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野ざらし忍法帖
山田風太郎忍法帖短篇全集 2
目 次
忍者車兵五郎
忍者仁木弾正
忍者玉虫内膳
忍者傀儡歓兵衛
忍者枯葉塔九郎
忍者梟無左衛門
忍者帷子万助
忍者野晒銀四郎
忍者枝垂七十郎
「甲子夜話」の忍者
忍者鶉留五郎
[#改ページ]
忍者車兵五郎
一
赤坂|溜池《ためいけ》というのは、いまは地名ばかりのこって池の影もとどめていないが、江戸時代は赤坂|見附《みつけ》から虎の門にかけて茫々《ぼうぼう》とひろがる湖のような池であった。
享保《きようほう》年間のことである。葵坂《あおいざか》を下った溜池のほとりに「忍法指南、車兵五郎《くるまへいごろう》」の看板をかかげた者がある。剣法柔術、槍に馬に弓に軍学まで江戸に武芸の道場は星の数ほどあるが忍法の指南とはめずらしい。
そのうえ、その看板とならんで板が一枚うちつけられ、そこにかかれた十数行の文字が人々の眼を見はらせた。
「願いあげ奉《たてまつ》り候事《そうろうこと》。
浪人車兵五郎申しあげ候。拙者《せつしや》儀尾張中納言様に御奉公相勤め罷《まか》りあり候ところ、旧臘朋輩御厨金藤次《きゆうろうほうばいみくりやきんとうじ》と申す者、仔細《しさい》は相知れず、拙者を闇討《やみうち》にいたさんと謀《はか》り候につき、討ち果たし退転|仕《つかまつ》り候。しかれば御厨一族のもの、拙者を敵《かたき》として相尋ね候えば、これ以後|見合《みあい》次第ことごとく返討ちにいたしたく存じ奉り候。これによって後日のため申しあげおき候。以上。
享保十六|辛亥年《かのといどし》一月
御奉行様
[#地付き]車兵五郎」
実にこれは容易ならぬ文面である。もとより武士でちかづく者はなかったが、文字の読めないあるいは好奇心のつよいあるいはへそのまがった町の江戸ッ子たちが、それでも七、八人入門してみた。
車兵五郎と名乗る浪人は二十七、八の沈鬱《ちんうつ》な男であった。頬《ほお》も蒼《あお》く痩身《そうしん》であるが、名状しがたい精悍《せいかん》さとともに、「忍法指南」という看板はいかさまでも、こけおどしでもないと充分に思わせる妖気《ようき》があった。
無智な入門者のなかには、印《いん》を結べば姿がきえたり忽然《こつねん》と大蛇があらわれたりする幻術をすぐに夢想したものもあったし、それほどにまで思わなくても、指さき一本で畳がかえったり、天井を走ったりするくらいのことは期待していたかもしれない。
しかし、この口数の少ない、陰気な師匠の教えることは、跫音《あしおと》をたてずに歩いたり、ながいあいだ息をつめていたり、逆立《さかだ》ちをしたり、縄飛びをしたり――といった、なんの変哲も面白味もない、地味な訓練ばかりである。しかもそれを退屈そうに、むしろ放心状態でぼそぼそと教えるのだから、稚気《ちき》にみちた弟子たちはすぐに逃げ出した。
それでも車兵五郎は狼狽《ろうばい》も落胆もせぬ顔で、やがて訪れた春の花の下で、ただ茫乎《ぼうこ》たる顔をさらしていた。
ところで、例の「拙者を敵として云々《うんぬん》」の札であるが、このような不敵な広告をかかげた者は、江戸はじまって以来ひとりもなかろう。これは敵討ちを望む者が、あらかじめ町奉行に提出しておく届書を逆用したものである。もしこれが事実ならば、当の復讐者《ふくしゆうしや》はもとより、尾張藩も町奉行所も、手をむなしゅうしてこの表示を見のがしているはずがない。
しかし、春が逝《ゆ》こうとしているのに、兵五郎はぶじであった。だから、あれは売名者の鬼面人《きめんひと》をあざむく売出しの奇手ではないかといい出した者があった。それにしては、これが偽りとしても、尾張藩や奉行所が看過《みすご》しているわけはない。それで、炯眼《けいがん》なものが、ようやく「なるほど」とひざをたたいた。まことにこの浪人が敵《かたき》を持つ身ならば、これはかえって危険をふせぐ苦肉の妙手かもしれない。
そもそも「敵討」には、不文律がある。
原則上のきまりとして、第一に目的が真に復讐であること、第二に死に酬《むく》ゆるに死を以てすること、第三に復讐者は、はじめの被害者のだいたい三等親(甥姪《おいめい》)かせいぜい四等親(従弟妹《いとこ》)以内の、しかも目下《めした》の人間であること。
手続上のきまりとして、第四に主君より敵討ちの免状をうけ、さらに幕府を通じて奉行所の敵討帳に記入をうけていること、第五に敵討ちの場所として禁裡御築地《きんりおついじ》内、江戸城|廓《かく》内をさけること、第六に、目的を達しないうちに相手が死んだ場合、その確証を得て報告すること。
最後に、討たれた者の子がまた討つとあっては、子々孫々あらんかぎりの敵討ちがつづくわけだから、この「復敵討《またがたきうち》」は認めないこと、などである。
さて、この車兵五郎なる男は、尾張藩で人を殺してきた人間であるらしい。したがって、相手に目下の親族があればそれに狙《ねら》われることは当然であるが、それ以外にも藩および町奉行所の追及をうけるおそれは充分にある。この場合、「拙者を敵《かたき》として云々」と公開しておればどうなるか。町奉行所はもちろん藩に連絡するであろう。そしてこれが事実であれば藩は、とくに尾張のごとき大藩であればいっそうのこと、その名誉にかけて、右の敵討ちの不文律により、「正当な資格者をむけて討たせる所存であればおかまい下されまじく」と返答するにきまっている。兵五郎が堂々と宣言しているだけに、敵討ちの慣習にそむいて別の大袈裟《おおげさ》な討手《うつて》をむけては天下の笑いものになるのである。――かくて車兵五郎をおびやかす者は、藩にもあらず奉行所にもあらず、ただ当面の敵討ちの資格者だけに局限される。
もとより兵五郎はじぶんの殺した男の家族および縁辺の顔ぶれを知っていて、絶大の自信をもっているにちがいない。そうかんがえると、この浪人者が底知れぬ奸悪な人間にみえるが、また孤独と憂愁にみちたその顔をみると、あるいは彼は、故意に討たれてやるつもりではなかろうか、とうがった想像をはたらかす者もないではなかった。
いずれにせよ、なんらかの雲を呼ばずにはおかないこの広告に対して、いつまでたっても奉行所は傍観し、討手の影もあらわれないようであった。
逝く春のなかに、しかし、あきらかに車兵五郎は待っていた。
二
車兵五郎は尾張藩に奉公していた男にちがいなかったが、通常の家臣ではなかった。彼は尾張|御土居下《おどいした》組に属する人間であった。
御土居下組とは、藩祖|義直《よしなお》以来、尾張藩の秘密組織である。元来これは、名古屋城築城のときから、万一この城がおちる事態を想定し、城主は秘密の非常脱出口から空濠《からぼり》の底に出て、城の北方にひろがる一大沼沢地をわたって木曾路《きそじ》へおちてゆく計画をたててあって、御土居下組はその場合の親衛隊だったのである。
むろんこの非常脱出口や親衛隊の職務のことは、藩士のだれに知られてもならぬことだから、このことは藩の上層幹部、および御土居下組のみが知っていることである。ふだん、この組の人々は単なる諸門の警衛として勤務していた。しかし、彼らは三ノ丸北方の御土居下に一団の屋敷をあたえられて一般藩士との交際を断ち、いつ起るかもしれぬ非常の事態にそなえて特別の訓練をつづけていた。
剣槍弓などの武士の表芸はもとより、砲術の奥義をきわめた人間であり、兵法の研究家もあり、泳法の達人あり、忍者あり、さらに詩人画家まであったのである。
そして名古屋城が落城するなどいうおそれがまったくなくなってからは、この秘密の組織と能力から、もうひとつの任務が加わった。それは幕府の御庭番《おにわばん》に匹敵する尾張藩の隠密《おんみつ》としての仕事であった。
車兵五郎は、そのおなじ御土居下組の御厨《みくりや》金藤次を殺害したのである。素性《すじよう》が素性だけに、藩もめったなことで表沙汰《おもてざた》にできないのは当然だ。しかしこの御土居下組創始以来の不祥事の原因にいたっては、藩主の徳川宗春でさえ知らないことであった。
車兵五郎は、御厨金藤次の妻に恋して、彼女に誘い出しの文を出して、それが夫の金藤次に発見されたのである。めんめんと恋慕のこころをのべたあげく、
「いちど是非胸のうちをきいてもらわねばならぬことがある。他聞をはばかることゆえ、某日、御船奉行所裏の船場《ふなば》に待っていて下されい」
悲劇はこの手紙を金藤次が妻にみせず、じぶんでことを処理しようとしたことから起った。御厨金藤次は舟をあやつり、また水を泳ぐことについては御土居下組の第一人者であった。
約束の日、船場に待っていた車兵五郎はお高祖頭巾《こそずきん》に面をつつんだ女の影があらわれるのをみると、小舟にのせて海に出た。そして城の金鯱《きんしやち》が波の果てにうかぶ距離まで漕ぎ出したとき、櫓《ろ》をなげ出して、女のそばへいざりよったのである。
「ようきて下された。おしのどの」
そういったとき、うなだれていた女は、しずかに御高祖頭巾をぬいだ。
「たわけめ。血まよったな、兵五郎」
にやりと笑った顔は、御土居下組随一の美男といわれる御厨金藤次であった。愕然《がくぜん》ととびすさりつつ抜刀した車兵五郎の眼に、もはや説いてもわからぬ狂的なひかりがうかんだのをみてとると、金藤次はあでやかな女|衣裳《いしよう》のまま、海へとびこんだ。
「兵五郎、二度とあのような文をよこさぬと誓えばゆるしてやるが」
四、五メートルもはなれた波の上で、金藤次は最後の忠告をした。その姿は、泳ぐというより、波に腹這《はらば》っているようであった。右手にいつのまにか、たかだかとかかげられていたのは、くさり鎌《がま》であった。
「うぬにゆるしてもらいとうはない。おれのゆるしてもらいたいのは、おしのどのじゃ」
と、兵五郎は歯をむいていった。
「生きているかぎり、おれはいつまでもおしのどのを恋することはやめぬ」
「それでは、死んでもらうよりほかはない。覚悟はよいか」
波のかむ白沫《はくまつ》の珠が奔騰《ほんとう》すると、そこからびゅっと一条《ひとすじ》の鎖がとんできて、ゆれる小舟の兵五郎の刀身に、黒い蛇のように巻きついた。
それから、どういう光景が展開したか、だれも知らない。御厨金藤次は、車兵五郎の刃《やいば》のとどかぬ波の上にいた。そして水中にあっては、地上よりも自在とみえる金藤次であった。――それを知ればこそ、敢《あ》えて金藤次は妻に化けて、兵五郎とともに海に出るという着想をいだいたに相違ない。
しかるに、そのあくる日の朝、漁に出た漁師が海にただよう一|艘《そう》の小舟を発見したとき、舟のなかにはただひとつ、女装した金藤次の屍骸《しがい》があったのである。
彼は絞殺されていた。そして車兵五郎の姿はなかった。
車兵五郎が下手人であるとわかったのは、その夜のうちに彼が御土居下の組屋敷から逐電《ちくでん》し、さらに金藤次が二人の弟、銀藤次《ぎんとうじ》と鉄藤次《てつとうじ》にあてて、兵五郎の邪恋の恋文とともに、そのうらをかいていっしょに海にいくという手紙をのこしていったことから、はじめてあきらかになったことであった。
三
第一の選手が江戸の赤坂葵坂の車兵五郎のまえにあらわれたのは、晩春のある月の明るい夜であった。
「兵五郎」
いぶし銀のようにひかる溜池のほとりを歩いていた車兵五郎は、ふりかえってしずかにいった。
「御厨銀藤次か」
虚無僧《こむそう》の天蓋《てんがい》で顔をつつんでいるのに、声だけで看破した。が全身に緊張の色もなく、むしろふしぎそうにいう。ふところ手のままだ。
「遅かったの、兵五郎ここに在りと看板を出しておるのに、御土居下組ともあろうものがいままで何をしておったのだ」
「うぬのその看板がたたったのだ。御土居下組のもので尾州家を退転したものはいまだかつてないうえに、れいれいしくあのような文言をかかげるとは、うぬに尾州を売る何らかのもくろみなきやと、殿より足をとめられて、いままでうぬの動きをみておったのだ」
「尾州に恨みはない。御土居下組は決して尾州を裏切りはせぬ」
兵五郎は昂然《こうぜん》としていった。
「あの看板は、ただ御厨一族を呼ぶためのみのものだ。御厨一族――といっても、金藤次の敵を討つのは、さしあたって、うぬと鉄藤次とそれから……おしのどのだけだがの」
急に声をひそめ、むしろなれなれしい調子でいう。
「おしのどのはどうしておる。あれは敵討ちに出られぬのか」
「たわけ」
御厨銀藤次はさけんだ。
「夫を殺した男から恋文をもらうような女房を敵討ちの旅に出させるか」
「それはちがう。恋文をやったのはまさにおれだが、あのひとの知ったことではない」
「人妻でありながら、他人から恋文をもらうのは、当人に心のすきがあるからだ」
「そんな無情非道なことをいう奴が一族にいては、さぞあのひとも辛い目にあっているだろうなあ」
兵五郎は憮然《ぶぜん》としていった。話が逆だ。まるでそのひとの夫を殺してきた男の言い分ではないかのようであった。なげくがごとくいう。――
「そもそも、あのひとが御厨へ嫁にいったのがまちがいであったのだ……」
もはや声なく、銀藤次がうごいた。何と思ったか、つ、つ、つ、と六、七メートルもとびさがっていったかとみえると、腰にさげていた瓢箪《ひようたん》をとってびゅっとそれをふったのである。きらきらひかる液体が雨のごとく地上にふりそそいだ。本来ならこの場合、銀藤次自身のまわりに円をえがくはずなのが、相手の兵五郎の周囲に半円をえがいてまきちらされたのはいかなる秘術であろうか。
半円といったのは、兵五郎の背後が池だったからだ。そして立ちすくんだ兵五郎のまわりをかこんだ液体は、このときめらめらと炎をあげはじめた。液体は油であった。
「もはや、のがれるすべはないぞ。生き不動となるか。それとも――」
もえる油の手前にぴたと折敷いて、御厨銀藤次は鉄砲を肩にあてていた。袋につつまれて尺八とみえたものは、短銃といっても然《しか》るべき異様に短いものであったが、たしかに火縄をたらした鉄砲であった。火縄はぶすぶすとくすぶってゆく。
炎の彼方《かなた》から、その筒先をみて、兵五郎はうなずいた。
「さすがだ。御土居下組の名に恥じぬ」
「ええ、この期《ご》におよんで何を――兄の敵《かたき》だ、死ね」
轟然《ごうぜん》と、鉄砲が鳴った。一瞬はやく、車兵五郎の姿は、うしろななめにとびすさっていた。――池の中へ。いいや、池の上へ。
御厨銀藤次はかっと眼をむいていた。車兵五郎は水の上にすっくと立っていた。
「車魚眼直伝《くるまぎよがんじきでん》、甲賀忍法|浮寝鳥《うきねどり》――」
兵五郎は、ふところ手のままであった。
「きめ手の秘術は御土居下の仲間にも知らせぬ。それで、金藤次は敗れたのだ」
銀藤次は狂気のように第二の弾をこめた。
そのあたまに、泳法の達人たる兄が、海でなぜ兵五郎のために殺されたかという謎《なぞ》がとけた。まさに浮寝鳥のごとく波に浮かび立つ兵五郎の姿をみたときの、兄の驚愕《きようがく》した顔までがありありと浮かんだ。
「うぬでは討てぬ、代りをよこせ。むしろ、弟の方がこわいな」
うす笑いしていいすてると、車兵五郎は、茫々とひろがる月明の溜池を悠々と遠ざかってゆく。――銀藤次がふたたび鉄砲を肩にあてたとき、兵五郎の影は忽然とまた消滅した。そのまま水中に没したのである。
「にげるな、卑怯《ひきよう》、討手は返り討ちと広言したのを忘れたか」
銀藤次が絶叫したとき、右側のはるかの水際《みずぎわ》ちかく、白いしぶきがあがった。彼は夜風を血相できって、その方へ走った。そのうなじからのどへかけて、一本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》がつき刺さったのはそのときであった。
車兵五郎は、銀藤次の走ったのと反対の水の上に、ふたたび忽然と姿をあらわしていた。※[#「金+票」、unicode93e2]はその背後から投げたのである。
「返り討ちといったのは、広言ではないわ」
彼はしぶきをちらして横だおしに池におちる御厨銀藤次をながめながらつぶやいた。
四
第二の選手が車兵五郎のまえにあらわれたのは、それから半月ばかりたった初夏のあるまひるどきであった。
「待て、車――」
そのとき兵五郎は、葵坂のうえの町家のはずれにいた。そこから溜池にむかって坂は下り、片側は旗本屋敷のながい土塀となっている。彼はふりかえっていった。
「御厨鉄藤次か」
相手は深編笠《ふかあみがさ》をはねのけた。白い日ざしの下に、くわっと牡丹《ぼたん》が咲いたような前髪立ちの美少年であった。
「やはりうぬがきたか」
兵五郎はいったが、びんの毛がすこし逆立《さかだ》ったようだ。銀藤次のときにはみせなかった顔色であった。
それも当然だ。この少年は剣をとっては尾張藩で一、二を争う天才児であった。年は十七、この年でこの腕を感服するより、この腕でこの年が恐ろしい。刀の柄《つか》に手がかかるや、心とからだのうごきになんらの濁りもなく文字通り刀身一如となるこの十七歳の少年には、なまじなめくらましは通用しなかった。
「兵五郎、兄を討ったな」
「おお、金藤次、銀藤次両人ともに、やむを得ず討ち果たした。しかし、それはおのれの本意ではない。ましてや、鉄藤次をやだ。まだ花も咲かぬ青若衆、蕾《つぼみ》のままにちらすは惜しい。うぬはかえって、かわりの者をよこせ」
「かわりの者といっても、御厨の男はもはやおれしかない」
「女でもよい。――これ、おしのどのは何をしておる。夫を討たれて、ひたすら泣いている女人《によにん》のはずではない。あれは車|魚眼《ぎよがん》の愛娘《まなむすめ》だ。おれとともに車忍法の秘伝を父の魚眼からさずかっておるはずだ――」
「左様なことにうぬの心配はいらぬ。このおれがいて、どうして女を敵討ちにむける要があるのか。兵五郎、おれがこわいだろう。それそれうぬの眼は、水をもとめて、うろうろさまよっているではないか」
御厨鉄藤次の美しい眼がにっと笑った。
「海、湖、河、池のほとりで、車兵五郎にしかけてはならぬ――これが嫂上《あねうえ》の御忠告であった。どこであろうと、おれはうぬを恐れはせぬが、万全を期してうぬをここでとらえたのだ」
「……おしのどのが、そんなことをいったか。なるほど――」
「みよ、ここに水はない。兵五郎、天命ここにきわまったと知れ」
鉄藤次のからだから稲妻のごとく一刀がきらめきだしたとき、兵五郎のからだは横にまろびとんだ。尾張家中、ほとんどその初太刀《しよだち》から身をかわすか、抜きあわせ得るものはあるまいといわれた御厨鉄藤次の抜き討ちを間一髪《かんいつぱつ》避けたのも車兵五郎の体術なればこそであった。蛇のようにくねって追いすがる鉄藤次の第二撃は、そこにあった天水桶《てんすいおけ》のかげにかくれようとした兵五郎の左腕を、ばさとつけねから斬りおとしていた。
――いや、車兵五郎は、われとその左腕で鉄藤次の刃をうけとめておいて、右腕で天水桶をくるっとひっくりかえしたのである。
いかなる指先のはたらきか、次の瞬間、巨大な天水桶は実にふしぎな運動をおこした。それはななめにかたむいたままくるくると坂の上までまわっていって、はじめてそこで横だおしになり、そのまま坂をおちはじめたが、桶の口を片側の土塀にこすりつけるようにして、ほとんど土に水をこぼさなかったのである。ただ、みるみる巨神の刷毛《はけ》でなでたように、塀にはいちめん水のあとがひかった。
一瞬、唖然《あぜん》としてそれを見おろしていた御厨鉄藤次は、その桶のあとを追うように、左肩から血の滝を吐きおとしながら宙をとんだ兵五郎の影を、
「のがすものか」
猛然と追いすがった。その剣尖《けんさき》が相手のからだにせまろうとして、彼はあやうくとびすさった。はじめて車兵五郎も一刀で迎え討ったのである。しかも、それがふつうの姿勢ではなかった。実に彼は、ぬれた土塀に両足を吸着させ、からだを水平にして鉄藤次に相対したのであった。
「あっ……」
さすがの御厨鉄藤次も昏迷《こんめい》におちいった。いうまでもなく彼は、いまだかつてこんな奇怪な位置、姿勢の敵と剣をまじえたことはない。
「見るとおり、水はある」
片腕に刀身をのばしたまま、うす笑いして車兵五郎はひたひたと土塀をあるく。彼にとっては、垂直の土塀が大地と同様であるらしかった。
車兵五郎の身のうごきは、決して不自然でも不自由でもなかった。鉄藤次は垂直にかまえ、兵五郎は水平にかまえる。兵五郎からみれば壁は大地であり、大地は壁であり、じぶんを垂直にして、鉄藤次が水平になっていると同然であった。すなわち両者の条件はまったくおなじなのだ。むろん鉄藤次の方がその異常性に惑乱しているだけに、そのうごきが束縛されていた。
「来ぬか、小童《こわつぱ》」
鉄藤次は土塀の水のかわくのを待つべきであったろう。しかし、むろん彼は待つことはできなかった。しかも、敵はひたひたと坂に沿うて塀上をあゆみ去ろうとしている。――
「おのれ、待て」
兵五郎が疾走をはじめると同時に、鉄藤次も坂をかけ下った。この刹那《せつな》、両者の有利と不利の天秤《てんびん》は一方にかたむいた。兵五郎のはしる塀は依然垂直のままであるのに、坂をかける鉄藤次は当然まえのめりになったからである。
両者の白刃は交叉《こうさ》した。坂の三分の一で、まず鉄藤次の美しい首が切断されて、地におちた。しかもなお、首のないそのからだは、余勢にのって、たたたたと坂をかけ下る。その中段で、車兵五郎の一閃《いつせん》は、さらに少年の腰を切断し、そのままながれるごとく、塀をかけ下っていった。
五
車兵五郎のまえに、第三の選手があらわれたのは、五月雨《さみだれ》ふるある夕方であった。
「もし、兵五郎どの」
蕭々《しようしよう》と軒をうつ雨音のなかに、ききちがいではないかと耳をすまし、次の瞬間、兵五郎はがばとたちあがった。
「おしのです。敵《かたき》を討ちにきた。お出合いなされ」
兵五郎は大刀をつかんで外にとび出し、はたと立ちすくんだ。雨にけぶる溜池を背景に、十人ちかい影がずらりとならんでいたからである。一瞬、兵五郎の足は大地を蹴《け》って、その影の頭上をとびこえ、かるがる水面に立っていた。
「御土居下の面々だな」
その位置を占めて、はじめて挨拶《あいさつ》した。
「上意討《じよういう》ちか。敵討ちはあきらめたか」
「いや、敵討ちだ」
と、ひとりしゃがれた声でいった。
「敵討ち? 御厨の縁辺で、しかも敵を討つ資格のある者はだれだ」
「おしのです。御厨金藤次の女房、おしの」
また、やさしい声がきこえた。車兵五郎は眼をひからせて見まわした。しかし、池辺に立つ御土居下組のなかに、おしのの姿はみえない。いかに眼をこらしても、断じてみえない。――兵五郎はうめいた。
「だれだ、声色《こわいろ》をつかう奴は」
「声だけではない。おしのはここにいます」
声がまた耳をうち、さすがの車兵五郎が蒼ざめて、思わず、つ、つーと浮寝鳥のごとく水上を七、八歩さがった。それはまぎれもなく恋する女の声であった。
そもそも兵五郎は車家《くるまけ》の人間ではなかった。
御土居下組の生まれにはちがいないが、幼くして天涯の孤児となったのを、車魚眼にひきとられて、育てられたのである。車魚眼は、御土居下組のうち、甲賀流の忍法者であった。
車家には、兵五郎とは三つちがいのおしのという娘があった。ふたりは真実の兄妹のごとく育てられた。そして、同時に車家秘伝の忍法を教えられた。
ただふしぎなことに、魚眼は、兵五郎を教えるときそれをおしのにみせず、おしのを教えるとき、それを兵五郎にみせなかった。
やや長じてから、兵五郎はその意味を魚眼にきいた。魚眼はこたえた。
「両人ともにおなじことを教えておる。ただおしのの術はおまえの術の裏返しにすぎぬ。おまえに教えた術を陽とするならば、あれは陰の術じゃ。おれの思うところでは、両人その純粋性に徹した方がはるかにふかく至妙《しみよう》の域に達するだろう。おたがいにそれを見せぬのは、見ることによってそれぞれの術に濁りが入るのをおそれるからじゃ。すでにわしがその通り、ひとつひとつの忍法にかけては、もはやおまえら両人の方が、わしよりもすぐれておるかもしれぬ」
妹をみるように育てられた兵五郎は、やがておしのを神秘的な眼で見はじめた。彼はおしのを恋し出したのである。とくに、自分の経験からみて、おしのもまた言語に絶する修行を課せられているのにちがいないのに、一見典雅な武家娘とかわらないのを、彼は眼を見はらずにはいられなかった。
老衰した車魚眼が、兵五郎に対して思いがけぬことをいい出したのは一年前の春のことであった。
「おしのを嫁にくれという者があっての。おまえも知っている御厨金藤次だ。おれとしては、おまえとおしのを夫婦にして車家をつがせるつもりであったが、つらつら思うに、それは賢明ではない。なんとなれば、わが御土居下組たるもの、御家に万一のことがあった際は、男、女をとわずその全能をあげて御奉公申さねばならぬ。しかるにかかわらず、もしおまえとおしのを夫婦とすれば、陰陽融合して、仲はよかろうが、めいめいの忍法が曇るおそれがある。おれはそうみる。じゃによって、おしのは御厨へ嫁にやる。しかしこの車の家はおまえについでもらおう。このことは、すでに殿のおゆるしを得てあることじゃ。そのうちおまえには、べつに可愛い女房をもらってやるわ」
しかし、車魚眼はそれからまもなく死んだ。
そのときはそれほど深刻に思わなかったおしのとの別れが、車兵五郎の胸を狂おしいばかりに苦しめはじめたのはそれからまもなくのことであった。兵五郎は、他家へ嫁にいったおしのを忘れかねた。恋もあったが、それに魚眼のいった「おしのの術は、おまえの術の裏返しじゃ。おまえを陽とするならば、あれは陰の術」といった神秘な言葉がまじった。おしのを知りたい、おしのの術を知りたい、それは陰をよぶ強烈な陽の呼び声であった。そして、兵五郎の心はみだれにみだれて、ついにあの悲劇が起った。
御厨金藤次を殺し、主家を退転したものの、兵五郎のおしのを恋う心は毫《ごう》もおとろえてはいない。あの敵云々の表示は、ここにおよんでなおおしのを呼ぶためのはかりごとだ。もとよりあのような札をかかげたうえは、しょせんじぶんのいのちは捨てている。しかし、もういちどおしのを見るまでは、むざと死にたくはない。おそらく、あの札によって銀藤次、鉄藤次の兄弟がじぶんを襲うであろう。これを討ち果たせば、順序として、つぎにはきっとおしのが敵討ちにやってくる破目となる。
おしのを呼んでどうなるのか。もとより、二人が幸福な恋にむすばれる可能性はもはやない。それどころか、おしのはじぶんを討ちにやってくるのだ。それでも彼は、たとえおしのと刃《やいば》をまじえようと、彼女を見たかった。これはすでに地獄の執念であった。
おしのと刃をまじえて、兵五郎は自発的に討たれる意志もなかった。ただじぶんは車魚眼|直伝《じきでん》の甲賀流陽の術をつかう。おしのはおなじく魚眼直伝の甲賀流陰の術をつかうであろう。恋する女と、いのちをかけたその忍法の火花こそ、生死も忘れて彼のとらえたいものであった。
そして、いままさに車兵五郎は、恋するおしのと相まみえたのである。おしのは彼のすぐ下にいた。彼女は水面を境に、水中に逆さに垂れているのであった。
「…………」
さすがの車兵五郎が、われしらず恐怖の足を雨の波上にただよわせた。それにつれて足裏をぴたとあわせ、おしのも水中をただよいうごく。しかも陰と陽との裏返しとはまさにこのことか、彼女の顔は、兵五郎の顔とは正反対の方角をむいていた。
それをみた刹那《せつな》、ふしぎなことに兵五郎は、陰陽|合《がつ》したよろこびよりも、ここまで相反した女に対して、強烈なにくしみをおぼえた。徹底的にそむきあったふたりの宿命への怒りかもしれなかった。彼は白いおしのの背が、水中花のようにはぜわれる幻想をはや夢みて、血笑をうかべた。
「おしのどの、おれはそなたを恋していた」
そういいながら、彼の右腕は一刀を抜き討ちにして水中にふりおろされた。おしのの右腕の一刀が水中をはねあがってきたのは、おなじ瞬間であった。水面でふたりの刀をもった腕が、双方ともに肘《ひじ》から切断された。
二本の腕と刀は、引力の法則によって水におちた。水中をしずむ一本の刀を、おしのが左腕につかむのがみえた。反射的に兵五郎は小刀をぬきかけて、愕然《がくぜん》とした。彼の左腕は鉄藤次のために斬られて、すでになかった。
「わたしは、おまえをにくんでいる。夫の敵。――」
次の刹那、おしのの刀はふたたび水中からはねあがって、車兵五郎の背を縦に斬り裂き、灰色の煙波《えんぱ》に、血の霧がぼうとにじんだ。
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忍者仁木弾正
一
――隠密《おんみつ》「薄雪《うすゆき》」は、階段をおりていった。
階段は七、八段おりたところで、板から土にかわった。気がつくと、両側の壁も土になっている。そこに龕《がん》のようにえぐられた四角なくぼみがあって、灯《ひ》の入った雪洞《ぼんぼり》がひとつ置かれてあった。入ってきた上の入口はすでにふさがれて、ひかりはまったくないはずなのに、おぼろながら階段がわかり、それが板から土にかわったことがわかったのも、その雪洞のせいであったにちがいない。しばらく下りると、また壁のくぼみに雪洞がともっていた。壁はもはや湿っぽく、ところどころ水滴をひからせている。いや、土の階段の両側には溝《みぞ》が掘られて、かすかに水の音さえひびいていた。
隠密「薄雪」の心には、むろん「罠《わな》にかかったのかもしれぬ」という意識があった。しかし、妻の手紙は、まちがいなく十日まえに失踪《しつそう》した妻の文字であった。死は、隠密という職務についたときから、覚悟していたことだ。まして、これはだれにもいってないことだが、愛する妻がほんとうにこの地底にいるとするならば、いっしょに死ぬことは何でもないと思っていた。
それにもかかわらず、土の階段をおりてゆくにつれて、隠密「薄雪」の心は、抵抗しがたい恐怖に粟立《あわだ》ってきた。じぶんのいのちのことではない。だれが江戸のまんなかに、こんな地中の路があると想像するだろう。「あの男」はいつ、何のためにこんな大工事をやったのか。「あの男」の行動を探索するための隠密を命じられていながら、おれはいままでまったく知らなかった!
やがて、土の階段をおりつくして、隠密「薄雪」は茫然《ぼうぜん》としてたたずんだ。ここは地底何十メートルにあたるのだろうか、天井も人の背の三倍はたしかにある。ひろさは二十畳敷ぐらいもある。まるで巨大な土の筐《はこ》のような空間であった。三方は土の壁になっていて、真正面だけ四枚の板戸がならんでいる。たかい天井までとどく板戸は黒々として、みるからに厚そうであった。しかし、むろんその奥に何かあるのだ。それは戸というものの機能からそう判断されるということ以外に、その戸のむこうにたしかに人間の気配があるからであった。声ではない、物音でもない、けれど決してひとりではない人間のむれのうごいている気配が。
――妻はあそこにいるというのか? かけ寄ろうとして、隠密「薄雪」は突如立ちどまった。彼は何者かがじぶんを見つめているのを感覚したのである。しかも、周囲から無数の人間の眼が。
彼は雪洞をかかげて、ぐるっと見まわした。しかし、どこにも人間の影はない。三方の壁は洞然《どうぜん》たる空間をつつんでいるばかりだ。それにもかかわらず、たしかに何十人という人間が、じぶんをじっとのぞきこんでいる感じなのである。壁の中から――妙に凹凸《おうとつ》の多い、てらてらと水のひかる壁の中から。――
死さえおそれぬ隠密「薄雪」の心を、えたいのしれない恐怖がじわんと包んだ。彼はわけがわからないままに、妻の名をよびながら、板戸のほうへ突進していった。
ぎ、ぎ、ぎ……と重々しいきしみをあげて、その板戸がひらいた。まんなかの二枚が左右にうごいて、そこに灯の柱が立った。隠密「薄雪」は、あっとさけんで棒立ちになった。
板戸のむこうは、豪奢《ごうしや》な座敷になっていた。そのなかに何十人という女が、立ったり、坐ったり、寝そべったりしているのである。いくつか置かれた雪洞に香煙がまつわり、それはまるで漂う幻影のようにみえた。
「薄雪、来たか」
しゃがれた声がした。女の渦《うず》のまんなかに夜具をしいて、老人がひとり横たわっていた。蓬々《ほうほう》たる髪が銀のようにひかり、顔は蒼白《そうはく》な髑髏《どくろ》に似ていた。名をよばれたが、「薄雪」はいままでにこんな老人に逢《あ》ったことはない。
「入れ、薄雪」
その枕頭《ちんとう》にうやうやしく坐っていたもうひとりの男が呼んだ。その顔をみて、「薄雪」はもういちどあっとさけんでいた。この瞬間、彼は妻のことさえわすれ去った。
「あなたさまは!」
「吹雪《ふぶき》じゃ」
と、その男は笑った。隠密「吹雪」である。黒ずんだ唇を、きゅっと一方へつきあげた笑顔は、「薄雪」の上役「吹雪」にまぎれもなかった。
しかし、「吹雪」はどうしてこんなところにいるのか。幕府の御用部屋直属の密偵「吹雪」が、なぜ、なぜ、なぜ?――「薄雪」はあえいだ。
――「吹雪」には三日前にも地上で逢った。「吹雪」は「薄雪」の上役である。上部からの指令は、たいてい「吹雪」をとおしてくる。だから、使いに出た妻がそのままかえらなくなったという家庭的な異変事を、ひそかに報告した相手も、この上役の「吹雪」だけであった。そのときこのひとは眉《まゆ》をひそめた。
「それはおかしい、姿を消して七日になると?――おまえが御用部屋の隠密だとだれかに知られたのではないか?」
そのようなことは絶対にない、と断言すると、しばらくかんがえて、
「よし、それはおれの手でしらべてみよう。おまえはいままでどおり、例のところへ通え。私事で怠ってはならぬ大事の役目だ」
と、苛烈《かれつ》な眼で見すえていった。そのきびしい上役「吹雪」が、こんなところにいるとは、だれが想像もしよう。――「薄雪」は混迷におちいった。
あえぐのは、驚愕《きようがく》のせいばかりではなかった。いや、あえいでいるのは、彼ばかりではなかった。周囲の女たちすべてがあえいでいる。それが、さっきから鼻口にからまる異様に甘美な匂い――香煙のせいではないか、と気がついたとき、隠密「薄雪」は強烈な官能の靄《もや》にしずみかかっていた。
「薄雪、みよ、絶世の美女ばかりじゃ」
と、「吹雪」はうす笑いした。
「おれがどうしてここにおるか、これでわかったろう。可愛い配下だ。ここへ呼びよせたのは、おまえにも相伴《しようばん》させてやろうと思ったからだ。よりどり、みどり、煮てくおうが、焼いてくおうが心のままだ」
そういいながら、「吹雪」はそばにすがりついてきた女の唇を吸い、吐息《といき》を吸った。「薄雪」の足から、無数の白い手が、香煙とともにまつわり、這《は》いあがってきた。――これをつきはなすことができなかったのは、あきらかに燃える媚薬《びやく》のせいであった。
「薄雪、ただ、そのまえに頼みがひとつある」
「…………」
「伊豆守《いずのかみ》さまに一服盛ってもらいたいのだ。いや、殺《あや》めたてまつれと申すのではない。それはいま、かえってこまる。眠り薬だ。一夜、前後不覚に眠っていただきたいだけだ」
なるほど「薄雪」はひそかに単独で伊豆守に召されることがある。しかし、それならば、「吹雪」の方がもっとしばしば逢っているのではないか。なぜ本人がそうしないのか。――という疑問はしかし「薄雪」の心にうかばなかった。それ以前の衝撃に、彼はかっと眼をむいて「吹雪」を見つめたきりであった。
「ならぬ」
と、彼はうめいた。一階層上位の「吹雪」に反抗することは絶対にできない隠密の鉄の規律であった。しかし、それゆえに最上層の老中《ろうじゆう》伊豆守に、そんな大《だい》それたことをしかける叛逆《はんぎやく》はいよいよ思いもよらなかった。
のしかかるように、「吹雪」はいった。
「おれにそむくか? 承知してくれれば、あとで薬をわたす」
「ならぬ、なりませぬ」
そうくびをふりながら、「薄雪」は女たちの重みにずるずると坐ってしまった。女たちは身もだえして、もはや肩も乳房もあらわになって、彼のからだにからみついてくる。必死に、「薄雪」はさけんだ。
「すりゃ、おまえさまは、もはや伊豆守さまに――御公儀にお叛《そむ》きでござるか」
「おればかりではない。おまえは知るまいが、泡雪《あわゆき》も粉雪《こゆき》も、みなこの女人国の虜《とりこ》となっておるわ。それを知らぬのはおまえと、われらを使う伊豆守さまだけじゃ」
「泡雪」「粉雪」「吹雪」「薄雪」――それらはいずれも或《あ》る人間を対象にした隠密のむれの内部の符牒《ふちよう》であった。
「薄雪」はそのとき、雪洞のかげに黒ぐろとひかるふたつの眼をみた。妻だ。しかし、彼女は、坐ったままうごかなかった。唇をなかばひらき、眼はうるんで、必死に何かをおさえつけているように。――猛然と「薄雪」は女たちをふりはらい、その方へはしろうとした。
「うごくな」
とはじめて老人が叱咤《しつた》した。
そのくぼんだ眼窩《がんか》のおくの眼は、一瞬に「薄雪」を金しばりにした。まるで稲妻にうたれたように、「薄雪」は両眼にいたみすらおぼえた。はなそうとしても視線ははなれない。魔界の底から魅入《みい》るような眼で「薄雪」をしばったまま、
「吹雪、女房を犯せ」
と、老人はひくい声でいった。微動もせず、横たわったままである。
「吹雪」はたちあがって、「薄雪」の妻の名を、おのれの女房をよぶように呼んであるき出した。それに「薄雪」の妻は、じぶんの夫によばれたようにたちあがって、ついてゆくのだ。
妻をかどわかしてここへつれこんだのが、上役の「吹雪」であることをいまやはっきりと知ったが、「薄雪」は全身しびれたように立ちすくんだままであった。
ふたりは板戸の外へ出ていった。しかし、あけはなされた戸から、雪洞は絹をとおしてやわらかなひかりをそこの土になげていた。
あの貞節な妻が、たえかねていたように、はやくも「吹雪」にしがみついている。頬《ほお》をすりよせ、手足をまとい、なまめかしく腰をうねらせる妻を、「吹雪」は子供でもあやすように横たえて、ゆっくりとその裾《すそ》をかきひらいた。……
「待ってくれ!」
無数の白い鎖みたいに女たちに四肢をからまれたまま、「薄雪」は絶叫していた。
「きく。きき申す。……伊豆守さまに叛き申す」
「よし」
と、老人がうなずいた。そして、いまの一声を吐いたあと、からッぽになったように坐りこんで、肩で息をしている「薄雪」をのぞきこんで、歯のない口できゅっと笑った。
「これでおまえも、事と次第では主人に叛《そむ》く性《しよう》あるものとわかった。弾正《だんじよう》、もうよいぞ」
弾正? 弾正とはだれだろう? と、きょろきょろする「薄雪」の眼のまえで、「吹雪」は、女を無慈悲につきはなし、つかつかと一方の壁のそばへあるいていった。
そして、その壁におのれの顔をじっとおしつけたのである。
顔は壁にめりこんだ。いや、それが土壁にまえからあったくぼみに顔をはめたとわかったのはそのあとである。それは壁を這う巨大な蜘蛛《くも》みたいな姿にみえた。一分――二分――三分――彼は顔をはなした。彼は顔をこちらにむけた。
「薄雪」は名状しがたい恐怖のさけびをあげていた。その男の顔は、「吹雪」ではなかった。全然べつの顔であった!
「隠密吹雪は死んだ。……伊豆守に叛くことを拒否したからじゃ」
と、その男は冷然といって、じぶんの顔をつるりとなでた。
「薄雪」ははじめてそこにあったくぼみが、仮面を逆にしたものと同様のくぼみであることを知った。
してみると――壁面いっぱいにある無数の凹凸《おうとつ》は、みんな無数の人間の顔をおしつけたあとではあるまいか? 先刻、じぶんがあそこでおびただしい人間に見られているような恐怖におそわれたのは、そのおびただしい逆の面型のゆえではなかったか? もしそうであるならば、幾十ともしれぬあの面型のもとの持主はいったいだれだろう。
いま、その男がおしつけたのが、彼本来の面型であることはあきらかだ。彼はじぶんの顔をとりもどしたのだ。しかし、土壁に刻印された面型にはめただけで、みるみる相貌《そうぼう》を変えて別人となるこの男は、なんたる幻怪な術の所有者であろう。
いや、それが彼自身の顔であるかどうかも疑問だが、すくなくとも、それはふだん白日の地上でいくどか見た若い男の顔であった。しかし、いまやっと思いあたるほど影のうすい、蒼白《あおじろ》く透明な皮膚と糸みたいにほそい眼をもった顔であった。そうだ、姓はたしかに仁木《にき》といった。――
その仁木弾正が、風のようにもどってきていった。
「薄雪、うぬの新しいまことの主人の名をきかせよう。ここにござる御老人は、森宗意軒《もりそういけん》さまじゃ。いざ、かための盃《さかずき》に、宗意軒さまのおん血を頂戴《ちようだい》せよ」
もういちど雷火にうたれたように、「薄雪」はひれ伏していた。
彼を驚倒させたのもむべなるかな、森宗意軒とは、大坂の残党で、島原の乱でも天草四郎時貞《あまくさしろうときさだ》の軍師といわれた人物である。その当時から、稀代《きだい》の忍法者とも切支丹《キリシタン》の妖術《ようじゆつ》つかいとも噂があったが、しかし原の城のおちるとともに、すでに十三年前死んだはずの人間なのに。
「弾正、血をとれ」
と、老人はいった。彼は全身不随らしかった。弾正はひざまずいて、老人の枯木のような腕をとり、その前膊《ぜんぱく》に匕首《あいくち》をあてた。
幕府御用部屋直属の隠密「薄雪」は、わなわなとふるえながら、口もとにさしつけられた盃をみた。老人の血は朱盃《しゆはい》のなかに、墨みたいにくろかった。
二
「間《かん》――間者《かんじや》を用いるのは兵法の大事でござる。孫子《そんし》第十三篇に曰《いわ》く、聖智の者にあらざれば間を用うることあたわず、仁義の者にあらざれば間を使うことあたわず、微妙の者にあらざれば間の実《じつ》を得《う》ることあたわずと。――聖智仁義微妙のことは、ことばを以《もつ》ては教えることがむずかしゅうござる。されど、推してこれをいえと申さるるならば、わが方円に安住して、中に一物のへだてなく……」
さわやかな夏の風にのって、朗々たる講義の声がながれてくる。竹林のむこうに池の水がひかって、蓮《はす》の花がゆれていた。――阿亭《あずまや》のうしろの築山《つきやま》をこえて反対の方角からは、これは勇ましい気合と床を踏み鳴らすひびきがつたわってきた。道場があるのだ。
「常見常聞広見広聞《じようけんじようもんこうけんこうもん》、この本来をさぐり、視観察を以てかんがえれば分明ならざることなし、間者は外にない、人みな間《かん》と申してもよかろうか」
竹林をとおってくる風は冷たく、講堂の声はよくとおったが、この位置では、道場の矢声のために、ところどころ、とぎれてきこえた。
――いずれにせよ、その声に興味はないように、その武士は阿亭に頬杖《ほおづえ》をついて、まどろんでいる姿勢であった。年は三十前後であろうか、月代《さかやき》をのばしているところは浪人らしいが、その彫りのふかい苦味ばしった顔、気品のあるものごしには浪人らしいところはまったくなく、ただどこか素朴で、田舎《いなか》くさい感じはあった。
しかし、ほんとうにねむってはいなかったとみえる。鳴いていた蝉《せみ》がはばたくこともしなかったほどの跫音《あしおと》に、彼はうす眼をあけた。もっともこの八角の阿亭は、どういうものか、うしろの築山によりそうようにたてられていて、その背の部分が壁になっているほかは、柱のみの吹きとおしであった。まんなかに、まるい石の卓子《たくし》があった。
竹林のなかの小径《こみち》を、箒《ほうき》をかついでひとりの男がやってきた。のんきそうにあるいてきて、阿亭のまえから築山へのぼる路にまわりかけたが、ふと阿亭をのぞいて、
「信濃《しなの》どの」
と、呼びかけた。また眼をとじていた武士は、おどろいたように頬杖をはずして、
「やあ」
と微笑した。苦味ばしった顔が、笑うとひどくひとなつこくなった。箒をかついだ男も笑顔だが、これはどこかうすきみがわるい。
「いや、ひとりでかようなところで昼寝をさせてもらって相すまぬ」
「先生の兵学の御講義はきかれないのですか」
「承る。なに、この春少々病んだせいか、それほどの年でもないのに、どうも疲れ易うてな」
箒の男は、依然としてにやにや笑っている。仁木弾正といって、名だけはいやにものものしいが、いつもこの張孔堂《ちようこうどう》の廊下や庭をぶらぶらあるきまわっていて、客を厠《かわや》へ案内したり、水をまいたり、蜘蛛《くも》の巣をはらったり、下男|然《ぜん》としたはたらきをしてへいきな男だ。だれにも愛想がよいが、なかでもどこが気に入ったのか、信濃宗輔《しなのむねすけ》と名のる聴講者にはなれなれしい。
「どれ、それでは先生の御講義を拝聴に参ろうか」
と、宗輔がたちかけると、弾正は、
「まだ、巳之助丸《みのすけまる》さまと兵部《ひようぶ》どのは、兵学堂においででござるぞ」
と、いった。平然とした口調だが、この言葉がなぜか宗輔にただならぬおどろきをあたえたらしく、いちどうかしかけた腰をまたおろした。じっと見つめる眼に、弾正は相変わらずにやにやと笑いかけて、
「まあ、もう少しお待ちなさい。いちどあなたと話してみたいと思っていた。御講義も、もう終わることでしょう」
といいながら、そばにきて坐りこんだ。宗輔はめいわく顔で、
「話とは何じゃ」
「信濃どの、あなたはわれらの先生をどうお思いです」
「どう思うと申して――敬服しておればこそ、兵学の聴講に参るのではないか」
「ところが、あなたはあまり熱心にきいてはおられぬ。ときどき、席をぬけてはこんなところで昼寝をなされておる。そのときがいつかとみていると、それはかならず伊達《だて》巳之助丸さまと伊達兵部どのがおいでなされたときだ。それで、気がついたのです。あなたはあの方々とここで逢うのを避けておられる。あの方々に気づかれまいと苦心しておられる。あなたは、あの方々をひそかに監視なされておる。――」
信濃宗輔の顔色は変わっていた。やがて、もちまえの男らしい笑顔をにっとつくって、
「御存じか」
「伊達家の御家臣でしょう。しかも江戸|詰《づめ》ではなく、このごろ本国から出府してこられたとみた。巳之助丸さまは、やがて伊達六十二万石の御当主となるお方、そのお方の御行状を案じて仙台から出て参られたか」
宗輔はまるで瞳《ひとみ》をぬかれたような表情をしていた。まるで悪魔みたいによくこちらのことを知っている男だ、と思った。おどろくのは、これがいままで眼中にもなかったこの下男侍の言葉だということだ。
「よく、御存じだな」
「家来の分際を以て、主家の若君の御行状をさぐる――これはけしからぬ、とは思いません。百万石の大名も、傘《かさ》張り浪人も、おなじくこれ張孔堂の大事な客でござる。先生は左様なことは意にかけてはおられぬ」
「先生――先生もすでに御承知のことか」
「むろん、わたしごときがそこまで智慧《ちえ》も調べもまわるわけはござらん。先生の御存じなのはあなたのことばかりではない。三千の門弟ことごとく、その鼻毛の数から、女房の尻《しり》のかたちまで――いやいや、天文地理十能六芸武芸十八般、およそこの世の森羅《しんら》万象、先生の破魔鏡《はまきよう》にうつし出されぬことはない。ないが、あなたのことは、特にお目をかけられてな」
兵学講義の声はもうやんでいた。それに代わって、講堂からながれ出てゆく人々の騒音がきこえた。しかし信濃宗輔はじっとうごかなかった。
「信濃どの、巳之助丸さまがこの張孔堂に通われることが御心配ですか。それは取越苦労と申すもの――いかにも御存じのように、出入りいたす浪人輩が多く、それゆえ妙なうわさをたてるものもあるが、うわさの出所はやきもちやきの他流の兵学者どもで、弟子の礼をとられるのは、諸侯旗本、いやいや、紀州大納言《きしゆうだいなごん》さまさえ、しばしばお成りあそばします。若君が兵学の御聴講においでなさるのは、むしろたのもしいことではありませんかな」
「先生が、私のどこにお目をとめられたか存ぜぬが、特にお心にかけられるときいて、私もいう気になった。それならば、ついでの節先生におつたえねがいたい」
決然として信濃宗輔は口をきった。
「私のきいたことに、こんな噂がある。曾《かつ》て先生が池田《いけだ》侯のお屋敷に召されて御退出のさい、熊沢蕃山《くまざわばんざん》とゆきあわれたそうでござるな。そのとき蕃山が池田侯に色を正して、あれを近づけては相成りませぬ。あの男の相《そう》には容易ならぬ叛骨《はんこつ》がみえますと申したとか」
弾正は笑った。
「いや、人相見なら、熊沢|了介《りようすけ》ごときより、うちの先生の方がずんと上手です。あの話でござるか。あれは先生が熊沢をみて、池田侯に、あれを近づけては相なりませぬ、あの男の相には容易ならぬ叛骨がみえますと言上なされたのが真実で、さて、どこで話がひっくりかえったやら」
「蕃山と巳之助丸さまとのあいだには何のつながりもない。私の気にかかるのは、巳之助丸さまと張孔堂先生との御関係でござる。いや、先生のことはさておいて、私の案ずるのは巳之助丸さまの御一身のみじゃ。家来の分際を以て若君の御行状をおさぐり申す私の行動について、いま云々《うんぬん》されたようだが、それというのも若君のおん身を案ずればこそだ。俯仰天地《ふぎようてんち》に恥じることではない」
宗輔は立った。
「いま私の申したことを先生に告げるのも、私のことを巳之助丸さまに知らせるのも、そなたの勝手だ。だいたいこそこそうごきまわるのは、われながらいやになっていたところだ」
弾正は宗輔の手をとらえた。蛇のようにぬらりと冷たい皮膚であった。宗輔の言葉などきいてはいなかったもののように笑いながら、
「先生がな、例の人相見で、あなたのことを申された。あの男には叛骨がある――と」
「ばかな!」
宗輔は一喝して、はじめて真に腹をたてた顔でにらみすえたが、何思ったかぐるりと阿亭《あずまや》のなかを見まわして、
「ちとうかがうが、このあたりで消え失《う》せた男を御存じではないか」
といい出した。弾正はあっけにとられて、
「消えた男? 何のことです」
「一ト月ばかりまえのことじゃ。私はこの竹林をこちらに入ってゆく男の姿をみた。私はあそこの池のそばで鯉《こい》をみて、老鶯《ろうおう》の声をきいていたが、ふとその男が手紙らしいものを手につかんでひどくあわてた風であったことを思い出し、何となく気にかかって、すぐその男のあとを追ってこの阿亭に入ってきたら、ふしぎなことにその姿がみえなんだのじゃ。いや、築山へ上がっていったのではない。その路なら、私がここへくるまでに上がりきれぬはずだ。他にゆく路はない――」
「何のことやら、さっぱりわからぬ。昼寝の夢でもみられたのではないか」
と、いったが、弾正のほそい眼に動揺がはしった。
「何にいたせ、おたがいに無用な詮議立《せんぎだて》はせぬ方がよいようだな」
はじめて、凄味《すごみ》のある笑顔をなげて、信濃宗輔はたもとをはらい、颯爽《さつそう》と阿亭から出ていった。
仁木弾正は蝉《せみ》しぐれの中に、阿亭の壁をむいて、あごに手をあてたまま、じっと立って思案していた。
「弾正」
呼ばれてふりかえると、入口にひとつの影が立っていた。小がらではあるが、総髪《そうはつ》を両肩にかけて、端麗な姿であり、悠揚とした気品もあった。
「先生」
「何をしておる」
と、影は阿亭に入ってきた。この牛込|榎町《えのきちよう》の宏壮《こうそう》な大道場のあるじ――さっきまで、講堂で、兵法を講義していた張孔堂|由比民部之助正雪《ゆいみんぶのすけしようせつ》である。仁木弾正はあたまをさげた。
「いまそこらで信濃宗輔に逢われませんでしたか」
「逢った。池のほとりで会釈《えしやく》してわかれたが」
「あの男に少々|酢《す》をかけてみたのですが」
「どうであった」
「まだこちこちです。忠義の権化《ごんげ》でござる。まだ歯をたてるには日がかかるものとみえました。とうてい、まにあいますまい。――それより、逆に妙なしっぺがえしをくいました。この阿亭に消えた男があるなど申すのです。どうやら、あの『薄雪』の入るのを見かけたらしい。いや、まだはっきりとつきとめたようでもありませんが」
といって、顔をあげた。ほそい眼が、針みたいに白くひかった。
「あれも、消すとしましょうか」
「まあ、待て」
と、正雪はいった。しばらく考えていたが、
「あれは公儀の隠密ではない。あれの嗅《か》いでまわっておるのは伊達の若君で、この正雪ではない。殺す必要はない。いや、殺してはならぬ。奥州第一の大藩に是非とも布《し》いておかねばならぬ一石だ。わしにはわかる。わしの眼力に狂いはない。伊達家にとって真の叛逆者は、いま若君を迷わせておる伊達兵部でのうて、ひたすら若君を案じて奥羽から出てきたあの宗輔だ。あれこそ、伊達家に於《お》ける正雪だと予言してよかろう。ただ、本人はまだそのことを意識してはおらぬ。――」
正雪はじろと弾正を見やって、
「しかし、おまえのいうように、事はいそぐ。安閑と、本人の覚醒《かくせい》を待ってはおられぬ。といって、正雪が見込んだほどの男じゃ、女では堕《お》ちまい。弾正、いそぎあの男に踏ませる踏絵をつくってみろ。できるな?」
「何をいまさら――老中|松平《まつだいら》伊豆守の寝顔さえ盗んだ弾正でござるわ」
と、弾正は肩をゆすった。正雪は笑ってうなずいた。
「実はいま大坂の金井半兵衛《かないはんべえ》よりいそぎの飛脚がきた。それについて先生にうかがわねばならぬことが出来た」
先生?――正雪はたしかに、先生と呼んだ。
「いざ、先生にお目にかかろう」
と、もういちどいうと、正雪は、阿亭の中央のまるい石の卓子《たくし》に手をかけた。そしてしずかにそれをまわしはじめたのである。
三
それから十日ばかりたった或《あ》る霧雨の夜であった。日比谷御門外にある伊達《だて》陸奥守《むつのかみ》の屋敷の裏門から一|挺《ちよう》の駕籠《かご》が出た。人目をしのぶようにのりこんだのはたしかに女の影であったが、供はひとりもついてはいない。――駕籠は、赤坂の方へはしっていった。
雨夜ながら漫々《まんまん》とうすびかるのは溜池《ためいけ》だ。まだ玉川神田上水のひかれる以前で、この池は江戸水道の水源であった。それを背にこんもりと黒く樹々《きぎ》のもりあがった丘がみえる。いまの山王社だが、これがここに移されたのはのちの明暦《めいれき》の大火のあとで、このころはまだ鬱蒼《うつそう》たる森林の小丘であった。
森の入口で、女は駕籠をとめた。そして、じぶんひとりで、傘もささずに森の中に入っていった。駕籠をおりた位置ではみえなかったが、樹々のむこうにぽつんと一点の灯がみえた。
息をはずませてはしり寄り、
「原田《はらだ》さま」
と呼ぶ。霧雨をふせぐ自然の傘となった大木の下に、ひとりの武士が提灯《ちようちん》を置いて立っていた。
「お初《はつ》どのか」
と、彼はいった。そのまま彼は、だまりこんで女の顔をながめている。
闇《やみ》にうかんだ小さな顔は、まだ十八か十九の若々しい娘であった。
地上にゆらめく提灯の灯にさえ、頬が夢のように桜色に匂っている。冴《さ》えざえとした黒い眼やほそい鼻すじはこの娘のなみなみならぬ賢さをあらわしているのに、全体をまるで霞《かすみ》のかかったような臈《ろう》たけた美しさがつつんでいるのは、決して霧雨のせいばかりではない。
――武士はほとんど忘我の眼で見とれたが、すぐにわれにかえった風で、
「文《ふみ》をいただいた。若君のおん身に変事がござったと?」
と、せきこんできいた。
「はい、それが、ほんとうにきみのわるい妙な出来事なのです」
「御安泰でござろうな」
「おいのちに別状はございませぬ。けれど――」
と、お初という娘は眼にいっぱいの恐怖をありありとうかべて、
「おとといの夜のことでございます。若君さまはまた吉原へ忍んでゆかれたそうでございます。そのかえり――」
「れいによって、兵部さまのお誘いか」
「いいえ、その夜はおひとりで――このごろは、若君は兵部さまと御一緒なのをおきらいあそばして、ときどきおひとりでお屋敷をしのび出て、町の辻駕籠《つじかご》などをおひろいあそばすこともあるのです――そのおかえり、きみのわるいことが起こりました。駕籠かきがふいにねむくなって、或る小路をぬけるとき、そのままねむってしまったというのです」
「なに? そ、それで若君は?」
「あとで、その駕籠かきが恐ろしがって、お屋敷の門番にそっと知らせてくれたのでわかったのです。駕籠かきは、通行人にゆり起こされて気がつくと、駕籠の棒にかぶさるようにねむっていて、夜空の月のありかから、あのあいだは半刻《はんとき》もなかったろうと申します。はっとして眼をさまし、駕籠の中をのぞきこみましたら、若君もすやすやとおねむりで、ただどうあそばしたのか、顔に白っぽい泥がいっぱいにこびりついていたと申します。――」
「それは、どうしたことだ。若君はお憶《おぼ》えがないのか」
「その御様子らしゅうございます。ちかくの堀の水でお顔をあらわれておかえりあそばしたそうでございますが、そのことをお口になさいますと、吉原へお出かけになったことが殿様に知れるのを恐れておいであそばすとみえて、何も申されませぬ」
武士は、うなった。何とも判断をこえた事件である。ようやく、いった。
「兵部さまの仕業《しわざ》ではないか。その夜兵部さまが御一緒でなかったことがかえっていぶかしい」
「兵部さまが、なんのためにそのような奇怪なことをあそばすのでしょう」
武士は沈黙した。また、ややあって、切歯《せつし》して、
「それと申すのも、もとは兵部さまが若君をそそのかして、左様な無頼放蕩《ぶらいほうとう》の路にお迷いなさるようにしむけたからじゃ。六十二万石のあとつぎが、ひとりで吉原などへ出入りなさるなど、なんたるたわけた――」
「甲斐《かい》さま、若君はまだおんとし十七でございます。だれでも、そのとしごろには、じぶんをおさえることができませぬ。それに若君は、吉原とやらへお越しあそばしましても、ただお酒をのんで遊女たちの踊りなどを御見物なされただけでおかえりあそばしますとか」
と、お初は熱心に若君を弁護した。
「巳之助丸さまをお責めにならないで下さいまし。そのうち、きっとおん眼がさめられます。いいえ、おん眼のさめるまで、どんなことがあってもわたしたちがお守り申しあげなければ、伊達六十二万石はつぶれます」
たしなめられて、武士は赤面した。感動したのは、その娘の忠心よりも、彼女もまた若君より一つ年上の十八だということであった。
「いや、原田甲斐ともあろう男が、はしたないことを口ばしったものだな。恐れ入った。よろしい、その駕籠かきをさがして、もういちどそのことを調べてみよう」
「甲斐さま、わたくしは気にかかることがございます。このごろ若君や兵部さまがしばしばおいであそばす牛込榎町の由比と申す兵学者に、いろいろとおだやかでない風評がございますが」
「お、由比正雪」
と、武士は吐胸《とむね》をつかれたように、
「そう申せば、先日、きゃつの門人のひとりが、拙者に妙なことを申しおったが――」
と、凝然と宙に眼をあげた。
いま彼はじぶんを原田甲斐と呼んだが、これは由比の屋敷で信濃宗輔と名乗っていた男であった。彼は、あの由比正雪の弟子仁木弾正が、ふしぎにじぶんの素性をよく知っていたことを思い出した。
彼は、伊達家で七門八家老といわれる八家老のうち、片倉《かたくら》や茂庭《もにわ》などとならぶ名臣の家柄の生まれであった。もっとも家柄はそうだが、まだ若年のため、家老の職についてはいない。ただ、その俊秀ぶりは、あれこそ将来の伊達家をになう男だと、仙台ではだれしもがみとめている。それが、この春から病気だといいたててひきこもっているはずなのに、ひそかに名までかえて江戸へ出ているのには、次のようなわけがあった。
江戸では、当主伊達|陸奥《むつの》守忠宗《かみただむね》は、ながらく病床にあった。そのうえ、世子《せいし》がなかった。虎千代《とらちよ》、万助《まんすけ》という子があったが、早世したのである。
ただ、四人の側妾《そばめ》に七人の男子があった。そのなかのひとり巳之助丸を伊達家のあとつぎとして諸人だれしもがみとめたのは、出生の前後によらず、その母の素性によった。巳之助丸の母は貝姫《かいひめ》といって、京の櫛笥左中将《くしげさちゆうじよう》の妹娘だったのである。そして、その姉は後水尾《ごみずのお》天皇の後宮《こうきゆう》に入って、後西《ごさい》天皇を生んだ御匣局《みくしげのつぼね》であった。つまり、巳之助丸と後西天皇とは従兄弟《いとこ》にあたるのである。
名門も名門、見ようによっては正統の世子よりも高貴な血脈といってもいいくらいだが、父の忠宗がなかなか巳之助丸を正式に世子として届け出なかったのは、その貝姫がすでに亡くなっていて巳之助丸の後楯《うしろだて》となってやることができなかったせいもあるが、巳之助丸の気性がきわめて奔放でもあったことにもよるであろう。しかし、それ以外に、それは忠宗の弟、兵部|宗勝《むねかつ》の策動によるものだと疑うものが、国元にあった。
伊達兵部宗勝は、すでに一万石の分家をたてていたが、はやくから兄の忠宗以上に智慧者とよばれ、本家の心ある家老を不安がらせていた。
それは彼が、異常なばかりの野心家だったからである。巳之助丸が世子とされないのは、この兵部が兄の他の側妾やそれにつながる者たちを煽動《せんどう》しているのだ、とみられてもやむを得ないような陰謀性が彼のうちにあった。
その兵部が、忠宗の長い病気をさいわい、ついに巳之助丸さえそそのかして、諸所つれあるき、巳之助丸に無頼の子という噂がたちはじめたのを案じて、国元の原田甲斐に救いをもとめたのは、巳之助丸の侍女のお初である。
甲斐は一門のうち誠忠の声もっともたかい伊達|安芸《あき》に相談した。対象が巳之助丸であり、伊達兵部である以上、これととりくむことのできるのは、原田甲斐宗輔のほかにはなかった。彼が病気といつわって、ひそかに仙台を留守にすることができたのは、むろん伊達安芸のはからいによるものである。
甲斐は出府したが、兵部の陰謀をさぐることが目的である以上、そのことを兵部に知られてはならなかった。彼は市井《しせい》にひそんで、ひそかにお初と連絡して、奔走していた。――甲斐がそうまでお初を信じたのは彼女が以前主君のお供をして仙台にきたときや、また甲斐が出府したときなど、その年少にもかかわらず、実にしっかりしていて怜悧《れいり》な娘であることを見ていたからだ。それもそのはずだ。侍女ではあるが、家柄もよい。彼女はいまは没落したが、もと美濃大垣《みのおおがき》の城主|三沢清長《みさわきよなが》の娘であった。いわゆる一国一城のあるじの遺児なのである。
けれど、そればかりではなく、原田甲斐は、このお初とじぶんとのあいだに運命の星のつながるのを意識した。
いや、年は十以上もはなれていたから、いままではっきり意識しなかったが、こんど出府して、まるで涼やかな花のように咲きひらいたその美しさに眼を見はって以来――彼にいえば憤然とするに相違ないが、真実は若君のためというより、このけなげな美少女の星にみちびかれて、江戸を東奔西走しているといってよかった。
原田甲斐は、張孔堂での出来事を話そうとして、絶句した。あの正雪が、じぶんを叛逆の相がある、と実にけしからぬ占いをたてたことを思い出したのだ。急ににがい表情になって、
「いや、たしかにあの由比正雪と申す兵学者には胡乱《うろん》なふしがある。あの屋敷にもふしんな点がある。しかし――巳之助丸さまには、いまのところ、何のかかわりもない奴《やつ》と思う」
と、いった。
「私のさぐったところでは、少なくとも兵部さまは、正雪にも兵学にもまともな興味を抱いておられぬようだ。張孔堂通いは、巳之助丸さまをつれ出す兵部さまの口実ではあるまいか。私にはそうみえた。それにしても、兵法をまなぶと称して遊里へさそうなどとは、ばかばかしいのを通りこして、そこまで伊達六十二万石を手なぐさみになさる兵部さまの大胆さがそら恐ろしい」
お初はうなずいた。ふたりのあいだに沈黙がおちた。お初は、そくそくとお家にせまる大事、若君にふりかかった異変の恐怖をかみしめているのだろうか、甲斐はふいにそれらと無縁の重っ苦しい情感にとらえられていた。
微雨は音もなくふたりをつつんでいる。提灯《ちようちん》の灯が、雨を金粉にかえて、お初を浮きあがらせていた。まわりは塗りつぶしたように黒い深夜の森である。
「お初どの」
甲斐は、のどがつまったような声でよんだ。お初はきよらかな顔をあげた。黒い花のようにひらいた眼を、信じきったものの眼と知りつつ、甲斐は思わずその花に口づけたい誘惑にかられた。
おたがいに、いよいよお家のために砕身しよう、というつもりであった。言葉は出ず、酔ったようにあゆみ出たとき――お初がふいに身をひいた。
「甲斐さま」
きっとまわりを見まわして、
「だれかいます」
そういったとたん、甲斐は身をひねって、背後のしげみからつきかけた槍《やり》をかいこんでいる。そのまま抜きうちに刀身をうしろにおくって、獣《けもの》のような絶叫をあげさせてから、彼は横におどって提灯をふみ消していた。
「何奴《なにやつ》だ」
と、さけんだとき、森の入口の方から、雪崩《なだれ》のような跫音《あしおと》がはしってきた。
まったくの闇夜に、人も樹もみえず、ただ吹きつけてくる無数の殺気の息を、甲斐は闇斬《やみぎ》りにきり裂いた。
「お初どの、にげるのだ」
と、お初を手さぐりにつかんで、つきとばすと、お初の悲鳴があがった。甲斐は髪の毛も逆立つ思いがしたが、これは灌木《かんぼく》に足をとられて、お初がよろめいたのであった。
「灯を」
「松明《たいまつ》をつけろ」
「のがすな」
はじめて声があがって、たちまち松明がもえあがった。それがいくつとなく森をはしって円をえがき、しかもなお真っ向からかけむかってくる黒装束《くろしようぞく》は、決して七人や八人ではない。――かっと赤く染まった大木の根を背に、お初を救い起こした甲斐は、また二、三人を地に這《は》わせたが、そのこめかみには血をしたたらせていた。
「甲斐さま、わたしをすててにげて下さいまし」
「ばかな! 死ぬならいっしょだ」
ふたりがそうさけびかわしたとき、想像もつかなかったことが起こった。
なお奔騰《ほんとう》してこようとした黒装束のむれが、異様な悲鳴をあげて、いっせいに手を眼にあててのけぞったのだ。たおれないものも、火ねずみみたいにきりきり舞いをして、闇雲《やみくも》に刀をふりまわしていた。――甲斐とお初は愕然《がくぜん》として見まもったままだ。
ふたりは、何が起こったのかわからなかった。何の音もきこえず、何の影もみえなかった。それはいま襲撃されたときより、もっと恐ろしい光景であった。
「なんだ」
「どうしたのだ」
あわててかけ寄ってきた黒装束の松明に、きらっとひかったものがある。雨のひとすじだけ横なぐりに降ったかとみえたが、その男もたちまち両眼をおさえてつんのめっている。
――この奇怪事の突発には胆《きも》がつぶれたとみえて、ひとりがばたばたとにげ出すと、のこりの黒装束も蜘蛛《くも》をちらすようににげちった。
甲斐とお初はあゆみ出た。地におちてもえている松明をひろって、うめいている黒装束のひとりの頭巾《ずきん》をむしりとると果たせるかな、これは甲斐も知っている伊達兵部の家中《かちゆう》のものであった。しかし、ふたりの息をのませたのは、その両眼にぶすりとつき立っている二本の針であった。
かけまわってたしかめてみると、一帯にもがいている襲撃者たちの眼は、ひとりのこらず二本の針に縫われている。この針はどこから飛んできたのか、だれが飛ばせたのか――あきらかに人間|業《わざ》ではない。この世の出来事とは思われない。その針がじぶんたちを救ってくれたものと承知しながら、ふたりは名状しがたい恐怖に襲われて立ちすくんだ。
甲斐とお初が森の外で、袈裟《けさ》がけに斬り殺されているふたりの駕籠かきを抱きあげたとき――森の中の、甲斐が待っていた大木の上から、となりの梢《こずえ》へ、夜がらすのようにとんだ影がある。
梟《ふくろう》みたいに陰気な笑い声の尾をひいて、その影はみるみる枝から枝へ遠ざかっていった。
江戸の地底で、その笑い声が、こんどはひどくかしこまって報告していた。
「信濃宗輔はまことの名を原田甲斐と申すものであることが判明いたしました。きゃつを釣る餌《えさ》もやっと見つけ出しました」
それに対する返事はよくきこえなかった。
「これで先夜、行人のために馬鹿若殿の顔に泥をぬったままにげたしくじりの償《つぐな》いができました。宗意軒さま」
しばらくしてしゃがれた声が溜息《ためいき》を吐くように、
「伊達《だて》の件は、もはやまにあわぬかもしれぬ」
報告の声はいさいかまわずにいった。
「あの男の惚《ほ》れておる女がおります。あれほどの男が、恋のためには眼つきが変わっておりました。謀叛人《むほんにん》の踏絵の道具がこれでととのったわけでございます。果して甲斐が、ころぶか、どうか、わたしは愉《たの》しみでございます」
四
吉原といっても、のちのいわゆる北廓《ほつかく》ではない。元和《げんな》三年、庄司甚《しようじじん》右衛門《えもん》が家康のゆるしをえてひらいた傾城《けいせい》町で、明暦の大火までつづいたこの元吉原は、いまの日本橋人形町一帯にあたる。
甚右衛門が埋め立てたころ、一面、葦《あし》ばかり生えていた沼沢《しようたく》地帯はいまはその面影もない不夜城に変わって、日もくれぬうちから櫛比《しつぴ》した揚屋《あげや》に灯が入り、ゆきかうものは寛闊な武家姿が多かった。後世とちがって、町人にはまだ遊女を買うほどの余裕はなく、ときどき散見するのは旗本|奴《やつこ》に対抗して肩ひじ張る町奴の姿くらいなものである。
したがって、大身《たいしん》の旗本はおろか、大名などでもここに出入りするものはめずらしくなく、揚屋にはそれぞれ馬をつなぐ建物まで附属していた時代で、さればこそ、いかに奔放の性とはいえ、伊達の御曹司《おんぞうし》、十七歳の巳之助丸《みのすけまる》が、この狭斜《きようしや》の巷《ちまた》を徘徊《はいかい》できたわけだ。
巳之助丸がまた吉原に入っていったのは、七月二十二日の夕ぐれであった。きょうはひとりではなく、叔父の伊達兵部以下十人あまりのいつもの取巻連が同行していた。いずれも深編笠《ふかあみがさ》をかぶり、さすがに忍びの姿ながら、ゆきかう不法者も思わずさけてとおるほど豪奢《ごうしや》な雰囲気をまきちらしてゆくのは争えなかった。
――兵部は、きょう兄の見舞いと称して日比谷の屋敷にあらわれた。そして巳之助丸に逢ってさりげなく馬鹿話をしていたが、蒼《あお》い顔で茶をはこんできたお初をみると、平然として巳之助丸をまた榎町の兵学堂にさそったのである。
巳之助丸は、いつかじぶんが吉原のかえり妙な事件に逢ったことなど意に介していない。お初がそれを知っていて、胸もつぶれるほど心配していることなど夢にも知らない。しかし、
「おやめ下さいまし、若君さま」
お初がたまりかねて、夢中でそうさけび出したとき、例によってまたへそをまげた。実は巳之助丸は、この侍女のお初がこのごろほとんど優婉《ゆうえん》と形容したいほど美しくなり、それがまた姉のようにやさしくきびしく、たしなめようとするのに、妙な反撥《はんぱつ》をかんじていた。
「なぜ? 兵学をまなびに参るのだぞ」
「由比《ゆい》はきのうから留守でございます。西国へむけて旅立ったそうでございます」
「なに? そなたが何ゆえ左様なことを知っておる?」
巳之助丸は妙な顔をした。お初ははっとしたように口をつぐみ、すぐにあえいで、
「おねがいでございます、どうぞお出かけあそばさないで――」
「参りましょう、叔父上」
と、巳之助丸はたちあがった。兵部はうなずいた笑顔をお初にむけて、急に物凄《ものすご》い眼つきになって、「無礼な奴が」と吐き出すようにいった。
その顔と心を恐ろしいと思っても、お初は先夜の赤坂の森の危難を口にすることはできなかった。原田甲斐出府のことをじぶんから白状するわけにはゆかないのである。彼女はふるえながら、どうすることもできなかった。
巳之助丸は叔父の兵部が「無礼な奴が」とお初をしかったのを、叔父の誘いを侍女の身分で口出ししてさえぎろうとしたのを不快に思っただけだ、と考えていたが、むろんそれもあるが、兵部の怒りはそれだけではない。
兵部はすでに国元から原田甲斐が出ていることをかぎつけていた。巳之助丸を一大|放蕩児《ほうとうじ》にしたてあげ、将来のおのれの野心の布石にしようという遠謀に水をさすためにである。
その甲斐と共謀しているのがこのお初だということもさぐりあてている。――家臣の分際を以てけしからぬ奴らだ、と兵部は盗人《ぬすつと》たけだけしく腹をたてた。よし、それならば、いっそう腕によりをかけて巳之助丸を馬鹿者にしてやる。公然とおれに刃むかうわけにゆかない証拠に甲斐は白日の下《もと》に面《つら》も出せぬではないか。
たとえ闇討《やみうち》に打ち果たしても、ぐうの音も出ぬはずである。先夜はわけのわからぬことで、討手《うつて》がしくじったようだが、いずれそのうち甲斐とこのお初は、かならず成敗《せいばい》してくれるぞ、と剛腹な兵部は決意していた。
牛込の由比兵学堂へ、といったが、誘ったものも誘われたものも、むろんその気はない。――で、こうして巳之助丸と兵部の一行は、灯の入りはじめた美しい吉原のぞめき[#「ぞめき」に傍点]のなかを、たもとをひるがえしてあるいている。
「叔父上、やはり、いくどきても、おもしろいところでございますな」
と、編笠の中で、巳之助丸は眼をかがやかせていた。両側にならんだ揚屋の紺の長のれんに鈴が鳴っていた。
甲斐とお初をどう始末してやろうか、とまだ思案していた兵部は、ふと或《あ》ることを思い出してたずねた。
「ときに、妙なことをきくが、そなた先日ひとりでここへ通ったそうだな。そのかえりふしんな目にあったそうではないか」
「あ、叔父上はそんなことを御存じですか。あれは何のことやら私にもわかりません。堀のかわうそにでも化《ば》かされたような気持で」
と、巳之助丸は笑った。ほんとに可笑《おか》しがっている無邪気な笑い声に、兵部ははぐらかされた感じで、
「面に泥を塗られたという――」
と、少々悪意のこもった呟《つぶや》きをむけると、
「左様、伊達巳之助丸が吉原のかえり顔に泥を塗られた、という評判を世間にたてさせるためではありますまいか」
「だれが、左様なことをしたと思われる」
「叔父上ではありませんか」
「ば、ばかな!」
「と、噂する者もあります」
と、けらけらとまた笑った。
「しかし、巳之助丸は伊達六十二万石をつぐ器量のない馬鹿者だ、という噂など、私には何でもありませぬ。むしろ、六十二万石の重石《おもし》をかけられるより、毎日この吉原へ通える気楽な身分の方がありがたい。そういう味を教えて下さった叔父上に感謝しているくらいなのです」
ときに、これはおれが放蕩児にしてやらなくとも、ほんとに馬鹿なのかもしれぬ、と思うこともあった兵部だが、この底ぬけの述懐には狼狽《ろうばい》していた。本心そう考えているのか、兵部に対する痛烈な皮肉か、判断がつかない。
しかし、兵部は、この夜巳之助丸の身に起こった怪異を、このとき予想もしなかったのである。
絶句している兵部をしりめに、巳之助丸はけろりとして、
「あれはなんだ」
と、うしろの侍臣をふりむいてきいていた。角町の路上である。
そこの柳の下に二つの風呂桶《ふろおけ》が伏せてあった。一つはただ伏せてあるだけだが、もうひとつは桶の両側に杭《くい》をうちこみ、その二本の杭にはめた横棒で、しっかりと桶の底をおさえつけてあるのだ。
そして、桶には小さな四角な穴があけられて、そこから蒼白《あおじろ》い色男らしい若者の顔がきょとんとのぞいていた。
「珍しきものがお眼にとまってござる。あれは桶伏せと申し、廓《くるわ》の折檻《せつかん》でござります」
「桶伏せ?」
「遊興の上、嚢中《のうちゆう》無一物なることが判明した客がかようなみせしめにあうことは、天下御免の廓の法度《はつと》でござります」
「ほう、おもしろいな」
と、巳之助丸はもうひとつの無人の桶をかんかんとたたいていたが、
「廓の兵学をまなびにきた者だ。ちょっと後学のため入ってみよう」
といって、いきなり編笠《あみがさ》をぬぎ、その風呂桶をかたむけて、中に入ってしまったから、兵部たちはあわてふためいた。
「若君、およしなされ」
「いくら何でも廓の罪人のまねなど、御酔狂がすぎまする」
すぐに巳之助丸は、桶からあらわれた。――べつに恥じる風もなく、顔をくるりとなでたのは、汗をふいたのだろう。
「やあ、なるほどこれはつらい折檻ではある。中は、むし風呂のようじゃ」
と、笑った。――まもなく彼らは、京町の方へむかって立ち去った。
――やがて、暮れつくして暗い柳のかげのその二つの桶のうち、桶伏せの仕置をうけた若者は、わんわんとたかる蚊をたたくのに死物狂いになっていたが、ふととなりの桶に寄ってきた跫音《あしおと》に気がついた。もうゆるしてくれるのか、と穴から顔をつき出すと、廓者ではなく、うす闇にもあきらかに屈強な三人の武士であった。
それが――その空桶《からおけ》をもちあげて、なかからひとりの人間をひきずり出したのをみて、若者はぎょっとした。さっき通りかかった大身らしい若侍が酔狂に入ったが、すぐに出たから、その桶の中にそんな人間が入っていようとは、いままで知らなかったのである。しかも、その人間は、死人《しびと》か気絶しているのか、ぐったりとして、そのままふたりの武士に両わきからかかえ起こされている。
まるで酔っぱらいみたいに、両腕を左右の武士のくびにまわさせられて、その人間ははこばれていった。――
あっけにとられ、穴から首をつき出して、それを見おくった若者のまえに、ふっと影がさした。もうひとりの深編笠の武士である。
「見たな」
ひくい声でいった。そして、あわてて首をひっこめようとする若者の髷《まげ》をむずとつかんだ。腰にぶらさげていた小さな瓢箪《ひようたん》を片手でつかみあげて、歯で栓《せん》をぬき、やさしい声で、
「この暑さに可哀そうに、のどがかわいたろう、飲むがいい」
と、それを若者の口におしつけ、かちかちと鳴る歯のあいだから、むりに中の液体をそそぎこんだのである。
その武士があともふりかえらず去ったあと、桶の穴に若者の顔はなかった。桶の中でいちど二度ひくいきみのわるいうめき声がきこえたあと、もう蚊をたたく音はおろか息の音も絶えて、ただ伏せた桶のふちに血泡がにじみ出てきたが、それは夜目にはみえなかった。
大門《おおもん》内の四郎兵衛番所の番人は、三人の武士がひとりの侍をかつぎ出してきて、大門の外で駕籠《かご》にのせるのをみていたが、「ひとり、酔いつぶれての、いや若い奴は手をやかすもの――」と笑った声をあやしまず、ましてその酔いつぶれた侍の衣服が、夕方廓に入っていった大身らしい武士の一行中のひとりとおなじものだとは思いもつかなかった。そう見たところで、おなじ一団だと考えたにちがいないのである。
京町のなじみの揚屋にあがった伊達巳之助丸は、愉快そうに大盃《たいはい》をかたむけていた。そばにひきつけているのはお気に入りの三浦屋《みうらや》の高尾太夫《たかおたゆう》である。
――ならんで、扇をつかいながら、兵部は横眼で、ちらっちらっとその方を見ていた。心中にしきりに小首をひねっている。
おかしい。きょうの巳之助丸はどうしたのか。
いつものように、わんぱくな可愛らしい顔をした巳之助丸だ。酒は恐ろしくつよいが、泥酔《でいすい》したのをみたことはない。どこか、おっとりした、おなじ伊達の血をうけた兵部が、しらずしらず気圧《けお》されるような感じにうたれるのは、やはり母方から享《う》けた高貴な血のゆえか、と思いあたることもあった。
それにこの巳之助丸は、年のせいもあろうが、ほんとうのところまだ遊女そのものに興味はもっていない、と兵部はみていた。いくどすすめても、まだこの吉原に泊まったことはなく、大乱痴気さわぎのうちに夜がふければ、あっさり帰館を申しわたす巳之助丸なのである。――ところが、今夜はどうもおかしい。
酒をのみながら、しきりに高尾にふざけかかる。遊女の踊りをながめながら、片手を、ひきつけた高尾の袖《そで》にさしいれて、高尾がときどきからだをくねらせるのは、どうやら乳房をいじっているらしい。高尾の表情におどろきの波紋がわたるが、相手が相手だけに、はしたない声も出せず、その困惑した顔をうす笑いしてながし眼にみている巳之助丸の眼は、まるで四十男みたいに皮肉なものにみえる。
――そのときがきたのだ、年も十七、さかり[#「さかり」に傍点]のつく時期だ、ようやくこの小倅《こせがれ》も女に眼があいてきたらしい。そう判断せざるを得ない。さて、この巳之助丸が女のおもしろさを知ってきたとなると、こちらもいよいよおもしろくなるぞ、と兵部はあきれながらも、心中にほくそ笑んだ。
しかし、夜ふけて巳之助丸は、やはり、もうかえることにしよう、といい出した。その点はいつもとおなじであった。が、怪異はそのかえりに起こったのである。
大門を出た二|挺《ちよう》の駕籠は、月明の下をきもちよさそうにはしる。供の武士たちが、その前後にしたがっている。前にのっているのが巳之助丸で、うしろが兵部であった。
その巳之助丸の駕籠のなかで、ふいにうすきみのわるい笑い声がひびき出したので、駕籠かきは、はじめ辛抱していたが、とうとうたまりかねて、
「殿さま、どうかなさいましたか」
と、きいた。返事はなく、ただ妙な笑い声のみ断続してきこえる。兵部も気がついて、うしろの駕籠から、
「どうしたのじゃ」
と、声をかけ、それから、
「待て、駕籠をとめろ」
と、命じた。二挺の駕籠はとまった。それが、噂にきいていた先夜の巳之助丸が奇怪な泥を顔にぬられた場所とおなじ場所であることに、気がついたものがあるか、どうか。
駕籠がとめられても、巳之助丸のへんな笑い声はつづいている。うしろの駕籠から出た兵部もややきみわるそうな表情になって、あごをしゃくった。家来のひとりが、
「若君」
と呼んで、おそるおそる駕籠の垂れをひきあげたが、中をのぞいて、あっとさけんでとびすさった。
駕籠の中から、すうと巳之助丸はあらわれた。が、蒼《あお》い月のひかりにうかびあがった顔は、妙に白っぽい泥のようなものに一面に覆われていたのである。ただ眼ばかり妖《あや》しい燐光《りんこう》をはなち、口がきゅっと鎌《かま》みたいにつりあがって、にんまりと笑った。
「みなのもの」
と、しゃがれた声でいった。
「さきにかえれ。わしはちと用ができた」
ぶらぶらとひとりであるき出す背を、眼をかっとむいて見おくっていた兵部はふいに愕然《がくぜん》として、
「ならぬ。これ、とりおさえろ、巳之助丸は変化《へんげ》にとり憑《つ》かれたぞ。手籠《てごめ》にしてもつかまえろ!」
と、さけび出した。家来たちがどっと追いすがった。
伊達巳之助丸は、ゆっくりとふりむいた。その口から、銀の糸がほとばしり出た。悲鳴をあげて、家来たちはたおれ伏している。その両眼につき刺さった針をみて、さすがの兵部もまっさきに背をみせていた。のこりの家来もころがるように逃げ出した。
巳之助丸は、ぶらぶらと立ちもどった。そして、腰をぬかしている駕籠かきたちのそばに立って、ふところから一枚の紙片を出して、その足もとにおとしたのである。
「これ、駕籠かき、一走り日比谷御門内の伊達屋敷に使いをしてくれ。それを、そこのお初という女にわたすのだ。余人にわたしたり、役人に申し出たりなぞすれば、たちどころにうぬらの眼もつぶれるぞ。よいか」
五
――原田甲斐は、由比屋敷の阿亭《あずまや》に立って、庭をかえってゆく提灯《ちようちん》を見おくっていた。まだ夜明けにはほど遠いが、もう西にかたむいた月が、阿亭のまんなかのまるい石の卓を蒼《あお》あおとうかびあがらせている。
彼がお初から、いつもお初が秘密な連絡によこす門番の少女を通じて、一通の手紙をうけとったのは、それより半刻ほどまえのことであった。
「甲斐さま。巳之助丸さまのおん身に、恐ろしいことが起こりました。
今夜、巳之助丸さまがお出かけさきから、わたしのところへ、これから由比屋敷にゆく、私にあいたくば、いそぎ由比屋敷の庭の築山下にある阿亭の石の卓をまわせ、このことを他のものに知られれば、巳之助丸の命はないものと知れ、というお手紙をおつかわしになりました。このお手紙の意味の奇怪さもさることながら、それをおつかわしになったときの若君の御様子をききますと、どうかんがえてよいのかわからないほどふしぎなことが、若君のおん身に起こったようでございます。
わたしはすぐに由比屋敷に参ります。お手紙には、もしこのことを余人に知られればおいのちにかかわるとありますので、わたしは苦しみましたけれど、やはり甲斐さまにだけはお知らせいたさずにはおれませぬ。どんなことがありましても、わたしは若君さまだけはお救い申しあげるつもりでおります。もしわたしがこの世から消え失《う》せてしまいましたときは、どうぞ由比屋敷をお調べ下さいまし」
そんな意味のことが、彼女の心のみだれと焦燥をまざまざとあらわす恐ろしいはしり書きでかいてあった。この手紙をうけとって、甲斐がひたばしりに牛込のこの由比兵学堂にかけつけてきたことは当然である。
この手紙では、何と処置してよいかわからぬままに、兵学堂の門番に、
「先生はおいででござるか」
と、甲斐はせきこんできいた。眠りを起こされた門番は、仏頂面《ぶつちようづら》で、正雪が旅に出ていることを告げた。甲斐はじぶんの動顛《どうてん》していることを意識した。正雪がなんのためか駿府《すんぷ》に旅に出たことは先日じぶんがさぐって、お初にも知らせたことだったからである。たたみかけて、
「当家に伊達家に奉公しておる女が来てはおりますまいか、ちと急用ができたのですが」
と、いうと案外あっけなく、
「それならば、こちらに廻られい」
と、提灯をつけて、この阿亭に案内してくれたのである。さきに立ってあるく門番が灯に顔をそむけて、にやりとへんな笑いをもらしたことを甲斐は知らない。ただ胸に波をたてているのは巳之助丸とお初のことばかりだ。巳之助丸が何の用でこの屋敷にやってきたものか、お初が何といってこの兵学堂に入ったものか、それを門番にきく余裕さえなかった。
深夜のゆえか、正雪が多くの門人をつれて旅に出ているせいか、屋敷は森閑としている。
「しばらく、ここでお待ちなされ」
といって、門番は去った。
甲斐は待ってはいなかった。彼は石の卓子に眼をおとした。
「巳之助丸にあいたくば、石の卓をまわせ」
とお初の手紙の中にあった。それはお初にあいたければ、この卓をまわさなければならないということだ。しかし、いくどかここに昼寝をしにきたときにも眼にふれていたが、なんのふしんも抱かなかったこの石の卓が、どうしたというのだ。いったい、これが廻るのか?
甲斐はその石の卓に両手をかけて、まわした。卓は重々しくまわりはじめた。
甲斐は息をのんでいた。卓をまわすと同時に、八角の阿亭そのものがしずかにまわり出したのである。壁面が庭の方へ入口が築山の方へ。――
そして、反対にまわった入口は、暗々たる空洞《くうどう》を生み出した。はしりよってのぞきこむと、空洞のなかに階段が下へつづいていた。築山の下に隧道《トンネル》が掘りぬかれてあったのだ。いや、その築山そのものが、掘り出した土で築かれたものであったのだ。
はるか下にぼんやりと灯影《ひかげ》さえみえた。それにてらてらとひかる坑道を見おろして、甲斐は五、六歩かけおりていた。――巳之助丸さまとお初はこの地底に入れられたのか?
頭上で、音もなく入口はふさがれていた。
しばらくして、地底の洞然たる谷間に立った甲斐のまえに、ぎ、ぎ、ぎ……と重々しいきしみをあげて巨大な板戸がひらくまで――彼のみた光景、彼の感じた心は、彼は知らないが、曾《かつ》て公儀隠密「薄雪」の経験したものとまったくおなじであったといってよい。そして、それ以後の或《あ》る刹那《せつな》までのなりゆきも。
板戸の向こうは豪奢《ごうしや》な座敷になっていた。そのなかに何十人という女が、立ったり坐ったり寝そべったりしているのである。いくつか置かれた雪洞《ぼんぼり》に香煙がまつわり、それはまるで幻影のようにみえた。
「原田甲斐、来たか」
しゃがれた声がした。女の渦のまんなかに夜具をしいて、老人がひとり横たわっていた。蓬々《ほうほう》たる髪が銀のようにひかり、顔は蒼白《そうはく》な髑髏《どくろ》に似ていた。名はよばれたが、甲斐はいままでにこんな老人に逢《あ》ったことはない。
「入れ、甲斐」
その枕頭《ちんとう》に坐っていたもうひとりの男が呼んだ。
その顔をみて、甲斐はあっとさけんでいた。
「あなたさまは!」
「伊達巳之助丸じゃ」
と、その男は笑った。気品はあるが、だだッ子みたいな愛くるしい顔は、まぎれもなく彼が死を賭《と》して守ろうとしている主家の御曹司《おんぞうし》であった。
あえぐのは、驚愕《きようがく》のせいばかりではなかった。いや、あえいでいるのは彼ばかりではなかった。周囲の女たちすべてがあえいでいる。それが、さっきから鼻口にからまる異様な匂い――香煙のせいではないか、と気がついたとき、甲斐は強烈な官能の靄《もや》にしずみかかっていた。
「甲斐、みろ、絶世の美女ばかりだ」
と、巳之助丸はうす笑いをした。
「わしがどうしてここにいるか、これでわかったろう。わしのため心血をしぼってくれておる可愛い家来だ。……ここへ呼びよせたのは、おまえにも相伴《しようばん》させてやろうと思ったからだ。よりどり、みどり、煮てくおうが、焼いてくおうが心のままだ」
そういいながら、巳之助丸はそばにすがりついてきた女の唇を吸い、吐息を吸った。甲斐の足から、無数の白い手が、香煙とともにまつわり、這《は》いあがってきた。――これをつきはなすことができなかったのは、あきらかに燃える媚薬《びやく》のせいであった。
「甲斐、ただその代わり頼みがある」
「…………」
「お初をわしにもらいたい」
甲斐は愕然として口をあけていた。じぶんがお初を愛していることを巳之助丸が知っているのにも驚愕したが、巳之助丸がわざわざじぶんに譲れと強請するのも判断を絶したのである。
「なにゆえ、わしがこのことをそなたにたのむというのか?」
と、巳之助丸は彼の心中を見とおしたようにいった。
「張孔堂の申すには、そなたには叛逆《はんぎやく》者の相《そう》があるそうな。将来かならずわしを滅ぼす相があるそうな。もし、ここでそなたの女を奪えばだ。――といって、いかに神魔のごとき張孔堂の言葉とて、わしが忠臣と信じきっておるそなたを、いま成敗いたす気にもならぬ。それゆえ、あとにしこりをのこさず、ここできれいにお初を譲ってもらいたいのじゃ。その代わり、ここにおる美女のどれでも、そなたのしたいようにさせてやる」
甲斐はそのとき、雪洞のかげに横たわっているひとりの女をみた。黒髪はみだれ、死んだもののようにうごかないが、どうしてそれを見まちがえよう、お初だ。
――猛然と、甲斐は女たちをふりはらい、その方へはしろうとした。
「うごくな」
と、巳之助丸は叱咤《しつた》した。
「わしにそむくか、甲斐。――わしの申すことは不承知か?」
甲斐は稲妻にうたれたようにたちすくんだ。主君にさからうことは絶対にできない武士の鉄の規律であった。ましてや、この若者の意にそむくことは、いままで「忠臣」甲斐の思いもよらないことであった。しかし――
「甲斐、お初をもらうぞ、見よ」
と巳之助丸はいった。そして、お初のそばにあるいていって、そのからだを抱きあげた。香煙のくゆりのせいか白い肉にさくら色の血がさしていた。失神しているのである。だらりとたれた手足をそのままに、巳之助丸は甲斐のまえを通って板戸の外へ出ていった。
巳之助丸は、あけられた板戸から土になげられた灯の帯の上に、白い花みたいにお初を横たえた。そして、もういちど甲斐の方をふりかえってにやりと笑い、半びらきの処女の唇を吸ってから、十七歳の少年とは思われぬ厚顔な手つきで、その裾《すそ》をかきひらいていった。……
「お、お待ち下され」
無数の白い鎖みたいにからみついた女たちをはねのけて甲斐は絶叫した。
「いやか、甲斐、これが不服か」
と、ふりむいて巳之助丸は舌なめずりした。甲斐はがばとひざをついた。みずから磐石《ばんじやく》でおさえつけたように、
「――御意《ぎよい》のままに」
と、ひくくうめいて、ひれ伏した。
床《ゆか》に這いつくばった甲斐は、このとき巳之助丸がふいにお初を地上におとして、老人の方をふりむいたのを知らなかった。ただ、
「これは宗意軒さま、また正雪先生のおめがね違いと存じまする。こやつに謀叛人の性根《しようね》はないものと見きわめました。われらに無用の者と相分かったうえは討ち果たしましょうか」
といった巳之助丸の意外な言葉にはっとして顔をあげた。
「いいや、見すてるにはまだ早い」
と、老人はいった。横たわったままである。
「わしの眼、正雪の眼に狂いはない。――殺すな。そやつは生かしておかねばならぬ」
そして、しばらくだまっていたが、また「弾正《だんじよう》」と呼んだ。
「正雪は死ぬぞ」
弾正と呼んだ声に甲斐は愕然としていたが、それ以上に驚愕の相をみせたのは、そう呼ばれた巳之助丸だ。夜がらすみたいに何か絶叫した。老人は寂然《じやくねん》として暗い穹窿《きゆうりゆう》をあおいだまま、
「わしは、いまこの地底で星をみた。事やぶれて、いま正雪をとらえに、公儀の馬は駿府に走りつつある。やがて、正雪は死ぬであろう。――そのために、われらが叛逆の血脈をつたえるものとして、その男は生かしておかねばならぬ」
老人は顔を横にむけて、甲斐を見た。魔界の底から魅入《みい》るような眼は、甲斐を金しばりにした。その陰々たる声は、彼の血中にしみ入るようであった。
「弾正、のがしてやれ。――やがて、この屋敷にも捕手《とりて》どもが乱入してくるであろう。かかわりあいにさせてはならぬ」
老人は恐ろしいやさしさにみちた声で甲斐にいった。
「甲斐よ、その女をつれて早う立ち去るがよい。まことの巳之助丸はこの上の屋敷にねむっておる。両人のいのちを大事に思うならば、無用な抵抗《あらがい》はすな。つれかえって両人にせいぜい忠心をささげるがよかろう」
うしろで、梟《ふくろう》みたいな笑い声が笑った。
六
墨みたいな雲が垂れさがって、夜のように暗い江戸の町を、原田甲斐はあるいていた。
伊達家の表門を出るとき、鋼《はがね》のようにきびしい表情をしていたのが、いま喪神しそうに虚脱した顔色にかわっている。
彼はいま当主の伊達陸奥守忠宗に召されて、おほめの言葉をいただいたところであった。無断出府の罪をただすどころか、病床の君主は彼の手をとって、由比正雪事件にまきこまれかかった巳之助丸をぶじに救い出してくれたはたらきに感謝したのであった。国家老《くにがろう》にとりたててつかわす、と忠宗はいった。
――思えば、実に恐るべき由比の一味であった。正雪は仁木弾正という妖術《ようじゆつ》つかいをつかって数多くの大名の面型をとり、その大名に化けて、彼らがこれぞと眼をつけたものの心底をためしたのである。まことの忠心ある家来か、それとも事と次第によっては叛逆をたくらむ家臣かを。――それが、正雪が首尾よく幕府をたおしたあと、各藩中で呼応する謀叛の惑星となるように。
巳之助丸を誘拐したのは、お初をおびき出すためである。お初をおびき出したのは、原田甲斐を吸いよせるためであった。彼らは、お初が甲斐に知らせることをちゃんと勘定にいれていたのだ。そして甲斐を呼んだのは――?
そのことを、甲斐は忠宗にいわなかった。恐ろしいのは彼らの妖術よりも、彼らがじぶんという人間に眼をつけたことであった。そしてさらに恐ろしいのは、恋か、忠か、二者択一の試験に、じぶんがついに忠をまもりぬき、彼らの望みに反したにもかかわらず、同様の場合におそらく殺されたであろう他の者とちがって、なぜかじぶんを生かしてくれたことであった。
――「いや、見すてるにはまだ早い。わしの眼、正雪の眼に狂いはない。そやつは生かしておかねばならぬ」
あの老人の声が耳たぶをかすめた。あれはいったい何者であろう? 由比の屋敷を襲った公儀の一隊が、あの老人や弾正をとらえたとはきかないが、彼らはどこに消え去ったのであろう? あの老人こそ、むしろ正雪をあやつる真の傀儡師《かいらいし》ではなかったか?
そして、それ以上恐ろしいのは、それらのことを黙っている自分の心であった。
忠宗は甲斐をねぎらったあとで、「両人を呼べ」と侍臣に命じた。唐紙をあけて、しずかに入ってきたのは巳之助丸とお初であった。その刹那何ともしれず胸をかすめた予感のふるえを、甲斐は歯をかんで思い出す。――忠宗は告げたのである。
やがて後継者とする巳之助丸に、お初をめあわす決意であることを。
その聡明《そうめい》、その忠貞、その美貌《びぼう》、つらつらかんがえるに、伊達六十二万石の大守の妻として、なんの欠けるところもない。家柄さえももとは一国大名の娘、決して不自然な縁とは思わぬ、と忠宗はいった。ただ姉《あね》さま女房になるのがちとこまるが、それもこのわんぱく者の巳之助丸を制御するには、かえって都合がよいであろう。――
その笑いをふくんだ声を、原田甲斐は凝然ときいていた。
巳之助丸のだだッ子みたいな頬はあからんでいたが、はっきりとよろこびの色があった。お初はじっと甲斐を見つめた。その眼には、この幸福を得た歓喜のひかりよりも、深い湖のような女の愛と決意があった。
しずかに、ひくい声でいった。
「甲斐さま、御安心下さいまし。わたしはきっと巳之助丸さまのよい妻になります。どうぞあなたさまも、これからも伊達家をまもって下さいまし」
甲斐はするすると下がって、平伏した。
「まことに天下無二の御良縁。……原田甲斐この上なく祝着《しゆうちやく》に存じたてまつりまする」
――そして、甲斐はいま、病い犬のように暗い江戸の町をさまよいあるいていた。耳たぶには美しいお初の声と、しゃがれた老人の声が交錯していた。
「甲斐さま、御安心下さいまし。わたしはきっと巳之助丸さまのよい妻になります。どうぞあなたさまも、これからも伊達家をまもって下さいまし。……」
「われらが叛逆の血脈をつたえるものとして、その男は生かしておかねばならぬ。……」
ふいに傍《そば》にきて顔をのぞきこんだ者がだれであるかを知っても、甲斐は声もたてず、だまってあるきつづけた。その男は平気でついてきた。仁木弾正である。
「顔が変わられたな」
じぶんのことではない。甲斐のことをいったのである。しかし、弾正の顔も、しだいにメフィストフェレスじみた笑顔に変わっていった。
「参ろう。森宗意軒さまのところへ」
と、鎌みたいに唇をつりあげて、ささやいた。
前世からの兄弟のようにならんであるくふたりの背を雨つぶがうち、やがてまっ白な雨げむりの中へ、ふたりの影はきえていった。
巳之助丸はのちの伊達|綱宗《つなむね》である。先代萩《せんだいはぎ》の政岡《まさおか》は実存せず、綱宗の夫人三沢初子を変形させたものといわれる。
後年、綱宗は幕府から命じられたお茶の水の掘割|普請《ぶしん》への往来に、廓《くるわ》にたちよって遊蕩《ゆうとう》のかぎりをつくし、その不行跡のゆえを以て隠居を命じられたが、しかし「伊達家治家記録」によると、彼は当時|普請場《ふしんば》巡視に精励し、廓へ足をはこんだ形跡はない。まるでもうひとりの綱宗が存在して、伊達遊びをしたようにみえる。
さわれ、綱宗は若くして押込めの裁きをうけた。そして幼君|亀千代《かめちよ》をめぐっていわゆる「伊達騒動」の幕があがるのである。――
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忍者玉虫内膳
一
……いつのころからであったろう、といっても、それほど古いことではない。この三、四年来の話である。将軍をめぐって、ふしぎな死びとがあらわれるようになった。
しかし、それらの死びとは、それぞれの屍体《したい》が見出された場所で迅速に秘密|裡《り》に処理されたから、いつ、どこで、どんな風に発見されたのか、全体の数は何人にのぼるのか、すべてを正確に知っている者は、幕閣の上層部の数人にすぎなかったろう。将軍さえも、というより、当の将軍が事件の真相について、いちばん知らなかったかもしれない。
とはいえ、世上の風聞はあった。
江戸城の諸門とか、内部のあちこちで、ときどき武士の屍体が発見された。彼らは端坐したまま、門や石垣にもたれかかったり、あるいは前にのめったりして息絶えていたが、その屍体に恐ろしい二つの特徴があった。
彼らはすべて血をながしていた。出血場所はきまっていない。唇が多いが頬《ほお》であることもあり、腕であることもあり、胸であることもある。そこからながれ出ている血は糸のようにほそいのに、屍体の下にたまっている量はまるで沼のようであった。いや彼らがそこに到達するまでにも、血はその歩みにしたがって、滴々とつづいていた。そして、その出血場所をしらべてみると、そこに傷はなかった。血を洗うと、皮膚に小さな木の葉に似た鬱血《うつけつ》の斑点《はんてん》がみえるだけであった。
もうひとつの特徴は、さらに恐ろしいことだが、彼らはいずれも白い訴状を口にくわえたり、手につかんだりして死んでいることだ。その訴状には「上」とあり、ひらいてみると、どの訴状にも、「上様《うえさま》お恨み」とただ五文字がかいてあるだけであった。
調べてみると、これらの文字はみな死びと自身の筆跡である。――要するに、彼らは自分でこれをかき、血をしたたらせながらも自分の足でやってきて、そこで刻々と血をながして死んでいったように思われる。――
いや、事実、彼らのうちの二、三人は、その怪奇な死にざまをありありと人びとに見せたのだ。将軍が上野や芝の御霊屋《おたまや》に参詣《さんけい》したとき、それから日光御社参のため日光街道を練っていったとき――その行列のまえで、彼らは死んでいったのだ。
それらの道程には、前方はおろか、両側にすら人影はない。文字どおり、無人の野をゆくような行列の道に、こつ然とあらわれた人影が、フラフラとあるいてくる。むろん万一の曲者《くせもの》にそなえておびただしい護衛の武士が従っているのだが、そのゆくてにたったひとつの影があらわれたのをみても、あまりに大《だい》それたことなので、しばらく息をのみ、寂寞《じやくまく》と見まもっているばかりであった。
しかも、その影の腰に力はなく、うなだれて、トボトボとあゆんでくるのが、この世のものではないようなうす暗い妖気《ようき》を引いて、それから行列の先駆|数間《すうけん》の先で、音もなく坐ると、彼らはひっそりと息絶えていった。うしろに血の糸をひき、口に「上様お恨み」の訴状をくわえて。
それらの武士はいずれも若かった。そしてすべてが直参《じきさん》であった。その共通点をのぞいては、はじめのうち、彼らの死因はもとより、その動機すら、だれにもわからないほどであった。彼らは身分もちがい、役目もちがい、平生おたがいに顔をみたこともない関係にあることはたしかだったからだ。
しかし、そのうちに、世上の風聞はつたえた――。
「公方《くぼう》さまをお恨みして死ぬ直参の衆がある。その衆は、花嫁を公方さまにとられて、それで、お恨みして死なれるそうな」
二
「御小人目付《おこびとめつけ》、稲富小三郎《いなとみこさぶろう》にござります」
「おなじく、玉虫内膳《たまむしないぜん》にござります」
しずかに草の上に伏したふたりの男の前に、小姓を従えた貴人は立った。早春の冷たい風をふせぐか、白綸子《しろりんず》の頭巾《ずきん》で面《おもて》を覆っている。
ドンヨリとした曇天の下に、風はようやく青い芽を吹き出したばかりの枝を潮騒《しおざい》のごとく鳴らしていた。足もとにも、去年の落ち葉が、ときどき舞いうごいている。その樹々《きぎ》と枯葉の音のほかは、江戸の神田橋門内にこんな深山があるのかとふしぎに思われるような静寂《せいじやく》一画《いつかく》であった。
「面をあげよ」
と、覆面の人はいった。この屋敷のあるじ柳沢出羽守吉保《やなぎさわでわのかみよしやす》である。
「その方らをひそかに呼んだは、別の儀ではない。天下の大事にかかわることだが、それを救うのは、その方ら両人以外にないとみたからだ。……その方ら、先年より、上様《うえさま》をめぐって奇怪な死びとがあらわれるのを存じておろう」
草の中から、ふたりの武士は顔をあげた。
稲富小三郎と名乗ったのは、色浅黒くみるからに剛毅精悍《ごうきせいかん》の相で、玉虫内膳と名乗ったのは、女のような白面の美青年であった。
「その数、今日までにすべて十七人。……数までは知るまいが、世の噂《うわさ》に戸は立てられぬ。下民《げみん》どもは、その死びとは上様に女をとられたのを恨んで死んだと風聞しておるそうな。――いかにも、その通りだ」
頭巾のあいだの眼が苦笑した。
「とはいえ、その十七人の妻やいいなずけの女を、上様が非道に召されたものではない。大奥に奉公する女は、上様さえご所望あそばすならば、すべてお手付きになることは、はじめより覚悟しておることだ。それを、あとになって、みれんな恨み死するなど直参にもあるまじきふとどきな奴ら。東照宮《とうしようぐう》さま、台徳院《だいとくいん》さま、御三代さま、御先代さまにも、ご同様の例はおわしたろうに、かかる不忠な直参が出たなど、かつてきいたこともない」
「…………」
「それにしても、女を召された十七人が、そろってあのような死にざまをみせたことを奇怪千万とは思わぬか。また事実、当方でとり調べたところ、彼らはことごとく、その件については観念し、みれんなくあきらめ、中にはいいなずけが御手付きの御中臈《ごちゆうろう》にのぼったのを本懐とよろこんだ者もあったそうな。しかるにその男どもが、ときを経てふいにあのようなふるまいに出て死におったのは、何としても解《げ》せぬ」
「…………」
「彼ら自身の発意ではない。彼らは何者かにうごかされたと余《よ》は見る。あのふしぎな血の出しようがそれを物語っておる」
「…………」
「何者が何のために、いかにしてきゃつらを左様な境涯におとしたか。いかにして――ということはわからぬが、何者が何のために、ということはほぼ推量がつく。上様のご行状を天下にさらすためにかかる大事を企《たくら》んでおるのだ」
「…………」
「きゃつらはみなおとなしゅう死んでくれた。しかし、すでに上様をお恨み申しあげておるのだ。いつなんどき、上様のおんいのちにかかわるがごとき大事をひき起こすやはかりがたい。また、彼らをあやつる者は、それを望んでおるかもしれぬ。それでのうても、いまの世上の風聞とても、お側《そば》にあるわれらのたえがたいところだ」
吉保がたえがたいのは、将軍の側用人《そばようにん》として権勢第一の地位にある人間の責任感というより、彼自身がその妻を将軍に献じて、百万石のお墨付きを手に入れようとしたとかいう噂のあるくらいの人物であったから、このようなたぐいの風聞は、ひとごとならずすておけないものがあったからであろう。
「何者が、いかにしてかかる陰謀をたくらみおるか。――実はいままでにも、女を召されたその十七人のうちの何人かを、ひそかに呼んで心底をきき、あらかじめ用心させたものじゃ。そのときは、きゃつら、ちゃんとしておる。決して上様をお恨み申しあげるような不逞《ふてい》な心はもたぬ。もし、それをそそのかすような奴があらわれたら、きっと誅戮《ちゆうりく》するかご注進申すという返答をした。それが……突然、あのような死にざまをとげるのだ」
「いったい、何者の仕業《しわざ》でござりましょう」
と、稲富小三郎がついにたまりかねたような声をもらした。
「忍者だな」
「やはり。――」
「あの奇怪至極な死にようをみれば、あきらかに忍者のわざだ。そこで、そちたちを思い出した。御小人目付ではあるが、数年、伊賀の鍔隠《つばがく》れ谷とやらで忍法を修行して参ったというその方らを。曲者《くせもの》を探索し、これを成敗《せいばい》するものは、曲者におとらぬ気力と技をもつその方どものほかにはない」
「いかにして、探索いたしましょうか。何ぞ手がかりがござりましょうか」
と、玉虫内膳が唇をかみしめ、伏し眼になってつぶやいた。
「手がかりはない。いま申したように、存じておる奴らは、何もいわずにみんな死んだ。手がかりは、その方どもがつかめ」
頭巾のかげの眼は、このとき奇妙なひかりを放った。
「その方ら、両人、御徒目付組頭兵藤助太夫《おかちめつけくみがしらひようどうすけだゆう》の娘お葉《よう》とやらを争っておるそうな」
ふたりの顔に、血潮がさした。吉保は冷然とそれを見すえて、
「お葉を大奥にあげろ」
「は?」
「余は、お葉を見たぞ。あの器量ならば上様のお手がついても当然、またお手付きの御中臈となるは必定――」
「さ、左様に相成って、ただいま下された御用となんのかかわりがあるのでござる」
と、稲富小三郎はせきこんでいった。
「その方らが、お葉を恋慕しておることは、余の耳にも入るほどの噂。さすれば――その曲者は、かならずその方どもに眼をつけるであろう。手がかりを、その方どもでつかめといったのは、この意味じゃ」
ふたりの若者は沈黙した。その顔から血の気がひいていった。稲富小三郎がいった。
「お頭《かしら》には何と申されておりましたか」
「助太夫は、上様のおんいのちにかかわるとあれば、一家一族をあげて火水の中にとびこむとも否やは申さぬ。娘にもその覚悟はいたさせる所存、と歯をくいしばって申したが、なにそれほど悲痛がるには及ぶまい。娘の出世につながることではないか。それはともかく助太夫の申すには、われらはよいとして気にかかるは稲富と玉虫、稲富とは十数年前御用のことで死すべき身を小三郎の父に助けられ、そのとき以来、娘を小三郎の嫁にやることをひそかに誓った次第もあり……」
小三郎は眼をひからせて吉保を見つめている。
「また玉虫は、この数年来、娘を妻にくれるように申しこんで参り、いかように避けてもあきらめてくれず、もし拒めば腹も切りかねまじき惚《ほ》れこみよう。その執心ぶりに娘さえもこのごろ心うごかされた様子」
内膳の両手をつかえた肩がふるえている。
「さればこの儀は父親たるおのれの一存にては何とも申しがたい。もし両人が承服いたせば、そのときこそはよろこんで御意にまかせるといいおった。きいてくれるか。もとよりお葉はその方らにとって組頭たる御徒目付《おかちめつけ》の娘、両人にとってはねがってもない縁組じゃが」
にっと頭巾のあいだの眼が笑った。
「あきらめてくれれば余みずから、御徒目付以上の娘を世話してつかわすぞ。のみならず、もし両人のいずれか、例の曲者を捕えるか誅戮《ちゆうりく》いたせば、まず千石は加増してくれる」
世にいわゆる隠密《おんみつ》というのは、この御徒目付|乃至《ないし》御小人目付の仕事であった。御徒目付が上で、その下に御小人目付が配属される。が、この御徒目付がまだ御目見得《おめみえ》以下だから、御小人目付の身分がかるいことはいうまでもない。ふつうの隠密御用で千石の加増などということは、まずないことだ。
彼らが隠密に出るときは、通常二人が一組となる。探索すべき対象は功罪の両面からみることが必要だから、二人で紅白の籤《くじ》をひいて、それによって分担を決するという。――稲富小三郎と玉虫内膳はこの隠密御用のカップルであった。
「どうじゃ」
と、吉保はいった。しかし、意向をきく、といった調子ではなかった。
「両人とも異議はあるまいが」
「お断りを申しあげまする」
と、稲富小三郎は吉保をにらみつけたままいった。
「なんと申す」
「私、上様のためにはいつでも死にまする。さりながら、おのれが立身するために妻を売ることはいやでござる」
「おまえを立身させるために、お葉をお部屋さまに出せと申すのではないわ。それにお葉を大奥にあげるのを売ると申すは、過言ではないか。小三郎」
「いや、ただいまのものの申され方では、そうとられます。しかも、きかぬならべつ、お葉を犠牲《いけにえ》にいたすことと、われらの仕事が離れがたき一体となっておることを知れば、男として拙者この御用をお断り申しあげねばなりませぬ」
「小三郎、お葉どのは、何もおぬしの女房というわけではあるまい」
と、玉虫内膳がしずかにいった。
「お葉はわしの妻だ。すくなくとも、いまの出羽守さまのお話を承って、御意のままにご返答いたすなら、わしは女房を売ると同然の気持ちになる。……そもそもが、もとはと申せば、上様のご好色、左様なことで世に芳《かんば》しからぬ噂《うわさ》がたってもこりゃ当然、拙者はかかることのため、さらにお葉をお側妾《そばめ》にさし出すなどというばかげたことには、断じて承服できぬ」
剛直無比の面魂《つらだましい》を吉保は冷やかにみて、内膳に眼をうつした。
「内膳ならば承知か」
吉保に内膳は、吸いつくように美しい瞳《ひとみ》をあげた。
「上様のおんためならば、よろこんでお葉をさしあげまする」
「お葉はおぬしの妻ではない!」
と、小三郎は絶叫した。玉虫内膳はふっくりとした笑顔をむけた。
「お葉どのにきいてみろ」
それは満まんたる自信にみちた男の顔であった。小三郎は憤怒《ふんぬ》に身をもんだ。
「もしお葉がおぬしの女房ならば……お葉がおぬしを慕っておるというのがまことならば、いっそうお葉を売ることになるのだぞ、内膳」
「小三郎めは、どうやらお葉が拙者の妻であることを認めたようでござります」
と、内膳はしずかにいった。吉保の眼が笑った。内膳の返答のみならず、彼の人間性そのものに同類感をおぼえたらしかった。
「いかがいたしたものかのう」
と、なぶるようにいった。迷いの眼色でなく、すでにある決定を下しているらしい気配に、稲富小三郎は吉保の袴《はかま》のすそにとりすがった。
「出羽守さま、お願いでござる。お葉のことはおあきらめ下され。左様なことをいたさずとも、拙者に三月《みつき》のおいとまをたまわらば、必ず曲者を成敗してご覧に入れ申す」
「三月はながい。出羽守さま仰せのごとくすれば、一ト月で片がつこう」
と、内膳はいった。
吉保はふたりを見くらべてつぶやいた。
「いずれがお葉の夫たるべきか、紅白の籤《くじ》をひくか?」
「いや、その儀には及びますまい」
「なぜだ、内膳」
「花嫁ひとりに婿ふたり、どうせこのことなくとも、日の下にならんで生きてはゆけぬ両人でござった。――」
内膳がいいも終らぬうちに、稲富小三郎は坐ったままの姿勢で、ぱっと二|間《けん》も横にはねとんだ。
三
ふたりのあいだに、きらっと閃光《せんこう》がはしって、吉保がはっと眼を見はったとき、玉虫内膳と稲富小三郎は、寂然《じやくねん》として向かい合って立っていた。閃光は、内膳の抜き討ちの一刀であった。むなしく宙をきった刀身は、内膳の右腕にたかだかとかかげられたままであった。
「おぬしのいのちをもらうなどとは、いまの刹那《せつな》までかんがえたこともなかったが」
と、小三郎がいった。彼は刀の柄《つか》に手をかけてもいない。
たかだかとかかげた玉虫内膳の右腕が奇妙にふるえ、刀がユラユラと異様に浮動するのに吉保が気がついたのはそのときであった。内膳の美しい顔に凄《すさま》じい苦悶《くもん》の表情があらわれた。
「やむを得ぬ。勝負を決しよう。同じく伊賀の鍔隠《つばがく》れで忍法を修行したとはいえ、まだそれをつかう機会なく、おたがいには知らぬ忍法のわざ。それを最初に見せる相手がおぬしとは思わなんだぞ、玉虫内膳」
ゆっくりとちかづきながら、稲富小三郎のこぶしが何かをかいくるようにうごくと、内膳の右腕がゆらぐ。――まるで糸にひかれているようだが、ふたりのあいだの空間には何もみえぬ。
「内膳、あまりに痛がらせるは朋輩《ほうばい》のよしみにそむく。まず刀を投げてもらおう」
小三郎がいうと同時に、内膳の宙にあげた大刀が、腕からはなれて草の上におちた。――その柄に何やらくっついているものをのぞきこんで、吉保はあっとさけんだ。
地におちたのは、刀身ばかりではなかった。内膳の鉛色になった手首もいっしょであった。小三郎はまだ一|間《けん》もはなれているのに内膳のこぶしは、まるで腐熟した果実のようにぽろりともげおちたのである。
「忍法髪いたち。――」
小三郎は何やら手中にたぐりこむような手つきをした。
「見えたか。見えまい?――おぬしの手を斬《き》ったのは、髪だ。およそ五|間《けん》の行動半径はきく。髪をたてにふたつに裂いてつないだものだ。――眼に見えぬほど細いこの髪が、からみついて絞めあげれば、青竹すらも断ちきれる」
ふたりの間隔は、半間《はんげん》となった。満面|藍色《あいいろ》になって棒立ちになっていた玉虫内膳のからだが、グラリとゆらいだ。
たおれるかとみえたのだ。実際に、内膳はたおれた。が、その直前に、吉保がみたものは、地から枯葉を巻いて薙《な》ぎあげられた白光の旋回であった。どすっ――というような凄惨《せいさん》な音とともに、ぱあっと血けむりが噴出して、稲富小三郎は胴を完全に切断され、ふたつになって地に崩れおちていた。
玉虫内膳も草の上にころがっていた。が、その右足は宙にあがっている。――その足袋《たび》をはいた右足が、まるでこぶしのごとくしかと刀身をにぎりしめているのであった。
さっき地におちた一刀だ。ほんもののこぶしは横にはねのけられていた。樹々に風が鳴り、赤い雨のごとくふりそそぐ血しぶきの中に、柳沢吉保は頭巾《ずきん》をかぶっているのも忘れて、袖《そで》を口にあてて立ちすくんでいた。
「髪いたち。――なるほど」
と、玉虫内膳はつぶやき、足から刀身をはなすと、しずかに立ちあがった。
「しかし、斬られたおれの手くびから血が出なんだことに気がつかなんだのが、こやつの不覚。――」
「手くびから、血が出なんだとは?」
と、吉保はしゃがれた声でいって、内膳の手くびのない右手をみた。内膳は赤い霧吹きをかけられたように血の斑点《はんてん》に染まっていたが、いかにもその切断された手くびから血はしたたってはいなかった。
「拙者の右手は、髪をかけられたときから、すでに死んでいたのでござります。拙者はからだのどこでも、その一部を、みずから死なせることができるのです。血も通わねば、痛みもおぼえぬ。先刻苦痛の顔をみせたのは、小三郎めをあざむく狂言でござった。そのかわり、足が手のかわりになります。足を斬られれば、拙者は手で走ってご覧に入れる。――」
「その方なら、御用を果たせる!」
と、柳沢吉保はみずから招いた忍法者に戦慄《せんりつ》をおぼえつつうめいた。
「よいか、きっと曲者を成敗いたせよ」
玉虫内膳は、もはやない右手の手くびをおさえたまま、じっと吉保を見つめた。
「出羽守さま、千石ご加増の儀は、内膳信じてよろしゅうございましょうな」
四
大奥にあがった御徒目付組頭《おかちめつけくみがしら》兵頭助太夫の娘お葉がお手付きの御中臈《ごちゆうろう》になったということを、内膳が吉保からきかされたのは、それから一ト月ばかりたったある日のことであった。
内膳のまぶたに、お葉の面輪《おもわ》がふっと浮かんだ。幻のお葉は泣いていた。
内膳はお葉がじぶんを愛するようになっていたことを、いまも信じて疑わない。そして彼もまたお葉を妻にしたいと熱望し、父親の助太夫のまえに土下座《どげざ》までしたことに嘘《うそ》はなかった。――あの吉保の言葉をきくまでは。
いまでも、彼には哀惜の想いはある。しかし、千石のまえには、やむを得ないことであった。
いくさがあったとしても、千石をとるのはなみたいていのことではない。まして、元禄《げんろく》の泰平だ。――伊賀の谷に入って、この世のものならぬ惨澹《さんたん》たる忍法の修行をしたのも、ふつうのことをしていては生涯うだつがあがらないという焦燥から発した野心のためであった。しかし、いかに忍法を体得したとしても、御小人目付はしょせん御小人目付であることを、内膳は心根に徹して悟りはじめていた。しかも、その職分として、いつの日かはいってかえらぬ隠密の旅に出なければならぬ。――そこに、この話だ。
飛ぶ鳥おとす柳沢出羽守さまが保証されたことだ。首を失っても千石はむずかしい世に、ひとつの手くびを失うくらいは安いものだ。ましてや、惚《ほ》れた女のひとりをや。まさか、千石取りの御小人目付というものはかんがえられないから、それは旗本に昇進することを意味する。
それから十日目の夜であった。所用あって神田へいった内膳が帰途についたのは、もう空に白いおぼろ月のかかる時刻になっていたが、音にきこえた護持院の塀の外をあるいていて、ゆきあったふたつの駕籠《かご》から、思いがけず声をかけられた。
「御小人目付の玉虫内膳どのでござりますな」
一方の駕籠の戸があいて、白髪の老女がこちらをうかがっていた。
ほかに供侍《ともざむらい》の姿もみえなかったから、べつに気にもとめず、ゆきちがおうとしていたのだが、呼びとめられて、その老女の気品のある姿に、ふと駕籠をみると、いずれも惣黒漆《そうくろうるし》に金蒔絵《きんまきえ》という、あきらかに大奥の女乗物であった。
「左様でござるが」
「寄られませ、内膳どの。……お葉のお方さまからのお呼びでござります」
「えっ……お葉のお方さま?」
さすがの内膳が、どきりとした。
ちかよると、老女はいう。――実は、お葉のお方さまには、御代参においでなされて、今宵《こよい》はこのちかくの某家にお泊まりになっている。ところがさきほど、ふと内膳の姿をこの神田の町で見かけたものがあって、そのことがお耳に入った。すると、お葉のお方さまは、是非とも内膳どのに逢《あ》いたい、女のいのちをかけて、是非内膳どのにおききせねばならぬことがある。――と申されるゆえ、お迎えにきた。すぐにもうひとつの駕籠にのっておいでになっては下さるまいか。――
内膳は、じっと品のいい老女の顔をみていた。
来たな。――と思ったのは、例の恋人を公方《くぼう》に奪われて、その後奇怪な死にざまをとげた十七人の武士たちのことであった。しかし、話は実にまことしやかだ。お葉に何かいい分があろうとは、うぬぼれているわけではないが内膳にも推量がつく。もしそれがまことならば、いまは上様の御愛妾《ごあいしよう》たるお葉のお方さまのお恨みを買わないためにも、じぶんはいって何とかなだめてこなくてはならぬ。またもし、これが偽《にせ》の使者ならば、その口上《こうじよう》の巧妙さに驚嘆せざるを得ないが、しかしたとえにせものであっても、じぶんはゆかねばならぬ。いや、これこそじぶんの待っていたことだ。
「参ろう」
と、内膳はうなずいた。
おぼろ月が雲に入った。護持院の塀の影に入った二|挺《ちよう》の駕籠はヒタヒタとあるいてゆくうち、ふっと消えて、あとには雪のごとき落花が渦《うず》をまいているばかりであった。
五
待ち受けていた女は、お葉の方ではなかった。
しかし、お葉が人間として美しい女といっていいなら、これは人間ではないもののような美しさであった。
江戸の地理であったら、大名はおろか、旗本|御家人《ごけにん》、いや寺から町家にかけて、その名、配置、路地、井戸にいたるまで精密な地図のようにあたまにたたきこんでいるはずの玉虫内膳が、まったく知らない武家屋敷の奥であった。駕籠のまま屋敷にはこびこまれたから、その外観は知りようがないが。しかし眼かくしされたにひとしい女乗物の中でも、正確に道すじをたどってきた内膳が、こんな場所にこのような武家屋敷があったことに、まったく思いあたるものがない。
それはともかく、ここは大奥の一室ではないかと思われるほど豪奢《ごうしや》な部屋であった。金泥《きんでい》のふすま、夢のような絹の雪洞《ぼんぼり》、そしてパンヤの褥《しとね》。
その緋《ひ》の閨《ねや》のうえに、女は内膳を坐らせてかきくどくのであった。大奥の一室ではないかと思われたというのは、さっきまで女が着ていたのが、大奥風の裲襠《うちかけ》であったからだが、いまは緋の長襦袢《ながじゆばん》を肌にまつわらせただけだ。しかし、髪がからす蛇のようなおすべらかしであることに変わりはなかった。
女はいった。――わたしはあなたが恋人を将軍にささげたお方であることを知っている。そのあなたをあざむいてここに呼んだのはほかでもない、わたしのからだであなたの苦しみを和《やわ》らげてあげたいからだ。それはわたしの悲願である。なぜそんな願いをかけたかというと、わたしの恋をしていたある旗本の若侍が、やはり恋人を公方さまにうばわれて、悶死《もんし》にちかい死に方をしたのを見たからだ。そのひとは、わたしが恋をしているのを気がつかなかった。そして、わたしもどうすることもできなかった。なぜなら、わたしはそのとき十三歳であったから。
女は内膳の胸にとりすがって訴えた。白臘《はくろう》のようになめらかなひざが、襦袢からこぼれて、やわらかく彼のひざにのりかかっている。しかし、内膳は女のうごく唇をながめていた。
女はいった。――その記憶が、いまのわたしのふしぎな病気となった。いまの年になって、恋人を公方さまにとられた男の話をきくと、心《しん》ノ臓はきゅっとちぢみ、手足もそりかえるほど苦しい感覚が全身をうねるようになった。わたしのからだで、そのひとの苦しみを和らげてあげたいのが願い――といったけれど、ほんとうは、その男のからだでわたしの苦しみを和らげてもらいたいのだ。
内膳は、女の唇に見入っている。魔の花に似た唇を。
まさに、花だ。人間の肉の一部とは思われない。まっしろな頬とあごにつつまれて浮かびあがった一輪の緋牡丹《ひぼたん》。そのうす紅《くれない》の色といい、うるおいといい、さらにきらめく細かい歯のつらなり、ほのかな舌のうごめきは、微風にそよぐ花のめしべやおしべをのぞきこむとき、人を吸いこむ恍惚《こうこつ》と同様の酔いにおとした。
その肉の花は、いまや内膳の唇すれすれにちかづいて、甘ずっぱい芳香をはきかけている。奇怪な告白を、内膳は微妙な音楽のようにきいた。――
「うそだ」
からくも理性を呼びおこし、のけぞるようにして内膳はさけんだ。
「まことのことをいって下されい。わしは何でもあなたのいうことをきく」
女は、おどろかなかった。じぶんのいったことを相手が信じていないことを、すでに知っているかのようであった。というより、じぶんの魅惑をよく知っていて、相手がその美しい網にかかった昆虫であることを見ぬいたようであった。
「わたしは関石見守《せきいわみのかみ》の娘|桔梗《ききよう》」
「関石見守。――」
内膳は、女の顔をもういちど見すえようとしたが、黒い眼が夜のように視界いっぱいにひろがっているばかりであった。
関石見守は、十数年前、公方さまの御側用人として、しばしばその邸《やしき》にお成りがあったほどの寵臣《ちようしん》であった。が、石見守が突然発狂して縊死《いし》し、しかも男子がなかったので改易《かいえき》になったときいている。
「公方さまお成りの夜、母は無理|強《じ》いに公方さまの伽《とぎ》を命じられ、翌日自害して死んだ。父もまた公方さまに屈したのは武士にあるまじき所業であったと恥じて、わざと武士らしゅうもなく縊《くび》れて死んだのじゃ。そのときわたしは五つであった。そして乳母のふるさと甲賀の卍谷《まんじだに》にかえり、そこで忍法を教えてくれた。――」
そういったきり、桔梗の声はたえた。言葉の内容の恐ろしさと反対に、そのからだは緋の襦袢もしどろに、乳房を、腹を、足をなまめかしく内膳におしつけ、からみつかせ、白い蛇のようにくねらせた。
だまったのは、弱々しくはねのけようとした内膳の左腕に、ひたと唇をおしつけたからだ。
そこに異様な感覚が起こった。内膳は、唇をつけられた腕のつけねから射精したかと思った。快美な麻痺《まひ》感が、そこから全身にひろがっていった。
桔梗は唇をはなした。
「見るがよい、そなたの腕から血がしたたりはじめた。この血は、もはや糸をひくようにとまらぬ。そなたのからだじゅうの血がつきるまで」
笑った歯が、血にきらめいた。
「まもなく夜があける。朝のうちに、そなたは死ぬ。どのような手当てをしようと、それはふせげぬ。それは、やがて、血の失《う》せてゆくにつれて、そなたにもわかってくる。さて、それがのがれられぬ運とわかったとき、そなたは何をする。よいか、どのような果報が待っていようと、そなたは夜があけたら死なねばならぬのじゃ。十数年前公方さまがひとりの大名の妻を辱《はずか》しめたこと、それから、一ト月ばかりまえ公方さまがそなたの恋人を犯したこと、それこそがそなたがいま死の座にそなえられた理由だと知ったら、そなたは息のあるうちに何をしたいと思う。望むこと、できることはたったひとつ、公方さまを恨むことではないか?」
呪文《じゆもん》のように、声は内膳の耳にしみこんでいった。彼はうすい息を吐いて、横たわったままうなずいた。
「その通りでござる」
桔梗はもういちど笑った。笑ったまま、その首が黒髪をひいて横にとび、なまめかしく坐ったままの胴から血が奔騰《ほんとう》した。
内膳の関節は四方に回転するのか。――桔梗の背後で、鞭《むち》のようにしなってはねあがった彼の右足がひっつかんで薙《な》ぎあげたのは、そこに置いてあった彼の一刀であった。
「吸っていた口をはなしたとたんに、おれが左腕を死なせたことに気がつかなんだのは、そなたの不覚。――十八人目の男は、相手がわるかったわ」
刀をなげすて、立ちあがって、彼はつぶやいた。
「見ろ、血はながれぬ」
と、左腕をのぞきこんだ。そこには木の葉のかたちのうす赤い痕《あと》が印《しる》されているばかりであった。
うす笑いして、内膳は頭をめぐらした。そこにあった長持ちの上に、女の首はのっていた。なまめかしい微笑を浮かべたまま――。
じっと見つめているうちに、玉虫内膳の眼がしだいに異様なにごりをおびてきた。
「あやうく、御用を忘れて、うぬの美しい唇の地獄に堕《お》ちるところであったわ。死んだ口でも美しい。お葉よりも美しい。いまこそ、心ゆくまで吸わせてくれる」
六
まだ朝が早かったので老女や駕籠かきの中間《ちゆうげん》は気がつかなかったらしい。玉虫内膳は外に出た。
何という屋敷か、思いあたらなかったのも当然である。外に出れば、内にあのような豪奢な屋敷があろうとは、何ぴとも想像しない崩れかかった廃屋であった。春の草は庭のみならず、屋根にまで蓬々《ほうほう》と生いしげっていた。
「千石」
と、彼はつぶやいて、あるき出した。
しかし、白い朝のひかりに、内膳の顔は陶器みたいに白ちゃけていた。その左腕はダラリとたれている。しかし、彼の顔を蒼白《そうはく》にしているのは、みずから殺した左腕ではない。両腕失うとも、千石ならば惜しくはない。
彼を恐怖させたのは、先刻の桔梗の口であった。首だけになった桔梗は、口の中に入ってきたものを柔らかくくわえた。舌がうごめいてやさしく吸った。――いや、そんな感覚がしたのだ。
うめきとともに、彼が吸われたと感じた部分を一瞬みずから殺したのは、忍者の反射的行為であった。
「あれは妖《あや》かしだ。……千石こそはほんとうだ」
しかし、春の日の下に、彼の胸にはこがらしが無惨のひびきをたてた。
彼は男としての機能をみずから殺したのだ。それでも千石の褒美《ほうび》を受ければ、引き合うか?
「千石。……」
うわごとのごとくうめいてあるく玉虫内膳の股間《こかん》から、はじめ白い乳のようなものが、やがて赤い血の糸がしたたりはじめたのを彼は気がつかぬ。ましてや、それが死と死との接吻《せつぷん》によって伝導した「生」そのものの流出であることを彼は知らぬ。
「上様お恨み。……」
ちる花に背を吹かせつつ、彼はつぶやいた。それは彼の衰弱してゆく肉体そのものがもらしはじめた悲叫であった。――いつしか彼の足は、無意識のうちに、江戸城の方へむかっていた。
その大手門の前に、十八人目の死びととして、ひそと坐るために。
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忍者傀儡歓兵衛
一
伊賀組|小普請方《こぶしんかた》の花房宗八郎《はなぶさそうはちろう》は、同輩の九沓歓兵衛《くぐつかんべえ》から、
「御内儀の人形を作ってみたいが」
と、いわれて、へんな顔をした。
歓兵衛が人形の修繕に奇妙な技術をもっていることは知っている。歓兵衛の余技や道楽ではない。れっきとした彼の内職である。だから、花房家に古くからある雛《ひな》人形を修繕してもらうために、このごろ歓兵衛に通ってもらっていたのだが、まさか彼が人形そのものを制作するとは思わなかった。
「おぬし、人形も作るのか」
「いささかな。……ただし、相手によるが」
「相手によるとは」
「左様さ、この人を是非とも人形に作りたい、という気を起させる人にかぎる」
「では、おぬしの作る人形というのは、そこらの雛や玩具《おもちや》ではないのだな」
花房宗八郎にとってふしぎにたえなかったのは、九沓歓兵衛が人形を作る、ということより、その対象がじぶんの妻のお信《のぶ》だということであった。
「お信がおぬしにそんな気を起させるのか。お信などを人形にして、どうするのだ」
「どうともしない。ただ作ってみたいから、おねがいするわけだ」
宗八郎は、美しい顔を苦笑させた。
「物好きな男だな。そんなものを作りたければ、勝手に作ったらよかろう」
「それには、御内儀の型をとらねばならぬのでな」
「型をとる?」
「されば、御内儀に、わしの屋敷に来ていただいて、泥の中に寝てもらわねば型がとれぬ。しかも、失礼じゃが、はだかになっていただかねばならぬ。そんなわけで、貴公のゆるしをねがったのだ」
宗八郎はいよいよ唖然《あぜん》として、朋輩《ほうばい》の顔をみた。歓兵衛のいかつい、武骨な顔はまじめであったが、しかし黒い皮膚にかすかに血潮がのぼっているようであった。
「はほう、泥で型をとる」
ややあって、宗八郎はつぶやいた。
「それは、面白いな。是非、みたい」
「むろん、貴公にも立ちあってもらわねばならぬ。では、貴公はゆるしてくれるのじゃな。しかし御内儀はどうであろうか」
花房宗八郎はちょっとかんがえこんだ。お信が、よその男のまえではだかになどなるだろうか。ふつうの人妻でも拒否するにちがいないが、ましてお信だ。そんなことは絶対に受けつけないだろう。……
しかし、宗八郎はうす笑いして大きくうなずいた。
「いや、承知させる。亭主の権限を以《もつ》て」
必要以上に語気を強めたのは、女房に命ずる事柄が事柄であるばかりではなく、宗八郎が花房家に婿となって入った男だからであった。
「ところで、九沓、おぬしが人形をつくろう腕も前々から感心しておったが、人形を作るとまでは知らなんだ。それは秘伝でもあるのか」
「まあ、家伝のものだ」
「家伝、というと――伊賀流の忍術か」
宗八郎はからかい気味にきいたのだが、思いのほかに九沓歓兵衛は大まじめにうなずいた。
「どうも、それと関係があるらしい」
「ほほう、人形作りと忍術と? はて、どこが、どう関係があるのだろうな」
「……わしの作った人形を見てくれればわかる」
歓兵衛はしずかにつぶやいた。ふだんからおちついた男だが、それがこの言葉をはいたとき、ひどく自信を持っているようなので、宗八郎はふとぶきみの感にうたれると同時に、いよいよ好奇心にとらえられた。
「それは、よかった! それでは、おぬしの伊賀流忍法修行のため、とお信にいおう。ひどく伊賀組に誇りをもっている女ゆえ、その口実で押せば承知するかもしれぬ」
と、宗八郎は手をうった。
「是非、たのむ」
九沓歓兵衛はふかぶかとあたまをさげてから立ちあがった。古武士のように礼儀の正しい男であった。しかし、あまり重々しいので、長屋のようなこの組屋敷の中ではやや不相応で、宗八郎はふだんからめんくらい、また滑稽《こつけい》に思うこともある。
玄関まで送って出ると、奥からあわてて女房のお信が出てきた。
「まあ、おかえりでございますか。おつくろいいただきました雛をしまうのにかかっておりまして、気づきませんで」
「由来のある雛でござる。御大切になされい」
「はい。おかげさまで、美しゅうなおりました」
手をついておじぎをする細いえりあしを、宗八郎は立ったまま見下ろして、どうして歓兵衛がこんな女を人形にしたいなどいう意欲を起したのだろう、ともういちどふしぎに思った。
顔だちはともかく、地味で、くそまじめで、まったく男の気などひかぬ女なのだ。まさか歓兵衛がそれに色気を感じたとは思われないが、人形にしたいという以上、一種の魅力をおぼえたに相違なかろうが、おれにはまったくその気がしれない。
「失礼いたす」
人形直しにやってきた九沓歓兵衛は、人形直しの道具を入れた箱をぶらさげて、まるで大名に使者にでもきたような荘重な足どりで、往来へ出ていった。
天保《てんぽう》末年、早春の午後である。花房宗八郎の家は四谷南伊賀町にある。九沓歓兵衛の家は北伊賀町にあった。寛永《かんえい》以来、この一帯は伊賀者の組屋敷となっていて、町の名もそれからついた。
二
しかし、二年ほどまえ、宗八郎が花房家に入夫したときは、お信を美しいと思ったこともあるのである。
宗八郎は安|御家人《ごけにん》の三男坊で、幼いときに東叡山《とうえいざん》三十六坊の一つに寺小姓《てらこしよう》にやられた。これは本人の衣食をことごとく寺で面倒をみてくれる上に、年ごろになって坊主になるのがいやなら、侍の株も寺の方で買ってくれるので、貧しい御家人の家ではよくやったことだ。寺小姓というのは坊主の男色の対象となるのが本務といっていいくらいだが、宗八郎は非常な美少年であったから、とくに宿坊の和尚《おしよう》の寵《ちよう》が厚かった。
しかし、宗八郎は坊主の念者《ねんじや》となっていることに甘んぜず将来のことを思うと、どうしても身分を保証された武士になりたかった。そこに、二年前、伊賀組の花房家の婿にならぬかという話があったので、渡りに舟とその話に乗ったのである。
伊賀組が薄給であることは知っていたが、しかしいったん武士になれは、じぶんの才覚次第ではさらに栄進の道もひらかれようと思い、その自信はあったし、坊主のおもちゃになっているのがほとほといやになって耐えがたいまでになっていたし、さらにそのとき花房家の娘お信をひと目みたとき、これはわるくない、と思ったからだ。
それで彼は花房家に婿入りした。花房家には男子がなく、娘ひとりで、父の一兵衛《いちべえ》は重病で、まもなく死んだ。だから花房家の方でも、婿とりをいそいだのだ。
「――しまった」
と、宗八郎がほぞをかんだのは、半年もたたないうちであった。
旗本の最下級は三十俵|二人扶持《ににんぶち》だが、伊賀組|小普請方《こぶしんかた》がまさに三十俵二人扶持なのだ。伊賀町の組屋敷では、どの家もが内職に夜も日もなかった。虫を飼う、鳥を飼う、金魚を飼う、植木を作る、さらに傘《かさ》張り、凧《たこ》張り、提灯《ちようちん》張り、竹細工、藁《わら》細工。――九沓歓兵衛の人形の修繕もその一つで、これはまず異彩の方であろう。
新妻のお信も、祝言の翌日から虫籠《むしかご》の竹細工に余念がなかった。
そんなことを手伝いに婿にきたか。――宗八郎はせせら笑い、じぶんは職務の配置転換に奔走した。
伊賀組には「明屋敷《あけやしき》番」といって、将軍があちこちに持っている御殿や、国にかえっている大名の屋敷の管理、「御広敷《おひろしき》番」といって、大奥を護《まも》る職務、「山里警備」といって山里|櫓《やぐら》の番人、「小普請方《こぶしんかた》」といって、小普請|奉行《ぶぎよう》配下の事務書記など、だいたい四つの役目があったが、この中で「小普請方」が、いちばんワリがわるい。ワリがわるいというより、職名は名目だけで、全然無役にひとしいのだ。したがって、収入は少なく、伊賀組のうちでも最も日のあたらぬ連中といっていい。最も役得のあるのは、「御広敷番」で、これは大奥の女中や御用達《ごようたし》商人からの貰《もら》い物も多いので、比較的裕福であった。
宗八郎はせめてその御広敷番にでも役替えさせてもらいたいと、必死に運動した。毎日、組頭《くみがしら》たちのところに通って、その内儀や娘たちにも犬馬の労をとった。天性の美貌《びぼう》と寺小姓あがりの一種なまめかしい挙止で、意識して彼女たちの歓心を買おうとしたのである。
女たちに評判はよかったが、その結果はかえって男たちの反感を買ったような気配であった。彼の努力は黙殺された。職務の鉄壁はびくともうごかなかった。
宗八郎は、絶望するとともに、伊賀組の連中を逆に軽蔑《けいべつ》しはじめた。
伊賀組というのは、家康が江戸開府早々、伊賀の服部半蔵《はつとりはんぞう》以下二百人の伊賀者に江戸城護衛を命じたのがその発祥であって、当時は音にきこえた伊賀流の忍法を体得した者も多数あったのだろうが、爾来《じらい》泰平がつづくとともに忍術の必要もうすれ、伊賀組そのものの存在意義もうすれてきた。彼らは江戸城に勤仕する武士たちのうちでも最下級の卑役となった。
そして現在は、見るとおり、内職の町だ。忍術はおろか、武芸さえ体得している者は珍らしいのではないかと宗八郎は思っている。げんに、そのいずれをも知らない寺小姓あがりのじぶんが、花房家に入夫できたことでもそれはわかる。少なくとも彼は、朋輩から忍術のニの字も耳にしたことがない。
それなのに、笑止千万なのは、彼らがいずれもこの身分低い伊賀組の伝統を、ひそかに誇っているらしいことであった。天正《てんしよう》十年六月、神君|加太《かぶと》越えの御大難に際し、われら伊賀者は――と、何かといえばその光栄ある歴史を、おごそかに語り出すのだ。男のみならず、ほそい蒼白《あおじろ》い指で竹を削りながら、女房のお信までが同様なのには、宗八郎は失笑を過ぎて、ムカムカしてくるくらいであった。
そう思ってから、また一年半ばかりの歳月がすぎた。宗八郎にとっては、蟻《あり》が蟻地獄におちたような生活に思われた。
婿とはいうものの、宗八郎はお信にないがしろにされたことはいちどもない。宗八郎が伊賀組を小馬鹿にするような口吻《こうふん》をもらすたびに、「左様なことを仰せられてはなりませぬ」と、このときばかりはきっとなってたしなめるのは別として、また、貧乏のため、おたがいにいろいろとつらいことのあるのは別として、お信は夫を大切にし、立てている。やさしい、よくできた女房であった。
「あたりまえのことだ」
と、お信をジロリとみる宗八郎の眼は美しく、冷たかった。
「過ぎたる婿だ。花房家にも――この女にも」
最初だけにしろ、どうしてこんな女を美しいと思ったのだろう、と宗八郎はふしぎにたえない。内職にやつれたお信は、蒼白くしぼみかかった夕顔のようであった。
花房宗八郎が、朋輩九沓歓兵衛の奇妙な依頼にすぐさま応じたのは、彼の「泥で型をとって人形を作る」という言葉と事柄に好奇心をもやしたこと以外に、こういう妻に対する無関心、というより、悪意にちかい冷やかな感情があった。
三
九沓歓兵衛はもう三十を越えているだろうに、まだ独身であった。親もない、兄弟もない。いかつくて、武骨で、ときには四十過ぎにもみえるほどおちついている。
その年になってまだ妻帯もしないのは、親兄弟がいなくて親身に面倒をみる者がいないためばかりでなく、彼がどこか変っているせいが、たしかにある。
どこが変っているのかときかれると、宗八郎にも一言にはいえない。酒ものまず、女道楽もせず、寡黙《かもく》で、従容《しようよう》として、武士の典型といったような男だから、変っているというなら、ほかの人間の方が変っているだろう。強《し》いて歓兵衛の変っているところをいえというなら、この時世と環境の中で、彼があんまり武士の典型でありすぎる、ということか。とくに外から入ってきた宗八郎にはそう見える。
彼の容儀のあまりに重々しく、しかつめらしいのは滑稽《こつけい》に思われたが、宗八郎はこの男がきらいではなかった。世の中に何が面白いことがある、といった顔をしているが、その本性は素朴で、人なつこい人間のように思われた。そんな顔をしていて、優にやさしい人形直しに特技をもっているということは、宗八郎の笑いをさそい、哀愁の感すらそそった。それに、宗八郎の気のせいかもしれないが、なんとなく、じぶんを異物視し、冷眼にみているような伊賀組の中にあって、歓兵衛ばかりは他意なく宗八郎に話しかけてくるのであった。宗八郎が歓兵衛の願いを受け入れたのには、それに対する好意もある。
花房宗八郎が妻のお信を説得して、北伊賀町の九沓歓兵衛の家へつれていったのは、それから三日のちのことであった。果せるかな、歓兵衛の「伊賀流忍法修行のため」という大義名分は実によく効いた。
歓兵衛の家は、花房家とまったくおなじ陋宅《ろうたく》であったが、女手がないだけに、さらに汚なく、異臭さえただよっている。
が、その部屋に通されたとき、花房夫婦は思わず、「ああ」と立ちすくんだ。
八畳ばかりの部屋だ。が、障子も、その外の雨戸も閉じられて、外は明るい早春の日ざしというのに、雨の夜のように陰湿の気がたちこめている。ただし、部屋の四隅に、四つの行燈《あんどん》がつけられていた。
「わしの仕事部屋にしておる」
と、九沓歓兵衛は、顔に似合わぬ、はにかんだような笑顔をみせた。
宗八郎はいままで二、三度九沓の家を訪れたことがあったが、この部屋に通されたのははじめてであった。
「驚かれたろう。まず、お坐りなされ」
歓兵衛は、黒い頬《ほお》にぽうと血をのぼしてお信にいい、二枚のうす汚れた座蒲団《ざぶとん》をすすめたが、ふたりはなお眼を見ひらいて部屋の光景を見まわしている。
まず何からいったらよかろうか。
たたみの上には、木綿や糸などのほかに、天鵞絨《ビロード》、緞子《どんす》、綾《あや》、綸子《りんず》などの高価な布地も散乱している。それから五色の紙や貝殻や卵や、木片や竹片や、それに髪の毛の束や。――
「あの箱に入っているのは何だ」
「おが屑《くず》だ」
「あれは?」
「生麩《なまふ》」
「あの大きな壺《つぼ》に入っている真っ白いものは?」
「石膏《せつこう》といって、岩の一種をくだいたものじゃ。甲州|巨摩郡夜子沢《こまごおりよござわ》で採れる」
「何にする」
「水に溶かして、物の型をとるのに使う」
それから一方には、鉋《かんな》やのみ[#「のみ」に傍点]や錐《きり》やへら[#「へら」に傍点]や鋏《はさみ》、針や針金のならべられている板があった。それとならんで、絵具皿や胡粉《ごふん》や膠《にかわ》や筆などを置いた台があった。なかでもふたりの眼をひいたのは、何百本ともしれぬ美しい蝋燭《ろうそく》の堆積《たいせき》だ。
「あんなに蝋燭をどうするのだ」
「蝋燭ではない。芯《しん》がない。あれで人形を作る」
「蝋人形か」
「……左様」
「いや、たいへんな道具じゃな」
それからまた大きな臼《うす》と杵《きね》もあった。そこに盛りあげられているのは、餅《もち》ではないが、餅のようによく搗《つ》かれた真っ黒な粘土のかたまりであった。
「おぬしが人形を作るときいては来たが、これほどまでとは思わなんだ。おどろいたな」
宗八郎は呆《あき》れた息を吐いた。
「いったいこれほどの仕事場を持って、いままでどんな人形を作ったのだ」
「そうきかれると恥ずかしい、しまいまで作りあげても気にいらんで自分でこわしてしまうことが多くてな。むかし作ったものが二、三あるから見せてもよいが」
歓兵衛は壁の板戸のまえに歩み寄って、それをひらいた。
「あっ。……」
と、ふたりはさけんだ。
板戸の中は押入れのようになっていて、そこに三人の少女がならんでいた。まんなかに十四、五歳の少女、両側に七つか八つくらいの童女がならんで、じっとすずを張ったような眼でこちらを見ていた。眼ばかりではなく、その皮膚の色、唇の色、生きているとしか思えない少女像であった。
「あれが人形か」
「ちかづいて見てくれ」
ちかづくと、向うからも笑いながら駈《か》け出して来そうにみえる。「あれが人形?」とお信はなおうたがうかのように歩み寄っていったが、途中で宗八郎はピタリと立ちどまった。
「はてな。あのまんなかの娘御《むすめご》。……どこかで見たような」
「ははあ、わかったか。小普請奉行木室丹後守《こぶしんぶぎようきむろたんごのかみ》どのの御息女お千賀《ちか》どのだ」
「……しかし、あの御息女はもっとお年ごろのはずだが」
「左様、お千賀さまはたしか十九か二十歳《はたち》にはおなりだろう。あまり美しゅうて、丹後どのも嫁にやられるのを惜しんでおられるという話さえあるが、あながち嘘《うそ》ではあるまい。あの人形を作ったのはもう五、六年も前じゃが、それも丹後どのの御依頼によるものであった。あのころから、あのとおりお美しかった。いまとはちがう青い蕾《つぼみ》の美しさだが、それを丹後どのも惜しまれたものだろう」
「そうか。あとの二人の女童《めわらべ》は?」
「あとの二人も、さる大身《たいしん》の御息女じゃ。あの幼さで、患らって死なれたがの。その死顔から型をとって作ったもの。――」
「死顔から?……それで、あの三体がここにあるのは?」
「されば、あの三つは、わしの作った人形のうちで、やや会心のものでの。それで二体ずつ作って、一体はそれぞれ依頼主にお渡ししたが、一体はあそこに残しておいた」
「ふうむ。人は見かけによらぬもの――いやこれは失礼、まさに、名人芸だな。しかし歓兵衛、あの三体なら、おぬしがふるい立ったのもわかるが、さてこのたび」
と、声をひそめて、
「おれの女房の人形を作ろうという気が、なおさら以《もつ》てわからぬ」
「貴公、夫でありながら、お信どのの美しさがわからぬか?」
歓兵衛も、声をひそめた。宗八郎はまじまじと歓兵衛をながめ、三体の人形に見とれている妻のうしろ姿をながめやった。おなじ方向に視線をむけた歓兵衛の顔の恍惚《こうこつ》としているのをみると、ふいに妻のほそい腰のあたりに、はじめて靄《もや》のようななまめかしさがからみついているのを感じて、宗八郎はだまりこんだ。
ふたりの男が急にしんとしたので、お信は怪しむようにふりかえった。
急に宗八郎は高笑いをした。
「歓兵衛、しかし女房の人形を作ってくれても、二体はおろか、一体でもおれは買えんぞ」
「買ってもらいとうていい出したのではない。おぬしには、お信どのという本物があるではないか。それだけで、冥加至極《みようがしごく》」
宗八郎は、ちらとまた歓兵衛をみたが、このいかつい男の顔は、むしろ森厳ですらあった。
「わしはただ、お信どのの人形が作りとうて作るまでじゃ」
「――で?」
宗八郎はいった。歓兵衛はうなずいて、二、三歩あるき、足もとのたたみを二枚はねのけ、床板をはいだ。
たたみのすぐ下の床下に、舟のような木槽が二つ置いてあって、黒い液体がなめらかな光沢をはなってたたえられていた。
「これはなんだ」
「泥だ。――いや、あの臼で搗いた粘土《ねばつち》だ。柔らかにみえるが――事実柔らかいが、しずかに掌をあてれば、指紋掌紋までもひとすじ残らず印されて、あとしばらくはその形を保つ。そこに石膏《せつこう》を流しこみ、こんどはかたまった石膏に蝋を流しこむ」
「ほほう。……それで、お信の型をとるとすると?」
「それだ、難事は。――先日申したように、お信どのにはだかになっていただかねばならんのだ」
「そのことは承知させてきた。はだかになって、どうするのだ」
「まずうつ伏せになって、一方の粘土の上にしずかに横たわってもらう」
「沈みこんで、溺《おぼ》れてしまうではないか」
「いや、顔ならば耳のあたりまで、からだもちょうど半ば沈んだら、あとは沈まぬ練り具合になっておる。ほんの一息、息をとめておっていただきたい。――それが終ったら、こんどはもう一方の舟の土の上に、こんどはあおむけに寝ていただく。やってもらえばわかるが、からだに土もつかぬはずだ。ただ油をまぜてあるので、うすく油がつくだろう。そのために、あちらに行水の支度もしてある」
歓兵衛はその奇妙な泥舟に視線をおとしていったが、恐ろしくお信の方に気をつかってものを言っているのがわかった。お信はその泥舟のそばにもどって、きみわるそうにそれをのぞきこんでいた。
「相わかった。お信、よいな?」
「…………」
「歓兵衛の忍法修行の一助だ。いまさら、いやとはいうまい」
「はい」
蒼白《あおじろ》い頬に血をのぼし、お信は必死の眼で夫を見つめてうなずいた。歓兵衛は例のふかぶかとしたおじぎをした。
「かたじけない。ところで、宗八郎、おぬしにも手助けしてもらいたいことがある。この土にお信どのの型をつけるとして、ひとりではできぬ。ふたりでお信どのを抱いて、しずかに乗せねばならんのでな。……うつ伏せのときは、わしが足の方を持つから、おぬしは肩の方を支えてくれい。……あおむけのときは、おぬし、足の方へ廻ってくれ」
歓兵衛はしゃっくりのような調子でいった。
「承知した。では、お信、はだかになってくれ」
お信の姿にあらわれた反射的な抵抗は一瞬のことであった。やがて彼女は、歓兵衛に指さされた彼方《かなた》の屏風《びようぶ》のかげにかくれたが、しのびやかなきぬずれの音ののち、うつむいてあらわれた。両手にぬいだきものをひしとつかんで、胸と下半身にあてている。
「とれ」
と、宗八郎はいった。そして、じぶんでそのきものをむしりとった。
泥の舟のふちに、お信は眼をとじて立った。ほつれ毛が頬にかかっている。胸にあばら骨がほの蒼く浮いてみえ、腰は柳のようにほそい。が、妻の裸体の立像をはじめて見る彼は、お信の乳房がこれほどふくよかであったかと、はじめて眼を見張る思いであった。――こうしてみると、おれの女房もなかなか凄艶《せいえん》ではないか――と思うと同時に、あらゆる感情は逆に嗜虐《しぎやく》的な快感におしながされて、
「忍法修行のためだ!」
と、じぶんでもよく意味のわからない叱咤《しつた》をなげると、これもあとでかんがえて可笑《おか》しかったのだが、
「いざ」
と、九沓歓兵衛は、重大な儀式にでもとりかかるようにいった。
――十数分ののち、この儀式は終った。いかにも粘土の上に、腹面と背面と二つの女の裸像が刻印された。その精妙さにおどろくとともに、宗八郎はこのときにいたってはじめて妻に対するはげしい肉欲にとらえられていた。
それはお信の裸身をうすびからせるあぶら化粧の光沢と、泥舟の一つに微妙に刻まれた陰毛の痕《あと》を見た刹那《せつな》であった。
九沓歓兵衛が期限をきった約一ト月ののち、花房宗八郎はその家へ出かけていって、完成した人形を見た。
お信の人形は島田にゆい、お納戸《なんど》色のきものに黒襦子《くろじゆす》の帯をしめていた。その端正な武家の妻らしい衣裳《いしよう》が、人形のなまめかしさをいっそう際立《きわだ》たせた。――宗八郎は息をのんだ。
これがお信か。まさにお信だ。眼も鼻も口も、スンナリとした姿態も、まぎれもなくお信だ。が、眼は夢みるようにうるおい、紅をぬった唇は微笑《ほほえ》んで、黒くひかる鉄漿《おはぐろ》の歯をチラリとのぞかせている。襟《えり》の下に、ふくらんだ乳房はあたたかく匂わしく息づいているようであった。
「……笑っておる。あのとき、あいつは泥の中で笑っておったのか」
「そうらしい。型のままだ」
「型のまま。……しかし、これはほんものよりも十倍は美しい」
「いや、ちがう。ほんものの方が、こんなものより百倍も美しい」
と、九沓歓兵衛は断乎《だんこ》とした口調でいった。
「持ってゆくかね?」
宗八郎はしばらくかんがえたのち、くびをふった。
「いや、ここにおいてくれ。女房がこれをみて、じぶんはこれほど美しいかとかんちがいすると迷惑じゃ。だいいち、これほど美しい人形をみて、さて世帯やつれしたほんものをみて幻滅を感じるのはばかげている」
「ではここに置いてよいか」
歓兵衛は、顔をかがやかせた。絵師や工匠は、いちばんよくできた作品を、じぶんの手もとに置きたがるという。――それだけではない。異様なよろこびの眼のひかりであった。宗八郎がそれに気がつくと、歓兵衛は眼を伏せ、ぼそりとつぶやいた。
「おぬしの方が、かんちがいしているのだ」
家にかえると、お信が「人形は出来上っておりましたか」ときいた。
「出来ておった」
と、宗八郎はいったが、意地のわるい眼でジロリとみて、
「しかし、とても木室丹後どのの御息女のようにはゆかぬな」
「ホ、ホ、それはお手本がちがいますから、あたりまえでございます」
お信は珍しく――しかし、もちまえの寂しげな笑顔をみせた。
それっきり、その人形を見にゆきたいとも、どうであったかともきかず、ひそとして竹細工に精を出しているしずかな妻であった。
かえって宗八郎の方が気にかかっていった。
「いって見るかね」
お信はくびをふった。
「いいえ、もうわたくしは、九沓さまにお逢《あ》いするのも恥ずかしゅうございます」
四
あいつ、おれの女房に惚《ほ》れているのではないか、とはこの人形作りの前後にうすうす感じていたことだが、花房宗八郎がもうひとつ、妙なことに気がついたのは、それから十日ばかりたってからであった。
新しい発見というより、じぶんの忘失を思い出したのである。それは、あの人形作りが伊賀流の忍術なるものと、いったい何の関係があるか、ということであった。あのときは、蝋《ろう》人形を作るまでの怪奇な過程と、幻妙としかいいようのないその作品を見て、制作そのものを忍術の一種のように錯覚していたが、よくよくかんがえてみると、どこが忍術なのかよくわからない。
何かほかにあるのではないか。――虫の知らせか、そんな気がしたし、それにあれっきり歓兵衛がはたと姿をみせないのも何やらいぶかしい思いがして、宗八郎がふと思い立って歓兵衛の家を訪れたのは、もう桜の花もちりつくした晩春の夕方のことであった。
「御免」
玄関に立って呼びかけたが、返事がない。しかし他出したとは思えない様子である。
宗八郎は勝手にあがりこんだ。そして一直線にこのまえ案内された例の仕事部屋の方へあるいていって、唐紙《からかみ》をあけた。
九沓歓兵衛は坐っていた。宗八郎が家の中に入ってきた気配もまったく気がつかなかった風であっただけに、彼の驚愕《きようがく》はひどかった。こちらに顔をふりむけたきり、それこそ蝋人形みたいにうごかなくなってしまったので、こんどは宗八郎の方がぎょっとした。
歓兵衛の向う側には、だれか夜具をのべて横たわっていた。顔は歓兵衛の姿にかくれてみえないが、枕にかかった髷《まげ》のかたちから、どうやら女らしい。
「お。……御病人か。これは失礼」
あわてて身をひいたとたん、その女の顔がみえた。宗八郎は息をひいた。
夜具にからだをのべたまま、あおむけになってお信が微笑んでいる。――知っているはずなのに、一瞬それをほんものかと思ったくらいだ。
「例の奴《やつ》か」
と、宗八郎はさけんで、歩み寄った。
「何をしている」
「こうして、ながめておる」
歓兵衛はようやくおちつきをとりもどし、腕をこまぬいていった。
宗八郎も坐って、歓兵衛と人形を見くらべた。お信の人形は、このまえの立像とちがって、夜具をかけられて横たわっていた。それを枕頭《ちんとう》に坐って、じっと歓兵衛は見まもっていたらしい。それは事実のようだが、しかしこの晩春の夕、陰湿なこの部屋でじっとその姿勢をつづけていたらしい「二人」を想像すると、宗八郎の背にすうとぶきみな水がながれた。
「貴公」
と、ややあって、宗八郎は口をきった。第一の疑問を投げたのである。
「……若《も》しかしたら、お信が好きなのではないか?」
九沓歓兵衛の眼に、動揺が走った。否定しようとしたが、頬がみるみる赤黒く染まった。
「いや、そんな気がしておった」
宗八郎は平静だった。何も知らない妻に対してかすかに憎悪をおぼえたが、この武骨な男には微笑すら感じたのだ。
「そうであったか。……しかし、それなら貴公がお信を女房にすればよかったに」
「それはならぬ。九沓家の当主たるおれが花房家に婿にゆくわけにはゆかぬ。さりとて、一人娘のお信どのを、一兵衛老がよそにくれるわけはない」
なるほど、いわれてみると、その通りだ。――歓兵衛の顔がゆがんだ。
「だいいち、お信どのが、わしではいやだろう」
「……それで、おぬし、せめてお信の人形を作って、それを愛《め》でていたというわけじゃな」
「愛でる。――いや、こうして眺めておるだけじゃ」
「いや、人形で結構だった。お信がきいたら随喜の涙をこぼすかもしれん。せいぜい頬ずりし、抱きしめてやってくれい」
宗八郎は笑ったが、ふとこの人形に嫉妬《しつと》をおぼえた。あやうく、愛撫《あいぶ》するならほんものでもさしつかえない、おれはこの人形の方が欲しい――というところであった。
「そんなことはせぬ」
歓兵衛は怫然《ふつぜん》といった。
「そんなことをすると、たいへんなことになる」
語気がたんなる否定でない異様なものをふくんでいるのを、宗八郎はききとがめた。
「何が起るのだ」
「いや」
「おぬし、いま、お信の人形を愛撫するとたいへんなことになるといったな」
それから彼は、じぶんがきょうここへ来たそもそもの理由――歓兵衛の忍術|云々《うんぬん》の件を思い出した。彼のいわゆる忍術は、いま思わず彼が口ばしったことと関係があるのではないか?
ちらと頭をかすめたこの妄想《もうそう》を、あてずっぽうに口にしてみた。
「伊賀流忍法というのはそれか」
九沓歓兵衛はぎょっとしたようであった。はじめてただならぬぶきみさをおぼえながら、宗八郎はたたみかけた。
「おい、何が起る。その忍術とやらを見せてくれ」
歓兵衛はむしろ恐怖にみちた義眼に似た眼で宗八郎をみていたが、やがてうめくようにいった。
「よし、見せよう。九沓家に、元亀天正《げんきてんしよう》のむかしから伝えられた忍びの秘伝がある。忍法|傀儡《くぐつ》廻し。――」
「お、九沓《くぐつ》という妙な名は、それからきたのか」
「そうらしい。生けるがごとき蝋人形を作るわざと、それを操って、人形の実体を操るわざだ。人形作りの方は知っておる者もあるが、あとの方は、この伊賀組のうちでもほとんど知らぬ。それをいまおぬしに見せようとするわけは二つある」
歓兵衛の様子は、荘重をすぎて苦悶《くもん》にちかいものさえあった。
「一つはな、わしがこの人形に淫《みだ》らなふるまいに及んだことはいままでいちどもないという証《あかし》のためだ。なんとなれば、わしがこの人形を操って、わしの欲するままの動きようをさせると、同じ時刻、ほんもののお信どのも、同じうごきをするようになる。無我のうちに、人形と一体となって、はてはこのわしを恋うてたえがたいまでになるのじゃ。したがって、いままでお信どのの挙止に異常がなかったということは、わしが何もせなんだということの証だ」
「この蝋人形を操る。――蝋人形が、うごくのか」
「されば、わしが抱けば、その人肌のあたたかみが移って溶けて、腰も手足も自在にうごくようになる。――次に、宗八郎、わしはいままでは何もせなんだが、この人形を作って以来、こうしてじっと見ていると、いまにも悩乱して何をするか、じぶんでも保証できぬ思いにかられることがある。左様なことになれば……お信どのに相すまぬことはもとより、友人たる貴公を裏切ることになる。それが恐ろしゅうて、わしは何度この人形をうち砕こうとしたかしれぬ。しかし、それはできなんだ! もはや、わしのいうことが夢物語でないことを証明して、おぬしにこれをひきとってもらうよりほかはない。それが、わしがおぬしに忍法|傀儡《くぐつ》廻しを見せる気になった二つめの理由だ」
「……わ、わかった、歓兵衛、はやく、その傀儡廻しとやらを見せてくれ」
「――では、ゆるしてくれるな?」
九沓歓兵衛は起《た》ちあがり、みずから衣服をとった。黒い、隆々たる肉体であった。そして彼は、夜具の中に人形とならんで身を横たえた。
それから宗八郎が見たものは、実におどろくべき光景であった。さすがに夜具に覆われていたので、歓兵衛が何をしているのかはよくわからなかったが、蝋人形は、たしかにうごいた。歓兵衛とたしかにリズムを合わせているようであった。そして、そのうごきが昂《たか》まるとともに、見るがいい、蝋人形はあきらかに、白いのどをのけぞらし、唇をすらひらいたのだ。――宗八郎には、人形の頬が紅潮し、かすかに汗にひかり、おくれ毛がねばりつくのさえ見えたのだ。
「……見たか?」
歓兵衛が、やがて人形の頬に頬をつけたまま、ガクリとうごかなくなり、そうかすかにつぶやいたとき、宗八郎は口ものどもカラカラにかわき、しばらく声も出ないほどであった。
「見た」
宗八郎はやっとそういい、なおこれは夢幻の中の心象《しんしよう》ではないかと、指をさしのべて人形の頬にさわって見た。蒼白いもとの色にもどったその頬のかたさ、冷たさ、なめらかさは、たしかに蝋にまぎれもなかった。
「おどろくべきものだ。……しかし」
と、宗八郎はふるえ声でいった。
「歓兵衛、さっきおぬし、もう一つ奇怪なことをいったな、同じ時刻、ほんもののお信も、同じうごきをする。無我のうちに、人形と一体となると。――」
「その通りだ。それゆえ、お信どのにもおぬしにもゆるしてもらわねばならぬといったのだ」
歓兵衛の眼はほとんど哀《かな》しげですらあった。
「信じられぬだろうから、もう一つおぬしにも見てもらわねばなるまい。お信どのの方を――今夜五ツ半としよう」
「今夜の五ツ半に」
「お信どのを抱いてくれ。そして、お信どのの様子を見ていてくれ。かならず思いあたるものがあるだろう」
五ツ半に、花房宗八郎はお信を抱いた。
このごろは、同衾《どうきん》するのさえ珍しい夫婦であった。お信はつつましやかに、夫のそばに身を横たえた。つつましやか――というより、義務的ですらあって、声をもらすどころか、頬に血ものぼさず、曾《かつ》て乱れたことのない妻であった。
五ツ半。――それが、頬に血をのぼしたのだ。乱れたのだ。宗八郎の腕の中で、
「……あっ、ああ……どうしたのでございましょう、わたしとしたことが……あれ、もう……」
みずから、どうすることもできない声をもらし、輾転《てんてん》と身もだえしたかと思うと、ひしと夫にしがみつき――彼女は息さえとめてしまった。
宗八郎はお信の顔をのぞきこんだ。かすかに汗にひかり、おくれ毛がねばりついているのでなかったら、それは人間とは思われない美しさであった。いや、宗八郎の心に、それと重なってくるまったく同じ顔があった。
「忍法|傀儡《くぐつ》廻し。……」宗八郎は心中に恐怖のうめき声をたてた。「いま、同じ時刻、きゃつはこうして……」
宗八郎はお信の眼をのぞきこんだ。霞《かすみ》のようにけぶったお信の眼は、あきらかに夫ではなく、ほかのものを――この世のものならぬ影を恍惚《こうこつ》と見ているようであった。鉄漿《おはぐろ》にひかる歯のあいだから、かすかに舌さえのぞかせ、嫋々《じようじよう》としてあえぐ吐息さえ蜜《みつ》のように甘美濃厚な匂いに変って、はじめてこの妻に凄《すさま》じい嫉妬をおぼえ、
「――不義者!」
と、宗八郎はあやうくさけび出すところであった。
五
――翌日、北伊賀町を訪れた花房宗八郎のただならぬ表情をみて、九沓歓兵衛はおびえた顔で、
「……だから、わしはおぬしのゆるしを請うたのだ。宗八郎、腹を立てたであろうな」
と、いった。宗八郎は息をしずめていった。
「歓兵衛、お信はおぬしにやる」
「…………」
「公然とはならぬものならば、不義密通でもよい。亭主たるおれがゆるす」
「ま、待ってくれ、宗八郎、立腹はわかるが、お信どのに罪はない」
「その代り、おれにもう一つ人形を作ってくれい」
「もう一つ……だれの人形を」
「小普請奉行、木室《きむろ》丹後守どのの御息女お千賀どのの人形を」
歓兵衛は茫然《ぼうぜん》として宗八郎をふりあおいだままであった。
「それは、泥で型をとらねばできぬとおぬしはいうかもしれぬ」
宗八郎はせきこんだ。
「しかし、おぬしは五、六年前お千賀どのの型をとったはずだ。そして、現在のお千賀どのの顔もよく知っている。おぬしの技倆《ぎりよう》を以てするならばいまのお千賀どのの人形を作れるはずだ」
「お千賀どのの人形を作って……どうするのじゃ」
「それはおぬしの知ったことではない」
宗八郎は横柄《おうへい》にいった。高飛車に歓兵衛に強要する意志よりも、彼はもえるような或《あ》る野心に憑《つ》かれていたのであった。
彼はなんども奉行の屋敷にかよったことがある。そして植木屋の手つだいをしたり、草むしりをしたり、庭さきをウロチョロして、奥方や息女の歓心を求めたことがある。そしてたしかに歓心を得たと彼は信じた。
彼はお千賀さまが好きであった。顔かたちも性質もはなやかで、少々浮気なところもあるようであった。宗八郎はそんな女が好きであった。彼はじぶんの美貌《びぼう》にものをいわせて、ちらちらと秋波を送った。そしてたしかにその手応《てごた》えがあったようだ。少なくともお千賀が彼に好意をもっていることはまちがいない、と彼は信じた。
むろん、いままではただそれだけである。奉行の息女を、小普請方の伊賀者が――とくに女房持ちの彼が、どうなるものでもない。しかし、お千賀さまの方が彼を恋うならば――恋いこがれて、死ぬほどになったならば。――
その夢想が、突然彼をとらえたのであった。そうなっても、その結果どうなるという確信はむろん彼にない。しかし、まったく望みがないというわけではない。もともと武士でない者が、武士の株を買える御時世である。げんに寺小姓あがりのじぶんが、まがりなりにも侍になったではないか。いや、もっと上の方で小姓あがりの人が大名になったという例もあるではないか。ましてや、たかが旗本の小普請奉行だ。しかも、じぶんがそこに婿にゆくというわけではない。ただ、息女をくれるだけだ。……
夢想は彼の胸で、しだいに現実性をましてきていた。じぶんは花房の家を出る。出るにしても、それ以後の手つづきにしても、いろいろ煩瑣《はんさ》なことがあろうが、しかし、お千賀さまがおれを恋うて死ぬほどのありさまになったら、それがすべてを解決するのではないか。一応、じぶんをほかのしかるべき家の養子ということにする手もある。とにかく、人形にするほど可愛がっている娘のいのちにはかえられないではないか。
「歓兵衛、いやか?」
ジリジリとして、宗八郎の声はしゃがれた。
「いやというなら、不義密通を訴えるぞ」
「不義密通。……おれはおぬしのゆるしを得たではないか。話がちがう。それにおれは、ほんもののお信どのと密通したわけではない。人形を抱いただけじゃ」
「人形を……歓兵衛、望むなら、お信をやる。おぬしは、それはできないといったが、おれが離縁になれば、お信がおぬしのところへ嫁にくることも不可能なことではない。一兵衛老が存生《ぞんしよう》していたときとちがう。やや[#「やや」に傍点]ができたら、それで花房家をたててよいではないか。いずれにせよ、たかが虫ケラのような伊賀組の内のことだ。お上《かみ》の方でむずかしく七面倒なことは申すまい」
歓兵衛の眼がきらっとひかったようであった。が、
「それにおぬしはただ人形を抱いただけといったが、現実にお信を犯したにひとしいことはおぬしも否定はできまい。事実、やがてお信はおぬしを恋うてたえがたいまでになると、その口でいったではないか。左様なものを、もはやわしは女房としておるわけにはゆかぬ。くれてやる」
と、宗八郎にのしかかられて、眼のひかりはきえた。宗八郎はこぶしをにぎりしめてさけんだ。
「おれはお信は要らぬ。お信の人形も要らぬ」
九沓歓兵衛は血の気のひいた顔をガクリとたれた。
「わかっていたことだが、やはり人形を作るのではなかった。……」
「もうひとつ、お千賀さまの人形を作れ」
歓兵衛はうめいた。
「いやというなら、おれは不義密通の罪でお信を成敗するぞ」
歓兵衛はひくくいった。
「作る」
一ト月ののち、花房宗八郎は、九沓歓兵衛の仕事部屋で、お千賀さまの人形と横たわっていた。
いまのお千賀さまを型にとったのではないから、と歓兵衛はやや満たぬ思いがあるらしかったが、宗八郎から見たところでは、ほんもののお千賀さまと毛ひとすじのちがいもないようであった。
おどろくにたえなかったのは、実際にそれを抱いたときだ。歓兵衛に教えられたとおり、はじめ身うごきもせず、ただそのかたく冷たくなめらかな蝋《ろう》の肌を抱いていただけだが、しばらくたつと、しだいに人形は柔らかくなり、しっとりとうるおい、そして体温さえも人肌になってきたのだ。すべて女体と同じ――内部でさえも、人体と同様のぬめりをおびてきたのである。
コツをおぼえてからは、それはますます人間と同様になった。人形はみずから腰をうねらせ、足をからませ、宗八郎の肌に吸いついてきた。その華麗な顔は、陶酔にもだえるお千賀さまそのものであった。――いや、しだいに宗八郎は、ほんとうのお千賀さまを忘れ、世にこの人形さえあればよいと思い出したほどであった。
この怪奇な人形との恋に、宗八郎は溺《おぼ》れた。そして、日毎夜毎《ひごとよごと》、歓兵衛の仕事部屋にとじこもって、人形との痴戯にふけり、逝《ゆ》く春も忘れたかのようであった。
しかし、半月ばかりのち、外からあわただしく駈けこんできた歓兵衛の思いがけない報告をきいたときは愕然《がくぜん》とした。
「おい、お千賀どのが祝言なさるというぞ」
「……何っ、どこへ?」
「御作事《おさくじ》奉行、二千石の真野大膳《まのだいぜん》どののところだそうだ。ひどく急な話で、十日ばかりののちに輿《こし》入れなさるときいた」
「……歓兵衛」
うめいた宗八郎の顔は、どこか常人でないものがあった。
「おまえは……人形を愛撫《あいぶ》すれば、ほんものも無我のうちに人形と一体となる。お千賀どのは、おれを恋いこがれて惑乱するまでになるといったではないか」
「それにいつわりはない。この半月ばかり、お千賀さまはこの人形とおなじふるまいをなされたろう。……その挙動の妖《あや》しさを、木室《きむろ》家の方で案じられて、逆に祝言をいそがれるということになったのではないか」
「では、お千賀さまがおれを恋うているということにまちがいないな?」
なお現実でない世界にいるもののように、宗八郎はつぶやいた。
花房宗八郎が、小普請奉行木室丹後守の屋敷に忍び入り、息女のお千賀の寝所に這《は》い寄ろうとしている姿を発見され、家来たちの乱刃のもとに惨殺されたのは、二日のちの真夜中のことであった。
六
「……父、一兵衛の眼のあやまりでございました。所詮《しよせん》、宗八郎は伊賀組にいるべき男ではなかったのです」
「伊賀組の血をけがし、それにふさわしゅうない子をのこすことを思えば、いたしかたのないことでござった」
九沓家の暗い仕事部屋で、ヒッソリと歓兵衛とお信が話していた。
「あのようなことをせねば、あの男を伊賀組から除くことはできなんだでござろう。しかし、あなたは、ようなされた。あの男は、ほんとうに、あなたが人形と一体となったものと思いこんだのだから」
お信の頬にかすかに血がさしたが、すぐにもとの蒼白《そうはく》な色にもどった。自制力にみちた、貧しいが凜然《りんぜん》とした武家の人妻らしい姿である。それと相対した九沓歓兵衛も、ドッシリとした岩のように剛毅《ごうき》な姿であった。
「しかし、前以て縁切状はとってあるとは申せ、やはり花房家はこのまま絶家でございましょう」
「いや、左様なことはありますまい。組頭の方へよう申し、もういちど、まことに伊賀組の花房の家にふさわしい婿を――あのような、ばかげた野心をもつ軽薄な頓狂《とんきよう》者でない婿を――拙者がさがして進ぜる」
お信の歓兵衛を見た眼に、はじめて哀艶《あいえん》なものがながれた。が、すぐにお信は眼をそらし、
「それにしても、ほんとうによう出来ておりますこと」
と、壁の下に立つじぶんとお千賀さまの二体の人形を見あげた。
「いや、とうていほんものに及ばざること遠い。――」
と、歓兵衛は心の底から吐息をもらしたが、すぐに寂しげな笑顔になって、
「まあ、人形作りだけはな。これだけは忍法といってさしつかえのないほどの秘伝で。――しかし、用はすんだ。そろそろ、もとの蝋に帰してやるといたそう」
ユックリと立ちあがった。
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忍者枯葉塔九郎
一
筧隼人《かけいはやと》が、枯葉塔九郎《かれはとうくろう》に妻のお圭《けい》を売ったのは鳥取の或《あ》るわびしい旅籠《はたご》に於《おい》てであった。
隼人がお圭と、奥州《おうしゆう》盛岡からかけおちしてから、わずかに一年後の秋のことである。
一年前、彼は盛岡藩|南部大膳太夫《なんぶだいぜんだゆう》の家中《かちゆう》で、剣法の麒麟児《きりんじ》とうたわれて、野心にもえた若者であった。ただし藩の分限牒《ぶげんちよう》にのっている直臣《じきしん》ではなく、国家老《くにがろう》の南部|修理《しゆり》の家来であったが、一刀流の印可《いんか》をうけた腕を見込まれて、ゆくゆくは大膳太夫の小姓《こしよう》にもとりたてられようというたしかな望みもあったのである。
それを棒にふったのは、お圭との恋のためだ。お圭は主人の南部修理の息女であった。
いずれも藩中で人の口にのぼる美男と美女であったから、或る面からみれば、この恋は当然のことといえる。
しかし、武家の社会では、それが当然ではなかった。修理は隼人をいたく目にかけていたが、娘を隼人にやる意志は毫《ごう》もなかった。国家老である彼には、娘を縁組みさせるしかるべき名家がすでにきまっていた。
そこで、隼人とお圭は、手に手をとって、盛岡を逐電《ちくでん》した。
隼人にしてみれば、この行為はむろん恋のためであったが、たんに恋におぼれたわけではなく、じぶんの才能を以《もつ》てすれば、日本じゅうどこにも仕官の口がないなどということは決してないという意気込みもあったのである。
しかし、一年間のむなしい漂泊は、隼人に思いがけないふたつの失意をもたらしただけであった。
一つは、むろん思うような奉公の口がなかったことだ。彼の夢は、奥州の井の中の蛙《かわず》の慢心にすぎなかった。戦国の世とはちがい、たんに腕が少々立つくらいで、相当な知行《ちぎよう》はもとより、侍として召しかかえるような藩はどこにもなかった。しかし、もう一つの意外な悩みは、あれだけ惚《ほ》れてかけおちまでしたお圭と、だんだんしっくりゆかなくなったことであった。
かけおちするとき、お圭がもって出た金も、ようやくあやしくなりかけていた。この半月あまり、ふたりは一日一食ですごしている。窮乏と焦燥の中に、女は彼の重い負担となった。いったんそう感じだすと、男にとっては女のすべてがやりきれないものとなる。
お圭は、いちどとして隼人に不平をもらしたことがない。いかにも家老の娘らしく、毅然《きぜん》としている。あくまで彼を信じ、彼に期待している。――それがかえって、彼にとってやりきれなくなったのだ。いままで放浪の途中、二、三度は安扶持《やすぶち》の口があったが、それを拒否したのはお圭の方であった。決して虚栄心からでなく、彼に対する誇りと信頼のためだが、いまとなってはそれも恨めしさのたねとなるのだ。
それから、こんなに窮迫しても、依然として彼女は清潔で、美しい。かけおちするとき白梅のような美しさをもっていたお圭は、いま紅梅のようななまめかしさを加えたが、貧乏は寒風のようにいよいよその色つやを冴《さ》えさせたかに思われる。しかも彼女は、閨房《けいぼう》のことに於ても、どこかりんとして、決して破目をはずすということがないのだ。まるで切腹にのぞむ侍のように粛然《しゆくぜん》としたところがあって、隼人も反射的に介錯《かいしやく》する武士のような心境と態度にならざるを得なかった。
そういう息のぬきどころのない旅で、隼人はヘトヘトになった。だんだんと、この美しい妻がじぶんの一生の足枷《あしかせ》のように思われてきた。
鳥取へやってきたのは、ここの藩主の池田備中守《いけだびつちゆうのかみ》がなかなかの武芸好きで、こんどこの藩で新しく数名の家臣を求めるのに、志願者に御前試合をこころみさせて、その成績によって召しかかえるという話をきいたからであった。
すでにこの情報はひろくゆきわたっているとみえて、鳥取の城下の宿や旅籠《はたご》は、諸国からあつまってきた浪人者であふれかえっていた。そのおびただしい人数を見ているうちに、隼人はしだいに意気|銷沈《しようちん》してきた。
これで新規に召しかかえるのは二、三人だという。――とうてい、だめだ、と自信を失うと同時に、これからさき、また妻をつれてさまよいあるくのかとかんがえると、ギリギリのどんづまりまできた金と思いあわせ、自暴自棄の心にならずにはいられなかった。
彼が、この鳥取にお圭を捨ててゆくという気を起したのは、その試合が二日のちに迫った日のことである。
そのために、彼はひとつの苦肉の計を案出した。――その夜、旅籠の一室で、彼は悄然《しようぜん》としてお圭にいい出したのだ。
「お圭。……実はこまったことができた」
「何でございますか」
「試合はあさってに迫ったが……おれの刀がかわっておることを知っておるか」
「えっ、刀がかわったとは?」
「いや、気づかぬのもむりはない。柄《つか》の作りも鞘《さや》もまえのものとおなじだから。……しかし、まことは似ても似つかぬ赤鰯《あかいわし》なのだ」
「まあ、どうなされたのでございますか」
「実は、この鳥取にくる途中、但馬《たじま》の豊岡《とよおか》に宿をとった際、そこの刀屋でとりかえたのだ。それは、ここまでたどりつく旅費を手に入れるためであった。……そなたは知るまいが、金はあそこで尽きていたのだ。むろん、ここで仕官の口にありつけば、刀などはすぐに新しく買いなおすことができる、そう思案していたのだが、きょう宿でふと浪人どもの話をきくと」
「…………」
「たんに試合のみならず、試合場でめいめいの差料《さしりよう》をさし出させてこれを調べ、それを以て当人の人柄、心構えを判断して採用の目安《めやす》にもするらしい。左様に申して、浪人どもはおたがいの刀を見せあい、手入れをしておった」
「…………」
「至急、明日にもしかるべき新しい刀を手に入れねばならぬ。しかし、金がない。いかにしても金を得る工面《くめん》がつかぬ」
お圭は美しい眼を見張って、じっと彼の顔を凝視していた。隼人は首をたれた。ながいあいだたってから、お圭はかすれた声でいった。
「どうしたらよいのでございましょう」
間をおいて、隼人はいった。
「ただ一案がある」
彼は眼をしばたたいた。
「おれの思案では、それひとつしかない。ただし、そなたがいやと申せば、それを強《し》いる権利はおれにはない」
「わたしが……わたしがお役にたちましょうか」
「いいづらいが、当地の遊女屋に身を売ってくれることだ」
「遊女屋に!」
「待て、そなたがおどろくのは無理もないが、まことに身を売るというのではなく、ただ抵当《かた》に置くだけだ。廓《くるわ》の亭主にようたのんで、見世《みせ》に出るのを五日待ってもらおう。そのあいだに、おれの仕官の口がきまれば、そなたをきっと買い戻しにゆく。当家に奉公するとなれば、かならず金を貸してくれる人もあろう。いや、絶対にとりもどす。……そなたは、ひとたび当地の廓に身を売った女が、藩士の妻となれるかと思うかもしれぬが、もとよりおれの素性はかくす。藩士の妻となった女が、廓者《くるわもの》にふたたびその顔をみせる機会はない。……」
「――もし、仕官のことがかないませぬときは?」
「おれは死ぬ」
隼人は悲痛にうめいた。――ややあって、お圭はつぶやいた。
「わたしも死にまする」
それでお圭が、じぶんのこの思案を承知してくれたことがわかった。むろん彼は、遊女屋から金さえ受け取ったら、試合には出ずそのまま雲を霞《かすみ》と逐電《ちくでん》するつもりであった。ほっとした顔色をかくすために、彼はいざり寄り、妻の手をとろうとした。しかし、お圭の彼をみた眼に、はじめてはげしい怒りと哀《かな》しみのひかりをみて、彼はたじろいだ。
「お圭、すまぬ、ゆるしてくれい」
「いいえ、妻として当然のことでございます」
と、お圭はふるえる声でいった。
「ただくやしいのは、わたしに身を売れと申されたことではなく、武士の魂たる刀を売られたおこころねでございます」
――筧隼人が、枯葉塔九郎という妙な男に逢《あ》ったのは、厠《かわや》に立ったその夜更《よふ》けのことであった。
二
その男の顔は知っていた。たんに隣室の宿泊人であったからではなく、その男の顔があまりに醜怪で、お圭がきみわるがっていたからだ。
髪を総髪《そうはつ》にしたその男の顔は、蒼《あお》いというよりむらさきを呈し、眼は糸のようにほそく、鼻は、ないといった方がいいほどひくくて、巨大な唇は厚ぼったく、ベトベトとぬれていた。もとより筧隼人はみたことはないが、まず類人猿《るいじんえん》の顔貌《がんぼう》と形容してよい。ただ、よくみれば、類人猿とおなじような奇妙な愛嬌《あいきよう》があった。
あとでかんがえると、彼はこちらの動静をうかがっていて、隼人が厠に立つのを見すまして追ってきたものらしい。
「恐縮でございますが」
ふいに、小声で呼びとめてきたのである。
「実は、貴殿御夫妻のお話を、きくともなくきいたのでござるが……それについて、ちと御談合申したいことがある」
隼人は狼狽《ろうばい》とともに、ふしんな眼で相手を見まもった。
「御内儀を当地の廓に売られるということじゃが、あなたは試合に勝って、めでたく御内儀を買いもどされる自信がおありかな」
隼人はこたえた。
「勝敗は時の運じゃが、もとよりその決意だ」
「しかし、おきのどくだが、そうは参らぬな」
と、男は厚い唇をニヤリとゆるませた。
「なぜ?」
「拙者も出場いたすから」
隼人は唖然《あぜん》とした。唖然とした理由の第一は、この男が侍志願のライバルだとは、それまで夢にも思わなかったからであった。なぜなら彼は、ふつうの浪人者風ではなく、経《きよう》帷子《かたびら》の巡礼姿をしていたからだ。だから、先刻からの口のききようがいささかぞんざいなので、隼人はむっとしていたところであった。
呆《あき》れたことの第二は、むろん彼の高言にあった。
「拙者も出場いたすから、おまえが試合に勝つわけにはゆかぬ」――という。では、この男が武芸の達人というのか? 怪異醜態をきわめた容貌にもかかわらず、どこかおどけた、愚鈍にすらみえる印象からは、とうていそうは見えないが。――
しかし、相手を見まもっていた隼人は、逆にやや不安をおぼえてきいた。
「貴公も、奉公志願か。何流を使われる」
「いや、おれは刀も槍《やり》も知らぬ。――と、申してよろしい」
「では、弓? 馬? 鉄砲?」
「いや、おれは忍術」
「に、忍術」
「されば」
と、巡礼はあごをなでた。
「それで、あなたは負ける。まちがいなし」
そのいいかたが、ふつうではなかった。自信満々というより、白痴と問答しているような気がして、隼人はこれ以上この男と厠の外で立ち話をしているのがばかばかしくなった。忍術というものが世にあることはきいているが、隼人はいままで忍者なるものを見たことはないし、常識的にかんがえても、それほど超人的な術があろうとは思われない。
第一、じぶんはその試合には出場しないで、この鳥取を立ち去るつもりでいる。
「勝つか負けるか、やってみなければわかるまい。では、これで拙者は失礼する」
「待たれい、貴公ら御夫婦の話をきいて談合があると申したではないか」
隼人はふりかえった。巡礼はすましていった。
「承って、同情した。そこで」
「なんだ」
「拙者が金子《きんす》を用立てて進ぜる。御内儀を廓に売るなどはよしになされい」
「金子を用立てる。――しかし、拙者が以前に差料《さしりよう》としていたほどのものを新たに求めるとなると、少なくとも三十両はいたすぞ」
どうみても、この巡礼にそれほどの大金はありそうにもない。それにじぶんの刀は、実はこの鳥取の刀屋にいちじあずけて、代りにいまのこの赤鰯を借りてきたのだから、その意味での工面は実は無用のことであった。
「三十両、お安い御用だ。その代り」
「その代り?」
「拙者に御内儀を売られい」
隼人は息をのんだ。
「ばかな!」
「などと、肩をそびやかしてみせなさるが、貴公、内心御内儀をもてあましておられるのではないか、そうでなければ、かりそめにも妻を遊女に売るなどいう気の起るわけがない。いや、それは理屈と申すより、この数日拙者よそながら見ておった貴公の様子、あの問答のときの貴公の語尾から推量できた。おそらく貴公、あさっての試合に負ければ御内儀を廓におきざりに逐電、勝てば、ひとたび苦界《くがい》にけがれた女は知らぬと、門前払いでもするつもりでおられたろう」
大体は、あたった。この男、見かけとちがってばかでない。――隼人は茫然《ぼうぜん》と眼を見張ったままでいる。
「だから、拙者がひき受ける。いや、是非ともいただきたい。拙者、こうみえてなかなか女にむずかしい好みがあっての。実はその女を求めていままで漂泊していたようなものじゃ。その好みに、御内儀がピッタリ合うのだ。まこと、この宿でひとめ見たときから、ブルブルとからだじゅうがふるえたほどであったわ」
この話をきいたら、お圭もブルブルとからだじゅうをふるわすだろう。とうてい成り立つ契約ではない。――隼人は嘲弄《ちようろう》するようにいった。
「それで、その三十両を拙者が受け取ってここを立ち去るとする。あと、貴公がみごと試合に勝ち、めでたく仕官して、お圭を妻となされる御所存かな」
「いや、まこと御内儀を頂戴《ちようだい》できるものならば、もうひと声譲ろう。――あさっての勝ちも、貴公に譲ろう」
「なに、拙者に勝ちを譲って――それから、どうする」
「あなたは首尾よく池田家に御奉公なさるがよい。拙者は御内儀をいただいて、左様さ、うれし愉《たの》しの同行《どうぎよう》二人、鈴をふりふりまた巡礼の旅に出ることにいたそう。ああいや、気にかけられるな、だいたい拙者は天性として、かた苦しい仕官などはむかぬ方なのだ。……」
まるでお圭の意志など無視している。試合はともかく、そのあとそんなにうまく事が運ぶものか。――と呆れていた筧隼人に、巡礼はもはや談合は成ったもののようになれなれしく、
「そこで、あさっての試合に貴公が勝つやりかたについてじゃな。……」
――その話をきいて、隼人はさらに狐《きつね》につままれたような気になった。うす笑いをうかべ、蒸気のような息を吐きかけ、男はささやく。
隼人が彼の提案をしりぞけもせず、口をぽかんとあけてきいていたのは、それがあまりにも驚倒《きようとう》すべき内容だったからだ。
巡礼は、ふと思い出したようにいった。
「いや、申しおくれたが、拙者、枯葉塔九郎と申す」
三
――その日、鳥取|久松《ひさまつ》城内は思わざる凄惨《せいさん》の気に満ちた。
奉公志願の浪人たちは三組にわけられて試合がすすめられ、勝ちのこったのは大角勘左衛門《おおすみかんざえもん》という大兵《たいひよう》肥満の浪人と、三浦軍次《みうらぐんじ》という禿鷹《はげたか》に似た精悍《せいかん》な男と筧隼人の三人だった。
これで新規召抱えの人選は一応できたわけであるが、武芸好みの藩主池田備中守が、その三人の中でだれがいちばん強いか見たいといいだしたのである。残ったのが三人なので、籤《くじ》をひいて組み合せをつくるよりほかはなかった。その準備にとりかかったとき、敗れてひかえている浪人群のなかから、
「あいや。――」
という声がかかった。
そして醜悪無惨な巡礼姿の男がノコノコと現われて、枯葉塔九郎と名乗り、この最後の勝負にじぶんを加えてくれといい出したのである。
「これは、虫のいいことを申す奴。――」
「おや、きゃつ、いままで試合に出なんだではないか」
そんなどよめきが、当然、浪人や藩士のむれから起った。それに対して、枯葉塔九郎は恬然《てんぜん》としてこたえたのである。
「いや、拙者の望むのは真剣の勝負でござる。それゆえ、いままで遠慮しておったようなわけで。――」
しいっ――と身のひきしまるような音なき風が庭を吹いた。
家臣の報告をきいて、藩主が眉《まゆ》をひそめてこの途方もないことをいい出した男の方に眼をやったとき、大角勘左衛門が走り出してきて手をつかえ、その挑戦を是非とも受けたい旨を申し出た。
なおためらっていた備中守は、巡礼の醜怪なうす笑いを見ると、まるでじぶんが挑戦されたように満面を朱に染めて、「屍骸《しがい》の引取人はあるか」ときいた。枯葉塔九郎にきいたつもりであったが、大角勘左衛門の方が大音声《だいおんじよう》で、「屍骸の儀は千代川《せんだいがわ》にながされるなり、海ぎわの砂丘で風葬になされて結構でござる」とこたえた。塔九郎は依然として笑ったまま、かすかにうなずいてみせただけである。
そして、真剣の試合が始まった。
朝からの試合は何十組という人数なので、場所はひろい庭であった。その上に、はじめて鮮血がぶちまかれた。――しかも、これほどあっけない勝負は、朝からの試合のうちひとつもなかったであろう。
大角勘左衛門は真っ向上段から斬りつけた。枯葉塔九郎はその前に棒みたいに立っていた。そして、ひとびとの眼には、勘左衛門の豪刀が塔九郎を唐竹割りにしたとみえたのである。それなのに、塔九郎の脳天からは一滴の血もとばず、みずから斬らせながら、そのあとでユックリとふり下ろしていった塔九郎の刀のために、勘左衛門は袈裟《けさ》がけになって血をふきあげた。
大地にたおれた相手をみてから、スルスルと枯葉塔九郎は下がった。いま唐竹割りになったとみえたのは錯覚としか思われなかった。しかも、見よ彼の経《きよう》帷子《かたびら》の背と胸は、たしかに縦に斬り裂かれて、風にビラビラと、そよいでいる。――
「お次。――」
と、三浦軍次の方をふりかえって笑ったのである。
まるで、こちらこそ渦に吸いこまれる枯葉のように三浦軍次という浪人は抜刀して馳《は》せ寄っていった。
しかし、いままでの十何試合かに、まるで禿鷹《はげたか》のような剽悍《ひようかん》ぶりをみせた三浦軍次は、こんどはぶきみな相手に二|間《けん》の間隔をおいてピタと刀をかまえたまま、眼をひからせてうごかなくなった。別人のような慎重さであったが、実は彼はいま見たばかりの幻妖《げんよう》の光景に昏迷《こんめい》をおぼえて、しばしじぶんのあやつるべき刀法にまよっていたのだ。
その前に、刀身を片手にダラリとさげたまま、まるで相手の姿など眼に入らないかのごとく、枯葉塔九郎はあゆみ寄った。
迎え討つべきか、とびのくべきか、一瞬とまどった三浦軍次のまえに、なんと塔九郎は俎《まないた》の上の鯉《こい》のごとくゴロンと寝ころんだのだ。
反射的に、三浦軍次はこれに刀をふり下ろした。刀はまるでためし斬りのように塔九郎の胴を輪斬りにした。ひとびとの眼には、塔九郎のからだの下の土に、三浦軍次の刀身が彫った条痕《じようこん》まで見えた。
仰向けになった塔九郎の刀が、ユックリと旋回していった。先刻とおなじであった。血を吹きあげたのは、逆に胴斬りになった三浦軍次だけであった。
枯葉塔九郎は立ちあがった。その経帷子は、こんどは横にグルリと斬り裂かれて、ほとんど上半身まる見えの姿として、風に吹きなびいている。――うなされたように、人々は寂《せき》として声もなかった。
「お次。――」
と、塔九郎はさけんだ。
筧隼人が走り出した。塔九郎の犬歯がニヤリとむき出されたのがみえた。
美貌《びぼう》の剣士の一刀が奇怪な巡礼の肩をめがけて薙《な》ぎつけられ、それが煙でも斬ったようにすべりぬけ、そして塔九郎の刀身がまたもユックリとうごき出したのを見たとき――人々はすべて顔を覆った。
「あーっ」
途方もない絶叫に、人々がはっと眼を見ひらいたとき、こんどは意外な光景がそこにあった。
あとで、すべてを見ていた少数の人々が語ったところによると、筧隼人は斬りつけた刀をはなすと、同時に小刀をぬいて、横着《おうちやく》げにふりかぶった巡礼の右腕を――ついで左腕を、眼にもとまらぬ早さで、そのつけねから切断していたという。大部分の人々が見たのは、草の上にころがった二本の腕と、腕なしになってその中間にのたうちまわる枯葉塔九郎の姿であった。
ふしぎなことに、血は一滴もながれなかったが、数秒|痙攣《けいれん》した塔九郎は、みるみるうごかなくなった。
「やったっ!」
人々はかけ出した。どの顔にも、まるでもうじぶんたちの同輩がこの化物《ばけもの》を退治したようなよろこびの色があふれ出していた。
「これは同宿のものでござるが、かかる破目となっては不本意ながらやむを得ず、討ち果たしてござる」
と、水のように蒼《あお》く沈んだ顔色で筧隼人はいった。
「ただ、きょうの試合については、いかようの結果になろうとも双方に恨みなく、屍骸もまたおたがいに始末をしようと約定《やくじよう》つかまつった。ついては、旅籠《はたご》屋の亭主が御門外の濠《ほり》ばたに駕籠《かご》をもって迎えにきておるはずでござれば、この者の屍骸、打ち落した腕もろともお渡し下されまするよう。拙者あとで回向《えこう》をたむけてやりとう存ずる」
――しかし、水のような顔色は、その実恐怖のためであった。筧隼人が枯葉塔九郎をたおしたのは、すべて塔九郎の教えたとおりにすぎなかった。
おれの肉は蝋《ろう》に似ている。おれの臓腑《ぞうふ》は豆腐に似ている。たとえ斬られても、斬られた刹那《せつな》、すぐに溶けあい、たちまちつながる。これがおれの忍法だ、と塔九郎はいった。
きいたときは信じられなかったが、それが嘘《うそ》いつわりでないことを、隼人はいまたしかに見たのだ。
塔九郎はまたいった。――約定によって、貴公の刀だけには斬りはなされてやるが、宿にかえったら、おぬし、すぐにまたつないでくれよ、切られた腕を肩にあてがえば、肉はただちに溶接される。そして、おれはもと通りになって、お圭どのを頂戴して、ひそかに鳥取をはなれよう。……うれし愉《たの》しの同行《どうぎよう》二人旅。
四
しかし、その夜筧隼人は旅籠に帰らなかった。
弁解すれば、帰れなかったのだ。藩主の備中守から親しく盃《さかずき》を賜わり、あと城中の侍たちが彼をとりまいてはなさなかったのである。
彼をめがけて、盃と武芸譚《ぶげいたん》が集中した。
が、隼人が下城しなかったのは、下城することが恐ろしかった、というのがほんとうの理由であった。旅籠にかえって、枯葉塔九郎の屍体をつぐ。その恐怖もさることながら、ついで塔九郎が甦《よみがえ》ってからどうするのだ?
妻のお圭にはすべてをまだ話してはいなかった。
ただすでに遊女に売られることを覚悟し、また塔九郎が屍体となって帰ることをどうせ知られる以上、或《あ》る程度のことはいっておかなければならなかった。それで、刀を買う金子《きんす》は塔九郎どのから借用した。塔九郎どのは世にも奇怪な術をつかって、わざとおれに負けて仕官させてくれるという。屍骸をみてもおどろくな。おれにまかせておけ。――と、いった。
しかし、なぜ枯葉塔九郎がそのような破天荒《はてんこう》な親切をつくしてくれるのか説明していない。いわんや、仕官の代りに彼女を塔九郎に売ったとは口に出せなかった。
きいているうちに、お圭の眸《ひとみ》にいぶかしみの色がうかび、やがて恐怖と代り、最後には名状しがたい凝視となって隼人の顔からうごかなくなった。いまや枯葉塔九郎よりも恐ろしいのは、妻のお圭の純潔貞節な眸であった。
捨ておけば、きゃつ、死ぬのではないか! 城主からの盃を口にしたとき、ひらめいたこの考えは、それからあとの無数の盃の酒とともに体内にひろがった。そして隼人は、勝利と成功の夜にはふさわしくない苦い酔いと血みどろな悪夢の一夜をすごした。
あくる朝、筧隼人は蒼ざめた顔で下城した。やはり帰らずにはおれなかったのだ。
そして、旅籠にたどりついてから、思いがけぬ事件を知ったのである。
宿の亭主は、明け方まで隼人を待っていた。試合の結果、塔九郎か隼人か、いずれか落命して帰ってくるかもしれぬが、その屍骸の始末は生きて帰った方にまかせろ、世話をかけただけの礼はきっとする。――という約束をしたのだが、生きているはずの一方の隼人がもどってこないのだ。それで、土間に置いてある酸鼻《さんび》な駕籠の恐怖にたえかねて、ついに駕籠かきを呼んだ。どこかに捨てて来てくれろ、とたのんでいると、奥から、やはり寝もやらずに待っていたらしい奥さまが出ておいでなされた。――
「夫が手にかけたお方のなきがらです。わたしもいっしょにいって、砂丘の果てに埋め香華《こうげ》でも置いて参りましょう」
奥さまはそうしずかにいって、駕籠とともに夜明けの町へ出ておゆきなされた。――亭主はそういうのであった。
筧隼人は胸をつかれ、ちかくで馬を借り、鞭《むち》をあてた。
砂丘の果てに蒼白い夜明けのひかりがながれていた。
馬をとばしてきた筧隼人は、その砂丘の方からころがるように走ってきたふたりの男にゆきあった。
「駕籠屋」
その風体《ふうてい》からみてそう呼んだのだが、ふたりは駕籠をかついではいなかった。
「仏を運んだ駕籠かきだな」
馬上から叱咤《しつた》すると、男たちは声もなくガクガクとうなずく。その恐怖にみちた顔にはっとして、
「い、いかがしたのだ?」
と、せきこんで、どもった。
「言え。駕籠とともにいった女がひとりおるはずだ、それはどうしたのだ」
「へい、奥さまは、駕籠を砂の上に置かせると、屍骸を外に出すようにおっしゃいました。おっかなかったが、おっしゃる通りにしました」
駕籠かきは、のどをひきつらせながらいった。
「そうしたら、もうゆくがよい。あとはわたしが埋めるから――というんでごぜえます」
「それで、うぬら、女と屍骸をおいてかえってきたのか!」
「へえ、あんまり奥さまがおちついていらっしゃるんで――」
「たわけ! それはどこだ?」
「へえ、あっちでごぜえますが、もうそこにはふたりともいましねえ」
「なに、ふたりとも?」
「奥さまにそういわれて、あっしたちは駕籠をかついで一町ばかりもどったものの、心配でならねえからそこで立ちどまって、ふりかえったんでごぜえます。すると――」
もうひとりの駕籠かきは、腰がぬけたようにそこに坐ってしまった。
「屍骸を置いてきた砂の山の上に、ふたつの影が立っていたんでごぜえますよ!」
筧隼人の全身を吹いたのは、夜明の秋風だけではなかった。彼もまたのどに鉄丸でもつまったような感じで声が出なかった。
「白い影がふたつ――それが、やがて風に吹かれてもつれ合うように、砂の山の向うへ走っていったんでごぜえます!」
「白い影がふたつ――そのひとつは、遠目だが、あの腕のねえ屍骸だったにまちげえはねえ。それが、こう二、三度両腕をうれしそうにふりまわして、もうひとつの影の肩を抱くようにして、消えていったんでごぜえます!」
ものもいわず、筧隼人は馬に鞭をあてた。
道は砂に覆われ、しだいに砂だらけになり、蹄《ひづめ》は砂にくいこんだ。隼人はとびおりて、馬を捨て、まろぶようにひとり砂の山にかけのぼっていった。二度三度、彼はのめった。
枯葉塔九郎は甦《よみがえ》った。
甦らせたのはお圭だ。
しかし、お圭の心に何が起ったのか。そして、あの化物と手に手をとってどこへいったのだ?
はじめて隼人は、枯葉塔九郎のために、わずかな知行《ちぎよう》とひきかえに、くらべものにならぬ貴い宝石をうばい去られたという思いに打たれた。
が、砂丘の上へ、足に血をにじませて這《は》いのぼっていった筧隼人が見たものは、永劫《えいごう》のむかしから渺茫《びようぼう》とひろがる灰色の砂の風紋と、灰色にうねる海と、そして冷たく蒼白い黎明《れいめい》の空だけであった。
五
――三年後の春の或《あ》る夕方である。筧隼人は、十数人の配下をつれて、鳥取から智頭《ちず》街道を南へ急いでいた。
隼人は三年ばかりのあいだに、鳥取藩の八頭《やず》郡の郡代《ぐんだい》の地位を獲得していた。藩に召し抱えられてから新しく発見された才能で、じぶんでも意外に思っているのだが、彼は剣法のほかに、それ以上に、租税検地などの面で、なみなみならぬ行政的手腕のあることが認められたのである。
それで郡代に抜擢《ばつてき》されたのだが、租税検地に手腕があるということは、つまり苛斂誅求《かれんちゆうきゆう》の傾向があるということで、このごろになって農民のあいだに、不穏なうごきが見えはじめていた。事実、彼は若佐にある郡代屋敷に大がかりな牢《ろう》をつくって、すでに十数人の百姓を放りこんでいる。この件につき藩と連絡の必要があって、この数日鳥取にいっていたのだが、けさ早く、一揆《いつき》というさらに切迫した事態が郡に起りかけているという知らせを受けて、とるものもとりあえず任地に馳《は》せかえる途中なのであった。
若佐は鳥取の東南八里の山中にあり、ここに至る道を若桜《わかさ》街道という。名は美しいが、むしろ荒涼といっていい山間の道であった。春とはいえ、北国のこのあたりには、その名にそむいてまだ花も咲いていない。ゆくての氷《ひよう》ノ山《せん》には、まだ雪がまっしろにひかっている。
「……あっ」
突然、筧隼人は馬の手綱をしめて、鞍《くら》の上からただならぬ顔をふりむけた。
いそいでいたので、思わずゆきすぎたが、いますれちがった二つの白い影が、ふいに彼の頭に、「もしや?」という疑惑の波をひろげたのだ。それは、街道を逆に、トボトボとやってきた二人の巡礼であった。
うすよごれた白布に笈摺《おいずる》をかけ、笈《きゆう》を負い、杖をついた二人の巡礼は、路傍にさけて、笠をひくく伏せていたが、隼人が馬をとめたのを見ると、急にあわてて歩き出そうとした。
「待てっ……きゃつらをとらえろ!」
隼人は顔色をかえてさけんだ。足軽たちが槍《やり》をかかえてその方に殺到し、ふたりをとりかこんだ。
巡礼のひとりが笠をあげた。足軽たちは思わずとびのいた。その笠の下の顔が、あまりに醜怪だったからだ。
むらさき色の皮膚、糸のような眼、厚ぼったい唇――それが隼人を見あげ、ニヤリとして、
「いや、その節は」
と、いった。――枯葉塔九郎であった。
ものもいわず、隼人は馬からとび下りて、もうひとりの巡礼のそばへ馳せ寄った。立ちすくんだその巡礼の、前に伏せている笠を、彼はぐいとあおのけた。白蝋《はくろう》のような頬《ほお》をして眼をとじているのは、まぎれもなくお圭の顔に相違なかった。
「お圭」
うめいて、彼は絶句した。混乱した頭に、すぐにみずから鞭をあて、
「来い、話がある」
と、お圭の手をとらえた。お圭はよろめきつつ、眼をひらいた。思いがけぬ、みずみずしくぬれた黒い眼がうしろへながれて、
「でも」
と、からだじゅうでためらった。
隼人はそれを、塔九郎に対する恐怖ととった。
「これ、おまえはわしの女房ではないか。かまわぬ、来い」
「あいや、そうは問屋が下ろしますまい」
のこのこと、枯葉塔九郎が寄ってきた。まだニヤニヤと笑っている。
「お圭はおれが買ったこと、貴公お忘れか」
「あ、あれは――」
隼人はつまった。売ったおぼえはない、とはいえなかった。それだけに、自分自身にも対する怒りが、彼の全身をふるわせた。
「お圭は、いま買いもどす」
「おれは、女房を――恋女房を売る気はない。……貴公とはちがってな」
からかうようなこの言葉をきいたとたん、隼人はついにわれを失った。
「文句があれば郡代屋敷できこう。おとなしゅうついて来ねば――」
まわりの足軽たちがいっせいに身がまえるのを見たとたん、ぱっと塔九郎は飛びすさった。手にしていた杖が、キラリと白いひかりをはなった。仕込杖だったのだ。
「抵抗するか、斬れ」
と、隼人は絶叫してから、突然水をあびたような思いがした。この男が、斬っても斬れぬ化物であることを思い出したのだ。
「ま、待て」
もういちどさけぶと、隼人も一刀をひきぬいて、ピタリとお圭の胸にさしつけた。
「塔九郎、手向いすればお圭を刺し殺すぞ。夫を捨てた不義者として成敗《せいばい》いたすぞ!」
枯葉塔九郎は、ぎょっとしたようにうごかなくなった。こちらをむいている紫いろの顔がすっと蒼白《そうはく》になると――彼はダランと仕込杖を地に垂れた。
いまの一言の効果の絶大さに、むしろ隼人は唖然《あぜん》として、思わず力をぬいたとき、塔九郎はふいに彼に背をむけて、白衣の裾《すそ》をまくりあげた。それから一息つくほどの時間をおいて、仕込杖が上から下へ、クルリと一旋回するのが見えたが、こちらからは何をしたかわからない。ただ、その刀が、白衣の裾の一部を切り裂いたのが見えたばかりである。
「あっ。……」
しかし、その向うに槍をかまえていた足軽が何を見たか、眼をむいた。
枯葉塔九郎はふりむいた。その仕込杖を捨て、またニヤリと笑った。
「とにかく、負けたといっておこう。郡代屋敷に参る」
「……そやつ、何をするかわからぬ化物だ。縛れ」
筧隼人は肩で息をしながら、なおお圭に刀をつきつけたまま、あごをしゃくった。足軽たちがとびかかって、塔九郎を縄《なわ》でしばりあげた。
このあいだ、お圭はじっと立ちすくんだまま、白い能面のような無表情であった。隼人には、そのお圭が枯葉塔九郎よりも奇怪で恐ろしいものに思われた。
彼女にいいたいことは百ほどもある。彼女にききたいことは千ほどもある。しかし、とっさに、何をいい、何をきいていいのかわからないほど、彼の頭は混乱していたし、それに足軽たちの眼や耳もあった。……すべては、郡代屋敷に帰ってからだ。
行列は砂ぼこりをあげて、ふたたび荒涼たる山峡の道を進み出した。筧隼人は馬の手綱を足軽にわたし、お圭とならんで歩き出したが、全神経はお圭だけにそそがれて、うしろに曳《ひ》かれてくる枯葉塔九郎のこともしばらく忘れていたほどであった。
ふいに気がつき、ふりむいて、塔九郎の人を小馬鹿にしたような笑顔を見ると、彼は先刻の塔九郎のふしぎな行動を思い出してはっとした。
「これ」
彼は、足軽のひとりを呼んだ。先刻の塔九郎の行動を見ていた足軽だ。彼はささやいた。
「きゃつ、さっき何をしたのだ」
「それが……」
足軽はくびをひねり、塔九郎をちらっと見ていった。
「男のものをつかみ出して、じぶんでたしかに斬ったように見えましたが、ふしぎなことに血も出なかったようで……」
「何?」
足軽は幻覚でも見たような顔をしていたが、それが幻覚とはいえないことを隼人は知っている。
「ううむ、きゃつ、何のために左様な真似《まね》をしおったか。よし、きゃつのからだをとり調べろ」
隼人は命じて、数人の足軽をのこし、お圭をひきたてるようにして先へ歩いた。一町ばかりいったとき、足軽が追って来た。
「まこと、きゃつの男のものは失《う》せております」
「で、それは?」
「それが、からだじゅうどこを探っても、どこにもござらぬ。本人はいましがた崖《がけ》の下へ捨てたと申しておりますが、念のため探して参りましょうか?」
さすがに隼人は、この探し物を命ずることはしなかったが、しかし枯葉塔九郎がなぜそんなことをしたかは、依然として想像のほかであった。飄《ひよう》と面《おもて》を吹きつける氷《ひよう》ノ山颪《せんおろし》に眉《まゆ》をしかめていった。
「よい、捨ておけ。ただ、本人を逃さぬようにして、しかと曳いてこいよ。きゃつ……妖《あや》しき術をつかう忍者だ」
「へっ、忍者?」
六
――魔に魅入《みい》られたのだと思う。
三年前のことだ。あいつに妻を売ったことだ。いやいや、そもそもじぶんがお圭を売る気を起したことが、いつのまにかあいつに魅入られていたせいではないかと思う。
どうしてお圭を売るなどいう気を起したのだろう? それがあれ以来、筧隼人の魂をかきむしってきた悔恨であった。失った珠《たま》は、胸で現実以上に妖しいひかりをはなちはじめた。あの白梅のようにりんとした姿が、胸に象嵌《ぞうがん》されたようなのだ。閨房《けいぼう》のつつましやかさ、ぎごちなさすら、いまとなっては逆に異様ななまめかしさとして甦《よみがえ》る。――鳥取藩に仕えてから異例の取り立てを受け、また独身の彼に、縁談はふるほどあったが、いままでそれをことごとく辞退してきた理由は、ただこの悔いのなせるわざであった。
魔に魅入られたのだ。――じぶんばかりでなく、お圭もだと思う。
いくらかんがえても理解を絶しているのは、じぶんの心より、お圭の心だ。あれは、塔九郎の屍骸を入れた駕籠といっしょに宿を出ていったという。砂丘で、斬りはなされた塔九郎の二本の腕をつなぎ合わせたという。――お圭がやらなければ、ほかにやった人間のあるはずはない。――そして、塔九郎と肩をならべて、砂丘の果てへ消えていったという。いったい彼女の心に何が起ったのか。
三年間、ことあるごとに隼人はそれをかんがえたが、ついにわからなかった。ただ魔に魅入られたに相違ない、そう解釈するほかはなかった。
……いま、そのお圭を魔から解き放った、この手にとり返した、隼人はそう思った。
若佐の郡代屋敷の一室である。彼のまえには、お圭がいた。
若佐の若桜郷《わかさごう》の中心となる一駅だが、地味|痩《や》せ、蕭殺《しようさつ》たる山峡にある。ただ因幡《いなば》から戸倉峠を越えて播州《ばんしゆう》へ、氷ノ山峠をこえて但馬《たじま》へゆく道がここから分れているので、その意味では一要衝にあたり、昔は尼子《あまこ》の城があった。その名を鬼ヶ城といい、山中鹿之介《やまなかしかのすけ》などもたて籠《こも》ったことがある。いまは廃城となり、そのあとに池田藩の郡代屋敷が作られていた。
その崩れ残った石垣などを利用し、あちこちにふとい格子《こうし》を組んで仮牢《かりろう》とし、このごろこの一帯に不穏の気を煽動《せんどう》したり直訴《じきそ》してきたりしていた百姓たちを、隼人はほうりこんでいた。
――その一つ、空牢《あきろう》となっていたものに、深夜彼は帰邸するなり、武器をとりあげた枯葉塔九郎をおしこみ、さて彼がお圭と相対したのは、もう夜明けにちかい時刻であった。
「お圭、どうしたのだ?」
「…………」
「おまえは何をかんがえて、あんな化物といっしょに逃げていったのだ?」
「…………」
「おれにはわからない。きゃつに魅入られたのだな。おまえにも、じぶんの心、じぶんの所業がよくわからぬのではないか?」
「…………」
「あれから何処《どこ》へいって、何をしていたのだ?」
「…………」
「これから何処へゆこうとしていたのだ?」
「…………」
何をきいても、お圭は答えない。意志があって沈黙しているというより、ただ彼女は茫《ぼう》としているように見えた。
しかも、なんというお圭の美しさだろう、むかしよりやや痩せたが、それだけに凄艶《せいえん》になって、まるで白蝶《はくちよう》の精のようだ。とはいえ、それは以前のお圭にまぎれもなかったが、ただ眼と唇は、よく見ていると別人のように思われて来た。黒々とした眼は夢みるようにうるみひかり、唇はじぶんの知らなかった凄《すさま》じいまでの淫猥《いんわい》さにうすくぬれている。
黙りこんで、しかも阿呆《あほう》みたいにじぶんをながめているお圭の顔を、しだいに隼人ははじめて見る女のように思い出し、はげしい肉欲にとらえられてきた。
「お圭、なぜそんな眼でおれを見る。おれを忘れたのか?」
「…………」
「おれだ。夫の隼人だ。昔のことを思い出してくれ」
「…………」
「なつかしいなあ、あの盛岡は。あのころの……春の桜山や、秋の北上川に立っていたおまえの姿がいま眼に甦るようだ。国を出るか、出ないか、まだ迷っているおれに、おまえの方から火をつけて――」
こうなると、誘惑を通りすぎて、泣きおとしだ。もともと女には自信のある隼人だったし、彼はじぶんの男としての魅力、熱情、智能のかぎりをかたむけて、曾《かつ》ての女房をくどき出した。
それでも、お圭は沈黙している。それよりも、夢みるように茫としている。
「ええい、こうまでいってもわからぬか。もはや――」
いきなり彼は、お圭にとびかかり、顔をねじむけ、その唇を吸った。すると――柔かいものが、彼の歯にふれた。唇をあけると、それは蛇のように彼の口の中に入ってきた。お圭の舌であった。それは彼の歯ぐきをチロチロと這《は》い、彼の舌にヒラヒラとからみついて、彼の脳髄をじんとしびれさせてしまった。
ふいに彼は忘我から醒《さ》めた。こんなことは、以前のお圭にはなかったことだ。あわてて顔をはなすと、お圭は例のうるんだ瞳《ひとみ》をひらき、なまめかしい舌の先をちょっぴりとのぞかせたまま、まだ茫としている。いまのは何かの反射機能のようであった。
――ええ、どうでもなれ!
隼人は、その媚情《びじよう》の靄《もや》におぼろなお圭の顔を見ているうち、さらに狂乱的な肉欲にかりたてられて、彼女を押したおし、そのもすそをかきひらいた。お圭はまったく無抵抗であった。
……ところが、お圭はばたりと両手両足を投げ出しているのに、隼人はそれ以上どうすることもできなかったのだ。彼女の門には先客があった。彼女の谷には何かが充填《じゆうてん》されていた!
「……ど、どうしたのだ。な、何だ、これは!」
「……塔九郎どのです」
仰むけに横たわったまま、お圭は白痴のような美しさを全身にけぶらせていった。
――しばし判断に苦しみ、ふいに隼人は名状しがたいうめきをもらした。彼は、あの若桜街道で枯葉塔九郎が見せた異様な動作と、そして足軽の「まこと、きゃつの男のものは失せております。それが、からだじゅうどこを探しても、どこにもござらぬ」という言葉を思い出したのだ。
同時に、お圭とひきはなされ、じぶんは牢に入れられながら、うす笑いを浮かべていた塔九郎の顔が眼に浮かんだ。
「き、きゃつ!」
絶叫して、筧隼人は立ちあがった。
立ちあがったとき、どこかで物音がきこえた。夜明けの空遠く、何か獣の集団のほえるような声と、地ひびきの音であった。
「お奉行さま!」
あわただしい跫音《あしおと》をたてて、家来のひとりが走って来た。襖《ふすま》の外で息せき切っていう。
「どうやら百姓どもが一揆《いつき》を起したようでござりまする。数百人の百姓が、むしろ旗を立て、鍬鎌《くわかま》をもち、松明《たいまつ》をかかげてこちらにやってくるそうでござりまする!」
「よし、かねての手はずの通り、鉄砲組に出動を命じろ。まず百姓どもにはおれが逢《あ》う」
筧隼人は別人のように兇悪な表情になり、さらにいった。
「鉄砲組に用意をさせたら、牢にいって、足軽どもにしかと護《まも》りをかためるようにいっておけ。なかんずく、あの枯葉塔九郎は逃すな、とな」
そして、例の奇怪な「貞操帯」を嵌《は》められて、さっきの姿のまま横たわっているお圭を、肉欲と憎悪の混合した眼でちらっと見て、彼はいそぎ足で出ていった。
七
――はい、拙者どもは仰せの通り、牢を――なかでもあの塔九郎という巡礼を入れてある牢を、しかとかためておりました。ところが、あの巡礼の女房が、庭の方からやってきたのでござります。
あの男の女房――とはいうものの、どうやら御奉行さまの以前の奥さま、とうかがっておりましたし、その方《かた》が来られても、どうしたらよいか、何の御采配《ごさいはい》もありませなんだし、ともかくも女だ、と思い、拙者どもは黙って見ておりました。
しかし、牢の前に来たあの女が、袖《そで》のかげから一本の小刀《しようとう》をとり出したのを見ては、拙者どももぎょっとなりました。あわてて、それをとりあげようと駈けつけますと、女がいうのでござります。
「御奉行さまのお申しつけです」
それが、あまりおちつきはらっているので、思わず手をひいて見まもっておりますと、女はその刀を格子《こうし》のあいだから中へ投げこんでしまいました。
むろん、あんな小刀などで、ちょっとやそっとで破られるような格子ではござりません。五寸もある丸太を組み合わせたものでござりますから。――それで、ひょっとしたら、御奉行さまとのお話し合いにより、巡礼に自害をするようにすすめに来たものではないか、と拙者どもはかんがえたわけでござります。
実際、そう思ったのがふしぎでないほど、女はおちついて、格子の前三尺にしずかに坐りました。と、暗い牢の中から、巡礼のきものがまるめて外に投げ出されました。
はて、こいつ、裸で自害をするつもりであろうかと、ながめておりますと――次に投げ出されたのは――なんと、一本の生腕だったのでござります。
それが血もみえず、まるで何か細工物のようにみえたので、みな傍《そば》に寄ってのぞきこもうとした足もとに、こんどは足が一本、さらにもう一本投げ出されました。
みな、わっといってとびのきましたが、次に首が――あの化物のような顔がニヤリと笑ってころがり出して来たときには、もう声をたてる者もありませなんだ。ヘナヘナと腰をぬかした者も三、四人ござります。腰をぬかさなんだ者も、からだじゅうがしびれたようになって、ただかっと眼をむいておるばかりでござりました。
あとに残ったのは、胴と一本の腕だけでござります。格子のあいだから、胴は出ませぬ。が、やがて出てきた材木のようなものは、そのときは何であるか見当もつきかねましたが、あとになってそれは胴を縦に斬ったものだとわかりました。
そのときまで、じっと坐っていた女は、しずかに立って、格子のあいだから両手をさし入れました。そしてひきずり出したのは、縦割りにしたあと半分の胴と、最後に刀をにぎった一本の腕だったのでござります。
まことにあれは化物でござります。いや、化物でもあのようなことはできません。あの男は、右手ににぎった刀でじぶんの左腕を、両足を断ち、首を斬り、首がなくなった胴を真桑瓜《まくわうり》みたいにふたつに分け、最後に刀をにぎった右腕さえ斬りはなしてしまったのでござりますから。
その光景は、牢の中が暗いので、拙者どもには見えませなんだが、そのバラバラになった首や胴や手足がまたつながってあの男に変るのは見ておりました。それをよせ集めて、組み立てたのは、あの女でござります。
首と胴と手足だけではござりません。やがて人間のかたちをして地面の上に大の字になった男の上に、あの女は裾《すそ》をひらいて馬乗りになりましたが、ユラユラと十度ばかり腰を前後にうごかすと、あの男のからだには、きのう若桜街道で見えなくなっていたものまでちゃんともと通りにもどっていたのでござります。
あの男は、立ちあがり、白衣を着ました。このあいだふたりは、なんの言葉ももらしませなんだ。ただ、ふたり手に手をとって庭を出てゆきながら、いちどふりかえってにっと笑い、こういった声がきこえただけでござります。
「あ、は、は、は、うれし愉《たの》しの」
「同行二人旅」
筧隼人が、牢番の足軽たちが唇をわななかせながら、こもごも語ったこの報告をきいたとき、彼は相対峙《あいたいじ》した百姓たちと一触即発のときにあった。
数百人の百姓たちは、郡代屋敷の前におしかけていた。その中から出てきた三人の庄屋《しようや》が必死の形相《ぎようそう》でつきつけた年貢緩和の要求を、門の下に出させた牀几《しようぎ》に腰をかけた隼人は黙ってきいていた。
はじめ騒然とどよめいていた百姓たちも、しだいに沼のように静まりかえった。それは郡代屋敷の門から両側の土塀にかけて、その屋根の上からのぞいた無数の鉄砲に威圧されたのと、それより、黙ってきいている郡代の顔の何とも形容しがたい殺気に圧倒されたのである。
「申すことはそれだけか」
庄屋たちの要求をききおえた隼人はいった。
「すべて、不承知だ」
そして立ちあがり、うしろの鉄砲組の方をふりむいたとき――牢から足軽たちが駈けつけて来たのであった。
報告をきくや、いままで銅像のように見えた筧隼人の全身に錯乱が起った。
「馬ひけ!」
絶叫すると、眼前の庄屋のうちの一人をいきなり袈裟《けさ》がけに斬ったのである。そして百姓たちの中へ駈けこみながら、うしろをふりかえってまたさけんだ。
「馬だ! 馬をもって追ってこい! それから、足軽ども、みなついてこい。枯葉塔九郎を追うのだ!」
庄屋の一人を斬られたというより、その狂乱したような姿の物凄《ものすご》さに胆《きも》をおしひしがれて、百姓たちがどっとひらいた路を、白刃をひっさげた隼人はひた走った。
郡代屋敷の一団は、馬に鞭《むち》うって西へ駈けていった。背後の屋敷から、やがて炎があがった。
夜は明けていた。夜は明けたが、そのために風光はなお荒涼|凄惨《せいさん》の相貌《そうぼう》をあきらかにした。路は急速に高くのぼってゆく。ここらあたりからも先刻押しかけた百姓どもは来ているはずだが、それがふしぎなほど、人煙を絶するといっていい地帯である。馬はすでに乗りつぶした。いや、もう馬も通わぬ荒れはてた山道であった。
馬を捨て、隼人はまろぶように走った。最初のうち息を切らせ切らせついてきた足軽たちは、そのうち見えなくなった。はじめあちこちと灌木《かんぼく》や岩のかげに凍っていた残雪はしだいに一帯にひろがり、隼人のくるぶしから膝《ひざ》を没しはじめた。
それでも彼は、魔にとり憑《つ》かれたように這いのぼってゆく。
しかし――ついに彼がゆくての氷《ひよう》ノ山《せん》の峠を見あげたとき、蒼白い氷の漣《さざなみ》のような雲の下に、二つの白い影がうれしげに羽ばたきしながら、もつれあって飄々《ひようひよう》と消えてゆくのを見たばかりであった。
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忍者梟無左衛門
一
梟無左衛門《ふくろうむざえもん》は、いさの相談をきいたとき、いさを彼女の母そっくりに生んだことを後悔した。
無左衛門は御納戸方《おなんどがた》同心であり、いさの父はその上役の御納戸方|頭《がしら》村上|周防《すおう》であった。
幕府の御納戸方というのは、将軍家の金銀衣服調度の一切の出納《すいとう》をつかさどる役目であって、その頭《かしら》は元方《もとかた》と払方《はらいかた》と二人ある。その下に組頭が四人いて、さらにその下に組衆が二十四人あり、もうひとつ下に四十人の同心が配属されている。無左衛門はその末端の同心で、主として袋物をとりあつかっていた。
しかし、無左衛門が駿河台《するがだい》の村上家に出入りしているのは、たんに職域上の関係ばかりではない。もともと梟無左衛門は、周防の亡妻の実家にふるくから出入りしていた。周防の亡妻の紀伊は、十九年前、いさを生んですぐにこの世を去ったが、実家の服部《はつとり》家にふるい大恩があって、紀伊をまるで主家の姫君のようにとりあつかっていたから、服部家がその後ある事情から改易《かいえき》となってからは、いさを他人でない眼で見て、いまもときどきこの村上家に姿をみせるのであった。
「田沼さまが」
といって、彼はいさの顔をみて息をひいた。
この四十幾つかになる、岩のようなからだつきをした男が、お城では袋物屋みたいに剣袋や槍《やり》袋、弓袋、鼻紙袋に煙草《たばこ》袋に笛袋に薬袋などをとりあつかっているのかと思うと、いさはいつも笑いたくなるのだが、きょうは笑わない。蒼《あお》ざめて、唇をふるわせている。
「あなたさまをなあ」
庭の枝垂《しだれ》桜の下であった。花は春光のなかに瓔珞《ようらく》のように垂れていた。
枝垂桜はむかし服部家にもあった。紀伊は「枝垂小町」と呼ばれていた。そして、おなじ花がやはりこの村上家にもあって、いさもおなじく「枝垂小町」と呼ばれている。死んだ母と生きている娘は、たんに美しいばかりではなく、知るものすべてがおどろくくらいそっくりおなじ顔をしているのであった。
その美しさに、田沼山城守が眼をつけたという。いったいどこでこのいさの姿を見たものか、見たなら漁色《ぎよしよく》で知られた山城守がそれを求めるのにむりはないといえるが、いまその話をきいて、無左衛門は、いさが美しく生まれたのを、はじめて後悔した。母に似たなら、美しいのが当然だからである。
しかし、それは抵抗できない、恐ろしい相手であった。
「周防さまは、何と仰せでござります」
「父上に山城守さまは、もしわたしをさし出すなら御加増とやらをほのめかされたようで、父上はにがいお顔をなされてはいるものの……」
いさは、あえぐようにいった。いま飛ぶ鳥おとす若年寄の田沼山城守の要求を辞退しては、加増などはどうでもよいとして、先祖代々からの御納戸頭の地位など、風のまえの木の葉のように飛んでしまうことはあきらかであった。
「御心痛はお察しいたします。……しかし、お嬢さま」
田沼の妾《めかけ》となる――それはなりませぬ、とさけび出したいのをおさえて、無左衛門は四十男らしく、沈痛な表情で声をひそめていった。
「お嬢さまは、山城守さまのところへおゆきあそばす気にはなれませぬか。かんがえようによっては、玉の輿《こし》ともいうべきお話で……」
「無左衛門」
いさは絶望的にさけんだ。
「おまえまでが、そんなことをいうのですか。この話では、ほかにたよる者もないと、おまえのくるのを待ち受けていたのに」
ふだんからの無左衛門の愛情はいさにもよく感得されていたとみえて、彼女は無左衛門をじぶんだけの「家老」のように頼りにしているのであった。
いさは身もだえして、はじめての言葉を口にした。
「亡くなられた母上からのこされたお守り袋に、わたしの一生に大難があれば、梟無左衛門にたよれとかいてあった。そのわたしの大難が、いまおとずれてきたというのに」
「何、母上さまが左様なことを」
梟無左衛門は愕然《がくぜん》としたようであった。
「それなのにおまえは、わたしに死ねというのですか。いいえ、わたしは死ねない。わたしが死ねば山城守さまのお怒りを買い、村上家はとりつぶされるだろう。わたしはどうすればよいのか、無左衛門、あのお守り袋のなかの言葉はうそですか」
「お嬢さまは、それほどそのことをおきらいあそばしますか」
「あたりまえです。そんな話をきかれたら、佐野善左衛門さまがわたしを裏切者とお斬《き》りなさるにちがいない」
「佐野善左衛門さま?」
無左衛門はもういちどとんきょうな声をあげた。
「ああ、あの新番衆の!」
そして、すべてを了解した。無左衛門はこの三か月ばかり村上家をおとずれなかったが、そのまえに一、二度その若者が客となってきていたのを思い出したのだ。いさがいまさけんだ言葉の意味は、この三か月にふたりのあいだに生まれたのだ。
無左衛門はわれしらず眼をひからせ、とがめるようにいった。
「お嬢さま、そのことを父上さまは御承知でござりますか」
「わたしの口から、父上に申せることではない。ちかいうち、善左衛門さまからお話し下さることになっていたのです」
いさは、枝垂桜のひと枝のようにうなだれて立っていた。その頬《ほお》につたわる涙は、文字通り花の露のようであった。
梟無左衛門はくいいるようにその姿を見つめていたが、やがてうなずいた。
「佐野善左衛門、あれはよい御旗本だ」
この屋敷で、二、三度話しただけの記憶にすぎないが、禄高五百石の安旗本とはみえぬ颯爽《さつそう》たる風姿の若者であった。当世には珍しい剛毅《ごうき》な気性さえ感じられて、無左衛門も少なからず好意を抱いたことをおぼえている。
「さすがは、お嬢さま、ようおえらびなされました」
無左衛門は、声を沈めていった。いままでの異様なひかりがきえて、こんな場合娘をみる父親のようなかなしげなまなざしになっていた。
「あの佐野さまなら、お嬢さまとお似合いの花婿どのじゃ」
いさは頬をあからめもしなかった。そんな余裕がないのである。ただ涙と祈りをうかべた眼を無左衛門にからみつかせた。
頬をあからめたのはなんと梟無左衛門の方である。しぶい、いかつい顔をしたこの男の頬に、なぜかあか黒い血がぽっとのぼったのだ。
「……母上さまの御遺言はうそではありませぬ。無左衛門がお救い申しあげまするで」
と、彼は嗄《しやが》れた声でいった。
「けれど、どうやって?」
すがりついたくせに、いさは眼を大きく見ひらいた。当代の始皇帝ともいうべき田沼山城守の手からのがれ、しかも家と父を無事に保つという絶体絶命、進退両難のこの窮地をうまく切りぬける方法がこの世にあるだろうか。
それにはこたえず、梟無左衛門はいった。
「お嬢さま、わたくしの宅に、周防さまにはないしょでおいで遊ばすことができましょうか?」
二
いさは、あおむけに横たわっていた。十九のからだを覆《おお》うものは、顔にあてたきものの袖《そで》だけであった。
いさが牛込《うしごめ》御納戸町の梟無左衛門の同心屋敷にきたのは、彼女が二日のちに田沼山城守のところへ上がらなければならないという日の午後のことである。彼女は、やはり牛込の原町にある亡母の墓に詣《まい》り、ついでに乳母の家に泊るといって家を出てきたのであった。こんどのことは、家のために娘をいけにえにすることだと恥じていた父の周防は、いさの外出をとめることはできなかった。
彼女は、そこで梟無左衛門から何をきいたのか。――身の毛もよだつその提案と、ながいながい説得ののち、このたびの大難をのがれるには、じぶんの信頼する無左衛門の「忍法」のままになるほかはないと覚悟して、それでも恐怖と恥じらいのために死んでしまいそうな処女の裸身を横たえたのであった。
障子はたてきっているが、月はおぼろだ。花の影がゆれていた。そしていさのからだそのものも、おぼろなひかりをはなっているようにみえた。それ以外に灯はなかった。
すべてが朦朧《もうろう》とけぶったなかに、梟無左衛門の姿だけが異様に鮮明であった。彼は水色の麻裃《あさがみしも》をつけて寂然と端坐していた。その顔はふだんとは別人のように白ちゃけて、象牙《ぞうげ》を削《そ》いだような感じにみえる。
彼は、しずかにいさの腹を下方へなでていた。なでるというより、十本の指は琴を奏でるようにうごいていた。
ただ、しずかに、微妙に、柔らかく――いさの裸身が羞恥《しゆうち》にうねったのは最初の数分間だけであった。
いさはやがて、男の指がふれている意識を失った。いや、じぶんが何をされているのかという意識を失った。かたく緊張していた筋肉はしだいに餅《もち》のように柔らかくなり、さらに白い泥と化してこねくられ、トロトロと四方にながれ出すような感覚がひろがっていった。
そして梟無左衛門も無想境に入っている。
忍法「袋返し」。
それを彼は、若い日に、いさの祖父服部水翁から教えられたのであった。
服部家は徳川の初期、伊賀の忍者一党をひきいて大御所に仕えた服部半蔵の後裔《こうえい》にあたる一家であったが、服部の宗家はふしぎに悲劇的であって、家が絶えるとともに、その忍法もいつしか消散し、遠く血をひく水翁とても、もとよりそのわざを以て仕えている人間ではなく、八丁堀の与力であったのに、いつ、いかにして体得したのか、またなぜ服部家のものでない梟無左衛門にそれを教える気になったのか、無左衛門自身にもわからないが、彼はその秘伝を授けられたのだ。
もっとも、そのとき水翁はいった。
「これは、いくさの用にはたたぬわざだ。いや、泰平の世にあっても、一生つかうおりはないかもしれぬ。まず、出世の役にはたつまいな」
またいった。
「これをひとたびつかえば、つかった人間の寿命は三年くらいちぢむのではないかと思われる」
――おそらく、服部家に男子がなかったという理由のほかに、その術を修得する人間に異常な性格と素質が必要であって、無左衛門はその珍しい資格者だったのであろうと思われる。
いくさの役にはたたぬ、泰平の世にあっても一生つかう機会はないかもしれぬ、と水翁はいった。いかにもこれは、女性のみを対象とする術で、しかも容易につかってはならぬわざであった。
おそらく元来は、堕胎《だたい》を目的とする按法《あんぽう》から発達してきたものではあるまいか。それは子宮を内翻《ないほん》させる術であった。――子宮は、女の腹腔《ふくこう》に逆さに吊《つ》られた袋といえる。それが、この術の経過に従って、ちょうど袋の底に手を入れて袋そのものを裏返すように、自動的に外部へ出てくるのだ。
これだけでも恐ろしいわざだが、無左衛門がさずかったのは、いわゆる整形外科を加味したさらに恐るべき秘法であった。もしこの場合、女が妊娠しているならば、胎児は胎盤に付着したままいったん外部へ出てくるわけだが、柔らかい――時によっては半水様の胎児に、まるで彫塑家《ちようそか》が微妙な指さきで粘土をこねるように自在に細工をして、ふたたび子宮とともに腹腔へ還納することが可能なのであった。これが時と場合では実に恐怖すべき使用法となることは想像にあまりがあり、一生つかう機会はないどころか、人間としてつかってはならぬ術であるといってよいかもしれぬ。
げんに師の水翁が、この人はのちに事情があって屠腹《とふく》を命じられたのだが、いまや死なんとするに際し、ふいに恐怖したようにさけんだのは、おのれの苦痛の声ではなく、「無左。……やっぱりあれはつかうなよ!」という言葉であったと、無左衛門は人づてにきいた。もとよりつたえた人は、その意味を知らない。梟無左衛門は、たったいちどそれをつかった。
いま邪念妄想なく、「袋返し」の忍法に精根を没入させた無左衛門の脳裡《のうり》に、まじえてはならぬひとつの記憶が、抵抗しがたい霧のようにひろがる。
十九年前の一夜だ。彼は、いさとそっくりのひとりの女にこの「袋返し」の忍法をほどこした。ただちがっているのは、いさは処女であり、その女はいさを身籠《みごも》る妊婦だということであった。
いさの母、紀伊は癆咳《ろうがい》であった。彼は見舞いにゆき、人目のない隙《すき》をぬすんで、子供をおろすことを哀願した。このまま出産の大役を果たそうとすれば、紀伊は死ぬよりほかはないと判断したのだ。
「いいえ、そんなことをしても、わたしはやはり死ぬでしょう」
紀伊はかぶりをふった。それから、病床で透きとおるような顔を無左衛門にむけて、全然ちがうことをいったのだ。
「可哀《かわい》そうに、無左衛門」
黒い眼でじっと見つめられて、梟無左衛門はわれにもなく頬に血がのぼるのを感じた。
「紀伊はやがてこの世からいなくなります」
ふいに彼はたたみにはいつくばって嗚咽《おえつ》した。彼は若かった。彼は紀伊を恋していたのである。
しかし、そんなそぶりは夢にもみせないつもりであったのに、紀伊はそれを知っていたのだ。そして紀伊もそれを知っていたことを、はじめて言葉にもらしたのであった。
「無左衛門、ありがとう。紀伊はまもなく死のうとして、だれがいちばん紀伊を大切に思ってくれていたか、はっきりわかるのです。でも、今となってはどうすることもできない」
紀伊はしみいるようにいった。
「無左衛門、紀伊とそっくりの女の子を見たいとは思いませんか?」
彼ははっとした。紀伊は祈るような眼を天井にむけていた。
「亡くなられた父上からおまえに伝授された術のことをききました。それを信じていなかったけれど、なぜか、紀伊はいまそれを信じます。それをわたしにほどこしておくれ。わたしはいま腹の中にいるやや[#「やや」に傍点]が、女の子であるような気がしてならぬ。男の子であったらしかたがないけれど、もし女の子であったら、この紀伊そっくりの娘をこの世に生ませておくれ。そして、無左衛門、その子を紀伊のように思っておくれ。……」
自分をこの地上に永遠に残してゆきたいという望みは人間の業《ごう》であるが、紀伊のねがいには、無左衛門へのあわれみがあった。が、かんがえようによっては、実に絶大なる女の自信であり、恐ろしいエゴイズムでもあった。
しかし、無左衛門は哀しみと法悦の世界に酔った。そしてその夜、紀伊の癆咳の苦しみをやわらげる祈祷《きとう》を行なうという名目で、夫の周防さえも遠ざけて、最初の「袋返し」の秘法をほどこしたのだ。
のみならず、その胎児を、紀伊の願うとおり、そしてじぶんの望むとおり、紀伊そっくりにつくりあげたのであった。胎児は女の子であった。
「――可哀そうに、無左衛門、紀伊とそっくりの女の子を見たいとは思いませんか? そして、その子を紀伊のように思っておくれ。……」
その言葉を、紀伊はどんなつもりでいったのか。無左衛門にはよくわからない。しかし、娘は紀伊そのままに成長して来、じぶんは老いてゆこうとしている。いまはただ彼は、罪ある父のように複雑な、遠慮ぶかいまなざしでその娘を見まもってきたのであった。
いさは、彼のもっとも好ましい、母よりももっと凜然《りんぜん》とした気性の娘であった。
しかるに、十九になったいさは、はからずもまたおのれの「袋返し」の忍法の祭壇にみずからのぼっている。――そもそもふたりの女の父であり祖父である服部水翁が、そんなことを予測したろうか。水翁はいまわのきわに、それをかたく禁じて死んだのに。
じぶんはその術を娘である紀伊さまにつかい、罪の意識になやまされた。しかし、孫娘のおいささまにつかうこのたびのことは、あの水翁さまもおゆるし下さるだろう。
梟無左衛門は感慨にふけらざるを得ない。――いさは、かすかな声をあげていた。うたうとも泣くともつかない声で。しかも彼女はそれを知らない。無左衛門もそれをまったく聴覚にきかず、手は琴を奏でるようにうごきつづけている。
こんどは、しかし女体の身籠る胎児はない。ただ子宮を内翻させて、処女膜の内面まで腟を埋めるだけで足りるのだ。それこそは、荒淫《こういん》無惨の田沼山城守から女が身をまもる唯一の方法にちがいなかった。
梟無左衛門の水色の裃をつけた姿は森厳《しんげん》であった。
三
およそ、天下の支配者のなかで、田沼|主殿頭《とのものかみ》山城守父子ほど色と金をほしいままにし、しかもその表現に傍若無人だったものは古今東西にまたとないのではあるまいか。
「金銀は、人々命にもかえがたきほどの宝なり。その宝を贈りても御奉公いたしたしとねがうほどの人ならば、その志、上に忠なること明らかなり。志の厚薄は音信の多少にあらわるべし」
「余日々登城し国家のために苦労して、一刻も安き心なし。ただ退朝のとき、わが邸の表廊下に諸家の音物《いんもつ》おびただしく積みおきたるを見るのみ、意を慰《い》するに足れり」
これがもとは三百俵の西丸御小姓から五万七千石の大名となり、さらに老中筆頭となった田沼主殿頭|意次《おきつぐ》の吐《は》いた警句である。反語ではない、彼の信念の吐露《とろ》である。
大広間に黒びろうどの蒲団《ふとん》をしきつめさせて、その上に土俵をえがき、奥女中一同をはだかにして相撲をとらせ、勝った者には紅白のちりめん一台を引出物にあたえた。あるいは数十人の愛妾《あいしよう》の房をうち通して巨大な蚊帳を吊り、どこの房に入ってもおなじ蚊帳の中に美女のむれが横たわっているように趣向をこらした。
これが意次の子で、いまは若年寄となっている田沼山城守|意知《おきとも》の行状である。
しかも将軍を催眠術にかけたこの父子の威光は一世をはらい、これに抵抗する者は、かならず左遷|減封《げんぽう》などの報復をうけた。他の老中、大名すらもその運命をまぬがれることはできなかった。
かつて、たんなる一与力にすぎない服部水翁が、執権である田沼が赤坂氷川明神の社地に廓《くるわ》をつくり、「御上納所」という番所を設けて玉代から税をとりたてたのに、「天下の君、売女の運上《うんじよう》をとりたまうか」と諷諫《ふうかん》して切腹を命じられたくらいは、この時代の茶飯事である。もっとも、さすがに水翁自裁の原因は他に藉口《しやこう》してあったから、その因果関係を知っている者は、田沼側をのぞけば、いまとなっては水翁にふしぎに愛された梟無左衛門くらいなものであろう。その田沼すら、服部水翁という名など、もう忘れているにちがいない。そうでなければ水翁の孫娘を妾にさし出せなどというわけがない。
さて、右の次第だから、田沼邸には賄賂《わいろ》をおくる人々が雲集した。甚だしきは一日に三回ずつ贈り物をしたという。あるとき新邸成って、田沼が庭園の池をながめつつ、「鯉《こい》がおるとよいの」と独語して登城した。帰邸したときには、その池に数千匹の鯉が躍っていたという。現代の首相の自邸に石が集まるようなものか。
当時、「唐土|阿蘭陀《オランダ》の商人ども、日本にては七曜の模様つきたるものこそよき値《あたい》になりぬと心得、その模様つけたる織物着物のたぐい、つみ来たること多し。これはこの殿の御家紋七曜なるがゆえなればなり」といわれた。
七つ星は、そのころ流行のデザインであり、かつ恐怖のもとであった。
御納戸頭村上周防の娘いさは、築地《つきじ》にある田沼山城守の屋敷にひそかにはこびこまれたが、三日めにかえされた。その理由を知っていたのは、山城守といさと、梟無左衛門だけである。
父の周防は、「お気に召さなんだか。はて」と、美しい娘をふしんな眼でながめ、またほっと安堵《あんど》の吐息をもらしただけであった。
一年後の春、いさは、新御番衆佐野善左衛門のところへ輿入《こしい》れをした。
いさがかつて田沼の愛妾の候補者としてその屋敷に入ったことは、その当時善左衛門も知っていたが、いさはりんとして、「大丈夫でございます。いさはかならずきれいなからだのままかえって参ります」といいきった。もだえつつ、半信半疑で待っていた善左衛門は、事実がその通りになったので、狂喜し、かつあやしんだ。
どうして山城守の凶手からのがれたのか、とおそるおそるきく善左衛門に、死ぬ覚悟で操をまもっただけです、といさはこたえた。いさが処女であったことは善左衛門もみとめるところであったし、それにしてもあの魔王のような暴逆な山城守から、よく身をまもったものだと、あけぼのの枝垂桜のようにたおやかな新妻のからだを、善左衛門は奇蹟《きせき》そのものを抱くように抱きしめるのであった。
祝言のころ、枝垂桜は、この番町の佐野の屋敷にも嫋々《じようじよう》と花を垂れていた。
四
「善左」
新御番衆の詰める江戸城時計の間ちかくの廊下で、ふだんそんなところに出てくるはずのない若年寄の田沼山城守から、佐野善左衛門が呼びとめられたのは、初夏のある日のことである。
「そちは、村上周防の娘を嫁にしたということじゃな」
廊下に手をつかえた佐野善左衛門は頬に血をのぼした。――いつかは知れることだとは思っていたが、山城守自身からそのことについて口をきかれようとは思っていなかった。山城守がただひとりで、こんなところまで出てきたわけだ。しかし、あくまでじぶんは、あの件については知らないふりで通そうと思った。
「されば、縁がござりまして――」
「合うか」
「ただいまのところは」
「ただいまのところ? はて、夫婦のちぎりが出来るかときいておるのよ」
善左衛門は、うすくれないに染まった面《おもて》をあげて山城守をみたが、こたえなかった。いかに何でも無礼な問いだと思ったのである。
しかし、山城守は善左衛門の顔色など無視して、あぶらぎった顔をちかづけた。
「あれは、かたわではないのか?」
「ふつうの女でござります」
善左衛門は憤然としていった。それでも山城守は、彼の意志など眼中にないかのように宙を見て、思案をした。
「もしそうならば……あの女、何やら余をたぶらかしおったな。けしからぬ女だ」
じろっと善左衛門を見て、
「とにかく、やや[#「やや」に傍点]が見たいの」
そう冷笑とともにいいすてると、彼はくびをひねりひねり、長い廊下を遠ざかっていった。
善左衛門はこのことを妻にいわなかった。そもそも山城守との一件のことは、あのとき以来口にしないことにきめている。夫婦のちぎりができるのか、かたわではないか、余をたぶらかしおったな。――という言葉から想像させることは、奇怪でもあり、淫《みだ》らでもあり、その悪夢の霧を、いまあくまでも清潔な媚態《びたい》を以てひたすらじぶんにしがみついている妻とのあいだにたちこめさせることは、なぜかたえられない気がしたからであった。
田沼山城守が、佐野善左衛門に迫害を加えはじめたのはそれからのことである。
その年六月に、善左衛門の分家の佐野亀之助というものがやってきて、本家の系図をしばらく貸してもらいたいといった。善左衛門は何気なく貸してやったが、あまりいつまでも返さないので、亀之助にきいた。亀之助はあたまをかかえていった。
「あれは田沼さまが、いちど見たいと仰せなさるので持参いたして、そのままになっておる」
善左衛門は愕然とした。
このころ、先祖からつたわる系図というものがいかに大事なものであったかはいうまでもないが、それ以外に善左衛門に、さては、と思わせるものがあったのだ。
元来、むかし田沼は佐野家の家来筋なのであった。佐野家は藤原|秀郷《ひでさと》の後胤《こういん》で、慶長年代まで上州佐野で三万九千石の大名であった。そのころ領内の百姓で十兵衛なるものがいて、これが大男で田沼山と名乗る草相撲をしていたが、領主の佐野肥後守元綱の足軽となった。関ヶ原の役に際し、主人の伏見|籠城《ろうじよう》に加わったが城危しとみるや、ひそかに逃げ出して、のちに紀州の鉄砲同心となった。これが田沼開運のもとである。
というのは、この紀州から八代将軍吉宗が出たからで、田沼の家は十兵衛以来二世三世と経るにつれて茶坊主に昇進し、吉宗のころは紀州家の中小姓にまで出世していた。そして、田沼山城の父主殿頭は小姓から老中にまでのしあがったのである。
天下に欠けるもののない田沼一門に、ただひとつ欠けたのは系図だ。先祖をさぐられて、上州の草相撲だといわれるのが、田沼父子のたえがたい苦痛であった。
それに比して、佐野の系図は、佐野家の唯一の誇りであった。三万九千石の封禄はその後一族の失態のためにしだいに削られて、いまはわずか五百石にまで微禄しているが、先祖をたずねれば、いまの老中筆頭田沼さまの主筋にあたる。――もとより善左衛門はそれを自慢にするような男ではないが、この誇りたかき系図を失っては一大事だ。
いかに佐野亀之助にかけあっても埒《らち》があかず、はては逢うことを避けようとする。思いあわせれば、無役であった亀之助が、このごろ急に御小納戸《おこなんど》衆にとりたてられたのもいぶかしい。
善左衛門は田沼邸にいった。用人が出てきて、「これを御縁に当家にお出入りがかない、のちのち見はからって役替えにでもなれば、かえって冥加《みようが》と申すものではないか」と高飛車にいった。善左衛門は憤然として、ただ系図をかえしてもらいたいといった。すると用人は急に言葉をひるがえして、系図のことは知らぬ、天下の老中若年寄にいいがかりの所行無礼である、といい出して、家来たちを呼び出して善左衛門を打擲《ちようちやく》させた。
血潮にまみれてかえってきた夫を、いさは驚愕《きようがく》して迎えた。しかし善左衛門は、妻をみて唇をふるわせたが、何もいわなかった。彼はそのまま系図のことは黙したままで、勤仕《きんし》をつづけた。
佐野家の知行所はわずかながら上州|甘楽《かんら》郡にあって、ここにむかしから佐野大明神という神社があった。そこに幕吏がいって、田沼家の定紋七つ星の旗をたて、爾今《じこん》田沼大明神と改称するようにと命じて去ったというのはその夏のことである。
秋になって、将軍の鶴御成《つるおなり》があった。松戸あたりに出猟があって、善左衛門もお供をして、鶴一羽、雁二羽という手並みをみせた。鶴を射たものには時服三領、黄金五枚、雁を射たものには時服一領、白銀一枚の褒美が恒例なのに、善左衛門には何の沙汰《さた》もなかった。
「あれは佐野の射た鶴や雁ではない。わしがしかと見ておった」
こう田沼山城守がいったということをきいたのは、後になってからである。
天下を覆いつくすような巨大な雲からふりそそぐ憎しみの雨であった。
佐野善左衛門の顔色はしだいに暗くなり、しかし、彼は黙々として出仕をつづけていた。
五
「旦那《だんな》さまの御不幸のもとはわたしです」
やはり枝垂桜の花の下で、いさはうなだれていった。彼女の腹は重げであった。この三月の末にあかん坊が生まれるはずのいさであった。
梟無左衛門は返事のしようもなく、いかつい顔を哀《かな》しげにうつむけて、心の中で、「田沼はたたる」とつぶやいた。
「わたしが佐野家に不幸のもとをもってきたと思うと、わたしは夜もねむられない」
「おなかのややさまに障《さわ》りましょう」
と、無左衛門はおずおずといった。
「ややが生まれても、不倖《ふしあわ》せの星を負ってこの世に出てくるようなもの……すておけば、佐野の家はつぶれましょう」
「そのような」
「いいえ、このままでは、そのうちこの家はきっと田沼さまのためにとりつぶされます。わたしにははっきりとわかる。いままでそのことがなくてすんだのは、旦那さまが歯をくいしばって我慢をかさねておいでになったからです」
いさの睫毛《まつげ》に涙がたまったのを見て、無左衛門はあやうくその肩を抱きしめてやりたかった。それをひかえたのは、歎きばかりではなく、いさの涙のおくに異様なひかりを見たからであった。
「いや、頭をさげておれば、嵐は吹きすぎます。もうひとつ我慢をなされい。いまの御時勢に田沼さまにさからえば、お家は滅亡するばかりでござる。お家のため、お家のためでござります」
「旦那さまの御我慢は、家のためではない。旦那さまはもはや家を捨てておいでなさる」
「と、仰せられると?」
「このあいだ旦那さまは、ふと、いさ、旗本をすてて浪人しようか、とぽつりとおっしゃった。よほどお城でたえられぬことがまたあったにちがいない」
「…………」
「それで、わたしはわかったのです。旦那さまが我慢なされているのは、家のためではない、わたしのためだと」
「…………」
「旦那さまの御不幸のもとはわたしだといったのは、田沼さまの一件だけではない。そのことなのです。わたしのために、旦那さまは家だけではなく、武士も捨てようとしていらっしゃる。いいえ、もう武士を捨てていらっしゃる」
「…………」
「さきごろ、わたしは死ぬことをかんがえた」
「お嬢さま」
無左衛門は思わずむかしながらの呼び声をあげた。いさの頬の色は凄愴《せいそう》なほど蝋色《ろういろ》に変っていた。
「すると、旦那さまは、わたしが何もいわないのに、いさ、死んではならぬぞ、そなたが死ねばわしも死ぬ、と仰せられた。――女として、これ以上はないありがたいお言葉ながら、あとでかんがえてみると、わたしはやはり死なねばならぬと決心した。わたしのために旦那さまは侍の面目を失っても我慢しておいでになる。そして女房の顔色ばかりはすばやく読むようなお方になられた。祝言するまえの旦那さまは、決してそんなお方ではなかった。――」
いさの言葉を、無左衛門は認めた。このごろ見る佐野善左衛門は、いつもうなだれて、無気力な、弱々しい男になりはてていた。ときどき人を見る眼は卑屈で、おどおどとしていた。相手が相手だ、むりもない――とは思うものの、かつての颯爽《さつそう》たる彼とは別人のようであった。
「それなのに、わたしは死ぬに死ねない。わたしが死ねば、旦那さまもお死にになる、さればとて、家を捨ててどこへ逃げるというのだろう。旗本でなくなれば、田沼さまの迫害はいよいよひどくなるだろう」
いさは、無左衛門にとりすがった。
「無左衛門、わたしはどうしたらよいのか」
「御運でござります」
梟無左衛門は、思わずうめくようにいった。
「運とは?」
「御祖父さまの水翁さまも、田沼のためにお死になされました。田沼のためにお死になされた、そのことを口にすれば、なおあとにたたりそうな七つ星の威光でござりますゆえ、わざと秘しかくしていたのでござります」
いさの眼が大きくひろがった。やがていった。
「わたしは田沼の家にたたりたい」
梟無左衛門はいさを見つめ、しゃがれ声でいった。
「まこと、左様に思われますか。ならば――」
「無左衛門、何か田沼に仕返しする方法があるか」
「ふつうではござりませぬ。何せ天下の若年寄、往来にても屋敷にても、容易に近寄ることも相成りますまい。――とはいえ、かく追いつめられましては、おっしゃる通り」
しばらく息をつめていたが、やがてその息をながく吐いていった。
「お嬢さま、お死になされますか?」
「わたしが死ねば、田沼に一矢《いつし》をむくいることができるのか」
「されば、もういちどわたしに袋返しの忍法を使うことをおゆるし下され。それによって」
いさがぎょっとして無左衛門を凝視し、ややあって何か口ばしろうとするのを、無左衛門はくるむように見返してつぶやいた。
「水翁さまがつかってはならぬと仰せられたその忍法をつかった酬《むく》いは、やはり来たようでござる。いや、あなたさまをこのような御運に追いこんだ罪は、この無左衛門にござる。お嬢さま、無左もいっしょに、母上さまのところへお供申しあげまする」
六
闇夜にただひとつの灯をさがすように、佐野善左衛門は愛児の誕生を待った。
あかん坊が生まれたのは、三月の末ちかいある早朝であった。梟無左衛門は、善左衛門といっしょに別室で待っていた。
ただならぬ産婆の悲鳴に、善左衛門はがばとひざをたてた。
無左衛門はそれをおさえて、
「お待ちなされ、わたしが見て参ります」
といって立った。
それっきり、数分がすぎた。善左衛門には数刻とも思われる時間であった。たまりかねて、ふたたびかけ出そうとしたとき、梟無左衛門が白布でくるんだあかん坊を抱いてあらわれた。走り寄り、絶叫をあげて、若い父はとびのいた。
あかん坊は七つ眼であった。眼が七つあった。ひたいの中央に一つ、それをグルリと六つがとりまいて、七曜の紋のように。
梟無左衛門が蒼然《そうぜん》たる顔色で、沈痛につぶやいた。
「あくまでも七つ星がたたるようでござる」
その日――天明四年三月二十四日、午後二時ごろ、江戸城の御用談所から中の間に出てきた若年寄田沼山城守に、新御番佐野善左衛門は刃傷《にんじよう》した。
血しぶきをあげて逃げまわる山城守を、黒龍紋の肩衣《かたぎぬ》をはね、粟田口一竿子《あわたぐちいつかんし》忠綱の一刀をふりかざして追う佐野善左衛門の眼は、すでに常人のひかりではなかった。
彼はぶつぶつと唄《うた》っていた。
「七つ星
恨みかさなる七つ星
佐野の善左で、血はザンザ。……」
おなじ時刻。番町の屋敷で自害したいさの枕頭《ちんとう》に、腹一文字にかっさばいて、梟無左衛門が死んでいたことを彼は知らない。いわんや、その無左衛門の顔に、世にもうれしげな死微笑がニンマリと刻まれていたことを彼は知らない。
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忍者帷子万助
一
初夏の日ざしの下を、縦横《たてよこ》一尺、高さ二尺あまりの木箱をさげて、裃《かみしも》をつけた室賀人参斎《むろがにんじんさい》先生が通る。
ヒョロリとやせて、どじょうひげを生やした老人が、三日に一度くらい、そんな箱をぶらさげて城にゆき、城からかえってくるのは、もう五年来、町の人々にはおなじみである。
老人がそんな箱をぶらさげて歩いているので、はじめは町の人びとが駈《か》けよって、
「先生、お持ちいたしましょうか」
と、箱に手をかけようとしたが、
「これ、触れてはならん! 要らざることをすな!」
と、老人がどじょうひげをふるわせて怒ったのをなんどか体験してからは、だれもこんなお節介をやめてしまった。
しかし、人びとの尊敬の眼は変らない。人参斎先生が非常な博物学者で、その漆《うるし》のはげた汚ならしい箱に、貴重な鉱石や本草《ほんぞう》がいっぱいつまっていることを知っているからである。
一方は海だが、あと三方は高い山にかこまれたこの小藩に、室賀人参斎先生は、ひとりの娘とひとりの弟子をつれて、五年前にやってきた。どこからきたのか、だれもよく知らない。この年になるまで、玉石、草木、禽獣《きんじゆう》、昆虫などを求めて日本じゅうを放浪していたらしく、恐ろしく諸国のことをよく知っている。
この土地にやってきてからまもなく、彼は当時非常に貴重なものとされていた朝鮮人参を栽培して、たちまち藩から扶持《ふち》を受けるようになった。ちょうど諸侯が殖産の道を講ずる一途として、争って物産学を奨励している時代であった。
名目は一応お抱えの医者ということになっており、事実医者の心得も多少はあるらしいが、人の脈をみたことはいちどもなく、娘と弟子をつれて山野を跋渉《ばつしよう》し、本草を採取してきて、研究したり分類したりした結果、三日にいちどくらい登城して、殿さまや家老たちに、これをいかに殖産に役立てるかについて進言する。それもあらたまって進講するというのではなく、庭で殿さまをつかまえたり、廊下で家老に訥々《とつとつ》と唾《つば》をかけて説いたりする変人ぶりなのだが、大学者であるのはたしからしいので、先生の自由人ぶりは、天下御免といってよかった。
室賀人参斎先生は、飄々《ひようひよう》として家にかえった。
「おかえりあそばせ」
と、娘の三登利《みどり》が両手をつかえた。
町の人々がふしぎがるのは、先生の学識や奇行ではなく、この仙人《せんにん》じみた老人に、どうしてこれほどきれいな娘が生まれたか、ということであった。もっとも五年前、この国にやってきたときは、よく日にやけて野の匂いのする十四、五の少女にすぎなかったのだが、この二、三年来、みるみる優雅な美人に変貌《へんぼう》してきたのである。
三登利は、式台に置かれた本草箱にいそいそと手をかけて、運ぼうとした。さすがに先生は娘は叱《しか》らなかったが、箱はビクリともうごかなかった。
「きょうは万助《まんすけ》が入っておるで」
と、先生はニコリともせずにいった。
それから、じぶんでその箱をぶらさげて、中に入っていった。三登利の力ではもちあがらなかった箱は、老人のやせた腕にかかると、いかにも枯れた木の根ッこか、昆虫の剥製《はくせい》でも入っているかのように軽がるとみえた。
人参斎は、蔵に入った。蔵の中の四周の壁には天井まで棚が作られて、蔭干《かげぼ》しにした薬草や鉱石やものの種子《たね》や動物の骨や貝殻などがギッシリとならべられている。
先生は木箱を蔵のまんなかに置くと、
「水を」
と、いった。
うしろについてきた三登利は、すでに水をいっぱいにたたえた手桶《ておけ》をそばに置いている。人参斎は箱の上のふたをとると、三登利から漏斗《じようご》を受けとって水を盛り、箱の中へさし入れた。
すると、箱の中で異様な水音が起った。たんに水が滴《したた》るひびきではない。たしかに生物がこくこくと飲むような音だ。
「よし」
はじめて先生は、箱の中のものを両手に抱いて外に出した。
薄明りの床に横たわったものは、一見したところでは生まれたばかりの赤ん坊かともみえた。が、よく見ると、顔は干しかためた果物のようで、体躯《からだ》はまるで木乃伊《ミイラ》みたいにもみえる。しかも、手足が異様にひんまげられ、からみあい、全身をしばっている紐《ひも》のようだ。――その顔らしい部分の中央に、人参斎はなお漏斗《じようご》をつっこんで、あとからあとから水を盛る。
えたいの知れないものは、いまやハッキリと人のかたちをとっていた。よじれた手足ははじけるように正常の位置にもどり、ひからびた肌はふくらんで生色をとりもどし、そして顔は――赤ん坊ではなく、美しい青年の顔をかたちづくりはじめていた。
四、五歳の幼児ほどの大きさにもどったとき、彼ははね起きた。そして、みずから手桶に顔をつっこんで、なお渇ききった人間のように水をむさぼり飲んだ。みるみるその背丈《せたけ》が少年くらいにのびてゆく。
三登利は顔をそむけた。最初のえたいの知れない怪物とみえたときは、しっかとのぞいた眼をそらしもしなかったのに。それがはだかの少年のかたちをとってゆくときに、彼女はいつも頬《ほお》をあからめて、眼をそらさずにはいられない。
「三登利」
と、人参斎が呼んだ。
「もう一杯、万助に水を」
三登利が空《から》になった手桶をかかえて走り出し、それに水をみたしてまた蔵に入っていったとき、弟子の帷子《かたびら》万助はもうちゃんと衣服をつけて、父の前に坐っていた。なお憔悴《しようすい》しきって、病みあがりのような顔をして、彼はものもいわず新しい水をのんだ。
やがて、その頬に血の色がさし、全身に常人でない精気があふれてきた。眼光するどい二十二、三の美青年である。
「御苦労」
と、室賀人参斎はいった。
「伊賀忍法枯葉だたみ――これをやるたびに、おまえの寿命は一年ずつちぢんでゆく。御用のためとはいえ、繰り返してやるべきことではない。――また大体御用の向きは調べあげた。そろそろ、ここを退散してもよかろう」
微笑して、娘をふりかえった。
「万助、江戸へかえったら、たしかに三登利と祝言《しゆうげん》させてやるぞ」
「それ承って、せくわけではござりませぬが」
と、帷子万助はややあからめた頬から、すぐに血をひいてきびしい表情になり、
「いかにも、一日も早く当領をぬけ出した方がよろしいようでござる」
「何、城で何かきいたか。このごろ木曾守《きそのかみ》がふっと衆人のまえに姿をみせぬようになった。わしも逢《あ》えぬ。ただ家老の可児隼人正《かにはやとのしよう》のみが、ただならぬ顔色で奥へ通うのをくさいと見て、またおまえに忍んでもらったのじゃが」
「例の青銅の花瓶《かびん》の中よりきいた立ち話、どうやら隼人正子飼いの剣士、関兵三郎《せきへいざぶろう》と小出源之進《こいでげんのしん》と申す男らしゅうござったが、その立ち話によれば、もとよりしかとわれわれが公儀の隠密《おんみつ》だとは知らぬものの、当藩にたしかに隠密が入りこんで、朝鮮との抜き荷の事実を探っておることを、ようやくかぎつけたようでござる」
二
戸祭藩の国家老《くにがろう》可児隼人正が、室賀人参斎|父娘《おやこ》を屋敷に呼んだのは、その翌日であった。使者に立ったのは、戸祭藩きっての使い手といわれる関兵三郎と小出源之進である。
「いや、あなた方だけではない。ほかにも、ぜんぶ合わせて十組、藩士で年ごろの娘御《むすめご》をもたれておる方を、御一緒にお呼びいたしてござる」
「ほ、娘とともに?……いかなる御用かな」
「それは拙者どもにもわからぬことです。御家老の仰せには、お招きした方々の御協力をいそぎお願いいたしたいことがあるとのことで……仔細《しさい》は知れませぬが、わるいお話ではないようです」
この両人の話をあたまから信じたわけではない。またこの両剣士を恐れたわけではないが、うしろめたいところがあるだけに、かえって断れなかった。また拒否すべき口実がない。……ほかの父娘《おやこ》の顔ぶれをきいたが、別に不審と思われる点はない。
「……もし、おれたちの正体を存じておるならば、おれたちだけを呼べばすむことよ」
使者が去ったあと、小くびをひねって思案していた人参斎はやがていった。
「いまあわてて逃げることは、われと尻《し》っ尾《ぽ》を出すようなものじゃ。おれはな、万助、敵はまだおれたちを何者か、しかとつかんではおらぬと見るぞ」
――そして彼は、不安げな眼で見送る帷子万助をのこし、三登利とともに可児隼人正の屋敷に出かけていった。
広い書院に通された。なるほどほかに九組、父親と娘たちが呼ばれて、おちつかない顔で待っていた。禄高《ろくだか》や職分はまちまちだが、ここにきてはじめて或《あ》る共通点に気がついたことがある。それは同伴した娘たちが、いずれも人目をそばだたしめるに充分な美女ばかりだということだ。書院には花粉の匂いがみちみちているようであった。
――はてな?
国家老の可児隼人正が出てきた。両側に関兵三郎と小出源之進がピタリと坐る。
可児隼人正は、ノッペリと長い顔に眼がギョロリと大きく、やや出ッ歯だが、剃刀《かみそり》のような才気が満面にあらわれている。戸祭藩には過ぎたるものといわれた才物である。
彼は、わざわざ一同を呼びたてたわびをいい、それから突如として、おどろくべきことをいい出した。
「わが戸祭藩に奉公する者として、これより申しあげる大事は決して口外なさらぬことをお誓い下されたい。……殿にはあと半年、ながくて一年しかお命がない」
みな、愕然《がくぜん》としてとび出すようになった眼を、沈痛な表情に受けて、
「このごろ殿には、いたく御飲食のお好みが変られ、ときにおん腹痛を訴えあそばす。そこで医師一同を以《もつ》てお診《み》たて申しあげたるところ、いわゆる亀腹《かめばら》の御前兆にて、おん腹裏《ふくり》にかたいシコリ生じ、おん腫物《はれもの》ができておるとのことじゃ。無念ながらこれを癒《なお》す法はいまのところなく、おいたわしや、おん寿命は、ただいま申したようにあと半年か一年をあますのみ――というのが、医師一同の一致した意見であった」
書院には蒼白《そうはく》な沈黙が凍りついたようであった。
「ただし、きょう明日《あす》というのではない。殿には目下お臥《ふ》しなされておるが、これは当方より強《た》っておねがい申しあげたことで、まずまず御健勝であらせられる。――そこで、本日、御一同をお呼びいたしたというのは」
隼人正は暗い眼で見まわした。
「御承知のごとく、殿には御世子《おんせいし》がおわさぬ。江戸の御屋敷、またこの国表に、奥方さまをはじめ七、八人のお手付きの女中衆はござるが、いかにしたことか、いままで御嫡子が御誕生なされたことがない。殿にはいまだ御壮年でおわすから、われわれもさほど気には病んでおらなんだのじゃが、さて、その殿があと一年半年の御余命ということになると、事態はまったく一変する。いうまでもなく、御男子なき場合は、領地は召しあげ、家はおとりつぶしとなるのが御定法《ごじようほう》だ」
いまさら気がついたように、一同のあいだには風のような動揺が起った。
「おわかりだろう。われわれはことごとく御扶持をはなれ、浪人となるほかはない。いや、われわれ家来はどうなろうとともあれ、御先祖以来の名家戸祭藩に万一のことがあれば、腹かっさばいても追いつかぬ。これをふせぐ道はただひとつ――御世子を作ることじゃ。たとえ御遺腹でもよい。殿御存生のうち、どうあっても御嫡子をお作り申しあげねばならぬ」
可児隼人正は、荘重に、断乎《だんこ》たる口調でいった。
「しかし、現在おわす奥方さま、またお手付きの女中衆には、もはやお望み申しあげることはできぬ。そのような時の余裕がないのだ。見込みのない痩《や》せ畑をあてにして、煙草《たばこ》をのんで芽の出るのを待つより、種を新しい畑にまいた方が見込みがあるというもの。――」
「わかってござる。御家老、相わかってござります」
二、三人、さけんで、娘の手をひいてまろび出したものがある。
「こ、この娘を、どうぞお役にたてて下され」
「いや、出世の欲で申すでない。一国の存立、一藩の運命のわかれるところ――拙者の娘を畑にお使い下されて異存はない」
隼人正はあたまをさげた。
「かたじけない。臣子として実にさもあるべきところ。――実はきょうお招きいたした娘御は、すべて殿と拙者が一夜つらつらと思案してえらび出した方々じゃ。どこで見ておわしたか、殿もこの娘たちならばと意気ごんでおいであそばす。たとえ一年の寿命を半年としても、半年の寿命を三月《みつき》としても、必死の覚悟で戸祭家のあとを残す覚悟と申される。みな、えらばれたことを光栄と思い、殿の御決意に感涙をおながしなされ」
それから顔をあげて、厳粛で苛烈《かれつ》な眼を一同になげた。
「御一同、御承引下されような?」
またがばがばと二、三組が這《は》い出した。
「ありがとうござる。よろこんで――」
二、三組ためらっている群があった。隼人正はジロリとその方を見やった。
「そちらは御不服か」
「いや、重々ごもっともな仰せではござるが、実は」
と、その中で口ごもりながらいった父親がある。
「この娘には、すでに花婿となるべき男がきまっておって、結納までとり交わしており――」
「お家が断絶して、結納も祝言もござるまい」
と、隼人正はニベもなくいった。
「なお、ここまでいった以上、あえて申しあげておくことがある。殿のおん胤《たね》をのこす、これは絶対の至上命令だ。したがって、そのことが成るように、われわれはできるかぎりの手だてを講ずる必要がある。それには、五人の女よりも七人の女、七人の女よりも十人の女をお伽《とぎ》に侍《はべ》らせた方がたしかなことは自明の理じゃ。承引した女性《によしよう》におん胤がつかず、不承の女人《によにん》にその見込みがあるということもあり得るではないか。ハッキリ申せば、きょうお呼びした方々に、辞退は御無用、失礼だが、無条件で承諾していただくよりほかはないのじゃ」
「仰せ、かしこまってござる」
残った組はあわてていざり出した。
ただ一組、じっと隅からうごかない組がある。室賀人参斎|父娘《おやこ》であった。
「室賀先生」
人参斎は顔をあげた。飄々《ひようひよう》としてどじょうひげをかきなでたが、顔色がすこし悪かった。
「いや、お話はよくわかった。ただ、拙者のところはな、いずれさまとちがって、もともと当家譜代の家来でなし、その娘に殿のおん胤を残されるのは、御当家にとってかえってはばかりがあると思うが――」
「殿のおん胤にまちがいなければ、それでよろしい。腹は借り物と申す。御遠慮は要らざることだ」
「そ、それが――」
人参斎は口をパクパクさせて、苦しげにいった。
「左様にまで申されるなら、恥をしのんでも白状するよりほかはないが、実はこの娘、現在ただいま孕《はら》んでおる」
「なに?」
一同はふりむいた。二十いくつかの眼が、うつむいている三登利のからだにそそがれたのは是非もない。
「いや、わかるまい。まだ、左様、五月《いつつき》でござるから――身籠《みごも》った女が人の目に立つのは、ようやく七月《ななつき》くらいなもの。――相手は拙者の弟子でござる。先日はじめて娘からしおしおと打ちあけられて驚愕《きようがく》いたしたばかり、いちじは淫奔者《いたずらもの》と立腹いたしたものの、事ここに及んでは是非がない。きょう明日にも祝言させようと存じておったところで――」
人参斎はひたいに汗をうかべ、しどろもどろにいった。
「すでに身籠っておる女に、もはやお胤はつかぬ。ありがたい仰せではあるが、この際御辞退いたすよりほかはない。……残念でござる」
「相わかった」
と、隼人正はうなずいたが、すぐに厳然としていった。
「それでは、そちらの娘御はのぞく。ただし、このまま当家に残られて、やや[#「やや」に傍点]は当家で生んでいただこう」
「何と申される。なぜ、左様なことを」
「いまもいった通り、殿のおん死病のことは戸祭藩の大秘事じゃ、その噂《うわさ》がひろがればさまざまな混乱の起るは充分想像されるところ。しかも、すでにこれだけの方々に打ちあけた以上、それが外にもれぬという保証はない。……そのために、娘御は、ありていにいえば、まず人質というところじゃ」
「いや、拙者は誓って――」
どじょうひげをふるわせて、たたみの上を蠕動《ぜんどう》しようとする人参斎を、じっと隼人正は見つめた。深沈たる眼であった。屈せず、必死に人参斎はいった。
「拙者はひとつ安産の法を考案しておる。試み通りにゆけば安産となるが、まかりちがうと心もとない点がござる。それをひとつ娘で験《ため》してみたいと思っておったのじゃ。心配ないとなったら、御大切な御世子誕生の際にも、弓矢|八幡《はちまん》お役に立とうというもの――」
「よろしい。娘御がもしまことに御懐妊なされておることが分明とならばお返ししよう」
と、隼人正は人参斎の血相に、ついに手をあげていった。
「そのことが分明となるまで、やはり当家に残っていただこう」
そして、冷やかな眼でチラと両剣士をかえりみた。
「しかし、もしそのことがいつわりにて、いまの言葉が逃口上であることがわかれば……人参斎どの、ふびんながら、他へのいましめ、殿へのおわび、その娘御のいのちはいただくぞ」
三
三か月のちであった。
室賀人参斎の土蔵では、人参斎と弟子の万助が悄然《しようぜん》として坐っていた。ふたりとも別人のように憔悴《しようすい》している。
「……やはり、だめか?」
「拙者はともかく、三登利さまを外へ出すことは金輪際《こんりんざい》かないませぬ。格子の外にはたえず、あの関兵三郎と小出源之進が眼をひからせております。……のぞきこんで、ふむ、もはやだいぶ目立ってよいころのはず、などと申しておる声がきこえて参りました」
帷子万助は、いま可児屋敷から忍び出て、かえってきたところであった。三登利は待遇こそ悪くはないが、ていのいい座敷牢《ざしきろう》に入れられているというのだ。
戸祭木曾守が、九分九厘まで腹部|腫瘍《しゆよう》などでないことはすでにわかっていた。あの娘献上のたくらみは、彼の荒淫《こういん》の口実であろうが、しかし世子の欲しいことは事実だろう。――いや、目的がそれだけならいいが、人参斎と万助の憂えることはべつにあった。それは、あれが隠密縛りの絶妙の手ではないかということだ。
戸祭藩に隠密が入って、禁制の抜き荷をやっていることをつきとめたことを、いかにしてか木曾守と隼人正はかぎつけたらしい。しかし、その隠密がだれかという証拠を、まだハッキリつかんではいないようだ。そこであの手を打ったのではないか。
かんがえてみると、その日召喚された面々のなかには、ここ四、五年来新参の者が、人参斎以外にも二、三ある。隼人正が疑っているとすれば、その中にいる奴《やつ》だ。しかし、その中のだれか、まだ明白ではないらしい。そこで、それらをひっくるめて娘献上の提案となった。――
もし隠密の――戸祭藩の死命を制する隠密の娘が、藩主の世子を生んだなら――これにまさる皮肉で深刻で有効な箝口《かんこう》の手段はまたとあるまい。
「娘をつれて入国したのは、敵をあざむく計であったが、それがかようなあとのたたりとなろうとは思わなんだ。敵も、さるものじゃ」
と、人参斎はうめいた。
「隼人正のたくらみを、何とかしてはねのけようと、疑われるを承知で苦肉の策を用いたが、ついに逆手をとられたな」
彼は惨澹《さんたん》たる眼で弟子を見つめた。
「もとより、あれも公儀隠密の娘だ。死ぬは覚悟であろう。……ただ、これほど苦労してくれたおまえに、娘をやれぬのが心残りじゃ」
「三登利さまは死ぬお覚悟ではござりませぬ」
帷子万助は蒼白《そうはく》な顔で、歯ぎしりをしていった。
「何、何かあったか」
「たとえば――身籠っておられぬ証拠に、月水《げつすい》のことがござる。さすがは隠密の娘御、それを、関、小出その他に気づかれぬよう、みごとに処置しておいでなさる。つまり、あくまでも身籠っておるようにつくろっておいでなさる。それは――私たちを信じ、かならず私たちがお助けにゆくことを信じていなさるからのこと」
「……万助、わしが家老に苦しまぎれにいった勘定では、そろそろ三登利は生まねばならぬころとなるな」
絶体絶命の破目に追いこまれて、さしもの室賀人参斎も苦悶《くもん》のうめきをもらした。
帷子万助はすっくと立ちあがった。
「いかなることをしても、三登利さまだけはお助け申さねばなりませぬ」
憑《つ》きものがしたような顔つきで仁王《におう》立ちになり、暗い宙を凝然と見つめて、
「私だけなら、闇《やみ》にまぎれて座敷牢に忍び入ることはできないでもござりませぬが。……」
そういったとき、その眼、鼻、口、耳、その他全身の穴という穴から、タラタラと液体がながれはじめた。九穴ばかりではない。肌の毛穴という毛穴からも、汗というにはあまりにもおびただしい液体がにじみ出して、床におち、ながれひろがってゆく。
頭蓋《ずがい》のかたちが変って、顔がながくなった。胸廓《きようかく》も変形して、躯幹《くかん》がほそくなった。足がグニャグニャと溶けたように全身が沈んで、腕は紐《ひも》のごとくそのからだに巻きついてゆく。
内臓の七〇%は水である。骨の二〇%は水である。歯ですら五%は水である。要するに人間の六三%は水なのである。彼はそのあらゆる水分を瀉泄《しやせつ》し、排泄しつくして枯葉のような物質に変化した。
頭部が変形したのは、頭蓋骨を構成する矢状縫合《しじようほうごう》、冠状縫合、三角縫合などの組み合せが重なったためであった。胸廓が変形したのは、十二|対《つい》の肋骨《ろつこつ》が下方にしごかれて傘《かさ》のごとく折りたたまれたせいであった。手足が飴《あめ》のように柔かくまるまってしまったのは、あらゆる骨を軟骨に変えたゆえであった。もとより体腔《たいこう》に空気はない。
そして帷子万助は、きものの下に小さな一塊のかたまりとなってしまった。
この幻怪のわざを以て、彼はいままで城中の花瓶や櫃《ひつ》や箱や、その他常人の想像を絶した空間にひそんで、戸祭藩の秘密をさぐってきたのである。
忍法「枯葉だたみ」――
四
それからまた一ト月ばかりたった。
その早朝、室賀人参斎先生が、可児隼人正の屋敷にやってきた。昨夜の夢に、娘がきょう子供を生むという知らせがあった。例の工夫をためしてみたいゆえ、是非ひきとらせていただきたい、というのである。
可児隼人正は不審な表情をした。どうみても、人参斎の娘は妊娠していない。案の定――と思い、内々、これからの処置をかんがえていたところだったのだ。ケロリとした人参斎の様子に、隼人正の顔に動揺があらわれ、彼は人参斎をつれて座敷牢へかけつけた。
関兵三郎と小出源之進は厳然として格子の外に坐っていた。
「開けい」
と、隼人正はいった。格子はひらかれた。
三登利は両腕をついてからだを支えているので、その顔はみえなかった。が、髪はかすかにみだれ、肩で息をして、いかにも重く、切なげな姿であった。
「身籠《みごも》っておると?」
隼人正のつぶやきに、唖然《あぜん》として両剣士がふりかえったとき、室賀人参斎が叱咤《しつた》した。
「三登利、きものをとって、御家老にみせよ」
坐ったままの娘のからだから、しずかに帯がとけ、きものがずりおちていった。
そして彼女は恥じらいながら、一糸まとわぬ姿でヨロヨロと起《た》った。
男たちは臨月の女の全裸の姿をはじめて見た。
「…………」
事の意外というより、その裸形《らぎよう》の奇怪な凄艶《せいえん》さに、隼人正たちは茫乎《ぼうこ》として見とれて、声もなかった。
国境の峠に穂すすきがなびいていた。穂すすきの中に水の音がきこえるのは、ここを越えてゆく旅人のすべてをよろこばせる泉であった。
その泉のほとりで、さっきから、だれかが水をのむ音がする。まるで馬に水をやっているのではないかと思われるほど、ながいながい水をのむ音であった。
やがて穂すすきのなかから、三つの影が立った。旅姿の室賀人参斎と三登利と帷子万助であった。
「辛《つら》かろうが、万助」
と、人参斎はいった。
「一刻もはやく戸祭藩から離れねばならぬ。御用は果たした。あとは江戸へいって、御老中《ごろうじゆう》に復命ののちは、おまえと三登利を祝言させるだけじゃ。それを愉《たの》しみに、元気を出してくれい」
「先生、私はここでお別れいたします」
と、万助はうなだれていった。
「何、何と申した」
人参斎は愕然《がくぜん》としてさけんだ。三登利のあからんでいた頬からすうと血の気がひいて、黒い眼ははりさけるほど見ひらかれた。
「ここで別れると――何を申す。おまえは三登利を捨てる気か」
「私は三登利さまから生まれました。……私は三登利さまの子供でござります。……その私が三登利さまと祝言することは、子と母が祝言するにひとしき破倫。……忍法修行のためにはいかなる苦行をも耐えぬいた拙者ではござるが、いかにかんがえても、この大破倫にはたえきれませぬ」
万助はうなだれたままつぶやいた。――人参斎と三登利|父娘《おやこ》は吐胸《とむね》をつかれたようにだまりこみ、立ちすくんでいるだけだ。
「では、お別れいたします。おさらば」
帷子万助はおじぎをして、蹌踉《そうろう》とすすきの中を――別の道をあるき出した。
彼はいちども三登利の顔を見ようとはしなかった。恋する三登利をみごとに救い出しながら、ここで彼が訣別《けつべつ》の辞をのべたのは、ほんとうにそんな道徳的な理由からであったのか、それとも、神も照覧、絶体絶命やむをえぬこととはいいながら、女体の深淵《しんえん》に没してきた男の恐怖からであったのか、それはだれにもわからない。
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忍者野晒銀四郎
一
五年ぶりに伊賀の鍔隠《つばがく》れ谷から三雲藩《みくもはん》に帰ってきた野晒銀四郎《のざらしぎんしろう》は、まるで龍宮《りゆうぐう》から戻った浦島《うらしま》のようにおどろくことがうんとあった。
第一に、留守中に、父が死んでいたのみならず、野晒一族の重だった者がすべて国をひきはらって江戸詰となっていたことである。第二に、じぶんを伊賀にやってくれた側用人《そばようにん》の酒井《さかい》内蔵《くら》が江戸家老《えどがろう》となって、これもまた江戸へいっていたことである。
第三に、これは彼にいちばん衝撃をあたえたことだが、彼の家の隣に住んでいた少女のおゆうが、なんと主君|秩父守《ちちぶのかみ》の側妾《そばめ》となり、これまたむろん江戸の下屋敷にいると知ったことであった。
知り合いは、みんな江戸にいっている。そこで彼も、許しを得て江戸に旅立った。
東海道を下るとき、彼はほんの先月までじぶんが暮していた伊賀にちかい街道を通る機会があった。十八歳からことし二十三歳まで、まる五年の青春を削った山河だ。その生々しい記憶は、なつかしいとも恐ろしいとも、まだ混沌《こんとん》としているが、しかしただそれだけで、銀四郎はあまり強烈な感慨なくして通りすぎた。このころには、一族のことや、一族の庇護《ひご》者の酒井内蔵のことも忘れて、ただおゆうのことだけが念頭にあった。
下級の家とはいえ、武家は武家だ。はしたない色恋|沙汰《ざた》はゆるされず、また恋という意識もなかったが、好きな少女であった。
伊賀の山の中でも、あれはふしぎな女の子だと、よく思い出した。足軽の娘で、身なりはまずしげなのに、まるで大家《たいけ》の息女《そくじよ》みたいに口数が少なく、鷹揚《おうよう》な気品があった。顔が蝋《ろう》のように白く、瞳《ひとみ》の色が湖のように青味がかっている。そして髪の毛のところどころに細い束を作って金色の毛がまじっているのだ。おゆうの母は、おゆうを生んですぐ亡くなったそうだから、銀四郎は知らない。そのころ、ひとりの異国の伴天連《ばてれん》が三雲藩の領内に潜伏していて見つかり、処刑された事件があったというが、ひょっとしたら、彼女の死んだ母は、その邪宗門の魔性《ましよう》の気を移されたものではあるまいか、銀四郎はふっとそんなことをかんがえたこともあったが、誰も何もいわなかったし、彼もきいたことはなかった。おゆうのことを神秘的に思い出したのは、彼女と別れたあとのことで、別れるまではお城の門番の倅《せがれ》と足軽の娘との、貧しい、平凡な語らいにすぎなかった。
そのおゆうが、いま殿さまのお側妾となって、いっしょに江戸にいるという。二年前――つまり、じぶんが伊賀にいってから三年後のことで、お手付《てつき》となるまえ、城の奥に女中としてあげたのは、御用人の酒井内蔵であったという。しかも、おゆうの方さまは去年、御男子をお生みなされて、いまは、いわゆるお部屋さまであるという。――
そうきいても、銀四郎はいまのおゆうの顔や姿を想像することもできない。あのおゆうさんが――と、ただおどろくだけだ。
しかし、江戸にちかづくに従って、それまで飛ぶような――実に、往来の人々があっと眼をまるくしてふりかえるほどの速力で、しかもじぶんではそのことを意識しない銀四郎の足がしだいに遅くなってきた。なぜともしらず彼は体内に鉛が満ちてくるような気がした。
江戸の本邸に顔を出すと、野晒一族は下屋敷の方に住んでいるという。べつに殿さまに御挨拶《ごあいさつ》にまかり出るような身分ではない。銀四郎はすぐに下屋敷に廻った。そして彼はそこで、予想もしなかった場面に逢《あ》うことになったのである。
下屋敷で彼を迎えたのは、江戸家老の酒井内蔵であった。五年みなかったあいだに、三雲藩きっての才物といわれたそのひとも、見ちがえるほどの貫禄《かんろく》を身につけていた。
「おお、大人《おとな》になりおった。しかも、銀四郎といわれても、よくよく見すえねば、わからぬほどのたくましい男になりおったな」
と、向うでもいった。実際、銀四郎は、国でも誰もがしばらく信じなかったほど、どこか凄惨《せいさん》の気をたたえた外貌《がいぼう》に変っていたのである。それは伊賀の山中での荒修行からきたものであった。
「伊賀では、どんなことをした」
内蔵はきいた。銀四郎はありきたりの返答しかしなかった。伊賀で修行した忍法の詳細は、タブーになっていて、容易に口外すべからざるものであったからだ。
この下屋敷におゆうが――おゆうのお方さまがいる、ということを意識しながら、銀四郎はべつのことをきいた。
「野晒のものどもは、どこにおりましょうか」
「おお、そういえば、おまえの父は死んだな。生きておれば、いまのたくましいおまえを見て、どのように、よろこんだであろう。おまえを伊賀にやったばかりに、親の死目《しにめ》に逢《あ》わせなんだな。きのどくなことをした」
と、内蔵はわびて、
「ほかの面々は、息災《そくさい》で奉公しておる。きょうはちょうどみな他出しておるが」
と、いいかけたとき、侍のひとりがあわただしく駆けこんで来て、何か耳うちした。たっぷりした肉づきの酒井内蔵の顔が、ただならぬ愕然《がくぜん》たるものを見せて、
「いそぎ、みなこれへ」
と、夕ぐれの庭をあごでさした。
すぐにその庭に入ってきたのは七、八人の虚無僧《こむそう》であった。思い思いに天蓋《てんがい》をぬいだその顔をみて、銀四郎はのどの奥でおどろきの声を発した。それは野晒一族であった。
しかし彼らは銀四郎の存在に眼をとめる余裕もない風で、
「まことに、御家老さま、思わざる失態をし――」
といっせいにがばと両腕を地についた。
「ひとり斬られたと?」
と内蔵はするどい声でいった。
「天蔵《てんぞう》め、ひとりを斬って、定廻《じようまわ》り同心《どうしん》に捕えられたと?」
「されば、むこうより定廻りの同心がくるのを見るや、天蔵はいきなり駆け戻って、追跡中のわれらの一人を斬り、身をひるがえして同心のまえにひれ伏してござる。同心が、こちらを見るよりはやく、われらはいっさんに逃げかえって参りましたが」
「町奉行《まちぶぎよう》は、大岡越前《おおおかえちぜん》じゃな」
酒井内蔵の声は、うめくように沈痛であった。
「天蔵め、ついに進退|窮《きわ》まってみずから猟師のふところに入ったか。……きゃつが大岡越前の手に入ったとすれば、事は容易ならぬ」
この江戸家老の顔は、先刻までとは別人のような冷酷なものに一変していた。
「越前はただの町奉行ではない。上様《うえさま》のふところ刀といわれるほどのおひと、若《も》し、天蔵の自白により、表立って当家に糾問《きゆうもん》があったとき――うぬらがおると面倒なことになるな」
庭の虚無僧は、闇のただよいはじめた土に顔をつけたままだ。肩が波のようにゆれている。
江戸家老、酒井内蔵は錐《きり》をねじこむようにいった。
「野晒といえば、うぬらごとき未熟の子孫を持ったとはいえ、もともと忍びの一族ときく。忍者は、かような場合にどういたすな?」
庭に異様な沈黙が凝《こ》った。――そして、銀四郎がふいに立ちあがるよりはやく、そこにいた虚無僧すべて、彼の同族は、彼と一言の再会の辞をのべることもなく、いっせいに刀をぬいて、おのれの腹に刺しこんでいたのである。
二
戦国の世には、どんな大名の家にも忍びの者がかかえられていた。たんに敵国の偵察、流言、放火の役に立てるのみならず、ふたつの強大国にあって、そのあいだに生存をつづけようとするとき、いずれの側《がわ》につくかということは、家の死活に関することだから、いくさをしないまでもたえず、隣国の実情をよくつかんでいなければならぬ。そのためにも忍びの者は欠くべからざるものだ。
しかし、世が泰平に移るにつれて、彼らの存在の意味はうすれた。そして、彼らの子孫はたんに城の門番や庭番になり下った。どこの大名の家でもそうであった。三雲藩に於《お》ける野晒一族もその例をまぬかれなかった。いまでは、藩中のだれもが、この一族の先祖が忍者であったことすら忘れているようであった。
それを思い出して、彼ら一族に眼をかけたのは、側用人の酒井内蔵である。もっとも、内蔵が眼をかけたのは、彼ら一族だけではない。最初の出身はお茶坊主であったのが、一代のうちに御用人《ごようにん》まで成りあがったこの才物は、はやくからめぐまれない特殊技能者を身の廻りにあつめていた。学者、武芸者、兵法家、篤農理財家――むろん彼らのすべてを藩のしかるべき役職につける権限はまだ酒井内蔵になかったが、ひそかにじぶんの扶持《ふち》で彼らを養ったのである。眼をかけられた者はすべて感激した。
はじめ野晒一族は、なんのために内蔵が恵みをたれてくれるのか、じぶんたちでもわからないほどであった。やや彼の意図するものが何であるか察しられたのは、一族のうち抜群に出来がいいと見られていた少年銀四郎を、先祖の縁をたどって、伊賀の鍔隠れ谷というところへ、忍法の修行にゆくようにすすめたときである。
その内蔵の意図もなおよくわからず、十八歳の銀四郎は伊賀にゆき、二十三歳の忍者として帰ってきた。――そして、帰るや否や、一族の自裁を見た。
いったい、どういうことなのか、彼にはわからない。とにかく、彼らは何か、重大な失敗をしたらしい。――酒井内蔵は、銀四郎を伊賀へやるほどあって、その留守のあいだに野晒一族をまがりなりにも忍者の子孫らしく鍛えなおしていたとみえる。重大な失敗をして、いっせいに自決した一族の光景をながめたとき、銀四郎は驚愕《きようがく》はしたものの、思わず、みごと、と心中にさけんだくらいであった。それが伊賀で学んだ忍者の作法にかなっていたからだ。
しかし、ほんとうに留守中、いかなる異変が起り、現在いかなる事件が進行しつつあるのか。――問うべき一族がみな死んでしまったのだから、銀四郎はキョトンとしているだけだ。
ただ、酒井内蔵と野晒一族との最後の会話に出た天蔵という名には思いあたる人物がある。やはり茶坊主から御《お》徒士《かち》にとりあげられた板倉《いたくら》天蔵、あのひとだろう。酒井内蔵の二世といわれるほどのきれ者で、それだけに内蔵から腰巾着《こしぎんちやく》のように可愛がられていた男だ。
それを野晒一族が追った。追われて彼は、みずから江戸町奉行にとらえられた。その事情もいっさい謎《なぞ》なら、彼が町奉行にとらえられたことで、野晒一族に自決を命じるほど酒井内蔵が動顛《どうてん》したのも、それ以上の謎だ。
すべてが悪夢の走馬燈を見るようであった。茫乎《ぼうこ》として野晒銀四郎は、十日ばかりそのまま三雲藩の下屋敷で暮した。
が、それとはべつに、彼の胸にひとつの灯がともった。おゆうのお方さまであった。
彼は五年ぶりにおゆうを見た。じぶんがひどく変ったことをだれもがいう。しかしこのおゆうほど変ったものが、またとあろうか。
彼女はまさに大名のお部屋さまにみごとに変貌《へんぼう》していた。あの雪の肌、青い瞳《ひとみ》、金色をまじえた髪は彼女以外のだれでもないが、白日の下に出たときの牡丹《ぼたん》のような豪奢《ごうしや》、雪洞《ぼんぼり》にけぶる夜の回廊に消えてゆくときのあえかさ。――銀四郎は眼をまんまるくして身ぶるいをおぼえ、この世のものでない幻影のように恍惚《こうこつ》として見送った。
「銀四郎どの、おひさしぶりです」
はじめ、ただいちど、彼女はそう声をかけて微笑《ほほえ》んだ。
それだけである。彼女のまわりには、いつも侍女のむれが輪をつくっていた。彼女は主君の寵姫《ちようき》であり、彼は藩の分限牒《ぶげんちよう》にすらのらないほどの下級の奉公人であった。彼からはもとより、彼女の方からも、したしく言葉もかけられないのは当然だ。
十日のうち、秩父守は四日も来た。銀四郎の伊賀で植えこまれた野性はふとこの重代の主君に、――青瓢箪《あおびようたん》みたいにめっきり頬《ほお》がこけて、やつれた主君に、生まれてはじめて憎悪にちかい感情をおぼえたほどであった。
十日目だ。彼は内蔵に呼ばれた。酒井内蔵はほとんどいつもこの下屋敷にいた。まるでここが彼自身の居宅であるかのような観《かん》があった。
「銀四郎、おまえはわしがおまえを伊賀へ忍法の修行にやったわけを知っておるか」
と、内蔵はいった。行燈《あんどん》のかげに、この江戸家老は十日前とはまた一変したように蒼黒《あおぐろ》くやつれ、眼ばかりギラギラひかってみえた。
「もとより、お家のお役にたつためでござりましょう」
と銀四郎はしずかに答えた。
内蔵はしばらく黙っていたが、ふと妙なことをいった。
「銀四郎、そちゃ……おゆうのお方さまと恋仲であったか」
「そんな!」
彼は驚愕してさけんだ。顔がみるみるあかくなった。
「左様なことはござりませぬ。だれが左様なたわけたことを申しましたか」
「おまえの父《てて》よ」
と、内蔵はいって奇妙なうすら笑いをにじみ出させた。
「おまえの父の作兵衛《さくべえ》が、おゆうのお方さまに殿のお手がついたときいたとき、ふとさびしげな笑いをうかべて、銀四郎が伊賀からもどったら何と申しましょうな、とつぶやいたわさ。もとより、きいておるのはわしだけの、冗談話の途中じゃが」
「…………」
「父親は、さすがによう見ておるものよ、銀四郎、さびしいか?」
「…………」
「どうじゃ、今宵《こよい》、おゆうのお方さまと昔ばなしをする気はないか?」
銀四郎は江戸家老を見あげたまま、あごをふるわせただけである。
「実はの、おゆうのお方さまも、このあいだより、いくども左様に申されておった。殿のおいでがない夜に、しみじみと銀四郎と話したいと。――今宵は、殿はおいでなさらぬ」
「…………」
「気にするな、となりでこの内蔵が聞いておるわ。あはははは」
三
「なんで、野晒の方々がお果てなされたか、御存じですか」
言葉は家来に対するもののようではなかった。それまで五年前の貧しい侍の倅《せがれ》と娘にかえってしめやかに昔を語らい、垣根ごしに住んでいた野晒一族の思い出を語っているうちに、自然とおゆうの方の話は、こう移っていたのである。
それこそは、私の知りたいことだ、とさけぶのを銀四郎は忘れていた。語調が自然に流動したからではない。彼は恍惚としておゆうの方に見とれていたのだ。
彼女は閨《ねや》の上に坐っていた。白いかいどりは羽織っていたが、その下は真紅《しんく》の寝衣《しんい》にしごきをむすんだままのなまめかしい姿であった。じぶんとの夜ばなしを望んでいるとはきいたが、彼女がこんな姿でじぶんを迎えようとは思いもかけなかったことだ。しかし、それをとがめる権利は、家来たるじぶんにない。
いつのまにか、おゆうの方は銀四郎にもたれかかるように寄りそっている。花粉に似た匂いがいちめんに揺曳《ようえい》して、銀四郎はときどき眼も霞《かす》む思いがした。
「銀四郎どの、このごろ家中《かちゆう》の或《あ》る者のたてる噂《うわさ》をおききですか」
「いや、何も。……拙者は、伊賀からかえったばかりで」
「どうせききます。わたしから申しましょう。家中の或る者は、江戸家老酒井内蔵どのが、お家横領のたくらみを持っておるというのです」
さすがに銀四郎は卒然としてわれにかえった。相手のいい出したことは実に大《だい》それたことである上に――彼は、隣室に坐っている当人の家老を思い出したのだ。
いよいよからだをすりよせて、耳たぶを匂う息でなでながら、しかしおゆうの方はつづける。
「酒井内蔵がじぶんのすすめたおゆうという女を以《もつ》て殿をたぶらかし、三雲藩を思うがままにしようとしている、という噂が、去年御誕生あそばした若君もだれの子やら知れたものではない、という噂に変りました」
「…………」
「こんなたわけた恐ろしい噂を、そのままとりあげる方々もいらっしゃいます。お国表《くにおもて》の三雲八|家《け》と呼ばれる御一族のお年寄さま方です。この方々は、はては酒井内蔵が、わたしを以て殿さまのお命をちぢめようとしている。――その証拠もつかんだ、とさえいい出され、殿のこのごろのおやつれぶりはただごとではないが、いかに忠言しても、殿がわたしのところへお通いあそばすのが止《や》まぬ上は、お命にかかわらぬうち、御公儀に訴えてそのお裁きを受けよう、とまで準備をすすめなされているということです」
「…………」
「もとより根も葉もないこと、内蔵はそれこそよい機会、すすんで身の証《あか》しをたてよう、と申しておりましたが、ここにこまった裏切者が出ました。内蔵がとりたててやった板倉天蔵という男です。この男は、さきごろまで虎《とら》の威をかる狐《きつね》として、内蔵以上に何かと評判をたてられた男ですが、この天蔵が、天魔に魅入《みい》られたか、このわたしにいいより――わたしにはねつけられ、内蔵に叱《しか》られると、恩を仇《あだ》でかえし、内蔵の陰謀の証拠をにぎっておると申して一味の外に逃げ出しました」
一味、とおゆうの方はうかと口にした。しかし銀四郎はそれよりも気をとられたことがあった。
「証拠とは? 陰謀の証拠というものがありましたのか」
「左様なものはありませぬ。ある道理がござりませぬ」
あわてて、しかしゆるやかにおゆうの方は首をふった。
「けれど、それをもってお国元の三雲八家にでも走られては事面倒、と内蔵は野晒一族の方々を以て追いまわし、いくどか天蔵の居宅をさぐり、それを探させようとしました。しかし、どうしてもそれが見つかりませぬ。ついに、やむを得ぬ、お家の恥をさらそうとする獅子身中《しししんちゆう》の虫は斬るよりほかはないと――先日、ようやく天蔵を追いつめたところ、天蔵はわれとみずから江戸町奉行の手にとびこんでしまったのでございます」
「なぜでござろうか?」
「おそらく天蔵は、三雲八家に走っても、所詮《しよせん》はよい目は見ぬと判断し、それより御公儀のまえにおのれの立場をあきらかにしておけば、結局それが身の安全を守ることになるとかんがえたものでございましょう。のちに天蔵の命を狙《ねら》う者があれば、それは酒井か八家か、いずれかの刺客だと天下に知らせるようなものですから、もはやその方の手は出ぬと――」
「で、証拠は?」
「御家横領の証拠というには、あまりにも――言おうようなき品でございます。けれど、どうしても奪い返さねばならぬ品、お家の恥というよりわたしの恥でございますが、それでもそれが御公儀のお手に入れば、万一将来御公儀のお裁きがあるとき、のっぴきならぬわたしどもの不利となる品でございます」
その品が何であるか、なかなかおゆうの方は口にしなかった。
「それを天蔵は、わたしがまだお国のお城に上るまえに――お城に上らぬか、と内蔵よりいくどもすすめに来た際、その使者となったのが天蔵で、そのとき、むりむたいにわたしを手籠《てご》めにし――」
「なに?」
いままで、何をきいたときよりも、銀四郎は衝撃を受けた表情をした。
「これは珍しい、と一塊のたまになるほど切りとっていったもの――」
「そ、それは何でござるか、おゆうどの」
せきこんで、銀四郎はわれにもあらずそう叫んで、相手の顔を凝視した。
見つめられて、おゆうの方も頬に紅《くれない》がのぼった。全身が羞恥《しゆうち》にくねり、白いかいどりが肩からすべりおちた。彼女の乳房は二つ、三つ大きく起伏した。
「御覧あそばせ、……これでございます」
そう沁《し》み入るようにいうと、おゆうの方は坐ったまま、ひざをひらき、真紅の寝衣をひらいた。
銀四郎はうっと息をつめた。雪洞《ぼんぼり》にけぶる女体の秘奥《ひおう》。――それは金色《こんじき》にうす光った。
彼女の秘毛は金色であったのだ。
そのままの姿勢で、彼女はいざり寄り、銀四郎にしがみついた。熱い、あえぎの吐息が彼のあごをぬらす。
「ほかにまぎれもありませぬ。たとえ、むりむたいに剃《そ》りとっていったものとはいえ大名の側妾《そばめ》があのような男に、そのようなふるまいをされるのをゆるしたとあっては……わたしは天下の笑い者、どのような理《ことわり》がこちらにあっても、申しひらきはたちませぬ。銀四郎どの、わたしを救って下され、あれを奪い返して下され……」
「天蔵は伝馬《てんま》町の牢《ろう》におるのでござるな」
「そこから、それを奪い返して下さるのは、あなたのほかにはありませぬ。どのような牢|格子《ごうし》をも、けむりのようにぬける忍法……」
「そんな忍法は、この世にない」
やわらかにうねるふたつのむき出しのふとももが銀四郎のひざをはさんだ。ふたりは同時に苦悶《くもん》にちかいうめきをたてた。一方は絶望のうめきであり、一方は欲望のうめきであった。
「でも……でも……」
「ただ一つある」
「それは?」
「伝馬町の牢は幾重《いくえ》もの塀、門、格子にかこまれ、いまだ曾《かつ》て破牢した罪囚はひとりもないときく。そこに忍び入り、そこから忍び出るには、拙者が囚人として入り、囚人として出るよりほかはござらぬ」
「囚人として――入るのはわかりますが囚人として出る、とは?」
「屍骸《しがい》として出るのです」
おゆうの方は顔をあげて、まじまじと銀四郎をながめた。銀四郎は眼を宙にすえていた。
「合牢《あいろう》になってきゃつを当て殺す。その品を奪う。これはたやすいことです。それからあと、拙者はその品を呑《の》み、みずから息をとめて死ぬ」
「死ぬ?」
「いや、死んだ真似《まね》をするのでござる。虫がそうするように。――息、鼓動、脈搏《みやくはく》、皮膚の色、だれがみても死んだとしか思えぬ。伊賀忍法|生死人《いきしびと》。――伝馬町の牢で牢死した者は、牢死番所で改めて、裏門から運び出し、親類など屍骸の引受人があればひきわたすときいております。親類に化けるはちと面倒じゃが、忍法とはいえ、三日間死人となる苦労にくらべれば何のこともござるまい」
「三日間とは?」
「ここのところを、よっくおぼえておいて下されい。この忍法は三日しかもちませぬ。三日以内に甦《よみがえ》らせてもらわねば、その忍者は永劫《えいごう》に甦らないのです」
「それを甦らせるには?」
銀四郎はしばらくだまって、やがて微風のように小さな声でいった。
「男の忍者なら女に、女の忍者なら男に――生死人のまま犯してもらうのでござる」
こんどは、おゆうの方がだまった。が、みるみるその眼に媚情《びじよう》の炎がもえたち、満面にもえさかり、身もだえしながら、ひしとしがみついてきた。
「銀四郎どの、わたしが甦らせます」
隣室で、咳《せき》ばらいの声がした。銀四郎はとびはなれ、立ちあがった。
しずかに唐紙《からかみ》をあけて、出る。坐っていた酒井内蔵が、狸《たぬき》のように隈《くま》のある眼で見上げて、
「昔がたりはおすみか」
と、とぼけたことをいった。
「相すみました」
と、銀四郎は答えた。そして、心中につぶやいた。
御家老、お家横領の陰謀はまことだな、それに加担するつもりで伊賀鍔隠れでおれは忍法の荒修行をして来たのではないが、いまは承知していて助けてやる。それはあなたのためではない。おゆうのためだ。おゆうも、人が変った。淫婦《いんぷ》になった。しかし、それでもおれは、あの品をとりかえしにゆく。あの品を白日にさらすことは、おれは地獄におちようとがまんならぬからだ。
乞食《こじき》に化けた野晒銀四郎が往来で定廻り同心をなぐりつけて入牢したのは、その翌日のことであった。
四
――水底のようなうすい月光の中であった。
ひたひたと、人々は庭に下り立った。黒影はみな手に鍬《くわ》を持っている。庭の一隅に立つと、そのむれの中で、きれいな、しかしふるえる女の声がした。
「牢屋敷からもらい受けて、棺桶《かんおけ》のままここに埋めてから一ト月になる。もはや……死んでいることはまちがいないけれど……」
「死ぬはおろか、この暑さじゃ、腐りはてて水になっておるにきまっておるわ。念のためとはいえ、ばかげた墓掘りだ」
「あの品が……ほんとうにあるでしょうか、呑みこんでくると申しましたが」
「あれば、腐れ水の中に浮いておるはず。――なければ、ないでよい。天蔵が牢内で急死したことはもはや調べがついておる。要するに、あの金色の毛が大岡越前の手に入らねばよいのだ。それにしても、あのときはあわてたわ。すべて、おまえが浮気を起したむくいだぞ」
「でも、あのころは、ほんとうにお城の奥に御奉公に上る気持はなかったのです。わたしはただ伊賀にいった初恋の銀四郎を待つつもりでいたところに、むりに天蔵に犯されて、何をされようと、やけになってしまっていたのですもの」
「天蔵め、殿へのよいお側妾を探す役目をしながら、とんでもない奴だ。つまみ食いをした口をケロリとふいて、わしにも何くわぬ顔をしておった。はてはこのたびの陰謀に於けるわしの座まで狙いおって――なんたる不敵な悪党か」
この会話のあいだにも、地に鍬音はひびき、土は月光にぬれながら掘りあげられていた。
「とはいえ、こんど天蔵が例の品をもち出して逆ねじをくわすまで、おまえもそ知らぬ顔をしておったとは、きゃつにまけぬずぶとさだぞ」
「あなたがわたしをそんな女に変えたのです」
「あはは、まあよいよい。最初より男をけだものにする女を探しておって、眼にとまったおまえじゃ。どうせ乗りかかった舟、それくらいの度胸がなければ、大事は成就《じようじゆ》せぬ」
「ずぶといどころか、三日以内に甦らせねば、そのまま死んでしまう、とあれほどしかとたのんだ銀四郎を、甦らすどころか、棺桶に入れたまま地の底ふかく埋めてしまったときは、ほんとうに胸が苦しくなったくらいです」
「どうせ、あの失態がなくとも、野晒一族は始末するつもりだったのだ。銀四郎ひとりは生かしてはおけぬ。ましてや、甦らすには、女と交合させねばならぬというではないか。だまっていれば、おまえやる気だったのか」
「――あ、見えました、棺が」
ふかい穴をのぞきこんでいたおゆうの方は、酒井内蔵にとりすがった。鍬をすて、縄《なわ》を下ろす黒影は、すべて何をきかれ、何を見られても案ずる必要のない腹心の一味であった。
「こわがるな、どうせわしのために死なせるために、伊賀へ忍法の修行にやった奴だ」
酒井内蔵は肩をゆすって笑った。
「秘毛を呑みこんでやるほど惚《ほ》れた女のために死んだとあれば、本人も満足だろう」
泥まみれの棺桶が、地上にひきあげられた。――しばらく一同は、輪になってとり巻いたまま、進んで近寄る者もない。
「死人をおそれることはない。わしが見てやる」
内蔵が近づいて、棺桶のふたをはねのけた。
月光の下に、ニューッと立ちあがった者がある。ざんばら髪をはだかの肩にみだして――一ト月まえ埋めたときのままの野晒銀四郎であった。
まるで、こちらが死人と化したかのような一同の眼前で、彼はながれるように棺から外に出て、おゆうの方の前に立った。おゆうの方は崩折《くずお》れた。声も息もたてず、銀四郎は、失神した女に踏みまたがり、月光に白花《びやくか》のごとく女体をひらいて、これを犯しはじめた。
「……い、い、生死人《いきしびと》!」
数十秒か、数分か、そのながさも知れぬ幻怪の時が過ぎて――酒井内蔵の恐怖のうめきが、凍りつくような夏の夜気を破った一瞬、伊賀から来た若い忍者の全身はまっ黒な腐水と化して、女体の上にひろがり、ながれおちた。
あとに金色の毛が月光にちらばり、浮きあがって残った。
[#改ページ]
忍者枝垂七十郎
[#小生行4字下げ]……かくて指令を享《う》くる時は、勘定所より旅銀の支給を領掌し、大丸呉服店内奥の一室にて、予《かね》て備付けたる農、商、工、僧侶、売卜《ばいぼく》者その他一切の衣裳を以て変装す。是職素《このしよくもと》より懸命の任、或は中道に発覚して非業の最後を遂ぐるものあり。……
[#地付き](松平太郎「江戸時代制度の研究」)
一
大丸屋の娘お市《いち》は、少女のころから夢みるような顔をしていた。
字は勿論《もちろん》のこと、読書《よみかき》、和歌、香花、それに何といっても商家の娘らしくそろばん[#「そろばん」に傍点]まで、それぞれの師匠が舌をまくほどよくできた娘なのに、どこか空想的なところがあって、外からみれば、江戸で指折りの呉服問屋の娘だから「まるでお大名のお姫《ひい》さまのようにおっとりしていらっしゃる」とかえって感心するものもあったが、実際の商家はそれが大どころであればあるほどそんな鷹揚《おうよう》なものではないうえに、いずれは婿《むこ》をもらわなければならない一人娘であったから、死ぬまで母親が心配した。
そのお市が、影が陽に出るように変った。お市が十八のとき母親が死に、それから一年ほどたって父親の正《せい》右衛門《えもん》が軽い中気にかかった。あのころからではなかったかと、あとになっていった者もあったが、とにかく奉公人たちが気がついたとき、お市は、百年以上もつづいた江戸指折りの大《だい》老舗《しにせ》のあとつぎらしく、五百人をこえるお店者《たなもの》がひとりのこらず頭をさげるような娘になっていたのである。
町家も大丸屋くらいになると、或る意味では大名の家庭に似たところがある。表と奥とが峻別《しゆんべつ》されているのだ。店は表で、主人は朝になると出ていって商売にはげみ、内儀や娘が店先にうろうろ出てくるようなことはない。その一方で、数百人の奉公人の食事、洗濯、つくろいものなどの責任は内儀にあり、数十人の下女を指図してきりまわす忙しさだけは、大名の奥方どころのさわぎではない。……お市は、亡くなった母に代って、その役目をみごとに果たしたのみならず、中気をわずらって以来、店へ出るのもまれになった父の正右衛門への表からの報告をとりついでいるうちに、商売の方もいつしか、古手の番頭や手代が、「ほう」と眼を見はり、「さすがに、お血だ」とうなずくような女になった。
利口で、気丈な、大町人のひとり娘である。お嬢さまのお婿《むこ》さまはどんなおひとであろうとは、奉公人一同のまえからの噂のまとであった。才能のある若い手代などなら、必ずしも夢物語とはいえない噂だから、関心がそそられたのはなおさらのことである。しかし、お市が夢みるような娘であったころは、その噂にもどこか夢心地のところがあったのに、彼女がきびしい、凜《りん》とした変貌をみせるにつれて、頼もしさと同時に、「これは、お婿さまもらくではないぞ」という一種の畏怖《いふ》感もまじってきたのは当然である。それだけに、お市の未来の花婿は、いよいよみなの興味の対象になった。
女の結婚の年齢のはやい時代の話であり、またじぶんが病気のせいもあって、父の正右衛門は、むろんそのことを気にかけていた。のみならず、二、三の心当りもあったから、それとなくお市の心をたたいたこともいくどかあった。そのたびにお市は、正右衛門が面くらうほどきっぱりとした拒否の様子をみせた。そして、いかにもわたしには婿は不要といわんばかりに、甲斐甲斐しく店先へ出ていった。いちど正右衛門は、娘にだれか意中の男が店の方にいるのではないかと疑ったが、思いあたる人間はひとりもなかった。
しかし、お市には、たしかに意中の男があったのだ。
彼女が、ふいにきびしい翳《かげ》をもつ娘に変ったのは、母の死や父の病気のせいもあったであろう。大町人のあとつぎとしての自覚の血のゆえもあったかもしれない。しかし、ほんとうの理由は、彼女が或る厳粛な人生をみたからであった。それは、ひとりの人間ではなかった。けれど、彼女の意中の人は、そのなかにいた。そして彼女がその男の妻になることも、その男が彼女の夫になることも、まず不可能といえるくらい難しいことはあきらかであった。お市ががむしゃらに働くのは、彼らの人生に打たれたゆえもあったが、その望みのない恋の哀しみを忘れようとする努力のあらわれだったのである。
江戸で屈指の大呉服店のひとり娘お市の意中の男は、公儀御庭番であった。
大丸呉服店には、むかしからよくお城のお役人や、大奥の女中たちが訪れた。役人は主として、払方御納戸《はらいかたおなんど》や元方《もとかた》御納戸の人々である。払方御納戸は、将軍からの賜与《しよ》、褒美の時服など一切をつかさどる役所であり、元方御納戸は、将軍家自身の服飾|手廻《てまわ》り品一切を調達する役所である。それは、大丸屋が創業まもなく公儀の御用達《ごようたし》をつとめる家となったからふしぎではない。
しかし、お市はむかしから、それとは別に或るふしぎな事実に気がついていた。それは、それら役人のなかに、うちへやってきたまま、消滅してしまう人々があるということであった。
お城からの人々は、むろん、丸に大の字を染めぬいた店先の長のれんをくぐって入って来はしない。別の入口から入ってきて、すぐ奥座敷に入る。そして父親と用談したり、番頭に品物をはこばせて調べたりする。しかし、このなかで、奥座敷に入ったきり、二度と出てこない人間があるのだ。そのことに気づいていた者は、ほとんど稀《まれ》であった。奥に働く下女などで、「おや」と妙な顔をする者があると、正右衛門はさりげなく、「おいそぎの御用で、お役人さまは先刻かえられた」とか、そんないいわけがとおらない場合は、「二、三日、蔵で品物をお調べに相なるゆえ、御食事の用意をしてくれ」といって、その食事は内儀に運ばせた。しかも、その食事は、母があとでそっと捨てたりしているのを、お市はいくどか見た。たとえ、それらのことになお不審をおぼえた者があったとしても、相手はお上の役人である以上、だれが口にすることができたろう。
そのふしぎな男たちは、うちで消滅するのではない。姿をかえて出てゆくのだということを、お市が発見したのは、十か十一のころであったろうか。
「あ、さっきいらしたお役人さまが、お医者さまになって出ていった」
そうつぶやいたのをききとがめたときの父親の恐ろしい顔を、お市はいまでも忘れない。
「お市、そんなことをいうと、おうちは灰になるぞ。……お役人さまのことは、どんなことがあってもおしゃべりしてはなりませぬ」
お市が、この奇怪な事実の真相を知ったのは、彼女が十九のとし、正右衛門が中気となったあとのことであった。
「これは、いずれはおまえと、おまえの婿《むこ》になる男だけには知ってもらわなくてはならぬことだ。わしはこの通りで、御庭番の衆のお着換えのお世話を、充分にしてさしあげられなくなった。これからはおまえがやるのだ」
と、正右衛門はいって、はじめて秘密をうちあけたのである。
お上に、御庭番といって、諸国諸藩の内状をひそかに調べにゆくお役目の方々がある。その方々がそこへ出むくことを御存じなのは、将軍様御自身だけである。命をうけるや、御庭番はお家へかえられることなく、そのままこの大丸屋にやってきて、もっとも適当な姿に身をやつして、江戸を去ってゆく。御用がすむと、またここにもどって、もとの姿にかえって、お城へ復命にゆかれるのだが、その変装の楽屋を、この大丸屋が仰せつかっているのだというのであった。
これを語るとき正右衛門の顔色は、緊張のために蒼白《あおじろ》くなり、お市は、父のからだの方が不安になったくらいであった。――お江戸のまんなか大伝馬《おおでんま》町に、長い美しいのれんを風になびかせて、一日数千人のはなやかな買物客の男女をくぐらせる呉服店の奥に、公儀の秘密機関があるとはだれが想像しようか。しかしお市は、女であり、また御庭番という役目に無知であったから、じぶんが父に代って新しくいいつかった仕事を、それほど重大なものとは思わなかった。身ぶるいをおぼえたのは、あとになってからのことである。
御庭番。――それは公儀の密偵組織である。なるほど彼らはその任務の性格上さまざまな姿に変装する必要があるであろう。また、変装した姿のまま江戸城を出ることはできないことであろう。さらに、彼らの御用屋敷が、日比谷《ひびや》、虎《とら》の門《もん》、雉子橋《きじばし》門の三か所にあることが衆知のことである以上、そこを利用したのでは変装の意味がない。それにしても、数千人の人々が身を飾るために出入りする大呉服店をその場所にえらぶとは、この着想の創案者は、「一枚の木の葉は森にかくせ」という最も近代的な隠匿《いんとく》の方法をすでに実行していたものと思わなければならぬ。
ただ、大丸呉服店がそれにえらばれた理由は、いまはっきりとはわからない。この密偵組織を創設したのは、八代将軍|吉宗《よしむね》であり、大丸屋が江戸に開店したのは享保《きようほう》三年十一月|朔日《ついたち》で、ほとんど時を同じゅう[#「同じゅう」に傍点]しているから、理由はそのあたりにあるのかもしれぬ。要するに、これは大丸屋誕生以来、百年にあまる体内の秘巣であった。
二
大丸にはいくつもの店蔵、中蔵、奥蔵がある。御庭番が利用するのは、その奥蔵のひとつであった。お市はその鍵をわたされ、それをどんな場合でも身辺からはなさないことをきびしく父から命じられた。
父に代って、お市がその役目を果たすようになった二年ほどのあいだにも、御庭番の男たちは、十数人、または数十回にわたって、そこに現われ、消えていった。この平和な空の下に、彼らが秘密の匕首《あいくち》でえぐりにゆかねばならぬところがそれほどあるのか、とふしぎなくらいであった。彼らは、ふだん町でみるお侍とはまったく別の世界の人のように、みな暗いほど厳粛な顔をしていた。しかも、ひとたび姿をかえるや、山伏、虚無僧《こむそう》、六十六部、股旅《またたび》者、雲水、万歳、飴《あめ》屋、扇売り、猿廻し、なんであろうと、たちまちそれらしく顔まで一変するのに、お市はびっくりした。彼らは実に女にまで化けた。
出ていってから、半年でかえる者もあった。一年でかえってきた者もあった。大半はやつれはて、なかには深い傷をうけたままなおりきらず、しずかに大丸屋に入ってきたのが人間業とは思われない者もあった。そしてまた、いったきり二度とかえってこない者もあった。
次第に、お市は感動してきていた。このひとたちの御用がどれほど大切なものであるかは知らない。いや、これだけの人々が、これだけ必死に働いている以上、それは大切なことにきまっているが、それより、この泰平な世の中に、うららかな日のひかりから身をひそめて、粛々とゆき、黙々とかえり、傷つき、病み、さらには、いって還《かえ》らぬ男たちがあるということは、彼女に身ぶるいするような壮絶な感動をよび起した。お市の顔にきびしさが現われてきたのは、じぶんの秘密の役目からくる緊張よりも、このような一群の男たちをみて、心をうたれたからであった。
お市が恋をしたのは、そのなかのひとりである。
御庭番のなかに、兄弟があった。兄を仏坂源内《ほとけざかげんない》といい、弟を仏坂堂馬《ほとけざかどうま》という。お市が恋したのは、彼女より二つばかり年上と思われる若い弟の方である。まるで女のように美しい若者で、これがこのように陰鬱《いんうつ》できびしい御用をつとめなさるのかと、二人で虚無僧に身を変えて出立してゆくときから、いたましい眼で見送ったが、彼は七か月ばかりたった或る冬の夕ぐれ帰ってきた。ひとりであった。のみならず、ひとりかえってきた弟は、例の奥蔵へ入ると、どうとたおれてそのまま気を失った。
虚無僧の天蓋《てんがい》をぬいだときから、別人かと思われたほど憔悴《しようすい》していた堂馬である。抱きあげてみると、恐ろしい悪臭がした。衣服をぬがせてみて、お市は顔を覆った。肩に貝殻骨のみえるほどの傷があり、しかもそれが膿《う》んで、冬の日というのに蛆《うじ》が這《は》いまわっていたからである。
失神中に、彼は苦悶《くもん》のうわごとを数度もらした。お市にはその意味もわからなかったが、ただそのなかで、
「しだれ七十郎《しちじゆうろう》。……」
という妙な名前を二度きいたように思った。
仏坂堂馬はまもなく気がついた。そしてお市に、「わたしは何かうわごとはいいはせなんだか」ときいた。「いいえ」とお市はくびをふった。「そうか。わたしはじぶんでうわごとをいうのをじぶんの耳できいたように思ったが、それも悪夢であったか」と彼はいった。
堂馬は、さすがに三日間はそこに横たわったままであったが、三日のちには衣服をあらため、大丸屋を出ていった。城へかえるのである。薬で当座の手当をお市にさせたが、むろん医者もよばず、常人ならば起立も不可能と思われる重傷のままであった。
「……いったい、どこへおゆきになっていたのでございますか」
「……だれのために、こんなひどい目におあいになったのですか」
「……お兄さまはどうなすったのでございます」
「……それから、しだれ七十郎とは?」
ききたいことは、胸から泉のようにこみあげてきたが、お市は耐えた。きいてはならぬことであったし、きいたところで堂馬がこたえるはずのないことはよくわかっていたからである。
ただお市の瞼《まぶた》には、奥蔵の蒼《あお》い薄明りのなかに、葛籠《つづら》にもたれてあえいでいた、いたましく美しい仏坂堂馬の顔だけがのこった。息もつまるほど案じた蔵の中の三日間が、やがて名状しがたい甘美な想《おも》い出としてよみがえった。お市は堂馬を恋していることに気がついた。いつまた逢《あ》えるかわからない相手だけに、その胸は切なかった。
頭巾をかむった御庭番仏坂堂馬が、また大丸屋の奥蔵の中に姿をあらわしたのは、それから半年ばかりのちの或る夏の日であった。傷はまったくいえて、かえって堂馬は、以前には感じられなかった男の壮気さえみちていた。頭巾をとると、総髪《そうはつ》の髪は腰までながれた。
「また、たのむ」
と、彼はお市に眼で笑って、
「思うところあって、今度は女になって参りたい。鳥追女がよいな」
と、いった。
お市は、木綿《もめん》に袖口半襟《そでぐちはんえり》だけは縮緬《ちりめん》をつけた粋《いき》な鳥追女の着物、水色の脚絆《きやはん》、白|足袋《たび》に日和《ひより》下駄をそろえた。ここにくる御庭番の男たちの変装の妙術にはいまさらおどろきはしなかったが、髪を銀杏《いちよう》がえしにゆいあげると、お市は息をのまずにはいられなかった。ただ美しい青年が女の化粧をしたというだけでは絶対にない。その眼、唇《くちびる》、えりあし、からだからなまめかしい女そのものが匂《にお》いたつようなのである。
「堂馬さま」
編笠の紅鹿子《べにかのこ》のひもをあごにむすんでやったまま、お市はいった。思わずそう呼んだが、それから何をいおうとしたのか、じぶんでもわからなかった。
「……いつ、こんどはおかえりでございますか」
はじめてなげた問いであったが、答えてくれるとは思わなかった。しかし、堂馬はつぶやいたのである。
「五年のち」
お市は茫然《ぼうぜん》とした。全身から血のひく思いであった。堂馬は微笑した。
「こんどかえってくるときは、お市さんはもうお内儀《かみ》さんになっているだろうなあ」
「いいえ、いいえ」
お市ははげしくくびをふった。
「わたしはお嫁にはゆきませぬ。お嫁にはなりませぬ。わたしは……おかえりを待っております」
夢中でさけんで、お市は顔を火のようにした。
堂馬はじっとお市をのぞきこんだ。哀愁と冷酷なものがとけあって、ちらとその眼のおくをかすめたようである。
「五年……待っても、わしはかえってこぬかもしれぬ」
と、しみいるようにいった。
「げんに、このまえの御用のときにも、兄は殺された。敵の中に恐ろしい男がいるのだ」
「このまえと、おなじところにいらっしゃるのでございますか」
「左様。このまえの仕事のつづきなのだ。というより、御用はまだ果たせぬのに、兄が殺されたために、ひとまずわたしだけひきあげてきたのだ。両人ともに討たれては、それまでの苦労が水の泡になると考えたのだが、いまになってみれば、わしは卑怯だったかもしれぬ。臆病風にふかれたのかもしれぬ。敵は、それほど恐ろしい奴であった。……」
堂馬の声はかすかにふるえ、お市もわなわなと身がおののくのをとめることができなかった。あの肩の傷のむごたらしさを思い出したのである。
「が、いかに恐ろしい敵とはいえ、わたしはゆかねばならぬ。御用は果たさなくてはならぬ。その御用の調べがつくのは、どうかんがえても、あと五年はかかる見込みなのだ」
堂馬の眼が編笠のかげで妖《あや》しいひかりをともした。
「お市さん」
「は、はい」
「わたしは、あんたが好きだった」
お市の全身はもえた。彼女は抱きよせられた。
「五年たって、いのちがあってかえってきたら……手柄に免じて、わたしは御庭番のお暇をいただくつもりだ」
「そうなすって下さいまし、ほんとうに!」
と、お市は必死にいった。彼女は、自由人となった仏坂堂馬とじぶんの未来を夢みた。
けれど、御庭番を辞する、そんなことができるのか。また役からはなれたとはいえ、御庭番であった者が、大丸呉服店の娘を妻とすることがゆるされるのか。
そんな不安は、この場合、お市の胸には浮かばなかった。堂馬もこのとき、理性を失った眼をしていた。……唇がはなれると、お市は身もだえした。
「五年とはいわず、いまお役目をおひきになることはできないのでございますか」
「それは、ならぬ」
突如として、峻烈《しゆんれつ》な声で堂馬はいった。彼はわれにかえったようであった。
「公儀隠密とは左様なものでない。……それに、わたしは兄の敵を討たねばならぬ。どんなことがあっても、枝垂《しだれ》七十郎は斃《たお》さねばならぬ」
「しだれ七十郎?」
苦悶《くもん》のうわごとの中にきいた名が、またひんやりとお市の耳をなでた。
「敵の名だ。容易ならぬ忍者だ」
堂馬はうめいて、お市を見つめた。
「お市さん、たのみがある。……いや、いままで、しゃべってはならぬことまでしゃべったのは、おまえを信じているからだ。きいてくれ」
「はい」
「この大丸呉服店に、かような場所があろうとは、天下の諸侯、一人たりとも知らぬ。存じておるのは、公方様をのぞいては、われら御庭番とそなたら親娘《おやこ》のみだ。……ただ、その敵、枝垂七十郎なるものが、ふっとかぎつけているのではないか、と思われるふしがこのまえの隠密行にあった。もとよりはっきりとは知らぬはずだ。しかし、その端緒《たんしよ》さえつかめば、いかなる手段を費してもつきとめずにはおかぬ奴だ。ひょっとしたら……きゃつ、この店を探索にくるかもしれぬ」
「…………」
「もう六十をこえた老人じゃ。やせていて、ひたいに白毫《びやくごう》のようなほくろが一つある。左手の中指が根もとからない。むろん、そのままの顔をみせることはあるまいが……万一、きゃつがこの大丸屋の界隈《かいわい》に顔をみせたら、なんとか智慧《ちえ》をめぐらして、この蔵の中におびきこみ、とじこめてもらいたいのだ。その誘いにのり、罠《わな》におちるようなら、それはまちがいなく枝垂七十郎だ。そして、そのままべつの御庭番がくるのを待つのだ。どうせ討ち果さねばならぬ奴、餓死いたせばそれでもよい」
「…………」
「枝垂七十郎を誅戮《ちゆうりく》したとき……若《も》しわたしがどこかに生きておれば、それはわたしのいのちを救ったことになり、若しわたしが死んでおれば、それはわたしの敵《かたき》を討ったことになる」
「…………」
「お市さん、蒼い顔をしているな」
堂馬は端麗な顔に苦笑を彫った。
「わたしでさえ恐ろしい敵、おまえの手にはおえまいなあ。いや、案ずるな、これはいま、ふと思いついたことで、是非ともと頼むわけではない。それにそもそも、きゃつがここにあらわれるとは限らないのだ。まず、あり得ないといった方がよい」
お市は堂馬を見つめたまま、はげしくくびをふった。顔が蒼白いのは、恐怖のためではなく、決意のためであった。
仏坂堂馬はしばらくお市の眼をくるむようにみかえしていたが、やがて彼女のからだをしずかにはなし、なよやかに腰をかがめた。
「では、お嬢さま、おさらばでございます」
女としか思われないなまめかしい声であった。そして、彼は出ていった。
一年たった。お市は、広い大丸屋の店に出て、おなじように忙しくはたらいた。それはちょっと、戦場で雑兵を指揮する若武者の姿を思わせた。女客の多い呉服店で、お市の姿をみるのが愉《たの》しみでやってくる男客もふえた。……しかし、だれもみていない、だれも知らない場所で、彼女は柱などにもたれかかって、移りゆく空の雲をあおいでいた。その眼には、以前の少女時代そっくりの、いや、それよりもっと哀切な夢が漂っていた。
(……あと、四年)
このあいだにも、仏坂さまは、恐ろしい敵とたたかっておいであそばすであろう。堂馬さまは御無事か。……そして、それにつけてお市はあの枝垂七十郎という名と、耳にきざんだその老人の姿を、わくわくする胸によみがえらせた。ひょっとすると、その男がこの店をうかがいにくるかもしれぬという。――
むろんお市は、一年いっときも眼をはなさず店を見張っているわけにはゆかなかった。彼女には、彼女しか知らない協力者が必要であった。利口で、人がよくて、そして彼女に忠実な人間――数百人の奉公人のなかから、お市は安兵衛《やすべえ》という若い手代をえらんだ。
「――安兵衛どん、妙なことをたのむようだけれど、そのうち店に、六十をこえたお爺さまがやってくるかもしれない。やせて、ひたいにほくろが一つあって、左手の中指がないという。そんなお爺さまの姿がみえたら、いそいでそっとわたしにおしえておくれ」
「……どなたさまなんでございます?」
と、安兵衛はまんまるい顔をななめにかしげた。お市は眉《まゆ》をよせた。
「おまえは、わたしのいうことだけをきいてくれればいいの」
安兵衛は、へっ、とくびをすくめてうなずいた。どこか、剽《ひよう》げたところのある男だが、これでもお市が見込んだのと同様に――いや、それとはまたべつな見地から、父も見込んだところもあるとみえて、この男も、父がお市の婿《むこ》の候補者のひとりにあげられていたのをお市は思い出して、ふっと微笑がその面《おもて》をかすめた。
その手代の安兵衛が、それらしいお爺さまが店先にきていると、ちょうど奥にいたお市にそっと知らせてくれたのは、一年たった夏の午後であった。
三
「……是又《これまた》当時大家にて、五百余人の手代を使い、是も一日に千両の商いあれば祝いをするという。一か年の暮し方の入用十万石の大名に似寄りたる金高なり」
と、当時のものの本に書かれた大丸呉服店の店先である。大伝馬町三丁目|通《とおり》旅籠《はたご》町に間口三十六|間《けん》の長のれんをひるがえす店の中は、火事場のようなさわぎであった。
「判取り。――」
「はあい、七両三分二朱で、二|匁《もんめ》五分のおつりでございます」
「おうい、佐兵衛《さへえ》どん、店蔵へいって、繻珍《しゆちん》、錦、緞子《どんす》をはこんできてくりゃれ。御大家への御進物じゃそうな」
「三保松《みほまつ》よ、京染めの模様物、毛織錦の巻物に、緋縮緬《ひぢりめん》、緋鹿子《ひがのこ》をもってこい」
「小僧、茶番よ、茶番よ」
「はあい」
店には二十三か所の帳場がならび、一か所にはいつも客が六、七組もつめている。火事をおそれる当時として、品物は大半蔵の中にしまってあったから、客の註文、番頭の合図のたび、丁稚《でつち》小僧が南京鼠《なんきんねずみ》みたいにかけまわる。ぶつかり、ころがり、かついだ箱で胸などうって眼をまわしたりする者がでるのは日常のことだ。
お市はその店先へ出て、安兵衛に指さされた一角をみた。そこに、十徳をきて、杖をついた町家の隠居風の老人が立っていた。
お市はまばたきをした。彼女の想像していたのは、もっとぶきみな、陰惨な感じの老人だったからである。しかし、その顔と手をみて、お市の顔色が変った。ひたいに黒いほくろがあり、杖にかさねた手の中指はなかった。老人は、はなやかな修羅場のような大呉服店内の風景を、珍しげに、面白げに、おだやかな笑顔で見まわしていた。
じぶんならば、かえって見のがしていたと思う。安兵衛にしても、もしこの探し人の素性をうちあけていたら見すごしたと思う。いや、ほんとうにこれが、あれほど仏坂さまのおそれられた忍者とやらであろうか? お市はしばし昏迷《こんめい》におちいった。
しかし、お市はきりりと唇をかみしめた。まちがいない。仏坂さまは、老人が「そのままの顔をみせることはあるまいが」とさえ仰せられた。身なり衣裳《いしよう》をかえてくるくらいは当然のことだ。
「……ちょいと、お貸し」
かすれ声でいって、お市はちかくの帳場から、ふたをとったままの硯箱《すずりばこ》をとりあげて、手にもってあるき出した。あっけにとられたように、その帳場にいた手代や安兵衛が、じぶんを見おくっているのを意識したが、それをかえりみるいとまはなかった。
老人は、客をかきわけかきわけ、ひとつの帳場の方へちかづこうとしていた。お市はそれとすれちがおうとして、ふいによろめいた。
「あっ……ごめんくださいまし」
からだがふれて、手にもった硯の墨《すみ》がはねて、老人の十徳にふりかかった。お市は立ちすくんだ。
「まあ、とんだことを」
老人の十徳には、胸のあたりに、真っ黒な墨がたらたらとしたたっていた。老人はあっけにとられている。
「何という粗相《そそう》を、わたしとしたことが……御隠居さま、どうぞ奥へ、おわびいたさねばなりませぬ。御召物のつぐないをいたさねばなりませぬ。どうぞ奥へ、御隠居さま」
お市は、まごまごしている老人の手をとって、しゃにむに、奥へつれていった。それは例の奥蔵の前の部屋であった。
彼女は手をついて、ひれ伏した。
「御隠居さま、申しわけないことをいたしました。どうぞ、おゆるし下さいまし」
「い、いや、わざとでしたことでない。左様にわび入られてはかえっていたみ入る」
「いいえ、何よりさきに、まず御召物をおとりかえいたさねば申しわけございませぬ。この蔵の中に、絽《ろ》、紗《しや》、精好《せいごう》、いえいえ、ただいまお召しの御十徳とおなじ生地のものもつんでございますゆえ、どうぞおえらび下さいまし」
お市はたちあがって、枯木のようにやせた老人の手をとって、蔵の中へみちびき入れた。
蔵の中に入って、老人は茫然《ぼうぜん》と見まわした。そこには、お市のいったように生地がつんであるのではなく、さまざまな職業の衣服、小道具、鬘《かつら》まで、まるで芝居の衣裳部屋のごとくならべられ、ぶら下げられていたからである。
「これは」
老人はふりかえった。息もつまる思いでお市はいった。
「これは、御公儀御庭番の衣裳部屋でございます」
「なに、御庭番の!」
思わずさけんだ声のひびきが、老人のただものでないことを証明した。彼はもういちどぐるりと周囲を見まわした。
「……枝垂七十郎さまとおっしゃいますか」
と、蔵の入口に立ったまま、お市はひくい声でいった。老人はふりむいて、お市を見た。
「そなたは何じゃ」
「大丸屋の娘でございます」
「当家の娘。……わしの名をだれにきいた」
くぼんだ眼窩《がんか》のおくから、眼が針みたいに白くひかった。やはり、そうであった! お市は必死に見返した。
「仏坂堂馬さまに」
「仏坂堂馬?」
つぶやいて、老人はうすくにやりと笑った。
「あれは、もはや死んだ。……しかし、娘、そなたはどうしてわしをここに……」
みなまできかず、お市はひらりと外へ出た。夢中になって土戸《つちど》をしめ、錠をおろした。枝垂七十郎をとじこめたということより、「あれは、もはや死んだ」といういまの恐ろしい声が、鐘のように彼女のあたまに鳴っていた。
――数日たった。このあいだ彼女を支えたものは、「閉じこめられた老人」と「殺された恋人」のふたつであった。そのいずれか一つでも、それだけであったら、恐怖のために、または絶望のために、お市は悩乱してしまったかもしれない。
当時の土蔵の壁は、荒木田土の荒打、砂ずり、大直し、砂ずり、間樽巻《あいだるまき》、砂ずり、大直し、樽巻、縄《なわ》かくし、砂ずり、大津縛《おおつしば》り、村直し、砂ずり、小村直し、砂ずり、中塗、上塗と、俗に「二四|返塗《かえしぬり》」とよばれる手のこんだもので、厚さは一尺にちかかった。窓はすべて鉄格子だ。老人は、絶対に外へのがれることはできない。彼は一日ごとに飢え、渇き、死んでゆくのだ。いや、もうとっくに餓死しているに相違ない。
その無惨さにおびえるお市の心をはねかえすのは、「堂馬は死んだ」と冷笑した枝垂七十郎の声であった。「枝垂七十郎を誅戮したとき、若しわたしがどこかに生きておれば、それはわたしのいのちを救ったことになり、若しわたしが死んでおれば、それはわたしの敵《かたき》を討ったことになる」と堂馬はいった。――ああ、どうしてこれが前の場合であってくれなかったか! しかし、とにかく、わたしは堂馬さまの「敵を討った」のだ。わたしのしたことは、恋の神さまがゆるしてくれる。……
十日たった。お市は土蔵の扉《とびら》をあけてみた。すると、すぐ足もとに黒いものがどろりとわだかまり、吐気のするような悪臭が鼻をついたので、彼女は、ひいっとのどから笛みたいな声をたてて扉をしめた。
一瞬ではあったが、青黒い肉のねばりついた髑髏《どくろ》みたいな顔がみえた。声も通らぬ厚い土戸の内側を、どれほどたたき、かきむしったことか。彼の断末魔のあがきを、その位置がまざまざとしめして、枝垂七十郎は餓死していた。
「……そして、そのままべつの御庭番がくるのを待つのだ。どうせ討ち果たさねばならぬ奴、餓死いたせばそれでもよい」と堂馬はまたいった。彼女はその通りにやってのけたのだ。御庭番仏坂堂馬があれほどおそれ、そして彼自身をも殺したらしい老忍者に、これほど簡単に復讐《ふくしゆう》をしてのけた僥倖《ぎようこう》を、お市は意識しなかった。おそらく枝垂七十郎は、お市があのような行動に出るとは、まったく予想もしていなかったにちがいない。
また数日たった。「べつの御庭番」はなかなか現われなかった。お市はしだいにその餓死屍体のことを思いわずらいはじめた。じぶんの殺した屍体が、扉一枚のむこうで腐ってゆきつつあるということは、彼女の神経をたえがたくした。
「……お嬢さま、おからだでもおわるいのではございませんか」
最初に気がついて、そういってのぞきこんだ心配そうな手代の安兵衛の顔をみたとき、お市は思わずすがりつくようにいった。
「安兵衛どん」
「はい」
「おまえ、わたしの願いをきいておくれか」
「何をおっしゃります。お嬢さまのためなら、どんなことでも」
安兵衛は眼をかがやかせていった。剽軽者《ひようきんもの》ではあるが、誠実な人間であることは父もみとめていたし、それにお市は、この安兵衛が絶対にじぶんを裏切らないという自信があった。
「いつか、わたしが墨をかけたお爺さまのことをおぼえておいでかえ」
「あ……あの御隠居さま、わたしどもの知らぬうち、御召物をあらためてごきげんよくおかえりだったとききましたが」
「あのお爺さまは、蔵の中で死んでいる」
「ひえっ」
眼をむき出した安兵衛の顔すれすれに顔をよせて、お市はささやいた。
「何もきいておくれでない。わたしを死なせたくないと思ったら、そのお爺さまの骸《むくろ》を、どこかへ始末してきておくれ。おまえなら、きっとわたしのいうことをきいてくれると信じてたのんだこと、もしわたしのいうことをきいておくれなら、わたしはおまえのいうことを何でもきいてあげるから。……」
その夜、手代安兵衛は、蔵から葛籠《つづら》をひとつはこび出した。そのあと待っていたお市と力をあわせて店の方へはこび、何もしらぬ丁稚《でつち》たちに大八車までかつがせて、こんどは安兵衛だけが大八車をひいて、夜の闇《やみ》にきえた。
夜ふけてかえってきた安兵衛は、その葛籠に重石をつけて隅田川に投げこんだとお市に報告した。――翌る日から、安兵衛は三日寝こんだ。
手代安兵衛が大丸呉服店の花婿になったのは、その年の暮であった。
四
お市は、安兵衛におどされて彼を婿にしたわけでは決してなかった。この手代はそんなことをする悪党とはいちばん縁の遠い人柄にみえた。これはお市がえらんだことであり、父の正右衛門がよろこんで受けいれたことであった。
しかし、この花婿えらびは、むろん奉公人一同に――とくに若い手代たちに、ちょっとしたさわぎをもたらした。たんに朋輩《ほうばい》のなかから、じぶんたちの新しい支配者が出たという嫉妬《しつと》ばかりではない。安兵衛はいささか「変り種」といってよかったからである。
当時大きな商家の奉公人は、その出身といい、立身といい、武士の社会とそっくりというよりは、それ以上にきびしいものがあった。この大丸屋の奉公人にしても、いっさい本家のある京都出身者にかぎられ、また出来るだけ元奉公人の子弟ばかりをえらんだ。まず十一、二歳の子供をあつめ、京都の本家に半年ほど御目見得《おめみえ》させたのち、そのなかから出来のいいのをえらんで江戸へ送る。これを「子供衆」とよんで、使い走りや掃除や雑用に追いつかわれる。五年ばかりたつと元服して「若い衆」となり、はじめて店の営業面に参加できるようになる。このあいだの生活の辛さは筆舌につくしがたいものがあり、五人のうち三人は退店したり、出奔《しゆつぽん》したりしたといわれる。入店後八年目に、はじめて国元へ帰省することができ、京都の本家に挨拶《あいさつ》して生家にかえるのである。これを「初|上《のぼ》り」という。
三か月目に、主家から再勤をゆるされた者だけが「上り衆」といって江戸店へかえる。そしてはじめて手代となるのだ。それから六年目ごとに「二度|上《のぼ》り」「三度上り」といって帰省をさせられ、そのたびに再勤をゆるされた者だけが「番頭」になるのであった。この手順と序列はきわめて酷烈なものであった。
安兵衛は、その「子供衆」「若い衆」時代を、この大丸屋江戸店で過さなかった。つまり、生粋《きつすい》の大丸屋育ちではなく、京都の本家に出入りしているうちにひどく見込まれて、たまたま「初上り」でかえった連中のうちひとりも再勤をみとめる出来のいいのがいなかったので、その穴埋めにえらばれて、江戸へ送られてきた男であった。
それだけに本人もほかにくらべてさぞ辛いこともあったろうが、彼はよく辛抱した。のみならず、その善良性と諧謔《かいぎやく》性は、朋輩からの意地わるさをうまくそらすのに役立った。さすがに主人の正右衛門は、彼の剽軽さが、天性のものというより、そのための彼の賢明さから出ていることを見ぬいた。
正右衛門はよろこんだ。安兵衛がたんに忠実な好人物であるばかりでなく、商売にかけては実にすぐれた才能をもっていることにすぐ気がついたからである。正右衛門がやがてこの安兵衛を娘の花婿の候補者のひとりにあげるようになったのもこのためであった。
この店で小僧時代をすごさなかったとはいえ、安兵衛が大丸屋に奉公してから、もう九年目になる。そのあいだ「二度上り」はすませたし、仲間から比較的好かれていた安兵衛は、花婿にえらばれて、結局いちばんいい選定であったと一同もみとめないわけにはゆかなかった。顔こそのんきなお月様みたいであるが、商売にかけてはだれにも劣らないし、それにこのごろ何やら凄艶ともいうべき感じの女になったお市さまを御《ぎよ》するのは、かえって安兵衛のようなふんわりとした男が最も適当しているのではないかと思われた。というより、その点にかけては、このごろ手代一同みな自信をうしなっていたからであった。
お市は、しかし、安兵衛をえらんだのは、むろん消極的な意味であった。彼女は二十三になっていた。そのころとしては、さしたる理由もなくひとりでいることは、決してゆるされない年齢である。ましてや大丸呉服店のひとり娘だ。父親に責められて、お市はとうとう安兵衛の名をあげた。――お市は安兵衛に好意をもってはいたが、もとより恋といったものではなかった。彼女の恋したのは御庭番仏坂堂馬ひとりである。
しかし、堂馬がたとえ生きていたとしても、ふたりが果たしていっしょになれるかどうかは極めて疑問であった。まして、彼は死んだ。お市はじぶんの人生は灰になったと感じた。お市が安兵衛をえらんだのは、灰のようなじぶんを受け入れてくれるのに、彼のようにおとなしい男がいちばんふさわしいと判断したからである。むろん、いつかのような恐ろしい依頼をきいてくれたお礼のこころもいくらかはあった。
婚礼の夜、お市は父の正右衛門立会いのもとに、「御庭番の化粧蔵」の秘密をうちあけた。安兵衛はちょっと蒼い顔をしたが、「さようでございましたか」といって、お市の眼をみた。
「それでは、いつかの男は?」
「あれは、その蔵の秘密をさぐりにきた敵です」
「それなら、やはりあれがああなるのは当りまえのむくいでございましたな」
と、彼は嘆息してうなずいた。
結婚してから、お市はふたたび「夢みる女」にもどっていた。しょっちゅうではないが、ときどき縫物などをしていて放心状態になることがあった。そんなときうっかり安兵衛が声をかけようものなら、彼女は甘美な夢でもさまされたように青い眉をひそめて、夫をにらんだ。じぶんでもどうすることもできない感情から、つんけんとあたりちらすこともあった。そのたびにおとなしい夫は、みじかいくびをすくめて、あわてて店へ出ていった。
安兵衛が婿となってから、大丸屋はいよいよ繁昌するようであった。彼は毎晩そろばんをはじいて、売上げの額をうれしそうにお市に報告した。そのそろばんの音をききながらも、お市はなお夢みることがあった。仏坂堂馬とはいわない。ただあの蔵にいまも粛々と入ってきては、黙々と出てゆく死のかげのただよう男たちの幻影を。――すると、ひたいをたたきながら、そろばんをはじいて悦にいっている夫に、全身がだるくなるような倦怠《けんたい》感をおぼえるのであった。
また二年たって、可愛い女の子が大丸屋に生まれた。
すべてはうまくいっていた。大丸屋呉服店の長い美しい紺のれんを春風が吹き、秋風がなでた。その下に、平和で華やかな人々の下駄の音は、音楽のように鳴りつづけた。
お市の胸から、ようやく仏坂堂馬の幻がうすれた。彼女はいつのまにか、好人物で働き者の夫に愛情をおぼえはじめていた。
五
五年目の秋の夕ぐれであった。大丸屋の秘密の入口から入ってきたうらぶれた鳥追女が編笠をぬいで、お市を驚倒させた。
仏坂堂馬は、笑顔でお市をみて、お市のひらいた口の鉄漿《かね》をみると、笑いを消した。彼はだまって蔵の中に入っていった。
お市はそのあとを追って、蔵に入った。堂馬は一言も口をきかなかった。ふたたびうす笑いをとりもどしていたが、眼は冷たくひかって、お市の姿を見あげ、見おろした。依然として美しい眼であったが、五年の星霜と辛苦は、彼の顔を凄味《すごみ》のあるものにかえていた。
「……枝垂《しだれ》七十郎が参りました」
と、お市はようやくいった。堂馬の顔からまた笑いがきえた。
「いつ?」
「あなたさまがお旅立ちあそばしましてから一年ばかりのちでございます」
「道理で、きゃつ、おらなんだ。――それで?」
「あなたさまのおっしゃったとおり、蔵の中にとじこめて……干殺しにしてしまいました」
「まちがいないか。きゃつが、そなたの手にかかるほど生やさしい奴とは思えぬが」
「まちがいございませぬ。たしかにひたいにほくろがあり、左手の中指のない爺さまでございました。それから、あのお爺さまは――」
お市はふるえる声でいった。
「仏坂堂馬は、もはや死んだ、と申しました」
「それはうそだ」
と、堂馬はさけんだ。
「さてはきゃつ、わたしが藩の秘密を調べておると知り、わたしの名までつきとめながら、どうしてもわたしをとらえることができないので、苦しまぎれにこちらをさぐりにきたのだな。そうか、枝垂七十郎は、わたしを殺したと申したか。それで、そなたは――」
と、うめいてお市を見まもったが、そのまま坐って、三味線をひざにのせた。
「むろん、そなたがこうなるとは、はじめからわかっていたことだ。いや、そなたがきゃつを殺してくれたので、わたしがこうしてかえってくることができたのかもしれぬ。礼をいう」
礼をいう、といったが、氷のような横顔をみせて、匕首《あいくち》をとり出し、三味線の皮にあてて、ぐいと切り裂いた。胴から、厚い書類の束があらわれた。
「枝垂七十郎のことは、またあとできこう。すこし、調べものがある。灯をもってきてくれい」
と、堂馬は冷やかにいった。
お市は夢遊病者のように蔵を出た。ほとんどじぶんが何をしているのかわからないままに行燈《あんどん》をさがしていると、うしろから子供の泣き声がちかづいてきた。泣きむずかる女の子をあやしている夫であった。
「おお、よちよち、お市、御庭番の方がおいでた様子だな」
「…………」
「はじめてのお方か」
「五年ぶりに御用からおかえりになった方です」
無限の想いをこめてお市はつぶやいた。子供の泣き声も耳に入らなかった。
「はじめてのお方、それではわたしも御|挨拶《あいさつ》せねばなるまい」
安兵衛は、うしろからやってきた乳母《うば》に女の子をわたして、蔵の方へいそいでいった。それは、はじめての御庭番にはいつもそうしていたことだから、お市はとめることができなかった。ただ胸もつぶれる思いで行燈をさげて、そのあとを追いながら、ふと堂馬が夫に対して何か恐ろしいことをするのではないかというおびえにとらわれた。
――夫の方に不安をおぼえたのである。お市は、いつしか三年をこえる安兵衛の女房であった。
行燈のかげで、仏坂堂馬は書類に朱をいれたり、綴《と》じあわせたりしていた。うしろにひそと坐った大丸屋の夫婦を無視した姿であった。
やっと、いった。
「その男は?」
「お初にお目にかかります。当家の婿の安兵衛でございます」
堂馬はふりかえって、安兵衛を見た。どんな人間にも好意のこもった微笑をうかばせずにはおかない、お盆《ぼん》のようにまるい顔がそこにあった。
「……面白い顔をした御亭主じゃな」
と、堂馬は皮肉に笑って、書類をつかんで立ちあがった。
「お城へかえらなければならぬ。御内儀、わたしがまえに着ていた衣服を出してくれい」
「そのまえに、おねがいが一つございます。頂戴《ちようだい》いたしたいものがございます」
と、安兵衛はひざで這《は》い出した。お市はあっけにとられた。
「ねがい? 大丸屋の亭主が、わしに何のねがい?」
「いいえ、大丸屋安兵衛としてではなく」
彼の手がのびて、堂馬の手の書類をすうとうばいとった。
「枝垂七十郎として」
そのまま彼は、ぱっと壁際まで、三|間《げん》もひととびにうしろざまにとびすさった。このふとった男に、これほど神速な体術があろうとは想像もできないことであった。
「あっ」
堂馬とお市は、雷にうたれるように眼を見はっていた。
「枝垂七十郎……枝垂七十郎はうぬか!」
「おお、四年前、父枝垂七十郎がこの蔵で覚悟の往生をとげたときから、子のおれがその名をついだのだ。いいやその父の指図により、藩の秘密をさぐった隠密は、どうせこの大丸屋の蔵にかえってくるものと見込んで、十三年も網を張っていたおれだ」
枝垂七十郎は、まるい顔でにんまりと笑った。
「仏坂堂馬! 御苦労。調べたものは、おれがもらうぞ」
一方の手があがると、黒い閃光《せんこう》が二つたばしって、棒立ちになった堂馬の両眼に凄惨なひびきをたてて打ちこまれた。八方に釘を突出させたマキビシという忍者独特の飛道具がその美しい眼につき刺さったのである。反動で、堂馬の銀杏《いちよう》返しの元結《もとゆい》がきれて、ぱっと髪がうしろへみだれおちた。
それから、壁際にならべられていた刀のひとふりをとって、枝垂七十郎はするするとちかよった。そのとき盲目となった堂馬の唇がとがって、しゅっとひとすじの銀線をふき出した。枝垂七十郎はぴたと立ちどまった。そののどぶえを五寸にあまる針がつらぬいて、うなじに血まみれの尖端《せんたん》がとび出していた。
そのまま枝垂七十郎は、仏坂堂馬を唐竹割りに斬った。両眼からふたすじの血の糸をひいた堂馬の顔のまんなかに、また一条の赤い線がはしった。完全に裂けた唇で、にやりと堂馬は笑った。
「その針の毒は、馬でも殺す。……七十郎、冥土《めいど》へいってまた忍法を争おうぞ」
ふたりは同時に、どうと床の上にころがった。
夢魔でもみるかのごとく、お市は立ちすくんだままだ。深淵《しんえん》に吸いこまれそうな内耳へ、虫みたいな声がつたわってきた。
「お市……その書類をもって城へゆけ。……」
「お市……その書類をやきすてろ。……」
ふた声、きこえて、ふたりの忍者は暗い蔵の底にうごかなくなった。
ながいあいだ、お市は身うごきもしなかった。全身|蝋《ろう》色に変っていた。彼女は床の上に血に染まっておちている十幾葉かの紙に眼をおとした。
蔵の戸はなかばひらいて、蒼ざめた非情な夕ぐれのひかりがみえた。一方にはめらめらと、行燈の燈心が執念の炎をあげているのであった。
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「甲子夜話」の忍者
一
私は忍術の文献というものを、ほとんど読んだことがないが、読んでみたら面白かろうとは思う。
読まないのに、当推量《あてずいりよう》で申しわけがないが、まず大体の見当はつく。一言でいえば、まず荒唐無稽《こうとうむけい》なものだろう。荒唐無稽も、聖書とか、アラビアンナイトとか、西遊記とか、聊斎志異《りようさいしい》くらいになると、雲煙のかなたにある思いがするが、江戸時代の忍術の本くらいなら、当方の空想力と大したちがいはあるまい、とたかをくくっているところがある。忍術の文献書なるものを読まない理由の一つである。
荒唐無稽にもいろいろある。日本人はとうてい右にあげたような夢魔《むま》的大作品を生み出す独創力はないから、せいぜい、せいいっぱい、合理めかしたものしか創造できない。忍法書の集大成ともいうべき江戸中期の「万川集海《ばんせんしゆうかい》」などもそうらしい。その「忍器」篇に、水上をあるく円形の下駄のような「水《みず》蜘蛛《ぐも》」という器具や、組立式携帯用の「忍び舟」などが載っているということだが、これが実用になるくらいなら、何も第二次大戦の敵前上陸に、おたがいがあれほど苦労しやしない。
この「万川集海」は二十二巻にわたるということである。私が面白いというのは、こういう非合理なものを合理めかして、それだけの分量をかいたという作者の心理状態である。
これは寛政年間に、当時衰乏に瀕《ひん》していた甲賀流の末裔《まつえい》たる郷士《ごうし》らが、忍術と生活と、双方の保護を目的として、幕府に訴えるために作成したものということで、まず農地解放で貧乏になったという旧地主階級の陳情運動と同じようなものだろう。
その目的に対する熱情はあったかもしれないが、内容については、作者自身が信じていたかというと、おそらく信じてはいなかったろうと私は考える。本人が信じていないものを、幕府の要路者に信じてもらうために、脳漿《のうしよう》をしぼって、延々二十二巻にわたる忍術の秘伝書なるものを書きあげた作者の惨澹荒涼《さんたんこうりよう》たる心理は、原稿料のために忍術小説を十巻もかいた私にとって大いに同情に値する。
私も――いつであったか、人間が一塊になると、どれくらいの体積になるものかと知る必要が生じて、夜中にいきなり風呂場に入って、垢《あか》の浮いている残り湯に、頭も何もかも沈没させてみたことがある。ふえた分だけの湯をくみ出して、一升瓶につめかえて計算しようというアルキメデスそこのけの実験である。いや、狐がひとを化かすまえに、藻《も》をあたまにかぶるようなものかもしれん。が、深夜ひとりで、濡れた頭をふりたてふりたて、黙々として湯を一升瓶で計っている姿は、われながらもの哀しくもあり、ばかばかしくもあった。
高校にいっている親戚の娘が遊びに来ていて、夜中に風呂場でひとりさわいでいる物音をきいて、「何してるの」と起きてきた。
「僕のタイセキをはかっているんだ」と憮然《ぶぜん》としてこたえたら、おなかをかかえて笑い出し、しまいには苦しがって、ヒーヒーという声をたてはじめた。
水上を自由に走る忍者があって、これと対決するのに、それと足の裏を密着させて逆さになって水中を移動する忍者を設定したことがある。ただし、陰と陽との裏返し、というもっともらしい意味をもたせて、からだのむきは正反対とする。これが同時に斬《き》りつけたらどうなるか。いちど図解してみたが、何が何だかよくわからない。そこで、
「おいおい、ちょっときてくれ」
と、女房を呼んだ。たたみをあごでさして、
「そこに寝ろ」
といったら、女房は恐怖の相をうかべて、
「何なさるの」
と、いった。――閾《しきい》を水面と見たて、平面的にためしてみて、
「なるほど、こうなるか」
と、はじめて納得すると同時に、謝国権先生の「智慧《ちえ》」を諒《りよう》としたことがある。
また、幼稚園にいっている女の子と風呂に入っていたら、彼女何をかんがえたか、「お父さんのおちんちん、まわすと、とれるノ?」と、神秘的な表情でいった。
幼女の眼に、まわすととれそうに思われるほどタヨリナゲに見えたのは汗顔のいたりだが、このとたんに急に両腕をこまぬいて、「うーむ、これがラジオの部品のさしこみかネジみたいにとれて、分解掃除や新品取換ができたら、さぞ好都合だろうな。いや、げんに近代医学だって、移植手術の可能性はしだいにひろがりつつあるではないか」という霊感に打たれ、子供をほうり出して湯からとび出していったこともある。……
とにかく、忍術小説をかくのもラクではないのである。
そういう同情があるから、作者の心理状態を想像しつつ読めば、江戸時代の忍法書も面白かろうと思うのだ。それは「机上の空論」の面白さである。
この「机上の空論」の面白さは、それが仔細《しさい》らしい顔をしていればいるほど倍加される。浮かびもしない水上歩行器「水蜘蛛」を、「身ノ指《サシ》渡シ二尺一寸八分、内一尺一寸八分、中ヲ円クトルナリ、外側幅一方ニテ五寸ズツナリ」などと、板の厚さ、掛金《かけがね》、使用する革までこまごまと書いている心理には大いに敬意を表すべきである。これは忍法書にはかぎらない。「甲陽軍鑑」などの江戸時代の一見精妙をきわめた軍学書を読んでも同様だし、また西洋の魔術書、東洋の卜筮《ぼくぜい》書、さらに、「カーマ・ストーラ」とか、「ラテイラ・ハスヤ」とか、「アナンガランガ」などという性愛書の面白さとも共通したものではあるまいかと思う。
ところで、こういう忍法書をかいた「専門家」はべつとして、江戸時代、一般の人士は、はたしてどれくらい忍術なるものを信じていたか。まず、半信半疑というところだったろう。
右の大冊「万川集海」を献上された松平定信首相が、どんな顔をしてこれを読んだか想像のかぎりではないが、とにかく「御苦労であった」と、銀五枚をあたえて、べつにそれ以上補償の予算を組んだ形跡はないが、さりとて、ばかにしちゃいけないと立腹した記録もない。
普通人で、まともに忍術を研究した人はほとんどないようだが、それから三十年ばかりたった文政《ぶんせい》四年十一月甲子の夜に起稿した松浦静山《まつらせいざん》の「甲子夜話《かつしやわ》」に、突如として忍者が登場する。
二
松浦静山すなわち松浦|壱岐守《いきのかみ》は、肥前平戸《ひぜんひらと》の藩主だが、おどろくべく好奇心の強い人物で、そのうえメモ魔で、隠居してから二十年にわたり、当時の諸侯の内事とか、庶民|巷間《こうかん》の瑣事《さじ》、外国の風聞などを、日夜見聞するままに、二百八十巻の大随筆集として残した。まず当時最高の知識人であろう。
この「甲子夜話」の巻二十七に、
「先年聞く、忍びの術をなす者は、まず闇夜《あんや》に立ちて四方を見いるに、はじめは何のあやめも知れざるが、のちはやや見え分《わ》きて、ついには四方の物わかるとなり。ちかごろ聞くには、お鷹匠《たかじよう》も夜目をさらすといいて、勤めはじめには暗中進退すれども、これもついには火光をからずして道をゆくこと成るという」
と、ある。当時忍びの者がどこかに存在し、かつ、これを合理的に理解しようとしていたことがわかる。
また次に、その続篇巻五十五には、さらに詳細に、その家臣が信州|高遠《たかとお》侯の家来坂本天山という砲術家からきいたとして、次のような意味の話をかいている。
「天山が松本にいったとき、そこの松平侯の家臣に、代々忍術を伝えた者があった。天山ははじめてその者に逢《あ》ったのだが、その者は高遠城内の大奥の様子までもくわしく知っていた。それで天山はおどろいて、高遠の家臣たるじぶんですら知らないことを、どうして貴公は知っているときくと、彼は笑って、わが職は忍者である。したがって、隣国に関することはどんなことでも偵察している、とこたえた。また彼は、ふだん、夜城門を鎖《とざ》した城に入るのに、門外でただその名を名乗る。門番がこれに応じたときは、忽然《こつねん》として鎖した門の内側に立っているという。――」
「また天山がきいたところでは、この術を相伝したある忍者が、修行のため江戸に出たときに、もとより忍術使いのことだから、将軍家の駒場御成《こまばおなり》のさい、お狩場にいって、ひそかに、騎馬|勢子《せこ》の様子、地形から隊形までのこるところなく図にとったが、帰国の途中、和田峠で急死した。このとき松本にあった老父は、愕然《がくぜん》として立ちあがり、いまおれの子が死んだ、死んだことはやむを得ないが、きゃつは秘密の絵図面を懐中している。これが露見すれば主家の一大事になるとさけんで、駈け出し、峠に急行して死者からその図面をとって帰ったという。――」
「また高遠から松本に嫁にいった女があった。結婚後のある日、夫が妻に微笑していった。おまえはおれのところに嫁にくるまえに、病気になって寝ていたことがあったろう。おれはそっと、そのそばに坐《すわ》って見ておったぞといった。妻は疑って、その様子をきいたところ、まったくその通りであった。びっくりしてききかえすと、夫がいうには、おれは忍者ではないが、知り合いの忍者にとり憑《つ》かせてもらって、おまえを見にいったのだと。――」
どうやら結婚調査のための興信所的な忍者もあったとみえる。とにかく、これで当時、「信濃《しなの》忍法」ともいうべきものが存在していたことがわかる。上田の真田幸村の忍びの者の末孫かもしれない。
そしてまた、静山はつけ加える。
「この修行の次第は、深山をわたり幽谷に入り、そのあいだには怪しむべく恐るべきことが重なるらしいが、よくこれに耐えてはじめて体得するものだという。先年|天満与力《てんまよりき》の大塩平八郎に誅戮《ちゆうりく》された京都の女行者豊田|貢《みつぐ》なる者も、かつて深山で艱苦《かんく》修行したというから、あれは巷間つたえるがごとくバテレンの法ではなく、わが国に古くからつたわる忍法者の一種だったのではあるまいか。――」
「天山はこれを奇として門人たらんことを請うたが、その忍者は笑って、これは決して士大夫《したいふ》のなすべきことではない。私は家業だからやっているが、まったく下忍《げにん》のわざだから、ひとに伝授すべきことではない。それにこの術はすこしでも私欲があれば行なわれないのみか、かならず魔天の冥罰《みようばつ》がある、といって拒否したということである」
さらに静山は、京都から来た医臣《いしん》の話として、次のようなことを記している。
「この医者は、京都である忍者と親しくなったが、この者は宴席などで、座興にひとつ例の術を見せてくれとたのむと、すぐにうなずいて、壁のところに寄り、両手をのばし、からだを壁につけると、忽然として消え失せてしまう。座客がキョロキョロして見まわしているうちに、そりゃといって鼻をつまむものがある。ふりかえると、その人間はそこにいる。また早業《はやわざ》を見せてくれと請うと、一|間《けん》ばかりの戸板をたてて軽がると飛びこえ、あるいは長押《なげし》に駈けのぼり、壁を横ざまに走ること、人間のわざとは見えなかったということである」
この文章では、半信半疑どころではないが、しかし静山はそれでも半信半疑であったろう。以上の話は、すべて伝聞である。
その静山の前に、ほんものの忍びの者ではあるまいかという人間があらわれたのは、天保《てんぽう》三年の初夏のことであった。
三
忍術小説を書き出したら、いくどか「忍術と現代」とか、「忍法とサラリーマン」とか、「忍術で出世する法」などいうたぐいの文章やら座談をたのまれた。
私は吹き出すとともに、しまいにはにがにがしくなった。忍術と現代となんの関係があるものか。忍術を知っていてトクをするのは泥棒くらいなもので、まさに現代の士大夫たるサラリーマンの知るべきことではない。
忍術が最も存在価値のあった戦国時代ですら、忍者の位置は塵芥《ちりあくた》にひとしいものだったのである。
そりゃコジつけようと思ったら、世の中にコジつけられんことは一つもないが、なんでもかんでも現代にコジつけて、何とかの一つおぼえみたいに孤独だの非情だのという形容詞をとってくっつけて、それで結びつけたつもりでいるのは抱腹させる。それより、なぜ無邪気なナンセンスとして面白がるだけであってはいけないのか。もし忍術なるものが現代と関係があるなら、それは現代からはなれることで関係がある。――私はそうかんがえて、そんな註文は願い下げにしてもらった。
いや、現代どころか、すでに天保年間にさえ、ほんとうに忍術を使ったらどうなるかという話がここにある。
「甲子夜話」は幕府の儒官《じゆかん》林述斎にすすめられて書き出したもので、静山は文成るごとに述斎の添削《てんさく》を求めていたが、その述斎が晩春の一日、本所の屋敷にやってきて、こんなことをいった。
「実はわが家に出入りしておる蝋燭《ろうそく》問屋に、浅草|聖天町《しようでんちよう》の阿波屋というものがありますが、そこの亭主と話をしているうち、何のはずみであったか、先日お書きなされた忍術の話が出ましてな。ところが、阿波屋の手代《てだい》に忍者の子がおるそうでござる」
「ほう、蝋燭屋の手代が忍者」
あまり突拍子《とつぴようし》もない結びつきなので、老公は眼をまるくした。
「いや、忍者の子でござる。ききましたところ、いまから十年ばかりまえ、阿波屋の前にゆきだおれになっていた浪人父子がありまして、手当の甲斐《かい》なく父親の方は死にましたが、死ぬにあたって、じぶんは甲賀の忍法者の子孫であると申しましたる由」
「忍者の子孫がゆきだおれとは――食う道に、忍術は役にたたぬものかの」
「そのとき、その男は、当時十一、二であった倅《せがれ》に命じて、壁を走らせ、壁に消えるわざを見せて、われらにこの術はあれど、渇《かつ》しても盗泉《とうせん》の水はのまざればこの始末、と申して死んだ由でござる。その後阿波屋では、その倅の宗助なるものを育て、いまは手代となっておりますが、それ以来、ふっと宗助は例の術を使わず、家人もまったく忘れはてておりましたが、いま左様なことがあったと思い出したと申しておりました」
「当人がその術を使わぬとは、忘れたものであろうか」
「さて、当時幼少にて、それから十年もたちましてはなあ」
「忘れておらぬものならば、是非見たいな」
老公の眼は、天性の好奇心にかがやいた。
老公は使いを阿波屋にやって、手代宗助なるものの忍術を見たい、もし忘れたものなら、父親の話、また本人の生いたちの話などをききたい、もし承知してくれるならば、これを縁に阿波屋の平戸藩出入りをさしゆるすであろう、と伝えさせた。使いは帰ってきて、せっかくではあるが、当人は術のみならず、幼少時の記憶もまったく忘れたと申したてている旨を報告した。
しかし、数日たって、阿波屋の主人が恐る恐るやってきて、何とかして当人に術を思い出させようと努力しているから、いましばらく御猶予をたまわりたいと請うた。実は宗助が娘に懸想《けそう》しているようなので、これはいけないとちかく娘をいそいで嫁にやる話をすすめているが、もしこのことによって松浦さまお出入りがかなうものならば、娘をやってもさしつかえがないとはげましてあるといった。
そして十日ばかりたって、阿波屋は宗助をつれてきた。やっと忍術を思い出したというのだ。宗助はまるで蝋燭の精みたいに、白くてほっそりとした手代であった。素性《すじよう》をきけば、なるほどまがりなりにも武士の子か、と思われる気品もあったが、またこれで忍術が使えるのか、と疑われるような、やさしい、たよりなげにさえみえる美しい若者であった。
ところが、この宗助は「相伝《そうでん》の術を忘れたわけではないが、私欲のために使えば必ず罰がくると、父よりかたく禁じられていたので、忘れたような顔をしていた。しかし、主家の繁昌《はんじよう》のもととなるのは忠義と存じ、ついに決心した」とのべて、そして静山の前でおどろくべき術を見せたのである。
書院で、老公は、腰元たちといっしょにそれを見た。まえもって連絡してあったので、林述斎もやってきていたし、その次男でこのごろ鳥居という旗本の家へ養子にいったという耀蔵《ようぞう》もつれてきたので、これも同座して見物した。
蝋燭屋の手代宗助は、黒|頭巾《ずきん》黒装束に着かえ、座敷の中央に這《は》いつくばるようにして、じっと坐っていた。口の中で何かぶつぶつつぶやいているようであったが、何の意味かよくききとれなかった。あとでかんがえると、ほんの数分のことであった。一刻もすぎたかと思われる時間感覚の錯誤があった。
そして彼は、糸にひかれるようにすうっと立ったのである。彼はあるきはじめた。足だけははだしであった。
同時に、見ていた人々は、あっとさけんだ。座敷が音もなく上下に廻りはじめたのだ。坐っていた畳が垂直になり、そして逆さになった。それもあとになって思うと、宗助の黒衣の垂れ具合から、彼の方が壁をあるき、天井を逆さにあるいて、そこに立ったらしい。しかし、見ていた者は、すべてじぶんの坐っている畳が天井となり、天井が下になったような空間知覚の錯誤を来して、悲鳴をあげ、身をおよがせ、裾《すそ》をみだした。なかんずく、腰元たちの狼狽《ろうばい》は醜態をきわめた。
「やめよ、宗助」
その混乱の中に、手代の姿が忽然と消えていることに気がついて、静山はさけんだ。
座敷はふたたび廻りはじめ、われにかえると、黒衣の宗助は、最初のように寂然《じやくねん》とひれ伏していた。
顔をあげると、その白い皮膚はほとんど象牙色《ぞうげいろ》に透きとおり、それが汗にぬれ、いかに彼が精魂を燃焼させたかをあらためて思い知らせた。
事実、彼はもはやものをいう気力さえ消磨して、静山の質問には後日また参上して応じたい、きょうはこのままおいとまをたまわりたいと請うたのである。
「……恐るべき奴」
あと見送って、鳥居耀蔵はつぶやいた。
「あれは、世に害をなす術でございますな」
――死んだ父親が、きびしく禁断していただけのことはある。その術は、蝋燭屋の手代宗助にとって、たしかにとりかえしのつかない害をなした。
後日また参上するという彼の約束が果たされるまえに、世間には一つの大事件が起った。天保三年五月八日の夜、浜町の松平|宮内少輔《くないしようゆう》の屋敷に忍び入った大盗鼠小僧次郎吉なるものがつかまったのである。
この件については、静山は、夜話続篇巻七十八から巻八十一にわたって、詳細に書きしるしている。それによると、この盗賊は、ここ数年のあいだに、実に百一軒の大名や旗本の屋敷に忍びこんで金を盗んだことを白状し、その被害者の名や金額を書きあげてある。もっとも三千百二十一両二分までは本人も記憶しているが、そのほかは忘れたといっているが、そのおぼえているもののなかに、松浦家の屋敷まであるのだから、老公がびっくりしたのもむりはない。
「これを鼠というゆえは、この男、小穴から通うべからざるところに出入し、塀壁をのぼり、梁《はり》を走るなど、鼠のごときを以てなり」
といい、また、
「某侯の奥に忍び入り、縁下に三日隠れいたり。このとき侯、寵妾《ちようしよう》と酒宴せしありさま、後宮の秘事までよくうかがいおぼえていて、奉行所にて引合せ吟味のとき、侯の留守居役のまえにて明細に白状し、留守居赤面せしとぞ」
などいうことまで、静山は書いている。しかし、あまりにその盗《ぬす》ッ人《と》ぶりが大規模なので、彼の白状したという犯行のすべてが、はたして真実彼の所業かどうか、という疑問も抱いたらしい。「鼠の行為か定め難し」などという文章も見られる。
静山はのちになるまで知らなかったが、この疑いはほかにも抱いたものがあったとみえて、しかもその疑いが、阿波屋の手代宗助にむけられた。当然の連想といえばいえるが、具体的には、鳥居耀蔵の町奉行に対する注意から、宗助に司直の眼がそそがれるようになった。
ほんとうに宗助もまた盗賊の行為をやったのかどうかは知らず、ある日、忽然と彼は阿波屋から消えてしまった。お上《かみ》から眼をつけられている、ということだけで、本人のみならず一家主家までに致命的な恐慌をひき起す時代であった。
そして、消えたことが、さらにぬきさしならぬ悪い影響を残して、彼は永遠にふたたび世間に現われることができなくなってしまったのである。
たよりなげにさえ見える、やさしい、美しい忍者蝋燭屋宗助は、どこへ消えてしまったのか。
秋になって、阿波屋の娘は、同業の小網町《こあみちよう》の蝋燭問屋へお嫁にいった。すると、祝言の夜、怪異が起った。はじめてのひめごとの際、ふいに壁の中からすすり泣く声が起ったように思い、それはききちがいかとききすてたが、朝になってみると、その壁から、おびただしい血がながれおちているのが見出されたのである。
この話を、静山は、晩秋の一日、訪れてきた鳥居耀蔵からきいた。
「巷《ちまた》の噂《うわさ》なれば鳥居もしかとは知らず。されどかの者、まことに盗賊なりしや、あるいはゆえなき濡衣《ぬれぎぬ》なりしや、ともあれ忍法なるもの今の世に験《ため》しては身の不幸となること、これを以て知るべし」
と、静山は続篇巻八十七に書いている。ただし、この挿話だけは、いま流布《るふ》されている「甲子夜話」の松浦伯爵家蔵の稿本を底本としたものには、どういうわけか載っていない。
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忍者鶉留五郎
「いったい、どうして下さる御料簡《ごりようけん》かな。……鶉《うずら》さま」
と、駿河屋万兵衛《するがやまんべえ》はいって、灰吹《はいふき》をたたいた。
冴えた小さな音に、鶉留五郎《うずらとめごろう》の膝が、神経的に、ぴく、ぴくとうごいた。うなだれた顔は蒼白であった。――うしろにいた妻のおしんも娘のりえも息をつめていた。
「一向にお約束を守って下さらぬものだから、利に利がつんで、いまは三十三両三分。……拝見したところ、お屋敷にある御道具をみな売払ったところで、十両にもなるかどうか。――」
わざと皮肉に、お屋敷といったが、長屋であった。
四谷伊賀町の伊賀組同心長屋だ。わずかに三十俵三人|扶持《ぶち》だから、こう物価高の時勢にそのまま暮せるわけがない。げんに、おしんやりえのひざには内職の仕立物がひろがっているし、留五郎自身もやせこけて、貧乏の神さま然とした風貌であった。
「鶉さま」
呼ばれるたびに、留五郎はびくっとする。しかし、相手の顔を見ようとはしない。
彼は、責められている事実よりも、言葉よりも、このごろはただこの金貸しの河馬《かば》のような顔がこわいのであった。ここ数年、この顔に追いまわされているうちに、一目見ただけで理も非もなく、息もつまり、心臓が打ちはじめ、冷汗がにじみ出すのを禁じ得ないようになった。いまも――ねちねちといわれている声はへんに遠く、しかも、突然、ぎゃっと途方もない声をあげてとびあがりそうな衝動をおさえるのに、彼は必死になっていた。
「しかし、きょうはじめて気がついたことじゃが」
と、万兵衛はぶきみなうす笑いを浮かべて、
「見ればお嬢さまは、花が咲き出したように美しゅうなられましたな。おどろきました」
そういって、煙草をまたつめた。一息吸って、
「まず、四十両はかたい。……」
はじめ、何のことかわからなかった。――意味がわかっても、留五郎は憤激するどころか、さらに恐怖の縄でのどを絞めあげられたような気持になった。
万兵衛は煙を輪に吹いた。
「売物になります」
――そのとき、窓から何か黒いものがぱっと飛びこんできた。
それが一羽の鴉であると知り、さらにその鴉が一通の書状をくちばしにくわえているのを見て、駿河屋万兵衛は眼をむいた。
しかし、鶉留五郎の顔はかがやいた。
彼は前におりた鴉からその書状をひったくり、ふるえる手でひらいた。
「駿河屋」
読みおえて、彼はスルスルと寄った。
「一ト月待ってくれ」
別人のように生気にみちた相手に、あっけにとられた万兵衛の口から、煙管《きせる》がポロリところがりおちた。無意識的にひろって、留五郎はそれを指でつまんだ。
「拝借した金は、一ト月後きっと返金いたす」
煙管は彼の指のあいだで、羅宇《らお》はおろか、銀のがんくびまでピシリッとつぶれた。
肝《きも》をつぶして駿河屋万兵衛が逃げていったあとで、鶉留五郎はすっと立った。
「御用が下った。わしはゆくぞ」
鴉のはこんできたのは、御庭番《おにわばん》の頭《かしら》からつたえられた隠密の御用であった。
某藩大守に謀殺の疑いがある、なんじいってそれが事実であるならば、ひそかにこれを討て、首尾よくこの役目を果したときは、なんじの生死にかかわらず、千両の恩賞があろうぞ、という内容であった。
これほど重大な秘命はめったにあるものではない。しかし――いって帰らぬことのあるのは、伊賀組隠密のうち十に三四の運命である。
「あなた。……ごぶじでお帰りでございましょうか」
と、おしんがあえいだ。留五郎は笑った。
「おれは、きょうのために生きて来たのだ。死ぬのは何でもない。しかし……おれが心血そそいで編み出した忍法に歯の立つ奴が、またとあろうとは思われぬ。世に恐ろしいものは何もない。安心せい。一ト月待て、おれはきっとぶじ帰るぞ」
妻のおしんも娘のりえも、こんな自信にあふれた夫や父を見たことがなかった。それはまったく人間が変ったように力強く――妖気すらはなつ男の姿であった。
「さらばだ」
愛情にみちた眼を妻と娘に投げ、鶉留五郎は颯爽《さつそう》として出ていった。
彼は大丸呉服店に走った。そこに公儀御用の蔵があって、そこで変装して、任命を受けた目的地へ飛ぶのが隠密の常例であった。
……二十日ばかり後の深夜、忍者鶉留五郎は、めざす某藩の奥ふかく、大守の寝所に入りこんだ。彼のすすんできた背後には、十数人の宿直《とのい》の武士が音もなく斃《たお》されていた。
「……な、何奴だ」
その大名は、佩刀《はいとう》の鞘《さや》をはらっていたが、壁に背をおしつけ、恐怖そのもののような声でうめいた。
「余儀なき次第で、御首《みしるし》頂戴仕る」
そういって、ちかづいて、鶉留五郎ののどのおくから異様な風音がもれた。
謀殺をたくらんだ大守の顔は河馬に似て――金貸し駿河屋万兵衛そっくりであったからだ。突如として、息がつまり、心臓が打ちはじめ、冷汗がにじみ出した。ぎゃっと悲鳴をあげて逃げ出したい衝動をおさえると、それだけであらゆる気力を消耗して、手足が萎《な》えた。
「推参なり、曲者《くせもの》」
ふりおろされる白刃の下に、忍者鶉留五郎は大根みたいに立ったままであった。
〈編集部付記〉
本書は、ちくま文庫のためのオリジナル編集である。
本書のなかには、人種・民族や風習・風俗、職業、また精神的・身体的障害などに関して、今日の人権意識に照らして不当・不適切な語句や表現がある。これらのことについては、著者が故人であること、また作品の時代的背景にかんがみ、そのままとした。
山田風太郎(やまだ・ふうたろう)
一九二二年、兵庫県養父郡の医家に生まれる。一九四九年「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ賞受賞。一九五八年、忍法帖の第一作「甲賀忍法長」の連載を開始。その後も数々の風太郎忍法≠生み出し、一九六三年から「山田風太郎忍法全集」を刊行、忍法帖ブームをまきおこす。一九七三年より『警視庁草紙』『明治波濤歌』『エドの舞踏会』など独特の手法による明治もの≠発表。『戦中派不戦日記』『戦中派虫けら日記』などの日記文学、『人間臨終図巻』『あと千回の晩餐』などの死を見つめた作品等著書多数。一九九七年第四五回菊池寛賞を受賞。二〇〇一年、尊敬する江戸川乱歩と同じ七月二八日逝去。
本作品は二〇〇四年五月、ちくま文庫の一冊として刊行された。