TITLE : ダブルボギークラブへようこそ
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目 次
はじめに――ゴルフコースでは何でも起きる
怪しいアドバイス
チ・チとトレビノ
怪しいアドバイス
ゴルフにおける誤解について
ミスショットに関する二、三の考察
ウォーターハザード
パットについて
旅先でゴルフを
スモーキングORノンスモーキング
プリズン・カントリークラブ
動くハザード
NY&TOKYO
セント・アンドリュース
ハワイのハリケーン
スコットランドにて
フラストレーション
フラストレーション
ミステリー
賭け《ベツト》はオン・ザ・ロックで
怒るゴルファー
スキ・スキユキ
恥を捨てればフェアウェイは天国だ
ウォーター・ショット
男のゴルフ、女のゴルフ
通称、GNSA
トイレに座ってゴルフを考える
ダッファーのホール・イン・ワン
エピローグ 18番ホールの謎《なぞ》
あとがき
はじめに――ゴルフコースでは何でも起きる
ここ半年ほどのゴルフのスコアカードを取り出してみた。取材を兼ねた旅行が多かった時期だから場所はじつに様々。
スコットランドのあの、セント・アンドリュース、オールドコースのスコアカードもある。ドイツのフランクフルト郊外のコースも回っている。これは古城を改装したホテルに泊まったときのもので、城の周囲の広大な庭がゴルフコースになっていた。フラットでハザードも少ない。落ち葉のなかにまぎれこんだボールを探すのに苦労するぐらいで、カードには3オーバーと書き込まれている。ぼくは通常ボギーペースの90を基準にしているからこのときは93で回っている。悪くはないスコアだが、人影の少ない、晩秋の枯れ葉のなかを歩いていると老境にさしかかったゴルファーのようであまり元気が出なかった記憶がある。
これも取材で訪れたアリゾナのスコッツデールでは三ラウンドしている。ちゃんとスコアが書き込まれているのはフェニーシアンのコースだけだ。ここはリゾートホテルのなかにあるコースで、背後にはキャメルバックという駱《らく》駝《だ》の背中に似た、ごつごつとした岩だらけの丘がある。その岩のテラスから打ち下ろすショートホールもあり、けっこう楽しめる。
他の二ラウンドのスコアカードに数字が書き込まれていないのは単純な理由、残したくもないスコアだったからだ。いずれもアリゾナの、砂漠のなかのコースである。
このときのゴルフは竜巻のなかで紙幣を追いかけるようなもの。どうにもならない。ロストボールは五個まで覚えている。
「ということは、それ以上ロストボールがあったわけですね」
ゴルフに出掛ける車のなかでそのときの話になった。聞いてきたのはゴルフ仲間のK君である。
「間違いないな」
「覚えていられないくらい?」
「飲み物を売りにくる女の子がいるんだ。アイスボックスを積み込んだ車で巡回しているわけだな。一緒に回った現地のゴルファーがピンクのカクテルを飲んでいた。これはいやなことを忘れさせてくれるカクテルだといってね。それを頼んだらテキーラをベースにしたカクテルだった。効き目は十分。ロストボールの数もスコアも忘れてしまった。そのかわり竜巻に巻き込まれたようなゴルフになってしまった」
たしかにひどいゴルフだった。
空は真っ青で、太陽の光は強烈。例のテキーラのカクテルは喉《のど》に流しこむそばから蒸発していってしまうような気がするから、いくらでも飲める。そして突然、効いてくるのだ。
その日のパートナーの一人はあるホールでフェアウェイのど真ん中に打ったはずのボールが見つからないといい始めた。おかしい、不思議だ、ボールが消えてしまったといいながらひとしきりボール探しをしているうちにかれが突然、気づいたのだ。よく考えるとおれはまだ、ティーショットを打っていなかった……。
その場では大笑いになったが、本人はあとで、ゴルフであんなミスをしたのは初めてだといって落ち込んでいた。まだ若い、ビールとテキーラが大好きな男だった。
「それくらいはまだいいほうですよ」
車で一緒にゴルフに出掛けたK君がいうのだった。
「このあいだ接待ゴルフがありましてね。すごいプレーを見ましたね」
「スーパーショット?」
「いや、その逆ですよ」
こういう話は嫌いじゃない。
「ゴルフ自慢はするけどたいしてうまくない人っているじゃないですか。役職についてるからまわりは皆黙って耳を貸すっていうタイプですよ。そういうおっさんが浅いラフからのセカンドショットを打ったと思ってください。削り取ったターフがlメートルは飛びましたね。相当なもんです。ところがぼくは見てましてね。削ったのはボールの手前のターフ。ボールはちょろっと転がってその上に座布団のようなターフが乗っかってしまった」
「それに気づかずにボールが見当たらないって騒いだわけ?」
「ノーですね。その人、確信を持った足取りでどんどん歩いていっちゃうんですよ。ボールは前に飛んだことにしておこうと決めたんじゃないですか。真実を告げるのが憚《はばか》られる雰囲気、ありましたから」
これにも大笑いである。
「不思議なのはそのあとで、100ヤードほど先のセミラフからサードショットを打ってグリーンにオンですよ。ボールを勝手にワープさせちゃった。ウラ技には勝てませんよ」
ゴルフコースでは何でも起きる、ものらしい。
怪しいアドバイス
チ・チとトレビノ
PGAシニアツアーのトーナメントをテレビで見ていたらリー・トレビノとチ・チ・ロドリゲスが大勢のギャラリーを引き連れて一緒にラウンドしていた。シニアツアーは五〇歳以上のプロゴルファーで構成されている。スタートした当初はスポンサー集めに苦労していたがトレビノやニクラウスなどがシニア入りしたころから人気が高まり、賞金総額でもすでにLPGA(女子のトーナメント)を上回っている。
トレビノはプロとしてデビューしたころからちっとも変わっていない。テキサス州ダラスにテニソンパークというゴルフコースがあり、賭《か》けゴルフのメッカとして知られていた。若いころのトレビノはここでアシスタントプロをしながらゴルフのテクニックだけでなく、ジョークでも客を楽しませる術も磨きあげた。今でも相変わらずギャラリーを笑わせながらラウンドし、しかもホールアウトしてみればきっちりとアンダーパーで回っているというゴルフをしてみせる。トレビノはそういう男だ。
チ・チ・ロドリゲスはバーディーパットを沈めるとパターを刀のように振り回して鞘《さや》におさめるパフォーマンスで知られるゴルファー。かれの口八丁ぶりも有名で、チ・チにかかれば羽をむしられた小鳥もにこにこと笑いながら飛び立っていく、といわれるほどだ。
海辺のコースで賭けゴルフをしているときのこと。最終ホールでチ・チが相手に二打のハンデを与えたことがある。ただし、条件が一つ。「私にワンスロー与えること」つまりボールを一度だけ投げてもいいことにしろ、というのだ。賭けの相手はアマチュアだがシングルの腕前。二打のハンデを貰《もら》えればチ・チのワンスローなど問題にならない。喜んで条件を飲み、パー4の最終ホールでツーオン。しかもピンまではバーディーを狙《ねら》えるほどの距離。勝ったも同然だった。
するとチ・チは笑いながらグリーンにやってきてピンそばに寄せた相手のボールをつかみ海に向かって投げてしまった。
それがワンスローである。
唖《あ》然《ぜん》とするシングルハンデのゴルファーに向かってチ・チはいった――「自分のボールを投げるとはいわなかったろ?」
こういうゴルファーは、残念ながら日本にはいない。PGAシニアツアーの人気が高いのもわかるような気がする。
トレビノとチ・チ・ロドリゲス。この二人にはまた別のエピソードもある。以前、取材を兼ねてフェニックスのゴルフコースでスイングクリニックを受けたことがあり、そのときのインストラクターが教えてくれた話だから、本当かどうかは確認していない。ただし、この二人ならありそうな話なので紹介しておこう。
ある年のUSオープンが行われる週の前半にトレビノとチ・チがコースの近くの湖に釣りに出掛けたというのだ。
ボートを借りだして湖を漂い釣り糸を垂らしているうちに二人はいいポイントを発見した。大きなブラックバスが次から次へとかかりはじめたのだ。
「この場所のことは内緒にしておこうぜ」
トレビノはいった。
「もちろんだ」とチ・チ。
「何かの形で目印をつけておかなければならないな。でないと明日来たときにわからなくなってしまう。そうだろう?」
「あんたのいうとおりだ」
「マークしてわかるようにしておいてくれよ、頼んだぜ、チ・チ」
「まかせておけって」
やがて日が西に傾き、二人はボートハウスに戻った。
ボートを返すときにトレビノは念のために例のポイントをマークしておいたかどうかチ・チに尋ねた。チ・チはボートの横っ腹を指さし、ほらここにちゃんとペンでマークしてあるだろ、といった。この場所で釣れたじゃないか、というわけだ。
これだけでも笑えるのだが、話には続きがある。「おいおい、何て馬鹿なことをしたんだ。チ・チ、これじゃ駄目だよ」とトレビノは即座にいった。
「なぜ?」
「だって明日また同じボートを借りられるかどうかわからないんだぜ」
インストラクターの話を聞いてレッスンを受けていた人たちは大笑いしたものだ。
ところで諸君、とインストラクターはレッスンに戻っていったものだ。
「ティーショットのスタンスが正しいかどうかを確認するためには自分の影に注目だ。太陽を背に受けたとき、ボールは影の頭の部分に重なる」
なるほど、と頷《うなず》きそうになった。
「夕暮れになって影が長くなったら腕を伸ばすべし。そしてそのポイントをマークするのを忘れずに。チ・チのようにだ」
かれはそういって片目でウインクした。笑えるレッスンだったが、ぼくのスコアはちっともよくならなかった。
怪しいアドバイス
不意にコンパスが欲しくなりデパートへ出掛けていった。
製図用具のコンパスではなく羅針盤のほうのコンパスだ。
山へ行くわけでもないしヨットで海に出ようというのでもない。だけどなぜかコンパスのことが思い浮かび、コンパスを持っているといいことがあるはずだという考えにとりつかれてしまったわけである。
どうも最近、いろいろなことが曲がっているんじゃないかと、漠然と感じていたせいかもしれない。
テレビのニュースを見れば永田町のカイカク派が声高に語っているが、あれもいったいどういう方向にカイカクしようとしているのか、よくわからない。
ゴルフに譬《たと》えていえば、あれは竜巻のなかでセオリーどおりのパットをしようとしているようなもので、本人にも何がなんだかわかっていないのではないか。かれらの顔を見ていると、ここにもコンパスが必要な人間がいるなと思えてくるわけだ。
方向転換するときには、まずどっちが真北なのか確かめなければいけないはずなのだが、誰もそんなことを気にしている様子が見えない。
コンパスをプレゼントしてあげたくなってしまうわけである。
人のことばかりいってはいられない。
ぼくは方向感覚がいいほうなのだが、ここのところ二度ばかりゴルフコースへ行くときに道を間違えた。たしかこっちの方角だったはずだがとカンを働かせて車を運転していたのだがまるであさっての方向に向かっていた。
それに、もう一つ。
これは今になって始まったことではないのだが……曲がるのである。
何がって、打球が曲がるのである。
これは何とかしなければいけない。
その昔――どこまでマジメな話かはわからないが――北半球でボールがスライスするのは地球の軸と自転という回転運動のせいだ、といわれたことがある。バスタブのお湯を流すとき、北半球では時計回りの渦ができる。南半球では逆に反時計回りの渦を作りながらお湯が流れていく。これは本当のことで、暇な人はトイレの水を流すときにでも観察してみるといい。それと同じ理由で北半球では自然な状態で打ち出されたボールはスライスすることになっており、南半球ではフックする。したがってスライスを嘆くことはないというのである。しかも高緯度地方に行けば行くほど影響を受けやすくなる。その理論の発見者は北半球に住む名うてのスライサーなのだが、かれはあるとき赤道直下のアフリカのコースで真っすぐに飛ぶドライバーショットを連発し、これは何か理由があるに違いないと考えはじめたのだという。
もっとも、その翌日、かれは同じ赤道直下のコースでスライスやフックを連発した。その理由は「太陽の黒点の活動が急に活発になったからだ」と説明したらしい。ゴルフのテキストには絶対に出てこない理論である。
この話に比べれば、コンパスのほうが実際のゴルフには役に立つかもしれない。グリーンがティーグラウンドから見て北北東の方角にあることがわかれば、スタンスも北北東に向かってとればいいわけだ(ただし、真っすぐな打球を打てる場合だが)。
北北東に向かって立て。
映画のタイトルみたいで、気分はなかなかよろしい。
コンパスはネイチャー・ショップで売っていた。
この手の店が、じつは大はやりなのである。世の中は自然回帰ブームであるらしく《ネイチャー》という言葉のもと、様々なものが店頭に並んでいる。
キーワードは「アウトドア」である。キャンピング用品も売っているし、天体望遠鏡も売っている。バードウォッチングのための双眼鏡、キャラバンシューズ、それになぜか恐竜のぬいぐるみまである。フライフィッシングもネイチャーなら、宇宙船から地球を撮影した写真集もネイチャー・ショップに彩りを添えている。そのすぐ隣にはへンリー・D・ソローの『森の生活』が平積みになっていたりして、ひょいと振り向くとそこでは売り物の熱帯魚が泳いでいる。
正直いって、よくわからない。なぜ何もかも一緒くたにして《ネイチャー》にしてしまっているのだろう。店の人にもコンパス、羅針盤をプレゼントしてあげるべきだろう。
ところで、進むべき方向を見失ったときの必需品であるコンパスのことを書いたのは、ゴルフにのめりこんでいくと方向を見失いやすいからだ。
ぼくがそう断言できるのは、ことゴルフに関していうとしょっちゅう方向を見失っているからである。
例えば、ぼくがゴルフを始めたのはまだ逆Cの字型のフォームがよろしいといわれていたころのことで、最初のスイングイメージは逆Cの字から始まっている。
ところがそのうちに逆Cの字は流《は》行《や》らなくなってしまった。
大ざっぱにいうと最近のゴルフ理論はダウンスイングが主流で、ボールの手前のターフを削り取るくらいに打ち込んでいくのがよろしいということになっている。その打ち方と、フィニッシュのあとの逆Cの字は矛盾しない場合もあるのだろうが、シロートがダウンスイングを覚えようとするとフォームはまた別のものに変わってしまう。
その間にスタンスにおける逆Kの字というのも試したことがある。スタンスをとるときから左の壁を意識しておき、テイクバックする前に心持ち右手の手首を利かせておくというものだ。
こうすると、前から見た感じでスタンスが逆Kの字に見えるわけである。
グリップもだいぶ変わっている。
基本はインターロッキングなのだが、あれこれとテキストを読んだり、アドバイスを受けているうちにもっとフックグリップにしたほうがいいという結論に達したり、スクエアに戻したり、よくいえば研究熱心、実験精神にあふれているのだがじつは定見のない、行き当たりばったりのゴルフをしてきているのである。
コンパス、羅針盤が必要だという意味がわかってもらえるだろうと思う。
最近は何事につけても情報が豊富だが、あの理論、この人のやり方とせっせと情報収集しているうちにゴルファーは皆悪いアドバイスも受け入れてしまっているのかもしれないのだ。
悪いアドバイスといえば、こういう話がある。
ネイチャー・ショップに行き、マジでコンパスを買ったついでにぼくは一冊の本を見つけてきた。アメリカのアウトドアライター、ティム・カーヒルという人が書いた『ちょっとジャングルへ』(冬樹社)という本だ。だいぶ前に『ちょっとエベレストへ』という日本語のタイトルの本を読んだことがあり、それが面白かったので今回はタイトルにひかれて読んでみたくなった本である。
著者は大向こう受けする冒険家ではないが、アフリカへゴリラに会いに行ったり、アンデスの遺跡を探しに行ったりしている人だ。
ティム・カーヒルは旅先でどんな状況に陥るかわからないので、いわゆるサバイバルに関する本は読みあさったという。すると、とんでもないことが書かれていることもあるらしい。
「……第二次大戦中、南太平洋に進駐していたアメリカ軍の兵隊にはサバイバル・マニュアルなるものが配布されていたそうだ。ぼくはつい先日、これにお目にかかった。このなかにサメについて書かれた一項があるのだが、これがまるでデタラメばかり。まったく的はずれなアドバイスのオンパレードなのだ……」
「……サメについては〓“水音をたてれば脅える〓”し、殺すのもたやすいと事もなげに書かれている。〓“のろのろと、臆《おく》病《びよう》風に吹かれたように〓”襲ってくるサメのどてっ腹をナイフでぐさりと刺してやればいい、というのだ……」
熊に襲われたときにどうしたらいいか。これにも諸説紛々あるらしい。死んだふりをするのがいいという説は日本独自のものではなく、熊が生息している地域ならどこにでもある。しかし、ティム・カーヒルにいわせると、これも怪しいアドバイスなのだという。グリズリー・ベアの研究家が、熊がなんらかの攻撃の意志を見せたあとで死んだふりをするのは、どうぞ襲ってくれと誘っているようなものだ、と警告を発しているのだという。
では、どうしたらいいか。
「……あるプライベートに出版されている地元のハイキング用ガイドブックによると、熊を怖《お》じけさせるには(同行者と組んで)たがいの腕を相手の体にまわし、自分たちを一頭の大きな動物に見せるようにやってみるのがいいという。しかし、このアドバイスははっきりいって、息の続くかぎりサメの背に乗っていけというのに似たところがある……」
これまでに何度も熊に襲われた経験を持つ男はカーヒルにこう語ったそうだ。
「わしは地面にただ立っている。これが絶対確実な方法だというわけじゃないし、自信をもってお薦めするわけでもない。ただ、わしの場合はいつもそれでうまくいったというだけの話だ。……まず、わしは熊に出会ったときには横向きに立つことにしている。熊に面と向かって立つのはケンカを売っているようなものだと思うでな。同じ理由から、相手の目は見ないようにする。静かな声で話しかけるんだ。それから特別な理由はないが、両腕を前につきだすようにする。実際より大きな動物のように見えているかもしれないだろう? 本当はただ、(そうするのが)なんとなくよさそうな気がするだけの話だがね……」(以上、いずれも近藤純夫氏の訳文より引用)
どれがいいアドバイスなのか、実際はわからない。サバイバルという、シビアなアドバイスが求められる世界でも中には怪しいアドバイスもある、という話である。
ゴルフでは悪いアドバイスを真に受けたからといって命に関わるものではない。
ぼくはスライスに悩むビギナーに向かって、ボールが右に曲がると思うからいけない、左に曲がると思いなさいと、マジにアドバイスしていた練習場のインストラクターを知っている。
最初からオープンスタンスで左に向かって構えろ、といっている人もいたし、それとはまったく逆に右に曲がるのを恐れるからボールはかえって右に行くのであって、最初から右の林に向かって打てと教えている人もいた。
いずれもスライスに対する恐怖感を取り除くための、善意の逆療法なのだろうが、こういうアドバイスを聞いていると熊に出会ったときには同行者を肩車して自分たちを大きな動物に見せろ、といっているのと同じだなと思ってしまうのだ。つまり、ほとんど意味のない、滑《こつ》稽《けい》なアドバイスである。そのうえ事がゴルフだから、シリアスな害もない。
ゴルフにはこういうアドバイスが少なくない。
ダウンスイングを身につけるにはボールをつぶして打っていけ、というのもその一つだ。
どうするのか、もっと具体的に説明してくれというと、ボールを芝のなかに打ち込むくらいのつもりで打っていけばいい、というのである。なるほど、そういう感じかといってアイアンを振り上げ、ダウンスイングで振り下ろしたらターフも飛ばず、ボールも飛ばず、本当にヘッドがボールを芝のなかに打ち込んでしまった、というシーンを見たことがある。
これは三日間ほど、思い出し笑いできた。今でもゴルフをしながら不意に思い出して笑ってしまう。
あれこれといいアドバイスを求めていると、時にはいいアドバイスにぶつかる。
最近のグッド・アドバイスはサム・スニードにまつわる本のなかに出ていたものだ。
あるときサム・スニードがバックスピンのかけ方を聞かれたのだという。いったい、どうやったらボールに逆回転を与えることができるのか、その秘《ひ》訣《けつ》を知りたい、というわけである。
「それはいいが、あんたは普通、どれくらいボールを飛ばすのかね」
スニードは質問をしてきた男に尋ねた。
「そうですね、4番アイアンでおおよそ130ヤードといったところでしょうか」
「4番アイアンで130ヤードだって? たったそれしか飛ばないのに、なぜあんたはバックスピンでボールを手前に戻そうなんてことを孝えるんだい」
そんなことは考えないほうがいい、というわけである。ユーモラスだが、ダブルボギーゴルファーにとっては、これはけっこうマジに受け止めたほうがいいアドバイスだと思う。
ゴルフにおける誤解について
初めてゴルフのボールを打ったのは高校生のころだった。
もうだいぶ前の話である。
家から歩いて十分ほどのところに小高い丘があり、何か工事が始まったなと思っていると、ほどなくゴルフの練習場がオープンするという看板が表通りに立て掛けられた。もう完成したのかと驚くくらい簡単な工事だった。二階建ての打席を造り、両サイドに網を張っただけの練習場である。空き地だけはふんだんにあるという田舎だったし、そのあたりはやがて宅地開発でがらりと風景が変わってしまうのだが当時はまだその気配すらなく、スペースと最低限の施設だけ用意すればそれでゴルフの練習場になってしまうという気楽な時代だったのだ。
そこへ出掛けていってゴルフのボールを打つのは、バッティングセンターに行くのと気分的にはとてもよく似ていた。今は地元で少年野球のコーチをしているぼくの友人は、初めてゴルフ練習場に行ったとき、あれピッチングマシンは? とマジな顔でいったものだ。これは本当の話で、バッティングセンターはそれ以前からあったから「ボールを打ちに行く」というと、どうしてもバッティングセンターのイメージが先行してしまったわけである。
にわか仕立てのゴルフ練習場は広かった。
50ヤードごとに打ち込まれた杭《くい》が打席からの距離を示している。一番遠くの杭には「350」という数字が書き込まれていた。
本当にそれだけの距離があったのか、どうなのか、今となってはわからない。あれはきっとにわかゴルファーを喜ばせるための偽りのヤーデージだったはずだ。しかしともあれ反対側の崖《がけ》の上に「350」と書かれた白い板が杭打ちされており、あの崖を越えれば350ヤードなのだと、けっこう素朴に信じられていた。
バッティングセンターにやってきたつもりでゴルフのクラブを握った友人はベースボール・グリップで白いボールをひっぱたいた。外角低めの速球を狙《ねら》い打ちするようなフォームだったがボールは300ヤードを示す杭のあたりでバウンドした。
そこでは300ヤードが夢の飛距離でも何でもなかった。ドライバーを振り回し、いい当たりが出るとたいてい300ヤードを越えたのである。ぼくは平均で――真っすぐ飛べば、の話だが――280ヤードぐらい飛ばしていた。
たいへんなものである。
そのころテレビのゴルフ中継を見ていても300ヤードのドライバーショットは稀《まれ》だった。プロであっても飛距離はたいしたことないんだと、ぼくは思っていた。
おおいなる誤解だった。
フェアウェイに出るようになったのは、その後だいぶたってからのことだ。
かつての、300ヤードのドライバーショットの記憶があるから、飛距離にだけはひそかなる自信を持っていた。
使っているクラブも昔に比べればずっとよくなっている。
ボールの研究も進み、このボールを使えば曲がらないし飛距離は十%アップする、というスグレモノが開発されていたから、ぼくはすっかり安心していた。
専門的なことはよくわからないのだが、ボールの内部構造だけでなくディンプルにも飛びの秘密が隠されているという話だった。
心強い味方がついているわけである。
飛ばないはずがない。
ところが、400ヤードのパー4という平均的なミドルホールで、第一打がまずまずのナイスショット、引き算をすると残りはピッチングかショートアイアンですむはずなのに、まだグリーンは遠くに見えていたりするのだ。
「このホールは400ヤードだよね?」
ぼくは確認するようにキャディーさんに聞いたものだ。
「ここですか。まあ、だいたいそれくらいでしょうね。400だって書いてあるから」
キャディーさんは自信なさそうにいうのである。
「あそこに見えるのがグリーンまで150ヤードの杭だから、ボールのある位置からグリーンまでは170ヤードくらいか。……ということは、ドライバーショットは230しか出なかったということになるよね」
「ええ、まあ……」
「このホール、実際は400以上あるんじゃないの?」
「そう思います? でも違うんですよね。本当のところ400ヤードもないんですよ」
「…………」
「メンバーの方は380ヤードのつもりでプレーしてるみたいですよ。実際、そんなところじゃないですか」
「ということは……残りが170ヤードだから、ドライバーは210ヤードってことか」
「ランも入れてですよね」
「転がったっけ?」
「このホール、フェアウェイが少し下りになってますからね。転がりがいいんですよ」
「そうなのか……」
「お客さん、フェードが持ち球だから、このホールはちょうどいいんですよ。フェアウェイはグリーンに向かって右側が下がってますから」
これはひそかに自信を持っていたビギナーにとってけっこう傷つく会話だった。自分としてはドライバーショットで最低250ヤードは飛ばしていると思っていたのである。ところが実際はキャリーで200ヤードがせいぜいで、あとは転がったものだという。おまけに持ち球がフェードだとまでいわれてしまった。スライスしそこねただけなのに……である。
以後、ドライバーショットの距離感にはすっかり自信をなくしてしまった。
ゴルフにまつわる誤解はまだある。
ぼくは、そもそもパットを苦手にしていなかった。
パットはその他のショットに比べればずっと楽だと思っていたくらいだ。ボールをグリーンに乗せてしまえば、カップはもうすぐそこに見えているのである。そこに向かってコツンとボールを打ってやればいいのである。テクニックもなにもあったもんじゃないと、まあ、そんなふうに不《ふ》遜《そん》な考えをしていたわけです。
ところがやはり、壁にぶちあたる。
きっかけは、ポテトチップスのようなグリーンにあった。
あるときニューヨーク州の田舎に取材で出掛け、滞在していたホテル――忘れもしない、オテサガという名前のホテルだ――のゴルフコースでプレーをした。レンタルクラブについてきたのはカマボコ型の、使い古したパター。あまり使ったことのないパターである。しかし、それ以上に肝《きも》をつぶしたのは、うねうねと波打つようなグリーンだった。二段グリーンは当たり前、どこから打っても真っすぐなラインなど見当たらない。カップまで一メートルまで寄せながら、そこからさらにスリー・パットするような有り様だった。
それから俄《にわか》にパットがわからなくなってしまったのだ。
グリーンのアンジュレーションが気になって仕方がない。それまではほとんど何の癖もない、安心して打てるグリーンでばかりプレーしていたのかもしれない。フラットなグリーンでも、打てば必ずどちらかへ曲げてしまいそうな気がしてくる。
ぼくはそれを《パット酔い》と呼んでいた。グリーンに立つと、いつのまにか平衡感覚が狂ってしまうわけだ。
こう書いてくると、それ以前は天才的なパット上手だったように誤解されてしまいそうだが、そんなことはない。スリー・パットもしばしばだった。しかし、スリー・パットしようがフォー・パットしようが、苦手意識はなかった。パットは素直に打っていけばいいんだと、いわばまだ素朴だったわけである。
その素朴さが消えたときパット酔いがやってきて、どう打っていいのかわからなくなってしまったわけだ。
他人の悩みはゴルフ仲間を元気にするもので、ほとんどOKを出してもよさそうな距離をぼくが外したりすると、皆、面白がっていろいろとアドバイスしてくれたものだ。パターを代えるとイッパツで治る、というアドバイス。スタンスが狭くなってるなという人もいたし、いつからそんなにどっしり構えるようになったの、というやつもいた。皆、ここぞとばかりに好き勝手なことをいうわけである。
そんなときにパットは耳で打つんだよ、という男がいた。
どこかで聞いたことがあるようなアドバイスだったので、それ、どういうことなのかと、さっそく聞いた。どこかのテキストに書かれていたのだがすっかり忘れていた、それを思い出しておきたい、という感じだった。
「耳ってさあ、けっこう大事なんだよ」と、かれはいったものだ。
「耳の奥に三半規管があるだろ、人間はここでバランスとってるんだからね。だから……理屈はよくわからないんだけど、とにかくパットを打つときは耳に意識を集中させるんだ。パットは耳でやるもんだって、どっかのプロゴルファーがいってたよ。おれなんか目でボールを追わないよ、最後は耳で音を聞いてるな」
「それじゃ、目を閉じてパットすればいい」
「そのとおり。ロングパットなんて、打つときに見ててもしょうがないからね」
これは、下《へ》手《た》に芝を読んだり考えすぎるよりもさっさと真っすぐに打ってしまえ、という意味では正しい。ふつうのレベルのゴルフでは何も考えずに打ったほうがずっといい結果をもたらすものなのだ。
しかしそのときは、耳の話はなんとなく理屈が通っているような気がして記憶に残った。そのつもりでパットしてると、転がりのいいときと悪いときではパットの音が違う。なるほど、たしかにパットは耳でするものだと思ったりしたのである。ところが、肝心のパット酔いは少しも治らなかった。相変わらず、である。
そのうちに、ある本を読んでいたら「パットは耳と耳のあいだでするものだ」という言葉が目にとびこんできた。
そう書いていたのは、あのボビー・ジョーンズである。パットは耳でするものだ、といわれたときに思い出しそうになったのはこの言葉だった、と気づいた。
パットは耳でするものだ。
パットは耳と耳のあいだでするものだ。
このふたつはずいぶん違う。
ボビー・ジョーンズは耳と耳のあいだ、つまりパットはアタマを使わなければならない、ということをいっている。ジョーンズは、またパットはゴルフのなかのもうひとつのゲームである、ともいっている。アイアンやウッドのショットとはまるで別物だというわけである。
パットは耳で打てというアドバイスをぼくに教えてくれた男は、ひょっとしたらこのボビー・ジョーンズの言葉を誤解して記憶していたのかもしれない……。
そう思って早《さつ》速《そく》電話をかけたら、かれはぼくにアドバイスしたことも忘れていた。
「おや、そんなこといったっけ」
「しっかりしてくれよ。自分でいってたんだぞ」
「耳では打てないよな」
これだから他人の話はまともに聞いてはいけない。
電話をかけたついでに、ぼくはゴルフに関する「新たなる発見」をかれに教えておくことにした。
人間の視野に関することだ。
「普通に前を見ているとき、人間の視野がどれくらいあるか知ってるか?」
ぼくはいった。
「それがどうしたんだ」
「一八〇度以上見えているんだよ。たしかめてみな。前を見ていると、少しだけ自分の後ろが見えているだろう」
「ああ、見えるよ」
「パットを打つときも同じなんだよ。パットのときは、同じライン上にあるカップとボールとパターのフェースの関係だけを意識すればいいのに、じつは人間はそれ以外の余分なものまで見ちゃっているわけだよ。だからうまくいかない」
「なるほど。で、それを避けるにはどうしろっていうんだ」
「簡単さ。少し寄り目にするんだ。そうすると余分なものが視野から消える。ステレオグラムを見るときと同じだよ」
「なるほどね」
かれは最後までぼくのいうことを疑う気配はなかった。
人間は誤解しやすい動物なのである。
ミスショットに関する二、三の考察
グリーンまでの距離は130ヤード。
ボールはフェアウェイにある。
思わず微《ほほ》笑《え》みたくなるような状況だった。ドライバーショットがよく飛んでくれたこと、そのうえボールはフェアウェイの固いところで弾み、いい転がりを見せてくれた。そういうことでもないかぎりパー4のミドルホールでセカンドショット、残り130ヤードなどというシチュエーションは、ぼくの場合、ありえない。
距離450ヤードのパー4のホール、第二打で7番アイアンを持ちピンを狙《ねら》ったという話を誰に聞かせてやろうかと、早速ぼくは考えたものだ。
「8番でもいいかなと思ったんだ。日頃のトレーニングのおかげで飛距離が伸びてるからね。でも7番で軽く打つことにしたのさ」
ビアグラスを片手にさりげなく自慢できるのである。
「第三打の間違いじゃないのか?」
ゴルフの自慢話は疑ってかかれというのが鉄則だから、いつもの仲間はそういうに決まっている。
「セカンドだよ。残りは130ヤード。100ヤードの地点から歩測したから間違いないね」
実際に歩測したのである。
第一打でボールがそこまで飛ぶなどということはめったにない。ぼくはまずボールのあるところまで行って、後ろを振り返った。フラットなフェアウェイのずっと向こうにティーグラウンドが見えた。打ち下ろしのホールでないことは一目瞭《りよう》然《ぜん》だった。写真を撮っておきたいくらいのものだった。その日、フォアサムを組んだ連中が遠くのラフやフェアウェイの外れで第二打の準備をしていた。かれらの姿が蟻のように小さく見えたものだ。飛ばし屋と呼ばれるプロゴルファーが、最終スコアでは上位に顔をださないにしても一様に傲《ごう》慢《まん》ともいえる太《ふて》々《ぶて》しい面構えをしている理由がわかったような気がした。後ろのほうでセカンドショットを打つ連中が小さく見えてしまうからだ。
「ということは……」と、ぼくの自慢話につきあわされることになる仲間はいうにちがいない。「第一打が320ヤードも飛んだということになるぞ」
「まあね。少しランで稼いだから。そうだな50ヤードくらいは転がったかな」
おわかりだろうが、それでも270ヤードはキャリーで飛ばしていると、ぼくはいいたいわけである。
そのうえ第二打でピタリとピンに寄せ、いや寄らないまでもきっちりとボールをグリーンに乗せ、ツー・パットのパーでホールアウトする。なんと美しいプレーだろう。
きっちりと刈り込まれたフェアウェイに静止している我がタイトリストを見ながら、ぼくは太陽に向かって白い歯を見せた。
痛恨のミスショットはその直後にやってきた。
そんなことなどここに書きたくはないのだが、まあ、仕方がない。
ゆったりと振り上げ、降り下ろしたクラブは神々しいまでに静止しているボールに遠慮したらしい。クラブヘッドも、もちろんぼくの意識も体もグリーンに向いていたのだが、ボールだけはあさっての方向に飛んでいったのである。グリーンが時計の十二時の方向にあったとすればボールは二時に向かっていった。
完《かん》璧《ぺき》なるミスショットである。
その直後、薬《や》缶《かん》のお湯がしゅんしゅんと湯気を立てて沸いているシーンが見えてきた。
いつものことなのだ。
どういうわけか手痛いミスショットが出ると、ぼくの場合、薬缶のお湯が沸いているときのイメージが頭のなかを横切るのである。猪が突進する絵柄が見えてくる時期もあったが、それは幸いなことにいつのまにか消えてくれた。
もっと前はガソリンスタンドの、車のタンクにオイルを入れるときのあのノズルの部分がミスショットと同時に見えてきたものだが、それは突進する猪の登場とともにどこかへ行ってしまった。最近はもっぱらお湯しゅんしゅんである。
ミスショットの研究はアベレージゴルファーの最も得意とするところだ。
ぼくはプレッシャーのかかる場面でいかに正確なショットを打つかということに関して、何もアドバイスできることはない。
ゴルフの基本であるグリップやスタンス、左肩の回し方や膝《ひざ》の使い方、テイクバックの要領やトップ・オブ・スイングの位置、スイングに伴う右から左への体重移動……などなど、ゴルフの技術に関しては何も知らないに等しい。いろんな人がいろんなことをいっているから、それをつまみ食いしているうちに何が何だかさっぱりわからなくなってしまった、というのが実情である。
しかし、ミスショットに関しては、プロゴルファーよりもその深部に通じているだろうという自信がある。その点、ダボ・ゴルファーは自信を持つべきだとさえ思う。われわれはミスショットに関しては造《ぞう》詣《けい》が深いのである。
ミスショットについてプロゴルファーに根掘り葉掘り聞くことはできないだろう。誰だっていやがるにきまっている。
ぼくが唯一、聞いたことがあるのは日本のさる有名なプロゴルファーがグリーン回りのチップショットで空振りをしてしまったときのことで、この「事件」は翌日のスポーツ新聞でも大々的にとりあげられた。件《くだん》のプロゴルファーは「恥ずかしい」という言葉を連発していた。
それからほどなく、ぼくはかれに会う機会があった。かれは、なぜそのようなミスショットが出てしまったのかということに関しては多くを語らなかった。魔がさした、としかいいようがないとのことだった。
「しかし、これでぼくもだいぶ有名になったんだからよしとしなくちゃね。何もないよりこれくらいのエピソードのあるゴルファーのほうがいいでしょう」
かれはそういっていた。
禍《わざわい》転じて福となす、というやつである。何事も前向きに考えなければいけない。それが結論だった。
ダボ・ゴルファーは、そうはいかない。
ミスショットを前向きに考えたいのはやまやまだが、ミスショットのたびに
コノ失敗ヲツギノ一打ノ教訓ニシヨウ
といいきかせたくても、その舌の根も乾かぬうちに次のミスショットがやってくるのが通例だから、楽しいはずのゴルフが教訓だらけになってしまうのである。
それに手痛いミスショットのたびにたちあらわれる、あの、妙なイメージは何なのだろう。
ぼくはある晩、酔っているときに、ガソリンスタンドのノズルのことや突進する猪のこと、しゅんしゅんと湯気をたてて沸く薬缶のお湯のことを婦人科医をしている知り合いに話したことがある。かれが婦人科医だから話したのではない。かれもゴルフ好きで、いつも絵に描いたようなミスショットを連発しているからである。
かれは大笑いして、おまえは欲求不満なのだといった。
「ノズルの形を思い浮かべてみろよ。何を連想する?」と、かれはぼくに尋ねた。
「何を、って。何を連想することを期待してるんだ?」
「きまってるだろ」
「そうかな」
「きまってるよ」
「大福餠《もち》を連想するよ」
「…………」
かれは椅《い》子《す》から滑り落ちそうになりながら、大学の医学部の一般教養で身につけた精神分析のフロイト的解釈を語って聞かせてくれたものだ。ガソリンスタンドのノズルも、猪も、ふきこぼれそうになっているお湯も、すべて性的なイメージにつながるというのである。今どき流《は》行《や》らない十九世紀的な精神分析のひな型で、はっきりいって古すぎる。
ひとしきり無駄話をしたあと、じつは、といってかれはパットを打つときに東映映画のオープニングのシーンが見えてくるときがあるんだ、と告白した。
「岩場で波がザブーンと砕ける、あのシーンか?」
「そうなんだ。それで《東映》っていう文字がクローズアップになって迫ってくる」
ぼくは大笑いしたが、かれは笑わなかった。
「そういうときは駄目だな。パットに集中しようとすると向こうから波がやってくるんだから、どうにもならない。忘れているときは、そんなこと思い出しもしないんだけどね。このパットは沈めたいと意気込むと不意にやってくるんだ。お手上げだよ。忘れようとすればするほど波が砕けるイメージが頭にこびりついてしまう」
「その心理を分析したことは?」
「あるけどね、わからないな。たしかにパットは苦手にしてるし、どう打っても入らないんじゃないかと不安だらけで打つことは多い。でも、なぜ東映の映画なのか、わからない」
こういう話はなかなか語られることがない。
馬鹿げた話であるからだ。
ゴルフをしながら不意にやってくる不吉なイメージのことなど忘れたほうがいいし、ザブーンと波が砕けるシーンやお湯しゅんしゅんのことなど、ふだんはすっかり意識の内側に潜りこんでしまっている。だから他人の話を聞いても笑っていられるのである。
ところが、酒を飲んでいたりして気がゆるんでいるようなときにこの手の話をしていると、自分をプロテクトしようとする自我が崩壊しかかっているから、けっこう似たようなエピソードが出てくる。
ワッグルをしているときにラーメン丼《どんぶり》の縁に描かれている、あの独特の模様が見えてきてしまう、という人がいた。打とうか、打つまいか、決断できずにクラブのヘッドを小刻みに動かしていると、その動きからラーメン・マークが連想されてきてしまうのだろう。
「そういうときはどうするんですか?」
酒場で隣りあわせた人だったので、ぼくは丁寧に聞いた。
「チャーシューメンですよ」
かれは小声でいった。
「なんですか、それ?」
「マンガですよ。ちばてつやのゴルフマンガがあるじゃないですか。あした天気になーれ、だったかな。あの主人公がゴルフのタイミングのコツはチャーシューメンにあるといっている。いいですか。チャーでまずテイクバック。シューでトップですね。最後にメンで打ち下ろしていく。チャーシューメンという言葉をですね、ゆっくりと三拍子で区切って口のなかでつぶやきスイングするといい。そういっているんですよ」
マンガなどいつ読むのだろうと思えるような恰《かつ》幅《ぷく》のいい紳士が、そういったのである。
「チャーシューメンですか」
「そう早口でいってはいけません。いいですか。チャー……シュー……メン、ですよ」
秘密の呪《じゆ》文《もん》を教えてくれるかのように、かれは囁《ささや》くような口調になった。
「ところがですね。凡人の悲しさで、ワッグルしているときにそのことをすっかり忘れてしまうんですよ。ラーメン丼の、あのマークが頭のなかをかけめぐっているのにチャーシューメンが出てこない。出てくれば、ゆったりとしたタイミングで、三拍子でスイングすればいいと思いなおすんですが、実際は焦って早打ちしてる。そういうときは必ずといっていいほどミスショットになる」
「なるほど」
「ラーメン丼が見えているのにチャーシューメンが出てこないんですからね」
「うーむ」
「絶望しますよ」
「しかし、ラーメンのなかにもチャーシューが一枚くらいは入っていますよね」
人が聞いたら、深刻な顔をして何てバカな話をしているのかと思うだろうが、そのときの会話は終始、マジだった。
「そのとおり。しかしそれじゃチャーシューメンとはいえないし、私にとってのラーメンの原点はチャーシューではなくノリが入ったやつなんですね。昔風の、和風味ですよ」
「ノリ、ラー、メン、じゃあまりいいリズムになりませんね」
「トップからスイングのあたりが流れてしまう。元はといえばワッグルをする癖が悪いんでそれをなくせばいいんでしょうが、これがなかなか直らない」
「うーむ」
やがてかれは静かにカウンターを離れ、それではまた、といって帰っていった。
みんな苦しんでいるのである。
ゴルフの奥は深い。
ウォーターハザード
あるゴルフコースで修理中の池に出くわした。
距離が450ヤードほどあるミドルホールで、フェアウェイはやや右にドッグレッグ。池はティーグラウンドから150ヤード先の右側あたりからフェアウェイに向かって突き出してきている。その池があるため、ふだんはどうしてもフェアウェイの左側から攻めてしまうホールである。池がこわいからスタンスもやや左に向き、結果的にフェアウェイの左のラフにティーショットを打ちこんでしまう。
そのウォーターハザードが修理中で、水がすっかり抜かれていた。
古くからあった池ではなく、ゴルフコースを造ったときに掘り起こして水を入れたものだから、水の抜けた池はプールのようだった。深さは一メートルほど、底は平らで水が漏れていかないように加工されている。アスファルトを固めたような素材で塗りこんでしまっているわけである。
こういうときは、大喜びで池を狙《ねら》うべきである。
ボールはアスファルトの道路に落ちたときのようによく弾む。池の底で弾んだボールはドッグレッグのフェアウェイをショートカットするようにグリーンのすぐ手前まで飛んでいく。距離の長さにうんざりしていたミドルホールだから、皆、競うようにして池を狙った。ところが、こういうときにかぎってボールは池に入ってくれないのがダブルボギーゴルファーというもので、いい当たりで飛び出していったティーショットがフェアウェイのど真ん中、池に水がたっぷりと入っているときならばベストポジションというべきところに止まって涼しい顔をしているのだ。
ウォーターハザードがいやだなと思っているときには招かれたように水のなかに入っていくのに、狙ったときには入らない。
よくある話である。
アベレージゴルファーは一度はウォーターハザード恐怖症候群にかかるものだといわれている。池やクリーク、コースのなかで水のあるところにくると、どう打ってもそこにボールが入ってしまうのではないかと思いこんでしまうのだ。ティーグラウンドの30ヤードほど先にクリークが流れていると、それだけでプレッシャーがかかってしまう。
なぜなのだろう。
普通にティーショットを打てばいいだけのことなのだが、意識はクリークに集中し、気がつくとボールの頭を叩《たた》き、ボールはクリークに向かって一直線に飛んでいくのである。
池越えのショートなど恐怖以外の何物でもない。ボールがいくつあっても足りないのではないかと思ってしまうのだ。
「そこに池があると思うからいけないんだ」
と、いったのはぼくが初めてゴルフのレッスンを受けたときのインストラクターで、名前はたしかスペンサーだったと思う。アリゾナのリゾートコースでティーチングプロをしている男で、かれは「三日間で100を切る」というコースを受け持っていた。
このときの体験はけっこう面白かった。
バンカーショットの練習になると、かれは砂の上にいくつものボールを置き、ロフト角のないロングアイアンからミドルアイアン、ショートアイアンという順番でバンカーショットを打たせていくのである。グリーン回りの深いバンカーという設定だからロングアイアンではどうやってもボールが出ない。その難しいショットを体験させたうえで、シャフトの短い、砂のなかを滑るように通過するサンドウェッジを使わせると、これが面白いように楽に打てるのだ。ドライバーを打たせるときには、かれはノーマルフェイスのドライバーのほかにフックフェイス、スライスフェイスのドライバーを用意し、どう打ってもフックやスライスが出てしまうクラブで曲がる球を体験させ、それから真っすぐに打つ練習をさせるのだ。
そのミスター・スペンサーがウォーターハザードに関しては、そこにウォーターハザードがあると思うからいけないのだ、といったわけである。そしてかれはすたすたと歩いて池に入っていった。ノートラブル、ノープロブレムといいながら、水のなかに足を踏み入れてしまうのだ。よく見るとそこはプールのようなウォーターハザードで、昼間はけっこう暑かったからひと泳ぎする気分だったのかもしれない。
「要するに、気にしないことだ」
かれはそう結論づけた。
「しかしですね、気にするなといってもそこにウォーターハザードがあることには変わりがないわけで、問題は気にするかしないかということではなくボールがそこに向かって飛んでいってしまうということにあるわけで……」
そういう質問がレッスンを受けていた人のなかから出たこと、いうまでもない。
するとミスター・スペンサーはあるプロゴルファーの話を持ち出してきた。その昔、怒りっぽいプロゴルファーがいた、というのだ。なにかというとすぐに腹を立て、自分のゴルフを台なしにしてしまう。そのゴルファーがあるとき、六打連続してボールを池に入れてしまった。打てば、池ポチャ。ペナルティーを払って、池の手前から打つと、また打球は池に。それを六回続けたとき、かれの我慢の限界がやってきた。
ゴルファーは腹立ちまぎれに手に持っていたクラブを池に放り投げた。それだけでは気分が治まらず、キャディーにゴルフバッグを持ってこさせると、なかのクラブを取り出して池にぶちまけてしまった。
まだ、その先がある。
かれはかたわらにいたキャディーを捕まえるとそのままキャディーを池に放りこんでしまった。
それだけでもまだ治まらない。
ゴルファーは最後に自ら池に走っていき、そのままウォーターハザードに飛び込んだ、というのだ。
「この話をすると皆笑うけど、本当の話なんだ」
ミスター・スペンサーは笑いながらいったものだ。
「私が諸君にいいたいのは、プロゴルファーであってもウォーターショットを連発することがあるのだ、ということ。それが第一のポイント。二つ目にいいたいのは、六打もウォーターショットが続いたら、もうその日のゴルフはやめたほうがいい、ということだ。そのうえアベレージゴルファーが100を切ろうなどというのは神をも恐れぬ大欲であり、ゴルフの神サマはそれを許しはしないであろう」
ユニークなレッスンであり、ぼくがけっこう面白かったという意味がわかってもらえるのではないだろうか。
ゴルファーにとって《水》は大敵である。
ジョー・パットンというアマチュアゴルファーがマスターズ・トーナメントで優勝しそうになったことがある。毎年四月、オーガスタのナショナルゴルフクラブで行われる、あのマスターズである。一九五四年のことで、パットンはサム・スニード、ベン・ホーガンというベテランのプロゴルファーに混じって最終日の後半までトップグループを形成していた。
アマチュアゴルファーがマスターズで優勝する、という快挙を阻んだのがナショナルゴルフクラブのウォーターハザードだった。
パットンはマスターズの13番、ロングホールのクリークにつかまった。後年、中島常幸が同じクリークにつかまり13打というとんでもないスコアを記録してしまったホールだ。パットンは裸足になってクリークに入りボールをグリーンにあげようとしたが、失敗。それでもまだ冷静さは失わず、かれはこのホールをボギーで切り抜けた。
パットンは15番のロングホールで、再び、ウォーターハザードに挑戦することになった。グリーンの手前に池があるホールだ。ドライバーショットがいい位置まで飛ぶと、誰もがツーオンを狙《ねら》いたくなるホール。かつてジーン・サラゼンがここでアルバトロスをマークしているのはあまりに有名な話。ギャラリーはむしろパットンに自重を促したという。ここは確実に刻んでいけ、といったのだ。しかしパットンはバッグからウッドのクラブをとりだした。そしてツーオンを狙ったショットは池の中へ。このホールもボギー。13番と15番のふたつのボギーが致命傷になった。トーナメントが終わってみると、かれはわずか一打差でグリーンジャケットに手が届かなかったのだ。
ゴルフ史をひもとけば、この手のエピソードに事欠かない。
アリゾナのリゾートコースのインストラクター、ミスター・スペンサーとはレッスン最終日のラウンドで一緒にプレーした。かれはローカル・トーナメントに出場しているころ、池にかかる橋の上を歩きながら足を滑らせ、あやうく池に落ちそうになったことがある、といっていた。
「自分でバッグをかついでいたからバランスがとりにくかった。身体《からだ》はかろうじて橋の上に残ったが、そのかわりバッグがさかさまになり、クラブが何本か池に落ちたよ」
「それを拾うために池に入ったんですか」
「いや、やめておいた。腰のあたりまで水のなかに入らなければならなかったし、その日は余分な下着を持っていなかったんだ。バッグのなかにクラブが四本残っていた。ウッドは一本もなし。ロングアイアンが二本と、5番、サンド、それだけだ。仕方がないからティーショットもパットも2番アイアンを使ったよ」
「スコアは?」
「クラブを水のなかに落としたのがインの13番だったかな。残りの5ホールをツーボギーで切り抜けた。珍しいことでもないよ。カーティス・ストレンジのキャディーがあやうく運河に落ちそうになってバッグのなかのクラブがほとんど抜け落ちてしまったことがあった。残ったのは四本で、パターはあったがサンドウェッジがなかった。バンカーにだけは入れるまいと気をつけたと、ストレンジはいってたよ」
ゴルフでは何が起きても不思議ではないのだ。
「あやまってクラブを水のなかに落としてしまったのではなく、自分からクラブを投げ込んだプロゴルファーだっているんだ」
ミスター・スペンサーはいっていた。
「馬鹿な話だけど本当さ。ジム・フェレーといったかな。ちょっと前のゴルファーだ。カナディアンオープンか何かのとき、そいつは突然パニックに陥った。理由はパットが入らないとか、そういうことだろうな。橋の上を歩いているときに、カッと頭に血が昇った。キャディーを呼ぶと、今日はもう終わりだといってクラブを全部池か川のなかにぶちまけてしまった。そしたらオフィシャルがやってきて、どうしたんだという。もうやめだとジムが答えると、トーナメントを途中でやめると罰金を払わなければならないという。たしか二五〇ドルか三〇〇ドル、そんな金額だった。そのうえクラブを投げ捨てると一本につき一〇〇ドルの罰金がつくという。大笑いだよ。ゴルファーは真っ青になっただろうね。なにしろバッグのなかの14本のクラブをすべてぶちまけてしまったんだから」
そのゴルファーがすぐにキャディーにクラブを拾わせたことはいうまでもない。
「そしてトーナメントに復帰したらつづく8ホールで五つのバーディーをとったというから、ゴルフは不思議だよ」
こういうレッスンラウンドは楽しい。三日間のレッスンで多少、球筋が安定したが、そのことよりもぼくにとってはゴルファーの愚かしいほどに不思議な話のほうが印象に残っている。
もうひとつ、ウォーターハザードのトラブルに関しては最近、ユニークなケースがあった。
一九九一年のラスベガス・インビテーショナルというトーナメントでの出来事だ。マーク・ブルックスというゴルファーが最初の二日間を12アンダーというスコアで快調に飛ばしていた。ところが三日目の17番ホールでトラブルに見舞われる。ティーショットを大きな木のなかに打ちこんでしまったのだ。ボールは落ちてこない。ブルックスは木に登った。するとそこに鳥の巣があり、なかをまさぐるとゴルフのボールが八個も出てきた。ところが、そのなかにかれのボールだけはなかったのだ。結局、かれはティーショットを打ち直すことになり、このホールでダブルボギーを叩《たた》いた。
さらに翌日、ブルックスはパー3の9番ホールで奇妙な体験をする。バーディーがとれる位置にティーショットをつけたまではいいのだが、マークしてそのボールをピックアップし、キャディーにトスしたのがいけなかった。キャディーがそのボールを捕りそこね、ボールはグリーン回りの池に落ちてしまった。それをロストボールとするわけにはいかない。ブルックスは靴を脱ぎ、スラックスの裾《すそ》をたくしあげて水のなかに入った。池の底をさらううちに、かれは18個のボールを見つけたという。ところが、またしてもそのなかにかれのボールだけが見つからなかったのだ。仕方なくかれはロストボールのペナルティーを払うことになった。
ウォーターハザードはミステリーゾーンである。
パットについて
マスターズ・トーナメントで優勝したこともあるベルンハルト・ランガーはユニークなパッティングスタイルで知られている。
ランガーは右利きのゴルファーだ。
普通であればまず左手でパターのグリップエンドに近いところを握り、右手をその下に添えるようにしてグリップを固める。それがオーソドックスなスタイルである。
ところがランガーは左右を逆にしている。左手を下にして、右手でシャフトの先端を握るようにしながら、同時に左手の手首のあたりをも押さえ込むようにして一緒に握ってしまう。
かなりの変則グリップである。
やりにくそうに見えるが、ランガーはもうこのスタイルでないとデリケートなパッティングができないといっている。
なぜそのようなスタイルになったかというと、ランガーは「イップス」に苦しんだからである。イップスというのは専門家風にいうと「繰り返し行っている筋肉運動に原因不明のしびれや痙《けい》攣《れん》が伴う一連の症状の総称」のこと。コンピュータのオペレーターやキーパンチャーにもイップスはある。
ゴルフではもっぱらパッティングするときにイップスが出やすいといわれている。
パットをしようと思うと腕がしびれたり震えがきて自分ではコントロールできなくなってしまうわけである。
パットができないわけではないが、無理やり打とうとしてとんでもないミスショットになってしまう。わずか五十センチのパットを数メートルもオーバーさせてしまったりするのだ。
なるほどあのときのパットミスはイップスのせいであったのかと、思わず膝《ひざ》を打つ人もいるだろうが、誤解しないでほしい。単にパットが下《へ》手《た》なのとイップスとは別物なのである。
わずか一打で数万ドルも賞金額がかわってしまうという状況のなかでプレーをしているプロゴルファーや、常に精神的なプレッシャーに晒《さら》されているゴルファーがイップスにかかりやすい。ハーフで50や60叩《たた》いてもシャワーを浴びて冷たいビールを飲めばにこにこ顔、その日の数少ないナイスショットを思い浮かべて口元に微笑をたたえているゴルファーは、まず、イップスとは無縁だといってさしつかえないだろうと思う。
ランガーは何度もイップスに苦しめられている。
最近はだいぶ増えてきたようだが、かれはゴルファーの数もゴルフコースも少なかったドイツ出身のプロゴルファーである。十代の後半で早くもプロになり、十九歳のときからヨーロピアンツアーに参加していた。
パットは若いときから苦手だったらしい。
ドライバーもロングアイアンもイメージトレーニングの教材に使いたいくらい申し分のないナチュラルスイング。アプローチショットは正確。それでも勝てないのはパット、とくにショートパットが下手で、ここはどうしても入れておかなければならないという場面でしびれが出てくるのがランガーの最大の弱点だった。
そのイップスを最初に克服できたのは、イギリスに遠征したときにたまたま見つけて買い求めた五ポンド(約一〇〇〇円)の安いパターのおかげ。そのパターを試合で使いはじめたらイップスは消え、驚くほどパットが入るようになりツアーの上位に顔を出すようになった。そのパターはよほどランガーとの相性がよかったのだろう。
かれはそのパターでヨーロピアンツアーを代表するプロゴルファーの一人として認められるところまで活躍するのだが、しかし、それほど相性のいいパターを使っていてもまたイップスにかかってしまうのだ。
ロングパットはいいのだが、距離の短いパットがいけない。
無心で打てばなんでもないパット。プロならば入れて当然というパットになるとかえってプレッシャーがかかってしまい、素直に打てなくなってしまうのだ。イップス特有のしびれがやってくるのである。
ランガーはどうしたか。
まず、再びパターを替えてみた。
誰もが考えそうなことだが、いい結果は出なかった。
そこでランガーは初めてパッティングのグリップを変える。ロングパットは従来どおりの、オーソドックスなグリップのままなのだが、しびれのくるショートパットのときは左手と右手の位置を逆にしたのである。つまり左手を下にしてグリップし、パットを打つというスタイルだ。これは珍しいものではなく「クロスハンドグリップ」といって、ランガー以前にもクロスハンドでパットに開眼したゴルファーもいる。試してみると、左手が固定される感じになるのでパターのフェイスが曲がらずに出ていくような感覚がつかめそうな気がする。
そのクロスハンドグリップでランガーは一九八五年のマスターズに勝っている。
再びイップスを克服したわけである。
ところがそれもまた長くは続かない。
ランガーはさらにパッティングのスタイルを変えた。それが現在の形で、グリップを握った左手を右手で押さえ込むようにして打つという、かなりユニークなスタイルに行き着いたわけである。
ランガーは一九五七年生まれだからまだ三十代の後半にさしかかったばかりのプロゴルファー。今後さらにパッティングフォームを変えるかもしれない。
イップスに悩まされるたびにマイナーチェンジをしてきているわけだから、将来の形は本人にもわかっていないだろうと思う。案外、そもそもの最もオーソドックスなパッティング・スタイルに戻っているかもしれない。めぐりめぐっていつの間にか原点にたちかえるわけである。
そうなったとしても驚くにはあたらないだろう。
パットとはそういうものだ。つまり、どうすれば一番いいのかを説き明かす絶対的な理論はなく、どんなにレベルの高いゴルファーであっても、もちろんパットの名人であっても、パッティングフォームを変える可能性がある。というものなのである。
パットはゴルフの不思議さを象徴している。
タイムマシンに乗って大昔の人がたまたまフェアウェイにやってきてゴルファーたちの悪戦苦闘ぶりを見たら、一体、どう思うだろうかとぼくは夢想することがある。
長いクラブを振り回しているのを見てもさほど驚かないだろう。スイングという体の動きは不自然なものではない。
しかしパットだけは自然な体の動きとはいいかねる。
ごくごく冷静な、醒《さ》めきった目でパットをしている人間を観察してみると面白い。
落としてしまったコンタクトレンズを探しているんじゃないかと思えるほど深くかがみこみ、体を硬くしてじっと芝を見つめ撫《な》でるようにボールを打つ人がいる。
両肘《ひじ》を不自然なほど突き出してパットを打つ人もいる。
胸元でパターをかかえるようにして背中を丸め、両足はしっかと大地を踏み締めている。
肩をいからせ、全身に力がこもっているのがその後ろ姿を見ただけでもわかる。
顔の表情は真剣そのもので、額からはアブラ汗を流し、じっと息を止めている。ゴルフを知らない人がみたら、これは何事かと思うだろう。
それで何をするのかというと、わずか一メートル先の直径約十センチのカップにあのゴルフのボールを入れようとしているだけなのである。
そうかと思うとほとんど突っ立ったままの姿勢からやや腰を落として膝を曲げ、首をかくんと前に倒してちょうどトイレの前に立つときと同じ姿勢、違うのはクラブのシャフトを握っていることで、無念無想の構えから何が飛び出すのかというと、白いボールがぽこんと弾《はじ》きだされていくのだ。
格好は千差万別。人間ひとりひとり指紋が違うようにパッティングフォームは異なるのだが、しかし誰にも共通していることもある。わずかに数メートルのパットが思うように入らない、ということである。入ったにしても、なぜ入ったのか、しかとした理由がわからない、ということも共通している。
それがわかれば理論化し、パットの距離と方向、芝の傾斜、その他もろもろの条件をインプットしてかくあるべきパッティングの方法論が成立するのだが、そんなことは誰にもわからない。だからあれこれ理屈をつけてみても結局のところ、ダブルボギーゴルファーの場合、最後はカンというおそろしく当てにならないものを頼りにパットをしているわけである。およそスポーツのなかでゴルフのパットほどカンが通用するものはない。
ゴルフの不思議さは、こういうところにも潜んでいる。
それでもパットの名人はいるものだ。
ここに一人その名前をあげておくとボビー・ロックという南アフリカ共和国生まれのゴルファーを選びだしておくのが妥当ではないかと思う。
ボビー・ロックは数年前に亡くなっているし、活躍したのもだいぶ以前のことだから、ぼくはかれのプレーを残されているビデオでしか見たことがない。同じ南アフリカ生まれのゲイリー・プレイヤーが彗《すい》星《せい》のごとく登場してアーノルド・パーマーなどとともに一時代を築きあげるそのさらに前のヒーローがボビー・ロックである。
ロックはめったにスリー・パットをしなかったゴルファーである。
ある記録集によるとかれは一シーズン、一度もスリー・パットをしなかったという。
そういう記録がきっちりとファイルされていない時期のことだから(ホール・バイ・ホールのパット数やドライビングショットのフェアウェイ・キープ率などが正確に記録されるようになったのは比較的最近のことだ)そういうデータが残されているわけではない。しかし「ボビー・ロックに不可能なパットはなかった。スライスラインだろうとフックラインだろうと、かれは苦にしなかった。苦手のラインがなかったのだ」とゲイリー・プレイヤーもいっている。ボールをグリーンに乗せればあとはもう計算が立つというゴルフをロックがしていたのは間違いなさそうだ。
トーナメントも含め一シーズンに百回コースに出たとすると、トータルで1800ホール。その間一度もスリー・パットをしなかったとすると、これは途方もない記録になる。
最近のゴルフ記録によると、ツー・パット以内でホールアウトした連続ホール記録は628で、これは一九七八年の五月から七月にかけてルドルフ・ベナバイズというテキサスのゴルファーによって達成されたものだ。628ホールといえばほば35ラウンド、スリー・パットなしということになる。これもすごい。
ボビー・ロックはパットに関しては「フェザーグリップ」がいいといっている。
フェザーグリップというのは両手でヒヨコをつかむときのように柔らかいタッチでパターを握ることで、ボビー・ロックはどんなに緊張する場面でもフェザーグリップを実践していたという。ロックについて書かれた資料を見ると、パターが指のあいだから抜け落ちるくらいで十分だともロックは語っている。そうしないと手首が硬くなり柔軟性に富んだパットができないということなのだろう。
なるほど、と納得できそうだが、実際にやってみるとこれは難しい。ただ柔らかく握るだけだとパターのフェイスがふらついてしまいターゲットをとらえそこねてしまうからだ。何がなんでも柔らかく、ということではない。
だけれどもパットの名人はただ柔らかく握れ、としかいってくれないのである。
パターばかり使ってゴルフをしていた人もいる。
これは「アメイジング・バット・トゥルー・ゴルフ・ファクツ」という本に紹介されている話だが、ジョセフ・ハリスさんというフロリダに住む老ゴルファーはある日、フェアウェイからパターを使ってボールを打ったところその感触のよさに病み付きになり、パター以外は使わなくなってしまった。
かれのホームコースが自宅近くの、距離の短いパー3ばかりで構成されたショートコースであったせいもあるのだが、ハリス氏はパター以外のクラブはしまいこみ、ティーショットもアプローチも、ラフからのショットもバンカーショットもすべてパターを使っていた。
パターで打ったティーショットでホール・イン・ワンを達成したことも一度や二度ではないというから、これはもうただものではない。パターの鬼、ともいうべきゴルファーである。
ところが、である。
「問題がなかったわけではないんですよ」
と、ハリス氏はいっている。
「それだけパターを使っていたのにグリーンの上でパットをしようと思うとちっともうまくいかないんだ。たいていスリー・パットかフォー・パット。パットの打ち方だけはいつまでたってもわからなかったな」
パットは永遠の謎《なぞ》である。
旅先でゴルフを
スモーキングORノンスモーキング
ゴルフを楽しむには幾多の困難を克服しなければならない。
仕事でロスアンゼルスに滞在しているとき、午後の時間があいたのでゴルフでもしようかという話になった。ホテルの部屋のパンフレットにゴルフコースが紹介されていたのを思い出し、さっそくチェックした。コースの名前はランチョパーク。パブリックの、距離は短いのだがクセの強いコースで、グリーンフィーが安いせいもあって人気が高いところである。
一緒に旅をしていた編集者のK君が電話をかけスタートの予約をとることになった。
「リザベーション、プリーズ」というテレフォンコールである。
「何人?」ぶっきらぼうな口調で聞かれた。
「三人」
すると――「スモーキング? OR ノンスモーキング?」
そう聞かれたのである。
さすがアメリカだなーと、キツネに騙《だま》されたような気分になりながらも、K君は感心したらしい。なにしろゴルフにも禁煙コースと喫煙コースがあるというのだから。
「スモーキング、プリーズ」
K君が電話口でそういったところで、部屋にいたぼくとカメラマンはソファからずり落ちた。
「何時に?」
「三時半」
時計の針は午後の三時を回っていた。
「それはダメだ。ディナーは午後の六時からだからね。ガチャン」
電話番号を間違えていたのだが、K君は電話を切られたとき、まだその間違いに気づいていないようだった。額には汗、目を点にして受話器を置くと、スモーキングコースは六時でないとスタートできないみたいだ、といった。
以後、しばらくの間、K君はスモーキングコースでゴルフをする男だといわれてからかわれることになった。
パブリックコースがいたるところにあるアメリカはゴルファーにとっては天国だ。グリーンフィーは安く、セルフカートで回ればキャディーフィーもかからない。
しかし、コミュニケーション・ギャップという問題がしばしば浮上してくる。
ある日本人のゴルファーが、たまたま一緒にラウンドすることになったアメリカ人のゴルファーと賭《か》けをすることになった。かれのハンデは18程度。ゴルフが面白くてしようがないというレベルである。相手は五十代のおっさん。スクラッチで勝負できると見たが、かれはいちおう聞いておいたのだという。咄《とつ》嗟《さ》にでてきた英語は――「アー・ユウ・シングル?」
まさかシングル(ハンデが一《ひと》桁《けた》)じゃないでしょうね、というニュアンスで聞いたつもりだった。
答えはもちろん――「アイム・ノット・シングル(独身じゃない)」
そのあとにあれこれと説明がついたが、聞いているほうにとっては――「〓〓※△!%&……」
かれはにこにこ笑って「スクラッチ! レッツゴー、スクラッチ」と叫び、そして大敗した。相手がハーフを40のペースで回るシングルハンデのゴルファーだったからである。
ロスのランチョパークもそうだが、パブリックコースに一人や二人で行くとたいてい別のグループとフォアサムを組むことになる。つい最近、全英オープンの舞台になるスコットランドのセント・アンドリュース、オールドコースでゴルフをしてきたが、こちらの人数が二人だったので、スタートのときに別の二人組が入ってきた。セント・アンドリュースもまたパブリックコースなのである。
誰が一緒であろうと気にしなければいいのだが、パブリックコースで気ままにゴルフを楽しもうという地元の人はヒマなせいか、まずお喋《しやべ》りだと思ったほうがいい。ことあるごとに話しかけてくる。
「オヌシハドコカラ来タノデアルカ」
かれらの言葉が英文和訳のように聞こえてきたら要注意である。
「日本カラデアル」
「ないすしょっとヲ連発シテイルトコロノ、ソノくらぶニ興味ガアルノダガ、ソレハ何処《いずこ》ニテ手ニイレルコトガデキルデアルカ」
「コレハほんまトイウ日本ノ会社ガ作ッテイルモノデアル」
「オー、ほんだガごるふノくらぶモ作ッテイルノカ。スバラシイ」
「違ウ。ほんだデハナイ。ほんまデアル」
「ほんだ」
「ほ・ん・ま」
「ホンマか?」
「ホンマの話や」
そういっているうちにゴルフはがたがたになってしまう。そのうえアベレージゴルファーが100を切れたら拍手喝《かつ》采《さい》ものである。
プリズン・カントリークラブ
数年前の秋、ミネアポリスから南へ下りアイオワ州へと至るルートを取材がてら旅していたときのことだ。ローレンスという小さな町で、ぼくは週末を迎えた。
ダウンタウンにでも行ってみようと思い、泊まっていたホテルの支配人兼ベルキャプテン、コンセルジュでもありコーヒーもいれてくれるおやじに、ダウンタウンに行くにはどうしたらいいかと聞くと、その必要はない、とかれは答えた。
必要があるかないかを決めるのは、ぼくのほうである。
私はダウンタウンに行く必要があるのだと、下《へ》手《た》な英語で意気込んでいうとかれはいった。
「わざわざ行く必要はない。ここがダウンタウンだよ」
ぼくはホテルの玄関の外を見た。
角にガソリンスタンドがあり、その隣にはダンキンドーナッツ。それだけだ。映画館もなければ、ショッピングモールもない。
まいったなあとつぶやいて、ぼくは小さなロビーの片隅にあるソファに座り込んだ。ぼくの顔に《退屈》という文字が浮かび上がっていたに違いない。かれはローレンスという小さないなか町にもスリリングなことがある、といった。
「ゴルフだよ」
「ゴルフ?」ぼくは思わず、立ち上がった。「ゴルフがスリリングなんですか」
ぼくはゴルフと聞くとそわそわしてしまうほうだが、しかし、たかだかゴルフである。それがスリリングだというのだから、ここはよほど刺激のない町なのだ。
「やってみるかね」支配人のスミス氏はうれしそうな表情を浮かべてぼくに聞いた。
断る理由もない。
するとかれは奥さんを呼び、これからカントリークラブに行くと宣言しフロントのカウンターから出てきた。かれはぼくをカントリークラブまで案内してくれただけでなく、すぐさまゴルフシューズにはきかえ、車のトランクからゴルフバッグを取りだした。かれもゴルフ好きだったのだ。
コースはフラットな平原の草を刈り、グリーンを造っただけという単調な9ホール。フェアウェイにもラフにも木が一本も生えていない。遮《しや》蔽《へい》物《ぶつ》がないのでグリーンまでの距離感がつかみにくいが、それ以外は気が抜けるようなコースである。
なぜそんなゴルフコースがスリリングなのか、ぼくは首をかしげるばかりだった。
その意味がわかりかけたのは上空にセスナ機がやってきて低空を旋回しはじめたときだ。スミス氏はフェアウェイからセスナに向かって手を振った。するとセスナはもう一度旋回し、今度はぐいぐいと高度を下げながらコースに進入してきたのである。
ぼくは思わず、ラフに向かって走りだしていた。
するとスミス氏は大声を出した。大きく両手を振ってこっちへ戻れ、戻ってこいというのだ。
ぼくは目を丸くして今度はフェアウェイに向かって走った。
セスナはさらに高度を下げ、ラフにタッチダウンすると翼を揺らしながらティーグラウンドのあたりまで走り、止まった。
「どうかね」ゴルフ好きのホテル支配人はもう一度、ぼくに聞いた。
「たしかにスリリングですね」ぼくが額の汗を拭《ぬぐ》いながらそう答えたこと、いうまでもない。
ゴルフコースと小型飛行機のエアポートが、ローレンスの町では同居していたのだ。
ラフ――といっても、深い草が生えているわけではない――は滑走路として使われ、フェアウェイはゴルファーのもの。今のところ、ゴルファーとセスナのあいだで事故は起きていない。
「ただし一度だけセスナがグリーンに乗り上げてしまったことがあったな」スミス氏はいった。
「夜になってセスナがここに戻ってきたんだ。パイロットは奥さんに車のヘッドライトを点《つ》けておくようにいっておいたんだが、奥さんは亭主を迎えに行くのを忘れてしまったらしい。しかたなくパイロットはカンに頼って着陸した。コクピットから出てみるとそこがグリーンの上だったというんだ」
ゴルファーはスペースさえあればどこにでもゴルフコースを造ってしまう。飛行機が離着陸するような場所であっても、フラットないいスペースがあればグリーンを築き、カップを切ってゴルフコースにしてしまうのだ。ゴルファーとはそういう生き物である。
マレイシアには《プリズン・ゴルフクラブ》がある。
プリズン、即《すなわ》ち、刑務所ゴルフクラブだ。
そういう名前のゴルフクラブがあるというのではなく、ここはゴルフ好きの刑務所長がゴルフに対する熱意のあまり塀の外側に造ってしまったゴルフコースなのだという。そして名づけたのがそのものずばり《プリズン・ゴルフクラブ》なのである。
場所は東マレイシアのサラワク州、クチンの町というからボルネオ島である。そのボルネオ島のインドネシア領ではなくマレイシアに属する町、クチン。
刑務所は現在、ドラッグ患者のリハビリテーション施設に変わっているが、かつては典型的なプリズンで、前所長のピーター・ロウ氏がここにゴルフクラブを造ることを思い立ち、コストのほとんどかからないマンパワーが揃《そろ》っているという好条件にも恵まれ、たちどころに9ホールのゴルフコースが出来上がってしまったわけである。
コースを造ってゴルフを楽しむならほかにもいい場所がありそうなものだが、あえてプリズンのすぐ隣を選んでしまうところが、プランナーが刑務所長だったとはいえ、面白い。
残念ながらぼくはまだそのプリズン・ゴルフクラブでプレーしたことがないのだが、刑務所長が造ったというゴルフコースの話を聞いたときに思い出したのはアイオワのローレンスの町で一緒に週末のゴルフを楽しんだスミス氏のことだ。
かれは、ゴルフの腕からいうとボギーゴルファーだが、ゴルフの話をさせるとなかなかのものでその点に関していうとシングルハンデの実力を持っていた。
「プエルトリコにエルモロというカントリークラブがあってね。私はいろいろなコースを知っているが、ここほど面白いコースはないだろうね」
飛行場をゴルフコースとして使ってしまうほどの、ゴルフ・フリークの町の住人であるスミス氏はいっていた。
「そこはもともと砦《とりで》があったところで、なぜそんなところにゴルフコースを造ったのか、いまだに私にはわからないな。なにしろコースの周囲には石を積み上げた壁やブリッジがいたるところにあり、とてもゴルフコースには見えないんだ。おまけに海からの強風が吹き荒れている。ティーショットを打とうと思うとフェアウェイの両サイドが壁、正面にはアーチ状のブリッジがあるというホールがあってね、そのブリッジを越そうとすれば強いアゲインストの風に阻まれる。キャディーにいわせると狙《ねら》いどころはブリッジの下、アーチを抜けていくような低い球を打つことだというんだ。まるでビリヤードだね」
「しかし、そこでも空から飛行機が降りてくることはないでしょう」
「いい指摘だな」スミス氏は野球のアンパイアがストライクコールをするようにいったものだ。
「たしかに飛行機がやってくることはないが、そのかわりボールは飛んでくる。壁やブリッジにはねかえったボールがどの方向からやってくるかわからないんだ。しかも、そんなゴルフコースだがいつも混んでいて、自分の打った球がどこに向かって跳ねていくかわからないからフォアと叫ぶ余裕もない。キャディーはヘルメットをかぶっている。そしてかまわないからどんどん打って行きましょうというんだよ」
「なんというか……ゴルファーにはゴルフのことになるとバランス感覚を失ってもゴルフを楽しみたいというところがあるな」
上空ではまたセスナが旋回を始めたのだが、そんなことを気にすることもなくスミス氏は話を続けた。
「戦争中の話だけれど、イギリスのあるゴルフクラブでは戦時下のローカルルールが作られていた。戦闘行為によって動かされたボールは、そもそもボールがあった場所に限りなく近い場所にリプレイスされなければならない。また、爆撃によってボールが失われあるいは破壊された場合は新たなるボールを、ホールに近づかない範囲内でペナルティーなしにドロップすることができるものとする、といった調子のローカルルールだよ。わざわざそんなローカルルールまで決めてイギリス人は戦争のさなかにもゴルフをしていたというんだからね」
「不発弾の存在する場所は赤のフラッグによって示されているが、それがいつ爆発するかに関して当カントリークラブは何ら保証はしない。各ゴルファーの責任において安全な距離を保つべし、というルールもあった時代ですよね」ぼくはいった。ゴルフの歴史には多少、強いのである。
「そのとおり」わかってるじゃないか、という目でかれはいった。
「しかしそれはイギリス人ばかりじゃないですよ。第二次世界大戦のころ、アメリカ人も南太平洋の島で日本軍の爆撃の合間をぬってゴルフをしているじゃないですか。そのころのローカルルールにロストボールはペナルティーじゃなく一カ月間の出場停止というものがある。なぜだかわかりますか」
「さてね」スミス氏は首を傾《かし》げた。
「ボールの数が極めて少なかったからですよ。クラブもありあわせの材料を使ってハンドメイドで作ったという話ですからね。ボールは貴重だった。したがってボールをなくしたゴルファーはしばらく仲間に入れてもらえなかった。もう一つ、ヤギのいるところにボールを打ち込むのも禁止されていた」
「ヤギがボールを食ってしまうからだな」
「そのとおり。ではなぜゴルフコースにヤギがいたのか」
「…………」
「芝刈機のかわりですよ。フェアウェイの草を刈りそろえるのに一番適しているのがヤギだった。草が伸びているところに杭《くい》を打ち、そこにロープにつないだヤギを放しておく。そのあたりの草が刈りこまれると、また別の場所にヤギを連れていく」
「そこまでして……」
「ゴルフをしていたんですよ。日本人はゴルフどころじゃなかったようですけどね」
まるでテレビのクイズ番組のような問答である。
ゴルフをしながらこういう話をしているときりがない。
熱狂的なゴルファーはいつでも、どこでも、いかなる状況のもとでもゴルフを忘れない。
《プリズン・ゴルフクラブ》のプランナーにして、コースの設計者、クラブの初代の会長にもなったマレイシアの刑務所長、ピーター・ロウ氏もそういうゴルファーの一人だったに違いない。かれは自分でデザインしたコースを造るというゴルファーの夢の一つを、その経緯はともかく、実現してしまったのだ。
9ホールのコースを二度回って18ホール。距離はトータルで7200ヤードを越え、コースレーティングは71・0。フェアウェイは狭く、5番のロングホールは第一打が大きな池越え。コース・レイアウトを見ると、池に沿ってフェアウェイがあるのではなく、池をそのまま狙い、そこを越えられなければ引き返すしかないというデザインである。7番のショートも同様に、完《かん》璧《ぺき》な池越えが要求されている。
これだけ癖のあるコースを、刑務所の隣に、刑務所長が造ってしまうのだから、そのプランナーであるピーター・ロウ氏はゴルフでは相当苦しんできた人だろうと思う。すみやかにシングルハンデになり、いつも楽しいだけのゴルフをしてきた人ならこういうコースは造らないだろうと想像するのは、ぼく自身がシングルハンデにはほど遠く、ゴルフのおかしみも苦しさも馬鹿馬鹿しさもわかるへぼゴルファーであるせいだろうか。
かつてアフリカのジンバブエ、ヴィクトリアフォールズというところにエレファントヒルズ・カントリークラブというゴルフ場があった。ゲイリー・プレイヤーが設計に参加したということもさることながら、ここはフェアウェイを様々な野生動物が跋《ばつ》扈《こ》するコースとしても有名だった。その名のとおり象がグリーンに足跡を残していくし、ウォーターハザードにはワニがいて、ラフにはカバやバファローもいる。ローカルルールには野生動物がいた場合、ツークラブの距離内でボールをリプレイスできるなどが定められていた。ユニークさにおいては横綱格のゴルフコースだったわけである。
そのエレファントヒルズ・カントリークラブはやがて閉鎖されてしまった。その原因は野生動物の保護のためではなく、動物たちがコースを荒らしてしまったためでもない。内戦が始まり、ロケット砲を打ち込まれたためにコースが使い物にならなくなってしまったのだ。人間が作ったものは人間によって壊される。マレイシアのユニークなコース《プリズン・ゴルフクラブ》は、特別な事情が起きないかぎり存続し続けるだろう。機会があれば是非プレーしてみたいコースのひとつとして、ぼくはリストアップしておこうと思っている。
動くハザード
この冬はオーストラリアでゴルフを楽しんできた。
南半球は日本と季節が逆。真夏を迎えている。朝は五時すぎには明るくなり、午後の八時を回ってもまだゴルフができる明るさが残っている。そのかわり昼間は雲ひとつない青空が広がり容赦ない暑さがやってくる。そういうところである。滞在していたリゾートに27ホールのチャンピオンコースがあり、グリーンフィーはきわめて安い。クラブをレンタルし、バギーに乗ってワンラウンドしても五〇ドル(オーストラリア・ドルは一ドル約一〇〇円)。手頃な値段なのだが、昼間からコースに出る人は少ない。日本からやってきたリゾート滞在客ぐらいなものである。陽ざしが強すぎるせいだろう。サウナの中でゴルフスイングをくり返すようなものである。しかし、ゴルファーのなかには「耐える」ことこそがゴルフなのだと信じこんでいる人もいるわけで、グリーンのフライパンの上でこんがりとベーコン色に焼きあがったゴルファーもなかにはいるわけだ。
地元の人たちは早朝のモーニングゴルフと、午後五時すぎのトワイライトゴルフを楽しんでいるようだった。
「この時間のゴルフの楽しみがいくつかあるんだ」
と、早朝のゴルフコースで知りあったミスター・ブレイクがいっていた。麦わら帽子をかぶった、おそらく六十代の、オージーである。「スプリンクラーは朝と夕方の二度、芝に水を撒《ま》く。その直後の、しっとりとしたフェアウェイを歩けるというのも楽しみのひとつだが、それだけじゃない。この時間だからこそあらわれるハザードがあるんだよ」
ハザードとは障害物のことだ。サンドトラップ(バンカー)、ウォーターハザードなどがこれに当たる。朝、夕だけのハザード? ぼくには何のことか見当がつかなかった。
「まあ、いまにわかるさ。このコースはくり返し回っているからね、動くハザードでもないと面白くない」
そういってかれはニヤリと笑うのである。ゴルフの腕も悪くない。アドレスすると素振りをすることもなくすぐにテイクバックし、あっさりと打っていく。じつにナチュラルなスイングである。
「ほら、やってきた」
やや打ち下ろしのミドルホール、ティーグラウンドに立つと、かれが遠くを指さした。フェアウェイの両サイドはユーカリの林である。ユーカリにはじつに多種多様な木があって、オーストラリアで木の名前をたずねるとたいていユーカリだという答えが返ってくる。だからあれもユーカリだろうとぼくは思ったのだが、見るとそのユーカリの林からのっそりと出てくるものがあった。約200ヤード先の、クロスバンカーの向こう側である。
カンガルーだった。最初の一匹がフェアウェイに姿を見せると、そのうしろからすぐにまた別のカンガルーが。次から次へと、群れをなしてカンガルーがフェアウェイに姿を見せたのである。
「ここからだと小さく見えるが、あれでけっこうタフな連中でね、ゴルフボールが飛んできてもけろりとしている。せっかくフェアウェイのど真ん中にドライバーショットを打ちこんだのにそのボールを蹴《け》とばされて林の奥深くまで持っていかれてしまったゴルファーの話がいくらでもあるよ。やつらはフェアウェイを横切っていくからね。しかし稀《まれ》に気のきいたカンガルーもいて、ボールをグリーンに近づけてくれる。さて、オナーは私だったかな」
ミスター・ブレイクはうれしそうに微《ほほ》笑《え》みながらティーアップするのである。カンガルーはまだフェアウェイにいた。
「大丈夫ですか。当たりそうですけどね」
そういったのだが、かれはサム・スニードばりの――そう、体形といい顔つきといい、かれは往年の名ゴルファー、サム・スニードによく似ていた――柔らかいスイングでドライバーショット。ボールはカンガルーの向こう側まで飛んでいった。
「一九五一年に、ニューヨークで面白いコンペがあったんだよ」
かれはいうのだった。
「ショートホールでホール・イン・ワンをマークしたことがあるというゴルファーばかりが招待されたんだ。人数にして一四〇〇名。たいへんな数だろう。で、何をしたかというと、ニューヨークの三つのゴルフコースでいっせいにショートゲームに挑戦したんだ。それぞれが五打ずつショートホールでティーショットを打った。合計七〇〇〇打のティーショットだよ。その結果はどうだったか。ホール・イン・ワンはゼロさ。ゴルフというのはそう簡単に狙《ねら》ったところにボールが飛んでいかないということだな。私などカンガルーにすら当てることができないんだからね」
ぼくはフェアウェイでこういう話をするのが好きなほうだと思う。
「アメリカのプロゴルファーが六〇時間ぶっつづけでひとつのショートホールでティーショットを打ちつづけたことがあるんですよ」
ぼくはいった。
「距離は160ヤード、プロゴルファーならショートアイアンで攻められる距離ですね。ぼくの記憶に間違いなければ、そのプロゴルファーは約一八〇〇打、ティーショットをしています。ピンの位置は変えていない。狙いはひとつ。で、結果はどうだったかというと、ホール・イン・ワンはひとつもなかった」
サム・スニードに似た、少し太めのオージーは笑いながら「クレイジー」といった。
そのホール、ぼくがティーショットを打とうとすると、カンガルーは消えていた。群れはいつのまにかフェアウェイを横切ってしまったらしい。
ぼくらはフェアウェイを歩き始めた。ぼくのティーショットはちょうどカンガルーが通ったあたりに転がっていた。約200ヤードのティーショットだったことになる。
麦わら帽子――そういえば、これもサム・スニードの特徴のひとつだった――をかぶったオージーは跪《ひざまず》いてフェアウェイの芝をチェックしていた。「ルック」とかれはいった。のぞきこむと、かれはいった。「わかるだろ。ここに足あとがある。君のボールは今しがたここを通ったカンガルーの足あとで止まっているんだよ。やつらが通っているときだったら遠来の客に敬意を表してもう少し遠くまで運んでいってくれたかもしれない」
ぼくは笑ってプレーを続けた。
ゴルフというのは不思議なスポーツだと思う。そう思える瞬間がしばしばあり、そのときもぼくはそういう感覚にとらわれていた。狙い打ちすると絶対にターゲットを外し、どうでもいいと思って打つと、どういうわけかそのターゲットを射とめてしまう。それならと、ここは無心になって打つべきなのだと、意識的に無心になろうとすると、また失敗する。アベレージゴルファーとはその堂々めぐりに巻き込まれているゴルファーのことなのである。
「ゴルフの本はずいぶん読んだが――」
と、オージーが突然、話し始めた。
「わからんことが多い。ゴルフのレッスン書を書いている連中がアベレージゴルファーをからかっているんじゃないかと思えるときもあるよ。例えば、だ。セベ・バレステロスがなぜグレートショットを打てるか」
セベはスペイン生まれの、現代を代表するプロゴルファーのひとりである。
「それはかれの右腕が左腕より二インチ(約五センチ)ほど長いからだと書いてある本を読んだことがある。右腕のほうが長いから、スタンスをとるときに無理せずにスクエアに構えられるというんだな。両手の長さが同じだと、どうしても右肩が下がってしまう。それがいかんというわけだよ。私はそれを読んで一瞬、なるほどと思ったよ。しかし、あとになってあれはかつがれたんじゃないかと思いだしたんだ。右腕が少し長いからって、あれだけのショットを打てるかね」
「だいたい右利きの人は左腕より右腕のほうが多少、長いですよね」
ぼくはいった。
「しかし、本来、左利きの人がゴルフで右打ちをして大成功をおさめた例がある」
「ほお」――オージー・ゴルファーは麦わら帽子をとってうちわがわりに顔に風を送った。
「ベン・ホーガンがそのひとりだし、ジョニー・ミラーも本来はレフティーですよ」
「ヤングボーイ」と、かれはいった。たしかに、かれに比べればぼくは若い。
「一度、ディナーにでもこないかね。ウチのカミさんは本来レフティーだが、料理は右手で作るんだ」
こういった会話が成立するのがフェアウェイなのだと思う。そのためにゴルフや野球、テニス、フットボールといったスポーツに関する本を、ぼくは読んでいるのかもしれない。そして、これはというエピソードなどをメモに残しておくのだ。そうすると、忘れない。
オーストラリアに出かけているときも、ぼくはゴルフの本を読んでいた。面白かったのはベン・ホーガンに関する話である。ベン・ホーガンはボビー・ジョーンズやサム・スニード、ジーン・サラゼンなどと並ぶゴルフ界の巨人のひとりである。
かれはとっつきにくいタイプの男だったらしい。腕のたつ寡黙な職人といったところだろうか。そういうエピソードはたくさん残されている。これもそのひとつなのだろうが、ある年のマスターズ・トーナメントで一緒にラウンドしていたクロード・ハーモンというプロがひと言も喋《しやべ》らずにラウンドするベン・ホーガンから無言のプレッシャーを受けていた。ハーモンはホーガンとは逆で、何でもかんでも喋りたいタイプの男である。軽いジョークを連発したいのだが、ホーガンが一緒ではそれもはばかられる。そのハーモンの欲求がいっぺんに満たされる場面がやってきた。ショートホールでハーモンがホール・イン・ワンをマークしたのである。ギャラリーは大騒ぎ、ハーモンも飛び上がって喜び、誰かれかまわず握手をし口元がゆるんだ。しかしベン・ホーガンはそれでも表情ひとつ変えなかったのだという。苦笑いを浮かべるわけでなし、おめでとうというわけでもない。グリーンに行くと、ハーモンのボールはカップとピンのあいだにはさまっていた。ベン・ホーガンはひと言だけ、キャディーに言ったのだという。
「ピンを抜いてくれ」
そしてベン・ホーガンはグリーンのはじからロングパット。それをみごとに沈めてみせた――。
こういう話は、アベレージゴルファーを力づけてくれる。夜、ベッドの中でベン・ホーガンの話を読みながら、よし明日はベン・ホーガン・スタイルで行こう――と思ったりすることができるわけである。
ところで――。
オーストラリアのサム・スニードおじさんの話にはつづきがある。
ディナーに誘ってくれたのはその場かぎりの――東京でしばしばかわされる会話「近々、メシでもくいましょう」「ええ、是非」とは違って、マジな話だった。翌日の夕方、ぼくはかれの牧場へ行った。かれは「小さな」農場を持っているのだといっていた。小さなという言葉にカギカッコをつけたのはそれが日本の尺度ではなくオーストラリアの尺度であるからで、ぼくにいわせれば当然のことながら「広大」である。自動車道路から十メートルほど入ったところに鉄《てつ》柵《さく》の門があり、そこを勝手に開けて車で入りこむと、遠くにこんもりとして緑が見えるだけであとは原野が広がっている。本当にここでいいのかと、ぼくは何度も確認したほどだ。鉄柵の上にはたしかに〈BLAKE'S FARM〉と記されているのだが、家が見当たらないのである。おそるおそる車を走らせると、遠くに見えた緑が少しずつ近づいてきて、やがてそこがユーカリの林に囲まれた、住まいのあるエリアなのだとわかった。大きなイヌがかけ寄り、柵の中にいる二〜三十頭の馬が動き始めた。大きな、つがいの孔《く》雀《じやく》がおどろいて羽を広げ、その向こうではカンガルーがこちらを見ている。ミスター・ブレイクによると、カンガルーも「飼っている」のだという。
かれは一杯やる前にちょっと見せたいものがあるという。
「馬に乗れるかね」
「少なくともゴルフよりは乗馬のほうが自信あります」
そういうと、かれは納屋から鞍《くら》のついた二頭の馬を引き出してきた。栗毛の、いい馬だった。二頭とも、頭から顔にかけて細い麻のロープを何本もぶら下げている。それで顔のまわりにやってくるハエを追い払うのである。人間は、そのかわりに顔や腕にハエよけの薬をぬりたくる。そうしないと、オーストラリアの夏の農場ではハエに悩まされることになる。
ぼくは初めて、馬に乗ってゴルフに出かけた。栗毛の馬はポロ競技に使っていたことがあるそうで、動きは俊敏だった。足元の悪い、はげ山のようななだらかな丘を一気にかけあがり、原野の向こう側に出た。馬が丘の上に姿を見せると、そのあたりにいたカンガルーがあわてて跳びはねた。カンガルーはいたるところにいるらしい。
驚いたのは、遠くにグリーンが見えたことだ。たしかに、グリーンなのである。そのまわり、フェアウェイにあたるところに緑はなく、ユーカリの木が二本、すっくと伸びている。
「ティーグラウンドは、まだ三カ所しか作っていない」
と、ミスター・ブレイクはいった。
原点だな、とぼくは思った。その昔、ゴルフには18のホールがあるのではなく、ひとつのグリーン、ひとつのカップを使って多方面から、様々な距離で攻め、バリエーションを楽しんだのだといわれている。
「コースに行かれないときはここでショートゲームを楽しむのだが」
と、例によって麦わら帽子をかぶった「サム・スニード」がいった。
「今まで一度もエースを決めたことがない。ひょっとしたら今日はそいつが出るんじゃないかという気がしてね」
少し照れて、少年のような目でかれはいうのだった。こういう初々しさは貴重である。男がいつまでも持ちつづけてしまう初々しさだろう。
馬を降り、バケツに入れてきたボールを、ぼくらは打った。バケツがカラになると、馬に乗ってボールを拾いにいくのである。エース、ホール・イン・ワンは出たか?
そのうちに遠くで銃声が聞こえ「どうやらメシの支度ができたようだ」とかれがつぶやくように言うまで、ショートゲームはつづいた。
NY&TOKYO
ニューヨークには公営のゴルフコースが十三カ所もある。
パンフレットにそう書かれていた。
そのパンフレットは、多分、ニューヨーク郊外のペルハム・ゴルフコースへ行ったときにもらってきたものだと思う。チェックイン・カウンターのあたりにあったパンフレットを何かの役に立つかもしれないと無造作にもらってくるのはよくあることで、そのまま読みもせず書棚の隅に積み上げられてしまうことが多い。
たまたまそのなかから件《くだん》のパンフレットを見つけたので、どこで手にいれたのかははっきりとは思い出せないのだが、ニューヨークの公営ゴルフコースのことが書かれていたからおそらくペルハムだろうと思う。ペルハム・ゴルフコースも公営のゴルフ場のひとつである。
公営というと《公《おおやけ》》という字がつくのでパブリックコースと考えがちだが、ニューヨークの公営ゴルフコースの場合はちょっと違う。むしろ自治体が管理、運営するコース(ミュニシパル・ゴルフコース)と言い換えたほうが正確だろう。
そういうゴルフコースがニューヨーク市内に十三カ所もあるというのは驚きだった。
もちろん、マンハッタンにゴルフコースがあるはずもなく、その多くはクイーンズやブルックリンのさらに外側、都市の周辺部に散らばっているのだろう。ペルハム・ゴルフコースは自分で車を運転して行ったのではなく、地元の知り合いに連れて行ってもらったので正確な場所は覚えていないのだが、おぼろげな記憶によるとブルックリンを抜けてさらに南のほうまで行ったような気がする。
アップ&ダウンがなく、フラットなコース。ゴルフ場というよりも公園のなかでゴルフをしているような感じだった。グリーンフィーは安い。十ドル前後だったと思う。セルフカートで歩いて回るコースである。
ニューヨークのゴルフ場のことはまたあとで書くが、ペルハム・ゴルフコースが東京の公営ゴルフコースほど混雑していなかったことだけはたしかである。
東京にも湾岸の埋立地、夢の島の跡地に公営のゴルフコースが一つ造られている。
若洲リンクスである。
プレーの予約をとるのが極めて難しいといわれているところだ。多少の交通渋滞があっても都心から三十分もあれば行かれるという便利さが魅力なのだろう。毎日、きまった時間に一カ月後の予約を受け付けているのだが、瞬時のうちに電話回線がいっぱいになり、やっと電話がつながったころにはもうフルブッキングになっているという状態である。
ぼくもためしたことがあるが、電話がうまくつながったためしがない。東京のスポーツ関連のブッキングで難しいもののベスト三をあげると大相撲のマス席、大学ラグビーの早明戦、そして若洲リンクスのゴルフということになるのではないだろうか。
ラッキーなことに、ぼくはかつて一度だけ、若洲リンクスでゴルフをしている。
予約をとってくれた人の話によると、電話をかけるタイミングがポイントだといっていた。正確な時を刻む時計を用意し、受付開始の七秒とか五秒ほど前に受話器をあげ番号をプッシュし始めるのだ。
かれのオフィスでは、それを数人がかりでやるのだという。
そのノウハウを紹介しておこう。
まず電話を目の前にして、数人の男たちが眦《まなじり》を決してデスクにつくのである。
左手は早くも受話器に伸びている。番号を間違えずにプッシュするために電話係は時計を見ない。そのかわりにタイムキーパーを一人用意する。
三十秒前になりタイムキーパーが秒読みをスタートさせると、緊張感が高まっていく。
タイムキーパーが十秒前を告げると、全員が受話器をとり耳に当てる。いつでも電話番号をプッシュできる態勢である。そこからタイムキーパーのオーケストラの指揮者さながらの活躍が始まる。
七秒前になると時間を告げ、最初の電話をかける担当者の名前を呼びながらゴーのサインを出す。早めに電話をかけるのは番号をプッシュしてからつながるまでに数秒かかるからだ。
続いて五秒前、このタイミングでは人数に余裕があれば二人を指名してプッシュと叫ぶ。つながる可能性が最も高いところだからである。そして最後にタイムキーパーが、時報の三秒前にみずから受話器を持つのである。
時間差攻撃を仕掛けるのは、どういうわけか日によって電話のつながるタイミングが異なるからだという。
何本もの電話回線が必要なのでゴルフ好きが揃《そろ》っているオフィスでしかできない。それが弱点だが、しかし、そのつもりになって人と電話を用意すればまずまずの確率で予約をとることができるという話だった。
「ということは、それだけ準備して電話をしてもつながらないというケースがある?」
そう尋ねると
「誰が電話をかけているのか、どうやっても話し中ということがあるんだな、これが」
一カ月後のゴルフの予約をとるために、あちらにもこちらにも必死の形相で電話と格闘している人たちがいるのだ。
それでもなおゴルフをしたいという熱意に関していえば、東京のゴルファーは世界一だろう。
ほんの一、二年前まで、東京の都心には広大なる荒野があった。
フィクションのなかの話ではなく、これは本当のことだ。
そのあたりに行くたびに、なぜここにゴルフコースがあってはいけないのだろうかと、ぼくはいつも考えていたものだ。
海に向かって舗装道路が延びているのだが、その周辺には勢いよく生長した背《せい》高《たか》泡《あわ》立《だち》草《そう》で覆われた原野さながらの風景が広がっていた。
最近、その界《かい》隈《わい》を車で走ってみたら、風景が激変していた。
背高泡立草はすっかり刈り取られ、いたるところ工事用車両が走り回っていた。土地は掘り起こされ、ビルを建てるための基礎になる杭《くい》を打ち込む音が間断なく聞こえている。首都高速につながる新しい道路も日に日に延びている。
《臨海副都心》と呼ばれている地域のことである。
東京の湾岸を走る、いわゆる「湾岸高速」を利用している人は、そのあたりの事情を知っているだろう。
羽田から東京湾に沿って北上し、東京港トンネルをくぐったあたりは「13号地」と呼ばれる埋立地。もう少し先が「有明」で、さらに「辰《たつ》巳《み》」「新《しん》木《き》場《ば》」を経て「葛《か》西《さい》」「浦安」、東関東自動車道へとつながっていく。若洲リンクスは新木場から海に向かって車で数分走ったところにある。
近ごろ激変しているのが、「13号地」「有明」周辺である。
埋立がいつごろからはじまったのかは知らないが、ここは埋め立てられたあと長いあいだ放置されていた。おそらく新たにできた土地が落ちつくのを待っていたのだろう。主要道路だけは先に完成していたが、その周辺は野草が伸びるままに放っておかれていたので、この界隈は奇妙なほど静かな、都心のブラックホールのような趣《おもむき》を呈していた。
ちょっとした公園があるのだが、人影は見えない。
東京港の水路の向こう側には浜松町の貿易センタービルをはじめとするオフィスビルが林立し、都会の喧《けん》噪《そう》がいまにも聞こえてきそうなのだが、耳に届いてくるのは東京港をわたる風の音ばかりという世界である。
その都心のブラックホールが今、開発の渦中にあるわけだ。
忘れられがちだが、かつてこの近くにもゴルフコースがあった。
東《しの》雲《のめ》ゴルフクラブである。現在は有明テニスの森公園として生まれ変わっている。
ぼくは東雲でプレーをしたことはないが、話に聞くと便利な場所なのに若洲リンクスのようなブッキングの難しさはなかったようだ。築地の魚河岸が近かったので、早朝の仕事を終えた人たちが東雲にやってきてゴルフを楽しんでいたという。日本橋、銀座、新橋あたりのサラリーマンは一度出社したあと、駅に預けておいたバッグをピックアップして東雲に行き、夕方前にはまた会社に戻るという芸当ができた。
ゴルファーの数も少なく、まだのんびりとしていたのである。
東雲ゴルフクラブは有明の土地を東京都から借りた民間会社が経営していたもので、コースの設計を手掛けたのはたしか井上誠一氏だったと思う。海辺に造られたコースなのでスコットランドのリンクスをイメージさせるようなホールもいくつかあったらしい。
さほど広い土地があったわけではないから距離は短く、平《へい》坦《たん》な場所だから単調になりがちではあったが、海からの強い風が吹くとけっこう難しくなり、意外にスコアメイクに苦戦する。
そういうコースであったらしい。
荒川の河川敷に造られ、今でも熱心なゴルフファンを集めているコースをイメージすればいいのかもしれない。コースを人工的に造りすぎず、手入れは悪いが、グリーンフィーは他と比べれば安いし、けっこう楽しめる。
そういうコースが都心から消えて、こざっぱりとした、やたらブッキングの難しい公営のゴルフコースが東京にはできあがっているわけである。
それが時代の流れというものなのだろうが、ぼくは東雲がなぜ閉鎖されてしまったのだろうかと残念に思うほうである。地主である東京都が有明界隈の再開発のために立ち退きを要求したらしいのだが。
ニューヨークの公営ゴルフコースは一九七〇年代から八〇年代にかけて、最悪な状態だったという。
その話を聞かせてくれたのはペルハム・ゴルフコースに連れていってくれたKさんで、かれはニューヨークに二十数年住んでいる人だ。
「一言でいえば治安が悪かったということですよ」
Kさんはいっていた。
「ぼくは幸いにして被害にあったことはないけど、パーキングに車を止めているあいだにタイヤを盗まれたとか、カーステレオをとられたとかいう話ですよ。ゴルフコースじゃなくても同じようなことが多発していた時代だからそういう話を聞いても誰も驚きませんでしたけどね」
最近はまた、落ち着きを取り戻しているというから、これはしばし前の話である。
「これ以上の当たりはないというくらいのドライバーショットを打ったのはいいんだけど、それが車に当たりはねかえってラフに入っちゃったというケースもあったな。わかりますか?」
「ドライバーのナイスショットが車に当たるんですか?」
「フェアウェイに車が放置されているからですよ。盗んできた車をフェアウェイで分解して、売れそうなパーツだけ抜き取ってしまうんだろうね。あとはほったらかし。こんなハザードに出くわしたら最悪ですよ」
だいぶ前の話だが、アメリカのゴルフ雑誌か何かにスポーツライターが書いていたコラムがあったのを思い出した。かれは世界の難関ゴルフコースをリストアップしていたのだが、そのなかにニューヨークの公営ゴルフコースの名前を一つ入れていたのだ。
その理由は、18ホール回るうちにクラブが半減しているおそれがあるからだという。カートをグリーンサイドに置き、パターだけを持ってグリーンにあがって戻ってくると、クラブがなくなっている……。
「ありうるだろうな」Kさんもいっていた。「ボールはしょっちゅうなくなるしね。バーベキュウこそしないけど、フェアウェイをピクニックがわりに利用する人もいますからね。ときどきサッカーをやっている連中もいるな」
タフなコースである。
そのかわり、希望者殺到でスタートの予約が取れないなどということはない。
どちらがいいのだろうか。
近くに手軽にゴルフが楽しめる場所のないぼくは考えてしまうのだ。
しかし、そんな環境であってもニューヨーカーたちは公営のゴルフコースを利用し続けてきた。東京のゴルファーが少しでも安いグリーンフィーの、しかも便利な場所にあるゴルフコースの予約をとろうと眦を決して電話と格闘するのと、熱意においては変わらない。
「自衛用の銃を持ってゴルフコースに出る人たちもいるんですからね、たいしたもんですよ」Kさんはいっていた。
「なぜそこまでしてゴルフにこだわるのか。私にはわかるな。皆、せめて100を切りたいと思っているからですよ」
アベレージゴルファーの心理は世界共通である。
セント・アンドリュース
セント・アンドリュースのオールドコース。
ここはゴルフの故郷と呼ばれている。北海に面したスコットランドの田舎町。気の遠くなるような時間の流れのなかで海が後退して砂丘が生まれ、やがて荒地となり北国の厳しい自然のなかでも育つ灌《かん》木《ぼく》があたりをおおうようになった。
その場所がそのままゴルフコースとなり、現在ではオールドコースと呼ばれている。
西暦一五五二年には早くも、オールドコースには人工の手を加えることを禁止する市の法律が制定されている。あるがままの自然をそのまま残しながらオールドコースは海辺のリンクスとしてセント・アンドリュースの町に横たわっている。
オールドコースは時折、全英オープンの舞台にもなるから、ゴルフ好きなら一度はテレビを通じてこのコースを見ているだろうと思う。巨大なポットバンカー。深いラフ。いたるところに生い茂るハリエニシダの灌木。うねりの多いフェアウェイを見ていると、フラットな場所はティーグラウンドぐらいのものではないかとすら思えてくる。
かつて《オールド》トム・モリスというゴルファーがいた。その息子が《ヤング》トム・モリス。親子ともどもプロゴルファーで、父親は全英オープンで四回優勝するという偉業を成し遂げている。一九世紀の話である。トム・モリスはセント・アンドリュースの生まれであることもあって、この町のいたるところでその姿を見ることができる。ホテルの壁にさりげなく掲げられた肖像画。ゴルフショップのポスター。セント・アンドリュース土産の小物なんかにも長い、白い髭《ひげ》を伸ばしたオールド・トムがいる。
そのオールド・トムがあるときに語ったという一言ほど、オールドコースの印象を的確に表現したものはないだろう。
晩年、かれは天体望遠鏡で初めて月を見る機会があった。そのときにオールド・トムはこういったというのだ。
「月の表面を見るのは初めてだが、こいつはまるでオールドコースそっくりじゃないか」――と。
晩秋のセント・アンドリュース、オールドコースでは《ダンヒルカップ》が行われていた。
毎年、同じ季節に行われている国別対抗トーナメントである。アメリカ、ヨーロッパだけでなくオーストラリア、日本、それに韓国などの第一線で活躍するプロゴルファーたちが集まり、一カ国三人がチームを組んで国別対抗戦を繰り広げる。
世界中から集まってくるゴルファーの顔ぶれもさることながら、この機会に海を越えてセント・アンドリュースにやってくるジャーナリストやゲストも少なくない。主催者であるダンヒルは、かれらのためにも毎晩パーティーを開く。英国流のホスピタリティーである。
ディナーテーブルの話題は、当然、ゴルフ。
ぼくはダンヒルカップが終わった翌月曜日のスタートの予約をとっておいた。ダンヒルカップ最終日のピンの位置でプレーできるのだ。その話をすると、ひとしきりオールドコースの話題でテーブルが賑《にぎ》わう。
「トミーズ・バンカーを見たかね」地元、スコットランドのゲストがさっそくぼくにいった。
「17番ホールのロードバンカーのことだよ。トミー・ナカジマが全英オープンでロードバンカーに入れてしまったのは、たしか……」
「一九七八年のことですよ」
ぼくはいった。中島常幸のバーディーパットが強すぎ、ボールはグリーンサイドの深いバンカーへ。そのバンカーショットに4打を費やし、中島はトーナメントから脱落した。以来、17番のロードバンカーは「トミーズ・バンカー」とも呼ばれている。
「あの17番グリーンのあたりは最高の観戦場所でね。ギャラリーはゴルファーがセカンドショットであのバンカーに打ち込まないかと、それを楽しみにしているんだ。今日も誰かがあのバンカーに入れていたな。グリーンに向かって出すことをあきらめて、ボールを横に出していたよ。プロゴルファーですらそうなんだ」
そういいながらかれはぼくの顔を見て、うれしそうに笑うのである。どこの国でもゴルフ好きは、これからプレーしようという人にプレッシャーをかけるのが好きなのである。
「あのボビー・ジョーンズですら初めてオールドコースを見たときにはトーナメントに参加するのをやめて国に帰ろうとしたんだ。その話は知ってるかな?」
そういったのはアメリカのジャーナリストである。
「誰だって何も知らずにここにやってきたら驚くだろう。まるでパズルだとプロの連中がいっているよ。どこを狙《ねら》っていいかわからない。どこに打ってもフェアウェイのうねりやバンカーにつかまってしまいそうに思えるんだ」
まるで肝《きも》試しに出かける子供に妖《よう》怪《かい》の話を聞かせるようなものである。
そのうちに、ぼくは撃退法を覚えた。かれらに実際にオールドコースでプレーしたことがあるか、と聞いてみるのだ。
「もちろん、あるさ」と、誰もがいう。
「スコアは?」
そこでかれらはたいてい表情を変える。初めてセント・アンドリュースのオールドコースを回ったときのことを思い出すに違いない。かれらの答えは二種類しかない。
「ノット・バッド」あるいは「ソー、ソー」
このどちらかである。
早朝のセント・アンドリュース、オールドコースは霧の海に沈んでいた。乳白色の霧がフェアウェイをおおい、ミステリアスな雰囲気を醸しだしているのだ。
太陽はR&A(ロイアル&エインシェント、ゴルフクラブ)の建物の背後から昇ってくる。その光で霧が晴れていくころ、朝の最初のフォアサムが1番ティーグラウンドに立つ。太陽の光を背に受けながら西に向かっていくわけである。
オールドコースはフェアウェイの狭さにも特徴がある。
1番ホールのすぐ横には18番。2番のフェアウェイは17番とも重なり、両者を区切るものはない。アウトの9ホールはコース全体の右サイドを1、2、3番……と進んでいき、インではほぼ同じようなルートを引き返してくる。
横幅の広いグリーンはツーウエイで共用することが多く、したがってグリーンには二本のフラッグが立っている。2番グリーンは、同時に16番のグリーンでもあるわけだ。フラッグの色はアウトとインとでは異なること、いうまでもない。
1番ホールは見通しがよく、距離は370ヤードのパー4。問題はグリーンの手前を流れるスゥイルカンバーンというクリークだ。それを除けば、まず湾内のおだやかな海を航海するイメージ。それが2番ホールに入ると、突然、荒海に変化する。
ティーグラウンドに立ったときに、なぜここが「パズルのようなコース」といわれているのか、わかったような気がしたものだ。
フェアウェイにうねりはあるが、高低差がほとんどないから攻略しようとするホール全体を見渡すことができない。見えるのはラフとフェアウェイのうねりばかりで、ずっと向こうのグリーンに見えているフラッグを目標にティーショットを打とうとすると、その方角はやめておいたほうがいいとキャディーがいうのだった。なぜならば、その方角にはいくつものバンカーがゴルファーを待ち構えている……。
では、どこを目標に打てばいいのか。
初めてオールドコースを、しかも一人で回るゴルファーは羅針盤を持たずに外洋を航海するようなものだろう。リクエストしないかぎりキャディーがつかないのがセント・アンドリュースで、セルフカートでマイペースでゴルフを楽しむ人が多い。それができるのは、かれらがオールドコースを熟知しているからである。ビギナーはキャディーがいなければ立ち往生してしまう。
キャディーのロニーは三十代の半ば。十代の終わりころからここでキャディーをしているから、そろそろ二十年のキャリアになるという。かれのアドバイスは的確だった。パットラインの読みは正確で、それでもパット数が減らなかったのはゴルファーがアドバイスどおりのパットを打てなかったからである。
ロニーとは歩きながらサム・スニードのキャディーの話をした。
セント・アンドリュースでは有名なエピソードで、往年のアメリカのプロゴルファーが初めてセント・アンドリュースにやってきたときの話である。
ロンドンから汽車に乗ってセント・アンドリュースにやってきたサム・スニードが車窓から見えてきたゴルフコースを指さして、あれはいったい何だと、同じコンパートメントに乗り合わせていた英国紳士にいったのだ。「見たところ、古い、使われていないゴルフコースのようだが。あれは何というコースですかね」
「失礼ながら」とジェントルマンは顔色を変え、憤然としていった。
「あれこそが西暦一七五四年に設立されたセント・アンドリュースのR&Aクラブであって、使われていないどころかこれからもずっと偉大なるコースとして存続するものであります」
「そいつは失礼した」いちおう謝ったものの口の悪いスニードは、アメリカじゃあんなところに牧草も植えんだろうな、といったのだ。その一言がジェントルマンを通じて地元の新聞に載ったことからスニードの受難が始まった。
スニードは全英オープンに出場するためにセント・アンドリュースにやってきていた。ところが、スニードについたキャディーが協力してくれないのである。
最初のキャディーはスニードがパットを打とうとするときに口笛を吹いたという。主催者にいってキャディーを代えてもらうと、また別のキャディーがやってきた。かれは風邪をひいて鼻をずるずるといわせており、その鼻をかんだタオルでボールを拭いた。これはたまらんというので、またキャディーを代えてもらうと、三人目のキャディーは出《で》鱈《たら》目《め》なクラブ選択のアドバイスをした。オールドコースをばかにするゴルファーには何があろうとも協力しない。それがセント・アンドリュースのキャディーの報復だったわけである。
四人目のキャディーは酒飲みで、バンカーで寝込んでしまう。業を煮やしたスニードは二〇〇ポンドの謝礼を出すといって五人目のキャディーを探した。優勝賞金が六〇〇ポンドのころの金額だから、スニードは桁《けた》違いの報酬を申し出たのである。
ただし、条件があると、スニードはいった。
「鼻をかまないこと。そしてもうひとつ、おれがここは何番のクラブがいいかと聞いても、そっぽを向いて何も答えないこと」
そしてサム・スニードはその年の全英オープンに優勝してしまうのである。セント・アンドリュースにまつわる有名なエピソードのひとつだ。
「最後についたキャディーはサム・スニードからウィニングボールをもらったんだ。その話は知ってるか?」
ぼくのキャディーのロニーがいった。
「そこまでは知らなかった」
「優勝するプレイヤーのキャディーをつとめるのは名誉なことだからね。記念にボールをもらいたい、これは一生の思い出になるでしょうといってね。スニードはウィニングボールをキャディーにプレゼントした。ところが、だ。キャディーはどうしたと思う? そのボールを五〇ポンドで売ってしまった。ハッハハハ。スニードのエピソードにはそういうオチがついているんだ」
セント・アンドリュースのキャディーは最後までスニードに負けていなかったわけである。
ともあれ、このオールドコースという名の荒海を乗り切るにはパイロットの役割を担ってくれるキャディーが必要なのだ。
「とにかく、ここはやっかいなコースだよ」ロニーはいっていた。
「風の吹き方が日によってまるで変わるからね。ドライバーとウェッジでグリーンに届いたボールが翌日はドライバーとスプーンでも届かないことがある。天気もしばしば変わる。何百年ものあいだ、ゴルフは変わり続けてきた。道具もよくなったし、ボールも飛ぶようになった。だけどこのオールドコースだけは何も変わっていないんだ。昔のまま。天候が変わりやすいというのも、昔のまま」
穏やかな朝だったが、昼を過ぎたあたりから風が吹き始めた。遠く、海を眺めると黒っぽい雲が海の上にカーテンを引いたように漂っている。それが雨で、その雲が動くところシャワーがやってくる。
17番ホールはオールドコースのなかでも最も有名なホールだ。ここは世界で最も難しいミドルホールといわれることがある。
ティーショットはフェアウェイの右にあるオールドコースホテルを狙《ねら》うように打っていく。ティーグラウンドのすぐ近くにはホテルの壁がある。その昔、ここには鉄道の引き込み線があり石炭を積み込むための小屋が建っていた。その石炭小屋の屋根を越えていくティーショットが17番の第一打、ベストポイントになるというので、ここは屋根越えのティーショットが要求される、極めて稀《まれ》なホールとして知られていた。
それを避けて第一打で左に打っていくとフェアウェイ・バンカーにつかまりやすく、しかもグリーンからは遠く離れてしまうのでツーオンが不可能になってしまう。
攻めるならばオーバールーフ・ショットに挑戦しなければならない。そして第二打で例の「トミーズ・バンカー」がグリーンの手前で大きく口を開けている。距離が出過ぎると、グリーン奥の石垣につかまり、返しのピッチショットが打ちにくい。なんともやっかいな、そしてスリリングなホールなのである。
さて、どうするか。
オールドコースの17番ティーグラウンドに立ち、ブラインドになって見えないグリーンを思い浮かべながら攻略法を考えるときほど、ゴルファーにとって至福の時はない。
イメージのなかを鮮やかなショットが通過していき、目の前には高さ数メートルの、かつての石炭小屋の壁があるのだ。
壁には文字が書かれている。今は変わってしまったが、かつてそこには《Old Course Golf&Country Club》と書かれていたのだという。最盛期のトム・ワトソンはその文字のなかの《Club》の《C》の文字をターゲットにティーショットを打ったという。かなり右である。そのあたりを狙うと、たとえボールが壁を越えたとしてもその向こう側にあるホテルの窓を直撃するのではないかとすら思えてくる。
さて、どうするか。
キャディーのロニーはドライバーを手渡しながらこの方向だといって突き出しているホテルのバルコニーを指さし、グッドラックといった。
ティーアップ。
スタンス。
そして、ゆっくりとテイクバック。
その瞬間の記憶は意識のなかに刷り込まれたように、消えようとはしない。ゴルフにおけるグッドショットは詩人が発する研ぎ澄まされた言葉のように、一瞬、世界を凍らせる。
セント・アンドリュースのオールドコースという舞台が、その種のショットを生みだすのだろう。
ホールアウトしたあと、ロニーにボールをプレゼントしておいた。かれはそれを売ったりはしないはずだ。ぼくはサム・スニードじゃない。
その日のスコアを聞かれたときの答えは決まっている。
ノット・バッド、である。
ハワイのハリケーン
珍しいことにハワイにハリケーンがやってきた。
名前は《イニキ》という。イニキはカウアイ島を直撃し、オアフ島にも影響を与えたという。ハワイ諸島には年間を通じて安定した北西の貿易風が吹く。それがトロピカル・アイランドに穏やかな気候をもたらしているのだが、異変はどこにでもやってくるらしい。テレビのニュースを見ていたらハワイがハリケーンの直撃を受けるのは十年ぶりのことだと、レポーターがいっていた。
じつをいうと、ぼくはハリケーンが嫌いではない。
日本風にいえば台風である。
びゅん、びゅんと強い風が吹くなかでゴルフをするのも、また楽しいじゃないかと、ぼくは思うのだ。数年前、とんでもない強風のなかでゴルフをしたときにアウト、インともに50を切り、当時としてはかなりいいほうに属するスコアをマークした。そのときの記憶が今でも頭の隅に残っているせいだろうと思う。スライスしたティーショットが右からの風でフェアウェイに運ばれ、ダフったチップショットがグリーンに届き、叩《たた》きすぎたフェアウェイウッドの、当たりの良すぎた打球がうまいこと風に押し戻されるという、ダブルボギーゴルファーにとっては神風が吹いたようなラウンドだったのだ。風を嫌ったらバチが当たる。
カウアイにはいいゴルフコースがいくつもある。
島の南東部にはリゾートが点在している。ホテル・ウエスティン・カウアイに隣接するカウアイ・ラグーンは、ぼくの記憶に間違いがなければジャック・ニクラウスがコース造りに参加したところで、美しいラグーン(湖沼)を借景としてだけでなくハザードとしても利用したコースレイアウトが印象的だった。
カウアイではもうひとつ、島の北部に広がるプリンスビル・リゾートのゴルフコースも忘れがたい。リゾートのなかにはホテルもあるのだが、それよりもむしろ長期滞在型の、低層階のコンドミニアムが多く、ゴルファーはそれぞれ思い思いの時間にプロショップにやってきてスタートの手続きをすませ、コースに出ていくのだ。
キャディーはいない。カートを運転し、コースマップを頼りにラウンドしていくのである。
北の、海の方角から間断なく風が吹いている。周辺には急《きゆう》峻《しゆん》な山もあり、海から吹く風が山《やま》裾《すそ》をはい上がっていくうちに霧のような雲になり、不意にスコールがやってくる。強い日差しのなかの、局地的な雨。その雨の通り道にはくっきりとした、巨大な虹が見えるというゴルフコースである。
プリンスビルには、何度も滞在したことのあるリゾートがあり、ゴルフ好きのマネジャーがいる。
ハリケーンがまだカウアイにやってくる前にかれのところに電話を入れてみた。海越えの、たっぷりとした距離のあるショートホールでワン・オンを達成するいいチャンスじゃないか、といっておきたかったからだ。いつもは向かい風で、スプーンで打ってもボールを海に入れてしまう。そのショットが、ハリケーンのもたらす南からの風の力を借りればうまくいくかもしれないじゃないかという、まあ、面白半分の話である。
「それどころじゃないよ」
かれはいっていた。
「なにしろ今年はフロリダがアンドルーにやられているし、ついこのあいだはグアムがハリケーンの直撃を受けた。話を聞いてみると、何もかもすっ飛んでいくというんだな」
アンドルーはハリケーンの名前で、しばらく前までアメリカではハリケーンには女性の名前がつけられるのが常だったのだが、それが不公平だということになり、最近は男性の名前もつけられるようになっている。
「屋根はもちろん、樹木が根こそぎもっていかれることもあるそうだ。お手上げだよ。こんなときにゴルフのことを考えているのはジムぐらいなものだろ。あいつは仕事にならないからやけくそでゴルフをやっているよ」
ジムというのは観光客相手のヘリのパイロットをしている三十代後半の男で、ぼくはいっしょにゴルフをしたことがある。かれはヘリコプターでカウアイの北海岸、絶壁の続く景勝の地を飛び回っている。谷底すれすれまでヘリで降りていき、そこから岩をかすめるようにして上昇。ツーリストの悲鳴のような歓声を聞くのを楽しみにしているという男だ。
ハリケーンがやってきそうだというときにヘリコプターで遊覧飛行を楽しもうという人はいないだろう。それでゴルフに出かけているというわけだ。ちなみにかれは仕事の上では「ノー・トラブル」を誇っているが、ゴルフになるとトラブルだらけで、かれはいわゆるダブルボギーゴルファーである。
その翌日だったか、翌々日だったか、パイロットのジムにも電話をかけてみようとしたが、つながらなかった。何度くり返してもラインがつながらず、KDDのオペレーターを通じてコールしてもらおうと0051に電話をかけたら、カウアイはハリケーンのために電話線が切断され不通状態になっていると聞かされた。
あいつ、吹き飛ばされてなければいいけどな、とぼくは少し、心配した。
コースが閉鎖されていようがなんだろうが、ジムは好んで荒っぽいことをしたがるタイプの男だからである。
「サーファーは十年に一度、二十年に一度という大波を待ち構えている」と、かれはいっていた。ジムは若いころサーフィンをやっていたのだ。
「オアフのノースショアあたりにいけば、そういう連中がたくさんいる。ほんの数メートルの波じゃもう満足できないんだ。ヒーローになるためにはデカい波を征服しなければだめだ。波の高さが数十メートルにも達するようなビッグウェイブだよ。波の上に立つとちょっとした高層ビルの屋上に立っている感じだろうな。そのうえ、その屋上は大地震に見舞われたように揺れるんだよ。スリルだろ。たいていのやつは逃げ出してしまう。十年、サーファーをやってて、やっと本物のデカい波がきた。チャンスだと思っても、逃げ出してしまう。こわいからね。でも、なかにはその波に挑戦しようというやつがいる。みんなが海から引きあげてくるときに、そいつだけは海に出ていくんだ。そして成功すれば神様みたいにいわれる」
「それをやってみたいのか?」ぼくは聞いた。
「やめとくよ。おれはそこまではできなかった。今はまだ下《へ》手《た》だけどゴルフのほうがずっといい。でも、ゴルフっていうやつはなんていうか、スリリングじゃないな」
そういわれたとき、ぼくはこういう話をした――陸上の短距離競技では秒速二メートル以上の追い風が吹くと、記録は公認されない。追い風参考記録になってしまうのだ。ところがゴルフでは強風が吹いたときに追い風に乗せて打ったボールの飛距離が伝統を誇る英国のゴルフ年鑑に掲載されることもある。
そういう話だ。
ジムはたいそう興味をいだいたようで、いったいドライバーでどれくらい飛ばせば、そのイギリスの年鑑に記録が載るのかとぼくに尋ねた。そのときは正確なデータがなかったので、あいまいな返事しかできなかった。東京に戻り、資料のコピーを郵送するとすぐに礼状が届き、そのうちにトライしてみる、と書いてあった。「ギルバートぐらいのハリケーンが来たらチャンスだろうな」とも書かれていた。
ギルバートというのは、ぼくみたいにハリケーンや台風に興味がある人(きっと少数だろうと思う)なら知っているはずの、けっこう有名なハリケーンである。アンドルーと同じようにカリブ海で発生、フロリダ半島を横断した。それがほんの数年前のことで、ぼくがジムに紹介されたころギルバートがフロリダにやってきたのだと思う。それで、ジムが送ってきたカードにギルバートのことが書かれていたのだ。
それはともかく、伝統のある英国の、ゴルフ年鑑に載っているゴルフに関する記録を紹介しておくべきだろう。
引用するのは『ザ・ロイアル&エインシェント』、通称R&Aと呼ばれている組織(ゴルフのルール改正などもここが管理している)が発行しているイヤーブックのデータである。
そのなかに「ロング・ドライブ」という項目がある。
R&Aはいくつかのティピカルなロング・ドライブの事例を紹介する前に注釈をつけている。
「実際のところゴルフにおける最長のドライビングショットを特定するのはむずかしい」と注釈はいう。
「せっかくのビッグショットもわざわざ計測されることなく終わってしまうこともあるし、計測してもそのデータがわれわれのところに届けられない場合もある。それにコースのコンディションによっても飛距離は変わってくる。強いフォローの風が吹いていたり、ダウンヒルの地形だったり、ボールの弾みやすい固いフェアウェイだったり、ゴルフの行われる条件は様々なのである。そういう条件のもとでは、当然のことながら飛距離は出やすい。また、トーナメントにおけるロング・ドライブと練習中やドライビング・コンテストなどにおけるロング・ドライブとではその性格が異なることにも留意しなければならない。戦略を考えたうえでのドライビングショットと、ただ飛距離のことだけを考えて打つドライビングショットとは明らかに別物である。それもこれもわかった上で、以下にいくつかのロング・ドライブの事例を紹介してみよう」
R&Aはおごそかにそういって、信じがたいほどの飛距離を出したショットの事例を挙げている。
ぼくがカウアイのジムに送ったのが、このデータのコピーである。
事例、その一。追い風やダウンヒルといった好条件なしに記録されたロング・ドライブのなかで特筆すべきは一九六四年の七月、トミー・キャンベルによってマークされた392ヤードのドライビングショットである。場所はダン・ログエアゴルフクラブ。
その二。アメリカ人のゴルファー、ジョージ・ベイヤーはオーストラリアでプレーしたときに500ヤードを越えるドライビングショットを記録した。ベイヤーは589ヤードのロングホールの第一打、追い風に乗せて飛距離を伸ばし、チップショットでツーオンできるところまでボールが飛んでいったと証言している。したがってドライビングショットは500ヤードを越えていたものと思われる。
その三。アメリカのシニアプロ、マイク・オースティンは一九七四年、ラスベガスのウインターウッド・ゴルフクラブで行われたUSナショナル・シニアオープンで驚異的なドライビングショットを記録している。報告によるとオースティンはグリーンまでの距離が450ヤードの5番ホールでグリーンをはるかにオーバー、ティーショットは追い風に乗り、固いグラウンドでバウンドしたことにも助けられティーグラウンドから515ヤードの先まで飛んでいったという。
その四。一九三四年の九月、英国のTHV・ヘイドンというゴルファーがイースト・デイボンの9番ホールで450ヤードのドライビングショットを記録している。このホールは465ヤードで、ティーショットはグリーンエッジまで飛んだといわれている。ダウンヒルのホールであったこと、その他いくつかの好条件に恵まれたものと思われる。ヘイドンにはもう一つ、ロイヤル・ウインブルドンの15番ホール(420ヤード)でグリーンのすぐ手前までティーショットを飛ばしたという記録もある。このホールはダウンヒルではなくむしろ若干のアップヒルで、打ったときの風は微風だった。一九二九年の記録である……。
こういうデータを見ていると、おのずとわかってくることがある。まず第一に、とんでもない追い風であろうが何であろうが、400〜500ヤードのドライビングショットを打たないと「記録」としてリストアップされないらしい、ということ。
第二に、ティーショットの飛距離は昔からゴルファーの関心事であったらしい、ということ。一九三〇年代のデータがちゃんとリストアップされているのである。飛ばすことに熱中するのはゴルファーの本能のようなものなのだ。
それにしても、だ。
いかにフォローの風に助けられたとはいえ、500ヤードのティーショットというのは、凄《すご》い。
ジョージ・ベイヤーというアメリカ人のゴルファーがオーストラリアのどこのゴルフコースでこの記録をマークしたのか。そこまでは書かれていないが、そのゴルフコースには間違いなくすさまじい風が吹き荒れているはずである。その風のなかでベイヤー氏はティーショットを打ち、風に舞うようにボールの落下点まで走っていたに違いないのだ。そして500ヤードだ、こいつは本当に500ヤードも飛んだんだと大声でわめき、クラブハウスに戻るとすぐにそのことをR&Aに報告するよう支配人に命じたのである。
こういう記録を見ると、ぼくはもうひとつ知りたくなることがある。589ヤードという、とんでもない距離のロングホールでベイヤー氏が500ヤードのティーショットを打ったことはわかった。チップショットでツー・オンできる距離だった、ということもわかる。それでは実際のところ、そのホールのスコアはどうだったのか?
チップショットはフォローの風に乗り、はるかにグリーンをオーバーしてしまったのではないですかね。
よくあるケースなのだ。このホールはバーディー、あわよくばイーグルだ、などと思っているとグリーンの周囲を行ったりきたり。結果はダボだったりして。
ぼくは風の強い日のゴルフが嫌いではないから、打ったボールが実際のところどれくらい風の影響を受けるものなのか、おおよそのことはわかっている。
簡単な公式があるからだ。
それによると時速1マイル(1・6キロ)の風が吹くと1・5ヤード、飛距離が影響を受ける、というのだ。日本では風の強さは秒速で表現し、メートル単位であらわす。風速10メートルといった具合だ。これは時速36キロでマイル単位でいえば時速22・5マイル。けっこう強い風である。ちなみにヨットレースが行われる海の上で10メートルの風が吹くと、セイラーたちは喜ぶ。かれらが日常使っている単位でいうとこれはほぼ20ノットの風が吹いていることになり、ヨットは滑るように奔《はし》り始めるからだ。
フェアウェイで、今日は結構、強い風が吹いているなというときが10メートル前後で、その風がフォローになれば《22・5マイル×1・5ヤード》、つまり約34ヤードの飛距離アップにつながるわけである。
もっとも、ぼくは10メートルに近いフォローの強風が吹いているからといって、すぐに使うクラブの番手を変えたりはしない。
なぜならば、ダブルボギーゴルファーは必ずしもボールをクリーンヒットできるとは限らないからだ。HA、HA、HA、である。
クラブ選択は「風」と「その日の当たり具合」、それにもうひとつ「クラブとの相性」も兼ねあわせるという、相当に複雑な計算をした上で決定されるのである。そのあたりの計算にもっとも長《た》けているのが、ダブルボギーゴルファーという人種である。
ハワイを襲ったハリケーン・イニキに関して、別のレポートがあった。それによるとカウアイ島を直撃したイニキは数千人の観光客を島に閉じ込め、島の家屋の約三分の一に損害を与えたという。狂ったような強風が吹き荒れたのだ。
そして、その風の強さは風速64メートル!
最大瞬間風速は80メートルを記録した、というのだ。
これはすごい。
ぼくが即座に、ティーショットされたゴルフボールがその風によってどれくらい影響を受けるものなのか計算したこと、いうまでもない。
なにしろ風速64メートルなのである。
時速でいえば時速230キロに相当する。新幹線なみの風が通過していったのである。マイルで計算すると、約144マイル。ティーショットをフォローで吹く144マイルの風に乗せれば、前記の公式によって216ヤードのゲインとなる。通常200ヤードのドライビングショットを打つ人でも416ヤードのドライビングショットを記録できるわけだ。
わくわくしてくるではないか。
問題はただ一つ。
それだけの風が吹くなかに立ち、ボールをティーアップできるか、ということだけだ。
スコットランドにて
ゴルファーには二つのタイプがある。
第一のタイプのゴルファーはひたすらスコアを追求し、そのためにはあらゆる努力を惜しまない。テレビでゴルフのレッスン番組があれば、何をさておいても見るし、有名なプロゴルファーのレッスン書はあらかた読んでいる。仕事にかこつけてゴルフができるチャンスを見つけようと常に虎《こ》視《し》眈《たん》々《たん》。会社の帰りに酒に誘われても、今日はちょっとプライベートな用事があるからといって断り、その足で練習場に立ち寄りボールを打つこともある。ボールを打たない日でも素振りを欠かさず、眠りにつくときには理想的なスイングを思い浮かべイメージトレーニングを怠らない。
程度の差はあれ、とにかく1打でもスコアを縮めようと、そこに向かってひたすら努力を積み重ねていくわけである。
しかし、すべてのゴルファーがそうかというと、答えは否、である。
スコアがよくなることを半ばあきらめてしまったゴルファーも、世の中にはいる。スコアは100を切れる程度で十分。一日のラウンドでボギーの数がダブルボギーの数を上回っていればそれだけでけっこう満足できてしまうというゴルファーである。
そのかわり、かれらはスコアとは別のところでゴルフに情熱を傾けている。
例えば、ぼくの知り合いの一人はゴルフのレッスンビデオを山のように集めている。そもそもはうまくなりたい一心で集めたのだが、ビデオを見ていてもうまくなれるわけではないことに気づき、スイングの研究のためというよりもむしろレッスンビデオのコレクションを完成させることに情熱を傾けはじめたのである。
ゴルフのクラブを何種類も持っているアマチュアゴルファーもいる。
スコアがよくならないのはクラブとの相性がよくないからだという理由で次から次へとクラブを変えてきたのだが、スコアは一向によくならず、そのうちにその日の気分によってクラブをミックスさせるようになった。今日はフェアウェイの狭いコースだからウッドはマルマンにして、ロングアイアンはマクレガー、ショートアイアンはホンマでまとめてみよう、という具合である。コーヒーの豆をブレンドするようなもので、ミックスの仕方によって違ったゴルフが楽しめるというのだが、どうだろう。こうなるともうスコアよりもクラブの感触を楽しむゴルフになってしまう。遊びの感覚が勝っているゴルフである。
以前、スコットランドに取材に出掛けたとき、パブリックのゴルフコースで地元の老ゴルファーと一緒になった。
取材旅行のついでにゴルフをするとき、こちらは一人、カメラマンかエディターが加わっても二人ということが多いから、必ずといっていいくらい誰かがフォアサムに加わってくる。耳慣れない言葉で会話をしなければならないのだが、こういう場合はむしろそれを楽しむくらいでないといけない。
それはともかく、ぼくは例によってクラブをレンタルし、スニーカーでコースに出た。
一緒に回ることになったスコットランドの老ゴルファーがスタートホールで素振りをしていた。かれの振っていたクラブを見たときに、ぼくは思わず聞いたものだ。
「それはいったい、何ですか」
かれはパーシモンのヘッドにヒッコリーのシャフト、というクラブを振っていたのである。スチールシャフトのクラブも少なくなってしまった時代にヒッコリーというのが珍しい。
「見たいかね?」
かれは、その質問を待っていたという感じで笑顔を浮かべ、何からなにまで「ウッド」のクラブを手渡してくれた。
ヘッドは小さめで、黒光していた。そうとう使い込み、磨きあげたというクラブである。グリップのところはレザーが巻かれ、なかなか「いい顔」をしたクラブだった。
「これを使うんですか?」
「もちろんさ」
「振ってもいいですか?」
「かまわんよ」
ヒッコリーシャフトのクラブは材質のせいか軽く感じられた。
ヘッドが小さいから抜けていく感じもいい。
「しかし、これで力いっぱいボールを叩《たた》いたらシャフトが折れてしまうんじゃないかな」
ぼくがそういうと、かれはにこにこと笑ってバッグからボールを取り出した。
そして、どうだと自慢するようにボールを見せてくれるのである。
そのボールもまた、変わっていた。
ディンプルらしいものが刻まれているのだが、それはディンプルというよりもボールの表面に丹念に溝を掘ったという感じである。持ったときの感じは普通のゴルフボールよりも軽いような気がした。
「このボールを使えばシャフトは折れない」
かれはいった。
「ガータパッチャですか?」
「昔のガータパッチャとはすこし違うが、まあ、似たようなものだと思えば間違いないな。ガータパッチャを知っているのか?」
「見たことはないですけどね。名前くらいは知ってますよ」
ガータパッチャというのは現在のようなゴルフボールが作られる前に使われていたもので、一言でいえばゴムを固めて作ったゴルフボールのようなものである。
「ガータパッチャ」というのはそもそもは木の名前で、日本ではグッタペルカとも呼ばれている。ガータパッチャもグッタペルカも読み方が違うだけで同じスペルである。アカテツ科に属する樹木で、この木からとれる乳液を乾燥させ、電気の絶縁材として使われていたこともある。
そのガータパッチャを鋳型に入れ、圧力をかけて固いボール状にしたものが、かつてはゴルフのボールとして使われていた。通称、ガータパッチャ・ボールである。
かれはそのガータパッチャに似たボールを使い、ヒッコリーシャフトのクラブでゴルフをしようというのだった。
半端なゴルフ好きではない。
かれの話によると、スコットランドではアンティークのクラブを使ったクラシックスタイルのトーナメントがあるのだという。
どのあたりの時代までさかのぼればアンティークのクラブと見《み》做《な》されるのか、そこまでは聞かなかったが、おそらくスチールシャフトが登場する以前のクラブを使ったトーナメントなのだろうと、ぼくは想像した。ゴルフバッグを覗《のぞ》きこむと、ヘッドにはアイアン(鉄)が使われているがシャフトはすべてヒッコリーかアッシュ(トネリコ)だったからだ。トネリコの木がゴルフクラブのシャフトとして使われることもあったらしい。いずれにせよ、ウッドのシャフトであることにかわりがない。
「これだけのアンティーククラブを揃《そろ》えるだけでも大変なことですね」
ぼくは敬意を表していったものだ。
アンティークのクラブは高価だと思い込んでいたからだ。
「そう思うかね」
かれはまたうれしそうな表情を浮かべた。
「だって、そうとうに高いんでしょ」
「まあ、なんというか、モノによるな。本物のアンティークは高いさ。しかし、そんなものを使っていたらゴルフにならない。シャフトが折れるかもしれないと、そんなことばかり心配しなければならんからな。これはみんなレプリカだよ。本物のアンティーククラブらしく作ったものでね、町のゴルフショップに行けばどこにでも置いてある」
「そういうものですか……」
「だから試合もできるのさ。スコットランドにはこういう道具を使ったゴルフが好きな連中がけっこういるからね。本物のアンティークでなければ試合に出られないなどといったら、皆怒りだすよ」
見ていると、のんびりとしたゴルフである。
ドライバーで250ヤード飛ばさなければ納得できないというようなゴルフではない。パー4のホールは刻んでいっても自ずと三打でグリーンにボールが乗るだろう、というペースである。
ただしそれは三打つづけてちゃんとしたボールが打てたときの話だ。
アイアンのヘッドは溶かした鉄を鋳型に流し込んで形を整え、溝を刻んだという素朴さだから現代のクラブと比べればバランスはよくない。きっちりとスイートスポットでボールをとらえないとイメージどおりの飛距離も出ない。四打でグリーンに乗せ、ツー・パットのダブルボギーでホールアウトできれば上出来というゴルフである。
「いつもこのクラブでゴルフをしているんですか」
ぼくは聞いてみた。
「そういうわけでもない」
かれはいっていた。
「普通のゴルフもやるさ。しかしこの道具を使っていると飛距離が出ないとか、ボールが真っすぐに飛んでいかないとか、そういったことでハラが立たないところがいい。飛ばないのは当たり前だし、クセの強いクラブだからグッドショットもめったにない。誰が使っても真っすぐに飛ぶといわれているクラブでスライスが出たときの腹立たしさを思えば、このほうがずっと体にいい。違うかね? ッハハハハ」
こういう理屈が出てくるところから類推すると、かれもまた年季の入ったダブルボギーゴルファーである。これを使えば誰でもスコアが縮まるというクラブを手にしたこともあるに違いない。ところがそれでもめざましい上達が望めず、それならいっそアンティークのクラブを使った趣味のゴルフに走ったほうがいい……。
そういうコースを辿《たど》ったのではないだろうか。
その日、ためしに一度だけヒッコリーシャフトのクラブでボールを打たせてもらった。
手渡されたのはダイアモンドバック・アイアン。
そういう名前がつけられているクラブなのだという。
シャフトの長さからするとミドルアイアンといったところだろうか。ヘッドが小さく見えた。フェイスは横長でアイアン特有の丸みがないせいだろう。ヘッドの後ろ側はセンターに向かって尖《とが》っていて、山の頂上のよう。その形のせいでダイアモンドバック・アイアンという名前がつけられたのだろう。シャフトが軽いせいもあってみごとな低重心である。
スイートスポットでボールをとらえるとグッドショットになるという話だったが、おそるおそるのスイングはスイートスポットを外し、ボールはフックして手には痺《しび》れがきた。シングルハンデのゴルファー向きだというホンマのクラブよりも扱いにくいのはたしかである。
考えてみれば、昔のゴルファーは皆、難しいクラブを使っていたのである。
フェイスでボールをとらえさえすればまず曲がらない、などというクラブはなかった。
ただ振り抜けばいいというようなサンドアイアンもなかった。
飛ぶボールもなかった。
だけれども、けっこういいスコアが残されている。
アンティークのクラブでボールを打ってみたあと、ぼくは長い歴史を誇る全英オープンの記録を調べてみた。
例えばここ数百年、ほとんどコースが変わっていないセント・アンドリュースのオールドコースで行われた全英オープンの優勝スコアをチェックしてみると面白い。比較的最近の例でいうと、一九八四年にセベ・バレステロスがここで四日間トータル、276というスコアをマークしている。ジャック・ニクラウスはここで二度優勝している(一九七〇年と七八年)が、そのときのスコアは283と281だ。
十九世紀の記録を見てみると、同じセント・アンドリュースのオールドコースで行われた全英オープンで二日間、166という優勝スコアが残されている。ヒュー・カーカルディーというゴルファーが一八九一年にマークしたものだ。18ホールに換算すると83。ニクラウスが優勝したときのスコアが18ホールあたり約70といったところだから、約百年のあいだに第一線のプロゴルファーはハンデを13縮めたことになる。
さすが、現代のゴルファーはレベルアップしているともいえるが、ぼくはあの時代にオールドコースで平均83のスコアを出したカーカルディーのレベルも高いと思う。質の悪いボールとコントロールしにくいクラブでそれだけのスコアを残しているからだ。
ぼくは帰りがけにレプリカのアンティーククラブを三本、買ってきた。
扱いにくく、これ以上はないというくらい難しいクラブを使って大叩《たた》きする快感を味わおうとしたのだが、まだ実際には試していない。ガータパッチャのようなボールが見つからないからだ。ドジな話だけれどクラブだけ買って、ボールのことは忘れていたのである。
フラストレーション
フラストレーション
クワイエット・プリーズ。お静かに、という言葉がついてまわるスポーツはゴルフと、それにテニスぐらいのものだろう。プロゴルフのトーナメントではゴルファーがアドレスに入ると《QUIET PLEASE》という札がギャラリーに向け掲げられるのが常になっている。
千駄ケ谷の東京体育館にテニスのトーナメントを見に行った。セイコー・スーパーテニスである。いつも感じるのだが、ここで行われるテニスの試合はナーバスな雰囲気に包まれる。
ひとつにはインドアのせいだろう。外の音がシャットアウトされているから、ちょっとした物音も館内に響きわたってしまう。椅《い》子《す》がきしむ音や咳《せき》払《ばら》い。サーブを打とうとしていた選手がその雑音を嫌ってプレーを中断することもある。肩のこるクラシックのコンサート会場にいるのではないかと錯覚してしまうほどだ。
数千人の観客がじっと、息をころすようにしてコートを見下ろしている。
そのなかでプレーするのはどういう気分なのだろう。
ダブルスの試合を見ていたら、コートの上でペアを組んでいる二人の選手がひそひそと、まるで囁《ささや》くように会話していた。ストレスがたまるだろうな、と思う。開放的になれる雰囲気ではないからだ。
どのテニス・トーナメントも同じようなものかというと、そうでもない。アウトドアの、ハードコートの上で行われるUSオープンは賑《にぎ》やかな大会で、近くにニューヨークのラ・ガーディア空港があるからしばしば上空をジェット機が通過する。その音たるや、すさまじい。選手に対する拍手も盛大だが野次やブーイングは当たり前、声高なお喋《しやべ》りも聞こえてくる。さすがに選手がサーブを打つ体勢に入ると静かになるが、いいプレーが出るとまだそのポイントの勝負に決着がついていないのにスタンドからはどよめきや歓声、口笛までが聞こえてくる。
マナーとしては東京体育館の観客のほうが上である。お静かに、といわれれば日本人は静《せい》謐《ひつ》そのものの環境を整えることができるからだ。しかし、選手のストレスは逆に高まる。ショットのミスが出たときや痛いポイントを落としたときに発する選手の絶叫が檻《おり》に閉じ込められた動物の叫びのように聞こえてしまうのだ。
テニスとゴルフは、対戦相手と直接的なコンタクトがない、という点で似ている。サッカーやラグビーは激しくぶつかってボールを奪いあうのだが、テニスやゴルフにはそれがない。しかもテニスのシングルスとゴルフは、一人でたたかわなければならない。
これは何を意味するか?
誰にも当たりようがないのである。腹立ちまぎれに《敵》に対してチャージすることができない。フラストレーションがたまって当然だ。
つい最近、宮崎でタクシーに乗った。近距離だったが行楽日の渋滞に巻き込まれ、のろのろ運転。そのうちに冬でも暖かい宮崎に東京からやってきたあるゴルフ客の話になった。
その客は夜中の一時に無線でタクシーを呼んだ。その時間から遊びに出るのではない。これから東京に帰るというのだった。
「昼間、仲間とゴルフをして、どうもうまくいかなかったようなんですね。ホテルに戻って飯を食ったのはいいんだけど、そのうち酒も入って、昼間のゴルフのことで喧《けん》嘩《か》になったらしい。その場はなんとかおさまって自分の部屋に戻ったんだけど、考えれば考えるほど腹が立ってきて、翌朝みんなと同じ飛行機で帰る気になれない」
「だからって深夜にタクシー呼ぶかね」
「私じゃないんですけどね。うちの運転手はとりあえず博多まで行こうとしたらしい。ちょうど朝の新幹線に乗れますからね。ところが、新幹線もいやだと、このまま東京まで走ってくれというわけですよ」
「で、東京までいったわけ?」
「メーターで三二万円出たっていってましたね。会社にタクシーをつけて、金庫のなかから現金を出してきて払ってくれたそうですよ。帰りはフェリーに乗って眠ってきたっていってましたね。メーターで三二万っていうのは、おそらく破れない記録でしょうね」
ぼくはその日のゴルフで何が起きたのか、そこを知りたくなった。誰の顔も見たくない、宮崎から東京までタクシーで帰りたくなるようなことがあり、それが原因で喧嘩までして、そのゴルファーは深夜にタクシーを呼んだのである。相当なフラストレーションがあったに違いない。
「それだけは話してくれんかったみたいですね。いろんな話をしながら東京まで走ったけど、ゴルフの話だけはしなかったらしいですよ。そういうもんですかね。お客さん、今日はゴルフじゃないんですか?」
運転手はそういってニヤリと笑ったものだった。
ミステリー
ゴルファーは秋の夜長をいかに過ごすべきだろうか。
ロッキングチェアに身体《からだ》をあずけ、パイプの煙を漂わせながらドライバーのシャフトを磨くというゴルフ友達は、ぼくにはいない。シャフトを磨くくらいだったら腕を磨け、という連中ばかりだ。だいたい皆、パイプとかロッキングチェアといった、あの雰囲気を作りだすための小道具を所有していないのである。
ぼくにしてもロッキングチェアでゆったりと読書という趣味はないが、ある晩、ジャン・レイの書いたゴルフにまつわる奇《き》譚《たん》集《しゆう》を読んでみた。
ぼくの不勉強のせいなのだろうが、いわゆる「ゴルフミステリー」なるものを読んだことがない。ゴルフばやりなのだから『マスターズ殺人事件』や『サドンデスの謎《なぞ》』『ダブルボギーは殺しの暗号』といったようなタイトルのペーパーバックがキオスクあたりで売られていてもよさそうな気がするのだが、目についたことがない。ゴルフはミステリーに仕立てあげにくいのだろうか。
それはともかく――。
ジャン・レイはベルギー生まれの作家で「幻想文学の鬼才」と位置づけられている。もともとは船乗りだったのだが、その後ジャーナリストになり、やがては小説も書き始めた。一九六〇年代の半ばには亡くなっているから、しばらく前の書き手である。
この人はどんな話でもオカルト的な処理をほどこしてしまうところがあり、だから幻想文学の鬼才といわれるわけだが、かれにいわせると「ゴルフはたんなるスポーツではなく、呪《のろ》いなのである」という。
こういう文章に接すると、ぼくはニヤッと笑いたくなる。
そうかゴルファーは呪われていたのか、と手を叩《たた》きたくなってしまうのである。だからあの時のピッチショットがダフってグリーン手前のバンカーに入ってしまったのだし、最後のホールのドライバーショットがスライスして林の向こうのOBエリアに飛び込んでいってしまったのだ。やはりゴルファーは呪われていた、と納得したくなるのがアベレージゴルファーという人種である。
あらかじめ注釈をつけておくべきだろうが、ジャン・レイは真《ま》面《じ》目《め》に幻想小説を書いてきた人である。かれの書くオカルティックな幽霊話には凄《すご》みがある。その人が『ゴルフ奇譚集』(邦訳は白水社刊、秋山和夫訳)を書いている。ページをめくってみたくなるではないか。
はっきりいって、どれもこれもが面白いというものではない。もってまわったようなペダンティックな言い回し、理屈でストーリーを作り上げてしまう強引さなど、この手の本を読み慣れていない人にはけっこう読みづらいところがあるかもしれない。
しかし、著者のジャン・レイがけっしてシングルハンデのゴルファーではなかったなと確信できる短編がいくつかある。
例えば『ゴルフ・リンクスの殺人者』と題されたストーリー。これはゴルファーが次々と殺されていくというシチュエーションから始まる短編である。殺人はもっぱら《セブンヒルズ・ゴルフクラブ》で起きていたが、その近くの《ホワイトサンズ・ゴルフクラブ》にも殺人者の影が忍び寄ってきた。レティ・ジェイクスは《ホワイトサンズ》のメンバーで、女性だがゴルフの腕はいい。その日もいつものようにゴルフを楽しみ、帰ろうとするとパトカーが二台、猛スピードで《セブンヒルズ》に向かっていった。クラブきっての女流ゴルファー、モートン夫人が殺されたからである。恐ろしくなったレティが家に戻ると……
「動かないで、ミス・ジェイクス」と、声がした。「私の拳銃があなたの頭を狙《ねら》っています」
という状況なのである。ゴルフ・リンクスの殺人者が潜んでいたのだ。殺人者の風《ふう》貌《ぼう》、年齢は書かれていない。描写されているのはその男がパイプを愛用していることぐらいだ。殺人者はセブンヒルズの殺人は終わった、これからはホワイトサンズで、その手始めにホワイトサンズの女性チャンピオンであるレティを狙ったのだという。それにしてもなぜ、ゴルファーばかりを狙うのか。レティに聞かれた殺人者は、それはもっともな疑問だといって語り聞かせるのである。
「あなたにしても、それを知れば自分の死が全く無駄でないことを納得でき、まあ、ある哲学的な慰めを見出すこともできようというものです。ああ、ミス・ジェイクス。私もゴルフは大好きでした! そう初めはごく遠慮がちなものでした。時間あたり三シリングのミニチュア・ゴルフから始めたのですから。そして私はしくじってしまった。周囲の連中は大笑いでした。それほど私は下《へ》手《た》だったわけで……。あなたがプレーしているところは見ましたよ。たしかに素晴らしい腕前だ。ほんの数時間前にも、あなたはほとんどもう少しでやってのけるところだった。その……何て言いましたっけ……そうホール・イン・ワンというやつです。私はすっかりあなたに感心していた。そして同時に憎んでもいた……」
笑えるのはこういうところだ。
下手なゴルファーが嫉《しつ》妬《と》心《しん》からシングルハンデのゴルファーを殺した、というニュースが流れたら現代の日本では酒場のジョークのネタになるだろう。ジャン・レイ自身も奇譚集を書きながらひそかに笑っていたのかもしれない。こういうストーリーを作るのはシングルハンデのゴルファーではない。
ジャン・レイには特有のゴルフ観があったようだ。
『盗まれるボール』という短編には突然死に見舞われたゴルファーを調べる法医学者が登場する。死んだゴルファーは――「心臓はコンクリート製、動脈はスチーム・エンジンのピストンの圧力にだって耐えようという代物だ。胃には不審を抱かせるものなど何一つ検出されんし、体には引《ひ》っ掻《か》き傷一つないときている。ただ、太陽に向かって棒きれのように倒れて息絶えているのがリンクスで発見されたということだ」。法医学者は不思議がるのだが、ゴルフ好きのスコットランドヤードの刑事はそれがどうした、というように語るのだ。
「ゴルファーというのは、他の人間と違うのだ。というよりむしろ、ふつうの人間ではなくなってしまうと言うべきだろう。その反応はしたがって通常の死体の反応とは、自《おの》ずから異なっている。思いがけないことが起こりうるのだ。リンクスの上に大きく虹が弧を描いてかかったためにわかに自分の力を失ってしまったゴルファーを知っている。それからホールから一メートルのところまで寄せているのに、何かが遠くに現れただけでゲームをおとしたゴルファーもいる」
皮肉たっぷりである。
幻想文学というよりもむしろブラックユーモアの味わいがある。
ところでぼくは、殺人事件など起きなくてもゴルフは十分にミステリーたりうると信じているゴルファーである。
フェアウェイに真っすぐに飛んでいったボールが見つからない、という経験をしたゴルファーが少なからずいることを、ぼくは知っている。いくら探しても、ボールが出てこないのだ。ミステリーである。
この場合、いくつかの可能性がある。経験的にいうと、
〓ゴルファーの目には真っすぐに飛んでいるように見えているが、それはゴルファーに特有の願望シンドロームによって引き起こされる錯覚で、じつは右や左のラフにボールが潜んでいる。
〓フェアウェイに棲《す》む小動物がゴルファーの目をかすめてボールをどこかに運んでしまう。あるいは前を歩いているゴルファーが知ってか知らずか人のボールをつま先で蹴《け》飛《と》ばしてしまう。
〓瞬時のうちにミステリーサークルを形成してしまうような風が吹き、ボールをいずこかへと運び去ってしまう。
〓単に探し方が悪いだけ。どこに目をつけとんじゃ、おまえのボールはそんな先まで飛んでない、というケース。
この中では〓〓のケースが比較的多いのだが、ボールがまるでブラックホールに吸い込まれたのではないかと思えるほど見つからないことが、ごくたまに、あるのだ。ゴルフにおける七不思議の一つである。
そうかと思うと、それとは逆の記録もある。
ゴルフにまつわる瑣《さ》末《まつ》な記録を網羅した文献をひもとくと、ワディーという名前の十一歳になるビーグル犬の話が出てくる。ワディー君は英国のブロークンハースト・ゴルフクラブのセクレタリー、ボブ・イングリス氏のもとでボール探しの特訓を受けたのだが、イングリス氏が一九八〇年にレポートしたところによると、ワディー君は十一歳という年齢になるまでに、なんと三万五千個のゴルフのボールを見つけたのだという。おそらくワディー君はゴルフボール探しの世界チャンピオンだろう。
そのワディー君の超能力に驚くとともに、ぼくがここで注意を喚起しておきたいのは、それだけの数のボールがゴルフコースのどこかに転がっていたという事実なのだ。その大部分はロストボールだろう。よくもまあ、それだけのボールをなくしたものだ。さらにいえば、その多くはラフや林の中、いわゆるフェアウェイから遠く離れたところで発見されたはずである。
ということは、つまり、
〓それだけ多くの、真っすぐにボールを打てないゴルファーがいるということであり
〓自分の打ったボールを見失ってしまうゴルファーがいくらでもいるということであり
〓ボール探しの能力を喪失してしまったゴルファーが増えている――ということを意味している。現代のゴルファーは怠惰になっているのだろうか。
これもまたミステリーである。
ゴルファーほど不思議な人たちはいない。
ぼくが知っているゴルファーにまつわる奇妙なエピソードを、もう少し紹介しておこう。
これは一九三八年というからだいぶ古い話だが、N・ベイシーというゴルファーがダウンフィールドというゴルフコースでプレーをしていた。問題はベイシー氏が今まさにアイアンショットを打とうとしたときに起きた。ボールが突然、動きはじめたのである。これはどうしたことか。ベイシー氏はそのボールを追いかけたが、つかまえることができなかった。なぜならば、かれ自身、身体《からだ》をスピンさせるようにして転んでしまったからだ。
原因は風にあった。とてつもなく強い風の吹いていた日のことで、つむじ風はベイシー氏を身体ごと吹き飛ばしただけでなく、木造の休憩所を60ヤード離れた11番グリーンまで運んでいき、そこでこなごなにしてしまった、という。フェアウェイの樹木も倒れるほどの風だった。
こういう話が好きなのはだいたいイギリス人である。
19番ホールのバーカウンターでスコッチやビターを飲《の》みながら真面目くさった顔つきで含み笑い、ジョークをいいあっているときには、こういった話をしているものだと思って間違いない。
「その、ミスター・ベイシーって男は休憩所を屋根ごと60ヤードも飛ばすような強い風の日にフェアウェイに出ていったというんだな、クックック」
「しかも風が休憩所をグリーンにオンさせてしまった。木が根こそぎもっていかれるような日にゴルフをやろうというんだから。愚かなことに」
などと話をしている19番ホールのバーの奥にある窓から外を見ると樫《かし》の木が強風にしなり、ベイシー氏を笑っているかれら自身が風にあおられ、とんでもないスコアでラウンドしてきたあとだったりするのである。
「そうまでして、人はなぜゴルフをやりたがるのかね」
「わからんね。フッフッフ」
答えはぼくにもわからない。
だからゴルファーは謎《なぞ》だらけだと思うのだ。ただ、若干の推測は可能だ。ベイシー氏がどの程度の腕前のゴルファーであったのか、ということまでは詳《つまび》らかではないが、ぼくはおそらく90〜100のあいだで回るゴルファーだったと思う。ハンデでいえば18から25といったあたり。ゴルフに最も熱中しやすいレベルである。そういうゴルファーでなければそんなに強い風が吹く日にフェアウェイに出ていきはしない。
こういう話はどうだろう。
一九六三年の夏、ハロルド・ケイルスというトロントに住むゴルファーがゴルフクラブのシャフトであやまって喉《のど》を突き刺し、六日後に亡くなった。かれはゴルフのプレー中にアクシデントに見舞われた。ちょうどバンカーショットを打ったところだった、という。
なぜバンカーショットを打ったときにシャフトが喉に突き刺さってしまったのか。これはゴルファーの想像力を刺激するシチュエーションである。バンカーの砂に深く打ち込み、シャフトが折れてしまった? めったにあることではない。ヘッドがとれてしまうことはあるだろうが、バンカーの砂でシャフトが折れることはない。
では、いったい何が起きたのか。
ケイルス氏はバンカーから出るなり、近くに立っていた木に向かってクラブを叩《たた》きつけたのだ。バンカーショットに失敗してボールはグリーンのはるか向こうまで飛んでいってしまったのかもしれない。
役立たずのサンドウェッジだ!
おまえなんかこうしてやる!
かくしてサンドウェッジは木の幹に叩きつけられ、シャフトは折れ、それがゴルファーの喉に……。
不幸な話だが、これにもゴルファーの謎が含まれている。
ゴルフをしない人にとってはケイルス氏の行動が到底理解できないだろうと思う。バンカーショットに失敗しても、次にまた打てるんでしょ? 失格してしまうわけではないし。なぜ、わずかに一打のことでそこまで腹を立てるの? ゴルファーって、短気な人が多いんですか?
そんなことはない。ゴルファーが気短なのではない。しかし、あのバンカーショットの失敗というやつは腹に据えかねるところがあって……と一応、説明はできる。ゴルファーにはケイルス氏の行動がわからなくもないのだが、しかし、である。ゴルファーはなぜ失敗をクラブのせいにしたがるのですかね。
これも深く考えていくとわからなくなってくる。
もう一つ。これは最近発見したデータである。
ブライアン・バーンズというプロゴルファーが一九六八年の、サンクロードで行われたフレンチオープンの第二ラウンド、8番のショートホールでじつに15打という記録を残している。
パー3ホールでプロゴルファーが15打? これは信じがたい。何があったのか、調べてみると、ますますわからなくなってくるのだ。
かれはそのホール、ワンオンしている。残すはパットのみ。そのファーストパットでかれはちょっとしたミスをしている。パットしたボールがまだ完全に止まっていないうちにピックアップしてしまったらしいのだ。ボールが止まったところでマークしてボールを拾いあげるのならいいのだが、まだボールが止まりきらないうちにピックアップするのは、理由はともあれルール違反。ブライアン・バーンズは自からそのことを認め、自分で自分にペナルティーを課した。それでもまだ3打である。
わからないのは、そのあとだ。
記録によるとバーンズはその後、あとカップまで3フィートのところから12打を要したのだという。3フィートといえば、約1メートル。そのパットが入らない。
プロゴルファーが、である。
わずかに1メートルのパットを沈めるのに12打もかかった。
こんなに不可解なことって、めったにあるものではない。
ゴルフでは――アベレージゴルファーであるぼくはよく知っているけれど――そういうことが起きてしまうのだ。
ゴルフは永遠のミステリーなのである。
賭け《ベツト》はオン・ザ・ロックで
野球を見ているときにいつも思うことはバッターボックスから外野のフェンスまで一〇〇メートル前後、ゴルフならピッチングウェッジか9番アイアンでオーバーフェンスしてしまうのに、なぜホームランはなかなか打てないのだろうか、ということだ。
その理由がわからないわけではない。
野球のボールはゴルフのボールほど飛ばないものだし、ゴルフと違って野球ではピッチャーが打たれまいとして豪速球や変化球を投げてくるのだ。それをバットでとらえ、一〇〇メートル向こうの外野席まで運ぶのはむずかしい。
しかし、それに比べれば止まっているボールを打つゴルフなど簡単なものだということもできないところに、ゴルフの摩《ま》訶《か》不思議な面白さがある。マジメな話、じっとしているゴルフのボールを打つのが、なぜ、あれほどむずかしいのだろう。
わからない。
わからない、といえばバッターボックスから外野のフェンスまで9番アイアンを使えばだいたいいいポジションにボールを運ぶことができることをわれわれは知っているが、それでは野球のバットを使ってゴルフのボールを打ったときに一体、どれくらいの飛距離が出るものなのか、それもわからないことの一つだ。
一度試してみたいのだが、なかなかそのチャンスがないということが世の中にはいくつかあるもので、この、野球のバットでゴルフのボールを打つというのも、その一つだ。
どれくらい、飛ぶのだろう。
仮にドライバーでティーショットを打つ以上の飛距離が出るのだとしたらドライバーのかわりにバットをバッグに突っ込み、高さ70〜80センチの特製のティーを持参してセンター返しの要領で打ってみたいところだが、日本のゴルフ場でそういうことを許してくれるところは……まず、ないだろう。
しかし、資料は読んでみるべきものだ。
ゴルフに関する様々なエピソードを集めた本を読んでいたら、ティーショットで野球のバットを使った話が出てきた。
ジョン・モンターギュという名前のアメリカのゴルファーで、ニックネームは「ミステリアス」。自分の過去を一切語らず、写真を撮られることも嫌ったゴルファーだという。かれのゴルフの腕前はたいしたもので、プロにはならなかったが、アメリカ西海岸のゴルフ・フリークたちのあいだでは知られた存在だったらしい。あるゴルフコースで素晴らしいスコアをマークし、コースレコードを書き換える寸前までいったことがある。ところがかれは18番ホールの手前でボールをピックアップしてしまった。そんなことで騒がれるのがいやだった、というのだ。
そのジョン・モンターギュのゴルフ仲間にビング・クロスビーがいた。有名なエンタテイナーである。クロスビーはゴルフ好きで、すでに故人となっているが生前から自分の名前を冠したトーナメントを主催していた。そのクロスビーが若干のハンデをもらってモンターギュに挑み、敗れたとき、ハンデが足りなかったといったものだから、モンターギュが新たなハンデを考え出した。それなら、あと一ホール、勝負しよう、私にはゴルフの道具はいらない、バットとシャベル、それにレイキ(くま手。バンカーの砂をならすために使われる道具)があれば十分だ――といったのである。
クロスビーは、そういった申し出を断るような人ではない。
かくして奇妙なゲームが始まったわけである。
モンターギュはティーショットで野球のバットを握り、ゴルフのボールをトスして、ノックするように打った。ティーアップはしなかったわけである。
知りたいのはそのときの飛距離だが、資料によると350ヤードであったという。
けっこう飛ぶものなのだ。
ジョン・デイリーのドライバーショットに対抗するには野球のバットを持ち出すしかないのかもしれない。
モンターギュのゴルフは、しかし、そのバットによるドライバーショットだけでは終わらない。かれの350ヤードのショットはパー4のホール、グリーン手前のバンカーにつかまってしまった。クロスビーは普通のティーショットでドライバーと7番アイアンを使い、ツー・オン。ピンまで四〜五メートルのところにつけた。
モンターギュはボールをバンカーから出し、ピンに寄せなければならない。そこでモンターギュが使ったのはシャベルである。大きな穴を掘るのに使えそうなシャベルをかつぎ、バンカーのなかへ。アドレスして、テイクバック。砂を払うように叩《たた》きだすと、ボールはピンから六フィートというから約一・八メートルのところに寄っていった。
クロスビーのファーストパットはカップをオーバー。それを見たモンターギュはレイキを持ち出し、金具の先端でパット。きっちりとカップに沈めて、バーディーをマークした。
クロスビーが呆《あき》れた顔で財布を取り出し、賭《か》け金を払ったこと、いうまでもない。
パットではないが、あのリー・トレビノもドライバー以外の道具を持ち出してティーショットを打ってみせるのを得意技にしていた時期がある。
まだプロゴルファーになる前のことで、トレビノはテキサスのゴルフ場でアシスタントプロの仕事をしていた。
トレビノはベットの好きなゴルファーだ。
ベットとは賭けのことである。
若かりしころのトレビノは、これはというゲストを相手にベットを挑み、持ち前の才能を発揮しては生活費を稼いでいた。そんなに大金を賭けていたわけではないからギャンブラーというほどのものではない、とトレビノはいっているがかれの個性はそのころからきわだっていた。
ユニークなのは、かれが余興でもちょっとしたベットをやっていたことだ。
その道具がドクター・ペッパーのビッグボトルだった。ファミリーサイズの大きな瓶である。それを持ち出して、パー3のショートゲームで賭けないかというのだ。
トレビノはその瓶でティーショットを打つ。ただし、割れないようにテープをまきつけたうえで硬いゴルフボールを打つのだ。ゴルフが滅法うまいアシスタントプロという評判が立っていたが、いくらトレビノでもドクター・ペッパーのボトルじゃロクなティーショットは打てまいと、ベット好きはトレビノの提案に乗ってくる。
すると――
トレビノは右手にドクター・ペッパーのボトルを持ち、左手でボールをトスしてクリーンヒット。距離は確実に100ヤード。高い球も低い弾道の球も打ちわけ、ときには120ヤードを越えることもあったという。
こういう話はバカバカしくも、面白い。
ドクター・ペッパーのボトルならユニークさで賭けが成立するに違いないと考えるトレビノのアイディアがいいではないか。
ぼく自身、ベットが嫌いではないから、この種のユニークなベットを申し込まれたら、まず間違いなく乗ってしまうだろうと思う。
賭けの名人はどこにでもいるものだ。
日本人は、かなりベット好きな民族ではないかと思う。
ゴルフの賭けでいうと最も古くから行われ、オーソドックスなのはナッソウと呼ばれているものだ。ストロークプレーでゲームを行い、アウトの9ホールのスコアで一握り、インの9ホールで一握り、最後に18ホール、トータルのスコアでも争う。合計三ポイントで争われるベットである。もちろん、ホール・バイ・ホールのマッチプレーでナッソウを争ってもいい。どちらが、いくつのホールをとったかで争えばいいわけだ。
そういったオーソドックスなベットではなく、ユニークな賭け方もある。
ぼくは一度、《ラスベガス》というベットで痛い目にあったことがある。これはそもそも誰が考えだしたものなのか、ラスベガスという名前がついているが多分、賭け好きの日本人のゴルファーが思いついたのではないかと、ぼくはにらんでいる。けっこう、ルールが細かいからである。
ラスベガスではまず、一緒にラウンドする四人がふた組に分かれる。それぞれの組、二人のスコアでポイントが決まるのだが、そのポイントの決め方が変わっている。
例えばA組の二人がミドルホールでそれぞれボギー、ダブルボギーを叩いたとしよう。スコアは5と6である。すると、その組のポイントは《56》ということになる。他方、B組の二人のうち一人がパーの4でホールアウト、もう一人がトリプルを叩いて7であったとする。ふたりの合計ストロークは11でA組と変わらないのだが、ラスベガスではB組のポイントは4と7を並べた《47》になる。そして《47》と《56》の差である9ポイントがそのホールでついてしまうのだ。
合計ストロークが同じなのに9ポイントも差がついてしまうって? その理不尽さがラスベガスの特徴である。
ラスベガスにはもう一つ、ルールがある。
バーディーをとると、相手の組の数字を入れ換えられるというものだ。先の例で、B組のパーをとったゴルファーがロングパットを沈めてバーディーを奪ったとしよう。B組のポイントは《37》である。そしてB組はA組のポイントを《56》ではなく数字をひっくりかえして《65》とすることができるわけである。この場合、どれくらいの差がつくかといえば――65マイナス37で、答えは28。一ホールでそれだけの差がついてしまうわけである。
そのあたりの計算をしながら他方でゴルフにも一所懸命にならなければいけないわけだから、これはなかなか大変だ。同じようなレベルの仲間で楽しむか、各ホールごとのハンデをきちっと決めておかなければ結果は一方的なものになってしまうだろう。
日本のマージャン好きが考えたにちがいないベットもある。
例えば、平和(ピンフ)である。フォアサムのなかの三人のスコアがそれぞれ4、5、6と続くと――マージャンを知っている人はわかるように――ピンフという役が成立する。そして残された一人のゴルファーが8や9という連続せざるスコアをマークすると(ミドルホールで2打のイーグルでも同様だが)、そのゴルファーが他の三人に「罰金」を払わなければならない。
これなどはベットのローカルルールのようなものだろう。
ゴルフにおけるベットには、計算が複雑になればなるほどユーモアがなくなっていく、という法則が成立するような気がする。頭のなかで足し算や引き算ばかりしながらゴルフをしなければならないとなると、それだけゴルフがおろそかになるし、余裕がなくなってしまう。ぼくはゴルフのベットといえば、やはりナッソウが一番ではないかと思う。
世界で最も古いゴルフクラブで、ゴルフルールの改正といった面でも権威を発揮しているR&A(ロイアル&エインシェント)が例年発行している年鑑『ゴルファーズ・ハンドブック』に英国におけるユニークなゴルフのベットに関するエピソードが紹介されている。
二人のゴルファーが賭けをした、というのだ。
名前は定かではない。一人はローハンデプレイヤーだったというから、いわゆるシングルである。もう一人はダブルボギー・ペースで回るゴルファー。実力の差は歴然だが、ハンデはつけなかった。
そのかわり、ひとつだけ条件がついた。
ローハンデプレイヤーはティーショットを打つたびにスコッチ&ソーダを一杯、飲み干さなければならない、というのだ。ゲームの形式はマッチプレー。最後に勝つのはどちらか。
最初のうちは当然のようにローハンデプレイヤーが勝っていくだろう。しかし、徐々にスコッチが効いてくる。
『ゴルファーズ・ハンドブック』の記述によると、この二人は16番ホールにやってきたとき、一ホールの差で競り合っていたという。1アップリードしていたのがローハンデプレイヤーだったというから、スコッチを十五杯も飲みながら、なんとか持ちこたえていたわけである。残るは三ホール。
しかし、勝負はその16番のティーグラウンドでついてしまった。
スコッチ&ソーダを飲みつづけたゴルファーがついにそこで立ち上がれず、ダウンしてしまったからだ。
立ち上がれなくなるまで十五杯のスコッチを飲み、揺れるグリーン、二重、三重にも見えるカップともたたかいながら16番ホールまでやってきたゴルファーに、酔狂ではあるけれどユーモラスな、ゴルフ好きの究極の姿が見えるような気がするのだが、どうだろう。
ゴルフの賭けのなかに《タイタニック》と呼ばれる遊び方がある。アメリカのゴルフコースで耳にする言葉である。
これは池やクリークといったウォーターハザードにボールを入れてしまったときにチャンスがやってくるものだ。状況は最悪。しかし、そこから気を取り直してそのホールをパー、または(めったにないことだが)バーディーでホールアウトしたとき《タイタニック》が成立する。そのプレイヤーは他のプレイヤーからそれぞれワンポイントを獲得できる、というわけである。
それがなぜ《タイタニック》と呼ばれているのか、その昔、巨大なウォーターハザードである大西洋で沈没した豪華客船、タイタニック号の名前からつけられたものだとも考えられるが、実際のところはぼくにもわからない。
固有名詞がつけられたゴルフの遊びはほかにもあり、例えば《マーフィー》といえばパーオンを逃したゴルファーがチップショット、プラス、1パットでホールアウトすれば勝ち、というものだ。このときも他のプレイヤーからそれぞれワンポイントをもらえる。ただし、プレイヤーはあらかじめ《マーフィー》を宣告しなければならない。ここは絶対に寄せワンで決めてみせる、というわけである。失敗したら逆に全員にワンポイントずつとられる。これはマーフィーという名前の、チップショットを得意とするゴルファーがいたことからつけられたのかもしれない。
それはさておき――
ここに紹介しておきたいのは、もうひとつのタイタニックのことである。
タイタニック・トンプソンというゴルファーのことだ。
かれの名前はある日の早朝、プラクティス・グリーンに出ていったときに知った。
その日、一緒にラウンドすることになっていたフェニックスの商工会議所のメンバーが先にパットの練習をしていた。取材を兼ねてアリゾナの町を訪れたとき、息抜きのゴルフをセッティングしてくれた人である。
「このパットを一打で沈めてみせる。賭《か》けないか」
かれはうれしそうな顔でいうのだった。
ピンまでの距離は七〜八メートルもあっただろうか。プラクティス・グリーンだからアップ&ダウンはない。しかし、芝は荒れていたから、決してやさしいパットではない。距離もある。入るにしてもまぐれだろう。OKを出すと、かれは無造作に構え、ボールをすっと押し出した。
こんなに曲がるのか、と驚くほどのフックラインだった。
ボールはきれいにそのラインに乗り、カップに吸い込まれていった。
「どうだい」
かれは自信たっぷりである。
「フックラインには見えませんね」
「じゃ、もう一度やってみるか?」
かれはポケットからもう一つボールを取り出し、同じところから打った。ビテオテープを見ているのではないかと思えるほど、まったく同じラインを通ってボールはカップに向かって転がっていった。見事なパットである。
「まるでマジックですね」感心したようにいうと、たしかにこれはマジックなんだ、とかれはニヤリと笑っていうのだった。
「ここに来て見てごらん」かれはボールを置いたところにしゃがみこみ、芝目を読むようにしてカップを見た。同じ場所で屈み、目の上に手をかざしてよく見ると、カップに向かってフックするラインがくっきりと見えた。芝の上にボールの通り道が作られているようなものだった。
「朝、ここにホースがあった。昨日片付けるのを誰かが忘れてしまったんだろう。それを見て、タイタニックのようにやってみようと思ったんだ」かれはいった。
「タイタニック? 何ですか、それは」
「そういう名前のゴルファーがいたんだ。大昔のギャンブラーでね。ゴルフの賭けでは負けたことがない、というくらいの男だった。その男がプラクティス・グリーンでパットの賭けをするときにしばしばトリックを使った。前の晩にグリーンにホースを置いておくのさ。最近は使わないが、昔はかなり太いホースを使ってグリーンやフェアウェイに水を撒いていたからたっぷりとした重さのホースがどこのゴルフコースにもあった。そのホースをカップに届くように一晩寝かせておく。朝、一番に起き出してそいつを取り除くと、どうなる? ボールの通り道ができているというわけさ。それをさとられないように、やつは眠そうな顔でパットの練習をしている。そのうちにカモがやってくる……」
「フルネームは?」
「タイタニック・トンプソン。本人はプロにならなかったが、かれのキャディーをつとめながらゴルフの腕を上げ、ツアープロになったゴルファーが何人もいるよ。ベット好きのゴルファーのあいだではすごく有名な男だよ……」
面白いゴルファーがいたものだ。
調べてみると、タイタニックと呼ばれたゴルファーは、もっぱら賭けゴルフの収入で暮らしていたらしい。ふだん、練習でラウンドするときは必ず両手に手袋をはめ、日焼けしないように大きな帽子までかぶった。勝負しようというときに日焼けしていると、毎日のようにゴルフをしていると思われ、警戒されてしまうからだ。本名はアルヴィン・トーマスといったが、その名前を出すことはなかった。ゴルフに大金を賭けるゴルファーが集まるようなカントリークラブではタイタニックの名前と、すらりとした細身の男の顔は知られており、「被害者」が出るのを恐れてプレーを断られることもあった。
何をやらせても器用で、カード捌《さば》きはプロのギャンブラーを凌《しの》ぐほど。伝説によると、あるときクラブハウスのテーブルで胡桃《くるみ》を割って食べながら退屈そうにカードをシャッフルし、タイタニックがお喋《しやべ》りをしていた。カードも飽きた、何か面白いことはないかね。つまらなそうに最後の一個の胡桃を持ち、かれはいったのだという。「この胡桃をクラブハウスの屋根を越えた向こう側までおれが投げてみせる、といったらどうだ? 賭けに乗るかい?」
投げ上げれば風に流されてしまうほど軽い胡桃をクラブハウスの向こう側まで投げるって?
そんなこと無理に決まっている。タイタニックはよほど退屈してるに違いない。賭けが成立するとタイタニックはおもむろに立ち上がり、外に出て胡桃を投げる。
かれの手のなかにあった胡桃は勢いよくクラブハウスの屋根を越えていった。
最後の胡桃の中にはあらかじめ鉛が仕込まれていたからだ。その小道具を使うタイミングを、かれは物憂げな表情を見せながらじっと待っていたのである。
トリックにはご用心、という話である。
怒るゴルファー
つくづく思うのだが、最近、みな怒らなくなった。
怒る人を見るのは稀《まれ》だ。
知り合いの小学校の先生が、子供を本気になって叱《しか》ると親が出てくるのでやりにくいといっていた。子供が何をしたというのですか? ちゃんと学校に通っているのにやる気をなくさせることはないじゃないですか。この子には強くいわないでください。もう学校に行かないなんていいはじめたら困りますから……。
きっと家でも、子供に対して怒りという感情をあらわにすることがないのだろう。まあまあ、ですませてしまうのだ。
大人の社会でも同様だ。会社のなかでも本気になって怒る人がいなくなった。昔は半端な仕事をしているとこっぴどくどやしつけられたものだ。理不尽なほどむやみに怒る人がどこにでもいたのである。
子供のころはどこの学校にも「おっかない先生」がいた。もさっとした雰囲気で、声はあくまででかく、イントロなしに罵《ば》声《せい》が飛んできたものだ。あれはきっと教育的配慮だけでなく本人の資質も影響していたのだろうと思う。叱るのも教育の一環だと考えていただけでなく、怒りの感情を真っ正直に表現することをよしとするメンタリティーがかれらのなかに脈々と息づいていたというわけだ。
かれらは時として、自分の失敗まで他人のせいにして怒鳴り散らすこともあったりするからだいたい嫌われ者なのだが、まあここはひとつ穏便になどというファジーな態度はとらないからシロクロがはっきりしていた。
それにしても、なぜ怒りの感情をあらわにするという習慣がなくなってしまったのだろう。
酒場に行っても、いわゆる酒乱がいなくなった。おれは酔っ払ってるんだということを前提に隣の客に難癖をつけたり暴れたり、いいたい放題の酔客と出会わなくなってしまった。ナマの感情を出すのはダサイという風潮もある。なにごともさりげなく、スマートに処理するのが都会風だというのである。そして感情表出の起伏が小さい人間ばかりが増えてきてしまったわけである。
ゴルファーを見ていてもそうだ。
怒るゴルファーがいなくなってしまった。喜怒哀楽をはっきりと出すプロゴルファーも少ない。チップショットがカップイン、思い掛けぬバーディーやイーグルがとれたりすると破顔一笑、それぞれのやり方で喜びを表現するが、それとは逆に手痛いミスショットが出てしまったようなときは苦虫を噛《か》み潰《つぶ》したような表情を浮かべるというワンパターンの域を脱しない。
ひとつにはテレビのせいだろうと思う。トーナメントの主役たちにはいつもカメラがついているから、自分のミスショットに腹を立てキャディーに当たり散らしたりすればそれがそのまま映像として残ってしまう。どんなときでもお行儀をよくしていなければならないのだ。
ゴルフは紳士のスポーツだという「建前」がゴルファーの奔放な感情表出を妨げている、という面もある。ゴルフの楽しさ、喜びは素直に表現するが怒りをあらわにするのはジェントルマンらしくない、という常識がなんとなくできあがってしまっているわけである。
怒るゴルファーの話になるとしばしば引き合いに出されるプロがいる。
有名なのはトミー・ボルトで、かれは「サンダーボルト」(雷)というニックネームをつけられていた。突然、カミナリが落ちたように怒りだしクラブをへし折ったりするのである。USオープンでも優勝したことがあるほどのゴルファーだが、かれはギャラリーの前でヒステリックにわめきたてるのも平気だった。
怒りの原因はミスショットにある。
つまり、自分に腹を立てるわけですね。
トミー・ボルトは名言を残している。ミスショットでカッとなりクラブを放り投げたくなったときは必ず前に向かって投げろ、というのである。「なぜなら後ろに投げると取りに行くのにエネルギーの浪費になるから」
コンペやトーナメントの余興として「クラブ投げコンテスト」なるものが、アメリカのカントリークラブでは、行われることがある。ドライバーでもパターでも、ぶん投げてしまいたいクラブを好き勝手な流儀で投げ、その飛距離を競うのである。そういう余興が行われるようになったのはトミー・ボルト以後のことだ。
しかし、フェアウェイにおける怒りに関してはトミー・ボルト以上のプロゴルファーが何人もいる。
いい機会だから、ここにリストアップしておこう。
まずレフティー・スタックハウスのことを忘れるわけにはいかないだろう。
アーノルド・パーマー以前のプロゴルファーだから、かれの名前を知っているゴルフファンは少ないだろうと思う。トーナメントのテレビ中継のない時代だから映像は残っていないが、かれのフェアウェイにおけるパフォーマンスを今、あらためて見ることができれば珍プレー、ゴルフ版の貴重なキャラクターになったはずである。
スタックハウスはミスショットの腹立ちを他人にぶつけることはなかった。おおむね、かれは自分に当たった。おまえは何て馬鹿なやつなんだ、と自分に向かって怒鳴りつけ、拳で自分の顎《あご》を殴りつけるのである。
スタックハウスと同時代のケン・ヴェンチュリというプロが語っている――「レフティーがショートパットを外したときのことだよ。あいつは自分の顎にアッパーカットを食らわせた。それがみごとに決まってね、あいつは膝《ひざ》にきたようだったな。まっすぐ立ってられないんだから」
それだけではない。
「パターで自分の手を殴りつけるのも見たことがある。パットが入らなかった。するとレフティーはパターを左手に持ちお前が悪いんだといって右手を強打するわけさ。痛いだろうな。血が流れるくらい殴るんだから。それで終わりじゃない。今度はパターを痛い右手に持ち替えて左手に向かっていうんだよ。お前にだって責任がないわけじゃないんだぞ、ってね。そしてパターで左手も殴りつける。レフティーほどマジになって怒るゴルファーは見たことないね」
スタックハウスは持っていたクラブで向こう脛《ずね》を殴ることもあった。あるときかれは例によってパットが思うように入らず、腹を立てていた。ホールアウトしてパターを持ったまま次のホールへ。ティーグラウンドの横にボールウォッシャーがあるのを見つけると、その上に自分の手を置き、おまえが悪い、なんてやつだといいながら、パターで自分の手を叩《たた》いた。骨が折れるほど、である。
スタックハウスにまつわるエピソードはまだある。
ティーショットでとんでもないフックが出ると、近くの木に向かってパンチ。この手が悪い、いいか、おまえなんぞこうしてやる、といいながら思い切り木を殴るのである。
クラブに当たるのもしばしばだった。
あるときクラブメーカーの若い営業マンが新しいクラブを持ってトーナメントにやってきた。これを使ってみてくださいと、居並ぶプロたちにサンプルとして持参したのだ。
まだキャリアの浅い営業マンは、何の疑いもなくスタックハウスにもクラブを渡した。
それが間違いのもとだった。
新しいクラブを持ってフェアウェイに出たスタックハウスは、ホールアウトするとクラブを返却した。こいつは駄目だな、使えないよ、といって。営業マンがバッグを開けると、なかからはシャフトの折れたクラブばかりが出てきた。こんなもん、役に立たないといって、ラウンドの途中でスタックハウスが折ってしまったのだ。
フルセットのクラブが一シーズン、無傷のまま残ることは稀で、そのためスタックハウスはしばしば仲間のプロゴルファーたちからクラブを借りようとしたが、だんだんとクラブを貸してくれる仲間は減っていった。いい結果が出ないと、自分のものであろうと他人から借りたクラブであろうとかまわず当たり散らし、ウッドのクラブを焚《た》き火《び》のなかに入れ、燃やしてしまうからだ。
極めつきはテキサスのさるカントリークラブで行われた小さなトーナメントで起きた。たてつづけに池にボールを打ちこんでしまったスタックハウスは完《かん》璧《ぺき》に「切れた」状態。怒り心頭に発したスタックハウスは残ったボールを池に投げこみ、ゴルフバッグも池にぶん投げ、かたわらにいたキャディーの肩をつかむと池に突き落とし、最後には自分も池に飛び込んでしまった……のである。
カイ・ラフーンも怒るゴルファーだった。
この人もだいぶ昔のプロだから今ではさほど知られたゴルファーではない。ニックネームは「チーフ」。インディアンの血筋を引いていたのでそう呼ばれていたらしい。資料を見ると、一シーズンの平均ストロークで70を初めて切ったのがカイ・ラフーンだと書かれている。
そう書くとスコアの安定したゴルファーだと思いがちだが、実際のところは――どんなゴルファーにも当てはまるように――かれもまたミスショットに苦しみ、入らないパットに絶望することしばしばだったらしい。
「有名な話があるんだ」と、同時代のプロ、サム・スニードが語っている。
「トーナメントでパットが全然入らなかった。スコアはパットのおかげでがたがただった。カイ・ラフーンはそれをパターのせいにしたんだな。車の後ろにパターを縛りつけて、引きずりながら次のトーナメントが行われる町までドライブしたんだよ。いうことをきかないやつはこうしてやる、ということだね。気がついたらヘッドがどこかへ消えてシャフトだけが残されていたというんだ」
この話にはほかにもヴァリエーションがあり、ラフーンはじつはパターを車の後ろのバンパーあたりに結びつけたのではなく、運転しながらドアを開け、パターのヘッドを道路でこすりながらドライブしたのだという説もある。本人は、あれはパターではなくウェッジで、ドライブしながらエッジの部分を削っていたのだと「釈明」したらしいが、真相はわからない。ただし、トーナメントの帰り道、出来の悪いクラブを悪態つきながら「削る」のがかれのフラストレーション解消法であったことは間違いなさそうだ。
ドライバー・ショットが思うように飛ばず、腹立ちまぎれに投げあげたドライバーが木の枝にひっかかってしまい、それを叩き落とそうとアイアンを二本投げたらそれも枝にとられてしまった。仕方なく、残されたクラブでプレーを続けたというエピソードもラフーンにはある。
もう一人、クレイトン・ヘフナーというゴルファーの名前もここに紹介しておきたい。
スコアを崩すと頭に血がのぼり、もうやってらんねえといってボールをピックアップしてしまうのがヘフナーというプロだった。飛ばし屋のジョン・デイリーが試合の途中でボールをピックアップ、もうやめたといってクラブハウスに引きあげてしまったのは最近のことだ。デイリーはゴルフを侮辱するものだといわれて出場停止処分を受けた。今はプロゴルファーのマナーがうるさくいわれているが、ヘフナーの時代はそうでもなかった。だからしばしば、かれは試合を放棄したのだ。
トーナメントの初日、1番ホールのティーグラウンドに行くとトーナメント・ディレクターがかれをギャラリーに紹介した。そのアナウンスのなかで「ヘフナー」ではなく「ヒーフナー」といわれたことに腹を立て、最初のティーショットを打つこともなくキャディーにボールを拾うように命じ、そのまま車に乗って帰ってしまったこともある。
二つのバンカーに囲まれたグリーンに向かってヘフナーが290ヤードのセカンドショットを打ったときのことだ。かなり難しいショットである。ボールはバンカーのあいだを抜け、グリーンに転がっていった。プロにしか打てないというショットであったはずだ。ヘフナーがグリーンに行くとギャラリーから声がかかった。ラッキーだったね、あんた、というのだ。同じショットは何千年やってても二度と打てないだろうな……。
ラッキーだと? ヘフナーはその場では無言だったが、その一言に腹を立てた。最終ホールの最後のパットを沈めるとさっきの場所に駆けつけた。そして野次を飛ばしたギャラリーを見つけると、首をしめあげながらこういったという。
「いいか。二度とおれにあんなことをいってみろ、このゴルフボールをきさまの喉《のど》に押し込んでやる」
それもまた、ゴルフの一面だ。
最近のプロゴルファーは我慢強いのである。ミスしようがスリーパットしようがじっと黙って耐えるのみ、である。ストレスがたまるだろうな、と思う。たまにはクラブをへし折ってみればいい。どうせメーカーからの支給品がいくらでもあるのだろうから。
スキ・スキユキ
プロゴルファーの倉本昌弘が本格的にアメリカのPGAツアーに挑戦している。ライセンス取得のための試合で好成績を残し、ツアーに参加できることになったからである。
倉本が何試合ぐらいPGAのトーナメントに出場するのかわからないが、かれに期待するゴルフファンは少なくないだろうと思う。
ぼくもその一人だ。
日本のプロゴルファーはこれまでもくり返しアメリカやイギリスなど「海外」のトーナメントに「挑戦」してきた。挑戦という言葉をカギカッコでくくったのは、プロゴルファーの海外遠征にはこれまで眦《まなじり》を決して敵に挑むのだというニュアンスが強烈に漂っていたからである。
青木功や尾崎将司、中島常幸といった日本のトップレベルのゴルファーが、例えばマスターズに出場するようなときはそのニュアンスがさらに強まるのが常だった。マスターズに招待される日本のゴルファーは例年二〜三人。そのわりには多すぎるほどの取材陣がオーガスタのナショナルゴルフクラブに押し寄せびっくりされるという光景は、もう当たり前のものになってしまった。そして、ゴルフの祭典に挑む日本人ゴルファーのホール・バイ・ホールのたたかいぶりが、戦場の最前線にいる従軍記者のレポートのように大《おお》袈《げ》裟《さ》な形容句つきで報告されるわけである。
出場するプロゴルファーのほうにもマスターズのような、海外で行われるビッグイベントになると格別な気負いを見せるのがパターンにもなっていた。優勝は「悲願」であり、予選落ちは「無念」、決勝ラウンドに残れないと日本のゴルフそのものまでが否定されたような気分になってしまうわけである。
青木功はハワイアンオープンで優勝し、全米プロではニクラウスと最終日、最終組でラウンドし優勝を争った。そういう出来事のなかで、眦を決して「海外」に「挑戦」するという劣等感に苛《さいな》まれた者のガンバリズムはだいぶ影をひそめたが、しかしまだ、海を越えて本場で一旗、というメンタリティーは(ゴルフの世界だけではないのだが)残っている。
倉本昌弘というゴルファーには、どういうわけか、そういうニュアンスがない。わかりやすくいえば、かれには日本のゴルフ界やゴルフファンの期待を背負って何が何でも勝利をもぎ取ってやる、という気負いがない。少なくとも、その種の気負いが見えてはこない。
かれの性格のせいだろう。
あるいはそれが世代感覚というものなのかもしれない。
ジャンルは異なるし、世代も倉本よりもう一回りほど若くなるのだが、ジョッキーの武豊がくり返し語っていることがある。
武豊は、誰もが知っているように若くして日本のトップ・ジョッキーの座を不動のものにした。騎乗依頼が殺到するくらいの多忙な乗り役だが、時間を見つけては「海外」のレースに出掛けていく。アメリカ、フランス、オーストラリア……。いずれも競馬の世界でいえば――賞金額を別にすれば――挑戦しがいのある競馬「先進国」である。かれは、しかし「海外」で一勝でもして帰国すると「凱《がい》旋《せん》」と書かれることに、どうしようもないほどの違和感を抱いている。
「なぜ、海外に行って帰ってくると凱旋なのか、ぼくにはわからない。ぼくは関西で登録されているジョッキー。しょっちゅう関東に遠征している。東京競馬場に行って乗るのとアメリカの競馬場に行って乗るのと、ぼくにとっては同じことなんですよ。遠征に多少時間がかかるだけ。なのに、東京で一日に三勝してもそれが重賞でないかぎり大騒ぎしないくせに、海外で勝つとそれがどんなレースであっても大騒ぎする。それが不思議でしょうがない……」
同じようなメンタリティーをゴルファーの倉本昌弘も持っているのではないだろうか。
ゴルファーが、ちょっと場を変えてゴルフをしに行くだけなのだ。実力があり、コンディションもよく、気力も充実し、運に恵まれれば、日本のトーナメントで勝つことができるのと同じように「海外」でも勝つことができる……。
そういうとらえ方、思考回路が、時にはあっさりとしすぎたゴルフで物足りなさを感じさせることもある倉本にはあるような気がする。あらかじめグローバリズムというものが遺伝子に組み込まれている人間の、「場」に対するこだわりのなさが生みだすメンタルタフネスである。
だから倉本は、青木功や尾崎将司、中島常幸とは違ったPGAツアーとの付き合い方をしてくれるのではないかと思えてくるわけである。
そんなことを書いてきたのは、実は前置きだ。
だいぶ前の話だが不思議な日本人のプロゴルファーの話を聞かされたことがあった。青木功の絶妙なアプローチショット、決まるときはマジックとしかいいようのないパットがアメリカのゴルファーの間でも話題になっていたころである。
「やはり日本人はミステリアスなゴルフをする」
と、年配のアメリカ人のゴルフファンが日本から来たプレスであるぼくに向かっていったのである。
「日本のプロゴルファーを知っているんですか」
ぼくは聞いてみた。
「知ってるさ。ジャンボだろ、それにリトル・コーノ。まだいるぞ。実際にプレーを見たことはないが《スキ》といったかな、そういう名前のゴルファーの話を聞いたことがある。いや、なにかの本で読んだのかな」
「スキ、ですか? 知らないな」
「知らないのか? ずっと前のゴルファーだが……たしか日本人のプロで……そうだ、その男は左右両手で同じようなレベルのゴルフができたんだ。じつに器用なゴルファーだったらしい。魔法のようなゴルフをするんだよ」
「たしかに日本人なんですか?」
「日本から来たあんたから知らないといわれると自信をなくすが、私の記憶が正しければスキは日本人で、そうだ、かれはイギリスでも大活躍したゴルファーだよ」
そんな話だった。
首をかしげながらも、ぼくは《スキ》というその名前だけは覚えておいた。
その後、日本のゴルフの黎《れい》明《めい》期《き》の人たちについて書かれた本を読んだりするたびに気をつけていたのだが、その名前は見つからなかった。
それきり忘れかけていたのだが、昨年、イギリスヘ行き、ヨーロッパのゴルフ関係者ばかりが集まるディナーの席で隣りあわせたスコットランドのゴルフコースのマネジャーだという人が面白い話をしてくれた。テーブルでの話題は「トリックショット・アーティスト」のことだった。最近はあまり聞かなくなってしまったが、ゴルフ界にはかつてジョー・カークウッドのような曲打ちゴルファーがいた。ボールを乗せたティーを歯のあいだにくわえたアシスタントを横たわらせフルスイングのティーショットを打ってみせたり、同時に三つのボールをそれぞれ方向を変えて打ち分けたりというような技を見せるゴルファーたちである。
そういった話のなかで、二度打ちゴルファーのことが話題になった。そのゴルファーのスイングは驚くべきスピードで、ボールが飛び出すときの初速よりもスイングのスピードが勝っていたため一度打ったボールをもう一度ヘッドで叩《たた》いてしまう、というのである。
「まさか。それじゃ、そのゴルファーのスコアはワンスイングで二打ということになってしまう」
「そのとおり。ところがはじめのうちは二度打ちがわからなかった。よく飛ぶということだけが話題になっていたんだ。ところがムービーカメラでスローモーションの技術が開発されたことで二度打ちが証明されてしまったんだ」
「そんなゴルファーがいたとはねえ」
同じテーブルについていた人たちは半信半疑だったが、スコットランド人のマネジャーは、たしかにそういう話を読んだことがある、そのゴルファーの名前は《スキ》といって今世紀はじめの日本人のゴルファーだといいだしたのである。
こうなると本格的に調べなくては気がすまない。
誰でもが知っているという人物ではなさそうだが、ぼく自身、二度も《スキ》という名前を聞かされてしまったのだ。日本人であることは間違いないらしい。
もし実在したのであれば、かれは日本人として初めて「海外」で伝説化されたゴルファーということになる。
《スキ》なる人物にたどり着くプロセスは、あらためてここに書くまでもない。
意外なところで見つかったからだ。
フルネームを書いておくと《スキ・スキユキ》。日本人のゴルファーで、かれはゴルフを覚えたのは日本だがインドのボンベイにあるハミルトン・カントリークラブに所属し、一九一〇年代の上海や香港、そしてイギリスにも渡り、大活躍している。もともとは右利きだったのだが、左右両方の腕で打つことができ、ライトハンドでもレフトハンドでもトーナメントで優勝している。スイングのスピードが速く、ワンスイングで二度ボールを打つというテクニックを持っていたという話も、確認することができた。
いやはや、すごい先人がいたものだ、と驚きたいのだが、じつをいうとかれの話はフィクションとして書かれたものだった。
そもそもの出典は一九五二年というから昭和二七年にアメリカで発行された『GOLF DIGEST』誌に掲載されたレポート風の短編小説。著者はロウレンス・セオドールJr.。フィクションだが、文章は小説というよりも往年の名ゴルファーの足跡をたどるという形をとっているため、実在したゴルファーの話ではないかと誤解する人がいても不思議ではない。《スラミング・スキ・スキユキ》というタイトルがつけられている。
このストーリーはだいぶ有名になったものらしく、雑誌に掲載されたあといくつかの本に収録されている。例えば『THE BEST OF GOLF DIGEST』という本や、ロバート・トレント・ジョーンズが編集した『GREAT GOLF STORIES』などにも収録されているから、かなり多くのゴルフファンの目に触れているはずである。ロバート・トレント・ジョーンズの解説によると著者のロウレンス・セオドールJr.というのはペンネームで、あるゴルフ好きの文学者が自分の本名を伏せて書いたものだという。
フィクションではあっても日本人のプロゴルファー《スキ・スキユキ》のストーリーは面白い。
かれは「ホンシューの豊かな農家の家に生まれ、金魚を育てたりマウント・フジヤマでスキーをしながら大きくなった」という。やがてトーキョーの私立の学校に入り、ある日インペリアル・リンクスで、有名なゴルファー、ダンカン・マカフィーのエキシビションがあったときに初めてゴルフを見た。そしてタマ・シャンティーという(これでも日本人の名前である)当時の日本のチャンピオンからゴルフを教わることになる。そのタマ・シャンティーがじつは二度打ちの名人で、そのころのアジアのゴルファーのなかにはワンスイング、二度打ちは珍しくなかったという。
スキ・スキユキは日本を離れ、(なぜかわからないが)インドのボンベイに行く。ハミルトン・カントリークラブを拠点にしてアジアのトーナメントに出ていくのだ。左打ちに目覚めるのは香港で行われた試合でのこと。ティーショットをフックさせ、ボールは塔の横へ。右打ちが不可能なポジション。そのときお守りのかわりにゴルフバッグに入れておいた左打ちのクラブを取り出し、みごとにピンチを脱出する。以来、右も左も練習するようになった。
そしてスキ・スキユキは一九一九年と二〇年のブリティッシュ・オープンに連続して優勝してしまうというのだから、すごい。しかも最初の年は右打ちで、二年目は左打ちである。ところがその直後、スローモーション映像によってスキの二度打ちが明らかになり、タイトルは剥《はく》奪《だつ》された、という話になっている。
だからかれの名前はブリティッシュ・オープンの優勝者のリストには載っていない、幻のゴルファーというわけである。もっと詳しく調べる読者がいて、一九一九年は第一次世界大戦が終わった翌年のことでブリティッシュ・オープンは行われていないのだということに気づけばこの話がフィクションだとわかるのだが、そこまで調べない読者は日本にはミステリアスな、そして天才的なゴルファーがいたものだと感心して本を閉じたかもしれない。
こういうホラ話をぼくは「海外」に「挑戦」するゴルファーに聞かせてあげたいと思う。太平洋の向こう側にははかり知れぬ才能を持ったゴルファーがいる……という、畏《い》怖《ふ》心《しん》にも似た先入観も、アチラ側にはあるのだ。「本場」の空気に気《け》圧《お》されることなく、リラックスしてゴルフを楽しみ、自分はじつは伝説の二度打ちゴルファー、スキ・スキユキの弟子であると、そっとライバルに耳打ちして煙に巻くぐらいであったほうがいいと思うわけである。
恥を捨てればフェアウェイは天国だ
ウォーター・ショット
フェアウェイでものの見事に空振りをすると、どういうわけか女性のゴルファーはスカートを押さえる。
そういうことを事細かに観察しているわけではないが、世間ではおおむねそのようである。
特にフェアウェイを後ろにして、グリーンに向かって右側のラフからのショットで空振りをすると、その傾向が顕著になる。背中に視線が集まっているのを感じるせいだろう、何かまずいものでも見られたように思わずスカートの後ろのあたりを押さえるのだ。そして一言。
「見てました?」
男は反射的に空を見上げたりして。
かわいいものである。
男性ゴルファーのほうは、空振りしたときにどうにも情けない表情を見せる。
女性のようにこれといって押さえる場所がないせいかもしれない。銭湯じゃないんだからあわてて前を隠すわけにもいかないし。そして一瞬、自分は素振りをしたのだと思いこもうとするのだ。
止まっているボールを空振りするなんて、そんなバカな。
コレハナニカノマチガイダ……。
チラリと周囲に鋭い視線を投げかけ、見られていたとわかると口元に照れ笑いを浮かべるのである。その笑いすら浮かべず、イマノハ断ジテ素振リナノデアル、という姿勢を崩さぬ人もいるくらいだ。
フェアウェイとは、見てはいけないものを見てしまう場所である。
草野球で空振りの三振をしてもどうってことないのに、なぜゴルフとなるとあれほど空振りが恥ずかしいのだろう。不思議でしょうがない。
本当だ、なぜだろう、などと考える人はつい最近も空振りをしてしまった100を切れないゴルファーである。
空振りだけではない。
ぼくのゴルフ仲間は永遠にシングルになれないような連中ばかりだから、けっこう情けないことをしてくれる。
フェアウェイウッドを思いきり振り回し、低い弾道でボールが飛び出していったのはいいのだが、よしといって歩きだしたとたんその場で転んだ男がいる。スイングの瞬間にスラックスの留め金が外れてしまい、それに気づかぬまま歩きだしたものだから、ずり落ちてきたズボンに足をとられてしまったのだ。
ティーショットでスライスを打ってしまい、ボールはフェアウェイ右手の崖下に。よくあるケースだ。
かれはアイアンを数本持ってスロープを降りていった。ボールの状態をチェックして、クラブを一本選びだす。使わないクラブを斜面に置いて、セカンドショット。ボールをフェアウェイに戻すと喜びいさんで斜面を駆け上がったのはいいのだが、置いてあったクラブのヘッドを踏んでシャフトに顔面を一撃されてしまった。
しかしそれくらいはまだいい。
池にボールを打ち込んでしまった。ワンペナ払って池の手前から打ち直せばいいのにボールが見えているからといって、ウォーターショットにトライした男がいる。
たしかに浅瀬にボールが見えている。ロフト角のあるクラブを使えば一打で出せるかもしれない。
「これもゴルフの楽しみの一つさ。一度これをやってみたかったんだよな」
そういわれれば、こちらは止めるわけにはいかない。
かれはクラブを一本持つと池のそばに行き、靴とソックスを脱ぎはじめた。片足を池のなかに入れ、もう一方の足で土手を踏み締めてスタンスをとろうということらしい。
ところが、である。
何を勘違いしたか、かれは左足の靴とソックスを脱いだのだ。池のほとりまで行き、一瞬ナニカオカシイゾと違和感を抱いたようだったが、ここで引き返せば何をいわれるかわからないと思ったのだろう。そのまま右足の、靴を履いているほうの足をずぶずぶと池のなかに入れ、ソックスまで脱いだはだしの足を土手にのせた。
見ちゃいられない、というシーンである。
ゴルフでは――テレビで中継されるゴルフではまずお目にかかることはないが――時としてこういうことも起きるのだ。
そのうえ、そのときのウォーターショットが「奇跡的」に一打でフェアウェイに出てしまうから、ゴルフは不思議だ。
かれはいっていた――「ウォーターショットの秘訣は靴のまま池のなかに入ることですよ。スタンスが不安定だと打てないでしょ。あのぬるぬるっとした感じの土の下に硬いところがありますからね、そこをゴルフシューズで踏みしめないと。バンカーショットと同じですよ。やっぱり靴のまま入って、セイカイだったなあ、アハハハハ」
恥を捨てればフェアウェイは天国である。
男のゴルフ、女のゴルフ
ゴルフ好きの夫婦と偶然、フォアサムを組んでラウンドすることになった。場所はアメリカの、とあるリゾートコース。かれらはせっかく二人でゴルフを楽しもうとしたのにそうはいかなくなってしまったわけである。
スタートして数ホールでわかったことは、ゴルフ自慢もまじえてよく喋《しやべ》る亭主よりも寡黙な奥さんのほうがじつはゴルフが上《う》手《ま》いということ。距離は出ないがショットは確実だしパットも手堅い。スコアを乱さないというゴルフである。それに対して亭主のほうはパワーは十分だが、ボールが真っすぐに飛ばない。
かれは一打ごとに弁解していた。
今のはスタンスが悪かった。ゴルフの基本はグリップにあるということを再確認せざるをえないようなショットだったよ。スプーンで打っていれば真っすぐ飛んでいたな……といった調子だ。
その日のかれはカミさんよりもスコアが悪いということが納得できなかったらしい。いつもはこうじゃないのだと、しきりにいうのである。
それが面白かった。
気にしなければいいのに、かれはこのままじゃ男としての立場がないというような気分になってしまったのだろう。
ところで――
プロゴルファーのペイン・スチュワートがゴルフで愚かな賭《か》けをしたことがある。
スチュワートはアメリカでもトップランクのゴルファーで、昨年(一九九三年)のマスターズ・トーナメントでも10位タイに入り、さすがだなと思わせるプレーを見せていた。一九八九年のPGA選手権(全米プロ)に勝ったこともある、いつもトレードマークのハンチングキャップをかぶっているゴルファーである。
そのペイン・スチュワートが数年前、デラウェア州のウィルミントンという町にあるハーキュラス・カントリークラブで行われたチャリティーゴルフに参加していた。一緒にプレーすることになったのは三人のLPGAのゴルファーたちである。名前をあげておくとデボラ・マカフィー、クリス・ジョンソン、シンディー・フィグカリエという女子プロたちだ。
チャリティーゴルフだからスチュワートはリラックスしていた。スコアが乱れてもご愛《あい》嬌《きよう》ですんでしまうところがいい。
そのうえ一緒にラウンドするのは日頃のライバルたちではなく、LPGAの選手なのだ。
ギャラリーも公式戦の真剣勝負を見にくるのとは違って、いたって呑《のん》気《き》な雰囲気。
おまけに天気もいい。
遊び気分のゴルフができるのはスチュワートにとって久しぶりだったに違いない。
三人の女子プロたちとフォアサムを組むチャリティーゴルフは6ホールだけで終わることになっていた。少し物足りないくらいのものだ。そこでスチュワートはレディーたちに賭けを申し入れた。ちょっとしたベットをやらないか、といったわけである。
「きみたちは三人で組んでもいいよ。おれのほうは一人だ」
スチュワートはにこにこ顔でいったはずだ。
「どういうこと?」
「つまりだな。各ホールのきみたちのベストスコアとおれのスコアで勝負するわけだよ。誰か一人がボギーを叩《たた》いても、ほかの二人のうちのどちらかがバーディーをとっていればきみたちのスコアはバーディーということになる。どうだい? 三人いれば誰か一人ぐらいはバーディーがとれるんじゃないの? それとも負けてしまいそうかな」
デボラにクリス、それにシンディーは顔を見合わせた。
「で、何を賭けるっていうわけ?」
「それはきみたちが決めていいよ。レディーたちは何を賭けたいのかな?」
「そのニッカーボッカーはどうかしら?」
スチュワートのはいていたニッカーボッカーのゴルフパンツを見ながらそういったのはシンディーだった。
「ニッカーボッカー? こんなものが欲しいのか?」
「ただそれが欲しいわけじゃないの。もし私たちが勝ったら、最終ホールのグリーンの上でニッカーボッカーを私たちに渡すってわけよ」
「なるほど」スチュワートは頷《うなず》きながらいった。「そのかわりおれが勝ったらきみたちのショーツがもらえるというわけだな」
「もちろん、そういうことになるわね」
「決まった。ニッカーボッカー対ショーツだ。最終グリーンでどちらかが恥をかく。こいつはいい」
まるで作り話のようなベット(賭け)だが、これは実際にあったストーリーである。
最初のホールはスチュワートがとった。サンドウェッジで打ったセカンドショットがそのままカップインしてしまったからだ。いきなりイーグルが飛び出して、スチュワートの1アップである。
二つ目のホールでは女性軍がバーディーをとり、パーでホールアウトしたスチュワートを上回り、これでイーブン。
三番目のホールはともにパーで、変わらず。四つ目のホールでは女性軍の一人がバーディーをとりスチュワートはパーだったから、スチュワートの1ダウンである。
相手が女性だとはいえ、れっきとしたプロゴルファーだ。ペイン・スチュワートといえども簡単に勝てるものではない。やめておけばよかったと、さすがのスチュワートもこのあたりで思ったのかもしれないが勝負はつづいた。
悪くともイーブンに戻したいスチュワートだが、女性軍は三人そろってボギーを叩くようなへまはしない。五番目のホールは再びイーブンで、スチュワートの1ダウンは変わらず、結果は最終ホールにまで持ち越された。
スチュワートはこのホールを奪わなければならない。
グリーンの上で彼女たちのショーツを取り上げることは不可能になり、残るは精一杯頑張って引き分けに持ちこむことぐらい。ところが、残り1ホールで1アップの女性軍はもう負けがないことがわかっているから大胆に攻めてきた。そしてデボラ・マカフィーがロングパットを沈めてバーディーを奪った。
勝負あり、である。
仕方なくスチュワートは最終ホールのグリーン上でニッカーボッカーのベルトを外した。
ギャラリーは何が始まるのかと騒ぎだした。
スチュワートは靴も脱いだ。
そうしないとニッカーボッカーが脱げないからだ。
「裾《すそ》の長いシャツを着ていてよかったよ」
と、スチュワートはあとで語っている。
かれはソックスにシャツ、それにハンチングキャップという格好で写真も撮られてしまった。そして、そのままの格好でクラブハウスに逃げこんだ。
話はすぐにチャリティーゴルフが行われているフェアウェイに広がった。皆、大笑いである。主催者は、しかし、すぐにいいアイディアを思いついた。女性軍が獲得したペイン・スチュワートのニッカーボッカーをチャリティー・オークションにかけよう、というものだ。丁寧なことにスチュワートのサインまで入れたニッカーボッカーを競りにかけたのだ。そのニッカーボッカーには一五〇〇ドルの値がついたという。
「スチュワートは最初から勝てると思っていなかったんじゃないかな」
話を聞いて即座にそういったのは、ぼくのゴルフ仲間のYさんである。
「どうしてですか」
「だって、勝ったとしたらグリーンの上で女性軍の、なんというかスラックスを剥《は》ぎ取ってしまうわけだろ。スカートをはいていたのかもしれないけど、いずれにせよ彼女たちに大恥をかかせることになる。それはできないよ」
「勝ってしまったら、あとが怖い?」
「……と思うなあ」慎重なゴルフをするYさんはそういって帽子をとり、つるりと頭を撫《な》で上げた。
「勝つ気はなかった。最初からジョークだった。私だったらパットの瞬間、勝ったときのことを心配するね」
スコアはともかく、マナーだけはジェントルマン・ゴルファーのYさんはそういうのだ。
「考えてもみればいい。女性ゴルファーがギャラリーの前でスラックスを脱がなければいけない。笑おうとしても頬《ほお》がひきつるんじゃないかな。救いを求めるような視線を向けられちゃうよ。そもそもこんなバカなことをいいだしたあんたが悪いとヒステリックにわめかれてしまうかもしれない」
なかなか含蓄のある分析である。
もっとも、すぐに反論が出た。
「スチュワートのやつ、スラックスを脱がせたくてしょうがなかったのさ。三人が束になってかかってきても負けなかった。プロのゴルファーなら容赦なく三人分のスラックスを戦利品として取り立てるはずだよ。お互いにプロなんだし、それに賭けとなったら遠慮するほうがおかしい。スチュワートは勝ったときのグリーンの上の光景を想像して思わず手元が狂ったんだ」
なるほど。
そういう考え方も成立しそうだ。
しかしどっちにしても、ペイン・スチュワートが相手が女性だということを意識しただろうことは間違いなさそうだ。女性だから遠慮しておくかと考えるか、相手が女性だから勝ちたい(男同士ではこんな賭けが成立するはずがないからね)と思ったか。
男はこんなときにでも女性を意識してしまうわけである。
その逆は、ほぼありえない。
だって、ニッカーボッカー対スラックスの奪い合いという男と女のゴルフのベットが成立したときに、男に恥をかかせてはいけないと考えてショットを加減する女性ゴルファーがいるだろうか?
ゲーム性のあるボールゲームのなかで男と女が一緒になってできるものは限られている。
野球やサッカー、ラグビーなどはとてもじゃないが、同じようなレベルではできない。
テニスにはミックスダブルスがある。
ゴルフの場合、力量は違ってもハンディキャップで調整できるから男も女も、ビギナーもベテランも一緒に楽しめる。それがゴルフのいいところなのだが、しかし、男にとって女性連れのゴルフほど難しいものはない。
男が自意識過剰になるからだ。
女性のゴルファーは気づかないだろうが、男たちはゴルフをしながらでもけっこう気を使っているのだ。
特に前を行くフォアサムのなかに明らかにビギナーの女性が含まれているのがわかるようなとき、ぼくは連れの男たちに同情する。
その理由は、まず第一にきまってスロープレーになるからだ。
彼女たちのボールは右に左に、小刻みに移動していくから、そのたびにカートを動かし、あるいはアドバイスをするために男はつき従わなければならない。放っておけばいいようなものなのだが、見ているとおおむね一緒に行動している。
しかも、その間、かれは自分のボールのことも考えているのだ。
次のショットはどうするか。数本の、自分のアイアンを脇《わき》にかかえながら右往左往しているのである。
自分のゴルフに集中できるはずがない。
そのうちにいいショットの手本を見せようとしてとんでもないスライスを打ったりしてしまう。笑いごとではない。毎日どこかのフェアウェイで行われていることなのだ。そういう瞬間を見てしまったりすると、男のゴルフは愚かしくも哀《かな》しいものだなあ、と思う。
徒労に情熱を傾けるその愚かさに同情したくなってしまうわけだ。
もっとも、アベレージゴルファーにとってはそういった徒労も含めてゴルフの楽しさなのだから仕方ないのだが。
そういえば、冒頭に紹介したアリバイ(言い訳)亭主が教えてくれたイギリスのゴルフジョークを思い出した。
ついでに紹介しておこう。
その日のかれのゴルフはさんざんの出来で、最後までいいところがなかった。ホールアウトすると、かれはやけ気味にゴルフにはこういう台詞《せりふ》もあるといって教えてくれたのだ。
《Golf and sex are about the only things you can enjoy without being good at it.》
簡単にいってしまうと、ゴルフとセックスだけは下《へ》手《た》でも楽しめる、ということ。かれはそういって大笑いし、その日のスコアのことは忘れてしまったようだった。
通称、GNSA
アメリカに《ゴルフ狂協会》なる組織があることを知っているだろうか。
《The Golf Nut Society of America》、通称GNSA。
この組織は毎年、最もそれらしい「活躍」をしたゴルファーを選び出し、表彰している。
ゴルフマニアばかりが集まっている組織が表彰しようというのだから人選はユニークである。
最近、一九九二年度の《ゴルフナット・オブ・ザ・イヤー》が発表された。九二年を代表するゴルフ・フリークが一名、選びだされたわけだ。
それによると今回はメリエ・ボール氏という名前の七四歳になるゴルファーが選出されている。その理由は、ここ数年にわたるボール氏の熱狂的なるゴルフに対する取り組みにあったらしい。
ボール氏は三〇年以上も前に一度ゴルフを始めたのだが、そのときは長続きしなかった。
「こんな馬鹿なことはやっていられない。仕事をしてたほうがずっといい」とクラブを物置にしまいこんでしまったのだという。
ところがリタイアしてからゴルフを再開すると、まるで別人のごとくゴルフに取り組みだした。
選出の理由となったここ数年の熱狂ぶりを紹介してみることにしよう。
ボール氏はまず――
一九八八年に全米五〇州すべてを回り、計一三〇のコースでプレーした。
一九八九年には再び全米ツアーを敢行。このときはすべて左打ちでラウンドし、五一日間で五〇州のゴルフコースを制覇した。かかった費用は約三万五〇〇〇ドル。
一九九〇年に入ると今度は一日の最多ラウンド記録に挑み、六月二二日に一日で合計220ホールでプレーするという記録を打ち立てた。そのうち半分の110ホールが右打ち、残りの110ホールが左打ちだったという。
一九九一年には年間のラウンド数の記録に挑み、この年にボール氏はなんと1290ラウンド、2万3220ホールにおよぶプレーを完了させた。
そこまでやりつくしてもなおかれはGNSAの《ゴルフナット・オブ・ザ・イヤー》に選ばれなかったらしい。一九九二年にはアイディアで勝負に出ている。
アメリカ西部のアリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラドの四つの州は真っすぐに交わる二本の直線によって境界線が引かれていることにボール氏は着目した。州境いに立つと四つの州のどこへでも一歩で行かれるという場所があるわけだ。かれはそこに太さ16インチの塩化ビニールのパイプを持ち込み、四つの州をぐるりと循環させた。準備完了。ボール氏はゴルフのボールとクラブを持ち出しパイプの入り口に向かってワンショット。ボールはパイプのなかをぐるりと一巡した。即ち、そのショットは――
「一打で四つの州をひとめぐりする画期的なショット」
となった。
そしてついにボール氏は一九九二年のアメリカを代表するゴルフ・フリークに選ばれたわけである。
こういうレポートを読むと、ぼくは考えこんでしまう。
よくやるなと、まずは思うのだ。
全米五〇州をゴルフをしながら回ってみようという試みぐらいなら、まだわかる。リタイアして、あとは悠々自適の日々が待っているという人ならば同じようなことを考えるだろう。
本来は右利きなのだが左打ちも苦にならないという人なら二度目は左打ちでとも考えるだろう。このあたりは理解できるのだが、一日に200ホールを回ってしまおうというところまでくると、これはもうゴルファーの情熱の範囲を超えている。
年間に1290ラウンドといえば、毎日フェアウェイに出て3・5ラウンドずつこなしていかなければ達成できない記録だ。週に一度であっても、コースに出るたびに3〜4ラウンドのプレーをノルマにしたらゴルフ嫌いになってしまいそうな気がする。
しかし、ゴルファーは時としてこの種の熱狂にとりつかれてしまうのだ。
ほかのスポーツではこういった熱狂になかなかお目にかかれない。
以前、どこかの草野球チームが三日間であったか、休まずにゲームを続けてみようとしたことがあった。とんでもないスコアの試合になった記憶があるが、そのときは選手が入れ代わり立ち代わり交代し、しかも助《すけ》っ人《と》までが飛び入りしてのゲームだったからお祭りが続いていたようなもの。ゴルフのように一人黙々とボールを打っていくのとは訳が違う。
毎日3〜4ラウンドのゴルフを、一年ものあいだ続けるとなると、これはもう千日回峰の行のようなものである。
そういう記録が丹念に残されているのもゴルフの特徴で、ボール氏のようなゴルファーが、じつは決して少なくないところにゴルフの不可思議さがある。
ボール氏は一日に220ホール(18ホールのコースを約12ラウンド)という記録を作ったが、全米ゴルフ狂協会(GNSA)はそんなことぐらいでは驚かなかったはずである。
ぼくが知っているかぎりでも、例えばオーストラリアのあるゴルファーが一九六八年の夏に、真夜中の十二時半にスタートし、夕方の六時までのあいだに257ホールのマラソンゴルフを成功させている。
その記録でも、じつは、ゴルフマラソンのトップには立てない。
一九七六年にはサンディ・スモールというアメリカのゴルファーが早朝の六時すぎにスタートし、夜の十時半までのあいだに270ホール(15ラウンド)を回りきっている。コースは18ホールで6128ヤードの長さだったというから、まずまずの距離だ。スモール氏はハンデ5のゴルファーで、その日は5番アイアン、9番アイアン、それにパターだけを持ち、暗くなったあとはクルマのヘッドライトの明かりに助けてもらってプレーを続けたらしい。その日のべストスコアは76で、これは二ラウンド目にマークされたものだという。
イギリスのゴルフ場のアシスタントプロをしていたグラハム・ウエブスターというゴルファーは一九七七年に、早朝、コースが明るくなった時間にスター卜し日没までのあいだに277ホールを回っている。
それをさらに上回るのが一九三四年の記録で、アメリカのコネティカット州に住むビル・ファーナムというゴルファーが二四時間と一〇分をかけて376ホール(20ラウンドと16ホール)を回りきっている。
このファーナム氏の記録は長らく一日におけるラウンド数の限界を示すものと思われていたのだが、一九七〇年代にオーストラリアでファーナム氏の記録を書き換えるゴルファーが現れた。イアン・コルストンというゴルファーで、かれはマラソンをも得意にしており、コースをひたすら走った。夕方の六時過ぎにスタートし翌日の午後五時十五分までのあいだに、かれはなんと401ホール(22ラウンドと5ホール)を回ってみせたのである。コルストン氏が使ったのは6番アイアンだけ。暗くなったあとはバイクのヘッドライトの明かりに助けられた、とのことだ。
ゴルフコースは征服欲をかきたてるものなのだろうか。
そう考えてみないことには、この種の熱狂ぶりはなかなか理解しがたくなる。
ゴルフには《パー》でホールアウトするという目標がある。
ゴルファーは、まずその目標に向かって努力を積みかさねていく。ところが、どうも、それだけではおさまりがつかないらしい。ゴルフの奥の深さでコースを征服できないとなると、今度は繰り返しコースをアタックすることによってコースを征服した気になろうとするのだ。
ゴルフコースばかりではない。
ゴルファーという人種はクラブとボールを手にしただけでとんでもないことを考えだす。
これはしばしば引き合いに出されるケースなのだが、フロイド・ルッドというアメリカのゴルファーがいて、かれはあるときゴルフのボールを打ちながらアメリカ大陸を横断してみようと思いついた。ゴルフ版のトランザムである。
ルッド氏は一年と一一四日をかけてそのチャレンジを完結させた。
何というべきか、相当なるゴルフ馬鹿である。
しかもかれは正確な記録を残した。それによると3397マイル(約5400キロ)のコースをゴルフによって踏破するのに要したショット数は11万4737打で、そのなかには3397打のペナルティーショットも含まれていたという。
着想は面白い。
しかし、実際に始めてみればそれがいかにエネルギーを消耗するものであるか、また無意味なものであるか、わかってくる。なにごとにも「挑戦」という側面があるわけだから無意味といってしまってはいけないのかもしれないが、しかし、毎日ほかのことをせずただひたすらゴルフボールを打っては追いかけ、打っては追いかけていくのである。単調きわまりない。どんなにゴルフが好きであろうと、もう二度とクラブを握りたくないという気分にもなってしまうはずだ。
だけれどもゴルフというものは、ゴルファーをその気にさせてしまう。
同じような記録はアメリカだけでなくイギリスにもある。ルートはスコットランドからイングランドまで。あるいは自分の町から隣の町まで。
ほかのボールゲームには似たような挑戦が皆無だ。例えばサッカーのボールを蹴ってアメリカの東海岸から西海岸まで行ったという記録があるだろうか? アメリカンフットボールの、あの紡錘形のボールをパスしあいながらトランザムを試みたという話を聞いたことがあるだろうか? 野球のバットとボールを持ってノックしながらアメリカ大陸を横断したという話も聞いたことがない。なぜかゴルフだけなのである。
ことゴルフとなると、マニアたちは奇妙な記録に挑戦したくなるのである。
《スモール・ボール・セオリー》なるものがある。
名付けたのはアメリカの作家、ジョージ・プリンプトンで、かれには『ボギーマン』というタイトルの有名なゴルフエッセイもあるから知っている読者もいるかもしれない。
プリンプトンはスポーツにおいては、どういうわけか、小さなボールを扱う競技であればあるほどその競技について書かれた作品が多く、傑作もまた多いと指摘している。
「バスケットボールに関してはジョン・マカフィーやデヴィッド・ハルバースタムなどのいくつかの著作があるが、数は少ない。フットボールも同様だ。サッカーにいたっては読むべき本は皆無といっていい。フランスの作家アルベール・カミュは一時期アルジェリアのオーラン・フットボールクラブでプレーしていたが、かれはフットボール(サッカー)について何も書かなかった。それに比べると野球(ボールのサイズは小さくなっている)はスポーツライターの腕の見せ所で数多くの傑作が書かれているし、小説家も好んで野球をとりあげている。そして、それ以上に傑作が多いのがじつはゴルフなのである。古くはバーナード・ダーウイン、ダン・ジェンキンス、P・G・ウッドハウス、さらにロバート・タイラー・ジョーンズまで、ゴルフに関する著作は図書館の一画を占めるまでになっている……」
小さなボールといえばテーブルテニス(卓球)はどうなのだ、これといった作品はないじゃないかといってしまえばそれまでなのだが、それは横に置いておくとして、完《かん》璧《ぺき》ではないにしてもプリンプトンのスモールボール・セオリーはゴルフの不可思議な魅力の一面を語っている。
ゴルフはただ当たり前にプレーするだけでなく、それについて語ることもゲームの一部であるかのごとく、これまでも多くの作家が言葉を尽くしてきているわけである。プレーそのものからはみだしたところにも、また、ゴルフがあるというべきだろうか。
プリンプトンのスモールボール・セオリーをさらに先へ推し進めると、ボールゲームにおいてはボールのサイズが小さくなればなるほどマニアックなのめり込みが深まる、ともいえそうだ。そしてゴルフには常にアイロニー(皮肉)がつきまとう。
野球やサッカーにはアイロニーが入り込む余地がない。一日に400ホールもゴルフをしたり、ゴルフのボールを打って大陸を横断したりという記録を残しておくというのはゴルファーがゴルファーを笑うための、ユーモアの図書館を築くために先人たちが残した知恵ではないかとも思えてくる。ゴルフには常に笑いが必要なのだ。ひどいスコアでホールアウトしたときに必要なのは、馬鹿ばかしいほどゴルフにのめりこんだ人たちの愚かしくも壮大な記録を思いだして笑うことである。
トイレに座ってゴルフを考える
トーナメントを開催するときに現場で下準備を整える人たちが頭を悩ませるのはトイレの位置と数だという。
大勢のギャラリーが集まってくるから通常のトイレだけでは足らない。プレハブ式の、いわゆる簡易トイレというものをコースのあちこちに配置することになる。その場所選びが難しい。
あの空間を緊急に必要とする側にとってはどこにでも、すぐ目につく場所にあってほしいものなのだが、使用しない人たちにとってはあれほど目障りなものもない。けっこう厄介なものなのだ。
日本人はそのあたりのことになると神経がこまやかで、ゴルフコースのなかの人が集まりやすい一画にさりげなく置かれていたりする。反面、トーナメント用に作られたマップがないと、どこにトイレがあるのかわからないという不便さもある。
なぜトイレの話を書きはじめたのかというと、アーニーズ・アーミー(アーノルド・パーマーのプレーを観戦しようとコースにやってきたギャラリーのこと)が大挙してゴルフコースに集まった時代のちょっとしたエピソードを思い出したからだ。
パーマーはそのアグレッシヴなプレーでゴルフファンを飛躍的に増大させたプロゴルファーである。
もっとも、それ以前からプロゴルファーのプレーを見にくる観客は多かった。ビデオ化されている昔の映像を見ていて驚くのは、例えば一九三〇年代の全米オープンや全英オープンのギャラリーの多さだ。男はスーツかブレザーにネクタイ姿。英国ならば手に傘を持ち、ぞろぞろとプレイヤーを追っている。最終日、最終組が18番グリーンにあがってくるとフェアウェイの両サイドにいたギャラリーがグリーンを取り囲むようにして走ってくるのは、今も昔も変わらない。
パーマーはそれにも増して数多くのギャラリーを動員したというのだから、コースの整備やトイレの確保などは大変だったろうと思う。ギャラリーがフェアウェイに入らないようにロープを張ったり、《QUIET PLEASE》(お静かに)と書いた札をトーナメントのスタッフが常時持ち歩くといった、今ではどこでも見られるトーナメント風景の原形がパーマーの時代に確立されたといわれるのも頷《うなず》ける。
ところで、パーマーとトイレの話だった。
パーマーのゴルフを見にきたギャラリーの一人が、途中でトイレに行きたくなり、フェアウェイから外れた空き地のようなところに置かれていた簡易トイレに入っていたときのことだ。
ほっとして座り込み、ここは慌てずにゆっくりと時間をかけようとしていると、にわかに周囲が騒がしくなってきた。どやどやという足音が聞こえ、話し声も聞こえてくる。急にトイレが混みはじめたのかと思ったが、ドアをノックする音もないので、そういう事情でもないらしい。
しかし、あたりに人が集まっているということはわかるから、かれはもうしばらくそのなかにいることにした。どういうわけか大勢の人があたりを歩いているのだ。そのさなかにドアを開けて外に出ていくのは気恥ずかしい。
かれは外の様子を覗《のぞ》き見ることもできず、狭い空間でじっとしていた。すると騒ぎはおさまり、あたりは静けさを取り戻した。もういいだろうと立ち上がり、かれはドアを開けた。
しかし、すぐにかれはあわててドアを閉めた。
トイレの主もゴルフ好きだから、一瞬にしてその場のシチュエーションが読めた。あろうことか、目の前にアーノルド・パーマーがいて、今まさにトラブルから脱出するためのショットを打とうとしていたのだ。
パーマーはティーショットを曲げてしまい、第一打を簡易トイレの近くに打ち込んでしまったのだ。フェアウェイのすぐそばにいたアーニーズ・アーミーはそれを見てあわててトイレの近くに集まってきた。騒がしい足音や話し声はパーマーのトラブルショットによってもたらされたものだった。
やがてあたりが静かになったのはパーマーがやってきてボールのある位置を確かめ、第二打の準備に入ったからだろう。ギャラリーは息をひそめてパーマーのリカバリーショットを見守っていたわけである。
そのとき、パーマーの背後のトイレのドアが突然開き、見知らぬ男がぬっと顔を見せたものだから誰もが驚いたに違いない。
その場の雰囲気を想像してみると面白い。
ギャラリーは一瞬、唖《あ》然《ぜん》として、やがて大笑いしたかもしれない。
一番驚いたのはパーマーであり、そしてトイレのなかにいた男だ。フェアウェイとグリーンの位置を確かめ、障害物に邪魔されずにリカバリーショットを打てるアングルを確認したうえでクラブを選択し、スタンスを決めて気持ちを集中させ今まさにテイクバックに入ろうとしたところで突然、背後のトイレのドアが開いたのである。
トイレのなかの男はなんともばつの悪い思いをしただろう。
ちょっと用を足していただけなのに、ドアを開けたらそこは別世界。劇場のトイレで用を済ませ、ドアを開けたらそこは舞台の上だった、というに等しい。
ぼくはこの男性に同情する。
ハッとしてドアを閉め、じっと息をひそめているしかないではないか。
しばらくざわついていた外の空気がまた、落ち着いてきた。気を取り直したパーマーがアドレスに入ったらしい。
男は耳をすませてショットの音を聞き取ろうとした。
その音が聞こえてくれば、やっとあの狭くて暑苦しい空間から出ることができるのだ。しかし、パーマーのセカンドショットの音がなかなか聞こえてこない。そのかわりドアをノックする音が聞こえてきた。何かの間違いかと思ったが、そうではない。たしかにトイレのドアをノックする音なのだ。
「入ってますよ」
「わかっているんだが……その……」
申し訳なさそうなパーマーの声だった。
「ここを使いますか?」
「いや、そうじゃないんだ」
「私はここで静かにしてますからどうぞ先に打ってください」
するとパーマーがいった……「そのなかで誰かがじっとしていると思うと気になって仕方がないんだ。よかったら先に出てきてくれないかね」
そのときのパーマーのセカンドショットがどういうものだったのか、そこまでは覚えていない。
この話は、多分、フェアウェイで誰かに聞かされたのだと思う。面白おかしくパーマーとトイレの話を語り聞かせてくれた人がいたわけである。
スコアがパッとしないゴルフをしていると、手よりも口がよく動くというのが大方のゴルファーの性癖で、今日はよくてもダボペースだという展開になると、午後はお喋《しやべ》りの多いラウンドになってしまう。そういうときのために快活に笑えるエピソードをいくつか用意しておくのがダブルボギーゴルファーのエチケットだとぼくは思っている。スコアも悲惨で、そのうえむっつりと押し黙ったフォアサムがフェアウェイを歩いているという図は、あまりいいものではないですからね。
そういうことを、ぼくはどちらかというと日本のゴルフコースではなく、アメリカやスコットランドのコースで教わった。
旅の途中でゴルフを楽しむとき、こちらは一人か二人。ゴルフ場のプロショップでスタート時間を指定してもらい、その時刻に1番のティーグラウンドに行くと、別の二人組がいたりして、一緒にラウンドすることになる。
慣れない環境だから苦痛に感じたこともあるが、社交に長《た》けたかれらは気づかないところで遠路はるばるやってきたヴィジターに気を使ってくれるものだ。お互いに似たようなレベルのゴルファーだと、つまり、ラッキーなショットなしにはめったなことではバーディーをとれないゴルファーだということがわかると、それだけで気持ちが通じ合うところがあり、安心して笑い話もしてくれるというわけである。
それにしても、間が悪いときはどうしようもないものだ。
これもまた古手のプロゴルファーに関するエピソードだが、サム・スニードがあるトーナメントでアプローチショットを打ったときのことだ。
打球はグリーンをはるかにオーバーしてしまい、隣接しているロッカールームに向かって飛んでいった。
スニードは、しかし、悲観していなかった。ボールはロッカールームの壁かドアに当たり跳ね返ってくるだろうと思ったからだ。それを狙《ねら》ったわけではもちろんないのだが、ドアをクッションにしてグリーンに向かって戻ってくれば結果オーライ、次の一打でピンに寄せワンパットでカップに沈めればそのホールをパーでおさめることも不可能ではない。
ところが間の悪いときはあるもので、スニードの打球がロッカールームのドアに当たろうとしたそのときに内側からドアが開き、コースの警備を担当していたポリスマンが出てきた。
ボールはそのポリスマンの耳元をかすめ、建物のなかに飛び込んでいってしまった。
「ボールは男性用トイレの一番奥のドアの前に転がっていたよ。仕方なくツーペナを払うことになった。そのトーナメントでは、私は一打差で優勝を逃したんだ。あのときロッカールームのドアが開きさえしなければ優勝していた。一位と二位の賞金の差額、数千ドルがドアの向こうに消えてしまったというわけさ……」
これはスニードに関する著作のなかに出ていたエピソードである。
ゴルフほど《間》のあるスポーツはない。
自分のゴルフをここで思い浮かべてみるといい。
人はいったいゴルフコースで何をしているのか。子細に観察してみると――
〓クラブの選択をしている
〓練習スイングをしている
〓ワッグルをしている
〓一瞬のうちのスイング
〓ボール探しをしている
〓芝目を読んでいる
以上の6つのケースにおさまってしまうだろうと思われる。それ以外は
〓歩いているか、ぼーっと考えごとをしている
そして最も多くの時間を費やしているのが〓歩いているか、ぼーっと考えごとをしている、なのである。
ゴルフでは〓の一瞬のうちのスイング、のためにその他の時間を犠牲にしている、ともいうことができるかもしれない。そういう意味ではゴルフは一瞬のクライマックスのために誘いをかけたり、電話をしたり、花束を贈ったり、食事に誘ったり、心にもないお世辞をいったり……という「もうひとつのゲーム」とも似たところがある。なかなか狙いどおりにはいかない、という点でもこの両者には似たところがありそうだ。
それはともかく、ゴルフは一瞬のスイングの前後に膨大なる《間》が存在しているスポーツなわけである。
この《間》をどうマネージメントするかはとても大切なことで、言葉をかえていえばそれは〓一瞬のうちのスイング、のためにいかにそれ以外の時間を利用して集中力を高めるか、ということなのだが、様々なゴルフのテキストを読んでもその点について的確なアドバイスをしてくれているのを、残念ながらぼくは見たことがない。
ゴルフに関する偉大なる先人の教えはもっぱら
〓一瞬のうちのスイング
に関するものであって、その分野に限っていえばグリップからフォロースルーまで微に入り、細を穿《うが》つ解説が施されているのだが、その前後の《間》をどうやってマネージメントするか、誰も教えてはくれない。「もう一つのゲーム」である恋愛論に関しては、歴史上、最後の一線を越える以前の段階における諸問題をいかにクリアするか、言葉が尽くされているのと対照的だといってもいい。ゴルフはどういうわけか最後の一瞬だけを語るのである。だから数《あま》多《た》あるゴルフの技術論にはある種の空しさが漂っているのかもしれない。
また話が横道にそれてしまった。
ゴルフにはスイングの前後に十分な《間》があり、その《間》を巧みにマネージメントしないといい結果が出ない、つまりとんでもないときに簡易トイレから顔を出すような間の悪いゴルフになってしまうということをいいたかったのだが、そろそろ紙幅が尽きた。どうやってゴルフにおける《間》を活かすか、トイレにでも座って考えてみようと思う。
ダッファーのホール・イン・ワン
最近二度、ホール・イン・ワンを見た。
だからどうしたんだと、ぼくは自分に向かってつぶやきたくなってくる。「ホール・イン・ワン」を「見た」などという話は宝くじに当たった人を知っているというぐらいのことで、ぼくにとっては別にうれしくもなんともない。
ホール・イン・ワンが出ると、ゴルファーは大騒ぎするに違いないとぼくは思っていた。
いろいろな統計があるけれど、アベレージゴルファーがホール・イン・ワンを決める確率はおよそ一万二六〇〇回に一回だといわれている。五〇年間、毎週のようにゴルフに出掛け、そのたびに四つのショートホールでプレーしてやっとショートゲームの数が一万になる。そう考えただけでもホール・イン・ワンがいかに出にくいものか、わかってくるだろう。
しかし、ぼくが見たホール・イン・ワンはじつに静かなものだった。
最初は春先の、千葉のゴルフ場のことで、ぼくのすぐ前の組で回っていた知り合いが165ヤードのショートホールでエースを決めた。かれはまだゴルフ歴が短く、ハンディキャップは36でも足りないというゴルファーである。使ったクラブは5番ウッド。ボールはスライスした。みごとなスライスである。その打球がグリーンの右手の土手に当たり、はねかえってきた。ティーグラウンドから見るとグリーンはやや高い位置にあった。ピンはそのグリーンの奥だったので、はねかえったボールが転がってカップインするところは見えなかった。
グリーンの右奥にあるバンカーのあたりで止まっているんじゃないかしら、とキャディーさんはいっていた。かれは5番ウッドを持ったまま歩きだした。フェアウェイの右を行き、やがてバンカーのあたりでボールを探しはじめた。キャディーさんも一緒になって探しはじめる。そのうちに、パットをするためにラインをチェックしにいった別のゴルファーがカップの中にあるボールを見つけたのである。
「なんだ、そこにあったか」
というのがエースを決めたアベレージゴルファーの第一声だったという。
それはないだろう、とあとになって皆にいわれていた。せっかくのホール・イン・ワンなのだからもっとドラマティックなコメントを発するべきだったというのだ。
どうやら本人には実感がなかったらしいのだ。打った球はスライスだし、どこへ行ったのかわからない。それがエースだったといわれても、喜んでいいのか、照れるべきなのか、態度を決めかねたのだという。
アベレージゴルファーがまるで偶然のように決めるエースはだいたい、そんなものなのかもしれない。
「もう二度とこんなことは起きないからな。スコアカードはちゃんと保存しておけよ」
「あとでそのスコアカードを持ってグリーンマスターのところへ行き、証明書ももらっておかなくちゃ」
まわりのほうが盛り上がっていたが、本人は「いやー、しかしですねえ」ともじもじしていた。
「どうしたんだ」ぼくが聞くと、かれはスコアカードを見せながらいったのだ。
「見てくださいよ、このスコア。ホール・イン・ワンがあったのにハーフで61ですよ。このスコアカードをとっておきたいと思いますか?」
ラッキーなホール・イン・ワンの例はたくさんある。
そのなかでもクレージーだといわれているのがイギリスのコッツウォルド・ゴルフクラブで記録されたエースである。アベレージゴルファーのジョン・レミントンという人がパー3の7番ショートホールで記録したもので、かれの5番アイアンのショットはまず、フェアウェイ左の排水用のパイプを直撃し、跳ねかえった。
方向を変えたボールはグリーンサイドのバンカーへ。
バンカーに沈むと思われたボールはもう一度、跳ねかえった。バンカーに置かれていたレイキに当たったからである。
再び、方向を変えたボールはグリーンの上を転がりはじめた。
ピンに向かっていったのではない。レミントンのボールは先にグリーンに乗っていたパートナーのボールに向かって転がりはじめた。
そして、ふたつのボールが衝突。
もう一度、方向を変えたレミントンのボールがカップに向かって転がっていった。もう障害物はなにもない。そのままボールはカップインしてしまったのだ。
ぼくが見た、もうひとつのホール・イン・ワンは、アメリカのボストン郊外のゴルフコースに出掛けたときのものだ。
郊外といってもボストンからはだいぶ離れている。
ケープコッドという海辺の避暑地があり、大西洋に細長く突き出した半島のようなところなのだが、ゴルフコースがいくつもある。そのほとんどがいわゆるリゾートコースである。フェアウェイの周辺に瀟《しよう》洒《しや》な家が立ち並び、リタイアしたゴルフ好きな人たちが永住していたり、都会に住む人たちの週末のセカンドハウスになっている。
外から見ると、しっかりとしたゲートがあり、ガードマンが常駐している。構えはプライベートクラブに見えるのだが、ビジターも受け入れている。
こういうゴルフコースが、アメリカのいたるところにある。グリーンフィーは、カートつきでせいぜい五〇ドル。レンタルクラブもあり、靴はスニーカーでもかまわない。自分で電話をしてスタートの予約をとるか、滞在しているホテルのコンセルジュに頼めばいいだけの話である。日本の、都市近郊のゴルフコースのように混みあってはいない。顔を真っ白に塗り、赤い口紅をつけて同じ服、タオルつきの帽子をかぶった、誰が誰だか見分けがつかないキャディーさんもいないから、キャディーフィーを払う必要もない。したがって、途中の休憩所でキャディーさんに飲み物をあげたり、チップがわりのお土産のようなものを買う必要もない。あの、日本の接待ゴルフにつきものの習慣はいったい、いつから始まったのだろう。ぼくにはどうも、なじめない。
それはさておき――
ホール・イン・ワンの話である。
そこはフェアウェイが狭く、フラットのように見えながら微妙に傾斜している、シンプルなようでけっこう難しいゴルフコースだった。グリーンも、アメリカはおおむね広いのだが、そのゴルフコースは比較的こぶりなグリーンで、うねっている。ポテトチップスのような、と形容されるグリーンである。
一言でいえば、ダブルボギーゴルファーにとっては難しいコース、ということになる。
その日は午後に入ってからスタートするという時間帯だったので、アウトの9ホールを終え、そのままインに向かうと日差しがだんだんと西に傾いてきた。16番に最後のショートホールがあり、グリーンまでの距離は158ヤード。やや打ち上げて、西日が目に入ってくる。ボールがどっちの方角に飛び出していったか、ちゃんと見ておかないとあとが大変、というホールである。
ぼくはそこを2オン、2パットのボギーでホールアウトし、17番のティーグラウンドに向かった。
17番ティーからは16番のグリーンがよく見える。飛んでくるボールも光を背にしているからよく見えた。そしてホール・イン・ワンを目撃したのだ。ピンに向かって真っすぐに飛んできたボールがスリーバウンドでカップに飛び込んだ。
ぼくは思わず拍手をしてしまった。
その瞬間を見ていたのはぼくだけだったが、ホール・イン・ワンだというと、一緒に回っていた連中もつられて拍手をした。16番のティーグラウンドからは何の反応もかえってこなかった。風に流され、拍手が届かなかったのかもしれない。
ぼくらはそのまま17番のフェアウェイを歩きはじめた。エースを決めたのは赤いセーターを着た男性のゴルファーで、いつのまにか後ろから追いついてきたフォアサムの一人である。
18番まで無事にホールアウトし、カートとレンタルクラブを返却すると18番のグリーンの後続のフォアサムがやってきた。例の赤いセーターを着た人もいる。五十代の、レッドソックスの帽子をかぶったゴルファーで、かれはスリー・パットで顔をしかめた。その最後のスリー・パットのせいなのかもしれないが、かれが浮かぬ顔をしているのでさっきのエースの喜びはもう消えてしまったのかと、ぼくにとっては不思議だった。そして、さっきのはすごいショットだったですね、と話しかけたのだ。
「いや、あれは三打目だったんだ」かれは、にこりともせずにいった。
「え? どのショットのことですか」ぼくは聞いた。
「今の、18番のピッチショットのことじゃないのかね」
「いや、そうじゃなくて、16番のティーショットですよ。エースを決めたじゃないですか」
「16番というと、ショートゲームだな」
「そうですよ」
「あれは飛びすぎたよ。フォローの風に乗ってグリーンのずっと奥、パインツリーの向こう側まで行ってしまった。あそこはスリー・オン、ツー・パットのダブルボギーだよ」
ぼくは混乱した。人違いをしたのではないかと、あらためて赤いセーターのゴルファーを見た。
「ぼくはあなたの打ったティーショットがカップインするのを見ましたよ。みごとなエースだった」
「ほんとかね」かれは、顔色を変えた。
「だって、ピンを抜いたときにボールが入っていたでしょう」
「たしかにあったが、あれは私の使っていたボールではなかった。きみたちのフォアサムの誰かが忘れていったんじゃないかと話していたんだ」
西日のせいでティーグラウンドからは打球の行方がほとんど見えていなかったのだ。ぼくはそう考えるしかなかった。
「私はタイトリストを使っていて、カップのなかにあったのはマックスフライだった」
「あのときだけはマックスフライを打ったんじゃないですか」ぼくはいった。
「そういわれると、わからなくなってくるな」
「それで、グリーンのずっと奥のパインツリーの向こう側にはタイトリストがあったんですか」
「あったよ。このボールだ」かれはそういって、手に持っていたボールを見せた。気のせいか古いボールに見えたが、たしかにタイトリストだった。ナンバーは5である。タイトリストはポピュラーだから、誰かのロストボールだったのだろう。当たりがよく、フォローの風も吹いていたからグリーンの奥まで探しにいき、そこで偶然、かれはタイトリストの5番と遭遇してしまったにちがいない。「しかし、ぼくはたしかに見たんだけどな。あれは完《かん》璧《ぺき》なショットですよ」
かれはぼくの話を信じたようだった。かれは仲間を呼び、このジェントルマンが16番の私のショットを見ていて、それがエースだったといっている、と説明した。
皆、まさかという顔だった。
そして侃《かん》々《かん》諤《がく》々《がく》、話が始まった。
やがて問題がはっきりしてきた。
あの一打がエースであったとすると、なぜ赤いセーターのゴルファーが16番でマックスフライのボールを打っていたのか、という点が問題になってきたのだ。
マックスフライを持っていなかったのに、なぜマックスフライのボールを打てたのか?
どこかでボールを間違えていたのではないか。
それに気づかずにプレーしていたとするとペナルティーはどうなるのだろう……。
そういうホール・イン・ワンもあるのだ。
「いずれにせよ」とかれは最後にいっていた。
「私の今日のスコアがこれ以上よくならないことだけははっきりしているな」
スコアカードを見ると52と56、トータルで108。かれはまぎれもなく、ダブルボギーゴルファーだった。かれは今後、西日に向かうショートホールではパイロットが使っているようなサングラスをかけるにちがいない。そして二度とやってこないエースのチャンスを待ちつづけるのだ。
エピローグ 18番ホールの謎《なぞ》
ゴルフに関する本を読んだり、資料をあさっていると、ふと首を傾《かし》げたくなるようなエピソードにぶつかる。
これもその一つだ。
場面はアメリカ、テネシー州のメンフィス・カントリークラブの18番ホール。ここでアマチュアのゴルフ・トーナメントが行われていたと思ってほしい。マッチプレーで争われていたトーナメントは最後のラウンドに入っており、18番ホールにやってきたのは優勝を争う二人のゴルファーである。
そのうちの一人、ハンター・フィリップス氏はメンフィスでは敵なしというくらいのアマチュア。トーナメントの優勝候補の一人だった。そのフィリップス氏が1ダウンで最終18番ホールのグリーンにやってきた。
マッチプレーでは各ホールごとに勝負が繰り返される。二人とも同じスコアならイーブンとなるが、一打差でも二打差であってもそのホールでいいスコアをマークしたほうが1アップとなり、ボールゲームのスコア風にいえば1―0となるわけである。
1ダウンで18番ホールにやってきたということは、フィリップス氏にもまだ勝ち目があるということだ。この18番ホールで対戦相手よりいいスコアをマークすればタイに持ち込める。そして試合はエキストラ・ホール(プレイオフ)になだれ込むわけである。
フィリップス氏はミドルホールの18番、三打でボールをグリーンに乗せ、最初のパットを入れればパーをとれるという場面。バーディーを逃したが、相手も似たようなもので、すでにパー・パットを外し、先にボギーでホールアウトしている。残るはフィリップス氏のパットのみ。ファースト・パットが入れば18番はかれのものとなり、プレイオフになる。逆に、パットが入らなければ、その時点でゲームオーバー。セカンド・パットを入れてボギーでホールアウトしても1ダウンは変わらないからである。
緊張する一瞬だ。
カップまでの距離は三フィートというから、約一メートル。
いやな距離ではあるけれど、練習中であれば目を閉じて打っても入ることがある距離である。やさしいといえば、やさしい。難しく考えるとこの一メートルが途方もない距離に見えてしまうこともある。
そういうシチュエーションでハンター・フィリップス氏はじっくりと芝目を読んだ。ボールマーカーを置いてあるところで膝《ひざ》を屈《かが》めてカップを眺め、こんどは逆にカップのほうからボールの位置を確かめるという具合である。
よし、と決断したように立ち上がり、フィリップス氏はボールをセットしてパットの構えに入った。
かれはパットを打つ寸前まで行ったという。ところが、ほとんどテイクバックするところまで行ったにもかかわらず、かれはパットしなかった。スタンスを解き、ステップバックして、もう一度やりなおし、というわけである。
フィリップス氏は二度目のスタンスに入り、じっと微動だにせずボールとカップを見つめた。プレイヤーもギャラリーも固《かた》唾《ず》を呑んで呼吸を止める瞬間だ。ところが、さあ今度は打つかというときになって、ハンター・フィリップス氏は何を思ったか再び体から力を抜くと、ギャラリーが見ているなかボールを拾い上げ、対戦相手のゴルファーのところへ歩いていってその手を握ったというのだ。
そして、一言――「あんたの勝ちだよ。あのパットは入らない」
そのままクラブハウスに引き揚げてしまった。
これはアメリカの、ゴルフちょっとしたエピソード集、といった感じの本に紹介されていた、実際にあった話である。
不可解だと思う。
最終ホールの、一番大事なパットを打たずにボールをピックアップしてしまうとは……。
フィリップス氏がなぜ、そういう行動に出たのか、何の解説も付け加えられていなかった。
「結局、プレッシャーに負けたんだよ」と、ゴルフ仲間の一人は解説口調でいったものだ。
「イップスだったんじゃないか。ほら、パットしようとすると手首が、ガチガチになって動かなくなってしまうというやつさ。それでも無理やりテイクバックしようとするとコントロールがきかなくなって大きなストロークになってしまう。一メートルのパットを沈めようとしているのにグリーン・オーバーのホームランを打ったりしちゃうんだよ。そんな恥をかくくらいならいっそパットなんかしないほうがいいという結論になったんじゃないのかな」
なるほど、である。十分に成立しそうな推論だ。
「いや、その男はきっと18番ホールで自分のスコアを考えていたんだよ」と、その日一緒にラウンドした別のゴルファーがいった。この話をしていたのは、じつは晩秋の日のゴルフを終えたあとのクラブハウスのバーである。
「18番ホールのグリーンに向かうときはたいてい自分のスコアを計算しているものなんだ。頭の中は数字だらけ。おれはいつも計算に間違いがなかったか、くり返し足し算をしてるよ。計算し直せば数字が減るわけじゃないということはわかっているんだけどね。そのうえ、あのホールの、あのショットがなければまた違った展開になっていたはずだなとも思う。あのときのアプローチショットのミスがなければトリプルボギーは避けられたはずで、悪くともダボ、うまくいったらボギーであがっていたかもしれない。そうなればトータルのスコアも変わっていたはず……」
「それは自分の話だろ」ぼくはいった。
「いや、そうともいえないんだ」かれはビールのグラスを片手に話を続けた。
「そのハンター・フィリップスという男も18番ホールのグリーンに向かって歩きながらその日のスコアを考えたと思う。優勝候補だったのにlダウンでそんなところを歩いてるんだ。きっと自分を責めていたと思うな。勝てるチャンスはいくらでもあった。逆に自分がlアップで18番グリーンに向かって歩いていてもおかしくなかった。ゴルフはそういうものだからね。あのときこうしていれば……という話を積み上げていけば誰でも優勝できてしまう。
かれは腹を立てていた。パットに集中できないくらい腹を立てていたんだ。一メートルのパットをやさしく打つなんて、とてもじゃないができる精神状態じゃなかった。
18番ホールではその日のゴルフのツケが回ってくる。いい気になってクラブを振り回したツケだな。飲み屋の請求書がどさっとまとめて届くようなものでね、おれはいつも自己嫌悪に陥るよ。レベルは違うがフィリップスという男も最終ホールでその日の請求書を突きつけられたんだろう。だからミドルホールでツー・オンに失敗してスリー・オンになってしまったんだろうし、いまいましい一メートルのパットを残していることにも腹が立ってくる。やってられない、という気分だったんだ。請求書どおりに払ってられっか、というわけだよ。ナシだ、ナシ。今日のプレーはぜーんぶナシ。なかったことにしたい。だからその男はボールをピックアップしてしまったんだ」
「自分にあわせて解釈しすぎだな」
「その男は要するに、格好つけたかっただけさ。どうやってもパットが入りそうにない。つまり自信をなくしてたわけだろ。入らないなら負けることになる。どうせ負けるならいさぎよく、しかも格好つけて負けようとしただけじゃないのか。握手して自分の負けを宣言するというのも、考えてみればひねくれたヒーローを気取っているわけだからね」
解釈は様々。しかし、18番ホールではその日のゴルフのツケが回ってくるというのは言い得て妙だな、とぼくは思ったものだ。18番ホールにやってきたとき、いつもボギーやダブルボギーのツケに頭を抱えているせいだろう。
ゴルフコースの設計家がそのあたりのことを考えてくれているのか、どうなのか。最終ホールには比較的、素直なレイアウトのホールを配置してくれるところが少なくない。
そう思いながらぼくがイメージしているのは、例えば、アメリカ西海岸、モントレーの名門コース、サイプレスポイントであったり、スコットランドのセント・アンドリュース、オールドコースの18番ホールなどである。
サイプレスポイントは近くにあるペブルビーチと同様、海越えのティーショットが要求されるホールがあることで知られる著名なコースだ。デザイナーは、たしか、アリステア・マッケンジー。ここは16番のショートホール、17番のミドルとたてつづけにスリリングな海越えのショットが待ち構えている。なかでも16番のショートホールは233ヤードという長さ。キャリーで200ヤードは飛ばさないとボールは海に突っ込んでしまう。あるいはごつごつとした岩場に跳ね返り、いずれにせよ、ボールは海の中だ。風向きによっては飛ばし屋でもスプーンを持たないとグリーンに届かない。
その手前の15番も、記憶によれば、距離は短いパー3なのだが、切り立った崖を越えてティーショットを打っていくホールだった。そのうえさらに17番でも海越えが要求されるのである。もちろん迂《う》回《かい》していくことも可能だが、せっかくの挑戦心をかきたてられて逃げるわけにはいかない。
たいていのゴルファーは――特にアマチュアの、ハイハンデのゴルファーは――ここで大きくスコアを崩してしまう。
その海辺のホールをなんとか片付けて18番にやってくると、ここもフェアウェイが狭くターゲットを見つけにくいホールなのだが、不思議なことにプレッシャーから解放されたような気になるのだ。低気圧で荒れる海から内海の、風波穏やかな港に戻ってきたような気分になる。
セント・アンドリュースのオールドコースも同様で、ここはクラブハウスから見える1番、18番ホールだけを眺めていると、なんとのどかな、美しい光景だろうと思えてくる。
実際は2番から17番まで、じつに手ごわい、深いラフやポットバンカーにあふれたホールが続くのだ。ここはゴルフ発祥の地にふさわしく海辺のリンクスで、クラブハウスから遠ざかれば遠ざかるほど海が近づき、風が強くなってくる。
その荒海の航海にも似たプレーから戻ってくると17番では、かつての石炭小屋の屋根を越えてティーショットを打っていかなければならないという名物ホールが待ち構えている。しかも右サイドからはオールドコースホテルの建物が迫り出してきており、スライサーはますます緊張が高まってくるという仕掛けである。
ティーショットの罠《わな》をのがれたにしても、17番では第二打がさらにむずかしい。
横広がりのグリーンは奥行きがなく、遠くから見ると淡い緑のリボンを置いたかのようにしか見えない。その手前には、かつて中島常幸が全英オープンという大舞台で苦戦を余儀なくされたバンカーがぽっかりと、大きな口を開けている。そのうえグリーンの向こう側十数ヤードのところには石垣があり、強く打ちすぎればまた別の罠が待ち構えている。
それだけタフなホールがあるから、オールドコースの18番、フェアウェイにうねりはあるけれど芝はきちっと刈り込まれ、あくまで見通しはよく、周囲の石造りの古い建物によって風もブロックされているからフラッグが静かに垂れ下がる最終ホールのティーグラウンドに立つと、翻《ほん》弄《ろう》され、いいようにあしらわれたコースに対するささくれだった気持ちもおさまり、雲間から一条の光が差し込んできたかのような気分になれるのである。
冒頭に紹介したハンター・フィリップス氏が最終ホールでボールをピックアップしてしまったメンフィス・カントリーの18番が一体どんなホールなのか、「世界のゴルフコース」といったような資料にも出ていないのでわからないのだが、ここは最後の最後までゴルファーにプレッシャーをかけつづけるコースであるのかもしれない。
それにしても、最後の最後でパットをせずボールを拾い上げてしまうというのは、面白い。
一度やってみたいものだと思う。
それができれば、このパットを入れれば100を切れるだの、90の壁を突破できるだの、そんなことに煩わされずに自由になれるのだ。明日はゴルフだという前の晩に突然、目が覚め、スイングチェックをしたくなるようなことはなくなるだろう。夜中に起き出したあと、明かりを消してベッドに入ったときに、両手をインターロッキングにグリップし胸の上に置いていることに気づき苦笑することもなくなるだろう。
今度、試してみるつもりだ。このパットを入れれば、いつもスクラッチで勝負しているライバルに勝てるとわかっていても、何げない顔でボールを拾い上げてしまい、茶番はおしまいだ、といってみたいものだ。
そしてボールを思い切り空に投げあげる……のは、やめておこう。
18番ホールで優勝を決め、思わず歓喜して投げあげたボールが自分の頭の上に落ちてきたプロゴルファーもいないわけではないのだから。
あとがき
あるデータによると、日本では毎日二〇万人を超えるゴルファーがフェアウェイに出てプレーを楽しんでいるのだという。一日平均二五万人で、年間では延べ九〇〇〇万人を突破しているというデータもある。
夏休みに入るとプロ野球セ・パ両リーグの六試合すべてが家族連れで満員になる日があるが、それでやっと観客動員数は二五万人に近づく。ゴルフ界は一年三六五日毎日その大入りをつづけているようなものなのだ。スポーツの動員力では、じつはゴルフにかなうものはない。
年間で延べ九〇〇〇万人という数字を支えているゴルファーには特徴がある。
第一にその圧倒的多数がダブルボギーゴルファーであること。コンスタントに100を切るゴルファーは少数派である。
もう一つの特徴は、かれらがゴルフのルールをほとんど知らない、ということだ。競技規則とはほとんど関係ないところで、日々のゴルフが行われている。
知らないというのは幸せなもので、例えばついこのあいだもこういうことがあった。170ヤードのショートホールに来て、風はフォロー。さて何番のクラブを使おうかと迷う場面だ。先に打った同伴競技者がグリーンを外したものの、距離的にはまずまずのところに第一打を持っていった。
そのショットを見ていた同伴競技者が手に二本のクラブを持ちながら尋ねた。
「何番で打った?」
「5番ですよ。軽く打ったのに意外に距離が出たな」
「じゃ、おれは6番で打ってみるか」
キャディーさんもにこにこと笑いながらその会話を聞いていた。
ゴルフのルールに照らしていえば、かれらにはともに二打罰がつく。「同伴競技者にアドバイスを求めることも反則であり、教えた側も二打罰」――という一項が競技規則のなかにあるからだ。
ボールを林のなかに打ち込んでしまったりすると、そこらじゅうにペナルティーの落とし穴が待ち構えている。
スイングの邪魔になりそうな小枝があったので、軽い気持ちで折ってしまった。これが二打罰。あるいは窮屈な姿勢でボールを打とうと素振りをしているうちにクラブが枝に当たり、折れてしまう。どうせ邪魔だったんだから本番のショットの前に折れてくれてちょうどよかったと、まあ、たいていのゴルファーはそんなふうに考えるだろうが、これにも二打罰がつく。本番のストローク中やバックスイングの途中で折れるのなら構わないのだが、素振りのときに折ってしまうのはスイング区域を意図的に改善したと解釈されるからペナルティーが加算されるわけである。
そういうことまで指摘していくときりがない。「聞いてないよぉ」と、ほとんどのゴルファーがいうに違いない。
聞いてないだろうけど、でもそれがゴルフ本来の競技規則。ルールを犯した場合は自主的にペナルティーを加算する、というのがゴルファーのあるべき姿なのである。
しかし、実際のところ仲間うちの遊びのゴルフが主流だから、コンぺであってもルールはほとんど無視されている。
厳密なルールにのっとって勝負しようといってスタートしても、おまえは素振りで小枝を折ったから二打罰の加算、したがってこのホールはおれの勝ちだといいだしたら、何てセコいことをいうやつだと、間違いなく嫌われてしまうだろう。殴り合いにだってなりかねない。だから皆で仲良く、細かなルールなどなきがごとくのゴルフを楽しんでいるわけである。
ゴルフもなめられたものだ。
将来はプロになるのが目標だという、ゴルフ場の練習生にキャディーをつとめてもらい、コースを回ったことがある。競技者はぼくと友人の二人。練習生はバッグを二つかついでついてきてくれた。無駄口をたたかない真《ま》面《じ》目《め》な練習生だったがホールアウトしてクラブハウスに引きあげるときに17番ホールでファールがありましたよ、とうれしそうな顔でいったのだ。
「17番?」ぼくには全く記憶がなかった。
「グリーンの上でボールをピックアップしたでしょう。あのとき〇〇さん(友人のことだ)がグリーンの端からパットを打っていたのに気づきませんでしたか」
たしかに、そんなことがあった。
「ほかのボールが動いているときに自分のボールをピックアップしたりリプレイスするとツーペナですよ」
練習生はキャディーをつとめながらルールブックのおさらいをしているのだという。だからルール・テストの正解を見つけ合格したように喜んでいたわけだ。
「人のミスを見つけてうれしいか」
「けっこう面白いっすね」
そういう話だったので、ぼくはよくできたといって褒めてやり、あとで頭からビールを飲ませてあげた。
ところで、この本におさめた文章を書くうえでは取材のアレンジで各方面のお世話になったほか、参照させてもらった文献もある。ゴルフに関する本を読むのは好きで、だいぶ前から読んでいたものなのだが、原稿を書くときにあらためて読み直し、資料として使わせてもらうこともあった。手近にあるものだけでもリストアップしておきたい。
GOLFERS HANDBOOK 1990, 1991, 1993 by THE ROYAL & ANCIENT
THE 19TH HOLE by Carol Mann
GREAT GOLF STORIES edited by Robert Trent Jones
STOROKES OF GENIUS by Thomas Boswell
BOBBY JONES ON GOLF by Bobby Jones
THE GOLF OMNIBUS by P. G. Woodhouse
A CHAT ROUND THE OLD COURSE by D. D, R. O
GOLF GAMES by Rich Ussar
AMAZING BUT TRUE GOLF FACTS by Bruce Nash & Allan Zullo
THE GREATEST GOLF SHOT EVER MADE by Kevin Nelson
CADDIE IN THE GOLDEN AGE by Ernest Hargreaves with Jim Gregson
HARVEY PENICK'S LITTLE RED GOLF BOOK by Harvey Penick with Bud Shrake
THE ENCYCLOPEDIA OF GOLF by Malcolm Campbell
PERFECT LIES edited by William Hallberg
ボギーマン ジョージ・プリンプトン著 東京書籍
ダブルボギーゴルフへの道 ハロルド・ショーンバーグ他編 集英社
ゴルフ奇《き》譚《たん》集 ジャン・レイ 白泉社
などである。すべてをここに紹介するわけにはいかないが、ゴルフの本に関してはアメリカ、そしてイギリスが圧倒的に出版点数が多く、内容も多岐にわたっている。実際にプレーするだけでなく、話題としてのゴルフを楽しもうという人が多いせいだろう。読みだすと、翌日のゴルフに影響してしまうくらいだ。いずれにせよ、ゴルフを読む面白さを気づかせてくれた先達の仕事ぶりには感謝しなければならない。
本作品は、一九九四年六月二十三日にマガジンハウスより刊行されました単行本を文庫化したものです。
(編集部)   ダブルボギークラブへようこそ
山《やま》際《ぎわ》淳《じゆん》司《じ》
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平成13年3月9日 発行
発行者  角川歴彦
発行所  株式会社  角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
shoseki@kadokawa.co.jp
Junji YAMAGIWA 2001
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『ダブルボギークラブへようこそ』平成9年7月25日初版発行