やってきたよ、ドルイドさん!
著者 志瑞祐/イラスト 絶叫
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)誓約《ゲッシュ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)高級|布団《ふとん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)オオカミ[#「オオカミ」に傍点]
○:伏せ字
(例)クマの○ーさん
-------------------------------------------------------
[#挿絵(img/_DRUID_001.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_002.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_003.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_004.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_005.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_006.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_007.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_008.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_009.jpg)入る]
[#挿絵(img/_DRUID_010.jpg)入る]
第一話 やってきたよ、ドルイドさん!
あたし、白川《しらかわ》夏穂《かほ》は走っていた。
弟が起こしてくれなかったせいで二度目の睡眠を満喫《まんきつ》してしまったのだ。
「ひほふ、ひほふ〜っ!」
少女漫画のヒロインよろしく食パンをくわえての全力疾走、こういうときは無意味に記録を更新したくなる。足首のスナップを効《き》かせてクイックターン、歩道橋を二段とばしで駆け上がり、校門へ続く直線でラストスパート――
突然、横道からクマが飛びだしてきた。
「クマーッ!?」
◆◇◆
私立|森野《もりの》学園。
そこは東京都のはずれ、多摩《たま》の山奥に広大な敷地を持つ共学の中学校である。
薔薇《ばら》のアーチのついた正門をくぐり、噴水前の女神像に挨拶《あいさつ》してイチョウの並木道を抜ければ――目の前にひろがるのは山の大自然に囲まれたグラウンド。そしてその奥には、背の高い赤レンガの時計塔と、瀟洒《しょうしゃ》な造りをした三階建ての木造校舎が二棟、山の斜面に沿って並び建っている。
――と、こう書くと、なんとなく良家のお嬢様の通《かよ》うハイソでニーソな学校をイメージされるかもしれないが、事実はさにあらず。あたりには行列のできるドーナツ屋さんやお洒落《しゃれ》なカフェはおろか、三キロ離れた駅前の森野《もりの》商店街まではファミレスやカラオケボックスさえ存在しない、よーするに、ただのド田舎《いなか》中学校なのである。
半開きの窓から秋の穏《おだ》やかな陽《ひ》が射《さ》し込《こ》んでいる。
朝のホームルーム。あたしは机に突っ伏していた。
「どしたー、あの日かー?」
と、朝っぱらから品のない声をかけてきたのはクラスメートの雪那《ゆきな》知子《ともこ》。眼鏡《めがね》の似合うクールな才媛《さいえん》だ。
あたしは顔を上げ、涙目で、今朝《けさ》の不幸なできごとを語った。
「あのね、目覚ましはちゃんと鳴ったの。でも聡史《さとし》のやつが起こしてくれるからまあいいやーって、もっかい寝たら八時十五分だったの」
「うん、あんたが悪いね」
雪那知子は容赦《ようしゃ》がない。
「ううっ……」
「で、その鼻の傷は?」
「それが語るも涙の話なのさ」
あたしは真っ赤に腫《は》れた鼻をさすりながら訴《うった》えた。
そう、校門まではあと五十メートルほどだったと思う。その影が飛び出してきたとき、正直、あたしの胸はときめいた。遅刻しそうなヒロインが食パンをくわえたまま走っていて、偶然、カッコイイ男の子とぶつかってしまうシチュエーション。それであたしが「いてて……」とお尻《しり》をさすりながら起き上がろうとすると、男の子は「あっ、ごめんなさい!」とか言って走り去っていく。で、学校で、今朝のあの子ちょっとかっこよかったなー、なんてほわほわしてると担任の先生が入ってきて「あー、今朝は転校生を紹介するぞー」なんて言って、
「あー、今朝は転校生を紹介するぞー」
ガシャン!
あたしは椅子《いす》からずっこけた。
「どうした白川《しらかわ》君?」
顔を上げると、担任のバーコード吉野《よしの》がいつのまにか教壇《きょうだん》に立っていた。
「いえ、だいじょーぶっス……」
あたしは腰をさすりながら起き上がる。
……まったく、吉野《よしの》が来てるなら教えてくれればよかったのに。恨《うら》めしや、と教室を見まわすと、雪那《ゆきな》のやつはちゃっかり机に戻っていた。この薄情者《はくじょうもの》め。
コホン、と吉野が咳払《せきばら》いした。
「あー、よろしい。ではさっそく転校生を紹介するぞ。ホリン君、入ってきたまえ」
吉野は教室のドアに向かって手まねきした。
その生徒が入ってきた瞬間――
二年C組の教室はしん、と静まりかえった。
「…………」
朝陽《あさひ》に煌《きらめ》くプラチナブロンドの髪。
やわらかな睫毛《まつげ》に縁取《ふちど》られた、透明な、アイスブルーの瞳《ひとみ》。
ほっそりとした柳眉《りゅうび》に、ほのかに血の差した薄桃色の唇。
そして透き通るような白い膚《はだ》。
――それは、ベージュ色の制服に身を包んだ、掛け値なしの超絶美少女だったのだ。
「…………」
全員が、ただ絶句している。
圧倒的な存在感だった。
「ホリン・シャレイリアです。よろしく」
転校生がぺこり、とおじぎした。
瞬間。
「うっ――、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
クラスの男子どもが歓喜の雄叫《おたけ》びを上げたのはいうまでもない。
「うおーっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
まるで地響きだ。教室中の窓がビリビリ震《ふる》えている。椅子《いす》に立ち上がって叫ぶ者、机ををドンドン叩《たた》く者、即席の紙鉄砲を作って鳴らす者……
「うぉう、うぉう、うぉーう!」
「うぉう、うぉう、うぉーう!」[#「「うぉう、うぉう、うぉーう!」」は太字]
男子どもの歓声はいつまでたっても鳴りやまない。おいおい、いくらなんでも喜びすぎじゃない? なんかだんだん腹が立ってきた。
「うぉう、うぉう、うぉーう!」
「うぉう、うぉう、うぉーう!」[#「「うぉう、うぉう、うぉーう!」」は太字]
あー、やだやだ。男子ってみんなバカばっか。ちょっと可愛《かわい》い娘《こ》だからってガキみたいにはしゃいじゃって。しょせん男子って生き物はみんな野獣なのだ。オオカミなのだ。
「うぉーう、うぉーう、わうぉうぉうぉーん!」[#「「うぉーう、うぉーう、わうぉうぉうぉーん!」」は太字]
「ってオオカミ[#「オオカミ」に傍点]!」
あたしは椅子《いす》からのけぞった。
ぞろぞろぞろ。
ぞろぞろぞろぞろぞろぞろ。
「…………」
それはオオカミだった。まさしくオオカミの群れだった。
教室のドアから続々と、巨大な灰色オオカミたちが入ってくる。
……いや。オオカミだけじゃない。シカにイタチにコヨーテに、タカにワシにフクロウに、ヘビにワニに、ライオン、クマ、トラ、サイ、バッファロー……
「…………」
突然のムツゴロウ王国の出現に、誰《だれ》もが言葉を失った。
担任の吉野《よしの》はというと、ただ口をぽかんと開けて突っ立っている。
ええい、頼りにならない担任だ。しかたない、ここはいちおう委員長のあたしがなんとかしなくては。あたしはつかつか教壇《きょうだん》のほうへ歩いてゆき、謎《なぞ》の美少女転校生に向かってびしっと指を突きつけた。
「えっと、ホリンさん、でしたっけ?」
「シャレイリアでいい」
彼女は小首をかしげてそう言った。舌ったらずな、ちょっとくせのあるアクセント。そのしぐさも声も、みょーに色っぽくて、なんだか女のあたしまでドキドキしてしまう。
ううっ、悔《くや》しいけど、めちゃくちゃ可愛《かわい》い。うなじのとこなんてほんとに白くて細くて、なんか学ランとか着せてみてえ――ってそーじゃなくて!
あたしは我に返って問い詰める。
「シャレイリアさんっ、いったいなんなんですか、この野生の王国は!」
すると彼女はきょとん、とした顔で、
「仲間だ」
と、一言。
「仲間?」
「ああ、この者たちは私の仲間だ。家族であり、大切な親友だ」
彼女は、まっすぐな目であたしを見つめて言った。
「仲間……」
あたしは絶句した。頭をガツンと殴られたような衝撃だった。
仲間。
家族。
親友。
そんな、聞いてるこっちのほうがくすぐったくなってくるような気恥ずかしい言葉を、いまどき、こんなふうにまっすぐ口にできるやつがいるなんて。
すさんだ現代社会の中で失われてしまった心の絆《きずな》。仲間を思いやる気持ち。
それをあたしは、ただ「動物だから」っていうだけの理由で断ち切ろうとしていたのだ。
なんて心の狭いやつだろう。自分で自分が嫌になる。動物が教室にいたっていいじゃない、一緒に授業を受けたっていいじゃない。
だって、こいつらは『仲間』なんだから――
「って、んなわけあるかあああっ!」
あたしは大声で叫んでいた。
「む?」
「学校は、動物園じゃないの! ペットは連れてきちゃだめなの!」
「ペットではない。仲間だ!」
シャレイリアはムッと頬《ほお》をふくらませた。
くっ、怒った顔も反則的に可愛《かわい》い。
負けないぞ。
「仲間でも、動物は動物です!」
「動物でも、仲間は仲間だ!」
「……」
「……」
数秒間、あたしたちはじいーっと睨《にら》みあった。
「あー、白川《しらかわ》君?」
と、膠着《こうちゃく》状態を解いたのは、意外にも、それまでぼんやりと突っ立っていただけのバーコード吉野《よしの》だった。
「はい?」
あたしがキッと振り向くと、吉野は小声で耳打ちするように顔を近づけ、
「ホリン君は、アイルランドからの帰国子女なのだ」
「はあ」
それがなにか? と眉《まゆ》をひそめるあたし。
「だから、日本の常識というものがあまりわかっておらんのだよ」
「これは常識とか以前の問題だと思いますけど……」
めぐらした視線の先には、黒板の前にずらりと並んだ動物たち。教室に入りきらず、外の廊下にまで長い列をつくっている。
「うむ。じつは彼女は、由緒《ゆいしょ》正しきドルイドの一族らしくてな」
「ドルイド?」
「いや、じつは私もよく知らんのだが……」
「はあ?」
あたしが「なにそれ?」という顔を向けると、吉野《よしの》は開きなおったように胸を張り、
「とにかく、だ。彼女の転入は、他ならぬ理事長がお決めになったことなのだ。定年の近い私としては、ここであまりことを荒立《あらだ》てて欲しくないのだよ」
うわ。権力に弱い人だ。
まあ、正直といえば正直だけど。
「だからって、このムツゴロウ王国を放置するっていうんですか?」
「うーむ、それはたしかに……」
あたしと吉野は揃《そろ》ってシャレイリアのほうに向きなおる。
彼女は――
「うっ……」
あたしはうめいた。
シャレイリアは、背後の動物たちを庇《かば》うように、両手をひろげて立っていた。
唇を噛《か》み締《し》め、あたしのほうをキッと睨《にら》みつけている。
澄《す》んだアイスブルーの瞳《ひとみ》に、かすかに涙がたまっていた。
「……」
ずるいよ。それはずるい。あんたにそんな目をされたら誰《だれ》だって降参だ。
立ちはだかる彼女の背後には「グルル……」とうめく動物たちのつぶらな瞳。トラが、クマが、オオカミが、訴《うった》えるようにあたしの目を見つめてくる(……あ、よく見たらこのクマ、今朝《けさ》あたしにベアクロー放《はな》ってきたやつだ。ま、いいけど)。
それに――
『この者たちは私の仲間だ。家族であり、大切な親友だ』
さっきの彼女の言葉が脳裏《のうり》によみがえる。あんなにまっすぐに――一点の曇《くも》りもなく放たれた言葉を、あたしは、これまでの人生で聞いたことがない。
こいつらはきっと、あたしたちなんかが想像もつかないくらい固い絆《きずな》で結ばれているんだろう。そして規則とか常識ってやつのためにその絆を断てるほど、あたしはクールになりきれない。なによりあたしはこの娘《こ》を泣かせたくない。
あたしは、ふう、とため息をつくと一言、
「わかった」
と言った。
「えええええええええええええええーっ!」
教室中がどよめいた。そりゃそーだ。
だが、
「シャラップ! これは委員長の決定です!」
あたしはきっぱりと宣言する。
「せ、先生っ、本当にいいんですか?」
女子のひとりが手をあげて、バーコード吉野《よしの》に抗議した。
吉野はうーむとうなって腕を組み、
「あー、うむ、自然と触《ふ》れあうのはいいことだ。情操《じょうそう》教育ってやつだな」
と、ナイスなフォローをしてくれた。
シャレイリアは瞳《ひとみ》に涙を浮かべたまま、きょとん、としている。
「ほら、もっと喜びなさいよね」
あたしは照れ隠しにそう言った。
「……本当か? 本当に、この者たちを連れてきてもいいのか?」
シャレイリアの口調《くちょう》がぱっと明るくなる。
「ええ。ただし、授業中は教室に入れないこと。糞《ふん》の始末はちゃんとすること。それから、絶対に人を襲《おそ》わせないようにすること。これだけは守ってよね」
「ああ。かたじけない」
[#挿絵(img/DRUID_015.jpg)入る]
うなずいて、シャレイリアはちょっとはにかんだように笑った。
うあー、ヤバイ。これはクリティカルだ。
「んと、それじゃ」
あたしはどぎまぎしながら手を差し出した。
「あらためまして、森野《もりの》学園へようこそ!」
「ああ。よろしく」
あたしたちは、がっちりと固い握手を交わし合った。握った手のやわらかい感触に、思わずドキッとしてしまう。
雪那《ゆきな》が肩をすくめ、「夏穂《かほ》らしいじゃん」とつぶやいた。
「うぉう、うぉう、うぉーう!」
「うぉーう、うぉーう、わうぉうぉうぉーん!」[#「「うぉーう、うぉーう、わうぉうぉうぉーん!」」は太字]
男子どもの合唱にあわせてオオカミたちが歓喜の咆哮《ほうこう》を上げた。リスが踊り、モモンガが飛び交い、クジャクが駆けまわって教室中に虹色《にじいろ》の羽根をばらまいた。校門前であたしとぶつかったあのクマが、吉野《よしの》をぎゅっとハグして、あっ、折れる、折れるよ――
◆◇◆
謎《なぞ》の美少女ドルイド、ホリン・シャレイリアが転校してきてからわずか五分。
あたしたちの日常は大きく変わっていた。
名作『なぞの転校生』や『六番目の小夜子《さよこ》』の例を挙げるまでもなく、古今の昔より、謎の転校生というのは総じて美形で(っていうか超のつく美少女だ)、神秘的で(まあいろいろと謎ではある)、ちょっと危険な匂《にお》いのする(たしかに獣《けもの》の匂いはする)存在だ。
だが、謎の転校生のもっともきわだった特徴である、学校に混乱をもたらすという点において、我らがホリン・シャレイリア嬢に匹敵《ひってき》する者はちょっといないだろう。
なにしろ彼女はドルイドなのだ。
ドルイドというのは、いまから二千年以上も昔に、ガリアやブリタニアで繁栄《はんえい》していた古代ケルト民族の祭司《さいし》のことで、自然を愛し、森の木々や動物たちと共生する人々だ。祭司であり、政治家であり、魔術師でもあった彼らは、古代ケルト社会において絶大な権力を持っていたという。一説によると、あの『アーサー王伝説』に登場する魔術師マーリンも高位のドルイドだったとか――って、これはぜんぶ博識《はくしき》な雪那の受け売りだけど。
「……」
あたしはぼんやりと窓の外を見やった。
校庭は、シャレイリアの仲間たちに占拠《せんきょ》されていた。
動物を学校に連れてくることは認めたものの、さすがに、教室で一緒に授業を受けさせるわけにはいかない。だから校庭へやったのだが――
「うぉうっ! うぉうっ、うぉうっ!」
シベリアンハスキーよりひとまわりも大きい灰色オオカミの群れがグラウンドを元気に走りまわっている光景なんて、そうそう見られるもんじゃない。
えーと、体育の村岡《むらおか》先生がお尻噛《しりか》まれてるみたいなんですけど。いーのか、あれ?
シャレイリアに言わせると、
「ただジャレているだけだ」
ということだから、まあ、心配はないのだろうが……
「いでーっ! 尻がっ、尻肉が喰われるー!」
彼方《かなた》から聞こえてくる絶叫。
「……」
気にしないことにする。
――というわけで休み時間。超絶美少女シャレイリアの周りには、じつに頭の悪そうな男子どもが、真夏のミルクキャンデーにへばりつくアリのごとく群《むら》がっていた。
ちなみに、あたしのすぐ前の席だ。
「ね、ね、彼氏いるの彼氏?」
「マジ可愛《かわい》くね? マジでマジで」
「どっからきたの?」
「こんどお茶しない?」
「好きな食べ物は?」
「お風呂《ふろ》入るときどっから洗うの?」
「今日のパンツの柄《がら》はー?」
男子どもの遠慮のない質問攻めに困惑しながらも、彼女はてきぱきと誠実に答えていた。
「婚約者がいる」「そうか」「アルスターだ」「断る」「ドングリ」「二の腕」「クマだ」
ただ、
「ホリンちゃんって帰国子女なんでしょ、やっぱ英語はぺらぺらなの?」
と訊《き》かれたときは、ややまなじりを吊《つ》り上げて、
「ジョンブルの言葉など覚えたくもない」
と、一言。
なんだか剣呑《けんのん》な感じだが、ひとまず気にしないことにする。
さて、そろそろ助けてあげるかな。
「はいはいそこまで。シャレイリアが困ってるでしょ、散った散った」
あたしは立ち上がり、彼女に群がるアリどもをしっしっと追い払う。
するとシャレイリアは「ほう」と驚きの声を上げ、
「夏穂《かほ》、ひょっとして、おまえはこの集団の長老なのか?」
「長老?……んー、まあ、いちおう学級委員長ではあるけれど」
「そうか。私はてっきり吉野《よしの》が長老だと思っていたのだ。これは礼を失《しつ》した。どうか我が一族からの贈り物を受けとって欲しい」
そう言うと、彼女は通学鞄《つうがくかばん》から小さなまるい石を取り出した。
なめらかな表面に、赤いぐるぐるマークが描《えが》かれている。
「あ、ありがと……」
いちおう、お礼は言っておく。
「……えっと、文鎮《ぶんちん》?」
「違う。ドルイドの護符《ごふ》だ。この石には強力な魔力が込められている」
「へえ、どんな効果があるの?」
あたしはちょっとだけ期待した。
もしかして、恋に効《き》くパワーストーンとか?
「便秘が治る」
「……」
ありがたく使わせていただきます。
休み時間が終わり、授業がはじまった。
どの教科でも、シャレイリアはノートを一切とろうとしなかった。不真面目《ふまじめ》なわけではない。ドルイドには文字を記述する文化がないため、あらゆる物事を暗記してしまうのだ。
じっさい彼女の記憶力はすさまじく、授業の内容はもちろん、教師の言ったダジャレや生徒の質問まで、四十五分間ぶっ通しで正確に再現することができた。
「私の祖父《そふ》は、我が一族の歴史を二週間にわたって暗唱したことがある」
シャレイリアは誇《ほこ》らしげにそう言った。
「十日目には脱水症状であやうく死にかけていたが」
「なぜそこまで……」
ドルイド一族おそるべしである。ともあれ、彼女の記憶力はたしかに便利なので、ノートをとり忘れた生徒たちからはたいそう重宝されているようだった。
また、彼女のドルイドとしての能力は、教師に当てられたときにも力を発揮した。
「ホリンさん、ここの計算はどうなりますか?」
と、数学の教師が訊《き》くと、
「む……」
シャレイリアはじっと考えこむように腕を組み、窓の外に目をやった。
「大丈夫?」
あたしが小声で助け舟を出そうとすると、
「心配は無用だ。我が一族には〈森の知恵〉がある」
「森の知恵?」
首をかしげつつ、彼女の視線の先に目をやると、遠くの電柱に一羽のフクロウがとまり、なにやら複雑なブロックサインを出していた。
「わかった。答えは二百八十六だ」
「はい正解」
って、なにが森の知恵だ。
だいたいあのフクロウ、先生の教科書|覗《のぞ》き見てるだけだし。
「森の知恵禁止」
「むう……」
と、まあ、そんな感じで授業はさくさく進み――
とうとうお昼休みになった。
あたしたちはなぜ、お弁当という言葉にこんなにも胸ときめいてしまうのだろう。
「お弁当♪ お弁当♪」
ゾクゾクしながらふたを開けると、失われたアークのごときまばゆい光に包まれて、その中身が姿をあらわした。
ぴしっと敷《し》き詰《つ》められたまっ白いご飯。大豆《だいず》とひじきの煮物。残りもののソーストンカツに、ふっくら甘いだしまきたまご。おまけにこんにゃくゼリーまでついている。
うんうん、聡史《さとし》ったらよくわかってるじゃない。我が弟ながらあっぱれなやつ。
シャレイリアからもらったパワーストーンのおかげか、お腹《なか》の調子もばっちりだ。
「だっしまき♪ だっしまき♪」
よろこび勇《いさ》んで箸《はし》を突きたてようとした、そのとき、
じぃ〜っ。
と、ものすごく強烈な視線を感じた。
すぐ前方から。
「……えっと、シャレイリア、お弁当は?」
「うむ、教室にナッツが落ちていないか探したのだが見つからなかった」
「ふつー落ちてないよ」
「そうなのか。あきらめて美術室の隅《すみ》に生《は》えていたキノコらしきものを採《と》ってきたのだが、これはどうにも――」
「ちょ、ちょっと待った!」
あたしはあわてて口をはさんだ。「まったくもー」とぼやきながら、裏がえしたお弁当のふたに、ご飯とおかずを盛りつける。
「む?」
「あたしのお弁当、半分あげるから食べなさい」
するとシャレイリアはちょっと赤くなって、
「いい。申し出はありがたいが、今日は我慢する」
「我慢ってあんた……だめ。だめだめ。委員長命令です、食べなさい」
「いや、食料が確保できなかったのは私自身の責任で――」
ぐう。
「……」
「……」
気まずい沈黙。
「私のもあげるね」
隣の雪那《ゆきな》が焼きタラコをひょいとのせた。
シャレイリアは真っ赤になってうつむいて、
「かたじけない」
と、小さな声でつぶやいた。
ほぐ。
ほぐほぐほぐ。ほぐほぐほぐ。
ふたにくっついたご飯を手掴《てづか》みでほおばりはじめるシャレイリア。つめこみすぎで、ほっぺたがリスみたいになっている。
あーあ。口のまわり、ご飯粒くっつけまくってるし。
しょーがないなあ、とティッシュでとってやろうとすると、
「これほど美味なものは口にしたことがない」
彼女はぽつりとつぶやいた。
「あ、ほんと?」
「ああ。故郷の森では、もっぱら木の樹液《じゅえき》を舐《な》めて餓《う》えをしのいでいたものだ」
遠い目をして、しみじみとつぶやくシャレイリア。
あんたはカブトムシか。
「ごちそうといえば、ミツバチと格闘して手に入れる蜂蜜《はちみつ》だった」
クマの○ーさんか!
つっこみながら、思わず、穴につっかえてじたばたしているシャレイリアの姿を想像してしまった。
可愛《かわい》いなあ。
と、あたしがそんなつかの間の妄想に浸《ひた》っていると、
「そーいえば、シャレイリアって、なんの係になるのかもう決めた?」
雪那《ゆきな》が思い出したように言った。
あ、そうか。係決めのことがあったんだ。
シャレイリアはきょとん、とした顔でこっちを見つめている。
「あのね、うちの学校じゃ、生徒はなにかの係につかなきゃならないの。新聞係とか、図書係とか、そういうの。シャレイリアは、なにかやりたいことってある?」
あたしが訊《き》くと、彼女はちょっと考えて、
「……」
ぶんぶん首をふった。
そりゃそーか。やりたいことっていったって、どんな係があるのかも、どんな仕事をするのかもわからないんだもんな。
うーん、なにかドルイドの経験を生かせる仕事って……
と、そのとき、
「ぎゃーっ! 弁当がっ、俺《おれ》の弁当が喰《く》われるー!」
グラウンドのほうからあられもない悲鳴が聞こえてきた。どーやら、シャレイリアの連れてきた動物たちが、体育の村岡《むらおか》先生のお弁当を狙《ねら》っているらしい。
「「あ」」
あたしと雪那の声がハモった。
ふたり同時にシャレイリアを指さして、
「「飼育係。決定」」
◆◇◆
――というわけで、お昼休みにシャレイリアをウサギ小屋へと案内した。
彼女は先端に〈ヤドリギ〉のついた無骨《ぶこつ》な木の杖《つえ》を持ってきていた。なんでも、ドルイドが動物たちと絆《きずな》を結ぶのに必要なものらしい。
校舎の裏手にある小屋の周りには、背の高い雑草が青々と生《お》い茂《しげ》っていた。少なくとも半年かそれ以上、ほったらかしにされているようだ。
その理由はというと、
「えー、飼育係の主《おも》な仕事は、ウサギ小屋とニワトリ小屋の掃除です。くれぐれも気をつけてね」
「気をつける?」
シャレイリアは訊き返した。
「甘く見ないほうがいいってこと。飼育係は並の生徒には務《つと》まらないんだから」
「む、そういうものなのか?」
「少なくとも、うちの学校じゃ、そう。だから『あたし動物が好きなんですっ』なんて甘っちょろい理由で飼育係になった生徒は、たいてい三日も持たずに脱落するの。ウサギ小屋の中で特に注意が必要なのは白ウサギのポグ太とハグ吉。精鋭の飼育係を何人も病院送りにしてる古強者《ふるつわもの》よ。ニワトリ小屋の連中にいたっては、正直、よくわかんない。小屋の半径五メートル以内に侵入できた生徒は誰《だれ》もいないって話だし――」
あたしは肩をすくめて言った。
「どうする? やめる?」
「いや、問題ない。おまえたち文明人は動物との交感が下手《へた》なのだ。こちらが心を開き、自然をあるがままに受け入れさえすれば、彼らは必ず心を開いてくれる」
「……はあ。そういうもの?」
「そういうものだ。森の民であるドルイドにとって、すべての動物は友人なのだ」
うなずいたシャレイリアのまなざしは、とても優しかった。
「じゃあカメは?」
「もちろん友人だ」
「トカゲは?」
「大切な友人だ」
「ダンゴムシは?」
「友人だ」
「ナメクジは?」
「虫だ」
あ、そこなんだ境界線。いや、たんなる好き嫌いじゃないかという気もするけれど。
ま、それはおいといて。
「それじゃ、本場のドルイドのお手並み拝見といきますか」
あたしたちは鬱蒼《うっそう》と茂《しげ》る雑木林《ぞうきばやし》の中へ足を踏み入れた。
――五分後。
「ほー、さすがですなあ」
あたしは感嘆のため息をついていた。
正直、あまりのあっけなさに拍子抜けしてしまった。
凶暴だ凶悪だとあれほど噂《うわさ》されていたはずのウサギたちは、入ってきたシャレイリアの姿を見るなり、いきなり全面降伏してしまったのだ。
彼女の腕に優しく抱かれ、すっかりリラックスしているウサギたち。ポグ太とハグ吉なんて膝《ひざ》まくらの上ですやすや眠っている。
可愛《かわい》いなあ。いや、ウサギじゃなくてウサギを抱いてるシャレイリアが。
「言っただろう。こちらが心を開けば、彼らも必ず心を開いてくれると」
「そうみたいだね」
あたしは床を掃《は》きながらうなずいた。
掃除は十分ほどで片づいた。正直、もっとひどい状態を想像していたのだが、糞《ふん》などはほとんど落ちておらず、小屋の中は思いの他|綺麗《きれい》だった。半年以上も放置されているあいだこのウサギたちがなにを食べていたのか非常に気になるところだが、なんとなく、考えるのが怖いよーな気もする。
「さて、と。次はニワトリ小屋だね。早くしないと昼休み終わっちゃうよ」
あたしが箒《ほうき》を立てかけながら言うと、
「ああ」
シャレイリアは、ちょっとなごり惜しそうに立ち上がった。
古来より、ニワトリという生物は『最強』の象徴であった。
西根《にしね》家《け》のヒヨちゃんしかり。
怪鳥バードンしかり。
エクスカリバーより強いチキンナイフしかり。
その伝統は、ここ森野《もりの》学園においても変わらない。
ニワトリ小屋には、チキン四天王と呼ばれる四羽の白色レグホンがいるという。
すなわち、
魔風の殺戮鳥《さつりくちょう》〈ロードランナー〉
天駆《あまか》ける参謀《さんぼう》〈コーメイ〉
狂鳥《きょうちょう》〈カリギュラ〉
そして、ウ○チのついた足で蹴《け》ってくる鳥〈ジャッキー〉である。
……なんか最後のやつだけ微妙にかわいそーな扱いだが、四天王の中で最も恐ろしい攻撃をしてくるのがこいつであろうことは想像に難《かた》くない。
「……」
あたしたちはニワトリ小屋の前に立っていた。小屋の壁面には、ファンシーなお花畑で戯《たわむ》れる女の子の絵がパステルなタッチで描《えが》かれていて、いわくいい難《がた》い、異様な雰囲気《ふんいき》を醸《かも》し出している。
「なんか、怖い……」
あたしはシャレイリアの袖《そで》をぎゅっと掴《つか》んだ。
「夏穂《かほ》、心配することはない。私はドルイドだ」
「う、うん……」
シャレイリアはあたしを庇《かば》うように前に立ち、ゆっくりと、杖《つえ》の先で小屋の扉を押し開けた。
ギギィーッ……
錆《さ》びた蝶番《ちょうつがい》の軋《きし》む音。
「……っ!?」
そして、あたしは息を呑《の》む――
暗闇《くらやみ》の中に「キュピーン!」と閃《ひらめ》く、無数の赤い眼光。
……しまった、待ち伏せされてたんだ!
まさに飛んで火に入るなんとやら。殺気立ったニワトリどもが、みすみすテリトリーに踏み込んできた獲物を屠《ほふ》らんといっせいに羽ばたこうとした、その刹那《せつな》――
「待て!」
凛《りん》、とした声が空気を震《ふる》わせた。
……!
ニワトリたちの動きがぴたりと止まる。
シャレイリアの言葉に反応したから、というわけでもないだろう。ただ、彼女の放《はな》つ気迫に圧倒されたのだ。
「私たちは森の仲間ではないか。なぜ傷つけあう必要がある?」
ゆっくりと両手を広げながら、穏《おだ》やかに、歌うように語りかけるシャレイリア。ほんとうに綺麗《きれい》な声だ。
殺気立っていたニワトリたちも羽をたたみ、じっと彼女の言葉に聞き入っている。
「私たちもまた自然の一部なのだ。そしておまえたちはコケッケ、ケッケケーッ!」
うわ。いきなりニワトリ語になった。
いまのはちょっと怖かったぞ。
「コケッ、コケケッケッケー」
「コケッ、コケーッ、コケッケー」
「ケッ、コケケケケッコケー」
……返事が返ってきている、ということは、どうやら会話は成立しているらしい。
「なんて言ってるの?」
あたしは訊《き》いた。
「コケッケッー」
「そーじゃなくて!」
「コッ、コケ? ……ああ、すまない。夏穂《かほ》はニワトリ語を喋《しゃべ》れないのだったな」
あんましいないぞ。ニワトリ語に堪能《たんのう》な女子中学生なんて。
「で、なんて?」
あたしはふたたび訊いた。
するとシャレイリアはふっと哀《かな》しげな目をして、
「うむ、『ファッキンジャップくらいわかるよ馬鹿《ばか》野郎』だそうだ」
「……」
あのー、思いっきり交渉決裂してる気がするんですけど。
「ちょっと、シャレイリ――」
言いかけたそのとき。
ヒュッ、と一陣の風が頬《ほお》を撫《な》でた。
「――!?」
疾《はや》い。
将棋部エースのあたしがまったく反応できなかった。
この機動力――おそらくは、魔風の殺戮鳥《さつりくちょう》ロードランナーだろう。
背筋にゾッと悪寒《おかん》が走る。
立ち尽くしたまま、ふと、横目でシャレイリアのほうを見やると、
彼女の頬に、すうっと赤い線がひと筋《すじ》。
血だ。
「……」
最初、シャレイリアはなにが起きたか理解できずに、きょとん、としていた。
ゆっくりと、震《ふる》える手で頬に触《ふ》れ、初めて、それが血であることに気づいたようだった。
首飾りの紐《ひも》が切れ、ペンダントが草むらに転がった。
あたしはなにも言えなかった。
見開いた彼女の蒼《あお》い瞳《ひとみ》が、あまりに哀しくて。
森を守り、自然と共に生きるドルイドにとって、動物に傷つけられるということが、どれほどショックなことか。
それはきっと、心をナイフでえぐられるような痛み。
信頼していた友だちに裏切られる痛みだ。
「シャレイリア……」
あたしが彼女の肩に手をのせようとした、そのとき――
「……面白い」
シャレイリアが、ぽつりとつぶやいた。
「へ?」
いま、なんて言った?
面白い[#「面白い」に傍点]?
「森の司《つかさ》たるドルイドに、鳥獣《ちょうじゅう》ふぜいが手向かおうとはな……」
「……あのー、シャレイリア……さん?」
肩を震《ふる》わせる彼女の背後から、あたしはおそるおそる声をかける。
なんか、ものすごく、いやーな予感がするんですけど。
「……少々、罰を与えてやらねばなるまい」
ゆっくりと、シャレイリアがうつむいた顔を上げた。
その目はゾッとするほど冷たかった。っていうか赤かった。真紅《しんく》だった。
どええええええっ!
まて、まて、それって、すでに人間じゃなくない?
引きまくっているあたしをよそに、シャレイリアは低い声でぶつぶつと、なにか呪文《じゅもん》のような言葉をつぶやきはじめる。
「……クー・ケテール・マルカ・キレ・ラムカ……トゥアハ・デ・ダナーンの旧《ふる》き神々よ、豊穣《ほうじょう》の神ダヌよ、我が誓願《せいがん》を聞きたまえ! 汝《なんじ》の敵は我の敵、我の敵は森の敵、我が敵を縛《いまし》めんため、いま、この不毛の地に新たな生命を芽吹《めぶ》かせよ!」
彼女がその言葉を放《はな》った瞬間――
信じられないことが起こった。
しゅばっ、しゅばしゅばっ、しゅばばばばばばばっ!
あたりの雑木林《ぞうきばやし》から無数の鞭《むち》のようなつる草が飛び出して、ニワトリ小屋へ向かっていっせいに襲《おそ》いかかったのだ!
「なっ……!?」
さすがドルイド、なんか魔術チックなものまで使いはじめたぞ――って、もうつっこむのもめんどくさくなってきた。
つる草の鞭は、小屋から飛び出してきたニワトリたちの首や足にしゅるしゅると絡みつき、その動きをことごとく封じていく。
おおっ、すごいぞ草っ――って、なんかあたしにも絡みついてるし!
しゅるしゅるしゅるしゅるっ!
うひいいいっ、き、気持ち悪いいいっ――あ、くすぐったい、んっ、ちょっ、そこはっ、あっ、ダメっ、ダメダメッ、まずいっ、このままでは十八禁な展開に!
「ちょっと、シャレイリア!」
叫ぶ。
が、あたしの声は届いていなかった。
シャレイリアは、チキン四天王の猛攻を受けていたのだ。
その四羽は、他のニワトリたちとはレベルが違った。どのくらい違うかというと『それは余のメラじゃ』ってくらい違った。その圧倒的な機動力の前に、つる草の鞭なんてまったく追いつかない。
「コケーッ!」
と、なんともコケティッシュな雄叫《おたけ》びを上げながら四天王が散開する。
天駆《あまか》ける参謀《さんぼう》コーメイの指揮のもと、やたらタクティカルに動く四羽のニワトリたち。
ロードランナーが攪乱《かくらん》し、カリギュラが攻撃する。そしてシャレイリアがひるんだ隙《すき》にジャッキーが傷口にウ○チを塗りつける。
なんと恐ろしい連携《れんけい》攻撃!
「おのれっ、鳥がっ!」
シャレイリアも杖《つえ》を片手によくしのいでいるが、やはり接近戦では分が悪い。
「シャレイリア!」
「大丈夫だ。夏穂《かほ》、いま助けにいく――」
……いや、あたしが困ってるのは主《おも》にあんたの魔術のせーなんですけど。
「……クー・ダナーン・ケテス・キレ・ラムカ……大地と森の力を授《さず》かりし、勇猛なる我がしもべらよ! 戦神ヌアダの名の下に、いまこそ大いなる戦の場に集《つど》え!」
シャレイリアが、ふたたび呪文《じゅもん》の言葉っぽいものを解き放《はな》った、次の瞬間――
ドドドッ、ドドドッ、ドドドッ、ドドドドドドドドドドッ……
どこからか、低い地鳴りのような音が響いてくる。
「……な、なに!?」
つる草に絡みつかれたまま振り返ったあたしは――絶句した。
[#挿絵(img/DRUID_039.jpg)入る]
「シギャアアアッ!」
「グルルルルルッ!」
「キシャシャーツ!」
鋭い前歯を剥《む》きだしたウサギの群れが、凶暴な雄叫《おたけ》びを上げながら、こっちへ向かって走ってくる!
――かくして、前代未聞の鳥獣《ちょうじゅう》大決戦が幕を開けたのだった。
◆◇◆
チャイムが鳴った。それは昼休みの終わりを告げるチャイムであると同時に、大いなる戦いの終焉《しゅうえん》を告げる鐘の音であった。
いまや、シャレイリアのみごとな金髪はくしゃくしゃに乱れ、頬《ほお》には無数の引っかき傷ができている。頭から生卵をかぶったせいで制服はぐちゅぐちゅのどろどろ、全身に白や茶色の殻《から》がデコレーションされている。
むろん、ニワトリたちのほうも無事ではすまなかった。全身の羽をむしられ、ずいぶん寒々しい姿になっている。いわゆる鳥肌というやつだ。地面に落ちた羽毛《うもう》を集めれば、さぞや寝心地《ねごこち》のいい高級|布団《ふとん》が作れることだろう。
とにかく、目を覆《おお》いたくなるような惨状だった。
たった十分間のあいだになにが起きたのか。
いちおう解説しておこう。
……あのとき、シャレイリアが呼んだ援軍のウサギたちは、狡猾《こうかつ》なコーメイの策にかかって全滅した。ロードランナーに前衛と後衛を分断され、陣形が崩れたところを、他の三羽によって各個撃破されたのだ。ポグ太とハグ吉はさすがによく戦ったが、最強の攻撃力を誇《ほこ》るカリギュラに真っ向から立ち向かい、あえなく撃退された。ニワトリが火を吐くなんて誰《だれ》が想像できただろう?
次にシャレイリアが召喚した羽虫《はむし》の群れは五秒で食われた。
校庭から呼びよせた、グリズリー、ベンガルトラ、ナイルワニの猛獣トリオは、くちばしで目鼻をさんざん突かれ、あっさり逃走した。
ついにキレたシャレイリアは、なにやら長ったらしい呪文《じゅもん》を唱《とな》えると、森野《もりの》学園の開校に際して市から寄贈されたケヤキの木をトリエント(木の怪物)に変えた。しかし、パワーはあるが動きの鈍《にぶ》いトリエントは、素早く飛びまわるニワトリに攻撃を当てることができず、逆に遮蔽《しゃへい》として利用される始末だった。
竜巻《たつまき》を起こせば舞い上がった砂塵《さじん》を目隠しに突撃してきた。ドングリの弾丸はぶ厚い羽毛に防がれた。やつらはニワトリのくせに空を飛び、産みたてほやほやの卵を落としてきた。地上で杖《つえ》を振りまわすシャレイリアの姿は、竹槍《たけやり》対B‐29[#「29」は縦中横]を連想させた。
もちろん、あたしも巻きぞえを食った。
つる草に絡みつかれて生卵まみれって、なんかひどい。
シャレイリアはよく戦った。手にした杖でカリギュラを打ちすえ、全治一週間の重症を負わせた。ロードランナーの足に噛《か》みつき、羽毛《うもう》をむしりにむしった。コーメイに巣箱をぶつけて生卵まみれにし、ジャッキーをダンクシュートで肥溜《こえだ》めの井戸に叩《たた》きこんだ。
そして、とどめの稲妻《いなづま》を呼ぼうとしたところで――
騒ぎを聞きつけてやってきた教師たちに取り押さえられたのだ。
「なんなのだっ、なんなのだっ、マン島やアルスターの森にあんな鳥はいなかった!」
地面に組み伏せられたシャレイリアは、じたばた暴れながら叫んでいた。
「白川《しらかわ》君っ、これはどういうことかねっ! 理事長の大切にされていたケヤキの木が、どうしてあんなことになっているのかねっ!」
耳もとで、バーコード吉野《よしの》がなにか叫んでいる。
「……」
「白川君っ、聞いているのかね白川君っ!」
「……」
「まったく、委員長の君がついていながらどうしてこんなことに――」
「うるさいバーコード!」
「なっ、白川君っ、それはどういう――」
「うるさい、うるさいうるさいうるさーいっ!」
――というわけで。謎《なぞ》の美少女転校生、ホリン・シャレイリアは、一日目にしてめでたく飼育係を首になったのだった。
なぜかあたしも反省文を書かされたし。
……はあ。先が思いやられます。
[#改ページ]
第二話 法香《ほうか》さんからの挑戦状!
「うわあっ、オオカミがっ、オオカミがあああっ!」
「おいっ、あのヒヒを追ってくれっ、俺《おれ》の弁当が盗まれた!」
「ちょっとっ、なんであたしの机に南洋原産の吸血植物が生《は》えてるのよっ!」
「ぎゃーっ!」
「ぎえーっ!」
「クマーッ!」
謎《なぞ》の美少女ドルイド、ホリン・シャレイリアが転校してきてから一週間。二年C組の生徒たちは、いつもと変わらぬ日常をすっかり取り戻していた。
男子トイレで野生のクマと出会ったり、床や天井に怪《あや》しげなキノコが生えてきたり、校舎裏に植《う》わっていたはずのケヤキの木がなぜか校庭のど真ん中に移動していたり……そういう、日常のちょっとした変化に気づきさえしなければ、あたしたちは、いたって平穏な日々を過ごしていたのである。
「ひいいいっ、お助けえええっ!」
ふと窓の外に目をやれば、オオワシに攫《さら》われた体育の村岡《むらおか》先生が天高く舞い上がっていくところ。
……気にしないことにする。
――というわけで。あたしたちの学園生活は、おおむね平和だった。
転校初日はちょっと人見知り気味だったシャレイリアも、いまでは自然とクラスにとけこんでいるようだ。
そう、とても自然に……
「って、ほんとにとけこんでるし!」
あたしはガダンッと立ち上がった。
あたしの目の前――シャレイリアの席には、誰《だれ》も座っていなかった。
……いや。よくよく目をこらせば、机の木目が微妙に歪《ゆが》んでいるのがわかる。
「だーっ、あんたはあああっ!」
「むっ、夏穂《かほ》、なにをするっ!」
掴《つか》みかかるあたしに抗議の声を上げながら、じたばたと暴れる机。
「なにをするっ、じゃないっ! ほら、布をとりなさい、布をっ!」
叫びながら、机に貼《は》りついた木目調をべりべりーっと引き剥《は》がすと、黄金色に輝くプラチナブロンドの髪がひと房、はらりとこぼれ落ちる。その隙間《すきま》からあらわれたのは、透き通ったアイスブルーの瞳《ひとみ》と、乳香《にゅうこう》のようになめらかな白い膚《はだ》。
クラス一の美少女、なんてレベルじゃない。
ほとんど反則的な容姿の超絶美少女だ。
むろん、それは机の扮装《ふんそう》をしていなければ、の話だが。
「……なにしてんの、あんた?」
蒼《あお》い目をした、わさわさとうごめく木目調の物体に向かって、あたしは言った。
「私はクラスにとけこんでいたのだ」
木目調の物体は、ちょっとむっとした様子でそう答えた。
「夏穂《かほ》が言ったのだぞ。もっとクラスにとけこむようにと」
「……」
いや、たしかに言ったけどさあ。
「私は周囲にとけこむのは得意なほうだ。幼少の頃《ころ》より森での隠密《おんみつ》スキルを叩《たた》き込まれているからな」
「……あ、そう」
「私の祖父《そふ》などアルスターの森に隠れ潜《ひそ》んでからすでに十年も経《た》つが、いまだに発見されていないくらいだ」
「捜索隊を出せ。それは」
あたしは半眼《はんがん》でつっこんだ。
……まったく、いくら帰国子女で日本の常識にうといとはいえ、万事がこの調子なのだからたまらない。
「はあっ……」
思わず、深いため息をつくと、
「夏穂、怒っているのか?」
シャレイリアは不安そうな目でこっちを見つめてくる。
「うっ……」
あたしは、この目に弱い。
「……や、べつに、怒ってるわけじゃないよ」
両手をぱたぱた振りながら、あわててフォローする。
そうなのだ。なんのかの言っても、あたしはシャレイリアのことが決して嫌いじゃないし、なんというか、ほっとけない。
「ふふん、夏穂は意外と面倒見いいからねー、委員長肌ってやつ?」
バスケ部の朝練から帰ってきた雪那《ゆきな》知子《ともこ》が、からかうように言った。
「……んなことないっつーの」
照れ隠しにぼやきながら、あたしはふいと目を逸《そ》らす。
「……」
窓の外。紅《あか》く色づいた木々の下で、生徒たちがそれぞれの活動に精を出している。
巨大なボードにペンキでイラストを描《か》いている美術部の子たち。段ボール片手に校庭を駆けまわっている生徒会の先輩たち。材木を組み上げ、なにか櫓《やぐら》らしきものをせっせと組んでいる柔道部の連中……
そう、季節は秋。
学園祭の秋である。
◆◇◆
「ほら、もっと声出して!」
「そう、そのタイミング! もっとガーッと、グワーッて感じで!」
「そこっ、煙幕《えんまく》薄いよ、なにやってんの!」
二年C組の教室に、厳しい叱咤《しった》の声が飛ぶ。
机の上に立って叫んでいるのは、あたし、白川《しらかわ》夏穂《かほ》だ。
ふだんは将棋部のエースとして活躍しているあたしだが、いちおう、演劇部にも籍を置いているため、クラスの出し物の舞台監督に抜擢《ばってき》されたのだ。
……とはいえ、じつはあたし、演劇のことなんてなーんにも知らなかったりする。というのも、中学校の女子演劇部員などというものはみな、シェイクスピアや寺山修司《てらやましゅうじ》の演劇論について熱く語ることより、ガン○ム(新しいやつ)の美形パイロットや乙女《おとめ》ゲーについて熱く語ることのほうを好むものだからだ(※偏見です)。
ともあれシーンはいよいよクライマックス。黒板の前に設置された舞台の上、恐怖の殺人鬼ジェイ○ンが血染めの斧《おの》を振りかざし、逃げまどうヒロインを追い詰める。アイスホッケーのマスクを装着した男はフーフー息を荒《あら》げながら斧を振りかぶり――
「そう、そこで――って、はい、カット、カァーット! ちょっと、二人とも!」
あたしは床にメガホンを投げつけた。
主役の二人が、舞台上で言い争いをはじめたのだ。
「ってーな、いま足踏んだだろ!」
「知らないわよ、あなたがトロいのが悪いんでしょ! だいたい、あなたの演技は表面的すぎるの! ジェイ○ンの気持ちになりきれてないのよ! もっとこう、世の中に対する怨念《おんねん》とか憎《にく》しみとか、猟奇的《りょうきてき》な趣味|嗜好《しこう》をダイレクトに表現しなさいよ!」
「うっ、それはなんかイヤだなあ……」
思わず、あたしが小声でつぶやくと、
「委員長、なにかご不満でも?」
ヒロイン役の神代《かみしろ》法香《ほうか》さんが、キッとこっちを振り向いた。
陽光を反射してふわりと舞う、さらさらロングストレートの黒髪。やや切れ長の、猫のような瞳《ひとみ》。きゅっと引き結んだ薄い唇。片方だけ跳ね上がった細い眉《まゆ》に、彼女の強い苛立《いらだ》ちが感じられる。
「いえいえ、めっそーもございません」
あたしはあわてて首を横に振る。
舞台監督たるもの看板女優の機嫌を損《そこ》ねるべからず。なにしろ法香《ほうか》さんといえば、去年のミス森野《もりの》学園で二位入賞を果たしているのみならず、大手の芸能事務所に所属し、マイナーながらも子役女優として活躍しているスーパー中学生なのだ。プライドが高く、女王様気質なのが玉《たま》に瑕《きず》だが、その演技力とプロ意識の高さは本物。素人《しろうと》ばかりのこのクラスにおいては何にも代えがたい貴重な戦力だ。
あたしはふっと肩をすくめると、みんなのほうへ向きなおり、
「オーケイ。それじゃ、みんな疲れてきたみたいだし、ちょっと休憩入れます。雪那《ゆきな》、法香さんに冷たいマンゴージュースをお出しして」
「ラジャー」
指令を受け、カサカサと走っていくAD雪那|知子《ともこ》。黒タイツがよく似合ってます。
「……あのー、俺《おれ》は?」
と。
ふいに声をかけられ振り向くと、ジェイ○ン役の男子生徒がフーフー息を荒《あら》げながら真後ろに立っていた。
「うわ。変態っぽい」
「言うなっ! ……それより、俺も、喉《のど》、渇いて、いるんだが……」
マスクの下からくぐもった声で、そんなことを言ってくる。
あたしは教室の外をぴっと指さして、
「水道があるでしょ。男子は水で十分」
「さ、差別だあああっ!」
名もなき男子生徒(いやあるけど)は滂沱《ぼうだ》の涙を流しながら教室を出ていった。
――さて、ここで誤解のなきように説明しておかねばなるまい。
じつは、さっきから練習しているうちのクラスの出し物は、『演劇』ではない。
既存の出し物とはひと味違う『焼きそば屋敷』である。『焼きそば屋敷』とはすなわち、ジェイ○ンだのドラキュラだのフランケンシュタインだの、怪物のコスプレをした従業員たちが演じるホラー仕立ての寸劇を鑑賞しながら焼きそばを食べる、という新感覚エンタ――テインメントなお食事処《しょくじどころ》である。
わけがわからない。
しかし、なぜそんなわけのわからん出し物になってしまったのかというと、そこにはマリアナ海溝の水よりもしょっぱい理由があるのである。
じつは、先日実施されたクラスの出し物を決めるアンケートでは、『演劇』、『お化け屋敷』、『焼きそば屋台』の三つが人気だったのだが、これらはいうまでもなくポピュラーな出し物であり、当然のことながら、すでに他のクラスにとられていた。そこで出された折衷案《せっちゅうあん》が、上記の三案をコラボレートさせた、この『焼きそば屋敷』だったのだ。
無論、当初は反対意見も多く、「そんな大がかりなセットを組むには日数が足りないのでは?」という現実的な問題もあったのだが、その問題は、なんとシャレイリアが転校してきたことによって偶然にも解決してしまった。
教室の床や天井に、キノコやら吸血蔦《きゅうけつづた》やら、怪《あや》しげな植物が自生してくるようになったため、わざわざ飾りつけなんてしなくても、臨場感たっぷりの不気味なセットができ上がるというわけだ。また、ムードを盛り上げる鴉《からす》や蝙蝠《こうもり》なんかの小道具(?)にもこと欠かない。まさにドルイド様々《さまさま》な企画なのである。
五分間の休憩が終わり、劇の練習が再開された。あたしは清掃用具入れに生《は》えたサルノコシカケに腰かけ、練習の様子を見守った。
舞台の上では、ジェイ○ン役の男子生徒とヒロイン役の法香《ほうか》さん、そして我らがホリン・シャレイリア嬢が、汗を流して稽古《けいこ》に励《はげ》んでいる。
さて、気になる彼女の役はというと――
モミの木(A)
である。
台詞《せりふ》はない。
派手なアクションシーンも一切ない。
ただモミの木のハリボテをかぶってぼーっと突っ立っているだけの役である。
通称『背景』。
小学校の学芸会なんかで、人数合わせのために無理やり作られる役どころだ。
シャレイリアほどの超絶美少女が木の役とはミスキャストもいいところだが、本人がどうしてもやりたいと言い張るのだからしかたない。本人いわく、「森の木々と一体化することこそドルイドの究極の夢なのだ」とかなんとか。
で、念願かなって木と一体化した彼女は、ほえほえーっと、なんかやたら幸せそうな顔をしている。……ま、いいけど。
さて、そろそろ指導に戻るかな。
あたしがメガホンをとり立ち上がろうとした、そのときだった。
「ちょっと、シャレイリアさんっ!」
教室に甲高《かんだか》い声が響きわたる。
……またか。
はあっ、と嘆息しつつ声のほうに目をやると、ブロンドのカツラを脱ぎ捨てた法香《ほうか》さんがものすごい剣幕でシャレイリアに迫っていた。
「そのぽけーっとした表情、やめてくださらない? この劇はホラーなのよ、ホラー! あなたのせいで雰囲気《ふんいき》ぶち壊しじゃない!」
「む、私の知り合いの老木は、いつもこんなふうにしていたぞ。私はおまえのいう、自然な演技とやらをしているだけだ」
と、両手の枝をわさわさ揺らしながら言い返すシャレイリア。
「……な、なんですって!?」
法香さんの目がカッと見開かれる。
「……ま、まさか……こんな小娘が、芝居の奥義を体得しているというのっ……」
彼女はよろよろと後退《あとずさ》り、
シャレイリア……恐ろしい子!
と白い目でつぶやいた――かどうかは知らないが、
「樹齢《じゅれい》四千年のオークの樹《き》でな。真夜中になるといつも、口から飴色《あめいろ》の樹液《じゅえき》を垂らしながらアルスターの森を歩きまわっていたものだ」
「それってただのボケじーさんじゃない!」
法香さんがすかさずつっこんだ、その瞬間――
シャレイリアの表情がカチンと凍りつく。
「おのれ……我が一族の神木を……侮辱《ぶじょく》するか……」
あ、まずい。なんか触《ふ》れちゃいけない部分に触れちゃったらしい。
蒼《あお》く透き通ったシャレイリアの瞳《ひとみ》が一瞬にして紅《あか》く染まり、
「……クー・ケテール・マルカ・キレ・ラムカ……神々の王ダグダよ、この愚《おろ》かなる人の子に大いなる裁きのいかずちを――」
「ちょっ、ちょっと、ストップ、ストーップ!」
あたしはあわてて二人のあいだに割り込んだ。
呪文《じゅもん》を中断されたシャレイリアが、不満そうな目であたしを見る。
「夏穂《かほ》、止めるな。この者を少し懲《こ》らしめてやるだけだ」
「いや、あんたニワトリ小屋のときもそー言ったぞ」
ジト目でつっこむあたし。
「委員長、手出しは無用ですわ」
と、法香さんが髪をふぁさっとかきあげていった。
「この小生意気な娘とは、いずれ決着をつけなくてはと思っていたところですし」
「決闘か。望むところだ」
「……」
「……」
睨《にら》み合う二人のあいだに、バチバチと青い火花がほとばしる。
こうなってしまった以上、もはやあたしが止めに入っても無駄だろう。
法香《ほうか》さんはもちろん、ここで引くような性格ではないし、シャレイリアのほうも、あれでけっこう意地っぱりだ。ふたりのただならぬ気迫に圧倒されたクラスメートたちは、舞台を遠巻きにしながら様子を見守っている。
来たるべきときがいよいよ来てしまった――そんな顔で。
――そう。対立の根は、シャレイリアが転校してきた初日から、じつはあった。
というか、法香さんのほうが、シャレイリアを一方的に目のかたきにしていたのだ。
クラスのナンバーワン美女を自他共に認めていた法香さんにとって、超絶美少女シャレイリアの登場は、正直、面白くなかったはずだ。彼女はこの一週間、密《ひそ》かにライバル心を燃やし続け、じっと機会をうかがっていたに違いない。
容姿、スタイル、そして全身からほとばしる美少女オーラ……どれをとってもかないそうにないシャレイリアに対して、自分の得意分野で戦える――その機会を。
「あなたと殴り合いをするつもりはないわ」
法香さんは不敵に笑って言った。
「……む、ではどうするのだ」
「舞台のことは、舞台の上で決着をつけるのが筋《すじ》ってものでしょう?」
「……? どういうことだ?」
「ふっ、鈍《にぶ》いわね――こういうことよっ!」
言うなり、彼女はシャレイリアがかぶっていたモミの木(A)のハリボテを、いきなり掴《つか》んで投げ捨てた。
「なにをするっ!」
すぐに抗議の声を上げる、全身タイツ姿のシャレイリア。
周囲のギャラリーからも「おおおっ!」とどよめきの声が沸き起こる。
法香さんの横暴を非難した――わけではない。ふだんは制服の下に隠れている、シャレイリアの抜群のプロポーションを見ての反応である。
「すげえ……」
「ホリンちゃんって、けっこう着やせするタイプだったんだ……」
やわらかな毛先のかかる華奢《きゃしゃ》な肩口、ほっそりとしたガラス細工のような腕、優雅なカーブを描《えが》く腰のくびれ。とくに鎖骨《さこつ》から胸のふくらみにかけてのラインは絶妙で、思わず人差し指をつつーっと滑《すべ》らせたくなってしまうくらい。
「か、夏穂《かほ》……そんなに見つめられると、恥ずかしい、のだが……」
形のよい胸を両手で覆《おお》い、もじもじと膝《ひざ》を擦《こす》り合わせるシャレイリア。
……うわあ。
ミロのヴィーナスもまっ青の、まさに至高の曲線美。バカな男子ども(とあたし)が「ほほーっ」と、よだれを垂らしながら彼女の肢体《したい》に見惚《みほ》れていると、
「ちょ、調子に乗らないでちょうだいっ!」
法香《ほうか》さんが嫉妬《しっと》の炎をめらめら燃やしながら叫んだ。
それから、シャレイリアに向かって人差し指をびしいっと突きつけて、
「シャレイリアさん、あなたには、モミの木(A)の役を降りてもらいますわ」
「なに?」
怪訝《けげん》そうに眉《まゆ》をひそめ、訊《き》き返すシャレイリア。
が、次の瞬間、ハッとなにかに気づいたように目を見開いて、
「……む、そうか……そうだったのか!」
キッ、と法香さんを睨《にら》みつける。
「ふっ、ようやく気づいたようね」
「おまえは……おまえはっ……私から奪ってまでこの役をやりたかったのか!」
「ち、が―――――うっ!」
ズダンッ、と床を踏み抜く法香さん。息が乱れてます。
「あーもうっ、ほんっと、あなたって調子狂うわね……」
ぼやきながらイライラと髪をかきまぜる彼女。
うんうん、その気持ちはよくわかるぞ。
「いいこと? よおっくお聞きなさい。あなたには、劇の主役である怪物の役をやってもらいますわ!」
「海産物……ワカメの役か?」
「怪物っ!」
またまた床を踏み抜く法香さん。
……うーん。この二人、じつはけっこういいコンビなのかもしれない。
彼女はめげずにふたたび、びしいっ、と指を突きつけて、
「クラスのみなさんに決めてもらうのよ。わたくしたち二人のうち、どちらが真の女優と呼ばれるにふさわしいかをね!」
「……はあ?」
教室中の目が点になった。
――彼女が提案したのは、じつにシンプルな勝負だった。
互いに同格の主役を演じることによってその演技力を競い合い、二日後のクラス内投票で人気の高かったほうが、本番での主役の座を勝ち得る、というものだ。
で、負けたほうは、劇中で悪者にされたあげく、勝ったほうの言うことをひとつだけ聞かなければならない、と。
ま、どーぞ勝手にやってください、って感じだけど。
「どうかしら、シャレイリアさん? もちろん逃げるのはご自由ですけど」
腰まで伸ばした黒髪をふぁさっとかきあげ、挑発するように言う彼女。
対するシャレイリアは、
「むう。私はべつに主役がやりたいわけではないのだが、一族の名誉がかかっているのであれば引くわけにもいくまい。ドルイドの誓約《ゲッシュ》に賭《か》けて、その勝負、受けて立とう!」
一歩も引かず、堂々と言い返した。
……うーん。これで全身タイツ姿じゃなけりゃ、びしっと決まるとこなんだけど。
「決まりね」
法香《ほうか》さんは満足そうにうなずいた。
「それじゃさっそく――」
「待った。質問があります」
ちょっと納得いかないところがあったので、あたしは手を挙げた。
「なんです? 委員長」
「えっと、まあ、部外者が口をはさむことじゃないとは思うんだけど……その試合方法って、法香さんに有利じゃない?」
「わたくしが、有利?」
法香さんが、かすかに眉《まゆ》を吊《つ》り上げた。
「ん、つまりね、同等の主役っていっても、シャレイリアが怪物で、法香さんがヒロインの役なわけでしょ? それってやっぱり、ヒロイン役のほうが人気になっちゃうんじゃないかな? ってこと」
あたしがそう言うと、法香さんは「ああ」とうなずいて、
「それなら問題ありませんわ。だって、わたくしも怪物の役をやるんですもの」
「へ?」
いきなり、妙なことを言い出した。
「だから、わたくしもヒロインの役を降りて怪物をやるのよ。それなら公平でしょう?」
「――ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃ、ヒロインはどうするの?」
「ヒロインなしの台本に変更すればいいじゃない。おそろしい怪物さえ出てくれば、ヒロインなんていなくたって、ホラーの劇としては成立するでしょう?」
しれっとした顔で言う法香さん。
「そりゃ、まあ……」
たしかに、ありといえばありだけど。
「で、でもっ、衣装とかはどうするの?」
「もちろん自作してもらいますわ。どんな怪物にするかはご自由に決めていただいて結構。ただし、衣装の出来栄えは当然、みなさんの評価に直結するでしょうから、デザインは慎重にお決めになったほうがよくってよ」
ふふん、と余裕の笑みを浮かべる法香《ほうか》さん。
「……」
あたしは腕組みして、しばし考え込む。怪物同士の戦いをテーマにした作品といえば、古くは東宝の『サンダ対ガイラ』、最近では『エイリアンVS.[#「VS.」は縦中横]プレデター』とかだろうか。なんにせよ、ヒロインがいなくなり怪物が二体に増える、ってことは、ストーリーを抜本的《ばっぽんてき》に変えなくちゃならないということである。
学園祭本番まであと一週間。いまさら脚本を変えるなんて、正直いってめんどくさいことこの上ない。――とはいえ、本人たちはいたってやる気のようだし、ここで法香さんの機嫌を損《そこ》ねるのは得策ではないだろう。
それに。じつをいうと、あたしもちょっとだけ、シャレイリアがモミの木(A)以外の役を演じるのを見てみたくもある。
ほんの数秒の逡巡《しゅんじゅん》。そして――
あたしは腹を決めた。っていうか思いついた。
脚本は弟の聡史《さとし》に書かせればいーじゃん。
われながらナイスアイデアだった。
あたしはぽんっと手を叩《たた》き、
「オーケイ、わかりました。とっても面倒で大変そうだけど、脚本は新たに書き下ろします。この勝負、二年C組学級委員長、白川《しらかわ》夏穂《かほ》がしかと取り仕切りましょう!」
高らかに宣言した。
パチパチパチ。
ギャラリーのあいだから、あんまりやる気のない拍手が沸き起こる。
まあ、やる気がないのもしかたない。じつさい、かなりどーでもいい勝負だし。
と、そんなかなりグダグダな雰囲気《ふんいき》の中、
「ちょ、ちょっと待て!」
ひとり、抗議の声を上げた者がいた。
話の成り行き上、いきなり主役の座を降ろされることになった、あの男子生徒である。
「俺《おれ》は? 俺はいったいどうなるんだよ?」
「安心して」
とり乱す彼の肩にぽんと手をのせ、あたしは言った。
「まだモミの木(A)の役が残ってるから」
「くっ、くおおおおおおおおおっ!」
かくして。ホリン・シャレイリアと神代《かみしろ》法香《ほうか》、二人の仁義なき(そしてわりとどーでもいい)戦いがはじまった。
――やつ[#「やつ」に傍点]があらわれたのは、その晩のことだ。
◆◇◆
真夜中の校舎にカボチャのお化けが出るらしい。
翌朝、あたしが雪那《ゆきな》から聞いたのは、そんな突拍子もない噂《うわさ》だった。
「カボチャあ?」
あたしは眠い目を擦《こす》りながら訊《き》き返す。昨日は夜遅くまで新しい台本を書いていたせいでひどい寝不足なのだ。これも聡史《さとし》のやつが「もう知らねーよ! ねーちゃん、なんでもかんでも俺《おれ》に押しつけんなよ!」とだだをこねたせい。中学受験を間近に控えた弟はじつに気が荒《あら》い。
それはともあれ雪那の話。正直、あまりにも突飛《とっぴ》すぎてついていけない。
とりあえず、カボチャのお化けと聞いて、まっ先に思い浮かぶものといえば――
「あの、ハロウィーンのやつ?」
「そう、それ! 昨日の夜、うちのクラスの女子連中が見たんだって!」
こくこくといきおいよくうなずきながら、雪那は現場にいた女子たちの証言を、臨場感たっぷりに話しはじめたのだった。
ちゃーらーら―――、ちゃーらーら―――♪(火サス風に)
【実録! 三人娘は幻のカボチャ怪人を見た!】
「あー、もー、早くうち帰りたいよー」
「んなこといったって、しょーがないでしょ。徹夜しなきゃ間に合わないんだから」
「でもお……」
「そこの二人、喋《しゃべ》ってないできりきり手を動かす!」
昨晩。夜遅く――
二年C組の女子生徒三人は、教室に泊まり込み、学園祭の準備をしていたという。
居残っていたのは、劇の衣装作りを担当しているグループの子たちだった。例の法香さんとシャレイリアの一件のせいで、急遽《きゅうきょ》、バックダンサーの衣装デザインを変更することになり、徹夜での作業を余儀なくされたのだ。
おっとり系の鈴木《すずき》敏江《としえ》とその友人の吉原《よしはら》加奈子《かなこ》。そしてクラス一のしっかり者で、一学期にはあたしと学級委員長の座を争ったこともある秋篠《あきしの》唯《ゆい》。
三人はときおり疲れたため息を洩《も》らしながらも、黙々と作業を続けていた。
「……」
チッチッチッ……カチッ。
時計の針が、十一時を指した。
その気配に――
最初に気づいたのは、リーダーゾンビ用の赤いジャケットを縫《ぬ》っていた鈴木敏江だった。
「ね、ねえ、ちょっと……」
くいくいっ、と制服の袖《そで》を引かれた吉原加奈子が、裁縫《さいほう》の手を止めて振り向いた。
「ん?」
「なにかな、あれ……」
「あれ?」
「ほら、廊下のとこ……なんか、ぼーっと光ってない?」
「はあ? ちょっと、やめてよ変なこと言うの……」
「で、でも――」
言いかけた敏江の顔が、突然、凍りついた。
「……あ……あ、あれ……あああ……」
廊下のほうを指さしたまま、カタカタと小刻《こきざ》みに震《ふる》えはじめる。
「……な、なに? どーしたの?」
「いやああああああああああっ! いあ! いあ!」
「ちょっと、二人とも、なにふざけてるの!」
半狂乱になって叫びだした敏江の様子に、リーダーの秋篠唯もさすがに振り向いて、そして――見てしまった。
「……っ!?」
薄暗い廊下をぼんやりと照らしだす、ライトグリーンの非常灯。
不気味な薄明かりの中に踊る――その影を。
「……とりっく・おあ・とりーと……」
「ぎょ、ぎょえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
…………………………【END】
「――と、ゆーわけなの」
雪那《ゆきな》はおごそかな口調《くちょう》で話を締《し》めくくった。
「……いや、年ごろの娘が『ぎょえ〜』って」
「そこじゃないでしょ。お化けが出たんだよ、お・化・け・が!」
「はあ。お化け、ねえ……」
机に頬《ほお》づえをつきながら、気のない返事をするあたし。
「あれ? あんまり食いつかないね」
「ん、まーね……。だってあたし、幽霊とかお化けとかってぜんぜん興味ないし。それに廊下は薄暗かったんでしょ? たぶん、アルマジロに鼻をかじられてるヒヒかなんかを見間違えたんだと思うよ」
あたしのごくまっとうな意見に、
「そーかなあ? だって、三人ともが見たんだよ?」
いまいち納得がいかない、といった様子の雪那《ゆきな》。
……まあ、考えてみれば、学校の廊下にヒヒやアルマジロがふつーにいるってことじたい、ちょっとした超常現象ではあるんだけど。
「衣装班の子たち怖がっちゃって、もう教室で作業できないっていうし」
「……あー、それは困ったね。たしかに」
あたしは腕組みしてうなずいた。
どうやら、事態は思ったよりも深刻なようである。
「劇の衣装作りなんて家でやりゃいいじゃん」と思われる方もおられるだろうが、今回の出し物で使う衣装はそのほとんどが、血染めだったり、教育上不適切な文字がプリントされていたりするため、年ごろの乙女《おとめ》としてはやはり、あまり家族の目に触《ふ》れて欲しくない、という切実な事情があるのである。
「でも、まさか本物のお化けなんて――」
言いかけて。
あたしはふと、廊下のほうへ目をやった。
「……」
「――っ! ――――っ! ――っ!」
一本の巨大なモミの木が、教室のドアにつっかえてじたばた暴れている。
「やっぱり……アレ[#「アレ」に傍点]が原因……かな?」
「私もそう思うよ」
あたしと雪那は揃《そろ》ってうなずきあった。
シャレイリアの顔は、モミの木のちょうど真ん中あたりに埋もれていた。なんとか教室の中へ入ろうと、顔を真っ赤にしてうんうんうなっている。
あたしは彼女のほうへつかつか歩いていき、
「……なにやってんのあんた?」
「うむ、昨晩徹夜で怪物の着ぐるみを作ってきたのだが……私としたことが、教室のドアのことを完全に失念していた」
「……怪物? これのどこがよ。これじゃ、モミの木(A)と一緒じゃない」
「む、あのようなハリボテと一緒にされては困る。こちらは木肌のリアルな質感にこだわっているし、ディテールの細かさや駆動箇所の数もはるかに上だ」
シャレイリアは全身の枝葉をわさわさ揺らしながら、誇《ほこ》らしげに言った。
「……あ、そう。ていうか、そーゆー問題じゃなくて、木の役はだめなんだってば。法香《ほうか》さんとの勝負は、あくまで『怪物』の役を演じることって決まってたでしょ?」
「木ではないぞ。これは〈トリエント〉だ」
「は?」
彼女の言葉に、あたしは一瞬首をかしげ、
「あ。なるほど」
ようやく理解する。
トリエント。それはシャレイリアの故郷の森にいるという、木の怪物のことである。
有名なのは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』に出演しているエント族だろう。あたしもつい最近、ニワトリ小屋の決戦のときに実物を見たばかりだし、たしかに怪物には違いないけれど――
そのとき、
「あーら、どんな衣装で来るかと思えば、ずいぶん余裕みたいですわね!」
ズババシュッ!
と、会心の一撃じみた音がして、教室のドアにつっかえていたシャレイリアが、いきなり前に押し出された。
「なっ……!?」
驚きの声を上げながら、あわてて横へ跳ぶあたし。
直後。
ドンガラガラガラガッシャーン!
全長およそ二メートルはあろうかという巨大なトリエントの着ぐるみが、周囲の机や椅子《す》を盛大に薙《な》ぎ倒しながら床へダイブした。
舞い上がる砂ぼこり。わき立つ悲鳴。
「…………」
あまりのことに唖然《あぜん》としていると、
「ふっ、そんな衣装で、本気でこのわたくしに勝てると思っていて?」
「……っ!」
あたしは声のしたほうを振り向いた。
視線の先――教室のドアの前に、その人物は立っていた。
腰まで伸ばしたロングストレートの黒髪をひるがえし、地に伏したシャレイリアを傲然《ごうぜん》と見下ろすその影は、いうまでもなく神代《かみしろ》法香《ほうか》さん。
だが、その格好は――
「…………」
教室にいた全員が、彼女のその姿に釘付《くぎづ》けになっていた。
爪先《つまさき》のとがった漆黒《しっこく》のエナメルブーツ。
派手なフリフリのついた超ミニのゴスロリスカート。
胸もとの大胆に開いたやたら露出度の高いレザードレス。
背中から生《は》えた一対の黒い羽。妖《あや》しく光る紅《あか》い瞳《ひとみ》。口の端から伸びる鋭い二本の牙《きば》。
シルバーメッシュの入った黒髪には、コウモリ形のカチューシャをつけている。
真っ赤なルージュを引いた唇が妖艶《ようえん》に微笑《ほほえ》んだ。
それは、大人の色香《いろか》を匂《にお》わせる、女吸血鬼《ドラキュリーナ》のコスチュームだったのだ!
教室のあちこちから「おおおっ!」とどよめきの声がわき上がる。男子どもの鼻から真っ赤な鮮血が噴き上がる。町を歩けばおまわりさんに捕《つか》まりかねない、それはそれはきわどいコスチュームであった。
「……うわ。あざとい」
「委員長、なにか言いました?」
と、カラーコンタクトをつけた真紅《しんく》の目でこっちを睨《にら》みつける彼女。
あたしはあわてて首を横に振る。
……まあ、ドラキュリーナはたしかに怪物だし、ルール違反ではないけれど。
それにしても、あのプライドの高い法香さんが、こんなあからさまなお色気作戦でくるなんて。
あるいは、そこまでしてシャレイリアに勝ちたいということか――
……しかし、この二人、なんで練習もないのに朝っぱらからコスプレしてんだろ。ってゆーか、まさかこの格好で登校してきたんだろーか。深くは追及しないけど。
なにはともあれ、いーかげん、倒れてるシャレイリアを起こしてやらないと。
「んしょっと。雪那《ゆきな》、そっち持って」
「ほいよ」
床に突っ伏したままじたばたしているモミの木を、ふたりがかりで持ち上げる。
「うわ、なにこれ。めちゃくちゃ重いし」
「うむ、中庭のモミの木から彫《ほ》りぬいた本物志向の一品だからな」
シャレイリアがくぐもった声で言った。
えっと、それってひょっとして、森野《もりの》学園名物のクリスマスツリーなんじゃ……
聞かなかったことにしよう。
「んしょっ、んしょっと……ふう」
たっぷり一分ほどかけて。ようやく、シャレイリアは起き上がった。
着ぐるみの構造的に受け身がとれなかったのだろう、鼻が真っ赤に腫《は》れていた。
「大丈夫?」
「ああ。かたじけない」
お辞儀の代わりに枝葉をわさわさ揺らすシャレイリア。
「……えっと、もういいかしら?」
と、さっきから腕組みして立っていた法香《ほうか》さんが、咳払《せきばら》いして切り出した。
どうやら、シャレイリアが起き上がるのを律儀《りちぎ》に待っていたらしい。
あたしが「はいどーぞ」とうながすと、彼女はシャレイリアの額《ひたい》をびしっと指さして、
「ふっ、そんな衣装で、本気でこのわたくしに勝てると思っていて?」
「いや、それさっき聞いたし」
「え? そ、そう? あ、じゃあ、ちょっと待ってて――」
ポケットから台本のようなものを取り出し、あわててめくりはじめる法香さん。
「えーと、どこだったかしら……あ、そうだわ、ここに――」
ガラガラガラッ。
と、法香さんの台詞《せりふ》をさえぎって。教室に入ってきたのはバーコード吉野《よしの》だった。
「あー、白川《しらかわ》君。どういうことかね、これは?」
二人の珍妙な格好を見て眉《まゆ》をひそめる吉野に、
「バカ二人の意地の張り合いです」
あたしは肩をすくめて答えたのだった。
◆◇◆
……あ。そーいえば、シャレイリアにカボチャお化けのこと聞くの忘れてた。
あたしがそれを思い出したのは、朝のホームルームが終わり、短い休み時間に入ってからのことだった。
今朝《けさ》の騒動のせいで、すっかり頭の隅《すみ》に追いやられていたのだ。
「ちょいとシャレ姐《ねえ》さん、聞きたいことがあるんだけど」
シャーペンの先っちょで、シャレイリアのうなじのあたりをツンツンする。
「む?」
サラサラの金髪をふわりとひるがえし、彼女が振り向いた。いまはいつもの制服姿だ。
「あんた、カボチャのお化けって知ってる?」
「カボチャ?」
シャレイリアは形のよい眉をひそめた。
「そ、カボチャのお化け。あんたの知り合いかなんかでしょ?」
「なんのことだ?」
「親戚《しんせき》? 友だち?……あ、それとも仇《かたき》とか?」
「だから、なんのことだと言っている」
ますます困惑顔のシャレイリア。
……んん? これは、ひょっとして。
「ほんとに知らないの?」
「さっきからそう言っている」
シャレイリアはむっつりとうなずいた。
「……」
うーむ。とりあえず、この学園で起こる超常現象の類《たぐい》はみんなシャレイリアのせいだと思っていたのだが、どうやら違ったようである。
あたしは「ごめん」とあやまって、今朝《けさ》、雪那《ゆきな》から聞いたことを話して聞かせた。
…………。
「――っていうわけなんだけど。衣装班の女の子たちも怖がっちゃってて、このままじゃ、当日の出し物に支障が出るかもしれないって」
すると興味深そうに聞いていたシャレイリアは、ふむ、とうなずいて、
「その話、心当たりがないでもない」
「……なに? やっぱあんたの知り合いなの?」
あたしはジト目で訊《き》いた。
「いや、そういうわけではないのだが……無関係と言いきることもできないな……」
考え込むようにつぶやいて、彼女はふと、顔を上げた。
「そのカボチャというのは、いわゆる〈ジャック・オー・ランタン〉のことか?」
「ん、そうみたい」
あたしはこくりとうなずいた。
ジャック・オー・ランタンとは、ハロウィーンのお祭りのとき、玄関前なんかによく置かれているカボチャ提灯《ちょうちん》のことだ。コミカルなデザインのため、絵本や映画のキャラクターとして登場することも多く、ハロウィーンの行事にあまりなじみのない日本でもよく知られている。
「ハロウィーンとはもともと〈サウィン祭〉という、ドルイドが司《つかさど》っていた古代ケルトの収穫祭だったのだ。それがローマ時代に入ってきたキリスト教と融合して、現在のような形になったといわれている」
「へー」
意外な知識だった。
「もうそんな季節か……懐かしいな。故郷の森にもよくジャック・オー・ランタンが訪ねてきて、干《ほ》し葡萄《ぶどう》入りの焼き菓子をくすねていったものだ……」
あさってのほう(たぶんアイルランドのほうだろう)を見やりながら、遠い目をして語るシャレイリア。
――って、
「やっぱシャレイリアのせいじゃん」
あたしは半眼《はんがん》でつっこんだ。
「いや、そうではないのだ。たしかに、そういったものの類《たぐい》が私の魔力に惹《ひ》かれてやってくることはあるのだが――それにしてはひとつ奇妙な点がある。つまり、本物のジャック・オー・ランタンというのは、カボチャのお化けなどではなく、カブのランタンを持ってさまよい歩く、人間の姿をした亡霊《ぼうれい》なのだ」
「……は? カブって、あのお味噌汁《みそしる》とかに入れる?」
「うむ、そのカブだ。ハロウィーンの本場アイルランドでは、いまでもカボチャではなくカブのランタンを使っている。そもそも、ハロウィーンのランタンをカボチャにしたのは、ヨーロッパからアメリカへ移民した者たちがはじめた習慣なのだ。おそらく新大陸ではカボチャのほうが手に入りやすかったからだろうが、つまり――」
「つまり、あんたが言いたいのは、昨日の夜、うちの女子連中の見たカボチャのお化けは、本物のジャック・オー・ランタンじゃなかったかもしれない、ってこと?」
あたしが言うと、シャレイリアは「うむ」とうなずいて、
「そういうことだ。むろん、まだ確かなことは言えないが……いずれにせよ、その件については早急に調査する必要があるな」
「ん、そーだね。これ以上、学園祭の邪魔をされるわけにはいかないし。ま、もしそいつが、シャレイリアの魔力に惹かれてやってきた本物のジャック・オー・ランタンなんだとしたら、悪さをするっていっても、せいぜいお菓子をせがむくらいなんだから、ほっといていい気もするけどね」
あたしが肩をすくめて言うと、
「いや、そうとは限らない」
シャレイリアは即座に首を横に振った。
「……どういうこと?」
「うむ。じつはジャック・オー・ランタンというのは個人の名前ではなく、生前、そして死後も堕落《だらく》した人生を送ったゆえに、天国への門を閉ざされてしまった者たちの総称なのだ。一般には悪霊を追い払う善霊として知られているが、実際は人の魂《たましい》を求めてさまよう悪霊〈ウィル・オー・ウィスプ〉となってしまう者も多い」
「……っ!」
あたしはゾゾ〜ッと身震《みぶる》いする。
人の魂《たましい》を求める――って、
「それ、マジで?」
「ああ。じつに危険な存在だ」
シャレイリアはこくりとうなずいた。
「ときに夏穂《かほ》、今夜は泊まれるか?」
「へ?」
いきなり飛び出したその発言に、思わず頓狂《とんきょう》な声を出してしまう。
「そ、そんなっ……シャレイリアってば意外と大胆……」
ドキドキ。
「なにを言っているのだ?」
シャレイリアが眉《まゆ》をひそめて言った。
「……んなわけないか。いやわかってたけど。で、今夜って?」
「今夜だ。もしそやつが危険な悪霊であるのなら、秩序《ちつじょ》の守り手たるドルイドとして放置しておくわけにはいかない。教室で待ち伏せて――退治する」
「……」
彼女のその言葉は、半《なか》ば予想通りではあった。
あったのだが――
「どうした? 今日は、なにか用事があるのか?」
「……いや、そーじゃなくて。あたしも、ってこと?」
「当然だ。夏穂はこのクラスの長《おさ》なのだからな。長は民を命懸《いのちが》けで守るものだ」
シャレイリアはきっぱりと断言した。
……うーん。委員長ってそーゆーもんなんだろうか。
「いや、でもさ、悪いけど、あたしはシャレイリアと違ってただの一般人なわけだし、そ――ゆーのはさすがに怖いなーって……」
「夏穂」
めずらしく、シャレイリアが強い口調《くちょう》であたしの言葉をさえぎった。
透き通ったアイスブルーの瞳《ひとみ》が、ひたとこちらを見据《みす》えてくる。
彼女は睫毛《まつげ》を伏せ――苦しそうに。
ほんとうに苦しそうに、その言葉を吐き出した。
「夏穂は大切な友人だ。だが、民のために命を投げ出さない長を、私は尊敬できない」
「……」
ぐさっ。
ぐさぐさぐさっ。
わずか二秒。千本の矢で心を突き刺され、あたしはあっさり陥落した。
「だーっ、もうっ、わかったよ、わかりました! つきあえばいーんでしょ、つきあえば! ただし、危なくなったらすぐに逃げるからね!」
半《なか》ばヤケになって叫ぶあたしに、
「大丈夫だ。夏穂《かほ》は命にかえても私が守る」
シャレイリアは力強くそう答えたのだった。
◆◇◆
――と、そんなわけで。
放課後、カボチャお化けの調査をすることにしたあたしたちだったが、むろん、それを理由に劇の稽古《けいこ》をおろそかにするわけにはいかない。
授業は午前中で終わり、午後はみっちり学園祭の準備である。
舞台上ではすでに、新しい脚本を使った劇の練習がはじまっていた。
脚本といっても、ぺらぺらの紙に簡単なシチュエーションが書いてあるだけで、台詞《せりふ》や演技なんかは、ほとんど役者のアドリブに任せている。手抜きとはいうなかれ。これでも、眠い目を擦《こす》りながら夜中の二時までがんばったのだ(深夜アニメを見るために)。
というわけで、シーン1。
濃い霧のたちこめる湖畔《こはん》に、陰鬱《いんうつ》な古城が聳《そび》え立っている。
幽玄《ゆうげん》めいた月明かりの下、無数の鴉《からす》や蝙蝠《こうもり》たち(エキストラ)が騒々《そうぞう》しい夜宴を繰りひろげ、森の奥からはオオカミの遠吠《とおぼ》え(生音源)が響きわたる。
うぉう、うぉう、うぉーう!
ざわめく森の木々。吹きつける生暖かい風。ラジカセから流れてくるおどろおどろしいBGMが、なんとも不気味な雰囲気《ふんいき》を醸《かも》し出す。
「アクション!」
あたしはメガホンで指示を飛ばした。
白い霧を吐き出しながら、古城の門が、ゆっくりと開いていく――
霧の中から、黒い影が颯爽《さっそう》と躍《おど》り出た。
舞台の上に姿をあらわしたのは、肌も露《あら》わなコスプレをした法香《ほうか》さんだ。漆黒《しっこく》の翼を羽ばたかせ、華麗に舞うその姿は、観客の目を一瞬で魅了《みりょう》する。
さすがは法香さん、といったところか。中学生とは思えない素晴らしい演技である。
そこへ――
「アクション!」
全身の枝葉をわさわさ揺らしながら、シャレイリア扮《ふん》する巨大なトリエントが登場した。
……のっそり……のっそり……
って遅い。
めちゃくちゃ遅い。
……三分後。
みんながあくびを噛《か》み殺し、法香《ほうか》さんがイライラと床を踏み鳴らし、あたしが漫画を読みはじめ、雪那《ゆきな》が完成したミニカップヌードル塩味のふたを開けたころ――
二体の怪物は、ようやく古城の前で対峙《たいじ》した。
「……」
「……」
互いの視線が交差する、緊迫の一瞬。
そして――
「キシャーッ!」
「キシャシャーッ!」
世にも恐ろしい、怪物同士のバトルがはじまった!
「……」
……ホラー、なのか?
という根本的な疑問はわくものの、たった一晩で凝《こ》ったストーリーなんて書けるはずもないし、これはこれで盛り上がっているようだから、いいのだべつに。
[#挿絵(img/DRUID_085.jpg)入る]
「そこだっ、右っ、右を狙《ねら》え!」
「ホリンちゃん、落ち着いて! 枝でガードしつつカウンターを決めるんだ!」
「神代《かみしろ》さんに三百円!」
「それじゃ、俺《おれ》はホリンちゃんに五百円|賭《か》けるぞお!」
……なんか、ちょっと違う盛り上がり方のよーな気もするけれど。
「だいぶ違うよ。っていうか、これってただのガールズファイトじゃない」
横に立っていた雪那《ゆきな》が冷静につっこんだ。
――そう。二人の戦いは、もはや演技とはいえないくらいヒートアップしていた。
リーチの長いシャレイリアの枝ラリアートをかわしつつ、背後から強烈なハイキックを放《はな》つ法香《ほうか》さん。その動きのキレは、どう見ても素人《しろうと》のものじゃない。
……そーいえば、春の自己紹介のとき、中国|拳法《けんぽう》を習ってるとか言ってたっけ。
「ケーッ!」
法香さんが鳥のような奇声を上げた。軽快なステップで間合いを詰め、得意の怪鳥蹴《けちょうげ》りを放つ。いまのところ、押しているのは彼女のほうだ。シャレイリアの着ているトリエントの着ぐるみは、防御力こそ高いものの、機動力の面では圧倒的に劣っている。疲労して、体力が落ちてきたところを今朝《けさ》のように背後から蹴倒《けたお》されたら、自力で立ち上がることは不可能だ。シャレイリアもそれはわかっているようで、黒板を背にうまく立ちまわっているのだが、繰り出される手数の多さに、なかなか反撃のチャンスを掴《つか》めずにいる。
むろん、二人の勝負はあくまで演技力を競うものなのだから、このバトルの勝敗自体はなんの関係もない。だが、観客の目から見てどちらのほうに華があるか――それはあまりに明白だ。
不格好な着ぐるみに身を包み、ひたすら防戦一方のシャレイリア。一方、反則ギリギリの過激コスチュームを身にまとい、華麗に舞う法香さん。彼女が跳躍《ちょうやく》するたびに豊満なバストが大きく揺れ、白いふとももがチラリと覗《のぞ》く。その破壊力は抜群だ。男子の票はもちろん、一部の女子の票もかなり期待できるだろう。
……とはいえ、シャレイリアにまったく勝ち目がないというわけではない。なにしろ彼女には、数百匹にもおよぶ動物の仲間たちがいるのだ。シャレイリアと魂《たましい》の絆《きずな》で結ばれた彼らの組織票は、あるいは一学年すべての票に匹敵《ひってき》するかもしれない。
なんていってるあいだにも、二人のバトルはますます激化している。
シャレイリアが法香さんの鼻に噛《か》みついた。
法香さんも負けじとシャレイリアの頬《ほお》をつねってひねる。
……激化……してるけど、戦いのレベルは下がってるよーな……
「ちょ、ストップ、ストープッ! マジな喧嘩《けんか》はやめなさい!」
あたしはあわてて二人のあいだに割り込んだ。
「喧嘩《けんか》じゃないわ! 殺陣《たて》のタイミング合わせをしているだけじゃない!」
「そうだ! 夏穂《かほ》、私たちは真剣に演技をしているのだ!」
取っ組み合ったまま言い返してくる二人。なぜか息はぴったりだ。
「嘘《うそ》つけっ、だいたい見てる人が怖いでしょーがっ、ひたすら無言で殴りあってたら!」
「ホラーとは怖いものではないのか?」
「そーゆー怖さじゃないっ!」
あたしはまるめた台本でシャレイリアのおでこをひっぱたく。
「むう」
……まったく。これでは先が思いやられる。まあ、台本のト書きに『主役の二人、てきとーにバトルする(アバウト五分くらい? どっちもがんばれ!)』とか書いてしまったあたしにも多少の責任はあるのかもしれないが。
あたしは、はあっ、とため息をつき、
「とりあえず、二時まで休憩。お弁当タイムにします!」
むりやり練習を打ち切った。
――というわけで、待ちに待ったお弁当タイム。あたしと雪那《ゆきな》、シャレイリアの三人は、机を寄せ合って座っていた。
高まる期待に胸|躍《おど》らせ、お弁当箱のふたを開けてみれば、そこはひとつの小宇宙。まっ白いご飯にカリカリ小梅。サツマイモのコロッケにレンコンのはさみ揚げ。パセリ、プチトマト、デザートには栗《くり》のシロップ漬《づ》け。しかもしかもっ、ご飯の隅《すみ》っこにはあたしの大好物、エビフライの尻尾《しっぽ》まで入っている。
たとえ喧嘩中でも、こうしておいしいお弁当をしっかり作ってくれるあたり、聡史《さとし》ったらほんとに困ったシスコンだなあ、などとしみじみ思いつつ迷《まよ》い箸《ばし》をしていると、
じぃ〜っ。
と、ものすごく強烈な視線を感じた。
すぐ前方から。
「えっと……それ、おいしい?」
あたしは訊《き》いた。
シャレイリアは着ぐるみを着込んだまま、小さな木の枝を一本、かじっていた。
「ああ。少し渋《しぶ》みはあるが、歯ごたえがあって美味だ。水分も補給できるしな」
「……ふーん。ならいいけど」
……がじ……がじ……
「……」
……がじがじ……がじがじがじ……
「シャレイリア」
「む?」
「あたしのお弁当、半分あげよっか?」
……がじ……
口の動きが止まった。
「いや、私は――」
言いかけたシャレイリアの視線が、ふと、あたしの真後ろに向けられた。
あたしは箸《はし》を持ったまま、ちら、とその視線の先を追う。
そこは窓際の一番後ろ――法香《ほうか》さんの席だった。
彼女は、ひとり孤高に食事をとっていた。しかも、机の上にのっているのはトマトジュースの缶がひとつだけ。なんとなく、マツタケ弁当とか、頭の悪そうな名前のものを食べているに違いないと思っていたあたしの認識は大きく覆《くつがえ》された。
さすがはプロ意識の高い法香さん。あくまでストイックに、身も心も、ドラキュリーナになりきろうとしているようだ。
「……」
シャレイリアは、しばらく彼女のことを見つめていたが――
「私はこれで十分だ」
と言って、ふたたび、がじがじと木の枝を噛《か》みはじめる。
ほんと、負けずきらいなんだから。
「大丈夫だって。そんなに気張らなくても、シャレイリアには仲間の動物たちが投票してくれるでしょ」
するとシャレイリアは枝を噛むのをやめ、
「うむ、それはそうなのだが……」
「ん? どしたの?」
「じつは、昨晩から仲間の動物たちの様子がおかしいのだ。一緒に住んでいるクマやオオカミたちも、どこか態度がよそよそしいというか……」
そう言って、ちら、と教室の隅《すみ》にかたまっている灰色オオカミの群れを眺めやる。
オオカミたちは困惑したように、金色の瞳《ひとみ》をぷいっと逸《そ》らしてしまった。
「……ずっとあんな様子なのだ」
悲しげに首を振り、ため息をつくシャレイリア。
「……へえ、あんたたちでもそういうことってあるんだ。反抗期とか?」
「それが、原因がまったくわからないのだ。あるいは例のカボチャの件と関係があるのかもしれないが……動物は超自然の気配に敏感だからな」
「――あ。そうそう、カボチャといえば!」
と、雪那《ゆきな》が思い出したように手を叩《たた》いた。
「ん?」
「いやね、今朝《けさ》の話の続きなんだけど、あのカボチャお化けの目撃者って、他にもけっこういるみたい。隣のB組の子とか、用務員のおじさんとか、それから上級生の人たちも何人か。あたしが聞いてまわっただけでも、目撃情報が七件もあったよ」
いつのまに情報を集めていたのか。彼女がふところから取り出した雪那メモには、目撃者がカボチャお化けを見たときの時間や状況がこと細かに記《しる》されていた。
「えっと、それから、これはちょっと、言っておかなきゃなんだけど……」
雪那はシャレイリアのほうへちらっと目をやり、
「その、カボチャお化けの噂《うわさ》がね、もうけっこう広まっちゃってて、それで、その原因っていうのが……」
言いにくそうに口をつぐむ。
……なんだ?
いつもはわりとズバズバものを言う雪那が、こんなふうに口ごもるなんて。
「その……」
雪那はちらっと教室の隅《すみ》を見た。その視線を追って、あたしは振り返る。
そこにいたのは――昨晩、教室に居残っていたという衣装班の三人組だった。
彼女たちは、なにやらひそひそ話をしながら、なんとなく、困ったような目をこっちに向けている。
……なるほど。そういうことか。
あたしは雪那に視線を戻し、
「それが、シャレイリアのせいなんじゃないかって、噂されてるわけね」
「……ん、そう、みたい」
雪那はこくりとうなずいた。
「……」
シャレイリアはなにも言わない。ただ無表情にうつむくだけだ。
あたしは奥歯をぎゅっと噛《か》み締《し》める。
……おそらく、まだそう悪意のある噂ではないのだろうが、あたしたちが証拠もなしにそれを否定したところで、みんなを納得させることは難しいだろう。『シャレイリアのいるところにトラブルあり』の法則は、いまや学園中に知れわたっている。かくいうあたしだって、今朝はまっ先にシャレイリアとの関連を疑ったくらいなのだ。
いまはまだ、被害というほどの被害は出ていないが、もし、カボチャお化けのせいでこの学園の生徒が傷つくようなことがあれば、非難の矛先《ほこさき》は間違いなくシャレイリアに向かうはずだ。
そのときは、もういままでのように、洒落《しゃれ》や冗談ではすまされない。
下る処罰は停学か、あるいはもっと重い処分か――
「委員長として、看過《かんか》できない問題だね。これは」
あたしは静かに箸《はし》を置いた。
「カボチャお化けだかなんだか知らないけど、絶対にとっ捕《つか》まえてやる……」
シャレイリアが、うつむいた顔をわずかに上げた。
あたしはぐっと親指を立て、
「大丈夫。あたしにまかせときなさい。くだらない噂《うわさ》なんて吹き飛ばしてやるから」
「夏穂《かほ》……」
ガダンッ、と後ろのほうで椅子《いす》を引く音がした。
振り向くと、トマトジュースを飲みおえた法香《ほうか》さんが、腰に手をあて立っていた。
「ちょっと、いつまで休憩するつもり? 本番まであと一週間を切ってるのよ?」
「あー、はいはいただいま……っと、そういえば、法香さん」
あたしはあわててご飯をかっこみながら、ふと、舞台へ向かう彼女を呼び止めた。
「なにかしら?」
と、振り向く彼女。
「法香さんは、カボチャお化けの噂って知ってる?」
「ええ。今朝《けさ》、クラスの女子たちから聞きましたわ。どうせ、アルマジロに鼻を噛《か》まれたヒヒでも見たんでしょうよ。……まったく、幽霊なんてくだらない」
そう言い捨てて、足早に去っていく法香さんの後ろ姿を、あたしはちょっとした違和感を覚えながら見つめていた。
「……」
彼女がシャレイリアのそばを通るとき、なぜか、くすっと微笑したように見えたのだ。
[#改ページ]
[#挿絵(img/DRUID_096.jpg)入る]
[#改ページ]
第三話 真夜中のお化け退治!
その晩。
あたしとシャレイリアは机の下に隠れ、やつがあらわれるのを待っていた。
警戒されないよう教室の電気はすべて消し、照明は懐中電灯の明かりだけである。
おやつは張り込みの定番、アンパンと牛乳を用意し、準備は万端だ。
家で待っている聡史《さとし》にも、ちゃんと連絡を入れてある。
「あ、聡史? あたし今日お泊まりだから、お母さんに晩御飯いらないって言っといて」「泊まりって雪那《ゆきな》さん家《ち》か?」「ううん彼氏」「えっ、ちょっ――」「ツー、ツー」
ともあれ、現在、時刻は十時五十五分。
雪那の情報によれば、そろそろ、やつがあらわれるころである。
「っくしゅん!」
「夏穂《かほ》、大丈夫か?」
「ううっ、やっぱ毛布くらい持ってくればよかったかも……」
あたしはぶるっと身震《みぶる》いする。
暖房の効《き》いていない夜の教室は、想像以上に寒かった。身体《からだ》に巻きつけた新聞紙がなければ凍死しているところだ。
「ほんとうはインク量の多いスポーツ新聞のほうが暖かいのだが……」
おなじく新聞紙にくるまれたシャレイリアが不満そうにつぶやいた。ドルイドのくせに、みょーに都会的なサバイバル術を知っている。
……それにしても、彼女の襟《えり》もとにでかでかと印刷されている『お手柄《てがら》女子高生、痴漢を捕《つか》まえてみたらお父さん!?』の見出しはどうにかならないものだろうか。大事な大捕《おおと》り物《もの》の前に、なんだかもの哀《かな》しい気持ちになってくる。
「……」
静寂《せいじゃく》。
時計の音がやけに響く。
とくに話すこともないので、なんとなく、押し黙っていると――
「夏穂《かほ》」
「うん?」
「……その、訊《き》きたいことがあるのだが、いいだろうか?」
シャレイリアにしてはめずらしく、歯切れの悪い口調《くちょう》だった。
「ん、ゆーてみ」
あたしは暗闇《くらやみ》の中で首肯《しゅこう》する。
「……その、やはり……やはり、私は迷惑だろうか?」
「は?」
意味がわからず訊き返す。
「私がこの学園にいるのは、みんなにとって迷惑だろうか?」
「バカ」
こんどは0・1秒で即答した。
「む?」
「バカって言ったの。あんたが、バカって。某アニメ風にいえば『あんたバカぁ?』って感じ。……ったく、なんか様子が変だなーって思ってたら!」
あたしは呆《あき》れてため息をつく。
なんのことはない。こいつは、今回の騒動のことで、ずっと自分を責めていたのだ。
自分のせいで生徒の誰《だれ》かが危険な目に遭《あ》うのではないかと。
学園祭が台無しになってしまうのではないかと。
まったく。どーしよーもない大バカヤローである。
「夏穂、私は真剣に悩んでいるのだぞ。今回の件だけではない。私はこの学園に来てから、みんなに迷惑ばかりかけている。もし私のせいで誰かが――」
「ええい、だまんなさいっ!」
あたしはぴしゃりと彼女の言葉をさえぎった。
「迷惑迷惑って、そんなに言うんならね、あんたが学校に動物たちを連れてきてることじたい、そーとー迷惑なんだからねっ、ドイツ語でいうとフユーラー迷惑よっ!」
「……」
シャレイリアはうつむいて、唇を噛《か》み締《し》めた。
「では、やはり夏穂《かほ》も……」
「でもね、迷惑かけてるのは誰《だれ》だって一緒だよ。あたしだって、そう。そりゃ、迷惑だけかけてなにもしないってのはどうかと思うけど、あんたは、ちゃんとこうやって、責任取ろうとしてるじゃない。ちょっと不器用なとこもあるけどさ。だから――」
一気にまくしたて、新聞紙にくるまれたシャレイリアの背中をばしっと叩《たた》く。
「だから、気にすんなってこと。そんなんで、誰もあんたのことキライになんてならないし、それがクラスメートってもんだよ、ね?」
言葉は拙《つたな》いし、正直、ちょっとキレイごとすぎるかな、とは思う。
いや、もっとはっきりいえば、偽善かもしれない。
それでも、あたしは伝えたかった。
少なくとも、嘘《うそ》じゃないあたしの気持ちだけは。
あたしはあんたに会えてよかったよ――って。ただそのことを、わかって欲しかった。
「……夏穂……私は、ここにいてもいいのだろうか?」
「ったりまえでしょ、バカ。それから、なにか悩んでたら、すぐあたしに言うこと。これでも委員長なんだから相談ごとには慣れてるよ。いくら友だちだって、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないんだからね。あたしは――」
だんだん早口になっているのは、シャレイリアの顔が近すぎることに気づいたからだ。
「あ」
耳にかかる息がこそばゆい。
シャレイリアの吐息《といき》は、ほのかにあまい牛乳の匂《にお》いがした。
「夏穂……ありがとう」
「あ、うん……」
彼女のうるんだ瞳《ひとみ》が、まっすぐにあたしの目を見つめてくる。心臓がドキドキする。頬《ほお》がカァーッと熱くなる。だって、しょうがない。ふだんはむっつり顔のシャレイリアが見せる、はにかむような笑顔といったら、それはもう、思わずその場でロザリオを渡したくなってしまうくらいキュートなのだから(※|森野《もりの》学園にそんな風習はありません)。
それに、よく考えたらこのシチュエーション。
まっ暗な教室に、二人きりで、肩を寄せ合って。
ドキドキ。ドキドキドキドキ。
マズイ。……えっと、これはかなりマズイのではなかろうか。
ほんのりと赤い、桜色の唇が、ゆっくりと近づいてくる。
「ちょっ、シャレイリ――」
声を上げようとした瞬間。
あたしは唇を塞《ふさ》がれていた。
「む、むぐー(ちょっと、なにすんのっ!)」
口いっぱいにアンパンを押し込まれたまま暴れるあたし。
「夏穂《かほ》、静かに」
「むぐ?」
「廊下だ」
シャレイリアが耳もとで囁《ささや》いた。その顔はいつもの鋭い表情に戻っている。
あたしは外の廊下に目をやった。
と。
暗闇《くらやみ》の中。ぼうっと青白い、鬼火《おにび》のような光球が、ゆらゆらと宙に浮かんでいる。
「……!?」
あたしたちは無言で顔を見合わせた。
ゆっくりと――
[#挿絵(img/DRUID_103.jpg)入る]
廊下を横切り近づいてきたその青白い光球は、教室のドアの前までやってくると、ぴたり、とその動きを止めた。
あたしは新聞紙に開けた小さな穴から、じっと廊下の暗闇《くらやみ》に目をこらした。
やつは――そこにいた。
トンガリ帽子に黒マント。くりぬかれた三角形の両目を妖《あや》しく光らせるその姿は、まさしく、ハロウィーンでおなじみのジャック・オー・ランタン!
「夏穂《かほ》!」
耳もとで叫ぶシャレイリアに、あたしは小さくうなずき返す。
ふたり同時に視線を交わし――
ガゴンッ!
机に頭をぶつける音も高らかに、先に飛び出したのはシャレイリアだった。
あたしもすぐに立ち上がり、懐中電灯の光を廊下へ向ける。
すうっと息を吸いこみ、
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、……えっと、あと空が呼ぶ! 学園祭に仇《あだ》なすふとどき者めっ、この二年C組学級委員長、白川《しらかわ》夏穂が――ってコラ、ちょっと、待ちなさいっ!」
一時間かけて考えたあたしの口上《こうじょう》をまるっきり無視して、ジャック・オー・ランタンは暗闇の中へと走り去っていく。
「くっ、ノリの悪いやつ!」
「夏穂、なにをしている!」
シャレイリアはすでに廊下へ出ていた。あわてて彼女を追いかけ、蛍光灯のスイッチをバババッとまとめてつける。ジャック・オー・ランタンの背中はすでに遠く、ちょうど廊下の突き当たりを曲がるところだ。
「逃がさぬ!」
シャレイリアが立ち止まって腰のショートボウを抜いた。
あたしは彼女を追い越し、逃げる影に向かってダッシュする――
ヒュンッ!
放《はな》たれた矢が、前を走るあたしの頭上をかすめ、教室のプレートを粉々《こなごな》に打ち砕いた。
ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!
「わわわっ、わ!」
後方から飛来する矢の雨を、あたしは右へ左へとよけまくる。
「ちょっ、殺す気かっ!」
「むう、弓は苦手なのだ!」
「だったら撃つなあっ!」
悲鳴まじりの抗議の声を上げながら――廊下をいっきに駆け抜けクイックターン、そのまま階段を飛び下りる。着地の衝撃。痺《しび》れる膝《ひざ》を押さえつつ立ち上がり、懐中電灯の光を左右の廊下へと向ける。
と。
右の廊下の奥。理科室のドアが開いていた。
「……」
――罠《わな》、だろうか。
いや、あいつは、あたしたちが待ち伏せしていることを知らなかったはずだ。罠なんて仕掛けているはずがない。
少し遅れてシャレイリアが階段を下りてきた。
「夏穂《かほ》、無事か」
「うん。あいつ、理科室に逃げ込んだみたい」
「用心しろ。教室の中で待ち伏せているかもしれん」
あたしとシャレイリアは、あたりを警戒しつつ、慎重にドアの前へ近づいた。
室内の暗闇《くらやみ》を、サーチライトのように照らし出す。
……誰《だれ》もいない、ようだ。
「もう逃げたのかな?」
「いや、ここにはたしかに人の気配がする」
シャレイリアが鼻をクンクンひくつかせて言った。
あたしは小さく息を呑《の》む。そういったことに関しては、常人よりもはるかに感覚の研《と》ぎ澄《す》まされているドルイドの言うことだ。
間違いない。やつはこの暗闇に潜《ひそ》んで、じっとあたしたちのことを窺《うかが》っているのだ。
「……」
あたしは電灯のスイッチに手を伸ばしかけ――ふと、止めた。
いまのシャレイリアの言葉に、かすかな引っかかりを感じたのだ。
「待って。いま、人の気配って言った?」
「うむ。言ったぞ」
「それって、幽霊の気配なんかとは違うの?」
「ああ。超自然の存在の気配と、生物の気配とではまったく異なる。この教室に潜んでいるのは間違いなく人の気配だ」
「そう……」
つぶやいて、あたしは顎《あご》に手をあてる。このとき、あたしのごま豆腐《どうふ》色の脳細胞はものすごいスピードで働いていた。
現場の状況。残された手がかり。犯人の動機――点と線、論理と直観が交差し、たったひとつの真実に至る完璧《かんぺき》な推理を構築する。
――そう。あたしの脳裏《のうり》に閃《ひらめ》いたのは、くすりと微笑した彼女の顔だった。
あのときの微笑が、ずっと心に引っかかっていたのだ。
もし、怪人ジャック・オー・ランタンが本物の亡霊《ぼうれい》ではなく、亡霊のふりをした、ただの人間だったとするなら――
犯人は『あの人』しか考えられない。
「夏穂《かほ》、どうしたのだ?」
急に黙り込んだのを不審に思ったのか、シャレイリアが怪訝《けげん》そうに訊《き》いてくる。
「……わかったのよ。怪人ジャック・オー・ランタンの正体がね」
「なんだと?」
「簡単な推理よ。……そう、犯人はとっても身近なところにいたってこと」
あたしは人差し指をぴっと立て、静かに語りはじめた。
「いい? 雪那《ゆきな》から聞いた話だと、ジャック・オー・ランタンは、ただ生徒たちを怖がらせていっただけで、じっさいにはなんの危害も加えてないの。つまり、目撃者は大勢いるわりに、はっきり被害者といえる被害者は、ひとりもいないわけ」
あたしは、シャレイリアに話しているのと同時に、暗闇《くらやみ》の奥にひそんでいるであろう、ジャック・オー・ランタンに向けて話している。
ジャック・オー・ランタンの――中の人に。
「とすると、やつがこんなことをする目的はなにかってことになるんだけど――ただの悪戯《いたずら》にしちゃ度が過ぎてるし、意味もよくわからない。何か目的があるんだとすればそれはおそらく……ねえ、シャレイリア? さっきあたしは、被害者はひとりもいないって言ったよね。でも、本当はひとりだけ、とっても大きな被害を被《こうむ》っている人物がいる。誰《だれ》だかわかる?」
「……む?」
きょとん、とした顔で首を横に振るシャレイリア。
あたしは彼女のおでこを人差し指で突き、
「あんたよ、あ・ん・た。カボチャお化けが出るのはシャレイリアのせいなんじゃないかって、じっさい、みんなに疑われてたじゃない。……さて、そこで考えなきゃならないのは、いま、このタイミングで、シャレイリアの悪い噂《うわさ》が流れて得をするのは誰か、ってことよ。この学園でそんな動機のある人物なんて、たったひとりしかいないじゃない!」
あたしは自信たっぷりに言い放《はな》ち、蛍光灯のスイッチをまとめて押した。
パパパッ!。
真夜中の理科室を白い光が照らしだす。
ついに、怪人ジャック・オー・ランタンの正体が白日《はくじつ》のもとにさらされる!
「あなたなんでしょう、神代《かみしろ》法香《ほうか》さん?」
あたしは、犯人の名を静かに告げた。
「……っ!」
そう――
テーブルの下に隠れていたのは、まぎれもなく、制服姿の法香《ほうか》さんだった。
まぶしそうにかざした手の隙間《すきま》から、キッとこっちを睨《にら》みつけている。
「世間を騒がすジャック・オー・ランタンの正体見破ったり! さあ、おとなしくお縄《なわ》につきなさいっ!」
あたしは法香さんに向かってびしっと指を突きつけ、高らかに宣告した。
「……」
すると、彼女は首を四十五度ほどかしげ、
「……なによそれ?」
と、一言。
「――へ?」
「わたくしが、なんですって?」
眉《まゆ》を吊《つ》り上げ、怒ったように訊《き》き返してくる法香さん。
「……と、とぼけないでっ! 法香さんなんでしょっ、カボチャお化けの正体!」
「カボチャ?」
彼女は一瞬、怪訝《けげん》そうに眉をひそめ――それから、ぽん、と手を打った。
「それなら、ついさっき、ものすごい勢いでこの教室に入ってきて、すぐにそっちの窓から出ていきましたけど」
あたしは彼女の指さしたほうに目をやった。
モスグリーン色のカーテンが、風に吹かれてパタパタとはためいていた。
「……」
「それで心臓が止まるほどびっくりして固まっていたら、廊下からまた人の声が聞こえてきたから、思わずテーブルの下に隠れたのよ」
「……そ、それを信じろっていうの?」
しれっと言う法香さんに、あたしはなおも食い下がる。
と。それまで黙っていたシャレイリアが、あたしの袖《そで》をくいくいっと引っぱった。
「夏穂《かほ》、法香の言っていることは嘘《うそ》ではない。さっき逃げていったジャック・オー・ランタンの気配は、少なくとも法香のものではなかった」
「……」
あたしは首をギギィーッとシャレイリアのほうへ向け、
「……あのー、そーゆーことは、できればもっと早く言って欲しいんですけど」
「言う前に、夏穂が勝手に推理をはじめたのではないか」
「うっ、それはまあ……」
あたしはあさってのほうへ視線を泳がせる。
「どうやら、妙な誤解はとけたようね」
法香《ほうか》さんが肩をすくめて言った。シャレイリアが彼女を弁護したのが意外だったのか、ちょっと怪訝《けげん》そうな顔だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 法香さんがジャック・オー・ランタンじゃないのはわかったけど、じゃあ、法香さんはそもそも、こんな時間に、こんな場所でなにしてたの?」
「……え? そ、それは……」
あたしが問い詰めると、彼女は急にもじもじとうろたえはじめた。
怪《あや》しい。
「……えっと、そう、金魚に餌《えさ》をやり忘れてて!」
「法香さん飼育係だっけ?」
「その、宿題のノートを忘れてしまって!」
「なんで宿題のノートが理科室にあるの?」
「そ、その、あの……」
法香さんの口調《くちょう》が、だんだんしどろもどろになっていく。
「待て」
ふいに、シャレイリアが法香さんに近づき、くんくん身体《からだ》の匂《にお》いをかぎはじめた。
「……なっ!? ちょっ、なにするのよっ――」
顔を赤らめ、あわてて手をひっこめる法香さん。
「獣《けもの》の匂いがする」
「獣の匂い?」
と、あたし。
「ああ。それにこの匂いは――」
……ん?
そのとき、あたしは法香さんが背後に庇《かば》っているものに気がついた。
実験テーブルの上に、小高い缶詰《かんづめ》のピラミッドがそびえたっている。
表面のラベルに描《えが》かれているのは愛らしい子猫のイラストだ。
そう、それは――
「キャットフード?」
あたしが眉《まゆ》をひそめてつぶやくと、法香さんはあわてて後ろへ下がり、
「こ、これは、その、お仕事のスポンサーさんからたくさんいただいたから、今夜の晩御飯にしようかと思って――」
「それ無理あるし。ぜんぜん説明になってないよ」
「うっ……」
冷静なあたしのつっこみに、顔を真っ赤にしてうつむく彼女。
……どういうこと?
「む、これは――」
と。シャレイリアが何かに気づいたように床にしゃがみこんだ。
拾い上げたのは、数枚の小さな四角い紙切れだ。ミミズののたくったよーな字で何か書いてある。
「あ、それはっ……」
「ん、なになに?」
あたしは背後からその紙を覗《のぞ》きこむ。そこに書いてあったのは――
「……かみ……しろほ……う……け……?」
かろうじてそう読める。まるで尻尾《しっぽ》の先で書いたような、太い毛筆だった。
ええっと、これって、ひょっとして……
あたしはこめかみを押さえて考える。
大量のキャットフード。動物の匂《にお》いのする法香《ほうか》さん。そして彼女の名前の書かれた紙切れ。この符号が意味することは――
「……ひょっとして、ここでシャレイリアの仲間を餌付《えづ》けして、動物たちの票を集めようとしてたとか?」
あたしはジト目で訊《き》いた。
「……っ! ひ、人聞きの悪いことを言わないでくださる? わたくしはただ、動物さんたちと仲良くしようと思って――」
ハッと口を押さえる法香さん。
どーやら図星だったらしい。
「なるほど。昨晩から、どうも仲間たちの様子がおかしいと感じていたが、そういうことだったのか」
シャレイリアがしみじみとつぶやいた。
「寂《さび》しいことだが、日本製のキャットフードで釣られたのなら、心変わりするのもわかる。あれほど美味なものはないからな」
あんたも食ってるのか。
っていうか、キャットフードで壊れるドルイドの絆《きずな》っていったい……
「そ、そんなことより!」
法香さんがむりやり話題を断ち切った。
「あなたたち、あのカボチャお化けを退治するんでしょう? わたくしもさっき、この目で見てしまったから信じないわけにはいかないし、手伝ってさしあげてもよくってよ」
「え、ほんとに?」
あたしは思わず訊《き》き返す。どういう風の吹き回しか知らないが、法香《ほうか》さんが手伝ってくれるのなら頼もしい。
「ええ。カボチャだかなんだか知らないけれど、学園祭の邪魔をされては、わたくしに負けたそこの小娘が、鼻から焼きそばを食べる姿を見ることができないし」
そう言って、ふぁさっと髪をかきあげる彼女。
……シャレイリアにそんなことさせよーとしてたのか、この人。ま、いーけど。
「よし、そうと決まったら早く追いかけましょ――って言いたいとこなんだけど、正直、やつがいまどこにいるかわからないし……」
カーテンのはためく窓のほうを見やりながら言うと、
「いや、それなら問題ない。一度でも顔を見たことのある者なら、私の魔術で念視することができる」
シャレイリアが腰に吊《つ》った杖《つえ》を抜き放《はな》ち、床に突き立てた。
「あ、そんなこともできるんだ。それは便利」
「ときに法香よ、このあたりに天然の水たまりはないか?」
「水たまり? ないわよ、そんなの。今日はとくに雨も降ってないし。……理科準備室にマリモの水槽《すいそう》くらいならあるけれど」
「む、そうか。天然の水たまりのほうが画質が鮮明なのだが、このさいしかたあるまい」
そう言うと、シャレイリアは制服のポケットから取り出した木炭の欠片《かけら》で、テーブルに奇妙な模様を描《えが》きはじめた。
あたしと法香さんは、準備室にあったマリモの水槽を二人がかりで持ってきて、その模様の上に静かに置いた。
波打つ水面に手をかざし、低い声で、ぶつぶつと呪文《じゅもん》を唱《とな》えはじめるシャレイリア。
「いったい、なにをするつもりなの?」
法香さんが眉《まゆ》をひそめて訊いた。
「念視だって。ドルイドの魔術で遠くのものを映し出すことができるらしいの」
「はあ?」
一分後。
波打つ水面に、ぼんやりと、映像らしきものが浮かんできた。
「おお、すごいっ」
あたしが思わず感嘆の声を上げると、シャレイリアは誇《ほこ》らしげに胸を張り、
「うむ。故郷にいたころは修行の合間を縫《ぬ》って、ネイ湖の湖面に日本のアニメを投影していたものだ」
どんなドルイドだ。
「ゲームもできるのだぞ」
「……あ、そう」
「それにしても解像度が低いわね。これじゃ結局、なんだかわからないじゃない」
法香《ほうか》さんが肩をすくめて文句を言った。
たしかに、彼女の言う通り、水面にはオレンジ色のぐにゃぐにゃしたものが映っているだけで、これではとても居場所を特定できそうにない。
「むう、電波が悪いのだろうか……」
ぼやきながら、杖《つえ》の先端で水面をバシャバシャかきまぜるシャレイリア。
……電波……なのか?
シャレイリアが杖を引き抜いた。しばらくして、波立っていた水面がしだいに穏《おだ》やかになってくると、さっきとはまるで違う、クリアな映像が浮かび上がってきた――
「……って、これ『美少女戦隊ルナティックトルーパー』の|OP《オープニング》じゃない!」
今度こそ、あたしはつっこんだ。
『美少女戦隊ルナティックトルーパー』とは、九〇年代前半に一世を風靡《ふうび》した女の子向けアニメのことである。その人気はいまなお根強く、朝方にやっている再放送も好評を博《はく》している……らしい。
「……む、すまない。これは今朝《けさ》録画していたものだ」
頬《ほお》を赤く染め、あわてて水面に手をかざす彼女。
……ひょっとして、シャレイリアってアニメオタクなんだろーか?
「……」
数秒後。彼女のかざした手の下でアニメの映像が揺らぎ、やがて水面に新たな波紋が広がると、こんどこそ、鮮明なジャック・オー・ランタンの姿が映しだされた。
「おー、見えた見えた。……廊下、みたいだね」
リノリウム貼《ば》りの赤い廊下にちらっと見えた教室のプレートは、二年C組のものだった。巡回コースを一周したのか、どうやらもとの場所へ戻ってきたらしい。
「近いわね。よし、さっそく捕《つか》まえに――」
立ち上がりかけたあたしのスカートを、シャレイリアがくいっと引っぱった。
「ほえ?」
「待つのだ、夏穂《かほ》。先ほどの動きを見たかぎり、やつはかなりできるようだ。返り討ちに遭《あ》わぬよう、こちらもそれなりの準備をする必要がある」
「準備?」
「ああ」とうなずいて、シャレイリアはなぜか、法香さんのほうを向いた。
「ときに法香よ、あの衣装はまだ教室にあるか?」
「え?」
訊《き》かれた法香《ほうか》さんは、ただ、きょとんとするばかりだった。
◆◇◆
バヂンッ! バヂンバヂンバヂンッ!
やつが中庭に足を踏み入れた、その瞬間。
校舎の屋上から、強烈なスポットライト(演劇部より無断借用)の光が放《はな》たれた。
「……ッ、……ッ!?」
狼狽《ろうばい》し、あたりをきょろきょろと見まわす怪人ジャック・オー・ランタン。
そこへ、
「そこまでよっ!」
中庭の中央。モミの切り株の上に立ったあたしが、大声で呼びかけた。
ジャック・オー・ランタンがあわてた様子で振り返る。マスクの下に顔があれば、あるいは驚愕《きょうがく》の表情すら浮かべていたかもしれない。
そう。シャレイリアの念視でやつの巡回ルートを把握したあたしたちは、先まわりして、この中庭で待ち伏せていたのである。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、あと空が呼ぶ! 学園祭に仇《あだ》なすふとどき者めっ、この二年C組学級委員長――って、こらっ!」
怪人ジャック・オー・ランタンは、またもやあたしを無視して逃げようとし――
ぴたり、と立ち止まる。
立ち止まらざるをえない。
「――!?」
やつの背後には、トリエントの着ぐるみを着込んだシャレイリアと、ドラキュリーナのコスチュームを着た法香さんが待ち受けていたのだ。
「どこへ逃げるおつもりですの?」
煌々《こうこう》と輝く紅《あか》い目で、ジャック・オー・ランタンを睨《にら》みつける法香さん。
ふたりがまとっているのは、むろん、ただの衣装ではない。シャレイリアの魔術で強化されたバトルコスチュームである。シャレイリアいわく、ドルイドの魔術というのは、媒介となるものの意味や概念、表象《ひょうしょう》としての影響をダイレクトに受けるものだから、こういう特異なデザインの衣装は、魔術をかけるのにすこぶる適しているらしい。……ま、難しい理屈はわかんないけど。
ともあれ、いまのシャレイリアと法香さんは、超自然の存在であるジャック・オー・ランタンに対しても、十分に戦えるくらいパワーアップしているということだ。
「――はっ!」
法香《ほうか》さんが、ブーツの爪先《つまさき》で地を蹴《け》った。立ちすくんでいるジャック・オー・ランタンに一瞬で接近し、にやけたカボチャ顔に強烈なハイキックを叩《たた》き込む。
ぐちゃり。野菜の潰《つぶ》れるような音。三メートルほど宙に浮いたジャック・オー・ランタンを追って法香さんも跳躍《ちょうやく》――怪人のマントの端を掴《つか》み、そのまま地面に叩きつける。
さながら格闘ゲームのようなハイスピードコンボ。相手に反撃の隙《すき》を与えない。
「法香さん、すごい!」
「むう、あやつ、なかなかやるではないか」
トリエントの着ぐるみを着たシャレイリアが、のっそり、のっそりと歩いてきた。
「……ってゆーか、あんたはなにやってんの?」
あたしはジト目で訊《き》いた。
「うむ、魔術をかけるときに防御力を重視しすぎたあまり、ほとんど歩けなくなってしまったのだ」
「うわ、役たたず。ウドの大木《たいぼく》」
「むう……」
シャレイリアは反論しなかった。
「……しかし妙だな」
「妙? あんたの格好が?」
「違う。あのジャック・オー・ランタンのことだ。あやつはたしかに超自然の存在なのだが、わずかに人間の気配もする」
「どういうこと?」
あたしは視線を中庭に戻す。ジャック・オー・ランタンはすでに体勢を立て直し、法香さんと一進一退の攻防を演じていた。
やはり、手強《てごわ》い相手のようだ。
左右から襲《おそ》いくるチョップの嵐《あらし》を受け流し、後ろへ跳ぶ法香さん。背中の翼を羽ばたかせ、宙空へ一時離脱する。
と。
突然、ジャック・オー・ランタンの姿が闇《やみ》にとけるようにかき消えた。
「――っ!?」
刹那《せつな》。あたしの背後にあらわれる濃密な気配。
振り向くことはできなかった。目の前にぬっと黒い手が伸びてきたかと思うと、次の瞬間には口を塞《ふさ》がれていた。
「むっ、むぐー!」
「夏穂《かほ》!」「委員長!」
二人が同時に叫ぶ。
ジャック・オー・ランタンは、あたしをはがい絞《し》めにしたまま跳躍《ちょうやく》し、モミの切り株の上に着地した。
「ファファファ、諸君、油断シタナ!」
耳ざわりなジャック・オー・ランタンの哄笑《こうしょう》が闇夜《やみよ》に響きわたる。
ボイスチェンジャーで加工したような、その声。
っていうか、喋《しゃべ》れたのかこいつ!
「夏穂《かほ》を放《はな》せ!」
シャレイリアが杖《つえ》を掲《かか》げながら、のっそりと進み出た。
ジャック・オー・ランタンは動かない。正面のシャレイリアと対峙《たいじ》しつつ、背後の法香《ほうか》さんを牽制《けんせい》する。
「ナラバ――ソノ杖ヲ捨テテモラオウ」
「……なに?」
告げられたその言葉に、シャレイリアの表情がさっとこわばった。
それもそのはず。彼女の持っている杖は、ただの杖ではない。その先端には、ドルイドが魔術を使うのに必要なオーク樹《じゅ》の〈ヤドリギ〉がくくりつけられているのである。つまり、彼女が杖を手放《てばな》してしまえば、二人の衣装にかけている強化魔術も消えてしまうということだ。
しかし、なぜこいつがそんなことを知っているのか――
「むむ、むぐーぐぐ!(だめ、シャレイリア!)」
あたしは黒い腕の中でもがいた。いくらシャレイリアや法香さんでも、強化コスチュームなしでこの怪人に勝てるはずがない。そして、もしこいつが、人の魂《たましい》を刈《か》るという本物のウィル・オー・ウィスプなのだとしたら、あたしだけでなく、二人ともあの世へ連れ去られてしまう――
だが。
「この杖を手放せば、夏穂を解放するのだな?」
シャレイリアは静かにそう言って、杖を持つ手を差し出した。
「むぐ、むぐぐー!(だめ! 逃げて!)」
「よいのだ夏穂。我が一族に古来より伝わるこんな格言がある」
彼女はゆっくりと首を振り、
「ドルイドは、タフでなければ生きていけない。しかし、優しくなければ生きる価値がない――ここでおまえを見捨てるようでは、私はドルイド失格だ」
「むぐー!(シャレイリア!)」
あたしはふたたび腕の中で激しくもがいた。
喉《のど》の奥から熱い想《おも》いがこみ上げてくる。
彼女に伝えたい言葉――言わなければならない言葉が溢《あふ》れてくる。
なんとしても彼女に伝えたい。
「むぐぐー、むー(パクリだよその格言っ!)」
だが、あたしのそのつっこみは、ついに彼女に届くことはなかった。
ヒュッ――
シャレイリアが天高く杖《つえ》を投げ捨てた。
「――あ、上」
と、あたしが空を見上げてつぶやいた。
「エ?」
ジャック・オー・ランタンが反射的に上をあおぎ見た――その瞬間。
スコーンッ!
と、やたら景気のいい音を響かせて。
杖を握り締《し》めたままの巨大なトリエントの右腕[#「巨大なトリエントの右腕」に傍点]は、ジャック・オー・ランタンの脳天をみごとにカチ割ったのだった。
「……」
「この着ぐるみの腕部は着脱可能なアタッチメント方式になっている。ぜんぶで十八あるアクションギミックのひとつだ」
枝葉をわさわさ揺らしながら、エヘン、と胸を張るシャレイリア。
「……んなアホな」
気絶した怪人の腕の中で、あたしは冷静につっこんだ。
◆◇◆
真《ま》っ二《ぷた》つに割れたカボチャマスクの中からあらわれたのは――
なんと、見知った顔だった。
「あ、あんたはっ……!?」
読者|諸賢《しょけん》の皆様は覚えておられるだろうか。法香《ほうか》さんとシャレイリア、二人の勝負のせいで理不尽にも主役の座を降ろされた、哀《あわ》れな名もなき男子生徒のことを。
一分後。
全身をガムテープでぐるぐる巻きにされた彼(出席番号十番・須田《すだ》翔太《しょうた》)は、涙目であたしたち三人を見上げ、ガタガタ震《ふる》えていた。
「た、助けてくれっ、俺《おれ》は無実なんだーっ!」
「あーら、あなた、面白いことをいうのねえ」
「ひいいいいいいいいっ!」
鋭い牙《きば》を剥《む》きだし、にっこりと微笑《ほほえ》む法香《ほうか》さん。
……コワすぎです。
あたしは肩をすくめ、彼の目線と同じ高さにしゃがみこむ。
「ほら、正直に白状なさい。司法取り引きに応じれば今回の件は特別に見|逃《のが》してあげるから。動機なんて、どーせ役を降ろされた復讐《ふくしゅう》とかなんでしょ? 故郷のおっかさんは泣いてるよ。カツ丼《どん》食べる?」
「いや、俺《おれ》卵アレルギーなんで……あっ、いてっ……わかった話すっ、話すからっ!」
うん。素直でよろしい。
「俺はっ、俺はあああっ――」
須田《すだ》は涙ながらに弁明をはじめた。
……………………
「くそっ、面白くねえっ!」
昨日の放課後。
ジェイ○ンの役を降ろされてむしゃくしゃしていた彼は、公園のベンチで『ふりふりプリンシェイク♪』を片手に飲んだくれていた。
「べらんめえ!」
と、微妙に間違った江戸っ子弁で怒りを表現する彼に、砂場で遊んでいた子どもたちはなにやらかわいそうな視線を向けつつ、ひとりまたひとりと消えていった。
「くそっ、俺がっ、俺がせっかくの主役だったのにっ……」
怒りにまかせ、ジュースの缶をくしゃっと握りつぶす。
ゲル状のプリンがぶじゅっと溢《あふ》れ、須田の顔面をべとべとにした。
「……」
「くっくっく……なにがそんなに面白くないのかね、少年?」
「ああ?」
突然、背後からかけられた声に振り向くと、目の前に背の高い影が立っていた。
スーツ姿にカボチャ頭の人影が。
「……あ、あんた……なんだ? 変態か?」
あわててベンチから立ち上がる。
「我が名はランドルフ。変態ではない」
ランドルフと名乗ったその男は、大仰《おおぎょう》な身振りでその疑惑を否定した。
「くっくっ……そんなことより少年よ、復讐がしたいか? したいだろう? おまえを迫害《はくがい》したこの世界に。おまえが望むなら、私はその力を与えることができる」
「は? なに言って……うわっ――」
須田の言葉は途中でさえぎられた。
男は、突然、かぶっていたカボチャ型のヘルメットを脱いだかと思うと、それを須田《すだ》の頭にすっぽりとかぶせたのだ。
「な、なんだよこれ! まっ暗でなんも見えねーよ!」
あわてて脱ごうとするが、どういう構造になっているのか、まったくはずれない。
「て、てめえっ、いったい――」
「ふん、安心するがよい。一見ただのカボチャにしか見えぬそのヘルメットこそ、この私が二年の歳月をかけて発明した魔道具の傑作〈パンプキンヘッド〉だ。これを装着した者はたちどころにものすごいパワーを持つ怪人となり、空を飛んだり、目が光ったり、金運がアップしたり、たったの一ヶ月で身長が三センチも伸びたり、謎《なぞ》のフェロモンで女の子にモテモテになったりするのだ!」
「……モ、モテモテって……マジかそれ?」
「おお、そうともそうとも。まずは使ってみい使ってみい。いまなら期間限定サービスで九万八千円のところをタダにしておくぞ」
「安っ!」
…………………………
「その瞬間、意識が朦朧《もうろう》として、気づいたらこんなことに……」
「ええい、やめんかっ!」
あたしは叫んだ。
「なによその嘘《うそ》くさい、ってゆーか嘘まるだしの話はっ! 正直に言わないと――」
「ま、待て! ほ、本当なんだ! そりゃ、にわかには信じられないかもしれんが……や、やめろ、うああっ、やめろ白川《しらかわ》っ、その手つきは……ああっ、あああああああっ!」
夜の校舎に、ぎょ〜〜〜〜〜〜〜っとすさまじい絶叫が響きわたる中、
「ランドルフ……まさか……」
「シャレイリア、知ってるの?」
中指の第二関節をぐりぐり回しながら、あたしは訊《き》いた。
彼女は、どこか遠くを見るような目つきで「ああ」とうなずき、
「私の……婚約者だ」
「――え?」
真夜中の中庭を、蒼白《あおじろ》い月がしらしらと照らしている。
校舎の屋上から、一羽のカラスが静かに飛び立った。
◆◇◆
――と、そんなわけで。森野《もりの》学園にひとまずの平和が戻ってきた。
あたしの言いたいーかげんな脚本は、文才のある雪那《ゆきな》の手によってカボチャ怪人を退治するストーリーに書き直され、例の騒動は、じつはちょっと凝《こ》ったクラスの出し物の宣伝だったのです、ってことにしておいた。人騒がせなと怒られはしたものの、シャレイリアのことを疑っていた子たちの誤解も解けたようで、とりあえずは一件落着である。
で。わりとどーでもいい、例の勝負だが――
大方の予想通り、法香《ほうか》さんの圧勝だった。
いや、開票のときはたしかに、森の動物たちから絶大な人気を誇《ほこ》るシャレイリアのほうが競《せ》り勝ってはいたのだが――
「ってゆーか動物の票とかってありなの?」
誰《だれ》かの言ったこの一言がきっかけで、クラス内に喧々諤々《けんけんがくがく》の議論が巻き起こり、結果、動物の票は二票で一票、ってことになってしまったのである。
ところでこの勝負、負けたほうは悪者の役をしなければならない、という約束だったはずなのだが、悪役のカボチャ怪人は当然、須田《すだ》にやらせることになったので、シャレイリアは結局、またモミの木を演じることになってしまった。
法香さんが主役で、須田が悪役で、シャレイリアがモミの木。……って、なんていうか、結果を見ればとことん意味のない勝負だったよーな気がする。まあ、いいけど。
そういえば、勝負の約束といえばもうひとつ――
「それじゃ、約束通り、わたくしの言うことをひとつ聞いていただきますわよ!」
言って、法香さんはシャレイリアのおでこにびしっと人差し指を突きつけた。
「……むう、勝負に負けたのは事実だ。しかたあるまい。……それで、おまえは私に何をさせるつもりなのだ?」
「そ、そうね、ええっと……」
法香さんは、ちょっと躊躇《ためら》ったあと、ふいっとあさってのほうへ目を逸《そ》らし、
「シャレイリアさん、わ、わたくしの、ライバルになってくださらない?」
「ライバル?」
と、眉《まゆ》をひそめるシャレイリアに、あたしはこっそり耳打ちする。
「えーとね、よーするに法香さんは、シャレイリアに、友だちになって、って言ってるの」
「む?」
「ちょっ、委員長っ――ばっ、ばっかじゃないですの!」
顔を耳まで真っ赤にしてガーッと怒鳴《どな》る法香さん。
……ほんと、素直じゃないんだから。
彼女にぽかぽか背中を叩《たた》かれながら、あたしはやれやれ、と肩をすくめるのだった。
[#改ページ]
[#挿絵(img/DRUID_134.jpg)入る]
[#改ページ]
第四話 シャレイリアの婚約者?
その日。空は鉛色《なまりいろ》の雲に覆《おお》われ、はげしい雨が降っていた。
「くっ、くっくっくっくっ……」
薄暗い部屋の中、男の低い哄笑《こうしょう》が響いている。
楽しげに歌うような、しかし、どこか呪詛《じゅそ》めいた――その声。
男の座している椅子《いす》以外に、家具や調度品の類《たぐい》は見当たらない。
殺風景な部屋だった。
ズガビシャーン!
窓の外で、稲妻《いなづま》が閃《ひらめ》いた。一瞬の閃光《せんこう》が、その男の顔貌《がんぼう》を照らしだす。
齢《よわい》は、四、五十ほどだろうか。彫《ほ》りの深い顔立ち。オールバックにまとめた白髪まじりのブロンドヘア。深いブルーの瞳《ひとみ》は鋭い知性を感じさせるが、同時に、なにか底知れぬ狂気の光を宿《やど》してもいる。
「怪人〈パンプキンヘッド〉が敗れたか……」
男は、手にしたワイングラスをまわしながら、愉《たの》しげに嗤《わら》った。
「だが……次はそうはいかんぞ――」
声にかすかな怒気を含ませ、つい、と顔を上げる。
視線の先。部屋の壁にもたれるようにして横たわっている、ひとりの少女がいた。
少女は、美しかった。
〈美〉という概念そのものを体現したかのような、完璧《かんぺき》な肢体《したい》。
精妙に彫刻された女神像のような美貌《びぼう》。
だが、その透明なアイスブルーの双眸《そうぼう》に映りこんでいるのは、虚《うつ》ろな闇《やみ》の色だ。
ベージュ色の制服を身にまとい、目を開けたまま眠っているのか、少女はぴくりとも動かない。あるいは、呼吸すらしていないのかもしれないが。
「くっくっく……いま迎えにゆくぞ、我が妻よ……」
ズガビシャーン!
窓の外で、ふたたび稲妻《いなづま》が閃《ひらめ》いた。
◆◇◆
「えっと、あたしはねー、キノコのリゾットと、マルゲリータピッツァ、パンプキンスープ、チョコパフェに、セットでドリンクバー。あとニョッキ」
「わたくしは、シーザーサラダと海老《えび》とマカロニのグラタン、甘辛《あまから》ソースのチキンソテー、サフランライスをセットでお願いしますわ。あ、それとデザートにティラミスのアイスクリーム。ドリンクバーつきで」
「ミラノ風ドリア」
「え? 須田《すだ》それだけでいーの? ドリンクバーは?」
「水でいい。男子は水で十分だからな」
「あ、ひょっとして、まだ根にもってる?」
「ドリアはせめて半熟卵つきのやつにしたらどう?」
「うるせえっ、てめーら人の金だと思って好き放題たのみやがって!」
「あ、あたし追加でチョリソー」
「イカリングマリネもお願いしますわ」
「おまえらああああっ!」
「夏穂《かほ》、このドングリバーとはなんだ? とても興味深いのだが」
「だからドリンクバーだっつの」
「むう……」
はげしい雨の降りしきる放課後。駅前の森野《もりの》商店街にあるファミレスにて。あたしたちは、いよいよ明日に迫った学園祭の最終打ち合わせをしていた。
メンバーは、あたしとシャレイリアと法香《ほうか》さん、それに須田|翔太《しょうた》の四人で、雪那《ゆきな》は夕方から塾のため残念ながらバス。「私のぶんまで思いっきり食べてきて〜」と悲壮な声で別れを告げてきた彼女のためにも、今日は六種類のデザート完全制覇を目指す所存です。
もちろん、会計はすべて須田《すだ》持ち。邪悪なカボチャヘルメットに操られていたとはいえ、あれだけ世間を騒がせたのだ。相応の罰を受けるのが道理というものであろう。
「っていうかシャレイリア、あんたほんとにお子様ランチにすんの?」
「うむ。お子様ランチはすばらしい。たった五百八十円で、スパゲティにチキンライス、ポテトサラダに目玉焼き、タコさんウィンナーにチーズハンバーグ、デザートのプリンにおまけの玩具《おもちゃ》までついてくるのだぞ」
両手にフォークとスプーンを握り締《し》め、目をキラキラ輝かせていうシャレイリア。
「……いや、たしかにそーやって聞くとちょっと心が揺れるけど。でも、あたしたち、もう中学生なんだよ?」
「あら、いーじゃない。お子様にはぴったりよ」
と、法香《ほうか》さんが横から口をはさんだ。
シャレイリアとの勝負に勝ち、みごと主役の座をゲットした彼女だったが、あの一件以来、シャレイリアを完全にライバル認定してしまったらしく、こうやってなにかにつけて突っかかる。シャレイリアはシャレイリアで、わりと売られた喧嘩《けんか》は買うほうなので、二人のあいだにはいつも剣呑《けんのん》な空気が漂《ただよ》っているのである。
ま、こーして一緒にご飯食べてるからには、おたがい、本気で嫌い合ってるってわけでもないんだろーけど。
「私は子どもではない。故郷の森で成人の儀式は済ませたぞ」
「ふーん。身長はお子様のくせにね」
「……むう。バカ! 法香のバカ!」
「あら、ボキャブラリーが貧困ねえ。だいたい、バカって言ったほうがバカなのよ?」
「はいはいふたりとも、どーでもいいことで喧嘩しない」
「……あー、俺《おれ》はお子様ランチのほうが助かるんだが。経済的に」
「あんたの意見は聞いてない」
「ううっ……」
そんな須田の涙など一顧《いっこ》だにせず、あたしたちは立ち上がってぞろぞろとドリンクバーをとりにいく。で、お砂糖たっぷりのエスプレッソを注いで戻ってくると、明日の打ち合わせもそこそこに(だってほとんどアドリブだし)、好きなマンガやアニメの話をしたり、嫌いな先生の悪口を言いあったり、青春の一ページを送る中学生らしく、将来の不安や悩みを肴《さかな》に、まったりとだべるのだった。
そう。いまはいろいろアホなことをしているあたしたちも、なんだかんだで、来年はもう受験生だ。まだ実感はわかないものの、揺るぎのないその現実が、ぶ厚い雨雲のようにのしかかる。
「うー、あたしってば将来、なんになりたいんだろ。べんきょーも部活も中途半端、ちゃんとやりたいことの見つかってる法香《ほうか》さんがうらやましいっス」
「そーでもないわよ。わたくしだって、ときどき、なにもかも投げだして異世界にでも飛ばされて、あなたはじつは救国のお姫様だったのですー、なんてスペクタクルな運命に翻弄《ほんろう》されてみたくなるもの」
「わかる。それ、わかるわー」
こくこくうなずきながら相槌《あいづち》を打つあたし。もちろん、こんなたあいもない会話になんの意味もないのはわかっている。とりあえず、将来は不安なんだけど、あまりに漠然《ばくぜん》としすぎていてその憂《うれ》い方さえよくわからないから、なんとなく、悩んでいるようなふりをしているだけなのだ。でも、そんなとりとめもないお喋《しゃべ》りでも、不安をまぎらわすことくらいはできる。
「そこんとこ、シャレイリアはどーなのよ。アイルランドからわざわざ日本の学校に来たってことは、将来なにかやりたいことがあるんでしょ?」
あたしはシャレイリアに話題を振った。
「ああ。私はまだ修行中の身ゆえ、早く一人前のドルイドになりたいと思っている」
「ん、それって、アイルランドの森で修行してるんじゃだめなの?」
「それは……」
シャレイリアの表情がかすかに曇《くも》った。
「いや、言いにくいことなら、無理して話さなくていいけど」
あたしがぱたぱた手を振ると、
「……すまない」
小さくつぶやいて、彼女はそれきり口をつぐんでしまった。
……なんとなく、気まずい空気。べつに怒っているわけではないようだけど、どうやら、あんまり訊《き》かれたくないことだったらしい。
でも、そもそもシャレイリアがどうして日本の学校へ転校してきたのか、ちゃんとした理由を、あたしは知らない。両親とも別れ、いまは森野《もりの》学園の裏山でひとりテント暮らしをしているらしいのだが、どういう事情でそうなったのか、そのあたりのことをまったく知らないのだ。これまで、なんとなく聞きそびれていたというのもあるし、ふとしたきっかけで尋《たず》ねたときも、たしか、いまみたいにはぐらかされてしまったと思う。
それに――
あの日から、シャレイリアの様子はちょっとおかしい。
たとえば、授業中なんかにときどき窓の外を見ては、ほう、とかすかなため息をつくようになったのだ。
ランドルフ。
彼女の婚約者だという、その男の名前を聞いた、あの日から――
「お待たせしました。お子様ランチでございます」
ウェイトレスさんがやってきて、新幹線型のトレイをシャレイリアの前に置いた。
「おお、かたじけない」
心の底から嬉《うれ》しそうな声を上げるシャレイリアに、若いウェイトレスさんは下を向いて必死に笑いをこらえている。なにしろ目も覚めるような絶世の美少女が、フォークとスプーンを固く握り締《し》め、キラキラした瞳《ひとみ》でお子様ランチを待ち受けているのだ。
か、かわいい……けど恥ずかしいぞ、シャレイリア。たまに喫茶店で特大パフェをたのんでるおじさんとかいるけど、あれに匹敵《ひってき》するくらい恥ずかしい。
だが。そんな乙女《おとめ》の恥じらいなどかけらも気にしない様子で、シャレイリアは意気揚々《いきようよう》とチーズハンバーグのど真ん中にフォークを突き立て、
「む、これはいらん」
と、チキンライスの丘に立っているイギリス国旗をぺしっとトレイの端に投げ捨てた。
……うーん、やはりそこはアイルランドっ娘《こ》。いろいろあるようだ。いろいろ。
ほぐほぐ。ほぐほぐほぐ。
ほおばったチーズハンバーグのかけらを、じっくりと噛《か》みしめるシャレイリア。
むちゃくちゃ幸せそーな顔である。
「むう、これほど美味なものは食べたことがない」
「あんたそれ毎回言ってるし。……ってゆーか、そもそも、ドルイドってお肉食べていいわけ?」
そんなあたしの素朴な質問に、シャレイリアは一瞬、咀嚼《そしゃく》するのをやめ、
「……うむ。森は弱肉強食の世界だからな。むろん仲間は別だが」
ほぐほぐほぐ。
なるほど。そーゆーものらしい。
「それに、ドルイド教の伝承では、あらゆるものの魂《たましい》は輪廻《りんね》することになっている。このハンバーグになった牛の魂も、いまごろはべつの生き物へと転生しているはずだ」
もっともらしく言いながら、さりげなく、つけあわせのグリーンピースをピシピシはしっこによけるシャレイリア。
「こら、好き嫌いするな」
「好き嫌いではないぞ。祖父《そふ》の遺言《ゆいごん》でグリーンピースだけは食べてはならないと――」
「んな遺言があるかっ! だいたい、あんたのじーさんって、アイルランドの森に隠れたまま、まだ見つかってないんでしょーが」
「……むう」
と、シャレイリアが恨《うら》めしげにうめいた、そのとき――
「ビーッグチョコパフェデラックース!」
後方から、なにやら必殺技か最終奥義を放《はな》つような声が聞こえてきた。
あたしたちはいっせいに振り向いた。
「ビーッグチョコパフェデラックース!」
そこにいたのは――
店のソファにでんとふんぞりかえり、両手に持ったスプーンを天高くかざしながら声高に呼ばわっている、紳士風の鉄仮面だった。
……いや、紳士風の鉄仮面ってなんだと言われても困るのだが、とにかくそうというしかない。ダブルのスーツに鳩《はと》でも出てきそうなシルクハット。そして首から上は、中世の甲冑《かっちゅう》のごときいかめしいデザインの鉄仮面をつけているのだ。
怪《あや》しいなんてもんじゃない。ほとんど江戸川《えどがわ》乱歩《らんぽ》の世界である。
しかも、それだけではない。その怪しさフルスロットルな鉄仮面のかたわらには、両膝《りょうひざ》を閉じてちょこんと座る、これまた鉄仮面の女の子がいるのである。なぜ女の子だとわかるのかというと、デザインがお洒落《しゃれ》なことで有名な森野《もりの》学園の制服を着ているからだ。
「…………」
そのあまりに異様な光景に、あたしたちはただ、言葉を失った。
「ビィィィィッグチョコォォォパフェェェデラックゥゥゥス?」
鉄仮面の男は三たび呼ばわった。こんどは、なぜか疑問形で。
店内のお客さんたちがざわざわしはじめる。大人は眉《まゆ》をひそめ、子どもはあからさまに指をさし、赤ちゃんは泣き出し、善良な市民は警察を呼ぼうと携帯電話を取り出した。
「なにあれ……」
「さあな……」
「変態ではなくって?」
「それだ!」
テーブルの中央に顔を寄せあい、ひそひそ囁《ささや》き合うあたしたち。
動じていないのは、ひとりグリーンピースよけに熱中しているシャレイリアだけだ。
「ビィィィィィィッグ――」
ガダンッ!
あたしはついに立ち上がる。
「おい、白川《しらかわ》――」
「ああいう手合いとは関《かか》わりあいにならないほうがいいですわよ」
「だめ。そういうわけにはいかないの。社会|秩序《ちつじょ》を守る学級委員長として、ああいうやつを見過ごすわけにはいかないっ!」
「委員長って……」
呆《あき》れたような法香《ほうか》さんのつぶやきを背後に聞きながら、あたしは鉄仮面のいるテーブルめがけてずんずん歩いていく。
「チョコォォォォォッ――」
「やかましいっ!」
あたしは大声でどなった。
「他のお客さんが迷惑してるでしょーがっ! だいたい、ここのメニューにビッグチョコパフェデラックスなんてないしっ!」
「……」
鉄仮面の男は、スプーンを天高くかかげたままの姿勢で固まった。
細長い仮面の隙間《すきま》から、じっとこっちを見つめてくる。
「……」
あたしも負けじと睨《にら》みかえす。
まさに一触即発の空気。
と。
「困りますねお客様」
ようやく店長らしき人がやってきて、あたしの腕をがっちりと掴《つか》んだ。
「そーそー、みんな困ってるんだから――」
「お客様」
「……へ?」
あたしはまぬけな声を上げて振り向いた。
素朴な疑問。
そーいえば、なぜ店長は目の前の鉄仮面ではなく、このあたしの腕を掴んでいるのか。
「どうか席にお戻りください」
店長は厳しい声でそう言った。……やはり、あたしに向かって。
「ええええっ?」
な、なんであたしが怒られてるの?
と、そんな疑問を口にするより先に、ひょろ顔メガネの店長は、鉄仮面の男に向かってふかぶかと頭を下げていた。
「大変申しわけございません、会長。ビッグチョコパフェデラックスはすぐにお持ちいたしますので」
「あるんかいビッグチョコパフェデラックス、って……会長[#「会長」に傍点]?」
「裏メニューでございます。そしてこの御方《おかた》こそ、当店の親会社〈ホーリーグレイルグループ〉を統括《とうかつ》する会長なのでございます」
「えっー、えええええええええええええええっ!」
あたしは悲鳴にも似た叫びを上げていた。
〈ホーリーグレイルグループ〉といえば、その名を誰《だれ》もが知っている、インターナショナルな超巨大コンツェルンである。
この変態っぽいのが、世界的な大企業の、会長……?
「うそっ、そんな偉い人がなんでこんなとこにいるのよ!」
「会長はお忍《しの》びで各店舗の視察をなさっているのです」
「思いっきりバレてるじゃない!」
「落ち着いてくださいマダム」
「誰がマダムかっ!」
思わず息を荒《あら》げるあたし。この店長、わざとやってるんじゃないだろーか。
「で、でもっ――」
なおも言い募《つの》ろうとすると、
「委員長、そんな変態にかまってないで、こっちへ戻ってらっしゃいな」
振り返ると、うしろの席で法香《ほうか》さんがぱたぱたと手を振っている。
「そーだ。せっかくおごってやったリゾットが冷めちまうぞ。変態のせいで」
「……」
……まあ、とりあえず。
鉄仮面の男は落ち着いたようだし、二人の言うとおり、この場は素直に退《ひ》くべきだろう。
どうにも釈然としないものを感じつつも、あたしは肩をすくめ、
「そーだね。変態のせいでご飯がまずくなっても悔《くや》しいし」
おとなしく席に帰ろうとする。
と。
「諸君」
あたしたちのごく遠まわしな皮肉に気を悪くしたのか、鉄仮面の男が、やたら渋《しぶ》い声で呼び止めた。
あたしはぴたりと足を止め、背後を振り返る。
「この私を、誰だと思っているのかね?」
男は、無駄のない優雅な動作でソファから立ち上がり、白い手袋に包まれた指をそっと鉄仮面の縁《ふち》に添《そ》えた。洗練された貴族のような身のこなし。すらりとしたモデルのような長身。仮面の継ぎ目から覗《のぞ》くうなじには輝く黄金の髪がはみ出ている。ついでにズボンのチャックも開いている。
「えっと……変態?」
「違うわっ!」
カラァンッ!
男のはずした鉄仮面が、床に落下して跳ねた。
仮面の下からあらわれた、その顔は――
「なっ……!」
あたしは絶句した。
あらわれたのは――なんと、ハリウッド俳優顔負けの甘いマスクをした、ナイスミドルのおじ様だったのだ!
「私は変態ではない。由緒《ゆいしょ》正しき英国貴族なるぞ!」
男は、かぶっていたシルクハットをさっと脱ぎ捨てると、じつに優雅な所作《しょさ》で黄金色の髪をなでつけた。
その瞬間。店のあちこちから、あまりうら若くなき女性たちの黄色い悲鳴がわき上がる。
美形であれば、ズボンのチャックが開いていることは問題ではないらしい。
――だが、それ以外の声を上げた者もいた。
「お、おまえはこのあいだの!」と須田《すだ》。
「おお、ランドルフ様!」と店長。
「ランドルフ様あ?」とあたし。
そして――
「ハンモフフ!」
青ざめた顔で叫ぶシャレイリア。
「……とりあえず、口ん中のハンバーグのみこんでから喋《しゃべ》りなさい」
あたしは半眼《はんがん》でつっこんだ。
シリアスなシーンが台無しだ。
「くっくっく……ひさしいなシャレイリアよ、かようなところで出会おうとは。これも運命か、あるいは神の悪戯《いたずら》か……」
鉄仮面の男――ランドルフは、一歩前へ踏み出した。
口調《くちょう》こそ穏《おだ》やかだが、その目には、なにか危険な光が宿《やど》っている。
「アーサー・ランドルフ……」
ハンバーグをのみこんだシャレイリアが、うめくように言った。
「じゃあ、あいつが?」
「ああ。私の――婚約者だ」
「なるほど、ね……」
あたしは、シャレイリアを庇《かば》うように両手を広げ、一歩あとずさる。
二人のあいだに、どんな因縁《いんねん》があるのかは知らない。でも、シャレイリアがいやがっているのは確かなんだから、友だちを――守らなくちゃいけない。
「ふん、シャレイリアよ、この私の手から逃《のが》れられるとでも思ったか?」
ランドルフは面白そうに眉《まゆ》を吊《つ》り上げ、また一歩、踏み出してくる。
「無駄なことだ。おとなしく我がもとに帰ってくるがよい」
「断る。おまえと結婚するくらいなら、グリーンピースと結婚したほうがマシだ!」
「なんだと?」
彼女の答えを聞いたランドルフのこめかみに、ぴくりと青い血管が浮き上がる。
「貴様、いまなんと――」
「あのさあ」
あたしは腰に手をあて、ランドルフをびしっと指さした。
「くわしい事情は知らないけど、いーかげん、あきらめたらどう? そーゆーのはストーカーっていって、立派な犯罪なんだよ!」
「……っ!」
空気がきしんだ。
店内に満ちる剣呑《けんのん》な雰囲気《ふんいき》に、周囲のお客さんたちはそそくさと立ち上がりはじめる。
「……小娘。なにゆえ邪魔だてする? これは私とシャレイリアの問題ではないか」
「はんっ、なに寝ぼけたこと言ってんのよ。シャレイリアはあたしのクラスメートで、大切な親友なのさ。彼女が嫌がってるってのに、はいそーですか、って納得する友だちがいると思う?」
あたしは店のテーブルに足をのせて啖呵《たんか》を切った。
「それにねっ、シャレイリアはいま、あたしとラブラブダイナマイトなんだからっ、あんたみたいな、変態でロリコンのオッサンの入り込む隙《すき》なんてないっつーの!」
「……な、なんだとっ!」
青い目をカッと見開き、驚愕《きょうがく》の声を上げるランドルフ。
「……ラ、ラブラブ……ダイナマイトなのか……?」
声がかすれている。……どーやら、相当なショックを受けたらしい。
「そりゃーもう、こちとらいまどきの女子中学生なんだからね、あんなことやこんなことや、そんなことやこんなことまで!」
「ま、まて! ど、どどど、どこまでいっとるんだ? Aか? まさかBまで――!?」
「んー、小文字のbくらい?」
「なんとっ!」
「不潔ですわっ、不潔ですわー!」
なぜか法香《ほうか》さんまで叫んでいる。
「か、夏穂《かほ》……その、気持ちは嬉《うれ》しいのだが、まだ心の準備というものが……」
シャレイリアはシャレイリアで、顔を真っ赤に染めて指先をつんつんしているし。
……いや、あんたが本気にしてどーする。
「ふっ、ふはははははははははっ!」
突然、ランドルフが高らかな哄笑《こうしょう》を上げはじめた。
「うわ。変態がこわれた」
「変態ではないっ!」
ようやくショックから立ち直ったらしいランドルフが、怒りに燃えた目であたしを睨《にら》みつける。
「ふん、なるほど、なるほど……美しき友情というわけだ。よかろう、ならば私にも考えがある。貴様が真実を知っても、はたしてその友情ごっこが続くかな?」
「……真実?」
「そうだ。いまこそ貴様に語ってやろう、その娘の秘密をな!」
その瞬間、シャレイリアの表情がびくっとこわばった。
あたしは思わず息を呑《の》む。
シャレイリアの秘密って、いったい……?
ランドルフが、ゆっくりと口を開いた。
「その娘、ホリン・シャレイリアは――人間ではない」
………………。
「……はい?」
突然、放《はな》たれたその言葉に――あたしの脳味噌《のうみそ》はフリーズした。
……シャレイリアが、人間じゃない?
「えっと、いま、なんて……」
呆然《ぼうぜん》と立ち尽くしたまま、訊《き》き返す。
そんなあたしの反応に満足したのか、ランドルフはくつくつと愉快《ゆかい》そうに笑い、
「ふん、やはり気づいておらんかったか。まあ、それもしかたあるまいがな。――その娘の正式名称は、汎用《はんよう》人型〈アンドルイド〉XX‐12[#「12」は縦中横]型。限りなく人の形に似せて造られた、ドルイド型アンドロイドの最高傑作なのだっ!」
「……うっ、うそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
あたしはムンクの『叫び』になって絶叫した。たまに誤解している人がいるのだが『ムンクの叫び』という絵はないのである――って、そんなことはどーでもいい。
んなバカな。
ありえない。
だって――美少女で、責任感が強くて、ちょっとズレたところもあるシャレイリア。そんな彼女が人造のメカだなんて、そんな話、信じられるはずが――
……だが。言われてみれば、たしかに、思い当たるふしはいくつもあった。
授業中、教師の言った言葉を一字一句正確に覚えている記憶力。木の枝や怪《あや》しいキノコを食べてもお腹《なか》をこわさない身体《からだ》の頑丈さ。一般常識に欠けまくっているのも融通《ゆうずう》がきかないのも、彼女がメカなのだとしたら納得がいく。だいたい、いつも無表情だし、魔術と称して怪しげなパワーは使うし、なによりありえないほどの超絶美少女だし。
「……」
ごくりと唾《つば》をのみこみ、シャレイリアのほうへ向きなおる。
「……ねえ、シャレイリア、ちょっと質問したいんだけど。あんた、電気羊の夢って見たことある?」
すると彼女は怪訝《けげん》そうに眉《まゆ》をひそめ、
「電気羊? そんな妙な夢は見ないぞ」
「ああああああっ!」
あたしは頭をかかえてうずくまる。これで確定だ。映画『ブレードランナー』でおなじみのフォークト=カンプフ検査法。これを使えば、人間か人間のふりをしたアンドロイドか、およそ五十パーセントの確率でわかるという。
「そんなっ……そんなことって……」
絶望に打ちひしがれるあたしに、ランドルフがさらなる追い討ちをかける。
「ふん、真実を知った気分はどうだ小娘。まだ信じられぬというなら、そやつのへそについている合体変形スイッチを押してみるがいい」
「が、合体変形スイッチ……?」
あたしはハッと顔を上げる。
「夏穂《かほ》?」
「シャレイリア」
「ち、違うっ、私はメカなどでは――」
「お腹見せて」
あたしはゆっくりと、ゾンビのように立ち上がり、両手の指をわきわきさせながら、おびえるシャレイリアににじり寄る。
「わっ、か、夏穂、なにをする!」
「いーから、ほら、ちょっと見るだけだからっ、ジタバタしないっ!」
フーフー鼻息を荒《あら》げながら彼女に襲《おそ》いかかり、制服のすそをまくりあげる。
「ほら、じっとしてっ、トランスフォーム、トランスフォーム!」
「や、やめろっ!」
あった。おへそ。
あたしは人差し指でスイッチを押した。
すると派手なエフェクトが飛び出し、ガシーン、ガシーンって――
「ひあんっ」
「……」
くすぐったそうに身をよじり、みょーに色っぽい声をだすシャレイリア。
「……」
もう一回押してみる。
「ひあんっ」
「……」
……こ、これは、ひょっとして!
驚愕《きょうがく》に目を見開き、あたしはランドルフに向きなおる。
ランドルフは嘲笑《あざわら》うように酷薄《こくはく》そうな唇を歪《ゆが》め、
「ふっ、かかりおったなバカめっ、ジョークだ! イッツ・ア・ジョーク!」
「うわ。騙《だま》された!」
「騙されるなあっ!」
法香《ほうか》さんや須田《すだ》だけでなく、まわりのお客さんたちからも一斉《いっせい》につっこまれるあたし。
「ううっ……」
不覚。どんな状況でもユーモアを忘れないというイギリス紳士の心理作戦に、まんまとかかってしまったらしい。
「シャレイリア、疑ったりしてごめんね。そーだよね。ふつーに考えたら、シャレイリアがメカなはずないよね」
「夏穂《かほ》のばか……」
ああっ、シャレイリアの視線が冷たいっ!
「くっ……」
虚言《きょげん》を弄《ろう》し、あたしとシャレイリアの仲を裂《さ》こうとは。アーサー・ランドルフ、見かけによらずおそるべき策士である。
っていうかこいつマジ許せん。
「さて、お遊びはこれまでだ」
ランドルフが、ゆっくりと近づいてくる。
「シャレイリアよ、私と共に来るのだ。コーンウォールはよいところだぞ」
「誰《だれ》がおまえのところになど!」
テーブルに立てかけていた杖《つえ》を手に取り、威勢よく言い返すシャレイリア。だが、せまい店の中で派手に暴れるわけにはいかないし、もちろん、魔術を使うこともできない。そもそも、ドルイドの魔術というのはあくまで自然に根ざしたものであり、コンクリートに囲まれた屋内では十分な威力を発揮することができないのだ。
「……法香よ、おまえに頼みがある」
シャレイリアが、ランドルフを睨《にら》みつけたまま言った。
「わたくしに、頼み?」
「ああ。この男は危険だ。おまえが夏穂《かほ》を連れて逃げて欲しい」
「ちょっ、そんなこと、できるわけないじゃない!」
あたしはシャレイリアの肩を掴《つか》んで言った。
「これは私の個人的な問題だ。夏穂たちを巻き込むわけには――」
「バカね。もう十分巻き込まれてますわよ」
「そーゆーこと」
あたしと法香《ほうか》さんは揃《そろ》ってランドルフに向きなおる。
「さあ、来るのだシャレイリアよ――」
ランドルフが、ゆっくりとシャレイリアの腕に手を伸ばす――
「待てよ、おっさん」
と。その手を掴んだのは、パーティーで唯一の男子、須田翔太《すだしょうた》だった。
「須田!」
「ほう?」
ランドルフが口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「おぬし、よくよく見れば、いつぞやの少年ではないか」
「……ああ。てめーにまんまと騙《だま》された須田翔太だよ!」
「ふん、怪人〈パンプキンヘッド〉で騒動を起こし、シャレイリアを学園にいられなくさせる計画であったが、存外に役立たずだったな」
嘲《あざけ》るように肩をすくめるランドルフ。
そこで須田がブチ切れた。
「ふ、ふざけんなっ! てめーに実験台にされたせいで、俺《おれ》は、俺はあああっ!」
テーブルの上のドリア鍋《なべ》をひっ掴んだ須田は「チェストォォォ!」と雄叫《おたけ》びを上げながらランドルフの脳天めがけてそれを振り下ろす――
ランドルフはかわす素振《そぶ》りさえ見せなかった。
ズゴツ!
と、ものすごい音を立ててドリアの鍋が砕け散った。
「おいおい、いまのはさすがにやばくね?」と、その場にいた誰《だれ》もがそう思った。
だが。
「なっ……!」
目を見開き、驚愕《きょうがく》の声を上げる須田。
ランドルフは、皮肉な笑みを浮かべたまま、平然とそこにいた。
須田とランドルフのあいだには、あの鉄仮面の少女が静かに立っている。
ドリアの鍋《なべ》を拳《こぶし》の一撃で粉砕した、そのままの姿勢で。
「マスターニハ指一本|触《ふ》レサセマセン」
呆然《ぼうぜん》と立ち尽くす須田《すだ》を上目遣《うわめづか》いに見上げ――冷厳《れいげん》と言い放《はな》つ、鉄仮面の少女。
「そんな……嘘《うそ》ですわ……!?」
法香《ほうか》さんが乾いた声でうめいた。
彼女も見ていたのだ。
鉄仮面の少女が、座っていたソファから一瞬で移動した、その瞬間を。
絶対に、人間ではありえない動きだった。
「――諸君、紹介が遅れたな」
ランドルフがゆっくりと口を開いた。
鉄仮面の少女に向かって顎《あご》をしゃくり、「はずせ」と命令する。
カラァンッ!
少女の鉄仮面が音を立てて床に落ちた。
そして――
「……っ!」
こんどこそ、あたしたちは完全に凍りついた。
黄金色に輝くプラチナブロンドの髪。
やや切れ長のアイスブルーの瞳《ひとみ》。
そして象牙《ぞうげ》のように白い膚《はだ》。
ベージュ色の制服に身を包んだその姿は、まさしく――
「うそ……シャレイリアが、二人……?」
あたしはかすれた声でつぶやいた。
――そう。その少女は、シャレイリアと瓜《うり》ふたつだった。
容姿も、スタイルも、背の高さも。
唯一、異なるのは、頭のてっぺんにピンと立ったアホ毛だけ。
これは、いったい……
「ふっ、ふはははははははははははっ!」
ばっと身をひるがえし、ランドルフは耳ざわりな哄笑《こうしょう》を上げた。
「これぞ、シャレイリアを連れ戻すために開発した最終兵器、MSM‐08[#「08」は縦中横]メカシャレイリア! 最先端のテクノロジーと錬金術の融合、力と美の結晶、この一機を造るために私は、会社を売り、土地を売り、屋敷を売り、爵位《しゃくい》を売り、全財産を手放《てばな》したのだっ!」
さらりとすごいことを言いながら、誇《ほこ》らしげに胸を張る。
「メ、メカシャレイリアって……そんなのあり!?」
「ふん、夢見る力と金さえあればなんでも叶《かな》うのだ。さあ、シャレイリアよ、最後の忠告だ。私のもとに来い。さもなくば――」
ランドルフがさっと手を振り上げた。
ガギョンッ!
メカシャレイリアの目が赤く発光し、左右の腕から小型のミサイルポッドが出現する。
うわ。マジでメカだし。
「おまえの友人たちが、どうなるかな?」
赤いレーザーボインタの光が、あたしと法香《ほうか》さん、須田《すだ》の眉間《みけん》に点灯した。
それがただの脅《おど》しでないことは、ランドルフの狂気に満ちた目が語っている。
……これは、本格的にやばそうだ。
「……ど、どーする?」
あたしはランドルフを睨《にら》みつけたまま、後ろの二人に声をかける。
「どーするもこーするも、あんなのが出てきちゃ勝ち目はねーぞ!」
「ええ。しかもMSMナンバーってことはたぶん水陸両用よ!」
と、マニアックかつどーでもいい指摘をする法香さん。
「おのれ、卑劣《ひれつ》な……」
シャレイリアが苦々《にがにが》しげにうめく。
と、そのとき――
[#挿絵(img/DRUID_165.jpg)入る]
「お待ちください、ランドルフ卿《きょう》!」
声を上げたのは意外な人物。これまで事態を傍観《ぼうかん》していたメガネ面《づら》の店長だった。
「む、なんだ?」
ランドルフがうるさそうに振り向いた。
「いえ、そのですね、卿はさきほど、全財産を手放《てばな》したとおっしゃられていましたが、それはつまり、ホーリーグレイルグループの経営権も手放されたということでしょうか?」
「うむ。そうだが」
当然ではないか、と言わんばかりにうなずくランドルフ。
「あのー、それではですね、失礼ながら、ビッグチョコパフェデラックス二万九千八百円の代金をお支払いいただきたいのですが……」
「……」
「ランドルフ卿?」
店長は相変わらず笑顔だったが、その声には、なにか底知れない凄《すご》みがあった。
「……うむ」
ランドルフは、ギギィーッと壊れた人形のような動きであさってのほうを向くと、なにげない自然な動作で、メカシャレイリアの耳たぶをくいっとひっぱった。
シュウウウウウウウウウツ!
突然、メカシャレイリアの両耳から七色の煙がいきおいよく噴きだした。
「わっ、なに!?」
「けほっ、けほっ、ガ、ガスだっ!」
煙はあっというまに店じゅうにひろがり、ランドルフたちの姿を完全に覆《おお》い隠す。
あちこちで悲鳴がわき起こり、皿の割れる音が重なった。
「ふはははははっ、シャレイリアよ、近いうちにまた会おうぞ!」
「ま、まてっ、食い逃げだー!」
怒り狂う店長の叫びも空《むな》しく――
アーサー・ランドルフは、煙とともに消え去ったのだった。
◆◇◆
「いまから、十年前のことだ――」
西日がシャレイリアの頬《ほお》を赤く染めている。
ひとけのない、雨上がりの公園のベンチで、彼女は静かに語りはじめた。
――あの騒動の後。あたしたちは七色の煙にまぎれ、二手にわかれて現場から逃げ出した。なにしろあの場に残っていたら、ランドルフの仲間だと思われて、パフェの代金払えとか言われかねない。いちおう、頼んだ料理の代金だけは置いていったから、食い逃げってことにはならないはずだ。
――ともあれ。公園前のクレープ屋さんで買ったチョコバナナクレープをぱくつきながら、あたしはシャレイリアの打ち明け話に真剣に耳をかたむけている。
「我が一族は、コーンウォールの大貴族、アーサー・ランドルフ卿《きょう》と契約を結んだのだ。すなわち、契約後、もっとも早く生まれた女子をその家に嫁《とつ》がせると――」
ぱくぱくぱく。ぱくぱくぱく。
「我がドルイドの一族は、遥《はる》かアルトリウス大王の時代より、あるときは王の参謀《さんぼう》として、あるときは助言を与える配偶者《はいぐうしゃ》として、ブリテンの王侯貴族に仕《つか》えてきた――」
ぱくぱくぱく。ぱくぱくぱく。
「……夏穂《かほ》、聞いているのか?」
と。ジト目で睨《にら》んでくるシャレイリア。
「ちゃんと聞いてるってば。よーするに、ドルイドっていうのは、偉い人をサポートするエリート養成機関だったってことね」
口のまわりについた生クリームを舐《な》めとりながら、あたしは相槌《あいづち》を打つ。
「……む、そういうことだ。ローマ時代に入ってきたキリスト教の普及により、かつての地位を失ったドルイド僧は、そのような方法でしか生き残ることができなかったのだ」
「……なるほど、ね」
あたしは肩をすくめて言った。これまた、ずいぶんとヘビーな話である。
つまり、シャレイリアは一族が存続していくための道具として、本人の意思とは無関係にランドルフと婚約させられたのだ。いわゆる政略結婚ってやつである。そりゃあ、シャレイリアの一族にも事情があるのはわかるけど、いくらなんでも、まだ生まれてもいない子どもを勝手に婚約させるなんてあんまりだ。ま、それでも、ランドルフが素敵な王子様とかだったらまだ救いはあったんだろうけど、傲慢《ごうまん》で変態でマッドサイエンティストの三重苦とくれば、誰《だれ》だって逃げ出したくもなるというものである。
「でもさ、いくら約束だからって、本人がいやだって言ってるんだから――」
「そういうわけにはいかないのだ。ドルイドの誓約は〈ゲッシュ〉と呼ばれるきわめて神聖なものだ。それを違《たが》えた者には大いなる罰が下ると言われている」
「そーなんだ……って、あれ? それじゃ、シャレイリア、まずいんじゃない?」
「問題ない。誓約《ゲッシュ》を交わしたのは一族の長《おさ》であって、私ではないからな」
なるほど。そーゆーところは、けっこう厳密らしい。
「一族の掟《おきて》とはいえ、私はあの男と結婚することなど耐えられなかった。私の殿方は、日本のアニメに出てくるような、優しくてかっこいい王子様でなくてはいやだった!」
「そ、それはそれで、なんか間違ってるよーな……」
シャレイリアさん、なんともわかりやすい少女漫画コンプレックスである。まあ、生まれたときからあんなのと婚約させられてたんじゃ、恋愛観|歪《ゆが》むのもわかるけど。
「私は定められた運命から、どうしても逃《のが》れたかった。たとえそれが、我が一族を裏切ることになろうとも――」
シャレイリアは沈痛な表情を浮かべて言った。
大人たちによってあらかじめ決められた、望まぬ結婚。それが彼女にとって、どれほどの重圧だったのか。日本のごく平凡な家庭で育ったあたしに、わかるはずもない。
「……」
「そして、ランドルフとの契《ちぎ》りを翌日に控えた十五の夜――ついに私は故郷を捨てる決心をした。念視で追跡されぬよう村にあった水晶球を叩《たた》き割ってまわり、盗んだガチョウで飛び立ったのだ」
ふとあたしの脳裏《のうり》に浮かんだのは、風船のように束《たば》ねたガチョウにつかまって飛行するシャレイリアの図(※BGM尾《お》○豊《ゆたか》)。
……あれ? でも、十五歳ってことは、ひょっとしてシャレイリアって、じつはあたしより年上なんだろーか。ま、べつにあっちで学校に通《かよ》ってたわけでもないようだし、学年とかあんまり関係ないのかもしれないけど。
「私は三ヶ月かけてふたつの海を横断した。そして運命の導くままに、かねてよりあこがれていたアニメの地、日本にたどりついたのだ」
「いや、それは運命の導くままにとゆーか、欲望のおもむくままにって気もするけれど。……あ。ひょっとして、あんたが森野《もりの》学園にきた理由って――」
「うむ、制服がアニメのようで可愛《かわい》かったからだ」
「……やっぱりか」
あたしは肩をすくめて嘆息した。
薄いベージュ色のベストに小さな赤いリボン。チェックのプリーツスカート。イタリアの有名デザイナーがデザインしたという森野学園の制服は、ファッション誌なんかでもたびたび取り上げられるほどの人気で、じっさい、この少女漫画のような制服目当てでうちの学園を受験する生徒は多いという。
「むろん、それが第一の理由というわけではないぞ。森野学園は、このあたりでも一等|優《すぐ》れた地脈《ちみゃく》を有している土地なのだ」
「……はいはい。ま、人の趣味主張をとやかくゆー気はないけど。あんた、入学試験とかはどーしたのよ。こんなド田舎《いなか》中学校だけど、森野学園って、私立の中でもけっこう入るの難しいんだよ?」
「ああ。それについては私も心配したのだが、どうやら理事長が心の広い御仁《ごじん》だったようで、ふつうに入れてしまった」
「そ、そーなんだ。ふつーに……」
彼女の年齢のことといい、なんだか、ずいぶんといーかげんな学園である。
ともあれ――
これでだいたいの事情はわかった。シャレイリアに帰るつもりがない以上、いずれあの変態貴族とは決着をつけなければならないようだ。
そして、あの鋼《はがね》の拳《こぶし》を持つ少女、メカシャレイリアとも――
「大丈夫よ」
あたしはベンチから立ち上がって静かにつぶやいた。
「……あいつ、たぶん近いうちに食い逃げで捕《つか》まるから」
[#改ページ]
第五話 決戦、メカシャレイリア!
――と、そんなわけで。いよいよ学園祭当日である。
空はみごとな秋晴れに恵まれて、祭りはなかなかの活況《かっきょう》を呈《てい》していた。
薔薇《ばら》のアーチのついた正門には『第十回|森野祭《もりのさい》』と書かれた横断幕。グラウンドの外周には各クラスの屋台がずらっと立ち並び、中央に設《もう》けられた特設ステージでは、軽音部のライヴ演奏や動物たちのショーがひっきりなしに上演されている。この森野祭、中学校の学園祭にしてはかなり大規模なイベントであるため、生徒の友人や家族以外の参加者も多く、とくに初日は、ちょっとした縁日《えんにち》のようなにぎわいになるのである。
「うーん、人がごみのようだわー」
そんな校庭の様子を二階の窓から見下ろしながら、あたしは廊下を歩いていた。
休憩中に買ってきた、たい焼きにチョコバナナ、りんご飴《あめ》に焼き鳥、そしてある物[#「ある物」に傍点]の入った大きな紙袋を両腕に抱《かか》え、ほくほくしながら二年C組の教室へと向かう。
教室前の廊下には、楳《うめ》○かずおタッチのおどろおどろしいイラストが描《えが》かれた『焼きそば屋敷』の看板がぶら下がり、なんともいえない不気味な空気を醸《かも》し出していた。教室から漂《ただよ》ってくるソースの匂《にお》いに鼻をひくつかせ、暗幕に覆《おお》われたドアをそっと開けると、
「ふっ、悪のカボチャ怪人、これでもくらいなさいっ!」
「ひでぶ――――っ!」
ドンガラガッシャーン!
舞台の上で派手にふっとぶ、悪のカボチャ怪人こと須田《すだ》翔太《しょうた》。
「だ・れ・が・デブですってー!」
「ほぶらっ!」
よろよろと立ち上がりかけたカボチャ怪人の顔面に、ふたたび法香《ほうか》さんの容赦《ようしゃ》ないハイキック(と言いがかり)が襲《おそ》いかかる。
「うおおおおおっ、立て、立つんだカボチャ怪人、っていうか須田!」
「お前の、いや、男子の意地を見せてやれえええっ!」
ずたぼろにやられながらも、なおも立ち上がろうとする須田の勇姿に、観客のあいだから力強い声援が送られる。
「くっ……俺《おれ》は……俺は負けねえええ……」
「あら、まだギブアップしないつもり?」
一方、顔に冷たい微笑を浮かべ、ピンヒールの底で須田の足裏健康スポットをぐりぐりと踏みつけていく法香さんは、完全にヒールの役どころだった。
「これは筋肉の凝《こ》りをほぐすツボッ、これは肝機能《かんきのう》を活性化させるツボッ、これは天○飯のツボッ、ヤ○チャのツボッ、ピ○コロのツボッ――」
「ぎゃおおおおおおおおおおおおおっ!」
「須田っ、もういい、おまえはよくやった!」
「須田ああああああっ!」
……うーん。意図していた盛り上がりとはやっぱり微妙に違うよーな気がするけれど。
ま、みんな楽しんでいるようだし、これはこれでいいのだろう。
「おーい、こっち、Aテーブル焼きそば二皿追加でー」
「Cテーブルもう一皿追加でお願いしまーす」
薄暗い教室の中、魅惑的《みわくてき》なゴスロリファッションに身を包んだ女子たちが、両手に焼きそばの皿を載せてせわしなく動きまわっている。さすがに行列こそできぬものの、勉強机を組み合わせて作ったテーブルはいずれも満席で、もともと(いろんな意味で)無茶だった企画としてはじゅーぶん大成功といえるだろう。
……さて、と。
あたしは混雑している店内をきょろきょろと見まわし――そして、見つけた。
つかつかと歩き、調理カウンターの裏で焼きそばを炒《いた》めているモミの木に話しかける。
「ちょいとシャレ姐《ねえ》さん」
「む?」
モミの木が顔を上げた。
「……なんであんたが焼きそば炒《いた》めてんのよ」
「うむ、こっちの人手が足りないと言われてな」
シャレイリアは、両手の枝を使って器用に焼きそばをほぐしていた。立ち上る煙とソースの匂《にお》い、じゅうじゅう油のはじける音が食欲をそそる。彼女はチクワをつまみ食いしようと寄ってくるオオカミたちの頭をぺしぺしはたきながら、
「なんだ、夏穂《かほ》のぶんも作って欲しいのか?」
「うん、青のりと紅生姜《べにしょうが》大盛りで――って、そーじゃなくて!」
あたしは口もとのよだれを拭《ふ》いた。
「む?」
「いやね、ちょっと、あんたに手伝って欲しい仕事があるんだけど……」
「仕事?」
「……ん、まあ、ちょっとついてきてよ」
あいまいに言葉を濁《にご》し、あたしは彼女の腕(枝)を引いていく。
「ほら、その変な着ぐるみも脱いで――」
「か、夏穂、ちょっと待ってくれ――」
シャレイリアは文字通り床に根を張ってずりずり抵抗した。
「ん?」
「……その、いまはあまり、外を出歩きたくないのだが……」
うつむいて、そうつぶやいたシャレイリアの声は、暗く沈んでいた。
そっと睫毛《まつげ》をふせたアイスブルーの瞳《ひとみ》が、かすかに翳《かげ》る。
「……」
理由は明らかだった。やはり、昨日の一件のことが気になっているのだろう。
シャレイリアを連れ戻すためにあらわれた婚約者――アーサー・ランドルフ。
あいつとの結婚を破談にするために、彼女は生まれ育った故郷の森を捨て、この極東の島国まではるばる逃げてきたのだ。
だが、あいつはしつこく追ってきた。そしてあらゆる手段を使って、シャレイリアをこの学園から連れ戻そうとしている。昨日はたまたま逃げ帰ってくれたが、いずれまた近いうちに、なにか仕掛けてくることだろう。
こんな状況では、とても学園生活を楽しむ余裕なんてないのかもしれない。
でも、今日は――
学園祭の今日くらいは、めいっぱい楽しんだっていいはずだ。
手に持った紙袋の紐《ひも》をぎゅっと握り締《し》める。
あたしは彼女の背中を叩《たた》き、努めて明るい声で、
「だいじょーぶよ。やつだって、まさか昨日の今日で、いきなり学園に乗り込んできたりはしないでしょ。だいたい、あんな変態っぽいやつが入ってきたらソッコー逮捕よ逮捕」
「……だといいのだが」
あいかわらずの表情で、深いため息をつくシャレイリア。
「夏穂《かほ》、学園祭というのは、みんながずっと前から心待ちにしていた、大切なお祭りなのだろう?」
「ん、まあ、そーだけど……」
「ならばなおさらだ。ドルイドの私がむやみに出歩けば、たとえランドルフがあらわれずとも、なんらかの騒動を起こしてしまう可能性が高い。だから、今日は教室の中でおとなしくしていたほうが――」
あー、……ったく、この娘《こ》はー。
あたしはイライラと髪をかきまぜながら、シャレイリアの腕をふたたび掴《つか》む。
「はいはい、んなバカなこと気にしてないで、それよりほらっ、時間なくなっちゃうから、こっちこっち!」
「わっ、夏穂、まだ焼きそばが――」
「いーからいーから!」
いまの彼女には、やはり多少の荒療治《あらりょうじ》が必要なようだ。
ソース焼きそばの絡まった枝を振りまわし、なおも抵抗するシャレイリアを、あたしはずりずりと強引に引っ立てていくのだった。
◆◇◆
「……夏穂、これはいったいどういうことだ?」
シャレイリアを連れてやってきたのは、一階のはずれにある女子更衣室だった。
モミの木の着ぐるみを剥《は》ぎ取られ、個室のカーテン越しにとまどった声を上げる彼女に、あたしは悪の科学者めいた口調《くちょう》で答える。
「ふっふっふ……あんたはね、午後から開催される『第十回ミス森野《もりの》学園』に、二年C組の代表として出場することになってるのよ!」
「なんだと!?」
叫び、シャッとカーテンを開けるシャレイリア。あたしが「ブラの肩紐《かたひも》ずれてるよ」と指摘すると彼女は「きゃっ」とらしくもない悲鳴を上げ、ののの、と奥へ引っ込んだ。
「そ、そんな話は聞いてないぞ!」
「そりゃそーよ。みんなで内緒にしてたんだから」
あたしは肩をすくめてそう言った。
ミス森野《もりの》学園――それは学園祭の華、数あるイベントの中でも最も盛り上がる美の式典である。各クラスを代表として選ばれた選《え》り抜《ぬ》きの美少女たちが、舞台の上で様々なパフォーマンスを演じ合い、その美貌《びぼう》と総合的な魅力を競うのだ。
――ちなみに、去年二位だった法香《ほうか》さんは、今年はうちのクラスの主役が決まってしまったため出場を辞退している。
「な、なぜ私が、そんな儀式に出なければならないのだ!」
カーテンの隙間《すきま》から首を伸ばしたシャレイリアが、顔を真っ赤にして言った。
「あんたのためよ」
「私のため?」
「そう。これは周到に準備された、シャレイリアの好感度アップ計画なのよ!」
あたしはぐっと拳《こぶし》を握り締《し》めて宣言した。
シャレイリアの好感度アップ計画(通称シャップ計画)とは、シャレイリアをこの学園に馴染《なじ》ませるべく発足《ほっそく》した一大プロジェクトの名称である。
シャレイリアがこの学園にやってきてから約二週間。たしかに、うちのクラスの連中は彼女のいる環境にもだいぶ慣れてきた。だが、他のクラスや、学年の違う生徒たちにとって、動物の群れを連れてきたり、怪《あや》しげな植物を生《は》やしたりするドルイドの存在は、まだまだ不気味なものとして映っているようだ。また、シャレイリアが基本的にクールで無表情なのも、そういったイメージを抱《いだ》かせる一因となっているようである。
そこで、このミスコンを機に、いっちょシャレイリアの溢《あふ》れんばかりの魅力を全校生徒にアピールして、ドルイドへの偏見をなくそうという壮大な計画なのだ。
「むう、そういうことだったのか……」
そんなあたしの説明に、シャレイリアはようやく納得してくれたようだった。
「しかし……」
「だいじょーぶ。あんたなら、絶対ぶっちぎりで優勝できるって」
あたしはぐっと親指を立てて彼女の肩をぽんと叩《たた》く。が、
「いや、夏穂《かほ》やみんなの気持ちはありがたいのだが、やはり私は、人前に出るのは――」
困惑の表情を浮かべ、なおも渋《しぶ》るシャレイリア。
……まあ、無理もない。もともと彼女は、森の奥で隠遁《いんとん》生活を送ってきたドルイド僧なのだ。大勢の人前に出るような華やかなイベントは、やはり苦手なのだろう。
しかし、それはこちらも予想済み。
「まあ、とりあえず、衣装着てみるだけでもいーじゃない。ね、ほら――」
言って、あたしは手に持った紙袋をぐいと押しつける。
「……む、な、なんだ?」
彼女は困った顔でそれを受け取り、そして――
「こ、これは……!?」
その瞬間、シャレイリアの目が驚愕《きょうがく》に見開かれた。
五分後。
「夏穂《かほ》、なんだか生地がごわごわするのだが……」
「がまんしなさい、コスプレってそーゆーもんだから。着ごこちは二の次よ。あ、胸のプロテクターは上から紐《ひも》でくくるやつだから」
「む、これはだめだ。ドルイドは神聖なる誓約《ゲッシュ》によって、金属製の鎧《よろい》を身につけてはならないことになっている」
「なにそのマニアックな誓い」
――と、そんなやりとりのあったのち、
「着替え終わったぞ」
シャッと試着室のカーテンを開いて、あらわれたのは――
「……っ!」
「……少し、足が肌寒い、な」
ミニスカートの裾《すそ》をぎゅっと握り締《し》め、頬《ほお》をかすかに赤く染めながら、すらりと伸びた脚《あし》をもじもじさせている超絶美少女の姿であった。
「…………」
セーラー服をベースにしながらも大胆にアレンジをほどこした純白のドレス。額《ひたい》には三日月をかたどったティアラ。両腕にキラキラ光る腕輪を嵌《は》め、手には派手な電飾とヤドリギのついたマジカルステッキを握っている。
そう。それはシャレイリアの大好きなアニメ『美少女戦隊ルナティックトルーパー』の変身コスチューム(プロテクター非着装バージョン)だったのだ。
「あああああっ、もうっ、あんたって娘《こ》はっ、なに着ても可愛《かわい》いなあっ!」
ドレスアップしたシャレイリアのあまりのラヴリーさに、思わず身悶《みもだ》えするあたし。
ぽかぽかぽかぽか。
「痛いぞ夏穂」
「ごめんごめん、つい。……で、どーよ。憧《あこが》れの『夢月《ゆめつき》ルナ』になった感想は?」
「……う、うむ、よくできている、な。本当に、よくできている……」
うつむいて、もじもじと膝《ひざ》を擦《こす》り合わせながらカーテンの陰に隠れるシャレイリア。
恥ずかしがってみせてはいるが、はにかんだその表情を見るに、内心、まんざらでもないようだ。
ちなみに、この超ハイクオリティな衣装を作ってくれたのは、例のカボチャ騒動のときにシャレイリアを疑っていた、衣装班の女子三人組である。あのときのお詫《わ》びということで、こころよく製作を引き受けてくれたのだ。
「シャレイリア、このルナティックトルーパーの衣装にはね、あたしや、クラスのみんなの願いがこめられているの」
あたしは彼女の両肩に手をのせ、言った。
「……みんなの、願い?」
「そう。この学園のみんなに、もっとシャレイリアのこと知ってもらって、友だちいっぱいつくって、楽しい学園生活を過ごして欲しいっていう願い」
「夏穂《かほ》……」
「ミスコン、出てくれるよね?」
あたしがちょっと意地悪な口調《くちょう》で訊《き》くと、
「……む……う」
シャレイリアは、こくり、とためらいがちにうなずいた。
「そ、そういうことなら、やむをえまい。……夏穂やクラスの仲間たちが、せっかくこのような立派な衣装を用意してくれたのだからな。その好意を無駄にするわけにはゆかぬ」
「ん、ありがと」
作戦成功。あたしは心の中でぐっと親指を立てる。
「よっし、そうと決まればさっそく会場に――」
と、あたしが彼女の腕を掴《つか》んだ、そのとき――
「夏穂っ、大変大変〜っ!」
ガラガラガラッ!
更衣室のドアをいきおいよく開け放《はな》ち、入ってきたのは雪那《ゆきな》知子《ともこ》であった。
「……雪那? どーしたのよ、インスマウス人にでも会ったよーな顔して」
眉《まゆ》をひそめて訊くあたし。雪那は肩ではあはあ息をしながら顔を上げ、
「う、うん、それがね、シャレイリアが、大変なことに――って、あれ?」
その表情が凍りつく。
「……え? シャレイリア? えええええっ?」
あたしとシャレイリアを交互に指さしながら、口をぱくぱくさせる彼女。
「雪那、落ち着いて。いったいなにがあったの?」
パニックに陥《おちい》っている彼女の肩に手を置き、あたしは尋《たず》ねた。
「シャレイリアが、悪事を働いてる――――っ!?」
開口一番。あたしは素《す》っ頓狂《とんきょう》な声を上げた。
「夏穂、廊下に聞こえるから……」
雪那がしぃーっと人差し指を口にあてる。
「ちょっ、それ、どーゆーことよ!」
「う、うん、私も直接現場を見たわけじゃないんだけど――」
そう前置きして、雪那《ゆきな》はためらいがちに語りはじめた。
――そのシャレイリアは、学園のいたるところに出没し、各所で悪質極まりない蛮行《ばんこう》を働いているのだという。
曰《いわ》く、ヨーヨーすくいのヨーヨーをひとりでぜんぶ釣ってしまったり、レスリング部のショーに参戦してはダーティープレイの連発で優勝したり、たこ焼き屋の前で邪神召喚の呪文《じゅもん》を唱《とな》えたり、屋台の焼き鳥をひと口かじっては塩加減のことで小姑《こじゅうとめ》のごとく嫌味《いやみ》を言ったあげく「一週間待ってください。俺《おれ》ならこれよりずっとうまい本物のフォアグラを手に入れてみせますよ」などと山○さんみたいなことを言って挑発したり、しまいには校舎の壁にスプレーで『怒流威怒上等!』という意味不明な落書きまで残していったのだとか。
「……な、なんて悪質な!」
話を聞き終えたあたしは思わず叫んでいた。悪質宇宙人も真っ青な悪質さである。
「あと、校門の前でふて寝してるオオカミたちが迷惑駐車のシール貼《は》られてたよ。飼い主が引き取りにこないとレッカー移動するって」
「……むう、あやつらめ、さっきチクワをやらなかったから拗《す》ねているのだ」
「それはあんたのせいか」
あたしはジト目でつっこんだ。
――ともあれ。雪那の話によれば、その『もうひとりのシャレイリア』についての悪い噂《うわさ》は、現在、かなりの勢いで広まりつつあるらしい。事態はカボチャ事件のときと同じ――いや、今回は、はっきり『シャレイリアが犯人』と特定されているぶん、あのときよりもっと悪い状況だといえる。
学園祭に突如《とつじょ》あらわれた、偽者《にせもの》のシャレイリア。
いったい、何者なのか……
「……いや、ってゆーか、めちゃくちゃ心当たりがありすぎてイヤなんですけど」
「……ああ。そうだな」
シャレイリアが、ヤドリギのついたマジカルステッキを握り締《し》め、静かに立ち上がった。
やわらかなプラチナブロンドの髪が、ぶわっと舞い上がる。
彼女の双眸《そうぼう》は、怒りで真っ赤に染まっていた。
「ちょっ、ちょっと、シャレイリア、落ち着いてっ――」
「夏穂《かほ》、止めるなっ! 私はあやつらと決着をつけにいく!」
「こらっ、待ちなさいっ――」
あたしの制止を振りきって走り出そうとするシャレイリア。
と。そのときだった。
ドオオオオオオオオオオンッ!
「――っ!?」
なにかが爆発するような、すさまじい轟音《ごうおん》が鳴り響いた。
更衣室のちょうど真上。二年C組の教室から。
◆◇◆
あたしたちは急いで階段を駆け上がった。
教室前の廊下には、すでに黒山の人だかりができていた。
「ごめんっ、ちょっと通して――」
ざわめく生徒たちのあいだをかきわけて、あたしは教室の中を覗《のぞ》き見る。
目に飛び込んできたのは――
まるで、ガス爆発でも起きたかのような惨状だった。
椅子《いす》や机は投げ出されて散乱し、カーテンやテーブルカバーはぼろぼろに裂《さ》け、床には焼きそばの麺《めん》やキャベツが飛び散り、舞台はめちゃくちゃに破壊されていた。扉の前には例の楳《うめ》○かずおタッチの看板が、真《ま》っ二《ぷた》つに折れた無残な姿で転がっている。
割れた教室の窓から、秋の冷たい風が吹き込んできた。
「ちょ、なに……これ……」
あまりのことに声がでない。
みんなで一生懸命作ったお店だった。一週間以上前から準備して、学園祭前は毎日放課後まで作業して、ようやく完成した『焼きそば屋敷』だった。
……それが、なんでこんなことに?
「さっき、シャレイリアさんが戻ってきたの」
女子のひとりが、ぽつりと声を発した。
「え?」
「ちょっと前に白川《しらかわ》さんと出ていったばかりだったから、あれって思ったけど、忘れ物かなって、そしたら、そしたらっ――」
くっ、と言葉に詰まって泣き出してしまった彼女のあとを、横に立つ男子がついだ。
「こんなあさましいものが食えるかーっ、とかなんとか、どっかのグルメ陶芸家《とうげいか》みたいなこと叫んで、いきなり暴れはじめたんだ。焼きそばの皿を掴《つか》んで床にぶちまけて、椅子や机をひっくり返して、すぐに神代《かみしろ》と須田《すだ》が止めようとしたんだけど、そしたら、あいつ、ものすごい大声だして――一瞬のことで、わけもわからなかった。なんか衝撃波みたいなもんに吹っ飛ばされて、気づいたら、教室はこんなことになってた……」
「……ひどいよ、どうして? どうしてこんなことするのっ! あたしたち、シャレイリアさんになにかしたっ?」
「ち、違うの、そのシャレイリアはシャレイリアじゃなくて、えっと……」
あたしが言いかけた、そのとき――
ざわっ。
背後で、小さなざわめきが起こった。
「……っ!?」
あたしはハッとして振り返る。
人だかりが、ゆっくりとふたつに分かれていった。
震《ふる》える手で、ルナティックトルーパーのステッキを握り締《し》めたシャレイリアが、愕然《がくぜん》とした表情でそこに立っていた。
「…………」
沈黙が、その場を支配した。
無言。クラスメートたちの冷たい視線が、彼女の全身に突き刺さる。
「……おまえ、どういうつもりだよ」
さっきの男子が、静かな怒りをこめて口を開いた。
だが、その声は、彼女の耳にまったく届いていないようだった。
「私の……せいだ……」
シャレイリアが、かすれた声でぽつりとつぶやいた。
透明なアイスブルーの瞳《ひとみ》から、大粒の涙の雫《しずく》がこぼれ落ちる。
「私の、せいで……こんな――」
「シャレイリア……」
あたしが歩み寄ろうとすると――
「……っ!」
彼女はさっときびすを返して廊下を駆け出した。
「シャレイリア!」
叫び、あたしはあわてて彼女の後を追う――
嫌な予感がした。それは漠然《ばくぜん》とした予感だった。赤いリノリウムの廊下を走りながら、遠ざかっていくシャレイリアの背中に手を伸ばす。彼女の名前を呼ぶ。なぜか――いま捕《つか》まえなければ、このままシャレイリアがどこかへ行ってしまう気がした。もう二度と会えない場所へ行ってしまうような気がした。人ごみをかきわけ机を蹴倒《けたお》し『廊下を走るな!』と書かれた張り紙を舞い上げながら、走る、走る。
シャレイリアの脚《あし》は速かった。さすがに幼いころから森の中を駆けまわっていただけのことはある。
――と。彼女は、階段の前で急に立ち止まった。きゅっと上履《うわば》きの擦《こす》れる音。プラチナブロンドの髪がふわりと舞い上がり、あたしのほうを振り向いた。
視線が合う。透き通った蒼《あお》い瞳《ひとみ》が、かすかに揺れる。
しかし、それも一瞬。
「……っ!」
シャレイリアはふいっと目を逸《そ》らし、ふたたびあたしに背を向け、階段を上っていく。
「はあっ、はあっ、はあっ――」
反響する足音を追って、あたしも階段を駆け上がる。
心臓が悲鳴を上げていた。こんなに全力で走ったのはいつだったか――ああ、そうだ。シャレイリアが転校してきた初日。遅刻しそうになって、校門前でクマと鉢合《はちあ》わせしたんだっけ。そう――たった二週間前の、ことだ。
たどり着く。三階の踊り場。この先にあるのは――屋上だ。
――って、まさか!?
最悪の想像が脳裏《のうり》をよぎった、その瞬間――
ずべしっ!
何かが足に引っかかり、あたしは派手にすっ転ぶ。
「……っ! なに?」
打ちつけた手首に走る激痛に顔をしかめながら、あたしは振り返って足もとを見る。
左の足首に、なにか植物の蔦《つた》のようなものが絡みついていた。
……って蔦?
あたしはハッと顔を上げ、あたりを見まわした。
そう――それは蔦だった。屋上へ向かう階段の途中。いつのまにか、周囲の手摺《てす》りや壁にびっしりと、鋭い棘《とげ》のある蔦が生《は》えていた。
シャレイリアの心の内をあらわすかのような、イバラの壁。
それは、追ってくるなという、彼女の拒絶の意思だった。
「はあっ、はあっ、はあっ、は――っ!」
あたしは、足に絡みついた蔦を引き千切《ちぎ》り、ゆっくりと立ち上がった。
擦《す》りむいた膝《ひざ》に血が滲《にじ》んでいた。転んだ拍子に足首を捻《ひね》ったらしい。足首にズキンと痺《しび》れるような痛みが走った。
「……」
だからどうした、ってあたしは思う。
……冗談じゃない。っていうか、ふざけんな!
「こんなもんで、あきらめるかっつーの!」
ぶちっ。ぶちぶちぶちっ。
行く手を塞《ふさ》ぐイバラの蔦を、無造作に引き千切る。
床からつぎつぎと生《は》えてくる蔦《つた》を上履《うわば》きの底で踏みつけながら、階段を上っていく。
屋上へ続く鉄の扉。それを覆《おお》う分厚いイバラの壁に両腕を突っ込み、ノブを探す。
鋭い棘《とげ》が制服の袖《そで》を引き裂《さ》いた。剥《む》き出しになった二の腕から赤い血が滲《にじ》んだ。
執拗《しつよう》に絡みついてくる蔦を歯で噛《か》み千切《ちぎ》りながら――ようやく、指先が金属のノブに触《ふ》れた。
「どおりゃああああああああああっ!」
ノブを下ろし、身体《からだ》ごと前に押し込むようにして、一気に扉をこじ開ける。
ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちっ!
扉に絡まっていた蔦がいっせいに千切れる音がした。
「シャレイリア!」
つんのめるようにして屋上に出た途端、ものすごい強風が吹きつけた。
乱れる前髪を押さえながら、シャレイリアの姿を探す。
彼女は――
転落防止用のフェンスの上に立っていた。
……まさか、まさか……ちょっ、マジで!?
シャレイリアの足が、ゆっくりと、前へ踏み出される――
「シャレイリアッ、早まっちゃだめ!」
叫び、あたしは走った。足の痛みなんて関係ない。
フェンスまで約十メートル。
とにかく必死で、彼女の両脚《りょうあし》を掴《つか》もうと、まっすぐに手を伸ばす――
「夏穂《かほ》!?」
振り向いたシャレイリアの目が、驚愕《きょうがく》に見開かれた。
「シャレイリ――」
あたしは伸ばした両腕で、虚空《こくう》に投げ出された彼女の両脚をがしっと掴む。
そしてそのままの勢いで――
「……ふえ?」
浮遊感。
……勢いで、柵《さく》を乗り越えてダイブしてしまったらしい。
ってアホかあああああああっ!
地上二十メートル。間違いなく死ねる高さである。
「どええええええええええええっ!」
あたしはシャレイリアの脚《あし》を抱きかかえたまま地面に激突――しなかった。
「……」
「……夏穂、そのまま、絶対に手を離さないでくれ」
頭上からシャレイリアの声が聞こえてくる。
「……」
あたしたちの身体《からだ》は、空中を漂《ただよ》いながら、ゆっくりと下降していった。
バサッバサッ。バサッバサッバサッ。
「……ええ……っと……」
おそるおそる見上げてみる。
目に飛び込んできたのは――フリルのついたシャレイリアのパンツ(白だった)、ではなく、はるか頭上で羽ばたいている無数のガチョウの群れだった。
彼女の手から伸びる紐《ひも》で、風船のように束《たば》ねられている。
……そーいえば、シャレイリアってこれでアイルランドからやってきたんだっけ。
どうやら、飛び下りようとしたのではなく――ガチョウで飛び立とうとしていたようだ。
「……」
ゆるやかに高度を落とし、だいぶ地上へ近づいてきたところで、シャレイリアは紐からパッと手を離した。
浮力を失い、校舎裏の草むらにドサッと転がるあたしたち。
転校初日にふたりでやってきた、あのニワトリ小屋の前である。
主人の手から解き放《はな》たれ、自由になったガチョウの群れば、不満そうにガアガア鳴きながら西の空へ飛び去っていく。
「……し、死ぬかと思った」
あたしはほうっと息を吐き出した。
「……むう、重量オーバーで飛び立てなかったようだな」
「ていっ!」
あたしはシャレイリアのおでこをピンと小突いた。
「痛いぞ夏穂《かほ》」
「あ・ん・た・はっ、どーしてそー考えもなしに突っ走るの!」
「……む」
胸倉《むなぐら》を掴《つか》んで怒鳴《どな》ると、シャレイリアは涙の浮かんだ目をぷいっと逸《そ》らした。
「ひとりで責任感じてっ、ひとりで解決しようとしてっ、で、最後はぜんぶ自分が悪いんですごめんなさい? ばっかじゃないの!」
するとシャレイリアはあたしの目をキッと睨《にら》み返し、
「わ、私は、これ以上、夏穂たちに迷惑はかけられないと思ったのだっ。みんなの大切な学園祭を、私のせいで、あんな、ことに……」
「ばか―――――――――――っ!」
「むう、耳がキンキンするぞ」
「あんたねっ、そーやって自分だけ責めて、ずっと逃げまわってるつもり? 悪いのはあんたじゃなくてランドルフじゃん。そんなこと、みんな説明すればわかってくれるよ。なのに……前のときもそうだったけどさ! どーして、ひとりで抱《かか》え込むの!」
「私はっ――」
シャレイリアが吐き出すように叫んだ。
「私だって、ずっとここに、この学園に居たい! 夏穂《かほ》や、雪那《ゆきな》や、それに法香《ほうか》とも……ずっとずっと一緒に居たいのだ! だが、それは私の甘えだ。夏穂は、優しいから、あのとき、ここに居てもいいと言ってくれた。それが嬉《うれ》しくて――知っていたのに、私のような者は、いつまでも同じ場所にとどまっているわけにはいかない。なにもしなくても、居るだけでみんなを巻き込んでしまうということを、知っていたはずなのに。私は、夏穂の言葉に甘えてしまったのだ。あのときの騒動だって私がいなければ起こらなかった。いや、ランドルフのことだけではない。ドルイドの私は、どこへいっても……こうなることはわかっていたはずなのだ!」
「――っ、わかってた? わかってたってどーゆーことよっ、だったら、どーして友だちになったのよ! 最初から、お別れするつもりで友だちになったわけ? あたし、本気で怒るよ。ってか本気で怒ってるけど!」
「……っ!」
あたしはシャレイリアの身体《からだ》を草むらに引き倒した。
そのまま地面をごろごろと転げまわる。
「……」
「……夏穂」
風が吹きぬけた。
気がつけば、シャレイリアの顔がすぐそばにあった。
「あんた、ひょっとしてさ、楽しいことしちゃいけないとか、自分は幸せになっちゃいけないとか、思ってない?」
「……」
シャレイリアはふいと目を逸《そ》らし、
「……もういい。私のことは、放《ほう》っておいてくれ」
「だめだよ。……だって、あんた泣いてるじゃん」
あたしは彼女の涙を人差し指ですくった。
「泣いてる友だちを、ほっとけるわけないでしょーが」
「……」
「あんたが故郷に帰りたいっていうなら、そりゃ寂《さび》しいけど、止めはしないよ。でも、ここに居たいなら、逃げずにあいつと戦わなきゃ。自分の居たい場所は、自分で守るしかないんだから」
「夏穂《かほ》は……夏穂は友だちだからそう言ってくれる。だが、他のみんなは――」
「みんなは関係ない。あたしのことも関係ない。いまはシャレイリアがここに居たいかどうか、それだけ考えなよ。たしかに身勝手だよ。みんなに迷惑かけてるよ。けど、それ以上に、あんたと居て楽しいって、あんたと居てよかったって、あたしは思ってるし、みんなにも、それを思い知らせてやればいい。大丈夫。あんたなら、できるよ」
あたしは彼女の手をぎゅっと握る。
やわらかい、小さな手。
伝えるべきことは、伝えた。と思う。
正直、自分でももどかしいくらい、頭の中がとっちらかって、何を言っているのかよくわからない。たぶん言葉は上滑《うわすべ》りしている。痛々しいキレイごとの羅列《られつ》。けれど、伝えたいことがあって、伝わって欲しいことがあって、それはとてもシンプルなことに思えるのに、こうやって言葉にすると、うまく言えない。
だから。ただ、届け、と願う。
言葉の中身ではなく。あんたを引き止めるために、必死で拙《つたな》い言葉を吐き出している、この意味を。
――お願いだからいかないで。あたしがあんたと一緒に居たいから。
身勝手なのはあたしだ。他の誰《だれ》が迷惑しようと関係ない。あたしはシャレイリアにずっと一緒にいて欲しい。そう願っている。
「……」
「……」
睨《にら》みあったまま、沈黙。
「私は――」
「うん」
うなずく。
「私は、夏穂と、夏穂たちと――一緒に居たい」
シャレイリアは、ゆっくりと、草むらから身体《からだ》を起こした。
「だから――」
涙の滲《にじ》んだ目をごしごしと擦《こす》り、
「だから――戦う」
「……ん、ありがと」
伝わった、と思う。
あたしはスカートの土を払って立ち上がり、晴れやかな笑顔で言った。
「それじゃ、ミスコン、絶対優勝するよ!」
「ああ!」
あたしとシャレイリアはがしっと手を握り合い、
「……む、そっちなのか?」
困惑した顔を浮かべるシャレイリア。
「私は、ランドルフとの戦いのことを言ったつもりだったのだが……」
「もちろんそうよ。でもね、あの目立ちたがり屋の変態紳士が、ミスコンなんて大イベントを見|逃《のが》すと思う?」
「む……」
「このミスコンに合わせて、かならず、なにか仕掛けてくるはず――」
あたしが言いかけた、そのときだった――
『エントリーナンバー一番っ、ホリン・シャレイリアアアアアア!』
グラウンドのほうから、やたらノリノリな声が聞こえてきたのは。
◆◇◆
あたしたちが駆けつけたとき、校庭にはすでにものすごい人だかりができていた。
ミスコン会場の特設ステージ前には、携帯のカメラを構えた群衆が押し合いへしあいしていてなかなか前に進めない。
「にしても、まさか、ここまで大胆にくるとはね……」
背伸びして群集の頭越しにステージを見やりながら、あたしは苦々《にがにが》しく毒づいた。
予定では、シャレイリアの出場順は七番目のはずだった。
しかし、華やかな電飾で彩《いろど》られたステージの上には、すでに彼女[#「彼女」に傍点]の姿がある。
言うまでもない。ランドルフのつれてきたアンドルイド――メカシャレイリアである。
陽光に煌《きらめ》くプラチナブロンドの髪。
サファイアみたいに透き通ったアイスブルーの瞳《ひとみ》。
そして磨《みが》きこまれた雪花石膏《せっかせっこう》のような白い膚《はだ》。
その姿はまさしく完全無欠の超絶美少女だ。
おまけに彼女が着ている衣装は――破壊力抜群のメイド服。
丈《たけ》の長い黒のスカートに、フリルのついた純白のエプロン、頭にはホワイトブリムといういでたちだ。昨今はやりのなんちゃってメイドとはひと味違う、古式ゆかしい本格的なメイド衣装であった。
「むう」
と、爪先《つまさき》立ちしたシャレイリアが不機嫌そうにうめいた。
「あれはブリテンの貴族どもに仕《つか》える使用人の服ではないか。ドルイドの私が、あんなものを着ると思っているのか?」
あ、怒るのそこなんだ。怒りのポイントがいまいちよくわからない娘《こ》である。
――ともあれ、あたしはステージに向き直る。
壇上《だんじょう》のメカシャレイリアが、スカートの裾《すそ》をつまんでぺこりとお辞儀した。
『二年C組代表、ホリン・シャレイリアデス。ヨロシク』
その瞬間――
「うっ、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
グラウンド全体に地響きのような大歓声が沸き起こる。
声を上げているのは男子ばかりではない。前方に陣取っている女子の集団からも「キャ――ッ、キャワイイーッ!」と黄色い歓声が乱れ飛んでいる。
「うぉーう、うぉーう、うぉ――――――う!」
大気を震《ふる》わせる雄叫《おたけ》びの大合唱。
……なんだか、そこはかとなく見覚えのある光景だった。
『ほほう、初《しょ》っ端《ぱな》からこの盛り上がり! 二年C組から彗星《すいせい》のごとくあらわれた大型新人、これはパフォーマンスにも期待が高まるというものだ!』
タキシード姿の司会者がマイクで煽《あお》ると、会場はますますヒートアップ。興奮した観衆は「いいぞー!」「ホリンちゃーん、こっち向いてー!」「笑ってー!」「脱いでー!」「むしろ踏みつけてー!」などと口々に好き勝手なことを叫びはじめる。
『いやはや、すごい声援ですなあ。――っと、それではシャレイリアさん、さっそく特技のほうを見せてくれますかな?』
司会の人がマイクを彼女に手渡した。
『ハイ、特技八歌デス。一生懸命歌イマス』
メカシャレイリアは、たどたどしい手つきで両手にマイクを握り締《し》めると、すうっと大きく息を吸い込んだ。
そのなんとも可愛《かわい》らしいしぐさに、観衆は期待のこもった視線を彼女に向ける。
そして――
デ〜〜〜イジ〜〜〜、デ〜〜〜イジ〜〜〜〜〜〜
脳味噌《のうみそ》がぶっ飛んだ。
それは音というより――むしろ衝撃波に近かった。
「……ぬわっ!?」
あたしは耳を塞《ふさ》いでよろめいた。
……音痴《おんち》である。めちゃくちゃ音痴である。
いやもう、この世のものとは思えぬほどに。
しかも、ものすごい大音量。おまけにジャイ○ンのリサイタルみたいな謎《なぞ》のエコーまでかかっている。
あたりに目を転じれば、やはり耳を塞《ふさ》いで地面をのたうちまわる、大勢の生徒たち。
ヘッドホンをつけたまま悶絶《もんぜつ》している審査員の先生方。
そしてなぜか崩壊する屋台。
ヒートアップしていた会場は一転、阿鼻叫喚《あびきょうかん》の地獄絵図に変わった。
「……っ、これかっ、あたしたちの教室めちゃくちゃにしたのっ……」
頭の中をミキサーでかきまわされるようなこの感覚。こんなのを数分も聴いていたら脳味噌《のうみそ》がとろける杏仁豆腐《あんにんどうふ》になってしまう。
「――めろーっ!」
誰《だれ》かが、壇上《だんじょう》に向かってペットボトルを投げつけた。
それをきっかけに――何十人もの生徒がいっせいに立ち上がり、なおも気持ちよさそうに歌い続けているメカシャレイリアに対して、空《あ》き缶やら割《わ》り箸《ばし》やら、発泡スチロールの箱やら焼き鳥の串《くし》やらを投げつける。
「ひっこめー!」「この音痴っ!」「田舎《いなか》に帰れっ!」「脱げー!」
数分前とはうってかわって、すさまじいまでのブーイングの嵐《あらし》。
だが、壇上のメカシャレイリアは、いっこうに歌をやめる気配がない。どころか、ますますボリュームを上げてくる。
また一軒、たこ焼き屋の屋台が倒壊《とうかい》した。
「くっ……」
両手で耳を塞いだまま、あたしは唇を噛《か》み締《し》める。
……事態は、どんどんまずいほうへ向かっている。
おそらくは――この学園のどこかに潜《ひそ》んでいるであろう、ランドルフの目論《もくろ》み通りに。
このままでは、学園祭がめちゃくちゃになるだけではない。なんといっても、会場のみんなは、あれを本物のシャレイリアだと思っているのだ。これまではかろうじて許されてきた彼女も、学園祭でこんな大騒動を引き起こしたとあれば、こんどこそ、退学は免《まぬが》れないだろう。
……そういえばシャレイリアは!?
あたしは彼女の姿を探して、きょろきょろとあたりを見まわした。
彼女は――って、あれ?
そのとき。あたしは妙なことに気がついた。
こころなしか……メカシャレイリアの歌が、弱まっている?
さすがに歌い疲れてきたのだろうか。いや、んなことないかメカだし。でも――
おそるおそる、耳を塞《ふさ》いでいた手を離してみる。と、
「……?」
どこからか、かすかな歌声が聴こえてきた。
あたしは振り向いて――そして見た。
累々《るいるい》と倒れ伏した生徒たちの中、美少女戦隊ルナティックトルーパーの衣装を着たシャレイリアが、ヤドリギのついたマジカルステッキを天に向かって掲《かか》げ――歌っていた。
それは、遠い異国の言葉で紡《つむ》がれる歌。
透き通った、甘く切ないケルトの調べだった。
「シャレイリア……」
彼女の歌声に気づいた群集のあいだに、新たなどよめきが沸き起こる。
――いつのまにか、メカシャレイリアの歌声は消えていた。あのメカ少女が歌うのをやめたわけではない。だが、その破壊音波のごとき歌声は、すべてを包み込むようなシャレイリアの美声にかき消されていた。
「これは、〈ドルイドの歌〉……」
いつのまにか背後にあらわれた雪那《ゆきな》が、眼鏡《めがね》をキラーンと光らせた。
「おおっ、雪那、知ってるの!?」
「うん、たしか本で読んだことがあるよ!」
博識《はくしき》な彼女の話によれば――古代のドルイド僧は、ドルイド教の教義を歌として暗誦《あんしょう》していたらしい。幼いころから歌唱の修練を積み、優《すぐ》れた歌い手としての技能を身につけていた彼らは、しばしば歌によって超自然の力を操った。この歌い手としてのドルイドはとくに詩人《バード》と呼ばれ、古代ケルト社会において、畏《おそ》れ敬《うやま》われていたという。
――ま、そんな蘊蓄《うんちく》はともあれ。
シャレイリアが歌を打ち消してくれているいまが、反撃のチャンスである。
累々と積み重なった男子生徒たちの屍《しかばね》を踏み越え、あたしはステージの階段を一気に駆け上がる。そして気絶している審査員席の教師からマイクをひったくると、目の前のメカシャレイリアをびしっと指さして、
『みんな、騙《だま》されないで! こいつはニ・セ・モ・ノ・よ―――――――っ!』
声の限りに叫んだ。
「…………」
しん、と静まり返る会場。
メカシャレイリアが歌うのをやめ、ギギィーッ、とこっちを振り向いた。
冷徹なアイスブルーの瞳《ひとみ》が、あたしの目をまっすぐに射抜く。
「ナニヲ言ウノデス。私ハ、本物ノシャレイリア――」
「無駄よ。あんたのメッキはとっくに剥《は》がれてるわ」
「……エ?」
すると彼女は一瞬、きょとん、として、
「ドノ箇所《パーツ》デスカ?」
あわてて、露出した腕や顔の皮膚《ひふ》をぺたぺた触りはじめる。
「……」
「…………ア」
みょーに寒々しい空気が流れた。
……いや。語るに落ちたというか、なんというか。
メッキが剥がれたって、ただ慣用句として言っただけなんですけど……
「ダ、騙《だま》シタノデスネ……ッ、卑怯《ひきょう》ナ! 人間ハズルイ!」
耳からしゅーっと蒸気を噴き出し、怒りを表現するメカシャレイリア。
この娘《こ》もメカのくせにけっこうアホである。人間はずるいとか言っちゃってるし。
「あのね、だいたいあんた、いろいろ詰めが甘いのよ。その頭のてっぺんのアホ毛も、巧妙に偽装したつもりでしょーけど、レーダーだってバレバレよっ!」
「……ッ!」
ガーン! とショックを受けた様子であとずさるメカシャレイリア。
「それにね、いくら外見を似せたところで、しょせんはメカ! 本物のシャレイリアの持つむぎゅーってしたくなるような美少女オーラは真似《まね》できないっ!」
「ウ、ウウ……」
「あと、素人《しろうと》にはわかんないでしょーけど、シャレイリアマニアのあたしの目はごまかせないわ! 腰のくびれが微妙に違うし、胸からお腹《なか》にかけてのラインも、シャレイリアはもっとこう、ぐっとくる感じで――」
後ろから、つんつん、と肩をつつかれた。
おや?
「……か、夏穂《かほ》、あまり誤解を招《まね》くようなことをマイクで喋《しゃべ》らないで欲しいのだが」
振り向くと、シャレイリアが顔を真っ赤にしてもじもじしていた。
「……」
ちょっと暴走しすぎたようだ。
ともあれ――
説得力たっぷりのあたしの告発と、ルナティックトルーパーのコスプレをした真の超絶美少女シャレイリアの登場に、会場のざわめきはますます大きくなる。
――と、
「ふっ、ふはははははははははははははははっ!」
どこからともなく、聞き慣れた哄笑《こうしょう》が響きわたる!
「――っ!?」
あたしは声のしたほうを振り返る。
そこにいたのは――
なんと、メカシャレイリアの歌を聴いて倒れていたはずの、司会の人だった。
「って、まさか――!」
「ふん、やってくれたな小娘……」
司会の人が、人のよさそうな笑顔をぱっと剥《は》ぎ取った。マスクの下からあらわれたその顔は――いうまでもなく、シャレイリアの婚約者、アーサー・ランドルフ!
「よくぞ私の、シャレイリアの好感度を下げて学園から追い出そうプロジェクト(通称シャロジェクト)を邪魔してくれたものだ!」
「ランドルフ……っ!」
あたしは背後にシャレイリアを庇《かば》いながら、一歩、あとじさる。
「英国紳士としては、本来、このようなスマートでない手段は使いたくなかったのだが――ことここに至ってはやむを得まい。力ずくで連れ帰らせてもらうぞ、我が妻よ。……事態はもはや一刻の猶予《ゆうよ》もならんのだ。もうすぐ滞在ビザが切れそうだし、アパートの家賃の支払いは滞《とどこお》っておるし、食い逃げで指名手配もされておるからな!」
そんな理由なのか。いや切実なのはわかるけど。
と。
「夏穂《かほ》、大丈夫だ」
シャレイリアが、あたしの肩にそっと手を置き、前に出た。
その瞳《ひとみ》には、強い決意の光が宿《やど》っている。
「シャレイリア……」
「夏穂が教えてくれたのだ。私の為《な》すべきことを。私は――もう逃げない!」
「……ほう? 見習いドルイドにすぎぬおまえが、私を倒すと?」
ランドルフが片方の眉《まゆ》を吊《つ》り上げる。
「――ああ。私がみんなを、夏穂たちの学園祭を、この手で守る!」
シャレイリアがマジカルステッキを回転させ、アニメの決めポーズそのままに構えた。
「エントリーナンバー七番、アルスターのドルイド、ホリン・シャレイリア。アーサー・ランドルフ卿《きょう》に決闘を申し込む!」
高らかに響きわたったその名乗りに、
わああああああっ――
会場から、沸き返るような歓声が上がった。
――シャレイリアが疾《はし》った。
純白のスカートをはためかせ、舞台の端に立つランドルフめがけて加速する。
「ランドルフっ、ここですべてを終わらせる!」
床を蹴《け》って跳躍《ちょうやく》し、両手で持ったステッキをフルスイング――
刹那《せつな》。
ガギィッッッ!
両者のあいだに割り込んだ黒い影が、その一撃を素手で受け止めた。
「マスターニハ触《ふ》レサセマセン」
「……っ!」
メカシャレイリア――鋼《はがね》の決戦兵器が彼女の前に立ちはだかる。
宙空で火花を散らし、二人は同時に後ろへ跳んだ。
「ふん、いまこそ見せてやろう。最新型アンドルイドの性能を!」
「させぬ!」
地を蹴って跳躍したシャレイリアの上段から振り下ろした渾身《こんしん》の一撃を手刀で受け止めたメカシャレイリアの両肩から発射されたミサイルの雨を全弾回避しながら〈山猫の駿足《しゅんそく》〉、〈熊の豪力《ごうりき》〉、〈大地の護《まも》り〉を重ねてキャスト――自身の身体能力を飛躍的に強化しふたたび殴りかかったシャレイリアの打撃を紙一重でかわしたメカシャレイリアの指から発射された五連装ミサイルをステッキの先端でことごとく撃ち墜《お》とすシャレイリア。
[#挿絵(img/DRUID_215.jpg)入る]
鳴り響く爆音。舞い上がる砂煙《すなけむり》。
わずか二秒で、ステージの壁は完膚《かんぷ》なきまでに破壊され、校庭に十六個ものクレーターが出現する。
「すごい……」
すさまじい攻撃の応酬《おうしゅう》に、思わず息を呑《の》むあたし。
ちなみに、校庭にいた生徒たちは、すでに蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げ出している。
「私はっ、私の居場所をっ、この手で守る!」
間断《かんだん》なく放《はな》たれる糸引き納豆みたいなミサイルの雨をかいくぐり、相手の懐《ふところ》に飛び込むシャレイリア。が、フェイントで放った脚払《あしばら》いは読まれていた。横薙《よこな》ぎに払ったステッキの一撃はわずかに逸《そ》れて空《くう》を切る。
「メカシャレイリアを相手にここまでやるっ――それでこそ我が花嫁にふさわしい!」
ランドルフが感嘆の声を上げる。
いつのまにか、やつはレバーを逆手に持っていた。
あれはまさしく、ゲームセンターでよく見かける、格ゲーがうまい人の持ち方!
「ふははははっ、若いころは不敗の〈ジェントル麺《めん》〉として、池袋《いけぶくろ》のゲームセンターで鳴らしたものよ!」
左手でレバーを操作しつつ、右手の中指と人差し指はボタンを連打。指の動きと連動して、メカシャレイリアのすさまじい拳打《けんだ》が繰りだされる。
「ジェントル麺って……まさか!」
「うわ。法香《ほうか》さん、いつのまに!」
振り向くと、ドラキュリーナのコスプレをした法香さんが腕組みして立っていた。
「なによ。クラスの子たちに、あれはあの娘《こ》の仕業《しわざ》じゃないって、事情を話してきてあげたのよ。感謝して欲しいものね」
「……え? 法香さん、あ、ありがとう」
「ふっ、これであの娘に貸しひとつね」
法香さんは肩をすくめて言った。
「ところで、さっき言ってた〈ジェントル麺〉って、法香さん、なにか知ってるの?」
「ええ。むかし地元のバーチャ○ンの大会で当たったことがあるわ。当時小学生だった私はまったく歯がたたなかった……」
言って、悔《くや》しそうに拳《こぶし》を握り締《し》める法香さん。
……心底どーでもいい話だった。あたしは戦場に目を戻す。
メカシャレイリアの猛攻はなおも続いていた。目にもとまらぬ速さで繰り出される拳打の嵐《あらし》を、シャレイリアはステッキの柄《つか》で弾《はじ》き、止め、受け流す。
この状況。一見すると、シャレイリアが押されているようにみえる。
が、しかし――あたしは気づいていた。
ランドルフの操縦《そうじゅう》技術はたしかに目を見張るものがあるが、攻撃のパターンそのものは単調だ。多彩な攻撃を仕掛けているようにみえて、しかしそのバリエーションこそ、じつのところ決まりきった攻撃パターンの集積でしかない。戦術の巧《たく》みさにおいては、たとえば、あの怪物じみたニワトリどもの足もとにもおよばないだろう。
それに――レバーを動かしてからメカシャレイリアが反応するまでに、やはり、一瞬のタイムラグがある。いかにメカシャレイリアの性能が優《すぐ》れていようと、彼女を操作しているのはあくまでランドルフなのだ。そのわずかな一瞬が致命的な隙《すき》になる。
「クマーッ!」
「絶対防御《イージス》システム発動!」
シャレイリアが灰色熊《グリズリー》に変身して襲《おそ》いかかれば、メカシャレイリアはイージス艦に変形して地対空ミサイルの雨で応戦する。
飛び散る青白い火花。噴き上がる炎の柱。そしてなぜか宙を舞う新巻鮭《あらまきじゃけ》――
びばしっ。
飛んできた一匹の鮭《さけ》が法香《ほうか》さんの顔面を直撃した。「ひゃぶっ」と潰《つぶ》れた悲鳴を上げ、真後ろにぶっ倒れる彼女。……なにしにきたんだこの人。
「さすがだな、鋼鉄《こうてつ》の姫よ!」
交差の瞬間――シャレイリアが叫んだ。
「だが、それがおまえの真の力というわけではあるまい!」
変身を解き、大上段から打ち下ろしたシャレイリアの一撃を、メカシャレイリアは両腕で受け止めた。
かん高い衝撃音。金属製のパーツが破片となって砕け散る。
「――ッ!」
メカシャレイリアの顔に、はじめて驚愕《きょうがく》の表情が浮かんだ。
「ぬうっ、なぜ、なぜだっ!」
わめきながら、狂ったようにレバーを動かすランドルフ。
メカシャレイリアの全身から青白い電光がほとばしる。
「私のアンドルイドはっ、あらゆる面において、おまえの能力を凌駕《りょうが》しているはず!」
「マスター、ソレ以上ハ回路ニ負荷ガ――」
「ええいだまれっ、人形が口答えするな!」
「……イエスマスター」
メカシャレイリアは体勢を立て直し、ふたたび鉄拳《てっけん》を構える。――が、シャレイリアはすでに動いていた。ワンステップで背後に回り、神速の突きを放《はな》つ。
ステッキの先端が、メカシャレイリアの頬《ほお》をかすめた。
「……ッ! ナゼ、ナゼアナタハデータ以上ノ力ヲ――」
「チキン四天王っ、法香《ほうか》っ、ジャック・オー・ランタンっ――森野《もりの》学園で出会った強敵《ライバル》たちとの戦いがっ、私を強くしてくれたのだ!」
ぐっと力をこめて叫ぶシャレイリア。ほとんど少年漫画のノリである。
「私は運命などに負けぬ。私は、夏穂《かほ》や、雪那《ゆきな》や、法香のいるこの学園が好きだ。だからっ――」
シャレイリアがマジカルステッキを振り上げた。
先端についた三日月型の電飾がキラキラと点滅する。
「――ファイナル・セイント・ルナティック・フラアアアッシュ!」
アニメそのままの完璧《かんぺき》なモーションで必殺技の名前を叫び、その一撃を、メカシャレイリアの脳天めがけて振り下ろす――
あたしはシャレイリアの勝利を確信した。
しかし――
パッッッキィィィンッ!
乾いた音。
「……へ?」
あたしは思わず声を上げる。
振り下ろしたマジカルステッキの柄《つか》が――真ん中から真《ま》っ二《ぶた》つに折れていた。
「……っ!」
シャレイリアの顔が凍りつく。
その一瞬の隙《すき》を、ランドルフは見|逃《のが》さなかった。
閃光《せんこう》。メカシャレイリアの右腕が火を噴いた。
超至近距離でミサイルの直撃を受けたシャレイリアの身体《からだ》は、全身に火の粉を浴びながら宙に投げ出され――
ガッ!
校庭の中央に立つケヤキの木に、したたかに背中を打ちつける。
「シャレイリア!」
あたしは急いで駆け寄り、彼女の身体を抱き起こした。ルナティックトルーパーのコスチュームは焼け焦げてぼろぼろに裂《さ》けていた。
「くっ……」
火傷《やけど》の痛みに顔をしかめ、うめき声を上げるシャレイリア。
「――ちょっ、大丈夫?」
「……ああ、私は大丈夫だ。しかし、ステッキが――魔術で強化したとはいえ、やはりもとの素材がプラスチックでは強度不足だったようだ。この衣装も、せっかく作ってくれたのに、彼女たちに申しわけないことをした……」
消《け》し炭《ずみ》になったスカートのフリルをつまみながら、心底残念そうにつぶやくシャレイリア。お気に入りの衣装だっただけに、かなりショックを受けているようだ。
「……って、いまはそんなことより! どうする……あんた、あの〈ヤドリギ〉がないと魔術が使えないんでしょ?」
「……むう。困った」
シャレイリアが、額《ひたい》の汗を拭《ぬぐ》いながら顔を上げた。
視線の先――立ち上る黒煙と炎の中を、往年のカリフォルニア州知事のごとき足どりで歩いてくる、小柄《こがら》な影。
「……っ!」
「終ワリデス」
バシュバシュバシュッ!
「夏穂《かほ》!」
叫び、シャレイリアは、とっさにあたしを木の根元に押し倒す。
直後。頭上で激しい爆音が炸裂《さくれつ》した。
メカシャレイリアの攻撃は止まらない。続いて――二射、三射、と大量のミサイルを撃ち込んでくる。
反撃の隙《すき》を与えないよう、弾幕《だんまく》を張りながら距離を詰めてくるつもりのようだ。
「……っ、まずいわね。このままじゃ燻《いぶ》り出される」
いまはケヤキの木を壁にしてなんとか攻撃を凌《しの》いでいるが、それもいつまでもつか――
「ふはははっ、さっきの威勢はどうした! 隠れているだけか!」
校庭に、ランドルフの耳障《みみざわ》りな哄笑《こうしょう》が響きわたる。
たしかに、このまま隠れていてもジリ貧なのは間違いない。
……となると、最後の頼みの綱《つな》は仲間の動物たちくらいだが、オオカミの牙《きば》やクマの爪《つめ》があの鋼鉄《こうてつ》娘に通用するとは思えないし、シャレイリアも、こんな人外魔境な戦いに彼らを巻き込みたくはないだろう。
――つ、どうすれば……
歯噛《はが》みして、あたしは木の皮に爪を立てる。と、そのとき――
ん? そーいえば、この木ってたしか……
あたしの脳裏《のうり》に、ある閃《ひらめ》きが降ってきた。
「ねえ、シャレイリア。ちょっと訊《き》きたいことがあるんだけど」
「む、なんだ?」
「ほら、この木ってさ――」
ごにょごにょごにょ。
あたしは彼女の耳もとで、たったいま思いついたことを話してみた。
「……って作戦なんだけど、どうかな?」
「……む、なるほど。危険ではあるが――いけるかもしない」
シャレイリアは、こくり、とうなずいた。
うめき声を洩《も》らしながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ドルイドノ姫ヨ、貴方《あなた》ニハ失望シマシタ。不利ニナレバ逃ゲ隠レスルダケトハ」
メカシャレイリアが攻撃の手を止め、冷たい声で告げた。
「見損《みそこ》なうな。鋼《はがね》の姫よ」
シャレイリアが、木の陰から出て姿をさらした。
「誇《ほこ》り高きドルイドは、逃げも隠れもせぬ」
「ほう、ようやく覚悟した、ということか?」
メカシャレイリアの背後に立つランドルフが嘲笑《あざわら》った。
「覚悟にはまだ早かろう。魔術は使えなくとも――みすみす捕《と》らわれはせぬ!」
「愚《おろ》カナ。魔術強化スラシテイナイ肉体デ、私ノ鋼鉄《こうてつ》ノ拳《こぶし》ト打チ合ウト言ウノデスカ?」
「お前を倒せるとは思っていない。だが、刺し違えてでもランドルフを倒す!」
――叫び、シャレイリアが疾《はし》った。
ランドルフは余裕の笑みを浮かべ、リモコンのレバーを倒した。
シャレイリアとメカシャレイリア。互いの拳が交差するその一瞬――
「――私ノ勝チデス。ドルイドノ姫ヨ」
メカシャレイリアが冷然と言い放《はな》ち、鋭い鋼の手刀が、純白の衣装をまとったシャレイリアの胸めがけて放たれる――
刹那《せつな》。シャレイリアが目を見開いた。
「――ッ!?」
「ケルテ・エント・ルー!」
彼女が叫んだ、その瞬間。
ビッンッ!
風鳴りの音がして、あたしの視界からメカシャレイリアの姿がかき消えた。
「なにっ!」
ランドルフが驚愕《きょうがく》の声を上げる。
「おっし、まんまとかかってくれたわね!」
不敵に笑い、小さくガッツポーズするあたし。
メカシャレイリアは――姿を消したわけではなかった。目を少し上に向ければ、太い木の枝に絡みつかれ、じたばたと暴れる彼女の姿がそこにある!
――そう。これこそが、あたしの考えた作戦だった。
なんのことはない。この立派なケヤキの木は、例のニワトリどもとの戦いのとき、シャレイリアが作り出したトリエントだった。つまり、彼女は魔術を使うことなく、ただ合言葉を唱《とな》えるだけで、眠っているトリエントを起こすことができたのだ。
「残念だったな。地の利を生かした戦いは、ドルイドのもっとも得意とするところだ」
樹の上でもがくメカ少女に向かって誇《ほこ》らしげに告げるシャレイリア。
いや、あたしの考えた作戦なんだけど。まーいーけど。
「……ア……グ……」
力自慢のトリエントは、メカシャレイリアの全身に太い枝を巻きつけ、アナコンダのように締《し》め上げていく。
メキメキと金属のひしゃげる音。
「ええい、なにをしておるっ、この役たたずめ! 戦えっ、戦えっ!」
ランドルフが、レバーをめちゃくちゃに動かしながらわめきちらす。
「……マス……ター……」
メカシャレイリアが喘《あえ》ぐような声を上げた。
……もはや、勝敗は完全に決したといっていい。だが、あのメカ少女は、ランドルフが命令しないかぎり、決して降参することはないだろう。
「シャレイリア、もう――」
あたしはシャレイリアの肩に手をかけた。メカとはいえ、さすがにシャレイリアと同じ顔をした少女が苦しむ姿は見るに耐えない。
だが、シャレイリアは静かに首を振り、
「鋼《はがね》の姫よ、聞くがいい!」
樹上《じゅじょう》の少女に向かって大声で告げた。
「……シャレイリア?」
「お前はランドルフの人形か? お前の力はそんなものなのか?」
「……私ハ……マスター、ノ……」
メカシャレイリアの唇がかすかに震《ふる》える。
「私はお前と戦いたい。ランドルフの操り人形などではない、お前自身と!」
「……ッ!」
「ええい、動け、動かんかっ! さもなくば自爆しろっ!」
レバーをガチャガチャさせながら怒鳴《どな》るランドルフ。「くそっ!」とコントローラーを地面に投げつける。
「マス……ター……」
「お前に戦士としての誇りがあるのなら、お前自身の力で、その縛《いまし》めを解き放《はな》て!」
「シャレイリア、相手はメカなんだよ?」
あたしが言うと、シャレイリアはきゅっと唇をむすんで振り返り、
「――夏穂《かほ》、私もあの者と同じだったのだ。定められた運命は決して変えられないと、望まぬ結婚から逃げることはできないと思っていた」
「……」
そうか。シャレイリアは、メカシャレイリアの中に自分を見ているんだ。
だから――
「だが、私は運命に抗《あらが》うことができた! この地にきて、夏穂や、雪那《ゆきな》や、法香《ほうか》と出会うことができた!」
彼女はふたたび、メカシャレイリアのほうへ向き直る。
「鋼《はがね》の姫よ、お前自身の名を名乗るがいい!」
「……ッ!」
「お前の名は!」
「…………ッ!」
「名は!」
「……私ニ、名前ハ……ナイ……私ハ……貴方《あなた》く影ダカラ……」
「そうか。ならば、私がお前に名を与えよう。名誉ある一人の戦士として――名が欲しくば戦え! ランドルフの命令ではなく、お前自身の意思で。お前の全存在を賭《か》けて挑んでくるがいい!」
シャレイリアが叫ぶ。まっすぐに――鋼鉄《こうてつ》の少女へ目を向けて。
「はっ、アンドルイド相手になにを言って――」
「だまれ」
シャレイリアが睨《にら》みつけると、ランドルフは舌打ちして口をつぐんだ。
「さあ、決めるがいい。――お前は自身の運命を、お前の在《あ》るべき場所を、その手で勝ち取るか!」
「……ア……」
メカシャレイリアの口から喘《あえ》ぐような声が洩《も》れる。
それは――言葉にならない言葉。魂《たましい》の産声《うぶごえ》だった。
「……ア……アアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ほとばしる青い火花。逆巻《さかま》く熱風。
彼女の全身からすさまじい炎熱が噴き上がり、その身を拘束《こうそく》していた太い枝を、いとも簡単に焼き切った。
ひゅおおおおおおお……
ひたとシャレイリアを見据《みす》えるその瞳《ひとみ》は――凄烈《せいれつ》なる、赤。
「……よ、よくやった! それでこそ我が――」
ランドルフがリモコンを拾い上げ、メカシャレイリアのもとに駆けよる。――と、
べしっ。
え?
……べしっ?
あたしの目が点になる。
――あろうことか。メカシャレイリアは、自分のマスターであるランドルフを、拳《こぶし》の一撃であさっての方向にふっ飛ばしたのだった。
「ぬおおおおおおーうっ!」
情けない悲鳴を上げながら、お空の星になるランドルフ。
「……」
えっと、これはいったい……?
「あのー、シャレイリアさん。あれってどーなってるの?」
「……むう。おそらくは、目覚めかけたあやつの自我が、本来与えられた命令と矛盾《むじゅん》を引き起こしたことによって我を失っているのだろう」
「つまり、暴走してるってこと?」
「そうなるな」
シャレイリアは、こくり、とうなずいた。
「……」
暴走状態のメカシャレイリアは、青白い火花の散る拳を握り締《し》め、ゆっくりと、こっちへ近づいてくる。話し合いのできる状態ではなさそうだ。
……いや、あれはマジで洒落《しゃれ》にならんのですけど。
「シャレイリア、逃げないと――」
「だめだ」
「え?」
シャレイリアが振り返った、その視線の先には――
森野《もりの》学園の第一校舎が建っている。
二階の窓から、二年C組の生徒たちが顔を出し、戦いのゆくえを固唾《かたず》をのんで見守っていた。
「あ……」
「私が逃げれば、あやつはあの途方《とほう》もないエネルギーをまっすぐ校舎に向かってぶつけるだろう。それだけは、絶対に防がねばならぬ」
「……そんなっ、無茶だよ!」
ヤドリギを失い、魔術すら使えないシャレイリアに、とても勝ち目があるとは思えない。
状況は絶望的である。
――と。シャレイリアは、なにやら真剣な顔で思案し、
「待て、夏穂《かほ》。あきらめるのはまだ早いぞ」
静かな声でそう言った。
「へ?」
「私はここに、誓約《ゲッシュ》を立てる」
誓約《ゲッシュ》――それはドルイドが自身に課す神聖な義務である。その義務を全《まっと》うすれば様々な恩寵《おんちょう》を受けることができるが、逆に、義務を怠《おこた》ったり誓いを破ったりすれば、大いなる禍《わざわい》が降りかかるという諸刃《もろは》の剣《けん》。素人《しろうと》にはおすすめしない。……らしい。
「……えっと、それって、けっきょく神頼みっていうか、運任せってこと?」
あたしはジト目で訊《き》いた。
「む、そんなことはないぞ。現に私が魔術を使えるのは、様々な誓約《ゲッシュ》を己《おのれ》に課しているためなのだからな。――それより夏穂、私が果たすべき困難な誓いは、なにかないか?」
「困難な誓い?」
「そうだ。誓約《ゲッシュ》はその誓約を履行《りこう》することが困難であればあるほど、そして他人によって課せられた義務であればなお、より大きな恩寵を受けられる。なにかないか?」
「んなこと急に言われても――」
「時間がない。急いでくれ」
シャレイリアがあたしを庇《かば》うように前に立った。
メカシャレイリアの足音はすぐそこまで迫っていた。
渦巻《うずま》く熱風が、髪や皮膚《ひふ》をちりちり炙《あぶ》る。
……打つ手は他にない。もはや、これに賭《か》けるしかないようだ。
「なるべく無理っぽいのね」
「そうだ。だが本当に無理なのは困るぞ」
なかなか難しい注文である。
「それじゃ、えーと……」
あたしばしばし思案する。
シャレイリアにとって、果たすのが困難そうな誓いって――
「……えっと、これから一年間、無遅刻無欠席とか?」
我ながら発想が学級委員長的である。
「そんなのではだめだ。もっと困難な誓約を!」
「じゃ、じゃあ、期末テストで全教科平均点以上!」
「足りん。それから!」
「じゃ、いっきにグレードアップして、生徒会役員になる……とか!」
「それから!」
「ええいっ、じゃあこれならどうだっ、生徒会長になる!」
「まだだっ! その程度の誓約《ゲッシュ》では、あやつを倒すことはできん!」
「ええっ!」
メカシャレイリアの拳《こぶし》が青いプラズマを放《はな》った。かすかなイオン臭が鼻をつく。
……くっ、まずい。
「一日一善!」
「健康第一!」
だんだんてきとーになってきた。
「一緒にお風呂《ふろ》に入る!」
「背中を流しっこする!」
「夏穂《かほ》、それはちょっと違うぞ」
戸惑ったように首をかしげるシャレイリア。
……はっ、ついあたしの個人的な願望が。
「夏穂、早く!」
「んなこと言ったって、あんたにとって難しいことなんて――」
言いかけて――あたしは気づいた。
あたしの願望。それでいいじゃん。
難しいけど。本当に、とても難しいけれど――
でも、彼女に必ず誓って欲しいこと。果たして欲しい約束。
あった。
「あたしと一緒に、無事に森野《もりの》学園を卒業する!」
「……」
一瞬の沈黙。
「……なるほど。たしかに、それは困難な誓いだな」
シャレイリアが、かすかに苦笑した。
「だが、守り甲斐《がい》のある誓約《ゲッシュ》だ」
彼女は両手を上に掲《かか》げて天を仰《あお》いだ。そして厳《おごそ》かに誓いの言葉を紡《つむ》ぐ。
「アルスターのドルイド、ホリン・シャレイリアがここに誓う! 空が落ち、大地が裂《さ》け、海が我を呑《の》み込まぬ限り、我が誓約《ゲッシュ》は必ず果たされん!」
「……」
一秒。二秒。……三秒が経《た》った。
「……」
――コツン、
と、梢《こずえ》のあいだから、なにか小さなものが落ちてきた。
……ん?
いぶかしげに眉《まゆ》をひそめ、あたしはそれを拾い上げる。
「これって……」
それは、シャレイリアが転校してきた日にプレゼントしてくれた、あの便秘に効《き》くパワーストーンだった。
いつも鞄《かばん》に入れていたはずだが、なぜこんなところにあるんだろう?
「なるほど。これが恩寵《おんちょう》か」
シャレイリアが静かにつぶやいた。
「……は? 恩寵って、この石が?」
「ああ。持っているだけで便秘が治るほどの魔力を秘めた護符《ごふ》だぞ。その破壊力は計り知れん――」
「……そ、そーなんだ。そんなすごい石なんだコレ」
あたしはぐるぐる渦巻《うずま》きの描《えが》かれた石を見つめて絶句した。
……すみません。ふつーに文鎮《ぶんちん》とかに使ってました。
シャレイリアはあたしから石を受け取ると、右の拳《こぶし》に固く握り締《し》めた。
そして――迫り来るメカシャレイリアへと向き直る。
「ゆくぞ、鋼《はがね》の姫よ。魂《たましい》の深くに眠るお前の心――私が解き放《はな》つ!」
「ア――アアアアアアアアアアッ!」
二人の少女が、同時に走った。
交差の瞬間。
シャレイリアの拳から、すさまじい閃光《せんこう》が生まれ――
閃光放つメカシャレイリアの拳を、粉々《こなごな》に打ち砕いた。
◆◇◆
校庭に乾いた風が吹いている。
「負ケタノデスネ……私ハ……」
地面に横たわり、消え入りそうな声でつぶやくメカシャレイリアの耳もとに、シャレイリアはそっと唇を近づけた。
「ああ。この勝負は私の勝ちだ。だが、おまえはおまえ自身の運命に打ち勝った」
「……」
「約束通り、お前に名を与えよう。お前の名はアリアンロッド。ケルトの神話に伝わる月の女神の名だ」
「アリアンロッド……」
「長くて呼びにくいから、アリアでいーんじゃない?」
「夏穂《かほ》、神聖なる女神の名をそのように――」
「……アリア……キレイナ名前……」
かすれた声でつぶやいて、メカシャレイリアは静かにまぶたを閉じた。
「わっ、ちょっと!」
あたしがあわてて声をかけた、そのとき――
「ふぉふぉふぉ、心配いらん。バッテリーが切れただけじゃよ」
背後から、何者かに肩を叩《たた》かれた。
「へ?」
振り返って顔を上げると、ひとのよさそうな笑みを浮かべた老人が、杖《つえ》をついて立っていた。そしてその隣には、ものすごい形相《ぎょうそう》のバーコード吉野《よしの》が。
「白川《しらかわ》君っ、なにやら校庭で騒ぎになっていると聞いてやってきたのだが、これはいったい、どういうことかねっ!」
バーコード吉野が指さしたその先には――
校庭のあちこちに穿《うが》たれた巨大なクレーター。めちゃくちゃに破壊された屋台。崩壊したステージ。大地は焼けただれて荒廃《こうはい》し、もうほとんど核戦争後の地球である。
「あまつさえっ、理事長の大切にされていたケヤキの木を一度ならず二度までもーっ!」
頭から湯気でも噴きかねない勢いでキーッとわめく吉野の肩を、隣に立っていた老人が、なだめるようにぽんぽん叩く。
「まあまあ、吉野君。この子たちも悪気があってやったわけではないじゃろう」
「理事長っ、これはそういう問題では――」
「理事長?」
と、あたしは声を上げる。
このおじいさんが?
そーいえば、一年生の入学式のとき顔を見たよーな――
「って、どーしたのシャレイリア? さっきから固まっちゃって」
「……」
「ねえ」
「……」
「ちょっと、大丈夫?」
「お祖父様《じいさま》!」
シャレイリアが叫んだ。
「……は?……お祖父様って……えええええええええっ!」
いきなりの衝撃発言。
ってゆーか意味わからん!
「ちょっ……ちょっと、どーゆーことよっ!」
あたしの頭は混乱していた。このじーさん――森野《もりの》学園の理事長が、あの、森に隠れたまま行方《ゆくえ》不明になっていたっていう、シャレイリアのおじいちゃん……?
「ふぉふぉふぉ、シャレイリアよ、しばらく見ぬうちにずいぶん大きくなったのう」
「お祖父様《じいさま》!」
シャレイリアが理事長にひしと抱きついた。
「よくぞご無事で!」
「うむ、うむ」
理事長は目を細めて彼女の頭を優しく撫《な》でながら、
「よくやったぞ、シャレイリア。これまで、陰ながらおまえの成長を見守っていた甲斐《かい》があったというものじゃ。おまえは勝負に勝つことのみにこだわらず、その鋼《はがね》の娘のくびきを解き放《はな》った。ドルイドは、タフでなければ生きていけない。しかし、優しくなければ生きる価値がない……わしの教えの意味をようやく理解したようじゃの」
「はい、お祖父様! ありがとうございます!」
だからそれパクリだって。
「――ってゆーか、事情がぜんぜんわかんないんですけど! どーゆーことですか? なんでシャレイリアのおじいちゃんが森野学園の理事長に?」
あたしがずいと詰め寄ると、シャレイリアのおじいちゃん(略称シャレじーさんに決定)は「うむ」とうなずいて、
「話せば長くなるのだが、それでも聞くかね?」
「長いってどれくらい?」
「そうじゃの、ざっと二十日ほどじゃが」
「長っ!」
……そーいえば、このじーさん、一族の歴史を二週間ぶっ続けで語り続けて脱水症状になったんだっけ。
死ぬぞ。こんどは。
「ふぉふぉふぉ、ではショートバージョンで」
「それでお願いします」
……シャレじーさんは語った。どーやら、シャレじーさんは、ドルイドの長老を引退し、定年後のセカンドライフを満喫《まんきつ》するために、この森野学園を創設したらしい(そーいえば森野学園は創立十周年である)。で、ある日、ふらりとやってきたシャレイリアを入学させたのは、彼女に望まぬ結婚を押しつけてしまった、じーさんなりの罪滅《つみほろ》ぼし。理事長の立場と権力をフルに利用して、シャレイリアがこの学園に馴染《なじ》めるかどうか、陰ながら見守っていたのである。END。
おお、ほんとに短い!
「なるほど。この学園の地脈《ちみゃく》が異様に優《すぐ》れていたのは、お祖父様《じいさま》が関係していたからか……」
シャレイリアがしみじみとつぶやいた。
「シャレイリアよ、おまえには苦労をかけたな。ランドルフがあのような者だと知っておれば、わしらもあのような契約は交わさなかったのじゃが……」
「いえ、私はむしろ感謝しています。この試練がなければ、私はアルスターの森から離れることもなく、私の大切な者たちと出会うこともありませんでした」
シャレじーさんが温厚な笑顔で「ふむ」とうなずいた。
「よき友にめぐまれたようじゃの」
「はい。私の大好きな、親友です」
シャレイリアはちらっとこっちを振り返り、ちょっと、照れくさそうに微笑《ほほえ》んだ。
うわ。キュート♪
その破壊力抜群のはにかみ顔に、あたしの頬《ほお》は思わずゆるんでしまうのだった。
◆◇◆
遠く――パチパチと炎の爆《は》ぜる音が聞こえてくる。
夕方六時。
陽《ひ》もすっかり短くなったこの季節、あたりはすでに紺色《こんいろ》の薄闇《うすやみ》に包まれている。
あたしは学園祭実行委員の仮設テントの椅子《いす》に座り、うとうとまどろんでいた。
結局。その日の午後の活動は、森野《もりの》学園の生徒|総出《そうで》で、破壊された屋台の修理と、穴のあいたグラウンドの地ならしに費《つい》やされた。力自慢のトリエントや大型動物たちの協力もあり、復興作業そのものは意外なほど順調に進んだが、地面に散乱した食べ物や瓦礫《がれき》の山は、学園の美観をいちじるしく損《そこ》なうため、校庭に積み上げておくわけにもいかず、キャンプファイアーの薪《まき》として利用されたのだった。
山の彼方《かなた》に吹っ飛ばされたランドルフの行方《ゆくえ》は、ようとして知れない。願わくば、二度とあらわれて欲しくないものであるが――
グラウンドの中央。廃材で組み上げられた巨大櫓《きょだいやぐら》が盛大な炎を上げている。
轟々《ごうごう》と燃え盛《さか》る篝火《かがりび》の周囲を灰色オオカミの群れが跳ねまわり、生徒たちもやけくそ気味に、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ(ノンアルコールだが)。調子に乗って告白したり振られたり踊ったり脱いだりと、もうやりたい放題である。
ちなみに、この壮大なキャンプファイアーの櫓組《やぐらぐ》みには、シャレイリアがスペシャルアドバイザーとして参加している。なんでも、故郷で司《つかさど》っていた火の精霊を祀《まつ》る儀式と似ているらしく、そのノウハウを応用したのだそうだ。……なんか近くに牛の頭蓋骨《ずがいこつ》みたいなのが載った石の祭壇《さいだん》があったりもするが、そこはご愛嬌《あいきょう》というやつである。
「――夏穂《かほ》、ここにいたのか」
背後からかけられた声に振り向くと、制服姿のシャレイリアが立っていた。
「みんなのところに、いかなくていいのか」
「んー、さすがに疲れちゃってさ。……シャレイリアも、櫓組みお疲れ様」
「……いや。今回のランドルフの件は、もとはといえば私の引き起こしたことだ。みんなの楽しみにしていた森野祭《もりのさい》を台無しにしてしまって、本当に申しわけないと思っている」
シャレイリアはしゅん、となって言った。
「はいはい、そーゆーのはいいから。いまどきはやんないから。だいたい、お祭りなんてのはね、もともと非日常を楽しむものなんだから、これはこれでいいの。ほら、なんだかんだいって、みんなもけっこう楽しんでるじゃん」
言って、あたしが指さした先では、コスプレ姿の法香《ほうか》さんが「ヨホホーイ!」と怪《あや》しげな雄叫《おたけ》びを上げながら踊っている。……元気な人だなあ。
「ありがとう。夏穂は優しいな」
シャレイリアは、ふっと微笑《ほほえ》んで遠くの篝火《かがりび》を見つめた。
炎の照り返しを受け、ほのかにオレンジ色に染まったその横顔を、あたしは、とても、綺麗だと思った。
「あの火は、故郷を想《おも》い出す」
ぽつり、とそうつぶやいて、彼女は懐かしそうに目を細めた。
「毎年、サウィン祭の日には、姉上たちが甘い小麦のお菓子を焼いてくれたものだ」
「……」
あたしはちょっと言いよどみ、そして――
「……ねえ、シャレイリア」
「む?」
訊《き》いた。
「やっぱり故郷に、帰りたい?」
「……」
「えっと、ほら、ランドルフのことも、一応は解決したわけだし、そしたらひょっとして、シャレイリア、アイルランドに帰っちゃうのかな……って」
「夏穂」
シャレイリアがこっちを向いた。
「たしかに故郷の森は恋しい。だが、ここには私の大切な友がいるからな」
じっとあたしの目を見つめてくる。
……えっと、すごい、照れるんですけど。マジで嬉《うれ》しいっていうか、うわー。
頬《ほお》がかあっと熱くなる。
「それに、夏穂《かほ》と交わした誓約《ゲッシュ》を果たさねばならぬしな」
「……うん、そうだね」
あたしは力強くうなずいた。
これから一年間とちょっと。遠足とか、体育祭とか、修学旅行とか、楽しいこといっぱいやって、そして一緒に森野《もりの》学園を卒業するのだ。誓った通りに。
「ところで夏穂、セイトカイチョーとはなんだ?」
「……へ?」
あたしの表情が固まった。
「ほら、あのとき、セイトカイチョーになるとかなんとか誓ったではないか」
きょとん、とした顔で言うシャレイリア。
「……え?」
「む?」
「ひょっとして、あの誓約《ゲッシュ》って、その、最後のあれだけじゃなくて、ぜんぶ誓ったの? まとめて?」
「うむ。あのとき夏穂の言った言葉をすべて誓ったぞ」
「……えっと、無遅刻無欠席とか、一緒にお風呂《ふろ》入るとかも……ぜんぶ?」
「うむ」
「ええええええええええええええええええっ!」
あたしはダリの『記憶の固執《こしつ》』になって絶叫した。意味がわからないが。
あれ、すごいテキトーに言ったのに……
「マジですか!」
「恩寵《おんちょう》を受けるために、複数の誓約《ゲッシュ》をかけるのは普通のことだ。ひとつでも誓いを果たせないと大いなる禍《わざわい》が降りかかるぞ。私と夏穂に」
「……へ? あたしに?」
「むろんだ。あの誓約は、神々と交わした誓約であると同時に、夏穂と交わした誓約でもあるのだからな」
さも当然、と言わんばかりのシャレイリア。
あのー、そーゆーことはなるべく先に言っといてください。
「すまぬ。あのときは時間がなかったのだ」
いやまあ、たしかにそーだったけど。
「心配することはない。私はドルイドだ。交わした約束は必ず守る」
「うー。そりゃ、シャレイリアを信用してないわけじゃないけど……」
……なんだか、めんどくさいことになりそうである。っていうか、初日で飼育係をクビになった彼女に、生徒会長が務《つと》まるとは思えないんですけど。
――と、そのとき。あたしは気がついた。
こころなしか、キャンプファイアーの炎が大きくなってるような……いや、それより、なんか人っぽいっていうか、そこはかとなく名状《めいじょう》し難《がた》い形をしているよーな気が――
「ねえ、シャレイリア……あれって」
おそるおそる、あたしが指さすと、シャレイリアはなんだか露骨《ろこつ》に焦《あせ》った表情で、
「……む、あやつら、まさか祀《まつ》りの正統な手順を怠《おこた》ったのか?」
「正統な手順?」
「うむ、まず祈りを唱《とな》えながら祭壇《さいだん》に生きた牡牛《おうし》の血を振りかけ――」
「するかっ! どこの儀式よそれは!」
あたしは彼女の耳もとで怒鳴《どな》った。
「バカな……火の精霊を祀るときの常識だぞ」
「祀ってないってば、んなもん」
などと言ってるあいだにも、炎はどんどん膨《ふく》れ上がり――変な雄叫《おたけ》びまで上げはじめる。
逃げ惑う学園の生徒たち。吼《ほ》え猛《たけ》るオオカミの群れ。
「むう、火の精霊が怒り狂っているようだな……」
「こんのっ、あほドルイドッ!」
あたしはシャレイリアを張り倒した。
「み、水! 消火器!」
「あやつにそんなものは効《き》かん。それより、早く生きた牡牛の血を祭壇に――」
「やかましいっ!」
あたしたちは、怒り狂うキャンプファイアー(?)に向かって、あわてて走り出す。
――あたしと一緒に、無事に森野《もりの》学園を卒業する!
ああ、さっそく危《あや》ういです。
[#地付き]――END
[#改ページ]
あとがき
はじめましてこんにちは。志瑞《しみず》祐《ゆう》と申します。このたびは『やってきたよ、ドルイドさん!』をお手に取って下さり、本当にありがとうございます。
アニメショップとかで美少女の絵が描いてある床を踏むのを躊躇《ためら》うものの、わざわざまたいで避《よ》けるのも変だしなと自意識過剰気味に迷ったあげく、結局、踏んでしまって罪の意識に心を痛める――そんな小心者の僕ですが、多くの方々に支えられ、こうして本を出してもらうことができました。もう嬉《うれ》しくてくるくる回転してしまいます。くるくる。
さて、この物語は、ドルイドの女の子が活躍するドタバタコメディですが、なぜドルイドを主人公にしたのかといいますと、それにはちゃんとした理由があるのです。
そう。あれは数年前、某元祖会話型RPGを遊んでいるときでした。僕はドルイドのキャラクターを演じていて――ふと思ったのです。
うっわ。ドルイドってダメじゃん、と。
ドルイドという職業は、あらゆるファンタジー系のゲームにおいて、とてもダメな扱いを受けています。金属の鎧《よろい》は着れないし、武器はほとんど持てないし、屋内ではろくな呪文《じゅもん》が使えません。っていうかそもそも存在自体がマイナーです。できることといえばせいぜいクマに変身して暴れることくらい(魔法使いなのに)。そういえば今回はあまりクマが出てきませんでしたね。次はもっとクマを出したいクマー。
……取り乱してすみません。そんなわけで、この不遇《ふぐう》なドルイドにもっと愛を、というのが本書を書きはじめたきっかけでした。書いてみたらなんだかこんな話になってしまいましたが、ほんのひととき、夏穂《かほ》とシャレイリアのドタバタ学園生活を、ポテチ感覚で楽しんでいただければ幸いです。テーマは愛と勇気と希望です。ホーリーアップ!
それでは最後になりましたが、本作品を世に送り出すにあたってお世話になった方々に、この場を借りて謝辞を贈らせていただきたいと思います。
ご多忙なスケジュールの中、最高に可愛《かわい》くて魅力的な挿絵を描いて下さった絶叫《ぜっきょう》先生、素晴らしい装丁を手がけて下さった里見英樹《さとみひでき》様、選考会で作品を拾い上げて下さった審査員の先生方と編集部の皆様、編集長の三坂《みさか》様、担当の笹尾《ささお》様、校正様、学生時代にご指導いただいた金原《かねはら》瑞人《みずひと》先生、いろいろとアドバイスをくれた早矢塚《はやづか》かつや先生、増田《ますだ》久雄《ひさお》様、ゼミの友人、サークルの先輩方、TMS塾の仲間、バイト先の皆様、また、僕の知らないところで出版や販売に関《かか》わって下さった数えきれないほど沢山《たくさん》の方々、そしてなにより、この作品を手に取って下さったすべての読者の皆様に、尽させぬ深い感謝を!
これからも精進《しょうじん》しますので、どうぞよろしくお願い致します!
[#地付き]二〇〇八年七月 志瑞祐
[#改ページ]
[#挿絵(img/DRUID_252.jpg)入る]
[#挿絵(img/DRUID_253.jpg)入る]
[#改ページ]
底本:「やってきたよ、ドルイドさん」MF文庫J、メディアファクトリー
2008(平成20)年10月31日初版第1刷発行
入力:
校正:
2008年12月22日作成