山田風太郎
警視庁草紙(下)
目 次
痴女の用心棒
春愁雁のゆくえ
天皇お庭番
妖恋高橋お伝
東京神風連
吉五郎流恨録
皇女の駅馬車
川路大警視
泣く子も黙る抜刀隊
[#改ページ]
痴女《ちじよ》の用心棒《ようじんぼう》
明治八年七月十三日の日暮がたであった。西日比谷の司法省の裏門から、トボトボと一人の女が出ていった。
洗いざらしの浴衣《ゆかた》のような灰色の着物に細い帯をしめ、素足《すあし》に藁《わら》草履《ぞうり》をはいて、髪は背に長くばさと垂れたままだ。それだけで幽霊か狂女としか見えないが、さらにその女は蝋色《ろういろ》の肌をして、眼はうつろにひらき、足は雲を踏んでいるようであった。
道ゆく人々は、これとゆき逢《あ》うと、みんな眼を大きく見ひらいてふり返る。
それは女のみなりや歩きかたに異常なものを認めたせいだけではなかった。そんな異常なみなりや歩きかたにもかかわらず、彼女のけたはずれの美貌が人々の眼を奪ったからであった。
女の門を出てゆくのを、司法省の裏手の一室から窓越しに見送って、加治木《かじき》警部は油戸杖五郎《あぶらどじようごろう》巡査に命じた。
「油戸巡査、あれを追跡してくれんか」
「追跡? 無罪放免になった女を、でありますか」
「うむ。……」
加治木警部はしばらく考えていて、
「あれが帰るさきはわかっちょる。神田|鍋《なべ》町で傘屋《かさや》をしとる親元のところじゃろ」
と、つぶやいた。
「じゃから、追跡っちゅうのは、きょうのあれのゆきさきじゃなか。これからさき、ずっとあの女の監視を頼みたいんじゃ」
「なんのために監視するのでござりますか」
「あれは無罪っちゅうことになったが、広沢参議暗殺の下手人《げしゆにん》はまだつかまらん」
「すると、やっぱり、あの女が……」
「うんにゃ、あれが事件に無関係であったことはまちがいなかろう。そうでなけりゃ、頭に霞のかかったようなあの女が、四年以上も知らぬ存ぜぬで通せたわけはなか。……そいはともあれ、下手人は今なおこの世のどこかにおる。広沢参議を殺害し、そのあとあの女を犯したやつ、少くとも二人か三人が」
「はあ」
「そやつらが、あの女が世の中へ出て来たと知ったらどうするか。女がいままで、どげなことを裁判所でしゃべったか、それを探りたくて、何くわぬ顔で近づいて来やせんか。……」
「なるほど」
と、いったが大男の油戸巡査は、自信のない表情をした。
「しかし、私は女の見張りは苦手でありますなあ。……しかも、見張っておることを、それら下手人に感づかれてはならんのでござりましょう」
「いや、感づかれて結構、それがむしろこっちの狙《ねら》いじゃ。女になお警察が執拗にくっついちょると知りゃ、下手人どもはいよいよ気にかかって、女から眼が離せまいが。……ひょっとすると、こんどは女に魔手をのばして来るかも知れん」
「おう。……それは、そういうこともあり得ますな」
「事実あの女は、これから日々暮してゆくうちに、何かのはずみで何かを思い出して、知人に何をしゃべるか知れたもんじゃなか。その聞き込みと、女につきまとう怪しげなやつの捕捉。……その二つの目的のための追跡じゃ」
加治木警部は油戸杖五郎巡査の肩をたたいた。
「おはん、いろいろ働いて、まだ巡査とはいかにも不遇じゃ。が、広沢参議の暗殺は、明治はじまって以来最大の謎《なぞ》、下手人をとらえろという詔書《しようしよ》まで賜《たま》わりながら、四年を経てついに迷宮にはいらんとしとる。少くとも警視庁にとって最大の失態じゃ。……そいつをつかまえりゃ、おはん、警部に昇進するどころじゃすまんかも知れんぞ」
油戸杖五郎の眼は|らん《ヽヽ》とかがやいた。
「やります。拙者、あの女にくいつきます!」
数日後、どことも知れぬ闇の中の声。
「広沢参議の妾が無罪釈放になったことは知っておるな」
「知っております」
「いま、どこにおるか知っておるか」
「神田鍋町二十七番地、親元たる傘屋福井長吉方に暮しております。……そのうち、何とか近づいて探りをいれて見ようと思っておりました」
「危《あぶな》いことをするな。……女に、顔を見られたら何とする」
「あの女が、おぼえているでしょうか」
「ヒョイと思い出すということがある。いや、そのおそれは充分ある」
「すこし薄馬鹿の女でござりまするが」
「それにしても、血みどろの中で自分を犯した男どもの顔ではないか」
二人だけの問答ではない。最初にいい出した横柄《おうへい》な声は一つだが、それに対する声は複数だ。
「やはり見捨ててはおけぬ。あの女に、警視庁がなおまつわりついておるのを知っておるか」
「へ? 警視庁が、放免した女をまだ? なぜ?」
「あの女が、世の中に出て、何をしゃべるかと壁に耳をあてて待っておるんじゃ」
「そ、それは。――」
「放任は出来ん。あの女を見張れ。……警視庁の犬に気《け》どられてはならんが……事と次第では、女を永遠に黙らせたほうが安心ということになるかも知れぬ。今さらの愚痴ではないが、あのときうぬらがあの女に淫心を発して、始末しておかなかったのがこの面倒のもととなったのじゃ」
「いえ……あの場合、女を輪姦すれば、暗殺の下手人について、警察の眼がくらまされるだろう、とも思い――」
「たわけめ、もともと女色のために職をけがしたうぬらではないか、もっともらしいこじつけはよせ!」
声は舌打ちにつづいて、戦慄《せんりつ》のひびきを帯びた。
「とにかく、あの事件の下手人が白日の下に明らかとなったら、とり返しのつかぬ天下の大事となるぞ」
油戸杖五郎巡査がふるいたったのもむりはない。それは加治木警部のいったように、明治初年最大の謎の事件であった。
それどころか、幕末以来、後年の昭和時代に至るまで、歴史的な大物の暗殺でありながらついに犯人が不明のままであるという点で――姉小路|公知《きんとも》卿とか坂本竜馬とかの下手人はおぼろげながら浮かんでいるけれど、これはまったく濛々たる暗霧の中に消えてしまったという点で、最大の迷宮事件といっていい。
参議広沢|真臣《さねおみ》が暗殺されたのは、四年半前の明治四年一月九日の未明であった。時に年三十九歳である。
三十九歳で殺されたから明治の元勲とはならなかったが、生きていれば維新の俊傑ベスト・テンには充分はいる人物であったろう。殺された時点においても、薩摩における西郷・大久保に対して、長州における木戸・広沢とならび称される存在であった。彼は躯幹魁偉《くかんかいい》・槍術《そうじゆつ》の達人といわれ、それより政務に関して示した重厚果断の性格は大久保に似て、ややもすれば感情的な木戸より重んじられたくらいである。
さて、この広沢が殺されたのは、麹町富士見町二丁目の自邸で、愛妾おかねと同衾《どうきん》して眠っているところを襲撃者に踏み込まれ、十五カ所に及ぶ乱刃の下に殺害された。
おかねもまた傷を受けた。これまた眠っていて右横鬢《みぎよこびん》を切られたのだが、これはそれだけで殺されるのは免れた。
とにかく彼女は目撃者なのだから、当局の烈しい訊問を受けたのは当然である。それに対して、おかねの供述は実にあいまいなものであった。熟睡中、いきなり切りつけられたのでそのまま喪神《そうしん》し、何が何だかわからないというのである。下手人たちの人相|風態《ふうてい》も五里霧中だが、ただそれが複数であったことだけはおぼえていた。
果然、庭から縁側にかけて、素足、足袋《たび》、麻裏と数種の足跡が残り、犯人たちがそっと雨戸をあけて侵入したのち、不敵にも座敷の外から中をのぞいていたらしい数個の穴が障子《しようじ》に認められた。室内に洋燈《ランプ》はともっていたのである。
土足の跡は、隣家の木戸孝允邸との境の塀の上にも見られた。それで凶行者たちは木戸邸をも襲おうとしたが、当時木戸は大久保とともに長州へ、旧臘《きゆうろう》から西下していたので、そのことに気づいて、そちらは中止したものと判断された。
さて、この犯人たちがわからない。
何も盗《と》られた物はなく、ただめざす広沢だけをしとめて――妾のおかねも右鬢に傷を受けたのだが、その傷のようすから見て、それは顔をならべて同衾していたため、広沢を斬った刀のきっさきが掠めたものらしい――魔風のごとく立ち去ったところから見て、反広沢、反長州、反政府のいずれかの思想による政治的暗殺にちがいないと考えられた。
まず眼をつけられたのは政府|顛覆《てんぷく》を計ったとして旧臘二十八日に斬罪に処せられた元米沢藩士雲井龍雄の残党である。次に嫌疑《けんぎ》を向けられたのは、やはり反政府党としてすでに捕縛されていた元肥後藩士河上|彦斎《げんさい》の一味である。さらに長州の叛乱《はんらん》者大楽源太郎の筋、熱狂的な攘夷《じようい》論者丸山|作楽《さくら》の筋――と、数百人の不穏な人間が検挙され、虱《しらみ》つぶしに凄じい追及を受けたが、しかしその結果はいずれもシロであった。
三月二十五日にはついに詔書が出た。
「故参議広沢真臣の変にあうや、朕《ちん》すでに大臣を保庇《ほひ》すること能《あた》わずその賊を逃逸す。……朕甚だこれを憾《うら》む。それ天下に令し、厳に捜索せしめ、賊を必獲に期せよ」
にもかかわらず、依然として下手人は不明であった。
そのうちに、妙な流言がささやかれ出した。その一つは、「黒い手は薩摩だ。意のままにならぬ長閥の巨頭を持て余した大久保がこの際始末したのだ」という説で、もう一つは、「いや、そうではない。同じ長州出だが、広沢といまやその主導権を争っている木戸の手が動いたのだ」という説である。
とくに後者に至っては盟友の仲だけに非常識としかいいようがないが、それだけにかえってぶきみな説得性があった。同じ長州の前原一誠が、広沢の横死の報を聞くやたちまち、「木戸にやられたな」とさけんだという噂《うわさ》がそれに塗り重ねられた。
もっとも司法当局は、そんな妖説にはとり合わなかった。事件当時、大久保も木戸も長州にいたのだし――まさかその両人がみずから手を下すなどということはあり得ないにしろ――まだ天下が鳴動しているさなかに、新政府の実力者をみずから消去するような愚劣な小人《しようにん》であろうはずがない。
当時は警視庁はまだ存在せず、刑部省|弾正台《だんじようだい》というのが捜査にあたっていたのだが、窮したあまりに、また広沢の妾に眼をもどした。
なにしろこの女が唯一の犯人の目撃者なのだから無理もないが――再追及の結果、とんでもない事実が続々と現われてきた。
まず当夜、広沢が殺されたあと、彼女が下手人たちに犯されたということ、次に広沢家の用人の起田正一という男や、同居している広沢の甥とも以前から情交があったということ、さらにふだんから広沢家に出入りしている甥の仲間の若者たちとも関係していたということ。――
「な、なんじゃと?」
検察官たちは呆れ返った。
「うぬは、天下の広沢参議の御|寵愛《ちようあい》を受けながら。……」
改めて、しげしげと眺めて、彼らは、金槌《かなづち》みたいな頭の隅っこで、なるほどこれでは、この女を見た男はだれでも変な気を起すのも道理だ、と認めた。
事件の起ったとき、おかねは二十一であった。どちらかといえば小柄で、外見は細腰に見えるが、その実肉づきはいい。すべっこい真っ白な肉がこのごろ渡来の腸詰みたいにくびれてつながっているようで、曲線は柔媚《にゆうび》をきわめている。顔は可愛いのに、からだは怖ろしく肉感的であった。
しかし、むろん同感はしていられない。――はじめ、てっきり政敵の魔手だと見ていたが、そういう刺客《しかく》が目的達成後、みんな寄ってたかってこの女を犯したというのも、考えて見ればおかしい。
痴情の果ての殺人という可能性も充分あり得ると知って、用人の起田をはじめ、おかねと関係した若者たちが一斉に捕えられた。実際にまたおかねが、「あの夜」のことについて責められるにつれて、それらの男たちの名を口にしたのである。
しかし、男たちはみな犯行を否定した。
「そのような関係となりましたのは、まことに恐れいったことでございます」
彼らは密通という事実では全面的に服罪しながら、
「どういうわけか、あの女と話していると、そういうことにならずにはいられないのです。そして、恐ろしいことだ、と思いながら、繰返さずにはいられなかったのでございます」
と、魔法にかかったようなことをいい、
「とにかく、求めればいつでも応じてくれますのに、何も参議さまを手にかけるなどいう身の毛もよだつようなことをするわけがございません」
と、変に合理的なことを、必死の顔で述べるのであった。
用人の分際で何たるけしからぬ所業かと叱咤《しつた》された起田に至っては、おかねが甥御さまをはじめ何人かの若者たちと手当り次第に寝るのを知って、それとなく御主人に御忠告したのだが、といい、
「ところが御主人さまは、うすうす御存知のようで、しかもふだん、思い切ると恐ろしい決断をなさるあのおかたが、いま少しようすを見よう、と気弱な御苦笑を浮かべられるだけでございました」
つまり広沢はおかねにそれだけ首ったけであったと述べ、そのうちにミイラ取りの自分までがミイラになってしまった、と告白した。
それが、彼らのほうから無理無体に持ちかけたのでもなければ、女のほうから誘惑したのでもないらしい。まるで、火に近づいた虫みたいに吸いこまれてそういうことになった、と彼らはいった。
火とはいうものの、一見したところでは、おかねは美しい昼行燈《ひるあんどん》のようであった。お芝居ではなく、実際女があまり利口ではないことを検察官たちも認めた。当夜、彼女を犯した人間を、だれだ、かれだ、といっても、それは苦しまぎれの気泡《きほう》みたいな白状で、人相はおろか、それが何人であったかということさえはっきりしないのである。彼女自身傷を受けていた上に、同じ犯人にいくども犯されたらしいので、何もかも混沌《こんとん》としているのだ。
こういうなりゆきではあったが、弾正台はおかねもそれらの姦通男たちも釈放はしなかった。そんなことをしているあいだにも日はたち月は過ぎ、ほかのホシの目処《めど》は完全に絶たれ、この連中から何かを叩《たた》き出すよりほかにもはやなすすべはないことになった。
実に四年半、この一団の男女は、弾正台の――のちには司法省の特別監倉に留置されて、その間、連日連夜責めつづけられて来たのであった。
彼らをとり調べた、のちの中警視安藤則命みずからの手記にいう。
「……十二月中、かねを拷問いたし候ところ白状いたさず候につき、箱責めにいたし候|云々《うんぬん》。からだに縄をかけ杖《つえ》をもって尻を打ち敲《たた》き候ところ云々」
また起田正一の陳述にいう。
「……三月廿九日以来、日々昼夜三度ずつ海老《えび》責めと唱《とな》う拷問にて、気絶すれば薬を与えられてさらに拷問せられ云々」
係官たちは、事件未解決の焦燥《しようそう》もさることながら、これほど男たちを狂わせた淫蕩《いんとう》な肉塊への嗜虐《しぎやく》心と、これほど淫蕩な肉塊を盗み食いした男たちへの嫉妬心につき動かされたところがあったかも知れない。
とにかくこういうこの世ながらの生地獄が四年半つづいたのだ。ありとあらゆる拷問オンパレードによる肉体的な苦しみもさることながら、いつそれから解放されるのかという見込みについても絶望的な地獄が。
その解放の日がやっと到来したのは、当局が彼らに慈悲の心を起したからではない。ようやく以上のことが世間に伝えられ出したからで、それもべつに拷問云々のことを気にしてではない。拷問などは警察の当然事として認められていた時代で、それより明治の大官のお話にならぬ閨房《けいぼう》の乱れが面白|可笑《おか》しい衆口の餌になっては、政府の権威にかかわると危惧《きぐ》しはじめたからであった。
こうして明治八年七月十三日、次のような言い渡しが下された。
「その方《ほう》儀故参議広沢真臣横死一件につき相|糺《ただ》し候ところ無罪に決するをもって解放候事」
この最後の法廷に、内務卿の――彼自身も容疑者の一人と目されたこともある――大久保利通みずから出席していたところが妙である。
この事件をついに永遠の謎とし、あらゆる審問を愚弄《ぐろう》化し、そしておかね自身を救ったのは、この白痴美の女の天衣無縫の淫行そのものであったといっていい。
これが夏のことであったのに、秋風のたつころには、おかねはもう人妻となっている。
どんな過去があろうと、どういう状態にあろうと、男が放ってはおかない――いや、放ってはおけない女であったが、おかねのほうも、実に容易に、腕をさしのべて来た男の胸にすぐ飛びこんでしまうらしい。
さすがに彼女と前後して釈放された昔の「関係者」ではなく、親元の神田鍋町の傘屋の隣りに住む中年男であった。
すぐに油戸杖五郎はそのことを加治木警部に報告した。
「旱いな。……どげな男か」
と、警部が聞いた。
「浪人でござります」
「浪人?」
「元会津藩士だそうで、名は千馬《ちば》武雄とか申しますが、どうせ維新このかたの改名でござろう。それが旧幕のころの浪人そっくり、髷《まげ》をゆい髯《ひげ》をはやし、一見豪傑風でござるが、生計《たつき》は傘張り。……あのおかねの実家の裏に住み、そこから傘張りの手伝いにかよっておるうち、女とくっついたらしゅうござる」
「維新の功臣の愛妾から、朝敵会津の生残りの女房か。――」
「まだしもそのほうが相性《あいしよう》でござろう。……その亭主、去年奥州から上京して来たそうで、昔のおかねを知っているわけはござりませぬし、見たところ、顔のわりには好人物に見受けられます」
油戸杖五郎は、あれ以来おかねを見張っているにつれて、最初の武者ぶるいが急速に萎《な》えて来るのを感じていた。ただきれいな女というだけでなく、見れば見るほど可愛らしいところがあって、まだかくしている大秘密などとうていありそうにない。
またこんど新しい亭主となった男にも、好意を禁じ得ないユーモラスなところがある。とくに元仙台藩士だった杖五郎は、最後まで官軍に勇戦した会津侍にどうにも弱かった。
「おそらくこんどはあの女も大過なく、倖《しあわ》せな暮しをつづけてゆくことでござりましょう。……」
むろん彼は、命ぜられた任務から解放されることを想定していたのである。
「……いや」
しばらく考えこんでいた加治木警部は、しかしかぶりをふった。
「あん女に近づいて来る男に、ほかにくさかやつはなかか?」
「花に集まる熊ン蜂みたいに鼻の下を長くして寄りついた連中はたくさんおりますが、今のところは、参議暗殺などいう大それたことをやったような男は、まず――」
「そいは現われる。きっと現われる」
と、加治木警部はいった。
「そいからまた、女も亭主待ちとなったら、何かしゃべりはせんか。いや、あの馬鹿女がいままでの取調べで何か隠しておる事《こつ》があるとは思わんが、馬鹿だけに亭主と寝ちょるときに、ふと忘れていた事《こつ》を口走るっちゅうことも考えられる。監視をやめるどころか、おいはおはんに当分あの女の閨《ねや》の睦言《むつごと》まで聞いてもらいたいと思っちょる」
冗談をいっている顔ではなく、加治木警部は大まじめであった。
「実はな、油戸巡査、あの女の釈放については、司法省のほうじゃ途中で脈がないと見ておったものを警視庁じゃ――主として安藤中警視じゃが――どこまでもあの女の筋に見込みがあると頑張って来たゆきがかりがあるんじゃ。その面目にかけても警視庁としては、何とぞしてあの女の筋からホシを挙げたい。――」
「は。――」
「御苦労じゃが、いましばらく見張ってくれ。いや、耳を壁にあてておってくれ」
そうまでいわれて、まだいやだとはいえない。いや、事実、やはりおかねから眼を離してはいけないような気になる。
油戸杖五郎巡査はみずからを鼓舞して、再監視を続行することにした。それどころか、加治木警部の注意を|ま《ヽ》に受けて、新夫婦の閨の睦言まで聞こうと努め出したのである。
千馬武雄の「浪宅」は、傘屋福井長吉の裏庭をへだてた路地にあった。東京へ来た当初は寺子屋風の塾をひらいたらしいが、小学校もあるいまの世の中に子曰《しのたまわ》くを習う子供もなく、そのうちに裏庭伝いに傘張りの手伝いにやって来だした。――
ほうっておいたら、これから先どうして暮しを立ててゆくのだろうと心配になるようなこの男を、娘のおかねといっしょにしたのは、親のほうでも娘の過去にひけめを感じたのか、手近なところで見張っていなければまた何が起るかわからないような不安があったのか、それともこの千馬にそれだけ愛すべき性格を認めたのか。――いや、わけもへちまもなく、あれよあれよというまにくっついてしまったというのがほんとうのところかも知れない。
何はともあれ、これは好人物だ、と油戸巡査もすでにその点は認めている。
達磨《だるま》さまみたいな顔をして、年は四十にちかいだろう。それで独身というのは、もともと妻もあり三人の幼い女の子もあったのだが、会津戦争のとき足手まといになるというのでみな自害した。彼だけは籠城《ろうじよう》したのだが、結局最後には降伏ということになって、彼は生き残ってしまったのだという。
こういう例は会津侍に多いが――昼間、傘の干してある庭でその話をしては、千馬武雄が号泣するのを油戸巡査は何度か聞いた。
さて、その千馬武雄がおかねと夫婦になってから、油戸杖五郎は昼ばかりではなく夜も見張ることになった。
その家の羽目板の下や竹垣のかげの闇の底にしゃがみこんで、耳を澄ませる仕事をはじめたのだが――十日もつづけないうちに、油戸巡査はふらふらになってしまった。
とにかくこの新夫婦の合歓《ごうかん》ぶりは大変なものであった。
|喋 々 喃 々《ちようちようなんなん》の話し声からはじまって、笑い声、喘《あえ》ぎ声、泣き声、それから動物の咆哮《ほうこう》としか思えない声がつづき、それが徐々に、ときには突如として消え失せたかと思うと、数十分後にはまた同様の経過が繰返される。これが連夜、多くて五回、少くとも三回は反覆されるのだ。泣き声が、いくら何でも女にしては凄過ぎると思って首をかしげると、どうやらそれは豪傑千馬武雄の声らしかった。
そのあげくの果ては、
「あァあ……なんとまあええんじゃろう。……」
という感きわまった千馬武雄の大嘆息が聞えるのだから、顔面筋肉を硬直させて耳をそばだてているのが馬鹿らしいようなものだ。
これでは昼間満足に起きていられるはずはない。果しておかねのほうはひどい朝寝坊だし、武雄のほうも福井方で傘を張りながら、いつもコクリコクリやっている。
みなから、からかわれると、
「まったくじゃ。やめようにも、どうにもとまらん。……拙者もさきゆきどうなることかと案じておる」
と、真剣な顔で慨嘆《がいたん》するので、親の長吉まで苦笑しているよりほかはない始末であった。
背はややひくいが、肥っちょであったのに、彼は日毎に痩《や》せて来た。にもかかわらず、おかねのほうは、司法省の監倉から出て来たときとは別人のようにみるみる肉がついて、全身からぼうっと白い光をけぶらせているように見える。
千馬武雄が痩せて来たのは自業《じごう》自得、おかねがあぶらづいて来たのはふしぎとして、油戸杖五郎までが憔悴《しようすい》して来たのは、どう考えてもわれながら馬鹿げている。
一ト月ちかくたって、彼はついに悲鳴をあげた。いつまでこんなことをしていても、まともなことは何も出て来そうにないが、たとえ何か出て来て大殊勲の端緒《たんしよ》をつかんだとしても、こんな情けない所業までして出世したくないと考え出した。
と、いって、そんな理由で、加治木警部に再度の辞退は申し出られない。救いを求めるがごとく周囲を見まわした油戸杖五郎は、ふと一人の恰好《かつこう》な代役を発見したのである。
それは彼と同じ秋葉原の長屋に住んでいる紙屋という巡査であった。
同じ巡査でも油戸のように警視庁詰めではなく、ふだん下谷の屯所に詰めている三等巡査で、半年ほど前、そこへ引っ越して来た。小柄で貧相《ひんそう》な顔に、髭《ひげ》だけは並み以上にはねあげている。
この巡査が頭があがらないのは、河馬《かば》みたいな顔をした女房と、ときどきやってくる高利貸らしい男と、それから本庁詰めの油戸巡査にもゆき逢うときひどく卑屈だが、そのほかの長屋の住人には恐ろしく威張っている。
それでも同じ長屋だから何度か立ち話する機会があったが、油戸はこの男が、渇《かつ》えたように出世と女に憧れていることを知った。女は、女房ではなく、|どこか《ヽヽヽ》の架空の美人である。そして紙屋巡査の借金は、彼が美人を求め、出世がそれに伴わない――具体的にいえば女郎買いをやって金がなかったことから胚胎《はいたい》したらしいことを知った。
油戸巡査はどうにもこの紙屋巡査に好感を持てなかったが、これをはたと思い出したのは、こんな仕事にはこの男が打ってつけだと直感したからだ。善意で心配してやっても、この巡査はこのままほうっておくと、ろくなことにはならないような予感もした。これで手柄をたてれば、高利貸から逃げられる機会をつかめるだろう。
油戸は加治木警部にこのことを相談にいった。
「そうか。おはんには、似合わん仕事じゃったかも知れん喃《のう》」
しばらく思案したのち、警部はそういい、
「では、その紙屋巡査を使って見ることにしよう」
と、いった。
数日後、長屋の中の往来で、油戸杖五郎が紙屋巡査にゆき逢うと、紙屋は股引《ももひき》に尻っからげ、鳥打帽に杖をついているという妙な姿であったが、油戸を見てもいつものように卑屈に敬礼せず、妙にそり返ってすれちがっていった。――
彼はすでに加治木警部に命じられ、新任務に服しているらしい。が、その斡旋《あつせん》をしたのが油戸巡査とは知らないようだ。
とにかく紙屋巡査が大手柄をめざして、「重大任務」に猟犬のように張り切っていることはたしかであった。
……さて、それからまた数日後の夜。
例によって恋女房との大交歓が一段落を告げて、仰向けになって昏睡病的な深呼吸をしていた千馬武雄は、ふと枕の下に同じような大呼吸の音を聞いた。
――おや?
首をもたげてかえりみると、おかねも半睡半醒の境にあって、半裸の姿で恍惚《こうこつ》の吐息《といき》をもらしている。――おかねではない!
千馬はぎょっとしてまた蒲団に耳をおしつけたが、ふいにがばと起き上り、縁側へ飛び出した。
「だれだっ?」
誰何《すいか》すると、そちらとは方角ちがいの縁の下から、大きな猫みたいな影が駈け出していった。垣根につまずき、いちどつんのめったようだが、すぐにそのまま闇の中に消え去った。
「……ばかなやつだ!」
舌打ちして戻ると、おかねがうすく眼をひらいてこちらを見た。
「泥棒猫じゃ」
と、千馬がいうのに、
「そう」
と、答えただけである。夫の言葉の意味をそれ以上考える気はないらしい。落着いているのではなく、何も感じないのだ。そして、ふたたび横になった夫に、彼女はまたうねうねと巻きついて来た。……
この異変に気づいた最初の夜は、千馬武雄はその泥棒猫は近所の若いやつのだれかだろうと思っていた。ところが、それから――毎夜毎夜、ふっと枕からもたげた耳を澄ますと、また、いる。たしかに、いる。だれか、近くにひそんでいる。
「こらっ!」
大喝《だいかつ》して飛び出すと、風のように逃げ出す気配だが、すぐにまた音もなく吹き返って来て、濡れた紙っきれみたいに、どこかに貼《は》りついているようだ。
さすがの豪傑風人物も、だんだん神経衰弱になって来た。
小春日和《こはるびより》の一日、千羽兵四郎は数寄屋橋へいった。
あの伝馬町囚獄署が焼けた日以来、ずっと隅の御隠居さまのところで養われていた石出|帯刀《たてわき》の息子柳之丞を、御隠居の旧知行地相州|侘助《わびすけ》村の寺で預ってくれるという話がついて、冷酒かん八が少年をつれてゆくことになり、それを見送るためであった。
近くまで見送って、兵四郎は御隠居と濠沿《ほりぞ》いにぶらぶらひき返して来た。
「しかし、何ですな、あの事件は結果から見ると、警視庁の手伝いをしてやったような案配になりましたな」
と、兵四郎がいう。
「そういうことになったかの。なるほど真犯人をこっちでつかまえて、牢屋に放り込んでやったのじゃからの」
と、御隠居が笑う。
「悪いやつだから当り前だとはいうものの、私どもの人生目的としては何だかおかしいような気もします」
「ま、鳥坂喬記は政府の犬の一匹じゃからと思ってがまんしておけ」
そのとき、焼けて今はない数寄屋橋御門のあたりを、鍛冶橋のほうから歩いて来た三人の男と眼があって、向うから「おう!」という声がかかり、こちらからも「あ!」と口走った。
その三人は、いずれも大刀を腰にぶちこんだ、四十半ばの立派な口髭をはやした美丈夫をまんなかに、三十代、二十代のザンギリ頭の男二人であったが、その美丈夫が「おう!」とさけんだのにつづいて、
「これは、駒井相模守どのではござらんか」
と、呼びかけて来た。
御隠居はなつかしげに笑った。
「やあ、会津の佐川さんじゃな。久しぶりじゃの」
「御健在でしたか。……どこにお住まいで?」
「そこよ」
と、秋草の中の小屋《しようおく》をあごでさした。
佐川と呼ばれた人物は、しばしまばたきしながら、御隠居とその家を見くらべていたが、
「これはよいおひとにめぐり逢うた。わしはどうすればよいか、このおかたに判断していただこう」
と、うなずいて、二人の同伴者をかえりみた。
「このおかたはな、旧幕のころ江戸町奉行をなされていたおひとで、わしが江戸詰めのころ、ふとしたことで命を助けて下されたおかたでもある」
「ま、とにかく茶でものんでゆきなされ」
と、御隠居は三人をみちびいた。
佐川ははいったが、あとの二人は「いや、私たちはここで待ちます」と、家の外に立ちつくしたままでいる。三|帖《じよう》の部屋三つという小屋に辟易《へきえき》したのかも知れないが、それよりあまり知らないところにはめったに近づかないといった警戒性、いや野の獣みたいな殺気さえその二人に感じられた。
「東京には早くからおいでられたのか」
と、座に直ってから、改めて御隠居が聞く。
お縫に出させたのは、茶でなくて茶碗酒であった。酒が好きな男であることは承知らしい。
「いや、たった五日ばかり前……津軽の奥から出て参りました」
美丈夫は従容《しようよう》としているが、その全身には、北国の寒風に吹きぬかれて来た人間特有の凄味が感じられた。
この佐川という人物については、そのときは兵四郎も顔のひろい御隠居の古い知人の一人だろうくらいの知識しかなかったのだが、あとで会津に猛将佐川官兵衛あり、と幕末のいくさで勇名をとどろかせた男であったことを知った。
すでに江戸詰めのころ、近火があり、主君のいいつけで某大名へ見舞いにゆく途中、幕府の火消役人が縄を張って通行止めにしていたのを、これと争って数人の役人を斬っておし通ったという。それでいのちがあったのは――その点については御隠居さまはべつに語らなかったが、それはおそらく幕府の要職にあった御隠居のとりなしのせいにちがいない、とあとで兵四郎は思い当った。
やがて京都守護職となった主君松平|容保《かたもり》に従って上洛《じようらく》し、新選組などと協力して京の治安に当った。その驍将《ぎようしよう》ぶりを知られたのは、鳥羽伏見の敗戦の中で、から傘《かさ》で狙撃《そげき》の銃弾を狂わせつつ、当面の薩将黒田清隆を狼狽《ろうばい》させたほど勇戦したことと、さらに越後で河井継之助との協同によるみごとな防衛戦、会津落城に至るまでの剽悍《ひようかん》無比の死闘ぶりによる。その血刀ひっさげ悍馬《かんば》で疾駆《しつく》する姿は、戦国武者を彷彿《ほうふつ》させたということであった。
「あのお供は……やはり会津の衆かな」
と、御隠居が聞く。
「いや、年長のほうは永岡敬次郎といい会津者でござるが、もう一人若いほうは加賀の男で長連豪《ちようつらたけ》と申し、それが可笑しいことに北海道から斗南《となみ》へ、拙者を訪ねて来て、いっしょに出京して来たのでござる」
と、佐川官兵衛は答えた。
さっき兵四郎が彼らを見て、「あ!」とさけんだのは、実はその若者の顔を見たからであったのだ。
この春、榊原鍵吉らと東京で撃剣会など興行し、やがて仲間と北海道へ去っていった犬を飼う美少年――そのころから挙動不審なりとして警視庁から眼をつけられ、追跡までされたのを、隅の御隠居さまのおかげで無事旅立っていったのだが、そんなことは彼は知るまい。
その長連豪が、もう北海道から帰って来たのか。あとの仲間はどうしたのか。――
犬はもういない。
御隠居さまは、あの若者の顔をおぼえていられるのかどうか、と、ちらっと見たが、御隠居はそのことについてはもう尋ねるようすもない。おぼえていても知らない顔をしていることは充分あり得る老人だから、兵四郎も問いもせず、また佐川官兵衛に聞くのもやめた。
「斗南はどうじゃ、だいぶひどいと聞いておるが」
「いや、この世の地獄でござる」
と、佐川官兵衛は憮然《ぶぜん》としてつぶやいた。
斗南とは、別名みちのくの下北半島のことである。
明治元年九月、降伏した会津藩は新しく斗南藩と名も変えられ、生き残った藩士たちはその地へ移動を命じられた。
ひとたびは賊軍の名を受けた藩に助命のお沙汰を賜わるのみか、聖天子の御仁慈《ごじんじ》きわまりなし、と会津侍とその家族は感泣《かんきゆう》して移っていったが――下北半島は半年は雪に覆われた火山灰地の曠野《こうや》であった。彼らはその荒涼《こうりよう》の地へ、家もなく放り出されたのである。
佐川官兵衛は語った。
ようやくそれぞれ乞食小屋にも劣る小屋をたてて住んだが、食糧といえば少量の玄米に海藻を加えた糊《のり》のような粥《かゆ》が常食で、冬になるとそれも尽き、蕨《わらび》の根をたたいて水にさらして沈んだ粉を糠《ぬか》にまぜて団子《だんご》にして食った。砂糖や醤油《しようゆ》など幻の味であった。彼らは陸奥湾から吹きつける寒風の中に、女も蓆をかぶって寝、凍てつく大地に子供たちはみな裸足《はだし》で足ぶみして暮してきた。
藩の名は県と変ったが、今もその暮しはつづいている。――
「死ぬな、死ぬなよ、ここで餓え死しては、あれ見よ会津は、官軍に刃向うた罰でのたれ死したぞ、と薩長の鬼めらに手を打って笑われるだけだぞよ、と拙者などさけんで来たのでござるが」
猛将佐川官兵衛の手にした茶碗に、ハラハラと熱涙が落ちた。
「そうか、話には聞いておった。――わしども幕臣の駿府暮しも相当なものじゃったが、斗南には及ばんな」
と、御隠居は暗然といい、それから
「日本のシベリア流刑《るけい》じゃな」
と、ハイカラな知識を口にした。
聞いていて、兵四郎も怒りに身もふるえるような思いがした。
会津そのものが、ただ京都守護職として京で凶暴をほしいままにするいわゆる志士とやらを取締ったのを口実に、後になって強引に賊軍の汚名をかぶせられ追討を受ける破目になったことを思えば、なおさらその後の彼らの苦悩がいたましい。
「そこにこのたび、拙者のところへ警視庁から使者が来たのでござる」
「ほう」
「いまは警視庁の巡査をしておりますが、元は京都見廻組今井信郎という男が、はるばる大警視川路|利良《としよし》どのの書状を携《たずさ》えて」
兵四郎ははっとしていた。
佐川官兵衛はつづける。
「会津待ども、東京に来て巡査にならぬか、という用件で」
彼は茶碗酒をあおって、苦笑した。
「賊軍会津に、薩長政府の邏卒《らそつ》岡っ引になれというのか。そもそもそんなことをいう川路は、鳥羽伏見のいくさでこの官兵衛とやり合った敵将ではなかったのか、と、拙者笑い申した。それに対して今井巡査は――いや、今井の勧めのみならず、まわりの惨状すでに五、六年もつづき、いつ曙光《しよこう》がさすとも知れぬ会津の者どもの惨苦を見るにつけて、正直なところ拙者もゆらいでき申した。結局、それではともかく上京して話を聞こうということになったのでござる」
佐川官兵衛の声は哀音を帯びた。
「で、いましがた、川路大警視に逢って来たというわけで……めんと向って逢うたのははじめてでござるが、あれは相当な人物でござるのう。……それはともかく、大警視は申す、警視庁巡査として、会津侍なら何千人でも受けいれる、と。――いまごろあの仁《じん》は、何を思いついてのことでござるかなあ?」
「ふむ、警視庁が、何千人の会津侍を喃《のう》。……」
御隠居はくびをかしげ、
「また時勢が変るか。――」
「いや、われわれの完全敗北のだめ押しでござろう」
佐川はちらっと横に置いた大刀を見やって、
「それより拙者を参らせたのは、近く政府は廃刀令を天下に布告するとのことで」
「えっ」
兵四郎がさけび声をたてた。
「廃刀令……それは、もう出ているではありませんか」
「いや、今までのやつは士族にして帯刀せざるも苦しからず、というに過ぎんが、こんどは士族だろうが何だろうが、一般人民はことごとく刀を携えてはいかん、ということになるらしい」
「ほう、いよいよ刀狩りと来るか」
と、御隠居がつぶやく。佐川官兵衛はたてつづけに酒を飲んだ。満面朱に染まっているのは、酒のせいばかりではないらしい。
「刀をとりあげられたら、武士の魂、世の士道はどうなるか。わしなどはきんたまをぬかれるような気がする。……ところで、巡査だけには刀を持たせることにいたしたい、と川路はいう。――これには拙者、動揺いたしたな」
彼は大きな眼で御隠居を凝視した。
「ところで御相談申したいのは」
「うむ」
「拙者――拙者ども会津侍、巡査になるべきでござろうか、駒井どの?」
「あの若い二人は、何と申しておるかの」
外の同伴者のことだ。
「あれはむろん頭から反対でござる。怨敵《おんてき》薩摩人を頭《かしら》とする警視庁に巡査としてコキ使われるなど言語道断、と申し、実はあの両人がいっしょに上京して来たのも、拙者を監視するためらしいので」
「あの二人も……警視庁へ同行されたのですか」
と、兵四郎が聞いた。聞きたかったのは、二人のうちの長連豪のことだ。
「いや、あれたちは遠く離れて、濠端《ほりばた》で待っておったが。……」
――それにしても警視庁に追われたこともあるのに、大胆不敵なことだと思う。もっともあの若者のほうでは警視庁に眼をつけられていたことは知らぬが仏かも知れない。
「わしはな、佐川さん、警視庁のせっかくの勧めに応じられたがよいと思う」
と、御隠居がしずかにいい出した。
佐川官兵衛よりも、兵四郎のほうが意外感に打たれた。
「会津の衆に、薩摩の家来になれとおっしゃるのですか!」
と、さけんだとき、外でただならぬ声が聞えた。
はっとして顔をふりむけ、すぐに兵四郎は飛び出した。すると、外に立っているのは長連豪だけで、数寄屋橋のほうからもう一人の永岡敬次郎が、髯だらけの浪人風の男をつかまえて、こちらにひっぱって来るのが見えた。
「なぜ逃げるのだ。ちょっと来い、千馬《ちば》。――佐川官兵衛どのもそこにおられる」
まるで、冬眠から醒《さ》めてどこからか這《は》い出して来た熊の仔《こ》みたいな印象であった。
どうやらその浪人風の人物が近くをふらふら歩いているのを永岡敬次郎に見つかって、あわてて逃げようとしたが、追っかけられて、つかまったらしい。
それから数分の問答ののち、それまで家の中にはいって来なかった永岡が、
「佐川どの、千馬でござる」
と、つれて来て、また佐川官兵衛とのあいだに交《かわ》された会話で、その男がやはり元会津藩士で、去年斗南を離れて東京へ来たらしいということを知った。
はじめ何かの盟約から抜けて逃げて来たのかとも思ったが、べつにそういうわけでもないようだ。佐川官兵衛の微笑、永岡敬次郎の苦笑の顔から、この同藩の、しかも朔北《さくほく》の地で惨苦をともにした旧友に、ただのなつかしさ以上の好意を持っていることはたしかであった。
ただ兵四郎に、千馬がどこからか逃げ出して来たような印象を与えたのは、まったく当人のオドオドした態度で、そのことについて佐川も別の表現で疑問を投げた。
「千馬。……何だかおぬしらしくないの。上京以来の苦労で消耗《しようもう》したというのもわかるが、何だかおびえておるように見える。何をこわがっておるのじゃ?」
これに対して、千馬武雄は、しばらく口をアグアグさせていたが、やがて、
「いや、拙者こわいのです。……」
と、いった。
「じゃから、何が?」
「広沢参議暗殺事件というのを御存知でござろうか?」
そして彼は、自分が縁あって、広沢参議暗殺のとき同じ場所に眠っていてそのまま四年半も留置され、この夏釈放された妾のおかねという女を、この秋のはじめ女房にしたこと、それがここ数十日、昼夜を問わず何者かに執拗に見張られていることを白状した。
「おぬし、それはまた妙な女人を女房にしたの。……」
佐川官兵衛は眼をむいたが、事件は知ってはいたものの当時斗南にいたのでそれほどの関心はないようで、かえって御隠居と兵四郎のほうが興味をもって膝をのり出した。
「見張っておるというのは、何者ですか」
と、兵四郎が聞く。
「それがわからぬ。何度か追っかけたが、まるで物《もの》の怪《け》のように消えてしまうのじゃ」
千馬の恐怖が真剣なものであることは、肥っているのにもかかわらず、その異常なやつれかたからあきらかであった。
「御承知かも知れぬが、女房が四年半も留置されておったのは、あれが下手人と関係があるのじゃないか、少くとも下手人を知っているのじゃないか、という疑いからでござる。……拙者思うに、その曲者は、その下手人の筋ではござるまいか。……」
「なるほど、それでこわがっておるのか」
と、佐川官兵衛がつぶやき、首をかしげて、
「それにしてもおぬしのやつれぶりはただごとでない。斗南にいたころよりまだひどいじゃないか」
「そ、それは、女房めが、実にあれが好きで好きで、拙者、実は、この分では、そのうち、なめくじのごとくとろけ果てんかと、自分でもこわくなるばかり。……」
こんな場合にと、みな唖然《あぜん》となり、げらげら笑い出したので、大まじめに告白した千馬武雄は真っ赤になって、
「いや、拙者、女房を愛しているのでござる。その愛する女房に危害を加える者があれば、と思うと、その心配で夜もおちおち眠れぬために、かくのごとく。……」
と、泣かんばかりに訴えた。
苦笑をかみしめ、兵四郎が聞いた。
「それで御内儀は……あの事件の下手人を御承知なのでござるか」
「いや、当夜のことは半失神の状態にあって、何の記憶もないと申しておる。それに……白状いたすが、実は元来が少々ぼうっとした――世間並みにいえば、ま、薄馬鹿といっていいような女でござるが」
千馬武雄は悲痛なばかりに声をふりしばった。
「しかし、それでも、可愛い女なのでござる!」
「わかったわかった。永岡、おまえ千馬を助けてやらんか」
と、佐川官兵衛がかえりみた。心打たれたものがあったらしい。
「当分、千馬夫婦のため夜廻りを勤めてやり、おまえの手でその曲者をつかまえてやらんか」
「馬鹿なことを!」
永岡敬次郎はにべもなく、横を向いた。
「拙者にそんなひまはござらぬ!」
「兵四郎、どうじゃ?」
御隠居さまが呼びかけた。
「元同心のおまえに何よりふさわしい役、おまえがこの仁《じん》の用心棒となってさしあげろ。よい喃《のう》?」
最初兵四郎がめんくらったことはいうまでもない。実に思いがけない役を命じられたものだ。が、とっさのあいだに承知の意志を示したのは、見ていてその千馬という男に何ともいえぬ好意が持てたのと、それから何よりあの大事件の謎への興味からであった。
長州出の大官が成り上り者らしく妾と同衾していて殺されたことに同情は感じず、かえっていい気味だくらいに思ってはいたが、その下手人という点になると、元同心としての職業的好奇心が働かないわけにはゆかない。とくにいっしょにいたその妾が、いまも生き残っているというのがたしかに問題だ。下手人にとって気がかりなことは充分想像出来る。
その夜から兵四郎は、神田鍋町に出かけてその役についた。
彼は千馬夫婦をおびやかす影は、てっきり暗殺者につながる筋だと思っていた。日によって時刻はちがうが、夜のうち数時間にわたって千馬武雄の家のまわりを徘徊《はいかい》したり、ときには物陰にひそんだりしてようすをうかがった。
ところが、三日たっても、四日たっても、何の異常もない。――いや、依然としてだれかうかがっている気配があった、という千馬の言葉を照らし合わせてみると、それは兵四郎自身の張り込みと一致しているので苦笑のほかはない。
「そうじゃ、では、こうして御覧にならんか」
と、千馬がいい出したのは、兵四郎にこれから自宅の別室で待機していてもらう、という考えであった。
兵四郎はちょっと当惑した顔をした。実はそれまでの哨戒《しようかい》のあいだも、いくどか夫婦合歓の声を聞いて、なるほどこれは相当なものだ、と感じいっていたからだ。
「それは、御迷惑になりはしませんか」
わざとまじめな顔でいった。
「迷惑どころか、実は拙者守っていただきたいのは、曲者《くせもの》よりも女房の猛襲で」
用心棒を頼みながら、千馬武雄はそんな馬鹿げたことをいい、すぐに気づいて手をふった。
「どうやら曲者が来ないのは、あなたが外で頑張っておられるからではござるまいか。それはありがたいが、それではいつまでも果てしがない。また拙者としては、いらざる跫音《あしおと》におびえることにもなる。……当分のあいだでござる、曲者をひっとらえるまで、どうかそのようにお願いしたいもので」
もっともな点もあるので、兵四郎は了承して、その次の夜から千馬宅に泊り込んだ。
泊り込んで、驚いた。別室といっても傘屋の離れといっていいほどの小さな家だから、隣室ということになる。そこで彼は、夜な夜な夫婦の盛大きわまる営みを、襖一枚へだてて聞かされる破目になったのだ。
外で聞いても感じいっていたが、この近さで聞けば――「聞きしにまさる」とはまさにこのことだ。
喋々喃々の話し声からはじまって、笑い声、喘ぎ声、泣き声、それから動物の咆哮としか思えない声がつづき、それが徐々に、ときには突如として消え失せたかと思うと、数十分後にはまた同様の経過が繰返される。これが連夜、多くて五回、少くとも三回――おや、この文章はいちど書いたぞ――つまり兵四郎は、なんぞ知らん、かつて油戸巡査が悩まされたのと同じ、いや距離の点から、もっと生々《なまなま》しい迫力をもって聞かされる破目とはなったのだ。
――これはとんだ用心棒を引受けたものだ!
はじめのうちの自嘲《じちよう》の笑い顔が、だんだんこわばり、あぶら汗がにじみ出し、はては耳を覆って、こちらもわめき出したくなる衝動を抑えるのに死物狂いになる。
それにしてもひどいやつだ、千馬武雄という男は。――と、呆れざるを得ない。
「拙者守っていただきたいのは、女房の猛襲で」なんかといって、まるで手ばなしだ。女房よりは盛大な快悦の泣き声まであげて、あげくの果ては「あァあ! なんとまあええんじゃろう。……」と感きわまった大嘆息をもらすのだから。
昼間になると、千馬はしょげていう。
「いや、申しわけない。しかし、やめようと思っても、どうにもとまらんのです。……」
決して兵四郎を馬鹿にしているのではないことは明白であった。つき合うに従ってこの会津侍が底ぬけの好人物であることは認めないわけにはゆかなかったし、それより、あの女を女房にすればああなるのもあたりまえだ、と兵四郎も思う。槍術の達人といわれた広沢参議が|なまこ《ヽヽヽ》のごとく無抵抗に殺される破目になったのも無理はない。
そして、そのおかねという女も、どう見ても憎めないのだ! おかねはまさに天衣無縫であった。
考えてみると兵四郎は、これに似た経験を以前にもいちど味わったことがある。例の青木弥太郎の妾と警視庁の何とかいう警部の痴態を聞いていたときだ。しかしあれは|つつもたせ《ヽヽヽヽヽ》という仕事を女と打合わせた上のことであったし、女もいかに傍若無人とはいえ、お芝居をやっているというふちどりがあった。
こんどのおかねには、ふちどりというものがない。
はじめに千馬武雄が、「これはわしたちを守って下さる元同心の方《かた》だ」と紹介したので、おびえたように小さくなっていたが、三、四日もすると、もう馬鹿になれなれしく、
「ちょいと同心さん、こっちへいらっしゃいよ。……あんた、ほんとにいい男ねえ」
などといって、うっとりしたような眼つきで兵四郎を見つめる。
それがべつにこちらをからかっているのでも誘惑しようとしているのでもなく、ただの人なつこさ、人のよさだけによるらしいのだが、そのしたたるような黒い眼、半びらきの赤い唇など、そばに亭主の千馬がいても、あやうく抱きしめ、吸いつきたくなるほどだ。この天女に似た白痴美の女の無意識のセックス・アピールは地獄的でさえあった。
十日もたたないうちに、兵四郎はやつれ果てた。
そのあげく、彼は御隠居にも報告出来ないような大|どじ《ヽヽ》を踏んでしまったのだ。
十何日目かのある雨の夜であった。
「……おう」
例によって例のごときうなり声が消えて一息、また千馬武雄がうめいた。
「来たっ……同心どの、だれか縁の下に。――あいつです、あいつの鼻息が聞えますっ。……」
それをしびれた鼓膜に受けつつ、兵四郎ははじめ千馬の怪声の余韻のように聞いており、さてふいにわれにかえってがばと起き直ろうとしたが、何たることか腰がぬけたようで、やがてドタドタと跳ね出していったときは、垣根を躍り越えて一つの影が雨の闇に消えてゆくのをおぼろに認めただけであった。
それから一週間ばかりたったタ方、兵四郎が神田鍋町の千馬の家へ出かけると――彼はタ刻用心棒の勤務につくことにしている――千馬武雄は留守であった。注文の傘を何本か背負って、秋葉原の某家へ出かけたという。――
「それがお昼過ぎなんだけどねえ。どうしたのかしら?」
と、おかねは首をかしげたが、すぐに、
「まあ、お酒でも飲んで待ってて下さいな。あたいといっしょに飲みましょうよ」
と、にいっと笑った。
むろんまったくの白痴というわけではないので、ふつうの女なら特におかしい挨拶というほどでもないが、この女の八方破れの甘ったるい笑顔でこう誘われると、たいていの男がふらふらになってしまう。
「いや」
兵四郎はぶるぶるっと身ぶるいして、これまた常態以上の拒否的な身ぶりを示した。
「ふむ、昼過ぎに秋葉原に出かけて、まだ帰らない。――ゆくさきの家はおわかりか」
「お父っつぁんにきいて下さいな」
それで兵四郎は、庭伝いに親の長吉のところへいって、傘の届け先を聞き、秋葉原へ出かけた。彼としては、帰らない千馬武雄を不審に思うより、おかねと二人で待たせられては叶《かな》わない、という当惑から来た時間つぶしのつもりであった。
神田鍋町はいまの鍛冶町二、三丁目あたりに当り、秋葉原はもとより一足の距離である。だから、むろん歩いて出かけた。
秋葉原はそのころまわりは草ぼうぼうの原っぱであった。――そもそも秋葉原という名がこのときから六年ほど前に出来たもので、明治二年ここを火除《ひよけ》地とし、火伏せの神遠州|秋葉《あきば》神社を勧請《かんじよう》したことから発生したものだ。だから語源的には、現在通用している「あきはばら」の名はまちがいで、「あきばはら」と呼ぶのが正しいだろう。
昼間はその原っぱには屋台や大道芸人などたくさん出ているのだが、もう三日月の浮かび出した空に枯葉が乱れ飛んでいるうす気味悪い夕方で、秋葉原にほとんど人影はなかった。
そこからいちばんおしまいに店じまいして引揚げて来るらしい二、三台の屋台のうち、最後の飴《あめ》売りの屋台が、少しゆき過ぎてから、
「もし。――」
と、兵四郎に呼びかけた。屋台を曳いている老爺であった。
「どなたか存じませんが、ちょいと気にかかることがありますのでな」
「何だ」
「あそこの裏のほうへ」
と、爺さんは原っぱの隅っこの秋葉さまの祠《ほこら》を指さした。
「だいぶまえ、四人の人がはいってゆきましたが、それっきり出て来ねえ。向うへいっちまったようでもねえし、何だかようすが変でございましたから、見にいってやって下せえませんか」
「四人の男が?」
「へえ、一人はふとった人で、あとの三人は鳥打をかぶった衆でござんしたが。――」
ふいに胸騒ぎをおぼえ、兵四郎は駈け出した。
原っぱは昼間そんな床店が出ているため踏みたたきになっているが、端のほうにゆくとその名の通り蓬々《ほうほう》とした秋葉が背丈ほど生《お》いしげっている。その中に祠にゆく細い道があった。――と向うで、ザワザワと草を吹く風のような、しかしたしかに風ではない音が遠ざかっていった。
兵四郎は祠の裏に出て、たちまち立ちすくんだ。
「――千馬さん!」
草の中に、千馬武雄が倒れていた。その頸に蛇のように巻きついた縄が見えた。鼻から溢《あふ》れている血が見えた。
駈け寄って、抱きあげてまた呼んだが返事はない。兵四郎は、千馬がうしろ手に縛りあげられているのを知った。はだけた着物のあいだから、あっちこっち小さな鈍器で打ったらしい傷や擦《す》り傷があった。そのからだはまだ生暖かったが、彼のむき出した眼はもう動かなかった。――と見えたのに、ふいに色のない唇が動いた。
「おかねやあ。……」
兵四郎の耳には、たしかにそう聞えた。が、そのまま千馬は兵四郎の腕の中で、がくりとあおむけに頭を垂れてしまった。
日は薄暮――というより、もう薄墨色であった。その下に、銀灰色にざわめく草の波の中に、人影はない。そんなに遠く逃げられるわけはないのに。
――と、眼を少し移して、兵四郎は「お」とうめいた。
いた! 祠へ来る小道が途中で二つに分れて、もう一筋、ずっと遠くの町並へつづいているらしいが、そこに、四、五間離れて立っている影が。
影は一つであったが、たしかに鳥打帽をかぶっていた。背は小柄だが、股引《ももひき》に尻っからげをし、手に杖のようなものをついて、ぬうと立ってこちらを眺めている。――と、見るや、その男はつかつかと草をわけて、こちらに歩いて来た。
兵四郎は、二度と声を立てなかった。こいつが千馬を殺したやつか、と思いつつも、相手のあまりの不敵さに、ちょっと気をのまれたのだ。
鳥打帽はやって来て、足もとに倒れている千馬武雄を見下ろした。のどの奥で奇妙な声をたてたかと思ったら、夕闇にもひかる眼をぎらっとこちらへあげて、
「やはり、うぬか!」
と、金属的な声でうめいた。
同時に杖から銀色の光がほとばしった。仕込杖であった。
「抵抗すると斬るぞ、神妙にせい!」
この一、二語のせりふにひっかかるものがあったが、それより兵四郎の頭を沸《わ》きたたせていたのは、むろん怒りだ。猛然と、こちらも腰の刀に手をかけて、
――いや、こいつ、ひっとらえて正体をあばいてくれる。
と、考えた。相手の構えから、大した腕ではない、と見破ったのだ。
「よし、来い!」
と、わざと両腕をひろげた。
相手はかっとしたように斬り込んで来た。ぱっと体をかわすと、兵四郎はその腕を抱き込んでいる。その仕込杖を奪いとろうとし、相手はそれを防ごうとし、二、三度ぐるぐると廻った。そのとき、曲者が絶叫した。
「……あっ、油戸巡査、助けてくれ!」
兵四郎も、いま自分のやって来た方角からすっ飛んで来る六尺棒を抱《かか》えた巡査の姿をちらっと見た。愕然《がくぜん》としていた。
――油戸巡査?
例のポリスだ!
――すると、こいつも巡査なのか?
仰天しながら、相手の杖はもぎ離したが、それは草の中に流れて落ちた。腕だけをとらえ、肩に背負うと、その男のからだは駈けて来る巡査へ向って、大きく宙を飛んでいった。
そのまま兵四郎は、三日月を吹く風の中をむささびみたいに逃げた。
草っ原を突っ切ると、一帯長屋の町へ飛び込む。
「待てっ」
背後に凄じい怒声を聞きつつ、兵四郎は路地から路地へ逃げのびながら、胸は混乱していた。追われていることよりも、いま自分と格闘した――千馬武雄を殺した男が、巡査であったらしいことを知った驚きのためであった。
鳥打帽に仕込杖の男は、むろん紙屋巡査であった。彼は秋葉原の長屋から、例によってその夜の任務につくために出て、そこを通りかかったのだ。神田鍋町にゆくには、その原っぱを横切ったほうが近道だったからである。彼が気がついたのは、草むらの中に一人立っている怪しい壮漢の姿だけであった。そしてまた、同じ長屋に住む油戸巡査は、これはその日の勤務を終えて警視庁から帰る途中、同じ理由でそこへ来かかったものであった。
「曲者」をとり逃がした二人の巡査は、無念の歯ぎしりをしながら、夜の草原に残された屍体《したい》のところへ戻った。歩きながら、紙屋巡査は、自分がその惨劇を発見したいきさつを語った。
「きゃつ。――」
と、油戸巡査はうめいた。
この好人物の豪傑を闇中に消し去った魔の手に対する怒りに、彼の胸も沸き返っている。しかし、女はともかく、この亭主のほうが殺されようとは思いがけなかった。何のためにこの男は殺害されたのか?
紙屋巡査はあらい息を吐いて口走った。
「あの男なら、知っておる。――」
――さっき彼は、自分が変装していることも忘れて、巡査として当然な犯人逮捕の行動に出たつもりで、たちまち相手は恐怖して神妙になるかと思ったのに、大胆にも抵抗されてかえってこちらが狼狽して醜態《しゆうたい》をさらしたことについての怒りに燃えていた。
「な、なに――だれじゃ?」
油戸巡査の声には、ただこの事件に対する以上の惑乱があった。
彼は、いま逃げていった影に、何やら記憶があった――といっては言い過ぎになる。暗い野にむささびみたいに躍っていった影はさだかではなかったが、それにまた過去の幾つかの影が重なり、それが油戸杖五郎の脳髄のまだ無意識の底で朧《おぼ》ろにもつれ合っているのだが、それがうまくまとまらない。
そのわけは、それらの影の行動が彼に対して示した意味がばらばらで、常識の判断を超《こ》えているところから来るのだが、いまの油戸巡査にはただもどかしい。
「あれは」
と、いいかけて、紙屋巡査は黙り込んだ。油戸巡査のただならぬ眼光を見て、ふと気が変ったのだ。
今の男の存在は、十何日か前から気がついていた。殺された千馬武雄の家に泊り込んでいた男だ。はじめ、さては、と紙屋巡査は色めき立ったが、千馬と談笑しているようす、またその男の明朗|闊達《かつたつ》な感じから、どうも参議暗殺事件とは結びつかない印象であったし、そのうちどうやら自分の監視に気がついておびえた千馬夫婦が用心棒に頼んだやつらしい、とわかって来て、苦笑して、そのまま見のがしていた男なのだ。
しかし、こういう事件が起ったとなると、もう見のがしてはおけない。いや、これまで見のがして来た自分の責任ということになる。
紙屋巡査はもともと痩せた男であったのに、いっそう頬がこけ、眼が落ちくぼんでとげとげしい人相になっていた。彼もまたおかねの天衣無縫の痴態にいためぬかれたのである。
あれほど苦労しているのに、いまめったなことを口走って、この油戸巡査に手柄をとられるようなことになっては間尺に合わない。きゃつは、おれの手でひっとらえる。
「とにかく、すべては加治木警部どのに御報告してからのことだ」
と、紙屋巡査は変によそよそしく三日月を見あげた。
夜にはいっていたが、兵四郎はそのまま隅の御隠居さまのところへ駈けつけた。
事件のことを告げて判断を仰ぎたいし、そもそも巡査に自分の正体を見とどけられたおそれは充分あるので、その善後策を講じなければならない。――さすがの彼も、あわてている。
すると、御隠居の庵の前から、提灯《ちようちん》を下げた俥《くるま》で駈け去っていった者がある。ちらとそのあかりで見たところでは、あの会津の佐川官兵衛らしかった。
兵四郎は手をあげ、呼ぼうとしてやめ、庵へはいっていった。
「今ゆかれたのは、佐川さんではなかったですか」
「うむ。……斗南へ帰るので、挨拶に来たのじゃ」
と、御隠居はいい、
「佐川はいよいよ警視庁へはいる決心をしたらしい。それで同藩の者で巡査になる連中を募《つの》りに斗南へ帰るという。――例の若い供はなお猛反対で、もはや縁を絶つとまでいって別れたそうじゃが」
それから、夜の孤燈を眺めて、
「佐川官兵衛に限ったことではないが、人間一代のうちに花を咲かせる時がある。わしらのようにとうとうそれのないやつも多いが、たとえこの世を変えるほどの活躍をした者でも、その時が終ればただの人間に戻る。その人間のいわゆる歴史的運命というやつは終ったのじゃが、あと、生きているかぎりは人間生きていなければならぬのは同情に耐えんことであるな」
と、ひとり自分だけにわかっているらしい感慨をもらしたあと、ふと兵四郎に眼を戻して、
「何か、あの一件で変ったことがあったかな」
と、聞いた。
「いや、いま佐川さんにいおうかいうまいか迷ったのですが……あの千馬武雄が殺されました」
「なに?」
兵四郎は、先刻のいきさつを話した。……さすがに御隠居は白い眉の下で眼をまろくした。
「それは……おまえも大変なことになったではないか」
「大変でござる」
兵四郎は、しかし決然と眉をあげた。
「拙者も大変ですが、しかしあの千馬を巡査が殺したことを見つかった警視庁のほうは――何のために殺したのか、それを御隠居さまに解いていただきたいと思っているのですが――もっと大変でしょう。警視庁の出方によっては、私、やります」
「なぜ、その男が巡査であることがわかったのか」
「そやつが、油戸巡査――と呼んで助けを求めたのが、例の棒術の巡査でありましたから」
御隠居はくびをかしげていた。
「おまえ、その男が千馬を殺すのを見ていたのか」
「いえ。……私が千馬の屍骸を発見して、立ちあがったら、その男が草の中に立ってこっちを見ていたので……」
「そやつは、それでも逃げないで、巡査といっしょにおまえを追っかけて来たといった。――そもそも、千馬をつれ込んだ男は三人というのに、巡査は二人だけというのはどういうわけかな」
「一人は、草で見えなかったのじゃないでしょうか」
兵四郎は、だんだん動揺して来た。そういえば、その鳥打帽の男は、「やはり、うぬか」とか、「神妙にせい」とか、はじめから高飛車にこっちを下手人と見ていたようであるし。――
「下手人たちは、みんな草の中に隠れていたのじゃないか」
と、御隠居はいった。
「そこにおまえと巡査が来て、相討ちして、追っかけごっこをしているあいだに、ほんものの下手人は逃げてしまった――ろう」
兵四郎は唖然《あぜん》としていた。虚をつかれた眼つきになって、さっきの活劇をもういちど思い出し、御隠居のいったような可能性が充分あることを認めないわけにはゆかなかった。
「思うに、あの夫婦のために見張りの役をしてやっておったのは、おまえだけではない。警視庁の巡査も見張っておったのじゃよ」
御隠居は笑い出した。
「わしたちは、どうしてそのことに今まで気づかなんだのか。――あの女に、ほんとの暗殺者たちが近づくかも知れん、ということは、警視庁だって考えることじゃろう。――おまえが押《お》っ取り刀で追っかけたのは、張り込んだ巡査であったかも知れん。もとより、警察のほうでもおまえを知って、首をひねりながら見張っていたにちがいない。それに、むろんほんものの下手人も張り込んでおる。――つまり、おまえが悩まされた夫婦の鼻声をめぐって、闇の中を三組《みくみ》の男どもが這《は》いまわって耳を澄ましておったわけで、芝居の|だんまり《ヽヽヽヽ》といいたいが、それよりまるでポンチ絵じゃな」
兵四郎はなお茫然《ぼうぜん》としている。
「下手人は、あの八方破れの女が夫に何をしゃべるかと気にして見張っておった。そして待つのがじれったくなって、しかも女のほうでは埒《らち》があかぬと見て、きょう亭主のほうを秋葉原につれ込んで、そのことについて聞こうとした。縛りあげて痛い目を見せても聞き出そうとしたのじゃな。そのあげく……おまえがやって来るのを見て、あわてて千馬を殺して逃げたものと思う。……実に、可哀そうなことをしたものよ」
御隠居の顔からは、むろん笑いは消えていた。
「いまおまえの話を聞いて、こんな考えが浮かんだのは、実は、おまえが用心棒になって以来、改めてあの広沢参議の暗殺の下手人について、いろいろと妄想をめぐらして来たせいかも知れんが」
「げ、下手人はだれでござる?」
「それについて、わしは実に妙なことを考えた。でたらめといってよい。人に聞かせれば、みんなでたらめというじゃろう」
「御隠居さま、お聞かせ下さい。参議暗殺の下手人はまだこの世にたしかにおり、また……こんど罪のない人間を殺したのです。御隠居さまがおっしゃったのがまことならば」
「まことかどうかまだわからん。あくまでも想像じゃ。じゃから……今、いっても無用なことじゃ。それより――」
御隠居は兵四郎を見やった。
「さっき申した通り、おまえ自身が大変じゃぞ。おまえが警察に眼をつけられたことは、想像ではないたしかなことなのじゃから」
ここへ駈けつけて来るとき、考えていた以上にまさに大変だ。千馬武雄に手をかけた下手人が巡査でないとすると、巡査のほうがこっちを下手人と見ることは自明の理だからだ。
「おまえの正体は、その女は知っておろうな」
「千馬がどれだけしゃべったか存じませんが、少くとも私を昔の同心とは承知しておるはずで」
「……よし、ともかくも縫をかん八のところへやって、おまえの家のようすを探らせよう」
「まさか、夜、お嬢さまを」
「いや、おまえはもう危い」
御隠居の危惧《きぐ》は、案じ過ぎではなかった。そこへ当のかん八が、息せき切って駈けつけて来たのである。そして兵四郎を見ると、「やっぱりここでござんしたか、やれやれ」と大息をついた。
はっとして兵四郎がさけんだ。
「どうした」
これに対してかん八は、首をかしげながら、小舟町でいま兵四郎と同棲しているお蝶が駈け込んで来て、巡査と称する男が兵四郎を逮捕に来た、早くあのひとに伝えておくれ、というので、お蝶を待たせておいて、ともかくもここへすっ飛んで来たのだといった。
果せるかな、はやくも兵四郎に手が廻ったのである。――
……一夜まんじりともしなかったつもりだが、明け方、トロトロとしたらしい。
兵四郎は、昨夜御隠居にいろいろな用件を命じられて駈け出していった冷酒かん八の声が、またひびいているのに眼がさめて、起き上って、御隠居さまのところへ参上した。肌がそそけ立つような白い秋の朝であった。
――参上もへちまもない、三帖三つの家だ。かん八はもういなかった。
「おい、お蝶はかん八の家にぶじいるそうじゃが、おかねが昨晩のうちまた警視庁へひっぱられたらしいぞ」
と、御隠居がいった。
「へ?」
と、いったきり、しばし兵四郎は声もない。
「千馬武雄は傘を持っていった先で酒をよばれて千鳥足で夕刻出たという。その帰途、殺し手につかまったものと見える」
御隠居はかん八に調べさせたことを伝える。
「それから、おまえが秋葉原で逢った飴屋の屋台の爺いは、下谷松永町の長屋に住んでおるということじゃ。いざとなれば、その爺いに証人になってもらうよりほかはあるまい」
実によくゆきとどいたことだ。しかし、御隠居の顔には憂色があった。
「ただ兵四郎が嫌疑《けんぎ》からのがれるのは、なかなか難しい。飴屋の証人など、どこまで通るかおぼつかないふしもある。そして、いったんおまえがつかまると、いろいろと面倒なことになる。そこで、考えたのじゃが」
御隠居さまはうすく笑った。
「また警視庁へ脅迫状を送ってやろうと思う」
「え、脅迫状……どんな脅迫状を?」
「ちょうど一年前になるか。あの|めがね《ヽヽヽ》橋の果し合い事件のとき、薩摩出の陸軍少将の交合写真を送りつけて警視庁を黙らせたことがあったっけな。あの手をまた使う。ただし、あの写真はもうきくまい」
御隠居さまはひとりうなずいた。
「こんどは、同じ薩摩出でももっと大物の北海道開拓長官黒田清隆を手品のたねに使う」
「黒田清隆。……それがどうかしましたか」
「あれが、十日ばかり前、人を殺したという」
「――えっ?」
兵四郎は眼をまろくした。
「殺された者には気の毒じゃが、おまえにとっては実に天佑《てんゆう》じゃ。まあ聞け、昨夜来た佐川官兵衛から聞いた話じゃが、その官兵衛は例の長連豪から聞いたという。その長連豪が黒田清隆閣下の夫人からの手紙で知ったという話なのじゃ。……いや、笑うな」
兵四郎は笑うどころではない。
「それによると、黒田清隆、維新の功臣でもあり天下の豪傑でもあるが、酒ぐせ女ぐせが怖ろしく悪い。とくに酒がはいると、ふだんは寛大|磊落《らいらく》、小西郷といってもいいほどの人柄が、まったく別人、いやけだもののようになるという。文字通り前後不覚の大|狼藉《ろうぜき》を働き、井上馨など同輩の大官でも殴られたこともあり、醒《さ》めれば自分でものたうちまわる酒乱の悪癖の持主じゃが――それが、十日ばかり前、つまらぬことからとうとう側妾を斬殺した」
「はじめて承《うけたまわ》ります」
「もとより、秘密じゃ。聞けば、その酒宴に同じ薩摩出の川路大警視も同座していたというが、酔いが醒めたあと、本人にはまったく憶えがない。川路は苦慮したあげく、黒田に禁酒を誓わせて、その一件を闇に葬ることにしたそうな」
「もしそれが事実なら、まことに驚くべきことですな」
とっさに兵四郎は、自分の事件さえ忘れた。
「しかし、それをまたどうして黒田清隆の妻が、あの長連豪という若者に知らせたのです」
「黒田の妻は、元旗本の娘じゃが、それが加賀藩の江戸中屋敷の隣りで、以前そこに加賀藩士の子として暮しておった長連豪と知り合いの仲であったという」
「ほう。……」
「おそらく、恋仲であったのじゃな。瓦解《がかい》は二人を裂いて、少女を政府の功臣黒田の妻とした。……ま、その件については、この程度でよかろう」
――加賀の壮士長連豪の悲恋の物語については、また題を改めて作者が紹介することになろう。
兵四郎はしばらく黙っていたが、やがて口を切った。
「しかし、その事実を知っていると川路大警視を脅《おど》して――それが私への追及の封じ手になりますか。逆効果になりはしませぬか」
「そのおそれは充分にあるな。じゃからその脅迫状に――即刻、千馬の用心棒への追及をやめ、おかねを再釈放しなければ――黒田事件のことを井上にも知らせる、と書く」
「井上……あの井上馨ですか」
「左様。おそらく井上はこの事件のことを知るまい。川路にとって、いちばん知られたくないのは井上じゃろうと思う。なぜなら、わしの見るところでは、薩長の代表者として何番手かに当るこの両人の仲がきわめて悪いからじゃ。どっちも、将に将たる、とはいえんが、少くも将たる器は持ちながら、黒田は清濁合わせのみ、井上は鋭利まないたを断《た》つ。その個性のちがいが、公けのことではまだ話がつこうが、どっちも公私混淆という点で傍若無人で、その私のほうで衝突しておる。おそらく黒田が右の私事を知られていちばん困るのは、政敵井上じゃろう」
「………」
「そして黒田以上に困るのは、そのことで脅された川路じゃろう。すでにその問題を闇から闇へ処理しようとした川路じゃからの。しかも、その川路もまた、井上に好意を持っておらぬ。それは例の銀座のからくり騒動や十八人殺しでとくと見とどけた」
「………」
「ただの、川路は権謀至らざるなき男じゃが、一方で骨っぷしも並はずれた男じゃ。いつかの種田少将の交合写真では笑ってひっ込んだ案配じゃが、こんどは怒髪天をついて、敵≠フ一掃に乗り出して来るかも知れん。じゃからこっちが必ずしも敵≠ナないことを知らせるために、別にあの広沢参議暗殺の下手人についてのわしの妄想を告げてやろう」
「あの事件の下手人について……」
兵四郎は、きのう御隠居が、それをいうのは今は無用だ、といったのを思い出しながら眼をあげた。
「御妄想とは?」
「あの事件のとき、下手人の筋は木戸ではないか、という突飛な声があったのを知っておるじゃろう。――」
「それは広沢家と、隣りの木戸邸の塀の上に足跡が残っていたことから出たことでしょう」
「うむ、それに当夜の下手人の大胆不敵さからおして、広沢邸の防備がほとんどなかったこと、妾と同衾した広沢が夜半過ぎると半死半生の態《てい》で熟睡していること、など手にとるように知っていたに相違ないが、それを隣りからの偵察の結果と見れば、もっとも納得がゆく、とした説もあった。――」
「しかし、いくら何でも木戸邸から隣りへ乗り込む刺客があるものではない、という当然過ぎる説が出て、そんな声は笑殺されたと記憶していますが」
「うむ、じゃからそれは、逆に下手人が木戸邸へも潜入しようとして、旧臘から木戸が上方へいって留守だということに気がついてやめた痕跡だろうということになった。あるいは、木戸にそういう疑いがゆくように、わざと残した足跡ではないか、ということになった。……じゃが、隣家からの刺客などあり得ない、という当然な説が出るくらい、だれでも考えることではないか。また広沢参議の暗殺を計るほどのやつが、同じ長州の大立者の木戸の動静くらい、あらかじめ承知していないはずはないではないか。――それは、広沢が殺されて出るであろう疑いを、まずもって消すための細工とは考えられぬか?」
「――それにしても」
「待て、つまり広沢が殺されれば、それは木戸という声が出かねない、事実あとで出たような深刻な理由が、長閥の二巨頭のあいだに醸《かも》されていたと見てはおかしいか。――ただし、事件当時、木戸は上方にいた。むろん、あのような所業に発起者自身が直接手を下す必要はなく、実際に事後女を犯すようなやつが刺客となったのじゃが、とにかく木戸には一つのアリバイの印象が成り立つ」
御隠居は、川路大警視と同様、アリバイという言葉を知っていた。兵四郎はうなされたような眼になった。
「しかし、木戸が――木戸はなかなかの人物だと聞いておりますが」
「政敵の暗殺をやってのけた傑物はたんとおるわさ。――うふ、しかしな、兵四郎、実はわしも、あとで女を犯すような手合いを木戸が使おうとは思わぬ。それは木戸に代って――あるいは代ったつもりの人間がやったことじゃないかと想像しておるのじゃよ」
「は?」
「だいいち、あれだけの暗殺をやってのけるのに、指揮者が東京にいない、などということは当人らにとって何とも不安じゃろう。万一うまくゆかんで、つかまった場合などの善後策のこともあるしの」
「その通りです。――」
「そこで木戸の代役をやってのける人間はいないか、と考えると――だれでも一人の男の姿が浮かんで来る。維新前からの血まみれの同志であり、かつ、きれいごと好きな木戸のために泥をかぶっても屁《へ》とも思わぬ盟友が。……木戸と以心伝心の仲どころか、木戸には無断で、木戸のために動く男が。――」
「そ、それが」
「その男は、もとから金つくりがえらくうまいという才能があって、当時大蔵省|造幣頭《ぞうへいのかみ》としてずっと大阪に在勤しておった。これにも、アリバイがある。ところが、わしが調べて見ると、その人物は明治三年の暮から公用をもって東京に来ておる。――」
「あ!」
「井上馨じゃよ」
と、御隠居はいった。
「事件が起ったとき、ふだん東京にいてまかりまちがうと疑われるべき人間は上方にあり、チョイと東京に来て荒仕事をやってのけたその代役は、元来は上方に在勤の男だ。……疑いは何となくまとはずれの感とならざるを得ぬ。……うまい手じゃな」
御隠居はまた笑い出した。
「いや、この妄想こそまとはずれかも知れんよ。万が一当っていたとしても、事件後五年ちかくたっては、どうにもなるまい。……しかし、この妄想を川路に書いてやろう。するとな、川路はどう思うか。どうするか。少くとも脅迫者が。敵≠ナはないと知り、かつ、おまえやおかねの追及どころではない心境になるじゃろう」
明治初年最大の難獄の謎を御隠居さまは解き去った――と感じながら、兵四郎はなお茫然とそこに坐っている。やがて、いった。
「恐れいりました。しかし……それはそれとしてあまりに事が怖ろしゅうて、私を助けていただくための脅しとしては、ちと大がかり過ぎるような気もしますなあ」
「うふ、その気味はあるな。……そもそもわしに、黒田でもいい、井上でもいい、川路でもいい、とにかく新政府の頭かぶ連中をとも食いさせてやりたいといういたずらッ気があるから、そこから出て来た思いつきかも知れん」
御隠居はメフィストフェレスじみた顔で笑った。
「それからもう一つ、異国渡来の医術にな、ある薬なり毒なりを与えて、それによる身体の反応を見て病気を診断するという法があるそうな。この脅迫状を警視庁に送って、おまえへの追及がやみ、おかねが釈放されたら、ききめがあったのじゃ。つまり、わしの広沢参議暗殺事件への推測が当っていて、川路がそっちへ吸いつけられたと見てよかろう」
その夕のうちに、おかねは警視庁から出て来た。
電光石火の釈放であったので、いつかのように幽霊みたいには見えず、この、夫、暗殺者、用心棒、警察と悩ましぬいて、何度かつかまり、自分が悩ましたわけもつかまった理由もまるで知らない、哀れで愛すべき女は、かがやかしい夕日の雲を踏んでゆく天女のように見えた。
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春愁雁《しゆんしゆうかり》のゆくえ
前回で、数寄屋橋の隅の御隠居さまが、無実の痴女おかねを釈放させるために、北海道開拓長官・黒田清隆の酒乱による愛妾《あいしよう》殺害の秘事を政敵井上馨に知らせるぞと川路大警視に脅迫状を送り、狙《ねら》いは図にあたって、その日の夕方、おかねが釈放された顛末《てんまつ》を物語った。
その明治八年晩秋の一日のことを、作者はもういちど述べなければならない。それと重なって、次なる物語が進行を開始するからである。
警視庁にこの投げ文をしたのは、冷酒かん八だ。
かん八は、御隠居さまに命じられて、一っ走り鍛冶橋の警視庁のようすを見にいっていたのだが、すぐに帰って来て、早朝のことでまだ登庁の巡査も少く、大丈夫だろうと思う、と報告した。そこで御隠居さまがスラスラと脅迫状を書いて、兵四郎も加えて、こんどは三人で出かけた。
「兵四郎、おまえもゆくのか」
さすがに、御隠居は眼をまろくした。
げんに警視庁から追われている兵四郎で、この投げ文そのものがその追及をやめさせるのが目的なのだから、何とも人を食った行為というしかない。
「え、まあ、考えてみると、こういうことをやるのが、このごろ私の生きている生甲斐《がい》なのですから」
御隠居はうすく笑っただけで、それ以上とめもしなかった。
御隠居と兵四郎は、かん八が警視庁の前を通り過ぎながら、立哨《りつしよう》している巡査の眼をみごとに盗んで、その書状を門内へ投げ込むのを見とどけたが、そのあとも、長いあいだ前の往来をさりげなく徘徊《はいかい》していた。
むろん、その効き目を探るためだが、それもいささかくたびれて来た午前十時ごろ、門から十人ほどの一団の人間が現われた。
「おう……川路です」
と、深編笠の中で、眼をまろくして兵四郎がささやいた。
「それに、加治木という警部も」
「奴《やつこ》さん、依然ピストルをぶら下げておるの」
と、御隠居がつぶやいたのは、その春、その警部から巾着切《きんちやくきり》の吉五郎がピストルをスリ取ったことを思い出したからであろう。
「棒を持った油戸ってえ巡査もいますぜ」
と、かん八がいったが――紺の制服を着ているのは、その三人だけであった。
あと、数えて見ると六人の壮漢がいたが、これはザンギリ頭ながら壮士風で、しかもどうやら旅装束のていに見える。
「はてな、どこへゆくつもりかな」
「あの六人の男は、何者でしょう?」
こちらが首をひねっているあいだに、その一団は数寄屋橋のほうへ歩いてゆく。
「こりゃいかん、まさかわしたちをつかまえるためではあるまいな」
さすがの御隠居さまが狼狽《ろうばい》のていであったが、なにしろ脅迫状の内容が政府部内を震撼《しんかん》させるに足るものだけに無理もない。
しかし、川路大警視一行は、数寄屋橋は通り過ぎて、日比谷、桜田門も過ぎ、裏霞ヶ関へはいっていった。――
「ううむ、なるほど」
川路大警視たちが消えた宏壮《こうそう》な門の標札を眺めて、御隠居さまがうなった。
「あの脅迫状を読めば、いかな川路もここへ相談に来ずにはいられぬわけじゃ」
それは内務卿大久保利通の屋敷であった。
千羽兵四郎が、首をかしげた。
「しかし、それにしてもあの六人の壮士は何でござろう?」
「さあて」
と、御隠居はつぶやいた。
「もう少し、ようすを見よう」
それから、一時間以上も待って――ひる近くなって、川路一行は、大久保邸から出て来た。
そして、警視庁のほうへ帰ってゆく案配であったが、数寄屋橋をまた通り過ぎたあと、なおしばらく兵四郎たちがあとをつける気になったのは、内務卿訪問後の結果|如何《いかん》を見きわめるためもあったが、その旅姿をした六人の壮士が、何とも不審であったからだ。
果せるかな、尾張町で、一行は二つに分れた。
川路大警視、加治木警部、油戸巡査ともう一人の男は、鍛冶橋のほうへ帰っていったが、あと五人の壮士は新橋のほうへ別れていったのである。
「かん八、あれを追ってくれ」
と、新橋組のほうへ、御隠居があごをしゃくった。
「合点でござんす。しかし、ひょっとするとあの連中、汽車に乗るかも知れませんぜ」
「追えるところまで、追ってくれ」
命じて、御隠居は、兵四郎をうながして大警視のほうを追った。
「しまった。……あの棒術の巡査がふり返りました」
編笠の中で兵四郎はいちどあわてたが、すぐに、
「いや、気がつかなかったようです」
「おまえを、まだよく知らんのじゃ」
御隠居が笑った。
「あの巡査、だいぶ鈍《にぶ》いの。……それにしても、六人の壮士のうち一人だけが警視庁に戻るようすなのは、どういうわけかの」
それは、とうとうわからなかった。
そして、夕刻、ついにおかねが夕日の雲を踏んで警視庁から出て来たことは前回に述べた通りだが、それを見とどけて御隠居と兵四郎が数寄屋橋に帰って来ると、ちょうどいま着いたばかりのかん八が待っていて、五人の壮士は横浜から大阪行きの汽船に来ったことを報告した。
「へえ、大阪へ?」
兵四郎が首をひねると、御隠居がいった。
「それは大阪ゆきの船じゃろうが、乗り換えれば、四国へでも九州へでもゆく船はあるわい」
そうはいったが、そこまでつきとめるにはもう手が及ばない。
ややあって、御隠居はひざをたたいた。
「あれは、川路のはなった密偵じゃな。川路は密偵使いの名人と聞く。つまり、変装した巡査たちじゃ」
「えっ、密偵。……上方へ向けた密偵が、こんどの事件とどんな関係があるので?」
「関係があるかも知れんが、ないかも知れん。いや、おそらく別の件の密偵じゃろう。うむ、わしたちはこの事件だけで一日を棒にふって、わしなどもうヘトヘトじゃが、川路は忙しい。四方に眼をくばって、八面六臂《はちめんろつぴ》の働きをしておる。……それにしても、その密偵を大久保にひき合わせにつれていったところを見ると、こりゃ、相当に重い密偵じゃな。……」
警視庁に帰り、川路大警視としばし密談し、監倉《かんそう》にいって留置してあるおかねを夕刻釈放するように手配したのち、加治木警部は自室でしばらく考えこんでいた。
先刻、大久保邸で起ったことを思い出していたのだ。
その日、川路大警視が大久保邸を訪れたのは二つの用件からであった。一つは前からきまっていたことで特別任務に服する六人の巡査に、内務卿から親しく注意を受ける必要があったからだが、もう一つは、むろん川路大警視|宛《あて》送られて来た脅迫状に対する処置|如何《いかん》の指令を仰ぐためだ。
問題は、あとの件であった。
北海道開拓長官・陸軍中将黒田清隆の殺人は、加治木警部も知っている。知っているどころではない、彼はその現場に居合わせていたのであった。
十日ばかり前のことだ。
川路大警視は、黒田長官に呼ばれた。いかに同郷で、また身分の差があるとはいえ、大警視たるものを妾宅に呼ぶとは、現代の感覚からすると無礼なようだが、妾を持つことが当然事であったこの時代としてはべつにそれほど異常なことでもなく、げんに川路も自分の供に、加治木警部ともう一人浅井という巡査を同行したくらいである。ただし、黒田はそういう点では常識はずれに無神経な豪傑ではあった。
もっとも現場に居合わせたといっても、加治木警部は浅井巡査とともに、下女に接待されて別室で待っていたから、黒田長官と川路大警視が何の話をしていたかは知らない。夜、急な招きであったから、重大な用件ではあったのだろう。ただ、はじめ加治木警部は黒田長官をちらと見る機会があったが、そのときから真っ赤な顔に眼がすわって、全身から酒が匂いたつようであったから、まともな話は出来なかったのではないかと思われる。
下女は三人いたが、主客の接待は愛妾ひとりがやっていたらしい。美人好きの――だれだって美人のきらいな男はいないが――豪放無比のくせに、ことさら蛾眉《がび》細腰型の美人が好きだという噂《うわさ》のある黒田清隆が、とくに妾にしただけあって、紅燈の世界から来たひとだというが、ぞっとするような凄艶《せいえん》な美女であった。
それが、酒談一時間ほどたって、たまぎるような悲鳴とともに、
「加治木、来てくれ!」
と、ただならぬ川路大警視のさけびが聞えたのである。
加治木警部と浅井巡査は、廊下を走り、襖《ふすま》障子も蹴破らんばかりに駈《か》けつけて、恐ろしい光景を見た。刀をぬいて立った黒田長官を、うしろから大警視が羽がいじめにし、しかもあわや振り飛ばされんばかりで、その足もとにその愛妾が朱《あけ》に染まって倒れているのであった。
二人は黒田に飛びついた。浅井巡査は、警視庁勤務の巡査の中でも一段と大男で、これが黒田を動けなくすると、加治木警部が刀を奪いとった。
「どげんなされた事《こつ》ごわす」
加治木警部が聞くと、
「どげんもこげんもなか、例の酒乱じゃ……そいにしても、罪もなか女人を無惨な事《こつ》を」
「と、川路大警視は吐き出すように、しかし悵然《ちようぜん》と答えた。そして、そういわれてもまだ天地|晦冥《かいめい》のようすらしい黒田長官のほうを見やって、
「まさか、縛るわけにもゆかんじゃろ、浅井、すまんこっちゃが、醒めなさるまで、抑えちょってくれ」
と、いった。
――結局、黒田長官は抑えつけられているうちに、鼾声雷《かんせいらい》のごとく眠ってしまい、三人は血みどろの部屋でまんじりともせず天明を迎えたのだ。
そして、醒めて、黒田清隆は驚愕した。「また、えらか事《こつ》をやったな!」と、自分でも絶叫したが、実際人殺しとは、いくら被害者が妾でもえらいことをやったものである。彼は斬殺した愛妾を抱いて号泣《ごうきゆう》し、七転|八倒《ばつとう》さえしたがもう及ばない。
腕組みをして坐っていた川路大警視がいった。
「黒田どん、もうお酒はおやめなされ。……」
こういう事件であった。
そして、事件はこれだけで終った。北海道開拓長官・陸軍中将黒田清隆の殺人は、その夜妾宅にいた者以外には、秘密として葬り去られた。周到な川路大警視は、あれ以来、妾宅の三人の下女も某所に軟禁状態にして今日に及んでいる。
加治木警部は、大警視のこの処置を諒《りよう》とした。
問題は、今日に至って発生した。
川路大警視に対して投ぜられた脅迫状だ。加治木警部は、読んで顔色も変り、見せた大警視の眼にも憂色が深かった。
脅迫状の目的は、暗殺されてかれこれ五年になる広沢参議の妾、その女が再婚した夫がまた殺害された事件につき、再逮捕されたその妾を釈放すること、その容疑者として現在警視庁が追っているホシの捜査をやめること、にあり――なぜなら、それらは無関係だからであり、嘘だと思うなら、当日秋葉原に店を出していた飴《あめ》細工屋に聞いて見よ、と書状にはあった――それも不敵きわまる要求だが、なお驚くべきことは、その目的を達するための脅迫として書かれてあった内容だ。
すなわち、右の要求をききいれなければ、北海道開拓長官・黒田清隆の殺人を井上馨に披露《ひろう》するとあり、次に広沢参議の下手人も、またこのたびその妾の夫殺害の下手人も、いま警視庁が追っているホシは見当ちがいで、いずれも井上馨の筋によるものと思われる旨、その根拠をあげて述べてあったのだ。
「広沢参議暗殺に関しての詮議《せんぎ》はなるほどと思う。……あの仁《じん》なら、やりかねぬ」
と、川路大警視はいった。
「が、問題は、この脅迫状の書き手じゃ」
「あの事件を知っちょるとは!」
加治木警部の瞳孔《どうこう》はひらいている。
「下女は外に伝えることは出来もさん。あと知っちょるのは、大警視と本職、そいから浅井巡査だけでごわすが……」
警部の声は、ふっととまったが、
「あれが、まさか。……とにかく、こんな脅迫状が来るわけはありもさん!」
断乎《だんこ》として、いった。
しかし、現実にこれは来ているのだから、何といっていいかわからない。
「それに、この書き手は、黒田閣下と井上どんの仲の悪か事《こつ》をよく承知しておりもすの」
「御両人の喧嘩は有名じゃから、そいはことさらふしぎがる事《こつ》はなか。しかも、こりゃ井上どんの味方でもなかじゃな。井上どんも槍玉にあげちょるんじゃから」
川路大警視は、しばらくその文面を眺めていたのち、
「こりゃ、いつか種田少将に関する脅迫状、そいから鳥坂囚獄署長に関する投げ文を書いたやつと同じやつじゃな」
と、いった。
加治木警部は、はっとしていた。警部にはあるまじき迂濶《うかつ》さであったが、密告のたぐいは日々おびただしく送られて来るので、ついうっかりしていたのだ。とはいえ――この連作物語を混乱させるので、いちいち記さなかったけれど――右の脅迫状密告状の出し手は内々懸命に捜査していたので、これはやはり加治木警部にあるまじき迂濶さというしかない。
「きゃつでごわすか!」
と、これもしげしげと文面に見いって、うめいた。
「こりゃ、いよいよ捨ておけん。……いったい何者《なにもん》でごわそう?」
「警視庁を脅すというより、馬鹿《ばけ》んしちょっ如《ごつ》あるな。捨ておけんっちゅうが、そいを防ぐための脅迫状じゃ」
そのとたん、加治木警部は、はっとあることに気がついた。
「そりゃ……こんどの件で紙屋巡査が報告した元同心ではごわせんか?」
「そいを追うなっちゅんじゃから、そん筋と考えるのが一応|妥当《だとう》じゃろうが――その元同心はいくつくらいの男だと申したかの」
「まだ若い――たしか、二十《はたち》代だと聞きもしたが」
「二十代? この筆跡は二十《はたち》代の字じゃなかが……枯れて、水のような風韻《ふういん》がある。ともあれ、その男については調べんけりゃならん。調べんけりゃならんが、それがさて、いまいったように、それをしてもらいたくないっちゅう脅しの投げ文じゃ。こっちの打つ手を誤ると、黒田どんが葬られるおそれがあるな。この件については、あとでもいちど思案するとしよう」
大警視は、棚の置時計を見て、立ちあがった。
「ちょうどこいからな、例の上方へ出張する連中を内務卿へお引き合わせする用件がある。ゆくついではあるが、この件はついでじゃなか。内務卿の御指図を仰がんけりゃならん」
で、彼らは、裏霞ヶ関の大久保内務卿の屋敷へいったわけだ。
特別任務を命ぜられた六人とつきそいの油戸巡査を別室に待たせて、川路大警視と加治木警部はまず内務卿に会い、右の書状を見せた。
読んで。――
「こりゃ、この要求通りにせえ」
と、大久保内務卿はいった。
「黒田も井上も、国家のため無くてはならん大人材じゃ。それにあの二人には、江華島《こうかとう》事変に関して近く大使副大使として、手を携《たずさ》えて朝鮮へいってもらおうと思っちょる。井上どんも、いつまでも野《や》に捨てておくにはもったいなか」
大久保利通は長身で痩せていて、漆黒の頬髯《ほおひげ》にふちどられていた。同じく長身で痩せた川路大警視とは、容貌《ようぼう》はまったくちがうが、加治木警部はふだんから、ふしぎな錯覚《さつかく》をおぼえていた。それはこの二人が双生児ではないかという感じである。
が、二人をこうして並べて見れば、それが錯覚であることは一目|瞭然《りようぜん》だ。同じく冷徹|強靭《きようじん》の風貌ながら、大警視に水のようなぶきみな暗さがあるのに、内務卿には氷のようなかがやきがあった。
年齢も大警視のほうが、四、五歳下だが、内務卿の前にでると、ふだん無表情の大警視が背までかがめて従僕のごとくになる。ただ身分のちがいから来るものではなく、それは心からなる畏敬《いけい》の念からであることは明瞭であった。川路大警視がこんな態度を見せる対象は、大久保内務卿以外には、いま鹿児島にある西郷先生しかない。
それは当然だ、と加治木警部は考える。双生児というのは錯覚にしても、川路大警視はまさしく大久保内務卿の影であった。
「特に黒田の事件は、政府の一大機密じゃ。……そいさえ承知しちょってくれれば、あとの処置はおはんにまかせる」
と、内務卿はいった。
川路大警視はお辞儀した。
――が、なんぞ知らん、この大久保の、同郷の同僚に対する配慮の秘命が、二年半後、大久保自身の命を魔天に捧げる一因になろうとは。
この明快な判断を下したのち、内務卿は六人の変装した巡査を引見した。
むろん加治木警部はその六人の目的を知っている。いつぞや――去年春、佐賀の江藤新平|叛乱《はんらん》の報を受けたときであったか、自若《じじやく》たる大警視に黒暗淵《やみわだ》のようなものを感じたが、今や警部の頭にも、川路大警視の凄じいまでの遠謀が模糊《もこ》たるかたちを整えはじめて、いい知れぬ戦慄《せんりつ》を禁じ得ない。
――その黒暗淵《やみわだ》のかたちが、いかなるものであったかは、やがて歴史が物語るであろう。
加治木警部は、黒田事件については予想通りの指令だ、と了解したが、彼にとってまったくの意外事は、そのあと――一同が内務卿に挨拶して別室に集まったときに起ったのである。
「警部。……例の事件について、内務卿はいかなる処理を命ぜられましたか」
と、その中の一人の巡査が、加治木警部を部屋の隅へひっぱっていって、聞いた。
「黒田閣下はどうなりまするか」
あの事件当夜、供をして黒田邸へいった浅井巡査であった。彼もまたこんどの特別任務を命ぜられて上方へゆくことになっている一人であったが。――
「おはん」
加治木警部は鋭い眼でその巡査を見つめた。
「あの事件について、口外した事《こつ》はあるまいのう?」
「馬鹿なことを!」
浅井巡査はひくく、しかし憤然としていった。前に述べたように警視庁切っての巨漢だが、その大きな身体が素朴剛直な熱血にはち切れんばかりの四等巡査であった。たしか元鳥取藩士と聞いた。警部は浅井の断言を信じた。
「あれは、永遠の秘密とする事《こつ》になった。内務卿の御命令じゃから、おはんも左様に心得るように」
「その処置は、黒田閣下が内務卿や大警視、そして警部どのとも同郷の顕官だからでござりまするか」
加治木警部はめんくらって、もういちど相手を見直した。浅井巡査は宙をにらんでいた。
「女一人殺害したものを、不問に付するとは。……何が聖代の警察官でござるか」
平生から武骨《ぶこつ》な男だが、それにしても容易ならぬことを口にする。――彼は、唖然《あぜん》としている加治木警部を見すえていった。
「私、このたびのお役目がいやになりました」
「なんじゃと?」
「この心、鎮まるまで……旅立つ気にはなれませぬ。この任務辞退いたしとうござる。罰は受けます。この旨、大警視にお伝え願います」
いい出したらきかぬ頑固な男だ、とは以前から承知していたことであり、かつ、またいま、いい出したらきかぬ頑固な口を、浅井巡査は真一文字に結んでいた。
加治木警部は息をつめていった。
「そうまでいうなら、それはお伝えするが……おはん、あの件について口外する事《こつ》は許さんぞ」
浅井巡査はむっとした顔で答えた。
「警視庁に職を奉ずる限り、それほど軽率な浅井ではござりませぬ」
思いがけぬ内部からの造反に、さすがの加治木警部も狼狽して、川路大警視のところへいそいでいって、このことを報告した。
大警視もちょっと驚いたようで、浅井巡査のほうを見ていたが、やがて、
「あん男が、そういい出したのなら。しかたなか。今回はやめさせとけ」
と、いった。
――やがて大久保邸を出た一行のうち、旅姿の一人がほかの連中と別れて警視庁へ帰っていったのを見て、隅の御隠居さまが首をひねったのは、以上のごとき理由からであったが、これは外部のだれが考えてもわかるはずがない。
さて、警視庁で、大警視と密談ののち、考えこんでいた加治木警部は、やおら油戸巡査を呼んだ。
「おはん、浅井巡査と親密じゃったな」
「いえ、親密というほどでもありませぬが……ま、気は合うほうでござりましょう」
「あん男の動静な、しばらく見張ってくれんか」
「――えっ、浅井を? いったい浅井はどうかしたのでござりますか。上方にゆかず、一人ひき返して来たのは」
油戸巡査は、大久保邸に同行はしていたが、右のいきさつは承知していなかった。
加治木警部は、しばらく黙っていたのち、
「とにかく当分見張って、異常なふしが見られたら報告せい。これは大警視からの命令じゃ」
と、いった。
浅井巡査にすでに異常が見られるのは、油戸杖五郎も認めている。首をかしげつつも、何やら重大なものを感じて、彼はひき退《さが》った。
つづいて警部は、紙屋巡査を呼んだ。紙屋は本来下谷屯所詰めの巡査だが、こんどのことで警視庁に待機させていたのだ。
油戸巡査が呼ばれたことを知らない紙屋巡査は、勢いよくはいって来て、
「警部どの、きゃつをまだ逮捕してはならんのでありますか」
と、いった。
最初、広沢参議の元妾の監視を命じられたとき、それによって暗殺事件の下手人をつきとめたら一躍警部昇進ということも夢ではないぞ、と加治木警部から保証された。直接あの暗殺事件の下手人ではないかもしれないが、きのう秋葉原の殺人でその殊勲の端緒《たんしよ》をつかんだと武者ぶるいしていた紙屋巡査は、けさ、警部から、その捜査を別命あるまでしばらく待て、と命ぜられてキョトンとなり、いままで餌を前に鎖でつながれた犬のように焦燥していたのだ。
「その居所はすでに御報告申しあげた通りでござる。曲者はいま姿をくらましておりますが、今なら何とか……放っておくと、完全に逐電《ちくでん》の怖れがあります」
――同時刻、「曲者」は図々しくも、この警視庁の外でその門を眺めていたのだが、そんなことをむろん彼は知らない。
「その件について呼んだのじゃ」
と、いったが、加治木警部は眼をとじたままであった。あの脅迫状の出し手――元江戸町奉行所同心――という線から、彼の脳裡《のうり》には、ただ脅迫状のことばかりではないさまざまの記憶がようやく渦巻き出していたのだが、それらの影像がまだバラバラでまとまりがつかない。
――思えば、一方で千羽兵四郎がすでに警察から眼をつけられていることがわかっているのに、あんな脅迫状を出せば、それが結びつけられることは当然なのだから、隅の御隠居さまも少々|智慧《ちえ》が足りなかったように見えるが、げんに兵四郎が追われているのだから、第二段のことまで思いめぐらす余裕はなかったといえる。そしてまた、あの脅迫状で釘《くぎ》を刺せるものと御隠居は期待していたのであろう。
その通り、いま警部はいった。――
「あれは、事情があって、打ち切ってもらいたい」
「――えっ、どうしてでござる?」
「大警視からの御命令である」
「し、しかし」
「だいいち、秋葉原の殺人の下手人は、そん同心ではないらしか、ちゅうことじゃ」
「いや、本職は目撃したのです」
「きのう聞いたが、おはんはその殺しそのものを目撃したわけじゃなかろう。草っ原の中に立っておるその男を見つけ、近づいたら屍体を発見したといった。……その件については、秋葉原に飴細工の店を出している大道商人に聞け、ということじゃ」
……ということじゃ、などと、加治木警部には珍しくあいまいな妙なもののいいかただが、紙屋巡査が眼をぱちくりさせていたのは、むろんそんな微妙な点ではない。いま命ぜられた捜査中止命令そのものである。
その紙屋巡査の前に、警部はテーブルの上に置いてあった一つの封筒を押しやった。
「これまでのおはんの苦労、にもかかわらず、こげな命令を聞いてもらう事《こつ》に免じて、こいつは大警視からの特別の慰謝料じゃ。百円ある。とっておけ」
紙屋巡査の眼はまろくなった。巡査の月俸が五円の時代に、百円とは相当な金だ。
思わず、ふらふらと出しかけた手をからくもひっこめて、紙屋巡査は思わせぶりに慨嘆《がいたん》した。
「しかし、残念でありますなあ」
「じゃからよ、以上は公式の命令で、実はおい個人としての依頼がある。そん同心への捜査はやはりつづけてもらいたい」
「――えっ?」
「そん男はどげな男か、現在はもとより、ここ一、二年どげな事《こつ》をして来たか。―――」
むろんこの依頼は大警視の了承を得たものだが、加治木警部個人の強烈な望みによることも事実であった。
「ただし、絶対につかまえることはならん。いや、おはんが探っておるということを相手に感づかれてもならん」
「……へ?」
「以上の事《こつ》、調査して判明した事《こつ》を、おいに報告してもらいたい。その結果によっては、改めておはんを警部に推薦することに吝《やぶさ》かではなか」
秋葉原の長屋に住んでいる油戸杖五郎が、同じ長屋の紙屋巡査一家がどこかへ引っ越したという話を聞いたのは、それから十日ばかり後のことであった。「何でも池の端の、長屋じゃない、一軒建ちの家へ移っていったそうですよ。どこからそんなお金がはいったのかしら」と、憮然《ぶぜん》とした顔で女房の|おてね《ヽヽヽ》が報告したのを聞いて、「ほう?」と杖五郎は首をかしげたが、ただそれだけであった。この女房と、こんな話のあとをつづけていると、結局こっちがぎゅうぎゅうの目にあわされるのはわかっているから。――君子危きに近寄らず。
来年には本郷の元加賀屋敷に移ることになっているが、この明治八年末には、官立の東京医学校は、まだ下谷和泉町の元藤堂屋敷があてられていた。
学生の寄宿舎は、灰色の瓦を漆喰《しつくい》で塗りこんで、碁盤《ごばん》の目のようにした壁のところどころに、腕の太さの木を竪《たて》にならべて嵌《は》めた窓のあいている門長屋で、その中で学生は、後代から見ればまるで野獣のような生活をしていた。
蒼《あお》く晴れた初冬のある夕方、その東京医学校の門から二人の書生が出て来た。
同じように銘仙の着物に小倉の袴《はかま》をはいて朴歯《ほおば》下駄という姿だが、大きさはずいぶんちがう。年齢もだいぶ差があるようだ。一方は二十《はたち》過ぎで、顴骨《かんこつ》の張ったあから顔の大男だが、もう一方は、色は浅黒いが、きりっとひきしまった端正な容貌で、年はまだ十代の半ばだろう。
「森、おれはわからんことがある。前から首をひねっていたのだが」
と、歩きながら、大きいほうがいった。
「なんだ」
と、小さいほうが、同格の口のききかたをした。
「毎日、おまえが不忍《しのばず》の池まで散歩するのはわかるとして、途中、松永町を通るわけがわからん。なぜ、あんなゴミゴミした路地を通るのだ」
すると、小さいくせに、妙に落着きはらった少年が、珍しく頬に血をのぼしたようであった。
彼はしばらく黙って朴歯下駄を鳴らしていたが、やがていった。
「賀古《かこ》、それじゃ、きょうそのわけを教えてやろう。……あの女が、いればだがね」
「女? おまえが、女をだれか、知っているのか」
賀古と呼ばれた大きな書生は眼をむいた。
森という少年はそれ以上口をきかないで、和泉町からすぐ近い松永町にはいってゆく。しかも、上野へゆく通りはいくつもあるのに、どぶ板もこわれた寂しい長屋の路地へ。
その一軒の、半分しまった戸口に、ふっと光がともっているような気がして、賀古が眼をむけると、それは一人の少女であった。
「ジレンチウム!」
と、森がひくくさけんだ。沈黙、というドイツ語だが、賀古は何もしゃべってはいない。
顔をまっすぐに前へむけて、ひとりでしゃべり出したのは森のほうであった。
「君、円錐《えんすい》の立方積を出す公式を知っているか。なに、知らない、あれは|ぞうさ《ヽヽヽ》はないさ。基底部に高さを乗じたものの三分の一だから、もし基底面が圏《けん》になっていれば。……」
二人は路地を通りぬけた。
賀古はあっけにとられて聞いた。
「なんだって円錐の立方積など計算し出したのだ」
「あの娘をあまりジロジロ見させないためさ。そのために僕は君の心を、あの娘から外へ転ぜさせる工夫をしたのだ。あのおかげで君は無頓着《ウンベフアンゲン》な態度を保って、あの娘の前を通過することが出来たのだ」
「あの娘はなんだ」
「知らない。雨の日、軒下に車のついた屋台が置いてあるのを見たから、父親はひるまはそれを曳《ひ》いてどこかへ出かけているのじゃないかと思う」
「君の女というのは、あの娘なのか」
賀古はもういちどふりかえった。
「なるほど美しい娘だね、|薄 紅《うすくれない》の花に露がしたたっているような気がした。あれで、年はいくつくらいだ」
「僕と同じくらいじゃないか」
「すると、十六――いや、十四か、どっちだ」
黙って歩いている年少の友人の横顔を見て、賀古は難しい顔をした。
「君はあの娘に惚れているのか。そりゃいかんぞ、そりゃいかん。東京医学校切っての秀才森林太郎ともあるものが、裏長屋の娘にひかれるとは」
「なに、僕が毎日、この時刻にあそこを通る。するとあの娘が、いつもあそこに立ってこっちを見ているだけだ。名も知らない」
と、森林太郎はいった。
彼は十六歳と称しているが、その実まだ十四歳であることを、親友の賀古|鶴所《つるど》だけが知っている。十三歳、満でいえば十二歳で、年齢をごまかして東京医学校――二年後に東京大学医学部となる――にはいって来た恐るべき麒麟児《きりんじ》だ。賀古などは二十一で、しかも学問では相手のほうが対等以上なのである。
森林太郎はいった。
「さあ、不忍の池にゆこう。このごろは雁《がん》を見るのが愉《たの》しみだ」
それは初冬の話であったが、冬も深くなって森林太郎は、その長屋に異変が起ったのを知った。その家の前の半分こわれていたどぶ板が張り替えられ、入口の模様替えが出来て、新しい格子が立てられている。
ある日の夕方、彼は、その格子戸をあけて、髭《ひげ》をはねあげた一人の中年男が出て来るのを見た。わが家然とした顔で、しかも長屋にはちがいないのに、ぞろりとした着流しに毛皮の襟巻《えりまき》などをして、顔は下品だが、風態だけは旦那然としている。新しい標札を見ると「紙屋伝助」と書いてあった。
その男が路地を出て、大通りで俥《くるま》を呼びとめてどこかへ乗っていったのを茫然と見送ってから、林太郎はそこの角の雑貨屋で「あの家はどうしたのだ」と聞いた。
すると店番の顎の短い娘が答えた。
「巡査のお婿《むこ》さんが来たのですよ」
「え、巡査? いま着流しで、俥に乗って出かけたが。――」
「ええ、でも、あれは御用のためで、やっぱりお巡りさんなんだそうです。とんだ押しかけ婿だって話で――でも、あそこのお爺さんももう秋葉原へ飴細工を売りにゆかなくてもよくなってその点は大助かりですけれど、けどあのお巡りさん、ひげははやしているけれど、見るからに貧乏たらしくて、年もずいぶんくっているし、あれじゃたあちゃんが可哀そうでございますよ」
「たあちゃん?」
「ええ、お玉ちゃんっていうんです」
林太郎はそれ以来、その松永町の路地を通らなくなった。
両国橋に雪がけぶっていた。夕暮の黒い大川へ、幾千万の鵝毛がふりそそいでゆくように見える。
煉瓦《れんが》作りの店々やペンキ塗りの看板や、橋をゆく馬車や俥や、洋服を着て蝙蝠傘《こうもりがさ》をさした通行人や――急速に東京の町を染め変えかけている文明開化というやつが、その雪に消されて、遠望すれば、広重の描いた江戸の景色とちょっとも変らない。それも、これだけはありがたいガラス障子というもののおかげで、その中から雪見酒と来てはなおさらのことだ。
柳橋の料亭街はもう洋燈に灯がはいって、絃歌《げんか》にさんざめいていた。明治九年松の内があけて間もないある日のことであった。
日が暮れて、いよいよ白くなった路地を、左褄《ひだりづま》をとった高下駄もなまめかしく、うしろに三味線の包みと家号を書いた長提灯《ながぢようちん》をさげた箱屋を従え、これは豊国の絵でも見るように歩いていた一人の芸者が、突然、きゃっと悲鳴をあげてよろめいた。
紅燈の軒先から、一人の男が放り出されて、つづいて毛の襟巻と、一息おいて下駄が投げ出された。
「たたッ斬られるのを覚悟なら、もういちどやって来い。いつでも相手になってやる」
笑った声が、奥へ消えた。
男は雪と泥まみれになって立ちあがり、またその家へはいってゆこうとしたが、ひょろついて天水桶につかまり、それから猿みたいに歯をむき出して、
「おぼえておれよ。……相手が悪かったことを、いまに思い知らせてやるぞ。……」
と、うめいて、よろめきよろめき、路地を出ていった。
「畜生、おれが巡査とは知らないな。……しかし、あの野郎、何者だろう?」
ぺっと雪に吐いた唾《つば》が、ひるまだったら赤く見えたかも知れない。
着流しの着物もはだけたひどい姿だが、まさしく巡査の紙屋伝助であった。彼は大通りで俥を呼びとめると、
「松永町」
と、ゆくさきを命じた。
紙屋巡査がこういう姿で、こんな目にあわされたのには、次のようなわけがあるのである。
紙屋は加治木警部から、例の女の用心棒でむかし南町奉行所同心だったという男の探索を命じられた。彼は、その女の亭主|千馬《ちば》武雄を秋葉原で殺害したのは、てっきりその男だと思っていたが、あのとき警部から、「どうもそうではないらしい。そこのところを、秋葉原に飴細工の屋台店を出している爺いによく聞いてくれ」と、妙なことをいわれて、首をひねりながら、ともかくもその飴屋を探し出した。
探し出すまでもない。秋葉原をよく通る紙屋巡査は、その屋台店を出している正直者らしい老人を、以前から知っていた。そして、訊問《じんもん》した彼は、あの日千馬武雄が三人の男にかこまれて秋葉さまの祠の裏手へつれてゆかれるのを見て、老人が元同心の男にそのことを教えたのはそのあとであったという話を聞いたのである。
すると――自分が下手人だと思っていた男は、下手人ではない!
あれはやっぱり用心棒で、千馬の帰りが遅いので、心配して探しに来ただけではなかったか?
そして警部は、どうしてかすでにそのことを知っていたのだ。――紙屋巡査は、ヘナヘナとなるほど落胆した。
にもかかわらず――加治木警部の、つづいての変な依頼を思い出して、はてな? と彼は眼を宙にすえた。警部は、やはりその元同心の日常、とくにここ一、二年の行状を調べあげろという。そして、百円という大金までくれたのだ。
やはり、きゃつはきゃつで、胡乱《うろん》なところのあるやつなのだ。
紙屋巡査は気をとり直して、この新しい御用に乗り出したが――さて、はたと当惑したのは、そのとき警部がさらに、「ただしこちらが探索していることを、その男に絶対に気どられてはならぬ」と、いよいよ妙な注意をつけ加えたことであった。
そのわけはよくわからないが、あの警部にそう命じられた以上、その方針に従わなければならない。
やがて紙屋巡査は、その元同心千羽兵四郎が平生ただごろごろして酒をのんでいて、ときどきのんきな顔で町をぶらぶらしている以外、まともなことは何もしていないぐうたら男らしいことだけを、遠まわしに調べあげた。彼を養っているのは、柳橋に出ている小蝶という芸者らしい。
――ううむ、喪家の元幕臣、芸者のヒモで食っておるか。
嘲笑《あざわら》おうと口をひんまげたが、つき出した下唇の形はそのままでとまった。実のところは羨《うらや》ましくてたまらん。――その芸者の嬌艶《きようえん》無比の美貌が眼に浮かんだからだ。
ともあれ、これだけでは警部に報告は出来ない。あの警部があのような命令を出した上は、何かあるにちがいない。
で、紙屋巡査は彼なりに考えをめぐらした。千羽兵四郎について何か嗅《か》ぎ出すには、その色おんなの小蝶から|ねた《ヽヽ》を手にいれるのが望ましいが、それは出来ない。なぜなら、いつか自分が兵四郎をつかまえにいったとき、その女と押問答をしたから、彼女はこちらの顔をおぼえている可能性がある。それでは警部の意志にそむくことになる。――
やがて紙屋巡査は、柳橋にもう一人お千という芸者がいて、小蝶とならんで柳橋の二名花とうたわれている上に、二人は姉妹のように仲がいいことを知った。
そこで彼はまずお千となじみになり、そっちからそれとなく、小蝶ひいては千羽兵四郎についての情報を得ようと思いつき、そして何とかお千の客になったのである。
ところが。――
何回かお千を呼んで酒をのんでいるうち、かんじんのことはろくに聞き出しもしないうちに、彼はお千にふらふらになってしまった。
なにしろ、柳橋の一流料亭に上るなどということが、夢の世界のことみたいに思われる上に、このお千が、その凄艶、人間の女とは見えないばかりなのだからどうしようもない。少くとも、紙屋伝助の眼には、人間の女とは見えなかった。彼はながいあいだ、美女に飢えて飢えて、がつがつしていたのである。
そのあげく、その夜、酔いにまかせてお千の手をつかむとともに、その耳に何やらささやいたのだ。
お千の手には何やらニチャニチャするものが滑り込んだ。
お千は手をふりほどいて、それを見た。
「五円じゃ」
と、紙屋巡査は荒い息づかいでいった。この当時、一流の芸者の玉《ぎよく》は十銭くらい、半夜は一円ですむ時代であったから、彼としては高いところから飛び下りたような眼つきになったのは無理もない。
「田吾作ねえ」
かろく、それを投げ戻して、お千は苦笑した。
「まえから、お客だからと思ってがまんしていたけれど、もうだめだ。……旦那、御免なさいまし」
「なに?」
スラリと立ちあがった相手を見あげて、紙屋巡査は真っ赤になった。彼は柳橋《ここ》では、まず祝儀をもらっても芸者は手にもとらず、酒をのんで忘れたころになって、「――仕つけないことをしましょう。ありい」と、はじめて頭を下げて、さりげなくそれを帯にはさむというような粋《いき》な習いを忘れていたのだ。
恥とともに、紙屋は逆上した。
「えい、こうなったら、ここで」
と立ちあがって、ねじ伏せようとするのをつき飛ばされ、横っ面に白い繊手《せんしゆ》が鳴った。
裾をひいて逃げ出すお千を、廊下で女中たちをはね飛ばしながら、紙屋は狂乱状態で追いかけた。廊下から階段を駈け下りていったお千は、どんづまりらしい小部屋に逃げ込んだ。
閉めようとするその戸を引きあけ、紙屋は、まろび込んだお千の向うに、ひとり膳《ぜん》にむかって酒をのんでいる男を見た。黒紋付に髷《まげ》を結《ゆ》い、旧幕時代の浪人者そっくりだが、その長いもみあげといい、青い髯のそりあとといい、江戸侍には見られない骨太さがあった。
「その女、客に向って無礼をしおった。こっちへ出せ」
と、紙屋はさけんだ。もうやけっぱちであった。
「おまえ何をした」
その男が横柄にお千に問い、お千があえぎながらささやくと、彼はのどぼとけの見えるほど大笑いした。
「それじゃ、おれが挨拶しよう。お客さん、おれはこいつの間夫《まぶ》で、会津生まれの永岡敬次郎という男だが。――」
とんとついたのは太い朱鞘《しゆざや》であった。それを杖に彼はぬうと立ちあがったが、抜くまでもなく、こぶしで紙屋巡査は頬げたを張り飛ばされ、半分気絶しかかったところを猫みたいに襟がみつかんで吊るされて、それから往来へ放り出されてしまったのである。
変な客ではあったが、ともかくも柳橋の料亭街から出て来た男が、松永町の長屋の路地へはいっていったので、俥屋も驚いたろう。
そんなことを気にする余裕もなく、その一軒へよろめき込んでいった紙屋巡査は、あわてて出迎えた「妻」と「舅《しゆうと》」に、
「酒っ」
と、どなって、崩れるように坐った。
酔わなくても、ふだんからおっかない「夫」であり、「婿」だから、妻はおろおろと徳利を持ち出し、舅ははらはらとそれを眺めている。――秋葉原に飴細工の店を出していた老人|父娘《おやこ》であった。
紙屋巡査がこの老人をとり調べたことはさきに述べたが、彼はそれ以前から、その老人についてときどき秋葉原にやって来る娘が、裏長屋の娘とは見えないほどきれいな娘であることを知っていた。
加治木警部から百円もらって、紙屋伝助は気が変になってしまったにちがいない。彼はさっそく秋葉原の長屋を引き払い、池の端にともかくも一戸建ちの家を借り、有頂夫になっている女房に、「おれは当分、重大使命で帰れんから」と申し渡して、この飴屋父娘のところへ強引に婿にはいり込んでしまったのだ。
それにしても、巡査の身分でむちゃな――と思われるが、巡査だからこそそんなむちゃなことが出来たのかも知れない。
このいきさつについては、のちに鴎外が書いている。
「おまわりさんが婿に来ると云う時、爺さんは色々の人に相談したが、その相談相手の中には一人も爺さんの法律顧問になってくれるものがなかったので、爺さんは戸籍がどうなっているやら、どんな届けがしてあるやら、一切無頓着でいたのである。巡査が鬚をひねって、手続きは万事|己《おれ》がするから好《い》いと云うのを、少しも疑わなかったのである」
「お玉を目の球《たま》より大切にしていた爺さんは、こわい顔のおまわりさんに娘を渡すのを、天狗にでもさらわれるように思い、その婿殿が自分のうちへはいり込んで来るのを、この上もなく窮屈に思って、平生心安くする誰彼に相談したが、一人もことわってしまえとはっきり云ってくれるものがなかった。……お前がたの方で厭なのなら、遠い所へでも越すより外はあるまいが、相手が、おまわりさんで見ると、すぐにどこへ越したと云うことを調べて、その先へ掛け合うだろうから、どうも逃げおわせることは出来まいと、威《おど》すように云うものもある」
そういう時代であったのだ。
父娘は、まったく押しかけ婿だが、婿は婿だとあきらめた。――善良というよりおとなしい、おとなしいというより愚かしい父娘の、おどおどと見ている前で、紙屋巡査は怖ろしい顔で、眼をすえて酒をあおっていた。
彼がここへ強引にはいり込んだのは、まったくその娘の美しさに眼がくらんだからだ。そして彼は、その思いをとげた。が、むろん河馬《かば》みたいな古女房にまさること万々だが、その娘はいかにスラリとして背が高く、いつかここを通った書生の一人が評したように「|薄 紅《うすくれない》の花に露がしたたったような」美少女にしても、何といっても明けてまだ十五であった。彼は、桃の花でもまだかたい青い蕾《つぼみ》を抱いて寝るような気がした。
そこで、またがつがつと、調子に乗って柳橋の名花に手を出しかけて見たのだが――こんどは、相手が悪かった。
「いまに見ておれ、あの会津浪人の間夫《まぶ》野郎」
何だか、紙屋巡査の目的が|ずれ《ヽヽ》てしまった。
かんじんの元同心とその情人の芸者ではなく、お千とその情夫の会津浪人のほうへ。
調べてみると、その永岡敬次郎という男は、去年の秋ごろ、数人の仲間と柳橋へ来て、それから間もなく、お千とただならぬ仲になったらしい。ずっと若いころ江戸の昌平黌《しようへいこう》で学んだこともあるらしいが、去年まで下北半島――斗南《となみ》に流刑《るけい》同様の暮しをしていて、二十年ぶりくらいに東京に出て来たその会津侍のどこに惚れたのか、柳橋切っての美妓《びぎ》が人もあっけにとられるほど達引《たてひ》いて、彼が飲みに来ると、ほかの客にはけんもほろろになる。その永岡の飲み代も、みんなお千の|持ち《ヽヽ》というのだから。――
――ううむ、喪家の会津侍が、芸者のヒモで飲んでおるか。
と、紙屋巡査たるもの、ここでもまた口をひんまげないわけにはゆかない。もろにそのけんつくの被害者となった彼としてはなおさらのことだ。
しかし、奥羽斗南から出て来た永岡敬次郎は、ただ芸者のヒモになってヤニ下がっているというだけでなく、調べて見ると、どうやら志を得ぬ浪人的士族連中とあちこちで酒をのんだり、連れ立ってどこかへ旅をしたり、何かを計画して奔走しているらしい。――
最初は復讐ないし|やきもち《ヽヽヽヽ》から発したことであったが、その男の行状を追っていると、そこは何といっても巡査で、これは何かありそうだ、と紙屋の鼻は、キナ臭いものをかぎつけ出した。
しかし、まさかその永岡敬次郎の行動が、本来狙っていた元南町奉行所同心どころの騒ぎではない容易ならぬものであったとは、その時点ではまだ知らず、何かその男の不審な|ねた《ヽヽ》をつかめばお千をとっちめる|ねた《ヽヽ》ともなり、それがひいては本来の目的にもつながるだろうという彼なりの理屈も組み立てて永岡の見張りをつづけただけであったが、しかしそのおかげで紙屋巡査は、いちどはたしかに大変な殊勲を手中のものにしかけたのである。
春まだ浅い三月上旬。――
三月六日付の東京日日新聞には、さきごろから朝鮮へ談判にいっていた大使黒田清隆と副大使井上馨が、みごとにその大任を果して、盛大な朝野の歓迎裡《かんげいり》に新橋駅に帰って来たことを伝えていた。
朝鮮へ談判とは、去年秋、日本の軍艦がソウル前面の江華島と砲撃戦をやり、その結果朝鮮へ謝罪と開国の要求にいった用件で、その交渉ぶりはペルリと幕府そっくりであった。事実、両大使は朝鮮へ向う軍艦の中でペルリの「日本遠征記」を読んでいたということで、外征よりも内治だという方針を決めてからまだ三年もたたないはずなのに、西郷を鹿児島に追っぱらったあとは、征韓論騒ぎなどけろりと忘れた顔で、もう朝鮮へ手を出そうとしている明治政府の鉄面皮は何に例《たと》うべきか。
そして、新聞記事はいう。
「両公は新橋停車場を出て、御料の馬車をもって迎えられ、兵隊の敬礼をもって栄せられたり。この盛典を目撃する者にして、誰か両公が日本に大功あるを疑わんや」
去年秋まで野にあった井上馨は、元老院に復活し、犬猿の仲のはずの黒田清隆と手を携えてその役目を果したのである。よくいえば維新の功臣たちの私情をなげうっての国事|邁進《まいしん》、悪くいえば殺人者と汚職常習者の、野心のための狐と狸の化かし合い。
これをこの物語に関連させていえば、これで隅の御隠居の例の脅迫状は、もはや七分通りその効果を失ったことになる。――
さて、その三月上旬の一夜、紙屋巡査はその料亭から出て来た一群の人間を見て、あっと眼をむいた。
実はその二時間ばかり前、永岡敬次郎が三人の壮士風の男とそこへはいっていったのを彼は見ている。しかし、いま永岡を囲んで笑いながらどやどやと出て来たのは、七、八人にもなっていたから、それは別にばらばらにはいっていった者が、いっしょになったからに相違ない。
「ありい。――」
入口で頭を下げたおかみや女中の中に、たしかに芸者姿のお千もいる。
さて、紙屋巡査があっと思ったのは、永岡を囲むひとかたまりの壮士風人物の中に、実に思いがけない顔を発見したからだ。はいってゆくときには、気がつかなかった。
それは去年の秋、警視庁から出ていった、五、六人の壮士の中の一人であった!
もともと紙屋は下谷屯所詰めであったから、警視庁の巡査はあまり知らない。ただ去年の秋特例をもって警視庁に出入りしていただけだが、たまたまあの日、そこから川路大警視につれられて、一団の壮士が出ていったのはその目で見ている。どうやら上方へ派遣される密偵らしい、というひそかな噂であった。
――それが、いまの男たちの中にいたのだ。
みんながみんなではない。記憶にあるのは、鼻の赤い男一人だけであったが。――
物蔭に、角袖に山高帽子という姿でひそんでいた紙屋巡査は、茫然として、酒の香をまきちらしながら歩み去る彼らのあとを見送った。
上方に出張したはずの警視庁の密偵が、いま東京で不審な動きをしている元会津侍といっしょになって、大声あげて笑っているのはどういうわけだ。
彼は、狐につままれた思いで、ともかくもそのあとを追おうと歩き出し、路地を出た。すると、その前に、のっそり立った者がある。
眼をあげて、ぎょっとした。鼻の赤い、いまの男であった。
「官命により厳重に申しておく。この件について、口外してはならんぞ。よいか。――」
陰々とした声でそういうと、足早に立ち去った。
紙屋巡査は、二度、胆をぬかれた。――あきらかに赤鼻の男は、彼が見張っていることを見てとって、どうやら一人ひき返して来て、彼に釘を刺して、また一行を追っていったのだ。
それはすでに紙屋が巡査であることを知っており、かつ自分自身が警視庁の密偵であることを告げた口のききかたであった。
紙屋巡査は、永岡某に眼をつけたのはまったく変な偶然からだと思っていたが、どうやら永岡にはちゃんと警視庁の眼がひかっているらしい。――彼は身ぶるいを感じるとともに、また拍子ぬけをおぼえた。
それから三日ばかりたった夕方、紙屋はまたその料亭街へいった。このときはもう巡査の制服姿であった。彼としては、お千にもその間夫《まぶ》にももう「仕事」としてはからみつく元気を失っていたが、それでも断ちがたい個人的好奇心が一脈残っていたのは当然だ。だからといって、その夜、永岡がそこへ来ているという保証はなく、これはただ惰性的未練でのぞきにいったに過ぎなかった。
ところが、この密行で、はからずも彼は重大なものをつかんだのである。
路地にはいってすぐ、紙屋巡査は、例の料亭の黒塀の潜り戸があいて、そこで一組の男女が立ち話をしているのを見た。すぐ前の家の軒燈が朧《おぼ》ろに照らし出していたのである。――男は永岡敬次郎ではなかったが、女はたしかにお千であった。
夜のことではあり、距離もあり、二人はこちらに気づかなかったようだ。やがてお千は、その男に手紙のようなものを手渡した。
――艶書だ!
紙屋巡査は直感した。なぜそう直感したかというと、それが可笑《おか》しい。水もしたたるような島田の美妓が、そんなものを男に渡せば艶書としか見えない、という彼なりの「美術的」な直感以外の何ものでもなかったからだ。
潜り戸は閉じられ、お千の姿は消え、男は歩いて来た。
まだ二十二、三のりりしい若者であったが――記憶があった。先夜、永岡らといっしょに料亭から出て来た顔の中の一つだ。いつもの永岡の取巻きの連中とはちがうから、や、新顔だな、と眼をとめたので憶えていたのだ。
紙屋巡査は、ちょうどうしろからポリスが三人ばかり巡邏《じゆんら》して来るのを見ると、いきなり物陰から姿を現わして、その若者の前に立ちふさがった。
「職権によってとり調べる」
と、彼はいった。彼はいまの艶書をとりあげたい、という衝動にたえかねたのだ。
「おぬし、姓名と住所は?」
「玉木真人《たまきまひと》。山口県|萩《はぎ》から来た者で、東京に住所はない」
若者は、めんくらいながら答えた。ただ巡査の不審訊問に逢っただけではない狼狽が、その顔に痙攣《けいれん》した。
「なに、山口県? 山口県から来た男が、東京の芸者からコソコソ手紙をもらうのはどういうわけじゃ」
棒立ちになっている若者の手をつかまえて、紙屋巡査はふりむいて大声で呼んだ。
「おーい、来てくれ、こいつ怪しいやつだ」
巡査たちが走って来て、わけもわからず両腕をねじあげて、若者の懐から紙屋巡査はさっきの手紙をひきずり出した。
封書の表がきには「前原先生座下」とある。裏をひっくり返すと、「永岡|久茂《ひさしげ》拝」とある。――永岡敬次郎に相違ない。
「こりゃ、なんじゃ?」
あてがはずれて、まごつきながら、かえって騎虎の勢いで、紙屋巡査はびりっと封を切った。前原先生がだれか、すぐにぴんと来るような政治的知識は彼にはない。
「……あっ、何をする?」
玉木真人の絶叫の前で、紙屋巡査は眼をぱちくりさせた。中の書状にはただこう書いてあった。
「錦東京支店の儀、秋に開店の予定。店員確保のため斗南《となみ》へ出張仕り候。委細《いさい》は玉よりお聞き下さるべく候」
「ああ、やっぱりここだった。おまえさん、助けておくんなさい」
数寄屋橋の庵に、例によって隅の御隠居さまと――いや、その日は、ぶらりとやってきた巾着切の吉五郎も混えて駄弁を弄《ろう》し、そろそろおいとましようと腰をあげかけていた兵四郎は、眼をまるくした。
「なんだ、おまえか。どうしたんだ」
夕方で、ふだんならもう柳橋へ出かけているはずのお蝶であった。俥で来たようだが、彼女は息をはずませていた。
「お千|姐《ねえ》さん、はやくはいって――玉木さんも――大丈夫だから」
お蝶に呼ばれて、一組の男女がおずおずとはいって来た。
知ってはいるが、思いがけないところにお千が現われたので、兵四郎はいよいよ眼をまろくした。もう一人の若い男は、これは知らない。
「お千姐さんがたいへんなの、お願い、助けてあげて。――」
「だから、どうしたんだよ」
「姐さん、話して下さいな。ほんとうに、このひとたちなら何を聞いても心配ないんだから」
促《うなが》されて、お千は――そして、どこか不安げではあったが、その若者もこもごも話し出した。ただし、若者のいうことはどこかあいまいなところがあり、かつお千のしゃべることを、ときどき制止することもあったが。――
若者は山口県萩の生まれで、玉木真人というが、一週間ばかり前、東京に出て来た。郷里のさる要人からの用命を果すためで、用件の相手がこのお千の知人であった。
「おう、あれか」
と、兵四郎がお蝶をかえりみ、お千は赤い顔をした。
もっとも兵四郎は、お蝶と仲よしのお千に情人が出来たという話は何かのはずみで聞いたことはあるが、それが何者か、不精《ぶしよう》で問い糺《ただ》したこともない。聞いたかも知れないが、念頭にとどめていない。
「あれとは何じゃ」
と、キョトンと御隠居が聞く。お蝶は答えた。
「お千姐さんのいいひとなんです。永岡さんって、もと会津のお侍。――」
「ええ、永岡敬次郎久茂ってんです」
――しっ、と玉木真人が目くばせしかけてそのまま声をのんだほど、昂然《こうぜん》たるお千の顔であった。
なに、永岡敬次郎? それは去年秋、会津の猛将佐川官兵衛といっしょに斗南から出て来て、その後佐川と合わぬところがあって去ったというあの男ではないか、と兵四郎ははっとして御隠居さまのほうを見やったが、御隠居はそらとぼけた、何くわぬ顔で、
「それで?」
と、さきを促した。
――玉木は、永岡と柳橋で何度か飲んだ。そして、数日中にも山口県へ帰るので、昨夜も永岡と会う予定でいたところ、永岡はきのうひるまのうちに、よんどころない用で急ぎ奥羽の斗南へ旅立った。ただあとに、右の萩の要人への手紙をお千に託し、それをお千が玉木に渡したのだが。――
「その直後、巡査の不審訊問にかかって、とりあげられてしまったのです」
「見られると、困る手紙ですか」
と、兵四郎が聞いた。
「は、中は私は読みませんが、だいたいは存じておる。……余人には意味不明の内容だけに、警察で怪しめば相当に面倒なことになり得るものでござる。げんに、それを取りあげて持っていったくらいですから」
――玉木はただちにお千のところへ駈け戻って、このことを告げた。二人は狼狽し、かつ懊悩《おうのう》した。しかし、没収したのが警察であって見れば、もうどうすることも出来なかった。
「ところが、きょう、へんなことになったのでござんす。――」
お千の眼が、蛍《ほたる》みたいにひかった。
玉木を不審訊問して、手紙をとりあげたその巡査がお千を訪ねて来たのだ。そして、とんでもないことを言い出した。その手紙は存ずるところがあって、なお自分の手中にとどめてある。それが欲しくはないか、欲しければ、わしに思いのたけを霽《は》らさせろ。――
「なんだ、その巡査は?」
兵四郎の頓狂《とんきよう》な声にお千は答えた。
きのうはじめてそれが巡査であったことを知ったのだが、去年の秋ごろから自分にしつこくいやなことをいう神山というお客があって、いちど理不尽なことをしかけて永岡にやっつけてもらったことがある。それがその巡査であったのだが、今から思うと、ずっとそんな下心があって、こっちを見張っていたにちがいない。――
「そういえば、その不審訊問後、私の弁明をろくすっぽ聞きもせず、そのまま追いはらっただけですませたのも、すでにそのような邪心があったので、私を拘引《こういん》して手紙が表沙汰になることを避けたかったものでしょう」
と、玉木真人が顔をゆがませていうのに、兵四郎が、
「世にたわけた巡査もあればあるもの。――逆に警視庁へ乗り込んでいって、とっちめてやったらどうですか」
「それが出来ないのです。まだその手紙を表沙汰にしていないと聞いて、こちらはほっとしたくらいで」
「――あ! なるほど」
お千が、くやしげに身をもんだ。
「きょうやって来て、三日以内に返事を聞きに来るといい、たとえ警察にこのことを訴えてもそっちが誣告《ぶこく》罪となるからな、なんて嘲笑《あざわら》っていってしまいました。なんて悪いやつなんでしょう」
「こういうわけで、こちらがへたにその巡査に手を出せば藪《やぶ》をつついて虎を出すおそれあり、相談しようにも永岡さんはもとより、上方からつれて来た二人の同志も永岡さんといっしょに斗南へ去ったあとで、ほかに私としては打ち明けるべき人もなく――」
「そこで、あたし、小蝶ちゃんのいいひとが、お泰行所の同心だったってえことを思い出したんです」
お千は兵四郎を見て、手を合わせた。
「お願いでござんす、どうかわたしを助けて下さいまし。あの手紙をとりかえさなければ、わたしは生きてはいられません!」
「わかった。わかったが、ううむ、巡査が没収した手紙を喃《のう》。……」
兵四郎が腕をくみ、お蝶が何かさけび出そうとしたとき、いままで黙っていた御隠居さまが口をほどいた。
「そんな用なら、またむささびに頼んだほうが早いかも知れぬて」
そして、吉五郎を見て、にこっと笑った。
「どうも、奉行や同心より、巾着切のほうが役に立つことが多うて、面目次第もない話じゃが……」
「……旦那」
うしろから、むささびの吉五郎が声をかけた。
「棒の巡査がやって来ますぜ」
二日目の午後であった。水のぬるみはじめた濠《ほり》に沿って、千羽兵四郎と玉木真人は馬場先門あたりを歩いていた。兵四郎は着流し、玉木はつんつるてんの袴をはいていたが、どちらも編笠で顔をかくしている。
むろん、あの手紙を没収した巡査を探しているのだが、さあそれがどこに勤務している巡査かわからない。料亭では神山の旦那と呼ばれていたらしいが、ほんとうは巡査だったというのだから、偽名であった可能性がある。おおっぴらにポリスの屯所を聞いて歩くわけにはゆかないし――ただ、玉木が不審訊問を受けたとき、そやつが、この手紙は警視庁の何とか警部にお見せしなければならぬ、と巡査たちにもったいぶって言っていたことをやっと思い出して、ともあれ警視庁に見当をつけて、きのうからこのあたりを徘徊《はいかい》していたのである。
とはいえ、まさか警視庁にはいるわけにはゆかないし、その巡査の顔を知っているのはこの中では玉木真人だけだから、ずいぶん心細い話だが、きゃつのいう期限が三日、つまり明日だから、極力、それまでには何とかしたい。
――と、あせりながら、事実は無為に警視庁のまわりを見張っていたわけだが、そこに、いま、数歩うしろを、頭から手拭いをかけて無関係みたいに歩いていた吉五郎が呼んだのだ。
向うを見て、
「や」
と、さけんだのは、玉木のほうであった。
「あ、あいつです!」
「え、あの棒の――?」
「いえ、もう一人のほう」
和田倉門のほうから、二人の巡査が歩いて来る。まだ距離はあるが、その一人を例の棒術の巡査と知って、ぎょっと息をのんでいた兵四郎は、それと並んだ巡査を見て、数秒、それから笑い出した。
「あいつか」
「どうなされたのです」
「あんたから手紙をとりあげ、お千姐さんを脅していたのは、あの巡査だったのか」
兵四郎はそれが、いつか秋葉原で自分と格闘し、放り投げてやった巡査であったことを知ったのだ。そうと知ってこの場合に不謹慎に笑い出したのは、自分たちが追っかけていたのは自分を追っかけていた巡査であったのか、と考えて、何ともいえない滑稽感に打たれたからであったが、これは玉木にはわかるまい。また説明しているひまもない。
「吉、おれたちの探していたのは、あの左のほうの巡査らしい」
「え、そうでやすか。……旦那、たしかにあの巡査、大事なものを持っていますぜ」
と、うしろから吉五郎がいう。
「左の内かくしに。――」
なせ、それがわかる? など、スリの名人むささびの吉に問う必要はない。――その巡査がうまく見つかったとしても、果してそれを身につけているか、ということも心配の一つであったが、どうやらそれは解消したらしい。しかし。――
「あいつは楽なもんだが」
と、吉五郎がいった。
「右の棒のポリスのほうがおっかねえ」
吉は、故意にしても、いちど油戸杖五郎にとっつかまったことがあるのだ。それは兵四郎も同感であった。
双方の距離は接近して来る。二人の巡査は何やら語り合っていて、まだこちらに気がつかないらしい。もっとも、ほかに人や俥の影もあるし、またときに馬車もゆきかいしている。
兵四郎は歩みをとどめて吉五郎を待ち、その耳にささやいた。
「わかりましてごぜえます。そうして下さりゃ、ありがてえ」
吉は、うなずいて、
「そっちの若旦那、相すまねえが、旦那は先へいって、ポリスの向う側で待っていておくんなさい。あっしがやったあと、逃げて品物を旦那に渡すことにしてえものでごぜえます」
と、いった。
渡して、自分はそのまますッ飛んで消えるつもりだろう。――とは了解したが、何しろ相当なヨボヨボ爺いだから、玉木は一瞬ためらった表情になったが、
「お早く願えやす!」
老スリに一喝されて――むささびの吉の皺《しわ》だらけの顔には別人としか見えない、果し合いに臨む老剣士のような威厳があった――玉木真人は、スルスルと足を早めて先に歩き出した。
玉木が二人の巡査とすれ違って、向うへ遠ざかるのを見すますと、
「それじゃ、旦那。――」
吉はスタスタと歩き出した。
巡査の五歩前。――
「いよう、お久しぶりですな、油戸さん」
こちらで、編笠の中で、明るく兵四郎は呼びかけた。
油戸杖五郎は、キョトンと顔をあげて――
「うぬは!」
突如、躍りあがった。
その刹那、吉五郎は、もう一人の巡査とすれちがった。その巡査も、兵四郎のほうを眺めている。――と、一息おいて、彼は「たはっ」と奇声を発した。その制服の左胸部がスパッと切り裂かれ、内かくしにいれてあった手紙が消えているのに気がついたのだ。ふりむくと、いますれちがった老人は、転がるように向うへ逃げてゆく。――
兵四郎めがけて奔馳《ほんち》する姿勢になっていた油戸巡査は、これまたふりかえって、スリが、ちょうどそちらからやって来た二頭立ての馬車の向うへ隠れそうなのを見ると、一瞬の迷いののち、いきなり、ビューッと手の棒を投げた。
棒は十数メートルも飛んで、みごとに巾着切の両足のあいだにはいった。スリは馬車のほうへつんのめっていって、その馬の蹄《ひづめ》の下に転がった。
「とらえろ、紙屋!」
叱咤《しつた》して油戸は、素手のまま編笠の男のほうへ馳《は》せ寄った。
兵四郎は背を見せた。油戸に棒がないとは承知したが、ここでその巡査と格闘するわけにはゆかない。「玉木さん、うまくやってくんなよ!」と、心でさけびながら、油戸巡査をこっちに吸いつけるためにも、そのまま日比谷のほうへ逃げ出した。――両腕をふりあげ、阿修羅《あしゆら》のごとき形相《ぎようそう》で、油戸杖五郎は追っかけて来る。
砂けぶりをあげてとまった馬車のそばへ、どこからかもう一人の編笠の男が飛び込んで来た。馬の下のスリが、手をさしのばしてその男へ、例の手紙を渡そうとしているのを見ると、
「待てっ」
怒髪天をついて、巡査は駈け寄った。
「旦那、はやく逃げておくんなさい!」
手紙は受けとり、そう言われたが、玉木真人は、吉五郎を捨てて逃げるわけにはゆかない。――決死の形相で、刀のつかに手をかけて、巡査を迎えようとしたとき、
「真人じゃないか」
ふいに呼ばれて、愕然《がくぜん》として馬車を見上げた。
箱馬車から飛び降りて来たのは、一人の長身の軍人であった。鬚《ひげ》をそよがせた精悍きわまるその顔を仰いで、
「おう、兄上!」
と、玉木真人はさけんだ。
「いつ、東京に出て来たのだ」
将校はいう。
「そして、こりゃ何のことじゃ?」
「わけはあとでいいます。兄上、助けて下さい、この老人も、何とぞ。――」
巡査が何やらわめきながら真人につかみかかろうとする腕を、その将校は抑《おさ》えた。
「何をする?」
「おれが代って挨拶する。おれはこの男の兄で、陸軍少佐乃木|希典《まれすけ》だが、弟が何をした?」
「……ス、スリの一味だ。現行犯の逮捕を妨害すると、陸軍軍人といえども許しませんぞ!」
歯をむき出した巡査に、また馬車の窓から、べつの重々しい声が降って来た。
「乃木少佐、かまわないから、二人を馬車にいれてやりなさい。……巡査、用があったら、あとで外務省へ来てくれ。わしは外務省|権大丞《ごんのだいじよう》野村|靖《やすし》じゃ」
乃木少佐が、編笠の男といっしょに老スリを抱きかかえてかつぎ込み、背に「外務省」という金文字をひからせた馬車が、軽塵をあげて駈け去るのを、紙屋巡査は口をあけて見送った。
――萩《はぎ》から密使の秘命をおびて上京して来た玉木真人は、わざと訪問しなかったが、陸軍省に伝令使として勤務する二十八歳の乃木希典は、彼の兄であった。真人は、よそに養子にいったので姓がちがったのである。
そして、乃木がこの日、外務省の馬車でここを通りかかったのは、さきに締結された日朝修好条約につきなおいくつかの法的な問題があって、外務省権大丞野村靖が、万国公法の泰斗西周《たいとにしあまね》を神田小川町の邸に訪ねて教えを受けにいったのに、陸軍として同じ目的で同行し、さてその馬車で三宅坂の陸軍省に送られる途中であったのだ。
馬車にはもう一人、少年が乗っていた。陸軍省のある書類を折返し至急届けてもらいたいと西周がいい、ちょうどその日、西家を訪れていた――以前西家に書生をしていたこともあるという――その少年が受取りの用を命じられて、同乗させてもらっていたのだ。
「僕は、あの巡査を知っています」
と、その少年――森林太郎がいい出した。
翌日の夕方、紙屋巡査は悄然《しようぜん》として、警視庁の加治木警部の部屋の扉をたたいた。
彼は一日一夜、懊悩した。何といって警部に報告していいかわからないのだ。
――彼としては、あのような不審のある永岡敬次郎という男の、あのような不審な手紙をただちに提出しないで、しばらく自分の手許においたのは、むろんその手紙を|ねた《ヽヽ》にお千をものにしようという野心を起したからに相違ないが、永岡一味に関しては自分の命ぜられた任務から逸脱したことであったし、またすでに警視庁のほうで眼をつけている気配もあるので、よし、もう少し何かをつかんでからだ、それはお千から聞き出してやろう、と思案したからでもあったのだ。
しかし、油戸巡査は――彼にはまだ何も説明していないが――すでにきのうの事件について、加治木警部に報告しているにちがいないし、いつまでも、知らぬ顔をしてはいられない。
「はいれ」
はいって、紙屋巡査は立ちすくんだ。
予想はしていたが、こちらを見ている加治木警部の眼は氷のようであった。――紙屋巡査はふるえ声でいい出した。
「重大な御報告があります、元会津藩士永岡敬次郎なるものについて――」
「おはん、そげな用を命じられたか?」
果せるかな、警部は一断のもとにそれをさえぎった。
「そげな事《こつ》は聞かんでもよか。それより、おはんについて、警視庁は、外務省と陸軍省から笑われたぞ」
「――へ?」
「おはん、女房持ちでありながら、べつにまたある女と婚姻したの。重婚罪の疑いのある男を巡査に使っておるのかと笑われた」
「えっ? あのことを――いや、あれは、め、妾で。――」
「ふん、三等巡査で妾持ちか。早速、油戸巡査をやって調べさせたところ、いまの貴公の妻は――無惨やまだ十五の少女じゃそうな――貴公にべつに女房があると知って驚き、訊問中に駈け出して、井戸へ身を投げ込んだそうな」
紙屋巡査の顔は土気色になった。
「さいわい、油戸が救いあげて、命だけはとりとめたっちゅうが」
加治木警部は、怒りとけがらわしさに凍りつくような声で、厳然といった。
「警視庁の面目を、外務省陸軍省に見直してもらうために――おはん、腹を切れ。十分間、おいはここを出ておる。その間に、おけん、いさぎよく割腹自裁せよ!」
森林太郎と賀古鶴所は、松永町の長屋の路地を通り過ぎ、上野のほうへ歩いていった。
二人は、路地を出たところの角の雑貸店の顎の短い娘から、数日前、例の飴細工屋の爺さんの家の婿の巡査が、べつに女房もあったということがわかって、娘の身投げ騒ぎがあり、その翌日、もう町内に恥ずかしくてこのままにしてはいられないといって、父娘《おやこ》でどこかへ引っ越していったという話を聞いたばかりであった。
うなだれて歩いている年少の友に、賀古はやがて言い出した。
「しかし、これはこれで君のためにはよいことじゃ。君のように、学問もあり才能もある人間が、いつまでも陋巷《ろうこう》の一人の娘の運命にかかずらっていることはよろしくない」
森は黙って、歩を運んでいた。
二人はやがて不忍《しのばず》の池についた。いちめんの蓮の中に、無数の雁が泳いでいる。それがいつもより、何やらざわめいている気配だ。
「雁が北へ帰る時が迫っているのだ」
と、賀古はいった。
が、雁のむれへ向けた少年の眼がなおうつろなのを見ると、声をはげまして、
「森、頼む、越していった先を探すなど決してしないとおれに誓え」
と、いった。
そのとき、雁の一羽が――小さい一羽だけ、飛び立とうとしていちど水けむりをあげてまた池に落ちたが、ふたたび飛びあがって、早春の空へ舞いあがった。
「いいか、森、あの娘のことはもう忘れろ」
肩をゆすぶられながら、森林太郎の眼は、北の空へ消えていった雁のゆくえを追っていた。
ああ、賀古鶴所のごとき良友は世にまた得がたかるべし。されど森林太郎の脳裡に一点の彼を憎むこころ残れりけり。――
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天皇《てんのう》お庭番《にわばん》
――東京のどことも知れぬ闇《やみ》の中の声。
「突然呼んで、驚くだろうが、今回|吾輩《わがはい》は、日本にいなくなることになった」
「――えっ、それは、どういう意味でござりまするか」
「ふ、ふ、実は外遊するのじゃよ。アメリカからイギリスへ」
「へへえ、いつ? それから、いつまで?」
「出立は六月以降になることと思う。帰国はいつになるか、いまのところ、未定じゃ」
「御外遊、しかし去年秋、大官に御復活なされて、しかも外交の大功をおたてなされたかたが、早々にお国をお留守になされるとは、何か特別の事情でもおありなされるのでござりまするか」
「いや、吾輩からの望みじゃ。吾輩にとっては二度目の洋行となるが、一度目は幕末、まるで乞食の伊勢|詣《まい》りのような不本意なものであったから、改めて泰西の制度文物、とくに財政経済について視察したい、とは、年来の吾輩の希望であったのじゃ。――いろいろ支度のこともあり、多忙なので、お前たちにはもう逢《あ》えまい。そこで、きょうお前たちを呼んだのは」
二人だけの問答ではない。最初にいい出した横柄な声は一つだが、それに対する声は複数だ。
「吾輩の留守中のお前たちのことじゃ。……お前たちに、警視庁の眼がひかっておることを知っておるか?」
「そういえば、このごろ夜中、私どものあとから巡査の靴音がついて来るのをしばしば聞きましたが。……」
「ついに警視庁は、お前たちの存在、姓名までつきとめたと見える」
「それが事実であるとすると、容易ならぬことではござりませぬか。いえ、私たちばかりでなく、閣下にとっても」
「いや、あの参議暗殺の件については、いかに下手人をつきとめたとて、もはや警視庁にとってどうすることも出来ん。何しろあれから五年もたっておる」
「いえ、去年の秋葉原の一件が」
「その一件についても、警視庁に手は出させぬ。手を出せば、川路大警視をも合めて薩摩閥に一大痛棒を酬《むく》いてやるだけの材料を吾輩は持っておる。安心せい。……といえば、何のためにお前たちをきょう呼んだのかわからぬことになるが……実はそういい切って鹿島立ちするには、ちと心もとない点があるのじゃ」
「と――、仰《おお》せられると?」
「相手が、ほかならぬ川路だからじゃ。こちらに手を出せば大《おお》火傷《やけど》するとまでに承知しておるはずなのに、なお執拗《しつよう》にお前たちを追いつづけておるのは、何としてでも吾輩の泣きどころを押えておきたいというきゃつの執念からじゃが……吾輩と川路は、動物学上の天敵の縁にあたるものかも知れぬ」
かすかな、歯ぎしりの音が聞えた。
「いずれ、機をつかんできゃつにとどめを刺してやるつもりじゃが、今はまだそのときでない。何しろあれの背後には、内務卿の影がある。……ところへ、吾輩は外国へゆく。安心せい、というのは、吾輩が日本におっての話、その留守のあいだが心配なのじゃ。お前たちがよ」
「へ。――」
「吾輩がいなくなったと見て、きゃつ、無遠慮にお前たちに手を出して来るかも知れぬ。右の件によって、ではない。まったく別の何かをたねにしてじゃ」
「別の何か、とは?」
「それはわからぬ。目的のためには手段を選ばぬ川路のやることじゃ。……すでにお前たちを尾行しておるとすれば、警察に挙げられるような行状は、日常|鵜《う》の毛ほどもない、とはいい切れぬお前たちじゃろうが」
語尾に苦笑がからまった。相手は凍りついたように沈黙していた。
「くれぐれも用心せいといっておく。呼んだのは、それを注意しておくためじゃ。……お、もう一つ」
何か書類をめくる音がして、
「お前らをな、専門に追及しておるのは、警視庁の仁礼《にれ》十郎太警部、黒河内正助巡査、有馬尚五巡査という。どうしてお前らをつきとめたか、それはよくわからんが、この巡査たちがいずれも元薩藩でお庭方をしておったと知れば、さすがというべきか、なるほどというべきか」
「え、薩摩のお庭方?」
「西郷が若いころ、それをやっておったというが、川路もまたその頭《かしら》を勤めたことがあり、西郷が川路を邏卒《らそつ》総長に抜擢《ばつてき》したのは、その実績を見てのことじゃという。おそらく、そのころから川路の使っておった連中じゃろう、いずれも示現流の使い手と聞く。……そこまでは、さる筋を介してわしが調べてやった。あとは、きゃつら、どうしようというつもりか、わからん。お前たちで然るべく処置せい」
声に、笑いがこもった。
「元徳川のお庭番として、好敵手ではないか?」
「………」
「まともにぶつかれば元徳川お庭番と元薩摩お庭方との一騎討ち、いや三人ずつじゃから何騎討ちということになるか、尤もこれは向うで仕組んだことじゃ、そこまで考えてのことかどうかは知らぬが、川路も皮肉なことをする」
相手はしばらく黙りこんでいたが、ややあって一人がもういちどその名をたしかめ、
「仁礼十郎太警部、黒河内正助巡査、有馬尚五巡査。……」
と、つぶやき、もう一人が、
「然るべき処置。――消しては悪うござりまするか?」
と、恐ろしいことをいった。
「そんなことをすれば、川路が怒り心頭に発して、即座にお前らを捕縛するじゃろう」
「いえ、下手人を別に作るのでござります」
「なに、下手人を別に作る? それは、どういう風に?」
「そこまではまだ考えてはおりませぬが、ただいま川路が別件で私どもをつかまえるかも知れぬと仰せられたので、それでこっちも思いついたことでござります。――要するに、川路がいかに地団駄踏もうと、われわれには手が出せぬように」
数分間の沈黙ののち、不敵な笑い声が起った。
「やはり、やってみるか? 危いことと、お前たちが覚悟してやればよかろう。吾輩としても川路づれに戚《おど》される一方では心外じゃ。こちらの恐ろしいことを思い知らせてやるだけでも面白かろう。お前たちなら、やれるかも知れん。……ただし、それは吾輩が船に乗ってからのことにしてもらいたい。従って、その結果がどうなろうと、もう吾輩は見てやることが出来ん、いつの日か帰国して、上首尾の話を聞くことが出来れば、そのときはまた褒美をやろう。しくじったら、徳川お庭番らしく、闇の中で黙って死んでゆけ」
「さて、お立合い、御用とお急ぎのないかたは」
黒紋付の着流しに赤い襷《たすき》をかけ、一本歯の高下駄をはいた中年男が、まわりの人垣を見まわしてから、腰の恐ろしく長い刀に手をかけて、もったいらしく瞑目《めいもく》した。
「きえーっ」
怪鳥《けちよう》のような気合とともに、長刀は一閃《いつせん》する。
それから、その刀を高だかとかかげて、懐紙を切る。
「……四枚が八枚、八枚が十六枚、十六枚が三十二枚、三十二枚が六十四枚。……」
家伝の歯磨売りで聞えた何代目かの居合抜きの長井兵助である。
向うの観音堂の甍《いらか》をかすめて桜の花びらが飛ぶ。浅草の奥山は春たけなわであった。
立ちならぶ楊弓場、曲|独楽《ごま》、軽業《かるわざ》、ぜんまい仕掛、手踊り、生人形などの小屋小屋にお化け屋敷などの景観は江戸のころと変らないが、「西洋手品・帰天斎正一」の幟《のぼり》がはためいているところはやはり開化の時代らしい。
そして、広場には、いたるところ大道芸人がしゃがれ声で口上をのべている。剣舞や、砂絵師や、一人相撲や、針をのんで見せる豆蔵や。――それに、三味線や笛や鉦《かね》の交響。
「ふっと散らせば比良《ひら》の暮雪《ぼせつ》は雪ふりの姿。……」
切り刻んだ紙片をまきちらし、長井兵助が、まるで芝居のような落花の中に高だかと長刀をかかげて|みえ《ヽヽ》を切ったとき、その腕を紺色の筒袖《つつそで》がとらえた。
「おいこら、その刀を差し出せ」
ふりむくと、二人の巡査であった。
「官令第三十八号帯刀の禁を知らんか」
「先月末より、人民は刀を持ってはいかんのじゃ」
刀をもぎとられて、長井兵助はあっけにとられた顔をしていたが、急に顔を真っ赤にし、歯をむき出した。
「これは人を斬るための刀ではござらん。歯磨を売るための商売道具でござる。そ、それを持ってゆかれては、飯の食いあげ、商売はあがったり。――」
歯磨売りの前歯が二枚欠けていたのは可笑《おか》しい。むしゃぶりついて、刀を奪い返そうとしたが、
「人民にして兵器を携《たずさ》うるはすでに犯罪なり」
「とは大警視の厳命じゃ!」
巡査に咆《ほ》えられて、棒立ちになった。
「鞘《さや》も寄越せ」
一人の巡査がそれをひったくると、もう一人が聞えよがしに、
「爾今《じこん》大礼服着用ならびに軍人警察官の制服着用の節を除き、帯刀を禁じられ候条この旨《むね》布告候事」
と、朗唱しながら、しーんとした群衆の環をおしひろげて通った。
右のいわゆる廃刀令が公布されたのは、三月二十八日のことである。もっともそういう彼ら巡査も――警部クラスは別として、巡査はまだ棍棒《こんぼう》のままであった。
なにしろ一帯が騒々しいので、この椿事《ちんじ》はその一劃《かく》以外に知る者もない。それでなくてもにぎやかな奥山のいまは春の夕方であった。二人の巡査は、没収した刀を抱え、大威張りで人混みの中を歩いていったが、やがてまた立ちどまって、
「あれは?」
と、おたがいに眼を見合わせた。
向うの芽ぶき出した大|銀杏《いちよう》に「ひょっとこ討ち女手裏剣《おんなしゆりけん》」と書いた木札がかかり、その下によそに倍する人の環があった。
のぞきにゆかなくても、知っている。この春から浅草にあらわれて、小屋掛けの西洋手品より人気のある大道芸人だ。
「あれは手裏剣じゃが……いかんじゃろか?」
「やはり兵器じゃ。いかん」
そのほうへ歩き出そうとした巡査たちを、うしろから、「待て」と呼びとめた者がある。ふり返ると、頭こそ散髪にしているが、髭を生やし、色あせた袴《はかま》をはいた、あきらかに士族と見える三人の男であった。
「あれは見のがしてやれ」
一人近づいて来て、巡査に何やらささやいた。巡査たちがはっと直立不動の姿勢になろうとするのを、
「よか、ゆけ」
と、薩摩|訛《なま》りでいって、あごをしゃくった。
そして、早々に巡査たちが立ち去るのを見送りもせず、彼らは女手裏剣のほうへ歩き出した。だれもこのやりとりに気づいた者はない。三人はさりげなく群衆の環にはいって、円陣の中をのぞきこんだが、一方で見物人の一角に眼をやって、何やら小声でささやいているようであった。
円陣の中では。――
銀杏の木の前に蓆《むしろ》を敷いて、一人の男と二人の女がいた。男はたっつけ袴をはいているが、ひょっとこのお面《めん》をかぶっている。だから、顔はむろん、年のころもわからないが、一人の女は朱の鉢巻《はちまき》に紅《べに》だすきをかけた三十前後の美しい――美しいというより、哀艶な感じのする女であった。もう一人は老婆で、これは三味線をかかえて坐っている。二人とも、その衣服のどこかに繕いなどがあって、どれもうらぶれた印象があった。
「知る人ぞ知る。私、生まれもつかぬ盲目でござりまする上に、御覧のごとく眼に穴のないお面をかぶっておりまする。そこへ、ただいま御見物衆に御回覧願いましたような」
と、ひょっとこがしゃべっていた。
「この黒い布で眼かくしをいたします」
彼はそういいながら、見るからに厚手の黒布で、面《めん》の上から両眼を覆って、後頭部で結んだ。
「かくいたしましたる私が、踊りを踊りまするところへ、それなる女房が手裏剣を投げつけまする。いえ、双方、芸も何もござりませぬ。下手な踊りへ下手な手裏剣、それが果して見世物になりまするやいなや、代は見てのお帰りに、そこなる鉢へ、お志のほどを。――」
と、手の扇子で、蓆のまわりに四つ五つ置かれた鉢を指して、女たちといっしょにお辞儀した。
ほかの大道芸人みたいに浮かれた調子はまったくない。むしろ常人より沈んで陰気な声で、それがひょっとこのお面のかげから出て来るのが異様であった。何べんも見ている見物は知らず、初めての男が関心を持ったのは、その女房のほうであった。
いま、朱の鉢巻をしめているといったが、その鉢巻にズラリと手裏剣をはさんでいる。帯のまわりも同様だ。しかも当人は、そのものものしい姿とは裏腹の、つつましい、むしろ寂しい顔だちの女なのだ。芸人に相違ないのに、化粧もしていない。夕顔のような気品は、それが以前侍の妻であったことをだれにも思わせた。ちらと見ただけでは目だたないで、しばらく眺めてると刻々にその美しさがしみ透《とお》って来るタイプの女人であった。
「それでは、婆《ばば》、頼む。――」
ひょっとこに合図されて、老婆が三味線をボロンボロンとひき出した。
それに合わせて、扇をひろげてひょっとこは踊り出す。三味線に合わせて、といったが、当人がいまいったように芸も何もない、めちゃくちゃの踊りとしか見えない。――
「えい、はっ」
女房がさけんだ。
同時に、その手から手裏剣が飛び出した。まず帯のまわりから、三本、五本、七本。――
それもまことに頼りなげな手つきに見えたが、何たる妙技、それは踊るひょっとこの首、手、胴、足をかすめて飛んで、つぎつぎに、その背後の――銀杏の木に立てかけてあった畳一帖ぶんくらいの戸板に突き立ってゆく。
見世物としてのぜいたくをいえば、手裏剣を投げるほうが目かくししていたほうがもっと効果的かも知れないが、これはこれでスリル満点だ。踊りも下手くそ、手裏剣も危かっしいのがいっそう凄味《すごみ》があって、おしまいにはそれも芸ではないか、と思われる観物《みもの》に相違なかった。なるほど西洋手品より人気が高いといわれるのも無理はない。――
女が鉢巻の手裏剣をすべて打ち終え、三味線と踊りがやむと、見物たちはわあっと拍手を送って、鉢の中へ一銭銅貨や五厘銅貨を投げ込んだ。
三人の芸人は、そのあいだ、蓆の上で、平伏して動かない。――ひょっとこは、黒い目かくしをとっただけで、面《めん》ははずさない。
彼らは三十分余りもそうしていて、また次の回の同じ芸のない妙技をはじめるのだが、立ち去る見物はわずかで、みな好意あるざわめきをもらしながら、それまでおとなしく待っている。
その中で。――
「あれじゃないか」
「女は、たしかにあいつの妻じゃ」
「男も――痩《や》せたが――たしかにあの男じゃ」
「面《めん》をとった顔を見たいのう。……」
そんなささやきを交し合った者がある。山高帽に洋杖《ステツキ》をついた官員風の三人の男であった。見物のいちばん前で、彼はしげしげと、ひょっとことその女房のほうに眼を注いでいる。
すると、ひょっとこが平伏したまま、女房に何か話しかけた。それからまた何分かたってから、鉢の銭を拾いに来た女房が、官員の足もとで小声でささやいた。
「すぐにお立ち去りになったほうがよいのではないかと、夫は申しております」
ほかの人間には聞えない声であった。
「いますぐふり返られますな。ななめ右うしろに三人の士族が立っておりますが、どうやら、あなたがたを見張っているようすだそうで。――」
彼女は銭を袋にいれて、次の鉢のほうへ移っていった。
即座に、ななめ右うしろを見なかったのは、大変な努力であった。三人がそれをやったのは、五分もたってからのことであったが、彼らはまさしくその方角にそれらしい六個の眼を見て、やはりはっとした。なるほど士族と思われる三人の中年男であったが、眼のひかりが、群衆の中に六匹の夜光虫みたいに見えた。
それからさらに十分ばかりして、もういちどそちらを見ると、その三人の男の姿は消えていた。感づかれたことを感づいたにちがいない。
官員風の一人が見物のうしろへ出て、眼で探すと、いまの男たちが浅草寺境内のほうへ足早に去ってゆくのが見えた。
やがてまた、「ひょっとこ討ち女手裏剣」がはじまり、それが終ったときは、奥山に暮色が漂い出していた。これがきょうのおしまいと知って、こんどは客も散りかける。ほかの見世物小屋も大道芸人も店じまいして、見物人たちはぞろぞろと、観音さまの境内のほうへ流れてゆく。
京橋から浅草までガス燈がのばされたのは去年の十月のことだが、それでもいつか、警視庁がこの一帯の密|淫売《いんばい》狩りをやったときに述べたように、夜ともなると、白い首や刺青だけが出没する物凄い一劃と化してしまうことは変らない。
去りゆく人々のほとんどいちばんおしまいに、手裏剣打ちの三人は歩いていった。男は、やっとひょっとこのお面をはずしている。総髪にした、蒼白な、彫ったような顔をした三十半ばの男であった。暮色の中にもあきらかにその両眼は閉じられ、右手に太目の竹の杖をつき、左は女房に手をとられていた。三味線と蓆をかかえた老婆は、その物腰から召使いといった態《てい》に見える。大道芸人の召使いというとおかしいが、実際は武家の奉公人といった感じだ。
すると、うしろから忍びやかな声がかかった。
「針買将馬《はりかいしようま》ではないか」
こちらの三人は立ちどまった。盲人の眉がひそめられた。
「やはり、そうじゃ」
背後から駈け寄って来たのは、さっきの山高帽に洋杖《ステツキ》の官員風の三人だ。彼らは前にまわった。
「思いがけない姿を見る」
「いや、先刻御内儀を見ていて、もしやしたら、と首をひねっていたが。――」
「それにしても、大道芸人とは?……瓦解《がかい》以来、ずっとあのようなことをして来たのか?」
「いや、あの手裏剣には恐れいった。見ていて、冷汗をかいた。御内儀にあのようなお手並があろうとは、以前知らなんだ!」
口々にいうのに、盲人は黙っていたが、やがて、
「ああ、よせばよかった。昔の仲間だから、つい要らざるお節介なことをしたが……」
と、つぶやいた。淡い苦笑の翳《かげ》が片頬《かたほお》に彫られていた。
「しかし、あれはあれだけのことにして、ここでお別れしたい。わしも、おぬしたちが長州入りしたことは耳にしたが、それからどうしたか、その後のことをまったく知らぬ。べつに聞こうとも思わぬが、その代りわしのことも聞かんでくれ。昔のことは、一切、無、にしたいのじゃ」
と、彼はいった、春というのに、こがらしのような声であった。それから彼は、咳《せき》をした。
「では。――お志乃、ゆこう」
「ま、待ってくれ」
一人がその腕をとらえた。
「教えてくれ、盲のおぬしが――あの男たちがおれらを見張っておると、どうしてわかったのじゃ」
「おぬしたちのことを話していたのが聞えたのさ」
「あの騒々しさの中で?」
「左様」
盲人はまた軽い咳をした。
「それに、薩摩弁でもあったしの」
「薩摩弁、なるほど。――いや、それでも腑《ふ》に落ちぬが、で、何をしゃべっておった?」
「いまに必ずひっくくってやるとか、何とかいう意味のことを――いや、よそう。こういうことになると面倒なので失礼するといったのだ。とにかくその会話の中でおぬしたちの名が出て来たので、こんどはそっちに耳を向けると、おぬしたちの話が聞えた。そこで昔なじみのよしみに、おぬしたちへ注意するよう女房に伝えさせたというだけのことだ。あちらの風態は女房に見てもらった」
無数の声の中から、特定の声だけを聴き出す男。――
この針買将馬が、かつての仲間の中で最も有能な技能者であったと知らなければ、ほんとうの話とは思われない。いや、それを知っていても、いま腑に落ちないと告白した通りだ。しかし、この男が盲人にちがいないことは、彼らは知っていた。盲人があんな忠告を与えてくれたとすると、その異常聴力を信じないわけにはゆかない。
「盲になってから覚えた芸さ。眼の代りに、耳で憶える。しかし、この芸では食えない。そこであんな恥ずかしいざまを見せた。あれは女房の芸ではない、戸板に手裏剣を打ち込むくらいは、ちょっと修行すればだれでもやれる、ただ三味線に合わせておれが踊って見せるだけでごまかしになるが……笑ってくれ」
自分でも声なく笑って、また竹杖をつき直した。
「針買、待ってくれ」
「いくら、聞かんでくれといっても、聞かずにはおられぬ」
「おぬしのことはさておいて」
三人はあわてて、なおひきとめた。一人が、口走った。
「あのわしたちを見張っていた男たちは……胸に覚えがある。あれは警視庁のポリスなのだ」
「やはり、そうか。――」
盲人はうなずいた。
「そういう口ぶりであった。……あの連中なら、あり得ることじゃ」
「あの連中なら?」
三人はいよいよ気がせいた。やはり、この盲人は、あの男たちについて何かを知っている。――
「きゃつらが何をしゃべっておったか、もう少し教えてくれ、頼む、針買。――」
「わしがあの男たちの話し声を耳にとめたのはね」
と、盲人はいった。
「ただ薩摩弁というだけじゃなく……あれが、おれの眼をつぶした薩藩お庭方の連中だからだよ」
「――えっ?」
愕然《がくぜん》としたのは、三人ばかりではない。盲人の女房もまた、いまはじめて聞いたことらしく、はっとして夫のほうへ顔をむけていた。いま盲人が、「あの連中なら」といったのは、そういう意味であったのか。――
「あなた……それはほんとうでございますか」
「薩摩で、おれをつかまえ、拷問《ごうもん》し、あげくの果てにこの眼に錐《きり》を刺してつぶしたやつらの声だ。忘れはせぬ」
駈け出そうとする妻の手を、彼は逆にとらえた。
「どこへゆく」
「か、かたきを。――」
「よせ、昔のことは無だ、と、よくいってあるのを忘れたか。……それに、命じたのは薩藩お庭方頭川路正之進、いまの警視庁大警視川路利良だ。向うも任務としてやったことじゃ」
そして、彼は、茫然《ぼうぜん》と棒立ちになっている三人のほうへ、とじたままの眼をむけた。
「それくらい、わしは済んだことは無いものとしようとしているのだ。……こちらなりの倖《しあわ》せは、それ以外にないものと思うてな。は、は。だから、おぬしたちも――今、何をなされておるか知らぬが、なるべくポリスに追われるようなことはせんで、おぬしたちなりの倖せを得られるように祈るだけで、それ以外はもうかかわりとうない。これで、ゆるしてくれ」
盲人は、女房に手をとられて、また歩き出した。
さっきのひょっとこ踊りが嘘《うそ》みたいなおぼつかない足どりで、観音さまの境内にはいり、仁王門のほうへ出てゆくのを、三人の男はただ糸にひかれる操り人形みたいに追った。
そのとき、その一人が、ふと足をとめた。もう人影まばらな境内に佇《たたず》んで、五重塔にかかる白いタ月を仰いでいる三人の男があった。しかし彼は、すぐに仲間を――また盲人一行を追った。むろん、その三人は変装したあのポリスたちではない。
「兵四郎」
と、夕月を眺めていた隅の御隠居さまがいった。
「いまの男、知っておるか」
「いえ。――」
「はてな、向うじゃ、こっちを知っておるそぶりを見せたが――では、お前でなくて、わしに見憶えがあったのかの」
「あれは、いったい、どなたで?」
と、冷酒かん八が、仁王門のほうへ消えた影を見送りながらいった。
兵四郎は、そもそも、さっきからの御隠居さまの行動の意味がわからない。
三人がその日の午後、浅草寺へやって来たのは、慶応元年|師走《しわす》の大火で類焼した雷門の、門は依然として消滅したきりだが、そこの風神雷神だけがこんど新しく作られて、奥山の薬師堂に安置されたという話を聞いたので、その出来栄えを見物に来たのだ。
それから、ついでにいろいろの見世物を見た。兵四郎は大部分馬鹿馬鹿しかったが、御隠居さまは子供のように面白がって見物しているようであった。ただ、兵四郎も、いちばんおしまいに見た女手裏剣だけにはいささか胆を抜かれた。
「女で、たいしたものですな」
「左様」
「いつかの、女剣会とはだいぶちがいます」
「左様」
兵四郎の声もうつろな顔で、御隠居さまはしげしげと眺めていたが、
「しかし、あのひょっとこ、ほんとうに盲でしょうか?」
という兵四郎の問いには、
「盲じゃ」
と、馬鹿にたしからしくうなずいた。
「盲で、たいしたものですな」
「盲でなくったって、たいしたものじゃ」
「それはそうです」
「あれが芸か、それにしてはどこやらおぼつかないふしがあるが、何かからくりがあるのか、わしにもよくわからぬ。――」
やがて、おしまいになって、見物たちが散りはじめても、御隠居さまは、「すこし気にかかることがある。もう少しようすを見させてくれ」といって、浅草寺境内をぶらぶらしていたのだ。いまの盲人一座が出て来るのを待っていたのは明らかであった。
「あれはな」
いま、かん八の問いに、御隠居さまは答えた。
「江戸城のお庭番であった」
「へえ?」
兵四郎とかん八は改めて眼をむいて、夕闇をすかした。
「瓦解とともに離散した徳川の侍たちがどうなったか、わからないのはだれも同じじゃが、なかでもわからぬのはお庭番たちじゃ。もともとが、たとえ幕臣でも外部の者にはとんとはっきりせぬ者どもであったが……たまたま、あの連中だけは記憶がある。とくに盲人は、名まで記憶している」――
まさに、この御隠居さまなればこそだろう。――独り言のようなつぶやきに、兵四郎はいよいよ眼をまろくした。
「あの盲人も、お庭番だったのですか」
「左様」
と、御隠居はうなずいた。
「あの盲人は、たしか針買将馬といって、薩摩へ隠密御用にいった。薩摩は、人も知るように隠密にとっては最大の難国じゃった。そもそもが、言葉の点でまずひっかかる。それでもあえていったのは、あの男にそれだけ自信があったのであろうし、またゆかねばならぬ時勢でもあった。ところが――果せるかな、見破られてつかまり、眼をつぶされて、薩摩の船が長崎にはいったとき、そこで放り出されたという。――そんな話を聞いた」
「………」
「いのちだけは助けたのは、慈悲か、幕府への愚弄《ぐろう》か、よくわからぬ」
「………」
「あとの三人は、顔だけ憶えはあるが、名は忘れた。これはそのあと、いれちがいくらいに長州へ派遣《はけん》されたはずじゃが、それからどうなったか、わしは知らない」
「いつも考えておることじゃが、人間、いのちをかけた晴れの舞台から放り出されても、死なないで生きておる限りは、みな生きてゆかねばならぬ。思えば、哀しいことじゃなあ。……」
御隠居の詠嘆の内容とは別に、兵四郎は、ふっと自分の腰にうつろな夕風を感じた。その腰に、刀はなかった。三月二十八日以来。
――数日後、闇の中の三人の声。
「……鳥越《とりごえ》へいって来た」
「どうであった」
「いかん」
「やはり、承知せぬか」
「復讐《ふくしゆう》するなら、元お庭番のよしみとしてこっちが助太刀する、と遠まわしに説いたのじゃが……針買がとり合わぬ。過去は捨てた、昔の妄執《もうしゆう》はすべて忘れた、といいおる」
「盲のほうはこっちには用なしじゃ。借りたいのは女房のあの手裏剣じゃが」
「夫を盲にしたかたきをとる気にはなれぬか、と、つい焦って口走ったら、針買め、女房は三味線がなければ手裏剣が投げられぬが、三味線をひきながら闇討ちさせる気かね、と例の陰気な声で笑いおった」
「これ、あまり露骨なことをいって、こっちの意図を感づかれてはならんぞ。……」
「うむ、わしたちがポリスに眼をつけられたのは、維新騒ぎの際、京であの薩摩っぽうとやり合ったことがあるからだ、といってはおいたが」
「まさか針買は、おれたちの過去を知っているのではあるまいな」
「参議暗殺の件か」
「いや、いくら何でもそれは知るまいが、長州へはいって以来のおれたちのことだ。馬関で女郎にひっかかっておるうち井上聞多に公儀隠密であることを見破られて生捕りになり、御一新のあともそのまま井上さんに飼われて使われておるということを」
「そんなことを知るものか。針買は盲になって帰ってからすぐに御役御免となり、あとはあの瓦解騒ぎじゃもの、……それはいいが、お、気にかかることを思い出した」
「なんだ」
「あいつの長屋を出たときからもう日が暮れておったが、三味線堀まで来るあいだにうしろで靴音が聞えた。二人か三人の跫音《あしおと》じゃ。それで、立ちどまって待っておったが、それっきり靴音は消えてしまった。――」
しばらく沈黙が落ちた。
「きゃつらじゃな」
ややあって、一人がうめいた。
「まだしつこく尾《つ》けておるか。こりゃ、何とか早く手を打たねばならんぞ。井上閣下はまだ御出立前じゃが、こっちはそれを待つつもりでも、向うがそれまで待ってくれるという保証はないからのう。……」
――また数日後、闇の中の三人の声。
「おい、天来の妙策を考えたぞ。じっとしてはおられぬと、苦心|惨澹《さんたん》のあげくの神算鬼謀じゃ」
「どういうのだ」
「あの針買夫婦を見つけ出したとき、これはあの薩摩お庭方上りの巡査たちを消す恰好《かつこう》なやつが出て来たと手を打ってよろこんだが」
「それが、思い通りにゆかんではないか」
「しかし、考えてみると、明治の代に手裏剣で闇討ちさせるなどということが時代錯誤じゃ。あの夫婦を発見し、ひざをたたいたそもそもの理由は、巡査を殺してもおかしくないやつ、従って巡査が殺されても容疑者としてふしぎではないやつを見つけ出したということじゃろうが」
「そういえば、そういえんこともないが。……」
「だとすると、こっちが巡査を殺して、あっちを下手人に仕立てればよいわけじゃ」
「ほう? いや、それはそうゆけばよかろうが、そううまくゆくか。だいたいきゃつら示現流の使い手と聞いたぞ。それをこっちで殺して、しかもあの女が手裏剣で殺したように見せかけるとは……いったい、どうするのじゃ」
「いや、下手人はべつに作る」
「えっ、あの女は使わぬのか」
「あの女は使う」
「何をいっておるのかわからぬ」
「そこが、神算鬼謀といったゆえんじゃ。……下手人には、あの元南町奉行所同心をあてる」
「なに……あの、広沢参議の妾《めかけ》の用心棒をしていたやつか。あいつには悩まされたものだが、それにしてもまた突拍子もない人間を思い出したな」
「いや、先日、はじめて針買夫婦の大道芸を見た日、きゃつが駒井相模守どのといっしょに浅草寺におったのを思い出してのことだ。向うはこっちに気づかなんだらしいが。……」
「気づくわけがない。きゃつ、あの妾の用心棒はしておったが、ついにわれわれの存在を知らない――秋葉原で危く見つかるところであったが、結局われわれをつきとめることは出来なかったのじゃから」
「そこがもっけの倖いだが、とにかくきゃつも巡査たちと相殺《そうさい》にしてしまうにしくはなし」
「相殺? どうやって?」
「たしか、千羽兵四郎といったな。千羽をあの針買の女房、お志乃の用心棒にするのじゃ」
「なんの用心棒」
「警視庁のあの巡査どもに対して。――先夜、おれがあそこを訪問したとき尾《つ》けて来たあの靴音から思いついたことじゃ。これから、あの家をめぐって、夜な夜な靴音を聞かせる。――あれは何だ、ということになるだろう。そうだ、こっちが巡査の制服を作って巡査に化けて、その姿をチラチラ見せてもよいな。ううむ、これはうまい思案じゃ。あとのことにも都合がよい。――」
「偽巡査――なんのために、そんなことを?」
「針買夫婦を疑心暗鬼におとしいれるためだ。なかんずくあの女房をおびえさせるためだ」
「なぜ、あれらが巡査におびえる?」
「将馬の眼をつぶしたのが、あの巡査どもだからよ」
「それを知ればうす気味の悪いのは、巡査どものほうだろうが。――だいいち、あの連中、針買将馬のことを知っておるのかね?」
「いつぞや奥山のときは、将馬は面《めん》をかぶっていたっけな。おそらくはまだ知らぬのじゃないか。――むろん、加害者は薩摩お庭方のほうだ。しかし、もし自分たちが眼をつぶした徳川お庭番が大道芸人として生きていることを知れば、きゃつら申しわけないことをしたと謝罪に来るか。似た悪縁は、ほかの政府役人と幕臣の間に無数にあったが、そんな殊勝な真似をした新役人はほとんどあるまい。かえって威丈高《いたけだか》になって旧幕臣に迫害を加えたというのが大半ではないか。うす気味悪く思えば、なおさらのことじゃ。――その巡査どもが自分をめぐっていると知れば、針買夫婦のほうが疑心暗鬼におちいり、女房がおびえるようになっても決してふしぎではない」
「なるほど。――」
「そこで用心棒が必要になる。少くとも女房に、用心棒が欲しいと思わせるようにしかける。……それがあの同心じゃ」
「用心棒になるか」
「なる。あのおかねという馬鹿な女の用心棒さえひき受けた素ッ頓狂なやつだ」
――同じ時刻、千羽兵四郎はお蝶《ちよう》を抱いていて、いいところで突然くしゃみをした。
「それには手を使う。きゃつが出入りしておる数寄屋橋の駒井相模守を介してやらせる。あの爺《じじ》い、どこまでわしたちのことを知っておるか、ちとおっかないところもあるが、少くともわれらが井上の私兵ということまでは知らぬはず。――」
「ううむ、なるほど。――しかし、同心を用心棒にして、どうしてあの巡査たちと相殺にするのじゃ?」
「女を殺す」
「なんだと? あの針買の女房をか! これは驚いた」
「いろいろ考えたが、この目的を果すためにはそれよりほかに手はない」
「そ、それでどうするのじゃ?」
「女を殺して、これがあの巡査たちのしわざと思わせる。そこで、千羽に果し状を送らせるのだ。それには何とか工夫が要るだろうし、かつあの巡査どもが応ずるかどうかわからんが、とにかくそういう状態に持ってゆくこととしよう」
「そして、双方に果し合いさせるのか」
「そのつもりだ」
「それで双方、相討ちになるというのか。そんなに好都合にゆくか。あの同心、なかなかの腕らしいが、相手は三人、しかも示現流の使い手と聞いておる。同心のほうが返り討ちになるだけではないか」
「そこでわしたちが手伝う」
「わしたちが? 同心の味方をしてか」
「一応な」
「馬鹿な! 事によっては、わしたちだって危い」
「いや、こっちは巡査に化けて、巡査の助勢に駆けつけたと見せて、双方みな殺しにしてしまうのじゃ。あとに残るはあの巡査たちと同心の屍体《したい》ばかり。いかに検屍《けんし》しても相討ちと見えるように処置をする。――」
しばらくの沈黙が、闇をいよいよ深くした。
「しかし、考えたものじゃなあ。……」
「ふ、ふ。これでも元は徳川お庭番じゃ。いや、井上さんにおだてられたように、薩摩お庭方との一騎打ちと思うておるからの」
「なるほどこれは神算鬼謀じゃが……しかし、そんなにうまく事が運ぶか」
「それは時と場合により手直しする必要も出て来るじゃろうが、大筋はまずこれでよいと考える。あの三人を具合よく始末するためには、これくらいの苦労はやむを得んではないか。……それに、チョイと愉《たの》しみもある」
「なんじゃ」
「あの針買の女房じゃ」
「あれを殺すとは、ちと無惨じゃな」
「いまさら、何をいう。どうせ血まみれの手を持ったわれわれではないか。さて、どうせ殺すなら、その前に何をしてもよかろう。あの女房、貞節そうに見えるのがなかなかいい。いや、盲の夫にあれまで仕えておるのじゃから、実際に貞女なのだろう。そういう貞女を犯すのは、また何ともいえぬ愉しみとは思わぬか?」
闇が凍りついて、一瞬ののちどよめいたようであった。
「あと将馬はどうするのじゃ?」
「ふだんは、女房がいなければ出歩きも出来ぬていたらくじゃが、まあ、昔から奉公しておる婆《ばば》がいるので何とかなろう。もっともおれの見たところではどうやらあれは労咳《ろうがい》を病《や》んでおるらしいので、そこがちと気の毒じゃが、女房がおってもどうせ永くはないと思えばいい。それに、きゃつ、女房が死んでも、済んだことは無じゃ、と陰気にぶつぶつ呟《つぶや》いておるだけではないか?」
事は、考えていた以上に好都合にいった。駒井|信興《のぶおき》を介して、千羽兵四郎に用心棒の役をおしつける、という段どりであったが、数寄屋橋の駒井家にいったとき、その兵四郎がそこにいたからである。
雨のふる午後、二台の俥《くるま》をつらねて訪れた一組の男女を迎えて、隅の御隠居さまと兵四郎はけげんな表情をし、やがて少くとも兵四郎の顔には驚きの色がひろがった。男の顔には見憶えなかったが、女は、いつぞや浅草で見た手裏剣打ちの女房だったからだ。
もっともきょうは、あの日のように鉢巻|襷《たすき》などしてはいない。ありふれた町の女房姿で、しかもあのときよりやつれて見える。身なりもつつましやかというより貧しげで、それにもかかわらずたしかにもとは侍の妻であったらしい気品があった。
「名町奉行のお噂《うわさ》の高かった駒井相模守さまがここにお住まいと承《うけたまわ》り、唐突ながら御相談に参った次第であります。私は」
と、官員風の男が恐縮の態を見せて切り出したのを、
「よう探しあてたの、さすがは元お庭番じゃな」
と、御隠居はいった。
「ただし、名町奉行という評定《ひようてい》はひどいがの。……先日、浅草で逢ったな」
兵四郎はまばたきした。そういえばあのとき御隠居さまが、手裏剣一座を追っていた男たちもお庭番だ、といったが、その中の一人の顔だ――と、いいたいところだけれど、三人もいたので顔に記憶はない。
相手もぎょっとしたようだ。馬面といっていい、しかしただ長いだけで無表情な顔をした男であったが、ちらっと御隠居を上眼づかいに見た眼に、あきらかに、これは、という動揺が見えたが、しかしすぐにいった。
「左様でござりまするか。こちらは気づかず、それは失礼申しあげました」
「なに、顔を知っておるだけで、こちらも名までは知らぬ。何といったっけね?」
「は、杉目万之助と申しまする」
「たしか、ほかにも二人おったが」
「は。――」
「いま、何をしておられるな」
「へ、みな大蔵省の税役人をいたしております」
「ほう。……」
「いえ、役人というにも値しない下級の者で、近く横浜税関に転勤することになっておりますが、その役目が倉庫番といえばお察し下されましょう」
「お庭番が税関倉庫番、それはふさわしいような、また気の毒なような」
御隠居は破顔し、杉目万之助も苦笑して見せたが――これがみな嘘である。前もって今の境涯を問われるだろうと、あらかじめ考えてあったことだ。
「いえ、私どもなどはまだましなほうで、このおひとなどは――御亭主も、われらの同輩でござるが、夫婦で、浅草で手裏剣の大道芸人をやって生計《たつき》をたてておられる始末で」
「うん、あれは見た」
と、御隠居はいった。
「あれが、そうか。あのひょっとこのお面をつけたのがこのかたの御亭主か」
顔も見たはすだが、こんな場合そらとぼけるのが、この老人の癖《くせ》だ。
「や、御覧でござりましたか。あれが元お庭番針買将馬と申し、これは御内儀のお志乃どので――そのことについてお助けを願いに参った次第でござりまする」
お志乃はもういちどお辞儀した。しかし兵四郎には、彼女がここに来たことに彼女自身まだ迷っている風に思われた。
――梅雨《つゆ》にはまだ早いのに、このところ十余日、大道芸には出られない雨模様の日がつづいた。針買の家はたちまち窮迫《きゆうはく》した。その上、病みがちな夫がまた血を吐いて寝てしまった。お志乃は、あてにならぬ知人へ金を借りに出かけて、往来でこの杉目万之助に出合ったのである。杉目は金を貸してくれたが、この機会に、例の靴音の件につき相談したいお人があるからといって、何の考えも浮かばないままのお志乃の手をとって、ここへつれて来たのであった。
杉目万之助はしゃべり出した。
この元お庭番で今大道芸人の一家を、このごろおびやかす跫音がある。夜、家の前をいったり来たりする靴音がある。――靴の音がまだ珍しい時代であったのだ。――一、二度お志乃が出て見たら、それは巡査らしかったが、逃げるがごとく消えて、またしばらくすると靴音を聞かせはじめる。
「そうであったな?」
杉目にふりかえられて、お志乃はうなずいた。
これはいったいどういう意味であろう? ――と、怪しみ、そこで内々調べて見たところ、実に意外なことが判明した。
元お庭番針買将馬が盲目になったのは、維新前薩摩に隠密にはいって捕えられ、故意に錐《きり》で眼をつぶされたからだが、その眼をつぶしたのが薩摩お庭方で、しかもそれらが今は警視庁の警部や巡査になっている。名までわかったが、仁礼十郎太警部、黒河内正助巡査、有馬尚五巡査で、どうやらその靴音の主《ぬし》は彼ららしい。――
「はて、そいつらが、何を考えてのことかな?」
兵四郎は首をひねった。
「さ、それがわからぬ。わからぬだけに、いっそうぶきみなのでござる」
と、杉目万之助はいい、それにつづいて、
「実は私ども、針買といれちがいに上方へ隠密御用に出張し、瓦解に至るまで働いておりましたが、その相手として、最も恐るべき敵が、その連中でござった。今から思うと、彼らは薩摩から京へ進出していたものと見えます。目的のためには手段を選ばず、実に残忍凶暴をきわめ――そやつらがいま、警視庁の巡査となっておると思えば、御時勢とは申しながら、まことに戦慄《せんりつ》すべきことでござります」
と、身ぶるいしていった。
「そのことをお志乃どのから聞き、拙者《せつしや》どももぶきみに思い、今までかげながら警戒して参りました。針買は盲目に加えて、志まったく衰え、その上このごろ労咳が昂《こう》じて伏せっております。ところへ私ども、さきほど申しましたように近く横浜に転勤を命ぜられ、あといかなることに相成るや、思えば思うほど心平らかならず。――」
切々と彼はつづける。
「しかも、その靴音がきゃつらだとすれば、警視庁にこの怪異を訴えるわけにも参らず、まったく途方にくれたところへ、はたと思いついたのは、いつぞやだれかから聞いた、元南町奉行の駒井相模守さまがここに御健在との話」
彼はがっぱと両手をついた。
「お願いでござる。身分のちがい恐れいってござれど旧幕臣のよしみ――あなたさまのお顔をもって警視庁のほうへお談じ下さるか、それともわれらに代ってどなたかこの針買一家を護ってやって下さるかたを御|斡旋《あつせん》たまわりますまいか?」
「わかった。しかし、警視庁に、わしはそんな力はないな」
と、御隠居はいった。
「きいてあげるとすれば、あとのほうしかあるまいが」
さすがの御隠居も、この哀願の背後の闇の構築には想像が及ばない。この依頼人の男に何やら、暗いものは感じたが、それも「前世」の職業、またそれゆえのその後の苦労を思いやってやれば、とうてい疑惑にまで至らない。
「兵四郎、また用心棒をやって見るか」
兵四郎は、話の途中から、ひざの上のこぶしをにぎりしめていた。
いや、いつぞやあの大道芸人が薩摩で盲にされたという話を聞いたときから、そのお庭番への同情、加害者への怒りにたえなかったのだ。まして、いま、夕顔のようにひっそりと坐っているそのお庭番の内儀の姿をまざまざと眼前に見れば。――
「や、やりましょう!」
と、彼は大きくうなずいた。
そのとたんに杉目万之助の顔が、ぱっとかがやいた。まったく正直に、彼は心中に手を打ったのだ。こいつ、みごとにひっかかりおった!
「どなたか存ぜぬが、頼もしげなおかた……いずれさまでござろう?」
「元同心をやっていた者で、千羽兵四郎と申す」
いずれさまでござろう、も、ないものだ。これが闇の中でやり合った相手であることを、兵四郎は全然気がつかない。――杉目がいよいよ笑み崩れたのは、そのことを確認した安堵《あんど》感と相手に対する滑稽《こつけい》感のゆえであった。
あまり笑い過ぎては、と杉目は照れかくしにふりむいた。
「おい、お志乃どの、よろこべ、ここに来た甲斐《かい》があった。実にありがたい用心棒が現われて下すった」
「はい、ありがとう存じますが。……」
お志乃は少し当惑した表情であった。
お志乃はいかにも怪しの靴音を聞いた。一、二度巡査の影も見て、やつれるほどに恐怖した。夫に訴えたことはむろんだが、夫は首をかしげたまま黙って横たわっている。たいていのことには無反応な夫であった。そこで、またそのことを、見舞いに来てくれた夫の昔の同僚たちに訴えたことがあったにはちがいない。しかし、きょうこんなところへつれて来られて、こんな依頼をすることになろうとは思いもかけなかった。いまはじめて聞いた話もある。杉目が善意のためにやってくれることに異議を唱えることは出来ないけれど。――
「でも、用心棒なんて大仰なことを……家は長屋でございますし、夫は寝ておりますし、それにもういちど夫にも相談して見ませねば。……」
「いや、いや、べつにあなたの家に泊り込む必要はありますまい。お宅の場所をうかがい、私が日夜適宜に見廻って、もし不審な巡査を見つけたら、然るべく接触して、よからぬことを企んでいればとっちめてやりましょう」
と、兵四郎はいった。彼はまた新しい「生甲斐」のたねにめぐり逢って、躍々たる顔色となっていた。
「そういうことは、昔の商売柄、私のいちばん得意とするところですから。……」
安心したようにお茶をのみかけていた杉目万之助が、急にむせかえった。
吐き気を催すような凶悪な犯罪が実行に移されたのは、それから十日ばかりのちのことであった。
やはり、今にも雨が落ちて来そうな五月末の夕方、町へ貧しい食事の買物に出たお志乃は、また杉目万之助に呼びとめられた。
「お志乃どの、一大事だ。すぐ小舟町に来てくれぬか」
このひとは、横浜に転任するとかしたとかいっていたが、まだ東京にいたのだろうか、と、ふしぎに思いながら、お志乃はたずねた。
「何でございますか」
「例の同心どのが、小舟の自宅でいま警察に訊問《じんもん》されておる」
「――えっ」
お志乃は立ちすくんだ。
「事情はよくわからん。偶然わしはそこへゆき合わせたのだが、千羽さんのいうには、お志乃さんに手裏剣術を教えたのは自分ではない、ということを証言してくれさえすれば事はすむそうだ。即刻呼んで来てくれといわれて、とるものもとりあえずすッ飛んで来た」
「わたしの手裏剣?」
「そこに見本を持っておられるか」
「いえ、まさか。……」
「じゃ、まあそれはいいだろう。とにかくすぐにいってやって下さい。そのことを警官にいえば、いいそうだ」
何のことやら、わけがわからない。それだけにお志乃は動顛《どうてん》するよりほかはなかった。
「手裏剣といわれても、わたしのは術などいうものではありませぬ。……」
そういっているあいだに、杉目万之助は、通りかかった一台の空俥《からぐるま》を呼び、ゆく先を告げた。雨支度のためか、饅頭笠《まんじゆうがさ》をかぶった俥夫がうなずいた。
「とにかく早くいって下さい。私は二本足で走って追っかける」
夫に、このことを報告しておかなければ――などいうひまはなかった。いやもおうもなく、お志乃はその人力俥に乗せられてしまった。俥は駈け出した。
俥の幌《ほろ》の中で、お志乃はワクワクしていた。あの同心は、あれから用心棒にやって来た。はじめいちど夫にも逢い、挨拶《あいさつ》し、見舞いの言葉を述べたが、それきり顔は出さず、しかし日夜、周囲を見廻ってくれていたらしい。どうやらもう一人、手下に肥った男を使って交替の仕事らしかったが、とにかく、それ以来、あのぶきみな靴音は聞えなくなった。――
ほんとうをいうと、こちらから発心して頼んだ用心棒ではなかったが、ありがたいことに相違なく、それよりお志乃は、その同心の洒落《しやらく》でしかも控え目な人柄に好もしさを持たないわけにはゆかなかった。――その同心に災難が訪れたと聞いて、彼女が動顛したのは、まったく彼に対する好感の反映であったといっていい。
やがて俥の右には、寂しい野原が拡がり出した。――小伝馬町だ。
当時東京には町中《まちなか》にもあちこち空地はあったが、日本橋にちかいところでこれだけ広い草の原があるのは珍しい。それも道理で、ここはかつての牢屋敷の跡なのであった。去年の夏ここが焼けたことを述べたが、囚獄署はちょうど市ヶ谷へ移る直前で、あとは空地となり、かつ人々に不吉な場所として印象されているため利用者もなく、いまは「牢屋ヶ原」と呼ばれている。――焼跡にもう草は二度生え、ずっと向うに焼け残った三本の欅《けやき》の大木がそびえているばかりの二千六百七十七坪の野ッ原となっているのであった。
俥はその空地に乗りいれられた。
はじめ、あっけにとられていたお志乃は、われに返って尋ねた。
「もしっ、俥屋さん。――ゆくさきは小舟町とは聞かなかったかえ?」
「へえ、ここを通ると近道になりますんで」
俥夫は饅頭笠の下から答える。
お志乃がぼんやりしているあいだに、俥はひどくゆれながら、もう牢屋ヶ原の半ばあたりまで進んでいる。走る俥から飛び下りることも叶《かな》わず、ふり返っても幌にさえぎられている。それに、追って駈けていた杉目万之助も、途中から見えなくなったようだ。しかしお志乃は、一、二分後に、小舟町にゆくのにここは近道なんかにはならない、まったくの方角ちがいだということに気がついた。
「おまえさん。――どういうつもりなの? 下ろして――」
俥夫は答えない。丈高い草の中を、しゃにむに、俥を曳く。
「だれか。――」
お志乃はついに悲鳴をあげた。
そのとき、俥がとまった。お志乃は欅の木の下に立っている一人の巡査の影を見た。
彼女は俥からまろび落ち、夢中でそのほうへ駈けていった。
「助けて下さい。――」
向うからも急ぎ足でやって来て、お志乃を両腕に抱きとめた。
「どうした」
その刹那《せつな》、お志乃は、「あう!」というような異様な悲鳴をあげていた。両肩の関節が妙な音をたて、そこから激痛が走り、二本の腕はダラリと垂れていた。
驚愕の眼で立ちすくんだお志乃は、そのまま草の中にねじ伏せられた。はね起きようとしたが、両腕がきかないのでそれが出来ない。
巡査が、どうしたのだ? その驚きに、第二の驚きがかぶさった。これはただの巡査ではない、あの薩摩お庭方の巡査だ! その考えがはじめて彼女の頭にひらめいたのだ。そこへひきずり込まれるという罠《わな》に自分はかかったのだ!
はっとして首をねじむけると、いまの俥夫がうす笑いを浮かべながら、のそのそと近づいて来る。饅頭笠の下の顔を見て、第三の驚愕がお志乃を襲った。あれはいつか浅草で逢い、杉目といっしょに一、二度長屋へやって来たこともある夫の昔の朋輩だ、と気づいて、もういちど巡査の顔を見ると、これもその一人にまぎれもない。――薩摩のお庭方ではなく、徳川お庭番だったのだ!
そ、それが、どうして?
聞くいとまはない。お志乃は草の上で、その襟《えり》をぐいとおしひろげられた。
「手裏剣は持っておるまいのう。……うむ、持っておらぬ!」
と偽巡査がいい、顔をあげて、
「惜しいが、おぬしに役目があるので一番をまかせる。早くやれ」
と、偽俥夫にいった。
偽俥夫が怪鳥みたいにお志乃に覆いかぶさって来た。きものの裾《すそ》も、ぐいと大きくかきひらかれた。……落魄しているとはいえ、いかにも元武家の人妻らしい梅花に似た女性の何たる無惨な姿だろう。
「殺して! 殺して!」
お志乃は悲叫をあげた。
「ええ、うるさい、往来にまで聞える」
偽俥夫は、両手で女の頬をはさんだ。と見るや、女の顔が長くなって、口がひらいたままになった。
顎の関節もはずされたのである。元お庭番ならではの怪技であった。
すでに両肩の関節をはずされて抵抗不能となり、舌をかみ切ろうにも顎の関節をはずされている。髷《まげ》は崩れて黒髪はひろがり、着物は今は帯のまわりにまといついているだけだ。しとやかで、哀れで、しかも凛《りん》とした女性を人間とも思われぬ姿として、俥夫は獰猛《どうもう》に犯しはじめ、巡査は眼をひからせてひきつった高笑いをあげたが、待ちかねて、自分の指を何本か女の口につっ込んだ。
そして、ようやく偽俥夫に代って偽巡査がとりかかったとき、往来のほうからもう一人の巡査が走って来た。
「おいっ……もう十分もしたら、あの同心が通りかかるぞっ」
それが、いつのまにか姿を変えた杉目万之助であったことを、お志乃は見たか、どうか。かたくとじた眼から、涙は火の糸のように流れていた。
「やったもんじゃなあ!」
杉目は足もとにくりひろげられた惨状を見下ろしてうなったが、すぐに鼻息をあらくして、
「おいっ……早く代れ」
と、地団駄を踏んだ。
そのあいだに最初の俥夫は、途中に置いたままの空俥を曳いて、往来のほうへ駈けていった。
三人目の杉目万之助も女を犯し出した。すべては、腰まで埋める草の底で行われた。空も泣くだろう。――陰暗たる夕雲から、ポツ、ポツ――と、雨が落ちはじめた。
しかも、凶行はこれですまなかった。やがて身を起した杉目万之助の赤らんだ顔がすうと白く変ると、偽巡査と眼を見交した。巡査の顔もしらちゃけていたが、これがあごをしゃくった。数秒後、杉目は、眼をとじているお志乃のほそい頸に両腕をあてると、いっきにこれを絞め殺してしまったのである。
西のほうから、往来を千羽兵四郎が歩いて来たのはこのときであった。
彼はその日の「夜警」にあたるために小舟町を出て来たのだが、ここで俥をとめて、しきりに牢屋ヶ原のほうを眺めている饅頭笠の俥夫を見た。その姿に、何となく不審なものをおぼえて、
「どうした?」
と、彼は声をかけた。
「おかしいなあ。……え、さっき三人のポリスがね」
と、俥夫はふりかえりもせず、原っぱのほうにのびあがるようにしていった。
「きれいな女を一人、抱くようにしてあの欅のほうへ連れてゆきやしたが……いま、そこで女の悲鳴が聞えたようなんで」
「なに、女の悲鳴が?」
兵四郎は首をかしげたが、そう聞いて捨ててもおけず、すぐに牢屋ヶ原にはいっていった。――
思えば、彼がこの時刻、ここを通りかかることを見はからっての犯行であったのだ。おそらく杉目万之助はさらに小舟町のほうへ走って、兵四郎がやって来るのをたしかめてから駈け戻って来たものに相違ない。――兵四郎が原っぱへはいってゆくのを見ると、教えた俥夫は俥を曳いてそのままどこかへいってしまった。
そして千羽兵四郎は、欅の木に近づいたとき、遠く草の波へ消えてゆく二人の巡査の後姿を見、さらに木の下のお志乃の屍骸を発見したのである。
はずされた関節はもとに戻されていたが、その屍骸の凄惨《せいさん》さは改めて述べるまでもない。とくに、この日、こんな場所に、この女人のかかる姿を見出した千羽兵四郎の驚きはいかばかりか。――度胸のいい彼が、数瞬脳貧血状態になり、しばし氷結したように立ちすくんでそれを眺めているばかりであった。
やがて彼はわれに返り、恐ろしいさけびをあげ、腰に刀がないのも忘れて、いまちらと見た巡査の影を追って駈け出したが、そのとき彼のゆくては、草っぱらを次第に強く埋めて来る雨脚だけであった。……
千羽兵四郎が、薄い夜具にくるんだお志乃の屍骸を俥の中でしっかりと抱いて、鳥越の針買将馬の長屋へとどけたのは夜も更けてからのことで、外にはまだ雨の音が高かった。
ちょうどそこには、将馬の旧朋輩たる例の徳川お庭番たちが三人集まっていたが――あとで聞いたところによると、いよいよ明日横浜にゆくことになったので、その別れの挨拶に来たのだという――この屍骸を見て、みな、とみには口もきけないありさまであった。
「実は、警察にもとどけずに参った」
と、兵四郎はいった。泣きすがる婆の声を聞きつつ、惨澹たる顔色だ。
「と、申すは」
彼は、現場を逃げてゆく三人の巡査を見たいきさつを話した。――実は彼の目撃したのは二人だったのだが、その前に俥夫から三人といわれたので、彼はその暗示にひっかかっていたのだ。
「きゃつらだ! 薩摩の――」
と、お庭番たちが絶叫した。
「とはいえ、彼らは現在警視庁の巡査ども……警察へ届けて、まさかもみ消しになるとは思わぬが、いろいろと面倒なことになるよりも」
と、兵四郎はいって、粛然たる顔をあげて、盲目の夫を見た。
「私の責任上、私の手で御内儀のかたきをとりたいという悲憤にかられ、それでともかくも御主人のお許しを得たく、ただお亡骸《なきがら》のみを収容して参った次第です」
思えば彼は、二度用心棒を志願して、二度しくじったことになる。危害にあったのが、狙われていると思った当の女や男でなく、その女の夫、その男の妻という意外性はあったにしろ、まったく面目次第もない話だといわなければならない。
「ありがとう」
盲人は低い声でいった。
その閉じられた眼から、涙は流れていない。最初から大きな声もたてない。兵四郎はこの男に、ここでいちど逢っただけだが、そのときと同じ――杉目がいったように、身心まったく衰え果てた調子であった。
ただ、彼はふと聞いた。
「あなたは、その巡査どもの顔を御覧なされたか?」
「いや、逃げてゆく姿を遠望しただけですが。――」
虚をつかれた感じで兵四郎が答えたのに、おっかぶせるように杉目がいった。
「なら、ひょっとすると、きゃつら、しらを切り通すぞ――」
「さればです。私、ここへ来る道々、いかにすればその薩摩お庭方らをひき出す法はないかと考え考え参った。どうしてもきゃつらが私の前へ出て来なければならぬようにする手だてはないかと」
兵四郎がいうのに、谺《こだま》のように杉目が、
「そりゃ果し状を送るよりほかはない!」
と、さけんだ。
「果し状? いまどき果し状を送って、果して彼らが来ましょうか?」
「薩摩お庭方の意地にかけて出て来いと書いてやるのだ。いかに彼らが巡査じゃとて、大っぴらに他に助けを求められることならず、必ずないしょで応じずにはいられまい。ともあれそれは果し状の書きかたにもよる。何なら、拙者が書いてあげてもよい」
「いや、拙者どもも助太刀しよう。旧友の内儀の仇じゃ、ひとごとではない!」
一人が乗りだしたのを、もう一人が抑えた。
「同感だ。しかし、日を選ばねばならぬぞ。われらは明日、ともかくも横浜にゆかねばならぬことになっておる。――」
そのとき、盲人の夫が口を出した。
「果し状をお出しになるなら、私の名をお使いになったらいいでしょう」
――してみると、さすが影のようなこの夫も、この案には賛成と見える。しかし、それにしてもまるでこちらのほうがひとごとのような口のききかたであった。
「そのほうが、あとくされがありますまい。私はどうせ遠からず女房のあとを追う身ですから」
そして、針買将馬はうつろな咳をしはじめた。妻の死に彼が拍子抜けするほど無反応であったのは、そのせいであったのか。――
千羽兵四郎がぶらりと小舟町の家を出かけたのは、それから三日目の町の屋並に残照が燃えている時刻であった。
お蝶には何もいってないが、冷酒かん八が同行した。――かん八には例の夜警を交替で頼んだこともあって、お志乃の非業《ひごう》の死を告げないわけにはゆかなかったのだ。
かん八は、聞いて、まるい身体を宙にはずませて怒った。そして、その件については自分にも責任がある、その果し合いには是非自分もお供させてくれといい出して聞かなかったのだ。
警視庁の元薩摩お庭方には――宛名の代表として仁礼十郎太警部を選び、きのう果し状を送った。文章は杉目万之助が書き、もし胸におぼえがあって決闘に応ずる気があるなら、きょうひるごろまでに警視庁の門の大標札の下部に、木の葉を一枚とめておけ、と通告した。それを昼前見にいったのもかん八で、果然、そこに一枚の木の葉が針でとめてあったというのだ。
杉目万之助たち元徳川お庭番も、きょう横浜から必ず来ると約束していたが、まだ来ない。――
約束の時刻は、暮れなんとしてまだ明るい午後七時だ。場所は牢屋ヶ原の欅の下。
その時が迫ったから、兵四郎は出かけたのだが、助太刀の徳川お庭番たちがまだ来ないのに困惑はしない。それでは示現流の使い手とか聞く三人の巡査を相手にして勝てる自信があるのかというと、そんなものはない。ただ彼は、あの内儀があのような殺されかたをしたことについて責任を感じ、からだじゅうの血が火と変るほど腹をたて、悪鬼どもに誅戮の刃を酬いたいという一念だけで、それ以上のことは考えていない。
薩摩お庭方の巡査たちが、果して古風な果し合いなどに応ずるか、ということに一抹《いちまつ》疑念はあったが、まさしく敵は胸におぼえがあって、挑戦に応じたのだ。杉目の書いた果し状に、悪びれず名ざしの三人さえ指定の時刻指定の場所へ出向いてくれば、お志乃殺害のこと他にはもらさず、われらだけの間で結着をつけたい、といってやったので、敵はその気になったと見える。
いま、牢屋ヶ原へ急ぎながら、兵四郎の頭にはまざまざとお志乃の無惨な死にざまが甦り、敵に対する恐怖など消し飛んだ。煮えくり返るような怒りがあるばかりであった。
これまでの警視庁に対する|からかい《ヽヽヽヽ》の気持などみじんもない、兵四郎には珍しい逆上ぶりで、このことを御隠居に知られれば必ずとめられるだろうと、わざと報告にゆかなかったほどである。もっとも彼に無鉄砲なところはたしかにある。
「待て」
大伝馬町の通りを歩いているときだ。
「刀を持っとるな」
うしろから呼びとめられて、兵四郎とかん八はふりむいた。巡邏らしいポリスが五、六人急ぎ足で近づいて来た。
「こら、帯刀禁止令を知らんか」
「それ寄越せ」
ぐるっと取巻かれた。
兵四郎は愕然としていた。廃刀令は承知している。だからこそ三月末以来きのうまで異様な寂寥感《せきりようかん》をおぼえつつも、無刀の腰で歩いて来た。――
しかし、きょうだけは事情がちがう。
「いや、これは」
と、いいかけたが、さてその説明が出来ない。
突如、兵四郎の頭には、これは例の警視庁の巡査たちに命じられた卑劣な網《あみ》ではないかという疑いがひらめいた。――「野郎」とかん八がうめいたのも、同じ狼狽からであったろう。
何の判断もつかないうちに、兵四郎は腰の刀をとりあげられてしまった。「以後、国法を破ることは相成らんぞ」と威丈高《いたけだか》にそっくりかえるポリスたちは、どう見てもみんな馬鹿面で、故意の行為とは思えなかったが、いずれにしてもここで抵抗は不可能であった。ポリスたちは横町のほうへまわっていった。
「旦那。……」
「うむ」
「やられやしたね」
「うむ」
「あっちの悪だくみですか」
「いや、その点考えて見たが、そうではあるまい。刀をとったら、こっちがゆかないこともあり得るからな。いったん決闘を承知した向うのやることらしくない」
「向うは刀を持って来るんでしょう」
「そりゃ持ってくるだろう」
「どうするんです」
「ゆくさ」
放心したようなかん八の眼がすわった。兵四郎はいった。
「かん八、ひとっ走り家に帰って十手をとって来てくれ。長火鉢の抽出しにころがってるはずだ」
兵四郎は西空をふり返って、もう紫紺色に変りかけている夕雲を眺めた。
「警視庁のポリスに、江戸町奉行所の十手の味を味わわせてやらあ。――時刻が来る。早くしろ!」
かん八はすっ飛んだ。
ほんの一足の距離だが、かん八がとって返したときには、兵四郎はもうそこにはいなかった。
彼はさきに牢屋ヶ原へいったらしい。かん八は泡《あわ》をくらってそのほうへ駈けながら、身の毛をよだてていた。兵四郎の怒りは百も承知だが、しかし一丁の十手で刀を持つ三人の巡査とやり合って、兵四郎の旦那、勝つつもりでいるのか?
牢屋ヶ原にかん八が鉄砲玉みたいに駈けつけたときは、兵四郎はその原っぱの真ん中あたりを向うへ歩いてゆくところであった。かん八は追いついて、黙って十手をさし出した。
受けとって、兵四郎も一言の口もきかず、三本の欅のほうへ歩きつづける。さすがに二人の髪の毛はそそけ立つようだ。
欅の木の下に、三つの影が見えた。
近づいて、兵四郎とかん八の首がかたむけられた。
立っている影の一つは、どう見ても巡査ではない。一人は白っぽい着物を着ているし――一人は女、もう一人は老婆らしい。――
「はてな?――や!」
「あれァ、あの盲の浪人さんではござえませんかえ?」
「それにもう一人は、傘《かさ》屋のおかね。――」
兵四郎とかん八は眼をまんまるくした。
いかにも欅の木の下に、竹杖をついて立っているのは、白衣を着た針買将馬と婆と、そして驚いたことに、その昔広沢参議の妾をしていた神田鍋町の傘屋の娘おかねであった。
どうして彼はここに来たのだ? いや、それは婆がつれて来たものにちがいなかろうが、彼は何しにこの場所へやって来たのだ? おかねがまたどうしてこんなところにいるのだ? それに、待っているはずの決闘の相手三人の薩摩お庭方はどうしたのだ?
狐につままれたように近づいて、彼らの足もとに何やら転がっているのに気がついて、兵四郎とかん八は棒立ちになった。三人の巡査であった。みな、一刀をひっつかんだまま、草を血の海に変えて絶命している。
「どうしたことだ、これは?」
兵四郎は仰天してさけんだ。
「だ、だれがやったのだ?」
婆さんもおかねも虚脱したような顔つきをしているし、針買将馬は竹杖の上に両手を重ねて立ったまま、ただ寂然と閉じた眼を夕雲にあげているだけだ。
そのとき、何気なくあおのいたかん八が、急に兵四郎の袖をひき、頭上を指さした。高い欅の枝の一本に、下から一本の細い直刀がぐさと突き立っているのが見えた。
「あなたでござったか」
しずかに盲人がいい出した。
「それなら、刀をかくす必要もなかった」
と、杖から手を離した。それは何の変てつもない青竹であったが、いまの将馬の言葉から兵四郎は、それが仕込杖になっていて、頭上の刀身は下から投げあげたものであることを直感した。
兵四郎はさけんだ。
「あなたがやったといわれるのか!」
「ちょっと気にかかることがありましてね。婆やにつれられて俥でそこまでやって来たが、まだ勝手がわからずまごまごしているところを、通りがかりの御婦人に、ここまで案内していただいた。――」
おかねのことだ。――あとで聞くと、おかねは註文の傘を近くの家へ届けての帰りであった。
「すると、果せるかな、その連中が現われて、こういう始末に相成った」
「あなた……眼が見えるのか?」
「見えれば、どうして女房を殺させるようなことになりますものか。……天地暗黒ではござるが、ただ身に迫る凶器だけはわかるのでござる。いつぞや拙者夫婦の大道芸を浅草で御覧下されたそうだが、あれも女房の芸でなく、ただ手裏剣を逃げるだけの拙者の芸。……しかし、逆に人まで斬れるとは、拙者もはじめて知ったことで」
蒼白い仮面のような顔に浮かんだ苦笑いから、茫然と三つの屍骸に視線を移して、兵四郎は突如あっとさけんで眼をむいた。
「これは!」
それは、巡査の制服を着ているが、まさしく元徳川お庭番のあの連中の顔ではなかったか。
「……ここへ来ての問答でわかりましたが、杉目らでござろう? 拙者がちと気にかかることがあって来たと申すは、はじめからこやつらを不審に思うところがあったからですが、拙者を迷わせたのは、家をめぐる靴音の中に、たしかに薩摩のやつらの声もあったからで、その迷いのためにむざむざと女房を殺す破目と相成った。……」
声にやや悲愁の思いが流れたようであったが、総髪の下の顔は依然として無表情であった。
「問答の結果、女房を殺したのはこやつらだということが判明し、拙者が斬り捨てる破目にはなり申したが、しかし、まだわからぬことがある。……」
兵四郎は唖然《あぜん》とした。お志乃を殺したのはこの徳川のお庭番たちであったと? すると、あのとき逃げていった巡査姿はこやつらであったのか?
彼は天地|晦冥《かいめい》の雲につつまれた。それにしても、まずわからないのは、この盲人が三人のお庭番を斬った、斬り得たという事実だが、その不可解事をなお問いただす前に、彼の混乱は、それまでのウスボンヤリとそこに立っていたおかねの、夢からさめたようなさけびに断たれた。
「ああ、参議さまを殺し、あたしをやったのはこの男たちだった!」
「そりゃな、思うにきゃつらの狙いは、その警視庁の巡査たちと兵四郎を相討ちさせることにあったのじゃないか」
と、御隠居は思案の末にいった。
「兵四郎のほうは、気の毒じゃが|あて《ヽヽ》馬じゃ。本能寺は、薩摩のお庭方のほうにあったのじゃないか。いや、旧幕時代のお庭番同士としての宿怨もあったかも知れんが、それより明治になってからの、暗殺者と警視庁巡査としての悪縁から。――いま、きゃつらが広沢参議の暗殺者であったという話を聞いて、はたと膝を打ったことじゃが」
前に坐っているのは、兵四郎にかん八、それに針買将馬だ。
同じ夜のこと、もはや御隠居に隠しておけることではないと兵四郎とかん八が話し出したのを、黙然と聞いていた盲のお庭番が、駒井相模守さまなら私も御挨拶したいといい、かくてこの数寄屋橋の庵へつれて来たものであった。
「そやつらが始末したかったのは、おそらくその件で自分たちに眼をつけておる警視庁の巡査たちだったのじゃないか。そこで兵四郎と決闘の場を設けるために御内儀殺害という大それた事実を作り、さていま聞けばその決闘の場に巡査に化けて待っておったというのは、むろん兵四郎がやられたあと、油断に乗じてその巡査たちをみな殺しにし、相討ちのかたちを残すつもりではなかったかの。――」
そう聞いてもとみには信じられないような気がしたのは、自分を|あて《ヽヽ》馬に仕立てるために女一人を殺すという人間とも思われぬ残忍性のゆえであったが、御隠居は、口をあけている兵四郎とかん八から、針買将馬のほうへ眼を移して、
「いや、これはまったくの当推量で、そうなると御内儀にはいよいよお気の毒なことになるが――」
と、つぶやいた。
「その御推量、あたっておりましょう。私にも思いあたります」
と、針買将馬は例の沈んだ声でうなずいた。
「それについてはもう少し考えるとして、それより聞きたいのはお前さんの妙技じゃ」
と、御隠居はいった。
「お前さん、盲で手裏剣を避け、三人の敵を斬る。そんなはなれわざを、盲になる前から持っておったのか?」
「盲のわざを、盲になる以前から心得ているわけがありませぬ」
将馬は、御隠居の問いの矛盾に苦笑した。
「またそんなわざを心得ておれば、薩摩でつかまって盲にされることもありませなんだろう。……眼以外の、聴触味嗅などの能力が以前よりやや鋭く――とくに耳がよく聞えるようになったのは、盲になって以後のことですが、しかし耳の修行だけはお庭番当時人一倍やりましたから、やはりお庭番としての修行は無駄ではなかったといえるかも知れませぬ。……」
そこで彼は黙り、その顔にいい知れぬ寂寥の翳《かげ》が浮かんだ。
「ただそれが大道芸と、女房を殺されてからのかたき討ちに朋輩を斬るだけに役立とうとは。……杉目らを斬ったのは、まさにその能、とくに敵を見ずしてその声、息、跫音、刃のうなりなどを聴く能力のおかげでござった」
彼は、御隠居のほうへ顔をむけた。
「それより、私がわからぬのは、なぜその警視庁の巡査が指定の刻限牢屋ヶ原へ来なんだか、ということでござりまする。むろん果し状は、彼らにとって狐につままれたようなものでありましたろうが、それなればこそいっそう出向いて来るはず、いや、げんに承知のしるしを出したというのに、それが来ない。――私、薩摩で知ったあのめんめん、決闘の約束をしてしかも来ないというような連中ではありませぬが。……」
「さあ、それはどうしたものであろう喃《のう》?」
これだけは御隠居さまにもわからない。
針買将馬はしばらく考えている風であったが、卒然としていい出した。
「どなたか……私を警視庁へつれていって下さいませぬか?」
「なに? じ、自首するというのか。――」
「いえ、ただその傍まで――警視庁は元津山藩邸でござりましたな。久しぶりにいちどそのあたりへいって見たいとは、以前から考えていたことでござります」
「え、そりゃ、あっしでも御案内いたしますがね。しかしお盲さんが――」
と、かん八が首をひねった。何を考えたのか、御隠居がいった。
「ただの盲ではない。――それでは、みないって見ようではないか」
そこで兵四郎もつり込まれて、四人で鍛冶《かじ》橋までぶらぶら歩きをすることになった。
とにかくいかに悪いやつにしろ、牢屋ヶ原にはほんの先刻斬り殺された屍骸が三つ埋められたばかりだ。それに手を下した男をつれて、のこのこと警視庁に近づく。――こわいよりも、兵四郎は何ともふっ切れぬ思いがし、針買将馬とて別に成算があったわけでもあるまいが、しかしこの結果、はからずも彼らは、その日あの薩摩お庭番たちがなぜ果し合いに来なかったかという謎《なぞ》を探りあてることが出来たのである。
途中で針買将馬は、津山藩邸にはいちど隠密として潜入したことがある、といった。津山藩はたしか親藩のはずで、そんなところにも隠密を? と幕府のお庭番制度に改めて驚いたが、さて今は警視庁になっているその建物の裏近い人気《ひとけ》のない夜の路上に、盲目の元お庭番はぴたと坐った。
「駒井さま。……大警視の部屋はもとの殿さまのお居間でござりましょうな」
「よくは知らんが、まずそのあたりじゃろう」
「ちょっと、聞いて見ましょう」
そういわれて三人には何のことやらわからなかったが、やがて彼らは、この盲目の元お庭番がさっきいった異常聴力を――常人では聴えるはずのない距離の声、しかもまわりに無数の物音がある中のただ一カ所の声を聴きわけるという妙技を現実に見せられることになったのである。
聴き出したのは、川路大警視が三人の部下に秘命を伝えているところであった。
しかもすぐにわかったのだが、その部下というのは例の元薩摩のお庭方の仁礼十郎太警部、黒河内正助巡査、有馬尚五巡査で、あとで考えると、彼らがその日牢屋ヶ原へ来ることが出来なかったのは、このために夕方から禁足を命じられていたためであったと思われる。
大警視は三人の部下に、薩摩へいって、そこにもし叛乱の相あれば極力それを鎮める方向へ努力せよ、という任務を命じたのだ。
「煽《あお》るやつらを論破せよ。その論拠はこうじゃ。第一、薩摩が挙兵したとしても軍資金があるか。第二、熊本鎮台を突破する兵力があるか。第三、戦闘で出る負傷兵を治療する設備があるか。第四、海路よりせんとするもそれだけ船があるか。第五、要するに全日本を相手にして勝算があるか。第六、万一戦争に勝ったとしても天下を治むべき厖大《ぼうだい》な人材が私学校にあるか。……」
断わっておくが、この命令とそれに対する返答は、どちらも薩摩人だけあって、完全な薩摩弁で行われた。――さて作者は、この連作物語で薩摩弁らしきものを操っているが、むろんほんものには程遠い。それは作者が至らないせいもあるが、そもそもほんものの薩摩弁を使っては、一般読者には英語よりも難解であるからだ。
それをこの「人間盗聴器」は翻訳した。――いうまでもなく、かつてその薩摩に隠密として潜入したほどの修練の名残りであったろう。
部下がいった。
「もし、聞く者がなかったらどういたしますか」
「死ぬ覚悟でやれ。鹿児島が叛を起せば、西郷先生が死なれる。それを思って、死ぬつもりでやれ」
と大警視はいった。
「しかし、死んではならぬぞ。必ず帰って来て、鹿児島で得た情報を報告せよ」
しばしの沈黙ののち、三人がこもごもいった。
「こりゃ、故郷へ密偵にはいることになります喃《のう》」
「思えばその昔、徳川の密偵をふせぐのに汗水をたらしたわれわれが、こんどは薩摩に密偵にはいるとは。――」
「御命令ではありますが、いささかつらい仕事で」
大警視の声が改まった。
「明治政府の密偵はすなわち天皇のお庭方である。私情は捨てよ。ゆけ」
――人間盗聴器の翻訳がとまった。彼は咳をしはじめた。
「川路大警視は密偵使いの名人と聞く」
と、御隠居がいった。
「薩摩っぽうがなぜそんな能力を得たか、とかねがねわしはふしぎに思っておったが、今にしてわかった。川路を鍛えたのは、なんぞ知らん、このような徳川お庭番であったのじゃ。……」
驚嘆の眼で針買将馬を見やったとき、将馬は路上につっ伏した。
兵四郎とかん八が驚いて抱きあげると、将馬が口から血を吐いているのがわかった。しかし彼の顔は笑っていた。
「いや、御心配下さるな、いまはじまったことではござらぬ。血を吐けば、それだけ早く女房のところへゆけるというもので……どれ、もう少し聴くといたそう」
御隠居さまも歩み寄ろうとして、それから立ちどまり、首をひねった。
「警視庁の密偵は天皇お庭番か。なるほど、そういうことになるか。……しかし、それを使う川路は、いったい本気で、そんなつもりで天皇お庭番を薩摩へやろうとしておるのか?」
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妖恋高橋《ようれんたかはし》お伝《でん》
市ヶ谷囚獄署首斬り役山田浅右衛門は、熱い血泥《ちどろ》の夢から醒《さ》めた。
文字通り泥のような血の中をもがきまわっている夢で、それをつらねるいくつかの凶々《まがまが》しい影像もあったはずだが、醒めたとたんに、それらの影像はみるみる解体し、消え失せていった。――何にしても、いまの夢の原因はわかっている。三日ばかり前やりそこねた斬首刑からそんな夢を見たにきまっている。
隣りに寝ていた女はいないが、夜具にあたたかみは残っている。厠《かわや》にいったのだろう。おばえはないが、女の出てゆく気配で夢から醒めたのかも知れない。
頭にまだ残る酔いと|しびれ《ヽヽヽ》を感じながら、浅右衛門は、失敗した首斬りのことを考えた。いや、考えまいとしても、その光景が悪酔いのあとのへどみたいに胸に逆戻りして来る。
斬ったのはある代言人《だいげんにん》だが、裁判が片手落ちだと裁判官を傷つけて、そのために斬罪に処せられた男だ。これが仕置場であばれ出し、手とり足とり押えつけても芝居の石橋《しやつきよう》みたいに首をふり、さしもの浅右衛門も数度失敗した。男は血だらけの首をねじむけて、「浅右衛門、化けて出るからそう思え」と、わめいた。結局斬るには斬ったが、彼もまた返り血でベトベトになった。
十七歳にして代々の家職にたずさわるようになってから、すでに三百人くらいも罪人を斬り、ときには雨の日、傘《かさ》を持ったまま片手斬りをやってのけるほどの首斬りの熟練工となった彼にははじめてのことだ。――で、そんな悪夢を見たものらしい。
しかし――と、彼はそのとき考えた。これほどぶざまなわざを見せたのははじめてのことだが、他人の眼にはどう見えようと、どうも自分でも納得《なつとく》のゆかない首斬りをやることが、最近ちょくちょくある。腕がなまったのか、とも思うが、まだ二十代の半ばの自分が、そんなはずはない。
去年、小伝馬町から囚獄署が市ヶ谷に移ってからのことだ、と彼は思いあたった。場所が変って調子が狂って来た、ということもあるだろうが、それより斬首ということが以前とちがった眼で見られるようになったからではないか、と思う。断首刑廃すべからず、という自分の進言は受けいれられ、げんに市ヶ谷囚獄署でもそれは続行されているけれど、一方で絞首刑もじりじりふえ、彼は自分の職業についての落日の不安を本能的に感じている。
現実に、山田家の収入も減《へ》った。旧幕のころは、首斬りに対してまったく無報酬であるどころか、かえって山田家のほうから牢《ろう》役人に謝礼を出したものだ。それは大名や旗本から刀の試《ため》し斬りを依頼されて、その試し代が高価であるのみならず、斬罪者の胆嚢《たんのう》から採《と》った家伝の薬が労咳《ろうがい》に効くと喧伝《けんでん》されて、その収入が馬鹿にならなかったからだ。それが、川路利良が大警視になって以来試し斬りを禁じられ、かつ屍体から胆《きも》を採るなどということは言語道断ということになった。
その代りに、首斬り代一人につき金二円也を頂戴することになったけれど、これまでの収入にくらべるとお話にならない。それでもこの役を相勤めて来たのは、それまで代々積んだ資産のおかげと、それから家職の伝統に対する責任感のためであった。二円の報酬など、むしろ恥辱をおぼえる。
あれを思い、これを思い――さらにこの春の廃刀令など、もの思うこと多くなって以来、首斬りの技術にも迷いが生じ出したのだ、と彼は考えるに至った。
そして、三日前の大しくじりをやってから、ふっと彼は、もう家職を捨てて遁世《とんせい》しようか、という気を起したのである。遁世といっても、坊主になる気はない。二十代半ばの浅右衛門の考えたことは、女をつれて、自分を山田浅右衛門とはだれも知らぬ土地へいって暮そうか、ということであった。
女というのは、その夜もいっしょに寝ていた――いわゆる闇《やみ》に咲く花だ。
若いくせに説教癖さえあって、妙に肩をそびやかす孤高性があった浅右衛門が、その夜その女とここへしけ込むに至った顛末《てんまつ》は次の通りだ。
去年の暮、彼は銀座裏の居酒屋で飲んだ。それがいささか過ぎたのは、やはりその日の斬首に不満なものがあったからだが、そのあげく煉瓦《れんが》街の闇に浮かぶ白い顔に吸い寄せられた。
その結果、彼はその女の肉の虜になった。
まだ妻帯せず、それで女郎屋にいったことも何度かあるが、そういうことには酔いでもしなければどこかひるむところもある若い首斬り男が、その快味にしびれ果ててしまった。女とはかくもよいものか、ということをはじめて知ったのだ。
年は彼より一つか二つ上だろう、象牙を彫ったように凄艶《せいえん》な女であったが、いったん褥中《じよくちゆう》の世界にはいると、からだの大きい彼のほうが、濡れた肉の厚い花弁につつまれて、熱い蜜に溺《おぼ》れた虫みたいになってしまう。しかも、この花弁そのものが、みずからの快美にそよぎ、波うち、のたうちまわるのだ。
「おまえ、いつもあそこに立っているのか」
と、はじめての夜、聞くと、場所はきまっていない、という。
「もういちど逢ってくれ」
と、場所と日を打ち合わせようとすると、思いがけず彼女ははかばかしい返事をしない、やっと、いった。
「わたし、同じ客と何度も寝るの、あまり好きじゃありませんのさ」
変な売女《じごく》だ、とは思ったが、そういわれると、浅右衛門はかえって火を煽《あお》られたようになった。
で、とくに懇請して、それ以来、いくどか彼女を買わせてもらうことになったのだが、それで知ったところによると、女は上州生まれで、三、四年前夫とともに上京したが、夫が難病にかかり、そこでやむなくこんな商売をする破目になったのだという。……「それは気の毒でもあるが、感心なことでもあるな」と浅右衛門がやや鼻白んだ思いでいうと、女は「だから、あまりおなじみになると、夫にすまない気がして」と、いった。
それほど貞節な女にしては、あのときの法悦狂乱ぶりが烈《はげ》し過ぎる、と浅右衛門は思った。やはり、妙な女だ。
女は、夫の病気がどういう病気か、いまどこに住んでいるのか、どうしてもいわなかった。だから、女の身の上ばなしもどこまでほんとうかわからないのだが、浅右衛門は真実味を感じた。そのほかにもまだあいまいなところはあるのだが、それ以上、彼はつきつめて聞くことが出来なかった。なぜなら、いつか、
「ああ、あんたは血の匂いがする。――」
と、いわれて、ぎょっとなり、さらに、
「いままで聞かなかったけれど、旦那の御商売は?」
と聞かれて、彼のほうもあいまいにごまかしてしまったことがあるからだ。女もそれ以上、尋ねようともせず、
「わたし……旦那が、二番目に好きになりそう」
と、あえいで、白蛇のようにからみついて来た。
二番目とは、少しひとを馬鹿にしているが、夫の次に、という意味だろう、と浅右衛門は解釈した。そして彼もまたこの女に夢中になった。
……さて、三日前から彼は、この貞節な売春婦をつれて、地の果てへ逃げてゆこうと思い立ったのである。そして、彼女をかきくどいたのである。自分の誠意と、これからの生活がお先真っ暗ではないことを保証するあかしに、浅右衛門は百円という大金を枕もとに積んで、「これを御亭主に置いてゆくがいい」とまでいった。実は彼はこの巷《ちまた》の売春婦に、もうこれまでに財産の三分の一をそそいでいたのだが、それを惜しいと思うより、まだ三分の二がある、それをこの女との暮しに使おう、と自分にいい聞かせるほど惑溺《わくでき》していた。
ようやく女は承知した。そして改めて浅右衛門は歓喜の盃《さかずき》を重ね、女と忘我の一夜を過したのである。ここは女が連れて来た御徒町《おかちまち》の裏通りの木賃宿であった。
いま、血泥の夢から醒めて浅右衛門は、なお放心状態で、ぐったりした手足を夜具の中にのべていたが、ふと煤《すす》けた障子に、晩春の夜明けの光がさしているのに気がついて、
「……遅過ぎる」
と、思った。厠へいった女のことだ。
むくと身を起して、枕頭を見た。百円の金はない。自分の財布もない。キョロキョロと眼を動かして、ついで女の着物も帯もないことを発見した。彼はがばと起き直った。
逃げた!
やっとそう気がついても、まだ浅右衛門はキョトンとしていた。
金はたしかに女とともに消えたが、少くとも百円はやるといったものではないか、何も逃げる必要はあるまい、と思い、それから、女は金|だけ《ヽヽ》持って逃げたのだ、と、やがて思い当った。つまり自分といっしょに駈け落ちするのがいやで、女は金だけつかんで姿をくらましたのだ。
怒りが、彼のからだをはねあげた。彼はやっと着物を羽織ったものの、帯代裸《おびしろはだか》にちかい姿で宿を飛び出し、走り出した。蒼味《あおみ》がかった裏通りに、人影はない。
浅右衛門は表通りに出、遠く暁闇の中に三つの影が浮かんでいるのを見た。まさかそれがめざす対象だとは思わず、ただ物を聞くつもりで駈け寄った浅右衛門は、二人の男に挾《はさ》まれて何やら尋ねられている女がそれだと知って、
「ここにいたか、お伝」
と、さけんだ。
「逃げたな、うぬは――なぜ逃げた?」
「助けておくんなさい、亭主もあるわたしに、いやなことをするいやな男なんですよ!」
女は、着流しにちょんまげの若い男にすがりつき、あえぐようにいった。このせりふに、浅右衛門はいよいよ逆上して、反射的に腰をかきさぐった。が、廃刀令以来、さすがの浅右衛門も外にあっては無腰のほかはなく、だいいちその腰に帯さえないていたらくだ。
「こ、こやつ!」
両腕をふりかざして躍りかかろうとするのに、
「久しぶりだが、妙な姿を見るな、浅右衛門」
と、その男に声をかけられて棒立ちになり、それが御一新以前、牢屋敷でいくどか逢った南町奉行所同心であることに気づくと、弁解よりも何よりも、ただ「わっ」とさけんで浅右衛門は身をひるがえし、つんのめるようにもと来た道を逃げていった。
「わけを聞くより前に――こっちも久しぶりだなあ」
男は、眼を女に戻して、まじまじと見まもった。もう一人、まんまるいふとっちょの男も眼をまるくしている。
千羽兵四郎と冷酒かん八であった。――この奇遇の朝は、実は前回の物語の結末から数日前にさかのぼる。すなわち兵四郎とかん八は、鳥越《とりごえ》の元お庭番の長屋を警戒にいって、夜明けとともに引き揚げて来る途中の出来事であったのだ。
兵四郎が久しぶりだといい、かん八が眼をまるくしたのも無理はない。まさに奇遇だが、それはいつぞや青木弥太郎の妾《めかけ》としてつき合い、その後いちど女|剣戟《けんげき》のいかさま女剣士としてちらとかいまみたこともある、あの女であったのだ。
「たしか五林亭《ごりんてい》は、お辰と呼んでいたっけが――おぬし、お伝というのかえ?」
女の本名は高橋お伝といった。――
この一篇は「警視庁草紙・外伝」ともいうべきお伝の物語となる。
高橋お伝の話は、同時代の河竹黙阿弥の「綴合於伝仮名文《とじあわせおでんのかなぶみ》」、仮名垣魯文の「高橋|阿伝夜叉譚《おでんやしやものがたり》」をはじめ、無数の稗史《はいし》につづられて、明治はおろか日本の代表的な毒婦として知られているけれど。――彼女はその名に値するどんなことをやったというのであろうか。
お伝は、上州利根郡下牧村の生まれである。
十七歳のとき同じ村の農夫高橋波之助と夫婦になったが、二年ばかりして夫の波之助がレプラを発病した。そこで三年後の明治五年、二人で村を去り、上京した。
そして夫は日傭《ひやとい》人夫、お伝は傭《やとい》奉公をしながらあちこちの医者にかかり、横浜にいって当時有名な洋医ヘボンまで頼ったがこの業病が癒《なお》るべくもなく、その年の九月ついに波之助は死んだ。
これから彼女の闇を飛ぶ毒蝶のような人生がはじまる。――
お伝は美女であった。単に美貌《びぼう》だというばかりでなく、男をかきむしるような異様な迫力があった。しかし、ただ美人だというだけでは金になりにくい時代であった。遊女がある、というかも知れないが、ちょうどそのころ例の遊女解放令が出て、東京じゅうの廓《くるわ》は門を閉じていた。――
もっともそれは、二、三年もするうちに、またもとの木阿弥になってしまったけれど、いずれにせよお伝は遊女にはならなかった。彼女は、女郎が自由とはいちばん反対の世界にいることを知っていたから。――夜々客を変えながら、しかも男を選ぶ自由がないという点でも。
お伝は私娼《ししよう》になった。
ただし、これは夫が死んだからというわけではなく、それ以前から、夫の病いの治療代を稼ぐために内々でやっていたことだが、それを彼女は、自分自身のためにやり出したのである。
むろん彼女自身が生きてゆくために、これがいちばんらくな方法だ、と思いこんだせいもある。――しかし手段はらくでも、暮しはあまりらくではなかった。時代は変っても、それほど大金持ちが夜鷹《よたか》私娼を買うわけがない。
のちに判明したところによると、お伝は知り合いに寸借サギをやったり、関係した男のところへよその赤ん坊を抱いていっておまえさんの子だとゆすって金をもらったりしている。「大毒婦」にしては、やることが少々みじめったらしい。いちじは、読者も御存知のように、いかさまの女剣戟の芸人を相勤めたこともある。
とはいうものの、お伝はいっとき、某々、某々の妾になったこともある。その一人など例の青木弥太郎で、そういう境遇に満足していたらそれほど金に不自由することもなかろうにどういうものか、彼女は長つづきがしなかった。
それはお伝の天性の異常性欲のゆえであった。
グルマンに大食家と美食家があるが、彼女は双方をかねた肉欲のグルマンであった。
波之助と夫婦になったころは、お伝はそのことを意識しなかった。ほかの男の袖《そで》をひきはじめてから、男にもいろいろあり、かつ男から与えられる快楽にもいろいろあるということを知ったのである。むろん、廓の女などそれは知っているだろうが、彼女の場合、その感応力が甚だ鋭敏で、かつ享受力が無類に貪欲《どんよく》であったのだ。
――後年、お伝が死刑執行後、解剖されたとき、「小陰唇異常肥厚、陰梃《いんてい》異常発達」が見られたという。彼女に売春婦の道を辿《たど》らせたのは、生活もさることながら、原動力はこれであったといっていい。――思えば、夫とした男が病いで、彼女自身もこんな異常体質の持主であったとすれば、やはり先天的に呪《のろ》われた運命の女であったというしかあるまい。
こうしてお伝の、男から男へ、毒蝶のような――いや、硬い肉、柔らかい肉、すじ肉、あぶら肉と次から次へ舌なめずりして食いあさる美しい肉食獣のような闇黒の人生がはじまった。
たまたまお伝を客にした男たちは、はじめは女から与えられる快楽と女自身の快楽ぶりの濃厚さに恐悦したが、そのうちに辟易《へきえき》し、かつ恐怖さえおぼえ出して、やがて彼女が立ち去るのを追う気力も失った。人を食った青木弥太郎さえ然りであった。そしてお伝もまた、みれんなく、新しい男を求めて飛び去っていったのだ。
それでもお伝は、いつのころからか、湯島天神裏で、小川市太郎という男と同棲《どうせい》している。むろん、妻や妾としてではない。市太郎は茶の仲買いの下働きのようなことをやってはいたが、ほんとうのところは怠け者のやくざに過ぎなかった。この男と同棲したのは、お伝の商売上、とにかく男のアシスタントがいたほうが好都合であったのと、それからこの市太郎が、生活のほうはからっきし無能力者であったのに、あのほうばかりはなみの男以上の能力者であったからだ。市太郎のほうがお伝の肉の奴隷であった。
お伝はその点にかけては、気味のわるいほどの嗅覚《きゆうかく》を持っていた。彼女は男の外観を見ただけで、その男根の大小強弱まで見ぬいた。それは必ずしも体格体力とは一致しなかった。
とはいえ、お伝は、市太郎一人では満ち足りなかった。それどころか、どんな男にも満足しなかった。彼女は、どんな美食を食べてもまだ納得しない永遠の美食家のように、かつえた眼を闇の中にひからせて、男たちが罠《わな》にかかるのを待ち受けていた。
要するにお伝は、それほど多くの男と抱き合いながら、いちどもしんから惚《ほ》れた男はなかったといっていい。
――そのお伝が、とうとう恋する男にめぐり合ったのである。明治八年秋のことであった。
そのころ彼女が住んでいたのは、湯島天神の裏手にあたる長屋ないしそれに類する陋屋《ろうおく》ばかりの一劃《いつかく》であったが、そこに、あきらかに士族と見える、四人の男が住みついた。
もっともこのころは、旧幕臣はもとより地方からも落魄《らくはく》した元侍たちが上京して、職を求めてさまよい歩いているのは東京のどこにでも見られる光景ではあったが――その面々と、お伝は共同井戸で口をきくようになり、その中の一人に惚れてしまったのだ。
実に磊落《らいらく》な連中ばかりで、長屋の女房連と井戸で逢うと、何十杯でもつるべで汲《く》みあげてくれるが、やがて彼らはもと加賀藩士だということがわかり、
「まあ、時世時節《ときよじせつ》とはいいながら、百万石のお侍がたが。――」
「十年前はそこの赤門のお屋敷で暮していた衆だろうに」
と、長屋一統の同情を買った。
背丈《せたけ》は五尺三寸あるかないかなのに、二十貫はたしかに越えて見え、ザンギリ頭ながら実にみごとな髯《ひげ》をそよがした偉丈夫のくせに、怖ろしく小唄がうまくて、みなから「お師匠さん」と呼ばれている親分格の男が島田一郎。
やはり小柄だが、みるからに精悍《せいかん》の気にあふれ、甚だしく髪がちぢれているので、「お釈迦《しやか》さん」と呼ばれている杉本|乙菊《おとぎく》。
六尺ゆたかの大きなからだに、容貌は羅漢みたいに古怪な脇田巧一。
そして、あとで聞くとこの明治八年、年は二十歳ということであったが、スラリとして眉目清秀、まず美少年といっていい長連豪《ちようつらたけ》。――
お伝が参ってしまったのは、この長連豪であった。この美少年になら、たいていの女は心を吸われてしまうだろうが、ただ外観だけにとらわれず、内部にたんげいすべからざる眼力を持つお伝が、一目見ただけである直感に打たれ、ずーんとからだじゅうがしびれわたるようなものをおぼえたのだ。
お伝は、何かと飯のお菜《かず》を持っていったり、つくろいものはないか、洗濯の用はないか、と、ことにかこつけて彼らの家へ顔を出すようになった。実は、ほかの女房連もそうしたいのだが、何といっても物凄い男ばかりの世帯なので、お伝ほどの勇気を持った女はあまりいない。勇気というより、お伝はふだんこれはという料理を作ったり、洗濯やつくろいものをしたりしたことはないのだから、図々しいといっていい。
こんなことは、お伝もはじめてのことであった。
「おう、これはまるで掃《は》き溜《だ》めに鶴。――」
と、彼らは恐悦した。お伝が鶴に見えるかどうかは別として、まったく彼らの住居は掃き溜めにはちがいない。
むろん、もっときわどいことをいう者もあった。
「どうじゃ、夜来んか」
「からだの洗濯もしてくれんか」
実際お伝は、そうしたいのであった。ただ一人だけに――長連豪だけのために。
こんな美少年に連豪なんて天下の豪傑みたいな名は可笑《おか》しい。しかしこれは明治以後、実名と通称どちらか一つに決めさせたからで、彼の通称は小次郎といい、仲間もみんな小次郎小次郎と呼んでいた。だからお伝も「小次郎さん」と呼んだ。
そう呼ぶときの彼女の声や眼のねばっこさに、すぐにみなは気がついたらしい。
「なるほど」
何かのとき、お釈迦さんの杉本乙菊と大羅漢の脇田巧一が、ニヤニヤしながらお伝にいった。
「おまえ、小次郎に惚れとるのか」
そのとき、長連豪はあたりにいなかった。
「しかし、気の毒じゃが、あれはあきらめたほうがいい」
「え、そりゃ御身分がちがいますもの。――」
お伝は、お伝らしくなく赤くなりながら、ともかくもそんなことをいった。
「いや、こっちにもう身分なんかないが――いっておくが、あれは、女を断《た》っておる」
「え?」
「むかしむかし、惚れた女があっての。その女がよそにお嫁にいっての。それ以来、小次郎は女断ちの誓いをたてておるんじゃよ」
何を埒《らち》もない――と、この話にはお伝はとり合わなかったが、一方で亭主の市太郎が妙なことをいい出したのには、ひっかかった。
「おい、あの浪人たちにゃ、あまり近づかねえほうがよかあねえか」
「おまえ、変なことをいうね」
お伝は羽毛をさかだてた鶏みたいになった。この亭主には、やきもちなど焼かせない。またこの亭主がやきもちなど焼いたこともない。――この男は、亭主ではない、奴隷なのだ。
「いや、怒っちゃいけねえ。あれにゃ、どうやら警視庁の眼がひかってるからさ」
「え?」
「この路地を出たあたり、あっちこっちに――といっても、おれがそうだとわかったのは二人だけだけどさ、ボロを着てウロウロしている紙屑《かみくず》買いの大男もポリス、いつも客待ちしている俥屋《くるまや》も、ありゃふだんは六尺棒を持っている巡査だ」
蛇《じや》の道は蛇《へび》だ。平生《へいぜい》ろくでもないことをやっている市太郎だけに、どこかで見憶えがあったらしい。
「へえ? まさか、あのひとたちが石川五右衛門とも見えないけれど」
「それに、あのうちにゃ、よそからもちょくちょく髯だらけのおっかねえのが何人もやって来るじゃあねえか。天下を狙《ねら》う由比正雪の一味かも知れねえ。用心したほうがいいぜ」
すでに読者も御承知のごとく、これはいつぞや榊原鍵吉の道場に居候をして、「撃剣会」の興行などやり、やがてからす組の細谷十太夫や新選組の永倉新八らといっしょに北海道へ去った連中なのであった。
従って、実をいうとお伝はこの長屋ではじめて彼らと接触したわけではない。例の撃剣会に張り合う女剣会のいかさま剣士として出演したこともあるのだが、あのときは撃剣会の関係者をいちいち知らず、長連豪にも気がつかなかったのだ。
北海道へいったのは、内地に望みを絶って新天地を開拓するつもりででもあったのか、それがまた東京に舞いもどって来たのは、やはり北の世界に心満たされぬものがあったのか。――
とにかく彼らは、東京湯島天神裏の陋屋にごろごろ暮している。
いや、ごろごろではない。彼らのほうから何やら忙しげに出かけてゆくかと思うと、似たような風態の壮士が一人また数人でやって来て、話し込んだり酒を飲んだりする。――
ことわっておくが、しかしこれはこの時代の東京にそれほど珍しい現象ではない。さっきもいったように、まだろくな産業がないところへ収入のない士族が充満し、いたるところで不穏の小渦《こうず》を巻いていたといっていい。――そして、やがてこれが西の方で怒濤《どとう》となって噴きあがるのである。
類は友を呼ぶで、このグループのところにも同じような不遇不満の壮士が集まったが、中でもいちばんよく往来したのは、元会津藩士永岡敬次郎を中心とする一党であった。
これは当然で、そもそもこの加賀組の四人は、北海道からの帰途、奥羽|斗南《となみ》で生活に苦闘していると聞いた会津の勇将佐川官兵衛を訪ね、官兵衛とともに東京に出て来たのだが、その後官兵衛は、会津侍を大量巡査に欲しいという警視庁の勧誘に応じたが、永岡はむろんこの加賀組もこれを一蹴《いつしゆう》して佐川と別れ、いまに至るまでつき合っている。
彼らは、蛙のむれのようにただがあがあと不平を鳴らしている一般の落魄士族とちがって、明確で激烈な目的をいだいていた。
彼らは何を企んでいるのか?
新政府から、藩をあげて流刑にひとしい報復を受けた元会津侍たちはともかくとして、元百万石の加賀侍が、いかなる次第でそういう「志」をいだくようになったのか。
実は加賀藩も維新後甚だ不遇であったのである。前に作者は「幻談大名小路」の一篇で、加賀|大聖寺《だいしようじ》藩士にからまる悲劇を物語ったが、あの大聖寺藩は加賀前田家の支藩だが、本藩たる加賀も、幕末百万石の巨体を持て余して、結果的にはただ無為無芸に過したために、新政府からきわめて冷遇を受けたのである。
島田一郎らは、加賀百万石の誇りと現在の冷遇との断層からきしみ出た火花であった。――とはいえ、加賀藩士のだれもが島田らのように動いたわけではない。彼らを動かしているのは、少くとも彼らが信じているのは、新政府の内治外交における全方針不当なりという、彼らだけの持つ信念と情熱であったことはいうまでもない。そのために島田らは、ひとたびは鹿児島を訪れて、同じ信念と情熱を持つと思われる西郷の胸をたたいている。そして彼らは、失望して帰って来た。
しかも、島田らは完全に望みは断たず、彼らなりに動いている。
彼らはしきりに金を欲しがった。
お釈迦さんの杉本乙菊などは、「斬取り強盗は武士のならい。――」など口走って、「おれたちはもう武士ではないぞ」と若い長連豪に苦々《にがにが》しげにたしなめられたが、それでも懲りずに、どこで知り合ったか、一日、妙な人物をつれて来たことがある。
結局これも|もの《ヽヽ》にならなかったのだが、この話は是非書きとめておかなくてはならない。
相州在住の医師兼絵師|熊坂長庵《くまさかちようあん》と名乗る男で、これが途方もない情報と企劃を提案した。
明治初年、政府は大阪に造幣寮を設立することを決め、井上馨に造幣頭《ぞうへいのかみ》を命じ、のちに銀座煉瓦街を建設した英人トーマス・ウォートルスに造幣|廠《しよう》を建設させたのだが、工事成らんとして火災の厄に逢った。明治二年十一月四日のことである。このとき蒸気機関車の発明で有名なジェームス・ワットの発明にかかる硬貨鋳造機のほうは無事であったが、同時にドイツのフランクフルトのドンドルフ商会から輸入した紙幣印刷機には少し火がかかって、これは処分された。――
「それが、この仁《じん》のいうところによると、実はいまも藤田伝三郎の土蔵にしまわれていて、埃《ほこり》だらけにはなっているが、充分使えるというのだ」
と、杉本はいう。島田一郎が聞いた。
「藤田伝三郎?」
「萩出身の男で、井上の乾分《こぶん》で、大阪で羽ぶりのいい政府御用商人よ」
「で?」
「そいつを盗み出して金札《きんさつ》を刷りゃ、軍資金など手品みたいにひねり出せるが――と、この仁はいう」
「ふうむ」
島田一郎は食指が動いたようだ。
「ただ、そこから盗み出すのは難事じゃないが、その後の仕事がどうも大阪じゃやりにくい。何とかしてこっちに持って来たいが、運ぶ法がない。そいつをひとつ考えてくれんかということでな」
島田一郎は改めてまじまじと、その大それた男を眺めやった。宗匠頭巾などをかぶり、どっしりとした感じの大入道であった。
「そんな話を、どうしてまあ。……」
「大阪のある香具師《やし》から聞いたのでござるが、香具師の筋とはいえ、信用していい話で」
と、大入道はいう。
「というのは、私も以前ちょいとその世界にかかわっていたことがございましてね。……そいつを是非こっちに持って来たいというのは、向うの香具師の手のとどかないところじゃないと、いろいろうるさいことになりますので」
島田の判断を絶した。強盗をやっても大金が欲しいいま、紙幣製造機とは夢のようなうまい話だが、しかし片棒かつがないかと申し込んで来た男が、前に香具師をやっていた男とは。――
いや、いまの医者兼絵師というのからして、相当に怪しい。それに、
「貴公、熊坂長庵というのは本名か」
と、最初の名乗りを聞いたときからの疑問を長連豪が口にした。
当然のことで、杉本は前もってその人物を保証したけれど、その名が、伝説で牛若丸に退治された盗賊熊坂長範をもじったようでもあり、大岡政談の悪党村井長庵をくっつけたようでもあり――とにかく、人を食っている。
入道は平気で答えた。
「現在は本名で。……役場にも、左様にとどけてあります」
「以前は?」
「それをいえば、ますます私の素性が眉唾《まゆつば》物になる」
彼はのどぼとけが見えるほど口をあけて笑った。
「ま、私はともかく、本題はその紙幣製造機で――おやりになる気があるか、ないか、どうですか」
「……やめておこう」
島田の思案がまだかたまらぬうちに、長連豪がいった。
「熊坂長範の兄弟分と贋札《がんさつ》作りをやったのでは、あと何をやってもだめだ」
「この世に生まれて来て、あんたは名が欲しいのか、それともやりたいことをやって死にたいのか」
と、長庵はうすら笑いの顔をむけた。
「西郷さんは、命もいらず名もいらず何とか何とかもいらぬ人間ほどこわいものはない、といったそうですが、私の見るところじゃ、あれで西郷さんは名にこだわっているね。それから見ると大久保さんは、ひたすらやりたいと思っていることをやるだけだ。勝負は、大久保さんのほうが勝つね」
えらいことをいう香具師《やし》があったものだ、と感心するより、長連豪は美しい顔を朱に染めてさけんだ。
「おれたちは、名なんぞ欲してはおらん。こっちもやりたいことをやるだけだ。そして、やりたくないことはやりたくないのだ!」
――ともかく、この話はこれで終りになって、杉本乙菊が気落ちしたような顔で熊坂長庵を送って出ていったが、まもなく変な顔で帰ってきた。
「おい、おれたちを見張っておる警視庁の犬な」
「ふん」
島田たちは平気であった。お伝がそのことを教えてくれたときからとり合うようすもなかった。
「そいつらの名を長庵が教えてくれたよ。俥夫が油戸杖五郎、紙屑拾いが浅井|寿篤《としあつ》という巡査だそうだ」
脇田巧一がふと杉本の顔を見ていった。
「それはいいが、おい、まさかいまの香具師、それも警視庁の廻し者ではあるまいな?」
「そんなやつをおれがつれて来るものか。そうであったら、わざわざ巡査の名なんぞ教えてくれるはずがなかろう」
と、杉本乙菊はいった。
「もう少し話したら、あいつが一介の香具師じゃないことがわかってくれたろう。こういっても信用せんかも知れんが、あの男は実は相馬大作の忘れがたみ。――」
「えっ?」
「事実はとにかく、あれはとうてい警視庁の犬になるような男じゃないよ。……」
お伝は、男たちの「大望」を知らない。関係がない。亭主の市太郎がポリスが見張っていることを告げ、そのことを彼らに知らせてやったけれど、彼女自身は何のおそれも持たなかった。……お伝は、長連豪のほかは念頭になかったのだ。
右に述べたように、その男たちは、強盗か贋札作りにまで心を動かすほど金にかつえていたが、そんな内情は知らないにせよ、赤貧洗うがごときありさまはまざまざと眼に見えるから、お伝はしばしばそこに金を持っていった。――
むろん彼らの必要とする金額には思いもよらぬものであったろうが、お伝としては一所懸命であった。彼女の夜の稼ぎはあらっぽいものになった。山田浅右衛門などが手ひどくやられたのはこのころのことである。その金をお伝は、「傭奉公に出ている料理屋に来る客があたしに首ったけで、ちょいとおねだりすりゃすぐにくれますのさ」といって、彼らに渡した。――
ただ、長連豪だけには直接手渡さなかったが、それはお伝の恥じらいのためであった。お伝にしては、生まれてはじめての含羞《がんしゆう》であったろう。……山田浅右衛門にああまで誘われながら、金だけとって逃げたのは、彼女としては浅右衛門と駈け落ち出来ないわけがあったのである。浅右衛門の素性を知ったからではなく、思いはひたすら美少年長連豪。
さてその長連豪は、というと、お伝のことなど塵《ちり》ほども眼中にないかのようであった。
ほかの連中も、お伝から金をもらいながら、大困りに困っているくせに、すぐにその夜の酒代にしてしまうような無神経なところがあるけれど、それでもお伝に酒盛りを見つかると、「いや、すまんすまん」と頭をかいて見せたり、金を受取った本人以外の者があとで礼を述べたりするが、この長連豪にかぎって、終始知らぬ顔の半兵衛だ。
それもわざとそっぽを向いているのではなく、まるで意識にないようだ。……よく見ていると、自分ばかりではない、とお伝は感じた。あらゆる女を女として認めていない。
そんな若者を見るのははじめてのことであったし――いや、そんなはずはない。あのひとは、昔、惚れた女があって、それがよそに嫁にいったのでそれ以来女断ちをした、とか聞いた。昔といったって、まだ廿歳《はたち》をそれほど越えているとは見えない小次郎さんなのに。――
彼女は、しきりにその話を聞きたがった。むろん、当人はなんだかおっかないところがあるから、ほかの連中にである。
ほかの連中も、いざとなって聞くと、まともにとり合わないので、よくわからなかったが。――その話は嘘《うそ》ではなかった。
長とは珍しい姓だが、これは往古長谷部と名乗っていたものを省略するようになったもので、鎌倉時代から能登の豪族であった。のち前田家に臣属したが、その禄三万三千石という大名並みの、加賀藩きっての名家である。――ついでにいえば、昭和二十年の沖縄決戦で割腹自決した参謀長|長勇《ちよういさむ》中将は、その後裔《こうえい》の一人であろう。
長小次郎連豪もその一族で、江戸詰めの小姓を相勤め、維新前後主人の前田|慶寧《よしやす》は金沢に帰国していたが、明治四年七月、前田家がほかの大名同様すべての江戸藩邸を没収されるまで、巣鴨の中屋敷の留守を預っていた。そのあいだに、近くの旗本中山五郎左衛門の娘おせいと恋し合うようになった。
明治四年で二人が十六歳というのだから、まことに稚《おさな》い恋にちがいなかったが、それだけにこれを失ったとき、彼の魂は容易にふさがらない傷を受けたのである。奪ったのは、新政府の兵部|大丞《だいじよう》黒田清隆であった。黒田はもう三十一であったのに、どこで眼をつけたのか強引におせいを妻としたのだ。それというのもおせいが、巣鴨小町といわれるほどの美少女で、しかも黒田好みの繊麗《せんれい》さの持主であったからだろう。
やがて、恋も身分もすべてを失った小次郎は、同じ加賀藩出の不平士族島田一郎らと行を共にして、鹿見島から北海道までさすらい、また東京で何事かを企む闇の底の獣の一匹となる。
それでも、小次郎が東京にいるときには、二人のあいだにときどき秘密な手紙の連絡があったらしい。いかにしてその手紙が交されたか、何が語られたかは永遠の謎《なぞ》である。――とにかく小次郎は、黒田夫人となってからのおせいが病みがちで、また最近ついに肺を病んでいることも知っていたし、それからまた明治八年秋、黒田が愛妾を斬殺したことを知ったのも、おせいからの手紙によってであった。
以上のようなことを、お伝は詳しく知ったわけではなく、おぼろげな輪廓をつかんだだけだが――彼女は笑い出した。
惚れているくせに、長連豪がおっかない――少くともその気性にひどく気をつかっているお伝が、ある夏の午後、それは偶然その家に彼だけがつくねんと壁にもたれているときであったが、この件について話を持ち出したのは、あまり可笑しかったからだ。
「小次郎さん、あんたが好きだったひとと別れたのは、まだ十五、六のときだったんですってねえ」
長連豪はじろっとお伝を見ただけで、口をきかなかった。
「まだそのひとのこと忘れないんですか」
「………」
「それっきり、女を知らないんですか?」
「………」
「その年で、よくまあ女断ちなんかしてるわねえ!」
小次郎は、依然答えない。決して柔弱な美少年ではなく、ふだん見ていると燃える花のような感じなのが――いまだけではなく、いつも自分に対してはそうだが、冷たい花のように見えるのが、お伝の胸をかきむしった。彼をからかうつもりであったのが、彼女のほうがたまらないいらだたしさにとらえられた。
「あんた、不具じゃあないでしょうね?」
「………」
「ほ、ほ、女が、怖《こわ》い?」
お伝は突然、奇妙な衝動につきあげられた。彼女の眼は異様なひかりをおび、頬《ほお》にぼうと紅《くれない》がさした。
「女を、見せてあげましょうか、小次郎さん」
お伝はそういうと立ちあがり、小次郎の前に立ち、彼を見つめたまま、そろそろと自分の裾《すそ》を持ちあげていった。――一間ちかく離れていたが、彼女は自分のものを完全に小次郎に見せたのである。
へんに森閑とした夏の午後の空気が、ひときわ熱く、ひときわねっとりと粘って凝ったようであった。お伝自身が、数分間を十数分に感じた。
長連豪は、さっきと同じく冷たい花のように動かず、それを眺めていた。
――と、彼は動いた。坐ったまま、手だけ動かして、あぐらをかいた股間《こかん》から何やらつかみ出した。
一目見て、お伝の眼は張り裂けんばかりになった。それは彼女が直感していた通り、容姿に似合わぬ雄渾《ゆうこん》無比のもので、まるでいまにも彼女めがけて飛来する大|鉄筒《てつとう》のように見えた。
「見たか」
と、この不敵な童貞はいった。
お伝は、そのほうへ、ふらふらと吸い寄せられそうになった。
「ああ、小次郎さん……やっぱり……」
「動くな!」
長連豪は大喝《だいかつ》した。
その刹那《せつな》、その股間からピューッと白濁したものが噴射されて、立っているお伝の――下半身にではなく、なんと顔に飛び散った。その勢いと量の凄《すさま》じさに、まるで滝にでも打たれたようにお伝は尻もちをついた。
「女など怖《こわ》がっておらんことがわかったか。……わかったら、いってしまえ」
と、彼は清爽《せいそう》な大男根をなおそよがせながら、にやりと笑った。ぱあっと強烈な芳香が大気にひろがった。
さしものお伝が魂を奪われて、まるで夢遊病者みたいにふらふらとその場を逃げ出した。……
――さて、この壮絶な撃退戦をやってのけた長連豪が、珍しく途方にくれた顔で、彼のほうから話しかけて来たのは、それから十日ばかりたった八月下旬のある日のことであった。
「お伝さん。……」
彼は、おずおずといった。
「三十円ばかり、何とかならんだろうか。……どうしても、さしあたり、それだけ要ることが出来たのだ」
「――三十円、いつまででござんす?」
お伝は、のどがひりついたような声を出した。彼女は五円くらいしか持っていなかった。
「二、三日中に。――それが、こっちには、何ともならんのだ。もし、出来たら、お伝さん。――」
「よしておくんなさいよ」
彼女はさけんだ。
「お伝さんなんて。――よござんす、三日のうちに、きっと何とかいたしますよ!」
お伝は歓喜に燃えあがった。とうとうこのひとをお辞儀させるときが来た! という満足ではなく、純粋に、このひとのために直接役に立つときが来た、という悦びのためであった。そこを駈け出したとき、お伝の眼には涙さえにじんでいたくらいである。
お伝が、日本橋|檜物《ひもの》町の古着商後藤吉蔵を殺害したのは、その翌々日の未明のことであった。
後藤吉蔵は、去年夏ごろまで銀座七丁目まで進出して店を出していた男で――といっても、現代とちがって、前に述べたようにそのころの銀座は見世物街で、だからこそ古着屋でも店を出せたのだが、それにしても商売|繁昌《はんじよう》の余勢にはちがいない――夜の銀座でふと知り合ったお伝に、たちまちのぼせあがり、いっとき家まで飛び出して、彼女とただれ切った何カ月かを過した男なのである。
お伝と何カ月もつづいたのはそれだけ好色な男だからこそであったが、やっぱりお伝の、いろいろな男を味わいたいという持ち前の悪癖の前には敗退して、放り出されて、気ぬけしたように家に戻り、やがて銀座の店もたたんでまた日本橋檜物町にひっこんでいた。それを彼女は呼び出したのだ。
もともと吉蔵のほうに大みれんはあったのだから、呼び出されるとたちまち彼は有頂天になり、指定された三十円――ただし、そこが商人らしく値切るつもりであったと見えて二十五円――を懐《ふところ》にして、彼女と落ち合い、その夜、浅草蔵前片町の旅人宿「丸竹」へしけ込んだ。双方ともにはじめての旅籠《はたご》で、宿帳には武州茶商夫婦として仮名《かめい》を書き込んだ。
暑い盛りの季節で、色|褪《あ》せた蚊帳《かや》の中の、まる裸同士の獣のようなもつれ合いの一夜であった。
そして、まだ夜の明けきらぬころ、いつかの山田浅右衛門のときのように、枕もとの財布に手をかけたお伝は、眼をさました吉蔵に見つかり、争いのあげく、念のため持っていた剃刀《かみそり》で吉蔵の|のど《ヽヽ》をかき切って、宿の者に気づかれないうちに逃げ出したのである。念のためというのは、彼女は|どんなことをしても《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》その金を手にいれなければならないという至上命令にかられていたからだ。明治九年八月二十七日、短夜《みじかよ》の、悪夢のような惨劇であった。
彼女はその日のうちに、自分の金と合わせて三十円を長連豪にわたした。
ちょうどその家では、四人の男が額を集めて、酒の気《け》もなく何やら談合していたが、お伝の姿を見ると、長連豪が立って来た。手渡された金をおしいただいて、
「ありがとう」
と、長連豪はいった。お伝はまた眼に涙をにじませた。
「こういう厄介をかけながら、まことにもって申しわけないが、きょうはお礼をいっておるいとまもない。……明日、来てくれぬか、改めてお礼を申したい」
と、彼はいった。
その夜、お伝は眠られなかった。うれしさのためだ。そのよろこびには、ふしぎに性的なものをふくんでいなかった。前夜の殺人のことなど、思い出しもしなかった。
翌日、お伝は、ばかにはにかみながら、男たちの家にいった。この暑さに戸は閉じられたままであったが、手をかけるとすぐにあいた。中にはだれもいなかった。――
物もない。家財道具らしい物がないのははじめからのことだが、一目見て、彼女は、男たちが夜のうちにどこかへみな姿をくらましてしまったことを直感した。
やられた! こんどは彼女のほうが「持ち逃げ」されたのだ!
カーンと、もうあぶら照りの日ざしの落ちる路地に立ちつくしたお伝のそばへ、おずおずと亭主の市太郎が寄って来た。
お伝はぶつぶつとつぶやいていた。
「あたしは、きっとおまえを抱いてやる。……いいかえ……おまえのあれを、きっとあたしはつかまえて、泣き声をあげさせてやるから……おぼえておいで。……」
その唇《くちびる》のはしから、血さえひとすじ垂れているのを見て、市太郎がぎょっと声をのんだとき、お伝はふりかえって恐ろしい声でいった。
「おまえ、ここの男たちのゆくえを探しておいで! 死んでも探しておいで!」
――同じころ、路地を出た往来では、空俥《からぐるま》を曳《ひ》いて来た油戸杖五郎が、紙屑拾いの浅井巡査から、夜のうちに加賀四人組がどこかへ姿を消したという報告を受けていた。その男たちの見張りを命じられていた変装の巡査はあと三人ばかりいて、それぞれ昼夜交替で任務についていたのだが、昨夜の責任は浅井巡査だったのである。
「どこへいったか、全然気づかなんだのか」
と、酢《す》をなめたような顔をする油戸巡査に、
「とんでもないへまをやった。まったく知らなんだ」
と、浅井巡査はうなだれた。去年の秋、西国へ出張を命じられた役目を辞退し、油戸の監視つきとなった浅井巡査だ。それ以来の勤務ぶりにべつに異常はなかったけれど。――
いま浅井巡査は憮然たる表情であったが、そのわりになぜかその事の重大性を感じていないように油戸巡査に思われたのは、汚い手拭いで頬かむりをして背中に籠《かご》を背負った大男である上に、うす馬鹿の紙屑拾いの真似が身につき過ぎた名残りのゆえであったかも知れない。
二日目の八月二十九日の夕方であった。
神田三河町の冷酒かん八は、お客の一人を路地にたたき出した。
かん八は、ふだんは髪結床《かみゆいどこ》をやっている。――というより、昔、岡っ引をやっていたころから、本職は髪結いだったのだ。
なにしろ腹を立てると冷酒をあおりながら剃刀をあてることがあるので、そのころからあまりはやらず、そこで二階では女房のお徳が女客相手の髪結いをやっている。で、このごろはみるみるザンギリ頭がふえて、かん八のほうはいよいよ閑古鳥が鳴いているのに、お徳のほうは、旧幕時代、女は自分の手で髪を結うのがふつうであったが、御一新以来、新しい髪型がはやり出したせいもあって、髪結いにやって来る女が多くなり、それで何とか息をついている始末だ。
ザンギリ頭がふえたといっても、どの髪結床も商売あがったりになったわけではない。時勢に合わせて大半の床屋が、ガラス障子に大鏡や椅子をすえつけ、ザンギリの注文に応じているのに、このかん八ばかりは、昔ながらの腰高障子に「かん床」の文字、穴のあいた腰掛けに客をかけさせ、そばに鬢盥《びんだらい》をおくという構えで、何しろランプも置かず、木の明り台に燈心をともして剃るといった案配だ。そして世のザンギリ頭に憤慨して、そばの冷酒をあおっては剃刀をひらめかすので、馴《な》れた近所の者しか寄りつかない。――
で、その日の夕方、通りがかりの|ふり《ヽヽ》の客が――にきび面に総髪の、田舎くさい書生がぬうっとはいって来て、
「ナポレオン刈りにしてくれんか。それともわしにはワシントン刈りが似合うか」
と注文したのに、たちまちかん八はお燗《かん》をしたように沸騰し――もっとも、そのときも一杯ひっかけていたが――これと大喧嘩になって、砥石《といし》で殴りつけて、路地へ放り出してしまった。
「これは床屋の分際で乱暴である」
「何いってやがる、いっそランボー刈りにしてやろうか、この毛唐の猿真似野郎」
書生は頭の大きな瘤《こぶ》をかかえて逃げていった。
そこへ、知り合いの内儀がただならぬ顔でやって来た。
「かん八さん、大変なことになっちまった。うちのひとがとうとう殺されたよ!」
「えっ、き、吉蔵さんが?」
かん八は酔いも立腹もいっぺんに醒めはてた。
「どうしたんだ、とうとうとは?」
知り合いの内儀――といっても、日本橋檜物町の古着屋の女房だが、実家がこの近所なので、去年その亭主が悪い女にひっかかって家出をしたという騒ぎがあったとき、頼まれてかん八は亭主のゆくえを探してやったことがある。
――かん八が銀座で「数寄屋橋門外の変」にぶつかったのは、そのときの話である。
女房は髪ふりみだし、鬼女のような顔をしていた。さきおととい家を出た亭主が、おとといの朝、蔵前の旅人宿で剃刀でのどを切られて殺されていたのが発見されて、それが持物から後藤吉蔵であることがやっとわかって、警察から通報されたのがけさのことだ。煮えくりかえるような騒動ののち、彼女はひるすぎからこっちの実家に知らせに帰っていたというのであった。
むろん新聞はまだそんな事件を報道していなかったから――この事件が最初に報道されたのは、半月後の九月十二日の「朝野新聞」によってである。――かん八が仰天したことはいうまでもない。
「うちのひとは、金時計を売る人があるからって、二十五円持って出かけたけれど、あの女に誘い出されたにきまってるよ。丸竹でも、凄い美人といっしょに泊ったといってるそうだけど、たしかにお伝にちがいない。――」
「お伝?」
「そうさ、いつかかん八さんに探してもらった女ですよ。あのあとで吉蔵が帰って来たとき、とっちめて白状させたんだ。高橋お伝って、夜鷹だってさ。――」
「お伝?」
「かん八さん、そう聞くと、お知りかい? 岡っ引なら、知ってるかも知れないね。警察も探してるだろうけれど、かん八さんなら知ってるだろうと、いま思い出してやって来たんですよ。――」
ふいに内儀が黙り込んだ。
そのとき、かん床の腰高障子をあけて、お高祖《こそ》頭巾をかぶった女が一人出て来たのだ。
してみると、その女はいままで二階で女房のお徳に髪を結ってもらっていたのだろうが――その通り、あとでわかったところによると、その女は銀杏《いちよう》返しから|くめさ髷《ヽヽヽまげ》に結い変えたのだ――女房のほうの客は多いので、土間から階段をあがってゆく女客を、いちいちかん八は見てはいなかったのである。
「あれだ。……」
古着屋の内儀は、凍りつくような声でささやいた。
「前に、吉蔵が女に狂ってたころ、あたしゃあとをつけて、二人で歩いてるところをたったいちどだけ見たことがあるのさ。あれが、その女ですよ。――」
「えっ?」
「どうしてまあ、こんなところから出て来たんだか――髪結いの看板を見て、きっと髪型を変えることを思いついたものにちがいないよ。――」
お高祖頭巾の女は、ちらっとこちらにきれながの凄艶な眼を投げた。何やら異様な雰囲気《ふんいき》を感じたらしく、スタスタと足早に路地の向うへ歩いていった。
「かん八さん、はやくつかまえておくれ」
かん八はなぜか身動きが出来なかった。
そのとき、女のゆくてから六尺棒をかかえたポリスが、一人の書生にひっぱられて――さっきかん八に瘤を作られて放り出された若者であった――やって来るのを見ると、古着屋の女房は恐ろしい金切声をあげた。
「おまわりさん、その女をつかまえて! その女が、後藤吉蔵殺しの高橋お伝ですよ!」
巡査は、油戸杖五郎であった。
彼は蔵前の古着商殺しの事件は聞いていたけれど、その下手人を追っていたわけではない。きのう消え失せた加賀の四人組を探して、盲滅法に湯島から神田へかけて徘徊《はいかい》していたところ、偶然、書生から床屋の乱暴を訴えられて、説諭にやって来たのであった。
さすがに驚いたらしいが、すぐに六尺棒をとり直して近づく巡査の前に同じ連中を探していた高橋お伝は立ちすくんだ。
あとでかん八が兵四郎に話した。
「人を殺したってんだから、よくねえ女にゃちげえねえが、とにかく知り合いでござんすからね。つかまるのを見ていて、やっぱり可哀そうでござんしたよ。おかげでこちとらは巡査の説教から助かったが。……」
兵四郎は黙っていた。彼はいつか自分と組んで|つつもたせ《ヽヽヽヽヽ》までやった女の妖艶《ようえん》きわまる姿や声を思い出していたのだ。やがて、
「やむを得んな。いくら警視庁|嫌《ぎれ》えでも、こいつばかりは助けるわけにゃゆかねえやね。……」
と、ぽつんとつぶやいたが、さすがにその顔に哀愁にちかいものが浮かんでいた。
この一篇を、「警視庁草紙・外伝」というのは、これから述べる事実が、作者が想定しているこの連作物語のフィナーレから、なおあとにはみ出すからでもある。つまり時間的に叙述してゆくならば、この連作物語の結末のあとにつづくべき挿話《そうわ》なのである。――
二年後の明治十一年五月十四日。朝からドンヨリと曇って、むっとするような青葉若葉に、いまにも雨が落ちて来そうな空模様であった。
この日――過ぐる西南の役における陸海軍の将校に太政官《だじようかん》で手ずから勲章を与えるべく、午前八時、裏霞ヶ関の邸を出た内務卿大久保利通の二頭立ての馬車が、紀尾井町一番地にさしかかったとき、六人の刺客が襲撃した。
ここは、両側、北白川家と壬生《みぶ》家の土牆《どしよう》にはさまれたあまり人通りのない坂道で、待ち受けていた刺客たちは、土牆に生えた草の花を採っているかに見せていたが、大久保の馬車が近づいて来るのを見ると、花を捨て、衣服の上半身をはねて、筒袖の白|襦袢《じゆばん》をあらわし、夜のうちに草の底にかくしてあった大刀を拾い、いっせいに抜きつれて殺到した。
「大久保の馬車の来かかるとたん、長連豪は一刀に馬の前肢を薙《な》ぎたるに、馬はなおも一散に走りて数間をゆき過ぎるにぞ、こは仕損じたりしかと思いし折柄、脇田巧一が馬の前額に二の太刀を斬りつけたれば即座に倒れたり」
とは、この暗殺団の首領格島田一郎の獄中談である。
「ならびし別の一馬も進み得ざりしかば、余は大いに力を得て、ツツと馳《は》せ寄り、右の方より馬車の扉をひらきて二刀まで刺し通せしそのときに、大久保が余を睨《にら》みし顔の凄さ、恐ろしさ、苦痛のゆえか無念ゆえか、その面色は今に忘れず。
折しもまた左の方よりもだれなるか、二刀三刀刺しつらぬき、然して馬車よりひき出せしときは、もはや命も絶え絶えなりしが、なお七足八足ヒョロヒョロと歩みゆきしはまったく気のみ残りしなるべく、このときみなみな乱刀にてさんざんに斬りつけ、ついに止《とど》めを刺しおえたり」
さだめし大久保は無念にたえなかったろう。その朝彼は、たまたま訪れた福島県令山吉|盛典《もりすけ》と会い、「明治を三期に分ける。第一の武力統一期の十年はこれで終り、これより内治興隆の第二期十年にはいる。余の真骨頂はこの第二期にあり、第三期は後進にまかせよう」と、天下をおのれの掌中のもののごとく昂然《こうぜん》と語って邸を立ち出でたばかりであったのだ。
実に大ライバル西郷死してより二百三十余日目。大久保利通時に四十七歳。
かつて赤坂|喰違《くいちがい》の変をはじめ同僚の類似の難を見ながら、またそれについて憤激しながら、彼自身はどうしてまたこんなとりかえしのつかないポカをやったものか。
おそらくは、もはや天下は掌中にありという――本能寺の信長と同様の大油断からであったろうというしかない。
ところで例の四人組が六人にふえたのはいかなる次第か。一人は加賀から新しく参加した杉村文一という十八歳の少年であったが、もう一人は、驚くべし元警視庁巡査浅井寿篤であった。
浅井巡査がこの破天荒の一挙に加わるに至った詳しいいきさつは明らかではないが、あるいは彼らがかかげた斬奸《ざんかん》状がその機微を物語るかも知れない。
「石川県士族島田一郎ら叩頭昧死《こうとうまいし》、仰いで天皇陛下に奏し、伏して三千万余の人衆に普告す。……」
冒頭《ぼうとう》こう書き起した斬奸状は、大久保の国をあやまる大凶たるゆえんの五罪をかかげているが、その中に、
「……井上馨の銅山の事のごとき、世上すこぶる物議にわたる。またさきに世上に伝う、黒田清隆|酩酊《めいてい》の余り、暴怒に乗じその妻を殴殺すと。罪、大刑にあたる。しかも川路利良何者ぞ、身、警視庁の長となり、天下の非違を検するの任にあり、しかして黙々と不知をなせるもの、あにこれを私に庇《かば》わんと欲するか」
という一節がある。
――黒田清隆の妻おせいの死が報じられたのは、その春のことであった。それについて、奇怪な噂《うわさ》が世にひろまった。
清隆が酒乱で夫人を殺したというので司法当局も捨ておかれなくなり、川路大警視は医師たちとともに夫人の墓を掘り返して棺内を改めるの余儀なきに至った。しかるにこのとき川路だけがひとり棺内をのぞいて左右をジロリとかえりみ、
「異常はない。どうじゃ」
といって、はたと蓋《ふた》をとじたが、検屍官たちに一語も発する者はなかったというのだ。
しかし、この事件に関しては、当時――四月四日の日付で――福沢諭吉が書いている。
「……先月二十八日、黒田開拓長官の細君死去せられたり。同日午前八時過のころ、麻布の杉田|玄瑞《げんずい》先生の内へ急の使いにて招待ありしが、折節《おりふし》先生不在、令息杉田武君|名代《みようだい》としてとりあえず見舞われたるに、あわれむべし、病人はすでにこときれ如何《いかん》ともすべからず、病症は肺の故障か。以前より時々少しずつ痰《たん》血を吐きしことありしが、本日|俄《にわ》かに大吐血、医師も間にあわずして――」云々。
福沢が真実まで偽って黒田をかばう気がなかったとすれば、黒田清隆の妻の死が肺疾によるものであったことに相違はなかったろう。
しかし、火のないところに煙は立たない。数年前、愛妾に関してたしかに黒田に過ちがあり、しかもそれを川路大警視が沈黙に付したことは、いつのまにか知る人ぞ知る人々の口に、ひそかにささやかれていたのである。警視庁巡査、剛直素朴な浅井巡査が、政府に対して叛の矢を投げる最初の動機がこれにあったとしても失当ではあるまい。
島田らが斬奸状にこれをかかげたのは、彼らが夫人の死についての世評を信じたというより、この混同に関して大きな顔で弁明出来ない政府の弱味に乗じた弾劾のテクニックであったろう。
しかし、一面からいえば黒田清隆の妻の死は、たとえ病死であっても黒田の人身御供《ひとみごくう》であったことに相違はなく、長連豪をふるい立たせた大いなる原動力であったことにまちがいはない。
しかも、黒田、川路輩を狙わずして、影の本体たる大久保に突撃したところに彼らの志士としての誇りがあったのである。
彼らは、ズタズタにした巨人の屍《かばね》に唾《つば》を吐きかけ、返り血に染まった袴《はかま》の足で、そのまま悠々《ゆうゆう》と宮内省に出頭自首した。
そのとき一近衛士官が、「一味は諸君だけか」と訊問《じんもん》したのに対し、
「三千万の国民すべてわれらの同志だ。ただし役人だけは除く」
と、彼らは哄笑《こうしよう》したという。
また、同囚の西南の役関係者たちに、
「おまえさんたちが時代がかった大芝居でやれなかったことを、おれたちは手軽く茶番でやってのけたのさ」
と、うそぶいたというのは前にしるした通りである。
大久保内務卿の暗殺者たちが投げ込まれた市ヶ谷囚獄署には、高橋お伝が収容されていた。明治九年八月二十九日逮捕されたお伝の判決はまだ下らず、彼女はすでに二年ちかく入獄していたのである。
小伝馬町時代でさえおんな牢はあったのだから、この新しく宏大《こうだい》な囚獄署に女人用監倉が設けられていたことはいうまでもないはずだが、それがどういう具合になっていたのか、次のような奇怪な話が伝えられているところを見ると、男囚女囚の区別は後年ほど厳格でなかったようだ。
土佐の志士片岡健吉は、西南の役に西郷に相呼応しようとしたという疑いで、この市ヶ谷囚獄署に収監されていたが。――
「当時獄中片岡氏もっとも謹慎、終日端座して膝を崩さず。たまたま毒婦高橋お伝隣檻にあり、百方これに戯むるるも片岡氏粛然あえて声を出《いだ》さざりしと。これ志士の本色、かれ毒婦の本性」(林有造「旧夢談」)
これは取調室の話ででもあったのではなかろうか。まさか百方戯れることが可能なような隣檻に男女ならべて収容するわけはないからである。
しかし、取調べのために、腰縄を打たれて往来する途中、お伝が男囚をからかったことは事実であった。とくに西南の役後、志士と称する男たちが多数捕えられたとき、彼らに対しては露骨に挑発した。腰に縄を打たれたままの芸だけに、それはいっそう妖艶をきわめた。
そこに、加賀の暗段者たちがはいって来たのである。
たったいちど、夏のはじめ、お伝は彼らと――ただし、長連豪と杉本乙菊だけであったが――ゆき逢ったことがある。
「やあ」
と、お釈迦さんの杉本乙菊は濶達《かつたつ》に笑いかけた。
「その節はいろいろお世話になった。また妙な隣りづきあいをすることになったようだが、よっぽど仏縁があると見えるなあ」
ふしぎにお伝は、凝ったように立ちどまって、一語の応答も返さなかった。
ひとり、長連豪は首《こうべ》を垂れていた。
――あのとき、彼らが姿をくらましたのは、そのころ進行していた計画の都合から、急ぎ故郷の金沢へ帰らなければならない用件が出来《しゆつたい》したからであった。死を決して行おうと志す大事の前に、一|売女《ばいじよ》から金を巻きあげるくらい彼にとってさして心を悩ますことでもなかったが、いまとなってはやはり面《おもて》を伏せざるを得ない。
が、ゆき過ぎて、二人が遠ざかったとき、お伝は急に異様な笑顔になって、嗄《か》れた恐ろしい声を送った。
「長小次郎……あたしは、きっとおまえを抱いてやる……いいかえ……おまえのあれを、きっとあたしはつかまえて、泣き声をあげさせてやるから……おぼえておいで!」
あとからはいって来た内務卿暗殺組のほうの処刑が早かった。七月二十七日のことである。
それまで彼らはべつべつの監房にいれられていて、死刑執行の日はじめて一同いっしょに一檻車に乗せられたのだが、そのとき「お師匠さん」の島田一郎は朗々と唄ったという。
「かたがた無事でおわせしか
死出の旅路を急ぐ身にゃ
さぞ待遠《まちどお》であったろう」
同じく西郷共鳴者として入獄していた熊本の志士高田|露《あきら》の追懐談にいう。
「そのころは打首の刑があるたびに、懲治監の者に見せたものだ。三年間に、私は前後二十八人の男女が斬られたのを見た。中には志士の島田一郎・長連豪のごとき人あり、(中略)国事犯だけあって、島田一郎をはじめ一党五人は立派だった。神色自若として、目かくしされた布に皺一つよっていない。いずれも従容として辞世の詩を賦し歌を詠じ、死を見ること帰するがごとくであった」
斬ったのが山田浅右衛門であったことはいうまでもない。これは実にみごとに斬った。
彼らの屍骸は維新の志士たちと同じ小塚原《こづかっぱら》に葬られた。
高橋お伝に斬罪の判決が下ったのは、その翌年一月二十九日のことである。一日おいた三十一日、彼女は曳き出された。場所は長連豪らの斬られた監獄裏手の例の陰森たる杉林の中の斬罪場で、長連豪に遅れること百八十八日目であった。
自分の首を斬る男を見て、お伝の顔色が変った。
彼女はいつか自分が枕さがしをやって、追っかけて来た男が山田浅右衛門であることをはじめて知ったのである。
これに対して、浅右衛門も珍しく顔色を赤くしたり蒼くしたりしていた。彼はとっくの昔お伝が入獄していることを知ってはいたが、これまでいちども逢わず、いまはじめてその斬首の場で再会することになって、名状すべからざる波が――決して復讐《ふくしゆう》の快などではない――胸中に湧《わ》きたつのを禁じ得なかったのだ。
山田浅右衛門は、死刑がすべて絞首刑だけにならなかったことを悔いた。
それにしても、数分後に、予想もしなかった惨澹《さんたん》たる事態が出現した。――やはりこの処刑を見物することを強制された高田露が記している。
「お伝はなるほど美人だった。日の目を見ない永年の獄中生活に、頬にいくらかやつれが見えていたけれど、色がすきとおるほど白く、面長のいわゆる凄味をおびた美人だった。頭を櫛巻か何かにしていたようだ。気がうわずって震えがあらわれ、もちろん目はつりあがっていたろうから、よけいに凄く見えたのだろう。
白木綿で目隠しされ、すごすごと引かるるままに、一歩は一歩死の影を踏んで、くだんの框《かまち》の前まで来た。
が、しかし往生際が悪かった。
『申しあげることがございます』
身をもがき、たけり狂うて、男の名を呼びはじめた。――」
――彼女は、牢外の亭主小川市太郎にあることを依頼していた。それは自分の屍骸の埋葬場所についての願いであった。しかるにいま自分の死刑執行人がだれであるかを知って、なにしろ死罪人の胆《きも》までとるという話を聞いていた人間だけに、その件についての不安が生じ、かくてもういちど念を押しておきたくなって市太郎を呼んだものとは神のみぞ知る。
「獄卒も浅右衛門もしたたか弱らせられた。が、無理におし倒して、騒ぐなりに一太刀浴びせたが、やりそこねた。
鬼の浅右衛門も気がひけたらしい。エエと一声、また一刀をふりおろす。白電一閃、コツという音がした。お伝が身をもがくので手先乱れて後頭部に当ったらしい。ヒェーという絹を裂くような、それは聞くに忍びぬ声を出してお伝はいっそう狂いまわる。そして男の名を呼んではあばれるのだ。血はだらだらと流れて顔いちめん真っ赤だった。おまけに身をもがいたため、目かくしがはずれてしまった。
見れば血走った凄い眼光、ちょうど夜叉のように思われたが、おし倒され、ふたたびおし倒された。もう駄目だと観念したのであろう、お伝は大きな声で南無阿弥陀仏と二度となえた。それでもまだ身をもがいていたが、とうとう三度目におし倒されたなり、ねじ斬りにされてしまった」
まことに巷《ちまた》の闇の春婦にふさわしい死に方というべきであろう。――酸鼻《さんび》な屍骸を前に、山田浅右衛門は腰といっしょに魂までぬけたように、ぺたんと血泥の中に坐っていた。
お伝の屍骸は浅草茅町の警視庁第五病院で解剖された。
そして例の「小陰唇異常肥厚、陰梃異常発達」が知られたのであった。
執刀者は津軽藩出身の陸軍軍医小山内健であった。小山内健については、鴎外が「澀江抽斎」でこう紹介している。「小山内玄洋は杉田門から出た人で、のち健と称して明治十八年二月十四日で中佐相当陸軍軍医正をもって広島に終った。今の文学士小山内薫さんと画家岡田三郎助の妻八千代さんとは健の遺子である」
あとの残骸は、夫小川市太郎の請いによって――どういうつもりか、彼は坊主になっていた――小塚原に埋葬された。
――たしかに高橋お伝は、一人の男を殺した。しかし犯罪らしい犯罪はこれ一つだけである。
果してこれが毒婦であろうか。日本の代表的毒婦の行状といえるであろうか?
「高橋|阿伝夜叉譚《おでんやしやものがたり》」で毒婦の烙印《らくいん》をおした戯作者仮名垣魯文はこれを考え、少々|間《ま》がわるくなり、罪ほろぼしの心境になったのであろうか、お伝の三回忌にあたる明治十四年、みずから世話人となり、小塚原の埋葬地を掘り返して、改めてその骨を谷中天王寺に移して墓をたててやろうとした。
しかるにこのとき掘り返した土の底に、お伝らしい女のしゃれこうべの離れた骸骨《がいこつ》が、男と見える骸骨にしっかりと抱きついているのがはじめて発見され、ひき離そうとするとばらばらになって、両者はいよいよ分ちがたいものとなってしまった。
だからいま高橋お伝の墓は、谷中天王寺境内と南千住回向院と二個所にある。
[#改ページ]
東京神風連《とうきようじんぷうれん》
話は明治九年夏に返る。
――従って、この時点では、大久保利通も長連豪《ちようつらたけ》も高橋お伝も、二、三年後のおのれの運命を知らず、それぞれのいのちの炎を烈《はげ》しく明滅させながら生きていたものと考えていただきたい。
明治九年六月二十五日の午前、元老院議官井上馨は横浜からアメリカ船「アラスカ」で旅立った。まずアメリカへ渡り、ついでヨーロッパへ回り、諸国の財政経済のしくみを視察する目的をもってであった。
埠頭《ふとう》に見送る人々は、陸軍卿山県有朋、ほんのこの間外務省|権大丞《ごんのだいじよう》から神奈川県令になったばかりの野村|靖《やすし》をはじめ長州系の大官が多かったが、その中に薩摩出の黒田開拓長官の姿もあった。
ゆれる旗と万歳の声のかなたで、船は舷側の外輪車から凄《すさま》じい泡《あわ》をたて出した。
「惜しいの」
と、群衆の中でつぶやいた声がある。
「たしか、三年の外遊と聞いたが」
「井上が日本にいなくなることが惜しい、と仰《おお》せなさるので」
と、めんくらって千羽兵四郎がふりむいた。
「左様」
隅の御隠居はうなずいた。
「見よ、あそこに来ておる川路大警視、あれは見送りというより見送りの大官の警護のためじゃろうが……井上をもう少し日本に置いて、川路とかみ合わせて共喰いさせたかったからよ」
「は、は、そういう意味でしたか」
そばに冷酒かん八が聞いていたが、まわりの群衆でこんな問答を聞いている者はなかったろう。
「黒田は見送りに来ていますが、これは和解したのでしょうかな」
「なに、狐《きつね》と狸《たぬき》の化かし合いよ。もっとも黒田は八方破れの豪傑じゃから、ヨリを戻せば存外井上とうまくゆくかも知れん。しかし、井上と川路は同じ型の金毛|九尾《きゆうび》の狐じゃから、これは陰電気同士が相排斥するようなもので、とうてい合わんな」
隅の御隠居さまは、なかなか隅には置けない新知識をもってたとえた。
「もっとも、井上がいってしまっても、まだ共喰いをやりそうな、もっと大物が残っておるが」
「大久保と西郷ですか」
「その通り、しかし、はて、こりゃ両方の電気が陰陽とちがう感じがするが、それでも妙な雲ゆきを呈しているところを見ると、わしのエレキの知識はあてにはならんがの」
御隠居は苦笑した。
「アラスカ」は晴れた碧《あお》い海の果てに消えてゆく。
見送りの人々も、埠頭から逆へ流れはじめた。数台の馬車が動き出し、それに騎馬の巡査や兵隊が従ってゆくところを見ると、これは政府の大官であろう。
「さて、わしたちもゆこうか」
と、御隠居は兵四郎とかん八を促して、煉瓦《れんが》作りの商館のならんだ海岸通りから町へ向って歩いていったが、
「はてな」
と、手をかざして向うを見た。
そちらにも数台の二頭立ての馬車を囲んで、騎馬隊が駈《か》けてゆく。東京や停車場とは反対の南のほうへ。
「ありゃ、山県だ。……川路もいっしょじゃ」
と、御隠居はいって、破顔した。
「兵四郎、あれもこっちとは同じ用件じゃよ。考えて見ればあたりまえじゃ。からくり儀右衛門に軽気球の発明を依頼したのは山県陸軍卿なんじゃから」
「なるほど、これは二本足では間に合わん。かん八、俥《くるま》を探して来てくれ」
と、兵四郎がいい、あっと答えてかん八は駈け出した。
間もなく三人は、南へ俥を走らせていた。念のためか兵四郎は、たたんだ蛇《じや》の目傘《めがさ》を一本ぶら下げているが、梅雨はここ二、三日、霽れ間を挾んだと見え、もう横浜の空は夏といっていいまぶしい光に満ちていた。
ゆくては根岸競馬場だ。外人用に作っただけあって、そこへゆく道は広く、石だたみでこそないが、ずっと石炭がらを敷いて、馬車や人力俥が走っても、あまり砂塵《さじん》は上らない。――いま競馬のある季節ではないが、同じものを見物にゆく連中か、俥や人間が案外多くその道を流れてゆく。異人の男女の姿も稀《まれ》ではない。
兵四郎たちは、何も井上馨のアメリカゆきを見送りに来たわけではない。――からくり儀右衛門の発明にかかる軽気球の最初の実験を見に来たついでに、御隠居さまがこの機会に是非とも波止場や船を見たいといい出したので、そこへ立ち寄ったところ、たまたま井上の鹿島《かしま》立ちの景にぶつかったというだけの話だ。
からくり儀右衛門。――銀座二丁目に、時計や船の模型やからくり人形などをならべているその店は、兵四郎ものぞいたことがある。
開化拒否症の兵四郎は、あの「幻燈煉瓦街」のとき以来いったことはないが、老人のくせにひどく好奇心の強い御隠居は、その後銀座に散歩にゆくついでに、チョィチョィのぞいて、ばかに儀右衛門と親密になったらしい。
久留米生まれの発明の天才で――もっともいまは八十にちかいが――水からくり、無尽燈、雲龍水、自鳴鐘、すなわちポンプやランプや消火器や時計などを旧幕のころに独創し、さらに佐賀藩で小銃から大砲、汽船まで製造したそうで、げんに八十になんなんとして銀座の店に、
「万般の機械考案の依頼に応ず。田中|近江《おうみ》大掾《だいじよう》」
という大胆不敵な看板をぶら下げているのを兵四郎も目撃した。
そのやる気充分の発明|爺《じい》さんが、さきごろから山県陸軍卿に依頼されて軽気球の製造にとりかかっていたのだが、ようやく実験の運びにたちいたり、是非御隠居さまに見に来てくれということで、はからずもきょうの横浜ピクニックとなったのだ。
「しかし江藤司法卿の大きな画像を店に飾っていた儀右衛門が、山県陸軍卿のために軽気球を考案するとはおかしいじゃないですか」
俥の上から兵四郎は話しかけた。ちょっと首をかしげて、御隠居は答えた。
「それはそうじゃが、あの爺い、へそ曲りにゃちがいないが、自分の発明能力を生かしてくれるやつがあれば、政府はおろか悪魔にでも魂を売りかねないところもあるて。なにしろ、作ったのが、人間を乗せて空を飛ぶしろものじゃから喃《のう》……」
まったくのところ、文明開化というやつが大きらいな兵四郎も、軽気球なるものだけは、是非いちど見たいと思う。ことにそれが日本で最初の実験と聞けばなおさらのことだ。――彼が横浜へやって来たのは、ただ御隠居さまの御案内のためばかりではなかった。
根岸競馬場は、その広さ一万五千坪。――慶応二年に出来たという、この、日本の馬場とは規摸も景観もまったくちがう設備も珍しく、そこへ、少くとも、二、三百人は集まったのではないかと見える見物人の中の、布製の日傘などさした異人の女など眼をひいたが、兵四郎たちがまず眺めたのは、競馬場のまんなかの異様な物体だ。
天空にそびえんばかりの二本の棒が立てられ、その尖端《せんたん》と尖端にひとすじの綱が張られ、綱のまんなかから巨大な袋様《ふくろよう》のものがダラリとぶら下がっている。
少し離れて、煉瓦の大きな窯《かま》が作られて、そこへふんどしだけの数人の男たちがシャベルでどんどん石炭を投げ込んでいた。その窯の一部と袋の一部が長い管でつながれて、見ていると袋が徐々にふくらんで来るようであった。兵四郎たちが来たときは、しまりのないラッキョウみたいな形をしていた。
「おう、おるな」
と、御隠居がつぶやいた。
石炭を燃やす以外にも十人以上の兵隊が、袋やその付属物を支えたりひっぱったりしていたが、その向うに、軍人らしい男とならんで、白い髯《ひげ》のからくり儀右衛門が禿頭《はげあたま》に鉢巻《はちまき》をしめて立っているのが見えた。八十ちかい年とは見えぬ生き生きとした姿だ。
来たら、むろん挨拶《あいさつ》するつもりではあったのだが、もうそんな雰囲気《ふんいき》ではない。
「ありゃ、何をしているんで?」
と、かん八が眼をまるくして聞く。
「あの窯がただの炭焼き窯なんぞとはちがう。中に大変なからくりがあって、石炭ガスというものを作っておるらしい。それ、ガス燈のガス、あれと同じものじゃそうな」
御隠居の返答は、むろん儀右衛門から仕入れた知識にちがいない。
「それが空気より軽い」
「屁《へ》みてえなものでござんすか」
「ふ、まあそんなものじゃろ。そいつをいまあの袋にどんどん詰めておるところであろうな」
「あの袋は、ただの袋ですか」
と、これは兵四郎。
「うむ、もとは木綿《もめん》じゃがそれにゴムが貼《は》り合わせてあるらしい。その貼りようが難しゅうて、ガスが絶対に漏れぬという自信がない、と儀右衛門がいっておった」
「ゴム引きのふんどしをつけたら、屁が漏れるか漏れぬか、というようなものですな」
「屁ならよいが、あれが漏れれば空に飛んだ軽気球が落ちるという一大事となる。いや、その前に、石炭ガスで果して飛ぶか。同じ研究を命じられた馬場新八という軍人と――どうやら儀右衛門と並んでおるあの男がそうらしいの――争ったという。儀右衛門は水素ガスというもののほうがよくはないかといったというんじゃが、そういう話になるとこっちにはちんぷんかんじゃ。ま、そのための実験じゃろうが」
ラッキョウのお化けは、徐々にまるくふくらんでゆく。
「はて、あれはだれかの? どこかで見た顔じゃが」
御隠居は小手をかざした。
実験場のすぐ正面にあたるところに幔幕《まんまく》を張って、そこに一団の制服の大官たちが椅子《いす》に坐っていた。それがさきに到着した山県陸軍卿や野村神奈川県令や川路大警視たちであることはすぐにわかったが、御隠居が眺めているのは、山県と並んでいる年のころ四十ばかりのりっぱな鬚《ひげ》をはねあげた軍人らしかった。
「おう、あれは土佐の谷|干城《たてき》。――」、
と、かろく手を打った。
「維新のとき官軍の東征大軍監として、流山《ながれやま》でつかまえた近藤勇を斬らせた猛者《もさ》じゃ。……その後、たしか熊本鎮台司令官をやっておったが、おととしなぜか職を辞して土佐に帰り、そのあとを、それ、例の種田少将が代って熊本鎮台司令官になっていたはずじゃが……こうして見ると、あの男、陸軍にまた復活して来たらしいの」
ラッキョウはまさに軽気球としての形をあらわして来た。
「いや、でっけえものになりましたぜ! あれが、空を飛ぶんですかい?」
かん八がいよいよ眼をむいたのも無理はない。
それは直径五間以上にも見える大球体であった。それが全体に網をかぶせられ、すでに宙に浮きあがっている。その下から出た無数の綱がいったんひきしぼられ、また拡がって、大きな吊籠《つりかご》を吊っているのが見えた。
「あの籠に人間が乗るのでござるか」
「そうらしい」
兵四郎と同様、御隠居の顔にも驚異の色があるが、やがてまた幔幕のほうを眺めてつぶやいた。
「軽気球というものはの、六年ばかり前の普仏戦争でプロシャの大軍がフランスの都パリスを包囲したとき、なお抗戦をはかるガンベッタという内務卿が軽気球に乗ってパリスを逃れたので、それで有名になったものじゃそうな。……しかし、それをなぜ山県が日本で作らせようとしておるのか? またあそこに谷干城がおるのはどういうわけか?」
川路大警視のうしろに、神妙な顔で立っている加治木警部のところへ、そっと一人の巡査が近づいて来て、何やら報告した。
加治木警部は低い声で大警視にいった。
「大警視、見物の中に例の南町奉行と同心、そいから永岡一派七、八人が来ちょるっちゅう事《こつ》ごわすが」
「ほ? いっしょにか?」
川路の眼がぎろりとひかったようだ。
「いや、別々に。――おたがいは無関係らしかようすでごわすが、しかし何にせいきゃつらが、何のためにきょうこげな場所に来たのか。――まこと油断なりもさん事《こつ》ごわす」
「ふむ」
川路大警視はしばし沈思した。
「いままでの報告にも、双方の関係はなか。双方が無関係なら、やっぱりいましばらくようすを見るがよか」
と、やがていった。
「あの奉行、何を考えちょるか、敵か味方か、まだ見当がつかん。これっちゅう証拠もなくつかまえると、かえって面倒な事《こつ》になりかねぬ。あの老人は、おいも少し気味悪か。そいに、おいのいま住んどる家はあん奉行の家でもあるしの」
この人物にしては珍しく、うすく笑った。
「こいはいましばらく泳がせちょけ。そいから一方の永岡組な、こいもいまつかまえると具合悪か。とはいえ、何をするかわからん連中だけに、陸軍卿らの御安全のためにもやはり眼は離せん。横浜から帰るまで、あれたちの動静は厳重に見張っとれ。……や、飛んだぞ!」
川路は眼を広場のほうへやった。
二本の棒のあいだに軽気球を吊っていた綱がひかれてはずれ、同時に地上でも引っぱっていた綱がはずされ、二人の兵隊を乗せた吊籠がゆらりと浮きあがった。
わあっという大歓声がどよもした。――
しかし、この日本最初の軽気球の実験は、残念ながら成功とはいえなかった。
それは地上、七、八尺のところを、海から吹いてくる風に乗って、広い競馬場を流れていったが、二、三十間でまた地面に触れ、二、三度|跳《は》ね、吊籠の中の兵隊をこぼしながら、みるみる大|気嚢《きのう》をひしゃげさせていって、グニャグニャとだらしなく横たわってしまったのである。
兵四郎は、警視庁の眼が自分たちにそそがれていることを知らない。
御隠居はやがてノコノコと歩き出して、からくり儀右衛門に挨拶したが、この老いたる大発明家は髯のあいだから泡を吹いて、傍の軍人を――それが共同研究者たる馬場新八であったらしい――どなりつけていて、こちらをかえりみるいとまもないようなので、早々に退却した。
彼らは横浜の町へひき返した。
「なかなかうまくゆかないものですな」
「いや、あんな大きなものが、とにかくあれだけ飛んだのでも、わしゃ感心したぞよ」
かん八が首をかしげた。
「しかし、うまくいって、あれが大空へ飛んでいっちまったら、あとはどうするんで? 御隠居さま」
「さあ、どうなるのかな。……井上より早くアメリカへ着くかも知れんて。は、は、は」
二時間ばかり町の見物をしたあとで、ステーションにいった。
汽車は機関車の次から、下等、中等、上等の順に三|輛《りよう》連結されている。料金はそれぞれ五十銭、一円、一円五十銭であった。一般物価に比して、高いほうだ。
兵四郎たちは中等車の端っこの席に坐ったのだが、坐って彼は、ふとまばたきをした。
まんなかあたりに、七、八人の壮漢が乗っていた。ザンギリ頭だが、みな垢《あか》じみた黒紋付を着て、ふといステッキをついている者もある。横浜の酒亭で一杯やって来たらしく、あきらかに酩酊《めいてい》の顔色であった。
「……御隠居さま」
兵四郎はささやいた。
「あそこに坐っているのは、たしか会津の永岡という男ですが」
すると、かん八も妙な顔をして、小声でいった。
「それに、いっしょにいるのは、ありゃいつか榊原《さかきばら》道場にいた例の加賀の浪人衆じゃありませんかい?」
御隠居はちらっとそのほうを見たが、
「知らぬ顔をしておれ」
と、いって、窓の外に飛ぶ夕暮の海を眺めた。まったく風景のほうに気を奪われた眼つきであった。
べつに兵四郎も、彼らのところへいって挨拶するほどの気はないが、しかし変な縁だとは思う。
去年の春、何のためか知らず警視庁に狙《ねら》われているらしい加賀四人組を、無事に北国へ逃がしてやろうとわざわざ千住まで出張《でば》ったことがあるが、四人組のほうはそんなことは知るまい。兵四郎も、それだけの縁だと思っていた。
すると、秋になって、会津の佐川官兵衛が数寄屋橋に御隠居を訪れたとき、その供の二人のうち一人が加賀組の長連豪という若者であることを知って、ちょっと眼をまろくした。しかし、それもただそれだけだ。長連豪という名もはじめてそのとき知ったくらいだ。
さて、もう一人の佐川の供、永岡敬次郎とは、その後たしかに変な縁が出来た。その会津浪人が、お蝶の朋輩《ほうばい》柳橋の芸者お千の間夫《まぶ》であることを知り、かつお千の願いで永岡の密書を警察から奪い返してやるという冒険をやってのけたことがある。――
しかし、それは永岡が奥羽|斗南《となみ》へ旅して留守のことで、あとでお千が涙を流して礼をいい、永岡が帰京したら改めて挨拶させるというのに兵四郎は、
「いや、いいよ、いいよ。お前さんとお蝶が仲のいいのはいいとして、芸者のヒモ同士が面《つら》つき合わせるってのァ、どうにもいただけねえ」
と、あわてて手をふり、
「それにその永岡さんってえひとは何を企んでるか知らねえが、おれァかかわりあいになるのァ御免だからね」
と、いって、それで向うも遠慮したのか、それっきりだ。
彼がお千にいった右の断わりの口上は、いずれも半分は冗談だが、半分は本気であった。特にあとのほうは。――
そういった通り、兵四郎は永岡が何を企んでいるのかまったく知らないが、どうも剣呑《けんのん》な運動に携わっているような気がする。だからこそ、あのとき密書を巡査からとり返してやったのだが――しかし、永岡に逢って、それをとめる気はないし、また、とめたって無益だろうと考えている。
兵四郎は、明治政府はむろん気にくわない。気にくわないが、さればとてどうしようというほどの気はない。――いったい、榎本らの函館戦争を最後として、そのあと明治政府に叛乱を起した者の中に徳川|直参《じきさん》はない。それは薩長に打倒された直接の敵としてみな虚脱状態になってしまったせいもあるが、一方また、いまだに静岡に謹慎している慶喜公に迷惑を及ぼすのではないかという怖れに縛られていたのだ。
兵四郎もその通りだ。が、それより何より、新政府打倒などいうことは自分のがらじゃないと心得ている。といって、心に欝屈《うつくつ》するものがあるから、ここのところ警視庁を対象に、その鼻をあかし、からかうといういたずらにふけって来た。打ち明けていうと、そんな行状にもこのごろ何だか倦怠《けんたい》と憂欝をおぼえて来たけれど、だからといって永岡らと行を共にする気はない。
ところで、兵四郎は、永岡らと行を共にする、しないといっても、いまいったように永岡らが何を企んでいるか知らないのである。知らないが、どうもただごとではないようだ。いま、かつて警視庁に狙われていた加賀組といっしょになっているところを見ればなおさらのことだ。が、兵四郎としては、いまの心境としては、彼らよりもただお千のために憂うるだけしかほかになすすべもなかった。
そんな心、こんな眼で見ている人間があろうとは知らず、向うの壮士たちは何やら話している。はじめは低い声であったのが、酔っているのと、論がかみ合わないのとで、だんだん大声になって来た。
「なんといっても、西郷は当代最大の英傑じゃ」
「いくら英傑でも、鹿児島にひとりにゅっと聳《そび》えておるだけでは何にもならんわい」
酒のせいか、ひどく赤い鼻をした男とやりあっているのは、座席の背板のため頭だけ見えるちぢれッ毛の男だ。
「いや、そこが西郷じゃ。冷血非情にしてしかも腰ぬけたる政府の大官某々とはちがう。血あり涙ある英雄とは西郷のことじゃ。意気に感じて西郷ひとたび起《た》てば――」
「だめだ、買いかぶりじゃ、西郷は動かん」
反論はちぢれッ毛のほうだ。
「買いかぶりといえば、西郷こそ自分を買いかぶり過ぎておるんじゃ。英雄といえば、西郷こそ自分を英雄だと思い過ぎておるんじゃ。じゃから、ひとりで威張ってそっくり返っとるだけで、ちょっとやそっとでは動かん。――」
子供みたいに窓にとりついて、外の風光を眺めていた御隠居がふりむいた。
「兵四郎、あれはとめてやりたいな」
兵四郎はめんくらって聞き返した。
「あの口論ですか」
「うん。……軽視庁が聴いておるからの」
「――えっ?」
「あの男たちの向う――この輛《はこ》の端のほうに、向うむきになって坐っておる二人の男がそれよ」
兵四郎は、はっとしたが、これも黒い頭しか見えない。
「巡査姿じゃない、同じ壮士風に変装はしておるが、一人は、それ、例の棒の巡査、もう一人は」
いつ御隠居はそんなことを見ていたのか。兵四郎はそれまで全然気がつかなかった。
「いや、あの連中のところへいって、警視庁の犬が聴いておるぞと教えてやるのも変なものじゃな。わるくすると、かえって騒動になるかも知れん。ふむ、双方の胆《きも》を奪ういたずらを、兵四郎、ひとつやって見るかえ?」
御隠居は兵四郎の耳に何やらささやいた。
兵四郎の顔にいよいよ驚きの色が浮かび、ついで緊張した顔色になったが、やがてにやりと笑ってうなずいた。
「では、やって見ますかな」
彼は立ちあがり、たたんだ傘をつきながら通路を歩いていった。
そして、論争している壮士たちの横で立ちどまり、向うを見て、いきなり大声を張りあげた。
「これはこれは警視庁の今井巡査。――」
飛びあがったのは、当の今井巡査ではなく、もう一人の油戸巡査のほうであった。立ちあがり、ふりかえり、かっと眼をむき出してさけんだ。
「うぬは!」
いまにも飛びかかりそうな姿勢になったのを、今井巡査が抑えた。
兵四郎は愛嬌《あいきよう》のいい笑顔でいった。
「駒井信興どのがあそこに乗っておられまして、なつかしい、どうだ少し話に来ぬかと仰せられておりますが。――」
その声をうわの空に、兵四郎をにらんだ油戸杖五郎の顔色といったらなかった。
油戸と今井巡査は、さっき横浜の根岸競馬場で加治木警部から、不穏壮士の一団と|例の《ヽヽ》元南町奉行・同心の一組が来ていることを告げられ、ただちにそれぞれ尾行監視せよと命じられたのだ。巡査を走らせて用意させたらしく、警部はすでに変装用の着物までその場で与えた。
|例の《ヽヽ》、というのは、油戸巡査は――従って警視庁は、ここ二、三年、警視庁に対してちょいちょいおかしなまねをするのが元八丁堀同心千羽兵四郎という男で、その背後に元南町奉行駒井相模守がいるということを、ようやくつきとめていたからであった。
「万一その連中があばれると、きょうここへ来ちょる巡査のうち相手になれるのは、今井と油戸くらいしかなかと見ての事《こつ》じゃ。もっとも今のところその両組は無関係らしか。……で、今井は永岡組、油戸は奉行組を尾《つ》けろ。ただしかし」
加治木警部は、はっきりと永岡組《ヽヽヽ》といった。この命令を受けて油戸杖五郎が躍りあがらんばかりになったことはいうまでもないが、それに水をかけたのは、つづく警部の言葉であった。
「どっちにもこっちから挑発はいかんぞ。見つかることもいかん。あっちが不穏な行動に出ぬかぎり、ただ監視尾行せよ。双方、今少し泳がせておきたいと……これは大警視の御意向である」
故意か、偶然か、永岡組と奉行組は、汽車の同じ中等車に乗り込んだ。両組、関係があるかないか、その点もつきとめろ、という指示であったが、双方は、まったく相知らないらしい。
そのことにも、また彼らに手を出してはならぬという命令にも、なんだか割り切れぬいらだたしさをおぼえつつ――しかしそのうち、永岡組の傍若無人な論争にふと耳をとられているところへ、突然、逆に声をかけられたのだ。
こやつ、不敵にも向うから押しかけて来おった! いつかのあの事件、この事件のときと同じように、声に嘲弄《ちようろう》の笑いをひびかせて。――
しかし、油戸杖五郎が、のぼせあがって何か口走る前に、
「なに、警視庁?」
数瞬、黙りこんでいた壮士たちが、いっせいに立ちあがった。
彼らと二人の巡査とのあいだに、走る汽車の轟音《ごうおん》も凍りつくような殺気が満ちた。
「ほう、駒井さまがあそこに」
と、今井巡査が口を切った。重厚な顔に笑《え》みさえたたえて、
「それはまことにおなつかしい。が、きょうのところは川崎に所用がありまして失礼つかまつります。そのうち是非数寄屋橋に参上して、御高説を承りとうござる」
と、壮士たちを無視して、兵四郎にいった。
兵四郎はこの巡査を、いつか伝馬町の牢《ろう》から女たちを逃がしたときに知り、あとで御隠居から、それならそれは元京都見廻組の猛者《もさ》、坂本竜馬を斬ったという今井信郎だと教えられた。――
汽車が大きくゆれて、停まった。
「おう、川崎じゃ、降りるとしよう」
今井信郎巡査は、油戸巡査の肩をたたいて促し、壮士たちには眼もくれず、停車場に下りていった。――具合悪し、と見て退去したにちがいないが、険悪な壮士らを金縛りにするだけの気迫に満ちた退却ぶりであった。
兵四郎もまた、壮士たちには知らない顔で、御隠居のほうに引返した。口をあけて見ていたかん八は、このときひたいの汗をぬぐった。
「さて、警視庁の気がわからぬ」
と、御隠居がつぶやいた。
「兵四郎、実はいまおまえにあんなことをさせたのは、向うがこっちを知っておるか、それに探りをいれるためもあったのじゃが」
「へ?」
「いまのようすでは、あの巡査ども、こっちを知っておるな」
「やっと気づいたようでござりますな。ふ、ふ、いままで気づかなんだのがおかしいくらいで」
兵四郎は笑った。
永岡敬次郎たちを傍観するだけで、ただ警視庁にチョッカイをかけてからかう。真正面から挑戦するほどの気はないけれど、さればといってあくまで逃げかくれするわけでなく――それはこわいこともあるが、いざとなれば――いまのような大胆な逆ねじに出ることも辞さない、というところが兵四郎の兵四郎たるゆえんだ。
「で、警視庁のどこが気が知れぬので?」
御隠居さまは答えた。
「つまり、こっちを知りながら、こっちをつかまえぬのがよ。きょう見たように井上と黒田は和解したようで、従って例の脅迫状はもうききめが薄れたと思われるにもかかわらず、じゃ。……川路大警視、まったく不可解な人物じゃて」
黒龍会編著「西南記伝」に、
「永岡久茂、妾《しよう》あり。千子《せんこ》という。柳橋狭斜|場裡《じようり》の名花にして、容姿|艶絶《えんぜつ》、侠気あり。久茂に仕えて内助の功すこぶる多く、久茂が江湖に放浪してしかも財嚢わずかに乏しからざるを得たるは、ひとえに千子の手腕によるもの多しという」
と、ある。
お千は、情人とした会津浪人永岡敬次郎久茂が何を計画しているのか、直接教えられたことはなかった。しかし、お千は知っている。永岡のやろうとしていることがいのちがけの大仕事であることを。
それを知りながら――いや、それ以上に、知っていればこそ、お千は自分のすべてをあげて彼のために尽そうと決心していたのであった。お千は永岡を夫だと思っていた。たとえ夫がどうなろうと、自分はただ運命を共にするだけだと覚悟していた。そんな覚悟を乳房の奥に秘めて、お千は、うわべは同じ柳橋の美妓であった。
永岡は増上寺にちかい愛宕《あたご》町に浪宅をかまえていたが、お千はひまさえあればそこへ俥を走らせて、彼の身の回りの世話をした。だから、当然永岡をめぐる壮士たちの言動を目や耳にすることになる。
そこまで覚悟しているのだから、壮士の言動にお千が口出しするわけはなかったけれど、ただ彼女の胸をひそかにいたませることがあった。
それは内部の争いだ。
彼らは何かをやろうとしている。ただ、彼らだけが何かやっても成功はしない。別にある巨大な力が加わらなければならない。そこまではみな一致している。
その巨大な力を誘発させるために、自分たちがまず点火しなければならない――というのが、永岡らの考えであった。
いま火をつけても大爆発は起きない。小火《ぼや》で消されるだけだ。犬死するだけだ。それより、その巨大な力が動き出してからこっちが相応じてこそ、その効果は決定的なものとなる――というのが、加賀組の考えであった。
巨大なある力とは、いうまでもなく征韓論に敗れて故山に帰っている西郷であった。
「では、西郷はいつ起《た》つのじゃ?」
「それはわからん。とにかく西郷が起つときまで待つよりほかはない」
「起つか起たぬかわからんものを、われわれはあてもなく腕こまぬいてただ待っておるのか?」
「あてもなく、ではない。西郷が起ったとき、間髪をいれずこちらも起てるように準備して待っておるのじゃ」
「西郷が起たなければ、どうするのか。結局何もせぬということになるではないか」
「そのときはそのときで覚悟がある。われわれが荊軻《けいか》となる」
加賀組とは、島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一ら元加賀藩士で、はじめのうちは永岡敬次郎と肝胆相照らしていたのだが、だんだんこの問題で論争するようになった。
この行動を起す時期の問題から始まった争いだが、悪くすると無為に終ることになる。しかもこの加賀組はいちど鹿児島へいって形勢を探って来たという実績があるだけに、その説に重味があり、西郷が起たなければどうにもならないということは、さすが、首領格の永岡にはよくわかっていたから、彼がうめき声をあげ、次第に沈黙するようになったのは是非もない。
代って、加賀組の相手になって奮戦しはじめたのは、永岡一党の会津組ではなく、別口の参加者、根津親兵衛と平山|直《ただし》という壮士であった。
「われわれが西郷を起たせるのだ」
と、いい出したのは彼らであった。
「われわれのみではない。すでに萩《はぎ》に前原党あり、熊本に神風連あり、筑前に秋月党あり、これらがわれらと相呼応して蜂起《ほうき》すれば、いかな西郷も起たずにはいられまい」
「いや、西郷は他が起ったからといって、それにつりこまれる男じゃない。むしろ他が起てば、いっそうへそを曲げて動かんじゃろう。西郷はみずから意志したときでなければ起たん」
主として論争の相手となったのは、ちぢれッ毛の杉本乙菊だ。
「いったい貴公ら、何のためにわれらの仲間に、はいっておるのだ?」
あるときなど、若い平山直はわれを忘れた風でさけんだ。
「ただ水をかけるために論じておるとしか思えぬ。……まさか、貴公ら、警視庁の廻し者ではあるまいな?」
すると、あまり物を言わない長連豪が、面《おもて》を朱に染めて大刀をひっつかんだ。島田と永岡があわてて割ってはいらなければ、とんだ同士討ちになりかねない雲ゆきであった。
島田一郎は切々といった。
「われわれは永岡さんを好きだから、犬死させたくないのじゃよ。このひとは犬死させるにゃもったいない人だよ。だから暴発をとめるのさ。それがわからんか。万が一、西郷がついに起たぬという見込みがついたら、われわれが荊軻となるといっておるじゃないか?」
荊軻とは、有名な風|蕭々《しようしよう》の詩を残して易水を渡り、単身|秦《しん》の始皇帝を刺そうとした古代中国の刺客だ。
大柄な豪傑風の根津親兵衛は、熱涙を浮かべていった。
「それじゃ、永岡さんはなんのために生きとられるんじゃ?」
こんな問答を聞きながら、お千は自分の心理をふしぎに思った。
本来なら、加賀組のほうが慎重論で、根津・平山が過激派といっていい。後者のほうがただちに永岡の生命に危険を及ぼす論なのだ。
にもかかわらず、なぜか彼女は根津や平山に好感を持ち、加賀組を小憎らしく思った。
根津と平山は、長州の前原一誠から永岡への密使玉木|真人《まひと》が上京したとき、いっしょにやって来た男たちであった。最初は長州人かと思っていたが、そうではなく、実は玉木が上京して来る途中、船の中で逢って意気投合したとかいうことで、根津は佐賀人、平山は対馬《つしま》人だという。
根津親兵衛は佐賀の乱に加わって政府軍と戦ったことがあるそうで、その鼻の赤いところを見てもわかるように酒好きの、いかにも豪放な男であった。平山直は幕末、ロシアが対馬を占領したとき、彼はまだほんの少年であったが、姉が暴行されて殺されたという気の毒な過去を持つ若者であった。
玉木真人がつれて来た男たちだが、すぐに永岡にも信頼され、いっしょに斗南《となみ》へ同志を募《つの》りにゆき、玉木が長州へ帰ったあとも永岡らと行を共にすることになったのも当然といえる。反政府という一点では別人のように激越だが、ふだんは両人とも実に素朴で、ひかえめで、お千に対しても礼儀正しい。
一方の加賀組のほうは、いずれも磊落《らいらく》だが、変にうす気味悪いところがある。島田はいつも鼻唄ばかり唄っているし、杉本はいうことに皮肉があるし、脇田は何を考えているかわからない暗闇《くらやみ》の牛のようだし、長連豪は美男子だが、何か非人間的な感じがある。みんな、どこか人を小馬鹿にしたところがあって、お千に対してもときにけしからぬ戯《ざ》れ口をきき、長にいたっては一人前の女性として認めていないようだ。
お千が根津や平山に好感を持ち、加賀の連中に反感をおぼえたのは、そういう自分に対する態度もあるかも知れないが、しかしそれ以上に、永岡のやろうとしていることに、前者が純粋に忠実で、後者が水をかけるかに見えたからであった。永岡のやろうとしていることは彼を死に赴かせるにひとしいことを承知していながら、根津親兵術が喝破したように、それこそ永岡の生きている根幹、彼の男としての本懐だと、お千はよく承知していたからだ。
ともあれ、起つ時期こそ未定だが、その日に備えての根まわしは着々と進行してゆく。
時期については手綱をかけたにせよ、加賀組も準備自体に文句のあるはずはない。それこそ彼らが同志として動いているゆえんであったが――夏になって、ふと島田が首をかしげていった。
「このごろ、こっちに警視庁の犬が嗅《か》ぎまわっておる形跡はないかな?」
永岡敬次郎は考え込んだのちにいった。
「春の玉木の事件以来、何も変ったことはないが。……」
「こっちには、ウロウロしとる。俥屋や紙屑《かみくず》拾いに化けたポリスが」
島田らは湯島天神裏に住んでいた。
「ほう?」
「いつぞや横浜に山県の軽気球実験を見にいった帰り、汽車で警視庁の犬が尾けておったことがあったじゃろ。あのとき、あんたがたもいっしょにいたわけだが、それがこっちだけにくっついたというのは、わけがわからん。そんなはずはない。注意して見張んなさい」
「心得た」
島田一郎はからからと笑った。
「こっちは心配ない。こうなったらむしろ挑発して、犬めらをこっちに引きつけておいてやろう。……そのほうが、かえってあんたがたがやり易かろう。しかし、くれぐれもそっちも気をつけて下さいよ。……」
――前回で、高橋お伝が、密偵に気づいて島田らに教えてやったにもかかわらず、島田らが平然としていたと述べたのはこういうわけだからだ。
お千はこの話を聞いていた。
隅田川の川波に秋風がたちはじめたころ、芸者小蝶は柳橋の料亭で政府大官の宴《うたげ》に侍《はべ》った。
実は、徳川直参の娘である小蝶は、政府の役人たちの宴会は拒否しているのだが、ふと兵四郎に、それに山県陸軍卿や川路大警視などが来るらしい、と話したら、
「ふうん」
と、彼はしばらく考えて、
「とにかく出て見ろ。そして、何でもいいから話を聞いてくれ」
と、いいつけたのだ。
――といって、兵四郎に特別の下心やもくろみがあったわけではない。いつぞや御隠居が、川路はなぜわれわれを放任しておるのかな、と、つぶやいたので、特に川路大警視に気がかりなものがあったからだが、まさかその席で自分たちの話が出るものとはむろん思っていない。ただ、せっかくの機会だから、大した考えもなくお蝶にそう依頼しただけだ。
ところがお蝶は、そこで思いがけない警視庁の秘事を聴くことになったのである。――
宴会は山県陸軍卿が、こんど現役に復活した谷干城少将を招待したもので、これに川路大警視らも相伴《しようばん》し、つまり薩長土のお歴々が一堂に会したわけで、山県が自作の和歌を朗詠したり、谷が土佐の高知のはりまや橋を踊ったり、にぎやかではあるが存外風流味もある宴会であった。
ちょうどそのとき、小蝶は川路大警視にお酌をしていた。――
彼女は川路大警視をはじめて見る。体格も大きく立派な顔をしているが、噂《うわさ》通り薄気味のよくないひとだ。顔色が蒼白《そうはく》なこともあるが、その眼が――彼女は最近義眼をはめた客をはじめて見たことがあるが――大警視もそうではないか、と、ヒョイと思ったほどであった。唇に微笑を浮かべていても、眼は笑っていないのだ。いや、めったに動かないのだ。
そのガラス玉みたいな眼が、ふと動いてふりかえった。
「ふん、永岡敬次郎が新潟へ?」
と、小蝶の酌を受けながらいった。
いま別室からはいって来た一人の警部が、うしろへズボンのひざをついて、何やらものものしく報告したのだ。
小蝶は、はっとした。こんな席へ警視庁の部下がはいって来るとは、よほど緊急の用にちがいないが、永岡とは――朋輩お千の情人の名ではないか?
「よか」
と、大警視はいった。
「とにかくそん煽動《せんどう》分子だけは永岡の留守中に早急に処置したほうがよか。根津親兵衛、平山直っちゅうやつじゃな。おはんにまかせる」
部下は去った。――それが加治木という警部であったのはむろん小蝶は知らない。
「敵《あだ》まもる
砦《とりで》の篝火《かがり》影ふけて
夏も身にしむ
越《こし》の山風《やまかぜ》」
向うでは山県陸軍卿が長い長い顔をゆり動かして、得意の自作――北越戦争のときの陣中歌――を朗詠し、みな聞きほれて、この短い密談に気づいた者はないようだ。
「おう、芸者、こぼしたな」
川路の盃《さかずき》からひざへ酒がしたたっているのを気づかなかったほど、小蝶はワクワクしていた。言われて、はっとして、あわてる顔を見て、大警視は笑った。
「よか、ついでくれ。……芸者、おはん、珍しか美形《びけい》じゃ喃《のう》。……」
その席に、お千は出ていなかった。――宴《うたげ》果てるやいなや、お蝶がお千にこのことを急報したことはいうまでもない。
もっともお蝶は、大警視の命令の意味はよくわからなかった。わからないけれど、とにかくお千|姐《ねえ》さんのいいひとについての大変なことらしいと直感して、耳に刻《きざ》んだことを告げたのである。
「ああ、困った」
お千は顔色をかえ、両手をもみねじった。
「あのひとは、重立《おもだ》った会津の衆と、新潟へいって今いないのよ。――」
「……その、根津と平山というひとは?」
「いるわ。その愛宕《あたご》町の家に。――その二人だけが、いまお留守番をしているのよ」
お千は、いちどお蝶を介して兵四郎に、永岡の密書をとり返してもらった縁があるので、困惑をかくさなかった。彼女はいつぞやの島田の忠告を思い出し、ついに永岡のほうにも恐ろしい手が這《は》い寄って来たと考えた。
「そりゃ根津さんと平山さんにそういっとくけれど、警視庁に狙われたのじゃ大変だわ。いったい警視庁はどうしようってえのかしら?」
お蝶は考えこんでいたが、やがて顔をあげていった。
「うちのひとに話して見るわ」
兵四郎はお蝶に、根津親兵衛と平山直のことを相談されてめんくらった。
「えっ、おめえ、そんなことを聞いたのかあ?……それで、おれにどうしろってんだ」
「そのひとたち、永岡さんにとって大切なひとらしいの。その永岡さんがいま新潟にいってて、まだ十日くらいたたないと帰って来ないんだって。……だからそれまで、何とかつかまらないように護ってあげられないか知ら?」
「なに、おれにまた用心棒をやれってえのかい?」
兵四郎は苦笑いした。もう用心棒はこりごりだ。――
「それに、そっちは大の男二人だぜ。ほかに仲間もいるだろうし、何もおれみてえな縁もゆかりもねえ風来坊がおせっかいをやくことはなかろうじゃあねえか」
「だって相手は警視庁よ」
相手が警視庁なら、おれだって困る。
だいいち、おれ自身がどうやらいよいよ眼をつけられて、まだこうしてあっけらかんと酒をのんでいるのがふしぎだと思ってるんだ、と兵四郎はいいたかった。が、そんな話をすると面倒なことになりそうなので、まだお蝶には話してない。
「警視庁に狙われてる当人たちは、どうにもならないでしょ。ほかの人間なら、よそから見張ってて、危いと教えてやるとか何とか――あなたなら出来るはずよ」
かつて兵四郎はこのお蝶の頼みで、幕臣の娘たちを伝馬町のおんな牢から救い、また永岡の密書を警察からとり返してやった。――兵四郎には、魔法のような力があると思っているらしい。
信じ切ったお蝶の無邪気な眼であった。
「ただ、永岡さんの帰るまで、十日くらいのことよ」
「しかし、おめえ、永岡たちが何をやろうとしてるのか知ってるのかい?」
「知らないわ。……あなたと同じようなことでしょ」
兵四郎が警視庁にさからい、翻弄していることをいっているのだ。元幕臣の娘であったお蝶は、それを心配しながらも、小気味よく思っていることはたしかであった。
――兵四郎も永岡らが何をしようとしているのか知らないけれど、しかし自分のいたずらなどとはまったく程度のちがう大それたことを企んでいるらしいとは嗅ぎつけている。
「とにかく乗りかかった船ですもの。……あなたが探れといった大警視から探り出したことじゃありませんか。それにその根津と平山という人は、いつかの玉木さんのお仲間だし、一肌《ひとはだ》ぬいでやっておくんなさいよ、ねえ、お願い。――」
何より、まあそれも面白かろう、という例の遊び心が兵四郎を動かした。
「それほどいうなら、やって見るかね」
兵四郎はついに笑い出して、うなずいた。
お千といっしょに芝の愛宕《あたご》町に出かけて、ちょうど家から出て来た、あの鼻の赤い豪傑が根津親兵衛、あの色白の青年が平山直と教えられ、さりげなく兵四郎だけ別れたが、それで名と顔をおぼえてから――五日目。
正確にいえば九月二十日の夕方であった。
用心棒をやってくれといわれたって、何をどうしたらいいのか、見当もつかない。ただお蝶とお千の二人にすがりつかれて、やむなく――甚だ空漠たる心境で、その家のまわりをぶらぶら哨戒《しようかい》していた兵四郎は、しかし、はからずもその任務を全《まつと》うする機会を得たのである。
その代り、彼は思いがけぬ死地に落ちることになった。――
増上寺に沿う道から、永岡の浪宅のある愛宕町の路地へはいりかけたところで、彼はうしろに地ひびきするような靴音を聞いた。ふりかえると、十人以上もの巡査が、ただならぬ雰囲気をたなびかせて歩いて来る。
はっとして立ちどまり、ついで路地の奥に眼をやった兵四郎は、ちょうどその方向から例の根津と平山が出て来るのを見たのだ。
つかまえに来た!
兵四郎は直感した。
「おうい、いかん、いかん」
われを忘れて彼はさけび、手の傘をふった。秋晴れの日なのに、彼はたたんだ蛇の目を持っていた。
「来ちゃあいけねえ、ポリスが来たぜ。――」
根津と平山はけげんな顔で立ちどまったが、すぐにぱっと身をひるがえして向うへ逃げていった。
巡査たちは砂けむりをたてて駈けて来た。兵四郎はむろん逃げ出す。ふりかえる余裕はないが巡査の一隊は路地の入口でしばらく混乱し、二手に分れ、六、七人が兵四郎のほうを追っかけて来た。
増上寺の大きな山門から兵四郎が中へ逃げ込もうとしたとき、背後で轟然たる音がし、門の一角にぴしっと何かあたる音がした。
兵四郎は立ちどまった。逃げられない、というより、一瞬、鉄砲で背中を撃たれてくたばったのじゃ、元幕臣の恥だ、という意識が彼の足をとらえたのであった。
「おい、ここをどこだと思ってる?」
肩で息をしながら、彼はいった。
「かたじけもなくも、徳川代々の将軍さまのお墓のあるところだぞ。その御門に鉄砲を撃つたあ、とんでもねえ無礼なやつだ。……へたくそ野郎の大べらぼうめ」
「わざとそらしてやったのじゃ。そこ動くな。――」
近づいて来たのは、ピストルを持った加治木警部であった。兵四郎も、もうその顔も名も知っている。それをとり囲んでいる巡査の中にも見憶えのあるやつがある。――棒を持った油戸杖五郎はその一人であった。
「うぬには聞きたか事《こつ》がある。もう逃げられん、観念して、神妙にお縄にかかれ」
ピストルを持った警部は、ばかに古風な口をきいたが、どうもそういうことになったらしい、と兵四郎も認めた。巡査たちはみな帯刀していたし、二、三人ははやくも抜刀していた。
「拙者に」
油戸杖五郎が、凄じい眼で警部を見た。
「よか」
と、加治木警部がうなずいた。
六尺棒をとり直し、つかつかと出て来る巡査を迎えて、この場合に兵四郎はにやっと笑った。
「油戸さん、めがね橋でやり合ったのァ、ありゃもういつの話になりますかねえ。……」
この巡査とやり合ったのはそのときばかりではないが、いずれのときも、兵四郎の手には刀があり、また逃げる機会があった。
こんなことでこんな死地に陥《おちい》ろうとは自分でも案外ななりゆきであったが、とにかくこんどこそはまさに絶体絶命。――
「よろしい、きょうはこれでお相手つかまつる。――」
と、兵四郎が手の傘をとり直したとき――自分のほうをにらんでいた加治木警部と巡査たちに、ふいに妙な動揺が起った。いや、向い合って、はやくも棒をかまえた油戸巡査の眼光にも。
山門の奥から石だたみを踏む跫音《あしおと》が聞えて来たようであったが、兵四郎はふりかえるゆとりはなかった。しかし、それは一人ではない、少くとも十数人の跫音だ。
「千羽ではないか」
声を聞いて、兵四郎は、あっとばかりにふりむいた。
隅の御隠居さまが、門の下に立っていた。四十過ぎの堂々たる偉丈夫とならんで。――
二人だけではない。その向うに、このごろ珍しい駕籠《かご》が見え、さらに十数人の男女の姿が見える。ただの駕籠ではない。網代溜塗《あじろためぬり》、棒黒漆《ぼうくろうるし》という、昔なら将軍さまが乗っていた乗物で、それに従っている男女も、ただの人々とは見えなかった。
もっとも兵四郎は、まだそこまで見きわめる眼を持っていない。彼は御隠居さまにも驚いたが、それより御隠居さまとならんでいる人物に驚いて、しばし口もきけなかった。
「鉄舟先生。――」
驚愕《きようがく》の声をあげたのは、加治木警部のほうであった。
一刀流の「剣聖」とさえいわれた山岡鉄太郎は、ときどき警視庁の道場にも視察に来るが、そのときは大先生の上田馬之助さえもひれ伏さんばかりになる。――元幕臣でありながら、今は天皇侍従山岡鉄舟は、実に森厳な眼でにらみまわした。
「いま鉄砲の音が聞えたが、おまえらか。巡査ども、こんなところで抜身を下げて何をしておるか」
彼はうしろの乗物にちらっと眼をやっていった。
「ここにおわすは、恐れ多くも静寛院宮《せいかんいんのみや》であらせられるぞ。――」
さしもの加治木警部がその刹那《せつな》に両ひざをついてしまったくらいだから、油戸杖五郎が棒を放り出し、ほかの巡査たちも白刃を投げ出して地べたへつっ伏してしまったのも当然である。
「兵四郎、来いよ」
御隠居が呼んだ。
土下座している巡査たちのひたいの前を、金紋打った乗物をかこみ、シトシトと一団は通り過ぎてゆく。紋は菊花ではなく、葵《あおい》であった。
静寛院宮。――いうまでもなく、皇女|和宮《かずのみや》。十四代将軍家の御台所《みだいどころ》であり、現天皇の叔母君にあたらせられる。
兵四郎はあとで知った。――
二十日は、十四代将軍家茂公の御命日であった。家茂公がこの世を去られたのは十一年前の慶応二年七月二十日だ。いまはただ静寛院宮として麻布市兵衛町のお邸に影のように余生を過しておられる和宮は、故将軍の菩提《ぼだい》を弔《とむら》うのみを念とし、暦は変ったけれど、毎月二十日にこの増上寺にあるその墓所に詣《もう》でられることを習いとしておられたのだ。馬車を使わず乗物で往来されたのは、はでがましいことを嫌《きら》われるお心からであったろうが、その乗物に葵の金紋を打たせたままであったのは、あくまで徳川家の人間としてのおん意地からであったろう。
山岡鉄舟は、ときどき数寄屋橋の御隠居の庵に酒を飲んだり碁を打ったりしにやって来る。そういえば隠居さまは、毎月ではないが、しばしば十四代さまの御命日に増上寺に詣で、あとで聞くと山岡鉄舟もその通りで、この日、たまたまここで落ち合うことになったらしい。――
ついでにいえば、有栖川宮熾仁《ありすがわのみやたるひと》親王と御婚約の身でありながら、天下のために十四代将軍に降嫁し、しかも家茂が若くして世を去ったあと、徳川の命脈を保つために官軍に嘆願書を出すという悲劇を味わわれた和宮は、この日から約一年後、明治十年九月二日、薄幸の三十二年の生涯を閉じられるのである。
数日たって、兵四郎が数寄屋橋の庵へ、狐につままれたような顔を出した。
「おかしいですな。例の永岡の浪宅に、その後何の異変もないようです。あの二人はむろん、永岡も帰って来たようですが、だれもつかまえに来ない。まさか和宮さまの御威光がそんなことにまで及ぶとは思えませんが」
「ふしぎなのはこっちのほうじゃよ」
と、御隠居も首をひねった。
「お前が無事でおることがよ。はて、川路め、何を考えておるのか喃《のう》?」
旅から帰って来た永岡敬次郎も、根津と平山から警視庁に襲われたことの報告は受けたにちがいないが、例の計画はとまらなかった。
すべては、すでに彼一個の意志を超えて進行していたのだ。
それから一ト月ほどたった明治九年十月二十四日、熊本にいわゆる神風連の乱が発生した。
神風連とは幕末ごろから熊本に発生した神道狂信者の結社だが、彼らがついに蹶起《けつき》したひきがねとなったのは、その年の春の例の廃刀令である。開化を呪《のろ》う頑迷さもさることながら、
「身の守り国の護りの剣太刀《つるぎたち》、その太刀あわれその太刀あわれ」
と歌いつつ熊本鎮台へ進撃したその歌声の哀しさよ。
彼らは、好色司令官として地元の悪評のまとであった種田政明少将を襲い、愛妾と同衾《どうきん》していた少将を血祭りにあげた。
このときその愛妾小浪が、東京の実家へ打ったという、
「ダンナハイケナイ、ワタシハテキズ」――旦那はいけない、私は手傷――
という電報が、日本電報史上の傑作として一世を沸かしたことは有名だが、それより兵四郎はあの種田少将と小浪の交合写真を思い出し、かつ事変を急報した新聞記事で、種田少将の首をあげたのが桜井直成という男であったと知って、眼をぱちくりさせた。
桜井直成――それはおととしの秋、東条英教と決闘事件を起し、その交合写真を見せられて悄然《しようぜん》として東京から去っていったあの肥後の若者ではないか?
彼は思い出した。あのとき遊女姿の小浪の写真を見せ、
「……この小浪を愛しとるのか、憎んどるのか、自分の心がよくわかりませんたい」
と、大きな拳固《げんこ》で自分の頭をたたいていた、蟹みたいな顔をした肥後の青年の顔を。
その獰猛な顔が、血みどろになって倒れた種田少将と、逃げようとしてもがいている半裸の小浪を、血刀をひっさげて見下ろしている姿と結びついた。
ただ兵四郎もついに知らなかったことがある。
このとき熊本鎮台参謀児玉源太郎少佐は危く難を逃れ、小浪をつれて熊本城に入り、やがて勃発《ぼつぱつ》した西南の役に東京から派遣された新司令官谷干城少将とともにたて籠《こも》ることになるのだが、そのためその惨澹《さんたん》たる籠城《ろうじよう》戦にこの小浪も巻き込まれることになろうとは。
種田少将との交合写真をとられながら、夢中になって兵四郎を唖然《あぜん》とさせたあのラシャメン上りの色っぽい女が、籠城の将兵をどれくらい敵より悩ましたか、またどれほど勇婦谷干城夫人よりも士気を鼓舞したか――それはこの「警視庁草紙」とはべつの物語となる。
二日おいて、十月二十七日、同じく九州の秋月でも士族の叛乱が起った。
ここで特記しておかなければならないことは、ほんのこの春、小倉連隊長心得として赴任していた乃木希典少佐が、この秋月の叛徒の鎮圧に出動したことだが、彼は四カ月後、こんどは植木の戦闘で薩軍に軍旗を奪われるというその生涯の悲劇を迎えることになる。
わずか一日おいて、二十九日、こんどは長州に前参議前原一誠が兵を起した。いわゆる萩の乱である。
若い日、松下村塾に学び、その師松陰に「前原は勇あり義あり、誠実人に過ぐ」と評されたこの人物は、維新後、いちどは兵部大輔の要職につきながら、それゆえに明治政府の恥も外聞もない諸改革に背を向ける結果となり、早くから身をひいて萩にひき籠っていたのだが、ここに彼をしてこの挙に踏み切らせた奇怪な挿話がある。
その年の一月のことであったが、萩の前原のところへ、西郷の紹介状を持って薩摩から二人の壮士がやって来た。指宿貞父《いぶすきていふ》、小林寛と名乗り、鹿児島の情勢をくわしく伝え、また政府に対して痛憤の語を吐いてやまなかった。前原は重々しい人間であったが、その説あまりに彼の心事と相合するところが多かったので、快飲のはてに剣舞までやり、かつ自分の胸奥をもらした。
のちに発見された前原自身の手記にいわく、
「一月十二日薄暮、鹿児島県人指宿貞父、小林寛来、夜雪積ること数寸、鶏鳴に至って去る」
「指宿ら、西郷、桐野の内命を含むと称し、その議論壮烈」云々。
しかるに彼らが萩を去るにあたって、某人に「われらは警視庁の密偵だ」と打ち明け、嘲笑《あざわら》っていずこともなく去ったという。
前原は驚愕して、使いを鹿児島に走らせて探ったところ、それらしき人物が萩から来たと称し、一、二カ月鹿児島をうろうろしたあと立ち去ったが、もとより西郷や桐野とは面会したこともない、ということであった。前原はみごとに警視庁の密偵にひっかかったのである。
前原は痛恨また恥じて、このことは秘密にしたが、しかしすでに自分の心中を政府に知られた以上は、とついに謀叛《むほん》の本格的な準備に踏み切ったという。――
そして、熊本、秋月ともひそかに連絡し、ついに叛乱の日を迎えるに至ったのだが、日も同じ十月二十九日、東京では元会津藩士永岡敬次郎が行動を起した。
これもまた早くからたがいに密使をゆききさせて、呼応の計画を練っていたのである。その密使の一人、玉木真人の行為の一端はすでに「春愁雁のゆくえ」で物語った通りだが、この玉木は三十一日の萩の戦闘中に弾丸の雨を受けて花と散った。
同じころ兄の乃木少佐は官軍として秋月の叛徒を掃蕩《そうとう》しつつあった。――乃木の悲劇は、軍旗事件以前からすでにはじまっていたのである。
さて、東京の永岡一党だが――十月二十九日、彼は長州の前原から「ニシキノミセビラキ」という電報を受け、彼もまた「ニシキノシテンコンニチヒラク」と打電した。
ふつうの文章に直せば、「錦の店開き」「錦の支店今日開く」ということになる。新時代にむけて弓をひきながら暗号電報を交換したところ、彼らもまた開化明治の人々であった。錦の店開きとは叛乱の行動開始という合図であった。「ニイタカヤマノボレ」というところだろう。
永岡の計画はなかなか壮大であって、警戒のきびしい東京では事を起さず、まず千葉に赴いて、かねてからその地に潜《ひそ》ませてある同志とともに県庁を襲って軍資を奪い、佐倉鎮台を手中のものとし、日光方面に進撃し、さらにまた新潟、会津に養ってある同志と連動し、要するに明治元年における野州・北越・東北の戦闘を再現しようとしたものであった。
一方、西では、萩、熊本、秋月でも蜂起する。この騒動を七日、十日でも継続するなら、全国いたるところで士族の蜂起が出現するだろう。こうなれば鹿児島でも西郷は必ず起つ。起たずにはおれぬ。――
それが彼の真の狙いであったのだ。
さて、十月二十九日、前原と電報で連絡した永岡は、その夜東京における同志十四人とともに日本橋小網町の思案橋に赴いた。この同志は大半会津人で、例の加賀組は加わっていない。島田らは、今の時点ではなお西郷は起たず、従ってこの一挙成功せずといい切って、ついに永岡と袂《たもと》をわかったのである。
永岡敬次郎はすでに加賀組をあきらめている。しかも、もはやとめてとまらぬ計画であり、かつ彼には成算があった。
ただすでに陸上をゆくのは危険の徴候を見てとったので、小網町から舟をもって千葉へ直行し、そこで指揮をとるつもりであった。
彼らが思案橋へいったのは、そこに千葉へゆく舟を出す船宿があったからだ。
月もない闇黒の真夜中であった。橋の上に見送りのお千は立っていた。すでに風は寒い十月の末だ。
「風蕭々トシテ墨水寒シ
壮士ヒトタビ去ッテマタ還ラズ」
川波の中にそんな歌声が間え、笑い声さえ起ったのは、一味の人々がすでに数隻の小舟に分乗を終え、もはやわが事成れりと見たからであろう。――
そのときお千は、ゆくての鎧橋《よろいばし》の上に、二つ三つ、ぽっと灯《ひ》が浮かんだかと思うと、小網町の河岸《かし》にかけて、みるみる角燈や提灯《ちようちん》がつらなりはじめたのを見た。
はっとして眼をこらし、彼女は水をあびた思いになり、橋の下にたまぎるような声を送った。
「あなた――見つかりました!」
同時に、暗い水面に凄じい水音があがった。あとで判明したところによると、それは船頭が河につき落された音であった。
だれがつき落したのか。――信頼し切っていた十四人の同志の中の一人が。
もう一人の同志は、永岡敬次郎の両腕をうしろから鉄鎖のごとくとらえていた。
「叛人永岡久茂――御用だ!」
すでにこのとき橋の上には、無数と見えるポリスのむれが殺到している。鎧橋のほうからは漕《こ》ぎ寄せて来る舟の波音さえ聞えた。
これから桟橋《さんばし》、河面にかけて闇の死闘がくりひろげられた。いや、もう闇とはいえない。あたりはいちめん文字通り灯の海と化していたから。――ちかくの火の見|櫓《やぐら》では、なお巡査を呼ぶ半鐘の乱打さえ鳴り渡りはじめた。
桟橋の上に、永岡敬次郎は凄じい形相《ぎようそう》で立っていた。彼は自分を捕えた男を河へ投げ落し、船頭を失った舟から岸へ上り、なお同志の人々を上らせようとしていたのである。
すでに血刀をひっさげて、その足もとには数人の巡査の死体が転がっていた。
彼のチョン髷《まげ》は、河風の中に逆立っていた。ただ大事が挫折《ざせつ》した、という悲憤のためばかりではない。同志の中に裏切者がいた――いや、警視庁の密偵そのものがはいり込んでいた――ということをはじめて知り、それにいままで気づかなかった自分の迂濶《うかつ》さへの怒りのゆえであった。
その男たち――根津親兵衛と平山直は、剣をならべた巡査たちの背後でひっ裂けるように笑っていた。船頭をつき落したのは平山であり、いちど永岡をとらえて水に投げ込まれたのは根津であった。
「西南記伝」によれば、彼らは本名根津親徳、平山直一という警視庁の密偵であったという。いつぞや柳橋で知らぬが仏でつきまとう紙屋巡査をおどした鼻の赤い男はすなわち根津親徳である。
すでに同志の大半はとり抑えられている。彼らを縛りあげながら、
「そやつは、斬らねば手取りには出来んな」
「いや、斬らずにひっとらえたいな」
と、永岡を眺めてつぶやいたのは、元新選組の藤田巡査と元見廻組の今井巡査であった。
「おはん、やれ」
と、加治木警部があごをしゃくった。
「かたじけない。――」
棒を持って、油戸杖五郎巡査が出て来た。
身の毛もよだつにらみ合いの数瞬ののち、永岡の白刃と油戸の棒が相搏《あいう》った。白刃は水に飛び、永岡敬次郎は桟橋に崩折《くずお》れた。
絶息して、木の葉虫みたいにぐるぐる巻きに縛られてかつがれている永岡と、縛られた同志の人々をとり囲んで、おびただしい巡査たちは凱歌《がいか》をあげてひき揚げてゆく。
思案橋のたもとの物陰の闇の中に、これも喪神したような眼で、お千はそれを見送っていた。
「やるもんじゃなあ!」
と、隅の御隠居さまは長嘆した。
「川路がよ」
そばに兵四郎とかん八が、ふぬけみたいな顔で坐っていた。
「思案橋事件」から三日目の夕方である。すでにその騒ぎのことは耳にしていたが、御隠居に呼ばれてここへ来たら、お千がいて、その口からはじめて事件の詳報、なかんずく警視庁の密偵のことを驚愕をもって聞いたのである。
それが、自分が救ったあの根津と平山であったとは!
しかも、それを知ったとき兵四郎は、やっとのことで驚くべき回想と連結することが出来たのであった。
その根津と平山が、どうやら去年の秋、警視庁から大久保邸へ赴き、さらに汽車から西国ゆきの船へ乗っていった五人の男の中の二人の顔であった――あったような気がする――ということを思い出したのであった。あのときは、御隠居さまもいっしょに目撃していたはずだ。
「……ああ、このたびあの御両人を御覧にいれていたら!」
「なに、わしとて思い出したか、どうか。――」
と、御隠居は首をふり、
「とにかく、その連中はあのとき西国へ下って、その中の二人が玉木真人にとりついて、肝胆相照らしたような顔をして上京し、こんどは永岡にとりついたのじゃな。たとえ長州人ではないと聞いても、玉木真人を介しておるだけに、こりゃ、永岡でもだれでもひっかかるわな。――」
それから考えこんだ。
「あのときたしか五人おったが、あとの三人はどうしたかの?」
「そ、それにしても」
と、兵四郎は自分の頭をうちたたいた。
「なぜ川路が、その根津・平山をひっとらえろ、などと命令したのでしょうか?」
「そりゃ……今にして考えられることじゃが……永岡のほうに、どうも警視庁の眼がくっついておるのを感づかれた徴候があったので、逆にその両人への疑惑を打ち消すための細工ではなかったかの。――」
と、御隠居はつぶやいた。
「彼らはなお永岡にくっついている必要があった。永岡の動静を刻々川路へ報告する必要があった。それは永岡のみならず、西の前原、神風連とも連結しておる事件であったからじゃ。永岡をのぞいておることは、萩や熊本の動きを見ておることになる。――」
神風連、秋月の乱は破れ、萩の叛乱も旗色悪し、とはすでに伝えられていた。
……さて、そういってから御隠居は長嘆したのだ。
「――川路は、やるもんじゃなあ!」
と。
「しかしながら」
兵四郎はなお信じられない眼つきだ。
「それを……その根津・平山の一件を、まずお蝶に聞かせるとは?」
「わざと聞かせたのじゃ。お蝶がお千に知らせ、お千が永岡に知らせることを見込んで。――従って、川路は、お蝶、ひいてはお前や、それからわしのこともよう知っとるということになる」
兵四郎はうなされたような顔をしていた。
「それにしても、まだわしたちを放っておく川路の心事が腑《ふ》に落ちんが……」
御隠居は首をかたむけ、ふいににこりとして、
「お前やわしをつかまえると、警視庁草紙があとつづかぬことになるからかの」
と、つぶやいたが、兵四郎には何の意味かよくわからない。
「ともあれ、わしたちは警視庁をからかっておるつもりで、実は逆に川路の手品のたねに使われておったことになる。いつぞやの増上寺の一件も、向うじゃたまたま素ッ頓狂に飛び出したお前を、この際ちょいとおどしておけ、という程度のからかいであったかも知れん。――」
「永岡を誤らせたのはわたしです」
幽霊のように坐って、凝然《ぎようぜん》と宙を見つめていたお千がいい出した。
「わたしは死のうと思いました。すぐにあのとき、思案橋から飛び込もうと思いました。……けれど、永岡の生死を見とどけなくては――それから、あの二人の男にかたき討ちをしなければ死ぬにも死ねない、と思い返しました。それで、三日考えて、ここへやって来たのでございます。御隠居さま、どうぞお千を助けて、智慧《ちえ》を授けて下さいまし!」
「お前さんは危い」
と、御隠居はいった。
「こっちも危いが、お前さんはいっそう危い。ようもいままで無事であったと、それがふしぎなくらいじゃ」
眼を移して、
「かん八、このひとを相州|侘助《わびすけ》村へつれてゆけ」
と、いった。
そしてお千に眼を戻した。
「あと、お前さんの願いは、わしとこの兵四郎が引受けた」
御隠居の顔には笑いさえ浮かんでいた。
「敵の密偵を助けるなどという――大へまの責任は、お前さんだけじゃない。この兵四郎も同罪じゃ。そのまぬけぶりは、こっちのほうがもっと徹底しとる。……兵四郎、この尻ぬぐいはせねばならん喃《のう》」
兵四郎はさけんだ。
「必ず!」
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吉五郎流恨録《きちごろうりゆうこんろく》
――そのころ、牢屋《ろうや》にはいった人間の運命は、大別してまず三つしかなかった。
死か、放免か、遠島かである。
死か、といって死罪とはいわないのは、いわゆる牢死というやつが驚くべく多数に上ったからだが、これもお上が直接手を下さない一種の死刑であったといっていい。
伝馬町の牢で、三組の囚人に、その運命の三型態が三日のあいだにまざまざと現われたのは、安政六年晩秋のことである。
最初の例は、三十年配の浪人で、これは「死罪」であった。
なんでも老中を暗殺しようと計画した男だそうだが、そんな大それた罪を犯そうとは信じられないほど学者じみた印象で、ふだん牢内で静かに物書きをやっていて、その二日ほど前にも、
「呼び出しの声待つほかに今の世に待つべきことのなかりけるかな」
という歌を一同に示して笑い、改めて囚人たちの尊敬の眼を浴びた人物であったから、この呼び出しが死罪の判決で、ただちに牢屋敷内で処刑されたということを聞いたとき、みなの心がいつもの死罪人とはちがう感慨に打たれたことは当然であった。
二日目に、一人の囚人に訪れた運命は「放免」である。
彼は猩々庵《しようじようあん》狂斎という、名は老人くさいがこれも三十前の町の浮世絵師で、笑い絵を書いて牢に放りこまれたのであった。春画は町の絵草紙屋で平気で売っている時代であったが、狂斎の書いた枕絵の殿様の顔が、さるお大名そっくりだという評判でつかまったのだ。これまた牢内で、せっせと枕絵ばかり書いていた。おまけに、酒の香さえ漂わせて。――
牢の中で酒が飲めるのかというと、飲める。牢役人を買収して仕入れるのだ。牢の隠語で、酒のことをタンポという。
酒を飲ませなければ絵が書けないというのだから、しかたがない。そして、酒を飲んで書いたそういう絵が何ともすばらしいのだから、しかたがない。囚人どころか牢役人もよだれをながし、牢役人どころか、その絵の魔力はもっと上のほうへまで及んで――彼が放免になったのは、そのおかげであったかも知れない。
とにかく、その絵師は、その日、真似事みたいな敲《たた》き放《はな》しになって、牢屋敷の門をふらふらと出ていった。
三日目に、「遠島」の刑に服するために出ていったのは――これは、一人ではない、過って人を殺した者とか、喧嘩して怪我させた者とか、ばくち打ちとか女犯《によぼん》僧とかの十数人であった。
その中に、牢名主のむささびの吉五郎もいた。
彼はスリの名人で、名人とはいうもののいままで何度かつかまって入牢《じゆろう》したことがあるので、そのキャリアを買われて牢名主に祭りあげられたのである。
もっとも、彼にもそれだけの「徳」があった。
とにかく、死刑よりも囚人同士の私刑による牢死のほうが多いといわれた伝馬牢である。その中で、いかに賄賂《わいろ》がきくとはいえ、囚人に酒を飲ませたり、物書きをさせたり、笑い絵を書かせたりすることが可能であったのは、ひとえに牢名主たる吉五郎の采配ぶりのおかげであったといわなければならない。
――一方で、彼自身も、伝馬牢は一種のふるさとというほどではないにしろ、決して居心地のわるいところではなかった。
それだけに、こんどはただの敲《たた》き放《はな》しですまず、遠島の刑に処せられたことは吉五郎にとって憂鬱のきわみであった。
まったく牢の序列も慣習もきかない島へ送られるのみならず、大赦でもあって、気まぐれに帰されることを期待するほか、半永久的にそんな望みは持てないのである。彼はもう四十九にもなっていた。
江戸からの島送りの船は、春秋にそれぞれ一度ずつ出る。ゆくさきは、往古は伊豆七島ということになっていたが、寛政年間から三宅、御蔵、八丈の三島に限られた。
流刑の囚人たちは、伝馬町から唐丸籠で吾妻橋まで送られて、そこから船に乗せられる。船は船手組のいる鉄砲洲に三日ほど泊り、ここで縁者ある者はそれと別れを惜しみ、またその差入れを受ける。金は二|分《ぶ》まで、食物は相当の大量まで自由だが、刃物と火道具と書物は厳重な検査を受けてとりあげられる。
さて、それからいよいよ船出して、三宅島へ向う。ここで三宅島に流罪の囚人を放棄《ヽヽ》し、ついで御蔵島、さらに八丈島へと、それぞれの囚人を|捨て《ヽヽ》にゆく。
本土の影がとっくの昔に水平線から消えても、なおその方角を眺めている船の囚人たちの顔は、まるで絶望の化身のようであった。
大海原を吹く風はすでに冷たい。|どうとう《ヽヽヽヽ》たる波濤《はとう》は灰色だ。――正確にいうと、吾妻橋から船に乗せられたのが安政六年十月二十九日のことであったから、江戸湾を出たのは十一月の初めになっていたろう。
例年なら、秋といっても波のおだやかな陰暦八月ごろがふつうなのだが、この安政六年は八月九月大暴風つづきであったのと、ばかに囚獄のことが忙しい年であったので、この年だけだいぶ遅れたのである。
ひとたび島へ送られたら、大赦令を待つより島帰りは許されないといったが、大赦はあてになるものではなく、かりにそれがあったとしても島へ及ぶとは限らず、さらに囚人のなかでそれによって助かる者は何分の一かに過ぎないということを、だれもが知っていた。
「お名主さん」
ふなばたから、哀感にみちた顔を波濤の北の果てに向けていた吉五郎は、しのびやかに呼ばれてふりむいた。
目腐れの太吉という冴えないばくち打ちであった。
「牢から何をかくして持って来なすった?」
「な、なにいうんだ、おめえ。――」
吉五郎は狼狽《ろうばい》した表情になった。
「お許しの品物のほか、何も持ってやしねえ。でえいち、お船手の持物御吟味を受けたじゃあねえか」
「いえさ、その御吟味の際、お名主さんが衝立《ついたて》のかげに役人を呼び込んだと思ったら、すぐに出て来て、それっきりでござんしたね。……ま、おれにゃ、ほぼ見当がつくんだが」
「おめえが?」
吉五郎は、やっと軽蔑したような息をついた。それに、とにかく牢内では絶対の権力者であった自分に対して、三下奴《さんしたやつこ》のくせに、そこを出たら急にからむような口をきく太吉が甚だ気にくわなかった。
「何とでも、見当をつけたきゃ、つけやがれ。おめえとはかかわりはねえ」
目腐れの太吉は、妙なうすら笑いを浮かべて、ジロジロ吉五郎の腹のあたりを眺めていた。
本土からの距離でいえば、三宅島、御蔵島、八丈島の順だが、島の大小からいえば、八丈がいちばん大きく、御蔵島がいちばん小さい。それだけに、生活という面から見ると、最も遠い八丈が、猫のひたいほどとはいえともかく田畑もあるだけに、最も暮しよかったようだ。とはいえ、それもあくまで他の二島にくらべれば、という話である。
そこで、老いた囚人はなるべく八丈へ送った形跡はあるが、どういう犯罪でどの程度の刑量の者をどの島へ送るかという点では、大体においてゆきあたりばったりであったらしい。
島へ送ってからの囚人の取扱いも甚だルーズだ。べつに牢獄もなければ徒刑場もない。追いあげたらそれっきり船は出ていってしまうだけで、まったくの放棄であり、人捨てであった。平家物語の俊寛のころとおなじだといっていい。
もっとも、どの島もむろん無人島ではなく、陣屋というものがあり、昔からの島民の有力者が地役人をやっていて、流人小屋に収容はしてくれる。ただし、これが小屋とは名ばかりで、三宅島の場合は山腹に掘った穴であったという。
それ以上の面倒は、食事をも含めて一切見ない。食物は囚人自身持参したもので当座をしのがせ、それが無くなったからといっても、あとはわれ関せずだ。
むささびの吉五郎はその年四十九になっていて、同囚の中では年長者のほうであったが、どういうわけか流刑の先は三宅島であった。
三宅島は東西八キロ、南北九キロ、周囲三十六キロ足らずという小島だ。
彼が往生したことはいうまでもない。
実は彼は、牢で島の暮しはさんざん聞いていたから、鉄砲洲の番所で、巾着切《きんちやくきり》の乾分《こぶん》から米三俵その他味噌醤油などの差入れを受けて来たので、計算の上では半年以上は持つはずであったが、気前のいい彼は、差入れのない同囚がたかって来るのを、追っぱらいもせずに食わせていたから、一ト月たつかたたないうちに俵はからっぽになってしまった。
――可笑《おか》しいことは、囚人ばかりではなく島民もやって来て、遠慮なく「銀メシ」をパクついたことであった。
どっちにしたって五十歩百歩さ、何しろ無期同様の島流しとあっては、三俵の米なんざどうしようもねえ、と思っていたからこそなりゆきにまかせていたのだが、いざ現実に食うものがない事態となれば、笑ってはいられない。
困ったのは、吉五郎ばかりではない。ほかの、ろくに差入れもなかった連中はそれ以上で――そもそも、これからあと囚人はどうするのか。
彼らは島民の部落へゆき、家々をめぐって、下男、作男の仕事や、それ以下の、牛、馬なみの作業を提供して、わずかの食糧にありつくのである。
吉五郎が往生したというのはこの労働で、巾着切よりほかに芸のない――どころか、指さきの芸術家たることを自慢していた人間では、どうしようもない。この点においては、ほかの囚人も同様であった。
そもそも江戸時代も初期のうちは、流刑人は島民に敬われたものだ。それは八丈島の浮田秀家を代表とするように政治犯が多かったからだが、時代が下るに従って、流罪になる人間の格も下り、破戒僧やばくち打ちが大半となっては、いくら醇朴な島民でもいい顔はしていられない。いや、島そのものが元来貧しい上に、次第に流罪人の血をも混えて人口がふえ、それとともに人情がとげとげしくなっていることも否めなかった。
吉五郎が呆《あき》れ返ったのは、さんざん人をコキ使ったあげく、芋粥《いもがゆ》一、二杯、ならまだいいほうで、芋とアシタバと称する野草を混ぜたえたいの知れぬ食物を因業な顔つきでつき出す百姓が、前に彼の銀メシをくらいにやって来た連中だということであった。
そして間もなく、芋もアシタバもべつに囚人用ではなく島民の常食で、八丈とちがって米は一切とれないから、囚人が島についたとき持参した米の飯にありつくのは、彼らにとって何年に何回かという天来の至福であることを知った。
こういう乞食以下の生活が無期限につづくのである。――遠島はやはり地獄篇的な刑罰であった。
これらの島に、囚人の暴動が起きなかったのがふしぎだ。あとで記すように、それは決してないことではなかったが、やはり稀有な例であって、日本人の権威への服従性という点について考えさせられるものがあるが、しかしそんな天性よりも、島の陣屋の下に、流人の中から選ばれた流人頭が眼をひからせ、毎年送られて来る囚人たちが年功序列性を原則とする階級を作って、容易に暴発出来ないしくみになっていたのである。アウトロウばかりのくせに、いっそうアウトロウを許さなかった。
伝馬町の牢と同じく、島の新入りは悲惨をきわめた。
らくな仕事、飯の盛りのいい家は、ぜんぶ先輩がとって、割り込む余地がないのだ。
さて、むささびの吉五郎だが――大困惑、大難渋の状態におちたことは右に述べた通りだが、何カ月かたって、その極に達したとき。――
「お名主さん」
と、山ほど薪を背負って歩いていた目腐れの太吉が話しかけた。
「こんなことをしてたら、長かあござんせんね」
同じかさの薪の下で、吉五郎の背中は折れんばかりになって、彼はあえぐばかりで返事の声も出なかった。山から百姓家へ運ぶ仕事で、ノルマは百姓がいちいち点検するからごまかしはきかない。
「いっしょに来た連中で、もう五、六人も飢死《うえじに》しやしたぜ。……こちとらも何とかうめえ工夫をしねえと、いのちが持たねえ」
と、太吉はいった。
「お名主さん、あれをひとつ使って見たら、どうでござんしょう?」
「あれとは何だ」
「お名主さんが、伝馬町の牢から持って来なすったものでさあ」
吉五郎は立ちどまり、太吉の顔を盗み見た。太吉はいう。
「あれのことをすっかり忘れていやしたよ。あんなものを思い出しようのねえひでえ暮しだからね。それが、どういうはずみだか、さっき草の中でヒョイと思い出したんだ。……」
「だから、あれたァ何だよ」
「狂斎の笑い絵でがしょう?」
太吉は吉五郎の腹のあたりをのぞきこんだ。
「お船手の持物吟味のとき、役人にきかせた鼻薬もあれにちげえねえ。役人に、狂斎の絵を一枚か二枚つかませやしたね。その残りをお前さんはまだ持っていなさるね。こうなっても、まだしっかりと締めてる腹巻きの中に。――どうです。図星でげしょう?」
「おめえ、知ってたか。……で、そいつをどう使えってんだ」
「あ、やっぱりそうでござんしたか。あれをね、百姓に見せてやるんでさあ。いや、一目拝ましてやるんでさあ。その代りに仕事は軽くして、芋の分量を多くしてもらう。……」
「へえ、あんなもので、そんなことが出来るかねえ?」
「お名主さんは、そのつもりで持って来なすったんじゃあねえんで?」
「いや、狂斎からもらった絵が、あんまりいいんで、遠島のときにひとにただでくれてやるのァもってえなかったからだよ。……」
「とにかく、そいつを一度見せておくんなさい」
「ふうん。……それじゃあ、ちょっと向うへいってろ、これから出すから」
太吉を遠ざけ、吉五郎は坐りこんで荷を下ろし、膝のあたりからガサガサいわせて油紙の包みを出し、その中から一枚の絵をとり出した。あとの油紙の包みは、また腹巻きの中へしまいこむ。
「こいつかえ?」
太吉がやって来て、のぞきこんで、目腐れといわれた赤い眼を飛び出させるようにした。
それは大名の奥向きらしい豪奢な夜具の上で、雪洞《ぼんぼり》に照らされて、御後室さまが前髪の小姓を愛撫している図であった。――牢の中で書いたものだから、さすがに絵具の種類も乏しいが、こんな場所で見ればまるで天上の世界と見える。いや、ひょっとすると、それは江戸の白日の下にさらしても、見る者に同じような夢幻感を与えるのではないかと思われる絶妙の筆づかいであった。
「こ、こいつだ、こいつだ……」
のどぼとけをこくこく動かして、太吉はうめいた。
それから彼が、赤い眼をその絵にくいいらせながら、あらんかぎりの淫猥《いんわい》な評語を感動的にもらしたことはいうまでもないが、やがて吉五郎がそれをしまいこみ、促すに及んで、やっと歩き出した。
さて、薪を百姓家に運んで、そこで吉五郎から笑い絵を受取った太吉は、それを百姓に見せた。――
百姓の眼がこれまた飛び出すようになり、なおよく見ようとしてからだを折ったとたん、太吉はヒョイとそれをうしろにかくしてしまった。
「こいつあ、あっしたちのお宝だからね、そうそうお安くは見せられねえ」
押問答がはじまり、そのあげく、二人の前に何杯かの芋粥が運ばれるという始末になった。――
そんな絵が、そんなにてきめんに効こうとは、吉五郎にも思いがけなかった。それはその日だけでなく、噂が伝わるに従って、いよいよ凄い威力を現わし出したのである。
また、目腐れのかけひきもうまい。笑い絵の、恍惚たる御後室と小姓の顔だけを見せたり、足指の折れまがった白い下肢だけ見せたりして、相手の焦燥を煽《あお》りたてるのだ。
二人のノルマが減り、食い物の量がふえたのはむろん、囚人の仲間からもそれを見せてくれと土下座する者が続出し、二人がちょっとした特権階級の座につくのにさほど時は要しなかった。
目腐れの太吉が光秀となったのは、数カ月ののちだ。
最初のうちはむろん吉五郎にくっついて、その秘書みたいに絵を出し入れしたり、かけ合いをやったりしてその余禄にありついていたのだが、だんだん自分が所有者みたいな顔をしはじめ、とうとうある日、勝手に絵を持っていったきりになった。
彼は流人小屋から、ある百姓の納屋に引っ越して、吉五郎が絵をとり返しにいっても、
「あれは、ちょっと待ってくんねえ」
と、言を左右にして応じない。その言葉つきまで横柄なものに変っている。
太吉がその百姓の姪《めい》とかいう、島ではまあ渋皮のむけた娘の婿になるとかならぬとかいう噂がたてられ出したのはそのころであった。
囚人で、島の娘と夫婦になる例は少くないが、それは医者とか絵師とか読み書き出来る者、大工、鍛冶など特殊技能を持つ者が大半で、まったくの能なし芸なしのやくざ者などでは、とうていこの幸運にありつけない。それなのに、この目腐れの太吉が百姓の納屋に住み、そんな噂が流れ出したのは、ひとえに彼が例の絵を百姓への引出物《ひきでもの》にする約束をしたかららしいということであった。
しかるに、ある朝、太吉が死骸となって海辺に漂っているのが発見されたのである。――
ただ、海に落ちて溺《おぼ》れ死んだものでなく、あっちこっち斬ったり殴りつけたような傷痕があって、あきらかに人間の手で殺されてから放り込まれたものらしい。
だれもがそうささやいたが、しかし島役人は動かなかった。囚人同士の私刑は昔からのことであって、これを「天狗」と称する。天狗にさらわれて行方がわからなくなった、ということになってしまうのが慣例だったからだ。
ところが、それから間もなく、例の笑い絵があちこちに現われ出した。一枚の絵があちこちにではなく、ズタズタの断片と化して、である。
首だけの部分、胴だけの部分、足だけの部分、それらがそれぞれの持主の宝物となり、そしてまた一人の囚人が天狗にさらわれた。どうやらそいつは、かんじんかなめの部分を持っていたやつらしかった。
凄じい争奪戦を闇に秘めて、絵はさらに細分化され、そしてついに完全に消えてしまったのは、一年ほどたってからのことだった。
吉五郎はその争いの圏外にいた。
太吉に絵をとられてからは、彼の立場はまた哀れなものになり下がったが、しかしそれを失ったために彼がいのち拾いしたこともたしかであった。
ところが、その笑い絵が消滅したころから、また、吉五郎はまだ別の笑い絵を持っている、という噂がながれはじめた。
ただし、彼はそれをからだにつけてはいない。巻いていた晒《さらし》の腹巻きはもうボロボロになってしまった。彼はそれを油紙につつんだまま、どこかに埋めているという。――
俄然、吉五郎の重味は回復した。彼を呼んで御馳走する島民が続々現われ、彼におべっかを使う囚人がふえた。
「吉、噂はほんとうか」
彼の前に流人頭の弁蔵が現われて聞いたのは、そのころであった。
異名を片|禿《は》げという。たしかに頭の右半分に毛がないが、禿げているのではなく、焼けただれたままになっているという凄じさで、人相そのままの凶暴さとはべつに、望みを失って自暴自棄になりがちな囚人をしっかりと押えてゆく頭も持った男であった。
「ほんとうなら見せてくれねえか」
吉五郎は弁蔵の底びかりする眼を見つめた。
何でも江戸で夜鷹を三人も絞め殺して、知らぬ存ぜぬととぼけ通して島流しになり、まだ三十半ばだが、もう十年以上もここにいるという男であった。
目腐れの太吉を消した天狗はこの男ではないか、と吉五郎は疑っていたが、いまその眼の中の炎をのぞきこんで、それを確信した。
こいつ、何をやるかわからねえやつだ。――
「お頭じゃあ、しようがねえ」
吉五郎は笑った。
「それじゃ、お頭だけに見せることにしよう。ただし、これから先も、見るのァお頭とあっしだけ、ほかのやつらにゃ金輪際見せねえってえことを受け合っておくんなさるなら」
「おう、そんなことならおれが受け合ってやるよ」
「なにしろ、この前みてえな奪い合いになったら、そのあげくまた死人《しびと》が出るからね。……ちょいと待っていておくんなせえ、とって来やす。身につけていちゃ危ねえから、だれにもわからねえところに隠してあるんでさあ」
吉五郎は山のほうへはいり、間もなく油紙につつんだものを持って来て、それをひらいた。
一目見るなり、片禿げの弁蔵の、顔はおろか、禿げた片鬢《かたびん》の皮まで充血した。
それは、どこか船宿らしい青|蚊帳《がや》の中でたわむれている遊冶郎《ゆうやろう》と芸者の図であった。枕をはずし、のけぞりかえった芸者は、一方の足を男の腰に巻きつけ、一方は大きくひらいて、あらわに見せた男女しぐい合いの部分図の、何たる迫真力、流れ出した液体のひとすじが粘っこくひかっているようだ。
「ううむ。……おれも江戸にいるころ、枕絵はずいぶん見たが、これほどいいのは見たことがねえ」
と、弁蔵は胴ぶるいしてうめき、夢うつつに、
「この前の太吉の持ってたやつは、あっというまにみなが取り合って、ズタズタにしちまいやがったんだ。……」
と、白状してしまった。そして、はっと気がついて、いまの呟きをそらすように、
「そ、それじゃあ、おやじさん、おれんところへ来るかえ?」
と、せきこんでいった。
弁蔵は、流人頭だけあって、ほかの囚人の穴ぐら住まいとちがって、小屋をたててもらっていた。おまけに「水汲女」という名目で、二人の女まで侍《はべ》らせていた。そして、島の流人頭の面白い特権は、彼だけが短い羽織を着ることが許されているということであった。
そこに吉五郎も同居することになった。
これで彼は、流人頭の居候か隠居みたいな立場になった。以前にくらべて、いよいよすべてが安楽になったことはいうまでもない。――ひとえに笑い絵のおかげである。
しかし、吉五郎は年の功《こう》で、いつまでもいい気になってはいなかった。早晩、そのききめがなくなるだろうと見通していた。そして、笑い絵の切れ目が縁の切れ目になるにちがいないと判断していた。
弁蔵がその絵をひとり占めにしたくなるという可能性もあるが、それより飽きるということがある。春画などというものは、三度も見ればたいてい飽きる。ただ、ここが絶海の孤島だから異常な魔力を現わし、あんな騒ぎを起したのだが、それにしてもしょっちゅう手もとにあるとなれば、興味の継続にも限度がある。
そのときが危い。
ただ小屋から放り出されるばかりではない。それでも絵だけは欲しいだろうから、凶暴な弁蔵は、こちらを「天狗」で始末してしまうおそれがある。
そこで吉五郎は、弁蔵がそろそろ絵に飽きたころを見はからって、彼に「お話」をしはじめた。
何の話かというと、江戸の女の話だ。江戸の女の肌の白さ、からだの柔らかさ、声のなまめかしさ、いちゃつくときの可愛らしさ、帯をといてからの濃艶さを。
それを毎夜毎夜、あぶら火の下に例の絵を置いて、微にいり細をうがってしゃべったものだ。――ちょうどアラビアンナイトのように。
具体的な絵がそこにあるのだから、話に迫力があり、妄想は燃えあがらざるを得ない。片禿げの弁蔵はまるで脳溢血でも起しそうな眼つきで絵を眺め、歯をカチカチ嗚らしながら吉五郎の「猥談」を聞いていた。
とはいえ、そんな夜ばなしにも限りがあるだろう。――弁蔵が飽きるより前に、吉五郎のあごのほうがかったるくなった。
ところが、半年ほどして、忽然と片禿げの弁蔵が島から消えてしまったのである。
「天狗」にさらわれたのではない。この男を私刑にかけるような度胸のある人間はいない。――彼が島抜けをやったらしい、ということがやがて判明した。漁師の舟が一艘なくなっていたのである。
漁師の舟があるからといって、櫓舟で簡単に島を逃げられるものではない。何とかほかの島へいったとしても、三宅島と同じ条件にある島だからたちまちとっつかまるだけだし、逃げるとするなら広い本土だが、その本土からの島送りの大船さえ、波のおだやかな春と秋だけ、しかも風を選んで何とか渡って来るような時代だったのである。そして、発覚すれば磔《はりつけ》にかけられるのだから、島破りなど試みる者は稀有であった。
事実、片禿げの弁蔵がほかの島へたどりついたとも、本土へぶじ逃げたとも、そんな噂は後年まで吉五郎はついぞ耳にしなかった。
吉五郎だけは知っていた。弁蔵を島破りさせたのは、神も御照覧、あの笑い絵と自分の色話であったことを。――あの絵、というのは、それを弁蔵が持っていってしまったからだが――それによって、土くさい島の水汲女などではとうてい我慢の出来ない、江戸の女恋しさの炎が弁蔵の頭を錯乱させ、とうとう一|かばち《ヽヽ》かという島破りの小舟を漕ぎ出させていったことを。
それが吉五郎の智慧《ちえ》であった。やれやれ、何とかおっかねえやつを始末したわい、と、彼はひそかに胸撫で下ろした。
しかし、これではただ最初の条件に戻っただけである。人に狙われる心配はない代り、飢えと奴隷的労働の軛《くびき》から逃げるわけにはゆかない。――
ところが、またまた、吉五郎の爺いはまだ笑い絵を持っている、という噂がささやかれ出した。
しかも、それが凄じい春画だそうで、その内容について云々する者も現われて、また彼の意を迎えようとする百姓や囚人が出て来た。だから、それだけ彼は助かったわけで、いつしか五十の坂を越えた吉五郎としては、こういう余禄でもなかったらこれからさき酷烈な島暮しがつづけられるかどうか、おぼつかないところがあったにちがいないが、一方で、例によってまた生命の危険が生じたわけになる。
たまたま、そのころ、三宅島で陣屋の前に囚人一同がみんな集められる機会があった。
というのは、その前に八丈島で飢えによる――というのも本土の不作に因するのだが――囚人たちの大暴動が起った。三十八人の囚人が島抜けすることを企て、発覚し、破れかぶれに村の名主を襲って殺害して三原山(八丈にも三原山がある)へ逃げ込んだが、陣屋の山狩りを受けて、全員自殺したり殺されたりしたという事件である。
三宅島が飢えの点では八丈島よりもっと苛烈であったことはいうまでもない。ただ囚人の数が少いことがせめてものことであったが、それでも万一のことを考え、囚人一同に警告を与えるためにみなが集められたのであった。
そのときに、武器をかくしているものはないか、という問いがあり、そのはずみで、吉五郎がまだ油紙に何か隠して埋めているものがある、ということが話に出た。
「そいつはここに持っておりやす」
と、吉五郎は顔をあげていった。
「なに、そこに? 見せい、見せい」
と、島役人は眼をかがやかした。それは役人が、武器ではなくまさしく問題の絵を期待している眼にちがいなかった。
吉五郎は腹から油紙の包みを出し、またその中から一枚の絵を出して役人に渡した。島役人たちは額を集めてのぞきこみ、数分間放心状態におちいったようであった。
囚人たちがいっせいに獣みたいなうなり声をあげ出した。
「みんなに見せてやって下せえまし。……見せてやらねえと、八丈みてえな騒ぎが起りやすぜ」
所有者の威厳をもって、吉五郎はいった。
一人の役人が酔っぱらったように、ふらふらとそれを持ってまわった。
囚人たちの間に、奇声、嘆声、喚声の渦が波打っていった。
それは廃寺らしい蜘蛛《くも》の巣の張った場所で、美しい旅の町娘を、三人の毛だらけの雲助が手とり足とりもてあそんでいる絵であった。牛みたいな舌を出して娘の口をなめているやつ、娘のからだをひき裂かんばかりに盛大に犯しているやつに、白い足をつかんで高くあげて、よだれを流しつつそれをのぞきこんでいるやつ――よくある図だが、それが凄じいばかりの迫真力をみなぎらせて見えたのは、決してこんな島で見るからばかりではない。
それを、ふらふらと見せてまわってから、役人は自分のやった行為の馬鹿らしさからわれに返ったようであった。それに、囚人たちへの恐怖もおぼえたようで、
「これを、これから、どうする?」
と、急に高飛車な声で吉五郎にいった。
吉五郎はそれを受取り、うなずいて、
「嘘はつかねえ、これが最後の一枚だ」
と、いい、二つにたたんで折目《おりめ》をつけてから、びりっと裂いた。それを重ねてまた折目をつけて、さらに二つに裂いた。……みながあっと息をのんで、とっさに声も出なかったほど思い切った行為であった。
「な、何をする?」
終ったあとから、役人のみならず、近くから数本の毛むくじゃらの手が出た。
「このうち、二枚は御陣屋にあずけやしょう」
と、吉五郎は、その断片の二枚を役人に渡した。
「あとの二枚は、あっしが持つことにいたしやす」
と、またそれを油紙につつみはじめた。
「それは、ど、どういうわけじゃ?」
「こいつあ、あっしのお守り札だから、やっぱりあっしが持っていやすがね。御大赦のあったとき、御陣屋に出して、そろいになるように残してゆきやしょう。……それまでにあっしから盗《と》るやつがあったら、それがそろわなくなる。それを承知で手を出すやつは、まあござんすめえから」
と、吉五郎はうす笑いをうかべ、囚人たちを見まわしていった。
実にうまいことを考えたものである。陣屋を保証人にしてしまったようなものだ。こうまでみなの前で宣言されて、春画を陣屋がとりあげるわけにゆかず、残りの部分を囚人たちが奪うわけにはゆかない。――
あとで調べたら、足と蜘蛛の巣の二断片だけが役人の手に渡されていた。
そして吉五郎は、かんじんの断片二枚をかかえて、それから山の中にはいってしまった。
彼はそこに小屋をたてて一人で住んだ。食糧はというと、その断片を見せてもらうたびに、百姓や囚人が工面してそれを持ってゆくということになった。――しかもこの老巾着切は、まるで秘仏拝観を容易に許さない老僧みたいな顔をして、ちょっとやそっとでは見せてくれないのである。
実にこれが明治元年までつづいた。――
彼が島流しになった安政六年から足かけ十年。
まさか、笑い絵の神効が十年つづいたわけではなく、その後半は彼自身も島民となじみが出来て、絵とは別に彼のために食糧をとどけてくれる家が生じ、おかげで彼は明治元年の大赦を迎えることが出来たのであった。
ところが、さて、ここにまた妙なことが起った。
明治元年、政府が変るとともに、その四月、大赦令が出て、遠島の連中もみな許されることになった。迎えの船が来ることになったのだが、ここに吉五郎一人、それに応じないのである。
幕府が倒れたと説明しても、囚人にはよく理解出来ない事態にちがいなかったが、それでもとにかく国へ帰れるのだからと一同狂喜したのだが、吉五郎だけは、長い間山の中に一人住んでいたので、他に倍してわけがわからなかったのかも知れない。あるいは年が寄って、それだけ頑固になっていたのかも知れない。
「おら、お江戸南町奉行所のお許しじゃなくっちゃ、いうことはきけねえ」
と、口をへの字にして首をふり、あげくの果ては、わずかな世帯道具をひっかかえて、さらに山の中に逃げ込んでしまったのである。
それで、みすみす、あれほど待っていた大赦を棒にふってしまった。
新政府になってからは、いよいよ船は三宅島に来なかった。それでも稀にはやって来て、たいてい役人が乗っていて、島にまだ旧幕時代の囚人が残っていることを聞くと、それは是非つれて帰ろうとまでいった。
そこで、島の連中が、
「吉五郎爺さあん、安心して出ておいで。もう自由の身になったのだから。――」
とか、
「日本は変ったんだよ。もうお前は罪人じゃないのだよ。――」
とか、
「お迎えの船が来ているんだよ。いま出て来ないと、船は帰っていっちまうよ。――」
とか、山の中を探し歩いて、連呼しては見たのだが、うんともすんとも返事はなかった。
死んだのか、と思うと、ときどき百姓家の納屋から芋だの干魚だのを盗んでゆく者があって、どうやらその老巾着切のしわざらしい。
吉五郎が、山から出て来たのは、なんと明治五年秋のことであった。
偶然、本土から三宅島「探険」にやってきた一青年がこの話を聞き、山の中で野宿して火を焚《た》いているところへ、おずおずと彼が寄って来たことで、やっとひき出されて、船に乗って本土へ帰ることになったのである。
「おれの思いちげえから、とんだ長えあいだ、御迷惑をおかけいたしやした」
と、彼は島役所へ出頭して、おわびのしるしにと、例の春画の断片を差し出した。しかしそれはもう完全に色も墨跡もうすれ、紙そのものがボロボロになったしろものであった。
島流し十五年。吉五郎は六十四になっていた。
ただふしぎなことは――もっともだれも気がつかなかったが――帰る船の中でも、彼は油紙の包みを一つ、しっかりと腹に巻きつけていたことである。
船のついたのは、浦賀でもなければ、むろん鉄砲洲でも吾妻橋でもなく、横浜であった。
懐しい、などいう気持の湧きようがない。ここは昔の東海道神奈川の宿《しゆく》のちかくの港だというが、こんな港があったとは聞いたことがない。だいいち、ヨコハマなどいう地名もはじめて耳にする。
吉五郎は、日本に帰ったとは信じられなかった。突然、船から、異次元の世界に放りこまれたような気がした。
海岸通りの煉瓦街、遊歩道を歩きまわっているおびだたしい異人、異人の女、馬車、人力俥、街燈、そして沖合いの無数の黒船の影。――そして、あとになって、汽車というものに彼は胆《きも》ったまをでんぐり返すことになる。
が、汽車を見る前に、吉五郎は――波止場の異形《いぎよう》のものの渦の中に、|ふぬけ《ヽヽヽ》みたいにひとり立っていて、まわりの人語さえみんな異国の言葉みたいに聞いていたが、その中ではじめて彼の耳にわかる声を聞いたのである。
「ふうむ、とうとうあいつ、フランスから帰って来たか」
「これから、どうなるか、面白いぞ」
すぐ前の二人のザンギリ頭の若者の会話であった。その話し声もまだうわの空であったが、次に、
「しかし、あれが吉田松蔭先生のお弟子とはなあ」
「まさに松下村塾の鬼子《おにご》というべきじゃな」
という言葉を聞いて、ふいに吉五郎は夢からさめたような顔つきになった。
二人の青年が眺めているのは、さっき黒船から漕いで来た小舟から波止場に上がった一群の人々――その中の数人であった。
異人だか、日本人だか、何が何だかわからず、それを吉五郎も阿呆みたいに見ていたのだが、青年たちが話しているのは、人間とは思われないほどきれいな異人の女二人をつれて、いましも馬車に乗ろうとしている異人くさい日本人のことらしかった。
彼は、出迎えの人々ににこやかに挨拶したあと、異人の女二人とともにその馬車に乗って、町のほうへ駈けていった。
「ちょ、ちょ、ちょっとうかがいやすが」
と、吉五郎は、ゆきかける青年の一人の袖をつかんだ。
「よ、吉田松陰ってえひとのお弟子さんが、いま馬車でいった人ですかい?」
「左様。……」
青年は、吉五郎を見あげ、見下ろして、
「お前、どこから来た?」
と、妙なことを聞いたのは、三宅島の役所で一応着物はもらったが、それでもこの老人に河ともふしぎな別世界の匂いがからまりついていたからであったろう。
「そ、それでいまの人は、何てえひとで?」
「山城屋和助。……いまは生糸の貿易商じゃが」
「どこに住んでるんで?」
「この横浜の……どこに家があるのかは知らん。それより、お前、いったい何者じゃ?」
「へあ、あっしゃあ。……」
と、いったが、吉五郎は急に笑い出して、
「いや、どうもありがとうごぜえます。おひきとめ申して、申しわけござんせん」
と、頭を下げて、ふらふらと町のほうへ歩き出した。
彼はそれから、人に聞き聞き、横浜の某町へ、「山城屋和助」の家を訪ねていった。
それは宏壮な洋館であった。鉄の門があり、そこに洋服を着た人々がウロウロしていた。吉五郎は近づいて、面会を乞うた。
ふきげんな顔で、それでも集まって来た二、三人が、
「なんじゃ、うぬは?」
「吉田松陰先生からの使いの者でござんすが……」
「な、なに、吉田松陰先生?………うぬはいったい、どこから来た?」
「へえ、三宅島から――」
という返事を聞くと、
「こいつ、きちがいか、馬鹿か」
「何やらおかしな匂いのするやつだ」
「ゆするつもりなら、邏卒《らそつ》を呼んでひき渡すぞ!」
と、血相変えて門からつき出した。
あとで考えると、これは吉五郎には不運な時であった。その山城屋和助という人物は、たったいま外国から帰朝して、自邸へはいったばかりであったのだから、だれだって見知らぬ訪問者に逢っておれる場合ではない。
そのことは吉五郎も見て、知っていたはずなのだが、なにしろ彼自身が十五年ぶりに三宅島から帰って来たばかりで天地|晦冥《かいめい》の状態であったから、こういう始末になった。
それにしても、このとき山城屋和助の本宅の門のあたりにいた人々の反応ぶりも、少からず異常ではあった。
とにかくこれで吉五郎は、山城屋をいっぺんで懲《こ》りて、別の人間を探すことにした。
むろん、その足で、ではない。彼としてもまず食わなければならない。
十五年ぶりに帰国して、すぐ食う道があるか。――ふつうの人間なら途方にくれるところだが、彼の場合はその法が即座にあった。スリである。
考えてみれば、この芸ほど古くならない、時代の影響を受けない芸も珍しい。剣は短く、ペンは長い。そして巾着切はペンより永遠的芸術だといえるかも知れぬ。ただ十五年の空白期に腕そのものがなまったのではないかと少々心配であったが、案ずるより生むが易く、やって見ると、やれた。――むしろ吉五郎から見ると、昔の江戸期より人間がガサツになっていて、かえって仕事がらくなようであった。
一応これで生計の|めど《ヽヽ》がつくと、彼は調査研究をはじめた。開化について、東京について、旧知の人々の消息について。――また、最も知りたい松陰先生のお弟子の現状について。
旧知の人々の消息の中で、いちばん彼がへへえと首をひねったのは、その昔、伝馬町の牢で知り合った浮世絵師の猩々庵狂斎が、いま堂々たる大家となっているという話であった。
あのころからアルコール中毒の気味があったが、御一新後も酒狂のあまり、足長《あしなが》島の人間に二人の男がうやうやしく靴をはかせている絵と、手長《てなが》島の人間が大仏さまの鼻毛をぬいている絵を描いた。足長島の人間と大仏さまは西洋人の顔であったが、それらに靴をはかせたり鼻毛をぬいたりしている男は、新政府の大官某々の顔であったので、それが密告されて弾正台《だんじようだい》にしょっぴかれ、三月《みつき》近くも牢に放り込まれたことがあるそうな。その後、さすがに懲りて、みずから酒を禁じるよすがとして猩々庵狂斎の名を捨て、いまは河鍋暁斎と名乗っているという。――
のちに明治の北斎とまで称された飄逸《ひよういつ》怪奇の大絵師河鍋暁斎。――その春画が、絶海の流人島で血みどろの争奪のまとになったのも無理はない。
思えば、吉五郎にとっては、いのちの恩人である。
彼は、湯島に新築したという暁斎の屋敷へいって礼を述べようと思ったが、能舞台まであるというその大邸宅に島帰りの挨拶にいっても、たたき出されるだけだろうと考えて、これはやめることにした。
それよりも、彼本来の「たずねびと」だ。
いろいろ聞いて吉五郎は、吉田松陰の生残りの元弟子で、いまいちばんえらくなっているのは、陸軍|大輔《たゆう》山県有朋という人と、工部大輔伊藤博文という人らしい、と知った。ただし、伊藤のほうはいま異国へ出かけていて、日本にはいないという。――
吉五郎が麹町富士見町の山県邸へ忍びこんだのは、十一月も末ちかいある夜のことである。
なぜ、そんなことをしたかというと――実はその前、二、三度、山県邸の門前をうろついて見たことはあるのだが、絶えず兵隊が厳然と見張っていて、とうてい寄りつけたものではなかった。――ところが、たまたまその日、またいって見たところ、一台の馬車が門をはいったが、それに乗っていたのは、たしかにあの外国帰りの貿易商山城屋和助であった。それっきり、山城屋は夜になっても出て来ない。
吉五郎は腕こまぬいて考えこんだ。
山県でもいい、山城屋でもいい、是非とも逢いたい用件がある。しかし、どうやら門を通って面会を申し込んで逢える相手ではないらしい。げんに山城屋には門前払いをくっている。……とにかく本人に逢って、話しさえすればいいのだ。お誂《あつら》えむきに、その御両人が今宵ここにいっしょにいる。――
そこで吉五郎は、夜にはいってから、門番のいない塀を乗り越えて中に忍びこんだのである。むろん、彼の専門はスリだが、実はそのほうの腕が未熟な若いころ、こっちもチョィチョィやったことがあって、まったく心得のない道ではない。
こうして吉五郎は、洋燈の光を半身に受け、凝然と向い合っている二人の男――山県有朋と山城屋和助を一室の窓ガラス越しに見ることになったのである。
……どうも、ようすがおかしい。
同じ長州の、同じ先生の弟子だというのだから、酒でも飲んで笑って話しているのかと思ったら、卓をへだてて椅子に坐って、黙ってにらみ合っている。――吉五郎の眼にも、二人の表情には憎悪と恐怖の波がたがいに交錯しているようであった。
談笑でもしているのであったら、庭から声をかけようと思っていたのだが、そんなことは思いもよらぬ雰囲気なのに、吉五郎はめんくらいながら、そろそろと窓の下に這《は》い寄った。
「……おぬしはわしを破滅させようというのか!」
突然、窓ガラスをふるわせるかん高い声がひびいた。
「わしだけではない、長閥すべてが瓦解《がかい》することになるぞ。おぬし、それでもいいのか!」
もう一方の声は聞えない。
吉五郎が、そうっと窓の下すれすれまで盗《ぬす》ッ人《と》かぶりした眼をあげてのぞきこむと、椅子から立って咆《ほ》えているのは、軍服姿の山県のほうであった。のっぺりした長い顔が、発狂一歩前の鬼みたいな形相に見えた。
向い合った山城屋和助は、三十半ばのでっぷり肥った洋服の男で、これは頭を胸の金鎖に埋めるように垂れて動かない。
ふいに恐ろしい音がして椅子が倒れたので、吉五郎は胆をつぶして頭をひっこめた。
こんどは、泣くような山県の声がつづいた。
「頼む、和助、責任はおぬしだけでとってくれ。関係書類はすべて――おぬし、それをきょう持って来るという約束ではなかったか――ただちに焼き払って、あとみずから処決せよ。それで長閥は安泰となる。……」
ふいに笑い声が起った。途方もない大哄笑であった。
吉五郎はまた驚いて、眼玉を窓のふちに持ちあげた。すると、ひっくり返った椅子のそばに、山県ががっぱと土下座して、頭を床にすりつけ、山城屋和助のほうは椅子にふんぞり返ってそれを見下ろし、狂ったように笑っているのであった。
何が何だかわからないが、きちがい同士の会見をかいまみたような恐怖に襲われて、吉五郎は逃げ出した。そもそもその夜忍びこんだ目的も忘れ果てていたが、しかしたとえ思い出しても、そんな用件どころではない両人の雲ゆきであった。
長州出の政商山城屋和助が、陸軍省に出頭し、その応接間で腹を切って死んだのは、それから三日目――明治五年十一月二十九日の朝のことである。
和助はもともと松下村塾に学び、奇兵隊で活躍した長州の志士であったが、維新後、志を改めて横浜で貿易商となった。そして生糸の相場に手を出したのが破綻《はたん》のもとで、その前後に旧友山県を介して兵部省の公金六十五万円ばかりを借りたのがすべて空に帰した。剛腹な彼は、残金を握ってヨーロッパへ渡り、それを回復しようと計画したが、事、意のごとくならず、やけのやんぱち、パリジェンヌを相手に豪遊のかぎりをつくした。一方、国内では右の公金流用のことが明らかになり、江藤司法卿に追及された山県陸軍大輔は、のっぴきならぬ破目となって、彼をフランスから呼び返したのである。
――吉五郎が見た山城屋和助の帰朝は、そのときの姿であった。六十五万円というと、当時の国家財政の歳入の一・二パーセントであったから、この公金費消は空前にしてまた絶後であろう。しかもなお彼はフランス美人を二人同伴して帰ったのだから凄じい。
しかし彼は、結局関係書類をすべて焼き払い、陸軍省で自殺して、この大汚職をうやむやにしてしまったのであった。
そのことは新聞にも出た。真相は伏せたままであったが、公金の大横領が原因だということはだれでも知っていて、それに山県も一枚噛んで、よくないことをやったらしい、という巷《ちまた》の噂であった。
吉五郎は新聞も読めず、ただ人の話を聞くだけであったが、山城屋和助という人の自殺が、あの夜の山県との問答の結果らしいとは考えた。また、いつか横浜での二人の青年の会話や、山城屋の本宅での異常な反応の意味も知った。
「――へへえ、あの二人が、松陰先生のお弟子?」
彼は大いに幻滅を感じ、しばらくそれについての用件を放擲《ほうてき》してしまった。
そして、改めて本業に励むことにした。実際、洋服の内ポケットからいただくとか、懐中時計の鎮の切りかたとか、汽車《はこ》の中の仕事とか、そのほうの新課題は彼の前に山積していたのである。
それでもまったく右の用件を捨てたわけではなく、その後またいちど、そのころはもう帰朝していた伊藤工部卿のあとをしばらく追っかけたこともあるのである。
ところが、この松下村塾の弟子の代表的大物の品行たるや、島帰りの吉五郎でさえ嘆声をもらしたほどのものであった。
芸者と相乗りして、人民をへいげいして俥で都大路を走る。金春《こんぱる》の芸者屋に寝泊りして、複数の芸者と同衾《どうきん》する。役所には、微醺をおびてそこから出てゆく、といったありさまで、吉五郎は、この工部卿は色きちがいではないかと考えこんだほどである。
そして吉五郎は、とうとう松陰先生云々の件は忘れてしまった。――
以来、この江戸《ヽヽ》前の老巾着切が、元南町奉行たる御隠居さまと組んでくりひろげた行状の数々は、すでに読者の御存知の通りである。
明治九年十一月半ば過ぎのある晴れた午後であった。
むささびの吉五郎は横浜へ出かけた。船に乗るためではない。商売のためだ。彼は半纏《はんてん》をひっかけて、職人の親方みたいな風態をしていた。
彼はもうなんども横浜に来ている。四年前にこの港に放り出されたときの異次元の世界を見るような印象はさすがにないが、それでも来るたびに新しい堤防や新しい建物に眼を見張る。
船に乗るためや見物のためにはじめて来る連中は、だれでも最初のときの吉五郎みたいな目つきになって、だから大変商売がし易いのである。ただし彼は、なるべく異人からいただくことに決めていた。
で、いま、金髪の女と腕を組み、何やら海のほうを指さして歩いている異人を狙って――海岸通りの人混みの中を追っていった吉五郎は、ふいにどんとだれかにぶつかった。
仕事のためにぶつかるのは基本動作だが、人からぶつかられるのは珍しい。
「気をつけろい、間抜けめ」
「御免!」
あわてた声を残し、足早《あしばや》に去っていくうしろ姿は壮士風の若者だ。
つづいて、ゆくてから、三人の巡査が駈けて来た。その一人がはたと立ちどまったのを見て、吉五郎はぎょっとした。捧を抱えた油戸杖五郎巡査――いまは彼もその名を知っているおなじみの仲だ。
が、油戸巡査ももう二人の巡査も、すぐにまた駈け出していった。
「――いまの若えのを追ってるらしいな」
吉五郎は見送って、首をひねった。
「――どうやら船から下りて来たばかり、という惑じだったが、あの若えの、何じゃろ?」
彼は海岸通りから町のほうへはいって、ある煉瓦作りの倉庫のかげで立ちどまり、ふところから何やらとり出した。一通の手紙である。
「はてな、妙なものをいただいちゃったぞい」
いまの若者からであった。別にスルつもりはなかったのに、ぶつかったとたん、手練の指が反射的に動いて、相手がいちばん大事にしまっている物を、みごとにスリとっていたのである。
「手紙じゃしようがねえ。くだらねえ。……」
破り拾てようとして、ヒョイと、いま巡査たちが追っかけていたそもそもの目的がこいつだったのではないか――という気が、ふっと吉五郎の頭をよぎった。
彼は顔をあげて、そばを通りかかった品のいい老人を呼びとめた。
「もしっ。……まことに恐れいりやすが、ちょいと読んでいただきてえんでございますが」
老人は手紙の宛名をのぞいて、妙な顔をした。
「何て書いてありますんで?」
「こりゃ、エライおひとへの手紙じゃな」
「へえ?」
「野村靖殿御手披、とある。野村靖どのといえばこの神奈川県の県令じゃないか。……おまえ、こんな手紙をどうしたのじゃ?」
「いえ、ついそこで拾いましたんで、これは大変だ。早速おとどけいたしましょう」
吉五郎は狼狽した。
「県庁はどっちでごぜえましたっけ?」
「本町通り――それ、そっちへ曲って、左へゆけば――」
「あ、ありがとうごぜえます」
吉五郎はそわそわと歩き出した。
彼は実際にあわてていた。この手紙を早速とどけるといったのはごまかしではなかった。彼は神奈川県令野村靖という人をほんとに知っていたのだ。
あれはこの早春のこと、数寄屋橋の隅の御隠居さまから頼まれて、長州の若い人が没収されたという大事な手紙を、馬場先門でそのポリスからスリ返してやったことがある。そのとき、みごとにスルにはスッたが追いかけられて、危いところで通りかかった馬車に救われた。その馬車のあるじがそのころ外務省の何とかえらい位の野村靖という人だったのだ。たまたま、その長州の若い人が野村閣下の知り合いで、そのため自分もあとで野村閣下からお礼をいわれ、御馳走にまでなったが。――
「こら、巾着切吉五郎、待てっ」
うしろでふいに怒声と靴音が起った。
ふり返って、仰天した。油戸杖五郎ともう一人、やはり髯の巡査がこちらに駈けて来るのが見えた。
「うぬはさっき、長州の若者から何かスリおったな。おれの眼に狂いはない。それを渡せ!」
吉五郎は突風に吹かれたようにキリキリ舞いをして逃げ出した。
――油戸巡査たちはその青年を追い、つかまえ、青年が持っているべきものを持っておらず、かつそのことに彼がまごついているようすから、先刻ちらっと見かけた巾着切の吉五郎のことに想到したのであった。ただ巾着切というだけでなく、必ずや油戸の脳裡にこの春のことがひらめいたに相違ない。
吉五郎は逃げた。こんどつかまったら百年目だ。
そして、本町通りの県庁のほうへ逃げて――またも彼は、その門から出て来たばかりの一台の馬車を見かけたのであった。しかも、何たる偶然、その馬車の窓から怪しむようにこちらを眺めているのは、あの野村閣下ではなかったか?
「あっ殿さま!」
吉五郎は馬車に飛びついた。
「た、助けておくんなさい! 一大事でごぜえます!」
「はてな、お前は?」
「へ、あっしは、殿さまへのお手紙をあずかってるんで、それで――」
油戸巡査たちが追いついて来たとき、野村県令は馬車の外に下り立っていた。
むろん油戸たちは、ほんのこのあいだの井上元老院議官の外遊見送りの際見かけたこともあり、その人物がいかなる地位の人であるかは知っている。二人の巡査はとりあえず敬礼したが、すぐにあらい息を吐いて油戸杖五郎がいい出した。
長州萩の乱はこの月のはじめに破れ、その首魁《しゆかい》前原一誠はすでにとらえられて断罪を待つばかりであるが、その獄中の前原から東京方面の某要人に重要な密書が書かれ、一味の青年がそれを携え、萩を逃れて海路上京したとの情報があった。
それでけさからそこの波止場に網を張って待っていたところ、果然それに該当する若者が下船するのを見かけ、追跡してとらえ、からだを改めたところ、その密書がない。
それはその直前に、そこの巾着切めがスッたのである。しかも、思うにそれは偶然ではない。その巾着切は何か応ずるところがあって、青年から密書を受けとったとも見るべき証拠がある。――
「それ、見せい」
黙って聞いていた野村県令が吉五郎にいった。
吉五郎はその顔を見、巡査たちの顔を見ていたが、やがて腹のあたりから一束の書類をとり出して、おずおずと野村県令にさし出した。
「恐れいりやした。……これでごぜえます」
「県令閣下」
と、巡査の一人があわてて呼んだ。
「それはわれわれが大警視から押収の厳命を受けているものでありまして、たとえ何ぴとであろうと余人には渡すことのできないものであります。ただちにお渡し願います」
彼は、いま菊池と名乗っているが、その昔桜田の変の元水戸浪士|海後嵯磯之介《かいごさきのすけ》であった。
依然、黙って野村県令は、その紙束を数枚めくって――その顔に名状しがたい驚愕の色が浮かんでいた。
「閣下!」
二人の巡査の声は殺気さえおびた。
「巡査」
野村県令はようやく顔を二人の巡査にむけた。
「前原どのがこれを送ろうとした某要人とは、この野村靖のことだと承知してものをいっておるのか」
「は?」
「前原どのは兄弟子、この野村はおとうと弟子、二人はともにかつて松下村塾の弟子であった。……ほう、前原どのは、かようなものを御所持であったか。まったく知らなんだ。しかし、いまや首の座にすえられた前原どのがこれをわたしにおとどけなされたお気持はわかる。さもあらん。……」
感銘した声であった。
「閣下、天下の叛逆者からの密書を、いかに神奈川県令なればとて……」
と、油戸巡査が一歩二歩進み出た。
「ふふん、この野村とて、若いころ獄中の松陰先生の御下知により、時の老中の暗殺を企てたり、また藩命に叛いて京の大原三位へ先生の密書をとどけようとし、牢にいれられたこともある男じやわ」
と、野村県令は自若《じじやく》としていった。
巡査たちより、むささび吉五郎のほうがびっくり仰天した表情になった。彼は眼をむき出し、穴のあくほど県令の顔を見つめた。
いちど玉木|真人《まひと》とともに野村に助けられながら、吉五郎は、玉木と野村の関係を、同じ長州人らしいということ以外には、よく知らなかった。――
あのとき乃木希典少佐が野村の馬車に乗っていたのは、単なる事の|ついで《ヽヽヽ》ではなかった。乃木の弟、玉木真人の養子にいった先の玉木文之進は、吉田松陰の最も敬愛する叔父であったのである。養子だから血縁こそなけれ、まさに玉木真人は松陰とは従兄弟《いとこ》の縁にあったのだ。ついでにいえば、ただ弟の養子先というだけでなく、乃木希典という人間を鍛えあげたのも玉木文之進である。
そして、野村靖――若いころは野村和作といった――こそ、松陰と最も純粋に信じ合った師と愛弟子《まなでし》であった。
「たとえ川路大警視が来ても渡せん。これは松陰先生の御遺書である」
野村県令は涙さえほうり落しながら大喝した。
「巡査ども、退れっ」
「身はたとい武蔵の野辺《のべ》に朽ちぬとも留《とど》め置かまし大和魂」
の絶唱にはじまり、
「七度《ななたび》も生きかえりつつ夷《えびす》をぞ攘《はら》わんこころ吾れ忘れめや。
十月二十六日黄昏書す」
に終る吉田松陰最後の絶筆――実に彼は、この翌日の安政六年十月二十七日処刑されるのである――「留魂録」は、大獄の経過、獄中の様相、松陰自身の志、あとに続くを信ずという若き志士たちへの遺託などを、薄葉半紙四つ折十枚に細書したものである。
これが維新時、志士たちをふるい立たせたのかというとそうではない。その当時、それは日本本土には存在しなかったのである。
このことはのちに「留魂録」が世に公にされたときの野村靖の「解説」に明らかだ。
「余かつて神奈川県令たり。一日、牢|鄙夫《ひふ》あり、来り謁し、小冊子を懐中より取りていわく、奴《やつこ》は長藩の烈士吉田先生の同囚沼崎吉五郎なり。
先生殉難前の一日、この書を作り、奴に告げていわく、余すでに一本をわが郷に送る。しかれどもあるいは阻滞して達せざらんことを恐れ、またこれを以てなんじに託す。なんじ、出獄の日、これを長(州)人に致せよ。長人みなわれを知る。その誰たるを問わずと」
松陰の危ぶんだ通り、別に萩へ送った一本はそのまま行方不明になってしまった。
「奴、のちに三宅島へ処流せられ、このごろ赦されて帰る。たまたま公の長人たるを聞き、つつしんでこれを呈すと。
余ひらいてこれを閲すれば、すなわち先師手蹟の留魂録なり。すなわち告ぐるに師弟の実を以てす。吉五郎驚喜してつぶさに先師坐獄の状を説き、かつ『諸友に語《つ》ぐる書』及び遺墨数葉をとどめて去る。
時に明治九年某月なり」
すなわち「留魂録」は、このときはじめて世に現われたのであった。実にそれが書かれてから十八年目のことである。
ただし、野村靖がこれを書いたのは明治二十四年になってからで、むろんこのときはこの書の出るに至ったほんとうのいきさつをすべて知っている。しかも彼はなお感動をもって伝える。
「ああ、先師終りに臨《のぞ》みて従容《しようよう》迫らず、用意|※[#「糸+眞」]密《しんみつ》、この書幸いに今に存す。その魂その文、千歳不朽というべし。
そもそも吉五は一無頼の徒のみ。しかれども流竄顛沛《るざんてんぱい》の間に処《お》りて保持失わず、ついに先師の遺託を全うするを得《う》。あに至誠、人を感ぜしむるにあらずや」
「いやあ、驚きやしたねえ。……」
と、数寄屋橋の庵《いおり》に来て、むささびの吉五郎が眼をぱちくりさせた。
「巡査がにらんでるので、弱り切って代りにそんなものを出したら、あの野村県令が松陰先生のお弟子さんだったとは。……松下村塾の弟子ってえのは、死んだ人はとにかく生き残ってるのァ、お上の金を使い込んだり色きちげえだったり、どいつもこいつも大変《てえへん》なやつばかりだと、実はもうあきらめてたんだが、まったく天の配剤、いい人にお渡し出来やしたよ。……」
吉五郎は、そんな職業の人間とは思われないような厳かな眼を宙にあげた。
「しかし、そいつを隠して持ってるのに、いや三宅島じゃとんだ苦労をしやしたよ。島で囚人が何かを隠して持ってりゃすぐにわかって役人にとりあげられる。大事そうに見えりゃわけもわからず仲間に盗まれる。そのために笑い絵を囮《おとり》にしてしのぐってえ手なんぞを使いやしたが。……」
老スリはちょっと笑った。
「とにかく、どんなことがあっても、吉田先生の御遺書だけは無くさねえで持って帰らざあなるめえと覚悟して……まったく、あんなえれえおひとはねえ。まだお若えのに、牢の中のどんなけだものでもまともな人間扱いにするやさしいところがあって、いつ首を斬られるかわからねえというのにひっそりと物書きばかりしていて……それで、火みてえなところもあるんだ。なんか、こう、透きとおった火が牢の中で燃えてるような。……」
「吉田ってえ人と相牢だったことは、いつか聞いたことがあるが、そんなものを預ってるってえ話ははじめて聞いたぜ」
と、兵四郎がいった。そばに御隠居とかん八も坐っている。
「いや、このことはめったな人にゃ話せねえと思ってたもんですから」
と、吉五郎はいって、すぐにあわてて、
「なに、ほんとうはここのところ、そんなものを忘れてたんでさあ」
と、頭をかいた。
御隠居がつぶやいた。
「何にしてもお前沼崎吉五郎という人間がいなけりゃ、その吉田松陰最後の遺書が世に出て来なかったということになる。これは、考えておった以上に、お前は歴史的人物≠カゃったな。……」
「ところで。――」
と、吉五郎は膝小僧を坐り直した。
「野村県令はそのとき大事な急用があったそうで、あっしに、あさってもういちど来い、是非聞きてえことがあるといって、巡査をにらみながらそのまま馬車を出していっちまったんですがね。さあ、その巡査がいるから、かんじんの長州の手紙ってえやつがとうとう出せねえ。で……結局、そいつをここに持って来ちまったんでごぜえますが。……」
「ほう?」
「長州からの手紙だとか、長州への手紙だとか、こいつはばかにあっしたちに縁があるようで……御隠居さま、御覧になりますかえ?」
吉五郎は懐からそれを出した。
宛名は野村靖、差出人は「一誠」とある。
「前原一誠じゃな」
御隠居はしばしその手紙を手にとって眺めていたが、やがて火鉢の鉄瓶の湯気をあててその封をはがし、中の書状をとり出し、眼を走らせ出した。
読んでゆくうち、その顔には、一種の表情としかいいようのない表情が浮かんで来た。
「おい、兵四郎、いつぞや東京を出た五人の警視庁の密偵の所業がわかった」
と、妙なことをいう。
「へえ?」
「この前原の手紙には、この一月薩摩からの密使と偽って萩に来た二人の警視庁の密偵に政府への不平を打ち明けたのがこんどの暴発の口火となった、と書いてある。そして前原は野村に、警視庁がかかる奸策《かんさく》を弄《ろう》したことを天下に明らかにするように依頼しておる」
「え、なに、前原も?」
「左様、永岡がやられたと同じ手じゃ。薩摩から来たと称して萩にはいり、萩からついて来たような顔をして東京にはいる。二人、二人で計四人。まだつまびらかにせんが、おそらく熊本か秋月の乱に、あとの一人が動いたのではないか。彼ら密偵が東京を出たのが去年の秋じゃから、こういうことをやるまでに、あちらでじっくりと化けることに手をかけたのじゃろう」
「………」
「川路のやることは、時間と距離と、そんなに大がかりな一方で、いつかお蝶を介し、お千を介して永岡をあざむこうとしたように、ぞっとするほど細工がこまかい」
「………」
「前原は悲憤のつもりじゃろうが、こりゃみごとに一杯食ったやつの泣きごとじゃな」
兵四郎も、かけねなく戦慄をおぼえた。
「彼ら密偵が旅立つ前に、わざわざ大久保の屋敷へゆき――おそらく指示と激励を受けたのじゃろうが、なるほど彼らはそれに充分応える働きをしたといわねばならん。いま川路のやることは、といったが、むろんその背後には大久保内務卿が立っておる」
御隠居の顔も、心なしかやや蒼《あお》ざめているようだ。
「しかも前原の手紙にはな、その密偵が萩を立ち去るときわざわざ警視庁の密偵だと名乗って去ったという。永岡にくっついておった密偵も、永岡の計画を止《と》めるほうには動かず、逆に煽動《せんどう》しておったという。たんに探索のためだけの密偵ではない」
御隠居は宙に眼をすえて、深沈とつぶやいた。
「前からうすうす感じてはおったが、どうやら天下の静謐《せいひつ》を願うべき内務卿と大警視が、天下の動乱をこそ望んでおるとしか思われぬがどうじゃ?」
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皇女《こうじよ》の駅馬車《えきばしや》
数寄屋橋の隅の御隠居さまのところには、変り者の兵四郎が見てもたんげいすべからざるいろいろな客が来るが、こんな訪問者はいままでになかったろう。――子供の大群なのである。
合わせれば三十人近くに上ろうか、これがいずれも大きな破れ笠《がさ》をかぶり、背中に小さな風呂敷を背負って、旅装束といいたいが、枯草の中の水たまりは薄氷《うすらひ》となって張っている十二月はじめの、まだ日も昇らない早朝だというのに、五つ六つの子供もボロにちかい着物を着て、素足にそれぞれわらじをはいている。
家の前に出迎えたお縫が、呆れたようにみなを見まわしてから、
「まあ、可哀そうに……そんな姿で侘助《わびすけ》村までゆくの?」
と、涙ぐんだ。
「これ、湯をたんと沸かして、熱い茶でも配ってやれ」
と、御隠居さまもあわてた顔で命じてから、
「兵四郎、御苦労」
と、いった。――この奇妙なむれを訪問者といったが、引率者は兵四郎とかん八なのである。
「しかし、わざわざ寄らんでもよかったに」
「いえ、この青年がどうあっても御挨拶して、お礼を申し述べたいと申し――」
と、兵四郎は、かたわらをかえり見た。
十七、八の、これも粗末な薄着につんつるてんの袴《はかま》をつけ、わらじをはいた若者がていねいにお辞儀をした。
「元会津藩士の伜、姓は柴《しば》、名は五郎と申します。このたびは、これら謀叛人の子弟らをなみなみならぬ御慈悲をもってお養いいただくことになり、感泣のほかはござりません」
「このひとは、いま陸軍幼年学校の生徒で、特に休暇をとって、この子供たちを集めてくれたのです。この人がいなかったら、とうていこれだけ集められなかったにちがいありません。……侘助村にもいっしょについていってくれるそうです」
と、兵四郎がつけ加える。御隠居が、心配そうにいう。
「相州侘助村まで十八里あるぞ」
「は、程ヶ谷あたりで一泊してゆくつもりです」
「それでも一日九里。見れば幼い子も多いが、歩けるかの?」
「大丈夫です」
青年はきっぱりといった。
「この子供たちを私はよく知りませんが、会津の侍の子なら、一日九里くらい歩いて音《ね》をあげるやつは一人もいないはずでござります。……のう、歩ける喃《のう》?」
と、ふりかえると、子供たちは――女の子もまじえ、五、六歳の幼童までが、
「あるける!」
「あるけるよ!」
と、白い息を吐いてさけんだ。
やがて彼らはお縫から熱い茶をもらい、兵四郎とかん八につれられて、まだ薄明りの東京の町を、西へ向って行進を開始した。
この子供たちは、約一ト月前――十月二十九日の夜「思案橋事件」で捕縛《ほばく》された元会津藩人らの子弟であった。あのとき首領永岡久茂とともに捕えられたのは十二人で、彼らはいまも市ヶ谷の獄中にある。
事件のあと御隠居が永岡の愛人お千を、かつての自分の知行地《ちぎようち》侘助村に避難させたことはすでに述べた通りだが、さてそこへいったお千は、自分のことよりも獄中の永岡や同志の人々を案じた。そしてまたそれ以上に、同志の人々の家族の身の上を案じてやまなかった。
捕えられる以前から彼らが極貧《ごくひん》の生活をしていたことは、だれよりも彼女がよく知っている。その夫や父が天下の謀叛人として捕えられたあとの家族の悲惨さは、思いなかばに過ぎるものがある。とくに足手まといになる幼い子供たちのことを思うと、とうてい自分だけが相州の田舎にじっと隠れてはいられない。東京へ帰って、せめてその幼い子供たちを何とか面倒見てやるのが、獄中の永岡に対する何よりの自分の義務だと思う。――
お千は身もだえして、こう御隠居さまに訴えて来た。
御隠居は考えて、お千に返事した。警視庁はなお思案橋事件の残党を探索している。その残党を知っているのではないかという疑いで、必ずお前さんもつかまるだろう。たとえ上京しても、とうてい遺家族の世話など出来る状態ではない。その代り、こちらで調べて、もし窮迫《きゆうはく》その極に達している家族があれば、その同意を得たうえで、幼い子供たちだけでもそっちへ送ってやることにしよう。
こういうわけで御隠居は、兵四郎、かん八に命じて一味の家族の消息を調べた。一味は思案橋で捕えられた十二人だけではなかった。呼応しようとした新潟、会津の者たちはおくとしても、千葉にも潜伏《せんぷく》していた同志は少からずいる。その全貌《ぜんぼう》は、お千も知らない。
すると、数日前、兵四郎のところへ、陸軍幼年学校の軍服を着た一人の青年が現われた。そして、元会津藩士の子で柴五郎という者であると名乗り、自分は思案橋事件とは無関係であるけれど、東京及び近県に住む元会津藩人の所在はたいてい知っている。このごろあなたがひそかに思案橋事件関係者の家族を探し廻っておられることを耳にし、かつそのお志もわかって心からありがたいと思う。ついては私に是非そのお手伝いをさせていただきたいといって、その結果三十人ちかい子供たち――五歳前後から十五歳くらいまでの、哀れな少年少女たちを集めることになったのであった。
さてこの朝、数寄屋橋の御隠居さまに礼を述べて、柴五郎もついて相州佗助村にゆくことになったのだが、この十八里の旅に出て、もし五郎がいなければ、道中、どうにも始末に困ったろう、と兵四郎たちは認めないわけにはゆかなかった。
なにしろ引率してゆく連中の年が年だ。まるで小犬のむれを追っているようなもので、まさか鎖をつけるわけにはゆかないから、いっそう手におえない。
それを。――
「やかましいぞ、黙って歩け」
とか、
「もう足が痛いと? そんなやつは会津の侍の子ではない!」
とか、五郎が叱咤《しつた》すると、子供たちはたちまち従順にそれに服し、あるいは眼に見えてふるい立つ。
本人もいうように、同じ会津藩士の子弟とはいえ、こんどのことではじめて逢った仲らしいが、それでもその会津|訛《なま》りは幼い子供たちに魔法のような効力を現わすらしい。
年は十八、というから、青年というよりまだ少年といったほうが適当だろう。そのういういしさはもとよりとどめながら、一方でこの柴五郎の顔には、どこか古武士のような厳しさが刻《きざ》みつけられていた。
「陸軍幼年学校とは、よいところにはいられたな。会津の人では珍しいのじゃないか」
と、たたんだ傘の柄《え》をついて歩きながら、兵四郎がいう。
「は、氷寒地獄の斗南《となみ》から、たまりかねてやみくもに上京したのが倖《さいわ》いのもととなり、さるおかたのお世話のおかげで何とか入学出来たのであります」
と、柴五郎は答える。兵四郎は、いつかの佐川官兵衛の語った斗南の話を思い出した。
「会津のいくさのときはおいくつだった」
「十でした。……あの子供たちと同じ年ごろです」
「御家族は?」
「父、三人の兄、これは戦って、かえって生き残りましたが、祖母、母、姉、妹、みな敗北に先立って、自害して死にました」
剛毅《ごうき》とさえ見えた若者の眼に、みるみる涙が盛りあがった。
「私は十でしたから籠城《ろうじよう》はせず、母たちとともに城下の屋敷に住んでおりましたが、敵軍迫った一日、山へ松茸狩りにいって来いと命じられ、うかうかと出かけたあと、母たちは……七つの妹まで懐剣を握って自害したのです」
腸《はらわた》もちぎれるような声であった。
「私を出したのは、父や兄たちの討死《うちじに》は必定だから、せめて男の子一人だけは残そうと考えたのでしょう。あとでそれを知って狂気のごとく馳《は》せ帰りましたが、時すでに遅く、母たちの遺骸《いがい》をつつんで家は焼け落ちておりました。私は大地をたたき、草をひっつかんでころがりまわりました。……」
ふいに五郎は駈《か》け出し、足をひきずっていちばんうしろを歩いていた十くらいの女の子の前にしゃがんで背を向けた。
「さあ、おぶされ」
兵四郎とかん八は顔見合わせて、一語もなかった。かん八の片腕があがって、横なりに眼にあてられた。と見るや、彼もまた五つくらいの男の子の前にしゃがんで、背を向けた。――
――明治三十三年、いわゆる義和団の蜂起《ほうき》により北京が包囲されたとき、悪戦苦闘の籠城五十余日、その間駐留軍の総指揮官としてついに守りぬき、その勇名とともに軍規の厳正をもって連合軍の賞讃のまととなった北京駐在日本武官柴五郎中佐は、この若者の後身である。
隅の御隠居さま――駒井相模守のかつての知行地、相州の侘助村は平塚から数里北へはいったところにあった。
馬入《ばにゆう》川に沿い、春には桃の花がいちめんに咲く美しい村だ。兵四郎も御隠居さまの用件で、その後なんどかここを訪れる機会があったが、まるで桃源郷とはこのことかと思う。
いまは――世の中はもう師走《しわす》にはいっているはずだが、ここの空はからあんと碧《あお》く晴れて、やはりふしぎにどこか春の感じがした。
この村の百姓たちが、瓦解《がかい》後も依然として東京の御隠居さまに米や野菜をとどけることは前に述べたが、それ以上にここはこのごろ、ある意味で「聖域」と化している。御隠居さまの眼から見て、ここで当分静養したほうがいいと思われる人間や、たいした重罪人ではないが政府の追及を受けそうな人々を、御隠居さまはみんなここへ逃がし、またこの村はなんのわだかまりもなくそれを受けいれるのだ。
この「警視庁草紙」の登場人物にかぎっても、旧大聖寺藩の姫君と藩士たちや、石出|帯刀《たてわき》の息子や、永岡久茂の愛人お千や。――馬入川を見下ろす小高い丘の森の中に、村民から|からたち《ヽヽヽヽ》寺と呼ばれる古い寺があって、彼らはここへ安らかに収容された。
倖《さいわ》い大聖寺組はその後ひっそりと加賀へ帰っていったそうで、ここにまた新しく三十人くらいの子供たちを受けいれるのにさしつかえはない。
出迎えたお千が、涙をこぼして一人一人を抱きしめ、兵四郎に礼をいったことはいうまでもないが、さてそのあとで、またすがりつくようにいうのである。
「永岡たちはどうしているのでしょうか?」
「それは、ある人間を通して調べさせておる」
「まさか、もう首を斬られたのではありますまいね?」
その点は、兵四郎も何とも返事のしようがない。こういう国事犯の処刑が長くて半年、まず三カ月を待たないことはいままでの例から明らかだが、収監後の永岡らの取調べの経過がまるで不明なので、兵四郎も焦燥していたのだ。実はここへ来るにつけて、お千にこのことを聞かれるのが兵四郎にとっていちばんつらいところであった。
とはいえ、お千ももとより兵四郎にそんなことを聞くのは無理だとはよく承知している。また眼を宙にそそいで、
「それから、あの永岡をだました二人の密偵はいまどうしているのかしら?」
と、つぶやいたが、それはそのことをずっと思いつめていたからこそ、これを機会にもれた言葉で、決して兵四郎を責める眼ではなかった。
しかし、兵四郎には、こたえる。事件の直後、憤激のあまり彼自身あの密偵への報復を誓ったのみならず、御隠居さまにもお千にもそのことを口にした。しかし、二人の密偵はあれっきり警視庁七千の――このごろさらに大量募集中といわれる――巡査の中へまぎれこんでしまった。
顔はおぼえているから、それを探し出すことは必ずしも不可能ではあるまいが、さて見つけてこれをどうするか。
まさか、天下の謀叛人を検挙したからといって、巡査に対して大っぴらに敵討ちをやるわけにもゆかないではないか。――
「ああ、わたし東京に帰りたい」
お千は悶《もだ》えた。
「せめて永岡が斬られるとき、市ヶ谷監獄の外でひざまずいて、南無阿弥陀仏を唱《とな》えてあげたい。……千羽さん、あなたといっしょに帰っちゃいけないかしら?」
兵四郎はあわてて、
「待ってくれ。お前さんの願いは兵四郎引受けたつもりだ」
と、いい、
「あの密偵どもにはきっと天誅《てんちゆう》を加えてくれる。それどころか。――」
と、騎虎《きこ》の勢いでいった。
「おれは何とかして永岡さんたちを牢から逃がしてやりたいとさえ考えているのだ」
「えっ? 永岡を逃がす?」
「それにつけても市ヶ谷監獄の中のようすがさっぱりわからないのでは手の打ちようがない。そこで、さっきいったように、ある人間を介して探りをいれているところなのだ」
それはお千へのおためごかしの言葉ではなく、兵四郎の本心からの望みであった。ただ果して実行可能かどうかは、彼自身にも保証は出来ない。
ともあれ、彼はこの桃源郷に来たからといって、何も安閑としてはいられない焦燥を感じている。
ところで、二日歩きつづけてこの侘助村へ来たわけだが、驚いたことに着いた夜のうちにあの柴五郎は東京に帰ってしまった。幼年学校をそう休んでいるわけにはゆかないから、夜中もまた歩きつづけて帰京するというのだ。斗南時代の惨苦を思えばそんなことは何でもない、と笑ったが、実にその会津|魂《だましい》というやつには舌を巻かずにはいられない。
「また来るぞ。……村の者に迷惑かけぬよう、おとなしくして、しっかり勉強するのだぞ。会津の恥をさらすなよ」
と、この十八歳の少年は、厳然と子供たちに訓戒して別れを告げて去っていったが、見送って泣く子が多かったところを見ると、二日間の旅のあいだにも、何か同郷の魂の通じるところがあったのだろう。
兵四郎とかん八は、子供たちのようすを見るためもあって、二晩なお|からたち《ヽヽヽヽ》寺に泊って、その後帰ることにしたが、おかげで妙な人物と再会することになった。
二日目の午後であった。
「やあ、お久しぶり。こちらへおいでとうかがって、やって来ました」
宗匠頭巾をかぶった中年の大入道が、笑いながら寺へはいって来たのである。
「その節は、何かと。――」
「南部の秀《ひで》じゃあねえか」
と、兵四郎は眼をまるくした。
いつであったか、銀座で幻燈からくりを見せて、井上馨の心胆を寒からしめた一匹狼の香具師《やし》南部の秀。
あのとき――井上配下の鉱山師《やまし》に襲われて、銀座街頭の大乱闘となったところを兵四郎も飛入りであばれて逃がしてやった。
そのとき秀の相棒|三千歳《みちとせ》を数寄屋橋の御隠居の庵《いおり》へつれて来たことから、あとで秀もそこへ礼をいいにやって来た。そして、井上の報復を逃れるために当分東京から姿を消したほうがいいだろうということになって、二人は侘助村へ落ちていったのである。
ただし、三月《みつき》もたたないうちに、両人はたいくつしたのか村から消えたそうで、それっきり兵四郎たちも逢ったことはなかったのだが。――
「お前……どこから来たんだ」
「神奈川県愛甲郡中津村」
「へえ?」
「ここから、二、三里、奥へはいった村で」
「じゃあ、東京へ帰ったわけでもなかったのかえ」
「いえ、そっちにはチョィチョィ顔を出します。ただ籍はそこに置いてありますんで」
「いま、いってえ何をしてるんだ」
「医者と絵師兼業」
「えっ……お前が、医者と――絵師?」
「と、まあ、そういうことにしてあるんでさあ。馬鹿が来たら医者として立ち向い、利口そうなのが来たら絵師としてつき合う。それがふしぎなことに、ヤシよりゃイシ、エシのほうが収入《みいり》がいいようで」
「ふうむ、大変な医師絵師があったもんだ」
「まさか南部の秀ってえ名で医者をやれませんから、ただいまは熊坂長庵と名乗っております」
「熊坂、長庵?」
兵四郎は思わずすッ頓狂な声で聞き返した。
「どうです、医者らしゅうござんしょうが」
兵四郎は馬鹿馬鹿しくなって、語を転じた。
「ところで、三千歳は健在か」
「いえ、あれとはすぐに別れました。とにかく文化文政のころに花魁《おいらん》をやってた女といっしょにいちゃ、開化の御時勢に遅れますのでね。へ、へ、へ」
と、笑った御本人は、それこそ河内山の再来みたいな面がまえだ。
いろいろと聞けば聞くほどいっそう奇々怪々な人物で、まるで鵺《ぬえ》でも相手にしているような気がする。
にもかかわらず、なぜか兵四郎はこの闇の海からにゅっと出て来た海坊主みたいな男が好きであった。これがその昔、「檜山《ひのきやま》騒動」の主人公相馬大作の忘れがたみというのだが、本来なら眉に唾をつけたいはずなのだが、ふしぎにそれに間違いあるまいと思われる叛骨と痛快さがこの香具師にあった。
さてこの南部の秀改め熊坂長庵が、とんでもないことを持ちかけたのである。
「千羽の旦那、大金をもうけたかあありませんかね。旦那はどうやら芸者衆のヒモで食っていなさるようだが、まさか一生それですませるつもりでもねえでしょう。何かやろうったって、江戸南町奉行所同心の生残りじゃ、どうにもならねえ。……」
「大金をもうける話とは何だ」
「贋札作りですよ」
「ひえっ」
と、聞いていたかん八が変な声を出した。
長庵はニヤニヤして、話し出した。
要するに、彼がこの夏東京に現われて――むろん兵四郎は知らないが――加賀の壮士島田一郎らに持ちかけたのと同じ話であった。
すなわち、明治二年大阪の造幣廠《ぞうへいしよう》が火災にあったとき、ドイツから輸入したばかりの紙幣印刷機にも火がかかって処分された。ということになっているが、実は当時|造幣頭《ぞうへいのかみ》であった井上馨の乾分《こぶん》で大阪で鳴らしている政商藤田伝三郎の土蔵の一つに移された。それというのも、火はかかったが、使用しようと思えば充分使用出来る見込みがあったからだが、結局それは使用されずに、そのまま埃をかぶって、ついにはだれからも忘れられてしまった。――
それをいかにしてか長庵の仲間――香具師か泥棒のたぐいだろう――が嗅《か》ぎつけて、この秋、藤田家の土蔵から盗み出し、目下京都の某所に隠匿《いんとく》されている。しかも藤田家のほうでは、まだそのことを知らないはずだ。
それを何とかしてこっちに持って来たいのだ、と、長庵はいうのであった。――向うで使うのは、香具師の組織上何かと不都合なことがあり、一方、この相州の山村《さんそん》だと極めて好都合なことがあるらしい。
ところがこの紙幣印刷機が、大きさは駕籠《かご》一梃にははいりかねる上に、なにぶん鉄で出来ているのだから、駕龍では運搬出来ない。船で運ぶにも、そんな品物では港で検査を受けるだろうから不可能である。それで実は持て余しているのだ、宝の持ち腐れとはこのことで、と、長庵は頭をかいていうのであった。
「そ、そんなものを手にいれて、ほんとに金札が出来るのか」
「いちど私も上方へいって見てきましたが、何とかなりそうで……ま、少し手の込んだ|のぞきからくり《ヽヽヽヽヽヽヽ》と思やいい。なにしろ絵模様のある金礼ですから、少し絵心が要るが、これで長庵、絵師を名乗るほどであって、その用くらいは勤まる。……」
「お前、本気か、秀。――いや、長庵、贋金《にせがね》作りは、人殺し以上の重罪だぜ」
「そいつあ、政府にとって人殺しより困ることだからね。だからこそ、やって見る気はありませんかえ。江戸町奉行所の同心さま、あんたもいまの政府は大きらいでがしょう?」
「え、それァそうだが、いくら何でもねえ。……」
まさに、さすがの兵四郎もこの話にはおそれをなした。
「そんなことまでして金をもうける必要もねえが。――」
「ほんとうをいうとね、私も金もうけが目当《めあて》じゃあねえんで」
「じゃ何だ」
「あの井上馨をやっつけるためでさあ」
「なに、井上を?」
兵四郎はまじまじと長庵の顔を見まもった。この男が、尾去沢《おさりざわ》銅山一件で井上馨に凄《すさま》じい挑戦を試みたことは承知しているけれど、まだその執念を持続しているのには呆れかえらざるを得ない。しかし。――
「しかし、井上はいま外国へいってるんだぜ。三年は帰らねえと聞いたが。……」
「三年たちゃいよいよ大きなつらァして帰って来て、またごうつくばりな真似をするにきまってまさあ。いやそれより、その外国にいる野郎を日本でやっつける法を思いついたんでね。あんまりその思いつきが奇抜だから、われながら惚《ほ》れ惚《ぼ》れして、それでどうしてもこの贋札作りをやりたくなったのでさあ。……」
――実際にこの熊坂長庵は、やがて贋札作りを実現したのみならず、外国にいる井上馨を贋札作りの汚名にまみれつくさせ、いわば千里のかなたにいるアリバイを持つ人間を犯人に仕立てあげるという、前人未到の離れわざをやってのけたのだが、その「トリック」はいかなるものであったか、それはあとで述べるとしよう。
「とはいうものの、何といってもその機械をこっちに持って来なけりゃ話にならねえ。その手段《てだて》を考えあぐねて、それで旦那にいい智慧《ちえ》を借りてえと御相談に来たわけだが、やっぱりだめでござんすかねえ」
「もともとあんまり智慧のあるほうじゃあねえが、長庵、おれア何といっても元は同心だぜ。とんでもねえことを相談に来るやつだ」
長庵本人もいう通り、よほど考えあぐねてのことだろうが、さればとてだれにもかれにもこんな途方もない相談を見さかいなく持ちかけるわけではなく、彼なりに相手を見ての話にちがいない。
それをぴしゃりとことわられて、彼はべつに不平そうな顔もしていなかった。
「いや、正直に申しあげると、旦那をあてにしてたわけじゃあありませんのさ。数寄屋橋の御隠居さまのお智慧を拝借いたしてえので」
「なに、御隠居さまにこの話をしろってえのか?」
「へえ、あのおかたなら、天来の妙案を授《さず》けて下さりそうだ、と思いつきましてね」
熊坂長庵はニコニコ笑っていた。
「旦那、この話を御隠居さまにしてごらん。存外、あの爺さま、変通自在の智慧だけじゃなく、兵四郎、面白いからお前もやって見ろ、とおっしゃるかも知れませんぜ。……」
兵四郎とかん八が、会津の子供たちを無事侘助村にとどけたことを報告しに数寄屋橋へいったのは、それから二日目の日が暮れてからであった。
お縫が出て来て、お祖父《じい》さまはいま山岡鉄舟先生と碁を打っているといった。すると、声を聞いて、
「いや、碁はすんだ。上れ」
と、御隠居が顔を出した。
兵四郎たちの報告を聞いて、御隠居さまは「御苦労であった」とうなずいたが、
「ところで、兵四郎、この三日、萩で前原が斬られたそうな」
と、突然いった。――三日というと、一昨日のことだ。
旅上の街道でまだ聞かない情報であったから、おそらく電報で政府に報告して来たのを山岡が聞いて伝えてくれたものだろう。前原一誠捕縛後一ト月目である。
兵四郎は愕然《がくぜん》としていた。
「では、永岡も?」
「いや、永岡らの処刑はまだじゃ。それについて、きのう吉五郎が来て、知らせてくれた」
兵四郎がお千に、市ヶ谷監獄の永岡らの動静はある人間を介して調べさせておる、と、ものものしくいったのは、実は巾着切の吉五郎のことであった。日々出獄ないし釈放されて来るスリ仲間に、監獄の中の噂《うわさ》を聞かせていたのだ。
「それによるとな、永岡は思案橋で例の巡査の棒に打たれたのがなかなか重症で、なお病檻におるそうな。そのためもあって取調べが進まず、監獄内の噂によると、一味の処刑は年を越えてのことじゃろうという。――」
兵四郎は、お千の苦しみに満ちた眼を思い出し、いよいよ事態が急迫して来たことを知ったが、といっても、もとよりどうするわけにもゆかない。
御隠居さまも、憂色を浮かべていう。
「そこで吉五郎の話ではな、橋寺千代蔵の智慧じゃというが。――」
「橋寺千代蔵?」
「それ、去年の夏、石出帯刀の事件のときの伝馬町の牢名主よ」
「あ。――」
兵四郎は思い出した。あのとき、殺人の無実の罪に落された元牢奉行石出帯刀を救うために、巾着切吉五郎がわざと牢にはいって訴え、その結果真犯人たる囚獄署長鳥坂喬記の面皮をはいでくれた牢名主の名だ。
何でも元は勤皇の志士の伜だそうだが、これが何とも変った男で、その事件のあと伝馬町の牢屋敷が大火に類焼して「切放し」になったとき、そのまま逃げてもよさそうなものなのに、その夜吉五郎といっしょにぶらりと数寄屋橋のこの庵にやって来て酒を飲み、その翌朝、「いや、御馳走さまでござんした」と礼をいって、また飄然《ひようぜん》と牢屋敷の焼跡へ帰っていったが。――
「あれがいまも市ヶ谷監獄で牢名主をやっておるのじゃよ」
「ほう」
「その千代蔵がいうには、じゃ。むろん、釈放されて来たスリを通じての意見じゃが、永岡らを逃がすならいまだ、少くとも病檻におる永岡は何とかなる。――」
そのとき、ひとりごとのような声が聞えた。
「三四、十二、十三、十四と。……」
兵四郎はわれに返った。襖越《ふすまご》しの声だ。どうやら客が一局後の碁の勘定をしているらしい。――実は、三帖三間の家のことだから、最初から侘助村の報告さえ気にかかっていたのである。
「それには獄卒どもを買収すればよい、と」
「えっ、獄卒の買収?」
隣りが気にはかかるが、これには兵四郎も眼をまるくした。
「脱獄のための買収、そんな大それたことが出来ますか。伝馬牢時代にもそんなことは聞いたことがない。――」
「ところがいまの囚獄署の獄卒どもは、たいてい伝馬牢時代の牢役人、それも与力同心の面々よ。その者どもは、ただ食わんがために欝々としていま新囚獄署の獄卒を勤めておる。……物心両面から、金は効《き》く。……いや、これは橋寺千代蔵の話じゃぞ。ふ、ふ、ふ」
「十|目《もく》くらいのちがいと思っておったが、ふうむ、十八目もあったか。……」
隣りで、また声がした。――いうまでもなく山岡鉄舟先生のうなり声だ。
前にも述べたように旧幕臣山岡は、しばしばこの庵へ酒を飲んだり碁を打ちにやって来て、なんどか兵四郎も話をしたことがある。
身分としては旧幕のころ百俵五人扶持に過ぎなかった山岡は、いまでも御隠居さまに礼をつくす。もっとも鉄舟の敬意に満ちた態度はそんなことが理由ではあるまいが――それにもかかわらず、兵四郎は何だか気|ぶッせい《ヽヽヽヽ》なものを感じる。人間としても兵四郎とは正反対の重厚さを持っているが、何よりいまの鉄舟の天皇侍従としての地位に対してだ。のみならず、聞くところによると鉄舟は、警視庁の剣道場にもときどき顔を出すという。――
それがすぐ隣りにいるというのに、こんな話をしていいのか?
御隠居さまは平気な顔でつづける。
「昔なら囚人の牢ぬけに一役買った役人は、天下に逃げるところがないが、いまは――いまはな、逃げるべきところがある、と千代蔵はいう」
「どこへ?」
「薩摩へ」
兵四郎は唖然《あぜん》とした。
「御用命なら、おれがそう事を運んで見せる、と、きゃつ高言したそうな。なるほど喃《のう》、と、わしも感服したが――ただし、と断わりごとがあった。それには大金が要る、加担の役人は十人くらいになるか、二十人以上にもなるか、いまのところ見当がつかぬというから、さもあらん」
「大金というと、どれくらい?」
「さしあたって、千円くらいは欲しい、というておる」
兵四郎は吐胸《とむね》をつかれた。米一俵が二円数十銭の時代の千円である。
「やる気と金があったら、遠慮なく連絡してくれ、とのことで、吉五郎も、都合がつきゃきっと千代蔵にとどけると承《う》け合ったが、千円では喃《のう》、吉五郎は、きょうから千人斬りならぬ千人スリの悲願をたてやすか、と申したが、とにかくこちとらでは間に合わぬ。うまい話というのは、えてしてこういうものじゃ」
と、三帖三間の家のあるじは苦笑した。
兵四郎は御隠居さまを見つめた。胸をかすめ過ぎた閃光《せんこう》があったのだ。
突然彼は、われを忘れてうめき出していた。
「大金なら、手にいれる法がありますが――」
「ほう、お前がそんなことを知っておる?」
御隠居さまは妙な眼つきで見た。
「泥棒はいかんぞ。――もっとも、元南町奉行所の同心が泥棒もすまいが」
「泥棒などよりもっと悪いことでござる」
兵四郎はまた正気に戻って、やや蒼ざめた顔で隣室の襖のほうに眼をやった。
「泥棒より悪いこととな。それなら、是非聞きたい」
御隠居さまはひざを乗り出し、ニコと笑った。
「天皇さまの御侍従はな、平生から君徳第一の御修行は、けしからん話には耳遠におなりなさることだと申しあげておるそうな」
と、いった。
しゃべっても大丈夫だ、と兵四郎は決心した。一応相談するだけは相談して見よう、と思った。ほんとうのところは、しゃべらずにはいられなかった。
いうまでもなく紙幣印刷機を運んで来る件だ。
話しながら兵四郎の耳たぶには、「あの御隠居さまなら、天来の妙案を授けて下さりそうだ、と思いつきましてね」という笑いをふくんだ熊坂長庵の声がよみがえって来たが――さて、聞いて、さしもの御隠居さまも、ただ、うなった。
数分間というもの、何の言葉もない。
「御隠居さま」
隣りで声がした。
「山岡、失礼いたす」
「おう、こちらこそ失礼した。あとで酒でも飲んでゆくじゃろうと思うて、お客を放りっぱなしにしておって相すまん。すぐに参るから、もうちょっと待っていなされ」
と、御隠居さまはあわててひきとめる。
「いや、拙者もそのつもりでおりましたがな、突然急用を思い出したのでござるよ。麻布市兵衛町の静寛院宮《せいかんいんのみや》さまのところへ」
と、山岡はいった。
「例の件でござるが」
「例の件?」
「はて、御隠居さまにはまだお話し申しあげておりませなんだかな。御承知のように静寛院宮には、瓦解後、明治二年、いったん京へお帰りあそばされ、七年の夏にまた東京へおいでに相成りました。その京にお住まいの間、昭徳院殿《しようとくいんでん》の御木像をお作りになられ、日夜御礼拝の儀を欠かせられなんだと承《うけたまわ》ります」
昭徳院殿とは、静寛院宮の御夫君、すなわち故十四代将軍|家茂《いえもち》公のことだ。
「さて静寛院宮にはおととし御上京なされたわけでござるが、そのとき京に残して来られた御木像、それを思い出され、なにとぞそれを東京にお運びいたして以前の通り礼拝申しあげたい。ついては山岡、お前がその運搬をしてくれまいか、との御依頼でござった。――」
嘘話《うそばなし》であるはずがないが、この際こんなことをいい出した山岡の重々しい声に、兵四郎たちは狐につままれたような顔をしている。
「それは新政府の役人などに運ばせとうない。是井元幕臣の者に運ばせたい。山岡頼むとの御諚《ごじよう》でござる。拙者もいまのお勤めがござれば、そのうちお上にお許し願って、とお約束申しあげておりましたが、それがどうあっても近いうちにその御用が果せぬことが判明いたした」
「なぜ?」
「なぜと申せば、御存知のように故家茂公、いちど御上洛の際ひどく船に酔われて御重態におなりになられ、次の御上洛は海路をお拒みあそばれたほどのお方、されば御木像もなんとか東海道をお運びいたしたい、それゆえに山岡に頼むのじゃ、との仰せでござったが、これがなみの駕籠にもはいらぬ大きさのもの、拙者勘考するに馬車でお運びするよりほかはあるまいと思案しておったが、然るところ拙者このごろ、持《じ》病の痔がとみに悪化いたしましてな、とうてい東海道五十三次、馬車に乗りづめというわけには参らぬようで。――」
「馬車。――」
「静寛院宮より、顔みるたびにお聞き下さるこちらの都合、それが当分不都合とあれば、こりゃ一刻も早くお目にかかって、ほかの然るべき元幕臣にお申しつけ下さるようにとおわび申しあげねば相成らぬ。――その御用をたったいま思い出した次第で」
「然るべき元幕臣。――」
「左様、では失礼つかまつる。あいや、お立ち下さるには及ばぬ」
山岡のほうは、立ちあがった気配だ。御隠居がいった。
「山岡さん、元八丁堀の同心じゃまずいか」
「なに八丁堀同心? まずいことはない。かくいう拙者も百俵五人扶持の御家人でボロ鉄と呼ばれた男でござった。――そりゃ、立派な幕臣でござるわ」
「なら、静寛院宮さまに申しあげて下され。元南町奉行所同心千羽兵四郎なるものに右の御下命あそばされとう願いたてまつりますると」
「心得てござる。……では御免」
事柄の重大性、切出しかたのものものしさに比して、かんじんかなめの結着はばかにあっけない。――ふだんの兵四郎なら噴《ふ》き出すところだ。
山岡鉄舟は、隣りから玄関のほうへ出ていった気配であった。お縫と何やら話している声がする。しかし、御隠居さまは見送らない。
「聞いたか、兵四郎」
と、にっとしていった。
「相わかってござる!」
と、兵四郎はさけんだ。――はからずも、お千に約束した難事の解決が、いま突如|妖《あや》しき曙光《しよこう》を見せはじめたのである。
御隠居は、ぽかんと口をあけているかん八をかえり見た。
「かん八、相州から立ち戻ったところで、まことに相すまんがな、もういちど佗助村にいって熊坂長庵を呼んで来てくれぬか。右の話をして、例の件、面白いからやって見る気になったと」
「合点だ!」
かん八はうなずいて、そのまま鞠《まり》みたいに駈け出していった。
――そのとき往来のほうで、「こらっ!」という大音声《だいおんじよう》が聞えた。はっとして耳をすませたが、それきりだ。どうやら山岡の一喝のようであった。
山岡を見送って出ていったらしいお縫が、駈け戻って来て報告した。
すぐそこで山岡さんがふいに叱りつけたら、闇の底から二つ三つの影が飛び立って逃げていったが、どうやら巡査のように見えたというのだ。そして山岡は、うしろから出て来たかん八に、お前、相模にゆくのか、と、天眼通《てんげんつう》みたいに話しかけ、おれは麻布へゆくからそこまでいっしょにゆこう、と、いって、連れ立っていったという。――麻布の静寛院宮家にゆくというのは、ほんとうであったらしい。
「ふん」
と、御隠居は鼻を鳴らした。
「このごろ、よう犬が嗅《か》ぎまわっておる」
巡査のことだ。それから、首をかたむけて、
「かん八が長庵をつれて来るまで、もう四、五日、大阪まで船が二日、長庵の話を聞かねばわからぬが、上方での支度がまず三日。――」
と、指折り数え出した。巡査のことなど、念頭にないらしい。
「さて東海道百二十五里半、昔はかれこれ半月もかかったが、二頭立の馬車なら、さあ、東海道を馬車で旅したやつはまだないから見当もつかんが、まず十日と見て、この月の二十五、六日ごろまでには帰って来れるのではないか? 永岡のことがあるから、事はなるべく急いだほうがいい」
そして、ふいにひざをたたいた。
「兵四郎、お蝶もつれてゆけ」
「えっ――」
突然、京への旅が実現化されることになってさすがにめんくらっていた兵四郎は、重ね重ねの御隠居さまの提案には、とっさに判断力を失った。
「お蝶を?」
「お前、お蝶をどうする気じゃ。可哀そうに、さすがの美人もだいぶ|とう《ヽヽ》が立ったぞ」
「いえ、そのうちに私のほうも何とか目鼻がつくだろうと思って、それを頼りに日を暮しているわけで、決して婆あになるまで芸者をやらせておくつもりはございませんが」
「目鼻はつきそうか」
「それが、ますます怪しさの度を増して参りました。は、は、は」
その日暮しのたいくつしのぎにやりはじめた警視庁へのいたずらも、このごろだんだんいやになって来ました。と、心中に考えて、これは口にしなかったが、兵四郎の笑顔に哀感の色は覆《おお》えない。
しかも、それにもかかわらず、こんどは贋札作りの機械運搬という大変な仕事をやる破目になったのだ。
――それにしても、この際御隠居さまは何を考えて、こんな気楽な心配を始められたものか?
「いいかげんに、ともかく祝言だけはあげておけ」
「なに、とっくの昔、夫婦と同じことです」
御隠居さまは笑った。
「それじゃ、遅ればせながら蜜月旅行というやつをやれ」
「――何旅行でございますと?」
「異人がの、太古、新婚後の一ト月、蜜で作った酒を飲んだ故事から発したイギリス語じゃ。あちらの言葉で、ハネムーンという。そしてあちらでは結婚後、新夫婦が相連れて旅行するのが習いじゃそうなが、その旅行を蜜月旅行という」
例によって御隠居さまの博学ぶりである。
「それをお蝶とやれ。東海道馬車旅行など、少くとも日本では開闢《かいびやく》以来のハネムーンじゃぞ」
「そ、それにしても、かような御用に。――」
「いや、こんなことをわしが思いついたのは、このたびの静寛院宮御用の旅、女官がついていったほうがもっともらしいからよ」
「女官? あの、お蝶が、女官?」
兵四郎は奇声を発した。
「御隠居さま、お蝶は、柳橋の芸者で。――」
「馬子にも衣裳という。ましてやあれが女官の衣裳をつければ、宮中三千の女官よりも女官らしゅうなる。ふおっ、ふおっ、ふおっ」
御隠居さまの梟《ふくろう》みたいな笑い声に、これはてっきり冗談だと思って見ていると、御隠居さまはふいにまじめな顔になって、
「兵四郎、いまここを巡査が見張っておったようじゃが、お前のほうはどうじゃ?」
と、声をひそめた。
「いえ、べつに感じませんが。――」
「わしのほうは、このごろ、ちょくちょく匂う。お前のほうも見張られておらぬわけがない。――だいたいこの前もいったように、川路がわしやお前をまだ放っておく気心がわからん。その理由を考えて見るに。……」
御隠居はここで一息いれ、それから、また笑い出した。
「おそらくは、用心深い川路の|考え過ぎ《ヽヽヽヽ》による、としか思いようがない」
「何を川路は考え過ぎているのでしょう?」
「と、考えるのも、こっちの考え過ぎかも知れん。とにかくいつまでもつづくことじゃない。それどころか、遠からぬうちに川路が、ついにこっちに手を出して来るような予感がする。その覚悟はしておって、損はない」
兵四郎は御隠居さまを凝視したが、その顔にべつに怖れの色は見られなかった。
「であるから、お前が留守のあいだにも、お蝶が危い。実はわしは、ここ半月あまり、お前らを東京から離しておきたいのじゃよ。その前にわしは、川路を封じるまじないをかけたいと思うておるのじゃ」
御隠居さまは兵四郎をやさしく眺めた。
「だから、お蝶もつれてゆけ。わかったか」
それから五日目の夕方。
新橋から横浜への汽車の上等車の中に、兵四郎たち一団の姿があった。一団というのは、お蝶、かん八、長庵だ。
黒紋付の着流しに羽織を巻き、蛇《じや》の目《め》を一本ぶらさげた千羽兵四郎、股引に半纏《はんてん》のまんまるい冷酒かん八、十徳に宗匠頭巾をつけた熊坂長庵、同じ座席の一劃にかたまっているのが奇妙に見える取合わせだが、中でもいちばん乗客の眼をひいたのは、やっぱりお蝶だろう。
「どうせあっちで化けるんだから、そのままでゆけ」
と、兵四郎がいうので、まず遠出《とおで》の芸者といった姿だが、隅の御隠居さまは「可哀そうに、だいぶ|とう《ヽヽ》が立ったぞ」といったけれど、その実爛熟し切って、光る風の中に花びらをそよがせている芍薬《しやくやく》のようだ。
彼女はただ「和宮《かずのみや》さまのお申しつけで、京に将軍さまの御木像を受け取りにゆくのだ」と聞かされているだけであった。
それは大変な御用だわ、と、びっくり仰天はしたけれど、お蝶の胸をワクワクさせているのはそんなことではない。兵四郎といっしょに旅をする、そのことだ。
彼女はまだ汽船というものに乗ったことがない。横浜への汽車だって、数えるほどだ。それに、兵四郎といっしょに乗ってゆく。それからまた馬車にまで。――
その旅に、かん八はともかく、どこか人をからかうような眼をしている熊坂長庵という海坊主みたいな変な男がくっついていることが少し気にかかるけれど、それさえ兵四郎とならんでゆられているという歓喜と幸福の前には何でもない。
御隠居さまは、蜜月旅行とか新婚旅行とかおっしゃったそうな。
お蝶はそのつもりであった。彼女は夢みるような瞳をし、そのためにその姿はむしろ美しい幻じみた印象を与えた。
しかし、いくら何でも隅の御隠居さまも、まさかそこまで考えて勧《すす》めたことでなかったろう。――この蜜月旅行こそ、お蝶にとって永遠に忘れられない最初にして最後の幻のような同伴の旅となろうとは。
兵四郎もいくばくかの愉しさを感じないではない。しかし一方では、奇妙に皮肉なものも感じている。
出発までの五日間、彼は麻布市兵衛町の静寛院官邸に伺候して、宮から親しく依頼のお言葉を受け、そして御親書とともに旅の費用として思いがけない大金を頂戴《ちようだい》した。その金が、なんと、さしあたって彼の必要とする――橋寺千代蔵の要求する金額に匹敵するものであったのだ。
これだけ金があれば、何も京都にゆくことはないじゃないか――という錯覚がちらと頭をかすめたほどだが、むろん京への往復の費用として頂戴した金だから、これをほかの用件に――ましてや脱獄の賄賂《わいろ》用に流用するわけにはゆかない。
京へはゆかねばならないのだ。
――しかも、この旅が、兵四郎の考えている以上に皮肉な運命を伴ったものであることを彼は知らなかった。
同じ汽車の下等車に、五人の巡査が乗っていた。むろん兵四郎らを見張り、追跡するためで、知らずして彼らを呼び寄せたのはまさに兵四郎であったのだ。
いったいこの旅の主役は、自分か、熊坂長庵か。――どっちかといえば長庵だろう、と兵四郎は考えている。
静寛院宮から将軍さまの御木像の運搬を命じられたのはまさに自分だが、そのお役目を志願した真意は、甚だ申しわけないが、紙幣印刷機を運搬するためで、その仕事は熊坂長庵がいいだしたことだから、彼のほうが主役だといわなければならない。むろんその手伝いをして、うまくゆけば謝礼をもらうつもりだったけれど、どうしたって自分は用心棒の役目以上のものではない、と兵四郎は思っていた。
しかるに――警視庁は、兵四郎に眼をつけていた。熊坂長庵の野望はおろか、現在の時点におけるその存在すら知らなかった。ただ以前から兵四郎という人間を見張っていたから、それでかえってこの変な旅を追及することとはなったのだ。
――警視庁が兵四郎たちに眼をつけたのは、いつごろからのことであったろう。
いま油戸杖五郎巡査のとぎれとぎれの記憶をたどると。――
最初は、もうかれこれ三年近くも前になるが、新島原の島の湯であばれ出し、銭湯にはいっていた客が総員裸で逃げ出すという騒ぎをひき起して、隣家にいた岩倉卿襲撃者たる土佐の壮士たちを、まんまと包囲網から逃がした二人の男。
伝馬町牢屋敷に乗り込んで来て、売春婦たちを解放した覆面の自称新聞記者。
めがね橋での二人の青年の決闘事件の際、彼油戸杖五郎と渡り合った黒頭巾。
種田少将の妾《めかけ》の交合写真を警視庁に送りとどけて脅迫した闇からの手紙。
加賀の壮士たちを追ったとき、いつのまにか加治木警部のピストルをスリとっていた奇怪な手。
井上馨の配下の鉱山師《やまし》とからくり香具師《やし》が銀座で大乱闘をやったとき、見張番をやっていたこちらの棒をいきなりひったくって鉱山師をたたきのめし、あっというまに姿を消した笠の男。
朋輩菊池巡査を大量殺人の容疑者という死地におとした謎《なぞ》の黒幕。
伝馬牢の中で白痴が殺されたとき、真犯人を暗示した手紙をよこしたやつ。しかも牢屋敷の火事で逃げたその真犯人をつかまえ、市ヶ谷監獄へほうり込んでいった変なやつ。
また秋葉原で千馬武雄という会津浪人が殺されたとき、紙屋巡査を投げつけ、彼油戸の追跡を撒《ま》いて逃げた影。――等、等、等。
――こういう事件を繰返しながら、なおそやつが何者かはっきりしなかったのが不思議だ。この前後に、やっと元南町奉行所同心の影が浮かんで来て、油戸巡査はこれまでの自分の愚鈍さにみずからの頭をうちたたいたのだが、油戸が混沌としていたのにも理由がないでもない。
その変な曲者の所業たるや、土佐の壮士の一味のようでもあり、肥後の若者の相棒のようでもあり、加賀の男たちの味方のようでもあり、旧彦根藩と何か関係があるようでもあり――警視庁に挑戦していることは明らかだが、そうかと思うと牢屋敷の殺人の犯人を縛ってつき出したり、かつ、一人のようでもあり、複数のようでもあり、まじめのようでもあり、ふまじめのようでもあり、その素性と真意に雲をつかむようなものがあったからだ。
まさか警視庁を「からかう」ためだけにこんな大胆な冒険を試みる者があろうとは想像を絶している。何より警視庁の判断を混乱させたのは、相手の「目的」であったかも知れない。
さて、あの広沢参議の元愛妾をめぐる事件あたりから、ようやく元八丁堀同心の影が浮かんで来た。
油戸巡査が躍りあがったことはいうまでもない。
そこにまた、右同心の追及をやめよ、という脅迫状が来た。政府の大官黒田開拓使長官の驚くべき秘密をたねにした闇からの手紙だ。
川路大警視はとりあえずそのほうの捜査のストップを命じた。
ただしもとより完全に停止したわけではない。闇からの手紙――その同心の平生の筆跡が調査されたことはいうまでもない。その男の手紙をひそかに入手して照合したことはむろんだが、これがまるでちがう。警視庁への不敵な脅迫状の筆跡は、どこか金釘の匂いがないでもない同心のそれとちがって、枯れて、しかも水のようにうるわしいみごとなものであった。
しかし、川路がそれ以来なお右同心の捕縛を控えさせたのはそのことではない。その同心の背後に、もう一つの影が浮かんで来たからだ。――真っ白な髪と髯《ひげ》にうずまった小さな老人の存在が。
脅迫状の書き手は、その老人らしい。
元南町奉行駒井相模守信興。
「ううむ。黒幕はあの仁か。……」
と、川路大警視はうめいた。
明治新政府の初代警視総監ともいうべき地位についた川路利良は、いかにして東京の治安を保つべきか、という見地から、歴代の江戸町奉行の事蹟を詳しく調べたようだが、走馬燈のようにめまぐるしく変った幕末期の町奉行の中でも、その名の人物は、特別の印象を与えたらしい。
いま川路が自邸としているのが駒井相模守の屋敷であった、という事実から来る感慨もあったにちがいないが、ただそれだけではなかったようだ。
川路大警視が加治木警部に、駒井相模守のことを話しているところへ、油戸杖五郎がはいっていったことがある。
「明治元年、おいと海江田参謀が町奉行所の受け取りに馬で乗り込んだとき、いきなり、下ァに! と大喝しおって、海江田なんぞびっくりして馬から飛び下りたが、それが最後の江戸町奉行の――いや、そうではなか、あとでわかった事《こつ》じゃが、前の町奉行じゃった駒井相模守が、何くわぬ顔をして応接に出たものじゃった。とにかく人を喰った老人じゃ」
川路はそんなことをいい、
「とにかく一筋縄でゆく人物じゃなか」
と、つぶやくのを油戸巡査は聞いた。
ところでその駒井相模守が維新後どこへいったか、ということまでは川路は知らなかったのだが、数寄屋橋の元南町奉行所跡にチョコナンと庵を結んでいる老人がそれだとわかって、なるほど人を喰った爺いだ、と油戸杖五郎もうならないわけにはゆかなかった。
しかし、相手が何者であろうと、ああまで警視庁に大胆な挑戦を試みる者を捨てておいていいのか。いつまで手をつかねているのか?
油戸巡査はジリジリした。
「……いま、少し、ようすを見とれ、と大警視のお考えじゃ」
と、加治木警部がそれを抑えた。
「あの老人もただものじゃなかが、そいとつき合っとる人間もただものじゃなか、そのへんをもちっと見よう、と。――」
「つき合っておる人間、とは?」
「例えば、山岡鉄舟先生。――」
「山岡先生、なるほど。しかし鉄舟先生はこの警視庁にもちょいちょいおいでで」
「剣道場のほうにな。そいだけじゃ。どうやら大警視は、山岡先生が天皇侍従である事《こつ》を気にしていなさるようじゃ」
「しかし、駒井は何も侍従ではござりますまい」
「駒井の考えちょる事《こつ》が、鉄舟先生を通じてお上のお耳にとどくっちゅう事《こつ》があるで喃《のう》」
あ、と油戸は顔色が改まるものを感じてそのまま口をつぐんだが、あとで考えると、駒井相模守が何を天皇さまに通じるのか、通じて困ることが何か警視庁にあるのか、その点がわからなくなった。
とにかくそれ以来、つかず離れずその元南町奉行と元同心に注意をそそいでいるが、ただそれにとどまる。
それをいいことに、向うはなお悪戯をやめない。
馬場先門で紙屋巡査から叛人永岡久茂の手紙をスラせたり、横浜からの汽車の中で、油戸たちが聞いているのを知って永岡一党の口論に警告を与えたり、さらに芝|愛宕《あたご》町でやはり永岡一味を逃がしたり。――
もっともこの最後の件は、密偵としてはいっていた巡査根津・平山も承知の上で、まったく狐と狸の化かし合いだ。あの同心が直接永岡と関係がないらしいことは根津たちの報告でわかっていて、だからいっそう何のためにあの同心があんなお節介をやるか、その心理が解《げ》しかねたのだが、実は加治木警部も心平らかならざるものがあると見えて、あのとき増上寺山門でちょいとおどしてやったのは、その中《ちゆう》ッ腹《ぱら》の現われであった。
とにかく油戸巡査には、駒井相模守一味の行為の真意が不可解であるのみならず、それを黙って見ている川路大警視の心も不明なのだが、ただ大警視がいたずらに傍観しているのではなく、相手の逆手をとろうとし、げんに手玉にとったことは、右同心の情婦たる芸者をあやつって、こちらの密偵に対する永岡の油断を継続させることに成功したことでもわかる。
とにかく完全には眼を離していなかったのだ。
ところで油戸杖五郎は他の事件に忙殺されていたのだが――明治九年もゆこうとして、後に思えば警視庁は「その前夜」の鳴動を発している火山の趣きがあった――突如、昨日にいたって、加治木警部から特別命令を受けたのである。
例の同心が、このたび静寛院宮の御依頼で、京都へ十四代将軍家茂の木像をとりにゆくという情報をつかんだという。
山岡鉄舟を通しての御用命らしいが、例の駒井相模守も介在しており、どう見てもただ右の用件だけとは思われない。それが何であるかはまだわからないが、とにかくただごとではない匂いがある。
「明日、横浜から船で上方へ向うその同心を追尾せよ」
この使命がいいかげんなものでなかった証拠には、油戸のほかに、藤田、菊池、浅井の三巡査も同行させたことでもわかる。
将軍木像は東海道を馬車で運搬することもわかった。依頼者が依頼者、運搬物が運搬物だから、めったに手は出せないだろうが、追跡して、その馬車の旅にそれ以外の容易ならぬ企図がもし発見されたときは。――
「電信で報告せえ。大警視の御指示を与える」
と、加治木警部はいった。
電信は、はじめ例によって切支丹伴天連《きりしたんばてれん》の法とか、電線には処女の血が塗ってあるなどいう迷信騒ぎがあったが、明治六年には東京長崎間の架設が完成し、
「馬車や蒸気じゃ便りが遅い
かけておくれよテレガラフ」
などと歌われる時代にはいっていたのである。東海道の主要都市には電信局が置かれていた。
四人の巡査はすべて制服を捨てて――なんと、虚無僧《こむそう》姿になっていた。油戸杖五郎はもとよりだが、ほかのめんめんもその同心に、すでに顔を知られているおそれがあるからであった。
この変装姿で、これに制服姿の加治木警部がそれとなくつれそい、さて東京から横浜への汽車に乗ったのだが、めざす同心が伴っている三人の同行者を見て、彼らは天蓋《てんがい》の中で眼をむいた。
同心の手下の元岡っ引かん八、色おんなの芸者小蝶、これはすでに彼らも知っている。知ってはいるが、それがこの旅に同行するのも意外であったが、もう一人、宗匠風の男を見て、彼らはあっとさけんだのである。
「きゃつではないか」
――数寄屋橋の庵から完全には眼を離さないといっても、大警視の不可解なためらいのためもあって、ときにはふっと眼が離れ、実は十日ほど前、元同心が子供たちをつれて相州へいったことを警視庁は知らなかった。そこに|その男《ヽヽヽ》が住んでいることも、まだ探知していなかった。
が、いま顔を見れば、彼らは知っている。その男が、去年の春、銀座煉瓦街でからくりの見世物を出して、井上馨を弾劾《だんがい》した奇怪な香具師であったことを。
「きゃつもいっしょだとは。――いよいよこの旅、ただの木像運びじゃなか!」
と、加治木警部はうめいた。
その香具師の再登場を、ここではじめて知ったわけだが、これが兵四郎がむしろ彼ら巡査を呼んだといったゆえんである。
兵四郎たちは、やがて船に乗った。つづいて、見送りの加治木警部を波止場に残し、四人の虚無僧も船に乗った。西へ。――
それから六日後の十二月半ばのある早朝。
京都御苑、下立売門《しもたちうりもん》内の元静寛院宮邸の門から一台の二頭立の馬車が現われた。颯爽《さつそう》といいたいが、妙に物理的《ヽヽヽ》に重々しく。――
それにしても早い。兵四郎たちが大阪に上陸してから三日目の朝である。
かねてからお邸のほうでは御木像を東京に送り出す手はずはととのえており、かつまた熊坂長庵も「彼の用件」を然るべく用意していて、ただ、いつ、いかにして、という問題だけで待機していた状態にあったからだ。
むろん兵四郎は、静寛院宮の御親書を携行《けいこう》していたから、話も早かった。
それにしても、早い、というのは、お邸の用意に追加しての支度が大変なものであったからだ。大工や鍛冶屋まで呼んで、夜を徹して馬車の側面を大きくとりはずし出来るようにしたり、下面や車輪を岩乗《がんじよう》に補強させたりした。
のみならず。――
その馬車が門から町へ駈け出したとき、近くの町角からうかがっていた四人の虚無僧が思わず天蓋《てんがい》の中でいっせいに奇声を発した。
大型の馬車は宮家のものか、黒漆《くろうるし》を塗った優雅で重厚なものであったが、その左右の横腹に燦然《さんぜん》と金色の菊花の紋がえがいてあった。そして、見送った馬車の背には一つ、これまた金色の葵《あおい》の紋がえがかれてあった。
さらにまた、御者台のそばから竹竿が一本立っていて、その上に、
「静寛院宮御用」
と、書いた幟《のぼり》が一条ひるがえっている。
そして、御者台に坐った御者は、これはまあどういうつもりか、墨染めの衣《ころも》に籠手脛当《こてすねあて》、白い袈裟頭巾《けさずきん》というむかしの叡山の荒法師さながらの姿で、鞭《むち》をふるっていた。鞭を薙刀《なぎなた》に変えたら、弁慶のように見えないこともない。――もっともその名は、牛若丸に退治られた熊坂長範そっくりの熊坂長庵だが。
そのときは、まだ馬車の中はよく見えず、のちに目撃することになったとき、巡査たちはあっけにとられたのだが、ほかに乗っていた人間は三人で、その一人千羽兵四郎は、チョン髷を解いて総髪にし、白綾の小袖に紫|丸絎《まるぐけ》をしめ古金襴《こきんらん》の法眼袴《ほうげんばかま》をはいている。この姿になったとき、彼は、
「まるで天一坊だな」
と、長庵に笑いかけたぐらいで。――
次なるお蝶は、宮廷で垂髪《ときまげ》という一種のお下げ髪とし、白小袖に緋の精好《せいごう》の切袴《きりばかま》をつけ、純白の蝶をえがいた紅梅色の袿《けい》を羽織っている。――十二|単《ひとえ》でこそないが、まさに官女そのものの姿だ。これを着せられて、
「かん八、檜扇《ひおうぎ》はないかいのう」
と、浮かれて、みなを笑わせた。
最後にひかえしかん八に至っては、烏帽子水干《えぼしすいかん》の一見|舎人《とねり》風――といっても、この時代の舎人がそんな姿をしていたかどうかは極めてあやしい。
とにかく、以上すべて、熊坂長庵が、京の静寛院官邸のお蔵をひっかきまわしてひきずり出し、みなに着せつけた時代考証めちゃくちゃのいでたちなのであった。要するに、道中、鬼面ひとを驚かせてまかり通るための押し出しなのだ。
のみならず彼は京を出るに当って、京都府庁に、静寛院宮の御用命により十四代将軍家茂公の木像を東京へ運ぶことを告げ、
「ただし、なお世に憚《はばか》りある徳川家にかかわることゆえ、叶《かの》うかぎりひそやかに行うようにとの宮の特別の御意向なれば、府庁役人の見送りも無用、かつはまた道中も同断、ただこの一行の用件は右のごときものであることを含みおくよう、東海道各宿駅に電信をもって通達せよ」
と、宮家から申しいれさせた。
かくて、開化の明治にふさわしい馬車は、甚だふさわしからぬ時代錯誤の装いの一行を乗せて京を駈け出していった。――
あまりとっくりと、考えるいとまのない、あわただしい旅のはじまりであったが、最初から兵四郎の頭には一つの懸念がないでもなかった。
それは、東海道を馬車で走れるだろうか、ということだ。東海道には、いくつかの山もあり、坂もあり、河もある。
にもかかわらずあえてこの運搬手段をとった理由は二つある。
第一は、出発前、東京の静寛院宮家に伺候したとき、念をおしておうかがいしたら、宮から、故将軍の船ぎらいを思い起すと、たとえ木像とはいえ、やはり出来れば陸路で移したいという御返事があったことだ。宮としては、運ぶ「荷物」は木像一個なのだから、それほど難しいことではないのではないか、と考えられたのも無理はない。
第二は、熊坂長庵自身の要求で、東海道ならもう一つの「荷物」を監視するのにこちらの眼がとどくけれど、船に乗せられるということになると、どういうことになるか自信がない。さらに横浜についてから侘助村への運搬に問題が起ることは必定で、波止場での積み換えの際見とがめられたりしたら一大事、それならむしろはじめから陸路で運んだほうがいいというのであった。
東海道も明治の世になって以来、鋭意道を拡げ坂を開鑿《かいさく》して平《たいら》にすることに努めて来たので、徳川期よりも事情がよくなっていたおかげかも知れない。
ともかくも馬車は、その日のうちに十五里半駈けつづけて土山にたどりついた。
さて、その翌朝、いよいよ東海道第二の険難といわれる鈴鹿峠にかかったが――ここは、いくら何でも馬車では越えられない。
やむなく馬と馬車を離し、数十人の人夫を傭《やと》って、車体を輿《こし》みたいに人力で運ばせた。――兵四郎は、静寛院宮が費用として大金を下賜されたわけをはじめて納得した。
このころの東海道の山道を、こういう重い荷物を越えさせるときの光景を、モースが「日本その日その日」で次のように記している。米国動物学者モースは明治十年に来朝し、明治十五年に美術研究家フェノロサとともに、東京から京都まで、東海道を馬車と人力俥と駕籠で旅行したのである。
モースたちの場合は、彼らを乗せたままの駕籠であったが。――
「人夫たちは、駕籠を坂道の方向に対して斜めの角度にして上ってゆく。約九十歩で肩を更《か》え、ふたたび同じ歩数を進んで別の人夫と交替する。彼らは連続的に奇妙な声をたてながら、一種独特のヒョコヒョコした歩行法で坂を上下する。各人の肩にかかる重さは少くとも百斤はあるが、これで休みなく坂を上下して八マイルも十マイルも歩くのだから、体力も耐久力も相当なものだ」
この時代にも、難所にはこういう仕事専門の人夫が屯《たむろ》していたと見える。
しかしその彼らも、馬車の車体はともかく、さらにその中から別にとり出した大きな箱らしいものの運搬には、あぶら汗を流して苦しがった。それは馬車の側面をはずしてとり出された。
まず長持《ながもち》を半分に分けたくらいの大きさのもので、なるほどこれでは馬車のドアからは出し入れ出来ない。箱|らしい《ヽヽヽ》というのは、高雅な白絹で何重にも包んであったからだ。それにはじめから太い綱がかけてあるのに、数本の長い棒を通し、これを前後から数人ずつの人夫がかついで、つづら折りの道を運んでいったのだが。――
「御木像は馬車に乗られたままでござりますが、こりゃ、はあ、いったい何でござります?」
と、人夫の親方が聞いたのに、弁慶みたいな御者が答えた。
「御木像を安置することになっておる台座じゃ」
将軍さまはたとえ木像であっても、彼らにはまだ神さまにひとしい権威の対象であった。何より、それを守ってゆく公卿《くげ》風、官女風の人々のものものしさが彼らを恐れいらせた。――
あえぎながらもうやうやしく、この重労働に従う人夫たちを、しかしべつに口をあんぐりあけさせた者がある。
お公卿さまと舎人風の二人はともかく、源氏物語からぬけ出したような官女が、
「ああ、これを破ったら大変だわ。ちょいとごめんなさいね」
と、甚だ官女らしくないおきゃんな言葉とともに、地にひきずっていた白い蝶を描いた紅梅色の|かいどり《ヽヽヽヽ》みたいなものを、くるっとお尻にまくりあげて、風鳥《ふうちよう》みたいに山道を歩き出したことだ。
人夫ばかりでなく、往来の旅人も道を避けて――中には土下座までして――眼をまるくしてこの異形《いぎよう》の一団を見送っていたが、その中に、人夫をつかまえて声低く聞いている四人の虚無僧があった。
「あれァ、御台座だそうで」
と、人夫は答えた。例の白絹につつんだ四角な物体についての問いらしい。
天蓋《てんがい》が、かたむけられた。――街道を虚無僧が歩いてもまだおかしくない時代であったが、四人というのは少し変っているが、それはともかく彼らは、馬車に乗せられている物――木像についてはすでに知っているようだ。
「それにしては馬鹿に重そうじゃが」
「何でも鉄で出来てるそうで……ひょっとすると、金かも知れねえ、などみな話しているところでさあ」
ふいに一人の虚無僧が、訊《き》いている仲間の袖をひいた。
さっきまで大音声《だいおんじよう》をあげて人夫たちを指図していた弁慶御者が、いつのまにかすぐ近くに立っていて、じろっとこちらを眺めていた。
ふいに彼は袈裟頭巾の中から哄笑した。
「あはははは、犬も歩けば棒にあたるというが、東海道を歩く犬は棒を捨てるか。御苦労」
そして、はっとして立ちすくんでいる虚無僧たちに大きな背を向けて、彼はスタスタ坂を上っていった。
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川路大警視《かわじだいけいし》
抜けるような師走《しわす》の蒼空の下を、砂塵《さじん》をあげてつっ走る二頭立の馬車。
風は寒いが、雨の少い季節であったことは何よりであった。装飾その他こまごましたことでは日本風に変えてはあるだろうが、車体そのものはアメリカかどこかから輸入したものに相違ない。車輪はむろん鉄で、車が重い場合、雨でもふればその難行軍は思いなかばに過ぎるからだ。とはいえ、何百年も踏みかためられた東海道だから、たとえ雨がふったとしても、西部の荒野をゆくアメリカの馬車にくらべれば、その難易は同日の論ではない。
ましてや、いまいった通り、快晴つづきの街道を走る馬車だ。
これを追っている虚無僧《こむそう》姿の四人の巡査は、しばしば息も絶え絶えになった。
鈴鹿峠、七里の渡し――そういう場所で、馬車を船に乗せたり、また人馬を分け、車体と運搬物を分けて運んだり、そんな手数をかけているあいだに、やっとのことで追いつけるといったありさまだ。いうまでもなく東海道を汽車が通じたのは明治二十二年のことで、大きな河にはまだ橋さえもなく、東海道の往来はまだ江戸のころとそんなに変らない。
それにしても、そんな手数をかけるくらいなら、大阪から汽船に乗ったほうがはるかにらくだろうと思われるが、静寛院宮の御希望のみならず熊坂長庵自身東海道を選んだのは、たとえ船渡しの場所があるにしても、汽船とちがって運搬物にこちらの眼がゆきとどくと判断したからで、実際その通りであった。また人足などの駆り集め、指図など堂にいったものであった。
とにかく、こうして追いつきながら、しかし四人の巡査はどうすることも出来ない。
いうまでもなく、その馬車にひるがえる「静寛院宮御用」の旗のためだ。そして、それが決していかさまの旗ではないことを彼ら自身承知しているだけに手がつけられない。
しかし、ただ空しく追跡するだけが、むろん彼らの任務ではない。彼らは四日市で電信を打った。
「――御推量のごとく千羽兵四郎一味は、静寛院宮御用と称し、馬車にて将軍木像のみならず、その台座と称する重量物を厳に梱包のまま運搬中なり。これをいかがいたすべく候や。御指令は桑名警察署に願う」
宛先はむろん東京の警視庁の加治木警部だ。追跡中だから、返事は同じ地点で待ってはいられない。
これに対する指令はたしかに桑名で受けた。
「その重量物はいかなるものなりや。貴官らの智力を尽し、手段を尽して究明せよ。ただし官権をもってすべからず」
当然の指図だが、あとにつけ加えられた制約がこちらを金縛りにした。
おそらく加治木警部としても、運搬依頼者が天皇のおん叔母君皇女|和宮《かずのみや》であらせられるということにかんがみ、万一の失態を怖れての苦しまぎれの指令であったろう。警視庁のみならず、当の宮家に傷がつくようなことも絶対に避けなければならなかったからだ。
「官権をもってすべからず」という加治木警部の注意は、むろん街道筋の警察の力をかりてはならぬという意味もふくんでいるが、事実それは利用するどころではなかった。
巡査たちは、京都府庁から東海道の主な県庁や警察署に「このたび静寛院宮の御用命により、十四代将軍家茂公の木像を馬車にて東京へ運ぶことになったから左様心得られたし。ただし時節柄密々のことにいたしたいとの宮家の御希望ゆえ、出迎え見送り等かたく無用のこと」という意味の通達が出ていることを知った。
かたく無用といわれても、こういう通達を受けて知らない顔をしているわけにもゆかない。で、その町々では馬車の通過するのを見はからい、役人たちが一団となって出迎え、見送る。土地によっては、県令の姿が見えたこともある。警察などではいわずもがなだ。
もとより東海道を馬車が走るなどいうことは、日本歴史はじまって以来の椿事《ちんじ》であったろう。馬車というものを見るのもはじめてという人間が大半であったろう。
それが現実にやって来て、その馬車に菊花と葵の金紋を眺め、例の旗を見れば、あっとばかりに胆を飛ばしてべたべたと土下座してしまうのは、庶民ばかりではなく、彼ら地方の顕官もまた然りであった。それに、打ち乗った白綾の小袖に古金襴《こきんらん》の法眼袴《ほうげんばかま》という公卿風の人物、緋の切袴に紅梅色の袿《けい》を着た官女風の女、烏帽子《えぼし》水干の舎人《とねり》風の男、さらに弁慶みたいな袈裟頭巾《けさずきん》の御者というものものしいとりあわせにいよいよ気をのまれて、その時代錯誤の異形《いぎよう》ぶりを疑うどころではない。
それどころか、道中宿泊するとき、昔本陣だった宿にいちいちうやうやしく御木像と例の重い箱らしきものを運び込み、偵察したところでは、右の舎人か御者か、いずれかが厳然とそばに端座し、土地の巡査が最低十人前後出張して、寝ずの番のお相伴《しようばん》をしているらしい。――
「貴官らの智力を尽し、手段を尽して究明せよ」といわれても、これではいかんともしがたい。
だから油戸杖五郎たちは、その問題の運搬物の正体が何かまだ知ることが出来なかったが、それが贋造《がんぞう》紙幣を作る印刷機であったとは――それを運ぶために京都府庁から通達させるとは――まったく人を喰っている。
熊坂長庵は、はじめから高飛車に東海道を押し通るつもりであった。どうせ、馬車を使う以上、人の目にたつことは当然だから、それを無事通過させるためには、むしろ右の法をとるよりほかはなかったのだ。
……ただ、しかし。
鈴鹿峠で、四人の虚無僧が自分たちを追跡し、その虚無僧の素性が何者であるかを知ったときは、長庵も意外であった。
あのあと――彼はスタスタ坂を上って、公卿姿の兵四郎にささやいた。
「千羽の旦那、うしろをみないでおくんなさいよ、警視庁がつけて来ていますぜ」
「えっ」
「ふりかえっちゃいけません。うしろから来る四人の虚無僧は、ありゃ警視庁の巡査だ。天蓋《てんがい》をかぶっちゃいるが、いまのところそのうち二人は、棒のうめえ油戸ってえやつと、浅井ってえ巡査らしいことまでわかった」
「ふうむ、では東京からつけて来たのか」
「そうとしか思えねえ。おそらくこちとらが汽船で大阪に来るとき、もう同じ船に乗っていたんじゃあねえか、と思います」
「驚いたな。どうしておれたちのことを知ったのかな。どこまで嗅ぎつけておるのかな?」
「そいつあわからねえ。私ゃ、京都府庁から頭ごなしに通達させて、沿道何が何だかめんくらってるあいだに東海道を駈けぬけるつもりでいたんだが、東京から巡査がくっついて来ているとなると、いささか都合がちがって来る。こっちもめんくらっちまいやしたよ」
「どうする長庵」
「そこでいま考えたんだが、しかしあいつら、例のものが何かまだ知っちゃあいませんね。知ってれば無事に京都を出すわけがねえし、でえいち、いまも人夫にあれは何だと聞いてましたからね。だから、こりゃいよいよこのやりかたで、あの宮さまの旗でけむにまいて逃げ切るよりほかはねえ」
こういう結論に達して、さてそれ以来、馬に鞭《むち》をくれながら、いい気持そうに熊坂長庵は大声で唄う。
「宮さん宮さん
お馬の前に
ヒラヒラするのは何じゃいな」
それが、追う油戸杖五郎たちの耳に寒風とともに吹いて来る。――ときには、
「犬さん犬さん
お馬のうしろに
ガタガタするのは何じゃいな」
と、聞えることもある。
「あれは貪官《どんかん》征伐せよとの
錦のお馬車じゃ知らないか
トコトンヤレ、トンヤレナ」
四人の巡査たちは切歯した。
「ううぬ、いまに見ておれ」
「警視庁をからかう同心崩れ、のぞきからくりの香具師《やし》、きゃつらが運ぶものが、ただの将軍木像だけであるはずがない!」
「必ずいまに正体を曝露《ばくろ》してひっくくってくれるぞ!」
――とはいうものの、いまは警視庁巡査、かつては侍であった彼らに、菊と葵という念入りの紋章つけた馬車は魔力的で、ほとんど無人の境を走るにひとしかった。
挑戦と嘲罵の砂けぶりを長くひいてひた走る馬車。河や坂のない場所では甚だ快調だが、何といっても舗装などしてない東海道だから、その震動ぶりが並大抵のものではないことはいうまでもない。
しかし、その中でお蝶はうっとりとしていた。
なにしろ兵四郎と生まれてはじめての旅だ。彼女は最初から浮かれている。警視庁の巡査が追っかけて来ることも知らず、自分たちが何を運んでいるのかもよく知らず――たとえ知っていたとしても、お蝶の心に鳥の影ほどの翳《かげ》も落さなかったろう。彼女の心も身体も、ただ兵四郎だけに満ちてゆれていた。
宿に泊るとき、お蝶は、隣室にかん八か長庵が寝ているのも忘れ果てるくらいだ。存在を忘れられたほうはいい面の皮で、たまりかねて逃げ出して、将軍家木像と例の|もの《ヽヽ》の寝ずの番をしている相棒のところへフラフラと現われる。
「おい、代ってやろう」
「いいよ。今夜はこっちの番だ。お前さん、少し寝なくちゃ身体に毒だぜ」
「あそこに寝て官女さまのあの声を聞いてたほうが、よっぽど毒だよ」
という騒ぎである。
朝になって、お公卿さまのほうは憮然《ぶぜん》たる顔をしているが、それにしても夜々はそのありさまなのだから、こういう危険な旅をつづけながら、兵四郎も相当に図々しい男だといわなければならない。
そして、真昼も、ゆれ、きしみ、はね上る馬車の中で、「ハイヨーッ」とさけぶ御者台の長庵の声、鞭の音、同じ馬車の中で例の箱に腰かけているかん八の垂れ下がったまぶたも夢うつつに、お蝶は兵四郎に身をもたせかけ、恍惚たる蕩揺《とうよう》の世界にあった。
神のみぞ知る、甘美なる二人の最後の愛の旅。
お蝶にとって夢幻の雲を飛んでいるような馬車は、三日目のひるごろ三河から遠江《とおとうみ》へはいっていった。
ここまで四人の巡査は空しく追って来たのである。わずか三日間しかたっておらずまだ先の道程と日時はあるけれど、一日二十数里、これを二本の足だけで追跡する彼らはすでに半死半生の態《てい》であった。
「これは、一日も早く何とかせねば、こっちの足が何とかなってしまうわい」
と、藤田巡査が悲鳴をあげた。――
で、彼らなりの苦悶の会話が交換されることになった。それもほとんど駈けながらの問答である。
「あれは、ほんとうに木像の台座にちがいないか」
と、油戸巡査が聞く。菊池巡査が首をひねる。
「木像の台座とはいかなるものか、見当もつかんが、木像の台座が鉄とはおかしい」
「ひょっとしたら鉄砲のたぐいではないか?」
「いずれにしても、きゃつらがまともな物件を運ぶはずがない! あれを押収すれば、容易ならんものを発見することはほとんど確実なのじゃが」
「万一、まかりまちがうと腹切りものじゃぞ」
「――そうじゃ、だれか一人、腹を切る覚悟でやればよいのじゃ! それも加治木警部どのの御下知にあった、尽すべき手段の一つになりはせんか?」
菊池巡査が手をたたいた。
「おれが臨検して見る。まちがったら、おれが腹を切ろう」
かつての桜田の変の壮士を思い出させる男のつらだましいであった。
かくて、その日、断乎《だんこ》臨検に踏み切るために猛然と馬車に追いすがりかけたが。――
「やっ? あれは何じゃ?」
と、菊池巡査が眼をむいた。
浜名湖を過ぎてしばらくの後であった。今切の渡しで例のごとく手数をかけて渡ったあと、前方の馬車はいまの遅れをとりもどすように快走していたが、それまでのように、ただ馬車だけではない。そのそばに、四、五人の男がくっついていて、韋駄天《いだてん》みたいに駈けている。
それが――このごろ珍しい、というより、御一新以来|水が変った《ヽヽヽヽヽ》ためにまったく見かけなくなった三度笠に合羽という、いわゆる渡世人姿の男たちなのであった。しかも御禁制の長|脇差《どす》までぬけぬけと差して。
追っかけているのではない。あきらかに護衛しているかたちだ。
それが、進むにつれて、どこからか二人加わり、三人加わり、あれよあれよというまに十数人という人数になった。いずれも同じ旅人《たびにん》姿だ。
「きゃつら、いったい何者だ?」
四人の巡査はあっけにとられ、眼をぱちくりさせた。
しかし、二頭立の馬車にくっついて走っているのは、彼ら股旅者といえどもらくではなかったらしい。浜松の手前で、一人足を痛めたらしく、路傍にしゃがみこんで、草鞋《わらじ》をぬいでさすっているのをつかまえた。
「もしっ……」
巡査たちは近づいて、訊《き》いた。虚無僧姿だから、それに相応した言葉遣いにしなくてはならない。
「いったい、こりゃ、どうしたことで?」
「足に|まめ《ヽヽ》が出来たんだよ。どうも長えあいだ旅人《たびにん》をしねえもんだから、こういうぶざまなことになるんだなあ」
「いえ、それよりあの馬車にくっついて、旅人衆がおおぜい駈けていなさるようだが――」
「名ざしで回状が来たんだ。宮さまのお馬車をお守りしながら、東京へゆけって――みんな、遠州駿河の渡世人仲間にゃ知られた、選《え》りぬきのあばれん坊よ」
「え、宮さまのお馬車を守るため? しかし、刀はこの春から日本じゅうかたく御禁制のはずですが」
「虚無僧、おめえたちだってそこに差しているじゃあねえかよ」
「いえ、これは商売上飾りの短いやつで――その長脇差とはちがいます。よく街道筋の警察が黙って見のがしましたな」
「その回状にゃ、何でもこんど東京の警視庁に抜刀隊ってえのが作られて、腕におぼえのあるやつをたくさん募集してるから、それにはいれってあったのさ。わざわざ刀持参の事ってあったから、こいつあ天下御免だ」
これには仰天した。
――たしかに警視庁でそのたぐいのことはあったが、しかしやくざ者まで募集するなどいう話は聞いたことがない。
「そ、その回状ってえのは、どこから来たんで?」
草鞋の緒をしめ直していた渡世人は、三度笠をあげて、じろっと四人を見た。いま選りぬきのあばれん坊だと得意げにいったが、たしかにかつて何度か修羅場を踏んだに相違ない獰猛《どうもう》きわまるつらがまえであった。
「やい、てめえたちゃ何だ、警察の廻し者か?」
むろんこちらの正体を看破してのことではなく、むかっ腹をたてた捨てぜりふだろうが、図星だったので四人がうっと詰まったあいだに、そのやくざは立ちあがり、長脇差のつかを押えて、また韋駄天みたいに馬車を追って駈け出していった。
四人は茫然《ぼうぜん》としてあとを見送った。
いまの話――警視庁が抜刀隊にやくざを募るなどいうことはでたらめも甚しいと思われたが、しかし再考するのに、そんな突飛な話をやくざが思いつくわけはない。そもそも警視庁内部の人間だけが知っている抜刀隊などいう存在を、街道筋のやくざが口にしたのがふしぎ千万だ。さらに、あの馬車を自分たちが追って京都から出てからまだ三日なのに、東海道三河あたりのやくざが、どこからそんな回状を受け取ったのか?
念のため、また一人が浜松の電信局へ駈け込んで、警視庁へやくざ募集の事実の有無を照会することになった。電信を打つ虚無僧、というのも明治九年ならではの風景だ。
返信は、電信局のある掛川で頂戴する旨つけ加えてまた駈け出す。
が、ゆくにつれて、馬車護送隊にいたるところから加わって来る連中のおびただしさ、まさにやんごとない旗をひるがえした馬車にふさわしい大行列となった。ただこれがことごとく三度笠の渡世人ばかりなことが奇観だ。天龍川にさしかかったあたりでは三十人を超えた。
これだけの人数がそろえば、もう山だろうが河だろうが、人足は要らない。あれよあれよという間に、お祭のお神輿《みこし》みたいに天龍川を押し渡ってゆく。
掛川に返信が来ていた。
「タワケモノ、ホンチョウヨリエングンオクル」
たわけ者、本庁より援軍送る。
たわけ者とは、警視庁がほんとにやくざを募集したのか、などいうばかげた照会をしたことに対しての叱責《しつせき》か、それともこちらがまだ下命事項を果さないという無能ぶりに対しての叱罵《しつば》か、いずれにしても痛烈なもので、加治木警部の憤怒した顔が目に見えるようであった。
しかも、ただの叱咤《しつた》ではない。たまりかねてか、本庁より援軍を出動させるとある。むろん東海道を西下して来るのだろうから、どこかでぶつかるわけだ。――彼らは真っ赤になった顔をいっせいに見合わせた。
「そんなものに助けられてはこっちの恥辱じゃ」
「それまでに、われらで必ず埒《らち》をあけねばならん!」
と、油戸巡査と藤田巡査がうめいた。
「ともあれ、これできゃつらの警視庁応募|云々《うんぬん》ということはまったく口から出まかせであったことが分明となった。職権をもってしぼりあげ、追い散らしてやろう」
と、菊池巡査がさけんだ。
「ちょっと待て、きゃつら、それでおとなしくいうことを聞くか」
手綱をひいたのは浅井巡査だ。
「そんなでたらめをぬけぬけ吐いて、東海道を長脇差で押し通ってゆくきゃつらだ。それ相応の覚悟はしているにちがいない。それにおれの見るところ、きゃつらたしかにやくざに相違はないが、たしかに一騎当千の男どもじゃぞ」
いわれてみれば、おそらく警察の臨検などから馬車を守るための連中だから、おめおめと巡査に降参するはずがない。そしてあの人数では、たとえこちらの腕に多少のおぼえがあったとしても、たった四人ではどうしようもないことは明らかだ。
「掛川の警察署に応援を頼むか」
うっかり藤田巡査がいったのに、油戸杖五郎が吼《ほ》えた。
「馬鹿っ、それでは警視庁からの援軍の前にわれわれの力で埒をあけるという趣旨が立たんではないか。われわれにしても天下の巡査じゃ。もはや官権をもってするなとは警部どのも仰せられんじゃろ。公用の名をもって決死の覚悟で立ち向えば鬼神も避く。いわんや街道筋の無頼どもなど。――」
「そうだ」
と、菊池巡査がはっしと掌《て》をたたいた。
「おい、あのやくざどもを指図しておる男があるな。あれがいわゆる親分と見える。思うに回状とやらを廻したのはきゃつではないか。――あの男を人質にとり、盾にして乾分《こぶん》どもの胆をおしひしいでくれよう。どうじゃ?」
いかにも天龍川を渡ったころから新しく出現した五十半ばの男がある。苦味走った剛腹な面がまえをし、でっぷりとふとって貫禄充分のその親分格の男の号令一下、やくざたちは織機《はた》を織るように動く。
「おう、それがいい」
と、油戸杖五郎がさけんだ。
「馬車の臨検もさることながら、かくもやくざどもを駆り集めたことこそ不埒で、その意図が奇怪千万じゃ。それを調べるためにも、断じてきゃつをひっ捕えんけりゃならん」
しかし、そのやくざのむれはさらにふえて、五十人前後にも達していた。それが浅井巡査の指摘したように一騎当千の面がまえをし軍鶏《しやも》みたいに毛をさかだてて馬車をとり囲んでいる。
この股旅の大群が師走の河もものかは大井川を押し渡り、この年やっと隧道が通じたばかりの宇津谷《うつのや》峠を通ってゆくのを、四人の巡査は眼を燃やしながらも空しく追ってゆくしかなかった。
しかし油戸巡査は、そのあいだにどこからか六尺棒を手にいれた。
彼らがついに機会をつかんだのは、その翌日、安倍《あべ》川においてであった。
それまで馬車のそばにぴったりついていたその親分が、この安倍川では例のごとく乾分たちを指揮して馬車を渡らせたが、何かの都合で彼と五人の男だけあとに残ったのだ。
むろん、すぐにつづいて浅瀬に足を踏みいれようとする。そこへ――四人の巡査は天蓋をはね落し、河原の石を蹴って風魔《ふうま》のように駈けつけた。
「あっ、大政の兄いっ」
気がついて、さけんだ二人を、油戸の棒がはねて水煙の中へ消した。
油戸杖五郎の前に、もう一人の乾分が立ちふさがった。べつにあわてた風でもなく、のっそりといった感じだったのは、それが相撲取りみたいな大男だったせいであろう。
「何しやがるんだ」
と、いった声もどこか悠長《ゆうちよう》であったが、見すえた眼はたしかにこういう危急の場を何度も踏んだ男の眼で、さしもの油戸杖五郎が棒をかまえ直すためにたたらを踏んだほどであった。
向う側へまわった三人の巡査の前にも、親分をかばう男が一人立ちふさがった。そいつがさけんだ。
「おい、駿河で清水の次郎長親分に手を出すとは、うぬら覚悟の前か?」
「なに、清水の次郎長?」
聞き返した藤田巡査の声には、しかし驚きよりも、むしろいぶかしみのひびきがあった。
「はて、次郎長というと――」
つぶやいたのは、菊池巡査だ。
「おお、咸臨丸の幕軍の遺骸を拾いあげたという清水港の博徒。――」
「そのばくち打ちが、どうして大挙帯刀して東海道を横行しておるんじゃ」
と、藤田巡査がわめいた。
「もう知っておるだろうが、おれたちは東京警視庁の者だ」
「へえ、山岡鉄舟先生の御用命で」
と、清水の次郎長がはじめて口をひらいた。ドスのきいた重厚な声であった。
「なんだと? 山岡鉄舟先生?」
藤田巡査はさけんだ。さっき清水の次郎長という名を聞いたときより愕然《がくぜん》とした声であった。
「天田さん、しゃべってくんな」
次郎長にいわれて、前に立っていた若い男がいった。
「東京警視庁の巡査なら、山岡鉄舟先生を知らんことはあるまい。たしか山岡先生は、警視庁の剣術の指導もしておられるはず。――その山岡先生から、このたび警視庁で抜刀隊とかいう実戦部隊を強化するについて、次郎長親分配下の遊侠の徒で、修羅場を踏んだやつをそれに加えたい。ついては次郎長のほうで、そういうやつを選んで東京へつれて来い。その中からおれの鑑定《めがね》に叶《かな》ったやつを警視庁に推挙してやろうというお話があったのだ。嘘ではないぞ、その御用命の使者になったのはこの僕だから」
そういわれて見ると、ほかの人間はみな渡世人姿ばかりなのに、その若者だけはザンギリ頭の書生風であった。
「お、お前は――」
こちらから首をのばしてのぞきこんでいた油戸杖五郎が、妙な声を出した。
その若者にどこか見おぼえがあったのだ。あとで聞くと、藤田巡査も最初から首をひねっていたという。藤田が清水の次郎長という名を聞いて不審な声を出したのは、その名より、その若者の顔に対するいぶかしみのためであったのだ。
「僕はいま山岡先生のお世話になっているが、元|磐城平《いわきだいら》藩士の天田五郎」
あ! と、油戸と藤田の両巡査は口の中でさけんでいた。
これは去年の春ごろ、東京車坂の元幕臣榊原鍵吉の道場に居候をしていた若い連中の一人だ。撃剣会で、親を探す看板を出したのを見たこともある。いや、それより、こいつと同居していた加賀の壮士といっしょに北国へ旅立っていったのを、千住まで追っかけたことがある。
では、この若者も、その旅から舞い戻って、こんどは鉄舟先生の居候にでもなっていたのか。――
「そ、そんな話は聞いたことがないぞ」
と、藤田巡査がいった。天田五郎が答えた。
「それじゃこれからいっしょに、東京の山岡先生のところへゆこう。そもそもこんな話をするのが、嘘でない証拠だが、それでも嘘だと思うのなら、僕を縛ってつれていってもいい」
「いかに鉄舟先生の御用命でも佩刀《はいとう》禁止令の出た今日、長脇差を帯びて往来するとは。――」
「使い馴れた刀を持参せよ、との仰せだ。ちょうど静寛院宮御用のお馬車が通過するはずだから、それをお護りする用もかねて上京せよ、その旨、警視庁にとどけておくと申されたが、それも聞いたことがないか?」
聞いたことがないが、あり得ることだ。四人の巡査の頭に、改めて加治木警部のあの援軍送るの電信がひらめいた。
あの電信に詳しい説明はなかったが、おそらく加治木警部は山岡からそんな届けを受けて、相手が相手だけに即座に一蹴も出来ず、さればとて捨ててもおけずと援軍を派遣する気になったのではないか?
警視庁が抜刀隊にやくざを募るなどいう話は荒唐無稽としかいいようがないが、そういういきさつならあり得ることである。とくに、山岡ならやりかねない。静寛院宮御用命の馬車が通ることをもう東海道の連中が知っていたことを奇怪に思っていたが、油戸たちが東京を出てからは、かれこれ十日になるのだから、それくらい前に東京から清水の次郎長なる者のところへ使者が出たとすれば、そのわけも腑に落ちる。
「おう、心配《しんぺえ》するな」
と、ふいにその次郎長が吼えた。ずしんと腹にひびく一喝であった。
「こっちはいいから、お馬車を守って早くゆけえ!」
こちらの河原の異変に気がついて、十数人、水煙をあげながら駈け戻って来る河の中の乾分たちに向ってである。
「よろしいか」
と、天田五郎はいった。
そして、四人の虚無僧姿の巡査が返事もなく顔見合わせているのに、次郎長をうながして背を見せた。
もう一人の大兵のやくざは――先刻大政と呼ばれたようだが――まだ気を失って転がったままの二人の乾分を両手にぶら下げて、水の中へざぶっとつけた。そして、二人が水ぶるいして気がつくと、
「ゆくぜ」
と、声をかけて、親分と天田五郎のあとを追っていった。
巡査たちはまだ茫然として立ちつくしている。――どうしていいか、もう見当もつかない。
山岡鉄舟と清水の次郎長との異風の親交は名高い。それは明治元年夏、東京湾から北海道へ脱走しようと榎本武揚|麾下《きか》八隻の徳川艦隊は、たちまち大台風にぶつかってちりぢりになってしまったのだが、その一隻――勝海舟や福沢諭吉を乗せて日本の軍艦として最初に太平洋横断した有名な咸臨丸――は、駿河の清水港まで漂着したところを官軍艦隊に襲われ、戦闘の末|拿捕《だほ》された。そのとき幕軍の戦死者で港に漂流したままになっていたものが多数あったのに、みな賊軍と怖れて捨てていたのを、土地の博徒清水の次郎長が拾いあげて手厚く葬った。それを聞いた山岡が感動し、両人のつき合いはこれから始まったのである。
そしてこのころは次郎長一家は、山岡のすすめで富士の裾野の開墾に汗を流していたのであった。次郎長このとき五十六歳である。
ただし、油戸巡査たちは――さっき菊池巡査だけがわずかに咸臨丸の事件を記憶に甦《よみがえ》らせただけで――清水の次郎長というかつての東海道一のばくち打ちについて、このときはまったく知識がなかった。次郎長が広く知られたのは、やがてこれも山岡の斡旋《あつせん》で次郎長の養子となった天田五郎が「東海遊侠伝」という次郎長一代記を書いたことによるのである。後世におのれの名が残ることを欲する人で、自伝を書く能力のない者は、少くとも一人の才能のある伝記作家を持たなくてはならないという好例だ。
馬車は富士川を渡り、箱根を越えた。まるで天馬のごとく――とくに箱根八里の険など、五十人を越える清水一家の働きがなければ、そもそも馬車の移動すら不可能であったかも知れない。――
相模の平塚の宿《しゆく》に泊ったのは、それから二日目の夜であった。
京都を出てから六日間でここまで来た。東京まであと十六里、しかも六郷川にはおととしから橋がかかっているから、明日はいっきに東京にはいるだろう。そうと知りつつ、なおどうしていいかわからない。
四人の巡査が眼も落ちくぼみ、夢遊病者みたいに見えたのは、これまでの強行軍のためばかりではなく、そのもだえのせいもあったが、これまで一日平均十八里。
「とにかく、眠れ。おれが寝ずの番をして出立を見張っておる」
と、浅井巡査がいうと、その夜三人は安宿へ転がりこんで、ぼろきれみたいに眠りこけてしまったのも無理はない。
「おいっ……起きろ!」
ゆり起された。
「馬車が出る。……いや、出て、もう馬入《ばにゆう》川を渡りかけておる!」
「なんだと?」
「おれとしたことが、茶屋の葭簀《よしず》の蔭で見張っておるうち、寒さに蓆《むしろ》をかぶって横になったのがわるく、ついまどろんでしまったらしい。……ふと物音に気がつくと、きゃつら馬車をかついで 河原へ下りてゆくところじゃった。――」
ときには愚鈍にさえ見えることもある分厚《ぶあつ》な感じの浅井巡査であったが、さすがにあわてた表情であった。
――去年の秋から上司の命令不服従のとがで油戸杖五郎の監視つきとなったこともある浅井巡査だが、その後の動静にこれといった異常はない。この夏の加賀の壮士連に対する張込みにも黙々と従っていたし、こんどの出張にはべつに異議もなく服した。口数少く、正直なところ何を考えているのか油戸にもよくわからないところのある同僚だが、しかし杖五郎はこの男が好きであった。自分に似て、何となくぶきっちょな生き方が。
それはともかく、三人の巡査はがばと起き直って宿を駈け出し、河のほうへ駈けていった。
まだ冬の夜は完全に明けていない時刻だ。蒼味をおびた薄明の中に、朝霧がひくく流れている。馬入川の水が凍らないのがふしぎなほどの寒さであった。
その馬入川を、馬車とその護衛隊はもう渡ってしまったらしく、こちらの河原にはただ枯葦がそよいでいるばかりで人影はない。ふだんなら舟渡しのところだが、その渡し舟が幾艘か残っているところを見ると、大集団の彼らは、舟を使うのも事面倒と、その冷たい河を徒歩で渡っていったようだ。向うの河原では、馬のいななく声が聞えた。
もっとも、お天気つづきで、河の水も少かった。――四人の巡査は、水の冷たさも感じないほど無我夢中のていで、その河へ足をいれていったが、ふいに藤田巡査が立ちどまって、
「あっ……あれは?」
と、前方を指さした。
眼の前を霧のかたまりが流れ過ぎて、対岸の土手の上に――明けかかって来た東の空を背景に、点々と黒いものがならんでいるのが見えたのだ。点々と、というより、ズラリと、と形容したほうがよかろうか。その数は百をたしかに超えて見えた。
「あれは本庁からの援軍じゃ!」
と、菊池巡査がさけんだ。
いかにもそれは巡査の大群であった。一般の巡査がなお棍棒だけのころに、いずれも制服に白いふとい帯をしめ、凄《すさま》じい大刀を帯びている。
加治木警部みずからひきいて出動して来た。――おそらくいまの日本で、刀をとっての実力集団としては、西南の一国を除いてはこれに匹敵するものはあるまい。警視庁の剣術道場で鍛えぬいた巡査たちのうちから特に選びぬいて、ひそかに抜刀隊と名づけた猛者《もさ》連だ。
それというのも、上方へ派遣した四人の巡査からの電信で、例の馬車が木像以外にたしかに不審な重量物を積み、しかも途中から何十人という無頼の徒が加わって上京しつつありという報告を受け、加治木警部は、はじめに考えていたより事態容易ならずと判断し、その四人ではとうてい手に余ると見て、大袈裟にいえば血の雨を呼ぶのもやむを得ぬという覚悟で急行して来たものであった。
馬車から馬を離し、人の力で土手へあげようとして、数本の綱を結びつけたりしていた渡世人たちは、その土手を見あげて、そこに現われた巡査の大群に気がついて、いままで騒然としていたのが、突如、異様な静寂に襲われた。
「曳《ひ》け。――押せっ」
沈黙を破ったのは、熊坂長庵の野ぶとい声であった。
「あそこへあげれば、東京まで大道一筋だ。……それ、かかれっ」
「待て」
加治木警部は土手の上に仁王立ちになって、霧の中にうごめく無数の影を見下ろした。
「そん馬車、東京へ来る事《こつ》許さん」
「なに? おい、この静寛院宮御用の旗が見えないか?」
「何ぴとの御用じゃろうと、少くともそん馬車に積んじょるものを改めんけりゃ、ここは通さん。警視庁の職権をもってとり調べる。そこに控えちょれ」
霧の底の声が、さっきとはちがった。
「警視庁が乗り出して来たのじゃしようがない。調べてもらえ」
――あっ、というさけび声が、河原のどこかで聞えた。加治木警部も自分の耳を疑った。いまの声は?
「しかし、調べてもらうにしても、やっぱり土手の上にあげたほうが好都合じゃろう。さあ、みんなやってくれ」
そういいながら、一団となった人馬がまず土手に上って来た。
二頭の馬をひいた弁慶みたいな男と舎人《とねり》風の男、それから公卿姿と官女姿の男女、それより加治木警部がかっと眼をむいたのは、その先頭に立った人物だ。
「山岡先生!」
と、彼はさけんだ。
ばらばらと、また別の一組が斜面を駈けあがって来た。油戸巡査たちだ。が、加治木警部はちらっとそのほうをみただけであったし、彼らも挨拶や報告も忘れたように山岡鉄舟の姿に眼を見張っているばかりであった。いま、あっとさけんだのは彼らに相違ない。
加治木警部がいった。
「鉄舟先生、いつ、こんなところへ?」
「ほんの先刻じゃよ。十四代さまの御木像がいよいよおいでになると思えば、こりゃどうあってもお出迎えせねばならぬと急に思い立っての」
山岡鉄舟はいつもの通り謹厳無比の顔をしていた。佩刀禁止令が出ても、この人物は平気で太い刀を差している。この先生はまあいいとして。――
その間にも、錆《さび》のある大音声《だいおんじよう》が河原にひびいて、その号令のもとに、綱に曳かれ、あと押しされて馬車は土手に上って来たが、働くやつらが、百人余の巡査の前で、長脇差をぶちこんで平気なつらをしている。
それどころか、その連中もまたズラズラと土手にならんで、巡査たちと向い合ってつっ立った。人数は巡査の半分くらいだが、歯をむいたり、あごをつき出したり、ニヤリと笑ったやつらもあったくらいで、圧倒された気配は全然ない。明けて来た冬空の下に、物凄《ものすご》い殺気がみなぎりわたった。
「先生」
加治木警部は、はっと気がついて呼びかけた。
「こん人足ども、お呼びになったのは先生でごわすか」
「左様」
山岡は恬然《てんぜん》としてうなずいた。
「実はな、警視庁でいまのどから手の出るほど欲しがっておる腕の立つやつ、これが道場の猟場からはなかなか得がたい。そこでわしがはたと膝をたたいたのが、これら遊侠の徒じゃ。この中には、それ、慶応二年、伊勢の荒神山で血の雨を浴びたやつもおる。なまじ侍崩れのやつよりも、もっと実戦向きじゃぞ。これを警視庁の抜刀隊に推挙することを思いついて呼んだのじゃが、どうだ、いかんか」
油戸たちは妙な顔をした。おととい天田五郎から聞いた内容と似てはいるが、どうやら警視庁にその話を届けてはいなかったらしい。
果せるかな、加治木警部は吐き出すようにいった。
「先生、失礼ながら正気でごわすか。巡査招募規則によれば、読み書き計算はもとより、日本歴史の大略に通じ、刑法、警察法規の大意を解する者、ちゅうのが採用の最低条件でごわす。天下の警視庁、いかに人材を望むとは申せ、やくざ者まで求めるほど不足はしており申さん!」
「――ほ、やはり、だめか」
と、山岡は落胆したようすを見せた。
「次郎長」
と、馬車といっしょに土手にあがって来た親分格の男を呼んで、
「いかんそうだ。巡査はあきらめて、やっぱり富士の裾野に帰ってくれ。なにぶん御苦労であった」
と、ばかにあっさりと引導をわたした。ここまで押し出して来た勢いのものものしさにくらべ、このあきらめのよさには、油戸杖五部たちもあっけにとられたほどである。
すると次郎長は、これもまた拍子ぬけするほどの恬淡《てんたん》さで、
「おういっ、野郎ども、御用はここまででいいそうだ。引揚げろい……土手から下りろっ」
と、声だけは例のごとき大音声で乾分たちに命じた。
さすがに変な顔をして、がやがやしかける連中を、天田五郎が駈けていって、なだめたり叱ったりしながら、河原へ追い落している。
「ところで、お馬車を改めると? 何を調べるというのかな」
山岡は加治木警部のほうに向き直った。
「乗って来た人間はそこにおるが」
「いや、人間ではなく、積んである荷物ごわす」
「荷物は十四代さまの御木像じゃが」
「それだけじゃごわすまい」
「はて、ほかに何があるのかの?」
この問答のあいだに、油戸巡査たちは両腕を前に下げ、背をかがめ、まるでゴリラみたいな姿でそばに寄って来た。
ついに本庁からの援軍を受け、その威圧をもってしなければ目的が果せなかった、という屈辱は身を焼かんばかりで、せめてあの「重量物」をみずからの手であばき、同心崩れや香具師上りの痴《し》れ者をとっちめてくれなければ胸が癒《い》えぬ。――
「とにかく、それでは調べてもらおうか。やんなさい。……おい、舎人《とねり》、御者、手伝ってやれ」
山岡にいわれて、熊坂長庵と冷酒かん八がやって来た。両人ともばかに無表情な顔をしていたのは、こののっぴきならぬ事態を迎える破目に立ち至って、判断力が麻痺してしまったせいであろうか。
油戸巡査と藤田巡査は馬車に駈け寄り、その扉をあけてのぞきこんだ。
奥には――無人のはずと思いこんでいたのが、一瞬ぎょっとしたほど迫真力のある高貴な家茂公の大きな木像が端然と坐っている。その横に、長持を半分に切ったほどの大きな箱が白絹でつつんで安置してあった。
「あれじゃ、あれを見せろ!」
油戸巡査はさけんで、中に乗り込もうとした。
「ちょいとお待ち――外に出しましょう」
と、舎人風のかん八が厳《おごそ》かに声をかけて、馬車の横腹で金具を鳴らした。するとその側面がぱっくりとひらいた。ついで御者の長庵がのっそりとはいっていって、その白い箱を運び出して来た。
四人の巡査は、狐につままれたような顔をしていた。その御者は、なんと一人で、両手だけでその大きな物体を持ち出したのだ。いかに一見弁慶風に見えるにしろ、あの山坂を越えるとき、十数人の人足があぶら汗を流して運んだものを。
眼と口をかっとあけて見守る中で、舎人と御者はうやうやしく包みをひらきはじめる。幾重にも重ねた白絹であった。その中から白木の箱が現われた。蓋《ふた》をあけると、中にはぎっしりオガ屑がつまっている。そして、ついに現われ出でたのは、大きな木の株であった。
よほどもとは大木であったものの株にちがいない。しかも、からからに乾いているばかりか、中が空洞にでもなっているに相違ない。――しかし、どう見ても、それだけだ。ただうす汚い木の根ッこだ。
「それはな」
と、公卿姿の兵四郎が、にっこりして声をかけた。
「これから東京で形を整えて、御木像の台座にするはずになっておるが……京のさる高名な仏師が北山から探して来てくれたものじゃ」
「これではない! こんなものではない!」
と、菊池巡査がさけび出していた。
巡査たちは、ぱっくりひらいた馬車の胴から、いっせいにまた首をつっこんだ。しかし、いかに穴のあくほど見まわしても、中には木像以外、これといって目にとまる該当物件はない。――
「よろしいか。――静寛院宮お待ちかねゆえ、急いで出かけるぞ」
山岡が声をかけたが、巡査たちの狼狽《ろうばい》のようすを見ながらも、加治木警部は何とも返事が出来ない。
そのあいだに、馬車の横腹はまた閉じられた。それに官女をうながして乗り込みながら、天一坊みたいに中啓《ちゆうけい》をさばいて、
「何やら西洋手品に似ておるの。いや、この馬車のしかけがよ」
と、公卿がつぶやき、それから大声で笑った。
「ハイヨーッ」
山岡鉄舟も乗せて、弁慶のような御者は鞭をふるった。まるで百余個のそれこそこっちが木像みたいな抜刀隊を尻目に、馬車は蹄《ひづめ》の音も軽やかに東へ駈け出し、霧と砂けむりのかなたへ消えていった。……
さて、これから加治木警部と四人の巡査のあいだに、痛烈な質問とあたふたした返答が交されたことはいうまでもない。
その結果、加治木警部みずから指揮して、なおこちら側の河原にうごめいていた清水の次郎長一家を足どめにし、巡査の大群は馬入川を渡って、平塚の宿場を捜索した。
しかし、四人の巡査が道中見たという――昨夜も大勢のやくざにかつぎこまれたのを見たというその「重量物」は、一行が泊った宿に残ってはいなかった。渡世人たちちが分宿していたどこの旅籠《はたご》にも、それらしきものは発見されなかった。
「抜刀隊まで出動させおって――うぬら、寝ぼけちょったんか!」
加治木警部の叱咤の前に、四人の巡査は直立不動の姿勢で棒立ちになり、実際夢でも見ているような顔で口をぽかんとあけたままであった。
その日のうちに、馬車は東京麻布市兵衛町の静寛院宮邸に到着した。
京を出てから七日目、東京を出てから十三日目。――正確にいえば、十二月二十三日のことである。
すぐに兵四郎とお蝶とかん八は、衣裳を改め、数寄屋橋の御隠居さまのところへ、帰還の旨報告にいった。
「長庵は、やはり中津村へ送った物の安否が気にかかるから、といってすぐに相模へ引返しました。大丈夫と見込みがついたら改めて御挨拶に参るそうで」
と、兵四郎は東海道のスリル満点の馬車旅行の経過を話したあとでいった。
「運んでくれた大政という男が、次郎長第一の乾分だそうで、見るからに頼りになりそうなやつですから心配はいらんと思います。もっとも大政といえども、運んだものの中身までは知らないはずで――ともあれ、手品というやつは、種明かしをすれば馬鹿げたもので」
兵四郎は笑ってから、ふと思い出したように、
「それはそうと、次郎長から、くれぐれも御隠居さまにお礼を伝えてくれるように、とのことでしたが」
「はて、次郎長という男、山岡を介して名を知っておるが、わしは逢《あ》ったことはないぞ」
「いつぞやの小政の件で」
「ああそうか! あの小政は次郎長の乾分であったの。――」
と、御隠居さまはひざをたたいた。三年ばかり前、牢から出て来たばかりの肺病の小政を、数日この家で休ませてやったことがあるのを思い出したのだ。
兵四郎は最初東海道でやくざの用心棒の大群が出て来たのにはめんくらったが、やがてそれが山岡鉄舟のさしがねであることを知り、かつあとで次郎長との話に小政のことが出てから、安心するとともに彼らが自分を守ってくれるのも、決して無縁のお節介ではない、運命のつながりだと感じた。
「それで、長庵の贋札はすぐに出来そうかの」
「それはまだ何ともいえませんが。――」
「わしもその話には心もとないところがあっての。それより、永岡を救い――それどころか、こっちが助かるには、警視庁の泣きどころを何かつかまえるにしかずと考えて、お前の留守中もいろいろ探りをいれて見たが。――」
御隠居さまは、その心が何かに打たれたときのくせで、眼を宙にそそいでつぶやいた。
「いや、あの川路という男、調べれば調べるほどこわい男じゃな。……」
手品の種明かしをすればつまらないことだ、と、兵四郎はいったが、例の紙幣印刷機は、前夜のうちに平塚の宿屋から密々に、大政以下数人に頼んで、箱に蓆《むしろ》をかけて、長庵の隠れ家《が》のある愛甲郡中津村へ運んでもらったものであった。――そういえば、油戸巡査たちはついに気がつかなかったが、馬入川を渡った次郎長一家の乾分のうち大政たち数人の姿が見えなかった。
平塚から馬入川に沿って数里北へ遡《さかのぼ》ったところに侘助《わびすけ》村があり、そこからさらに、二、三里奥へはいったところに中津村がある。
これは最初からそうするつもりで、だから長庵が東海道を来ることに賛成したのだ。まさかその翌朝東京から警視庁があんな巡査の大群を派遣して来るとは思いもよらず、それと遭遇する前に問題の物件を切り離してしまったのはまったく僥倖《ぎようこう》だが、長庵が平塚へ来る前の街道の村のどこかに捨ててあった大きな木の切株を見つけ、印刷機といれ替えを思いついたのは、やはり長庵ならではの嗅覚《きゆうかく》のおかげであったとしかいいようがない。
しかし、そういう行為を見張るために、浅井巡査が哨戒していたのではなかったか。――
もっとも彼は、不覚にもいくばくかまどろんだ、とはいった。では、右のことは、彼が眠っているあいだに偶然うまく行われたのか、それとも?
のちに熊坂長庵の贋札事件が発覚したとき、彼が住んでいたというこの中津村に捜索の手が及んだことは当然だが、しかしこの明治九年十二月の怪事については、あいまいな霧につつまれたまま、再調査すら行われなかった。それは大阪の紙幣印刷機と相州の中津村、という結びつきが司法当局者の頭に浮かばず――何より、当夜の最大の証言者たるべき浅井寿篤巡査がすでにこの世から消えていたからだ。
すなわち彼が、明治十一年五月の紀尾井坂の変の暗殺者の一人に変身し、その夏に処刑されたことは前に述べた通りである。
さて、西南役、大久保内務卿遭難についで、一世を震駭《しんがい》させた熊坂長庵の贋札事件についてここで述べておこう。――それは井上馨対川路大警視の「疑問符つきの最後の死闘」を物語ることでもある。
この物語に直接関連させていえば、長庵の贋札は、ついに兵四郎の焦眉の願いに間に合わなかった。――
それは、あるいは当然のことである。いくら紙幣印刷機があったからといって、原版製造のこともある。原料の紙のこともある。印刷インキのこともある。そう筒単に作れるわけがない。――ドイツ製紙幣印刷機のことがついに当局の盲点にはいったままとなったのはそういうわけからでもある。
にもかかわらず。――
明治最初の精巧きわまる贋札が現われたのは、その翌年の明治十年、西南戦争のまっただ中からであった。当時、大阪を中心とする関西は、軍需品の集散地となったために活況を呈し、金の流通も荒っぽいものになっていた。そこに少からぬ贋札がまぎれこんでいることが発見されたのである。
贋札は、五十円札、十円札、五円札、二円札など種々で、菊、桐、鳳凰《ほうおう》、龍などえがいた図案はみな同じ、ただ金額によって札の大小、色彩が変っているだけだ。本物もまたその通りであった。中で、いちばん安い二円札がいちばん多かったのは、やはり人の注意をひくことが最も少いと見たからであろう。
それがどれくらい精巧なものであったかというと、当時の「東京日日」の報道にこうある。
「ソノ贋造マコトニ精密ニシテ容易ニソノ真贋ヲ分チガタク、四百倍顕微鏡ニ照ラシテヨウヤク裏面円輪ノ蜻蛉《せいれい》ノ足ノ一本足ラザルヲ見ルノミ」
十一年にはいって、それはますます跳梁《ちようりよう》をきわめ出した。届けられたものだけでも二千枚あるいは三千枚とも伝えられた。――最終的には、贋札の総計は三百万円に及んだといわれる。繰返していうが、明治十一年、米一俵六十キロが二円四十銭のころの三百万円である。
これを伝える新聞を、大阪の香具師《やし》某が買い集めて、新聞など来ない紀州の田舎町でその数倍の値で売りさばいたのみか、庶民の狼狽ぶりを見て、もっとぼろい儲《もう》け口のアイデアがあるとひざをたたき、
「特に二円札があぶない。ま、二円札はみんな贋札と見たほうがまちがいおまへんぜ。そんな紙っきれ持ってても何もならんよって、いまのうちこの一円札と換えなはれ」
と、かたっぱしから二円札を一円札で買い占めて検挙されたという記事が実際にある。
いかにこれが――特に関西地方に恐慌状態をひき起したかがわかる。
その贋造紙幣の精巧さや大規模な流通ぶりから見て、これはただの個人の手作りではない。もっと大がかりな組織によるもので、しかもそれが出廻った区域から見て、犯人の根拠地は関西の――おそらくは大阪にある、という噂《うわさ》がひろがった。そう見るのが当然であった。
大蔵省からの依託により、東京警視庁はこの捜査に乗り出した。川路大警視は中警視安藤則命を大阪に派遣して、捜査本部を作らせた。
このとき――十一年十二月――突如として川路大警視は、パリの警察制度視察のため、ヨーロッパ派遣を命じられた。ついでにいえば、その七カ月前に大久保内務卿は暗殺されている。
で、十二年にはいってからは、川路は日本にいなかったわけだが、大警視に捜査の続行を命じられた安藤中警視は、さらに事件の追及に懸命になった。
実は、それ以前からひそかにささやかれているある名があった。大阪の富豪藤田伝三郎である。彼は長州萩の出身で、官庁請負業及び土木建築業の「藤田組」という会社を作り、近年ますます盛んで、先輩にあたる薩摩系の豪商五代才助(友厚)をしのぐ勢いであった。
これが西南役の軍需品調達に際し、関係官庁に一万数千円の賄賂《わいろ》をばらまいたという嫌疑で内偵をつづけているうち、果然、藤田組の元支配人木村真三郎なるものが驚くべきことを訴えて出た。
贋札の出所は藤田組である。しかもそれは欧州で製造され、送られて来たもので、自分は藤田組宛に送られて来た舶来の函中に、たしかに贋造紙幣の束を見た。しかもその函には「井上参議御用物」と書かれてあった、というのだ。
安藤中警視は躍りあがった。
いったいあの贋札は、その量と質から、容易ならぬ組織が本格的な機械を使用して作ったものとしか思われなかった。それで捜査の途中、当然明治二年処分したドイツ製紙幣印刷機のゆくえも問題になった。それは藤田組に下げ渡されて長年その倉庫にあったのだが、いつのまにか紛失していた――しかも、それが盗まれたのか、屑屋にでも払い下げたのか今となってはわからない――ということも判明し、捜査陣はいっとき色めきたった。しかし、すぐに当時の造幣寮関係者で、あれは使えない、少くともドイツ人の技師でなければ使えない、と証言する者が出て来て、このことは疑問符に封じられてしまったのだ。
そこにこの密告である。
ヨーロッパで日本の紙幣を印刷し送って来たとするなら、疑問はすべて氷解する!
井上馨はすでに帰国していた。明治九年夏アメリカへ渡った彼は、その後欧州各国を巡遊し、西南役にも帰らなかったが、明治十一年五月、大久保内務卿暗殺の報に接し、急に予定を打ち切ってその七月に帰国していた。しかし彼が、この期間二年、ヨーロッパに――日本の紙幣印刷機を製造したドイツにも滞在していたことはまちがいないのである。それは贋造紙幣が出現したのと時を同じゅうする。
しかも、もともと藤田組の驚異的な勃興《ぼつこう》の黒幕は井上だというささやきは早くからあったのである。黒幕どころか、井上が在野時代作った先収会社という商社の社長にはいちじ藤田伝三郎をすえたくらいだ。
井上なら、やりかねない!
理も非もなく、世人はそう信じた。そう信じられるだけの不徳が彼にあった。
かつて大蔵|大輔《たゆう》――蔵相までやった人間が贋札を作るか、などいう疑いは、井上がその大蔵大輔の名で尾去沢《おさりざわ》銅山を強奪したという前歴の前には淡雪《あわゆき》のようなものであった。
安藤中警視は、大阪高麗橋の豪邸に踏みこんで、藤田伝三郎を逮捕した。明治十二年九月十五日のことである。
この報道とともに、奇怪な噂が世に流れた。
その前年十二月、川路大警視が在職中フランスへ派遣されたのは、彼の眼をけむたがる井上馨が強引に飛ばしたのだという風説があった。なんとなれば川路はそのころ、西南役中の労苦がたたって肺を病んでいるということであったからだ。川路をかばうべき大久保内務卿はすでにこの世になかった。
ところが、藤田組に贋札の嫌疑がかけられてから、いや川路はすでにそのことを看破していて、事の重大性からみずから井上在欧中の行動を調査するために、病躯をおしてヨーロッパへ出向したのだ、という噂が流れたのである。
そして川路はいよいよ帰国の途についた、と伝えられた。
しかるに。――
彼は印度洋を越え、東支那海を渡るうちに、血を吐くことが重なり、次第に重態となり、十月八日横浜に上陸するに先立って、秋風白き東京湾上で昏睡状態におちいった。
そして、鍛冶橋の官舎に生を保つことわずかに六日、明治十二年十月十三日、この世を去ったのである。
昏睡のまま、彼はぶつぶつと同じ文句の歌らしきものを、繰返し唄っていたという。「敵も味方ももろともに、刃の下に死すべきに……敵も味方ももろともに、刃の下に死すべきに……」
西南役後二年、川路大警視ときに壮年四十六歳。
十二月に至って、藤田伝三郎はその証跡なしとして釈放され、代って密告者木村真三郎は偽証罪で逮捕され、安藤中警視は免官となった。
かくてまた妖言《ようげん》が流れた。川路は、その帰国を怖れた井上のために毒殺されたのだ、井上が途中の港に暗殺者を派遣して帰国の船に乗り込ませ、船中で一服盛ったのだ。――
妖言というには、あまりに迫真力のある説であった。以上の事の順序があまりに出来過ぎていたからである。
ただ一方では、藤田組贋札事件は川路の勇み足だ、彼は薩摩系の政商五代友厚の意を体し、長州系の藤田伝三郎を葬るとともに井上にとどめを刺そうとしてこの疑獄をでっちあげたのだ。彼の死は、完全な病死である、という説もある。むしろこれが公式の説として、この事件は幕を閉じたかに見える。川路もそれくらいのことは結構やりかねない前歴を持つ男であったのだ。
――井上と川路の「疑問符つきの最後の死闘」といったゆえんだ。
ともあれ井上と川路のあいだにまこと天を倶《とも》にいただかざる相剋《そうこく》があったとするなら、この争いは川路がついに敗北したということになる。たとえ病死であったとしても、彼が中道に斃《たお》れたという感があるのに対し、一方の井上馨は、とかくの世評のためについに総理大臣にこそなれなかったが、外相、内相、蔵相と、ありとあらゆる栄職を経、従一位大勲位侯爵となり、首相以上の大元老として大正四年まで長命し、八十一歳で大往生をとげたからである。
もっとも、大往生とはいえなかったかも知れない。晩年半身不随となってから、「おれは実はもう生きていたくないのだ。生きておればこそ、いろいろ面白くない話を聞くことになるのだから、何とかして早く死にたい」と、こぼしつづけていたというのだから。――功成り名とげても幸福になれないのが人間の業《ごう》と見える。
さて、贋札事件の「真犯人」である。
明治十五年になって、熊坂長庵は、一味の高座郡田名村平民鈴木熊五郎なる者の密告により逮捕された。むろん長庵一人でやれる仕事ではなかったことから来た破綻《はたん》である。
同時に中津村の自宅から贋造に用いたと見られる銅版などが――印刷機械ではなかった――押収され、翌十六年大審院において真犯人ときめつけられ、無期徒刑の判決を受けた。この判決を下した六人の判事のうち、のちの外務大臣小村寿太郎の名が見えるのも一奇である。
ばかなことをいっちゃいけない、あんな銅版一枚であれほど大量かつ精巧な贋札が出来るわけがない、と長庵は最後まで全面的に犯行否認のまま北海道へ送られた。彼のその後の消息は永遠にわからない。
とはいえ――長庵はみごとにその目的を達したのではないか?
ドイツ人技師でも呼ばなければ操作不可能と断じられた紙幣印刷機を、数カ月にしてみごとに動かしたこの怪|香具師《やし》の手腕もまた偉なるかな。しかもその機械を大阪から関東に運び、製造した品はまた大阪に持っていってばらまき、まんまと藤田組に嫌疑の眼を向けさせた――しかも元凶は当時ヨーロッパにいた井上馨であるという破天荒の疑獄を作りあげた、その着想もまた妙なるかな。
法学博士尾佐竹猛は、井上馨を弁護していう。
「名が熊坂長庵では、なんだか芝居の熊坂長範に似せて(司法当局が)いいかげんに拵《こしら》えたもののように見えるから、(世人は)てんで取り合おうとはしない。しかしそんなことは拵えることが出来るものではなく、また拵えるくらいならこんなまずい名前をつける必要はないではないか」
権力者が苦しまぎれにでたらめの犯人を作りあげたのだろう、という世論に対する反論である。
しかし、それでもなおかつ世人は「てんで取り合おう」とはしなかった。それどころか、こういう弁護論を当然計算にいれてのでっちあげだという印象を与えた。――そして井上馨という名には、いまもこの事件が煙のごとくからみついて、維新の功臣としての名声に、終生ぬぐうべからざる翳《かげ》りを残している。
勝ったのはやはり熊坂長庵ではあるまいか。
明治九年十二月二十五日の夜のことであった。
前々日、平塚の宿場一帯を空しく探索して何の獲物《えもの》もなく、それから二日をかけて茫然と帰京したばかりの加治木警部は、夜ふけてはいたが、まだ大警視が起きて働いていると聞いて、いかなる報告をすべきや、困惑しながらその部屋の扉をたたいた。
「はいれ」
はいって、加治木警部は眼をまろくした。
大警視のテーブルに置かれた洋燈を前に、二十人は越える巡査たちが粛として立っている。ただならぬ雰囲気に、警部はやや狼狽して、部屋を出ようとした。
「加治木なら、よか。おれ」
と、川路大警視は声をかけた。
扉の内側に佇《たたず》んで見まわすと、そこにならんだ巡査たちはみな薩摩人ばかりだ。だいたい警視庁は薩摩人が主流を占めているから、これはべつにふしぎではないが。――
加治木警部がちょっと眼を見張ったのは、その中に、この春鹿児島にいったはずの仁礼《にれ》十郎太警部、黒河内正助巡査、有馬尚五巡査の顔が見えたことで、では自分がこの五、六日、警視庁を留守にしていたあいだに帰京して来たものと見える。
――読者の御記憶を喚起するためにいえば、「天皇お庭番」の章で、川路大警視から薩摩に密偵としてはいることを命じられたあのめんめんである。
大警視は、メモのようなものをとり出して読んだ。
「警官たる者は、みなめいめいその職に斃《たお》れてやむべし。警官たるはもとより勅命なり。勅命を奉じて朝敵を攘《はら》う、何をか疑わん。勅を奉じて死を致す、何の栄かこれに過ぎん。……」
川路大警視は、毎夜枕頭に蝋燭と紙と筆をおいて眠る。そして夢中でも何か閃《ひらめ》くものがあれば、ただちに蝋燭に火を点じてこれを書きとどめるのを常とした。――現代に至るまで、警視庁、いや日本の警察の骨格、精神はこの川路大警視のメモに胚胎《はいたい》するといっていい。
そのたぐいの書きつけだろう、と加治木警部は判断したが、それにしても耳を寒風に吹かれる思いがした。いま読みあげた文言の厳粛壮烈のひびきは、大警視にしてもやや異常なものであった。
あとで聞いたところによると、仁礼十郎太警部らから、鹿児島の私学校の壮士らの反政府運動がいよいよ過熱し、だれか火を投ずるものがあれば一大爆発を起す形勢にある、という報告を聞いてから、大警視はうなずき、やおらそのメモをとり出して、読みあげたらしい。
「おはんらのいのち、この川路にもらいたか」
紙片をおき、大警視は巡査たちを見まわしていった。
薩摩から帰った三人の巡査はテーブルの横に立ち、ほかの大半は前方に立っていたが、その前方の巡査たちに向ってである。みな、驚いたようすもなかった。
「そげな事《こつ》は、以前から覚悟しております」
と、答えたのは、中原尚雄警部だ。
ほかにも園田警部、野間口警部、末弘警部、安楽警部らの顔も見えたが――中原警部は、この物語にいちど登場したことがある。
江藤新平の佐賀の乱の起る前夜――佐賀に密偵にはいって、その地の状況を大警視に報告した警部だ。そのとき江藤はまだ東京にいたが、大警視は中原をつれてすぐに江藤邸へゆき、その結果何が話し合われたか、その後江藤はすぐに佐賀へ鎮撫のため出発し、結局かえって不平士族に祭りあげられてあの叛乱となった。
「死ぬより辛《つら》か事《こつ》かも知れん」
と、川路大警視はいった。
その表情はふだんと変らぬ自若としたものであったが、なぜかこのとき加治木警部は全身が鳥肌になるような鬼気に襲われた。
「おいは、おはんらに西郷先生の刺客として、薩摩へいってもらいたか。――」
みな、さすがに雷《らい》に打たれたように立ちすくんだ。
「そ、そいは、大警視!」
さけび出したのは加治木警部であった。彼もまた脳天を棒でなぐられたような気がした。
「さ、西郷先生を刺せなんぞとは……何ちゅう事《こつ》をおっしゃるでごわす。大警視! 天魔が魅入《みい》り申したか!」
「こんままにしておくと、先生は私学校の暴徒にかつがれて、天下の逆賊になられるに相違なか。髪も逆立つようじゃが、いま西郷先生に消えていただけば、爆発は起らん」
川路はいった。
「ばかな! 西郷先生という重石《おもし》あればこそ、私学校の暴徒をいままで抑えて来られたのじゃごわせんか。西郷先生を刺しなんぞしたら、それこそ大爆発を起しもす!」
加治木警部はさけんだ。
「そもそも大警視、西郷先生が私学校の弱輩どもに乗せられて起《た》たれると思いもすか?」
彼の頭に、いくつかの記憶がひらめき過ぎた。それは佐賀の乱のとき、薩摩がそれに相呼応したなら、と自分が恐怖したのに対し、「西郷先生は起ちもはん。心配はなか」と、断乎《だんこ》として保証した大警視の声であった。萩の乱が起ったときも同様、東京の永岡一味の動きにこそ眼をそそいでいたが、薩摩の風雲に不安の意を示したことはついぞ大警視になかった。――
「江藤の乱にも、前原の乱にも起たれなんだ西郷先生が、いまさら起たれもすか?」
「佐賀、また萩の乱に呼応して起たれなんだ事《こつ》は、西郷先生のとりかえしのつかん一大失策じゃった。結果において、兵学で最も忌《い》む兵力の逐次《ちくじ》投入という下策となった」
と、川路は別の答えをした。
「それというのも、先生にうぬぼれがありなされ過ぎたのじゃ」
郷党の後輩として、実に身の毛もよだつ痛烈無比の批判を川路は投げた。
「おいは江藤輩、前原輩とはちがう。あげな騒ぎを起さずとも、放っておいても東京の政府は倒れる。西郷のおらぬ政府は必ず倒れる。――先生はおそらくこう見ておいでじゃった。ところが、いつまでたっても、東京の政府は倒れん。大久保内務卿のもと、一糸乱れず明治政府は、各地の小叛乱をたたきつけ、その威権をいよいよ確立しつつある。――薩摩のこんごろの理も非もない騒ぎようは、そん|あてはずれ《ヽヽヽヽヽ》の不満から発しておる。西洋の言葉で、こげなことをヒステリーというげな」
その眼にうすい微笑の翳《かげ》さえ浮かんでいるのを、加治木は見た。
「あたりまえじゃ、明治政府を率いる大久保どんは天下第一等の英雄じゃからの」
「内務卿はいかにも偉《えら》かお人でごわす。しかし、天下第一等の英雄は西郷先生じゃごわせんか。――」
「幕府を倒すまではな。明治と世が変ってからは、大久保内務卿こそ最適最強のお人じゃ」
加治木警部の熱い頭に、またある記憶が冷たい蒼白い波のように流れた。
三年前の秋、霧たちまよう本所源森堀のほとりであった。薩摩へ帰るべくそこを歩いてゆく西郷先生を、自分たち三人は追いしたっていった。――
あのとき川路大警視は西郷先生になんといったか。
「先生にいまゆかれもしては、天下の大乱となりもす。日本は滅びもす。……」
また。――
「正之進も薩摩へおつれたもっし。先生あっての川路でごわす。……」
そして加治木警部自身も、涙を流し、土下座までして見送ったのだ。
少くとも加治木のその心境は、いまも変らない。薩摩の不穏な形勢は夜も眠れぬほど心配だが、西郷先生がやわか暴挙に巻きこまれるとは信じないし、どんなことがあってもそんなことをさせてはならない。また万が一、そんなことになったときは――どうしていいかわからない。少くとも西郷先生に銃口を向けるなどいうことは、神も照覧あれ、自分には出来ない!
そしてまた、大警視も同じではないか。同じ心のはずではないか。事実大警視は、薩摩の暴発をふせぐべくさまざま腐心して来たはずだ。仁礼警部らをやったのも、そのためではなかったか。――
西郷先生に二心をいだきながら、泣いて先生を追うなどいう芝居をやるほど、この人は薄手《うすで》の人ではない。加治木警部の知るかぎり、そんなチョコザイな「私心」など、爪の垢《あか》ほどもない川路大警視であった。
突如として彼には、大警視が――いや、この世が、夢魔のように怪奇なものに思われて来た。
「大警視、大警視が薩摩へいってくだされ!」
しぼり出すように加治木警部はうめいていた。冷徹無比のこの男が、こんな声を出すのははじめてだ。
「もし西郷先生が朝敵におなりなされる危険があるなら、そいをとめるのは大警視のほかにごわせん! 大警視はとめにゆきなされねばならん!」
「おいより力のあるお人がある。大久保どんじゃ」
と、大警視はいった。さっきの妖《あや》しい微笑は消え、さすがに悲愁の色が面《おもて》を覆っていた。
「その内務卿がすでに首を横にふられちょる」
「では、では。――」
愕然として加治木はさけんだ。
「西郷先生へ刺客を送るっちゅう事《こつ》は、大久保内務卿も御承知の事《こつ》ごわすか!」
「西郷先生に私学校一万の壮丁あれば、川路には警視庁七千の強者《つわもの》がおる」
大警視はつぶやいた。また返答をそらしたもののように聞えたが、あとで考えると、大久保内務卿や陸海軍などを飛び越えて、川路一人で対等に大西郷を引受ける不敵な自負の声であった。
「私情は捨てよ。天皇に叛きたてまつるものがあれば、何ぴとたりとも討たねばならん。勅命を奉じて朝敵を攘《はら》う、何をか疑わん」
大警視は厳然とくり返した。そして、中原警部らに眼をそそいだ。その一団は、呪縛されたようにそこに立ちつくしている。――
「どうじゃ、ゆくか? 名目は賜暇帰省あるいは父母の見舞い墓参をもってする」
「はっ、参りもす!」
と、中原警部は答えた。ただ一語であったが、熱鉄を吐くような苦痛にみちたあえぎを伴った。
「よか」
川路はうなずいて、さてそれから、さらに驚倒すべきことをいい出したのである。――
「西郷先生はおはんらの手で刺してはならん」
「――えっ」
「刺さぬ刺客としていってもらいたか」
中原警部たちは、いっせいに昏迷した眼つきになった。いったい大警視は、何をいおうとしているのか?
「右のごとき刺客の心組みをもって薩摩にはいれば、さなきだに疑惑の眼で見られちょるおはんらの帰郷じゃ。私学校の者どもが、おはんらをつかまえるにきまっちょる。帰県の真の目的は何じゃと拷問にかけるじゃろ。そのときはじめて、西郷先生暗殺の目的をもって帰ったと白状するのじゃ」
大警視はいった。
「事が起らんうちに西郷先生を殺せば、天下の政府に、大義名分が失われる。――かくて狂乱してあっちが起《た》っても、そげな白状は拷問によってのもので事実無根じゃといいぬける事《こつ》が出来る。真相は永遠の謎となる。そいでよか。――政府は堂々と賊徒討伐の軍を出す事《こつ》が出来る。――」
命じられた者は、茫然自失した。さっき大警視は、ほうっておけば爆発するから、それをふせぐために西郷を刺せといった。そしていまは、西郷への刺客ということをみずから告白し、それ火だねにして暴発させよ、という。
「死ぬより辛《つら》か事《こつ》じゃといったのはこの事《こつ》じゃ」
恐るべき命令を下して、一同を見わたす川路大警視の眼には、珍しく涙が浮かんでいた。
「西郷先生を刺さんでも、おはんらが刺客である事《こつ》に変りはなか。おはんらのいのちはなかろう。そいよりなお辛《つら》か事《こつ》は、薩摩人として西郷先生を刺そうとした悪魔として名が残る事《こつ》じゃ。……むろん、その刺客を送った元凶としてこの川路の悪名はさらに大きく薩摩に残る」
――実際に、ただの刺客以上の、こういう深奥のからくりがあきらかになった後代、鹿児島のみならず、一般に、川路は日本のフーシェという名を残したのである。警視総監として、そのスパイ使いの凄さ、権謀の反間苦肉ぶりもさることながら、恩人へのみごとな背信において。――
ジョゼフ・フーシェは、はじめは一介の僧院の教師であったが、フランス革命にあたって冷血無比のテロリストとして頭角を現わし、ルイ十六世をはじめおびただしい貴族をギロチンにかけたが、やがて恐るべきロベスピエールとたたかい、天下一転してナポレオンの時代となると、みごとにその警視総監となりすませた。しかしナポレオンの運命を予感するや、一見大胆に反抗して、皇帝失脚後またもルイ十八世のもとで警視総監となるという、曲芸師のような変節と処世ぶりを見せた怪政治家であった。血の嵐の中に、ふたたび三度ひっくり返る権力の変転を、ことごとく裏切りによってくぐりぬけ、いつも新しい権力側の領袖として残っていたのである。
この点、川路利良はただ一度だけであった。ただ一度ではあったが、しかし彼が西郷のかかとの土を掘ったことは否定することが出来ない。ただ彼は、恐るべき信念をもって裏切った。
「いのちも要らぬ、名も要らぬ、地位も金も要らぬという人間ほど始末に困るものはない、とは西郷先生のお教えじゃが、それこそ警視庁に職を奉ずる者の魂とするところ。――」
大警視はあごをあげた。
「天皇お庭方じゃ。ゆけ」
――加治木警部がまず大警視室にはいっていったあと、京都から東海道を怪馬車を追って来た四人の巡査は、別室に待っていて、やがて呼び出されて受けるであろう大警視の雷を覚悟して、はじめ震慄《しんりつ》していたが、ここ十日ばかりの疲労|困憊《こんぱい》には抵抗しがたく、椅子に坐ったまま思わず知らずみなコクリコクリとやりはじめた。
はっとして油戸杖五郎巡査はわれに返り、眠気をさますには寒夜の風にさらされるにしかず、と、ともかくも警視庁の建物を出て、そのまわりを、コツ、コツ――と歩きはじめた。
いかにも星が凍りつきそうな師走の夜であった。
すると、裏手の道を、向うからやって来たものがある。
一台の人力俥のようであった。それが、自分の靴音を聞いてふいに動き出したような感じがあったので、本能的に油戸巡査はくるっと反転し、またもと来た道へ、コツ、コツ、と戻り出した。
警視庁にはいると見せかけて、物蔭にひそんで見張る。
大通りへ、俥が出て来た。ガス燈のあかりに、それが見えて、油戸ははっとした。
俥は幌《ほろ》をかけられているが、それにつき添って歩いている男は――あの千羽兵四郎という元同心ではなかったか? 雨模様でもないのに、たたんだ蛇の目を一本ついて歩いてゆくのだが、俥とならんで、それはガス燈の下に、妖々といった感じのシルエットを浮かばせて通り過ぎた。
――きゃつ、もう平気な顔をして、大胆にも警視庁のまわりをうろついておる! こんな夜ふけに、いったい何のためだ?
駈けていって訊問しようとした意志をあやうく抑え、油戸巡査は靴をぬいだ。この寒夜に|はだし《ヽヽヽ》となってその俥を追い出した。
追跡は長くはなかった。俥は鍛冶橋からすぐ近くの数寄屋橋でとまったからである。
幌の中から、元同心に助け下ろされたのは、それも街燈の遠あかりで見えたのだが、髪を総髪にした、白衣の――凄いほど痩《や》せ衰えた男であった。しかもそれは、どうやら盲人のように思われた。
二人は近くの原っぱの中にぽつんと建っている小さな家にはいっていった。――いまは油戸も知っている、駒井相模守の庵である。俥はそのまま外に待っている。
彼はしばらく首をひねりながらそれを眺めていたが、とにかく待機中の尾行であったので、そのまま警視庁にひき返した。
帰庁して見ると、三人の仲間はいましがた大警視室へいったというので、あわてて彼はそこの扉をたたいた。
はいって見ると、そこに立っているのは、加治木警部と三人の同僚だけであった。――なぜか、加治木警部は惨澹たる顔色をしていた。
油戸杖五郎は何となくおびえ、これから落ちる雷を避けるためなどいう心はみじんもないが、とにかく自分がいなかったわけ――警視庁裏から妖《あや》かしの俥を追っていた事実を報告した。
「なんじゃと?」
大警視は油戸の顔を見て、しばらく黙っていたが、
「そりゃ、ひょっとすると……元徳川お庭番|針買将馬《はりかいしようま》っちゅう男じゃなかか?」
と、いった。
「たしか、常人には聞えぬ音も聞くという特技を持つやつ。――」
このつぶやきの意味は、そこにいるだれにもわからなかった。彼らはその男を知らず、これは大警視だけがどこからか調べあげたことらしい。
川路はしばらくまた考えこんでいたが、ふいに顔をあげて、
「加治木警部。……そん駒井は、このごろ市ヶ谷監獄の永岡久茂の動静を知るために、手をつくして血道をあげちょるっちゅう事じゃったな?」
「は、――」
「おいは、間もなく東京を留守にせんけりゃならん」
と、大警視はいった。
「きゃつら、何を狙っちょるか知らんが、やはり捨ててはおけん。その前に片づけてやろう!」
「駒井を、でごわすか」
「うんにゃ、あの爺いに直接手を出すとうるさか。そのおっちょこちょいの同心をじゃ」
「どげんして、でごわすか」
「いままでの行状を云々しておっちゃ手数がかかる。市ヶ谷監獄を囮《おとり》に、きゃつを、のっぴきならん罠《わな》に落してまずひっくくり、駒井にぐうの音《ね》もたてさせぬどころか、そっちの息の根もとめてやるがよか」
[#改ページ]
泣《な》く子《こ》も黙《だま》る抜刀隊《ばつとうたい》
「……はて、兵四郎とお蝶はどうしたかな?」
数寄屋橋の庵の前で、隅の御隠居さまと冷酒かん八は首をかしげていた。
明治十年二月七日のお午《ひる》ごろである。このまま春が来るとは思えないが、もうどこか微風にその匂いを感じさせるおだやかな冬晴れの日であった。
「ああ、あっしが小舟町で待ち合わせて、いっしょに来るんでござんしたねえ」
と、かん八は数寄屋橋のほうを眺めて、
「あっ、来た! 来たが……小蝶|姐《ねえ》さんおひとりのようで」
と、さけんだ。
いかにも、そのほうから一台の俥《くるま》が駈けて来たが、幌のあいだからチラとこぼれた華やかな色から見て、乗っているのは女と知れた。
庵の前にとまった俥からは、なるほどお蝶一人が下りて来たが、さて彼女も首をかしげながら妙なことを告げたのである。
――二人でこちらへ出かけようとしているところへ、一人のやくざ風の男が来て兵四郎とヒソヒソ話をしていたが、やがて兵四郎が「突然の急用が出来て、ちょっとそのほうへゆく。築地の海軍操練所にはそちらから廻るかも知れない。お前は御隠居さまといっしょに、先にいっているがいい」といって、その男と急いでどこかへ出かけていった、というのだ。
「やくざ風の男?」
かん八が首をひねった。
「でも、来たとき、吉五郎兄いからの使いだと名乗ったし、あのひとも前から知ってた男のようでしたよ。でも、わたしは知らない、人相の悪い男。――」
「巾着切《きんちやくきり》の仲間か」
そのとき、御隠居さまがつぶやいた。
「ひょっとしたら、市ヶ谷にかかわりのあることではないかの?」
去年の秋から市ヶ谷監獄に収監されている思案橋事件の一味の消息を、そこから出て来る巾着切たち―むささびの吉五郎という経路で探るということは以前からやっており、吉五郎もまた、急ぎの場合や、自分が来られない場合、信用出来る男なら直接御隠居なり兵四郎なりに連絡によこすことはまれではない。
「それが、ふたり襖《ふすま》の向うで話していて、わたしには何も聞えませんでしたけど、なにかただごとじゃない用だったと見えて、出てゆくときのあのひとには珍しいおっかない顔をしていました」
お蝶は不安そうであった。
「ふうむ、それで兵四郎は、わしに何も言伝《ことづ》てはせなんだか」
「え、家を出てからすぐひきかえし、御隠居さまに――と、何かいいかけましたが、ちらっとその男のほうを見て、まあ、あとでわかることだ、と笑っていってしまったんです」
「御隠居さま、あっしが築地へゆくのはやめて、ひとっ走り市ヶ谷へいって探って来やしょうか?」
と、かん八がいった。
御隠居さまはしばらく考えていたが、やがていった。
「市ヶ谷へいったかどうかはわからん。兵四郎が黙っていったのなら、それだけのわけがあるのじゃろ。それに、呼びに来たのは知っている男らしいし――ま、ともかくこちらは軽気球を見にゆくことにしよう」
彼らは、その日、からくり儀右衛門に招かれて、また軽気球実験の見物にゆく約束をしていたのであった。
去年の六月、横浜の根岸競馬場で試みた最初の実験は失敗した。発明者のからくり儀右衛門は大いに残念がって、その後鋭意研究していたが、このたびまた二回目をやるから是非見に来てくれと、先日御隠居さまに通知して来たのである。ただし、こんどは共同研究者たる海軍兵学校機関士馬場新八の都合のため、実験場は築地にある海軍操練所においてであった。
お蝶はまだ何やら不安が残る顔色をしていたが、去年の横浜の見物には同行しなかったので、こんどは是非つれていってくれと自分からせがんだこともあって、浮かぬ顔のまま二人のあとについていった。
兵四郎たちは旧幕時代同様、海軍操練所と呼んでいたが、今はそこに海軍省があり、ほんのこのあいだまで兵学校もおかれていたので、南の碧《あお》い海とつながる広大な空地もある。――現代の東京中央卸売市場のある一帯である。
横浜と場所はちがうが、張られた綱にぶらさげられたぺちゃんこの大蛸《おおだこ》みたいな軽気球、それにつながった無数の綱、あちこちに立っている兵隊のむれ、といった光景はだいたい同じであった。
ただ、大きさは、根岸競馬場のときよりもっと大きいようだ。記録によれば奉書|紬《つむぎ》百四十反をミシン縫いしたものをゴムで塗りあげたとある。それに何より相違していたのは、こんどは中につめる気体が金杉ガス局から一キロ半ちかい管で運ばれて、いましも蒸気ポンプで送りこまれつつあることであった。
そして、からくり儀右衛門が、この前に倍してものに憑かれたように白髪をふりたてて、兵隊たちに怒号している姿が見えた。招待はしても、とうてい挨拶などに来そうにない。
軽気球が飛ぶのは午後一時という予定であったが、一時半になっても大蛸は、まだ三分の一もふくらんで来たとは見えない。
「ああーっ」
と、冷酒かん八は大あくびをした。
「こりゃ、御隠居さま、やっぱりあっしゃ市ヶ谷へいってもよござんしたぜ。いまからでも間に合うかも知れねえ」
御隠居さまは返事もせずに、向うを眺めていた。軽気球ではない。そのかなたの――幔幕《まんまく》を張った一劃だ。そこには政府の大官や軍人らしい一団が椅子に坐っていた。
この前とちがって、陸軍より海軍の将官が多いようだ。その中に――さっきから御隠居さまがしきりに眼をやっているのは、海軍ならぬ警視庁の川路大警視であった。
いや、御隠居さまが見るというより、御隠居さまのほうを見ているのが川路大警視であったといおうか。
相当の距離もあり、かつ御隠居さまは決して眼のいいほうではないのに、まるで――夜中、人が野をゆくとき、獣や蛇の眼を背中に感じることがあるというが――なぜかそんな感覚をおぼえて、御隠居さまはそちらを眺めるというより、むしろ眼を吸いつけられていたのであった。
川路大警視は、しきりに懐中時計をとり出してはのぞきこんでいた。やはり、実験の遅いのに焦《じ》れているのであろうか。
二時。大蛸は、やっと三分の一くらいふくらんだ。
そのとき、川路大警視がつと立ちあがり、ぶらぶら歩き出した。南側の海のほうへ。
その代り、巡査が一人、こちらへ走って来た。なんと、御隠居さまたちの前へ。
「駒井信興どのでありますか」
敬礼していう。
「川路大警視閣下がちょっとそこまでおいで願えまいか、とのことであります。あそこであります」
と、歩いてゆく大警視を指さした。川路のうしろを、七、八人の巡査が追ってゆく。
かん八は、かっと眼をむき出して御隠居さまを見た。口はぱくぱく動いたが、声も出ない。――
「あ、左様か」
御隠居さまはかるくうなずいて、何のためらいもなくトコトコ歩き出した。
十歩ばかりいって、うしろから駈け出したかん八をふり返り、
「お前は来なくてもよい」
と、叱《しか》った。
が、御隠居さまが歩き出すと、かん八は少し離れてこれも歩き出す。おまけに、あとに残されたお蝶まで、不安にたえかねるように、あとを追って来た。
御隠居さまは、もううしろをふりかえることなく、海際のほうへ歩いていった。
川路大警視は、追って来た巡査たちを、手をふってうしろに停《と》め、海からの風に長い外套をなぶらせながら立って待っていた。
「駒井どん……お久しぶりでごわすな。戊辰《ぼしん》の江戸入城のとき以来」
大警視は笑顔をむけた。
「やあ、あの町奉行所明け渡しの日をお憶えか。なつかしや」
あのとき自分が立ち合ったことを、川路が知っていたとは――と、驚いて然るべきなのだが、実際にまた御隠居さまは心中に驚いたのだが、笑顔はこれまた屈託がない。
「ちょうど、かれこれ十年になるな。いや、時勢は変りました喃《のう》」
と、御隠居さまは首をふった。
「あのとき江戸攻めの総大将の西郷さんが、どうやらまかりまちがうと逆賊にもおなりになりかねない気配で……世のゆくすえは、いかがなりゆくものならん」
海がしずかに鳴っている。
十年ぶりにここに相対した江戸の町奉行と明治の警視総監。
いや、十年ぶりではない。白日の下ではまさに然りだが、ここ数年|闇《やみ》の中では?
――大警視の顔からは微笑が消えていた。
「駒井どん。……いまお姿をお見かけしたからお訊《き》きする気になりもしたが、こげな場所ゆえ、単刀直入に申す。――元江戸町奉行の御身分として、ちといたずらが過ぎるとはお思いなされんか?」
御隠居はしばし黙って大警視の顔を見つめていたが、やがてしずかに口を切った。何を? などいうとぼけた反問はしなかった。
「それならわしも単刀直入にいおう。わしより、川路さん、あんたのほうが警視庁の大警視として、少し細工が過ぎやせんか?」
「――何をでごわす?」
そういう反問を投げたのは、大警視のほうであった。
「左様さ、わしの知っとることだけでもちょいと申せばな」
と、御隠居さまは、いい出した。
「まず、ちょうど三年前、佐賀に不穏の相ありという報告を密偵から受けられると、あんたはただちに江藤司法卿のところへゆかれた。江藤さんはすぐ佐賀へ向って出発された。むろん、あんたと江藤さんと何を話されたかは知らん。おそらく佐賀の不平士族を鎮めるのは江藤さんよりほかにないと、あんたは熱誠こめて説いたのじゃろ。しかし、また、佐賀へいった司法卿が、そのまま祭りあげられて叛乱の大将になることも、ちゃんと承知なされておったのではなかったかの?」
大警視は例の義眼みたいな眼で、御隠居さまを凝視していた。
「また、熊本の神風連じゃ。いや、その前の話じゃ。あそこに赴任する鎮台司令官種田少将、こいつがラシャメンあがりの妾《めかけ》を同行するほど好色な人物であることを知っとる肥後の若者を、わざわざ警視庁から解き放って帰郷させなすった。その青年が帰郷して何をしゃべるか、熊本で新司令官にいかなる反感を起すか、それを勘定にいれてのことじゃなかったかの?」
大警視は、仮面のような表情のままだ。
「また萩の乱で、あんたは警視庁の密偵をして、前原の心事を探るというより、むしろこれをつっついて煽動したという事実がある。一方、東京の永岡一党にも早くから密偵をいれてその動静を逐一知りながら、時至るまで、あんたは永岡を泳がせておった。してみれば、佐賀や熊本や秋月でも、士族が暴発するまでにどのような手が動いたか、知れたものではない。――」
声に辛辣《しんらつ》なひびきはない。淡々と微風のように御隠居はつづける。
「妙な大警視があればあるもの、これはひょっとすると――と、わしは考えた」
大警視が、しゃがれた声で訊《き》いた。
「ひょっとすると――何でごわす」
「大警視は、乱をこそ望んでおられるのじゃないかと」
いまや問う者は、御隠居のほうであった。
「ところがあんたは、鹿児島のほうだけには暴発をふせぐべく、極力手を打たれた。さすがは御自分の郷国、恩人の大西郷だけには傷のつかぬように心をくだいておられるのか、と、わしはその心事を諒《りよう》とした」
「………」
「ところが、何ぞ知らん――そうじゃなかったのだ。それは、その時点までは西郷さんに起《た》ってもらっちゃ困るからに過ぎなかったのじゃ。そして、各個撃破で西国一円の反政府勢力を片づけたあとは、もうよろしい。まるはだかになった西郷さんが起っても、もうこわがるに当らない。――」
「………」
「いや、今となっては、西郷に暴発してもらいたい。政府にとって、だれより怖《こわ》い西郷を始末する機会をこそこいねがう。かくてあんたは、西郷暗殺の刺客を送った。――ああ、暗殺者を送り出す警視庁の大警視などいうものがまたと世にあろうか」
さすがに川路大警視の顔に、愕然《がくぜん》としたものが動いたようだ。
漠《ばく》と予感していたこの小さな老人の恐ろしさを、いま想像以上にはじめて知覚したかに見える。――この元江戸町奉行が、ここまで政府最深部の機密をつかんでいようとは!
それこそは隅の御隠居さまが、盲目の人間盗聴器針買将馬から得た諜報であった。
御隠居さまが依頼したのではない。将馬がみずから進んで、夜また昼、警視庁の近くに幌をかけた俥をとめ、じっと地獄耳を澄ましていたのだ。肺を病む彼は、すでになかば死界の人であった。
そして、あの旧臘《きゆうろう》二十五日の夜――心配になった御隠居が迎えに千羽兵四郎をやったほどだが――あの夜、その男は、川路大警視の驚くべき秘命をみごとに盗聴し、御隠居さまに報告し、そしてその場で息絶えたのであった。
――どうやら、徳川お庭番は、天皇お庭番に負けなんだようでござりますな。……
と、血泡《ちあわ》にまみれた唇に死微笑を浮かべながら。――
御隠居はしずかに首をふっていう。
「西郷暗殺――それならば、まだ常人の頭でわからんこともない。ところがあんたはその上をいって、巡査を刺客の心得で鹿児島に送り、みずから捕えられて白状させ、怒りのために薩摩を暴発させようと計られたな。これでも細工は過ぎはせんと仰せかな。……その細工の手応えが、そろそろあってもいいころじゃが、まだよい知らせはないか?」
のちに知る。――
新聞などにはまだ一切出なかったが、川路大警視から送り出された中原尚雄ら二十余人の警部巡査らは、一月十一日鹿児島にはいり、二月三日私学校生徒らにつかまり、西郷暗殺云々の件を白状し、これに狂憤した私学校生徒はついに暴発して鹿児島にある政府の火薬貯蔵庫を襲撃していた。
怒ったのは、私学校生徒ばかりではない。大西郷自身、この刺客の一件に、もはや蹶起《けつき》もやむを得ずと鹿児島県令大山綱良に通告したのが、この日、二月七日。
そしてまた私学校暴発の報を得た大久保内務卿が、在京都の伊藤博文工部卿に、
「朝廷不幸中の幸いと、ひそかに心中に笑いを生じ候くらいにこれあり候」
と、一書を送った日付が、これまたこの二月七日。
おそらく大久保の笑いは、関ヶ原前夜、上杉|起《た》つと聞いて笑ったという家康の笑いと同じものであったろう。
「……国家のためごわす」
と、川路はいった。さっき一瞬見せた動揺らしきものの翳《かげ》は、いまその眼に見えない。冷たく沈んだその眼が、御隠居を見すえた。
「国家のためには、たとえ西郷先生なりと、いけにえになっていただくのも辞せぬ川路でごわす。そこまで知っておる駒井どんも、ここらで消えてもらわんけりゃなりますまいな」
「ほう、わしを消すとや」
御隠居はおどけた眼になった。
「ま、いつかそんなこともあるじゃろうと覚悟してはおった。なに、今さら消えんでも、わしはもう十年前から消えておる人間じゃよ。ふおっ、ふおっ、ただ、消える前に、これでもあんた同様に、お国ということがちょっぴり気にかかるのでな。ふおっ、ふおっ、ふおっ」
梟《ふくろう》のような笑い声であった。
「それで、あんたがたのやりくちについて意見書を書いて、封をして、上、としたためて山岡に渡してある。わしに万一のことがあったら読んでくれ。感ずるところがあったら、天皇さまに御覧にいれてくれ。――」
川路はちょっと猫みたいな陰気な眼つきをして相手を見つめたが、すぐにうなるようにいった。
「おいどんのやりくちとは、いま駒井どんのおっしゃった事《こつ》どもごわすか。それなら天にも神にも恥じもさん。お上も、国家のためにはやむを得ん事《こつ》じゃとお認め下さると信じておりもす」
「目的のためには手段をえらばぬとはあんたがたのやりくちじゃ。苦しまぎれに弱い者のやることなら、まさにやむを得ん場合もあるじゃろ。しかし、国家最高の権力を握った人間が、そんなことをしてよいのかな」
「手段をえらんでおっちゃ、至高至急の国家の目的が果せんでごわす」
「至高至急の国家の目的とは?」
「日本が生き残る事《こつ》ごわす。……駒井どんも幕末以来の日本の危かった事《こつ》をよっく御存知でごわしょう。印度も支那も弱肉強食のいけにえになりもした。その危機はいまも続いておりもす。うんにゃ、弱肉強食は、世界永遠の相でごわしょう。その世界に日本が生き残るにゃ、寸刻も争ってただ富国強兵を計る一途しかなか。その大目的は西郷先生も大久保どんも同じでごわす。しかし、富国強兵の国家になるためには……西郷先生より大久保どんの御方針のほうがよか、おいはそう信じて疑いもさん。思えば、西郷先生は、幕府を倒すためだけの天命を持ってこの世に生まれて来なされたおかたでごわした。……」
海を背に、川路大警視の全身から、青い炎が不動のごとくたちのぼるように見えた。
「その体制を作るのにじゃまになるやつどもは、阿修羅《あしゆら》と化してもたたきつぶさねばならん。――たとえそれが西郷先生じゃろうと、だれじゃろうと。――」
「ああ。……やんぬるかな」
御隠居は嘆声をもらした。
「あんたのいうことはよくわかる。日本は西洋のために変らせられた。まあ、むりむたいに女にさせられた娘のようなものじゃ。が、そこで急に手のつけられぬあばずれになろうとしておる――と、いうのがわしの見解でもある。ふおっ、ふおっ」
この場合に、御隠居はこんな冗談をいった。
「川路さん、しかしな、権謀によってそういう間に合いの国を作っても――目的のために手段をえらばず、たとえ強兵の富国を作っても――これを毫釐《ごうり》に失するときは差《たが》うに千里を以てす――いっておくが、そりゃ長い目で見て、やっぱりいつの日か、必ず日本にとりかえしのつかぬ大不幸をもたらしますぞ。そのことを、あんたは――いや大久保さんは、よく御承知になっておるのかな?」
「国家とは、いつでもそういうものではごわせんか?」
川路は鉄塊を投げ返すようにいった。
「実はな、敬天愛人を唱えられる西郷先生が、天下を取るためには手段をお選びなされなんだ。いわゆる御用盗など使って江戸の治安を攪乱《かくらん》したことは、駒井どんも骨身にしみて思い知られた、ことじゃごわせんか。また先生は韓国へ使いしてみずから刺客に斃《たお》れ、それを征韓の口実にしようと思いつかれたお人じゃごわせんか。おいの鹿児島への刺客は、ひとひねりはしてあるが、西郷先生のお智慧《ちえ》に学んだ事《こつ》ごわす。この点においても、おいは西郷先生に恥じもさん」
こんどは御隠居のほうが黙る番であった。
「そもそも駒井どん、あんたがたが三百年御神君と崇《あが》められて来たお人が、目的のためには手段を選ばぬやりかたで天下を取った人じゃごわせんか?」
川路の眼が、笑ったように見えた。
「無駄話はこれくらいでよか。それじゃ駒井どん……ともかくも牢にはいって下さらんか。罪状はごわす」
「何じゃ?」
「あんた、あの千羽兵四郎っちゅう元同心の黒幕じゃとお認め下さろうが。――その千羽が」
突然、さすがの御隠居が恐怖の突風に吹かれたような声をあげていた。
「おう、千羽兵四郎が何とした?」
御隠居さまは、このときはじめて兵四郎のゆくえの糸をこの川路がつかんでいることを直感したのである。
「千羽兵四郎は、国事犯永岡久茂一味の脱獄を計って市ヶ谷監獄に潜入し――いまごろは、逮捕されておるか、斬られたか。――」
異様な悲鳴があがった。お蝶とかん八であった。
二人は、いつのまにか御隠居さまのうしろ一間ばかりのところに立ち、さっきから息をつめて川路大警視との問答を聞いていたのだ。
「そん煽動者として、駒井信興、神妙に縛《ばく》につけ!」
川路が、うしろに立っていた巡査を呼ぼうと手をあげたとき、お蝶とかん八が横に駈け出した。
正確にいえば、お蝶がいきなり走り出したので、かん八が仰天して追ったのである。
「兵四郎さん! 兵四郎さん!」
お蝶はさけびながらい裾《すそ》を乱して駈けていた。広場のまんなかを突っ切って――いまの大警視の恐ろしい宣告に耳を灼《や》かれて、彼女は夢中で市ヶ谷の方角へ走り出したのだ。
それと見て、かん八のみならず、御隠居を捕えようと歩きかけていた巡査たちが、あわててそちらへ駈け出したのは、その芸者の行動それ自身より、ゆくてに――いや、ちょうど横のほうから、いましも巨大な大蛸がゆらりと浮きかかって、彼女へ向って流れて来るように見えたからだ。
軽気球だ。
それにガスを詰める作業を眺めながら、先刻川路大警視は駒井信興を呼び出した。きょう駒井がここに来ていようとはあらかじめ知るわけはないから、これはまったく予定外の行動であった。さすがの川路も、同じ時刻、市ヶ谷監獄でくりひろげられているであろう事件に想到したとき、知らぬが仏でのうのうとこんなものを見物に来ている駒井信興が笑止にたえず、みずからその息の根をここでとめてやろうという突然の衝動を抑え切れなかったと見える。しかも、息の根をとめようとして予想以上の手ごわいしっぺ返しを受け、その対決に心奪われて、かんじんの軽気球のことはしばし忘却していた。――
それは、この前の横浜のものよりさらに大きかった。あれは直径五間を超える程度であったが、これはどうやら、七、八間にも見える。それが、いつのまにか満々とふくれあがって、下の吊籠《つりかご》に二人の兵隊をのせたまま浮かびあがり、そこから張られた数本の綱を、地上の兵隊がいまや離そうとしていたところであったのだ。
「あっ、こりゃ、何をするっ」
指図していたからくり儀右衛門が飛びあがった。
老人は、その女が何かその新発明物に凶念を持って駈けて来たのかと思ったのだ。気嚢《きのう》の中身が危険なガスだけに、その白髪が逆立つような思いがした。
これは、お蝶を追っかけた巡査たちも同じだ。――いや、綱を握っていた兵隊たちも、美しい鬼女みたいな女と、そのうしろから突進して来る巡査のむれを見て仰天し、その数人が、思わず手を離した。
空中の蛸は、地上の吊籠をひきずって、不安定な円を描いた。ほかの兵隊も伏しまろんで、これまた手を離した。
吊籠はぶんまわされながら、駈けて来た女と交錯した。
そして、二度、三度、吊籠を地に跳《は》ねさせながら、さらにゆらりと空へ舞いあがった。あとに、ふりこぼされて尻餅をついた二人の兵隊がとり残された。そして――女の影はなかった。
巨大な軽気球は、兵隊の代りにお蝶を吊籠でしゃくいあげて飛び去ったのである。
何ともいえない叫喚が見物席で起った。無数の人間が、広場のかなたへ飛んでゆく軽気球を追って走った。
が、軽気球は、吊籠を向うの町並の屋根にふれんばかりにさせながら、あれよあれよというまに西北の空へ消えていった。――
千羽兵四郎は、市ヶ谷監獄に乗り込んでいた。
その日、蛇《じや》の目《め》の傘を杖にして、数寄屋橋に出かけようとしていた兵四郎のところへやって来た頬かむりした一人の男が、実に重大きわまる事実を彼に告げたのである。
――きょう午後二時ごろ、市ヶ谷監獄で、思案橋事件関係者が処刑される。
それは夢魔のように怖れ、また覚悟していた事態であったが、いよいよそれが事実となるとすれば、兵四郎は愕然としないわけにはゆかない。
彼らを救うため牢役人を買収しようとして、その金を作りたいと焦り、東海道を紙幣印刷機を運ぶなどいう荒っぽい真似までやってのけたが、その後熊坂長庵からなんの連絡もなく、ついにあの苦労は水の泡《あわ》と帰したようだ。少くとも間に合わなかったようだ。
彼の頭にお千の哀切な顔がかすめ、心臓が絞木《しめぎ》にかけられたような思いがした。
連絡に来た男はいう。
「ただし、その中にゃ、永岡さんははいっていねえんです」
「なんだと?」
「あの人はまだ病檻にいてね。放っといても死にそうなんで、首切場にゃ出しかねるらしい」
「ほう。……それほど重症なのか」
「と、いって、仲間をみんな斬るってえのに、親玉をいつまでも放っとくわけにもゆかねえでしょうが……とにかく、きょう斬罪になるってえのは十二人とかだそうで、監獄の気はそっちに集まってる。その隙に病檻にいる永岡さんを助け出す。きょうを除いちゃあ、もういい折りはねえって、むささびの兄いはいいやす」
「吉はどこにいるんだ」
「監獄の裏に待ってるはずで」
こういう重大な知らせを受け、こういう急迫した問答を交しながら、兵四郎はジロジロ相手の凶悪な顔を眺め、訊《き》かずにはいられなかった。
「はてな、おめえは、どっかで見た面《つら》だな」
「恐れいりやした。いつぞや左衛門|河岸《がし》の女剣戟で旦那にとっつかまって、そのあと数寄屋橋の御隠居さまのところでちょいとお世話になってた……鉄砲定ってえ巾着切で」
「やあ、おめえ、そうだったなあ」
この場合に、兵四郎が笑い出した。
ちょっと胴忘れしていたのは、隅の御隠居さまのところには、しょっちゅういろんな人間が泊ったり居候したりして、川の|しがらみ《ヽヽヽヽ》みたいにひっかかっては流れてゆくせいであったろう。たしか昔、某旗本の小者をしていたとかいった。――
「おう、そしてそのあと、おめえ、吉のスッた巡査のピストルをまたスッて、どこかへ逃げていっちまったな」
「へえ、あのときは無分別で、吉五郎兄いとスリ試合してるつもりだったんで。――」
「あのピストルはどうした?」
「弾がなきゃ、どうしようもありませんよ、旦那」
鉄砲定についての話はそれで終った。また、そんな話をしている場合ではない。
その処刑は午後二時ごろからはじまるという予定であったが、潜入するのはその前でなければならない。それで、もう吉五郎は監獄の裏で待っている。自分といっしょにすぐ来てもらいたい、という定の話に、兵四郎はむろん即座に応じた。もはや軽気球見物どころではない。
ただこの件は、一応御隠居さまに通じておく必要はある、と、ちらっと考えたが、それを伝える者はお蝶のほかはなく、お蝶にそんな話をすれば、必ず騒ぎたてるにきまっている――と、兵四郎は思い直し、
――いずれにせよ、この仕事はおれ一人でやるしかねえ。
と、覚悟し、また、
――問題があるようだったら、改めて吉にでも築地の操練所へ連絡にいってもらえばいい。
と、判断して、お蝶に残しかけた伝言を|のど《ヽヽ》で呑んで、そのまま鉄砲定といっしょに出かけたのであった。
市ケ谷監獄の裏手に、待っているはずのむささびの吉五郎はいなかった。
「爺さん、どうしたのかな?」
しばらくそこに佇《たたず》んでいたのち、定は首をかしげて、
「中に待っているかも知れねえ。いって見やしょう」
と、裏門の戸を、そっと押した。
それは錠も下りていなくて、ぎいと少しひらいたのである。
「やっぱり、そうでごぜえます。何かあって、むささびの兄いは先にいってるんです」
定につづいて、兵四郎はすべり込んだ。
中は、人の背丈《せたけ》ほどもある枯草の原っぱであった。向うに建物の屋根が見える。おととしの夏出来たばかりというのに、壁も黒ずんで見えるのは、場所柄のせいか、それとも元大名の下屋敷の一部が残っているものであったか。
伝馬町の旧牢ならともかく、三万二千坪もあるこの新監獄の内部は、兵四郎もまったく不案内だ。
そこを――こいつはここにはいっていたにちがいないが――まるでわが家の庭のごとく歩いてゆく定に、兵四郎は呼びかけた。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫です。あっしはここらあたり、二、三度うろついたことがありやすが、人に逢ったことはありません」
と、定はいった。
「あっしみてえな風態のやつは、下男とか掃除男とかウロウロしていまさあ」
「おれは?」
定は兵四郎の着流し姿を見て、
「吉爺さんはね、きょうは大がかりな首斬りで、山田浅右衛門とその手下や見習いが何人か来るはずだし、見物人も多いから兵四郎旦那をつれて来たって大丈夫だといってましたが――しかし、袴《はかま》をつけてねえのはまずいかも知れねえね。早く、あそこへゆくとしやしょう」
と、足を急がせた。
やがて定にひきいれられたのは、裏の格子窓からすぐ森が見える、薄暗い、控所とも物置ともつかぬ小さな建物であった。壁に笠や合羽や提灯や輪にした繩などがぶら下がっているところを見ると、番人の交替所にでもなっている場所であろうか。人間の影は見えない。吉五郎の姿も見当らない。
「おかしいなあ? 吉兄い、どこへいったんだろう?」
鉄砲定は首をひねりまわした。
「あの爺さんが、病檻へつれてってくれることになってるんだが。……」
そして彼は、壁にぶら下がっていたよれよれの袴を、ともかくも兵四郎にはかせた。
「とにかく、首斬りは二時からはじまるんで、そのときみんなが集まる隙にってんだから、二時まで待つことにいたしやしょう」
「おい、その斬罪になる連中、みんな助ける工夫はないか?」
「さ、あっしは永岡さんの話しか聞いてねえんだが、そいつはどうですかねえ。そりゃ少し図々し過ぎるんじゃねえですかねえ」
間もなく死刑を執行される十二人の男をここから救い出すなどいうことは、まず不可能だろうと兵四郎も認めないわけにはゆかない。――彼は、熱鉄をのむ思いで、それはあきらめた。
せめて永岡久茂一人を助けることをもって、お千への責任を果したと考えるよりほかはない。
こうして、吉五郎を待っているうちに、かれこれ一時間ばかり過ぎた。――おそらく二時近くになったのであろう。
「あっ……そろそろ始まるらしい」
と、鉄砲定がさけんだ。
いかにも森の向うを歩いてゆくおびただしい人影が見えた。巡査のむれが通ってゆく。獄吏らしい一団が通ってゆく。またしばらくおいて、黒紋付に袴をつけた男たちが通ってゆく。森の木の葉は大半落ちて、見通しのよくきく白い外光の中を、それは不吉な鴉《からす》の行列みたいに見えた。
「この向うに斬罪揚があるのか」
兵四郎は髪も逆立つ思いになって訊《き》いた。
「そうらしい。そこは見たことァねえが……たしか方角としちゃ、病檻もあっちにあるんでさあ」
定はいった。
「旦那、どうしたんだか、吉兄いは来ねえようだ。しかたがねえ、こっちだけで出かけやすか?」
「うむ。……」
それについての判断はまだかたまらないうちに、兵四郎は鉄砲定について小屋を出た。
表の道から森のはずれを廻ってゆくと、また数人の巡査や獄吏にぶつかった。――兵四郎は全身の毛穴がさっとしまる思いに打たれて一瞬立ちどまったが、意外にも向うはちらっとこちらを見ただけで通り過ぎてゆく。そこは、さっき小屋から見た刑場へゆく道らしかった。
先刻、定は、きょう山田浅右衛門一党が来ているといったし、なにしろ大量の死刑なので外部からの参観者も少からずあるらしい。チョンマゲはこのころに至ってもまだザンギリと半々くらいであったし、警官や官吏以外は着物が常態であったから、巡査たちは兵四郎を見てもべつに怪しんだようすはない。外からの参観者といってもむろん然るべき理由のある人々だろうから、まさかこの日、まったく無縁の男が裏からこの監獄へ潜入してこんなところを歩いていようとは、想像を超えていたといえる。
「旦那、早く」
先に立って、うながす定に、立ちどまって兵四郎は刑場のほうをふりむいた。
「ちょっと見てゆきたい」
「何を?」
「斬罪の景をだ」
彼は、いつかお千が、もし永岡が斬られるときがわかったら、監獄の外にいって南無阿弥陀仏を唱えたいといった言葉を思いだしたのだ。その永岡はこれから救うつもりだが、ここまで来たのなら、永岡の同志の最期の片鱗でも見て、人知れず念仏を唱えてやろう、と思い立ったのであった。
むろん、先刻目撃されながら、見とがめられることもなかったので大胆になったせいだ。
――実をいうと、さっき定に図々し過ぎる、といわれたけど、事と次第では、その死刑囚たちを逃がしてやる機会もつかめるのではないか、と大それたみれんさえきざしたほどである。
彼は、顔をのびちぢみさせている鉄砲定を従えて、刑場のほうへ歩き出した。
斬罪場は、森の向うの、また森にかこまれた一劃であった。そこが切りひらかれて五百坪ばかりの空地になっている。
ずっと向うにぶきみな絞首台が立っているが、その手前に大きな穴があるらしく、まわりに旧幕時代とほぼ同じ姿で首斬り役人――おそらく山田浅右衛門とその見習いたちであろう――が、むらがっていた。十二人という大量斬罪はやはりこのごろ珍しいと見えて、周囲は参観者でいっぱいだ。
兵四郎たちは、その中にまぎれこんだ。
十分もたたないうちに、別の道から死刑囚たちがそこへ曳かれて来た。彼らは巡査たちにとりかこまれ、穴のそばにひとかたまりになって坐らせられた。
すぐに兵四郎は、彼らを救うことは不可能だと望みを絶《た》った。
そして、彼らが――その中には兵四郎が芝|愛宕《あたご》町で見かけた顔もいくつかあった――次々に斬られてゆくのを、悲痛な眼で遠望するよりほかはなかった。
「白露と消ゆるいのちは惜しまねどなお思わるる国のゆくすえ」
「事しあらばまたさきがけん国のためわが魂をここに残して」
そんな朗々たる辞世の声がまだ消えないうち、濡手拭をはたくような音とともに、鮮血が冬の白日をけぶらせてゆく。
「旦那。……」
鉄砲定が、兵四郎の手をつかんだ。ちょうど五人目が斬られたときであった。
「そろそろ病檻のほうへ」
兵四郎はうつつの悪夢から醒《さ》めた。そうだ、自分は永岡を救いに来たのであった!
が、そのとき定の手が、兵四郎の持っていた蛇《じや》の目《め》にかかると、ぱっとひったくった――いや、兵四郎の手には、一条の刀身が残った。
「やっぱりこんなものを持っていやがった!」
定はさけんで、ころがるように飛びはねて逃げた。
「いけねえ、早くつかまえておくんなせえ!」
突然起ったこの騒ぎに、斬首の光景に魂を奪われていた周囲の人々はどっと逃げ散ったが、逃げ散らなかった者もある。五人や十人ではない。――
兵四郎は、自分をとりかこんでいる巡査の大群を眺めた。
――ふしぎに彼は、この市ヶ谷監獄に潜入してからの戦慄《せんりつ》が、この刹那《せつな》から水のように鎮静したのを感じた。代りに、彼の頭の深部に気泡みたいに浮きあがったのは、何ともいえない滑稽感であった。
最初から一杯ひっかけられていたのはいうまでもない。鉄砲定は、警察に飼われた犬であったのだ。ゆき逢うポリスがこちらを怪しまなかったのは、わざと気づかない顔をしていたのだ。
滑稽感は、それを知らず、おっかなびっくりで行動していた自分のまぬけさもさることながら、自分をつかまえるためにこうまで大袈裟な罠《わな》をしかけたことが可笑《おか》しかったのだ。
鉄砲定――これこそ後年ピストル強盗の名で都人を恐怖させ、明治十九年ついに逮捕され死刑になった清水定吉だが、このときはもののはずみで警視庁の手先となったと見える。
彼は、巡査のむれの中から、歯をむき出して罵《ののし》った。
「やい、頓馬野郎、もうジタバタするな。……永岡は先月のうちにもう死んでるんだ。おめえもここらでお陀仏になりやがれ!」
千羽兵四郎の携えている蛇の目の傘を怪しいとにらんで奪おうとしたのはさすがだが、傘はたしかにひったくったものの、かんじんの仕込杖の刀身は相手の手に残った。
これは兵四郎が、例の広沢参議の妾おかねの実家の傘屋に頼んで作らせたものだ。廃刀令以後――針買将馬の仕込杖を見て以後、彼はたえずこの傘の仕込杖を持って歩いていた。
とはいえ、傘の柄に仕込んであるのだから、刀身はばかに細い。そんな細い刀が一本あったからといって、どうにもならない絶望的な窮地に落されたことにまちがいはなかったが。――
右の心理で、思わずニヤリとした兵四郎の笑いをどうとったか。――
「抵抗するか、この痴《し》れ者」
「神妙にお繩を受けろ!」
二人の巡査が、枯草を蹴って猛進して来た。もとより、それぞれの手に白刃をひっさげている。
刀よりも、その顔に兵四郎の眼がとまった。
それは思案橋で永岡久茂を罠にかけたあの密偵――警視庁巡査、根津親徳、平山直一であった!
抵抗するという意志以上の、反射的な怒りのために兵四郎の仕込杖はふるわれている。
いや、ふるうというより、ほとんど直刀だから、フェンシングのように根津の|のど《ヽヽ》を刺し、飛びずさったところに平山が胸を持って来たのだが、そんな刀法に意表をつかれたか、二人の巡査はもろくも血の噴水をほとばしらせながら、枯草の上にころがった。
つづいて、四人の巡査が進んできた。
すべて、見おぼえがある。棒をかまえた油戸巡査、以下今井巡査、藤田巡査、菊池巡査――彼らはいっせいに、豪刀をつらねて殺到して来ようとした。
実は彼らの中には、このおかしな元同心に、わけのわからぬ好意を持ち出していた者もある。油戸杖五郎などもその一人だが――しかし、眼前に二人の同僚をみごとに斃《たお》されて、むろん全身真っ赤になるほど憤怒していた。
いま清水定吉が、永岡久茂がすでに死んでいることを告げたのはほんとうだ。彼は一月半ば病檻で息をひきとったのだが、死因はもとより思案橋で受けた傷で――油戸杖五郎の棒の威力の凄《すさま》じさよ。
油戸巡査の棒だけでも、兵四郎がまともに立ち合ってどうなったか。
まして。――
「待てっ」
と、背後から声がかかった。
刑場と隔てるように、ずらっとならんだ巡査の壁の中から、加治木警部が出て来た。その腕にピストルがぶら下げられていた。
待て、といったのは、もとより兵四郎の向うにならんだ四人の巡査たちに、そこをどけろと命じたのだ。
「武器を捨てよ。捨てんけりゃ、撃つぞ」
加治木の腕があがり、ピストルがまっすぐに構えられた。
そのとき、丸太ン棒みたいにつっ立っている兵四郎はもとより、油戸巡査たちの眼がむき出され、口があけられた。
ざあっと吹きつけて来た枯葉の雨の中に、加治木警部はふりむき、「おおっ」とさけんだ。
向うの森をかすめて、異様なものが天から舞い下りて来たのだ。直径十五メ――トルにも及ぶ灰色の大|水母《くらげ》、数瞬ののち、その正体を知った加治木警部でさえ、数分間、全身麻痺したようにつっ立ったきりであったから、そこの斬罪場にいたものすべてが、天変地異かこの世の終りでも見たような思いに打たれたのも無理はない。
六人目を斬ろうとしていた山田浅右衛門は、ザックリ、死刑囚の首に半分斬りこんで、尻餅をついた。
森の梢《こずえ》に触れんばかりに飛んで来た大水母は、ななめに草っ原に降下して来て、二度、三度、バウンドした。そしてその反動で、また空中に浮いて、あっというまに向うの――監獄の建物の屋根すれすれに飛び去った。
あとに千羽兵四郎の姿はなかった。細い仕込杖の刀身だけが大地に突きたてられていた。
飛んでゆく軽気球の吊籠にぶら下がっている小さな人影がそれだと知って、加治木警部は歯をむき出し、ピストルをあげた。
その腕を、だれかとらえた。
「あれが爆発したら、下界はいちめん火事となるそうでござるぞ!」
浅井寿篤巡査であった。
加治木警部は、それよりもうピストルも及ばない距離だと判断した。いや、そんな判断より、彼はなお夢魔でも見るように口をあけたままであった。
「……兵四郎さん! 兵四郎さん!」
「おいっ……何か紐はないか?」
吊籠のふちに両手をかけたまま、兵四郎はさけんだ。東京の屋根も森も河も、その足のはるか下にある。
お蝶は狂気のように吊籠の中を見まわし、その隅にとぐろを巻いている綱を拾いあげた。
「そいつをおれの腋《わき》にかけて……どこかへ結びつけてくれ!」
その作業をしているあいだに、吊籠はぐらっとかたむいて、身を乗り出していたお蝶はあやうくこぼれ落ちかけたが、なんとかその綱を兵四郎のからだにひっかけ、吊籠を吊っている綱にゆわえつけた。
「はあい、手に汗にぎる大冒険とござい!」
浅草奥山で見た西洋手品のせりふだ。
そんな冗談が兵四郎の口から出たのも、ともかくその作業で墜落のおそれが一応去ったからであろう。とはいうものの、なかばしびれかかっていた腕で、吊籠へ這《は》いあがり、中にころがりこんだとき、千羽兵四郎の顔は上気しているどころか、さすがに蒼白になって、満面玉のような汗にまみれていた。
「――いったいこりゃどうしたことなんだ?」
と、茫乎《ぼうこ》たる声を出したのも数分ののちである。
「あたしにも、何がなんだかわからないわ。……」
お蝶も茫乎たる返事をする。
それから彼女は、築地の海軍操練所のいきさつをしゃべり出した。――聞いて、
「そうか。それにしてもずいぶん御都合主義な化物だな。……」
と、兵四郎はうなったが、あのとき――前に強敵の剣のふすま、うしろにピストルという絶体絶命の死地で、森のかなたの天から近づいて来る化物――しかもその軽気球の吊籠にお蝶が乗っていることを、鳥の眼よりもはっきりと見たときの感動は、むしろそれまでの危機のときより戦慄的であった。
まあ、「恋の奇蹟」とでもいうべきであろう。
「おや……風が変ったようだぞ」
お蝶の話のあいだにも、軽気球は西北の方向へ飛んでいたようであったが、どこらあたりからか、こんどは反対のほうへ吹きもどされはじめた案配であった。
この風が、季節としてはほんものだろう。北風の軽気球は、南へ飛行し出した。
明治十年の武蔵野の大地をななめに、南へ南へ。――おそらくこんな鳥瞰図を見た人間は日本|開闢《かいびやく》以来だろうが、それだけに、見下ろして、あれはどこ、これはここ、などと指さす知識は兵四郎になく、またいまの状態を面白がる余裕が二人にあろうはずがない。
あの危機は恋の奇蹟によって逃れたものの、これから大丈夫かというと、そんな保証はない。
地上に下りれば、待つのは法網だ。なにしろ兵四郎は二人の巡査を斬った。
しかも、この軽気球はいったいどこへ飛んでゆくのか。――
「やあ、海だ!」
それだけはわかった。
冬とも思えない碧い海、ところどころにくだける三角波、そして見わたせば、すぐ近くに春の船のような白い雲。
それを愉しむどころか――前途のなりゆきを不安がるどころか――現在ただいまの空中飛行の恐怖に、ただぼうっとした顔で坐っているお蝶を見て、
「いっそ、このままアメリカへ飛んでゆくといいがな。……」
と、兵四郎は気楽なことをいった。彼女を元気づけるための諧謔《かいぎやく》であった。
白い海鳥が、二羽、三羽、けげんそうに近づいて来て、二人をのぞきこみ、びっくりしたようにまた飛び去った。
「お蝶、生きるも死ぬも、おれといっしょじゃないか」
笑いかけられて、お蝶ははじめてほのかに笑った。
そのあいだにも、飛ぶよ、飛ぶ、恋と死を乗せた気まぐれ気球。
そして、軽気球はいちど陸地も見えないほどの大海原の空を、ゆくえも知らず漂っていたが、また風が変ったと見えて、太陽の位置からみると、西のほうへ流されはじめた。
「やあ……汽車が走っておる!」
兵四郎は下界を見下ろし、大声でさけんだ。
いかにも海沿いに、おもちゃみたいな汽車が、白い煙を吐きながら走ってゆく。
「すると、あっちが横浜か? おう、船が見える、船が鰯《いわし》みたいにたくさん見える」
軽気球はその空をも飛び過ぎた。
そして、このころからまた降下しはじめ、一度は森のてっぺんに吊籠が触れるほど低くなり、やがてまた浮上したが、ついに大きな河へななめに流れ落ちていった。
ザ、ザーッとしぶきがあがった。
吊籠の底が水の上を跳ねて飛び、それが白い石と枯草の河原へ落ちたとたん、兵四郎はお蝶を抱いて、吊籠を蹴り、二、三度ころがってやっととまった。
向うに――河原の上へ、なかばひしゃげた大水母が不恰好に横たわっている。そして、どこかが石に引き裂かれたのであろう。みるみる怪奇な海底動物みたいに、へなへなと平べったくなっていった。
「おい、大丈夫か」
お蝶を抱いて坐ったまま、しばし茫然《ぼうぜん》とそれを眺めていた兵四郎は、やっとわれにかえった。
「おまえさんこそ。……」
と、お蝶がいう。
いまころがったときの擦傷《すりきず》が、兵四郎のひたいや腕に薄い血をにじみ出させていた。――それにしても、軽気球がここでひしゃげてとまってくれ、落ちた水面が衝撃を柔らげてくれなかったら、どうなったかわからないと思う。
しかし、それより兵四郎は、まわりの景観を見まわして、眼をしばたたいた。
「はてな。……こりゃ、見たことのある眺めだぞ。……」
そして彼はひざをたたいた。
「ここは馬入《ばにゆう》川だ」
横浜の空から西へ飛んで来たのだから、ここが馬入川であってもおかしくない。――たしかここは侘助《わびすけ》村に近いあたりだ。
なんとまあ御都合主義な軽気球だろう、と、二度目は兵四郎はつぶやかなかった。そんな感慨を超えたあるものが眼に映《うつ》ったからだ。
それは土手を向うから走って来る十人あまりの人影であった。先頭に立っている一人は背が高いが、あとはまだ少年たちばかりのように見える。
あれは――去年の暮、自分が侘助村へつれていった会津の子供たちではないか?
「おういっ、来てくれ!」
と、兵四郎は立ちあがり、手をふった。
呼ばれるまでもなく、彼らは落ちて来る空の妖怪《ようかい》を見て駈けて来たのだ。しかし、河原へ下りて来ると同時に、その怪物に乗っていたのが千羽兵四郎と一人の女だと知って、先頭の青年が驚いたように立ちどまった。
陸軍幼年学校生徒柴五郎であった。
すぐに彼は走って来た。
「どうしたんです」
と、さけぶ。
「軽気球の実験をやったのさ。……それより、危いから、そいつを河へ流してくれ」
と、兵四郎はいった。……とにかく、軽気球がここに墜落した痕跡だけは早く消しておくに限る、と考えたのだ。
わけもわからず、五郎に命じられて少年たちが、その巨大な布っきれを河へひきずってゆくのを眺めながら、柴五郎はまた訊《たず》ねた。
「いったい、どうなさったんですか」
「それより、君たちはどこへゆこうとしていたんだ。みんな旅姿のようだが」
「東京へ」
「東京へ、何しに」
「警視庁へ」
兵四郎は、ぎょっとした。五郎はいった。
「千羽さんは、佐川官兵衛どのを御存知ですか」
「おう、知っている。会津の勇将――」
「あのおかたはいま警視庁にはいって大警部になっておられますが、その佐川どのから勧められたのです。警視庁ではいま少年鼓笛隊というものを訓練しておる。――何でもフランスから音楽師を呼んで教えてもらっているそうですが、軍楽をもって戦士の士気を鼓舞する隊で、もちろん戦争があれば戦場に赴く。それに会津の少年たちをはいらせぬかと」
「え、戦争にゆく?――どこに戦争があるのだ」
「佐川どのから聞いたのですが、いよいよ薩摩が蜂起したらしい」
「西郷が起《た》った、というのか!」
「とのことです。――そういう話を承ったので、私は侘助村に預けた少年たちを思い出し、急いで勧誘にやって来たのです。すると、みんな飛びあがってよろこびました」
「あんな子供たちを――」
「それでも十五歳前後の連中です。それだけ私が選んだのです」
柴五郎は昂然と頭をあげていった。
「会津の戦争では、十六、十七歳の少年たちが白虎隊を編制して奮戦しました。……その先輩にならう時がついに到来したのです」
兵四郎は、軽気球の残骸を河へ押し流し、手をたたいている少年たちを眺めた。それは何かいたずらでもして、小躍りしている腕白のむれのようであった。
――柴五郎は、その後、熊本籠城の谷干城の女婿となり、そのころの会津出身者として珍しくのちに陸軍大将にまで昇進し、実に太平洋戦争敗戦直後、昭和二十年もゆかんとして八十七歳の生涯を終えた人である。
しかも、その経歴、その年齢にして――「会津人柴五郎の遺書・ある明治人の記録」によれば、斗南《となみ》時代の惨苦を、
「……かくては火を囲みて互いに語るべきこと何もなし、過去もなく未来もなく、ただ寒く飢えたる現在のみに生くること、いかに辛《つら》きことなりしか。あすの死を待ちて今日を生くるはかえって楽ならん。……今は救いの死をだに得る能わず。
『やれやれ会津の乞食藩士ども下北に餓死して絶えたるよと、薩長の下郎武士どもに笑われるぞ。生き抜け、生きて残れ、会津の国辱|雪《そそ》ぐまで生きてあれよ。ここはまだ戦場なるぞ』と、父に厳しく叱責され、嘔吐《おうと》を催しつつ犬肉の塩煮を飲みこみたるを忘れず。『死ぬな、死んではならぬぞ、耐えてあらば、いつかは春も来るものぞ。耐え抜け、生きてあれよ、薩長の下郎どもに一矢を報いるまでは』と、みずから叱咤《しつた》すれど、少年にとりては空腹まことに耐えがたきものなりき」
と、物語るとき、その白髯につつまれた顔を、しばしば手拭いで覆ったという。
この老大将の脳裡に残る少年時代の悲劇の記憶の前には、それからの日清・日露の役や北京籠城や太平洋戦争さえも影が薄いかに見えるほどだ。
そしてまた、明治十年、時至って、薩摩叛し、官軍出動決定のことを聞くや、
「芋征伐仰せいだされたり。めでたし、めでたし」
と、記し、
「同郷、同藩、苦境を共にせるもの相集りて雪辱の戦いに赴く。まことに快挙なり。千万言を費すとも、この喜びを語りつくすこと能わず」
と書いている。
会津戦争に生き残った五郎の三人の兄も、すべてみずから志願して西の戦場に赴いた。その中の一人柴四郎が、のちにわが国における最初の政治小説「佳人之奇遇」を書いた東海散士である。
柴一族ばかりではない。佐川官兵衛が警視庁へひきつれてはいった会津藩士だけでも三百八人あったといわれる。会津のみならず、奥羽諸藩の元武士たちまで――朔北《さくほく》の曠野《こうや》の餓狼《がろう》、まなじりを決してむらがり起《た》った趣きがあった。
――皮肉なことに、この報復の日を期待して陸軍幼年学校にはいった柴五郎だけが、かえってそのために出征には年齢不足で、ついに西南役に参加することが許されなかったのだが、こういう運命のいたずらはいつの世にもある。
――同じ会津人でも、一方では西郷の蹶起をあてにして現政府に弓ひこうとした永岡久茂の一党があるかと思えば、一方では佐川官兵衛のように現政府にはせ参じて、薩摩打倒に勇躍したむれもあったのだ。むしろ、後者のほうがはるかに多かったようだ。
少年だけに、柴五郎の胸にその分裂の苦悶はないらしかった。起たんかな、時こそ到れ、と、こぶしをつかんでさけぶ瞳には歓喜の涙があふれ、それにうなずく少年たちは、これから東京へゆくのも焦《じ》れったくて、ただちに薩摩へ羽ばたいてゆきたげな悶えさえ見えた。
そして、この小さな復讐の妖精たちは、雀躍しつつ、馬入川に沿って去っていった。
あとに、千羽兵四郎は、口をぽかんとあけて、それを見送っている。
「兵四郎さん、これから、どうするの?」
お蝶の声に、兵四郎は自分をとり戻した。
「……とにかく、侘助村へゆこう」
と、彼は漠然たる声で答えた。
――話にはいくどか聞いていたが、お蝶が侘助村に来るのははじめてだ。
その村の寺に、お千は、残された会津の小さい子供たちといっしょに暮していた。そこで兵四郎とお蝶を迎えて彼女が驚き、永岡がすでに死んだらしいことや、兵四郎が、あの警視庁の密偵を斃したことをふくめて、ちょっと信じられないほどの軽気球冒険物語に、悲喜こもごもの反応を見せたことはいうまでもない。
とくに、お千とお蝶は涙の海にひたらんばかりで、夜を通して語り合ってやまなかった。――
翌朝。
兵四郎が、突然いい出した。
「お蝶、おれは東京に帰るぜ」
お蝶は、あっけにとられた。
「いや、お前は当分ここにいな。おれは警視庁へゆくんだから」
「え?」
お千のほうがのけぞりかえった。
「自首する、というんですか!」
「向うは、どうとるかなあ?」
と、兵四郎はいった。
「おれはそんなつもりじゃあねえんだがね。警視庁が薩摩へ出動するなら、つれてってくれ、と頼みにゆくつもりなんだ」
二人の女は顔見合わせた。このひとは、気でもちがったのか知ら?
「きのうの会津の少年たちの話を聞いてなあ、おれは大いに感じるところがあった。会津の子供でさえ、薩摩征伐と聞きゃ、あの通り血ぶるいして出てゆくんだ。それを見ながら徳川|直参《じきさん》がのほほんとしていられるかってんだよ」
「また、おまえさんのおっちょこちょいが――」
と、お蝶はさけんだ。
「警視庁の巡査を二人も斬っておいて、そんなことが出来ると思ってるの?」
「かんべんならねえというなら、殺すがいいや。しかしおれは、どうせ殺すなら芋退治のほうで死なせてくれと頼むつもりだがね。あの川路という大将、ひょっとしたら聞いてくれるような気がするんだ」
「死ぬ――おまえさん、死ぬつもりなの?」
お蝶は蒼白になった。このひとには、突然、何かがとり憑《つ》いた!
「まあ、なんて突飛なことを――あなた、とにかくあっちの井戸へいって、二、三杯水をかぶって来てよ」
「これでも、昨晩、まんじりともしねえで考《かんげ》えたあげくのことだぜ」
兵四郎は、むしろふだんの彼より平静な口調であった。
「実はな、お蝶、おめえも心配していたように、御一新以来おれはぬけがらだった。ここ、二、三年、ふと気まぐれに警視庁をからかうことに熱をあげて来たが、それもほんとうのところはこのごろだいぶいやになってたんだ。そこへ、きのう、会津の子供たちを見た。どうも爺いくせえが、負うた子に浅瀬を教えられ、とァこのことだ。あれでおれは、やっとほんとうの生甲斐を見つけたんだ」
やっぱりそうだった。憑き物は、あの小さな鬼子《おにご》たちだった!
「生甲斐ったって、おまえさん、警視庁に死なせてくれと頼みにゆくと――」
「つまり、死甲斐さ。それがおれの生甲斐さ。……このまま生きていたって、おれァ明治を通して人間のぬけがらで終ってしまうにきまっている。――死甲斐を見つけ出したことは、おれの生甲斐を見つけ出したってことさ」
兵四郎は笑った。
「なに、いくさにいったって討死するとァ限らねえ。案外陸軍大将西郷隆盛の首を討ちとって、陸軍大将千羽兵四郎として帰って来るかも知れねえ」
「千羽さん」
お千はいい出した。
「あなた、子供につり込まれて、頭が変になったんじゃあありませんか。わたしも、きのうあの柴って若い男が子供たちをつれに来た口上を聞いたんだけど、そのときから変だと思って、必死にとめたんですよ。徳川や会津の敵は、そりゃ薩摩もそうだろうけれど、いまの政府だってそうじゃありませんか。いえ、いまの政府こそ、ほんとうのかたきじゃあありませんか?」
永岡の愛人なら、当然出て来る疑問だ。口調まで永岡に似て来ているようだ。
「その政府にあごで使われる犬の一匹になって、西郷さんを討ちにゆくなんて、話が逆だとは思わない? とにかく、そんなばかげたこと、数寄屋橋の御隠居さまに相談してからのことにして頂戴」
「うん御隠居か」
兵四郎はちょっと虚をつかれたようであった。が、すぐに決然とした顔色で、
「本来ならそうすべきところだろうが、やはりやめておこう。相談すりゃ、お前さんと同じようなことをいってとめられるにきまっているからな。しかし、お前たち、今おれについて来られちゃ困るが、どうせいつかは御隠居さまに逢うだろう。そのとき、兵四郎がこういっていたと伝えてくれ」
と、いった。
「そりゃな、いまの政府も気にくわねえが、おれにとっては薩摩も怨敵だ。その二つが、とうとう共喰いをはじめやがった。――それこそ、お待ちかね、と、御隠居は笑うだろう。しかしね、高みの見物ってやつは、どうも虚《むな》しいねえ。そりゃ、生きてねえ、ということじゃあねえかなあ。共喰いをやるあいつらこそ、この世に生きてる連中のような気がするんだよ」
寺の屋根に松籟《しようらい》が鳴っている。
「そんな気が前々からしてはいたんだが、決心がついたのは会津の子供たちを見てからだ。おれは政府の――大久保の側に肩をいれることに決めた。どっちも徳川の敵にゃちげえねえが、やっぱり徳川を滅ぼした親玉は西郷だよ。少くとも旗がしらだよ。西郷が大久保に追い出されたのァそのあとのことで、こっちの知ったことじゃあねえ。だから、おれは西郷を討つほうにまわる」
「政府の側にまわるったって」
と、お蝶は身もだえした。
「おまえさん一人がまわったって」
「まったくお笑いぐささ。下郎一匹、虫ケラ一匹にもあたらねえ。そりゃ、とっくに承知の上だよ。ただ、おれの気持だけなのさ。いま、高みの見物はからっぽだといったが、考えて見りゃ、徳川のかたきうちだといったって、そいつも虚しいことにゃちげえねえ。ただ、どうせ無駄なら、へ、へ、徳川の侍の意地にかけて薩摩退治にいのちをかけるんだ。そう……御隠居さまにいってくれ」
お蝶はあえぐだけであった。彼女は、兵四郎の言葉の理届よりも、その顔にあふれている哀愁に心打たれて、声が出なくなったのであった。
そういえば、このひとには、前からこんな哀しいところがあった。――いつも、つまらない顔をして、おっちょこちょいなことをしたり、いったりするけれど、どこか虚しいってところがあった。それがとうとう、噴き出しちまったんだ。
「お蝶、つまらねえ男を間夫《まぶ》にしたなあ。なんかそのうち、いい目を見せてやろうと思うこともあったんだが、とうとう何にもしねえうちにおさらばってえことになっちまった。可哀そうだが、おれを生かすと思って、おれの最後のわがままを聞いてくれ。……」
「でも、あなたは、死ぬも生きるもおれといっしょだ、といったじゃないの?」
お蝶はひたと兵四郎を見つめていった。その眼に涙があふれ出した。
「いつ、おれがそんなことをいった?」
「軽気球の上で」
この場合に、兵四郎は破顔した。
そして、泣きじゃくるお蝶をしばらく眺めていたが、やがて顔色を改めると、
「もう泣くな。おめえも、元は直参の娘じゃあねえか」
と、さけんだ。
「お千|姐《ねえ》さんも同じだ。……徳川の侍が出陣するというんだ。めそめそするな、ニッコリ笑って送り出してくれ」
お蝶とお千は、別人のように粛然として顔をあげた。
「相わかってござりまする!」
と、二人の女は手をつかえた。芸者の姿はどこにもなかった。
二月十五日。――
薩摩では、五十年ぶりという大雪をおかして、薩軍は進発を開始した。めざすはもとより熊本であった。
同じ日の夜、東京にも粉雪《こなゆき》が舞っていた。
「おい、女房、よろこべ」
雪の中を、微醺《びくん》をおびて、秋葉原の長屋に帰って来た油戸巡査は大声でいった。
「おれはとうとう一等巡査に昇進するぞ」
内職のマッチのレッテル貼《は》りをやっていた妻の|おてね《ヽヽヽ》は顔をあげた。一瞬、その眼がかがやいたように見えたが、すぐに何度もだまされた女の猜疑《さいぎ》にみちた表情にもどって、
「警部じゃないんですか」
と、皮肉にいった。
「そう一足飛びにはなれん」
「だって、加治木警部どのは、いままでに何度も、あれをやったら警部にしてやる、これをやったら警部にしてやる、とかおっしゃってたというじゃあありませんか」
「残念だが、おれはその御期待に応《こた》えられなかったんじゃ。鈍根、やむを得ん」
「だって、高橋お伝ってえ悪い女をつかまえたでしょう?」
「あれは巷の一売女に過ぎん」
「思案橋で、謀叛人の親玉を打ち倒したでしょう?」
「あれはなにしろ何百人かで囲んだ中での捕物じゃからの。……とにかくおれは、概して|へま《ヽヽ》が多い」
マッチ箱の土塁の中から、ほつれ髪の妻はせせら笑った。
「それで、やっといまごろ一等巡査……何をやって、そうなられたのでございます」
「実は、まだならん」
油戸杖五郎は、だんだんしょげて来た。この髯《ひげ》だらけの巨漢が、まるで鼠みたいな小さな女房と問答しているうちに、いつもだんだん声が細くなり、ついには黙りこみ、あとは|おてね《ヽヽヽ》だけの大演説となる。
「近く抜刀隊の隊長となり、それと同時に昇進することになっておる」
実は、それと同じ地位につけられた今井、藤田、菊池巡査らと、繩のれんで一杯やった。
この同僚たちも自分どころではない錚々《そうそう》たる経歴の持主なのだが、薩摩系が主力を占める警視庁ではやっぱり平の巡査だ。だから油戸杖五郎も、自分が出世しないことを残念に思う一方で、また諦観するところもあった。――
それだけに彼らはこんどの昇進には、みな子供のようによろこんで、近い未来にさらに自分たちの真価を発揮する機会が到来したことに歓喜していた。
「バットウタイ?」
|おてね《ヽヽヽ》は聞き返した。
「警視庁でそういうものを作ったのじゃ」
「あなたが……その隊長ですか」
「いや、隊長といっても、分隊長で、部下はそれほど多くはないが。……」
「何人」
「五人」
|おてね《ヽヽヽ》は金切声で笑い出した。
「その昔、仙台藩で百五十石、棒をとっては鬼《おに》杖五郎とうたわれたあなたさま、その油戸杖五郎が、たった五人の家来の隊長となる。――」
例のせりふがはじまりかけたが、ふいに|おてね《ヽヽヽ》は首をかしげて聞き直した。
「ところで、そのバットウタイとは何でございます」
「ま、いわば斬り込み隊じゃな」
「どこへ斬り込むのでございます?」
「薩軍にじゃ。……ちかく薩摩征伐のため、警視庁の巡査も出動することになっておるんじゃ!」
「いくさがはじまるんですか」
|おてね《ヽヽヽ》は奇声を発した。
少し意気|沮喪《そそう》していた油戸杖五郎は回復した。
「そうだ。お前にいわれるまでもなく、おれは巡査では|うだつ《ヽヽヽ》があがらなかった。正直なところ、鼠賊《そぞく》の一匹や二匹を求め、雨や風の中を巡邏していて情けなかった。……が、こんどは戦争じゃ。口はばったいが、油戸杖五郎の男の花を咲かすときが来たのじゃ! 見ておれ、おれの棒で何百人の芋めらがケシ飛ぶか。――」
「いくさにゆくというんですか!」
|おてね《ヽヽヽ》は、いきなりマッチ箱の土塁を崩して這い出して来た。
「あなた。……それだけはやめて下さい!」
「何をいうか」
「いくさは、もう仙台のときの苦労でたくさんでございます。せっかく生き残って来たものを、この年になってまたいくさにゆくなんて、あんまりでございます。断わって下さい」
「ばかなことをいえ。警視庁巡査として、おれは官命で出動するのだ。断わるなどいうことはできん!」
「一等巡査なんかにならなくても結構、いいえ、巡査などやめてもよろしゅうございます。わたしが夜も昼も内職に精を出して、あなた一人くらい養ってあげます。お酒も飲ませます。……いくさだけにはゆかないで!」
むしゃぶりついて来た妻を抱きかかえて、油戸巡査はあっけにとられたように見下ろしていたが、やがて猛然と吼《ほ》えた。
「これ、|おてね《ヽヽヽ》、戊辰のときの恨みを忘れたか?」
杖五郎が妻に大喝したなどということは、この十年来のことであったろう。|おてね《ヽヽヽ》はキョトンとした。
「おれはほんとうのところは、出世なんぞどうでもよい。じゃが、あのおかげで、伜めは飢死《うえじに》した。――ただ、死んだ赤ん坊の亡霊を背負って、おれはゆくのだ。とめるな! おいこら、祝いの酒を出せっ」
[#5字下げ]終  章
――まだ二人にも危険はないとはいえないのに、お千とお蝶は東京に帰った。さきに帰った兵四郎の姿は、むろん小舟町の家に見えなかった。二人は数寄屋橋の庵に、御隠居さまを訪ねた。
軽気球で飛んでいったお蝶が現われたことに驚喜したことはいうまでもないが、それより、二人の話を聞いて、
「ばかなことを!」
さすがの御隠居さまも、白い髯《ひげ》の中の口をぱくぱくさせた。
「兵四郎が警視庁入りを志願していったと? ば、ばかなやつが――巡査を二人も斬って、あの川路が大目に見ると思うか。――きゃつ、もうやられとる!」
もっとも、そういう御隠居さまも、あの海軍操練所の対決のあと無事にここへ帰って来たのだが、あれはあの大|椿事《ちんじ》に、さしもの川路大警視も胆をつぶして部下とともに、軽気球を追って駈け出していったのだから、話はべつだ。
ただし、それ以後もここにつかまえに来ないので、首をひねってはいたのだが。――
――さて、その川路大警視から御隠居さまのところへ一通の書状がとどけられたのは、二月二十四日の夕方のことであった。
手紙を受けとったのは、ちょうどそこにいた冷酒かん八だ。
「御隠居さま、使いはあの棒の巡査でしたぜ。……」
かん八は眼をぱちくりさせていった。
「知らねえ仲じゃあねえのに、へんにしゃちほこばって、敬礼なんぞしてゆきやしたが。……」
御隠居さまは、手紙から眼をあげて、
「明朝午前十時、銀座四丁目に来い、一目、見せてやりたいものがある、とのことじゃ」
と、いった。
「兵四郎のことじゃないか?」
「えっ、兵四郎の旦那が、まだ生きていなさるってんで?」
「まさか、銀座のまんなかで斬首もすまいが……とにかく、小舟町へいって、お蝶とお千を呼んで来てくれ」
嚠喨《りゆうりよう》たるラッパの音が銀座の空をわたると、京橋のほうからスナイドル銃を肩にし、軍帽にあごひもをかけた兵隊の大群が行進して来た。
明治十年二月二十五日。――
大山|巌《いわお》陸軍少将に率いられる鎮台歩兵第一大隊であった。彼らは新橋駅から横浜へ向い、輸送船で九州へ出動するのである。熊本の籠城戦はすでに始まっていた。
銀座八丁の両側は、見送りの群衆でいっぱいであった。その中に、隅の御隠居さまやかん八やお蝶やお千ももまれていた。――しかし彼らは、きょうここで出征の兵士を見ようとはまったく知らなかったので、ただ目をまるくしているだけであった。
つづいて、心も湧《わ》きたつような鼓笛の音が流れて来た。それが警視庁警視隊と同じ制服を着た少年たちであることを知ると、群衆はどよめいた。
川路大警視の発想によるものだ。そもそも薩摩藩では維新前後から、英人ジョン・ウイリアム・フェントンの指導のもとに軍楽隊を伝習させていた。それは洋楽そのものに対する興味からではなく、軍隊の調練のためであったが、その学習を、いっとき川路|利良《としよし》はゆだねられたことがあるのである。
で、彼は去年ごろからフランスの軍楽長シャルル・ルルーを招いて、特別に軍楽隊を創造しようとしていた。
それに少年をあてたのは、少年のほうが新奇な西洋楽器に馴れ易いためもあるが、また少年兵を使うということは、薩軍の士気をくじく目的にも叶《かな》うと思ったからだ。なぜなら、薩軍はおそらく少年をも戦場に駆りたてるだろうと彼は判断したからである。敵のうぬぼれる「独自性」をうちくだくことは、勝利の秘訣《ひけつ》の一つである。
この日の少年鼓笛隊の中に、例の会津の少年たちがいたかどうかはつまびらかでない。あれからわずか二十日ばかり、いくら何でもそれは無理だろうと思われるが、しかし彼らの必死の願いはその難事をあるいは可能としたかも知れない。
歌声が起った。
「吾は官軍わが敵は
天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は
古今無双の英雄で
これに従うつわものは
ともに剽悍《ひようかん》決死の士。……」
その歌も川路大警視が、東京大学の少壮教授|外山正一《とやままさかず》に委嘱して作らせたものであった。それを右のルルーに作曲させた。――ルルーはこのあと帰国し、のち明治十七年再来朝し、改めて陸軍軍楽隊お傭《やと》い教師となり、このとき外山正一とふたたびこの歌を作り直した。いまに残る「抜刀隊の歌」はこれである。歌詞は長くなり、曲も変ったらしいが、だいたいの節調は最初のものと同じであったろう。
「鬼神に恥じぬ勇あるも
天の許さぬ叛逆を
起せし者は昔より
栄えしためしあらざるぞ。……」
つづいて、「警視庁警視隊」が行進して来た。
ことごとく巡査だが、彼らは軍隊同様に戦場に赴こうとしているのであった。その総勢九千五百人であったと伝えられる。
その中に。――
陸軍少将の肩章をつけた会津の勇将佐川官兵衛もいた。また、奥羽戦争のとき「からす組」を編制して官軍を悩まし、維新後北海道でアイヌのむれにはいったと伝えられた仙台藩の怪傑細谷十太夫も、陸軍少尉の階級を与えられて従軍していた。
そして、やがて佐川官兵衛は戦死し、細谷十太夫は傷つくのである。
ざ! ざ! ざ! ざ!
靴音も凄《すさま》じく、次から次へ、限りもなく来り去るつわものたち。――彼らは、佐川や細谷の例に見るように、維新のとき賊軍として敗れた男たちが多かった。それからの十年、越えて来たそれぞれの人生の山河を凄壮《せいそう》な男の顔に刻んで、いま官軍として出撃してゆく。
やがて、紺の制服の上に白いふとい帯をしめ、大刀をさした一隊が現われた。
警視庁抜刀隊であった。
川路大警視は、早くから薩摩が兵を起すとき「抜刀隊」なるものを編制することを探知していた。剽悍無比の薩摩隼人として、斬り込み隊で官軍の心胆を奪おうと考えるのは当然である。彼らはその「独自性」に無上の自信を持つにちがいない。それを粉砕するにはどうすればよいか。それはこちらもまた同様の抜刀隊を編制することである。――と、彼は思考した。薩人を知る薩人なればこその着眼であった。
上田馬之助を招いて警視庁に剣術道場を作り、そこで猛訓練していたのはまさにこの日のためである。
すでに洋行したこともある川路が、戦争における武器に刀を第一と考えるはずがない。彼はただ敵を精神的に打ちのめすためにこの「警視庁抜刀隊」を生み出したのだが、その効果は田原《たばる》坂の血戦に見るように甚大で、西南役どころか、七十年後まで買いかぶられるもととなった。
すなわちこの真の明治人を父とする子たちは――その適例をあげれば、このころもう陸軍軍曹として小倉第十四連隊で乃木少佐のもとに出動していた東条英教の子、東条英機などだが――彼らは、レーダーと原爆に対するに「抜刀隊」をもって戦う、という愚行を犯したのである。この見解も前に述べた。
警視庁抜刀隊の中には、むろん、かつての京都見廻組の今井信郎巡査、新選組斎藤一たる藤田五郎巡査、桜田の変の海後嵯磯之介たる菊池剛蔵巡査、それから油戸杖五郎巡査もいた。
そして、川路大警視が馬に乗ってやって来た。彼は陸軍少将の肩章をつけていた。
川路は悠然《ゆうぜん》と馬上にゆられていたが、四丁目の一点を通り過ぎるとき、ふと薄く笑ったようであった。
「……あっ」
と、冷酒かん八は小さな声をあげ、眼をむいて指さした。
「兵四郎さん!」
お蝶が絶叫した。
大警視の馬のそばに、銅仮面のような加治木警部とともに従っているのはまさに千羽兵四郎であった。
彼は、帽子、制服の巡査姿であった。髪はたしかにザンギリにしているようだ。同じように白い帯に大刀をぶちこんで――彼はまっすぐを見つめ、歩調を合わせて歩いていた。
ざ! ざ! ざ! ざ!
靴音はとどろく。紺色の奔流がながれる。薩南へ! 薩南へ!
御隠居さまが悵然《ちようぜん》とつぶやいた。
「川路め……わしについに勝ったことを宣言するために、兵四郎を助けたな。……」
「けれど、兵四郎さんは死にます、死ににゆきます!」
お蝶は胸を抱いて身をもんだ。
あらゆる路傍の声を消して、男の歌声は海嘯《つなみ》のように通り過ぎる。
「敵も味方ももろともに
刃《やいば》の下に死すべきに
大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ。……」
銀座煉瓦街のかなたに、男たちの姿は遠ざかってゆく。歌声は消えてゆく。
[#地付き]〈警視庁草紙 了〉
〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年十一月二十五日刊
初出誌 オール讀物/昭和四十八年七月号〜昭和四十九年十二月号連載
単行本 昭和五十年三月文藝春秋刊