花夜叉
山藍紫姫子
[#表紙(表紙.jpg、横94×縦144)]
目 次
花鎮の饗
散る花
花夜叉
二〇〇四年、文庫化によせて。
[#改ページ]
花鎮の饗[#「花鎮の饗」はゴシック体]
[#改ページ]
一[#「一」はゴシック体]
[#ここからゴシック体]
人の心の奥深く、
鬼籠れりといふはまことか…
[#ここでゴシック体終わり]
能のシテ方五座のなかでも、室町時代より六世紀の伝統をもつ観月《かんげつ》流の奥稽古場《おくげいこば》ともなれば、いにしえの能舞台をそのまま屋内に囲った大掛かりなものである。
橋掛《はしがか》りを有する三間四方の舞台を照らすのも、人工照明などではなく、天窓から自然光を採《い》れ、床下には音響の調子をとるための甕《かめ》が埋《い》けられている。さすがに、白洲《しらす》、見所《けんしよ》までは存在しないが、四方の襖《ふすま》を開け放つことで、客席ができ、演能会が催せるほどなのだ。
もっとも、現在この能舞台を使用できるのはただ一人、観月流に連なる名門|藤代《ふじしろ》流の若き後継者、藤代|篠芙《しのぶ》だけであり、他の弟子たちは、別棟にある稽古場で日々の鍛練を積んでいた。
日本に現存する最古の仮面舞踏歌劇である『能』の歴史は古い。
基は、平安時代に中国から伝わってきた『散楽《さんがく》』から発祥した、物真似を演ずる滑稽《こつけい》な芸であった『申楽《さるがく》』と言われる。それが、神社の保護を受け、祭りの際に舞う奉納の舞、あるいは依代《よりしろ》としての神懸かりの舞へと高められ、室町の初期に観阿弥《かんあみ》、世阿弥《ぜあみ》親子らが芸術へと完成させたのだ。
だが、『秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず』と、能の永遠のテーマに『花』と『幽幻』をすえた世阿弥が晩年不遇のうちに歿《ぼつ》し、室町も後期になると、『能』は一時すたれ、ふたたび隆盛を取り戻すのは太閤《たいこう》秀吉の時代になる。
秀吉の後も徳川幕府、諸大名に庇護《ひご》され、『能』は庶民のものではなくなってゆくが、明治維新で幕府が解体すると同時に、出資者《スポンサー》を失った『座』は崩壊し、多くの流派が廃絶した。
藤代流も明治維新の際に廃絶した流派である。
それが先々代の藤代|福寿《ふくじゆ》によって新たに興《おこ》され、観月流のながれに属しながらも再興を果たし、こんにち、篠芙と明煌《あきら》という才能ある二人の後継を得たのだ。
特に藤代篠芙は、十になるかならずの子方《こかた》の頃より天分の冴《さ》えをみせ、観月の長老陣を唸《うな》らせた天才児。
二十歳を越えた現在、舞う姿はさらに凄《すご》みをまし、神懸かって、美しかった。
舞台の磨きぬかれた檜《ひのき》板の上を、神経の張り詰めた爪先《つまさき》が、すうッと滑り、紋服袴《もんぷくはかま》に身を包んだ篠芙の、ほっそりとした身体が、カマエを崩さず、すべらかに移動してゆく。
打ち枝≠もった手を高く掲げ、般若《はんにや》の面≠着《き》た篠芙は、よく通る、心火を揺さぶるほどの声で謡《うた》をあげた。
いかにあれなる客僧
摺《す》り足によるハコビの歩幅と加速度によって、抑制されていた動きが、舞踏的な旋律を帯びた。
旋律はやがて、狂おしさを滲《にじ》ませはじめ、篠芙の裡《うち》より、鬼女の怨念《おんねん》が顕《あらわ》れいでてくる。
さしも隠しし閨《ねや》の内
観月流が、九月に流派内で催す宴能会での曲目は、『安達《あだち》が原《はら》』。
為手《シテ》は、二十二歳の藤代篠芙。
後見を勤めるのは、篠芙にとって腹違いの弟、亡き先代が愛人に産ませた十九歳になる藤代明煌。
あさまになされ参らせし
恨み申しに来たりたり……
高貴な冷たさを漂わせる篠芙の舞は、裡に溜められていた力が解き放たれて、緊迫感がたかまってきた。
脇に控えていた明煌は、取り巻いている空気が凝縮されていくのを感じ、――少し、苦しいと思い、「自分には、あのように舞うことができるだろうか……」と焦燥した。
明煌が、本妻の子である篠芙に負い目を感じながらも、藤代の屋敷へ引き取られたのは九つの年だった。
舞手としての才能がなければ、いつでも追い出されるという状況の中で、彼は必死に舞を習い、ようやく才能が開花しはじめている矢先の焦りなのだ。
ふいに、張り詰めていた空間が歪《ゆが》みをもった。
「明煌ッ」
舞っているとばかり思っていた篠芙に突然呼ばれ、明煌は内心|驚愕《きようがく》したが、悟られぬよう平静を装った。
「はい」
「なにを考えていた?」
般若≠フ面を着たままの篠芙が、もう一度、なぶるような口調で問うてきた。
「いま、なにを考えていたのだ、明煌」
「別に俺は、なにも考えていませんでした…」
明煌は性急に答えを返したが、
「嘘…だな――」
牙《きば》のある空洞の口から、音色のような声がこぼれでて、即座に否定されてしまった。
「わたしから逃げる方法を考えていたのだろう」
「そんなことは、考えていません」
純粋に澄み切った明煌の瞳《ひとみ》には、疚《やま》しさなど微塵《みじん》も含まれていないのだが、どのようなことであれ、篠芙は異母弟にからむための口実にしてしまうのだ。
「相変わらず、…強情だな」
面白そうに言うと、篠芙は、『安達が原』の後シテが手にもつ小道具打ち枝≠フ先で、明煌の顎《あご》を引っ掛け、上向かせた。
端整に整った明煌の顔貌《かおかたち》は、ハッとするほど見栄えのある凜々《りり》しさだが、いまはいくぶんかひき攣《つ》っていた。
なにが起こるのか、判っているからだ。
「脱げ、――明煌」
同等の人に命ずるのではない響きを利かせて、篠芙が要求した。
咄嗟《とつさ》に、明煌は頭《かぶり》を振った。
「――どうか舞台では……」
「口答えをするつもりか? お前が、――このわたしに?」
言うなり、篠芙は振りあげた打ち枝を、激しく、彼の肩口にむけて叩《たた》きつけていた。
「…ッ――」
紋服の上からとはいえ、力任せに打たれた痛みは生半可なものではないのだが、明煌は、身体のなかにジンと走る痛苦を怺《こら》えた。
「お前は、わたしに逆らってはならないことを忘れたのか?」
しっとりと落ち着いた篠芙の声のなかには、脅しが混じっている。
「俺は、――若に逆らうつもりなど、ありません…」
藤代の屋敷に引き取られて十年の歳月。明煌は三歳年上の篠芙を「兄」と呼んだことはなかった。屋敷の誰もが、そして他流派の家元たちが「藤代の若」と呼ぶに慣らされ、半ば強要されてきた。
「そんなことできないのは、あなたが一番よく、……知ってるはずです」
いまも明煌は、自分が、己の立場を弁《わきま》えていることを伝えようと試みた。
「逆らわずとも、わたしを怨《うら》んでいるだろう?」
篠芙は、権力で捩《ね》じ伏《ふ》せられた従順さの奥にある明煌の憎しみを感じているのだ。
自分の誇りを力ずくで歪《ゆが》めさせられ続ける人間が、いつしか心の裡《なか》に育ててしまう羞悪《しゆうお》がある。
このような境遇にある自分を羞《はず》かしく思い、相手を強く憎む心のことだ。
「…いいえッ」
鋭く明煌が打ち消そうとするのを、ふたたび振りあげた打ち枝を叩きつけることで、篠芙は黙らせた。
さすがに二度も打たれて、明煌はうめきを洩《も》らし、床に蹲《うずくま》りかけたが、言い出したら二度と退《ひ》かない兄の性質を知っているがゆえに、怺えて、立ちあがった。
陽光の採《さ》す舞台の上で、伏し目がちになりながら、明煌は袴《はかま》を脱ぎ落としてゆく。
やがて、若木のように瑞々《みずみず》しく、象牙《ぞうげ》色をしたしなやかな肢体が現われる。
「這《は》え」
篠芙は明煌に向かって、床に、四つん這いになり、獣のかたちに這えと命じた。
ゆらめくように明煌の上体がふらつき、下肢が力を失った。
そのまま明煌は言われた通りに跪《ひざまず》き、床に両手をつくのだ。
鬼女の瘴気《しようき》をまとって青白く立つ篠芙は、鬼面をはずそうともせずに、わずかに着袴の下肢をくつろげた。
兆している先端を自分の指先でなぞるように刺激すると、容《かたち》に手をそえ、彼は跪く異母弟の上へと強引に伸《の》しかかった。
「ウウッ…」
容赦なくねじり込まれて、明煌は激痛に呻《うめ》いたが、すこしでも楽になろうと、身体の力をぬいた。
力を弛《ゆる》めた瞬間、さらに深々と篠芙が挿《はい》り込んできた。
「ま、…待って、くださいッ」
叫んだが、赦《ゆる》されず、明煌は、自分が出血したことに気がついた。
明煌が、篠芙の女にされたのは十七の年だった。
この年、自分を引き取ってくれた父であり、藤代流家元の藤代|弥昌《みしよう》が自動車事故で死亡し、同乗していた愛人――明煌の母親は、一命をとりとめたものの、いわゆる植物状態となった。
微力な少年は、異母兄である篠芙に頭を下げて、母の治療費を出して貰《もら》わなければならなかった。
本妻の藤代夏江は、「冗談じゃない、お前は今日限り出てお行きッ」と、すさまじい剣幕で怒鳴りちらしたが、篠芙は治療費を出すことを承知した。
その時、金と引き替えに明煌は絶対の服従を要求された。
隷従の証《あかし》として、肉体を捧《ささ》げさせられたのだ。
以来、二年。
一片の情けもなく扱われた。
最初の時から、篠芙は、決して明煌の身体には触れなかった。
十七歳の明煌が、漠然と思い描いていた性の営みとは、まったく、異なっていた。
口唇《くちびる》を合わせることもなく、ましてや、愛撫《あいぶ》が加えられることなど有り得ず、篠芙は、痛みと屈辱だけを、明煌に与えるのに専念しているかのようだった。
いまも、篠芙によって気の向くままにあつかわれ、明煌は、欲望≠ニいうより、異母兄の怒り≠鎮めるため、鬱憤《うつぷん》晴らしのための道具でしかない仕打ちを、肉体に加えられるのだ。
だが、二年という歳月が、無慈悲に突き込まれ、犯されているだけだった性を目覚めさせたのか、明煌の肉体は反応をみせるようになっていた。
「あ…っ…」
いまもまた、深く穿《うが》たれ、責められているうちに、淫《みだ》らに昂揚《こうよう》して、明煌は小刻みな顫《ふる》えとともに、おもいがけなくも精を渫《も》らしてしまったのだ。
「なにが、舞台では嫌だ…だ」
遂精《とせい》してしまった明煌から身を退《ひ》き、篠芙は乱暴に突き放した。
羞恥に駆られた明煌は、咄嗟《とつさ》に、汚してしまった床を脱いだ下着で隠して、彼を振り返った。
般若《はんにや》≠フ双眸《そうぼう》から、怒りがわきあがっていた。
「神聖な舞台の上を穢《けが》して、どうするつもりだ?」
篠芙は卑しめるように言って、着けていた面を外した。
面を外した拍子に髪を結い留めていた紐《ひも》もほどけたのか、彼の、背の中程まである長い髪がしなやかに流れ落ちた。
神経質な指先が髪を煩《うるさ》そうにかきあげ、――美しい、男の貌《かお》が現われた。
その麗しき顔のなかでもひときわ際だって印象的な、冷たい光を宿した双眸が酷薄な感じに細められて、明煌を睨《ね》めつける。
切れるような流し目だが、そこには、欲望を鎮めたあとの余韻など微塵《みじん》もない。
感情の突起を表さない、冷たいまでに整った貌と、冷たい心があるだけだ。
明煌は、美しいと思い、また憎いとも思った。
「これを、片付けておけ」
突然、般若≠フ面が投げ付けられ、かろうじて明煌は、床に落ちて傷がついてしまう前に受けとめた。
この時ばかりは、大切な面をこのように扱うなど、太夫《たゆう》として失格であるといいたげに睨《にら》む明煌を、美しい篠芙の口元が嗤《わら》った。
一瞬の嘲笑《ちようしよう》のなかを、ふと陰っていくものがあって、明煌は、鬼と化した黒塚《くろつか》の女の悲しみ、怒りが、まだ篠芙に依《よ》り憑《つ》いているのかと錯覚した。
「奥へ行ってくる。戻るのは夕方になるから、車は裏へ回しておけ…」
必要な用件だけを言って、篠芙が踵《きびす》を返し、出て行ってしまうと、明煌は素早く身支度を整え、床に飛び散った白濁を自分の下着で拭《ぬぐ》いとった。
これほど惨めなことはなかった。
さらには、なんど拭っても、飛び散った濁液が染み込んでしまったのか、板の間には跡が残ってしまうのだ。
「明煌さん」
焦りを感じているところへ、突然に名を呼ばれ、明煌はギクリッと戦《おのの》いた。
慌てて顔をあげると、いつ入って来たのか、紺黒のスーツに身を包んだ真木博人《まきひろと》が、舞台の入口である橋掛《はしがか》りの位置に立っていた。
「真木さん…」
どこまで見られていたのだろうかと狼狽《ろうばい》する明煌に対して、真木は何事もなかったかのように申し出た。
「藤代の若が戻られるまで、わたしでよければ稽古をつけましょうか?」
いつも和装ではなく、仕立てのよいスーツを隙なく着こなしている真木は、観月流の指南役の一人であり、高齢の宗家を補佐する役割を担っている男だが、能役者というよりは、秘書かボディーガードという感じがあった。
一説には、宗家の隠し子との噂もある。
いずれにしても真木は、三十代なかばとは思われない静かな威厳を漂わせた、どことなく不気味な男でもあった。
いまも、舞台で行われていた一部始終を見ていただろうが、そのようなことを曖気《おくび》にも出さず、また、明煌がすべての始末を終えた頃あいを見計らって、現われたのだ。
だが、苦悩する美男中将《ちゆうじよう》≠フ面を思わせる顔付きの真木博人を、明煌は嫌いではなかった。
むしろ、人に様々に言われていることも気になり、興味があった。
「藤代の若にもしものことがあれば、替わって、後見であるあなたが舞台で舞わねばなりません」
謡を教える真木の声音は、低く澄んで、広い稽古場の端々にまで響く。
「…お願いいたします」
横座に座った真木に頭を下げた明煌は、いまほど篠芙が立っていた舞台の中央へと進み出た。
「曲目は、『安達が原』でしたね。秋口の番組の一つとしては、ちょうどいいですね」
真木の声は、宗家にも似ていたが、むしろ宗家の息子である観月|基世《もとよし》にそっくりだった。
やはり噂は本当かもしれない。そんなことを考えながら、明煌は、床の染みが薄れて来ていることに気がつき、「これで、舞うことに専念できるだろう……」と、安堵《あんど》した。
『能』は大別すると、『夢幻能』と『現在能』とに曲目が分かれる。
番組の構成上からは『神《しん》・男《なん》・女《によ》・狂《きやう》・鬼《き》』となり、正式な演能会ではこの五番立で催されるが、時間も経費もかかるゆえに、こんにちでは希《まれ》となっているのだ。
『安達が原』は、流派によっては、『安達原』、『黒塚』とも称される五番目の鬼畜ものである。
むかし、陸奥《むつ》の国にある安達が原に迷う山伏の一行があり、行き暮れて黒塚の一軒家に宿を乞《こ》うところからはじまる。
家中より出てきた里女は、仕方なく一行を招きいれるが、糸繰り車をまわしつつ、世渡りの業の辛《つら》さを嘆いて聞かせる。
真木が手にした扇で調子をとりながら囃《はや》すのにあわせて、明煌は糸繰る仕種《しぐさ》で里女を演じはじめた。
「一度は断ったものの、困っている一行の懇願に負け、里女は宿を提供することになります。――しかし、彼らは、決して覗《のぞ》いてくれるなと頼んだ約束を違《たが》え、女の留守に部屋を覗き、秘密を知ってしまいます…」
合間に真木が解釈をいれてくれる。
夜更けて、火種がつきた頃、薪《たきぎ》を取りに出て行こうとする里女は、『決して奥の部屋を覗いてはならない』と言うが、一行のひとりが禁忌を犯し覗いたところ、中には人の死骸《しがい》が山と積まれ、腐肉と化していた。
「いつの世も、約束を違えるのは人間の方。後シテでは、鬼女の怒りの裡《なか》に、哀しみも混じるのです」
違約を怒った里女は、鬼女の正体を顕《あらわ》して一行に襲いかかるが、結局は祈りで調伏されてしまうのだ。
シテは前では深井《ふかい》≠ニ呼ばれる中年女の能面が使われ、鬼女に化してからは、般若《はんにや》≠フ面が使用される。
能においての三鬼女ものといえば、『安達が原』と、『葵上《あおいのうえ》』『道成寺《どうじようじ》』、もうひとつ、鬼女ものには、『紅葉狩《もみじがり》』があるが、この鬼女の面は顰見《しかみ》の面≠用いる。
「顰見の面≠ヘ、非人間を顕すもの。しかし般若の面≠ヘ、もとは人であるものが鬼に化したことを顕す面。いかに黒塚の鬼女といえども、人であった昔があるということを滲《にじ》ませて舞うのです」
後シテの登場を告げる出端《デバ》の合図にみせかけて、扇を連打させながら、真木が謡う。
いかにあれなる客僧
止まれとこそ
さしも隠しし閨《ねや》の内
あさまになされ参らせし
恨み申しに来たりたり……
舞台の背景として描かれている老松の一の松で、打ち枝≠つき、屈《かが》めていた腰を立ちあげて一行を睨《にら》む里女の顔は、すでに鬼面と化している。
恨み申しに来たりたり……
ワキへ向けて、カマエたまま腰だけを使って向き返ろうとした時に、ふいに明煌の下肢が乱れ、動きが崩れてしまった。
謡を止めた真木が、上目に視線をあげ、動揺している明煌を見た。
犯されたあとの腰が、力を失って、ふらついているのだ。
すっと、真木は立ちあがって近づいてくると、手の扇を、明煌の腿《もも》に打ち下ろした。
ビシッ――と、すさまじい音とともに、明煌はうめき、床に膝《ひざ》を落としてしまった。
打たれたところが、カッと熱をもって痛みを発してくる。
「そんなことでどうします。藤代の若ならば、どんな時でも立派に舞ってみせたものですよ」
口唇《くちびる》を噛《か》んだ明煌は、手の顫《ふる》えを怺《こら》えるために、拳《こぶし》にして握りしめた。
「すみません…。真木さん、もう一度、お願いします」
「こんど乱れが生じたら、わたしは帰りますよ」
「はい」
頭を下げ、重く疼《うず》く下肢を引き摺《ず》るようにして明煌は立ちあがったが、つい、胸の苦しみが独り言となって出ていた。
「――俺は、若のようには舞えないんです……」
「目の前で凄《すさ》まじきものを見せられては、自分が取るに足らないと卑屈に思えるのも無理はないでしょうが、あなたには、若にも優《まさ》るとも劣らない舞の資質が備わっていますよ」
弱音を吐き出した明煌を、真木は怒るでもなく、興味深げに見てから、さらには、思いがけないことを口にしたのだ。
「明煌さんには、藤代流を襲《つ》ぐことができるだけの才があります」
「藤代を襲ぐ?」
驚きのあまりに、明煌は問い返していた。
「でも家元は若が……」
二年前、先代が亡くなった時点で正式な襲名は行わなかったが、藤代流家元は篠芙であると誰も疑ってはいないのだ。
「野心を持ちなさい」
静かな表情のままでいながら、唆《そそのか》すように真木が言った。
明煌は、入院する母の治療費のために、能を罷《や》めて働くことを考えた時期があった。
藤代を出て行くことも考えた。だが一度も、自分が篠芙にとって替わり、藤代流の家元になれるとは考えもしなかった。
「相応《ふさわ》しい者が、流派を襲ぐ。それは若も判っていることです」
弾《はじ》かれたように明煌は顔をあげたが、もう真木は横座の席に戻っていた。
二[#「二」はゴシック体]
[#ここからゴシック体]
定めなき世の 中々に
憂きことや頼み なるらん
[#ここでゴシック体終わり]
同じ頃、観月《かんげつ》の屋敷では奥≠ニ呼ばれる、家人ですら容易に足を踏み入れられない棟の一室で、篠芙《しのぶ》は彼らの訪れを待っていた。
空気の澱《よど》んだ十畳ばかりの寂《しず》かな部屋だが、四方を仕切る襖《ふすま》を開けば、一気に五十畳の広間になり、さらにそれぞれの襖を取り払えば、九十畳の大広間になるという古い時代の家屋で、篠芙が居るのは、その中心の部屋なのだ。
稽古場《けいこば》の舞台で、抗《あらが》い難き衝動に支配され、明煌《あきら》を犯した篠芙は、いまは湯を使い、絽《ろ》の単衣《ひとえ》に着替えて身仕舞いを整えていた。
のばしている髪もほどいて、背にながくたらしている。
冷たいまでの気品に満ちた貌《かお》には、先ほどの冴《さ》えはなく、むしろ、内奥に隠されている脆《もろ》さのようなものが滲《にじ》んでいた。
いつも、待っている時間は永く、まして、落ち着かない。
どれ程してか、次の間の方からざわめく気配を感じると、篠芙は諦《あきら》めたように肩から力を抜いた。
襖が開かれ、薄暗い続き部屋の方から、黒式尉《こくしきじよう》≠フ能面を着《かぶ》った紋服袴姿《もんぷくはかますがた》の――異様な三人が入ってきた。
三人は、それぞれの地位を表すかのように、篠芙を囲み、左右と後ろに座した。
しばらくして、最後の一人で、白式尉《はくしきじよう》≠フ面を着けた四人目が入ってきて、篠芙を前に、上座に腰を下ろした。
『翁《おきな》』系列の面である白式尉≠ニ黒式尉≠ヘ、ともに神聖な面であり、位でいえば、白式尉がもっとも神に近いということになる。
ここで、白式尉を着けるのは、観月流の宗家だけである。
ほかの三人も、紋を見れば誰であるのかが判った。篠芙もまた、身に纏《まと》った単衣の背に、藤代の家紋を染めているのだ。
「身体を洗ってきたのかね」
左脇に座していた黒式尉が、篠芙の腕をとり、はやくも袂《たもと》からは胸元へ手を差し入れて、口にした。
「それはいけない。若さんの匂いが消えてしまう」
そう背後の黒式尉が言葉を継ぐ。
「稽古で、汗をかいておりましたので…」
答えた篠芙の声音は、抑揚を欠き、冷たく、静かだ。
「嫩《わか》く、香《かぐわ》しい匂いを消してはならない」
「それとも、藤代の若には、消さなければならない別の男の匂いでも付着していたのではないのかな」
右の黒式尉が、見透かしたように、凄味《すごみ》ある声で言った。
「なんと、それは確かめてみなければ…」
すぐさま、左右から男たちの手が伸びて篠芙は立ちあがらされ、後ろにいる黒式尉によって、腰の帯をほどかれた。
まるで花がひらくさまを早送りでみるがごとくに、単衣の前がひらき、青白い身体があらわになる。
黒式尉たちはすべて脱がせてしまうのではなく、乱したままで、手を差し入れ、篠芙の身体をまさぐってきた。
触れられた瞬間に、篠芙は眩《くら》んで、左右から抱き支えられなければ立っていられなくなった。
女性的に細い首筋から、鎖骨をなでて、二本の手が胸元を刺激する。透けるような青白い肌の上に、桜色に盛りあがった胸の突起があり、男たちの爪先《つまさき》がからんだ。
「く…あ…」
電流を流されたような刺激を受けて、篠芙は頭を振って拒絶を示した。
「もう感じている…」
腰の辺りを撫《な》でさすっていた背後の黒式尉が、耳元に粘り気のある囁《ささや》きを吹きかけた。
「いっそ淫《みだ》らにおなりだねぇ」
いや――と、篠芙は身を捩《よじ》らせたが、胸元から身体が甘苦しく痺《しび》れて、動きが鈍っていた。
篠芙が、異母弟の明煌を性的に凌辱《りようじよく》したのは二年前のことだったが、彼自身が、白式尉、黒式尉たちに肉体を拓《ひら》かれたのは、十二年前、わずか十歳の年だった。
流儀制度の確立している能の世界で、名門とはいえ一度廃絶した流派がいまふたたび世に出るために、父の弥昌《みしよう》は、美童の誉れ高い篠芙を、座≠フ頂点に立つ観月流宗家への供物としたのだ。
表向きは、舞を習い、礼儀作法を学ぶという名目で観月の屋敷に住まわされた篠芙は、四人の男たちに壊され、そして新たに組みたてられた。
可憐《かれん》な花びらをむしられ、徹底的に蹂躙《じゆうりん》されて、妖《あや》しい花に造り替えられたのだ。
「どれ、悪いことをしてきたのか、調べてやろうか」
独特の濁声《だみごえ》をもつ左の黒式尉が言うと、それが合図のように、篠芙は背後の黒式尉によって裾《すそ》が捲《まく》りあげられ、下肢を剥《む》き出しにされた。
「うッ…」
両の腕を、それぞれ右と左の黒式尉に掴《つか》まれて立たせられ、背後からは双丘を鷲掴《わしづか》まれ、秘蕾をあらわに割り裂かれたところへ、秘め事の痕跡《こんせき》が残されてはいまいかと、右から指がまさぐってきた。
「力をぬくのだ。いくら口許《くちもと》を締めても、内を指察すれば、なにをしてきたか一目瞭然《いちもくりようぜん》なのだよ」
言うと同時に、右の黒式尉の指が挿《はい》り込み、篠芙の下肢は戦《おのの》きを放ったが、前方が辛《つら》いほどに凝《こご》った。
上座から、白式尉が見ていた。
面を着た老人は、自分の方に向けられている美しい貌が、男たちの手によって曇り、仰《あお》のき、苦悶《くもん》に歪《ゆが》むさまを凝視している。
「おや、…これは妙だな」
先に挿入していた右の黒式尉が小首を傾げた。
「どれ、わしも…」
続けて容赦のない指が挿り込み、篠芙が痛みに身体を強張《こわば》らせるのが判ると、ひっひっ…と複数の笑いがおこった。
「どうした、痛いのかな?」
内部に入り込んでいる二本の指が、別々の意思で、鉤状《かぎじよう》に折り曲げられる。
「ウッ…」と、篠芙はのけぞったものの、口唇を噛《か》んだ。
「痛いなら、なぜ若は、痛いといえない?」
深みと厳しさの混じった声が聞こえ、ぎゅっと閉じ合わせていた眸《ひとみ》を、はッと瞠《みひら》いて、篠芙は自分を覗《のぞ》きこんでいる黒式尉たちを見た。
面の、眼孔《あな》の向こうにある眼が見え、篠芙はまた眸を閉じた。
「痛いのです。…赦《ゆる》してください」
切れ切れの哀願がようやく彼から洩《も》れた。
「いやいや、赦せんね」
意地悪く否定され、三本めの指が、容赦なく挿り込んでくる。
「くッ」と篠芙の喉《のど》の奥が鳴った。
狭い秘穴のなかを、掻《か》き乱すように指が蠢《うごめ》くと、篠芙の肉奥では痛みとは別の苦しみが生まれ、それはやがて熱をもった疼《うず》きに変わってゆく。
いつしか篠芙は、三人に支えられるがままに身体を委《ゆだ》ねてしまっている。
だが、白式尉《はくしきじよう》に向けた前方が、淫りがましくなる寸前で、指戯はとめられてしまった。
「ふむ、どうやら、思い過ごしのようでした」
黒式尉《こくしきじよう》の中でもっとも権威を持っている右方の男が、白式尉に報告するように言うと、三本の指が曳《ひ》き抽《ぬ》かれた。
「ああ…」
支えとなっていた腕までも放された篠芙は、落花狼藉《らつかろうぜき》を受けた高貴な姫のごとくに、頽《くずお》れて、「はぁ、はぁ…」と肩を喘《あえ》がせた。
下肢を縒《よ》るようにして悶《もだ》える篠芙は、日頃の端麗さを欠いて、嬌《なま》めいていた。
彼の前に、ひとり見るだけでいた白式尉が、近づいた。
「今夜は、藤代の若の舞をご所望のお客人が見えている。行って、舞ってやりなさい」
すでに七十を越えた高齢とはおもわれない張りのある声が命じる。
舞を所望という意味の裏には、昏《くら》く淫靡《いんび》な別の意味があるのだ。
「はい……」
答えた篠芙が、口唇を噛みしめながらも起きあがると、すぐさま黒式尉たちによって、用意されていた『羽衣』の装束を身に着けさせられた。
装束を整えられた篠芙からは、舞台で明煌を犯していた時の傲慢《ごうまん》さも、強さも失われてしまい、はかなさがあり、殉教者のごとき悲壮さが漂っている。
「さあ、若……」
背後に居た黒式尉が花嫁の手を引くように、篠芙の手を把《と》り、別室へと誘った。
別室は、いくつもの部屋を通り抜けて行かねばならない奥にあり、決して、家人すらも立ち入らない秘密の場所でもあった。
そこでは、小太りで、いささか醜悪な容貌《ようぼう》の四十代半ばと思われる男が、篠芙を待っていた。
「こりゃあ本まもんの、藤代の若さんだ。まさか本当に来てもらえるとは思わんかったわ」
篠芙の後ろから、白式尉、黒式尉たちも入室してきて、部屋のなかで上座に客人を置き、左右に四人が二人ずつ並んだ。
「なんや、わしみたいな男でも、金さえあれば一生に一度、こんな奇跡みたいなこともあるもんだな」
中央に座した篠芙は、醜い顔を脂下《やにさ》げた男が上機嫌に言うのを無視して、両手をつき、深々と頭を下げた。
「お越しいただきまして、ありがとうございます」
「うんうん、聞きしに勝る美形。もっとこっちへ来て、顔を見せてくれや、まさに天女が舞い降りたみたいだ」
長い髪はゆるく束ねたままで、面も、天冠もつけないが、能面のように美しい篠芙の顔は、なんとも形容しがたく、まさに天女の風情が漂っている。見るものを夢見心地にする妖《あやかし》と神秘性が存在するのだ。
「まずは、『羽衣』を舞って見せてくれるとか、わしは、うつくしい天女に、慰めてもらうことになるんじゃな」
篠芙はすでに劣望をむき出している男から顔を背けて立ちあがると、扇を受けとり、羽衣伝説を題材にした『羽衣』を舞いはじめた。
生地も仕立ても良いスーツに、光り物のブレスレットやら、文字盤の表面にダイヤを敷き詰めた時計をこれみよがしに嵌《は》めた客は、不動産売買で富を築き金融業に進出した森村という男で、切り替えの早さと見通しの確かさで、現在も羽振りがよい。
能のシテ方としては最大の派閥である観月であっても、大規模に催される身内だけの宴能会や、建設中の観月能楽堂の施工費などで出て行く金も大きく、財団や篤志家の援助なしではやってゆけないのだ。
十四になる頃から、年に一、二度、篠芙は客人の前につれて行かれ、肌を穢《けが》されるようになった。
やがて、うつくしい姿をひらめかせて舞う篠芙が、舞を納め、扇を閉じて畳に両手をつくと、森村は満足したように拍手を惜しまなかったが、「次はなにを舞ってくれるか」とすかさず催促した。
するとそこへ、後ろの黒式尉が近づき、持ってきた面箱を差し出して箱の中身を見せ、「次はこれを…」と告げ、いわくありげに篠芙の方へ視線を巡らせた。
「まさか、こんな物を? 信じられん」
森村は呻《うめ》きをあげたが、舐《な》めずるばかりの視線で、面箱のなかと、篠芙とを見比べている。
面箱のなかに納められていたのは、龍頭《りゆうず》≠ニ呼ばれる水牛の角で拵《こしら》えた男型《デイルドウ》だった。
それは、赤児の拳《こぶし》を握った腕一本ほどの太さ長さがあり、龍の名の通り、全体に、それも逆向きになった鱗《うろこ》がびっしりと刻まれているのだ。
恐ろしい龍頭≠ェ取り出され、客人の前に、畳から生え出たかのごとくに立てられると、篠芙は蒼白《そうはく》になった。
「藤代の若、お客人がご所望だ、見事に納めてお目にかけるのだ」
「そ、それは…」
たまりかねて篠芙がうつむいてしまうのが判ると、右の黒式尉が、助けるとみせかけて、なおも追い詰めるように仕向けてきた。
「ならば少しでも楽に呑《の》めるように、お客人にお願いしてみたらどうだ?」
「なんだ? なにか、方法があるとでもいうのかね?」
身を乗り出さんばかりで森村が問い返してくる。
「お客人の、お腰の物で突いてもらっているうちに、若も龍頭≠咥《くわ》えられるようになるかと…」
後ろの黒式尉が森村に答えるのを聞いた篠芙は、恐ろしき異物、残酷な男たちから身を隠そうとばかりに、手で貌《かお》を覆ってしまった。
「ハハッ、それはいい。そういうことであれば、藤代の若のために、ご協力しなけりゃならんなァ」
興奮しはじめている男が、身を乗り出してきた。
つられて、篠芙の方は後退《あとずさ》るが、背後から黒式尉たちに押さえられると、容赦ない力で装束を脱がされ、羽衣をはぎとられた天女さながら客の前に突き出されてしまった。
さらには両膝《りようひざ》を黒式尉たちによって左右にわられ、むき出しになった前方を、巧みになぶられた篠芙は、兆したところで、綾紐《あやひも》を使って付け根を括《くく》られてしまう。
塞《せ》き止められる苦渋にうめきが洩《も》れるのも構わず、右の黒式尉は、双果実もろとも編みこむように括って絞った。
「天女の霊薬は後ほどに味わっていただくとして、まずは若、なにもかも御覧にいれねば」
男たちは、有無を言わさない強引さで、森村の前に篠芙を引き立てた。
「四つん這《ば》いに、尻《しり》を突き出してお見せしなければ…」
薄暗い部屋のなかでは、篠芙の青皙《あおじろ》さが浮きたって、ほの皓《しろ》い輝きのようにみえる。
「さあ、若…」
先ほど明煌に強いたことを、今度は自分が強要されるのだ。
口唇《くちびる》を噛《か》み締めながらも、篠芙は客の方へ尻を向けたまま伏して、両手|両膝《りようひざ》を付いた。
「腰をあげて」
戸惑っていると、腹部に腕を差し入れられ、ぐいと下肢を突きあげさせられる。
篠芙があッと思った時には、もはやどうしようもない姿にさせられていた。
這わされたことで双丘がひらいてしまい、狭間《はざま》に秘されていた花蕾が客の前にむき出しになってしまったのだ。
男は、なおも両手で双丘をわけ、覗《のぞ》きこんできた。
媚肉《びにく》の花襞は、視られているということを意識した瞬間から、淫《みだ》らな花に変化し、濡《ぬ》れたように艶《つや》めきだした。
感情の起伏を失った氷のような美貌《びぼう》とは裏腹に、篠芙の肉体は、天性の淫質《いんしつ》が備わっているのかと疑いたくなる猥《みだ》りがましさで、男を誘いかけているのだ。
「さあて、藤代の若、最初はどうすればいいのかな?」
篠芙は、羞恥《しゆうち》に強張《こわば》りながらも、耳許《みみもと》で黒式尉に囁《ささや》かれた言葉を口にする。
「な――舐《な》めてください、舌でっ…」
下肢を差し出し、篠芙が懇願した。
「こりゃあ驚いた。けれど、藤代の若さんに頼まれては断れないぞ」
興奮気味の森村は、手を掛けて、さらに裂けよとばかりにひらいた双丘の狭間に、ぬめぬめと蠢《うごめ》く舌を差し入れてきた。
たまらずに篠芙が身悶《みもだ》えた。
男のながい舌が、開花しようと膨らんだ蕾《つぼみ》の内部まで押し入ってくると、敏感な内襞をも舐めだした。
「あ…う…」
突っ張らせていた腕の力を失った篠芙は、しどけないまでの姿で上体を落としてしまう。必然と、下肢が持ちあがり、より淫らになるが、自分ではどうすることもできなかった。
「さて、若さん、次はどうすればいいんだ?」
まだ舐めていたい素振りで森村が訊《き》いてくる。
「――ゆびで、指でしてください」
またも黒式尉に教えられるまま、篠芙は自分の身に加えられる行為をねだらなければならない。
「指でなにをする」
強要されているとはいえ、眩《くら》むほどに恥ずかしい言葉を篠芙は口にさせられるのだ。
「わたしの、――を、ひろげて」
「そういうことなら、指よりももっとエエもんがある、試しに入れてみようじゃないか、なあ、若さん」
言うが早いか、森村は前盾《まえたて》を開いて股間《こかん》の異物を探りだし、背後から伸《の》し掛かると、一気に貫いた。
「うッ…」
受け止め兼ねて、篠芙はずりあがろうとしたが、すぐさま、打ち込まれた楔《くさび》の太さで身動きすらできなくなった。
「若さん、繋《つな》がってしまったよ、あんたとわしが……」
いやいやをするように、篠芙が頭を振り乱している。
「さすがは藤代の若さんだ、ここん内も他とは違う、ほれ、こうするだけで、わしは喰《く》い千切られそうだ」
ゆっくりと、味わうように腰を揺すって、森村はきつい内部の締めつけを愉《たの》しみだした。
「ははあ…、悦《い》い具合だ。蛇腹にでもなってるんかいな? たまらん感じやなァ……」
森村は、自分の快感を堪《こら》えながら篠芙をいたぶり続けるのが苦痛になってきたのか、一直線に頂点へ向かって腰使いを速めた。
「や…やめ……」
下肢を抱えられている篠芙が、苦悶《くもん》に身体を蹲《うずくま》らせてゆく。
「おっ、もういかんわッ」
瞬間、森村は絶頂の臨界点に達したのか、獣のように吠《ほ》え、夥《おびただ》しい欲望の濁液をほとばしらせていた。
「……ううっ…」
あえかな声が篠芙の口唇《くちびる》から洩れ、次第に呻《うめ》きにかわった。
狭い内奥に叩《たた》きつけられる奔流の激しさに身悶えてのけ反りながらも、篠芙の呻きは、嬌《なま》めいた音色を帯びた。
「あっ、あっ――…」
溢《あふ》れんばかりに濁液を、蹂躙《じゆうりん》されながら注ぎこまれ、充溢《じゆういつ》感に喘《あえ》ぐ肉筒を突きまくられて、篠芙は、惜しみなく声を洩らしはじめた。
「まだまだァ」
森村は、雄叫《おたけ》びを張りあげた。
肛虐は繰り返され、さすがに、篠芙に悲鳴が混じる頃になってようやく、男は穿《うが》っていた肉塊を曳《ひ》き擦《ず》りだし、身を離した。
そして今度は、自分が注ぎ込んだ精気を取り戻そうとでもするかに、篠芙の前方にむしゃぶりつき、吸いあげながら、紐《ひも》を解いた。
「あッ――」
篠芙のなかで閃光《せんこう》が弾《はじ》け、男の生暖かい口腔《こうこう》に吸われてゆく。
「さあ、若さんや、たっぷりと潤滑油をいれてやったから、もうあの怒《ド》デカイやつも大丈夫だろう。見物させてもらおうじゃないか」
顎《あご》に手を掛けて揺さぶられ、篠芙は虚《うつ》ろな眸《ひとみ》を瞠《みひら》いた。
畳の上に、おぞましい龍頭≠ェ突き立てられている。男たちは、篠芙がその淫具を、身体のもっとも切ない孔に納めてみせるまで、赦さないのだ。
篠芙は、よろめくように男から離れて龍頭≠フ前に行き、もう心の意思を失って、操られる人形のように、足を開いた。
ほどけてしまった長い髪が、白い頬や、首筋にまとわりつき、悲愴《ひそう》感がいっそう漂っている。
片膝《かたひざ》をついて中腰になると、龍頭≠フ先端に指で触れ、位置を確かめてから、篠芙は自分に押しあてた。
だが、決心がつかない。
そのままの惨めな姿でいると、ひらいた秘裂の狭間から、ヌルヌルと濁液が滴りおちてきた。
おぞましさに眩暈《めまい》を感じながらも、篠芙は、まだ戸惑っている。
そこへ背後から近づいた右の黒式尉《こくしきじよう》が、細腰を両脇《りようわき》から押さえたかと思うと、篠芙の下肢を、一気に押しさげた。
「く……うう―ッ」
腰を沈められた瞬間、肉体を引き裂かれるような激痛と圧迫感に、篠芙はのけ反って悲鳴をあげた。
「あ…あッ…や…やめ…て――っ」
自分に強いている黒式尉の腕に縋《すが》って、頭《かぶり》を振った。
「なんの、怺《こら》えなされ。藤代の若の耐える姿のまた、格別に美しいこと」
黒式尉の一人が囃《はや》し立てる。
ミシミシと肛襞が放つきしみが、聞こえるほどの凄《すさ》まじい貫通である。
逆鱗《げきりん》の男型が挿《はい》っていくたびに、篠芙の内腿《うちもも》が痙攣《けいれん》したように慄《ふる》えを放ち、哀願が洩《も》れでた。
「あ、あ、……ゆ…赦《ゆる》し…」
赦されず、すべてを納めさせられてしまうと、篠芙は口唇を半開きに、放心したようになった。
「おお、これは酷《むご》い」
無残なまでにひらかれた秘花を哀れむように、だが、興奮を隠せずに森村は声をうわずらせた。
「ぬ、ぬいて……」
慄え戦《おのの》き、身悶えながら篠芙が懇願する。
「よしよし、わしが助けてやるぞ」
そう言った森村は、出してやる素振りで曳きだし、また捩《ねじ》り込んだ。
「あ…あ…あーッ」
篠芙は、すさまじい逆鱗の刺激で、狂いかけている。
鱗にからまって滲《にじ》みだしてくる内奥の濁液が、淫《みだ》らに泡立ち、さらに、畳の上には、ぱたぱたと、篠芙の失精がひろがった。
「これは、勿体《もつたい》ない。霊薬がこぼれてしまう」
慌てて森村が這《は》い蹲《つくば》り、篠芙の前に顔を埋《うず》めて、吸いついた。
吸いあげながら、嚥《の》みくだしながら、男の手が龍頭≠操っている。
「も…もうっ…う…うう――…」
篠芙は、短く息を詰めて喘ぎ、喉許《のどもと》まで龍頭≠ェせりあがってきたかのように首筋を手で押さえたかと思うと、次の瞬間、上体をのけ反らせ、崩れた。
「こりゃいかん、気を失わせてしもうた」
「お愉しみいただけましたかな?」
慌てた森村に、白式尉《はくしきじよう》がそう言ったのが合図となり、淫宴《うたげ》は終わった。
意識を失った篠芙は龍頭≠咥《くわ》えさせられたまま黒式尉の一人に抱かれて、部屋から連れ出されて行った。
森村は、未練がましくその姿を追っていたが、さすがに、一廉《ひとかど》の成功者らしく引き際は心得ていて、懐から小切手帳を取り出した。
午後の傾いた光が、連子窓《れんじまど》から差し込んで、縞《しま》模様の光りを稽古場《けいこば》に差していた。
白金台《しろがねだい》にある藤代邸の古い稽古舞台で、明煌は『安達が原』を舞っていた。
北方にある池から湿気があがるらしく、床が波うつので、数年前に弟子たちの稽古場は別に建てられ、現在この古い稽古場を使用するのは彼だけだった。
――黒塚の鬼女は、もとは、さる姫君に仕える乳母であった。
仕える姫の病を治すため、臨月の女の腹を裂き、その赤子を食らえばよいと信じた忠義者の乳母は、旅の妊婦を誘いこみ、殺したところが、その女こそが、生き別れになっていた実の娘であった。
その時に、女は鬼に化さざるを得なかったのである。
人の死骸《しがい》は数知らず
軒と等しく積み置きたり
いかさまこれは音に聞く
安達が原の黒塚に
籠《こも》れる鬼の住みかなり
「まあ、いま謡《うた》う声がしたから覗《のぞ》いて見たんだけど、あんた何時からここにいたの?」
熱心に舞っていた明煌のところへ、奥向きの雑用を引き受けている家政婦が慌てて入ってきた。
「どうするのよ、若さんが戻ってるのに、あんた気づかなかったの?」
藤代では、篠芙の帰宅を揃って出迎えるのがしきたりで、遅れる訳にはいかなかったのだ。
「若が?」
篠芙は昨夜から観月の屋敷に泊まっていた。
なにがあったのかは判らないが、稽古の後で篠芙の戻ってくるのを待っていた明煌は、「若は泊まっていくことになったので、一人で戻ってください」と、真木から伝えられたのだ。
篠芙が観月の屋敷に泊まることは珍しくもなかったが、昨日ばかりは突然で、不審なものが感じられた。
だが、正直なところ、明煌は彼が居ないというだけで、いくばくかの解放感に浸ることができた。
「野心を持ちなさい。相応《ふさわ》しい者が流派を襲《つ》ぐ。それは若も判っていることです」と、真木に煽《あお》られた言葉の意味を、篠芙のいないところで考えたくもあり、むしろ不在は有り難かったのだ。
一夜明けた今日になって、観月の方から連絡がきたら、明煌は自分が車で迎えに行くものと思っていたので、突然の帰宅を告げられ、驚かずにいられなかった。
慌てて表玄関へ行ったが、もはや遅かった。
待ち構えていた夏江に、出迎えにこなかったことを責められた。
「気がつかなかったで済ませるつもりかい? 明煌」
内弟子も家政婦たちも、実際は夏江におもねり、普段は明煌をないがしろにしているので、知らされずに遅れたことを責めるのは勝手すぎるが、彼を眼にするだけで憤りを覚える女主人は、容赦しなかった。
「お前は、若の情けでおいてもらってるのを、忘れているのじゃないかい」
「すみません」
くどくど嫌味を浴びせられた挙げ句に、弟子たちがまだ居るなかで、明煌は頭を下げさせられ、さらには、
「若は部屋で休んでいるから、行って、謝っておいで」とまで言われた。
篠芙の部屋は、西方にある独立の棟で、小さなキッチンと専用の浴室がついた十畳の二間だが、母親の夏江ですら自由に出入りさせず、掃除も明煌にやらせている。
明煌が入って行くと、和室の方で、藤色の単衣《ひとえ》をまとった篠芙が、懐刀を出し、見入っていた。
まるで、いにしえの武士の妻が、自刃する前に懐中より取りだしたといった感じがあり、不安を覚えた明煌は、声を掛けていた。
「若……」
篠芙は何事もなかったかのように、瀞《しず》かな、いつもの冷たい眼眸《まなざし》を向けてきた。
「すみません、お出迎えもせずに」
「どうせ、誰もお前に知らせなかったのだろう」
正座して、頭を下げる明煌を見ながら、篠芙はあまりにあっさりと許して、それから異母弟の心の裡《なか》を見透かしたように言った。
「真木さんが、送ってくれた」
ふと、何気ない仕種《しぐさ》だったが、篠芙は右手の人差し指を自分の口唇《くちびる》に押しあてた。
「若…?」
篠芙の仕種に、――白く繊細そうな指と、熱っぽく見える赫《あか》い口唇との対比に、明煌は官能的なものを感じ、戸惑った。
不意に、篠芙が眸《め》をあげた。
「明煌、脱げ」
昨夜、男たちによって喚《わめ》かされたくらいで声量を失う篠芙ではないが、何時になく、掠《かす》れ気味の声で、命じた。
「下だけでよい、脱いで、わたしに差し出せ」
弾《はじ》けたように、明煌は畳の上を正座したまま躄《いざ》って後退《あとずさ》った。
「勘弁してください、昨日の……」
まだ昨日の痛みが身体に残っている。だが篠芙は許さなかった。
「また、わたしに逆らうのだな」
「いえ」
うなだれた明煌の前で、ユラリと、妖気《ようき》のようなものを漂わせ、篠芙が立ちあがった。
「ならば、早くぬげッ」
篠芙は、自分が淫乱性《いんらんしよう》かもしれないとすら苛立《いらだ》っていた。
高齢の宗家は七十三歳、まだ男として枯れていない。息子の基世は四十代で、基仙《もとひさ》と芝浦《しばうら》も五十代といった、まだ衰えもみせない年代である。
裡《うち》にためて、抑制し尽くした上での芸である能を舞うものは、表面の静けさとは打って変わって、激しい情欲をも裡に蔵していると言って間違いはない。
昨夜の篠芙は、絶倫ともいえそうな客の相手をさせられ、龍頭≠ナ責められた後も、黒式尉《こくしきじよう》たちに三人がかりで弄《もてあそ》ばれ、目覚めたのは宗家の寝室でだった。
眼が覚めてからも、半日の間、病人のように寝ていたのだ。
それほどまでに、一晩中|苛《さいな》まれ、精も魂も尽きたというのに、明煌を見ていて、改めて兆すものがある。
「脱いで、お前をわたしに捧《ささ》げろッ」
明煌は、篠芙の欲望を受け入れるために、跪《ひざまず》き、床に蹲《うずくま》って四つん這《ば》いになった。
屈辱と怯《おび》えで身体を強張《こわば》らせる明煌は哀れだったが、篠芙は容赦しなかった。
なぜならば、篠芙にとって明煌は、欲望の対象ではなく、――癒《いや》しなのだ。
篠芙は、男に犯されることで生じる自分の裡の歪《ゆが》みを修復するために、明煌を犯す。女にされている自分から、男を取り戻そうと足掻《あが》いているのだ。
明煌は、なぜ篠芙が自分をそのように必要としているのか判っていないものの、彼もまた、母親のために耐えていた。
それでも、母親が完治すれば、異母兄との相姦《そうかん》関係を解消できるという望みが、明煌にはあった。
だが、観月の男たちから、従順と官能を覚えこまされた篠芙は、逃れる術《すべ》がなかった。
三[#「三」はゴシック体]
月は一つ 影は二つ[#「月は一つ 影は二つ」はゴシック体]
「時々お見掛けしてましたけど、藤代《ふじしろ》の若さんの、…弟さんて本当ですか?」
弟子筋の客専用に開放している一室に通されていた明煌《あきら》は、茶を運んできた観月《かんげつ》流の若い女弟子に訊《き》かれ、困った。
事実はその通りであっても、素直にそうだと言い切ってしまえない事情がある。
つい、答えを躊躇《ちゆうちよ》しているところへ、慌ただしく襖《ふすま》が開けられ、兄弟子と思われる男が入ってきた。
「どうも、すんません。藤代の若さんのお使いでいらした方を中≠ヨお通しもせずに、こんなところでお待たせするなんて、まったく、多華子《たかこ》ちゃん、駄目じゃないか」
突然に叱《しか》られて、事情ののみこめていない多華子と呼ばれた新弟子は呆気《あつけ》にとられている。
「藤代の若さんは、観月にとっても特別なお人、そのお使いでいらした人は、中≠フ客間にご案内することになってるんだよ」
兄弟子は、明煌に対する言い訳のように叱ってから、多華子に説明した。
「あ、すみません、わたしったら……」
ようやく気がついたのか、多華子も慌てて頭を下げ、明煌に詫《わ》びを入れた。
「いえ、いいんですよ。俺なんか、若とは違いますから普通にしてくださって」
だが明煌は、「そんな訳にいきません。さぁ、どうぞこちらへ、宗家がお会いになるそうです」と、急《せ》き立てられるように立たせられて、中≠ヨと通じる廊下の方へ連れて行かれた。
弟子たちの稽古場《けいこば》や、客間などがある方を表≠ニいい、家人の居住する棟を中=Aそして奥≠ニは、特別の人々が通される観月流の聖域のような場所である。
表≠ゥら中≠ヨ移動するには、屋敷の中心部にある内庭を通って行かねばならない。
中庭があるのは、かつて住み込みの弟子を多く抱えていた時代の名残りで、棟梁《とうりよう》一家のプライバシーを守るための造りでもあった。
行き来が煩《わずら》わしいと思うものの、かえって格式の高さが感じられると、おおよそ中≠ヨ足を踏み入れることもない弟子たちには、好評だった。
「いやぁ、明煌さんは、背が高いんですな」
先に立って歩き出した男弟子が、改めて気がついたように、声をあげた。
「そういえば、前に、若さんが真木さんと話しておられましたよ。『後見を任せられるのは明煌だけなのに、自分よりも背が高くなりそうだ』とか、確か十九でしたね、まだ成長期なんですねえ」
明煌は耳を疑い、本当に篠芙が言ったのかを確かめたかったが、中≠ヨ入って行くにつれ男弟子は緊張してゆくのか、次第に口数が少なくなって、それ以上は聞けなかった。
やがて明煌は、書院造りの客間に通されて、一人きりにされた。
「いま、宗家をお呼びしてきますから、少しお待ちください」
男弟子が出ていってしまうと、まるで待ちかねていたかのように、どこからか鈴虫が鳴きだした。
ふと見れば、床の間に、籤《ひご》で編んだ虫籠《むしかご》があり、そのなかに鈴虫が飼われているのだ。
部屋のなかが薄暗いのと、静かなので、鳴くのだろう。
まだ七月も半ばだというのに珍しいと思っていると、虫の音がぴたりと熄《や》んだ。
廊下側の襖が開き、多華子が茶を運んで来たのだ。
「さっきは本当にごめんなさい。まだ来たばかりでなにも判らなくて、だからお茶出しなんだけど…」
「いいんですよ、俺は借りていた本面≠返しに来ただけなんだから」
本面は本家がもち、分家筋は写しと呼ばれる模したものを使うのだ。
篠芙のかわりに本面を返しにきた明煌は、渡してすぐにでも帰るつもりだったのが、宗家と会うことになり、いささか緊張していた。それを多華子はほぐしてくれるようだった。
「あの…、噂では、藤代の若さんって凄《すご》い綺麗《きれい》な人だって言われてるけど、本当? わたしはまだ、本人を見たことないのよ」
多華子は、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちをしていて、和装で身を引き締めていても、若く闊達《かつたつ》とした性質であることが裡《うち》よりにじみでて、眩《まぶ》しいような女性だった。
教養のひとつとして能≠習いに来たのか、それとも、行儀見習いか花嫁修業なのかいずれにしろ、新入りの弟子が、観月の中≠ワで足を踏み入れられるはずがない。
彼女が物怖《ものお》じせずに口を利いてくることなどからも、観月の血筋のものと思えたが、明煌には、年が近いことで親近感を抱いたらしいのだ。
明煌にとっても、その方が気が楽だった。
「若は、たしかに綺麗ですよ。誰に聞いても、あんなに美しい人はいないと言うんじゃないかな…」
明煌が正直に答えると、さらに彼女は追究しようとした。
「ね、兄弟って本当?」
「うん、そうですけど…」
いささか歯切れ悪く明煌が答えた時、すっと多華子が立ちあがった。
「怒られちゃうから、わたしはこれで」
舞の基礎はできているらしく、彼女の機敏な動作のなかには優雅な仕種《しぐさ》が入っている。
慌てた様子で多華子が出ていくと、ふたたび鈴虫が鳴きはじめ、ほとんど同時に、続き部屋の方の襖が開き、品の良い老人が入ってきた。
不思議と、鈴虫は鳴きやまなかった。
宗家直々のお出ましに、頭を下げて挨拶《あいさつ》をした明煌が、顔をあげるのを待って、温厚で、渋みのある、だがよく通る声がかけられた。
「明煌か、お使いご苦労だったね」
その声に鈴虫も聞き惚《ほ》れたのか、ようやく、鳴き声がやんだ。
「お借りしていた面≠お返しにあがりました。お改めをお願いします」
宗家は面箱の蓋《ふた》を開け、ちらりと中を見ただけで、諾《うん》と、頷《うなず》いた。
それから、
「若はどうしているかね? 具合が悪いと聞いたが」そう尋ねてくる。
篠芙《しのぶ》はもう二週間も、観月に顔を見せていないのだ。
「はい、夏風邪らしく、安静にしています」
今日も篠芙がこない理由を、言われた通りに明煌が口にした。
嘘と判っていながら、宗家は頷いた。
「帰る時に、わたしからの見舞いだと、その鈴虫をもって行ってやりなさい」
「鈴虫を?」
篠芙と鈴虫とが結び付かなくて、明煌が怪訝《けげん》そうな顔をしたのに気がついたのだろうか、宗家は、品良く老いた面《おもて》をあげた。
「お前は、鈴虫を見てどう思うかね?」
「鈴虫――ですか、それは…」
禅問答のような答えを宗家が期待しているのかとも思ったが、明煌は、
「――囚《とら》われて、鳴き声を愛《め》でられ、鳴かなくなったら捨てられる短い命の哀れな夏虫…でしょうか」と言ってしまい、老人の頤《おとがい》を解かせた。
「なかなか、面白いことを言うのだね」
「いえ、その……」
やはり失礼があったのだと明煌が恐縮すると、宗家は、むしろ気に入ったのか、
「そうだ、な、面を蔵にしまうゆえ、運んでくれ」と言ってきた。
引き受けた明煌は、立ちあがった宗家の後から、さらに屋敷の奥方へと連れて行かれることになった。
時代に応じ、必要にかられて建て増しされた屋敷のなかは、入り組んで、薄暗く、奥方へいくほど、闇が溶けて、暗黒となり、異世界への入口のようだ。
中≠ニ奥≠フ間にある蔵へは、頑丈な鍵《かぎ》を幾つも開けて入って行かねばならない。
さらに蔵のなかにある部屋には、面箱が並び、ほかにも重要な装束を納めた桐箱が積まれていて、明煌を圧倒した。
能の面は、二百種類以上はあるといわれている。
旧《ふる》い時代の能面は、信仰的でもあったために祭具として焚《た》くか、川に流されるかして失われたが、それでも直伝の面のいくつかが、各流派に遺《のこ》っている。
能面には、喜怒哀楽の瞬間的表情を写した面と、中間表情≠ニ言われる無表情の面がある。日本人の美学である隠す≠ノ通じる中間表情≠フ面、特に女面は、ことのほか美しいものだ。
宗家は手ずから秘蔵の面≠出して、明煌に見せてくれたが、その最後に、
「実は、わたしも、面を打つのだよ」と言って、まだ新しい面箱を取り、なかを展《ひら》いた。
見た時に、思わず明煌は、「あッ…」と声を立てていた。
なぜならば、なかに納められていたのは、篠芙の貌《かお》だったのだ。
冷たく整った麗しい貌の面。
神懸かった美貌《びぼう》。
だが、さらに明煌を驚かせるものが面の下に納められていた。
それは、数本の男型《デイルドウ》で、拇指《ぼし》ほどのものから始まって大人の肉茎大のものまで揃っているのだ。
宗家は一番太い男型を取り出すと、戦《おのの》いた声を洩《も》らした明煌の手に握らせた。
反り返った男型は、水牛の角を彫刻したものらしく、一面にびっしりと細かい鱗《うろこ》が刻まれ、磨かれたような光沢を帯びていた。
「これらはな、蛇頭≠ニいう淫具《いんぐ》で、むかし、藤代の若に使ったものだ」
齢《とし》を重ねても、情欲の焔《ほのお》の尽きることがないのか、宗家はからみつくような視線で男型を睨《ね》めつけながら、告げた。
「こ、…これを、若に?」
明煌は、手にした男型を見ているだけで、ひりつくように喉が渇いてきた。
「そうだ、散々に篠芙の涙を吸ってきたものだよ」
「まさか……」
うめくように明煌が呟《つぶや》くのを聞いて、宗家の双眸《そうぼう》が細められた。
「藤代を再興するためと、祖父と父親に言い含められた篠芙は、花びらのような口唇《くちびる》を白くなるほど噛《か》んで、我らの前に来たのだ」
初夜が、観月の宗家をふくむ四人がかりで行われた後、篠芙は細い物から順に、太さになれる頃にはもう一回り大きな男型をあてがわれて生活させられたのだと、明煌ははじめて知った。
「だが一日も舞を休むことはなかったぞ。孫の元裕紀《もとゆき》と二人で、よく張り合うように舞った。もっとも、篠芙に比べて、わたしの孫は凡庸だったが…」
さらに別の箱が取り出されて開けられると、明煌はなかを見るなり、ぎょっとした。
「これはな、龍頭≠ニいう、さすがに篠芙も辛《つら》かったのだろう、あれから仮病を使って来ないのだからな」
「いまでも、若は――」
明煌は、今日も観月へ稽古《けいこ》に出かけずに、自分に面を返しに行けと言った篠芙のことを思いだした。
二週間前。
舞台で明煌を犯した篠芙は、その後に、今度は自分が龍頭≠ノよって責められていたのだ。
龍頭≠ヘ、赤子の腕ほどもある太さで、刻まれた鱗が逆立っている凄《すさ》まじさだ。
ふいに、明煌は宗家の前であることも構わずに、笑い出していた。
二年前に、自分の誇りを踏み躙《にじ》った男が、その実は、十歳の年から、複数の男たちの玩弄物《がんろうぶつ》だったのだ。
ひとしきり笑った明煌の裡《なか》を、篠芙に対する悲哀と、軽蔑《けいべつ》に似たものが衝《つ》きあげてきた。
「宗家、おられますか?」
そこへ、家元の一人であり、宗家の実弟でもある観月|基仙《もとひさ》が蔵の入口に顔を出し、呼んだ。
「いま、真木が戻ってきましたが」
「すぐに行く、基仙、すまないが明煌と二人でここを片付けておいてくれ」
重要な要件があるとみえて、宗家は秘蔵の品々を出したまま、出て行ってしまった。
入れ代わりに入ってきた観月基仙の方は、なかにいる明煌と、床にひろげられた男型をみながら、ニヤリと笑った。
「藤代の明煌さんか、どうやら、若の秘密を知ってしまったようだな。でも悪く思いなさんな、若が生け贄《にえ》になって、藤代は立ち直ったのだ。いまでは弟子も多い。観月に阿《おもね》っておいて良かったのだよ」
独特の濁声《だみごえ》でそう言いながら、基仙は男型を片手に明煌を見上げ、双眸を細めた。
「背が高いね、若も上背があるが、あんたはそれよりも伸びそうだ。まだ成長期だからしょうがないけれど、能役者はどちらかと言えば、小柄な方がいいんだがな」
ずんぐりとした五十男の基仙はそんなことを言って、さらには、
「あんたは、また若とは一味違うタイプの美男子だな、植えられた畑が違うだけで、はて、味も違うかな」そう、誘いかけるようなことを口にした。
「食べてみなければ判らないでしょう、ね」
挑むように答えた明煌は、これで失礼するとばかりに頭を下げて出て行こうとしたが、袖口《そでぐち》を基仙に掴《つか》まれ、引き止められた。
「な、なにを……」
「知ってるよ、若の相手をしてるんだろう?」
思わず言葉に詰まってしまう明煌を、さらに引き寄せた基仙が、耳元に囁《ささや》いた。
「どうやら、虐《いじ》め過ぎたんで、若はやってこないし、あれほどの美味を知っては、そこいらので済ませることもできない。どうだ? 一緒に来なさい、決して悪いようにはしないぞ」
「では、ひとつ教えてください」
「なんだね?」
「若と鈴虫の関係を――」
すぐには何のことか判らずに、基仙は沈黙していたが、次第に思い出してきたのか、口許《くちもと》を綻《ほころ》ばせた。
「あれは、藤代の若が言ったんだ。たしか、ここに来た年で、九つか十の時に、わたしは鈴虫みたいなものだ≠ニかなんとか、だったと思うが……」
それだけ聞けば、明煌には充分だった。
八月にはいって間もなく、松濤《しようとう》にある観月の屋敷では、属する弟子筋の家元を招いた昼食会が開かれた。
その席で、篠芙は、宗家から秋の宴能会での番組を一部変更することを伝えられ、『安達が原』を取り止め、『二人静《ふたりしずか》』にすると告げられた。
それも、ツレは、明煌に舞わせるというのだ。
篠芙はハッとすると同時に、龍頭≠ナ責められて後、自分から松濤へ足を向けずにいたこともあったが、呼び出されなかった理由を悟った。
「明煌は、まったく巧みにやったよ。若にも、彼ほどの愛想があればよかったかもしれんな…」
追い討ちをかけるように、上方に座っていた観月基仙が囁きかけてきた。
薄藍《うすあい》色の波濤模様をあしらった白の単衣《ひとえ》に袴《はかま》を着け、盛夏の最中、一人涼風を受けているかのようだった篠芙に、動揺が走ったのは一瞬だった。
すぐに彼は落ち着きを取り戻したが、他流派の家元たちからは、
「しかし、宴能会は一月後、まさか今から差し替えでは……」と不安が洩らされ、
「九月に『二人静』では季節が……」とも声があがったが、直ぐに、藤代明煌の技倆《ぎりよう》に対しての疑問が取り沙汰《ざた》されだした。
『二人静』の場合、シテは静の霊であり、通常シテに属する軽い役割のツレが舞台の大部分を勤めることになる。
みどころは、霊が乗り移って、平凡な菜摘女が典雅な美女に変じて行く変化の妙であり、曲《クセ》から、序の舞へ、そして切《キリ》までまったくおなじに相舞う芸が必要とされるのだ。
ゆえに、『二人静』のツレは、シテと同等の力がなければ勤まらない大役で、桃山時代に太閤《たいこう》秀吉が、時の金春《こんぱる》太夫《だゆう》に『二人静』を所望したが、「我に等しき心の者御座無く候」と断られたという話があるくらいだ。
「まさか、弟とはいえ、藤代の若と『二人静』を相舞《あいまい》で舞う?」
「そんなことが、果たして出来るものか?」
遠慮勝ちに、だが興味深く、集まった人々は真意を探ろうと、宗家から藤代の篠芙を交互に見比べたのだ。
しかし、結局は誰も、宗家の決定に口をはさめるものではなく、篠芙もまた、
「よいかな、藤代の若」と念を押され、
「ありがたくお受けします」と、答えた。
ざわめきのなかで昼食会が終わると、篠芙は広間を出て、奥≠ノ用意されている部屋へもどった。
部屋のなかで、明煌は装束を折りたたんでいたが、篠芙が入ってきたことで振り返り、居住まいを正した。
「早かったですね」
そう言った明煌を、篠芙は懐からだした扇で打った。
「あッ」
避《よ》けそこねて、明煌はしたたかに打ち据えられたが、ふたたび振りあげられた扇には、事情を察してか、自ら打たれる覚悟で身動《みじろ》ぎだにしなかった。
「恥ずかしいと思わないのか、明煌――」
篠芙は、打つ時ですら、決して、手で搏《う》つことはない。
勢いをつけて、二度、三度と扇を打ち下ろし、明煌の口唇《くちびる》の端が切れて血が滲《にじ》んだことでようやく、憤りをおさめた。
「――気が、すみましたか」
口唇の血を指先で拭《ぬぐ》いながら、明煌は上目づかいに篠芙を凝視《みつ》めた。
「…俺は、若と同じことをしてみただけです」
息苦しさを感じて、篠芙は喉許《のどもと》を押さえた。
「わたしは……」
祖父と父の手によって、観月の男たちへ、供物のごとくに捧《ささ》げられたのだ。
表情を強張《こわば》らせた篠芙に、さらに明煌は挑むように言葉を放っていた。
「同じことをしているだけだ。それに、誰だって、十数年も使い古した玩具《おもちや》よりは、新しい玩具《おもちや》の方がいいらしい…」
カッとなり、ふたたび扇で打とうとした篠芙を、こんどは明煌が、手首を掴《つか》んで止めた。
もうおとなしく打たれるつもりはなかったのだ。
だが、力任せに受け止めた勢いによって、逆に篠芙の方が、床に引き摺《ず》り倒されてしまった。
「驚いた、若が、こんなにも脆《もろ》いとは……」
掴んだ手首を捩《ねじ》り、明煌が伸《の》し掛かるように躙《にじ》りよって行くと、本能的に危険を感じたのか、篠芙が叫んだ。
「よせッ」
いままでにない、うわずった声だった。
「あなたが俺を恐れている?」
「自分の立場を弁《わきま》えろ、それとも宗家が、わたしの替わりに、お前の母親の入院費も出してやると約束してくれたのか?」
組み敷かれていながらも、篠芙が睨《にら》みつけてくるのを見ていると、明煌の裡《なか》に、不思議と愛《いと》しさがわきあがり、さらにそこへ滅茶苦茶にしてやりたいというような、残忍な昂《たかぶ》りが衝《つ》きあげてきた。
「そうか、それをねだってみるのもいいかもしれない。でも、俺は気がついたんだ。兄さん」
「兄と呼ぶなッ」
篠芙が掴まれている腕を振りあげようとしたが、封じたままで明煌は笑った。
「いまのあなたは、僕を睨むことしかできない」
ゆっくりと篠芙の上に移動して、体重をかけてしまうと、明煌は首筋に手を差し入れてみた。
「きれいな顔だ。綺麗《きれい》で、冷たい。でも、あの人たちに犯される時は、どんなふうに歪《ゆが》むのかな…」
「わたしに触れるなッ」
だが手は退《ひ》かない。そればかりか、上から体重で篠芙を押さえた明煌は、両手で単衣《ひとえ》の襟元を掴み、一気に胸元を開かせた。
「兄さんは不感症かと思っていたけど、本当は、どうなんです?」
篠芙がもがいた。
「無駄だよ、俺の方が力が強い。それに、兄さんは…」
明煌は、その度に篠芙がおぞけあがるのを感じながら、わざと、兄さんと口にするのだ。
「最初から俺の支配者だったから、下の者が反逆するなんて思いもかけなかっただろうね」
篠芙の首筋に口唇を押しつけ、明煌は囁いた。
「それに俺は、なぜいままで気がつかなかったのか不思議だ。俺だって藤代の血を継いでるんだ。なにもあなたでなくとも、藤代を襲《つ》ぐことはできるんです。――相応《ふさわ》しい者が襲ぐんだ」
「自分に、それだけの才能《ちから》があると思っているのかっ」
愛撫《あいぶ》するように首筋を舐《な》められて、篠芙はいっそうもがいた。
もがくことで、擦れあう身体と身体に、妖《あや》しい熱がうまれてしまう。
「こんどの『二人静』でわかる」
音をたてて、明煌は白い首筋を吸ってから、押さえていた力をゆるめた。急いで離れないと、このまま、篠芙を犯してしまいそうだった。
咄嗟《とつさ》に篠芙は身を返して明煌の身体の下から這《は》いでた。
奥≠ノある篠芙の部屋に近づく者などいないのだが、乱された姿のまま廊下へ出ることもできず、続きの間へと逃げ、だがそこで、虫籠《むしかご》の中で死んでいる鈴虫を見て立ちすくんだ。
「それでは、若、俺はしばらくの間、観月の屋敷で寝泊まりさせてもらい、真木さんから指導を受けることになっていますので、今日は、別の人に頼んで送らせます」
篠芙が振り返った時にはもう、儀礼的に頭を下げた明煌は廊下へ通じる襖《ふすま》を開けて、外へ出ていた。
いつの間に来ていたのか、廊下には真木が立っていて、出て行く明煌と入れ違いに部屋に入ってきた。
赤くなっている篠芙の首筋から視線を逸《そ》らさずに、真木は手を伸ばし、乱れた襟元を直そうとした。
「若は、わたしがお宅までお送りしましょう」
そう言った真木の手を、篠芙は払いのけた。
「たきつけたのは、お前だな?」
「なんのことです?」
「それとも、――宗家のお考えなのか?」
二年前、父の弥昌《みしよう》が急死した時に、藤代を襲ぐにはまだ篠芙は若過ぎる、いましばらく自由な立場で、観月の舞台に立てと、宗家に襲名をとめられたのだ。
それがいま、明煌の出現により、篠芙の立場が危うくなってきたのだ。
舞手に備わった真の才能は、二十代半ば頃から開花し、三十代で絶頂を迎えると言われるが、実際に篠芙は、近年、明煌の舞を見ていて、彼が、自分とは質が異なると気づいていた。
元より、明煌に備わる舞の資質を感じたがゆえに、亡父が引き取ると言った時も、事故後も、手許に置いたのだ。ましてや、宗家が、明煌の才に気づかないはずはないのだ。
枯れ草の褥《しとね》に、死んだ鈴虫が横たわっている。
なぜこれがここにあるのか、――篠芙は思い出した。
「わたしは、十歳の年から、自分は藤代が興《た》つための人柱と思ってきた」
祖父と父に言い含められ、覚悟していたとはいえ、舞を仕込まれる合間に、――黒式尉《こくしきじよう》の掟《おきて》があり犯されることはなかったが、入れ代わり立ち代わり訪れる観月の重鎮たちに弄《もてあそ》ばれた日々。
能において、舞う≠ニ狂う≠ヘ同義語であるが、篠芙は、自分の裡に狂いがたまってくるのを感じていた。
いっそ狂ってしまおうとすら思い、淫《みだ》らな虐待を求めたこともあった。
「人柱――…」
真木が、繰り返した。
人柱は、建物を完成させるための生け贄《にえ》だ。
明煌が藤代を襲ぐための犠牲に自分は選ばれたのかもしれないと思うと、篠芙はやり切れなさに唇を噛《か》んだ。
「明煌で適《かな》うならそれでよしとしなければならないのだろうな、誰が残るかではなく、藤代の名が残るかなのだ。わたしたちは、そういう、歴史の中に閉じ込められているのだから……」
「若は、明煌さんに総《すべ》てを譲るつもりなのですか?」
意外そうに、真木が言う。
「まさか……」
切れるような流し目で、篠芙は男を睨《にら》んでから、虫籠を拾いあげた。
「でも、この虫は、わたしだよ…」
四[#「四」はゴシック体]
散る花、実る花、――因果の花[#「散る花、実る花、――因果の花」はゴシック体]
明煌《あきら》が観月《かんげつ》の屋敷に移ってから、十日余りになる。さすがに、篠芙《しのぶ》が与えられているような、三間続きの、浴室も専用の庭もあるといった部屋ではなかったが、宗家たちが暮らす中≠フ棟に用意された一室を使い、食事も入浴も、他の内弟子たちとは区別されていた。
風呂《ふろ》から上がり、帯を締めているところへ、真木が声を掛けてきたので、明煌は脱衣所のドアを開けた。
「真木さん……」
相変わらず、紋服袴姿《もんぷくはかますがた》ではなく、濃紺のスーツを身に着けている真木が、廊下側にいた。
「藤代の若が、昨日から白金台の屋敷に戻っておられないそうですが、明煌さん、どこか、若の行かれそうな場所に見当はありませんか」
九月九日に予定されている観月流の宴能会まであと一週間といった時期だった。
「失踪《しつそう》…ですか?」
思わずそう訊《き》いてしまい、失言であったかと明煌は慌てたが、覚悟していたのか、真木は、落ち着いていた。
それでも、次に洩《も》らされた声、言葉に、彼の心痛が読みとれた。
「しばらく観月へも来られなかったので、若がどう過ごしているのか、判りませんでした。――わたしの、落ち度です…」
真木に任せられた仕事の一つには、篠芙の世話役というのがあるのだ。
「以前、自分が使っていた舞台を使って、俺が稽古《けいこ》しているのが気にいらないのかもしれない。なんであれ、プライドの高い人だったから」
明煌は篠芙が行きそうな場所、篠芙が頼りにしている友人知人を考えてみたが、何も、誰も思い浮かばなかった。
自分があれだけ兄の身近に居て世話をしてきたのに、ほとんど何も知らずにいたことを悟った。
「あ、あの、真木さん?」
遠くから、多華子の声がした。
「あの、藤代の若さん見つかったって、いま基仙《もとひさ》先生が知らせてくれました。なんでも、お友だちに誘われて飲みに行って、泊まってきたんですって…」
それにしては、まる一日も連絡なしというのはおかしかった。
篠芙に、そんな友人がいたかも疑わしい。それは真木も同じだったようだが、戻って来たということで、二人の間から篠芙の話題が消えた。
「まだ夕飯の片付けが残ってますので、わたしはこれで」
慌ただしく多華子は表≠ヨ戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、真木は、明煌に言った。
「…これから、奥≠ナすか」
真木は、顔色も変えずに、「これから師範たちの相手をするのか」と明煌に訊いたのだ。
すこし赤くなりながらも、明煌は、頷《うなず》いた。
「ああ、それで、さきほど芝浦《しばうら》の師範が戻ってこられたのですね…」
得心がいったとばかりに真木が頷くのを見て、つい、明煌の方から日頃の疑問がもれてしまった。
「……いつも、四人がかりなんですか?」
奥まった秘密の部屋で、明煌は観月の男たちの相手をするのだが、いつも四人が集まり、儀式めいたやり方だった。
白式尉《はくしきじよう》の面を着た宗家と、右の黒式尉《こくしきじよう》は宗家の息子で総師範の観月基世、左は宗家の弟にあたる観月基仙、背後にいるのは分家の芝浦|弥禄《みろく》。いずれも師範、あるいは家元と称される観月の重鎮なのだ。
「その、若の時も?」
ふっと、真木が顔をあげた。
「ええ、ひとつの掟《おきて》を持った連座なのです」
臆面《おくめん》もなく、真木は口にしたが、次に、こう訊いてきた。
「明煌さんは、どんなことをしても役が欲しいですか? それとも若に対する当て付けもありますか?」
真木は、役が欲しいために明煌が自分から師範たちを誘ったと思っているかもしれない。
明煌もまた、自分にそういうところがまったく無かったとはいえないと思い、見苦しく言い訳をする気はなかった。
「どっちも、かな。俺が師範たちの相手をすることで役が貰《もら》えるのは、若に犯《や》られて、母の入院費を出して貰ってるのと同じなんだって考えたら、抵抗感がなくなったんです。結局、いままでも自分を切り売りしてるみたいなものだったから……」
「自分を卑下することはありませんよ。総本家筋に抱かせろと言われて、断れるものではないですからね」
最初に誘ったのは明煌でないことを、真木は判ってくれていた。
さらに彼は、
「なによりも宗家が、あなたを見込んだのです」と、言った。
実際、明煌が観月の屋敷に寝泊まりし、宴能会で舞う『二人静』の稽古をしているということは瞬《またた》く間に知れ渡り、それが、観月流宗家が、藤代の後継者に篠芙ではなく明煌を選んだのではないかという憶測を招《よ》んでいた。
「俺に、藤代が襲《つ》げるでしょうか…」
「でなければ、宗家が、あなたに若との『二人静』を振り当てるはずはありません」
「もし俺が、若にとって替わったら、あの人はどうなるんだろう」
うっすらと笑って、真木が無情なことを口にした。
「あなたの後見につければよいではありませんか」
「あの人が?」
後見は、主役であるシテの身の回りの世話から、舞台の上では装束を直し、道具を捧《ささ》げる役割で、シテに何かあった場合に替わりに舞うこともある。
立場の逆転を、篠芙が耐えられるはずがないだろう。
「若とて、舞うことから離れては生きていけない人です。それに判っていますよ。自分も、宗家の孫である元裕紀《もとゆき》さんを差し措《お》いて観月の表舞台に立ってきたのです。才能のない者の末路は、誰よりも判っているはずですよ」
宗家の孫であり、基世の息子元裕紀は、篠芙よりも五歳年上になるが、惜しむらくは、舞の才に欠ける。自分でも弁《わきま》えているのか、決してでしゃばらない青年だった。
「だからこそ…」
逆に、耐えられないのではないかと思う明煌を、またも真木が打ち消した。
「あの人は、幼い頃から耐えることを学ばされ強いられてきたのです。明煌さんが考えている以上に辛抱強い人ですよ。あなたに八つ当たりしていたのは、それだけ、あなたに気を許していたからです」
「俺に、――気を許していた?」
さすがにこれは、真木の思い違いであると明煌は言いたかったが、篠芙と二人の間の密事《みそかごと》をこれ以上は知られたくない気がして、口を噤《つぐ》んだ。
「では、明煌さん。明日から囃子方《はやしかた》が入りますので、装束を整えて本番とおなじく稽古《けいこ》をしてもらいます」
真木の方から話題を変えてくれたので、助かった。
「はい。お願いします。でも明日、若は…」
まだ一度も篠芙とは舞を相《あ》わせていないのだ。明煌は、まさか本番ではじめて相舞うことになるのかと恐れていた。
もともと能は、本番前日あたりに、共演者が一堂に会し、通しで舞って申し合わせをすませてしまう、個々で完成された芸術だが、まだ明煌にそこまでは期待できないと、真木も、当人の明煌自身も、判っていた。
「仕方がありませんね、若は召《よ》んでも来ないでしょうし…、稽古の間のシテはわたしが務めますが、いつでも、どこででも、明煌さんは、自分の舞を舞うだけに専念すればいいのです」
「はい」
明煌も、この宴能会は、自分にも藤代流の家元を襲《つ》ぐ資格があるのを見せねばならない舞台だと承知していた。
篠芙を凌《しの》がねばならない。―――と。
座敷の真ん中で、明煌は跪《ひざまず》かされ、両手を床に付かされて、背後から攻めてくる猛《たけ》りを受けていた。
上座に一人座している白式尉が、三人の男たちの相手をする明煌の様子を、への字型にくりぬかれた眼の奥から見ている。
先ほど真木には、「四人がかり」と言った明煌だったが、実際、宗家である白式尉は、何時も媾合《こうごう》を視ているだけだった。
だが、淫宴《いんえん》に加わっているも同然なので、つい、四人がかりと口にしたのだ。
明煌は、宗家が高齢のためか、あるいは威厳のために、乱交に加わらないのだろうと考えていた。
「すべすべとした、象牙《ぞうげ》のような肌だねえ」
双肉の狭間《はざま》から抽《ひ》き出し、また埋没させながら、黒式尉の一人芝浦師範は手のひらで明煌の尻《しり》を搏《う》った。
堅く引き締まった肉が、よい音を立てる。
搏たれると同時に、明煌の内部が締まるのだ。
自分の内奥が反応するのを、明煌も感じた。
「藤代の若は、花のように瑕《きず》つきやすいが、お前の方は、嫩《わか》い獣だね」
また、芝浦の平手が尻に炸裂《さくれつ》し、明煌は、痛みと同時に、内奥に甘苦しい充塞《じゆうそく》感を覚え、微《かす》かに呻《うめ》きを洩《も》らしてしまった。
篠芙もこうされるのだろうか――と、思いながら、明煌は四方からの視線を浴びていた。
四人の男たち。
いずれも能役者として秀でた才を持つ男たちなのだ。
彼らから受ける視線で、時おり、舞台の上にいる錯覚を覚えるほどだ。
――あの日、基仙に蔵のなかで誘われた明煌は、いままで足を踏み入れたこともない、況《ま》してや、存在すら知らなかった奥≠フ、幾つもの部屋で仕切られた牢獄《ろうごく》のような部屋へ連れていかれた。
待っていると、しばらくして三人の黒式尉が現われ、最後に宗家である白式尉が入ってきたのだ。
異様な輪姦《りんかん》の後で、明煌は舞ってみろと白式尉に命じられ、求められるがままの曲目を次々と舞った。
舞に昂《たかぶ》った身体はふたたび這《は》わせられ、黒式尉たちを受け入れさせられたが、明煌は、肉体に触れられることの快感に狂った。
口唇《くちびる》や、舌使いの妙、指の微妙な蠢《うごめ》き、彼らの淫技は絶妙だった。
いままで、篠芙から与えられ続けたのが痛苦ばかりであったがゆえに、嫩く、健康な性は、虜《とりこ》になっていった。
明煌は、人の温《ぬく》もりと、愛撫《あいぶ》の手に、飢えていたのだ。
以来、呼び出されるままに、口実をつくり、篠芙の目を掠《かす》めて観月の奥座敷を訪《おとな》った。
黒式尉たちもまた、反応が素直だと歓《よろこ》び、明煌を充分に昂らせ、狂おしくしてから、その嫩さを堪能《たんのう》した。
「さあ、明煌、わしのも舐《な》めてくれ」
頭上から濁声《だみごえ》がして、目の前に男の下肢が突きつけられてくる。
背後から貫かれ、身体を揺すられながら、白髪の混じった股間《こかん》への口吸を要求されて、明煌は、あの篠芙もこのように、身を屈《かが》めて蹲《うずくま》り、男たちの股間へ顔を埋《うず》めるのかと考えた。
澄ました美しい顔に、男たちの濁液を浴びせかけられるのかを想像し、龍頭≠使って無残にひろげられ、虐《いじ》めぬかれる篠芙の姿を思うだけで、不思議な、強い、昂りがおこった。
あの魅惑的な声で、篠芙がどう歔《な》くのか、聴いてみたかった。
冷たいシャワーを浴びながら、篠芙は身体に残っている酔いを洗い流そうとしていた。
昨日、顔を合わせればヒステリックに騒ぎだす母を持て余し、藤代の屋敷を出たが、かといって松濤にある観月へ行くつもりもなく、街に出たのだ。
行く場所もない篠芙は女性に声を掛けられ、誘われるままにホテルへ行き、泊まった。
女性の方が帰ったあと、篠芙は滞在時間を延長し、一人で酒を飲んでいたが、ふたたび夜が来る前に、帰宅したのだ。
さすがに、母の夏江は日頃の気丈さを欠いて、おろおろと出迎えたが、マスコミに知られるのが怖いからという理由で警察に届けられなかったと言い、こんなことをしたのは明煌のせいなのかと詰め寄ってきた。
「こんなこと?」
「だって、篠芙さん、あなたは――…」
失踪《しつそう》――言葉を呑《の》み込んで、夏江は、篠芙の部屋の前まで付いて来たが、遂《つい》に堪《こら》えかねたのか、まくしたてた。
「篠芙さん、わたしから、宗家にお願いしてみます。あんな子に藤代が襲げるはずないのよ。いくら、藤代が観月の流れで恩寵《おんちよう》を受けていても、家の中のことをそこまで指図する権利はないのだから…」
篠芙は、煩《わずら》わしいとばかりに睨《にら》みつけ、夏江が気後れたところでドアを閉じた。
一人になるとほっとしたが、身体中に、酒と、――女の毒が残っている気がして、浴室に入ったのだ。
冷たい水を浴びて、頭がすっきりしてくるのを待った。
実の母ですら、もはや、篠芙が藤代の後継者でなくなるかもしれないという不安をかかえている。
なぜ、自分が、明煌になど劣ると思うのだろうか……。
一瞬でもそのように思ったことがあるゆえに、不安になるのだ。
それとも、観月流宗家の権力を知っているからか…。
頭から水を浴びながら、どれくらい経っただろうか、背後に人の気配を感じて振り返ると、そこには真木博人が立っていた。
「勝手に、鍵《かぎ》の掛かっている部屋へも入ってくるのか?」
コックを捻《ひね》って水を止めると、篠芙は濡《ぬ》れたまま、真木の脇《わき》を通って浴室を出た。
「若、あまり心配をかけないでください。もう宗家も高齢なのですから」
ふ…んと鼻で笑って、篠芙が寝室の方へ行く。
タオルをとった真木が追って行き、彼の身体を包もうとしたが、その手は乱暴に払い除《の》けられた。
「どこへ行ってらしたのです?」
バスローブを羽織った篠芙は、まだ濡れて水滴を滴らせている髪をうるさそうにかきあげ、寝台に腰を下ろした。
「お前に答える必要はないだろう」
「あります。宗家にご報告しなければなりませんから」
濡れた長い髪が、篠芙の美しい顔にかかり、その間から、彼は真木を睨んだ。
「女だ。街で女と会って、ホテルへ行ったんだ」
真木は、平然と受けとめた。――この男は、篠芙が女を抱けるはずがないことを知っているのだ。
「男と、遊んできたわけではないのですね?」
さらには、そう訊《き》いた真木に、篠芙は枕元にあった時計を投げつけた。
凄《すさ》まじい音がして、時計は壁にあたり、壊れた。
「馬鹿なことを言うな、あんなこと、ほかのやつらにさせるものかッ」
握り締めた篠芙の拳《こぶし》が、ブルブルと慄《ふる》えている。
近づき、その肩に触れようとした真木は、さらに激しい拒絶にあった。
「わたしに触れるな、お前などの好きにはさせないッ」
「判りました」
真木は身を退き、篠芙が落ち着けると思われる位置にまで下がって距離をおいた。
「宴能会まであと一週間。そろそろ明煌さんと通しで稽古《けいこ》していただかないと。明日より囃子方《はやしかた》のほうも入りますので観月の方へお越しください」
「お前が付き合えばいい」
冷たく答えた篠芙は、次に透明な質の声で、
思ひ返せばいにしへも
恋しくもなし
憂きことの
今も恨みのころもがは
身こそは沈め、名をば沈めぬ
と、謡《うた》った。
真木は、藤代の再興のための、自分は人柱だったと言った篠芙の心が託されて謡われたような気がして、寝台に身を沈めた彼を見た。
藤代の名と、芸風を後世に残すために、わたしは身を滅ぼしますと、十二年も前からの決心が、そこに感じられたのだ。
五[#「五」はゴシック体]
皆、狂をもて終わらざるは無し[#「皆、狂をもて終わらざるは無し」はゴシック体]
九月九日の宴能会は、狂言を一番はさんでの、能四番組の構成で、観月基世《かんげつもとよし》の『敦盛《あつもり》』にはじまり、元裕紀《もとゆき》が『羽衣《はごろも》』、篠芙《しのぶ》と明煌《あきら》による『二人静《ふたりしずか》』、基仙《もとひさ》の『景清《かげきよ》』で締められる大規模なものとなった。
観月《この》宴能会は、一般にひらかれた公演ではなく、総勢八百名にも及ぶ分家筋までを含んだ観月の流派に属する能役者たちに観せる宴でもある。
いわば玄人に観せるこの宴能会は、各地で、観月の流れに属する有力な分家たちが、自分たちの公演を行う口明《くちあ》きでもあるのだ。
なかでも今回は、藤代流の篠芙と明煌による『二人静』には人々の関心も強く、宗家が舞台の後で重大発言を行うのではないかという憶測まで流れて、観月能楽堂のロビーには新聞数社が詰めかけていたほどだった。
そのような重圧の中で、明煌は見事に大役を果たした。
『二人静』は、吉野の菜摘川に神事に供える菜を摘みにいった里女が、突然あらわれた幽霊の女から、神職の者に頼んで自分の供養をして欲しいと頼まれるところからはじまる。
名も名乗らない女だが、もし疑う者があればその時は御身に乗り移って、事の次第を語って聞かせると約束する。
怯《おび》えおののいて神社に逃げ帰った菜摘女は、神職らにむけて、菜摘川にて不思議な女の幽霊に会い、自分を弔って欲しいと頼まれたことを訴える。
だが、一部始終を話しているうちに、菜摘女に、疑う気持ちが生じた。
まことしからず候ふほどに
申さじとは思へども
と、口にした途端に、菜摘女に、河原での幽霊が取り憑《つ》き、
なにまことしらずとや
うたてやなさしも頼みしかひもなく
まことしからずとや……
と、声音が変じる。
この瞬間、面≠替えることもなく、装束を改めることもなく、菜摘女を演じているツレの明煌は、霊である静御前に乗り移られる演技をしてみせねばならない。
迫力が増してくるのはさらにこれからで、霊が憑いた女は、恋人であった義経を語り、その死と、女ゆえに、共に死ぬことを許されなかった恨みをも語る。
そして菜摘女は、宝物殿に奉納した静御前の装束をとってこさせ、身に着けて、舞いはじめるのだ。
賤《しづ》やしづ しづやしづ
しづの苧環《をだまき》 繰り返し
昔を今になすよしもがな
思ひ返せば いにしへも
恋しくもなし
憂きことの
今も恨みの ころもがは
身こそは沈め
名をば沈めぬ
舞っている菜摘女の背後に、いつの間にか、おなじ装束に身を包んだ、高雅なる女性、静御前の霊が顕《あらわ》れていて、ともに、舞っている。
明煌がかもしだした情緒に、篠芙が幽幻の花を添えた。
一度も、篠芙は稽古場《けいこば》に訪れようとはせず、明煌と舞うのはこれが初めてだったが、天性の間のとりかたで、乱れの一つもない。
二人の舞の美事《みごと》さは、やがて、相舞《あいまい》ということもあって、どちらが菜摘女か、静御前か判らなくなってくるほどだ。
そこに、見るものを惹《ひ》き込む幻想的な世界がひらかれてくる。
完璧《かんぺき》なまでの美の一対が生まれ、舞うごとに、研ぎ澄まされていった。
だが、完成された瞬間に、人々は気がつくのだ。
篠芙と明煌の裡《うち》に潜む狂い≠フ違いに……。
それは、霊となり、この世のものではない静御前と、生きて、血の通う健康な吉野の菜摘女との差ほども違う。
藤代明煌の名が囁《ささや》かれはじめる。
「宗家が藤代流を弟の明煌に襲《つ》がせたいというのは、どうも本当らしい」との囁きが、波のように見所《けんしよ》を埋めた人々の間を伝わって行った。
初秋の長い陽も暮れる頃、宴能会は成功のうちに終わり、パーティー会場となったホテルの方へ人々は移動した。
一躍|寵児《ちようじ》となった明煌は、新調したタキシードに身を包み、カメラのフラッシュを浴びて、近づけないほどとなった。
対して、白のスーツといった篠芙の方には、誰もが声を掛けるのが憚《はばか》られるらしく、彼は取り残されたように独りで、即席の舞台で舞う弟子筋の舞を観ているだけだ。
パーティーもしまいに近づき、辞する人々がでてくる頃になってようやく篠芙の許へきた真木が、声を掛けた。
「お二人とも見事でした。特に明煌さんは、よくやってくれました。宗家もご満足されていますよ」
いまもまだ、宗家みずから、主だった流派内の者に明煌を引き合わせている。一緒に居るのは基世で、人々の眼には、観月の実力者二人が強力に後押ししているとみえるだろう。
「藤代の家元に推《お》してもおかしくない…、明煌があれだけ舞えるということを今日みせられて、誰も反対は出来ないだろうな」
もう何杯目になるのか、酒を過ごしている篠芙は、人々の中にいても頭ひとつ抜きんでて高い明煌を、切れ長の双眸《そうぼう》を細めて見た。
「そうですね、もともと藤代の芸風は、靭《しな》やかなる優美というもの、明煌さんの舞質には、それが備わっていますからね」
「はっきり言う。ならば、もっとはっきりと、わたしでは駄目だったのだと言えばいいだろう」
空けたグラスをテーブルに戻し、また新しく取って、ふらりと中庭《コートヤード》へ出て行こうとする篠芙を、真木が追って引き止めた。
「若、あとで、奥へお越しいただきたいとのことです」
篠芙は振り返り、うっすらと口許をつりあげた。
それは笑っているような、泣いているかのような、不思議な、表情になった。
「わたしは、もう行かない。明煌が行けばいいことだ」
「いいえ、若に」
有無を言わせない強い声音が真木から放たれる。
「いまさらなぜ、わたしが必要なんだ」
苛立《いらだ》ち、だが心の波を鎮めるようにして、篠芙は持っていたグラスの酒を一気に呷《あお》った。
松濤にある観月の屋敷に篠芙が行ったのは、夜になってからだった。
パーティー会場のホテルから、用意された車でそれぞれが屋敷へと戻ったのだが、インタビューを受けている明煌は、演芸雑誌社の車に乗せられ、篠芙は、逃がさないためにか、真木の車に乗せられた。
それでも屋敷に着いた時には、篠芙が一番遅れており、奥の間に入ると、すでに身内だけで行われる祝宴がはじまっていた。
「遅い、遅い、まさか、逃げたのかと思ったぞ」
すでに爛酔《らんすい》気味の基仙が、独特の濁声《だみごえ》をあげて手で招き、篠芙は彼の下隣りの末席に着いた。
部屋のなかに、明煌の席はなかった。
基世の子で、今日の舞手の一人でもある元裕紀の席も用意されていない。
今年二十八になる元裕紀は、自分が宗家の孫ゆえに『羽衣』を舞わせて貰《もら》ったことを承知しており、このような席には出て来ないのだ。
「途中で気分が悪くなられましたので、休んでから参りました」
篠芙に代わって、真木が遅れた理由を答えた。
「気分が悪くなるほど飲むのはやめなさい」
冷ややかに言うのは、基世だった。
「それともうひとつ、聞くところによると、藤代の若は、近頃の行状かんばしくないとのこと、宗家もお心を痛めておられるのをご存じか?」
最初の時から、――十歳で観月の屋敷に来た時から、基世は、篠芙に対して厳しく、冷淡であった。
基世は狭量の男ではないのだが、目の前で見せつけられる篠芙と息子である元裕紀の才能の違いが、一人の優れた能役者としての立場よりも、親の心情を刺激してしまうのかもしれない。時に、そう勘繰りたくなるほど、篠芙に対し、酷《きび》しい男なのだ。
「そうだ、わしも聞いたぞ、若。しばらく足が遠のいていたと思えば、どこぞで女と遊んでいるとか、いないとか」
面白そうに基仙が口をはさんでくる。
だが彼らを、上座から見ていた宗家が遮った。
「まあよい。いまは、その話はなしだ。ところで篠芙」
呼ばれて篠芙は、宗家の前へ出てゆき、観月の重鎮たちに左右を囲まれた形で正座した。
「明煌と舞ってみて、篠芙はどのように思ったか?」
一瞬、周りが沈黙した。
部屋の隅に控えた真木ですら目線をあげて、冷たく整った、感情のない篠芙の横顔を見ている。
「――見事でした」
静かだが、きっぱりと篠芙は口にした。
「明煌の舞には、大袈裟《おおげさ》なものがなく、それでいて写実性と優美が備わっています。あの年で見事だと思い、彼の才能は確かなものだと思います」
脇から基仙が笑いをあげた。
「どんな顔で言うのかと思えば、いつもと変わらないのでは面白くもない」
叔父《おじ》である基仙の笑いを遮って、基世が、篠芙に念押す口調で問いかけてきた。
「優美にして鞭《むち》のようにしなやかな靭《つよ》さというのが藤代の芸風、明煌には充分に備わっているというわけだな?」
「はい」と、篠芙が答える。
「では、明煌が藤代を襲いでもおかしくはないな」
基世が、そう言い出し、さらにそれから三人がひとしきり明煌を賛美するのを、篠芙は黙って聞いていた。
面を着けておらずとも、能面のように無表情で、美しい篠芙の貎《かお》が、凄味《すごみ》を増して、そこにある。
「うむ、だが若も、舞台ではじめて相舞うことになったとはいえ、あそこまで合わせられるとはさすが兄弟」
明煌ばかりを褒めるのはどうかと思ってか、芝浦が気を回して言うのを、宗家が頭から打ち消した。
「篠芙ならば、あれだけ舞えて当然。褒めることではない」
「いや、これは手厳しい」
笑いながら芝浦が引き下がる。
「とにかくも、明煌はよく舞った。褒美をやらねばならんくらいだ」
次に宗家はそう言い、老いてなお通る声で、明煌を呼ばわった。
「入って来い、明煌」
驚いたように篠芙が顔をあげると、背後の襖《ふすま》が開き、あらかじめ続き部屋に控えていた明煌が入って来た。
「いま、篠芙が言ったことは聞こえていたと思うが」
「はい」
いくぶんか緊張した明煌の声が答える。
「褒美をやる。明煌、いまここで、篠芙を抱いてみろ」
驚愕《きようがく》に瞠《みひら》かれた瞳《ひとみ》で、篠芙はそう言った宗家を見て、それから、近づいてくる明煌を振り返った。
「美事《あざやか》に鳴かせてみせれば、藤代はお前にやるぞ、明煌」
凍ったように篠芙のまわりの空気が固まった。
自分を取り巻いている男たちの顔を、篠芙は一人ずつ確かめるように見て、彼らが本気であることを知った。
「いやです、宗家…」
よろめくように立ちあがり、篠芙は拒絶に頭を振る。
「わたしが必要なくなったのであっても、こんな仕打ちは、いや…だ、弟に……」
しかし宗家は、篠芙の訴えを聞き容《い》れなかった。
「あなたは、俺を、弟と認めてくれていたのか?」
明煌もまた、背後から篠芙に迫り、逃がさないように立ちはだかった。
「うるさい、退《の》けッ」
叫んだ篠芙だが、明煌に手首を掴《つか》み取られてしまうと、狼狽《ろうばい》し、さらには力ずくで引き寄せられようとして、咄嗟《とつさ》に、空いている方の手で明煌の頬を殴っていた。
「は、放せッ…」
殴られた瞬間、明煌も容赦なく反撃にでて、篠芙は平手で殴りかえされたばかりか、さらに一打、加減がくわえられてはいるが、反対側の頬も搏《う》たれていた。
「おー…」と、基仙がおもしろがって声をあげる。
だが篠芙もまた、もう一度、明煌を殴った。
「やめろッ」
殴られて、明煌が叫んだ。
「俺の方が力が強い、あんたを毀《こわ》しちまうぜッ」
殴られたら殴り返すつもりなのだから、だからもう俺を殴るなと、明煌は叫んだ。
「手を、放せッ」
いまはもう、長い髪を振り乱して、篠芙は肩で息をついていた。
さすがに抵抗は諦《あきら》めただろうと思い、明煌は掴んでいた手首を放した。
手首を放された瞬間、篠芙は最後の平手打ちを明煌にあびせて、身を翻そうとした。
「こ…のおッ」
怒った明煌は、すかさず足を払って、篠芙を突き転ばせた。
「う……」
足を引っ掛けられた篠芙は、転んだ拍子に身体の下になった自分の腕で胸を打ってしまい、畳に伏して、すぐには起きあがれない。
「明煌、手加減してやれ」
基世の言葉に頷《うなず》いた明煌は、さらに篠芙を逃がさないために、床に広がった長い髪を片足で踏みつけた。
「く…うう…」
俯《うつぶ》せになったままで、身動きどころか、頭をあげることもできなくなって、篠芙は呻《うめ》きをはなった。
髪を踏んで押さえながら、明煌は、篠芙のジャケットを剥《は》ぎ、下に着ているものを引き裂いた。
「よせッ、よせッ…」
篠芙が、ようやく髪を踏まれていた足を退けられた時には、すでに裸体を隠すものを失い、ましてや、四方を男たちに囲まれて、逃げ道をも失っていた。
青白い裸身を晒《さら》したまま、目の前で、まとっているタキシードを脱ぎ落としていく明煌を、睨《にら》みつけるだけしかできなかったのだ。
だが、服の下から男の肉体があらわれると、篠芙は戦《おのの》きを放った。
象牙《ぞうげ》色の肉体に、すでに張りつめている肉の塔が聳《そび》えていたからだ。
何時も、篠芙は見ないようにしてきた。
決して、明煌の顔を見る容《かたち》で交わることはしなかった。だから、弟の男としての勢《ちから》を、知らなかった。
「不思議だ」
しゃがんで片膝《かたひざ》をついた明煌は、篠芙の右手首を掴んで背中で捩《ねじ》ると、有無をいわさない力で、もう一方の手首もひと絡げに、基世が投げた紐《ひも》を使って結んだ。
後ろ手に縛られた篠芙が、怒りをあらわにするのも、いまは気持ちがいいくらいに感じる。
「あなたは、ずっと俺の支配者だったのに…」
殴れば、毀《こわ》してしまいそうだ。片手で、抵抗を封じることもできるくらいに、自分の方には力があるのだ。
それが自信へと繋《つな》がってゆく。
篠芙の胸許を突き飛ばすように押し倒し、明煌は、彼の上へと伸《の》しかかった。
「いつも、あなたは、俺に痛みだけしかくれなかったな」
身体の下で、篠芙が弱々しく抵抗するのが判った。
心地好く感じて、明煌は、耳許《みみもと》に口唇《くちびる》をつけた。
「仕返しするには、いい機会だ」
右手の中指を、明煌は淫《みだ》らな仕種《しぐさ》で、口にいれ、たっぷりと唾液《だえき》をまぶし、抽《ぬ》きとって見せる。
「や、やめろッ」
後ろ手に縛られ、体重をかけられて身動きが叶《かな》わないものの、明煌の指がどこへ侵入しようとして下肢をさがっていくのか判り、篠芙はもがいた。
もがいたが、両足の間に入り込んだ明煌を退けることはできずに、内腿《うちもも》をこじあけられ、最奥に触れられて侵入を許してしまうしかなかった。
「や…ぁ……」
すーうっと、指が曳《ひ》き出され、また、明煌の口唇に含まれる。
濡《ぬ》れた指を、さらに深々と付け根まで捩りこまれて、篠芙がたまらず、呻いた。
「あぁッ」
「せまい、こんな風になってたのか…」
鉤形《かぎがた》に指が曲げられると、篠芙は息が詰まり、身悶《みもだ》えて、頭を振った。
「苦しい?」
唾液に光る明煌の指が、いまはもはや、身体中の神経が集中したかのように敏感になっている篠芙の秘所に、出入する。
「あっ……あっ……」
抽挿のたびに、頭の裡《なか》にまで指先が入り込んでくるような錯覚が篠芙を追い詰め、抗《あらが》いも、身体の強張《こわば》りも、次第にとけていった。
明煌は指先で、なおも内側をえぐるように、篠芙をまさぐった。
「ああッ、よ…せッ」
下肢をよじらせ、篠芙が、呻いた。
「辛《つら》いんですか?」
かすかに篠芙が頷いた。
「じゃ、もっとだ…」
媚肉《びにく》の花襞《ひだ》をからめとり、めくりあげるように擦《こす》ってから、明煌は指先を挿入させて、奥をかきまぜ、狭い内壁をひろげようとしてみる。
「やめ……」
瞬間、電流が走ったように反応した箇所があった。
「ここか? 感じるところは」
篠芙が口唇《くちびる》を噛《か》んだのが判ると、明煌は巧みな指戯で肛襞《にくひだ》の奥をなぶった。
執拗《しつよう》に繰り返されて、篠芙が噛み縛った口唇からうめきを洩《も》らすようになると、明煌は中指を曳《ひ》き抽《ぬ》いて、両手で下肢を持ちあげた。
「よせ、こん…なッ…」
下肢を持ちあげられて、すべてが明煌の眼にはいってしまう。ああ…と、篠芙は身内より慄《ふる》えを放った。
指でほぐされた肛襞は、鮭紅色に濡《ぬ》れ、篠芙の顫《ふる》えに、まるで生き物であるかのように妖《あや》しく蠢《うごめ》いていた。
「こうしないと、あなたを越えられない気がする」
淫《みだ》らに咲きはじめた秘花に、明煌は男をあてがった。
「よせ――ッ」
火のような熱さで押し挿《い》ってきた明煌に、篠芙は悲鳴する。
だがさらに明煌は、二つ折りにした篠芙の下肢を抱え、彼の胸元に押しつけるほど、屈《かが》ませた。
「ううッ…うッ…あうッ…」
結合が深くなり、篠芙が苦しげに呻《うめ》いた。
「兄さん、あなたを感じる」
「おぉ…うっ…」
肉奥に、深く突きささり、収まっていた明煌の猛《たけ》りが退いていく時に、篠芙の口唇からは引き絞るような声が洩れた。
明煌の猛りは、張り出した部分で篠芙の内壁を擦りながら退《ひ》き摺《ず》りだされ、敏感な肛襞を内より押しひろげて通りぬける。
束の間、解放された安堵《あんど》にハァ…と、口唇が溜め息を洩らしたが、すぐさま、堅く張った先端が押しつけられ、ふたたび突き挿れられてくると、篠芙は息も止まりかけて、
「ううッ…」と唸《うな》った。
苦悶《くもん》に唸ったが、挿入された灼熱《しやくねつ》の猛りで内奥を揺すられると、声に悲鳴が混じった。
だが決して、苦しみの悲鳴ではない証拠に、次第に艶《つや》めき、陶酔の音色に変わってきているのだ。
確かに、「嫌だ」と身体は訴えかけていたのだが、肉悦を仕込まれた篠芙には、最後まで明煌を拒絶はできなかったのだ。
「相変わらず、美《よ》き声…、佳《よ》き音色だ」
基世が、謡《うた》うように言う。
明煌は深く伸《の》し掛かっていきながら、喘《あえ》ぎ、舌先を顫わせている篠芙の口唇を吸った。
「あぁ…」
接吻《くちづけ》だけで篠芙は乱れ、明煌を締めつけている内奥がうねった。
「く…うううッ…」
堪《たま》りかねて、明煌も呻きを放った。
まだ、まだ――と、だが、次に篠芙の内奥に妖しい蠕動《ぜんどう》が起こり、収縮が走った瞬間、明煌の嫩《わか》い精は爆《は》ぜて、ビクビクと下肢が波打った。
同時に、篠芙の下肢も濡れていた。
手助けしてやるかのように、明煌が指でしごくと、篠芙の内奥が、軋《きし》むほどに締めつけてきた。
「あ、明煌…」
小さく篠芙がうめいたのが聞こえた。
「兄さん……」
篠芙からもたらされる肉の快美が、これほどまでとは思わなかった明煌は、自分のあっけなさが、口惜《くや》しかった。
「よき味だったろう?」
見ていた基世が立ちあがってくる。
基仙も、芝浦も席を立った。
「退け退け、お前はまた後からだ」
興奮を隠さないまま、基仙が縛られた篠芙を抱きかかえようとする。
「いや、いやだッ…」
我に返ったように、篠芙が抵抗をみせた。
自分を踏み躙《にじ》った観月の男たちに、いまさら抱かれるのは耐え難いことだったのだ。
「若は、なにを嫌がっているのだ?」
指を挿れ、明煌が放った若さを掻《か》き出しながら、基仙が他の二人に問う。
「さぁ…て、若は、我らに叱《しか》られるような遊びをしていたのだろうよ」
芝浦が、先達《せんだつ》ての、篠芙の外泊騒ぎをふたたび持ちだし、惚《とぼ》けたように言った。
「だから、怖いのかな」
基仙の濁声《だみごえ》が笑う。
「では、叱ってやろう」
首筋から腕を差し入れ、篠芙の顔をあおのかせた基世の声は、常とは異なり、どこか甘やかな響きを含んでいるように聞こえる。
「ア――ッ…」
だが、あがった篠芙の悲鳴は、苦悶を伝えるものだった。
袴《はかま》の前をゆるめた基世が、背後から、青いほどに白い肌の裸体を抱いていた。
「あ、ああ……ううう」
激しく揺すられて、篠芙が怺《こら》えがたげな呻きを洩らすのを封じるように、前へまわった基仙が、口唇に自分の男をねじ込ませた。
息詰まったように、篠芙の全身がよじれたが、ひとつの苦しみを追っていられるだけの余裕を、前後の男たちは与えなかった。
抽挿がはじまったばかりか、芝浦の、どこかねっとりと女性的な手が、兆した前方へ伸びて、愛撫《あいぶ》が繰り出されているのだ。
「明煌、これで藤代はお前のものだ。年内に襲名の披露を行うとしよう」
姦《かん》の輪に加わらずにいる宗家が、そう告げるのを、明煌は正座して承った。
「しかし、宗家、兄は……」
三人の男たちに犯され、悶《もだ》えている篠芙をみて、明煌の方は、いたたまれなくなった。
ついいまし方まで、篠芙に対して感じていた加虐的なまでの欲望が鎮められて、兄を想う気持ちが蘇《よみがえ》ってきていた。
十二年間も、藤代流再興のために男たちの贄《にえ》にされてきた篠芙が、結果として、弟の明煌に藤代を奪われたとあっては、――彼のことだから、死を選んでしまうと思われたのだ。
「…兄のことを思うと、俺は―――…」
身を退くべきではないかという迷いが、明煌に生じていた。
だが、明煌の甘さは、すぐに宗家によって打ち砕かれた。
「明煌、藤代はお前のものだ。だが篠芙は、我らでもらう」
「え?」
聞き返そうとした明煌よりも先に宗家が言葉を継いだ。
「篠芙は名を鏡花《きようか》と改めさせ、養女の多華子と結婚させて観月を襲《つ》がせる」
あまりの驚きに、明煌は顔をあげ、言葉を失って宗家を見た。
「で――でも、それでは、元裕紀さんはどうなるんです…」
宗家の孫である元裕紀がどうなるのか、明煌は訊かずにはいられなかった。
「元裕紀には可哀相だが、これは基世も承知のことだ。才あり、相応《ふさわ》しいものが観月を襲ぐのだ」
名門の芸を守り抜こうとする者の、非情さで宗家は決断したのだ。
藤代|弥昌《みしよう》が、幼い篠芙を人柱にしたと同じことだった。
流派を存続させてゆくためならば、どんなことでもする。それが、芸を守り継承してゆかなければならない者たちの定めなのだ。
「宗家は、――兄を、見捨てたのではなかったのですか…」
品の良い老人の直面《ひためん》が、白式尉《はくしきじよう》に似た福々しい笑顔に変わる。だがそこには、人ならぬものの気配が凝集していた。
「わたしたちは、藤代の若をすこしずつ追い詰めて、狂って行くのを待っているのだ。――篠芙は、われらが四人で、丹精した花なのだよ。手放せるはずがないではないか」
ひき攣《つ》ったように洩れはじめた篠芙の嬌声《きようせい》を聞きながら、明煌は合点した。
「俺を焚《た》き付けたのは、俺に藤代を襲がせ、観月流で兄を手に入れるためだったのですね…」
彼等が篠芙を奪っていくことに対する嫉妬《しつと》と、そのために自分が利用されたのだという憎しみに、明煌は喘《あえ》いだ。
「どう思われても仕方がありませんね」
脇から、真木が口をはさんだ。
知っていて、彼も荷担していたのだ。
「どれほど優れていても、しょせん藤代は観月の袂《たもと》を離れてはやって行けない。だがわたしたちは、篠芙に座≠襲がせたいのだ」
すでに篠芙の悲鳴はとぎれていた。
後ろ手に縛られていた紐《ひも》もほどかれ、男たちの腕のなかで、頭を穿《うが》たれた蛇のように身悶えているばかりだ。
音もなく宗家が立ちあがると、すかさず真木が介添えるように腰帯をゆるめた。
宗家は一度、篠芙のところへ行く前に明煌を振り返った。
「わからぬか? 明煌。観月の芸は、人には舞えんのだ」
不意に明煌の脳裏を、舞台で舞う篠芙の姿が通り過ぎた。
神懸かって、美しい、凄《すご》みまして、雅《みやび》やかな舞い姿。
いま、その美しき人は、淫らに這《は》い蹲《つくば》らされている。
舞うために、狂った男たちを鎮める饗《うたげ》は、はじまったばかりだった。
[#改ページ]
散る花[#「散る花」はゴシック体]
[#改ページ]
一[#「一」はゴシック体]
車が松濤《しようとう》にある観月《かんげつ》の屋敷へ着き、正門を潜った刻《とき》には、すでに辺りは紫紺に暮れて、盛夏の長い一日が終わりに近づいたことを伝えていた。
門を通ってからも、車が奥玄関へ行き着くまでは距離があった。
さすがに、室町時代より六百年の歴史と伝統を誇る能楽のシテ方五座最大流派観月流の屋敷ともなれば、敷地の広さも、樹木の合間に見え隠れする建物のたたずまいにも、圧倒される威厳が満ちている。
藤代篠芙《ふじしろしのぶ》は、屋敷のもっとも奥まった棟にある玄関へ連れて行かれると、そこで車から降ろされた。
観月の屋敷は、表≠ニ呼ばれている稽古場《けいこば》をふくむ人の出入りの多い棟と、一部の弟子と観月の身内が住む中=A秘蔵の面や衣裳《いしよう》を納める蔵や、文化財の指定を受けた旧《ふる》い能舞台などが保存された奥≠ニ呼ばれる聖域によって構成されている。
暗い迷路のような廊下を通り、奥≠ノある離れ座敷に案内された篠芙は、ここで待つようにと独りにされたのだ。
十畳ほどの座敷は、高い格天井《ごうてんじよう》や、欄間彫刻が部屋の格式を物語っていたが、葭戸《よしど》を通して見える庭の方は、もう長い間手入れを怠ったと思われる叢林《そうりん》に取り囲まれて、陰気な森と化しており、闇の訪れをいっそう早めている感じがあった。
その森のどこからか、カナカナカナと、悲しげな蜩蝉《ひぐらし》の鳴き声が聞こえてきた。
――夜がはじまるのだ。
「坊っちゃま、いけません、坊っちゃまッ」
静寂が狼狽《ろうばい》した女の声で破れ、廊下を渡ってくる乱暴な足音がしたと同時に勢いよく、杉杢《すぎもく》の板戸が開け放たれた。
貌《かお》をあげた篠芙は、廊下側から戸を開けた少年を、双眸《そうぼう》にとらえた。
飛び込んで来た少年は、女雛《めびな》が命を吹き込まれたかと見まちがうほどに、高貴で美しい篠芙を見るなり、勢いを失い、眼を瞠《みひら》いたまま立ち竦《すく》んでしまった。
だがすぐに少年は、篠芙が身に亨《つ》けた美しさに対する驚きを、嫌悪に変えた。
人間は、自分が許容できない範囲にあるものを嫌う習性があるのだろう。ましてや、自分と幾つも年の違わない篠芙が、冷たい、皙《しろ》い月のように超然とした麗しさを湛《たた》えているのを見ては、嫌悪以前に恐怖ですらあったかもしれない。
「お前が藤代《ふじしろ》の――篠芙か?」
勿体《もつたい》をつけた口調で、少年は、単座している篠芙に声を掛けた。
篠芙は、初めて自分を見る者が、男も女も関係なく示す反応――興味か嫌悪の一方を露骨に顕《あらわ》した少年が、観月|元裕紀《もとゆき》であるのを知っていた。
粛《おごそ》かに、身体を元裕紀に向けた篠芙は、畳に両手を揃え、深々と頭を下げた。
少なくとも元裕紀は、機嫌を直す切っ掛けをもった。
「お前、僕が誰なのか知ってるんだな?」
「はい…」
頭をあげないまま篠芙が答えたので、さらに元裕紀は、自分の優位を感じることが出来た。
「言ってみろよ」
襖《ふすま》に寄り掛かった元裕紀は、桜色の爪が嵌《は》め込まれた白い指を見て、「――こいつ、女の子みたいだ」と、可笑《おか》しくなってくる。
だが、篠芙がいっこうに元裕紀の名を口にしないことで、次第に腹立たしくなるのを隠さなかった。
「僕を知らないんだな? 信じられないよ、舞台とか観てないのか? この春にだって、『船弁慶』で義経を舞ったのにさ、演芸雑誌の表紙にも載ったんだぞ」
元裕紀の声に被《かぶ》さって、廊下の向こうから、先ほどの家政婦があげる言い訳じみた声が聞こえた。
「お制《と》めしたんですよ、それなのに元裕紀坊っちゃんたら、どんどん行ってしまわれて…」
中≠フ使用人は奥≠ヨ入ることも禁じられていて、自分は元裕紀を追えなかったのだ。引き止められなかったのだと女は言い訳している。
彼女が訴えている相手が、父の基世《もとよし》であると判って、なおさら元裕紀は苛立《いらだ》った。
「正恵《まさえ》のやつ」
忌々しげに、元裕紀は女を罵《ののし》ったが、自分がこの奥座敷へ乗り込んできた理由を思い出し、観月流師範であり父である基世が、部屋に入って行くのを廊下側から眼で追った。
四十二歳の基世は、均整のとれた身体つきに、整ってはいるが、酷薄な性質を刻んだかのごとき容貌《ようぼう》をした男で、元裕紀を含めて二男一女の父親でもあった。
病弱で、舞手としての才能の開花しない長男をとうに見限って、亡妻の実家へ養子にやり、次男の元裕紀に流派を襲《つ》がせるつもりでいる。そういう決断の出来る男だった。
いまも基世は、廊下に立っている元裕紀を横目に見ると、響くほどの声で叱りつけた。
「行儀が悪い、さっさと入りなさい」
偉大な父の前で気後れのする元裕紀は、黙って部屋のなかに入り、ちょうど三人が鼎坐《ていざ》する形に向かい合った。
「改めて紹介しておこう、これが息子の元裕紀。今年で十五歳になったばかりだが、わたしの後継者として育てている」
不満げであったが、元裕紀は一応は頭を下げた。
「こちらは、今日から我が家に住み、稽古《けいこ》と行儀作法を学ぶことになった藤代の若だ」
人形のように美しい貌《かお》の藤代篠芙が、またも深々と頭を下げて来たが、自分同様に、それは心が籠《こも》っていない儀礼的なものであると判っていたので、元裕紀は睨《にら》みつけていた。
そんな息子の様子を口唇《くちびる》の端で笑いながら、基世が火に油を注ぐ真似をする。
「まだ十歳というのに、藤代の若は、舞手としてはお前を凌《しの》ぐほどだぞ元裕紀、うかうかしてはいられないな」
基世の言葉に、元裕紀はムッとしたが、大人びた感じのある藤代篠芙が、わずか十歳と聞いて、いささか驚いていた。
だが最初の怒りが、まだ冷めてはいなかった。
「お父さま、その子は、この部屋を使うのですか?」
――それがどうした? という風に、基世は涼しくもあり、冷たくもある双眸で見てくるので、元裕紀の方が居心地悪くなってくる。それでも、彼は諦《あきら》められなかった。
「この篠芙って子に、奥座敷を使わせるのですか? この部屋は、来年僕が高等科に進学したら使わせてくれると、お父さまも言ってらしたでしょう?」
学校から戻って直ぐに、奥座敷に藤代流の後継者となる少年が住むことになったと聞き、慌てて奥≠ヨ来た元裕紀だったのだ。
陰気な暗い部屋ばかりが並ぶ奥≠フなかで、ここは特別の部屋だった。
専用の庭や浴室などのついた三間続きで、自立心の芽生えはじめた元裕紀にはどうしても手に入れたい部屋なのだった。
「確かに、わたしはお前と約束したが、藤代の若にこちらを使っていただくことは、宗家が決められたのだ。それに――…」
ふいに、基世の声音に厳しいものがまじって、元裕紀は日頃の習性で、ビクリッと背筋が伸びた。
「こちらは藤代流三代目を襲ぐ方だ、不敬があってはならない。以後、藤代の若とお呼びするのだぞ、元裕紀」
「な、なんでッ、僕の方が――」
突然に、憤慨したかに、元裕紀が叫んだ。
「僕は、観月の跡取りになるのに、こんな配下の子を、藤代の若なんて言えるものかッ」
紋服袴姿《もんぷくはかますがた》の基世は、袖《そで》のなかに落としておいた扇子を巧みに取り出すと、すかさず、元裕紀の手の甲に向けて打ち降ろした。
乾いた、劇《はげ》しい音がして、元裕紀は激痛に痺《しび》れた手を庇《かば》って声すらも出せなかった。
「秋の宴能会は、人気の高かった『船弁慶』と決まったが、義経役は、藤代の若が舞うことになるだろうな」
「嘘だッ」
またも元裕紀が、悲鳴のような声をあげた。
「あの役は、僕のものだ」
基世は双眸を細め、我が子に向けて憫笑《びんしよう》に近い視線を浴びせた。
「嘘だと思うのなら、明日、藤代の若の舞を自分の眼で確かめてみるといい」
「お父さまは、僕がそんな子に劣るとでも言うんですかッ」
叫ぶなり、元裕紀は立ちあがって部屋を飛び出したが、廊下に真木博人《まきひろと》が控えていたのに気がつくと、そこでまた、癇癪《かんしやく》を爆発させた。
「な、なんでお前まで、こんなところにいるんだよッ」
身内に近いが、使用人同様に思っている真木に、聞かれたくないことを聴かれてしまったのだ。
「なに怒鳴ってるのよ、みっともないわね、元裕紀」
すでに暗くなっている廊下の向こうから、今度は若い女の声がして、それが姉の美土里《みどり》であることにも、元裕紀は苛立ちを募らせた。
「姉さんまで、なんの用だよ」
「あたしは、お茶を持って来ただけよ」
そう言う美土里は、下ろしたての単衣《ゆかた》に着替え、髪を結いあげている。捧《ささ》げ持った盆に載せられているのも、祖父である宗家が秘蔵している茶器なのだ。
家中の誰もが、今日来た少年に気を遣っている。
ますます面白くなくて、元裕紀はプイとそっぽを向くと、不吉な場所から離れるとでもいいたげに、奥座敷から遠ざかって行った。
弟の後ろ姿を見送った美土里は、茶器を捧げて部屋に入ると、篠芙の前に正座して、恭《うやうや》しく頭を下げた。
「長女の美土里です。藤代の若さんの舞台は一度観せてもらいました」
そう言った観月美土里に、篠芙は視線を合わせた。
二重の、それでいて切れるような流し目が、自分に向けられて停まると、ニコッと、美土里は笑いかけた。
「お正月の『鶴亀』で、ほら、一緒に相舞《あいまい》してたのは、弟さんでしょう?」
『鶴亀』は、正月の縁起物として舞われる。唐の玄宗《げんそう》皇帝に仕える官人たちが皇帝の長寿をたたえ、鶴と亀の舞によって年明けを寿《ことほ》ぐ物語で、面を着けない子方が鶴と亀を舞うのだ。
篠芙が鶴を、七歳になる腹違いの弟の明煌《あきら》が亀を舞った。美土里はその舞台を観ていたのだ。
その舞台で、篠芙は見初められたのだ。
――生け贄《にえ》にと。
あるいは、観月流の恩恵を受けねば流派として立たない藤代流が、能のシテ方として揺るぎない地位を復活させるための、――人柱に、選ばれたのだ。
「あの時ね、鶴さんは女の子じゃないかって、見所《けんしよ》で騒ぎがあったの知ってます?」
「美土里、いい加減にしなさい」
娘の言わんとしていることを察した基世が制めたので、仕方なく美土里は黙った。
十八歳になる美土里は、なかなか見事に舞うが、女であるがゆえに表だった舞台に立つこともなく、後継者としても、最初から考えに入れられていない。それが、彼女にすれば不満であるのだ。
おそらくは、四人兄弟の中では、もっとも舞の資質に恵まれたというのに、女であるというだけで、この封建的な世界では日の目が見られないのだ。
それでも、「いつか、女でも優秀なら後継者になれる日がくるわ。あたしの時代にそうならないのは悔しいけど…」そう言うのが、美土里の口癖だった。
「あたしまで叱られないうちに、これで退散するわ」
ペロッと赤い舌を出してみせ、美土里は部屋を出て行った。
ようやく部屋のなかに静寂が戻ったかと思うと、真暗《やみ》に暮れた庭の方から葭戸《よしど》を通して、鈴虫の鳴く声が聞こえて来ていた。
基世は、起座して縁側へ出て行き、外側のガラス戸を閉めてから、篠芙のところへ戻った。
「元裕紀は、観月流の未来の後継者として内外から特別扱いで育てられたので、我が儘《まま》で驕慢《きようまん》なところもあるが、性根は悪くないのだ。これからは藤代の若が一緒で、彼の身も心も引き締まるだろうが、先ほどのことは許していただけるかな?」
父親としての言い訳のようなことを、らしくなく基世は口にし、篠芙は頷《うなず》いて応《こた》えた。
「よかった。では、真木を紹介しておこう」
そう言った基世は、廊下に控えている異母弟の真木博人を呼び入れた。
「真木、こちらへ入れ」
中将《ちゆうじよう》の面を思わせる美青年だが、全身に蔭のようなものを纏《まと》っている男が入ってきた。
「今日から、若の身の回りはすべて、この真木がみてくれる。夏休みが終われば、学校への送り迎えも彼がすることになる」
そう言われた篠芙は、頭を下げてきた真木博人を見た。
宗家の松世《まつよし》が愛人である女弟子に産ませた真木博人は、二十五歳という若さで、すでに観月流のなかでは指南役に付いている重鎮であるが、なぜか、紋服袴姿の能役者のなかで彼だけは三つ揃いのスーツという異質な存在でもあった。
篠芙にも、同じく父親が愛人に生ませた明煌という三歳年下の弟がいる。
いまは正妻である母の手前、父親は引き取るとは言っていないが、庶子である明煌のことは、すでに周知の事実だった。
「ところで若は、夕食をどうされる? まだ宗家は戻られないゆえ、わたしたちと中≠フ食堂で摂ってもらってもかまわんが、きっと元裕紀と美土里がうるさくて、気に障られるかもしれん」
「食事は、――家で済ませてきました…」
白金台《しろがねだい》にある屋敷を出る前、祖父と両親との四人で早い夕餉《ゆうげ》を済ませていた篠芙がそう答えると、基世は頷いた。
「ならば、後で夜食になるものを用意させよう。なんでも、食べたいものがあれば真木に言い付けておかれるといい」
「ありがとうございます…」
頭を下げた篠芙の、血管が透けて見えるほどに白くて、華奢《きやしや》な手を、基世が掴《つか》み取った。
ハッと戦慄《おのの》いた篠芙は、とっさに払い除《の》けるように基世の手を振りほどき、おぞけ立ったが、逃げられなかった。
基世は、容《かたち》の淑い、小さな頤《おとがい》を掴《つか》んで、自分の方へと篠芙を引き戻した。
「柔らかそうな口唇《くちびる》だな、吸えば、さぞ美味だろう……」
篠芙の肩が小刻みに慄《ふる》えている。だが清冽《せいれつ》な泉を思わせる眸《ひとみ》は、真っ直ぐに、むしろ挑むように、基世に向けられていた。
「藤代の若は、健気《けなげ》にも覚悟して来たようだね」
基世は、篠芙の額にかかっている長めの前髪をもう一方の手の指でかきあげ、自分が見ている、冷たく澄んで、麗しい、小さな貌《かお》に双眸《そうぼう》を細めた。
篠芙の美しさを堪能《たんのう》したのだ。
その鋭い眼の光に射られ、うつむく篠芙の頤からようやく手を外した基世は、傍らに控えている真木に向かって、
「宗家は、九時には戻られる。随行された芝浦《しばうら》の叔父《おじ》も多分一緒だ。その時刻に、若を奥≠ヨお連れしろ」と、命じ、部屋を出て行った。
九時までは、あと二時間ほどしかない。
後に残った真木は、隣りの次の間へ続く絹襖《きぬぶすま》を開けて、文机や書棚、衣装|箪笥《だんす》や鏡台などが篠芙のために用意されているのを見せ、さらにその向こうの襖を開け、奥座敷までの三間が見通せるようにした。
現在、二人がいる入ってすぐの寄付《よりつき》は客間として使い、次の間が私室、奥座敷が寝間だった。
三間は入側《いりがわ》で囲まれ、寝間の奥には手水場《ちようずば》と浴室がある。
真木は、浴室へ行って湯を出し、まだ廊下に置かれたままになっていた篠芙の荷物を、次の間に運び入れた。
「以前この部屋は、奥さまが療養のために使われていたのですが、その思い出もあって元裕紀さんは拘《こだわ》っておいでのようですね。でもこれからは、若の部屋ですので、ご自由にお使いください。秋口から庭師が入りますので、庭もすっきりしますよ」
基世の妻照子は、三男を死産した頃から寝たきりとなっていたが、数年前に他界したのだ。
「湯の支度が整いました。身体を洗うのは、わたしがお手伝いします」
次にそう言われた篠芙は、一瞬だが困惑した表情を浮かべた。
藤代の屋敷でも、以前は弟子の一人が篠芙の世話をなにくれとなくみてくれて、入浴などもすべてその弟子に任せていたのだが、さすがに初等科になると羞恥《しゆうち》が芽生え、すべて自分で行うようになった。
それなのに、他家に来て、はじめて会った男に入浴を手伝ってもらうというのは、厭《いと》わしかったのだ。
「自分で、出来ます」
思い切ってそう言ったが、
「いえ、それではわたしが宗家に叱られます」と、にべもなく真木は否み、半ば強引に篠芙の着ている上着に手を掛けた。
服を脱ぐのすら、任せなければならないのか――と、戸惑いながらも、篠芙は彼の手で裸にされ、浴室に連れて行かれることになった。
浴室は広く、檜《ひのき》の浴槽に、床のタイルも檜を模造した趣のあるものが敷き詰められ、磨《す》りガラスの仕切りを隔ててシャワーブースが別にあった。
裸にされた胸元を両手で庇《かば》うようにしている篠芙を、真木は浴室の腰掛けに座らせ、手早く洗いはじめた。
首筋から腕、両手の先、身体をさがって、少年の容形《かたち》を清め、双丘をなぞって足の爪先《つまさき》まで丁寧に洗って行く。されるがままになりながら、篠芙は、窓の向こうにある闇を見ていた。
「髪は、伸ばしているのですか?」
髪を洗う時、真木が訊いてきたので、篠芙は、女の子に間違えられるのならば、短く切ってしまおうかと思った。
「このままで、切らない方がいいと思いますよ」
すると直ぐに、気持ちを読んだかのように真木が言ったので、篠芙は、この男に対して気を許せない印象を抱いてしまった。
入浴を済ませた篠芙は、銀糸で刺繍《ししゆう》したススキに桔梗《ききよう》や菊花を散らした単衣《ひとえ》を着せられ、真木の手で帯を身体の前に結ばれた。
日本古来の美意識として、盛夏に秋草模様を身に着け、秋涼を偲《おも》うというのがある。そうして着替えた篠芙が入側で風にあたっていると、秋草に誘われたかのように、叢《くさむら》からリーッ、リーッと鈴虫が鳴きだした。
庭の叢にすだく鈴虫の鳴き声が、ここへ来た時に聞いた蜩蝉《ひぐらし》さながらに、篠芙には哀しかった。
「鈴虫を、獲《と》ってあげましょうか?」
浴室を片付けて来た真木が、入側で虫の音を聴いている篠芙に気がつき、そう言った。
「そんな、子供じゃない」
鈴虫をほしがるような子供じゃないと、篠芙は入側から離れ、観月で過ごすはじめての夜に身体を強張《こわば》らせた。
二[#「二」はゴシック体]
奥≠ノは、さらに観月の深淵《しんえん》があった。
そこは忌むものを封じている空間であり、あるいは、聖域でもある。
白無垢《しろむく》の小袖《こそで》に着替えさせられた篠芙は、見事な障壁画がつらなる襖《ふすま》によって仕切られた、幾つもの続き部屋を通り抜け、ひんやりとした闇に覆われた、もっとも奥まった部屋へ連れて行かれた。
「藤代の若をお連れしました」
最後に、老松の描かれた襖の陰から、真木は声を掛け、そっと開いた。
襖の向こうの部屋には、まるで時代が逆行したかのように、燭台《しよくだい》に立てられた蝋燭《ろうそく》で灯《あか》りが補われていた。
部屋のなかは、あまりに薄冥《うすぐら》く、掛け軸の文字が読めないほどだが、活《い》けられた床の間の花が百合《ゆり》であることだけは判った。百合の白い花弁が、ぼうっと、幽霊のように浮かびあがっているからだ。
さらに、儀式めいた薄冥さのなかに、異様な四人が対座し、篠芙を待っていた。
四人が異様なのは、紋服袴《もんぷくはかま》を纏《まと》い、顔には面を着ているからだった。
促され、なかへ入った篠芙は、上方に座している一人だけが、翁面の中でもっとも位の高い『白式尉《はくしきじよう》』の面を着けていることから、観月流宗家であると気がついた。
右にいる黒式尉は、身体つきで基世《もとよし》と思われた。
左の黒式尉は、おそらくは宗家の弟に当たる観月流総師範の基仙《もとひさ》。
下座にいる黒式尉は、衣紋からみて、観月の筆頭分家にあたる芝浦弥禄《しばうらみろく》なのだ。
「よく参ったな、さ、ここへ」
六十を過ぎた宗家、観月松世が手招き、四人で造っている囲いのなかに篠芙を招き入れた。
決して頭《こうべ》を垂れることなく、篠芙は囲いのなかに入ると、中央に敷かれた緋毛氈《ひもうせん》の上に正座し、宗家に向けて、真っ直ぐに視線を合わせた。
「どうやら、藤代の若の決心は、本当のものらしいですな」
左の黒式尉が独特の濁声《だみごえ》で口をはさむと、かすかに、本当に空気を揺らめかせたほどの微《かす》かさで、篠芙は動揺を走らせた。
見逃すことなく、観月の重鎮たちは、への字型にくりぬかれた眼穴から少年の心が放った怯《おび》えを味わった。
篠芙は、恐れを振り切るように、畳の上に指先を揃え、頭を下げた。
「藤代篠芙です。よろしくお願いいたします……」
「うむ、佳い子だな。それで若は幾つになるのかな?」
温和な宗家の声が頭上から聞こえると、篠芙は、畏《かしこ》まったまま答えた。
「十歳になります」
「元裕紀よりも五歳《いつつ》も下か、それにしては、ずいぶんしっかりとして、大人びている。学校は楽しいか?」
「はい」
学校は、名門私立の初等部に通っていたが、特に楽しい訳ではなかった。
「友だちはいるのか?」
「…いいえ」
これは本当のことだった。
「内の末娘が言っていたが、藤代の若は近寄りがたいんだそうだ」
またも脇から左の黒式尉が口をはさみ、宗家の会話を遮ってしまうが、ここにいる誰もが、そういった観月基仙の性質を容認しており、諫《いさ》める者はいなかった。
「ところで藤代の若、ここへ来ることで家元や父君はどう言っておられた?」
「お心に添うように勤めよと、言われて参りました」
透き通った鈴音の声に、思い詰めた響きが籠《こも》っている。
明治維新の際に廃絶した『藤代流』を再興させたのが、祖父の福寿《ふくじゆ》だった。
すでに八十歳の高齢だがまだ健在である。そして二代目の弥昌《みしよう》ともども、藤代流をなんとしてでも最大流派である観月流の配下に属させたいと願い、篠芙を差し出したのだ。
「それで、若は、自分から進んで参ったのか?」
美しい貌《かお》をあげた篠芙は、挑むように目の前の宗家を凝視した。
「人柱がなければ、藤代は建ちませんゆえ……」
突然、四人の頤《おとがい》が解かれたかのように、笑いが起こった。
最後まで笑っていたのは、当の宗家だった。
「なかなか、勝ち気な若と見たぞ、それが何時まで保てるか、――愉《たの》しみがいがありそうだな」
基仙がおもしろがって囃《はや》し立てたが、篠芙の方は、逃げ出したい心に懸命に打ち克《か》とうとしている悲壮さを漂わせて、口唇《くちびる》を噛《か》み縛っているのだ。
担わされた重苦に、靭《つよ》くあらねばならないと懸命の様子が痛々しく、いっそう艶《なま》めかしさが醸し出されている。
「人柱とは、よくぞ言ったな、ならば我らも、それなりの趣向で若の意を汲《く》もうではないか」
右の黒式尉から冷酷な声が放たれ、ひんやりと篠芙の身体を撫《な》でていった。
「そこに居るのだろう真木、縄を持ってこい」
真木によって、麻縄が用意され、盆に載って差し入れられて来た。
篠芙は、とぐろを巻いた縄を見てハッとしたが、すぐに視線を外し、目を伏せた。
「では、藤代の若の決心のほど、見せてもらおうか?」
近づいてきた黒式尉に腕を捉《と》られた篠芙は、両手を後ろ手に括《くく》られると、胸元まで二重に縄を掛けられ、瞬く間に上半身を縛りあげられてしまった。
「こうして、雁子搦《がんじがら》めに縛られると、ますます人柱っぽいではないか…」
背後の黒式尉は自分の手際に満足しながら、眺めて言う。
白無垢《しろむく》を着た上から縛られた篠芙は、いまにも沼に沈められるか、土中に埋められる生け贄《にえ》の乙女のように、華奢《きやしや》な肩を喘《あえ》がせることになった。
だが、前で結ばれた帯を解かれると、乙女ではない肉体が現われ、幼さのすべてがさらけ出された。
立ちすくむ篠芙の前に跪《ひざまず》いたのは、左の黒式尉だった。
「まずは、大人にしてやらねばなるまいな?」
うす桃色に色づいた少年の象《かたち》を、舐《な》めるように見ていた左の黒式尉が、はやくも手を出し、包皮を摘《つま》んできた。
「この人は、何時もこうだよ」
足を開かせるために押さえていた背後の黒式尉、――芝浦は、基仙と年が近いこともあり、親しげな揶揄《からか》い口調で言うのも、いまの篠芙には聞こえていなかった。
ただ羞《はず》かしく、つらく、怖かった。
「あッ」と思った時には、すでに、包皮が剥《む》かれ、切られたような痛みの走った先端を、あろうことか、基仙が面の切顎《あご》を持ちあげて、その下にある自分の口に含んでしまったのだ。
異様な生暖かさに篠芙はおぞけあがった。
声が出そうになるのを怺《こら》え、少しでも基仙の口腔《こうこう》から引き抽《ぬ》こうと後退《あとずさ》りかけるのを、追われて、さらに音を立てて吸いあげられた。
不思議な、むず痒《がゆ》い、妖《あや》しい感触を篠芙は否定できなかった。
「ああッ…」
喉《のど》で喘ぎ、篠芙は、眼を瞑《つむ》った。
紅い口唇がかすかに開いて、皓《しろ》い歯が垣間《かいま》見えている。少年の苦悶《くもん》を感じて、口を離した基仙は、面の眼穴から覗《のぞ》き込んできた。
「いい気持ちになっただろう?」
穢《けが》らわしいと、拒絶するかのように篠芙が顔を背けてしまうと、基仙が濁声に近い声で笑いをあげ、立ちあがって離れた。
解放されたかと、篠芙が身をよじらせたところへ、ふたたび基仙は戻って来た。基仙は篠芙を赦したわけではなく、まだ痛みの残る先端の、小さな鈴の口を守ろうとしている包皮を剥きあげ、摘んできた百合の雄しべをあてがった。
長いが細い雄しべが、挿入される。
「アア――ッ」
噛《か》み締めていた口唇から悲鳴を散らし、篠芙は、眼で哀願した。
それを気づかない素振りで、雄しべを行き止まるまで挿入させてしまうと、ようやく基仙は離れ、無残な屹立《きつりつ》を強いられた篠芙の姿を、宗家に見せたのだ。
「これは痛々しい…」
そう言った芝浦は、指を付け根にそえて、篠芙の容形《かたち》をなぞりあげる。
「うッ、うッ…」
篠芙は目尻《めじり》にうっすらと涙を溜め、なめらかな白い喉を反らせながら喘いでいる。さらにそこへ、右から腕を伸ばした黒式尉《こくしきじよう》の指が篠芙自身を掴み、手折らんばかりに扱《あつか》った。
「は、はなしてっ」
妖しい痛みに耐えかね、拒絶を口走ってしまった篠芙は、基世の笑い声を聞いた。
手を離してくれたものの、右の黒式尉は面の奥から篠芙を見下ろし、嗤《わら》っている。
篠芙は顔を背けたが、その拍子に、長い睫《まつげ》が涙を弾《はじ》いて、辺りに雫《しずく》を散らしてしまった。
黒式尉たちはそんな篠芙を緋毛氈《ひもうせん》の上に仰臥《ぎようが》させ、今度は宗家の前で剥きださせた。
両膝《りようひざ》を胸に付くほどに折り曲げられてしまうと、篠芙の下肢は開いてしまい、すべてを隠しておけなくなった。
「藤代の若は、淡い色…、桜の花びら色をしているんだねえ」
芝浦が覗き込んで、言う。繊細に動く芝浦の指が、最初に篠芙を挫《くじ》く役目を担ったのだ。
彼は移動して来ると、基世と基仙とが左右に開かせた秘裂へ指をあてがい、挿入する前に囁《ささや》いた。
「稚《おさな》い蕾《つぼみ》を引き裂いて捩《ねじ》り込むのを好む者もいるが、毀《こわ》さぬよう、若には存分に手を掛けてあげるよ」
芝浦は袂《たもと》から取りだした通和の軟膏《なんこう》を指に掬《すく》いとり、篠芙に見せた。
「たっぷりと潤滑の軟膏を塗ってあげるからね」
羞恥《しゆうち》にあえぐ篠芙は、ひろげられた秘裂の狭間《はざま》にその指をあてがわれ、肉の花襞《ひだ》を揉《も》み込むように擦《こす》られた。
「力をぬいてごらん、痛くならないからね」
花びらのような肛襞《にくひだ》に塗り込んだ芝浦は、篠芙の内へと爪先《つまさき》を食いこませた。
「…うっ…ううっ――…」
言うとおり、痛みもなく芝浦の指は入って来たが、その冷たさとおぞましさ、妖しい疼|く《うず》きに耐えかね、篠芙から呻《うめ》きが洩《も》れでてしまう。
「ああ…っ……――」
狭い内部で、芝浦の指先がグルリと回転してから抽《ひ》き出されると、篠芙は華奢な頤をのけ反らせ、口唇を慄《ふる》わせた。
芝浦は、たっぷりと軟膏をまぶした指で篠芙に触れ、蕾《つぼみ》を押しひろげて内部に侵入し、こねくり回す。巧みな揉みこみがはじまると、篠芙は激しく頭《かぶり》を振った。
「いやッ…」
自分を見ている男たちの顔が、涙に潤んだ瞳《ひとみ》にぼやけて映る。
篠芙は祖父から、どのような求めにも、決して逆らってはならないと、諄《くど》いまでに言い含められていた。ひとつ『嫌』と口走り、『否《いや》』と拒めば、それだけ藤代が窮することになるのだと――…。
「そう? いやなのかい、藤代の若」
淫《みだ》らな指が、篠芙の媚肉《びにく》を擦《こす》りあげ、こね回してくる。
「いやあ、触らないでッ…」
錯乱しそうなほどのおぞましさが、篠芙に祖父の戒めを忘れさせ、叫ばせた。
「赦《ゆる》して、触ってはいや…あッ」
それを聞き咎《とが》めた基世が、篠芙の耳許《みみもと》で囁いた。
「藤代の若の決心なぞ、この程度のものか?」
「ああ…」
切なげに篠芙は口唇《くちびる》を噛み、ぎゅッと眉根《まゆね》を寄せた。
「いやなのかい? 藤代の若」
芝浦も囁く。哀願のこぼれてしまう口唇を噛みしめ、篠芙は否定に頭を振った。
「どうぞ、篠芙を可愛がってくださいませ」そう言うのだと、祖父より説き聞かせられていた。
ありがたく受け挿《い》れた後は、自分から肛《しり》の環《あな》を締めつけたり、弛《ゆる》めたりしながら、一途《いちず》に腰を使えと、淫らな草紙絵を見せられて来たのだ。
だが、前方にまで百合の雄しべを挿入され、むごく揉み拉《し》だかれるとは思ってもいなかった。
秘所をなぶられるのが、これほどおぞましく、切ないものだという覚悟が足りなかった。
それでも篠芙は、口にして願わねばならないのだった。
「どうかッ…」
篠芙は喘いだ。
「どうした? やめてほしいのかい?」
激しく頭を振った篠芙は、声に出して言った。
「いいえッ、ど…どうかッ、篠芙を可愛がってくださ…い…」
言葉がとぎれて涙があふれ、篠芙は肩を慄わせて泣きはじめた。
「よしよし、いい子だねえ。判ったら、そのように力を入れてはならないよ」
芝浦の指戯が激しくなった。
激しさのなかに緩急が織りまぜられ、秘所の蕾がほぐれて、淫音をたてるようになった頃には、篠芙はほとんど放心した状態で、虚《うつ》ろに仰向《あおむ》いていた。
だが突然、身体の奥を衝《つ》きあげてきた気持ちの悪い感触に、篠芙は身じろぎ、啜《すす》り泣きを洩らしていた。
疼きのような、痒《かゆ》みのような、甘苦しさが身体の内側に集まってくるのだ。
「あ…ぁあ…」
おぞましい感触なのに、篠芙からは無意識に声がこぼれた。
「どうされた? 藤代の若…」
聞き漏らさない右の黒式尉――基世が、尋ねてくる。
「い…い…え……」
「いいえ、何も」そう言おうとした篠芙の言葉が乱れて、続けられなかったばかりか、芝浦の指に踊らされて、腰がもじつき、膝頭《ひざがしら》が小刻みに慄えはじめた。
「どうしたんだ?」
濁声《だみごえ》は、基仙のものだ。
覗《のぞ》き込んできた基仙は、わざと濁声を張りあげた。
「おやおや、若はどうしたというのだ? このように硬くさせて……」
百合《ゆり》の雄しべを挿入された篠芙が、容形《かたち》を変えてしまっている。
「さ、触らないでッ…」
悲痛な声をあげて、篠芙が身を捩《よじ》らせたところで、芝浦の指が肉筒を揉みこみ、さらには前方の雄しべを摘《つま》んで、ツーッと引きぬいた。
篠芙から呻きがほとばしった。
「アウッ…ウウッ」
挿し込まれていた雄しべを抜かれたことで、篠芙の腰は引っぱられるように持ちあがったが、すべてが抜け出たと同時に、悲鳴とともに白蜜が飛び散った。
「おおーッ」
感心したように唸《うな》りをあげた基仙が、篠芙に手を添え、親指の腹で摩《さす》ってやる。
「あッ、あッ」
小刻みに声を洩らしながら、篠芙は悦楽の涙を最後の一滴まで搾《しぼ》られてようやく、黒式尉たちの指なぶりから解放された。
左右から足首を押さえていた黒式尉たちも退いた。
自由を得た篠芙は、ひらかれていた下肢をよじり合わせ、身を起きあがらせた。まだ上半身は惨《むご》く縛りあげられてはいたが、下肢だけでも慎みを取り戻そうとしたのだ。
「見事、見事、晴れの舞台であったな、若よ」
青白い花びらのように飛び散った蜜液を囃《はや》し立てて、基仙が笑う。
耳朶《みみたぶ》まで羞恥に染まった篠芙だが、心の慄えまでもが肉奥を妖《あや》しく疼かせるのに気がつき、口唇を噛み締めなければならなかった。
すでに芝浦の指は入っていないにも拘《かか》わらず、淫らな感触が去らないのだ。
篠芙は、後ろ手に縛られた身体を小刻みに悶《もだ》えさせていた。
「どうされたのだ、若、先ほどから苦しそうだが?」
冷たく、威厳を持った基世の声は、羞恥《しゆうち》に染まる篠芙を青ざめさせた。
「い…えッ」
秘所の奥が熱くむず痒い――などと、篠芙には口にできない。
だがもう、秘所の奥が、熱をもって、痒みとも、疼《うず》きともつかない、じっとしていられないまでになっている。
口唇も、噛《か》んで、引き結んでいなければ、ほどけた途端に制《と》めどなく呻きがこぼれてしまいそうだった。
芝浦が篠芙の内部に練りこんだ軟膏には、媚薬《びやく》が混じっていたのだ。
知らないのは篠芙だけであり、何もかも判っていて、四人は様子を見ている。
「ならば、藤代の若よ、大人にしていただいたことを、宗家にお礼申しあげるのだ」
「は、は…い」
篠芙は、言われるがままに、よろめき、立ちあがった。
縺《もつ》れるように宗家の前へと歩み寄り、跪座《きざ》するも、「ああ…っ」と腰が乱れ、横座りに下肢が崩れてしまった。
はぁ、はぁ、と肩で喘《あえ》ぎながら、縛られた不自由な身体を起こし、居住まいを正そうとする。
三人の黒式尉たちが、周りを取り囲んでいた。
やがてどうにか、顫《ふる》える声で、
「篠芙を、…大人にしてくださいまして、ありがとうございました」と、言う間にも、語尾が掠《かす》れ、切なげに両膝が擦りあわされていた。
秘所の奥、――肛筒《にくつつ》内に、何千、何万もの蠢《うごめ》く蟲《むし》がいて、這《は》い登ってきては、篠芙を苦しめるのだ。
蟲が蠢くたびに、怺《こら》えられないほどの痒痛《ようつう》がわきおこる。
だがその痒痛は、陶酔を醸し出す疼きにかわり、篠芙は身悶えずにいられないのだ。
「あ…あ…ぁ…」
絶え絶えに喘いで頽《くずお》れた篠芙の、切なくなった身体は、彼の意志ではなく淫らに悶え続けている。それは、後ろ手に上体を縛られているせいで、断末魔に苦しむ蛇体のごとくにうねった。
すかさず近づいた芝浦が、篠芙が纏《まと》っている小袖《こそで》の帯を解き、乱れている裾《すそ》を割りひらかせた。
ハッと我に返った篠芙が貌《かお》をあげた時には、縛られた両腕に引っ掛かる程度にまで、着衣を剥《む》かれ、前方をさらけだされていた。
「おやこれは、どうしたことだい?」
兆した篠芙の象を見て、芝浦が大袈裟《おおげさ》な声をあげた。
羞恥に俯《うつむ》く篠芙は、疼く秘所をもてあまし、掻痒《そうよう》を求めて得られず、もどかしく自らの肉を擦りあわせ、慄《ふる》えを走らせている。
「粗相をせぬように、また栓をかっておいてやるか」
笑いながら立ちあがった基仙は、床の間へ行き、新しい雄しべを摘んで戻ってきた。
前にしゃがみこんだ左の黒式尉《こくしきじよう》に尖蕾を摘《つま》みあげられた篠芙は、口唇《くちびる》を顫わせたが、「やめて…」という言葉を呑《の》み込んで、眸を閉じた。
ツンとした痛みとともに、雄しべが、入ってきた。
篠芙の細い、華奢《きやしや》な身体が仰《の》け反り、疼きを怺《こら》えていた下肢が痙攣《けいれん》したかに慄えあがった。
雄しべのすべてが入り込むまで、篠芙は涙をこぼし続け、口唇をひらいて苦しげに息をついでいた。
囲んでいる男たちが、眼で犯している。
ところが、深々と雄しべを差し込まれただけで突き放された篠芙は、前後の疼きに悲鳴を散らすようになった。
「藤代の若、粗相をせぬよう施してもらった礼を言わぬか」
凄味《すごみ》ある声が、篠芙を脅し、追い詰める。
「あ、ああ…」
咽《むせ》び泣きを洩らしながらも、懸命に篠芙は身体を起きあがらせ、基仙の前に向かい合おうとする。その可憐《かれん》さ。屈辱の涙を怺え、礼を口にしなければならない切ない姿が、男たちの情欲を炙《あぶ》っている。
身悶える篠芙を見ていた宗家が、「もう良いだろう」と頷《うなず》き、右の黒式尉が立ちあがった。
右の黒式尉は、泣き濡《ぬ》れた瞳をあげた篠芙へと近づき、触れるたびに怯《おび》えるのを楽しみながら、ようやく、縛《いまし》めていた縄をほどいた。
息苦しいほどに締められていた身体を解放されて、楽になった途端、秘所の疼きはなおも増して、思わず、股間《こかん》へ手をあてがいかけ、篠芙は狼狽《ろうばい》した。
そこへ、背後から手を掛けられ、絡み付くようになっていた小袖を剥《は》ぎとられ、完全に全裸にむかれてしまった。
薄明かりの下に、白百合が咲いたがごとくに、篠芙の裸体が蒼皙《あおじろ》く浮かびあがる。
「さあ、これへ、藤代の若」
ひろげられた白無垢《しろむく》の上へ、背後の黒式尉に手を引かれた篠芙は横たえられ、仰臥《ぎようが》させられたのは、非の打ち所のない美貌《びぼう》が、宗家に見えるようにとのためだ。
その上に、またも左右の黒式尉によって足首を掴《つか》まれ、胸に膝が付くほど折り曲げられ、むき出されてしまう。とっさに篠芙は、両手で貌を掩《おお》ってしまったが、力ずくで手をもぎ取られ、頭上に押さえつけられた。
男たちの腕のなかで、篠芙は空しく身をよじらせた。
「ふむ…」
左右に割り裂かれた白い双丘の狭間《はざま》に視線をとめた宗家が、感嘆したかのように唸《うな》った。
「淡い桜色だった菊蕾が、いまは、紅|柘榴《ざくろ》の色に染まっておるな」
硬くつぼまっているように見えても、すでに慎みを失い、甘く弛《ゆる》んでいることは判っていた。
「淫《みだ》らに濡れておる…」
宗家は指先で軽く触れ、篠芙に小さな悲鳴をあげさせてから、媚肉《びにく》の内部を探り、掻《か》き回した。
捏《こ》ね回され、掻痒されたことで、頭の裡が眩《くら》むほどの陶酔が生まれ、篠芙は喘いだ。
「――あッ」
ヒクヒクと、篠芙は自分の秘所が宗家の指を咥《くわ》えたまま蠢くことを感じて、おぞけあがった。
肉体が、心を裏切って泣き叫びをあげていた。
篠芙の媚肉は、愛撫《あいぶ》されることを求めて、淫らな蠕動《ぜんどう》を起こしはじめていたのだ。
「とろけておるな」
宗家の声が、おぼろげに聞こえた。
「あッ、あッ、あうッ…」
別の誰かの指が、前方に挿入された雄しべに触れたのを感じた。
抽《ぬ》き出されて行く途中、雄しべによって掻き回されると、篠芙からは、透明な悦楽の滴がしたたって落ちる。
胸元にも、感触があった。
小さな胸の突起を爪でねじられる痛みが、甘苦しくなっている肉体に新たな陶酔をもたらしてくるのだ。
指だけではとうてい癒されそうにない、狂おしく疼く秘所に宗家をあてがわれたのが判った。
「藤代の若、さあ、宗家のお情けをいただくのだ」
とっさに眼を瞑《つむ》ったが、先端で花襞《にくひだ》を割られた瞬間、篠芙は激痛にのけ反った。
「アアッ」
挿入されて行くうちに、篠芙は腸腔《なか》の充塞《じゆうそく》感に苦しみだしたが、すべてを咥えこまされると、歓《よろこ》びとも、哀しみにともつかない涙を、白い頬《ほお》に流した。
納められた宗家の肉塊が、ドクドクと脈動していた。
遠くから、耳鳴りのように祖父の声が聞こえてきた。
「ありがたくお受けした後は、自分から肛の内壁《なか》を締めたり、弛《ゆる》めたりして、お仕えするのだ。たとえどのように惨《むご》く責められても、尊いお方をお受けしていることを忘れてはならない。お前のお仕えの仕方によって、藤代の行く末が決まるのだからな、篠芙」
母は知らない。むろん父ですら、藤代流家元の祖父が、夜ごとに篠芙に言って聞かせていたことなど知らないのだ。
藤代流を再興させる。後世に遺《のこ》すことだけに、祖父の福寿は心が凝り固まり、鬼が取り憑《つ》いたのだ。
「……苦しい…」
束の間、篠芙は意識を失っていたらしかった。
ハッと眸を開けた時、自分を覗《のぞ》き込んでいるのが黒式尉の面であることが判って、かすかに戦《おのの》いた。
誰なのか、判断する力がなかった。
「どうした、若? 気を失っていてはならないぞ」
激しく突き込んでくる黒式尉が、容赦のない声音で言った。
圧倒的に抑制された動きで、すべてを顕《あらわ》す能役者は、日常の様々な欲望をも内向させてしまう。ゆえに、その欲望を解き放った時は、度を越していた。
「も、もう、…赦して――…」
大きな手が、頤《おとがい》にかかり、喉《のど》を無理やりに仰《あお》のけさせられた。
「まだまだ、わしらが二人、まだ残っているのだぞ、若には、男の味の違いを、たっぷりと教えてやるからな」
脇から、左の黒式尉である基仙が欲望に嗄《しわが》れた声をあげた。
突きあげられながら、篠芙は、口唇を噛んだ。
「そのように、悲壮にならずともよい。つらい時期など、あっという間に過ぎる」
打ちひしがれた篠芙は、か弱く、愛《いと》しく感じられたのだろう、右の黒式尉の責めが和《やわ》らいだ。
だがそれは、また意識が遠ざかって行くことで、感覚が麻痺《まひ》したためだったのかもしれなかった。
三[#「三」はゴシック体]
能の舞台というのは、四本の柱に囲まれた三|間《ま》四方の板の間である。
鏡板と呼ばれる正面奥の大羽目板は、背景として老松の絵が描かれている簡素なものだが、旧《ふる》い能舞台の床下には、音響の調子をとるために十三個あまりもの甕《かめ》が埋《い》けられているともいう。
この大仕掛けの舞台が、観月《かんげつ》流本家の奥≠ノ保存されている。
観月流の配下に属する流派の家元か、よほど高位の弟子でなければ、実際にその舞台を見たことはなく、ましてや、その上で舞うことなど許されないのだが、今日ばかりは、宗家、基世、基仙《もとひさ》、分家の芝浦《しばうら》が見守るなか、篠芙《しのぶ》と元裕紀《もとゆき》との舞が、舞台で競われた。
曲目は、『船弁慶』の義経、『花筺』の帝と、子方が演じる舞にはじまって、二人は、『羽衣』『筒井』『松風』へと、求められるままに舞った。
それも、子方としての稽古しか積んでいない二人であれば持て余しただろうが、かたやシテ方の最大流派観月流宗家の孫であり、篠芙の方も、一時絶えていたとはいえ、名門|藤代《ふじしろ》流の血に連なる者、見事に舞い比べていった。
特に篠芙は、痛苦が残る身体だったが、そのような素振りなど微塵《みじん》も見せずに、舞台にあがっていた。
真木が起こしにきて、篠芙は、最初に通された座敷に自分が眠っていたことを知った。
昨夜、四人に弄《もてあそ》ばれ、引き裂かれ、犯され、最後の方の記憶は切れ切れでしかない。
何時部屋に戻ったのか、パジャマに着替えたのか憶《おぼ》えはなく、真木に起こされて、布団から起きあがったつもりが、ふらっと腰が砕け、畳に這《は》い蹲踞《つくば》ってしまった。
「大丈夫ですか?」
手を貸そうとしてくれた真木を払い除《の》け、篠芙は自分の意志と気力で、立ちあがった。
「すぐに朝食をお持ちしますが、今日は十時から、奥≠フ舞台で元裕紀さんと舞い競っていただくことになるかと思います…」
気遣って言う真木だが、篠芙にすれば鬱陶《うつとう》しいばかりだった。
「……舞えますか?」
「舞えないはずがない。だから、二度とそんな口を利くなッ」
切れ長の双眸《そうぼう》に怒りを宿し、真木を睨《ね》めつけた篠芙だったが、目元が潤んでくるのを怺《こら》えられずに貌《かお》を逸《そ》らしてしまった。
そして時間通りに、篠芙は奥≠ノある舞台にあがったのだ。
夏らしく、紗《しや》の上衣に、袴《はかま》を身に着けた篠芙は、小袖があわい藤色ということもあって、はッとするほど人の眼を引いた。
そればかりか、元裕紀と舞い競っていくうちに、篠芙の裡《うち》より、冷たく、清らかな凄味《すごみ》が顕《あらわ》れいでてきて、不思議な、何かを超越したかのような力で、観る者を自分の舞の世界へと引き込んで行った。
「まだ、まだ舞う」
昼を過ぎても、元裕紀は舞を納めることを承知しなかった。
「もう一曲。あと一曲だけ」
半ば切ない声をあげて、元裕紀はさらなる曲目を宗家に求め、篠芙と競った。
しかし、舞えば舞うほど、篠芙の裡に潜められていた、神懸かった力が顕現してくるのだ。
しまいに元裕紀は、泣き出していた。泣きながら、足先を縺《もつ》れさせながらも、舞うことを止めなかった。
宗家は黙したまま元裕紀と篠芙との舞を見ていたが、さすがに、元裕紀の父である基世が、最後に一言引導を渡して、終演《おわ》った。
「見苦しいぞ、元裕紀」
ワーッと、激しく元裕紀が喚《わめ》き声をあげ、舞台の上に突っ伏した。
泣き伏している元裕紀を残して、全員が舞台を降りたのは、午後の二時を過ぎていた。
篠芙は与えられた部屋へ戻り、熱い蜆《しじみ》の汁と柿の葉に包まれた鯖《さば》寿司でおそい昼食を済ませてから、汗を流すために浴室に入った。
席を外している真木が、あらかじめ準備しておいてくれたので、浴槽には湯がはってあった。
彼が戻ってくる前に入浴を済ませてしまおうとした篠芙だったが、背後で戸が開いたのに気がつき、振り返った。
そこには、鏡箱を抱えた観月基世が立っていた。
袴姿の基世は、濡《ぬ》れるのもかまわずに浴室の中に入って来ると、驚いて立ちあがった篠芙を隅へと追い詰め、ほっそりとした裸身を凝視した。
「若は、そのようにはかなげでいながら、裡には鋼の芯《しん》が通っているのだな」
細めた基世の双眸《そうぼう》の奥には、苛虐《かぎやく》的な光が揺らめいている。
「先ほどは見事だった。藤代の若の舞には、さすがの宗家も魅入られたご様子だった」
自分が全裸になっていることで狼狽《ろうばい》しながらも、よろめくように後退《あとずさ》った篠芙は、浴室の床に正座し、両手を揃えた。
「――ありがとうございます……」
「それで宗家は、若に、午後から舞台を磨き清めてほしいとの仰《おお》せだった。お一人で、できるかな?」
「はい…」
神聖ないにしえの舞台で舞えただけでも、一生に一度あるかないかの僥幸《ぎようこう》だった。あの広い舞台を一人で掃除するのは大変なことだが、篠芙は粛《かしこ》まって承った。
「それから、これを渡しておこうと思っていながら、昨夜は出来なかった。藤代の若のために、宗家がご用意くだされた道具だ……」
雛《ひな》人形のお道具と同じかたちをした鏡箱は、篠芙の手では一抱えもある大きさだ。
全体に藤花を蒔絵《まきえ》で施した高価な代物で、大口の抽斗《ひきだし》が三段、小抽斗が二つ並んでいる。基世は脱衣所の床に置くと、幾つもある抽斗をひとつひとつ抜いてみせた。
抽斗の中には、様々な淫具《いんぐ》が納められていた。
基世は、篠芙の戦慄《せんりつ》するさまを眼の端にとらえながら、なかに納められていた大小の男型《デイルドウ》のひとつに、指で触れてみせる。
「使った後の手入れは、自分でなされよ。さて…」
それから、基世は篠芙の前に片膝《かたひざ》を付いた。
「今夜のために、多少なりとも、若には手をかけねばならない」
篠芙が眼を瞠《みひら》くのを、凄味のある双眸で見つめ返しながら、基世は、抽斗の下段に入っていた器具を取りあげた。
透明な液体で満たされた硝子容器《シリンダー》をみるなり、篠芙は蒼白《そうはく》になった。
見たのは初めてだったが、なにに、どのように使用するのか、漠然と判っていたからだ。
「さあ、若、こちらへ…」
基世は、声も出せずに竦《すく》んでいる篠芙へ自分から近づいて、手を捉《とら》え、立ちあがらせた。
決して篠芙は逆らわなかったが、大きく瞠いた瞳で、あるいは花びらのような口唇《くちびる》を顫《ふる》わせて、無言で赦《ゆる》しを乞《こ》うていた。
だが基世は背後に回ると、身を強張《こわば》らせた篠芙を床に屈《かが》めさせ、白い双丘へと手を掛けたのだ。
怯《おび》えに粟立《あわだ》つ肌を撫《な》でながら、あわいに石鹸《せつけん》を塗り込め、硝子《ガラス》の嘴管《ノズル》をあてがった。
「いまは、わたしを恨みに思うかもしれないが、夜になってみれば、若もそうは思わないだろう…」
基世は、意味深な物言いをして、秘蕾《つぼみ》を貫いた。
「ううッ…」
藤代流のために、生け贄《にえ》の人柱となる覚悟の篠芙だったが、注入がはじまると、さすがに怺え切れず、イヤイヤをするように頭《かぶり》を振った。
腹奥に、渦を巻いて入り込んでくる重苦しい液体が不気味で、不快だったのだ。
キーッと、硝子筒が鳴って、すべてが注ぎ込まれてしまうと、ようやく基世は篠芙を解放した。
そして、怯えた瞳をあげた篠芙に、基世は袴《はかま》の前みごろを寛《くつろ》げて見せた。
なにを要求されているのかが判った篠芙は、おぞけあがったが、頤《おとがい》を掴《つか》まれ、半ば強引に押しつけられて、基世の股間《こかん》へと貌を埋《うず》めさせられた。
口唇を割られ、舌の上を滑って行き、喉《のど》にまで到達する勢いで基世が入ってくる。
息苦しさに喘《あえ》いだ篠芙は、すぐさま下腹部の異常に戦慄《せんりつ》し、口腔《こうこう》から基世を吐き出してしまった。
「…や、どうして…」
篠芙は、注がれた多量の液体で満たされた腹部を両手で押さえ、困惑の声を洩らした。
困惑は苦痛に変わった。
「く、…苦しい」
「しばらく我慢しなさい」
命令口調で基世が言い、額に玉の汗を浮かべた篠芙を、見下ろした。
「堪忍して、も、もう、お腹がッ」
蹲《うずくま》った篠芙が、悲痛な声をあげるのを、基世は見下ろしている。
「あの藤代の若が、怺《こら》えられないはずがない」
駄目ッ…と頭を振る篠芙に、さらに基世が脅した。
「よしと言うまで怺えられなければ、何回でも繰り返し行うことになるぞ、それでもよいのかな?」
「ああッ…」
蒼皙《あおじろ》い肌を、さらに青ざめさせ、篠芙は切ない呻《うめ》き声をたてた。
「さあ、気が紛れるかもしれないぞ…」
ふたたび頤を掴まれた篠芙は、口唇に熱い塊をねじり込まれ、口淫《こういん》を強要された。
「うッ、うッ…」
篠芙は喉を詰まらせぎみに喘がせたが、圧倒的な力が、首筋から頤を押さえて、外すことを許さなかった。
「そう、舌を使うのだ。昨夜、若も味わっただろう? あの舌使いを思い出し、わたしに仕えるのだ」
烈しい猛《たけ》り具合と、熱とは裏腹に、基世の声音は冷たく冴《さ》えて、凄味《すごみ》があった。
虚《うつ》ろな眼をあげた篠芙は、男の双眸の恐ろしさに気がついた。
基世は、直面《ひためん》で舞う時でも、苦み走った端整さが人気の男であるが、双眸の鋭さもまた格別で、いまはさらに、恐いものが混じっていた。
――怒っているのか? 篠芙がそのように感じた拍子に、下腹部の苦悶《くもん》が増した。
舞台で、誰の眼にも明らかに、篠芙は跡取り息子の元裕紀に恥をかかせていた。
彼の舞はとうてい篠芙に及ばず、元裕紀本人もそれが判って、次々と自分が得意な曲目で競うことを要求していったのだ。
基世は、次期観月流宗家を襲《つ》ぐ立場にあり、狭量な男ではないが、父親の立場に立った時に、我が子を想わないはずがない――。
ゆえに、仕返しに虐待《いじ》められているのだ……と思うと、切なさと辛《つら》さが、さらに膨れあがった。
「ぐう…」
篠芙にとっては巨《おお》きすぎる基世が、銜《くわ》えているだけで精一杯の口腔で動く。喉を突かれ、息が詰まりかけると、怺えている力が失われてしまい、その都度に、篠芙は懸命になった。
必死に引き締めて、ブルブルと慄《ふる》えを全身に走らせるのだ。
苦悶と屈辱感が、眉間《みけん》を通り抜けて行き、意識をぼうっ…とさせる。それでも篠芙は懸命に怺えきった。
どれくらいの時間が過ぎたのか、口唇を犯していた基世が身を引いて離れたかと思うと、素早く前みごろを整えるのが眼の端に映った。
ほとばしる精を嚥《の》み下させられると覚悟していた篠芙は、基世が遂精《とせい》せずに身を退《ひ》いたことで戸惑いを感じたが、またしても彼が器具に薬液を用意するのに気がつくと、後退《あとずさ》って逃げようとした。
「よく怺えたな、ご褒美をやろう」
「い…や、いやッ…」
激しく頭を振って、浴槽の縁にしがみついた篠芙だったが、大人の男の力に敵《かな》う術《すべ》もなく、ましてや機敏に動けない弱さを衝《つ》かれて、捩《ねじ》り伏せられるのに時間は掛からなかった。
「いやッ、もうやめてッ」
すでに満たされている内部へ、さらに冷たい薬液が追加され、流入されてきた。
急激な膨脹感に篠芙は呻《うめ》き続け、嘴管《ノズル》が抽《ぬ》き取られた時には、もはやタイルの上に蹲《うずくま》ってしまった。
「さて、今度はどれだけ耐えられるかな?」
基世が、ふたたび下肢を寛げようとした。
「だめです、篠芙は、もうッ……」
腹部を庇《かば》うように押さえている両手が、爪の先まで白くなっている。
「だめ、ほんとうに、もうッ」
冷たい双眸が、自分の姿を余すところなく凝視《みつ》めていることに気がついて、篠芙は、悲鳴した。
「うぅ…篠芙を……篠芙を、嫌いでも、も…う、虐《いじ》めないで――ッ…」
ふふふ……と、昏《くら》い嗤《わら》い声が、基世から洩《も》れた。
「可愛いことを言うのだな、若は。どれ、泄《も》らさぬよう指で栓をしてやろう」
その指栓が、身体の内で散々に蠢《うごめ》き回るものとは思っていなかった篠芙の悲鳴が、浴室に響きわたる。
「や――…ゆ、赦《ゆる》…してっ、赦してっ…」
ようやく赦された時、あまりの仕打ちに、篠芙は涙をこぼすばかりとなっていた。
基世は、泣き続けている篠芙の身体を洗ってやりながら、鏡箱の中にあった男型《デイルドウ》の細い物から順に挿入して、徐々に肉体を拓《ひら》かせていくのだと説明した。
水牛の角で造られた男型は、表面に細かい鱗状《うろこじよう》の突起が一面に彫り込まれて、付け根の部分がくびれ、装填《そうてん》できる形になっている。
「昔の稚児は、こういうものですこしずつ肉体を改造していったのだそうだ」
湯から篠芙を抱きあげると、あえいでいる秘蕾へ口をつけて、基世が舌先を差し入れてきた。
「い…や…いや…い…ゃ…ぁ……」
羞《はず》かしさと、おぞましさにもがく篠芙を押さえつけ、舐りまわした基世は、舌を離してから親指程の太さがある男型をあてがい、押し込んだ。
「ひ…」と、白い喉《のど》が反り返って、尖《とが》った息が篠芙から洩れた。
一息に根元まで押し込まれ、くびれた部分が褶襞《しゆうへき》に納まってしまうと、今度は抜け落ちなくなった。
「痛くはないだろう?」
頤《おとがい》に手を掛けられて、潤んだ瞳を覗《のぞ》き込まれた篠芙は、口唇《くちびる》を噛《か》んだまま頷《うなず》いた。
基世が、うっすらと笑った。
「藤代より与《あずか》った大切な若だ、このわたしが手をかけてやるが、無理な場合は、真木がしてくれる」
怯えと屈辱に萎《な》えた少年の容《かたち》を、基世は指で刺激しはじめた。
弄《もてあそ》んでいるうちに、かすかに身を擡《もた》げてくるのが判ると、尖蕾の根本に紐《ひも》を結びつけ、縛りあげて言った。
「これも、解いてはならない」
こうして縛ってしまうと、塞《せ》き止められるので射精が出来なくなり、夜までには、双果実が果汁で充満する。そうなると触れただけで痛みが走るだろうが、宗家に吸飲していただくためだと、基世は言い聞かせた。
「では、藤代の若、今宵《こよい》九時に――…」
すらりと立ちあがって、基世は浴室の中に篠芙を残したまま出て行った。
入れ違いに入ってきた真木が、床に頽《くずお》れている篠芙を抱き起こしてくれた。
もはや篠芙には、真木の手を払い除《の》ける力も、気力も残されてはいなかった。
その真木に手伝ってもらい、身支度を整えた篠芙は、よろめきながらも部屋を出た。
午後からは、真木も数人の弟子に謡を教えているのでそちらへ行ってしまい、篠芙は一人で、舞台の掃除に取り掛からなければならなかったのだ。
舞台の上には、元裕紀が流した涙の跡が残っていた。
木目の中に、涙が染み込んでしまったのだ。
その跡に指で触れながら、篠芙は、もう二度と、自分は泣かない。決して、泣かないことを誓った。
舞台は、橋掛りの方まで一人で掃除するのは、大変なことだった。
その上に、篠芙の肉体の内には、息苦しいような異物が挿入されていて、それで動きが限定されてしまうのだ。
歩くたびに、屈《かが》むたびに、身を捻《ひね》るたびに、妖《あや》しい痒痛《ようつう》が生まれ、背筋が痺《しび》れるようになる。
そればかりか、括《くく》られた前方がカーッと熱くなり、苦しくなるのだ。
辛くなると、休まなければならなかった。それでも手を抜かず、隅々まで清め終わるころには、夏の日も暮れて、篠芙は、自分がこの屋敷に来て丸一日過ぎたことを知らされた。
まだ、わずか一日しか経っていないのだが、篠芙の身の上には、様々な烙印《らくいん》が押された。
もう二度と、子供の刻《とき》には、戻れないのだ。
重く苦しい下肢を引き摺《ず》るように、篠芙は舞台から降りると、道具を片付け、奥≠ヨと戻った。
途中、冥《くら》く長い渡り廊下を通っている時だった。
ふいに、ワッという歓声を聞いた。
同時に、紫紺に暮れていた空が、花が咲いたように明るくなった。
続けざまに、木々の合間に、打ち上げられた花火が見え隠れし、甲高い歓声があがった。
元裕紀と、美土里の声だったが、ほかにも若い女性の声が混じっている。
中≠ナは夕食が終わり、子供たちだけで花火を揚《あ》げているのだ。
篠芙は窓際から離れ、壁に身をすり寄せた。
すでに機敏な動作ができなくなっている。体内の痺れるような充塞《じゆうそく》感に、熱と痛みを有している前方の双果実。
篠芙は、壁際に寄ったまま、その場から離れた。
何時までもそこにいては、もう泣かないと決心した心が、脆《もろ》く崩れてしまいそうだったのだ。
奥≠ノある部屋に戻ると、もはや屋敷の深淵《しんえん》に位置するせいか、花火の音も、声も聞こえなかった。
むしろホッとする。それと同時に、張りつめていたものが切れたかのように、篠芙は気を失っていた。
四[#「四」はゴシック体]
「しのぶ、――篠芙《しのぶ》ッ」
呼ばれて、ハッと眼を開けた篠芙は、自分を覗《のぞ》き込んでいる観月元裕紀《かんげつもとゆき》の顔《かお》を見た。
「どうした? さっきから魘《うな》されていたけど…」
元裕紀は今年で二十八歳になる。彼は成長するとともに、少年の頃の面影はまったく失われ、細面の、どうにかすると柔弱なまでにおとなしい男になった。
いまも、地味な夏単衣のアンサンブルを身に着け、ひっそりと篠芙の枕元に粛《かしこ》まっているのだ。
「――昔の、夢を見ていた…」
篠芙は、夜具の上に起きあがると、十二年前から変わらない位置にある壁の時計で時刻を確かめ、それから長くのばしている髪が貌に掛かってくるのを煩《うるさ》げに掻《か》きあげた。
子供の時の夢、それも一番いやな夢をいまさら見させられたのは、昨夜の淫饗《うたげ》のせいだと判っていた。
まだ身体の芯《しん》に、異物感が残っている。
「篠芙?」
怪訝《けげん》そうに元裕紀が覗き込んでくる。
髪を掻きあげていた手をとめて、篠芙が上目づかいに見つめ返すと、今度は元裕紀の方が視線を逸《そ》らしてしまった。
「ブラシ取ろうか?」
それでも部屋から出て行くつもりはないのか、元裕紀は立ちあがり、鏡台のある隣室へ通じる襖《ふすま》を開けた。
奥≠ノある三間を篠芙が使うようになって十二年になる。藤代の自分の部屋にいるよりも、永い時間を、ここで暮らしてきた。
「櫛《くし》の方がいい…」
元裕紀の後ろ姿にそう言って、篠芙は夜具の上に横座りになり、だるい身体を楽にした。
夜着の帯が、前で蝶結びになっている。手と垂れの左右をきっちり同じ長さにはせず、手解《てほど》くによい左の垂れだけ心持ち長く結ぶのは、真木の着せ方だった。
「――この櫛でいいのか?」
鏡台の抽斗《ひきだし》に入っている柘植《つげ》の櫛を持って来た元裕紀は、受けとろうとした篠芙に、「俺が梳《す》いてやるよ」と、夜具の縁をまわって後ろに立った。
最初はおそるおそる、櫛が篠芙の髪に通され、思いの外すべらかに通り抜けることが判って、元裕紀の手つきが軽やかになる。
篠芙は、黙ってされるままになった。
「綺麗《きれい》な髪だ…」
梳いている元裕紀の方が、やがて恍惚《こうこつ》としたように呟《つぶや》いた。
そのうえ、愛《いと》しげに指にからめて、口唇《くちびる》を押しつけるのだ。
「いい匂いがする」
「そんなこと――」
元裕紀を篠芙が遮った。
「…女に言え」と、不意に、昨夜の屈辱が思い起こされて来た。
髪を、異母弟の明煌《あきら》に足で踏み付けられ、身動きができなかったのだ。
そんな仕打ちははじめてだった。
思い起こすだけで、憤りが衝《つ》きあげてくる。
「明煌……」
だが同時に、明煌の烈しさと、熱も、想い出された。
想い出したことで、篠芙の肉体が、疼《うず》いた。
そこへ愛撫《あいぶ》に近い手つきで元裕紀が髪を梳いてくるのだ。
元裕紀が篠芙の髪を梳くことに満足してやめる頃には、もう、どうしようもなく、狂おしいほどに必要に迫られていたが、――篠芙は、自分の手では触れなかった。
櫛を置いて、元裕紀が篠芙の前にまわって来た。
両膝《りようひざ》に手を掛けて、元裕紀は篠芙の前あわせをひらいてゆく。
抗《あらが》わずに、篠芙の方はさらけ出されるがままになった。
「篠芙は、夢を見てこうなるのかい? それとも、俺に髪をいじられたせい?」
貌を背けて、篠芙は吐き捨てるように言った。
「淫乱《いんらん》だと言いたいのか」
「俺たちみたいな者は、多かれ少なかれ、そうだよ」
どこかはにかんだように、元裕紀は苦笑した。
「篠芙、――いや、もう鏡花《きようか》と呼ばなければならないな…」
つぎに元裕紀がそう言った時、篠芙は、彼の手がかかっている両膝を退《ひ》き、冷たい眼で見据えた。
「わたしは承知した訳じゃない」
「無駄だよ、もう、今日の新聞に載っている」
「まさか…」
宗家は孫である元裕紀を、基世は実の息子である元裕紀を差し措《お》いて、篠芙を、養女とした多華子と結婚させ、いずれ観月流を襲《つ》がせると言ったのだ。
男たちの腕のなかで宗家の意向を聞かされた篠芙は、「否《いや》だ」と叫んだことを憶《おぼ》えている。
藤代のために十二年間を耐えて来た篠芙だった。
それが、ある日突然に、宗家が異母弟の明煌に藤代を襲がせるつもりがあるらしいとの噂が立ち、そのように周囲が動き出したのが判った。
それでも、藤代流が保てるならばと心を決めたのに、すべてが、篠芙を観月流で手に入れるための画策だったのだ。
心を無視されて扱われるのには慣らされていたが、さすがに、弄《もてあそ》ばれた思いが強すぎた。
「否だ…」
いまも、呻《うめ》くように口走った篠芙を、哀れむような眼で元裕紀は見た。
「誰も、宗家のお考えには逆らえないよ。篠芙も、俺も……」
元裕紀は、枕許に置かれた新聞を取って、文化面を展《ひろ》げた。
『来春、観月流宗家引退。二十九代宗家は、長男の基世氏(五十四歳)。三十代目の宗家には、藤代流から藤代篠芙氏(二十二歳)を養子に迎えることで長老会一致。なお、篠芙氏は名を鏡花と改め、観月多華子嬢(二十一歳)と結婚の予定』
新聞には、宗家が打った面、『篠芙』が、藤代篠芙の写真と並べられ、『鏡花』の名は観月流の始祖の名であり、もっとも神聖な名前であるとの解説が加えられる念の入りようだった。
「こうなることは、篠芙が来た時から、俺には判っていたさ」
そう言った元裕紀は、腕を伸ばして迫り、篠芙の首筋に巻き付けるように指をはわせた。
篠芙がハッとする。
だがすぐに、凄《すご》いような、色香のある微笑を口元に泛《うか》べた。
「元裕紀は、わたしが憎いだろう? 殺せばいい…」
「だったらいっそ、俺と心中するか? 篠芙」
「それも、いいかもしれない…」
いままでの篠芙には、藤代流を再興させるためという目標があった。
元裕紀も、最大流派の後継者という立場で生きて来た。
二人ともが、その目標を失ってしまったのだ。
宗家が藤代の後継者に明煌を選ぼうとしていると知らされた日に、死んだ鈴虫を見た篠芙は、自分が不要となったのならば、藤代流や明煌のために身を退《ひ》こうと、心を決めた。
舞うことは罷《や》められない篠芙であるからこそ、自分がもう役目を終え、この先、藤代流と明煌にとって邪魔な存在となるならば、死ななければならないと思ったのだ。
首筋にかけた手に力を込め、元裕紀は篠芙へと伸《の》し掛かりながら、口を開いた。
「はじめて篠芙が来た次の朝、俺たちは舞を競っただろう?」
いままさに、篠芙はその時の夢を見ていたのだった。
「俺は前の晩に、父から言われたんだよ…」
自分に覆い被《かぶ》さっている観月元裕紀を、篠芙はまっすぐに凝視《みつ》めた。
「明日は心して舞えとね」
篠芙の首に掛けていた手を外すと、元裕紀は自嘲《じちよう》的に口元を歪《ゆが》ませた。
「その結果が、――ああだった」
元裕紀は、すべてを受け容《い》れ、静かにおさめた眼眸《まなざし》になると、篠芙の手に触れ、指と指とを絡ませた。
「舞台で泣いていた俺に、出て行った父が戻って来て言ったんだ。『命には終わりあり、能には果てあるべからず』とね……」
「世阿弥《ぜあみ》だ…」囁《ささや》くように、篠芙が口にするのに、元裕紀は頷《うなず》いた。
『初心忘るべからず』と説く世阿弥が遺《のこ》した『花鏡《かきよう》』の中の一説だった。
基世は、実の息子の元裕紀に向かって、『限りのある命のお前よりも、観月流の芸風を後世に継承し続けることの方が大切だ』と言ったのだ。
「俺はあの日、買っておいた一夏分の花火を、全部打ち揚げたんだ」
篠芙は、双眸《そうぼう》を閉じた。
藤代|福寿《ふくじゆ》は藤代流を再興させるために篠芙を生け贄《にえ》にし、篠芙もまた、それを辞さなかった。そして、明煌に奪われるのも、諾《よし》とした。
宗家も、基世ですら、観月の芸風を襲げないと判った元裕紀を切り捨てた――。
皆が取り憑《つ》かれていた。
「俺は、これからは舞うよりも、経営者として観月の役に立つつもりだよ。そのために、大学も経済学部に進学して、そっち方面の資格も修得したんだしな」
そう言いながら、元裕紀は両手で篠芙を押さえたまま、口唇《くちびる》をあわせて来た。
接吻《せつぷん》に驚き、眼を瞠《みひら》いた篠芙を、元裕紀は覗《のぞ》き込んで笑った。
「明煌くんに抱かれたんだろう?」
かすかな戸惑いがあって、それから篠芙は頷いた。
「それで、――感じた?」
篠芙が顔を背けたので、元裕紀は答えを知る必要はなかった。
「俺もずっと、篠芙を抱きたかったよ」
言われた篠芙の方は、いささか狼狽《ろうばい》してみじろいだ。
「だめだ、いまは……」
「なぜ? まだ篠芙の内《なか》は、男が欲しくて疼《うず》いてるだろう?」
その言葉に嫌悪を感じ、元裕紀を睨《にら》みつけた篠芙だが、逆に睨み返された。
元裕紀は嫉妬心《しつとしん》を剥《む》きだしたままで言った。
「何人もの男を受け入れさせられて、いまの篠芙は、爛《ただ》れたみたいに敏感になってるだろうな、でも、だからいいんじゃないか、虐《いじ》めてる感じがしてさ」
「やめろ、嫌だ」
「殺されるのはよくても、俺に犯されるのは嫌か?」
思いの外、元裕紀は力があり、篠芙は、組み敷かれた下から押し退けようとしても、びくともしなかった。
そればかりか、両膝《りようひざ》を抱えられ、治りかけた傷口のように疼痛《とうつう》の残る秘部に、元裕紀を圧《お》しつけられるまで、ほとんど篠芙の抵抗は退けられてしまったのだ。
「よせッ、元裕紀、――お前を、嫌いになるッ」
「バカ、こんな状態でそんなこと言うものじゃない、もっと、虐めるよ」
言うなり、元裕紀は身体を圧しすすめて、組み敷いた篠芙をのけ反らせた。
「うう…う…」
貫かれた篠芙は、のけ反ったまま痙攣《けいれん》を起こす。だが、彼の内奥は媚肉《びにく》の襞《ひだ》を妖《あや》しくざわめかせながら、元裕紀をしっかりと包みはじめていた。
「凄いね、篠芙、父さんたちが夢中になるのも判るな…」
熱く、とろけさせられるような篠芙の内部の感触を味わって、元裕紀が感嘆の声を洩《も》らした。
「参ったな、いちどぬいてくればよかった」
篠芙は呻《うめ》き、おぞましさを振り払うように頭を振った。
元裕紀は接吻しながら、深く埋め込んだ男の猛《たけ》りを、ゆっくりと篠芙から抽《ぬ》きだした。
「さあ教えてくれよ篠芙。君がどんなに素晴らしいか、どれだけ後援者から金を引き出せるか、俺は知っておきたいんだ…」
「あ…あう…」
ふたたび突き込まれてくるのに、篠芙が上体を反り返らせて喘《あえ》いだ。
「い…やだ、――知らない男に…抱かれる……は…」
「駄目だよ」
深く、深く、結合して行きながら、元裕紀は抱えた下肢を揺すった。
篠芙が、のたうつように身悶《みもだ》えるのが判ると、元裕紀は繰り返して責めはじめた。
「こうされると、たまらないんだろう? 父さんに聴かせる声を、俺にも聴かせろよ」
「…んっ…ああっ」
官能の喘ぎをこぼしながらも、篠芙は抵抗している。
「綺麗《きれい》に咲いた花が、無残に散らされる姿を、見たいんだ…」
そう言った元裕紀は、篠芙の肉体中にある、悦楽をわきあがらせる泉の場所へ、ひとつひとつ接吻《くちづ》けていった。
足掻《あが》くように身悶えていたが、やがて諦《あきら》めたのか、篠芙は抵抗を弱めた。
元裕紀は、おとなしくなった篠芙を、上から覗き込んだ。
「俺を嫌いになるなよ」
――嫌いだ。
篠芙が呟《つぶや》こうとするのを封じるように、元裕紀は口唇を奪っていた。
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花夜叉[#「花夜叉」はゴシック体]
[#改ページ]
一[#「一」はゴシック体]
能は、渡来してきた散楽《さんがく》を起源とするが、芸術へと高めたのは、観阿弥《かんあみ》、世阿弥《ぜあみ》親子の才にあり、また、庇護者《ひごしや》となった将軍足利義満の肩入れによる。
今日《こんにち》、六世紀の歴史を誇る最大流派である観月《かんげつ》流のながれに属する藤代《ふじしろ》流の後継者に、藤代|篠芙《しのぶ》がいた。
篠芙は、舞の才能と、たぐい希《まれ》なる美貌《びぼう》を愛《め》でられ、稚《おさな》い頃より、観月の四長老に身を捧《ささ》げ、一度廃絶した藤代流を復興させるための生け贄《にえ》となってきた。
だが、能役者にとっては、最初の『花』である、十代の美しさを過ぎた二十代からが、真の才能が顕現する時期なのだ。
腹違いの弟である明煌《あきら》が、未知数ながらも、確かな才能を表面に顕《あらわ》しはじめたと同時に、篠芙は、藤代流の後継を弟と争うことになった。
結果、舞質の違いが、篠芙と明煌の運命を分けようとしていた。
篠芙は、『人の命に限りあれども、芸に終わりあるべからず』と、藤代流存続のために、十二年の苦しみを諦《あきら》め、身を退《ひ》く決心をしたが、やがて、総《すべ》ては周到に張り巡らされた観月の計画だったことを知らされる。
元より観月流宗家は、藤代を追われる篠芙を、観月の養子とし、最大流派を襲《つ》がせる心積もりだったのだ。
絶大なる権力を持つ宗家の意向に、篠芙は抗《あらが》えるものではなく、次期宗家となる基世《もとよし》の嫡子|元裕紀《もとゆき》を斥《しりぞ》けるかたちで、総てを明らかにされた夜から、わずか二か月後の十一月吉日に、観月多華子と婚礼を挙げたのだ。
時期を同じくして、明煌が藤代流三代目の襲名を行った。
まるで見届けたかのように、高齢の観月流宗家は、年の暮れに七十三歳の生涯を了《お》え、春に予定されていた基世の二十九代目襲名が、急遽《きゆうきよ》年明けの初会前に行われた。
一時、慌ただしく過ぎたが、雛《ひな》の節句を迎える頃には流派のなかも落ち着き、それぞれが新しい棟梁《とうりよう》とともに歩みはじめた。
明煌の方も、藤代流三代目を襲いだとはいえ、何もかもが一変する訳ではなかった。
弱冠二十歳、まだ学ぶ方が多く、白金台《しろがねだい》から松濤《しようとう》にある観月の屋敷へ通い、稽古《けいこ》に明け暮れる日々を送っていた。
今日も、夕暮れが長くなったのを幸いに、明煌は独り稽古を引き延ばし、藤代へ戻る時間を遅らせていた。
なるべく、篠芙の母夏江と顔を合わせないように、彼なりの配慮であった。
夏江は、最愛の子を、権力ずくで観月に掠奪《りやくだつ》されたのと、明煌を受け容《い》れなければ藤代が立ち行かないことで、一時期精神の安定を欠いたが、半年が経ち、すこしは落ち着いた。
自分がしっかりしなければ、藤代流を、妾腹《めかけばら》の明煌に乗っ取られるとのおそれが、彼女を立ち直らせたのだ。
不要な波風を立てまいとする明煌の配慮も、限界がある。七時を過ぎる頃には、専用に与えられた稽古場から離れると、中≠ヨ寄って挨拶《あいさつ》を済ませ、帰ることにした。
表≠ニ中≠フ間に内庭があるため、同じ屋敷内にいながら、明煌は、ほとんど篠芙と顔を合わせる機会が持てない。
藤代流三代目となった明煌は、表≠ノ稽古場を与えられたが、篠芙の方は、昔も現在も、奥≠ノある特別の能舞台を専用に使い、寝起きする部屋も奥≠ノあった。
庭から中≠フ内玄関にあがると、そこからは、一畳の幅で畳が縦に敷かれ、僅《わず》かに人ひとりが通れる板張りが横に張ってある廊下が続いている。
これは、かつて畳の部分は太夫《たゆう》が歩き、板張りの部分を付き人が歩んだ名残りだった。
長い廊下を渡り、中≠フ住居部分へと向かっていた明煌は、途中で、謡に合わせた篠芙の声が聞こえた気がして、歩みをとめた。
耳を澄ませると、確かに、真木の謡が聴こえてくる。中≠ノも、主に本家筋の観月|基仙《もとひさ》、芝浦弥禄《しばうらみろく》といった重鎮が使用する稽古場があり、篠芙が居ても不思議はなかった。
明煌の身体は、引き寄せられるように、そちらへと向かっていた。
半ば、勝手知ったる中≠フ間取《こと》であるから、すぐに明煌は声の聞こえた方向を捜し当て、若い男に稽古をつける、白の小袖《こそで》に袴姿《はかますがた》の篠芙を見つけた。
廊下側の襖《ふすま》が一枚だけ開けられていて、室内がよく見えたのだが、篠芙たちからは、暗がりの明煌は判らないかもしれない。
張盤《はりばん》を前に真木が謡《うた》い、篠芙が、同年代と思われる背の高い青年に型《かた》をつけながら、ともに、舞っているのだ。
明煌は、久し振りに、美しく気品にみちた篠芙の姿を見ることができ、切ないような、甘く苦しい気持ちが込みあげてくるのを抑えられなかった。
見知らぬ青年は、『熊野』を習っていた。
時おり、篠芙は手に持った扇を使い、相手の所作を手直ししながら、身体を近づけて、何ごとか注意を与えたりもする。
細いようで豊かであり、明瞭《めいりよう》ゆえに、厳しく、冷たく聞こえる声が、美しい。
叶《かな》うならば、何時までも見つめていたかったが、ふいに、背後から肩を叩《たた》かれ、ハッと明煌は振り返った。
立っていたのは、観月元裕紀だった。
まるで申し合わせたように、二人は、その場から離れて、歩きだした。
「明煌くん、これから帰るのかい?」
盗み見ていたと思われたのではないか…。明煌の後ろめたい気持ちが、動揺した顔に表われていただろうが、元裕紀の方は、頓着《とんちやく》しない様子で、
「よかったら、夕食を一緒にどうだ? 姉が帰国しててね、紹介するよ」と、言葉を継いだ。
「え…、いいんですか?」
「構わないよ、君とは身内みたいなものだからね」
昔から温和《おとな》しく、滅多に自己主張しない元裕紀だったが、周りが不思議がるほどに、篠芙が養子となって来てからは、朗《あか》るく、活動的な男になった。
観月流三十代目宗家の座を篠芙に奪われたことで、恨みを抱いている様子もない。
むしろ総て吹っ切れたのか、もともとの大胆な性質が甦《よみがえ》ってきたようなのだ。
篠芙が、頑《かたく》なに鏡花《きようか》の名を拒絶し続けた時期にも、長老会の席上でその事を槍玉《やりだま》に挙げ、「鏡花の名を襲ぎたくないというのは、時機を見て、自殺を考えているからだ。だから、彼なりに鏡花の名を穢《けが》すまいとしているんですよ」と、暴いて、一同のみならず、当の篠芙までを狼狽《ろうばい》させたりもした。
それでも篠芙は、名を鏡花と改めることには最後まで抵抗を続けていたが、宗家の遺言に従い、ついには受け容れた。
だが、流派のなかでは若先生と敬称《よば》れるが、日常では、変わらずに篠芙を名乗り、周りの者も、しばらくはと、容認した。
「あの人は、誰ですか…?」
元裕紀に従い、明煌は後ろ髪引かれる思いで座敷から離れたが、篠芙が稽古をつけている青年のことが気になり、訊《き》かずにはいられなかった。
「篠芙の、お弟子さんだよ」
「若が弟子を? いままでは、決して教《と》らなかったのに…」
驚くばかりの明煌に、どことなく含みを持った物言いで、元裕紀が説明を加えた。
「たっての望みとやらでね…。帰国子女なんだが、向こうの雑誌かなにかで篠芙の記事を見たらしい。それで、帰国してから、さる伝手《つて》を使って、半ば強引に弟子入りしてきたというわけだ」
それでも、明煌には意外で信じがたいことだった。
「若が、いえ篠芙さんが、よく承知しましたね」
「どうしても断れない贔屓筋《ひいきすじ》というものもあるさ、それに、案外と篠芙も、口直しにちょうどいいと思ってるかもしれないよ」
「え? どういう意味ですか…」
口直しの真意が判らずに訊きかえした明煌をはぐらかすように、元裕紀は話題を変えた。
「君も、あれだけ有名になったんだ、弟子志願者も増えてるだろう? 覚悟しておくんだね」
「俺は…、まだまだ、弟子がとれるほどではありません」
戸惑い気味に明煌が答えるのを聴き、元裕紀が、満足げに頷《うなず》いた。
「いい心掛けだ。芸人は、奢《おご》った瞬間から滅びはじめるのさ。現在《いま》、藤代にいる弟子を教えてるのは、二人だったね?」
「はい。親戚《しんせき》筋のものばかりです…」
先代|弥昌《みしよう》と、先々代|福寿《ふくじゆ》が、藤代復興の執念で親族のなかから選《よ》り集めた者たちの多くは、先代の事故死とともに、指導者を失い、篠芙の襲名も許されなかったことから、散り散りになって行った。
現在では、残った二人の指南役が、弟子の指導にあたっているが、人手が足りないために、明煌は付き人もなく、自分で車の運転から荷物運びなども行っていた。
いままでは、篠芙が観月流の舞台に立つことで、かなりの金銭的な援助を、出演料の名目で受けられたが、今後はどうなるのか、不安も大きかった。
中≠フ食堂は、ダイニングテーブルの置かれた部分と、仕切られた座敷部分とに分かれている。
「姉の美土里《みどり》だよ」
明煌は入るとすぐに、椅子に腰掛けていた、三十代前半と思われる、華やかな貌《かお》だちの女性を紹介された。
「藤代明煌です。よろしくお願いします」
頭をさげた明煌に、勝ち気な性質がにじみでた美土里の朱唇《くちびる》が、微笑を浮かべた。
「こちらこそ、あなたと篠芙さんの『二人静《ふたりしずか》』は、ビデオで観せてもらいました。素晴らしかったわ。だから、会えるのが楽しみだったのよ」
美土里は、大学時代に商社マンと熱烈な恋愛をし、相手の海外転勤先へ、駆け落ち同然で付いて行ったと噂で聞く女性だった。
現在は、フランス在住で、篠芙の結婚式から、宗家の葬儀、父親の宗家襲名にも都合で帰国できなかったため、お互いに会うのは初めてなのだ。
養女になった多華子は、浅黄色の着物に、髪を清楚《せいそ》に結い、いかにも、大家の若妻といった感じだが、美土里の迫力に気圧《けお》されたように、何時にも増しておとなしげだ。
間もなく基世が入ってくると、全員が隣りの座敷へ移り、上座に宗家の基世、左右には美土里と元裕紀、明煌は多華子と向かい合った。
一枚物の欅《けやき》材を使った夕餐《ゆうさん》のテーブルには、篠芙の席が用意されていなかった。
「お父さま、このたびは、宗家襲名おめでとうございます。主人の事故で来られませんでしたが、向こうでも大きなニュースで取りあげられましたから、まるで居ながらのように感動しましたわ」
改めて、美土里が前に出て挨拶《あいさつ》をすると、若い頃の端整さのなかに威厳が加わり、時に冷酷にも見える基世が、表情を和らげた。
女ながら、舞の才能をどの子よりも授かった美土里が、基世にとっては、一番|愛《いと》しい子でもあったのだ。
「しばらくは、ゆっくりしてゆけるのだろうな?」
「ええ、十一年振りの日本ですもの、しばらく滞在したいと思います。差し支えなければ、わたしの部屋がそのままなので、使わせてもらいます」
「うむ」と、基世は頷き、承諾を示した。
中≠熕フながらの造りで、部屋数も多く、美土里が嫁いだ後も彼女の部屋は残されていた。
「晶子《あきこ》は、幾つになった?」
「もう八歳です。スイスの寄宿制の学校で就学中ですが、バレエを習っていますわ」
唯一の孫が能に興味がないと知らされた基世が渋い顔をする。美土里は楽しげに見てから、自分の席に戻り、ようやく食事がはじまった。
吸い物と一緒に、ほどよく燗《かん》を付けられた酒が運ばれてきて、美土里が明煌に銚子を差し出してきた。
「すみません、俺は車ですので…」
酒を差し出されたのに、不調法を承知で断った明煌を、美土里が上目づかいに見た。
「泊まって行けばいいじゃない」
「い、いや、そういうわけには…」
「そうなさいよ。どうせ、帰っても待っている人はいないんでしょう? お義母《かあ》さまだって、観月に泊まると言えば反対なさらないわよ。真木さんに電話してもらえば大丈夫よ」
有無を言わせない美土里に明煌が困惑する様子を見て、基世が珍しく笑い声を立てた。
「まあ、なんですの? お父さま」
「いや、お前は変わらないなと思ったまでだ」
「お父さまの娘ですもの」
負けじと、美土里が言い返す。
「さあ明煌さん、お酒は飲めるんでしょう? もしかして、まだ未成年だったかしら?」
「いいえ、もう、二十歳になりました」
「篠芙さんと三つ違うのよね?」
頷いて明煌は、肯定を示した。十二月生まれの自分と、四月生まれの篠芙とは、現在だけ二歳の違いだが、そこまで細かく説明するのを省いた。
「成人したのなら、なんの問題もないわ、さあどうぞ」
強引な美土里に断り切れず、明煌は、盃をとりあげたのだ。
九時近くなって、夕食が終わり、明煌は、自分に与えられた部屋に引きあげて、ようやく、肩の力がぬけた。
夕食は豪華で、美土里は快活に喋《しやべ》り、元裕紀も冗談で応じ、基世ですら、日頃の厳しさが薄れて家庭人に近かったというのに、明煌は気詰まりに感じたのだ。
その理由のひとつに、多華子が、身体を強張《こわば》らせ、一言も口を利かなかったことがある。
頼りにしたい夫、篠芙の姿はなく、縁戚《えんせき》ではあるが、ほとんど他人と言って差し支えない人々に囲まれた彼女は、疎外感を強く感じていたのではないだろうか――
明煌は、藤代での自分の立場とも思い合わせて、彼女の孤独が判るような気がした。
「明煌さん?」
いきなり、廊下側から多華子の声に呼ばれた。
漠然とだが、彼女のことを考えていた明煌は、驚きを以《もつ》て襖《ふすま》を開けると、果たして、当人の多華子が立っていた。
「新しいシーツを持ってきました。それからお風呂《ふろ》、空いてますけど……」
部屋に入ってきた多華子は、抱えてきたシーツを置いたが、出て行こうとはせず、後ろ手に襖を閉めた。
「すこしだけお話ししてもいいかしら?」
人妻が、夫以外の男の部屋に居てもよい時間ではないと、明煌の方は戸惑いを感じた。
「いいんですか? 篠芙さんを放っておいて…」
いまでは明煌も、けじめを付ける意味で、篠芙を名前で呼ばされている。「兄さん」とは、さらに口にできない、断層のようなものが二人の間には存在するのだ。
「――篠芙さんのお世話は、真木さんがするからいいのよ」
昔からそうだったが、結婚した現在も、どうやら変わらないらしい。明煌は、納得し、頷《うなず》いた。
「実は、俺も多華子さんに訊《き》きたいことがあったんです。夕食の時、篠芙さんの姿がなかったんですが、いつもそうなんですか?」
「今日は、お弟子さんが来てたからよ。いつもは、夕食くらいは、一緒です」
言葉に込められた多華子の抗議と不満を、明煌は聞き逃した。
「珍しいですね、篠芙さんが、お弟子さんをとるなんて?」
「三ノ宮利彦さんって方よ、先月から週に一度、夜にお稽古《けいこ》付けてるの。変な人なのよ、いつもお稽古にくる時、カサブランカって大きな百合《ゆり》の花があるでしょう? その花束を、篠芙さんへって持ってくるのよ」
男同士なのに…と、多華子がクスクス笑った。
うっすらと染まった目許に、明煌は、酒気を感じた。
「多華子さん、酔ってるんですか?」
「ええ、すこしね、お酒を飲んでるわ」
食事の席では飲んでいなかったので、自室で飲んだのだろう。
「それでね、三ノ宮さんは、ご両親の離婚でお母さんについてアメリカへ行ってたんだけど、去年帰国して大学に編入学したんですって、二十一歳で、すごいお金持ちのお坊っちゃん。ホテルに住んでるって噂よ」
「詳しいですね」
多華子が自嘲《じちよう》的な笑いを口唇《くちびる》に泛《うか》べて、明煌を見た。
「なんでわたしが詳しいかと言うと、他にすることがないからよ。退屈だから、つい、調べたの」
「へんなこと訊くけど、篠芙さんとは……」
先の細い指で、叱《しか》るように明煌を遮って、多華子は笑った。
「夫婦の間がうまく行ってるかって訊きたいのね? うまく行ってるわけないわ、見れば、判るでしょう」
「なぜ――…」そう聞き返そうとした明煌よりも先に、多華子の方が、まくしたてた。
「信じられる? 夫婦になったのに、寝室は別。それだけじゃないわ、食事もなにもかも別、わたしはね、結婚してから四か月経つのに、一言も声を掛けられてないのよ」
「篠芙さんは、舞うことしか頭にないんだから…、俺にだって、ほとんど口を利かなかったよ……」
異常だが、篠芙に限ってはまんざら有り得なくもない。そう明煌が庇《かば》おうとするのを、多華子が否定した。
「あの人は、女に興味ないみたい。ううん、他に、なんにも興味がないみたいなの。着るものだって、真木さんが全部用意して、着せ替え人形みたいに着せられるままで…」
「そ、それだって、篠芙さんは昔から真木さんとは――…」
「昔からあんな人なの? 考えたら、わたしは篠芙さんのこと何も知らないのよ、三ノ宮さんの事柄《こと》の方が、たくさん知ってるくらいだわ」
多華子は、舞台や写真、噂で聞く篠芙の美しさ、素晴らしさに憧《あこが》れ、夢を見て嫁いだのだ。
「真木さんは、篠芙さんが十歳位の時から面倒をみてきた人なんです。だから――…」
応対がしどろもどろになってしまう明煌を遮って、多華子が不満を打ち明けた。
「だからって、絶対に変よ。わたしたち結婚したばかりなのよ、なのに顔も見ない日だってあるわ。わたしから会いに行こうとしたら、真木さんが邪魔するのよ。思い切って宗家に相談しても、相手にしてもらえないの。気晴らしにしばらく実家へでも帰って、両親に甘えて来たらどうかですってッ」
次第に気が立ってきた多華子は、彼女の年齢では、まだ胸に抑えておくにはむご過ぎる仕打ちを、明煌に向かって吐き出していた。
「わたしたち、新婚旅行もなかったの知ってるでしょう? 最初の晩から、篠芙さんは部屋を真っ暗にして、わたしを抱くの、変だと思ってたら、後で判ったのよ、わたしのところへ来てたのは、元裕紀さんだったのよッ」
「まさか、そんな……」
「嘘じゃないわ、ずっと、わたしも騙《だま》されてたの。でも気が付いてしまったら、元裕紀さんたら開き直って、わたしに自分の子供を産めと言ったわ」
多華子は自分がもたらした告白が、明煌を驚愕《きようがく》させているのを承知で、続けた。
「わたしは、篠芙さんに憧れてたから、その人と結婚できるって言われた時、嬉《うれ》しかったの。両親だって、観月の養女というのに眼が眩《くら》んで、だから話はすぐに纏《まと》まったわ…、でも、わたしは体裁だけの妻だったのよ」
篠芙が、女を抱けないことは、明煌も知っていた。
以前、失踪《しつそう》かと騒がれた夜、誘われるがままに女性とホテルに宿泊したが、果たせなかったのだと、基世たちに責めたてられ、篠芙がなにもかも白状させられるのを聞いたのだ。
多華子との婚礼の前も、基仙と芝浦が、蔵に装束をしまいがてら、「いよいよ初夜だな」「若には、女の扱いなど判るものか…」「ならば、教えてやらねばなるまい、我らで…」などと、話して面白がっているのを、手伝いながら、明煌は聞いていた。
永い時間をかけて、男たちのために拓《ひら》かれ、造り替えられてしまった篠芙の肉体は、多華子と夫婦になることを拒んでいるのだ。
「観月では、直系の元裕紀さんに才能がないからって、篠芙さんを養子にしたのでしょう? でも、結局は血筋の子に跡を襲《つ》がせたいのよ。だから、わたしに元裕紀さんの子を産ませて、篠芙さんとわたしの子として育てさせようというのよ」
明煌は息を呑《の》んだ。
観月の男たちならば、考えないでもないだろう。特に、亡くなった宗家は篠芙に肩入れしていたが、現在の宗家である基世にすれば、自分の息子が可愛くないはずはないのだ。
回り道でも、血筋の者に襲がせたいと思っているかもしれない。三人の黒式尉《こくしきじよう》のなかでも、基世がもっとも、篠芙を惨《むご》く扱っていたことまで、明煌は思い出していた。
「…この先、多華子さんはどうするんです?」
明煌が憂慮したのは、多華子が離婚することだった。離婚して、観月の内部で味わわされた理不尽な扱いを、彼女が外部に洩《も》らすのではないかという恐れだ。
秘密が洩れれば、篠芙にも火の粉が降りかかるだろう。それを、食い止めたかった。
だが彼女は、明煌が考えたのとは違う意味で、強かった。
「篠芙さんの妻で、観月の嫁の立場を、おいそれと手放せると思う? わたしが逃げ出したら、すぐに代わりがくるわ。そんなの我慢できないし、親や他の親戚《しんせき》にも責められるわ。だったら、この状況を我慢するほうがましよ」
言葉を吐き出すと、気がすんだのか、我に返ったように多華子は立ちあがり、出て行きしなに振り返った。
「ごめんなさい。誰かに聴いてもらいたかったの。だって、ここでは、誰もね、わたしの味方はいないのよ」
明煌は、それは、自分も同じだという意味を込めて頷いた。
だが、多華子が元裕紀の子を産むつもりなのかどうか、明煌には、女という生き物が、まだ判らなかった。
二[#「二」はゴシック体]
観月の屋敷内で篠芙《しのぶ》に与えられている部屋は、奥≠フ一部にある三間続きの座敷で、寄付《よりつき》、次の間、主室の順に廊下側から並び、浴室と、ほどよく樹木が配置された専用の庭が付いている。
結婚しても変わらず、篠芙は独りでこれらの部屋に住み、真木に身のまわりを整えさせる生活なのだ。
かつては、明煌《あきら》も篠芙の付き人として仕えてきたので、奥≠ノある彼の部屋のことは、何もかも知っている。多華子が去った後、明煌は禁忌を犯すような心持ちで、篠芙の部屋を訪ねていた。
亡き宗家に命じられたとは言え、抗《あらが》いがたい欲望で篠芙を犯した宴能会の夜から、藤代流家元襲名を経て半年が過ぎたが、明煌は、二度と篠芙に触れることは許されず、怒りも解けていなかった。
「失礼します、篠芙さん……」
廊下側から入って寄付を横切り、次の間へ通じる襖を開けると、その奥にある襖は開いており、明かりの灯《とも》った寝間のすべてが、明煌の眼にはいった。
敷かれた寝具の上で、乱れた髪をかきあげている篠芙の姿があったのだ。
夜着が乱れていて、ひと目でなにが行われたのかが、判った。
「なにをしにきた? お前を呼んだ覚えはない」
手櫛《てぐし》で髪をかきあげながら、篠芙は振り返りもせず、冷たく言った。
枕頭《まくらもと》には、大輪ばかりを選んだと思われるカサブランカの花束が放置されている。
「まさか…、今日のお弟子さんが相手ですか?」
思わず、洩《も》れてしまった明煌の言葉に、ようやく篠芙は振り返ったが、ぞくりとするほど美しい貌《かお》には表情がなく、ただ、濡《ぬ》れたように光る眼眸《まなざし》で睨《にら》まれた。
切れ長の、人を見下した冷たい双眸《そうぼう》に凝視《みつ》められると、明煌は、すくみ上がってしまう。
「わたしが選んだ訳ではない、元裕紀に訊《き》いてみるのだな…」
だがすぐに、優雅に弧を描いた細い眉《まゆ》が、気持ち、寄せられたように見えた。
明煌の背後から、しっとりとした足音が聞こえた。
「篠芙、三ノ宮くんは帰ったのか?」
宗家の基世だった。
「はい…」
基世に従って来た真木が、明煌の脇を通って篠芙の前へゆく。真木は片膝《かたひざ》を折ると、篠芙の襟元を合わせ、着衣の前を直した。
「ちょうどいい、明煌にも話があったのだ、こちらへ参れ」
言われて明煌も、こうこうと明るい篠芙の寝間へと入った。
寝間のなかには、次の間に居る時は感じなかった、濃厚な若い男の匂いが籠《こも》っていた。
篠芙の匂いではない、若い牡《おす》の臭いだ。
それが、カサブランカの香りと混じりあい、いっそう淫《みだ》りがましい澱《よど》みを醸し出している。
基世が寝具の傍らに腰を下ろすのにつられて、明煌も下方に正座した。
「奉納の夜桜能に、明煌は『羽衣《はごろも》』を舞うことが決まった」
まずは明煌に向かい、其世がそう言った。
「俺が…ですか?」
驚いたのは明煌の方だった。まさかと、思わず聞き返すのを、基世が、険しい横目で見た。
「藤代流三代目として、不足はあるまい?」
「はぁ、しかし……」
そういう問題ではなかった。いままで、春の奉納能には、篠芙が『羽衣』を舞っていたのだ。それを差し措《お》いて、なぜ自分が? という疑問が生じたのだ。
明煌の気持ちを察していながら、基世は篠芙の方へと視線を移した。
「来週からしばらくの間、篠芙は、明煌に『羽衣』の稽古《けいこ》をつけてやるように」
「はい」
変わらずに無表情のまま、篠芙は承知したと、寝具の上に指先を揃え、頭を下げた。
篠芙が頭をあげてからの数瞬、気まずいばかりの沈黙が三人の間に澱んでいたが、基世によって払われた。
「それだけだ、もういい」
咄嗟《とつさ》に、明煌は自分に出て行けと言ったのだと察し、慌てて腰をあげたが、同じく部屋の隅に控えていた真木も立ちあがり、二人で寝間を出ることになった。
奥座敷《ねま》に残った基世に不審なものを感じ、明煌は真木に向かって尋ねずにはいられなかった。
「何が……起こるんですか?」
後ろ手に襖を閉めて明煌を促し、寄付まで連れて来た真木は、そう訊かれると、うすく、口許《くちもと》を横に裂くような笑みをうかべた。
「嫉妬《しつと》です」
「えっ?」
次に明煌へと向き直った真木は、いつもの、崩れることのない端整な面持ちに戻っていた。
「明煌さん、わたしは寄付《こちら》で宿直《とのい》番ですが、あなたは部屋へ戻りますか? それとも、わたしと残りますか?」
「こ、ここに居ます」
そう応《こた》えた明煌に、真木は部屋の隅を指し示し、そこへ座るように合図すると、
「声を立ててはなりませんよ」と言い、天井灯を消して、暗闇にした。
次の間を挟んだ寝間から、微《かす》かに基世の声が聞こえてきた。
「篠芙、肌をみせなさい」
言われるままに、篠芙は、真木が身体の前で結んだ帯紐《おびひも》をほどくと、襟元に指を掛けて一思いにぬぎ落とし、基世の眼に、すべてが映るようにと立ちあがった。
青白い裸体の、胸許にある淡色の突起が、熟した微《ちい》さな赤い実のように勃《た》っている。特に付け根には、細い血色の痕《あと》が刻まれていて、歯形であることを、基世はみてとった。
基世が手を伸ばし、抓《つま》み撮《と》ると、篠芙は眉根を寄せた。
「堅くさせておるな」
何度か、しぼるように指先に力が加えられるのを怺《こら》えた篠芙は、次には身体中をくまなく調べられた。
最後に後ろを向かされ、基世の手で双丘を左右に割りひらかれ、妖《あや》しく濡れた花蕾を見られるのだ。
繊細な花びらのような肛襞《にくひだ》は充血し、ほころびから内部の珊瑚《さんご》色を垣間《かいま》見せている。
むき出された秘裂の蕾《つぼみ》に、二本の指で触れた基世は、さらに花襞をひらくように押しひろげ、篠芙の羞恥《しゆうち》を煽《あお》った。
「まだ、閉じられぬか、もの欲しげだぞ」
それから基世は、床に落ちた夜着の帯紐を取りあげると、篠芙の両手首をからめ捕り、背中でひと括《くく》りに縛った。
縛られることに危険を感じ、篠芙の動揺が増したところへ、追い討ちを掛けるかのように、基世は立ちあがって襖を開け、次の間に控えているだろう真木を呼んだ。
「真木」
「はい」呼応して、真木が襖を開けると、すかさず基世は、寝間の煌々《こうこう》とした灯《あか》りに照らしだされた寄付の隅に、明煌が座っているのを見た。
基世は何も言わずに口許だけで嗤《わら》うと、すぐに篠芙の元へと戻り、真木が入ってくるのを待った。
明煌に見せるために、開け放たれた寝間の襖は閉められなかった。
和服姿の基世と、濃紺のスーツを身に着けた真木との間に、まるで罪人扱いで、後ろ手に縛られ、全裸の篠芙は正座させられている。
「さて篠芙には、これから客人のことを話してもらおうか」
美しいばかりで、普段は表情の乏しい篠芙の貌《かお》に、微《かす》かな狼狽《ろうばい》の色が浮かんだように見えた。
若い弟子をとらされ、果てには、力ずくでの凌辱《りようじよく》を受けたのだ。
ひと月が経った頃には、稽古《けいこ》の後に求めるのは当然とばかりに三ノ宮は振るまい、抱かれれば、否応《いやおう》なしに反応してしまう篠芙の肉体は、いまさら拒めない深みにまできている。
「三ノ宮には、幾度求められたのだ?」
基世が問うたが、篠芙は答えずに、口唇《くちびる》を噛《か》みしめただけだった。
「二交までです」
代わりに真木が答えた。
「若さだな、一時間あまりで二度も、篠芙を愉《たの》しんだというのか……」
無情で冷ややかな基世の双眸《そうぼう》が、責めるように篠芙を見ている。
「ずいぶんと、場数を踏み、慣れているご様子です」
外国暮らしが長かった三ノ宮利彦は、異性同性を問わずに洗礼を受けているらしく、若さに似合わず巧妙な遊び方をすると、真木の説明を聞き、基世は頷《うなず》いた。
「ふむ、それでは、篠芙も嬉《うれ》しいだろう?」
否定するように頭を振った篠芙を、基世は、厳しく光る眼で、すべてを見通すほどに睨《にら》みつけた。
「三ノ宮利彦は悦《よ》かったのだろう?」
戸惑う間があっての後、認めるかのように篠芙は顔を背けてしまった。
眼を合わせられない篠芙を、基世が、低く嗤った。
「吸わせてやったのか? それとも、篠芙が、あの男のものを吸ったのか?」
揃えられた両膝《りようひざ》を崩させ、よじって隠そうする前方をさらけ出させた基世の手が、篠芙を巧みに擦《こす》りあげた。
「あ………っ…」
まだ余韻がくすぶり、敏感になったままの篠芙にはひとたまりもない刺激で、変化が起こってしまう。
「さあ、どちらだ?」
巧みな指なぶりに、篠芙は身をよじらせながら、白状した。
「彼が…わたしを――…」
吸淫《きゆういん》されて、乱されたのは篠芙の方だった。
「ふ…む――…」
基世は指で翻弄《ほんろう》することを止《と》め、次には、何ごとか考えた様子に唸《うな》ったかと思うと、枕頭《まくらもと》の百合《ゆり》へと手を伸ばし、パキッと、音を立てて花の雄しべをもぎとった。
「弟子相手に淫《みだ》らな振るまいをするとは、赦《ゆる》せんな…」
全身に戦慄《せんりつ》を走らせた篠芙だが、背後の真木によって立たせられ、基世の前へと突き出させられてしまった。
基世の手が、繊細な部分に触れ、爪先《つまさき》が珊瑚色の鈴口をひろげた。
「ま、待ってください、宗家ッ」
叫んだと同時に、細長く伸びた雄しべの切り口が、めり込んできた。
「い……痛い…っ…」
受け入れるには太過ぎる雄しべを挿し入れられてゆく篠芙が、呻《うめ》いた。
「…や…やめて…痛い――…っ」
怺《こら》えかねて制止を乞《こ》う篠芙を赦さずに、基世はすべてを貫き通してから、ようやく離れ、真木も押さえていた手を離し、退いた。
前方を塞《ふさ》がれた篠芙の肉体は、切なげに身悶《みもだ》えをはなっているが、これで赦されたわけではなかったのだ。
「篠芙の内を調べたい、真木、用意を――」
「宗家ッ」
悲鳴に近い声を聞きながらも、基世は後ろ手に縛りあげた篠芙の身体を寝具の上へと突き倒した。
横倒しに頽《くずお》れて、だが篠芙はすぐさま起きあがろうと、もがいた。
「いやです。宗家、…あれは……いやだッ」
もがく身体を背後から押さえ込んだ基世は、肉づきの薄い狭間《はざま》へと、黙らせる目的で指を貫き挿《い》れた。
「ああッ…」
充血し、敏感になっている肉の内部が基世の指をしゃぶって、あらたな収縮を起こしてしまう。
「若い男など咥《くわ》えこみ、歓《よろこ》んだ罰だ」
基世の言葉に含まれた昏《くら》い欲望におののき、篠芙が叫びをあげた。
「いや…ッ」
「さあ、腰をあげるのだ…」
基世の指が、篠芙の下肢を吊《つ》りあげるかのように、内奥で鉤状《かぎじよう》に折れ曲がった。
「ウウッ…」
基世は、両膝を立てた形に篠芙が這《は》いつくばるまで、媚肉《びにく》の襞《ひだ》のやわらかいしめり気を指先で確かめながら、持ちあげていく。
さすがに怺えられず、ついに篠芙は屈辱的な姿をとらされていた。
そこへ、浴室の方から怪しげな硝子容器《シリンダー》を持った真木が戻ってくると、いっそう篠芙の狼狽《ろうばい》が激しくなった。
円筒状のシリンダーには、ディップローションを連想させる透明な粘液が満たされている。
「ふふふ……」
かすかに含み笑う基世の声が、明煌にも聞こえた。
「顫《ふる》えているな、…篠芙」
屈辱的な姿で差し出させられ、寝具に貌を押しつけた篠芙の表情は見えないが、全身の強張《こわば》りから、加えられる辱めを拒んでいるのが判る。
基世に器具を渡した真木は、そのまま寝間を出て、次の間を横ぎり、明煌の潜む暗がりへと、戻った。
明る過ぎる寝間の方では、双丘に入った基世の指が、篠芙をひろげている。
容器の先端についた太い嘴管《ノズル》を、基世が挿入させた瞬間、寝具に押しつけられていた篠芙の頭が、ハッと、弾《はじ》かれたように持ちあがった。
すぐさま、喉《のど》から首筋が反り返り、頤《おとがい》があおのいた。
基世が手元を圧《お》したことで、篠芙の内に、いささかの重みと異物感のある半凝固物《ジエル》が注入されだしたのだ。
「い…や――ッ」
堪《たま》りかねて、篠芙が呻いた。
「あ…、あ……、あぁぁぁ………」
決して急がずに、狭い内部を確実に、流動性のない軟らかな粘質物で埋《うず》めつくそうと基世が手元を操っている。
「っく……――ううっ…」
篠芙にとって、注入のおぞましさ、息苦しさは、じっと怺えていられるものではないのだ。
口唇《くちびる》を噛《か》み、ほどけてしまった長い黒髪を振り乱してのけ反り、裸体を慄《ふる》わせ、果てには身悶えさせた。
「ううっ…も、もう――入れない…で…」
「安心するがいい、これで全部、篠芙の腸筒《なか》に入ったぞ…」
基世は、すべてを呑《の》ませてしまうと、ようやく嘴管《ノズル》をぬき、辛《つら》い余韻に下肢を喘《あえ》がせる篠芙の身体を抱いて、縛《いまし》めを解いた。
腕の自由を取り戻した篠芙は、すこしでも身体を楽にしようと、横臥《よこた》わった。
眉間《みけん》を寄せ、苦しそうだが、そそられるほどに美しい貌《かお》が、明煌が居るとは知らずに、暗闇の方へと向けられた。
基世は、力なく閉じられていた膝《ひざ》をひらかせて、間に入り篠芙の前方へ埋めた百合の雄しべを曳《ひ》き摺《ず》りだし、また、挿し入れをはじめる。
「ん…うっ……」
反応し、篠芙の下肢が浮きあがった。
「気をやると、泄《も》らしてしまうのではないか?」
言いながら、基世の指が、狭間を下がり、たっぷりと呑みこまされた粘液で爆《は》ぜそうな篠芙の肛襞《にくひだ》を潜った。
「ああ……あ、くうっ……」
基世が指で掻《か》き乱し、篠芙の腸筒《なか》からねばりつく音を立てさせる。
「っあぁ――…」
抗《あらが》うように激しく、頭を振って、篠芙は黒髪をうねらせた。
「ゆ…ゆるして……指を…指をとっ…て……」
基世の指が抽《ひ》き出されて行くのを感じると、篠芙は力を入れ、身体の内から離れる瞬間に溢《あふ》れさせてしまわぬよう、締めなければならないのだが、――それがまた、辛いのだ。
「指では、物足りないか?」
離れた基世が、優しいようでいて、底に凄味《すごみ》のある声で篠芙をなぶっている。
篠芙は、寝具の縁に掴《つか》まり、どうにか身体を起きあがらせると、放心したような、だが、色香を感じさせる美貌《びぼう》をあおのかせ、基世をみつめた。
求められているものは判っており、篠芙は、よろめくように進み、基世の前へ跪《ひざまず》いた。
何か、話したいのか、息が苦しいからなのか、篠芙の口唇は薄くひらいている。
しかし、声は出ず、おそるおそるといった感じに伸ばされた手の方が先に、静座《せいざ》する基世の広い肩口に触れた。
しがみつくように力を込め、篠芙は基世の身体に掴まり、自分を支えたのだ。
それから、巌《いわお》のように動かない基世に顔を近づけて、篠芙は口唇を触れさせた。
しなだれ掛かり、乾いた男の口唇を潤すように、接吻《くちづけ》を繰り返しながら、乱れもなく堅く合わせられた襟元へ掛けた指で、今度は基世の胸をひらこうとし、顔を埋《うず》めていった。
着物に焚《た》きしめられた香の匂いと、苦いような基世の匂いが、篠芙を追いあげた。
「宗家……っ…」
身悶《みもだ》えて篠芙がしがみつくのを、基世が突き放すように退けた。
「どうしたのだ? 篠芙、これでもう、おしまいか?」
「い……いえ…」
胸元に指を這《は》わせて、滑り落ちるように下衣へと触れた篠芙が、前をくつろげさせ、基世の男を手繰りだそうとする。
白い指が造形《かたち》を捉《とら》えると、心を定めるように一度、篠芙は喉許《のどもと》を喘《あえ》がせてから、口唇に受け入れるために身体を屈《かが》ませていった。
喉を突くほどの男振りに、苦しめられながらも、舌と、口唇で吸いあげる技巧を使い、篠芙は基世に仕えはじめた。
四人の男たちを稚《おさな》い肉体で満たすために、篠芙は口唇の愛技をも念入りに仕込まれたのだ。
凄艶《せいえん》な美貌の横顔を見せ、いずれ自分を苦しめると判っている男に仕える篠芙の姿は、被虐的な艶《つや》めかしさにくるまれている。
「もう、よい、篠芙……」
基世は、白い頤《おとがい》に手をかけ、銜《ふく》ませていたすべてを外させた。
「わたしが、欲しいか?」
年若い弟子の凌辱《りようじよく》を受けた後の身体に、さらに基世から責めを加えられるのだ。
「は…はい…、宗家」
篠芙は、覚悟を決めたように頷《うなず》き応《こた》えると、寝具の上に両肘《りようひじ》と両膝を付いて、差し出すかたちに這った。
自らとらされる屈辱の姿に口唇がわなないているのが、明煌には見える。だが、慄《ふる》えているのは口唇だけではなく、突きあがった白い双丘も同じだった。
内奥の苦悩に反応し、うねるような身悶えを起こしているのだ。
うねるたびに、秘裂の狭間《はざま》から、つぼまった妖《あや》しい花が垣間《かいま》見える。
「あ…ぁ…宗家…っ」
求めるように篠芙が声を洩《も》らしたと同時に、腰を浮かせた基世が、抱えた下肢を引き寄せながら、貫き挿《い》れた。
「あっ――……」
背筋から脳髄にまで走りあがるような淫《みだ》らな快感が、篠芙を喘がせた。
注入の時には、屈辱感と、神経を逆撫《さかな》でされる逆流の苦悶《くもん》に半ば麻痺《まひ》していた感覚が、いっせいに戻ったかのようだった。
「快《よ》いのか? 篠芙」
「気が…変に…なる……」
貫かれ、多量の異物に埋められた内奥を怒張で捏《こ》ね回されて、篠芙はのけ反ったまま、捉えられた下肢をワナワナと震わせる。
「孕《はら》むほどに責めてやるぞ」
深い抽送が、基世から繰りだされてきた。
「……あっ、……は……う…」
烈し過ぎる。だが、篠芙の肉体は痺《しび》れたように、反応しはじめた。
「三ノ宮はよかったか? わたしよりも、ん? なんど気を遣《や》ったのだ?」
基世が、下肢を乱暴に揺さぶり、篠芙を責めたてた。
「あ…あ…宗…う、――いやッ」
「どうだ、こうされるよりも、よかったのか?」
三ノ宮のことはすべて、元裕紀《もとゆき》によって仕組まれていたのだ。基世も知らなかったはずはないのに、篠芙が一身に負わされた勤めを、いまさら咎《とが》める。
「あ…あ…、いや……苦しい…」
篠芙の身悶えが、激しくなった。
「苦しいばかりではあるまい?」
腰を使いながら、基世が上体を屈めて行き、耳許《みみもと》に囁《ささや》くようにする。
「うう…っ…」
身悶えが、痙攣《けいれん》じみてきた。
「森村社長が、また篠芙の舞を所望と言ってきた」
篠芙の内を揺するように、基世は動いた。
「今度は、篠芙と明煌に舞わせてみたいのだそうだ」
身体の苦悶よりも、そちらの方に鋭く反応し、篠芙が叫んだ。
「いや……、ああッ、いやですッ」
「そうではあるまい? いま、奥が締まってきたぞ」
確かめるように、基世が突きあげる。
「いや、それだけは……」
ぎゅっと、篠芙がシーツを掴んだ。
「いや…です」
「お前次第だな、篠芙…」
身体の内を満たしているのは、基世だけではないのだ。
勢いを増した基世に、粘液で充満した身体の内部を突きあげられ、えぐり回され、擦《こす》られ、篠芙は煩悶《はんもん》する。
「く…うう…っ…」
悲鳴を洩らしていた篠芙だが、何時しか、裸体に、ぼうっと青白い火を噴いたようになった。
「あぁああぁ…――」
どの様な物でも、納めさせられて、反応するように調教《しこ》まれた肉体が、篠芙の心を裏切ったのだ。
すかさず、前方に回された基世の指が、百合《ゆり》の雄しべをぬきとっていく。
「…ん…っ……」
呻《うめ》きをあげた篠芙は、そのまま尾をひかせていたが、次第に声を低く掠《かす》れさせ、やがて耐え入るような息遣いだけになった。
余韻が去るのを待ち兼ねたように、基世が篠芙の前方を擦った。
「あうッ……はぁ…はぁ…あう……」
達してしまった篠芙の最後の雫《しずく》まで搾りとるかのように、基世は指で扱《しご》き続け、さらなる悦楽を共有しようと、抽送を早めた。
「宗家、…宗家ッ」
「わたしのことかな? 篠芙…」
打ちつける仕種《しぐさ》で、基世が腰を使って攻めた。
「あっ、あっ、して……篠芙を…もっと……っ…」
錯乱したように、篠芙が呻いた。
激しい快感が脳を侵蝕《しんしよく》し、正常な気持ちをどこかへ連れ去ってしまったのだ。
「明煌と舞うか?」
「いやっ」
取り乱していながら、篠芙は、拒絶に嫌悪をまじえ、叫んだ。
「明煌はいや…だ…っ…」
「そう言いながら、明煌に犯されている気になっているのではないか? 眩《くら》みそうなほど、締めつけてくるではないか……」
基世はあらたな欲望に掻《か》き立てられたのか、荒々しさを加え、媚肉《びにく》の蕾《つぼみ》から肉筒《なか》にかけてを責めたてた。
「や…あぁ……」
激しさに、篠芙は寝具に付いた両腕を突っ張らせ、上体を極限までのけ反らせた。
「明煌に龍頭≠フ使い方を教えてやるのだ…」
ほっそりとした背筋がよじれ、身体の内の骨がばらばらに砕けてしまうのではないかと思われるほどに、歪《ゆが》んだ。
「うう……ゃ…やめて…」
呻きとは裏腹に、篠芙が隆《たか》まっているのが判った。
悦楽の炎に全身をくるまれて、青白く発光したように燃えあがっていたのだ。
「なぜ、嫌がる」
「いや……ッ…篠芙を…赦《ゆる》して……」
上体を支えていた腕が力を失い、篠芙の身体は、いきなり寝具に沈んだ。
「篠芙?」
基世の手が、突っ伏した篠芙の顔を下から掬《すく》うように持ちあげ、身体を楽にさせてやろうとした。
気を失ったのかと思われたのだ。
「…はっ…はっ…はぁ…はぁ…」
篠芙は胸苦しさに喘《あえ》いでいる。
息を吹き込んでやるように、基世は篠芙の口唇《くちびる》を貪《むさぼ》った。
「あの粘液みたいなものは、なんだったんですか?」
歔《な》き崩れた篠芙を抱きあげ、基世が浴室へ行ってしまうと、ようやく明煌は、隣りにいる真木に訊《き》くことができたが、声が掠れてしまっていた。
酷《ひど》い仕打ちを加える基世を憎みながらも、明煌の肉体も、篠芙を求め、欲望を感じていたのだ。
「ゼリーのようなものです…」
常と変わらない様子で、真木が答えた。
「しかし、それが逆流してくる感じや、そこへ受け入れさせられるのが、篠芙さんには怺《こら》えられないのかもしれませんね。注入《いれ》られただけで、どんなことでも、基世さんの言いなりになってしまうほど挫《くじ》けてしまいますからね」
真木の言葉は、さらに明煌の裡《なか》に熾《おこ》った欲望の焔《ほむら》を掻き乱し、火の粉をあげさせた。
「毎週、お弟子さんが帰った後に、こんなことが行われてるんですか?」
口許を押さえるようにして、真木が声を潜めた。
「実《げ》に恐ろしきは、嫉妬《しつと》の炎――…」
「嫉妬? 俺には、宗家が篠芙さんを虐《いじ》めているようにしか見えない…」
基世が篠芙を憎く思う理由は、いくつも考えられるからだ。
「真木――…」
寝間の方から、基世が呼ぶ声がした。
「わたしでは、篠芙が嫌がっている。お前が行って始末をしてやれ」
「はい」すばやく立ちあがった真木が、寝間を通って入側《いりがわ》の突き当たりにある浴室へ行くのとは逆に、基世が、明煌の方へ戻って来た。
「今夜のことは黙っておれ。お前に見られたと判れば、篠芙は、舌を噛《か》んでしまうかもしれないからな」
脅し文句に、明煌は挑みかかるように反応した。
「宗家は、篠芙さんが憎くて、あんな…虐待をするんですか…」
思いがけなかったのか、基世が、まじまじと、明煌を見た。
それから、ゆったりと口許で笑った。
「お前は誤解しているぞ、明煌。わたしが篠芙を憎く思うはずはない。稚《おさな》い篠芙を、夜毎宗家に捧《ささ》げるために仕込んだのは、わたしだからな。他の者のしらない篠芙を知っているのも、わたしだけだ…」
優越を匂わせる基世に、明煌は、嫉妬を覚えた。
苦く、熱い焔に、じりじりと、胸を炙《あぶ》られたのだ。
「何を知っていると、言われるのですか」
「篠芙は、決して泣かないと心に誓っているが、わたしには、よくしがみついて泣いた…ということだ」
「それは、宗家が残酷に篠芙さんを責めたてるからだ。あんなものを、身体の内に入れたりしてッ」
気色ばんだ明煌を、基世は笑うばかりだ。
「ふふ、やめておけ、心を灼《や》いていると、羽衣の天女は舞えぬぞ」
嫉妬心を鎮めたばかりの男がそう言い、部屋を出て行った。
三[#「三」はゴシック体]
週が明けると、明煌《あきら》にはまた、稽古《けいこ》のために観月《かんげつ》を訪《おとな》う日々がはじまった。
特にこれからしばらくの間、奥≠フ舞台で、篠芙《しのぶ》から『羽衣《はごろも》』の稽古をつけてもらうことになっているのだ。
早朝から明煌は、舞台を拭《ふ》き清め、篠芙を待っていた。
『羽衣』は、優雅で美しい天人の舞である。
場所は、駿河《するが》の国、三保《みほ》の松原。
ある春の日。
漁師の伯龍《はくりよう》が松の枝にかけてあった天《あま》の羽衣を見つけ、持って帰ろうとする。
そこへ天女が現われ、「わたしの衣を返してほしい」と、頼む。
伯龍は「家の宝にしよう」と返さないが、それでは天に戻れないと、あまりに天女が嘆くので哀れになり、ついには「天女の舞を見せてくれたならば、返してもよい」と譲るのだ。
しかし、舞うには羽衣が必要という天女に、伯龍は、「返した途端に、空へ昇ってしまうのではないか」と疑いを洩《も》らす。
「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」
天女の言葉に、伯龍は己を恥じ、羽衣を返して、天人の舞を披露される。
世界各地に、『白鳥処女伝説』として似たような話は伝わるが、謡曲『羽衣』には、性的な連想を抱かせない、清純な情緒が宿っている。
篠芙の得手でもある。
誰よりも気高く、みやびやかに舞うその美しさは、天上人を余すところなく具現し、人々を虜《とりこ》にし、夢見心地に誘《いざな》う。――それゆえにか、年に何度か要求される身売りとも言える勤めで、篠芙が所望されるのも、『羽衣』の一場面なのだ。
今度は、その『羽衣』を、神社の奉納能で明煌が舞う。
任の重さは計り知れず、心も重かった。
「おはようございます」
九時を過ぎた頃に、篠芙が入って来たのに気がつき、明煌は退いて、頭を下げた。
土曜、日曜と間があき、この間に明煌は平静を取り戻したつもりだったが、いざ篠芙を前にすると、あの夜のことが思い出されて、顔も、心の裡《なか》も、カッと火のようにほてった。
まっすぐに篠芙を見ることができないのだ。
だが、すらりとした身体を紋服に包み、長い髪を元結《もとゆ》いした篠芙は、冷たい光を放っているかのようで、夜に見た、脆《もろ》さ、淫《みだ》らさを露ほどにも感じさせない。
いまさらながら、高貴で残酷。神と人。聖と淫《いん》。男と女が、篠芙の裡《なか》に潜んでいるのだと、明煌は確信した。
「あの…、篠芙…さん」
篠芙はもはや藤代《ふじしろ》の若ではなく、歴史ある『鏡花《きようか》』の名を襲《つ》ぎ、観月の後継者となったが、改めた名前で呼ばれることを嫌っている。兄とは呼べない明煌もまた、篠芙の名を呼ぶしかなかった。
「なんだ?」
冷たく、透き通った声が、答えた。
「すみません。俺が、『羽衣』を舞うことになって……」
頭を下げようとした明煌の頬を、篠芙の手の扇が、厳しく撲《う》ちすえた。
「アッ」
篠芙に撲《ぶ》たれるのは久し振りで、その激しさ、痛みも変わっていない。
明煌は、痺《しび》れるほどの痛みに、目尻《めじり》に涙が滲《にじ》んだものの、妖《あや》しい恍惚《こうこつ》を覚えた。
「そんなことは、舞えるようになってから言えッ」
「は、はいッ」
ビクッと、背筋を伸ばし、明煌は厳しい言葉に打たれた。
「まずは、一通り、舞ってみよ」
瞬間的に怒りを鎮めたのか、次に篠芙は、穏やかに言った。
「はい。お願いいたします」
扇を手に、明煌は中央へと進み出た。
舞っている間は、すべての煩悩を追い払うことができるだろうと、思ったのだ。
『羽衣』の場面は、一場きりである。
シテは天女、ワキは漁師の伯龍。
破の前段、漁師に羽衣を奪われての悲哀から、シテは登場する。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
のうその衣は此方《こなた》のにて候。何しに召され候ぞ
[#ここで字下げ終わり]
明煌の謡にあわせて、篠芙が、ワキの漁師を謡《うた》った。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
これは拾ひたる衣にて候程に取りて帰り候よ
それは天人の羽衣とて、たやすく人間に与《あと》ふべき衣にあらず。もとの如く置き給《たま》へ
そも此衣の御主とは。さては天人にてましますかや……
[#ここで字下げ終わり]
通しで、およそ一時間ほどであるが、久方ぶりに篠芙の身近に立った明煌は、それだけで心が噪《さわ》いだ。
さらには、基世に責めたてられ、身も世もなく悶《もだ》え苦しみ、涯《はて》に何度も昇り詰めた篠芙が想い出されて、結局は煩悩を払えずに天女を舞った。
篠芙の謡いあげる、柔らかく優美な声もまた、明煌を狂おしく、刺激したのだ。
舞い納めて、礼を返した明煌を、しばらく、篠芙は黙って見下ろしていた。
沈黙が恐ろしく、思わず顔をあげた明煌の眼に入ったのは、神懸かったほどに美しい貌《かお》に、冷たい笑みを張りつかせた篠芙だった。
怒っているのだと、明煌には判った。
未熟だったのだ。
「明煌……」
「はいッ」
ようやく名を呼ばれ、明煌の身内に慄《ふる》えが走った。
「いかにも、卑俗な天女だな。舞いながら、何を考えていた?」
「あ――…」
心の裡に宿した欲望を、見抜かれていたのだ。
「済みません……」
畏《かしこ》まり、頭を下げた明煌の前で、スッと衣擦《きぬず》れの音がしたかと思うと、篠芙が立ちあがっていた。
――「脱げ、明煌。脱いで、お前をわたしに捧《ささ》げよ」そう、命じられた日々が、記憶に、肉体に、甦《よみがえ》ってくる。
ところが、篠芙は冷たい一瞥《いちべつ》をくれただけで、明煌の前から離れた。
「明日までに、天女を舞えるようになっておけ、それでなくば、教えることはない」
去って行く篠芙を引き止める術《すべ》もなく、明煌は舞台に取り残された。
途端に、激しい自己嫌悪に陥り、傷ついた獣のように蹲《うずくま》ってしまった。
「俺は、馬鹿だッ、馬鹿だッ」
あの夜、明煌は篠芙を犯したいという激しい欲望を基世によって煽《あお》られた。
いままた、舞台で篠芙と向き合えば、過去の肉の交わりを想い出し、撲《う》たれ、ふたたび這《は》わせられることを欲してしまった。
この矛盾に、明煌の心は千々に乱れたが、二つの欲望の行き着くところは、篠芙を求める心に他ならないのだ。
足掻《あが》いた時期もあるが、篠芙は男でもなく、女でもない性を得ていた。しかし、明煌は、男であり、女にされていた自分から、抜け出すことができないのだった。
「明煌さん」
ふいに真木に呼ばれ、明煌は我に返った。
「どうしました? 篠芙さんが奥≠ヨ戻られているので、何かあったのかと心配になって来たのですが…」
珍しく、真木博人は和服に袴《はかま》を着付けていて、朝|稽古《げいこ》から戻ったという感じだった。
彼には隠しておけないと、明煌は告白した。
「真木さん、俺は、天人になれないんです」
察したように、真木が頷《うなず》いた。
「もう一度、わたしの前で舞ってみせてください」
そう言ってくれた真木に、明煌は頭を下げると、立ちあがり、はじめから通して舞った。
「先ほどよりも改まっているかもしれませんが…、これでは、明日も篠芙さんを怒らせるでしょうね…」
最後まで黙って見ていた真木も、やはり容赦がなかった。
だが、途方に暮れた明煌を助けるように、
「今日は、わたしが、篠芙さんに代わって稽古をつけましょう…」と、言ってくれたのだ。
「いいんですか?」
「構いませんよ。それに、わたしは、あなたに借りがありますので」
「借り?」
真木がどのことを言っているのかは、察せられた。
明煌に野心を焚《た》き付け、藤代流の後継を巡って篠芙と争わせたのは、真木の一言が切っ掛けだったのだ。
「いまの俺は、その言葉に甘えさせてもらいます」
縋《すが》るように両手をつき、明煌は真木へと頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
稽古といっても、すでに型の整っている明煌に真木が指示したのは、何度も、何度も繰り返し舞うことだった。
能役者は、物語を頭や心で解釈するよりも、舞って、役を身体に理解させるのだ。
特に『羽衣』の天人は、人間界のものではないゆえに、欲望や喜怒哀楽に強く支配された状態から心を分離し、演じなければ適《かな》わない。
真木は、機械的なまでに手足を動かして舞うことを要求し、明煌は、天人の霊気を得るために、舞い続けた。
夢中になっているうちに昼を過ぎたのも判らず、美土里《みどり》に呼ばれ、ようやく気がついた。
「どうぞ、明煌さんも中≠ナ召しあがれ」
真木の方は昼食に行くつもりがないのか、「午後は二時から」と言い、出て行ってしまった。
明煌も、いままで、昼食は表≠ナ、住込みの弟子と一緒に食べていたのだ。それでつい遠慮すると、美土里が強引さを発揮した。
「あなたも、わたしの手料理が気にいらないのかしら?」
「そんな…」
困った様子の明煌を、美土里が揶揄《からか》うように笑った。
「篠芙さんと喧嘩《けんか》したの? だったら大丈夫よ、篠芙さんとお父さまは先にすませて、二人でお蔵に居るわ」
「えっ?」
今度は、美土里が奇妙な顔をした。
「あなたが『羽衣』に使う面や、装束を選んでるのよ」
「そ、そうですか……」
舞台で使う面や装束は、蔵にしまわれているのだが、明煌が怒らせなければ、篠芙は基世に従って蔵になどいかなかったのではないか…、そう思うと、悔やまれたのだ。
人気のない蔵では、何が行われても、判らない。
そして、蔵には、あの、眩暈《めまい》がする程の淫具《いんぐ》龍頭《りゆうず》≠ェあるのだ。
心が乱れ、胸苦しさが増した明煌の、午後からの稽古は散々なものとなった。
夕刻に、真木は夜の部に謡の弟子をとっているので、そちらへ行ってしまい、明煌は、帰る前に篠芙に挨拶《あいさつ》をするため、中≠ヨ顔を出した。
「あ、明煌さんッ」
桜の枝を抱えていた多華子が、明煌を見つけて微笑み、人妻が、夫以外の男に、そんな顔を見せてはならないというほどの表情だった。
「どうしたの?」
「篠芙さんに、挨拶をしてから帰ろうと思って…」
声を聞きつけたのか、居間の方から元裕紀《もとゆき》が出てきた。
「ちょうど良いところに来た、篠芙ならばいまは来客中で茶室にいるけど、君も会っておくべき客人だよ。紹介するから、こっちへ」
内庭に面した茶室に通される客は限られている。
何かしら思惑のある様子を隠さずに、元裕紀はついて来るよう促し、いささか緊張した明煌は後に従った。
「宗家、藤代の三代目をお連れしました」
「入りなさい」
改まって元裕紀が声を掛け、許しを得て、明煌だけが茶道口から中へ入った。
四畳半の茶室には、痩身《そうしん》に、いかにも高価そうな大島紬《おおしまつむぎ》で仕立てた着物と、揃《そろ》いの羽織をまとった老人が招かれていた。
老人は、観月流先代宗家が手ずから打った面篠芙≠前に置き、基世と話していたが、明煌が入って行くと、顔をあげた。
銀髪で、目付きの鋭い老人は、七十歳前後と思われる。
炉の傍らでは、篠芙が茶を点《た》てていた。
薄空色の茶器が、添えられた篠芙の手の繊細さと、白さをいっそう際立たせている。
「藤代流三代目の明煌です」
宗家の基世が紹介するのを待って、改めて明煌が名乗った。
「藤代明煌でございます」
「明煌、こちらは三ノ宮自動車工業の会長であらせられる」
畳の目を読みながらも、明煌は、思い当たる名前に察しをつけた。
老人は、三ノ宮利彦の祖父だったのだ。
「若く壮健そうでなにより。奉納能で舞うという『羽衣』が楽しみじゃな」
頭の上から嗄《しやが》れた老人の声が聞こえ、明煌は畏《かしこ》まって「はい」と、答えた。
声を掛けられたのはこの一言だけだが、挨拶だけで辞することは出来ずに、明煌は老人が腰をあげるまで、茶室の隅に畏まっていなければならなかった。
老人と、基世とは、当たり障りのない世間話を続けており、篠芙は、花を添える人形のように、じっと座っている。
その際立った端麗さに見とれながら、篠芙が何を考えているのか、明煌は知りたいと思った。
結局、二時間あまりも付き合わされて、ようやく解放されることになったが、三ノ宮老人を送りがてら、明煌の脇を通った基世が、そっと、耳打ちをくわえた。
「そのように熱い眼で、自分の兄を見るものではないぞ、明煌」
篠芙にも気がつかれたかと、明煌は動揺を隠せなかった。
翌日、明煌は夜も明けないうちから観月へ訪《おとな》い、精神を統一し、冷たい朝の空気のなかで舞いはじめた。
篠芙が訪れるまでの間に、心が、不純な気持ちを払えないのならば、肉体を極限にまで酷使して、何も考えられなくなるまで舞い込んでみようと決めたのだ。
五臓六腑《ごぞうろつぷ》に、舞を浸透させるのだ。
だが、現われた篠芙を前に、改めて舞った時の明煌は、緊張が高まったためか、足運びが思うようにすべらず、強張《こわば》ってしまった。
今日も怒りを蒙《こうむ》り、見捨てられるかもしれないと考えると、静かに監《み》ている篠芙の視線が、怖かった。
怖いが、明煌は脳裏に、境内で焚《た》かれる薪《たきぎ》の灯を受け、神楽殿《かぐらでん》で舞う篠芙の姿を思い描き、自分の舞を合わせた。
篠芙は、瀞《しず》かに澄み切った天女を舞う。
白い長絹をひらめかせ、辺りの空気が清浄になるくらいに、綺麗《きれい》な手足の動きなのだ。
巧みに舞えない時は、上手な人の型を真似て、なぞるしかないのだ。
今朝、篠芙が来る前に、明煌は真木に呼ばれ、緋地《ひじ》に金糸の鳳凰《ほうおう》模様が置かれた長絹と、面、頂上に白蓮《びやくれん》を飾った天冠を見せられた。
蔵から、篠芙が明煌のために選び出してくれた『羽衣』の装束一式だった。
観月流が『羽衣』に使用するのは、品格の高い増女《ぞうおんな》≠フ面である。
天冠は、舞手によっても違えていたが、篠芙は月、元裕紀は牡丹《ぼたん》の花、宗家が舞う時には、鳳凰が飾り物として頂上につく。
天の羽衣に模した装束は、絹の単衣《ひとえ》か、絽《ろ》、あるいは紗《しや》で仕立てた広袖《ひろそで》の長絹で、地色は白、紫、緋などに金銀糸で花鳥模様が置かれた優雅なものだ。
扇は、特別に天人扇と名付けられる種類の、観月流独特の中啓《ちゆうけい》を仕立ててもらう。
自分のために取合わせられた装束を見ることで、いっそう世界に浸透して行けるのではないかと、真木は言った。
そのお陰なのか、序ノ舞、破ノ舞へと進めて行くうちに、明煌の頭の裡で舞っていた篠芙の、透き通った羽根のように白い長絹に、何時しか緋が滲《にじ》んでいく錯覚が起こった。
舞い納めた後、篠芙は黙って立ちあがると、ひとつふたつ指摘し、その部分を明煌に繰り返させた。
どうにも、違うという時にだけ、型を手直しし、さらに改まらなければ、舞ってみせた。
以後、数日間。
篠芙は午前と午後に一度稽古場に訪れては、気づいたところで制止をかけ、明煌に繰り返し舞わせた。
ひとくさり舞わせると、行ってしまう。
褒めはしなかったが、しかし、最初の日よりは持ち直したのだろう明煌を、もう、見捨てはしなかった。
自信を取り戻した明煌は、連日、舞い込んで、次第に自分が無になっていくのを感じるようになっていった。
天女でもない、篠芙の真似でもない、明煌でもない、無になっていくのだ。
無意識の領域に明煌が入り込んだことで、天人との一体化が起こる。
「――舞うのに、心などは、どうでもよいのだ…」
稽古がはじまり、五日目にして、ようやく篠芙が授けてくれた言葉だった。
能の演者が、舞に感情を移入させてしまうと、それは芝居になり、舞うことにはならなくなる。能は、観る側の感性に大きく託《たよ》る芸術でもあるのだ。
また、明煌が落ち着いたと思われる頃から、時々、美土里が稽古場に現われ、見学するようになった。
「わたしも、ここに居ていいかしら? それとも、兄弟仲よくお稽古中なのをお邪魔しては悪いかしら?」
そういう美土里を、篠芙は無視していたが、明煌の方も、すぐに、気にならなくなっていた。
六日目くらいからは、篠芙は夕方に一度来ると、一通り舞わせて監《み》るだけになった。
相変わらず、褒められるところはないが、制《と》めて、型を直されることはなくなった。
明煌にとっては、至福の時でもあった。
だが、それは永遠に続くものではないとも覚悟していなければならなかった。
八日目のことだった。
前方へ大きくハネ返しながら、前へ出ようとした弾みに、明煌の扇の地紙が破れ、要を為《な》さなくなった。
「代わりの扇を…」
そう篠芙に言われたが、明煌の方は、持ち合わせていないと告白するしかなかった。
常に代わりを何本か用意しておくべきだが、怠っていた明煌は、篠芙の怒りを買うかと畏《かしこ》まった。
冷たい沈黙が、流れた。
「わたしが、なにか探してきましょうか?」
隅で見学していた美土里がそう言い、立ちあがろうとしたが、篠芙は彼女を無視すると、手にもっていた扇を明煌の前へ差し出した。
「わたしの古物だが、これを使え……」
この時は、素早く両手で押し頂き、感謝に頭を下げた。
「あ、ありがとうございます」
思いがけない篠芙の心遣いに、明煌は感謝するよりも、むしろ驚きを感じた。
驚きが去り、歓《よろこ》びが込みあげてくるのは、まだ先だった。
「篠芙さん、お時間です」
頃合を見て入って来た真木が、声を掛けた。
「美土里さんも、お支度を…」
「ええ、判ったわ」
すっと立ちあがった美土里は、出て行きしなに篠芙と明煌の方を振り向き、意味深に、口許《くちもと》に笑みを浮かべた。
「篠芙さん、先に行っていますわよ」
相変わらず篠芙は彼女を無視したが、真木に促されて、
「…判った」と、答えた。
「どこかへお出かけですか?」
思わず訊《き》いてしまった明煌を、踵《きびす》を返そうとした篠芙が、横目に見た。
「病院だ…」
「具合が悪いのですか?」
不安が込みあげて、明煌は口走った。咄嗟《とつさ》に、篠芙が身体を害しているのかと心配になったのだ。
「篠芙、早く支度をしなさい」
様子を見に来たのか、基世までもが入ってきた。
促され、篠芙は明煌の傍らを離れたが、また、ふっと思い出したかのように立ち止まり、振り返った。
「明煌、もう教えることはない、後は自分で励め」
「は、はい」
名残り惜しい気持ちが、明煌を切なくさせた。
四[#「四」はゴシック体]
明煌《あきら》は、稽古《けいこ》用の新しい扇を買うために、観月《かんげつ》の屋敷近くにある和久井堂の店内にいた。
篠芙《しのぶ》が藤代《ふじしろ》にいた頃は、能の小物を扱う和久井堂が定期的に訪れたが、明煌の代になってからは、呼ばねば来なくなった。
稽古用の扇は、それほど高価な物ではないが、むしろ明煌の悩みは、夜桜能の舞台で使用する天人扇を買わねばならないということだった。
装束も面もすべてが揃っているが、扇だけは、自分で用意しなければならなかった。だが、義母の夏江は、明煌に充分な金を与えてはくれないのだ。
日常の生活では、遊びにもいかず、買いたいものも我慢すればすむが、倹約できない必要品がある。――気がついた篠芙が、何も言わずに、自分の扇を与えてくれたことが、明煌には有り難かった。
数日間は、篠芙の扇を使って稽古していたが、いまやその扇は、明煌にとっては、宝にも等しく、傷める前に新しいものを買わなければと決心したのだ。
観月の『羽衣』では、天人を演じる専用の扇があり、それは特別に扇司《おうぎし》によって調整されて、店頭に出回っている。意匠図案は何種類かあるが、篠芙は、本|金箔《きんぱく》に極彩色の春景色が描かれ、桜樹が全体をおおうものを使っていた。
いま、和久井堂のウインドウのなかには、似た物で、春景色が御所車にかわり、桜樹が白藤という扇もあるが、ともに、高価さに溜め息が洩《も》れる思いだった。
自分の扇を買った後も、しばし明煌は見とれたように立ちつくしていたのかもしれない。
そんな明煌の前に、背の高い青年が立ち塞《ふさ》がった。
「藤代明煌さんですね?」
どこかで見覚えのある、整った顔だちの青年だった。
「三ノ宮利彦です」
一度、稽古中を見たのだが、その時には、ほとんど篠芙しか見ていなかった明煌である。それでも、記憶のどこかに、残像のように輪郭は残っていたのだろう。見覚えは、そのためだった。
「今日は、稽古の日ですか…?」
午前中の、こんな時間に観月の屋敷近くにいるのには、何か、意味がありそうだった。
まさか、昨日は泊まったのか……と、邪推してしまう。
「稽古は明日です。これから少し、僕に付き合ってもらえませんか?」
三ノ宮利彦の意図は判らなかったが、明煌は、誘われるがままに、店の前に駐《と》められていた車に乗り、三ノ宮が宿泊するホテルへと連いて行った。
「僕は、朝食がまだなんです。それで、食べながらでもいいかな?」
ホテルの一室だが、三ノ宮には自分の家と同じ感覚なのだろう。ルームサービスを頼み、明煌にも、一緒にどうかと勧めてきた。
「ご馳走《ちそう》になって、いいんでしょうか?」
朝の早い明煌にとっては、十時というこの時間に、昼食を摂《と》るのは差し支えない。若く、健康で、一日中ぎっしりと稽古に励んでいるのだから、いくらでも食べられそうだった。
ところが、食事が運ばれて来て、三ノ宮がワインを飲み出したのを見て、明煌は、帰宅の手段を考えなければならなくなった。
「大丈夫、ちゃんと送って行くよ。第一、ワインなんて酒のうちには入らないよ」
明煌の心配に気がついたのか、三ノ宮がそう言った。
「いえ、電車で帰れますから」
「電車で?」
すると面白そうに、三ノ宮は紋服袴姿《もんぷくはかますがた》の明煌を指で差した。
「凄《すご》く、目立つんじゃないか?」
「かもしれませんが、人の眼なんか気にしなければいいんです」
「それは、そうだけど…、僕の酔いが醒《さ》めるまで、ゆっくりしていけばいいのさ」
結局、三ノ宮はワインを飲むことをやめずに、旺盛《おうせい》な食欲と、友好的な態度で、明煌に接した。
仕方がないと思う反面、明煌はいい機会だと思い、篠芙の弟子で、「口直し」と元裕紀《もとゆき》が言った三ノ宮利彦を観察することにした。
「両親の離婚で、僕は母と一緒にアメリカで暮らしてたんだけど、母の再婚が決まって、邪魔にされるし、父方の社会的地位とか考えれば日本に戻った方が得だからね、それで戻ったら、今度は父の再婚相手とは合わないし、頑固な祖父とも合わなくて、ホテルに逃げてるんですよ」
酔いが回っているせいか、三ノ宮は、父親の浮気で離婚したために、母と彼にはかなりの金額が渡されたこと、しかし、父の再婚相手に子供ができなかったので、跡取りとして呼び戻されたことなど、家の事情を隠さずに話した。
もう長く暮らしているのか、リビングと寝室の別になったスイートルームには、持ち込まれた私物と思われる家具も幾つか見られ、三ノ宮が好きなのだろう、大輪のカサブランカが活《い》けてあった。
「若先生も、ここへ来たりするんですか?」
自分が連れて来られたのには、何か意味があるはずだと思う明煌は、水を向けるように篠芙のことを訊《き》いてみた。
「先生が? まさか、先生はこんなところへは来てくれないよ」
「……何時も、稽古の後…だけですか?」
三ノ宮の口許が、綻《ほころ》んだ。
「気づいてたのか、まいったな」
隠すつもりもなかっただろうに、そう言った彼を、明煌は凝視《みつ》めた。
「三ノ宮さん…」
「なんだい?」
微《かす》かな間を有したものの、明煌は思い切って口にした。
「……若先生にするみたいに、俺にもしてください。先生と同じことを…」
身を乗り出すように、三ノ宮が明煌の眼を見て、察しをつけた。
「若先生が、好きなんだね?」
頷《うなず》くことで、明煌は肯定を表わし、嘲笑《ちようしよう》を受けるのではないかと、身を竦《すく》ませた。
「君自身、先生とは?」
過去に関係があったか? と暗に訊かれて、明煌は頭を振って、偽った。
「そうだよね、兄弟だと聴いたもの…」
信じたのか、どうでもいいことなのか、三ノ宮はそれ以上は訊いてこなかったが、次に、勢いよく、
「OK、だったらいますぐ、ベッドルームへ行こう」と、言った。
あまりにあっさり、三ノ宮が承諾したので、明煌の方が、戸惑ったほどだ。
飲み残っているワイングラスを片手に立ちあがった三ノ宮は、明煌の肩を抱くと、リビングから化粧室の方の扉を通って、ベッドルームへ誘《いざな》った。
途中、鏡張りのパウダールームを通り抜けようとして、明煌は、鏡に映った自分たちの姿を見た。
「背が高いんですね」
明煌もかなり背が高い方だ。
特に、この半年ほどで急激に伸び、現在は篠芙を越えているが、その明煌と並んでも、三ノ宮の方が上背がある。身体付きも、腕のなかに抱かれるように収まってしまうと、たくましい筋肉と力強さを感じた。
「うん? そうかな?」
改めて鏡の前に並び、お互いを見た。
どこか思い詰めたところのある、凜《りん》とした顔だちの明煌に比べて、三ノ宮の表情は甘く、ソフトな感じだ。
化粧台にもカサブランカが飾られ、並んだ高価な男性化粧品のなかに、一本だけ女性の口紅が立てられていた。
「女の…人も、くるんですか?」
「うん、バイセクシャルなんだ。気づいたのは、ハイスクールの頃だけどね」
三ノ宮は、根っからの快楽主義者なのだ。
明煌は、化粧台に置かれた透明なディップローションのチューブ型容器を取りあげた。
「これ……」
細かい気泡を含んだ植物性の整髪用ジェルが入っている。
「なに?」
「俺の内に、注入《いれ》て、もらえますか?」
さすがに言う時には、舌が乾いたようにもつれた。
その明煌の手から、三ノ宮がディップローションを奪《と》りあげた。
「本気なの? 僕は、先生にこんなもの注入《いれ》たことなんかないよ…」と言ったが、そこで三ノ宮は気がついたのだ。
「誰かが、先生にこれを注入《いれ》たの?」
「ちッ、違いますッ。そんなことありませんッ」
声を荒げた明煌を、三ノ宮が笑った。
「君は嘘がつけないね、いいよ、こいつを使ってみようよ」
楽しそうに言った三ノ宮は、ベッドルームの扉を開き、明煌を招き入れた。
「能って、外国でも結構紹介されてるから、僕も、篠芙先生のことは知ってたんだ」
広いベッドに腰掛け、ディップローションのチューブを指で揉《も》むようにしながら、三ノ宮が話しはじめた。
「なんだか綺麗《きれい》な男だなって思ってたんだけど、去年の秋、観月流の継承問題が新聞を賑《にぎ》わしたことがあっただろう? あの時、先生の写真を見たのが決定的だったかな、すごく興味を持ったのさ」
自分から裸になっていく明煌を見ながら、三ノ宮も服を脱いでゆく。
「綺麗だね、明煌くんの身体、よくしまった筋肉が全身に均等についてるね。先生もそうだけど、能役者はみんな、こんなふうに整った身体をしてるのかな…、ねえ、女の子と経験はある?」
「…え、ええ、少しだけ」
「その貌《かお》だもの、もてるだろうね」
明煌の前方に触れた三ノ宮は、わざと、巨《おお》きいとか、張り方が凄《すご》いといった揶揄《からか》う言い方をした。
そう言う三ノ宮の方こそが、甘い顔だちに似合わないほどに、裸体は男性的な魅力に溢《あふ》れた、筋肉美を持っていた。
「水球ってスポーツ知ってる? ずっと、それやってんだ。だから、筋肉も力もあるよ、篠芙先生が抵抗するのを押さえ付けて、犯しちゃえるくらいにね…フフフ…」
ひとくちワインを味わってから、三ノ宮は、すでに欲望にそそり勃《た》ったすべてが明煌の眼によく見えるように両膝《りようひざ》を開き、跪《ひざまず》くことを指示した。
言われるがままに跪いて、明煌が上目づかいになると、残っているグラスのワインを口に含んだ三ノ宮が、口唇《くちびる》を合わせるために前屈《まえかが》みになってきた。
触れ合った口唇がこじあけられ、明煌の口腔《こうこう》にワインがひろがった。
「なんとか先生とお近づきになりたくて、祖父の人脈をつかって無理やり弟子志願したんだけどね、あの観月元裕紀って、本来の跡取りだろう? 彼って面白いね……」
明煌がワインを飲み込んだのを見届けてから、三ノ宮は同意を求めるように言い、先を継いだ。
「僕の趣味を前もって調べてて、先生を抱かせてくれるって言うんだよ。もちろん僕の月謝は法外な値段になるけど、もともと、能の弟子より、そっちの方に興味があったから、一も二もなくOKしたんだけどね」
啄《ついば》むようなキスで、三ノ宮は明煌の口唇を味わいながら、話し続ける。
「先生は知らされてなくて、凄い抵抗されたけど、かえって這《は》いつくばらせたい欲望を煽《あお》られてしまってね、犯しちゃったのさ。ショックだったろうね、こう、なんだかな、時代劇で犯されるお姫さまっているだろう? あんな感じさ、いまにも気絶しそうで、顫《ふる》えてて……」
最初の夜を思い出しながら、三ノ宮は淫《みだ》りがましい含み笑いを洩《も》らした。
「初めてじゃないって判ったし、感じてたのに、いやがるんだよ。それで、ついもう一度、もっと感じさせてやれって気になって、続けざまに犯《や》ってしまったんだ」
キスで口唇を愛撫《あいぶ》しながら、三ノ宮は明煌の舌に自分の舌を絡めて、吸いあげようとする。離れる時に、唾液《だえき》が妖《あや》しく糸を引いて、二人の間にいっそう、淫らな気持ちを起こさせた。
「でも、最初は無理やりだったけど、いまでは、先生も僕にのめり込みつつあるんじゃないかな? だって、いままで、ねばっこいジジイどもにばかり可愛がられてきたらしいからね、僕みたいに、若くて元気な男を相手にするほうが、新鮮だし、刺激も強いと思うよ」
自信を持って言う三ノ宮だけあって、キスも巧みで、それだけで、明煌は感じそうだった。
こんなキスを、篠芙も受け入れさせられるのだろうか……。
明煌が感じているのが判ったからか、三ノ宮は、床についていた自分の足をすくいあげるようにして、今度はベッドに仰臥《あおむけ》になり、
「口で出来る?――先生はしてくれるよ」そう言って、欲望の隆起を指し示した。
上目づかいに彼を窺《うかが》いながら、明煌もベッドへ上がると、ひらかれた両膝の間に入り、顔を埋《うず》めて、三ノ宮の男に触れた。
畏《こわ》いほど、張り詰めている。
指で付け根に触れたが、熱さと、大きさに、眩暈《めまい》がしそうだった。
だが、この昂《たかぶ》ったものが、篠芙の口唇を犯し、身体の内を蹂躙《じゆうりん》するのだと思うと、味わってみたい倒錯した欲望が、明煌にも湧き起こるのだ。
「いい子だね、明煌くん」
口唇に銜《くわ》え込んだ明煌を、慈しむように、三ノ宮の指が髪に絡められてきて、撫《な》ではじめた。
彼にすれば、愛玩《あいがん》用の犬か猫を撫でる感覚なのかもしれない。
「稽古《けいこ》の時の先生はね、青白く冷たい、穹《そら》の月のような感じだよ…」
髪から、耳朶《みみたぶ》へと愛撫の手を滑らせながら、三ノ宮が言葉を続けた。
「でも、身体に触れると、そう…だな――、朧月《おぼろづき》って見たことあるかい? あれって、ぼうっと月の光がにじんだように色っぽいだろう? そんな感じになってくるんだ。だんだん、先生の裡《なか》の淫らな部分が出てくるっていうのかな……」
相変わらず想い出しの含み笑いを洩らしてから、三ノ宮は、明煌の気持ちを煽るようなことを言った。
「先生は、自分でグイグイ締めつけ、絞りあげていながらね、痛いからもうやめてくれって、僕のせいにしたりするんだけど、それで止めたりすれば、今度はね、自分から腰を使ってくるんだ、凄い…よ」
口腔いっぱいに膨れあがり、喉《のど》を突いてくる三ノ宮が、篠芙を苦しめるだろうことは明煌にも判った。けれども、若さゆえに、尽きないだろう三ノ宮の欲望が、篠芙を虜《とりこ》にしているのかもしれない。そう考えると嫉妬心《しつとしん》が疼《うず》いた。
「こっちへ、明煌くんを、僕にくれないか?」
次に三ノ宮利彦は、双|口淫《こういん》を要求し、明煌は従って、身体の位置を変えなければならなかった。
三ノ宮の顔を跨《また》がされた羞恥《しゆうち》は、触れられると思っていた前方をそれて、後方に舌をはわせられた時に、頂点に達した。
「や…ッ…」
叫んで腰を浮かせかけたのを、強い力で引き戻されて、明煌に狼狽《ろうばい》が起こる。
「駄目だよ、先生と同じにして欲しいんだろう?」
「あっ…」
明煌の腿《もも》の付け根が、ひき攣《つ》れるように動くのを見ながら、三ノ宮は、抵抗を封じる一言を口にするのだ。
「先生は、こうされるとたまらないみたいだよ…、舐《な》めながら、舌を尖《とが》らせて挿《い》れただけで、悦《い》っちゃうんだ。何度もやってると、もっと太いのが欲しくなってくるらしいけど、自分から弟子にそんなこと言えないだろう? で、意地悪してると、そのうちに屈服するんだ……」
巧みに蠢《うごめ》く三ノ宮の舌が、おとなしくなった明煌の後方に触れ、肛襞《にくひだ》を一枚ずつ、めくるように舐めはじめた。
「う…ううん…っ」
嫌悪感と、妖しい、淫らな感覚が混じりあい、明煌は身悶《みもだ》えた。
「初めてじゃないね?」
ふいに明煌を離すと、三ノ宮はベッドに上体を起きあがらせ、そう言った。
「まあ、いいや。誰と経験したのかは、後で聞かせてもらうけど、そういうことなら、もう容赦しないからね」
面白がりながら、明煌を脅すように言った三ノ宮は、さらにベッドに跪き、四つん這いになることを要求した。
言われるがままに、両手を付き、両膝を折った明煌は、後ろから頭を押さえられ、シーツに圧《お》しつけられることで、いっそう下肢を突きあげさせられた。
「明煌くん、自分でひらいて、あそこを拡げて見せてよ」
背後に立った三ノ宮が、引き締まった双丘を前に、意地悪く言う。
迷いと、羞恥を振り切るように、明煌は、自分の肩で上体を支えながら、背後に回した手で、双丘をひらかせた。
繊細な肉襞でつぼめられた部分に、三ノ宮の視線を痛いほどに感じる。
「先生の方が、色が白い分いやらしい感じだな。なにか、小さな傷口みたいで、そそられるんだ…」
言うなり、三ノ宮は力の籠《こも》った鋭い突きで、明煌の内部に押し挿《い》った。
「ウウ――ッ」
受けとめかね、明煌が喘《あえ》いだ。
「ま、まっ…て――ッ」
叫んだきり、息が止まったように、明煌は口唇《くちびる》をひらいて、背筋から下肢にかけてを小刻みに慄《ふる》わせ続けた。
「ごめんよ、先生には、こんな手荒なことはしないんだ…。最初の時だって、レイプだったけどさ、充分に愛撫してから、僕を填《はめ》たんだよ。暴れるのを押さえて、けっこう大変だったけどね」
いやらしい言葉で言いながら、三ノ宮は抽送をはじめた。
「元裕紀先生に釘《くぎ》を刺されてるからね、大切に扱うように、気を遣ってるんだ。でも、|向こう《アメリカ》で遊んでた時は、こんな犯《や》り方ばっかりだったんだ、ハードに捩《ね》じり込んで、掻《か》き回すっ」
「ウッ…」
打ちつけるように、三ノ宮が腰を使ったが、すぐに挿入した時と同じく、いきなり退《ひ》き、明煌の内から離れた。
加えられた暴力があまりに強かったので、唐突にその感覚が失われて、抽《ぬ》き挿《さ》しを覚悟した明煌の方が虚脱したようになった。
だが、三ノ宮には目的があったのだ。
「コレを、注入《いれ》て欲しいんだろう?」
ディップローションのことを言っているのだ。
「いまなら、君のはゆるんでるから楽に入るよ」
キャップを捩ってあけると、溝のある嘴《くち》がついている。肩口に振り返って見ながら、明煌は怯《おび》えたように眼を閉じた。
「入れるよ」
「ああッ…」と、明煌が息を詰めたと同時に、硬い異物感が、秘所を貫き、冷たいものが内に入り込んできた。
「う…あぁ……」
おもわず、上体がのけ反り、明煌は声を洩《も》らしていた。
「どんな感じ?」
興奮するのか、三ノ宮の声も、少しうわずっているようだった。
「…冷たい……」
明煌は、ガクガクとのけぞり、あえいだ。
「冷たい…腸筒《なか》が、むずむずする……な…んだか…」
身悶《みもだ》えて、言葉がとぎれた明煌を、三ノ宮が促した。
「なに? ねえ、気持ちいい?」
「うぅ…違う、腸筒《なか》を無理やり拡げられるみたいで…苦しい……」
どろどろのジェル状態のものが、明煌を犯し、拡げ、そして奥へと、うねるように入り込んでくるのだ。
「変な感じ……駄目、でちゃう…」
腸管が、訴えかけるように、くぐもった音をたてた。
「うう…う、泄《も》れそ…う」
「大丈夫だよ、塞《ふさ》がってるから」
それでもいっそう押しつけて、三ノ宮がチューブを搾《しぼ》った。
「ん――っ」
逆流する粘液の刺激が、明煌の腸壁《なか》を活発に蠢《うごめ》かせ、さらなる蠕動《ぜんどう》が引き起こされた。
「くっ…う…ぅ…」
不思議な、理解しがたい、痛みや苦しみとは違う感覚が、明煌の内に湧きあがった。
「あぁ…」
「感じてる?」
搾り切った三ノ宮が、素早く容器をぬいて背後から重なった時に、明煌の感覚は頂点に達した。
「う…うん――っ…」
明煌は、小刻みに尖《とが》った息を吐きながら、歓喜の声を合間に洩らし、貪《むさぼ》るように身体をくねらせて三ノ宮を締めつけていたのだ。
「凄《すご》い…よ、君――…」
多量の粘液で埋められた明煌を貫き、内奥に深く侵入した三ノ宮の方も、ジワジワと押し寄せてくる軟体動物を連想させるものに絡みつかれていた。
「これ、凄い、刺激的だよ」
まといつく触手のような腸壁を追い払うように、突き、擦《こす》るたびに、三ノ宮が受ける抵抗は想像以上で、それは明煌が感じている刺激の強さを同時に意味した。
「苦しいだろう?」
抽送を止めるつもりのない三ノ宮だが、そう、訊《き》いてくる。
明煌は、声を出すことも出来ずに、呻《うめ》くだけだった。
「こんな、こんな……」
昇り詰めた身体の内で、切なくなる、激しい嵐が渦巻いている。
内部の感覚が、限りなく研ぎ澄まされたようで、粘液が、三ノ宮の隆《たかぶ》りが放つ脈動を何倍にも増幅させて明煌を追いあげ、喘《あえ》がせた。
「あっ――、あっ――」
これ程の感覚を得る器官が自分の内部に存在するとは、知らなかった。
明煌は、肉体も心も、思考を中断させられるほど、――脳までも痺《しび》れる快楽を味わわされていたのだ。
「ビクビクうねってるよ…君――…」
明煌の内壁の蠕動を、猛《たけ》りに感じ、三ノ宮が歓喜の声をあげる。
「こんなこと、先生にしてる人がいるんだ?」
違うと否定したくて、明煌は頭《かぶり》を振ったが、嘘つきとばかりに、三ノ宮の攻め方を激しくさせてしまっただけだ。
「アウッ…」
愉《たの》しむように、三ノ宮は突き、抉《えぐ》り、捏《こ》ね回し、強い刺激に、二人は同時に喘いだ。
喘ぎながら達し、続けざまに極めた。
五[#「五」はゴシック体]
浴室で、明煌《あきら》はすべてを流し、汗と快楽の体液とが強張《こわば》りついた身体を洗っていると、三ノ宮が追ってきた。
「君のこと、気に入ったよ」
泡にまみれた身体を擦りつけ合ううちに、ふたたび、二人に欲望が兆してきた。
濡《ぬ》れたままで、バスルームから寝台へと移り、またも激しく求めあっていた。
「元気だな、君も僕も――。犯される高貴なお姫さまも好きだけど、そのお姫さま付きの若武者をモノにするっていうのも、いいね」
明煌の身体が跳ねあがったようになり、三ノ宮が加えてくる攻撃的な抽送に、反応しだした。
「そう、そう、元気な獣だよね、君」
二人が身体を離したのは、午後も過ぎて、夕方のラッシュアワーが始まる時刻になっていた。
「先生とは全然違うなぁ…」
三ノ宮は、まだ欲望のすべてを消費し尽くしていない元気さで、着替えはじめた明煌を見ながら、言った。
「先生って、本当は、凄い淫乱《いんらん》なんだと思うけど、それを疑っちゃうほど、普段は冷たい感じだろう?」
「冷たい、月ということですか?」
最初に三ノ宮は篠芙《しのぶ》をそう表現したのだ。
「そう、だからね、メチャメチャに虐《いじ》めたり、毀《こわ》したいような欲望がわくんだけど、そういう強い欲望って付加価値も大きいよね。自分の心の闇みたいなものが、増して行くみたいで、ちょっと、怖いね、この人に溺《おぼ》れて、どうなっちゃうんだろう、僕は――みたいな、さ」
「心の闇…ですか――……」
言い得て妙かもしれないと、明煌は思った。自分の裡《なか》にも、闇があるのだから……。
「君となら、お互いが対等に楽しめるセックスが出来そうだな」
三ノ宮の言葉を、明煌は待っていたのだ。
「俺のこと、本気で気に入ってくれたんですか?」
「うん。大いに気に入ったよ。僕には、自由に使える財産があるんだけど、よかったら、君の後援者の一人になってもいいよ」
頭《かぶり》を振って、明煌は三ノ宮の申し出を拒絶した。
「お金の援助は、いいんです。でも、俺でよければいつでも相手します。三ノ宮さんの望むことなら、どんなことでもします。だから、篠芙さんとは、もう――…」
消え入りそうな語尾を、三ノ宮が継いだ。
「セックスしないでくれって言うのかい?」
「はい」
「そういう訳にはいかないよ」
ベッドに腰掛けた足を組みながら、三ノ宮が、面白そうに、そして、意地悪く言った。
「そのつもりで、僕に抱かれたんだったら、残念だったね」
口唇《くちびる》を噛《か》んだまま、明煌は三ノ宮の部屋を飛び出した。
翌日、三ノ宮が稽古日《けいこび》だと言った日に、明煌は観月《かんげつ》の屋敷へと出向かなかった。
何時も通り、早朝に藤代《ふじしろ》を出たが、車で遠出し、帰宅したのは深夜だった。
自分の身近で、篠芙が三ノ宮に抱かれ、その後に、基世に抱かれるのを感じていたくなかったのだ。
けれども、次の日も、その次の日も、明煌は観月へは行かなかった。
一度だけ入院している母のところへ行き、半日あまりを傍らで過ごした。
目覚めず、もの言わず、肌のぬくもりさえ感じられない母の姿は、あまりに明煌にとっては、辛《つら》かった。
そうなると改めて、自分が逃げ込める場所が、この世のどこにも存在しないことに気づかされた。
いままで、忙し過ぎて意識しなかったが、明煌は頼れる人も居ないのだ。
それでも学生時代は、友人もいたが、親友と呼べる人ではなく、年相応に、女性に心がときめいたこともない。
篠芙を犯した宴能会の夜以降、忘れたくて何度か、女性との交渉を持ったのだが、空しさだけが残った。
以前、篠芙が帰宅せずに失踪《しつそう》かと騒がれた時に、明煌は、誰よりも異母兄の身近に接していながら、なにも知らず、篠芙《かれ》の孤独に気がつかなかった。
もっとも、篠芙は、自分を孤独とは思っていないかもしれない。
篠芙は、舞踏の神に選ばれた人であり、周りの者を平静ではおかない強い輝きを放っている人だ。人々の中心にあり、人々の心を鍾《あつ》めているのだから、孤独は感じないのかもしれない。
だが、いまの明煌は、自分がこの世の中で独りきりだという、哀しみに捉《とら》われていた。
さすがに四日目になると、深夜、観月から戻ったような顔で帰宅した明煌を、表情を強張《こわば》らせた夏江が待っていた。
「何があったというの? 明煌」
部屋へ行こうとする明煌の前に立ち塞《ふさ》がり、夏江が尖《とが》った声をあげた。
「なんのことですか?」
「な、なんのって、観月から、真木さんが見えてるのよ。お前、なにか不始末をしたのではないの? しっかりしなければ駄目じゃないの、いまはもう、藤代はお前一人に頼《かか》ってるのよ、それを判ってるのッ」
真木の訪問《おとない》が、よほど夏江を動揺させたのか、常ならば意地でも口にしない恨み言まじりの弱音が洩《も》らされてくる。
明煌は、彼女を悲しいと思い、そういう生き方しか出来なかった女《ひと》として、いたわしいと思った。
「真木さんは、客間ですか?」
「いいえ、お前の部屋よ。そこでお待ちになるって…、どうしようかと困ったわ、もっと早くに、お前の部屋をちゃんとしておけばよかったけど…」
藤代流三代目を襲《つ》いだ後も、明煌の部屋は昔のままの、北向きの狭い八畳だったのだ。
しきりに、自分の体裁を気にする夏江を振り切るように、明煌は部屋へと向かった。
「お待たせしてすみませんでした」
部屋に入り、襖《ふすま》を閉じた明煌を、待っていた真木が、顔をあげて見た。
「遅いお帰りですね。この大切な時期に、どちらへ行かれているのです?」
穏やかだが、厳しい声が、明煌を迎えた。
「……すみません」
居住まいを正した明煌は、下手な言い訳を口にはせずに、足労を掛けたことなども含め、頭を下げた。
それでなくとも、真木には何もかも見透かされているような気がするのだ。
「明日からは、観月へ稽古に来られますか?」
真木は執拗《しつよう》な詮索《せんさく》を行わずに、単刀直入に訊《き》いてきた。
「はい」
頭を下げたままで、明煌は答えた。
「篠芙さんも心配されておいでですので、必ずお越しください」
「まさか……」という驚きに、明煌は頭をあげ、真木を見たが、彼の静かな表情からは、何も読みとることは出来なかった。
「これを、夜桜能で使用するようにと、篠芙さんから預かってきました」
続いて真木は、持参した風呂敷《ふろしき》包みの上に載せていた桐箱を、明煌へと差し出した。
桐箱のなかに納められていたのは、あの、金箔《きんぱく》に御所車と白藤を描いた扇だった。
「こんなに、高価なものを……」
そして、自分が欲しかった扇だったのだ。
「篠芙さんが、ご自分で選ばれたものです。――白藤は、藤代に懸り、明煌さん、あなたは藤蔓《ふじづる》の剛《つよ》さを持った人だ…と、決して口にはだしませんが、そう想われて、選ばれたのだと思います」
「ありがとうございます」
扇を前に、明煌は改めて深々と頭を下げた。
「明日、直接お会いしてお礼をいいます。その前に、お詫《わ》びもしないと……」
いままた、篠芙の気持ちが嬉《うれ》しく、四日間、無駄にしたことを明煌は恥じていた。
――「舞うのに、心などいらぬ」といった篠芙の気持ちを、――それこそ、そう言ってくれた篠芙の心を、理解しなかったように思われたのだ。
篠芙に失望されたくない。
どのような形であれ、立場であれ、篠芙の傍らに寄り添っていたい。その祈りにも近い念《おも》いが、明煌の裡《なか》を嵐のように突きあげて来て、何もかもを破壊する勢いになった。
フッと、心が軽くなった気がしたのは、この時だった。
「それから、三ノ宮利彦さんには、お弟子さんを辞めていただきました」
明煌の内面の変化を見守っていたような真木が、そう告げた。
「え…なぜ…ですか?」
咄嗟《とつさ》に明煌は、自分のことが原因かもしれないと懸念した。
「宗家のご判断です。打ち明けて言いますと、篠芙さんに師事したいという希望者が多く、中には断れない後援筋の方などもいましてね、一人の例外を認めてしまうと、他の方々に断る理由がなくなってしまうからです」
「本当…ですか?…でも、三ノ宮さんは、出資者《パトロン》でもあったんじゃないですか?」
肉体を介した金銭的な繋《つな》がりもあったはずなのだ。
「確かに、二十一歳というお年で、大層な財産をお持ちですが……」
彼と関係したことを告白しなければならないかを迷っていた明煌だが、含みのある真木の言い方から、すべてを察した。
「もっと大口の後援者が現われたんですか?」
観月の男たちならば、――特に元裕紀《もとゆき》ならば、その切り替えも早いだろうと、つい、明煌の口調には皮肉じみた響きが混じってしまった。
「ええ、その通りです」
真木も、否定しなかった。
「誰…ですか?」
その人は、篠芙の肉体を貪《むさぼ》り味わう男《ひと》でもあるのだ。――彼の香《かぐわ》しい肌に触れ、豊かな声をしぼらせ、悦楽を味わう人なのだ。
「気になりますか?」
「はい」
真木の口許《くちもと》に、今夜はじめて、うっすらとした笑みが浮かんだ。
「正直ですね」
「はい」
まっすぐに真木を見て、挑むように明煌が頷《うなず》くと、思いがけない名前が洩《も》らされた。
「三ノ宮|翁《おう》。利彦さんのお祖父《じい》さまで、一度観月へ見えられた時に、明煌さんも会っているはずです」
茶室にいた老人のことだった。
「その人が、篠芙さんを?」
亡き宗家が七十三歳だったことを考えても、男としての衰えは個人差によるもので、不可能とは思われなかったが、明煌には複雑だった。
「最初は、孫で跡取りの利彦さんの素行を憂えて観月へお越しになったのですが、実際に、間近で篠芙さんをご覧になって、今度はご自分で興味を抱かれたようですよ」
つまりは、孫の利彦から篠芙を奪《と》りあげたのだ。
「それに付いて、わたしは、宗家からこれを託されて来ましたが、受けとるかどうかは、明煌さん次第です」
そう言って差し出された風呂敷包みを明煌が解いてみると、面箱があり、なかに黒式尉《こくしきじよう》≠フ面が納められていた。
「これは……」
「藤代流三代目であれば、資格は充分かと…」
先代宗家が亡くなり、現在は、基世が白式尉《はくしきじよう》の面を継いだが、叔父《おじ》の基仙《もとひさ》、分家の芝浦《しばうら》がともに黒式尉で、一人が欠けているのだ。
「篠芙さんは、ご存じですか?」
「いいえ。お知らせする必要はありません」
冷たいような真木の答えだった。
「知れば、どうなりますか?」
明煌に危惧《きぐ》が走る。
「抵抗されるでしょうね」
「そんなに俺は、嫌われているんですね……」
明煌は、篠芙に稽古《けいこ》をつけてもらえ、扇を与えられた。だがそれらのすべては、舞うことに関してだった。
舞に関しては、明煌を受け容《い》れた篠芙だが、以前に犯された屈辱を許してはいないのだ。
その悲しみに、明煌は身悶《みもだ》えをはなった。
「二日後に、篠芙さんは、三ノ宮翁に『羽衣』を披露することになっています。面を着けてくるかどうかは、明煌さんにお任せします」
役目を終えて、立ちあがろうとした真木を、咄嗟《とつさ》に明煌は引きとめた。
「もし、俺が黒式尉に加わらないといったら?」
「元裕紀さんが、加わるでしょう」
帰って行く真木を見送り、部屋へ戻った明煌を、夏江が待っていた。
一瞬、面箱の黒式尉を見られたのではないかと明煌は狼狽《ろうばい》したが、夏江からはそのような様子は感じられない。通常に、本流から貸し出される面を持ってきたのだとしか見ていないようだった。
「真木さんはなんだというの?」
いつもの、責める口調で夏江が切り出した。
「何度も言うけれど、もう藤代は、お前に頼っているんだよ、明煌。判っているのだろうね」
同じ言葉が、繰り返されてきた。
「観月に逆らって、潰《つぶ》されるようなまねをしないでおくれよ。お祖父さんや、お前の父親がどれだけ苦労したか…、篠芙さんなら、なにもかも判ってて、なんの間違いもなかったんだけど、わたしたちは、お前に縋《すが》るしかなくなってしまったのだからね、心していなさいよ」
勝手なことばかり言うと、明煌は思う。
「篠芙さんなら…、ああ篠芙さんだったらどれだけ、藤代を背負うことが大変か、藤代が、どれだけ大切だか、判っていたのに……、お前ときたら……」
稚《おさな》い頃から篠芙が負わされた苦役を知らない女《ひと》が――…、そう思うと、明煌の裡《なか》に、憎しみがわいた。
「篠芙さんが耐えた苦しみをご存じで、そこまで仰《おつしや》るのですかッ」
睨《にら》むように、夏江の黒々とした瞳《ひとみ》が明煌を射つらぬいた。
「何を知らなかったというのッ、わたしは、何もかも知っていましたよ。でも、母親にそんなこと気づかれたと判ったら、きっと、篠芙さんは死んでしまう…だから、だから……心を鬼にして……」
だからこそ、明煌、お前が余計に憎かったと、夏江は泣き崩れた。
傍らに、明煌も膝《ひざ》をついた。
「……俺は、若が築いてくれた藤代を、決して粗末にはしません。どうか、俺を信じてください」
濡《ぬ》れた夏江の目が、明煌を凝視した。
「本当だね? お前だけが、頼りなのよ」
「はい」
「観月で、粗相を引き起こしたのではないね?」
安心させるためにも、明煌は、文机《ふづくえ》に置いた扇を執《と》って、夏江の前に展《ひら》いてみせた。
「真木さんは、扇を届けてくれただけです」
白藤に御所車の天人扇を見るなり、夏江はハッとなった。
「――…篠芙さんが、俺に買ってくださったのだそうです…」
言わなくともよかったかもしれないと、すぐに明煌は後悔したが、夏江の方は、判ったとでもいいたげに頷いたのだ。
「もうずっと前になるけど、和久井堂が、白藤と藤代が兼ねあっていいとかで、この扇を薦めてきた時に、篠芙さんは断って、櫻山《さくらやま》を選んだことがあったのよ……」
視線を伏せて、夏江が続けた。
「あの頃の家には、三十万、四十万もする扇を篠芙さんが舞台で舞う役ごとに買い換える余裕はなくてね、いまの宗家、基世先生が買ってくれていたんだけど、それで、篠芙さんが遠慮して、安い方の櫻山を選んだのかと思ったわ…」
比較的珍しい図案になる白藤に御所車の方が、僅《わず》かだが、櫻山の扇よりも高価だったのだ。
「和久井堂もそう思ったのか、おしゃべりな店員が先生のところにそんな話を伝えてしまって、逆に篠芙さんが、『藤代の若に与える物を、惜しんだことはないはずだ』と基世先生に叱《しか》られるなんてことになって――…」
昔も現在も、篠芙の持ち物は、公私に渡る一切合切が観月で購入されて、届けられて来たのだ。
観月では、篠芙の趣味や好みを考慮しなかったかわりに、篠芙によかれと思う最高の物を揃えてくれた。
いみじくも、多華子が言った『着せ換え人形』が言い得ているかもしれない。
ゆえに、好みがあって、篠芙が扇に櫻山を選んだとは、観月の者たちには考えられなかったのだ。
「その時に篠芙さんは、白藤の扇は、いずれ異母弟が『羽衣』を舞えるようになったら持たせたいと、基世先生に言ったのよ」
「ええ――…」
明煌は、込みあげてきた感情を抑えようと、思わず口許を押さえた。
つい先ほど、真木からも、「明煌には、藤蔓《ふじづる》の剛《つよ》さがある」そう篠芙が想っていると聞かされたばかりなのだ。
そして明煌には、判った。
篠芙が自ら選んだ櫻山の桜こそが、――篠芙のことなのだ。
散る桜の花。
咲く時も、散る時も、美しく、神々しく、人々を魅了してやまない桜。
ゆえに、いにしえ人は、散る桜を悼んで、花鎮《はなしずめ》の宴《うたげ》を催したのだ。
神に捧《ささ》げられる花。
「お前が、『羽衣』を舞う、本当に、その時が来たのだねぇ……」
扇を閉じて、感慨深げに言った夏江は、明煌へ視線を定めると、
「お前に、頼みます。藤代のことを……」そう言って、両手をついた。
六[#「六」はゴシック体]
鏡台を前に、単衣姿《ひとえすがた》で座る篠芙《しのぶ》の、洗い髪を櫛《くし》で梳《す》くのは元裕紀《もとゆき》だった。
背のなかほどまで伸ばされた黒髪は、しっとりと水気を含み、艶《つや》やかな光沢を帯びている。
万葉の昔より、黒髪は神の依代《よりしろ》である。篠芙に髪を伸ばすように命じたのは、祖父の藤代|福寿《ふくじゆ》であり、観月の先代宗家も、切ることを許さなかった。
古風な名門校で学生時代を過ごした篠芙は、長い髪も、排他的な孤立も許された特別扱いの生徒の一人で、髪を切る機会を逸した。
「また父さんに、髪を切りたいと言ったんだって?」
幅を一寸ほどに切った白の絹布を、襟元で束ねた髪に巻きつけ、上から和紙の紐《ひも》で結びながら、元裕紀が言った。
先代宗家の葬儀が終わった後で、篠芙は、髪を切りたいと真木を通じて、基世《もとよし》に伺いを立てたのだが、結果は許されなかった。
「手入れが面倒だから? だったら、俺がやってやるよ」
綺麗《きれい》に梳《くしけず》った髪に顔を近づけ、口吻《せつぷん》する仕種《しぐさ》の元裕紀は、篠芙の美しい黒髪に執着を示す男の一人なのだ。
「自分で出来る……」
不機嫌そうに答える篠芙の顔色は、何時にもまして蒼《あお》ざめ、陶器のように白い。冷たく冴《さ》えた美貌《びぼう》も、いっそう硬質な感じに引き締まっている。
今夜、舞を所望の客人があるということが、篠芙を強張《こわば》らせるのだ。
――舞を所望とは、すなわち、形ばかりに舞った後で、客人に肌を許すことだ。変質的な趣味の男たちに従わされて、慰まれ、身も世もない姿をさらして果てさせられる、淫《いん》の饗宴《うたげ》なのだ。
それも、先代宗家が亡くなってから、はじめてのことだった。
鏡台の傍らの衣装箱には、『羽衣』を舞うための桜桃色の長絹と、繻子地《しゆすじ》に金銀の糸で孔雀《くじやく》羽模様を刺繍《ししゆう》した小袖《こそで》に、月を頂いた天冠が用意され、着付けは真木が来て行うことになっていた。
ほっそりとした頤《おとがい》に手をかけ、篠芙の顔を仰《あお》のかせた元裕紀が、血の気のない口唇《くちびる》を見つめた。
「老人に奪われる前に、キスしてもいいかな?」
言われて、もはや諦《あきら》めたのか、篠芙は長い睫《まつげ》をふせ、元裕紀のいいなりになった。
口唇の輪郭を舌先でなぞってから、元裕紀は舐めるように、篠芙の口腔《こうこう》をむさぼった。
「ああ、篠芙の内も、こうして舐めたい…、父さんには、させてやるんだろう?」
異様に蒼ざめて白い貌《かお》に、聖と淫が交じり合ったような、妖《あや》しい、凄《すご》い、色香が漂いはじめる。
「勃《た》つかどうかも判らない老人になぶらせるには、勿体《もつたい》ないな」
鏡越しに、この世のものではないような美貌を見ながら、元裕紀が残念そうな声をあげた。
「摘《つま》み食いをしといて、滅多なことは言いなさんな」
ちょうど客間の方に入ってきた分家の芝浦《しばうら》が聞き付けて、若い本家の息子を窘《たしな》めるように口をはさんできた。
「そうじゃそうじゃ、いま時、金の成る木はそうそう見付からないんだぞ。それも、自分の趣味に金を使えるのは、若いもんか隠居くらいだからな」
芝浦に続いて、大叔父《おおおじ》の基仙《もとひさ》が相変わらずの渋い濁声《だみごえ》を響かせて現われると、元裕紀は、何ごとかと、驚いたように二人を見た。
「師範のお二人は、奥≠ヨ行かれるのではないんですか?」
客人を持て成す席には、必ず四人が面≠着けて揃うことになっている。それなのに黒式尉《こくしきじよう》の二人が篠芙の部屋へ、この時間にくるのは何故かと元裕紀に疑問がわいたのだ。
「なに、まだ饗宴《うたげ》までにはたっぷりと時間があるじゃないか。さあ元裕紀さん、ここで交替だよ」
露骨に芝浦が自分を追い払おうとするのが、元裕紀にすれば、権利を害されたような気がした。
「篠芙に、何をするんです?」
「何をって、相手はご老人だからね、それも、お稚児遊びなど初めてだとか……」
奥座敷で寝具を敷いていた基仙が戻って来て、元裕紀の方を見て言った。
「元裕紀、お前には眼の毒だ、さあさあ向こうへ行って、次の出番まで待っていろ」
基仙は笑いを洩《も》らしながら、篠芙の前から帯をほどくと、背後から芝浦が、単衣をいっきに脱がせた。
湯あがりの、匂い立つような肌があらわれると、男たちの間に、痺《しび》れるような愉悦感が走った。
「ふう…ううむ、本当に、惜しい気もする…」
感嘆に唸《うな》った基仙は、次に篠芙の膝《ひざ》に手をかけて正座を崩させると、半ば横座りに近い形にさせて、下肢をさらけださせた。
「可哀相だが、今夜は、後のために溜めておかねばならないのでね」
ひろげられた両肢《りようあし》の間には芝浦が屈《かが》みこみ、細い綾紐《あやひも》で巧みに付け根を緊縛《いまし》めてしまう。
「けれど篠芙は、尻《しり》だけでも気を遣《や》れるのだから、いっそ肉孔だけで、女のように永く悦《い》い気持ちにさせられる方が、嬉《うれ》しいかもしれないねえ」
篠芙は、最初の屈辱を受ける間、じっと、遠くへ視線を向けていたが、見ている元裕紀の方が、眩暈《めまい》を感じそうで居たたまれなくなり、彼は後退《あとずさ》るように部屋を出て行った。
「さあ、さあ、篠芙、布団のほうへ来るんじゃ」
手を把《と》って立たせられた篠芙は、黒式尉の二人に誘われるように、寝具のところへ連れ行かれ、四つん這《ば》いになることを命じられるのだ。
屈辱的な形に、両手両膝を付いた篠芙の身体の下に、腰枕がわりの折った座布団があてがわれて、膝が力を無くしても、下肢がさがらないようにされる。
「なに…を――…」
さすがに、不安と屈辱が篠芙を狼狽《ろうばい》させ、背後に構えた二人を振り返らせた。
「肢《あし》を開いて」
左に芝浦、右に基仙が居る。男たちは、それぞれ篠芙の足首を掴《つか》むと、横へ開き、ひろげ切った位置で、脹《ふく》ら脛《はぎ》の上に乗って閉じられなくさせてしまった。
豊かな肉づきによる、深い切れ込みのある女体とは違う、薄い双丘は、わずかに両肢を開かれただけで、秘裂をひらき切って、すべてをさらけ出してしまう。
薔薇《ばら》色のうつくしい襞《ひだ》が露《あらわ》になり、男たちの視線が集まった。
羞恥《しゆうち》に、息を詰める篠芙に反応し、硬質に引き締まった双丘も、喘《あえ》ぐように慄《ふる》えた。
「なにぶんご老人だから、入念に、揉《も》みほぐせとのことだよ」
芝浦の言葉に、いっそう、篠芙は強張《こわば》った。
「篠芙も、あの客人の節くれだった指に何時間もこってり捏《こ》ね回されるより、気心の知れた我らに、手を掛けてもらえた方が、嬉《よ》いじゃろう? 篠芙の快《よ》いところも、切ないところも、みんな知っているわしらの指でな」
宥《なだ》めるような基仙の言葉尻《ことばじり》を、芝浦が引き継ぐ。
「ただし、悦《い》かせはしないがね」
男たちの視線を避けるようにして、篠芙は、双眸《そうぼう》を瞑《つむ》った。
――三ノ宮老人の老いて険しい顔が思い出された。
「皮肉なことに、孫は一人しか生まれなんだ。それが、こちらの若先生となにやら一方《ひとかた》ならない関係になっていると知っては、わしも、死ぬに死に切れんと思うてな」
謡を趣味に持ち、観月流後援者の一人でもある老人は、跡取りで孫の利彦が、男色に溺《おぼ》れていくのを戒めようと乗り込んで来たのだが、篠芙を間近に見て、気が変わったのだ。
「本物の男か調べてやろうか」と、老人は言い出し、篠芙は茶室で身体をまさぐられ、「惜しいのう、利彦の嫁に貰《もら》いたいくらいじゃが」と、揶揄《からか》われた。
「これこれ、気をぬかねば、我らの指が、入らんではないか」
芝浦の声に、篠芙は、はっと我に返った。
男たちの指先が、触れようとしていたのだ。
「これ、また、そう身体を強張らせるでないぞ」
「そうじゃ、老人の柔らか物《もの》を挿《い》れてもらわねばならんのじゃ、存分にひろげておかねばな…」
愉《たの》しみとばかりに、基仙が笑う声をあげたと同時に、芝浦の指先が触れてきた。
篠芙は、眼を瞑《つむ》ったまま、口唇を噛《か》んで、堪《こら》えた。
敏感な肉襞《にくひだ》のまわりを、ゆるゆると、指が撫《な》でてくる。
焦《じ》らすように撫でまわされているうちに、繊細にしぼりこまれた媚肉《びにく》の肛襞《ひだ》が、開花の弛《ゆる》みを帯びてくる。
とろけたように甘美な内部へと爪の先が潜り込むと、あとは、指の方が吸いあげられるのだ。
「く…っ――」
篠芙の腰が引けるのを、基仙が掴《つか》んで戻した。
「うふふ…、吸いついてくる」
敏感な感覚を物語るように、篠芙の妖花は微妙な収縮をみせ、細かい肉襞が入り込んだ指を締めつけるのだ。
「芝浦の、一人で悦《い》い思いをしとらんで、早く、わしにも味わわせろ」
焦れて基仙が濁声をあげるのを、芝浦がねっとりと、否《いな》す。
「駄目だよ。あんたが先では、ひらく花も萎《しぼ》んでしまう。こういうのは、気長に、優しくやってやらねばならないのさ」
まずは一本の指だけだが、深く入り込み、曳《ひ》き摩《ず》り出されるという、執拗《しつよう》な抽送がはじまった。
硬く眼を閉じ、シーツを握りしめる篠芙だが、緩慢であっても、確実に官能を呼び起こす指弄に、次第に抗《あらが》えなくなってゆく……。
「昔は、こうされる切なさに涙をこらえる姿がいじらしかったが――…」
そう言いながら、芝浦は、内臓をえぐるように挿入した指をいっそう深く沈めて、小刻みに蠢《うごめ》かせた。
なおも、入り込んだ指を振動させられると、甘く、苦しく、切ない痺《しび》れが、熱っぽく込みあげて、篠芙をやるせなくさせる。
「うっふふふ…」
すでに火がついたも同然の篠芙の変化を感じとり、芝浦が含み笑った。
「いまはまた、すっかりと、肉が憶《おぼ》えてしまったのだねぇ……そら、蕾《つぼみ》もほどけてきた」
閉じた花蕾のような肉襞が、濡《ぬ》れたように潤んで、膨らみをもち、とろけている。
「どうだろうね、基仙の、もう、いいだろうよ」
「ほう、ようやく、わしの出番か」
ぬき出された芝浦の指のかわりに、今度は、太い指が乱暴な仕種《しぐさ》で挿《はい》ってくる。
「あ――くっ」
異物の太さ、蠢きが変わると、篠芙は初めて挿《い》れられた時と同じ衝撃と、苦悩を味わわされるのだが、すでに、とろけた肉襞はひとたまりもなかった。
抽送がはじまるや、すぐに馴染《なじ》んで、あらたな指から快楽を貪《むさぼ》ろうとするのだ。
「うむ…いいぞ…」
興奮した様子を隠さない基仙は、ひとまず指を曳《ひ》きぬき、さらに太い拇指《おやゆび》をあてがうと、一気に挿入させた。
「くっ……う……んん……」
「そうそう、怺《こら》えずに、美《い》い声くらい聞かせてもらわねばな」
太さに喘《あえ》ぐ媚肉を覗《のぞ》きこみながら、芝浦が、閉じようとしかけた篠芙の足を、いっそう強く、上から押さえた。
「あっ、あっ…」
基仙の指が、褶襞《しゆうへき》を擦《こす》るように動きだすと、つられたように、篠芙が息とも声ともつかない音《ね》を洩《も》らしはじめた。
緊縛《いまし》められた前方の辛《つら》さ、貫入された指で、狭い肉筒を揉《も》みこまれる被虐的な感触は、稚《おさな》い頃の篠芙にとっては、息も絶え絶えとなる責め苦だった。
苦しいばかりの、張り型による拡張が一通り終わった頃からだった。
おぞましい夜が訪れる前でも、屋敷のなかで男たちと擦れ違うことでもあれば、廊下の隅に押しやられ、あるいは、空き部屋に連れ込まれた。
「どれ、具合を診てやろう」「もみほぐしてやろう」などと言われ、指弄の辱めを加えられていたのだ。
慎み深く締まった肉襞も、次々に男たちの餌食《えじき》になり、時間をかけ、擦られているうちに、夜の饗《うたげ》までには、とろけてしまうのだ。
篠芙には、切なく、辛かったが、大人の男を受け入れるには、必要な前戯とも言えた。
――しかし、開花した花を愛《め》でるのでは物足りないと、召される夜の前に、密《ひそ》かに基世は、篠芙の媚肉を責める手段をもちいた。
挿入された冷たいノズルから、たっぷりと注がれるものを泄《も》らすまいと懸命に怺えることで、篠芙の肛襞《にくひだ》は開花した花から蕾へと戻ってしまうのだ。
稚い心にも、決して泣かないと誓った篠芙の涙をしぼるのは基世だけであり、他の黒式尉たちの知らない、篠芙の肉体の秘密を愉《たの》しんだのも、彼だけなのだ。
基世との、血も凍るほどの屈辱が、篠芙の肉体を二つとない宝珠に造りあげたのかもしれない…。
篠芙の秘所は、どれほど執拗に責め弄《な》ぶられても、あらわに開花し、とけて爛《ただ》れたような幾層もの花襞をさらしたままにはならないのだ。
だが、それが今夜は、仇《あだ》となっている。
「あうッ」
身体の内で曲がっていた指が、そのままの形で、篠芙をすりぬけた。
「は……ぁああ…」
「これこれ、篠芙、腰を揺らしたりなんぞして、はしたない」
熱をおびた芝浦の声が、背後から被《かぶ》さってくる。
「ほれ、わしの指が、すっかりふやけてしまったわ」
基仙の笑いも聞こえるが、篠芙は、頭に血が昇ったように眩《くら》んでいた。
「気が済んだなら、今度は、わたしの番だよ」
そう言った芝浦を、基仙がひきとめた。
「まだまだ、老人のふにゃふにゃでは、突き通せないだろうよ」
基仙の目配せで、二人が、それぞれ両脇から、指を揃えて篠芙の内へと捩《ねじ》り込んだ。
「アアッ…」
ビクンと篠芙はのけ反ったが、すぐさま、二人の指が、それぞれ異なった意思を持って動きだすと、呻《うめ》きはじめた。
「あ……あ、あうう……」
それは決して、苦悶《くもん》の声ではないのだ。
そこを、挿入した指が、追いあげるようになぶる。
「うう…っ…」
だがいきなり、篠芙を翻弄《ほんろう》していた指が、退《ひ》いて、ぬきとられた。
「少しはひろがったかな?」
のんびりした口調の芝浦を、基仙が急《せ》かした。
「いや、もっとじゃな」
「アアッ……ウ――ッ」
前触れもなく、両脇から指が秘花を犯し、同時に起こった官能の波に、篠芙はのまれた。
「う…んん…」
ぬるりという感じに、指が身体の内から逃げた。
「アッ――…」
理性をすっかり痺《しび》れさせてしまった篠芙が、淫《みだ》らに腰を揺さぶった。
「なんとしたことかな、しゃんとされよ。あの幼《いと》けなき修行の頃は、もっと気丈だったはず」
背後から、芝浦の、嘲笑《ちようしよう》ともつかない叱咤《しつた》が飛んだ。
「ははぁ、そうじゃった、そうじゃった、わしとはよく、納戸のなかで、ねぶりあったもんだな」
ふたたび指をあてがい、今度は四本の太さと、暴威を持って、基仙と芝浦が篠芙をひろげる。
口唇《くちびる》を噛《か》み、細い眉根《まゆね》をよせた篠芙は、這《は》わされた裸体をのたうたせたが、肉襞のほうは、受け入れていた。
「あの頃は、わしの指が攣《つ》れるほどにいじくっても、篠芙は、尻《しり》など振ったりはせんかったわ」
思い出したのか、基仙の指戯が、激しくなった。
負けじと、芝浦の指も、断末魔の生き物のように蠢《うごめ》く。
「時々、納戸の戸が開かなくなると思ったら、あんただったのかい。…わたしなんぞは、廊下の隅で、ちょいと指を湿らせてもらう程度だったねぇ」
なぶっては、そらし、追いあげるように蠢かしては、退く。
二人の手管に掛かって、遣《や》り切れないのは篠芙のほうだった。
「肉が熟したのだ。そこを焦《じ》らされては、いかに篠芙といえども、たまらんわいなぁ」
芝浦の、同情まじりの言葉には、嗜虐《しぎやく》のぬめりが澱《よど》んでいる。
「ああ…うッ…」
篠芙の内奥が、離すまいとたぐりついてくるのを、無理やり振り切って、男たちがぬきとった。
「あ……ああう…、こんな…」
せがむように、篠芙が下肢をもたげる仕種《しぐさ》さえするようになった。
「…せ…せめ…て、いち…ど――…」
篠芙は、溺《おぼ》れかけたかのように喘ぎながら、いつから、自分はこれほど淫らになってしまったのかと戦《おのの》くのだ。
「これ、そんなに、切ない声をたてて、我らとて辛《つら》いのだ、だから堪えよ」
身体の内で、無数の指がひしめいている。
「そうじゃ、存分に可愛がってやりたいのを我慢してるんだからな、さあ、もう少し、弛《ゆる》めてやろう」
拒絶に、篠芙が激しく頭《かぶり》を振った。
「う…うっ…、いや…いやで…す――…」
隣室から、人の気配がして、静かに襖《ふすま》が開けられ、風が入ってきた。
「そろそろお時間です」
「おお、もうそんな時間か?」
控えている真木を見て、基仙が驚いた声をあげ、反射的に帯に提げた懐中時計を取り出し、確かめた。
二人がかりで、一時間あまりも、敏感な肉襞をなぶり続けていたことになる。
「こりゃ本当だ。もう、八時になる」
言われて芝浦も、改めて我に返ったように、篠芙から離れ、立ちあがった。
「夢中になってしまったよ」
基仙が寝間から出て行きしなに、鏡台の前に置かれた『羽衣』の装束を見て、口許《くちもと》を卑猥《ひわい》な笑みに歪《ゆが》ませた。
「客人は『羽衣』が好きだ。天人を捕らえてなぶる。まさに篠芙には、そのようなところがよく似合うからな」
「それと、明煌がどんな『羽衣』を舞うかも見物《みもの》。さあ、我らも支度を整えねば、篠芙を頼んだよ、真木」
承知とばかりに、頭を下げる真木の傍らを、急《せ》かしげに二人が通り過ぎて行った。
ようやく、篠芙は解放されたのだが、湯あがりの肌が、ほんのりと色づき、酔ったように目許が潤んでいる。
寝間に入ってきた真木が、生々しいばかりに潤んだ花襞が、淡紅色の内部を覗《のぞ》かせているのを、眼の端にとらえた。
「お支度を…、立てますか?」
篠芙は、指先が白くなるほどシーツを握ったまま、しばらく呼吸を整えてから、背後の真木を振り返り、睨《にら》んだ。
七[#「七」はゴシック体]
観月流で『羽衣』の天人は、裳脱胴《もぎどう》腰巻に装う。
裳脱胴は上半身に平絹の小袖《こそで》、腰から下には華麗な縫箔《ぬいはく》の小袖を腰巻のように着つけ、水浴中に羽衣を奪われた天女が、裸体であるという意味を表わすのだ。
今夜の篠芙《しのぶ》は、上半身裸体の上に、白絹地に金銀縫箔の孔雀《くじやく》羽模様小袖を、両袖を通さず腰に着つけ、淡桃色地に鳳凰《ほうおう》図柄の、透ける羽根のような長絹を羽織っていた。
頭上には、中央に新月の立物が飾られた天冠を着けられた。
「お綺麗《きれい》ですよ、篠芙さん……」
脆《もろ》さと妖艶《ようえん》さを漂わせる篠芙を、深い思慮をたたえた双眸《そうぼう》で真木は見つめ、導くように、手を差し出した。
手を把《と》られる篠芙は、湿気《しけ》た空気に満ちた部屋をいくつも横切り、奥≠フなかでも、妖《あや》しい闇に閉ざされた饗宴《きようえん》の場へと、連れて行かれるのだ。
広間の四隅に、宗家の白式尉《はくしきじよう》のほか、三人の黒式尉《こくしきじよう》が揃って黙座していた。
その中心へと進み出て、篠芙も形を改め、正座する。
部屋のなかの灯《あか》りは、四隅に置かれた燭台に点《とも》る炎だけで、辺りには、闇がこごっている。
篠芙が座すると同時に、前方の襖が、隣室に控えた者たちの手によって左右に開き、さらなる暗黒が、ひろがったようになった。
闇の奥に、人の居る気配がする。
どういう趣向なのか、今夜の客人――三ノ宮老人は、まだ暗闇に姿を隠したままなのだ。
「お客人が、舞を所望されておいでだ」
饗宴のはじまりを意味する口上が、白式尉から述べられると、篠芙は、畳に指先を揃え、粛《かしこ》まって承った。
「はい――…」
儀式のように、篠芙の前へは贈物の扇が届けられてくる。
立ちあがった篠芙は、前方の闇へ向かい、雲のような長絹の裾《すそ》を翻すと、与えられた扇を展《ひろ》げた。
地謡《じうたい》は宗家が、シテは篠芙が謡《うた》い、――夜伽《よとぎ》の舞が奏でられはじめた。
今夜の篠芙は、秘所の花を、延々と二人の男にいじりまわされた後とあって、まさに、色香も妙《たえ》なる天女の風情がある。
三保の松原で、漁師の伯龍《はくりよう》に『天の羽衣』を奪われそうになった天の処女《おとめ》は、返してもらうかわりに、天人の舞楽を舞う約束をし、果たして天へ還《かえ》っていくのだ。
艶麗《えんれい》な舞い姿が、しだいに、神々しさを帯びてきた。
人間界の苦しみや悲しみとは無縁な、美しく、高貴な存在の天人が、篠芙の裡《なか》からも放射されて顕現してくるかのようだ。
篠芙を、青白き輝きが取り巻きはじめる。
昇天する寸前の天人と篠芙とが、融合したのだ。
まさに、天人が舞いながら昇天して行く錯覚に捉《とら》われそうになった、夢のような瞬間を破った者があった。
突如として、対座する闇の中から、毒々しいまでに赤い縄紐《なわひも》を手にした二人の男が姿を現わし、天人を捕らえたのだ。
「アアッ…」
あがった悲鳴は篠芙のものだったのか、天人のものなのかは、判らない。
捕らわれるなり、篠芙は下肢に巻きつけた形の小袖《こそで》を剥《は》ぎ奪《と》られ、羽衣の長絹はそのまま、後ろ手に捩《ねじ》られ、赤縄で縛られた。
身をうち慄《ふる》わせて、無体な仕打ちに悶《もだ》える篠芙の姿に、見守る男たちが、熱くなる。
「本当の伝説では、羽衣≠奪われた天人は、漁師の妻になるのだそうだな」
暗闇の奥から、嗄《しわが》れた声が響き、緊縛《いまし》められた篠芙の身体は、二人の男によって、続き部屋の昏《やみ》のなかへと押しやられた。
前のめりになり、思わず膝《ひざ》を付いたところは、絹の褥《しとね》だった。
いきなり、天井の灯《あか》りが点《とも》った。
部屋中が昼間のような明るさになり、反対に、四人の翁が控える方が闇に閉ざされる。
敷かれた褥を通り越した位置に、痩《や》せた身体を脇息《きようそく》に凭《もた》せ掛けた三ノ宮老人が篠芙を待っていた。
銀髪を後ろに撫《な》でつけ、後退した額口に癇性《かんしよう》な青筋が浮かぶ、鷹《たか》のように目付きの鋭い老人は、今夜も、茶系の大島をすきなく身に着けている。
「人間界の欲望に、穢《けが》されるのは、どれほどの屈辱であるかな? それとも、天人にはないという、肉の喜悦を知る幸福を悦《よろこ》ぶかな? 是非とも、試してみたいものだ」
脇息に身体を寄り掛からせながら、老人は単座していた足を崩し、座布団の上で胡座《あぐら》の形に組み直した。
篠芙の方も、褥に腰を下ろさせられ、老人の前で足をひろげよと命じられた。
従うと、裸体を覆い隠すような長絹が男たちによってたくしあげられて、括《くく》られた前方のすべてを露《あらわ》にされた。
「ほほう、子胤《こだね》を溜めさせられておるとか、切ないのう…」
節くれだった手が伸びて、痛いほどの前方から、双果実の具合を確かめてゆく。
「わしの方は、まず、その天人の口唇《くちびる》で慰めてもらおうかな?」
口舌奉仕を命じられた篠芙の、美しい貌《かお》が硬化する様を見て、老人は喜色を浮かべた。
望んでいた貌だと、半ば恍惚《こうこつ》感を持って眺めたのだ。
老人は、何年も、舞台で舞う篠芙を観てはいたが、茶室で見た時に、素顔の美しさ、圧倒されるような気品に満ちた雰囲気に、心動かされた。
とうに欲望も枯れ、まして稚児遊びなどに興味のなかった身体のなかに、失われた男の情熱が流れだすのを感じたのだ。
「本物の男か調べてくれよう」
そう言って触れると、いまだかつて、一度も男に触れられたことのない処女のように篠芙は戦慄《せんりつ》を放ち、だがそれを怺《こら》えようと身体を強張《こわば》らせるのが判った。
清冽《せいれつ》なる淫蕩《いんとう》。
いまにも、思いを遂げられそうなほどに、老人は昂《たかぶ》ったのだ。
「欲しい」と同席した宗家の基世に告げた。
「お心に添うように、手配致しましょう」
老人の欲望を、基世はやんわりと躱《かわ》し、瞬間を劇的なまでに甘美に、そして、観月《かんげつ》にとっての有利を引き出せる方法を採った。
それが今夜の、饗宴だった。
両脇から、黒服の男たちが篠芙の腕を掴《つか》み、ひきずるように、彼等の主人の元へと連れて行く。
胡座に組んだことで、乱れ、開いた裾《すそ》から、老人の半萎《はんな》えの異物が垣間《かいま》見えている。
「さあ、天人の口淫を味わわせてもらおう」
後ろ手に縛りあげられた姿で不自由をしながらも、老人へと顔を埋《うず》め、口唇をひらいた篠芙は、天冠の脇から下がる瓔珞《ようらく》を鈴の音のように鳴らしながら仕えはじめた。
老人は、巨《ふと》さよりも、異様な長さで、篠芙を苦しめた。
半萎えの軟体動物が、口腔《こうこう》の中でとぐろを巻き、喉《のど》まで突いてくるのだ。
それでも、篠芙は長く苦しめられることはなかった。
頃合を見ていた男たちが、ふたたび篠芙の両腕を掴むと、主人から引き離し、絹の褥に、這《は》わせたのだ。
両手を縛られた姿では、両膝と横向きになった顎《あご》で身体を支えなければならず、篠芙は、屈辱的に高くもたげられた下肢のすべてを、老人の眼に視られる姿勢《かたち》をとらされた。
「この年になるまで、わしは、知らなんだ」
痛恨の呻《うめ》きとも受けとれるものが、老人から洩《も》れでたと同時に、篠芙は、左右から男たちの手によってひろげられ、あてがわれたのを感じた。
思わず、篠芙は、拒絶を叫びそうになった。
蠢《うごめ》く蛇をおもわせる長い異物が、ぬめぬめと挿《はい》り込んできたのだ。
「あ……う、うむ……」
ひろげられて行く秘裂の狭間《はざま》から、全身を小波《さざなみ》のように走りぬける感触があり、慄えの度に、まだ外すことを許されない天冠がキャラキャラと鳴る。
「ふうう…、これは、どうしたことか――…のう…」
篠芙の感じている嫌悪と汚辱とは、まったく正反対の甘美を、老人は味わっていた。
硬くつぼまっているように見えた妖花にあてがい、先端を押し込めると、花襞がとろり…と開き、老人を吸い込んだようになったのだ。
とろけた内部は、びくびくとうねっている。
後は、肉茎に指を添え、下肢をすすめるだけでよかった。
若さと強壮さを誇った頃、女体に楔《くさび》を打つごとくに貫いた勢いが戻ったような気がして、老人は興奮と歓喜に喘《あえ》ぎ、嗄れた声を洩らした。
「これは…、たいそうな値打物じゃな」
老人のすべてを納めさせられた篠芙は、掲げた腰をさらに抱え起こされた瞬間、とろ火で炙《あぶ》られ続けた肉体が、ひとりでに昇りつめてしまった。
狂おしいほどに、はしたない声が、篠芙の口唇から洩れ出た。
「ほ…ほう…、わしのもので、これほどになるか」
眩《くら》むほどの絶頂から、すすり歔《な》きに変わるにしたがい、自然と篠芙の下肢がよじれて、老人を擦《こす》るような仕種《しぐさ》をみせた。
「欲しいか? そうか、そうか、わしが、欲しいのだな……」
金にあかせ、様々な女と遊び、妻を二人|換《か》える間にも、愛妾《あいしよう》のとぎれることのなかった三ノ宮老人である。様々に肌の色の違う美女たちをも褥にはべらせたが、稚児遊びに心が及ばなかったのが、いかにも残念に思われてくる。
「そのように、尻《しり》を振って、わしに突いて欲しいのだな…」
嗄れた声を、いっそう快感に掠《かす》れさせ、三ノ宮老人は、自分の男を挿入されただけで昇り詰めてしまった篠芙の背後で、一度、緩慢に動いてみた。
「あ…は――う……うう…」
一気に、篠芙は到達し、褥《しとね》に頽《くずお》れた。
「また、気を遣《や》るか、これは、すごい…」
緊縛された天人が、むき出された下肢に老人を受け入れさせられ、優雅さとは裏腹に、続け様に人間界の肉悦の頂点に達し、歓《よろこ》びに身体をはげしく痙攣《けいれん》させているのだ。
素早く、両脇から男たちが手を添え、三ノ宮老人を肉奥に納めさせたままの状態で篠芙を仰臥《ぎようが》させると、結合の深さを損なわせないように、腰下に枕をあてがった。
仰向《あおむ》けにさせられたことで、篠芙は、覆い被《かぶ》さってくる老人を目の当たりにさせられ、老人もまた、美しく歪《ゆが》む篠芙の貌を楽しめるのだ。
緩慢な動きで、三ノ宮老人は動きはじめた。
「あっ、あっ、あっ…」
瞬く間に、篠芙の肉体が、反応しだす。
「ふう、これは悦《い》い」
三ノ宮老人は、じっくりと堪能《たんのう》する仕種《しぐさ》で、責めた。
老人には、若い頃の猛進するほどの精力はないが、篠芙のように、愛撫《あいぶ》を覚え、丹精された肉を狂わせるには、もっとも適任といえた。
篠芙を狂わせる度に、枯れかかった男の自信が老人の裡《なか》にも甦《よみがえ》ってくる。
「知らなんだ。若先生の内が、こんな風になっていたとは…」
締めつけてくる内奥の感触を味わうために、老人は、深く突き刺した肉茎の抽送をやめ、まさぐりつつ、まわす仕種を繰り返した。
「うっ、うっ…」
篠芙が尖《とが》った息を洩《も》らし、いやいやをするように、頭を振った。
天冠を鳴らしながら頭を振るが、抱えられた両肢《りようあし》の、すらりと伸びた甲がしなって、足の爪先《つまさき》にまで、力が入っている。
いたぶりを受けながらも、身体は反応している証拠なのだ。
「あっ、ああ…いや……いや…あっ――…」
遂《つい》に、呻《うめ》き声に、哀願が混じったが、赦《ゆる》されはしなかった。
老人をいっそう煽《あお》っただけだ。
三ノ宮老人には判っていた。
篠芙は、美しく咲いた花であり、次に、さらに美しく咲くために、落花|微塵《みじん》に散らされなければならない花なのだ。
散らすために、老人は動きを早めた。
「…いっ……い…い……」
抽送と、捏ねまわされる刺激が、何度目かの崩壊を篠芙にもたらし、歔《な》き叫ばせた。
白く細い首を投げだしたかのようにのけ反らせ、痺《しび》れたように全身を顫《ふる》わせる篠芙から、ようやく老人が離れたのは、時計の針が一回りも過ぎた時刻だった。
外れてしまった天冠だけを除かれたが、まだ篠芙は長絹をまとい、後ろ手に赤縄で縛られた身体を、腰にあてがわれた枕に載せている。
控えた男の手によって、欲望を迸《ほとばし》らせ、満足を得た前方を整えられた老人の方も、すぐにまた、篠芙の下肢をひらかせ、散らした妖花に触れてきた。
「あ、ああ……」
新たな喘《あえ》ぎが、篠芙の口唇《くちびる》からこぼれる。
「これは、淫《みだ》らな花だぞ。わしのせいで、つぼまらなくなったのではないか?」
歓喜にうわずる老人の声が聞こえたかと思うと、節くれだった指が二本、きしるように篠芙の内へと入ってきた。
「ああぁ……あ…やめて……」
身悶《みもだ》えて、拒もうとするが、敵《かな》わない。
「わしのもので、粘りついておる」
揉みまわされ、指でいじられ、まさぐられ、さらに抽送される。
「あう――っ…」
篠芙は、熱を持って疼《うず》く内部から、注ぎ込まれた老人の執念がツーッと溢《あふ》れだすのを感じ、おぞましさに喘いだ。
巧妙に動く指で、篠芙の官能を刺激しながら、
「奉納能には、随分と金が掛かるそうだが――…」と、老人が口にすると、すかさず手許《てもと》へ、黒服の一人が小箱を差し出し、蓋《ふた》を開けた。
まだ責められるかと、切なげに身をよじった篠芙から指をひきぬいた老人は、今度は、小箱から拇指《おやゆび》の爪ほどの大きさの、黄金色《こがねいろ》に輝く球を抓《つま》みあげて見せた。
「ひとつが、百万として、若先生が欲しがるだけ挿《い》れてやろう」
「あっ…ああ……」
老人の言葉におののいた篠芙が、堪《たま》りかねて双眸《そうぼう》を閉じたところへ、冷たい球形の異物が押し当てられた。
「つ――っ…うッ…ん……」
ほてった肉襞は、瞬く間に受け入れ、身体の内を、冷たく、重い塊が転がってくるような感触に、篠芙は呻いた。
仰向《あおむ》けに横たえられた篠芙は、ひろげられた両膝《りようひざ》の間に三ノ宮老人を挟まさせられ、下肢を枕で高く掲げた姿勢《すがた》だ。
これがもしも、這《は》い蹲《つくば》らせられ、下肢を持ちあげられていたら、埋められる球は、もっと威力を持って内壁を責めたてるだろう。それほどに、黄金の球には、篠芙を動揺させ、眩《くら》ませるほどの重みがあった。
老人は二粒めを取りあげて、媚肉《びにく》に圧《お》しつけ、吸い込まれるように消えるのを見守った。
「あ…ぁ…」
三粒めが、入り込む。後は容赦なく、指が挿入を繰り返し、黄金の球を埋蔵させはじめた。
「七…八…九……十二……まだまだ入るぞ」
「ん…んん……く…ぁ……」
指先ほどの球であるから、痛みが生じるわけではなかった。
「――…二十…二十一…二十…二……」
しかし、入り込んでくる球の重量感、内臓を圧迫されるような苦しさが、次第に増して、篠芙は弱々しく喘いだ。
「や…やめて……ゆ…て……」
篠芙は、腹部を庇《かば》おうと無意識のうちに、身体をよじらせ、すすり泣きじみた、助けを求める声を洩らしはじめた。
「三十…三十一…三十四……」
「あぁ…ゆ…赦し…て……宗家……そ…――…」
観月の男たちは、一粒でも多く挿入されることを望んでいるかもしれないが、意識がとぎれたように、篠芙から力が抜けたのを感じ、老人は、送り込む指をとめた。
「若…?――」
呼ばれて、篠芙は、ハッと正気づいたように眼を開け、覗《のぞ》き込んでくる老人の顔を瞳《ひとみ》に映しだした。
「三十六粒しか入らなんだが、それも、これから若先生が落としてしまえば、無駄になると思いなされ…」
おののいた篠芙を、両脇から男たちが手をかけ、起きあがらせようとする。
まずは、上体を起こされた時に、身体のなかを重みが下がった。
「…あ……やっ……」
さらには、立たせられた瞬間に、花襞が内側からめくれあがり、両肢の間に、鈍く輝く黄金《こがね》の球が滑り落ちた。
「アアッ」
喘いだ拍子に、続け様に、二粒、三粒と黄金の球が零《こぼ》れ落ち、その重さが絹の褥《しとね》を打って雨垂れに似た音を立てる。
「…ウッ…ウ…ッ」
男たちに支えられ、老人の前に立たせられた篠芙は、膝をすり合わせるように身悶《みもだ》えさせながら、身体を跼《せぐくま》らせている。そこを、足首に手をかけられ、いきなり、ひらかれた。
「アッ、アア……いや――ッ」
両肢の内側を、生暖かい、ぬるりとしたものが、重みを持って滑り落ちていった。
「前からも、零れてしまいそうじゃが、それでは困るのであろうな?」
手を伸ばした老人は、酷《むご》く括《くく》られた篠芙の前方に触れ、塞《せ》き止められてはいても、滲《にじ》むように溢れる快楽の蜜液《みつえき》を見て言った。
それから老人は、懐紙を取り出すと、器用に引き裂き、指先で縒《よ》りはじめた。
「天人の霊薬を少しばかり、味わわせてもらおうか」
言うなり、篠芙の鈴口に縒って尖らせた懐紙を差し込んだのだ。
「あ――っ」
眼も眩むほどの快美感が、篠芙の全身を貫いた瞬間に、痙攣《けいれん》が起こり、いまにも零れ落ちる寸前だった異物たちを、内部におしとどめる収縮へも繋《つな》がった。
それすらも判らないかのように、のけ反った篠芙は、新たに加えられた刺激に、男たちに支えられた身体をしならせ、ガクガクと震わせている。
老人は、突き当たるまで深く挿入させ、潤いで二倍ほどの太さに膨脹するのを待ってから、曳《ひ》きぬき、舌先で舐《な》め、にやりとした。
「若返るような気がするのう…」
だが篠芙の方は、身体の内から零れ落とすという屈辱と羞恥《しゆうち》を封じてくれた収縮によって、新たな苦悶《くもん》に堕《おと》されていた。
内奥に納まった黄金《こがね》の球たちが、収縮によって、互いに擦《こす》れ合い、ぶつかり合い、その蠢《うごめ》きを篠芙に伝えてくるのだ。
「…こ…こんな――…」
波状的に、激しく狂おしい快感が襲ってきて、篠芙は、のまれ、翻弄《ほんろう》されてしまう。
両脇から支えられた身体は、頽《くずお》れることはなかったが、恍惚《こうこつ》と苦悶の狭間《はざま》で朦朧《もうろう》となった瞬間に、フッと、意識が飛んだ。
踵《かかと》の位置で、球がぶつかり合う音がした。
ひとつが媚肉《びにく》をひらいて滑り落ちると、続けざまに零れ落ちてくる。
「ああ…ッ…と…めて……」
ほどけた長い黒髪を大きく揺さぶって、篠芙は叫びをあげたが、身悶える両肢の間を、次々に黄金の球が落ちていくのは阻止できない。
「とめてッ、止めて……」
零れ落とす羞恥に、篠芙が叫んだ。
「栓でも填《つ》めて塞《ふさ》がねば、すべて落としてしまうぞ」
「いや……いや…」
あられもなく腰を悶えさせ、のけ反る篠芙を眼で姦《おか》しながら、老人は、片方の腕を掴《つか》んでいる男にそれとなく合図を送った。
すると男は振り返り、闇のなかへ主人の命を伝えた。
「ああ…、だ…め…っ…」
何度目かの、発作のような叫びが、篠芙からあがった。
重過ぎる小さな球の落下を助けるのは、他でもない、三ノ宮老人が注ぎ込んだ快楽の飛沫《ひまつ》なのだ。
「い…いや……いや――ッ」
能《あた》う限り耐えぬくのだという決心が、もう、どうなってもいい――と、崩れた瞬間、いつの間にか背後に近づいていた黒式尉《こくしきじよう》の一人が、袴《はかま》の前をくつろげ、篠芙の秘花へ捩《ねじ》りこんできた。
「ひ…ううッ――…」
まだ、身体の内に残る異物の球を追いやる勢いで、怒張が入り込んでくる。
両脇の男たちが、篠芙を放し、支えを失った身体は、そのまま犯された形で褥《しとね》へと蹲《うずくま》った。
「うう……くっ…くっ…」
深々と受け入れることになり、篠芙は呻《うめ》きをあげた。
「や…ッ…や…めて…」
抵抗するが、剛《つよ》く情熱的な力が抱えた下肢を離さず、抽送で責めたてられた篠芙は、ひとたまりもなかった。
急激にもがいて、抑えようもなく、あられもない声を洩《も》らしたかと思うと、全身に恍惚の痙攣を走らせたのだ。
あきらかに甘美な呻きが、口唇《くちびる》から洩れでている。
「激しいのう…」
恍惚に翻弄される篠芙は、含み笑う老人の声も、耳に入らない。
そればかりか、放心の体で嬌声《きようせい》を洩らし、自分から下肢を、背後の黒式尉に合わせて振りたてた。
「はぁはぁはぁ………っく…う――…」
頂点まで昂《たか》まった感覚が、篠芙を崩壊させた。
同時に、背後の黒式尉が、烈しい飛沫を内部にとき放っていた。
すかさず、黒服の男たちが篠芙を立ちあがらせる。
「あ…く……」
篠芙は必死で身悶え、迸《ほとばし》ろうとするものを押し戻そうとでもするかのように、身体をのけ反らせ、突っ張らせた。
注ぎこまれた多量の悦液が、またも埋めこまれた異物をおし流す役割を発揮しているのだ。
「赦《ゆる》し…て…」
狂おしい、悲鳴に似た声を、篠芙が放った。
すると、立たせられていた身体を褥に押しつけられて、篠芙は、またも俯《うつぶ》せに這《は》わせられた。
下肢を突きあげさせられると、身体の内の異物が内奥へと揃って移動する。
「くううっッ――…」
突きあがった尻《しり》から腿《もも》にかけての硬質さ、女体のように肉感的な厚みのない双丘の狭間に、悦液を滲《にじ》ませ、濡《ぬ》れそぼった花襞がひくついていた。
前方も、痛いほど隆《たか》まっている。
「二十粒が、漏れ出てしまったようじゃが、若先生は、もう一度、挿れて欲しいかの?」
絹の褥に落ちた黄金《こがね》の球を数えて、三ノ宮老人が囁《ささや》きかける。
「い、いや……」
「そう言わず、全部入れ直そうではないか」
口唇を噛《か》み締め、篠芙は頭を振った。
「…赦し…て……篠芙に…は、もう…怺《こら》える力が……な…い…っ」
「大丈夫じゃよ、今度は、わしが栓を填めて落とさぬように塞いでやろうほどに…」
内部|蹂躙《じゆうりん》の涯《はて》に、篠芙が妖《あや》しく開花してゆく。
男でも女でもない、聖と淫《いん》をまとう篠芙の姿がそこにあり、狂い咲く桜花のように、見事なまでに美しく、散ろうとしていた。
八[#「八」はゴシック体]
狂乱の饗《うたげ》が終わり、三ノ宮老人が奥≠去ったのは、零時を回っていた。
篠芙《しのぶ》は、真木と基世が連れて部屋へ戻り、今夜は見届ける役回りだった黒式尉《こくしきじよう》たちも引きあげ、それぞれの欲望を癒《いや》す夜を過ごしただろうが、明煌《あきら》だけが、胸の苦しみにのたうちまわっていた。
黒式尉に加えられ、今夜、篠芙と番《つが》う役目を与えられ、甘美なる肉を抱いてしまったがゆえに、その後の渇望がいっそう激しいのだ。
そこには、篠芙を飽食した老人に対する嫉妬《しつと》と、羨望《せんぼう》と、憎しみも混じっている。
激しく淫《みだ》らな弟兄姦が、老人を刺激し、篠芙は二度の凌辱《りようじよく》を強いられたのだ。
男たちに荒らされたとは思われないほどに、可憐《かれん》で、美しい、きれいな形につぼまった肉襞の色が、明煌の脳裏に焼きついている。
犯される度に、ほっそりとした、篠芙の腰がうねり、彼の硬質さの裡《なか》から情感がこもった妖艶《ようえん》さが滲み出てくるようだった。
明煌は、結局、一睡もできずに夜明けを迎え、泊まった観月《かんげつ》の屋敷内が騒がしくなる時刻まで、部屋に籠《こも》って過ごした。
七時を過ぎた頃に、部屋を片付けて出ると、できるだけ誰にも出会わないように気を付けて、中≠フ食堂へ向かった。
食欲はなかったが、食堂に居る誰かに挨拶《あいさつ》をして、一旦《いつたん》、白金台《しろがねだい》の藤代《ふじしろ》へ行ってくると告げたかったのだ。
忘れ物がある、着替えが欲しい…問い返されたならば、何とでも答えるつもりだったが、その実は、観月の屋敷に居て、篠芙や基世と顔を合わせたくなかったのだ。
それと、少し、眠りたかった。
いま頃になって、眠気が差してきたのだ。
表≠ニ中≠ニを区切る庭に面した廊下に差しかかった時だ。人気のない庭の、木陰にしゃがみ込み、泣いている多華子の姿があった。
胸が、締めつけられたように痛んだ。
とり憑《つ》かれた男たちが支配する屋敷のなかでは、どれだけの涙が流されたのか。
篠芙は、何時、涙を失ったのだろうか――…、明煌は声を掛けずに、足速に食堂へ向かうしかなかった。
食堂に入ると、座敷ではなくテーブルの方に腰掛けた元裕紀《もとゆき》が、一人で新聞を読んでいた。
「おはようございます」
元裕紀でよかったと、明煌は安堵《あんど》する。
「早いな、今日はみんな、なぜか、寝坊してるよ」
「俺はこれから、ちょっと藤代へ帰ってきます」
「朝食くらい、食べて行けばいいじゃないか」
新聞から顔をあげずに元裕紀が、そう言った。
「いえ、あまり食欲なくて…」
新聞に落としていた視線をあげ、元裕紀は明煌を凝視すると、言った。
「明煌、黒式尉に加わったのならば、彼等の掟《おきて》を教えてやるよ」
ハッと、明煌はおののいた。
元裕紀は、明煌が拒めば黒式尉の面を譲り受けることになっていたのだ。
「ぬけ駆けしないことだよ。馬鹿馬鹿しいけど、そのための連座なんだ。必ず面を着けること。それと、篠芙を抱く時は、四人が揃った時だけ、それが彼等の掟なんだよ……」
最後に、苦笑まじりに付け加えられた。
「もちろん、宗家は例外だけどね」
その例外は、基世が宗家になる以前からも行われていただろうと、明煌には察せられた。
「それにしても、相変わらず、篠芙はジジイ殺しだね。あの、ジイさんを二度もその気にさせたっていうじゃないか――…」
言われて、明煌は切なかった。それには、自分も一役買っているのだ。
弟に犯され、狂乱する篠芙が、三ノ宮老人を煽《あお》ったのだ。
「おはよう。今朝は二人だけなの? お父さまや多華子さんは?」
まだガウン姿の美土里が、食堂に入ってきたので、この話は打ち切られた。
「宗家は、もう朝食《しよくじ》をすませてお出かけだよ」
「忙しいのねぇ、お父さまも」
新聞を畳んだ元裕紀は、ミルクの入ったグラスに口唇《くちびる》をつけ、上目づかいに美土里を見て、続ける。
「多華子のことは判らないが、篠芙はまだ、休んでいるだろうよ」
「そう――…」
あまり興味がないといった風に、素っ気なく美土里は答え、キッチンの方から元裕紀の食事を運んで来た家政婦へと向き直った。
「わたしには、冷たいミルクと、なにも塗ってないトーストだけでいいわ。あまり気分が良くないの」
美土里は、またベッドに入るつもりなのだろう。彼等のやり取りを聞きながら、明煌は軽く頭を下げ、食堂を辞した。
裏手に駐《と》めた車に乗り込むと、一刻も早く離れようとでもするかのように、発進させた。
朝、出勤という形で観月にやってくる内弟子たちと出会わないように、公道へ出るまで裏手側の道を走ろうとした時だった。
車の前に現われた篠芙を、危うく轢《ひ》いてしまうところだった。
急ブレーキを踏み停車させると、篠芙の方も驚いたのか、振り返り、車のなかの明煌を見た。
いま、長い髪を後ろに束ね、白いシャツと、ブルーのサイドパネルパンツ、ロングブーツといった姿の篠芙は、明煌の知らない若者のようだった。
――だが、大きく開いた襟ぐりからのぞく細い首、浮き出た鎖骨の形が美しい篠芙の肌は、青白く、脇にデザイン的な二筋の切り替えがあるパンツも、下肢にぴったりとしているせいで、普段の和装の時にはそれほど意識せずにいられる腰の細さが際だって、明煌を動揺させるのだ。
近づいて来た篠芙が、助手席のドアを開けろと合図した。
急いでロックを解除した明煌の隣りへ、篠芙の方から乗り込んだ。
「車を出せ」
「ど、どこへ?」
問い返した明煌に、追い詰められたように篠芙が言葉を放った。
「どこでもいい、はやく、はやく行けッ、観月《ここ》から離れて、どこかへ行きたい……」
悲痛な篠芙の声に、明煌はアクセルを吹かし、発進させたが、どこへ行けばよいのか、見当がつかなかった。
「藤代へ行きますか? 篠芙さんの部屋はそのままです」
付け加えて、明煌は、
「俺は、先代の…父さんの使っていた部屋を、いまは使わせてもらってます…」と、言った。
夏江が、明煌に譲り渡したのだ。
「藤代は、もう、わたしの戻れる場所ではない。それに、すぐに見つかるところに逃げても仕方ない…」
篠芙から洩《も》らされた言葉を聞いた明煌の心が、――ああ、この人も、逃げ場がないのは、自分と一緒なのだと、切なさにうち顫《ふる》えた。
「なにがあったんです?」
心に疚《やま》しさを抱える明煌の声は、弱々しかった。
「お前に言う必要はない。それよりも、金は持っているか?」
「はい。少しならば……」
すると篠芙は一瞬だけ戸惑ったようだが、すぐに思い切ったのか、
「どこかのホテルへ行ってくれ、すこし眠りたい…」と、言った。
今度は、明煌の方が、戸惑った。
「三ノ宮…利彦さんのホテルですか?」
助手席にいる篠芙が、横目に明煌を睨《にら》んだ。
「なぜ、あの男のところへ行かなければならないのだ?」
いま、篠芙からは明らかに嫌悪が感じられ、三ノ宮利彦が思っているほど、彼にのめり込んでいる訳ではなさそうだった。
安堵するが、明煌は行き先に窮した。
「こんな時間にやってるホテルは、特殊なシティ・ホテルしかないですけど…、どうしましょうか?」
「そこでいい」
言われるがままに、明煌は、円山町《まるやまちよう》の、地下に駐車場があるシティ・ホテルへと、車を乗り入れさせた。
駐車場から、直接、好みの部屋を選び、前金払いで入室できるようになっている。
部屋に入った篠芙は、中央に置かれた大きな寝台《ベツド》と、ベッド脇の階段を三、四段降りたところにある、仕切りのないバスタブ、籐《とう》製品に見せ掛けた加工物のテーブルセットと、小型冷蔵庫にテレビといった部屋を見てから、明煌へと視線を定めた。
「こういうところへ来るのは、慣れているのか?」
「…た、たまに――」
「男…――とか?」
「い、いえ、女性…と――…」
そう答えた明煌は、切れ長の双眸《そうぼう》に凝視されたが、それ以上は問われなかった。
かわりに、
「酒はないのか?」と、訊《き》かれた。
「冷蔵庫に、ビールかウイスキーのミニボトルがありますけど、なにか食事を摂《と》ったほうがいいと思います」
朝食を食べていないのは、判っていた。
「何も食べたくない」
物憂げな仕種《しぐさ》で冷蔵庫を開けた篠芙は、並んだミニボトルから何本かを選んで取り出すと、中身をグラスに注ぎ、ほとんど一息に身体のなかへと流しこんだ。
無茶な飲み方だった。
「篠芙さん、やはり何か食べないと……」
次のボトルがグラスに空けられるのを見た明煌が、さすがに黙っていられなくなったのを、篠芙は遮った。
「うるさいッ」
グラスを片手に、篠芙は壁に寄り掛かると、明煌を睨《にら》みつけた。
「これ以上言うのならば、出て行け、わたしは一人で居たい」
「もう言いませんッ」
打てば響くような反応で、明煌が抵抗を示した。
「だから、俺は出て行きません」
篠芙はいつの間にか自分よりも背が高くなり、女とホテルを利用し、言い返すようになった異母弟を見た。
のびやかに育って行くはずだった明煌を歪《ゆが》めようとしてきた自分を思い出し、グラスの酒が、まずく感じられてきた。
――だが、明煌は篠芙を裏切ったのだ。
宴能会の夜と、――昨日の、夜。
身体の芯《しん》が疼《うず》いたような錯覚に捉《とら》われ、振り切るように、一気にグラスの酒を呷《あお》った篠芙は、逆に噎《む》せて、激しく咳《せ》き込んだ。
「大丈夫ですかッ」
駆け寄り、身体に触れようとした明煌を、篠芙が払い除《の》け、後退《あとずさ》った。
夜の痴態など露ほども感じさせずに、また、付け入らせずに、篠芙は明煌を睨みつけた。
「触るな、明煌ッ、わたしに触れてはならない」
それからおもむろに、責めるような口調で、篠芙は言葉を継いだ。
「黒式尉《こくしきじよう》の面を着けていない時にはな……」
明煌が、狼狽《ろうばい》を放った。
紋服を避け、貌《かお》は面で隠し、なによりも、背後からしか篠芙に触れていないのだが、やはり気づかれていたのだ。
「元裕紀が、黒式尉を継ぐと聞かされていた。それがお前だったとはッ」
崩れるように、明煌はその場に膝《ひざ》を折ると、床に両手を付いた。
「すみません……」
投げつけられたグラスが、明煌の脇で、床に砕け散った。
きまずい沈黙が続き、頭を下げたままの明煌は、近づいて来るブーツの、尖《とが》った爪先《つまさき》を見ていた。
許されるなら、足先に接吻《くちづけ》たいという欲望に明煌は捉《とら》われる。
「顔をあげろ、明煌――」
氷のような声が明煌に突き刺さってくる。
綺麗《きれい》な声だが、あまりに冷たく、抑揚に欠けていた。
顔をあげた瞬間、明煌は、頬《ほお》を平手で搏《う》たれていた。
突然のことで、眼の前に火花が散ったような衝撃を受けたが、今度は反対側の頬も搏たれた。
以前は、打擲《ちようちやく》されるのは始終だったが、決して篠芙は、自分の手で明煌に触れたりはしなかった。
ほとんどの場合、扇や謡本であったりしたが、いまは、篠芙の手の温《ぬく》もりを、感じる。
倒錯した恍惚《こうこつ》が、明煌を黙って搏たれるがままにした。
「なぜ、黒式尉に加わったッ」
肩を喘《あえ》がせながら、篠芙が、尽きない怒りと憎しみに満ちた声をあげる。
何の迷いもなく、むしろ、さらなる打擲を願うように、明煌が答えた。
「あなたを、抱きたかった……」
振りあがった篠芙の手が、鋭く明煌を搏ち据え、切れた口唇《くちびる》から血が飛び散った。
「明煌、お前にまで、そのようなことは言われたくないッ」
「…篠芙さん」
「――わたしは、十歳で観月に贈られた、藤代が再興するための人柱だったのだ…」
はじめて篠芙は、自分の口から、その事実を明煌へと告げた。
「わたしは、いままで、観月の男たちに人とは思われず、欲望を満たす玩具《がんぐ》のように扱われてきた」
篠芙の資質に、観月流の要素を見た宗家たちは、篠芙を責めて、心は氷のように、だが、肉体は火のように、培養したのだ。
それは、三年前に藤代|弥昌《みしよう》が交通事故死するまでの間、観月に住まわされた篠芙の夜の勤めとして繰り返された。
四人が揃わずに、夜を赦されたとしても、それぞれが稽古《けいこ》の後などに、慌ただしく篠芙の口唇や手を求めてきた。犯されるまではなくとも、肉体が切なくなるまで秘所を手慰まれ、淫《みだ》らな言葉を口にさせられたりもした。
それでも稽古は手加減されることなく厳しく、同じだけの熱心さと時間をかけられて、肉体の方も仕込まれたのだ。
さすがに、弥昌が亡くなると、篠芙は次期家元として、藤代の屋敷へ帰ることを赦され、稽古にだけ観月へ通えばよくなったので、夜伽《よとぎ》の回数は減った。
篠芙が異母弟の明煌を犯したのは、この頃だ。
「毎晩のように、観月の男たちに弄《もてあそ》ばれてきたわたしは、男ではなく、女でもなかった。だから、今度はお前を犠牲にすることで、男である自分を取り戻したかったのだ…」
篠芙にも、迷い、苦しんだ時期があったのだ。それを救うために、明煌は選ばれていたのだ。
「若があなたに八つ当たりしていたのは、それだけ、あなたに気を許していたからだ」と、真木の言葉が、いま、ようやく明煌に解された。
自嘲《じちよう》的に、篠芙は美しい貌を歪めた。
「だが、うまくは行かず…、そのうえに、お前にまで――……」
なおも打たれることを覚悟で、明煌は篠芙を凝視《みつ》めた。
「…許してください。でも、あなたは、俺が、どんなにあなたを憎んで、そして、恋い焦がれていたか、知らないでしょう…?」
聞きたくないというふうに、篠芙は貌を背けようとした。
「俺は、ずっとあなたしか眼に入らなかった。あなたが、俺のすべてだった。だから、あなたの仕打ちが憎かった…、そんな時、亡くなった宗家たちに焚《た》きつけられて……」
堰《せき》を切ったように、明煌が胸の裡《うち》を吐き出した。
「けれども、嗾《けし》かけられたとは言え、俺は、あなたを――俺の神を冒涜《ぼうとく》してしまった。あの過ちを、…あなたは、決して許してくれない。でも、俺は、あなたの側にいたい。そんな俺には、もう、黒式尉に加わるしか方法がなかったんです…」
開き直りにも聞こえる告白だったが、明煌の、なめらかな象牙《ぞうげ》のような頬には涙が流れていた。
自分でも気がつかないうちに、涙が溢《あふ》れていたのだ。
「お前は、黒式尉の面を返すつもりはないか?」
「はい」
迷いもなく答えた明煌を、篠芙は睨みつけた。
「わたしが、手を付いて頼んでもか?」
負けじと、明煌も凝視《みつ》め返す。
「はい。俺が断れば、元裕紀さんが黒式尉に加わると知って、酢を飲まされたように、辛《つら》かった…」
「泣くなッ」
怒ったように篠芙は言い、すばやく明煌の前から離れて背をむけた。
「どんなことであれ、観月の男たちの仕打ちごときで、泣いてはならない……」
「…はい」
頭を振って、明煌は流した涙をふりはらった。
篠芙は、ベッドの方へと歩いて行き、端に腰を下ろした。
「こんなことになるくらいならば、お前が藤代を襲《つ》ぎ、わたしの役割は終わったと思った時に死んでいれば良かったのかもしれない…」
「やはり篠芙さんは、元裕紀さんが言ったように死ぬつもりだったんですね?」
明煌の胸が締めつけられてくる。
過去にも、篠芙が死を思い詰めていたのではないかと思い当たる出来事があった。
「……そうだ」
だが現在、偽りない答えを、篠芙が口にした途端に、明煌は弾《はじ》けた。
「いま、篠芙さんは、観月の男たちの仕打ちごときで泣くなと言ったのに、――死んでしまおうとしたんですかッ」
「お前になにが判る。泣くまいと心に誓ったのも、どんな辱めにも耐えたのも、藤代を復興させなければならないという目的があったからだ。それを失った時のわたしの気持ちが、お前になぞ、判るはずはない……」
「現在のあなたは、自分に課せられたもっと大きな役目があるのを忘れてるッ」
激して、明煌が反発をあらわにした。
「観月の芸を後世に残すという、元裕紀さんに出来ないことを代わってやらなければならないんです。やりたくても、やれない人がいるのに、六百年の歴史を持った流派が、あなたを必要としているのに、その人たちを見捨てるんですか?」
はっきりと憤りに近い感情を放ち、挑み掛かってきた明煌を、篠芙は視線をあげ、凝視した。
「お前は、強くなったのだな」
「そ、そうかもしれません。…でも、死んでいた方が良かったと言われるほど、篠芙さんは、俺を嫌っていたんですね……」
いまほどの激しさが嘘のように鳴りを潜め、うなだれた明煌の方こそが、死んでしまいそうな顔色になっていた。
「……お前が、特に嫌いだというわけではない。わたしは、誰も…愛せないような気がするだけだ…」
ハッと、明煌は顔をあげた。
泣かないと誓った時に、篠芙は、愛をも永遠に失ってしまったのか……。否《いや》そうではない。と、明煌は思った。
――神とは、誰も愛さず、愛を受ける者を言うのだ。
「あなたは、俺たちを支配する神だから、捧《ささ》げられる愛に決して満足しない」
「神などではない。わたしは、観月の娼婦《しようふ》だ」
「いいえ、観月の宗家は、篠芙さんを自分たちが丹精し、育てた花だと言いました。俺も、そう思います…」
咲かせて、散らさせる花なのだ。
だが、確かな樹木があるかぎり、花は永遠に咲く。
確かな樹木。それは篠芙の舞う才能だ。
――それならば、と明煌は思った。自分は、篠芙という樹木に添い、絡まる藤蔓《ふじづる》になりたいと…。
「基世さんが?…」
「いえ、亡くなった先代の宗家です。――俺も、一時あの人たちに抱かれてたけど、その時に、宗家だけは、決して俺に触れなかった。ただ見ていた。宗家が触れるのは、篠芙さんだけだったんだ……」
亡き人を偲《おも》ってか、篠芙は視線を伏せた。
明煌の位置から見えるのは、篠芙の横顔で、いまは深い憂いが影《さ》しかかっている。哀れなほどに美しく見えた。
「眠りたい……」
次にそう言った篠芙の言葉が耳に入り、慌てて明煌は立ちあがった。
ベッドカバーを取り除き、横になれるように上掛けをめくると、端に腰掛けた篠芙の前に跪《ひざまず》いて、ブーツを脱がせた。
「お前も、眠っていないのだろう」
されるがままになっていた篠芙は、足を揃えてベッドにあがると、広々としたシーツの上を指した。
「え…俺は…でも――…」
当惑したような明煌を横目に、篠芙はベッドの上に身体を横たえた。
「眠るだけだ。お前も、黒式尉を元裕紀に渡さないつもりならば、彼等の掟《おきて》を守るはずだからな――」
そう言った篠芙を、いっそうの驚きで、明煌は凝視した。
「…俺を、赦《ゆる》してくれるんですか?」
それには答えずに、篠芙は眼を閉じてしまった。
しばらくは、答えを待った明煌だが、やがて、微《かす》かに、規則正しい寝息が聞こえるようになると、諦《あきら》め、上掛けを引きあげて篠芙を覆った。
明煌は床に腰を下ろし、ベッドに寄り掛かると、眠りに就いた篠芙の貌《かお》を見ながら、自分も何時しか、眠りに落ちた。
「この人を、守って行くのだ」と、心に誓って……。
九[#「九」はゴシック体]
夜になり、観月《かんげつ》の屋敷へ戻った二人を迎えたのは、元裕紀《もとゆき》であり、来客中だった基世《もとよし》は少し遅れて奥≠フ座敷へと現われた。
夕刻までは基仙《もとひさ》も芝浦《しばうら》も居たのだが、それぞれが自宅へ帰った後だったので、騒動にならずに済んだ。
篠芙《しのぶ》と明煌《あきら》とは、二人並んで基世の前に正座し、離れた位置に元裕紀が控えた。
「いままで、どこへ行っていたのだ?」
水底から響くような、重厚な基世の声には、瀞《しずか》だが、抑えた怒りが込められているのが判った。
激昂《げつこう》し、爆発しないだけ、根深く、強いのだ。
「…すみません」
言い繕いを省き、篠芙が頭を下げたので、明煌も同じく頭を下げた。
「わたしたちにどれほど心配を掛けたのか、篠芙は判っているのか? 真木は、まだ探し回っているのだぞ」
「真木さんには、あとで詫《わ》びます…」
今朝、篠芙は真木の目を掠《かす》めて、外へ出たのだ。
常に穏やかな彼といえども、怒りを感じているだろう。心配が大きければ、後の怒りも大きいのだ。
「篠芙は、これで二度目だな。お前には自覚が足りないのかもしれん。よいか、同じ年頃の、普通の若者ならば、一日や一晩、家を空けただけではこれほど騒がれないだろうが、お前は、鏡花《きようか》の名を襲《つ》いだ観月の後継者だということを、決して忘れてはならないのだぞ」
「はい」
下げていた頭を、さらに低めて、篠芙が恭順を現わすのを見て、基世の声音にも和《やわ》らぎが混じった。
「――だが、お前にも言いたいことはあるだろう。言ってみなさい」
基世にすれば、背後に控えるのは息子の元裕紀であり、篠芙と並んで頭を下げているのは、黒式尉《こくしきじよう》に選んだ明煌なのだ。
昨夜、観月の奥≠ナ催された淫饗《うたげ》を知らない間柄ではなく、また、いまさらながら隠すべき事柄はないと思っての問い掛けだが、上に立つ者独特の高圧さが滲《にじ》んでいた。
篠芙が決して、不敬な答えを返さないと思い込んでいるところがある。
「独りになりたかっただけです」
頭をあげ篠芙は、基世へと切れるような眼眸《まなざし》を向け、視線を定めた。
無言の抵抗を、基世は相手にしなかった。
「独りというが、明煌と一緒だったのではないのか?」
かすかに、軋《きし》むような音が基世の声にまじる。
「観月を出たところで、明煌に見つかりました…」
篠芙がそう答えたのを聴き、基世は、明煌の方に確かめた。
「本当か? 明煌」
「はい。朝、一度|藤代《ふじしろ》へ戻ろうと車をだしたところで、篠芙さんを轢《ひ》きそうになって…」
「ぶつかったのか?」
基世の声が、険しくなる。
「いいえ」
「では、その後は、二人でどこに居たのだ」
篠芙では埒《らち》が明かないと思った基世の矛先は、明煌の方へ向けられ、正直に話すしかなかった。
「ホテルです。円山町のホテルで、いまさっきまで篠芙さんは眠っていて……」
「眠っていた?」
「すごく疲れているみたいでした」
昨夜、狂乱の饗《うたげ》の最中とはいえ、ふたたび契りあった二人の姿を見ていた基世なのだ。
篠芙は、何時にも増して、激しく乱れ、狂ったように喜悦を極めては、豊かに声を洩らし、果て、さらに需《もと》めた。
現在は、玲瓏《れいろう》とした気品に輝き、落ち着き澄ましている篠芙の裡《なか》に培養された淫《いん》を、明煌は引き出したのだ。
「お前は、何をしていた?」
ゆえに基世は、そう明煌に訊《き》いた。
篠芙が明煌を需めないはずがない。
明煌が篠芙を欲しがらないはずがない。
基世はそう邪推しているのだ。
だが、明煌の答えは違っていた。
「俺も、一緒に寝てました…」
沈黙が、四人の間に重い空気のようにわだかまった。
だが篠芙は、夜の穹《そら》に、青く、皓《しろ》く、光る月のように冷たくも美しい貌《かお》をあげて、じっと基世を凝視している。
見る人を黙らせてしまうほどの、美しく整った姿だった。
無言の抵抗と、怒りと、――悲しみを感じとったのか、基世の方で折れた。
「今回は無事に帰ってきたのだから、これで不問にするが、以後、篠芙は観月流三十代目として、考えを改めるように…」
「はい。明煌にも、諭されました」
基世と元裕紀の視線が、明煌を捉《とら》えた。
「どうやら、明煌の方が物が判っているようだな」
苦笑いを口許《くちもと》に泛《うか》べ、基世は頷《うなず》いた。
「ところで三ノ宮|翁《おう》が、近いうちに篠芙と明煌を昼食会に招きたいと言ってきた。どうやら、利彦くんが機嫌を損ねているらしい。さしものご老人も、孫には弱いようだな」
視線を逸《そ》らさず、基世を凝視《みつ》めたまま篠芙は静かに答えを返した。
「宗家が望まれるのであれば、わたしは行きます…」
「ふ…む、まだしばらくは、焦《じ》らしておけばいい」
そう答えた基世は、次には明煌に向かい、
「もういい、行きなさい」と、言った。
「は?…はい」
元裕紀が、促すように立ちあがったので、明煌も従い、篠芙の部屋から出なければならなかった。
「篠芙は、家出するつもりだったのかな?」
廊下を渡って、中≠ヨと戻る途中に、先を歩いていた元裕紀が訊いてきた。
「判りません、お金を持っていなかったみたいですし…」
ふっと元裕紀が立ち止まり、明煌を振り返った。
「金も持たずに家を出たのなら、自殺するつもりだったんじゃないのか?」
「ち…違うと思います…」
まっすぐに、元裕紀の眼が、明煌を責めるように凝視してくる。
「なぜ?」
明煌は彼の視線を避けて目を伏せ、長い年月、通り過ぎて行った人々に磨かれ続けた暗い光沢を放つ廊下を見た。
この仄暗《ほのぐら》さは、観月の歴史と闇が凝り固まったようにも見えるのだ。
そして、六百年の歴史を誇る観月の、闇の部分には、元裕紀も存在する。
観月の舞台に招かれて舞う、篠芙という光があまりに強いために、元裕紀の輝きは人々の眼に届かなかった。
そればかりか、あれが観月の血筋でいながら、芸に恵まれなかった御曹司《おんぞうし》よと、陰口を囁《ささや》かれ続けてきたのだ。
その時間の間に、元裕紀は、様々な心の眼を養った。
初めから上位に居て、上からしか下を見てこなかった者とは違う視野と、抜け目なさを身に付けたと言っても良いかもしれない。
その元裕紀の眼で凝視《みつ》められると、心を見透かされた気がして、明煌は落ち着かなくなるのだ。
「篠芙さんは、ただ、観月の屋敷に居たくなかっただけだと思います。俺には、そんな気持ちが、判る…から…」
どこにも居場所がないような、誰にも助けを求められないという孤独。――元裕紀も知っているはずだ。
「篠芙と寝たのか?」
唐突に、元裕紀が訊いた。
「いいえ」
明煌の否定を信じない様子で、元裕紀が続けた。
「嘘を吐《つ》いても駄目だよ。いま頃、篠芙の方は、宗家に責められて、白状させられてるさ」
「そんな…、宗家は、不問にすると言われたのに…」
単純に信じた明煌は、愚かだった。
気がついてもよかったのだ。三ノ宮利彦が帰った後に、基世が篠芙に対し、なにを強要したか自分の眼で見ていたのだから。
「戻って来たから、無断外出は赦すが、他の疑いは別だよ。特に、明煌、君と一緒だったというのが、まずかったね」
「ど、どうしてですか? だって、俺たちは何も疚《やま》しいことはなかったのに…、それに、昨夜、あれだけ責められて、篠芙さんは、疲れきってました。それを、また責めるなんて…」
「どんな責め方をするのか、知ってるかい? 宗家は、――いや、父さんは、篠芙の内に君の証《あかし》が残っていないかまで調べてるさ、君たちが、契ったのであれば、それこそ、ただではすまないね…」
瞬間、明煌の裡に、あの、ディップローションを注入された時の、妖《あや》しく、狂おしい快感が、甦《よみがえ》ってきた。
身体の内を蹂躙《じゆうりん》する粘液の威力が醸し出す凄《すさ》まじさに、篠芙は頽《くずお》れてしまうだろう。
「篠芙が心配?」
「はい」
「素直だな。それが君の良いところなんだが、知ってるかい? 宗家は、黒式尉《こくしきじよう》に俺を加えるつもりだったんだ。俺にだって資格はあるからな。それを真木が反対して、君に決まったんだよ」
思いがけない展開を聞かされて、明煌は戸惑った。
「真木はこう言ったんだよ。篠芙は君に抱かれるのを嫌がってるが、抱かれれば、ひとたまりもないだろうって…、その方が、後から宗家が篠芙を責める口実になるのではありませんか…とね」
「どういうことです?」
「鈍いな、判らないのか? 篠芙は俺たち観月の男には従順だけど、心の裡《なか》では嫌ってる。けど、君にはその反対ってことさ。仮に、憎からず想いあってる者同士が肌を交わらせたらどうなると思う? あの篠芙なら、際限もなく感じてしまうだろうな」
元裕紀は明煌の表情をうかがいながら、続けた。
「そんな篠芙を見れば、宗家は嫉妬《しつと》する。なにしろ父さんにとって篠芙は、御前様《ごぜんさま》と一緒だからね、嫉妬に狂って、鬼になるんだ……」
思い出し笑いに口許を歪《ゆが》ませながら、元裕紀が言葉を継いだ。
「それから真木は、黒式尉の掟《おきて》に縛られない方が、お若い元裕紀さんには、却《かえ》って都合がよいのではありませんか…だって、我が家では、彼が一番の策士だよね。結局、真木の配《はい》で、君も篠芙を手に入れられたんだし……」
まさか……と、明煌が呻《うめ》いた。
真木は篠芙の味方だと信じていた。
「心配しなくてもいいよ。真木は、篠芙が一番大事の男だよ。でも、彼も正常な男なんだから、欲望はあるというだけさ、観月の男なら、みんな篠芙を放っておけないのさ」
篠芙と真木との間に関係があるのかは、明煌には判らない。ただ漠然と、真木には無縁のことのように考えていたのだ。
「判らなくなりました。真木さんは、そんな人に見えなくて……」
「そんな人か、だったら君も、そんな人には見えないよね? 実の兄を強姦《ごうかん》するような人には…」
言われて、明煌は羞恥《しゆうち》で顔が赤くなった。
「篠芙が真木に気を許してるのはね、彼は篠芙が求めない限り手を出さないからさ、一緒に居て、身体の内まで洗われるようなことされても、絶対に犯される心配がない。その点、君は若過ぎるよね」
欲望に負けてしまった明煌を、責めるかのような元裕紀の言葉だった。
そのうえに、苦笑まじりに付け加えられる。
「ああ、そうだ。君も、まだ帰れないよ。真木が戻るまで自分の部屋で待って、何があったかを話すんだな」
「俺も、事情聴取ですか」
強張《こわば》った声音で、明煌は問い返してしまう。
「そうだな、観月にとって大事なお宝に手を付けたんだからな。俺なんかは、何時でも手が出せるとなったのに、キスも出来ない。これ以上、篠芙に嫌われたくなくてね…」
「俺たちはなにもありません。元裕紀さんが教えてくれたんですよ、黒式尉の掟を……」
楯突《たてつ》くように、明煌が口にした。
「だったら、もうひとつ教えてやろうか?」
「なんですか?」
構えた明煌を、元裕紀が笑った。
「篠芙の方から誘われれば、掟を破ったことにはならないのさ、昔よく、父さんがその手口を使ってたよ。虐《いじ》めて、むりやり言わせてたんだけどね」
廊下の隅やら、納戸のなかに連れ込まれる篠芙を見たことのある元裕紀だった。薄暗い内部で何が行われているのかを、間もなく知った。
基仙や芝浦は、篠芙を跪《ひざまず》かせ、口舌奉仕を強要し、あるいは身体を弄《もてあそ》んでいたが、基世は、篠芙がもっとも弱く、羞《はず》かしがる苦しみを与え、赦《ゆる》すことと引き替えに、自分を求めさせたのだ。
「わが父親ながら、恐ろしいと思うね。ほら、もう一人、怖い男が戻って来たよ」
長い廊下の向こうから、こちらへ向かって来る真木の姿が見えた。
「気をつけるんだね、彼を怒らせると、誰よりも怖いんだよ」
笑いながら、元裕紀は、奥≠ニ中≠ニの狭間《はざま》にある、歴史と闇が巣くう廊下の暗がりに明煌を置き去り、一人で行ってしまった。
ほとんど擦れ違うほどに近づいてから、囁《ささや》き声だが、有無を言わせない語調で真木が明煌を促した。
「明煌さん、わたしは宗家に帰宅の報告に行かねばなりませんが、一緒に来ていただきます」
「俺は逃げません。自分の部屋で待っていますから…」
いま、奥≠ノある離れ座敷へ戻れば、基世が篠芙を責めているところに出会《でくわ》すだろう。篠芙は、自分に見られたくないはずだと、明煌は思うのだ。
――篠芙を傷つけたくない。
「駄目です。わたしと一緒に来なさい」
命令口調で真木に言われるのは、初めてだった。こめられた、怒りが感じられる。
「真木さん、待ってください」
明煌は、真木を呼び止めずにはいられなかった。
暗がりのなかで、ゆっくりと振り返った真木は、常と変わらない穏やかな表情だったが、それで安心は出来ないのだ。
「俺はどんな罰でも受けます。でも、篠芙さんのことは理解してあげてください。篠芙さんは、独りになりたかっただけなんです。どこかに逃げたいと思っただけなんです…、俺が、黒式尉に加わったのも原因なんです」
それならば、真木にも原因があるのだ。暗に責めたつもりはなかったが、結果として、そうなった。
「あなたに言われるまでもなく、わたしは誰よりも、篠芙さんを理解しているつもりですよ」
「でも、いま元裕紀さんから聞きました。俺を黒式尉にする時に、真木さんが宗家に何と言ったのか――」
うっすらと、真木の口許が笑みを湛《たた》えたように見えたが、顔を微《かす》かに仰《あお》のかせたからであり、結局、彼の無表情は変わっていないのかもしれなかった。
「篠芙さんは、あなたを必要としていますが…、自分でもよく判っていないことを、わたしが説明するよりも、行動に移した方が手間が掛かりませんからね。そうしたまでです」
「俺を、必要としている?」
繰り返した明煌の前で、静かに踵《きびす》を返した真木は、闇に閉ざされた奥≠ヨと入って行った。彼も、この観月の闇に属する存在なのだ。
明煌も、後を追うしかなく、ふたたび篠芙の寝間を覗《のぞ》くことになった。
だが、次の間の方へ入って行った真木には従わず、明煌は寄付の方に控えた。
「真木です。ただいま戻りました」
奥座敷の襖《ふすま》が真木によって開けられるなり、寝具の上に横たわった篠芙の裸体が見えた。
両肢を抱え、基世が吸淫《きゆういん》で責めている。
あおのいた篠芙の頤《おとがい》は反り返り、時おり、喘《あえ》ぐように喉許《のどもと》が上下するのが判るくらいで、ぐったりしている様子だった。
「ご苦労だったな、明煌を呼ぶがいい」
口唇《くちびる》を外して、基世がそう言うのに、真木は答えた。
「ここに連れて来ました」
のけ反っていた篠芙の顔が、次の間の方へと向けられ、またすぐに、逸《そ》らされた。
そんな篠芙の両肢をかかげ、基世が顔を埋《うず》めてゆく。銜《くわ》えられた瞬間、篠芙の下肢は淫《みだ》らに捩《ねじ》れあがった。
基世が口舌愛戯で篠芙を弄んでいる間に、明煌はもう一度|訊《き》かれ、最初から話さなければならなかった。
真木の問い詰めは、今日一日に限らず、三ノ宮利彦のことにまで及んだ。
明煌は、和久井堂で三ノ宮利彦に声を掛けられ、ホテルへ連れて行かれたこと、自分から利彦を誘ったこと。――さすがに、ディップローションのことは隠したが、篠芙とはもうセックスしないでくれと頼んだことなど、総《すべ》てを話した。
利彦を受け入れた後に、基世が篠芙を責め立てる現場を見てしまった部分も、省くのを忘れなかった。
基世に身体をあずけ、弄ばれるように口唇の愛撫《あいぶ》を受ける篠芙は、何時しか、これ程までに自分を想い詰める明煌へと視線を向け、二人は、凝視《みつ》め合うことで、妖《あや》しく交歓《まぐわ》った。
晩《おそ》くなって、明煌は解放されたが、宿泊するしかないと部屋に戻ったところで、今度は、多華子に呼び止められた。
「叱《しか》られたの? 明煌さん」
多華子は、淡いウグイス色の小紋を身に着けていて、まだ休んでいた様子はなかった。
「どうしたんですか、こんな時間に…」
十一時を回っている。だが、多華子は強引に入って来ると、勝手に部屋の灯りを消してしまった。
「わたしから、明煌さんに一生のお願いがあるんだけど…」
「お願いって、なんですか?」
今朝、中庭で泣いている姿を見たばかりの明煌は、いささか戸惑いがちに訊きかえした。
「必ず、叶《かな》えてくれると約束して欲しいの」
「それは、まず聴いてみないと判りません」
すると多華子は、半ば脅しに近い心情で、迫ってきた。
「叶えてくれなければ、わたし、あなたを刺すわよ」
いつしか暗闇に眼が馴《な》れ、また、東側の障子戸から差し込んでくる外灯の明かりで、部屋のなかがぼんやりと見えるようになっていた。
その薄明かりに、彼女が袂《たもと》にひそませている刃物が、ぬらめいた光を放った。
「本気なんですか?」
穏やかではない。怖くも感じたが、彼女を思い詰めさせた原因を、明煌の方は知りたくもあった。
女性が垣間《かいま》見せる激しさには戸惑うものの、そういう人間的な感情のうねりを、いまは理解できる気がしているのだ。
それは、明煌自身の裡《なか》にもあるのだから……。
「わたしは本気よ、明煌さん」
「俺で、叶えられることなんですか?」
頷《うなず》いた多華子の、黒目勝ちの双眸《そうぼう》が、手に持った刃物のように、キラリと炯《ひか》る。
「復讐《ふくしゆう》したいの」
多華子が、そう言った。
一瞬、二人は息すらとめて、凝視《みつ》めあった。
「だ、だれに?」
まさか、篠芙に対して復讐を考えているのではないか…と、明煌から放たれた狼狽《ろうばい》を、多華子は冷ややかな声で否定した。
「観月に復讐するのよ」
ふたたび、数瞬の沈黙が二人の間を満たし、かすかな波をつくりだしていった。
「なにがあったんです?」
今朝、明煌は篠芙にも同じ問い方をして、「お前に言う必要はない」と、退けられたのを思い出した。
同じ朝、多華子は、庭で泣いていた。
「昨日の夜のことよ…」
多華子がそう切り出したのを聴き、明煌の動機が速まる。まさか、見られたのではないかという恐れが、平静ではいられなくさせてくるのだ。
「篠芙さんはね、美土里さんと人工授精させられたのよ」
「エエッ」
あまりに明煌の驚愕《きようがく》が激しかったので、多華子は、自分がもたらした言葉のもつ意味の衝撃度を再認識する様子を見せた。
明煌の方は、医学設備を必要とする人工授精が一般の家屋敷で行えるものなのか、多華子の想像力が生んだ妄想なのではないかと疑っている。
「信じないのね。でも本当よ。昨日の夜、元裕紀さんが、わたしのところにきてそう言ったもの。篠芙さんの意思じゃないから、人工授精みたいなものだって――」
「元裕紀さんが?」
「だから、わたしにも子供を産ませるって…、力ずくで…わたしを犯そうとしたのよ」
未遂に終わったのは、多華子が刃物を忍ばせていたからだった。
先ほどまで一緒にいた元裕紀は、そんな素振りなど見せなかった。
「でも、なぜ美土里さんなんです?」
そのうえに何故、客人を相手にした夜が選ばれたのか、明煌には判らない。
「美土里さんが、夫や子供を外国において帰国したのは、篠芙さんの子供を産むためなのよ」
衝撃的な事実を、多華子が口にした。
「あの人は、女だから後継者になれなくて能を辞めたけど、元裕紀さんよりも、もっと才能がある人だったそうよ、だから宗家は、サラブレッドを交配するみたいに、篠芙さんと美土里さんの子供が欲しいのよ」
「それが、昨日の夜だったんですか?」
「女には、妊娠しやすい日があるのよ。だから、その日が選ばれたの…よ」
そう言われれば、三ノ宮老人が口にした言葉の意味も判ってきた。
「ほほう、子胤《こだね》を溜めさせられておるとか、切ないのう…」
偶然に、日が重なったのか、それとも、女性を相手に出来ない篠芙には、前もって男たちとの愛欲にまみれる必要があったのか……。
「美土里さんに子供が産まれたら、わたしたちの籍に入れるつもりなのよ。そして、わたしには元裕紀さんの子を産ませるつもりなんだわ」
美しく、才能ある尊い人を夫に迎えられると知った時に、多華子の裡に点《とも》った灯火《ともしび》は消え、いまは、復讐にもえる激しい焔《ほのお》が、女の裡で燃え盛っている。
瞳《ひとみ》を憎しみで輝かせて、多華子が明煌を見た。
この眼には、この顔には、見覚えがあった。
嫉妬心《しつとしん》と怒り、未練に燃えあがる橋姫《はしひめ》≠フ面だった。
「わたしの願いを叶えて、明煌さん」
霊界から授かったかのような、鬼女の力で、多華子は明煌の腕にしがみついた。
「どうしろと?」
もはや明煌は、女が放つ怪しい力に囚《とら》われかかっている。
「あなたの子供を、産ませて」
明煌に、多華子は迫った。
「大それたことを、怖くはないんですか?」
橋姫≠フ顔が、凄味《すごみ》を増して、微笑んだ。
「怖くはないわ、観月の嫁ですもの――」
多華子の熱い肌が、触れてきた。
ああ…と、明煌は呻《うめ》いた。
この屋敷には、何匹の夜叉《やしや》が棲《す》むのだろうか……。
「産まれてしまえば、より才能のある方が選ばれるわ。わたしは、あなたとの子を、観月の後継者になるように育ててみせる。観月の歴史のなかに、わたしたちの血を混ぜてやるのよ」
多華子から放たれた呪詛《じゆそ》にも近い言葉は、だが、明煌を陶然と酔わせた。
明煌は、甘美な眩暈《めまい》と戦慄《せんりつ》を覚え、身体の顫《ふる》えが止められなかった。
――それは、自分の子供と、篠芙の子供がふたたび競い合うということへの、喜びだ。
いま、明煌は、自分の裡にも潜む、夜叉を見た気がした。
[#改ページ]
二〇〇四年、文庫化によせて。
『花鎮の饗』を最初に書いた一九九四年から十年が経ちました。
もともと続編やシリーズ物を書くのは得意ではありませんので、「ああっ、こんな設定にしていたのね、過去の私ったら……」という戦《おのの》きの連続と、加筆修正の嵐でしたが、『花夜叉』を発行していただけることになり、たいへんに嬉《うれ》しく思っています。
挿画も、小島文美《こじまあやみ》さん、水上有理《みずかみゆり》さん、舞方《まいかた》ミラさん、そして今回の小林智美《こばやしともみ》さんと、私の大好きな、すばらしい方々に描いていただけて、作者|冥利《みようり》に尽きるとはこのことです。
残念なのは、CDドラマで篠芙《しのぶ》を演じてくださった声優の塩沢兼人《しおざわかねと》さんが亡くなられて、もう篠芙を演じていただけないことです。
このように、十年という歳月は、いろいろな変化がありました。
本来、『花夜叉』の文庫に入れたいと思って書きました『花鬼』が、思いの外長編になってしまいましたので、小林智美さんの挿画で単行本になっています。
相変わらず、強気の人たちに利用されてしまう明煌《あきら》ですが、彼も少しはしたたかに成長したのではないか……と思います。
この『花夜叉』ともども、『花鬼』をも、お愉《たの》しみいただければと願っております。
ありがとうございました。
二〇〇四年一月
[#地付き]山 藍 紫 姫 子
角川文庫『花夜叉』平成16年1月25日初版発行
平成16年7月5日3版発行