵《かんのんあん》に寝泊まりしているよ」
という。宋江はそれを聞いて、さっそくそこへ訪ねて行って見ると、かぎがかかっていて、出かけたあとであった。そこでまたひき返してきて、黒旋風の李逵の家はどこかとたずねてみると、みなのいうには、
「あの男はむちゃくちゃやろうで、家なんぞあるはずはない。いつもは牢をねぐらにしているが、どこということなくでたらめに見廻り歩いて、あっちへ行っては二三日泊まり、こっちへきてはしばらく寝るといったぐあいで、どこが家だかわかったものじゃない」
そこで宋江は、こんどは魚問屋の張順の家はどこかとたずねてみると、
「あの人は城外の村に住んでるよ。魚のあきないも城外の川岸でやっていて、町へは掛取りにくるだけだ」
という。宋江はそれを聞くと、またひき返してそこへ訪ねて行って見ようと思い、ただひとり、くさくさしながら、ぶらりぶらりと城外へ出て行ったが、見ればそこにはまことに見事な川の眺めがひらけていて、いくら見ても見あきない。そのうちにとある料亭の前を通りかかり、顔をあげて見ると、かたわらに立っている旗竿に黒木綿の酒旗があがっていて、それには、
潯陽江正庫《じんようこうせいこ》(正庫は本舗の意)
としるしてあり、彫刻をほどこした軒には一枚の額《がく》が掲げてあって、それには蘇東坡《そとうば》の字で、
潯陽楼《じんようろう》
と三字、大書してあった。宋江をそれを見て思うよう、
「〓城にいたころから、江州には潯陽楼という名所があると聞いていたが、これがそうだったのか。ひとりなのはあいにくだが、やりすごすという法はあるまい。あがって遊んで行くことにしよう」
宋江が店の前まで行って見ると、門のかたわらには朱塗りの華表《かひよう》(縁起などをしるした飾り柱で、対《つい》になっている)があって、一対の白い札がかかっており、それぞれ、
世間無比酒《せけんむひのさけ》
天下有名楼《てんかゆうめいのろう》
と五字ずつ大きく書いてある。宋江は二階へあがって行き、川に面した小部屋に席をとって、手すりにもたれ、目をあげてあたりを見わたせば、まことにすばらしい料亭で、
彫簷《ちようえん》(彫刻をした軒)日に映じ、画棟《がとう》(彩色をした棟)雲に飛ぶ。碧《あお》き欄杆は低く軒〓《けんそう》(窓)に接し、翠《みどり》の簾幕《れんばく》(とばり)は高く戸〓《こゆう》(窓)に懸《かか》る。酔眼を消磨《しようま》するは青天に倚《よ》る万畳《ばんじよう》の雲山、吟魂(詩心)を勾惹《こうじやく》するは瑞雪を翻す一江《いつこう》の煙水。白蘋《はくひん》(白い花の咲く水草)の渡口には時に漁父の榔《ろう》(魚を網に追いこむ棒)を鳴らすを聞き、紅蓼《こうりよう》(赤い花の咲くたで)の灘頭には毎《つね》に釣翁《ちようおう》の楫《かい》を撃つを見る。楼畔の緑槐《りよくかい》には野鳥啼《な》き、門前の翠柳《すいりゆう》には花〓《かそう》(馬)繋《つな》がる。
宋江は眺めて、しきりに讃嘆した。
やがて給仕があがってきて、
「お客さま、お連れさまをお待ちでしょうか、それともおひとりでおくつろぎに?」
宋江は、
「客がふたりくるはずなのだが、まだこない。ひとまず上酒一樽と、つまみものと肉をもらおうか。まあ、そちらにまかせるから適当に出してくれ。だが、魚はいらんぞ」
給仕はかしこまって階下へおりて行った。まもなく盆ではこばれてきたのは、藍橋風月《らんきようふうげつ》という美酒一樽、野菜のもの、季節のつまみもの、酒の肴。ほかに羊の肉、わかどり、あひるの粕づけ、上等の牛肉など。それがみな朱紅の皿や小鉢に盛られていた。宋江はそれを見ると心がうき立ってきて、気も大きくなり、
「こんな見事な料理、そして美しい器、さすがに江州は富貴の地だ。おれは罪を犯してここまで流されてきた身とはいえ、かえってそのために、こんなすばらしい山水を目にすることができた。おれの郷里にも名勝古蹟はいくつかあるが、とてもここの景色にはおよばない」
と、ひとりで一杯二杯と杯をかさね、手すりにもたれて心ゆくままに飲むうちに、思わずしたたかに酔ってしまったが、そのときふと胸につきあげてくる思いは、
「おれは山東に生まれ、〓城で育ち、小役人をしているうちに、あまたの好漢たちと交わりをむすんでいささか虚名をはせはしたものの、はや年も三十を越え、立身もできず富貴も得られず、それどころか双《そう》の頬に刺青《いれずみ》をいれられて、こんなところまで流されてきて、故郷にいる父や弟に会うすべもない身なのだ」
思わず酔いがまわってきて、はらはらと涙をこぼした。山水を見るにつけても、かなしみが胸にこみあげてくる。そのときふとできたのが西江月《せいこうげつ》調のうたひとつ。さっそく給仕を呼んで筆硯を借り、立ちあがってあたりを見まわすと、白壁にこれまでの人のうたがたくさん書いてあるのが目についた。宋江は、
「よし、ここに書いておこう。もしいつか立身をしたならば、またやってきて過ぎた歳月をおもい、読みかえして、きょうの苦しみをしのぼう」
と、酒の興にまかせて、墨を濃くすってたっぷりと筆にふくませ、勢いよくその白壁の上に筆をふるった。
幼より曾《かつ》て経史を攻《おさ》め
長成して亦権謀《けんぼう》有り
恰《あたか》も猛虎の荒丘に臥すが如く
潜《ひそか》に爪牙を伏せて忍受す
不幸にして双頬《そうきよう》に刺文《しぶん》(いれずみ)され
那《なん》ぞ堪《た》えんや配されて江州に在るに
他年若《も》し冤讎《えんしゆう》が報ずるを得ば
血もて潯陽の江口を染めなん
宋江は書きおわってそれを眺め、いかにも満足げに笑いながら、さらに何杯か酒をあおったが、無性に心がはずんできて、狂おしいばかりに興をおぼえ、手を舞わせ足をおどらせながら、また筆を取りあげ、西江月調のうたのあとに、さらに四句の詩を書きつけた。
心は山東《さんとう》に在り身は呉《ご》に在り
江海に飄蓬《ひようほう》(流浪)して漫《いたずら》に嗟吁《さう》す
他時若《も》し凌雲《りよううん》の志を遂《と》げなば
敢て笑わん黄巣《こうそう》(注一)の丈夫《じようふ》ならざるを
宋江は詩を書きおわると、さらにそのあとに、
〓城宋江作
と、五字を大書した。書きおわって卓の上に筆を投げすてると、もう一度自分でうたってみた。そしてまた数杯酒を飲み、われ知らず飲みすごしてしまって、もはやどうにもならぬほど酔ってしまった。そこで給仕を呼んで勘定をいいつけ、銀子をとり出してはらい、つりはそっくり給仕にくれてやり、袖をはらって階下へおりて行き、よろよろと千鳥足を踏みながら道をたどって牢城へ帰り、部屋の戸をあけるなり、どたりと寝台の上に倒れて、そのまま五更(夜明け四時)ごろまでぐっすり眠ってしまった。そして酔いがさめたときには、前日、潯陽楼で詩を書いたことなどすっかり忘れてしまって、二日酔《ふつかよい》でその日は部屋にこもって寝ていたが、この話はそれまでとする。
さて、この江州の町の川むこうにもひとつの町があって、その名を無為軍《むいぐん》といった。別にとりたてていうこともない田舎町だったが、この町に、退職の通判《つうはん》(注二)で、姓を黄《こう》といい、名は二字名で文炳《ぶんへい》という男がいた。この男はひととおり学問をおさめた身でありながら、阿諛便佞《あゆべんねい》の徒で、心がせまく、才能あるものをねたみきらい、自分よりすぐれたものはおとしいれ、劣ったものはばかにするという男。郷里で人を苦しめてばかりいたが、たまたま蔡九《さいきゆう》知府が今をときめく蔡太師の息子であることを知って、たびたび出かけて行ってご機嫌をとり、しげしげ川をわたって知府を訪ね、そのひきたてによって、いまいちど官途に返り咲こうとたくらんでいた。宋江の運命はちょうど受難のときにあたっていたのであろうか、この相手にぶっつかることになったのである。
その日、この黄文炳は家でぶらぶらしていたが、所在ないあまり、下男ふたりを連れ、季節の贈り物を買いととのえて、自家用の快船《はやぶね》で川をわたり、役所へ蔡九知府を訪ねていった。ところがおりあしく役所では公《おおやけ》の宴会がひらかれているところだったので、遠慮して船に帰った。舟は下男がちょうど潯陽楼の下につないでいた。黄文炳は、むし暑い日なので、ひとつ楼へ上って遊んでみようと思いたって、料亭のなかへふらりとはいって行き、ひととおり見まわしてから二階へあがり、手すりにもたれて気晴しをしたが、やがて目にとまったのが壁に書いてあるたくさんのうた。できのよいのもあれば、まるでなっていないのもあり、黄文炳はせせら笑いながら読んでいったが、宋江が書きつけた西江月調のうたと四句の詩のところへくると、びっくりして、
「これは、謀叛《むほん》の詩ではないか。誰が書いたのだろう」
あとには「〓城宋江作」の五つの文字が大きく書かれている。黄文炳は、はじめからもういちど読みなおした。
幼より曾《かつ》て経史を攻《おさ》め
長成して亦権謀《けんぼう》有り
ふん、と冷笑して、
「この男、なかなかたいした自信だな」
さらに読みつづけた。
恰《あたか》も猛虎の荒丘に臥すが如く
潜《ひそか》に爪牙を伏せて忍受す
「こいつ、どうやら大それたやつらしいぞ」
と、さらに読みつづける。
不幸にして双頬に刺文され
那《なん》ぞ堪えんや配されて江州に在るに
「なんだ、つまらぬやつじゃないか。どうやらただの流罪人のようだな」
と、さらに読みつづけた。
他年若《も》し冤讎が報ずるを得ば
血もて潯陽の江口を染めなん
「こやつは誰に仇を報いようとして、ここで、大事をやらかそうとたくらんでいるのだろう。流罪人のぶんざいで、なにができるものか」
そしてさらに詩のほうを読んだ。
心は山東に在り身は呉に在り
江海に飄蓬して漫《いたずら》に嗟吁す
「この二句はまあまあゆるせる」
つづけて読むと、
他時若《も》し凌雲の志を遂げなば
敢て笑わん黄巣の丈夫ならざるを
黄文炳は首をふりながら、
「このやろう、大それたやつだ。黄巣《こうそう》を凌《しの》ごうというのか。まちがいなくこれは謀叛をたくらんでいるのだ」
そして改めて、
〓城宋江作
とあるのを眺め、
「この名はわしもときどき聞いたことがあるが、あいつはたしか小役人かなんかだったな」
と思案し、給仕をよびつけてたずねた。
「このふたつのうたは、いったい誰がここへ書いたんだ」
「きのう、たったひとりで一瓶あけなさったお客さんが、酔っぱらって書きなぐりなさったので」
「だいたいどういう男だった?」
「頬に金印《いれずみ》が二行はいっておりましたから、おおかた牢城のものでしょう。色の黒い、背のひくい、肥った人でした」
「それだ」
と黄文炳はいい、筆と硯を借りて一枚の紙に写し、それをふところへしまいこんで、給仕に、
「これを削りおとしてはならんぞ」
といいつけた。
それから黄文炳は楼をおり、舟へ行って一夜を明かした。そして翌日、朝食をすませると、下男に蓋《ふた》ものをかつがせ、まっすぐ州の役所へ行った。ちょうど知府は退庁して官邸のほうでくつろいでいるところだったので、人を通して案内を乞うと、ほどなく蔡九知府は人をよこして奥の間へ招いた。やがて蔡九知府は出てきて黄文炳と挨拶をかわした。礼物をおくり、主客それぞれの座につくと、黄文炳は、
「わたくし、きのう川をわたってこちらさまへおうかがいいたしたのでございますが、公の宴会があると聞きましたゆえ、ご遠慮申しあげまして、いま改めてお目にかかりにまいった次第でございます」
といった。蔡九知府は、
「あなたとは親しい仲、かまわず通って同席なさったらよろしかったのに。それはどうも失礼しました」
近侍のものが茶を出した。茶がおわると黄文炳は、
「失礼ながらおうかがい申します。ちかごろ、ご尊父の太師さまからなにかお便りがございましたでしょうか」
「つい先日あったところです」
「はばかりながらおたずねいたしますが、このごろ都のほうになにかかわったことがあったのでございますか」
「父上の便りでは、このほど太史院《たいしいん》(天文・暦・祭祀などを司る役所)の司天監《してんかん》(天文官)の奏聞によると、夜、天象を見るに、〓星《こうせい》(宋江以下三十六名の梁山泊の好漢はこの星に擬せられている)、呉楚《ごそ》(江南地方)の地に照らし臨むとのこと。あえて謀叛をたくらむものがあるようだから、ぬかりなく情勢を察知して禍根を除くようにとのいいつけでした。さらに町の子供たちのうたうはやりうたが書きそえてありましたが、そのうたというのは、
国をつぶすは家と木で
いくさするのは水に工
あばれまわるは三十六
さわぎのもとは山東よ(注三)
それゆえ、治下の警備をきびしくするようにと、いいつけてこられたのです」
黄文炳はしばらく考えてから、笑いながら、
「閣下、それは偶然ではございません」
と、袖のなかから、写し取った詩をとり出して、知府にさし出し、
「なんと、これがそれでございました」
蔡九知府はそれを読んで、
「これは謀叛の詩。あなたは、どこでこれを手に入れられた」
「わたくし、きのうこちらさまをご遠慮申しあげて江岸へひき返して行ったのでございますが、所在ないままに、潯陽楼にあがって暑さをさけながらひまつぶしをしました。そのおりそこに書きつけられた曾遊の人たちのうたを読んでおりますうちに、ふと目につきましたのが、白壁に書きつけてまだ間もないこの詩でございます」
「いったい、これはなにものが書いたのだろうか」
「そこにちゃんと名前が書きつけてございます。〓城宋江作、と」
「宋江というのはいったいなにものなのです」
「やつがはっきりそれに書いております。不幸にして双頬に刺文され、那《なん》ぞ堪えんや配されて江州に在るに、と。いうまでもなく流罪人、牢城にて服役中の罪を犯した囚徒であることは明らかでございます」
「流罪人などに、なにができよう」
「やつをおあなどりになってはなりませぬ。いまの、ご尊父さまのお手紙にありました子供たちのはやりうた、それはまさしくこやつにぴったり一致いたします」
「なぜそれがわかる」
「国をつぶすは家と木で、といいますのは、国のお庫《くら》をつぶすものは必ずうかんむりに木の字、明らかにそれは宋という字でございます。つぎの句の、いくさするのは水に工、といいますのは、兵乱をはじめるものはさんずいに工の字、明らかにそれは江という字でございます。つまりその男は、姓は宋、名は江というもの。謀叛の詩を作りましたのは明らかに天のさだめ。それが知れましたことは万民のしあわせでございます」
「では、あばれまわるは三十六、さわぎのもとは山東よ、というのは」
「それは六六の年か、それとも六六の数ということでございましょう。とにかく、さわぎのもとは山東よ、というわけで、〓城県はまさにその山東でございます。この四句のはやりうた、そっくりあてはまります」
「その男はこの土地にいるのですか」
「きのうわたくしがあそこの給仕から聞きましたところでは、そやつは前の日にそれを書いて行ったばかりだとのことでございました。それゆえなんの造作もございません、牢城から帳簿をとりよせて調べて見ますれば、簡単にわかることでございます」
「なるほど、おっしゃるとおり」
と、知府はすぐ従者をよび、庫役人に牢城の帳簿を出させるように命じた。従者はすぐ庫から帳簿をとってきた。蔡九知府がみずからそれを調べてみると、果たしてそのしまいのほうに、この五月、あらたに流されてきた囚人一名、〓城県宋江という名があった。黄文炳は、
「それがはやりうたにあてはまる男でございます。これは容易ならざる大事、猶予しますれば消息の漏れるおそれがございますゆえ、急いで人をつかわして捕らえ、牢にいれてからご相談いたしましょう」
「それはごもっとも」
と、知府はただちに登庁して、牢役人(注四)を呼び出した。出頭したのは戴宗である。知府は戴宗にいった。
「そのほう、捕り手のものを従えて、急いで牢城へ駆けつけ、潯陽楼にて謀叛の詩を詠《よ》んだ犯人、〓城県の宋江なるものを召しとってまいれ。火急に事をはこぶように」
戴宗はそれを聞いて愕然とした。これは一大事と内心大いにうろたえ、急いで役所をさがると、牢役人や牢番のもの一同を呼び集めて、
「めいめい家から武器を持ってきて、わしの宿の隣の城隍廟へ集まってくれ」
戴宗はみなにそう命じ、一同がそれぞれ家に帰ると神行の術をつかってまず牢城へ駆けつけ、まっすぐ書記部屋へ行って戸をあけると、宋江はおりよくそこにいた。戴宗がはいってきたのを見ると急いで迎えて、
「きのう町へ出かけて行って、あちこちとさがしまわったが、あんたがいなかったので、ひとりで所在ないまま潯陽楼へ行って酒を一瓶あけてしまいましたよ。おかげでずっとふらふらして、二日酔でひきこもっているところなんです」
という、戴宗は、
「兄貴、あなたはきのう潯陽楼でどういうことを書いてきなさったのです」
「酔ったあげくのたわ言、なにも覚えておりません」
「たったいま知府からお呼び出しがあって、こう命令されたのです、部下をたくさん連れて行って、潯陽楼で謀叛の詩を書いた犯人、〓城県の宋江を召しとってこいと。わたしはびっくりして、まず捕り手の連中をひきとめて城隍廟に待たせておき、わざわざ兄貴に知らせにきたのですが、いったいどうしたらよいか。どうやったら切り抜けられるか」
宋江はそれを聞くと、どうしてよいかわからず、しまった、しまった、とうろたえながら、
「いよいよこれで、おしまいか!」
戴宗は、
「切り抜ける手がひとつあるのですが、うまくいくかどうか。わたしはもうこれ以上ぐずぐずしておれませんから、これからすぐひき返して、捕り手のものたちといっしょにあなたを捕らえにまいります。そのときあなたは、髪をふりみだし、糞小便をそこらじゅうにまき散らしてそのなかにぶっ倒れ、気が狂ったふりをしてください。わたしたちがやってきたら、むちゃくちゃにでたらめをわめき散らして正気でないように見せかけるのです。そうすれば、わたしは知府になんとかうまく報告しますから」
「ありがとう、よく教えてくれました。よろしくたのみます」
戴宗はあわただしく宋江に別れ、町へひき返してまっすぐ城隍廟へ行き、捕り手のものを呼びつどえると、いっさんに牢城へ駆けつけた。そしてわざと大声で、
「このほど流されてきた宋江というやつはどいつだ」
と呼ばわった。牌頭(注五)が一同を書記部屋へ案内した。見れば、そこには髪をふりみだした宋江が、糞壺のなかでころげまわっていて、戴宗と捕り手のものたちの姿を見かけるや、
「きさまたちは、どこの糞やろうだ」
戴宗は素知らぬ顔でどなりつける。
「こやつをとりおさえろ」
宋江は白目をむいてむちゃくちゃにあばれまわりながら、わめきちらす。
「おれは玉皇大帝《ぎよくこうたいてい》(道教の最高神)の婿どのだ。父上はおれに十万の天兵をさずけて、きさまたち江州のものどもを殺せとのご命令だ。先鋒は閻羅大王《えんらだいおう》(閻魔)だ。殿《しんがり》は五道将軍《ごどうしようぐん》(冥府の将軍)だ。このおれにあずけられた金印は重さ八百斤だ。きさまたち糞やろうを殺せとのご命令だ」
捕り手たちは、
「なんだ気ちがいじゃないか。こんなやつをつかまえたって、どうにもなるもんじゃない」
「そのとおりだ。ひとまず報告に帰るとしよう。捕らえねばならぬとなら、また出なおしてくることにしよう」
と戴宗。こうして一同は、戴宗について役所へ帰って行った。
蔡九知府は役所で報告を待ち受けていた。戴宗と捕り手のものたちはその前で報告した。
「宋江というやつは気ちがいでございました。糞小便のきたなさもおかまいなしで、むちゃくちゃなことをわめきちらし、全身汚物にまみれて臭くてやりきれません。それで、召しとらずにまいりました」
蔡九知府がくわしくたずねようとしたとき、黄文炳が衝立のむこうから出てきて知府にいった。
「お信じになってはなりません。本人がつくりましたうた、そしてその筆跡は、狂人のものではございません。これはいつわりでございましょう。なにはともあれ、召しとってまいるべきです。歩けぬというなら、かついででもひきたててまいるべきです」
「なるほど、ごもっとも」
そして知府は戴宗に命じた。
「なにはともあれ召しとってまいれ」
戴宗はそう命じられると、さあたいへんだとうろたえ、ふたたび一同をひきつれて牢城へ行き、宋江にいった。
「兄貴、うまくいきません。行っていただくほかありません」
と、大きな竹籠に宋江をかつぎあげ、そのまま江州の役所へかつぎこんで庁前におろした。知府は、
「これへひきたててまいれ」
と命じる。捕り手のものたちは階段の下へ宋江をひきすえた。宋江はあくまでもひざまずこうとせず、眼をいからせて蔡九知府をにらみつけ、
「きさまはどこの馬の骨だ。おれを詮議にかけるとはよくよくの罰あたりなやつめ。おれは玉皇大帝の婿どのだぞ。父上はおれに十万の天兵をさずけて、きさまたち江州のものどもを殺せとのご命令だ。先鋒は閻羅大王だ。殿《しんがり》は五道将軍だ。重さ八百斤の金印があるのだ。とっとと逃げうせるがよいぞ。さもなければみな殺しにしてくれるぞ」
蔡九知府がそれを見て、どうするすべもなく手をつかねていると、黄文炳がまた進言した。
「とにかく牢城の看守と牌頭を呼んで、こやつははじめから気が狂っていたか、このごろ気が狂ったのか、ただしてみることでございます。もしはじめからの気ちがいならばほんものでございましょうが、このごろ狂ったのならば、にせ気ちがいに相違ございません」
「なるほど、ごもっとも」
と、知府はさっそく典獄と看守を呼び出してたずねた。ふたりはかくしきれず、ありのままをいった。
「この者は、きたときは別におかしくはございませんでしたが、ついこのごろになってこの病が出たようでございます」
知府をそれを聞くと大いに怒り、牢番や獄卒を呼び出して宋江を縛りあげさせ、ぶっつづけに五十ばかりも打ちすえさせた。宋江はこっぴどくぶたれて、皮膚は裂け肉は綻び、血ほほとばしり流れた。戴宗はそれを見て、これはたいへんなことになったとおろおろするばかりで、救う手だてもない。宋江ははじめのうちは、なおでたらめをわめきちらしていたが、やがて拷問にたえきれなくなって、ついに白状した。
「ふとどきにも、酔ったまぎれについあんな詩をかきつけました。別に深い考えがあってのことではございません」
蔡九知府はただちに供述書をとり、重さ二十五斤の死刑囚の枷をはめさせたうえ、大牢のなかにおしこめておくよう命じた。足が立たないまでに打たれた宋江は、その場で枷をはめられ、そのまま死刑囚の牢へひきたてられて行った。戴宗はひたすら奔走して、牢番たちに宋江を大切にあつかわせ、みずからも食事をととのえてさしいれをしたりしたが、この話はそれまでとする。
一方、蔡九知府は、役所をさがると、黄文炳を奥の間に招いて、
「あなたの高明なお見とおしがなかったら、わたしはうっかりあいつにだまされてしまったかも知れません」
と礼をいった。黄文炳は、
「おそれながら、この事件は早急に処理なさらねばなりません。早々にお手紙をしたためられて、火急の使者を都へつかわし、ご尊父さまにご報告申しあげてこの国家の大事をとりさばかれ、あなたさまのおてがらを明らかになされますように。同時にまたかようにお伺いをたてられますよう、すなわち、生けどりのままがよろしければ護送車にて都へ押送いたしますし、途中逃亡のおそれあるためその儀におよばぬとならば、当地にて首を打ち大害を除きますが、いかがとりはからいましょうかと。かよういたされますならば、きっと陛下のお耳にもはいってご機嫌うるわしきことと存じます」
「なるほど、おっしゃるとおりです。さっそく使いのものを家へやりましょう。手紙にはあなたの功績を推賞して、父からじきじき陛下に奏上し、早々にあなたが富貴な地方へ抜擢されて栄華を受けられるようにしましょう」
黄文炳は拝謝して、
「わたくしの生涯はすべてあなたさまにおあずけさせていただきます。このご恩には、畜生に生まれかわってでも、必ずお報いいたします」
こうして黄文炳は、蔡九知府をそそのかして手紙を書かせ、印鑑をおさせた。
「使いには、ご腹心の、どういうものをお立てになりますか」
「ここの牢役人で、戴宗というものがおりますが、神行の術を心得ていて、日に八百里の道を歩きます。明朝この男を使いに立てて都へやらせましょう。十日ぐらいで帰ってきます」
「そんなに早ければ申しぶんございません」
蔡九知府は奥の間で酒を出して黄文炳をもてなした。黄文炳はその翌日、知府に別れの挨拶をして無為軍に帰って行った。
さて蔡九知府は、飛脚籠ふたつに金銀・珠玉・骨董などをとりそろえて封印をし、翌日の早朝、戴宗を奥の間に呼んでいいつけた。
「この進物と手紙一通を、東京《とうけい》の太師邸へ送りとどけたいのだ。六月の十五日が父の誕生日にあたるので、その祝いの品だ。その日まであとわずかしかない。おまえ以外にこの役目のつとめられるものはないゆえ、ご苦労だが急いで行って、返事をもらってきてほしい。褒美は十分にとらせるつもりだ。おまえの行く道のりはわしもよく知っているから、おまえが神行の術で行く日どりをはかって、ひたすら帰りを待っているぞ。道中おこたってまちがいをおこさぬようにな」
戴宗はそういわれて、従わないわけにはいかない。しかたなく手紙と飛脚籠を受けとって知府のもとを辞し、宿へかついで行ってしまっておき、まず牢へ行って宋江にいった。
「兄貴、安心してください。知府にいいつかって都へ行くことになりましたが、十日もすれば帰ってきます。太師府でなんとか手を打って兄貴のことをうまくいくようにします。こちらの毎日の食事のことは、李逵にいいつけてちゃんとご不自由のないようにさせます。気を大きくして、しばらくお待ちください」
「なんとかいのちの助かるように、よろしくたのみます」
と宋江はいった。戴宗は李逵を呼んで、その場でいいつけた。
「兄貴はつい謀叛の詩を書いたために、ここへ捕らえられてしまいなさった。このさきどうなることかわからぬ。そこへもってきて、わしはこんど東京へ使いにやらされることになった。すぐにもどってはくるが、兄貴の食事のことは万事おまえに見てもらいたいのだ。よく気をつけてお世話するようにな」
「謀叛の詩をよんだからって、どうしたというんだ。さんざん謀叛をしているやつらが大官におさまってるじゃないか。いいとも、安心して東京へ行っておいでなさい。牢では、誰だろうと兄貴に指一本さわらせやしない。なにごともなければそれでよし、もしなにかあったらおいらが大斧でそやつめをぶった斬ってくれるから」
戴宗はいよいよ出発のときにも、またたのんだ。
「くれぐれも気をつけてくれよ。酒を飲みすぎて兄貴の食事を忘れたりなんかしないようにな。また、外へ出て行って酒をくらって兄貴にひもじい思いをさせたりなんかしないようにな」
「兄貴、心配せんで行ってくれ。そんなにおれのことをあやぶむなら、おれはきょうから酒をやめて、あんたが帰ってくるまでは飲まんことにするよ。朝も晩も牢で宋江の兄貴の世話をするとしよう。そうすりゃよかろう」
戴宗はそれを聞くと大いによろこんで、
「おまえがそんなふうに発心《ほつしん》して、兄貴の世話をしてくれるならありがたい」
その日、戴宗は別れを告げて出かけて行った。李逵はほんとうに酒を飲まず、終日牢で宋江の世話をして、一歩もはなれなかった。
李逵の宋江に対する世話ぶりは述べないこととして、さて戴宗は、いったん宿さきに帰って、脚絆・股引・八つ乳の麻鞋《あさぐつ》という装束に換え、身にはあんず色の上着をまとい、腹巻をしめ、腰には宣牌《せんぱい》(公務をおびた者の証。道中手形)をくくりつけ、頭巾をとりかえ、紙入れに手紙と路銀をしまいこみ、飛脚籠ふたつをかついで城外へ出、ふところから甲馬を四枚とり出して二枚ずつ両方の足にくくりつけ、口に神行の術の呪文をとなえたが、その神行の術のきき目いかにといえば、
彷彿として渾《あたか》も霧に駕するが如く、依稀として好《さなが》ら雲に騰《のぼ》るに似たり。飛ぶが如き両脚は紅塵を蕩《ただよ》わせ、嶺《みね》を越え山を登りて去《ゆ》くこと緊《はや》く、傾刻にして纔《いま》し郷鎮を離れ、片時にして又《また》州城を過ぐ。金銭《きんせん》(金紙)甲馬果《はた》して神《しん》に通じ、千里も眼近《がんきん》に同じきが如し。
その日、戴宗は江州をたち、まる一日歩いて夕暮れ宿屋に着くと、甲馬をはずし、何枚もの金紙を焼いて神に祈った。一晩泊まって、翌日は早く起き、酒を飲み飯を食べ、宿屋を出、また四枚の甲馬をくくりつけ、飛脚籠をかついで、とっとと足をはやめた。まことに、耳辺には風雨の声して足は地を踏まずというありさま。途中ですこしばかり精進料理に精進酒、点心(おやつ)などを食べ、また歩きつづけた。やがて日が暮れてきたので、戴宗は早めに休み、宿をとって一晩泊まり、翌日は五更(四時)に起き、朝涼《あさすず》のうちにと、甲馬をくくりつけ飛脚籠をかついでまた出かけた。二三百里も行くと、はや時刻は巳牌《しはい》(昼前)になったが、こざっぱりとした酒屋などどこにも見あたらない。時候は六月のはじめ、むし暑さに汗はびっしょりと身体をぬらしてむしむしとし、これでは暑気あたりになりはせぬかと案じられた。腹もへり、のどもかわいていたそのおり、ふと見ると、むこうの木立ちのかげに、流れに沿い湖に臨んだ一軒の料理屋があった。戴宗はたちまちのうちにそこへ行きついた。見れば、二十ばかりの席があって客はひとりもいない。みな朱塗りの卓と椅子で、まわりは手すりつきの窓になっている。戴宗は飛脚籠をかついでなかへはいって行き、ほどよい席をえらんで飛脚籠をおろし、腰の腹巻をほどき、あんず色の上着をぬぎ、口に水をふくんでそれに吹きかけ、窓の手すりに乾かして、腰をおろした。そこへ給仕がやってきて、
「お役人さま、酒はいかほどおもちいたしましょうか。肴はなんの肉になさいますか、豚と羊と牛肉がございますが」
「酒はすこしでよい。飯をくれ」
「てまえどもには、酒と飯のほかに饅頭や粉湯(すいとんの類)もございますが」
「わしはなまぐさは食わんのだが、なにか飯の菜になる精進ものの吸いものはないか」
「胡麻と辛子をいれていためた豆腐はいかがですか」
「それをもらおう」
給仕はまもなく、いり豆腐一碗と二皿の野菜のものをはこんでき、大きな碗に三杯酒をついだ。戴宗は腹もへっており、のどもかわいていたので、一気に酒と豆腐を平らげ、さて飯にしようとすると、とつぜん天地がぐるぐるまわりだし、頭がくらみ眼がかすんで、そのまま椅子のかたわらにぶっ倒れてしまった。すると給仕は、
「くたばった、くたばった」
と大声をあげた。と、店の奥からひとりの男が出てきた。そのありさまいかにといえば、
臂《かた》は闊《ひろ》く脚《あし》は長く腰は細く
客を待つに一団の和気あり
梁山に眼(見張り役)と作《な》る英雄
旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴《しゆき》
そのとき朱貴は奥から出てきて、
「とりあえず飛脚籠はしまっておけ。そして何を持っているかそやつの身体を調べてみろ」
ふたりの子分が彼の身体を調べて見ると、紙入れのなかに手紙を包んだ紙包みがあったので、とり出して朱頭領にわたした。朱貴があけて見ると、それは家族へのたよりで、封筒のおもてには、
平安 家信 百拝して父上のおんもとに奉る 男蔡徳章《さいとくしよう》 謹封
とある。朱貴が封を切ってずっと読んでいくと、そこには、
かく謡言に符合し、謀叛の詩を詠《よ》みたる山東の宋江なるものを捕らえて牢に監禁しある一件につき、いかに処分いたすべきやご指示ありたく云々
朱貴は読みおわると、おどろきのあまりしばらくは呆然として声も出し得なかった。そのとき手下は戴宗をかつぎあげ、殺し部屋へ背負って行って料理をしにかかったが、ふと見ると椅子に腹巻がすべり落ちていて、それに朱と緑のうるし塗りの宣牌がひっかかっている。朱貴が手にとって見ると、江州両院押牢節級(注六)戴宗と銀文字でほりこんであった。
「待て」
と朱貴はいった。
「軍師がよくいっていたが、なんでも江州には神行太保の戴宗とかいう人がいて、軍師と大の仲よしだとか。もしかするとこの人がそうかもしれない。だが、なんだってまたその人が宋江どの殺害の使者に立ったのだろう。いずれにしてもこの手紙がおれの手にはいったのはめっけものだ。おい、若いもの、醒まし薬をもってきてこの人を醒ましてやってくれ。ことの次第をきいて見よう」
子分はただちに薬を調合してきた。かかえおこして口にそそぎこんでやると、見る見る戴宗は眉をうごめかし眼をひらき、むくむくと起きあがった。そして、朱貴が封を切った手紙を持っているのを見ると、
「きさまはいったい何者だ。よくも大胆にこのおれをしびれ薬で盛りつぶしやがったな。それに太師府の手紙を勝手に出して封を切りやがって、どえらい罪だぞ」
朱貴は笑いながら、
「こんな糞手紙がなんだっていうんだ。太師の手紙をあけることぐらいはなんでもない。おれたちのところじゃ、大宋皇帝だって相手にするんだ」
戴宗はそれを聞くと、びっくりしてたずねた。
「好漢、あんたは誰です。お名前を聞かせてください」
「何をかくそう、梁山泊の好漢、旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴《しゆき》というもの」
「梁山泊の頭領なら、呉学究先生をご存じであろうな」
「呉学究はわれらが大寨の軍師で兵権を握っている人だが、あんたはどうしてご存じなのだ」
「あの人とわたしとはごく親しい仲です」
「それでは、あなたは、軍師がいつもいっておられる、江州の神行太保の戴院長ですか」
「そうです、わたしです」
「前に宋公明どのが江州送りとなってこの山寨を通られたとき、軍師よりあなたに手紙がことづけられたはずだ。それなのにどういうわけで宋三郎どののいのちをうばおうとなさるのだ」
「宋公明どのとわたしは親しい兄弟分のあいだがら。このたび兄貴は謀叛の詩を詠んだために、助けることもできないありさま。そこでわたしはこれから都へ行ってなんとか助け出す手だてをさがそうとしているのだ。あのかたのいのちをうばおうなんて、とんでもない」
「信じられないなら、蔡九知府のこの手紙を読んでいただこう」
戴宗はそれを読んで、あっとばかりおどろいた。そして、はじめに呉学究からの手紙で宋江と会ったいきさつ、および宋江が潯陽楼で酔ったあげくに謀叛の詩を詠んだことの顛末をくわしく話した。朱貴は、
「そういうわけでしたか。それならご自身で山寨へ行かれて、頭領たち一同とよい方法を考え、宋公明どののいのちをお救いください」
と、さっそく山寨おきまりの酒食を出させて戴宗をもてなし、水亭から合図の矢を対岸に放った。鳴り鏑矢が射こまれると、すかさず手下のものが舟を漕ぎ出してきた。朱貴は戴宗とともに飛脚籠をたずさえて舟に乗り、金沙灘《きんさたん》で岸へあがって山寨へ案内した。知らせを受けた呉用は、急いで関門の下まで出迎え、戴宗に会って挨拶をかわし、
「これはめずらしい。きょうはまた、どういう風の吹きまわしですか。さあ、ともかく本寨へおいでください、頭領たちにおひきあわせしましょう」
朱貴は、戴宗がここへやってきたことからはじめて、いま宋公明があちらで入獄していることを話した。晁蓋はそれを聞くと、急いで戴院長に腰をかけさせ、宋三郎が捕らわれの身となるにいたった事情をくわしくたずねた。戴宗は、謀叛の詩からはじまる、事の次第を、こまかに話した。晁蓋はそれを聞いて大いにおどろき、ただちに頭領たちに人馬を勢ぞろいさせ、山をおりて江州へ打ち入り、宋三郎を救い出して山へ迎えようとした。すると呉用がいさめて、
「兄貴、あわててはなりません。江州といえばはるかに遠い土地、そこへ軍勢をくり出して行けば、かえってそのために災をまねき、藪をつついて蛇を出すようなことになって、宋公明どのの一命を危うくするおそれがあります。このことは武力ではいけません、智力でやるのです。呉用、不才ながら、一計がございます。戴院長どのをわずらわすことによって、きっと宋三郎どののいのちを救うことができます」
「軍師のその妙計とは」
「いま蔡九知府は院長どのをつかわして手紙を東京へ送り、太師の返書をもらおうとしているわけです。その返書こそわたしのねらいどころ。つまり、にせの返書を書いて院長どのに持ち帰ってもらうのです。それには、犯人宋江を処刑してはならぬ、ただちに適任者をえらんで隠密裏に東京へ護送せよ、詳細に詮議したうえ、見せしめの処刑をおこなって、わらべ歌を根絶する、と書くのです。そしてあの人が護送されて当地を通りかかるとき、こちらから麓へくり出して行って奪いとるのです。この計略はいかがでしょう」
「だが、もしここを通らなかったとしたら、それこそ一大事ですぞ」
すると公孫勝が、
「いや、それは大丈夫です。手下をあちこちに出して張りこませておけば、どの道筋を通ろうと、かならず待ちもうけて、是が非でも奪いとって見せます。ただ問題は、うまく護送のはこびになるかどうかです」
「その計略は妙計にはちがいないが、あいにく蔡京《さいけい》の筆跡をまねられるものがいない」
晁蓋がそういうと、呉学究は、
「それは、ちゃんと考えてあります。いま天下にもてはやされているのは四家の書体、すなわち蘇東坡《そとうば》・黄魯直《こうろちよく》・米元章《べいげんしよう》・蔡京の四家の書体で、蘇・黄・米・蔡といって宋朝の四絶《しぜつ》と称されております。ところで、以前わたしは済《せい》州の町でひとりの書生と知りあいになりました、その人は、姓は蕭《しよう》、名は譲《じよう》といって、諸家の書体をまねることがうまいので人々から聖手書生《せいしゆしよせい》とあだ名されておりますが、また槍もつかえば剣もできます。彼ならば蔡京の筆跡がまねられますから、戴院長どのをわずらわして彼の家へ行っていただき、泰安《たいあん》州の嶽廟《がくびよう》の碑文《ひもん》をたのみにきたとだまし、とりあえず銀子五十両をさしあげるから家の用に使ってくれといって、彼をひっぱり出し、あとから人をやって家族のものを山へひきとり、当人をわれわれの仲間に入れようと思うのですが、いかがでしょう」
「字は彼に書かせればよいとして、印鑑もいるだろう」
と晁蓋がいうと、呉学究は、
「そのほうにも知りあいがいて、考えてあります。その人も中原《ちゆうげん》きっての大家です。いま済州の町に住んでいて、姓は金《きん》、名は二字名で大堅《たいけん》といい、碑をきざみ、玉石や印鑑をほる名手ですが、また武芸にもすぐれています。玉石をほるのがうまいことから、人々から玉臂匠《ぎよくひしよう》とあだ名されていますが、この人のところへも銀子五十両を持って行って、石碑をほってもらいたいとだまし、連れ出してからおなじようにはからえばよろしいでしょう。このふたりは山寨でいろいろ役にたつと思います」
「妙案だ」
と晁蓋はいった。その日はとりあえず宴席を設けて戴宗をもてなし、日が暮れてから休んだ。
翌日、朝食がすむと、戴院長に山伏の恰好をさせ、銀子を二百両ばかりわたした。戴宗は甲馬をくくりつけて山をおり、舟で金沙灘をわたると、とっとと足をはやめて済州へとむかった。ふたときとはたたぬうちに早くも城内に着き、聖手書生の蕭譲の家はどこかとたずねると、ある人が指さして、
「州役所の東側の孔子廟の前です」
と教えた。戴宗はまっすぐその門口《かどぐち》まで行って、咳ばらいをし、
「蕭先生はご在宅でしょうか」
というと、なかからひとりの書生が出てきた。彼は戴宗を見たが、知らない人なので、
「山伏どのはどちらからおいでで。またなんのご用で」
とたずねる。戴宗は礼をして、
「わたくしは泰安《たいあん》州の嶽廟にお仕えする山伏でございますが、このたび本廟におきまして五嶽楼の修復が成りましたので、土地のお大尽《だいじん》がたが碑《いしぶみ》を奉納したいとおおせられ、これなるわたくしが、あなたさまのお家のお入り用までにと銀子五十両をあずかってまいり、あなたさまに廟へおいでいただきましてその文章をつくっていただくようおねがいにまいった次第でございます。日どりもきまっておりますことゆえ、早急におねがいいたしたいのでございますが」
すると蕭譲は、
「わたしは、文章をつくることと字を書くことができるだけです。碑《いしぶみ》をお建てになりますのならば、字をきざむ工匠もいりましょう」
「わたくし、ほかにもう五十両もっておりまして、玉臂匠《ぎよくひしよう》の金大堅さまにおねがいして彫っていただくつもりでおります。吉日をえらんでありますので、どうかおひきあわせてくださって、おふたりごいっしょにおいでいただきたいのですが」
蕭譲は五十両の銀子を受けとると、戴宗といっしょに金大堅のところへたのみに出かけた。ちょうど孔子廟のところまで行くと、蕭譲は手をあげて指さし、
「あそこへやってくるのが玉臂匠の金大堅です」
といい、金大堅を呼びとめて戴宗にひきあわせ、泰安州の嶽廟で五獄楼の修復が成ったのでお大尽たちが碑《いしぶみ》を建てることになったといういきさつをとりつぎ、
「そのためこの山伏どのがわざわざ五十両ずつの銀子をあずかって、あんたとわたしを呼びに見えたというわけだ」
と話した。金大堅は銀子と聞いて内心大よろこび。ふたりは戴宗を酒屋へさそい、酒と野菜料理でもてなした。戴宗は金大堅の家の用にと五十両の銀子をわたし、
「占師がもう日どりをきめておりますので、どうかおふたりさん、いますぐお立ちねがいたいのですが」
といった。すると蕭譲は、
「こう暑くては、いまから出かけたとしても、たいしてはかどりますまい。つぎの宿場までは行きつけません。あす五更(四時)に起きて出かけましょう」
といい、金大堅も、
「そうだ、そうしよう」
といって、ふたりは明朝出発することに話をきめ、それぞれ家に帰って旅立ちの支度をした。蕭譲は戴宗を自分の家に泊めた。
翌日の五更、金大堅が荷物と道具を持ってやってきて、蕭譲・戴宗と三人で、済州の町をあとにした。十里ばかり行くと、戴宗は、
「おふたりさん、どうかあとからゆっくりおいでください。急《せ》かすわけではございませんが、わたくしはひと足さきに行ってお大尽がたに知らせ、お迎えに出てもらうようにしますから」
といい、足をはやめてさっさと行ってしまった。ふたりは包みを背負ってゆっくり歩いて行ったが、やがて未牌(昼すぎ)のころになって、およそ七八十里もきたころだった、とつぜん前方で一声口笛の音がしたかと思うと、およそ四五十人の好漢たちが坂の下からおどり出してきた。その先頭はまさしくかの清風山の王矮虎《おうわいこ》、
「きさまたちふたりは何者だ。どこへ行く。ものども、こやつらの肝をとって酒の肴にしろ」
とどなった。蕭譲が、
「わたくしたちふたりは泰安州へ碑をきざみに行くもので、金は一文も持っておりません。あるのはすこしばかりの着物だけです」
というと、王矮虎はまたどなりつけた。
「われわれは金や着物などいらぬ。おまえらふたりのかしこい人間の、その肝を酒の肴にもらいたいのだ」
蕭譲と金大堅は怒りだし、それぞれ身におぼえの手並みをたのみに、棍棒をかまえつつ、王矮虎にたちむかって行った。王矮虎は朴刀を挺してふたりとたたかった。三人はそれぞれの得物をふるってわたりあうこと六七合、とつぜん王矮虎はくるりと身をひるがえして逃げだした。ふたりが追いかけようとしたとき、山の上に銅鑼《どら》が鳴りひびいたと見るまに、左からとび出してきたのは雲裏金剛《うんりこんごう》の宋万《そうまん》、右からは摸着天《もちやくてん》の杜遷《とせん》、うしろからは白面郎君《はくめんろうくん》の鄭天寿《ていてんじゆ》。それぞれ三十人ばかりをひき従え、いっせいにおそいかかってきて蕭譲と金大堅をとりおさえて、手とり足とりしつつ林のなかへ連れこんだ。そして四人の好漢は、
「おふたりさん、ご安心なさい。われわれは晁天王の命令で、おふたりを山の仲間にお迎えするためにわざわざやってきたのです」
といった。蕭譲は、
「山寨でわれわれにどういう用があるのです。ふたりとも鶏を縛る力とてなく、できることといえば飯を食うことだけだが」
杜遷が、
「呉軍師が、あなたがたと知りあいであり、またあなたがたの武芸の手並みも知っておられるので、わざわざ戴宗どのにお宅まで迎えに行っていただいたのです」
蕭譲と金大堅は互いに顔を見あわせ、あっけにとられて口もきけない。そのとき一同は旱地忽律の朱貴の酒店へ行き、山寨おきまりの酒食をもてなしてから、急いで船を仕立てて山へ送りとどけた。山寨へ着くと、晁蓋や呉用をはじめ山の頭領たち一同は、初対面の挨拶をかわし、宴席を設けて歓待しながら、蔡京の返書をこしらえる一件を話して、
「こういうわけで、おふたりに、山に留まってれれわれの仲間になっていただきたいのです」
といった。ふたりはそういわれると呉用をつかまえて、
「わたしたちはここでお仕えしてもかまいませんが、気になるのはむこうにのこしてきた家族のことです。いずれ公儀へ知れるでしょうが、そうすれば殺されてしまいますから」
といったが、呉用は、
「いやご心配はいりません。夜が明けたらわかります」
その夜はただ酒を飲んだだけで休んだ。
翌日の夜明け、手下のものがやってきて、
「みな着きました」
と告げると、呉学究はふたりに、
「あなたがた、どうぞご自分で家族の人たちをお迎えに」
という。蕭譲と金大堅はそういわれても、半疑半信だった。ふたりが山をおりて中腹のところまで行くと、数台の轎《かご》に乗って両家の家族のものがのぼってくるところであった。ふたりはおどろき、あきれながら、わけをたずねてみると、
「きのう、あなたがたが出かけたあと、この人たちが轎をかついでやってきて、ご主人が城外の宿屋で暑気あたりになられ、早く家族のものを看病によこしてくれといっておられる、というのです。ところが、城を出ても轎からおろしてくれず、そのままここへかつがれてきたのです」
両家のものはおなじことをいった。蕭譲はそう聞くと、金大堅とともに、黙りこんでしまったが、事ここにいたっては決心をするよりほかなく、山寨へひき返して仲間に加わり、それぞれ家族のものをおちつかせた。
呉学究はふたりを招いて、蕭譲とは、蔡京の書体で返書を書いて宋公明を救い出すことを相談した。金大堅のほうは、
「蔡京の印鑑はこれまでにもいろいろと名前だの号だのを彫りました」
といった。ふたりはさっそく仕事にとりかかって、それを仕上げた。かくて返書がととのったので、宴席を設けて戴宗の門出を送り、書面の意向をくわしくいいふくめた。
戴宗は頭領たち一同に別れを告げて、山をおりた。手下のものは舟で金沙灘をわたし、朱貴の酒店まで送りとどけた。戴宗は四枚の甲馬をとり出して足にくくりつけ、朱貴に別れを告げると、足をはやめて出かけて行った。
さて呉用は、戴宗が渡しをわたるのを見送ると、頭領たちとともにひき返して山寨の宴席にもどった。酒を酌みかわしているとき、ふいに呉学究は、しまった! と叫んで、うろたえだした。
「軍師、どうなさった」
と一同がたずねると、呉用は、
「まあお聞きください、あろうことか、あの手紙が、戴宗と宋公明どののいのち取りになります」
頭領たちは大いにおどろぎ、あわててたずねた。
「あの手紙に、いったいどんなまちがいがあったのです」
「わたしはつい、一方だけを考えて一方を忘れておりました。あの手紙にはたいへんな手おちがありました」
すると蕭譲がいった。
「わたしの書いた字は、蔡太師の字とそっくりおなじです。語句もまちがってはいません。それなのに、軍師、どこに手おちがあったとおっしゃるのです」
金大堅もいった。
「わたしのほった印鑑も、寸分のまちがいもありません。どこに手おちがあったとおっしゃるのです」
呉学究は二本の指をつき出しながら、その手おちなるものを説きだしたのであるが、そのことから、好漢たちが大いに江州城を鬧《さわ》がし、白竜廟《はくりゆうびよう》は鼎《かなえ》のごとく沸きかえり、はては、弓弩《きゆうど》の叢中《そうちゆう》に生命を逃れ、刀鎗《とうそう》の林裏《りんり》に英雄を救う、ということと相なるのである。ところで軍師の呉学究の語りだした手おちとはいかなることか。それは次回で。
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一 黄巣 富有な塩商人であったが、また任侠の士でもあり、唐の末に大叛乱をおこして、講談中の人物として民衆の耳にしたしい。僖宗《きそう》皇帝のとき王仙芝が乱をおこしたのに荷担して立ったが、仙芝が敗れ去ったあと、みずから軍を統率し、河南・江西・福建と席捲して、ついに洛陽を陥れ、都の長安をも奪って僖宗を蜀(四川)へ逃避せしめた、前後約十年にわたる大叛乱の指導者。一時、帝を称したが、破れ、みずから首を刎ねて死んだ。
二 通判 府尹と同等の権力をもつ地方の高官で、中央から派遣された目付役的顧問官。
三 国をつぶすは…… このうたは意訳したが、原文を読みくだせば、
国を耗《こう》するは家木に因り
刀兵は水に点ずる工
縦横三十六
播乱山東に在り
四・六 牢役人、両院押牢節級 第三十回注二参照。
五 牌頭 牢内で囚人の身のまわりの世話をする小役人。
第四十回
梁山泊《りようざんぱく》の好漢 法場《ほうじよう》を劫《おびや》かし
白竜廟《はくりゆうびよう》に 英雄小聚義《しようしゆうぎ》す
さて、そのとき晁蓋《ちようがい》ら一同はそれを聞いて、軍師にたずねた。
「あの手紙に、どんな手おちがあったのですか」
呉用がいうには、
「けさ戴院長がもって行ったあの返書は、わたし、ついうっかりして、篆書《てんしよ》体の翰林蔡京《かんりんさいけい》という四字の印鑑をつかってしまったのです。あの印鑑で戴宗どのは召し捕られることになりましょう」
すると金大堅が、
「蔡太師の書簡や文章は、わたくし、しばしば見ておりますが、みなあの印鑑です。こんど彫りましたのも、寸分のまちがいもございません。見破られるはずはありません」
「まあお聞きください。江州の蔡九知府はご承知のとおり蔡太師の息子です。父親が息子に手紙をやるのに本名の印鑑をつかうなどいうことはないはずです(本名を自称に用いるのは謙称だから)。そこがまちがいだったのです。わたしのうかつでした。彼は江州へ着いたら、必ず詮議にかけられ、白状させられて、たいへんなことになります」
「すぐ誰かにあとを追わせて呼びもどし、もういちど書くことにしては」
晁蓋がいうと、呉学究は、
「どうして追いつけましょう。彼は神行の術をつかって、いまごろはもう五百里も行っているでしょう。ともかくぐずぐずしてはおれませんから、われわれ、ああでもしてふたりを救い出しましょう」
「どうやって救うのです、どういう良策があるのです」
晁蓋がそうきくと、呉学究はすすみ出て晁蓋に耳うちした。
「かくかくしかじかにして、秘密裏に命令をくだして一同にお知らせなさるよう。そして、かくかくしかじかに出発して、期日をたがえることのありませぬように」
かくて、好漢ら一同は命令を受けると、それぞれ商売道具をとりそろえ、夜どおしで山をおりて江州へとむかったのであるが、この話はそれまでとする。なぜその計略をいわないのか、とおとがめのむきもあろうが、それはやがて明らかになります。
さて一方、戴宗は、期日どおりに江州へ帰り、役所へ出頭して返書をとどけた。蔡九知府は戴宗が期日どおりに帰ってきたのを見て大いによろこび、まず酒を出して労をねぎらってから、手ずから返書を受けとって、
「太師にお目通りしたか」
とたずねた。戴宗はかしこまって、
「むこうには一晩しか逗留いたしませんでしたので、お目にかかることはできませんでした」
と答えた。知府は手紙を開いて目を通した。はじめのほうには、飛脚籠のさまざまの品はまちがいなく受けとったとあり、つづいて、
妖人宋江は、陛下じきじきにご覧ありたいとのおおせゆえ、堅固なる護送車に厳密におしこめ、適当なる人員をつけて早急に京師へ押送されたく、途中逃走せしむることなきよう云々。
とあり、おわりのほうには、黄文炳についてはいずれ天子に奏聞するゆえ必ず叙任の沙汰があろう、としるされていた。
蔡九知府はそれを見て大いに喜び、花銀二十五両をとりよせて戴宗を褒賞した。同時に、ただちに護送車をつくるように命じ、押送にあたる者の人選を評議させた。戴宗は礼を述べて宿へひきとり、酒や肉を買いととのえて牢へ宋江を見舞いに行ったが、このことはそれまでとする。
さて、蔡九知府は急いで護送車をつくらせ、二三日のうちには出発させる心づもりでいた。とそこへ、門番がやってきて、
「無為軍の黄通判さまがお見えになりました」
と告げる。蔡九知府は奥の間へ通して会った。黄文炳はまた礼物や季節のつまみものをおくった。知府は礼をいった。
「いつもお心にかけていただいて、恐縮です」
「田舎のつまらぬ品でございます。お言葉、かえっておそれいります」
「おめでとう。そのうちにきっと晴れの任官のお沙汰がありますよ」
「どうしてそのようなことがおわかりになりましたので」
「きのう、手紙の使いがもどってきたのです。妖人宋江は京師へ押送するようにとのこと、また、あなたのことはいずれ陛下のお耳にいれて高官に抜擢されるようにしよう、と父の返書にくわしく書いてありました」
「そうでございましたか。あなたさまのおとりなし、いくえにもお礼を申しあげます。それにしても、その手紙をとどけた男は、まことに神わざのような健脚でございますな」
「不審に思われるなら、父の手紙をお見せいたしましょうか。そうすればわたしが出まかせをいっているのではないことがおわかりになりましょう」
「私信を拝見するなど、まことに失礼なことでございますが、おゆるしくださいますならば、ちょっと拝見させていただきとうございます」
「あなたとは親しいあいだがら。ご遠慮はいりません」
知府はそういって、従者に手紙をとってこさせ、黄文炳にわたした。黄文炳は受けとってずっとしまいまで読み、もとどおりに巻き、封筒をあらため、さらに鮮やかにおされた印鑑を見た。黄文炳は首をふりながらいった。
「この手紙はにせものでございます」
「なにをおっしゃる。これは父の筆跡、書体もまちがいない。どうしてにせものだなどと」
「お言葉をかえして失礼でございますが、これまでのお手紙にも、いつもこの印鑑がおしてございましたか」
「いつもの手紙にはこの印鑑はなく、ただ書き流したものばかりですが、こんどは印鑑箱が手近にあったので、これを封筒におしたにちがいありません」
「出すぎたことを申しあげるようでございますが、この手紙は何者かがあなたさまをたぶらかそうとしたものでございます。いま天下にもてはやされている書体は蘇・黄・米・蔡の四家のもので、誰でもまねることができます。しかもこの印鑑は、お父上さまが翰林学士であられたころおつかいになったもので、法帖などで多くの人々の目にふれているものでございます。いま、太師さまは丞相の位にのぼっておられますのに、どうしてわざわざ翰林の印鑑をおつかいになるようなことがありましょう。それのみか、父が子供に手紙を出すとき、本名の印鑑をつかうなどということはございません。お父上の太師さまは、天下の学識をきわめられ、あらゆることに明らかなおかたです、決してそのような軽率なまちがいをなさるわけはございません。あなたさまが、もしわたくしの申しあげることをご不審に思われますならば、お手紙の使いの男に、太師府で誰に会ったか、くわしくおたずねなさいますよう。もしそのいうことにあわないところがあるならば、すなわちこれはにせ手紙でございます。いろいろさし出がましいことを申しましたが、日ごろのご愛顧にあまえまして敢えて申しましたこと、どうかおとがめくださいませぬように」
蔡九知府はそれを聞くと、
「それはわけのないこと、あの男は東京《とうけい》へ行ったのははじめてだから、ちょっと問いただせば、ほんとうかうそかすぐわかるでしょう」
と黄文炳を衝立《ついたて》のうしろへ坐らせておいてすぐ登庁し、所用あるゆえ戴宗を呼んでまいれ、と命じた。そのとき、捕り手のものは命を受けてすぐあちこちへ戴宗をさがしに出かけた。これをうたった詩がある。
反詩仮信《はんしかしん》事相牽《あいひ》く
梁山《りようざん》の盗《とう》と結連するが為なり
是れ黄蜂《こうほう》(黄文炳を蜂《はち》にたとう)の痛処に鍼《はり》さすにあらずば
蔡亀《さいき》(亀は罵言)大なりと雖《いえど》も総て徒然《とぜん》ならん
さて一方戴宗は、江州へ帰りつくとまず牢へ行って宋江に会い、その耳もとに口をよせて事の次第をつたえた。宋江は内心、大よろこびであった。翌日、ある人に酒をさそわれて、戴宗が料理屋で飲んでいると、あちこちさがしまわっていた捕り手のものが尋ねあててきた。そしてそのまま戴宗を役所へ連れて行った。蔡九知府はいった。
「先日は使いをしてくれてご苦労であった。よくやってくれたのに、まだ十分に礼もしてやらずにいるが」
「わたくしは知府さまのお使いを承りましたもの。お役目大事につとめますのが当然でございます」
「わしはこのところずっと多忙だったので、まだくわしいことはきかずにいるが、先日都へ行ったおりにはどの城門からはいって行ったな」
「わたしが東京へ着きましたときは、もう日が暮れておりました。さて、あれは何という門でございましたろうか」
知府はさらにたずねた。
「わしの府《やかた》の門では、誰がそのほうに応対し、どこへそのほうを泊めたかな」
「わたくし、お府にまいりまして、門番のかたにあいました。そのかたはお手紙を受けとって奥へはいって行かれましたが、まもなく出て見えて飛脚籠を受けとってくださいまして、わたくしに自分で宿をさがして泊まるようにといわれました。あくる日の朝五更(四時)にお府の門へうかがいましたところ、その門番のかたがご返書をもって出て見えたのでございます。わたくしは期日のことが気になりまして、あれこれおたずねするいとまもなく、大急ぎでまっすぐに帰ってまいったのでございます」
知府はさらにたずねた。
「そのほう、うちの府のどの門番にあったか。年はどれぐらいだったか。色の黒い痩せたやつか、白い肥ったやつか。のっぽか、ちびか。ひげのあるやつか、ないやつか」
「わたくしがお府へまいりましたときは、もう日が暮れておりました。あくる日の朝、帰りますときも、まだ五更の時分で、やはり暗うございましたので、こまかなところまでは見さだめられませんでしたが、どうやら、背はそれほど高くはなく、中《ちゆう》くらいで、ひげはすこしははえていたようでございました」
知府は大いに怒って、どなった。
「こやつをひきずりおろせ」
すると、脇の方から十数人の獄卒・牢番がとび出してきて、戴宗を正面にひきころがした。戴宗が、
「わたくしはなにもお咎めを受ける覚えはございません」
と訴えると、知府はどなりつけた。
「こやつ、死にぞこないめ。府の門番の王《おう》爺は数年前に死んで、いまは息子の王がつとめているのだ。それに、何をいうか、年とってひげがはえているなぞと。それだけじゃない、門番の王の息子は奥へははいれないのだ。ほうぼうからくる手紙類は必ず奥の張《ちよう》幹〓の手をとおって李《り》都管のところへ行き、それから奥へとりつがれるのだ。贈り物もその上でおさめられるのが順序。返書をもらうにもどうしても三日は待たねばならぬ。それなのにわしのこのたびの飛脚籠にかぎって、それ相当のものが出てきてわけをきくでもなく、でたらめに受けとってしまうなどいうことがあるものか。わしはきのうはついうっかりしてきさまにだまされてしまったが、さあ、神妙に白状しろ、この手紙はどこで手にいれた」
「わたくし、あのときつい心ぜわしく、日程のことばかりが気になりまして、そのためはっきり見られなかったのでございます」
「なにをたわけたことを。こやつめ、打たなければ泥をはかぬ。ものども、思いっきりこやつを打ちのめせ」
獄卒や牢番たちは、険悪な様子を見て、手加減を加えることができず、戴宗を縛りあげて打ちのめせば、皮膚は裂け、肉は綻び、鮮血がほとばしった。戴宗は拷問にこらえきれず、やむなく白状した。
「おおせのとおり、あの手紙はにせものでございます」
「きさま、どのようにしてあの手紙を手に入れた」
「途中、梁山泊を通りましたとき、盗賊の一群が飛び出してきてわたくしをおびやかし、縛りあげて山へ連れこみ、腹をさき肝をえぐりとろうとしたのでございます。ところが、わたくしの身体からお手紙を見つけ出して読みますと、飛脚籠だけを奪って、わたくしのほうはゆるしてくれました。わたくしはそのままでは帰れぬので、いっそここで殺してくれとたのみますと、やつらはあの手紙を書いてよこし、わたくしを帰してくれたのでございますが、わたくしはお咎めをまぬがれたいばかりに、心ならずも知府さまをあざむきましたのでございます」
「そんなところだろう。だがきさまはまだうそをいっている。明らかにきさまは梁山泊の賊と共謀してわしの飛脚籠を奪い取ったのだ。それなのに、よくもそんなうそをいいおったな。やい、もういちどこやつを打ちのめせ」
戴宗はいくら拷問されても、梁山泊と通じていることは白状しなかった。蔡九知府はかさねて拷問にかけた。だが戴宗のいうことはかわらなかったので、
「よし、もうやめろ。大枷をはめて牢へ入れておけ」
といって退庁し、黄文炳に礼をいった。
「あなたのお見とおしがなかったら、わたしは危うく大事をあやまるところだった」
「あやつは梁山泊と結び、しめしあわせて謀叛をくわだてていること、まちがいありません。除いてしまわぬことには、あとあとまで災の種になりましょう」
「あのふたりの供述書をとって判決文を作り、刑場へひきたてて行って首を斬ってしまおう。朝廷へはそのあとで文書を作って奏上することにして」
「ご賢明なお処置かと存します。それによって、ひとつには朝廷におかれてもあなたさまのこの事件における大功を嘉《よみ》されますでありましょうし、またひとつには梁山泊の盗賊どもが牢破りにおしかけてくることを未然にふせぐことができましょう」
「周到なご意見です。文書をしたためて、あなたを推挙しましょう」
と、その日は黄文炳をもてなしたうえ、役所の門まで見送った。黄文炳は無為軍に帰って行った。翌日、蔡九知府は、登庁するとすぐ事件担当の孔目《こうもく》(書記)を呼び出して、
「さっそく調書をととのえて、宋江と戴宗の供述書を貼付しておけ。かたがた罪状札《ふだ》もつくっておくように。あす刑場へひきたてて行って打ち首にするのだ。むかしから、謀叛人の処刑には季節をえらばぬ(ふつう死刑は秋おこなう)もの。宋江と戴宗を斬ってしまい、後日の災を除くのだ」
担当の役人は黄《こう》という孔目で、戴宗と親しいあいだがらであったが、どうにも救うてだてはなく、ただその悲運をなげくのみであった。
そのとき彼はこう答えた。
「明日は国家の忌日(先帝の命日)でございますし、明後日はまだ七月の十五日、中元《ちゆうげん》の節にあたっておりまして、いずれも刑の執行はさしひかえなければなりません。そして明明後日は国家の景命(天子の誕生日)でございますので、結局五日後に執行ということになります」
それというのも天が宋江を救おうとしたためであり、ふたつには梁山泊の好漢たちがまだ到着しなかったからである。
蔡九知府はそれを聞いて黄孔目の言にしたがった。そしていよいよその六日目の朝、まず人をやって街の四つ辻の仕置場を掃除させ、朝食後には、土兵と首斬り役人およそ五百余名を呼び集めて、大牢の門前に待機させた。巳牌(昼前)になると、大牢の獄官が知府に対して、知府みずから監斬官(死刑監督官)になられるようにと告げた。黄孔目はやむなく罪状札を堂上にさし出した。係りの役人は「斬」(打ち首)の字を二つ書いて、あら蓆《むしろ》の上に貼りつける。江州の役所の牢役人や牢番たちは戴宗や宋江と親しいあいだがらだったが、救うてだてはなく、一同はただふたりのためにかなしむばかりであった。やがて準備がととのうと、大牢のなかでは宋江と戴宗の着物をからげ、膠《にかわ》の水で髪を梳《す》いて鵝梨《がり》(なしの類)のまげに結い、そのまげに紅い綾子《りんず》の造花を一つ挿し、青面聖者《せいめんせいじや》(獄神。天王堂の祭神)の供物机の前にひきたてて行って、一碗の長休飯《ちようきゆうはん》と永別酒《えいべつしゆ》(この世の別れの飯と酒)をあたえ、食べおわると神前を辞し、ひきさがらせて刑具をつけた。かくて六七十人の獄卒たちは宋江を前に、戴宗をうしろに立てて、牢の門前へおし出して行った。宋江と戴宗は互いに顔を見あわせて、声も発し得ず、宋江はただ足で地を蹴り、戴宗は首をうなだれて嘆息するばかり。江州の町の弥次馬連中は、おしあいへしあい見物につめかけて、その数は千人や二千人どころではない。見れば、
愁雲荏苒《じんぜん》として、怨気氛〓《ふんうん》たり。頭上日色《につしよく》光無く、四下悲風乱吼《らんこう》す。纓鎗《えいそう》対々、数声の鼓《こ》響いて三魂《こん》を喪わしめ、棍棒森々《しんしん》、幾下の鑼《ら》鳴って七魄《はく》を摧《くだ》く。犯由牌《はんゆうはい》(罪状札)高く貼られ、人は言う此の去幾《きよいつ》の時か回《かえ》らんと。白き紙花《しか》双《なら》び揺《ゆ》らぎ、都《すべ》て道《い》う這《こ》の番《ばん》再び活《い》き難しと。長休飯《ちようきゆうはん》は〓内《そうない》(のど)に呑み難く、永別酒《えいべつしゆ》は口中怎《いか》で嚥《の》まん。〓獰《そうどう》たる〓子《かいし》(首斬り役人)鋼刀に仗《よ》り、醜悪なる押牢《おうろう》法器(処刑の具)を持す。〓纛旗《そうとうき》(黒い旗)の下、幾多の魍魎《もうりよう》跟《つ》き随い、十字街頭、無限の強魂等《ま》ち候《ま》つ。監斬官忙《いそが》わしく号令を施し、〓作子《ごさくし》(検死役人)屍を扛《かつ》ぐを準備す。
首斬り役人はおめきたてながら、宋江と戴宗を前後からおしつつんで仕置場の四つ辻まで行くと、槍や棒でそのまわりをぐるりととりかこんで、宋江は背を北にして南むきに、戴宗は背を南にして北むきに、それぞれふたりをひきすえ、午《ひる》の三刻(一時)、監斬官が到着すれば刀をふるおうと待ちうける。人々が顔をあげてかの罪状札を見れば、
江州府。犯人一名、宋江。故意に反詩を吟じ、妄《みだ》りに妖言《ようげん》を造り、梁山泊の強寇《ごうこう》と結連し、通同して謀叛をなす。法によって斬罪に処す。
犯人一名、戴宗。宋江のためひそかに私書をもたらし、梁山泊の強寇と勾結《こうけつ》し、通同して謀叛を謀《はか》る。法によって斬罪に処す。
監斬官 江州府知府蔡某
知府は馬をひきとめ、処刑の時刻の知らせを待ちかまえていたが、そのときとつぜん、仕置場の東のほうに、一群の蛇つかいの乞食があらわれ、むりやりに仕置場のなかへおし入って見ようとし、土兵たちが追い出そうとしても退かず、互いにもみあっているおりしも、またとつぜん仕置場の西のほうに、一群の槍棒《そうぼう》つかいの薬売りがあらわれ、これまたむりやりになかへおし入ろうとする。土兵がどなりつけて、
「きさまたち、わけのわからんやつらだ。ここをどこだと思ってやがる。むりやりわりこんで見ようとしやがって」
というと、槍棒つかいたちは、
「なにをこのどん百姓め、おいらは天下をわたり歩き、どこへだって行き、どこのお仕置だって見ているんだ。都で天子さまが人を殺すのだって、ちゃんと見せてくれたじゃないか。きさまたちのこのけちな田舎町じゃ、たったふたり斬るのに大騒ぎか。おいらがはいって見物するぐらい、なにを糞やかましくいいやがる」
と、土兵たちともみあいをはじめた。監斬官の知府は、
「たたき出してしまえ。入れてはならぬぞ」
とどなりつける。なおももみあっているところへ、またもやとつぜん仕置場の南のほうに、一群の荷物かつぎの人足があらわれ、そこでもまたなかへおし入ろうとする。
「やいこら、ここは仕置場だぞ。荷をかついでどこへ行く」
と、土兵がどなりつけると、
「おいらは知府さまに品物をとどけに行くんだ。なぜ通さぬ」
「たとえ知府さまのお屋敷のものでも、ほかの道から行ってくれ」
すると一同は荷物をおろし、天秤棒を手にとり、人群れのなかに立って見物しはじめた。と、こんどは仕置場の北のほうに一群の旅あきんどが二台の車をおしてやってきて、これもむりやりに仕置場のなかへはいりこもうとする。土兵が、
「こら、おまえたちはどこへ行く」
とどなりつけると、
「わしらは急いでいるんだ。さあ、通してくれ」
「ここは仕置場だぞ。通してやるわけにはいかん。急ぐならほかの道から行け」
すると、あきんどたちはあざ笑って、
「おっしゃいましたね。わしらは都からやってきたものだ。おまえたちの糞道の勝手などわからんから、この本道を通るよりしかたがないわい」
土兵たちはどうしても通さない。あきんどたちもずらりと立ち並んであとへひこうとはしない。こうして四方でもみあいがつづいた。蔡九知府も制止しきれずにいると、旅あきんどたちはみな車の上へおしあがり、つっ立って見物しはじめた。
やがて、仕置場の中央で人垣が左右にわかれ、知らせのものが、
「午《ひる》の三刻です」
と知らせた。
「ただちに斬って報告にまいれ」
監斬官の知府がそう命じると、両脇から得物をたずさえた首斬り役人が出て行って枷をはずし、首斬り人が仕置の刀を手にとった。とそのとき、野次馬たちがみな見さだめようとしてのびあがり、いっせいにざわめきたったその瞬間、旅あきんどたちは車の上で斬れという声を聞くやいなや、なかのひとりがふところから小さな銅鑼《どら》をとり出して車の上に立ちあがり、がんがんと二つ三つうち鳴らせば、四方からどっと一群の人々が討って出た。
これをうたった詩がある。
間来《たまたま》興に乗じて江楼に入る
渺々《びようびよう》たる烟波 素秋《そしゆう》に接す
酒を呼んで謾《そぞろ》に澆《そそ》ぐ千古の恨《うらみ》
詩を吟じて瀉《すす》がんと欲す百重の愁
雁書《がんしよ》(てがみ)は遂げず英雄の志
脚を失《しつ》し翻《ひるがえ》って成る〓〓《へいかん》(牢獄)の囚
梁山の諸の義士を掻動し
一斉に雲擁して江州を鬧《さわ》がす
と、そこへまた、四つ辻の茶店の二階から、虎のようなすがたの、まっ黒な大男が、すっ裸になって手に二梃の板斧《はんぷ》をにぎり、さながら中天に雷の鳴るような大声で吼えながら中空から飛びおり、さっと手をふりあげたと見るやその斧のもとに、早くも仕置場の首斬り役人ふたりを斬り倒し、監斬官の馬前へと斬りかかって行った。土兵たちはあわてて槍でつきかかって行こうとしたが、もとより防ぎとめ得べくもなく、一同は蔡九知府をとりかこんでいのちからがら逃げて行く。
見れば東のほうにいたあの一群の蛇つかいの乞食たちは、てんでに短刀をぬきはなって土兵たち目がけて刺しまくり、西のほうにいたあの一群の槍棒つかいたちは、どっと喊声をあげながらひたすらに斬りまくって土兵や獄卒の群れをなぎ倒し、南のほうにいた一群の荷かつぎ人足たちは、天秤棒をふりまわしつつ縦横にあばれまわって土兵や野次馬たちをなぐり倒し、北のほうにいたあの一群の旅あきんどたちは、いっせいに車から跳びおり、車をおし出して行って逃げるものの行くてをさえぎり、そのうちのふたりが、なかへもぐりこんで行って、ひとりは宋江を、ひとりは戴宗を背負い、ほかのものたちは、あるものは弓矢をとり出して射《い》、あるものは石つぶてをとり出して投げ、あるものは投げ槍をとり出して飛ばす。
この旅あきんどに身をやつした一群は、すなわち晁蓋《ちようがい》・花栄《かえい》・黄信《こうしん》・呂方《りよほう》・郭盛《かくせい》。槍棒つかいに扮した一群は、すなわち燕順《えんじゆん》・劉唐《りゆうとう》・杜遷《とせん》・宋万《そうまん》。また荷かつぎ人足になったのは、すなわち朱貴《しゆき》・王矮虎《おうわいこ》・鄭天寿《ていてんじゆ》・石勇《せきゆう》。乞食の身なりをしたのは、すなわち阮小二《げんしようじ》・阮小五《げんしようご》・阮小七《げんしようしち》・白勝《はくしよう》。この一行の梁山泊の面々、あわせて十七人の頭領が、一百余人の手下をひき連れて到来し、四方から斬りこんできたのだった。
と見れば、人群れのなかであの色の黒い大男が、二梃の板斧をふりまわしながらひたすらに斬りまくっている。晁蓋にはついぞ見おぼえのない顔だったが、見れば誰よりも力戦し、誰よりも多く人を殺しているので、晁蓋はふっと思い出した。
「戴宗が、黒旋風の李逵といって宋三郎ととても仲のよい乱暴者がいるといっていたが」
そこで晁蓋は大声で呼びかけた。
「それなる好漢は、黒旋風ではないか」
だがその男は返事もせず、めったやたらに大斧をふりまわしてひたすら人を斬りまくっている。晁蓋はそこで、宋江と戴宗を背負っているふたりの手下に、どこまでもあの色の黒い大男のあとについて行くようにといいつけた。このとき四つ辻では、軍民の別なく殺されて、その屍《しかばね》は地をおおうて横たわり、血は流れて川をなし、おし倒されたものや、ころがされたものにいたってはその数を知らずというありさまであった。頭領たちは車や荷物はうち捨てて、一同みな黒い大男のあとについてそのまま城外へと斬って出た。しんがりは花栄・黄信・呂方・郭盛がつとめ、四張《ちよう》の弓で蝗《いなご》のように後方を射、そのため江州のものは軍民の別なくひとりとして近より得るものはなかった。黒い大男はまっしぐらに江岸まで斬りすすんで行き、血しぶきを全身に浴びながら、なお江岸で人を殺した。晁蓋は朴刀を挺して大声で呼んだ。
「町のものにはなんの罪もない。むやみに殺してはならん」
しかし彼はまるで耳にいれず、ひと斧にひとりずつ、かたっぱしから斬りすてて行く。そのようにして城外の川沿いの道を六七里も行くと、行くては見わたすかぎり滔々《とうとう》と流れる大河で、陸路は行きどまりであった。晁蓋はそれを見ると、しまったと叫んだ。すると、そのときはじめて、かの黒い大男が叫んだ。
「あわてることはない。ともかく兄貴を廟へ背負って行くんだ」
一同がそこへ行って見ると、川に臨んだ大きな廟で、二枚の開き扉がきっちり閉められている。黒い大男は二梃の斧でそれをたたきあけて、なかへおし入った。晁蓋たちが見わたせば、両側には檜と松が茂り、正面の額《がく》には四個の金文字で、
白竜神廟
と大書してあった。手下のものは宋江と戴宗を廟のなかへ背負いこんで、そこにおろした。宋江はそのとき、ようやく目をひらき、晁蓋ら一同がいるのに気がつくと、
「兄貴、これは、夢のなかで会っているのではあるまいな」
と、声をあげて泣いた。晁蓋は、
「山にいることを承知なさらなかったばかりに、こんな憂き目を見ることになったのです。ところであの、さんざん人を殺しまくった色の黒い大男はいったい誰です」
「あれが黒旋風の李逵というものです。彼は、なんどもわたしを牢から逃がしてくれようとしたのですが、わたしは、とても逃げきれまいと思って、彼のいうことをきかなかったのです」
「まったく、すさまじいばかりの男です。いちばんよく働き、しかも刀も矢もまるでおそれない」
花栄が、
「とにかく、ふたりの兄貴に着物を」
といった。一同がそこにより集まっているととつぜん李逵が二梃の斧をひっさげて廊下をわたってきた。宋江が呼びとめて、
「おい、どこへ行く」
というと、李逵は、
「ここの廟守りを見つけ出して殺してくれようと思ってるんだ。けしからんやろうだ、出迎えにこないばかりか、糞やろうめ、逆に門をしめやがって。とっつかまえて血祭りにしてくれようと思っているんだが、見つからないんです」
「まあ、ここへきて、兄貴や頭領たちに挨拶しなさい」
李逵はそういわれると、二梃の斧を投げ捨て、晁蓋にむかって平伏して、
「兄貴、この鉄牛のそこつをおとがめなきよう」
といい、他の一同ともみな挨拶をかわしたが、朱貴が同郷であることがわかって、ふたりはともによろこびあった。
花栄が晁蓋に、
「兄貴、兄貴がみんなに李の兄貴のあとについて行けといわれて、とうとうこんなところへきてしまったが、前は大川にはばまれて行きづまりで、迎えてくれる舟など一艘もなし、もしも城中の官軍が追い討ちをかけてきたら、どうやって迎え、どうやって斬り抜けます」
というと、李逵が、
「なに大丈夫ですよ、わしはあんたがたといっしょに、もういちど城内へ斬りこみ、あの蔡九の糞知府をはじめ、みんなをばりばり斬りまくって、それからひきあげるんだ」
戴宗はこのときようやく正気づいて、
「おい、むこう見ずもたいがいにしろ。城内には六七千からの軍勢がいるんだ。斬りこんで行ったって、やられるにきまってるじゃないか」
すると、阮小七が、
「あそこの川むこうに、舟が五六艘見えるでしょう。われわれ兄弟三人、川を泳いで行ってあの何隻かを奪ってきて、みんなを乗せることにしたらどうでしょう」
「それはうまい考えだ」
と晁蓋はいった。そこで、阮氏の三兄弟はそれぞれ着物をぬぎ、短刀を身につけて、川のなかへ飛びこんだ。およそ半里ばかり泳いで行ったとき、ふと見れば、上流のほうから三艘の櫓舟《ろぶね》が、口笛を吹き鳴らしつつ飛ぶようなはやさで漕ぎくだってくる。どの舟にも十数人ずつ乗り組んで、てんでに得物を手にしている。一同はあわてた。宋江はそのことを聞くと、
「おれの運命は、かくまでも無残か」
といい、廟を駆け出て眺めると、先頭の舟の上にはひとりの大男が、ぎらぎら光る五股叉《ごこしや》(五叉《いつまた》の槍)をさかしまにひっさげ、頭は紅い元結いのたぶさに結《ゆ》い、下半身には白絹の水棍《すいこん》をはき、ひゅうひゅうと口笛を吹き鳴らしている。宋江が見れば、それはほかでもなく、まさに、
東に去る長江《ちようこう》万里、内中に一個の雄夫《ゆうふ》あり。面は粉《おしろい》を傅《つ》くるが如く、体は酥《ちち》の如し。水を履《ふ》むこと平土に同じきが如く、胆《たん》大にして能く禹穴《うけつ》(底知れぬ深い水中)をさぐり、心《しん》雄にして驪珠《りしゆ》(黒竜の顎の下にある珠玉)を摘《つ》まんと欲す。波に翻り浪に跳《おど》りて性魚《うお》の如し。張順《ちようじゆん》名は千古に伝う。
そのとき張順は舟の上から見てどなった。
「きさまたちは何者だ。よくも白竜廟にたむろしおったな」
宋江は廟の前に身をのり出して、
「兄弟、助けてくれ」
といった。張順はそれが宋江だとわかると、
「がってんだ」
と大声で叫んだ。三艘の櫓舟は飛ぶように岸辺に漕ぎつけてくる。阮氏兄弟もそれを見て泳ぎもどってきた。一行はどやどやと岸へあがって廟の前にやってきた。宋江が見れば、張順はその舟に十数人の壮漢をひきい、別の一艘には張横《ちようおう》が、穆弘《ぼくこう》・穆春《ぼくしゆん》・薛永《せつえい》とともにおなじく十数人を従え、そして第三の舟に李俊《りしゆん》が、李立《りりつ》・童威《どうい》・童猛《どうもう》とともにこれもまた塩あきないの仲間を十数人ひき連れ、それぞれ槍や棒を持って岸にあがってきた。張順は宋江と見ると有頂天になってよろこび、礼をしていった。
「兄貴が召し捕られなさってから、わたしはいても立ってもおられず、といって救い出す道もなし、そのうちこんどは戴院長も召し捕られなさったというし、おまけに李の兄貴も顔を見せなくなってしまった。もはやこうなればと思って、わたしは家の兄貴のところへ行き、穆太公のお屋敷へ連れて行ってもらって仲間をおおぜい呼んでもらったのです。そしてきょうは江州へ斬りこんで兄貴を牢から救い出そうとのり出してきたところなのです。ところがひと足さきにみなさんに救い出されなさって、こうしてここにおいでとは全く思いがけないことでした。おうかがいいたしますが、この豪傑のかたがたは、梁山泊の義士、晁天王さまたちではございませんか」
宋江はかみ手に立っている人を指さして、
「そうです、このかたが晁蓋の兄貴です。さあ、みなさん、なかへはいって挨拶をなさったら」
張順ら九人、晁蓋以下十七人、そして宋江と戴宗と李逵、あわせて二十九人のものはうちこぞって白竜廟にはいり、一同そこに顔をそろえた。これを、白竜廟の小聚義という。
こうして、二十九人の好漢が、互いに礼をかわしおわったとき、とつぜん手下のものがあわただしく駆けこんできて告げた。
「江州城から、銅鑼や軍鼓をうち鳴らしながら、軍馬を勢ぞろいして追い討ちをかけてきました。旗さしものは日をおおい、刀や剣は麻のよう、先頭は甲冑に身をかためた騎兵で、しんがりは槍をもった一隊、大刀に大斧をそろえ、白竜廟を目ざしてくりこんでくるのが見えます」
李逵はそれを聞くなり大声で、
「やっつけてしまえ」
と叫び、二梃の斧をひっさげて廟から駆け出した。晁蓋も、
「毒をくらわば皿までだ。おのおのがた、このわしを助けて江州の軍勢をみな殺しにし、そのうえで梁山泊へひきあげるとしようぞ」
と叫べば、なみいる英雄たちは声をそろえて、
「心得た」
と答え、一百四五十大のものはいっせいにときの声をあげつつ、江州の川岸めざして殺到して行く。かくてここに、血は波を染めて紅《くれない》に、屍は積んで山の如く、はては浪に跳る蒼竜をして毒火を噴《ふ》かしめ、山を爬《は》う猛虎をして天風に吼えしむ、という次第とはなるのであるが、さて晁蓋以下の好漢たちはいかにして身をのがれるか。それは次回で。
第四十一回
宋江《そうこう》 無為軍《むいぐん》を智取し
張順《ちようじゆん》 黄文炳《こうぶんへい》を活捉《いけど》る
さて、江州城外、白竜廟に集まった梁山泊の好漢たち、すなわち仕置場をおびやかして宋江《そうこう》と戴宗を救い出したもの、晁蓋《ちようがい》・花栄《かえい》・黄信《こうしん》・呂方《りよほう》・郭盛《かくせい》・劉唐《りゆうとう》・燕順《えんじゆん》・杜遷《とせん》・宋万《そうまん》・朱貴《しゆき》・王矮虎《おうわいこ》・鄭天寿《ていてんじゆ》・石勇《せきゆう》・阮小二《げんしようじ》・阮小五《げんしようご》・阮小七《げんしようしち》・白勝《はくしよう》ら、あわせて十七人。そのひきいる精悍屈強な手下のもの八九十名。また潯陽江《じんようこう》のほとりまで応援にきた好漢、張順《ちようじゆん》・張横《ちようおう》・李俊《りしゆん》・李立《りりつ》・穆弘《ぼくこう》・穆春《ぼくしゆん》・童威《どうい》・童猛《どうもう》・薛永《せつえい》の九人の好漢。彼らもまた、江上で闇商売をいとなむ仲間四十余名を三艘の大型船に乗せてひきつれ、応援にきたもの。また城内からは、一同をみちびいて、潯陽江の岸まで斬りひらいて行った黒旋風の李逵。二手の応援あわせて、総勢一百四五十人。これがこぞって白竜廟に勢ぞろいしたのであったが、そこへ手下からの知らせがあって、
「江州城の軍兵が軍鼓をたたき旗をなびかせ銅鑼を鳴らし、ときの声をあげて追撃してきました」
という。それを聞いた黒旋風の李逵が、おおっと一声、大声で吼えるや、二梃の板斧をひっさげてまっさきに廟の門を飛び出せば、好漢たち一同も喊声をあげながらてんでに武器をおっとり、いっせいに廟を出て迎えうつ。劉唐と朱貴はまず宋江と戴宗を守って舟に乗せ、李俊・張順および阮氏三兄弟は舟を整備する。岸から見渡せば城内から繰り出してきた官軍はその数およそ六七千、先頭は騎馬で、いずれも〓《かぶと》と衣甲《よろい》に身をかため、弓矢をそろえ、それぞれ手に長槍を持ち、そのうしろには歩兵がおしひしめき、軍旗をうちふりときの声をあげながら殺到してくる。
こちらでは李逵が先頭にたち、板斧をふりまわしながら、すっ裸で、まっしぐらに斬りこんで行く。そのあとをかためるのは花栄・黄信・呂方・郭盛の四人。花栄は、敵の軍勢が槍をかまえるのを見ると、李逵が手傷を負わされてはと、すばやく弓矢をとり出し、矢をうちつがえてきりきりと弓をひきしぼりざま、頭領らしい騎馬の将をねらってひょうと射放てば、相手はもんどりうって落馬した。騎兵の一隊は大いにおどろき、あわてふためきながらてんでに馬首を転じて逃げ出し、逆に味方の歩兵の半分を踏み倒すというありさま。
好漢たちはいっせいにおそいかかって行って、官軍を殺しに殺し、その死体は横たわって野にあふれ、血は川を染めて紅《くれない》に化すというありさま。まっしぐらに江州の城下まで斬りすすんで行くと、城壁の上の応援の官軍は、すかさず投げ丸太や投げ石を投じて防戦した。そのなかを官軍はあわてて城内へ逃げこみ、城門をぴたりとしめてしまって、そのまま何日も出てこなかった。
好漢たちは、黒旋風をひきもどし、白竜廟の前へもどって船に乗った。晁蓋は一同の点検がおわると、全員を船に分乗させ、江上へと漕ぎ出して行った。
おりよく、順風をうけて帆をいっぱいに張り、三隻の大船は多くの人馬と頭領たちを乗せて、穆太公の屋敷へむかった。帆は一路追い風をうけて、やがて岸の船つき場に到着し、一同はそろって上陸した。穆弘が、好漢たちを屋敷内の奥座敷へ案内すると、穆太公も出てきて宋江以下の一同と挨拶をかわした。それがすむと太公は、
「頭領がた、夜どおしでお疲れでございましょう。さあ、どうぞ客間のほうへおひきとりになって、ごゆるりとお休みくださいますよう」
一同はひとまず部屋へひきとってくつろぎ、衣服や武器などを整頓した。
この日、穆弘は下男たちにいいつけて、牛を一頭殺させ、また十数匹の豚や羊や鶏や鵝鳥や魚やあひるなどをつぶし、いろいろ珍しい料理をこしらえて宴席を設け、頭領たちをもてなした。酒盛りの席では、さまざまな話に花が咲いた。晁蓋は、
「おふたり(穆弘と穆春の兄弟)が船で救いにきてくださらなかったら、わたしども一同、あやうく縄目の恥をうけるところでした」
といった。穆太公が、
「あなたがたは、しかし、どうしてあの路を通られたのですか」
ときくと、李逵が、
「わしはただ、人がたくさん群がっているところをめざして斬りすすんで行ったのだ。するとこの連中が勝手にあとからついてきたんですよ。わしは一度も呼びやしないのにさ」
一同はそれを聞いて、どっと笑った。
宋江が立ちあがって一同にむかい、
「この宋江は、もしもみなさんに救っていただけなかったら、戴院長とともに非業の最期《さいご》をとげていたところです。このたびのご恩は、海よりも深く、お返しするすべもない次第ですが、それにつけても憎らしいのは黄文炳のやつ。根をさがし歯をえぐるしつこさで、なんども知府をそそのかしてわれわれを殺そうとした。この恨みはどうしても晴らさなければ気がすみません。そこでおりいってのおねがいですが、もう一度みなさんにお力をかしていただき、無為軍を攻めて黄文炳を討ちとり、この宋江の無限の恨みを晴らさせていただきたいのです。それがすんでからひきあげたいのですが」
というと、晁蓋が、
「われわれのこういう奇襲(注一)は一度まではよいが、つづけて二度やるのはまずい。あのような腹黒いやつのこと、とっくに防備をかためているだろうから、ここはひとまず山寨へひきあげることにして、あらためて大軍をおこし、学究・孫勝の両先生や、林冲・秦明ともどもうちこぞって仕返しにやってくればよいでしょう」
「しかし、いったん山へひきあげてしまったら、また出てくるということはむずかしいでしょう。ひとつにはなにしろ遠いところですし、またひとつには江州では必ず公文書を出し、どこの地も厳重な警戒をすることはわかりきったことだからです。ぜひともこの機会に乗じてやるべきです。やつらに準備をかためさせてからではいけません」
と宋江がいうと、花栄も、
「兄貴のいわれるとおりです。それにしても、路の勝手を知ったものが誰もおらず、むこうの地理がわかりません。それで、とりあえず誰かをあの町へやって事情をさぐらせ、また無為軍に出入りする路を調べさせ、そして黄文炳のやつの住居もたしかめたうえで手をくだすということにしたらよいでしょう」
すると薛永《せつえい》が立ちあがって、
「わたしは長年《ながねん》世間をわたりあるいていて、ここの無為軍についてかなりよく知っております。わたしがさぐりに行きましょう」
「あんたが行ってくだされば申しぶんない」
と宋江はいった。薛永はその日、一同に別れて出かけて行った。
さて宋江は、頭領たちとともに穆弘の屋敷に残って無為軍襲撃のことを相談し、槍や刀などの武器をととのえ、弓矢をそろえ、大小の船などを準備した。それがすんだとき、薛永が、出かけて行ってから二日たって、ひとりの男をつれて屋敷に帰ってき、宋江にひきあわせた。宋江が、
「この壮士はどなたで」
とたずねると、薛永のいうには、
「この人は姓は侯《こう》、名は健《けん》といって、洪都《こうと》の生まれですが、仕立物にかけてはならぶもののない名手で、それこそ針を飛ばし糸を走らすという見事さ。かねて槍棒もつかい、かつてこのわたくしが師匠になって教えました。色が黒く、身ごなしが敏捷であるところから、通臂猿《つうひえん》(手長猿)とあだ名されております。いまはかの無為軍の城内の黄文炳の家に雇われていますが、わたしが見つけて、ここへきてもらいました次第」
宋江は大いによろこび、さっそく座をすすめてともに相談をしたが、この人もやはり地〓星《ちさつせい》の数にはいる人だったので、自然に意気投合した。宋江が江州の動静や無為軍への道すじなどをたずねると、薛永は、
「このほど蔡九知府が官軍や人民を調べましたところ、斬り殺されたもの五百人あまり、傷をおわされたのや矢にあたったものは数知れずというありさま。いま火急の使者をつかわして朝廷へ上奏中でございます。城門は午後になるとすぐしめてしまって、出入りのものを非常にきびしく調べております。もともとあなたさまをなきものにしてしまおうという企みは、蔡九知府には関係がなく、すべては黄文炳のやつが再三再四おふたりの殺害を知府にそそのかしたものです。仕置場をおそわれてからというもの、城中ではすっかりあわてて昼も夜も防備をしております。それから無為軍へ様子をさぐりに行きましたところ、ちょうどこの侯健の兄弟が食事をしにきたのに出くわしまして、内情をくわしく知ることができました」
「侯さんはどうしてそれをご存じだったので」
と宋江がきくと、侯健のいうには、
「わたしは子供のころから槍棒をつかうのが好きで、薛先生にはずいぶんお教えいただき、ひとかたならぬご恩を感じております。わたくし、このあいだうちから、黄通判にわざわざ呼ばれまして、その家で仕立物をいたしておりましたが、外出いたしましたところふと先生にお会いし、あなたさまのおうわさが出、このたびのことをうかがいました次第。かねてからお近づきを得たいと心にかけておりましたので、こうして内情をお知らせにまいったのでございます。ところで、あの黄文炳には、実の兄で黄文〓《こうぶんよう》というのがおります。黄文炳とは同じ母から生まれた兄弟でありながら、黄文〓のほうは日ごろから善行を心掛け、橋をかけたり道をなおしたり、仏像をつくったり坊さんに布施をしたり、困っているものや貧しいものを世話したりしますので、無為軍の町ではみんなが彼のことを黄仏子《こうぶつし》(仏《ほとけ》の黄さん)と呼んでおります。ところが黄文炳のほうは退職の通判でありながら、人をはめこもうとして、悪事ばかりしておりますので、無為軍の人はみな黄蜂刺《こうほうし》(刺蜂《とげばち》の黄)と呼んでおります。この兄弟は別の家に住んでおりますが、出入りするのは同じ路地です。彼らの家は北門の近くにあって、黄文炳は城壁寄り、黄文〓は通りに近いほうに住んでいます。わたしはそこで仕事をしておりますとき、黄通判が外から帰ってきて、こんなことを話しているのを聞きました。蔡九知府はまんまとだまされていたが、わしがそれを教えてあげて、まず打ち首にしてしまって後で朝廷へ奏上するようにさせたよ。するとそれを聞いた黄文〓が、かげでしきりに怒って、またそんな後生《ごしよう》のわるいことをする、自分には何のかかわりもないことなのに、どうしてその男を殺さねばならないのだ、もしお天道さまがお見とおしなら、たちどころに天罰がくだってきて、かえってわが身に禍いをまねくことになるんだ、といっておりました。先日、仕置場あらしがあったと聞くと、黄文炳はすっかりおどろいて、昨夜は蔡九知府のところの様子を見に江州へ行って、なにか相談でもしているらしく、まだ帰ってまいりません」
「黄文炳のところは、その兄の家とどれくらいはなれているのですか」
と宋江がたずねた。
「もとは一軒だったのを分けたのですから、菜園をひとつ隔てているだけです」
「黄文炳の家には何人ぐらい人がいますか。また部屋数は?」
「男女あわせて四五十人ぐらいです」
「天がわたしの復讐《ふくしゆう》を助けて、わざわざこの人をおつかわしになったのだ。だが、なんといってもみなさんたち一同のお力ぞえがなくては」
宋江がそういうと、一同は声をそろえて答えた。
「いのちがけでおしよせて行って、その腐りきった悪党をやっつけ、兄貴の恨みをすすぎましょう」
宋江はさらにいった。
「憎いのは黄文炳のやつだけで、無為軍の町の人には何の恨みもありません。彼の兄は聞けば仁徳のある人とか。彼に危害を加えて、天下の人々から不仁とののしられるようなことのないように。いざ乗りこんで行ったときには、町の人たちには指一本もふれないように。こんどの挙については、わたしに一計があります。どうか協力してください」
頭領たちはいっせいに、
「すべて兄貴のおさしずに従いましょう」
と答えた。宋江は、
「穆太公どのには叉袋《みつまたぶくろ》(三隅をつまんだ袋)を八九十ばかり用意していただきたいのです。それから蘆の粗朶《そだ》を百束ばかりと、大船五艘と小船二艘をおねがいします。張順さんと李俊さんは小船二艘に乗って江上でかくかくしかじかにしてください。大船五艘は、張横・阮氏三兄弟・童威さんたちと水練の達者な連中とで守ってもらう。それで、この手筈はととのいます」
「蘆の粗朶や袋などは家で間にあいます。わたしの屋敷のものはみな水練もできますし船も漕げますから、さっそくはじめてください」
と穆弘がいった。宋江は、
「では侯《こう》さんは、薛永と白勝のふたりを連れ、さきに無為軍の城内へ行って、かくれていてもらいましょう。あすの三更二点(夜十二時半)を合図に、城門の外で、鈴をつけた鳩を放すから、それを聞いたらすぐ、白勝は城壁へのぼって内応し、目じるしの白絹の旗を黄文炳の家の近くに立ててもらいたい。そこを城壁にとりつく場所にするのだ。それから、石勇と杜遷のふたりには、乞食の恰好をして城門のすぐそばにひそんでいてもらおう。火の手のあがるのを見たらそれが合図だ、すぐ、城門警備の兵士たちを殺すのだ。李俊と張順のふたりは江上を見まわりながら、内応の時を待っていてもらいたい」
宋江がこうして配置をきめると、まず薛永・白勝・侯健が出発した。そのあとから石勇と杜遷が乞食の姿をし、ふところに短刀を忍ばせて出発した。こちらでは、砂をつめた袋や蘆の粗朶を舟に積みこんだ。頭領たちは定めの時刻になるとそれぞれ装束をととのえ、武器をとり、舟の胴の間に兵士をひそませ、それぞれ手分けをして乗りこんだ。晁蓋・宋江・花栄は童威の舟に、燕順・王矮虎・鄭天寿は張横の舟に、戴宗・劉唐・黄信は阮小二の舟に、呂方・郭盛・李立は阮小五の舟に、穆弘・穆春・李逵は阮小七の舟に。朱貴と宋万だけは穆太公の屋敷に残って、江州城内の動静をうかがって待つことになった。まず童猛が舟足の早い漁船で偵察に出された。手下のものや軍卒たちは胴の間にかくれて、下僕や屋敷の下男や水夫たちが舟をあやつり、その夜ひそかに無為軍へとむかった。時節はちょうど七月の末、風の静かな涼しい夜で、月は白く、川は清く、山も水も碧《あお》一色。むかし参寥子《しんりようし》(唐の隠士)にこの川の景色を詠んだ詩がある。
洪濤滾々《こんこん》として煙波沓《はるか》なり
月淡く風清し九江《きゆうこう》の暁《あかつき》
舟子《しゆうし》に従《むか》って如何《いかん》と問わんと欲すれば
但《ただ》覚ゆ廬山《ろざん》の眼中に小さきを
その夜の初更(八時)ごろ、全部の舟は無為軍の江岸に着き、蘆の深く茂ったところをえらんで一列に舟をつないだ。ところへ童猛が舟を漕ぎもどしてきて、
「城内には全然かわった様子は見えません」
と報告した。宋江はそこで、配下の一同に命じて、砂袋と蘆の粗朶を岸へあげさせ、城壁をめざしてすすんだ。時太鼓はちょうど二更(夜十時)を告げていた。宋江は手下のものに、それぞれ砂袋と蘆の粗朶をひきずって行って城壁の下に積みあげさせた。頭領たちはてんでに武器をとり、ただ張横と阮氏三兄弟および童氏二兄弟を舟に残して援護にそなえさせ、その他の頭領はみな城壁へとおしよせた。城壁の上を眺めると、北門までの距離はおよそ半里ばかり。そのとき宋江は鈴をつけた鳩を放させた。と、城壁の上に一本の竹棹が合図の白い旗をつけて風にひるがえった。宋江はそれを見ると、すぐ兵士に命じてそこの城壁の下に砂袋を積みあげさせるとともに、軍卒には蘆の粗朶を城壁の上へかつぎあげさせた。見れば白勝はすでにそこに待ちうけていて、軍卒たちに、
「ほら、あそこの路地が黄文炳の家だ」
と指さして教えた。宋江は白勝に、
「薛永と侯健はどこにいる」
とたずねる。
「あのふたりはとっくに黄文炳の屋敷のなかへ忍びこんで、兄貴のおいでを待っております」
「石勇と杜遷を見かけなかったか」
「あのふたりは城門のすぐ近くに待ちかまえております」
宋江はそう聞くと、好漢たちをつれて城壁からおり、まっすぐに黄文炳の家へむかった。その軒下に侯健がかくれていた。宋江は呼び寄せて、その耳もとに口を寄せていいふくめる。
「行って菜園の木戸をあけ、兵士たちに蘆の粗朶をなかへ運びこませてくれ。また薛永には松明《たいまつ》を都合してきて火をつけさせ、それから黄文炳の家の門をたたいて、隣の旦那さまの家が火事です、家財道具をあずかってください、というのだ。門をあけさせたら、あとはわたしがやる」
宋江は好漢たちを幾手かに分けて、進退両路をおさえさせた。侯健はさきに行って菜園の木戸をあけ、軍卒たちに蘆の粗朶を運びこませ、積みあげさせた。そして火種をさがしてきて薛永にわたし、火をつけさせてから、ぬけ出して行って門をたたきながら、
「お隣の旦那さまの家が火事です。家財道具をおたのみします。早く門をあけてください」
と大声で呼んだ。なかでは、それを聞くとすぐに起きてきて、外をのぞいた。見れば隣が火を出している。あわてて門をあけ、外へ飛び出すと、晁蓋・宋江らがどっと喊声をあげて斬りこんで行った。好漢らはてんでに得物をふるい、出会うものを片っ端から斬り殺し、黄文炳の一家眷属《けんぞく》、おとなも子供も四五十人ばかりを、ひとり残さず殺してしまったが、肝心の文炳だけが見えなかった。好漢たちは彼がこれまで良民をいじめてためた莫大な金銀財宝をすっかりとりおさめ、口笛の合図とともに一同は箱や籠や家財などをかついで城壁のうえに駆けのばった。一方、石勇と杜遷は、火の手のあがったのを見ると、おのおの短刀を抜きはなって、城門警備の兵士たちを殺したが、近所のものたちが手桶や梯子を持って火を消しに駆けつけてきたのを見ると、
「おい、みなの衆、行くんじゃない。おれたちは梁山泊の好漢だ。数千人でやってきた。黄文炳一家のやつらをみな殺しにして宋江と戴宗の恨みをはらさんがためで、みなの衆にはかかわりのないことだ。さっさと家に帰ってひっこもっておるがよい。出てきてよけいな節介をやくな」
とどなった。隣近所のものは、それでも本気にせず、立ちどまって見物していた。するとそこへ黒旋風の李逵が、板斧二梃をふりまわしながらまっしぐらに突っこんできた。隣近所のものは、そこではじめて、わっと叫びながら梯子や手桶をかついでどっと逃げて行った。こちらの裏町のほうでも、城門警備の兵士たちが何人かのものをつれ、火たたきや鳶口《とびぐち》をひきずりながら火を消しに駆けつけてきたが、早くも花栄は弓をひきしぼり、いきなり矢を放ってひとりを射ち倒し、大声でどなった。
「死にたいやつは火を消しにやってこい」
兵士たちはいっせいに逃げて行った。そのとき薛永が松明で黄文炳の家の前後に火をつけた。火はぼうぼうと燃えはじめる。見れば、
黒雲《こくうん》地を匝《めぐ》り、紅〓《こうえん》天に飛ぶ。猝《そつ》律々《りつりつ》として万道《まんどう》の金蛇《きんだ》を走らせ、〓《えん》騰々《とうとう》として千団《せんだん》の火塊《かかい》を散らす。狂風相《あい》助けて雕梁画棟《ちようりようがとう》片時に休《きゆう》し、炎〓《えんえん》空に漲《みなぎ》って大廈高堂《たいかこうどう》弾指に没す。這《これ》は是れ火にあらず、却って是れ、
文炳《ぶんへい》が心頭《しんとう》の悪《あく》
触れて丙丁神《へいていしん》(火の神)を悩《いか》らす
人を害して毒焔《どくえん》を施《ほどこ》し
火を惹いて自ら身を焼く
そのとき、石勇と杜遷は城門警備の兵士たちを殺し、李逵は鉄の鎖をたたき切って城門をあけ放ったので、味方の半数は城壁を乗りこえ、半数は城門をくぐって行った。張横・阮氏三兄弟、童氏二兄弟も迎えにやってきて合流し、ぶんどり品をかついで船に積みこんだ。無為軍では、江州で梁山泊の好漢たちが仕置場をあらして無数の人を殺したことを知っていたので、飛び出してきてあとを追うようなものはなく、みんな身をかくしていた。宋江ら好漢一同は、ただ黄文炳を捕らえ得なかったことを口惜しがりながら、みな船に乗り、漕ぎ出して穆弘の屋敷へむかったのであるが、この話はそれまでとする。
さて江州の町では、無為軍に火がおこって天をも焦がさんばかりなのを見て、町じゅう大騒ぎになり、とにかく役所へ知らせた。かの黄文炳はちょうど役所で協議していたところだったが、その知らせを聞くとあわてて知府にいった。
「わたしのところが火事です。すぐ見に帰らせていただきます」
蔡九知府はそれを聞くと、さっそく城門をあけさせ、官船を仕立てて送らせることにした。黄文炳は知府に礼をいってすぐに退出し、従者をつれてあたふたと船に乗り、江上に漕ぎ出して無為軍へむかった。見れば火勢はすさまじく、江面をまっ赤に染めている。
「火事はどうやら北門のあたりです」
と船頭はいった。黄文炳はそういわれると、ますますうろたえだした。川のまんなかへさしかかったとき、ふと気がつくと、一艘の小舟が川上から漕ぎくだって行った。と、すぐにまた別の小舟が一艘漕ぎくだってきたが、その舟はゆきすぎずに、官船にむかってまっすぐ突きすすんでくる。
「なんだ、その舟、まっすぐぶつかってきやがって」
と従者がどなりつけると、その小舟の上にひとりの大男が飛び出してきて、撓鉤《どうこう》(長柄の手鉤《てかぎ》)を手に答えた。
「江州へ火事の注進に行く舟だ」
そこで黄文炳は身をのりだしてたずねた。
「火もとはどこだ」
「北門内の黄通判の家だ。梁山泊の好漢どもが一家のものをみな殺しにしたあげく、家財道具をひっさらって行ったんだ。いまは火事の真最中だ」
黄文炳が思わず、
「あっ!」
と叫んでうろたえると、男はそれを聞くなり撓鉤をのばして船にひっかけ、こちらへ飛び移ってきた。黄文炳は勘のよい男だったので、早くもそれとさとってすぐ船尾のほうへ逃げ、身を躍らせて川のなかへ飛びこんだ。と、そこへとつぜん一艘の舟があらわれたと見るや、ひとりの男が水中へもぐって、黄文炳の腰を抱きかかえ、頭をつかんで舟の上へひきずりあげると、舟の上の大男はすぐ受けとって麻縄で縛りあげてしまった。水中で黄文炳を活捉《いけど》りにしたのは、浪裏白跳《ろうりはくちよう》の張順《ちようじゆん》、舟の上で撓鉤を使ったのは混江竜《こんこうりゆう》の李俊《りしゆん》であった。ふたりの好漢が船上につっ立つと、官船を漕いでいた船頭たちは、ただもう平伏するばかり。李俊は、
「おまえたちには手をかけはせん。この黄文炳のやつをつかまえさえすればよいのだ。おまえたちはとっとと帰って蔡九のばか知府にこういっておけ。われわれ梁山泊の好漢は、きさまの素っ首はひとまずあずけておくが、そのうちにちょうだいにあがるとな」
船頭はぶるぶるふるえながら、
「へい、帰ってそう申します」
李俊と張順は黄文炳を自分たちの小舟に移して、その官船はゆるしてやった。
ふたりの好漢は二艘の快舟《はやぶね》をあやつって、まっすぐ穆太公の屋敷へいそぎ、やがて漕ぎ寄せて眺めると、頭領たち一同はみな岸にあがって待ちながら、箱や籠を陸揚げしているところだった。黄文炳を捕らえたという知らせを聞くと宋江はうれしくてならず、他の好漢たちもみな大よろこびで、
「あいつの顔が見たいよ」
といいあった。李俊と張順はやがて黄文炳をつれて岸へあがった。一同はそれを見て、とりかこみながら、岸をはなれて穆太公の屋敷へむかった。朱貴と宋万が一行を出迎え、屋敷のなかへいざなって奥の間に通した。宋江は黄文炳の濡れた着物を剥ぎ取って、柳の本に縛りつけ、頭領たちに車座になってもらい、酒を一壺持ってこさせて、みなに杯をわたした。上は晁蓋から下は白勝にいたるまで、あわせて三十人の好漢がみな杯を手にすると、宋江ははげしく黄文炳をののしった。
「こやつめ、わしとおまえは、なんの恨みつらみもないあいだなのに、なぜおまえは、あくまでもわしを殺そうとし、再三再四蔡九知府をそそのかして、われわれふたりをなきものにしようとしたのだ。聖人賢人の書も読んでおりながら、どうしてそのようなひどいことをする。おまえの親父を殺した仇というわけでもないのに、なぜああもしつこくわしのいのちをねらったのだ。おまえの兄の黄文〓はおまえと同じ母親から生まれながら、あのように善行を積み、久しく町じゅうの人々から仏の黄さんと呼ばれているじゃないか。それゆえわしは、ゆうべも指一本ふれはしなかった。ところがおまえときたら、町では人を苦しめてばかりおり、権勢のあるものと結びつき、地位のあるものにごまをすって、善良なものをいじめ苦しめる。無為軍の人たちがおまえののことを刺蜂《とげばち》の黄といっているのをわしは知っているぞ。きょうはわしが、おまえのその刺を引っこ抜いてやる」
「わるかったことはわかっている。さっさと殺してくれ」
と黄文炳は訴えた。すると晁蓋がどなりつけた。
「この、ばかやろう。殺してくれないでおくものか。こやつ、いまになって後悔したってもうおそいわ」
「さあ、誰がこやつをやっつけてくれる」
と宋江がいうと、黒旋風の李逵がぱっと立ちあがって、
「おいらが兄貴にかわってこやつを引き割《さ》いてくれよう。それにしてもこやつ、よく肥えてやがるから、焼いて食ったらうまかろうな」
すると晁蓋が、
「まったくだ。匕首《あいくち》をとってくれ。それから炭火をもらってきて、こやつをこまかく切って焼き、酒の肴にして、弟の恨みをはらしてやろう」
李逵は匕首を手にとり、黄文炳を見て笑いながら、
「こやつめ、蔡九知府の奥の間でなんのかのとしゃべくりちらし、人を殺そうと小細工して、根も葉もないことをいってそそのかしやがったな。きょうはきさまはさっさと死にたいらしいが、おれさまは、ゆるゆると殺してやるぞ」
と、匕首でまず太腿の肉をえぐり取り、うまそうなところをえらんでその場で炭火に焼いて酒の肴にし、えぐり取っては焼き、焼いてはえぐり取りして、やがて黄文炳を切りきざんでしまった。李逵はこんどは、匕首をふるって胸をたち割り、肝《きも》を取り出して頭領たちの酔いざましの吸いものにした。こうして黄文炳が切りきざまれたのを見とどけた頭領たちは、みなで奥の間へあがって宋江に祝いの言葉をのべた。
これをうたった詩がある。
文炳趨炎《すうえん》(権勢にこびる)して巧計乖《かい》(こざかし)なり
却《かえ》って忠義を将《もつ》て苦《し》いて擠排《せいはい》(除去)す
奸謀未《いま》だ遂げられざるに身先《さき》に死し
免《まぬか》れ難し心《しん》を〓《えぐ》り肉を炙《あぶ》らるるの災
そのとき、いきなり宋江が平伏した。頭領たちもあわててみな平伏し、いっせいに、
「兄貴、どうなさったのです。なになりとおっしゃってください。われわれはなんでもうけたまわりましょう」
すると宋江のいうには、
「わたくし、若いときから役所づとめを習いおぼえ、ようやくひとりだちするようになりましてからは、天下の好漢と交わりを結ばんと志しましたものの、いかんせん力うすく才うとく、十分なおつきあいもできませず、かねてよりのねがいをとげることができませんでした。江州へ流される身となりましてからは、晁頭領どのをはじめ豪傑のかたがたから、せっかくのおひきとめにあずかりながらも、父親のきびしいいましめの手前、お言葉に従うこともできませんでした。ところが、天のおみちびきというものでしょうか、潯陽江にまいりますまでの道中で、またしても多くの豪傑にめぐりあいました。その後、はからずもこのわたくし、ふとした酒後のたわむれから、あやうく戴院長のいのちまでも巻きぞえにするところを、ありがたくもみなさま豪傑のかたがたが、危険をもかえりみられず、虎穴竜潭《こけつりゆうたん》に飛びこんでこの死にぞこないをお救いくだされ、そのうえまたお力添えによって仇をも討たせていただきました。しかしながらかくのごとき大罪を犯し、ふたつの州城を騒がせましたからには、朝廷へ上聞されることはもはや必定。かくてはこの宋江、梁山泊へのぼって兄貴に身をよせるよりほかありませんが、ついてはみなさまがたのご意向はいかがなものか。もしご承知いただけますならば、すぐにも支度をして出かけます。たとえこばまれましたにしても、決してお言葉に逆らうものではござりません。ただわたくしの恐れますことは、このことが世に知れましたならば、累をみなさまがたにおよぼすということです。ご一考を煩わしたく存じます」
まだいいおわらぬうちに、李逵がぱっと立ちあがって叫んだ。
「行こう、みなで行くとしよう。行かないやつは、おいらのこの斧でまっぷたつだ」
「なにをそそっかしいことを。すべてはみなさんの心次第だ。みなさんがご承知なさってこそ、いっしょに行けるのだ」
と宋江はいった。みなはいっしょに話しあった。
「あんなにまで官軍の人馬を殺し、ふたつの州郡を騒がせたのだから、やつらはきっと朝廷へ上申し、軍勢をくり出して捕らえにくるのはわかりきったことだ。こうなれば兄貴といっしょに行って生死をともにするよりほか、どこへも行きどころはないじゃないか」
宋江は大いによろこんで、一同に礼をいった。その日はまず、朱貴と宋万がさきに山寨へ知らせに帰り、そのあとで五隊に分かれて出発した。第一隊は晁蓋・宋江・花栄・戴宗・李逵。第二隊は劉唐・杜遷・石勇・薛永・侯健。第三隊は李俊・李立・呂方・郭盛・童威・童猛。第四隊は黄信・張順・張横・阮氏三兄弟。第五隊は燕順・王矮虎・穆弘・穆春・鄭天寿・白勝。こうして五隊、二十八人の頭領は、身うちのものをひきつれ、黄文炳のところから奪った家財道具をそれぞれの車に分載した。穆弘は穆太公や家族のものをつれ、あらゆる家財金銀珠玉を車に積み、下男たちのうち同行をのぞまないものにはなにがしかの銀子をやって、別の主人をさがして雇われるようにしてやり、同行をねがうものはいっしょにつれて行くことにした。はじめの四隊が相ついで出発して、自分たちの番になると、穆弘は屋敷のなかをとり片付け、十数本の松明を放って屋敷を焼きはらい、田地を捨てて梁山泊へとむかった。
こうして五隊の人馬が相ついで、二十里の距離をとって出発して行ったことはさておき、第一陣の晁蓋・宋江・花栄・戴宗・李逵の五騎は、車輛・人員をひきつれてすすむこと三日、黄門山《こうもんざん》というところにさしかかった。宋江は馬上から晁蓋にいった。
「あの山はどうも物騒な様子です。手ごわい賊がたてこもっているようですから、人をやって後続の人馬に急いで追いつかせてから、いっしょに越えましょう」
いいおわらぬうちに、とつぜん前方の山の鼻で銅鑼と軍鼓が鳴りだした。宋江は、
「やはりそうでした。ともかくすすまずに、後続の人馬がくるのを待って、それからたたかいましょう」
花栄はすぐ弓に矢をつがえ、晁蓋と戴宗はそれぞれ朴刀を取り、李逵は二梃の斧を持ち、宋江を守っていっせいに馬を走らせて行くと、坂路のあたりから四五百人の山賊が飛び出してきた。先頭におしたてられた四人の好漢は、それぞれ得物を手に、大声で呼ばわった。
「おまえたちはさんざん江州を騒がし、無為軍で掠奪をはたらき、おおぜいの官軍や住民を殺したあげく、いま梁山泊へひきあげて行くところと見たが、われら四人、ここで長らく待ちもうけておったのだ。わけのわかるやつなら、そこへ宋江をおいて行け。そうすればいのちだけは助けてやる」
宋江はそれを聞くと、すすみ出て行って地面にひざまずき、
「わたくし宋江、人におとしいれられ、無実の罪にとわれて窮地におちいったところを、このたび諸方の豪傑によっていのちを救われた次第。わたくし、どこで四人の英雄がたに無礼をはたらいたか覚えませぬが、どうかお情けをもって、いのちのほどはお見のがしくださるよう」
その四人の好漢は、宋江が前にひざまずいたのを見ると、みなあわてて馬からすべりおり、武器を投げ捨てて走りよってきて、地面に平伏した。
「われわれ兄弟分四人は、山東の及時雨の宋公明どののお名前を聞いて、なんとかお目にかかりたいと思いながら、なかなかかないませんでした。ところが、江州で捕らえられなさったと聞きましたので、われわれ兄弟相談のうえ牢破りに行こうと思いたちましたものの、たしかな事情がわかりませんので、先日手下のものを江州へやってさぐらせましたところ、はやすでに、おおぜいの好漢たちが江州で騒ぎをおこし、仕置場をおそってお救いして掲陽鎮へひきあげてしまったとのこと、その後また無為軍に焼打ちをかけて黄通判の家を掠奪したとのことでございました。それならば兄貴はきっとここを通られると思いまして、つぎつぎに街道へ人をやってさぐらせたのですが、それでもほんとうかどうかわかりませんでしたので、敢てあんな詰問をし、失礼をいたしました次第、どうかおゆるしをいただきとう存じます。いま幸いにもお目にかかることができましたうえは、山寨にてお粗末ながら一席設けさせていただきますゆえ、しばらく足をお休めくださいますよう。みなさまがたもどうぞごいっしょにおいでになっておくつろぎください」
宋江は大いによろこび、四人を扶けおこしてひとりずつその名をたずねた。その頭格《かしらかく》のものは、姓は欧《おう》、名は鵬《ほう》といって、黄州の生まれ。もとは大江(揚子江)の守備をしていた軍卒だったが、上官ににくまれたために逃亡して緑林の徒に加わり、ついに摩雲金翅《まうんきんし》というあだ名をたてまつられるにいたった男。第二の好漢は、姓は蒋《しよう》、名は敬《けい》といって、湖南潭《たん》州の人。書生くずれで、科挙の試験に落ちてからは文をすてて武をとり、なかなかに謀略もあり、読書算数にあかるく、何万何千という計算でも一分一厘のまちがいもなくやってのけるが、また槍棒にもひいで、兵法にも通じ、かくて人々から神算子《しんさんし》とあだ名されている。第三の好漢は、姓は馬《ば》、名は麟《りん》といい、南京建康《けんこう》の生まれで、地まわり(注二)の遊び人あがり。鉄笛を吹くのがうまく、大きな滾刀《こんとう》をつかい、百人あまりを相手にまわしてひけをとらず、かくて人々から鉄笛仙《てつてきせん》とあだ名されている。第四の好漢は、姓は陶《とう》、名は宗旺《そうおう》といい、光《こう》州の産で、水呑み百姓あがり。鉄鍬《てつしゆう》を自在につかい、なかなか力が強く、それに槍も刀もつかえ、かくて人々から九尾亀《きゆうびき》とあだ名されている。この四人の好漢の英雄ぶりいかにといえば、それをうたって西江月のうたがある。
力壮《そう》に身強くして賽《くら》ぶるもの無し。行く時は捷《はや》きこと飛騰《ひとう》するが似《ごと》く、雲を摩する金の翅《つばさ》は是れ欧鵬《おうほう》、首位として黄山に排定す。幼にして毛錐《もうすい》(筆)利を失うを恨み、長じて韜略《とうりやく》(兵法)に従って精を捜《さぐ》る。神の如き算法《さんぽう》善く兵を行《もち》う、文武全才の蒋敬《しようけい》。
鉄笛一声山は裂け、銅刀両口神も驚く。馬麟《ばりん》の形貌《けいぼう》さらに〓獰《そうどう》、厮殺場中の超乗(注三)なり。宗旺《そうおう》力は猛虎の如し。鉄鍬到る処情《なさけ》無く、神亀の九尾に多能を喩《たと》う。都《すべ》て是れ英雄の頭領なり。
この四人の好漢が宋江をひきとめると、手下のものたちはさっそく、つまみものをいれた盒《ふたもの》と、大壺いっぱいの酒、二枚の大皿に盛った肉を運んできて、杯をくばり、まず晁蓋・宋江につぎ、ついで花栄・戴宗・李逵についだ。一同と挨拶をかわしながらついでいったが、二時《ふたとき》もたたぬうちに、第二隊の頭領たちが到着して、またひとりずつ挨拶をかわした。酒がひとわたりすむと、一同を山の上へ招いた。そこで両隊の頭領十人は、さきに黄門山の山寨へ行ったが、四人の好漢は牛や馬を殺して歓待するとともに、手下のものをつぎつぎに下山させて、あとからくる三隊、十八人の頭領たちをも山の宴席に招かせた。半日もたたぬうちに三隊の好漢たちはみな到着し、一同は聚義庁の宴席に顔をそろえた。宋江は酒を飲みながら、その席上でいった。
「わたしはこのたび兄貴の晁天王に身をあずけ、梁山泊へ行って仲間に加わることにしたのですが、いかがです、四人の好漢がたも、ここをすてていっしょに梁山泊へ行って仲間に加わられては」
すると四人の好漢はいっせいに答えた。
「おふたかたが、このつまらぬわたくしどもをお見すてなくば、ぜひとも末席をけがさせていただきとう存じます」
宋江と晁蓋は大いによろこんで、
「仲間におはいりになるときまれば、さっそく出発のご用意を」
他の頭領たちもみなよろこんだ。かくて山寨で一日一夜をすごして、その翌日、宋江と晁蓋は前どおり第一隊になり、山をおりてさきに出発した。ついで同じく後続の隊も、二十里の距離をとってすすんだ。四人の好漢は財帛金銀などをとりまとめ、手下のもの四五百人をひきつれ、山寨を焼きはらって、第六隊としてつづいた。宋江は四人の好漢を仲間に迎えたことをはなはだ満足に思い、みちみち馬上で晁蓋にいった。
「わたしは世間をわたり歩くようになってから、こわい目にもあいましたが、こんなに多くの好漢と知りあいになることができました。こうして兄貴といっしょに山へのぼることになりましたが、こんどこそはあくまでも兄貴と生死をともにします」
道中ずっと四方山《よもやま》話をかわしながら、いつしかはやくも朱貴の居酒屋に着いた。一方、山寨の留守をあずかっていた四人の頭領、呉用・公孫勝・林冲・秦明と、ふたりの新参の頭領、蕭譲と金大堅らは、すでに、一足さきに帰ってきた朱貴と宋万から知らせをうけていたので、毎日、小頭目にいいつけて屋酒屋のところまで迎えの船を出させていたが、(いよいよ一同が帰ってきたので)一隊ずつつぎつぎに金沙灘をわたして上陸させ、鼓笛の音もにぎやかに、好漢たちを馬や轎《かご》で山寨に迎えた。関門のところまで行くと、軍師の呉用以下六人のものが祝いの酒(注四)をついだ。一同が聚義庁に着くと、香り高い香《こう》が焚かれた。そのとき晁蓋は、宋江を山寨の主として、第一の席につくようにと請うた。宋江はもとより承知するはずはなく、
「兄貴、それはまちがっております。この宋江のいのちは、みなさんがたが、いのちがけで救ってくださったものです。兄貴はもとよりこの山寨の主、どうしてわたくしのようなものに譲ろうとなさるのです。是が非でもとおっしゃるならば、わたくしはむしろ死を選びます」
「なぜそんなことをいわれる。あのとき、あなたがあのような危険をおかしてわれわれ七人を無事に山へ逃がしてくださったからこそ、山は今日このように盛大になり得たのです。あなたはこの山寨のかけがえのない恩人なのです。あなたがその席に坐らないで、誰が坐れます」
「年の順からいうと、あなたはわたしより十歳も上です。わたしが坐ったのでは、いかになんでも無恥厚顔にすぎましょう」
と宋江は再三すすめて晁蓋を第一の席につかせた。そして宋江は第二の席、呉学究は第三の席、公孫勝が第四の席についた。宋江は、
「手柄の大小をいうのはやめにして、もとからの梁山泊の頭領衆は左側の主人の席に、新しく見えた頭領衆は右側の客の席についていただき、いずれ後日、そのはたらきの上下に従ってあらためてその席をきめるということにしてはいかがです」
といった。みなは口々に、
「ごもっとも」
といい、左側にはずらりと、林冲・劉唐・阮小二・阮小五・阮小七・杜遷・宋万・朱貴・白勝とならび、右側には年の順をいって互いに譲りあいながら、花栄・秦明・黄信・戴宗・李逵・李俊・穆弘・張横・張順・燕順・呂方・郭盛・蕭譲・王矮虎・薛永・金大堅・穆春・李立・欧鵬・蒋敬・童威・童猛・馬麟・石勇・侯健・鄭天寿・陶宗旺と、計四十人の頭領が席についた。こうして鼓笛の音もにぎやかに祝宴がくりひろげられた。宋江は、江州の蔡九知府がこじつけたはやりうたのことを一同に話して、
「黄文炳のやつ、まったくいまいましいやつで、自分にはなんの関係もないことなのに、知府のところへ出かけて行ってでまかせをならべたて、国をつぶすは家と木で、という文句は、国家のお庫《くら》をつぶすものは、きっとうかんむりに木の字、つまりは宋という字。いくさするのは水に工、というのは、動乱をおこすものは、さんずいに工の字、つまり江という字で、それはまさしく宋江のことだといい、そのあとの二句の、あばれまわるは三十六、騒ぎのもとは山東に、というのは、これはまちがいもなく宋江が山東で謀叛をおこすということだというのです。こうしてわたしを捕らえたのです。そこへまた思いがけなくも戴院長がにせ手紙をもってきたことから、黄文炳のやつは知府をそそのかして、ともかく打ち首にしてしまってから上奏しようとしたのです。みなさんがたに救っていただいたおかげで、こうしてここへこられたわけです」
というと、李逵がぱっと立ちあがって、
「そうだ、兄貴、そいつは天の言葉というものじゃないか。そりゃひどい目にあいはしなすったが、まあ、黄文炳のちくしょうはおいらが存分に引き裂いてやったからいいとして、ここにこれだけの軍馬がありゃ、たとえ謀叛をはじめたってこわいものなしだ。晁蓋兄貴が大皇帝、宋江兄貴が小皇帝、呉先生は宰相、公孫道士は国師(天子の師たる高僧)、おいらたちはみな将軍になって、そして東京《とうけい》へ斬りこんで行って天子の位とやらをふんだくり、あそこで豪儀に暮らそうじゃないですか。こんなけちくさい水たまり(梁山泊をいう)にいるよりか、そのほうがどれだけましかしれませんぜ」
戴宗はあわてて叱りつけた。
「おい、鉄牛。なんてことをいうんだ。ここへきたからには、江州にいたときのような気ままはとおらんぞ。すべて頭領おふたりの命令に従うんだ。勝手放題なことをべちゃくちゃしゃべってはならぬ。もういちどそんなさし出口をいってみろ、まっさきにその素っ首をぶった斬ってみんなのしめしをつけずにはおかないから」
「これはしたり、この首をちょん斬られでもした日には、こんど新しいのがはえてくるのはいつのことやら。おいらはせっせと酒でもくらうことにするか」
好漢たちはみなどっとふきだした。宋江はまた、官軍を撃退した話(第二十回)を持ちだして、
「あのときわたしは、あのこと(官軍が出動したこと)を聞いて、はじめ、びっくりしましたが、なんとそれがこのたびはわが身にふりかかってこようとは」
というと、呉用は、
「兄貴がはじめにわたしのいうことを聞いて山でのうのうと暮らし、江州へなど行かれなかったら、なにも厄介なことはおこらなかったのですが、それもまあそういう運命だったのでしょう」
「ところで、あの黄安というやつは、いまどこにどうしていますか」
と宋江はきいた。
「あれは、二三ヵ月もせずに病気で死んでしまいましたよ」
晁蓋がそう答えると、宋江はしきりに慨嘆した。その日は酒を飲んで、一同歓をつくした。晁蓋はまず穆太公一家の人たちに住居を世話し、また、黄文炳の家財を出させて、よくはたらいた手下のものたちに褒美としてあたえた。そして、前に持ってきた飛脚籠を出して、戴院長に返した。ところが戴宗はどうしても受けとらず、ぜひ庫におさめて共同の使用にあてるようにといった。晁蓋はまた、手下のもの一同を呼んで、新しい頭領の李俊たちに目通りをさせた。それがすむと山寨では、連日、牛や馬を殺しての祝宴がくりひろげられたが、その話はこれまでとする。
さて晁蓋は、山前山後にそれぞれ家を割りあてて一同をすまわせ、山寨内にさらに家を建てたり、城壁を修理させたりした。こうして三日たったとき、酒宴の席で宋江が立ちあがって頭領たち一同にいった。
「わたくし、もうひとつ大事なことがございまして、みなさんにお聞きねがいたいのです。じつはわたくし、山をおりてちょっと行きたいところがあり、数日お暇をいただきたいのですが、おゆるしねがえませんでしょうか」
「どこへ行かれるのです? どのような大事だとおっしゃるのです?」
晁蓋がそうたずねると、宋江はあわてず騒がず、その行くさきを話した。そのことから、槍刀の林のなかに再び一遍《ぺん》の残生をのがれ、山嶺のかたわらに千年の勲《いさお》を伝授されるということになるのである。まさに、玄女《げんじよ》の書三巻によって盛名を世にとどめるという次第。さて宋公明はいったいどこへ行こうとするのか。それは次回で。
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一 奇襲 原文は偸営劫寨。普通は敵の営寨に夜襲をかけることをいう。
二 地まわり 原文は小番子。また番子手ともいい、ごろつきで、捕り手役人の下役をつとめた。わが国でいう岡っ引、あるいは地まわりにあたる。
三 超乗 車に飛び乗ることであるが、ここでは第一人者というほどの意。
四 祝いの酒 原文は接風酒。旅から帰ったもの、あるいは旅をかさねて着いたものを迎える祝いの酒をいう。第二十六回注四参照。
第四十二回
還道村《かんどうそん》に 三巻の天書を受け
宋公明《そうこうめい》 九天玄女《きゆうてんげんじよ》に遇う
さてそのとき、宋江は酒宴の席上、好漢たち一同にむかっていうには、
「わたくし、みなさんに救っていただいて山にきてからというもの、こうして連日ご馳走にあずかって、はなはだ楽しくすごしておりますものの、年とった父はいま家でいかに暮らしておりますことか。江州から都へ報告が行けば、済州へお布令がまわされ、さらに〓城《うんじよう》県へ命令がくだされて、犯人逮捕の人質として家族のものが捕らえられることは必定です。そうなれば、年とった父のいのちもまことに心もとないかぎり。それでこの際ぜひとも家へ帰って家族のものを山へひきとり、後顧の憂いをたちたいと思うのですが、みなさんご承諾くださいましょうか」
晁蓋《ちようがい》がそれに答えて、
「それは人倫の大事。自分たちだけが楽しく暮らしながら、家に残した父親にはつらい思いをさせるというようなことがあってはなりません。しかし、われわれ兄弟、このところひきつづいて辛労で、山寨はまだとりこんでおりますので、もう二三日お待ちいただいて、そのうえで勢ぞろいしてお迎えに行くということにしてはいかがです」
「二三日待つのはかまいませんが、しかし江州からの公文書が済州へ行って、家族のものが逮捕されるようなことになっては困りますので、ゆっくりしてはおられません。それに、勢ぞろいして行くにはおよびません。わたくしひとりでこっそり行って、弟の宋清とともに父を伴って、大いそぎでひきかえしてくることにすれば、村の誰にも気づかれずにすみます。もしおおぜいでおしかけたりなどすると、きっと村じゅうを大騒ぎさせて、かえって不都合なことになりましょう」
「だが、もし道中にまちがいがおこったとしても、誰も助けるわけにはいかないではありませんか」
「いや、父のためなら、いのちをおとしても悔いはありません」
と宋江はいい、いくらひきとめてもきかず、どうしても行くといいはった。そしてさっそく氈笠《せんりゆう》をかぶり、短棒をひっさげ、腰に刀をたばさんで山をおりて行った。頭領たちは金沙灘まで見送って、ひき返した。
さて宋江は、金沙灘をわたって朱貴の居酒屋のところに上陸し、本街道に出て〓城県へと道を急いだが、道中はおきまりどおり、飢えては食らい渇《かつ》えては飲み、夜は泊まり朝には出かけるという日々をかさね、やがてある日、いよいよ宋家村の近くまできたが、日が暮れて行きつけず、宿をとった。翌日、足を速めて宋家村についたが、まだ早かったので、ひとまず林のなかに身をかくし、日が暮れてから家の裏門をたたいた。家のなかではそれを聞きつけて、宋清が出てきて門をあけたが、見れば兄なので、びっくりし、せきこんでたずねた。
「兄さん、どうして帰ってきたのです」
「父上とおまえを迎えに帰ってきたのだ」
「兄さん、あなたが江州で事件をおこしたことはもうこちらにも知れわたっております。役所では趙《ちよう》都頭兄弟をさしむけ、毎日召し捕りにやってきて、わたしたちも監視され、身動きもできないしまつです。江州から公文書がき次第、わたしたち親子を逮捕してあなたがつかまるまで牢に監禁するということになっているのです。いまは昼も夜も二百人ばかりの土兵が巡視しています。ぐずぐずしておらずに、すぐ梁山泊へ行って、頭領たちにわたしたちを助け出すようにたのんでください」
宋江はそれを聞くと、びっくりして身体じゅうに冷汗をかき、門へははいらずにいきなりひきかえして梁山泊へ急いだ。その夜は月がおぼろで、道ははっきり見えなかった。宋江はひたすらに人気のない小道をえらんで歩いた。およそ一時《ひととき》ばかり歩いたころ、とつぜんうしろにどっと喊声が聞こえた。ふりかえって耳をすますと、二里ばかりむこうにあかあかとかがやく一群の松明が見え、
「宋江待てえ」
と叫んでいるのが聞こえた。宋江は逃げながら、心のなかでつぶやいた。
「晁蓋のいうことをきかなかったばかりに、やっぱりこんな災難にあった。神さま、この宋江をお助けください」
ずっとむこうのほうにかくれ場所が見えたので、そこへむかってひたすらに逃げた。やがて空の薄雲が風に吹きはらわれて明るい月があらわれた。宋江ははじめて、あたりの様子がわかり、
「あっ!」
と、うろたえた。見ればそこは、名高い還道村《かんどうそん》というところ。四方はぐるりと高山峻嶺にとりかこまれ、麓にはひとすじの谷川が流れ、道はただひとつ。この村へ踏みこんだが最後、どこへ逃げようにも、この道よりほかに道はなかった。宋江はその村の入口だとわかって、ひきかえそうとしたが、うしろからやってくる追手のものは、そのときすでに出口をおさえてしまっていた。松明の光はあかあかとかがやき、あたりは真昼のような明るさ。やむなく宋江は村のなかへ駆けこんで行き、あちこちかくれ場所をさがして、とある林へ飛びこんで行くと、目にとまったのは一宇の古い廟。見れば、
牆垣《しようえん》は頽損《たいそん》し、殿宇は傾斜す。両廊の画壁には蒼苔《そうたい》長じ、満地の花甎《かせん》(敷石)には碧草生ず。門前の小鬼《しようき》は臂膊《ひはく》を折って〓獰《そうどう》を顕《あら》わさず、殿上の判官は〓頭《ぼくとう》(頭巾)を無くして礼数を成さず。供牀《きようしよう》(供物台)上には蜘蛛《く も》網を結び、香炉内には螻蟻《あ り》〓《す》を営む。狐狸《きつね》は常に紙炉(紙銭を焚く炉)の中に睡り、蝙蝠《こうもり》は神帳の裏《うち》を離れず。
宋江はままよと廟の戸をおしあけ、月明りをたよりにかくれ場所をさがした。祭壇の前後をひとわたり見てまわったが、身をかくせそうなところはどこにもなく、心はせくばかり。と、外で、
「この廟のなかへ逃げこんだらしいぞ」
という声がした。宋江が耳をすますと、趙能の声である。急にかくれるところもないまま、祭壇の上に厨子《ずし》のあるのを見つけ、宋江は帳《とばり》をあげてそのなかへもぐりこむと、短棒を下におき、まるくなって息をひそめた。外では松明を照らしながら踏みこんでくる気配である。宋江が厨子のなかからそっとのぞいて見ると、趙能と趙得が四五十人のものをひきつれ、松明であちこち照らしながら、だんだん祭壇に近よってくる。
「もはやこれまでか。神さま、なにとぞお守りください。お助けください」
宋江が心に念じていると、ひとりずつみな通りすぎて行って、誰も厨子のなかをのぞかなかった。
「ああ、ありがたや」
と宋江が胸をなでおろしたとき、とつぜん趙得が松明で厨子のなかを照らした。
「こんどこそはつかまる」
と宋江は胆《きも》をつぶした。趙得は片手をさしのべて朴刀の柄で帳をはねあげ、上から下へと、ずっと松明で照らした。すると煙がもうもうと舞いあがり、黒い塵が上から落ちてきて、ちょうど趙得の目のなかにはいった。趙得は目つぶしをくらって松明を放り出し、足で踏み消して外へ出ると、土兵たちにむかって、
「このなかにはおらん。だが、ほかに道はなし、いったいどこへ失せやがったんだろう」
すると土兵たちのいうには、
「村のなかの林へでも逃げこんだのかもしれません。ここなら逃げられる気づかいはありません。なにしろここは還道村といって、出るにもはいるにも道は一本しかないうえに、いったんはいってしまえば、高い山や林があるにはあっても、そいつを登って行く道はないのですから。都頭さん、村の出口をおさえてしまいさえすれば、たとえ羽根をはやして空に舞いのぼることができるにしても、逃げられるものじゃありません。夜が明けたら村じゅうしらみつぶしにさがして見ることにしましょう」
「うん、そうするか」
趙得はそういい、土兵たちをひきつれて祭壇をおりて行った。宋江は、
「これは神さまがお守りくださったのだ。もし生きながらえることができましたら必ずお宮を修理しお堂を再建いたしますゆえ、神さま、どうかお助けください」
と、まだいいおわらぬうちに、数人の土兵が廟の戸口で叫んだ。
「都頭さん、このなかにおりますぜ」
趙能・趙得は土兵たちといっしょに、どやどやとやってきた。
「ああ、運がない。こんどこそもうだめだ」
宋江がそう思ったとき、趙能は廟の前までやってきて、
「どこにいる」
とたずねた。土兵は、
「ほら、ごらんなさい。廟の戸に手のあとがふたつついているでしょう。たったいま戸をおしあけてこのなかへ身をかくしたにちがいありません」
「なるほどそうだ。よし、もういちどよくさがして見よう」
一同はまた廟のなかへはいってきてさがした。宋江は、
「よくよく運がないのだ。こんどこそ絶体絶命だ」
と思った。一同は祭壇の前後を隈なくさがしまわった。さがさないのは敷石の下ぐらいなもの。人々はさらにさがしまわって、松明の光はやがて祭壇に迫ってきた。
「どうやら厨子のなからしい。弟はさっきくわしく調べなかったんだな。よし、おれが自分で照らして見よう」
と趙能はいった。ひとりの土兵が松明をかざした。趙能が手をのばして帳をかきあげると、六七人のものが頭をつっこんでのぞいた。のぞかなければ何事もなかったものを、のぞいたばかりに、とつぜん厨子のなかから一陣のあやしい風がまきおこって松明の火をみな吹き消し、廟はまっくら闇になって一寸さきも見えなくなった。
「はてさて奇っ怪な。なんでもないのにあのようなあやしい風がまきおこるとは。これは、なかにおいでの神さまが、おれたちが無遠慮に松明の光をさしむけたので、あの風をまきおこしておたしなめになったというわけかな。ともかくひとまずひきあげるとしよう。村の出口をしっかりおさえておいて、夜が明けてからまたさがすことにしよう」
趙能はそういったが、趙得が、
「しかし、厨子のなかはくわしく調べてはいないぜ。槍でついてみよう」
というと、趙能も、
「うん、そうだな」
といった。ふたりが、いざすすみ出ようとしたそのとき、とつぜんまた祭壇のうしろから一陣の怪風がまきおこり、砂を飛ばし石を走らせつつ吹きつけてきて、廟をぐらぐらとゆすぷるなかに、黒雲がたれこめてあたりをおしつつみ、身の毛もよだつような冷気がせまってきた。趙能はこれはただごとではないとさとって、
「おい、早く逃げろ。神さまのたたりだ」
と趙得にいった。人々はどっと祭壇を駆けおり、廟の門外へとつっ走った。なかにはころんだり、足をくじいたりしたものもあったが、やっとはい起きていのちからがら外に逃げ出した。と、廟のなかで誰かの、
「おゆるしください」
と叫ぶ声が聞こえる。趙能がひきかえして行って見ると、二三人の土兵が神前の庭にぶっ倒れ、木の根に着物をひっかけていくらあがいてもとれないので、朴刀を放り出し着物をひっぱりながら、おゆるしくださいと叫んでいるのだった。宋江は厨子のなかで、それを聞いてくすくすと笑った。趙能は兵士の着物をはずしてやり、廟の外へつれて行った。外にいた土兵たちは、
「いわんこっちゃない、ここの神さまはとても霊験があるんだ。おまえたちがなかへはいってわるさをするもんだから、小鬼(神の侍者)さんの怒りに触れたんだよ。おれたちは村の出口をおさえて待ち伏せてりゃいいのだ。まさか空を飛んで逃げもすまいからな」
趙能と趙得も、
「もっともだ。村の出口をぴったりかためておきさえすればよい」
といい、一同はみな村の出口のほうへ立ち去って行った。
さて宋江は、厨子のなかで、ありがたや、ありがたやと唱えながら、
「やつらにつかまらずにすんだものの、さて、どうやって村の出口を抜け出ようか」
と、いろいろ思案してみたものの、どうにも手だてがない。と、そのとき、奥の廊下のほうから誰かやってくる気配がした。
「ああ、またえらいことになった。早く抜け出せばよかった」
とつぶやいていると、青衣の童子がふたり、まっすぐに厨子のところへやってきて、声をかけた。
「わたくしどもは女神さまのおいいつけで、星主《せいしゆ》(注一)さまをお迎えにまいりました」
宋江は声を出して答えるどころではない。厨子の外の童子はかさねていった。
「女神さまがお呼びでございます。星主さま、どうぞおいでください」
宋江はやはり黙っていた。外の童子はまた、
「宋星主さま、どうぞ早くおいでくださいますよう。女神さまが久しくお待ちかねでございます」
宋江はそれがまるで鶯か燕のさえずりのように聞こえ、男の声とは思われぬので、台の下からもぐり出して見た。と、青衣の童女がふたり、壇のほとりに立っている。宋江はびっくりしたが、それはふたつの泥の塑像であった。
と、また祭壇の外で声が聞こえた。
「宋星主さま、女神さまがお呼びでございます」
宋江が帳をあけて外にはい出して見ると、髪を螺髻《らけい》(渦巻形に巻きあげたまげ)に結った青衣の童女がふたり、うやうやしく身をこごめて礼をした。宋江がその童女を見れば、
朱顔緑髪、皓歯明眸《こうしめいぼう》。飄々として塵埃に染まず、耿々《こうこう》たる天仙の風韻あり。螺〓《らし》(ほらがい)の髻《まげ》は山峰のごと堆擁《たいよう》し、鳳頭《ほうとう》の鞋《くつ》は蓮瓣のごと軽盈《けいえい》す。領《えり》は深青を抹《まつ》して、一色の銀縷《ぎんる》を織り成し、帯は真紫を飛ばして、双環《そうかん》に金霞を結び就《な》す。依稀《さもに》たり〓苑《りようえん》(仙人の園)の董双成《とうそうせい》(仙女。西王母の侍女)に、彷彿たり蓬莱の花鳥の使に。
そのとき宋江は、
「おふたりの童女さま、どこからお見えになられました」
とたずねた。青衣の童女はそれに答えて、
「女神さまのおいいつけで、星主さまを宮殿にお迎えにまいりました」
「それはなにかのまちがいでございましょう。わたしは姓は宋、名は江といいますもので、そのような星主とか何とかいうようなものではございません」
「いいえ、まちがってなぞおりません。さあ、星主さま、どうぞおいでくださいませ。女神さまが久しくお待ちかねでございます」
「どういう女神さまでございましょうか。お目にかかったこともありませんのに、おうかがいすることはできません」
「おいでくだされば、すぐおわかりになりましょう。そんなにおたずねになりませんように」
「女神さまはどこにおいでなのでしょうか」
「ついこのうしろの宮殿においでです」
青衣の童女はそういって案内に立った。宋江はそのあとについて祭壇をおりて行った。祭壇のうしろへまわると、その横にくぐり門があった。
「宋星主さま、ここからおはいりくださいませ」
青衣の童女はそういった。宋江がくぐり門を通りぬけてあたりを見まわすと、空はいちめんの星月夜で、かぐわしい風がそよそよと吹きわたっており、あたりはすべて木立と竹藪であった。宋江は思った。
「おや、廟の裏にこんなところがあったのか、早くそうと知ったら、ここに身をかくすのだった。そうすればあんなにおそろしい思いをせずにすんだのに」
宋江はなおもすすんで行ったが、ふと気がつくと、参道の両側の土手には大きな松の木がしげっていた。みなひとかかえ以上もあろうという大木ばかりである。そしてそれにはさまれて、広い中高《なかだか》の大道が通っているのであった。宋江はそれを見て心のなかに思うよう、
「あの古い廟のうしろに、こんなすばらしい道があったのか」
青衣の童女についてさらに一里ばかり行くと、谷川の水のさらさらと流れる音が聞こえてきた。前方を見ると、そこには朱の欄杆《らんかん》をあしらった青石の橋がかかっていて、岸にはさまざまな珍しい草花をはじめ、松や竹や柳や桃が植えてあり、橋の下には、銀をころがし雪をまろばすような清冽な水が、石の洞窟から流れ出ていた。橋をわたって行くと、珍しい木の並木があり、そのまんなかに大きな朱塗りの櫺子門《れんじもん》があった。その門をはいって行くと、一座の宮殿がそびえ立っていた。見れば、
金釘朱戸《きんていしゆこ》、碧瓦雕簷《へきがちようえん》。飛竜は柱に盤《わだかま》って明珠に戯れ、双鳳は幃屏《いへい》(とばり)にあって暁日に明らかなり。紅泥の牆壁は、紛々たる御柳《ぎよりゆう》の宮花に間《まじ》わり、翠靄《すいあい》の楼台は、淡淡たる祥光《しようこう》の瑞影に籠る。窗《まど》は亀背《きはい》を横たえ(注二)、香風冉々《ぜんぜん》として黄紗《こうさ》を透《とお》し、簾《すだれ》は蝦鬚《かしゆ》を捲き(注三)、皓月団々《だんだん》として紫綺《しき》に懸《かか》る。もし天上神仙の府に非ずんば、定めて是れ人間《じんかん》帝王の家ならん。
宋江はそれを見て考えこんだ。
「自分はずっとこの〓城県に住んでいたのだが、こんなところがあるなどとは聞いたこともなかった」
おそろしくなって立ちすくんでいると、青衣の童女が、
「さあ星主さま、どうぞ」
とうながして、門のなかへいざなって行った。そこは中庭になっていて、両側の廊下には朱塗りの柱が立ちならび、縫いとりのある簾がずらりとかかっていた。正面には壮大な宮殿があって、殿上には蝋燭の灯《ともしび》があかあかと輝いている。青衣の童女は中庭を通って一歩一歩、露台の上へみちびいて行った。すると殿上の階《きざはし》のあたりで、また何人かの童女の声がして、
「女神さまが、星主さまにどうぞおはいりくださいますようにとの仰せでございます」
宋江は宮殿へのぼって行ったが、思わず身体がふるえ、髪の毛もよだつような思いであった。足もとは、竜と鳳凰を彫った石だたみの階だった。童女は簾のなかへはいって、
「宋星主さまをご案内してまいりました。階のところにお見えでございます」
と奏上した。宋江は簾の前の階のところまですすんで、身をこごめて再拝し、平伏しながら申し述べた。
「わたくしは俗界の下賤のものにて、はじめてお目通りさせていただきます。なにとぞお憐れみをたまわりますよう、伏しておねがい申しあげる次第でございます」
すると簾のなかから、
「星主に座についていただくよう」
との御意がつたえられた。宋江が頭をあげることもできずにいると、四人の童女にご下命があって、宋江に錦の座椅子をすすめさせられた。宋江はいたしかたなく、おずおずと座についた。と殿上から、
「簾をあげなさい」
とのお声がかかった。数人の童女がすぐ朱色の簾をまいて金の鉤《かぎ》にとめた。と、女神は、
「星主、お別れしてから、つつがなくおすごしでしたか」
宋江は立ちあがって再拝し、
「わたしは下賤のものでございます。まのあたりにお姿を拝しますことは、おそれ多うございます」
すると女神は、
「いいえ、ここに見えたからにはもう遠慮はいりません」
宋江はそのときはじめて頭をあげ目をひらいて、金色《こんじき》と碧《みどり》色との輝《て》りかう殿上を見た。と、竜灯鳳燭《りゆうとうほうしよく》がともされていて、その両側には、青衣の童女たちが、笏《しやく》を持ち、圭《たま》を捧げ、旌《はた》を執《と》り、扇《おうぎ》をかかげて、ずらりと扈従《こじゆう》しており、正面の七宝九竜の御座《ぎよざ》の上には、かの女神のお姿があった。宋江がそのお姿を見れば、
頭には九竜飛鳳の髻《まげ》を綰《わが》ね、身には金縷絳〓《きんるこうしよう》の衣を穿ち、藍田《らんでん》の玉帯は長裙《ちようくん》を曳《ひ》き、白玉の圭璋《けいしよう》(飾り玉)は彩袖《さいしゆう》に〓《ささ》ぐ。臉《かお》は蓮の萼《うてな》の如く、天然の眉目は雲環《うんかん》(髪)に映《は》え、脣《くちびる》は桜桃の似《ごと》く、自在なる規模は雪体《せつたい》に端《ただ》し。正大なる仙容は描けども就《な》らず、威厳ある形像は画けども成り難し。
女神は、
「星主、こちらへどうぞ」
といい、童子に酒を持ってくるように命ぜられた。左右にひかえていた青衣の童女が、美しい花模様の金瓶を手にして、酒を玉杯につぐと、頭《かしら》の童女がその杯を宋江にわたして酒をすすめた。宋江は立ちあがり、辞退することもならず、杯を受け、女神のほうにむきなおって、ひざまずいて飲みほした。その酒の香りの馥郁《ふくいく》たること、さながら醍醐《だいご》(注四)を頭上からそそぎかけられ、甘露《かんろ》に胸をうるおされるような思いであった。さらにもうひとりの童女が一皿の棗《なつめ》を捧げて宋江にすすめた。宋江は戦々兢々《せんせんきようきよう》として礼を失することのないようにつとめながら、指でひとつだけつまみとってそのまま口にいれ、核《たね》は手のなかに握った。すると童女がまた酒をついですすめた。宋江はまた受けて、飲みほした。女神が、さらにもう一杯すすめよと仰せられると、童女はまた一杯ついで、宋江にすすめた。宋江はそれをも飲みほした。仙女が棗を捧げてすすめたので、宋江はまたふたつ食べた。かくて三杯の仙酒と三個の仙棗《せんそう》をいただき、宋江はいささか陶然となって微醺《びくん》をおぼえたが、酔って礼を失するようなことがあってはとおそれ、再拝していった。
「もうたくさんに頂戴いたしました。これ以上はたまわりませぬよう」
すると殿上から女神の仰せがあった。
「星主はもう飲まぬとのこと、では、かの天書《てんしよ》三巻を星主にとらせるよう」
青衣の童女が衝立《ついたて》のうしろへ行き、玉の盆に黄色い絹の袱紗《ふくさ》でつつんだ三巻の天書をのせて捧げてきて宋江にわたした。見ればそれは、縦五寸、横三寸、厚さ三寸ばかりのものであったが、開いて見ることもならず、再拝しておしいただき、袖のなかにおさめた。女神の仰せられるには、
「宋星主、そなたに三巻の天書をさずけますゆえ、天にかわって道をおこない、人の頭《かしら》となって忠を全うし義をつらぬき、臣下となって国を助け民を安んじ、邪を去って正に帰するように。いまここに四句の天言《てんげん》をそなたにさずけますから、しかと心にきざみつけて、生涯忘れてはなりませぬ。また人にもらしてはなりませぬ」
宋江は再拝して、いった。
「つつしんで承ります」
そこで女神の仰せられたその天言は、
宿《しゆく》に遇うは重々の喜び
高《こう》に逢うは是れ凶ならず
外夷《がいい》及び内寇《ないこう》
幾処か奇功を見《あら》わさん
宋江は聞きおわると再拝し、つつしんでお受けした。女神はさらに仰せられるよう、
「玉帝には、そなたの魔心《ましん》がいまだにたちきれず、道行《どうぎよう》もいまだ全からぬために、なおしばらく下界に罰しおかれますが、いずれまた紫府(天宮)にお召しあげになりましょうから、ゆめゆめおこたってはなりませぬ。もし罪をおかして〓都《ほうと》(冥府)に下《くだ》されるようなことになれば、このわたしとて、そなたを救ってあげることはできませぬ。この三巻の天書を熟読玩味するがよろしい。ただその際には天機星(智多星の呉用のこと)とともに読むのはかまいませんが、その他のものに見せてはなりませぬ。功《こう》成った暁には焼きすててしまいなさい。世に残してはなりませぬ。いまそなたに申しつけました言葉は、しかと心にとめておくように。いまはかく天上と下界とに隔りあっていますゆえ、いつまでもひきとめることはできませぬ。早々お帰りなさい」
と、童子にすぐ星主を見送るようにいいつけ、
「いつかまた天上の宮居でお目にかかることになりましょう」
宋江はつつしんでお礼の言葉を述べ、青衣の童女にみちびかれて宮殿をくだり、櫺子門《れんじもん》をくぐって石橋のほとりまでやってきた。すると童女がいった。
「星主さま、さきほどはおそろしい思いをなさいましたが、女神さまのお助けがなかったら、捕まっておいでのところでした。夜が明けましたら、自然とこの災難からのがれられましょう。星主さま、ほらごらんなさいませ、石橋の下の水のなかで、竜が二匹遊んでおります」
宋江が欄杆によりかかって眺めると、はたして二匹の竜が水にたわむれていた。と、ふたりの童女が、ぐいと宋江を下へ突きおとした。
「あっ!」
と宋江は大声をあげたが、なんと、厨子のなかで身体をぶっつけたのだった。目がさめてみれば、いまのは一場の夢であった。
這いおきてあたりを見まわすと、月はちょうど中天にかかって、三更(夜十二時)のころのようである。宋江は袖のなかをさぐってみた。と、手には棗《なつめ》の核《たね》が三つ、袖には手巾につつんだ天書があった。さぐり出して見れば、まがいもなく三巻の天書であり、また口には酒の香りもあった。
「はてふしぎな夢だ。夢のようであって、夢でもないようだ。もし夢だとすれば、天書が袖のなかにあったり、口に酒の香りが残っていたり、また手に棗の核をにぎっていたりするのは、これはいったいどうしたことなのだろう。いい聞かされた言葉も一句も忘れずにはっきりとおぼえている。といって夢ではないとしても、厨子のなかに突きころばされたことはたしかだ。そうだ、わかった、ここの神さまはきわめて霊験あらたかだから、あのようなふしぎをあらわされたのだ。それにしてもいったいなんの神さまなのだろう」
と、帳《とばり》をかかげてのぞいて見ると、九竜の椅子の上に美しい女神が鎮座していて、夢にみた姿と全く同じだった。
「この女神さまはわしを星主と呼ばれたが、そうすると自分は前世ではなみの人間ではなかったのだろうか。この三巻の天書はきっとためになるものにちがいない。さとされた四句の天言もはっきりおぼえている。青衣の童女は、夜が明けたら自然とこの村での災難からのがれられるといっていたが、もうだいぶん空も白んできたから、外へ出て見よう」
と厨子のなかを手さぐりして短棒を取り、着物のちりをはたき、そろそろと祭殿をおりて左廊下づたいに廟の外へ出た。そして仰いで見ると古びた額《がく》に、
玄女之廟
と四つの金文字が刻まれていた。宋江は額《ひたい》に手をあてて礼をいった。
「かたじけのうございます。九天玄女さまが、三巻の天書をおさずけになり、いのちまでお助けくださったのでしたか。もし晴天白日の身にもどれる日がきましたら、きっと出なおしてきて、お宮を修理しお堂を再建させていただきます。なにとぞおめぐみを垂れたまい、この身をお守りくださいますよう」
祈りおわると、やがて村の出口のほうへこっそりと出て行ったが、廟からまだいくらも行かぬうちに、はるか前方から天にもとどくような喊声が聞こえてきた。宋江は考えて、
「またえらいことになった」
と立ちどまった。
「出て行かないほうがよい。出て行ったら、やつらにつかまえられるにきまっている。とにかくそこの道ばたの木のかげにかくれることにしよう」
と、木のかげに身をかくした。するとそこへ、数人の土兵がひとかたまりになって、あたふたと、あえぎあえぎ、刀や槍を杖にしてよろよろよろけながらやってきた。みな口々に、
「神さま、お助けください」
と叫んでいる。宋江は木のかげからそれを見て、
「これはまたおかしな。やつらは村の出口をおさえて、わしが出て行くところを捕らえようとしていたはずなのに、なんだってまたこっちのほうへやってくるのだろう」
と思いながら、さらに見ていると、趙能も駆けこんできて、
「もうみんなお陀仏だ」
と悲鳴をあげている。宋江が、
「やつ、どうしてあんなにうろたえてるのだろう」
といぶかっていると、そのあとからひとりの大男が追いかけてくるのが見えた。大男は、腰から上はまっ裸で怪物のような肉塊をむき出しにし、手に二梃の鋼《はがね》つくりの板斧をにぎって、どなりつけた。
「ちくしょう、逃がさんぞ」
遠くからはわからなかったが、近づいてきたのを見ると、なんとそれは黒旋風の李逵だった。
「夢を見ているのじゃないか」
と宋江は思って、出ても行けなかった。趙能は廟の前まで逃げてくると、松の木の根に蹴つまずいてひっくりかえった。李逵は追いつきざま、足で背中を踏んづけ、大斧をふりかぶってたたき斬ろうとしたが、ちょうどそのとき、うしろからさらにふたりの好漢が追いかけてきた。ともに氈笠を背中にはねのけ、朴刀をおっとっている。さきの男は欧鵬《おうほう》で、あとのは陶宗旺《とうそうおう》だった。李逵はふたりが追いかけてきたのを見ると、互いに功を争って仲たがいをおこしてはと思い、そのまま斧をふるって趙能を一撃のもとにまっぷたつにし、胸もとまでも斬りさげたうえ、がばと身をおこして土兵どもを追いかけ、ちりぢりに蹴散らしてしまった。宋江はそれでもなお出て行かなかった。
と、またうしろのほうから、つづいて三人の好漢が斬りこんできた。先頭は赤髪鬼の劉唐、つづいて石将軍の石勇、三人目は催命判官の李立だった。これら六大の好漢たちは、
「やつらをみんな蹴散らしてしまったのはよいが、めざす兄貴の姿がどこにも見えん。いったい、どうしたらよかろう」
といいあっていたが、そのとき石勇が叫んだ。
「おい、あの松の木のかげに誰かいるぞ」
宋江はそこでようやく姿をあらわして、いった。
「ありがとう、みなさん。またしてもいのちを救っていただきました。あまりの大恩で、ご恩がえしのしようもありません」
六人の好漢は、宋江の姿を見て大いによろこび、
「兄貴がいた。早く晁頭領にお知らせしよう」
石勇と李立が手分けをして知らせに行った。
宋江は劉唐にたずねた。
「みなさん、どうしてわかって、ここへ助けにきてくださったのです」
「兄貴が山をおりて行きなさったあとで、晁頭領と呉軍師は、どうも心配だというので、戴院長にすぐ山をおりて兄貴の様子を見てくるようにいいつけられたのですが、晁頭領はそれでもなお安心できず、兄貴に万一のことがあってはというわけで、われわれといっしょに応援にこられたのです。その途中で戴宗に出あったところ、二匹のやろうが兄貴を逮捕しようとして追いかけているとの話。晁頭領はそれはけしからんと怒って、戴宗を山寨へ行かせ、呉軍師・公孫勝・阮氏三兄弟・呂方・郭盛・朱貴・白勝だけを残して山を守らせ、あとの兄弟全部でこっちへ兄貴をさがしにこさせられたのですが、すると、人の話では兄貴が還道村に追いこまれたとのこと。そこで村の出口を守っていたやつらをひとり残らず殺してやったのですが、いまのあの何人かだけが村のなかへ逃げこんだので、李の兄貴が追いかけ、われわれも追ってきたところ、思いがけなく兄貴がここにおられたというわけなのです」
劉唐がそういっているところへ、石勇が、晁蓋・花栄・秦明・黄信・薛永・蒋敬・馬麟をつれてき、李立が、李俊・穆弘・穆春・張横・張順・侯健・蕭譲・金大堅をつれてきて、好漢たちの一行はみな集まった。
宋江は頭領たちに礼をいった。晁蓋は、
「自分で山をおりるのはおよしなさいとわたしがとめたのに、それを聞かないものだから、また危うく大事になるところでしたよ」
「わたしは父の身が案じられて、じっとしておれず、自分で出かけてこないことにはおさまらなかったのです」
「よろこんでください。お父上、弟さん、ご家族のかたがたは、さきにわたしが戴宗にいいつけて、杜遷・宋万・王矮虎・鄭天寿・童威・童猛らに案内させて、もう山寨についておられます」
宋江はそれを聞くと大いによろこび、ひざまずいて晁蓋に礼をいった。
「ありがたいご配慮、宋江はもう死んでも思い残すことはありません」
晁蓋と宋江は互いによろこびあいながら、頭領たちとともに馬に乗って還道村をあとにしたが、宋江は馬上で手を額にあてて天をおがみ、神明の加護を感謝して、他日必ず心願を果たすことを誓った。ここに古風の詩一篇がある。宋江の忠義の心がよく天の助けを得たことをうたったものである。
昏朝《こんちよう》(暗い御代)気運将《まさ》に顛覆せんとし
四海の英雄微族《びぞく》に起《おこ》る
流光垂象《すいしよう》山東に在り
天〓《てんこう》は上《かみ》に応じて三十六
瑞気は盤旋して〓城を繞《めぐ》り
此の郷に生降す宋公明
幼年より諸《もろもろ》の経史を渉猟し
長じ来《きた》っては吏と為《な》って人情を惜しむ
仁義礼智信皆《みな》備《そな》わり
兼ねて九天玄女の経を受く
豪傑交游天下に満ち
凶に逢って吉に化す天生の成(徳)
他年直《ただ》ちに上る梁山泊
天に替って道を行《おこな》い天兵を動かす
さて一行の人馬は還道村をあとにして、まっすぐに梁山泊へ帰った。呉学究は山の留守をあずかっていた他の頭領たちをつれて、金沙灘まで出迎えた。大寨の聚義庁につくと、好漢たちは一堂に会して礼をかわした。それがすむと宋江は急いでたずねた。
「父は、どこにいます」
晁蓋が宋太公を呼びにやらせると、まもなく鉄扇子の宋清が一台の山轎《やまかご》の傍について、宋太公をのせてきた。一同は手を貸して轎からおろし、聚義庁の上に迎えた。宋江は老父の姿を目にすると、よろこびのあまり相好をくずし、再拝していった。
「父上、さぞびっくりなさったことでしょう。不孝もののこのわたくし、父上にまで累をおよぼして、はらはらおさせ申しました」
宋太公は、
「我慢ならぬのはかの趙能兄弟のやつ、毎日人をよこしてきびしく見張り、江州から公文書がき次第、ただちにわしら親子を捕らえてお上へつきだそうとしていたのだ。おまえが裏門へきたときには、表の座敷に八九人の土兵がきていたのだが、それがそのあとすぐ姿を消してしまったので、どうしたのだろう、にわかに出て行ったがと思っていると、三更(夜十二時)ごろになって、こんどは二百人あまりのものが屋敷の門を押しあけてきて、わしを轎にかきあげ、弟の四郎(宋清)には家財をまとめるよういって、屋敷は火をつけて焼きはらってしまい、そのときはわけを聞いても話してくれず、そのまままっすぐここへつれてこられたのだ」
「こうして親子がめでたく顔をあわせられたのは、みなこの兄弟衆のおかげなのです」
と宋江はいい、弟の宋清を呼んで頭領たちに礼をいわせた。晁蓋ら一同はみな宋太公に挨拶をしたのち、牛や馬を殺して祝賀の宴を設け、宋公明父子の再会を祝福し、その日は心ゆくまで飲んでおひらきとなった。翌日もまた祝賀の宴がもよおされ、頭領たちはみな歓をつくした。
三日目には晁蓋がうちわだけの席を設けて、宋江父子のめぐりあいを祝ったが、そのとき公孫勝はふと胸をつかれ、薊《けい》州に残してある老母のことを思った。家を出てから久しくなるが、その後どうして暮らしていることだろうと。一同が酒を酌みあっているとき、とつぜん公孫勝は立ちあがっていった。
「みなさまがたが、ながいあいだ拙僧に対して骨肉同様におつきあいくださいましたこと、まことにありがたく感じ入っておりますが、ただ心にかかりますことは、晁頭領に従って山にはいってからこのかた、毎日楽しく暮らしながら、まだ一度も故郷に帰って老母を見舞っていないということです。またわたくしの師匠の真人さまも心配しておられることと思いますので、いちど郷里に帰ってみたく、四五ヵ月ほどみなさまにお暇をいただきたいのです。またもどってまいりますから、どうか拙僧のねがいをかなえて、老母の心配を解くことをおゆるしくださいますよう」
「そのことは先日もおうかがいしましたが、母上は北のほうにおられて誰も見てあげる人もなくひとりでお暮らしとか。かくお申し出があった以上、おとめするわけにはいきませんが、ただいかにも名残りおしく思われますゆえ、おたちになるのはよろしいとして、まあ明日お見送りすることにいたしましょう」
と晁蓋はいった。公孫勝は礼を述べ、その日は存分に飲んでおひらきとなり、それぞれ自分の部屋にひきとって休んだ。そして翌朝、関門の下に宴席を設けて公孫勝の旅立ちを送ることになった。
さて、公孫勝は以前のように雲水の道士の身なりをし、腰には胴巻と腹巻をしめ、背には雌雄二振りの銘刀を背負い、肩には棕梠《しゆろ》の笠をかけ、手には鼈甲《べつこう》の骨のうちわを持って、山をおりた。頭領たち一同はひきとめて関門の下の宴席に迎え、ひとりずつ杯をさして送別した。それがひとわたりすんだところで晁蓋がいった。
「一清先生、このたびはおとめだていたしませんが、約束は必ずお守りくださるように。わたしとしてはこのたびのお旅立ちはさしとめたいのが本意ですが、母上のことであってみれば無理におとめするわけにもまいりません。百日のうちには必ずお帰りくださるよう。お約束、まちがいのないようにねがいます」
「ながいあいだみなさんにお世話になりながら、なんで約束をたがえたりなどいたしましょう。郷里に帰って師匠の真人さまにお会いし、母を安心させたならば、すぐ立ち帰ってまいります」
宋江は、
「先生、人を何人かつれて行って、いっしょに母上をこちらへおひきとりになってはいかがです。そうすれば朝晩お傍につかえることができるではありませんか」
「いや、母は静かなのが好きなたちで、騒がしいことには我慢できない人ですから、ひきとるわけにはいかないのです。家には田畑や家屋敷もありますので、母はそれで十分にやっていけます。わたしはただ見舞いにだけ行って、すぐ山へもどってまいります」
「そういうことでしたら、そうなさってください。では、どうか早くお帰りなさるよう」
晁蓋は金銀を盆にのせておくった。
「いえ、そんなにたくさんはいりません。路用にたりれば十分です」
と公孫勝は辞退したが、晁蓋は是非にといってその半分をおさめさせた。公孫勝はそれを腹巻にしまい、稽首の礼をし、一同に別れを告げると、金沙灘をわたって薊州へとむかった。
頭領たちが宴席をおひらきにして山へ帰ろうとしたとき、とつぜん黒旋風の李逵が、関門の下で大声をあげて泣きだした。宋江があわてて、
「どうした、何か心配ごとでもあるのか」
とたずねると、李逵は泣きながら、
「糞いまいましい。こっちでは親父さんをつれに行き、あっちではおふくろを見舞いに行きやがる。この鉄牛だけは、土の穴からでも出てきたというのか」
「それで、どうしたいというのだ」
と晁蓋がきいた。
「おれにもたったひとりのおふくろが家に待ってるのだ。おれの兄貴はよその家で年期奉公をしてるから、おふくろに楽をさせてやるなんてことはできやしない。おれも、こっちへひきとって少しは楽をさせてやりたいと思うんです」
「それはもっともなことだ。それではこちらから何人かいっしょにつけてあげるから、山へ迎えとってあげるがいい。そうすればよかろう」
と晁蓋がいうと、宋江が、
「いや、それはなりません。李の兄弟は気性が荒らっぽい。郷里へ帰って行ったらきっと無事ではすみますまい。いっしょに誰かつけてやったとしても、やはりだめです。なにしろ彼の気性は烈火のようなものですから、道中できっと事をおこすでしょう。また江州でたくさんの人を殺しているから、この男が黒旋風だとすぐわかります。いまごろはお上でも文書をまわして、生まれ故郷で捕らえようと手配しています。それに、あんたは人相がわるいからな。もしまちがいがおこっても、遠くはなれたところだから、こちらにはわからない。まあもう少し待って、平穏になったころを見とどけてから出かけて行ってもおそくはなかろう」
すると李逵はむかっ腹をたてて、
「兄貴、あんたも身勝手な人じゃないか。自分の親父は山にひきとって楽な目をさせながら、おれのおふくろには村で苦労させとけというのか。それではこの鉄牛の癇癪玉も破裂しようじゃないか」
「兄弟、まあそう怒るな。どうしてもおふくろさんを迎えに行きたいというのなら、わしのいう三つのことを承知してくれ。そしたら行かせてあげるから」
「聞こうじゃないか、その三つのことというやつを」
宋江は二本の指をそろえてその三つのことを話しだしたが、そこからやがて、李逵が天をうごかし地をゆすぶる手並みをふるい、山を這《は》い澗《たに》を跳ぶ虫《とら》とたたかうということになるのである。さて、宋江が李逵にむかっていった三つのこととは、いったいどんなことであったか。それは次回で。
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一 星主 宋江は天〓星三十六、地〓星七十二(後に梁山泊に集まる百八人)の主(首領)なので、こう呼んだ。だが宋江自身はまだそのことを知らない。
二 窗は亀背を横たえ 亀背《きはい》は亀《かめ》の背《せ》で、窓の形をいうとともに、また窓の別名。
三 簾は蝦鬚を捲き 蝦鬚《かしゆ》は蝦《えび》の鬚《ひげ》で、簾を捲きあげた形をいうとともに、また簾の別名。
四 醍醐 牛乳を精製した飲料。その昧は甘美で、滋養に富むという。
第四十三回
仮李逵《にせりき》 剪径《せんけい》して単人を劫《おびや》かし
黒旋風《こくせんぷう》 沂嶺《ぎれい》に四虎を殺す
さて、李逵が、
「兄貴、聞こうじゃないか、その三つのことというやつを」
といったとき、宋江がそれに答えていうには、
「沂《ぎ》州沂水《ぎすい》県までおふくろさんを迎えに行くというのなら、まず第一に、道草をくわずに行ってきて酒は一滴も飲まないこと。第二には、あんたのような短気者とは誰もいっしょに行きたくないから、こっそりひとりで行っておふくろさんを迎えてくること。第三には、あんたの得物のあの二梃の板斧《はんぷ》は持って行かぬこと。道中じゅうぶん気をつけて、早く行って早く帰ってくるようにな」
「それぐらいのことなら、三つともなんでもありゃしません。兄貴、大丈夫ですよ。わしはこれからすぐに出かけます。とても腰をすえてなんぞいられん」
と、すぐさま李逵はきりりと身支度をととのえ、腰刀を一本腰にさし、朴刀をひっさげ、錠銀一つと小粒銀を四五枚ふところにし、酒を二三杯ひっかけると、威勢よく挨拶をして一同に別れ、山をおり金沙灘をわたって、旅にのぼった。
晁蓋・宋江以下頭領たちは彼を見送って本寨へひきあげ、聚義庁にはいって座についたが、宋江はどうにも気がかりでならず、一同にむかっていった。
「李逵の兄弟だが、どうも何かまちがいをおこさずにはすむまいと案じられる。ついては誰か彼と同郷のかたがおられたら、行って様子を見てやってもらいたいのだが」
すると杜遷が、
「朱貴がおります。彼も沂州の沂水県の出で、同郷です」
「そうそう、せんだっての白竜廟での顔合わせのときに、李逵が朱貴と同郷だといっていたな」
と、宋江はすぐ朱貴を呼びに行かせた。手下のものが急いで山をおり、居酒屋へ行って朱貴を呼んでくると、宋江は、
「こんど李逵の兄弟がおふくろを迎えに郷里へ帰ったのだが、酒くせのわるい男なので、誰もつけてやらなかったのです。ところが、道中で何かまちがいをやらかしそうで気が気でないのだが、あんたは彼と同郷とのこと、ひとつ彼の様子を見に行ってもらえまいか」
「わたしは沂州沂水県の生まれで、現に弟の朱富《しゆふう》というのが沂水の町の西門外で居酒屋をやっております。李逵は同じ県の百丈村《ひやくじようそん》の董店東《とうてんとう》というところのものでして、李達《りたつ》という兄がいて、ずっとよその家で年期奉公をしています。李逵ときたら、小さいときから手におえぬひどいやつで、人をなぐり殺したことから村を逃げ出し、世間をわたり歩いて、そのままずっと帰ったことはないのです。ところで、やつの様子を見に行くことはかまいませんが、わたしの店を見てくれるものがありません。わたしもながいこと郷里へ帰りませんので、いちど帰って弟をたずねてみたいとは思っているのです」
「店のほうのことは心配いりません。留守のあいだは侯健と石勇にかわってやってもらうことにしますから」
朱貴は承知し、頭領たちに挨拶をして山をおり、店に帰って荷物をまとめると、店のほうは石勇と侯健にあずけ、沂州へむかって道を急いだ。
一方、宋江は、晁蓋とともに山寨で毎日酒をくみかわして楽しむ半面、呉学究とは天書《てんしよ》の学習をしていたが、その話はそれだけとする。
さて李逵は、ただひとり梁山泊をあとにして、沂水県の県境までやってきた。途中、李逵は一滴も酒を飲まなかったので、なんのいざこざもおこさず、格別の話もないが、沂水県の西門外まできたとき、見れば高札のまわりに人だかりがしていた。李逵もその人々のなかに立ちまじって、人が読んでいるのを聞くと、
掲示。第一名、主犯宋江、〓城県出身。第二名、共犯戴宗、江州両院押獄。第三名、共犯李逵、沂州沂水県出身。
李逵はうしろでそれを聞くと手足がむずむずとしてきたが、どうすることもできずにいた。
と、とつぜん誰かが駆け寄ってきて腰をつかまえ、
「張兄貴、何をしてるんだね」
と叫んだ。李逵が身体をねじむけて見ると、それは旱地忽律《かんちこつりつ》の朱貴だった。
「おや、あんたどうしてこんなとこに」
「まあ、わしについてきな。話があるんだ」
と朱貴はいい、ふたりはいっしょに西門外の村の、とある居酒屋へ行き、ずっと奥へ通って静かな部屋に坐ると、朱貴は李逵に指をつきつけて、
「あんた、むちゃすぎるよ。あの掲示にははっきりとこう書いてあるんだぜ。宋江を捕らえた者には賞金一万貫、戴宗には銭五千貫、李逵には銭三千貫と。それだのに、その傍に立って眺めてるなんてことがあるものか。もし腕ききの捕り手につかまって突き出されでもしたら、いったいどうするんだ。宋公明兄貴は、あんたが面倒をおこすだろうというので、誰もつけずに出されたものの、あとでまた思案して、こっちへついてからまずいことをしでかしはすまいかというわけで、すぐあとからあんたの様子を見させにおれをよこしなさったのだ。おれは一日おくれて山をたったのに、ついたのはあんたより一日早かった。きょうやっとご到着とは、どうしたわけなんだ」
「酒を飲んじゃいかんと兄貴にいいつけられたんで、足の運びがのろくなったまでさ。ところで、あんたはこの酒屋と知りあいのようだが、どうしてだね。あんたはここの人のはずだが、家はどこなんだ」
「この店はおれの弟の朱富というやつの家だ。おれはもともとここのものだが、あきんどになって世間をわたり歩いているうちに、もとでをすってしまったので、梁山泊へ行って賊になり、こんどはじめて帰ってきたわけさ」
朱貴は弟の朱富を呼んで李逵にひきあわせた。朱富は酒を出して李逵をもてなした。李逵は、
「酒は飲んじゃいかんと兄貴からいいつけられているんだが、きょうはおれももう帰ってきたことではあるし、二三杯ひっかけたって、なに糞、かまうもんか」
朱貴はとめだてするわけにもいかず、勝手に飲ませ、その夜は四更(二時)ごろまで飲みつづけて、それから飯にした。李逵は食べおわると、五更(四時)の空の、暁星と残月のほの明るい光をたよりに村をさして出かけようとした。朱貴が、
「裏路づたいはよしたほうがいい。朴《ほお》の大木のところで曲がり、東本道をまっすぐ百丈村にむかって行けば董店東だ。さっさとおふくろをつれてきなよ。いっしょに早く山寨へ帰ろう」
というと、李逵は、
「おれは裏路づたいに行くよ。遠まわりの本道を行くなんて、まっぴらだ」
「裏路にはよく虎が出るぞ。またそれをいいことにして追剥ぎもいるらしい」
「そんなものこわいもんか」
と李逵は氈笠をかぶり、朴刀をひっさげ、腰刀を腰にさし、朱貴と朱富に別れて店を出、百丈村へとむかった。
十里あまり行くと、空が次第に明るみはじめた。夜露に濡れた草むらのなかから白兎《しろうさぎ》が一匹飛び出してきて、彼の行くてをかけて行った。李逵はしばらくそれを追いかけて、
「あん畜生め、道をはかどらせてくれおったわい」
と笑った。それをうたった詩がある。
山径崎嶇《きく》として静かに復《また》深し
西風黄葉疏林《そりん》に満つ
偶《たまたま》逐兎《ちくと》(かける兎)の前界を過《よぎ》るに因って
記《おぼ》えず倉忙たる行路の心を
どんどん歩いて行くと、前方に五十本ばかりの大木の茂みがあった。ちょうど新秋の候で、葉は紅葉《こうよう》のさかりである。李逵がその木立の近くまで行ったとき、とつぜんひとりの大男が飛び出してきて、どなった。
「やい、血のめぐりのいいやつなら通り賃を出しやがれ。そしたら荷物を取るのはかんべんしてくれるわ」
李逵がその男を見ると、紅絹の抓児《そうかくじ》の頭巾(つまみ頭巾)をかぶり、そまつな衲襖《のうおう》(大袖の上着)を着、手には二梃の板斧をおっとり、顔には墨をぬりつけている。李逵はそれを見るなり大声でどなり返した。
「きさまはどこの糞やろうだ。こんなところで、追剥ぎなどしやがって」
「おれの名前を聞いて胆《きも》をつぶすな。おれさまは黒旋風とおっしゃるんだ。さあ、通り賃と荷物をおいて行け、生命だけはゆるして通らしてくれるわ」
李逵は大声で笑いだし、
「糞おもしろくもない。きさまは、いったいなにものだ。どこのどいつだ。おれさまの名前をかたって、ろくでもないことをしくさりやがって」
李逵は手にした朴刀を構えて、その男につっかかって行った。男は李逵にはかなうはずはない。ぱっと逃げかかったが、それよりもはやく李逵の朴刀は男の太腿を斬りつけ、男はもんどりうってひっくりかえった。李逵はその胸板を足で踏んづけて、
「このおれさまを知らぬのか」
とどなりつけると、男は地べたで叫んだ。
「旦那さま、いのちばかりはお助けを」
「このおれが天下の好漢、黒旋風の李逵だ。きさま、よくもこのおれさまの名前に泥をぬりやがったな」
「わたしも姓は李《り》というのですが、黒旋風というのはうそでございます。あなたさまのお名前は世間に鳴りひびいておりまして、お名前をいっただけで神鬼さえ怖気《おじけ》をふるいます。それであなたさまのお名前をぬすみまして、ここで剥取り強盗をはたらいておりました次第で。ひとり旅のものですと、黒旋風と聞いただけで荷物をおっぽり出して逃げちまいますので、その手でいろいろ甘い汁を吸っておりましたものの、人を殺《あや》めたことはいちどもございません。わたくしのほんとうの名前は李鬼《りき》と申しまして、ついこのさきの村のものでございます」
「我慢のならぬ無礼者め、こんなところで、人のものを奪い取り、おれの名前をけがし、おれの得物の二梃の板斧までもまねしやがって。きさまみたいなやつにはおれの斧を一発くらわしてやるわ」
と斧を一梃ひったくって斬りかかると、李鬼は泡をくらってわめいた。
「旦那さん、わたしを殺しなさると、わたしたちふたりを殺すことになります」
李逵はそれを聞くと、手をひいてたずねた。
「なんだと。きさまひとりを殺せば、ふたり殺すことになると」
「わたしは追剥ぎなどするつもりはさらさらなかったのですが、なにぶんにも家に九十になるおふくろがおりまして、誰も養ってやるものがありませんものですから、わたしがあなたさまのお名前をかたっておどしをはたらき、ひとり旅のものの荷物を奪って、それで年とったおふくろを養っておりましたわけで。ほんとうにひとりも殺したことはございません。もしあなたさまがわたしを殺しなすったら、家にいる年とったおふくろは餓え死にしてしまいます」
李逵は、人を殺すのに瞬《まばた》きひとつせぬ魔王ではあったが、その話を聞いて胸のなかで思案した。
「おれはいまおふくろを迎えに家へ帰るところだが、おふくろに孝行しているこいつを殺したんじゃ、天地もおれを爪はじきするだろう。まあ、まあ、こやつのいのちだけはゆるしてやるとしよう」
放してやると、李鬼は斧を手に持ちながら、平身低頭した。李逵は、
「おれがほんとの黒旋風だ。いいか、二度とおれの名前をかたりやがったら承知せんぞ」
「いのちを助けていただきましたからは、家に帰ってまともに暮らし、もう決してお名前を使って追剥ぎなどはいたしません」
「きさまは孝行なやつだ。銀子を十両くれてやるから、もとでにしろ。これを持って行って何かほかの商売をやるんだな」
と、李逵は一枚の錠銀をとり出してあたえた。李鬼はぺこぺこ頭をさげて礼をいい、立ち去って行った。李逵はひとりで笑いながら、
「やつめ、あいにくだったな、おれにぶつかりやがって。まあしかし、根が孝行なやつだからちゃんとした仕事をはじめるだろう。おれがあいつを殺してしまえば、天の道理にあわぬからな。さて、おれも出かけるとしよう」
と、朴刀を手にし、ゆっくりと山かげの小路をたどって行く。詩にいう。
李逵母を迎えんとして郤《かえ》って傷《かなしみ》に逢う
李鬼何ぞ曾《かつ》て娘《じよう》(母)を養うを為さん
見るべし世間忠孝の処
事情言語を参詳《さんしよう》する(しらべる)を貴《たつと》ぶを
歩きつづけて巳牌(昼前)ごろになると、だんだん腹がへりのどが渇いてきたが、あたりはずっと山の小路ばかりで、一軒の酒屋も飯屋もない。なおも歩いて行くと、むこうの山のくぼみに二棟の草葺きの家が見えた。李逵はそれを見て、急いでその家へ行ってみると、奥からひとりの女が出てきた。ぐるぐる巻きの束ね髪に野花をさし、顔には紅おしろいをぬっている。李逵は朴刀を下において、
「あねさん、おいらは通りがかりの旅のものだが、腹はへるし食いもの屋はなし、すまんが一貫出すから酒と飯をつごうしてもらえないだろうか」
女は李逵のあの風貌を見て、ないとはいえず、しぶしぶ、
「酒は買いに行くところもないが、飯なら炊いてあげますよ」
「まあしかたがない。だが飯はうんと炊いてもらいたいな、えらく腹がへってやがるんでな」
「一升炊けばよろしいかね」
「いや、三升炊いてもらいたいな」
女は台所で火をおこすと、谷川へ行って米をとぎ、持ってきて炊いた。
李逵は家の裏の山際へ小便をしにまわって行った。するとひとりの男が手足をひょろひょろさせながら、山の奥のほうからもどってきた。李逵が家の裏手に身をかくして聞き耳をたてていると、ちょうど山へ菜をとりに行こうとして、あの女が裏木戸をあけたとき見つけて、
「おまえさん、どこで足をくじいたんだね」
とたずねる。するとその男は、
「すんでのことでおまえの顔も二度とおがめなくなるところだったよ。おれの糞いまいましい気持も察してくれよ。ひとり旅のやつがくるのを待ちぶせて、まるまる半月も商売にならずじまいだったところ、やっときょうひとりひっかかったと思ったら、それがおまえ、誰だと思う? なんとほんものの黒旋風じゃないか。あの糞やろうにぶつかったとは、いまいましいにもほどがある。とてもおれの手におえる相手じゃなく、逆に朴刀を一発かまされてひっくりかえり、もう殺されるというところまで追いこまれたが、おれは大声をあげてうそをいってやったんだ、おれを殺すのはもうひとりいっしょに殺すのと同じだとな。するとやつめ、わけをききやがったので、家に九十になるおふくろがひとりいて、その面倒を見るものはほかに誰もいないから餓え死にしてしまうといってやったところが、あの糞やろうめ、それを本気にしやがっていのちを助けてくれたばかりか、これをもとでにしろといって銀子をくれ、商売がえしておふくろをよく見てあげるがいいというんだ。おれはやつがあとで勘づいて追っかけてきやすまいかと気がかりだったんで、あそこの森からはなれて、静かなところでひとねむりし、裏山を通って帰ってきたというわけさ」
「大きな声を出すんじゃないよ。たったいま、色の黒い大男がひとりやってきて飯を炊いてくれといったが、そいつのことじゃないのかい。いま木戸口にいるから、ちょいと行ってのぞいてごらんよ。もしもそいつだったら、おまえさん、しびれ薬を工面してきて、お菜のなかへいれてあいつに食べさせ、しびれてひっくりかえったら、ふたりで片付けてしまおうよ。そしてあいつの金銀をせしめ取って、町へ引っ越して行って商売でもはじめようじゃないか。こんなとこで追剥ぎをしてるよかそのほうがましだよ」
李逵はそれをすっかり聞いて、
「なんというひどいやつだ。銀子までくれてやり、いのちも助けてやったのに、かえっておれを殺そうとしてけつかる。これこそ天の情理にそむくというものだ」
と、そっと裏の木戸口のほうへすり寄って行った。李鬼はちょうど木戸を出ようとしたところを、李逵にいきなり髪をひっつかまれてしまった。女はあわてて表のほうへ逃げた。李逵は李鬼をつかまえるなり地べたにおさえつけ、腰から腰刀を抜き放つがはやいか、さっと首をかきおとし、刀を手につかんだまま表へ駆け出して行って女をさがしたが、どこへ逃げうせたのかその姿はなかった。そこでふたたび家へひきかえして部屋のなかを物色すると、竹のつづらが二つあって、古着がいれてあったが、底をさぐると何がしかの銀の小粒といくつかのかんざしや腕輪が出てきた。李逵はそれを全部取ると、こんどは李鬼のふところをさぐって、くれてやったあの銀子をとりだし、いっしょに包みのなかにしまいこんだ。それから、鍋のなかをのぞきこんで見ると、三升の飯はもう炊けていたが、あいにくお菜がない。李逵は飯を盛って食べながら、見まわしてひとり笑いをもらした。
「いかにもおれはばかなやつだな。上等な肉が目の前にちゃんとあるというのに、それを食おうともせずにさ」
と、腰刀を抜いて李鬼の太腿の肉を二切れそぎおとし、水で洗ってから、かまどのなかから炭火をつまみだしてきて炙《あぶ》った。炙っては食い炙っては食いして満腹すると、李鬼の死骸を家のなかへひきずりこんで、家に火をつけた。それから朴刀をひっさげ、山路をたどって行った。
董店東についたころには、日ははや西に沈みかけていた。家にかけつけて戸をおしあけ、なかへはいって行くと、母親が寝台の上から、
「だれだね」
と声をかけた。李逵が見ると、母親は両眼とも見えなくなっていて、寝台の上で念仏を唱えている。
「おっかあ、おれだよ、鉄牛がもどってきたのだよ」
と李逵がいうと、母親は、
「倅か。長いこと顔を見せなかったが、この何年ものあいだおまえはどこにおったのだね。兄はよそで年期奉公をしていて、やっと食わしてもらっているだけで、わしを養うことなどおよびもつかんのだよ。わしはいつもおまえのことばかり思って、泣き暮らして涙がかれてしまったもんで、それで目が両方ともつぶれてしもうたんじゃ。あれからおまえはどうしていたのだね」
李逵はこう思った。
「もしおれが梁山泊で強盗になっているといえば、おふくろはついて行くとはいうまい。ここはひとまずうそをついたがよい」
そこで李逵はいった。
「おいらはこんど役人になって出かけて行くところなんだ、それでおっかあを迎えにきたんだよ」
「それはよかったのう。しかしわしをどうやってつれて行く?」
「そこまでおぶって行って、あとは車を雇って行くさ」
「兄がもどってきたら相談することにしよう」
「待っていたってしようがないよ。いいからおいらといっしょに行こう」
と出かけようとしたとき、李達が飯をいれた罐をさげてはいってきた。李逵はそれを見るとお辞儀をして、
「兄さん、お久しぶりです」
「このやろう、何をしにもどってきやがった。また迷惑をかけにきたのか」
と李達はののしった。母親が、
「鉄牛はこんどお役人になって、わざわざわしを迎えにきてくれたのだよ」
というと、李達は、
「おっかあ、こいつのでたらめなんか本気にしちゃいけないよ。こいつがむかし人を殴り殺したとき、おいらは枷をはめられ鎖につながれ、どれだけひどい目にあわされたものだか。聞けばまたこのごろ、こいつは梁山泊の賊と手をつなぎやがって、仕置場をおそって江州で大騒動をやらかし、いまは梁山泊で強盗になってるというじゃないか。こないだ江州のお役所からお触れ書がまわってきて、生まれ故郷で本人をつかまえよとのことで、おいらは人質として召し捕られるところだったんだが、旦那さまがお役所に口をきいてくださって、弟はもう十年以上も音沙汰もなし、いちども家に帰ったこともないから、同姓同名のものが郷里までもかたったのかもしれないといいわけをしてくださったうえに、役人たちに賄賂をつかってくださったのだ。そのおかげで責め棒も詮議もうけずにすんだというわけだ。いまはこいつの首には銅銭三千貫という懸賞がかかっているんだ。きさま、よくも殺されもせずに家へ舞いもどってきて、でたらめをならべたてやがったものだな」
「兄さん、まあそう腹を立てないでくれよ。いっしょに山へのぼって楽に暮らそうじゃないか。そのほうがどれだけましかしれやしないぜ」
李逵がそういうと、李達はかんかんに怒って、殴りとばそうとしたが、かなうはずがないので、飯の罐をそこへ放り投げて出て行ってしまった。李逵は、
「ああして出て行ったのは、きっと人に知らせておれをつかまえようとしてにちがいないが、そうなったらとても逃げられっこないから、早いとこずらかっちまうが勝だ。兄貴はこんな大きな銀など見たこともなかろうから、寝台の上へ五十両の錠銀を一つおいといてやろう。兄貴がひき返してきてこいつを見れば、追っかけてくることはまずまずあるまい」
と腹巻をほどいて一枚の大きな錠銀を取り出し、寝台の上に放り投げ、
「おっかあ、さあ、おんぶして行こう」
「どこへおぶって行くんだね」
と母親はきいた。
「まあ何もいわずに、ともかく行って安楽に暮らすのだ。おんぶしてつれてってあげるから心配することはないよ」
そこで李逵は母親を背負い、朴刀をさげて外へ出、小路づたいに立ち去って行った。
一方、李達は、雇主の家へ馳せ帰って事の次第を知らせ、十人ばかりの下男をつれて飛ぶように家に駆けもどって見ると、母親の姿はなく、ただ寝台の上に一枚の大きな錠銀がおいてあった。李達はそれを見て思案した。
「鉄牛のやつ、銀子をのこして、おふくろを背負ってどこかへ姿をくらましやがったな。こいつはどうやら梁山泊のやつらがいっしょについてきているぞ。追っかけて行きでもすればこっちのいのちが危い。あいつがおふくろをつれてったところを見ると、山ではきっといい目ができるのだな」
みなのものは李逵がいないのでどうしようもない。李達はそこで下男たちにいうには、
「あの鉄牛のやつ、おふくろを背負って行きやがったが、いったいどの路を行きやがったものか。ここいらは小路がひどくややこしくて追っかけるにも追っかける法がないわ」
下男たちは李達がどうにもできずにいるのを見て、しばらくもぞもぞしていたが、結局それぞれ帰って行ってしまった。このことはそれまでとする。
ところで李逵はというと、李達が人を狩り出してあとを追っかけてきはすまいかとおそれて、母親を背負ったまま、ひたすらに深い山の人気《ひとけ》のない路ばかりをたどりつづけて行ったが、やがて次第に日が暮れてきて、見れば、
暮煙は遠岫《えんしゆう》に横たわり、宿霧は奇峰を鎖《とざ》す。慈鴉《じあ》(からす)は撩乱《りようらん》して林に投じ、百鳥は喧呼《けんこ》して樹に傍《そ》う。行々の雁陣は長江に墜ちて形《かたち》蘆花に入り、点々の蛍光は野逕に明らかにして偏《ひとえ》に腐草に依る。捲き起《おこ》る金風(秋風)は敗葉を飄《ひるがえ》し、吹き来《きた》る霜気は深山に布《し》く。
そのとき李逵は母親を背負って嶺《みね》の下にたどりついた。日はとっぷり暮れていたが、目の見えない母親には時刻もわからない。李逵はこの嶺が沂嶺《ぎれい》であり、これを越えなければ人家がないことを知っていた。親子ふたりは星と月が出ているのをさいわい、一歩一歩と山をのぼって行った。
「倅や、どこかに水がないだろうかね。飲ませてくれるとありがたいのだが」
と背中から母親がいった。李逵は、
「おっかあ、山越えをするまでの辛抱だ。里へくだれば宿も借りて休めるし、飯も食べさせてあげるよ」
「昼間、飯を食べたので(粥ではなかったので)のどが渇いてしようがないよ」
「おいらものどから、火や煙が出そうなくらいだ。だが、嶺の天辺《てつぺん》まで辛抱しておくれよ。のぼりついたら水をさがして飲ませてあげるから」
「ああ、倅よ、のどが渇いて死にそうだよ。なんとかしておくれよ」
「おいらももう動けないくらいくたびれてしまったよ」
李逵はやがて嶺の上にたどりつき、松の木の傍の大きな青石の上に母親をおろし、その傍に朴刀を突っ立てて母親にいった。
「ここに辛抱していな。水をさがしてきて飲ましてあげるからな」
李逵は谷間に水の音を聞きつけ、その音をたよりに二つ三つ山の出っぱなを越えて谷川のほとりまで行った。見れば全くすばらしい渓流であった。どのようであったかといえば、ここにそれをうたった詩がある。
崖を穿《うが》ち壑《たに》を透して労を辞せず
遠望して方《はじ》めて知る出《いず》る処の高きを
渓澗豈《あに》能く留め得て住《とど》めんや
終《つい》に大海に帰して波濤を作《な》す
李逵は谷川のほとりへ行くと、まず両手で水をすくって幾口か飲み、
「ところでこの水を、どうやっておふくろのところへ持って行ってやろうかな」
立ちあがってあちこちと見まわすと、むこうの山の頂に一座の庵寺があった。李逵は、
「しめしめ」
といい、藤をよじ葛をたぐりながら庵寺の前まで行き、扉をおしあけてのぞいて見ると、それは泗州大聖《ししゆうたいせい》(注一)の祠堂で、正面に石の香炉がおいてあった。李逵は手をのばしてそれを取ろうとしたが、それは台座につくりつけたものだったので、ひっぱってみたものの、引き抜けるはずはなかった。李逵はついかっとなって、台座ごと引きずり出し、表の石段にぶちつけて香炉を欠き取った。それを持ってまた谷川へひき返し、水のなかへつけ、草を引き抜いてきれいに洗ってから半分ほど水を汲み入れ、両手に捧げてまたもとの道をがむしゃらにのぼって行った。
松の木のもとの石のところへ行って見ると、母親の姿がなかった。ただ朴刀がそこに突きさしてあるだけであった。李逵は母親に水を飲ませようとしたが、影も形もなく、いくら呼んでも返事もない。李逵はうろたえて香炉を放り出し、眼をすえてあたりを見まわしたが、母親は見あたらない。三十歩ばかり歩いて行って、ふと気がつくと、草むらの上にべっとりと血の痕があった。李逵はそれを見るといよいよあやしみながら、その血の痕をたどって行くと、大きな洞窟の前に出た。見れば二匹の子虎が、一本の人間の腿《もも》をしゃぶっているではないか。まさに、
仮《にせ》黒旋風は真に搗鬼《とうき》(うそつき)
生時は欺心し死しては腿を焼かる
誰か知らん娘《はは》の腿もまた傷《しよう》に遭うを
餓虎も餓人も皆嘴《くち》のためにす
李逵は、
「おれが梁山泊からもどってきたのは、おふくろを迎えにきたのだ。辛苦してここまで背負ってきたのに、こいつに啖《くら》われてしまったのか。このくそ虎めがひきずっている人間の腿は、おれのおっかあの腿じゃないか」
かっと怒りたって、赤ひげを逆立て、手の朴刀をふりかざして二匹の子虎に突きかかって行った。小虎は突かれてびっくりし、牙をむき、爪をふり立ててむかってきたが、李逵は朴刀をふるってまず一匹を突き殺した。もう一匹は洞窟のなかへ逃げこんだが、李逵は追いかけてなかへはいって行き、それをも突き殺した。李逵が虎の洞窟のなかへもぐりこみ、身を忍ばせて外の様子をうかがっていると、やがて牝《めす》の親虎が牙をむき爪をふり立てながら洞窟のほうにやってきた。
「このど畜生だな、おれのおっかあを食いやがったのは」
と、李逵は朴刀を下におき、腰の腰刀をひきぬいた。かの牝虎は洞窟の入口までくるとまず尾をなかへさし入れて穴のなかを横なぐりにはらってから、尻のほうから身体をいざらせてきた。李逵はなかでそれを見すまし、刀をとりあげてその牝虎の尾の下をめがけ、ありったけの力をふりしぼってぐさっと突き刺した。と、刀は見事に牝虎の肛門にささり、李逵の大力はよく刀の柄もろとも腹のなかまで突き入れた。牝虎は一声大きく吼え立て、刀の刺さったまま洞口から飛び出して谷川のほうへ逃げて行った。李逵は朴刀をとりあげ、虎を追って外へ駆け出したが、虎は激痛に狂いたち、むちゃくちゃに山をおしくだって崖下に姿を消した。李逵がなおも追って行こうとしたとき、とつぜん木のかたわらから一陣の狂風が捲きおこって枯葉を雨のように吹き散らした。むかしから、雲生ずるは竜に従い、風生ずるは虎に従う、というように、一陣の風がおこったと見るや、星と月の光り輝くもと、大吼一番してがばとそこに躍り出たのは、眼の吊りあがった白額《しろびたい》の虎だった。虎は、李逵をめがけて猛然とおどりかかってきたが、李逵は少しも動ぜず、虎の動きを読みながら刀をふるって見事に虎ののど首に斬りつけた。虎はもはや躍りかかってくることもできず、ひとつには傷の痛みのため、ひとつには気管を破られたため、ようやく六七歩あとずさりしたかと思うと、どっと、まるで山半分が崩れるかのように地ひびきをたててそのまま岩かげに息絶えてしまった。
李逵はこうしていちどに親子四匹の虎を殺してしまうと、また虎の穴のところへ行き、刀を持ってもういちどよくさがした。まだ虎がいるかもしれぬと思ったのだが、もはやその気配はなかった。
李逵は疲れきって、泗州大聖の廟へ行き、そのなかで夜明けまで眠った。そして翌朝早く、李逵は母親の両腿と残されていた骨を拾い集めて上着に包み、泗州大聖廟の裏へ行って、穴を掘って埋めた。李逵はひとしきり声を放って泣いた。それをうたった詩がある。
沂嶺《ぎれい》の西風九月の秋
雌雄の虎子《こし》林丘に聚まる
老母の残躯を将《と》って啖《くら》いしに因り
英雄をして血涙を流さしむるを致す
猛《にわか》に一身を〓《す》てて虎穴をさぐり
立《たちどころ》に四虎を誅して冤讎《えんしゆう》を報《むく》う
泗州廟後に親《みずか》ら埋葬し
千古に名を伝う李鉄牛
李逵は腹がすき、のども渇いてならないので、荷物をとりまとめ、朴刀をとりあげると路をさがしながらのろのろと嶺を越えて行った。と、五六人の猟師が集まって仕掛けわなの弓矢を始末しているのに出くわしたが、全身に血をあびた李逵が嶺をおりてくるのを見ると、猟師たちはびっくりしてたずねた。
「おまえさんは山神でも土地神でもあるまいに、よくもひとりで嶺を越えてきたものだね」
李逵はそうたずねられて、胸のなかで思うよう、
「いま沂水県では立札を出して、おれの首に賞金三千貫をかけて捕らえようとしているところだ。ほんとうのことなどいったらたいへんだ。嘘っぱちをならべてやるとしよう」
そこで李逵はいった。
「わしは旅のものだが、ゆうべおふくろといっしょに嶺を越えてくると、おふくろが水を飲みたいというので麓のほうへ水を汲みに行ったところ、虎のやつがおふくろをさらって食い殺してしまったんだ。それでわしは虎の穴へさがしに行って、まず子虎を二匹殺し、それから大虎も二匹殺してしまってから、泗州大廟のなかで夜明けまで眠って、いまおりてきたところさ」
すると猟師たちは口々に、
「おまえさんひとりで虎を四匹殺したなんて、信じられんね。たとえ李存孝《りそんこう》や(注二)子路《しろ》(注三)だってせいぜい一匹殺せるだけだよ。子虎二匹ならまあたいしたこともないとして、あの二匹の大虎は容易なやつじゃないんだぜ。おいらはあの二匹の畜生のためにどれだけ棍棒(早く虎を仕止めよとの責め棒)をくらわされたことだか。この沂嶺街道は、あの虎が頂上に住みつくようになってからまるまる四五ヵ月というもの、誰も越えたものはいないんだ。信じられんねえ。おいらをかついでるんだろう」
「おれはここいらのものとはちがうし、おまえさんたちをかついでみたってなんにもならんじゃないか。嘘だというなら、いっしょに嶺へのぼって、見せてやるよ。何人かいっしょに行って、かつぎおろすんだな」
「もしもほんとうだったら、おれたちいくらでもお礼をするよ。なにしろたいしたことだからな」
猟師たちが口笛を吹き鳴らすと、見る見るうちに四五十人ばかりも集まってきて、てんでに撓鉤《どうこう》や槍棒を持って、李逵のあとから嶺へのぼって行った。夜はもうすっかり明けきっていた。一同が山頂に着いて洞窟のほうを眺めると、はたして二匹の子虎が殺されている。一匹は洞窟のなかで、一匹は外で、そして一匹の牝の親虎は崖下に、もう一匹の牡の虎は泗州大聖の廟の前で死んでいた。猟師たちは四匹の虎が殺されているのを見ると、みな大よろこびで、さっそく縄で縛って麓にかつぎおろし、李逵をつれていっしょに褒美をもらいに行くことにし、また里正《りせい》(里の長)や上戸《じようこ》(地方の金持)のところへ知らせのものをやって、みなを出迎えさせ、土地の大金持で曹《そう》太公と呼ばれている男の屋敷へかつぎこんだ。この男は小役人あがりで、ずっとこの土地でゆすりやたかりをやっていて、近ごろにわかに金持になったわるいやつであった。そのとき曹太公はみずから出迎えて挨拶をし、李逵を奥座敷に請じて座につかせると、虎退治の次第をたずねた。李逵が、昨夜母親をつれて嶺へのぼったところ、水を飲みたくなったことから、虎をしとめるまでのいきさつをひととおり話すと、一同はすっかりあきれかえった。曹太公は、
「お名前はなんとおっしゃいますので」
とたずねた。李逵は、
「わしは姓は張といいますが、名前というほどのものはなく、ただ張大胆《ちようだいたん》と呼ばれております」
と答えた。詩にいう。
人は言う只仮李逵《にせりき》ありと
従来再び李逵の仮《にせ》なし
如何ぞ李四の張三を冒《おか》す
誰か仮《にせ》誰か真《まこと》皆〓《さ》(たわむれ)を作《な》す
曹太公は、
「大胆とはほんとうによくいったもの。あなたが大胆な人でなければ、四匹の虎をしとめるなんてことができるものですか」
といいながら、酒食をととのえさせて歓待したが、このことはそれまでとする。
さて、この村では、沂嶺で四匹の虎が殺されて曹太公の家にかつぎこまれているということがわかると、村じゅう大騒ぎになり、近くの村から遠い山里の人々まで、おとなも子供も男も女も、群れをなし隊をくんで虎見物におしかけ、なかへはいりこんで、曹太公が虎をしとめた壮士をもてなして表広間で酒を飲んでいるのを見物したが、その連中のなかに、李鬼の女房がまじっていたのである。彼女はこのさきの村の実家へ逃げてきていたのだったが、人々についてやはり虎見物にやってきたところ、なんとそれが李逵だとわかって、あわてて家へ帰り、
「あの、虎を殺した色の黒い大男というのは、あたしの亭主を殺して家を焼いたやつで、それがそれ、梁山泊の黒旋風の李逵なんだよ」
と両親に告げた。両親はそれを聞くと、あわてて里正の家へ知らせに行った。里正はそれを聞いて、
「あいつが黒旋風だとすると、それじゃ山むこうの百丈村で人を殴り殺したあの李逵じゃないか。江州へずらかって、そこでもまたふとどきなことをやらかし、生まれ故郷で逮捕せよというお触れが本県へまわってきていて、いまその首に三千貫の賞金をかけておたずねちゅうなのだが、そいつがこんなところにいたのか」
と、こっそり使いを立てて、相談したいことがあるからと曹太公を呼びにやった。曹太公ははばかりへ行くといって、いそいで里正の家へかけつけると、あの虎を殺した壮士というのはじつは山むこうの百丈村の黒旋風の李逵で、おたずねものとして追われているのだと聞かされ、
「しかし、よほどよく調べないといけませんぞ。もしも人ちがいだったらまずいことになりますからな。当人だとすれば、なにも面倒はないことで、捕らえるのは造作もないことですが、ただ人ちがいだと厄介ですからな」
「いや、ちゃんと李鬼の女房が見とどけているのだよ。前に李鬼の家へ行って飯を炊かせて食い、李鬼を殺したのだから」
「そういうことなら、どしどし酒をすすめて、こうきいてみましょう、こんど虎を退治なさったについては県役所へ行って褒美をもらいなさいますか、それとも村でもらうことになさいますか、とな。それでもし県役所へは行かないというなら、黒旋風にまちがいないから、みんなにかわるがわる杯をささせて酔いつぶしてから、縛ってしまって、県の役所へ知らせて都頭にきてもらうということにすれば、万に一つのまちがいもありますまい」
詩にいう。
常言《じようげん》(諺)に芥《けし》は針孔に投じ
窄路《さくろ》は毎《つね》に冤家《えんか》(仇)に遇うと
李鬼の鬼魂《きこん》散ぜずして
旋風の風色(風むき)佳に非ず
打虎の功は県の賞を思うも
殺人の身は官に拿《と》られん
試みに看よ螳螂と黄雀(注四)を
君に勧む得意に誇ること休《なか》れ
みなのものは、
「それがよい」
と賛成し、里正はみなと手筈をとりきめた。曹太公は家に帰ると、李逵をねんごろにひきとめ、酒を出してもてなし、
「さきほどは席をあけまして申しわけございませんでした。どうか、腰のお荷物や朴刀をおはずしになって、お楽にくつろいでくださいますよう」
李逵は、
「いや、どうも、どうも。わしの腰刀は牝虎の腹のなかに刺しこんだままになっていて、ここにあるのは鞘だけなのだ。皮をはぐときに、取ってきて返してくださいよ」
「よろしいではございませんか。わたしのところにもよい刀がありますから、一振りさしあげてつかっていただきましょう」
李逵は腰刀も短刀もとりはずし、腰の物入れや包みなどもみな下男にあずけて、朴刀は壁に立てかけた。曹太公は皿に山盛りの肉と大きな壺にいっぱいの酒を出させ、おおぜいの大戸(上戸)や里正や猟師たちはつぎつぎに酒をついで大碗や大杯でしきりに李逵にすすめた。曹太公はまた、
「ところで、どうなさいますか、あの虎をお役所へわたして褒美をおもらいになりますか、それとも村でいくらかさしあげることにいたしましょうか」
「わしは通りすがりの旅人で、さきを急いでいるのです。あの虎はふとしたことで殺したまでのことで、お役所へ褒美をもらいに出かけるほどのことじゃない。こちらで何かしてくださるのならそれで結構です。いや別にくださらなくてもわしは行きますがね」
「いえ、あなたさまをおろそかになどいたすものですか。もうすぐ村で金を集めてお贈りいたしまして、虎はわたしどものほうで県へ運ぶことにいたします」
「とりあえず上着を一枚お貸しねがえませんか。着がえたいので」
「はい、はい、いくらでも」
と曹太公はいって、すぐ黒木綿の衲襖《のうおう》を持ってこさせ、血で汚れた李逵の着物をとりかえさせた。おりから表のほうでは太鼓や笛の音がにぎやかに鳴り、みんなが酒を持ってきて李逵に祝いの杯をさした。冷酒、燗酒とかわるがわる、李逵はそれが企みだとはしらないから、すっかりいい気になってぐいぐい傾け、宋江にいいつけられた言葉などまるで忘れはてていた。二時《ふたとき》とはたたぬうちに、李逵はどろどろに酔いつぶれて足腰も立たなくなってしまった。一同は奥の空いた部屋へ運びこんで腰掛けの上にころがし、二本の縄で腰掛けもろともぐるぐるまきに縛ってしまい、すぐ里正に人をつれて大急ぎで県へ知らせに行かせるとともに、李鬼の女房を訴人としてつれて行って、訴状を出させた。このとき、沂水県の役所は騒然となった。知県もそれを聞いて大いにおどろき、急いで登庁してたずねた。
「黒旋風はどこに捕らえてある。やつは謀叛人ゆえ、逃がしてはならぬぞ」
「いま本村の曹大戸の家に縛ってございます。あの男をおさえるものは誰もありませんので、もしあやまって途中で逃がすようなことがあってはと思い、わざとつれてこなかったのでございます」
訴人や猟師たちはそう答えた。
知県はただちに県の都頭を呼んで召し捕りにむかわせることにしたが、はっと答えてそこへあらわれたひとりの都頭。それは誰かというと、それには詩があっていう。
面闊《ひろ》く眉濃く鬚鬢《しゆひん》赤し
双睛《そうせい》碧緑にして番人(異国人)に似る
沂水県中の青眼虎《せいがんこ》
豪傑の都頭是れ李雲《りうん》
そのとき知県は李雲を呼び出していいつけた。
「沂嶺の麓の曹大戸の屋敷に黒旋風の李逵がとりおさえられている。そのほう、部下を多数ひきつれてひそかに押送してまいれ。村を騒がしてとり逃がすことのないよう、しかと申しつけたぞ」
李都頭はかしこまってひきさがると、老練な土兵三十名を呼び集め、てんでに武器を持たせて沂嶺村へと急がせる。
この沂水県はもともと狭い土地なので、かくすことなどできるわけはなく、
「江州で騒動をおこした黒旋風がつかまえられ、李都頭がひきとりに行くところだそうな」
と、うわさが町じゅうにぱっとひろがった。
朱貴は東荘門外の朱富の家でこのうわさを聞くと、あわてて奥へ駆けこんで弟の朱富にいっ
た。
「あの黒助め、また厄介な事をしでかした。どうやって救い出したものだろう。宋公明どのはやつがしくじりをやることを案じて、このおれを様子を見るためによこしなさったのだが、やつがつかまってしまったいまとなっては、救い出してやらぬことには山へ帰って兄貴にあわせる顔がないのだ。いったいどうしたらよかろう」
「まあ落ちつきなさいよ、兄さん。いったいあの李都頭という人はすばらしく腕のたつ人で、三十人五十人と束になっても寄りつけやしないのだ。兄さんとおれとがいっしょになってかかって行っても、とても寄りつけたものじゃない。こうなれば頭でいこう。腕ずくではだめだ。李雲は日ごろずいぶんおれに目をかけてくれて、武芸の稽古もつけてくれているのだが、そこでかえっておれには彼に対してうつ手があるのだ。もっとも、そうすればおれはここにはおられなくなるがね。ところでうつ手というのは、今夜のうちに肉を二三十斤煮て、酒を甕で十数本用意し、肉はぶった切りの大きいのをこしらえ、酒にはしびれ薬をまぜておくのだ、そいつをおれたちふたりで、五更(四時)ごろに若いもの数人にかつがせて行って、途中の人気《ひとけ》のないあたりで、護送してくる彼を待ちうけるという寸法だ。そして祝いの酒を出すように見せかけて、みんなをしびれさせてしまって、李逵を逃がしてやろうというのだが、どうだね」
「そいつはうまい考えだ。それじゃ、さっそくとりかかろう。すっかり用意して早いとこ出かけることにしようぜ」
「ところがここにあいにくなことがひとつあるんだ。李雲が下戸ときてるのさ。たとえいちどはころりといっても結局のところすぐ薬から醒めちまうだろうし、それにもうひとつ、あとでばれた日には、とてもここに住んではおれまいということだ」
「おまえもここで居酒屋商売をしていたってうだつがあがるまい。それよりか、家族をみんなひきつれてわしといっしょに山へのぼり、仲間にはいってみないか。金銀は秤でわけあい、着物はよりどり見どりで着放題という暮らしだが、そのほうがどれだけ愉快だか。今夜さっそく若いもの二三人に車を一台さがしてこさせ、一足さきに女房や金目のものなどを運び出させて十里塚のところで待つようにいっておき、みんなで山へのぼることにするのさ。わしはちょうど荷物のなかにしびれ薬を一服持ちあわせているが、李雲が酒を飲まぬとなら肉にたっぷりふりかけておいて、むりやりに食わせてしびれさせてしまい、それから李逵を救い出していっしょに山へ帰ることにすればよかろう」
「なるほど」
と朱富はさっそく人をやって車を一台見つけてこさせ、四つ五つのつづらをくくって車に積みこみ、かさばった道具類はみなうちすて、女房や子供たちを車にのせると若いものふたりに、車につきそってさきを急ぐようにいいつけた。
さて朱貴と朱富は、その夜、肉を煮て大きなぶった切りをつくって薬をまぶし、酒は二荷にし、碗も二三十個ばかり用意をした。そのほかにもいくらかの野菜の料理をつくったが、これにも薬を仕込んでおいた。肉を食わないものがいたら、それにはこれを食わせようというわけである。二荷分のご馳走はふたりの若いものが一荷ずつかつぎ、朱貴兄弟はつまみものの盒《はこ》などを手にさげ、四更(二時)ごろ人気のない山の入口のところへ行って待っていた。やがて夜が明けそめるころ、むこうのほうから銅鑼の音が聞こえてきた。朱責は路の入口へ出て行って待った。
さてかの三十人ばかりの土兵は村で夜中ごろまで酒を食らったあげく、四更ごろ、李逵をうしろ手に縛って護送の途についたのだった。李都頭は一行の後尾に馬でつづいた。やがて一行が近づいてくると、朱富はすすみ出てさえぎり、
「師匠、お喜び申しあげます。お手伝いにやってまいりました」
と、桶から酒を壺に汲み出し、杯になみなみとついで李雲にさし出した。朱貴は肉をささげ、若いものはつまみものの盒をうやうやしくさし出す。
李雲はそれを見ると急いで馬をおり、走りよってきて、
「こんな遠方までお出迎えくださって、おそれいります」
「弟子としてのわずかな心づくしでございます」
李雲は杯を受けとりはしたが、口をつけなかった。朱富はひざまずいて、
「お酒をたしなまれぬ師匠とは先刻存じあげてはおりますものの、きょうはお喜びの酒なれば、せめて半杯なりと召しあがってくださいますよう」
そういわれて李雲は辞退することもできず、二口ほど飲んだ。つづいて朱富は、
「お酒がいけませぬなら、どうぞ肉をおつまみください」
とすすめた。李雲は、
「ゆうべ腹いっぱい食べたばかりのところなので、ほんとに結構です」
「でも長いみちのりをおいでになったのですから、お腹もすいておられましょう。お口にあいますまいが、まあそうおっしゃらずに、どうか快くわたしの気持をお受けください」
と朱富は、いいところを二切れほどより取ってさし出した。李雲は朱富のその慇懃さに感じ入り、無理をしてつめこんだ。ついで朱富は、上戸や里正や猟師たちに三杯ずつ酒をすすめてまわった。朱貴のほうは土兵や下男たちを呼んで酒を振舞った。この連中は冷《ひや》だろうと燗《かん》だろうと、うまかろうとまずかろうと、委細かまわず飲みかつ食った。まさにそれは、風の残雲を捲き、落花の水に流るるがごとし、というありさまで、いっせいにどっと駆け寄り、奪いあって食った。李逵は目をきょろつかせて朱貴兄弟を見つめていたが、計略にかけているのだとさとると、わざと、
「やい、おれにも食わせろ」
といった。朱貴はどなりつけて、
「この罪人やろう。きさまなんぞにくれてやるようなご馳走はないわ。くたばりぞこないめ、黙ってひっこんでろ」
李雲は土兵たちのほうにむきなおって、
「さあ、出発だ」
と命令したが、見れば一同は互いに顔を見あわせるだけで、うごけなくなってしまい、口をふるわせ足をしびれさせて、どっと倒れた。
「しまった、計られたか」
李雲はそう叫んで前へすすもうとしたが、これはしたり、自分も頭がふらつき、足がなえ、気が遠くなり、ぐったりと地べたにへたりこみ、眠ってしまった。すかさず朱貴と朱富は一本ずつ朴刀を奪い取り、
「野郎ども、そこを動くな」
とどなって朴刀を構え、酒や肉に口をつけなかった下男や弥次馬たちを追いかける。逃げ足の早いものは逃げてしまい、おそいのは刺し殺された。李逵は、一声、大声でわめいて身を力《りき》ませ、いましめの麻縄をずたずたに断ち切るがはやいか朴刀を奪い取って李雲を殺そうとした。朱富はあわてておしとめ、
「おっと待った。おれの師匠だ。立派なおかただ。あんたはかまわずにさきに行ってくれ」
「曹太公の老いぼれめを殺してやらんことには、腹の虫がおさまらんわ」
と李逵は追いかけて行き、朴刀をふりかぶってまず曹太公と李鬼の女房を突き殺し、つづいて里正も殺し、かっとなって猟師たちをもひとりまたひとりとつぎつぎに突き殺し、三十余名の土兵たちをもひとりのこらず刺し殺してしまった。弥次馬や下男たちは、なんで親は二本足にしか生みつけてくれなかったのかとうらみつつ、ことごとく山里や野末をさしていのちからがら逃げ散って行った。
李逵はなおもがむしゃらに殺そうといきりたっていたが、朱貴は、
「見物のものに罪はない。むやみに人を殺すのはよせ」
とどなりつけて、懸命におしとめた。李逵はそれでようやく思いとどまり、土兵の死体から着物を二枚はぎとって着こんだ。三人は朴刀をさげたまま、裏街道づたいに逃げて行こうとしたが、そのとき朱富が、
「いかん。おれは師匠を殺してしまったようなものだ。薬がさめても知県のところへ帰る面目はないから、きっとおれたちを追いかけてきなさるだろう。まあ、おふたりはさきに行ってくれ。おれはここで師匠を待つことにする。あの人には武芸を仕込んでもらった恩もあり、また立派なお人なのだ。追いかけてきなさったら、いっしょに山へおさそいしよう、おれとしてはそれが恩返しにもなる。県へ帰ってひどい目にあわされずにすむようにしてあげなくては」
「そうだ、もっともな話だ。おれはそれじゃさきに出かけて車につきそって行くことにして、李逵の兄弟にはここにのこってもらって、お前の介添えをたのむことにしよう。李雲は少ししか薬がはいっていないから、一時《いつとき》もせずにさめるだろう。もし彼が追いかけてこないようだったら、そういつまでも待つのはよせ」
と朱貴はいった。
「わかっている」
と朱富は答えた。そのとき朱貴はさきを急いで立ち去ったが、一方、朱富と李逵が路端に腰をおろして待っていると、はたして一時とはたたぬ時分に、李雲が朴刀をおっとって飛ぶように追いかけてきて、
「強盗め、そこを動くな」
と大声で叫んだ。李逵はそのすさまじい勢いを見ると、がばと身をおこして朴刀を構え、朱富に怪我をさせてはならじと李雲に挑みかかって行ったが、このことからやがて、梁山泊内に双虎《そうこ》を添え、聚義庁前に四人を慶す、という次第とはなるのである。はてさて、黒旋風と青眼虎の勝負はどうなるであろうか。それは次回で。
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一 泗州大聖 唐代に西域から中国にきたという高僧で、泗州の臨淮県に伽藍を設けたことから、泗州大聖または泗州和尚と呼ばれ、また僧伽大師と尊称される。すぐれた道行の僧で、その足洗い水を飲んだものはみなその痼疾が快癒したといい、その居室からは夜ごと馥郁たる香りが流れ出たと伝えられている。
二 李存孝 後唐の人で本名を安敬思といったが、雁門関(山西省)で羊飼いをしていたとき、素手で虎を殴り殺し、後唐の太祖・李克用に重用されてその養子となり李存孝と名乗ったが、のち讒せられて太祖に殺された。元代の戯曲『雁門関存孝打虎』の主人公。
三 子路 孔子の高弟で、衆にすぐれた勇力の持主だったという。『論語』の述而篇に、「子路曰く、三軍を行《や》らば、則ち誰とともにせん。子曰く、暴虎馮河、死して悔ゆるなき者は、吾はともにせず」とあることから、子路と虎とを結びつけたのであろう。
四 螳螂と黄雀 木にとまっている蝉《せみ》を螳螂《かまきり》が捕らえようとしていると、その上では黄雀《すずめ》が蝋螂をねらっている、ところが地上ではまた、その黄雀を人間が射とうとしている、という寓話が『説苑』に見える。
水滸伝 第三巻 了
水滸伝《すいこでん》(三)
講談社電子文庫版PC
施耐庵《したいあん》/駒田信二《こまだしんじ》訳
(C) Setsu Komada 1984
二〇〇二年四月一二日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
東京都文京区音羽二‐一二‐二一
〒112-8001
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