TITLE : 水滸伝(一)
講談社電子文庫
水滸伝(一)
駒田信二 訳
目 次
引《はし》 首《がき》
第一回
張天師《ちようてんし》 祈って瘟疫《うんえき》を禳《はら》い
洪太尉《こうたいい》 誤って妖魔を走《のが》す
第二回
王教頭《おうきようとう》 私《ひそ》かに延安府《えんあんふ》に走《のが》れ
九紋竜《くもんりゆう》 大いに史家村《しかそん》を鬧《さわ》がす
第三回
史大郎《したいろう》 夜華陰県《かいんけん》を走《のが》れ
魯提轄《ろていかつ》 拳《こぶし》もて鎮関西《ちんかんせい》を打つ
第四回
趙員外《ちよういんがい》 重ねて文殊院《もんじゆいん》を修《おさ》め
魯智深《ろちしん》 大いに五台山《ごだいさん》を鬧《さわ》がす
第五回
小覇王《しようはおう》 酔って銷金帳《しようきんちよう》に入り
花和尚《かおしよう》 大いに桃花村《とうかそん》を鬧《さわ》がす
第六回
九紋竜《くもんりゆう》 赤松林《せきしようりん》に剪径《せんけい》し
魯智深《ろちしん》 瓦罐寺《がかんじ》を火焼す
第七回
花和尚《かおしよう》 倒《さかしま》に垂楊柳《すいようりゆう》を抜き
豹子頭《ひようしとう》 誤って白虎堂《はくこどう》に入る
第八回
林教頭《りんきようとう》 滄州道《そうしゆうどう》に刺配《しはい》せられ
魯智深《ろちしん》 大いに野豬林《やちよりん》を鬧《さわ》がす
第九回
柴進《さいしん》 門に天下の客を招き
林冲《りんちゆう》 洪教頭《こうきよとう》を棒打す
第十回
林教頭《りんきようとう》 風雪に山神廟《さんしんびよう》へ
陸虞候《りくぐこう》 草料場《そうりようじよう》を火焼す
第十一回
朱貴《しゆき》 水亭に号箭《ごうせん》を施《はな》ち
林冲《りんちゆう》 雪夜に梁山《りようざん》へ上る
第十二回
梁山泊《りようざんぱく》に 林冲《りんちゆう》落草し
〓京城《べんけいじよう》に 楊志《ようし》刀を売る
第十三回
急先鋒《きゆうせんぽう》 東郭《とうかく》に功を争い
青面獣《せいめんじゆう》 北京《ほくけい》に武を闘わす
第十四回
赤髪鬼《せきはつき》 酔って霊官殿《れいかんでん》に臥《ふ》し
晁天王《ちようてんおう》 義を東渓村《とうけいそん》に認《むす》ぶ
第十五回
呉学究《ごがつきゆう》 三阮《さんげん》に説いて撞籌《とうちゆう》し
公孫勝《こうそんしよう》 七星に応じて義に聚《あつ》まる
水滸伝(一)
引首《はしがき》
詞《うた》
試みに書《ふみ》の林の隠《ふか》き処を看《み》れば、幾多《あまた》俊逸なる儒流の、名を虚《むな》しくし利を薄《うと》んじて愁《うれい》に関《かん》せず、氷を裁《た》ちまた雪を剪《き》り、談笑して呉鉤《ごこう》(注一)を看《み》、評議するは、前王と後帝の、真偽を分《わか》ちて中州を占拠し、七雄の擾々《じようじよう》として春秋を乱るを。興亡は脆《もろ》き柳の如く、身世は虚《むな》しき舟に類《に》る。見よ、名を成せるもの無数、名を図りしもの無数、更に名を逃《のが》るるもの無数あるも、霎時《たちまち》にして新月は長江《ちようこう》を下り、江湖は桑田古路《そうでんころ》に変ずるを。魚を求めて木に縁る(注二)を訝《いぶか》り、窮猿《きゆうえん》の木を択《えら》び、弓に傷《きず》つけらるるを恐れて曲木に遠ざかる(注三)を擬《あや》しむよりは、如《し》かず、且《しばら》く掌中の杯を覆《ふ》せて新しき声《うた》の曲度《しらべ》を聴取せんには。
紛々たる五代 乱離の間
一旦雲開けて復《ふたた》び天を見る
草木百年 新たなる雨露
東書万里 旧《ふ》りし江山
尋常の巷陌《こうはく》 羅綺《らき》を陳《つら》ね
幾処の楼台 管絃を奏す
人は楽しむ太平無事の日
鶯花限《つ》くことなく日高くして眠る
さてここにあげた八句の詩は、今は昔、宋《そう》は神宗《じんそう》皇帝の御代《みよ》に聞こえ高かりし名儒、姓は邵《しよう》、名は堯夫《ぎようふ》、道号を康節《こうせつ》先生という人の作で、唐は末世の五代《ごだい》、兵乱にあけくれた世を嘆いてうたったもの。そのころは朝《あした》には梁《りよう》の天下が夕《ゆうべ》には晋《しん》の世と変わるめまぐるしさで、まさに「朱《しゆ》・李《り》・石《せき》・劉《りゆう》・郭《かく》・梁《りよう》・唐《とう》・晋《しん》・漢《かん》・周《しゆう》、あわせきたって十五帝、乱れ乱れて五十年(注四)」というありさまであったが、やがて、天道おのずからめぐりきたって、洛陽《らくよう》は甲馬営《こうばえい》の陣中に太祖武徳《たいそぶとく》皇帝のご誕生となったのである。この天子ご誕生のみぎりには、赤光《しやつこう》が空に輝き、芳香が夜もすがらたちこめたが、これぞ天上界の霹靂大仙《へきれきたいせん》の降臨であった。猛《たけ》く雄々《おお》しく、才智すぐれ度量ゆたかに、古来のどの帝王もこの天子の右に出る方とてない。身の丈《たけ》にひとしい一本の桿棒《つ え》をもって四百余州を討ち平らげ、みなわがものとされたのである。天子は四海を鎮《しず》め中原を平らげるや、国号を大宋と名づけて〓梁《べんりよう》(開封)に都を建て、九朝八帝(宋朝十七代)の祖、四百年の御代の開元の君主となられたのである。邵堯夫先生が、「一旦雲開けて復《ふたた》び天を見る」と讃美したのは、このためであって、天下の民草がおかげでふたたび天日を仰ぎ見ることができるようになったという謂《いい》にほかならぬ。
そのころ西嶽《せいがく》の華山《かざん》に陳摶《ちんたん》という処士(官につかえない士)がいた。行《おこな》いただしい有徳《うとく》の人で、天下の形勢を見る達眼をそなえていたが、ある日驢馬《ろば》に乗って山をくだり、華陰《かいん》(華山の北)の道を通っているときのこと、ふと旅人たちのうわさばなしを耳にした。
「東京《とうけい》ではこんど柴世宗《さいせいそう》(後周の天子)さまが譲位なさって、趙検点(注五)(趙匡胤、すなわち宋の太祖)さまが即位されたそうだ」
陳摶先生はそれを聞くと、心に快哉を叫び、額《ひたい》をたたいて驢馬の背なかでうち笑ったとたんに、驢馬からころがり落ちてしまった。どうしたことかとたずねられて、先生のいうには、
「天下はこれで太平になる」
まさしく、上は天の心にかない、下は地の理にあい、中は人の和にかなったというもの。庚申《かのえさる》の年に譲位をうけ、国の基をひらいて位に即《つ》かれてから在位十七年、天下は太平無事であった。ついで位は御《おん》弟の太宗《たいそう》に。太宗皇帝は在位二十二年、やがて真宗《しんそう》があとをつがれ、真宗皇帝はさらに仁宗《じんそう》に位を譲られた。
この仁宗皇帝こそ、仙界の赤脚大仙《せつきやくたいせん》である。ご生誕の当座は、夜も昼も泣きつづけておられたので、朝廷では治療する者を求めて、掲示を出された。それが天宮に通じて、太白金星《たいはくきんせい》がこの世につかわされたのである。金星は翁《おきな》に姿を変え、歩みよって掲示の紙をひきはがし、太子のおむずかりを、おなおしいたしましょうと申し出た。掲示の見張り役人が翁を宮中へともない、真宗皇帝にお目通りさせると、天子からお言葉があって、大奥へ通って太子を診《み》よとのおおせ。翁はずっと大奥へ通り、太子を抱きあげてその耳もとでひそやかに八字をささやく。と、たちまち、太子は泣きやまれたのである。翁は名もいわず、一陣の清風と化して去ってしまったが、耳もとでささやいたその八字というのは、
文有文曲《ぶんにはぶんきよくあり》 武有武曲《ぶにはぶきよくあり》
その言葉にたがわず、玉帝《ぎよくてい》(天帝)は紫微宮《しびきゆう》(天宮)の二つの星を下界にくだしてこの天子をたすけさせられた。文曲星は、南衙《なんが》すなわち開封府の長官、竜図閣大学士《りゆうとかくだいがくし》(注六)の包拯《ほうじよう》であり、武曲星は、西夏《せいか》国征討軍の大元帥たる狄青《てきせい》である。
このふたりの賢臣があらわれて天子をおたすけしたのである。在位四十二年、その間に九度年号が改められた。天聖《てんせい》元年癸亥《みずのとい》のご即位から天聖九年にいたるまでの間《かん》は、天下は太平で五穀はゆたかにみのり、民草はみな業をたのしみ、道に落ちたるを拾うものなく、夜も戸をとざす家なしというありさま。この九年間を一の登《みのり》という。ついで明道《めいどう》元年から皇祐《こうゆう》三年まで。この九年間も豊年つづきで、これを二の登《みのり》という。皇祐四年から嘉祐《かゆう》二年まで。この九年間もまたみのりゆたかで、これが三の登《みのり》。こうして年々相つづいて三九二十七年、この間を三登《さんとう》の世というのである。
かくて民草は楽しい日々を送り迎えていた。ところが、はからずもここに、楽しみの果てに悲しみが生じたのである。嘉祐三年の春さき、天下に悪疫が流行し、江南《こうなん》から東西の両京(開封と洛陽)にかけて、どこの民草もこの病《やまい》におかされぬものはなく、天下の各州各府から雪の降りしきるように奏上文が舞いこむ始末。
東京《とうけい》はといえば、これも城内城外の軍民の大半が死亡するありさまで、開封府長官の包待制《ほうたいせい》(注七)は、恵民和済《けいみんわさい》局方(太医局の定めた処方)にしたがって、自分の俸禄をなげうって薬を調合し、万民の救済にあたった。だがその甲斐もなく疫病はつのるばかり。文武の百官は協議し、待漏院(宮中の控えの間)により集まって、朝見のおり奏聞におよんだ。
「もはやこれは、祈祷によってこの悪疫をはらいきよめるよりほかございません」
このことのあったためにこそ、三十六員の天〓星《てんこうせい》がこの世に臨み、七十二座の地〓星《ちさつせい》が下界におりきたって宋《そう》国の乾坤《けんこん》をうちゆすぶり、趙《ちよう》家(宋室は趙氏)の社稷《しやしよく》を大波乱に巻きこむことになったのである。そのことをうたった詩がある。
万姓煕々《きき》たり化育《かいく》の中《うち》
三登の世 楽しみ窮まりなし
豈知《あにはか》らんや礼楽笙〓《しようよう》の治
変じて兵戈剣戟《へいかけんげき》の叢と作《な》らんとは
水滸塞《すいこさい》中 節侠屯《たむろ》し
梁山泊《りようざんぱく》内 英雄聚《つど》う
細かに治乱興亡の数《すう》を推《はか》れば
尽《ことごと》く陰陽造化の中に属す
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一 呉鉤 鉤は鉤刀。さきの曲がった剣。『呉越春秋』に次のような話がある。呉王闔廬《こうりよ》は名剣莫邪《ばくや》を持っていたが、さらに鋭利な鉤刀を国中に求めた。呉には鉤刀を作る者が多くいたが、なかの一人は王の重賞を得ようとして、自分の子二人を殺し、その血を刃に塗りこめて二ふりの鉤刀を作り王に献上したと。呉鉤とはすなわち呉の鉤刀。のち鋭利な剣の意味につかわれるにいたった。「談笑して呉鉤を看る」とは、談笑しつつ血なまぐさい歴史を論議するという意味。
二 魚を求めて木に縁る 『孟子』梁恵王篇に、斉の宣王に対して孟子が、武力で天下の統一をはかろうとするのは「なお木に縁《よ》りて魚を求むるがごとし」といったことが見える。求むべからざることのたとえ。
三 窮猿の……曲木に遠ざかる 『晋書』に「窮猿の林に奔《はし》る、豈《あに》木を択ぶに暇《いとま》あらんや」とある。ここではそれを逆に用い、窮猿が木を択び、弓の形をした曲木を避けるとして、容易にあり得べからざることにたとえたのである。
四 朱・李・石・劉…… 朱は朱全忠、梁(九〇七―九二三)の太祖。李は李存勗、唐(九二三―九三六)の荘宗。石は石敬塘、晋(九三六―九四六)の高祖。劉は劉知遠、漢(九四七―九五〇)の高祖。郭は郭威、周(九五〇―九六〇)の太祖。このかんを五代といい、約五十年。帝を称したもの、梁は三人、唐は五人、晋は三人、漢は二人、周も二人、あわせて十五帝である。
五 趙検点 検点はまた点検という。五代から宋にわたって置かれた官名で、近衛軍の長官。趙匡胤の官名は殿前都点検であった。
六 竜図閣大学士 竜図閣は真宗の大中祥符年間(一〇〇八―一六)に建てられ、太宗の御書や文集、また書籍・書画・宝物などを収めた。宋の制度では、殿には学士と大学士を置き、閣には学士と直学士を置いた。
七 包待制 待制は侍従顧問官。宋では各殿閣にこの官を置いた。その地位は大学士・直学士よりも低い。包拯は開封府長官と待制とを兼ねていたため、「開封府長官の包待制」と官名で呼んだわけである。
第一回
張天師《ちようてんし》 祈って瘟疫《うんえき》を禳《はら》い
洪太尉《こうたいい》 誤って妖魔を走《のが》す
大宋《そう》の仁宗皇帝の御代、嘉祐《かゆう》三年三月三日の朝《あさ》五更三点(注一)、天子は紫宸殿に出御《しゆつぎよ》あらせられ、百官の朝賀をお受けになった。
祥雲は鳳閣に迷い、瑞気は竜楼《りゆうろう》に罩《こ》む。煙を含んで御柳は旌旗《せいき》を払い、露を帯びて宮花は剣戟を迎う。天香の影裏、玉簪朱履《ぎよくしんしゆり》は丹〓《たんち》に聚《つど》い、仙楽の声中、繍襖錦衣《しゆうおうきんい》は御駕《ぎよが》を扶《たす》く。珍珠の簾《すだれ》捲かれて、黄金殿上に金〓《きんよ》を現わし、鳳羽の扇開かれて、白玉〓前に宝輦《ほうれん》を停《とど》む。隠々として浄鞭《じようべん》三下《みたび》響き、層々として文武両班斉《ととの》う。
そのとき殿頭官(宮廷侍従の官)がよばわった。
「奏上の儀あらば、列を出て早々に申されますよう。なければこれにておひらきといたします」
すると、居並ぶ列の中から宰相の趙哲《ちようてつ》と参政(参議官)の文彦博《ぶんげんはく》とがすすみ出て奏上した。
「いまや京師には悪疫流行し、軍民の病《やまい》にたおれるもの数知《かずし》れぬありさまでございます。ねがわくは陛下には、罪人をゆるして聖恩を垂れ、刑をはぶき税をゆるめ、天災を祈りはらって、万民を救わせたまいますよう」
天子はそれを聞こしめされると、翰林《かんりん》院に、ただちに詔《みことのり》を起草するようご下命になり、天下の罪人には大赦の恩典をくだし、民間の税賦はいっさい免除されるとともに、都じゅうの宮観(道教の寺)や仏寺に悪疫退散の祈願をおこなうようおおせられた。ところがその年、疫病はますます猖獗《しようけつ》をきわめるばかりであった。
仁宗皇帝はそのことを聞こしめして御心を悩ませられ、ふたたび百官を集めて協議された。するとそのとき、一同のなかからひとりの大臣がすすみ出て奏上した。天子がごらんになると、それは参知政事(参政)の范仲淹《はんちゆうえん》で、まずご機嫌を奉伺してから、こう奏上した。
「いまや疫病は猖獗をきわめて、軍民は塗炭《とたん》の苦しみにあえぎ、一日とて心のやすまる日はありません。わたくしの考えますには、この災いをはらうためには、嗣漢天師《しかんてんし》(注二)を急遽お召し出しになり、宮中にて三千六百分の羅天大〓《らてんたいしよう》(星祭り)をいとなんで、天帝に祈願をこめられますよう。そうすれば民間の悪疫をはらいのけることができようかと存じます」
仁宗皇帝は聞こしめされて、急ぎ翰林学士に詔勅を起草せしめられ、それを天子みずから清書されて、御香一〓《ちゆう》を添え、内外の提点《ていてん》(治安警護を司る官)たる殿前の太尉《たいい》(大将軍)洪信《こうしん》を勅使として、江西《こうせい》は信州《しんしゆう》の竜虎山(道教の大本山)へつかわし、嗣漢天師の張真人《ちようしんじん》に、ただちに参内して悪疫をはらうよう命ぜしめられることになった。かくて金殿にて御香を焚き、天子みずから洪太尉に詔書をさずけて、ただちに出発するようおおせられた。
洪信は御意をうけて天子においとまごいを申しあげると、詔書を背負い御香を盒《はこ》に盛り、数十人の供《とも》を従え、駅馬にうち乗って東京《とうけい》をあとに、一路信州は貴渓《きけい》県へとめざす。うち見れば、
遥かなる山は畳《かさ》なりて翠《みどり》に、遠き水《ながれ》は澄みて清く、奇《く》しき花は綻《ほころ》びて錦繍もて林《はやし》に舗《し》き、嫩《わか》き柳は舞って金糸もて地を払う。風和《やわら》かく日暖《あたた》かに、時に野店山村を過ぎ、路直《すぐ》に沙《すな》平らかに、夜は郵亭駅館に宿る。羅衣は紅塵《こうじん》の内に蕩漾《とうよう》し、駿馬は紫陌《しはく》の中を駆馳す。
さて太尉の洪信は、詔書をたずさえ従者をうち連れて旅路をかさね、やがて江西は信州についた。役人たちはみな城外に出迎える一方、すぐに人をつかわして竜虎山上清宮《じようせいきゆう》の住持や道士たちに知らせて詔書奉迎の準備をさせた。翌日、役人たちは太尉を竜虎山の麓まで送って行った。と、上清宮の多くの道士たちは、鐘を鳴らし太鼓を叩き、香花灯燭をつらね、幢幡《は た》や天蓋をおしならべ、仙楽を奏でながら、みな山をおりて詔書を出迎えた。やがて上清宮の前まできて下馬し、太尉がその社殿をうち眺めるに、ききしにまさる上清宮。そのさまは、
青松は屈曲し、翠柏は陰森たり。門には勅額の金書を懸《か》け、戸《とびら》には霊符の玉篆《ぎよくてん》を列ぬ。虚皇の壇の畔《ほとり》、垂柳《すいりゆう》名花依稀《ほのか》に、煉薬の炉の辺《あたり》、蒼松老檜掩映す。左の壁廂《か た》には天丁《てんてい》・力士《りきし》、太乙真君《たいいつしんくん》に参随し、右の勢下《か た》には玉女《ぎよくじよ》・金童《きんどう》、紫微大帝《しびたいてい》を簇捧す。髪を披《さば》き剣に仗《よ》って、北方真武は亀蛇を踏まえ、履《くつ》を〓《は》き冠を頂いて、南極老人は竜虎を伏《したが》う(注三)。前には二十八宿の星君を排し、後には三十二帝の天子を列す。〓砌《かいせい》の下には流水潺湲《せんかん》とし、墻院のうしろには好山環繞《かんじよう》す。鶴は丹頂《たんちよう》を生《いただ》き、亀は緑毛を長《はや》し、樹梢《じゆしよう》には果《み》を献げる蒼猿あり、莎草《しやそう》には芝《し》(霊芝)を銜《か》める白鹿あり。三清殿(注四)上には金鐘を撃《う》って道士虚《そら》を歩み、四聖堂前には玉磐《ぎよくけい》を敲《な》らして真人斗《ほし》を礼《おが》む。香を献ずる台砌《だいせい》には彩霞の光、碧瑠璃を射《い》、将(道教の武神)を召す瑶壇《ようだん》には赤日の影、紅瑪瑙に揺《ゆ》らぐ。早来には門外に祥雲現《あら》わる、疑うらくは天師の老君(注五)を送るか。
そのとき、住持の真人から童子や従者にいたるまでみな、それぞれ前後につき従って三清殿に請じ入れ、詔書を奉戴して殿の中央に安置した。
洪太尉はさっそく監宮(取締り。住持に同じ)の真人にたずねた。
「天師は今どこにおいでかな」
住持の真人がすすみ出て、
「申しあげます。当代の祖師《そし》は号を虚清《きよせい》天師と申し、いたって超俗なお方で、世事にかかわることを好まれず、竜虎山の上に茅の庵《いおり》を結んでそこで修行しておられます。従ってここにはおられません」
「このたび天子より詔《みことのり》があったのだが、どうしたらお会いできるかな」
「おそれながら、ひとまずご詔勅は殿中に安置しておかれましては。もとよりわたくしども決して開読したりなどはいたしません。まあ方丈の方でお茶でも召しあがっていただきまして、それからのことにいたしましょう」
そこで詔書は三清殿に安置したまま、みなは方丈へさがった。太尉が座につくと執事人(接待係)らが茶をすすめ、ついで海山の幸《さち》のそなわった斎《とき》が出された。お斎がすむと、太尉はふたたび真人にたずねた。
「天師が山頂の庵におられるとならば、使いの者をやってお連れ申せばよかろう。これでは詔勅の開読ができぬではないか」
「祖師さまは山頂におられるとは申せ、なにしろ道行《どうぎよう》の非凡なお方で、霧に乗り雲を起こして方々へ行かれますので、わたくしども、めったにお目にかかることもかなわぬ次第で、使いをやっておよびしてくることなどとてもできません」
「それではとても会えそうにもないな。いま京師《みやこ》ではひどく疫病がはやっているので、今上《きんじよう》陛下にはそれがしを特使に立てられ、ご親筆の詔書と御香をもって天師のおいでをねがい、三千六百分の羅天大〓をいとなんで天災をはらい、万民を救おうとの思《おぼ》しめしなのだ。はてさてこれではどうしたものか」
「天子さまには民草を救おうとの思しめしならば、まずあなたさまがまごころをあらわし、斎戒沐浴《さいかいもくよく》して布衣《ほい》(清浄な衣服)を着、従者などは連れず、詔書を背負い御香を焚いておひとりで山へ登り、ぬかずいて天師におねがいなさるよりほかありません。そうすればお会いすることもできましょう。もしまごころもなく、ただおいでになっただけでは、とてもお目にはかかれますまい」
「わしは京師からずっと精進《しようじん》で通してきた。まごころがないといわれるふしはない。それでは、おまえのいうとおりにして、明朝早く山へ登ることにいたそう」
その夜は一同眠りについた。あくる日、道士たちは明けがたに起き出て湯をわかし、太尉を起こして沐浴をさせた。上から下まで新しい布衣に換え、麻の草履《わらじ》をはき、精進のお斎《とき》をすませると、太尉は詔書を黄色い羅《うすぎぬ》の袱紗《ふくさ》におさめて背負い、銀の手炉を提《さ》げ、つつしんで御香をくゆらしつつ、あまたの道士に裏の山まで送られて、そこから先の道すじを教えられた。真人はかさねていう。
「太尉どの、万民を救おうとなさるならば、不退転の心をもってひたすらまごころをつらぬかれますように」
太尉はみなと別れ、天尊の御名《みな》を口に唱えつつひたむきに山を登って行った。中腹まで登って見上げると、山頂はすっくとそそり立って九天をしのぐかと思われるばかり。聞きしにまさる大山であった。まさに、
根は地角に盤《わだかま》り、頂は天心に接す。遠くより観れば乱雲の痕を磨断し、近くより看れば明月の魄《はく》を平呑す。高低等《ひと》しからざるを山《さん》と謂《い》い、石《いわ》に側《そ》いて路の通じたるを岫《しゆう》と謂い、孤嶺の崎嶇《きく》たるを路《ろ》と謂い、上面の平極なるを頂《ちよう》と謂い、頭《いただき》円くして下の壮なるを巒《らん》と謂い、虎の隠れ豹の蔵《ひそ》めるを穴《けつ》と謂い、風の隠れ雲の隠るるを巌《がん》と謂い、高人の隠れ居るを洞《どう》と謂い、境あり界あるを府《ふ》と謂い、樵人《そまびと》の出没するを径《けい》と謂い、能く車馬を通し得るを道《どう》と謂い、流水の声あるを澗《かん》と謂い、古き渡《わたし》の源頭《みなもと》を渓《けい》と謂い、巌崖の滴水を泉《せん》と謂う。左壁掩《えん》となれば右壁は映《えい》となる。出《い》ずるはこれ雲、納《い》るはこれ霧。錐尖《すいせん》の像《ごと》く小《ほそ》きあり、崎峻《きしゆん》の似《ごと》く峭《そばだ》てるあり、空《くう》に懸《かか》れる似《ごと》く険《けん》なるあり、臘を削れる如く平《たい》らなるあり。千峰は秀を競い、万壑《ばんがく》は流を争い、瀑布斜《ななめ》に飛び、藤蘿《ふじかずら》は倒《さかしま》に掛る。虎の嘯《うそぶ》くとき風は谷口《こくこう》に生じ、猿の啼くとき月は山腰《さんよう》に墜《お》つ。恰《あたか》も似たり、青黛の染め成す千塊の玉、碧紗の籠《こ》め罩《つつ》む万堆の煙に。
洪太尉はただひとりけわしい径《みち》をすすみ行き、つたをよじかずらにすがりながらいくつかの尾根を越えて、二三里(およそ六里が日本の一里にあたる)あまりも行くうちに、もう脚がくたくたになって動けなくなり、口には出さなかったが、腹の中では二の足を踏んで、思うよう、
「わしは朝廷の高官だ。京師《みやこ》におればしとねをかさねて寝、器《うつわ》を並べてくらい、しかもなお心たれりとはせぬ身なのに、草鞋《わらじ》ばきで、こんな山路を歩かされようとは。天師のいどころがわからぬばかりに、こんなうきめにあわねばならぬわ」
また歩き出して四五十歩も行かぬうちにもう肩で息をはずませるしまつ。と、そのとき、山間《やまあい》からさっと風が吹きおこり、その吹き去るあたり、松の木のむこうから雷鳴のような咆吼《ほうこう》一声、やおら躍り出てきたのは、眼のつりあがった白額《しろびたい》の、錦の毛並の虎一匹。洪太尉は胆《きも》をつぶし、アッと叫んで仰のけざまにひっくりかえった。うす目をあけておそるおそるその虎を見れば、
毛は披《なび》かす一帯の黄金色
爪は露《あら》わす銀鉤《ぎんこう》の十八隻
睛《ひとみ》は閃電の如く尾は鞭の如く
口は血盆《けつぼん》に似て牙は戟《ほこ》に似たり
腰を伸《の》ばし臂を張って勢い〓獰《そうどう》
尾を擺《ふ》り頭《かしら》を揺《ゆす》って声霹靂《へきれき》
山中の狐兎尽《ことことごと》く潜み蔵《かく》れ
澗下の〓《しようし》みな迹《あと》を斂《おさ》む
虎は洪太尉を見やりながら行きつもどりつして、しばらく咆えたてていたが、やがてぱっと身を躍らせてうしろの山路へ駆けおりて行った。洪太尉は木の根もとにうち倒れたままおそろしさのあまり上下三十六本の歯をがちがちとかみあわせ、胸の早鐘はまるで十五六個の釣瓶桶《つるべおけ》の上下するような乱調子。全身は中風病《や》みのようになえしびれ、両脚は蹴合いに敗けた雄鶏《おんどり》のよう。口はただ悲鳴をあげるばかり。
虎が去ってしばらくしてから、ようやくはい起きた太尉は、放り出した香炉をひろいあげてまた御香を焚き、天師に会うべくふたたび山を登りはじめた。四五十歩も行くと、しきりに溜息をついて、怨みがましく、
「陛下が特別の思しめしでこんなところへわしを遣わされたばかりに、おそろしい目にあわされるわい」
といいもあえず、またしてもあたりに風がおこって、毒気を吹きつけてくるのを覚えた。太尉がはっとして見据えると、かたわらの茂みがざわざわと鳴って、釣瓶のような太さの、真白な蛇がぬっとあらわれた。太尉は見るなりアッとおどろき、手炉を放り出して、
「もうだめだ!」
と叫ぶなり、うしろざまに盤陀石《ばんだせき》(螺旋形の石)のかげに倒れたが、そっとうす目をあけてその蛇を見れば、
首を昂《あ》ぐれば驚飆《きようひよう》起り、目を掣《みひら》けば電光生ず、動蕩すれば則ち峡を圻《さ》き岡を倒し、呼吸すれば則ち雲を吹き霧を吐く。鱗甲は乱れて千片の玉を分かち、尾梢は斜に一堆の銀を捲《ま》く。
大蛇はするすると盤陀石のそばへよってくると、洪太尉のまん前でとぐろを巻き、両眼から金色の光をはなち、大きな口をあけて舌を吐きながら、毒気を洪太尉の顔に吹きつける。太尉は仰天して魂魄《たましい》もぬけ去るような思い。蛇はしばらく洪太尉をにらみつけていたが、やがてするすると麓の方へすべりおりて行き、見えなくなってしまった。太尉はやっとはい起きて、
「やれやれ助かった。まったくびっくりさせやがる!」
身には《こつとつ》(うどん粉で作った菓子の一種)のような鳥肌が立っている。ぶつぶつとかの道士をののしって、
「けしからん。おれを愚弄して、ひどい目にあわせやがって。もし山頂で天師に会えなかったら、おりてから目にもの見せてくれよう」
ふたたび銀の提げ香炉を拾い、身につけた詔書や衣服・頭巾などをととのえて、また登ろうとした。さて足を踏み出そうとしたとき、松の木のむこうからかすかに笛の音が聞こえてきた。それはしだいに近づいてくる。太尉がじっと見つめていると、ひとりの童子が黄牛に横乗りして鉄笛を吹きながら、山の鼻から姿をあらわした。見れば、
頭には両枚《ふたつ》の〓髻《びんずら》を綰《わが》ね、身には一領の青衣を穿ち、腰間《こ し》の〓結《くみひも》は草もて編み、脚下《あ し》の芒鞋《わらぐつ》は麻もて間隔《つ づ》る。明眸皓歯《めいぼうこうし》、飄々《ひようひよう》として並《さら》に塵埃《じんあい》に染まず、緑鬢朱顔《りよくびんしゆがん》、耿々《こうこう》として全く俗態なし。
かつて、呂洞賓《りよどうひん》(注六)に牧童《ぼくどう》をうたった詩があって、なかなかよくできている。
草は横野に舗《し》く六七里
笛は晩風に弄《たわむ》る三四声
帰り来って飯に飽く黄昏の後
簑衣《さい》を脱せずして月明に臥す
童子は黄牛の背でにこにこ笑いながら、鉄笛を吹き鳴らしつつやってくる。洪太尉はそれを見て声をかけた。
「どこからきたのか。わしを知っておるか」
童子はそ知らぬふりで、笛を吹きつづけている。太尉が何度もよぶと、童子ははははと笑い、鉄笛で洪太尉を指《さ》して、
「天師さまに会いたくてやってきたんだろう」
「牧童のくせに、どうしてわかるのか?」
太尉がびっくりしてそういうと、童子は笑いながら、
「朝がた草庵で天師さまのご用をしていたとき、天師さまがおっしゃったよ。今上陛下には、洪という太尉を、詔書と御香を持たせて、この山中へつかわされ、わたしに、東京《とうけい》へ出て三千六百分の羅天大〓をいとなんで天下の悪疫をはらえとのおおせだ、わたしはこれから鶴に乗り雲を駆って行ってくるとな。いまごろはもうお出かけになったあとで、庵にはおられまいから、登るのはおよしなされ。山には毒虫や猛獣がいっぱいいるから命があぶなかろうよ」
「出まかせをいうでないぞ」
と太尉が念をおすと、童子はうふっと笑ったきり、もう答えず、鉄笛を吹きながら坂路を去って行った。太尉は思案した。
「あの小僧はどうして何もかも知っているのだろう。天師がいいつけたのだろうか。そうにちがいない」さらに登ろうとしたが、「たった今、ひどい目にあって、すんでのことで命をおとすところだったのだ、ひきかえした方がよさそうだわい」
太尉は提げ香炉を手に、もときた道をたどって山を駆けおりた。
道士たちは出迎えて方丈へ請じ入れた。真人がさっそくたずねた。
「天師さまにお会いになりましたか」
「わしは朝廷の高官だぞ。そのわしを、よくも、山路を歩かせ、あんな苦しみをさせ、すんでのことで命をなくさせるような目にあわせたな。最初には、中腹まで登って行くと眼の吊りあがった白額の虎が躍り出て、わしはびっくりして生きた心地もなかった。ついで山の鼻にさしかかったところで、草叢のなかからぬっと真白な大蛇が出てきてとぐろを巻き、わしの行くてをふさいだのだ。わしに運があったればこそで、なければ生きて東京へ帰ることはできなくなったろう。みなおまえら道士たちが本官を愚弄しての仕業じゃ」
「わたくしどもが、どうして、ご大官をあなどったりなどいたしましょう。それは祖師さまが、太尉どののお心をためされたのでございます。お山には蛇や虎がおりはしますけれども、決して人を傷つけるようなことはいたしませぬ」
「わしはもうほとんど歩けなかったのだが、なおも坂をのぼって行こうとすると、松の木のあたりからひとりの童子があらわれ、黄牛に乗って鉄笛を吹きながらやってくるので、どこからきたのか、わしを知っているかとたずねてみると、童子は何もかも知っているといい、天師さまは今朝早く鶴に乗り雲を駆って東京へ行くといわれたとのこと、それでわしはもどってきたのだ」
「それはおぬかりなされました。その牧童こそ天師さまなのです」
「なに天師さまだと? ひどくむさくるしい風態だったぞ」
「当代の天師さまはふつうのお方ではありません。年こそお若いが道行の非凡な、たいしたお方なのです。あちらこちらであらたかな霊験をあらわされますので、人々は道通《どうつう》祖師さまと申しあげております」
「わしは目を持ちながら気がつかず、みすみすお見それしてしまったのか!」
「ご安心なさいますよう。祖師さまが行くとおおせられましたならば、太尉どのがご帰京のころにはもう、祖師さまは星祭りをとどこおりなくすませておられましょう」
太尉はそういわれてやっと安堵した。
真人は宴席をもうけて太尉をもてなす一方、詔書を御書匣《ばこ》に収めて上清宮内に安置し、御香は三清殿で焚いた。その日方丈では盛大な饗応があり、酒盛りは夜までつづいた。その夜はここで宿《とま》った。
あくる日、朝食がすむと、真人をはじめ道士一同や提点《ていてん》(注七)、執事人らが、太尉を境内の参観に誘った。太尉は大いに満足の態で多くの人たちをひき従えて方丈を出た。ふたりの童子の先導で、社殿のあちらこちら、さまざまな風物を賞《め》でたのしんだが、ことに三清殿はえもいわれぬ豪華さ。その左の廊下には九天殿・紫微殿・北極殿。右の廊下には太乙《たいいつ》殿・三官殿・駆邪殿。それらをずっと見てまわり、やがて右の廊下の奥に行きついた。洪太尉が眺めると、そこにまた一棟の別殿があり、胡椒を搗《つ》きまぜた紅《あか》い土塀をめぐらせ、正面には二枚扉の朱塗りの格子戸があるが、その入口にはいかつい(注八)大きな錠《じよう》がかけてあって、扉のあわせ目には十数枚の封じ紙がはられ、封じ紙には厳重にいくつも朱印が押してある。軒には紅の漆地《うるしじ》に金文字の額があって、そこに書かれた四個の金の文字は、
伏魔之殿
太尉は指さしてたずねた。
「この社殿はいかなるところだ」
「これはご先祖の老祖天師さまが、魔王を封じこめられた社殿でございます」
太尉はかさねてたずねた。
「なぜこうも厳重にたくさん封じ紙が貼りつけてあるのか」
「老祖の大唐の洞玄《どうげん》国師さまが、魔王をここに封じこめられたのでございますが、それからは天師さまが代《か》わられるごとに手ずから封じ紙を一枚ずつはり加えられて、子々孫々みだりにあけてはならぬとされたものでございます。もし魔王を逃がしでもすれば、おそろしいことがおこるとこと。いままで八代か九代の祖師さまが代わられましたが、決してあけたためしはなく、錠には銅が熔かしこんでありまして、なかのことを知っている者は誰もございません。わたくしも当山の住持になってまいりましてから三十余年になりますが、ただ話にきいているだけでございます」
太尉はそれを聞いて不審に思い、魔王とやらを見てみたいものだと考えて道士にいった。
「その扉をあけてみろ。魔王というのはどんなものか見てやろう」
「太尉どの、この社殿はどうあってもあけられません。ご先祖の天師さまから、後々のものみだりにあけることはならぬと厳重なおさとしがあるのでございます」
太尉は笑って、
「たわけたことをいうな。おまえたちはみだりに怪しげなことをこしらえて、良民どもをたぶらかそうとし、故意にこんな建物を作って魔王を封じこめたなどといい、おまえたちの道術を見せびらかそうという魂胆なのだ。わしはいろいろ本を読んだが、魔王を封じこめる法などいうものは見たことがない。鬼神の道はあの世のこと、魔王がこのなかにおるとは信じられぬ。さあ早くあけてみせろ、魔王がどんなものか見てくれよう」
真人は何度もくりかえしていった。
「ここはあけられません。おそろしいことがおこって、人に危害がふりかかりましょう」
太尉はすっかり腹を立てて、道士たちを指さしていった。
「どうしてもあけて見せぬのなら、朝廷に帰ってから、まず、おまえら道士たちが詔書宣読をさまたげ、聖旨にさからい、わしを天師に会わせようとしなかった罪を奏上してやる。それから、おまえたちがみだりにこのような社殿を作って魔王を封じこめたなどといつわり、軍民一同をまどわせていることを奏上して、おまえたちから度牒《どちよう》(僧侶の免許状)を取りあげ、辺鄙《へんぴ》な地へ流罪にして憂き目を見せてやるぞ」
真人らは太尉の権勢をおそれて、しかたなく火工道人(寺院の雑役夫)をよび集め、まず封じ紙をはぎ取ってから、鉄鎚で大きな錠をぶちこわさせた。一同が扉を押しあけてのぞいて見ると、ただまっくら。そのさまは、
昏々黙々《こんこんもくもく》、杳々冥々《ようようめいめい》。数百年、太陽の光を見ず、億万載、明月の影を瞻《み》ること難し。南北を分かたず、怎《いか》でか東西を弁ぜん。黒煙靄々《あいあい》と人を撲《う》って寒く、冷気陰々《いんいん》と体を侵して顫《ふる》う。人跡不到の処、妖精往来の郷。双目を閃開《せんかい》するも盲《めしい》の如き有り、両手を伸出するも掌《たなごころ》を見ず。常に三十《みそか》の夜の如く、却って五更の時に似たり。
みなはいっせいに殿内へはいったが、まっくらで何ひとつ見えない。太尉が従者に十数本の松明《たいまつ》をつけさせて、あたりを照らして見ると、四辺には何もなく、ただ真中に高さ五六尺ばかりの石碑が一つあった。その台石の亀は大半泥に埋まっている。松明の火で石碑を照らして見ると、表は一面に神代文字の咒文《じゆもん》で、誰にも読めなかったが、裏を照らして見ると、普通の文字が四字、
遇洪而開《こうにあいてひらく》
と大きく彫ってある。
これは三つには天〓星《てんこうせい》がこの世にあらわれるべき時運がきたということ、二つには宋朝に必ずや忠臣があらわれるということ、三つにはうまく洪信にめぐりあったということにほかならない。これこそ天の定めでなくて何であろう。洪太尉はこの四字を読んですっかりよろこび、真人にむかっていった。
「おまえたちはわしにあけさせまいとしたが、見ろ数百年も前からちゃんとわしの苗字《みようじ》がここに書きつけてあるではないか。洪に遇いて開くというのは、まがいもなくわしにあけて見ろということで、何のはばかることもないわけだ。どうやら魔王のやつは石碑の下にいるときまった。ものども、もっと人夫を集めて鋤鍬《すきくわ》でここを掘りおこせ」
真人はあわてて、
「掘ってはなりません。おそろしいことがおこって、人に危害がふりかかってはたいへんでございます」
太尉は怒ってどなりつけた。
「おまえたちに何がわかるか。石碑にはちゃんと、わしに遇ったらあけさせると彫ってあるのだ。なんでとめだてをするか。さっさと人を集めてあけるんだ」
「わるいことがおこりましょう」
と真人は何度もいったが、太尉がどうしても聞かないので、やむなく人夫をよび集め、まず石碑を倒してから、みなでいっしょに石亀を掘りにかかり、半日がかりでようやく掘りおこした。それからさらに三四尺掘りさげて行くと、一丈四方もある、青い大きな一枚岩があらわれた。洪太尉はそれをも、掘りおこせといいつける。真人はまたしきりに、
「掘りおこしてはなりません」
とおしとめたが、太尉がどうしても聞かないので、みなはしかたなく一枚岩をいっせいにあげおこした。と、その下は一万丈もあろうかと思われる深い穴で、穴のなかにはごうごうという音がひびきわたっている。そのひびきのすさまじさたるや、さながら、
天摧《くだ》け、地〓《くず》れ、岳撼《ゆる》ぎ山崩《たお》る。銭塘江《せんとうこう》上、潮頭浪の海門を擁出し来り、泰華山《たいかさん》頭、巨霊神の山峰を一臂《ぴ》に砕く。共工《きようこう》(注九)奮怒し、〓《かぶと》を去って不周山《ふしゆうざん》を撞《つ》き倒し、力士《りきし》(注一〇)威を施《ふる》い、鎚《つち》を飛ばして始皇《しこう》の輦《れん》を撃《う》ち砕く。一風撼《ゆる》がし折る千竿の竹、十万の軍中半夜の雷。
ひびきがおさまったと思うと、ひとすじの黒い煙が穴のなかから噴きあがってきて、伏魔殿の一角をはねとばした。黒雲はぐんぐんと空高く立ちのぼり、無数の金色の光になって、四方八方に散らばって行った。
みなは仰天し、わっと叫んでいっせいに逃げ出した。鋤も鍬も放り出してどっと殿内から飛び出し、おしたおされ、ひっくりかえるもの無数。洪太尉はびっくりして、目をみはり口をあけ、呆然としてなすすべを知らず、顔は蒼ざめて土のよう。廊下のところまで逃げて行くと、真人が、たいへんだ! たいへんだ! とわめきつづける。
「逃げたやつは、どんな妖魔だ」
と太尉がたずねると、真人は言葉すくなに事のしだいを話したが、このことから天子には、夜の御寝《ぎよしん》も安からず、昼の御飯も箸につかず、やがては宛子城《えんしじよう》中に虎豹かくれ、蓼児〓《りようじわ》内に神蛟あつまる(注一一)ことと相なる次第。はてさて、竜虎山の真人はいったいどんなことを話したのか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 五更三点 一更を五点に分ける。一更は二時間で、三十分ごとに時刻が知らされた。従って五更一点は四時、五更二点は四時半、五更三点は五時である。
二 嗣漢天師 道教の祖、漢の張道陵《ちようどうりよう》の衣鉢をつぐ道士の最高位者。張真人ともいい、祖師または天師と呼ぶ。
三 天丁・力士……竜虎を伏う 太乙真君・紫微大帝・北方真武・南極老人は、いずれも道教のあがめる天神の名で、それぞれ星にかたどられている。真君は真人より、大帝は帝より上位の尊称。天丁・力士は天神にしたがう武臣の名。玉女・金童は同じく仙女の名。亀蛇は五方(中央と四方)のうち北を、竜虎は南をあらわす。
四 三清殿 三清を祭る社殿。三清とは玉清元始天尊・上清霊宝道君・太清太上老君。
五 天師の老君 天師はここでは張道陵(注二参照)。老君は前注の太清太上老君、すなわち老子。
六 呂洞賓 名は、あるいは岩。洞賓はその字。純陽子と号す。唐の人で、進士の試験に落ち、年六十四で正陽真人に会って延命の術を学び、のち登仙の秘訣をさずけられて仙人になったという。後代信仰するもの多く、各地に呂祖廟があって彼を祭る。
七 提点 さきに本文中で注したように治安警備をつかさどる官名であるが、ここでは道観内のそれで、道士の役。この制度は実は宗代にはなく、明代にはじまる。
八 いかつい 原文は《いき》〓《しゆん》。は胸の骨、〓は股の骨で、頑丈な形容かと思う。
九 共工 神話中の人物で、瑞〓《せんぎよく》と帝位をあらそい、格闘のおりあやまって不周山《ふしゆうざん》に触れ、不周山にあった天空をささえる柱を折った。そのため中国大陸は東南にかたむき、河はみなその方向に流れるようになったという。
一〇 力士 滄海公のこと。韓の遺臣張良に命ぜられ、鉄鎚をふるって始皇帝の命をねらったが、その副車をくだいただけにとどまった。この話は第九十回に見える。
一一 宛子城中に……神蛟あつまる 宛子城・蓼児〓はともに梁山泊をいう。虎豹・神蛟(竜)は、梁山泊に集まった百八人の豪傑をさす。
第二回
王教頭《おうきようとう》 私《ひそ》かに延安府《えんあんふ》に走《のが》れ
九紋竜《くもんりゆう》 大いに史家村《しかそん》を鬧《さわ》がす
さて、住持の真人はそのとき洪太尉にこういったのだった。
「太尉どのはご存じありますまいが、この社殿には、その昔、ご開祖の天師洞玄《どうげん》真人さまが法符《おふだ》をくだしてこう申されたのでございます。この社殿には、三十六員の天〓星《てんこうせい》と七十二座の地〓星《ちさつせい》、あわせて一百零八の魔王が封じこめられてある、上に立てた石碑は神代文字の符文を刻んで鎮《しず》めとしたもの、もしも、彼らをふたたび世に出すようなことがあれば、必ずや世の人々を苦しめるであろうと。太尉どのは今彼らを逃がしてしまわれたのです。いったいどうなることでございましょう」
これを示す詩がある。
千古の幽〓《ゆうけい》(よみの扉)一旦開き
天〓地〓《てんこうちさつ》 泉台(よみじ)を出《い》ず
自来《じらい》事《こと》なきに多く事を生じ、
本災《もとわざわい》を禳《はら》うを為《な》して郤《かえ》って災を惹《ひ》く
社稷《しやしよく》 今より雲擾々《じようじよう》
兵戈《へいか》到る処鬧垓々《どうがいがい》
高〓《こうきゆう》の姦佞《かんねい》恨むに堪えたりと雖も
洪信《こうしん》今より禍胎《かたい》を醸《かも》す
洪太尉はそれを聞くと、どっと冷汗が出てふるえがとまらない。そそくさと荷物をとりまとめ、従者をひき連れて、都に帰るべく山をおりた。真人や道士たちは、一行を見送ってから、上清宮に帰って社殿を修理し、石碑を立てなおしたが、その話はこれまでとする。
さて洪太尉はみちみち従者たちに、妖魔を逃がしたことは誰にも話してはならぬ、天子に聞こえたならばおとがめを受けようから、といいわたした。道中は格別のこともなく、ひたすら道を急いでやがて都に帰り、〓梁城《べんりようじよう》にはいってみれば、人々のうわさでは、天師は東京《とうけい》の宮居で七日七夜の祭りをおこない、ひろく護符を施して疫病をはらったところ、さしもの悪疫もすっかりおさまって軍民は安泰となった、そこで天子にお暇乞いをして、ふたたび鶴に乗り雲を駆って竜虎山へ帰ったということであった。洪太尉は翌朝出仕して天子に奏上した。
「天師は鶴に乗り雲を駆って先に都へこられましたが、わたくしどもは駅から駅への道中で、今ようやく到着いたしました」
仁宗皇帝はそれをお聞き入れになり、洪信に賞与をとらせたうえ、もとの職にもどされたのであるが、この話もこれまでとする。
その後、仁宗皇帝は、在位四十二年で崩御されたが、太子がなかったので、皇位は濮《ぼく》国安懿《あんい》王允譲《いんじよう》さまの御子で、太宗皇帝の御孫にあたる方に伝えられた。この方を英宗と申しあげる。英宗皇帝は在位四年で皇位を太子の神宗に譲られ、神宗皇帝は在位十八年で皇位を太子の哲宗に譲られたが、この間、ずっと天下は太平で、四方は無事であった。
さて東京は開封府《かいほうふ》・〓梁《べんりよう》・宣武軍《せんぶぐん》(注一)にひとりの放蕩無頼などら息子がいた。姓を高《こう》といい、次男坊で、若いときから家業には見むきもせず、もっぱら、槍だの棒だのをいじくりまわしていたが、わけても蹴毬《けまり》が得意で、都の人たちは「高二」(高家の次男の意)とはよばずに「高毬《こうきゆう》」(蹴毬の高)とよびならわしていた。のち立身してからは「毬」の字の毛扁《へん》を人扁《にんべん》にかえて、姓を高、名を〓といった。この男、歌舞音曲や、槍術、棒術、相撲や遊芸、それに、なまはんかながら詩書詞賦にもひととおりの心得があったが、仁義礼智、信行忠良などいうことにかけてはからきしだめで、もっぱら東京城の内外で人のとりもちをして食っていた。やがて金物屋の王《おう》員外(注二)の息子をそそのかして、金をつかわせ、毎日あちこちの廓通《くるわがよ》いにうつつをぬかしていたために、その父親から開封府に告訴されてしまった。府尹《ふいん》(府の長官)は高〓に棒打ち二十の刑をいいわたし、畿外《きがい》追放を命じて、東京城内の人々に、彼を泊めたり食わせたりしてはならぬとの布告を出した。高〓は、しかたなく淮西《わいせい》の臨淮《りんわい》州へ行き、そこで賭場《とば》を開いている遊び人の柳大郎《りゆうたいろう》、本名を柳世権《りゆうせいけん》という男のもとへ身をよせた。この男は世話ずきで、よく遊び人の面倒を見、あっちこっちのごろつきどもをころがりこませていたのである。
高〓が柳大郎の家に身をよせて、三年。やがて哲宗皇帝は南郊に天を祭られ、おかげで風雨順調に世は事もなかったので、天下に大赦の思典がくだされた。高〓も臨淮州で恩赦をうけ、東京に帰ろうと思っていると、柳世権は、東京城内の金梁橋のたもとで生薬屋《きぐすりや》をやっている董将仕《とうしようし》(将仕は大商人の意)と親類だったので、手紙を書き、手土産や路銀をととのえて高〓に持たせ、東京へ帰ったら董将仕の家に身をよせて暮らせるようにしてやった。
そこで高〓は柳大郎に別れを告げ、荷物を背負って臨淮州を去り、はるばると、東京へ帰るや、ただちに金梁橋のたもとの董生薬店をたずねて手紙をわたした。董将仕は高〓に会い、柳世権の手紙を読んで、胸の中で思案した。
「こんな男はとても家にはおいてやれん。もしまじめなちゃんとした男なら、家に住まわせてやれば子供たちのためにもなろうが、こいつはとりもち屋のごろつきで、信用のおけぬ男、それに前に罪をおかして追放になったやつで、性根はとても改まってはおるまいから、家においてやれば子供たちが碌《ろく》なことは覚えないだろう。とはいえこの男の面倒を見てやらないことには柳大郎の顔が立たぬ」
その場はよろこんで迎えるふりをして家にひきとめ、毎日ご馳走をしてもてなして、十日あまりたったころ、董将仕はふとうまいことを考えつき、ひとそろいの衣服をとり出し、手紙を一通書いて、高〓にいうには、
「わたしの家の光は蛍の火のようなもので、とてもひとさまを照らすことはできないから、あなたの今後のためにはなりますまい。そこでわたしは、あなたを小蘇《しようそ》学士(注三)さまのところへ推薦してあげたならば、やがて立身のたよりもあろうと思うのだが、どうでしょう」
高〓はひどくよろこんで董将仕に礼をいった。董将仕は使いの者に手紙を持たせ、高〓を学士の邸へ連れて行かせた。門番がとりつぐと、小蘇学士は出てきて高〓に会い、手紙を読んで、高〓がとりもち屋のごろつきであることを知って胸の中に思うよう、
「こんな男はとても家にはおいてやれない。まあ情《なさけ》をかけて〓馬《ふば》(天子の女婿。多く〓馬都尉の官に任ぜられたことからいう)の王晋卿《おうしんけい》さまのところへすすめて、近侍にでもたのんでやろう。世間ではあの方のことを小王都太尉《とたいい》(〓馬都尉の大将。あだ名)とよんでいて、こんな男がお好きだから」
そこで董将仕に返事を出し、高〓を邸にひと晩とめて、その翌日、用人に手紙を持たせて高〓をかの小王都太尉のところへ連れて行かせた。
この太尉は哲宗皇帝の妹君の婿、つまり神宗皇帝の女婿である。粋《いき》な人物がお好きで、よくそういう者をお使いになる。小蘇学士からの使いが手紙を持って高〓を連れてくると、これをごらんになって、大よろこび。さっそく返事を書かれ、高〓を邸内にとどめて近侍にとりたてられた。これより高〓は運が開け、王都尉のお邸で家の者同様にふるまうようになった。昔から「日々に遠ければ日々に疎《うと》く、日々に親しければ日々に近し」というのはこれである。
ある日、小王都太尉は誕生日のお祝いで、邸内の者に宴会の用意を命ぜられ、妃の君の御弟の端王《たんおう》をお招きになった。この端王というお方は神宗皇帝の第十一子で、哲宗皇帝の御弟、今や太子の位にあらせられる。兄弟順のよび名で九大王と申し、聡明な風采のよいお方で、遊び人たちのしきたりやとりもちはいっさいご存じであったし、自身でおできにもなり、またお好きでもあって、琴・囲碁・書画のたぐいにはことごとく通じられ、蹴毬や弾打《たまう》ち、歌舞音曲にいたってはいうまでもないというありさま。
この日、王都尉のお邸の宴席には、山海の珍味がそろえられた。そのありさまは、
香は宝鼎《ほうてい》に焚《た》かれ、花は金瓶に挿《さ》さる。仙音院は競って新音を奏し、教坊司は頻《しき》りに妙芸を逞しくす。水晶の壺内は尽《ことごと》くみな是れ紫府の瓊漿《けいしよう》、琥珀の杯中は瑶池の玉液を満泛《まんへん》す。玳瑁《たいまい》の盤には仙桃異果を堆《つ》み、玻璃《はり》の碗には熊掌駝蹄《ゆうしようだてい》を供す。鱗々として膾《なます》は銀糸を切り、細々として茶は玉蘂《ぎよくずい》を烹《に》る。紅裙《こうくん》の舞女は尽く象板鸞簫《しようばんらんしよう》に随い、翠袖《すいしよう》の歌妓は簇《むらが》って竜笙鳳管《りゆうしようほうかん》を捧定す。両行の珠翠階前に立ち、一派の笙歌座上に臨む。
さて、端王が王都尉のお邸へ祝宴に臨まれると、都尉は端王を正座にすえて、みずからはそのむかいの席で相伴《しようばん》をした。酒を数杯召されて、二の膳が出たとき、端王はご不浄に立たれ、たまたま書院に立ちよって小憩なさったが、その時ふと、机の上にあった羊脂玉《ようしぎよく》(注四)の獅子の文鎮一対に目をとめられた。まことに見事な細工で、精緻でしかも玲瓏《れいろう》としている。端王はその獅子を手に取ったまましばらく眺めておられたが、
「見事だ」
と感嘆の声をもらされた。王都尉は端王のお気に召したのを見て、
「このほかにもう一つ玉竜の筆架《ふでかけ》がございまして、やはりおなじ職人の作ったものでございますが、今あいにくとしまいこんでありますので、明日とり出して、いっしょに献上いたしましょう」
端王はたいそうおよろこびになって、
「ご厚意のほどありがとう。その筆架はさだめし一段と見事なものでしょう」
とのおおせ。
「明日とり出して御所へおとどけいたし、ごらんにいれます」
王都尉がそういうと、端王はかさねて礼を述べられた。おふたりはもとの席にもどって、夕方まで飲み、酔を尽くして宴はおわり、端王は別れを告げて御所へ帰られた。
翌日、小王都太尉は玉竜の筆架をとり出し、玉の獅子の文鎮一対とともに金の梨子地の小盒《こばこ》におさめ、黄色い羅《うすぎぬ》の袱紗《ふくさ》で包み、書状をしたためて高〓に持たせて行かせた。高〓は王都尉のおおせを承って二品《ふたしな》の玉の細工物をたずさえ、懐に書状をしまいこんで、ただちに端王の御所へと行った。門衛が下役人にとりつぐと、やがて下役人が出てきてたずねる。
「どこのお邸の方で?」
高〓は礼をして、答えた。
「わたくしは王〓馬さまのお邸から、玉の細工物を殿下におとどけにまいりました」
「殿下はいまお庭で近習たちと蹴毬をしておられるから、お通りください」
「どうかご案内を」
下役人に案内されて高〓がお庭先へ行って見ると、端王は、頭には紗の唐巾をかぶり、身には紫のぬいとりの竜袍を着、腰には文武二組の房を垂らした帯紐を結び、ぬいとりした竜袍の前すそをからげてその帯にさしはさみ、足には金糸で飾った飛鳳の靴をはいて、四五人の近習を相手に蹴毬をしておられるところである。
高〓はお邪魔するのをはばかって、おつきの人たちのうしろに控えて待っていた。このとき高〓には立身すべき好運がおとずれていたのである。というのは、ぽんとはずんだ毬が、端王がそらされたので、人の集まっている方へころがって高〓のそばまできたのである。高〓は毬のころがってきたのを見ると、とっさの判断で、鴛鴦拐《えんおうかい》の術《て》をつかって端王の方へ蹴返した。端王はそれを見てたいそうよろこばれ、
「おまえは何者か」
とたずねられた。高〓はすすみ出て、ひざまずいて申しあげた。
「わたくしは王都尉さまの近侍の者でございます。主人のいいつけで玉の細工物二品を殿下におとどけにまいりました。書状もここに持参いたしました」
端王にはそれを聞かれて、
「お兄上はおかたいことで」
と笑われた。高〓は書面をとり出してさし出した。端王は盒《はこ》をあけて細工物をごらんになると、全部お付きの者にわたして納めさせられた。それきり端王は玉の細工物のことにはかまわれず、それよりもまず、高〓におたずねである。
「おまえはよほど毬を蹴ることを心得ているようだが、名はなんと申す」
高〓は拱手の礼をしてひざまずき、
「わたくしは高〓と申します。ほんのまねごとに蹴るだけでございます」
「そうか。ではこちらへきてちょっと蹴ってみよ」
「わたくしはつまらないもので、殿下のお相手はおそれ多うございます」
「この仲間は斉雲社《せいうんしや》(宋代の蹴毬のグループ)で、名は天下円《てんかえん》というのだ。なんの遠慮もいらぬ」
高〓は再拝して、
「滅相もないことでございます」
と何度も辞退したが、端王にはどうしても蹴ってみよとのおおせなので、高〓はそれではと叩頭してぶしつけを詫び、支度をととのえて場におり、すこしばかり蹴ってお見せしたところ、端王はしきりに感嘆された。高〓はそれではと日ごろの手なみを存分にふるって端王のごらんに供したが、その身のさばきたるや、まるで毬が膠《にかわ》でくっつけられでもしたように身辺をはなれない。端王はどうしても高〓をお帰しにならず、そのまま御所に一夜とめおかれ、翌日、宴席を設けて王都尉をお招きになった。
ところで王都尉の方は、その日、夜になっても高〓が帰ってこないので、どうしたことかといぶかっていたところ、翌日になって門番のいうには、
「九大王さまからお使いの者が見えまして、宴会にお越しいただきますようにとのお言葉でございます」
王都尉はみずから出て行って従者に会い、令旨を読むと、すぐ馬に乗って九大王のお邸にかけつけ、門前で馬をすてると御所へ通って端王にお目通りした。
端王はご機嫌よく、れいの二品の玉の細工物の礼を述べられた。やがて座について宴会となったとき、端王のいわれるには、
「あの高〓という男はひどく蹴毬が達者だが、どうでしょう、あれをわたしの近習にいただきたいのだが」
「殿下がお使いになりたいと思しめしならば、どうぞ御所でお召し使いくださいますよう」
端王はたいそうよろこばれ、杯をさして礼を述べられた。おふたりはそのあとひとしきり四方山《よもやま》の話をかわされ、やがて夕暮になって宴はおわり、王都尉は〓馬府に帰ったが、この話はこれまでとする。
さて端王は高〓を近習にもらいうけられてからは、ずっと高〓を御所に寝起きさせられた。高〓はそれ以来端王のお気にいりになって、毎日影のようにお側につきそっていた。それから二月とはたたぬとき、哲宗皇帝が崩御されたが、お世嗣《よつぎ》の太子がなかったので、文武百官は協議して端王を天子の御位に立て、帝号を徽宗《きそう》皇帝と申しあげた。すなわち玉清教主微妙道君《ぎよくせいきようしゆびみようどうくん》皇帝である。ご即位の後しばらくはなんのお沙汰もなかったが、やがて、ある日のこと高〓におおせられた。
「おまえを重くとりたててやりたいと思うが、武功がなければかなわぬこと。そこでひとまず枢密院(軍の最高統帥部)に申しつけて、おまえの名をわたしの車の随行者の列に書き入れさせておいたぞ」
それから半年とたたぬうちに、高〓はたちまち殿帥府太尉(近衛府の長官)の職にとりたてられたのである。これこそまさに、
貴賤を問わない斉雲社
おためごかしの天下円
毬がはずんで高〓出世
手足のわざで大臣さま(注五)
さて殿帥府の太尉となった高〓は、吉日をえらんで殿帥府に着任した。殿帥府所属のすべての公吏《こうり》・衙将《がしよう》・都軍《とぐん》・監軍《かんぐん》・騎兵・歩兵の一同は、みなうちそろってお目通りに参上し、それぞれ手本(注六)をさし出して官姓名を告げた。高殿帥はひとりひとり点検したが、なかにひとり、八十万禁軍(近衛兵)の教頭(武芸師範)王進《おうしん》という男だけがきていない。半月ほど前から病気届を出していて、まだ本復せず、役所に出ていなかったのである。高殿帥は大いに怒ってどなりたてた。
「なんというやつだ! 手本だけ出しておいて、こやつ、お上にたてつきわしの目をごまかそうとの魂胆だ。仮病をつかって家にいるにちがいない。そうそうにひきとらえてまいれ」
とすぐさま人を王進の家へやって、王進をとらえさせた。
この王進という人は、妻はなく、六十を過ぎた老母があるきりだった。さしむけられた牌頭《はいとう》(組頭)は教頭の王進にいった。
「このたび高殿帥があらたに就任され、あなたがお見えにならぬのをおとがめになりましたので、軍正司(軍紀を取り締まる官)から、病気で家にこもっていて、届はちゃんと出ていると申しあげたのですが、高殿帥は腹を立てて、どうしてもほんとうにされず、是が非でもひきとらえてこい、仮病をつかってとじこもっているのだといって聞かれません。どうかちょっとご出頭ください。でないとわたくしまでおとがめを受けることになります」
王進はそういわれて、やむなく病気をおして殿帥府へ出頭し、太尉にお目通りして四拝の礼をおこない、身をこごめて挨拶の口上を述べ、立ちあがって傍に控えた。すると高〓のいうには、
「きさまが、都軍の教頭王昇《おうしよう》の倅だな」
「さようでございます」
と王進が答えると、高〓はどなりつけた。
「このやろう、おまえのおやじは大道で人寄せの棒を使う薬売りではないか。おまえなどに武芸がわかってたまるか。前の長官は目がなかったのでおまえを教頭にとりたてたのだ。よくもこのわしをこばかにして、目通り検分にも出てまいらなかったな。いったい誰の威勢を笠に着て仮病をつかい、家でのうのうと安楽をきめこんでいたのだ」
「そんな大それたことなどとんでもございません。ほんとうにまだ病気がなおりませんので」
「盗っとめ! 病気ならばどうしてこられたか」
「太尉どののおよび出しゆえ、あがらないわけにはまいりません」
高殿帥は激怒して左右のものに命じた。
「こやつを思うぞんぶんぶちのめせ」
牙将《がしよう》(下級の武官)たちはみな王進としたしかったので、軍正司とともにしきりにとりなした。
「今日はご着任のおめでたい日ですから、こんどだけはおゆるしなされますよう」
高太尉は王進にどなりつけた。
「この盗っとめ! みなの顔に免じて今日のところは許してやるが、明日は始末をつけてやるぞ」
王進が、詫びをいってから顔をあげて見ると、なんとそれは、高〓であった。役所の門を出て行きながら、ほっとためいきをついて思うよう、
「こんどは命が危ない、高長官とはどんな人かと思ったら、東京のとりもち屋、円社《えんしや》(蹴毬クラブ)の高二のことか。むかし棒を習っていたころ、うちのおやじにひどく打ちすえられて三四ヵ月も起きることができなかったが、それを根にもって、こんど立身して殿帥府の太尉になったのをさいわい、怨みをはらそうというのだな。しかしあいつの管下《かんか》になろうとは思いもよらなかった。昔から『官《かん》を怕《おそ》れず、ただ管《かん》を怕《おそ》る(注七)』というが、喧嘩をしたって勝てっこはない。いったいどうすればよかろう」
家へ帰っても悶々《もんもん》として思い悩み、母にもうちあけて、ふたりは額《ひたい》をあつめてなげきあうのだった。やがて母親のいうには、
「せがれや、三十六計逃げるにしかずだよ。とはいえ、たよって行くところもないが」
「おっしゃるとおりです。わたしの考えも同じことです。ただ延安府の経略使《けいりやくし》(地方総督)《ちゆう》老相公《しようこう》(相公は敬称)が辺境の地をあずかっておいでです。あの方の部下の軍人で前に都に出てきてわたしの槍術や棒術をみとめてくれた人がたくさんいますから、そこへたよって行きましょう。あそこは人手を求めているところですから、なんとか身をおちつけることができるでしょう」
まさに、
人を用うるの人あれば
人 始めて用を為す
己を恃《たの》み自ら用うれば
人 人の為に送られん
彼の処には賢を得
此の間には重を失う
駆るが若《ごと》く引くが若し
惜しむ可し痛《いた》む可し
母子《おやこ》は相談をきめたが、なお母親のいうには、
「ねえおまえ。ふたりでこっそり逃げるといっても、門にいるふたりの牌軍《はいぐん》(兵隊)が心配だね。あれは殿帥府からおまえの従卒によこされたもの。あれらに勘づかれたら、とても逃げられまい」
「大丈夫です、ご安心ください。うまくやれる方法があります」
そのときはもう夕方だったが、まだ暮れきってはいなかった。王進はまず牌軍の張《ちよう》をよびよせていいつけた。
「おまえはさきに晩飯をすましてくれ。行ってもらいたいところがあるのだ」
「どこへでございますか」
「わしはこんどの病気のために、酸棗門《さんそうもん》外の嶽廟《がくびよう》(東嶽廟)に願掛けをしたのだ。それで明日の朝、お線香をあげに行きたいと思うのだが、おまえ、今晩さきに行って廟の道士に、明日の朝、早く門をあけて待っていてくれるように伝えてほしいのだ。わしがお線香をあげにお参りに行くからとな。わしは劉李王《りゆうりおう》(嶽廟の祭神)さまに三牲《さんせい》(牛豚羊)をお供えするつもりだから、おまえは廟に泊まってわしを待っていてくれ」
張は承知してさきに夕飯をすませ、お休みなさいと挨拶をして、廟へ出かけて行った。その夜母子は荷物をまとめ、衣服や小さい金目のものや銀両《か ね》などを別に一包みにからげ、ほかに食糧袋を二つ用意して馬にくくりつけた。
やがて五更(四時)のころ、まだ夜も明けきらぬうちに、王進はもうひとりの牌軍の李《り》をよび起こしていいつけた。
「この銀両《か ね》を持って嶽廟へ行き、張とふたりで、三牲を買ってよく煮てむこうで待っているように。わしは紙銭《しせん》(注八)や蝋燭を用意してあとからすぐ行くからな」
李は銀両を受けとって廟へ出かけて行った。
王進は自分で馬に装具をつけ、厩からひき出し、食糧袋を乗せて縄でくくりつけてから、裏門のところへひいて行って母親を乗せた。かさばった家財道具はみなそのままにして表にも裏にも錠をかけ、荷物をかついで馬のあとから、夜の明けぬうちにと急いで西華門《せいかもん》をぬけ出し、延安府目ざして道をたどった。
一方、ふたりの牌軍は、供え物を買ってよく煮ながら廟で待っていたが、昼ごろになっても王進がこないので、李がしびれをきらして、家へ帰って行って見ると、戸には錠がかっていて、表からも裏からもはいれない。さんざんさがしまわってみたが、まったく人の気《け》はなかった。あたりは見る見る暮れてくる。嶽廟に残っていた張も、不審に思って馳せもどってき、ふたりでもう一度夕暮れのなかをさがしまわっているうちに、たちまち夜になってしまった。ふたりは、その夜王進が帰ってこず、母親の姿も見あたらないので、翌日はさらに親戚の家をたずねてみたが、なんの手がかりもない。ふたりはまきぞえになることをおそれて、しかたなく殿帥府へ訴え出た。
「王師範は家を捨てて逃亡、母子《おやこ》とも行方がわかりません」
高太尉はそれを聞いてかんかんに怒った。
「盗っとめ、逃げたか。逃げようとしたって逃がすものか」
すぐ公文書を出して諸州各府へまわし、逃亡武官王進をとらえさせることにした。ふたりの訴人はおとがめをゆるされたが、そのことはこれまでとする。
さて王進母子は、東京を離れてから、飢えては食い渇《かわ》いては飲み、夜は泊まり朝には立つという道中をかさねて一ヵ月あまり。ある日のたそがれどき、王進は荷物をかついで馬のあとからついて行きながら、母に話しかけた。
「ありがたいことに、危ういところを逃《のが》れ出られました。ここはもう延安府の近く。高太尉の追手ももう手がとどかないでしょう」
ふたりは大よろこびで、道中つい宿場を通りこしてしまい、夜道を歩きとおしたが、どこにも村里ひとつ見つからず、今夜の宿はどうしたものかと途方に暮れていると、はるかむこうの林のなかに灯火《ともしび》のちらちらするのが見えた。王進はそれを見て、
「しめた。ともかくあそこへ行ってなんとか一夜の宿をたのみ、明日、早立ちすることにしましょう」
さっそく林のなかにはいって見ると、案に相違して大きな屋敷。四方はぐるっと土塀にとりかこまれ、塀の外には二三百本の大きな柳の木がある。さてその屋敷のありさまは、
前は官道に通じ、後は渓岡《けいこう》に靠《よ》る。一週遭《ま わ り》は青縷《せいる》の煙るが如く、四下裏《し ほ う》は緑陰の染むるに似たり。屋角を転ずれば牛羊地に満ち、打麦場《だばくじよう》には鵝鴨群《むれ》を成す。田園広野、負傭の荘客千人あり、家眷は軒昂として、女使児童は計数し難し。正に是れ家に余糧ありて鶏犬飽《あ》き、戸に書籍多くして子孫賢なり。
王教頭が屋敷の前まで行って、しばらく門を叩いていると、やがてひとりの下男が出てきた。王進が荷物をおろして挨拶をすると、
「なんの用でお見えになりましたので?」
と下男がたずねる。王進は、
「じつはわたくしども母子ふたり、道中を欲ばりすぎまして宿をとりそこねました。ここまでやってきましたものの、泊まるところが見つからなくて困っております。それでお屋敷で一晩泊めていただいて、明日早立ちをいたしたいと思うのですが、宿銭はきまりどおり出させていただきますゆえ、どうかよろしくおねがいいたします」
「そうですか、それではちょっとそこでお待ちなさい。大旦那さまにきいてみて、よいとおっしゃればお泊めしましょう」
王進はかさねていった。
「なにぶんよろしくおねがいいたします」
下男は奥へはいって行ったが、しばらくすると出てきて、
「大旦那さまがおふたりにはいっていただくようにといわれました」
王進は母を馬からおろした。それから荷物をかつぎ馬をひいて、下男のあとについてなかの麦打場《むぎうちば》まで行き、荷物をおろして馬を柳の木につないだ。母子ふたりはそこから奥の間へ通って、大旦那に会った。
その大旦那という人は、年は六十を過ぎ、鬚《ひげ》も髪も真白で、頭には塵よけの頭巾をかぶり、身にはゆったりした部屋着をはおり、腰には黒い絹の帯紐をしめ、足にはなめし皮の靴をはいていた。王進がお辞儀をすると、大旦那はあわてておしとめ、
「そうかた苦しくなさらないで。道中いろいろおつかれのことでしょう。まあおくつろぎください」
王進母子が挨拶をして座につくと、大旦那はたずねた。
「あなたがたはどちらからおいでです。どうしてこんなに晩《おそ》くなられたので?」
「わたくしは張と申します。もともと都の者ですが、このごろ資本《もとで》をすってしまって、どうにも首がまわらなくなりましたので、延安府の親戚へたよって行くところなのですが、とんだことに今日は道を欲ばりすぎて宿をとりそこね、一晩お屋敷にご厄介になって明日早立ちしようと考えております。宿銭はきまりどおりお納めいたします」
「かまいませんよ。今の世に家を背負って道中する人もありませんからな。ところでおふたりともお食事はまだでしょう」
と、下男をよんで食事の用意をいいつけた。やがて広間に食卓が出され、下男が盆にお菜《さい》四品と牛肉一皿をのせてきて卓の上にならべ、まず燗酒をついだ。大旦那は、
「田舎のこととてなんのおもてなしもできませんが、どうかあしからず」
という。王進は立ちあがって礼をいった。
「母子でとんだご迷惑をおかけいたしまして、お礼の申しようもございません」
「いやいや、そんなことはおっしゃらずに、どうぞ一杯」
と酒を五六杯すすめ、やがて飯が出た。食事がおわって碗や皿がかたづけられると、大旦那は立ちあがり、ふたりを客間へ案内して休ませることにした。王進が、
「母の乗ってきました馬に、ご面倒ながらかいばをやってくださいませんか。お礼はいっしょにさせていただきますから」
とたのむと、
「おやすいご用です。家にも馬や騾馬《らば》がおりますので、あとで下男にいいつけて、厩へひき入れ、いっしょに餌をやらせましょう」
王進は礼をいい、荷物をかついで客間へ通った。下男はあかりをつけたり、足洗いの湯をはこんできたりした。大旦那は奥へひきとって行った。王進母子は下男に礼をいって部屋の戸を閉め、夜具をのべて寝た。
翌日、夜が明けても起きてこないので、大旦那が客間の前へ行ってみると、なかから王進母子のうめき声が聞こえる。大旦那は、
「お客さん、おそくなりますよ、もう起きなされ」
と声をかけた。王進はそれを聞くと、あわてて部屋をとび出し、大旦那に挨拶をして、いった。
「わたくしはとうに起きております。昨夜来いろいろご厄介をかけまして相すみません」
「あのうめいていらっしゃるのはどなたで」
「じつは母が旅の疲れで、昨夜からさしこみをおこしまして」
「それでしたら、ご心配にはおよびませんから、お母さまにこのまましばらく、わたしの家に逗留してもらえばよいでしょう。さしこみによくきく処方を知っておりますから、下男を県《まち》へやって薬を買ってこさせ、お母さまに飲ませてあげて、気らくにゆっくり養生していただきましょう」
王進は礼をいった。くどい話はぬきにして、その後、王進母子はこの屋敷にとどまって養生をしていたが、五六日たつと、どうやら母親の病気もよくなったので、王進は荷物をまとめて出立しようと思った。その日、厩へ馬を見に行ったところ、庭でひとりの若者が、諸肌《もろはだ》ぬぎになって、しきりに棒を振りまわしている。全身に青竜の刺青《いれずみ》をし、銀の皿のような面《つら》がまえで、年は十八九。王進はしばらく眺めていたが、つい口に出していってしまった。
「なかなかうまい。しかしすきがある。それではほんとうの使い手には勝てぬ」
若者はそれを聞くと、かっとなって、どなった。
「きさまはいったい何者だ。よくもおれの手なみにけちをつけたな。れっきとした師匠七八人についたのだ。きさまなんぞにひけをとるとは思わぬ。おれと一勝負やろうというのか」
ちょうどそこへ大旦那がやってきて、若者を叱りつけた。
「失礼なことをいうではない」
「我慢ならないんだ、おれの棒術を笑いやがって」
と若者はいった。大旦那は王進に、
「お客さんは棒がおできになると見えますな」
「すこしは心得ております。失礼ながら、この若い人はお宅のどういう方です」
「倅なのです」
「お宅の若旦那でしたか。もしお望みなら、わたしが筋目正しく指南してあげてもよいのですが」
「それはねがってもないことです」
そこで大旦那は、若者に師父の礼をするようにといいつけたが、若者は挨拶どころか内心いよいよ怒りたって、
「父さん、こいつはでたらめをいっているんだよ。もしもやつがおれの棒に勝ちでもしたら、そのときには師父の礼をするよ」
王進はいった。
「若旦那、お相手してよければ、ひとつおなぐさみに手合わせしてみましょうか」
すると若者は、庭の真中で棒を風車のようにまわしながら、王進にむかっていった。
「さあこい、おそれるやつは男ではないぞ」
王進は笑っているだけで、相手になろうとしない。すると大旦那が、
「お客さん、うちの小倅に教えてもよいといわれるのなら、ひとつ手合わせをしてやってください」
王進は笑って、
「ご子息を突きたおしでもすると、まずいですから」
「それはかまいません。たとえ手足を折ったにしても自業自得です」
王進は、
「では、ご免」
と、槍架《やりかけ》から棒を一本手にとり、庭へ出てぴたりと身構えた。若者はそれを見ると、棒をとりなおし、王進めがけて突きすすんできた。王進はいきなり棒をひきずって逃げ出す。若者は棒をふりまわしながらさらに追う。と、王進は身をひるがえし空地《あきち》めがけてさっと棒を打ちおろした。空《くう》を切ってくるその棒を若者は自分の棒で受けとめようとしたが、王進は打ちおろさずにさっと手もとに引きもどすなり、若者の懐めがけて突き出し、はねあげると、若者の棒は宙に飛んで身はどっと仰向けざまに倒れた。
王進はいそいで棒をすて、駆けよって扶《たす》けおこしながら、
「失礼しました」
といった。若者ははい起きると、かたわらから腰掛けを持ってきて王進にかけさせ、お辞儀をして、
「わたくしはこれまでいたずらに多くの師匠についてきましたが、みんな先生の半分の力もありませんでした。このうえはぜひとも先生のお教えを仰ぎたく存じます」
王進は、
「わたしたち母子はこちらでずっとお世話になったまま、ご恩返しもできずにいたところです。できるだけお力ぞえいたしましょう」
大旦那はよろこんで、若者に着物を着なおさせてから、みんなで奥の間へ行って席につき、下男に羊を一頭つぶさせ、酒さかな果物なども用意して、王進の母親にもその席にきてもらった。四人がそれぞれの席につくと、大旦那は杯をとって立ちあがり、酒をすすめながらいった。
「あなたのあのお腕前から見ますと、きっと武芸師範の方でございましょう。倅は目がありながら泰山が見えなかったわけです」
王進は笑って、
「その道の者同士にうそはない(注九)とか。わたしはじつは張というのではございません。東京八十万禁軍の教頭、王進という者で、槍や棒を一日じゅうひねくりまわしておりました。ところがこのたび新しく着任した高太尉というのが、昔わたしの父に打ちのめされたことのある男なのです。それがこんど殿帥府の太尉になったので、このわたしに遺恨をはらそうとしたのです。まずいことに、わたしは彼の配下というわけですから、さからうわけにはいきません、それでしかたなく母子ふたりで延安府へ逃げて行って経略使の《ちゆう》相公のもとに身をよせ、そこで仕官でもするつもりのところ、はからずもここであなたがたのおもてなしにあずかり、そのうえ老母の病気まで救っていただいたりして、毎日のお心づくしのほどまことにありがたく存じております。ご子息が稽古をなさりたいのでしたら、身をいれてお教えいたしましょう。ご子息の習われたあの棒は、見てくれの棒術で、しろうとの目にははなやかですが実戦にはなんの役にもたちません。わたしがはじめからご指南いたしましょう」
大旦那はそれを聞いて、
「倅が負けたのももっともなこと。さあ、あらためて弟子としての礼をしなさい」
若者はもういちど王進に礼をした。まさに、
好んで師となれば虚名を負うを患《うれ》う
心服すれば応《まさ》に力をもって争い難し
ただ胸中真《しん》の本事(てなみ)あって
能《よ》く頑劣《がんれつ》をして先生を拝せしむ
大旦那はいった。
「教頭どの。わたしどもは代々この華陰《かいん》県に住んでおります。あれに見えるのが少華山で、この村は史家《しか》村といい、全部で三四百戸、みな史という姓です。この倅は小さい時から百姓仕事がきらいで、槍や棒ばかりやっておりまして、これの母親はいくら意見してもなおらないのを苦に病《や》んで死んでしまいました。わたしは、これの好きなようにさせてやるよりしようがありませんので、たいそうな金をつかって師匠につかせたり、また、上手な刺青《いれずみ》師をやとって刺青をさせたりしました。肩・腕・胸に全部で九匹の竜が彫ってありますので、この県の人たちはみな九紋竜《くもんりゆう》の史進《ししん》とよんでおります。このたびあなたがおいでになったのをさいわい、一人前のやつに仕込んでやっていただきたいものです。お礼はじゅうぶんいたします」
王進は大いによろこんで、
「ご安心ください。そういうことでしたら、わたしもご子息の指南をすませてから旅立つことにいたしましょう」
その日から、酒食をもてなして王進母子を屋敷にひきとめ、史進は毎日王教頭の教えをうけて、武芸十八般の一つ一つをはじめから指南された。十八般の武芸というのは、
矛《てぼこ》・鎚《なげつち》・弓・弩《いしゆみ》・銃(注一〇)
鞭《てつむち》・簡(注一一)・剣・鏈《くさりがま》・〓《なげぼこ》
斧《おの》・鉞《まさかり》に、戈《かぎぼこ》と戟《えだぼこ》
牌《たて》と棒《ぼう》・鎗《やり》、また〓《くまで》
さて、史進は毎日屋敷で王教頭母子をもてなしつつ武芸の指南をうけ、史の大旦那は華陰県の城下へ里正(地方役人。一里の長)のつとめに出たが、そのことはこれまでとして、いつしか月日はたって早くも半年が過ぎた。まさに、
窓外の日光は弾指《たんし》に過ぎ
席間の花影は座前に移る
一杯いまだ進めざるに笙歌送り
階下の辰牌《しんぱい》また時を報ず
半年あまりのあいだに、史進は十八般の武芸を初歩から学んで熟達し、王進の熱心な指南によってそれぞれ奥儀をきわめた。王進は史進の腕が熟達したのを見ると、ここは居心地がよいがいつまでもいてはまずいと考え、ある日、思いたって、暇乞いをして延安府へ立とうとした。だが、史進はどうしても放そうとしない。
「どうかここでお暮らしになってください。わたくしがおふたりに仕えて、一生めんどうを見させていただきます。それがよろしいではありませんか」
「いろいろとご厚意のほどありがとうございます。ここで暮らすのはたのしいのですが、もし高太尉の追手がやってきて、あなたにまでまきぞえをくわせるようなことがあっては、こまります。それが心配なので、やはり延安府へ行って経略使の相公のもとに身をよせ、そこで仕官することにしたいのです。あそこは辺境の守備で人が入用ですから、きっと暮らしをたててゆくことができるでしょう」
史進と大旦那はしきりにひきとめたがとめきれず、しかたなく送別の宴を設け、二疋《ひき》の緞子《どんす》と百両の銀を盆にのせてお礼にさし出した。翌日、王進は荷物をまとめて馬の支度をすると、母とともに史の大旦那に別れを告げ、母を馬に乗せて延安府さして旅路にのぼった。史進は下男に荷物をかつがせて、十里あまりも送って行ったが、なかなかあきらめがつかない。そのとき史進は師匠に別れの挨拶をし、泣く泣くたもとを分かって、下男とともに帰った。王教頭はもとのように自分で荷物をかつぎ、馬のあとについて、母とふたりで関西路《かんせいじ》(函谷関の西の道)をさして行った。
王進が軍に仕官をしに行ったことはさておいて、一方史進は、王進と別れて帰っていらい、毎日ひたすら体をきたえつづけた。年も若く、妻子もなかったので、夜中に起き出して武芸を練ったり、昼は昼で、屋敷の裏で弓を射たり馬を走らせたりした。やがて半年ちかくたって、史進の父親の大旦那は病気になり、幾日も寝たきりになった。史進はあちこちに人をやって医者をよび、治療につとめたが、ついに本復せず、大旦那はあえなく世を去ってしまった。史進は棺をととのえて遺骸をおさめ、僧を招いて法事をいとなみ、七日七夜の追善供養をつとめてその冥福を祈るとともに、道士を招いて祭壇をかざり、父の霊の昇天を祈って、十幾度も祭りをしたすえ、吉日吉時をえらんで葬儀をとりおこない、埋葬をした。全村三四百戸の史家の小作人たちは、みな喪服をつけて葬儀に参列し、村の西の山の上の、先祖代々の墓地に葬った。
史進の家はそれいらい家業を見る者がなくなってしまった。史進は農事にはおかまいなしに、雇い人や下僕をひっぱり出して槍や棒の試合に余念がなかった。
史大旦那が亡くなってから早くも三四ヵ月すぎた六月の中旬の暑い盛りのこと、ある日、史進は所在《しよざい》ないまま、椅子を持ち出して麦打場のわきの柳の木蔭で涼んでいた。むかいの松林から風が吹きぬけてくる。
「ああ、いい風だ。涼しいわい」
と史進は声をあげた。そのときふと見ると、ひとりの男がきょろきょろと外からのぞきこんでいる。史進はどなりつけた。
「こら! 誰だ、そこでおれの家をのぞいているやつは」
ぱっと立ちあがって木立のむこうへ行って見ると、それは猟師の〓兎《ひようと》(あだ名。兎とりの意)の李吉《りきつ》である。史進はまたどなった。
「李吉、おれの家をのぞいてどうしようというのだ。さぐりを入れにきたのか」
李吉はすすみよって、挨拶をし、
「若旦那、わたしはお屋敷のちびの丘乙郎《きゆういつろう》をさがして、一杯やるつもりだったんです。ところが若旦那がここで涼んでござるので、邪魔をしてはわるいと思って遠慮してたというわけで」
「ちょっときくが、以前はおまえはよく獲物をかついでここへ売りにきたろう。おれはいちどもおまえから安くふんだくった覚えはないのに、このごろはさっぱり売りにこないが、どうしてだ。おれに金がないとみくびったわけか」
「とんでもない。このごろはさっぱり獲物がないもんで、それでおうかがいできないのです」
「ばかをいえ! この大きな少華山の、あの広い広いところに、〓《のろ》や兎がいないなんてはずはない」
「若旦那はご存じないのですな。このごろ山には山賊がいついて、山寨《さんさい》をかまえ、五六百人の手下を集め、百頭ばかりの馬を持っているのです。そいつらの一の大王(山賊の親分)は、神機軍師《しんきぐんし》の朱武《しゆぶ》といい、二番目は跳澗虎《ちようかんこ》の陳達《ちんたつ》。三番目は白花蛇《はつかだ》の楊春《ようしゆん》といって、この三人が頭《かしら》になって強盗をはたらくのです。華陰県のお役所でも、やつらには手も足も出ず、三千貫の賞金を出してつかまえさせておりますが、誰もつかまえに行くような者はありません。そんなわけでわたしたちも山へ猟にも行けず、商売もできないというわけなのです」
「山賊のことはおれも聞いてはいたが、やつらがそれほどまでにのさばって人をなやましているとは知らなかった。李吉、こんど獲物があったら取ってくるんだぞ」
李吉は挨拶して帰って行った。史進も家にもどって、つらつら思うよう、
「やつらがのさばっているとすれば、いずれこの村をもさわがせにくるだろう。それならば……」
と、すぐに下男に命じて肥えた水牛を一頭つぶさせ、酒は屋敷でつくったうまい酒があるので、まず紙銭を百枚焼いて神に誓いを立ててから、下男をよびにやって村内三四百戸の史家の小作人たちを屋敷内の草堂に集め、年の順に席につかせて、下男に酒をついでまわらせながら、史進は一同にむかっていった。
「聞けば少華山には、三人の山賊が五六百人の手下を集めて、強盗をはたらいているとのこと。やつらをのさばらせておけば、今にきっとこの村へもおしかけてくるだろう。それで今日はみんなに集まってもらって相談するわけだが、もしやつらがやってきたら、各戸で準備をし、わしの屋敷で拍子木を鳴らしたら、それを合図に、みんな槍や棒をとって馳せつけてもらいたいのだ。みんなの家がおそわれたときにも、同じことで、たがいに助けあって村をまもることにしよう。もし頭目がみずからのりこんできたら、そいつはわしがひきうける」
すると、みなのものはいった。
「わたしたちは小作人ですから、万事若旦那のおいいつけに従います、拍子木が鳴ったらきっと駆けつけてまいります」
その夜は酒のお礼をいってみなはそれぞれ家へ帰り、武器の用意をした。それより史進は門や塀をつくろって屋敷をかため、あちこちに拍子木をおき、装束の準備をし、武器の手入れをして、賊の襲撃にそなえたが、その話はこれまでとする。
さて少華山の山寨では、三人の頭《かしら》が座について協議をしていた。頭目の神機軍師の朱武。この男は定遠《ていえん》の出身で両刀の使い手、武芸の腕はさほどでもないが、兵法に精しく、謀略にたけていた。次の八句の詩は、よく朱武の好処をつたえている。
道服は棕葉《そうよう》を裁ち
雲冠は鹿皮を剪《き》る
臉紅《かおあか》く双眼俊《するど》く
面《おもて》白く細髯《さいぜん》垂る
陣法は諸葛《しよかつ》に方《たぐ》い
陰謀は范蠡《はんれい》に勝る
華山誰か第一なる
朱武 神機と号す
二の頭目は、姓は陳《ちん》、名は達《たつ》。〓城《ぎようじよう》の出身で、出白《しゆつぱく》の点綱鎗《てんこうそう》(とぎすました鋼《はがね》の槍)の使い手。また彼を讃えた詩があっていう。
力健《けん》に声雄《ゆう》に性〓鹵《そろ》(粗暴)
丈二の長鎗撒《はな》つこと雨の如し
〓中の豪傑華陰に覇たり
陳達 人は称す跳澗虎《ちようかんこ》と
三の頭目は、姓は楊《よう》、名は春《しゆん》。蒲《ほ》州解良《かいりよう》県の出身で、大桿刀《だいかんとう》の使い手。また彼を讃えた詩があっていう。
腰長く臂《ひじ》痩せて力誇るに堪えたり
到る処刀鋒《とうほう》乱れて花を撒《ち》らす
華山に鼎立《ていりつ》す真の好漢
江湖に名は播《は》す白花蛇《はつかだ》と
そのとき朱武が陳達と楊春にむかっていうには、
「華陰県の役所では賞金三千貫を出して、おれたちをとらえようとしているとのことだ。やってくれば、たたかわねばなるまいが、それにしては山寨のたくわえは心もとないので、一稼ぎしてきて用立てねばならぬ。兵糧をためこんでおけば、官兵がきたって楽々とたたかえるというものだ」
跳澗虎の陳達がいう。
「そのとおりだ。これから華陰県の役所へおしかけ、まず兵糧を貸せといって、様子をさぐってみよう」
白花蛇の楊春がいう。
「華陰県はまずい。蒲城《ほじよう》県だったらまずまちがいなかろう」
陳達がいう。
「蒲城県は戸数が少なくて、たくわえもたかが知れている。華陰県をやっつける方がとくだ。あそこは人口が多く、たくわえもたっぷりある」
「兄貴は知らんとみえるな。華陰県へ行くとすれば史家村を通らなきゃならぬが、あそこの九紋竜の史進というのは虎のようなやつ。この虎にさわるのは禁物だ。おとなしく通してくれようはずはない」
と楊春がいうと、陳達は、
「おまえはまた、なんと意気地のないことをいう。たかが村一つおし通れんで、どうして官軍とたたかえるか」
「兄貴、あいつをなめてかかってはいかん。あの男はほんとうにすごいんだから」
すると朱武もいう。
「おれもあの男の武勇のほどは聞いた。たしかに腕のたつやつらしい。まあ、行かない方がよかろう」
陳達は荒々しく叫んだ。
「ふたりとも、黙れ。よそのやつをもちあげて、自分にけちをつけるのか。やつだってただの人間、まさか三面六臂《ろつぴ》の化物じゃあるまい。たいしたことはないさ」
そして手下どもにどなりつけた。
「早くおれの馬に鞍をつけてこい。今からすぐ史家村をおしつぶし、それから華陰県を取ってやるんだ」
朱武と楊春はしきりにおしとめたが、陳達は聞かばこそ。さっそく身支度をして、馬にうち乗り、百四五十人の子分を集めると銅鑼《どら》を鳴らし太鼓を打って山をおり、史家村へとおしかけて行った。
一方、史進は屋敷で武器の手入れをしていたが、そこへ下男が注進にやってきた。史進はそれと聞くと、すぐに屋敷の拍子木を打ち鳴らした。屋敷の前後、東西、三四百戸の史家の小作たちは、拍子木の音をきくやいっせいに槍をとり棒をひっさげ、三四百の同勢にかたまってどっと史家の屋敷へ駆けつけた。史進はと見れば、頭には一字巾《いちじきん》(上の平らな頭巾)をかぶり身には朱紅の甲《よろい》をまとい、その上に青錦《せいきん》のうわぎをはおり、下には萌黄の長靴をほき、腰には皮の帯をしめ、胸には前後に、鉄の胸当《むなあて》をつけ、弓一張りに矢一壺、手には三尖《せん》両刃《じん》四竅《きよう》八環《かん》(注一二)をつかんでいる。下男が燃えるような赤毛の馬をひいてくると、史進は馬にうちまたがり、刀をひっつかみ、前には血気さかんな作男三四十人をおし立て、うしろにはもっさりした百姓八九十をひき連れ、さらに、そのうしろには史家の小作人たちを従えて、いっせいに鬨《とき》の声をあげながらすすみ、村の北口に陣をしいた。
かたや少華山の陳達は、人馬をひき連れてどっと山を駆けおりると、手下どもに陣をしかせた。史進が見やれば、陳達は、頭には柿色の凹面巾《おうめんきん》(上面のくぼんだ頭巾)をいただき、身には金いぶしの生鉄《くろがね》の甲《よろい》をまとい、その上には紅色のうわぎをひっかけ、足には吊〓靴《ちようとんか》(爪先のとがった長靴)をはき、腰には七尺の組糸の帯をしめ、丈《たけ》高い白馬にまたがり、手には一丈八尺の点鋼矛《てんこうぼう》(鋼のほこ)を横たえている。手下どもがその両側で鬨の声をあげ、かくてふたりの大将は馬上に相見《あいまみ》えた。
陳達が馬上で史進に目を注ぎ、身をそらせて(注一三)会釈を送ると、史進はどなりつけた。
「汝ら、人を殺《あや》め火を放ち、家をかすめ物をとる、天下の大罪人め。耳があれば聞いてもおろうに、よくもふてぶてしく、鬼門に家を建てる(注一四)ようなまねをしやがるな」
陳達は馬上で答えた。
「おれたちの山寨では兵糧がたりない。それで華陰県へ借りに行こうとして、貴村を通るしだい。路を貸してもらうだけで、草一本も取りはせんから、おれたちを通してくれ。帰りにはきっと礼をするから」
「なにをいう。おれの家は里正をつとめているのだぞ。ちょうどおまえたちをひっとらえに行こうと思っていたところだ。それに今日はおまえたちの方から出てきてわが村を通るというのに、つかまえもせずに通してやってみろ、県に知れたら、こっちがまきぞえをくうわ」
「四海の内はみな兄弟というじゃないか。たのむから路を貸してくれ」
「つべこべいうな。たとえおれが承知しても、承知しないやつがいるんだ。そいつにきいてみるがよい。そいつが承知したら通してやろう」
「誰にきいてみろというのだ」
「おれの手にあるこの刀にだ。これが承知したら通してやろう」
陳達はかっとなって、
「いいかげんにしろ。つけあがりやがって!」
史進も怒り、手にした刀を振りまわしながら馬を飛ばして陳達に挑みかかる。陳達も馬を蹴り槍をしごいて史進に立ちむかう。馬をまじえてたたかうふたりのさまは、
一来一往、一上一下。一来一往、深水に珠に戯むる竜の如き有り。一上一下、却って半巌《はんがん》に食を争う虎に似たり。九紋竜忿怒すれば、三尖刀ただ頂門(みけん)を望んで飛び、跳澗虎嗔《いかり》を生ずれば、丈八の戈《ほこ》心坎《しんかん》(むね)を離れずして制す。好手の中間に好手を逞《たくま》しくし、紅心の裏面に紅心を奪う。
史進と陳達のふたりはしばらくたたかっていたが、やがて史進は隙《すき》を見せて、陳達に自分の胸もとめがけて槍を突っこませた。史進がさっと腰をひねると、陳達は槍もろとも内懐へ突っこんでくる、そのとき、史進は軽く猿臂《えんぴ》をのばし、ゆるく狼腰《ろうよう》をひねりざま、ただ一つかみに陳達を軽々と螺鈿《らでん》の鞍からつまみあげ、絹の腰帯にがっちりと手をかけて、どっとばかり地面に投げつけた。馬だけが疾風のように駆け去って行く。史進は作男たちに陳達を縄でしばらせ、みなのものは手下どもを追いちらした。
史進は屋敷に帰ると、陳達を表の間《ま》の真中の柱にくくりつけ、あとのふたりの頭目をとらえてからいっしょに役所へ突き出して褒美にあずかることとして、まずはみなのものに酒をふるまってからひきあげさせることにしたが、一同は、
「さすがは史の若旦那、たいしたものだ」
と、ほめそやした。
村人たちがよろこんで祝い酒を飲んだことはさておき、朱武と楊春のふたりは山寨でなりゆきを危んでいたが、様子がわからないので、手下をさぐりに出した。と、そこへ空馬《からうま》をひいて逃げ帰ってきた手下が、山寨に走りこんでいうよう、
「えらいことです。陳の兄貴は、おふたりの兄貴のとめるのを聞かなかったため、命を取られます」
朱武がそのわけをたずねると、手下はたたかいの顛末を話し、
「史進の剛勇ぶりにはとても歯がたちません」
「おれのいうことを聞かないものだから、こんなことになったのだ」
と朱武。楊春は、
「おれたちみんなでおしかけて行って、史進と命がけでたたかおうじゃないか」
「それもいかん。あれでさえ負けたのだ。おまえにはとても勝目はない。おれにひとつ、苦肉の策がある。もしこれで救い出せなければ、おれもおまえも命はないのだ」
「それはどういう策だ」
朱武は耳に口をよせて、
「それは、かくかくしかじか……」
「うむ、そいつはうまい考えだ。さっそく出かけよう。ぐずぐずしてはおれん」
さて一方、史進は、屋敷のなかで余憤まださめやらずにいるところへ、作男が飛んできて告げた。
「山寨から朱武と楊春がじきじきやってきました」
「やつら、くたばりに出てきたか。ふたりともいっしょに役所へ突き出してくれよう。すぐに馬をひいてこい」
と、拍子木をうち鳴らすと、村人たちはすぐ集まってきた。
史進は馬に乗って屋敷の門を出かかった。そのとき、朱武と楊春のふたりはすでに徒歩《か ち》で屋敷の前まできていた。ふたりはひざまずいて、両眼に涙をうかべている。史進は馬からおりてどなりつけた。
「なんの用だ。ふたりとも土下座して」
朱武が泣きながらいった。
「わたくしども三人の者は、役人に苦しめられたあげく、やむなく山にはいって盗賊になったのですが、そのとき誓いをたてて、生まれた日こそちがえ、死ぬときはいっしょに死のうと申しあわせました。関《かん》(羽)張《ちよう》(飛)劉備《りゆうび》の義侠にはおよびませんが、志《こころざし》だけはおなじつもりです。今日、義弟の陳達がわたくしたちのいさめを聞かずに誤ってお怒りにふれ、あなたさまの手にかかってお屋敷にとらえられておりますが、命乞いをおねがいするすべもございませんので、いっしょに死ぬためにまいったのでございます。どうかわたくしども三人をいっしょに役所へ突き出して賞金にあずかってくださいますよう。決して見苦しいまねはいたしません。あなたさまのお手にかかって死ぬのは本望で、お恨みなどはいたしません」
史進はそれを聞いて、心のなかで思うよう、
「彼らがこんなに義侠心があるのに、役所へ突き出して賞金にあずかったりなどすれば、それこそ天下の好漢たちから、なさけないやつだと物笑いにされよう。諺にも、虎は腐った肉は食わぬというからな」
そこで史進はいった。
「ふたりともおれについてこい」
朱武と楊春はすこしもためらわずに史進のあとについて行き、奥の座敷の前までくるとそこへひざまずいて史進に縛らせようとした。史進は何度も立つようにいったが、彼らはどうしても立とうとしない。惺惺《せいせい》(賢者)は惺惺を惜しみ、好漢は好漢を識るとか。史進はいった。
「おまえたちがそれほどまで義に篤《あつ》いものを、役所へ突き出してはおれの男がすたる。陳達をゆるしておまえたちに返してやろうか」
朱武がいった。
「あなたさまを、まぎぞえにするわけにはいきません。わたくしどもをひきわたして賞金をおもらいください」
「そんなことはできぬ。それよりも、おれと酒を飲まぬか」
「死をもいといませぬのに、まして、ご馳走なら、よろこんでいただきます」
これをうたった詩がある。
姓名おのおの異《こと》なるも死生同じ
慷慨《こうがい》偏《ひとえ》に多くして計較《けいこう》空し
ただ衣冠(役人)の義侠なきがために
遂に草沢をして奇雄を見《あら》わさしむ
そのとき史進は大よろこびで、陳達の縄を解き、奥の座敷に酒席を設けて三人をもてなした。朱武・楊春・陳達は大恩を拝謝し、酒を幾杯か飲んで酔いのまわったところで席をきりあげ、三人は史進に礼を述べて山へ帰って行った。史進は門まで見送ってひきかえした。
さて、朱武ら三人は山寨にもどって座についた。朱武がいうには、
「あんな苦肉の策を用いなければ、今ごろは命はなかったろう。兄弟ひとりを救い出したわけだが、それにしても史進がゆるしてくれたあの義侠はまことにありがたかった。後日なにか礼物を送って救命の恩のお礼をしよう」
くどい話はぬきにして、十日あまりたってから、朱武ら三人は、金《きん》の延べ棒三十両をととのえ、ふたりの手下を使いに立てて月のない夜の暗がりに乗じて史進の屋敷へとどけさせた。
その夜、初更(八時)のころ、手下が訪ねて行くと、下男がそのことを史進に知らせた。史進は身づくろいをして出てきて、手下にたずねた。
「なんの用だ」
「親分三人には、くれぐれもよろしくとのことで、とくにわたくしを使いに立てて、わずかばかりのものですが、救命のご恩のお礼として持たせてよこされたものでございます。ご辞退なくお納めくださいますよう」
と金子《きんす》をとり出して史進へわたすと、史進はいったんは辞退したが、また心のなかに思うよう、
「せっかくの厚意だから、受けとった方がよかろう」
そこで下男に酒を出させて手下をもてなし、夜ふけまで飲ませてから、小粒の銀をすこしばかり祝儀としてあたえ、山へ帰らせた。
それからまた半月ほどたって、朱武ら三人は山寨で相談したうえ、かすめ取ってきたひとつなぎの大粒の珠を、こんどもまた夜陰にまぎれて手下を遣わし、史家の屋敷へとどけさせた。史進はまたそれを受けとったが、その話はそれまでとする。
それからさらにまた半月ほどたって、史進は思うのだった。
「三人の鄭重な心づくしはありがたいことだ。おれの方からもなにかお返しをしよう」
翌日、下男に仕立屋をさがさせ、自分で町へ出かけて行って紅錦《こうきん》三疋を買ってきて、それで錦のうわぎを三着仕立てさせた。ほかに、よく肥った羊三匹を煮て大きな盒《ふたもの》に入れ、いっしょに、ふたりの下男に持たせてやった。ときに史進の家の頭格《かしらかく》の下男に王四という者がいたが、この男は役所とのかけひきがうまく弁もよくたつので、村の人たちから賽伯当《さいはくとう》(伯唐勝《まさ》り。伯唐は隋末唐初の雄弁家で姓は王)とあだ名されていた。史進はこの男に、力持ちの下男をひとりつけ、盒をかつがせて山の麓まで送らせた。山の手下たちは委細を聞いて彼らを山寨へ案内し、親分にひき合わせた。朱武ら三人の親分は大よろこびで、錦のうわぎと羊や酒などの引出物を受けとり、下男に銀子十両を祝儀としてあたえた。ふたりはそれぞれ十杯ばかり酒を飲み、山をおりて屋敷にもどると、史進にいった。
「山の親分たちがくれぐれもよろしくとのことでございました」
史進はそれからというもの、しょっちゅう朱武ら三人とゆききするようになった。山へとどけ物をするのはいつも王四だった。山寨の親分からもしきりと使いをよこして史進に金銀を送ってきた。
月日は流れて、八月の中秋のころとなった。史進は三人と一席語らいたいと思い、十五夜になったら屋敷へよんで月を見ながら酒をくむつもりで、まず下男の王四に招待状を持たせて少華山へやり、朱武・陳達・楊春を屋敷に招いた。王四は手紙を携えてまっすぐ山寨へ行き、三人の親分に会って手紙をわたした。朱武はそれを見て大いによろこび、三人とも招きに応じて、すぐに返書を書き、王四には心づけとして、銀子四五両をあたえ、酒を十杯ばかりふるまった。王四が山をおりて行くと、いつも贈り物をとどけにくる山の手下にばったり出あった。手下はひきとめて、どうしても放そうとしない。またもや山路のほとりの田舎酒屋にひっぱりこまれて、十杯あまりも酒をあおってしまったのである。やがて王四は別れて帰途についたが、山風に吹かれて歩いているうちに酔がまわってきて、よろよろと千鳥足。十里の道が歩けず、とある林を見つけると、はしりこんで、青々と茂った草の上にどっと倒れてしまった。
ところで、〓兎の李吉はちょうどそのとき、坂の下で兎をねらっていたが、史家の屋敷の王四だとわかったので、林のなかへ駆けこんで行って起こしてみたが、どうしても起きあがらない。とそのとき王四の胴巻のなかから銀子がのぞいているのに気がついたのである。
「こいつ、酔っぱらいやがって、どこからこんな大金をせしめてきたんだろう。ちょっとくすねてやろう」
と李吉は考えた。これまた、天〓星《てんこうせい》が一つに集まる時運がめぐってきて、おのずとこういうきっかけがつくられたというものであろう。
李吉がその胴巻をはずして、地面にむけてぱたぱたとふってみると、あの返書と銀子がこぼれ落ちた。李吉は拾いあげて、すこしは字を読める男なので手紙を開いて見ると、はじめのところには、少華山朱武・陳達・楊春と書いてある。なかほどはかた苦しい言葉でさっぱりわからなかったが、とにかく三人の名前だけはわかった。李吉は、
「こんな猟師稼業では、いつになっても芽が出やしない。易者が、今年はおれには大金に縁があるといったが、それはこのことだったのだ。華陰県の役所ではいま三千貫の賞金であの三人の賊をつかまえさせている。ふといやろうだ、史進のやつめ、いつかおれがちびの丘乙郎をさがしに行ったら、さぐりをいれにきたのかといいやがったが、自分こそ泥棒とつきあってやがったのか」
と、銀子も手紙も盗んで、華陰県の役所へ訴え出た。
さて下男の王四は、二更(夜十時)のころまで眠りほうけてやっと眼がさめた。気がついてみると、月の光がかすかにわが身を照らしている。びっくりしてはね起きたが、どちらをむいても松の木立ばかり。腰のあたりへ手をやってみると、胴巻も手紙もない。あたりをさがして見ると、空《から》の胴巻が草の上に見つかった。王四は「困った、困った」というばかり。そして考えるには、
「銀子《か ね》はまあかまわんとしても、返事の手紙はどうすればよかろう。いったい誰が盗んで行きゃがったのか」
眉根にしわをよせて考えついた一策は、
「屋敷へ帰って返書をなくしたなどといえば、若旦那はきっと怒って、おれを追い出してしまうだろう。いっそのこと返書はなかったといっておけば、まさか調べはすまい」
心を決めると、飛ぶようにして屋敷に帰ったのがちょうど五更(四時)のころであった。王四が帰ってきたのを見て史進はたずねた。
「なんでまた今ごろ帰ってきたのだ」
「旦那さまの余徳にあずかりまして、山寨の三人の親分がどうしてもお放しくださらず、このわたしを夜半までひきとめて飲ませてくださったものですから、それで帰りがおそくなりまして」
「返事の手紙は?」
「三人の親分は、書こうとおっしゃったのですが、わたしが、お三人ともおいでくださるときまったからには、ご返書はいただかなくて結構です、それにわたくしは酒をいただいていますので、途中であやまちでもしでかしてはそれこそ一大事でございますから、と申しましたので」
史進はそれを聞くと、よろこんでいった。
「賽伯当《さいはくとう》といわれるだけのことはあるな。たいした才覚だ」
「へまはいたしません。途中も道草などせず、まっすぐ走って帰ってまいりました」
「そうときまったら、町へ使いをやってつまみものや肴を買いととのえておかなければ」
やがて中秋節となったが、この日はからりと晴れた上天気。史進はその日屋敷の下男たちに大きな羊一頭をつぶさせ、百羽あまりの鶏や鵞《あひる》をしめさせて、酒宴の用意をととのえさせた。ほどなく日も暮れてきた。さわやかな中秋の眺めいかにといえば、
午夜《ごや》初めて長く、黄昏已に半《なかば》にして、一輪の月掛《かか》って銀の如し。冰盤《ひようばん》昼の如く、賞翫正《まさ》に人に宜《よろ》し。清影《せいえい》十分円満《まどか》にして、桂花《けいか》(月)と玉兎《ぎよくと》こもごも馨《かんば》し。簾槞《れんろう》高く捲いて、金杯頻《しき》りに酒を勧め、歓笑して昇平を賀す。年々この節に当たり、酩酊酔《え》いて醺々《くんくん》たり。辞する莫《なか》れ終夕の宴、銀漢露華新《ろかあらた》なり。
さて、少華山の朱武・陳達・楊春の三人の親分は、手下どもに山寨の守りをいいつけ、わずか四五人を供にしたがえて、朴刀《ぼくとう》(鞘のない長柄の鈍刀)をひっさげ、腰刀《ようとう》をたばさみ、馬にも乗らず、徒歩《か ち》で山をおり、まっすぐ史家の屋敷へとやってきた。史進は出迎えて、たがいに挨拶をかわしてから、奥の庭へ請じいれる。屋敷のなかにはすでに酒宴の用意ができあがっていた。史進は三人の親分に上座をすすめ、みずからはそのむかいの席で相伴《しようばん》した。やがて下男に屋敷の表裏の門に閂《かんぬき》をかけさせ、かくて酒盛りとなった。屋敷内の下男たちは、かわるがわる酒を注ぎ、また羊の肉をさいてすすめた。やがて杯が幾たびか乾《ほ》されたころ、東の空に一輪の明月がさしのぼった。
桂花海〓を離れ、雲葉天衢《てんく》に散ず。彩霞《さいか》万里を照らして銀の如く、素魄《そはく》天に映じて水に似たり。影は曠野に横たわって、独宿の烏鴉《うあ》を驚かせ、光は平湖に射して、双棲の鴻雁《こうがん》を照らす。冰輪《ひようりん》展出す三千里、玉兎平呑す四百州。
史進が三人の親分と奥庭で酒をくみ、中秋の月を賞《め》でつつ四方山話《よもやまばなし》にうち興じていると、とつぜん、塀の外でどっと喊声が起こり、松明《たいまつ》がいり乱れて輝いた。史進はびっくりして、ぱっと立ちあがり、
「お三人、しばらくそのままで。わたしが見てきます」
そして、下男たちにむかって叫んだ。
「門を開けてはならぬぞ」
梯子をとり出し、塀の上に乗り出して眺めると、なんと、華陰県の県尉が馬にうちまたがり、ふたりの都頭《ととう》をひき従えて、三四百の土民兵でぐるりと屋敷をとりかこんでいるのだった。史進と三人の親分はあっとばかり息をのんだ。外には松明の光に照らされて、鋼叉《こうさ》・朴刀・五股叉《ごこさ》・留客住(袖がらみ)などが麻の林のように並んでいる。
ふたりの都頭が叫んだ。
「強賊を逃すな!」
この一群の人々が、史進と三人の親分をとらえにやってきたために、やがて史進がまずふたりの者を殺《あや》め、十数人の好漢と交わりを結ぶようになるのであるが、ただそれのみにとどまらず、さらには天〓地〓の星々をいっせいに相会さしめ、はては蘆花深きあたりに兵士を屯《たむろ》させ、荷《はちす》の葉かげに戦船《いくさぶね》を浮かべしめることとなるのである。ところで史進と三人の親分はいかにしてここを逃れ出るか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 宣武軍 宣武は唐末におかれた軍の名で、〓梁の治安を任とした。宋では軍は行政区画の名で、郡を州と呼び、州を軍と呼んで全国を三十九軍に分けた。
二 員外 定員外の官で、多く金持が金でこの官を買ったことから、たんに金持のことを員外と呼ぶこともあった。
三 小蘇学士 蘇轍のこと。蘇洵を老蘇、蘇軾を大蘇、蘇轍を小蘇という。蘇軾・蘇轍は蘇洵の二子。
四 羊脂玉 羊の脂のような色をした半透明の美しい玉《ぎよく》。
五 貴賤を問わない…… この歌は意訳したが、原文を読みくだせぱ、
貴賤に拘らず斉雲社
一味摸稜の天下円
高〓を抬挙す毬の気力
全く手脚の権に当たるを会するに憑る
六 手本 下官がその上官に見《まみ》えるとき、または門下生がその師に見えるときに、名刺を貼った表装帖を提出する。これを手本といった。
七 官を怕れず、ただ管を怕る 官(役人)はこわくはないが、その管(手口。やりくち)がこわい。同音の「官」と「管」とを地口《じぐち》にした諺。
八 紙銭 銭を形どった紙で、これを焼いて神前に祈る。楮銭、冥鈔、冥紙などともいう。
九 その道の者同士にうそはない 原文は奸不廝欺、〓不廝瞞。悪人同士はあざむきあわず、粋人同士はだましあわぬの意。
一〇 銃 時代から見て小銃ではなく、(銃という字の本義は斧《おの》の柄を受けるところであるから)おそらく斧の一種であろう。
一一 簡 鉄鞭の一種で、刃のない四つの稜角を持ったもの。またと書く。
一二 三尖両刃四竅八環 三尖両刃は、諸刃《もろば》で先が三つに分かれた刀。刀というよりも日本の薙刀《なぎなた》に似る。四竅八環は刀の柄の飾りをいったもので、幾つも穴があって飾り紐を通したり環《かん》をはめたりして飾る。
一三 身をそらせて 原文は欠身。上体をそらせて姿勢を正すことによって礼とする。これを欠身という。
一四 鬼門に家を建てる 原文は太歳頭上動土。太歳は木星のことで、凶星とされている。木星のあらわれる方向に面して土を動かし家を建てると災禍がおこるという迷信。
第三回
史大郎《したいろう》 夜華陰県《かいんけん》を走《のが》れ
魯提轄《ろていかつ》 拳《こぶし》もて鎮関西《ちんかんせい》を打つ
さて、そのとき史進はいった。
「こいつはどうしたらよかろう」
朱武ら三人の親分はひざまずいて、
「兄貴、あなたは潔白なお方。わたくしたちのまきぞえになってはなりません。縄でわたしたち三人をしばりあげ、突き出して賞金をもらってください。そうすればまきぞえにならずにすみます」
「そんなことはできん。それではわしが賞金をもらうためにあんたたちをおびきよせてつかまえたことになって、天下の笑いものになる。わしは死ぬにしても生きるにしても、あんたたちといっしょだ。さあお立ちなさい、気をしずめて、策をこうじましょう。まずどうしてこんなことになったか、そのわけをきいてみよう」
史進は梯子にのぼってきいた。
「おふたりの都頭どの。なんでまたこんな夜ふけにわしの屋敷へおしかけてみえた」
ふたりの都頭はいう。
「若旦那、まだごまかそうとなさるのか。訴人の李吉がちゃんとここにいますぞ」
史進はどなりつけた。
「こら李吉、おまえはどうして、罪もない者に罪を着せやがるんだ」
「わしはなにも知らなかったのだが、林のなかで王四の持っていた返書を拾って、ちょっと役所の前で読んだのさ。それでばれてしまったんだよ」
史進は王四をよびつけて、
「おまえは返書はないといったがあったんじゃないか」
「それは、つい酔っぱらって返書のことを忘れておりまして」
史進は大声でどなりつけた。
「畜生。どうしてくれよう」
外にいる都頭たちは、史進の腕をおそれて、屋敷のなかへ踏みこんでまで捕えにはこない。三人の親分は手で合図していう。
「外の連中へ応対を」
史進は心得て梯子の上から大声でいった。
「おふたりの都頭どの。おさわぎにならず、しばらくお待ちください。わたしがこの手でふんじばり、お上へわたして、賞金にあずかりましょう」
ふたりの都頭は史進がこわいので、しかたなく承知した。
「われわれは別に事を荒らだてようとは思わぬ。あんたがふんじばってから、いっしょに賞金をもらいに行きましょう」
史進は梯子をおりて座敷へひきかえすと、まず王四をよび、裏庭へ連れて行って一刀のもとに斬ってしまい、下男たちに命じて、屋敷じゅうのあらゆる金目《かねめ》のものを急いでとりまとめさせるとともに、三四十本の松明《たいまつ》に火をつけさせた。
屋敷のなかでは、史進と三人の親分が甲《よろい》に身をかため、槍架《やりかけ》から腰刀《ようとう》をとって腰にさし、朴刀《ぼくとう》をひっさげ、股立《ももだち》をとり、裏の藁小屋に火を放ち、下男たちはそれぞれ、荷物をからげおわる。外では、屋敷に火の手があがったのを見ると、いっせいに裏手へ駆けつけた。
さて史進は、こんどは母屋《おもや》に火を放ち、表門をあけ広げると、喊声をあげて斬って出た。史進は先頭に立ち、朱武と楊春が中央に、陳達が後《しんがり》にひかえ、手下や下男たちとともに、おしすすみ突きすすみ、縦横無尽に斬りまくった。史進は名にし負う猛虎、敵する者はひとりもない。燃えあがる焔を背にして一路を斬り開きながら突進して行くおりしも、ふたりの都頭と李吉に出くわした。史進は見つけると激怒した。ここで会ったが百年目、というわけ。ふたりの都頭はとてもかなわぬと見て、身をひるがえして逃げる。李吉も身をかえそうとしたが、それよりも早く、浴びせかけた史進の一刀。李吉は真っ二つに斬られてしまった。ふたりの都頭も、いっさんに逃げて行くところを陳達と楊春に追いつめられ、それぞれ朴刀のもとに相果ててしまった。県尉はびっくりして、馬を飛ばして逃《のが》れ去る。土民兵たちは立ちむかえようはずもなく、てんでんに、命からがら行方《ゆくえ》も知らず逃げ散って行った。史進は一同をひきいて、なおも斬りすすんで行ったが、官兵はあとを追うどころか、それぞれ散り失せてしまった。
史進と朱武・陳達・楊春、ならびに下男たちは、少華山上の山寨にはいり、腰をおろして一息ついた。朱武らは山寨につくと、すぐに手下に命じて牛馬を屠《ほふ》らせ、祝宴を開いたが、その話はこれまでとする。
何日かたって、史進は考えた。
「つい、三人を救おうとして、火をつけて屋敷を焼いてしまい、こまごました金目のもののほかは家財道具いっさい灰にしてしまった……」
思案のあげく、いつまでもここにいてもしようがあるまいと、ついに、朱武たちにうちあけた。
「わしの師匠の王教頭は関西の経略府につとめておられる。わしは前からたずねて行こうと思っていたのだが、父が死んだために行かれなかったのだ。このたび屋敷も財産もなにもかもなくなってしまったので、これから出かけて行ってみようと思うのだが」
朱武ら三人の者は、
「兄貴、それはおよしなさい。もうしばらく山寨で暮らしてもらって、それからまたご相談することにしましょう。もし兄貴が盗賊がおいやなら、ほとぼりがさめてから、わたしどもで新しく屋敷を建てて、もとの良民にもどっていただけるようにしますから」
「あんた方の厚意はまことにありがたいが、わしはどうしても行きたいのだ。師匠をたずねて行くのは、そこで立身の道をもとめてたのしく世を送りたいからだ」
朱武がいう。
「それなら兄貴、ここで山寨の主になるのも、おもしろいですよ。小さな山寨で兄貴には不足かも知れぬが」
「わしは清浄潔白な人間だ。両親からさずかった身体を汚すことはできぬ。盗賊になれなどとは二度と口にしてくれるな」
なお幾日か滞在したのち、史進はどうしても行くといって、いかに朱武らがひきとめても聞かない。そして、連れてきた下男たちはみな山寨にのこしてただひとり、わずかばかりの小銭を用意し、包みひとつを作って、あとの物はみな山寨にあずけた。かくて史進は、頭には白い大きな范陽《はんよう》の氈帽《せんぼう》を(注一)かぶり、帽子には小さな赤い纓《ふさ》を結び、帽子の下には紺色の抓角《そうかく》の軟頭巾《なんとうきん》(まる頭巾)をかぶり、首には黄色い縷帯《ろうたい》(くびまき)をまき、身には白麻の襟高の戦袍《せんぽう》をまとい、腰には寄せ編みの赤い組紐《くみひも》の帯をしめ、青と白の縞《ひも》の脚絆《きやはん》をつけ、耳《ち》の多い丈夫な麻わらじをはき、円鍔《まるつば》の鴈〓刀《がんれいとう》(薄刃の刀)を腰にさし、包みを背負い、朴刀をひっさげて、朱武ら三人に別れを告げた。手下のもの一同はみな山をおりて見送り、朱武らも別れの涙をながして、山寨へ帰って行った。
さて史進は、朴刀をひっさげて少華山をあとに、関西街道を延安府さして行ったのである。
崎嶇《きく》たる山嶺、寂莫たる孤村。雲霧を披《ひら》いて夜は荒林に宿り、暁月を帯びて朝は険道を登る。落日に〓行《さんこう》して犬の吠ゆるを聞き、厳霜に早促《そうそく》して鶏の鳴くを聴《き》く。
道中、史進は飢えては食《くら》い、渇いては飲み、夜には泊まり、暁にはたつという旅の習いをかさねて、ただひとり、半月あまりの旅をつづけて渭《い》州に着いた。ここにも経略府があるので、師匠の王教頭がおられはすまいかと、史進が城内へはいって行って見ると、ここもなかなか立派な町。そのうちとある小路の入口に一軒のささやかな茶店のあるのが目にとまり、史進はつとはいって行って席についた。給仕が、
「お茶はなににいたしましょうか」
とたずねた。
「煎茶をもらおう」
給仕が茶をいれて史進の前におくと、史進はたずねた。
「ここの経略府はどこだ」
「すぐそこです」
「それじゃ、経略府に、東京からこられた王進という教頭がおられるかどうか知らないか」
「お役所にはたくさん教頭がいらっしゃいまして、王という姓の方も三四人見えますが、さあ、どの方が王進という方ですやら」
その言葉のおわらぬうちに、ひとりの巨漢がずかずかと茶店のなかへはいってきた。史進がその男を見れば、武官らしいようすである。そのいでたちはといえば、
頭は芝麻羅《しまら》(胡麻色の薄絹)の万字頂頭巾(頂上が卍《まんじ》になった頭巾)に裹《つつ》み、脳後《うしろ》には両個の太原《たいげん》府の紐糸《ちゆうし》の金環(結びどめの金の環)、上には一領の鸚哥緑《おうかりよく》(濃い緑《みどり》)の紵糸《ちよし》の戦袍(麻の軍衣)を穿《うが》ち、腰には一条の文武双股の鴉青《あせい》の〓《とう》(紺の帯紐)を繋《か》け、足には一双の鷹爪皮《ようそうひ》の四縫の乾黄靴(四すじの縫目の黄色の長靴)を穿《うが》ち、生得(生まれつき)面《かお》は円《まる》く耳は大きく、鼻は直《なお》く口は方《ほう》(四角)、腮辺《さいへん》(あご)には一部の貉《かくそう》の〓鬚《こしゆ》(むじなひげ)、身《み》の長《たけ》は八尺、腰の闊《まわり》は十囲《かかえ》。
その男が茶店にはいってきて腰をおろすと、給仕は史進にむかっていった。
「旦那さま、王教頭をおたずねなら、あの提轄《ていかつ》(注二)どのにきかれたらよくご存じでしょう」
史進は急いで立ちあがり、礼をしていった。
「お役人、どうぞこちらでお茶を召しあがってください」
男は、史進の長大魁偉でいかにも好漢らしい風貌を見ると、すぐやってきて礼をかえし、ふたりは席についた。史進がいう。
「たいへんぶしつけでございますが、お名前はなんとおっしゃいましょうか」
「わしは経略府の提轄で、姓は魯《ろ》、名前は達《たつ》といいます。ところで兄《あに》さんは?」
「わたくしは、華州華陰県の者で、姓は史、名は進と申します。じつはおうかがいしたいことがあるのですが、わたしの師匠で、東京八十万禁軍の教頭、姓は王、名は進という方、この方が当地の経略府におられませんでしょうか」
「兄《あに》さん、もしやあんたは史家村の九紋竜の史大郎さんじゃありませんか」
史進は礼をして、
「いかにもさようです」
魯提轄も急いで礼をかえして、いった。
「聞きしにまさるというが、あんたはまったくそのとおりだ。ところであんたのさがしておられる王教頭というのは、東京で高太尉に憎まれなすった王進どののことではありませんかな」
「そうです、その人です」
「わしも名前は聞いているが、あの人はここにはおられん。わしの聞いたところでは延安府経略使の《ちゆう》老相公のところで仕官しておいでだとか。この渭州をあずかっておられるのは経略使の小相公(の若さま)だから、あの人はここにはおられませんよ。ところで兄《あに》さんが史大郎さんとわかったからには、かねて聞きおよんだご高名に対して、どうです、町へ行って一献《いつこん》さしあげたいのだが」
魯提轄は、史進の手をひっぱって茶店を出ながら、ふりかえって給仕にいった。
「茶代はわしにつけておけ」
「よろしいですとも。いつでも結構です」
ふたりは肩に手をかけあって外へ出た。往来へ出て四五十歩ばかりいくと、一群の人が空地《あきち》により集まっている。史進がいった。
「兄貴、ちょっと見てみよう」
人だかりをおしわけて見ると、なかにひとりの男がいて、十本ばかりの棒を手にしている。地面には十あまりの膏薬を皿に盛り、紙札(売り物であることを示す)がはさんである。つまり、人寄せに槍や棒を使う薬売りであった。史進が見れば、なんとそれは、史進の最初の手ほどきをした師匠、打虎将《だこしよう》の李忠《りちゆう》ではないか。史進は人垣のなかから声をかけた。
「お師匠さん、しばらくでした」
李忠がいう。
「やあ、あんた、どうしてここへ見えた?」
魯提轄が、
「史大郎さんのお師匠さんなら、いっしょに行って一献やりましょう」
「わしは膏薬を売って銭をもらわんことには、提轄どのとごいっしょにはまいれません。それまでちょっと」
「待ってなどおられるもんか。行くのなら、すぐいっしょに行こう」
「これはわしの飯の種だから、そうはいかん。提轄どの先に行ってくだされ。わしはあとからうかがいますから。史進、あんたも提轄どのといっしょに先に行ってくれ」
魯達はいらいらして、見物人たちをおしのけながらののしった。
「このろくでなしやろうども、さっさと行ってしまわんとおれが痛い目にあわせてやるぞ」
みなは、それ魯提轄だと、わっとばかりに逃げてしまった。李忠は魯達の乱暴さにむっとしたが、それは口には出さず、苦笑して、
「まったく短気な人じゃ」
そしてさっそく道具や薬の袋をとりまとめ、槍や棒はあずけて、さて三人がぶらぶらとやってきたのは、州橋《しゆうきよう》のたもとの潘《はん》という有名な料理屋。門前には目じるしの竹(注三)をかかげ、酒の旆《のぼり》がはたはたと空にひるがえっている。なかなか立派な酒屋で、それはちょうどつぎの詩のよう。
風は払い烟は籠めて錦旆揚《きんはいあ》がる
太平の時節 日初めて長し
能く壮士の英雄の胆に添い
善く佳人の愁悶の腸を解く
三尺暁に垂る楊柳の外
一竿斜に挿す杏花《きようか》の旁《かたわら》
男児未《いま》だ遂げず平生の志
且《しばら》く楽しむ高歌して酔郷に入るを
三人は潘料亭へあがり、きれいな一室をとって席についた。魯提轄が上座、李忠がそのむかい、史進は下座《しもざ》に坐った。給仕は挨拶をして、客が魯提轄だとわかると、
「提轄さま、酒はいかほどお持ちいたしましょう」
「まず四角(一角は約五合)持ってこい」
給仕はつまみものや肴をならべながら、たずねた。
「お菜はなんになさいます」
「うるさい。あるものなんでも持ってこい。金はまとめて払ってやるから。つべこべとよくしゃべるやつだ」
給仕はひきさがると、すぐ燗をして持ってきた。つまみものや肉料理もどんどんはこんできて、卓いっぱいにならべた。
三人がはや酒も何杯か飲み、四方山話から槍術のあれこれへと話に花を咲かせていると、隣の部屋から、誰かの泣いている声が聞こえてきた。魯提轄はいらいらして、いきなり皿や杯を床の上にぶちまけた。給仕が物音を聞いてあわててやってきて見ると、魯提轄がぷんぷん怒っている。給仕はもみ手をしながら、
「お客さま、なにがお入り用なのでしょうか。おっしゃっていただけばお持ちいたします」
「なにもいるもんか。おまえはおれを知っておりながら、なぜまた、隣の部屋でなにやつかをぴいぴい泣かせて、おれたち兄弟の酒盛りの邪魔をさせるのだ。おれがいちどでもおまえに酒代を借りたことがあるとでもいうのか」
「まあそう怒らないでください。わたしがどうしてまた、わざと人を泣かせて旦那のお酒の邪魔などいたしましょう。あの泣いているのは、酒の座をとりもつ流しの歌うたい父子《おやこ》なのでして、旦那がたがここでお酒を召しあがっているとは気がつかずに、ふと悲しくなって泣いたのでございましょう」
「それはまたどうしたわけだ、その者をここへよんでこい」
給仕がよびに行くと、やがてふたりがやってきた。前には十八九の女、後に五六十くらいの老爺が拍板《はくばん》(木片をつないで作った拍子《ひようし》をとる楽器)を持ってあらわれた。女はそれほどの縹緻《きりよう》でもないが、それでもどこか人目をひく面立ちで、
〓鬆《ほうそう》たる雲髻《うんけい》(くずれた髻《まげ》)には、一枝の青玉の簪児《かんざし》を挿し、〓娜《じようだ》たる繊腰(たおやかな腰)には、六幅の紅羅の裙子を繋《まと》う。素白の旧衫《きゆうさん》は雪体を籠《つつ》み、淡黄の軟襪《なんべつ》は弓鞋《きゆうあ》を襯《は》く。蛾眉緊《きび》しく蹙《しか》めて、汪々たる涙眼は珍珠を落し、粉面《ふんめん》低く垂れて、細々たる香肌は玉雪を消す。若し雨病雲愁(注四)に非ずんば、定めて是れ憂いを懐《いだ》き恨みを積めるならん。
女は涙を拭きながら前にすすみ出て、しとやかにお辞儀をし、老人も挨拶をした。魯達はたずねた。
「おまえたちはどこの者だ。またいかなるわけがあって泣いていたのだ」
女のいうには、
「ぶしつけながら申しあげます。わたくしは東京の者で、父と母といっしょに親戚をたよって渭《い》州にまいったのでございますが、きてみればその親戚は思いがけなくも南京へ引越していたのでございます。母は宿屋で病《やまい》にかかって亡くなり、父とふたりで、このあたりをさすらいながら人さまのお世話になっておりましたところ、この土地のお金持で、鎮関西《ちんかんせい》の鄭《てい》大旦那という方が、わたくしに目をつけられ、仲人をよこして妾になれと無理じいなさったのでございます。それがまた、三千貫の証文を書かせておきながら、お金はただの一文もくださらず、わたくしの身体をひきとって行かれたのですが、行ってから三月とたたないうちに、むこうの奥さまがそれはひどい人で、いっしょには暮らせないといってわたくしをたたき出したうえ、宿屋の主人に持ちこんで例の空《から》証文の身代金《みのしろきん》三千貫を返せとせまられます。父は気が弱くて、とても争いなどできず、それにむこうはお金持で勢力もあります。もともと一文ももらっていないお金を、いま返すあてなどありませんし、どうすることもできませんので、幼いとき、父が仕込んでくれた小唄で、この料亭へきて、席のとりもちをして毎日わずかのお金をいただいては、大方は返済の方へまわし、残りの金でわたくしども親子が口すぎをしておるのでございます。それがこの二三日はお客さまもあまりお見えになりませんし、返済の期限もきれてしまいましたので、催促にやってこられたらどんな目にあわされることやらと、あれこれふたりで思い案じながら、すがるところもなく、それで泣いていたのでございますが、思いがけなく旦那さま方にご迷惑をおかけいたしまして、なにとぞおゆるしくださいますように」
魯提轄はかさねてたずねた。
「おまえはなんという姓で、どこの宿屋に泊まっている? そしてその鎮関西の鄭大旦那というのはどこに住んでいる?」
老人が答えて、
「わたしの姓は金《きん》といいまして、兄弟順は二番目、この娘の幼名《おさなな》は翠蓮《すいれん》と申します。鄭大旦那というのは、この町の状元《じようげん》橋のほとりで肉屋をやっている鄭さんのことで、あだ名を鎮関西というのです。わたしたち親子は、ついそこの東門内の魯《ろ》という宿屋に泊まっております」
魯達はそれを聞くと、
「ふん、鄭大旦那とはどこのどなたかと思ったら、なんだ、豚殺しの鄭のことだったのか。あんちくしょう、うちの経略使の《ちゆう》の若さまのおひきたてで、肉屋をやらせてもらっているくせに、そんなに人をいじめてやがったのか」
そしてふりかえって李忠と史進にいった。
「あんたたちはこのまま、ここで待っていてください。おれはあいつを打ち殺しに行ってくるから」
史進と李忠は抱きとめながら、
「兄貴、まあ、そう怒らずに、明日にしたらいいじゃないか」
何度もいさめて、思いとまらせた。
魯達はまたいった。
「おやじさん、おれが路銀をあげるから、明日にでも東京へ帰ったらどうだね」
親子ふたりのいうには、
「もし郷里へ帰していただけますなら、あなたさまこそわたくしどもの命の親、救いの神でございます。ただ宿屋の主人が放してくれそうにもありません。鄭の大旦那はわたくしたちから金を取りたてるように主人におしつけておりますので」
「それはかまわん。わしにはちゃんと考えがあるから」
そして、ふところから五両ばかりの銀子をとり出して卓の上におき、史進の方を見ていった。
「わしは今日は、すこししか持ちあわせがないんで、お持ちなら貸していただきたい。明日返しますから」
「おやすいことで。返してなどいただかなくて結構ですよ」
と史進は包みから十両の錠銀をとり出して卓においた。魯達は李忠を見ていった。
「あんたも貸してくださらんか」
李忠はふところから二両あまりの銀子をとり出した。魯達は見て、あまりすくないのでいった。
「やっぱり、冴えん人だ」
魯達は銀子十五両だけを金老人にわたして、いいふくめた。
「おまえさんたち、これを路銀に持って行って、荷物をまとめなさい。わしが明日の朝行って、おまえさんたちを旅に出してやるからな。宿屋のおやじなんかにひきとめさせはせんて」
金老人と娘は伏し拝んで礼をいい、立ち去って行った。
魯達は二両の銀子を李忠に投げ返し、三人でまた二角ばかり酒を飲んでから、階下へおりて行って、
「おやじ、酒代は明日おれがとどけるからな」
主人は腰を低くしていう。
「提轄さま、かまいませんとも。どうかたくさん召しあがってください。これからもごひいきにねがいます」
三人は潘料亭を出て、往来で別れ、史進と李忠はそれぞれの宿屋へ帰って行った。
さて魯提轄は経略府前の下宿に帰って部屋にはいると、晩飯も食わずにぷりぷりしたまま寝てしまい、下宿の主人もよりつけないしまつ。
ところで金老人は例の十五両の銀子をもらって宿にもどると、娘を休ませておいてから城外の遠くまで出かけて行って、車を一台さがしておき、帰ってきて荷物をとりまとめ、宿賃を払い、薪代米代の勘定もすませて、あとはただ、あすの日のあけるのを待つばかり。その夜は事もなく、翌朝五更のころに起きて、親子ふたりはまず火をおこし、飯をたいて食べ、すっかり用意をととのえた。と、夜も明けそめたころ、魯提轄がずかずかと宿屋にはいってきて大声でよばわった。
「やい、若いもの。金老人の部屋はどこだ」
店の若いものが、
「金さん、提轄さまがたずねて見えたよ」
と声をかけると、金老人は、部屋の戸をあけて、
「提轄さま、どうぞはいっておかけください」
魯達は、
「かけてなどおられん。さあ、出かけるならはやく出かけなさい。ぐずぐずしているときじゃない」
金老人は娘を連れ、荷物をかつぎ、提轄に礼を述べて門を出て行こうとした。すると店の若いものがさえぎって、
「金さん、どこへ行く」
「宿賃が残ってるのか」
と魯達がきくと、若いものは、
「いいえ、うちの勘定は昨夜すっかりもらいましたが、鄭大旦那の身代金《みのしろきん》がまだなのです。うちにおしつけられて、見はっておりますわけで」
「肉屋の鄭の金はおれが払うから、この爺さんを郷里へ帰してやれ」
若いものはどうしても承知しない。魯達は怒って、五本の指を拡げて若いものの顔に平手打ちをくわせた。打たれた若いものは口から血を吐く。そこをまた、拳骨を固めてさらに一打ちし、前歯二三本をへし折った。若いものははい起きるなり一目散に店のなかへ逃げかくれる。宿の主人もとめに出てくるどころではない。
金老人親子はあたふたと宿屋をはなれ、町を出、昨日さがしておいた車の方へ行った。
魯達は、宿屋の若いものがあとを追いかけてひきとめるかも知れぬと思い、店のなかから腰掛けを持ってきて、およそ二時《ふたとき》ばかりも坐りこみ、もう金じいさんも遠くへ逃げたろうと思われるころになって、ようやく腰をあげ、まっすぐに状元橋へとやってきた。
さて肉屋の鄭の店は、二方構えで、肉切台が二つあり、豚肉が四つ五つぶらさがっている。ちょうど鄭は入口の帳場に坐って十人あまりの肉切り小僧のあきないぶりを見ていた。魯達が店先へやってきて、
「おい、肉屋」
とよんだ。肉屋の鄭が見ると、魯提轄なので、あわてて帳場から出てきて挨拶をし、
「提轄さま、失礼をいたしました」
と、いいながら、小僧に腰掛けを持ってこさせ、
「提轄さま、どうぞおかけください」
魯達は腰をおろして、
「経略使相公のご用だが、赤身《あかみ》の肉を十斤こま切れにしてくれ。脂身《あぶらみ》がすこしでもまじってはならんぞ」
「承知いたしました。おい、おまえたちすぐ赤身のところを十斤切ってさしあげよ」
すると魯提轄はいった。
「あんなうすぎたないやつらにさせずに、おまえが自分で切れ」
「ごもっともで。わたしが、お切りいたします」
鄭は自分で肉切台のところへ行き、十斤の赤身を選んで細かく賽の目にきざんだ。
そのとき宿屋のあの若いものが手拭いで頬かぶりをして、金老人の一件を注進にやってきたが、魯達が肉切台の前に坐りこんでいるのを見て、近よることもできずに、遠くの家の軒下に立って眺めていた。
一方肉屋の鄭は、まる半時もかかってきざみおわると、蓮の葉に包んでいった。
「店のものに届けさせましょう」
「届けるって? まあ、待て。もう十斤いるのだ。脂身だけで、赤肉がすこしでもまじってはならんぞ。やはりこま切れにしてくれ」
「今のは赤身で、お屋敷では肉饅頭にでもお使いなさるのでございましょうが、脂身のこま切れはなににお使いなさるので?」
魯達は目を剥《む》いていった。
「相公からそうおおせつかったんだ。誰が聞きかえせるものか」
「ご用のものならば、わたくしがおきざみいたします」
鄭はまた、十斤のよく肥えた脂身を選んで細かく賽の目にきざみ、蓮の葉でつつんだが、そのときにはもう朝の時間はすっかりつぶれてしまって、飯のおわるころになっていた。そのあいだ、れいの宿屋の若いものは、もちろんよりつけなかったし、肉を買いにきたお客たちも近よれずにいた。肉屋の鄭はいった。
「店の者に持たせて、お屋敷へおとどけいたしましょう」
「もう十斤、こまかい軟骨を、これもこま切れにしてくれ。肉がすこしでもまじってはならんぞ」
肉屋の鄭は笑って、
「わたしをなぶろうとなさるのですな」
魯達はそれを聞くと、ぱっと立ちあがり、二包みのこま切れを手につかんで、肉屋の鄭をにらみすえた。そして、
「なぶりにきてやったのさ」
といいざま、二包みのこま切れをその真向《まつこう》に投げつけた。まるで肉の雨が降ったよう。肉屋の鄭はかっとなって二すじの怒気が足の裏から脳天へ突っ走り、胸もとの無明《むみよう》の業火《ごうか》がめらめらと燃えあがっておさえきれず、肉切台の上から一本の骨切り庖丁をひったくるなり、ぱっと跳《おど》り出した。魯提轄ははやくも往来へとびのいている。隣り近所の人や十人あまりの店のものは、誰ひとりとめに出るものはない。通りがかりの人々はみな足をとめ、れいの宿屋の若いものも仰天して茫然としていた。
肉屋の鄭は、右手に庖丁をかまえ、左手で魯達につかみかかって行ったが、魯提轄はえいとばかり、その左手をおさえつけ、相手の内懐に飛びこむがはやいか、下腹めがけてぐんと一蹴り、どっとばかりに往来に蹴倒した。魯達はさらに一歩踏みこんでその胸板を踏んづけ、どんぶりほどもあろうかという大拳骨をふりあげて肉屋の鄭をにらみつけながら、
「おれは以前、経略使の《ちゆう》老相公にお仕えしていたが、関西五路の廉訪使(注五)にでもなったら、それこそ鎮関西だ。ところがおまえはただの肉屋、普通も同然なやつのくせになにが鎮関西だ。よくも金翠蓮をゆすったな」
と、ぽかりと拳骨をくらわせると、鼻柱を真向から殴りつけたものだからたまらない、血がとび散り鼻はぐしゃっとおしつぶれて、まるで味噌醤油屋の店開き。〓《しよつぱ》いのや酸《す》いのや辣《から》いのやがどっといちどに溢れ出た。肉屋の鄭はもがいても起きあがることができず、庖丁もかたわらにころがったまま、ただ口で、
「よくも殴ったな」
とわめくばかり、魯達はどなりつける。
「こん畜生、まだつべこべいうか」
と、拳骨をふりあげ、目のふちのあたりをがんと一打ちすると、まなじりが切れて目の黒玉が飛び出し、こんどはまた呉服屋の店開きのよう。赤いのや黒いのや桃色のやがどろどろと溢れ出す。道の両側の野次馬たちは魯提轄をおそれて誰もとめに出ようとするものはない。肉屋の鄭はたまりかね、ついに音《ね》をあげてゆるしを乞うた。魯達は、
「やい、このならずもの。おれととことんまでやらぬかぎり、ゆるしてやるものか。きさまがいくらゆるしてくれといったって、おれは承知せん」
またも一発。ちょうどこめかみに命中したので、施餓鬼の大法要がおこなわれたように、磬《けい》だの〓《はち》だの鐃《によう》だのがいっせいに鳴りひびく。魯達が見ると、肉屋の鄭は地面にのびたきりで、口からはただ吐く息ばかり、吸いこむ息はなく、身動きもしない。
「こいつ、死んだ真似をしやがって。もう一発くれてやろうか」
と魯提轄はわざといったが、見ればしだいに顔の色がかわってくる。
「思いきり痛い目を見せてやるつもりだったのだが、拳骨三つでほんとにお陀仏させてしまったぞ。こいつは裁判沙汰になりそうだ、といっておれには差入れなんかしてくれる者はないし、いっそ早いことずらかった方がよさそうだ」
魯達はそう思案をきめると、さっさとその場を離れながら、ふりむいて肉屋の鄭の死体を指さし、
「死んだ真似をしやがって。あとでまたゆっくり相手になってやろう」
悪態を吐きながら、つかつかと大股に立ち去って行く。隣り近所のものも、肉屋の店のものも、彼をつかまえに飛び出すものはひとりもない。
魯提轄は下宿へ帰ると、急いで衣服や路銀や小銭などをかき集めて、古着やかさばった道具類はそのまま残し、身の丈ほどの棒を一本ひっさげて南門を飛び出すなり、一目散に逃げ去った。
肉屋の鄭の家の人たちはしばらく介抱したが、鄭はついに息を吹きかえさずあの世へ行ってしまった。女房は近所の人とともに、すぐに州の役所へ訴え出た。おりしも府尹《ふいん》は役所に出ていて、訴状を受けとって読みおわると、
「魯達は経略府の提轄をつとめる身、勝手に身柄を逮捕するわけにはいかぬ」
と、ただちに轎《かご》で出かけて、経略府の前でおりた。衛門の兵士が奥へ知らせると、経略使は聞きいれて彼を殿上へ通した。
府尹の挨拶を受けてから経略使はたずねた。
「どういうご用向きで」
府尹はかしこまっていった。
「申しあげます。じつは、ご配下の提轄の魯達が、故もなく拳《こぶし》をふるって町の鄭なる者を殴《なぐ》り殺しました。独断でその身柄を逮捕することもできませぬゆえ、御意《ぎよい》をえに参上いたしました次第でございます」
経略使はそれを聞いてびっくりし、心のなかに思うよう、
「あの魯達という男は武芸はよくできるが、惜しむらくは気性が荒らっぽい。人殺しをしたからには、かばってやることもかなわない。裁きを受けさせるほかはなかろう」
そこで経略使は府尹にこういった。
「魯達という男は、もともとわたしの父の経略使のもとで武官をつとめていたのですが、当方が手不足なために連れてきて提轄にしてやったものです。しかし、人殺しの大罪を犯したからには、捕えて法に照らしてお裁きください。ただ、罪状が明らかとなって判決がきまったときには、ぜひ父に知らせてから処断していただきたいのです。でないと、後日父のところで、あの男が要《い》るというようなときに具合がわるいので」
「かしこまりました。よく取り調べまして、経略相公にお知らせしたうえで断罪いたします」
府尹は、経略使に挨拶をしてひきさがり、役所の前で轎に乗って州の役所へ帰り、登庁してただちに当直の緝捕使臣《しゆうほししん》(官名。罪人の捕縛を司る)をよび、公文書を出して犯人魯達の捕縛方を命じた。そのとき公文書を受けとったのは王という観察《かんさつ》(緝捕使臣の尊称)であったが、二十人あまりの捕手《とりて》を引き連れて魯提轄の下宿へ行った。と、出てきた下宿の主人のいうには、
「つい今し方、ちょっとした包みを背負い短棒をひっさげて出て行かれましたが、わたしはお役目でお出かけとばかり思っていましたので、たずねもいたしませんでした」
王観察はそれを聞くなり、魯達の部屋の戸をあけさせてみたが、そこにはただ着古した衣服と夜具があるだけ。王観察は下宿の主人とともにあちこちをさがしまわり、町のなかを東西南北くまなくたずねたが見つからなかった。そこで王観察は両隣の者と下宿の主人を州の役所へ同行して復命した。
「魯提轄には罪をおそれて逃亡し、行方がわかりません。下宿の主人と隣家の者を連行してまいりました」
府尹はひとまず、彼らを拘留しておくように命じる一方、肉屋の鄭の家の隣人たちを拘引させ、また検屍役人をさしむけて、地もとの役人や里正《りせい》に、再三検屍をさせた。それがすんでから、肉屋の鄭家では棺をととのえて納棺をすまし、なきがらを寺へあずけた。
府尹はまた文書を作り、期限をきって犯人逮捕の捕手《とりて》をさしむけ、原告は保証して家へ帰らせた。隣人たちは見殺しにしたというかどで棒打ちの罰、下宿の主人とその隣家のものは、届け出ぬとはふとどきであるとお叱りを受けた。逃亡している魯達に対しては、緊急逮捕のお触れ書きをまわして諸方に網を張り、賞金一千貫がかけられ、魯逮の年齢・原籍・人相書が所々方々へはり出された。こうして関係者一同は保釈され、肉屋の鄭の一族は喪に服したが、そのことはこれまでとする。
さて魯達は、渭州をはなれてからは、あたふたと東へ逃れ西へ走り、そのさまは、
群を失《はな》れし孤雁、月明を趁《お》って独自《ひとり》天に貼《つ》いて飛び、網を漏れし活魚、水勢に乗じ身を翻し浪を衝いて躍る。遠近を分かたず、豈《あに》高低を顧みんや。心忙《いそが》しくして路行く人を撞倒《とうとう》し、脚快《はや》くして陣に臨める馬の如き有り。
魯達はあたふたと幾つもの州を通ったが、まさに「逃げるには路をえらばず、いずこもみな臥床《ふしど》」であった。昔から「饑《かつ》えては食をえらばず、寒《こご》えては衣をえらばず、慌《あわ》てては路をえらばず、貧しくては妻をえらばず」などというが、魯達も心あわただしく、しゃにむに道を急ぎ、何処へ行ったらよいものかわからずに、むやみに半月あまり歩きまわったが、やがて代州の雁門県にたどりついた。城内へはいって見ると、なかなかにぎやかな町。人家むれつどい、車馬駆けめぐり、ありとあらゆる商《あきない》・物売り、どんなものでもないものはなく、まことに整然として、県城ではあるが州や府にもまさるありさま。魯提轄は歩いて行くうちに、ふと、大勢の人々が辻をふさいで高札を読んでいるのが目についた。見れば、
肩を扶《よ》せ背を搭《の》ばし、頸《くび》を交え頭を並べ、紛々として賢愚を弁ぜず、擾々《じようじよう》として貴賤を分かち難し。張三は蠢胖《しゆんばん》(でぶ)にして、字を識らず、ただ頭を揺《ふ》り、李四は矮〓《わいざ》(ちび)にして、別人を看るにまた脚を蹈む。白頭の老叟は、尽《ことごと》く拐棒《かいぼう》(つえ)を将《もつ》て髭鬚《ししゆ》を〓《ささ》え、緑鬢《りよくびん》の書生は、却って文房を把《と》って款目《かんもく》を抄《うつ》す。行々総《すべ》て是れ蕭何《しようか》の法、句々倶に律令に依って行わる。
魯達は、人々が高札を読んで、辻をいっぱいにふさいでいるのを見ると、自分も人垣のなかへもぐりこんで行って、耳をそばだてた。魯達は字が読めないので、人の読むのを聞いてみると、
代州雁門県告示。太原府指揮使司の命によってここに布告する。渭州より差し廻しのお達しにより、肉屋の鄭某を殴り殺したる下手人、もと経略府の提轄、魯達なる者を逮捕すべし。犯人を家にかくまって宿舎・食事の便をあたえたる者は犯人と同罪とみなす。また犯人を捕縛して連行したる者、あるいは当局へ犯人についての情報を提供したる者に対しては、賞金一千貫を支給すべし。
魯提轄がここまで聞きとったときである。うしろから大声でよびかけた者があった。
「張さん、どうしてここへ」
と、腰を抱きかかえながら辻からひっぱって行ったが、この男が彼を見つけてしゃにむにひっぱって行ったために、やがて魯提轄は頭をまるめ鬚を剃って人殺しの名を変え、諸仏羅漢をなやまし、さらにはまた、禅杖《ぜんじよう》をふるって危い道を切り開き、戒刀《かいとう》によってよからぬ輩を薙ぎ殺すことと相なる次第。ところで魯提轄をひきとめたのは誰であったか。それは次回で。
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一 范陽の氈帽 范陽は地名。また陽よけとする説もある。氈帽は毛織りの帽子。
二 提轄 軍の指揮官で、また地方の治安警察などの職務を兼ねた。宋代各州郡にこの官を置く。
三 目じるしの竹 原文は望竿。ここでは酒屋の看板の酒ばやし(第四回注一〇参照)をいう。
四 雨病雲愁 雲雨の病愁の意。雲雨は男女の性交をいう。つまり雨病雲愁とは、恋わずらい。
五 廉訪使 経略使直轄の官で、各路に一人、その地方の治安・警備の監察にあたる。はじめは走馬承受といい、のち廉訪使とあらためられた。
第四回
趙員外《ちよういんがい》 重ねて文殊院《もんじゆいん》を修《おさ》め
魯智深《ろちしん》 大いに五台山《ごだいさん》を鬧《さわ》がす
さてそのとき魯提轄がふりむいて見ると、ひきとめたのは、ほかでもない、かの渭《い》州の料亭の二階で救ってやった金老人なのだった。老人は魯達を人気《ひとけ》のないところまでひっぱって行くと、
「恩人さま、あなたはまあなんと大胆な。現にあんなにはっきりと高札がかかげられて、あなたさまには一千貫の賞金がかけられているというのに、出かけて行ってそれを見なさるとはどうしたことです。もしこのわたしがお見かけしなかったら、役人にひっくくられるところでしたぞ。高札にはあなたさまの年恰好から顔かたちや原籍が書いてあるのですよ」
「じつをいうと、おまえさんのことで、おれはあの日状元橋のたもとまでひきかえして行って、肉屋の鄭に会い、拳骨三つであいつを殴り殺してしまってな、そのために逃げているのだ。四五十日ものあいだずっと逃げまわっているうちに、ついここへきてしまったのだが、おまえさんはまたどうして東京《とうけい》へ帰らずにこんなところへやってきたのだね」
「お話しいたします。あなたさまに救っていただいてから、わたしは車を一台さがして、それで東京へ帰るつもりでいたのですが、もしあいつが追いかけてきたら、こんどは救ってくださるあなたさまもおられぬからと思いまして、そこで東京の方へはむかわずに北の方へやってきましたところ、都での古い馴染みでこちらへ商売にきている男にふと出あったのです。その男はそのままわたしたち親子をここへ連れてきて、いろいろと面倒を見てくれたうえ、娘の仲人に立って、ここの大金持の趙員外《ちよういんがい》の妾にとりもってくれました。おかげでいまは豊かな暮らしをさせてもらっておりますが、それというのもひとえにあなたさまのおかげ。娘もいつもあなたさまの大恩を旦那に話しておりますが、その員外も槍や棒が好きで、どうかしていちどあなたさまにお会いしたいものだ、お目にかかる便りはなかろうかなどとうわさ申しあげておるようなしだいでございますが、なにはともあれ、ここはしばらくわたしの家へおいでいただいて、そのうえなんとかよい分別でも考えることにいたしましょう」
魯提轄はそこで金老人について行ったが、半里も行かぬうちにもう門口についた。と、老人は簾をあげてよんだ。
「おい、魯提轄さまがお見えになったよ」
すると、あの娘が奥からあでやかなよそおいで出てきて、魯達を上座にすすめ、うやうやしく六拝の礼をして、
「恩人さまに救っていただきましたおかげで、今日このようにしておられるのでございます」
魯達が娘を見れば、前とはうって変わったその風情《ふぜい》。
金釵《きんさ》斜めに挿《かざ》して、烏雲《ううん》(くろかみ)に掩映《えんえい》し、翠袖《すいしゆう》巧みに裁《た》って、軽く瑞雪《ずいせつ》(雪の肌)を籠《つつ》む。桜桃《おうとう》の口は浅く微紅を暈《ぼか》し、春筍《しゆんじゆん》の手は嫩玉《どんぎよく》を舒《の》ぶ。繊腰嫋娜《じようだ》として、緑の羅裙《らくん》微かに金蓮《きんれん》(あし)を露《あら》わし、素体軽盈《けいえい》にして、紅き綉《しゆうおう》、偏《ひとえ》に玉体に宜《かな》う。臉《かお》は三月の嬌花を堆《つ》み、眉は初春の嫩柳を掃《はら》う。香肌撲〓《ぼくそく》たり瑶台《ようだい》の月、翠鬢籠鬆《すいびんろうそう》たり楚岫《そしゆう》の雲。
女はお辞儀をしおわると、
「どうぞ二階の方でおくつろぎくださいませ」
「いや構わんでください。わしはすぐ失礼します」
「せっかくおいでいただいたのに、お帰しはいたしません」
老人はそういって棒と荷物を受けとり、二階へ請じあげて席につかせた。そして娘にいう。
「おまえお相伴をしていてくれ、わしは飯の用意をしてくるからな」
「なにもしないでくれ。ありあわせで結構だよ」
「提轄どのの大恩は、命でつぐなってもつぐないきれません。ちょっとばかしのおもてなしなど知れたことです」
娘は魯達を二階にひきとめて腰を落ちつかせた。老人は下へおりて行って、雇いいれたばかりの小者をよび、女中に火をおこすようにいいつけてから、小者を連れて町へ行き、魚・若鶏・粕漬けの家鴨・酢《す》のもの・季節の果物などを買って帰ると、酒を用意し、お菜をととのえ、あれこれ手早くあんばいして、二階へはこび、食卓の上に、杯三つ、箸三組、野菜料理や果物やお菜などをならべ、女中が銀の銚子に燗をして持ってくると、親子ふたりはかわるがわる酒をすすめた。金老人は床の上にひれ伏して魯達を拝《おが》んだ。
「ご老人、そんなに大層なことをされては、おれが困ってしまいますよ」
と魯提轄がいうと、金老人は、
「いや、お聞きください。こちらへまいりましてからは、あなたさまの紅い位牌(生きている人を祭る)をつくり、朝晩お香をたいて親子ふたりでずっと拝んでまいったのでございます。今日は、そのあなたさまがお見えになったのです。どうして拝まずにいられましょう」
「それはまたなんともありがたいお志で」
三人はゆるゆると酒をくみかわし、やがて日暮れ近くなった。と、階下でなにやらさわがしい音が聞こえた。魯提轄が窓をあけてのぞいて見ると、なんと、下では二三十人の男どもがてんでに白木の棍棒を持ってわめいている。
「ひきずり出せ!」
そのなかの馬に乗ったひとりが、大声で叫んだ。
「あの賊を逃がすな!」
魯達はまずいことになったと、腰掛けをひっつかんで二階から投げつけようとした。金老人があわてて手をふりながら叫んだ。
「みなさんお待ちください」
老人が二階から駆けおりて騎馬の役人の傍《そば》へ行き、ふたことみことなにかいうと、役人は笑い出して、二三十人の男たちを帰らせてしまった。みなが帰ってしまうと、役人は馬をおりて家にはいってきた。老人によばれて魯提轄がおりて行くと、その役人はいきなり平伏していった。
「会うは聞くにまさるとか。義士、提轄どの、どうかわたくしの礼をお受けください」
魯達は金老人にたずねる。
「このお役人はどなたで。お目にかかった覚えもないのになんでわしに平伏なさる」
「これがそれ、娘の旦那の趙員外さまなので。さっきのは、わたしがどっかの若い男をひき入れて二階で酒をもてなしていると思って、下男を連れて殴りこみに見えたのですが、わたしがわけを話しましたので、みなをひきあげさせなすったわけで」
「そういうことだったのか。員外どのの気持はわかる」
趙員外はあらためて魯達を二階へあげてかけさせた。金老人は杯盤をととのえてまた酒食をもてなす。趙員外が魯達に上座をすすめると、魯達は、
「それはいけません」
「いささかながらわたしの敬意のしるしです。提轄どのの武勇のほどは、かねがね承っておりますが、はからずも今日お目にかかれましたのは、このうえもないしあわせです」
「わしはただのがさつ者で、それに死罪まで犯した身、もし員外どのがこんな男でもかまわずにおつきあいしてくださるならば、わしにできることならなんでもやらしてもらいます」
趙員外は大いによろこんで、肉屋の鄭を殴り殺した一件を聞いたり、四方山話《よもやまばなし》をしたり、槍術を論じたりして、夜半まで酒をくみかわしたすえ、それぞれ眠りについた。
翌日、夜があけると趙員外はいった。
「ここでは安心しておられませんから、わたしの屋敷へ行ってゆっくりお泊まりください」
「お屋敷はどちらで」
「ここから十里あまり先の七宝《しちほう》村というところです」
「それはありがたい」
趙員外はまず屋敷へ人をやって馬を二頭ひいてこさせた。昼前に馬がくると、員外は魯提轄を馬に乗せ、下男に荷物をかつがせた。魯達は金老人親子に別れを告げて趙員外とともに馬に乗り、ふたりはくつわを並べて話をしながら七宝村へとむかった。やがて屋敷について、馬からおりると、趙員外は魯達の手をとって草堂へ案内し、賓客の席につけて、羊をつぶし酒を出してもてなし、夜は客間をとりかたづけて休ませ、翌日になるとまた酒食をととのえてのもてなし。魯達は、
「員外どのにこんなにまでしていただいては、わしはご恩のかえしようもありません」
「四海の内はみな兄弟といいます。ご恩がえしなどいりません」
さて、くどい話はぬきにして、魯達はそれより趙員外の屋敷に泊まって五六日たったが、ある日、ふたりが書院で話をしていると、金老人があたふたと屋敷へ駆けつけ、書院へ通って趙員外と魯提轄に会い、あたりに人気のないのをたしかめて、魯達にいった。
「恩人さま、これは取り越し苦労で申しあげるのではございません。先日わたくしどもの二階でお酒を召しあがっていただきましたとき、員外さまが人の知らせを聞きちがえられ、下男たちをひき連れて一騒ぎなさいましたが、それがあっけなくやめになったために世間ではふしんに思っていろいろとうわさを立て、昨日なども役人衆が三四人やってきて、隣り近所をきびしくたずねまわっておりましたから、こちらへ捕手がのりこんでこないともかぎりません。もしものことがあったら、たいへんでございます」
「それなら、わしはすぐ出て行くことにしよう」
趙員外のいうには、
「もし提轄どのをおひきとめすれば、いざこざ(注一)がおこって、提轄どのから怨まれるような羽目にならぬともかぎらないし、そうかといっておひきとめしなければ、どうにもわたしの顔がたたない。そこでわたしに一つの思案があるのです。そうすれば、提轄どのには万に一つのまちがいもなく、安全に難を逃れられるわけですが、ただ提轄どのが承知してくださるかどうか」
「わしは死罪の追われもの。身をおく宿がありさえすれば結構で、なんだって聞きます」
「それならば好都合。じつはここから三十里ほどのところに五台《ごだい》山という山があるのです。その山頂の文殊院《もんじゆいん》というのは、もと文殊菩薩の道場だったのですが、この寺に五六百人の僧侶がおります。その筆頭の智真《ちしん》長老というのはわたしと兄弟づきあいのあいだがらです。わたしの先祖が前にこの寺へ金を喜捨したことから、わたしは施主《せしゆ》・檀那《だんな》ということになっているのです。わたしはかねてから誰かひとり出家させてこの寺に入れたいと思い、五花度牒《ごかどちよう》(注二)もちゃんと買ってあるのですが、あいにくこの心願をかなえさせてくれるだけのたよりになる人がいなくて、いまだにそのままになっています。もし提轄どのが承知してくださるなら、費用はいっさいわたしがおひきうけしますから、ほんとうに剃髪して出家になられませんか」
魯達は考えた。
「出て行くといってもどこへ行くというあてもなし、いっそのことそうしてみようか」
そこでいった。
「員外どのがお世話してくださるなら、よろこんで坊さんになりましょう。よろしくおねがいします」
その場で話はきまり、夜どおしかかって衣服や路銀、贈り物の反物などをとりまとめて荷づくりをし、翌日は早く起き、下男にそれをかつがせてふたりは五台山へと道をとり、昼ごろには早くもその麓についた。魯提轄が五台山を眺めると、うわさにたがわぬ立派な山である。
雲は峰頂を遮り、日は山腰を転《めぐ》る。嵯峨《さが》彷彿として天関に接し、〓〓参差《しゆつりつしんし》として漢表《かんぴよう》(天の川)を侵す。巌前の花木春風に舞って、暗《ひそ》かに清香を吐き、洞口の藤蘿《とうら》宿雨を披《あ》びて、倒《さか》しまに嫩線《どんせん》を懸く。飛雲の瀑布、銀河の影は月光に浸して寒く、峭壁《しようへき》の蒼松、鉄角鈴《てつかくれい》(つるくさ)は竜尾を揺《ゆる》がして動く。山根雄峙《ゆうじ》す三千界、巒勢《らんせい》高く〓《ささ》ぐ幾万年。
趙員外と魯提轄の二台の轎《かご》は、山頂へとかきあげられて行った。下男をさきに知らせにやって、やがて寺の門前につくと、寺の都寺《つうす》・監寺《かんす》(注三)たちが迎えに出た。ふたりは轎をおりて山門外の亭《あずまや》にはいって休んだ。寺内の智真長老は、知らせをうけると首座《しゆそ》(注四)や侍者などを従えてみずから山門の外まで出迎えにきた。趙員外と魯提轄が歩みよって礼を捧げると、智真長老は合掌の礼をして、
「施主どの、遠路ご苦労さまでした」
趙員外はいう。
「いささかおねがいの儀があってお邪魔にあがりました」
「員外どの、まず方丈でお茶でも」
趙員外がさきに、魯達はそのあとからついて行ったが、見れば文殊院はまことに立派なお寺で、
山門は翠嶺を侵し、仏殿は青雲に接す。鐘楼は月窟《げつくつ》と相連《あいつら》なり、経閣《きようかく》は峰巒《ほうらん》と対立す。香積《こうしやく》の厨《くりや》は一泓《おう》の泉水を通じ、衆僧の寮は四面の烟霞を納《い》る・老僧の方丈は斗牛《とぎゆう》(注五)の辺、禅客の経堂は雲霧の裏《うち》。白面の猿は時々に果《このみ》を献じ、怪石を将《もつ》て木魚《もくぎよ》を敲嚮《こうきよう》す。黄斑の鹿は日々に花を啣《ふく》み、宝殿に向かって金仏に供養す。七層の宝塔は丹霄《たんしよう》(天空)に接し、千古の聖僧は大刹《たいせつ》に来る。
そのとき真《しん》長老は員外と魯達を方丈に案内した。長老が員外を賓客の席につけると、魯達はすぐその下手《しもて》へ行って禅椅《ぜんい》に掛けた。員外は魯達をよんでその耳もとでいう。
「あなたはここへ出家しにおいでになったのですから、長老さまの真正面に坐ってはなりません」
「おっとそいつは迂闊《うかつ》でしたわい」
魯達は立ちあがって、員外の脇にひかえた。前には首座《しゆそ》・維那《いの》・侍者・監寺《かんす》・都寺《つうす》・知客《しか》・書記《しよき》たちが東西両班(注六)に分かれて順次に立ち並んだ。下男たちは轎をかたづけると、いっせいに箱を方丈へはこびいれて、そこへならべた。長老はそれを見て、
「またまたご進物にあずかりますとは。寺ではひとかたならず施主どののお世話になっておりますのに」
「ほんの粗品で、お礼をいっていただくほどのものではありません」
寺男や小坊主たちがその品をとり納めると、趙員外は立ちあがっていった。
「堂頭《どうとう》(住持)の大和尚さまに申しあげます。わたくしはかねてよりひとつの心願をたてておりまして、誰かひとり出家させてお寺に入れたく思い、度牒も詞簿《しぼ》(起誓書)もととのえながら、いまだはたせずにおりましたところ、このたびわたくしのいとこで姓を魯といい、もと関西で軍籍にありました者が、世をはかなんで出家遁世したいとの由、なにとぞお受けいれいただき、お慈悲をもって、わたくしに免じて出家させていただきとうございます。必要なものはいっさいわたくしが用意いたします。もしおききとどけくださいますならば、このうえもないしあわせに存じます」
「この因縁はわたしの寺にとっても光栄なことです。よろしいとも。まあ、お茶をどうぞ」
小坊主がそこへ、茶を持ってきた。茶がすんで、茶碗や茶托がかたづけられると、真長老はすぐ首座と維那をよんで、魯達の剃髪得度《とくど》のことをとりはからわせ、そして監寺と都寺にはお斎《とき》の用意をいいつけたが、そのとき首座は僧侶たちとこっそり相談していうよう、
「あの男は出家らしくはなく、ずいぶんすごい目つきをしているな」
「知客どの、あなたはお客をむこうへ案内して休んでもらいなさい。わたしたちは長老さまに申しあげてみるからな」
知客は出て行って、趙員外と魯達を客間に案内して休ませた。首座と僧侶たちは長老に申すよう、
「さっきのあの出家したいという男は、立居振舞《たちいふるまい》もよろしくなく、顔つきも兇悪です。得度させることは、およしになった方がよいと思います。あとで当山にわざわいをおよぼしそうですから」
「あの男は趙員外檀越どのの縁者ゆえ、不義理なことはできぬ。おまえたち、そう疑ぐるものではない。わたしが今うかがってみよう」
と、ひとつまみの香を焚いて、長老は、禅椅にあがって膝を組んで坐り、咒文を唱えて定《じよう》(坐禅)にはいった。やがて香ひとつまみが燃えつきたころ、長老は定《じよう》をおわり僧侶たちにむかっていった。
「必ず得度をさせるように。この人は上は天の星に応じて心は剛直、今でこそ荒くれ者でわるいめぐりあわせにいるが、やがては清浄になって非凡な悟りを開き、おまえたちのおよびもつかぬ者となろう。わたしの言葉をよく心にとめて、とやかく申すではない」
首座は心に思った。
「長老さまはえこひいきだ。しかしいわれるままにするよりほかない。諫《いさ》めないのはよくないが、諫めても聞きいれてくださらぬのだからしかたがない」
長老は斎《とき》を用意させて、趙員外らを方丈でもてなし、それがすむと、監寺が単帳《たんちよう》(儀式の目録)をつけた。趙員外は銀子をとり出し、人をやって材料を買いととのえさせる一方、寺内では僧鞋《そうあい》・僧衣《そうえ》・僧帽《そうもう》・袈裟《けさ》その他の仏具などを作らせた。
二三日して準備がととのうと、長老は吉日良時をえらび、鐘をつき太鼓をうたせて全山の僧を法堂に集めた。うちそろった数百人の僧は、みな袈裟をかけて法座の下にすすみ、合掌礼拝して東西の列に並んだ。趙員外は銀子・供物・お香をとり出し、法座にむかって拝礼し、願文を読みあげた。それがおわると小坊主が魯達を法座の下に連れて行く。維那は魯達に頭巾をとらせ、頭髪を九つにわけて束ね、指の叉《また》にはさんで持ちあげると、浄髪人《そ り て》がまずまわりからはじめてすっかり剃り落とし、さらに鬚《ひげ》を落とそうとした。すると、魯達がいった。
「こいつは残しておいてもらいたいのだが」
僧侶たちはくすくすと笑い出した。そのとき真長老は法座の上からいった。
「一同の者、偈《げ》を聞け」
そして、偈を念じた。
寸草留めず、六根清浄《ろつこんしようじよう》なり。汝のために剃除《ていじよ》し、争競《そうきよう》を免《まぬか》れ得しむ。
長老は偈を念じおわると、
「咄《とつ》、すっかり剃り落とせ」
と大喝した。浄髪人がただ一剃りに剃り落とす。すると、首座が度牒を法座の前に高くさしあげて、長老に法名を賜わらんことを請うた。長老は法名のところが空欄になっている度牒を手に取り、偈を唱えていう。
霊光一点、価値千金なり。仏法広大、名を智深《ちしん》と賜う。
長老が法名を授けおわって、度牒をさげもどすと、書記の僧がこれを度牒に書きこんで、魯智深に納めさせた。長老はさらに法衣袈裟を授けて智深につけさせる。監寺が智深を法座の前へ連れて行くと、長老は手をのべて智深の頂《いただき》をなでながら三帰五戒を授けた。
「一つ仏性《ぶつしよう》に帰依《きえ》すること、二つ正法《しようほう》を帰奉すること、三つ師友を帰敬すること、これを三帰という。一つ殺生《せつしよう》せざること、二つ偸盗《ちゆうとう》せざること、三つ邪淫せざること、四つ貪酒《たんしゆ》せざること、五つ妄語《もうご》せざること、これを五戒という」
智深は、禅門では「能《はい》」「含《いいえ》」の二字で答えるということを知らないため、
「わかりましてございます」
といった。僧侶たちはどっと笑った。
授戒《じゆかい》がおわると、趙員外は僧侶たちを雲堂《うんどう》(集会場)に招き、香をたき斎《とき》をもてなして、上下の役僧たちにはそれぞれ祝儀の品物を配った。都寺は魯智深をつれて先輩や同輩の僧一同にひきあわせ、ついで僧堂(雲堂に同じ)の裏の林にある選仏場《せんぶつじよう》(坐禅堂で宿泊所を兼ねる)へ連れて行って休ませた。
その夜は事もなく、翌日、趙員外は帰ろうとして、長老に別れの挨拶をのべた。ひきとめられたが固辞して、朝の斎をすませると僧侶たちに送られて山門を出た。趙員外は合掌の礼をしていった。
「長老さま、ならびにお師匠さま方、なにとぞお慈悲のほどをおねがいいたします。愚弟の智深は、いかにも愚直なそこつものゆえ、きっと礼を欠いたりぶしつけなことを申したりしてお寺の法規を犯すようなことをするかも知れませんが、なにとぞわたくしに免じておゆるしくださいますよう」
長老は、
「員外どの、ご安心ください。わたしがゆるゆるとお経や咒文や修行参禅など教えましょうから」
「いずれそのうちお礼をさせていただきます」
員外は人々のなかから智深をよんで松の木の下へ連れて行き、小声でいいふくめた。
「今日からはこれまでとはちがいますから、万事よくわが身をいましめて、横柄《おうへい》な真似などなさらぬように。そうでないともうお目にかかることもできなくなりますから、くれぐれも気をつけてください。衣類などそのうち使いの者に持たせてよこします」
「いわれるまでもなく、万事そのとおりにやります」
かくて趙員外は長老に別れを告げ、僧侶たちとも別れて、轎に乗り、下男たちを従え、空轎をかつがせ空箱を持たせて山をおり屋敷へと帰って行った。長老は僧侶たちを連れて寺内へとひきあげる。
さて、魯智深は木立のなかの選仏場に帰ると、禅床の上にごろりと横になって眠ってしまった。すると上手《かみて》と下手《しもて》のふたりの禅和子《ぜんなす》(禅を修行中の僧)が、彼をつつき起こして、
「いけないな。出家を志しながら、どうして坐禅を組まないのか」
「おれが寝るんだ。おまえの知ったことじゃない」
「善哉《ぜんざい》!」
と禅和子がいうと、智深は腕まくりをして、
「〓哉《ぜんざい》(うなぎ)だと。すっぽんだっておれは食うぞ」
「苦《ひど》いことをいう」
「苦《にが》くなんかないよ。すっぽんは大きな腹で、脂がのっていて、とてもうまいぞ」
ふたりの禅和子はもう相手にならず、勝手に彼を眠らせておいた。そして翌日、智深のこのざまを長老のところへ告げに行こうとすると、首座がとめていった。
「長老さまは、彼は将来非凡な悟りを開いてわれわれのおよびもつかぬものになるといわれたのだ。えこひいきをされているから、おまえたちがいったところでどうにもならぬ。相手にしないがよかろう」
禅和子はそういわれてひきさがった。智深は誰も文句をいう者がいないので、夕暮れになるとすぐ禅床の上に身を投げ出して大の字に寝そべり、夜は雷のような高いびき。手洗いに起きるときにはどたんばたんと大きな音をたて、仏殿の裏手にところかまわず垂れ流すありさま。そこで侍者が長老に申しあげた。
「智深はひどく無作法で、出家らしいところはみじんもございません。あんな男をお寺においてやってよいものでしょうか」
すると長老は一喝した。
「なにをいう、檀越どのの手前もあるぞ。そのうちになおるだろう」
それいらい、誰も口に出していう者はなくなった。
魯智深はこうして五台山の寺でいつしか四五ヵ月をすごし、やがて初冬の季節となった。長いあいだ事もなく暮らしてきたので身内がむずむずしはじめていた。からりと晴れたある日のこと、彼は墨染めの衣に紺の帯をむすび、僧鞋《く つ》をはいてのっしのっしと山門を出て行った。どこというあてもなく歩きまわっているうちに、山の中腹の亭にきて、鵝《がちよう》の首の形になった肘掛椅子に腰をおろして思うよう、
「えい、くそ! これまでおれは酒だの肉だのが好きで一日も欠かしたことがなかったのに、今は坊主になってしまって、乾干《ひぼし》になりそうだ。趙員外もこのごろはなにも食うものを送ってよこさず、生唾《なまつば》がわいてしようがない。この際、なんとか酒をせしめてきゅっと一杯ひっかけたいもんだな」
しきりに酒のことを考えていると、ちょうどそのとき、むこうの方から桶をかついだひとりの男が歌をうたいながら山をのぼってきた。桶には蓋《ふた》がしてある。男は〓子《せんし》(燗柄杓《かんびしやく》)を持って歌拍子をとりながらのぼってくる。その歌は、
九里山麓の古戦場
槍や刀が錆《さ》びて出る
烏江《うこう》が風に波だてば
覇王《はおう》の別れがしのばれる(注七)
魯智深は男が桶をかついでのぼってくるのを眺めながら、亭に腰をおろしていた。やがて男は亭のところまでくると、桶をおろした。智深は話しかける。
「おい、その桶のなかはなんだ」
「上等の酒です」
「一桶いくらだ」
「お坊さん、そりゃ本気ですかい、冗談ですかい」
「おまえをからかったってなんにもならんわ」
「この酒は、かついで行って、職人衆や内働きの人(注八)や、轎かきや寺男衆といった人たちだけに売るのです。長老さまからお達しが出ていて、お坊さん方に売ったりすれば、もとでも取りあげられ、家からも追いたてられるという罰を受けるのです。わしたちはお寺からもとでを貸してもらって、お寺の持ち家に住まわせてもらっておりますので、あんたのようなお坊さんに売ることはできないんです」
「どうしても売らんのか」
「殺されたって売りません」
「殺すとはいわん、売ってくれとたのんでいるんだ」
男はくもゆきがあやしいと見ると、桶をかついで逃げ出した。智深は亭から駆けおり、双手で天秤棒をおさえつけざま、男の股ぐらを蹴りあげた。男は両手でかかえこんで地べたにうずくまってしまい、しばらくは起きあがれずにいる。智深は桶を二つとも亭にはこびあげ、落ちていた〓子を拾って桶の蓋をとるや、息もつかずに冷酒をすくっては飲み、すくっては飲みしているうちに、たちまち二つの大桶のうち一桶を空《から》にしてしまった。智深はいった。
「おい、酒代は明日お寺へ取りにきな」
男はやっと痛みがおさまったところだったが、こんどは、このことが長老に知れでもしたら口が乾上《ひあ》がってしまうのがこわさに、がまんして、酒代をせがむどころのさわぎではなく、残った酒を二つの桶に汲みわけてかつぎ、〓子を手にとると飛ぶように山をおりて行った。
一方魯智深はしばらく亭に坐りこんでいるうちに、しだいに酔いがまわってきた。亭をおりて松の木の根もとに坐りこんでいると、ますます酔いがまわってくる。智深はとうとう諸肌《もろはだ》ぬぎになって、両袖は腰にまきつけ、背中の刺青《いれずみ》をまるだしにして、両腕をぐるぐるふりまわしながら山をのぼって行った。そのさまは、
頭は重く脚は軽く、眼は紅く面《かお》は赤く、前合《ぜんごう》し後仰《こうごう》し、東倒《とうとう》し西歪《せいわい》し、浪々蹌々として山を上り来《ゆ》くは、風に当《さから》う鶴の似《ごと》く、擺々揺々《ははようよう》として寺に回《かえ》り去《ゆ》くは、水を出《い》ずる蛇の如し。天宮を指定し、天蓬元帥《てんぽうげんすい》(道教の荒神)を叫罵《きようば》し、地府《じごく》を踏開し、催命判官《さいめいはんがん》(地獄の書記)を拿《つか》まんとす。裸形赤体の酔魔君、放火殺人の花和尚。
魯達はやがて山門の下まで行った。ふたりの門番は遠くからこれを見つけ、竹篦《しつぺい》(竹の警棒)をとって山門の下までおりて行くと、魯智深の行くてに立ちはだかって大喝した。
「仏門にある身で泥酔してお山にのぼるとはなにごとだ。めくらでもあるまいし、庫裡《くり》に貼り出してある掲示が見えないはずはなかろう。戒《かい》を破って酒をくらった雲水はこの竹箆で四十回打ちすえたうえ、寺から追放することになっているのだ。もし門番が酔った雲水を寺にいれたら、こっちが十回打たれることになっている。さあ、さっさと下山してくれ。棒打ちはゆるしてくれるわ」
魯智深は、坊主になってからまだ日も浅く、また性癖もまだあらたまっていないので、両眼をむいてどなった。
「このやろう、おれを打つ気なら、相手になってやろう」
門番はこれはいかんと、ひとりは飛ぶように監寺のところへ注進に行き、もうひとりは竹篦を横にして立ちふさがる恰好だけしたが、智深は手でそれをはらいのけ、五本の指をおしひろげて一発平手打ちをくらわせた。門番はよたよたとよろめきながら、踏んばって立ちなおろうとするところをまた一発智深にくらわされ、山門の下にぶっ倒れて悲鳴をあげる。
「これで勘弁しといてやらあ」
智深はそういいながらよろよろと寺のなかへはいって行った。
門番の知らせを聞いた監寺は、寺男や職人や内働きや轎かきなど二三十人をよび集めた。みなはてんでに白木の棍棒をおっ取って西の廻廊から飛び出したところ、ちょうど智深にぶっつかった。智深はそれを見ると、大声で吼《ほ》えたてた。まるでその口もとに雷が鳴ったようなすさまじさで、ずかずかと踏みこんで行く。はじめみんなは、彼が軍人の出《で》であることを知らなかったが、やがてその兇暴なさまを見ると、あわてて蔵殿(倉庫)のなかに逃げこんで格子戸をしめてしまった。智深は階段に飛びあがり、拳で打ち脚で蹴って格子戸をぶち割ってしまった。二三十人の者は追いつめられて逃げ場もない。智深は棒を一本奪い取って蔵殿から叩き出した。監寺はあわてて長老に注進する。長老はそれを聞くと、急いで侍者四五人とともに廊下に出て大喝した。
「智深、無礼をするな!」
智深は、酔ってはいたがそれが長老だとわかると、棒を投げすてすすみよって礼をし、そして廊下を指さしながらいった。
「わしはすこしばかり酒を飲みはしましたが、あの連中に喧嘩を吹っかけた覚えはありません。それなのにあいつらは大勢でわしに打ちかかってきましたんで」
「おまえは、わたしのいうことをきいて、すぐにむこうへ行って寝《やす》みなさい。あとは明日のことにしよう」
「長老さまにいわれなけりゃ、おまえたちくそ坊主の四五人は殺してやるのだが」
と智深はいう。
長老は侍者にいいつけて智深を禅床まで連れて行かせたが、そこまで行くと智深はどたりと倒れてそのままぐうぐうと寝てしまった。
役僧たちは、長老を取りかこんで訴えた。
「はじめにわたくしたちは長老さまをお諫めしましたが、今日のこのさわぎはどうでございます。あんな山猫を置いてやって寺の清規を乱すようなことはゆるせません」
「今でこそ面倒をひきおこしもしようが、ゆくゆくは大きな悟りを開くのだ。しかたがない、まあ趙員外檀越の手前、こんどだけはゆるしてやれ。明日はわたしからよくいいきかせてやるからな」
僧侶たちは冷笑した。
「まったくわけのわからない長老さまだ」
そして、それぞれひきとって休んだ。
翌日、朝の斎《とき》がすむと、長老は智深をよびに侍者を僧堂の坐禅処へやったが、まだ寝ていた。やがて起きて衣を着ると、裸足のままでぱっと僧堂を飛び出した。侍者がびっくりしてあとを追って行くと、仏殿のうしろで小便をしている。侍者は吹き出し、彼が手を洗いおわるのを待っていった。
「長老さまがお話があるそうだよ」
智深が侍者について方丈へ行くと、長老はいった。
「そなたはもと武人であったとはいえ、今は趙員外檀越のお世話で出家した身、わたしはそなたの頂《いただき》をなでて五戒を授け、一つ殺生するなかれ、二つ偸盗するなかれ、三つ邪淫するなかれ、四つ貪酒するなかれ、五つ妄語するなかれと、さとしたはずだ。この五戒は、僧としての日常の道。出家はなによりもまず酒を貪《むさぼ》ってはならぬのに、そなたは昨夜大酔して、門番を殴り、蔵殿の朱塗りの格子戸をこわし、また職人衆を追いまわしてわめきたてた。なぜあのようなことをしたか」
智深はひざまずいていった。
「もういたしません」
「出家の身でありながらどうして酒戒を破り、清規を乱したか。施主の趙員外どのの手前がなければ、必ず寺から追放するところだ。今後二度としてはならぬぞ」
智深は立ちあがって合掌しながら、
「もう決していたしません」
長老は彼を方丈にひきとめ、朝食を用意して食べさせたうえ、かさねてよくいいきかせ、一領の上等の木綿の衣と一足の僧鞋をあたえて、僧堂へ帰した。
その昔、ある賢者が筆をはしらせて酒についての口ずさみを作ったが、まことにいい得て妙である。
従来過悪はみな酒に帰す
我に一言あり世のために剖《あか》さん
地水火風合《がつ》して人と成る
麪〓《めんきく》米水(こうじと水)醇酌《じゆんちゆう》を和す
酒は瓶中にあって寂として波だたず
人未だ酣《よ》わざる時は口なきが若《ごと》し
誰か説く孩提《がいてい》(こども)即ち酔翁と
未だ聞かず糯《もちごめ》を食って顛《たお》れて狗の如きを
如何ぞ三杯手を放って傾くれば
遂に四大(身体)をして自ら有せざらしむ
幾人かは涓滴《けんてき》も嘗《な》むること能わず
幾人かは三百斗を一飲す
亦醒眼にして是れ狂徒なるあり
亦《ぼうとう》にして神謬《しんあやま》らざるあり
酒中の賢聖は人を得て伝う
人の邦家に負《そむ》くは酒の覆《くつがえ》すに因る
解嘲破惑《かいちようはわく》の常言あり
酒人を酔わさず人酒に酔うと
およそ酒というものは存分にやってはいけない。諺にも「酒はよく事をなし、酒はよく事を破る」という。気の小さな者でも酒がはいればむやみと放胆になる、まして鼻っ柱の強い者なら、なおさらのこと。
さて魯智深は、酒に酔って騒動をおこしてから、ずっと三四ヵ月というものは、寺の外へは一歩も出なかったが、とある日のこと、陽気がにわかに暖かくなって、二月の好天気、僧房を出て、ぶらぶらと山門の外へ出、たたずんで五台山を眺めながらしばし感嘆していると、ふと麓の方からとんかんとんかんという音が風に乗って流れてきた。智深は僧房へひきかえして銀子《ぎんす》を少々ふところにいれ、一歩一歩山をおりて「五台福地」としるした牌楼《はいろう》(額のかかった楼門)を出てみると、そこは町で、人家はおよそ五六百軒、智深が町を見わたすと、肉屋もあれば八百屋もあり、酒屋も麪《めん》屋もある。智深は思った。
「ばかばかしい。もっと早くこんなところがあると知ったら、あの酒なんかふんだくらずに、ここまでおりてきて買って飲んだのにな。このところずっとがまんのしどおしで、生水《なまず》が走る。さあ行って見て、なにか買って食おう」
例の音のところまで行って見ると、それは、鍛冶屋が鉄を打っているのだった。その隣の家の戸口には「父子客店(注九)」(はたごや)と書いてある。智深が、鍛冶屋の店さきまで行って見ると、三人の男が鉄を打っていた。智深は声をかけた。
「おい、親方、はがねの良いのがあるか」
鍛冶屋は、魯智深のあごのあたりの剃りあとに、短いひげがもしゃもじゃとはえていて、いかにもものすごそうなので、いいかげんぞっとした。親方は仕事の手を休めて、
「お坊さん、まあおかけください。なにを打つのでございましょうか」
「禅杖《ぜんじよう》と戒刀《かいとう》を打ってほしいのだが、上等の鉄があるか」
「うちにちょうどよい鉄がございます。禅杖と戒刀はどれくらいの重さのを打ちますので? おいいつけどおりにいたします」
「百斤の禅杖を打ってほしいのだ」
親方は笑って、
「重すぎますよ。なにも打って打てぬことはありませんが、お使いになれますかどうか。関王(関羽)さまの薙刀《なぎなた》だって八十一斤しかございませんのに」
魯智深はむっとしていった。
「おれが関王におよばないというのか。関王だって人間だ」
「まあ普通は、四五十斤のがよろしいでしょう。それでも重い方です」
「それじゃおまえのいうとおりにして、関王の薙刀なみに八十一斤のを打ってくれ」
「お坊さん、それでは、太くて不恰好ですし、使いものにもなりません。おまかせくだされば六十二斤の水磨《すいま》の禅杖を打ってさしあげましょう。重くって使えなくてもわたしは知りませんよ。戒刀の方はちゃんと承知しておりますから、おっしゃらなくても、十分上等の鉄をつかって打っておきます」
「両方でいくらになる」
「かけ値なしで、銀子《ぎんす》五両いただきます」
「では言い値どおり銀子五両。出来がよかったらそのときには別にはずもう」
親方は銀両《か ね》を受けとって
「それではお打ちしておきます」
「わしはまだ小銭が残っているから、いっしょに酒を飲まんか」
「お坊さん、ごかんべんを。仕事に追われておりまして、おつきあいいたしかねますので」
智深が鍛冶屋の家を離れて、二三十歩も行かぬうちに、とある家の軒端に、酒の看板が出ているのが目についた。智深は簾をかきあげ、なかにはいって腰をおろし、卓をたたいて大声でよんだ。
「酒を持ってこい」
すると、酒屋の主人がいった。
「お坊さん、おゆるしください。てまえどもでは、住んでいる家も、店のもとでも、みなお寺さまのものでございます。長老さまからは、寺のお坊さん方に酒を飲ませたら、もとでを取りあげて家からも追い出すというお達しが出ております。そんなわけなので、まことに相すみません」
「ないしょで飲ましてくれんか。ここで飲んだとは決していわんから」
「そういうわけにはまいりません。お坊さん、ほかへ行って飲んでくださいませんか。相すみません」
智深はしかたなく腰をあげていった。
「よそで飲んで、文句をいいにきてやるぞ」
店を出てすこし行くと、また酒の旗が門口に出ているのが見えた。智深はずっとはいって行って腰をおろしてよんだ。
「おやじ、早く酒を持ってきて飲ませろ」
「お坊さん、これはまたご無理な。長老さまからお達しが出ていることはあなたもご存じでしょうに。てまえどもを飯の食いあげになさるつもりですか」
智深は居坐って、三度も四度もたのんでみたが、どうしても売ってくれない。ようやくあきらめをつけ、腰をあげてそこを出、さらに三四軒まわってみたがどこでも売ってくれない。そこで智深は考えた。
「なにか手をつかわんことには、とても酒にはありつけん」
遠くの杏《あんず》の花の咲いている町のはずれに、酒ばやし(注一〇)のつるしてある一軒の家があった。智深がそこへ行って見ると、それは田舎の小さな酒屋で、
傍村の酒肆《しゆし》已に多年
斜めに桑麻を挿《さしはさ》む古道の辺
白き板〓《ばんとう》(いす)は賓客の座を舗《し》き
矮《ひく》き籬笆《りは》(かき)は蕀荊《きよつけい》を用《もつ》て編む
破瓮《はおう》は搾《しぼ》り成す黄米の酒
柴門《さいもん》には挑《かか》げ出す布の青き〓《はた》
更に一般の笑うに堪えたる処あり
牛屎《ぎゆうし》 泥墻《でいしよう》に酒仙を画《えが》く
智深は店のなかへはいって行って窓際のところに腰をおろし、大声でよんだ。
「おやじ、旅の僧じゃ、酒をくれ」
百姓おやじは彼を見つめて、
「お坊さん、どこから見えましたか」
「わしは行脚《あんぎや》の雲水で、諸方遊行のみちすがらここを通りかかったもの。酒を一杯いただきたい」
「もし五台山のお坊さんなら飲ませてあげられませんよ」
「そうじゃない、そうじゃない。さあ、早く持ってきてくれ」
百姓は魯智深の風采や言葉がちがっているのを見て、
「どれだけ飲みなさる」
と聞いた。
「いくらでもよい。大碗にどんどんついでくれ」
およそ十杯ばかり飲んでから、魯智深はたずねた。
「なにか肉はないか。一皿くれ」
「朝は牛肉がありましたが、売り切れてしまいまして」
そのとき、智深はふと肉のにおいをかぎつけた。庭へ出て見ると、塀際の土鍋で犬が一匹煮られている。智深はいった。
「犬の肉があるのになぜ食わしてくれん」
「お坊さんだから犬の肉はあがらないだろうと思って、おたずねしなかったわけで」
「銀子は持っているんだぞ」
智深はそういって、銀子を百姓にわたし、
「あれを半分わしにくれ」
百姓はすぐ、よく煮えた犬の肉半分に蒜《にんにく》おろしをそえて、智深の前に持ってきた。智深は大よろこびで、犬の肉を手でひき裂き、蒜おろしをつけて食べながら、また十杯ばかり飲んだ。口がつるつるするほど飲みに飲んで、まだ飲みやめない。百姓はあきれはてて、
「お坊さん、もうおよしになったら」
すると智深は眼をむいていった。
「ただ飲みしているわけじゃなし、おせっかいをするな」
「あともうどれくらいお飲みになりますんで」
「もう一桶もってこい」
百姓はしかたなくまた一桶汲んできた。智深はたちまちのうちにその一桶を飲んでしまって、あとに残ったのは犬の脚が一本だけ。それをつかんでふところにねじこみ、店を出しなにこういった。
「余った銀子は、明日また飲みにくる」
百姓はおどろきいって、目玉ぱちくり、口あんぐり。なすすべもなく、ただ彼がすたすたと五台山目ざして帰って行くのを見送るばかり。
智深は山腹の亭のところまでのぼってきて、そこで一休みすると、酔いがまわってきた。魯智深はぱっと立ちあがってつぶやく。
「久しく手や脚を使わなかったので、なんだか身体がなまってしまったようだ。すこしやってみようか」
亭をおり、両腕をまくりあげて、上下左右とひとしきり拳法の型をやった。やっているうちに力が出てきたので、亭の柱に肩をあててぐいとゆすると、とたんにめりめりと音を立てて柱がへし折れ、亭の半分が崩れてしまった。
門番が山腹の物音を聞いて、高みから眺めると、魯智深がよたよたした足取りで山をのぼってくる。ふたりの門番は叫んだ。
「困った! あの野郎がまたひどく酔ってきやがった」
すぐに山門をしめて閂《かんぬき》をかけてしまい、隙間からのぞき見していると、智深は山門の下までやってきて門のしまっているのを見るや、拳骨で太鼓をたたくようにたたいた。が、ふたりの門番はどうしてもあけない。智深はしばらくたたいていたが、やがて身をねじむけ、左側の金剛《こんごう》(密迹金剛)を見てどなりつけた。
「やい、この大男め、おれのために門をたたけばよいものを、なんだ、拳骨をふりあげておれをおどかそうというのか。おまえなんかこわくないぞ」
台の上に跳びあがり、柵《さく》を、ただ一抜きに、まるで葱《ねぎ》でも引き抜くように抜きとり、その棒切れで金剛の脚をなぐりつけると、泥や胡粉《ごふん》がぱらぱらと落ちた。のぞき見していた門番は、
「こいつはたいへん。長老さまに知らせに行かなきゃ」
智深は一息いれると、身をひねって、こんどは右側の金剛(那羅延金剛)を見てどなる。
「やいこら、大きな口をあけて、おまえもおれを笑うのか」
と、右側の台の上に跳びあがり、金剛の脚を二三度なぐると、天をもとどろかすような大音響とともに金剛は台の上からさかさまに転《ころ》げ落ちた。智深は棒切れをひっさげたまま腹をかかえて大笑い。
門番のふたりが長老に報告すると、長老は、
「手出しをしてはならんぞ。かまわずにおけ」
そこへ、首座・監寺・都寺などの役僧一同が方丈へやってきて申しあげる。
「あの山猫、今日の酔態はあまりです。山腹の亭や、山門の金剛像をぶちこわしてしまいましたが、いったいどうしたものでしょうか」
「昔から、天子も酔漢は避けるという。ましてわたしはどうにもできない。金剛像を打ちこわしたとあらば、施主の趙員外どのにおねがいして新しくつくってもらうことにし、亭を倒したのもやはり建てなおしてもらうことにしよう」
「金剛さまは山門の主です。とりかえたりなどしてよいものでしょうか」
「金剛像をこわすどころか、本堂の三世仏《さんぜぶつ》を打ちこわしたとしても、どうにもできない。ただそっとしておきなさい。おまえたちもこの前の兇行ぶりを見ているだろう」
一同は方丈を出てから口々にいった。
「なんとも煮えきらぬ長老さまだ。門番、門をあけてはならぬぞ。内から様子を見ているだけだぞ」
智深は外で大声でよびたてた。
「やい、くそ坊主め、おれをなかへ入れないなら、外から火をもってきてこのくそ寺を焼いてしまうぞ」
僧侶たちはそれを聞くと、しかたなく、門番にいった。
「閂をはずしてあいつを入れてやれ。あけないとほんとうに火をつけるかも知れぬ」
門番はしかたなく、そっと閂を引き抜いて飛ぶように部屋のなかへ逃げこんだ。ほかの僧侶たちもそれぞれ身をかくした。
さて、魯智深は両手で力いっぱい山門を推したので、どっとなかへ転《ころ》がりこんで、ひっくりかえった。起きあがって頭をつるりと一なですると、僧堂の方へまっしぐらに走って選仏場へ行った。禅和子《ぜんなす》たちは、ちょうど坐禅の最中だったが、智深が簾をあげてはいりこんでくるのを見ると、みんなびくびくして首をすくめる。智深は禅床のところまで行くと、咽喉《の ど》をげろげろ鳴らせて反吐《へど》を吐いた。みんなはその悪臭にたまりかねて口々にいった。
「善哉《ぜんざい》!」
そしていっせいに口や鼻をおおった。智深は一吐き吐きおわると禅床の上にはいあがり、腰帯をほどき、衣の紐をびりびりとひきちぎった。と、とたんにあの犬の脚がころがり落ちる。
「しめ、しめ。ちょうど腹がへったところだ」
智深はそういって、むしりむしり食い出す。それを見た僧侶たちは袖で顔をかくし、智深の両隣の禅和子はずっと身をよけた。智深はそれを見ると、犬の肉を一切れひきむしり、上手《かみて》の禅和子を見て、
「おまえさんも食いな」
上手のその僧は両袖で必死に顔をかくした。智深は、
「おまえさんは食わんか」
と、こんどは下手《しもて》の禅和子の口のなかへねじこんだ。その僧は身をかわす暇もなく、禅床をおりようとするところを智深に耳たぶをつかまれ、肉片を口のなかへおしこまれた。むかいの禅床から四五人の禅和子が飛んできてなだめようとすると、智深は犬の肉を放り出し、拳骨をかためてつるつる頭をぽかぽかなぐる。堂中の僧侶たちは総立ちになってさわぎ出し、てんでに自分の櫃《ひつ》のなかから銭や帛《きぬ》(注一一)を取り出して逃げ出した。このさわぎを「捲堂大散《けんどうたいさん》」(寺じゅう総逃げ)という。首座も手のつけようがない。
智深はむちゃくちゃにあばれ出した。僧侶の大半はみな廊下へ逃げ出す。監寺や都寺は長老には相談せずに、役僧一同をよび集めて、寺男・職人衆・内働き・轎かきなど二百人ばかりをかき集め、てんでに杖叉《じようしや》(さすまた)や棍棒を持たせ、鉢巻をしめさせて、いっせいに僧堂のなかへ打ち入らせた。智深はそれを見ると大声で吼《ほ》えたが、武器がないので、僧堂の奥へ駆けこんで仏前の供卓をひっくりかえし、脚を二本もぎとると、堂から外へおどり出た。そのさまは、
心頭に火起こり、口角に雷鳴る。八九尺の猛獣身躯《しんく》を奮い、三千丈の凌雲《りよううん》志気を吐き、殺人の怪胆を按《おさ》え住《え》ず、海を捲く双睛《そうせい》を円く〓起《せいき》し、直《たて》に截《き》り横に衝くは、箭に中《あた》って崖に投ずる虎豹に似、前に奔《はし》り後に湧《おど》るは、鎗《やり》に着《あた》って澗《たに》を跳ぶ豺狼《さいろう》の如く、直饒《たとい》掲帝《ぎやてい》(護法の猛神)なりともまた当たり難く、便是《よしや》金剛なりとも手を拱《こまね》くべし。
そのとき魯智深が供卓の脚を振りまわしながらおどり出て行くと、僧侶たちはそのすさまじい気勢にのまれ、みな棒をひきずって廊下へ退いた。智深が二本の供卓の脚を振りまわしてさらに突きすすんで行くと、僧侶たちは両側からおしよせる。智深は大いに怒り、東へ西へ、南へ北へと打ちまくり、打たれなかったのはわずかに廊下の端だけというありさま。こうして追いまくりながら法堂のところまで行ったとき、長老の一喝する声が聞こえた。
「智深、無礼をするな! 皆のものも手をひけ」
両側の者十数人は怪我を負っていたが、長老の姿を認めるとみなそれぞれひきさがった。智深はみなのひきさがるのを見ると、供卓の脚を放り出して叫んだ。
「長老さま、どうぞご存分に」
すでに酔いはあらかた醒めていた。長老はいった。
「智深、おまえはひどく手を焼かせるぞ。この前に酔ってさわぎをおこしたとき、わたしはおまえの兄の趙員外どのに知らせておいたが、そのときは手紙をよこして僧ら一同に詫びをいわれた。今また大酔して無礼をはたらき、寺の規律を乱し、亭を倒し、金剛像を打ちこわすさわぎをしでかすしまつ。それはまあかまわんとしても、僧ら一同を堂から叩き出したことはなみなみならぬ罪業だぞ。この五台山は文殊菩薩の道場で、何百年何千年と香火清らかに絶えたことのない聖地なのだ。おまえのようにけがらわしい者を、ここにとめ置くわけにはもはや相ならぬ。まあひとまずはわたしといっしょに、方丈にきてしばらくすごせ。どこか身のよせどころを考えてあげよう」
智深は長老について方丈へ行った。
長老は別に役僧にいいつけて、雲水たちをよびもどさせ、ふたたび僧堂に帰って坐禅を組ませ、また怪我をした僧は休んで手当をするように命じた。長老は智深を方丈へ連れて行って、そこでひと晩休ませた。
翌日、真《しん》長老は首座と相談のうえ、いくらかの銀子を持たせて、彼を他所へやることになった。しかし、とにかく趙員外に知らせておかなければというので、長老はさっそく一通の書面をしたため、ふたりの堂守を趙員外の屋敷へやって、事の次第をつたえ、すぐ返事をもらってこさせるようにした。
員外は手紙を見て非常に遺憾に思い、長老への返書に、こわれた金剛像や亭はさっそくわたくしが費用を出して修復します、智深のことは長老さまのお指図におまかせしますと書いた。この返事を受けとった長老は、さっそく侍者に墨染めの衣一領・僧鞋一足、それに白銀十両をとり出させ、智深を部屋によんでいった。
「智深、おまえがこの前に乱酔して僧堂を騒がせたのは、あれはふとした過ちだとしても、こんどの、またしても大酔して金剛像を打ちこわし、亭を倒し、選仏場を空《から》にする大騒動をおこしたことは容易ならぬ罪だ。それに多くの雲水に怪我までさせた。ここは清浄なところ、おまえのあのようなふるまいはまことによろしくない。趙檀越のお顔に免じて、この手紙をあげるから、そこへたよって行って身を落ちつけるがよい。ここへはどうしてもおいてやるわけにはいかないのだ。わたしは昨夜おまえのことを考えた。そこで四句の偈《げ》をあげることにする。これは一生涯役にたつものだ」
「お師匠さま、わたしが安心立命のできるのはどこでございましょうか。お師匠さまのその四句の偈を、どうぞお聞かせください」
そこで真《しん》長老は、魯智深を指さしながら幾言か述べて、その地へと行かせたのであるが、このことのために、やがてこの人物は、笑って禅杖を揮《ふる》って天下の英雄好漢と戦い、怒って戒刀を抜いて世上の逆子讒臣《ぎやくしざんしん》を斬り、ついにはその名を塞北《さいほく》三千里の地にとどろかせ、果《か》(さとり)を江南第一州に証明することとは相なるのである。ところで、真長老は智深になんといったのであろうか。それは次回で。
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一 いざこざ 原文は山高水底。なんのかのと文句をいうこと、あれこれとけちをつけることなどをいう。
二 五花度牒 五つの花押《かおう》のある度牒。度牒とは僧侶の免許状のことで、当時、金持は度牒を買って人にあたえ、身代りに出家させることによってみずから功徳《くどく》をおこなっているとした。
三 都寺・監寺 都寺は寺の総務を、監寺は衆僧の取締りを司る。これに、副寺(会計係)、維那(法式係)、典座(炊事係)、直歳(営繕係)を加えた六職を、東班六知事という。
四 首座 首席の僧。これに、書記(首座の秘書)、知蔵(什器係)、知浴(浴室係)、知殿(装備係)、知客(応接係)を加えた六職を、西班六頭首という。
五 斗牛 南斗星と牽牛星。
六 東西両班 注三・四参照。
七 九里山麓の…… この歌は意訳したが、原文を読みくだせば、
九里山前の作戦場
牧童拾い得たり旧き刀鎗
順風吹き動かす烏江の水
好《あたか》も似たり虞姫の覇王に別るるに
九里山は漢楚の戦った地。烏江は項羽の戦死したところ。覇王は項羽、虞姫はその寵姫。
八 内働きの人 原文は直庁。寺院などで座敷むきの用をする者。
九 父子客店 宿屋の看板をいう。
一〇 酒ばやし 原文は草帚児。また草箒児と書く。酒屋で、草や杉の葉などを球状に束ね、軒さきにつるして看板とするもの。
一一 銭や帛 原文は衣鉢。『禅林象器箋』二十にいう。「僧の銭帛を総じて衣鉢という」と。
第五回
小覇王《しようはおう》 酔って銷金帳《しようきんちよう》に入り
花和尚《かおしよう》 大いに桃花村《とうかそん》を鬧《さわ》がす
さて、そのとき智真長老のいうには、
「智深、おまえはもうどうしてもここにおいてはやれない。わたしのおとうと弟子《でし》で、今、東京《とうけい》の大相国寺《だいしようこくじ》をあずかっている智清《ちせい》禅帥という人がいるが、この手紙を持たせてあげるから、その人のところへ行って役僧にでもしてもらうがよい。わたしは昨夜おまえのことを考えてみた。そこで四句の偈《げ》をあげることにする。これは一生涯役にたつものだから、今日の言葉をよくおぼえておきなさい」
智深はひざまずいていった。
「どうぞその偈をお聞かせください」
長老はつぎのように唱えた。
林に遇って起ち
山に遇って富み
水に遇って興《おこ》り
江に遇って止《とま》る
魯智深は四句の偈を聞きおわると、長老に九拝の礼をし、荷物を背負い、胴巻や腹巻をつけ、手紙をしまい、長老をはじめ僧ら一同に別れを告げて五台山をあとにした。そのまま、鍛冶屋の隣の旅籠《はたご》屋へ行って泊まり、禅杖と戒刀ができあがるのを待って出発しようというのである。
寺の僧侶たちは、魯智深が山を出て行ったのでみな大よろこびである。長老は職人衆に、こわされた仁王像や亭をとりかたづけさせた。数日もたたぬうちに、趙員外がみずから金を持って五台山にやってき、あらたに金剛像をつくり、山腹の亭も建てなおしたが、その話はそれまでとして、ここに詩がある。
禅林辞し去って禅林に入る
知己相逢うとき義は金を断《だん》ず
且《かりそめ》に威風を把《と》って賊胆を驚かし
謾《そぞろ》に妙理を将《も》って禅心を悦《よろこ》ばす
綽名 久しく喚ぶ花和尚
道号 親しく名づく魯智深
俗願の了《おわ》る時終《つい》に果《か》を証せん
眼前争奈《いかん》せん知音没《な》し
ところで魯智深は、幾日か旅籠に泊まっているうちに、やがて二品の打物《うちもの》もできあがったので、鞘をこしらえて戒刀を納め、禅杖は漆塗《うるしぬ》りにし、小粒の銀子を少々鍛冶屋に心付けして、荷物を背負い戒刀をさし禅杖をひっさげ、旅籠の主人と鍛冶屋に別れを告げていよいよ旅にのぼった。行き遭う人々が見れば、まごうことなき荒法師である。そのありさまは、
《くろ》き直〓《じきとつ》(ころも)は背に双袖を穿《むす》び、青き円〓《えんどう》(たすき)は斜に双頭を綰《つな》ぐ。鞘内の戒刀は春冰《しゆんぴよう》三尺を蔵し、肩頭の禅杖は鉄蟒《てつぼう》一条を横《よこ》たえ、鷺〓《ろじ》の腿《あし》には緊《きつ》く脚絆《きやはん》を繋《か》け、蜘蛛の肚には牢《かた》く衣鉢を〓《くく》る。嘴縫《しほう》(唇)の辺には千条の断頭の鉄線を攅《あつ》め、胸脯《きようほ》の上には一帯の胆《たん》を蓋《おお》う寒毛(むなげ)を露わす。生成《うまれつき》肉を食らい魚を《くら》う臉《かおつき》にして、看経《かんきん》念仏の人にはあらず。
さて、魯智深は、五台山文殊院をあとに、東京さして旅に出てから半月あまりたったが、その間《かん》、寺には宿をとらず、宿屋にばかり泊まり、昼は酒屋で酒を飲むという道中。ある日、山水の眺めにみとれながら歩いているうちに、つい日が暮れてしまった。見れば、
山影は深く沈み、槐陰《かいいん》は漸く没す。緑楊の郊外に、時に烏雀の林に帰るを聞き、紅杏の村中に、毎《つね》に牛羊の圏《おり》に入るを見る。落日は烟を帯びて碧霧《へきむ》生じ、断霞は水に映えて紅光《こうこう》散ず。渓辺の釣叟《ちようそう》は舟を移して去り、野外の村童は犢《こうし》に跨《またが》って帰る。
魯智深は山水の美しさにみとれて半日分の道を歩きすぎたため、宿屋にも行きつけず、道連れもなく、どこへ泊まったものかと案じながら、さらに二三十里の田圃道を歩いて、ある板橋をわたると、はるかにたなびく夕靄のなかに、雑木林にかこまれた大きな屋敷が見えた。屋敷のうしろは塁々《るいるい》とかさなった乱山《らんざん》である。
「しかたがないから、あの屋敷へ行って泊めてもらおう」
魯智深はそう考え、急いで屋敷の前まで行って見ると、何十人もの下男たちがあわただしげに物をはこんでいる。魯智深はその門前へ行き、禅杖をたてかけて、下男に合掌の礼をした。下男がいう。
「坊さん、こんな日暮れにやってきて、なんの用だね」
「宿をとりそこねましたので、お屋敷でひと晩泊めていただきたいのです。明日、早く立ちます」
「うちは今夜はとりこみがあるから、泊められないよ」
「なんとかひと晩だけ泊めてくださらんか。明日になったら立ちますゆえ」
「坊さん、さっさと行きなさい。ここにいると殺されるぜ」
「これはまた面妖な。ひと晩泊めてもらうのがなんでそんなに大ごとだ。殺されるとはどういうわけじゃ」
「行けといったら行け。行かないとひっつかまえてここへ縛っておくぞ」
魯智深はかっとなって、どなった。
「このどん百姓の、わからず屋め、なんにもしないのにおれを縛ろうというのか」
下男たちには、ののしる者もあれば、なだめる者もあった。魯智深は禅杖をつかんで今にもあばれ出そうとしたが、そのとき、屋敷のなかからひとりの老人が出てきた。魯智深がその老人を見れば、年は六十を過ぎているようす。背よりも高い撞木杖《しゆもくづえ》をつきながらやってきて、下男たちを叱った。
「なにをさわいでいる」
「この坊主が、こしゃくにもわしたちをなぐろうとしやがるんで」
魯智深は口をはさんだ。
「拙僧は五台山からきた者ですが、所用で東京へのぼる途中、今夜は宿場をやりすごしてしまいましたので、ひと晩お屋敷に泊めていただこうとしましたところ、この下男たちが無礼にもわしを縛ろうとするのです」
「五台山からおいでになったお坊さんなら、どうぞおはいりなさいませ」
智深は老人についてずっと座敷へ通った。主客それぞれの席につくと、老人はいった。
「和尚さま、おゆるしくださいますよう。下男たちは和尚さまが活き仏さまのところからおいでの方とは知らずに、並の旅僧と思ったのでございましょう。わたしはかねてから、仏天三宝《ぶつてんさんぽう》(ほとけ)を敬信しております者、当方では今夜はとりこみがございますが、どうぞひと晩お泊まりくださいますよう」
智深は禅杖を立てかけて、立ちあがって合掌の礼をし、
「ありがとうございます。失礼ながらお宅さまはなんとおっしゃいますので」
「わたしの姓は劉《りゆう》、ここは桃花《とうか》村といいまして、土地の者はわたしを桃花荘の劉太公とよんでおります。ところで和尚さまの俗姓と、そして法名は」
「わしの師匠は智真長老さまで、わしはこの方に法名も授けていただきました。姓が魯ですので、魯智深といっております」
「晩飯をさしあげたいのですが、なまぐさものはあがりましょうか」
「わしは、なまぐさをかまわぬどころか、濁酒・清酒・焼酎なんでもござれです。牛の肉だろうと犬の肉だろうとなんでもいただきます」
「なまぐさをおかまいなければ、まず下男に酒と肴を持ってこさせましょう」
ほどなく、下男が食卓を持ってきて、牛肉一皿、四五品の菜《さい》、箸一膳を魯智深の前にならべた。智深は胴巻と腹巻をはずして旅装をとき、食卓についた。下男は酒の燗をし、杯に酒をついで智深にすすめた。智深は遠慮もせず会釈《えしやく》もせず、たちまち一壺の酒と一皿の肉をぺろりと平らげてしまった。むかいの席に坐っていた劉老人はしばらくはあっけにとられていた。下男が飯をはこんでくると、それも食べてしまった。食卓がかたづいたところで、老人はいった。
「それでは和尚さまには表の小部屋でお寝《やす》みいただきましょうか。夜分、表がさわがしくても、決して出ておいでになりませぬように」
「さしでがましいようですが、お屋敷では今夜なにがありますので」
「出家の方のおかかりあいになることではありません」
「どうしてそう浮かぬ顔をしておられるのです。拙僧がご迷惑にきたからですかな? 宿賃は明日ちゃんと払いますよ」
「和尚さま、それでは聞いていただきましょうか。わたしのところではいつもお坊さん方にはお斎《とき》もお布施も欠かしたことはありません。あなたおひとりぐらいなんということもないのですが、ただ、今晩は娘に婿を迎えますので、それで悩んでいるのです」
魯智深は大声で笑い出した。
「息子が大きくなれば嫁をもらい、娘が大きくなれば嫁にやる。それが人の道、世の習い。どうして心をなやますことなどありましょう」
「いや、和尚さまにはご存じのはずもありませんが、この縁組は気にいってするのではありませんので」
智深は笑っていった。
「ご老人、あなたもばかな。両方とも気にいらないものを、どうして婿取りなどなさる」
「わたしにはひとりきりの娘で、今年ちょうど十九になりますが、このあたりに桃花山という山があって、このごろ山の上にふたりの山賊の頭領が寨《とりで》を構え、子分を五六百人も集めて近辺を荒らしまわっていて、ここの青州の官軍でもどうにも手におえないありさま、それがわたしの屋敷へ冥加金《みようがきん》を取りにやってきましたさいに、わたしの娘に目をつけて、金二十両と紅錦《こうきん》一疋を結納によこし、今夜が吉日だというのでこの屋敷へ婿入りにやってくるわけなのです。さからうこともできませず、娘をくれてやるほかありませんので、それで悩んでいるわけでして、決して和尚さまのせいではないのです」
「なんと、そんなことでしたか。それなら拙僧にちと思案があります。そいつの気をかえさせて、娘さんとの縁組を思いとどまらせてあげましょうか」
「あいつらときたら、人を殺してもまばたきひとつしないような魔ものです。気をかえさせるなんて、とてもできることではございません」
「わしは五台山の智真長老のもとで説法を学んできましたゆえ、たとえ相手が鉄や石のような人間でも、説き伏せて改心させることができます。今夜は娘さんをどこか他所へかくしておきなさい。わしが娘さんの部屋でやつに説法してきっと改心させましょう」
「それはありがたいことにはちがいありませんが、虎の鬚《ひげ》にさわるようなことはなさらぬ方がよいでしょう」
「わしらの命なんかはなんでもありません。まあ、こっちのいうとおりになさい」
「ありがたいことです。なんというしあわせ。うちに活き仏さまが、おいでくださろうとは」
下男たちはこれを聞いてみなびっくり。
老人は智深にいった。
「もっとご飯をあがりますか」
「飯はもう結構だが、酒があったらもうすこしいただきましょう」
「ございますとも」
老人はすぐ下男にいいつけて、あひるの煮たのを一疋出させ、大碗で酒をくませて飲み放題に二三十ぱいも飲ませた。智深はあひるも平らげてしまってから、下男に荷物をさきに部屋へはこばせると、禅杖をひっさげ戒刀をたばさんで、たずねた。
「ご老人、娘さんはもうかくしましたか」
「隣の屋敷へやっておきました」
「では、わしを花嫁の部屋へ案内してください」
老人は部屋の前まで連れて行って、指さしながら
「ここです」
「それじゃ、あんたたちはかくれていてください」
老人は下男たちともどって行って、宴席の用意をした。
智深は部屋のなかの机や、椅子をとりかたづけ、戒刀は枕もとにおき、禅杖は寝台の横にたてかけて、銷金《しようきん》(金箔《きんぱく》)の帳《とばり》をおろすと、素裸になって寝台の上にはねあがった。
老人は、やがて日も暮れてきたので、下男たちに屋敷の前後に、あかあかとあかりをともさせ、麦打場には机をひとつおいて、その上に花やともしびを並べさせた。また一方では、大皿に肉を盛り、大壺に酒を温めさせた。やがて初更《しよこう》(夜八時)のころになると、山の方から銅鑼《どら》や太鼓の音が聞こえてきた。劉老人はおろおろとして気が気でなく、下男たちもみな両手に汗を握って、一同屋敷の門前に出て見ると、はるか彼方に、四五十本の松明《たいまつ》を真昼のように輝かせながら、一隊の人馬が屋敷をさして飛び馳せてくる。そのさまは、
霧は鎖《とざ》す青山の影裏《えいり》、滾出《こんしゆつ》す一夥の没頭神。煙は迷う緑樹の林の辺《ほとり》、擺着《はいちやく》す幾行の争食鬼。人々兇悪、個々〓獰《そうどう》、頭巾は都戴《みないただ》く茜根《せいこん》の紅、衲襖《とつおう》は尽《ことごと》く披《き》る楓葉の赤。纓鎗《えいそう》は対々として、人の心肝を喫《くら》う小魔王を囲遮定《いしやてい》し、梢棒《しようぼう》は双々として、〓娘《たじよう》(父母)を養わざる真の太歳《たいさい》(凶神)をば簇捧着《ぞくほうちやく》す。夜間の羅刹去《ゆ》いて親《しん》(嫁)を迎え、山上の大虫(虎)来《きた》って馬を下《くだ》る。
劉老人はそれを見ると、ただちに下男に屋敷の門をあけひろげさせ、すすみ出て迎えた。前後をまもってきらきらときらめくものは武器に旗。みな紅と緑の絹切れが結びつけてある。手下たちの頭巾には野草の花がいっぱいに挿してある。前方には四五対《つい》の紅紗の灯籠をおしつらね、馬上の親分を照らしている。
そのいでたちいかにといえば、
頭には撮尖《さつせん》の乾紅の凹面巾《おうめんきん》を戴き、鬢《びん》の傍辺には一枝《し》の羅帛の像生花(造花)を挿し、上には一領の虎体を囲《つつ》む挽絨金繍《ばんじゆうきんしゆう》の緑羅袍を穿ち、腰には一条の狼身に称《かな》う銷金包肚《しようきんほうと》の紅搭膊《こうとうはく》を繋《か》け、一双の対掩雲跟《たいえんうんこん》の牛皮の靴を着《つ》け、一匹の高頭捲毛《けんもう》の大白馬に騎《の》る。
親分が屋敷の前にきて馬からおりると、手下どもはいっせいに祝いはやした。
帽子ぴかぴか
今夜は新郎
衣裳きらきら
今夜は花婿(注一)
劉老人は急いで台盞《だいさかずき》を捧げ出し、酒をついで、地面に平伏した。下男たちもみな平伏する。親分は手でたすけおこしていう。
「あんたはわしの舅《しゆうと》さんだ、なんで平伏などなさる」
「なにをおっしゃいます。わたしは親分さまご支配下の百姓にすぎません」
親分はもうだいぶん酔いがまわっていて、大笑いしていった。
「わしがあんたのうちの婿になったからには、決してわるいようにはせん。あんたの娘もわしの嫁になってしあわせだぜ」
劉老人は下馬杯(到着祝いの杯)を出し、それから麦打場へ行って花やともしびを見せた。
すると親分は、
「舅どの、こんなにもてなしをしてくれなくてもよかったのに」
といい、そこでもまた三杯飲んでから、座敷の前まで行って、手下に馬を柳の木につながせた。手下たちは座敷の前庭で鳴り物をかなではじめる。親分は座敷にあがって座につき、大声でいった。
「舅さん、わしの奥方はどこだね」
「はずかしがって出てこられないのです」
と老人がいうと、親分は笑って、
「それじゃ酒といこう。舅さんに返盃だ」
と、杯をとりあげたが、
「いや、まず奥方に会ってからだ。酒はそれからでもおそくはない」
劉老人は、あの和尚がうまく説きさとしてくれるようにとねがうばかり。
「ご案内いたします」
と、燭台を手にして親分のさきに立ち、衝立《ついたて》のうしろをまわって、花嫁の部屋の前まで行くと、老人は指さしていった。
「ここでございます。どうぞおはいりください」
老人は燭台を持ってすぐに立ち去った。吉か凶か、まだわからないが、なにはともあれまず逃げようというわけである。
親分は、部屋の扉をあけてなかをのぞいてみると、まっくらなので、
「なるほど舅さんはなかなか身上持《しんしようも》ちのよい人。部屋にあかりもつけずに、おれの奥方をくらがりのなかへほっておくとは。明日は手下どもに山寨から上等の油を一樽かついでこさせて、あかりをつけてやることにしよう」
魯智深は帳《とばり》のなかでそれを聞いていて、おかしくてたまらなかったが、じっとがまんしていた。親分は手さぐりで部屋のなかにはいってきて、
「ねえさん、どうしてわしを出迎えてくれないのだね。はずかしがることはないよ。あしたからは山寨の奥方じゃないか」
よびながら手さぐりでよって行って、やっと銷金の帳《とばり》をさぐりあてると、さっそくそれをかきあげ、手をさし入れてさぐりまわしているうちに、撫《な》でたのは魯智深の腹の皮。いきなり魯智深に頭巾の紐をつかまえられ、ぐいと寝台の下へおさえつけられた。親分が起きあがろうとしてもがくところを、魯智深は右手の拳を握り固めて、
「こん畜生!」
と、耳の根もとから首筋のあたりを一撃。
「亭主をなぐるとは」
と親分がわめくと、魯智深は、
「女房の腕前を見せてやるぞ」
とどなるなり、寝台のわきへひき倒して、拳骨と足蹴りの雨を降らす。親分は打ちのめされて、
「助けてくれ!」
と悲鳴をあげた。
劉老人はおどろきあきれた。いまごろは説教をして親分をいさめているだろうと思いこんでいたのに、なかからは「助けてくれ」という悲鳴が聞こえるので、老人はあわててあかりをとり、手下どもをひき連れて、いっせいにかけつけて行った。一同があかりをさしかけて見ると、寝台の前に一糸まとわぬまる裸の、太った大入道が、親分の上に馬乗りになってなぐりつけているではないか。頭立《かしらだ》った手下が叫んだ。
「みんなで親分を助けろ」
手下どもがいっせいに槍や棒をとってなぐりかかろうとすると、それを見た魯智深は、親分を寝台のわきにおっぽり出し、禅杖をひっつかむなりいきなり打ってかかった。そのすさまじい勢いに、手下どもはわっと叫んでひとりのこらず逃げうせてしまった。劉老人は、こまった、こまったというばかり。親分はこのどさくさにまぎれて戸口からはい出し、門前に駆けつけて空馬をつかまえ、柳の枝を折り取って、馬の背にとび乗りざまその枝で鞭打ったが、馬は走らない。親分は、
「ええい、畜生までがなめてやがる」
といったが、よく見れば、うろたえたあまり、まだ手綱が解いてないのだった。あわててひきちぎって裸馬に乗るや、飛ぶように屋敷の門を出て、大声でののしった。
「劉じじいのくたばりぞこないめ、覚えてろ、逃がしはせんぞ」
馬に二つ三つ柳の鞭をくれると、馬は親分を背に乗せてぱっかぱっかと山へのぼって行った。
劉老人は魯智深をつかまえて、
「和尚さん、おかげでわたしら一家はひどい目にあいますよ」
「ご無礼しました。まず着物と衣《ころも》を取ってきてくださらんか。着てから話します」
下男が部屋から取ってきた。魯智深がそれを着おわると、老人はいった。
「わたしはもともと、説教をして気をかえさせていただくつもりだったのです。それなのに、拳骨でなぐりなさろうとは。山寨へ知らせに行ったので、山賊どもが大勢でわたしたち一家を殺しにくるにちがいありません」
「ご老人、まあ落ちつきなさい。じつをいうと、わしはほかでもない、延安府経略使の《ちゆう》老相公のもとで提轄をつとめていたもの。人をなぐり殺したために出家して坊主にはなったが、あんなやろうの一匹や二匹はおろか、千二千の軍勢がきたってびくともせん。駄法螺《だぼら》を吹いていると思いなさるなら、この禅杖をさげてみなさるがよい」
下男たちにはとてもさげられなかった。それが智深の手にわたると、まるで灯心でもひねるように使いこなされる。老人は、
「和尚さま、どうかここにいてください。わたしら一家を護ってやってください」
「そりゃもういわれるまでもない。わしは死んだって逃げやせん」
「さあ、お酒を召しあがってください。しかし酔いつぶれませんように」
「わしは一分の酒なら一分の手並み、十分の酒なら十分の力が出るんだ」
「それなら結構です。家には酒も肉もたくさんありますから、存分にあがってください」
さて、一方、桃花山の一の親分は山寨で、二の親分の婿入りの首尾はどうか、誰かにようすを見に行かせようと考えているおりしも、数人の手下が息せき切って帰ってきて、
「一大事、一大事!」
と叫んだ。
「どうしたんだ、そのあわてようは」
と一の親分があわててきくと、手下は、
「二の親分が叩きのめされたのです」
一の親分はびっくりして、くわしくそのわけをたずねる。とそこへ、
「二の親分が帰ってこられました」
との知らせ。一の親分が見ると、二の親分は紅い頭巾もなくし、はおっている緑袍は破れてずたずた。馬からおりるなり入口にぶっ倒れて、
「兄貴、助けてくれ」
と、口のなかでいう。
「いったいどうしたのだ」
「山をおりて、あそこの屋敷へ行って部屋にはいってみたところ、ちくしょう、あの老いぼれやろうが、娘をどっかへやってしまって、そのかわりにでぶの坊主を娘の寝台にかくしてやがったんだ。おれがなんの気なしに帳《とばり》をあげてさぐったところ、そいつにとっつかまえられて、拳骨と足蹴りをくらい、ぶちのめされて身体じゅう傷だらけさ。手下どもが加勢に駆けつけたので、やつはおれから手を放し、禅杖をつかんで飛び出して行きおった。それで逃げ出してようよう命拾いをしたのだ。兄貴、たのむ、おれの仇をとってくれ」
「そうだったか。よし、おまえはひっこんで休んでいろ。おれが出かけて行ってそのくそ坊主をふんづかまえてやろう」
そして傍《そば》の者にどなった。
「早くおれの馬に鞍をおいてこい。みんなで押しかけるんだ」
一の親分は馬に乗り、槍を手にとり、手下全部をひき連れて、いっせいに鬨《とき》の声をあげながら山をくだって行った。
さて一方魯智深は、酒を飲んでいる最中に、下男の知らせを受けた。
「山の一の親分が勢ぞろいして押しかけてきました」
「あわてることはない。おれが叩きのめすから、おまえさんたちはそいつをふん縛って、役所へ突き出して褒美をもらいな。さあ、わしの戒刀を取ってきてもらおうか」
魯智深は衣《ころも》をぬいで下の着物をひっからげ、戒刀を腰にさし、禅杖をひっさげて、のっしのっしと麦打場へ出て行った。見れば、一の親分は、群がる松明のなかからただ一騎で門前に乗りすすんでき、馬上に長槍を構えながら大声でよばわった。
「くそ坊主はどこだ。さっさと出てきて勝負しろ」
智深は大いに怒ってののしりかえした。
「うすぎたない悪党のろくでなし。おれの手並みを見せてやるぞ」
禅杖をふりまわして、まっしぐらに詰めよって行くと、一の親分は槍をひっこめて、大声で叫んだ。
「和尚、待った。その声には聞きおぼえがある。まず名を名乗れ」
「ほかでもない、経略使老相公馬前の提轄魯達というのはおれだ。今は出家して和尚となり、魯智深という」
すると一の親分はからからと笑い出して、馬からすべりおり、槍を捨て、ぱっと身をひるがえして平伏していうには、
「兄貴、お久しゅう。二の兄貴がやられたのもむりはない」
魯智深は、だましているのだと思い、ぱっと数歩とびのいて禅杖をひかえたまま、じっと見すえると、松明の光のなかにそれとわかったのは、ほかでもない、槍棒を使って薬売りをしていた教頭、打虎将の李忠であった。
そもそも山賊が平伏するときには、平伏とはいわない。軍中縁起がわるいというので、かわりに「剪払《せんふつ》」といっている。これは縁起のよい字面《じずら》である。
で、そのとき李忠は剪払をして立ちあがると、魯智深の手をとっていった。
「兄貴はどうして頭をまるめたのだ」
「まあ、なかへはいってから話そう」
劉老人はそれを見て、この坊主も仲間だったのかと、またもびっくり。
魯智深はなかへはいって衣《ころも》をつけ、李忠とともに座敷に通って久闊を叙した。
魯智深は正座について、劉老人にくるようにいったが、老人は近づこうとはしない。智深はいった。
「ご老人、なにもこわがることはない。これはわしの兄弟分だから」
老人は兄弟分と聞いて、ますます怖気《おじけ》づいたが、出て行かないわけにもいかない。李忠が二番の席につき、劉老人は三番の席についた。すると魯智深はいう。
「おふたりとも聞いていただきたい。わしは渭《い》州で鎮関西を拳骨三発でなぐり殺してから、逃れて代州の雁門県へ行ったところ、前に金をめぐんで逃がしてやった金老人に出会ったのだ。この老人は東京へは帰らずに、知りあいをたよって雁門県に住んでいたわけだ。その娘が、土地の金持の趙員外のかこいものになっていたことから、わしもその人に会ったが、なかなかよくしてくれた。ところが役人がきびしくわしを追いまわすので、員外が銭を出してわしを五台山の智真長老のもとへ送って、剃髪して坊主にしてくれたのだが、わしは酒に酔って二度も僧堂で大騒ぎをやらかしたために、師匠の長老さまはわしに添書をくださって、東京の大相国寺の智清禅師をたよって行って役僧にでもしてもらえというわけなのだ。その道中に宿をとりはぐれ、このお屋敷に泊まらせてもらったところ、はからずもあんたに出会ったのだ。ところでさっきわしが叩きのめしてやったあの男は何ものだ。また、あんたはどうしてこんなところにいるのだ」
李忠は話した。
「わしはあの日、渭州の料理屋で兄貴や史進と別れたその翌日、兄貴が肉屋の鄭《てい》をなぐり殺したといううわさを聞いたので、史進のところへ相談に出かけて行ったところが、史進も何処へ行ったのかいない。詮議がきびしいと聞いて、わしもあわてて逃げ出した。そしてこの山の麓にさしかかったところ、さっき兄貴になぐられたあの男、あれがこの桃花山に山寨をかまえて小覇王《しようはおう》の周通《しゆうとう》と名乗っているのだが、ちょうど手下をひき連れて山をおりてくるところに行き会い、わしとやりあったのだが、やつはわしに負かされたので、山にひきとめてわしを寨主にし、一の親分の椅子に坐らせたのだ。そういうわけでここで山賊稼業をしているのだ」
聞いて智深はいった。
「あんたがここにいるのなら、劉老人との縁談はうちきりにしてくれ。老人にはただひとりの娘、老後のたよりにしていなさるのだ。それを取って行かれたんじゃ老人はたよるあてがなくなってしまうじゃないか」
老人はそれを聞いて大いによろこび、酒食をととのえてふたりをもてなし、手下どもにはそれぞれ饅頭二つ、肉二切れ、大碗一杯の酒を振舞って、満腹させた。老人が例の結納の金と反物を持って出てくると、魯智深はいった。
「なあ李の兄弟、あんたがかわりに受けとっておいてくれ。このことは万事あんたにまかせたぞ」
「承知した。ところで兄貴、いっしょに山寨へ行ってしばらく逗留してくれんか。劉老人もいっしょにどうぞ」
老人は下男に轎を用意させて、魯智深を乗せ、禅杖や戒刀や荷物をはこばせた。李忠も馬に乗り、老人も小轎に乗って、夜もとっくに明けたころみなは山へのぼって行った。
智深が山寨の前に着いて轎からおりると、李忠も馬をおりて智深をおくへ案内し、聚義庁《しゆうぎちよう》(山賊の本陣)で三人はそれぞれ座についた。李忠は周通をよんだ。周通は和尚を見ると内心むっとした。
「兄貴のやつ、おれの仇をとるどころか、山寨によんできて上座に据えやがるとは」
李忠はいった。
「兄弟、この和尚を知っているか」
すると周通はいう。
「知ってりゃ、なぐられはしなかったろう」
李忠は笑いながら、
「この和尚はおれがよく話していた、あの拳骨三発で鎮関西をなぐり殺した人だよ」
周通は頭をかいて、
「ややっ」
と叫び身をひるがえして剪払《せんふつ》をした。魯智深は答礼をして、
「失礼をして相すみませんでした」
三人は席についたが、劉老人はそこに立ったままでいた。そこで魯智深はいった。
「周の兄弟、ひとつわしのいうことを聞いてくれ。劉老人とのこのたびの縁談のことだが、あんたは知るまいが、あの娘さんは老人のひとり娘で、老後の世話も野辺《のべ》の送りも、あとのとむらいも、みんなあの娘さんだけがたよりなのだ。それをあんたが嫁にもらってしまっては、老人にはたよるあてがなくなってしまう。老人にしても内心ことわりたいところだろう。ここはひとつわしのいうことを聞いてとりやめにし、別にいいのをさがすことにしてくれぬか。結納の金子と反物はここに持ってきているが、どうだろう」
「兄貴のおっしゃるとおりにしましょう。二度ともう行きません」
「男一匹、心変わりしてはならんぞ」
周通は矢を折って誓った。劉老人は平伏して謝し、金子と反物を返して山をおり屋敷へもどって行った。
李忠と局通は牛や馬を屠《ほふ》り、宴席を設けて幾日ももてなした。さらに魯智深をあちらこちらへ案内して山の景色を見せたが、さすがに名にしおう桃花山。すさまじい山で、四囲はけわしく切り立っており、ただ一すじの路があるだけ。あたりはすべて蓬々たる草むらである。智深はそれを見ていうよう、
「まことにすばらしい要害の地だ」
幾日か過ごしているうちに、魯智深は、李忠も周通も気概にとぼしく、料見がみみっちいと見て、山をおりることにした。ふたりはしきりにひきとめたが、どうしても聞かず、
「わしは出家の身だ。山賊渡世はできぬ」
というばかり。李忠と局通は、
「兄貴がそんなに山賊がいやで出て行くというのなら、おれたちは明日、山をおりてひと稼ぎしてきて、それを兄貴の路用に進呈しよう」
翌日、山寨では羊や豚をつぶして送別の宴を開くことになり、用意がととのって金銀の酒器を食卓にならべ、いざ席について酒盛りというとき、手下のものが知らせにきた。
「麓を十人あまりの者が車を二台ひいてやってきます」
李忠と周通はそれを聞くと、手下どもをよび集め、ふたりの者だけを魯智深の接待に残して、
「兄貴、どうかゆっくり飲んでいてください。おれたちは山をおりて稼いできて、兄貴のはなむけにしますから」
そういうと、手下どもをひき連れて山をおりて行った。魯智深は思案するよう、
「あのふたりはなんというけちなやろうだ。このとおりたんまり金銀があるのに、そいつはおれによこさないで、人のものをただ取りしてきておれにくれようというのだからな。人の物で自分の義理をすまそうというやつだ。人こそいい迷惑。よし、ひとつやつらの度胆を抜いてやろう」
さっそく、かのふたりの手下をよんで酒をつがせ、二杯ほど飲むとぱっと身をおこして拳骨でふたりをなぐりたおし、腹巻をほどいてひとからげに縛りあげて、口には麻核桃(注二)をつめこんだ。そして、包みを取り出してひろげ、つまらぬ物はみんな捨てて卓の上の金銀の酒器だけを取り、踏みつぶして包みこんだ。胸にぶらさげた度牒袋のなかには智真長老の手紙をしまいこみ、戒刀を腰にし禅杖をひっさげ、包みを肩にかけて山寨を出た。裏山へ出て眺めてみると、どこもけわしい崖ばかりである。そこで思案した。
「正面から行けばきっとやつらにぶっつかるだろうし、いっそのこと、このへんの草の茂みを転《ころ》がりおりてやろう」
と、まず戒刀と包みをいっしょにゆわえて投げ落とし、ついで禅杖を放り落としておいてから、自分もころがりおりた。ごろごろと山の下まで転がって行ったが、かすり傷ひとつ負わなかった。詩にいう。
絶険《ぜつけん》曽て鳥道の開くなし
行かんと欲して且《しばら》く止まり自《みずか》ら疑猜す
光頭(坊主頭)と包裹《ほうか》 高きより下る
瓜熟して紛々と蒂《てい》(へた)より落ち来る
魯智深はけわしい所をころがりおりると、ぱっと立ちあがって包みをさがし出し、戒刀を腰にさし、禅杖を手にとり、腕をふるって大股に路を急いで行く。
ところで一方、李忠と周通は、山をおりて麓に出ると、ばったり数十人の者に出くわした。てんでに武器を持っている。李忠と周通は槍を構え、手下たちは喊声をあげて襲いかかった。
「おい、旅の者、わけのわかるやつなら通り賃をおいていけ」
とどなると、旅人のなかからひとり、朴刀を振りまわして李忠にかかってくる者があった。押しつもどしつ十合あまりたたかったが、なお勝負がつかない。周通がかっとなって飛び出して行って大喝すると、手下たちもいっせいにかかって行く。旅人たちは支えきれず、身をかえして逃げ出したが、逃げおくれた者七八人はみな突き殺されてしまった。
車や荷物を奪い取り、凱歌をあげながら一行がゆうゆうと山をのぼり、さて山寨について見ると、なんとふたりの手下がひとからげに柱に縛りつけられており、卓の上の金銀の酒器はみななくなっている。周通は手下の縄をほどいてやって、わけをたずねた。
「魯智深どのはどこへ行かれた」
「わたしどもふたりをなぐりたおして縛りあげ、器物を包みこんでみんな持って行きました」
「あのくそ坊主め。とんでもないやつだ。まんまとしてやられたわ。いったいどこから逃げやがったのか」
ずっとあとをたどって裏山へ行ってみると、そのあたりの草むらが平らにおしたおされている。周通はそれを見て、
「あのくそ坊主め、したたか者だったのだ。こんなけわしい崖をよくもころがって行ったものだ」
というと、李忠、
「追っかけて行ってやりこめてやろう。大恥かかせてやるんだ」
「よせよせ。泥棒逃げたら戸をしめろ、というじゃないか。追っかけるにしてもあてがないし、たとえ追いついたとしてもとてもやりこめることなんかできんだろう。もし面倒なことにでもなれば、おれも兄貴もやつには勝てっこないし、あとで顔をあわせでもしたときにまずいじゃないか。あきらめた方があとのためにもよさそうだぜ。それよりも車の荷物をあけて金銀反物を三つにわけて、兄貴とおれとがひとつずつ、残りのひとつは手下たちにわけてやろう」
「おれがあいつを山へ連れてきたのがまずかった。おかげでおまえに大損をかけたから、おれのわけ前はみんなおまえにやるよ」
「兄貴、おれと兄貴は生死をともにしようと誓いあった仲だぜ。そんな水臭いことをいいなさるな」
さてみなさん、この李忠と周通のふたりが桃花山で山賊をしているということを、よく覚えておいてください。
ところで魯智深は、桃花山をあとにして道を急ぎ、朝から昼過ぎまでおよそ五六十里あまりも歩いたが、やがて腹が減ってきたものの道中には飯を食うところもない。
「朝から先を急ぐばっかりでなにも食っていない。さてどこへ行ったらよかろうか」
と思案しながら、あちこち見まわしていると、ふと遠くから風鈴の音が聞こえてきた。それを耳にして魯智深はつぶやいた。
「しめた。寺か道観(道教の寺)かだ。その軒さきの風鈴が風に鳴っているんだ。まずはそっちへ行ってみよう」
魯智深がそこへ出かけて行ったために、やがて十数人の者があえなくその命を落とし、一本の松明によって由緒ある霊山古跡が焼け落ちて、黄金殿上に紅蓮《ぐれん》の炎が燃えあがり、碧玉堂前に黒煙が立ちのぼる、という次第に相なるのであるが、はてさて魯智深がたずねて行ったのはいかなる寺観《て ら》であったか。それは次回で。
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一 この唄は意訳したが、原文を読みくだせば、
帽児光光として
今夜個の(一個の)新郎と做《な》る
衣衫窄窄として
今夜個の嬌客と做る
嬌客とは新郎のこと。
二 麻核桃 麻縄をまるめたもの。ねじわら。宝暦七年(一七五七)刊の『忠義水滸伝解」には「口ヘ子《ネ》ヂハラカマセルコト」とある。
第六回
九紋竜《くもんりゆう》 赤松林《せきしようりん》に剪径《せんけい》し
魯智深《ろちしん》 瓦罐寺《がかんじ》を火焼す
さて、魯智深がいくつかの山を越えて行くと、大きな松林と、ひとすじの山路とが見えた。その路を半里ほど行ったところでふと見ると、破れ寺が目にうつった。風にゆれて風鈴が鳴っている。山門には一枚の古ぼけた朱塗りの額がかかっていて、四つの金の文字が見える。いずれも黒ずんでしまっているが「瓦罐《がかん》之寺」と書かれていた。さらに奥へ四五十歩ほど行くと、石橋があった。石橋をわたってまた眺めると、一座の古寺が見えた。かなり時代を経たもので、山門にはいってよく見ると、大きな寺ではあるがひどく荒れている。そのさまは、
鐘楼は倒〓《とうとう》し、殿宇は崩摧《ぼうさい》す。山門は尽《ことごと》く蒼苔長《しげ》り、経閣は都《すべ》て碧蘚生《お》う。釈迦仏は蘆芽《ろが》膝を穿ち(注一)、渾《あたか》も雪嶺《せつれい》(注二)に在りし時の如く、観世音は荊棘《けいきよく》身に纏《まと》い、却《かえ》って香山《こうざん》(注三)を守りし日に似たり。諸天(三界の諸神)は壊損《かいそん》して、懐中に鳥雀《ちようじやく》巣を営み、帝釈《たいしやく》は欹斜《いしや》して、口内に蜘蛛《く も》網を結ぶ。頭没《こうべな》き羅漢《らかん》は、這《こ》の法身も也《また》災殃を受け、臂折れし金剛は、神通《じんつう》を有《も》つも如何にして施展《してん》せん。香積厨《こうしやくちゆう》(庫裡)中に兎穴《とけつ》を蔵し、竜華台《りゆうげだい》上に狐踪《こそう》(狐のあしあと)を印す。
魯智深は、寺内へはいるとまず知客寮《しかりよう》(接待所)をたずねた。が、知客寮の前には門もなくなっていて四方の土壁はすっかり崩れ落ちている。こんな大きな寺がどうしてこうも荒廃したのだろうと、智深は不審に思いながら、さらに奥へはいって方丈の前へ行ってみると、あたりはいちめんに燕の糞だらけ。扉には錠がおりていたが、錠は蜘蛛の巣まみれである。智深は禅杖をどんと地面について大声でよんだ。
「旅の僧だが、お斎《とき》にあずかりたい」
いくらよんでも、なんの返事もない。庫裡《くり》の方へまわって行ってみると、鍋もなく、かまどもすっかり崩れ落ちている。智深は包みを解いて、監斎使者《かんさいししや》(台所の守護神)の前におろし、禅杖を手にしたまま、あちこちとさがしまわって、厨房の裏の小屋まで行ってみると、そこに幾人かの年とった坊主がいた。だれもかれも顔の色艶がなく、痩せこけている。智深はどなりつけた。
「おいこら、坊主たち、けしからん! おれがよんでいるのに、だれも返事をせんとは」
すると坊主たちは手をふっていった。
「大きな声を出さないでください」
「わしは旅の僧だ。飯を一杯食わせてもらいたいのだが、別にたいしたことではあるまい」
「わたしたちはもう三日も腹のなかがからっぽなのです。おまえさんにあげる飯などあるものですか」
「わしは五台山からやってきたのだが、粥でもよいから、少々いただきたい」
「活き仏さまのところからきなさった方なら、なおのことお斎《とき》を出してさしあげたいが、いやはやこの寺の僧はみんな逃げてしまって、一粒の米もなく、わたしたちも三日のあいだ、まったくなにも食わずにいますので」
「ばかな。こんなに大きな寺で、一粒も米がないなんてことはなかろう」
「それぁ小さい寺ではありませんが、檀家のない托鉢寺でして、いつぞや、ひとりの雲水が道人《どうにん》(半僧半俗の僧)をひとり連れてきて、この寺の住持に坐ってからというもの、寺にあったものはなにもかも全部叩きこわしてしまって、ふたりでしたいほうだいなことをし、僧侶たちをみな追い出してしまったのです。わたしら数人の年とった者は足腰がきかないので、しかたなしにここに残っているのですが、そんなわけで食う飯もありませんので」
「ばかな。たかが雲水ひとりに道人ひとり、そんなことができるはずはない。だいいち、なんでお上に訴え出ないのだ」
「そういわれるのも無理はありませんが、当地の役所は遠いうえに、役所の兵隊でも彼らを取り締まることはできないのです。その雲水と道人はまったくひどいやつで、ふたりとも人殺し火つけ人という悪党、今は方丈の裏の方に住んでおります」
「そのふたりはなんという名だ」
「雲水の方は、姓は崔《さい》、法名は道成《どうせい》といい、生鉄仏《せいてつぶつ》というあだ名です。道人は、姓は丘《きゆう》、兄弟順の名で小乙《しよういつ》といい、飛天夜叉《ひてんやしや》というあだ名です。やつらはとても出家なんかではなく、山賊同然です。出家の恰好をしているだけなのです」
智深があれこれたずねていると、ふといい匂いがしてきた。そこで智深は、禅杖をひっさげて裏の方へまわって行ってみると、かまどに藁の蓋《ふた》がしてあって、そこから湯気がぽかぽかと立ちあがっている。蓋を取って見ると、鍋には粟粥が煮えたっている。智深はどなりつけた。
「おい、老いぼれ坊主、ひどいやろうだ。三日も食っていないなどといいながら、ほら、ここにちゃんと粥が煮てあるじゃないか。出家のくせになぜ嘘をつく」
老僧たちは、智深に粥を見つけられてしまって、しまった! とばかり茶碗や皿や鉢や杓子や水桶などを、ぜんぶ取りあげてしまった。智深は腹が減ってたまらない。目の前に粥を眺めて、食いたくはあるが手をつける術《すべ》がない。と、そのとき、かまどの傍に、塗りのはげた食台がほこりをかぶっているのに気づいた。智深はそれを見ると、せっぱつまれば知恵もわくというもの、すぐ禅杖をそこへ立てかけ、かまどのあたりから藁を拾って、食台のほこりをふき取り、両手で鍋を持ちあげて食台の上へ粥をぶちまけた。老僧たちは、粥にありつこうとして我勝ちに躍りかかってきたが、智深に突きとばされ蹴りとばされて、みな倒れてしまったり逃げてしまったりした。智深はその粥を手ですくいあげて食ったが、やっと二口三口すすったとき老僧がいった。
「わたしらはほんとに三日間なにも食べていないのです。ついさっき托鉢に出て、ようやくこれだけの粟をもらってきて、なにはともあれ粥にして食べようとしていたのに、こんどはそれをあんたに食われてしまうとは」
智深は五六口すすったところで、この泣きごとを聞き、それっきり食うのをよしてしまった。そのとき外で誰かがはなうたをうたうのが聞こえた。智深が手を洗い禅杖をさげて、外に出てみると、破れた塀のむこうにひとりの道人の姿が見えた。頭に黒い頭巾をかぶり、身には木綿の衫《うわぎ》を着、腰にはまじり色の細帯をしめ、脚には麻の鞋《くつ》をはき、天秤《てんびん》をかついでいる。一方の端は竹籠《たけかご》で、魚の尻尾と蓮の葉にくるんだ肉が外から見える。もう一方は一瓶の酒で、これも蓮の葉で栓がしてある。口ずさんでいるそのはなうたは、
おまえは東わしは西
おまえ亭主なしわしゃ嬶《かかあ》なし
嬶がないのはまだよいが
亭主のないのはさびしかろ
そこへ老僧たちがやってきて、手をふりながら、そっと智深に知らせた。
「あの道人が、それ、飛天夜叉の丘小乙なのです」
智深はそう教えられると、禅杖をひっさげてあとをつけて行った。つけられているとも知らない道人は、すたすたと方丈のうしろの塀のなかへはいって行く。智深もすぐなかへはいってみると、茂った槐《えんじゆ》の木の下に一脚の机が出してあって、料理がならべられ、杯が三つ、箸が三膳おいてあり、真中には太った坊主が坐っている。眉は漆を刷いたよう、顔は墨をぬったようで、ごつごつと身体じゅうに肉が盛りあがり、胸板の下から黒い腹の皮をのぞかせている。その傍にひとりの若い女が腰かけていた。れいの道人も竹の籠をおろして、そこへ腰をおろした。
智深がその前へ行くと、坊主はびっくりして立ちあがったが、
「どうぞおかけになって。いっしょに一杯やりましょう」
智深は禅杖をひっさげたままいった。
「おまえたち、なぜ寺を荒らしたか」
「まあ、おかけになって、わたしのいうことをお聞きください」
智深は眼をむいて、
「さっさといってみろ」
「この寺は以前はずいぶん立派で、田地も広く雲水もたくさんいたのですが、それをあの廊下にいる老僧どもが酒を飲んで勝手なまねをし、金を持ち出して女にみついだりして、長老さまにもおさえがきかなくなったところを、逆に長老さまを叩き出してしまったのです。それでこの寺はすっかり荒れてしまって、雲水たちもみんなちりぢりになり、田地もとっくの昔にぜんぶ売ってしまったというしだい。わたしとこの道人とがこんどここの住持になりまして、山門もちゃんと建て、伽藍も修復して、と思ってるところなのです」
「それじゃ、その女は何者だ。どうしてここで酒を飲んでいるのだ」
「まあお聞きください。この女の人は、このさきの村の王有金《おうゆうきん》さんの娘さんなので。この人の父親は以前はこの寺の檀越だったのです。いまは財産をなくして、この頃はすっかり零落され、家族の方はみななくなったうえに、ご亭主も病をわずらっておられるので、この寺へ米を借りに見えたのです。わたしも施主・檀越のお顔を立てて、こうして、酒を出しておもてなししているわけで、別に他意はありません。あの老いぼれの畜生どものいうことなど、本気になさってはいけません」
智深はその話を聞き、またその坊主のいかにも殊勝なのを見て、
「いまいましい、あの老いぼれ坊主め、おれを愚弄しおったな」
と、禅杖をひっさげてふたたび庫裡へひきかえした。老僧たちはちょうど粥を食べてしまったところで、そこにいた。智深はぷんぷん怒りながらそこへ行き、老僧たちに指を突きつけていった。
「おまえたちこそ寺をめちゃめちゃにした張本人のくせに、ぬけぬけとよくもこのおれをだましたな」
すると老僧たちは口をそろえて、
「あいつのいうことを、真《ま》に受けてはなりません。現に女を囲っておりましょう。さっきはあなたが戒刀と禅杖を持っていらっしゃるのに、あいつはなにも武器を持っていなかったので、おとなしくしていただけのことです。嘘だと思われるなら、もう一度行ってあいつがどう出るか見ればわかります。だいいち考えてもごらんなさい。あいつらは酒をくらい肉を食べているというのに、わたしらは粥にもありつけないしまつ。さっきだって、あなたに食べてしまわれはしないかとはらはらしていたくらいで」
「なるほどな」
と智深は、禅杖を逆手に持ちかえ、また方丈の方へとってかえしたが、見ればくぐり門ははやとざされてしまっている。智深はかんかんに怒り、一蹴りに蹴破ってなかへ押しいって見ると、かの生鉄仏の崔道成は朴刀を取って家のなかから槐の木の下へ躍り出し、智深に斬りかかってきた。智深はそれを見ると、おうと一吼《ほえ》、禅杖を振りまわして崔道成とたたかった。両者わたりあうこと十四五合、崔道成は智深にはかなわず、受太刀にまわるばかり。刀をひき身をかわし、ついにしのぎきれなくなって逃げようとした。これを見た丘道人は、朴刀をつかんで智深の背後からつかつかとすすみよる。智深はわたりあいながら、うしろに足音を聞きつけたが、ふりかえるいとまがない。ちらっと人影を見て、ひそかにねらうやつのあるのをさとり、
「ええいっ」
と叫んだ。崔道成はどきっとし、禅杖をくらわされると思ってぱっと遠くへ身をひく。そのとき智深はすかさずふりむき、かくて三人は鼎《かなえ》の脚のように睨みあった。崔道成と丘道人のふたりは十合あまり斬り結んできたが、智深は腹が減っているのと、長い道中のあげくなのと、さらには彼らふたりの新手《あらて》の力にはかなわぬことから、やむなく勝ちをゆずり、禅杖をひきずって逃げ出した。ふたりは朴刀を振りまわしてまっしぐらに山門の外まで追ってきた。智深はまた十合ほどわたりあったあげく、禅杖をひっこめて逃げた。ふたりはなおも追ったが、石橋のところまで行くと、欄干に腰をおろして追うのをあきらめた。
智深は遠くまで逃げて、ようやく息が静まると、考えた。
「荷物は監斎使者のところに置きっぱなしで、あわてて逃げ出してきたので、持ってこなかった。これからさき道中は一分の路銀もないうえに腹もぺこぺこだが、さて、どうしたらよかろう。とりかえしに行っても、あいつらに勝てん。やつらふたりでおれひとりにかかられては、むざむざ殺されるのがおちだ」
あてもなく歩いて行ったが、一歩一歩、足が重たくなるばかり。やがて何里か行くと、前方に大きな林が見えた。赤松の木ばかりである。見れば、
〓枝《きゆうし》(蛇のような枝)錯落として、数千条の赤脚の老竜盤《わだか》まり怪影参差《しんし》として、幾万道の紅鱗の巨蠎《きよぼう》立つ。遠くより観《み》れば却って判官《はんがん》(地獄の書記)の鬚に似、近くより看《み》れば宛《あたか》も魔鬼の髪の如し。誰か鮮血を将《もつ》て林梢に灑《そそ》げる。疑うらくは是れ珠砂の樹頂に舗《し》けるかと。
魯智深はそれを見て思った。
「まったく、ものすごい林だ」
じっと眺めているうちに、ふと気がつくと、木影からひとりの男がきょろきょろとのぞいていたが、ぺッと唾を吐くなりひっこんだ。智深の思うには、
「あいつはどうやら追剥ぎらしいな。ここで商売をしようと待っていたら、お客が坊主のおれなもので、こいつはもうけにならぬわいと唾を吐いてひっこんだか。あいつも相手がおれじゃ胸くそもわるかろうが、おれだってくそいまいましくて遣り場がなく、困っているところだ。そうだ、あいつの着物でも剥ぎ取って酒手にしてくれようわい」
そこで禅杖をひっさげてすたすたと松林の方へやって行き、大声でどなった。
「やいこら、林のなかのやろう、とっとと出てきやがれ」
男は林のなかでそれを聞くと、はっはと笑い出し、
「いまいましい。あべこべにむこうからおいでなすったか」
と林のなかから、朴刀をひっさげ、くるりとむき直って躍り出し、
「くそ坊主め、殺してもらいたいか。お望みどおりにしてやるぞ」
とどなりかえす。
「おのれ、思い知らせてくれよう」
と智深が禅杖を振りまわして男に打ちかかって行くと、男は朴刀をかまえて応じたが、すすみ出ようとしたときふと、この坊主の声はどうも聞いたような声だと気づいて、
「おい、坊主、おまえの声にはどうやら聞きおぼえがあるが、なんという姓だ」
「三百合やりあってから名乗ってやろう」
男は大いに怒り、手にした朴刀を振るって禅杖をうけた。わたりあうこと十数合、男はひそかに舌をまいて思うよう、
「たいした荒くれ坊主だ」
さらに四五合ののち、男は叫んだ。
「ちょっと待った。話がある」
双方たがいに身をひく。そこで、男はたずねた。
「おまえはほんとうになんという姓で、なんという名だ。声には聞きおぼえがあるのだが」
智深が名を名乗ると、男は朴刀を捨てていきなりそこへ剪払《へいふく》していった。
「史進《ししん》をおぼえておいでか」
「なんと史大郎さんだったか」
と智深は笑った。ふたりは改めて剪払をかわし、いっしょに林のなかへはいって、腰をおろした。
「史大郎さん、渭《い》州で別れてから、どこでなにをしていたんだ」
智深がたずねると、史進は、
「あの日、料理屋の前で兄貴と別れてから、その翌日になって、兄貴が肉屋の鄭《てい》をなぐり殺して逐電《ちくでん》したということを聞いた。それに、捕手の役人が、わしと兄貴が流し芸人の金《きん》老人に金をやって旅立たせたということをか ぎつけたので、わしもすぐに渭州を出て、師匠の王進《おうしん》どのをたずねて延《えん》州まで行ったのだ。ところが、めぐり会えずに、北京に舞いもどってしばらく過ごしているうちに、路銀を使いはたしてしまったので、ここへきて路銀稼ぎをやっていたところ、はからずも、兄貴に出あったというわけだ。ところで、兄貴はどうして坊主になりなさった」
智深は、これまでのいきさつを、ひととおり話して聞かせた。史進は、
「兄貴、腹をへらしているのなら、乾肉と焼餅があるよ」
と、取り出して智深に食べさせる。史進はまたいった。
「荷物が寺に置いてあるのなら、いっしょに取りに行こう。四の五の吐《ぬ》かせばやっつけてしまうまでだ」
「よし、そうしよう」
史進とともに腹いっぱい食べて、それぞれ得物《えもの》を手に、瓦罐《がかん》寺へとひきかえした。
寺の前まで行って見ると、崔道成と丘小乙のふたりは、まだ石橋の上に腰かけていた。智深はどなりつけた。
「やろうども、さあこい。こんどはとことんまでやるぞ」
坊主は笑っていった。
「おれに負けたやつが、まいもどってきてやりあおうというのか」
智深が怒って、鉄の禅杖を振りまわしながら橋の方へ飛びかかって行くと、生鉄仏も猛りたって朴刀を取るなり橋の方から斬りこんできた。智深は味方に史進を得たのと、腹ごしらえができたのとで大いにふるいたち、八九合わたりあううち、はや崔道成はたじたじとなって、うしろを見せて逃げ出さないのがやっとというところ。飛天夜叉の丘道人は、味方の坊主のこの敗色《はいしよく》を見て、やにわに朴刀をとって助太刀に出た。こちらではこれを見た史進が木立の蔭から躍り出して、
「動くな!」
とどなりつけ、笠をはね捨て朴刀をかまえて、丘小乙にむかって行く。かくて、四人が二組になってのはたしあい。智深と崔道成とがたたかいまさにたけなわというとき、智深が機を見て、
「ええいっ」
と一声、禅杖を振るって、生鉄仏を橋の下に叩き落とした。道人は坊主がやられたのを見ると、たたかう気も失せてしまい、すきを見て逃げ出した。史進が、
「逃げるか!」
と追いすがって行って背中へ一太刀浴びせると、どっとばかり道人は倒れた。史進は踏みこんで、朴刀を逆手にとりなおし、ぶすぶすと突きまくる。智深は素早く橋をおり、崔道成のうしろから禅杖でなぐりつけた。かくて、あわれふたりの強盗は化して南柯《なんか》の夢(注四)となった。積悪の報いは一挙に到る、というのはまさにこれである。
智深と史進は、丘小乙と崔道成の死体をひとつに縛って、谷川へ突き落としたのち、ふたたび寺のなかへはいって行った。庫裡にいた例の数人の老僧たちは、智深が負けて逃げて行ったので、崔道成と丘小乙が殺しにくるものと思って、すでにみな、みずから首をくくって死んでいた。ふたりがさらに、方丈の裏のくぐり門をはいって行って見ると、さらわれてきていた例の女も、井戸へ身を投げて死んでいた。さらに、その奥の小部屋を七つ八つ見つけて、おしいって見たが、人っ子ひとりいない。ふと見ると、荷物がそこに持ってきてあったが、手をつけた形跡はなかった。魯智深は荷物を見つけると、それをもとのように背負って、さらに奥へはいって行った。と、寝台の上に衣服の包みが三つ四つおいてあった。史進がほどいてみると、なかは着物ばかりだったが、すこしばかり金銀もはいっていたので、よさそうなのだけよって包みをこしらえ、背に負った。台所をさがしまわると、酒も肉もあるので、ふたりはたらふくつめこんでから、かまどのところで松明を二本こしらえ、火鉢の火をかきたてて火をつけると、まず裏手の部屋に火をつけて門前まで焼きはらい、さらに松明をなん本かこしらえて、仏殿の裏へまわってその軒先に火をつけた。おりからの強風にあおられて火はどんどんと燃えひろがり、天を舐《な》めんばかりに燃えさかる。智深と史進はしばらくそれを眺めていたが、やがて火の手はすっかり四方へまわってしまった。ふたりは、
「よいところでも長居は無用(注五)とか。さっさと行こう」
と、たがいにせかしあって、一晩じゅう歩きつづけた。夜の白むころ、ふたりは遠くにひとむれの人家を見た。見ればひとつの村である。ふたりがその村へはいって行くと、丸木橋のたもとに小さな居酒屋があった。そのさまは、
柴門《さいもん》は半ば掩《とざ》され、布《ふばく》は低く垂る。酸〓《さんり》(すっぱいうす酒)の酒瓮《しゆおう》は土牀の辺、墨画の神仙は塵壁《じんぺき》の上。村童酒を量る、想うに器を滌《すす》ぐ相如《しようじよ》(注六)にあらず、醜婦鑪《ろ》に当たる、是れ当時の卓氏《たくし》(注七)にあらず。牆間の大字は、村中の学究の酔時の題、架上の簑衣《さい》は、野外の漁郎の興に乗じての当《とう》(質草)。
智深と史進は、村の居酒屋にはいって酒を飲みながら、店の小僧に肉を買ってこさせ、米を借り、火をおこして飯を煮《た》いた。ふたりは酒を飲みつつ道中のあれこれを語りあった。やがて酒と飯がすむと、智深は史進にたずねた。
「あんたはこれから何処へ行くつもりだ」
「また少華山へ帰るよりしかたがない。朱武ら三人のところへたよって行って仲間にはいり、そのうちまたなんとか考えることにする」
「それもよかろう」
智深はそういい、荷物をほどいて金銀をすこしばかり取り出し、史進にやった。ふたりは荷をからげ、得物《えもの》を手に取り、酒代を払ってそこを出た。村をあとにして五六里ほどのところで三叉路に出ると、智深はいった。
「さあお別れだ。わしは東京《とうけい》へ行くが、見送らないでくれ。華州へ行くにはこの道を行けばよい。後日また会うだろうが、つてがあったら、おたがいにたよりをしよう」
史進は智深に別れの挨拶をし、ふたりは、それぞれの道にわかれた。史進は行ってしまった。
さて、智深は東京さしてすすんだが、八九日ほど行くと、はやくも行手に東京が見え、やがて城内にはいった。見れば、
千門万戸、紛々として朱翠《しゆすい》輝きを交《まじ》え、三市六街、済々として衣冠聚《つど》い集まる。鳳閣は九重の金玉を列ね、竜楼は一派の玻璃を顕わす。花街柳陌《かがいりゆうはく》(花柳のちまた)には衆多の嬌艶の名姫、楚館秦楼《そかんしんろう》(妓楼)には無限の風流の歌妓。豪門富戸は盧《ろ》(ばくちのかけ声)を呼んで会し、公子王孫は笑を買い来《きた》る。
智深は、東京のにぎわい、市井のざわめきを眺めながら町を通り、神妙にたずねた。
「大相国寺《だいしようこくじ》はどこでしょうか」
通りがかりの者が教えた。
「そこの州橋のところですよ」
智深は禅杖を手にしてすすみ、まもなく寺の門前にきた。山門をはいって見ると、まことに立派な大伽藍である。そのさまは、
山門は高く聳え、梵宇《ぼんう》は清幽。当頭の勅額は字《じ》分明に、両下の金剛は形《かたち》猛烈。五間の大殿は、竜鱗の瓦砌《がせい》(いらか)碧《みどり》に行《れつ》を成し、四壁の僧房は、亀背の磨磚《ません》花やかに嵌縫《かんほう》(象眼)す。鐘楼は森立《しんりつ》し、経閣は巍峩《ぎが》たり。旛竿《ばんかん》は高く峻《そそ》りて青雲に接し、宝塔は依稀として碧漢《へきかん》(青空)を侵す。木魚は横に掛り、雲板《うんばん》は高く懸《かか》る。仏前の灯燭は〓煌《けいこう》、鑪《ろ》内の香烟は繚繞《りようじよう》。幢旛《どうばん》は断えずして、観音殿は祖師堂に接し、宝蓋は相連《あいつらな》って、水陸会《すいりくえ》(施餓鬼場)は羅漢院に通ず。時々護法《ごほう》の諸天降《しよてんくだ》り、歳々降魔《ごうま》の尊者来《きた》る。
智深は寺にはいって東西の廊下を眺め、まっすぐに知客寮《しかりよう》へと行った。寺男が応対に出て知客に知らせると、まもなく知客が出てきたが、智深の凶猛な容貌と、鉄の禅杖をひっさげ戒刀をたばさみ大きな荷物を背負っている姿を見ると、早くも半ばおじけづきながら、
「どちらからおいでで」
とたずねた。智深は荷物と禅杖をおろして、合掌の礼をした。知客も合掌の礼をかえす。智深はいった。
「五台山からまいりました。師匠の真《しん》長老さまの添え文がこれにございます。当寺へまいって清《せい》大師長老さまのところで、役僧にでもしていただくようにとのおおせでした」
「真大師長老さまのお手紙をお持ちならば、方丈の方へご案内いたしましょう」
知客が智深を方丈へ連れて行くと、智深は荷物をほどいて手紙を取り出し、それを手に持った。すると知客がいった。
「あなたはどうして作法をわきまえられないのですか。もうすぐ長老さまが見えますから、戒刀をはずし、七条《け さ》・坐具・お香を出して、長老さまに礼拝なさいませ」
「もっと早くいってくださりゃよいのに」
智深はそういいながら、すぐに戒刀をはずし、荷物のなかから、一〓《ちゆう》の香と坐具と七条を取り出したが、そのままでどうしてよいのかわからない。知客はそこで袈裟をかけてやって、坐具を敷かせた。
やがて、智清禅師があらわれた。知客はすすみ出て申しあげる。
「この僧は、五台山よりまいりました者で、真禅師のお手紙がこれにございます」
「あの方からのお手紙は久しぶりだ」
知客は智深に、
「さあ、長老さまに礼拝なさい」
智深はまず香炉に香をいれて三拝の礼をしてから、手紙をさし出した。清長老がそれを受けとり、封をあけて見ると、魯智深が出家したいきさつと、このたび下山してここへ身を投ずることになったしだいをつたえ、お慈悲をもっておひきとりのうえ役僧におとりなしいただきたく、必ずおことわりなきよう、この僧は行末きっと悟を開くことができるでしょう、とこまかに書かれていた。
清長老は読みおわって、
「遠来の僧よ、まず僧堂へ行って休み、お斎《とき》などとられるがよい」
智深は礼を述べて坐具や七条《け さ》をとりかたづけ、荷物をさげ、禅杖と戒刀を手に小僧について退出した。
清長老は東西両班の役僧たち全部を方丈へよび集めていった。
「一同聞いてもらいたい。わたしの兄弟子《でし》の智真禅師がどうも無理なことをいってこられた。今きた僧はもと経略府の軍官で、人をなぐり殺したために剃髪して僧になったものだが、むこうでは二度までも僧堂で乱暴をはたらいた。それで置いてはおけないというので、こちらへよこしてきなさったのだ。ことわろうにも、兄弟子からこんなに丁寧にたのまれてはことわれないし、置いてやろうにも、寺の規律をめちゃめちゃにされてはこまるわけだ。どうしたらよかろうな」
知客がそれに答えて、
「もっともでございます。あの僧は、わたくしどもの目にも、まったくもって出家らしくございません。置いてやるわけにはまいりますまい」
都寺《つうす》がいった。
「ひとつ思案がございます。酸棗《さんそう》門の外の、隠居所の裏にある菜園《さいえん》、あそこは営内の兵隊や、城外の二十人あまりのならずものがしょっちゅうやってきて、勝手に羊や馬を追いはなしてひどく荒らしております。年寄りの僧がひとり管理しておりますが、とても取り締まれませんので、あそこへ智深をやったら、案外うまくやるかもしれません」
「なるほど都寺のいうとおりだな」
と、清長老はいい、侍者《じしや》を僧堂の客間へやって、智深が食事をすませたらよんでくるようにといいつけた。侍者が出て行ってしばらくすると、やがて智深が方丈へ案内されてきた。清長老は、
「そなたは、わたしの兄弟子《でし》の真大師のおすすめで、この寺に身をよせて役僧になろうというのだが、この寺には酸棗門外の嶽廟《がくびよう》の隣に大きな菜園がある。ひとつそこへ行って菜園を管理してもらいたい。畑作りの者に毎日野菜を十荷納めさせれば、あとはみなそなたの用にしてよろしい」
「師匠の真長老さまは、わたくしにこちらで役僧になるようにとのことでしたが、都寺《つうす》とか監寺《かんす》とかにしてくださらずに、菜園の管理とは、これはどういうわけでしょうか」
智深がそういうと、首座《しゆそ》が、
「おわかりにならぬかな。あなたはこんど見えたばかりで、これという仕事はまだなにもなさってはおらぬのに都寺になどなれるわけはない。菜園の管理だって立派なお役目ですぞ」
「わしは菜園の管理などおことわりです。都寺か監寺でなければいやです」
知客がいった。
「まあお聞きなさい。宗門のお役目にはいろいろ受持ちがあって、たとえばわたしなど、知客をつとめておりますが、このお役はもっぱら出入りのお客さまとか、坊さん方を接待するのです。維那《いの》とか侍者とか書記とか首座などいうお役目は、たいそうなお役目で、なかなかなれるものではありません。都寺とか監寺とか提点《ていてん》とか院主《いんじゆ》とかのお役目は、お寺の大事な品物をあずかりますから、おいでになったばかりのあなたがこういう重いお役につける道理はありません。また蔵の係りを蔵主《ぞうす》、殿の係りを殿主《でんす》、閣の係りを閣主《かくす》、喜捨寄進の係りを化主《けす》、湯殿の係りを浴主《よくす》といいますが、これは主《す》といって中《ちゆう》どころのお役目です。そのほかに塔をあずかる塔頭《たつちゆう》、食事の係りの飯頭《はんちゆう》、茶の係りの茶頭《さちゆう》、ご不浄の係りの浄頭《じんちゆう》というのがあって、これらは菜園の係りとおなじく頭《ちゆう》といって下の方のお役目です。で、今もしあなたが菜園の係りを一年間立派にやりとおされたら塔頭《たつちゆう》の位にのぼることができ、さらにそれを一年立派にやりとげられれば浴主《よくす》になり、それをまた一年立派につとめられたら、そこではじめて監寺というわけです」
「そんなら、いつかはうだつのあがる日もくるというわけですな。それじゃ、明日からやりましょう」
清長老は智深が承知したのを見ると、方丈へひきとめて休ませた。その日は役目がきまったのでさっそく掲示の文をつくり、菜園の隠居所へ人をやって寺務所の掲示をはり出させ、仕事の引継ぎは明日やらせることにして、その夜はそれぞれひきとった。
翌朝、清長老は法座にのぼって、智深に菜園の管理に任ずとの法帖《ほうじよう》を出した。智深はすすみ出てそれを拝領し、長老に挨拶をしてから、荷物を背負い、戒刀を腰にし、禅杖をひっさげ、見送りの僧ふたりとともにまっすぐ酸棗門外の隠居所へ行って、そこをあずかることになった。詩にいう。
萍蹤浪跡《へいしようろうせき》(注八)東京に入る
行き尽くす山林数十程
古刹今番劫火《ごうか》を経《へ》
中原此より刀兵を動かす
相国寺中重《かさ》ねて掛搭《かとう》(注九)し
種蔬園内且《しばら》く経営す
古より白雲は去《ゆ》きて住《とどま》ることなし
幾多の変化縦横に任《まか》す
さて、菜園の近くには、ばくち打ちの、ろくでなし・ならず者・荒くれやろうどもが二三十人いて、しょっちゅう園内に忍びこんでは野菜を盗み、それを商売にして暮らしていたが、この連中、野菜を盗みにやってきてふと目についたのは、隠居所の門口にはり出された寺務所の掲示である。
大相国寺掲示。このたび菜園の管理を僧魯智深に命じて当所をあずからしめ明日より管理せしむ。無用の者みだりに園内に立ち入って狼藉するべからず。
荒くれども数人はこれを見ると、さっそくならず者たちのところへ行って相談した。
「大相国寺では魯智深とかいう坊主を菜園の番人によこすそうだが、そいつの代わりっぱなをとっつかまえてひとさわぎやらかし、うんとぶんなぐって、おれたちに頭のあがらないようにしておこうじゃないか」
なかのひとりがいう。
「うん、おれにいい考えがある。やつはまだおれたちとお近づきじゃないから、けんかの吹っかけようもない。そこで、やつがきたら糞壺のところへおびき出して、お祝いをいうふりをして、両手でやつの足をすくいあげてひっくりかえし、糞壺のなかへたたきこんでやれば、ちょっとおもしろいじゃないか」
「そいつはいい、そいつはいい」
とみなはよろこび、話がきまってあとは相手のくるのを待つばかり。
ところで魯智深は、隠居所へやってきて荷物をかたづけ、禅杖を立てかけ、戒刀を掛けていると、畑作りの者ら数人がうちそろって挨拶にやってきた。方々の鍵などみな引継ぎがすむと、見送ってきたふたりの僧も前任者の老僧とともに挨拶をして寺へひきあげて行った。
智深が菜園へ出て行ってあちこち畑を見まわっていると、例の二三十人のならず者たちが、果物の盒《はこ》や祝い酒をたずさえて、にこにこ笑いながらいった。
「和尚さんがこんどこちらへおいでになったと聞いて、近所の者みんなでお祝いにあがりました」
智深はそれが企みとは知らないから、すたすたと糞壺のところへ近づいて行った。と、かのならず者連中はいっせいに飛びかかって、ひとりが左の足をひっつかまえ、他のひとりが右の足をひったくって智深を転《ころ》がそうとした。このことのために、智深の足先の蹴るところ山前の猛虎も怖気をふるい、その拳骨の落ちるところ海中の蛟竜も泡をくうということに相なるのである。まさに方円一片ののどかな野菜畑も一瞬にして小戦場となる。ところでいったい、かのならず者たちはどのようにして智深をひっくりかえしたか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 蘆芽膝を穿ち こわれた仏像の膝を穿って蘆の芽が生えているの意。
二 雪嶺 雪山、すなわち須弥山(ヒマラヤ)。釈迦の修行した山。
三 香山 雪嶺の北方にある山。観世音の修行した山。
四 南柯の夢 唐の李公佐の『南柯記』にいう、淳于〓《じゆんうふん》という男が酔って槐《えんじゆ》の木の下で眠り、夢に大槐安国へ行って公主を妻とし南柯太守となって二十年間栄華をきわめたが、やがて夢さめてみれば、家童が庭を掃いており、日もまだ暮れていなかったと。ここから夢のことを南柯という。「化して南柯の夢となる」とは、「はかなくなった」の意。
五 よいところでも長居は無用 原文は梁園雖好不是久恋之家(梁園好しと雖も是れ久恋の家にあらず)である。梁園とは漢初、梁の孝王のきずいた竹園の名。竹の園生という言葉もこれから出ている。「よいところでも……」と訳したが、魯智深と史進の言葉には「梁園好しと雖も」の方には意味はなく、あとの「久恋の家にあらず」だけに本意がある。
六・七 相如、卓氏 相如は司馬相如《しばしようじよ》、卓氏はその愛人の卓文君《たくぶんくん》。ふたりは卓文君の家郷である臨〓《りんきよう》(四川省)を捨てて相如の郷里の成都《せいと》(同)へ走ったが、相如の家は貧しくて暮らしてゆくすべがない。生家が大富豪である卓文君が、郷里へ帰れば誰か援助してくれるだろうといって、ふたりは卓文君の郷里へ帰って行ったが、誰も世話をしてくれない。そこで卓文君は、自分の身のまわりのものを売りはらって一軒の居酒屋を買い、自分は店に出てはたらき司馬相如は酒器洗いをしたという。「器を滌《すす》ぐ」というのは司馬相如のそれを指し、「鑢に当たる」というのは卓文君のそれを指す。
八 萍蹤浪跡 萍蹤は、浮き草のようにさまよって一処に定住しないこと。また萍跡ともいう。浪跡は、浪のようにゆききして定まりのないこと。また浪迹とも書く。
九 掛搭 僧侶が旅さきで一時寺に寄寓することをいう。また掛とも書く。
第七回
花和尚《かおしよう》 倒《さかしま》に垂楊柳《すいようりゆう》を抜き
豹子頭《ひようしとう》 誤って白虎堂《はくこどう》に入る
さて酸棗《さんそう》門外のかの荒くれのならず者たちに、頭格《かしらかく》の者がふたりいた。ひとりは過街老鼠《かがいろうそ》の張三《ちようさん》といい、もうひとりは青草蛇《せいそうだ》の李四《りし》といった。このふたりが頭《かしら》になって歓迎にやってきたので、智深ものこのこと糞壺の方へ近づいて行ったが、見れば連中はじっと立ったまま糞壺のところをはなれずに、
「おいら、和尚さんのお祝いにあがりました」
と口をそろえていう。智深はいった。
「近所の衆ならばどうぞ隠居所の方へおいでなさい」
張三と李四はひざまずいたまま立ちあがらない。智深が手をかけにきたら、飛びかかって行こうというのである。智深はそれを見て、すぐ、これはおかしいぞと思った。
「こいつら、ぐずぐずして、近よってもこないが、さてはおれをひっころがそうという魂胆なのだな。虎の鬚にさわろうとは太いやろうだ。それならこっちから出むいて行って、やつらにおれの腕のほどを見せてやろう」
智深はずかずかと連中の前へ出て行った。すると張三と李四がいう。
「わたくしども、和尚さまにご挨拶にまいりました」
そういって、近よってくるがはやいか、ひとりは左の脚をひったくり、ひとりは右の脚をひったくろうとした。智深は相手が身をかまえるよりもさきに、右脚を蹴あげて、ぽんと李四を糞溜めのなかに蹴り落とし、張三が逃げようとするところを、それよりも早く智深の左脚が飛んで、ならず者ふたりは、ともに糞溜めのなかに蹴落とされてもがいている。うしろに控えていた二三十人のごろつきどもは、びっくり仰天、ただぽかんと口をあけて、目を見はるばかり。やがて、風をくらって逃げようとするところを、智深がどなりつけた。
「逃げるやつは片っぱしからたたきこんでしまうぞ」
ならず者たちは立ちすくんでしまった。見れば、張三と李四は糞壺のなかから頭を出している。なにしろ、この糞溜めは底なしの深さなので、ふたりとも身体じゅう汚物まみれ。髪の毛には蛆虫がぞろぞろはいまわっている。ふたりは糞壺のなかで伸びあがって叫ぶ。
「和尚さん、おゆるしください」
智深はどなった。
「おい、やろうども、早くあのくそやろうを助けてやれ。みんな見逃してやるから」
一同は助けあげて、瓢箪棚のところまで連れて行ったが、臭くて近よれたものではない。智深はからからと笑って、
「おい、そこな間抜けども、菜園の池で洗ってこい。あとでみんなに話したいことがある」
ふたりのならず者が身体を洗いおわると、ほかの者が自分の着物をぬいでふたりに着せてやった。智深はいった。
「みんな隠居所へこい。そこで話をしよう」
智深はまず真中にすわり、それからみなを指さしていった。
「この阿呆ども、正直にいうんだぞ。いったいおまえたちはどういう連中なのだ。おれをなぶりにきやがって」
張三・李四をはじめ、仲間たち一同はいっせいに平伏していった。
「わしらは先祖の代からこの土地の者で、ばくち打ちをして暮らしております。ここの菜園はわしらのかせぎ場所で、大相国寺ではいくら銭をかけても、わしらを追っぱらうことはできなかったもんです。ところで、お師匠さんはいったいどこからおいでになった長老さまですか。いやはやなんともたいしたお手並みで。これまで相国寺でお見かけしたことはございませんが、これからは心からお従いいたします」
「わしは関西は延安府の経略使、《ちゆう》老相公のもとで提轄をつとめておった者だが、むやみに人を殺したので、発心して出家になり、五台山からここへきたのだ。俗姓は魯、法名は智深という。おまえらなんぞの二三十人ぐらい物の数ではない。たとえ千軍万馬のなかへでも、わけなく斬りこんでみせるわ」
ならず者たちは、ただ、へいへいと恐れいるばかり。やがて、拝謝して帰って行った。智深は部屋のなかをとりかたづけて寝た。
翌日、ならず者たちはみなで相談のうえ、金をいくばくか出しあって酒を十瓶買い、豚を一匹ひっぱってきて、智深を招いた。隠居所に酒席をととのえると、魯智深を上座に据え、ならず者たち二三十人は両側にずらりと並んで酒盛りとなった。智深が、
「おまえたちにこんな散財をさせては申しわけがない」
というと、みんなは、
「こんど和尚さんがここへおいでになったことは、わしらのしあわせです。わしらの親分になっていただきたいので」
智深は上機嫌である。ほどよく酒がまわって、歌う者、しゃべる者、手をうつ者、笑う者と、にぎやかにさわいでいると、門の外で鴉《からす》がかあかあ鳴き出した。すると誰かが歯を鳴らし(注一)、みなはいっせいに、
「赤口《しやつこう》は天へ上り白舌《はくぜつ》は地に入る(正直者は極楽へ嘘つきは地獄へ)」
と唱えた。
「なんだ、そのばかなまねは」
と智深がきくと、
「鴉が鳴くと口舌(悶着)がおこりますんで」
「どうしてそんなことを信じるのだ」
畑作りの寺男が笑いながら、
「塀の隅の方の柳の木にこのごろ鴉が巣をつくりまして、毎日、日が暮れるまでやかましく鳴くのです」
一同は、
「梯子でのぼって巣をこわしてしまえばいい」
という。
「よし、やろう」
と幾人かがとび出して行った。智深も一杯機嫌で、みんなと外へ出て行って見ると、なるほど柳の木に鴉の巣がある。
「梯子でのぼってこわしてしまえば、耳のけがれもさっぱりするな」
とみながいうと、李四が、
「おれがのぼってやろう。梯子はいらん」
智深はしばらく見ていたが、やがて木のそばへ歩みよって衣をぬぎすて、右手を下にしてさかしまに抱きつき、左手で上の方をかかえ、腰をぐっといれると、柳の木は根こそぎにひっこ抜かれてしまった。ならず者たちはそれを見ると、いっせいに地面にはいつくばっていう。
「お師匠さまはただ人ではない。まったく羅漢さまそのものです。千万斤を挙げる力がなくては、とてもひき抜けるものではございません」
「なにこれしきのこと。あしたは武芸をやって、得物《えもの》を使って見せてやろう」
ならず者たちはその夜はそれぞれ帰って行ったが、その翌日からというもの、この二三十人のごろつきたちは智深を見るとへいへいとひれ伏し、毎日酒や肉を持ってきてご馳走し、その武芸や拳法を眺めているしまつ。こうして幾日かたったとき智深は考えた。
「毎日、やつらにたんまりご馳走になってきたが、今日はひとつ返礼の席をもうけてやろうかな」
そこで寺男を町へ使いにやって、いろいろのつまみものと、二三荷の酒を買ってこさせたうえ、豚一頭と、羊一匹をつぶした。おりしも三月の末で、陽気の暑い日であった。智深は、
「暑い天気だ」
といって、寺男に槐《えんじゆ》の木の下に蘆《あし》のむしろを敷かせた。そしてならず者たちをよんで車座に坐らせ、大碗で酒をくみ、肉は大切りにして、みなにたらふく食べさせた。さらにまた、つまみもので飲み、やがてすっかり酔いがまわると、ならず者たちは、
「この四五日、お師匠さんの拳法は拝見させてもらいましたが、得物を使われるのは見たことがありません。一度見せていただけるとありがたいのですが」
といった。
「よしきた」
と智深はさっそく部屋のなかから鉄の禅杖の、長さ五尺、重さ六十二斤というのを持ってきた。みなはそれを見るとびっくりして、
「両の腕《かいな》に水牛ぐらいの力がなければ、とても使えるものじゃない」
智深はそれを取ってひゅうひゅうと振りまわした。身のどこにも寸分の隙《すき》もない。見る者みな感嘆しない者はなかった。智深がいよいよ興にのって使っていると、塀の外でそれを見ていたひとりの官人(注二)が、
「うむ、まったくうまいもんじゃ」
と感嘆の声をあげた。智深がそれを聞きつけて手を休め、ふりむいて見ると、塀の破れたところにひとりの官人が立っている。そのいでたちいかにといえば、
頭には一頂の青紗の抓角児《そうかくじ》の頭巾(角をつまみあげた頭巾)を戴《いただ》き、脳後《うしろ》には両個の白玉圏《はくぎよくけん》の連珠《れんじゆ》の鬢環《びんかん》。身には一領の単緑羅《たんりよくら》の団花の戦袍を穿ち、腰には一条の双搭尾《そうとうび》の亀背の銀の帯を繋け、一対の〓瓜頭《がいかとう》の朝様《ちようよう》の〓靴《そうか》を穿ち、手中には一把の摺畳紙《しゆうじようし》の西川《せいせん》の扇子を執る。
この官人の風貌はというと、豹のような頭、つぶらな眼、燕の頷《おとがい》、虎の鬚、身の丈は八尺ばかり、年の頃は三十四五。口のなかでつぶやいていうよう、
「この和尚、まったくただものではない。見事な腕だ」
ならず者たちは、
「あの先生が感心するほどなら、よほどたいしたものなんだな」
といいあう。智深は彼らにたずねた。
「あの武官は誰だ」
「八十万禁軍の槍棒の教頭林《りん》先生、名は林冲《りんちゆう》といわれます」
「それではここへおよびしろ。ご挨拶しよう」
林教頭はすぐ塀をとびこえてはいってきた。ふたりは槐の木の下で挨拶をかわし、いっしょに腰をおろすと、まず林教頭がたずねた。
「あなたはどこのお方ですか。法名はなんといわれます」
「わしは関西の魯達という者で、むやみに人を殺しましたのでねがって坊主になりました。若いころこの東京へきたことがあって、お父上の林提轄どのは存じあげております」
林冲は大いによろこんで、すぐその場で兄弟の盟《ちかい》をたて、智深を兄とした。智深はたずねた。
「教頭どの、きょうはまたなんの用でここへ」
「ちょうど家内といっしょに隣の嶽廟《がくびよう》へお礼まいりにきたところなのですが、棒の音が聞こえたので見ているうちに目をうばわれて、女中の錦児《きんじ》に、家内についておまいりしてくるようにいいつけて、わたしはここで待っていたところ、はからずもお目にかかれたというわけです」
「わしは当地へやってきたばかりで、誰も知りあいのないところへ、この兄さんたちが毎日つきあってくれるし、今はまた教頭どのの知遇を得て兄弟の盟《ちかい》まで結ぶとは、まったくありがたいことです」
と、智深は寺男にさらに酒を出させてもてなした。三杯ほど飲んだとき、女中の錦児があわてふためき、血相を変えて塀の破れのところからよんだ。
「旦那さま、早く早く。奥様が廟で誰かと口論しておられます」
「どこでだ」
「五嶽楼をおりたところで、おかしな人に出会い、それが奥様をしつこく通せんぼしてはなさないのです」
林冲はあわてていった。
「いずれまた後ほど。ご免」
林冲は智深と別れ、塀の崩れを飛び越えて、錦児とともにいっさんに嶽廟へむかった。五嶽楼へ駆けつけて見ると、数人の者が弾弓《はじきゆみ》や吹き矢筒や鳥もち竿を手にもって欄干のところに立ちならび、梯子段のところにはひとりの若者がむこうむきに立っていて、林冲の妻をさえぎりながら、
「さあ二階へ行こう、ちょっと話があるんだ」
林冲の妻は顔をまっかにして、
「この真っ昼間、人妻に悪ふざけするなんて、なんてことをなさるのです」
林冲はつかつかと近よって行き、若造の肩をぐいとひっぱって、どなりつけた。
「きさま、ひとの女房をからかうとは、不埒千万」
拳でなぐりつけようとしたとき、ふと気がついてみると、それは自分の長官の高《こう》太尉の養子(注三)高衙内《がない》(注四)だった。
そもそも高〓《きゆう》は、にわかに成りあがった男で、実子がなくて誰もたよりにする者がいないので、叔父の高三郎の息子を家に連れてきて自分の子にした。つまり、もともと従兄弟だったのを、養子にしたのである。そんなわけで高太尉は彼を大事にしたが、するとこいつは、東京で羽振りの利くのをいいことにして、他人の女房に手を出してばかりいた。都の人たちは、その権勢をおそれて、すすんで口出ししようとするものもなく、彼のことを花花太歳《かかたいさい》(女たらしの厄病神)とよんでいた。詩にもいう。
臉前《れんぜん》に花現わるれば醜親《したし》み難し
心裏《しんり》に花開いて婦人を愛す
撞着《どうちやく》す年庚(注五)順利ならず
方《まさ》に知る太歳の是れ凶神なるを
そのとき林冲は、ひっとらえて見るとそれが長官の養子の高衙内なので、ふりあげた拳も力が抜けてしまった。すると高衙内がいった。
「林冲、おまえの知ったことじゃない。お節介なことをするな!」
もともと高衙内は、相手が林冲の妻だとは知らなかったのである。もし知っていたら、こんなことにはならなかったであろう。林冲が手出しをしないのを見て、こんな科白《せりふ》をいったのである。大勢のとりまきが、このさわぎを見るといっせいに駆けよってきて、林冲をなだめた。
「教頭どの、まあ、あしからず。若さまはご存じなかったので、失礼なさったのですよ」
林冲はなかなか腹の虫がおさまらず、両眼をかっと見開いて相手をねめつけていた。とりまきたちは林冲をなだめ、高衙内をだましすかして廟を出、馬に乗って帰って行った。
林冲が妻と女中の錦児を連れて廊下を出て行くと、智深が禅杖をひっさげ、例のならず者たち三十人をひき従えて、大股に廟へはいってきた。林冲がそれを見て、
「和尚、どこへ行かれる」
とよぶと、智深は、
「助太刀にきたんだ」
「いや、じつは長官の高太尉の子息が、うちの家内とは知らずにちょっと無礼なことをしたので、ひとつ痛い目にあわせてやろうかと思ったのですが、太尉にとっては面汚しなことだし、こちらにしても『官を怕《おそ》れずただ管を怕る』というわけで、彼の下についたのを不運とあきらめて、このたびは見逃《みのが》してやったのです」
「あんたには自分の長官の太尉がこわいだろうが、わしはそんなくそやろうなんかこわくない。もしおいらがそのたわけやろうに出会ったら、この禅杖を三百くらわしてやる」
林冲は智深が酔っているのを見て、
「いや、そのとおりですとも。わたしもあのときはみんなになだめられて、一時ゆるしてやったまでで」
「もしもいざというときには、すぐわしをよんでください。駆けつけますからな」
ならず者たちも、智深が酔っぱらっているのを見て、手をかしながら、
「お師匠さん、さあ帰りましょう。また明日お会いになればよろしいでしょう」
智深は禅杖をひっさげながら、
「奥さん、ごめんなさい。どうも失礼しました。それじゃ、また、あした」
智深は挨拶をして、ならず者たちといっしょに帰って行った。林冲は妻と錦児を連れて家にむかったが、心は鬱々として晴れなかった。
ところで一方、とりまきたちをひき連れた高衙内は、せっかく林冲の女房を見染めたのに、林冲に出てこられておじゃんになったものだから、ひどくふさぎこんでしまって、屋敷にもどってからも二三日悶々としていた。とりまきたちはみなでご機嫌うかがいに行ったが、衙内がいらいらしているのでとりつくしまもなく、あたらずさわらずのことをいってひきさがってしまったが、なかにひとり、乾鳥頭《かんちようとう》(しなびたちんぽ)の富安《ふうあん》というたいこもちがいて、高衙内の心を見抜き、ひとりで屋敷へ出かけて行った。そして衙内が所在なさそうに書斎にいるのを見ると、傍へ行って、
「若さま、このところ面《おも》やつれなさって、ご気分もしずみ勝ちでいらっしゃいますが、なにかきっと、おなやみのことでもおありなのでしょう」
「おまえなんかにわかるものか」
「わたしがいっぺんであててみましょうか」
「いってみろ。なんでわしがしょげこんでいるか」
「若さまはあの二つの木(林)のことを思ってらっしゃるのでしょう。どうですこの八卦は」
すると衙内は笑って、
「あたった。だが、あの女は手にいれようがないわ」
「造作《ぞうさ》もないことですよ。若さまは林冲がしっかりしたやつなもので、おそれて遠慮しておられますが、なにもかまうことはありませんよ。あいつは現にご配下に使われて扶持をいただいている身分、太尉どののご機嫌にさからうようなことをやるはずはありません。お怒りにふれたら軽くて流罪、重ければ命はありませんからな。わたしにひとつ、思いつきがございます。それでちゃんとあの女を若さまのものにしてさしあげましょう」
高衙内はそれを聞いて、
「わしもいい女をずいぶん見てきたが、なぜかあの女には心がひかれる。未練が残って、気がふさいでならないのだ。おまえになにか考えがあって、あの女をものにしてくれたら褒美はいくらでも出すよ」
「ご配下の腹心の陸虞候《りくぐこう》(禁衛の官)陸謙《りくけん》どの、あの人は林冲ととても親しい間柄です。そこで若さまは明日、陸虞候の家の二階の奥の間にかくれ、ご馳走を用意して、陸謙どのに、一杯やろうといって林冲をおびき出させ、樊楼《はんろう》(当時の著名な料亭の名)の奥の間で飲ませておくのです。そのあいだにわたくしは林冲の家へ行って女房にこういいます、あなたのご主人の教頭どのが、陸謙どのと飲んでいるうちに気分がわるくなって二階(陸謙の家の)でたおれなさったから、すぐに行って看病なさい。こうだましてあの女を二階へ連れて行きます。なあに、女ってものは水性《みずしよう》(浮気)のものですから、若さまの粋な男っぷりを見、それに甘い言葉でもちかけられたら、なびいてくるにきまっています。どうです、わたくしのこの手は」
高衙内は感服して、
「うん、うまい考えだ。それでは今晩さっそく陸虞候をよんでいいふくめよう」
陸虞候の家は高太尉の屋敷のすぐ横の路地にあった。翌日、計略について話すと陸虞候は簡単に承知した。しかたがない、若さまのご機嫌をとるためには友人のことなど考えておられぬ、というわけである。
さていっぽう林冲は、毎日悶々として、外へ出るのさえも大儀であった。と昼前ごろ誰かが門口で声をかけた。
「教頭、ご在宅か」
林冲が出て見ると陸虞候なので、あわててきいた。
「なんの用です」
「いや、どうしておいでかと思ってな。ここのところずっと外で見かけなかったものだから」
「不愉快なことがあって、ずっとこもりきりなのだ」
「それなら、うさばらしに一杯飲みに行こうじゃないか」
「まあ、茶でも飲んでから」
ふたりは茶を飲んでから、出かけた。そのとき陸謙は、
「奥さん、わたしの家でいっしょに一杯やっておりますから」
と声をかけた。林冲の妻は暖簾《のれん》のところまで追って出て、
「あなた、あまり飲まないで早くお帰りになって」
林冲は陸謙といっしょに家を出たが、しばらく街をぶらついているうちに陸虞候がいった。
「わしのところでやるよりも、樊楼で飲もう」
そこでふたりは樊楼へあがって部屋をとり、給仕にいいつけて上酒二瓶とめずらしいつまみものを取りよせた。ふたりで四方山話をしているとき、林冲はほっと吐息をもらした。
「どうしたのだ、溜息などついて」
と陸虞候がいうと、林冲は、
「君は知らないことなのだが、男子たる者がひとかどの腕を持ちながら目のある主人にめぐりあえず、くだらないやつの前に腰を屈して、あんなばかな目にあうなんて」
「現在禁軍には何人かの教頭がいるが、あんたの腕におよぶ者はひとりもいない。太尉のおぼえもめでたいようだが、いったい誰に辱しめられたというのだ」
林冲は先日の高衙内の一件をひととおり陸虞候に話した。すると陸虞候は、
「若さまは相手があんたの奥さんだとはご存じなかったのだろう。まあ、そう腹をたてずに、さあ飲みたまえ」
林冲は七八杯も飲んで、小用に行こうとして立ちあがった。
「ちょっと用を足してくる」
林冲は二階をおり、料亭の門を出て、東の路地へはいって用を足したが、路地の入口までもどってきたとき、女中の錦児に出会った。
「旦那さま、どこにいらっしゃるのかとさんざんさがしておりましたのに、まあ、こんなところにおいでで」
林冲ははっとしてたずねた。
「どうしたんだ」
「旦那さまと陸虞候さまがお出かけになってから、ものの半時とたたぬ時分に、ひとりの男があわてて家へ駆けこんできて、奥さまにこういうのです。陸虞候の隣の家の者だが、お宅の教頭さまが陸謙さまとお酒を飲んでおられるうち、とつぜん息がつまってばったり倒れられた、奥さま早く看病においでなさい。奥さまはそれを聞かれて、あわてて隣の王婆さんに留守をたのみ、わたしもいっしょにその男について行って、太尉さまのお屋敷の前の路地にある家へ案内され、二階へあがって見ましたところ、酒や肴の並んだ食卓があるだけで、旦那さまは見えません。それで下へおりて行こうとしますと、そこへ、先日嶽廟で奥さまにいたずらをしようとしたあの若者が出てきて、奥さま、まあおかけください、ご主人はちゃんとおいでになっていますよというのです。わたしがあわてて駆けおりてくるとき、二階で、人殺し! と叫んでいらっしゃる奥さまの声が聞こえました。それでわたしはもう無我夢中で旦那さまをおさがししたのですが見つかりませず、そうこうしているうち薬屋の張さんに会いまして、樊楼の前を通りかかったら教頭さまがもうひとりの方とお酒を飲みにはいって行かれたと教えてくれましたので、ここへ駆けつけてきたのです。旦那さま、さあ、早く行ってください」
林冲はそれを聞いてびっくりした。錦児をそのままにして、三足《みあし》を一足《ひとあし》ですっ飛びながら陸虞候の家へ駆けつけ、梯子段を駆けあがろうとすると、二階の入口はしまっていたが、妻の叫び声が聞こえてきた。
「この真っ昼間、どうして夫ある身をこんなところへ閉じこめるのです」
ついで高衙内の声が聞こえた。
「奥さん、憐れだと思って助けてください。いくら堅い人だってこれほどたのめば心をうごかすだろうに」
林冲は梯子段のところから叫んだ。
「女房、ここをあけろ」
女は夫の声を聞きつけ、やっきになってあけようとする。高衙内はびっくりして、二階の窓をあけ、塀を乗り越えて逃げて行った。
林冲が二階へあがって行くと、高衙内の姿はもう見えなかった。
「穢《けが》されはしなかったか」
と妻にきくと、
「いいえ」
と妻はいった。林冲は陸虞候の家の調度をめちゃめちゃに叩きこわし、妻を連れて二階をおり、外へ出てあたりを見まわすと、隣り近所はみな門をしめ切っていた。そこへ、錦児もやってきたので、三人はいっしょに家へ帰った。
林冲は匕首を一本持って、ただちに樊楼へ駆けつけ、陸虞候の姿をさがしたが、見あたらなかった。そこで彼の家の門口へまわって一晩じゅう待ち伏せたが、ついに家へ帰ってこなかったので、林冲はやむなくひきあげた。妻は、
「わたしは結局あの男にだまされずにすんだのですから、むちゃなことはなさらないでください」
となだめたが、林冲は、
「陸謙のちくしょうめ、兄弟のような仲だったのに、よくもぺてんにかけたな。高衙内のご機嫌に逆らうまいとしておべっかをつかいやがったにちがいない」
妻はいろいろとなだめて、外へ出さないようにした。
陸虞候は太尉の屋敷に逃げこんだきり、家に帰らなかった。林冲もずっと三日間、顔を見せなかった。屋敷の人たちも林冲のけわしい顔色を見て誰も話しかけるものはなかった。四日目の飯時分であった。魯智深が林冲の家を訪ねて行って、
「教頭どの、ずっと顔を見せなかったがどうなさった」
というと、
「ごたごたしていてお訪ねしませんでした。せっかく見えたのだから、一杯さしあげたいのだが、にわかにはととのいかねるので、街へ出かけてどこかでやりましょう」
「それは結構」
ふたりは街へ出て行って、一日じゅう飲みとおし、明日を約して別れた。それから林冲は、毎日、智深といっしょに街へ出て行って酒を飲み、例の一件はすっかり気にしなくなった。まさに、
丈夫の心事親朋《しんほう》あり
談笑酣歌《かんか》して鬱蒸《うつじよう》を散ず
只有り女人愁悶の処
深閨《しんけい》語なく病んで興《お》き難し
さて高衙内は、あの日、陸虞候の家の二階でびっくり仰天、塀を飛び越えて逃げ出してからは、太尉に告げるわけにもゆかず、屋敷に寝たきりであった。陸虞候と富安のふたりが屋敷へ行って衙内をたずねてみると、顔色はさえずしょんぼりとしょげきっている。陸謙はいう。
「どうなさいました。ひどくお元気がございませんが」
「じつは林冲の女房に二度までもどじを踏まされたうえ、縮みあがるほどびっくりさせられ、おかげで病気がどっと重くなってしまったのさ。どうやらもう半年か三月くらいの命のようだ」
「若さま、くよくよなさいますな。よろしいとも、わたしたちふたりで、きっとあの女とつれ添わせてさしあげます。もっともあの女が自分で首でもくくれば話は別ですが」
とふたりはいう。そんなことをいっているところへ、屋敷の年とった執事が衙内の病気を見舞いにきた。見れば、
痒《かゆ》からず疼《いた》からずして、渾身上或いは寒く或いは熱《あつ》し。撩没《りような》く乱没《な》くして、満腹中又飽《あ》き又饑《う》ゆ。白昼《そん》を忘れ、黄昏寝《しん》を廃す。爺娘(父母)に対して怎《いか》でか心中の恨《うらみ》を訴えん。相識を見て遮り難し臉《れん》上の羞。
陸虞候と富安は、老執事が見舞いにきたのを見ると、もうこうするよりほかに手はない、と相談し、見舞いをすませて帰って行く老執事を待ちうけて、ものかげに連れこんでいうには、
「若さまの病気をなおすには、太尉どのに申しあげて林冲をなきものにし、あいつの女房といっしょにしてさしあげればそれでよいのです。そうしなければ、若さまの命はまずないことでしょう」
「それはわけのないこと。わしが今晩、太尉どのに申しあげておきましょう」
「手はずはとっくにできております。あとはあなたのご返事を待つばかりで」
老執事は、夜になると太尉のところへまかり出て、いった。
「若さまのご病気は、外《ほか》でもありません、林冲の家内への恋わずらいでございます」
高〓は、
「いったい、いつあれの家内を見かけたのだ」
とたずねる。
「先月の二十八日、嶽廟でお会いになったのだそうで。もう一ヵ月ばかりも前のことでございます」
そして、陸虞候がたくらんだはかりごとまでくわしく話した。すると高〓は、
「だが、その家内のために林冲をなきものにするというのはどうかな。しかし考えてみれば、林冲のことを思っていては倅の命がなくなるわけだ。どうしたものだろう」
「陸虞候と富安になにか考えがあるとか」
「そうか、ではふたりをここへよんできいてみよう」
老執事はさっそくふたりを奥の間によびいれた。ふたりが挨拶をして控えると、高〓は、
「倅のことについておまえたちふたりにはどういう計略があるのか。もしそれで倅が助かれば、おまえたちを重くとりたててつかわそう」
陸虞候はにじり出ていった。
「申しあげます。かくかくしかじかにすればいかがかと存じますが」
すると高〓はすっかり感心して、
「なるほど。明日にもさっそくやってみるがよい」
こちらの話はそれまでとして、さて一方林冲は、毎日智深と酒を飲んでいて、この一件はすっかり忘れてしまっていたが、ある日のこと、ふたりが連れだって閲武坊《えつぶぼう》の路地口にさしかかると、頭に抓角《かどつまみ》の頭巾をかぶり、身にはいささかくたびれた戦袍(武官の着る上衣)をはおったひとりの大男が、売り物札(注六)をつけた一振りの宝刀を手にして往来につっ立ち、
「眼利《めき》きの者はおらぬのか。わしのこの宝刀はむざむざうずもれてしまうのか」
とつぶやいている。林冲は気がつかずに、智深と話しながら歩いて行ったが、その男はあとからついてきて、
「この広い東京に業物《わざもの》の目ききはひとりもおらんのか」
林冲がそれを聞きつけてふりむくと、男はさっとその刀をひき抜いた。きらきらと目もくらむばかりである。それが林冲の運命だったのであろう。ふと林冲はいった。
「見せてみろ」
男はそれをさし出した。林冲が受けとって智深とともに見れば、
清光は眼を奪い、冷気は人を侵す。遠くより看れば玉沼の春冰の如く、近くより見れば瓊台《けいだい》の瑞雪に似たり。花紋密布《みつぷ》して、豊城獄内より飛び来れるが如く(注七)、紫気空に横《よこ》たわって、楚昭《そしよう》の夢中に収め得たるが如し(注八)。太阿巨闕《たいあきよけつ》(ともに古の名剣の名)も応に比し難かるべく、莫邪干将《ばくやかんしよう》(おなじく古の名剣の名)も亦等閑なり。
林冲は見てびっくりし、思わず口をすべらせた。
「よい刀だ。いくらで売る」
「三千貫といいたいのだが、二千貫で売ろう」
「二千貫の値打ちはあるな、しかしそれだけ出す客はなかろう。一千貫ならおれが買おう」
「金の入用にせかれての売り物だ、あんたがほんとに買うなら五百貫まけてやろう。千五百貫でどうだ」
「千貫なら買う」
男は溜息をついて、
「黄金を生鉄《あらがね》の値で売るのか。しかたがない。それ以上はびた一文まかりませんぞ」
「おれについて家まできてくれたら銭は払う」
林冲はそういって智深の方へふりむき、
「じゃ、茶店でちょっと待っていただきたい。すぐきます」
「いや、わしも帰る。明日また会いましょう」
林冲は智深と別れ、その男を家へ連れ帰って銭を払ったが、そのとき、
「この刀はどこの出物だ」
ときくと、男は、
「先祖伝来のものです。おちぶれてしまってどうにもやってゆけないので、持ち出して売ったしだい」
「ご先祖は」
「いえば恥をさらすばかりです」
林冲はそれ以上はきかなかった。男は銭を受けとって帰った。
林冲は刀をつくづくと眺めて、感嘆の声を放った。
「まったくすばらしい刀だ! 高太尉のところにも宝刀が一振りあって、めったに人には見せず、おれも何度か見せてもらおうとしたが、どうしても出してはくれなかった。きょうはおれも名刀を手にいれたから、そのうちにくらべてみよう」
林冲はその晩は手からはなさずに一晩じゅう眺めつづけ、夜は壁にかけておいたが、まだ夜も明けきらぬに起き出して、また眺めるというありさま。
翌日の昼前ごろ、門口に役所の小使がふたりやってきて、
「林教頭さま、太尉どのからのお言葉です。名刀をおもとめになったそうですがすぐに持参するように、くらべてみたいとのことです。太尉どのはお屋敷でお待ちでございます」
林冲は、
「どこのおしゃべりがしゃべったのだろうか」
と思ったが、ふたりの小使にせきたてられて服装をととのえ、例の刀をたずさえて、ついて行った。
「おまえたち、わしは役所で見かけたこともない顔だが」
と林冲がきくと、
「はい、わたくしどもはごく最近はいりました者で」
という。そのうち屋敷につき、表の間まできて林冲が足をとめると、ふたりの者は、
「太尉どのは奥の間においでです」
という。そこで衝立をまわって奥の間へ行ったが、そこには太尉はいない。林冲がまた足をとめると、ふたりの者はまたいった。
「ずっと奥の方でお待ちです。ご案内してくるようにとのことでした」
そこからさらに二つ三つの部屋を通り抜けて、とある場所に出た。まわりはずっと緑色の欄杆である。ふたりは林冲をさらにその堂の前まで連れて行って、
「教頭さま、ここでしばらくお待ちくださいませ。太尉どのにおとりつぎいたしますから」
林冲は刀を持って軒先に立っていた。ふたりはなかへはいって行ったままで、しばらく待っていたが出てこない。おかしいな、と内心いぶかりながら、簾のなかをそっとのぞいて見ると、軒先の額に四つの青い文字で、
白虎節堂《はくこせつどう》
と書いてある。林冲は気づいてはっとした。
「この節堂というのは軍機の大事を評議するところだ。むやみと立ちいるべきところではない」
と急いでひきかえそうとしたおりしも、靴音高く足音が聞こえて、誰かがやってきた。林冲が見ると、それは外でもなく、長官の高太尉である。林冲はそれを見るなり刀を持ってすすみより、礼をした。と太尉は大喝した。
「林冲。よびもせぬのになぜ白虎堂に立ちいった。きさまは法度を知らぬか。手に剣を持って、本官を刺そうという魂胆か。二三日前にも剣を持って屋敷の前でうかがっていたと聞いたが、さては大それた野心をおこしたな」
林冲は身をかがめていった。
「今しがたおさしむけの使いの者ふたりが、わたくしに、刀くらべに参上せよとのお言葉を伝えてまいったからでございます」
「その使いはどこにいる」
「ふたりは先に奥へはいって行きました」
「出まかせをいうな。小使風情がどうして奥へ立ちいれる。者ども出会え、こやつを取りおさえろ」
といいもあえず、脇部屋から二十人あまりの者が駆け出して、林冲をよってたかってねじ伏せてしまった。そのさまたるや、鷹が燕に襲いかかり、猛虎が子羊をくらうような勢い。高太尉は声を怒らせていった。
「きさまは禁軍の教頭でありながら、法度もわきまえぬか。なにゆえに手に剣を持ち、節堂に踏みこんで、本官を殺そうとはかった」
と、左右の者に命じて林冲を処分させた。その命はいかになるか。このことのために、やがては大いに中原をさわがし、海内《かいだい》を縦横し、さらには農民たちの背中に心号(注九)をつけさせ、漁夫たちの舟に認旗(注一〇)を立てさせることと相なるのである。ところで林冲の命ははたしてどうなるであろうか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 歯を鳴らし 原文は叩歯。神に祈るとき、上下の歯をかちかちと鳴らせると、きき目があるという迷信による。
二 官人 もともと官職にある人のことで、ここでは林冲は武官なのでこういったのであるが、宋代では官職にない学者や画家や武芸者などに対しても官人と呼んだ。
三 養子 原文は螟蛉之子。〓《じが》〓《ばち》が螟蛉《あおむし》の子を養って自分の子にするという伝説から、養子のことをいう。『詩経』小雅に、「螟蛉有子、〓〓負之。教誨爾子、式穀似之」とある。
四 衙内 唐末から宋初にかけて、貴族の子弟を藩鎮の親衛官に任じたことから、貴族や高官の子弟を衙内という。
五 年庚 生まれ年の年月日とその干支《えと》をいう。
六 売り物札 原文は草標児。売り物であることを示すためにその品物に挿しておく藁《わら》や草をいう。草じるし。
七 豊城獄内より飛び来れるが如く 春秋のころ、今の江西省豫章の豊城の獄の土台石の下に、石の箱におさめて二振りの宝剣が埋められた。名を竜泉、太阿という。その剣の放つ精気が天に徹し、夜ごと斗牛の間に紫気をただよわせた。そのころ呉を併呑しようとして虎視耽々としていた晋では、その紫気を望観した道者たちが、呉はまさに隆盛であって未だ図るべきではないと進言したという故事が『越絶書』に見える。
八 紫気空に横たわって……如し 上述の故事と、また次の故事とを踏まえている。――呉王闔閭《こうりよ》は妹の膝王《しつおう》が非命に死んだのをかなしみ、詭計をもうけて多くの無辜の民を殺してともに埋めた。呉の人々はみな王の無道をうらんだが、そのとき王の秘蔵の湛盧《たんろ》という名剣が、王のもとをぬけ出して水に浮かび、やがて、楚の昭王のもとへ行った。その日、昭王は眠りからさめて牀の上にその剣を発見し、不審に思って卜者をよんで見せると、卜者は、これは呉王の秘蔵していた宝剣湛盧で、五金(金銀銅錫鉄)を精煉したものに太陽の精気をあわせて作ったもので、これを出せば神を見、これを佩びれば威徳がそなわり、人を制し敵を防ぐ力を持つが、持主が逆理非道を行なえば剣はその人のもとを去って有道の人のところへ走る、と答えた。昭王は大いによろこんで、以来この宝刀を身辺においたという話が『呉越春秋』に見える。
九 心号 軍衣の胸や背中につける記号をいう。「心号をつける」とは、ここでは、反乱をおこすの意。
一〇 認旗 認軍旗、すなわち軍の旗じるし。「認旗を立てる」というのも、同じく、反乱をおこすの意。
第八回
林教頭《りんきようとう》 滄州道《そうしゆうどう》に刺配《しはい》せられ
魯智深《ろちしん》 大いに野豬林《やちよりん》を鬧《さわ》がす
さて、そのとき太尉は、左右に居並ぶ軍校(補佐官)たちに命じ、林冲をとりおさえて斬らせようとした。林冲が大声で無実を叫びたてると、太尉はいった。
「節堂へはいったのは何用があってだ。現におまえは剣を持っているではないか。わしを殺そうとしたのにきまっている」
「太尉どののお呼出しがあったればこそ、きたのです。今しがた、役所の小使がふたり奥へはいって行きました。わたくしを騙《だま》してここへ連れこんだのです」
太尉はどなりつけた。
「なにをいう。わしの屋敷のどこに小使がいるというのだ。こやつ、わしの裁きに従わぬというのだな」
そして左右の者に命じた。
「こやつを開封府《かいほうふ》へ送り、滕府尹《とうふいん》(府尹は府の長官)に、きびしく拷問《ごうもん》にかけて吟味し、黒白を明らかにして処分するように申せ。刀は封印して持って行け」
左右の者は命をうけて林冲を開封府へひきたてていった。そのときちょうど、府尹はまだ役所にいた。見れば、
緋羅《ひら》の〓壁《きようへき》(緋のうすぎぬの壁かけ)、紫綬《しじゆ》の卓囲《たくい》(紫のふさの机かけ)。当頭(正面)の額は朱紅を掛け、四下の簾《すだれ》は斑竹を垂る。官僚は正を守って、戒石《かいせき》(注一)上に御製の四行を刻み、令史(書記)は謹厳にして、漆牌《しつぱい》中に低声の二字を書く(注二)。提轄官は能く機密を掌《つかさど》り、客帳司《かくちようし》(戸籍税務の官)は専ら牌単(書類)を管す。吏兵(警吏)は沈重にして、節級(獄吏)は厳威。籐条《とうじよう》(籐のむち)を執《と》りて祗候《しこう》は〓前《かいぜん》に立ち、大杖を持ちて離班《りはん》は左右に分かる。戸婚の詞訟は、断ずる時玉衡《ぎよくこう》(玉のはかり)の明に似たるあり。闘殴の是非は、判ずる処恰《あたか》も金鏡の照らすが如し。然《しか》り一郡の宰臣官なりと雖《いえど》も、果《まさし》く是れ四方の民の父母なり。直《ただち》に囚《しゆう》をして氷上に従《よ》りて立たしめ、尽《ことごと》く人をして鏡中に向かって行かしむ。説《と》き尽くせず許多《あまた》の威儀、一堂の神道を塑《そ》し就《な》すに似たり。
高太尉の使臣は林冲を役所に送って行くと、階段の下にひざまずいて太尉の言葉を縢府尹に伝え、太尉が封印した例の刀を林冲の前に置いた。府尹はいった。
「林冲、その方は禁軍の教頭でありながら、なにゆえに法度をわきまえず、利刃《りじん》をたずさえて節堂にはいったか。それは、死にあたる大罪であるぞ」
林冲は訴えた。
「なにとぞご明察くださいますよう。わたくしは無実の罪を負わされているのでございます。いかにがさつな武人とはいえ、いささかの法度はわきまえております。みだりに節堂にはいるようなことを、どうしていたしましょう。先月の二十八日、わたくしは妻とともに嶽廟《がくびよう》へお礼まいりに行きました。そのとき、高太尉どののご子息が妻にいたずらをなさるのを見て、わたくしはどなりつけました。ご子息はその後、こんどは陸虞候をつかってわたくしに、だまして酒を飲ませ、一方では富安をつかって、わたくしの妻をだまし、陸虞候の家の二階へ連れて行ってたわむれようとなさったのですが、そのときもわたくしが追い返し、わたくしは陸虞候の家を叩きこわしました。二度とも、その不義は未遂におわりましたが、いずれも証人がございます。その後、わたくしがこの刀を買い求めましたところ、今日、太尉どのはわたくしをよびにふたりの小使を拙宅へつかわされて、刀くらべをしたいから刀を持ってお屋敷へまいれとのこと。そこでわたくしは、ふたりに連れられて節堂のところへ行きましたところ、ふたりの小使は奥へはいってしまいました。そこへとつぜん、太尉どのが外からこられて、わたくしを計略におとしこまれたのでございます。なにとぞご明察くださいますよう」
府尹は林冲の供述を聞くと、まず太尉への返書を持たせてやる一方、手枷首枷《てかせくびかせ》を持ってこさせて林冲にはめ、牢獄へ送りこんだ。
林冲の家の方では、食べものの差入れをするとともに、また賄賂をつかい、林冲の舅《しゆうと》の張教頭も、上下の役人にまいないをとどけたりした。
ちょうど、係りの孔目《こうもく》(文書係)が姓を孫《そん》、名を定《てい》といい、すこぶる剛直な人で、よく善を好み、人助けをしたので、みなから孫仏児(ほとけの孫さん)とよばれている人だった。彼はこの事件の真相をよく洞察し、あれこれと上司にその内情を説明し、
「この事件はまさしく林冲を無実の罪におとしいれたものゆえ、救ってやるべきです」
と申したてた。すると府尹は、
「彼のおかした罪は、高太尉どのから指定されているのだ。利刃をたずさえて節堂に侵入し、本官を殺害しようとしたとな。助けてやることはむずかしかろう」
「この開封府は、朝廷のものではなくて高太尉家のものですか」
「なにをいうか」
「高太尉どのが、その権勢をたのんでいばりちらし、さらに、自分の役所ではなにごとも思いのままにふるまっておられることは誰でも知っていることです。すこしでも気にさわる者があると、すぐこの開封府へ送ってきて、殺したければ殺し、八つ斬りにしたければ八つ斬りにしてしまう。これでは高太尉家の開封府だといわれてもいたしかたありますまい」
「おまえの考えでは、林冲の一件はどう始末したらよいというのだ」
「林冲の供述どおり彼は無罪です。しかしあのふたりの小使を捕えることができませんので、彼に、帯刀のまま誤って節堂に立ちいったことを認めさせて、棒打ち二十の刑に処したうえで刺青《いれずみ》をして流罪《るざい》にする、ということにしてはいかがでしょうか」
滕府尹も、この事件の内容がよくわかったので、みずから高太尉のところへ出かけて行って再三林冲の供述をつたえた。高〓も自分の方に分《ぶ》のないことをさとり、府尹に邪魔されて仕方なく承認した。
その日、府尹は役所へ帰ると、林冲をひき出して大枷をはずし、棒打ち二十の刑に処し、ついで刺青師をよんで、顔に刺青を入れさせたのち、土地の遠近を考えて滄《そう》州の牢城《ろうじよう》(苦役場)へ送るのが適当ときめた。かくてその場で重さ七斤半の鉄板にまるい穴をあけた首枷をはめて封印を貼り、送り状一通をつくって、ふたりの護送役人に林冲を押送して行かせることにした。そのふたりは董超《とうちよう》、薛覇《せつぱ》といった。
ふたりは送り状の公文書を受けとると、林冲をひきたてて開封府を出た。と、その門前に隣り近所の人々や舅の張教頭が迎えにきていて、林冲とふたりの役人を州橋《しゆうきよう》のたもとの料理屋へ連れて行った。林冲は、
「孫孔目のおかげで棒打ちも軽くてすみ、おかげで歩けます」
といった。張教頭は給仕をよび、酒肴やつまみものをたのんで、ふたりの役人をもてなした。酒が何杯かまわったころ、張教頭は銀子を取り出してふたりの護送役人に贈った。林冲は舅の手を取りながら、
「父上、わたくしはよくよく運がわるいのでしょう、高衙内に出くわしたばかりに無実の罪におとされまして。今日はぜひ、聞いていただきたいことがあります。ふつつかながら父上にお目をかけていただいて、娘御をめとりましてからもう三年、この間、ただの一度もいさかいをおこしたことはございません。子供はまだもうけておりませんが、顔をまっかにして口論したなどということもありませんでした。このたびは思いもよらぬ災難にあって滄州へ流される羽目となり、生死のほどもおぼつかないしだい。それにつけても気がかりなのは家内を家に残して行くということです。高衙内は縁組みを無理じいしてくることでしょうし、あたら若い身空をわたしのために一生を台なしにさせたくはありません。これは他からしいられていうのではなく、わたしひとりの考えなのですが、今日はさいわい隣り近所の方々もここにおいでのことですし、みなさまの前ではっきり離縁状を書き、今後どこへ再縁しようと、いっさい後くされのないようにしておきたいと思います。こうしておけば、わたしも安心できますし、高衙内の毒手からも逃れることができましょう」
「婿どの、なにをいわれる。あんたの災難は、運がわるかったからのことで、あんたがしでかしたことではない。このたびはひとまず、滄州へ行って、災厄の通り過ぎるのを待たれるがよい。天も決してお見捨てにはならんだろう。やがてあんたが帰ってきたら、もとどおり夫婦いっしょにそいとげるのだ。わしの家も別に暮らしにこまることもないので、娘を錦児といっしょにひきとっても三年や五年はどんなことがあっても養ってみせる。娘は決して外へ出さないようにすれば、高衙内が会おうにも会えないわけだ。なにも心配することはない。万事はわしがひきうけて、あんたが滄州の牢城についたらこっちからせっせと便りもし、衣類も送ってあげる。いらぬ気苦労はしないで、安心して行きなさい」
「おこころざしは、まことにかたじけのうございますが、やはりわたしは、安心できないのです。おたがいが待つ甲斐もないものをいたずらに待ちつづけることになりそうで。どうかあわれとおぼしめして、わたしのねがいを聞いてください。そうすれば死んでも安心して目がつむれます」
張教頭はどうしても承知しない。隣り近所の人たちも、それはいけないという。すると林冲は、
「もし、わたしのいうことを聞いていただけなければ、たとえどうにか帰ってこられたとしても、もう決して家内とはいっしょになりません」
という。張師範は、
「そんなにまでいうのなら、まあ、あんたの好きなように書くがよい。わしも娘をどこへもやらんだけのことだ」
そこで給仕に代書人をよんでこさせ、紙を買ってこさせた。代書人は林冲のいうとおりに書いた。
東京《とうけい》八十万禁軍教頭林冲、身、重罪を犯したるに因り、滄州に断配されて、去後、存亡保《ほう》ぜず。妻張氏有りて年少《わか》ければ、情願してこの休書(離縁状)を立て、改嫁に任《まか》せ従い、永く争執すること無からしむ。委《まこと》に是れ自ら情願を行なう、即ち相逼《あいせま》るに非ず。後に憑《しるし》無からんことを恐れ、此の文約を立てて照となす。年月日。
林冲は代書人が書いたのを見ると、筆を借りて日付の下に花押《かきはん》をし拇印《ぼいん》をおした。
料理屋の座敷で書きあげられた離縁状を、林冲が舅にわたそうとしたときであった。見れば林冲の妻がはげしく泣き叫びながら駆けこんできた。錦児に着物の包みを持たせて林冲をここまでたずねてきたのである。林冲はすぐに立ちあがって迎え入れ、
「いっておきたかったことは父上に申しあげておいた。運がなくて濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》を着せられ、これから滄州へ行くが、生死のほどはおぼつかない。それで、まだ若い身空のおまえのことを思って一筆書いて残しておいたから、わしの帰りを待ったりなどしないで、よい相手があったら、かまわずかたづきなさい。わしのために、いい縁をとり逃がしたりなどしないようにな」
女はそれを聞くと声をあげて泣き出した。
「わたしはすこしも穢されておりませんのに、なぜ離縁などなさるのです」
「そうではない。おまえのためを思ってなのだ。待つ甲斐のないものを待って、おまえに待ちぼうけをくわしてもならぬと思えばこそだ」
張教頭が、
「娘よ、心配しなくてよい。婿どのはああいわれるけれど、おまえを他所《よ そ》へは決してやらん。今はまあ気のすむようにしてあげて、安心して立たしてあげよう。たとえ、婿どのが帰ってこられなかったとしても、おまえの一生の入り用は、ちゃんと用意して、操を通させてやるからな」
女はそれを聞きながら、心のなかですすり泣いていたが、いざ離縁状を目の前に出されてみると、わっと泣き崩れてその場に気絶してしまった。五臓のなかがどうなったかはわからないが、四肢はぐったりと動かなくなってしまった。そのありさまは、
荊山《けいざん》の玉(宝玉)損《そこ》わる、惜しむべし数十年の結髪(幼時)より成親(結婚)までを。宝鑑《ほうかん》の花(名花)残《そこな》わる、枉《まげ》て費やす九十日の東君(春風)の匹配(交配)を。花容《かよう》倒れ臥す、西苑《せいえん》の芍薬の朱欄に倚るが如きあり。檀口(朱唇)言無し、一に南海の観音の来《きた》って入定(坐禅)するに似たり。小園昨夜東風悪《あし》く、紅梅を吹き折って地に横たう。
林冲と舅の張教頭が助けおこすと、しばらくしてからよみがえったが、なおも泣きやまなかった。
林冲は舅に離縁状をわたした。近所の人々のうち、女の人たちが、林冲の妻をなだめ、抱きかかえて帰って行った。張教頭は林冲にむかって、
「それでは行っておいでなさい。なんとかして帰ってきて、また顔を見せてください。あんたの家内は明日にも家にひきとって、またあんたといっしょになれる日を待たせますからな。なにも心配せずに行きなさい。もしついでの便《びん》でもあれば、かならず便りをよこしてください」
林冲は立ちあがって礼をいい、舅をはじめ近所の人たちに別れを告げて荷物を背負い、役人に連れられて立ち去った。張教頭は近所の人たちとともに家路についたが、この話はそれまでとする。
さてふたりの護送役人は林冲を役人の溜り部屋へ連れて行って、そこへあずけ、董超《とうちよう》と薛覇《せつぱ》はそれぞれ旅の荷物をまとめに家へ帰った。董超が家で荷物をつくっていると、路地口の酒屋の給仕がやってきて、
「董端公《たんこう》さん、どこかのお役人さんがあんたに話したいことがあるといって、店で待っていなさるよ」
といった。
「誰だい」
「わたしも知らないんで。ただ端公さんをよんでこいといわれるのだ」
そもそも宋《そう》のころの小役人は、みな端公とよばれていたのである。
そのとき董超が給仕についてその店の座敷へ行ってみると、頭に卍《まんじ》型の頭巾をかぶり、身に黒い紗の背子《はいし》(袖なし羽織)を着、黒の長靴に白の靴下といういでたちの男がいた。その男は董超がやってきたのを見ると、急いで礼をして、
「どうぞおかけください」
という。董超は、
「お目にかかったおぼえもありませんが、なんのご用ですか」
「まあおかけになって。すぐお話しいたしますから」
董超がむかいの席にかけると、給仕が杯をそろえ、菜《さい》やつまみものや酒の肴などをはこんできて、卓《つくえ》の上にならべた。男は、
「薛端公さんのお住まいはどちらですか」
とたずねる。
「すぐそこの路地のなかです」
すると男は給仕をよんで、こまごましたことを話し、
「およびしてきてくれないか」
といった。給仕は出かけて行ったが、まもなく薛覇を座敷に連れてきた。
「この旦那が、おいらになにか話があるんだって」
と董超がいうと、薛覇が、
「ぶしつけながらお名前を」
男はやはり、
「すぐ申します。まあ一杯どうぞ」
という。三人が席につくと、給仕が酒をついだ。たがいに何杯か飲んだころ、男は袖のなかから金子を十両取り出して卓の上におき、
「おふたりの端公さん、どうぞ五両ずつおおさめください。ちょっとおねがいがございまして」
「はじめてお目にかかりますのに、お金をいただくとは、いったいどういうわけで」
「おふたりは滄州へおいでになるのでしょう」
「お役所の命令で林冲という男を護送してまいります」
董超がそういうと、
「じつはそれについて、おねがいがあるのです。わしは高太尉どのの腹心のもので、陸虞候と申します」
董超と薛覇は、はっとかしこまって挨拶し、
「わたくしらのようなものが、ご同席させていただきますとは」
すると陸謙はいった。
「ご承知かも知れぬが、林冲と太尉どのとは仇敵のあいだがら。それでわたしは太尉どののご命令で、あなたがたにこの十両の金子をさしあげるのですが、それにつけて、ぜひとも、おふたりにひきうけていただきたいことがあるのです。それは、そう遠いところでなくてもよろしいが、どこかそこらの人目につかぬところで林冲をかたづけたうえ、そこで公文書をもらって帰ってきてほしいのです。もし開封府の方でやかましいことでもいい出せば、そのときは太尉どのがご自分で処理なさるから、決して心配はいりません」
「それはしかし、できないかと思います。開封府の公文書では、生きたまま護送せよということで、殺せとはありませんし、それに当人は年寄りでもございませんから、事がやりにくいでしょう。もしうまくいかないと、まずいことになります」
董超がそういうと薛覇が、
「董さん、しかしだな、高太尉どのが死ねとおっしゃれば、死ななければなるまいだろう。それを、この方を通してお金をくださるというのだ。ぐずぐずいわず、ふたりで山分けしよう。おたのみの筋を聞いてあげれば、いずれまた、目をかけてくださることもあろうというものだ。この先には大きな松林のものすごい場所がある。あそこでなんとかばらしてしまおう」
薛覇はさっさと金子を収めて、
「旦那、ご安心ください。おそければ宿場五つ、早ければふた宿場のあいだに、けりをつけましょう」
陸謙は大いによろこんで、
「いや、薛端公さんはものわかりがよい。うまくいったら、証拠に林冲の額の金印《きんいん》をはがしてくるようにな。そのときは別に十両ずつお礼をさしあげよう。ぬかりのないようにな。よい便りを待っていますぞ」
そもそも宋のころは、流刑の罪人にはみな顔に刺青《いれずみ》をしたが、誰もみないやがるのでこれを「金印」をおすといったのである。
三人はまたしばらく酒を飲んでから、陸虞候が勘定をはらって三人は店を出、それぞれ別れた。
さて董超と薛覇は金を分けあって家へ持ち帰ると、旅の荷物をたずさえ水火棍《すいかこん》(懲罰棒)を持って役人の溜り部屋へひきかえし、林冲の身柄をもらいうけて、護送の旅に出かけた。その日は町を出て三十里ばかり行って宿をとった。
宋のころは、役人が囚人を護送して宿をとる場合は、道中の宿屋は宿賃をとらないのがしきたりになっていた。
董・薛のふたりは林冲を連れて一泊し、その翌日は、夜が明けると起き出して飯ごしらえをし、食事をすませて滄州へと旅をつづけたが、おりしも時は夏の六月、酷暑の真っ盛りである。林冲は刑罰の棒をくらった当座はなんでもなかったが、二日三日とたつうちに、おりからの炎熱で棒傷が痛み出し、それにはじめて棒をくらったこととて、ひと足ひと足ひきずって、なかなか歩けない。すると薛覇が、
「わからんやつだ。ここから滄州までは二千里もあるんだ。おまえのような歩き方じゃ、いつまでたっても着けやせんぞ」
「わたしは、太尉どののお屋敷でまずいことをしでかして、先日、棒をくらったばかりだ、その傷がみなうずき出したうえに、この暑さ。たのむから、ゆっくり行かせてくれ」
と林冲がいうと、董超は、
「それならゆっくり歩け。つべこべいうな」
薛覇は道々、ぶつぶつと不平を鳴らしつづける。
「とんだ災難だ。おまえみたいな貧乏神にぶちあたって」
やがてしだいに日も暮れてくる。見れば、
火輪《かりん》(日)低く墜ち、玉鏡《ぎよくきよう》(月)将《まさ》に懸《かか》らんとす。遥かに野爨《やさん》(夕餉の煙)の倶に生ずるを観、近くに柴門《さいもん》の半ば掩《とざ》さるるを睹《み》る。僧は古寺に投じ、雲林に時《しきり》に鴉の帰るを見る。漁《ぎよ》(漁夫)は陰涯に傍《そ》い、風樹には猶《なお》蝉の噪《かまびす》しきを聞く。急々として牛羊熱坂《ねつぱん》に来《きた》り、労々として驢馬蒸途《じようと》に息《いこ》う。
その夜、三人は村の宿に泊まった。部屋にはいると、ふたりの役人は棍棒を置き、荷物をおろした。林冲も荷物をおろしたが、役人に催促されないうちに荷物のなかから小金を取り出し、宿の下男にたのんで酒や肉や米を買ってきてもらい、食膳をととのえてふたりの護送役人に振舞った。董超と薛覇も酒を注文し、林冲に飲ませて酔いつぶすと、枷をはめたままそこに寝させておいて、薛覇は鍋に湯を煮えたぎらせ、それを提げてきて足盥《あしだらい》のなかへあけ、
「林教頭、あんたも足を洗ってぐっすり眠りなさい」
とよんだ。林冲は起きようとあがいたが、枷が邪魔になって身体がまげられない。すると薛覇が、
「わしが洗ってあげよう」
林冲はあわてていった。
「とんでもない」
「旅に出たら遠慮はいらんよ」
と薛覇はいう。林冲が計略だとは気づかず、なんの気なしに足をのばしたとたん、薛覇はぎゅっと煮え湯のなかへおしこんだ。
「あっ」
と叫んで林冲が足をひっこめたときには、足は火傷《やけど》でまっかに腫れあがっていた。
「もう結構です」
と林冲がいうと、薛覇は、
「囚人が役人の世話をすることはあるが、役人が囚人の世話するなんてことが滅多にあるか。せっかく足を洗ってやったのに、逆に湯加減がどうのこうのと文句をつけて親切を仇でかえしやがる」
と、いつまでもぶつぶつと悪態をついていたが、林冲はだまってひっこんでいるよりほかなく、そっと片隅へ行って横になった。ふたりはその湯は捨て、汲みかえて戸外で足をすすぎ、あとをかたづけて寝たが、同宿のものがまだ眠っている四更(夜二時)ごろに起き出して、洗面の湯をわかし、飯ごしらえをした。林冲も起き出したものの、目まいがして、飯もほしくなく、歩くこともできない。薛覇は水火棍を手にしてせきたてる。董超は、乳《ち》と紐を麻で編んだ新しい草鞋を腰からはずして、林冲にはかせた。林冲が見ると、足は一面に火傷の水ぶくれ。もとの草鞋をさがしてはきたかったが、どこへ捨てたのか見つけようもなく、しかたなしに新しい草鞋をはき、宿の下男をよんで酒代を払った。ふたりの役人が林冲を連れて宿を出たのは五更(四時)ごろだった。
林冲は二三里も行かぬうちに、足の水ぶくれが新しい草鞋にかまれてつぶれてしまい、血がたらたらと流れて歩くこともできず、しきりにうめきつづけた。薛覇は、
「歩くのならさっさと歩け。歩かないのならこの棍棒でどやすぞ」
とどなる。林冲は、
「なまけてのろのろしているわけではありません。足が痛んで歩けないのです」
「それなら、おれが手を借してやろう」
董超がそういって林冲の腕をとるので、やむなくさらに四五里ばかりをあえぎながら歩いたが、やがてまた歩けなくなってきたおりしも、行くてに煙と霧にとざされたすさまじい林が見えてきた。そのありさまは、
枯蔓《こまん》層々として雨脚の如く
喬枝《きようし》鬱々として雲頭に似たり
知らず天日何《いず》れの年にか照れるを
惟《ただ》有り寃魂《えんこん》の不断の愁《かなしみ》
この林こそ、その名も高き野豬林《やちよりん》で、東京と滄州をつなぐ道中第一の難関である。宋のころ、なにがしかの金をつかまされた護送役人たちが、その仇敵にたのまれていかに多くの好漢をこの林のなかに葬り去ったことか。今、ふたりの役人は林冲をこの林のなかにひっぱりこんだのである。
董超がいった。
「五更にたったというのにまだ十里もこない。こんなざまじゃ、いつになったら滄州につけることか」
薛覇は、
「おれも歩けなくなった。この林のなかでひと休みしよう」
三人は林のなかへはいり、荷物を解いて木の根もとにおろした。林冲は、
「ああっ」
とうなって大木にもたれかかり、そのままどたりと倒れてしまった。董超と薛覇は、
「歩いては休み、休んでは歩きで、かえってくたびれてしまったわい。ひとねむりしてから行くとしようや」
といいながら水火棍を置いて木のかたわらに横になったが、ほんのちょっと眼をつむったかと思うと、
「あっ」
と叫んで起きあがった。林冲が、
「旦那、どうなさいました」
とたずねると、ふたりは、
「おれたちもひとねむりしたいが、ここには鍵も錠もない。おまえにずらかられやせんかと思うと、おちおち眠れもしないのだ」
「わたしも男です。いったん服罪したからには逃げもかくれもしません」
林冲がそういうと、薛覇が、
「そいつはどうだか。縄をかけさせてくれりゃ安心できるがな」
「どうぞおかけなさい。わたしは別段かまいません」
薛覇は腰につけた縄をはずし、林冲の手も足も、枷をつけたまましっかりと木に縛りつけると、董超といっしょにおどりあがり、身をひるがえして水火棍をひっつかむや、林冲にむかっていうには、
「おれたちがおまえさんをばらそうというのじゃない。先日出発のとき、あの陸虞候さんが、高太尉どののご命令だといって、途中でおまえをかたづけて金印を証拠に持って帰ってくれとたのまれたのだ。たとえこのさき、何日か道中をつづけたところで、どうせお陀仏してもらわにゃならんおまえさんだ。今日この辺で片をつけて、おれたちふたりをさっさと帰してくれ。おれたちふたりをうらむなよ。上司の命令でしかたなくやるんだからな。さあ、しかと覚えておけ、来年の今月今日がおまえさんの一周忌だ。おれたちは日を限《き》られているので、早くもどって報告しなきゃならん」
林冲ははらはらと涙を流しながらいった。
「おふたりさん、わたしとあんたたちとは、昔も今も、なんの怨みつらみもない者同士、わたしの命を拾いあげてはくださらんか。そうすれば一生ご恩に着ます」
「つべこべいうな。助けることはできぬのだ」
と董超はいい、薛覇は水火棍を振りかざして林冲の脳天めがけて打ちおろそうとする。あわれ豪傑も手を束ねて死を待つばかり。まさに、万里の黄泉《よみじ》に宿舎なく、三魂今宵誰《た》が家にか宿らん、というところ。さて林冲の生命はどうなるであろうか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 戒石 役人に対する天子の戒めを刻んで、役所の大広間の正面に立てた石。石の南面には「公生明」の三字、北面には「爾俸爾禄、民脂民膏、下民易虐、上天難欺」の十六字を刻む。「四行を刻む」とは、その十六字を四行《ぎよう》に記したことをいう。
二 漆牌中に低声の二字を書く 漆牌とは黒塗りの額《がく》あるいは掛け札。低声とは静粛の意。
第九回
柴進《さいしん》 門に天下の客を招き
林冲《りんちゆう》 洪教頭《こうきよとう》を棒打す
さてそのとき、薛覇《せつぱ》は両手で棍棒を振りかざし、林冲の脳天めがけて打ちおろそうとしたが、間一髪、薛覇の棒が振りかざされると同時に、松の木のうしろから、雷のような声とともに、鉄の禅杖が飛んできて水火棍を受けとめ、天空高くはね飛ばした。と、でっぷりと肥った大入道がおどり出してきて、
「林のなかですっかり聞いたぞ」
と大喝した。ふたりの役人がその和尚を見れば、墨染めの衣《ころも》を着て腰に戒刀をさし、手に禅杖を振りまわしながら、ふたりの役人に打ちかかってくる。林冲がちらっと眼を開いて見ると、それは魯智深だった。林冲はあわててよんだ。
「兄貴、待ってくれ。話がある」
智深はそれを聞いて禅杖をひいた。ふたりの役人は気も転倒してしまって、ぽかんとそこに立ちすくんでいる。林冲はいった。
「このふたりの知ったことではないのだ。みんな高太尉が陸虞候にいいつけて、このふたりにわしを殺させようとしたのだ。このふたりにしてみれば、指図《さしず》にそむくわけにもいかなかったのだ。殺せば彼らも無実に果てることになる」
魯智深は戒刀を抜いて縄を切りほどき、林冲を助けおこして、
「兄弟、わしはあんたが刀を買ったあの日別れてから、あんたのことが気になってならなかったのだ。あんたが裁判にかかってからは、助けようにも手はなし、そのうち滄州へ流されると聞いて開封の役所の前へ行ってみたが見つからず、人の話では役人の溜り部屋にいれられているとのことだったが、たまたま酒屋の給仕がこいつらふたりをよびにきて、こういっているのを見つけたんだ、店に役人がきて用があるといっているとな。そこでわしはこいつはなにかありそうだ、放ってはおけぬと思い、途中であんたをばらしでもするのじゃなかろうかと、わざわざあとをつけてきたところ、このふたりのやろうがあんたを連れて宿屋へはいるのを見て、わしも同じ宿屋へ泊まったのだ。すると、夜、こいつらがしゃらくさい真似をしやがって、煮え湯のなかへあんたの足をつっこんだとのこと。わしはそのときすぐこいつらふたりを殺してくれようと思ったが、宿屋じゃ人も多くて邪魔がはいるかもしれんと考えなおした。わしはこいつらのわるだくみがわかったので、いよいよあんたを放っておくわけにはいかなくなった。そこで、あんたが五更に宿屋をたったとき、わしはこの林に急いでやってきて、こいつらふたりを殺してやろうと待っていたのだ。と、やつらはここへくるなり、あんたを殺そうとしやがった。こんなやつらは、殺してしまうのがあたりまえじゃないか」
林冲はなだめていう。
「わしはもうこうして兄貴に助けてもらったんだから、このふたりを殺すのはやめてくれ」
すると魯智深は、ふたりをどなりつけて、
「このくそやろう。兄弟のとりなしがなけりゃ、ふたりともずたずた切り刻んで、塩辛にするところだぞ。兄弟の顔に免じて、おまえらふたりの命は助けてやるわ」
そして戒刀を鞘におさめていいつけた。
「このくそやろうども、兄弟を負《おぶ》っておれについてきやがれ」
と禅杖をひっさげて先に歩き出した。ふたりの役人は一も二もない。
「林教頭さま、お助けくださいませ」
というばかり。そしてもとのように荷物を背負い、水火棍を持ち、林冲をささえながら、その荷物も背負った。
みなが林を出て三四里ほど行くと、村の入口に小さな居酒屋があった。四人はなかへはいって腰をおろした。その店のありさまは、
前は駅路に臨み、後は渓村に接す。数株の桃柳は緑陰濃《こまや》かに、幾処の葵榴《きりゆう》は紅影乱る。門外は森々たる麻麦、窓前は〓々《いい》たる荷花《かか》。軽々たる酒旆《さかばやし》は薫風に舞い、短々たる蘆簾《ろれん》は酷日を遮る。壁辺の瓦瓮《がおう》は白冷々として村醪《そんろう》(地酒)を満貯し、架上の磁瓶《じへい》は香噴々として新に社〓《しやうん》を開く。白髪の田翁は親《みずか》ら器を滌《あら》い、紅顔の村女は笑って〓《ろ》に当《あた》る(注一)。
そのとき、深・冲・超・覇の四人は、村の居酒屋にはいって腰をおろすと、給仕をよんで肉を五六斤買わせ、酒を二角いいつけて飲み、麦粉を買って餅をつくらせた。給仕は用をしながら酒をつぐ。ふたりの役人は、
「ぶしつけですが、和尚さんはどこのお寺のご住持さまで」
智深は笑って、
「このくそやろうめ、おれの住所を聞いてどうする。高〓《こうきゆう》に知らせておれをなんとかしようってのか。人はともあれ、おれはあんなやつなんか屁でもない。もしも出会ったら、この禅杖を三百くらわしてやるわ」
ふたりの役人はもう二の句もつげない。やがて飲み食いをすませ、荷物をとりまとめ、酒代を払って居酒屋を出ると、林冲がたずねた。
「兄貴、これからどこへ」
すると魯智深は、
「人を殺さば血を見るまで、人を救わばおわりまでってな。わしは気になるから滄州まで送って行くよ」
ふたりの役人はそれをきいて、心のなかに思うよう、
「困った。これじゃ、こっちの仕事はおじゃんだが、帰ったときなんと返事したらよかろう。まあ、しかたがない。おとなしくついて行くとしよう」
それをうたった詩がある。
最も恨む姦謀《かんぼう》の白日を欺くを
独り義気を持して黄金を薄んず
迢遥《ちようよう》畏れず千程の路
辛苦惟《ただ》存す一片の心
それからの道中というものは、歩くにしろ休むにしろ、魯智深のあご先ひとつに追いまくられるばかりで、文句をいうことなどもってのほか。よいにつけわるいにつけ、どなられたり打たれたり。ふたりの役人は大きな声ひとつ出せず、ひたすら和尚をおこらせぬようにとびくびくしていた。二日ばかり歩いてから、車を一台やとい、林冲をそれに乗せてやすませ、三人は車のあとからついて行った。ふたりの役人はひけ目があるので、おのれの命かわいさにきわめて神妙について行く。魯智深は道々、酒を買ったり肉を買ったりして林冲の身体に気をつけ、ふたりの役人にもふるまい、宿屋が見つかれば早くから休み、朝はおそく立った。飯ごしらえは万事ふたりの役人のお役目となったが、ただいうままになっていた。
ふたりはこっそり話しあった。
「おれたちはあの坊主に厳重に護送されているようなもんだ。これじゃ帰ったとき、高太尉どのの処罰はのがれっこない」
薛覇がいうには、
「たしか大相国寺の菜園の隠居所に、こんど魯智深とかいう坊主がはいったと聞いたが、あれがそうじゃないかな。帰ったらありていにいおうよ。野豬林でばらしかけたら、あの坊主が邪魔にはいって、ずっと滄州までついて行かれたので、とうとう手が出せなかったとな。そして、惜しいけど十両の金子は返し、あとは陸謙さまじきじきあの坊主のとこへ行ってもらうようにすればよかろう。おれたちはひっこんでかかわりあわないようにしよう」
「うん、そうだな」
と董超もいう。ふたりがこそこそと相談したことは、それまでとする。
くどい話はぬきにして、智深にきびしく護送されながら旅をつづけること十七八日、滄州まであとわずか七十里ばかりというところまでたどりついた。ここから先はずっと人家がつづいて、さびしいところはもうない。魯智深は、そのことをよく聞きたしかめ、松林のなかで休んだ。そのとき智深は林冲にいった。
「兄弟、滄州までもうあとわずかだ。これから先はずっと人家があって、さびしいところはもうない。わしはそのことをよく聞きたしかめてきた。ここでお別れすることにしよう。いずれまた会おう」
「兄貴、帰ったら、舅によろしく伝えてください。救ってもらった恩は、命があったらきっとおかえしするよ」
魯智深はさらに二十両ほどの銀子をとり出して林冲にわたし、また二三両をふたりの役人にやって、いった。
「おまえたちふたりのくそやろうは、途中でその素っ首をはねてしまうところだったが、兄弟の顔に免じて、そのくそ命を助けてやったんだぞ。あと道中はすこしだけだ。妙な料見をおこすんじゃないぞ」
「もう二度といたしません。みんな太尉どののおいいつけでしたので」
と、銀子を受けとり、さて別れようとすると、智深はふたりを見据えていった。
「おまえたちふたりのそのくそ頭は、この松の木とどっちが硬い」
「わたくしどもの頭は親からもらった皮と肉、それが骨をくるんでいるだけなんで」
ふたりがそういうと、智深は禅杖を振りあげて松の木をひと打ちした。と、木は二寸ばかりへこんで、ぽきりと折れた。
「ふたりのくそやろうども、わるい料見をおこしたら、おまえたちの頭もこのとおりだぞ」
とどなりつけると、手をふり、禅杖をひきずりながら、
「兄弟、気をつけてな」
といい残して立ち去って行った。董超と薛覇は、おどろいて舌を吐き出したまま、しばらくはひっこめることもできずにいた。林冲は、
「おふたりさん、まいりましょう」
という。
「すごい荒法師もあったものだ。一撃で大木をへし折ってしまうなんて」
ふたりがそういうと、林冲は、
「いや、あれくらいはたいしたことではない。相国寺の柳の木を根こそぎひっこ抜いたんだから」
ふたりは頭をふって合点し、やっぱり魯智深だったのかと覚った。
三人はそれから松林をあとにして昼ごろまで歩いた。と、行くての往来沿いに一軒の居酒屋が見えた。それは、
古道の孤村、路傍の酒店。楊柳の岸、暁に錦旆《きんはい》を垂れ、蓮花蕩《ただよ》い、風青〓《せいれん》(青いはた)を払う。劉伶《りゆうれい》(竹林の七賢のひとり)の仰臥は床前に画《えが》かれ、李白《りはく》の酔眠は壁上に描《えが》かる。社〓《しやうん》は農夫の胆を壮《さかん》にし、村醪《そんろう》は野叟《やそう》の容を助く。神仙の玉佩《ぎよくはい》も曽《かつ》て留下し、卿相の金貂《きんちよう》も也当《またしち》におかる。
三人はその居酒屋へはいり、林冲はふたりの役人を上座につかせた。董と薛のふたりは久しぶりにやっとのびのびとした。店には幾つかの席があって、酒をつぐ四五人の給仕たちは、みないそがしそうにあちこちしていた。林冲とふたりの役人は、長いあいだ坐っていたが、給仕はついに用を聞きにこない。林冲はいらいらして、いった。
「おい亭主、ばかにするな。おれが罪人だというので相手にしないのか。ただ飲みしようというわけじゃなし、どうしたというんだ」
「あんたは、わたしの好意がわからんとみえるな」
と亭主はいった。
「なんにもよこさずに、なにが好意だ」
「ご存じないらしいが、この村に、姓は柴《さい》、名は進《しん》、土地のものは柴大官人といい、世間では小旋風《しようせんぷう》という名でとおっている大金持がおられる。この方は、大周《しゆう》の柴世宗《さいせいそう》さまのご子孫で、柴世宗さまが陳橋《ちんきよう》で位を(宋の太祖に)お譲りになったとき、太祖武徳皇帝さまから賜わったお墨付が伝わっていて、みな畏《おそ》れたてまつっているのだが、この柴進さまは、天下往来の好漢を世話することがなによりお好きで、家には四五十人も置いておられ、いつもわたしどもに、流刑の罪人が店によるようなことでもあれば、屋敷へよこせ、面倒をみてやるといっておられる。わたしがここで飲ませてあげて、あんたが赤い顔にでもなりなさったら、これは金には不自由していないなとお思いになって、世話をしてくださらないだろう、というのがわたしの好意なんですよ」
林冲はそれを聞くとふたりの役人にいった。
「わたしが東京《とうけい》で軍の教頭をしていたとき、いつも軍中の人から柴大官人の名前は聞いていたが、ここにおられようとは思わなかった。いっしょにおたずねしてみようではないか」
董超と薛覇は思案して、
「そういうことなら、損にはならんだろう」
と、さっそく荷物をとりまとめ、林冲といっしょになってたずねた。
「ご亭主、柴大官人のお屋敷はどこです。わたしども、おたずねしてみようと思うのだが」
「すぐそこです。二三里ほどさきの大きな石橋のところを曲がって行けば、そこにある広いお屋敷がそうです」
林冲らは酒屋の亭主に礼をいって、三人はそこを出たが、二三里行くとはたして大きな石橋があった。橋をわたると広い道で、早くもそのむこうに柳の緑につつまれた屋敷が見えた。四方をとりまいて河が流れ、その両岸は垂楊《しだれやなぎ》の大木。木蔭から白い塀のめぐらしてあるのが見える。曲がって行って門前に出て見ると、まことに立派なお屋敷で、
門は黄道を迎え、山は青竜に接す。万枝の桃は武陵《ぶりよう》(桃源のあるところ)の渓に綻《ほころ》び、千樹の花は金谷《きんこく》(晋の石崇の有名な別荘のある地)の苑に開く。聚賢堂上、四時謝《ち》らざる奇花あり、百卉《ひやつき》庁前、八節長春の佳景に賽《あ》う。堂には勅額金牌を懸け、家には誓書鉄券有り。朱甍碧瓦《しゆぼうへきが》、九級の高堂に掩映《えんえい》し着し、画棟雕梁《がとうちようりよう》、真に乃《すなわ》ち是れ三微の精舎。是れ当朝勲戚の第《だい》にあらざれば、也応《またまさ》に前代帝王の家なるべし。
三人が屋敷の前へ行って見ると、広い木橋の上でちょうど四五人の下男が涼んでいるところだった。三人は橋のほとりまで行って下男たちにお辞儀をし、林冲がいった。
「お邪魔ですが、大官人さまにおとりつぎいただきたいので。都から牢城送りの罪人で林《りん》と申す者がお目にかかりたいと」
すると下男たちは、
「運のわるい人だ。大官人さまが家にいらっしゃれば、酒も飲めお金ももらえたろうに、あいにくと今朝から猟へ出かけられたままなのだ」
「いつごろお帰りですか」
「わからんね。ひょっとしたら東の別荘の方へお泊まりになるかも知れんから、どうともいえないな」
「なるほど運がわるくて、お目にかかれませんな。それでは帰りましょう」
林冲はそういって下男たちに別れを告げ、ふたりの役人といっしょに、もときた道をひきかえして行った。ひどくがっかりしながら半里ほど行くと、遠くの林の奥から一隊の人馬の走ってくるのが見えた。そのさまは、
人々俊麗、箇々英雄。数十匹の駿馬《しゆんめ》風に嘶《いなな》き、両三面の綉旗《しゆうき》日に弄《たわむ》る。粉青の氈笠《せんりゆう》は、倒翻せる荷葉の高く〓《かか》げらるるに似、絳色《こうしよく》の紅纓《こうえい》は爛〓たる蓮花の乱れ挿《さしはさ》まるるが如し。飛魚袋(弓袋)の内には、高く挿着して金雀画の細軽弓を装し、獅子壺(矢壺)の中には、整《ただし》く〓着《さんちやく》して翠〓〓《すいちようれい》の端正箭《たんせいせん》を点ず。幾隻の〓《しよう》に赴《おもむ》くの細犬(〓を追うよき犬)を牽《ひ》き、数対の兎を拿《と》る蒼鷹《そうよう》を〓《ささ》げ、雲を穿つの俊鶻《しゆんこつ》は絨〓《じゆうとう》に頓《つな》がれ、帽を脱するの錦〓《きんちよう》は護指(爪袋)を尋ぬ。〓槍《ひようそう》(投げ槍)風利(鋭く)、鞍辺に就《おい》て微《かすか》に寒光を露《あら》わし、画鼓団欒《がこだんらん》、馬上に向《おい》て時《しきり》に響震を聞く。鞍辺に栓繋《せんけい》するは、天外の飛禽に非ざる無く、馬上に〓擡《けいたい》するは、尽く是れ山中の走獣なり。好《あたか》も似たり晋王の紫塞《しさい》(長城)に臨むに、渾《すべ》て漢武の長楊《ちようよう》(離宮)に到るが如し。
その一群の人馬は屋敷の方へと走ってくる。その真中に護られて、雪白の捲毛の馬にまたがったひとりの官人。馬上なるその人は、竜の眉に鳳凰の目、白い歯に赤い唇、口をおおう三牙(注二)のひげ、年のころは三十四五、頭には黒い紗の、角を折った簇花巾《ぞつかきん》(花模様の頭巾)をかぶり、身には紫の刺繍の、胸に丸い模様のある繍花袍《しゆうかほう》(花模様を刺繍した上衣)をはおり、腰には玲瓏たる宝玉の環をはめた帯をしめ、足には金糸のぬいとりの、緑にふちどった黒の長靴をはき、手には一張りの弓を持ち、背には一壺の箭を負い、従者をひき従えて屋敷へとすすんでくる。林冲はそれを見て心に思うよう、
「どうやらこの人が柴大官人らしい」
しかし声をかけるわけにもいかず、心のなかで迷っていると、その馬上の若い官人は馬を飛ばして近づいてくるなり、
「そこの枷をつけた方はどなたです」
とたずねた。林冲はあわてて身をかがめ、
「わたくしは、東京禁軍の教頭、姓は林、名は冲と申します。高太尉ににくまれましたために、事を構えられて開封府の裁きを受け、この滄州へ流罪となりました。この先の酒屋で聞けば、この地には賢を招き士を納れる好漢、柴大官人どのがおられるとのこと、それゆえ訪ねてまいったのですが、縁うすくしてお会いすることができませんでした」
すると、その官人は馬からすべりおりて走りより、
「柴進、お迎えもいたしませず、失礼いたしました」
と草原で拝礼をした。林冲はあわてて答礼をする。官人は林冲の手をとって屋敷へいざなった。例の下男たちはそれを見て、門を大きくあけ放つ。柴進は彼をまっすぐ座敷へ請じいれ、たがいに挨拶をかわしてから、さて、柴進はいった。
「教頭どののご高名はかねがね承っておりましたが、はからずも今日、ここへおいでいただきまして、なんともよろこばしいしだいです」
「微賤なわたくしも、天下にとどろく大人のお名前を聞いて、お敬いいたしておりました。はからずも今日、流人となってここへきて、尊顔を拝することのできましたことは、このうえもないしあわせでございます」
柴進は何度もすすめて林冲を客の座につかせた。董超と薛覇もかたわらの座についた。柴進に従っていた供の者たちはそれぞれ馬をひいて行って裏庭で休んだが、そのことはそれまでとする。
柴進はすぐ下男に酒をいいつけた。ほどなく数人の下男たちが一皿の肉、一皿の餅、燗をした一壺の酒を持ってき、さらに白米一斗を盛った上に銭十貫をのせた盆を持ってきた。それらをみないっしょにはこんできたのである。柴進はそれを見ていった。
「田舎者は人を見る目がない。教頭どのがおいでくださったというのに、こんな粗略なことでどうする。とっととさげてしまえ。まず、つまみものと酒を持ってくるのだ。そしてすぐ羊をつぶしておもてなしをしろ。早く用意するのだぞ」
林冲は席を立って礼を述べた。
「そんなにまでしてお構いくださいませんように。これでもう十分すぎます」
「とんでもない。教頭どのがせっかくおいでくださったのに、粗末なことはできません」
下男はいわれたとおり、まず酒とつまみものを持ってきた。柴進は立ちあがって手ずから二三杯酌《しやく》をする。林冲は礼をいって杯をあけ、ふたりの役人もいっしょに飲んだ。やがて柴進は、
「教頭どの、奥へどうぞ」
といい、弓袋や矢壺をはずし、ふたりの役人も酒席へさそった。柴進はそこで主人の座につき、林冲は客席に、ふたりの役人は林冲の脇に坐って、世間話をしているうちに、やがて日が西へ沈むと、酒肴やつまみものや海の幸などの用意ができて卓の上にならべられ、めいめいの前にはこばれた。柴進はみずから杯をとりあげて、三巡《めぐ》りついでまわると、席にもどって、
「吸いものを持ってこい」
といいつけた。吸いものをすすり、酒を五六杯飲んだころ、下男がやってきて知らせた。
「先生がお見えになりました」
「ここにおよびしていっしょにやるのもよかろう。卓をもうひとつ用意しなさい」
林冲が席を立って見ると、先生なる男がはいってきた。頭巾をゆがめてかぶり、胸をそりかえらせて座敷へはいってくる。林冲は思った。
「下男たちが先生とよんでいるから、大官人どのの師匠にちがいない」
そこで急いで身をかがめて挨拶をし、
「林冲、はじめてお目にかかります」
といった。ところが相手は目もくれず、もちろん答礼もしない。林冲はしかし、じっと頭を垂れていた。柴進は林冲を指さしながら洪《こう》教頭にむかって、
「この方は、東京八十万禁軍の槍棒の教頭、林先生、林冲どのです、おひきあわせします」
林冲はそういわれたので、洪教頭を見て礼をした。すると洪師範は、
「お辞儀なんかせんでよろしい。やめなさい」
といって、答礼もしない。柴進はそれを見て内心はなはだ不快に思ったが、林冲は二拝の礼をしてから身をおこし、洪教頭に席を譲った。洪教頭はすこしも遠慮せず、さっさと上座についた。柴進はそれを見て、いよいよ面白くない。林冲はしかたなくその下手《しもて》に坐り、ふたりの役人もそれぞれ席についた。
洪教頭はやにわにたずねた。
「大官人どの。今日はまたどうして、礼を厚くして流罪の軍人なんかをもてなされるのです」
「いや、この方は普通の人とはちがう。八十万禁軍の教頭どのですよ。先生こそ、どうしてそうぞんざいになさる」
「大官人どのが槍棒がお好きなもので、流罪の軍人どもがぞろぞろとやってきて、みんな槍棒の教師だなどといい、お屋敷へあがって酒や銭をかたり取って行くのです。大官人どのはどうしてそれを真《ま》にうけなさるのかな」
林冲はそれを聞いても黙っていた。柴進は、
「人はそうあっさりと見わけられるものではない。あなどるのはおよしなさい」
洪教頭は、柴進があなどるなといったのが癪にさわって、さっさと立ちあがり、
「わしは信用できん。棒を一勝負やってみんことには、ほんとうの教頭とはいえぬ」
柴進は笑って、
「それは面白い。林先生、あなたはどうです」
「わたしはやめておきます」
と林冲はいった。洪師範はそこで心のうちに思うよう、
「こいつはできないのだな。もうおじ気づいているようだ」
そこでますます調子に乗って、林冲に棒の試合をさせようとした。柴進も、林冲の腕前を見たかったし、また、ひとつには林冲に勝ってもらって洪教頭の広言の口を封じてもらいたかった。そこで柴進はいった。
「まあ、酒でも飲んで、月が出てからでよろしかろう」
五六杯かたむけているうちに月が出て、座敷のなかを真昼のように照らした。柴進は立ちあがって、
「おふたりの教頭どの、棒のお手合せを」
林冲は思案した。
「この洪教頭というのは、きっと柴大官人どのの師匠だろうから、叩きのめしては具合がわるいだろう」
柴進は林冲がためらっているのを見て、
「この洪教頭という方も、ついこのごろこちらへ見えたのですが、このあたりには相手のできる者がいないのです。林先生、どうぞご遠慮なく。わたしもおふたりの腕前のほどが拝見したいのです」
柴進がこういったのは、林冲が自分の手前をはばかって、その本領を見せないのではないかと懸念したからである。林冲は柴進がわけを話したので、ようやく気遣いをすてた。
洪師範は先に立ちあがって、
「さあ、勝負しよう」
一同は、どやどやと座敷の裏の庭へおり立った。下男は、一束の棒を持ってきてそこへおいた。洪教頭は、まず上衣をぬぎ、ももだちをとり、棒をとりあげて身構えると、
「いざ、いざ、いざ」
と叫んだ。柴進が、
「林先生、どうぞお手合せを」
という。林冲は、
「大官人どの、では未熟ながら」
と、地面から棒をとりあげ、立ちあがって、
「ではおねがいします」
洪教頭はそれを見て、一呑みにしてくれんものと気負い立った。林冲が棒をつかんで山東大《さんとうたいらい》の手で打ちかかると、洪教頭は棒でさっと地を払って林冲を迎え打つ。ふたりの教頭の月明のなかでの手合せはまさに見物《みもの》。山東大とはそもいかなる手かといえば、
山東の大、河北の夾鎗《きようそう》。大の棒は是れ鰌魚《しゆうぎよ》(くじら)の穴内より噴き来り、夾鎗の棒は是れ巨蟒《きよぼう》(うわばみ)の〓中より〓《ぬ》け出《い》ず。大の棒は根を連《つら》ねて怪樹を抜くに似、夾鎗の棒は地に遍く枯藤を捲くが如し。両条は海内に珠を搶《うば》う竜、一対は巌前に食を争う虎。
ふたりの教頭は、月明の地上でわたりあうこと四五合。と見るや、林冲がぱっと跳んでうしろへ身をひき、
「待った」
と叫んだ。柴進がいう。
「教頭どの、なにゆえ手並みをお見せなさらぬ」
「わたしの負けです」
「まだ勝負も見えておらぬのに、負けたとはどうしてです」
「わたしにはかの枷《かせ》という余計なものがついております。まずは負けです」
「いや、これはうっかりしておりました」
と柴進は大笑いして、
「それは造作もないこと」
と、下男に銀子十両を取りにやると、すぐに持ってきた。そこで柴進はふたりの護送人にむかって、
「まことに大それたおねがいながら、しばらく林教頭どのの枷をはずしてあげていただけませんか。後日、牢城の方で面倒なことでもあれば、その責任はわたしが負います。この白銀十両をお納めください」
董超と薛覇は、柴進の軒昂《けんこう》たる人品を見てさからうこともなく、情けをかけたうえに十両の銀子がもらえ、しかも逃げられる心配もないこととて、薛覇がすぐ林冲の首枷をはずした。柴進は大いによろこんで、
「さあ、先生がたに改めてお手合せを」
洪教頭は、さきに林冲の棒術がひるんだと見て、なめてかかり、すぐ棒をとってはじめようとすると、柴進が、
「しばらく」
と声をかけ、下男に目方二十五両の錠銀をとってこさせた。すぐそれがとどくと、柴進はいった。
「教頭どのおふたりの試合はなかなか見られぬこと。この錠銀をかりに賞品としましょう。お勝ちになった方はお持ち帰りください」
柴進の胸のうちは、林冲にその本領を見せてもらいたかったためにことさら銀子をそこへ投げ出したのである。洪教頭は、林冲が小面《こづら》にくくてならず、それに、この大金もものにしたいし、さらには負けてへこたれるようなことがあってはならぬと、棒をとって十分に身構えをし(注三)、把火焼天《はかしようてん》の勢《せい》という型を示した(注四)。林冲の方は、
「柴大官人どののつもりは、おれに勝たせたいようだな」
と思い、これも棒を横たえて身構えをし、撥草尋蛇《はつそうじんじや》の勢《せい》という型を示す。洪教頭は、
「いざ、いざ、いざ」
と叫びながら、棒を上段に振りかざした。林冲がうしろへさがると、洪教頭は一歩踏みこむなり、棒を振るってつづけざまに打ちおろしたが、林冲はその足のすでに乱れているのを見るや、下からぱっと棒をはねあげた。と、洪教頭はそれを受けきれず、その身体はくるりと一回転、そのとき、林冲の棒が洪教頭のむこう脛を薙ぎ払うと、洪教頭は棒をとり落としてどっと倒れた。
柴進は大よろこびで、
「すぐ酒を持ってきてつげ」
という。一同はどっと大笑い。洪教頭は立とうとしてもがいたが、起きあがれない。下男たちが笑いながら助け起こすと、洪教頭はまっかに恥じいりながら屋敷を出て行ってしまった。
柴進は林冲の手をとり、また奥座敷へ行って酒を飲み、賞金を持ってこさせてさし出した。林冲は受けとろうとしなかったが、ついにことわりきれずにおさめた。まさに、
人を欺《あなど》るの意気総て堪え難し
眼を冷《ひや》やかに旁観するも也《また》甘《うま》からず
請う看よ傷を受け并《ならび》に利を折《うしな》う
方《まさ》に知る驕傲《きようごう》は是れ羞慙《しゆうざん》なるを
柴進は林冲を屋敷にひきとめて、ずっと何日間か滞在させたが、その間《かん》、毎日うまい酒、うまい食べものでもてなした。さらに五六日たつと、ふたりの役人が出発をせきたてるので、柴進はあらためて送別の宴をもうけたうえ、二通の手紙を書いて林冲にいうには、
「わたしは滄州の大尹とは親しくしておりますし、牢城の典獄や番卒頭《がしら》ともよく知りあっておりますから、この手紙を持って行かれたら、きっと教頭どのによくしてくれましょう」
そして二十五両の錠銀を林冲に贈り、ふたりの役人にも五両ずつわたして、その夜はみなで酒盛りをし、翌日早く食事をすませると、下男に三人の荷物をはこばせた。林冲はもとのように枷をはめられ、柴進に別れを告げて出かけた。柴進は屋敷の門まで見送って、
「そのうちに使いの者をやって教頭どのに冬の着物をおとどけいたします」
「大官人どののご恩には、どのようにしておむくいしたらよろしいやら」
と林冲は礼を述べ、ふたりの役人も礼をいって、三人は滄州へとむかった。やがて、昼ごろになると、早くも滄州の城内にはいった。小さいところながら、州の首都である。ただちに州の役所へ行って公文書をさし出すと、当直の役人が州の長官(大尹)に林冲を見参させた。大尹はすぐ林冲の身柄をひきとって、開封府への返書をわたし、同時に文書をつけて林冲を牢城の獄へ送った。ふたりの役人は返書をもらうと挨拶をして東京へ帰って行ったが、このことはそれまでとする。
さて林冲は牢城の獄へ送られて行ったが、見れば牢城の獄というのは、
門は高く牆は壮んに、地は闊《ひろ》く池は深し。天王堂《てんおうどう》(獄神の廟)の畔《ほとり》には、両行の細柳《さいりゆう》緑に煙を垂れ、点視庁《てんしちよう》(吟味の間)の前には、一簇の喬松《きようしよう》青く黛《まゆずみ》を〓《そそ》ぐ。来往する的《もの》は、尽《ことごと》く是れ釘を咬《か》み鉄を嚼《か》む漢《おとこ》、出入する的《もの》は、血を瀝《したた》らせ肝を剖《さ》く人に非ざるは無し。
滄州の牢城の獄では、林冲を受けとって独房にいれ、沙汰を待たせた。牢にいれられている囚人たちが、ぞろぞろと見にやってきて、林冲にいった。
「ここの典獄や番卒頭はとてもひどいやつで、ただもう人から銭や物をふんだくろうとするだけなんだ。銭や物をくれてやればよくしてくれるが、銭がないと土牢のなかへいれて、生きるにも生きられず、死ぬにも死ねないという目にあわせるんだ。つけとどけさえしておけば、お呼出しのときの殺威棒(新入獄者に対する制裁)の百ぺん打ちだってかんべんしてくれて、病気だといえばそのままですんでしまうが、つけとどけがないと、打たれて七転八倒の苦しみをせにゃならんことになる」
「いや、ご親切にどうも。それで、つかますとすればどれくらいで」
「いいところで典獄に銀子五両、番卒頭にも五両ってところだな。それだけやっときゃ十分だよ」
そう話しているところへ番卒頭がやってきてたずねた。
「新入りの流人はどいつだ」
林冲はそういわれて、すすみ出て答えた。
「わたくしでございます」
番卒頭は、林冲が銭をよこさないのを見て、とたんに仏頂面になり、林冲に指をつきつけて悪態をつく。
「この流され者め、おれを見て土下座《どげざ》もせずに、挨拶一言ですませようってのか。きさまは東京で大それたことをしでかしやがって、おれの前に出てもまだぬけぬけとしてやがるのか。きさまのその面《つら》は、顔じゅう餓鬼の相だ。一生うだつはあがるめえ。打っても死なず、殴っても死なないという、しぶといやろうだが、そのてめえも、結局はおれの思いのままになるんだ。てめえのその骨身をこなごなに打ちくだいて、今にこのおれのご利益《りやく》のほどを見せてくれようて」
林冲はのべつまくなしに毒づかれて、頭をあげて答えるひまもなかった。みんなもこれを見てちりぢりに帰って行った。
林冲はやがて彼の怒りがひと静まりするのを待って、銀子五両をとり出し、お追従笑いをつくりながらいった。
「おかしらさん、わずかばかりで、おとがめくださいませんように」
それを見た番卒頭は、
「典獄さまとおれとのふたりぶんかい」
「いや、おかしらだけのぶんです。ついでに恐れいりますが、この十両、典獄さまへおわたしねがいたいので」
番卒頭はそれを見ると、林冲に笑いかけながら、
「いや林教頭どの、うわさにはかねて聞いておったが、なるほど大人物だ。おそらく高太尉どのにおとしいれられなさったんでしょうな。ここはしばらくはつらい目におあいなさるが、ゆくゆくはきっと花が咲きましょうて。うわさにたがわぬ大人物、やっぱりそこらあたりの人間とはわけがちがいますな。いずれ大官はまちがいのねえとこですぜ」
林冲は笑って、
「まあ、なにかと、よろしくおねがいいたします」
「ああ、まかしときな」
林冲はこんどは柴大官人の手紙をとり出して、
「ご面倒ながらこの二通の手紙をとどけていただきたいので」
「柴大官人さまの手紙があるのなら、なにも心配なさることはねえですよ。この手紙は金子《きんす》一錠の値打ちがあります。手紙はおいらがとどけておくが、そのうちに典獄さまから、殺威棒の百ぺん叩きのお呼出しがあるだろうが、そのときは、道中で病気をわずらってまだなおっていないといいなさるがいい。そうすりゃ、おいらが傍からうまくいって、ごまかしてあげるからな」
「いろいろとありがとうございます」
番卒頭は銀子と手紙を持って独房を出て行った。林冲はほっと吐息をつきながら、
「地獄の沙汰も金次第とは、よくもいったものだ。まったくひどいところだ」
番卒頭は、典獄のぶんの五両は猫婆をきめこんで、残り半分の五両と手紙だけをわたし、林冲という男は立派な男で、ここに柴大官人の添書もあって、もともと高太尉のために罪に落とされてこちらへ流されてきたので、たいした罪はないのだと、くわしく話した。典獄は、
「柴進どのの添書があるのか。それだったら面倒を見てやらねば」
といい、すぐ林冲をよんでくるようにいいつけた。
さて林冲は独房でしずみこんでいたが、そこへ番卒がやってきて、
「典獄どのが吟味の間で新入りの罪人林冲を点検なさる。出頭しろ」
林冲がよばれて吟味の間へ出て行くと、典獄は、
「おまえが新入りの犯人か。太祖武徳皇帝さまのご遺制で、新入りの流人は百の殺威棒を頂戴するのが定めじゃ。ものども、とりおさえろ」
林冲は訴えた。
「わたし、道中で風邪をひきまして、まだなおっておりません。今しばらくおゆるしをねがいとう存じます」
すると、番卒が、
「この者、たしかに病気をいたしております。お慈悲をもってあずかりおかれましては」
「病気か。しからばここは猶予してつかわし、なおってからのことにいたそう」
番卒頭は、
「天王堂の堂守りが、ずっと前から満期になっておりますが、林冲に交替させましょう」
という。その場で公文書が出され、番卒頭は林冲をひきとり、自分で独房から荷物をとってきて、天王堂へ連れて行って交替させた。番卒頭はいった。
「林教頭どの、おれはおまえさんのために十分つくしてやったんだぜ。天王堂の堂守りというのは、牢城でいちばん楽なつとめなんだ。仕事といったら朝晩、線香をあげたり、そこらを掃いたりしてりゃいいんだ。ほかのやつらを見てみな、朝から晩まで追いまくられて、それでもまだ勘弁してもらえんというしまつだ。なかでもつけとどけのできんやつなんかは、土牢にほうりこまれて、生きるにも生きられず死ぬにも死ねないという憂目《うきめ》さ」
「お目をかけていただいて、ありがとうございます」
林冲はそういって、また二三両の銀子をとり出して番卒頭にわたし、
「おめぐみついでに、この首枷もはずしていただけたらありがたいのですが」
番卒頭は銀子を受けとって、
「いいとも、やってやろう」
といってすぐ典獄のところへいいに行き、許しをとってきて枷をはずしてくれた。
林冲はそれからは天王堂で寝起きするようになった。毎日、ただ線香をあげたり、掃除をしたりするだけである。こうしていつしか四五十日は過ぎた。典獄や番卒頭は賄賂をもらっているので、日がたつほど親しくなり、彼を勝手にさせておいて、すこしも拘束しなかった。柴大官人も、使いの者をよこして冬の着物や贈り物などをくれ、牢城内の囚人たちも林冲のお裾分けにあずかった。
さて、くどい話はぬきにして、もう冬もまぢかというころのある日のこと、林冲が昼前ごろ、ふらりと牢城を出てぶらぶら歩いていると、誰かうしろから、
「林教頭さま、どうしてこんなところへ」
とよびかけた者がある。林冲はふりかえってその人を見たが、やがてそのために、林冲は火煙につつまれて危うくその余生を断とうとし、吹きすさぶ風雪のなかで、ほとんどその生命をうしなおうとするに至る。はてさて、林冲がふりかえって見たのは、誰であったか。それは次回で。
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一 〓に当る 〓とは土を積んで作った酒がめを置くところ。また、酒を売るところ。『史記』司馬相如列伝に「文君をして〓に当らしむ」とある(相如と文君のことは第六回注六・七参照)。
二 三牙 髭(くちひげ)と髯(ほおひげ)と鬚(あごひげ)をいう。
三 身構えをし 原文は使個旗鼓。身構えをすることをいう。
四 型を示した 原文は吐個門戸。流儀あるいは型を示して身構えることをいう。
第十回
林教頭《りんきようとう》 風雪に山神廟《さんしんびよう》へ
陸虞候《りくぐこう》 草料場《そうりようじよう》を火焼す
さてその日、林冲がぶらぶら歩いていると、とつぜんうしろからよびかけられたので、ふりかえって見たところ、なんとそれは酒屋の小僧の李小二《りしようじ》であった。かつて東京にいたとき、ずいぶん林冲から世話になった男である。この李小二は前に東京《とうけい》にいたとき、主人の家の金を盗むという不届きをしでかし、つかまえられて役所に突き出されるところを、林冲が詫びをいれて事を内々にすませたうえ、弁償金まで出して助けてやったが、都には身の置き場もないので、また林冲が旅費を出して旅立たせてやったのだった。ところが思いがけなくも今日、こんなところでばったり出会ったのである。
「小二、おまえ、どうしてこんなところに」
李小二はお辞儀をして、
「あなたさまに助けていただいて、旅に出してもらいましてから、どこもたよるところがありませんので、あっちこっち流れ歩いたあげくにこの滄州へたどりつき、王《おう》という居酒屋に身をよせて、その店ではたらかせてもらうようになりました。まじめにつとめましたので、料理もこしらえられるようになり、吸いものの味加減などもお客さんに評判がよくて、おかげで店が繁昌するようになったものですから、主人に見こまれまして、ひとり娘の婿に迎えてもらいました。今は舅《しゆうと》も姑《しゆうとめ》も亡くなって、わたしたち夫婦ふたりきりです。牢城の前で小料理屋をひらいておりますが、掛取りに出かけた道すがら、ふとお姿をお見かけしまして。しかしあなたさまこそ、どうしてここへおいでになったのですか」
林冲は自分の顔を指さしていった。
「高太尉ににくまれて、仕掛けられたわなにひっかかり、裁判にかけられたあげく、ここへ流されてきたのだ。今は天王堂の堂守りをやらされているが、これから先はどうなることやらわからん。しかし、今日こんなところで会おうとはまったく意外だった」
李小二は林冲を家へ迎えいれ、女房をよんで恩人に挨拶させた。ふたりはよろこんでいった。
「わたしたち夫婦は、誰も身寄りのものがありません。恩人さまが今日おいでになったのは、天のたまものでございます」
「わしは罪人だ。あんたたち夫婦のつらよごしにならなければよいがな」
「あなたさまのお名前は誰知らぬものとてありません。そんなことはおっしゃらないでください。着物などはうちへお出しになって、洗濯でもつくろいでもさせてください」
と李小二は、酒食を出して林冲をもてなし、夜になってから天王堂へ送って行って、そのあくる日もまた林冲を招いた。こうして林冲は小二のところへ出入りするようになり、小二も足しげくなにやかやと牢城へ持って行って林冲に食べさせた。林冲はふたりの厚い心づくしに感じいり、しばしば銀子をやって商売のもとでにさせた。
そのようなことはさておいて、話を本筋にもどそう。光陰は矢のごとく過ぎて、早くも冬になった。林冲の綿入れの上下などは、みな李小二の女房がぬいつくろった。
ある日のこと、李小二が店さきで料理をこしらえていると、つかつかとひとりの男が店へはいってきて腰をおろした。そのあとからまたひとりはいってきた。見たところ、先の男は軍官の身なり。あとからのは従卒の恰好で、はいってくるなりこれも腰をおろした。李小二は出て行ってきいた。
「お酒を召しあがりますか」
するとその男は一両の銀子をとり出して小二にわたし、
「これをおまえにあずけておくから、いい酒を三四瓶持ってきてくれ。客がきたらつまみものや肴など、いちいちきかないでどんどんはこんでくるようにな」
「どなたかおよびなさいますので」
「すまんが、牢城へ行って典獄と番卒頭に話があるからといってよんできてくれないか。先方でなにかきいたら、なにもいわずに、ただ、さるお客人がお話をして相談したいことがあるとかで、ぜひともおいでいただきたいといえばよい」
李小二は承知して牢城へ行き、まず番卒頭をよび、番卒頭といっしょに典獄の家へ行って典獄をよんで、三人いっしょに店にもどった。すると男は典獄と番卒頭に挨拶をした。典獄が、
「はじめてお目にかかりますが、どなたさまでございますか」
というと、男は、
「ここにある書面で今におわかりになりましょう。さあ、酒をくれ」
李小二は急いで酒を出し、菜やつまみものや肴などをならべた。男は、勧盤《かんばん》(客にすすめる大杯)を持ってこさせて酒をつぎ、相手を上座に坐らせた。李小二はその応待に、ひとりでてんてこまいである。ついてきた方の男は、湯わかしをとりよせて自分で燗をした。十杯あまりくみかわしたところ、また肴をいいつけたので、それを卓にならべると、男は、
「燗は供の者がするから、よぶまでこないでくれ。すこし相談ごとがあるのでな」
李小二は承知し、おもてへ出て行って女房にいった。
「おい、あのふたりづれは、なんだかあやしいぜ」
「どうしたっていうの」
「あのふたりは言葉のなまりでは東京の者だ。はじめは典獄さんとは初対面のようだったが、あとで肴をはこんで行ったら、番卒頭さんの口から高太尉っていう言葉が漏れたのをおれは耳にはさんだのだが、あの男はひょっとしたら林教頭さまによくない手合いなのじゃないかな。おれは店を見ているから、おまえは部屋の裏手で、なにを話しているか聞いてくれ」
「あんた牢城へ行って、林教頭さまをよんできて、たしかめてもらったら」
「ばかいえ、林教頭さまは気短な方だから、気がすまぬと人殺しや火つけもなさりかねないのだ。およびして、もしもあの男がいつかお話になっていた陸虞候《ぐこう》とやらいう男でもあってみろ、ただではおさまるまい。事がおこった日には、おれもおまえもまきぞえになるぞ。とにかくおまえ、立ち聞きしてみろ。それからのことにしようよ」
「なるほどそうね」
女房は奥へ行って、しばらく立ち聞きをしていたが、やがて出てきていうには、
「あの連中、ひそひそ声の内緒話で、なにをいってるのかさっぱり聞こえやしないのよ。でも、例の軍官ふうの人が、お供の人のふところから袱紗《ふくさ》に包んだものをとり出して、典獄さんと番卒頭さんにわたしたけど、中味はどうやら金銀らしかったわ。そのとき、番卒頭さんが、万事心得ました、きっとかたづけてさしあげましょうっていうのだけが聞こえたわ」
話しているところへ、座敷から、吸いものを持ってこいという声がした。李小二は急いで奥へ行き、吸いものを換えながら見ると、典獄は手紙を持っていた。小二が吸いものを換え、お菜を出しそえると、それから半時ばかり飲んでから勘定をすませ、典獄と番卒頭がさきに店を出て、例のふたりはそのあとで顔を伏せながら出て行った。
帰ったかと思うとすぐ、林冲が店へはいってきて、
「小二、毎日よくはやるな」
といった。李小二はあわてて、
「恩人さま、おかけになってください。ちょうどあなたさまをさがしに行こうと思っていたところです。大事な話がございまして」
このところをうたった詩がある。
人を謀《はか》らんとして念を動かさば天門を震《ふる》わし
悄語低言《しようごていげん》も六軍に号《さけ》ぶが如し
豈独《ひと》り隔牆《かくしよう》のみ原《もと》より耳あらんや(注一)
満前の神鬼尽く知聞す
そのとき、林冲はたずねた。
「大事な話というのはなんだ」
李小二は林冲を奥へ請じいれて腰をかけさせてから、
「ついさっき、東京からきたうさんくさい男が、この店に典獄さんと番卒頭さんをよんで長いこと飲んでおりましたが、そのとき番卒頭さんが高太尉という言葉をもらしたのです。わたしはどうもあやしいと思って、女房に一時《ひととき》ばかり立ち聞きをさせたのですが、彼らは頭をよせあってひそひそ話をしておりましたので、なにも聞きとれませんでしたけれど、ただ、おしまいに番卒頭さんが、万事心得ました、きっとかたづけてさしあげましょう、といったのです。ふたりづれは典獄さんと番卒頭さんに一包みの金銀をわたし、それからまたしばらく飲んで別れて行きましたが、いったいあれはどういう連中なのか、ひょっとしたらあなたさまの身に、不都合なことでもあるのではないかと、気になりまして」
「その男はどんなふうだった」
「背がひくくて、色が白く、ひげもなくて、年は三十すぎ。お供の者も背が低い方で、あから顔でした」
林冲はびっくりして、
「その三十ぐらいの男というのが陸虞候なんだ。ちくしょう、こんなところへまでおれを殺しにきたのか。出くわしでもしたら百年目、骨も身もぐちゃぐちゃにしてやるわ」
「用心なさるがなによりです。むかしの人もいっております、飯を食うにはむせぬよう、道を行くにはころばぬようにと」
林冲はかっとなって李小二の店を出ると、まず街へ行って短刀を買い、それを身に帯びて表通りから路地裏へとくまなくさがしまわった。李小二夫婦は両手に汗を握ってはらはらしていたが、その夜は事もなく過ぎた。翌日は朝早くから起き、顔を洗うと、短刀を身に帯びてふたたび滄州の城内・城外・小路・路地と一日じゅうぐるぐるさがしまわったが牢城になんのかわったこともなかった。林冲はその日も李小二の店にきていった。
「今日もなにごともなかったよ」
「恩人さま、それがなによりですよ。まあ、ご自分にお気をつけなさればよいのです」
林冲は、そのまま天王堂へもどって一夜をすごした。それからも四五日は毎日街をさがしまわったがなんの手がかりも得られず、林冲は緊張もしだいにとけて行った。
と、六日目のこと、典獄が林冲を吟味の間へよび出していうには、
「おまえもここへきてもうだいぶんたつな。柴大官人さまの手前もありながら、まだこれという面倒も見てやれなかったが、ついては、ここの東門から十五里ほどのところに軍の大きなまぐさ置場がある。仕事は毎月まぐさを受けとるだけなのだが、役得の金もとれる。いままでは年寄りの囚人が番をしていたが、こんどはおまえをそこへやり、年寄りの囚人は天王堂の番に替えることにするから、おまえはむこうでせいぜい金でももうけるんだな。番卒頭をつけて行かすから交替しろ」
「かしこまりました」
林冲はそう答えて、すぐ牢城を出るとまっすぐ李小二の家へ行き、夫婦ふたりにむかって、
「今日、典獄がわしを軍用まぐさ置場の番にすることにしたのだが、これはどう思う」
「その役目は天王堂よりもよろしいでしょう。あそこでは、まぐさを受けとるときに役得の金がはいります。これまでは、銭をつかわなければありつけなかった役目です」
「わしを殺さずに、かえってよい役目につけるなんて、これはどういうつもりなんだろう」
「恩人さま、そう気になさることはありません。無事でさえあればそれで結構です。ただわたしの家から遠くなりますが、そのうち、おりを見ておたずねいたしましょう」
李小二はそういって、さっそく家で酒を出して林冲に飲ませた。
くどい話はぬきにして、さてふたりは別れてから、林冲は天王堂へ帰って、荷物をととのえ短刀を帯び手槍をたずさえると、番卒頭とともに典獄に挨拶をして、ふたりでまぐさ置場へむかった。
おりしも冬のさなか、雪雲が天にみなぎり、北風が荒れ出した、と思うまに、紛々揚々として、空いちめんの大雪となった。見る見る雪は降りつもる。そのありさまは、
凜々厳凝霧気昏《りんりんげんぎようむきくら》く、空中の祥瑞降《くだ》って紛々。須臾にして四野は路を分かち難く、傾刻にして千山は痕《あと》を見ず。銀世界、玉乾坤《ぎよくけんこん》。望中隠々《いんいん》として崑崙《こんろん》に接す。もし還下《またくだ》って三更の後に到らば、彷彿として玉帝の門(注二)を填平《てんぺい》せん。
林冲と番卒頭のふたりは、道中に酒を飲むところもないまま、早くもまぐさ置場についた。見れば、まわりは黄土の土塀で囲まれていて、観音開きの表門がある。それをあけてなかを見ると、七八間《ま》ある草葺きの建物が倉庫で、そのまわりはまぐさの山。そしてその真中に二棟の小屋がある。小屋のなかへはいって見ると、例の老囚人が火にあたっていた。
番卒頭がいう。
「典獄どのの命令で、この林冲というのがこんどここを受け持つ。おまえは天王堂へ帰って堂守りをするんだ。さっそくひきつぎをしろ」
老囚人は鍵を手にして林冲を案内し、
「倉庫にはお上の封印があるし、ここにあるまぐさにも一山一山、全部番号がつけてあるよ」
老囚人はいちいち山の数をあらためてから、林冲といっしょに小屋へひきかえした。老囚人はそれから荷物をとりまとめ、出かけるときにこういった。
「火鉢や鍋や碗や皿は、みんなお前さんに貸してやるよ」
林冲は、
「天王堂にはわしのがあるから、おまえさんも要ったら使いな」
すると老囚人は、壁にぶらさげてある大きな瓢箪を指さして、
「酒が飲みたけりゃ、まぐさ置場を出て、東街道を二三里行けば町があるからな」
老囚人は番卒頭に連れられて牢城へ帰って行った。
さて林冲は、寝台の上に包みと蒲団を置き、腰をおろして火を焚きつけた。小屋のそばに炭が積んであったので、それをとってきて囲炉裏《いろり》にくべた。頭をあげて小屋のなかを見まわすと、四隅がくずれてしまっていて、北風に吹きうごかされてゆらゆらしている。
「こんな家じゃとても冬がすごせない。雪があがったら、町から左官屋をよんできてなおさせなきゃ」
しばらく火にあたっていたが、身体がぞくぞくするので、
「さっき年寄りが、二里ぐらいさきに町があるといっていたから、ひとつ、飲みに行ってみるか」
と、包みのなかから、小粒銀をすこしばかりとり出し、手槍の柄に瓢箪をぶらさげ、炭火を灰のなかへいけこみ、氈笠《せんりゆう》をかぶり、鎌を持ち、小屋の戸をしめ、表門を出て、その観音開きの戸をしめて鍵をかけ、その鍵を持ち、足のむくままに東の方へ道をとり、雪を踏み北風を背にうけながらすすんで行った。雪ははげしく降りしきっている。まだ半里も行かぬところに古い廟が見えた。林冲はうやうやしく頭をさげて祈った。
「ご加護をたまわりますよう。いずれあらためてお礼まいりをいたします」
またしばらく行くと、むこうにひと群れの人家が見えた。林冲が足をとめて眺めると、いけがきのなかから酒ばやしがつるし出してある。林冲はその店へはいって行った。
「どちらからおいでで」
と主人がきいた。
「この瓢箪に見覚えはないかい」
林冲がそういうと、主人はそれを見て、
「その瓢箪はまぐさ置場の爺さんのだ」
「そのとおり」
「まぐさ置場の番人さんなら、さあ、どうぞおかけなさって。とても冷えますことで。まあ、二三杯あがっていただきましょう。お近づきのしるしまでに」
主人は、煮た牛肉一皿に燗酒を一本つけて林冲にふるまった。林冲も別に牛肉を買い、酒も数杯飲んだうえで、瓢箪にいっぱい酒を買い、牛肉を二切れ包ませ、小粒の銀で払いをすませると、手槍の柄に瓢箪をぶらさげ、牛肉をふところにねじこんで、
「お邪魔さん」
と一声かけて、いけがきの門を出、北風にさからいながらもときた道をひきかえして行く。雪は夕暮れになるとますますはげしくなった。そのむかし、ある書生の作った詞《うた》で、貧しい人が雪を恨んだものがある。
広漠《こうばく》の厳風は地を刮《けず》る。這《こ》の雪児《ゆ き》の下《くだ》るや正に好《はなはだ》し。絮《わた》を拈《ひね》り綿を〓《むし》り、幾片の大なること栲〓《こうろう》(ざる)の如きを裁《た》つ。見よ林間の竹屋茅茨《ちくおくぼうし》、争些児《あ や う》く他《かれ》に圧《お》し倒されんとするも、富室豪家は却って瘴《しよう》を圧《あつ》するには(雪は万瘴をしずめるという)猶《なお》少嫌《たらず》と言道《と な》え、向《あた》る的《もの》は是れ獣炭紅炉、穿《き》る的《もの》は是れ綿衣絮襖《じよおう》、手に梅花を撚《と》って、国家の祥瑞と唱道し、貧民を些小《さしよう》も念わざるを。高臥(隠棲)するものには幽人あり、吟詠して詩草多し。
さて林冲はその「瑞雪《ずいせつ》」なるものを踏みしめ北風にさからいながら、いっさんにまぐさ置場の表門に馳《は》せもどり、錠をあけてなかへはいって見て、あっと叫んだ。
天理は昭然として善人義士を加護する。この大雪のために林冲は命をすくわれたのだった。というのは、二つの小屋は雪でおしつぶされていたのである。林冲は思案した。
「さてこれはどうしたらよかろう」
手槍と瓢箪を雪の上におろし、なにはともあれ、火鉢のなかの炭火が燃え移ってはたいへんと、崩れた壁をかきのけて半身をもぐりこませ、手でさぐってみると、火鉢のなかの火種は雪の溶け水ですっかり消えていた。林冲は手をのばして寝台をさぐり、やっと一枚、蒲団をひっぱり出した。外へはい出して見ると、はや、日はとっぷり暮れている。
「これじゃ飯を炊くところもないが、どうしたものだろう」
と一思案。そのときふと思い出した。
「半里ほど行ったところに古い廟があったな。あそこならねぐらになる。今夜はひとまずあそこへ行ってすごし、明日はまた明日のことにしよう」
そこで蒲団を巻きたたみ、手槍に瓢箪をぶらさげ、もとどおり門をしめて錠をおろし、廟へと出かけた。廟の門をはいって、扉をしめ、傍に大きな石がひとつあったので、それを持ってきて扉によせかけ、なかへはいって見ると、殿上には金の甲《よろい》を着た山神《さんしん》(山の神=虎)の塑像、その両脇に判官《はんがん》(地獄の書記=馬)と小鬼《しようき》(獄卒=牛)がそれぞれ一体ずつあって、その傍には紙銭が山のように積まれていた。見れば隣家もなく、堂守りもいない。林冲は槍と酒の瓢箪をいっしょに紙銭の山の上におき、まるめた蒲団をくりのべると、まず氈笠をぬぎ、身体の雪をはらい落とし、はおっていた白木綿の上衣をぬいだが、ぐっしょり濡れているので、氈笠といっしょに供え物机の上におき、蒲団をひきよせて下半身をおおい、さて、冷酒の瓢箪をとって、ふところの牛肉を肴に、ゆっくりと飲んだ。
飲んでいると、外でぱちぱちと物のはぜる音がする。林冲が跳び起きて壁の隙間からのぞいて見ると、まぐさ置場に火の手があがってばりばりと燃えている。そのありさまは、
雪は火勢を欺き、草は火威を助く。偏《ひとえ》に愁う草上に風あるを。更《さら》に訝《いぶか》る雪中に炭を送れるかと。赤竜闘躍《とうやく》す、如何ぞ玉甲《ぎよくこう》紛々たる。粉蝶争飛《そうひ》す、遮莫《さもあらばあれ》火蓮焔々たり。初《はじ》めは疑う炎帝《えんてい》の神駒《しんく》を縦《はな》ち、此方《こ こ》に牧《くさ》を芻《は》ますかと。又猜《うたが》う南方の朱雀《しゆじやく》を逐《お》い、偏処《へんしよ》に巣を営ましむるかと。誰か知らん是れ白地裏《はくちり》に災殃《さいおう》起れるを、也須《またすべから》く信ずべし暗室中に電日《でんじつ》を開くを。這《こ》の火を看《み》れば、能《よ》く烈士をして無明《むみよう》(怒り)を発せしめ、這《こ》の雪に対すれば、応《まさ》に奸邪をして心胆を寒からしむべし。
そのとき林冲はすぐ手槍をとり、扉をあけて火を消しに行こうとした。と、外に誰かが話をしながら近づいてくる気配。林冲が扉のかげにかくれて聞いていると、三人の足音が聞こえ、やがて廟のなかへはいってきて手で扉を押した。しかし石がよせかけてあるので、押せども押せどもあかない、三人は廟の軒下に立って火事を眺めていたが、そのうちのひとりがいった。
「どうです、この計略は」
するとひとりが答えた。
「まったく典獄と番辛頭ご両人のご尽力のおかげです。都へ帰ったら太尉どのに申しあげて、ご両人を高官に推薦しましょう。こんどこそは張教頭(林冲の舅)もことわるわけにはいくまい」
するとはじめの男が、
「林冲も、こんどは見事われわれにしてやられましたな。高《こう》の若さまのご病気もこれできっとよくなられましょう」
また別のひとりが、
「張教頭のやつ、再三再四、縁故の者の口を借りてあんたの婿どのは亡くなったといってやっても、どうしても承知しないのだ。そのため若さまのご病気はわるくなるばかり。そこで太尉どのはわざわざわれわれふたりをつかわされて、おふたりにこのことをおねがいにあがらせなすったわけだが、思いのほか、首尾よく行きましたわい」
またひとりが、
「わたしは塀のなかへしのびこんで、ぐるりの積み草に十本ばかりもの松明《たいまつ》をつけましたから、逃げようったって逃げられはしません」
「もうそろそろ八分どおりは焼けてしまったところだろう」
「たとえ命は助かったとしても、軍のまぐさ置場に火を出したとありゃ、死罪は逃れっこないからな」
「さあ、ひきあげるとしましょうか」
「もうすこし見ていて、あいつの骨を一つ二つ拾ってから都へ帰ったら、お屋敷で太尉どのと若さまにお目どおりのとき、よくやったとほめていただけるだろう」
林冲は三人の話を聞いて、ひとりは番卒頭、ひとりは陸虞候、もうひとりは富安であることがわかった。そして、
「ああ、天佑だった。小屋がつぶされなかったら、きっと、こいつらに焼き殺されていたろうに」
と、そっと石をとりのけ、手槍を構えて片手で廟の扉をひきあけ、
「やろうども、そこを動くな」
と、大喝一声。三人はぱっと逃げようとしたが、あまりのことにうろたえて、足が前へ出ない。林冲は、手をふりあげて、ぐさりとひと突き、まず番卒頭を刺し倒した。陸虞候は、
「お助け」
とわめき、おどろきのあまり、手足をばたばたさせるだけである。富安はといえば、十数歩も逃げぬうちに林冲に追いつかれて、うしろからただひと突きにこれも刺し殺されてしまった。林冲は身をひるがえしてもどり、陸虞候がわずかに四五歩ばかり逃げたところを、
「悪党、逃げるか」
とどなりつけ、胸倉をひっつかんで雪の上に投げ飛ばし、槍を地面に突きさして足で胸板を踏んづけ、ふところから短刀をとり出して陸謙の顔につきつけながら、
「悪党め、おれとおまえとはもともとなんの恨みもないのに、よくもこうまでおれの命をねらいやがったな。犯した罪はゆるせてもその根性はゆるされぬ、というのはこのことだ」
「わしがしようとしたことじゃない。太尉どのの命令で、こないわけにはいかなかったのだ」
と虞候は哀訴する。
「悪党め、おまえとおれとはおさななじみなのに、今日はおれを殺しにきやがって、自分がしようとしたことではないとは何という言い草だ。さあこの刀でもくらえ」
と、陸謙の着物の前をおしはだけ、短刀をさか手に心臓のあたりをひとえぐりすれば、目から鼻から口から耳からどっと血が噴き出る。心肝《き も》をつかみ出してふりむいて見ると、番卒頭がはい起きて逃げようとしている。林冲はおさえつけて、
「このやろうも、なかなかのくわせもの。このおれの刀をくらえ」
とさっと首を掻き落とし、槍にぶらさげると、ひきかえしてきて富安と陸謙の首も斬り落とし、短刀を鞘におさめた。それから三人の首を髪の毛でひとつにつなぎ、ぶらさげて廟のなかへはいり、山神の前の供え物の机の上に据え、白木綿の上衣を着て帯をしめ氈笠をかぶり、瓢箪の冷酒を飲みほし、蒲団と空の瓢箪はうち捨てて、槍をひっさげて廟を出、東の方へとむかった。
四五里ちかく行くと、近所の人々がてんでに水桶や鳶口を持って火消しに駆けつけてくるのに会った。林冲は、
「早く消しに行ってくれ。わしは役所へ知らせに行く」
と声をかけ、槍を手にひたすら歩きつづけた。これをうたった詩がある。
天理昭々として誣《し》うべからず
奸悪を将《もつ》て良図と作《な》す莫《なか》れ
もし風雪に村酒を沽《か》うに非ざれば
定めて焚焼《ふんしよう》せられて朽枯と化せん
自《みずか》らは冥中に計を施して毒《どく》すと謂《おも》うも
誰か知らん暗裏に神有りて扶くるを
最も憐れむ万死逃生の地
真に是れ魁奇《かいき》の偉丈夫なり
雪はいよいよはげしく降りしきる。林冲はおよそ二時《ふたとき》ばかり東へ東へと歩きつづけた。身にまとう薄い着物は、容赦なく寒気を浸みとおらせる。雪原に立って見わたすと、まぐさ置場からは遠く離れてしまっている。行くてはと見れば、まばらな林の奥、木の枝のさしかわす茂みのあたりにいくつかの草葺きの屋根が雪にうずもれながら、破れ壁の隙間からちらちらとともし火の光を洩らしているのが目についた。林冲はまっすぐにその草葺きの家へ行き、門をおしあけて見ると、そこには年とったひとりの百姓が、四五人の若い衆にとりかこまれて、火にあたっていた。いろりのなかでは薪がめらめらと焔をあげている。林冲はその前へ行って、
「みなさん失礼いたします。わたしは牢城のお役目の者ですが、着物が雪で濡れましたので火にあぶらせてもらいたいのです。おたのみいたします」
「どうぞあぶりなされ。遠慮はいりません」
林冲は濡れた着物を火にあぶり、おおかた乾いたころ、ふと気がつくと、炭火のかたわらに甕《かめ》がいけてあって、なかから酒のにおいがしみ出している。林冲はいった。
「わたし、小粒銀をいくらか持ちあわせていますが、すこしばかり酒をご無理ねがえませんか」
すると年寄りの百姓が、
「おいらは毎晩かわりばんこに米倉の番をやっているんだが、夜も四更(二時)の今時分が冷えこんでくる絶頂で、おいらのぶんだけでもたりないんだ。あんたに分けてあげるわけにはいかんから、あきらめてもらいたいな」
「それじゃまあ、ほんの二三杯だけ、寒さしのぎに譲ってくださらんか」
「おまえさん、そうせがまないでくれ」
林冲は酒のにおいをかいでいるうちにたまらなくなって、
「それじゃ、ちょっぴりでいいからくれ」
すると、百姓たちは、
「親切気を出して着物をあぶらせてやりゃ、酒までせびりやがる。とっとと出てうせろ。行かねえと吊しあげてやるぞ」
林冲はかっとなって、
「わけのわからんやろうどもだ」
と、持っていた槍で、燃えさかっている榾木《ほだぎ》を爺さんの顔へぱっとはね飛ばし、かえす槍でいろりのなかをひっかきまわした。爺さんのひげは火がついてめらめらと燃え、百姓たちはみなとびあがった。林冲は槍の柄で打ちまくる。爺さんはいち早く逃げ出したが、あとの連中は逃げもできずに、林冲にさんざん叩きまくられたあげく、ようやく逃げて行った。
「みんな逃げてしまいよったな。それじゃ、ゆっくりいただくとしようか」
土坑《どこう》(おんどる)の上に椰子で作った柄杓《ひしやく》が二つあったので、ひとつをとってそれに甕《かめ》の酒を移してぐいぐいと飲み、半分だけ残しておいて、槍をとりあげてそこを出た。一歩は高く、一歩は低く、よろよろふらふらとして足元が定まらない。一里も行かぬうちに、北風の吹きあおりをくらって、谷川の縁にぶっ倒れ、もがけどあがけど腰が立たない。だいたい酔っぱらいというものは、いちどたおれたらもう起きあがれないもので、林冲もこのとき、雪のなかに酔いたおれてしまったのである。
ところで百姓たちは、二十人あまりの同勢をよせ集め、槍や棒をおっとって、いっせいにあの草葺きの家へ駆けつけたが、見れば林冲はいない。足跡をたどって追って行くと、手槍を投げ出したまま雪のなかにぶったおれている。みんなはよってたかって林冲をその場におさえつけ、縄で縛りあげてしまった。そして五更(四時)ごろになると、とあるところへとひきずって行った。
その、とあるところとは、これぞ曰《いわ》くのあるところ。ために蓼児〓《りようじわ》には前後に戦艦艨艟《もうどう》数千艘をおしならべ、水滸寨《すいこさい》には左右に英雄好漢百幾人を列《つら》ね立つという次第と相なるのである。まさに語り出せば殺気人を侵して冷たく、述べ出せば悲風骨に通って寒しというところ。ところで、林冲が百姓たちにひきずられて行ったのはいかなるところだったか。それは次回で。
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一 独り隔牆のみ原より耳あらんや 原文は独隔牆原有耳。諺に「隔牆有耳」(壁に耳あり)というのをもじったもの。
二 玉帝の門 崑崙は空想の山で、仙女西王母が棲むといい、また、玉帝(天帝)の下都(地上の帝都)ともいう。「玉帝の門を〓平せん」とは、従って、崑崙山をも埋めつくすであろうの意。
第十一回
朱貴《しゆき》 水亭に号箭《ごうせん》を施《はな》ち
林冲《りんちゆう》 雪夜に梁山《りようざん》へ上る
さて、豹子頭《ひようしとう》の林冲は、その夜、酔いつぶれて雪のなかにぶったおれ、いくらあがいても起きあがれないでいるところを、おしかけてきた百姓たちに縛りあげられ、とある屋敷へひきずられて行った。と、ひとりの下男が家のなかから出てきていった。
「大官人さまはまだお寝みだ。そいつはひとまず門楼《もんやぐら》に吊《つる》しておけ」
やがて夜も明けそめるころ、林冲は酔いから醒めた。あたりを見まわすと、なかなか立派な屋敷である。林冲は大声で叫んだ。
「どいつだ。おれを吊しやがったのは」
その声を聞きつけた百姓たちは、白木の棍棒をおっとって門のなかから走り出し、どなりつけた。
「このやろう、まだ大きな口をたたきやがる」
あのひげを焼かれた年寄りの男は、
「とりあわずに、ぞんぶんにぶんなぐってやれ。大官人さまが起きて見えたら、取り調べてお役所に突き出すまでだ」
百姓たちはいっせいに打ちかかった。林冲は打たれながら手も足も出ず、
「よせ、よせ。おれのいいぶんを聞いてくれ」
と叫ぶ。そのとき、ひとりの百姓がやってきていった。
「大官人さまが見えたぞ」
林冲が見ると、手を後手《うしろで》に組んだひとりの官人が出てきて、廊下に立ってたずねた。
「おまえたち、誰をぶっているのか」
「昨夜、米盗人をとりおさえましたので」
その官人は近づいてきたが、見れば林冲なので、あわてて百姓たちを退《の》かせ、自分で縄を解いて、
「教頭どの、どうしてまたこんなところへ吊されなさったのです」
百姓たちはそれを見て、いっせいに逃げて行った。林冲が見ると、それはほかならぬ小旋風の柴進である。林冲はあわててよびかけた。
「大官人どの、お助けください」
「教頭どのはどうしてこんなところへきて、百姓どもに辱しめられなさったのです」
「なかなか一口でいえません」
ふたりはいっしょに奥へはいって腰をおろした。林冲がまぐさ置場の火事の一件をくわしく話すと、柴進はそれを聞いて、
「あなたは、まったく運がわるい。だが、今日は天が幸いをさずけてくださったのです。ご安心なさいますよう。ここはわたしの東の別荘ですが、しばらく滞在していただいて、そのうちになんとか考えましょう」
柴進は下男にいいつけて衣類一揃いを持ってこさせ、林冲に上から下まですっかり着換えさせてから、暖閣(注一)に請じいれ、酒食をととのえてもてなした。こうして林冲は、柴進の東の別荘で五六日すごしたが、この話はそれまでとする。
さて滄州の牢城では典獄が、林冲が番卒頭・陸虞候・富安の三人を殺害し、火を放って軍のまぐさ置場を焼きはらった旨を訴え出たので、滄州の長官は大いにおどろいて、ただちに公文書を出し緝捕《しゆうほ》の役人に捕り手を従えさせ、町々村々のいたるところに貼り札を出し、三千貫の賞金をかけて犯人林冲をとらえさせようとした。追及の手はしだいにきびしくなって、どこでもたいへんなうわさだった。
さて林冲は、柴大官人の東の別荘で、このおしせまった情勢を耳にし、柴進がこの屋敷へ帰ってくるのを待ちうけていった。
「大官人どのがわたしをおかくまいくださるのはありがたいのですが、公儀の追及はなかなかきびしく、一軒一軒、軒並みにさがしまわっているようです。もしこのお屋敷へさがしにきて大官人どのにご迷惑をおかけするようなことになってはこまります。ご恩義のこうむりついでにおねがいいたしますならば、わたしにいくらか路銀をおめぐみください。よそへ行って身をかくしたいと思います。幸いにして生きのびることができましたならば、犬馬の労をつくしてご恩に報います」
すると柴進は、
「あなたがお立ちになるのでしたら、よいところがあります。手紙を書きますから、お持ちになってください」
まさに、
豪傑蹉〓《さた》たり運未《いま》だ通ぜず
行蔵《こうぞう》(出処)随処に牢籠《ろうろう》を被《う》く
柴進書《しよ》を修して薦《すす》むるに因らざれば
焉《いずく》んぞ名を水滸中に馳《は》するを得ん
林冲はいった。
「大官人どのにそのようにしていただけば、わたしもゆっくり落ちつけましょう。ところで、それはどこですか」
「山東は済《さい》州管下の水郷で、梁山泊《りようざんぱく》というところです。四方八百余里、その中心に宛子城《えんしじよう》と蓼児〓《りようじわ》があります。今、三人の好漢《こうかん》がそこに寨《とりで》を構えていて、その第一の頭領は白衣秀士《はくいしゆうし》の王倫《おうりん》、第二の頭領は摸着天《もちやくてん》の杜遷《とせん》、第三の頭領は雲裏金剛《うんりこんごう》の宋万《そうまん》という男。この三人の好漢が、七八百人の手下をあつめて、強盗をはたらいているのです。大罪を犯した連中がよくそこへ身をよせて難をさけますが、頭領たちは、彼らをみなかくまってやっております。わたしも、この三人の好漢と親しくしていて、よく手紙をやりとりしています。今、手紙を書いてさしあげますから、そこへ行って、彼らの仲間になられてはと思うのですが、いかがですか」
「そのようにおとりはからいくだされば、なによりです」
「ただひとつ厄介なのは滄州道の出口です。あそこは今、役所の高札が出ていて、ふたりの軍官に往来する者をしらべさせて、出口をふさいでいるのです。そこを通らないことにはあなたも出て行けないのだが」
と、柴進はしばらくうつむいて考えていたが、
「そうだ、うまく通してさしあげましょう」
「そうしていただけば、死んでもご恩は忘れません」
柴進はその日、下男に、さきに林冲の荷物を背負って関所を通りぬけて、むこうで待っているようにいいつけた。そうしておいてから、二三十頭の馬を用意し、弓矢や槍を持ち、鷹をすえ、猟犬をひき、一行の人馬を勢ぞろいして林冲をそのなかにまぎれこませ、いっせいに馬に乗って関所の外へとむかった。
さて、警備の軍官は関所で任務についていたが、見れば柴大官人の一行で、みんな知りあった仲だった。この軍官は、父のあとをついで職につく以前、柴進の屋敷を訪ねたことがあったので、よく知っていたのである。そこで軍官は立ちあがっていった。
「大官人どの、またおたのしみにお出かけですか」
柴進は馬からおりてたずねた。
「おふたりさんは、どうしてまたこんなところにおられるのですか」
「滄州の大尹《たいいん》さまから公文書がまわされ、人相書が出されて、犯人林冲をとらえよとのことなので、わたしどももここに出されて見張っているのです。往来の旅商人はいちいち取り調べてから通しております」
柴進は笑って、
「その林冲は、わたしのこの一行のなかにまぎれこんでいますぞ。それがおわかりにならぬとはおかしいな」
すると軍官も笑って、
「大官人どのは法度に明るいお方。まぎれこませて、出て行かれるなんてことがあろうはずはありません。さあどうぞ馬にお乗りください」
柴進はまた笑っていった。
「それほど信用してくださるならば、帰りには獲物を置いてまいりましょう」
そして挨拶して一同馬に乗り、関所を越えて行った。十四五里ばかり行くと、さきにやった下男が待っていた。柴進は林冲を馬からおろして狩の装束をぬがせ、下男がはこんできた自分の着物に着換えさせた。林冲は、腰刀をさし、紅い房のついた氈笠をかぶり、荷物を背負い、朴刀を手にすると、柴進に別れの挨拶をして去って行った。柴進の一行は馬に乗って猟をし、暮れ方になって帰途につき、ふたたび関所を通るときに軍官らに獲物をやって屋敷へもどったが、このことはそれまでとする。
さて林冲は、柴進と別れてから旅をつづけること十日あまり。季節はちょうど冬の末で、雪雲が厚く空をおおい、北風がきびしく吹き、はらはらと雪が舞いはじめたと見るまに、空いちめんの大雪となり、二十里あまり行くうちには見わたすかぎりの銀世界になってしまった。その昔、金《きん》の完顔亮《かんがんりよう》に百字令《ひやくじれい》という曲の詞《うた》があって、大雪が胸中の殺気をかきたてることをうたっている。
天丁《てんてい》(道教の武神)震怒《しんど》して銀海を掀翻《きんほん》し、珠箔《しゆはく》を散乱す。六出の奇花飛んで滾々《こんこん》、山中の丘壑《きゆうがく》を平填《へいてん》し了す。皓虎顛狂《こうこてんきよう》し、素麟猖獗《そりんしようけつ》し、珍珠の索《つな》を掣断《せいだん》す。玉竜酣戦《かんせん》し、鱗甲《りんこう》(注二)満天に飄落す。誰か念《おも》わん万里の関山に征夫僵立《きようりつ》し、縞帯《こうたい》の旗脚を霑《うるお》すを。色は戈矛《かぼう》に映じ、光は剣戟《けんげき》に揺らぎ、殺気は戎幕《じゆうばく》に横たわる。貔虎《ひこ》(将領)は豪雄、偏裨《へんぴ》(幕僚)は英勇、共《とも》に与《とも》に兵略を談ず。須《すべから》く一酔を〓《す》てて碧空の寥廓《りようかく》たるを看取すべし。
さて林冲は、雪を踏んでひたすら歩きつづけたが、寒気はますますはげしくなり、日は見る見る暮れ落ちる。そのとき、遠くに、渓流に沿い湖を背にした一軒の居酒屋が、深々と雪におおわれているのが見えた。そのありさまは、
銀は草舎に迷い、玉は茅簷《ぼうえん》に映ず。数十株の老樹は〓《さが》として、三五処の小〓《しようそう》は関閉せらる。疎荊の籬落《りらく》は、渾《すべ》て膩粉《じふん》の軽く舗《し》けるが如く、黄土の繞牆《ぎようしよう》は、却って鉛華《えんか》の布《し》き就《な》せるに似たり。千団の柳絮《りゆうじよ》は簾幕《れんばく》に飄《ひるがえ》り、万片の鵝毛《がもう》は酒旗に舞う。
林冲は、それを目にとめるや、その居酒屋の店へと急ぎ、身体で蘆の簾をおしわけてはいり、身をそばだてて眺めたところ、客はひとりもいない。そこで席をえらんで腰をおろし、朴刀をたてかけ、荷物をおろし、氈笠をぬぎ、腰刀を壁にかけた。すると給仕がやってきて、
「お酒は、いかほどお持ちいたしましょうか」
「とりあえず二角もらおう」
給仕は桶《ます》に二角の酒をいれてきて、卓の上に置いた。
「なにか肴はないか」
「生《なま》の牛肉と煮た牛肉、それからあひると若鶏《わかどり》がございます」
「それじゃ、煮た牛肉を二斤たのむ」
やがて給仕は、皿に山盛りの牛肉と幾皿かの野菜のものをはこんできて、大きな碗を出して酒をついだ。林冲が三四杯飲んだころ、店の奥から手を後手に組んだ男が出てきて、店さきに立って雪を眺めた。その男は給仕にむかって、
「酒を飲んでいるのはどういう客だ」
とたずねた。林冲がその男を見ると、頭にはひさしの深い冬帽子をかぶり、身には貂《てん》の毛皮の襖《うわぎ》をはおり、足には鹿皮のぴっちりした長靴をはき、背は高く、容貌は魁偉《かいい》。顴骨《かんこつ》が高く、三すじ(注三)の赤ひげをはやし、顔を突き出して外の雪を眺めている。
林冲は給仕をよんでどんどん酒をつがせた。やがて、
「おまえさんも飲まんか」
とすすめ、給仕が一碗飲むと、
「ここから梁山泊まで、どのくらいある」
ときいた。
「梁山泊まではほんの数里ですが、水路だけで、陸路はありません。おいでになるのなら舟でしか行けませんよ」
「すまないが舟を都合してもらえまいか」
「この大雪にですか。それにもう夜ですよ。舟なんてさがせやしません」
「金はよぶんに出すよ。たのむから舟をさがしてわたしてくれんか」
「しかし、さがすあてがないんですよ」
林冲は、それじゃどうしたらよかろうかと、思案にくれながら何杯か飲んでいるうちに、気分がおもたくなってきて、昔のことがむらむらと思い出される。
「都で教頭をしていたころは、都の町々を毎日飲みまわったものだったが、まったくわからないものだ。今は高〓《こうきゆう》のやつにおとしいれられて、顔に刺青をされたあげく、こんなところにまで追われてきて、家はあっても帰れず、国はあってもたよれず、こんなわびしい思いをさせられるとはな」
こみあげてくる感慨のあまり、給仕に筆と硯を借り、酒の勢いに乗じて白壁の上に八句の詩を書いた。その詩は、
義に仗《よ》るは是れ林冲
為人《ひととなり》最も朴忠《ぼくちゆう》
江湖に誉望を馳せ
京国に英雄を顕《あら》わす
身世浮梗《ふこう》(注四)を悲しみ
功名転蓬《てんほう》(注五)に類す
他年もし志を得ば
威もて泰山の東を鎮めん
筆を捨てて、また酒を飲んでいると、あの毛皮の襖《うわぎ》を着た男がつかつかとやってきて、林冲の腰をひっとらえ、
「おまえ、いい度胸だな。おまえは、滄州で不届き千万な大罪をおかして、なんと、こんなところにいたのか。今、お上では三千貫の賞金をかけておまえをとらえようとしているのに、おまえは、いったいどうするつもりなんだ」
「おれを誰だというのだ」
「豹子頭《ひようしとう》の林冲だろう」
「おれは張《ちよう》という者だ」
するとその男は笑って、
「出まかせをいうな。ほれ、壁に名前を書いたじゃないか。それに顔にいれてあるその金印《いれずみ》。それでもごまかせるというのか」
「おまえはほんとうにおれをつかまえる気か」
男は笑っていった。
「おまえをつかまえたってどうにもなるまい。まあ、おれについてきな。奥で話そう」
男は手をはなした。林冲はそのあとについて奥の水亭へ行った。給仕にあかりをともさせ、林冲に挨拶をして、むかいあって腰をかけるとその男はたずねた。
「今しがた、あなたはしきりに梁山泊への道をたずね、舟をやとって出かけようとしておられたが、あそこは強盗の山寨、行ってどうしようというのですか」
「じつをいうと、今、お上にきびしく追われていて身を置くところもないので、あの山寨へ行って好漢たちの仲間いりをさせてもらおうと思っているのです。だから行きたいのだ」
「なるほど。しかしそれには誰か、あなたに仲間入りをすすめた人がいるはず」
「滄州横海郡の旧友がすすめてくれたのです」
「小旋風の柴進どのでしょう」
「どうしてそれをご存じで」
「柴大官人どのと山寨の一の首領とは親しい仲で、いつも便りをしあっていなさる。というのは、王倫親分がむかし挙人の試験に通らずにぶらぶらしていなさったころ、杜遷《とせん》親分といっしょに柴進どののところへ身をよせ、長いあいだお屋敷に厄介になられたうえ、帰るときには路用などももらわれて、恩義があるわけなんだ」
林冲はそれを聞くと、拝礼していった。
「おみそれ申しました。お名前をお聞かせください」
男の方も急いで礼をかえして、
「わたしは王頭領配下の見張り役、姓は朱《しゆ》、名は貴《き》といって、沂《ぎ》州は沂水《ぎすい》県の者。仲間うちでは旱地忽律《かんちこつりつ》(日照りの忽律。忽律は悪獣の名)とよばれております。山寨の指令でわたしはここで居酒屋をやっておりますが、それはうわべだけのことで、じつは往来の旅商人を物色して、金品のありそうなやつが通れば山寨に知らせるのが役目です。もっとも、ひとり旅で金に縁のなさそうなのは見のがしますが、物持ちがやってくると、軽いときはしびれ薬を盛って始末し、手荒にやるときはその場でばらして、赤身の肉は塩漬にし脂身は煮て油をとって灯油に使うという具合。さっきはあなたが梁山泊への路をしきりにきいておられたので、それで、手を出さなかったのです。そのうちに名前を書きなさったというわけで。あなたの豪勇ぶりは東京からきた男のうわさで承知しておりましたが、はからずも今日お会いできました。柴大官人どのの推薦の手紙があるうえに、あなたのお名前は天下に鳴り響いているのですから、王頭領もきっと重く用いてくださるでしょう」
と、さっそく魚や肉の料理と酒肴を出してもてなし、ふたりは水亭で夜中まで酒をくみかわした。林冲が、
「むこうへわたる舟は手にはいりますか」
ときくと、朱貴は、
「舟がありますからご心配なく。まあ、今晩はここで泊まって、五更(四時)ごろに起きていっしょに出かけましょう」
そこで、ふたりはそれぞれひきさがって寝た。
五更ごろまで眠ると、朱貴が林冲を起こしにきて顔を洗わせ、また四五杯、酒をふるまい、肉を食べさせた。夜はまだ明けきっていなかったが、朱貴は水亭の小窓をあけ、鵲画《じやくが》の弓をとりいだして響箭《きようぜん》(鳴り鏑矢《かぶらや》)をつがえると、対岸の枯れ蘆のなかへ射ちこんだ。
「なんですか、それは」
と林冲がきくと、朱貴は、
「山寨の合図の矢です。まもなく舟がやってきますよ」
やがて対岸の蘆の入江から四五人の手下の者が早舟を漕ぎ出して一路、水亭の下へやってきた。朱貴はすぐ林冲を連れて、刀や荷物を持って舟に乗った。手下の者は入江にむかって舟を漕ぎ、金沙灘《きんさたん》へ乗りつけた。林冲が見まわすと、周囲八百里の梁山の水泊は、まことにすさまじい要害の地である。そのさまは、
山は巨浪《きよろう》を排し、水は遥天《ようてん》に接す。乱蘆《らんろ》は万隊の刀鎗を攅《あつ》め、怪樹は千層の剣戟を列《つら》ぬ。濠辺《ごうへん》の鹿角《ろつかく》(さかもぎ)は、倶《とも》に骸骨を将《もつ》て攅め成し、寨内の碗瓢《わんぴよう》は、尽《ことごと》く髏《ころ》を使って倣《つく》り就《な》す。人皮を剥《は》ぎ下《くだ》して戦鼓に蒙《こうむ》らせ、頭髪を截《き》り来《きた》って〓縄《きようじよう》を倣《つく》る。官軍を阻当《そとう》するには、無限の断頭の港陌あり、盗賊を遮〓《しやらん》するには、是れ許多の絶逕《ぜつけい》の林巒《りんらん》あり。鵝卵《がらん》の石は畳々《じようじよう》として山の如く、苦竹の鎗は森々《しんしん》として雨に似る。断金亭《だんきんてい》上愁雲《しゆううん》起こり、聚義庁《しゆうぎちよう》前殺気《さつき》生ず。
そのとき手下の者は舟を金沙灘の岸へ漕ぎつけ、朱貴と林冲は岸にあがった。手下の者は荷物を負い刀を持ち、ふたりの好漢は山寨へとのぼって行く。残った手下の者は舟を小さな入江へ漕ぎいれた。
林冲が岸のあたりを見まわすと、両側はひと抱えほどの大木ばかり。中腹に断金亭がある。これを過ぎてさらにのぼって行くと、大きな関門があり、その前には刀・槍・剣・戟《えだぼこ》・弓・弩《いしゆみ》・戈《かぎぼこ》・矛《ほこ》が並べられ、まわりは擂木《らいぼく》(投げ丸太)と砲石(投げ石)の山。手下の者はさきに知らせに行き、ふたりは関門をはいって行く。両側は道をはさんでずらりと隊伍の旗じるしが並んでいる。さらに関門を二つ通ると、ようやく目ざす山寨の入口にたどりついた。林冲が四面の山々を眺めてみると、三つの関門は雄壮に、その真中に四五百丈平方の鏡のような平地をとりかこんでいる。山あいに正門があって、その両側は門長屋になっている。
朱貴は林冲を聚義庁へ連れて行った。中央の床几に掛けている好漢が白衣秀士《はくいしゆうし》の王倫《おうりん》、その左の床几に掛けているのが摸着天《もちやくてん》の杜遷《とせん》、右の床几にかけているのが雲裏金剛《うんりこんごう》の宋万《そうまん》。朱貴と林冲はすすみ出て挨拶をしてから、林冲は朱貴の下手《しもて》に立つ。朱貴がいった。
「この方は東京八十万禁軍の教頭で、姓は林、名は冲、あだ名は豹子頭。高太尉におとしいれられて滄州へ流されたところ、そこでまた軍のまぐさ置場を焼かれて、しかたなく三人の者を殺《あや》め、柴大官人どのの屋敷へ逃れて、ねんごろにもてなされておられたとかで、大官人どのがわざわざ手紙を書いて仲間入りを推薦してこられました」
林冲がふところから書面をとり出してわたすと、王倫は受けとって、あけて読んだ。そして、林冲にすすめて第四の床几に掛けさせ、朱貴を第五の床几につかせた。一方、手下どもにいいつけて酒を出させ、杯が三巡りすると、たずねた。
「柴大官人どのにはおかわりありませんか」
「毎日、郊外で狩をたのしんでおられます」
王倫はあれこれとたずねているうちに、ふとこんなことを考えた。
「おれは科挙の試験に受からなかった書生、しゃくにさわって、杜遷といっしょにここへきて強盗をやりだしたところ、あとから宋万もきて、こんなに多くの人馬徒党を集めることになったが、このおれにしたってそれほど腕が立つわけじゃなし、杜遷や宋万の武芸にしたって十人なみだ。今、もしこの男を仲間にいれてやったら、彼は都の禁軍の教頭で武芸はたしかにちがいないから、おれたちの腕のほどを見破ってのさばるようになるだろう。そのときはとてもおれたちの手にはおえんだろうから、これはひとつ、事にかこつけて山を追っぱらってしまって、あとの心配をなくしておいた方がよかろう。ただそれでは柴進の顔が立たず、むかしの恩義を忘れたことになるが、しかし、今はそんなことをいってもおられぬ」
まさに、
未だ豪気を同じくせず豈《あに》相求めん
縦《たと》い英雄に遇うとも留むるを肯んぜず
秀士自来《じらい》嫉妬多し
豹頭空《むな》しく嘆ず封侯を覓《もと》めしを
そのとき王倫は、手下たちに命じて、酒食をととのえ、宴席を設けさせ、林冲を席に迎えて好漢たち一同とともに酒を飲んだが、その宴もやがてはてようとするころ、王倫は五十両の白銀と二匹の繻子の反物を盆にいれて手下に持ってこさせた。王倫は立ちあがっていうよう、
「柴大官人どのから、教頭どのにこの山寨の仲間にはいっていただくようにとのご推薦ですが、いかんせん、この山寨は糧食も十分ではなく、建物もととのわず、人手もたりませんので、他日あなたのためにならないようなことになってはかえってよろしくないと思うのです。ついては、ほんの心ばかりのものですが、どうかこれをお納めくださって、もっと大きな山寨をたずねて身をおちつけられますように。なにとぞあしからず」
林冲はいった。
「三人の頭領がた、お聞きください。わたしがはるばるあなたがたをたよってきましたのは、柴大官人どののお顔をたのみにして、あなたがたの山寨の仲間にいれてもらおうとしてです。まことにふつつかな者ですが、ぜひとも、末席をけがさせてくださいますよう。一命をなげ捨ててはたらきます。決して口さきだけではなく、これが本懐なのです。路用の金がほしくてまいったのではありません。頭領がた、どうかお察しください」
王倫はいう。
「ここは小さな山寨で、居ていただけるようなところではありません。まあ、あしからず」
朱貴がそれを見て諫めた。
「兄貴、よけいなさし出口をするようだが、山寨には糧秣が十分ではないといっても、あっちこっちへ行って拝借してくればよいし、山や岸辺には木はいくらでもあるんだから、千間の家だって建てようと思えば建てられます。この人は柴大官人どのがせっかく推薦してこられた人です、それなのによそへ行けというのは、どんなものでしょうか。それに柴大官人どのは、この山にはずっとご恩のあるお方、あとでこの人をことわったことがわかったら具合がわるくはありませんか。この人は腕の立つ人ですから、きっとよくはたらいてくれますよ」
杜遷もいった。
「この人ひとりぐらい、山寨ではどうということもあるまい。兄貴がことわってしまって、それが柴大官人どのに知れたら、へんに思われるだろう。おれたちは忘恩負義の徒だっていう評判が立つぜ。むかしずいぶん世話になりながら、今すすめてよこされたこの人をことわって、追いかえすなんてことができるか」
宋万もすすめた。
「柴大官人どのの手前もあること、ここにいてもらって、頭領のひとりにしたっていいじゃないか。そうしないとおれたちは、義理知らずだということになって、天下の好漢たちに笑われるぞ」
だが王倫は、
「兄弟たちはそういうが、この人は滄州でどえらい罪を犯したのだ。こんどこの山へきたものの、その腹のなかはどうともわからぬ。もしも秘密をさぐりにきたのだったら、どうする」
林冲はいった。
「わたしは死罪を犯した身、それゆえ仲間にいれてもらおうと思ってやってきたのです、どうしてそうお疑いなさる」
「それでは、もし本心から仲間にはいりたいのなら、投名状(注六)を見せてもらおう」
林冲はすぐにいった。
「字ぐらいは書けますから、筆と紙をお貸しください」
すると朱貴が笑いながら、
「教頭どの、そうじゃないのです。好漢たちの仲間いりをするのに必要な投名状というのは、山をおりて行って誰かひとり殺し、その首を献上する、そうすれば疑念がなくなるというわけで、これを投名状といっているんですよ」
「そんなことはわけのないこと。さっそく山をおりて待ち伏せますが、しかし都合よく人が通るかどうか」
王倫はいった。
「刻限は三日としよう。三日のうちに投名状がはいれば、仲間入りを許そう。はいらなければ、やむをえん。そのときはあしからず」
林冲は承知し、部屋にひきとって休んだが、心中悶々たるありさま。まさに、
愁懐《しゆうかい》鬱々として開き難きを苦しむ
恨むべし王倫の〓《はなは》だ乖《かい》を弄するを
明日早く山路を尋ね去《ゆ》かん
知らず那箇《たれか》頭を送り来る
その夜、宴がはてると、朱貴は別れを告げて山をおり、居酒屋に帰って見張りについた。林冲は、夜になると、刀や荷物を持ち、手下の者に案内されて客部屋へ行き、そこで一晩やすんだ。
翌日は、朝起きて食事をすませると、腰刀をさし朴刀をひっさげ、ひとりの手下に道案内をさせて山をおり、舟でむこう岸へわたって、わびしい小路で旅人の通るのを待ち伏せた。朝から夕方まで、まる一日待ったが、ひとりの旅人も通らない。林冲は悶々として、手下の者とまた渡しをわたって山寨へ帰った。すると王倫がたずねた。
「投名状はどうなさった」
「今日はひとりも通らず、手にいれられませんでした」
「明日もし投名状が手にはいらなかったら、ここにおることはむずかしくなりますぞ」
林冲は返事もできず、ふさぎこんで部屋へ帰り、飯を食べて、また一夜をすごした。
翌日は、朝早く起き出し、手下の者と飯をすませると、朴刀をつかんでまた山をおりた。手下の者がいった。
「今日は南の道へ行って、待ち伏せてみましょう」
ふたりは林のなかにひそんで待ちうけたが、ひとりの旅人も通らなかった。昼ごろになると、三百人あまりもの旅人たちが、隊を組んで通って行った。林冲もこれには手出しができず、やりすごした。また、待ち伏せているうちに、やがて夕方になったが、誰も通らない。林冲は手下の者にいった。
「ああ、わしはまったく運がない。二日待ったのにひとりも通らぬとは。いったいどうしたらよかろう」
「兄貴、そうくよくよすることはありませんよ。明日、もう一日あるじゃありませんか。こんどは東の道で待ち伏せてみましょう」
その夜も同じように山にのぼって行くと、王倫がいった。
「今日は投名状はどうですか」
林冲は返事もできず、ただ吐息をもらした。王倫は笑って、
「どうやら今日もだめだったようですな。刻限は三日といったが、今日でもう二日。もし明日もだめだったら、もはやお会いするにはおよびませんから、どうぞそのままどこへなりとお立ちくださるよう」
林冲は部屋へ帰ったが、まったく悶々としてやりきれない思いである。臨江仙《りんこうせん》という曲の詞《うた》に、
悶《もだえ》は蛟竜の海島を離るるに似、愁《うれい》は虎の荒田に困《くる》しむが如し。秋を悲しむ宋玉《そうぎよく》(注七)は涙漣々《れんれん》たり。江淹《こうえん》は初めて筆を去《うば》われ(注八)、項羽《こうう》は船無きを恨む(注九)。高祖は〓陽《けいよう》に困厄《こんやく》に遭い(注一〇)、昭関《しようかん》に伍相《ごしよう》は憂煎《ゆうせん》す(注一一)。曹公《そうこう》は赤壁に火天《ひてん》に連なり(注一二)、李陵《りりよう》は台上に望み(注一三)、蘇武《そぶ》は居延《きよえん》に陥る(注一四)。
その夜、林冲は天を仰いで長嘆息した。
「ああ、高〓のやつにおとしいれられて、こんなところへまで流れ落ちてきながら、天にも地にもいれられず、なんという不運だろう」
また一夜をすごして、その翌日、夜あけ前に起きて飯を食うと、荷物をからげて部屋に投げこみ、腰刀をさし朴刀をひっさげ、またもや手下の者とともに山をおり、渡しをわたって東の道へ出た。林冲はいった。
「今日もまた投名状が手にはいらなければ、しかたがないから、どこかへ行って身をおちつけるとしよう」
ふたりは山麓の東の道へ行き、林のなかにかくれて待ち伏せていた。やがて昼ごろになったが、ひとりも通らない。雪もようやくやんで、日の光がうららかにさしてきた。林冲は朴刀をひっさげたまま手下の者にいった。
「もはや見こみはない。日の暮れぬうちに早く荷物をとってきて、どこか身をよせるところをさがしに行くとしよう」
そのとき手下の者が指さして、
「しめた! ひとりやってきましたぜ」
林冲はそれを見て、
「かたじけなや」
と叫んだ。はるかむこうの坂の下を、こちらへやってくる者がある。
近づいてくるのを待って林冲は、朴刀を振りかざしてぱっと飛び出して行った。男は、林冲を見るなり、
「あっ」
と叫んで荷物を放り出し、身をひるがえして逃げ出した。林冲は追いかけたが、ついに追いきれず、男は坂のむこうへ逃げて行ってしまった。
「どうだ、この運のないこと! 三日かかってやっとひとり見つけたら、それにも逃げられてしまうなんて」
「殺すことはできなかったが、この荷物が首のかわりになりますよ」
「おまえ、それを持ってさきに山へ帰ってくれ。おれはもうすこし待ってみる」
手下は荷物をかついでさきに林を出て行った。と、そのとき、坂の下からひょっこりひとりの大男があらわれた。林冲はそれを見ていった。
「ありがたや、天のたまもの」
するとその男は朴刀を構えて、雷のような大音声でどなった。
「この死にぞこないの強盗め、おれの荷物をどこへやった。ひっとらえてくれようと思ったら、そっちから虎のひげを抜きにきやがったか」
と、飛ぶように躍りかかってくる。林冲はそのすさまじい勢いを見ると、身を構えてこれをむかえた。
この男が林冲とたたかったがために、やがて梁山泊に風をおこす白額《はくがく》の虎どもが加わり、水滸寨に谷を越える金睛《きんせい》の猛獣どもがよりつどうこととなるのである。さて林冲とたたかったこの男は、はたして何者であるか。それは次回で。
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一 暖閣 隣室で火を焚いて暖める設備をした部屋。
二 銀海・珠箔・六出の奇花・皓虎・素麟・珍珠・玉竜・鱗甲 すべて雪にたとえて、雪の降りすさぶさまをうたったもの。これ以下は、辺境の雪の軍営のありさまをうたう。
三 三すじ 原文は三叉。一本には三〓。三牙に同じ。第九回注二参照。
四 浮梗 木偶のこと。大水が出ると木偶はどこかへ流れ去ってしまうが、土偶(土梗)はこわれてその場でもとの土にかえるから、おなじでくでも木よりも土の方がましであるという意味の語が『戦国策』に見える。したがって「浮梗を悲しむ」とは、さすらいの身をはかなむという意味である。
五 転蓬 秋風に舞い散る草の実をいう。したがって「転蓬に類す」とは、前注の「浮梗を悲しむ」と同意。
六 投名状 仲間へはいるために、見習としてはたらく証をいう。
七 秋を悲しむ宋玉 宋玉は戦国の楚の詩人。屈原の弟子で師が奸臣のために放逐されたのを悲しみ、「秋を悲しむ」賦にたくしてその心懐をうったえた。
八 江淹は初めて筆を去われ 江淹は梁の詩人。夢に郭璞《かくはく》(東晋の人で詩賦にすぐれ卜筮をよくした)と名乗る者があらわれ、おまえにあずけておいた筆を返せといった。ふところをさぐってみると五色の筆が出てきたので、それを返したが、その後は、江淹のつくる詩はみな精彩をかき、昔日のおもかげをまったくうしなってしまったという。
九 項羽は船無きを恨む 項羽が最期をとげる直前の敗走のくだりを指す。項羽は四面楚歌の垓下《がいか》での重囲を斬り破って、八百の手兵とともに逃走したが、淮河《わいが》をわたったところで路にまよい、大きな沼にぶつかった。そこで手間どっているうちに漢兵に追いつかれ、手兵はわずか二十八騎に討ちとられてしまった。「船無きを恨む」とはこれをいう。
一〇 高祖は〓陽に困厄に遭い 漢の高祖は〓陽で項羽の重囲におちいり、万策ほとんど尽きた。そのとき部下の紀信《きしん》が、高祖の車に乗って東門から出《で》、食尽きて漢王みずから降ると叫んだ。項羽の軍が高祖をとらえようとして東門に馳せ集まったその隙に、高祖はようやく西門から逃走した。
一一 昭関に伍相は憂煎す 伍相は伍子胥。伍子胥は楚の人であったが、父と兄を楚の平王に殺され、乞食に身をやつして昭関(呉と楚の境にある山関)を越え、辛うじて呉へ逃れた。
一二 曹公は赤壁に火天に連なり 曹公は曹操。赤壁の戦いで、曹操は孫権の智将周瑜《しゆうゆ》の火攻めにひっかかり、一夜のうちにその水軍八十万をうしなった。
一三 李陵は台上に望み 李陵は匈奴《きようど》と戦ってしばしばこれを破ったが、のち兵糧つき援軍なく、ついにとらわれの身となった。漢の武帝は怒ってその一族を殺し、李陵は漢に帰ることもかなわず、空しく匈奴の地に二十余年をすごして、その余生をおえた。
一四 蘇武は居延に陥る 蘇武も李陵と同時代の人。居延(甘粛省)で匈奴の捕虜となったが、雪を食い敷きものの獣毛を噛みながら、十九年間、節をまもりとおした。
第十二回
梁山泊《りようざんぱく》に 林冲《りんちゆう》落草し
〓京城《べんけいじよう》に 楊志《ようし》刀を売る
さて林冲《りんちゆう》が見るに、その男は、頭には范陽《はんよう》の氈笠をかぶり、その上には紅い纓《ふさ》を垂らし、白い緞子《どんす》の征衫《せいさん》(旅のきもの)を着、縦線《たてすじ》の細帯をしめ、下には青と白の縞の脚絆をまいて股引の裾口をしめ、鹿皮の靴下、毛付きの牛皮の長靴。腰には腰刀をさし、手には朴刀《ぼくとう》を持つ。身の丈《たけ》は七尺五六寸、顔には青い大きなあざ、あごのあたりにはまばらな赤ひげ。氈笠を背中にはねのけ、胸もとをおしはだけ、笠の下は角つまみの軟頭巾。朴刀を構えて大声で叫ぶ。
「このやろう。おれの荷物と金をどこへやりやがった」
林冲はいらいらして返事どころではない。目をむき虎ひげを逆立て、朴刀を構えてその大男に打ちかかって行った。このとき、雪はあがり雲は消え、ふたりは谷間に氷を踏みくだき、岸辺に二条の殺気を立ちのぼらせて、一進一退、しのぎをけずること三十数合におよんだが、なお勝敗は決せず、さらに十数合をまじえて、いよいよ雌雄の決しようというとき、山の高みからふいに声がかかった。
「ご両人、しばらく待たれよ」
林冲はそれを聞いてぱっとうしろへ身をひいた。ふたりが朴刀をおさめて山の上をふり仰ぐと、白衣秀士の王倫が、杜遷・宋万および大勢の手下どもとともに山をおり、船で河をわたってきて、いった。
「おふたりの好漢、まことにみごとな太刀さばき。まさに神出鬼没。これなるは、われらが兄弟、豹子頭《ひようしとう》の林冲だが、そこな青あざの仁よ、あなたはどなたか、お名前をお聞かせねがいたい」
「わしは三代にわたる武門の家柄、五侯楊令公《ようれいこう》の孫、姓は楊《よう》、名は志《し》、今はこの関西に流浪しているが、弱年のころ武挙《ぶきよ》(武官試験)に通り、殿司制使《でんしせいし》(禁衛の武官)にまでのぼった。道君《どうくん》(徽宗皇帝)が万歳山《ばんざいさん》を築かれたとき、同輩の司制使十人とともに太湖《たいこ》から花石綱《かせきこう》(注一)を運搬して都へ上納することを命ぜられたが、わしは運わるくも、花石綱を護送し黄河にさしかかったとき、風のために船が転覆して花石綱を水中に沈めてしまったのだ。そのため都に帰ることもならず、逃れてよそに身をかくしていたしだい。ところが、このたび罪がゆるされたので、金目《かねめ》のものをまとめて東京《とうけい》へ帰り、枢密院《すうみついん》(軍の最高統帥部)にまいないをして再び身を立てようと考えてここを通ったのだが、百姓をやとって荷をかつがせていたところ、だしぬけにおまえたちに奪われたのだ。さあ、かえしてもらいたい」
王倫がたずねた。
「あなたは、青面獣《せいめんじゆう》というあだ名の人ではないか」
「そうだよ」
「さては楊制使どのか。それならぜひとも山寨へおいでいただきたい。まずい酒だが一献さしあげ、荷物もおかえしいたそう」
「わしをご存じならば、すぐ荷物をかえしてもらいたい。酒をふるまわれるよりその方がありがたい」
「制使どの、わたしは数年まえ、東京へ試験を受けに行ったときから、制使どののお名前はうかがっております。今日、さいわいお目にかかりながら、このままお通しすることはできません。まあ、山寨にきてしばらくおやすみください。別に他意はござらぬ」
楊志はそういわれて断わるわけにもゆかず、王倫らの一行とともに河をわたって山寨へ行った。朱貴もいっしょによんで、一同は聚義庁に顔をそろえた。左手にならんだ四つの床几には、王倫・杜遷・宋万・朱貴。右手の二つの床几には上手《かみて》に楊志、下手《しもて》に林冲と、それぞれ席についた。王倫は、羊をころし、酒を出して宴席をもうけ、楊志を厚くもてなしたが、このことはそれまでとする。
くどい話はぬきにして、やがて杯が数回かたむけられたころ、王倫は思案をめぐらした。
「林冲をおいてやると、おれたちの無力なことがわかってしまうから、ここはひとつ、親切ぶっていっしょに楊志もひきとめ、林冲といがみあわせるのが上策というものだろう」
そこで楊志に、林冲を指さしながらいった。
「この兄弟は、東京八十万禁軍の教頭で、豹子頭の林冲という者。高太尉のやつが、立派な人物は煙《けむ》たいものだから、事をかまえて滄州へ流したのだが、そこでもまた罪にふれて、こんどここへきたのです。ところで、制使どのはこのたび東京へ行って官につくご所存とのこと、決してあなたを仲間にひきいれようとして申すのではありませんが、わたしも文をすてて武をとり、ここへきてこんな稼業をしている者、あなたも罪に問われなすった身の上であれば、たとえゆるされたとはいえ、もとの官につくことはなかなかむずかしいのではありますまいか。それに高〓のやつが軍権をにぎっているとあっては、あなたを迎えいれようとはまずもって考えられません。いっそのこと、この山寨におとどまりになって、大秤《おおばかり》で金銀を分け大碗で酒や肉をくらう好漢の仲間にはいられてはと思うのですが、いかがですか」
「頭領たちのご親切はありがたいが、わしには身よりの者が東京にいて、以前、わしのことでまきぞえをくわせたまま、なんの挨拶もしていないので、こんどはどうしても顔出しをしたいのです。頭領がた、どうか、わしの荷物をかえしてください。かえさぬといわれるなら、わしは手ぶらででも帰ります」
王倫は笑いながら、
「制使どのがいやといわれるなら、無理におひきとめはしません。まあ、一晩ゆっくりして、明日早くお立ちになればよいでしょう」
楊志はよろこんで、その日は一更(夜八時)ごろまで酒を飲んだあげく、それぞれひきとって休んだ。
翌日は早く起きて、楊志の送別のためにまた酒盛りをした。朝食がすむと頭領たちは、手下の者に昨夜の荷物をかつがせ、みなで山をくだって楊志を見送り、山の出口のところで別れた。手下の者には河をわたって街道まで送って行かせた。一同は楊志に別れて山寨に帰ったが、王倫はこれより林冲に第四の椅子をあたえ、朱貴を第五位にした。これより後、この五人の好漢は、梁山泊を根城にあたりを荒らしまわるのだが、その話はあずかっておく。
さて楊志は街道へ出ると、百姓をやとって荷物をかつがせ、見送りの手下の者は山寨へ帰した。楊志は旅をかさねてやがて東京に着き、城内にはいって、宿をさがして落ちついた。百姓は荷物をわたし、銀両《か ね》をもらって帰って行った。楊志は宿にはいって、荷物を置き、腰刀と朴刀をはずすと、宿の若いものに粒銀《つぶぎん》をわたして酒や肉を買ってこさせて食べた。
数日たってから、人にたのんで枢密院にわたりをつけ、本来の職務のことについて了解を得てもらってから、荷物のなかの金銀財物を出して上下の役人にまいないをし、再び殿司府制使の職にもどれるようにたのんだ。巨額の金銭をすっかり使いはたしたあげく、ようやく上申書が受けつけられ、殿帥府の高太尉に引見されることになったが、いざ出頭して見ると、高〓は関係文書に目を通すなり、ひどく怒って、
「花石綱の運搬に行ったおまえたち十人の制使のうち、九人の者はみな都に帰って上納したのに、きさまだけが、花石綱をうしなったばかりか自首もせずに逃亡し、長いあいだかくれていて、今さらもとの官にもどりたいとはなんたることか。たとえ恩赦にあずかったとはいえ、任用の儀はまかりならぬ」
と、一筆のもとに上申を却下し、楊志を殿帥府から追い出してしまった。
楊志は悶々たる思いで宿に帰り、
「王倫がすすめてくれたのももっともだった。しかし、わが穢れなき家柄を思えば、父母にもらったこの身体を穢すには忍びない。この腕をもって辺境の地に武勲をたて、家族のものにも栄誉を受けさせ、先祖の名をもかがやかせようと思ったのに、なんと、見事にすっぽかされてしまったわい。高太尉のやつめ、よくもむごいしうちをしやがったな」
悶々の情にもだえながら、なお幾日か宿ですごすうちに、路用もすっかり使いはたしてしまった。まさに、
花石綱原《もと》紀綱なし
奸邪到底《あくまで》忠良を困《くる》しむ
早く廊廟に権を当《と》るの重きを知らば
山林に義に聚るの長きに若《し》かず
楊志は考えた。
「いったいどうしたらよかろう。あとはもう先祖から伝わるこの宝刀だけだ。ずっと手離さずにきたものだが、こうなってはもうしようがない。街へ売りに行って千貫ばかりの金にかえ、それを路用にして身をおくところをさがしに出かけるとしよう」
その日、さっそく宝刀に売り物札をつけて街へ売りに出た。馬行街《ばこうがい》へ行ってふたときほど立っていたが、誰も声をかけてこない。昼ごろまでそこにいてから、こんどは天漢州橋《てんかんしゆうきよう》の盛り場へ売りに行った。楊志がそこに立ってからまもなく、道ばたの人々がばたばたと走り出して、川ぶちの小路へ逃げこんで行った。よく見れば、みなあわてふためきながら、
「早く逃げろ、虎だ、虎だ」
と叫んでいる。楊志は、
「奇《き》っ怪な、こんなにぎやかな都に、虎が出るとは」
と、足をとめて見まわすと、むこうの方からまっ黒な大男が、だいぶん酔っぱらってふらりふらりと危《あぶ》なっかしい足どりでやってくる。楊志がその男を見れば、まことにすさまじいばかりの顔かたちで、
面目は依稀《いき》として(さながら)鬼に似るも、身材は彷彿として(どうやら)人のごとし、〓《がさ》たる怪樹、変じて《こつとう》(こぶこぶ)たる形骸と為《な》り、臭穢《しゆうあい》たる枯椿《ことう》(切り株)、化して〓《えんさん》(きたない)たる魍魎《もうりよう》と作《な》る。渾身遍体、都《すべ》て滲々瀬々《しんしんらいらい》(ざらざら)たる沙魚の皮を生じ、夾脳連頭《きようのうれんとう》、尽《ことごと》く拳々彎々《けんけんわんわん》(まるまった)たる捲螺《けんら》の髪を長ず。胸前には一片の緊頑皮、額上には三条の強拗《きようよう》の皺。
この男こそは都にあってその名も高い、ごろつきのあばれもの。人よんで没毛大虫《ぼつもうだいちゆう》(毛なし虎)の牛二《ぎゆうじ》。町ですることといえば、あばれまわって喧嘩をすることだけで、何度もお上の厄介になり、開封府でももてあましているしまつ。そのため町じゅうの人々はみな、こいつを見るとかくれてしまうのであった。
さて牛二は、楊志の前にやってくると、やにわに宝刀をひったくって、
「こら、この刀はいくらだ」
「先祖伝来の宝刀だ。三千貫で売ろう」
「こんなくそ刀が、そんなべらぼうな値がするものか。おいら、一本三十文のを買ったが、肉も切れりゃ、豆腐も切れるわ。こんなくそ刀を、いったいどんなねうちがあって、宝刀だなんぞというんだ」
「わしのは、そこらで売っているなまくら刀とはちがって、宝刀なんだ」
「どうして宝刀なんだ」
「まず第一に、銅や鉄を斬っても刃こぼれがしない。第二には、毛を吹きかけても斬れる。第三に人を斬っても刃《やいば》に血がつかぬ」
「それならおまえ、銅銭を斬って見せるか」
「出したら斬って見せよう」
牛二はさっそく州橋のたもとの香料屋へ行って、三銭銅貨を二十文ほどまきあげてき、それを州橋の欄干の上に積みかさねて置いた。
「おい、てめえがこいつを斬ったら、三千貫はらってやろう」
そのときには物見高い連中が、おそれて近くまでは寄れないまま、遠くからとりまいてのぞきこんでいた。
「こんなことぐらい、なんの造作もない」
楊志はそういって袖をたくしあげ、刀を手にして、じっとねらいすまし、さっと振りおろすと銅銭は真っ二つとなった。野次馬たちはみな喝采した。
「やい、やかましいぞ。二番目はなんとやらいったな」
「毛を吹きかけても斬れる。髪の毛を何本か刃にあててふっと一息吹っかけると、みんなぱらぱら斬れてしまうのだ」
「そんなことがあるものか」
牛二は自分の髪の毛をひとにぎり引き抜いて楊志にわたし、
「さあ、吹いてみろ」
楊志は左手でその髪の毛を受けとり、刃にむかって思いきり吹きつけた。と、髪の毛はみな二つに斬れてぱらぱらと地に舞い落ちる。人々はみな喝采した。野次馬たちはだんだん多くなってくる。牛二はまた、たずねた。
「三番目はなんとやらいった」
「人を斬っても刃《やいば》に血がつかぬ」
「人を斬っても刃に血がつかぬとは、どういうことだ」
「人を一刀のもとに斬り捨てても血のあとが残らぬ。つまりよく斬れるということだ」
「そんなことがあるものか。てめえ、誰かひとり斬ってみろ」
「ここは天子さまのお膝もと、人を殺すわけにはいかん。信じないというなら、犬を一匹ひっぱってきたら斬って見せてやろう」
「てめえは人を斬るといったろう。犬を斬るとはいわんぞ」
「買わないのなら買わないでよいが、どうしてそうからんでくるのだ」
「それをおれに見せろ」
「わからんことをいうな。わしもいつまでもなぶられてばかりはおらんぞ」
「てめえ、おれを殺そうっていうのか」
「おまえとはもともとなんのうらみつらみもない仲だ。売り買いの話だって、まだかたがついていないのだ。わけもなしにおまえを殺したりなんぞできるか」
牛二は楊志をひっつかまえて、
「おいらはどうしても、てめえのその刀が買いたいんだ」
「買うなら銭を出せ」
「銭はねえよ」
「ないのにおれをとっつかまえるとは、どういうわけだ」
「その刀がほしいからだ」
「おれはわたさぬ」
「てめえ、男なら、おいらをばっさり斬ってみろ」
楊志はかっとなって、牛二をいきなり突きたおした。牛二ははいあがるなり、楊志の胸倉に飛びついて行く。楊志は、
「近くのみなさん、ごらんのとおりだ。わしは路銀に困ってこの刀を売りにきたんだが、このならずものはわしの刀をひったくって、おまけにわしを殴りやがるんだ」
町の人々はみな牛二をこわがって誰ひとりなかへ割ってはいろうとする者はない。
「殴ったといったな。それじゃ殴り殺したらどうだっていうんだ」
牛二はわめきたてながら、右手の拳《こぶし》を振りあげて殴りかかる。楊志はさっと身をかわし、剣をとって飛びかかって行ったが、ついかっとなって、牛二の咽喉《の ど》もとを突き刺してしまった。牛二はばったりたおれる。楊志は踏みこんで胸もとをさらに二突き。牛二は血潮のなかで死んでしまった。
楊志は大声でいった。
「わしはこのならずものを殺した。みなさんには迷惑はかけぬ。ならずものはこのとおり死んでしまった。みなさん、わしといっしょに役所へ行ってもらいたいのだ」
町の人たちはあわてて集まってきて、楊志につきそってまっすぐに開封府へ出頭した。府尹《ふいん》はおりよく役所に出ていた。楊志は刀を持って隣り近所の人々とともに白洲に出、いっせいに平伏して、刀を前においた。
「わたくしはもと、殿司制使をつとめておりましたが、花石綱の運搬に不始末をいたしましたためにお役を免ぜられ、小遣いにも窮してこの刀を売りに町へ出ましたところ、牛二というごろつきのならずものが、刀をうばおうとして殴りかかってまいりましたので、腹立ちまぎれに、その男を殺してしまいました。ここにいる近所の人たちがその証人でございます」
みなのものも楊志のためにその顛末《てんまつ》を申し述べた。
「白首して出たのだから、入牢の罰棒はゆるしてやろう」
府尹はそういって、大型の首枷を取ってこさせてはめ、ふたりの相官(注二)に検屍人をつけて、楊志ならびに近所のかかりあいの人々をひき連れて天漢州橋へ現場検証に行かせ、文書を作った。かくて、近所の者たちには、口述書をとって保釈、追って沙汰を待つべしとその場で決裁を下し、楊志の方は死刑囚の獄に監禁した。見れば、
獄内に推臨せられ、牢内に擁入せられる。黄鬚の節級《せつきゆう》(牢役人)は麻縄もて吊《ちよう》(つるす)繃《ほう》(身体をしばる)〓《しゆう》(脚をしばる)を準備し、黒面の押牢《おうろう》(牢役人)は、木匣もて牢《ろう》(えびぜめ)鎖《さ》(手ぜめ)鐐《りよう》(足ぜめ)を安排す。殺威棒は、獄卒の断ずる時腰痛《こしいた》み、撒子角《さつしかく》(刑具)は、囚人見了《みおわ》って心驚く。言う休《なか》れ、死し去って閻王《えんおう》に見《まみ》ゆと、ただ此れ便《すなわ》ち真の地獄の如し。
さて楊志は、死刑囚の牢にいれられたが、押牢《おうろう》・禁子《きんし》・節級《せつきゆう》などの牢役人たちは、没毛大虫の牛二を殺したのは楊志だということを聞くと、みな天晴《あつぱ》れな男だと同情して、金を取りにくるどころか、なかなかよく世話をやいてくれた。天漢州橋のほとりの人たちも、楊志がよくぞ町の邪魔者を除いてくれたというわけで、それぞれ小遣いを出しあって金をつくり、食べものの差入れをしたり、上下の役人たちへのつけとどけをしたりした。担当の吟味役人も、楊志が自首してきた殊勝《しゆしよう》な男であり、しかも、東京の町の邪魔者を退治したものでもあり、また、牛二の方には親戚もなかったために、調書は軽くすませ、ちょっとした喧嘩口論から誤って人を殺《あや》めたという形にしたてた。
やがて六十日の期限(重罪人の取調べ期限)がたつと、担当の吟味役人が府尹に上申し、楊志は白洲へひき出されて大枷をとりはずされたうえで、棒打ち二十の刑をうけ、ついで刺青師がよび出されて二行の金印《いれずみ》がいれられ、北京《ほくけい》は大名府《たいめいふ》の留守司《りゆうしゆし》(京都《けいと》の長官)のもとへ送られて軍役にあてられ、宝刀はお上に没収された。そしてその場ですぐに文書が作成され、護送役人はふたり、おきまりの張竜《ちようりゆう》・趙虎《ちようこ》といった手合いがふりあてられ、重さ七斤半の、鉄板の盤頭護身《はんとうごしん》の首枷がはめられた。
役人ふたりは命をうけて護送の旅にのぼったが、天漢州橋界隈《かいわい》の何軒かの物持ち連中は、銭や品物を出しあって楊志がやってくるのを待ちうけ、役人ともども料理屋へいざなってご馳走をふるまい、役人には金をおくって、
「楊志さんはみなのために厄ばらいをしてくださった立派な方です。北京までの道中、どうかなにかにつけてよろしくとりはからってあげてください」
張竜と趙虎もいう。
「おれたちもこの人が立派な人だってことはわかっている。いわれるまでもないことだ。まあ、安心してください」
楊志はみなに礼を述べた。みなは残った金を全部、路用のたしにでもといって楊志にわたし、それぞれ帰って行った。
さて、話はもっぱら楊志のことになるが、楊志は、ふたりの役人といっしょに、もといた宿へ行って宿賃をはらい、置いてあった着物と荷物を受けとってから、一席もうけて役人にふるまい、また、医者から棒傷の膏薬を買って手当てをして、いよいよ旅路についた。
三人は北京をさして出発したが、五里に一つの道しるべ、十里に二つの道しるべ、州をすぎ、県をすぎて行く道々、楊志はたびたび酒や肉を買って張竜と趙虎にふるまって旅をつづけた。こうして日が暮れると宿屋に泊まり、夜が明けると旅路をつづけて、やがて、めざす北京にたどりつき、城内にはいって宿屋に休んだ。
そもそも北京大名府の留守司というのは、馬に乗っては軍を統帥し、馬をおりては民治行政にあたるというきわめて大きな権力をもっていた。ときの留守は梁中書《りようちゆうしよ》という人で、名は世傑《せいけつ》。この人は東京にあって今をときめく太師《たいし》(宰相)蔡京《さいけい》の女婿にあたる。その日は二月の九日、留守司が登庁して執務をしているところへ、ふたりの役人は楊志を護送して行って、開封府からの公文書をさし出した。梁中書はそれに目を通したが、以前、東京にいたころに楊志を見知っていたので、すぐ引見してくわしくわけをたずねた。楊志は、高太尉に復職のねがいを一蹴され、持ち金を使いはたしてしまったあげく、宝刀を売ろうとしたことから、牛二を殺してしまったいきさつをありのまま述べた。梁中書はそれを聞くと大いによろこんで、すぐ首枷をはずし、自分の膝もとで召し使うことにする一方、ふたりの護送役人には身柄引取りの返書を持たせて東京へ帰らせたが、役人の方の話はそれまでとする。
さて楊志は、梁中書の屋敷で朝な夕なまじめにつとめているうちに、梁中書はそれに目をとめて、なんとかとりたててやりたいと思い、はじめは部隊の副牌《ふくはい》(副隊長)にでもして月々の扶持《ふ ち》をあてがってやろうかと考えたが、それでは他の者が黙ってはいまいと案じられた。そこで軍正使《ぐんせいし》に命じて、明日東郭門《とうかくもん》の練兵場で武芸の調練をおこなうとの布告を全軍の将兵に伝えさせた。
その夜、梁中書は楊志をよび出して、
「わしは、おまえを副牌に取り立てて、月々の扶持が出るようにしてやろうと考えているのだが、おまえの武芸のほどはどうだ」
「わたくしは武挙《ぶきよ》にも合格しており、かつては殿司府制使の職についていたこともありまして、十八般の武芸は幼少のころから稽古を積んでおります。もし、あなたさまのおひきたてをこうむることができますならば、まことに暗天に太陽を仰ぎ見る思い。いささかでも立身がかないますならば、心身を砕いて大恩に報いたいと存じます」
梁中書は大いによろこび、ひとそろいの衣服と甲《よろい》を彼にあたえた。
その夜は事もなく、さてその翌日。時は二月の中旬、風はやわらぎ日はあたたかな春日和。梁中書は朝食をすませると、楊志をひき従えて馬に乗り、前後に供のものをつらねて東郭門へと出かけた。練兵場に到着すると、上下の士官・兵卒ならびに大勢の役人たち一同の出迎えをうけ、そのまますすんで、演武庁《えんぶちよう》の前で馬をおりてなかへはいり、正面の銀の椅子に着席した。左右両側にずらりと並んだ二列の面々は、指揮使《しきし》・団練使《だんれんし》・正制使《せいせいし》・牙将《がしよう》・校尉《こうい》・正牌軍《せいはいぐん》・副牌軍《ふくはいぐん》。前後左右にいかめしく立ち控えているのは一百人の将校。指揮台の上に立つはふたりの都監、ひとりは李天王《りてんおう》の李成《りせい》といい、他のひとりは大刀《たいとう》の聞達《ぶんたつ》、いずれも万夫不当の勇をもって聞こえたつわもので、大部隊をひき従えて堂々と歩をすすめきたり、梁中書に三声の鬨《とき》を送って敬礼をささげた。
その時、はやくも指揮台上にあがった黄旗一流。それを合図に台の左右両側に居並んだ四五十対《つい》の金鼓手《きんこしゆ》は、いっせいに軍楽を奏しはじめる。ついで画角《がかく》(装飾画のはいった角笛)の声三たび、太鼓の音三たび。練兵場はしんと静まりかえる。やがて、指揮台上に雪白の旗があがると、前後の五軍がいっせいに整列する。ついで台上に紅旗があがり、太鼓の音が鳴りひびくと、五百の軍勢が両陣に分かれ、兵士たちはみな手に武器をかまえる。さらにまた台上に白旗がうちふられると、両陣の騎兵が隊伍をととのえて台の正面にすすみ出て、馬をとめた。
そのとき、梁中書が命令をくだした。
「副牌軍周謹《しゆうきん》、すすみ出て命を受けよ」
右陣にあった周謹はその命に応《こた》え、馬を躍らせて演武庁の前に馳せつけ、馬から飛びおりて槍を伏せるや、雷のような大声で「はっ」とかしこまった。と、梁中書はいった。
「副牌軍、存分に手並みをふるってみろ」
周謹は命を受けると、槍をとって馬にうち乗り、演武庁の正面で左へ右へ、右へ左へと馳せめぐりながら、さまざまに槍の手を披露におよぶ。一同はどっと喝采を送る。ついで梁中書は、
「東京からの流人の軍卒、楊志をよべ」
楊志は庁前にすすみ出て礼をささげた。
「楊志、その方はもと東京殿司府の制使軍官であったが、罪を犯して当地へ流されてきたとのこと。目下、盗賊が跋扈《ばつこ》して国家には人材を必要としているときだ。その方、周謹と試合をして腕をくらべてみい。もしみごとうち勝てば、その方を抜擢して、その職につけてとらせる」
「ご命令、かしこまりましてございます」
梁中書は軍馬一頭をひき出させるとともに、兵器庫係りの役人に武器を用意するよういいつけ、楊志に武装して馬に乗り、周謹と試合をさせるようにした。楊志は演武庁の裏へさがり、昨夜拝領した衣甲をつけて身によろい、〓《かぶと》をかぶり、弓矢・腰刀を帯び、長槍を持ち、馬に乗って演武庁の裏から駆け出してきた。梁中書はそれを見ると、
「楊志と周謹の手合せ、まず槍からこころみさせい」
周謹はむっとしてつぶやいた。
「この流人め、おれと槍の勝負をしようというのか」
この好漢を憤激させたことから、ここに楊志が周謹と武をたたかわすようになろうとは。この試合のために、やがて楊志が万馬の叢中にその名を高くあらわし、千軍の隊中にあっぱれ第一等の勲功をかち得ることとなるのである。ところで楊志と周謹の試合は、あらたにいかなる人物を登場させるか。それは次回で。
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一 花石綱 徽宗皇帝は花木奇石を愛好した。蔡京《さいけい》が帝の骨董趣昧にへつらって奇石を献上したことから、徽宗はこれに凝り出し、ついには、都に花木奇石をはこぶ船が淮河・〓《べん》江に舳艫《じくろ》千里とつらなるにいたったという。これを「花石綱」といった。およそどこの家でも、よさそうな花木奇石があると、委細かまわず役人が皇帝の封印をはりつけ、すこしでも管理がおろそかだと不敬罪に問うた。それに運搬にあたった舟夫《か こ》や人夫などが権力を笠に着て沿道の民家を荒らしたので、花石綱は大いに天下の怨みを買った。花石綱を主宰したのは朱〓《しゆべん》で、『宣和遺事』では、楊志といっしょに花石綱の運搬を命ぜられたのは、李進義(水滸では盧俊義)・林冲・王雄(楊雄)・花栄・柴進・張青(張清)・徐寧・李応・穆横(穆弘)・関勝・孫立となっている。
二 相官 おそらく廂官であろう。廂官は宋代の制。都城の内外を左右南北の各廂に分け、各廂にひとりずつ廂官を置いて、主として訴訟のことをつかさどらせ、小事件はその裁断にまかせた。
第十三回
急先鋒《きゆうせんぽう》 東郭《とうかく》に功を争い
青面獣《せいめんじゆう》 北京《ほくけい》に武を闘わす
さて、周謹と楊志のふたりは、馬を旗の下まですすめ、今しも飛び出して鋒を交えようとしたが、そのとき兵馬都監《へいばとかん》の聞達《ぶんたつ》が大声で、
「しばらく」
と、おしとめ、演武庁にのぼって梁中書に告げた。
「申しあげます。この両人の手合せ、その腕のほどはいまだわかりませんが、武器はもともと無情のもの、賊を斬り敵を殺すためのものであります。今日のこのような味方同士の試合においては、手傷を負うた場合にはよくても不具廃疾、わるくすれば落命の憂目を見ましょう。これはわが軍にとってまことに益なき損失と心得ます。したがって双方とも槍のほさきを取りはずし、柄の先を羅紗布で巻きくるみ、それを石灰でまぶしたうえで馬に乗り、ともに、黒の上着を着せてはいかがかと存じます。槍の柄の突き合いで白点の多い方を負けと判定するのでございます」
「いかにももっとも」
と、梁中書はすぐそうするように命じた。ふたりは承って演武庁の裏へ退き、槍のほさきを取りはずし、羅紗の布でくるんでたんぽ槍にし、黒い上着に着換え、槍さきを石灰桶のなかへ突っこんで石灰をまぶしつけると、両名は馬にうちまたがって一同の前にあらわれた。
周謹が馬を躍らせ、槍を繰り出して楊志の方へ突進して行くと、楊志も馬に鞭をくれ槍をしごいて周謹に立ちむかった。両者は全軍の真中に馬をすすめ、押しつもどしつ、一団となって揉みあい、鞍上には人と人とが、鞍下には馬と馬とがたたかって、たがいにわたりあうこと四五十合。見れば周謹のからだには、まるで豆腐をたたきつけられでもしたように、点々たる白点が四五十。片や楊志はわずかに左の肩先に一つの白点があるだけであった。梁中書は大いによろこんだ。周謹を庁上によびよせ、その白点をじろりと見て、
「前任の者がその方を副牌に任じたが、その手並みでは、とてもあちこちに転戦することはむずかしかろう。それで副牌軍の職責がはたせると思うか。楊志をこの者と替えよ」
すると兵馬都監の李成がすすみ出て、
「周謹は槍は未熟ですが、弓術馬術にかけてはしたたかな腕を持っております。ここで周謹をその地位からしりぞけてしまっては、士気にも影響いたしましょう。こんどは周謹と楊志に弓術をくらべさせてはいかがでしょう」
「いかにももっとも」
また命令を下して、楊志と周謹に弓術の試合を申しつけた。
ふたりは命をうけ、槍を捨てて弓をとった。楊志は弓袋から弓をとり出してぴんと張り、弓を手に馬に飛び乗るや演武庁の前へ馳せつけ、馬上で礼をして(注一)、
「閣下、弓は射放てば情も容赦もないもの。手傷を負うことに相なりまするが、いかがいたしましょう」
「武人たるものの試合に手傷も怪我《けが》もあるものか。ただ手並みを見せるがよい。射殺したとしても文句はないぞ」
楊志はそれを聞くと陣前にさがった。李成は命令をくだして、弓くらべをするふたりの好漢に楯をあたえて身を護らせた。ふたりは受けとってそれを臂に掛けた。
楊志がいった。
「あなたから先に、三本お射《う》ちください。わたしはそのあとで同じく三本射かえします」
周謹は、ぜひともただのひと矢で風穴を開けてくれようといら立った。楊志は軍官の出であるだけに、周謹の手の内はとっくに見破っていて、周謹などさらに眼中にない。両者のその弓くらべのありさまは、
這箇は曽《かつ》て山中に向《おい》て虎を射、那箇は慣《な》れて風裡従《よ》り楊《やなぎ》を穿つ(注二)。〓《やごろ》満つる処、兎狐《とこ》命を喪《うしな》い、箭《や》発する時、〓鶚《ちようがく》魂傷む。藝術《う で》を較べ、場に当たって比並《ひへい》し、手段を施し、衆に対して揄揚《ゆよう》す。一個は磨鞦解《ましゆうかい》、実に抵当《あ た》り難く、一個は閃身解《せんしんかい》、〓防すべからず。傾刻内《けいこくない》に勝負を観るを要す、霎時間《しようじかん》に存亡を見ん。
そのとき、指揮台で青旗がうち振られると、楊志は馬に鞭うって南の方へと走った。と、周謹は馬を飛ばせながら、手綱を鞍にひっかけ、左手に弓をとり右手に矢をつがえてきりきりとひきしぼり、楊志の背の真中を狙ってひょうと射放った。楊志はうしろに鳴った弦音を耳にするが早いか、ぱっと鐙《あぶみ》のあたりに身を伏せた。矢は空を切って流れ去る。周謹はこの一発におくれをとっただけで早くも動揺し、急いでまた矢壺から第二矢を抜きとり、弦につがえてじゅうぶんに楊志を狙い、その背の真中をめがけてふたたび射放った。第二の矢の弦音を聞いた楊志は、こんどは鐙の方に身を伏せず、矢が風のごとく飛んでくるところを、手に持った弓でぴしりとはねのけた。矢は音をたてて草原にはたき落とされた。周謹はまたしても不覚をとり、ますますあわてた。楊志の馬はそのとき、練兵場のはずれまできていた。楊志はぐいと馬首を転じ、演武庁の正面にむかった。周謹も馬をひきとめて馬首をめぐらせるや、気負いたって追いかける。青々と茂った草原の上を、八個の蹄《ひづめ》がさながら杯をひるがえし、〓《はち》をうち散らすがごとく駆け乱れ、ばらっばらっと旋風のようにひた走る。周謹はついで第三の矢を満々と、全身の力をふりしぼってひきつがえ、はったと楊志の背の真中をねめつけながら、ひょうと射放った。楊志は弦音を耳にするなり、身をねじむけ、飛んできた矢を鞍上でむんずとばかり手中にひっつかみ、そのまま馬を飛ばして演武庁の前に駆けつけて、そこへ周謹の矢を放り投げた。
梁中書は大いによろこび、楊志に対して周謹に三本の矢を射るよう命じる。指揮台でふたたび青旗がうち振られた。
周謹は弓矢を捨てて楯を取り、馬に鞭をあてて南の方へ走った。楊志は馬の背を腰でゆすって急《せ》かしたて、ひと蹴り蹴って拍車をあてるや、馬はばらばらと後を追って行く。楊志は、まず矢をつがえずに弓を空びきした。周謹は背後で弦音がしたのを聞きつけるや、身をよじって楯を構えた。が、矢は飛んでこなかった。周謹は心に合点した。
「やろう、槍だけか、できるのは。弓はできぬとみえる。二の矢も空弓できたなら、怒鳴りつけてくれよう。そうすればおれの勝ちだ」
周謹の馬はすでに練兵場の南のはずれまで行きついた。彼は馬を転じて演武庁へむかった。楊志の馬は、周謹の馬がひきかえすと、同じくひきかえした。楊志は矢壺から矢を一本抜きとって弓につがえながら思った。
「彼の背中を狙えばまず命はない。あの男にはもともとなんの恨みもないのだ。急所ははずそう」
と、左手は泰山《たいざん》を乗せるがごとく右手は嬰児を抱けるがごとき構え(弓術の極意)で、弓は満月のごとくひきしぼられ、矢は流星のごとく飛んだ。と、その一瞬、一箭見事に周謹の左肩に命中し、立ちなおる暇もなく周謹はもんどりうって落馬した。馬は主を失ったまま、まっしぐらに演武庁の裏へ駆けこんで行き、兵士たちは周謹の救護に駆けつける。
梁中書はすこぶる満悦の態で、軍正司をよびよせ、周謹に替えて楊志をその職につけるよう、文書を出させることにした。楊志は意気揚々として馬をおり、抜擢の栄を拝謝すべく庁前へすすみよる。まさに、
罪を得て幽燕《ゆうえん》に配兵と作《な》り
当場に比試し死もて相争う
能く一箭楊を穿つの手を将《もつ》て
奪い得たり牌軍半職(副牌)の栄
と、そのとき、階段の下の左手からとつぜんひとりの男が躍り出て、
「そのお礼言上の儀、しばらく待った。おれと勝負をしよう」
楊志が見れば、その男は身の丈は七尺を越え、顔は円く、耳大きく、唇あつく、口は角ばり、腮《あご》のあたりには長くひげをはやし、威風凜々、面構え堂々たる男。ずいと梁中書の前へ突きすすんで一礼をしていうには、
「周謹は病後の回復十分ではなく、気力に欠けるところあったために、楊志どのに不覚をとったものでございます。それがし不才ながら楊志どのと一手交えたく、閣下のお許しをねがいたく存じます。もしも、それがしがいささかでもおくれをとりましたならば、周謹の職を解いて彼にあたえらるることはいうにおよばず、このそれがしの職をも彼にあてられまするよう。それがしはたとえ死すとも誓って恨みは残しません」
梁中書が見れば、それはほかでもない。大名府留守司正牌軍の索超《さくちよう》である。この男は生来ひどく短気で、なにかにつけてすぐぱっと燃えあがる気性。こと国家の体面というようなことになれば、いきり立って真っ先に飛び出して行くという男。そのため、みなから急先鋒《きゆうせんぽう》とあだ名されていた。
彼の言葉をきいた李成も、指揮台からおりてきて梁中書にむかい、
「閣下、楊志はもと殿司府制使をつとめていたとか。武芸に秀でているのは当然で、周謹などもとよりその相手ではありません。この正牌軍の索超ならば恰好な相手といえましょう。このふたりに試合をさせられてはいかがでしょう」
梁中書はそれを聞いて思った。
「なんとかして楊志をとりたててやりたいのだが、これでもみんなはまだ不承知か。だが、索超をうち負かしたらみんなはもう異存もたてまい。かえってその方が後くされがなくてよいかも知れぬ」
梁中書はすぐに楊志を庁上に召し出してたずねた。
「索超と試合をしてみるか」
「ご命令とならばよろこんでいたします」
「それではこの裏へ行って装束を換え、しっかりと身をかためてくるように」
そして、兵器庫係りの役人に必要な武器をそろえるようにいいつけ、
「わしの馬を楊志に貸してやれ。十分、気をつけるように。あなどり難い相手だぞ」
楊志は礼を述べて支度にひきさがった。
一方、李成は、索超にねんごろにいいふくめた。
「あんたはほかの者とちがうのだ。あんたの弟子の周謹がやられたうえに、もし、あんたまでも不覚をとるようなことがあれば、あいつに大名府の軍官全部があなどられることになってしまうのだ。わしに、いくさに出して乗りなれた馬と着なれた装束があるから、それを貸してあげよう。ぬかりのないよう十分、大事をとってむかうのだぞ。不覚をとるな」
索超も礼をいって支度にたち去った。
梁中書は立ちあがって、階段のところまで出た。従者が銀の椅子を月台(露台)の欄干のところに据えると、梁中書はそれにかけ、左右には侍者がひかえる。傘持ちがよび出されて、頂《いただき》に銀の瓢箪を飾った、茶褐色、絹張り、三段に縁どった日傘を、うしろから梁中書にさしかける。指揮台で、号令がくだって紅旗が振られると、両側の金鼓がいっせいに鳴り出し、太鼓が打たれ、練兵場内に控えた左右両陣からは大砲がはなたれる。そのとどろく砲声のなかを索超が馬を走らせて陣内に駆け入り、門旗のむこうへはいると、楊志も陣内から馬を軍中に乗り出し、門旗の陰にはいった。
指揮台の上で黄旗が振られると、太鼓のとどろきとともに両陣からどっと鬨《とき》の声があがる。ついで、練兵場全体はしんと静まりかえってしわぶきひとつせぬ静寂。やがて、銅鑼が鳴って白旗が掲げられる。左右に居ならぶ軍官たちは、身じろぎもせず、ささやき声もなく、静かに立っている。
指揮台で、ついで青旗が振られる。と、三度目の戦鼓がうち鳴らされて、左の陣の門旗のあたりがさっと左右に割れたと見るや、馬の鈴音も高らかに索超がその陣前に立ちあらわれた。馬をとめ、武器を手にかまえて、いかにもあっぱれな英雄豪傑ぶり。そのいでたちいかにと見れば、
頭には一頂の熟鋼の獅子〓《かぶと》を戴《いただ》き、脳後には斗大来《とだいらい》の(ますほどもある)一顆《か》の紅き纓《ふさ》。身には一副の鉄葉もて〓成せる鎧甲を披《き》、腰には一条の鍍金せる獣面の束帯を繋《か》け、前後両面には青銅の護心鏡《ごしんきよう》。上には一領の緋紅《ひこう》の団花袍《だんかほう》を籠《かさ》ね、上面には両条の緑絨縷《りよくじゆうろ》の領帯《りようたい》を垂れ、下には一双の斜皮《しやひ》の気跨靴《きこか》を穿つ。左には一張の弓を帯び、右には一壺の箭を懸《か》く。手裏には一柄の金〓斧《きんさんぷ》(金色の斧)を横たえ、坐下には李都監の那《か》の戦《たたかい》に慣れ征《いくさ》を能くする雪白の馬。
その馬を見れば、これまたすばらしい駿馬で、
色は庚辛《こうしん》(金と白)を按じ、南山《なんざん》の白額の虎に彷彿たり。毛は膩粉《じふん》を堆《つ》み、北海の玉麒麟と如同《おなじ》くす。陣を衝き得、渓を跳び得、戦鼓を喜び、性は君子の如し。重きを負い得、遠きを走り得、風に嘶《いなな》くに慣る。必ず是れ竜の媒《たね》ならん。伍相《ごしよう》の梨花馬《りかば》より勝り秦王《しんおう》の白玉駒《はくぎよくく》にも賽過《さいか》す。
左陣に、急先鋒の索超が馬をひかえ、金〓斧《きんさんぷ》を取って陣前に馬をとどめると、右陣の門旗のあたりがさっと開かれて、鈴音高らかに楊志が槍をとって馬を乗りいだし、陣前に馬をとどめて槍を手に横たえた。その猛く勇ましき姿いかにと見れば、
頭には一頂の霜を舗き日に耀く〓鉄《ひんてつ》の〓《かぶと》を戴き、上には一把の青き纓《ふさ》を撒着《さつちやく》す。身には一副の梅花を鉤嵌《こうかん》せる楡葉《ゆよう》の甲を穿ち、一条の紅絨《こうじゆう》もて打ち就《な》せる勒甲〓《ろくこうじよう》を繋け、前後には獣面の掩心《えんしん》。上には一領の白羅生色の花袍を籠《かさ》ね、一条の紫絨《しじゆう》の飛帯を垂着し、脚には一双の黄皮襯底《こうひしんてい》の靴を登《ふ》む。一張の皮〓《ひは》の弓、数根の鑿子《さくし》の箭、手中には渾鉄の点鋼槍を挺着《ていちやく》す。騎する的《もの》は是れ梁中書の那《か》の火塊赤《かかいせき》の千里の風《かぜ》に嘶く馬。
その馬を見れば、これまた無敵の駿馬で、
〓《たてがみ》は火焔を分かち、尾は朝霞を擺《ゆる》がす。渾身に〓脂《えんじ》を乱掃《らんそう》し、両耳は紅葉を対〓《たいさん》す。晨《あかつき》を侵して紫塞《しさい》に臨めば、馬蹄は四点の寒星を迸《ほとばし》らせ、日暮に沙堤に転ずれば、地に就《おい》て一団の火塊《かかい》を滾《まろ》ばす。言うを休《や》めよ南極の神駒《しんく》と、真に乃《すなわ》ち寿亭《じゆてい》(関羽)の赤兎《せきと》なり。
右陣に、青面獣の楊志が手に槍をしごきつつ、馬をとどめて陣前に立つと、両陣の将兵たちはみな心ひそかに喝采をおくった。武芸のほどはいまだわからぬとはいえ、その威風のはるかに衆にぬきん出ているためである。
そのとき、真南から、金箔で「令」の字を書いた旗を持った旗手が馬を走らせてきて大声で告げた。
「閣下よりの言葉をつたえる。双方とも心をこめて戦うよう。不覚をとって負ける者は必ず重く罰を加え、勝った者には厚く賞をとらせる」
ふたりは令を受け、いよいよ陣を出て馬を練兵場の真中に走らせた。両馬が馳せちがい、二梃の武器がひらめく。索超がいきり立って手の大斧を振りまわし、馬を急《せ》き立てて楊志に挑みかかって行くと、楊志も猛然と手の神槍をしごきつつ索超に立ちむかう。両者は練兵場の真中、指揮台の真正面でわたりあい、たがいに日ごろの手並みをつくして、押しつもどしつ、一進一退、四本の腕は縦横にいれちがい、八個の馬蹄は撩乱といりまじる。そのさまは、
征《せいき》は日を蔽《おお》い、殺気は天を遮《さえぎ》る。一個の金〓斧《きんさんぷ》は直《ただち》に頂門に奔り、一個の渾鉄鎗《こんてつそう》は心坎《しんかん》を離れず。這箇は是れ社稷《しやしよく》を扶持する毘沙門托塔李天王《びしやもんたくとうりてんおう》(仏教の武神)、那箇は是れ江山を整頓し金闕《きんけつ》を掌る天蓬大元帥《てんぽうだいげんすい》(道教の猛神)。一個は鎗尖上《そうせんじよう》に一条の火焔を吐き、一個は斧刃中《ふじんちゆう》に幾道の寒光を迸《ほとばし》らす。那箇は是れ七国中の袁達《えんたつ》の重生(生まれかわり)、這箇は是れ三分(三国)内の張飛の出生。一個は是れ巨霊神《きよれいしん》忿怒して、大斧を揮《ふる》って山根を劈《さ》き砕き、一個は華光蔵嗔《かこうぞういかり》を生《な》して、金槍に仗《よ》って地府を〓《つ》き開く。這箇は円彪々《えんひゆうひゆう》として双眼を〓開《せいかい》し、査々《きつささ》として斜《ななめ》に頭を〓《き》り来《きた》り、那箇は必々剥々として牙歯を咬み砕き、火焔々《ひえんえん》として鎗桿《そうかん》を揺得《ようとく》して断ぜんとす。各人破綻《はたん》を窺う、那《なん》ぞ半些《はんさ》の間を放《ゆる》さん。
そのとき楊志と索超のふたりは、たがいにわたりあうこと五十余合、なお勝敗はいずれに傾くともわからなかった。月台の梁中書は、唖然として見とれ、左右に居ならぶ軍官たちは喝采してやまず、両陣の兵士たちはたがいに顔を見あわせながら、
「おいらも長いこと部隊の飯を食い、戦《いくさ》にもなんども行ったが、こんな見事な斬りあいは見たことがない」
李成と聞達は指揮台の上で、しきりに嘆声を放った。
「見事、見事」
やがて聞達は、どちらにしろその身に手傷を負わせてはならぬと考えて、急いで旗手をよびよせ、「令」の字の旗をわたして引分けに行かせることにした。
指揮台でとつぜん、銅鑼が一声高く鳴り響いた。だが楊志と索超のふたりは、今やたたかいのまっ最中、わが手にこそ勝名乗りを握らんものと、いっかな馬をかえそうとはしない。旗手は飛んで行ってよばわった。
「ご両人、手をひかれよ。閣下よりの命令ですぞ」
両者はようやく武器をおさめて馬をおさえ、それぞれ自陣に帰って、馬を門旗の下にとめると、梁中書の方を見て命を待ちうけた。
李成と聞達は指揮台をおり、月台の下へ行って梁中書に言上した。
「閣下、両人とも、いずれおとらぬすぐれた武芸、ともに重く用いられてしかるべきかと心得ます」
梁中書は満足して、楊志と索超のふたりをよぶように命じた。旗手が令をつたえると、ふたりは庁前にすすんで馬をおりた。小校《しようこう》(下士)が彼らの武器を受けとった。ふたりはともに庁の上にのぼり、身をこごめて命を待った。
梁中書は白銀二錠と衣服二重ねを出させて、ふたりに賞としてあたえ、軍政司に命じて、ふたりをともに管軍提轄使にとりたてるよう、ただちに文書を出させて、その日から任用した。索超と楊志はともに梁中書に拝謝し、賞賜の品を受領して庁をおりた。楊志は槍刀弓矢をおさめ、甲冑をぬいで着物を着換え、索超も武装をといて錦襖に換えると、ふたりはともに演武庁にひきかえして軍官たち一同に礼をした。梁中書は改めてふたりの挨拶を受けてから、列中にいれて提轄の位につけた。兵士らは勝鬨《かちどき》の金鼓をうち鳴らし、その金鼓と旗を持ってひきあげて行った。
梁中書と士官ら一同は、演武庁で宴をひらいた。やがて日が西に沈んで宴もおわると、梁中書は馬に乗って士官ら一同の見送りをうけながら屋敷へと帰ったが、その馬前には新任の提轄ふたりが馬に乗って並び、頭にはともによろこびの赤い花飾りをつけ、梁中書の先導をして東郭門にはいった。その道の両側には、老人やこどもを助けあいながら人々がつめかけ、一行を迎えていかにもうれしそうな様子である。梁中書は馬上からたずねた。
「おまえたち、なにをそんなによろこんでいるのか」
すると老人たちがひざまずいていうには、
「わたしどもは北京で生まれ、大名府で育ちましたが、今日のあのおふたりのような試合は、いちども見たことがございません。練兵場であの試合を拝見させてもらって、もううれしくてなりません」
梁中書は馬上でそれを聞いて大いによろこんだ。やがて屋敷へ帰り、士官たちもそれぞれひきとって行った。
索超には兄弟づきあいの仲間があったので、みなをよんで祝宴を開いたが、楊志はまだ日も浅いので知人もないまま、梁中書の屋敷へひきとって寝た。楊志は朝夕まめまめしくお側のご用をつとめたが、その話ははぶく。
さて話を本筋にもどして、東郭でのこの試合があってからというもの、梁中書は楊志に特別に目をかけ、朝晩、自分の傍からはなさなかった。月々の手当も一人扶持としてあたえられたので、おいおい交際もひろくなり、かの索超も楊志の腕には一目おいて心から敬服した。かくて月日は流れ、春もすぎて夏が訪れ、やがて端午の節句となった。梁中書は妻の蔡《さい》夫人と奥の間で端午の祝いの宴を張った。そのありさまは、
盆には緑の艾《よもぎ》を栽《き》り、瓶には紅き榴《ざくろ》を挿す。水晶の簾《れん》は蝦鬚《かしゆ》を捲き、錦繍の屏《へい》は孔雀を開く。菖蒲は玉を切り、佳人は笑って紫霞の杯を捧ぐ。角黍《かくしよ》(ちまき)は銀を堆《つ》み、美女は高く青玉の案《つくえ》を〓《ささ》ぐ。食は異品を烹《に》、果は時新を献ず。葵扇《きせん》の風の中、一派の声清く韻《いん》美しきを奏で、荷衣《かい》の香裏《こうり》、百般の舞態嬌姿を出《いだ》す。
その日、梁中書は奥の間で夫人の蔡氏とともに端午の節句を祝ったが、酒を数杯かたむけて食膳は二の膳となったころ、ふと、蔡夫人がいった。
「あなたが官途におつきになってから、いまはこうして国家の重責をになう大官に出世なされておいでなのでございますが、この功名と富貴はどうして得られたものと思われます」
「わしは若いころから書を読みならい、いささか学問もして道理もわきまえている。草木でない以上、舅《しゆうと》どののおひきたてのご恩はよく知っておるつもりだ」
「父の恩をよくご存じなら、どうして父の誕生日をお忘れなのでございます」
「なんで忘れるものか。六月の十五日がその日だよ。わたしはすでに十万貫もの金を使って金銀財宝を買いととのえ、お祝いに都へ送ることにしているのだ。一月《ひとつき》ほどまえから用人に準備をさせて、今はもう九分どおりととのっているから、ここ数日のうちに全部きちんととりそろえて使いの者を立てるつもりだ。が、ここにひとつ困ったことがあるのだ。というのは、昨年もたくさん宝物や金銀珠玉を買って送ったのだが、道中半分も行かぬうちにすっかり賊に略奪されて、せっかくの財宝をむざむざとうしなってしまい、賊の行方はきびしく詮議しているのだが、今もって捕えることができない始末だ。今年はいったい誰をやったものだろうか」
「お膝もとにはたくさんの士官がいるではありませんか。そのなかからいちばん信頼のおける人をおえらびになればよろしいでしょう」
「まあ、まだあと四五十日はあるから、そのうち準備をせかせて、万端ととのったところで人選にかかってもおそくはなかろう。心配はいらん。わたしがちゃんとやるから」
この内祝いの宴は正午にはじまって、二更(夜十時)までつづけられたが、ほかには別段の話もなかった。
さて、梁中書がお祝いのいろいろな品物を買い、人選をしたうえ、都の蔡太師のもとへ誕生日祝いの使者をさし立てるという話はそれまでとして、さてここに、山東は済州〓城《せいしゆううんじよう》県の新任の知県で、姓は時《じ》、名は文彬《ぶんひん》という人がいた。この人は、
官と為りては清正、事を作《な》しては廉明《れんめい》、毎《つね》に惻《そくいん》の心を懐き、常に仁慈の心有り。田を争い地を奪うものは、曲直を弁じて、而して後に施行し、闘殴して相争うものは、軽重を分かって方に纔《わずか》に決断す。間暇の時には琴を撫して客を会し、忙迫の裏《うち》には筆を飛ばして詞《し》(判決)を判ず。名は県の宰官為《た》るも、実に乃ち民の父母なり。
その日知県の時文彬は役所に出、左右には役人たちが居並んでいた。知県は、捕盗係りの役人とふたりの都頭《ととう》に即刻出頭するように命じた。
この〓城県には、捕盗係りの役人の配下にふたりの都頭がいた。ひとりは歩兵都頭といい、ひとりは騎兵都頭といって、騎兵都頭の下には二十人の騎馬の弓組と、おなじく二十人の土民兵とが配属され、歩兵都頭には二十人の槍組と、おなじく二十人の土民兵が配属されていた。騎兵都頭は、姓は朱《しゆ》、名は仝《どう》といい、身の丈は八尺四五寸。鬚《ひげ》の長さが一尺五寸、顔は大きな棗《なつめ》(注三)のようで目は星のように鋭く、関雲長《かんうんちよう》(関羽)にそっくりの相貌なところから、県の人々はよんで美髯公《びぜんこう》とあだ名していた。もともとこの地方の物持ちだったが、義にあつくて金銭には淡白。世上の好漢たちとひろく交わりを結び、武芸の腕もたしかだった。この朱仝は、いかなる気性の人かといえば、
義胆忠肝の豪傑、胸中武芸精通、群を超え衆を出《いで》て果《まさ》しく英雄。弓を彎《ひ》きて能く虎を射、剣を提げて竜を誅す可し。一表は堂々として神鬼も怕れ、形容は凜々として威風あり。面は重棗《じゆうそう》の如く色通紅《つうこう》。雲長重《うんちようかさ》ねて世に出《い》ず、人は号す美髯公と。
もうひとりの歩兵都頭は、姓は雷《らい》、名は横《おう》といい、身の丈は七尺五寸。顔は赤銅色で、ひげは左右にはねあがり、腕力は並はずれて強く、二三丈もの広い川も一跳びに跳び越えるので、県の人々はよんで挿翅虎《そうしこ》(羽の生えた虎)とあだ名していた。やはり〓城の人でもとは鍛冶屋。後には米搗きを業としていたが、牛殺しもやれば、ばくちも打ち、義侠心はさかんだが、おしいことにいささか意固地なところがあった。武芸の腕はよくたった。この雷横の気性いかにといえば、
天上の〓星《こうせい》世上に臨む、中に就《つい》て一個偏《ひとえ》に能あり、都頭の好漢是れ雷横。拳を〓《ふる》えば神臂健《しんぴすこや》かに、脚を飛ばせば電光生ず。江海の英雄武勇を推す。墻を跳《おど》り澗《かわ》を過ぎて身軽し。豪雄誰か敢て与《とも》に相争わん。山東の挿翅虎《そうしこ》、寰海《かんかい》尽く名を聞く。
この朱仝と雷横のふたりは、盗賊の逮捕をその任務としていたが、この日、ふたりは知県の呼出しをうけて役所に出むき、挨拶を申し述べて命をうけた。知県はいった。
「当地に着任して聞くところによれば、この済州の管轄下の水郷、梁山泊というところに、盗賊どもがよりつどって略奪をはたらき、官軍さえも近づけぬとか。また諸方の村里にも賊徒が横行しよからぬ手合いが跋扈《ばつこ》しているようである。おまえたちふたり、ご苦労だが配下の者をひき連れて西門と東門との二手にわかれて巡察に出てもらいたい。賊は見つけしだいとりおさえて連行するように。しかし百姓には決して迷惑をかけるな。聞けば東渓村《とうけいそん》の山上には他所に見られない紅葉の大木があるとのことだが、おまえたち、その木の葉を何枚か取って持ち帰り、役所にさし出しておけ。紅葉の葉の提出がなければお役目怠慢と見て厳罰をおおせつけるぞ」
ふたりの都頭は命を受けてひきさがり、配下の土兵を点呼してそれぞれ巡察に出かけた。
朱仝が部下をひき連れて西門から出て行ったことの顛末はさておき、一方、雷横はその夜二十人の配下を従えて東門を出、村々をまわって一帯をあまねく巡察し、さてこれでひきあげようと東渓村の山上にのぼり、みなで紅葉をちぎって村里へおりてきた。そこから二三里ほど行って霊官廟にさしかかったとき、社殿の門があけ放しになっているのに気がついた。雷横がいった。
「ここは廟守りなんぞいないのに門があいている。なかに怪しいやつがいるのではないか。おい、みんなはいって調べてみろ」
一同が松明をかざしながらぞろぞろはいって行くと、供え物机の上にひとりの大男がまっ裸になって寝ていた。おりしも暑い時候のこととて、男は破れ着物をまるめて枕がわりに首にあてがい、供え物机の上で高いびきをかいて眠っている。
「これはしたり、知県さまはすごい千里眼じゃった。この東渓村に、ほんとに賊がおりやがったぜ」
雷横が大声でどなりつけた。男があがこうとするところを、二十人の土兵がよってたかって縄でしばりあげ、廟からひきずり出して、さる名主のところへと引きたてて行った。この男をそこへ引きたてて行ったために、やがて東渓村に数人の英雄好漢が相あつまり、〓城県で十万貫もの金銀財宝がねらわれるということに相なるのである。まさに、天上の〓星《こうせい》きたって聚合し、人間《じんかん》に地〓《ちさつ》相逢うという次第。ところで雷横はいったいその男をとりおさえてどこへ引きたてて行ったのであろうか。それは次回で。
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一 礼をして 原文は欠身。第二回注一三参照。
二 楊を穿つ 原文は穿楊。『戦国策』に「養由基射を善くし、楊葉を去ること百歩にしてこれを射、百発百中す」とあることから、弓術のたくみなことを穿楊という。
三 大きな棗 原文は重棗。すぐあとの詞には「面如重棗色通紅」とある。大きな棗のような赤ら顔の意であろう。
第十四回
赤髪鬼《せきはつき》 酔って霊官殿《れいかんでん》に臥《ふ》し
晁天王《ちようてんおう》 義を東渓村《とうけいそん》に認《むす》ぶ
さて雷横《らいおう》が霊官殿《れいかんでん》にはいって見ると、大男が供え物机の上に眠っているので、土兵たちがおそいかかって縄でしばりあげ、霊官殿から引きずり出したのだが、そのときは夜はまだあけず、五更(四時)じぶんだった。そこで雷横のいうには、
「そうだ。こやつはひとまず保正の晁《ちよう》さんのところへ連れて行こう。そしてなにかちょっと食べさせてもらってから、役所へひっぱって行って調べることにしよう」
一同はそこで保正の屋敷へ急いだ。
ところで、この東渓村の保正というのは、姓は晁《ちよう》、名は蓋《がい》といい、その先祖はこの土地の物持ちであった。常日頃から義を重んじて金銭には淡白、好んで天下の好漢たちに交わりをもとめ、自分のところにたよってくる者は、善人であれ悪人であれ、なんのわけへだてもなく家にとめてやり、出て行くときは出て行くときで路銀も出してやる。槍術・棒術がなによりも好きで、からだが丈夫で腕力も強く、妻も持たず、一日じゅうからだを練り鍛えていた。
〓城《うんじよう》県管下の東門外にはふたつの村があった。ひとつは東渓村、もうひとつは西渓村といって、両村は大きな谷川を境にしていた。ずっと前の話だが、西渓村にしょっちゅう幽霊が出、真っ昼間でも人をたぶらかして川のなかへひきずりこむというしまつで、村の人たちはほとほと弱りはてていたが、ある日ひとりの僧侶がこの村を通りかかって村人からそのいきさつを聞くと、僧侶は、とある場所を指さして、そこに青石の宝塔をたてて谷川の鎮めにさせた。すると、西渓村の幽霊はみな東渓村へ逃げたが、それを聞いた晁蓋は大いに怒って、谷川を歩いてわたって行き、青石の宝塔をひとりで奪ってきて東渓村の側に置きかえた。それいらい彼は托塔天王《たくとうてんおう》とよばれるようになったのである。こうして、晁蓋はこの村ではばをきかせ、その名はひろく世間にも聞こえるようになっていた。
さて雷横とその配下の土兵たちは、かの男を引きたててその屋敷へ行き、門を叩いた。下男が出て、保正に知らせた。晁蓋はまだ寝ていたが、都頭《ととう》の雷横がきたと聞くと、いそいで門をあけるようにいいつけた。下男が門をあけると、土兵たちはすぐかの男を門長屋へ吊《つる》した。
雷横が配下の主だったもの十数人とともに客座敷へあがって座につくと、晁蓋が起きてきて接待し、
「都頭どの、どんな用でいらっしゃったのです」
とたずねる。雷横は、
「知県どのの命令で、わたしと朱仝のふたり、部下の土兵を連れてあちこちの村々を盗賊狩りにまわっているところなのです。歩きくたびれて、ちょっと休ませてもらおうと思ってこちらへうかがったのですが、せっかくおやすみになっていたところを恐縮でした」
「なに、かまいませんとも」
晁蓋は下男に酒食を出すようにいいつけ、とりあえず吸いものを出させたが、そのとき晁蓋は、
「この村で、こそ泥でもつかまりましたかな」
とたずねた。
「ついさっき、そこの霊官廟でひとりの大男が寝ておりました。なにやらうさんくさい男で、酔っぱらってそのまま寝こんでしまったものとみえます。ふんじばってきました。はじめはそのまま役所へ引きたてて行って知県どのにお見せするつもりだったのですが、役所へ行くには早すぎるし、それにこちらにも一言《ひとこと》通じておいた方が、あとで知県どのからあなたにおたずねでもあったおり、お答えなさるのに都合がよかろうと思いまして。ただいまお宅の門長屋に吊してあります」
晁蓋はそれを聞いて、よく覚えておき、
「どうも、わざわざよく知らせてくださいました」
と礼をいった。
しばらくすると、下男が酒や料理をはこんできた。すると晁蓋は下男を叱った。
「ここでは落ちついて話もできぬではないか。奥の方へ移っていただくことにしよう」
そして奥の間に灯りをつけさせ、都頭をそこへ請じいれて酒をくんだ。晁蓋は主人の席(下座)につき、雷横は客の席についた。ふたりが席に落ちつくと、下男はつまみものや肴や菜などを並べ、また酒の燗をした。晁蓋はさらに酒を出して、土兵たちにもふるまうようにいいつけた。下男は一同を廻廊の客間へ案内して、酒や肉を大盤にふるまった。
晁蓋は雷横の相伴をしながら、
「村でどんなこそ泥がつかまったというんだろう。どういうやつか見てやろう」
と考え、五六杯相伴をしてから、屋敷の差配《さはい》をよんでいった。
「おまえ、ここで、都頭どののお相伴をしてくれ。わしはちょっと小用に行ってくるから」
差配は、かわって雷横の相伴をした。晁蓋は、奥から提灯をとってきて急いで門のところまで行き、あたりをうかがった。土兵たちはみんな酒のふるまいによばれて行って、ひとりも残っていない。晁蓋が門番の下男に、
「都頭どのがとらえてきた賊というのは、どこに吊してあるのだ」
ときくと、下男は、
「門長屋に閉じこめてあります」
という。晁蓋が戸をあけて見ると、そこに例の男が高々と宙吊りにされていた。黒い半身をむき出しにして、下の方にはまっ黒な二本の毛脛をちぢめ、足は裸足《はだし》である。提灯の灯をさしかけて顔をのぞいて見ると、色の赤黒い大きな顔で、鬢のあたりに赤いあざがあり、そこにひとつまみばかりの茶色っぽい毛がはえている。
「おい、おまえはどこの者だ。村では見たこともない顔だが」
「わしは遠方からきたんだ。ここへある人をたずねてきたのだが、泥棒あつかいにしやがった。わしはちゃんと話の筋を通してみせるよ」
「この村の誰をたずねてきたのだ」
「ある好漢をたよってきたのだ」
「その好漢の名前は」
「晁保正というのだ」
「なにをしにたずねてきたのだ」
「その人は天下に聞こえた義侠人だ。わしはすごい金蔓《かねづる》を見つけたので、そいつを知らせてあげにきたのさ」
「ちょっと待った。わしがその晁保正だ。助けてもらいたかったら、わしを叔父《お じ》ということにするのだ。しばらくしたら、わしは雷都頭を送って出てくるから、そのときおまえはわしを叔父さんとよべ。おお、甥じゃないか、ということにするからな。四つか五つのころこの村を出て行ったきりでこんど叔父をたずねてきたのだが、よくわからなかったというのだぞ」
「そうして救っていただければ、ほんとにありがたいことです。よろしくおねがいします」
まさに、
黒甜《こくてん》(睡眠)一枕古祠《こし》の中
獲《とら》えられて高く懸《かか》る草舎の東
百万の贓私《ぞうし》は天佑《たす》けず
囲を解く晁蓋奇功有り
晁蓋は、提灯をさげてそこを出、もとどおりに戸をしめると、急いで奥の間へひきかえして行って、雷横に、
「どうも失礼しました」
と一礼。雷横は、
「いろいろとご迷惑をかけまして、恐れいります」
ふたりはそれからまた何杯か酒をくみあっているうちに、やがて、窓の外が白々と明けてきた。雷横は、
「夜が明けたようですから、おいとますることにいたします。もう役所へ出かけねばなりませんから」
「都頭どのはおつとめのある身。おひきとめしませんが、またこちらへご用でおいでになることがありましたら、どうか忘れずにおよりください」
「ぜひそうさせてもらいます。どうぞそのままで」
「いや、門のところまでお送りしましょう」
ふたりはいっしょに外へ出た。土兵たちは十分に飲み食いしたあげく、てんでに槍棒を持って門長屋へ行き、例の男をひきおろして後手《うしろで》にしばり、門の外へ連れ出してきた。晁蓋はそれを見て、
「大きな男ですな」
「こやつですよ。霊官廟でとっつかまえた賊というのは」
雷横がそういうのにおおいかぶせるように、例の男が叫んだ。
「あっ、叔父さん、助けてください」
晁蓋はわざとまじまじと眺めてから、大声でいった。
「おお、おまえは王小三じゃないか」
「そうです。叔父さん助けてください」
一同はみなびっくりした。雷横はせきこんでたずねた。
「誰なのですか、この男は。どうしてあなたを知っているので」
「こやつはわしの甥で、王小三というのです。しかしどうして廟に泊まったりなんぞしたのかな。わしの姉の子でして、子供のころはこちらに住んでおったのですが、四つか五つの時分に姉の夫に連れられて、姉といっしょに南京へ行ったきりでもう十数年にもなります。こやつは十四五ぐらいのときにいちどやってきたことがあるのです。南京の旅あきんどについてこっちへ商売にやってきたのですが、それ以後、こいつには会っていません。人のうわさではろくな人間にはなっておらんとのことでしたが、しかしいったいどうしてこんなとこをうろついていたのでしょう。わしもこいつの顔にはもう見覚えもないのですが、横鬢のところにあるあの赤あざ、あれでわかりました」
晁蓋はこんどは男にむかって、
「これ小三、おまえはどうしてまっすぐわしのとこにやってこずに、村で泥棒なんかしやがったのだ」
「叔父さん、泥棒だなんて。わたしはそんなことはしません」
「泥棒をしないなら、こうして縛られるわけはないじゃないか」
とどなり、晁蓋は土兵の手から棒をひったくって真向から殴りつけた。雷横をはじめ一同の者は、
「そう殴らなくてもよいじゃありませんか。この男のいうことを聞いてみようじゃありませんか」
「叔父さん、そう怒らずに、まあ、わたしのいうことを聞いてください。十四五のときにいちどお訪ねしたきりで、あれからもう十年にもなりますが、昨夜はちょっと酒を飲みすぎて、叔父さんに顔をあわせるのが気まずくなり、廟でちょっと眠って酔がさめてから叔父さんのところへ行こうと思っていたところ、なんと、この人たちに有無をいわさずひっくくられてしまったのです。泥棒なんてとんでもありません」
晁蓋は棍棒をつかんでまた打とうとした。
「ちくしょうめが。まっすぐわしのところへやってこないからだ。途中で気違い水など飲みやがって。わしのとこにはないとでもいうのか。この恥さらしめが」
雷横はなかにはいって、なだめた。
「保正どの、まあ、そうお怒りにならずに。甥御さんはほんとに泥棒をやりなすったというわけじゃないのです。廟のなかでこのでっかい男が眠っているのがなにかいわくありげだったし、見たこともない人でどこの誰ともわからなかったものですから、あやしいと思って引きたててきたようなわけでして。保正どのの甥御さんだとわかっていたら、どうもしなかったのです」
そして土兵をよんで、
「すぐ縄を解いて、保正どのにおわたしするんだ」
土兵たちはさっそくその縄を解いた。雷横は、
「保正どの、どうかあしからず。甥御さんとは知らなかったものですから、なんともたいへんご無礼をしました。それではわたしどもはこれでひきとらせてもらいます」
「都頭どの、ちょっとお待ちなさって。もういちど家へひきかえしてくださいませんか。ちょいとお話ししたいことがありますので」
雷横は男を放免し、また、ひきかえして客座敷へ通った。晁蓋は十両の花銀《かぎん》(刻印入りの通用銀)をとり出して雷横の前におき、
「わずかですが、お納めおきください」
「それは困ります」
「それではなにか、お気にさわったことでも」
「いや、それではせっかくのお言葉ですからひとまず頂戴しておきましょう。いずれまたお礼をさせていただきます」
晁蓋は男をよんで雷横に礼をいわせた。そして土兵たちにもねぎらいの銀子をあたえ、一同をまた正門の外まで見送った。雷横は別れを告げ、土兵たちをひき連れて帰って行った。
晁蓋は男を奥の間へ連れて行って、着物をきかえさせたり、頭巾をかぶらせたりしてから名前や身もとをたずねた。
「わたしは姓は劉《りゆう》、名は唐《とう》といって、本籍は東〓《とうろ》州のものです。鬢のところにこの赤あざがありますので、赤髪鬼《せきはつき》というあだ名を頂戴しています。こんどこちらへうかがったのは、莫大な金蔓《かねづる》を保正どのにお知らせにまいったのです。昨夜は夜もおそくなってしまったし、酔ってもいましたので、廟で寝こんでいるところを、意外にもやつらにとっつかまえられ、ふん縛られてしまいました。これこそ、縁さえあれば千里も近い、縁がなければそれっきり、というやつで、こうしてここへきてお会いすることができました。どうかそれへお坐りになってわたしの四拝の礼をお受けください」
礼がおわると、晁蓋はたずねた。
「ところで、その金蔓というのは、今どこにあるのです」
「わたしは若いときからあっちこっち転々として、ずいぶんいろんなところをわたり歩き、もっぱら好漢たちと男づきあいをしてきましたが、あなたさまのお名前はあっちこっちで聞きながら、お目にかかれずにいたところ、山東・河北の闇商人たちが、こちらでよくお世話になっておるらしいと聞いて、それならばこちらへ話そうかと思ってこの話を持ってきたのです。ほかに人がいなければすっかりお話しいたしましょう」
「ここは気心のわかった者ばかりだから大丈夫です。お聞きしましょう」
「わたしの聞きこんだところによると、北京大名府《たいめいふ》の梁中書が、その舅の蔡太師の誕生日の祝いに、十万貫の金銀珠玉や財宝を東京《とうけい》へ送るというのです。去年もやはり十万貫の金銀珠玉を送ったのですが、これは道中で何者かに奪われてしまって、今もってなんの手がかりもつかめないでいます。今年もまた、十万貫の金銀珠玉を買いこんでいて、この六月十五日の誕生日に間にあわせるよう準備をしているそうです。わたしの思うには、この財宝は全部不義の財宝、いくら奪《と》ったってかまうことはありません。そこでこちらさまと相談して手筈をきめ、途中でこいつをかっさらってやろうと思うのです。お天道《てんと》さまがごらんになったってお咎めはありますまい。あなたが男のなかの男で、武芸の腕も並はずれておられるということはかねがね承っております。わたしはけちなやろうですが、腕には多少の覚えがあり、四人や五人はいうまでもないこと、千二千の軍馬のなかだろうと槍を一本持たせてもらえばびくともしません。兄貴がもしやろうとおっしゃるなら、この金蔓は兄貴にさしあげますが、いかがでしょうか」
「それは勇ましい話だ。相談はあとでやるとして、あなたは道中でいろいろ難儀なさったろうから、ひとまず客間の方でお休みなさい。明日にでも腰を据えて相談することにしましょう」
晁蓋は下男に、劉唐を廻廊の客間へ案内して休ませるようにいいつけた。下男は部屋へ案内すると、ほかの用事をしに立ち去った。
さて劉唐は部屋のなかで考えた。
「いったいおいらはなんであんなひどい目にあわされたのだろう。晁蓋どののとりなしで助かったものの、あの雷横のやつにはがまんがならん。うまうまと晁保正どのから銀十両をせしめとったばかりか、おれを一晩じゅう吊りさげやがった。あいつらは、まだ遠くへ行ってはいまい。そうだ。棒を持って追っかけて行って、全部叩きのめし、あの銀子をとりもどして晁蓋どのに返してあげよう。そうすればさぞかしこの胸のなかがせいせいするだろう。うん、こいつはいい考えだ」
劉唐はさっそく部屋を出て槍架《やりかけ》から朴刀を一本ひっつかむと、屋敷を出て、大股に南の方へ追って行った。おりから夜はすっかり明けていて、
北斗初めて横たわり、東方白まんと欲す。天涯に曙色纔《わずか》に分かれ、海角に残星漸く落つ。金鶏三たび唱えて、佳人を喚んで粉を伝《つ》け朱を施さしめ、宝馬頻りに嘶いて、行客を催《うなが》して名を争い利を競《きそ》わしむ。幾縷《いくる》の丹霞碧漢《へきかん》(青空)に横たわり、一輪の紅日扶桑《ふそう》(東方)に上る。
赤髪鬼の劉唐が、朴刀を振りたてながら五六里追って行くと、やがて、雷横が土兵を連れてのろのろと歩いて行くのが見えた。劉唐は追いついて、
「やい、そこの都頭、待て」
と、どなりつけた。雷横がびっくりしてふりむくと、劉唐が朴刀をひっつかんで追ってくるのが見えた。雷横は急いで土兵の手から朴刀をひったくって、どなりかえした。
「きさま、なにをしに追いかけてきやがった」
「わけのわかるやつなら、その十両の銀子をこっちへ返せ。そしたらゆるしてやるわ」
「きさまの叔父さんからもらったものだ。おまえなんぞの出る幕じゃない。もし叔父さんの手前がなけりゃ、きさまなんか、お陀仏のところだぞ。それを、おれから銀子をふんだくろうというのか」
「泥棒でもなんでもないものを、一晩じゅう吊りさげやがったうえに、叔父から銀子十両をせしめやがって。まあ、もどしてよこしたらおとなしくひきさがってやるが、もどさないなら、そのへんを血で染めてやるぞ」
雷横は大いに怒り、劉唐に指をつきつけながら、
「この恥さらしのならずものめ、無礼をすると承知せんぞ」
「百姓いじめのうすぎたないやろうめ。なにをほざきやがる」
「骨の髄《ずい》までの泥棒やろうめ。いまに晁蓋どのまでもまきぞえにするぞ。きさまがいくら盗《ぬす》っ人《と》たけだけしくかまえたって、おれはびくともせんぞ」
劉唐は大いに怒って、
「さあ、おれと勝負しろ」
と、朴刀を振るって雷横に突っかかって行く。雷横はそれを見てからからと笑いながら、手の朴刀をかまえなおしてこれを迎える。さて、大道でのふたりのわたりあいは、
一来一往、鳳《ほう》の身を翻すに似、一撞《どう》一衝《しよう》、鷹の翅を展べるが如し。一個は昭〓《しようさく》(攻め)尽《ことごと》く良法に依り、一個は遮〓《しやらん》(受け)おのずから悟頭あり、這箇は丁字脚、槍将《そうしよう》し入り来れば、那箇は四換頭《しかんとう》、奔将《ほんしよう》し進み去《ゆ》く。両句もて道《い》わんか、凌煙閣《りようえんかく》(注一)に上らずと雖然《いえど》も、只此れ描いて画図《がと》(絵)に入るに堪う。
そのとき雷横と劉唐は、大道でわたりあうこと五十数合、なおも勝負は決しなかった。雷横が劉唐をもてあましているのを見た土兵たちが、いっせいに劉唐にうちかかって行こうとしたとき、かたわらのいけがきの門があいて、二本の銅錬《どうれん》(銅の鏈《くさり》)を手にした男があらわれ、
「ご両人、まあ、おやめなさい。さきほどからずっと拝見していましたよ。まあ、しばらくお休みなさるがよい。話したいことがある」
と、銅錬でなかに割ってはいった。ふたりが朴刀をひいてうしろへ跳びのき、その声の主を見ると、男は学者のような身なりで、頭には桶型の眉深《まぶか》な頭巾をかぶり、身には黒い縁のある麻のゆったりしたうわぎを着、腰には茶褐色の帯をしめ、下には絹の靴に白の靴下をほき、眉は秀《ひい》で顔は白く、長いひげをたくわえている。この人は、智多星《ちたせい》の呉用《ごよう》、字は学究《がつきゆう》、道号を加亮《かりよう》先生といって、もともとこの村の人。この呉用の長所をたたえた臨江仙(曲の名)の詞《うた》がある。
万巻《ばんかん》の経書曽《かつ》て読過し、平生機巧(機敏)心霊(怜悧)なり。六韜三略《りくとうさんりやく》(ともに兵書)究《きわ》め来って精《くわ》しく、胸中に戦将を蔵し、腹内に雄兵を隠す。謀略は敢て諸葛《しよかつ》(孔明)を欺く、陳平《ちんぺい》(漢の高祖の智臣)豈《あに》才能に敵せんや。略《いささ》か小計を施せば鬼神も驚く。字《あざな》は称す呉学究、人は号《よ》ぶ智多星《ちたせい》と。
そのとき呉用は手に銅錬をさげ、劉唐を指さしていった。
「そこの方《かた》、お待ちなさい。どうして都頭どのと争われる」
劉唐は、眼をむいて呉用をにらみつけながら答えかえした。
「書生なんぞの知ったことか」
雷横がいう。
「じつはこうなのです。昨夜、こやつが霊官廟に寝ておりましたので、とりおさえて晁保正どののところへ連れて行ったところ、なんと保正どのの甥御だったのです。甥御さんならというわけで放免したのですが、そのとき晁天王どのが酒をふるまってくださって、すこしばかり心づけもいただいたのです。するとこやつは叔父さんの目をぬすんで、ここまで追いかけてきてそれを強奪しようとしやがるんです。まったく、ふといやつじゃありませんか」
呉用は思案した。
「晁蓋とは小さいときからの友だちで、なにかあれば相談しあう仲だ。あの男の親類や知りあいはみんな知っているが、こんな甥があることは聞いたこともない。それに年恰好からいってもおかしい。これにはなにかわけがあるにちがいない。この場はまあ、うまくおさめて、あとでよく聞いてみるとしよう」
そこで呉用はいった。
「そのでっかい人よ。そう意地をはるものじゃない。おまえさんの叔父さんとはわたしはごくしたしい友だちだ。この都頭どのともよく知りあった仲だ。叔父さんが都頭どのにあげなさった祝儀を、おまえさんが横取りしてしまっては叔父さんの顔をつぶすというものではないか。ここはまあ、わたしの顔をたてるがよい。叔父さんにはわたしからうまく話してあげよう」
「書生さん、あんたは知らないんだ。その金は叔父がこころよくくれてやったものではないんだ。こいつがかたり取ったんだよ。もどさないかぎり、おいらはこんりんざい帰らん」
「保正どのが自分で取りもどしにきたのなら返しもしようが、きさまなんかに返してやるものか」
「おまえは罪もない者を盗っ人よばわりして銀子をかたり取ったんだ。それにどうして返さん」
「これはきさまの銀子じゃない。返さんといったら返さん」
「返さんというのなら、おれのこの朴刀に聞いてみて、承知をしたらそれもよかろう」
呉用がまたなかにはいって、
「ふたりとも、さんざんやりあっても勝負がつかないのに、いったい、いつまでやりあうつもりなのだ」
劉唐がいう。
「銀子を返さんかぎりは、どっちかが死ぬまでやる」
雷横は大いに怒って、
「おまえがこわくて部下の手を借りたといわれては、おれの男がすたる。おれのこの手で、きっときさまを刺し殺してやるぞ」
劉唐もかっとなって、自分の胸をたたきながら、
「なにが、きさまなんぞ」
と、つめよる。片や雷横も、手足をばたばたさせて(注二)にじりより、かくてふたりは再びわたりあおうとした。呉用がなかにはいってなだめようとしても、聞かばこそ。劉唐は朴刀をかまえて相手の隙を虎視眈々《たんたん》とねらい、雷横は泥棒め泥棒めとののしりながら朴刀を突きつけていまにもおどりかかろうとする。
と、そのとき土兵たちが指をさしていった。
「保正どのが見えた」
劉唐がふりかえって見ると、晁蓋が着物をひっかけ襟もとをはだけたおどろな恰好で、街道を駆けつけてきて、
「こらっ、無礼なまねをするな」
とどなった。
呉用は、はっはと笑って、
「保正どのが出てこないことには、どうにもおさまりがつかないところだ」
晁蓋は息を喘《あえ》がせて駆けつけ、
「どうしたというんだ。こんなところまで追ってきて、朴刀をふりまわしなんぞして」
雷横が、
「甥御さんが朴刀を持って追っかけてきて、わたしに銀子を返せというんですよ。それでわたしは、おまえには返さん、おれが自分で保正どのに返す、おまえなんかの出る幕じゃないといったところ、斬りあいになって、五十合ほどわたりあったところへ、呉用先生がとめにはいりなさったというわけなんです」
「こいつめ。都頭どの、今日のところはこの保正の顔に免じて、どうかひきとってください。後日あらためておわびにあがります」
「いや、わたしもこいつが勝手にやったことだとはわかっておりますから、別に気にはしません。かえって保正どのにご足労をかけまして」
と、雷横は挨拶をして帰って行ったが、この話はそれまでとする。
さて呉用は、晁蓋にむかっていった。
「あなたが見えなかったらたいへんなことになるところだった。しかし甥御さんはまったくすばらしい腕前だ。いけがきのなかから見ていたのだが、朴刀を使わしたら名手といわれるあの雷都頭でさえ、さんざんてこずって、受けるのに精いっぱいというところで、もうすこしわたりあっていたら、雷横どのの命はなかったろう。そこでわたしがあわててふたりを分けたのです。ところでこの甥御はどこから見えたのです。お宅ではついぞ見かけたこともないが」
「じつはご相談したいことがあって、先生にうちへきていただこうと思っていたところなのです。それで使いの者を出そうとしたとき、この男のいないことに気がついたのです。槍架を見ると朴刀もなくなっている。そこへ牛飼いのこどもがやってきて、大きな男が朴刀をつかんで南の方へ駆けて行ったというので、あわててあとを追ってきたのですが、先生にとめていただいてなによりでした。ところで、ごいっしょにうちまできてくださいませんか。ご相談したいことがありますので」
呉用はいったん書斎(注三)へもどって銅錬を書房(注四)に掛け、その家の主人にたのんだ。
「塾のこどもたちがきましたら、先生は今日は用があるから一日休みにするといってください」
これをうたった詩がある。
文才は武才の高きに下らず
銅錬猶能《なおよ》く朴刀を勧《なだ》む
ただ義士と偕《とも》に雄談するを愛す
豈枯坐《こざ》して児曹《じそう》(児輩)に伴うに甘んぜんや
他《かれ》の衆鳥を放って籠中より出《い》でしめ
〓《なんじ》の群蛙を許して野外に跳ばしむ
是れ自《よ》り先生好動《こうどう》多く
学生は歓喜し主人は焦《いらだ》つ
呉用は、書斎の戸をしめて錠をかけると、晁蓋・劉唐とともに晁蓋の屋敷へ行った。晁蓋は奥の間に請じいれ、それぞれ席につくと、呉用が晁蓋にたずねた。
「この方はどなたですか」
「天下の好漢で、姓は劉、名は唐といい、東〓州の人です。このたび莫大な金蔓《かねづる》があるとのことで、わたしをたずねて見えたのですが、昨夜は酔って霊官廟に寝ているところを、雷横どのにとっつかまってわたしの家へ引きたてられてこられた。それで甥だということにして難をのがれさせたというわけです。ところで、この人のいうには、北京大名府の梁中書が、十万貫の金銀珠玉を買って舅の蔡太師の誕生日祝いに贈るとのことで、やがてここを通るのですが、こいつは不義の財だからかまわずふんだくってしまおうというのです。この人がここへ見えたのは、わたしが見た夢とぴったりあいます。昨夜、北斗七星がこの家の屋根にむかってまっすぐに落ちてくる夢を見たのですが、そのとき、柄《え》のはしのもう一つの小さな星が、一筋の白い光になって飛んできたのです。星がこの家を照らすなどということは、吉兆にちがいありません。そこで今朝、先生をお招きしてご相談に乗ってもらおうと考えたというわけなのですが、この一件、いかがなものでしょうか」
呉用は笑って、
「劉さんが追っかけてきなさったようすが、なにかいわくありげなので大方は見当をつけていましたよ。この一件はすばらしい話じゃありませんか。ただ、人が多すぎてもいけないし、すくなすぎてもまずい。もちろんお宅にごろごろしている下男なぞはひとりも役にはたちません。しかし、保正どのと劉さんとわたしの三人だけでは、とても手に負えない。いくらあなたと劉さんが腕に覚えがあっても、荷が重すぎます。七人か八人の好漢がおればちょうどよいのだが。それより多くてもいけません」
「夢のなかの星の数にあわせるというわけですか」
と晁蓋がきいた。
「あなたのその夢は、ふつうの夢とはわけがちがいます。きっと北の方から、もう一人、手を助《す》けてくれる人があらわれるはずです」
呉用はしばらくのあいだ、眉根をひそめてじっと考えこんでいたが、はたと思いあたって、
「うん、あった」
といった。
「たのむにたる好漢がいましたか、それならすぐによびよせてこの事をやり遂げようじゃありませんか」
呉用は、あわてず、さわがず、二本の指をそろえて説きはじめた。このことから、東渓村に義に聚《あつ》まった男たちが翻《ひるがえ》って強盗となり、石碣《せつけつ》村に魚をとる船が変じて戦艦《いくさぶね》となるのである。まさに、地を説き天を談ずる口をもって、江《かわ》を翻《くつが》えし海を攪《かきみだ》す面々を誘い出すという次第。ところで、智多星の呉用が口に出したのはいかなる人物であったか。それは次回で。
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一 凌煙閣 唐の太祖が勲臣二十四人の肖像画を掲げた宮閣。
二 手足をばたばたさせて 原文は指手画脚。手まね足まね、あるいは、手や足でさまざまなしぐさをすることをいう。
三・四 書斎、書房 書院のなかの図書を置く幾室かを総称して書室あるいは書斎といい、さらにその書室のなかの中心となる一室を書房という。ここでは、呉用は幾部屋かを借りて私塾をいとなんでいるのだから、「書斎」を家、「書房」を書斎と訳して、「家にもどって銅錬を書斎に掛け」としてもよい。
第十五回
呉学究《ごがつきゆう》 三阮《さんげん》に説いて撞籌《とうちゆう》し
公孫勝《こうそんしよう》 七星に応じて義に聚《あつ》まる
さて、そのとき、呉学究のいうには、
「わたしは三人の者を思いついた。いずれも全身これ義胆、武芸は人にぬきんで、火のなか水のなかにも飛びこんで死生をともにするという人ばかりです。この三人を仲間にいれたならば、きっとこの仕事は成就します」
晁蓋がたずねた。
「その三人というのは誰です。姓は、名は、また住居《すまい》は」
「その三人は兄弟で、済州梁山泊のほとりの石碣村《せつけつそん》に住んでおります。魚をとって暮らしを立てているが、以前は湖を舞台に闇商売をやっていたこともあります。姓は阮《げん》といって、三人兄弟、ひとりは立地太歳《りつちたいさい》の阮小二《げんしようじ》、ひとりは短命二郎《たんめいじろう》の阮小五《げんしようご》、ひとりは活閻羅《かつえんら》の阮小七《げんしようしち》。三人はほんとうの兄弟です。わたしは以前、あのあたりで二三年暮らしたことがあって、そのとき彼らとつきあったのですが、彼らは目に一丁字もない男ながら、人とまじわっては義に厚く、なかなか立派な人物です。それでわたしもつきあっていたわけなのだが、もう二年以上も会っておりません。この三人を仲間にひきいれたら大事はかならずなしとげられます」
「阮家の三兄弟なら、わたしも名前は聞いている。会ったことはありませんが、石碣村はここからせいぜい百十里ぐらいのところだから、誰か使いをやって、相談にきてもらったらどうでしょう」
「いや、人をやってたのんだのではとてもきてはくれまい。わたしが出むいて行って、この三寸不爛《さんずんふらん》の舌で説き伏せて、仲間にひきいれましょう」
晁蓋は大いによろこんで、
「それで先生はいつお立ちになります」
「早いほどよいから今夜の三更(夜十二時)ごろ出かけます。むこうへは明日の昼ごろ着くでしょう」
「そうしていただけばなによりです」
晁蓋はすぐ酒食の用意を下男にいいつけた。呉用は、
「北京から東京《とうけい》への道はわたしも通ったことがあるが、例の誕生日祝いの荷物は、どの道を通るかな。劉さん、ご苦労だが、急いでも今いっぺん北京へひきかえして、いつ立つか、どの道を通るか、さぐってきてくれませんか」
「それではわたしも今夜出かけましょう」
「いや、もうしばらく待った方がよいでしょう。誕生日は六月十五日で、今はまだ五月の初め、まだ四五十日もあります。わたしが阮《げん》三兄弟を説き伏せて帰ってきてから、出かけてもらうことにしましょう」
晁蓋がいった。
「それがよいでしょう。劉さんはわたしのところで待っていてもらうことにしよう」
くどい話はぬきにして、その日はしばらく酒盛りをして寝たが、やがて三更ごろになると呉用は起きて洗顔をすませ、朝食をとり、銀子をもらってふところにいれ、草鞋《わらじ》をはいた。晁蓋と劉唐は屋敷の門まで見送る。呉用は夜道を石碣村へむかい、昼ごろに早くも村に着いた。見れば、
青鬱々として山峰は翠を畳み、緑依々として桑柘《そうしや》(山桑)は雲を堆《つ》む。四辺の流れは孤村を繞《めぐ》り、幾処の疏篁《そおう》は小径に沿う。茅簷《ぼうたん》は澗《たにがわ》に傍《そ》い、古木は林を成す。籬外《りがい》には高く懸《かか》る酒を沽《う》る旆《はた》、柳陰には間《まま》、纜《つな》ぐ魚を釣る《ふね》。
呉学究はもともと知った土地なので人にたずねるまでもなく、石碣村にはいると、まっすぐに阮小二の家へむかった。門前に着いて眺めると、古い杭《くい》には数隻《すうせき》の小さな漁《いさ》り舟がつながれ、いけがきの外には破れた魚とり網がほしてある。山を背にして水に臨んだ、十間あまりの草葺きの家である。
「小二さん、おいでか」
呉用が声をかけると、奥からひとりの男が出てきた。その風采はといえば、
兜《おうとう》(くぼみ眼)の臉《かお》、両眉豎《たて》に起ち、略綽《りやくしやく》の口(大きな口)、四面に連拳《れんけん》す。胸前には一帯の胆を蓋《おお》う黄毛、背上には両枝の横生《おうせい》の板肋《はんろく》、臂膊《ひはく》は千百斤の気力を有し、眼睛は幾万道の寒光を射る。言うを休めよ村裏の一漁人と、便《すなわ》ち是れ人間《じんかん》(この世)の真の太歳(荒神)なり。
阮小二は、頭には破れた頭巾をかぶり、身にはぼろの着物をひっかけ、両脚はむき出しのままで出てきたが、そこに呉用の姿をみとめると、あわてて挨拶をして、
「先生ですか。これはまたお珍しい。どういう風の吹きまわしでこちらへ」
「ちょっと二郎さんにたのみたいことがあってきたんだ」
「どんなご用ですか。できることならやらせてもらいますよ」
「ここを出てからもう二年にもなるな。わたしは、今はさる金持の家で私塾を開いているが、その家の主人がこんど宴会をやるについて、目方十四五斤ぐらいの金色の鯉を十匹あまりほしいというので、わざわざあんたのところへたのみにきたというわけなんだ」
阮小二は笑いながら、
「話の方は後まわしにして、一杯やりましょう」
「じつはわたしも、あんたと飲むつもりできたんだ」
「湖のむこう側に料亭が五六軒ありますから、舟でむこうへわたりましょうか」
「それがいい。ところで五郎さんにもちょっと会いたいのだが、家にいるかな」
「いっしょに行ってさがせばわかるでしょう」
ふたりは水際へおりて行って、杭につないであった小舟を一艘解いた。小二が呉用に手を貸して舟に乗せ、木の根もとから櫂《かい》を取って、ぐいぐい漕ぎ出すと、舟はたちまち湖心へとすすんで行った。漕ぎすすんで行くうちに、阮小二は手をふって、
「おおい、小七。小五を知らんか」
と叫んだ。呉用がその方を見ると、蘆の茂みを分けて一艘の舟が出てきた。その男の風采はといえば、
〓疸《きつそ》(できもの)の臉《かお》には横ざまに怪肉を生じ、玲瓏《れいろう》の眼は双睛を突き出す。腮辺《さいへん》には長短の淡黄の鬚、身上には交加す烏黒の点。渾《すべ》て生鉄もて打ち成せるが如く、疑うらくは是れ頑銅もて鋳就《いな》せるかと。世上に降生せる真の五道《ごどう》(荒神)、村中は呼び作《な》す活閻羅《かつえんら》と。
この阮小七は、頭には日除けの黒い竹笠をかぶり、身には碁盤縞の袖なしを着、腰には木綿の前掛けをしめ、舟を漕ぎよせながらたずねた。
「小二兄貴、小五兄貴になにか用かい」
呉用は小七に声をかけた。
「七郎さん、あんたたちにたのみたいことがあってわざわざやってきたんだ」
「これは先生、失礼しました。ずいぶんお久しぶりで」
「小二さんといっしょにみんなで一杯やりに行こう」
「わしも先生といっしょに飲みたいと思っていたんですが、とんとお目にかかれなくてね」
二艘の舟は並んで湖をわたって行ったが、しばらくすると、とある場所に着いた。水にかこまれた丘の上に七八間の草葺きの家がある。阮小二がよんだ。
「おっかさん、小五はいないかね」
すると母親が答えた。
「それがお話にもならないのだよ。魚がてんで取れないもんだから、毎日ばくちをうちに行って、すってばかりいて一文なしなんだよ。ついさっき、あたしのかんざしを持って村へばくちをうちに行っちまったよ」
阮小二は笑って舟を漕ぎ出した。阮小七はうしろの舟でいった。
「兄貴のやつ、どうしたのかな。負けてばっかりいやがる。くそいまいましい。兄貴が負けるばかりか、おれまで負けて、すっからかんの赤裸だ」
呉用はひそかに思った。
「よし、こいつは思う壺だ」
二艘の舟は並んで石碣村の町へむかった。やがて小半時あまり行くと、丸木橋のほとりで手に二つなぎの銅銭を持った大男が、水際におりてきて舟のもやいを解いているのが見えた。阮小二がいった。
「五郎がきました」
呉用が見ると、
一双の手は渾《すべ》て鉄棒の如く、両隻の眼は銅鈴に似る有り。面上には些か笑容《しようよう》有りと雖も、眉間には郤《かえ》って殺気を帯着す。能く横禍を生じ、善く非災を降す。拳もて打ち来れば、獅子も心寒く、脚もて〓《け》る処、〓蛇《げんだ》も胆を喪《うしな》う。何《いずれ》の処にか行瘟使者《こうおんししや》(厄病神)を覓《もと》めん、只《ただ》此れぞ是れ短命二郎。
この阮小五は、破れ頭巾を斜《ななめ》にかぶり、鬢のあたりに石榴《ざくろ》の花を一枝挿し、くたびれた木綿のうわぎを着、胸もとからは青黒い刺青の豹をのぞかせ、腹には股引をしばりつけ、首には碁盤縞の手拭をまきつけている。呉用は声をかけた。
「五郎さん、勝ったかね」
「やっぱり先生か。もうまるまる二年もご無沙汰でしたな。橋の上からあんたたちをしばらく見てたんですよ」
阮小二がいった。
「先生といっしょにおまえをさがしに家へ行ったら、おふくろが、村へばくちを打ちに行ったっていうので、ここまでさがしにきたんだよ。これから水亭へでも行って一杯やろうというのだが、おまえも行かないか」
阮小二が誘うと、小五はあたふたと橋のところへ行って小舟を解き、とび乗って櫂を取って漕ぎ出した。三艘の舟は並んですすみ、やがて水の上に架け出した料亭に着いた。見れば、
前は湖泊に臨み、後は波心に映ず。数十株の槐柳《かいりゆう》は緑《みどり》煙るが如く、一両蕩《りようとう》の荷花《かか》は紅《くれない》水を照《て》らす。涼亭の上、窗《まど》は碧檻《へきかん》を開き、水閣の中、風は朱簾《しゆれん》を動かす。言う休《なか》れ三たび岳陽に酔うと、只《ただ》此れぞ是れ蓬島《ほうとう》の客。
三艘の舟は、水亭の下の荷花《は す》蕩《いけ》に漕ぎいって、そこに舟をつないだ。三人は呉学究に手を貸して岸へあがり、料亭にはいって水亭へ通り、朱塗りの卓と椅子の席をえらんだ。そのとき阮小二がいった。
「先生、わしたち兄弟はがさつものですが、どうぞあしからず。さあ先生、上座におつきください」
「それはいかん」
呉用が辞退すると、阮小七が、
「兄貴がさっさと主人の席にかければいいんだ。先生はどうぞ客の席に。わしらふたりは失礼して先に坐らしてもらいますよ」
「七郎さんはほんとにてきぱきしている」
と呉用はいった。四人は席につくと、給仕に酒を一桶いいつけた。給仕は四つの大きな杯と四組の箸をならべ、四皿の菜と酒一桶を持ってきた。
「肴はなんだ」
と阮小二がきいた。
「つぶしたばかりの黄牛《う し》の、餅菓子のような上等の肉がございます」
「それを大きく切って十斤ほどもらおう」
阮小二がそういうと、阮小五が、
「先生、なんのおもてなしもできなくてすみません」
「いやいや、かえってこちらこそご迷惑をかけて」
「とんでもない」
と阮小二はいい、給仕にどんどん酒の燗をさせた。やがて牛肉が二皿に盛り分けて出された。ふたりにすすめられて呉用は幾切れか食べたが、あとはもう食べられなかった。しかし三人はむしゃむしゃと食べつづけた。ひととおり食べおわったところで阮小五が、
「ところで先生、どんな用事でいらっしゃったので」
とたずねた。すると阮小二が、
「先生は今、ある大金持の家で塾をやっていなさるんだが、今日は、目方十四五斤ぐらいの金色の鯉を十匹あまり、おれたちに世話するようにといって見えたのだ」
阮小七がいった。
「いつもなら四十匹や五十匹はすぐ間にあいます。十匹ぐらいのことなら、いや、もっと多くたって、わしたち兄弟だけでご用立てできたのですが、しかし、このごろは十斤ぐらいのやつだって手にはいらないのです」
「しかし、せっかく遠くから見えたのだから、せめて五六斤ぐらいのでも十匹ばかりなんとかしてさしあげないと」
と阮小五がいう。呉用は、
「銀子はたっぷり用意してきたから、値《ね》はいくら高くてもかまわん。ただ小さいのでは困る。どうしても十四五斤ぐらいのがほしいのだ」
阮小七が、
「先生、それはとてもだめですよ。小五兄貴が今いった五六斤のやつだって、なかなか取れなくて、何日か待ってもらわなければならんという始末ですから。そうそう、わしの舟に小魚が一桶いかしてある。あいつで一杯やりましょう」
阮小七はすぐ舟へ行って小魚の桶を持ってきた。六七斤はあった。自分で調理場へ行って料理をし、三皿に盛り分けて卓の上へおいた。
「先生、まあこれでもどうぞ」
四人はまたしばらく飲んだ。そのうちに日は暮れてくる。呉用は考えた。
「この店では話ができない。今夜はどうせ彼らのところへ泊まらねばならんが、万事はそこへ行ってからのことにしよう」
阮小二がいった。
「さあ、もう日も暮れたから、先生、ひとつ今夜はわしの家に泊まってください。鯉のことは明日まだ相談しましょう」
「こちらへはなかなか出てこれないのだが、今日はみなさんに会えてよかった。ここの代金はわたしに出させてもらえそうにもないから、このまま今夜は二郎さんのところに泊めてもらうとして、ここにすこしばかり銀子がある。これでこの店から酒を一瓮《かめ》と肉を少々、それに村の方で鶏を一つがい買ってくださらんか。晩にみんなで飲もうじゃないか」
阮小二が、
「先生に散財させるなんてとんでもない。わしたち兄弟で万事やります。お返しなんて、そんな心配はなさらないでください」
「いや、あんたがた三人にご馳走するつもりできたんだ。いやだというのならわたしはこれでおいとまするよ」
すると阮小七が、
「先生があんなにおっしゃるんだ。せっかくだからご馳走になろう。あとはまたあとの話さ」
「やっぱり七郎さんはてきぱきしている」
と呉用は銀子を一両、阮小七にわたし、店の主人から大瓮を借り、それにいっぱい酒をつめ、ほかに牛肉の生のと、煮たのとあわせて二十斤と、大きな鶏を二羽買った。阮小二は店の主人に、
「酒代はあとでいっしょにはらうよ」
「よろしいとも」
と主人はいった。四人は店を出てまた舟に乗った。酒や肉は舟倉へしまい、もやいを解いて舟を漕ぎ出し、まっすぐ阮小二の家へむかった。やがて門前に着いて岸へあがり、もとのように杭に舟をつないで、酒や肉を持ち出し、四人そろって奥の間へ行き、あかりをつけさせた。阮家の三人兄弟のうち、女房のあるのは小二だけで、小五と小七はまだひとり身だった。
四人は小二の家の奥の間、水の上に架けた部屋に座をとった。小七は鶏をつぶし、嫂《あによめ》にたのんで手伝いの小僧とともに台所で料理してもらった。一更(夜八時)ごろに用意がととのい、卓にならべられた。
呉用はみなに酒をすすめ、やがて数杯まわったころにまた鯉の話を持ち出した。
「こんな広いところに、どうしてそれぐらいの大きさの魚がいないのかな」
すると小二が、
「先生、じつはそれぐらいの大きさの魚ということになると、梁山泊にしかいないのです。この石碣湖は狭いので、そんな大きいのはいません」
「ここは梁山泊のつい近くで、水つづきなのに、どうして漁に行かないのだね」
呉用がそういうと、阮小二は吐息をついて、
「それがだめなんです」
「溜息などついてどうしたんだ?」
すると阮小五が、
「先生、じつは前には梁山泊はわしたちの飯櫃《めしびつ》だったのですが、今はもう行けなくなってしまったのです」
「あれほどの広いところを、お上が禁制にするはずはないだろう」
「お上が禁制になんかできるものですか。たとえ、閻魔大王の生まれかわりだって、どうにもできるもんじゃないのです」
「禁制でもないのなら、どうして行かないんだ?」
「先生はまだそのわけをご存じなかったのですか。それならお話ししましょう」
「わたしにはさっぱりわけがわからん」
するとこんどは阮小七がいった。
「あの梁山泊というとこは、さあ、どういったらいいか、とにかく、今ではあそこには強盗どもが頑張っていて、漁をやらせないのですよ」
「それは知らなかった。このごろ強盗がいるなんて、わたしたちの方ではいっこうに聞いたこともなかった」
「その強盗どもの頭領というのは、役人になりそこねた落第書生で、白衣秀士の王倫というやつでず。二の頭領は摸着天の杜遷、三の頭領が雲裏金剛の宋万。その下に旱地忽律の朱貴というのがいて、こいつは李家道の入口で酒屋を開いて、見張りや聞込みをやっておりますが、こいつはまあ、たいしたことはありません。ところがこんど仲間にはいった好漢で、東京禁軍の教頭で豹子頭の林冲とかいうやつ、これはすごく腕が立つのです。そんな食いつめたすね者が六七百人も子分を狩り集めて近在を荒らしまわったり、通りがかりの旅人からふんだくったりしていて、わしたちももう一年以上もあそこへは漁に行けず、今ではすっかり入江から締め出されて飯も食いあげにさせられている、とまあ、こういうわけなんです」
「そういうことはまったく知らなかった。お上はどうして捕り手をさしむけないのだろう」
「この節の役人なんてものは、なにか事があれば百姓をいじめるばかりです。やつらが村へやってくるということになると、まずまっさきに百姓の家の豚から羊から鶏からあひるから、みんな食ってしまって、そのうえ、帰って行くときには金まで出させるのですから。それでも今はましです。梁山泊の連中にこっぴどくやられ、捕盗役人たちも田舎へ出てくるどころのさわぎではなくなりましたから。もし上役の方から捕り手たちをさしむけても、捕り手たちはみなちぢみあがってしまって、正面からたちむかって行くなんてことはとてもできやしないのです」
阮小二は、
「大きな魚は取れなくなったかわりに、役人たちに、取立てや夫役でいじめられることはなくなりました」
「そうだとすると、強盗たちにはなかなか痛快だろうな」
と呉用がいうと、阮小五は、
「やつらは、天もおそれず地もおそれず、お上もおそれない、というわけで、金銀は秤にかけて分け、着る物はより取り見取り、酒は瓮《かめ》で飲み、肉はまるごとかぶりつく、これが面白くないはずはありません。わしたち兄弟三人は、腕は立つけど、そのふるい場がない。なんとかあいつらのようにやれないものかと思うのですが」
呉用はそれを聞いてひそかにほくそ笑んだ。
「これはうまくいきそうだぞ」
阮小七がいった。
「人は一代、草は一秋というが、わしたちはいつまでたっても魚取り。一日でもいいから、あいつらのような真似がしてみたい」
そこで呉用はこういってみた。
「ああいう連中の真似をしてどうなるというんだ。彼らのやってることは、六十七十の笞打ちをくらってすむくらいの軽い罪とはちがうんだよ。せっかくの腕をつまらないことにふるって、もし役人につかまりでもしたら、身から出た錆でそれっきりだよ」
すると阮小二は、
「しかし今どきの役人なんてものは、わからずやのろくでなしばかりで、どえらい罪を犯したやつらはなにごともなくのうのうと暮らしているのですからな。わしら兄弟のようなものはなんのおもしろい目にもあえやしない。誰かひっぱってくれる人でもあれば、その人について行きたいと思いますよ」
阮小五も、
「わしもよくそう思うな。おれたち三人、腕にかけては、ほかのやつらにひけはとらないんだが、誰かおれたちを認めてくれる人はいないものかとな」
呉用はいった。
「認めてくれる人がいたら、あんたら本気で行くか」
阮小七が、
「もしそういう人があれば、水のなかだろうが火のなかだろうが行きますよ。一日でも栄耀ができたら、死んでも思い残すことはない」
呉用はひそかによろこんだ。
「三人ともみな気がある。まずはあせらずにひっぱりこもう」
呉用は三人に酒をすすめて、杯を二めぐりさせた。まさに、
只奸邪の有才を屈するが為に
天は悪曜《あくよう》(悪星)をして凡《ぼん》(この世)に下り来らしむ
試みに看《み》よ阮氏の三兄弟を
劫取《きようしゆ》す生辰の不義の財
呉用はかさねていった。
「ではお三人、梁山泊へのりこんで賊をひっとらえてみたらどうだね」
「とっつかまえたって、誰がほめてくれますかね。世間の好漢たちの物笑いの種になるのが落ちでしょう」
と阮小七がいう。さらばと呉用、
「あんたがたがもし、魚が取れないのを恨みに思うなら、いっそのことあそこへ行って仲間にはいったらどうかとわたしは思うのだが」
「先生、じつはそのことは、わしたち兄弟でもうなんべんも行こうか行くまいかと話しあったんです。しかし白衣秀士の王倫の手下どもの話だと、王倫というのは器量の狭い男で、なかなか人を信用せず、この前、東京の林冲が山へ行ったときなども、さんざんいやな思いをさせられたということです。王倫ってやつがなかなか人を受けいれないとわかったので、わしたちもそういうことではと、いっぺんにいや気がさしてしまったんです」
と阮小二がいうと、阮小七も、
「あいつらが先生みたいに太っ腹で、わしらに目をかけてくれるようだと申しぶんないんだが」
といい、阮小五も、
「あの王倫に先生ぐらいの情誼があったら、わしらもいまごろまでぼやぼやしてはいませんよ。とっくに出かけて行って、わしら三人、やつのためによろこんで命を投げ出しているでしょう」
呉用はいった。
「わたしなんかは物の数ではないが、今、山東・河北あたりには英雄豪傑の好漢がいくらでもいるじゃないか」
「好漢たちはいくらいたって、わしらはいちども会ったことがないのです」
と阮小二がいう。
「この近くの〓城《うんじよう》県東渓《とうけい》村の晁保正、あの人をあんたたちは知らないかね」
「托塔天王《たくとうてんおう》といわれている晁蓋さんでしょう」
と阮小五がいった。
「そうだよ」
と呉用がいうと、阮小七が、
「たった百里ぐらいしか離れていないのに、ご縁がなくて、お名前を聞いているだけでまだ会ったことはないのです」
「あの人は義を重んじ財を疎《うと》んじる立派な人だ。あんたたちはどうして会わないんだね」
「わしたち兄弟はこれまでむこうへ行く用事がなかったもので、それでお目にかかれずにいるのです」
阮小二がそう答えると、呉用はいった。
「わたしはここ何年かずっと晁保正どのの屋敷の近くで村塾をひらいているが、このごろ聞くところによると、あの人は莫大の金蔓《かねづる》を握ったとかいうことなので、それであんたたちに相談にきたわけなんだが、途中でそいつを横取りしてやったらどんなものだろう」
すると阮小五がいった。
「それはいけません。あの人は義を重んじ財を疎んじる立派な人物。その人の足をひっぱるようなまねをすれば、天下の好漢たちから笑いものにされますよ」
そこで呉用はいった。
「じつはわたしは、あんたたち兄弟の志がどれほど堅いかあやぶんでいたのだが、まことに人を愛し義を好む立派な人物であることがわかった。このうえは、ほんとうのことをいおう。もし力をあわせてくれる気があるなら、この大事をうちあけよう。わたしは、いままで晁保正どのの屋敷にいたのだが、保正どのがあんたたち三人のことを聞いて、ぜひともお招きしたいとのことで、わたしをここへよこされたのだ」
阮小二はいう。
「わしたち三人には、ほんとうに、すこしも嘘いつわりはございません。晁保正どのにはなにかどえらい大きなもうけ仕事があって、わしたちに加勢させようとのことで先生をおよこしになった、というわけなら、わしたち三人がもし命を惜しんでお助けしないようなことをしたときは、三人とも災いにあい、悪疾にとりつかれ、非業の死をとげるように、この残りの酒にかけて誓いましょう」
阮小五と阮小七は、手で自分の首筋をたたいていった。
「このなかの熱い血は、わしたちを知ってくれる人のものです」
呉用はついにいった。
「お三人、わたしはわるだくらみであんたたちを誘いにきたのではない。この事は尋常一様のことではないのだ。このたび朝廷の蔡太師には、六月十五日が誕生日なので、その女婿の北京大名府の梁中書が、近く十万貫もの金珠財宝を誕生日祝いの贈り物として発送するはずなのだ。姓は劉、名は唐という好漢がそのことを知らせてくれた。そこであんたたちを招いて相談し、何人かの好漢を集めてどこかの山かげのひっそりしたところでその莫大な不義の財宝をかすめとって、ともども一代の安楽をたのしもうというわけなのだ。そこで魚を買いにきたようなふりをして、じつはあんたたち三人を迎え、この一件を成しとげようというわけなのです。どうだろう、あんたたちの考えのほどは」
「よし、よし」
と、阮小五はいい、
「小七、おれもおまえも、なにもいいぶんなんかないや、なあ」
小七は躍りあがって、
「一生の望みが、やっとかなえられたぞ。ねがったりかなったりだ。それで、いつ出かけるのです」
「すぐきてもらいたいのだ。明日は五更(四時)ごろに起きて、一同うちそろって晁天王どのの屋敷へむかおう」
阮家の三兄弟は大いによろこんだ。詩にいう、
学究書《しよ》を知る豈《あに》財を愛せんや
阮郎漁楽《ぎよらく》亦悠《ゆう》なる哉
只不義の金珠の去るに因《よ》って
群雄をして義に聚り来らしむるを致す
一夜明けてその翌日、朝飯をすませた阮家の三兄弟は、家の者にいいふくめて呉学究に従い、四人は石碣村をあとに、道を急いで東渓村へとむかった。まる一日歩くと、早くも晁家の屋敷が見えた。見れば槐《えんじゆ》の木の下に晁蓋と劉唐が待ちうけている。ふたりの方でも呉用が阮家の三兄弟を連れてやってくるのをみとめ、槐の木のところまでくると、たがいに挨拶をかわした。晁蓋はすっかりよろこんで、
「阮氏の三雄とは、うわさにたがわぬ快男子。さあ、屋敷へはいって話しましょう」
六人はそろって屋敷へはいり、奥の間に通って主客それぞれの座につく。呉用がそれまでのいきさつを話すと、晁蓋は大いによろこんで、さっそく下男にいいつけて豚と羊を殺し、儀式(注一)の用意をさせた。
阮家の三兄弟は、晁蓋の軒昂たる人がらや、そのさばけた言葉に接して、
「わしたちは立派な好漢とつきあいたいというのが日頃の念願だったが、つい目と鼻のところにこういう人がいようとは。これも呉用先生のおひきあわせがあったればこそだ」
といいあって、三人の兄弟はしきりによろこんだ。
その夜は夕飯をすませてから夜ふけまで話しこんだ。翌日、夜が明けると奥の間の前に紙銭・紙馬(注二)・香花・灯明を並べ、昨夜から煮ておいた豚と羊を供えて、儀式をおこなった。一同は晁蓋のこうしたまごころに感じて、口々に誓いあった。
「梁中書は、北京にあってもっぱら民百姓をくるしめ、金銭財物をあざむき取って、それを東京の蔡太師のもとへ誕生日の祝いものとして送ろうとしています。これはまさしく不義の財であります。われら六人のうち、もし別意をいだくものがありましたら、よろしく天地もこれに誅罰を加え給え。神々も照覧あらせ給え」
六人は誓いをたて、紙銭を焼いた。
六人の好漢が奥の間で供え物を下げて(注三)酒盛りをひらいていると、そこへ下男がやってきて、
「門前に道士がきて、保正さまにお目にかかってお斎《とき》にあずかりたいといっております」
「わからんやつだな。わしはこのとおり、お客さまのおもてなしをしていて手がはなせないのだ。米を三四升やっておけばよかろう。なにもそんなことでうかがいをたてにくるやつがあるか」
「米をやったのですが、受けとらずに、どうしても保正どのに会いたいのだというのです」
「それはすくないからだろう。二三斗やって、こういいなさい。今日は主人にはお客さんがあってお会いする暇がないとな」
下男は出て行ったが、しばらくするとまたやってきて、
「米を三斗やったのですが、どうしても帰らないのです。自分は一清道人《いつせいどうじん》というもので、お布施をもらいにきたのじゃない、保正どのにお目にかかりにきたのだといって」
「こいつ、もっと気のきいた応待をしたらどうなんだ。今日は、ほんとうに暇がありませんので、後日、あらためてお目にかかりますというんだ」
「わたしもそういったのですが、その行者は、お布施をもらいにきたのではない、保正どのが義に厚いお方だと聞いたので、わざわざお目にかかりにきたのだと」
「おまえも世話の焼けるやつだな。すこしはわしの身にもなってみろ。まだ不足なようなら、また三四斗やりなさい。もうなにもいいにくるでないぞ。お客さんがなけりゃ、わしも出て行って会うぐらいなんでもないが。なんとかうまくあしらっておけ。もういいにくるんではないぞ」
下男が出て行ってからまもなく、とつぜん、門のあたりに騒ぎ声が聞こえ、またひとりの下男が駆けこんできて知らせた。
「あの道士が怒り出して、十人あまりもの下男を叩きのめしてしまいました」
晁蓋はびっくりして、あわてて立ちあがり、
「みなさん、しばらくお待ちになってください。ちょっと見てまいりますから」
奥の間を出て表門のところへ行って見ると、身の丈八尺、風貌堂々とした、いかにも曲者らしい面構えの道士が門外の槐の木の下で大勢の下男たちを殴っているところであった。晁蓋がその道士を見れば、
頭には両枚の〓鬆《ほうそう》たる双〓髻《そうあけい》(びんずら)を綰《わが》ね、身には一領の巴山の短褐袍《たんかつぽう》を穿ち、腰には雑色の綵絲〓《さいしとう》を繋《し》め、背には松紋の古銅剣を上《の》せ、白肉の脚には多耳の麻鞋《まあい》を襯着《しんちやく》し、綿嚢の手には鼈殻《べつかく》の扇子を拿着《だちやく》す。八字の眉、一双の杏子《きようし》の眼。四方の口、一部の落腮〓《らくさいこ》(ぶしょうひげ)。
その道士は下男たちを殴りまわしながら、
「見そこなうな」
とどなっている。晁蓋はそれを見て声をかけた。
「道士どの、おやめなされ。晁保正をたずねて見えたのはお布施のためであろうが。もう斎米は出したはずなのに、どうしてそんなに立腹なさる」
すると道士は、からからと笑って、
「銭や食い物がほしくてきたのじゃないわ。十万貫の大金も、わしの目にはがらくただ。したい話があったからこそ、保正どのをたずねてきたのに、この土百姓めのわけわからずめが悪態をつきやがる。それで怒っているのさ」
「道士どのは晁保正のお知りあいか」
「名前だけは聞いておるが、会ったことはない」
「じつはわたしがそうなのだが、その話とは」
すると道士はじっと晁蓋を見て、
「これは保正どの、失礼をしました。おゆるしくださいますよう」
「どうか奥でお茶なりと」
「ありがとうございます」
ふたりは奥へ通った。呉用は、道士のはいってくるのを見ると、劉唐および阮三兄弟とともに席をはずした。晁蓋は道士を奥の間に請じいれて、茶をすすめた。道士は茶を飲みおわるといった。
「ここでは話ができません。どこか別のところはございませんか」
晁蓋は道士を別の小部屋へ案内した。座がきまると晁蓋はいった。
「道士どののお名前を承りたく存じます。またお処は」
「姓は二字姓で公孫《こうそん》、名は一字名で勝《しよう》、道号は一清《いつせい》先生といって、生まれは薊《けい》州です。幼年の頃から田舎で槍棒をたしなみ、諸般の武芸をこなしますので、公孫勝大郎《こうそんしようたいろう》とよばれており、また一派の道術にも通していて、風を起こし雨をよび霧にまたがり雲にのぼることもできますゆえ、世間には入雲竜《にゆううんりゆう》の名で通っております。以前から〓城県東渓村の晁保正どのというお名前はうかがっておりながら、ご縁がなくてお目にかかれずにおりましたが、このたび、お近づきのしるしまでに十万貫の金銀財宝をおとどけにまいりました。お受けしていただけますでしょうか」
晁蓋は大いに笑って、
「道士どののおっしゃるのは、北方の誕生日祝いの品でござろう」
道士はあっとおどろいて、
「保正どのはどうしてそれをご存じで」
「いや、あてずっぽうです。しかし、あたりましたな」
「この一山《ひとやま》の財宝は、見すごしてはなりませんぞ。古人もいうとおり、取るべきを取らずして後に悔いるなかれです。保正どのはこれをいかにお考えで」
ちょうどそこへひとりの者が飛びこんできて、公孫勝の胸倉をがっしりとつかまえ、
「よし。この世には王法ありあの世には神霊あり。よくもそんなことをたくらんだな。すっかり聞いたぞ」
公孫勝はおどろきのあまり、顔青ざめて土色となる。まさしく、機謀いまだ着手せざるに、いかんせん窓外に人の聞くあり、計策わずかに施せるに、はやくも蕭牆《しようそう》より禍いおこる、というところ。いったいそこへ飛びこんできて公孫勝をつかまえた者は何者であったか。それは次回で。
注(青い文字をクリックすると本文に戻る)
一 儀式 原文は焼紙。儀式のときに銭型の紙などを焼くことをいう。
二 紙銭・紙馬 紙銭は第二回注八参照。紙馬は五色の紙に神仏の像などを刷ったもの(これを甲馬という)、または張子《はりこ》でさまざまなものの型を作ったもので、紙銭と同じくこれを神前に供えて焼く。
三 供え物を下げて 原文は散福。神前に供えたものをさげて食べることをいう。
水滸伝 第一巻 了
水滸伝《すいこでん》(一)
講談社電子文庫版PC
施耐庵《したいあん》/駒田信二《こまだしんじ》訳
(C) Setsu Komada 1984
二〇〇二年二月八日発行(デコ)
発行者 野間省伸
発行所 株式会社 講談社
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〒112-8001
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