海鳴り忍法帖
山田風太郎
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永禄御前試合
――一五六五年六月十三日、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は日本の魔術を見た。
この日は、日本の暦で五月五日、端午《たんご》の節句といって、町の家々は軒に菖蒲《しようぶ》を飾る。そして、とくに武士の祝日となっている。そこでぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はこの国の儀礼を守って、公方《くぼう》さまを訪問した。ここではからずも、信ずべからざる悪魔の術を見る機会を得たのである。
公方さまの宮殿はたいへんな混雑で、ことし年賀にいったときのように、公方さまに面会することはとうてい望めないように思われた。何百人という武士や侍女たちが、門から門へ、一定の方向へ潮のように流れてゆく。途方にくれていると、幸運にも宮殿の召使いで、愛すべきミカエル厨子丸《ずしまる》とマルタ鵯《ひよどり》が発見して近づいて来た。
「ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]さま」とミカエル厨子丸はきのどくそうにいった。「きょうはとても拝謁はかないますまい。あきらめてお帰りなさいませ」
「何かあるのか」
と、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]がきくと、マルタ鵯が眼をかがやかせていった。
「これからお庭で、武術の試合があるのです」
「しかも、ほんものの刀で勝負するのだそうです。血が流れるかも知れません」とミカエルは眉をひそめていった。
「ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]さまのお眼をけがすばかりです」
ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は昔ローマのコロセウムで行われたという剣奴《グラデイアトール》の競技を思い出した。恐ろしいことだと思ったが、日本の剣奴に対する好奇心も禁じ得なかった。公方さまは名高い剣の勇者だという噂も思い出した。ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はきいた。
「試合するのは、公方さまの御家来たちか」
「いえ、一方は上泉伊勢守さまのお弟子たちですが」
「もう一方は、根来《ねごろ》寺の坊さまたちです」とマルタがミカエルにかぶせていった。「そして根来衆たちは、忍法で相手をするそうです」
根来の僧兵たちの話は、この国に来てからもうなんどもきいていた。いや、この国へ来る以前にも、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]ヴィレラのくれた日本に関する報告書の中の彼らについての記述はぶきみな印象で記憶に残っている。
「――彼らは騎士団員のごとく、その職業は戦争である。日本の諸国は戦争が多いので、金銭を以て彼らを傭《やと》い入れる。彼らはつねに三万人の専門に戦争を練習した者を準備し、たとえ戦争に於て多数戦死するも、これらの僧院はただちにふたたび欠員を補充する。戦争のため、各人毎日弓七本を作るのを職とし、毎日弓を試射し、武技を重んじ、つねにこれを訓練している。云々」
ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は彼らを実見することに決めた。そこでまず尋ねた。
「忍法とは何のことか?」
ミカエル厨子丸は、この質問に答えることを好まないように見えた。彼はぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]にきょうの試合を見せるのを恥じているようだった。それにまた、ほんとうにこの質問に対して答える知識を持っていないように思われた。
「上泉伊勢守さまとはだれか?」
「公方さまの剣術のお師匠さまです」とマルタ鵯が代っていった。「そして日本一の剣術の名人です」
武芸についてなんの知識も興味もないミカエルにくらべて、女性のマルタの方がはるかに深い興味や知識を持っていた。彼女は若々しい頬を美しく上気させて説明してくれた。
忍法とは、本来|間諜《かんちよう》のつかう特別の技術のことであるが、根来の僧兵は恐ろしい訓練の結果、三万人ことごとくが超人的な肉体的特技を会得しているという。
また上泉伊勢守は日本の東国に生まれ、新陰《しんかげ》流という剣術の手法を独創した人物で、中央の山岳地帯で武威をふるっている武田信玄どのがとびきりの高い俸給で招聘《しようへい》しようとしたが、それを辞退して、みずから望んで諸国の大名に教授して回り、とくに先年来いくどかこの都に来て、公方さまを手ずから指導しているという。――
ところが、はからずもきょうここへ、祝日の挨拶に訪れた大和《やまと》地方の実力者松永|弾正《だんじよう》どのが、自分の部下としてつれて来た右の根来僧の傭兵たちの技術を誇り、その結果彼らと、上泉伊勢守どのの弟子たちと生命をかけた試合をすることになったのだという。――
「そして、上泉伊勢守さまに御信任|篤《あつ》い公方さまは、若し根来衆たちが勝ったなら、欲しいものは何でもやると松永弾正さまにお約束なさったそうです」
「ばかなことだ!」とミカエルはつぶやいた。「実際、ばかばかしいことだ!」
ミカエルは珍らしく、ほんとうに怒っているようだった。争闘を好まず、やさしいというより弱々しいミカエルにとっては実際不愉快な出来事に思われるらしく、その心は同情したが、やはりぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はそれを見物することに決心した。
「わたしもそれを見よう」とぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はいった。「その庭へつれていっておくれ」
活溌なマルタが案内のために先にたつと、不承不承にミカエルもついて来た。
その庭は、この前訪問したときに見た庭とちがって、片側に厩《うまや》のある広場だった。厩はきわめて上等な材木で作ってあり、畳までが敷いてある。馬はそれぞれ下の両側を板で囲った独自の馬房におり、畳敷きの場所は馬の世話をする人たちの住居である。
その前から左右にかけて、三方、黒山のような群衆だった。その中の雑仕《ぞうし》の男女たちが集まっている一|劃《かく》に、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は加わろうとしたが、とうてい前へ出ることなど思いもよらなかった。すると、
「おう、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]フロイスどの。これは思いがけないところでお目にかかりました」と声をかけた者がある。「いざ、こちらへ」
見ると、堺の納屋《なや》助左衛門という男だった。彼はたくましい強力な腕で雑仕たちをかきわけて、前へ出してくれた。
助左衛門は堺の船主である。なんのために彼はきょうここへ来ていたのかは知らないが、堺でも有名な男なのにこんな雑仕たちの中に混っているのは意外でもあり、また助左衛門らしいとも思った。ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は礼をいって、前へ出た。
正面に宮殿の回廊《コレドール》の一部があり、そこに坐っている貴人たちが見えた。公方さまをまんなかに侍女たちが左右にいながれている。日蔭になっているのに、まるで花が咲き出したようだ。なかでも、日光か月光のように浮かびあがっている二人の女性にぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はまず注目した。
この両女性はすでにぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]の知っている人だが、ならんで坐っているのを見たのはこれがはじめてである。月光のような正夫人は年賀に参上したときに謁見したし、日光のような御愛妾は「カタリナ昼顔さま」として、なんども教会で逢っている。ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]がこの両女性にまず眼をとめたのは、いったいどちらが美しいだろうとこの機会に見くらべる意志を以てであったが、ならばれて見ると、いっそう鑑定が困難であることを思い知らされただけだった。
すぐ近くに二人の武士が坐っていた。
「あれが松永弾正さまです」
マルタが指さしたのは、年のころ五十の半ば、顔もからだも岩のような感じのする人物だった。黒い皮膚があぶらをぬったようなつやを帯び、口は微笑しているのに眼は銀のようなひかりを放《はな》って、なるほど「信貴山《しぎさん》の魔王」と世に噂の高いのを一目で肯定させるような骨柄《こつがら》である。
「あれが上泉伊勢守信綱さまです」
マルタがまた指さしたのは、六十歳前後の鶴のように痩せて気品のある人物だった。いかにももの静かな老紳士であったので、それが日本一の剣術の達人だとはちょっと信じられないくらいだった。
さて、この上泉伊勢守どのの弟子たる剣士たちと、松永弾正どの麾下《きか》の僧兵たちとの決闘である。いまこれを記述していても、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はあれが地上の現実であったかどうか、疑いなきを得ない。
大群衆にもかかわらず、その一帯は水を打ったように静寂であったが、突如としてその静寂はジャラーンという奇怪な音楽で破られた。
試合のはじまった合図かと思うと、広場の一方から一人の僧が現われた。僧といったが、頭は剃っていない。黒い僧衣を着てはいるが、髪はのばして、肩から背のあたりで切っている。そして彼は両手に金属製の円盤を持っていた。彼はそれを打ち合わせた。ジャラーンという奇怪な音響がまた鳴りひびいた。
シンバルであった。日本では銅拍子《どうびようし》といい、直径は一パルモ半もあり、銅製の円盤の中央がふくらんでそれについた皮紐を手くびにからめて打ち鳴らす。葬礼などに用いる仏教楽器だが、はて、彼はあれでだれの鎮魂曲を奏《かな》でようというのだろう。
すると、もう一方から一人の武士が現われた。これは鉢巻、襷《たすき》という布や紐で、髪や衣服をたばね、袴をたくしあげ、見るからに殺気を横溢させて進んで来た。
「武器をとれ」
と、彼はいった。
「これでよろしい」
と、僧は答えた。そこでぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は、はじめてこの僧がこの試合の選手の一人であることを知った。
上泉伊勢守どのの弟子は憤然としたようだった。恐ろしい眼で僧をにらんでいたが、たちまち長い剣を抜いた。初夏の日光の中のそのひかりは、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]を戦慄させた。日本の武器の中で剣の切れ味だけはヨーロッパに勝るらしいことをぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は知っていたからだ。
そのとき、回廊《コレドール》の松永弾正どのが怪鳥のようなさけび声をあげた。すると、僧も何か吼《ほ》え返した。「何といったのだ」とぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はきいた。
「根来寺のわざの証《あか》しに、首を公方さまに献上せよと申されたのです」
と、マルタが答えた。さすがに彼女の顔も蒼《あお》くなっていた。
両者の間隔は三ブラサ半あった。剣士は走りかかろうとした。そのとき僧の左手から垂直に一枚のシンバルが飛んだ。どういうしかけになっているのか、それは彼の手と長い皮紐でつながれたまま、円盤はキラキラと旋回していた。
剣士の白刃がひらめいて、それを打ち落そうとした。そのとたんにシンバルは回転しつつ、僧の手もとにはね戻された。間髪を入れず、こんどは右手からもう一枚のシンバルが水平に襲いかかった。
鼓膜をつん裂くようなひびきをたてて、彼はこれも防いだ。剣でそれを斬ったのである。これは彼にとって不幸なことであった。なぜなら、剣はその銅の円盤に半ば食いこんでしまったからである。
しかし、そういう不満がなくても、彼が逃れ得たかどうかは疑わしい。剣と円盤がかみ合った瞬間、僧の左手からまた最初のシンバルがたぐり出されて頸部に飛来したからだ。
恐ろしいことが起った。剣士の首はそのシンバルに切断された。旋回する円盤のふちは剃刀《かみそり》のように研《と》ぎすまされたものだったのだ。そして円盤は完全に切断したのみならず、その首をのせて、ビューッと回廊《コレドール》の方へ飛んでいった。僧は皮紐を円盤からはずしていたのである。
剣士の首をのせた銅の皿《さら》は、公方さまの坐っている回廊のふちに着陸した。まるでサロメが斬らせたヨハネの首のように。
人々は、その剣士の首のない屍体が斃《たお》れたのも知らなかった。気がついたときは、白い日ざしの中に流れた血潮の沼のほとりに、屍臭をよろこんで止まった鴉《からす》みたいにじっと立っている根来僧の姿を認めただけだった。
「第二番。――」
弾正どのがさけんだ。しゃがれてはいるが、意気揚々とした声だった。そして、二番目の剣士と僧が進み出た。
鴉といえば、こんどの僧は天空からその不吉な鳥を呼んだ。出場したとき、彼はいま斃《たお》れた敵の屍骸《しがい》の頸《くび》の切り口にとがった口をあてて、ごくごくと何か飲んだようだった。この身の毛もよだつ行為に、二番目の剣士もぎょっとして見まもっていたが、やがて怒りに顔じゅうを充血させて、
「かりにも僧衣をまといながら、外道《げどう》、何をしておるか」
と、叱咤《しつた》して躍《おど》りかかろうとした。
そのとき、二番目の僧は飛びずさって逃げながら、いきなり口から噴水のように血を噴いて、相手に吹きつけたのである。血にちがいない。しかしそれはぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]には紅《べに》が光線のかげんで緑色に見えるように青い液体に見えた。
一瞬、めんくらって立ちすくみ、ふたたび突進しようとした剣士の眼の前を、さっと黒いものが掠《かす》めた。いつ飛んで来たか、二羽の鴉だった。数分のうちに、追いつ追われつする二人の競技者よりも、人々は宮殿の空に集まって来た数十羽の鴉に胆を奪われた。
それがいっせいに舞い下りて、剣士に飛びかかりはじめたのだ。どうやら剣士のからだに吹きつけられた液体が鴉を呼び、鴉を怒らせ、鴉を狂わせるようだった。剣士が錯乱したように剣をふるうたびに鴉の黒い羽根と赤い血が飛び散った。彼は黒と赤のつむじ風の中で死の舞踏を踊っているように見えた。
そして彼の舞踏はその通り死を以て止《や》んだ。僧の投げた小さな短剣が彼ののどをつらぬいて、とどめを刺してしまったのである。
「第三番。――」
と、弾正どのが呼ばわった。
三番目の根来僧もふしぎな行為を見せた。相対峙《あいたいじ》して構えながら、彼もまた腰におびた剣をぬかず、黒い衣の袖をひき裂いては投げつけ出したのである。
正確にいうと、袖をひき裂いたのではない。薄い黒いヴェールのようなものをひき剥《は》いでは投げたので、それは無限に用意してあるようだった。その黒いヴェールは風にひるがえり、地に伏さないで、まるで海底の水藻みたいにゆらめき立った。
奇怪なのは、この僧の術ではなく、相手の剣士の反応だった。彼は眼をすえ、まわりに幾十となく立つヴェールを見まわし、その一つ一つに斬りかかりはじめたのだ。斬りかかっては、彼は悲痛な失望のさけびをあげた。人々は、自分たちに黒いヴェールと見えるものが、剣士にとっては相手の僧に見えるらしいことに気がついた。
人を馬鹿にしたような笑い声がひびいた。漂っているヴェールのすべてが笑ったようだった。
が、黒いヴェールの一枚が音もなくひらひらと剣士のうしろに漂っていって、頸に巻きついた。彼の混乱ぶりを怪しんで見まもっていた人々は、そのヴェールが、剣士の頸に片腕を巻きつけた僧の姿であることを発見して、こんどは人々の方があっと驚きの声をあげた。
剣士はかくて絞殺された。
「第四番。――」
四番目の僧も、前の三人に劣らぬ術を見せた。彼は二ブラサもある長い太い青竹を持って登場した。
そして彼はそれを剣士の前に立てると、猿のようにスルスルとその頂上によじのぼったのである。あっけにとられて見あげていた四番目の剣士は、
「下りて来い。下りて尋常に勝負しろ」
と、さけんだ。
「ここまでおいで、甘酒進上」
と、高い竹の上で、僧は片眼の下瞼を指で下げて嘲弄《ちようろう》した。
剣士はかっとなって、竹の下に走り寄り、剣をふるって切断した。上の僧はもんどり打って落下した。剣士の刀は、もちろんそれをめがけて一閃《いつせん》した。
このとき、われわれの知っている力学では到底判断のつかない現象が起った。落下して来た僧のからだが、いったん空中で静止したのである。それどころか、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]の眼には、彼のからだは幾分か逆に浮き上ったように見えた。
むろん剣士の刀は目測を誤って空間を切った。その直後に、僧は頭上から襲いかかった。いつのまにか抜かれていた短剣が、泳いだ剣士の背に柄《つか》も没するほど突き立てられたのである。
「第五番。――」
ここまでは悪夢でも見るように、以上の惨劇を黙視していたぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]も、このときやっとわれに返り、夢中で庭へ駈け出そうとした。これ以上の怪奇な殺戮《さつりく》は、いかに公方さまの希望でも止めさせなければならない。
そのとき、回廊の上泉伊勢守どのがしずかに立ち上るのが見えた。うなされたように、しーんとしたあたりの空気の中に、彼がつぶやくのが聞えた。
「私がやって見よう」
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聖ミカエル
「待った」と、松永弾正どのがさけんだ。「勝負あった」
弾正どのは歯をむき出し、眼を笑わせていった。
「さきほど公方さまのおんまえで約束したことは、伊勢守の弟子十人と、私の家来十人を試合させて、勝った数の多い方を勝ちとするということでござった。五人目の伊勢守みずからが出場することはその約束に反する」
「弾正。伊勢守が出るのは怖ろしいのか」
と、公方さまがいった。気品のある白い頬が上気していたのは、公方さまの師たる上泉伊勢守どのの四人の弟子が、すべて無惨な敗北をとげたための焦慮のせいに相違なかった。
「ただ約束違反と申すのでござる」と、弾正どのはいった。「続けるならば、あと六人ずつ、おたがいに弟子と家来どもを出場いたさせよう」
このとき、公方さまのそばに坐っていた夫人が何かいった。夫人の白い顔はますます白くなって、口を袖で覆い、いまにも失神しそうだった。試合の続行を中止することを哀願したらしい。公方さまはきっと口を結んだまま、残念そうにうなずいた。
「伊勢守」と弾正どのがくびを横にのばしていった。「いままでのところでは、わが方の勝ちだということを認めるか」
上泉伊勢守どのは淡々とうなずいた。
「これで試合を切りあげるとなると、わが方の勝利となることも承知か」
伊勢守どのはまたうなずいた。彼は口辺に微笑さえ浮かべていて、公方さまほど無念そうではなかった。
「では公方さま、公方さまと私との約束を履行して下されい」
と、弾正どのもうす笑いをたたえてむき直った。公方さまはくびをかしげた。
「どんな約束であったか」
「もし、私方が勝てば、私の欲するものは何でも与えるというお約束でござった」
「おまえは何が欲しいのか」
「それは」と、弾正どのは眼を移した。「そこにおわす奥方さまか昼顔のお方さまでござる」
舌で唇をなめて、またいった。
「さて迷う。いずれを拝領いたそうか」
「弾正どの、大それたことを申されるな」と、伊勢守どのも驚いたようだった。「敗れた償いは、私が何でもいたそう」
「貴公に求めるものは何もない」と、弾正どのは軽蔑したようにくびをふった。「拙者の欲しいのは、いま申したものだ」
「それはならぬ」と公方さまも立腹していった。「あまりといえば、弾正、無礼であろうぞ」
「公方さまは、たしかに私の求めるものを与えると約束をあそばした」
弾正どのは笑いながら大声でいった。
「では、公方さまが約束を反古《ほご》になされたことだけを弾正は記憶して、それを土産《みやげ》に大和《やまと》に帰るといたそう」
「待て、弾正」
と、公方さまは顔を赤くして呼んだ。それから、苦しそうな表情で左右の正夫人と愛妾を交互に見やった。
「私は約束を反古にはせぬ。しかし、数日、考えさせてくれ」
「何を?」
「いずれをお前に与えるかを」
そして公方さまはすっと立ちあがり、待女たちがあわてる中を、あともふりかえらず回廊《コレドール》の奥へ歩いていった。夫人と寵姫《ちようき》昼顔さまは顔色を変え、茫然《ぼうぜん》として見送っていたが、やがてこれも同時に立ちあがり、いちど弾正どのをきっとにらみつけたが、すぐに公方さまのあとを追って消えていった。
広場一帯に落ちた静寂が、ふいに弾正どのの高笑いで破られた。笑いながら弾正どのが反対の方向へ退出するとともに、あたりはざわめき出し、人々は動きはじめた。広場にちらばった剣士たちの屍骸を収容するために、人々が駈け出すのが見えた。
いま見たこと、聞いたことをしゃべり合う群衆の波の中を、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]たちも押し流されるように歩き出した。何よりもぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]の心を占めていたのは、信じられないほどの根来《ねごろ》の僧兵たちの魔術だった。
歩きながらミカエル厨子丸《ずしまる》は、ときどきかがみ込んで、掌で顔を覆った。いま目撃した殺戮の酸鼻《さんび》さに気分が悪くなったらしい。ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]も吐気をおぼえていたくらいだから、殺生《せつしよう》ぎらいの、やさしいミカエルがそうなったのもむりはない。
「まあ、ほんとうに何という恐ろしい人たちでしょう」
ミカエルがしゃがみ込むたびに、いっしょにしゃがみ込んで顔をのぞいたり、背をなでたりしていたマルタ鵯《ひよどり》がこう心からなる声をもらした。
「わたしもあの根来衆たちがあんな術を知っているとは想像もしませんでした」
「根来の坊主たちもさることながら、おれはそれを使う松永弾正という人物の方が恐ろしい」
と、同行していた納屋《なや》助左衛門がつぶやいた。闊達《かつたつ》な性質に似合わず、彼はひどく心配そうな顔をしていた。ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はきいた。
「弾正どのが、公方さまの奥方や御愛妾を所望したのは本気かな」
「まさか。……冗談にきまっています」
と、マルタがさけんだ。助左衛門はくびをかたむけた。
「いや、案外本気かも知れない。実に執念ぶかい人間だから」
「いくら本気でもあんなことが叶えられるわけはありませんわ」
「少くとも、あの煮ても焼いても食えない奸雄《かんゆう》といわれている男が、あれほどの群衆の前で聞えよがしにあんな大声を出したということには、何かたくらみがあるような気がする」
「どんなたくらみが」
と、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はまたきいた。
「それはわかりませんが、例えば公方さまさえとっちめる自分の威力をみなに見せつける効果はあったでござろう」
「それにしても公方さまは」と、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は気にかかることを思い出した。「弾正どのの望みを考えてみよう――奥方さまか昼顔さまか、どちらを与えるか思案してみようと仰《おお》せなされたが、あれも正気かな」
「あの場合、公方さまとしてはそうおっしゃるほかはなかったでしょう。またそんな一本気な御性質なのです」
と、マルタは両手をねじり合わせながらいった。
「でも、いくら弾正さまがそんな約束を盾にとられても、あの要求は人間の道にはずれています」
それまでひとこともしゃべらなかったミカエル厨子丸が、このとき魂の底から震えのぼって来るような声でつぶやいた。
「私はこれから、とんでもない恐ろしいことが起って来るような気がしてならない。……」
――伴天連《バテレン》ルイス・フロイスは「日本史」の原稿をここまで書いて、ペンをとめた。
京五条|革棚《かわだな》町の教会の中の一室である。教会といっても、むろん以前からあった日本の寺の、しかも半分壊れかかった古寺を修繕したものである。壁には、もとより不正確なものではあるが当時知られている限りの世界地図と日本地図が貼ってあって、東南アジアの部分にあちこち十字架のしるしがつけてあるのは、イエズス会の布教の跡であった。
フロイスが、日本に於ける切支丹布教の記録のみならず、この国の風土風俗、戦争史、及び彼の見聞せることどもを本国のポルトガル語で書こうと思い立ったのは、二年前彼が来朝して以来のことだ。
こうして彼は、ちょっとの暇があると書きとどめて置こうとしている。むろん草稿のつもりではあるが、身を以て体験したことにも自分をぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]と表現するのは、歴史としての客観性を保とうと望んだからだ。
ところが、いま、一週間ばかりまえ二条の足利将軍義輝の屋敷で見聞した一大奇怪事の顛末《てんまつ》を書こうとして、ふと筆をとどめたのは、これまでの記述が、「日本史」としてはひどく冗漫に過ぎるような、また事実としてはまだ書き足りないような不満を自覚したからであった。
そのとき、板戸を叩く音がした。
「お入り」
答えると、入って来たのは、いま書いていた事件に登場していた公方邸の雑仕《ぞうし》の厨子丸であった。
夕暮なのに、執筆に熱中して灯もともしていなかったせいか、粗末な麻のきものに短い袴をはき、烏帽子《えぼし》をかぶっただけの厨子丸が、まるで薄闇に浮き出したあけぼのの精のように見えた。
いまさらのことではないが、この若者は実に美しいと思う。たしか年は廿歳《はたち》を越えてはいるが、美少年といっていい。肌の白さなどはポルトガルの娘に劣らず、実際美少年というより美少女とでも形容したい清純なやさしい姿なのだが、ただ眼だけに実に利口そうな、りりしい光があった。
「伴天連さま、あれをこう直して見ました」
「何を?」
「いつぞや頂戴した短銃」
そして彼は、ふところから小さな鉄砲をとり出した。
のぞきこんで、フロイスは眼をまろくした。
――この春、堺に来たポルトガル船の船長が京へ来て、近ごろ母国で発明されたという短銃と弾丸をくれた。異国にあって伝道をつづける神父の万一の安全のためにというのだ。むろんフロイスは断ったのだが、船長は忘れたふりをして置いていった。それをフロイスはこの厨子丸に与えたのである。
しかし、いま見る短銃は、どうやら見覚えはあるけれど、そのときのものより半分も短くなって、充分ふところに入る長さであった。
「これが、あの短銃?」
「そうです、しかも、見て下さい」
厨子丸は窓のところへ寄った。そして、夕暮の庭を見まわし、ふとい松の木に狙いをつけた。たちまち轟然《ごうぜん》たるひびきとともに、松の幹に白く穴があくのが見えた。
「火縄は要らないのか?」
と、フロイスはさけんだ。厨子丸は、艶然《えんぜん》と形容していい微笑の顔をふりむけた。
「日本の火打石を使ったのです。……分解して、説明しましょうか?」
「いや、よろしい」
フロイスはくびをふった。
「きいても、わたしはわからない」
そして、改めてしげしげとまたこの厨子丸を眺めやった。
これもいまさらのことではないが、この雑仕という身分低い日本の一青年の、こんなからくりに於ける異常な才能には驚嘆せざるを得ない。
きけば近江《おうみ》の刀鍛冶の倅《せがれ》だそうな。だから与えたポルトガルの短銃を作り変えることは当然だ――とは、こういう武器の知識にはうといフロイスでも思わない。日本人のいわゆる南蛮渡来の道具に対する好奇心、さらにいえば鉄砲に対する異常な欲望をよく知っているフロイスにも――いや、知っているだけに、それら日本人にさきがけて、それどころか、おそらく世界最初の自動発火装置の短銃を開発したこの貧しい無名の一青年に対して、彼は心中「……これは恐るべき才能だ!」と舌を巻かずにはいられなかった。
「ミカエル。……そ、それを人を撃つのに使ってはいけないよ」
「まさか」
と、厨子丸は笑ったが、すぐにまじめな表情になっていった。
「これを使って人も鳥も撃ちはしませぬ。御安心下さいまし。伴天連さま。それどころかミカエルは、これを使おうとする人も、決して助ける気はありませぬ。ただ、私はこういう細工が好きで好きでたまらないのです」
それはフロイスも認めた。彼はこの若者を心ひそかに「聖ミカエル」とさえ呼んでいた。そもそもそんなミカエルだからこそ、短鈍を与えたのだ。
厨子丸は大事そうに短銃を布でふいて、ふところにしまった。
「しかし、いまはうまくいって安心しました。実は発火は三度に一度ですし、筒の長いときより半分も的《まと》に中《あた》らないし、まだまだ直すところはいっぱいあるのですが、ともかく戴いた伴天連さまに一刻も早くお目にかけようと思って飛んで来たのです」
生き生きと眼をかがやかせていう厨子丸を見て、フロイスはいつかこの青年に対してふと抱いた疑いを、このとき胸にまた過《よぎ》らせた。この若者は、魂のためでなく、知識のために自分のところへ出入りするのではあるまいか、と。
しかし、フロイスはすぐにその考えを否定した。このミカエルのやさしい性質に疑問はない。げんに先日も、あのいまわしい日本の剣奴《グラデイアトール》の戦いを見て嘔吐をもよおしていたくらいではないか。
「ミカエル、公方さまの方に、べつにその後変ったことはないか」
と、フロイスは例のことを思い出して尋ねた。
「いえ、何事もございませぬ」
と、厨子丸は答えた。この間の不安にみちたさけびはもう忘れたようであった。
「ただ、上泉伊勢守さまが東国へお帰りになったことと、御所の表御門を修繕しているほかは。――あのとき、根来僧たちがあとで酒を飲んで、あばれて、御門を壊してしまったのです」
「ほほう。……」
「ちょっとそのとき、この短銃を使いたい……という気が起りました。もっとも、使えば、坊さまたちの大あばれ以上の騒ぎになるでしょうが」
厨子丸は笑って、それからこんどは、彼の方からきいて来た。
「それより、あの納屋助左衛門どのはここへおいでにならないでしょうか」
「何の用だ」
「たしか京にまだいられるはずですが、どこにいられるのかわからない。……このあいだ、たしか助左衛門どのが、近いうち伴天連さまのところへおいでになりたいといっておられたのを、ふと思い出しまして」
「逢って何をする」
「あの方の船に乗って、マラッカへでもゆきたいのです」
フロイスは、いつかの自分とこの厨子丸との約束を思い出した。そのとき自分はこういった。私が日本を去るとき、インドのイエズス会の大根拠地ゴアへつれていってやろう。そして、ゆくゆくは故国ポルトガルへつれていってやろう。――それはこの青年のあの才能を惜しめばこその約束であった。
「伴天連さまは、まだポルトガルへお帰りにはならないでしょう?」
――ルイス・フロイスは実にこのときからなお三十二年間、慶長二年長崎で歿する日まで日本で伝道をつづけることになるのだが、その運命はまだ知らないとはいえ、彼はしずかにかぶりをふった。
「わたしはまだ日本にいなければならない」
「わたしは待ち切れないのです。で、伴天連さまの御紹介状でも戴いて、助左衛門どのの船でせめてマラッカへ渡って、あとは何とか南蛮船を頼んで、ゴアからポルトガルにゆこうと思うのです」
厨子丸は両手をもみねじった。
「伴天連さま、日本には厨子丸の生きる土地がありません! ミカエルが学ぶ空気がありません!」
フロイスはミカエルのさけびの意味を了解した。
「ただ一つあるかも知れない」
「えっ、それはどこ?」
「堺だ」
厨子丸の熱情に押され、フロイスは思わずつぶやいた。
「あれは、日本のヴェネチアだ。日本で唯一の自由都市だ。――しかし、同時に日本のソドムゴモラの町だ。最大の悪徳の町だ。おまえが堺にゆくことはすすめられない」
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日光月光
――五条の南蛮寺から二条の公方屋敷へ向って、烏丸《からすま》通りを厨子丸《ずしまる》は歩いた。
相つぐ兵乱に焼けた京は、しかしその兵乱にももう馴れっこになって、結構ひるまは華やかな行楽の人々や物売りの声にかまびすしいのだが、さすが夕暮ともなると、一帯がいぶし銀のような蕭条《しようじよう》たるたたずまいを見せる。夜になると餓狼《がろう》のような群盗が出没することもまれではなく、人通りがばったり途絶えるのだ。
厨子丸はしかし百歩と歩かなかった。
「……もしっ」
ふいに路傍の、これも焼け崩れたままの寺の山門の下から呼びかけられたのだ。
「厨子丸どの」
声も細ぼそとしていたが、山門の下の影も宵闇に消え入りそうに淡かった。しかし厨子丸の眼はかがやいた。
「鶯《うぐいす》……どのではないか」
彼は飛ぶように歩み寄った。そこに立っているのは、やはり雑仕姿の若い女であった。
「どうしたのだ、こんなところに」
「あなたを待っていたのです」
「わたしを?」
夕闇の中にも、厨子丸の頬がぼうと赤くなった。すると、黙って見上げている女の顔にも血の色がさした。白蝋みたいな頬に花が咲いたようであった。ほんの一息のあいだのことであったが、若い男女の、しかも或る感情が交流している者同士だけの、ういういしい、しかしむせるような濃密な匂いが薄闇にたちこめた。
「鶯どのが?」
「いいえ」
花はしぼみ、女は寂しい蝋色の頬に戻って首をふった。
「昼顔のお方さまが」
「え、昼顔さまが、どこに?」
「そこです、門の中にお待ちです」
厨子丸の顔に、驚きと戸惑《とまど》いと――それから不安と、さらに恐怖にちかい色が交錯した。が、鶯が歩き出すと、彼はしかたなくそのあとについて、門を入っていった。
山門の向うに、じっと立っている被衣《かつぎ》をかぶった女の姿が見えた。たんに色彩ばかりではない、その影は、被衣を透《とお》してふしぎな華やかな光を放射しているようであった。
「厨子丸」
女は被衣をちょっとかかげて、浮き立つような声で叫んだ。
厨子丸は地上にひざをついた。――これはやんごとない公方《くぼう》さまの御愛妾昼顔のお方さまである。
「伴天連フロイスさまに御相談申しあげようと思ってここまで来たら、おまえがうしろから急ぎ足でやって来たので.気が変って、おまえが南蛮《なんばん》寺から出て来るまで待っていたのです」
「――は?」
「伴天連さまに相談してもしかたがない。それよりおまえに助けてもらおうと思って」
地上から厨子丸は、いぶかしさにみちた顔をあげている。
「おまえ、先日の松永弾正どのの無体な申込みのことはきいていますね。いえ、あの御前試合をおまえが見に来ているのを、わたしは知っていました」
昼顔はいった。
「その結果、御台《みだい》さまかわたしかが、弾正どののところへ人身御供《ひとみごくう》にあがらなければならない。――」
「そんな、途方もない。――」
と、厨子丸はいった。
「まさか、あのようなたわけた約束がほんとうとは、弾正さまも考えてはいられますまい」
「それが、ほんとうのことになりそうなのです。あれ以来、公方さまの鬱々と思案されているお顔色から見ると。――わたしも、途方もない、たわけた約束だと思います。けれど、考えてみると、御台さまのことを頭に浮かべるからこそ、途方もない、たわけた約束だと思うのです。もしそれがわたしなら。――」
昼顔の声が沈んだ。
「あり得ることです。わたしは公方さまの何人めかの側妾《そばめ》に過ぎません」
「でも。――」
厨子丸はさえぎった。
「そんなことはありませぬ。お方さまは、公方さまのお次に御寵愛深いお方です」
「御台さまについでか」
相手の声は笑った。ひくいが、ふるえる笑い声であった。
「それゆえにわたしが売られるのじゃ。――八幡、その運命にまちがいはない」
厨子丸は黙りこんだ。いまの自分の言葉がしくじったことに気がついたためであり、また何の返事もしようがないからでもあった。
「厨子丸、わたしを助けておくれ」
昼顔の方は思い決したようにいった。
「わたしが? お方さまを?」
厨子丸は仰天した声をあげた。そもそも最初からこのようなことを――考えれば一大事にはちがいないが、雲上の人といっていい公方さまの御愛妾が、一介の若い雑仕に過ぎない自分に相談をするということが、彼にとって奇怪千万なことであったのだ。
「おまえ、わたしをつれて逃げておくれ」
「わたしが? お方さまを?」
厨子丸はくり返した。
「ど、どこへ?」
「どこへでも。松永弾正どのから逃れる道は、おまえといっしょに逃げるよりほかに法はない。それは同時に、公方さまから逃れることでもある。天下に身を置く場所はないようであれど、またこのいくさつづきの乱世じゃ。かえってどこへでも身を潜めるところはあろう。何にしても昼顔は、おまえといっしょであれば本望じゃ。――厨子丸、お立ち」
厨子丸は立たなかった。依然としてあっけにとられた表情であった。
「あまりに唐突で決心がつかぬというかえ。けれど――厨子丸」
昼顔は嗄《か》れたような声を出した。
「わたしが前からおまえを好ましゅう思っていたことを知らぬかえ? 南蛮寺へわたしが通《かよ》うことさえも、ほんとうはそこで近ぢかとおまえを眺めるためであったことを。――伴天連フロイスさまは夢にも御存知あるまいが」
彼女は笑った。厨子丸は蒼くなった。こんなはっきりした告白をきいたのははじめてで、正直なところびっくりしたが、しかしなんとなくこの女人に以前から異様なおびえを感じていたのは事実なのである。先刻鶯から「昼顔さまがお待ちです」ときいて、彼の顔をかすめた不安と恐怖の色はそれに発するものであったのだ。
「わたしはそれとなく鶯におまえを見張らせた。そしておまえが南蛮寺へ出かけるようだと見ると、わたしも南蛮寺へ出かけた。――厨子丸、わたしがいっしょに逃げておくれというのは、わたしにとって決して突然の思いつきでもなければ乱心でもない」
厨子丸はふりかえった。そこに影のような鶯が立っていた。
「ひょっとしたら、こういうことがなくても、わたしはおまえに同じことをいい出したかも知れぬ。こんどのことは、かえってわたしに思い切らせるよい機会であったかも知れぬ」
厨子丸はなお鶯を凝視していた。すると鶯が、かすかに顔をふり動かした。
「厨子丸、きいていないのか。おまえに耳はないか。人もあろうに足利公方の寵愛なされる女が、雑仕のおまえにこんなことまで口にするのを」
いらだった声に、厨子丸はわれに返り、身ぶるいしていった。
「お方さま。――おっしゃるように、わたしはいやしい雑仕です。そのうえ、武術らしい武術も心得ませぬ。それが、このあらあらしい世に、まあどうしてお方さまなどを――公方さまの何より御大切なかたを――」
「いやじゃというのかえ?」
「承《うけたまわ》っただけで、肌に粟立《あわだ》つ思いがいたします。途方もないことです。何とぞ、お、おゆるし下さりませ」
「そうか。――」
昼顔の方は被衣をかぶったままうなだれた。
「では、わたしは松永弾正のところへゆくほかはあるまい。この鶯をつれて」
厨子丸は鞭打たれたような身動きを見せていた。
「厨子丸、鶯をつれて弾正どののところへゆくといったら、なぜおまえはそのようにびっくりしたのか」
「いえ、あの。……」
「鶯はわたしつきの雑仕ではないか。つれてゆくのはあたりまえではないか」
そうなのであった。実際のところ厨子丸は、当然住んでいるところも働いているところもちがうため、この公方さま御愛妾の雑仕鶯と、ほんとうは数分間もつづけて話をしたことはないほどの縁なのであった。
「いまわたしが弾正どののところへゆかねばならぬ、といったとき、それほどの驚きも見せなかったおまえが」
被衣の中の眼が、青い蛍《ほたる》みたいにひかった。
「厨子丸、いまおまえが鶯と話したことをいってつかわそうか」
「わたしが――いえ、鶯どのと、何も話もいたしませぬが」
「そうではない。おまえたちは、眼で話した。自分をいつも見ていたのは、自分を見張るためであったのか、とおまえはきいた。いいえ、ちがいます、と鶯は答えて、くびをふった。――」
二人はどきりとしたように顔を見合わせた。
「鶯、おまえはわたしを裏切ったな。ただ見張りの役をいいつけたのに、おまえはわたしのいとしい男の心を自分に引こうとしたな」
「そんな、お方さま、とんでもないことを……」
「いえ、それはまあよい。惚れたのは厨子丸の方じゃ。――厨子丸、わたしはおまえの心のひと波《なみ》ひと波までこのように見ぬいておる。……それほど、おまえをいとしゆう思うておるのじゃ」
昼顔は身をかがめて厨子丸の手をとって、ゆさぶった。
「厨子丸、鶯もいっしょでいい。三人でどこかへ逃げてゆこう」
厨子丸はふるえていたが、やがてその手をふり離そうとした。
「お方さま、やはりわたしにはそんな勇気はありませぬ」
「それでもいやか」
昼顔は手を離さなかった。そのまま異様な声で高笑いした。
「厨子丸、おまえがお屋敷を逃げとうないほんとうのわけをいってやろうか。日本をさえ逃げ出したがっているおまえに、ただ勇気がないせいだなどとはいわせない」
「えっ?」
「おまえは、御台さまに惚れている。――」
いままでのどんな言葉よりも大きな驚愕の反応を厨子丸は見せた。息を大きく吸い、たちまち悲鳴のようなさけびをあげた。
「滅相《めつそう》な。――そんな、虫けらが月へ想いをかけるような。――」
「御台さまには、月といい、自分を虫けらというか、厨子丸。おう、いかにも虫けらの月への懸想《けそう》じゃ。松永弾正が笑えぬ。それ以上のたわけた、途方もない望みじゃな。――が、おまえが日本を出たいとよう口にするのも、そのとうてい叶えられぬ望みの苦しさのためであろうが」
「ば、ばかな!」
厨子丸が、彼らしくもない荒い言葉を吐いたのも、彼のひどい狼狽《ろうばい》のあらわれであったかも知れない。
「鶯」
昼顔の方は顔をふりむけた。
「わたしがおまえといっしょに弾正どののところへゆくとな。おまえにとってうれしいことがある。おまえはきっとわたしと同様に弾正どのの側妾《そばめ》になるであろう。もしかすると、わたしよりも寵愛されるかも知れぬ」
蛍に似た眼が、邪悪な笑いのひかりを放《はな》った。
「なぜなら、おまえは御台さまに似ているからじゃ」
「……ま、何ということを」
「何をとぼける。いままでに、いくどか人にそういわれたであろうが、そしてわたしがおまえをわたしの婢《はしため》としたのもそのため、わたしがおまえをよういじめてやったのもそのため。ホ、ホ、ホ」
狂ったとしか思えない笑い声であった。
「そしてまた厨子丸が、おまえにただならぬ眼を投げるのもそのため。――おまえは、あくまで御台さまの身替りなのじゃ! ホ、ホ、ホ、ホ!」
鶯は身動きもせず、じいっと厨子丸を見つめていた。厨子丸もその方へ眼をむけていた。
――それから、かすかに彼はくびをふった。
昼顔の方のまえで、こんどはあきらかに二人は話をしたのである。眼で。
――ほんとうですか、厨子丸どの?
――ちがう。
しかし、自分をとり戻すと、厨子丸は戦慄した。彼は改めてこの昼顔の方の雑仕女《ぞうしめ》がいつもおびえたような眼をして、薄明りの中の夕顔みたいにはかなげに見えたことを思い出したのである。
「ほんとうのことじゃが、口にしたくないことをわたしは口にした。けれど、いったんいった以上は、もっとほんとうのことをいってやろう」
昼顔の方は、強靱《きようじん》な白い蔓みたいに厨子丸の腕に腕をからませていった。
「鶯を生かすも殺すも、それはこの昼顔の心次第じゃ。というより、厨子丸、もし二人が弾正どののところへゆけば、いま申した通り、必ず鶯も弾正どのの側妾となる。それでよいかえ?」
「…………」
「そんなことはわたしはいやじゃ。鶯の方《かた》、など見とうはない。……いっそ死なせてつかわそうか、鶯を死なせて欲しいか、厨子丸?」
「…………」
「それとも、三人で逃げようというわたしの願いをきくか」
手をからまれたまま、厨子丸はあえいだ。まさに絶体絶命の難題であった。
――彼は鶯を見つめ、眼をつぶり、二、三度大きな息をつき、やっと答えた。
「承知つかまつってござりまする」
「承知とは?」
「逃げましょう。三人で、どこかへ。――」
「では」
昼顔の方の頭から被衣《かつぎ》が落ちた。もう月光がさしているのに、くゎっと眩《まぶ》しく咲き出した大輪の花のような濃艶華麗な顔があらわれた。
「その手はずの相談はあとで。いまその約束に――わたしの口を吸っておくれ」
ふるえている厨子丸の口に、やや厚目だが肉感的なうねりを見せた唇が、くらくらするような芳香を放《はな》って大胆に近づいて来た。
「ああ! わたしほどの女を、こうまで狂わせるとは、このにくい雑仕!」
そのとき、立ちすくんでいた鶯が、妙な動き方をした。蔑《さげす》むように、またうるさげにちらっとそちらの方を見た昼顔の方が、ふいにぎょっとして立ちあがった。
崩れた山門の下に、じっと立ってこちらを眺めている影が見えた。一つではない、五つ、七つ、九つ。――いや、十幾つかの影が。
蒼い月光が、髯《ひげ》と垢《あか》に覆われた、餓狼《がろう》みたいな牢人たちの、好奇にひかる眼と、歯をむき出して笑った口と、そして臭い体臭までを炎のようにゆらめかして浮きあがらせていた。
「ほほう、こんなところでなあ?」
「盗賊参集の場所とは知らないで」
「しかし、何者だあ? 女二人、いずれも京にもまれな美人であるぞ」
「一方は、みるからにやんごとない。――」
「いずれにせよ、飛んで火に入る夏の虫じゃ」
「今夜の稼ぎはさいさきがよいぞ。それ、出陣の宴、肉の酒盛とゆけ」
「わはははは! やれっ」
一人がぎらっと豪刀をひらめかして指揮すると、獣のような牢人群は地ひびきたてて殺到し、ぐるっとまわりに円陣を作ってしまった。
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呂宋《るそん》助左衛門
夜ともなると、群盗の跳梁《ちようりよう》する京だ。
といっても、べつに彼らの巣窟なるものが公然存在するわけではなく、ひるまは鴨川の河原や盛り場などをぶらついている牢人たちが、夜になると集まって、盗賊としての身なりをととのえ、隊伍を組んで乗り出す場所の一つが、この寺の境内であったと見える。
円陣の中に立ちすくんでいた三人のうち、突然、厨子丸《ずしまる》が、刀を抜いた頭分《かしらぶん》らしい男の前へばたばたと駈け出した。
「おゆるし下さりませ、わたしの身に代えて。――」
「下郎、うぬが身に代えて、何をする、何をくれる?」
「いのちでもさしあげまするほどに、何とぞこの女人たちは」
彼は土下座して、地べたに頭をすりつけた。牢人たちはげらげら笑った。
「うぬのいのちなどもらっても何にもならぬ」
「それとあれとは別だ。それっ」
踏み出す幾つかの足に、厨子丸はまろびついて回った。その足が、彼の肩を蹴った。仰むけにのけぞった肩や腹を踏みつけて、牢人たちは昼顔の方と鶯《うぐいす》へ襲いかかった。
「うわっ」
悲鳴があがって、だれか飛びのいた。牢人の一人で、押えた片腕から血が流れおちた。
懐剣をふりかざした昼顔の方は、月光の中に燃えあがった花のようであった。
「無礼者、わたしをだれだと思う。公方《くぼう》さまおそば近く仕える者であるぞ。けがらわしや、二度と近づきやるな」
牢人たちは一瞬ひるんで顔見合わせた。昼顔の方は白いあごをしゃくった。
「女が欲しくば、その雑仕女《ぞうしめ》をつかわす。それがおまえたちに似合いの女じゃ。金が欲しくば、あとで二条の御所に来やれ。……わたしは帰る。厨子丸、供をしや」
つかつかと歩き出したその傲然《ごうぜん》たるものごしに打たれ、滑稽なことに、ちょっと頭を下げたやつさえあって、反射的に道をひらきかけたが、たちまち、
「おう、では、これがあの二条御所の妖姫《ようき》といわれた昼顔御前ではないか。道理で。――」
と、だれかがさけび、その語尾に獣みたいな咆哮《ほうこう》が重なった。
「これを犯したてまつれば、おりゃ、死んでもええわい!」
わめいたやつばかりでなく、それに点火されて、無数の毛むくじゃらの腕がつかみかかった。細い懐剣は宙へ舞いあがって消えた。
「お方さま! お方さま!」
哀しげな声とともに、その牢人たちへしがみついたのは雑仕女の鶯であったが、「どけ!」とはねのけようとした牢人の一人が、
「や、これも昼顔御前に劣らぬ美女。……おりゃ、これでいい!」
そのままねじ伏せにかかるのを、昼顔の方をめぐる黒|旋風《つむじ》からあぶれた三、四人が、これまた牙を鳴らして横から奪い取ろうとする。
「外道《げどう》、何するか」
地に倒れていた厨子丸がはね起きて、狂気のごとく牢人たちに飛びかかったが、まるで暴風の中の木の葉みたいなものであった。それどころか。――
「おう、これは美童。――」
と、はじめて気がついたやつもあって、しかもその発見が、とんでもない喜悦さえ伴って、
「おりゃ、稚児《ちご》も女に劣らず好物じゃ!」
と、改めて抱きすくめ、髯面をこすりつけて来た。
逃れようと身をもがきながら厨子丸は、月明りにもはや衣服をなかばはぎとられ、人魚みたいに肌さえ見せた昼顔の方と鶯を見て、
「お助け下さい、デウスさま!」
と、絶叫した。
すると。――
「では、やるか、そろり。――」
と、どこかで呟《つぶや》いた者がある。それに対する返事も聞えた。
「もう少し。――公方さま御側妾のまるはだかが見たい。めったには見られぬ眼の果報でござりまするで」
しかし、この対話をきいた牢人が幾人あったか。まして山門の屋根の上に腰を下ろしている大小の影に気がついた者はほとんどなかったろう。大きい影は肩に二メートルほどの太い棒をかつぎ、小さい影は眼に細い筒みたいなものをあてているようであった。
「いや、おれはもうたまらん。ゆくぞ。――」
声を空に残し、影は棒をかかえたまま山門から飛んでいた。半ば崩れていても、なお人間の背丈の倍はあるその高さから跳躍するのも乱暴だが、しかし飛んだ距離も相当なものであった。彼は牢人群の真っただ中へ着陸したのである。
猫か犬か踏みつぶされたような悲鳴とともに二、三人、はね飛ばされ、地に転がった。驚愕と混乱はいうまでもない。――
「な、何だ?」
「何者だっ?」
仰天して、ぶつかり合いながら、それでも白刃を抜いたやつへ、その影の長い棒はうなりわたてて薙《な》ぎつけられた。と見るや、棒は宙天にあがって真っ向から殴り落される。
「うふっ」
「ぎゃっ」
骨の折れるようなひびき、お互いの肉と肉が衝突する音、白刃が折れ飛んで、その味方の刀で傷つく悲鳴。――みるみる、群盗の半数までが叩き伏せられた。
「けけ、堺の納屋《なや》助左衛門を知っておるか」
夜空から声がした。
この言葉は、牢人たちにさらにひどい動揺をひき起した。――一人、二人、きりきり舞いしながら逃げ出すと、あとに残った半数もこけつまろびつそのあとを追う。
「逃げてもだめだ。門の外には、音に聞えた堺牢人軍が七、八十人、手ぐすねひいて待っておるぞ。けけけっ」
と、山門の上の笑い声がつづいた。
牢人たちは立ちどまり、ひき返そうとしてぶつかり、ばたばたとそこへ膝や尻をついてしまった。
「オ、おう、納屋助左衛門どのか。――」
「お名前、承《うけたまわ》っております」
「そのうち、われらも是非堺へ馳せ参じようとは存じておりました。――」
棒をつきながら、そちらへ近づいていった大きな影へ、牢人たちは米つきばったみたいに土下座して口々にいった。
歩く跫音《あしおと》も地ひびきがする。月明にぬうとそびえんばかり、背は一メートル八十ちかくはあろう。髪は月代《さかやき》をのばしたまま、うしろでたばねて紐《ひも》でくくり、野羽織に革袴《かわばかま》をはき、鬚《ひげ》を生やし、まるでどこかの武将のような豪快無比の風貌であった。
「わかったか」
と、いった。
牢人たちはまた地べたへ額をすりつけた。
「うぬら、見れば大明へ通う水夫楫取《かこかんどり》にも劣らぬ骨組み、面構えをしおって、京で盗賊稼業に日を暮らすとは、天道に申しわけないとは思わんか。――堺へ来い、使うてやる」
「は。――堺の納屋助左衛門どのが牢人を募集しておられることはかねてから承っておりましたが」
と、こぶ[#「こぶ」に傍点]を作った男がふるえ声でいった。
「その大明ゆきとやらが困ります。われら、海に弱うて」
「船に乗せるばかりがおれの仕事ではない。ほかに使い道はいろいろある。――ともかく、堺へいって、おれの家をたずねろ。留守でもわかるようになっておる」
牢人たちの頭上から永楽銭の雨がふった。
「銭ばかりではない。堺へいっておれの手につけば、酒も女も思いのままだぞ」
「へ?」
「そこの腰のぬけたやつらを背負って、すぐゆけえ!」
「へっ!」
牢人たちはがばがばと永楽銭をかき集め、負傷したり気を失ったりしている仲間をかついで、這々《ほうほう》のていで退散しようとして。――
「あの、門の外に、御一党の方々が待っておられるのではござらぬか?」
と、恐ろしげにきいた者がある。山門の上から、けらけら笑う声が返った。
「あれはでたらめだ。けけっ、そういう恰好のいい位置に、諸氏が一日も早くつかれんことを期待する」
牢人たちが消えたあと、棒の男は門をふり仰いだ。
「伴内《ばんない》、何をまだ遠眼鏡で眺めておる。下りて来い」
「けけっ。いや、わたしはあなたとちがって、こんな高いところから飛び下りられませぬ」
「しかたのないやつだ。さあ」
下に立って、片腕で棒を門の上へさし渡すと、屋根の影はそれを伝って、下の男のたくましい肩へ、それからぽんと地上に下り立った。こんな高いところから――とはいったが、なかなか身は軽い。
もっとも、小男ではある。鉢のひらいた頭に投頭巾《なげずきん》をかぶり、お猿の陣羽織みたいなものを着ている。眉が下がって、実に剽軽《ひようげ》た顔をしていた。年は二十七、八だろう。
手にしている遠眼鏡をまた眼にあてようとするのを、
「よせ!」
と、棒の男は叱った。
「いけませぬか。これは、助左衛門さまらしくもない、お品のいいことで」
「ふふっ」
笑ったが、門の方へむいたままの背へ、
「助左衛門さま!」
と、しがみついたのは厨子丸であった。きものは裂け、ひたいからは血が流れて、惨憺《さんたん》たる姿であった。
「ありがとうござります。あなたがおいでになって下さらなければ、どうなったかわかりません。ありがとうござりました!」
「よかった。そこの往来を通りかかったら、この門の中に妙な匂いがしての。――それより、厨子丸、昼顔さまたちの方をよく見てあげてくれ。いや、おまえももう少し、知らない顔をしていた方がいいか」
と、わずかにふり返って、厨子丸の裂けたきもののふところからのぞいているものにふと眼をとめると、
「――や、なんだ、それは?」
と、大声をあげた。
厨子丸はそれをとり出した。
「南蛮《なんばん》渡来の短銃でござります」
「南蛮? そんな小さな鉄砲、おれは堺でも見たことがないぞ」
「伴天連フロイスさまから戴いたものを、わたしが作り直したのです」
「おまえが作り直した? 使えるのか?」
「さあ」
厨子丸は、短銃をあげて、山門の屋根に狙いをつけた。ひきがねをひくと、銃口に火花が散って、屋根に残っていた鬼瓦の一つが砕け散った。
助左衛門は眼をむき出してその短銃を眺め、それから厨子丸の顔を見つめた。やがていった。
「おまえ、いまなぜそれを使わなんだ。忘れておったのか?」
「いえ、たったいまフロイスさまにお見せして来たばかりです。忘れるはずがありません」
厨子丸はやさしい微笑を浮かべた。
「けれど、これを撃ちますと、人を殺さなければなりませぬ」
助左衛門はまた沈黙していたが、ふいにびっくりするような声を出した。
「厨子丸、堺へ来い!」
「えっ、堺へ?」
厨子丸は眼をまるくして、
「何をしに?」
「来てからいう。とにかく来てくれ。頼む。――」
「助左衛門さまは、マラッカかどこかへおいでになるのではありませんか」
「事情あって、当分やめたのだ」
厨子丸の顔に、ありありと失望の色が浮かんだ。彼はくびをふった。
「フロイスさまはわたしに、堺へいってはいけないとおっしゃいました」
「フロイスさまが、なぜ?」
「あれは日本一の悪徳の町だとか。――」
「日本一の悪徳の町。――ようもいったり、しかし、その通りでございますな、助左衛門さま、けけっ」
うしろでこの問答をきいていた投頭巾の男が、また奇声を発して笑った。助左衛門も苦笑いした。
「あの仁《じん》にかかったら、日本じゅう悪徳だらけじゃ」
「日本一の悪徳の町なら、人間の魂を救うとかいう伴天連《バテレン》、まずどこより堺へ来たらよかろうに、悪口をいうばかりで寄りつこうともせぬ。しかし、この若衆が鉄砲を? またそれを、あんな目に合っても使おうともしないとは? さるにてもけったいな。――あ!」
投頭巾の男が、急にお辞儀した。助左衛門はふりむいた。
ようやく身づくろいした昼顔の方と鶯が近づいて来た。身づくろいしたといっても、髪は乱れ、きもののあちこち裂けたのはどうしようもないありさまであった。
「助左衛門、厨子丸は堺へはやらぬ」
と、礼より先に、昼顔はまずそう声をかけて来た。
「公方家の奉公人を、遠慮もなく何を誘う?」
「や、昼顔のお方さまにそう仰せられると、どうしようもござらぬが」
厨子丸があわてたようにいった。
「お方さま、大丈夫でござりまするか?」
いたましげに、二人の女人を見やって、
「お屋敷へ、お帰りになりまするか?」
昼顔は考えこんでいる風であった。
「いえ、わたしはやはり南蛮寺へゆこう」
「これから?」
「このままの姿で、お屋敷へは帰れぬ。わたしは南蛮寺へゆくほどに、おまえと鶯は帰って、鶯に着換えを支度させて、供をつれてもういちど来ておくれ」
「フロイス伴天連のところへおいでなら、おれが御守護つかまつる」
と、助左衛門がいって、棒をつき立てた。どうやら船の櫂《かい》を削《けず》って作ったものらしいが、常人には振り切れそうにない長大なものだ。この豪壮な武器といい、風貌といい、たしかに頼もしい用心棒にちがいない。
「おれも南蛮寺へゆこうと思って、ここまで来たところでござった。ごいっしょに参ろう」
――山門の前で、南蛮寺へゆく人々と別れて、厨子丸と鶯は都大路を二条へむかって駈け出した。
二人が、二人だけの夜の路を走るなどということははじめてだ。――が、さすがにいまの騒ぎのあとでは、そのことについての感慨をもよおす余裕もないと見えて、二人は黙って駈けた。
しかし、四条で鶯がいった。
「厨子丸どの。……あなたはほんとうに御台さまがお好きなのですか?」
やはり、それまで、ずっと思いつめていたような声であった。厨子丸は答えなかった。
しかし、三条で厨子丸がいった。
「わたしは、つくづく女というものがいやになった!」
堺の納屋《なや》衆といえば天下に聞えた富豪である。納屋衆のほかの人間なら、公方さまの御愛妾と同伴して来てもそれほど珍奇な組合せとは思えないが、ただこの助左衛門だけは納屋衆にしても異彩を放って、町人というより海の匂いのする野武士みたいな風采《ふうさい》なので、それが優婉豊麗な昼顔の方といっしょに南蛮寺へ現われたのを見たとき、フロイスはちょっと眼をまろくした。
おまけに助左衛門には、それこそ珍奇なお供がついている。京では見たことはないが、堺では逢ったことがある。およそこの世に厳粛なことがあるということを知らないような男で、フロイスはあまり好ましくない。堺で見たときフロイスはひそかに彼に「笑う悪魔《サタン》」というあだ名をつけた。
「おや、何の風の吹き回しで?」
と、フロイスは三人を見くらべた。
「いや、そこで偶然お逢いしただけでござる」
と、納屋助左衛門は群盗騒ぎのことについては口にせず、ただそういっただけであった。
「それより、おれの来たのは、伴天連どのにお断りを申しあげたいと存じましてな」
彼はちかいうちにルソンに渡るといっていた。それでフロイスは、マニラにいるイエズス会の管区長に書簡をことづけてもらいたいと頼んでいたのだが、助左衛門は当分その航海は中止したというのであった。
「ほ、なぜ? 何か悪いことでも起ったのかな?」
と、フロイスはきいた。助左衛門はくびをふった。
「悪いことが起りそうな予感がするのでござる」
「どんな?」
「堺にとりましてな」
助左衛門は笑った。
「伴天連どのから見れば、悪徳の町への天罰と仰せなさるかも知れぬ。――フロイスどのは、堺の町など滅んだ方がよいとお考えかも知れませぬが」
「とんでもないことをいう。あれは日本のヴェネチアともいうべき町じゃ」
フロイスはややあわてて手を振った。助左衛門のいったことも、ときにはまさにその通りに思うこともあったが、自分の弁解も実感であり、持論でもある。
「ヴェネチアも悪徳の町でござりまするかな」
横から伴内が口を出す。フロイスはいよいよ狼狽《ろうばい》した。
「むろん、悪徳もある。が、町の人々の大部分は深くイエスさまを信仰し、町の生活はサンマルコ寺院の鐘の音によって節度を保っておる」
「ヴェネチアの町の衆は、そのような信心のかけらもない魔王の軍勢に攻められたらたたかいますか?」
と、助左衛門がきいた。フロイスはうなずいた。
「むろん、自由都市の誇りにかけて、全市民、武器をとってたたかうだろう。ただの町とはちがう。そこがヴェネチアのヴェネチアたるゆえんじゃ」
「そこで堺も堺たるゆえんを発揮したいと存じておる。――万一同様の事態生じたときは、堺もたたかうべきでござろうな」
「堺がたたかう? 堺には武士がいない――いや、市民兵すらいないではないか。いや、それよりもそもそも堺を攻める軍勢などないではないか。そんな暴君がいるとでもいうのか、助左衛門どの?」
フロイスはいった。
「少くとも畿内《きない》の支配者は公方《くぼう》さまであるし、公方さまはきわめて堺を大切に思うていなさる。あれは日本にとって貴重な町じゃ」
「では、伴天連どのも、やはり滅ぼしとうない町とお考えか」
「むろん、堺には信仰こそないが――ないのにふしぎじゃが、ともあれ、古い優雅な伝統と、現在で唯一の繁栄と、新しい民衆の文化が、水と石によって護られておる。あそこには日本の未来の萌芽がある。あれが滅んだら、日本の一つの未来が消える。少くともゆくての道が暗うなる。――」
「へええ、ヴェネチアとやらには信心があって、しかも優雅とか繁栄とか文化なんてものがありまするかな」
と、伴内がまたしゃしゃり出る。
「伴天連どのを拝見しておると、そのようなものとおよそ縁遠う見えまするがな」
フロイスはこの男と言葉をかわすのがいやになったので返事をしなかったが、伴内は平気でいった。
「信心がなければ、その町はもっと愉《たの》しゅうなりましょうに。――堺の優雅、繁栄、文化は悪徳の泉から生まれております。伴内の見るところによると、堺の力のもとは大っぴらな金銀への欲と、大っぴらな淫楽にある、と申してもよろしいほどで。けけけっ」
「自由がある」
と、フロイスはいった。やはりこの「笑う悪魔《サタン》」のへらず口には反駁《はんぱく》の必要があると思い直したからだ。
「堺のふしぎに華やかな活気のもとは、自由だ、そうだ。たしかにあの町には、この国には稀有《けう》な人間の自由がある」
彼は勢いこんだ。
「しかし、ただ自由だけによる繁栄には限度がある。それは頽廃《たいはい》と背中合わせになっておる。それを限りなく発展させ、しかもしっかりとした基盤を維持させるには、自由のほかに信仰が必要でござろう」
フロイスは昂然といった。
「万里の波濤を越えて、わしをこの遠い日本へ送った力も自由と信仰。助左衛門どの、おまえはアジアの各土地にいってわれらポルトガルやイスパニアの伴天連や商人をいたるところ見られたろうが。その原動力はまさに自由と信仰にほかならぬ」
「……いかにも海鳴りの音は聞え申す」
と、助左衛門はつぶやいた。フロイスのいった言葉は、ちがった意味で彼の耳にひびいたようだ。彼は壁に貼られた世界地図の切支丹布教の戦跡を眺めていた。その眼には、この豪快で明るい男には珍らしい哀しみの翳《かげ》があった。
「それなのに、おれは当分海へ出られず、この国にとどまっていなければならぬ。――堺を護るために」
「助左衛門どの」
フロイスはわれに返った。
「堺を脅やかす者とはだれのことか」
「いや、何のこともないかも知れませぬ、ただおれの鼻が、ここ一、二年キナ臭いように感ずるだけで。――」
このとき助左衛門は、なぜかちらっと昼顔の方を見たようだ。
「なに、おれの参上いたしたのは、ルソンにゆけぬ、そのお断りを申し上げに来ただけの用でござる。――それどころか、事によったら当分この南蛮寺にも参られぬというお断りをもかねて」
フロイスはもともとこの納屋助左衛門という男は、よく自分のところへ来るけれど、ついぞ信仰の話などしたことはなく、海外の知識ばかりききたがることを承知していた。それに、先刻からの伴内のけしからぬ揶揄《やゆ》に、これをたしなめるどころか、いちいち同感の眼顔《めがお》だ。やはりこれは、「ソドム・ゴモラの町」の住人だと認めていた。
ただ、それでもフロイスはこの男がなぜか好きであったし、それにいまの挨拶《あいさつ》といい、なんとなく気にかかるものがあって、意を決して、きょうを機会にここで洗礼を受けてゆくように彼にすすめた。
「いや、洗礼名だけは、もうちゃんと自分でつけております」
と、助左衛門は恬然《てんぜん》といった。
「え、何と?」
「呂宋《るそん》助左衛門と。――よい名でござりましょうが。うははははは!」
「わたしも」
と、横からまた「笑う悪魔《サタン》」が顔をつき出した。
「もっともわたしは、もともとの名がソロリ伴内。――」
伴天連フロイスはついに匙《さじ》を投げ、こんどは傍《そば》にじいっとうなだれている昼顔の方に眼を移した。
この女人がこのように悄然《しようぜん》とした姿を見せているのは珍らしい。いや、はじめからその髪が乱れ、衣服もあちこち裂けているのをフロイスはけげんに思っていたのである。
つれて来た助左衛門も彼女のようすを異様に感じたらしく、
「昼顔のお方さま」
と、呼んだ。昼顔はひくくいった。
「わたしはコンヒサンをしに参りました。伴天連さま」
三人はめんくらった表情をした。
呂宋助左衛門と曾呂利《そろり》伴内にはコンヒサンという言葉もわからなかったが、それより彼女の悩ましげな、美しい顔にまず打たれた。これまでの問答を全然耳にも入れていなかったような、思いつめた顔であった。
「堺の衆はどこかへいって」
と、昼顔はいった。助左衛門がお辞儀した。
「そ、それはおれたちは引きとってもよろしゅうござりまするが、お帰りは大丈夫でござろうな」
「屋敷から迎えが来ます」
ルイス・フロイスは助左衛門と伴内を見て、戸の方を指さした。
コンヒサン――懺悔《ざんげ》。罪の告白。むろん刑法上の罪ではなく、神に対する魂の罪を聴罪司祭に告白する切支丹の秘跡である。
わけがわからないなりに、助左衛門と伴内は奇妙な顔でその座を外《はず》していった。ただ伴内は、ひどくカンのいい男と見えて、
「お方さま。――何かお悩みがござったら、南蛮寺よりも堺見物においでなされた方が効験あらたかでござりまするで」
と、いって、にやっと笑って消えた。
しかしフロイスも、彼らに劣らぬ不審のおももちであった。
この咲きほこる牡丹のような公方さま第一の寵姫《ちようき》、しばしばこの南蛮寺へ通い、すでに洗礼を受けてカタリナ昼顔と呼ばれてはいるものの、フロイスの心中では、あの厨子丸《ずしまる》や納屋助左衛門以上に真の信仰には縁なき魂の持主ではないかと漠と感じていたこの女人が、いまコンヒサンとは。
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堕天女《だてんによ》
――伴天連《バテレン》どの、カタリナは悪い女でございます。
わたしの胸には、何匹かの邪悪な蛇がかまくびをもたげ、うねうねとからみ合っています。しかもその蛇どうしが、おたがいにかみ合っているのです。
まず一匹めは、御台《みだい》さまへの嫉妬でございます。
公方《くぼう》さまの側妾《そばめ》とまでなったのだから、女として何の不服もあるまいと申す者もありますけれど、わたしは女としてくやしくてくやしくてならないのです。いいえ、わたしが御台さまの座を占めたいというのではありません。御台さまはやんごとないお家柄の姫君、そのお生まれまで嫉妬するほどカタリナは愚かではありません。ただ、いまのこのわたしが、女として御台さまよりもっともっと魅力があると思っておりますのに、だれもそれを認めてくれないのがくやしいのでございます。
伴天連どの、伴天連どの、よう御覧になって下さいまし。わたしのこの眼、わたしのこの口、わたしのこのからだ、どれが御台さまより劣っているでしょうか?
公方さまにそうおうかがいしたこともありました。公方さまは、それはおまえじゃと、仰せられました。にもかかわらず、公方さまは五日に一夜、ときには七日に一夜しかわたしのところにおいでにならないのでございます。あとは、ほとんど御台さまのところで、御寝《ぎよしん》なさるのでございます。
あの月輪《げつりん》のような御台さまが、公方さまに抱かれてどういうお姿をなさるのか。わたしが公方さまにしてさしあげるのと同じことをなさるのか。――公方さまがお成りにならない夜、わたしはそれをまざまざと思いえがき、からだじゅうの肉があぶられるような思いさえするのでございます。また、やんごとないお方同士、いやしいわたしなどの知らない天上のおたわむれをあそばすのであろうか、などとかんがえるにつけて、月に手がとどかぬようないらだたしさに眠れないのでございます。
わたしが公方さまの御側妾になったのはまちがいではあるまいか? わたしはこのような高貴なお家には、性《しよう》が合わないのではあるまいか? そう思うときもありました。ほんとうに、以前にはなんどかわたしは、酒と汗と垢の匂いのする、臭い、毛深い下民《げみん》どもともつれ合い、したい放題のまねをしている自分の姿を妄想して、寒いときに湯にひたったようなうっとりとした気持になることがあったのでございます。
その下民どもさえ――屋敷の下男下郎でも、往来の町人職人牢人どもさえ、けれど、わたしを見るときの眼と、御台さまを見る眼がちがっているとは! そのような男たちでさえ、御台さまには月を見るような眼をいたします。そして、わたしを見るときは、獣のような眼つきになります。
それならば、まだがまんもいたしましょう。けれど、その身分いやしい男の中に、御台さまにはそのような眼を投げるくせに、わたしにはまるで石ころみたいな眼しかむけない若者があるとあっては、もうがまんが出来ません。
……それがわたしの二匹めの蛇。――雑仕《ぞうし》の厨子丸《ずしまる》への恋と憎しみでございます。
いつのころからか、屋敷の雑仕にあの美しい若者がいるのに気づきました。いえ、ひと目見たときから、ずうんと魂を火の矢で射通《いとお》されたような思いがいたしました。――伴天連どの伴天連どの、あの厨子丸ほどに美しい若者をほかに御存知でございましょうか?
以前には、下民どもとたわむれる妄想に耽《ふけ》ったこともあるというのはこのためです。つまり、あの厨子丸を見る以前には、ということでございます。厨子丸を見て以来、わたしは厨子丸とのたわむれを夢みるようになりました。ああ。……
ああ、暗い天から降る氷のような雪、暗い大地から燃えあがる炎、その中で、おののきながら、燃えながら、あの美しい若者を抱きしめる夢、いえそれにしてはあまりにもなまなましい肌と肌とのふれ合い、やさしげで、しかもりりしい厨子丸のからだ、それをわたしが抱いてやると、あの若者はのがれようとしてたわみ、喘《あえ》ぎ、もがき、しかも最後には、すすり泣きつつわたしに口を吸われ、いじられ、されるがままになる。この夢を幾十夜夢み、からだじゅう汗ばみ、昼さえ夢み、幾十たびひとから熱を病んでいるのではないか、ときかれたことでございましょうか。
けれど、しょせんは夢でございます。二条の御所の中では、声をかけるはおろか、顔を見るのも思いのままになりませぬ。そのうちに厨子丸が、ときどきこの南蛮寺へ通うことをききました。伴天連さま、おゆるし下さいまし、カタリナがここへ参ったのは、むろんいま申しあげたような苦しみは、自分でも罪と思い、それから救っていただきたいという願いもありましたけれど、同時にまた何としたことでしょう、その罪の対象である厨子丸の顔を見たいためであったのでございます。
その厨子丸が、ああ、いま申しあげたように、しかしわたしを石像の女のように見て、あの御台さまを恋していることを知ったときのわたしの苦しみはいかばかりか。――
なぜそれがわかったかと申しますと――いえ、厨子丸の心の動きは、わたしにはみんなわかるつもりでおりますけれど、はっきりそうだと知ったのは、厨子丸とわたしの雑仕女鶯が恋し合っているのに気づき、その鶯が御台さまのおん顔だちによう似ていることに思い当ったときでございます。
鶯が御台さまに似ていることは、以前からわたしは知っておりました。知ればこそ、わたしの雑仕女にしたくらいです。なんのためかと申しますなら、鶯をいじめて苦しめるために。――
それはわたしの三匹めの蛇にあたるものでございましょう。
まえからわたしは、わたしが御台さまになれない以上、御台さまがわたし以下の身分におなりになったら人々はどう扱うか、という夢想に耽ったことがありました。けれど、もとよりそれはあらぬ夢想でございます。……鶯は、その夢想のせめてもの身代りなのでございます。
哀れや鶯は、そのことを知りませんでした。――先刻までは。
知っても存外|哀《かな》しまなかったかも知れませんが、けれど、厨子丸との恋まで、あの若者の胸の中で、御台さまの身代りだということを告げられたときは、さだめしかなしみのどん底に投げ落されたにちがいありません。いいえ、厨子丸が告げたのではありません。厨子丸は、どうせ御台さまに想いをかけても及ばぬことだから、身分相応の鶯でがまんしようとしたのかというと、おそらくあの若者は、鶯が御台さまへの恋の身代りだとは、わたしに告げられるまでは自分でも気がつかなかったでしょう。言ってやったのはわたしです。わたしは厨子丸自身気がつかない厨子丸の心の秘密さえ見ぬいたのです。――
先刻、この南蛮寺へ来る途中、わたしはいってやりました。そして、わたしと鶯と、厨子丸三人でどこかへ逃げようと頼みました。ああ、鶯もいっしょに、といわなければならないくやしさ、しかもそれを厨子丸が承知したのも、身代りの鶯がいっしょなればこそ、と知らねばならないこのくやしさを何にたとえましょうか。
けれど、伴天連どの。――逃げたとて、鶯がいます。旅の果てには、だれかが、この地上から消えなければならないことはわかっているのです。
いっそ、いま、この世がめちゃくちゃになればよい。御台さま、わたし、鶯などの境涯やかかりあいが、地獄のような炎とけむりの中に、粉微塵《こなみじん》にくだけちるような運命が訪れればよい。――わたしは、そんな恐ろしい願いにとり憑《つ》かれながら、この南蛮寺へ参りました。
伴天連どの、わたしはこういう悪い女、そんな悪い女がじぶんで作り出したこの煩悩《ぼんのう》の小路からのがれる法はないものか、そのお助けを求めて、わたしはここへ参りました。けれど――あなたにもお助け下さる法はございますまい。そのことが、わたしにはいまわかりました。
こうして、コンヒサンをしているいまのいまも、わたしの眼に見えているのは、あそこに飾られている十字架も暗まんばかり、燃えあがる炎とけむり、そしてその下に公方さまや御台さまや、厨子丸や鶯はおろか、この世のありとあらゆる男と女を虫けらのように踏んまえて、まっぱだかで笑っているこのわたし、昼顔の姿でございますもの。――
二条の御所に駈け戻った厨子丸と鶯はいきなり驚かされた。
「厨子丸どの、昼顔のお方さまを知りませんか」
先日|根来《ねごろ》僧たちに壊された門を入るやいなや、ばたばたと駈け出して、そう呼びかけた者がある。雑仕の鵯《ひよどり》であった。彼女はすぐに鶯に気がついて、眼をひからせた。
「鶯といっしょに? なぜ?」
「昼顔のお方さまの御用だ」
「お方さまはどこ?」
「五条の南蛮寺のはずだ」
「ああ、やっぱり。――昼顔のお方さまが夕刻前からいらっしゃらないということなので、おまえが南蛮寺へいったことを思い出し、ひょっとしたら、いつものように昼顔のお方さまもそっちではないかしら、とわたしは思ったのです」
鵯も教名をマルタといい、よく厨子丸といっしょに南蛮寺へゆくので、そのときたいていカタリナ昼顔さまが現われるという変な事実には気づいていたらしい。その語韻に、活溌な鵯にも似合わしからぬ皮肉めいたひびきがあるのに厨子丸は気がつかない。
「昼顔のお方さまを、おまえはなぜ探している」
「わたしが探しているのではありません。公方さまが探していらっしゃるのです」
「えっ、公方さまが?」
「そういうことです。けれど、どなたも昼顔さまのゆくえを御存知ない。その騒ぎをきいて、わたしはもしやしたらと思い、御門のところで待っていたのです」
「すぐゆこう」
と、厨子丸は鶯をうながして、駈け出した。鶯につづいて、鵯も追って来る。
「厨子丸どの、昼顔さまの御用とは?」
用は、昼顔の方の着換えの衣服をとりにゆくことだが、公方さまが昼顔さまを探していらっしゃるとあれば、それどころではない。厨子丸は、動顛《どうてん》していた。さっき昼顔さまが自分に、いっしょに御所を逃げようといったことを思い出し、自分もはじめからその一味であったような狼狽《ろうばい》をおぼえた。
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叛 乱
この二条の屋敷は、御所と呼ぶ人もあり、ただ公方《くぼう》さまのお屋敷と呼ぶ人もある。室町時代の名を残した室町のいわゆる「花の御所」はすでに百年もまえに消え失せて、これは十数年前に作られたものである。
戦乱つづきで、かつ将軍の実権がほとんど失われている時代の屋敷だから、曾《かつ》ての室町御所には及びもつかないが、しかしともかくもここが「幕府」にはちがいない。むろん一般の大名や公卿の屋敷とは規模を異《こと》にする。
勤めの場所がちがうから、ふだんは近づいてはならぬ昼顔御前の屋形《やかた》のある方へ、厨子丸《ずしまる》たちは庭から庭を回って近づいた。
すると、その屋形に通《かよ》う回廊の上に、二つ、三つ短檠《たんけい》がゆれ、そこに人影が群れて、また声高《こわだか》にものいうのが聞えた。
「かりにも公方の寵《ちよう》を受ける身分で、勝手に京の町を出歩くやつがあろうか。昼顔とは、そういう女じゃ」
公方さまの声である。声ばかりではない。その上半身が灯に浮きあがって見える。やや癇癖《かんぺき》が強いらしいが、それだけにりりしい。もとより気品のゆたかな貴公子であった。厨子丸たちは、庭の隅に、べたと膝をついてしまった。
「いったいに、あの女、わしにも心底の知れぬところがある。――」
「それは、昼顔を弾正どのにお下げ渡しになる口実にはなりませぬ」
銀の鈴をふるうような声であった。
――厨子丸は心臓をわしづかみにされた思いがした。御台《みだい》さまの声だ。御台さまもそこへ出ておいでなさるのだ。
「口実ではない。弾正につかわすとは、それ以前からのわしの約束じゃ」
「そのお約束がまちがっておいでになるのでございます。昼顔の存じあげたことではありませぬ」
切口上ではない。一句ごとに息をのみ、夕子《ゆうこ》というその名にふさわしい夕風のようにやさしい調子だが――御台さまが、こんなに公方さまをたしなめる口調でものをいわれているのを、曾て耳にしたことがない。
「心やさしき女よ」
と公方はいった。心打たれたようでもあるし、それでいっそう乱れたようでもある。
「そなたは、そのように昼顔をかばう。しかし、昼顔が、ふだんそなたをどう思うておるか、存じておるか」
「それと、このたびのこととはまたべつのことでございます」
厨子丸は、闇の底から御台さまをくいいるように眺めていた。御台さまの顔も、おぼろおぼろと浮かびあがっているのだ。短檠の明りのせいであったが、しかしその美しさはたとえ闇夜に灯がなくても、それ自身発光しているような天上の美しさであった。まるで珠《たま》を刻んだようだが、しかし輪廓がぼうと春霞にけぶっているかに見える。――
「綸言汗《りんげんあせ》のごとしという。――将軍というものは、ひとたび約束したことは守らねばならぬ」
公方はいった。
が、御台所が黙ってじいっと自分を見つめているのを見ると、苦しげに顔をゆがめた。突然、その顔に、べつのもっと恐ろしい表情が現われた。彼はまわりを見まわした。そこの回廊にひざまずいている家来や侍女たちの顔をたしかめたようだ。
おそらく、この妻を説得するには、いままでのようなだだッ子じみた理由では通らぬと観念し、また何をいってもこの座にいる者どもならば安心だと見きわめたらしく思われる。――
「きけ、夕子、みなの者」
と、公方は声を改めた。低いが、ただならぬ決意をこめた声であった。
「昼顔をやらねばな、弾正に、それこそ口実を与えることになる」
「なんの口実をでございますか」
「謀叛《むほん》の」
眼に見えぬ氷の風が、一同の頭上を吹きわたったようであった。
「さればによって、ひとたびは昼顔をつかわす。――が」
公方はいった。
「その約束を守った上で、弾正を討つ。……しょせんはあの男、この義輝に叛旗《はんき》をひるがえさずにはおかぬやつと見きわめておる。もし昼顔をやらねば、公方はひとたび交わした約束を履《ふ》み行うがいやさに弾正を誅《ちゆう》したと世にそしられるであろう。……相わかったか」
厨子丸はからだが小刻みにふるえて来るのを感じた。
あの五月五日の御前試合のあと、その試合の余波がただごとではすまないような予感がした。鵯などが笑うので、自分の不安もばかげていると思い直したが、やっぱりあれは嵐を巻き起す妖雲の出現であったのだ。
「上様」
ややあってしずかにいう声が聞えた。
「もしそのような口上で松永が推参するならば、推参させればよいではございませぬか。それで仮令《たとい》かりに天下をとったとて、その天下を神仏が、いえ世の人がゆるしましょうか?」
――うっとりと、その御台の顔を遠くから眺めている厨子丸は、自分をまたじっと見ている哀しげな眼には気がつかなかった。
……すでに大勢の見物人の前で、「では、公方さまが約束を反古《ほご》になされたことだけを記憶して、それを土産《みやげ》に大和《やまと》に帰るといたそう」などと、無礼きわまることを放言した弾正である。そのあと、配下の根来僧兵どもが試合の凱歌《がいか》をあげて酒に酔い痴《し》れ、御所の門々を破壊するという狼藉《ろうぜき》をやったのを、べつに制止もしなかった弾正である。
そしてまた、いま公方が弾正の叛心《はんしん》について予測しても、それに対して御台が「それでかりに天下をとったとて」というような応答をもらすまでになっている梟雄《きようゆう》であった。
松永弾正久秀。
彼は若いころ阿波《あわ》の行商人であったといわれる。それが阿波の豪族三好長慶に奉公すると、その才幹と気力でめきめきと頭角をあらわしてその家老格にまで成り上った。三好長慶は幕府の管領細川家の被官であったが、乱世のうちに細川家が主家足利に代ってその権をとり、かつ衰えるに従って天下中枢の実力者になった。その間に弾正もまた大和一国を与えられた。そして去年その長慶が死ぬと、この弾正が事実上、大和はおろか畿内《きない》一円に覇《は》を唱える存在になっていたのである。
当時の伴天連の評語にも、「その性、酷悪、奸譎《かんけつ》にして強欲なり」とある。主君の長慶が死んだのも、その子の義興が弾正に毒殺され、その打撃のために倒れてついに起《た》たなかったといわれる。証拠もつかめなかったのだろうが、たとえつかんでも手が出せないくらい、この商人あがりの武将の戦闘ぶりは獰猛《どうもう》であった。
また戦争のあとでは、その掠奪ぶりの凄《すさま》じいことは、戦争以上に残忍であった。しかも、色欲も旺盛で、彼が帷帳《いちよう》を下し、その中で数人の侍女と淫戯をほしいままにしながら、ことあれば家来を召して、帳外に顔だけつき出して指図したという行状は有名である。世人がその城のある地名にちなんで「信貴山《しぎさん》の魔王」と呼んだのも当然である。
さて、この弾正が突如として京二条の足利公方邸を襲撃したのは、永禄八年五月十九日夜であった。あの御前試合から十四日目のことだ。
あの日ののち、弾正は手勢をひきいて大和へ帰った。しかし信貴山城へは帰らず、奈良にとどまっているという。また数日前、そのうち七十人ばかりの者が京の西院に戻って来て滞在しているという。彼らはこの前に上洛したとき、みながやった清水《きよみず》詣でに参加出来なかったので、改めてその念願を果たすためだといっているという。――すべて、公方義輝はきいていた。
彼はとりあえず数百人の武士を集めて、警戒させた。しかし、警戒はしていたものの、この夜、公然と弾正が叛乱を起そうとは明確に察知せず、その企みのすべてを見ぬいてはいなかったように思われる。
五月十九日の夜ふけ、ふりしきる五月雨《さみだれ》の中を、袈裟《けさ》頭巾で頭を包んだ僧兵が十人、二条の御所に押しかけた。
「われら、先般、御前試合に出場し、また出場を予定されておった者どもでござる」
「われら、たしかに勝利を得たはず。以来|半月《はんつき》、首を長くして待っておったが、例の公方さまの御|約定《やくじよう》はいかが相成ったか」
「根来流の勤行《ごんぎよう》をしてお布施をもらえぬとあっては、たとえ主人弾正はあきらめ申そうと、われら承服は出来ぬ」
「それとも恐れながら、あの御約束はうそ[#「うそ」に傍点]八百であらせられたか」
「公方さま、天下の前でなされた約定は守り候《そうら》え」
口々に呼ばわる彼らの応対に、警護の侍たちはへどもどした。例の約束の履行はその後ひとたび沙汰止みとなっていたので、彼らの口上はそれなりに一応筋が通っていたからである。
これをなだめ、押し戻し、もみあっているあいだに――しかし、御所の武士たちは知らなかった。時を合わせて、奈良から急行した松永弾正の手兵実に一万二千が陸続として京に入りこみ、殺到し、この御所のまわりに布陣しつつあったことを。
京にあった先発隊は網を張って、この本軍の侵入を御所へ通報するものを遮断する目的であったのだ。――ひょっとしたら端午の節句に弾正が伺候したのも、みずから公方邸のようすを偵察するためであったかも知れない。
そして、喧嘩口論が最高潮に達したとき、僧兵の一人が門の方へ出ていって、墨のような夜空へ一道の狼煙《のろし》を打ちあげた。同時に松永勢は四方から乱入を開始した。
「公方さまおん約定の儀につきうかがいたきことの候」
「松永弾正、違約されたる恥を雪《すす》がんがために推参」
「御恩賞の女人お二人はいずこにおわす」
一丈内外の濠《ほり》はあったが、充分板の渡せる距離であった。しかも彼らの大半は、その一丈の濠を鴉のごとく飛んで渡ったという。門はあったが、ほとんどが修繕中であった。いつぞやの根来《ねごろ》僧兵たちの狼藉《ろうぜき》は、たんなる酒乱の果ての狂態ではなくて、この日のための準備行動の一つであったのだ。
たちまち二条屋敷の内外は、阿鼻叫喚《あびきようかん》の修羅場と化した。
この一夜の惨劇は、五条の南蛮寺のルイス・フロイスもすぐに知った。
「ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]はすぐに切支丹たちから報告を受け、礼拝堂に退いて連祷をとなえ、おんあるじの御手《みて》に身をゆだねることを祈った。町は火災と混乱で騒然となり、閉じた門をたたく者があるごとに、ぱあでれ[#「ぱあでれ」に傍点]は短刀の闖入《ちんにゆう》を予期した」
そしてまた彼は、彼の「日本史」に公方の最期をこう書いている。
「公方さまは生来たいそう猛《たけ》く、勇気のある人であったので、薙刀《なぎなた》を手にとってまずそれで戦いはじめ、みなが驚きいったことに、数名の敵を殺し、他の者たちに傷を負わせた。それから彼はもっと敵に接近して戦うために、薙刀を投げ捨てて剣を抜き、勝利を目前にしている者にも劣らない勇敢さを示した。しかし、敵は多数の弓箭銃槍を携えて来ており、公方さまとその少数の従者とは身に甲冑《かつちゆう》もなく、刀と脇差の備えがあっただけであったので、敵は公方さまの胸に一槍、頭に一矢、顔に刀傷二つを加え、公方さまがこれらの傷を負って倒れると、敵は公方さまに襲いかかって、誰も彼もがところきらわず打ち叩いて、完全に公方さまを殺害した」
また、「総見記」によると。――
「さても公方は名剣を抜きたまい斬って出で給うを、戸の脇にかくれいておん足薙ぎたてまつりければころび給うところを、障子を倒しかけたてまつりて、上より槍にて突き伏せる。そのとき奥より火を放《はな》ちて燃え立ちければ、御首《おんくび》をば取り得ざりけり。おんとし三十歳」
いずれも伝聞であるが、足利十三代将軍義輝の凄絶な最期を物語って遺憾《いかん》がない。
彼が親しく上泉伊勢守から伝授された剣術は伊達《だて》ではなかったのだ。しかし、将軍たる彼がおのれの身を護る剣法に熱心であったということ自体が、かえって百年の戦乱の間に「征夷大将軍」の厚い装甲を失った反応であったともいえる。
伊達ではなかったが、しょせんは果敢《はか》なかった将軍剣法ではあるが、しかし義輝は満足したかも知れない。――この夜推参した松永弾正|麾下《きか》の一万二千の大半が、根来の僧兵たちであったということを知ったならば。
彼の辞世は次のようなものであったと伝えられる。
「五月雨《さみだれ》は露か涙かほととぎす、わが名をあげよ雲の上まで」
「厨子丸どの、厨子丸どの。――」
遠くちかく、絶えず厨子丸はその声をきいていた。叫喚と、物の破壊される音と、炎のうなりの中に。――鵯の声だとは知っていたが、かえりみるいとまはない。
彼は庭を走っていた。雨はふりしきり、前後左右に火は燃えあがっている。襲撃隊が放火したのか、誰かが狼狽して燭台でも倒したのか。雨戸はくだけ飛び、屋根の甍《いらか》までくずれ落ちる。いたるところ、庭でも屋内でも回廊でも、激闘する刀槍のひびきが聞え、倒れ伏すのはちらっと見ただけだが、ほとんど例外なく御所方の侍たちであった。
地獄だ。そう心にさけびつつ、厨子丸はしかし、その炎と死闘の奥へ、奥へと駈けてゆく。臆病だと信じていた自分が――と、驚く余裕も彼は失っていた。
厨子丸は絶叫した。
「御台さまあ!」
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双珠《そうじゆ》手に落つ
広いとはいっても、数百人の武士、それに女や雑仕《ぞうし》のたぐいを入れれば千人ちかい人数であろう。そこへ一万二千の軍兵が乱入したのである。
外部とは完全に遮断されていた。だから、まるで檻の中の大虐殺だ。いや、無数の部屋部屋、回廊、庭などでくりひろげられている光景を一望に眼に入れる能力のある者が見たならば、それは忍法の一大オンパレードといってよかったであろう。
ヒラ、ヒラ、ヒラ――と、あたかも大|蝙蝠《こうもり》みたいに天井から天井へ舞っているやつがある。厚い壁をまるで紙みたいに破って隣りの部屋へ入ってゆくやつがある。うしろから、たしかに槍で胸板を突きぬかれたのに、苦もなく前へ飛んで、ふりかえりざまに一撃し、かすり傷一つない顔で駈け去ってゆくやつがある。炎のそばで瓢箪《ひようたん》から何やら液体をあおり、一道の火の息を吹くやつがある。むろん、いずれも根来寺の忍法僧だ。
その怪奇|剽悍《ひようかん》の法師姿の馳駆《ちく》するところ、血の雨はふりそそぎ、火の風は吹きたけった。
「厨子丸《ずしまる》どの、厨子丸どの。――」
その中を、鵯《ひよどり》は駈けてゆく。
もとから勇敢な娘ではあったが、もとよりこの大惨劇を意としないほど無謀ではない。ただ彼女は、炎と煙の中を奥へ奥へと入ってゆく厨子丸の影を見失うまいという一心だけであった。
たとえ、その炎と煙がかえって彼女を助けたとはいえ、鵯が襲撃者たちに斬《き》られず捕えられもしなかったのは奇蹟といえた。――ただ、しかしいっとき鵯は厨子丸を見失った。
「御台《みだい》さま!」
奇蹟は厨子丸の身にも同様であった。
もはや彼の眼には、その炎も煙も、ひらめく刃も躍る法師の影もうつってはいない。肉体よりも脳髄を火にあぶられる思いであった。
「御台さま、いずれでござりますっ、御台さまっ」
御台さま付きの雑仕でも何でもない自分が、あたりはばからずそんな声をあげる怖れはすでに捨てていた。
遠くで、獣の吼《ほ》えるような声がながれた。
「おう、昼顔御前――多聞《たもん》坊、昼顔の方を生捕ったりっ」
「やれ殺すな、多聞坊、傷つけてはならぬぞや。――」
「御台はどこじゃ、それを炎に消しては、この夜いくさ、水の泡であるぞっ」
――それ以前に厨子丸は、やはり将軍を討取ったという胸もつぶれるようなさけびをきいていたが、そのときよりこの声は彼を狂乱状態におとした。
どこであったか、御台さまの御座所ちかくの回廊の上にはちがいないが、炎と煙と、まったくたたずまいの形相《ぎようそう》が一変しているのでさだかではない。
「あっ……厨子丸どのっ」
まろぶように彼の近くへ馳せ寄って来た者がある。鵯ではない。――厨子丸は血走った眼で、きらびやかな衣裳をひとかかえ腕にした鶯を認めた。
「おう、御台さまはいずれじゃ、鶯っ」
「御台さまはあちらに」
鶯はふりかえって指さした。
「けれど、法師武者が、あ、霰《あられ》のお庭の方へ。――」
みなまできかず、厨子丸はふところから短銃をとり出し、それを握り直して回廊から庭へ飛び下り、雨と火光のかなたへ駈け去った。
それを追うことも忘れたか、恐怖のためにもはや足も動かないか、鶯はそのゆくえにじいっと眼を投げたまま、そこに立ちすくんでいる。その足もとにも黒煙が這い寄り、渦巻いて来た。
厨子丸はひた走りに走った。
霰のお庭の入口で、彼はそこに転がっている三人の男を見た。顔面を打ち破かれているが、はじめて見る法師武者の屍体であった。
――御台さまはどこへ?
その絶叫をほとばしらせようとして、そのとき声は厨子丸ののどにひきつってしまった。彼は見たのだ。向うの塀の甍《いらか》の上にすっくと立っている影を。
遠目にも巨大な法師武者の姿であった。魔風《まふう》に袈裟頭巾をそよがせ、片手に大|薙刀《なぎなた》のようなものをつき、そして片手には――たしかに黒髪と裲襠《かいどり》を垂らした女人の影を抱いていた。そのまま彼は背を見せた。
――おおっ、御台さまっ。
さけぶいとまもあらず、はじめて人間にむけて厨子丸は短銃のひきがねを引いている。カチリ、という音がした。弾は出なかった!
女を抱いた法師武者は、忽然《こつねん》と土塀の上から消えてしまった。
「ま、待てっ」
厨子丸は狂気のように塀の下へ駈け寄った。
とっさには、その上へ上れない。狼狽《ろうばい》し、混乱し、やっと近くにころがっている太い棒をさしかけてよじのぼる。が、もはや外には法師武者の姿はない。ただ一丈の幅の濠《ほり》の波が、黒闇々《こくあんあん》と揺れ、濠の向こうも御所から流れてゆく黒煙にけぶっているだけであった。
厨子丸はそれまでに、襲撃して来た法師武者たちが鴉のように空《くう》を飛び、蝙蝠《こうもり》みたいに宙を舞う体術の様相を目撃している。
――万事休す!
頭がふらっとすると、厨子丸は雨の甍《いらか》に足をすべらせ、塀の内側にころがり落ちた。
いちど立ちあがろうとしたがよろめき、彼は塀の内側に背をもたせかけ、両足投げ出して坐っていた。
遠くで――表門の方角で、恐ろしいさけびが聞こえた。
「――阿含《あごん》坊、将軍家御台を生捕ったりっ」
その声を厨子丸は現実のものでない、悪夢の中の声のように聞いている。庭の向うに炎上している屋敷の光景も、悪夢のように眺めている。
「おう、厨子丸どのっ」
炎と雨の中から、鵯《ひよどり》が駈けて来た。
「み、御台さまは?」
「さらわれた。――」
鵯は立ちすくみ、投げ出された厨子丸の足もとに落ちている短銃を見出した。
「これは?」
「そんなものが役に立つものか!」
鵯はそれを拾いあげた。
「厨子丸どの、もはや門からは逃げられぬ。ここから逃げましょう」
「わたしは逃げない」
厨子丸の眼はうつろであった。
「わたしはここで死ぬ。逃げる気があるなら、おまえは逃げておくれ」
鵯は、一、二分、厨子丸の姿を見下ろしていたが、すぐに塀に立てかけられた棒に眼をやり、それをつたって塀の上に上った。濠を見下ろして、彼女はさけんだ。
「板がある」
「なに?」
「ここからも謀叛《むほん》の者たちが入って来たものか、長い板が濠に渡してあるわ!」
厨子丸は立ちあがった。彼はさっき御台さまをかかえた法師武者が忽然と消えたわけを知った。法師はその板を渡って逃げたのだ。そんなものが眼にも入らなかったのは、塀に火光をさえぎられてそこらが真っ暗であったためか、自分の眼がくらんでいたのか、宙を舞う法師たちの怪術の先入観にうなされていたのか。――
「濠は、渡れる。厨子丸どの、早く、来て!」
濠の向うには、御台さまがおわす!
厨子丸をふたたび塀の上に上らせ、すぐその下の石垣から濠のかなたへさしかけられた長い板の上へ、鵯《ひよどり》と手をとり合って下り立たせたのは、灼けつくようなその一念だけであった。
「おうっ、どやつか、逃げる者があるぞっ」
「待てっ」
咆哮《ほうこう》が庭の方で聞えた。塀を外へ逃れるとき、二人の姿を見かけたやつがあったらしい。たちまち塀の上に、三つ、火炎にふちどられた袈裟頭巾の姿が現われた。――とみるや、その一つが、これは妖鳥のごとく板の半ばの二人の空へ躍って来た。
銃声とともに、しかしその妖鳥はもんどり打って、雨に血をまじえつつ濠の中へ落ちている。ふりかえりざま、鵯の撃った短銃であったが、それがみごとに命中したのはまったくの偶然であったろう。――いや、こんどはまさしく弾が出たことと思い合わせると、それは天の加護であったに相違ない。
塀に残った二つの影は棒立ちになった。
「さ、逃げましょう、厨子丸どのっ」
二人は板を駈け渡った。背後に御所の焼け崩れるとどろきが聞えた。
しかし、御台さまはどこへ?
――いつかそのうち、将軍家は討ちたてまつらねばならぬ、とここ数年来考えていた松永弾正であった。
それは、たんに公方が自分を危険視しているためばかりではない。公方などはもはや問題ではない。それより恐るべき大強敵が東方に現われている。それに備えるためにも、いまのうちに公方を倒して、少くとも畿内《きない》一円をおのれの手でかためて置かねばならぬのだ。
ただ将軍を討つということは、だれが見ても謀叛だから、これには衆口からの盾となる大義名分を作っておくことが必要だ。
それが弾正が、公方の御台か寵姫《ちようき》かを要求した理由であった。拒否されることは覚悟の上だ。あちらの約束不履行が、こちらの大義名分となる。――ほんのもののはずみとも見える機会を電光のごとくつかんだのは、それを狙いに狙っていた弾正の構えから発したが、深謀に見えて、あまりに強引の観のあることも否定し得ない。それも承知のことだ。彼は東方の敵を思い、たしかに焦っていた。
――とはいえ、御台か、寵姫か、という要求は必ずしも口実を作るための便法だけではなかった。それは彼にとって或る程度本心でもあった。好色多淫の弾正が、雲上のものとも見えるこの二輪の名花にかねてから途方もない欲望の虹をかけていたことは事実であった。
二条御所ちかくの法成寺《ほうじようじ》という寺の跡に将几《しようぎ》をすえた弾正は、さすがに最初は御所の叫喚に耳をかたむけて雨の中に陰鬱|凄惨《せいさん》な顔色をしていたが、やがて、
「公方さまおん討死」
という連絡を受けて愁眉をひらき、さらに、
「昼顔御前おん生捕り、ただいま参着」
という報告を受けるに至って――ふだんあまり笑顔を見せたことのない人物だが、われを忘れてにたっと蟇《がま》みたいな顔を笑ませた。
その通り、まもなく法師武者に両腕をとらえられ、また鉄桶《てつとう》のごとき一団に囲まれて、その捕虜はやって来た。
「けがらわしや、離しや、このむさい坊主ども」
昼顔はさけんでいた。罵《ののし》るばかりではない。両腕をとられながら、まだ屈しないで身をもがいていた。
おそらく猛烈に抵抗したものであろう。髪は乱れてなかば顔にかぶさり、衣服は裂けてちぎれ、一方の乳房はまる出しになって、そこからも血がながれているといった姿であった。それが、弾正を見つけて、またさけんだ。
「悪党! 天下さまに弓引いて、あとの冥罰《みようばつ》を怖れぬか。いますぐに降参しや」
弾正は笑顔のままうなずいた。
「おう、いかにも昼顔の方じゃ。よう捕えた。ここへ、ここへ」
「縛らずとも、ようござるかな」
「そうか、待て。そこにしばらく立って見せい」
二メートルばかり距離を置いて、弾正はしげしげとその美しい捕虜の身もだえを観賞した。ここに法成寺という寺があったのは平安朝のころのことだ。すでに徒然草《つれづれぐさ》に「法成寺など見るこそ事変りけるさまは哀れなれ。大門|金堂《こんどう》など近くまでありしかど、正和のころ南の門は倒れぬ。金堂はその後倒れ伏したるままにて取り立つるわざもなし、無量寿院ばかりぞそのかたちは残りたる」とある。その後数百年の間に、いくどか小寺は再建されたのであろうが、そのたびにまた燃えて、いまは崩れた土塀の中に蓬々と草|生《お》いしげり、ただ向うに古い法華堂一つが残っているばかりであった。
そこに幾つかの篝火が燃えあがり、ふりしきる雨に火の粉を散らしている。まわりは数百人の弾正親衛隊が、法師姿のあいだから鉄甲《てつこう》をきらめかせてひしめいている。この凄じい光景を背に、真っ白な乳房もあらわに浮きあがった半裸の昼顔は、まさに地獄の天女に見えた。
「おう、たえがたや」
と、弾正はうめいた。笑顔は消え、恍惚《こうこつ》とした顔であった。
「ここへ寄せい。もっとつくづくとその顔を見せい。手と首を押えての、あばれられぬようにして、もっと寄せい」
もがきつつも、強力な機械にかけられたように昼顔はつれて来られ、顔を十センチの近さまで弾正の顔につきつけられた。
「さても、あでやかさよ」
うなされたようにつぶやく弾正の顔に、昼顔は髪をふり、ぱっと唾《つば》を吐きかけた。
「けだもの!」
弾正は口のあたりにかかった唾を、ぬぐいもせずに牛みたいな舌を出してなめた。そして片手をのばして昼顔の乳房をつかみ、片手の掌をあげてしゃくった。
「もっと近う。首を押えよ、合図するまで、離すなよ」
そして、蟇《がま》みたいな首と、地獄の美貌とは、物理的に接吻した。
弾正は、つきつけられた昼顔の口を吸ったのである。そのまま、合図の掌は上らない。まるで吸いつくしてもねぶりつくしてもかぎりのない美味な果肉でも味わうように、彼のひびわれたような皺《しわ》のある巨大な唇と、牛みたいな舌は、昼顔の口をしゃぶりつくした。――数百人の僧兵たちの眼など存在しないかのごとく。
密着した二つの顔のあいだに流れるものは、雨か涙かわからない。
傍若無人、厚顔無恥の弾正ではあるが、このときは実際に時のたつのを忘れた。まるで夢幻境で熱い雨に濡れているかのようであった。
「殿っ……殿っ」
遠くからのそのさけびも、忘我の耳にきいた。
「捕えましたっ、生捕りにしてつれて参りましたぞっ、公方の御台さまを。――」
弾正は醒めた。彼は昼顔の顔をつき離し、将几から躍りあがらんばかりになった。
「な、なに、御台も?」
そして、息はずませてさけんだ。
「それをつれ参ったと申すか。早う、早う、ここへ」
やがて、あきらかに凱歌の地ひびきをたてて、また一団の僧兵のむれが近づいて来た。その輪の中に、やはり一人の女人の影を閉じこめている。
天女の降臨を見たかのような眼で見まもっていた弾正は、やおらやさしい声でいった。
「御挨拶はあとでつかまつる。ともあれ、お顔を見せられい」
が、いつまでもただ被衣《かつぎ》がそよいでいるばかりなのを見ると、みるみるいら立った顔になって、
「被衣をとり参らせい。なぜそのままにしておる?」
と、僧兵にあごをしゃくった。
「いや、これはただ雨をしのぐためだけでござる」
と、僧兵の一人がいって、遠慮会釈もなくその被衣をひきむしった。
弾正の飛び出さんばかりの眼に、ふたたび――昼顔御前を見たときにいやます恍惚《こうこつ》の光がけぶり、完全に笑みくずれてうめいた。
「おう、まごうかたなき御台さま!」
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露か涙かほととぎす
足利十三代将軍家|御台夕子《みだいゆうこ》の方は、雨にひた濡れ、篝火《かがりび》に半身を照らされてそこに立ちすくんでいた。
高貴な衣服のあちこちにほころびは見えるが、そう烈しい抵抗はしなかったものとみえて、昼顔のような無惨な姿ではない。ただ、あきらかに雨のせいではなく涙をいっぱいにたたえて哀しげにこちらを見ているのに、一方で、まるで招かれてここに来たような優雅さがあった。雨と篝火と凄《すさま》じい法師武者のむれの中にあって、なぜか春霞にでもつつまれているような感じがあった。
――いかなるなりゆきで、この女人がここに現われたのか、ということさえ弾正は一瞬忘却して、見とれた。
このとき御台はこちらを見て、わななく雪のような手をあげて、ふし拝むような動作を見せたのである。
むろん以前から知っていたことだが、この将軍家御台の御出身が近衛家であることが頭をかすめ、たったいま被衣《かつぎ》をとれと吼《ほ》えたくせに、弾正はわれ知らず将几《しようぎ》から腰を浮かせていた。
「おいたわしや、御台さま」
と、彼のふといのどから、いままで出たことのない声が出た。
「余儀なき次第、弾正の本意ではござらぬ。おいのちはもとより、ここに参られた上はもはや大船に乗った気でおわせ。……やいっ、うぬら、なにゆえやんごとなきおん方をこの雨におさらし申しあげておる?」
と、前後左右の鴉天狗たちを叱咤《しつた》した。
「ともあれ、御台をあの法華《ほつけ》堂にでもおつれ参らせい!」
「なぜ、わたしと同じことをしないのです?」
ふいに女の声がした。
――昼顔だ。昼顔が青くひかる眼で弾正を見つめていた。
「弾正どの、なぜあの女の髪をつかみ、口を吸い、舌をしゃぶり、乳房をもみねじってやらないのです?」
弾正は狼狽した。そんなことをいったのが昼顔であったことに狼狽したが、いわれてみて、自分が御台に対してそんな凌辱《りようじよく》の欲望を忘れていたことにも狼狽《ろうばい》した。
「い、いや」
まるでよその美女に見とれていたのを女房に見つかった亭主みたいな表情になって、
「これは、別じゃ、御身分がちがう。――」
と、本心を、やや思慮の足りない弁解として吐いた。
昼顔は、じいっと御台の顔を凝視した。御台の顔に恐怖のわななきが走った。
「ほほほほ!」
突然、昼顔は笑い出した。
弾正のみならず、それを見まもっていた数百人の根来《ねごろ》寺僧兵たちもぎょっとした。彼らはみな、この公方《くぼう》の寵姫《ちようき》が運命の激変に神経の糸が切れて発狂したのかと思った。
「おほほほほ、おほほほほほほ!」
昼顔は立ちあがり、のけぞりかえって笑いつづける。弾正の顔は怒りに満ちた。
「な、何が可笑《おか》しい?」
「いかにも、わたしとは身分がちがう。おほほほほ」
昼顔の笑いは、はたと止んだ。彼女はもういちど御台をのぞきこんだ。片腕が徐々にあがっていった。
「よく見よ、弾正」
くびれの入った指が、まっすぐにのびた。
「あれはわたしの雑仕女《ぞうしめ》。――鶯《うぐいす》という女じゃ!」
「な、なにっ?」
弾正は尻もちをつかんばかりになり、まるでみみずく[#「みみずく」に傍点]みたいな顔をして、たちまち、
「げっ。……ち、ちがうっ」
と、どこかが破れたようなさけびを発した。
――てっきり御台さまという先入観があり、双生児みたいによく似た美貌と高貴な衣服から、いままで穴のあくほどにらんでいても気がつかなかったが、いまそう指摘されてみて、はじめてそれが別の女人であることが弾正にもわかったのであった。捕われの御台さまにしても、顔だちがあまりに果敢《はか》なげに、寂し過ぎる。
「――ば、ばかっ、うぬら御台の影武者をつかみおった!」
罵《ののし》られて、その女をとくとくと連行して来た僧兵たちも仰天した。
「ちがう? た、たしかこの女人、夕子と名乗られてござるが」
「眼の腐った男どもよ」
昼顔の方は嘲笑した。
「まちがえて気がつかぬも道理、あれはおまえら下衆《げす》坊主にこそ似合いの女、わたしの雑仕じゃ!」
「おおっ、では、本物の御台はいずれにある」
弾正はずかと進み出た。
「女っ、言え、御台さまはどこにひそまれた?」
寂しげに見えた女――鶯の顔が、きっとなった。しかし、唇はひらかず、しずかに横に振られた。
弾正はまた吼《ほ》えかけたが、猛然と躍りあがって、
「ほんものの御台はまだどこぞにおわすぞ。はじめから取逃がしたのなら知らず、かくもまんまとあざむかれた上は、もはや意地でもそれをつかまえねば弾正間抜けのあざけりは防げぬ。もういちどゆけっ」
と、鶯をとらえて来た法師武者たちにさけんだ。僧兵たちはうろたえ、混乱しつつ、
「御所はもはや炎上いたしております。生きておる者があるべくも――」
「骨が炭となっておっても探して、拾って来い!」
雨空を焼きただらしている業火《ごうか》をにらみ、ふいにはっとして、
「まさか、外に逃がしはすまいな?」
と、いった。
「それは、もとより。――」
と、たれかが答えたが、御所の方から続々と、「なに、御台さまが生捕りになったと?」「今夜の大願|成就《じようじゆ》」「ひと目、拝願!」などと、跫音《あしおと》とわめき声が駈けて来るのをきくと、
「いかん、網を解くのはまだ早い、追い返せ、うぬらもゆけっ」
と、ほかの親衛隊にも叱咤《しつた》した。
みな、狼狽その極に達し、岩にぶつかる夜の波みたいにおたがいにもみ合いながら、またわらわらと燃える御所の方へ駈け出した。
弾正はもちろん醜貌《しゆうぼう》を、さらに火も吹かんばかりの凶相に変えてふりむいた。
「女っ、白状せい! 御台さまはいかがなされたか、口ひッ裂いても言わせてみせるぞ!」
「その女、そう見えて、存外しぶとい女じゃが――けれど、御台さまのゆくえは知るまい。おそらく勝手に御台さまの名を騙《かた》ったものであろう。着ているきものは、御台さまのものではない、わたしのきものじゃもの」
と、昼顔はいった。
それはいつぞや南蛮寺ちかくの廃寺で群盗に襲われたとき破られて、そのまま昼顔が鶯に与えたものであった。それを着ていなくても、むろん昼顔には、御台と名乗ってつれて来られた女が鶯であることは、最初の一瞥《いちべつ》でわかった。――鶯が手をあげて拝んだのは、弾正への命乞いのためでなく、あきらかに昼顔に、じぶんが御台の身代りになっていることを黙っていてくれるように哀願したのだ。
しかし、昼顔の眼は憎悪に燃えたぎっていた。
「鶯、なぜおまえがそのようなたわけたことをしたか、わたしにはわからぬでもない。――しかし、むだじゃ、あの女も、あの男も、炎の中に燃え失せたであろう。――けれど、わたしの雑仕女でありながら、そんなことまでしたおまえの心がにくい。――どうせ、死ぬは覚悟のまえであろう。どうしてやろうか」
嗄《か》れた声でつぶやいた。たしかに覚悟の眼であったのに、鶯のからだはわなないた。
ふいに横をむいて、
「弾正どの」
と、呼んだ。
「何をしていやる。この女、もてあそばれぬのか、商人あがりの弾正どのに身分相応の雑仕女なのに。――」
この辛辣《しんらつ》無比の嘲罵《ちようば》に、剛腹な弾正が憤怒の眼を返したのはもとよりであったが、ちょっと絶句して、次にひるむとも惑うともつかぬ表情になったのは、今あばかれた女の正体のことよりも、そういった昼顔御前の顔に、妖しい媚情《びじよう》のようなものがゆらめいているのを見たからであった。
「それとも、この大それた女を、罰として犬めらにくれておやりなさるか」
「犬めら?」
「そこにおる数百人の法師武者どもに」
「なんだと?」
「将軍家御台そっくりの女が、あのけだもの坊主どもに犯されて、犯されて、犯されぬく地獄絵を御覧になりとうはないか?」
弾正の驚きの眼が、ぎらっとちがう光をおびて、鶯と僧兵たちにそそがれた。その腕に、蛇のように昼顔の腕がからみついた。
「弾正どの、昼顔は覚悟をかためました。今宵かぎり、わたしは心底から弾正どののものになりましょう。――そのかための盃、ちぎりの祭として、わたしはその光景を見たい!」
この提案を恐ろしいものと思うより、奇怪なものと疑うより、弾正は濡れた花粉の渦巻のような昼顔の息吹きにめくるめく思いがした。
「――よしっ」
と、彼は大きくうなずいた。
「いかにも、その見世物、面白い! み、見せてやろう。――」
そして、のどをあげて、まわりにどよめき立った鴉天狗たちに呼ばわった。
「きいたか、うぬら――この女、くれてやる。今宵の一挙の祝いとして、またこの御台の名をたばかったけしからぬ女への業罰《ごうばつ》として――この女、ままにせい! 見る通り、御台さまそっくりの美女であるぞ。やれっ」
それから一刻ちかく、雨と篝火《かがりび》――いや、燃える御所の真紅《しんく》の火光を浴びて、そこにくりひろげられた地獄図こそ恐るべきものであった。
昼顔は犬と呼んだが、それはまさに野犬か餓狼が舌を吐き牙を鳴らしていけにえに飛びかかり、かみつき、くいちぎり、骨までしゃぶる光景にひとしかった。一、二度、たまぎるような鶯の悲鳴が聞えたが、あとはたちまちけだものたちの鼻嵐に吹きどよもされた。
「――おう、これは御台さまそっくりの京おんな!」
「――いや、御台さまじゃ、御台さま御台さま、根来《ねごろ》忍法僧の妙術はいかに?」
「――やれ早ばやと仕殺すな、大事に使え! あと限りもなく控えておるぞ!」
忍法僧の妙術、といったが、それから一刻ちかいころまで、いけにえが生存していたように見えたことこそ奇怪であった。いちじに一人ずつかかるのではない、同時に口にかみついているやつ、背中からかかっているやつ。――なかには、何たる魔人どもか、十数本の腕で胴あげされながら、なお両体をからませていたやつがあり、また抱いたまま数メートルも躍りあがって、空中で犯していたやつさえあった。
さしもの弾正も、おのれが下知したことなのに、吐気をおぼえた。が、その光景よりも、自分のそばに――まるでもはや彼の愛妾の一人と化したかのように――ぴったりと寄り添って、じいっと見物している昼顔の横顔に、彼は戦慄をおぼえた。
この女が、このような破天荒な見世物を提案したのは、御台さまへの嫉妬と御台の身代りになろうとした雑仕女《ぞうしめ》への憎悪が変形したものだ、ということは、弾正にも推定できた。しかし――それにしても、この女の何という恍惚の表情だろう。
実に昼顔は、少くとも数十人の凶悪な法師武者に犯されぬく鶯の姿に、かねてからの「御台さまがわたし以下の身分におなりになったら人々がどう扱うか」という夢想を現実に見て快をさけび――それから、事実御台でない以上、やはりこれは夢想にすぎないと改めて鶯に憎しみをおぼえ――さらに、御台、鶯という観念すらも燃え溶けて、以前になんども夢みた、酒と汗と垢の匂いのする、臭い、毛深い下民《げみん》どもともつれ合っているおのれ自身の幻影に転化し、からだの奥底から痙攣《けいれん》して来るような陶酔にひたり切っているのであった。
松永弾正が意外な報告を受けたのは、この凄惨《せいさん》な血と肉の祭典が終ろうとするころであった。
二人の根来僧があわただしく駈けて来て、先刻の襲撃のまっさいちゅう、御所から逃げた二つの影――たしかに男と女があったという事実を告げたのだ。
「な、なぜ、そのようなことをいまごろ。――」
「外に回って、探しておったのでござる」
「で、見つからぬのか!」
「わかりませぬ。折悪しくそのとき御台さまを捕えたとの声が聞え、そこらの護りをかためていた面々が、素破《すわ》こそとばかり表門の方へ駈け去ったこともあり。――」
と、一人が歯がみしていえば、もう一人も息を切らせていう。
「しかも、その逃げおったやつ、鉄砲を所持しており申した!」
さすがに昼顔もはっとして、弾正を見、さらに何かに思いをめぐらすように空を見た。
弾正は立ちあがり、虎みたいにそこらを歩きまわった。
「よし」
と、やがて彼はいった。
「もしそれが御台としても……世には、御台はここで死なれたと触《ふ》れい」
昼顔は、弾正に眼を戻した。もちまえの老獪《ろうかい》な顔になって、弾正はいった。
「御台はここで死なれた、ということにした方が、御台が安心してまたこの世にお姿を現わされる可能性が多かろう。ほかに下手人を捕えたと見せかけて、ほんものの下手人をひきずり出すのと同じ兵法じゃ……。そのように計って、内々、こちらで探すのだ」
彼は執念と篝火に赤く燃える眼を宙にすえた。
「弾正、どうあってもあの御台を手に入れずには置かぬぞ。たとえ京のすべてを焼き立てようとも」
それから、またはねあがった。
「とはいえ、いま探せ、その二人、いまのうちにひっ捕えろ!」
――「なに、御台さまが外へ?」「逃れられたおそれがあると?」そんなささやきがどよめきとなって走り、拡がり、法師武者たちがあわてふためき、雪崩《なだれ》を打って大路へ駈せ去ったあと、だれが蹴倒したか、横になった篝火の一つが雨の中に消えた。
祭典は終ったのだ。いや、終らざるを得なかったのだ。
煙をひとすじ立ちのぼらせている倒れた篝火のそばに、鶯は血と泥にまみれて死んでいた。雨がしずかに洗い、哀れに美しい死顔を浮かびあがらせた。
将軍家御台がこの夜落命したという風にとり扱え、という松永弾正の計略は、ルイス・フロイスの「日本史」に、次のような記述となって現われている。
「夫人は市外の或る寺院に遁《のが》れていた。追手は夫人を捕え、輿《こし》に乗せて、都から約半レグワ離れた東山という山上にある知恩院へ運んだ。
夫人はここは死出の旅路につくのにたいそうふさわしいとよろこび、非常な高僧であったこの寺の和尚にいった。
公方さまがあのような御最期、また御所もかく果てた上は、わたし一人がこの世にながらえることは然るべきこととは存ぜられませぬ。このように早く公方さまのお供を申しあげることができますることは、わたしにはむしろよい回《めぐ》り合わせと存ぜられます
それから夫人は、阿弥陀《あみだ》の名を十遍となえ、阿弥陀の祭壇の前で手を合わせて祈った。
婦人が寺を出て、或る墓所へいったとき、夫人の首を斬るべく命ぜられた兵士が、剣を抜いて夫人に近づいた。夫人は御所の習わしに従って、束《つか》ねずに垂《た》らしていた頭髪を左手で高くあげた。
ところが、その兵士は、夫人の首を外れたところに第一の刃を加えた。夫人はふりむいて、その方のわざの未熟さよ、といった。
次の一撃は、完全に夫人の首を斬り落した。
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西へ東へ
「――大変だっ、上泉伊勢守の剣士軍が、将軍家助勢に駈けつけたというぞっ」
御所のたたかいが最高潮に達したころ、だれか、猿みたいなかん高い声でさけんだ者がある。
「早く、ゆけっ」
そんな情報はまったく耳にしていなかった。きいてはいなかったが、あり得ることだととっさにだれにも思われ、かつそれだけに衝動も甚だしく、そこらにいた哨戒《しようかい》の僧兵たちは乱れ騒いだ。
「どこじゃっ?」
「表門の方だっ。総勢三千人余、それがいずれも一騎当千の――」
みなまできかず、根来僧たちは槍|薙刀《なぎなた》をとり直し、濠《ほり》沿いの道を黒い雪崩《なだれ》みたいに駈け出した。蟻一匹も逃さじと張ってあった包囲の網目が、この十分間ほどぽかっとほころびた。
どこからか、長い板をかついだ小さな法師武者が現われて、それを濠の向うへやっこらさとさし渡した。そして、小手をかざした。
炎上する御所から、塀を越えて大きな法師武者がその板を駈け渡って来たのはそのあとであった。片手に、足まで房のとどく花束のようなものをかかえている。
「おう、うまくいった、こちらへ、こちらへ」
小法師に招かれて、大法師は濠沿いの道から入る小路の一つへ駈け込んだ。
「輿《こし》の支度は首尾よういったか」
「いや、酒手は十倍、とくどいてあの薬師堂の裏までつれて来ましたが、この騒動に胆をつぶして、あそこから一足も動こうとしませぬ。何はともあれ、ここらにおる僧兵どもを追いのけるのが先決と、この曾呂利《そろり》の兵法はまんまと図にあたりました。それより、御台さまは失神していなさるので? どれどれ、お脈拝見」
「ばか、早くその輿をつれて来い!」
一喝されて、おしゃべりな小法師は飛びあがって駈け出した。
濠沿いの家並の半面が夕焼けみたいに染まっているだけに、とっさには物蔭が墨のように暗く感じられる。一帯の住人は、襲撃隊に追い払われたのか、逃げ散ったのか、猫の子一匹も動く影はない。
大法師はちょっと不安になったらしく、片腕に花束を抱いたまま、ちょっと火光の中に出てのぞきこんだ。
一方の手についているのは、薙刀ではなく、櫂《かい》をけずった棒であった。納屋《なや》助左衛門は、御台さまが気を失ってはいるが、息のあることをたしかめた。
むろん、以前からの予定の行動であるはずがない。御所の夜襲の報に駈けつけて、さてはと思いあたるところがあり、つれの曾呂利伴内と打合わせて動き出したのだが――さて、あとになって助左衛門自身、「あの夜のことは、気まぐれさ」といったように、その動機がよくわからない。まったく理由がないでもないが、その最大のものはやはり彼天性の侠勇の血のなせるわざであったろう。
とにかく彼は、御所の外の法師武者二人を斃《たお》し、その大きい方の袈裟《けさ》頭巾、鎧《よろい》、僧衣を奪って、襲撃隊に混って御所の中へ駈け込んだ。そしてその結果――必ずしも御台さまを救うという明確な意志も、救えるという見込みもあったわけではないが――霰《あられ》の庭で数人の法師武者をたたきのめし、その手に捕えられようとしていた御台さまを、事実救い出したのだ。
かん高い伴内の声にせきたてられて輿が来た。
そのときだ。表門の方から、「阿含坊《あごんぼう》、将軍家御台を生捕ったりっ」という声が聞えて来たのは。
「?」
その方に耳をすましている助左衛門に、伴内がにやっと笑った。
「人ちがいのようでござるな。これは、好都合」
「うむ。……」
「ちょっと、のぞいて来てやりましょうかな」
「危い、よせ」
助左衛門は、御台を輿に横たえた。被衣《かつぎ》を顔までかけて、ともかくも雨をふせぐ。
「公方さまが討死なされたのは事実らしい。御台さまが気を失っておわすのはかえっていいかも知れぬ。‥‥おいっ、堺まで飛んでゆけ」
と、輿《こし》をかつぐために伴内が狩り集めて来た七、八人の人足にいった。
「酒手は十倍どころではない。百倍はつかわす。頼むぞ」
といって、頭巾や僧衣をかなぐり捨てて、具足だけの姿になった。
「伴内」
「へ?」
「ほかならぬお方ゆえ、おれもお供して、堺へ帰るがの。おまえにちょっと頼みがある」
「なんで?」
「厨子丸という御所の雑仕を知っておるだろう?」
「あの、南蛮《なんばん》鉄砲を使う。――」
「そうだ。この騒ぎで死んだか生きておるかわからぬが、もし生きておったら探し出して、堺へつれて来てくれ」
そのふところから、袋入りの金包みが.どさっという音をたてて曾呂利伴内の手に投げられた。
「では、おれは退散する」
輿とともに、もう十歩も走り出してから、ふりむいて、
「おう、もう一ついっておく。いやおまえにいうまでもないが、御台の件、一言ももらしてはならぬぞ。もしそのゆくえがわからぬという風評が立てば、むしろおん亡骸《なきがら》を見たという噂をまくほどにしろ。……御台さまが生きて堺に逃れなされたということが判明すると、堺はのっぴきならぬ破滅となるぞ。このこと、口軽《くちがる》なおまえゆえ、とくに封じておく」
輿を追って、韋駄天《いだてん》のごとく棒をかついで駈け去る納屋助左衛門を見送って、曾呂利伴内も法師武者の仮衣裳をぬぎかけたが、そのとき一発の銃声をきいて、濠の方をふりむいた。
――つまり、それは鵯《ひよどり》が、追う根来僧を濠《ほり》に撃ち落したときである。
濠を駈け渡って来た二人の男女のうち、男はたしかに厨子丸《ずしまる》らしいと伴内は認めた。見ていると、濠のそばの道で、二人はきちがいのように争い出した。厨子丸は表門の方へ走ってゆこうとする。雑仕女《ぞうしめ》らしい娘は必死にそれをとめようとする。
その厨子丸を堺へつれてゆけと納屋助左衛門から頼まれたところだが、伴内はそこへ飛び出すいとまもなかった。その表門の方からこのときまた法師武者たちが殺到して来たからである。さっき伴内が「上泉伊勢守の剣士軍」云々と吹いた大法螺《おおぼら》が虚報だとわかって、たちまち彼らがひき返して来たらしい。
「危いっ、逃げろっ」
と、これは他人にではなく自分にもいって、曾呂利伴内は小路から小路へ、雲を霞と逃げ去ってしまった。
――雨はあがったが、やはり灰色の雲の垂れた朝であった。鴨川の流れは、初冬の薄《うす》ら氷《ひ》みたいにひかっている。
河原に厨子丸と鵯は、放心したように坐って、その流れを見つめていた。すぐ西方の灰燼《かいじん》の匂いはまだここまでも吹いて来る。なまぐさい屍臭をまじえて。
彼らは、町の人々にまぎれて、すでにその焼跡を見て来た。
それから――人々のあいだに交わされている恐ろしいささやきもきいた。御台さまのお亡くなりになったという噂である。
きのうの夜の話か、けさ早朝の話か、さだかではない。だれが見ていたのか、それもはっきりしないが、とにかく捕えられた御台さまは知恩院ちかくの墓場にひかれていって、そこで松永弾正の配下におん首を打たれなされたらしい。
公方さまの御寵愛なされたもう一人の女人昼顔の方《かた》は松永どのにおとなしく虜《とりこ》となられたが、御台さまの方《ほう》はどこまでも抗《あらが》われたためにやむなく討たれたが、その処刑はなぶり殺しにひとしい無惨なものであったという。――
さらに、せめてあのだれかのさけび声さえきかなかったら。――
「法成寺《ほうじようじ》跡に、犯されつくした美しい女が死んでいる。御所の女人らしい」
その声に、二人はそこへいって見たのだ。
昨夜松永弾正の本陣だったというその場所には、火の消えた篝火や二、三の武器のほかは、もうそれらしい名残りもなかった。
そして、恐ろしげな群衆の輪の中に、地に落ちた秋の蝶みたいな女の屍骸を見たのだ。その女は、一糸まとわぬ裸であった。顔は雨に打たれて晒《さら》されたように白かったが、下半身は柘榴《ざくろ》のはぜわれたように凄惨きわまるものであった。――それはまぎれもなく鶯であった。
二人は近くの寺へゆき、そこの坊さまにすがりついて、それを埋葬してもらうことを依頼した。
けれど――昨夜二人が御所界隈からともかくも逃れ得たのは、この鶯が御台として捕えられたことによって、松永一党が今宵《こよい》の大事すべて成る、と安心し、全軍の注意が法成寺へ集って、いっとき無意識的に警戒がゆるんだせいであったとは――神のみぞ知る。
そして――その埋葬を終えてから、厨子丸はこの河原に来て、坐りこんで、動かなくなってしまったのだ。
鵯は、ほんとうをいうと、鴨川よりも厨子丸を見ていた。彼に合わせて、その流れに眼をやってはいたけれど、心の眼は、不安げに、風に髪を吹きみだした厨子丸の横顔にそそがれていた。
この人は、いまにもがくりと首を折って倒れ、そのまま死んでしまうのではなかろうか。……いや、現在ただいま、もう死びとにひとしいかも知れない。
鵯は、厨子丸が御台さまが好きであることは感じていた。しかし現実に彼が恋をしているのは鶯であることも感じていた。それは彼女にとって哀しいことにちがいなかった。けれど。――
厨子丸がこれほどまでに御台さまを想っていたとは想像のほかであった。昨夜の騒ぎでそれを知って、彼女は恐怖をおぼえたほどであった。
「厨子丸どの」
鵯は、河原の土手の上をゆききする四、五人の僧兵の姿に気がついていった。
「ゆきましょう」
そんな僧兵に、けさ彼女も二、三度ゆきずりに顔をのぞかれたことがある。こちらを御所の生き残りとは気がつかなかったのか、それとも雑仕女《ぞうしめ》くらい目にもかけなかったのか、それでどうということはなかったけれど、不安なことは変りはない。
「いつまでも、御所のまわりをうろうろしていて、もしものことがあったら。……」
「わたしは逃げない」
と、厨子丸はひとりごとみたいにつぶやいた。
「おまえは勝手にいっておくれ」
炎上する御所の中で、坐りこんで厨子丸がいったのと同じ言葉だ。
気丈な鵯のことだから、ふだんの彼女なら唇をかみしめたかも知れない。しかし鵯の眼は、だだッ子の弟を見る姉のようにやさしかった。
鵯は、何としてもなかば失われたような厨子丸のいのちを呼び戻さなければならない、と決心した。先刻から、その方法について考えつめていたことだ。
「公方さまも、御台さまもお果てなされた」
と、彼女は声を改めていった。
「そして、鶯までも。――厨子丸どの、くやしゅうはないか」
厨子丸は動かない。まったく麻痺状態になっているらしい。
「松永弾正に仕返しをする気はありませんか?」
「――わたしが?」
深い自失からやや醒めたように、厨子丸は顔をあげた。眼はまだうつろだ。――鵯はその手をしっかとつかんだ。
「わたしは敵《かたき》を討ちたい。あの弾正を殺したい!」
それが鵯の一つの真実の声でもあった。彼女の眼には涙がひかっていた。
「おまえはそうは思いませんか?」
「わたしたちが――あの信貴山の魔王と呼ばれる弾正を。――公方さまを一夜で滅ぼした弾正を。――何万とかいう武者に護られた弾正を?」
絶望の底に沈み切った厨子丸は、それまでそんな大それた野望の気力のかけらをも失っていたらしい。――まさに、竜車に向う蟷螂《とうろう》の斧ではある。
「おまえには、これがあるではありませんか」
鵯は、石の上にぴたりと短銃を置いた。それは昨夜彼女が拾ったまま持っていたあのポルトガルの短銃であった。
それを見ているうちに、厨子丸の眼が次第にひかって来た。
「伴天連《バテレン》フロイスさまが、おまえを聖ミカエルと呼んでいたことはわたしも知っています。人はおろか、鳥を殺すこともいやがる厨子丸どのであることは、わたしも知っています。けれど――こんどばかりは、この鉄砲で弾正を殺しても、伴天連さまはお叱りにならないでしょう。マルタもおまえに頼みたいのです。厨子丸どの、勇気をふるい起して下さい!」
「わたしの殺したいのは弾正ばかりではない」
厨子丸は短銃に眼をそそいだままいった。嗄《か》れた声であったが、からっぽの心の底にたしかに何かが揺れ出したようであった。
「鶯をあんな死にざまに逢わせた僧兵ども。……いや、きのうの夜御所におしかけた僧兵ぜんぶ殺したい! もし――出来るならば。……」
しかし彼はそこでまた髪に指をつっこんだ。
「けれど、鵯、わたしたちはあんまり弱い! わたしは武芸も知らぬ。わたしはたった一人だ。いや、たとえおまえが手助けしてくれようと、敵は何万、しかもきのう見たろう、いつかの御前試合にも見たろう、一人一人が人間とは思われない化物たちばかりだ!」
「だから、この鉄砲が。――」
「そんなものは役に立たぬ。きのうも、かんじんのときに弾が出なかったじゃあないか」
「いつでもまちがいなく弾が出るように工夫をしたら?」
「工夫。――」
厨子丸は顔をあげた。眼は鵯の顔にむけられていたが、もっと別の――はるか奥をのぞきこんでいる感じであった。彼はおのれの才能を凝視していたのだ。
彼はポルトガル銃を手にとり、ひねくり回した。長い間。――
「ゆこう、鵯」
ふいに彼はいった。低いが、思わず鵯を身ぶるいさせたような或る決意のこもった声であった。
いま自分からゆこうとすすめたくせに、鵯は眼をまるくした。
「ど、どこへ?」
「わたしの生まれ故郷へ」
「厨子丸どのの生まれたのは、たしか、近江の――」
「近江の坂田郡国友村《さかたごおりくにともむら》」
と、厨子丸はいった。
「打物《うちもの》鍛冶ばかりの村だ」
彼は立ちあがった。
「そこへ帰って工夫をしよう。――松永弾正と、弾正があごで使っているとかいう三万の根来僧兵どもをやっつける工夫を」
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近江国国友村《おうみのくにくにともむら》
京から近江へ、ようやく雲が切れて、ちらっちらっと蒼空が大竹藪の上にのぞきはじめた。
山科《やましな》の道を歩いてゆく厨子丸は、首をたれて、腕組みをして、何やら考えこんでいるようであった。
彼は何を考えているのか。早くもあの途方もない復讐のための武器の工夫か。それとも――非業《ひごう》の死をとげた公方さまの御台さまや、哀れな鶯への想いか。
たとえ後者としても、鵯《ひよどり》の胸には波は立たない。なぜなら、二人の女人はもう死んで、この世にいないからだ。そのことと自分の安心感とのつながりを鵯ははっきりと意識しない。ただ、この人にこれからついてゆくのはわたしひとり――という思いはあった。
どんなことが先に待ち受けていようと、たとえ屍山血河の横たわる道であろうと、わたしはこのひとといっしょにゆこう、彼女はそう考えて、眼をかがやかせ、女だてらに武者ぶるいした。
その二人のうしろを、数十メートル離れて、赤い陣羽織を着た男が、ぶらりぶらりと歩いてゆく。陣羽織は着ているが、鉢のひらいた頭に投頭巾をかぶり、眉が下がってひょうきんな顔をした小男で。――いうまでもなく、これは堺の曾呂利伴内《そろりばんない》。
はじめに気がついたのは鵯であった。
「ちょいと、厨子丸《ずしまる》どの」
彼女は袖をひいた。
「あのひとだれか知ら? あの赤い陣羽織の男、わたしたちが京を出たときからずっとついて来ているようですよ」
厨子丸はふりむいた。
「はじめはただの旅の人と思っていたけれど、何だかこちらばかり見ているようだし――まさか、松永弾正の手の者じゃあないでしょうね?」
「――あ」
厨子丸は、そんな声をもらした。
どこかで見たような、という感じはしたが、ちょっと思い出せなかった。鵯と同じく、その男が妙な陣羽織みたいなものを着ていなかったら、すぐに意識の外へ捨ててしまったかも知れない。
「あれはたしか、堺の納屋助左衛門さまといっしょにいた人だ」
やっとそれが、いつか南蛮寺ちかくで群盗に襲われたとき、助けてくれた助左衛門のそばにいて、しきりに奇声を発していた男だということを思い出したのだ。夜のことで、しかもほんの短い接触であったから、とっさに思い出せなかったのだ。
立ちどまって、ふり返っている二人を見ると、赤い陣羽織の男はニヤニヤ笑いながら近づいてきた。
「やあ、いつぞやは」
と、百年の知己《ちき》のごとくに挨拶をする。
「昨夜の騒動には実に驚いたな。天下の大乱もここに極まる。――と、ひとごとのようにいうにはあんまりひどい。とくに、御所に奉公しておる衆には、涙も出ぬほどだろう。ふかく同情する」
「その節はありがとうございました」
と、厨子丸はお辞儀した。
「で、助左衛門さまは、いまどこに?」
「堺へ帰られた」
早速、いってみた。
「厨子丸、とかいったな。御所があんなことになったのだが、どうだな、堺へいって暮す気はないか」
「ありませぬ」
にべもなく答えた。――と、伴内には見えた。伴内はいつぞやこの厨子丸が、「堺は悪徳の町だから」云々《うんぬん》といったことを思い出した。
しかし厨子丸は、いまのいまも伴天連フロイスの言葉にこだわっていたわけではない。彼はただ、昨夜のきょう、見知らぬ堺へゆく気などさらに起きなかっただけである。
「堺は面白いところだぞ」
いって、われながら智慧《ちえ》のないことをいったと思い、ふっと伴内の口に「――公方さまの御台さまは堺におわす」というせりふがもれかけた。それを打ち明けると、この御所の雑仕は驚愕して、堺へ来ることを承知するかも知れない。――
が、伴内はたちまち、その事実を口外することを助左衛門から厳禁されたことを思い出して、あわわと手を口へ持っていった。助左衛門の指示に従い、昨夜からけさにかけて、御台が知恩院近くで殺害されたという流言をきくと、それに輪をかけて、その情景をすらまことしやかに触れて回ったくらいの伴内なのである。
伴内は、厨子丸の御台さまへの想いを知らなかった。それどころか、まだその気ごころさえよく知らない若者であった。伴内は、御台さまのことを白状するのはとりやめた。
歩きながらきく。
「で、これからどこへ?」
「故郷です」
「遠いのか」
「いえ、それほどではありません。近江の国友村」
「や、あの刀鍛冶の村! そうか、そうであったのか。――」
「御存知ですか」
「知らいでか、わしは、いわば同業者じゃもの」
「同業者?」
「に、近い。つまり、鞘《さや》師よ。堺の鞘師、曾呂利伴内の名を、近江の国友村に生まれながら知らぬのか。――黙って刀を置いては、ソロリと抜けるといわれるほどの鞘作りの名人の名を」
「へへえ」
そういえば、何かのはずみできいたこともあるようだ。厨子丸はこの人物に対してやや印象を改めた。曾呂利伴内は、こんどは鵯の方へ眼をむけて、
「そちらは、おまえの?――」
と、きいた。昨夜、厨子丸といっしょに御所の濠《ほり》を越えて逃げて来たのはこの娘だな、と確認しつつ、
「女房どのかな」
と、笑いかけた。
鵯はぱっと顔を赤くした。わくわくして、てれかくしに、
「おまえさまは、いったいどこへ?」
と、顧《かえり》みて他のことをいった。
「それが、わしも国友村で」
「へえ?」
厨子丸はまた胡乱《うろん》くさい眼になって見まもったが、曾呂利伴内《そろりばんない》はしゃあしゃあとあごをなでた。
「それいま申した通りわしは鞘師、で、刀鍛冶で名高い近江国国友村へいって、そこの刀匠たちと刀談義、鞘談義を交わそうというのが年来の望みであったが、それを果たそうと出かけて来たところが、国友村生まれのおまえに逢う。いや奇縁、奇遇、天の配剤。――さあ、先に立って案内をしてくりゃれ」
トンテンカン、トンテンカン、トンテンカーン。……
その鋼《はがね》と鉄の相搏《あいう》つひびきは、東方にそびえた伊吹《いぶき》山脈のてっぺんまでとどくかと思われる。それに、しゅうっ、しゅうっ、という鉄と石の擦《す》れ合う音もする。前者は刀を打つ鎚《つち》の音であり、後者は刀を研《と》ぐ石のひびきであった。それに鞴《ふいご》の音もする。風と波のようだ。
鍛冶屋、刀鍛冶、それは諸国にも珍らしくないが、ここのようにそればかり集合している村落は珍らしい。風景も、ふつうの村とはだいぶ趣きを異にしている。
郷土の屋敷風に土塀をめぐらした家もあるが、粗末な小屋も軒をならべている。それがみんな、そんな鉄と石のひびきをたて、夏のことで、あけはなした戸口から、中で働いている光景も見えた。まれに烏帽子《えぼし》姿もないではないが、たいていは上半身裸だ。それが鎚で刀を打っている。火花が散る。鞴《ふいご》を踏んでいる。注連縄《しめなわ》を張った炉の黄色味のまじった赤い炎が見える。刀を水に入れるときの白い蒸気が朦《もう》と軒下にあふれ出る。村の中をゆきかう女子供たちも、刀や、鉄のかたまりや、松炭などをつんだ車を曳《ひ》いていた。
近江国坂田郡国友村。
姉川が作る湖北の小平野の中の村である。すぐ北に小谷《おだに》があり、すぐ南に今浜がある。近江の名族京極家の土地ではあるが、いま実質は小谷の浅井家の勢力範囲といっていい。
この村はのちに「国友鉄砲」と称して、徳川の有名な砲兵工廠的な産地になるのだが、そのもとは元来ここが古来から、「国友鍛冶」といわれる刀剣製造で聞えた土地であったからで、さらに伊吹と姉川に抱かれた美しいこの村がなぜ鍛冶村となったのかという由来はつまびらかでない。
厨子丸は、生家に帰った。
彼の父はこの国友村でも三指のうちに入る国友善兵衛という刀鍛冶であったが、大いに前途に望みをかけていたのに、数年前、さしたるわけもなく京へいって、その後たとえ御所とはいえ、雑仕までやっているという息子をひどく案じていただけに、母親とともに涙をながしてよろこんだ。
「もったいないが、公方さまの滅びなされたことによっておまえが帰ったとあれば、それがわが家の倖《しあわ》せ」
と、までいった。
厨子丸はすぐに仕事場に入った。
もともと鍛冶という労働はきらいではない厨子丸なのである。ただ彼はそれ以上のからくり――難しくいえば工学的科学的な思考や工夫に興味と才能を持っていた。国友村を飛び出したのは、古くからの習性に頼るのみで何の発展もない、それどころか戦国の大量需要にまかせて平気で安物の刀や槍を生産している故郷にいや気がさしたからである。御所の雑仕になったのは、京の知人の刀鍛冶の斡旋によるものだが、自分の興味と才能を満足させてくれるところを見つけるまでの、ほんの一時しのぎの腰かけのつもりであった。それが――御台さまを見たとたん、そこから離れられなくなってしまったのだ。
それだけでも本来なら、彼にとっては運命の頓挫《とんざ》のはずであった。それなのに、いまようやく故郷に戻ったというのに、なお京から持ち帰った妄執《もうしゆう》にとり憑《つ》かれ、そのままの運命をみずから歩いてゆこうとしている。
仕事場に入った厨子丸を見ていったんはよろこんだ父親の善兵衛は、しかし彼がそこで何をしているのかを知るとくびをかしげた。
鉄砲なのである。しかも、南蛮製の短銃なのである。
厨子丸はそれをばらばらに分解したり、削《けず》ったり、溶接したり、また組立てたり、よくもまあ一梃の短銃を材料に飽きが来ないものだと呆れるくらい――それどころか、以前の厨子丸にも見られなかったほどの、異常なばかりの情熱を燃やして日を暮し、夜を明かしているのであった。
むろん、短銃ばかりではない。厨子丸は村へ来る商人に頼んで焔硝《えんしよう》を仕入れ、それを調べたり、ついには弾丸をも製造しはじめた。そして、時には姉川のほとりに出て。――
いや、厨子丸が故郷のこの家に暮したのは翌年の春までつづくのだが、内面的にはこの時期がのちの彼の「大戦闘」の雌伏《しふく》時代になるのだけれど、外面的には平穏無事なこの期間のことを、いちいち紹介していることは物語の進行上支障を来すから、特記すべきこと四、五にとどめておくことにしよう。
さて、厨子丸は姉川のほとりに出たり、ときにはわざわざ琵琶湖まで足をのばして、そこを飛ぶ水鳥などを撃ちはじめた。
手に入るような小さな短銃、自動発火装置、それにもみな眼を見張ったが、なかんずく胸をわくわくさせて見ていたのは鵯であったろう。
鵯だけが、その行為が、たんなる鉄砲の実験でも、射撃の訓練でもないことを知っていた。彼女は以前の厨子丸が、鳥はおろか虫も殺せないやさしい性質の持主であったことを思いだした。これは彼にとって自分のそんな性質をため直す、その意味での死物狂いの修行なのだ!
そうとは知らない者でも、短銃をつかんだときの厨子丸の姿には、何か思いつめた凄味のあることが感じられたにちがいない。――
「あれは人殺しの修行をしておるな」
と、それを見て批評した人間がある。
もっとも射撃練習というものは本来人殺しの訓練だから、ふつうにきけば当然の意見だが、ともかくもまず第一にこう指摘したのは国友村の人間ではない。藤吉郎どのと呼ばれている、よそから村に来た妙な男であった。
彼は、厨子丸が帰る以前から、彼の家に食客をしていた人間であった。きくと、その半年ばかり前にやって来たそうだ。どこから来たのか、何者か、きいても善兵衛は答えない。しかし善兵衛をはじめ村の長老たちはその素性《すじよう》を知っていて、しかもなぜか秘密にしているようだ。
年は三十を越えたころだろうが、時によっては二十代にも見え、また五十くらいにも見える場合がある。痩《や》せて、小柄で、鼠《ねずみ》みたいな顔をしている。それが異常なばかり活気を持った人間に見えるのは、よくひかる生き生きとした眼の動きのせいにちがいない。
何のためにこの村にいるのかわからない。ただふだんぶらぶらと村じゅう歩き回って、子供をからかったり、あちこちの仕事場に首をつっこんだり、上りこんで茶を飲んだりしている。見ていると天真らんまんで、きいていると愚にもつかぬ冗談ばかりなのだが、子供たちに人気のあることは当然として、ふしぎに大人たちにも敬愛されていた。
むろん、たまたま厨子丸といっしょに村にやって来た曾呂利伴内とは、たちまちだれよりも意気投合した。二人の問答をきいていると、諧謔《かいぎやく》の弾丸を撃ち合っているようで、余人には口も出せないで、ただ抱腹絶倒してしまう。
「おぬしとわし、前世では兄弟であったかも知れんな」
と、いつか藤吉郎が笑っていったように、容貌はちがうが、どこか茄子《なす》と胡瓜《きゆうり》みたいな同類感があった。そのうちに二人は、その通り前世からの兄弟のように、しょっちゅうつれ立って歩いていることが多くなった。それなのに。――
「わからんな、あの人物は」
と、伴内がひとりごとをいうのを、厨子丸はきいたことがある。厨子丸はいった。
「わたしにも、素性がわからないのです」
「いやさ、たとえ素性はわかっても、あの男の人間自体にわからんところがあるよ」
伴内はくびをひねって、しかしやがてぽんとひざをたたいた。
「しかし、何にせよ大した人物だぞ、あれは。味方にしろ敵にしろ」
「敵、味方?」
「わしにとっては、さ」
厨子丸には、伴内の言葉の意味もわからなかったが、べつに藤吉郎という男が、それほどの人間とは思われなかった。だいいち興味もなかった。彼をとらえているのは、例の一つの妄執だけであった。
わからないといえば、その曾呂利伴内だって、何のためにのほほんとこの村にいるのかよくわからない。これまたあっちこっちへ顔を出して、刀談義、鞘談義に泡を飛ばせている。鞘師というのはでたらめでもないと見えて、刀鍛冶たちもうなずくところが多いようであったが、それより彼がいつまでもこの村に滞在していて、べつにだれも異議をとなえなかったのは、彼の軽口の可笑《おか》しさと、それから思いのほか気前よくまきちらす金のせいであったろう。
その曾呂利伴内が、或るときしげしげと厨子丸をのぞきこんで、またいうのである。
「さて、わからんな、あの鵯のことが」
「鵯の何が?」
「あれははじめ、おまえの女房かと思うていた。少くとも女房にするためにつれて来た娘かと思うていた。――ところが、そんな気配でない。いつまでたってもそうならない。――」
「…………」
「厨子丸、おまえ、あの娘をどうする気かな?」
厨子丸の眉に、憂《うれ》いの雲がかかった。
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曾呂利伴内・太閤スカウト咄《ばなし》
鵯《ひよどり》の存在を厨子丸《ずしまる》が、まったく意識していなかったといえば嘘になる。
京の御所にいたころは、正直なところ、厨子丸の胸に鵯は飛んでいなかった。ほがらかに鳴きしきる彼女を、まるでほんものの鳥みたいに感じているだけで、彼の胸にはただ遠い御台《みだい》さまだけが刻印されていた。むしろ、御台さまの影のような鶯の方をいとしいものに思っていた。
しかし、御所とともにそれらがこの地上から滅び失せ、この故郷へいっしょに戻って以来、ようやく鵯の存在が――いや、彼女が自分を愛していることに気づかずにはいられなかった。
鵯は国友家に住み、家業や水仕事にいそいそと立ち働いていた。ときには炭の俵を運んだり、重い鉄のかたまりを運搬する車を曳いたりする。そんなときは実に活溌なのだが、厨子丸が父親から特別に作ってもらった鍛冶場で彼の「研究」をじいっと眺めているときなど、へんに黙りこんで、曾《かつ》て知っていた鵯とはべつの女のように感じられ、ふと厨子丸がその方を見ると、まるで主人と眼が合った小犬みたいなよろこびの表情を見せるから、彼も気がつかずにはいられない。
ところが、そうと知って厨子丸が感動したかというと――ちがう。
もとから決してきらいな娘ではなかった。そしていま彼女が自分に愛情を抱いていてくれることを知って、彼女を可憐なものに思った。けれど。――
厨子丸の心には、この地上から消えた二人の女人の影の方がなお濃かったのだ。いや、いまのいまもそのために彼は生きているといってよかった。鵯のまなざしに知らぬ顔をするほど無情な厨子丸ではなく、ふっとやるせない、悩ましい思いにとりつかれないでもなかったが、しかし彼はすぐに忘れてしまうことが多かった。厨子丸はほかに憑《つ》き物《もの》がしていたのだ。
曾呂利伴内に、
「おまえ、あの娘をどうする気かな?」
ときかれて、厨子丸は答えなかった。答えなければならない相手とも思わなかったし、またどう答えていいか、自分もわからなかった。
ただ、秋の一日、父と母に、
「厨子よ、おまえはどう思ってあの娘をつれて来たのかな」
「嫁にするつもりではなかったのかの?」
と、同様な問いを受け、さらに、
「はじめは京から来たおなごと思い、またあのようにきゃしゃではこの鍛冶村の暮しはどうであろうと心配していたが、見ているとなかなか働き者ではないか」
「あのような可愛い顔をして、炭や泥にまみれるのもいとわぬ。あのおなご、この国友家の人間になろうと、けなげにつとめておるぞよ」
「嫁にしてやれ、厨子丸、してやらねば不憫《ふびん》だぞよ。いまはもう、わしたちの方がそう思う」
「おまえに似合いの嫁御じゃ、そして仲ようこの村に住んでたもれ」
と、勧められるに及んで、彼もとうとう態度を決めなければならないと思った。少くともこの件について、鵯と話しておかなければならないと考えた。
晩秋の一日、厨子丸は鵯を姉川の河原につれ出した。
「鵯、おまえ、わたしといっしょにこの村で暮したいと思うか」
枯蘆《かれあし》のかげに坐って、そんなことをいい出した厨子丸に、鵯は一瞬息もとまったような顔をし、それから頬に血がのぼるのが見えた。
「あのことを忘れて」
と、厨子丸は彼女が何かさけび出そうとするのを制した。
「あのこと?」
「松永弾正とその手下の法師武者たちに仕返しをするということ」
彼はいった。意識したわけではないが、彼の美しい眼には、人や物を愛する情熱以外の情熱にとりつかれた人間特有の――以前のやさしい彼には絶対見られなかった冷たい炎ともいえるようなひかりがあった。
「わたしは忘れてはいない」
「わたしも、おまえが忘れてはいないことを知っています」
「では、わかっているな。わたしがこの村でいつまでもおまえといっしょに暮すなどいう気はないことが」
鵯の眼のかがやきは消えた。彼女は首も折れんばかりにうなだれた。
鵯を厨子丸は見ていなかった。枯蘆のはるか向うに下りた一羽の鴨《かも》を見て、手にしていたポルトガル短銃をあげて狙いをつけた。しかし彼が見ているのは、胸の中だけに生きている二人の女人の幻であった。
「おまえもいった。弾正を討てと。――あの敵討《かたきう》ちをするために、やがてわたしはこの村をまた出てゆく。この本望を果たすまでは、わたしは女房など持とうとは思わない。この願いをおまえもよくよく承知していてもらいたいのだ」
轟然《ごうぜん》と銃口から火がほとばしって、飛び立ちかけた鴨がくるくると舞いながら、姉川の水の上に落ちていった。
「鵯、新しい工夫を見たか」
厨子丸はふりむいた。
鵯は、短銃のひきがねに近い部分の上部に、小さな金属製の梯子《はしご》みたいなものが立てられているのを見た。
「照尺だ。わたしが考え出したのだ」
白い秋風に紅潮した厨子丸の頬を見ているうちに、いちど消えた鵯の眼のかがやきはふたたびよみがえった。鵯は厨子丸の顔が鉄砲だけに充満していることを納得した。
「わかりました、厨子丸どの、おまえが――女断ちするといったわけが」
と、鵯はきっぱりといった。
「でも、敵討ちに出かけるときは、わたしもつれていって下さいね。わたしも御台さまや鶯の敵《かたき》を討ちたいのです。わたしも手伝いたいのです。……でも、いつ?」
「もうしばらく」
と、厨子丸は銃を撫でながらいった。
「討ちたいのは松永弾正だけじゃない。三万の僧兵、みな敵だ。それをみな殺しにする法について、いろいろ考えた。十幾つかの新しい武器をも工夫した。しかし、数量や場所の点で、それをことごとく大和《やまと》で生かす法がない。もう少し待ってくれ」
「厨子丸、あの藤吉郎どのの素性《すじよう》じゃがな」
冬の或る日、曾呂利伴内がそんなことをいい出した。
「あれは、織田家の家来で、木下藤吉郎という男だぞ」
雪に埋もれた国友村の村道を歩いていると、ふいに横の或る家から飛び出して来た伴内が、厨子丸をつかまえたのだ。いままで囲炉裏《いろり》ばたで酒でも飲んでいたと見えて、赤い頬っぺたに煤《すす》がまだらにくっついていた。
「織田、知っておるじゃろ? 尾張の織田|上総介《かずさのすけ》信長どの。――」
「知っています、小谷のお方さまの兄君でしょう?」
小谷のお方さまとは、小谷の城主浅井備前守の奥方お市の方のことだ。
こういう返事がまず出たのは、この国友村が浅井家の勢力範囲の――いや、その小谷からほんの一足の場所にあるからだ。織田上総介の妹お市の方が、小谷の城主のところへ輿《こし》入れして来たのは三年ばかり前のことであった。
「その通り」
伴内はうなずいて、
「あの藤吉郎どのはな、もと織田家の草履取りで、いまでも表立ってはさしたる身分ではないが、織田が美濃を攻め取るにあたっては大功あり、上総介どのの信任甚だ篤《あつ》い人物じゃそうな。――その木下藤吉郎が、この国友村に一年近くも滞在しておるのは何のためじゃと思う?」
「それがわからないのです」
「あの男、この国友村をそっくり手の中に入れようと働きかけておるぞ」
「へへえ」
「国友村というより、刀鍛冶衆をじゃな。あわよくば全部尾張か美濃に移住させるか、かなわぬまでも織田家に心を通じさせるか。――いや、あれがそのように運動しておることは以前からわしも見ぬいておったが、はて、どこの筋じゃろうと頭をひねっておった。それがいま、やっと村の長老からその素性をきき出したのじゃよ」
「この国友村は、上総介さまのおん妹婿、浅井備前守さまのものではありませんか」
「さ、そこが上総介さまのただものでないところでもあり、藤吉郎の苦心しておるゆえんじゃ。そんな真似《まね》をやっておるところを見ると、信長どの、浅井家を永遠の同盟国とは見ておらんな。さるにても妹婿の国とはいえ、ひとの国へ何くわぬ顔してもぐり込んで、その中の刀鍛冶の一村そっくりを手に入れようと計っておるとは、その着眼、奇抜というべきか、大胆不敵というべきか」
「ははあ」
「この村の長老たちがあの男を受け入れておるのは、浅井家の同盟国の人間だからであり、かつまたその素性をないしょにしておるのは、そういう用件だからじゃよ。知られれば浅井家の方でも捨ておかぬじゃろうからな」
「なるほど」
「素性は知らず、あの男の真意はとっくに見ぬいて、実はわしもだいぶ前からこの国友村争奪戦に一枚かんでおった。――ここの鍛冶衆をみな堺へつれていってやろうと」
厨子丸はしげしげと伴内の顔を見ている。
この曾呂利伴内がいつまでもこの村に滞在しているわけをはじめて知り、かつまた彼が木下藤吉郎と肝胆相照らしたかのごとく、いつもくっついて歩きながら、そんな虚々実々のかけひきをやっていたのか、とはじめて知ったのである。
はじめて知ったが、厨子丸の眼に大して驚きの色はない。というより、鵯に対したときと同じように、或る一念にとり憑かれて、余事に一切興味はないといった表情であった。
「ところが、ちかごろ、こっちが負けそうな形勢なのじゃ」
「というと、国友村が織田に随身《ずいじん》することが決まったのですか」
「いや、まだ決まったわけではないらしいが――そう決めさせてはならぬ。織田上総介という人物、はじめたかが尾張の田舎大名と思うておったが、いや、殺伐な田舎大名にはちがいないが、その性行、きけばきくほど恐ろしい大名じゃぞ。いまでこそ藤吉郎がちやほやと好条件を持ち出しておるが、一つ雲ゆきが変れば国友村など破れ草履のごとく捨てられるはおろか、一村踏みにじられるであろうことはわしが太鼓判を押していい。このことをおまえさんの口からも、父御《ててご》によく説いてもらいたい」
「わたしにも何も打明けないほどなのに――そのわたしからいっても仕方がありますまい」
「もし、そういうことになれば、やむを得ぬ、わしの方から浅井家に密告するぞよ。さすればこの村、ぶじにはすむまい」
伴内はいつもの軽口を忘れたようであった。剽軽《ひようげ》た顔がこうも変るかとふしぎなくらい一種の悪相に変っていた。
「いずれにしても、いまのうちに国友村、一村あげて逃げるにしかず。――」
「どこへ?」
「堺へ」
厨子丸は笑い出した。伴内の言い分はあまりにも突拍子もなく、かつ手前勝手過ぎた。笑い出した厨子丸を見て、伴内はりきんだ。
「堺にゆけば、国友村の衆は大歓迎、戦争で儲けておることはこの国友村と同じじゃが、天地ほども規模がちがう。しかも織田や浅井ごとき田舎大名などの手も足も及ばぬ戦国唯一の桃源郷。――」
「いや、この村の刀鍛冶など、そんな奪い合いの値打ちはありませんよ」
厨子丸は笑っていった。こんな話をききながら彼がさっきから笑っていたのはべつに大胆なせいではなく、その考えからであることを伴内はやっと了解した。
「ちかいうち刀鍛冶など大して役にたたない時代がきっと来ます。藤吉郎どのに、そのうちそういってやりましょう」
伴内はぽかんと厨子丸の顔を見ていたが、
「おう、鉄砲か」
と、手をたたいた。
「おまえさんは鉄砲作りの名人であったな。堺にも鉄砲鍛冶がぽつぽつ出かけておるぞ。そうだ、厨子丸、国友村の衆はともあれ、おまえだけでも堺へ来てくれぬか。きっと来てよかったとよろこぶところがあるぞ、伴内が太鼓判を押す」
厨子丸はちょっと考えて、くびをふってつぶやいた。
「町衆の町――堺へいっても、いまわたしには何の役にもたたないのです」
厨子丸にとって迷惑な、気色《きしよく》のわるい事態が起りはじめたのはこのころからだ。つまり、曾呂利伴内はもとより、木下藤吉郎までが、彼にべたつく[#「べたつく」に傍点]といっていい態度を見せ出したのである。
彼の鉄砲作りの才能をたたえるのはいいとして、その美貌までもほめちぎり、双方ともに相手の隙《すき》をうかがってはしょっちゅう厨子丸のそばにくっついて、ときには媚態《びたい》にちかい眼つき手つきで撫でまわす。
「厨子丸。――竹中半兵衛どのという人物の名を知っておるか」
と、藤吉郎がいう。厨子丸がぽかんとしていると、
「おまえの年ごろ、たった十六騎で稲葉山城を攻め落したという作戦の神様じゃがの。それを先年、わしはくどき落して織田家の軍事顧問とした」
このころ、藤吉郎も自分の素性を厨子丸に知られたことを感づいたらしい。あとになって考えると、それで彼はひらき直って厨子丸をおおっぴらにくどきはじめたようだ。
「上総介さまは、これで織田の頭脳を得たとわしへのお覚えも甚だめでたかったが、おまえを織田家へつれてゆくとな、こんどは織田の腕を得たと欣喜雀躍《きんきじやくやく》されるじゃろう、軍事上の知能と技術、まさに竹中半兵衛と国友厨子丸は、その両輪ともいうべき稀代《きだい》の天才。――」
煽《あお》りたてながら、これはちと大袈裟《おおげさ》かな、と藤吉郎は考えた。しかし、のちになってみれば、彼の眼のつけどころは決して狂ってはいなかったのだ。その批評は決して買い被《かぶ》りではなかったのだ。
曾呂利伴内にいたっては、
「おまえをいちど堺の小西屋の化粧水でみがいてみたい。――」
などといい出した。それは藤吉郎が馬力をかけていると知って、急に焦燥にかられはじめたかららしい。
むろん双方が鉢合わせすることもしばしばあって、そんなときおたがいに、「やりおる喃《のう》」と苦笑したり、舌打ちしてそっぽをむいたりするところは、ちょっと一人の遊女を争う二人の遊冶郎《ゆうやろう》そっくりだ。
両人がどうしてこうまで自分を誘うのか、厨子丸本人にもよくわからないくらいだから、ただこの可笑《おか》しげな二人の男がしな[#「しな」に傍点]を作って厨子丸ににじり寄るのを見て、鵯は心おだやかではない。
「どうしたのかしら? あの二人」
と、顔をしかめた。
「きみのわるいひとたち」
しかし、厨子丸は次第に動かされはじめた。――藤吉郎の誘いに。
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魔 将
曾《かつ》て竹中半兵衛をスカウトしたことを自慢したように、木下藤吉郎はくどきの天才ともいうべき男であったが、しかし厨子丸《ずしまる》は決してその大袈裟な甘言にとろかされたわけではない。――一日、藤吉郎はズバリといったのである。
「厨子丸、おまえ、とんでもない大望を持っておるな。……松永弾正へ復讐したいと思っておるじゃろうが」
厨子丸はぎょっとした。
「わしはようやく思い当った。いやそんな顔をするな。あっぱれなものだ。公方さまに奉公した者としてさもあるべき心根《こころね》と思う」
さすがに藤吉郎の推理はそこまでであった。
「しかし、おまえひとりでは出来んな、それは。松永弾正、そんじょそこらの大名では歯の立つ相手ではない。もっと大きな力を借りねば。――いや、援助を求めるのではない。おまえが利用するのじゃ、織田の力をな」
そして彼はまたもや信長の大器であること、勇猛であること、さらに新しい兵法や兵器の採用に積極的であること――などを力説しはじめた。
「例えば。――」
といって、彼は織田で名高い朱柄《あかえ》長槍隊を例にあげたのである。
織田の長槍隊は、その柄《え》の長さ三間半、すなわち穂先まで加えれば六、七メートルに及ぶ。要するに敵の攻撃圏外から敵を攻撃しようという目的からだが、こんなばかばかしいほどの長い槍を装備した部隊は他国にない。それを信長は採用したのである。
さすがに藤吉郎は知らなかったけれど、西洋にはその昔マケドニアのファランクス隊という六メートルの槍を持つ有名な長槍隊があって勇名をとどろかせたが、期せずしてこれと同じ長さの槍、同じ戦隊を編成した信長という武将はたしかにずばぬけた独創家といえる。
「げんに織田が近来とみに進出して来たのはこの戦法にあるといえる。一人一槍では持てあます、むしろ滑稽《こつけい》な長さじゃが、これが集団となって突撃すると圧倒的な威力に変る点を発見されたのが、常人の思い及ばぬ御天才じゃ」
と、藤吉郎はいい、さらに、
「ただし、信長さまといえども、いつまでも槍ではあるまいとお考えなされておる。そのために近年熱心に鉄砲軍団の編成に腐心されておる。……わしをこの国友村へ寄越されたのは、実はそのためじゃ。わしはな、この国友の鍛冶衆をゆくゆくはそっくり鉄砲作りに変えて織田家に役立たせたいという目的あって来ておるのじゃよ」
そして、声をひそめて、しかも熱誠にあふれてささやくのであった。
「その代表者としてわしはおまえを信長さまにまずお見せしたい。厨子丸、国友鍛冶の第一陣として美濃にゆけ。おまえの才能は信長さまによってはじめて撩乱《りようらん》と花ひらくじゃろう」
厨子丸はなお沈思していたが、やがて藤吉郎を見る眼が次第にかがやきをおびて来た。
「――出来たっ」
厨子丸が鍛冶場からただならぬ声をあげて飛び出して来たのは、国友村の家の軒々に雪溶けの滴《しずく》の音がせわしい或る早春の一日であった。
たまたま藤吉郎と伴内が外で何やら口喧嘩をしていたが、驚いてふりむいた。
「何が?」
「七連発銃が」
「なに、七連発?」
口をぽかんとあけている両人の眼の前で、厨子丸は向うの納屋の氷柱《つらら》めがけて、七発連続して発射して見せた。
「ううむ、凄いものだ。大したものだ!」
「ゆきましょう、藤吉郎どの、上総介さまのところへ!」
「なに、いってくれるか。それは何よりの信長さまへのすばらしい土産《みやげ》!」
藤吉郎は相好《そうごう》を崩し、ふりむいて、なお口をあけたままの曾呂利伴内の鼻の頭を指でぱちんとはじいた。
すでに厨子丸はこのころまでに、火縄を使わない火打石使用の自動発火装置の銃を発明している。西欧では燧石銃《ひうちいしじゆう》は一六四〇年すなわち日本の寛永十七年はじめてフランスで作り出されたということになっており、三年後の寛永二十年オランダ東印度会社の探険船ブレスケンス号が渡来してこの銃を見せたところ、幕府大目付の井上筑後守が、燧石銃ならば余もすでに所持しておるといって現物を見せたことがモンタヌスの「日本紀行」中にある。それこそ厨子丸の独創にかかるものが国友鍛冶に伝えられたものであったかも知れない。
また最初に与えられたポルトガル銃の銃身をちぢめ、ふところに入るほどのものにしたところを見ると、それがたんなる切断ですむはずがなく、新しく銃身を製造したことはたしかで、実際その後急速に普及した日本のいわゆる鳥銃は、鋳造法によるもとのポルトガル製種子島よりも高度の鍛造法によって製造されたというが、その精練な鍛造法こそ日本の刀匠独特の技術であったのだ。
さらに厨子丸は、短銃化による命中率の低下をふせぐために照尺を独創した。
そしてついに七連発の連発銃を作り出したというのである。戦前九段の遊就館《ゆうしゆうかん》にも国友鍛冶の製造にかかる数種の――中には二十連発にも及ぶ――連発銃が陳列されていて、有馬成甫氏の「一貫斎国友藤兵衛伝」にも「これらの作品より判断すれば、国友に非常に進歩的な頭脳と優秀な技術を持った鍛冶があったことが推定される」とあるほどだが、その最初の製造者が国友厨子丸であったのだ。
躍然として旅支度にかかった厨子丸と藤吉郎のところへ、鵯《ひよどり》が駈けつける。
「わたしもゆかせて! 厨子丸さま!」
これには厨子丸は否やはとなえなかったが、茫然と口をあけっぱなしであった曾呂利伴内が、やおらこれも旅支度をはじめたのにはちょっとくびをかしげた。
「おまえ、どこへ、何しにゆくのかよ?」
と、藤吉郎がひどくよそよそしい顔でいう。
「なに、まだ当分はいくさに全然刀無用というわけにも参るまい」
と、伴内はいった。
「刀あれば鞘が要る。男あれば必ず女の要るがごとし。鞘にも充分存在意義のあるもので、さればこんどは信長さまのところへ、ひとつ曾呂利の鞘談義を」
この男の去就などどうでもいいとして、厨子丸の眉を曇らせたのは、国友村の人々――とくに父と母の悲しみぶりであった。
「厨子、また出てゆくのかよ?」
これに対して、
「わたしの鍛冶場に、いろいろと工夫の跡がまだ残してある。それをよく見て下され」
といい、またとくに父母には、
「なに、またすぐにお迎えに帰って参りまする」
と厨子丸は笑いかけたが――なんぞ知らん、雪中に梅の咲く美しい早春湖北の故郷から踏み出す道、それが彼にとって二度と帰らぬ旅路であったとは。
永禄九年三月のこと。
「おおそうじゃ」
と、国友村から南へ下る湖畔の道をたどりながら、藤吉郎がいった。
「信長さまはいま岐阜にはおわさぬ。伊勢の長島へ御出陣のはずじゃ」
一年前後も国友村に滞在していた藤吉郎だが、主人の動静は刻々につかんでいたと見える。
彼らが長島についたのは数日の後であった。
伊勢の長島、とはいうが、正確には伊勢と尾張を隔てる木曾川と長良川に挟まれた大三角洲だ。二つの大河と南の海と、低湿地であるために無数に生じた天然の運河と――当時の連歌師宗長が「西湖のごとし」と形容したが、いま滔々《とうとう》たる雪溶けの河水は潮けむりすらあげて、とうてい西湖の眺めとはほど遠い。
長良川を舟で渡り、長島に近づくと、けぶっているのは水煙ではなくて、ほんとの炎と煙であることがわかった。
「藤吉じゃ。木下藤吉郎参着っ」
舟から上ると、すぐに駈け寄って来て誰何《すいか》する武者たちに、藤吉郎はわめき返した。その名と顔に、みな笑って通す。
「殿は?」
「あちらにて、みずから采配をふるっておわす。――」
指さす武者はことごとく頭から血と泥をかぶったようだ。蘆の原のはるか向うに黒煙が渦まき、その方角から、わ、わ、わーんと、人間の声とは思われない地うなりのような叫喚が聞えた。大変なところへ来たものだ、と鵯はふるえ出したが、厨子丸と伴内の顔も蒼くなっていた。
長島はもともと北伊勢の北畠に属することになっている土地だが、いつのころからか仏教大名ともいうべき石山本願寺の息のかかった門徒たちの巣窟になっていた。これが尾張から出て美濃を掌握し、いまや近畿に進出しようとする信長の前面第一の敵となった。彼らはすでに信長という武将を空前の大仏敵であると本能的に知っていたのである。この宗教心と地の利に護られて、その抵抗は頑強を極めた。
信長と長島門徒のたたかいは十数回にわたって繰返され、結局長島は八年ものちの天正二年に全滅させられて終るのだが、その初期の戦闘の一つに、たまたま厨子丸たちはめぐり合ったわけである。
「あ。……」
焼け焦げた鹿柴《ろくさい》のかげを歩いていって、突然広い砂地に出たとき、四人は立ちすくんだ。
それは実に驚くべく恐るべき景観であった。そこに少くとも二、三百人の女たちや子供がひしめいていた。女たちの半ばは老女だが、それ以外の若い女を――しかも美しい女たちを対象に、あちらでもこちらでも凄じい凌辱《りようじよく》の光景がくりひろげられていたのだ。
まわりには例の朱槍の長槍隊が堵列《とれつ》していた。
「おおっ、あそこにもおるぞっ、若いやつが。――」
「あれはおれのものだぞっ」
「いいや、おれだ。おれにくれっ」
四、五人、まるで海にでも飛び込むように、槍はもとより具足も――もっともよく見ると草摺《くさずり》など下半身の装具だが――放り出し、餓狼みたいに殺到してゆく。悲鳴と泣き声と南無阿弥陀仏の称名《しようみよう》が渦巻いた。
はるかかなたに燃えている砦の黒煙が見えるが、空はあくまでも蒼く、潮の匂いすらする春の砂洲《さす》である。そこには何十組もの交合する姿があった。人間同士の、ではない、獣と獣のもつれ合いだ。歯をかみ鳴らす雑兵が鉄甲の獣さながらなら、黒髪はひきちぎられ、衣服は剥《は》がれ、半裸となり、全裸となり、血と泥と粘液にまみれてのたうちまわる門徒の女たちも、瀕死《ひんし》の牝獣としか見えなかった。
「おう、孫六っ」
さすがの藤吉郎も眼をまるくしてこの凄じい壮観を眺めていたが、ちかくにひとかたまりになっている一群の武者の中に同格の男を見つけたとみえて、二、三歩近寄り、
「どうしたのじゃ、これは?」
と、声をかけた。
武者の一人が出て来て、泣き笑いみたいに顔をゆがめた。
「殿の御下知じゃ」
「殿は?」
「あちらの砦にかかっておわす」
「殿が女どもを犯せと命ぜられたのか」
「いや、そうではないが、あそこに燃えておるのが篠橋の砦じゃがの、あれを落さねばその向うの大鳥居の砦が落ちぬ。で、もはや三日も攻めつづけ、やっとけさになって篠橋の砦から、女子供すべて助け給わるならば降伏するという申し入れあり、侍大将の滝川左近どのが受け入れられた。で、ここに砦から出て来た女子供だけ集め、やがて舟でみな伊勢に渡し、それを見すませたあと降参するというとりひきじゃったが」
「それが?」
「信長さま、あとで知られて悪鬼のごとく御立腹、左様な条件のめぬ、人質はここへ留め置け、砦は無二無三《むにむさん》攻め落すと、みずから陣頭に立って馳《は》せ向かわれ――やっと篠橋も始末がついたらしい」
「で、この人質は?」
「どうなさるおつもりかは知らぬ。要するに砦の攻防には関係なかったわけじゃ。となると、無用の存在――ということで、一人が犯すと三人犯す。兵どもの血が荒れ出してかくのごときありさまじゃ」
「や。……殿ではないか」
藤吉郎が小手をかざした。
「おお、殿だ、信長さまだっ」
黒煙なびく砦の方から、一騎駈けて来た武将がある。
はるかうしろから転がるように小姓群が追って来るが、あともふり返らず、悍馬《かんば》に泡をかませ、みるみる近づいて来た。兜《かぶと》はつけず、乱髪を向う鉢巻でたばね、むしろ軽装といっていい具足にただ銀の大|数珠《じゆず》をななめにかけている。
「殿っ、殿っ、藤吉でござるっ」
と、藤吉郎は呼びかけたが、その武将はちらっとたしかにこちらを見たが、速度も落さず、女たちの集合地へ駈けていった。
馬をとめ、鞍の上から、例の景観を眺めわたしている。――
むろん、それと知って、女たちを犯していた雑兵たちは、あわててまわりに逃げ出した。ふんどしをひきずっているやつもあり、ぽたぽたと何やら滴らせてゆくやつもあり。――
「槍隊!」
ぴいんと鉄を打つような声がながれた。
「捕虜を殺せ!」
「えっ。……」
だれか、きき返した者がある。
「みな?」
「信長に刃向こうたにくき女ども、みせしめに成敗《せいばい》せよ。子供とて慈悲かけるな、虫一匹も逃すな、みな殺しにせよ!」
言葉よりも、声そのものが身の毛もよだつようであった。
数秒、長槍のむれが持手のひるみをみせてさざなみのごとくそよいだが、この主人の命令に叛《そむ》いたときの恐ろしさはすでに体験済みなのであろう、たちまちいっせいに槍は内側にむけて横になり、四周から突撃を開始した。
それからの光景は眼を覆うばかりであった。突き伏せ、えぐりまわし、臓腑が空に舞い、砂洲は血にひたり、逃げる女の背から胸へ穂まで朱に染まった槍がつらぬき、槍手たちは酔っぱらって槍踊りをしているようになった。
しかも、この大虐殺の叫喚の余韻がまだ消えぬうち。――
「さっき、女を犯したものども、出い!」
凛冽《りんれつ》の声がまたひびきわたったのである。
「信長がせよといったことはせよ、せよと申さぬことはすな。――それに叛いたやつら、即刻前へ出い!」
偽り、ためらうことなど許されていないと見える。まだ下半身裸の兵たちが、数十人、夢遊病者のようによろめき出た。
恐ろしい声はいった。
「軍律に反したものどもは処刑する。槍隊、みな刺し殺せ!」
馬上の人は、細い口髭こそ立てているが、白面の美丈夫といっていい。しかし何ぴとが見ても戦慄を禁じ得ない魔王と見えた。前線の信長、このとし三十三歳。
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竜車に向う蟷螂《とうろう》の銃
――焼け、殺せ、ゆるすな。
春なお寒き木曾川の河風が吹きつける黒煙と血しぶき、それを満身に浴びて冷然と叱咤《しつた》する織田|上総介《かずさのすけ》信長。
大|殺戮《さつりく》はつづいている。
鵯《ひよどり》は悪夢でも見ているように何度も十字を切ったが、厨子丸《ずしまる》はそれよりもこの東方の魔将に眼をむけて金縛りになっていた。顔は土気色であった。
「――み、見たか?」
と、藤吉郎がささやくようにいった。
「えらいところへ来合わせたが……しかし、考えようによってはおまえはいいところを見たともいえる。凄いだろ? 身の毛もよだつだろ? あれが信長さまというお方の真骨頂《しんこつちよう》じゃ。見ておけ、あれが遠からぬ未来の天下取りの姿だ。……」
しかし、彼の声もいささかふるえている。
「麻のごとき乱世、いまの天下はあれでなくては収拾がつかぬのじゃ。敵にとっては鬼神じゃが、味方にとっては無双の守護神。……」
藤吉郎は厨子丸の袖をひっぱった。
「今だ、信長さまに見参いたすのは」
厨子丸は動かなかった。
「どうした? こわいのか?」
厨子丸は弱々しくうなずいた。
「こわい? いや、ほんとうをいうと、わしもこわいよ。しかし、いまもいうように、あれこそ天下取り、あれこそ鉄の守護神、わしらはあのお方の踏み砕かれる道を、あとからくっついてゆけばよいのじゃ。さすれば必ず前途は洋々、おまえの鉄砲作りの技術を生かし、おまえに生き甲斐を与え得る者は、あのお方をおいてまず日本にはない。……おい、ゆこう」
「いやです」
「なんだと? これ、いっておくが厨子丸、おまえの松永弾正への復讐、あれにしても信長さまのお力を借りねば絶対に出来っこないぞ」
大処刑は終った。――四百人ちかい人間は、ただ血と肉と臓腑の堆積《たいせき》と化して、そこにあった。そう変えた槍隊のむれも、まるで幽霊のようだ。それまでの叫喚が天地もつん裂くばかりであったので、そのあとに来た静寂は、かえって恐ろしかった。
「さ、ゆこう、厨子丸」
「あのお方は、わたしの鉄砲の工夫を、松永弾正だけにお使いにならないでしょう。……」
「あたりまえだ」
「この屍山血河を、日本じゅうにおひろげになるのでしょう。……」
その屍山血河を満足げにじいっと見わたして信長は、やっとこちらをふりむいた。
「藤吉っ、藤吉っ」
と、呼んだ。金属的な声であった。藤吉郎はいよいよ狼狽した。
「それ、お召しじゃ。早く参らねば、こちとらとて魚の目刺しになりかねぬ。厨子丸、来やれ」
「おことわりいたします」
厨子丸はいった。
「あのお方は、わたしの主とすべきお人ではありません。……」
「その通りだ、厨子丸っ」
足もとから、奇声が発した。だれかと思うと、ぺたんと地べたに坐っている曾呂利伴内である。道中間断なくしゃべりつづけといっていいほど囀《さえず》っていたこの男が、先刻から変に黙りこくっていると思っていたら。――彼の三角形の奇相は、よろこびで、何角形かに崩れんばかりであった。
「わが主にあらず! よきかな言や、言いも言ったり、その通りじゃ! まことにあの人物を知り、おのれを知った言葉じゃ。助左衛門さまからきいたことがあるぞ。聖ミカエルと呼ばれたほど心やさしいおまえが、あの大魔王に仕え切れるわけがない。……お気の毒ながら藤吉郎どの、厨子丸はおぬしの手には入らぬわい!」
「うるさいっ、口だけは達者なやつだ」
藤吉郎は金切声を出した。
「厨子丸、松永を討たいでもいいのか!」
厨子丸は答えた。
「わたし一人でやります」
「大それたことを!」
信長が遠くでまた呼んだ。さっきよりはさらにいらだった声であった。
「何をしておるか、藤吉、うぬは何しにここへ帰って来たのか!」
「ただいま、ただいま参上」
もはやこちらで押問答をしているいとまもあらず、転がるように駈け出してゆく木下藤吉郎の背に、伴内はぬけめのない釘を投げた。
「これ、おぬし、信長どのに対して、わしらがぶじにここを退散できぬような返答をすると、国友村の方に悪くひびくぞ。曾呂利がよい返事を送らぬかぎり、織田家へ来た厨子丸に悪いことが起ったと思えと、ちゃんと国友衆にいい置いてあるぞっ」
ちらっといちど藤吉郎はこちらをふりむいただけである。
「やあ、これでわしもここまでくっついて来た甲斐があった! 人間、勝負というものは、最後まで投げてはならんものじゃな」
と、曾呂利は一人合点をして、大満悦の相である。
信長は馬上から藤吉郎に何かきいていた。藤吉郎は大仰《おおぎよう》なゼスチュア入りで返答していたが、何と答えたのかはわからない。ただ信長はそのすぐあとで、馬に一鞭くれて、また遠い砦の方へ疾駆していった。
「いってしまった!」
伴内は手を打った。
「厨子丸、おまえが堺へ来る運命はこれできまった。――」
「わたしは大和へゆくのです」
と、厨子丸はつぶやいた。
「え、大和のどこへ?」
「信貴山城へ」
「松永弾正のところへ――ただ一人でか!」
「はい。……いいえ、この鵯《ひよどり》といっしょに」
鵯は顔をかがやかせ、うれしそうに厨子丸に身をすり寄せ、それから曾呂利を見下ろした。
「伴内どの、ともかくもお立ちなさい。なぜそんなところにいつまでもお坐りなの?」
伴内は立ちあがろうとして、たたっと顔をしかめた。
「わしはさっきから――あの女どもみな殺しの光景を見たときから――腰がぬけておるのじゃよ!」
やがて木下藤吉郎は悄然《しようぜん》とひき返して来たが、はしゃぎたてる曾呂利伴内に、いつものようにやり返さず、全然気落ちした顔で、黙々として、伊勢へ渡る舟まで用意してくれた。
厨子丸もふと気の毒になり、
「藤吉郎どの、すみませぬ」
と、改めてお辞儀したくらいであったが、彼も、
「いやいや、考えてみると、信長さまとおまえはしょせん縁なき衆生かも知れぬなあ。まことに残念じゃが」
とあきらめ切った顔であった。ただ、舟が出るとき、何を思ったか、
「厨子丸、縁なき衆生ならばまだいいが、まちがっても信長さまの敵になるなよ」
と、いった。
「信長さまの敵?」
厨子丸がくびをかしげたとき、舟は長島を離れた。
なぜ藤吉郎がそのときそんなことをいったのか見当もつかない。厨子丸にしてみれば、敵は松永弾正ただ一人、信長に対しては恩怨二つながらない。ただ、いまの凄絶な魔将ぶりを遠望して、心魂に徹して、「わが主にあらず」と感じただけである。藤吉郎とて、べつに深い考えがあって洩らした言葉ではなかったろう。
焼け焦げた鹿柴《ろくさい》の木にとまっていた一羽の燕が、いちど空高く舞いあがり、矢のように西へ飛び去った。――伊勢路にはもう春が来ているのであった。
舟の中で、曾呂利伴内は鼻うごめかしていう。
「どうやら藤吉郎め、わしらのことは信長どのに何とかごまかしたらしいの。信長に肘鉄《ひじてつ》砲をくわせるようなやつならば、それも串刺しにしてしまえ――などということになって、国友村を敵にまわすことになったら、もと[#「もと」に傍点]も子もないからの」
鵯がきいた。
「国友衆に何かいい置いて来たというのはほんとうですか」
「何もいって来てはおらんさ、あはは」
伴内はけらけらと笑った。
「何から何まで、あいつはわしに負けたが、さて勝ってこうして別れてみると、信長どのの方はぶるる、縁の出来るのは願い下げじゃが、あの藤吉郎の方は、縁なき衆生となるのは何やら心さびしいて」
「伴内どの、あなたはどこへゆくのです」
と、厨子丸がいった。
「堺へさ」
「わたしたちは大和へゆくのですよ」
「あ」
曾呂利伴内はしばらくきょとんと厨子丸を見ていたが、
「いやなに、方角は同じじゃないか。もうしばらく道づれさせてくれ。いままでこれほどの縁があるではないか。どう考えても、そなたらとわしとは縁ある衆生。――」
桑名から東海道を西へ。
坂ノ下から加太《かぶと》越えして伊賀路に入る。
伊賀から大和へ入ったのだが、そのいわゆる柳生街道で一挿話がある。
ここらあたりの山国になると、風はまた早春に戻る。梅の花のまじる山の杉林の中の街道を西へ歩いてゆくと、向うから一人の騎馬の人をかこみ、四、五人の旅装束の武士たちがひたひたとやって来るのとゆき逢った。
その騎馬の、痩《や》せた、気品のある老武士をひょいとふり仰いだ鵯《ひよどり》が、思わず立ちどまり、
「あっ、上泉伊勢守さま!」
さけんで、ばたばたとその方へ駈け出したのである。厨子丸がとめるいとまもなかった。
鵯はその人の馬前に立った。
「伊勢守さま、お恨みに存じまする!」
と、彼女はさけんだ。武士たちがその前をさえぎった。
「何者か、なんじは?」
「京の御所に仕えていた者です」
鵯は頬を紅潮させていた。馬上の老武士もさすがにはっとして見まもったようである。
「伊勢守さまっ、あなたさまのお弟子と松永弾正の家来が御前試合をなされたおかげで、公方さまがお果てなされるようなことになりました。試合には負け、その後弾正には一指もささず……上泉伊勢守さまともあろうお方が、またこんなところにいて、いままで何をなさっていたのですか!」
痛烈である。厨子丸は眼を見張った。ここ一年ばかり、厨子丸といっしょにいて、むしろかなしげでさえあった鵯が、突然、それ以前の勇ましい娘に飛び返ったようであった。
上泉伊勢守の弟子たちはどよめいた。しかし、伊勢守は手でそれを制した。
「まことに、おまえの申す通りじゃ」
彼はしずかにいった。
「悪盛んなれば天に勝つ。……恥ずかしや信綱、手を出すにいとまなく、その機を永遠に逸した。公方さまの御遺恨さこそと思い、信綱それ以来断腸の思いで日夜念仏を誦《ず》しておる。ゆるしてくれい」
老剣聖は鞍の上から鵯に頭を下げた。病後の翳《かげ》がその頬にあった。
――事実、その通りだが、あのとき京二条の御所を去ってから伊勢守は、東国へ帰る道すがら、やはり剣の弟子たる柳生ノ庄の領主柳生新左衛門のところへ立ち寄り、はからずも病みついたのであった。そのあいだに松永弾正の足利公方に対する叛乱を知ったが、それを黙視したのは大病のせいもあるが、また当の柳生新左衛門に必死に制止された理由の方が大きい。まかりまちがうと弾正の鉄蹄がこちらに向いて、小国柳生ノ庄そのものが蹂躙《じゆうりん》されるおそれがあったからである。
「負け犬たるこの信綱が、かようなことを申しても、その方の恨みは消えるすべもあるまいが、ただ心にとめおいてくれい。悪盛んにして天に勝つも、それはいっとき、悪はかならず天の裁きを受けるであろうと」
そして、上泉伊勢守は馬上に身を伏せたまま、粛々《しゆくしゆく》とゆき過ぎた。何やら、心打たれて、鵯は口をつぐんでそれを見送った。
「――なんじゃ、あれは?」
と、曾呂利がいった。
「剣聖、ちと無責任じゃな、どう思う、厨子丸?」
厨子丸は昂然と眼を大和の空へ投げた。
「おききの通りです、もう剣の時代ではないのです」
われ一人にて松永弾正を討つ。
こうはいったものの、むろん厨子丸に自信などあるわけがない。おのれの力及ばずと思えばこそ、いちどは木下藤吉郎の誘いに乗せられて織田信長という東方の武将の力を借りようとしたが、そのあまりに酸鼻非情の戦闘ぶりに鼻白み、さればとてふたたび故郷に帰ったとて何らの見込みがあるわけでなく、ただ一年耐えた恨みを一梃の短銃に託して大和へ向ったに過ぎない。
信貴山《しぎさん》は大和と河内の境に突兀《とつこつ》としてそびえる標高四八〇メートルの山だ。
その昔、聖徳太子が信貴山|歓喜院朝護孫子寺《かんぎいんちようごそんしじ》という寺を創建されたといい、また南北朝のころ大塔宮がここの毘沙門堂に立て籠られたこともあるというが、その後大和の覇者松永弾正がここに城を築いて本拠とした。
むろん、ううむとうなって立ちすくんでしまった。
信貴山をめぐる、立田《たつた》、志岡《しのおか》、勢野《せや》、立野《たつの》などの村々から信貴山に上る道々は、いずれも袈裟頭巾《けさずきん》に頭をつつんだ僧兵たちによって護られている。一見しただけで、骨も冷えるほどの鉄桶の山城である。
一年、近江にあって鉄砲を工夫し、やや自信を抱くところもあったが、さて敵の城近くへ乗り込んでみて、一梃の銃など歯の立ちようもないということが実感された。同じ一年で、弾正はさらに力を加えている。当時日本第一の実力者はだれかときいたなら、だれしも信長などは脳裡に浮かばず、足利将軍を斃《たお》したこの松永弾正にまず指を折ったであろう。
大和路にたけなわの春は、信貴山の麓をめぐる竜田《たつた》川に、からくれないの紅葉《もみじ》ならぬ桜の花を散らしはじめた。
孤剣――ではない、厨子丸はそれを軽蔑しているのだから――短銃を抱いて、厨子丸と鵯はその中をさまよっていた。
ここに来ても、曾呂利伴内は離れない。二人のうしろにくっついて歩きながらいう。
「ゆかぬかな。堺は、西へ、ほんの一足じゃがなあ。……」
その伴内が、晩春の一日、顔色を変えて駈け戻って来ていった。
「おい、この信貴山のまわりの村々に、美しい娘がほとんどおらぬことに気づいておるか」
「いや」
「なるほど、そういわれてみるとその通りだ。よくまあ、いままで鵯、おまえが僧兵どもにつかまらなんだものじゃ。去年の夏ごろから、若い美しい娘という娘は、片っぱしから信貴山城へさらってゆかれたという。――」
「へへえ」
「で、残った娘たちは遠くへ逃げ出す。僧兵たちも遠くへ探しに行く。地元にはもはや獲物はないと見限っておるおかげで、鵯が助かったのかも知れんが」
「ふうむ」
「とにかく、鵯、おまえはもうそこらを出歩かぬがいい」
「――伴内どの、その女狩りは弾正の下知か」
「わしもそう思っておった。それもむろんあろう。が、それよりも張本人は、弾正の寵姫《ちようき》昼顔の方《かた》じゃという。――」
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信貴山《しぎさん》地獄草紙
商人あがりの武将、というとこの松永弾正、前後して斎藤道三、小西行長などが頭に浮かぶ。
商人あがりの武将という文字だけ見ているといかにも柔弱なハト派のように思われるが、事実は決してそうではない。朝鮮役に於ける行長など、清正にくらべればハト派にはちがいないが、もっと正確にいえば読みが深いということで、その戦闘ぶりは決して柔弱ではない。第一、いくさに弱かったら朝鮮役に於て、秀吉ほどの人物が、行長を三大軍司令官の一人、とくに最も重大な西路方面軍の大将にあてるわけがない。
松永弾正、斎藤道三に至っては、その獰悪《どうあく》なること、戦国の群雄中、充分三指のうちに数えることが出来る。商人武将が出現したということは、一騎討ちの時代が終って集団戦時代に入ったということで、集団戦に必要な経済能力、計算能力にたけ、しかも、政治軍事に野心のある人間が一旗あげれば、これはたんなる打物とっての個人的豪傑など、たちまち撃破されてしまうにきまっている。さらに彼らの戦闘ぶりの特徴は、いかにもしぶとく、粘強《ねんきよう》きわまることであった。
そしてこの松永弾正は、ただ獰悪で、しぶといばかりではない。道三ほど野卑ではなく、行長ほどの知性はなく、その中間にある、というよりその両者を半分半分かねたところがあって、それだけにこのような時代、最も恐ろしい人間といえた。
その現われの小さな一つが、彼の茶道に於ける名物|蒐集《しゆうしゆう》の趣味だ。
やはりこの道のマニアであった信長が垂涎《すいぜん》おくあたわなかった名器つくも髪の茶釜、それを手に入れ、秘蔵するほどの趣味が彼にある。しかもその信長が後年弾正を攻めて、「なんじの首かつくも髪か」と二者択一を迫ったとき、「そのいずれをも渡すべき」と打ち笑い、寄せ手の眼前で釜をみじんにたたき割り、おのれは身をひるがえして炎の中へ消え去ったというほどの凶暴さをも持っている。
またその知性と野卑の現われの大きな一つが、彼の城だ。
彼はこの信貴山《しぎさん》に、日本ではじめて天守閣を築いた。すなわち天守閣は彼の独創である。鉄砲の攻撃に耐え、かつ集団戦を高所から指揮するためのもので、この点日本築城術の一大先駆者といっていい。また城をめぐるいわゆる多聞櫓《たもんやぐら》も彼がべつに奈良に築いた多聞城から発したものだという。
しかし、これらの独創はえらいといえるが、弾正の城そのものは決して美しいとはいえなかった。彼は串柿の串も捨てずに壁地下に使い、酒樽の樽も捨てずに塀板としたというから、これは商人的才能というより、徹底したしわん坊の発露ともいえる。
従って、金剛、二上、葛城などの山々を指呼のあいだにし、大和平野を一望のもとにする雄大な山上の、聖徳太子創建するところの朝護孫子寺跡に築かれたこの城は、とうてい王城鎮護の象徴とは見えず、黒ずんで、荒々しくって、冥府《めいふ》の城めいたもの凄じい印象を与える。
そしていま。――
その城の天守閣の一室に、地獄草紙もダンテの地獄篇も及ばぬ光景がくりひろげられていた。
ここもまた柱や壁の黒ずんだ大広間だが、その柱や壁の下に何十人とも知れぬ法師武者がずらっと居流れて、喧々囂々《けんけんごうごう》と大盃をかたむけている。広間の中央には、べつに十数人の男女が輪になって、坐ったり、横たわったり、つっ伏したりしている。
それがみな、狭間《はざま》を通す薄暗い光の縞《しま》に浮きあがるような若い美しい男と女で、よく見ると彼らの順序はほぼ男女たがいちがいになっている。
そしてまた、さらによく見ると彼らの口からことごとく黒くひかる紐《ひも》のようなものが出て――隣りの人間の裾《すそ》の中に消えている。
「さて、次なる芸を御見《ぎよけん》に入れよう」
どこかで、野ぶとい声が聞えた。
法師武者の一人が盃を置き、広間の一隅に歩いていった。そこにもひとかたまりの男女がすくんでいたが、法師はかがんで物色し、その中から一人の娘をつかみ出して来た。恐怖の抵抗もあらばこそ、それを小脇に抱いて歩を返し、軽々と男女の輪の頭上を躍《おど》り越えて広間のまんなかに立った。
彼は正面にむかって一礼した。
「根来西塔《ねごろさいとう》、十輪坊でござる。御見に入れまするは女身《によしん》水ぐるま!」
そして彼は、この二重の環視の中でその娘を犯しはじめた。
まったく体格がちがう。鷲が鳩を捕えたようなもので、娘は悲鳴すらあげなかった。押えつけられただけで失神状態に陥って、物理的に圧殺《あつさつ》されなかったのがまだしものことに思われた。
しかるに。――
この法師の口上の芸とやらは、やがてその次に演じられ出したのである。数十回の抽送《ちゆうそう》ののち、法師は四肢を水平にひろげた。そして――ゆっくりと女体の上を一回転した!
さらに、二、三回――その緩慢《かんまん》な旋回は次第に早くなり、ついに風のむせびのような音が起った。まさか、彼の肉体がそんな音をたてるわけがない。それはこの人間|独楽《ごま》の巨大な心《しん》にとめられたその下の女体から発するひびきであった。いちじ失神状態に陥っていた娘は、その刺激のために覚醒《かくせい》し、眼をひらき、口までひらいていた。それはその口からもれ出した声であった。
驚愕、恐怖、そんな心理的なものを超えて、それは肉体的痛苦のさけびであるはずだ。しかるにその声はそうではなかった。
「痛いわけがござらぬ」
回転しながら、十輪坊はいった。引っ裂いたような口が、笑っているとも見えたし、快美の極《きわ》みの表情とも見えた。
「おれの方が麹《こうじ》の桶に浮かんでいるような心持ちでござれば」
女の声もまたあきらかに快美の極みの声であった。
「いかがっ」
と、十輪坊は水平のまま、顔をもちあげて、また正面の方を見た。そして、何を見たか、こんどははっきりと歓喜の相になって、
「かたじけのうござる、南無大日如来!」
と、宙で合掌した。
回転はゆるやかになり、やがて静止した。
女から身を離し、床《ゆか》に下り立ち、ふたたびぐいとひきずりあげる。
「よい音《ね》をたてたおかげで、うぬの命も助かったわやい」
と、頬ずりしながら抱いていって、十輪坊は例の男女の輪に近づいた。
いま見せた女人を水とした車輪交合すら、肉体的に、重力的に驚くべき体術である。――しかるにこの十輪坊はそこでさらに信じられないような怪技を見せたのである。
さて、その男女をつなぐ黒い紐――それを、左右の男女を追いのけて、二メートルばかりの間隔をとると、十輪坊はいま抱いて来た女を仰むけに横たえ、何のためか数珠《じゆず》をくわえ、紐をつかんだ一方のこぶしを女の口に、一方のこぶしを股間に置いた。
その姿勢で、じいっと瞑目《めいもく》することしばし。――
「……ぴいいいいっ」
法師武者の口からそんなさけびが発すると、彼のくわえた数珠がふっと切れて、珠がばらばらと散乱した。同時に彼の両こぶしのあいだの黒い紐は忽然《こつねん》と消えていた。
「人間数珠の方は、これで十七!」
と、十輪坊はまた正面をふりかえってさけんだ。
人間数珠の方は十七! 紐につながれた男女の数だ。彼らは何につながれている?
「女の髪を根来流に編んだものでな。手ではもとより、噛《か》みちぎろうとしても金輪際《こんりんざい》切れぬ」
と、十輪坊は女の歯を指でなでていった。黒髪の紐はその白珠のような歯のあいだから口の中に入っていた。そしてそのゆくすえは?
そのゆくすえは、女の裾の下から出ていた!
何たる怪術、いま十輪坊の両こぶしのあいだから消えた黒髪の紐は、女の口と肛門を通って、その体内に移動していたのである。――ほかの男女と同じように。
十輪坊はにたっと会心の笑みをもらして、いま散らばった数珠を拾い、墨染めの袂に投げ入れてにゅっと立ちあがった。いまの、紐を切らずして人体をつらぬく怪術と、くびにかけた数珠が切れたという事実のあいだに、いかなる相関の理ありや、なしや。――
「どりゃ、まずは合格、昼顔さまの御褒美《ごほうび》をいただこうか」
彼は正面に向って歩き出した。
正面、一段高いところに弾正は坐って、これも盃をかたむけ、そのひざに身をもたせかけているのは昼顔であった。
「昼顔御前。――」
去年五月、京の夜を焦がす火炎と、ふりしきるさみだれの中に叛臣《はんしん》弾正の手に落ちた公方の愛姫昼顔の方。
彼女はあれからどうしたか。それを縷々《るる》説くよりも、いまその弾正に吸いつくように寄りかかり、艶然と笑っている彼女の顔と姿態を見れば一目瞭然であろう。艶然と――嬌艶無双《きようえんむそう》をうたわれた一年前にくらべて、女はかくもなお美しさなまめかしさを増し得るものかと、むしろ怪奇にたえないほどである。しかし、天上の美ではない。それはあきらかに地獄の美しさであった。
「ひ、ひ、昼顔さま!」
法師武者は段の下にひざまずいた。
「どうぞ、十輪坊めに御褒美を!」
「よい、とらすぞえ、近う。――」
昼顔はうなずいて、盃を唇にあてた。
十輪坊は蜘蛛《くも》の顔を拡大したような容貌の持主であった。それが膝でにじりあがって来て、昼顔の前にその醜怪な顔をつき出した。
昼顔はそれに唇を合わせた。ふくんだ酒を口移しに飲ませてやったのである。のみならず――相手の唇からあごにかけてだらだらと溢《あふ》れおちた酒を、美しい舌を出して舐《な》めとった。なまめかしい横目で弾正を見やりながら。
――弾正は黙ってそれを見ている。侍女と帷帳《いちよう》の中で淫戯に耽《ふけ》りながら家来にあれこれ指図したという彼のことだから、おのれの寵姫となった女がかかる傍若無人なまねをするのも平気なのか。いや、決して平気な顔ではない。その鼻はふくらみ、眼にはちょっと血光《けつこう》がさした。しかし彼は黙っている。
「あ、あ、あ」
十輪坊は魂をぬきとられるような、そんなうめきをあげた。
先刻女を犯したときの数倍もの快美の相だ。事実彼は、この褒美の接吻だけで、無限の陶酔境に堕《お》ちこんでいるのであった。
「ゆきゃ」
かろく、昼顔にあごをしゃくられて、十輪坊は彼女に平伏し、それでも足りずに彼女の裲襠《かいどり》の裾をつまんでおしいただき、酩酊《めいてい》した蜘蛛のようにふらふらと、もと来た方へ這《は》い戻っていった。
褒美は、いまの人間数珠の妖法に対してではない。それはほかの根来僧もやったことで、いま見る十数人の男女はそのようにしてつなげられたものだ。また女身水ぐるまの秘戯に対してでもない。褒美はそれによって、恐怖し喪神した女体に法悦のむせび泣きの音《ね》をたてさせたということで、十輪坊のみならずいままですべて、人外境の怪技による凌辱で同様の状態に女をおとした者だけに与えられる。女ばかりではなく、対象は美少年の場合もあること人間数珠の構成に見るがごとし。
その状態におちなかった男女は不良製品としてただちに殺されるか、首尾よく助かった者といえども、その報酬は人間数珠で、金輪際この城から逃れることが出来ないのみか、それ自身前代未聞の見世物となり、かついずれそのうち与えられるであろう運命もまた推量にあまりある。
かかる淫虐のショーを見ることを決していやがらぬ獰悪《どうあく》野卑の松永弾正だが、それにしてもこの昼顔の着想と、かつあえてそれを眼前に見ようとする意志の凄じさには舌をまかざるを得ない。
昼顔はここに来て、根来僧たちの千変万化の忍法をいたく興がり、それをいちいち見物し、かつ彼らからアイデアを得るらしいが、数か月前、もっと恐ろしいことをやってのけたことがある。
根来僧中に、戦場で人肉を食ったということを自慢にしている勇猛無比のやつがあった。
或る日、彼は昼顔に呼ばれて、馳走になった。膳の上にはうまそうに煮られた肉が盛ってあったが、少し離れたもう一つの膳の上には、美しい女の生首が乗っていた。
「それを見ながら、おまえ、食べることが出来るかえ?」
と、昼顔はいった。
さしもの根来僧もうっとのどがつまった。首はその前日、例のショーで彼が犯し、枕返しという秘技に汗をながしたにもかかわらず、ついに望みの音《ね》をたてず、怒りのあまり彼が殺害した女だったからである。
「のどに通ったら、褒美をやろう」
「頂戴《ちようだい》つかまつる!」
彼は膳の上の酒をあおり、猛然と肉を食いはじめた。途中で、昼顔がいった。
「首が見て泣いておるぞえ」
「え?」
「おまえのいま食べておるのは、その女の肉じゃもの。……」
根来僧は口をおさえて駈け出し、腹中のものを吐こうとしてのた打ちまわった。遠くからけらけらと笑う昼顔の声がころがって来た。
――こんな恐ろしい女であったのか?
さしもの弾正も心中たじろぐ思いである。――いまや、彼の頤使《いし》した根来僧たちはこの女の一|顰《びん》一笑のもとにあるかと思われるばかりだ。
「たったいちど口を吸わせてやっただけで、あの者ども松永家のために死ぬといったらすぐにも死にますぞえ」
と、昼顔は笑っていう。まさにその通りに見えるけれど、彼らがそうするのは、松永家のためか昼顔のためかわからない。――
しかし、昼顔を変えたのは弾正自身であったのだ。彼女はあのさみだれの一夜から変身させられたのだ。そして彼女を魔界の美しさに変えたのも弾正以外の何者でもなかった。夜毎日毎《よごとひごと》、あくことのない昼顔の肉欲に弾正はいささか悲鳴をあげたくなるほどで、これでようもあの優公方《やさくぼう》のもとで長らく辛抱していたもの――と、ふしぎなくらいだが、彼女をこうまで「淫の花」ともいうべきものに変えたのは、積年渇望の女体を手に入れて、恥もつつしみもかなぐり捨ててこれをもみしだいた弾正の荒淫の果てであったのだ。
この淫の化身の下に、それをさらって来た根来僧たちが慴伏《しようふく》している。ひょっとしたら、彼女が彼らに刃をさかしまにしてこの弾正を討てといったら、一同狼群のごとく襲いかかって来るのではないかと不安になるほどである。しかし、弾正を怖れさせるのはそればかりではない。――
弾正自身が、いまやおのれの寵姫《ちようき》の肉の蠱惑《こわく》に縛りつけられているのであった。――眼前で、ぬけぬけとそれらいやしき根来坊主との接吻を見せつけられながら、一語の不平を口からもらすことが出来ないほどに。
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鵯空《ひよどりくう》を撃《う》つ
弾正はたしかに昼顔を変身させた。それは事実だが。――
しかし、一方で昼顔は、もともとその素質はあったのだ。暗い大地から燃えあがる炎とけむり、その中でこの世のありとあらゆる男と女を虫けらのように踏んまえて、まっぱだかで笑っている自分を夢想し、また酒と汗と垢《あか》の匂いのする、臭い、毛深い下民どもともつれ合い、したい放題のまねをしている自分を妄想して恍惚となるような萌芽が。
その魔性《ましよう》を本人以外に知っているのは、伴天連《バテレン》フロイスをのぞいては、ほんの少数である。死んだ公方《くぼう》はうすうす感づいていたその中の一人かも知れぬ。
そしていまや彼女をおのれのものとした弾正は、いやでもそれを思い知らされ、心中舌をまきつつも、もはやどうすることも出来ぬ。罌粟《けし》の花の魔力に中毒したようなものだ。思えば彼松永弾正もまた哀れむべしといわなければなるまい。
「次っ」
向うでは、別の法師武者がまた立ちあがった。彼はこちらに一礼し、呼ばわった。
「根来北塔、騎西《きさい》坊でござる。御見《ぎよけん》に入れまするは、淫呪外法仏《いんじゆげほうぼとけ》!」
「見るか?」
と、弾正は昼顔の方へ眼をむけた。
「堺の宗及《そうきゆう》がそろそろ立つ時刻になっておる。わしも麓《ふもと》まで見送りにゆかねばならぬが、まだこの見世物を愉しむか?」
大事な客を捨ておいて、いままでこんなショー見物のおつき合いをしていたと見える。が、まるで御機嫌をうかがうような弾正に対して、昼顔は返事もしない。
彼女は正面を見ている。先刻ふいにこの見世物を見たいとだだをこね出したのに、しかしもう何も見ようとはしていないようだ。弾正の声も聞えないらしい。弾正がいちばん不安になり、畏怖感《いふかん》すらおぼえるのは、こんなときの昼顔の表情であった。
自暴自棄といおうか、虚無の深淵をのぞきこんでいるといおうか、或《ある》いは弾正などの空想力の及ばぬ快楽《けらく》の白日夢を夢みているといおうか。――要するに、眼前の地上にあるものに満足している女の横顔ではない。
騎西坊なる根来僧が、隅のいけにえの予備集団からまた一人の娘をひきずり出して来たとき、戸口から四、五人の威儀を正した法師武者がぞろぞろと入って来た。
「殿」
と、呼ぶ。
「津田宗及どのがおいとましたいと申されます。お越し下されい」
「あ」
弾正は立ちあがりかけて、動かぬ昼顔を見るとまた坐った。
「わしはゆかぬ」
と、ついに決心したようにいった。
「わしの代りに、牛頭坊に送らせろ」
どうやら弾正は、昼顔を捨ててこの座を立ちかねたものと見える。騎西坊は女を人間|数珠《じゆず》のまんなかにひきすえている。そこでやがて行われる秘技が合格すれば、その僧はまた昼顔から接吻の褒賞を受けることになるが、自分が見ていないと、それ以上に何をするかわからないような不安感がこの昼顔にはある。といって、その接吻を見るだけでも弾正は、ほんとうはうめき出したくなるほどなのだが。――
「いえ、宗及どのは殿に何かいいたいことがあるそうで」
法師武者に督促《とくそく》されて、弾正はなお迷っていた。
「では、ゆくか。――」
信貴山の西麓高安村に借りた旅籠《はたご》に鵯《ひよどり》を残し、二、三日かけて厨子丸と曾呂利伴内は、すぐ南の紀伊国那賀郡《きいのくになかごおり》へ旅立っていた。
ゆくさきは、そこにある根来寺である。
信貴山へ上る幾すじかの道はことごとく根来僧の監視兵にかためられて鉄壁のごとく、それで厨子丸はあきらめたわけではない。いや、あきらめないからこそ、根来寺へ出かけたわけである。
なんとなれば松永弾正|麾下《きか》の僧兵は三万といわれているが、むろん家来は僧兵ばかりではなく、それらすべてが信貴山城に籠《こも》っているわけではない。むしろ傍系である僧兵の大半は、ふだんは紀州の根来寺にあって、事あるごとに弾正に呼ばれて出動するという。去年、京の二条の御所を襲撃した僧兵たちの多くもそこに帰っているだろう。厨子丸は彼らのすべてをみな殺しにしてやりたいと思っている。で、その根来寺にある根来僧の実態を、もし見ることが出来るならばこの際見ておきたいと、信貴山城はひとまずおいて、その方の偵察に出かけたわけである。
根来僧兵なるものについては、この物語の冒頭のルイス・フロイスの記述中で一応紹介しておいたが、ここでもういちど改めて解説しておきたい。
紀伊国那賀郡根来村――葛城《かつらぎ》山脈の中腹にある新義真言宗の大本山であって、平安の末期にひらかれたものだが、このころ大いに栄えて、堂塔二千七百余坊をかぞえる巨刹《きよさつ》となっていた。
おびただしい僧兵を擁《よう》していたのは、ほかの延暦寺《えんりやくじ》とか興福寺とか東大寺とか、当時の大寺院も同様であったが、この根来寺はこれら京奈良の名刹に強烈な対抗意識があって、それが大和の覇者松永弾正と結ばれたのは、この対抗意識を超えて、日本第一の宗教の大本山になろうという野心を起したからにほかならない。
都から遠く離れた山中にある寺だけに、その僧兵は剽悍《ひようかん》な野性にみち――のみならず、やはり同じ対抗意識から、京奈良の僧兵とは異風の姿と武術を身につけた。
戦国時代に来朝した伴天連ヴィレラの記録に、
「彼らは騎士団員のごとく、その職業は戦争である。彼らはつねに三万人の専門に戦争を練習する者を準備し、たとえ戦争に於て多数戦死するも、これらの僧院はただちにふたたび欠員を補充する」
とあることはすでに紹介したが、クラッセの「日木西教史」にも、
「その宗派は三部に分る。第一部は仏陀を祭り、その規模最も小なり。第二部は武芸を習い、第三部は兵器を作るを業とす。その宗極めて放埒《ほうらつ》にして党中首長なし。葛藤を生ずればただちに刀槍を以て相闘い、強き者に従うという」
とあり、また「明史《みんし》」にも、
「根来僧常に兵杖《ひようじよう》を帯び、殺人を事となす」
と、記載されている。彼らの勇名は海の外にまでとどろき渡っていたのである。
しかも、彼らの異色というのは、髪を剃《そ》らず総髪にしていたことと、それぞれが一人一芸の妖異な忍法を体得していたことであった。――この恐るべき寺院の伝統は、のちに彼らの子孫が同じ総髪姿と同じ忍法で徳川家で名代《なだい》の根来組となって相伝される。
さて、この根来寺偵察に出かけた厨子丸が何を見たかはさておいて、変事はその留守をしていた鵯《ひよどり》の身の上に起ったのだ。
鵯はすこし気分が悪かったのと、また伴内の「おまえは外へ出るでないぞ」という勧告のために旅籠に休んでいたのだが、厨子丸たちが旅に出てちょうど三日目に、
「弾正さまのお通りだ」
という往来のさけびに、がばとはね起き、身支度ととのえて外に出た。身支度の中には、伴内が伝えた例の女狩りの危険にそなえて、万一のために厨子丸が残してくれていたポルトガルの短銃があった。
果せるかな、馬にゆられて弾正が来た。
珍しいことだ、この大武将がこんな小人数で山麓に下りて来るのは。
彼が城外に出るときは、必ず大軍団をひきいる。それ以外、ぶらりと軽装でおのれの城下町や領内を視察して回るなどいうことはほとんどない。
それが、その日は輿《こし》に乗った宗匠とも町人ともつかぬ人物を送り、彼はただ十人あまりの法師武者に護衛されたのみで通り過ぎてゆく。――おそらくそれは、信貴山城に来た客を、ただ山麓まで見送るつもりであったからのように思われる。
城主と知って、路傍に土下座した百姓や女子供にまじって鵯は弾正を見た。
京でいくたびか見た岩のような松永弾正にまぎれもない。例のあぶらをぬったような黒い皮膚、銀のようにひかる眼――その顔を微笑させて、彼は馬上から輿の客と談笑している。
――厨子丸どのはいない!
彼女ははやる胸を抱いて、眼を南の空に投げた。
一行は通過してゆく。ふらふらと鵯はそれを追いかけた。路からはずれ、畑を走り、林を駈けぬけて先回りをした。厨子丸がいない、という思いがまず胸をついたのは、厨子丸がいないから危い、という考えからではない。この機会に厨子丸がいない、というくやしさからであった。
これこそ千載一遇の機でなくて何だろう?
鵯は躑躅《つつじ》の花の群落こそあるが、荒地にちかい草原まで走って、その躑躅のかげに身をかくし、短銃をとり出した。どうしてもこの天機をのがすわけにはゆかないという思いにとりつかれたのだ。
もとより決死である。自分は護衛兵に殺されるだろうが、あとの忍法僧たちは厨子丸が討ってくれるだろう。――
やがて、四、五メートル先の街道を、弾正一行が通りかかった。
「も、もう結構でござる。このあたりで、松永さま。――」
輿の上の客は、恐縮して手をふっている。その輿にならべて、弾正は馬をとめた。
「では」
弾正がこちらをむいてうなずいたとたん、明るい初夏の山気を轟然《ごうぜん》たる銃声がひっ裂いていた。
馬上の松永弾正のふといのどぶえに、ぽっと赤黒い穴があくのが見えた。まさか鵯はそこまで狙ったわけでなく、その胸のあたりに銃口をむけたのだが、八幡、それが狂ってかえって相手の致命の個所に命中したのである。
弾正のからだがぐらっとゆらいだ。しかし、彼は落馬しない。のどに片手をあて、例の銀のようにひかる眼で、じいっと自分の狙撃者を探している。――
鵯は狼狽《ろうばい》し、またひきがねをひいた。厨子丸のあずけた短銃は七連発であった。弾正の胸にこんどはぱっと血がしぶくのが見えた。
この突発した凶変に、さしも護衛の根来僧たちも、ぎょっとしてのども足もひきつらせ、一瞬、二瞬、声もあげず、金縛りになっていたが、たちまちどよめき立ったのを、
「待て。――女らしい」
落着いた声で弾正はいい、そのまま馬首をこちらに向けた。魔人としか思われぬその形相《ぎようそう》に、ふらふらと鵯は躑躅の花のかげから立ちあがったが、もはやひきがねをひくはおろか、逃げることさえ忘れている。
弾正は馬首は向けたが、馬を躍らせては来なかった。そのまま片腕を打振ると、一条の縄が黒い蛇のように空中をうねって来て、くるくるっと鵯の胴に巻きついた。
――と、驚くべし、彼女は袖も裾も黒髪もひるがえし、まるで縄の上をころがるように空中を飛んで馬上の弾正へ巻き寄せられていたのである。
「鉄砲をとりあげろ」
と、鞍の横にぶら下った鵯を見下ろして弾正はいった。
この場合に鵯は、弾正が片手をあげて、血まみれののどと胸の肉をつまんで射入口をべたりとふさぐのを、霞んだ眼で見あげたが、それっきり失神してしまった。
まるで蜘蛛の糸に巻かれた蝶みたいに女体を鞍にとりつけた縄を、そのままおのれの胴に巻いて、
「女ゆえ、成敗《せいばい》をとりやめることにした。はて、このあたりにまだこのように美しい娘が残っておったか? いや、ただの田舎娘であるはずがない。その鉄砲もただの鉄砲ではないな? そもそも、こやつ何者か?」
弾正はぶつぶつとつぶやいたが、ふと傍《かたわら》の輿の上の客に気づいて、
「では、宗及。このあたりで」
と、何事もなかったかのようにいった。
輿の客は五十半ばのいかにもゆったりとした容姿の人物であったが、かっと眼をむいてこちらを眺めたまま、応答の声もない。
「弾正は不死身《ふじみ》じゃ」
はじめて弾正はうすく笑った。
「天王寺屋、堺へのよい土産話《みやげばなし》が出来た喃《のう》。……」
そして、もはや辞儀もせず、馬を返した。供して来た法師武者たちも、それを囲んで城の方へひき返してゆく。
あくまで明るい五月の野の光と花が、ふいに眼をつむっていてふっとあけたときのように暗くなり、その中へ消えてゆく松永弾正の一団は冥府《めいふ》の軍兵の幻影としか思われなかった。
……どこまでいっても陽光は溶闇《ようあん》のごとく、輿の揺れは魔界の波を漂っているようだ。
「――あ、天王寺屋さま?」
そんな声をきいたのは、輿が西へ、さらに数キロもいったところであったが、駈けて来る二人の男を見ても、輿の客はまだうつろな眼をそちらに向けているだけであった。
「おお、やはり津田宗及さまじゃ」
と、三角形の奇相をした男は、歯をむき出してさけび、さらに埃《ほこり》を盛大にまいて輿のそばへ駈け寄った。
「おなつかしや宗匠、おや、何というお顔をなされておる。伴内でござるよ、一年ばかり堺を留守していたとはいえ、まさかこの伴内をお忘れではござりますまいな?」
「曾呂利か。――」
津田宗及はあいまいな声を出した。
堺の豪商天王寺屋のあるじで、また聞えた茶道の大家である。だれに対してももの柔らかで、しかも腹の出来た人物だが、いま伴内を見てもニコリともしない。――曾呂利伴内たちは、いま紀州から帰って来たところであった。
「宗匠。……こんなところを、いったいどこへ?」
「所用あって信貴山へ招かれ、これから堺へ帰るところじゃが」
「やあ、信貴山城!」
伴内はすっとんきょうな声を出し、ちらっともう一人の道づれの方をふりかえった。
「それは、信貴山城のお話、是非《ぜひ》承りたい。松永弾正さまには逢われたか」
「いま、そこまで送っていただいたところじゃが」
「やっ、弾正さまが、そこまで?」
伴内のぎょっとしたような奇声に、道づれがつかつかと寄って来た。厨子丸だ。
ようやくけげんな顔になって、宗及がいう。
「曾呂利、おまえこそこんなところで何をしておる?……助左衛門が案じて、このごろは呆《あき》れておったぞ。まるで糸の切れた凧《たこ》のようなやつじゃと」
「いや、わたしのことはともかく……弾正さまは御健勝でしょうな。むろん、御健在のはずでござるが。――」
「御健在も御健在、あれは魔物じゃ。恐ろしい化物じゃ。……」
「えっ? 魔物? 化物? とは?」
津田宗及はあたりを見まわし、先刻目撃した大怪異について話した。話すのもこわかったが、あれが果して事実であったか、どうか、人に語ってたしかめずにはいられなかった。
みなまできかず、厨子丸は水を浴びたような顔色になり、躍りあがってさけび出した。
「――鵯だ! 鵯がつかまった!」
そして、曾呂利をも捨ておいて、まろぶように駈け出した。
「厨子丸、どこへ?」
「鵯を助けねばならぬ。信貴山城へ!」
と、さけんで、無意識的に腰のあたりをさぐり、厨子丸は棒立ちになっていた。
「短銃は鵯が持っている。――いや、その鉄砲も弾正には役に立たなかったというのか?」
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妖の昼顔《ひるがお》
弾正の馬は、鵯《ひよどり》を鞍に縛《しば》りつけたまま信貴山《しぎさん》城へ上ってゆく。
電光形の石だたみの道が多いが、急な山で、至るところに石段もある。そこを弾正は、まるで平地のごとく馬をあやつってゆくのだ。
鵯はその馬腹《ばふく》で、蓑虫《みのむし》みたいにゆれながらふるえていた。
捕えられたことや、そのまま敵の城へつれ込まれてゆく恐怖もさることながら、この松永弾正という人間の恐ろしさを改めて――或《あ》る意味でははじめてといっていいほど思い知らされた感じである。いま、この縄に縛られていなかったら、その縄に捕えられたときのことが信じられないくらいだ。それより、その前、たしかに短銃がのどにも胸にも命中したのにこの男が平気でいるとは、何としたことだろう。――
弾正は不死身じゃ。
彼自身、うす笑いしてそらうそぶいたが、まさにその通りだ。いったいこんな武将がほかにいるだろうか。いや、こんな恐ろしい人間が地上にいるものだろうか?
石だたみの坂路のいたるところに、荒々しい石とうすよごれたしっくい塗込めから成り立った望楼や櫓《やぐら》があって、そこの銃眼から袈裟頭巾《けさずきん》の眼がのぞく。
「よくあとを警戒せよ」
いくつかの門を通るたびに、いちいち弾正はこう指図する。すると背後で、ギ、ギ、ギと厚い扉がしめられてゆくこともある。もはや何ぴとが潜入しようと望んでも、金輪際《こんりんざい》不可能であることを思い知らせるひびきであった。
……すでに伝令は先に走り、天守閣の下には迎えの一団が待っていた。
「やあ、思わざる土産《みやげ》を持ち帰った」
と、弾正が呼びかけると、鵯はどさりと地上へ落された。依然縄でくくられたままの姿を、ほかの法師武者がひきずり起す。
「鉄砲で撃たれたとな?」
そういった人間の顔を見て、鵯はこの場合に、「――きゃっ」という悲鳴をのどの奥でたてていた。
――松永弾正がもう一人、そこにいる!
いま自分を捕えて来た弾正と同じ服装、同じ岩のようなからだと銀色の眼を持つ人間が、出迎えた一団の中に立っている!
「されば、これがその鉄砲でござる」
と、馬から下り立った弾正が、鵯からとりあげた短銃をさし出すのを、弾正ではなく、それとならんで立っていた女人が、横から手を出して受取った。
――昼顔である。彼女は黙ってその銃に眼を落した。
待っていた方の弾正はそれをのぞきこみ、はたと鵯をにらみつけた。
「何やつじゃ、不敵にも弾正を撃ったとは?」
「…………」
「まさか、女一人でつけ狙ったわけではあるまい。主《しゆ》はどこの大名か、或いはほかに仲間がおるはず。――申せ」
「…………」
「牛頭坊、ほかに一味の者はおらなんだか。探したか?」
鵯に狙撃され、鵯を捕えた弾正は答える。
「申すまでもなく。――こやつ、たしかに高安村から追って来たやつ。されば供の半ばを残して高安村一帯を捜索させております。が、何しろかような鉄砲を所持しておる曲者、ほかにもまだ鉄砲があって、こやつの口を封じたりすればもと[#「もと」に傍点]も子もなしと、ともかくもこれだけは急ぎつれ参ってござる」
「この鉄砲――いままで見たこともないほど精巧な南蛮銃、それを持っておるだけでも、この女、及びその一味ただ者ではないぞ。女っ、一味を白状せい!」
弾正は吼《ほ》えた。鵯は最初一|瞥《べつ》したのみで、眼をとじていた。
いまや、あの不死身の弾正はほんものの弾正の影武者であることはあきらかであった。おそらく例の忍法僧の一人にちがいない。――ほかの法師武者が捜索に散ったことは鵯も知っている。いま厨子丸たちが高安村にいないことだけが唯一の安堵《あんど》のたねだが、しかし彼らがもうかれこれ紀州から帰って来ることもたしかだ。根来僧たちが待ちかまえているところに、何も知らないで帰って来たら? 自分の軽はずみな行動が、自分にこの危難を招いたことはさておいて、それを思うと鵯の心臓は早鐘をつくようであった。
もはや何をきかれようと、いかなる責苦に逢おうと、ただこの唇を結んでいるのみ。――
眼をとじている鵯の、その早鐘をついている心臓を、さらにぎゅっと鷲づかみにするものがある。いま吼えている弾正でも、あの怪異の影武者でもない。――
それは昼顔御前であった。
昼顔は先刻から一言も言葉を発しない。が、鵯は彼女がじいっと自分の顔を凝視しているのを痛いほどに感覚した。
しかし鵯は昼顔の恐ろしさをよく知らないのである。彼女から見れば、昼顔の方《かた》は、悪逆弾正の謀叛《むほん》によって京の二条の御所からさらわれた犠牲者なのだ。しかしいま鵯が昼顔の方《かた》に助けを求めず、かえって名状しがたい恐怖にとらえられたのは、ただこの女人がいま弾正の寵姫になっているという事実のほかに、最初の一瞥による本能的な予感からであった。昼顔さまは依然として美しい。いや、その美しさはいよいよ深まり、まるで別人のようだ。しかも、この心臓を鷲づかみにするような妖《あや》しさは?
そもそも助けを求めるにも、恐怖するにも、いったい昼顔さまが自分を御承知であろうか? 自分は昼顔さま付きの雑仕女《ぞうしめ》ではない。何百人といた二条の御所の雑仕女の中で、この方《かた》が自分の顔や名をお憶《おぼ》えになっているだろうか?
「やいっ、白状せぬか!」
弾正は地団駄踏んだ。
「女だてらに、あくまで口をふさぐ覚悟と見える。それがうぬのただものでないことをいよいよ白状しておるとは知らぬか。そんな覚悟がこの城で通せるものと思うておるか?」
「弾正さま」
とはじめて昼顔がいった。
「わたしがききます」
「なんじゃと?」
「ちょっと思いあたることがあるのです。あの人間|数珠《じゆず》の広間に通して」
昼顔はけだるげにいった。
「そして、きくのはわたし一人にして」
昼顔は鵯を知っていた。厨子丸《ずしまる》を恋する女を、彼女が知らぬことがあろうか。
のみならず、厨子丸が生きていて、おそらくこの鵯といっしょに暮しているのではあるまいか、という想像さえもしていた。
――あのさみだれの叛乱の一夜。
鉄砲を撃って炎の御所から逃れ去った一組の男女がある、という報告を根来僧から弾正が受けるのをきいて、彼女ははっとした。それは厨子丸と御台ではなかろうか、と思ったのだ。しかし彼女はそのことを弾正に黙っていた。
のちにこの信貴山城に来てから、その二人の逃走の目撃者であった法師武者を呼んで、もういちどそのときの様子《ようす》をききただし、いや男はともかく女はどうも御台らしくない。――やはり厨子丸と相愛の仲であった鶯という雑仕女は捕えられて殺されたし――あれはあの鵯ではないか? と思いあたった。
では、御台はどこに消えた? 御台が知恩院近くの墓所で弾正の家来に殺害された、という風評が嘘《うそ》であることは昼顔も知っている。知ってはいたが、御台さまが死んだ、という事実にまちがいはないのではないか、と昼顔は考えた。あの場合、御台が一人で御所から逃れ得るはずはない。おそらく御台は焼跡に散乱して残された千人前後の黒焦げの男女の屍体の中に入っていたものであろう。――
では、厨子丸と鵯はどこへ逃げた?
――堺?
ふっと、そんな考えが頭に浮かんだことがある。堺の納屋助左衛門が厨子丸を呼びたがり、また厨子丸も助左衛門を頼りに海外へ出たがっていたことを思い出したからだ。で、堺へゆく用のあった根来僧にそれとなく厨子丸の探索を依頼したことがある。鉄砲を持つ京から来た美童はいないか? 報告の結果は否であった。
一方で、あれ以来、弾正はむろん御台のゆくえを捜索させていた。「世には、御台は京で死なれたと触れい。その方が、御台が安心してまたこの世にお姿を現わされる可能性が多かろう。そのように見せかけて、内々こちらで探すのだ」と彼が命令した通りだ。が、その捜索の結果もまた無であった。
そんな結果が出たいちばん大きな理由は、しかし昼顔の探しかたがひそかであり、弾正の探しかたが一時的であり、そしてまた両者べつべつ、何の連繋《れんけい》もなかったことによるものであろう。
弾正の捜索が一時的なものに終ったのは、彼が昼顔に満足したからだ。捕えたときはほんとうの狙いは御台にこそあると思っていたが、この昼顔だけを手に入れて、それ以来――満足するどころか、弾正はたんのう[#「たんのう」に傍点]し切ってしまったのだ。
一方、昼顔の探索がひそかであったのは、彼女に迷いがあるからであった。
厨子丸はどこかに生きて暮している。――それを探しあてる。――この信貴山城につれて来る。――が、さて、そのあとをどうする?
ここへ来てから、昼顔は自暴自棄となり、弾正を眼前に根来僧と痴態をさらして弾正をからかっているけれど、そこには危い一線があることを彼女とて承知している。もし自分がからかいの域を出たら、それを決して許す弾正ではないことは承知している。
ここに厨子丸をつれて来たら?
死だ。厨子丸にとって、それ以外の運命はない。――昼顔の沈黙と隠蔽《いんぺい》はそこから発した。
彼女がときどき、それまでの様子とはまったく無関係に、虚無の深淵をのぞきこんでいるような、また白日夢を夢みているような表情を見せて弾正を不安がらせるのは、実は厨子丸の幻をえがいているときなのであった。
迷妄のうすげむりの中に漂うこと一年。――
いま、突如として、その幻のかけらが実体となって、向うから彼女の眼前に現われた。
「鵯と申したな?」
と、昼顔はいった。
「わたしはおまえを知っている。――」
――ああ、やはりそうであったか、と絶望する心すら、鵯は麻痺していた。自分のつれ込まれた場所の恐ろしい光景を見てからはである。
そこは例の天守閣の一室であった。狭間《はざま》を通す薄暗い光の縞に林立する柱、それにしっくいの壁、みな黒ずんで、しかも斑《まだ》らなしみ[#「しみ」に傍点]までついているのは、ただのよごれではないようだ。そのまんなかに男女の輪があった。それがみな口から黒い紐を垂らして、おたがいをつないでいる。――
「二条の御所の雑仕女《ぞうしめ》であったな」
鵯は黙っていた。
弾正や僧兵を近づけなかったところを見ると、昼顔さまは味方か。いや、それにしても自分をこんなところへつれ込んだところを見ると、やはり味方とは思えない。
「なぜ、弾正どのを撃った?」
「公方さまのお恨みをはらすためでございます」
鵯はやはり口を切った。相手が昼顔であればこそ、そのことだけはいわずにはいられなかった。鵯は昼顔をきっと見あげて、はげしい口調でいった。
「昼顔さまはここで何をしていらっしゃるのです。怨敵《おんてき》松永弾正の城で。――弾正の謀叛で御落命なされた公方さまや御台さまのお恨みはお心にないのでございますか!」
これに対して、昼顔の反応は意外にものしずかであった。
「……やはり、御台も死なれたか」
と、つぶやいた。
「おまえ、御台さまのおんなきがらを見たかえ?」
「いえ。――弾正の家来のために討たれなされた、ときいたばかりでございますが」
昼顔はくびをかしげた。が、鵯の返事に、この点についてはこの女にこれ以上きいても得るところはない、と判断したのであろう。
「それはそれとして、鵯、信貴山に来たのはおまえ一人ではあるまい。ほかにもだれかいるであろうが」
「…………」
「弾正どのもおたずねであったが、いかに公方家の雑仕女であるといえ、女一人で弾正どのを狙ってここに来るはずがない。――」
「…………」
「それに、この鉄砲」
昼顔は、手にしたポルトガル短銃をひねくりまわした。それから、どういう心境か、それを頬にあてて、頬ずりをした。
「その者の名をいいやい」
鵯はまた唇を真一文字に結んだ。昼顔は声をひそめた。
「おまえ、その者と夫婦《めおと》になったかや?」
「…………」
「夫婦になっても、なお弾正どのを討ちに来る。その者の心にはあの女の影がある。おそらく弾正どのを狙うのは、公方さまのためでなく、その女の敵討《かたきう》ちのためであろう」
「…………」
「たとえ夫婦になったとしても、おまえはあの女ほど憎うはない。なぜなら、あの男の心にはあの女、御台のことしかないことを、わたしは前から知っていたからじゃ」
「…………」
「あわれ、鵯よ、自分が、ほかの死んだ女を想う男のいけにえとなっているのも知らず。――」
昼顔の嘲笑を邪悪なものと見ぬいても、あやうく鵯はさけび出すところであった。相手のいうことが、いちいち自分の肺腑を刺すことを感じたからだ。
「いわずとも、その男の名はわたしが知っている。厨子丸――わたしがいちばんいとしいと思うておる男の名じゃもの」
鵯は愕然《がくぜん》とし、身ぶるいした。
「殺しはせぬ。殺しとうはないからこそ、おまえからそっとききたかったのじゃ。厨子丸はどこにいる? それをわたしに教えてくれれば助けられる見込みはある。――それをきかずとも、やがて根来僧どもが探し出して来るであろうが、そうなったあとではもう遅い。いまきけば、わたしから打つ手がある。これ、鵯、厨子丸はどこにいる?」
もはや、どんなことがあっても口はきくまい、と鵯は決意した。わたしはただこのまま、ここで死んでゆこう。
「いわぬと心に決めたとて。――」
昼顔はうす笑いしてうなずき、片手をあげた。
人払いしたといっても、入口には二、三人の法師武者が立っている。合図されて、その一人が歩いて来た。
「ちょっと、この女に、人間数珠の作りようを見せてやりゃ」
巨大な法師は、じろじろと鵯を見ていたが、ふいに、
「この女――処女《おとめ》でござるな」
と、いった。昼顔は眼をまろくした。
「えっ、処女? そんなはずはない。――なぜわかるえ?」
「からだを見ただけでわかり申す」
法師は酒やけした赤い大きな鼻をうごめかした。
「なんなら、その証拠を昼顔さまの御見《ぎよけん》に入れ申そうか?」
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雲の裂け目
昼顔は改めてしげしげと鵯《ひよどり》を見まもったが、すぐにくびをふって、
「当麻《たいま》坊、この女はこのあと殿に見参させる。そのことは殿よりとくに念を押されて、お許しを受けていまわたしが取調べておるのじゃ」
と、いった。弾正がそんな要求をしたのは、再|訊問《じんもん》の必要ばかりではないということを昼顔も承知している。弾正の好色を充分そそり得るだけの美しさを持った鵯であった。
「もし処女《おとめ》とあらば、この女いよいよ傷ものにしてはならぬぞ」
「……さて、それはこまった」
当麻坊と呼ばれた根来《ねごろ》僧は思案|投首《なげくび》の態《てい》になった。
「では、人間|数珠《じゆず》はいかがでござろう」
といったところを見ると、最初「この女が処女である証拠を見せよう」といったことの内容はべつにあったと見える。
「人間数珠? さて、あれは」
昼顔はくびをかしげた。忍法僧たちが捕虜を拘禁する手段として用いる稀代《きだい》の忍法、それは口から肛門へ黒髪の縄を通す術で、いま昼顔がそれを見せてやれといったのは、単なる脅《おど》しの意志に過ぎない。それでどうしてこの女が処女であるか否かがわかるのか。
当麻坊は答えた。
「されば、あれを口から女陰へ通します」
「えっ?」
「その破瓜《はか》による出血を御覧に入れたい。――」
――昼顔は心中に、いや、それはいけない。弾正の許すことでない、と考えたが、それよりも当麻坊の提案した人間数珠の変法に強烈な好奇心を抱いた。
「そんなことが出来るかえ?」
「それはこのごろ拙僧が心血をしぼって編み出したもの、おそらくこのわざの出来るは三万の根来僧中、かく申す当麻坊一人のはずでござる」
「では、やって見や」
「心得てござる」
ずかと歩み寄り、毛むくじゃらの腕をのばされて、鵯は反射的に立ち上って逃げようとして横に転がった。両腕はまだ背に縛りあげられたままで、からだの平衡《へいこう》を失ったのだ。
「待ちゃ」
昼顔はとめた。
「その前に――それを、あそこの女一人を試《ため》し台に見せてたも」
当麻坊はちょっとあてがはずれた顔になったが、すぐに大きくうなずいた。
「いや、お気づかいは当然、かしこまってござる!」
そして、その大広間の隅にかたまっていた例の一団の方へ歩いてゆき、中から、際だって豊艶な二十三、四の女をさらい出して来た。
「おまえもこちらに来や」
昼顔は、鵯の縄を引っ立てた。抵抗したとて、及ぶことではない。その方へ曳《ひ》かれてゆく鵯を、途中で昼顔はふとふりかえった。
「おまえ、まことに処女《おとめ》かや?」
一言では形容の出来ない表情であったが、すぐにそれは嘲笑と変った。
「もしそれがまことなら……おまえは厨子丸の何であったのじゃ?」
これに対して鵯は、怒る気力もうなだれる余裕も失っていた。彼女は、人間数珠なるもののそばへ近づいて、その男女が口から黒髪の縄を吐いているのをまざまざと見、かつ当麻坊が女を抱いてこちらに戻りながら、片手でまるで紙でも破るようにその衣服をひき裂いてゆくのを見て、頭髪も逆立たんばかりの恐怖のために、くいしばった歯のあいだからさけび声が出そうになるのをからくも抑えた。
とはいえ、こうそばに寄っても、まだこの奇怪な円形集団の意味がよくわからない。いまの昼顔と法師の問答をきいてもわからない。が、わからないなりに、さけび声どころか、内臓まではき出しそうな恐怖が彼女を襲った。
法師武者は人間数珠のまんなかに、全裸の女体を横たえた。それから離れて、数珠の黒い縄のいちばん余っている部分をひいて、もとの位置に戻った。その間も、女はもはや半失神の態《てい》で、たたきつけられた蛙《かえる》のごとく仰むけになっている。――
「では」
と、そのそばに膝をついた当麻坊がいって、にたっとして昼顔と鵯を見あげたとき、入口の方でどよめきが起った。
見張りをしていた根来僧が、外から来た一団と何やら声高《こわだか》に話している。――その一人が、こちらをむいてさけんだ。
「一味がつかまったらしゅうござるぞ!」
昼顔がはっとして眼をそこにそそいだとき、その群の中から、うしろ手に縛《しば》りあげた男の縄を引いて、新しい法師武者が入って来た。
「逃げられぬと観念したか、こやつの方から一人、城の門をたたいて――先刻松永弾正さまを女に狙撃させたのはこの自分だ、と名乗りあげて来申した。が、見れば曲者《くせもの》にしてはあまりに弱々しき若者、みな半信半疑でござったが、ともあれ昼顔のお方さまの御前につれてゆけと申しますゆえ、ここに曳いて参りましたが、お覚えのある男でござりましょうや」
そこに立った乱髪の囚人を見て、
――厨子丸《ずしまる》!
二人の女は同時にのどの奥でさけんだが、声にはならなかった。
「……ず、厨子丸どの!」
やっと鵯が声を出した。
「おまえ、どうしてここへ?」
これに対して厨子丸は、いちど眼ではうなずいて見せたが、すぐにもと通りの水を浴びたような顔色に戻っていた。彼は昼顔を見、またまわりの光景を見て、ちょうど鵯が最初に一|瞥《べつ》したときと同様の戦慄に打たれていたのである。
昼顔はなお黙って、厨子丸を眺めつづけた。ほんの十数秒のことであったが、彼女には時の経過もわからないほどの時に思われた。そして彼女は自分の表情も徐々に変って、にいっと妖《あや》しい笑顔を作っていることさえ意識しなかった。
「昼顔さま、いかがいたす?」
法師武者がうながした。昼顔はわれに返った。
「この男のこと、まだ弾正どのに申しあげてはおらぬな?」
と、ふりむいていった。
「御意。こやつ、昼顔さまなら自分を御存じのはずだ、と申すゆえ、ともかくもまずこちらへつれて参った次第」
昼顔はうなずいて、それからきっとして当麻坊にいった。
「見しゃ」
当麻坊はこの異変にやや気勢をそがれた態であったが、昼顔のけだるげな、しかし名状しがたい迫力に気圧《けお》されて、
「は」
と、答えた。
当麻坊は、床に仰むけになった豊満な女体の口と股間に両こぶしを置いた。その両こぶしのあいだには、たぐって来た黒髪の縄がぴーんと張られ、彼自身の口には数珠がくわえられている。――
彼は眼をつぶっていた。
「……ぴいいいいっ」
その口から何かを引っ裂くようなひびきがもれると、口にくわえた数珠が切れて散乱し、女体の真っ白な胸から腹へかけて張られていた綱は消えていた。
人々はその黒髪の綱が、女の口と女陰から、出ているのを見た。――人間数珠の怪法を体得しているはずの他の根来僧たちもあっと眼をむいたままだ。
「この女、処女でないと見えて、血は流れませぬな」
と、当麻坊はしげしげとのぞきこんでいった。
昼顔もしばしこれを眺めいっていたが、やがて鵯の方へ、さらに厨子丸の方へ眼を移した。
「鵯をな、こうしてやろうと思うておった」
と、つぶやいて、
「やはり、おまえであったか?」
と、はじめて厨子丸にいった。
「厨子丸、おまえが信貴山に乗り込んで来たのは、御台のお恨みをはらさんがためか」
そのときまで浮かんでいた例の妖しい笑顔はそのまま凍りついて、花氷《かひよう》のような印象に変った。
厨子丸は縛られたまま、がばと膝をついていた。
「昼顔のお方さま、その女、お許し下さりませ。……罪はこの厨子丸にござりまする!」
「ちがいますっ、厨子丸どの、わたしが悪いのです!」
鵯はさけび出した。
「わたしがおまえに無断で、勝手なことをしたのがいけないのです。わたしをこのまま死なせて! おまえはなぜ逃げないで、こんなところへ来たのですか?」
「その通り、厨子丸、なぜおまえは城に来たのじゃ」
昼顔はきいた。
「この女を救うためか?」
くびをかしげた。
「どうやらこの女を、女房にもしておらぬらしいのに?」
「それゆえに、いっそう鵯を殺してはならないのでござります」
と、厨子丸は身をもんでさけんだ。
それゆえに、という言葉の意味する心理は一言では説明しがたいし、説明する意志もないが、それは厨子丸にとって真実のものであって、彼があわてふためく曾呂利伴内の手をふりはらい、まっしぐらにこの城へ一人駈け込んで来たのもひとえにこの真実のためにほかならない。
「昼顔のお方さま、鵯を放《はな》って下さりませ。その代り、厨子丸、いかなるお仕置をも受けまする!」
「おまえが。――」
昼顔はいった。
「わたしのどんな仕置でも受けるとえ?」
厨子丸が身ぶるいしたとき、
「よいわ、この女、放してやろう。おまえの女房でもない女ゆえ。――その代り、厨子丸、おまえがここに残るならば」
と、昼顔は笑顔でうなずいた。そして、また狂気のごとくさけび出そうとした鵯にあごをしゃくって、
「うるさい。城外へつれていって捨ててたも」
と、法師武者に命じた。
二、三人の根来僧が鵯を引っ立てるとき、たがいに眼でうなずき合うのを見て、はっとして厨子丸は顔を昼顔の方へふりむけた。
「昼顔さま。――もう一つ、お願いがござります」
「何じゃ」
「この鵯が無事で逃げた、という証拠が欲しいのでござりまする」
「ほ? どんな証拠を。――」
「されば――鵯、おまえ――堺へおゆき――堺へいったら、堺からべつのだれかに使いに来てもらって、無事であったとわたしに知らせておくれ」
――おそらく鵯はこのことについては曾呂利と相談するだろう、と厨子丸は考えた。彼女の安全を保証し、確認する法はそれしかない。
「ここから堺までは十里足らず。三日もあればその使いの者が来るだろう」
「厨子丸、その条件きかなんだらどうするえ?」
「……舌かみ切って死にまする!」
法師武者が床を踏み鳴らした。
「しゃらくさいっ、それが殿を狙撃し、自首して出たやつの申し分か!」
「勝手に死ね、いや、こっちでそのまま、その細首|刎《は》ねてくれるわ」
昼顔は制した。
「黙りゃ。この者どもの処置はわたしがする。……よし、それではその通りにしてやりゃ」
法師たちがなおためらい、また鵯が身もだえしはじめたのを見て、昼顔ははじめて美しい鬼女のような形相になった。
「つれてゆかぬか、根来坊主ども、わたしのいうことがきけぬかえ?」
日中はあんなに美しく晴れていたのに、夜になってから雲が出た。水墨をにじませたような雲が、どんよりと空を覆《おお》っている。ようやく雨の多くなる季節なのである。
信貴山の南麓|王寺《おうじ》の村はずれに、鵯は放り出された。
「ゆけ」
「西の竜田《たつた》山を越えれば河内国《かわちのくに》じゃ」
何やらみれんげに、またそれゆえにここで放すのがいかにも心外のごとく浴びせたのち、三騎の根来僧はまた信貴山の方へ駈け去った。
夜の路上に、鵯は立ちつくして、そのゆくえを見送っていた。いや、そのゆくえではなく、信貴山の空を。
抵抗することもならず、ここへ放り出されたが、むろん見知らぬ堺へなどゆけるものではない。あの厨子丸を捨て置いて。
さればとて、これから、信貴山へひき返して、何が出来よう。いや、信貴山城へひき返すことすら不可能ではないか。
鵯はそこに凍りついたようであった。しかも、心臓はねじれつつ、熱く脈打っている。そこからさけび出す声は、
「……厨子丸どのはわたしを救うために信貴山城へ来てくれた!」という声であった。
「鵯。――」
どこかで、かすかな声が聞えたのは、三匹の送り狼が去ってから十数分もたってからであった。
「いってしまったか、あいつらは。――鵯」
瓜畑《うりばたけ》の中から、曾呂利伴内が現われた。路上に出て、なお騎馬法師の消えていったあたりをじいっとうかがっていたが、やがて恐る恐る近づいて来て、
「いったい、こりゃ、どうしたことじゃ? おまえ……ほんとうに鵯か?」
と、のぞきこんだ。
「厨子丸はどうした? わしが半狂乱になってとめても、このことのために鵯を殺しては申しわけが立たぬ、といい張って、わしの手をふり払って城へいってしまったが。――」
鵯は涙も魂も涸《か》れはてたように、ぼんやりと伴内を眺めている。
「いったい、このことという、そのことが無謀であったのじゃ。松永弾正を一人で狙うなど。――といっても、きく耳もたぬ執念であったから、わしは黙っていたが、いかに御所に奉公したとはいえ、一介の雑仕の身を以て、ただ一人、公方さまのお恨みをはらそうなどとは、あまりな大望、むしろ、出過ぎたふるまいだといえる。いや、いまここで、そんな泣きごとをならべてもしかたがないが。……厨子丸は、城に入ってどうした? おい、鵯。――」
「城は恐ろしいところです。……」
うなされたように鵯はつぶやいた。
「そして、あの昼顔さまは、城よりも弾正よりも恐ろしい。――」
「昼顔御前が……どうした?」
「あのお方は、厨子丸どのに邪《よこしま》な思いをかけておいでなされます」
「昼顔さまが、厨子丸に――いつから?」
伴内は、くびをかしげ、何かを思い出そうとする表情になった。
「こんど、わかったのです。京にいたころから」
「おい、昼顔さまは公方さまの御愛妾だったおひとだぞ。それが、いかに美少年とはいえ、雑仕の厨子丸にか。――そんなことがあり得るか」
「あるんです。でも――厨子丸どのが御台さまに想いをかけ、弾正を討つのは御台さまの敵《かたき》を討とうというのが本心だ――ということを知っていなければ、わたしも信じなかったでしょう」
悲痛な鵯のつぶやきに、伴内は面《おもて》を叩かれたような表情で見まもっていたが、やがて、
「恋に上下の隔てなし、という意味か。――それにしても、そ、そんな阿呆《あほう》な!」
と、呆れはてたようにいって、空を仰いだ。
水墨みたいな雲が、その部分だけ薄れて、青い月が顔をのぞかせた。
「公方さまの御台さまは、堺に生きてござるものを。――」
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春告鳥《はるつげどり》
鵯《ひよどり》は雷《らい》に打たれたようであった。
いま、ばかばかしさのかぎり、といった顔をした曾呂利伴内《そろりばんない》は、こんどはニタニタと笑っている。これはだれでも驚くだろう、といささか得意にもなったのだ。
「御台さまが、堺のどこに?」
と、鵯はやがて放心的な声を出した。
「さ、おそらく納屋《なや》助左衛門さまにかくまわれてござると思うが」
「伴内どの、それほんとう?」
「そんな嘘《うそ》をついて何になる。あの弾正|謀叛《むほん》の一夜、助左衛門さまとわしがお救い申しあげて、堺へ落ち参らせたのじゃからな。嘘だと思うなら、堺へいってごらん」
伴内はげらげらと声を出して笑った。
「こりゃ可笑《おか》しい。生きてござるお人のために敵《かたき》を討とうとしてこの千辛万苦を味わうとは」
鵯はなおしばし、穴のあくほど伴内を眺《なが》めていたが、やがて歩いて来て、びしいっとその三角形の頬を張り飛ばした。
「わっ、何をする?」
「なぜそのことを、いままで黙っていたの?」
鵯は悶《もだ》えた。
「ひどい、ひどい、ひどい、伴内どの!」
「だ、だって――」
頬をおさえたまま、伴内はあわてた。
「おまえさんたちの目的が、御台さまの敵を討つためだなんて、何もいわなかったじゃないか。いや、わしは察してはおったがの。しかしそれは公方さまのお恨みをはらすためとばかり思っていたのじゃ。――もっとも――」
伴内はふいにあたりを見回し、声をひそめて、
「御台さま御存生のことを口外することは、かたく禁じられておったせいもある。考えてもみやれ、そのことが世に知られたら、何ともかんともいいようのない騒ぎとなるのは必定《ひつじよう》。――なかんずく、弾正どのの耳にでも入ったら、御台さまのおいのちはおろか、堺そのものが無事にはすむまい」
ありありと恐怖の表情になった。
「や、おまえさんたちの本心をきいて、あまりにばかばかしいので、思わず知らずこの秘密を口走ってしまったが、これをだれかにきかれたらと思うと、肌に粟を生ずる気がする。……鵯、このことは、頼む、だれにも申さんでくれいよ!」
鵯は依然として曾呂利の顔を――いや、闇を凝視している。
どうしてあの夜、御台さまが御所から逃れなされたのか、詳しいことはまだきかないが、伴内のいうことはほんとうらしい。それをいままで黙っていたことについての伴内の弁明を納得したわけではないが、このゆきちがいの責任は、伴内のみならず厨子丸と鵯の方にもあった。復讐の目的が公方さま御夫妻のためであるにせよ、御台さまおひとりのためであるにせよ、むろんだれにも打明けるべきことではないから、彼らも沈黙して来たからだ。しかし、その責任のありかを、いまさら糺《ただ》す余裕は鵯にない。
思いはただ一つ――御台さまが生きておわす! その一事であった。
鵯は頭をめぐらして、黒い信貴山の影を仰いだ。――それから、歩き出した。
「お、おい、鵯、どこへゆく?」
「厨子丸どのを助けねばなりませぬ。信貴山城へ!」
「――そ、それと同じことを――鵯を助けねばならぬといって厨子丸が城へ乗り込んでいったが、こんどはおまえさんがまた城へゆく――そ、そんなむちゃな!」
「厨子丸どのは、わたしを助けるために来てくれました。わたしも、それをきいた以上、城へゆかなければなりませぬ」
鵯は歩いてゆく。
「厨子丸どのを見捨てて、わたしは逃げる気はありませんでした。ただ、どうしたら厨子丸どのを救えるか、と迷っていたのです。けれど、御台さまが生きていらっしゃる、ということを知った上は、どうしても厨子丸どのを助けなければなりません。せめて、そのことを厨子丸どのに知らせなければ」
「な、な、なんたる。――」
追いながら、曾呂利はひっくり返りそうになった。
「厨子丸に知らせるといって、どうして知らせるのじゃ? それを弾正に知られてみろ、厨子丸のいのちどころか、それ、いまいったように堺が――おい、待ってくれ!」
鵯は歩いてゆく。伴内は頭をかきむしった。
「ああ、いわなければよかった! これ、鵯、それでは一切合財《いつさいがつさい》、みな破滅となるぞ!」
「厨子丸どのは、死ぬ覚悟なのです。けれど、御台さまが生きていらっしゃることを知ったら、きっと生きる気を起します。……」
「さ、だから、どうして知らせるというのじゃ? どうして松永に知らせずに、そのことを厨子丸に知らせるのじゃよ? おまえさんは、何といって城へ帰るのじゃ?」
鵯は歩いてゆく。もう返事もしない。
曾呂利の問いに答える内容を彼女は持っていない。ただ、厨子丸にこのことを知らせなければならない、という至上命令を感じるばかりだ。――それにしても、御台さま御存生、この驚くべき事実を知ったとき、厨子丸が飛んで火に入る夏の虫のごとく、敵の城に捕われているとは!
しかし、鵯の眼には涙があふれて来た。それを知らせ得るか否かはまだ知らず、厨子丸にとってこれは天来の吉報にちがいない。――が、自分にとっては吉報だろうか?
「それにしても」
と、伴内も両腕をねじり合わせて、のどを鳴らした。
「いちばん知られてはならぬやつのところへ、それを知らせにゆくとは?」
突然、彼は立ちどまった。そして、鉢のひらいた頭を自分で叩いた。
「それより、何よりばかばかしいのはこのわしじゃて。厨子丸がそれほど御台さまのことを思っているならば、はじめからそのことをそっといってやれば、らくらくと堺へつれてゆけたものを!」
ふっと彼はその頭をななめにかたむけた。遠ざかってゆく鵯を見送ったまま、彼は考えこんでいる。
大変なことになったと思う。大変なことになると思う。
厨子丸や鵯のいのちの問題のみならず、放っておけば、まさに堺の破滅につながる。――
「よしっ」
と、突然彼は奇声を発した。
「わしもゆこう!」
どうしてそんな勇気が出たのか、自分でもわからない。彼は天下一の臆病者たることを自任している。が、この場合、絶体絶命の恐怖からまず智慧《ちえ》が出、その智慧から勇気がしぼり出されたのだ。
「わしがゆかねば、このことがうまくゆく可能性は一つもない。わしが信貴山城へいって、一世一代、富楼那《フルナ》の弁をふるう!」
富楼那とはお釈迦さまの十大弟子中、一番のおしゃべりのお坊さまの名だ。
「厨子丸、わたしをつれて逃げておくれ」
昼顔は厨子丸にからだをすり寄せてささやいた。
いつしか夜となった例の大広間である。出入口にはまだ数人の法師武者が見張りをしている。それには聞えぬ声だが、昼顔の様子は、彼から見ても異様だろう、眼をぱちくりさせてこちらを見ているが、昼顔はそれに気をつかう余裕も失っている。
「わたしはおまえが生きていることは知っていた。おまえを探し出してここへつれて来るように、何度そう考えたことか。……でも、それを迷っていたのは、おまえをここへつれて来ても、おまえのいのちはないと思ったからじゃ。これほどわたしがおまえを愛していることを知られれば、おまえはきっと殺される。きょう、鵯がつかまって来ても、おまえばかりは助けたいと、人知れずわたしはどれほど気をもんだことか。……けれど、いまおまえを見て、わたしは決心した。厨子丸、ここを逃げよう」
まだうしろ手にくくられたまま坐っている厨子丸に、昼顔はからみつく。燃える美酒のような息が、彼の頬を灼《や》く。
「追手がかかり、殺されても本望じゃ。おまえといっしょならば」
「いま、殺して下さりませ」
厨子丸は顔をそむけていった。
「わたしはどうせ死ぬつもりでここへ来たのです」
昼顔の眼にちらっと怒りの火影《ほかげ》がきらめいたが、しかし彼女はかきくどく調子を変えずにいった。
「いや、わたしがついておれば死ぬことはあるまい。弾正どのはおまえがつかまったことはまだ知らぬ。わたしならば、おまえをつれて城をぬけ出せよう。それから、どこへゆこうか。天下に身を置く場所はないようであれど、またこの乱世ゆえ、どこへでも船を潜《ひそ》めるところはあろう。何にしても昼顔は、おまえといっしょであれば本望じゃ。……」
厨子丸は身ぶるいをした。――曾《かつ》て彼は、この女人の口から同じ言葉をきいた。そうだ、京の五条の南蛮寺近くの寺の境内で。
彼の頭には、そのときいっしょだった鶯《うぐいす》の姿が浮かんだ。あの影のように果敢《はか》なく、そして死ばかりは無惨のきわみであった哀れな鶯が。
「昼顔さま」
彼は顔をふりむけた。
「なぜあなたさまはいままでここにおいでなされたのでござります。恐れながら、おめおめと弾正の――」
いわずにはいられなかった。
「鶯でさえ、死にましたのに!」
「わたしも、御台の身代りになって死んだ方がよかったというのかや?」
昼顔の顔に、また憎しみの炎が燃えたちかけたが、ひたと自分をにらんでいる厨子丸を見ると、
「ああ、おまえの顔を見ると、わたしはたまらぬ」
といって、両掌で厨子丸の頬をはさんで、かぶりつくようにその口に吸いついた。
「おまえがわたしを蔑《さげす》むのは当然じゃ。けれど厨子丸、わたしは決して倖《しあわ》せではない。わたしもまたあの一夜以来、死んだからだと同じなのじゃ。……」
口をあけたまま、彼女は悶《もだ》えた。死んだからだというには何という熱さだろう。厨子丸の顔は濡れつくした。昼顔は泣いているのであった。
「が、わたしはいま生き返ったような気がする。厨子丸、わたしをつれて逃げておくれ。わたしはおまえのいう通り、鵯《ひよどり》を逃がしてやったではないか。それだけでも、あとで弾正どのに知られたら無事にはすむまい。けれど、わたしはもうどうなってもよい。……」
逃れようとする厨子丸の顔に、白い蛇みたいに腕を巻きつけて、昼顔は喘《あえ》ぐ。こうかきくどきながら、厨子丸の唇を吸い、頬を吸う。――法師武者たちは呆れたようにこれを見ていたが、昼顔はもはやまったく狂乱の姿であった。
「逃げずともよい、厨子丸、いま、わたしをここで抱いておくれ。……」
厨子丸は恐怖した。恐怖し、逃れようとしたのは、昼顔の口のいとわしさではなく、またその訴えの理不尽さでもなく、この場合に、この女人の息のかぐわしさ、唇の肉の蠱惑《こわく》に、あらゆる理性も感情も燃え溶けそうな恐ろしさを感覚したからであった。
ふいに彼を縛っていた縄が解けた。
「あ。……」
「わたしが切ってやったのじゃ」
昼顔の手には懐剣がひかっていた。
彼女はそれを床《ゆか》に置き、また指さした。
「ここに刀があり、あそこに鉄砲がある。鵯が持っていたものじゃが、おまえの南蛮《なんばん》銃であろう。そのどちらを使おうとおまえは自由じゃ」
厨子丸がちらっと入口の方を見たのは反射的な動作であった。しかし、そこにいた法師武者たちも驚いたらしく、つかつかとこちらへ歩いて来ようとした。
「退《さが》りゃ!」
昼顔はさけんだ。
「おまえたちの知ったことではない!」
根来僧たちは足を釘づけにした。恐るべき昼顔の権威ではある。
そして昼顔は、なんとおのれの衣服をぬぎ出し、そこの床に敷きはじめたのだ。
あっけにとられて眼を見張っている厨子丸の前に、撩乱《りようらん》たる褥《しとね》を作った昼顔は、燭台の遠あかりに妖艶とも凄艶《そうえん》とも形容を絶する全裸の姿を横たえた。
「厨子丸、わたしと交合しておくれ」
彼女はこういった。にいっと笑った。
「いやならば、その刀で刺すなり、その鉄砲で撃つなり、いまわたしを殺すがよい!」
厨子丸は金縛りになった。もはや自失のためではなく、この堕天女の圧倒的な迫力のために。
そのとき、入口の方がまたどよめいた。みけんに針を立てて、昼顔がまた叱りつけようとしたとき、厨子丸がふらふらと立ちあがった。
「鵯!」
鵯が、法師武者につれられて入って来た。
法師武者がいった。
「昼顔のお方さま。……殿がお呼びでござりまする」
これは先刻から見張っていた根来僧たちとは別人のやつだ。さすがに昼顔は起きあがり、ややうろたえて、いまぬいだ衣服をつけはじめている。
「そ……その女、どうして帰って来たのじゃ?」
と、やっといった。
「何ゆえかは存ぜぬ。たったいま、この娘、もう一人の堺の実力者と称する男とともに城の門をたたき、その御仁は殿と談合中でござるが、殿が昼顔を呼んで参れと仰せられる。またこの娘はここに放りこんでおけとの御下知で。……」
「堺の実力者?」
「なんでも納屋助左衛門のふところ刀といわれておる御仁だそうで」
「それが、わたしと……何の関係があるのじゃ?」
と、いったが、ここでそういってみたところではじまらない。――そもそも、鵯が最初につかまったとき、自分がひとり取調べるといって強引にここへつれて来たときから、弾正に何の連絡もしていないことが――ましてその後、勝手に鵯を釈放したりしたこともあり――昼顔の気にはかかっていたのである。とにかく、その解き放たれた鵯が、ふたたびこの城へ帰って来たことはただごとではない。
「いってみよう」
昼顔はふきげんな顔でうなずいた。そして、じろっと厨子丸と鵯を見、根来僧たちを見た。
「逃がすでないぞよ」
彼女が出てゆくのを、一礼して見送った法師武者たちは、そこの厚い戸をしめて、内側にずらっと仁王立ちになった。槍、薙刀《なぎなた》を床について、全部で五人いた。
近づいて来る鵯を厨子丸は眼を見張って迎えた。彼女がどうしてここへ帰って来たのか、そのいぶかしさもさることながら、彼は鵯の眼の異様なかがやきに気がついた。
「厨子丸どの」
傍に寄って、鵯はささやいた。
「声を立てないで下さい。――御台さまは生きていらっしゃいます」
はじめに釘を刺されたにもかかわらず、厨子丸はのどの奥で、けくっと声を立てた。
「――そりゃ、ほんとうか?」
「――ほんとうです。境にいらっしゃるそうです」
「――え、堺? 堺のどこに?」
「――納屋助左衛門どののところに」
声は双方ともにかすれていた。これを外見、さりげなく話すのが超人的な努力であった。
鵯は微笑《ほほえ》んだ。
「さあ、厨子丸どの、これであなたも生きる気が起きたでしょう。……」
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戦国|蜃気楼《しんきろう》
ふいに根来《ねごろ》僧の一人が、つかつかとこちらに歩いて来た。鵯《ひよどり》と厨子丸《ずしまる》の問答は聞えないはずだが、何となく危険なものを感じとったらしい。
鵯は顔をあげてこれを眺め、それから床《ゆか》の一点に眼をやった。
短銃だ。なんと昼顔は倉卒《そうそつ》の間《かん》に忘れたのか、それともあとに強力な根来僧を残しておく以上はと油断したのか、そこに懐剣とポルトガル銃を残していったのであった。根来僧も気がついて、その方へ疾風のように駈け出した。同時に、鵯の姿も躍《おど》り立った。
一|梃《ちよう》の短銃めがけて、法師武者の猿臂《えんぴ》と鵯の足がのび――間一髪、鵯の足が早かった。その足の蹴った短銃は、床を滑って厨子丸の足もとに達した。
「しゃあっ」
激怒して、怪鳥みたいに鵯に襲いかかった根来僧が、そのまま大きくもんどり打った。耳もつんざく轟音の中に。
厨子丸が膝撃《ひざうち》の姿勢で、銃のひきがねを引いたのだ。
「わっ」
「こ、こやつ。――」
扉の前に立っていた残り四人の法師武者はこの突発事に驚愕《きようがく》し、槍|薙刀《なぎなた》をとり直し、或いは戒刀をぬきはなって殺到して来た。いや、殺到して来ようとした。その姿勢のまま、彼らは凄じい連続音とともに、のけぞり、つんのめり、横倒しになっている。
凄じい音響――四周が小さな狭間《はざま》をあけているだけの厚いしっくい塗込めの壁なので、それは反響して、まさに鼓膜も破れんばかりであった。
――その余韻が消えても、なお煙の漂う銃口をむけたまま、厨子丸は茫乎《ぼうこ》として立っている。
折り重なり、散乱した根来僧たちの中には、獣のようにうめいている者もあるが、だれ一人立ち上ろうとする者もない。――厨子丸は、生まれてはじめて人を殺し、また傷つけた。これがいま鵯の危急に動顛《どうてん》してのことでなかったら、厨子丸に果してこれだけの思い切った動作がとれたか、どうか。
それにしても、よくもまあみごとに命中したものだ。一年間、姉川のほとりで訓練したとはいえ、七連発銃のうち、五発で五人の根来僧を斃《たお》した。――この中には、鵯に撃たれても平然としていたあの「影武者」のような怪忍法の体得者は一人もいなかったと見える。
「厨子丸どの。……」
鵯が寄って来た。これまた蒼白な顔だが、強《し》いてにいっと笑《え》んで、
「さ、逃げましょう。……」
「どこへ?」
「堺へ」
「お、鵯、御台さまが生きておわすとは、どういうことだ。そのわけをきかせてくれ。……」
鵯の顔からは笑いの翳《かげ》が消えていた。
「そんなことをいま話している場合じゃないわ。一刻も早くここを逃げ出さなければ!」
鵯は厨子丸の手をひいて、扉の方へ走った。扉はひらいた。そして、その外に番兵は一人もいなかった。見張りはいまの五人に託し切っていたと見える。しかも、すぐに駈けつけて来る者の跫音《あしおと》もないようなのは、いまの銃声が大きかったわりに厚い壁にさえぎられたせいであろう。
二人はふりかえった。
奇怪な哀れな人間数珠は、いまの光景を見てどう思ったか、集団だから見当もつかないが、ようやくこのとき重々しくのた打ち出そうとしていた。
二人はいたましげに顔を見合わせたが、外に出て、扉をしめた。いま騒ぎを起されては万事休す。そして二人は、信貴山城をつつむ夜の雲の中へ飛び立った。
「つらつら、戦国の風雲を見わたすに。――」
曾呂利伴内はかん高い声でしゃべっていた。
「天下の覇者《はしや》たるべきお方は、二人しかおわさぬ。一人はそこにおわす松永弾正久秀さま、もう一人は尾張の織田上総介信長どの。――」
扇子でひざをたたき、声も涸《か》れている。
先刻から同じ内容の演説をくり返しているのだが、弾正がこちらをじろっと見つめたまま、何の表情をも見せないので、やむなく色々と苦しまぎれの新説などを混《まじ》えつつ、同じことをくり返さなければならない。
「こう見ておりますのは、この伴内ばかりではない。堺の会合《えごう》衆の意見でござるが、さらに伴内個人の見るところによれば、この御両人、実によう似ておわす。お顔もちがう、御出身もちがうのに、ようもこれほど似た個性が同時に日本に現われたものかな。まずその戦法の独創性、これは弾正さまの場合築城術に現われ、信長どのの場合は長槍軍団となって現われております。また承れば御両人、いずれも茶道の御趣味が深いとのこと。また何をなさるにも、その思い切ったる御性格。――」
ほんとうは、無慈悲なる残忍性、といいたいところだが。
「さらに、これこそ日本はじまって以来の――双生児《ふたご》のごとき相似の個性、と申しあげたいのは、お二方《ふたかた》ともまったく旧来の門閥、宗教、伝統などに、きれいさっぱり御縁のないお新しいところ。――」
苦しまぎれの新説といったが、この伴内の発見はたしかに当っている。弾正はすでに十三代将軍|義輝《よしてる》を弑《しい》したが、のちに信長は十五代将軍義昭を追放して足利家にとどめを刺している。また弾正はこの翌年奈良の大仏殿を焼いたが、のちに信長は比叡山を焼討ちにしている。いずれも当時としては物凄い破天荒の行為だ。
これらの行為といい、また築城術といい、弾正所有の茶道具に信長が執心したことといい――いま伴内は双生児と形容したけれど、弾正の方が兄で信長の方が弟だといってさしつかえないかも知れない。
しかし、歴史が証明するように、弾正はついに信長の前駆者に過ぎなかった。信長に比しては、彼といえどもまだ中世の殻をはるかに多量にこびりつかせていたのだが――それを嗤《わら》うよりもわれわれは、新時代の先駆者としての光栄を彼に与えるべきであろう。
「さても両雄ならび立たず天に双日なし、いずれかがいずれかをお滅ぼしにならねば終らぬ御運でござるが。――」
伴内はしゃべる。――弾正の顔色は、次第に真剣になっている。この堺の鞘師のおしゃべりは、たしかに肯綮《こうけい》に当っている。信長と自分と個性が似ているかどうかは知らないが、信長をだれより恐ろしい「東方の敵」と弾正が見ているのは、ここ数年来のことだ。
「そのいずれが覇者とおなりなされるか、堺にとってもさあ大変。長老連も松永、織田、両派に分れて必死の論議、実はあの鉄砲も要するにその悩みの果ての一策と思召《おぼしめ》して下さりますよう」
伴内はいうのだ。
弾正さまか、信長どのか、そのいずれが強いのか、そんな議論の果てに、ヒョイと松永家に名だたる例の忍法僧軍の話が出た。あれに敵《かな》うものは天下にあるまいというやつがある。いや、そんなものは信じられないというやつがある。むろん自分は松永派で、かつ忍法信仰派である。――
そこで納屋助左衛門の軍師的存在たるこの伴内が、ついに配下二人をつれて偵察《ていさつ》に来るのやむなきに至った。音に聞えた忍法僧軍のうち、最も注目すべきは不死身といわれる弾正さまの影武者牛頭坊どのである。それをこそいちど実見したいと思っていたが、はからずもきょうその影武者と思われる人物を城外に見るを得て、それが果して不死身であるか否か、チョイと配下の女に験《ため》させた。もともと松永派たるこの伴内は、影武者の不死身説の信奉者であったが、それにしても、それが事実であったことには、改めて欣快《きんかい》の念を禁じ得ない。――
「いや、これで伴内安心いたし、かつ鼻うごめかして堺へ帰れます。これにて、迷う堺をひとつにとりまとめて御覧に入れる。――」
ぬけぬけという。どうして弾正に影武者ありと知ったのか、またどうして鵯の撃ったのがほんものではなくて影武者であることがわかったのか、などということには、けろりとして知らない顔をしている。
なに、みんな津田宗及や鵯の話をきいて、あとから死物狂いに整理した知識である。
「さて、弾正さまか信長どのか、堺にとっても必死大事の選択でござるが、恐れながら松永家にとっても堺がいずれかに傾くかは、それ以上の大問題でござるはず。――」
伴内はいよいよ声をはりあげる。そして、
「はばかりながら、それによって弾正さまの御運もおきまりなされる、というほどの」
と、そっくり返って見せた。
これまた図星だ。その通りだ。
堺の富と能力、それこそは弾正にとってまさに大問題であった。町人出身だけに、だれよりも彼にはそのことがよくわかっているのだ。京の公方を討ったのも、東方の地平線を焼きただらしながら近づいて来る未来の大敵にそなえてのことといっていい。その敵が万一堺と結んだりすればそれこそ一大事、このことは彼にとって何よりも懊悩《おうのう》のたねで、さればこそいまのうちに堺をおのれの手中に入れて置こうと、実はその会合衆の一人たる津田宗及をこの城に招いたのもそのための布石の一つであったが、老獪《ろうかい》なるその堺の長老は、「いや仰せごもっとも」と穏和に相槌《あいづち》打ちながら、ひょうたんなまずのごとくぬらりくらりとして、何の手のうちも見せずに去った。――
この信貴山城からわずかに十里足らずの堺である。しかもまず無防備といっていい町人都市である。武力を以て服従を強制する、ということはいくども考え、その考えを抑えるのに苦しんでいるほどなのだが、それが弾正には出来なかった。
公方を滅ぼして恬然《てんぜん》たる松永弾正の鉄腕すらひるませるもの――それは堺の特殊能力であった。その貿易、生産、流通の、伝統、知識、組織は、へたに手籠めにすれば、その生命すら奪いかねず、むしろその媚笑《びしよう》のこぼれを見て――若干の軍資金でも得て満足するしかない、というのはただ松永弾正ばかりではなく、周囲の諸大名すべての態度で、かくて南北朝以来この戦雲吹きすさぶ時代と位置のまっただなかにあって、この町人都市がいまも桃源郷のごとき不可思議なる安泰を維持しているゆえんとはなったのだ。
「では、これにて、おいとまをいただきまする」
弾正の心中を見通したかのごとく、伴内は愛嬌よく眼を笑わせて、
「あの配下二人を頂戴いたしてな。いや、伴内の配下というより、あれは納屋助左衛門の秘蔵のもので。――弾正さまの御寛大なるお扱いを知れば、助左衛門さぞや満足いたしましょう」
しゃあしゃあとしていう。
納屋助左衛門、これが堺でも最も有力な人間であることは弾正も知っている。
しかも町人とは思えぬ豪宕《ごうとう》の気と腕っぷしを持ち、このごろ世にあふれる牢人などを大量に集めて何やらにそなえているらしいということも耳にしている。
「では」
立ちかけて、手さえ出しそうにする伴内を、
「待て」
と、弾正はとめ、そして近侍の根来僧に、
「昼顔を呼んで参れ」
と、命じたのであった。
この曾呂利伴内なる男が、果して本人の自称するがごとく堺の実力者か、ということはむろんはじめから大いに疑わしく、堺へ往来したことのある家来にきくと大半くびをかしげる。しかし鞘師の名人だ、という評判だけはきいたことがある、という者も二、三あった。そのときふと弾正は、昼顔の口から一、二度納屋助左衛門の名がもれたことを思い出し、どうやら助左衛門を知っているらしいので、ともあれ彼女を呼ぶ気になったのだ。
昼顔は来た。
そして弾正のささやきかける問いに、「……この男、存じております。たしかに助左衛門の家来でございます」と、うなずいた。いや、それ以前に彼女を一目見るなり、
「うひゃ、これはお久しや、おなつかしや、昼顔御前さま!」
と、伴内は奇声を発し、なれなれしげに笑いかけている。――
「よし帰してやれ」
と、弾正はうなずいた。
この伴内なる男の言動には、まだ胡乱《うろん》な、あやしげなところがある。狙撃した女、またその後報告によって知ったのだが、あとから城に来て昼顔のところへつれて行かれたという男、どうやら京の御所時代の知り合いらしいがそれと昼顔との関係、いろいろといぶかしいふしがある。しかし、それらすべてをひっくるめて、この際眼をつぶって、伴内ら三人を堺へ帰してやろうと弾正は方針をきめたのである。要するに彼らが納屋助左衛門の手のものならば、助左衛門に貸しを作っておくために。
「捕えてあるやつも解き放せ」
「か、か、かたじけのう存じまする! さすがは天下の大物松永弾正さま。――」
と、伴内が思わず米つきばったみたいに、二、三度ひたいをたたみにこすりつけたとき、また新しい報告が来た。しかも仰天すべき注進であった。
囚人二人を監視していた根来僧五人が、ことごとく射殺ないし重傷を受け、二人の囚人は脱走し、目下城内を捜索しているが、どうやら城からも逃げ出してしまったらしいという。――そういえば、遠くで颶風《ぐふう》みたいな喚声と跫音《あしあと》が聞え出したようだ。
「な、なに?」
これには弾正も立ちあがり、昼顔も愕然《がくぜん》としたようであった。
「逃すな、つかまえろ」
と、弾正はみずから歩き出し、ふとふりかえって、そこに人間の干物《ひもの》みたいに硬直してしまっている曾呂利伴内を見ると、
「そやつも捕えておけ、ええ、したり顔で長広舌をふるったは、このための謀計であったか。憎んでもあまりあるやつ、あとで音《ね》をあげさせるまで、こやつ人間数珠で縛っておけ!」
と、ひっ裂けるようにわめいた。
堺。――
濠《ほり》と運河に初夏《はつなつ》の雲が映っている。水に海の匂いがある。西の海以外は、深い大きな濠と運河にめぐらされた町であった。
その中に一歩入ると――碁盤の目のように整然たる大路小路が走り、その両側にならんだ店々に、だれしも眼を奪われてしまう。大廈《たいか》高楼のつらなりといっていい。しかも、その建物のかたち、売っている品物がまたエキゾチックだ。
あきらかに南蛮風のものあり、支那風のものあり、国は知らないが、東南アジア風のものあり、さらにむろん甍《いらか》と白壁と格子と暖簾《のれん》の日本風のものは多く、その店々の商品も、羅紗《らしや》、天鵞絨《ビロード》、段通、ギヤマン、金銀細工、貝細工、角《つの》細工、花火、油絵、蝋《ろう》で作った造花、南蛮の酒、支那風の菓子、さらに、鉄砲に、名も知れぬさまざまの器械。……
海の方で銅鑼《どら》のひびきがわたり、町のどこかでは鉄と鉄の相打つ生産の音があがっているのに、またどこかでは南蛮楽器の旋律がながれている。
そしてまた町を織るように往来する雑踏の人々の華やかさ。品物を満載した車を忙《いそが》しげに押してゆく町人あり、市女笠《いちめがさ》をかたむけて店をのぞきこんでいる女のむれあり、かと思うと、白昼、どう見ても南蛮風の化粧をした女が、酔っぱらいの袖をひいたりしている。
その中を、厨子丸と鵯は歩いていた。
「こんな町が日本にあったのか知ら?」
「しかも、京からたった十四里のところに?」
白日夢でも見るように驚異の眼を周囲に見ひらきながら、しかも二人はときどきはっとわれに返って、必死に人々の袖をひいた。
「もしっ、納屋助左衛門さまのおうちはどこでございまする?」
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呂宋丸《るそんまる》
堺の町は西北から東南に走る大小路によって南荘北荘に分たれ、また大小路と直角に交わる大通《おおどおり》があり、この十文字の二条の大道が堺の基本となっている。
納屋《なや》助左衛門の屋敷は、南荘街区の東南隅にあった。
そこにたどりついて、厨子丸と鵯《ひよどり》は胆をつぶした。その屋敷の宏壮さにである。この屋敷はのちに助左衛門が日本を去ってから大安寺という寺になるが、これに限らず、堺の寺院は豪商の居宅がそのまま寺として寄進されたものが少なくなく、以ていかに大規模であったかが知れる。
驚いたのはそればかりではない。寺でないうちから寺の山門としか思われない巨大な門から、ちょうどそのとき、ぞろぞろと、刀、槍を持った一隊が――あきらかに町人ではない牢人風の部隊が出て来たことだ。
「お頭《かしら》はお留守じゃ」
と、隊長らしい入道頭に髯の男がいい、じろじろと眺《なが》めた。
「うぬらは何者か」
京の二条の御所に奉公しておった者です、といいかけて、厨子丸はあわてて、「曾呂利伴内どのからのお使いですが」といい直した。二条の御所は御台《みだい》につながる。このえたいの知れぬ連中に御台さまのことをまだ口にしていいのか悪いのか、見当がつかなかったのだ。すると、
「曾呂利?」
と、くびをかしげた者が少なからずあった。
「そりゃ何じゃ?」
――松永弾正に堺の実力者だと吹いたのは法螺《ほら》にしても、曾呂利伴内は、堺の人間にも、さらには納屋助左衛門の配下と見える男たちにも知られていないほどの存在なのか、と厨子丸が落胆したとき、輪になったその男たちがニタニタと笑った。
「こりゃ堺にもざらにない美しい娘ではないか」
「男の方も、世にもまれなる美童。――」
「おりゃ稚児《ちご》も女に劣らず好物じゃ!」
ぎょっとして厨子丸は、一年前の京での群盗を思い出したが、なんぞはからん、この連中があれと同類であったとは。――いや、のちに知ったのだが、ここにいる男たちの中にも、あのときの牢人が実際に混っていたのだ。
「市内|警邏《けいら》はやめた」
と、髯入道の隊長がいい、配下に、
「いや、うぬらは、ゆけ。おれはちょっとこの二人を訊問することがある」
と、あごをしゃくったあとで、好色そのもののような眼を厨子丸と鵯に戻し――二人が意外さと不安に身をすくませたとき、男たちをかきわけて、その足の方から輪の中へ飛び込んで来た小さな影があった。
「なんだって? 伴内さんからのお使いだって?」
十くらいの、いかにも腕白小僧然とした――しかし決してむさ苦しくはない少年であった。
「助左衛門のおじさんは、いつも伴内さんのこと心配してたよ。おいらがつれてってやろう」
「あ、これ、めったな者を。――」
と、隊長は狼狽した。少年はあごをつき出した。
「このひとたち、一目見たって、おじさんたちより怪しげな人じゃないってことはわかるじゃないか。……さ、ゆこう、助左衛門のおじさんとこへ」
と、厨子丸の袖をひっぱって歩き出した。
「どいとくれ! 見回りなまけたら、助左衛門のおじさんにいいつけるよ!」
牢人たちは苦笑して、輪をひらいた。どういう素性の子供か知らないが、どうやらこの小童《こわつぱ》に一|目《もく》も二目も置いているらしい。
厨子丸と鵯は、狐につままれたような表情で、その少年に導かれて歩き出した。
少年は小鳥のような動作で、往来からすぐに濠《ほり》につきあたり、こんどは右に折れて、濠沿いの道を歩いてゆく。
片側は三階建ての店がずらっとならび、ここもまたなかなかの雑踏だ。反対側は、堺の町をとりかこむ濠だが、小舟なら充分入って来られそうな――事実、荷を積んだ舟が何|艘《そう》もゆききしているほどの大きな濠であった。
「助左衛門さまはお留守じゃないのか」
と、息せき切って厨子丸はきいた。
「どこにいなさるのじゃ」
「海」
「え、海?」
「船の中」
少年は得意そうにいった。
「でも、それこそめったな人間はゆけやしない。いまのおじさんたち、ゆけるのはあの髯の大将くらいかな。おいらならいってもいいけれど、やっぱりなんか用がないとねえ」
どうやら二人の道案内は、船へゆくための口実だったと見える。
「いまの……牢人衆、ありゃ何だい?」
「助左衛門のおじさんが、このごろ傭《やと》った食いっぱぐれのお侍たちだよ。でも、あれでもお侍かなあ。あれでも頼りになるかなあ。でも、つき合ってみると、みな面白いよ。みな可笑《おか》しいよ。だから、おいら、いつでもあそこに遊びにいってるんだ」
「おまえも、堺の子?」
「むろん」
「やはり、お侍の子?」
「ちがう。堺には傭われ侍しかいないよ」
少年は昂然と胸をそらせた。
「おいらは町衆の子、小西屋って薬屋の子さ」
「なんて名だ」
「弥九郎っていうんだ」
海の匂いがして来た。道の向うに海が見えて来た。
「助左衛門さまはいつも船の中に住んでいらっしゃるのかね」
「いや、ときどきゆくだけ。……あ、あれだよ!」
道の果てに達すると、果然《かぜん》視界がひらけた。一面、蒼《あお》い蒼い初夏の海原であった。その中に、無数の船が浮かんでいる。大部分はいわゆる八幡船《ばはんせん》だが、それに混って少なからぬ明船《みんせん》あり、支那|戎克《ジヤンク》あり、さらにやや沖に遠く、帆は下ろしているがたしかに三本|檣《ほばしら》の南蛮船の影も一艘見える。
「……おう!」
厨子丸は、頭まで紺青《こんじよう》に染まったかと思った。刹那に、助左衛門のことも弾正のことも――いや、御台さまのことすら脳中から消え失せた。
「ごらん、あれが助左衛門おじさんの呂宋丸《るそんまる》だよ!」
弥九郎少年が指さした。
岸ちかくに、厨子丸の眼には城ほどに見える巨大な八幡船が浮かんでいた。
こんな風景が日本にあったのか?
厨子丸は、堺の町に一歩入ったときに数倍する驚異の衝撃をこの港の光景から受けた。これこそ彼の夢みていた世界だ。それが、現にここにある。――
艀《はしけ》に乗せられてその呂宋丸という八幡船に運ばれたのも夢心地だ。驚異というより感動のために、厨子丸はただ眼を見張り、船の胴の間へ通されるまで、そこで逢うべき人のことさえ念頭になく、しかもあとで考えてもその船の様子もよく思い出せないほどであった。
さきにそこに駈け込んだ弥九郎少年の報告に、
「なに、伴内の使い?」
大声をあげて、ずかと入口まで出て来たのは、まぎれもなく大刀を鷲《わし》づかみにした納屋助左衛門であった。
「おう、おまえか。――厨子丸!」
月代《さかやき》をのばしたままの髪を紐でくくり、野羽織に革袴をはき、髯を生やし、まるで武将のように壮大な肉体を、厨子丸は、なつかしさと、ふるえるほどの畏敬の念でふり仰いだ。
「曾呂利が信貴山のあたりをうろついておることは津田宗及どのからきいたが、おまえもいっしょであったのか。おう、おまえは鵯!」
助左衛門は髯に似合わぬ人なつこい笑顔をにこっと向け、ふいに声をひそめて、
「伴内からきいたか」
「は――?」
「死びとが生きておわすことを」
「――は!」
「それでは、よかろう。おまえたちなら大事ない。まず入れ。弥九郎、御苦労、おまえは上で遊んでおれ」
と、背を見せた。弥九郎は鳥みたいに飛んでいってしまった。
厨子丸と鵯は、そこに一歩入って、立ちすくんだ。これが船の中の一室とは思われない。雲と竜をえがいたすばらしい墨絵《すみえ》の唐紙あり、花を生けた床の間あり、螺鈿《らでん》の棚あり、炉まで切ってあり――しかも、ただの日本風の書院ではなく、たたみには緋の絨毯《じゆうたん》がしかれ、屏風には海図のごときものが描かれ、棚には地球儀や、また厨子丸の見たこともない器械のようなものが置いてあった。
絢爛《けんらん》としていて、しかもふしぎに燻《いぶ》し銀のようなしぶさのたちこめた一劃《いつかく》であった。――その中に、寂然《じやくねん》と坐っていた二つの影がこちらを見ていた。
御台さまともう一人、茶の宗匠風の人は影絵のようであった。二人の間の炉には釜がかけてあり、また茶道具があった。
げにや、足利公方の御台さまは、ここに生きておわす!
「御台さま、御存知でござりましょうや。二条の御所に奉公しておった雑仕の厨子丸と雑仕女の鵯と申す両人でござりまするが」
と、納屋助左衛門がいった。
夕子《ゆうこ》の方《かた》は、二人を眺めた。その名のごとく、夕《ゆうべ》の星のような眼であった。
「おぼえがあります」
と、しずかにいった。厨子丸は胸までつらぬかれた思いがし、ひれ伏した。
いつか雨の夜の御所の回廊で見た、おぼろおぼろとして、それ自身発光しているような天上の美しさは変らない。――しかし、気のせいか、寂しさをいっそう深めたような御台さまであった。
「ここにござる御仁は、茶の宗匠で千宗易《せんのそうえき》と申される」
と、助左衛門は紹介した。年は四十半ばだろう、いかにも宗匠風の姿だが、骨ぶとで、どっしりとした重みのある人物であった。――すなわち後年の千利休《せんのりきゆう》である。
「さて、何からきこうか。そもそも伴内めはどうしたか? いや、信貴山以前に、きゃつ一年も何をうろうろしておったのか?」
と、助左衛門は質問にかかった。
厨子丸は国友村以来のことを話した。そして、二重の意味で全身をあからめながら、公方さまと御台さまの復讐をするために信貴山城へ迫ったことを話した。
「え、わたしのかたきを討つために?」
小声ながら御台はさけんだ。そして、
「ありがとう――」
と、深い声でいった。
「お、お笑い下さりませ。御台さま御存生とは夢にも存ぜず。――」
「どうして笑いましょうか。ほんとうにわたしは、あの夜死ぬべき女だったのです。……」
「そ、それから伴内はどうした?」
助左衛門は大声をはりあげた。彼は御台さまの想念があの夜にかえることを怖れているように見えた。
そして、あらまし、信貴山城のいきさつをきくと。――
「ああ、しまった!」
と、長嘆した。
「伴内め。おそらく御台さまのことを弾正に知られたな?」
厨子丸はまた恥じた。伴内を放り出したまま信貴山城を逃げ出したことは、たとえ彼を救うべき法もなく、またたとえ堺に御台さまありと知って飛び立つ思いであったとはいえ、やはり厨子丸にとって心おちつかぬことであったのだ。
鵯が口をさしはさんだ。
「どうでしょうか? 伴内どのは弾正を説き伏せるのになみなみならぬ御自信がおありのようでしたけれど。――」
「いや、あの凶悍《きようかん》の弾正が伴内の口を割らせずにおくか。またあの臆病な伴内が白状せずにおるか。――」
「で、では、伴内どののおいのちも?」
「いや、きゃつ、そうあっさりと死ぬ男ではない。自分のいのちの助かる算段だけは孔明もはだしの男じゃ」
助左衛門はあわてた風もなく、
「宗易宗匠、どうやらこれで堺の風雲が急となりますな」
と、笑顔をむけた。
「なに、いずれはそのようなことになるだろうと、かねてから覚悟の上のことでござるが」
「いよいよ堺牢人軍の起《た》つときが来たか」
千宗易も一笑したが、しかしふといくびをかしげた。
「あれは、藪をつついて蛇を出すことになりはせぬかな。助左衛門、なまじな抵抗をして大々的に蹂躙《じゆうりん》されるより、柳に雪折れなしといった兵法であしらっておった方が堺のためじゃと思うが」
「宗匠の御持論ですな。しかし、相手が相手でござる」
「いや、弾正どのがこの堺を滅ぼしたとて何の得《とく》もない。無理|強《じ》いに押えつければことごとく機能のとまってしまう町じゃ、それを知っておればこそ、いままで堺は安泰で来たのではないか。堺を敵に回せば、堺は弾正どのの本来の敵と結ぶと見せかければ、必ずやその手はひるまずにはいまい。――松永は、馬鹿ではない」
「人間というものは、馬鹿でなくても、妙な気を起すということがあるのでござる。すでに去年の京の御所襲撃にその例を見ます。おれの堺武装論はそのためで。――いままでそうであったから、未来もいつまでもそうであるとは限らぬ。恐るべきは弾正のみならず、弾正本来の敵なるものが、容易にこちらの手に乗る人物ではござらぬ。へたなかけひきを弄《ろう》しておれば、庇《ひさし》を貸して母屋《おもや》をとられるということになりましょうず」
この堺の外交と武装の得失についての議論ののち、助左衛門はしかし豪快にからからと笑った。
「いずれにせよ、左様なかけひきの通用せぬ時代の潮が高まって来たとおれは見ております。実は、おれはその日の来ることを望んでもおる。何せ、御台さまをおかくし申しあげるために一年も船へおとどめして、たまに地面をお踏ませ申しあげるは夜ばかり、何ともおいたわしゅうてならなんだが、しかし弾正が知った以上、もはやかくす必要もござるまい」
助左衛門は御台に眼でお辞儀をした。
「いずれにせよ、御覧なされ、この呂宋《るそん》助左衛門の一党が堺を侵《おか》そうとするやからに一泡吹かせるのを」
そして、厨子丸をかえりみた。
「ここへこの若者が来てくれたのは天の配剤、堺にとって千人力。――おまえ、あの短銃を持っておるな?」
厨子丸はうなずいたが、しかしまだぽかんとしていた。一梃の南蛮銃が何になるというのだ?
「おまえ、堺へ来るのをばかにためらったが、いま来て見てどう思う?」
「いえ、ただただ驚くばかりでございます。こうまで華やかといおうか、新しいといおうか、こんな町とは思いもよらず、おすすめに従わなかったのが恥ずかしく、また悔《く》いられてなりません」
「その言やよし。まさに堺は愛すべき町じゃ。大切な町じゃ。堺の町衆のためのみではなく、日本の宝玉といってよい。これは世界の堺じゃ!」
納屋助左衛門は大音声《だいおんじよう》でいった。声を切ると、海鳴りの音が聞えた。
助左衛門の大きな手が、やさしく厨子丸の肩に置かれた。
「厨子丸、堺の運命はその肩にかかっておるぞ」
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町《まち》 衆《しゆう》
厨子丸と鵯《ひよどり》は、数日にわたって助左衛門に堺の町を案内された。堺の歴史や、その制度について説明をききながら。
摂津《せつつ》と和泉《いずみ》の境《さかい》にあるから堺と名づけられた一海村が、商港ないし軍港として勃興《ぼつこう》して来たのは南北朝時代からだが、室町時代、応仁の乱以降とめどのない戦乱のまっただ中にあって、この港町だけは日本でただ一か所といっていい特別の市制と繁栄を維持していた。
独自の市制とは、自治である。堺の町を事実上支配しているのは、将軍でもなければ大名でもなく「町衆」自身であった。
正確にいえば、堺の有力者三十六人衆による合議制である。月に三人ずつが市政を評定し、十二か月で三十六人が交替して司《つかさど》る。これを会合《えごう》衆という。
このことについては伴天連《バテレン》ヴィレラが、「この町はヴェネチアのごとく執政官によって治められる」と書き、また伴天連フロイスがしきりに同様の言葉をもらしたのも、濠《ほり》や運河の多い海港だという景観上の共通性ばかりではなく、この自由都市としての相似からであった。
その景観や市政については、ヴィレラはこうも書いている。
「いま日本全国で堺の町より安全なところはなく、他の諸国に於て動乱があっても、この町では曾《かつ》てなく、敗者も勝者もこの町へ来れば、みな平和に共存し、他人に害を加える者はない。街頭に於ても争いはなく、敵味方の差別なく、みな愛嬌と礼儀を以て応対している。市街ごとに門があって、番人がおり、紛擾《ふんじよう》があればただちにその門を閉じることもその一つの理由であろう。紛擾を起したときは、その関係者はことごとく捕えられて処罰される。が、たがいに敵視する者が町の壁の外に一歩出て、たがいにふたたび殺傷しようとしても、この町は知らない顔をしている。町は甚《はなは》だ堅固であって、西方は海を以て、また他の側は深い濠《ほり》を以て囲まれ、常に水が充満している」
厨子丸たちは、その三十六人の会合衆にも引き合わされた。
最大の実力者たる廻船問屋の能登屋。
染料問屋の臙脂《べに》屋。
信貴山城下でいちど逢ったことのある天王寺屋の津田宗及。これは助左衛門と同じく代々貿易商人だ。
薬種問屋の今井宗久。同じく薬と化粧品問屋の小西屋隆佐。――これはあの弥九郎少年の父親である。
さらに万代《もず》屋、住吉屋、しろがね屋、あかね屋、大黒屋、豆葉屋、木屋、伊丹屋、不破屋等々。……
一通り紹介されただけでは、だれがどの人やらわからない。
でっぷり肥って、店先で戦争みたいに大音声《だいおんじよう》をあげて奉公人のむれを叱咤《しつた》号令していた人もある。風流な茶室で、釜の松籟《しようらい》をききつつ逢ってくれた人もある。朱塗りの円卓に十数人の美女を侍らせて支那風の食事をとりながら、話をきいてくれた人もある。
三十六人三十六態といっていいが、どの人物もが、ただの町人、ただの風流人、ただの快楽家ではない――洗練され切った肌合いと、煮ても焼いてもくえぬしたたかな面《つら》だましいの持主であることは共通していた。
貿易商天王寺屋津田宗及が有名な茶人であるように、同じく大茶人である千宗易が塩魚の問屋のあるじであるなどが、その例だ。呂宋《るそん》助左衛門にしても――彼など一見いちばん単純で、これはどう見ても侍としか思われないが、それにしてもその素性《すじよう》がやはり町衆だと思えば、これだって一異彩だ。彼の本姓|納屋《なや》は、倉庫業の意味を現わしている。
「これが、おれが見つけ出した鉄砲作りの名人でござる。若年ながらその道にかけては稀代《きだい》の天才で。――今後よろしく」
と、助左衛門はとくとくとして紹介して回った。
厨子丸が赤面したことはいうまでもないが、それはさておき、のちになって思えば、このときこの会合衆が見せた反応には大別して二つの流れがあったように思う。
一つは、「おうそうか、助左衛門がかくまでひきたてるならばまちがいはあるまい。堺のために一つ骨折りを頼むぞ」と、やさしい眼をむけた人々で、他は、「助左衛門、また妙なものを拾って来たな。そもそも武力で堺を守るなど、生兵法《なまびようほう》はいいかげんにせぬか」という表情を見せた人々であった。実際ずけずけとそう口に出していった人もあった。が、そんな場合でも、厨子丸に対しては、ことごとく愛嬌のいい笑顔を失わない大「町衆」であった。
一軒一軒訪ねて回りながら、むろんそのあいだ町を通る。厨子丸がひたいに汗を浮かべていたのは、ただ堺に来た夏の日ざしのせいばかりではない。
「助左衛門さま」
なんど厨子丸はこう哀願したかわからない。
「わたしを鉄砲作りの名人とやら天才とやら……大げさに吹聴《ふいちよう》して下さること、身がすくみまする。それだけはよしにしていただけませぬか?」
「かまわぬ、かまわぬ」
助左衛門は平気だ。
「おまえは天才である」
ふりかえる眼は大まじめであった。
「おまえが自覚していようといまいと、おまえがその方の天才児であることにはまちがいはない。おれにはよくわかるのじゃ」
厨子丸にはわからない。堺の運命がその双肩にあるといわれたり、堺のおえら方のあいだを引き回されたり、助左衛門がなぜそれほど自分に途方もない期待をかけるのか、全然|腑《ふ》におちないどころか、そら怖ろしいほどだ。
「厨子丸、見ろ」
と、納屋助左衛門は町並に髯のあごをしゃくる。
「こんな町が、ほかの国にあるか」
町はきょうも雑踏していた。例の異国的な商品ばかりでなく、塩、米、炭、材木、胡麻油、笠、塗物、織物などの店々が、いずれも京にもないほどの規模と殷賑《いんしん》をくりひろげている。あくまで現世的な活気にあふれた光景なのに、どこか豪奢《ごうしや》な夢につつまれているような感じがある。
「この町の豊かな物が惜しくて、おれはこの町を滅ぼしとうないといっているのではないぞ。この豊かさを生み出した根源の力、それを失ってはならぬためにたたかうといっておるのじゃ。根源の力――フロイス伴天連は、それをポルトガル語でリベルダードゥとかいった。自由、という意味じゃそうな」
助左衛門の眼は燃えるようにかがやいた。
「この町の人間は、ほかの大名の国の百姓町人のごとく、刀や鞭《むち》でおどされて働いておるのではない。おのれの欲のため、おのれの愉《たの》しみのために働いておる。これが人間の生きるほんとうのかたちじゃ。おれは日本じゅうにこの堺のような町が限りもなく出来ればよいと念じておる。そのためには、このような町が、ひとたび立ち上ったらどれほど強いものかを天下に見せてやらねばならぬ。――海へ出ることをやめて町のためにたたかう、呂宋助左衛門の生まれ甲斐はここにもあると覚悟をきめたのじゃ」
「……あ、ここは?」
いつしかつれ込まれた或る町で、厨子丸と鵯《ひよどり》は立ちどまり、眼を見張った。
柳の並木が細い運河に沿って影を落し、往来の片側には、朱色の格子、柿色の暖簾《のれん》をそろえた数十軒の家がならび、その格子や暖簾の向うに紅《べに》と白粉の濃い顔がちらちらのぞいている。運河をはさんで、それが両側にある。
そばにいってその正体をたしかめるまでもなく、間を流れる運河の水そのものが脂粉《しふん》と酒の香、それより形容しがたい淫《みだ》らな匂いを立ちのぼらせているようだ。
往来を波のようにゆききしているのは、男ばかりだ。町人、職人、船乗り、それから牢人、行商人、これがいずれも舌なめずりし、眼をぎらぎらさせ、大声で女の品評をし、高笑いし、あきらかに肉欲的な会話を交わしつつぞろぞろと歩いている。
「ここを乳守《ちもり》の里《さと》という。――」
と、助左衛門はいった。
「厨子丸、この乳守の里と一休禅師の話を知っておるか」
「いえ、存じません」
「応仁のころ、ここに地獄太夫と呼ばれる傾城《けいせい》がおったそうな。なぜそのような名をつけたかというと、みずからいうには、丹花《たんか》の唇は焦熱地獄、雪の乳房は八寒地獄、ほんにわたしはひとたび男が堕《お》ちたらさらに浮かぶことのない地獄のような女だから――と、その通り、袿衣《うちぎ》に地獄変相の図を繍《ぬ》っていたが、まことに一笑すれば三千の傾城顔色なし、その一笑をあがなわんがために、或《ある》いは産を破り、或いは罪に堕ち、或いはいのちさえ失った男どもは数知れず。そこへ一休禅師がぶらりとおいでなされてな、骨かくす皮には誰も迷いけん、美人というも皮のわざなり、と詠《よ》まれた。それ以来地獄太夫はふかく禅師に帰依《きえ》したが、まもなく病を得てみまかった。そのとき地獄は禅師に、わたしが死んだら屍《かばね》を焼かずただ野に捨ててくれ、その浅ましい死の九相を男衆に見せて、諸行無常の大事を悟らせる方便としてくれと願って死んだ。で、一休さまはこの堺の外の八木郷の野にその屍骸《しがい》を捨てられて、煩悩男《ぼんのうおとこ》どもにそれを見せられたという。――」
助左衛門は厨子丸の顔をのぞきこんだ。
「それだけ由緒のある町じゃ。どうじゃ、見てまわるか。地獄太夫とまではゆかんが、なかなか美女ぞろいじゃぞ」
「いえ、結構です」
厨子丸は顔あからめて、手をふった。
「あはは、ま、鵯もおることじゃから、きょうのところはやめておこうか」
助左衛門は笑った。
「いや、鵯ほどの女房がおれば、おまえには用のない町かも知れぬ」
助左衛門はかんちがいをしている。
鵯はあわてて口を出した。――もっとも、これは先日から彼女が疑問としていたことでもある。
「助左衛門さまには奥さまはおありにならないのですか」
「あったが、三年前に死んだ」
「もう、おもらいにならないのですか」
助左衛門だって、髯むしゃだが、まだ若い。壮気みなぎる三十年輩だ。――彼はちょっとあわてた顔になってくびをふった。
「おれは船に乗る気があったからの。板子一枚下は地獄の海じゃ。女房などはないに限ると思うて、それ以来一人でおるが」
そして、つけ加えた。
「おれはともかく、船乗りの多いこの町にはこういう場所が必要じゃが、そればかりではない、まったくのところ、この町の生産の原動力はこの傾城町にあるといっていい。堺の中心は城ではなく、この色町なのじゃ。いま見た通り、汗水たらして働きに働く男どもは、ここの女たちとの快楽を夢みつつ働いておるのだ。そういうとフロイス伴天連は苦《にが》い顔をするがの。それは悪いことではない、あたりまえのことだとおれは考えておる。人間は愉しむために働くのが自然のすがたなのじゃから」
と、また例の持論を吐いて、ふと運河の向うに眼をやって、苦笑した。
「もっとも、この色町のとりことなって、愉しむために愉しむという人生に徹した男もおる」
水の向うの通りを、扇子をひらいたまま、ヒョロヒョロと歩いて来る男があった。年は四十のころ、坊主あたまだが、僧ではない。抜衣紋《ぬきえもん》で袴もずっこけて、明らかに酔っぱらっているが、自堕落というよりむしろそれが洒脱《しやだつ》に見える。何やら唄っているようだ。
「あれももとは大きな薬種問屋のあととりで、堺会合衆の家柄のものじゃがの。いまではこの色町の流し芸人をやって暮しておるが、あれはちとゆきすぎじゃて」
「何というおひとでございます」
と、鵯がきいた。
「小歌隆達」
「おお、隆達ぶしの。――」
隆達ぶしは、一世を風靡《ふうび》している。――当時の艶歌だ。
「死のうは一定《いちじよう》」などいう小歌は、京の御所の中でもきいたことがある。その隆達ぶしの本家は、この堺にいるあんな人であったのか。
「もっとも当人は、自在庵隆達と称しておる。その境涯を愉しんでおるのじゃろ。――これもまた自由堺の産物」
すると、その隆達坊が水の向うからこちらに気づいたと見え、立ちどまり、にやりと笑い、そして――あたりのさんざめきがたちまちやんだほどの渋い美声で唄い出した。
「人の妻見て
わが妻見れば
深山《みやま》の奥のこけ猿が
雨にしょぼぬれ
つくつく這《ほ》うた
人の妻見て。……」
助左衛門は真っ赤な顔をして、
「ばかっ」
と、吼《ほ》えた。
隆達坊はすくめた坊主あたまを扇子でたたいて見せた。
堺の淫風については、当時の支那の「|※[#「門<虫」、unicode95a9]書《びんしよ》」という本に、
「沙界《さかい》の淫俗、中国之風あり」
と、書かれ、またこの町をソドム・ゴモラに喩《たと》えたフロイスも、
「この町の住民は自負|自恃《じじ》の心|甚《はなは》だ高く、奔放|不羈《ふき》の生活を送り、高き利子をとり、物質生活の拡充《かくじゆう》に耽溺《たんでき》している。その上、異教神《ジヤボ》が切支丹となることは堕落であり、恥辱であると思い込ませた」
とか、
「堺の商人たちは、もし自分たちが天国へゆくために、自分の債権と俗世の悦楽を捨てなければならないとするならば、むしろ天国へゆきたくない、と大っぴらにいい切った」
とか書いて匙《さじ》を投げているほどである。
「堺がどんな町か、すべておまえに見せてやろう」
と、笑いながらいう呂宋助左衛門は、最後に厨子丸を堺の鉄砲町へつれていった。
堺と鉄砲の縁は甚だ深い。そもそも鉄砲が種子島《たねがしま》に伝来した当時、堺の商人|橘《たちばな》屋又三郎なるものがただちにこれを堺へ持ち込んで製造を開始し、世に「鉄砲又」といわれたというが、それ以来ここは他国のように大名の統制を受けず、その自由都市としての中立的立場と豊かな資本を利して、純粋な産業、商取引としてこれを生産し、売りさばいて来た。当時に於ける「死の商人」の町といっていい。
「ああ!」
傾城町につれてゆかれたときより、厨子丸の眼はかがやいた。堺はただ淫らなだけの町ではなかった。
堺の町そのものが大きいからその一小区劃に過ぎないが、しかしこれは国友村よりはるかに規模が大きい。しかも国友村が当然土俗的な雰囲気を持っているのにくらべて、ここはいかにも近代的な――まあ工場街といっていい。
「どうじゃ?」
と、助左衛門は愉快そうにかえりみた。
「ここで腕をふるって見る気はあるか?」
厨子丸は昂奮のために口もきけないほどであった。
「実はな、こう盛大にやっておるように見えて、二、三年前、東支那海でイスパニアの船隊と喧嘩《けんか》したことがあるが、そのときこちらの堺製鳥銃が役に立たぬので往生したことがある。爾来《じらい》、いろいろ注文をつけて鞭撻《べんたつ》しておるが、なかなか思うようにゆかん。そこにおまえを見つけ出したのじゃ。自動発火装置の短銃を作り出し、またこんどきけば、七連発、照尺《しようしやく》さえも発明したおまえを」
助左衛門は厨子丸の手を握った。
「ここにこそ、おまえをつれて来た。厨子丸、堺を助けてくれ。近く必ずこの町に大難が来る。堺の町とそこに住む人を守るために力をかしてくれ!」
「堺に住む人を守るために。――」
このとき厨子丸は、夢みるような眼を海の方の真っ白な雲にあげた。それから、つぶやくように答えた。
「微力ですが、やって見ます」
そのかがやくような横顔を見つめて、鵯はなぜかうなだれた。
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堺|牢人軍《ろうにんぐん》
「八幡大菩薩」
と書いた旗が、夏の風にひるがえっていた。
それを立てているのは、ただの旗竿《はたざお》ではない。ギラギラするような蒼空《そうくう》をつき刺さんばかりに高い、柱といっていいほどの太い棒である。事実、旗は呂宋《るそん》丸にあったのを持って来たものだが、棒は、これからまた新しく造る予定であった八幡船の帆柱用のものであった。
呂宋助左衛門の屋敷は堺の東南隅にあるが、その屋敷のまた東南隅にこれが立てられ、西から吹いて来る海風に音たててはためいていた。
「前へ前へ!」
その下で、ひっ裂けるような声がする。
「後《あと》へ後へ!」
そのたびに、ド、ド、ド、という地ひびきとともに、凄じい砂塵《さじん》が巻きあがり、塀を越えて、すぐ外の濠《ほり》の上を煙のように流れてゆく。
「突け!」
「うおおおっ」
百獣のような――といいたいが、悲鳴にちかいかすれ声が、それでも数だけの示威《じい》の効果はあげて砂ぼこりを吹く。
ここはもと築山《つきやま》もあり、泉水もあり、石灯籠もあった庭だが、そのすべてを取払い、埋めつくして、ただの広場に変えられた。この広場に、朝からこの訓練のどよめきがくり返されている。長槍を持って前進したり後退したりしているのは、百人を越える侍たち――上半身裸、中にはふんどしだけで、侍だか何だかえたいの知れない男たちであった。
単調といえば単調な訓練だが、何しろ、暑い。それが朝からこの夕方ちかくまででは、むろんへたばるやつが続出する。汗は流れつくして、みなひからびたような顔だ。が、号令は容赦《ようしや》なくつづく。
「前へ前へ!」
四、五人、長槍を握ったまま尻もちをついた。
「後へ後へ!」
数列の横隊が後退すると、尻もちをついた男たちにつまずいて、また七、八人がひっくり返った。みなヘトヘトになっていて、よけるゆとりもない案配である。それっきり、槍を投げ出したっきり、へたばってしまったやつがある。
「早く立て、早く立て!」
と、子供たちがさけんだ。塀の下で見物している十何人かの町の子供たちの中に弥九郎少年もいて、またそのそばに腕組みをした厨子丸も鵯《ひよどり》もいた。
号令しているのは入道頭に関羽髯《かんうひげ》の隊長であったが、その傍に立っていた馬面《うまづら》にこれも鬚《ひげ》をはねた副将格の男が青竹を持ったまま駈け出していって、へたばった連中を殴《なぐ》って回った。
「立て、立たぬか!」
彼は吼《ほ》えた。
「うぬら何のために堺の町から扶持《ふち》を頂戴しておるか! これほどの高禄を恵まれるところは日本六十余州にないはずだぞ! 立て!」
二、三人はよろよろと立ちあがったが、頭をかかえてまるくなったまま、まだ動かぬやつもある。すると鬚の督戦官《とくせんかん》はしゃがみこんで、その耳に口をあてて何やらささやいた。と、たちまち落伍侍《らくござむらい》は大変な勢いではね上った。
「前へ前へ!」
号令はつづく。
倒れない連中も、急速に動作が緩慢《かんまん》鈍重になっていたが、それから十数分たって、それがいっせいにまるで旱《ひでり》の草が水をあびたように、しゃんとなるのを厨子丸は見た。
眼をあげると――正面の座敷にあぐらをかいて見下ろしていた呂宋助左衛門のうしろから、月光のように現われた女人が、しずかに傍に坐るのが見えた。夕子のお方さまであった。
厨子丸は腕組みをとき、その方へ歩き出した。
曾《かつ》ていちどだけ堺は兵乱の巷《ちまた》と化したことがある。応永六年、というから、この時代から百七十年ほども昔になるが、足利幕府の実力者大内氏が堺を占領し、幕府軍がこれを攻め、このとき大内軍はこの町に四十八の井楼《せいろう》、一千百二十五の櫓《やぐら》を組み、しかもなお敗れて、ために当時の堺一万戸が焼けつくしたという。
堺の市民はこれに懲《こ》り、爾来《じらい》、中立を堅持して兵火を避けることに全力と全智能をしぼり、そしてそれに成功して来た。
堺はよその軍隊が駐留することを許さない、という不文律をいつのまにやら作りあげていた。松永弾正の前の覇者三好氏の本拠は四国で、ために三好軍が京へ往来するのにもこの堺を通過するほかはなかったが、決して駐屯《ちゆうとん》させなかった。それには代償としておびただしい軍資金を提供したことはいうまでもないが、一方でまた自前で牢人軍を傭《やと》い、かつみずからも武装した。
「応仁兵乱の後、商人みな僭上《せんじよう》して兵士のごとく、大刀を帯び、弓箭《きゆうせん》を握り、軍役に従う」
と古書にあり、また瀬戸内海を往来する堺の商船はみな海賊船と戦闘を交えるだけの装備を持っていたといわれる。
ただし、最も腐心したのは外交で、つまり堺の歓心を買った方が有利であるという認識を餓狼《がろう》のごとき群雄に吹きこんで、まんまとその爪牙《そうが》を封じて来たのである。
そして、その歴史に安住し「永世中立」の幻想を過信して、堺はここ十年ばかり、いささかたるんで来たようだ。
そこに、納屋助左衛門だけが、いかなる触角でか、しきりに堺に危機が迫っていることを力説し、それでも大多数が醒《さ》めないのを見てとると、個人で堺防衛軍を編成しはじめたのだ。群雄相争ういわゆる多極時代ならば外交術の効果もあるだろう、しかし時の潮は、天下一統に向いつつある。唯一の覇者が出現すれば、堺はその鉄腕に抱きすくめられるのみ、という直感が彼だけをとらえたのであった。
さて、助左衛門がみずから堺の外へまで出向いてかき集めて来た「外人部隊」だが。――
とにかく急を要するので、手当り次第の牢人たちである。中には――厨子丸の経験したような泥棒的牢人も混っている。しかも、一年前に堺を出た曾呂利の名を知らないほどの新入りが多い。訓練していないときの彼らを見ると、もとの素性がほんとに侍であったかどうか、疑わしくなる連中も少なくない。――それだけに、子供たちには人気があるけれど。
「助左衛門さま」
と厨子丸は縁に近づいて話しかけた。
「堺を、やはり刀や槍でお防ぎになるおつもりですか」
「いや、むろん鉄砲も使うつもりじゃ」
と、助左衛門はいった。
「さればこそ、おまえに協力を頼んだのではないか」
しかし、彼は眉をひそめた。
「ただ、あまり鉄砲の調練をするな、かえって危険を呼ぶ、甚だしきは音がやかましい、などと苦情をのべるやつらが多うてこまる。鉄砲は、作ってただ売ればよいとそろばんばかりはじいておるやつらが」
助左衛門は大音声《だいおんじよう》を張りあげた。
「よし、きょうの調練は終り。解散してよろし」
彼は厨子丸に眼を戻した。
「しかし、いまの堺製鉄砲の効能では、やはり槍がのうては心細いな。かるがゆえに。――」
「槍と鉄砲を組み合わせたらいかがでござりましょう」
「槍と鉄砲を組み合わせる?」
「つまり、銃剣――いや銃槍、とでも申しましょうか」
厨子丸の眼はかがやいていた。鵯はうしろから近づいて来たが、彼が助左衛門ばかり見て、御台さまの方は絶対見ないことまで見ている。そして彼女は、厨子丸の眼のかがやきが、堺に来て以来ずっとつづいていることを知っている。
庭では、解散した牢人たちに子供たちが飛びついて、首ったまにぶら下がったり、出てゆく一団のあとにくっついていったりしている。
「鉄砲の先に剣をつけ、撃ちながら突撃するのです」
「ほほう。……」
「そういう鉄砲を作るのです。むろん火縄銃から火打石銃に切り替えなくてはなりませんが」
「おう、それは面白い!」
助左衛門はひざを叩いた。
「いや、あの牢人どもの槍、見る通り、果してものの役に立つかどうか甚だ心もとなかった。が、そういうものが出来れば、あれらも元気づいて敵に突撃するじゃろう。――やってくれ、厨子丸!」
そのとき、髯の隊長と副隊長がやって来て、庭先に片ひざついた。
「これより巡邏《じゆんら》に参ります!」
「御苦労」
「巡邏とは?」
厨子丸はきいた。
「市内を見て回るのじゃが――ひょっとすると松永からの手の者が潜《もぐ》り込んでおりはせぬかとな。いや、ひょっとすると、ではない、必ずすでに入っておるか、或《ある》いはやがて入って来るじゃろう。それは覚悟の上で、もはや御台さまも、公然ここにお移り願っておる」
助左衛門は可笑《おか》しそうに大笑した。
「もっとも、御台さまにここに出ていただくと、ふらふらになっておる牢人どもが、急に張り切る効用もあるが」
このとき、厨子丸はふいにぽうと頬をあからめた。なぜか、あわてたようにいった。
「わたしもその巡邏についていって見とうございます。松永からの手の者の探索だとなると。――鵯、おまえもいって見ないか?」
助左衛門がいった。
「それに、町へ出た牢人どもの取締りの役目もある。いって見ろ、面白いことがあるかも知れない」
牢人軍の隊長の名を鮭《しやけ》大膳といい、副隊長の名を馬岳《うまだけ》十郎左衛門という。
「大将がこれほど大事にされておるお方とは存ぜず、いつぞやは失礼つかまつった」
と、鮭大膳は恐縮した。大将とはむろん呂宋助左衛門のことである。――厨子丸たちがはじめてこの屋敷を訪れたときのことをいっているのだ。
それにしても鮭大膳に馬岳十郎左衛門とは、強そうでもあるが可笑しい名だと思う。
「どこのお生まれですか」
と、きくと、両人ともしぶい顔で首をふる。
「それがな、ここへ来た牢人たちはみな生国や素性は打ち明けぬ規約になっておるのでな」
と、大膳が答えた。厨子丸はヒョイと、去年の京の群盗牢人たちを思い出した。すると、十郎左衛門が肩をそびやかしていう。
「実は、名も変える規約じゃが――しかし、ひとたびわしが戦場に出れば、たちまちばれそうでわしは心配しておる。わしが戦場を馳駆《ちく》する姿を見れば、何ぴとも、あれか、あれが出て来たか、と眼を見張って震駭《しんがい》するであろうから」
と、いった。――先刻青竹をふるっていた勇姿を見てもわかるように、よほど本名は有名な豪傑らしい。
夕暮の町をぶらぶらとゆく。むろん、隊長、副隊長だけではなく、ほかに五、六人の牢人憲兵を引率している。町はこの時刻にもまだ人の波であった。
「馬岳さま」
「うむ」
「さっき、へたばった御牢人衆がありましたね。竹で叩いても動こうとしない。――それが、あなたが耳もとで何かささやかれたら、たちまち起き上って来たのでふしぎに思いましたが、いったい何とおっしゃったのでございます」
「ああ、あれか。あれは――これほど高い俸給をもらって、しかも戦争の心配などありっこない侍の勤め口があるか。動かぬと堺守備隊から追い出すぞ、といってやったのだ」
「へへえ」
どうも、豪傑らしくない鞭撻《べんたつ》だが――馬岳十郎左衛門は気がつかないらしく、得意然として笑う。
「それからまた、あと一息がまんをすればすぐ乳守《ちもり》の女を抱きにゆけるではないか、といってやった。すると、みな、がばとはね上ったな。これがいちばん利《き》く」
「で、これよりその乳守の里を警邏《けいら》する」
と、鮭大膳隊長がいった。べつに市中に怪しげな者を発見しようと見張っているようすではない。彼らもひたすら余念なく、そこへ直行する気配である。
厨子丸と鵯は顔見合わせた。とくに鵯は尻ごみしかけた。しかしそこはすでに乳守の里の入口で、牢人憲兵たちは勇気|凛々《りんりん》とその淫楽の町へもう足を踏み入れていた。
そして、はからずも――隊長たちにとっては会心のことであったか不本意のことであったかは判断出来にくいが――助左衛門がいった通り、たしかに面白い事件がその傾城《けいせい》町の中で起っていたのである。
「武士に向って何をいいさらすか、断じて許さぬぞ!」
「武士? おまえさんたちが武士か。堺で飼った傭《やと》いの兵隊じゃあねえか」
或る見世の入口で、つかみ合いせんばかりの口論であった。まわりは黒山のような人だかりである。
「た、たとえ傭われておるとしても、女を買いに来て、先約を譲らねばならんという法があるか。われらの方が先に話をつけたのじゃぞ。こうなったら、どうあってもきょうの傾城の口明けの味を味わわねば承知出来ぬ」
「何を――そんなことをぬかすなら、てめえたちの使った女郎をあとで抱くなんて、こっちこそふるふるいやなこったい。ここは町衆の町だぞ。更湯《さらゆ》に奉公人が入るってことがあるか。てめえたちは、町の人間が垢《あか》を落し切ったあとで、寝風呂のつもりでゆっくりつかれ」
「ブ、ブ。――」
怒りのあまり口もきけない痩《や》せこけた三人の牢人に、四、五人の職人がかさにかかって唾《つば》を浴びせかけた。
「女を買いに来たその金はどこから何のためにもらった?」
「納屋助左衛門さまだろ? 町衆の金だろ?」
「助左衛門さまは、刀でも研《と》げって下すったんだ。それを握って、湯気をたててまっさきに女郎買いに駈けつけるたあ。――」
「だいたい、いくさなんかねえ町に、てめえらのような穀《ごく》つぶしを傭うってえのが無駄でもあり、要《い》らねえことなんだ。大きなつらアするな、町人の前は四つン這いに歩け、この禄|盗《ぬす》ッ人《と》!」
群衆のうしろでのぞいていた牢人憲兵たちは顔見合わせ、ゲンナリした表情になったが、周囲の眼が自分たちに注がれ出したので逃げるに逃げられず、それ以上の牢人への罵詈雑言《ばりぞうごん》をきくのがたまらなくなったらしく、やおら鮭大膳と馬岳十郎左衛門が意を決した表情で人かきわけて出ていった。
にゅっと現われた雄偉な二つの髯づらに、職人たちがぎょっとしたように息をのんだが、やがて沈んだ声で二人がいい出したのは、
「これ、町衆に謝まれ」
「そして、この場はお譲り申しあげて、おとなしゅう引揚《ひきあ》げい」
という言葉であった。
あきらかに不満の気をどよめかした牢人たちに、鮭大膳は厳然となって叱咤《しつた》した。
「この町で、町衆と喧嘩してはならん。町衆と喧嘩するときはきっと負けろと、大将が仰せなされたのを忘れたか!」
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自由|大菩薩《だいぼさつ》
女郎買いに来た三人の牢人は、青竹でぶたれたようにがくりと首を折り、憲兵のあとについて、しおしおと傾城《けいせい》屋の門口を出かかった。
すると。――
「お待ちよ」
という女の声がした。
朱塗りの格子の向こうで、七つ八つの白い顔がこちらをのぞいていて、その一人が、
「わたしを買ってくれた御牢人さま、ここへおいで、いいものを見せてあげるから」
と、格子のすぐ内側へにじり寄って来た。
すると、あと二人の遊女も、同様に格子へ身をすり寄せて、
「あとの町衆はみんなあっち向いて! 御牢人さま、格子に顔をつけて、ほかの人には見せないようにして――隊長さん、見張っていてよ」
と、ささやいた。
三人の牢人は格子のこちら側から顔をこすりつけた。その髪の向う側に三人の遊女がしゃがみ、両掌で裾をフンワリとあげるのが見えた。
「うひゃ!」
牢人たちは喜悦の声をあげた。遊女が笑いかけた。
「ねえ、きょうは日が悪かったけれど、これで御機嫌を直して、また来てね。……」
「参る。参る。――必ず参る。胆《きも》に銘ずるためにもうひと目!」
先刻、町衆にあやまれ、といったときの湿っぽい表情とは別人のように恐ろしい顔で、町人たちを叱咤《しつた》して向うむきにさせ、見張っていた鮭《しやけ》大膳と馬岳《うまだけ》十郎左衛門が、首だけねじ向けた顔を見合わせ、たまりかねたようにこちらに歩いて来た。
「おい、代《かわ》れ」
「町人どもはおまえたちが見張ってろ」
遊女たちは裾を下ろした。
「隊長さんはちがいます。このひとたちがきょうのわたしたちの口明けを買ってくれたんですもの」
大膳たちは憮然《ぶぜん》たる顔をした。牢人の一人がなお顔の紐をといたまま、布を出した。
「隊長、お拭《ふ》きなされ、涎《よだれ》が出ております」
「うぬらの顔も濡れておるぞ」
「これは、涙でござる」
と、いって牢人は顔を拭いた。そして、いった。
「われら、死すともこの堺を守る!」
――厨子丸は感動していた。はじめは呆れ、牢人たちといっしょに傾城町を出る途中は、まだ格子のあとが顔にくっついている牢人たちを横目で見て、思い出し笑いをしていたのだが、だんだん、じわんと感動の心が湧《わ》いて来たのだ。いまの事件というより、こういう事件を作る堺という町に。
厨子丸はひとりごとのようにつぶやいた。
「いい町だなあ」
「いまのことを見て、そういうの?」
と、鵯《ひよどり》がなじるようにいった。彼女は顔をあかくしていた。厨子丸も赤面したが、
「何もかもひっくるめて、さ」
と、心からの嘆声をあげた。
「ちょっと、さきにいってくれ」
鮭大膳があごをしゃくり、自分は宏壮な店ばかり並んでいる通りの或る一軒に入っていった。暖簾《のれん》に「為替《かわせ》・備中屋」と染めぬいてある。
先に歩き出しながら、厨子丸が馬岳十郎左衛門にきいた。
「あれは何の店ですか」
「金の代りに手形を送って、向うで受取人が金をもらえるようにする店じゃ」
「へへえ。……それで鮭さまは金を送られたのですか」
「左様。国に子供がおるそうな。何人かよく知らんが、とにかく三人や四人ではないらしい」
「お国はどちら?」
「それはきかぬことにしておるが……どうやら熊野あたりらしい。むろん、為替屋はふつうわれわれごときの給金を為替に組んではくれんが、備中屋は那智の寺と取引があって、そのついでに頼めば何とか家にとどくらしい案内じゃて」
給料をもらうと、国の子供にそれを送る堺防衛軍司令官。――それに情けなさや可笑《おか》しみを感じるよりも、厨子丸は、あの魁偉《かいい》な髯入道にいい知れぬ愛情を感じ、また改めてこの堺という町にかぎりないいとしさをおぼえた。
松永弾正が伴内の口を割らせずにはおくか。御台さまこの堺にありと知れば、必ずや松永軍が殺到して来るだろう、という呂宋助左衛門の予想であったが、案に相違して、弾正からは何の詰問の使者も来なかった。助左衛門さえ、はてな、と自分の見込みにくびをひねったくらいである。
それが来たのは、厨子丸が堺へ来て二《ふ》タ月《つき》ばかりたった夏の終りの或る夕方のことだ。しかもそれは、妙なかたちでやって来た。
その夕方、助左衛門はひとり庭へ出て、例の「八幡大菩薩」の旗を仰いでいたが、ふと何かを思いついたように座敷に戻り、どこやら白い布をとり出して来た。
襖《ふすま》は松をえがいた金箔《きんぱく》押しの豪奢《ごうしや》な座敷だ。これをかいたのは狩野永徳《かのうえいとく》で、彼はここでこれをかいたのち旅に出、尾張の鳴海《なるみ》までいってから一枝の足りないのを想い出し、また引返して来てこれをかき加えたという。――のちに「面工の苦心」と題して国定教科書にまでのったその襖のまんなかに、無造作にあぐらをかいて、
「鵯」
と呼ぶ。
鵯がやって来た。このごろ厨子丸は毎日例の鉄砲町にいって、何やら没頭している代りに、彼女を御台さまの召使いとして残していったのである。その鵯ばかりではなく、御台さまも現われた。
「や、これはちと困った」
助左衛門は坐り直して、あたまをかいた。鵯がきく。
「何がでございます」
「実はこの布に字を書こうと思う。それを御台さまに見ていられると恥ずかしい」
「まあ。それで、何の字を?」
「あの八幡大菩薩の旗があまりよごれておるので書き直そうと思ったのじゃ。いっそ御台さまに書いていただこうか」
「そのような字なら、やはり、男の文字で――助左衛門の手で書いた方がようありましょう」
御台さまは仄《ほの》かに笑った。
側《そば》に仕えて鵯が気にかかるほど寂しげな御台さまであったが、それだけに微笑《ほほえ》むと、それがどんなに仄かなものであっても、花が咲いたような感じになる。
「では、書くか。そこでじゃ、鵯にこの布をあの旗の大きさに切って、あとで旗に仕立ててもらおうと思って呼んだのじゃが」
鵯が鋏《はさみ》をとりに立って行くと、御台は違い棚の硯匣《すずりばこ》に眼をやって、これも立ちあがった。
「わたしが墨を磨《す》りましょう」
「いや、尊き御台さまに、左様なことをしていただいては恐縮でござる」
そのとき、庭の方で跫音《あしおと》が聞えた。
「お頭、牢人軍への志願者が参ってござる」
「おう、鮭《しやけ》か」
助左衛門は大刀をつかんだままずかと立っていって、みずから障子をひらいた。鮭大膳をはじめ槍を抱えた十人あまりの牢人たちに囲まれて、三人の山伏が金剛杖をついて立っていた。
「山伏にして、堺の牢人軍に入りたいのか」
「さればで。――なにとぞお願い。――」
山伏たちはいっせいにひざをついた。いかにも山野を跋渉《ばつしよう》するのを業とする連中らしく、みな恐ろしく痩せてはいるが、皮膚は精悍《せいかん》に黒びかりし、鷹みたいに鋭い眼つきをしている。
「われらいささか修行に疲れたるところ、このごろしきりに堺にて集められておる牢人軍のことを耳にいたし――あいや、修行に疲れたとはいえ、もし倖いにして御採用下さるならば、そんじょそこらの侍に劣らぬ働きをして御覧に入れ申すが。――」
「山はどこじゃ」
「大峰で」
「ならば虚空網《こくうもう》の真言《しんごん》を唱えて見ろ」
「オン、ビサフラ、ナツラコツフイ、バサラ、ウン、ジラ、ウン、ハッタ!」
「では。――」
助左衛門がまた問いかけたとき、うしろで、「あっ」というさけびが聞えた。
鵯であった。
「どうした?」
鵯は張り裂けるほど眼をひらいて、庭の山伏の方を指さしていった。
「あれは信貴山城の。――」
「――ふ!」
そんなうめきをもらしてうなずき合うと、三人の山伏はいきなり縁側へ駈け上って来ようとして、その一人が「うわっ」と顔の鮮血を押えてはね返った。とっさに鵯が鋏を叩きつけたのだ。それが鵯が信貴山城のあの怪奇な一室で見た覚えのある法師武者の一人であった。ほかの二人はそのまま御台の方へ向かおうとして、これまた横から助左衛門の抜くにいとまなき鞘《さや》のままのひとなぐりで、もんどり打って庭へ飛び返っていた。
三人とも倒れもせず、どんと地上へ降り立ったのは、あきらかに常人ならざる体《たい》さばきであった。
「御台がここにおわすと知った上は」
「さらにわれらの素性を知られた上は」
「ちと手荒らじゃが、信貴山城へ頂戴してゆく」
三人が金剛杖をしごくような手つきをすると、キ、キイッという金属的なひびきがした。一人がその尖端《せんたん》の鞘とも見えなかった鞘をぬくと、それは凄じい槍の穂となる。一人が杖の溝に仕込んであった刃をはね出すと大鎌となる。一人はその下端から鎖のついた分銅を振り出した。
「危い、逃げろ!」
わめいたのは、だれあろう、髯入道の鮭大膳だ。この見るからに妖異な武器の出現に胆をつぶしたと見えて、まっさきに一目散に逃げ出した。弱将のもとに勇卒なし、残りの牢人軍もわれ劣らじとそのあとを追う。
三人の山伏は――いや根来僧は、先刻に倍する跳躍力でふたたび縁側に飛び上ろうとして、そのとき轟然《ごうぜん》たるひびきとともに、槍杖《そうじよう》の山伏が、こんどはまさしく胸板撃ちぬかれてのけぞった。
鵯の撃った短銃であった。厨子丸が護衛《ごえい》用として渡していった例の七連発銃だ。
二人の山伏はさすがにひるんだ。――そのとき、うしろから、銅鑼《どら》をたたくような号令が聞えた。
「突撃!」
何たることだ。いったん庭のまんなかあたりまで逃げた鮭大膳が、いまの銃声でくるっとふりむき、キョトンと眼をまろくしていたが、突如としてそんな怪声を発し、真っ先に地ひびきたててこちらに反転して来た。勇将のもとに弱卒なし、それに引かれるように牢人軍も、砂塵をあげ穂先をそろえて突撃して来た。
「突け!」
わめくとともに鮭大膳は大鎌の山伏にみずから槍で突きかかったが、ふり返りもせずに山伏はヒョイとこれをかわし、つんのめる大膳の真っ向からうしろなぐりに鎌をふるった。入道頭がザックリ二つに裂けた。
大膳は槍を放り出し、しかし本人は倒れないで、そのまま泳ぐようにうしろから山伏の腰に抱きついた。
もう一方の山伏は、これもふり返らず、ビューッと鎖を振った。はじめそう長くも見えなかった鎖はその刹那《せつな》実に三メートル以上ものびて、その尖端の鉄球は、槍の長さを超え、三人ばかりの牢人の頭を血味噌に変えてしまった。あとの牢人は仰天して、ただ右往左往する。
その山伏は、座敷に御台をかばい、大刀を抜き払って立つ呂宋助左衛門めがけてまた二、三歩歩み出したが、さっと血走った眼を横に投げて、
「鳴輪《なりわ》坊っ、何をもたもたしておるかっ」
と、吼《ほ》えた。鎌の山伏は満面をひきゆがめた。
「こやつ、糞力《くそぢから》だけは持ちおって――どうしても離れぬのじゃ!」
「おれごめに突けえ!」
と、鮭大膳はしゃがれ声をふりしぼった。
「前へ前へ!」
牢人軍がそれこそ幽霊軍みたいに進んで来た。
鎖の山伏はその方へ馳せ寄ろうとして、銃声とともにその鼻づらをうなり過ぎた鵯の第二撃にまたあわてて飛び返った。
「突けえ!」
大膳の大喝とともに、牢人軍の数本の槍は、隊長もろとも鎌の山伏を背後から串刺しにしてしまった。
――と、見るや、鎖の山伏はついにたまりかねたらしく、鎖をひきずったままばたばたと塀の方へ逃げのびる。たちまち鴉《からす》のごとくその上に舞いあがり、鎖を大きく宙に旋回させてその姿を消した。外で濠の水が音をたてるのが聞えた。
「追うな!」
と、助左衛門がさけんだ。
「追ってもむだじゃ。捨ておけ」
そして、縁側から庭へ下りて来て、串刺しになった二つの屍骸を――鮭大膳の二つに裂けた入道頭を見下ろした。
「おれの眼力に狂いはなかった。牢人軍の隊長としてみごとな討死であったぞ」
「……よ、四人、殺されてござる。……」
と、牢人の一人がふるえ声でいった。まったく瞬時の争闘でこれだけの犠牲を出させた怪山伏に改めて戦慄の風に吹かれたものらしい。……いまになって、腰がぬけたようにへたへたと坐りこんでしまったやつもある。
「四人で、あの根来僧を二人もやっつけた。堺牢人軍もまた捨てたものではないではないか」
と、助左衛門はいう。負け惜しみではない、心からなる感嘆の声であった。
鵯も下りて来て、鮭大膳の凄じい死骸のそばにひざまずいた。ふっと、いつか為替屋の暖簾《のれん》を大きな背をまるめてくぐっていったこの豪傑の姿がよみがえり、熊野にいるかという子供たちの幻影が浮かぶと、彼女はふいにはげしい嗚咽《おえつ》をあげはじめた。
「泣くな、鵯」
と、助左衛門はいった。
「これから、いよいよはじまるぞ。――われわれは鉄石の意志を以てたたかわねばならん」
しかし、最初のこの小戦闘に、堺牢人軍はまっさきにその隊長を戦死させてしまったのである。――
呂宋助左衛門は牢人たちに、屍体の始末を命じ、また座敷に戻り、硯の墨を磨《す》り出した。それを見つつ、御台さまは、放心したように坐ったままだ。
「助左衛門」
弱々しげな声でいった。
「いまの山伏……わたしをつれてゆくとやら申したが……わたしが堺の災難のもとになるのではありませんか」
「――ばかな!」
助左衛門は荒々しく一笑して、どっぷり墨をふくませた筆でひといきに新しい旗に書き下ろした。
「拙者はこのためにたたかうのでござる」
鵯はそれを見て、ややあって、助左衛門の顔を見た。
「このために?」
ふいに助左衛門の顔は朱をそそいだようになって、
「ちごうた! ちごうた! おれともあろうものが、いまの騒ぎでのぼせあがったと見える。――新しい布を!」
とさけんで、狼狽《ろうばい》した手でいま書いた旗の布をまるめて、ぱっと横へ放り出した。が、鵯は見たのだ。いま助左衛門が書いた文字を。――「夕子大菩薩」と。
助左衛門は仁王みたいな顔で、新しい旗にもういちど書いた。
「自由大菩薩」
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敵三万の忍法僧
曾呂利伴内はむろん白状していた。足利公方|御台夕子《みだいゆうこ》の方《かた》が堺にあることを。
松永弾正がはじめからそれを求めて訊問《じんもん》したのではない。伴内の方で、勝手にべらべらしゃべってしまったのだ。
もっとも、あのとき、弾正の影武者を狙撃した女、またそれを救いに信貴山城へやって来たという若者は何者か、その背後関係は何か、また彼らと伴内はどういう縁にあるのか、などと問いつめられれば、どうしても厨子丸たちの目的をいわずにはいられない。
彼らが足利公方の御台さまの復讐のために信貴山城へ乗り込んで来たこと、しかしそれはまったくのかんちがいであったこと、それを自分が知ったのが、鵯《ひよどり》という娘が大それたことを仕出かしたあとで、つまりそれほど自分と厨子丸たちの意志は疎隔《そかく》しており、いうなれば双方無縁の関係にあったこと、などを。――
そして、
「かんちがいとは何じゃ?」
と、きかれたとき、
「なぜなら、御台は生きてござるゆえ。――」
と、答えざるを得ず、
「なに? 御台がいかにして生きておわしたのだ。またそれをうぬがなにゆえ知っておるのじゃ?」
と、訊問される段階に及んでは、ついに――あの五月雨《さみだれ》の京の叛乱《はんらん》の一夜に於ける呂宋《るそん》助左衛門の行動と、「はしなくもそれを目撃し、心ならずも傍観せざるを得なかった」自分のことを告白しないわけにはゆかなかった。
ただし、こういう心理的経過を経て、告白もまたやむを得ずと伴内が観念したわけではない。例の信貴山城の大広間に於けるあの怪奇なる人間数珠をひと目見せられて、「白状せねばうぬもこのざまだぞ」と吼《ほ》えられたとたん、いやも応もなく、脳天から出るような声で以上のことをしゃべり出してしまったのである。
口から肛門へ縄を通された人間数珠。こんな目に会わされてはたまったものではない。――そして、伴内は金切声でさけんだ。
「も、もしお望みならば、わたしはただちに堺へ馳《は》せ帰って、御台さまをつれ出し、ここへつれ戻って参りまするゆえ、何とぞ御釈放を。――」
弾正は血色《ちいろ》の眼ではたとにらんで、
「その手にかかるか、この大たわけ」
と、一蹴した。――事実、伴内はむろん堺へ遁走《とんそう》するだけが本音《ほんね》なのだから、あぷあぷと口から泡を吹くよりほかになすすべがない。
さて、すべてを知って弾正はもとより驚愕《きようがく》した。それから、激怒した。――堺の呂宋助左衛門の大それた離れわざに。
ただちに堺へ詰問ないし御台引渡しの命令を伝えようと思い立った。いや、みずから軍勢をひきいてそこへ押しかけようと決意したほどである。――しかし、からくも彼は一応それを抑えた。
ここが弾正の弾正たるところで、彼が中原に覇《は》を唱《とな》えたゆえんである、ひとたび決意すると魔王のごとき残忍性を発揮するが、その一歩手前で、前を見、うしろを見、決して一筋縄の行動をとらず、二筋も三筋も考える。
これほどのことをやってのけた上は、呂宋助左衛門もそれだけの覚悟はあるであろう。その助左衛門の意志は堺全体の意志とどれだけつながっているか。もし助左衛門が堺を抑えているとすれば、いまこの時点に於て堺といよいよ敵対関係におちいることは得策であるか、ないか。
さらに――。
あの叛乱直後なら知らず、いまの弾正にはもう一つかえりみなければならない或《あ》る存在があった。昼顔だ。
堺を敵にまわす目的は、庸懲《ようちよう》以外に御台を奪うことにあるが、御台をこの城につれて来ることを昼顔はどう思うか。いや、それ以前に、そのような目的で堺を攻撃するなど大袈裟すぎると彼女は考えないか。――あの鵯、また厨子丸とやらに対する昼顔の処置に何やらあいまいなところのあったことを承知しつつ、それにもかかわらずあれからもこの問題についてどこ吹く風といった顔をしている昼顔に、弾正はいよいよぶきみなものをおぼえ、しかもかくのごとく、とつおいつ思案せずにはいられないのであった。
かくて。――
よし、ともかくも御台は、堺のどこに、いかにして暮しておわすかを探れ、真正面からひらき直るより前に、ひそかに、手軽に、さらえるものならさらって来い。――弾正はこう決め、数組の根来僧《ねごろそう》に命じて堺に潜入させたのであった。
それはそれとして、曾呂利伴内は、「こやつ首|刎《は》ねて然るべきじゃが、堺のなりゆき次第ではまた何ぞ使い道があるかも知れぬ。それまではここに捕えておけ」という弾正の命令で、口と肛門に例の縄をあてがわれ、
「ぴいいいいっ」
という忍法僧の怪声一番、哀れなるかな生まれもつかぬ人間数珠のたま[#「たま」に傍点]の一つに組み入れられてしまった。
堺に潜入させた根来僧――鎖を使う葛間《かつらま》坊が逃げ戻って来て、ほかの二人の忍法僧が殺されたことを報告したのを受けて、弾正はついに起ち上った。
「助左衛門、やはりあくまでも抗《あらが》う気か!」
やると決心したら、彼はもはや容赦《ようしや》しない。そして、やることは、いつも大がかりで徹底している。
弾正は紀州根来寺から法師武者を召集した。実にその三万という人数のすべてを。
もとより非武装の町人都市堺に――たとえ俄《にわ》か作りの助左衛門の私兵百数十人やその他町に多少の防備があるとしても、そんなものは弾正の眼中にない――これほどの大軍をむける必要があると彼は思っていない。
これは脅《おど》しだ。威嚇策《いかくさく》である。
相手が町人都市だけに、この三万の忍法僧の示威《じい》は、これ以上はない効果を発揮するだろう、と彼は考えた。激怒しつつ、一方で、財宝のかたまりのような堺の町を、得べくんば無傷で押えたい、またあの御台をつつがなく手に入れたい、そのためにもこの忍法僧ほどぴったりしたものはない――というふくみもあってのことだ。
で、弾正は、信貴山を下ったところの野に、その全軍を召集し、検閲したのだが――彼としても根来僧兵のすべてを、しかもそれだけ集めたのははじめてのことである。
それは、わが手兵ながら実に妖異な壮観であった。
騎馬兵もいる。槍も薙刀《なぎなた》も林のごとく立っている。しかし、あきらかにふつうの軍兵の景観とはちがう。むろんそれは、そのことごとくが袈裟頭巾《けさずきん》をかぶった僧兵姿であるからだが、それとは別に、何とも名状しがたい妖気が雲のごとくたちこめているのだ。
むべなるかな。――これは、この三万ことごとく、一人一芸、いずれも超人的な忍法を体得した僧兵軍であった。
まるで雲霞《うんか》のごときこの妖《あや》しき大軍は、しかしよく見ると、十ばかりの軍団に分けられているようだ。――その間を、三騎、しずしずと閲兵して回った。
二騎はいずれも松永弾正だ。――だれが見ても、顔かたちはそっくり同じだが、一人はいうまでもなく例の影武者不死身の牛頭坊である。牛頭坊の方は鎧《よろい》をつけていた。もう一騎は、鞍《くら》に横坐りになった昼顔であった。
「昼顔」
ふと、思いついたように弾正がかえりみた。
「こやつらが堺へいってまず見せる芸、ここでおまえに見せてやろうか」
「この人数のすべてをですか」
「いや、さしあたって、まず十人、堺の町人どもに見せて、きゃつらの胆をひしぐことになっておる」
と、いって弾正は何やら牛頭坊にささやいた。
牛頭坊はうなずいて、初秋の風の中に呼ばわった。いま弾正がいった十人の選手がここへ出て、ひとまずその忍法を披露して見せよと命令したのである。
その通り、ここに忍法軍出陣祭りともいうべき光景がくりひろげられた。
「第一番、油坂《あぶらざか》坊。――」
彼はこの真昼、片手に燃える松明《たいまつ》を持ち、腰の瓢箪《ひようたん》からごくごくと何やら飲んだ。そして口をとがらせて息を吹き、松明の火をそれに近づけた。すると、三メートルあまりの白い火焔《かえん》の棒がのびた。
「第二番、猿丸坊。――」
彼は大|唐傘《からかさ》をぱっとひらき、キリキリと回し出した。それを投げると、傘はななめに空に舞いあがる。大地を蹴《け》ると彼のからだはその傘の上に猿のごとくに乗り十メートルはたしかに空中を飛んだ。
「第三番、斑鳩《いかるが》坊。――」
彼は、わらじの下に何やら小さな鞠《まり》のようなものをつけていた。それを転がして地上を走り、旋回するのが矢のように早く、かつ自在で、閃《ひら》めかす大薙刀は眼にもとまらなかった。
「第四番、板曳《いたびき》坊。――」
彼は右の斑鳩坊の大薙刀の前に、上半身裸になって立った。薙刀はその黒びかりするからだに凄じい打撃音をたてて斬りつけられたが、皮膚は血も流さずにそれをはね返した。彼の肉体はなめし皮以上に強靱《きようじん》らしかった。
「第五番、百首《ももくび》坊。――」
彼は八匹の犬をつれて出て来た。そして数メートルものびる長い革|鞭《むち》で、そのうちの五匹までを打ち殺し、また鞭で巻いて犬が小さく見えるまで高くはねあげた。
「第六番、波切坊。――」
彼はその犬の一匹に近づき、地にうつる犬の影を戒刀で斬った。たしかにその刀は犬そのものには触れもしなかったのに、犬の実体は斬られた影と同じところから鮮血を吹いた。
「第七番、穴川坊。――」
彼はなんと大男根をつかみ出し、地上に白濁したものをぶちまけた。その上を馬を走らせると、馬の蹄《ひづめ》はまるでとりもちでもくっついたようにそこから離れなくなった。
「第八番、蓮華《れんげ》坊。――」
彼は数枚の蓮《はす》の葉を持ち出し、その一枚を一匹の走る犬に投げつけた。向かい風に投げたのに、それはヒラヒラと舞っていって犬の首にぺたりと貼《は》りつき、あきらかに犬は呼吸がつまってまるくなって死んだ。
「第九番、雲取坊。――」
彼もまた駈けて来る最後の犬の前に立ち、口をとがらせた。ヒューッというような口笛の音が鳴ると、まだ数メートルの距離はあるのに、犬の顔が柘榴《ざくろ》みたいに裂けた。彼は息を吹くのではなく、吸って空中に真空を作り出すのであった。
「第十番、烏帽子《えぼし》坊。――」
これは数人の法師武者が、直径二十センチはあろうかと思われる恐ろしく太い孟宗竹《もうそうだけ》をかつぎ出して来た。長さ一メートルばかりに切ってある。それを地上に立てて、一人が上から薙刀で軽く斬りつけると、竹はぱっくり二つに割れて、中から白と黒の布をまといつかせたえたいの知れないものが転がり出した。と見るまに、それはぐーっと上下左右にふくれあがって、一人前の法師武者になった。たとえ太い竹とはいえ、直径二十センチの円筒に収まるとは何たる化物か。
――いやもう、これは異次元の世界の忍法オンパレードだ。
昼顔はすでに京の二条御所で、銅拍子《どうびようし》を投げて敵を切断する忍法僧、死の鴉を使う忍法僧、墨染めのヴェールを投げて幻の分身を作り出す忍法僧、空中から反転してまた上昇する忍法僧などを見ている。いや、この城に来てからも、彼らの術を興がって、しょっちゅう彼らのさまざまなる意匠《いしよう》を見物している。しかし、こういちどに繰《く》りひろげて見せつけられると、やはり改めて唖然《あぜん》とすると同時に身の毛をよだてざるを得なかった。
昼顔どころか、彼らを頤使《いし》する弾正さえも、
「ううむ、それにしても奇態なやつら」
と、舌を巻き、
「ひょっとしたら、例の信長へこれを向けたらどうであろう? どうしてわしはこれを思いつかなんだのであろう? よしよし、それは堺を手に入れたあとのこと」
と、忍法僧軍のみの軍団の出動を改めて決意したほどであった。
「よし、さらばゆけっ、堺へ!」
馬上の影武者は采配をふるった。彼が弾正に代って出陣するのだ。三万の忍法僧軍は一鼓六足で前進を開始した。こういう陣法はいささか古典的である。――西へ、堺へ。
堺の町の外は、濠《ほり》を隔てて、人家もないではないが、まずいちめんの野と森だ。ただ数本の大道が、町の門に入っているだけである。そのあいだにかかる橋ははね[#「はね」に傍点]橋だ。
その大道には、いつもさまざまの荷を積んだ車や商人たちが、まず絡繹《らくえき》といった形容にふさわしいほどつづいていたのだが、それがこの夏のころからめっきり減った。町に入る門でいちいち止められて、町に住む人間と顔見知りでないと入ることが出来ないという事態になったからである。門のところには俵の土嚢《どのう》がうず高く積んであった。
その、やや人影まばらな堺の東方の野の果てに、秋のまひるどき、一|朶《だ》の雲が浮かんだと見るまに、それは左右にスルスルと拡がり、蒼天も黒ずまんばかりの砂塵《さじん》をあげて、三万の大軍の全貌をあきらかにしつつ、堺の町へ進撃して来た。
「来たっ、……来たっ」
牢人軍新隊長の馬岳《うまだけ》十郎左衛門がわめいた。
「ついに来ましたぞっ、お頭、松永軍が!」
松永の大軍が接近中だということは、むろん物見の急報で知っていたが、いざこの雲霞のごとき全容を見ると、頭髪も逆立たざるを得ない。門の内外にいた数十人の牢人軍もみな蒼《あお》くなって、あわてて橋の鎖の方へ駈けていったやつも数人ある。はね[#「はね」に傍点]橋を巻きあげるためにである。
「待て待て」
呂宋助左衛門は制して、きっと前方に眼を投げた。厨子丸と鵯がその足もとにひざまずいている。
「まず、ようすを見てやろう」
松永軍はしかし数百メートルを隔《へだ》てて停止した。
そこから、数えて見ると、全部で十人、その中の一騎を守って、それだけが橋の方へ近づいて来た。なんのためか、その十人の法師武者のうちの数人は、太い青竹を肩にかついでいる。
その一団も橋の向う十メートルばかりのところに停って、
「松永弾正より、堺の町衆へ申し入れることあって推参いたしたり」
と、騎馬武者が呼ばわった。
「そこに会合《えごう》衆はおるか」
「納屋助左衛門でござる」
助左衛門も橋の上まですすみ出た。櫂《かい》を削って作った長大な棒をとって立ちふさがったところ、まず長板橋《ちようはんきよう》の張飛《ちようひ》の趣《おもむ》きがある。
「やっ、呂宋助左衛門はうぬか」
さけんだ騎馬法師は――例の影武者ではない。影武者牛頭坊は、いかにも本物然としてなおはるかな本陣に重々しく控えている――袈裟頭巾《けさずきん》の中の眼をぎらとひからせた。
「わが松永家の者二人まで殺害したのはなんじの手のものよな。その理由をいえ」
「――身にかかる火の粉はふり払わねばならん」
と助左衛門はぶっきらぼうにいった。
「それだけよ」
すでに、天下の覇者松永弾正の軍使に対する言葉ではない。甚《はなは》だ挑戦的である。
袈裟頭巾の軍使は満面を朱に染めて吼《ほ》えた。
「その罪状をさしゆるすわが方の条件を伝える。第一、右の松永家の者を殺害した下手人どもを即刻引渡すこと。第二、堺におわす足利公方の御台を、これまた即刻引渡すこと。第三に――あれに控えておるわが軍勢を、ただちに堺へ無血進駐させること。――」
「身にかかる火の粉は払わねばならん」
と、呂宋助左衛門はもういちどいって、あごをしゃくった。
「たとえ、火の粉が二万、三万あろうとて。――」
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火焔瓶《かえんびん》・投石機
「――なにっ?」
騎馬の軍使は案に相違した顔で助左衛門をにらみつけていたが、やがてその眼をぎらと橋の左右の塀に投げた。
ただ門の両側ばかりではない。濠《ほり》の向うの塀の上には、ずらっと遠くまで無数の首が鈴なりになっていた。牢人部隊らしい髯《ひげ》づらも見えるが、あきらかに町人の顔も見える。すなわち、松永の大軍|来《きた》るときいて、堺の市民たちがそこからのぞいているのだ。あきらかに胆をつぶし、おびえ切った顔、顔、顔であった。
「よくぞぬかしたり、呂宋《るそん》助左衛門! いまの一言だけで堺を踏みにじってさしつかえはないが、うぬ一人の身のほど知らずの高慢のために、数百年つづいたせっかくの町を、いちどに火と煙に変えてしまうのはちと気の毒じゃ。見ておれ。――」
と、騎馬法師は吼《ほ》えた。
「これより、わが松永の忍法僧の真髄を見せてくれる。そのあとで、もういちどへらず口叩けるものなら叩いて見ろ。……それっ」
手を振ると、その左右に九人の法師武者が展開した。
むろん、そこで例の妖技を示威し、堺市民を気死させようとしたのだ。――このとき、助左衛門はふりむいて、手を振った。
「面倒じゃ、撃ち殺せ」
塀の上に、顔だけではない、数十|梃《ちよう》の鉄砲の銃口がニョキニョキとならんだのを見たのはそのときであった。
「……あっ」
さすがに法師たちが愕然《がくぜん》としてみな動かなくなったところへ、それらの銃口がいっせいに火を噴《ふ》いた。
火縄のくすぶる煙はおろか、それが燃える匂いもしなかったのに、弾丸は雨あられと注いで――そこにいた法師たちの大半を、それこそ火と煙に変えてしまった。驚天の忍法も幻法もあらばこそである。
たちまちそこは阿鼻叫喚《あびきようかん》の殺戮場と化したが、その中で防衛軍の口をぽかんとあけさせたものがある。法師たちのかついで来た太い輪切りの孟宗竹に、ぽつ、ぽつ、と銃丸の穴があくと、ビューッと鮮血が噴出するのが見えたことだ。
さらに、血と煙の中にのた打つ集団の中から、ぱっと大|唐傘《からかさ》がひらいて、それがキリキリと回りながら、ななめに濠の上の空に翔《か》けのぼった。が、たちまちその傘にも無数の穴があくと、傘の上から血まみれの法師が濠へ水けぶりあげて転落し、そのあとで傘もひらひら舞い落ちて来た。
ただ、空へ向けて撃った牢人の一人が、急に苦悶《くもん》して塀の上にのびあがり、顔をかきむしりながらこれまた濠へ落ちていったが、かきむしっているのにその顔から離れぬ一枚の蓮の葉が見えたのが、まわりの人々をぎょっとさせた。
それから。――
例の軍使が、血をしたたらす馬に鞭《むち》打って、はるかかなたの味方の陣へ、狂気のごとく逃げ去っていった。
あとは虫のようにまるくなった法師武者たちの屍骸だけであった。――辛くも忍法を使ったのは二人だけで、あと八人は無為にして屠《ほふ》り去られてしまったわけだ。
「よしっ、はじまったぞ!」
呂宋助左衛門は快笑して、橋を走り戻った。
「橋をあげい!」
鎖のひびきとともに、はね橋はあげられたが、門はなお開いたままで、助左衛門は仁王立ちになったまま、きっと野の方を見やった。
三万の大軍は風の起った海のようにどよめき立った。そのまま潮のごとくこちらへ氾濫《はんらん》して来た。大地は震撼《しんかん》した。
「待て、待て。頭を下げて!」
厨子丸のさけびであった。
「まだだ。まだだ。もっと引寄せて。――」
塀の上の無数の顔と銃口はひっこめられていたが、いつのまにか厨子丸だけがその上に立っていた。
襲来する大軍の最先頭に立って、袈裟頭巾を吹きなびかせ、馬を疾駆させている数十騎の法師武者の、「ホウ、ホウ、ホウ」というような奇怪なわめき声が聞え、憤怒《ふんぬ》に燃える眼まで見えて来た。約百五十メートル。
「撃て!」
厨子丸の号令とともに、塀の上につき出された銃口のつらなりがふたたび火を噴いた。数十梃と見えたが、数百梃にも聞える轟音《ごうおん》であった。
騎馬法師たちのすべてはもんどりうって落馬した。
むろんそのまま地上にもがき、馬も横倒しになったものが大半だが、たちまち狂奔して馳せ去る馬、はね起きてそのあとを追う法師もあったところを見ると、人馬ともにその銃声の凄じさに仰天したものと見える。
逆にこの人馬に突入されて、三万の大軍はまたどよめき立ち、そして重々しく停止した。はじめてこの町人都市の抵抗が容易ならぬものであることを思い知ったようである。
彼らとて、世に鉄砲のあることは承知している。げんに彼らの中には鉄砲部隊もある。しかし、むろんそれは火縄銃で、射程距離も百メートルに足りなかった。それが、火縄を挿入するいとまがあるとも見えず、かくも軽快に、かくも猛烈に、そしてかくも遠距離に撃って来る銃隊は、臍《へそ》の緒《お》切ってはじめて見た。
数十梃が数百梃の効果を発揮したのもむべなるかな、これは厨子丸の作った自動発火式、照尺つきの七連発銃であった。彼は町の鉄砲職人を指導し、督励《とくれい》して、この日までにこの数十梃だけを生産した。
「あの動いているやつらを撃て!」
髪吹きみだして塀の上でさけぶ厨子丸をちらと見て、
「あれが聖ミカエル、とな」
と、助左衛門がにたっと鵯《ひよどり》に笑いかけた。彼は去年京の寺で、「撃てば人を殺すからいやだ」といった厨子丸を思い出したのである。
また銃声がとどろいて、前面の土を噛《か》んでのた打ち回っている生残りの法師武者たちのとどめを刺した。それを見て、厨子丸は花のように笑っている。
……酔っているわ、あの人は。自分の作った鉄砲に。
鵯はそう感じた。以前の彼女なら、彼より高い笑い声をあげたであろう。しかし、鵯は笑わなかった。
彼女は、厨子丸が堺へ来てから別の厨子丸になったことを感じていた。
「……助左衛門おじさんっ」
町の方から十数人の少年たちが飛んで来た。いまの銃声でいよいよ戦争がはじまったことを知ったらしい。
「いくさがはじまったら、新しい旗をあげるんだといってたねっ。あの旗をおいらにあげさせてよっ。あるところ、知ってるから!」
小西屋の弥九郎だ。彼は助左衛門の新しい旗を見せられ、その文字の意味を教えられたことがあるのだ。助左衛門は快然と笑った。
「よし、弥九郎に頼んだ。あげてくれ!」
弥九郎と少年たちは頬を真っ赤にさせて、燕《つばめ》のむれのように駈け去った。
まもなく堺の東南隅に――助左衛門の屋敷の例の帆柱に、真っ白な布に五つの大文字をしるした旗が蒼空にはためいた。
「自由大菩薩」
さしもの忍法僧軍も辟易《へきえき》したらしい。――最初の一撃で、数十人の精鋭をまるで犬ころのごとく葬り去られてはである。
これは古代のシャーマニズム、呪術、陰陽道《おんみようどう》、修験道などに源流を持つ中世の亡霊のごとき魔術師軍と、ともかくも近代兵器との決戦であった。
現代のわれわれから見ると当然の結果だというしかないが、むろん忍法僧たちは当然とは思わない。何しろ雲霞のごとき大軍であるし、主君弾正に対する面目もあるし、なお対象は町人の町だという侮りはなくなっていない。それに、おのれらの幻妙の術に対する自信は絶大だし、さらにまさかこれくらいの打撃で足ぶみするなど念頭にも浮かばない本来の野性がある。ただいちどそこに停止したのは、「はてな?」という懐疑と、それから、「これ以上の無益無意味な犠牲者を出すことは。――」と一応再考したために過ぎない。
伝令の馬が馳駆《ちく》しているのが見えた。
忍法僧軍は前進をやめて横に展開し、堺の町を三方から包囲し、陣営の設置にとりかかった。あと一方は海だから、これはいまのところ彼らにもいかんともしがたい。
そして、夜が来た。月のない夜であった。
忍法僧陣に一点の火影《ほかげ》もなく、野は広大な闇につつまれていた。それは堺の町の明りが、さすがに平生よりは少ないが、それでもぼうっと雲を染めているだけに、いっそうその外界の闇を深く感じさせた。
その野末から、海鳴りみたいなぶきみなひびきが伝わって来た。
馬は使わず、声を発せず、忍法僧軍が這《は》い寄りはじめた音であったが、とりあえず出動しただけでも数千という人数であったから、潜行にしてもそんな地ひびきがひろがり出したのである。
むろん、町の方ではその気配を感づいたらしい。三発、五発、銃声が聞えたが、遠く制止の声が流れると、これもぶきみな沈黙を守ってしまった。弾は法師武者たちの頭上をかすめすぎただけであった。
彼らは大円陣を作り、闇の底を進んだ。ひるま騎馬隊が殲滅《せんめつ》された地点をぶじ通過し、円陣は次第に小さくなった。そして町をめぐる濠まで、あと三、四十メートルの距離にまで接近した。
突如、その濠の内側で異様な音がした。
ぶうん、ぶうん、ぶうん。……
同時に、闇の空を小さな赤い火が、数十匹の蛾《が》のように流れ、蜘蛛《くも》みたいに伏した忍法僧の頭上から落下し、大地で何かが壊れるような音がするとともに、そこから火焔《かえん》があがり出した。
飛来したのは五合徳利大の甕《かめ》であった。それが砕けるとともに、内部からあきらかに油とわかる匂いを発する液体が四方に飛散し、いっせいにめらめらと燃え出したのだ。
「熱《あ》つ……あつっ」
実際にその油の火の洗礼を浴びた者もあったが、なおつづけて限りもなく飛んで来ては落下し、砕け、燃えあがる炎の中に、あたり一帯の攻撃軍はすべてありありと浮かびあがってしまった。
「撃てっ」
若々しい号令とともに、またもや雨のような一斉射撃を受けて、忍法僧軍は火の中の虫みたいに踊り狂った。その影が火光を背にいっそう恰好の的となり、銃丸は容赦なくそれを撃ち倒した。
なお三十メートル前後の距離があっては、有効な忍法とてなかったろう。火縄銃をかかえている者もあったが、相手が土塀の中ではひきがねをひいたところで無駄であったし、だいいち火縄に点火してさしこむなどという悠長なことをしている間に、その法師武者はのけぞり返った。
根来僧にしては珍しいことだが、恐怖と狼狽《ろうばい》の叫喚をあげていっせいに退却にかかったらしい物音をききつつ、塀の内側では厨子丸が走っていた。
塀に沿って、数十か所に設けられた「投石機」をめぐってである。
彼の工夫した投石機は、五、六メートルにも及ぶ青竹であった。その根本《ねもと》は木材を組んで作った砲座にしっかりと固定されて直立している。それを鎖で地上にまで引いてたわめ、先端にとりつけた籠に素焼きの甕を入れる。甕には油問屋からもらって来た油が満たしてあり、甕の口には短い火縄を混えた布がつめてある。彼は火縄を、銃にではなくこんなことに使った。
これに点火して、鎖を地上に刺した鉤《かぎ》からはずせば、竹は凄じい弾力ではね返り、甕を空中にはじき飛ばす。いま忍法僧たちがきいた、ぶうん、ぶうん、という怪音は、この竹のはね返る音と、同時に長い鎖が宙に大きく旋回するひびきなのであった。
砲手? はむろん牢人軍である。
空中を飛んで地に落ちた甕の油は、いっせいに炎となって燃えひろがる。現代の火焔瓶と同じ原理である。
忍法僧軍の夜襲は不成功に終った。
実際の損害も数百人に上ったが、それよりも驚愕の打撃を受けて、彼らは雪崩《なだれ》を打って潰走《かいそう》した。
のみならず。――
野を焼く漁火《いさりび》のようなその火が消えたとき、松永軍の陣営のあちこちに、銃声とともにまたひどい混乱が起った。なんと、堺の牢人軍はいつのまにか門を出て、包囲軍への射程距離まで進出して逆襲の弾幕を張ったのである。
火縄を使用しないので、彼らがそこまで出て射撃するまで気がつかなかった。が、その銃口の火花に。――
「おう、あそこまで出ておる!」
「あれ逃がすな!」
猛勇の僧兵が、弾を冒《おか》して殺到して来たときは、出撃した敵は一目散に町へ逃げ帰っていて、勢いに乗ってそれを追う僧兵の頭上に、また火焔瓶が落下してきた。
夜が明けた。
僧兵軍はまなじりを決し、数を頼《たの》んで怒濤《どとう》のごとくふたたび大挙して襲撃して来た。しかし、これを迎撃する堺防衛軍の弾の無限とも思われるおびただしさ。――
「ううむ、ここは堺であった!」
主将の牛頭坊が愕然《がくぜん》としていまさらのごとくこううめき出したのは、この堺がこれまで天下の争乱に、その鉄砲と弾薬の最大の供給地であったことを改めて思い出したからであった。
――実は、危いところであったのだ。弾はともかく、新しく作った連発銃の銃身も焼け切れんばかりとなり、防衛軍はすんでのところで火縄銃まで持ち出さねばならぬところであったのだ。
いや、事実、もう火縄銃を使用していた。それは大半堺の市民たちの働きであった。最初恐怖していた町人たちも、昨日来の快勝ぶりに気をよくして、とくに若い連中が昂奮して、躍りあがるように町の防衛に馳せ加わって来たのであった。
それを知らず。――
「退《ひ》けっ……このままでは無用の損害を出すばかりじゃ! ともかくも、一応|退《ひ》けっ」
たまりかねてこうさけび出した牛頭坊の絶叫一下、ついにまたしても忍法僧軍は算を乱して退却をはじめた。
そのあと――銃声と叫喚がやみ、それだけに静寂がいっそう死の世界然として――事実、屍体に埋《うず》まった秋の野に、ふいにばかに陽気な唄声がながれた。
「あまりのつれづれ、つれづれに
門に瓢箪吊《ひようたんつ》るしてな
折ふし風吹き
あなたへちゃっきりひょ
あなたへちゃっきりひょ」
塀の上で滑稽《こつけい》な踊りを踊っているは、堺の名物男の自在庵隆達であった。瓢箪を口に持っていってはごくごくと飲み、その瓢箪をたたいて唄う。
「あなたへちゃっきりひょ
あなたへちゃっきりひょ」
忍法僧軍はみずから傷つき、或いは重傷者を背負って、まさに全軍ことごとくよろめいているかのごとき惨状を呈していた。
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照明弾・ロケット砲
松永軍は十日ばかりただ包囲していた。
むろん、その間|拱手傍観《きようしゆぼうかん》していたわけではなく、数度小部隊で攻撃をかけて見たのだが、やはり油断のない銃撃に射《い》すくめられてしまったのだ。
「……堺の容易ならざること、ともかくも弾正さまへ御報告申しあげては?」
と、いい出した僧兵もあったが、
「たわけっ」
という影武者牛頭坊の血相に吹き飛ばされた。
「弾正さまはなにゆえわれら根来《ねごろ》のものを向けられたのか。しかも全軍三万。――それが、たかが町人の町相手に手を焼いて、なお何万の援軍を求めるのか、恥を知れっ」
と、怒号はしたが、牛頭坊も苦悶している。
むろん、三万の全軍、屍《しかばね》の半を積んでも突撃すれば何とかなるだろうとは思うが、そういうむちゃくちゃな攻撃をして、たとえ事成ったとしても、根来僧兵の手柄にはならぬ。自分たちはただの雑兵とはちがうのだ。その面目にかけても忍法僧の忍法僧たるゆえんを発揮しなければならぬ。それに根来僧兵は将来、日本第一の大本山たる日のためその守護兵として極力温存しておかなければならないのだ。
「……やはり、夜襲のほかはあるまい」
帰着する兵法はそれしかなかった。
「五、六十人、あの塀にとりつきさえしたら、もはやこっちのものじゃ」
かくて、五十五人の挺身隊が撰び出された。
十人の分隊に一人ずつの分隊長を立てる。この十人の僧兵が例によって一人一芸の強者《つわもの》ぞろいだが、分隊長がその分隊の長にふさわしい怪術の体得者である。
第一隊長梵梁坊。――彼は土塀なり大地なりに這《は》うと、からだが平べったくなり、ひろがり、はては一枚の皮みたいになり、皮膚さえ這った土と同じ保護色に変る男であった。
第二分隊長西岳坊。――彼はその手の触れるあらゆる物体が、掌《たなごころ》の分泌物によって銀色にひかり出し、急速に鏡のようになり、そこに無数の彼の姿をうつし出し、本人はどこかへまぎれこんでしまうという男であった。
第三分隊長霜寒坊。――彼のふるう鉄杖《てつじよう》は強烈な磁力を持ち――というより彼が持つことによって、敵の刀槍も封じてしまうほどの磁力をはなつ鉄杖の使い手であった。
第四分隊長赤麟坊。――彼は垂直な木でも壁でも水平に、しかも大地のごとくに立つ男であった。
第五分隊長印空坊。――彼は火吹竹みたいな竹筒を持っていて、この竹筒に貼《は》ってある――処女から採取した膜を指でつき破ると、一種の共鳴現象で十メートル以内の敵の鼓膜はおろか、三半規管をも破壊して敵の平衡《へいこう》機能を失わせてしまうという男であった。
いやはや大変なやつらで、なるほどこの面々がひとたび堺市内に突入したら、後続部隊はおろか五十人の配下も要《い》らず、この五人だけで縦横無尽にあばれちらし、全市を慴伏《しようふく》させることも可能ではないかとさえ思われる。
「……よし!」
と、全幅の期待を抱くとともに、一方牛頭坊は憮然《ぶぜん》たらざるを得ない。
「こやつを挺身隊として出動させねばならぬか?」
――妖風堂々、堺へ進撃して来るとき、まったく想像もしていなかった事態である。
さて、この十日ばかりのあいだに、堺の町では塀の内側に数十の望楼を立て、そこに犬をつないで哨戒《しようかい》させるという工夫を編み出していた。
だから、全然|隠密裡《おんみつり》に接近するということは、はじめからあきらめなければならない。ただ、なるべく散開し、もし例の火焔瓶《かえんびん》が飛んで来たら、その落下地点をよく観測して、その火光のとどかないところへ迅速《じんそく》に移動しつつ進む。――その指揮はひとえに五人の分隊長にまかす。
「必ず成功を期す」
「高祖宗祖の神霊われにあり」
高祖とは真言宗をひらいた弘法大師で、宗祖とは根来寺を創建した興教大師のことである。
彼らは出動した。
やがて、堺の望楼から、びょうびょうと犬が吼《ほ》え出した。これは覚悟の上だ。犬には見えても、人間の眼には見えまい。
彼らは闇の空を仰ぎつつ、匍匐《ほふく》前進した。匍匐といっても、それは野の流れを走る水すましのように迅《はや》かった。――いつかのように火焔瓶は飛来しない。それが飛んで来る前のぶうん、ぶうん、という怪音は聞えない。
あと七十メートルばかりに迫ったときであった。例の怪音とはちがうヒュルヒュルという音が、いくつか夜空を彼らの背後へながれた。
とたんに、大空で何かがはじけるような音がして、そこに七彩の光の花がひらいた。しかもその光の花は空中に揺れつつ漂っている。その数は幾十か。
花火であった。
根来僧たちは、狼煙《のろし》は知っているが、花火というものを知らなかった。当時、花火を知っている者はあまりなかったろう。それは数年前、南蛮人から堺へ伝えられたばかりで、しかもそれは筒につめた煙火剤を筒から火にして噴出させるだけのものであった。これを見て、厨子丸が工夫して花火を――いわゆる打揚《うちあげ》花火を作り出した。
木製の打揚筒で火薬を燃焼させ、煙花玉を空中に打揚げ、炸薬《さくやく》で炸裂させる。のみならず、これに紙製の傘をつけた。――いまの吊光《ちようこう》照明弾である。
夜空にひらいた七彩の光の花、それは曠野を真昼のごとくにし、しかもそれが背後からの光であったため、あわてて乱れ立った五十五人の忍法僧を夜がらすのごとく浮かびあがらせた。
むろん、いっせいに銃弾はうなり出した。充分散開はしていたはずなのだが、何しろ驟雨《しゆうう》のごとき弾幕なので何じょうもってたまるべき、生き残って逃げ帰ったのはわずかに七人という壊滅ぶりであった。――あとでわかったところによると、例の赤えい[#「赤えい」に傍点]みたいに平べったくなる第一分隊長梵梁坊のごときは、たたみ二畳分ほどにひろがって、弾を五十発くらいくらって死んでいたということである。
こうなっては、信貴山城の松永弾正に報告しないわけにはゆかない。――
というよりも、弾正がすでに以上のことは耳に入れていて、ついにたまりかねてみずから出馬して来たのだ。ただし、いくら何でもこれ以上増援の必要があるとは思わない。ただ数十騎の松永本来の手兵を率いてである。
かくときいて、牛頭坊は狼狽し、焦燥し、ついにまたも全軍の総攻撃をかけようとした。そのときに、すでに出立した弾正からの伝騎が駈けて来て、
「余が到着するまで行動は停止せよ。堺攻めは弾正みずから采配を振るであろう」
との命令を伝えた。
さて弾正の一行は粛々と西へ進んでいった。ちょうど堺の方の空が秋の朱金の夕焼けに彩られた時刻であった。その赤い空を、数羽の鳥が、矢のように西へ飛んでいった。
弾正|来《きた》るとの注進を受けて。――
「ともかくも、お迎えをせねばなるまい」
百千の弁明を用意しつつ、牛頭坊はこれまた数百の僧兵をひきつれ、出迎えに駈けた。
ちょうど堺から三キロちかく離れた河内《かわち》の野であった。出迎えの一団をにらみつけながら馬に揺られて来た弾正が、ふと空を仰いで、
「うわっ」
と、彼らしからぬさけびをあげた。
「あれは何じゃ?」
その驚愕の声もとぎれぬうちに――まるで堺のかなたに沈む太陽の燃える一片が落ちて来たかと思われた。
と見るや。――真っ赤な長い炎の尾を曳《ひ》きつつ、西から飛来した長い棒が、ちょうど弾正と出迎えの僧兵群の中間あたりに落下すると、そこから爆鳴とともに凄じい砂塵が天地を晦冥《かいめい》にしてしまった。
大音響と爆風のために、弾正は馬から数メートルも後方へ投げ出された。砂けぶりの中にもがきつつ立ちあがったときは、出迎えの騎馬隊へ、なお相ついで爆鳴と砂塵が炸裂《さくれつ》している。算を乱して逃げまどう僧兵たちの上へ、真っ赤な箒《ほうき》みたいな火焔の尾を曳きつつ落下して来るものは何だろう?
大砲というものはまだ存在しなかったから、その概念は弾正の脳中に浮かばなかったが、もし知っていたら、火を噴《ふ》くその物体にいっそう怪異の衝撃を受けたろう。
弾正が堺の難攻ぶりを耳にしてまずとらえられたのは、驚きよりも好奇心であった。しかしその好奇心などいっぺんに吹き飛ばすようなものが、真っ先に彼を出迎えたわけである。
これは大砲ではない。棒火矢《ぼうびや》というものだ。
厨子丸の発明にかかる。――七十五センチあまりの木製の筒に、やはり木製の三枚の羽根をつけてプロペラとする。筒の尖《とが》った先端には火薬がつめてある。その調合は、硝石四十グラム、硫黄十五グラム、木炭四グラム、樟脳《しようのう》二十五グラムである。これを松脂《まつやに》と麻屑で練ってかため、その上を麻縄でかたく巻いて装填《そうてん》する。
この筒を後尾から羽根の付根まで、火矢《ひや》台にすえつけた二貫目玉の火矢筒にさしこみ、導火線に点火して発射すると、みずからの火薬を燃焼しつつガスを噴出して飛ぶ。
この棒火矢のアイデアは外国の兵器史にもない。まったく日本人の独創だということで、してみるとすなわちこのとき国友厨子丸が作り出したのがそのはじまりだということになる。
余談になるが、このときの知識か設計図が残っていたのであろうか。後年、徳川中期の元文年間大野右衛門|武矩《たけのり》なる人物が、この堺の七堂ケ浜で二十五町――二千七百メートルの棒火矢を飛ばせて声名を馳《は》せたという記録がある。(「通航一覧」収録「大野流砲術伝書」)
これはまったくロケット砲の起源であるが、惜しいかな――といっても、あらゆる科学的発明に於ける日本人の悪癖だが、その知識を持った人間が、よくいえば名人芸、悪くいえばケチから秘術口伝と称して門戸を鎖《とざ》し、みずから進歩をとめ、ついには荒唐無稽の怪しげなるものに変形してしまった。
実にこの悪癖は太平洋戦争にまで発揮され、例えば陸海の航空機は完全におたがいに秘密とし、しかも緒戦当時の「名人」飛行兵が消耗すると、あとはまったくつづかないというていたらくになりはてたのである。
さて、十数個の火矢台でこれを飛ばした厨子丸だが――まさか三キロちかく離れた松永弾正の接近を目測したわけではない。
これは堺の外へ、さりげなく放《はな》ってある牢人軍の斥候《せつこう》から飛ばされた鳩――伝書鳩によって報告を受けて、その街道を進んで来る一行の速度と時間を計ったものであった。時間はその斥候が地上に立てた一定の棒の影の長さを報告書に書き入れることによって計ることが出来る。そして、その計算の結果によって発射したのだが、松永弾正に命中しなかったのは、やはりふせぐことの出来ない誤差によるもので、甚《はなは》だ惜しいというべきか、それともここまで彼の心胆を寒からしめたのはむしろ僥倖《ぎようこう》というべきか。
ともあれ。――
驚くべきこの新兵器の歓迎を受けて、土砂の硝煙にまみれてはね起きた松永弾正は、しばし夢遊病者みたいに、前方に散乱してもがいている人や馬を眺めていたが、
「殿っ、御無事でござりましたかっ」
と、狂ったようにまろび寄って来た牛頭坊が、
「かくのごとき敵でござる。おわかり下されたかっ。……もはやかく相成っては三万の全軍突撃して一もみにもみ潰《つぶ》すにしかず。――」
と、のどをしぼるのをきいて、やっとわれに返った。双方おんなじ顔をして、まるで同じ窯《かま》でいぶされた土作りの狸みたいである。
「ううむ」
と、彼はうめいたが、やがて歯をむき出して、ふてぶてしい声でさけんだ。
「いなとよ。かくのごときものを作り出す堺――いよいよ、惜しい! 何もかも手つかずに、そっくり奪える兵法の工夫を凝《こ》らせ、よいか、牛頭坊!」
同じころ、堺の町では、夕焼け空へ消えていった十数本の棒火矢のゆくえを――もうその影もないのに、まだぽかんと口をあけて、呂宋《るそん》助左衛門が見送っていた。
「いや、凄いものだな」
と、火矢台の傍で牢人軍の指揮をしている厨子丸を見て、
「大したやつだと見込んではおったが、これほどのやつだとは。――」
と、舌を巻いて何度めかの嘆声をもらし、またかえりみた。
「御台さま、こんな恐ろしい天才が、京のあの古くさい御所に住んでおったとは、夢にも御存知なかったでござりましょう」
御台の夕子《ゆうこ》は、まだ両耳を手で押えていたが、うなずいた。
「ほんとうに、厨子丸は知っていましたが……まるで、魔物を見るようです」
これは是非御台さまにも御覧いただきたい、と厨子丸がいったので、とくに夕子は出て来て参観していたものであった。
「けれど、恐ろしいこと、あのようなものが落ちた先では、何人の人が死ぬのでしょう。……」
「弾正が死んだかどうか、これは保証出来ませぬぞ、助左衛門さま」
と、厨子丸がいう。まるで自分の工作を母や兄に見てもらっている童児のように、顔が生き生きと薔薇《ばら》色に染まっていた。
「いや、そんなことはどうでもいい。いまの火矢を見ただけで、向こうは胆はおろか五臓六腑をつぶしたろう。おれも堪能《たんのう》した」
と、助左衛門はいったが、まだおびえた御台さまの顔色をちらとうかがって、
「いや、それにしても殺伐《さつばつ》なものをお目にかけた。屋敷へ戻って、隆達坊の小歌でもおきき下さるか。……厨子丸、あとは頼んだぞ」
と、御台の手をとらんばかりにして、そこを去っていった。
助左衛門は、この女人の前ではまるで別人のようだ。何しろ足利公方の御台所だから当然だといえばいえるが、その気のつかいようを見て、ときどき隆達がにやにや妙な笑いをむけるほどである。
そんなとき、じろと助左衛門がにらみつけると、
「いや、何となく可笑《おか》しいよ、呂宋の大将」
と、彼は横をむいて小声でいう。
しかし――そうされても、夕子は寂しげであった。彼女の苦悩はまだ消えてはいなかった。
たんに夫義輝を討たれたという哀しみばかりではない。彼女はいう。公方さまが弾正の叛心に気がつかれて、事前に弾正を討つと仰せなされたものを、自分が、
「松永が推参するならば推参させればよいではありませぬか。それで仮令《たとい》かりに天下をとったとて、その天下を神仏が、いえ世の人がゆるしましょうか?」などとさかしらだってとめたのが、結局大事をひき起すもととなってしまった。そのあげく公方さまはお果てなされ、自分がここに生き残っているとは――と悶《もだ》えてやまないのであった。
実際、この堺へ来てまもなく、御台さまが自害しようとして、それを見つけた助左衛門が危《あやう》くとめたことが、二、三度あったのだ。――助左衛門が傍人の眼から見ていたいたしいほど気をつかうのもむりはない。
二人のうしろ姿を見送っていた鵯《ひよどり》が、ふと厨子丸の浮き浮きした顔を見ていった。
「厨子丸どの」
「何だ」
「おまえにこんな恐ろしいものを作り出させる力は何でしょう?」
「それは……好きだからだよ。こんなものを作るのが。わたしはこの堺へ来て、はじめて生きているという感じがする」
「ほかにもまだあるでしょう?」
「堺の町が気に入ったからだよ。この町を助けるためなら、わたしは何でもする」
「まだあるわ。あの虫一匹も殺すのもいやがったミカエル厨子丸が、もう何百人かの人間を殺して平気なわけが」
「ある! きゃつら、鶯のかたきだ。あの鶯をなぶり殺しにした根来の鬼畜坊主ども、何百人はおろか、三万すべてを殺してもあき足りぬ!」
真っ赤な夕焼け雲を仰ぐ厨子丸の眼には、哀愁と怒りの火がたしかに燃えていた。しかし。――
「まだ。――」
といいかけて、鵯はあとの声をのんだ。
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地雷・煙幕・手榴弾《しゆりゆうだん》
松永弾正は決してただ凶悍《きようかん》の武将ではない。その証拠は、何よりも例の天守閣という――鉄砲に対抗する日本の最初にして唯一の防禦《ぼうぎよ》的建築を独創したことでもわかる。
堺攻囲陣にみずから出馬した彼は、よほど最初の洗礼に懲《こ》りたか、まずその陣を逆に拡げた。つまり、堺から一里――四キロの地点まで後退させたのである。
そのあいだも、むろんときどき例の棒火矢は飛来した。彼はその射程距離がどんなに長くても一里以上にはのびないことを見出した。それから、もう一つ、或《あ》る重大なことも。
それはその棒火矢が雨の日は飛んで来ないということであった。当時、火縄銃は雨中では使用不可能といえないまでも極めて困難であったから、その棒火矢もおそらく同じ理《ことわり》からだろう、とは推察出来た。それなら雨の日に攻撃すればいいようだが、飛んで来るのは棒火矢ばかりではない。何より弾正がくびをひねり、かつ恐れたのは堺の鉄砲だ。雨の下ではこちらの火縄銃は使えないのに、防衛軍の方からは遠慮会釈もなくそれが飛んで来るのだ。
弾正は、ただ陣をひいて、むなしく手を拱《こまね》いてはいなかった。
このあいだに彼は、いかにも彼らしい武器を考案した。全軍の僧兵に命じて鎧《よろい》をぬがせ、その袖、草摺《くさずり》はもとより、胴も切りひらいて、のばして、厚い樫の盾に打ちつけさせたのである。その盾が――縦横《たてよこ》人の背丈《せたけ》の一倍半もある巨大なもので、しかも念入りにこの鎧盾を三重に重ねた。
むろん、物凄い重量となり、これはいかな強力無双の根来僧にも、運搬はおろか支えるのも難しい。そこで彼は、これに台を作り、四個の車輪をつけた。――この鎧盾を百数十、彼は作り出したのである。
やるとなったら徹底した弾正だが、しかしそれにしても彼をしてかかるものまで作らせるに至った町人都市もまた相当なものだといえる。
さすがにこの製造と準備に一ト月ばかりを要した。そして、晩秋というより、もう初冬の或る日。――
「いざ、これを以てひた押しに押せ!」
何度目かの大攻撃が開始された。しかも、わざわざ雨のふりしきる日にである。
もとよりそれは例の棒火矢の危険のない天候、さらに火焔瓶の効力も減殺《げんさい》されるであろう気象をえらんでのことで、そこにこの盾では、文字通り矢弾も立つまい。
「……とはいえ、これでは忍法僧の忍法僧たるゆえんがないような」
いちど指揮官牛頭坊は憮然《ぶぜん》たる眼を投げたが、それはそれとしてその壮観を見わたせば。――
「おう、これは!」
と、自分たちで作り出したものなのに、さしもの彼も胴ぶるいを禁じ得なかった。
すでに枯れて黄褐色の草をひろげる野、そこに三枚ずつ――いや三台ずつ並んで一団となり、それが数十団に散開した盾ぐるま陣の威容、それに冷雨がしぶき、盾に貼った鎧がきらめき、恐ろしい近代兵器のようでもあり、また前世紀の巨大な爬虫《はちゆう》が横たわっているようでもあり、凄じいとも何とも形容のしようがない。
「進め!」
憮然たる思いは一瞬のこと、胴ぶるいは武者ぶるいと変り、もういちど牛頭坊は号令した。自信にみちた笑いを浮かべてはいるものの、用心深い弾正は、なおあとに残ってこれを見送っただけである。
巨大な鉄甲の爬虫は横なりに前進を開始した。
たちまち銃声があがり出した。弾正にもふしぎな雨中の弾幕であったが――しかし、盾ぐるまの進撃はやまない。弾は貫通しないのだ。弾はまさにはね返されるのだ!
銃声はやんだ。――してやったり!
「まだ表情は見えぬ距離であったが、濠《ほり》の向うの塀の上にならんだ無数の陣笠をかぶった顔が、あっけにとられたようにみんな口をあけているようであった。
――と、何かさけび声が聞えると、陣笠はいっせいに塀の上に飛び上って来た。中からニョキニョキと何十本かの長い竿《さお》がつき出されると、彼らはそれをつたって、濠のこちら側へ下り立った。
「おう、仰天して、はね出されて来おったぞ!」
「よしっ、きゃつら、撫《な》で斬《ぎ》りに。――」
盾のあいだから奔流みたいにあふれようとする僧兵たちを、牛頭坊は叱咤《しつた》した。
「待てっ、まだうしろの塀には鉄砲がならんでおるではないか。きゃつら、誘いだ。その手に乗るな、この陣崩さずこのまま進め!」
町の外に出撃して来たのは、あきらかに牢人軍であった。その数、百人あまり、それがいっせいに抜刀したのはいいが、中には鋤鍬《すきくわ》まで持ったやつもある。それが横に散り、ばらばらとこちらに走って来た。
「りゅ、竜車に向う蟷螂《とうろう》の斧《おの》とはまさにこのこと」
「牛頭坊っ、まだ出て悪いかっ」
盾ぐるまの内側からはやる咆哮《ほうこう》に、牛頭坊もいささか惑乱し、さらにうんと手綱をひきしめてこの無謀な逆襲軍をきっと見すえたとき――濠のすぐ手前に立った髯侍が、
「まくはれえ、まくはれえ、まくはれえ!」
というような奇怪なさけび声をあげた。
決して勇壮なものではない、むしろ恐怖にみちたかん高い奇声であったが、そのとたん、盾ぐるまの、二、三十メートル前方にまで迫った牢人軍の中から、ぱっと白煙が湧き立った。と見るや、その恐ろしく濃い煙はみるみる横に拡がり、たちまち彼らの姿を塗りつぶしてしまった。
「?」
さすがに盾ぐるま陣は停止した。
――と、その煙の幕をつきぬけて、十数人の牢人がまたこちらへ飛び出して来た。
それが、勇敢にも盾ぐるまの前面十メートルあたりにまで駈け寄ると、腕をふるって何やら投げた。真っ黒な鞠《まり》のようなものを。
それが盾ぐるま陣の後方に落下すると、たちまちそこで轟音《ごうおん》と火焔と砂塵が湧きあがった。むろん盾のない方向からの炸裂《さくれつ》だから、あちこちで悲鳴とともにばたばたと倒れる影がある。
「――やっ? 敵はうしろに回ったぞ!」
「盾を回せっ」
混乱した盾ぐるま陣からこんな絶叫が乱れ立ったが、それは錯覚ではなかった。数人、その盾ぐるまのあいだを駈けぬけて、たしかに後方に回り、そこからまた鞠みたいなものを投擲《とうてき》した牢人がある。
むろん、そこにも爆発が起り、盾のかげに一団となっていただけに、数十人の僧兵が効果的な死傷の山を築いた。
「やられた!」
「逃すな!」
「殺せ!」
名状しがたいさけびの中から、しかしさすがに猛然とこの牢人たちの方へ殺到した僧兵のむれは、黒つむじのごとくとりつつんで、たちまちこれをなます[#「なます」に傍点]みたいに刻んでしまった。
しかし。――
ふたたび、完全に盾ぐるま陣は停止した。
「とまれ、とまれ、とまれっ」
牛頭坊の号令がながれたせいもあるが、僧兵たちも前方の煙幕を見つつ、そこから一歩も動けない。煙の中のどこからいまの爆発物が飛んで来るか見当もつかない恐怖に襲われたのだ。
それは手榴弾《しゆりゆうだん》であった。
十数分にも及ぶ停止ののち。――
「おう、煙が霽《は》れる!」
牛頭坊がさけんだ。
その通り、雨に打たれて白い煙の幕は薄れて来た。前方に人影はない。百人前後出て来ていた牢人たちは、嘘のように消え失せて、堺の町の門のはね[#「はね」に傍点]橋があがってゆくのが見えた。そしてまた銃声が散発した。
「進め!」
まるでこちらを小馬鹿にしたような町の反撃ぶりに、いや、いまの自分の大事のとりすぎに、牛頭坊は頭もくらむばかりの恥辱感と怒りにとらえられた。
「もはや何事があろうと、何者が出て来ようと、このまま濠まで押しつめろ! ゆけ!」
盾ぐるま陣はふたたび動き出した。前進というより、もはや疾走であった。盾を覆った鎧のすれ合うひびきと車輪のきしみは地鳴りのごとき音をどよめかし、それは堺に百メートルばかりに押し寄せた。
――と、その盾ぐるまの鳴動は消えた。いや、飛散した。
大地そのものが鳴動して、火焔と土砂を噴きあげたのである。それから十数台の盾ぐるまも、数十の車輪も、百十数人もの忍法僧たちも、数百本のばらばらになった手足をも。
地雷であった。
いつそれはそこらに埋められたのか。たったいまだ。
包囲している松永軍の眼前では直接出来なかったことを、いま煙でかくしてやってのけた。牢人軍の手榴弾の奇襲はそれを行うための陽動戦であった。煙と混乱のために、松永軍は地雷を埋める作業を眼にすることが出来ず、また耳に入れることも出来なかった。
盾ぐるま陣は――盾ぐるまを残してまた潰走《かいそう》した。手榴弾といい、地雷といい、結果から見れば、むしろこんな鈍重な、そして集団的損害の多い盾ぐるまなどなかった方が、敵を駆逐《くちく》し、味方の損害を少くするのに有利であったのではないかと思われる。
黄色い枯野をまだ這う黒煙、褐色の草を染める血と肉、その中に伏し、混っている堺牢人軍の戦死者はわずかに三人だけであった。先刻、盾ぐるま陣に突入して背後に回り、彼らを動揺させる時間をかせぐのに最も力のあった決死隊の中の三人で――からだはズタズタになりながら、冷雨に打たれて、その貧相な顔はみなニヤリと笑っているようであった。
――厨子丸は、出撃したきり帰還しない三人が、いつか乳守《ちもり》の里で遊女たちの御開帳を礼拝して感激の涙にむせんだあの牢人たちであることをあとで知った。
せっかくの弾正の中世紀的独創力も、木《こ》ッ端微塵《ぱみじん》に粉砕されたわけである。彼は堺という町に魔神でも住んでいるような気がした。彼は、それが信貴山《しぎさん》城に風のごとく現われて風のごとく消えた白面の一青年であることをまだ知らない。知っても信じなかったかも知れない。
さて、この堺防衛戦に参加しているあいだに、厨子丸が発明したものや発見した事柄はまだ数々ある。彼は毎日、まるで酔っているようであった。創造の歓喜に酔いながら、彼の天才的脳髄は次から次へと発明し、発見した。
たんなる個々の兵器のアイデアではなく、根本的なことで彼が開発したことに次のようなものがある。
火薬の製造法。――白焔硝石《はくえんしようせき》、木炭、硫黄などの混合率、練りかげん、乾燥度などを変化させることによって、距離、破壊力などに変化をもたらすめど[#「めど」に傍点]をつけたこと。
製鉄法の開発。――それまでの日本製鉄砲の鉄は銑押《ずくおし》という精錬法によって砂鉄から作られた錬鉄《れんてつ》であったものを、|※[#「金+母」、unicode9267]押《けらおし》という精錬法によって錬鋼《れんこう》を作り出し、さらに強靱度《きようじんど》を増大したこと。これは彼の国友村における研究がものをいっている。
銃身製造術の進歩。――これは国友村で相当研究を重ねたものをこの場において完成させたものだ。それまで火縄銃の銃身は鋳造《ちゆうぞう》法によったものを、彼は鍛造法によって作り出し、しかも日本刀独特の双層交錯法を適用して火薬の爆発力とその発生熱に対する耐久力を倍加したこと。
また鉄砲の命中精度は主として発射時の動揺にかかわることが大きいが、装薬量の精妙な配分によって極力この動揺を抑え、その精度を高めたこと、など。――
――鉄砲町の鉄と炎と火花の中に働いている厨子丸は、まるでその銃の化身、炎の子、火花の精のように見えた。
ときどきのぞきにやって来る呂宋《るそん》助左衛門や鵯《ひよどり》は、或いは驚異、或いは恐怖、或いは自失の眼でそれを眺めるばかりで、ほとんど口をさしはさむこともなかった。口をさしはさむことが出来なかった。
――根来忍法僧の経文に敗北という文字はない!
――なんじら、根性が足りぬ、精神力が足りぬ!
――敵の新兵器が何じゃ、物量が何じゃ、断じて行えば鬼神もこれを避く。必勝の信念を堅持して突撃するところ、天佑神助《てんゆうしんじよ》必ずわれにあり!
そんなことを法師武者の頭上に浴びせかけていたかと思うと、たちまち身をひるがえし、陣営の一角に設けた護摩壇にかけ上り、そこに結跏趺座《けつかふざ》して、異様にかん高い声で牛頭坊は唱え出す。
「アシャ、アシャ、ムニムニ、マカムニムニ、アタアタ、ナタナタ、キューツルツル、マカニソバカ、キリキリキリッ」
真言秘密の怨敵降伏の修法《ずほう》であろうが、まったく正気の沙汰とは思われない。牛頭坊はノイローゼ気味であった。
――このあたり、インパールを包囲してしかも敗報相ついで精神異常を来《きた》し、戦陣訓で部下を鞭《むち》打ち、毎日|祝詞《のりと》をあげていたという第十五軍司令官牟田口中将の先祖ではないかと思われる。
法師武者たちは笑わなかった。牛頭坊の姿があまりにもの凄じかったからでもあるが、彼らもまったく同感であったせいもある。笑いごとではない。
しかし、彼らは身動きが出来なかった。事実上堺にちょっと手のつけようがないというのが実感であり、とはいうものの闘志なお衰えず、牛頭坊の祈りに同感どころか憤怒で地団駄の揃《そろ》い踏みでもしたいほどなのだが、いかんせんもう一人の――ほんものの総司令官たる弾正に制止されていたのだ。
弾正は考えこんでいた。
堺がかかる町であればこそ何とか降伏させたいという望みはまだ消えていないが、それより、これまた手の出しようがないという思いは同じだ。しかし、彼が麾下《きか》の法師軍に妄動を禁じたのは堺のためばかりではなかった。彼の敵は堺だけではなかったのだ。堺に対してはこちらから押しかけて来たのだが、その弾正の背後で東からさらに押しかけて来るものの気配がある。
織田軍の一部が北伊勢に侵入を開始したというのだ。この方が重大である。
堺包囲軍に将旗をかかげ、一方でこの東方からの情報を刻々受けていた弾正は、十月半ばついにみずから大和《やまと》へ帰って対織田作戦にそなえる必要にかられ、自身で牛頭坊のところへやって来て、その旨《むね》を伝えた。
「堺のことはしばらく委《まか》すがの」
と、彼は馬上からいった。
「強攻はいかんぞ。根来の者どもさしあたっておまえに預けておくが、これ以上殺すな。いつなんどき伊勢の方へいってもらうことになるかも知れぬ」
それから、いった。
「堺は――兵粮《ひようろう》攻めにせい」
「それが」
護摩壇の上で、牛頭坊は顔をひきゆがめた。
「堺にはそれがききませぬ。海の方がつつぬけでござる」
――これまた空中補給で包囲の日本軍を無力感に陥《おちい》らせたインパールに似ている。
「海はつつぬけでも、万人歩いて往来しておるわけではあるまい」
弾正は声を張っていった。実はこの新しい戦略を思いついて、あとを牛頭坊にまかせる気にもなったのである。
「根来忍法僧、そのわざをふるいつくして、堺へ往来する船を沈めい。何より海によって生きておる港じゃ。必ず、きゃつら音《ね》をあげるぞ。まさか、堺の船は三万|艘《そう》もあるまいが?」
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呉越の使者
堺から帰って来た松永弾正は、十日十晩昼顔を離さなかった。彼が戦場から帰還したときはいつもこうだ。平生はやや持てあまし気味な昼顔だが、こういう間歇《かんけつ》期をおけば弾正も太刀打ち出来るらしい。
そのあいだ、帷帳《いちよう》の中から聞えて来る昼顔の声は、かかることに馴れた松永家の近臣や侍女の耳をも覆《おお》わせた。それはあの美しい女の口から出て来るものとは信じられない獣のような声であった。このあいだにも、弾正は帷帳から顔だけつき出して軍状をきく。指図する。主として、伊勢方面の織田軍の動きについてである。その蟇《がま》みたいな顔は汗にしてはへんに粘っこい液体にぬれひかっている。それを見ると、群臣のだれしもが、なんとなく、
「わが主君、いまだ老いたまわず。――」
と、原始的な信頼感を抱いてしまう。たとえ、堺の攻撃がその意のままにゆかなかったことを知っていてもである。
さて十日在城したのち彼は、数百の兵をひきいて、また出ていった。この間、奈良に集め、さらに東方へ出動してゆく松永本来の部隊を閲兵し、鼓舞するためだ。十日ばかりで彼はまたこの信貴山に帰ってくることになっている。
その夜、昼顔は、天守閣の例の人間数珠の広間に現われた。
警備していた根来僧たちは、入ってゆく寵姫《ちようき》から精臭をかいだような気がした。この十日間のただれるような痴戯のことは彼らもきいていたが、昼顔はますます凄艶《せいえん》に――しかもなんのやつれも見せず、むしろいよいよぼってりと瑞々《みずみず》しくあぶらづいたように見える。
「伴内」
短檠《たんけい》をかかげて呼ぶ。
――床《ゆか》の上から、曾呂利伴内は顔をあげた。三角形の顔が、痩《や》せて、いよいよ鋭角的な三角形になっている。ぴくぴくっと唇が動いたが、彼は声もたてなかった。
昼顔を見るたびに大袈裟なお世辞をつかい、死物狂いの愛想笑いを投げてこの禁獄をのがれようと努力していた伴内も、ここのところ、もうものをいうはおろか、笑顔を作る気力も失っているらしい。
「気分はどうじゃ?」
昼顔はニンマリと笑ってきいた。きかれても返事のしようがない。
「ところで、おまえに願いがあって来た。……堺へいっておくれ」
「ひえっ」
やっと伴内は奇声を発した。昼顔は考え考えいう。――
「ここにいても、おまえも噂にはきいているであろう。松永の兵は、さきごろより堺を攻めておる。しかも、町人の護《まも》るあの町、思いがけなくその護りかたく、鉄砲はもとより、いままでにないような新しい武器を使って――この秋より三万の根来僧が攻めぬいても、一指もつけられぬありさまじゃそうな」
根来の衛兵がうなり声をたてた。むろん、しんとした夜の城中で、さっきからこっちに耳をそばだてているのだから聞えないはずがない。
「で、弾正さまも手を焼かれ――とはいえ、その気になれば音に聞えた根来衆、ひともみに踏みにじることはたやすいわざであろうが、弾正さまにはほかにも大敵がある。それにそなえるためにも、あの堺の富、またこのたび知った堺の数々の工夫、それらをそっくり手に入れたいとお望みなのじゃ。つまり、出来るならば堺と手を握りたいと。――」
伴内は飛び出すような眼で、昼顔を見ている。
「そこで思い出したのがおまえじゃ。……おまえは納屋助左衛門の家来」
伴内はがくがくとうなずいた。
「おまえ、堺へいって助左衛門を説き伏せることが出来るかえ?」
伴内はばたばたと床《ゆか》を叩いた。
「とはいえ、これは弾正さまが仰せられたことではない。三万の根来衆の面目にかけても、そのようなことは弾正さまはそのお口から申されにくいことであろう。わたしが殿のお心を推量したのじゃ。いつぞや、殿も仰せられた。堺のなりゆき次第では、この男また何ぞ使い道があるかも知れぬと。――さすがは弾正さまの御遠謀、おまえを生かしておかれたは、このような役目を果たさせるためであったろう。――」
「まいふ! まいふ! まいふ!」
と、伴内はさけんだ。参る、といったのである。何しろ口の中から縄が出ていて歯が合わず、舌も自由に動かせないので、こういう発音しか出来ない。
「ほの、はかいのひんふひ、おほえはほわふ! ひゃふのわはひゃ、ひゃふのわはひゃ!」
――その堺の新武器、おぼえがござる、きゃつのわざじゃ、きゃつのわざじゃ! といったのだが、むろん他人には何をいっているのかさっぱりわからない。
しかし、昼顔は衛兵たちをかえり見た。
「きいた通りじゃ。この男、縄から離してやってたも」
女の黒髪を根来流に編んだ人間数珠の縄、それは手や口はもとより、ふつうの刃物を以てしても容易には切れないのであった。
法師たちが歩いて来た。
「左様なこと、殿よりうかがってはおらぬ」
「わたしがいうのです」
「しかし、堺の町人どもを説くといえば、こやつ堺へゆくのでござろう。堺へ帰せば、そこでそのようなことをいたすかどうか保証のかぎりでは――」
こういいかけた法師は、そこで沈黙した。昼顔がのびあがり、その頸《くび》に白い腕を巻きつけ、接吻したからであった。
「数珠から解いてやってたも」
口を離して、昼顔はくり返した。
突然、夢遊病にかかったように、その法師はひざまずき、曾呂利伴内の口と尻から出た黒髪の縄をつかんだ。
「ぴいいいいっ」
例の怪声一番、ひっ裂けるとみるまに、ああらふしぎや伴内の体腔《たいこう》をつらぬいていた縄は、忽然《こつねん》として体外にあった。全然切れることなしに。
その伴内を抱きあげ、昼顔はまた伴内に接吻した。
「わたしを、裏切るかえ?」
「あふ! あふ! あふ!」
口から縄は消えたのに、伴内はあやつり人形みたいに首を左右にふって、そんな声をたてた。
これまた離魂《りこん》病にかかったような眼つきになっている。煮ても焼いても食えない男であったが、このとき決してお芝居の意志はなかった。――そのことを、法師たちも認めた。いちど昼顔に口を吸われて、あと絶対服従の心境にはならぬ男があろうか。
「念のため、わたしもこの男についてゆきます」
「――えっ?」
しかし、これには法師たちも改めて眼をむいた。
「それは、危《あぶ》ない。――」
「危ないと思えば、おまえたちもいっしょに来てくれればいいのです」
昼顔はいった。その眼は謎のようにけぶっていた。
「わたしもいちど、それほどまでに三万の根来衆を悩ます堺とやらを見てみたい。――」
その翌日、昼顔と曾呂利伴内は、信貴山から堺へ向って立った。その前後に五人の根来僧をつれて。
途中で雪がチラチラ舞い出した。べつに日を数えたわけでもなかったが、それは十一月三日のことで、陽暦にするとこれは十二月二十三日にあたるからこの天象は異常ではない。
翌日、堺攻囲軍の前線に到着して、一同はいまさらのごとく眼をまろくした。
いちどやんでいた雪は、またふりはじめている。まだつもるほどではないが、水びたしの枯草はいっそう荒野の相貌をあらわにして、その中に、竹や板で柱や壁を作り、むしろ[#「むしろ」に傍点]をかけて屋根とした設営ぶりは――陣営というより、まるで傀儡《くぐつ》の住居の大群のようだ。まさに大群――相当手ひどくやられたということだが、何しろ三万という兵員だから、まるで塵芥《じんかい》の波濤《はとう》みたいに見える。
こういう設営でがまんしているところは、剽悍《ひようかん》無比の根来僧らしいが、しかしまた剽悍無比の根来僧がこれだけの大軍を以て、こういう陣をかまえていたずらに包囲しているばかりなのが、第三者の眼にはふしぎに思われる。
雪の幕を通して向うに見える堺の町が幻影のごとく美しいだけに。
ただ一時間もいるとわかるのだが、二、三十分おきに数十発の銃声がその方向から聞えて来るのが、ここが戦場であることを改めて認識させた。
「おう、女じゃ!」
姿を見るより、匂いでまず嗅ぎつけて、無数の篝火《かがりび》や焚火のそばで酒を飲んでいた法師武者たちがわらわらと集まって来たが、
「あっ、これは昼顔御前。――」
と、眼をむいた。
やがて、呼ばれて、主将の牛頭坊がやって来た。昼顔について来た根来僧が、堺を説いて降伏させるためにこの男をつれて来たむねを報告すると、彼もまた、
「ば、ばかな!」
と、はき出すようにいった。
「そんなことはあてにはならぬ。よしやあてになるとしても、ここまで抵抗した堺が、そのような剽軽《ひようげ》た男の口一つで、いまさらころりと降伏するか!」
「わたしが請合《うけあ》う」
と、昼顔がいった。
「わたしも堺に入る――」
「えっ、あなたさまが?」
「されば、この曾呂利ほどではないが、わたしも堺に心当りの人間がある。松永を相手にしては、しょせん抗《あらが》い切れるものではないことを、わたしからもよくいうてきかせよう」
「そ、それはいっそう途方もないこと。――あなたさまが向うの人質になるのが落ちじゃ!」
「松永の寵を受けた女――しかも、堺の男を送りとどけてやった女に、堺がそんなことをするであろうか?」
「町人でござる!」
「弾正どのなら知らず。――」
と、昼顔はうす笑いした。
「堺は、かえってそんなことをしそうにない。そのようにわたしは思う」
この妖艶無双の寵姫は、時により主君よりも深沈たる迫力のあることがあった。しんとした一同の耳に、また堺の方から銃声が聞えた。
「ちょっとでも、物の影が動くとあの通りでござる。いや、動く影もないに、半刻、四半刻毎に、面白半分に一斉射撃と来る。……きゃつら、海から弾を汲んで来るかのようじゃ」
牛頭坊は怒りに身をふるわせてうめいた。
「ま、降伏勧告とやらで近づいて見られい。声もとどかぬところで、蜂の巣みたいにされてしまうことは請合う」
牛頭坊が怒っているのは、堺の鉄砲だけではなかった。
陸からの攻撃では損害を出すばかりと、弾正からいわれた通り海からの封鎖を企てて、すでに、三、四度、小舟に乗って堺へ出入する船へ漕ぎ寄せて見たが、そんなことにぬかりのある敵ではなく、かねてから警戒していたと見えて、それこそ声もとどかぬ海の上で銃撃されて、襲撃した小舟は全滅してしまったのだ。
ともあれ、この冬のさなか、海での戦闘は至難であった。ただ春が来れば、彼にも何とか成算があった。それを待ってただ包囲しているだけだが、毎日の鬱陶《うつとう》しいことこの天候に劣らない。
しかも、ここにふいに女とへんな堺の男が迷い込んで来て、万が一にもこのような手段で堺と話が通じたりしたら、根来忍法僧の面目いずくにかある。
「どうやらこのこと昼顔さまの御一存らしいが――弾正さまの御名代《ごみようだい》を承わるこの牛頭坊、こっちは、一存でははからいかねる。ともかくも奈良へ急使を出して、弾正さまの御存念を承わってからのことにいたそう」
昼顔の顔に困惑の色が浮かんだ。――するとそのとき、すぐ向うの幕屋の蔭で、高らかに祈る声が聞えた。たしかに日本語だが、日本人の声のようではなかった。
「あれは?」
「フロイスと申す京から来た伴天連《バテレン》」
牛頭坊は苦《にが》り切っていった。
「七日ばかり前から来て、毎日陣をめぐりながら、いくさをやめろ、堺はゆるしてやれ、天帝《デウス》を拝《おが》め、など世迷《よま》い言《ごと》を申しおる。南蛮人だからこそ、苦笑《にがわら》いして見ておるが、われらを何だと思っておるのだ?」
昼顔は塑像《そぞう》のように佇立《ちよりつ》して、市女笠《いちめがさ》の下からその方に眼をそそいでいた。
幕屋の蔭から現われた伴天連フロイスも、怪しむようにこちらを見ていた。それから急ぎ足で歩いて来た。黒い長衣の裾に野の泥水がピチャピチャとはねるのもかまわず。――
「おう、カタリナ!」
と、ルイス・フロイスは両腕さしのばしてさけんだ。
それからどういう話があったか。
もう夕刻近いころ、伴天連フロイス、昼顔、曾呂利伴内の一行は、包囲陣から堺の町の方へ向って歩き出した。三人だけではない、一行には十人の法師武者が加わっている。
いや、法師武者ではない。ただ墨染めの衣を着て、しかもどういうつもりか、日本の坊主のようでなく、フロイス伴天連と同じように、みんな頭のてっぺんを剃っている。
あれこれの話はあったが、大筋のところは、昼顔が堺へ和平を説きにゆくといい、フロイスがこれに賛成したのである。賛成にも何にも、そもそも彼は堺へ伝道にゆくのが目的でここまで来て、包囲陣の哨戒《しようかい》に止められ、ことのついでにこっち側でも伝道の声をはりあげていたのであった。
「ともかくも、堺が火と煙の中に滅ぶのは座視しかねる、いったい、どういうつもりだと、助左衛門にききたいところがあったのじゃ」
と、フロイスはいい、また、
「あたかも今宵はイエズスさまの御誕生の前夜――降誕祭前夜じゃ。これも天帝《デウス》のおみちびきであろう。――」
と、いって、ふとフロイスは曾呂利伴内を見て、なぜともなく不吉な予感をおぼえた。
伴内はいつか見たときより気の毒なくらい痩せて、そしてフロイスが知っているようなおしゃべりとは別人のようであった。だから、その後曾呂利がどうしていたのか、どうしてここにいるのかよくわからないが、ともかくフロイスはこのとき自分がひそかにつけた「笑う悪魔《サタン》」というあだ名を思い出したのだ。
しかし、曾呂利伴内こそいい面の皮であったかも知れない。ほんとうのところは、不吉な風は彼以外のところから吹いていたのだから。
このとき、牛頭坊がいい出したのである。ともかくも堺衆と談合のため、べつにわが方から十人ばかり同行させよう。昼顔御前をお護りするためでもある。ただし、とくに武器は一切携帯しない。何ならフロイス伴天連の弟子の切支丹というかたちをとってもいい。そして、談合成らず、向うでこちらの使者たちに害意を向ければ、次に起るべき災禍《さいか》の責任はすべて堺にあると認めざるを得ない。――
牛頭坊は方針を変えたのか。
その真意を知らず、根来僧たちをかたちだけでも修道僧《イルマン》風にするという着想にフロイスは手を打ってよろこんだ。
「それ、神の道に入る第一歩です」
と、彼はさけんだ。
「ともかくも、敵味方、話し合うことが何よりです」
こういうわけで、ななめに雪のふりしきる黄昏《たそがれ》の荒野を、伴天連にみちびかれて、堕天女、笑う悪魔《サタン》、偽|修道僧《イルマン》と、それぞれの心底たるや、えたいの知れぬ和平の使者たちは、数も不吉な十三人、堺の町の方へ進んでいった。
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雪の降誕祭
夕雲の下から、びょうびょうと犬の吼《ほ》える声が流れていた。
一行のうち十人の偽|修道僧《イルマン》がほとんど本能的に足を釘づけにしたのは、犬の声につづいて必ず一斉射撃が始まることを知っていたからであったが、その夕《ゆうべ》は銃声は起らなかった。
「……おおいっ」
町を囲む塀の上でさけぶ声が代りに聞えた。
「危い、――地雷があるぞっ」
地雷という言葉の意味もわからなかったが、その声にたんなる脅《おど》しではない危険なものを感じて、みなそこから動けなくなってしまった。
「いま、案内にゆくから待て。――」
少くとも最後のこの声は納屋助左衛門のものであることを、曾呂利伴内だけがきき分けた。
まもなく、町の濠《ほり》にはね[#「はね」に傍点]橋が下りて、そこから三人の牢人風の男が駈け出して来た。それがこちらへ辿《たど》りつくまでに、不規則なかたちの電光形に歩いて来る。
「こちらへ、こちらへ」
彼らがまた同じ妙な歩行路をとるあとを、おっかなびっくり一行はついていった。
はね[#「はね」に傍点]橋を渡ると、どっとまわりを数十人の牢人部隊がとり囲む。みな剣付き鉄砲を構えている。背後でぎりぎりっと鎖が鳴って、橋がまた吊りあげられた。
「どうも見たおぼえのあるお人じゃと思うたが。――」
と、櫂《かい》の棒を突いたまま、助左衛門は伴天連フロイスに頭を下げてから、じろっと十人の偽|修道僧《イルマン》に眼を走らせ、昼顔を注視し、それから、
「まさか、中におまえが混っておるとはなあ」
と、伴内を見つめた。
曾呂利伴内は天狗かくしから舞い戻った子みたいにキョトンとして助左衛門を眺《なが》めていたが、いきなり飛びついて、わーっとばかり声張りあげて泣き出した。――人を笑わせる以上に泣かせることも大好きなくせに、自分では泣くことのない伴内が、こんなていたらくを見せたのはよほどよくよくのことであったろうが、とにかく助左衛門をぎょっとさせたほどである。
一行をとり囲んだむれの中には、厨子丸も鵯《ひよどり》もいた。二人にとって、フロイスも伴内も気にかかるが、それ以上に驚愕せざるを得なかったのは昼顔の方《かた》の出現だ。
昼顔は恐れげもなく、じいっと厨子丸を見つめていた。腰の両側に二梃の短銃をぶら下げた厨子丸の方が蒼《あお》くなった。
「よしよし、おまえの話はあとできく」
助左衛門は伴内をつまんで横へのけて、
「お久しや伴天連、ようこそおいでなされた。しかし、おつれがまた妙な方々で」
と、改めてむき直った。フロイスはいった。
「わたし、堺を助けるために来た。やはり、堺は滅ぼしとうない。――」
「それは相手次第」
助左衛門は修道僧《イルマン》たちに眼を戻した。その正体を知っているらしい。
「手を出して来たのは、向こうでござるからな」
「それについて、話をしよう。――助左衛門が見ぬいたように、この修道僧は松永の衆じゃ。しかし、むろん、堺をだますために変装したのではない。和平の使者としての心を現わすための姿じゃ。ともあれ、話をしよう。助左衛門、どこか場所はないか?」
フロイス伴天連はあわてていったが、しかし誠実さと熱情はだれの眼にも見てとれた。雪ははげしくふりつづけている。
うなずいた助左衛門に案内されながら、フロイスは今夜は降誕祭前夜であることを告げ、出来るならば町の切支丹を集め、ともあれ祈りを捧げたい、和平の交渉はそのあとにしたらよかろう、といった。彼はこの一夜で、この偽修道僧はもとより助左衛門にもほんとうのイエスさまの教えを幾分かでも吹きこんで、それをすべての始まりとしたいと望んだのである。
フロイスはこの町の布教に匙《さじ》を投げているところもあったが、しかしこれまでにいくどか来て、数十人かの切支丹は存在していた。町そのものの性格となっている、金銭欲、肉欲、享楽欲などのあまりにも盛んな現世の炎に辟易《へきえき》して、この信者たちの信仰者についてもフロイスは心中甚だ危ぶむところがあったが、この夕《ゆうべ》、伴天連来るときいて集まって来た人は、予想以上に彼を感動させ、またここのところこの町を敬遠していたことを悔いさせた。
一五六七年というからこの翌年になるが、その七月八日付で船便を得て堺から発したフロイスの書翰《しよかん》にいう。
「――降誕祭来りしが、当所には敵対せる両軍滞在し、切支丹も多数参加しあれば、余はこれら切支丹をことごとく一網に入れ、切支丹の愛情、平和、及び一致を示さんがために、当街の会議室を借り受けんと努めたり。
その室は広くして祭に適したれば、われらはここに相当なる会堂の設備をなしたり。この際大いに一同の信心を盛んならしめたるは、堺の切支丹なる一金細工師が降誕祭の図の額を作りありて持ち来れることにして、その出来栄え甚だみごとなりしを以て、日本人らはこれをポルトガルより来りしものと考えたるほどなり。
寒気きびしき夜なりしにかかわらず、町々より切支丹ら来り、この神聖なる夜にあたり、晩餐《ばんさん》をなしたるのち、或いは祈祷《きとう》をなし、或いは聖餐の説教を聴き、また懺悔《ざんげ》の準備をなし、或いはサントスの一代記を読みて夜を過したり。余は払暁《ふつぎよう》のミサに至るまで懺悔を聴き、そのときに至りて聖餐を授け、ミサを行うごとに福音《ふくいん》につき説教をなしたり。
このあいだ対立両軍に属する者約七十人あまり、ただ一人の王侯の家臣のごとく、友愛と礼儀を以て語りたり」(イエズス会士日本通信)
有名な日本の一五六六年聖夜の騎士道物語である。
このときフロイスは、堺の人々が持ち運んだ食事――弁当について、「これに関する工夫は世界中の国々にまさり、余をして驚嘆せしめたり」とばかに感心しているが、残念ながらその内容が明らかでない。おそらくフロイスの口にも合う南蛮的な味覚が加えられていたのであろうし、またいかにこのころの堺が食の点でもぜいたくであったかが想像されるばかりである。
なお、この雪ふる一夜、やはり切支丹か少くともそれに興味を持っている数人の豪商もやって来て、その中の薬種問屋小西屋隆佐は、ついでに息子の弥九郎少年に洗礼を受けさせている。――すなわち後年のアウグスチノ小西行長である。
十人の偽|修道僧《イルマン》がどの程度「友愛と礼儀」を以て語ったかは甚だ疑問だが、むろん彼らはフロイスがこの町に滞在しているかぎりそれにくっついているつもりでいる。いや、主君の寵姫《ちようき》昼顔の方《かた》の安全に何らかの見込みがつき次第、魔鳥《まちよう》のごとく羽ばたき出そうと思っている。そうなればもうこっちのものだ、という下心があるから、せいいっぱい気味のわるい愛嬌笑いをふりまいた。
いや、それよりも、山のように出された珍味と美酒に恐悦して、がつがつとうわばみ[#「うわばみ」に傍点]のごとくむさぼりくらっている。
夜の明け方、フロイスの方が代って例の交渉を持ち出した。松永方が本気になったら、しょせん堺は蹂躙《じゆうりん》される。いったい抗戦をつづけてさきの見込みはあるのかときいたのである。
「ある」
と、助左衛門はいい、またいかに松永が本気になろうと堺を守りぬく自信はある、と答えた。微笑はしていたが、不敵な面《つら》だましいであった。
フロイスはたじろぎながらも誠意を以て、「それにしてもこれ以上に死傷や財貨の損失を生むのは甚だ残念だから、もし条件によっては和平の意志があるならば、松永の方にも自分から、向こうが出したという三条件とやらを撤回するように説得して見よう」といった。
「弾正が伴天連どののおっしゃることをきくでござろうか?」
助左衛門は笑った。まさに笑殺といった感じだ。
フロイスが偽|修道僧《イルマン》の方をかえりみると、彼らは飽食快飲のあげくか、いっせいに首を垂れて居眠りをしていた。
「伴天連どのも、まず一応お休みなされ。案内させます。外へ出られたら、もう東南の空に旗が見えるころでござろう。――」
と、助左衛門はいった。
「伴天連どのに教えられたあの旗の下に、町人と牢人がこれほどたたかった、ということを天下に知らせることが助左衛門の目的でござる」
ともかくも、この件についてはさらにあとで、と思案してフロイスは、牢人の案内者につれられて外へ出た。宿泊所は或る寺院に設けてあるという。
雪は止んでいたが、雪明りは夜明けの光と交錯して、東南の空にはためいている旗とその文字をあきらかに見せた。時々、濠の方で豆を煎《い》るような銃声が聞えた。和平の使者は来ても、町の守りに油断はない。――
自由、大菩薩、と牢人に読んでもらって、牢人にもその意味がはっきりわからないらしいのに、ルイス・フロイスはしばし考えこみ、やがて手を打った。
「なるほど!」
だからフロイスは、そのあとに起った惨劇を知らない。――
聖夜に集まった切支丹たちの大半は、フロイスと前後して立ち去ったが、あとに残った人々の中に、昼顔と、厨子丸、鵯がいた。
それも気にかけないわけではなかったが、出てゆくときフロイスがふと忘れていたほど、これはひっそりと会堂の両側の壁の下に離れて佇《たたず》んでいたのである。
助左衛門が声をかけた。
「昼顔のお方さま。――お話承りとうござるが、それも夜が明けてからのことに致そう。ともあれ、拙者の屋敷へおいでなされてお眠りなされ」
一息おいて、
「それはいけませぬ! ほかの場所にして下さりませ!」
と、厨子丸がさけび出した。助左衛門はけげんな表情をした。
「なぜ?」
「納屋家には――御台さまがおわしますゆえ」
厨子丸は必死の顔でいった。
なぜ、御台さまがいたらそこへ昼顔の方《かた》がいってはいけないのか、それを問い返すよりも、助左衛門はぎょっとした。昼顔の方《かた》が動き出したからだ。
ゆるゆると昼顔は、厨子丸の方《ほう》へ歩き出した。厨子丸に対する昼顔の邪恋のことを知らない助左衛門も、なぜか息をのみ、金縛りになって見送ったが、昼顔はしかししずかに厨子丸の前に立って、手をのばして、彼の腰に吊られていた短銃の一|梃《ちよう》をとった。
「堺をこれだけ守りぬいた力のもとは、おまえですね?」
と、いった。そんなことをされても、厨子丸は蛇に魅入られた蛙のように身動きも出来ない。――
「助左衛門」
と、昼顔はまた歩き出した。居眠りをしている十人の偽|修道僧《イルマン》の方へ、ゆっくりと。
「弾正どのが堺へつきつけられた三つの条件のことはわたしもきいています。それについて弾正どのから御内意を承っているのです」
そんなはずはない、彼女は自分だけの発心で曾呂利をつれ出したのではなかったか。――しかし伴内は、助左衛門にかじりついて大泣きに泣いたあと、急に失神して戸板に乗せられていったので、この夜ここにはいなかった。
ただ偽|修道僧《イルマン》のうちの二、三人の頭がぴくっと動いたように見えたが、すぐにまた彼らはコクリコクリと居眠りをつづけ出した。そのうしろを回って、短銃をもてあそびながら、昼顔は助左衛門の方へ近づく。
「その中の第一条件――最初に根来僧を殺害した下手人を出せということは、もういまさら要求するのがおかしいでしょう。それから第三の条件、松永軍を堺へ無血進駐させること、無血はもはやこれも笑い話ですが、松永軍が堺に駐留することもとり下げてよい、と弾正どのは仰せられました。けれど――第二の条件は」
彼女はちらっと厨子丸の方をふりむいた。
「堺におわす御台さまを即刻引渡すこと――それさえきけば、堺を攻めることただちにやめてやろうと。――」
「ならぬ!」
という言葉がほとばしったのは、こんどは厨子丸ではなく助左衛門の口からであった。昼顔はびっくりしたように助左衛門を眺めた。
呂宋助左衛門は吼《ほ》えた。
「それが一番相成らぬ!」
とたんに、凄じい銃声が鳴り渡った。一発ではなく連続して何発か。――同時に、そこに並んで坐っていた偽|修道僧《イルマン》のうちの三人か四人、つんのめったり、飛び上ったりした。
「わっ、こりゃ!」
驚愕して、その射手の方をふりむいた残りの根来僧が、衣《ころも》のかげから、刀か手裏剣かまたは他の武器か、電光のごとく引きずり出して立ちあがった。――そのまた背後から、こんどは厨子丸の銃口から七発の銃声が噴いて、そのことごとくを煙と血しぶきにつつんでしまった。
会堂を聾《ろう》するばかりの音響が消えても、これを見ていた人間はもとより、撃った昼顔、厨子丸までが茫然《ぼうぜん》としていた。
むろん、しめし合わせてのことではない。少くとも厨子丸の方は反射的な行為であった。
「こ、こりゃ、どうしたことじゃ?」
と、やっと助左衛門がいった。即死直前の根来僧たちの疑問を彼がつづけたことになる。
「――三番目の条件もきかれぬ上は、この和睦《わぼく》の話は終りじゃ。それで、この者ども、撃ち殺した」
と、昼顔はいった。
おちつき払っているように見えたが、このとき彼女はズルズルと床《ゆか》に崩折れてしまった。わななく声でいう。――
「もともとこの者ども、何とぞして一歩でもこの堺に入り、いったん入ればあとはあらんかぎりの術をふるってこの町に潜《ひそ》み、あばれ、外と相呼応するつもりでやって来たのじゃ」
その命令を牛頭坊から受けていて、彼らもそのつもりで狸寝入りしながら全身の毛を立てていたのだが、まさか背後からこの昼顔の方に撃たれようとは、さすがの忍法僧も予想もしなかったのか。
――絶命した十人の偽|修道僧《イルマン》は、みんなまだびっくり仰天した眼をむいていた。
「そ、それにしても」
と、助左衛門はまだめんくらった顔で、近づいて、見下ろした。
「なぜ、あなたさまが」
「わたしはもともと松永から逃げるつもりで出て来たのじゃ」
と、昼顔はいった。彼女は助左衛門の足にしがみついた。
「助左衛門、わたしを助けておくれ。弾正にさらわれてから、わたくしがどんな恥辱の日々を送ったか。いえ、信貴山の城がどんなに恐ろしいところか、それは伴内も知っているはず。……あの男は人間の魔王であり、あの城はこの世ながらの地獄じゃ。そこからわたしは、やっとすきを見て、必死の手をつくしてここへ逃げて来た。わたしも堺へ入れてたも。お願いじゃ、助左衛門。――」
見ていた厨子丸や鵯が、とっさにいうべき言葉を失ったほど、なまめかしくもいたましい、悲劇的女性の化身のような姿であった。
「そして、わたしはいまこの根来僧たちを撃ち殺した。もうわたしは、松永の方へは戻れない――」
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潜水筒対捕鯨銃
わたしはもともと松永から逃げるつもりで出て来た。昼顔はいった、もしそれがほんとうなら、彼女は実にうまく考えたものといわなければならない。
昼顔が堺にゆく、と弾正に申し出ても、いかなる理由をつけようと弾正がそんなことを許すはずがない。また弾正の許可なくして、彼女がひとり信貴山《しぎさん》の城を出ることを、根来《ねごろ》僧たちが認めるわけがない。さらにまた、たとえ堺に来たところで、堺がぶじに彼女を受け入れるかどうか甚だ疑問だ。
そこで昼顔は、曾呂利《そろり》をだし[#「だし」に傍点]に使った。その結果、心中小首をひねりつつ、信貴山の僧兵たちは護衛と監視をかねて、ともかくも堺へ同行して来たし、また当然、包囲陣の哨戒線にひっかかったあとも、こんどは、その五人の根来僧を保証人として、とどのつまり堺へ入るつもりであった。たまたま伴天連フロイスが現われてはからずも彼女に力をかすことになったのは、ますます以て好都合というべきである。
そしてこんどは十人の根来僧のいのちを土産《みやげ》に、昼顔は堺へ身を投げ込んだ。うまくしてやったというものの、また鬼神もたじろぐばかりの不敵さではある。
「もうわたしは、松永の方へは戻れない。――」
いま、昼顔はそういったが、そこにいた町衆のすべてが鼻白んで、ただ顔を見合わせた。――この松永弾正の寵姫は、なお呂宋《るそん》助左衛門の足にすがりついていう。
「助左衛門、おまえはいつかわたしを助けてくれた。わたしはおまえを頼って逃げて来た。どうぞ、もういちどわたしを助けておくれ。――」
助左衛門の顔に困惑の翳《かげ》が現われた。
「さて、これはいかがなものか喃《のう》?」
と、いい出したのは津田宗及であった。
堺の大町衆で、曾《かつ》ては信貴山にも使いしたこの人物がこの夜ここへ姿を見せていたのは、切支丹の降誕祭云々のためではなく、松永弾正の愛妾がやって来たということをきいて、その目的や心事を怪しんでのことであった。
「左様なことをすれば、いよいよ松永どのの憎しみを受けるぞ」
「何をいまさら」
と、いい出したのは、これも堺の大有力者の臙脂屋宗無《べにやそうむ》だ。染料問屋だが、助左衛門と同様の硬派であった。
「これまで松永とやり合って、いまさら憎しみもへちまもあるか。喃《のう》、助左衛門」
そして臙脂屋は助左衛門の耳に口をあててささやいた。
「……それは人質にもなるぞ」
助左衛門が困惑していたのは、昼顔を助けるか助けないか、ということではなかった。
「納屋家には御台さまがいらっしゃるから、昼顔をそこへつれていってはいけない」といった厨子丸の必死の声であった。そのわけはまだ知らないが、しかし、そういわれて見ると何だか彼も躊躇《ちゆうちよ》をおぼえる。
「よし、わしがお世話いたそう」
と、臙脂屋宗無はうなずいた。
「助左衛門のところは、なるほどおかしい。公方さまの御台がおわすに、そこへまた公方さまのもとの御愛妾であった方《かた》がお越しになれば、助左衛門が公方さまみたいになる」
助左衛門は破顔した。やや苦笑のきみもあったが、昼顔御前を自分の屋敷へつれてゆくことは何だかおかしい、と感じたためらいの意味を、はじめて了解した笑いであった。
「窮鳥《きゆうちよう》ふところに入れば猟師もこれを殺さずという。堺に害意のない人間は拒《こば》まぬ、というのは堺の町の習いじゃ。わしが引受けよう」
という臙脂屋の応諾《おうだく》に、助左衛門はちょっと頭を下げた。
「では、そちらにお頼み申そうか」
昼顔は床《ゆか》の上から、なお助左衛門を見上げていたが、何もいわなかった。
そしてまた、このなりゆきを見まもっていた厨子丸と鵯《ひよどり》も、これに対してそれ以上の異議をのべることは出来なかった。ただ二人は、魂の底から震えのぼって来るような予感をおぼえていた。ちょうど、京の御前試合のときに感じたと同じ、とんでもない恐ろしいことが起って来るような。
――夜があけてフロイスは、この思いがけない事件のことを知って驚倒した。彼もまた会堂を去ったあとどこかで烈《はげ》しい銃声はきいたが、それは夜中といえどもやまない堺防衛の発砲だろうと思っていたのだ。
もはや和平の仲介など木《こ》ッ端微塵《ぱみじん》である。
昼顔みずから町の門まで出て来て、昂然《こうぜん》とフロイスに挨拶《あいさつ》した。
「あの偽|修道僧《イルマン》はわたしが殺しました。十人の消息が絶えたとなれば、どうせ寄手《よせて》の方でもこのことを知るでしょう。伴天連さまもわたしと共謀したと思われたら、弾正どのはほかの切支丹にもみせしめの仕返しをしかねない人です。伴天連さまはいそいで信貴山へおゆきになって、昼顔が十人の根来僧の首を土産に堺へ逃げこんだが、自分はあずかり知らないことだと弾正どのに報告なされた方がよいでしょう」
フロイスは茫然と馬鹿みたいに門を出た。
雪の荒野へ歩み出してから、フロイスはふいにぎょっとして顔をふりあげた。彼はいつかの堕天女カタリナ昼顔の恐るべき懺悔《コンヒサン》を思い出したのである。フロイスはあと戻りした。しかしこのとき堺の濠《ほり》にかかるはね[#「はね」に傍点]橋がギリギリと高くあげられてゆくのが見えた。
しかし、昼顔の警告はほんとうだ。
フロイスは数日後、信貴山城へゆき、さらに奈良へいって、松永弾正を訪れ、事の次第を弁明した。
弾正は一通の書状を手にしつつ、血管に墨汁が流れているのではないかと思われるような黒ずんだ顔貌《がんぼう》で、「ふむ、ふむ」とうなずいただけである。
烈しい感情が動いていることはわかるが、フロイスの弁明を信用したのかどうかわからない。昼顔御前に対して怒りにかられているのか、それほどでもないのか。それもわからない。実にぶきみな人物であった。
ただ、彼がそのとき眺めていたのは、数日前、信貴山から届けられた昼顔の置手紙で、それにはこうあった。
「ひるがお堺を内よりくずし申しそうろう。おん待ちそうらえ」
松永弾正の寵姫《ちようき》、走って堺に身を投ず!
この衝撃的な事件にもかかわらず、これよりただちに怒り狂った松永軍が堺に一大攻勢を開始したということはなかった。伝えきくに、このころから弾正は、東方の織田軍との角逐《かくちく》に寧日《ねいじつ》もないようすで、そのせいであったかも知れないが、といって堺を包囲した僧兵軍が陣を解く気配も見られなかった。
松永軍の大攻撃がなかったということにほっとした町衆がどれほど存在したかわからないが、しかし包囲が依然として粘強《ねんきよう》であるという事実は、すぐに町を鉛のように重い空気で包んだ。
いくさに勝っている。兵粮攻《ひようろうぜ》めにも平気である。なぜなら、後方に海がひらけているから。
しかし、堺へ出入りしていた物資は、むろん船ばかりに頼っていたものではない。とくに近畿一帯との流通は陸路による。そこを封鎖されて、町の経済の急速な衰微は当然のなりゆきであった。
そして。――
年を越えて春となり、難波《なにわ》の海がぬるみはじめると、その海路にも異変が起こり出した。堺の港に出入する船が頻々《ひんぴん》と沈没しはじめたのだ。
松永軍が船を狙っているということは、去年暮ごろから気づかれていたことだ。いくどか小舟で襲いかかって来ようとしたことがあったが、何しろ瀬戸の海賊はおろか、南蛮の海賊船とも戦闘の経験を持っている堺の船である。かねてからそんなこともあるだろうと警戒していたから、たちまち船上からの銃撃でこれを撃ち払った。
ところが、この春のころから、襲って来る小舟の影も見えないのに、十数|艘《そう》の船が突如浸水し、沈没しはじめたのだ。
すぐにその理由はわかった。何者か、船の底に牡蠣《かき》みたいに貼りついて、そこに穴をあけるやつがあるのだ。
何者か? いうまでもない。
海に潜《もぐ》って船底から穴をあけるなどということは、小舟なら知らず、大船では、事実上そう容易に出来ることではない。そんな作業をやれるほど水中にとどまっていられるものではないはずだが、その穴はまるで紙を切るがごとく自在に切りあけられた。
根来忍法僧のしわざであった。
攻囲軍総司令官牛頭坊のアイデアによる「特別攻撃隊」である。さすがに寒中の海ではやりがたいので、この春の来るまで、工夫を重ねつつ満を持していた奇襲攻撃だ。
まず小舟で堺の船の進路に待ち受け、適当な距離で数人の隊員を海中に放《はな》って舟は遁走する。隊員は長い竹筒で呼吸しつつ、水面から姿を没する。足には魚の尾びれ[#「びれ」に傍点]を模したものをとりつけている。そして仰むきの潜航泳法で堺の船の底にとりつくや否や、ただちに錐状《きりじよう》の武器でまず小孔《こあな》をうがち、そこから竹筒をさしこみ、息の通い路とする。これによって呼吸の法を確保しておいて、それから悠々と作業にとりかかるのだ。
しかし、この法とて――潜航泳法、また穿孔《せんこう》法、神速にして徹底的な切開法、いずれも根来忍法僧ならではの超人的なわざにちがいなかった。
助左衛門の要請によって、厨子丸は海に出た。そして一と月あまりで敵の接近法や、また浸水しつつもからくも沈没を免れた船などを調べて、敵の奇襲法を解明した。
厨子丸はあわてていたが、しかしまた生き生きとしていた。敵の無為の包囲には彼もまた沈鬱《ちんうつ》の気を禁じ得ず、こういう波瀾《はらん》が起こるとかえって歓《よろこ》びにちかい血が駈けめぐるのであった。
まもなく彼はその防禦法を見つけ出した。
第一は、ありふれた手段だが、あらゆる船底に見張員をおき、不審な物音がすればただちにそこへ駈けつけて、まず突き出されて来る竹筒を、逆に上から長い錐で刺しつらぬくことである。これによって数本の竹筒から鮮血が噴《ふ》きあがって来たという戦果の報告があった。
第二は、近づいて来る敵の潜水筒の発見である。これは南蛮渡来の遠眼鏡を利用した。むろん、それは少数であったが、それを分解してレンズの原理を知り、町のギヤマン屋を督励《とくれい》して、数百個の望遠鏡を作り出したのだ。
第三は、その敵の掃滅《そうめつ》法である。いったん船底にとりつかれたら、これに反撃することはどうしても隔靴掻痒《かつかそうよう》のうらみがある。といって、たとえ遠くから潜水筒を発見したとしても、おそらく一メートル以上水面下にある敵に、船からななめに銃撃することは、まったく無効ではないまでもきわめて至難であることが報告された。
たまたま堺に熊野の漁師数人が来ていて、これから彼らが手投げの銛《もり》で鯨捕りをする話をきいていた厨子丸は、その銛を銃によって発射することを思いついた。すでに彼は銃砲製造についてそこまで進歩していたのである。かくて厨子丸は少くとも二十メートルは飛ぶ銛――というより短い槍だが――それを発射する銃を開発した。捕鯨史上いわゆる爆弾槍《ボンブランス》が発明されたのははるか後年の一八四六年、アメリカ人ロバート・アレンによるもので、その射程距離は六、七十メートルであったというが、その原型を彼は作り出したわけだ。
しかし、レンズの製造といい、捕鯨銃の発明といい、さすがにここまで到達するには数か月を要し、その最初の製作品を手にして、呂宋助左衛門と厨子丸が呂宋丸の船上に立ったのは、その年の六月末のことであった。曾呂利伴内も、おっかなびっくり、同乗している。
呂宋丸が、わざと堺の港外を遊弋《ゆうよく》すること三日目の夕方。――
「あっ……あれでござる。あそこに怪しい竹筒が!」
と、遠眼鏡を眼にあてていた牢人の一人がさけんだ。
いかにも蒼《あお》い波濤の上を、その色にまぎれる青竹が一本、水面に数十センチ垂直に立って揺られている。揺られつつ、船に接近して来る。――
厨子丸が照準器に合わせて、爆弾槍を助左衛門に渡した。距離約二十メートル。
「よしっ」
助左衛門がそれを肩にあててひきがねを引くと、槍は波の上を飛んで――海へめりこんだ。それは沈まなかった。なかば水に没したまま、宙をひっかきまわし、その下から真っ赤な色が海面にひろがり出し、数十秒後、腹をななめに槍につらぬかれた裸の男が浮かびあがった。
やはり遠眼鏡をのぞいていた伴内が躍《おど》りあがった。
「おう、なんたる奇縁! あれはわしを数珠《じゆず》にしおった根来坊主じゃ!」
「うまくいったようでござりますな」
厨子丸は微笑した。
助左衛門は海の上の屍体からこの奇銃に眼を戻した。
「人を殺すにはもったいないの」
すると、伴内がさけんだ。
「わしはあの槍に縄をつけて、出来るならば口から尻まで通してやりたい!」
「槍に縄をつける?」
助左衛門が手を打った。
「お。……そうすると、ほんものの鯨捕りにも好都合ではないか?」
「それは面白い考えです。ひとつ工夫して見ましょうか?」
呂宋助左衛門は遠い海の果てに眼を投げて、
「ああ、おれは鯨でも捕りにゆきたい!」
と、吼《ほ》えた。
「いつまでおれを堺に縛りつけておく気か。さりとは弾正もしぶといやつ!」
それからもういちど銃をながめ、また厨子丸を見やって彼はいった。
「おれはいくどかイスパニアやポルトガルの船に乗って見て、きゃつらの工夫に正直なところ頭を下げた。そのうち、きゃつらもこんなものを必ず作り出すぞ。必要と思い、有利と信じても、日本人はまず出来ない理由の方を探し出すが、きゃつらは欲しいとなったらいかなる難事をも超えてそのものを作り出す。……ところが、厨子丸、おまえはそれをやる。おれは世界の海鳴りの声をからだできいておるが、おまえは脳髄できいておるようじゃ。ああ、一日も早く、おまえを世界の海へつれてゆきたい喃《のう》!」
伴内が鼻うごめかしていった。
「助左衛門さま、この厨子丸を堺へひっぱって来た第一の手柄はこの伴内でござりまするぞ」
――もうだいぶ前のことになるが、なぜ一年も厨子丸にくっついてうろつき回っていたのだ、という助左衛門の問いに、伴内は頬ふくらませて、厨子丸だけではなく国友村の鍛冶衆すべてを堺へつれて来たかったからだ、と答えた。それは成功しなかったけれど、しかし彼が厨子丸にくっついて離れなかったことは結果としてはたしかに彼が自慢する通りだ。
ふしぎなことに、そんな助左衛門の言葉をきいても、厨子丸は曾《かつ》てのごとく眼をかがやかせなかった。
彼は堺にいて満足であった。ただ一人の女人が堺にいるかぎりは。
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地獄太夫
攻撃軍の中世紀的アイデアによる海の奇襲は、しかしたしかに堺に打撃を与えていた。
厨子丸の捕鯨銃が開発されるまでに十数艘の船が沈められていたし、それ以後も、被害は減少したけれど、夜間の奇襲によってなお損害を受けることはやまなかったし、また堺以外のところ――主として中国地方の港から来る船の遭難をふせぐことが出来なかった。それに船頭、水夫楫取《かこかんどり》に与えた恐怖感は疑えないものがあった。
一見、堺の防衛戦は、包囲軍の頑強さに対して一歩もたじろがないかのようであった。
「――けだし当時の堺の商賈《しようこ》なるものは、その気魄《きはく》豪強、士人の概《おもむき》を失わず、加うるに彼らは金権を有し、多くの浮浪の士を養うものもありしかば、将軍|管領《かんれい》といえども彼らに対しては如何ともすること能《あた》わず、その乱世に処して平然として商業に従事し得たることまた怪しむに足らず」(原勝郎「足利時代に於ける堺港」)
という伝統は厳として守られているかに見えた。
しかし、何といっても町人の町だ。
その商業の道を封鎖されて、しかも果てしなき籠城戦に、内部からよろめき出した気配が見えて来たのもまた当然といえる。すでに包囲されてから一年にちかい。
「待て、もうしばらくの辛抱じゃ。松永軍は必ず撤退する。そのとき堺は勝ったことになる。――」
必死にこれを抑えているのは呂宋《るそん》助左衛門であったが。――
その助左衛門のところへ、蒼い顔をして臙脂屋宗無《べにやそうむ》老が現われたのは、夏の終りのことであった。
「助左衛門、あの昼顔御前。……おぬしがあずかってくれぬか?」
「いかがなされたのでござる?」
「わしの三人の倅《せがれ》。……みな嫁も息子もあるに、あの女人に恋着して争い、このごろではおたがいに殺し合わんばかりの喧嘩沙汰じゃ」
「なに、昼顔さまが。――」
「昼顔さまが、ではない。昼顔さまは冷然としておいでなされる。にもかかわらず、息子どもが気ちがい犬のようになりはててしまったのじゃ」
臙脂屋は自分もまた気がちがったように白い髷《まげ》をかきむしった。この剛腹《ごうふく》な豪商がこんなありさまになるのは、よくよくのことである。
「助左衛門」
そのとき背後から声がした。
「つれて来ておあげ、昼顔を」
立っているのは御台《みだい》さまであった。さらにうしろに鵯《ひよどり》がついている。御台さまはひたすら憂えている表情であったが、鵯は目顔《めがお》で、しかし必死に拒否の勧告をしていた。
「あのひとは、あなたを頼って来たそうではありませんか」
と、御台さまはいった。
「頼って来る者はだれでも受け入れるのが堺の町の美しい習いというではありませんか」
「み、見て参りましょうず」
助左衛門はあわてていった。
「とにかく堺でも一、二の臙脂屋がそんな騒ぎで、もしものことがあったら一大事じゃ」
助左衛門は駈け出した。実際彼はあわてていた。
臙脂屋のことではない。――いま臙脂屋から昼顔のことをきいても、彼は驚きもせねば意外にも思わなかった。あの昼顔が恐るべき女であることは伴内からきいていたし、またこんど改めて彼女を見て、理も非もなくそれがまことであることを助左衛門も認めたのである。昼顔の堺に入って来た心事も測りがたいが、恐ろしいのはそれよりもその妖艶無双ぶりであった。彼女をひきとった臙脂屋にそんな騒ぎが起るとまでは予想もしなかったが、堺の町の内部に地雷火を抱いているような不安はあれ以来あったのである。
助左衛門のあわてていたのは、彼女の処置についてであった。さて臙脂屋から出されて、あの女人をいかがすべき?
まだその判断もつかないままに、助左衛門は大股に往来を駈けた。
そのゆくてから、ふいに人の輪が崩れて、中から地べたで軍鶏《しやも》みたいにとっくみ合いをしている男女の姿が現われた。男が女に馬乗りになっていたが、人垣が崩れてこっちをヒョイと見た顔は、ひっかかれた傷だらけだ。助左衛門を見ると、これまた飛びあがって逃げ出そうとしたが、女に足をつかまえられてひっくり返り、こんどは女が馬乗りになってぽかぽか殴《なぐ》り出した。
「ばか、よさないか」
助左衛門に一喝されて、こんどは女がびっくりした顔をふりむけ、いままで殴っていた男と手に手をとって逃げ出した。――助左衛門も知っている町の鋳掛《いかけ》屋の夫婦であった。夫婦喧嘩なのである。
「……あっ、厨子丸どの!」
呼んだのは、助左衛門のうしろを臙脂屋宗無といっしょに走っていた鵯であった。すると、そこに集まって夫婦喧嘩を見物していたむれの中から、厨子丸のけげんそうな顔が駈けて来た。
「ど、どうしたんだ?」
「おまえこそ、何を見ているのです」
「いやなに、通りすがりにちょっとのぞいただけだ。……どこへゆく?」
二人の問答をあとに、助左衛門は走る。
そして、意識するともなく、町の荒れて来たことを意識している。このごろめっきり喧嘩騒ぎがふえた。以前から喧嘩はむしろよそより多い方であったかも知れないが、それさえ町に活気と華やかさを加える景物であったのに、最近は妙にとげとげしく、さしたる理由もないのにやたらに突発する気味がある。そして町そのものの風景も、目立って品物が少なくなり、汚なくなり、急速に荒廃して来たような感じである。
――いくさのせいだ。
とは助左衛門も承知しているが、しかし彼は断乎《だんこ》として首をふる。
――負けてはならん。負けては、堺そのものがなくなる。歯をくいしばっても頑張れ。あと一息だ。
臙脂屋の店先まで来ると、主人の宗無の姿を見て、奉公人たちが血相変えて駈け出して来た。
「大変ですっ、若旦那たちが」
「中庭で、血まみれになって」
助左衛門たちは急いで中庭へ入っていった。そしてそこに異様な光景を見た。
染料を煮る大釜や蓄える大|甕《がめ》などが一方にならんでいる広い中庭に、三人の男が三角形に立っている。一人は匕首《あいくち》、一人は庖丁《ほうちよう》、一人は棒を持ってにらみ合っている。三人とも髪ふりみだし、どこを怪我しているのか、あちこちから血を流し、蒼白になって、吊りあがった眼は、正気のものとは思われない。一方には、その妻子や奉公人がおろおろして立ちすくんでいたが、その反対側には。――
昼顔が一人立っていた。大甕に身を凭《もた》せかかるようにして、眼前の光景はどこ吹く風と、冷然としている姿にも見えたが、またどこかうすい笑いを浮かべているようにも見えた。
「きちがいっ」
と、助左衛門が吼《ほ》えた。どんと櫂《かい》の杖をついて、
「待っておれ、いま一人一人、頭をぶん殴って正気に戻らせてくれる」
言葉よりもその声の雷のような凄じさに、まるで糸の切れた操り人形みたいに三人の兄弟はへなへなと尻もちをついてしまった。
「昼顔さま」
助左衛門はいった。
「おいでなされ」
すると、それまで蝋《ろう》みたいにじっと動かなかった昼顔がぱっと炎の花に変ったような感じで、はたはたとこちらへ駈けてきた。厨子丸は本能的に飛びずさった。
「――どこへ?」
三兄弟のみならず、家族のすべてがふぬけみたいになっている臙脂屋をあとに、しばらく歩いてから昼顔がきいた。
助左衛門は答えない。それを、厨子丸と鵯は不安げに見やりながら、なるべく昼顔と離れて歩いている。
助左衛門はまだ困惑していた。昼顔をつれてゆくあてをまだ思いつかないのだ。――広い辻で彼は立ちどまった。左へゆけば、町の門へ通じる。――助左衛門は眉を下げ、気弱げな眼で昼顔を見た。
「町を出よというのかえ?」
昼顔はいった。
「臙脂屋の騒ぎはわたしの知ったことではない。――堺に助けを求めて逃げて来た者を、堺は追い出すというのかえ? わたしがこの町を出たらどうなるか、おまえは知らないとはいうまい。わたしに死ねというのかえ?」
助左衛門はまっすぐに歩き出した。まっすぐにゆけば、助左衛門の屋敷へ向う。
「す、助左衛門さま!」
と、厨子丸はさけんだ。
「や、やめて下さいまし」
助左衛門はまた立ちどまった。
伴内から話はきいたが、そしてまた昼顔をどこか恐ろしい女だとは思っているものの、それにしても自分が昼顔を屋敷につれてゆくのを、なぜそれほど厨子丸がきらう――というよりなぜ恐怖するのか、実は助左衛門にはまだよくわからないところがある。ただ彼はいつぞや臙脂屋が、御台と昼顔を同居させればおまえが足利公方さまのようになる、といったことが頭にこびりついて、それにこだわっていたのだ。
「なにゆえ?」
と、昼顔がひくい声できいた。まっすぐに厨子丸を見つめている。
厨子丸はわざと助左衛門の方を見ていった。
「納屋《なや》家が……臙脂屋と同じことになりまする!」
突然、昼顔が笑い出した。
「厨子丸、そんなことにはならぬ。臙脂屋の息子たちはみなわたしに惚れた。――」
「なに?」
「しかし助左衛門の家へいってもそうはならぬであろう。わたしにそんなうぬぼれはない。いえ、そんなうぬぼれに水をかけて灰としたもの――それが、おまえじゃ。おまえは御台さまに首ったけではないか」
厨子丸の顔色は燃えるように染まって、彼は絶句した。
「まあ、よくもいままで納屋家であのような騒ぎが起らなかったもの。その御台に、助左衛門も惚れておるのに。――」
「ば、ばかな!」
こんどは助左衛門の顔が朱色になった。
「いままで臙脂屋におられて外に出られたともきかぬおまえさまが、なぜそんなあらぬことを、見て来たようなお顔で申される」
「じっと坐っていても、わたしは何でも知っている。なぜなら、わたしは厨子丸に惚れているからじゃ。だから、厨子丸につながることは何でも知っている。その鵯が厨子丸を恋して酬《むく》いられぬことも、厨子丸が恋している御台のことも、御台がにくからず思うておる助左衛門のことも。――」
厨子丸の頬からすうと血の気がひいたのを、昼顔はうす笑いして眺《なが》めつついう。
「ね、根も葉もないことを」
助左衛門の方が狼狽その極に達し、声ももつれた。
「い、いや正直いって、わしは御台さまをおいたわしやと思うておる。が、御台さまはひたすらいまは亡き公方さまをお偲《しの》びなされて、ことあらばそのおん跡を追い参らせたいとさえ望んでおわす。そのような御台さまを、わしが思うてどうなるか。だいいち、身分がちがう。いやさ、そんな邪念を抱いて御台さまを堺へおつれ申した呂宋助左衛門と思われるか!」
昼顔はまた声をたてて笑った。美しい、恐ろしい笑いであった。
「ようもまあ、このようにいすか[#「いすか」に傍点]のはし[#「はし」に傍点]とくいちがった恋があるもの。――」
助左衛門の抗議などは全然馬耳東風の顔である。
「わたしは千里眼のように知っている。この中で、ただ一つ、くいちがわないものは、御台と助左衛門の恋。厨子丸、あきらめやい。――」
厨子丸は身動きした。かすかによろめいたように見えた。
黙ってこれまできいていた鵯が、ふいにつかつかと歩み出し、昼顔の前に立った。そして、手をあげると、この曾《かつ》ての雑仕女《ぞうしめ》は曾ての公方さまの御愛妾の頬をぴしいっと打ったのである。
「悪魔!」
と、眼をひからせてさけんだ。曾ての勇ましい鵯がよみがえったようであった。
「わたしはいつも御台さまのおそばにいる。御台さまと助左衛門さまのお仲がどのように清らかなものであるか知っている!」
この打擲《ちようちやく》には、さすがの昼顔も胆をぬかれたと見えて、ぼんやりとして立っている。
助左衛門がいった。
「さて、たわけた問答はもうやめだ。しかし、昼顔さま。……そんなことをいわれるおまえさまを、もうわしのところへつれてゆくわけには参らぬなあ」
「わたしは、わたしのゆきたいところへゆく」
と、昼顔は答えた。もとの通りの謎のような笑顔になっている。助左衛門は眼をむいて、こんどは彼の方がきいた。
「ど、どこへ?」
「乳守《ちもり》の里《さと》へ」
「――えっ、乳守の里へ? そんなところを、なぜおまえさまは知っておいでなされる」
「だから、わたしは何でも知っているという。乳守の傾城《けいせい》町、あそここそ、わたしのゆくところにふさわしい。――」
昼顔はまた炎の花に変ったようであった。
「女一人、自分だけの力で生きてゆくのを、堺の町は邪魔すまい喃《のう》、助左衛門。――では」
にいっと笑った顔を妖美な残像として眼にとどめたまま、三人は茫然として声もなく、身動きもしなかった。
ちゃんと方角まで知っているらしく、まちがいなくその傾城町の方へ歩いてゆきながら、昼顔のひくくつぶやく声が聞えた。
「……どれほど男と寝ぬであろ? ようもこのわたしが辛抱したもの、われながら、哀れな昼顔!」
乳守の里に絶世の美貌を持つ昼顔という傾城が現われたという噂が堺全市にひろまるのには、ものの十日と要しなかった。
はじめ一ト月ばかりは、町の富商が争って通《かよ》いつめた。素性はもはやだれもが知っていて、それに好奇を抱く者、恐怖をおぼえるもの、にくしみを燃やす者、いずれもがたちまちその虜《とりこ》となった。
そして昼顔は、遊女として当然ではあるが、金さえ積めば相手をえらばなかった。可笑《おか》しいのは、例の臙脂屋の三人の息子も通って、それ以来|瘧《おこり》が落ちたようにまた仲のいい兄弟に返ったことだ。しかも、一夜に五人か七人の客をとるというのに、いちど遊んだ客は、たんのうし切った顔で去って、また熱病のように通って来た。
さて、一ト月ほどたって、やがて昼顔は相手をえらび出した。それが――それまで一夜に蔵が立つほどの金にせりあがっていたのに、そのころから相手をえらぶのに、金にはよらず、昼顔の方で人をえらび出したのだ。
しかも、それが必ずしもいい男にかぎらず、まことに気まぐれだが、むしろ醜い男、いとわしい男、貧相な男をえらぶという。――
噂をきいて町人、職人、牢人、人足のむれまでが押しかけて、はては延々たる行列を作り出した。すると昼顔は、これに対して奇想天外な措置《そち》をとった。いちどに三人ずつの客をとってこれを片づけはじめたのだ。
常道を踏むのはただ一人の客ばかりで、もう一人の客は肉体のべつの部分であしらい、最後の一人に至っては、ただ見物させるだけで、そのくせ同時に、三人ともに満足はおろか、虚脱状態におちいらせるという。――
しかも、例によって醜い男、いとわしい男、貧相な男の方に優先権を与えるというのだ。――この奇怪な傾城は、みるみるうちに「町衆の町」の町衆の讃仰の的となり、彼女のまわりには自発的な護衛の武士までが集まり出した。
その中にあって、平生《へいぜい》衆人の眼にふれるところでは、昼顔はしゃれこうべを染めぬいた裲襠《かいどり》を羽織って優雅に坐っていた。
いつとはなく、彼女に「地獄太夫」という名がつけられた。その昔、この乳守の里で嬌艶三千の男の心魂をとろかした大|傾城《けいせい》の名である。――
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よろめく堺
「――ど、どけっ」
馬みたいに長い顔に髯を生《は》やした男が、馬みたいに歯をむき出してさけんだ。
二人の男は飛び上ろうとしたようであったが、それは不可能であった。一人は胴に真っ白な二本の足を巻きつけられたし、一人は同じく頭に真っ白な一本の腕を巻きつけられたからだ。
「どかぬか、おれが隊長だぞ。隊長の命令だぞっ」
眼も充血し、いまにも脳溢血《のういつけつ》を起こしそうだ。
馬岳《うまだけ》十郎左衛門である。堺牢人軍の――鮭《しやけ》大膳のあとをついで、いまは隊長である。それが、眼前に、二人の兵卒の痴態を見て、たまりかねて吼《ほ》え出したのだ。
「た、隊長を前にして、あまりといえば傍若無人。どけ、代れっ」
「隊長ゆえ、おまえは見物役なのじゃ」
牢人のうす汚ない髪の下から、美玉のごとき顔がのぞいた。昼顔だ。さすがにやや紅《べに》を刷《は》いた頬が汗ばんでいるのが、まるで匂い立つようであった。
「はじめから、そういう約束であったぞえ」
にいっと笑うと、
「さ」
といって、ふたたび牢人の下に顔を重ねた。一方では、腰をうねらせて、もう一人の牢人をあしらい、彼に死にかけた犬みたいなあえぎをさせているのである。
まさに、傍若無人だ。あくまで豪奢《ごうしや》な閨《ねや》の中に、この曾《かつ》ての松永弾正の寵妾《ちようしよう》は一糸まとわぬ全裸の姿であった。
――いつのころからか、この乳守の里の傾城《けいせい》町にも牢人軍は大っぴらに出入を認められるようになっていた。戦争をやっている町で、しかもその戦争の請負人《うけおいにん》だから当然のなりゆきだ。とはいえ、大手をふってという域には達しない。この町の伝統的心性で、戦争くさい人間に対するぬきがたい嫌悪感があって、一方で傭兵《ようへい》にちやほやするくせに、一方ではへんに冷たく、傾城町を往来する牢人を見ると、何となくけむたい顔をする。そして町の人々に対しては絶対低姿勢であれという呂宋《るそん》助左衛門の厳命があったからだ。
しかし、ともかくも以前よりは、傾城町に於ける牢人の旗色は目立ってよくなった。
そこへこの昼顔太夫の登場だ。
おそるおそる、数人の牢人が行列にならんだ結果――たちまち彼らもその虜《とりこ》となった。しかも、偶然、町人を入れて三人の一組になったところ、昼顔はその愛撫の順位を牢人の方に高くしたという。――その快楽のさまを語る牢人は、語っているだけで舌なめずりし、眼もつりあがり、胴ぶるいしはじめたくらいであった。
噂《うわさ》は火のようにひろがった。
で、その秋の一日、隊長の馬岳十郎左衛門が二人の配下をひきいて、この傾城屋に乗り込んで、そしてまことに心外な待遇を受けたのだ。
つまり、いま、文字通り見せつけられたごとく――彼の役は見物役にとどめられたのだ。熱演役にえらばれたのは二人の配下の方であった。話にはきいていたが、それでもと思って、牢人軍中、十指のさすところ最も醜男《ぶおとこ》の二人をひきつれてやって来たのだが。
「もう、よいかや?」
と、昼顔はいった。
返事も待たず彼女は、スルリとまるでぬれた白い人魚みたいに滑り出して、しゃれこうべの裲襠《かいどり》を裸身に羽織って坐った。褥《しとね》の上の二人の牢人は、精根つきはてたといったていたらくで、あごを出してつんのめったきりであった。
「次が待っている。ゆきゃ」
白いあごをしゃくった。
傾城となっても、この言葉づかいであり、この態度を彼女は失わない。昔は知らず、いまは万客朱唇をなめる一遊女ではないか――などそしる男は一人もいなかった。裸身に裲襠をまとっただけの姿でも、公方の元愛妾、松永弾正の元寵姫としての誇りは、なお町人や牢人たちを圧倒していた。
夢遊病者のように外に出る。
延々と色餓鬼たちの行列がならんでいる。
すると、それまで肉体のみならず魂のぬけがらみたいに歩いていた二人の牢人はそっくり返った。さきに天来の珍果を味わった人間みたいに得意然として。
にがにがしげにそれをにらみつけていた馬岳十郎左衛門が、
「うぬら!」
と、歯をむき出していった。
「今夜、夜討ちに出ろ」
二人の牢人はさすがに酔っぱらった頭から水を浴びせかけられたような表情をしたが、たちまちニタニタと相好《そうごう》を崩して、
「よろこんで討死つかまつる」
「もはや今生に思い残すことはござらぬ。――」
と、いった。
むろんこのころに至ってもなお堺の包囲は解かれず、地雷原を越えて忍法僧が肉薄して来ようとするので、その地雷を移動させたり、またはときに逆にこちらから夜襲をしかけたりして、敵を牽制《けんせい》していたのだ。
その夜、嬉々として出撃していった二人の牢人は、そのまま帰って来なかった。隊員の非難の嵐の中に、馬岳十郎左衛門は鬱々《うつうつ》と考えこんでいたが、十日ばかりたって助左衛門のところへ来て隊長辞任を申し出た。
「配下のあなどりを受け、牢人軍を統率してゆく自信を失い申した」
助左衛門はこの隊長への非難をきいていたし、また本人自身このごろ何だか眼つきが怪しく、挙動にも不審なものが見られたので、彼の辞任を認め、副隊長の雁首《かりくび》鈍入斎という男を昇格させた。
さて、かくて一兵卒となった馬岳十郎左衛門は、こんどは牢人というのがおかしいような色男の牢人と、もはやまったく不能は明らかな七十余歳の老牢人をつれて傾城屋の行列にならんだ。
ところが、おあいにくなことに、昼顔はその色男と老人をえらんだのだ。
その色男は、女と見れば水母《くらげ》みたいに身をふるわせる奇態な牢人で、昼顔の前に出たときには青菜に塩のごとく、さてむりむたいに裸にされると、これはまるで塩をかけられたなめくじのごときありさまであったが、笑いつつ昼顔は、これをみごとに甦《よみがえ》らせた。老人はというと、歯のない口を吸われて、落葉の中から枯木がせり上って来たような景観を呈した。
そして、完全に天上を遊泳しているような二人を、またも馬岳十郎左衛門は総身からあぶら汗をしぼりつくす思いで見物しなければならなかったのだ。
「ええ、こうなったら腕ずくでも」
彼は逆上して起ちあがり、色男と老人を蹴飛ばした。
「おいで、昼顔組」
と、昼顔がさけんだ。
すると、隣室から十人以上もの若者が飛び出して来て、馬岳十郎左衛門を押えつけ、帯でぐるぐる巻きにしてかつぎ出していって、傾城屋の外の運河へざぶうんと芋虫《いもむし》みたいに放り込んでしまった。
「戦場に出れば、だれしもが眼を見張って震駭《しんがい》するであろう」と豪語したこの牢人軍元隊長をである。
「こいつは掟《おきて》破りだ。みせしめとして、みんなよく見ておけ」
若い親衛隊が蒼ずんだ顔を昂然とあげて見まわすのを、大半は口をあけて見ているだけであったが、ただ十人ばかり騒ぎ出した連中がある。
「それはそれとして、何だてめえらは。昼顔太夫の傭《やと》い侍みてえなつらをして」
「毎日、聴かせてもらうのを役得としてその勤めか」
「はやく、あの隊長を助けてやれ」
運河に飛び込んで、縛った帯を切ってくれたやつがいなかったら、哀れ馬岳十郎左衛門は女郎屋から流れ出す水の中で討死していたかも知れない。
しかし、行列と昼顔組とのあいだには喧嘩が起こった。昼顔組は若い町衆であったが、これと争うのも町衆であった。喧嘩はよくあるが、それにしても以前は町人の町らしく口だけのものが多かったのに、このごろはひどく殺伐《さつばつ》になって、何かといえばすぐに殴《なぐ》り合いになる。
あとで話をきいて、曾呂利伴内が助左衛門にいった。
「助左衛門さま、こりゃ昼顔太夫をめぐって、堺の町に内側から戦争が起りそうでござりまするぞ」
「まさか?」
助左衛門は一笑した。
伴内はしかし大まじめにくびをかしげた。
「いや、昼顔の方をつれて来たのは、まさにこの伴内でござりまするがな。そのときはそうとは思わなんだが、いまにして思うと、ひょっとしたら……昼顔の方、弾正と謀《はか》ったあげく、堺を内側から崩そうとしてやって来たのかも知れませぬぞ」
助左衛門は伴内の顔をぎろと眺めた。
「松永弾正が苦しまぎれに色仕掛で来たとあれば、そこまで弾正を攻めあぐねさせた堺の誇りだが、しかし女一人で崩れる堺ではない。女に対して堺はそれほどおぼこ[#「おぼこ」に傍点]ではない」
「いや、やりかねぬ弾正であり、昼顔御前でござる。女一人といわれるが、あの昼顔はただの女ではない。――」
「それにしても、犠牲が大きすぎるよ、向こうが。――弾正が或いはあの女人が、堺を滅ぼすために千人の男に汚《けが》されつくすのも覚悟のまえとは」
「では、いまの昼顔の方のあの狂気の沙汰は何でござります?」
助左衛門は首をななめにして考えこんでいるきりであった。まったく昼顔の心理行状、常人の頭の及ぶところではない。
「とにかく、あの女、町を追放するにしかず。――」
「いや、それはならん」
と、助左衛門はかぶりをふった。
「女一人、自分だけの力で生きてゆくのを、堺は邪魔すまいと昼顔の方は申された。その通りじゃ。それにあの傾城町こそこの堺の花、従って傾城こそは花の中の花。――そういう女人、そういう町をひっかかえてこそ堺がこの日本に存在する意味があるのじゃ」
そして、助左衛門は哄笑《こうしよう》した。
「それに、あの女人を追放して見ろ。それこそ昼顔組とやらの若い衆が内乱を起そう。うわははははは!」
うしろで、夕子が坐って、心配そうに耳をかたむけていた。
昼顔の件は笑殺したが、助左衛門にとって笑殺出来ない動きが現われ出した。
冬に入った一日、助左衛門は千宗易の茶室に呼ばれたのである。相客は津田宗及、今井宗久であった。
さて、茶事が終ってから、津田宗及がいい出したのである。
「いまのいくさ、助左衛門、いつまでやるつもりかの」
なんどもきかれた問いではあるが、きょうはその顔ぶれを見たときから、これはただではすまぬ、と助左衛門は覚悟していた。いずれも堺の重鎮であり、かつ無条件の平和論者ではないにしても、少くとも硬派ではない。
「それは向こうさま次第」
と、助左衛門はこれまたなんどもくりかえした返答をした。
それから彼は数々の重々しい問いを受けた。松永が東方で織田と角逐《かくちく》しつつ、一方でかくも執拗《しつよう》に堺の包囲を解かない真意、堺の防衛の見込み、また助左衛門の目的などを、この際改めてききたいと。
これに対して、助左衛門は、明快に答えた。
弾正の真意は、いまとなっては堺を無傷のまま手中に入れることにある。織田と対決するためにもだ。そのために弾正は歯をくいしばって、こちらの屈服を待っているのだ。その手に乗ってはならぬ。いかに甘言を以て屈服を誘おうと、あの弾正は決して堺を生かして使う男ではない。おのれの道具として使ったら、あとは必ず圧殺する。いま一息の辛抱だ。いまにたまりかねて、彼は根来僧軍を抜いて東方に駈け向わせるだろう。――
自分の目的は、たんに現在の堺を守るためだけでなく、この町人の町が天下の覇者の武力に対し、ついに屈服しなかったという事実を人々に示すことにある。その原動力は「自由大菩薩」の旗にあると知らしめることにある。そうすれば堺のような町が、続々と日本に生ずるだろう。日本は、そういう無数の自由の町の集合体にしなければならぬ。そういう日本でなくては、とうていイスパニアやポルトガルの船に対抗出来ぬ。――
「そんな町が、ほかにたくさん出来れば、それこそ堺の商売敵ではないか」
と、今井宗久がいった。
「腹の小さいことを!」
助左衛門は一|喝《かつ》した。しかしこの大薬種問屋のあるじは赤面もしなかった。
「何にしても、おぬしのいま一息、というのにはもうききあきておる。堺の息は絶えかかっておる。町のようすを見るがよい。――」
そして、彼らが助左衛門をきょうここへ呼んだほんとうのわけを、千宗易が深沈と語り出したのである。まず。――
「助左衛門、このごろ曾呂利が堺におらぬことを知っておるか」
と、きいた。伴内が堺からふっと姿を消していることは助左衛門も気がついていて、首をかしげていたのである。
「あれは、船で出ていった」
「どこへ?」
「回り回って、織田へ」
「――え?」
「伴内は、織田の一部将で木下藤吉郎という男と相知の由。それきいていてわしがやったのじゃがな。――当人は、あとでおぬしに叱られるかも知れぬと首をすくめておったが、しかし心根はわしらと同じ考えじゃ」
「宗易どの、伴内が織田へ、何しに?」
「おぬしのいう通り、松永弾正、たしかに堺にとってためになる人物ではない。それはわれらにもようわかる。が、防戦一方ではこのいくさいつまでつづくやら見当もつかず。――されば、織田が松永を滅ぼすことに、こちらから手をかしてやればよいではないか。……そのためには堺から織田へ、わんさと鉄砲を売ってやればよいではないか。その商談にやったのじゃよ。冬になって、倖《さいわ》い、このところ例の根来|河童《かつぱ》も出没しないようであるしの」
千宗易はにたっと笑った。
「もっとも、心配するな、売るのはただの火縄銃じゃが。……ともかく、儲《もう》ける。敵を討つ。いや、敵を以て敵を討たしめる。一石二鳥。……おぬしのおかげで、わしまでがこれほどの兵法家になったぞや。おぬしも手を打ってほめてくれるであろうが。――ははははは」
助左衛門はかっと眼をむき、恐ろしい声でさけんだ。
「それこそ素町人の生兵法《なまびようほう》だ!」
「なに?」
「やんぬるかな、おぬしら、それでは堺を撃つ鉄砲を売ることになるぞ!」
そのとき、大地をふるわせて、鈍い音響がつたわって来た。宗易、宗久、宗及の三茶人はぎくりとした。
助左衛門はくびをかたむけ、
「またやりそこねたか。……」
と、つぶやいた。
「な、なんじゃ、あれは?」
「このごろ、ときどき町中《まちなか》であんな音がするが。……」
と、宗久と宗及がいった。
「厨子丸が大砲なるものを作っておるのでござるよ」
と、助左衛門はいった。
「それが、砲身を鋳《い》ようとしては何度も失敗しておるが……しかし、そのうち必ずあれは大砲を作り出すでござろう」
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薄暮の砦
年を越えて永禄十一年。
堺が松永軍に包囲されてからまる二年以上も経過したことになる。
あたかも太平洋戦争で二年たったころの日本のようなものだ。町は乾いて埃《ほこり》っぽくなり、石だたみの道には草が生え、そして人々は目立って荒々しくなった。町も人も、うす暗い夕暮の靄《もや》をまつわらせているようであった。はっきりいえば厭戦気分といっていい。
ただそれが急速な崩壊の道を辿《たど》らなかったのは、防衛戦指導者|呂宋《るそん》助左衛門の強い意志と、次々に鉄砲町から作り出される新兵器への興味と、ともかくも海路を通じて西国方面と或る程度の流通が絶たれなかったためと――そして、敵松永弾正なる人物への不信感のせいであったといっていい。
いかなる和平論者でも、弾正が堺をそれまでの堺として生かしてくれるとは思えなかった。また市民のすべてが、堺と弾正とは水が合わない、と肌で感じていたのだ。
厭戦気分は敗北感ではなく、以前のようなぜいたくが出来ない、遊興が出来ない、それよりかんじんの商売が出来ない、という町人の本能的不満から流れ出たものであった。
ただこの中にあって、わずかに人々に活気を与えたものがある。
鉄砲の輸出である。
外部にはむろん秘密であったが、堺の人々は知っていた。ときどき港から出てゆく舟に積み込まれた鉄砲が熊野灘を回って、尾張の宮(熱田)まで送られるということを。それを買う者は、敵の松永のそのまた敵の織田であることを。
冬から春へ、また夏へ。――
こんな堺の中にあって、厨子丸は憑《つ》かれたように働いていた。彼には、町の厭戦気分も活気も、何も見えないようであった。
厨子丸は大砲を作ろうとしていた。
彼の設計によると、それは口径三十センチ、長さ三メートル、射程距離六キロに及ぶものであったが、これだけの砲身を製造するのが大難事で、いかに彼がさまざま工夫してみても、鋳造《ちゆうぞう》の途中でひび[#「ひび」に傍点]が入ったり、試射してみるとその火薬ガスの圧力のために微塵《みじん》に裂けたりするのだ。それにこの大重量の砲身を支える砲架の問題にも彼は頭を悩ませていた。
「――こりゃだめです、とうてい無理でさあ」
いままで彼に協力的であった鉄砲町の職人たちも音《ね》をあげた。
「それにまた、こんな大砲作って何にするんです? いままでの鉄砲や棒火矢で、松永のやつらはあそこにへばりついているだけで動けませんぜ」
「やるんだ」
と、厨子丸はいった。
「どうしても作るんだ」
それは他人にいうというより、おのれにいいきかせるようであった。それがかえって厨子丸にこの世のものでない人間のような鬼気を漂わせて、職人たちを服従させた。
鵯《ひよどり》はそんな厨子丸を眺めていた。
以前から厨子丸にはこういうところがあった。熱中するとあらゆる外界の事物に放心状態になってしまうところが。
そこがまた鵯が厨子丸に引かれるゆえんなのだが、それにしてもここ半年ばかりの厨子丸は異常だ。鵯は、彼が何かに苦しんでいてそれを忘れるために大砲製造に熱中しているように見えた。そんな大砲を作って何になるか、彼自身にもわからないように思われた。
ひょっとしたら……と、彼女は思う。厨子丸を苦しめているのはあのことではあるまいか?
鵯は厨子丸の悩むのを見て悩んだ。それから、彼女にほかにも気になることがいろいろあった。ときには、ただ一つの悩みのためにまわりのことを顧みない厨子丸に、一種の羨望《せんぼう》と腹立たしさをさえおぼえることがあった。
ときどき彼女はたまりかねて、そのいろいろな気になることを彼に訴えた。
「厨子丸どの、このごろ鉄砲を積んだ舟が出てゆくのを御存知か。……織田へ売り込みにゆくという。それはよいが、助左衛門さまの反対を押して、会合衆《えごうしゆう》の中の或る方々が勝手にそんなことをなされておるという」
厨子丸は鉄を溶かす炉の炎を凝視しているだけで答えない。
「堺の町はばらばらになりかかっているような気がする。そういうおえらい方々ばかりでなく、町衆と町衆、牢人衆と牢人衆、そして町衆と牢人衆も、何やら狂犬みたいに顔さえ見れば噛《か》みつき合って」
また或るときは、海を見ている厨子丸にいった。
「厨子丸どの、あの昼顔さま、放っておいてよかろうか? 堺の町がばらばらになっているもとは、あの方だとは思いませんか。助左衛門さまは笑っていらしたけれど、見ているとわたしは笑いごとではないような気がしてならない。……」
厨子丸が黙ってしゃがんだままなので、見下ろすと彼は砂の上に木ぎれで何やら円や直線の図形をえがいているのであった。
また或るときは、厨子丸が可哀そうでたまらず、またいささか腹立たしささえ加わって、彼女は「あのこと」を口にした。
「厨子丸どの、わたしはおまえが何を考えているか知っています」
「…………」
「大砲のことばかりじゃないでしょう。あのことでしょう?」
「…………」
「昼顔さまのいったこと。――御台さまと助左衛門さまのこと」
厨子丸がはじめて鵯《ひよどり》の顔を見た。瞳に青い火がともったように見えた。鵯はひくくさけんだ。
「あれはでたらめです。わたしは知っている。お二人の仲はきれいです。ほんとうです。……見ていて、お可哀そうなくらい」
最後の一句は無用であった。他人には通用しない意味不明の言葉であった。彼女は厨子丸と自分のことを考えていたのだ。
ふと、厨子丸がつぶやいた。
「おまえ……何だか、鶯《うぐいす》に似て来たなあ」
「――え?」
これもわけがわからない言葉であった。ごまかしか、それとも厨子丸は何を耳にしても放心状態で、ただ鵯の印象の変化にだけゆがんだ神経が錯覚をえがいたのか。
「そ、そんなばかな。――ど、どうして?」
「どうしてだか、わからない。このごろ、ふっとおまえを見るたびに、鶯じゃないかと思うことがあるんだ。あの可哀そうな鶯に。……」
厨子丸の眼つきを、どこか正気でない――まともにきくべき言葉ではない、と思いつつ、なぜか鵯は絶句し、涙が眼から溢《あふ》れ出した。
馬岳《うまだけ》十郎左衛門が昼顔から妙な依頼を受けたのは夏の終りの一夜であった。
その夜も彼は、ほかの牢人二人と組んだ三人組で行列にならんだのだ。もうコンビはだれでもよかった。だれと組んでも彼はいつも不合格であった。いささかやけっぱちとなり、それでも一縷《いちる》の望みにすがり、はては、もうただの見物役でも満足したいとあきらめ――要するに彼はそこに行列せずにはいられなかったのだ。
それが、その夜、何思ったか昼顔太夫は、ほかの二人を愛撫したのち、十郎左衛門一人、あとに残れといったのである。
「わたしの頼みをきいてくれるなら……わたしの口を吸わせてあげる」
にんまりとした昼顔のなまめかしい唇を見て、
「なに、その唇を……おう、何でもする。わしは口どころか、おまえさまの足の裏でもしゃぶってやるぞ!」
と、十郎左衛門はさけんだ。
「いえ、口でよい」
昼顔はみずから馬のように長い顔を抱き寄せて、その口を吸った。柔かい舌がぬめぬめとその唇はおろか、歯ぐき、舌の裏まで這《は》いまわり、からみついたとき、十郎左衛門は快美法悦の極致に達してしまった。
さてそのあとで昼顔は、彼に一通の書状を託したのである。
「これを寄せ手の牛頭坊にことづけておくれ」
「なに? 寄せ手の――牛頭坊といえば主将の名じゃな」
彼も、もうその名は知っていた。さすがに馬面が蒼くなった。
「こ、これは、どういう?」
「おまえが知る必要はない。これをひらいてはならぬ。――ぶじにとどいたという知らせが向うからあったなら、こんどはほんとうにわたしを抱かしてあげる」
――数日後の夜襲に、馬岳十郎左衛門は加わった。そして味方が包囲軍を鉄砲や手榴弾で攪乱《かくらん》しているあいだに、本陣近くへ潜入して、「牛頭坊将軍はおらるるか」と大声でささやいた。実際、この場合、大声でささやくというしかない行動であった。相手が気心の知れない忍法僧だけに、これは彼なりに必死の行動であった。
「昼顔さまからの使者でござるっ」
――とうてい一|傾城《けいせい》からの文使いのようではない。牢人軍元隊長にはあるまじき所業だが、もう馬岳十郎左衛門の脳髄はどろどろになっていた。
「なに、昼顔御前から?」
これはたしかに寄せ手に動揺をひき起した。昼顔といえば、根来僧十人のいのちを土産《みやげ》に堺へ逃げ込んだ松永の元|寵姫《ちようき》、それが手紙を寄越すとは――というたんなる懐疑のためか、それとも何やら期するところがあったか、ともかくも十郎左衛門の手紙は牛頭坊に渡され、そして引揚げる夜襲軍を追って逃げ去る彼を、べつに追う者もなかったのである。
十日ばかりのちの夕刻。
雨気を孕《はら》んだ雲の下、町をかこむ地雷原の外で呼ばわる者があった。
「堺の会合衆に、松永弾正みずから申し入れることあり、門の内側へみな出でよ。――弾正みずからそちらに出で向うであろう。堺の生死にかかわることじゃと申し伝えろっ」
ここ半年ばかり、こんどは近江の方へ出て織田軍と対陣していると伝えられていた松永弾正が、数日前にこちらに帰って来たという情報はすでに入っていて、「――はて、何やらん?」という疑惑と緊張が流れていたのである。
「それきく気があれば、案内役を出せ。馬岳十郎左衛門なる者をさし向けろっ」
地雷原の外、百メートル以上も離れた距離なのに、ふしぎに耳もとにひびく野太い声であった。やはり妖異な忍法僧だ。
十郎左衛門は仰天した。
この申し込みが先夜自分がことづけた密書の反応らしいこと、かつこれが、昼顔のいうあの密書がぶじにとどいた知らせであることを彼は了解した。しかし、まさか自分の名まで向うに知られているとは思わなかったのだ。本名を打ちあけると天下に知らぬ者のない雷名――というのはむろん法螺《ほら》で、さすがは、忍法僧、油断がならぬ、と首をすくめたが、なんぞ知らん、昼顔の手紙に、「この書状をことづける者は馬岳十郎左衛門なるもの」とちゃんと書いてあったのだ。
十郎左衛門は敵にもふるえあがったが、自分をじろりとふりかえった呂宋助左衛門にもふるえあがった。
「ゆけ、馬岳」
と、門のところにいた助左衛門はあごをしゃくった。
敵の名ざしをどう思ったか、さすがの助左衛門もその疑念をいま追及する余裕を失っていたようだ。彼はまたそこらの牢人に命じた。
「会合衆をお呼びして来い」
十数分ののち、門の内側に顔色をかえた三十余人の会合衆が集まって来た。
ちょうど時を同じゅうして、野の方からは松永弾正の馬をとりつつんで、三十人あまりの法師武者が進んで来た。案内役は馬岳十郎左衛門だ。
二十メートルばかりに近づいたところで、門の屋根に仁王立ちになっていた助左衛門が手をあげた。
「そこでよかろう。話をきこう」
「堺衆」
と、弾正は重々しい声を投げて来た。三年間攻めあぐんでついに落し得なかった町人の砦に対する武将とは見えぬ不敵な武者ぶりはさすがだ。
「堺は織田に鉄砲を売っておるな?」
一瞬沈黙したのち、助左衛門は笑った。
「それがどうした? 松永勢が近江で織田軍に押しまくられておることは、とっくにこちらも知っておるが、そのわけを、当の松永はいまごろ知ったのか」
「ことし三月十四日、六十六|梃《ちよう》積み出し。――四月二十日、百二十梃積み出し。――五月七日、百七十八梃積み出し。――六月三十日、九十七梃積み出し。――」
塀のかげにいた会合衆はもとより、助左衛門もぎょっとした。弾正はいった。
「ということを、なぜ当方が知っておるかわかるか」
「そんなことはこちらの知ったことではない!」
「いや、知らねばならんことじゃ」
弾正はぶきみに笑った。
「それは織田からきいたことじゃ」
「なに?」
「ということは何を意味するかわかるか。織田はすでに松永の敵ではないということを意味する。――」
弾正の笑いは、垂れ下がった雲にどよめくようなものになった。
「たわけっ、うぬらちょこざいな町人兵法で、鉄砲を織田に売り、この松永を破ろうと計ったな。いかにも近く、弾正道をひらいて信長公を京に迎える。じゃが、うぬらの兵法図に当ったと思うなよ。弾正は信長公と手を握るのだ。そしてまた信長公は、天下を取るに堺を選ばず、この弾正を味方に選びなされたのだ!」
すでに信長に対して敬語を使っている。声のない衝撃の風が会合衆を包んだ。
「見ておれ、やがて近日、改めて弾正、信長公と馬をならべて堺に見参いたす。そのとき泣面《なきつら》かいて土下座してももう遅い。堺はこんどこそ火と煙の中に滅びるものと覚悟しておけ」
獣のごとく吼《ほ》えた弾正の声がふいに低くなった。
「その前に最後の勧告をする。それも堺という町を失いたくない弾正の老婆心と思え。きかねば、終りじゃ」
「なんだ」
「いまただちにわが軍を進駐させよ、というても、これまでのゆきがかり上とっさには承服出来まい。ただ、即刻――足利家の御台、松永家の昼顔を渡せ」
「なに?」
「さすれば、堺のいのちだけは信長公にとりなしてつかわすであろう。それもきかねば、弾正も意地じゃ。松永の面目をかけて信長公にこの町|蹄《ひづめ》にかけてもらう。どうじゃ、返答せよ!」
「よしっ」
門の屋根の上で櫂《かい》の棒をどんとついて、助左衛門が答えかけたとき、
「――助左衛門」
と、下から呼んだ者がある。
千宗易の必死の顔があった。
「ふうむ、こういうこともあり得るか。あり得ることじゃ。あやまる。宗易、あやまる。……しかし、堺の運命にはかえられぬ。女人二人とひきかえにするには、堺は大き過ぎる。――」
あり得ること、というのは織田と松永の連合のことであろう。その織田に鉄砲を売った者はだれか、などいうことを自省する顔は、宗易以外、どの会合衆にもなかった。津田宗及がうめき出した。
「あの二人の女人、堺から出したとて、堺の失うものは何もないではないか?」
助左衛門の眼がぎらりとひかり、胸のあばらが大きく波打った。
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魔将連合軍
呂宋《るそん》助左衛門が沈痛な底びかりする眼で見下ろしたのに、会合《えごう》衆たちは具合悪げにどぎまぎした表情をしたが、それ以上に厨子丸と鵯《ひよどり》も身ぶるいした。むろん、彼らはそこに駈けつけていたのである。
これまでの助左衛門なら一言のもとにはねつけるべき敵の要求だ。それを、いかに町の長老たちのさし出口があったにせよ、彼が一息入れて何やら思案顔になったので、これは、と思ったのだ。
「――よしっ」
助左衛門はうなずいた。
「鵯。……昼顔御前を呼んで来い。――」
「――あっ」
「厨子丸、御台《みだい》をおつれして参れ」
「す、助左衛門さま!」
厨子丸は蒼白な顔をふりむけた。
「それは」
「会合衆よりのお申し入れだ」
「いかに会合衆の仰せでも」
「いまのお申し入れは、いま思いつかれたことではない。以前からの御意見のあらわれだ。ことここに至ってはやむを得んだろう」
長老たちが最近とみに動揺していた事実をいったのだ。気のせいか助左衛門の嘆息にはいささか投げやりのひびきがあった。それが、
「判断はおれにまかせろ。いって来い!」
と、ふたたび厨子丸と鵯に命じた声は、それ以上の抗弁を許さない厳しさに変っていた。二人は顔ひきゆがめて駈け去った。
「助左衛門」
外で、弾正はきゅっと口を吊りあげて笑った。
「ようも三年、みごとに支《ささ》えたな。町人にあるまじきあっぱれなやつ。堺の明け渡しが終ったら、おれの家来にならぬか」
「ふふん」
「しかし、堺の命脈、ようやく尽きたらしいの。何よりも人の心が。……堺の内情、手にとるごとくわかっておるのだ。三万の忍法僧、その気になれば、一挙に手寵《てご》めにするのは易々《いい》たるものじゃが、強淫《ごういん》は避けてあくまでやさしゅうなびかせたいと、弾正わざと手綱《たづな》をしめてきょうの日を待っておったのじゃ。ありがたく思え」
「弾正」
「おいよ。――ぶ、無礼な! 町人の分際でわしを呼び捨てにするとは」
「おまえ、ほんものか?」
「なに?」
弾正よりもそれをとり囲む僧兵たちがどよめくのを、門の屋根の上からあごをつき出して、助左衛門がのぞきこんだとき、門の内側にもどよめきが起った。
厨子丸につれられた御台さまと、鵯につれられた昼顔が、ほとんど同時に到着したのであった。
すでに厨子丸と鵯から松永弾正の要求をきいたらしく、二人とも混乱した表情だ。
助左衛門が命令した。
「門をあけよ」
厨子丸はたまらずさけび出した。
「助左衛門さま、御本心ですか?」
命令に押されてともかくも御台さまを呼んで来たものの、厨子丸はさっき助左衛門が「判断はおれにまかせろ」といった一言を信じ、まさかほんとにやるつもりではあるまいと思っていたのだ――助左衛門はかまわず吼《ほ》えた。
「橋を下ろせ!」
鎖の軋《きし》みをたてつつ、はね[#「はね」に傍点]橋は濠《ほり》の上にかけられた。
「敵将松永弾正どのより、堺の安全とひきかえにおん身らお二人御所望でござる。出てゆかれい」
二人は蒼白になった。なかんずく、御台さまの顔色は死びとのように変った。みな、しーんとした。
が、まず動き出したのは御台の方であった。彼女はしずかに門から橋の上に歩み出した。
それと見て、昼顔もそれを追う。――この女が、こんな命令にこれほど素直に従うのはあり得ないことのようだが、御台さまのなさることには妾《わたし》は従わねばならぬという意識がそれでもあるのであろうか。それとも、御台のあまりにも静かな、あまりにも従容《しようよう》たる態度に釣り込まれたのであろうか。
まるで夢魔にでも襲われたように金縛りになってこれを見ていた厨子丸が、橋を渡り切ろうとする御台さまを見て、
「お、お待ちを――」と躍《おど》り上ろうとしたとき、
「お待ちなされい!」
と、同じ言葉を大音声《だいおんじよう》で助左衛門は投げかけた。
「一言、申しあげておくが、この堺の町は、町に対してみずから害意を持たぬ限り、いかなる人間でも入るを拒まず、その意志に反して出るを強《し》いない千年の伝統を持っておる。――ここにおられる会合衆のどなたも御承認の堺の町の憲法と申してよろしい」
うすく笑った。
「で、御両人の御意志を承わりたいが、まず御台さま、あなたさまはほんとうにこの町を出てゆきたいというお心か」
もう橋を渡って、外の地に立っていた夕子《ゆうこ》は門の上をふり仰いで、無限の思いをこめた眼で助左衛門を見つめていたが、ふいに童女みたいに顔をゆがめて、いやいやをした。
「相わかった! では、御台さま、お帰り下されい!」
御台さまは事の意外になお数瞬身動きもしなかったが、橋の上へ走り出て来た厨子丸を見ると、夢から醒《さ》めたように歩みを返した。
それと見て、御台さまとならんでいた昼顔もあわててひき返そうとする。
「待った!」
と助左衛門がさけんだ。
「そちらは帰る必要はない。御自由にゆかれてよろしい」
「何じゃと?」
昼顔はきっとして助左衛門をにらみあげた。
「なぜわたしは帰ってはならぬ? わたしも御台さまと同じではないかえ」
「ちがう」
「どこが」
「いかにも松永方は御両人を所望した。しかし、御両人の立場がちがう。御台さまは松永と何の関係もないが、昼顔どのの方はもともと弾正どののお妾《めかけ》さまじゃからな。だから、そこを汲《く》んで。――こら、うぬらは何じゃ?」
助左衛門は突然大喝した。
厨子丸らと入れちがいに橋の上に、一団の町人や牢人がうろうろと現われていたからである。
「へ、昼顔|傾城《けいせい》をお迎えに。――」
阿呆面《あほうづら》の若者がかん高い声をあげた。乳守《ちもり》の里にいつもへばりついているいわゆる昼顔親衛隊の連中であった。
「ふん、それではうぬらもいっしょに町を出るか」
彼らはあわてふためいた。
「助左衛門! おまえはわたしを追い出そうと計ったな?」
昼顔はさけんだ。
「わたしは松永の手に入れば殺されることを承知の上で」
「それを承知で、なぜいまいそいそと町を出られようとしたか」
「いそいそと、ではない! それはわたしたちが町を出ることによって堺が助かることになればと思ったからじゃ。御台さまと同じ心。――」
「そうでもござるまい」
「な、なぜ?」
「先刻申した通り、この町に住む者が意志に従ってここから出されることはないというのは、堺に対してみずから害意を持たぬという条件がつく」
「わたしが害意を持っておるというのかえ?」
「どうも、そうらしい」
「な、何を証拠に」
「馬岳《うまだけ》にきいてごらんなされ」
昼顔よりも、その近くに立っていた馬岳十郎左衛門の方がぎょっとした顔をした。
「馬岳? あの男がわたしに何の関係がある?」
と、平然としていって、昼顔は歩み出した。
「とにかく、御台さまが町へお帰りなさるなら、わたしも帰る」
「お、おい、橋をあげろ」
助左衛門の方があわてた。牢人たちが鎖にとりついた。
「いのちがけで逃げ込んで来て、これほど町の男たちを悦ばせた女を追い出し、自分が勝手につれて来た女をあくまでかばって、町を破滅に落し入れるのが堺のやりかたか」
昼顔はうすら笑いをしていう。
「町が滅ぶときの、その男の顔が見てやりたい。そのためにもわたしは帰る」
恐ろしい言葉であった。橋の鎖を握った牢人たちも鼻白んでいるあいだに、昼顔はスタスタともう橋をひき返している。
向うにぼんやり立っていた馬岳十郎左衛門は、助左衛門と昼顔のうしろ姿を交互に見て、恐怖と慕情に身を寸断されるようなしぐさを見せていたが、やがてたまりかねたようにこれまた橋の方へ逃げ込んで来た。そして、空中にはねあげられてゆく橋に飛びついてぶら下がった。
「ま、待て。――」
なりゆきいかに、と見守っていた松永弾正が、このとき狼狽して何かさけぶと、その手兵たちがあとを追って殺到して来た。
「厨子丸、撃ち払え!」
助左衛門の咆哮《ほうこう》とともに、門の下から七連発の火が噴いて、先頭の三、四人がばたばたと倒れた。そして――最後の一弾は、まだ向うに馬を立てていた松永弾正の、たしかに胸板に命中したようであった。
「……あっ」
助左衛門はさけんだ。彼としては弾正を撃てと命令したつもりはなかったからだ。
が――一瞬、鞭《むち》打たれたようにからだをぐらりとさせた弾正は、しかし落馬はせず、その胸のあたりを片手で押えたまま、じいっと銀色にひかる眼をこちらへ投げていたが、
「――よしっ、これにて事は決った!」
と、胸に一弾受けた人間とは思われぬ凄じい声をあげて馬を返し、一鞭くれると、手兵をかえりみず、草をはねちらして野のかなたへ駈け去っていった。むろん法師武者たちは、倒れた味方をひっかつぎ、これまた荒天の黒雲のようにあとを追う。
門の内側は寂寞《じやくまく》としていた。
「あれは?」
やおら、津田宗及がしゃがれた声できいた。
「御存知の……影武者弾正、やはり牛頭坊でござったな」
助左衛門は苦笑している。
「この場に及んでも、なお平気であくまでにせものを使う。図々しいというべきか、ふてぶてしいというべきか」
千宗易がいった。
「では――いま向うのいった口上、あれもにせものの罠《わな》と見てよいのか」
「いや、あれはまことに弾正の口上と見てようござろう」
「それを承知で、おぬしは?」
「左様、結果から見れば、もはや堺の逃れる道はござるまいな。事は決した、と向こうがいった通り。――」
雨気を孕《はら》んだ銀灰色の風が、呂宋助左衛門の大たぶさを吹いている。しかし、彼もまた平然としている。いまの経過を見るに、はじめから助左衛門は敵の要求をはねつけるつもりであしらったとしか思えないから、その図々しいこと、ふてぶてしいこと、あえて敵に劣らない。
しかし、彼は憮然《ぶぜん》とした顔で、一応釈明した。
「いや、少々意外でもありました。あれまでが帰って来るとは」
門の中に、昼顔が親衛隊にとり囲まれているのにあごをしゃくった。
これは本音《ほんね》だ。あの女が堺から離れぬとは。――実は彼女の言い分にも充分一理ある。自分のやりかたが少々強引だという弱味が、彼をしてあれ以上、昼顔を追っぱらうのを躊躇《ちゆうちよ》させた。それに堺の町の誇るべき自由の伝統が彼を拘束していたせいもあった。
そしてまた、正直なところ助左衛門は、こんどの敵の申し入れが昼顔の策動によるものだ――少くとも堺のゆらいでいる内情を敵に通報したのはあの女だ、という直感はあるものの、その正確な証拠をつかんでいるわけではない。さらに、ただそんな諜者《ちようじや》の役目のためだけに彼女がこの堺に入って来ていたのか、というと彼も首をかしげざるを得ない。昼顔の心意と行状は、いまだ助左衛門には不可解であった。
ともあれ、はね橋はあげられ、町の門は閉じられた。
たちまち、心なしか野末に戦気の雲がみなぎりはじめたように見えた。
織田信長がついに上洛を果したという。それを松永弾正がうやうやしく迎えたという。――九月二十八日のことである。
そんな情報が堺にも伝わった。偽弾正の口上は偽りではなかったのだ。
敵の敵は味方となる、そういう見込みもあって、せっせと織田に鉄砲を売り込んだ堺|会合衆《えごうしゆう》の「町人兵法」はまさに裏目に出た。
信長は鉄砲を充分利用しつつ、しかも松永弾正と手を握った。それには弾正の、よくいえば老獪《ろうかい》な外交、悪くいえば恥知らずの屈服のゆえであろうが、一方信長方も、弾正の扶植《ふしよく》した勢力、またたんげいすべからざる彼の能力をおもんぱかるところがあったにちがいない。少くとも当面の天下制覇のためには堺よりも弾正との握手を有利としたのだ。
して見ると、その直前に弾正がいちど堺の戦線に姿を現わしたのは、信長になお自分を高く売りつけるために、堺をおのれのものにして置こうと、もういちど最後のだめ押しに来たものに相違ない。或いは弾正のことだから、もし堺がまるまる手に入るならば、それを以てもういちど信長に一泡吹かせる機会もあると見込んだのかも知れない。
ともあれ、魔将と魔将は手を握ったのである。
この報に重い打撃を受けた堺は、いよいよ浮足立った。弾正はいった。「やがて近日、弾正、信長公と馬をならべて堺に見参いたす。そのとき泣面かいて土下座してももう遅い。堺はこんどこそ火と煙の中に滅びるものと覚悟しておけ」――それが、いよいよ現実のものとなったのだ!
それをはねつけたのはだれだ? それより、はじめから町人だてらに武器を取ってたたかったのが悪かったのだ。――いや、あの際の抵抗はやむを得なかった。松永の兵を入れるだけで、堺は滅ぶにひとしかった。が、こうなってはもはや万事休す。――万事休すといって、手をつかねて滅亡を待つのか。戦え、すでに三年、松永の大軍を相手に守りぬいて来た堺ではないか。座して蹂躙《じゆうりん》されるより、死力をつくして抵抗しておれば、やがて何かの曙光《しよこう》はさして来るだろう。――いや、もうだめだ、いまや一刻も早く、あの女人二人をさし出して弾正どのに哀れみを乞うことだ。
いやもう何をいっているのかわからないほどの動揺と恐怖と混乱の中に、平然とひとかたまりになって動かないのは、呂宋助左衛門と厨子丸と、彼らと同心の少数の硬派の会合衆と牢人軍だけであった。それに囲まれた御台さまに手を出す勇気のある者は一人もなかった。
そしてまたもう一人、昼顔も。
彼女はまたもと通り傾城町に戻り、まわりには堺滅亡の恐怖もあらばこそただ魂を抜かれたような色餓鬼どもが雲集していた。
とはいえ、堺の運命とひとしく、彼女の運命もまたどこに明るさとて認められないはずなのに、彼女はそんなことなど全然念頭にないかのごとく、夜ごと日ごと、色餓鬼どもと淫楽をほしいままにしていた。
その無明《むみよう》の傾城が、ふと或る日、或る女を呼んで来るように頼んだ。鵯《ひよどり》を。
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最後の姦計
「おまえさまと厨子丸どのが結ばれる法を御伝授したいと昼顔太夫が申される。すぐ参られい。ただし、厨子丸どのにはないしょでな」
納屋家の土塀の外で、近寄って来た牢人の一人がひそやかに鵯《ひよどり》にささやいたのである。
鵯は口をあけて見送っていたが、やがてその頬に血がのぼるのを感じた。
恥ずかしさと、ときめきの混合した血潮であった。わたしと厨子丸が結ばれる? いま牢人もそう伝えながら妙な顔をしていたが、二人がまだ結ばれていないとは町のだれもが信じてはいまい。そのことを他人の口から云々された恥ずかしさと、そして――二人が結ばれる、ただその言葉だけで反射的に胸を燃やすときめきと。
秋の白日の中に、ぼうとした眼を傾城《けいせい》町の方へ投げ、しかし鵯はすぐにわれに返った。なぜ昼顔がそんなことをいうのだ?
昼顔が恐ろしい女であることは、だれよりも彼女は知っていた。あの女が、ただ親切でそんなことを思いつくはずがない。これは何かの罠《わな》だ。
鵯は納屋家の門の方へ歩きかけた。
が、すぐにまた立ちどまった。やはり、いまの言葉が耳にねばりついていたのだ。
恐ろしい女にはちがいないが、昼顔はまた不可解な女であった。彼女が堺へやって来たのも、傾城になったのも、どういうつもりか鵯には見当もつかない。……ただ、彼女が身を捨てているという感じはたしかにあった。身を捨てている女が、わたしなどを罠にかけるだろうか? 何にしても、せっかくだから、この際あの女の心を探って見るのもよいではないか?
鵯は傾城町へゆく理窟を組み立てた。ほんとうは、やはりいまのことづけに引かれているのであった。彼女は納屋家の方を眺め、あたりに人影がないのを見すますと、そこを離れて歩き出した。
納屋家の界隈《かいわい》こそひっそりしていたが、町は混乱していた。この数日――あの松永軍の最後の勧告以来、改めて大地が熱くなったように騒ぎ出した人々であった。事実織田軍が京を出て続々包囲軍に加わりつつあるという情報に浮足立ち、彼らは埃《ほこり》を巻きあげて、荷をかついだり、車をひいたりして、浜の方へ動いている。船でどこかへ逃げ出そうとしているのだ。
鵯は傾城町へいった。昼顔のいる見世《みせ》を訪れた。
「……おう、来たかえ、鵯。――」
南蛮風の燭台や花瓶や敷物に飾られた部屋で寝そべっていた昼顔太夫は、わずかに顔をこちらに向けて、にいっとした。
町の騒ぎも断末魔もどこ吹く風と、ここばかりは堺の永遠を信じぬいているような泰平ぶりである。鵯の見るところによれば、こここそ堺崩壊の根源地の一つなのに。
彼女はうつ伏せになり、三、四人の男に肩や腰や足をもませているのであった。――それでも鵯は膝をつかずにはいられない。理性を超えて、元主家の御愛妾という事実が、彼女を反射的にそうさせるのだ。
「ゆきゃ」
と、昼顔はあごをしゃくると、男たちは犬みたいに去った。例の取巻連中だ。
彼女はゆらりと起き直った。
「鵯。……堺の最後は近い」
と、昼顔はいった。
鵯はきっと眺めやって答えた。
「あなたさまのおかげでございます」
「ほほほほう」
昼顔は笑った。鵯は怒りに顔を紅潮させた。
「あなたは堺を滅ぼすために来たのですか?」
「わたしが来たのは、ただ厨子丸に逢いたいためであった」
まだたたみかけてきくことのあった鵯は、昼顔のこの言葉に絶句してしまった。昼顔は思い出すまなざしになっていう。
「ただそれだけの目的のために、堺へ来るのにわたしはいのちがけの苦労をした。何人かの根来僧まで殺した。……」
「それはあなたの御勝手です!」
「そうまでしてやって来た堺で、かんじんの厨子丸に手も出せぬとは。――」
苦笑にしてもあまりにも苦《にが》すぎる笑いを昼顔はにじませた。鵯はさけんだ。
「あたりまえです。そんなことは」
「そなたも同じであろうが」
鵯はまた黙りこんだ。
「そなたを笑ってやりたいが、わたしは笑えぬ。あの厨子丸を見れば、女のだれも寄りつけぬであろう。鉄砲や大砲や火や鉄と無我夢中になってとり組んでいる厨子丸には。――」
二人の女は苦痛に顔をゆがめた。
「わたしが傾城をやりはじめたのは、その苦しさをまぎらわせるためじゃ。そうでもしなければ、わたしは気が狂いそうであったのじゃ。……」
ほんとうにそれだけの理由であったか。酒と汗と脂の匂いのする、臭い、毛深い下民たちともつれ合い、したい放題のまねをするのが彼女の夢ではなかったのか。――それにしても昼顔にとっては、それはやはり一つの真実であったかも知れない。
「もっとも、堺を滅ぼしてやりたいという心もたしかにあった。しかしそれは松永のためではない。堺があるかぎり、厨子丸はわたしのものにはならぬと思ったからじゃ」
昼顔ははっきりといった。しかし――彼女はすでに信貴山城を去るとき弾正に「ひるがお堺を内よりくずし申しそうろう。おん待ちそうらえ」という置手紙を残している。こういう両|天秤《てんびん》の伏線を張っておくところが、この女の煮ても焼いても食えぬところであろう。
「わたしのせいではあるまいが、ともかくも近く堺は滅ぶ。ではそのあと、厨子丸はわたしやそなたのものになるかというと、そうはならぬ。厨子丸の頭には、鉄砲以外にもう一つ或るものがあるからじゃ。御台……そのことは、ほかのだれよりもそなたがよく知っていることであろう。にくや厨子丸、自分に近づいて来る女には……わたしやそなたのように美しいのに――眼もくれぬくせに、自分の方はなおあの御台に想いをかけておる。御台あるかぎり、厨子丸はわたしやそなたのものにはならぬ」
鵯は蒼ざめた。
「といって、わたしたちが御台を手にかければ、むろん望みは逆目《さかめ》に出るばかり」
「わたしたち?……わたしはそんなことを考えたこともありませぬ」
「それゆえ、わたしは、ともかくも御台を堺の外へつれ出そうとした。――」
先日の松永方の勧告のことであろう。これで昼顔は、あれが彼女の意図のもとに行われたものであることを白状したことになる。彼女はひくく笑った。
「しかし、それはうまくゆかなんだ。ほほほほう」
いったいこの女は、どういう心でこんなことを自分に打ち明けるのであろう。自分を同病同類の味方だとでも思い込んでいるのであろうか。――鵯は顔をふっていった。
「昼顔さま! あなたさまはどういうおつもりでわたしをお呼びになったのですか?」
「わたしはあきらめた。しかし、しくじったからあきらめたのではない。――」
昼顔はかまわずにつづけた。
「わたしは、あのときの厨子丸のようすから見てあきらめたのじゃ。あれは御台を松永に奪われるくらいなら、堺を滅ぼしても悔いはないとまで思いこんでいる。われひと、何もかも火と煙の中に投げこんだ方がまだましだと覚悟をきめている。あれを見て、わたしはふっつり想いを断《た》った」
昼顔は鵯を見て、かすかに笑った。
「その代り、厨子丸をそなたに譲ろう。ほほ、わたしのものでもないものを譲るというのも可笑《おか》しいが」
「え?」
「わたしは御台にだけは渡したくない。わたしが堺へ来る気になったのも、御台も厨子丸といっしょに堺にいるということを知って、どうにもがまんがしきれなくなったからであった。御台にさえ渡さねば、わたしはもはや本望とする」
「御台さまに渡したくない、とおっしゃっても」
「ほほほう、厨子丸の心はどうにもならぬ、というのであろう。その厨子丸の想いをこちらから断ち切ってやるのじゃ。あきらめさせてやるのじゃ」
「とは?」
「御台を助左衛門とはっきり結びつけるのじゃ」
鵯ははっとした。
「わたしはその可能性のことを口にして、いつかそなたに打《ぶ》たれた喃《のう》。が、助左衛門が御台をにくからず思うておるのは事実、そしてまた御台も、本心は助左衛門に引かれていることは、八幡、これもまちがいはない。――その両人をこちらから、ほんとうの仲に結びつけてやるのじゃ」
「し、しかし御台さまは故公方さまの御冥福のために」
「わたしから話す、夕子さまへ」
と、昼顔はひどくなつかしげにさえ見える顔でいった。
「曾《かつ》ては、その公方さまのおひざもとで睦《むつ》み合った御台さまとわたしじゃ。そなたの哀しみのことをも訴えて、わたしがこんこんとすすめたら、かならずうなずいて下さるにちがいない」
そんなことがあるだろうか、と鵯は思った。だいいち、いまの昼顔のところへ、果して御台さまがおいでになるかどうかさえ疑問だ。
「ただし、はじめからわたしがそういって呼びにいっても、御台さまは来られぬであろう」
自分でも認めて、昼顔はそういった。
「それゆえ、おまえがつれて来ておくれ。そう、昼顔が苦しんでいる。罪の重さに苦しんで、捨ておけば自害でもしかねないほどとりみだして、ただいちど御台さまに逢うて、話をきいていただきたいと願うている。そうとでもいって、御台さまをここへつれて来ておくれ」
昼顔が鵯を呼んだわけがはじめて判明した。それはただの御台の呼び出し役であった。
しかし、考えて見るに、鵯ほどこの役にふさわしい者があろうか。またほかにどんな呼び出し役があるだろうか。
「鵯。……そなたが厨子丸と結ばれるのは、この法以外に一つもない。御台さまがきかれなかったら、それでもともとではないかえ。だれが傷つくという法でもないではないかえ? それどころか、御台は助左衛門と、そなた厨子丸と結ばれる。物語はそうあるべきではないかえ?」
鵯は昼顔を凝視していた。まだ漠たる警戒心はあった。昼顔はうす笑いしていった。
「それに、もう一ついっておく。堺が織田松永の手に入ったあと、あれほど寄せ手を悩ました厨子丸が無事許されることは難しい。そのいのちの鍵を握っているのは、このわたしじゃ。……そのわたしの願い、きいてくれた方が、厨子丸のためでもあろう」
「…………」
「ということは、わたしがふたたび弾正どののところへ帰るということだから、もはや厨子丸に手を出すことはない。厨子丸はそなたのものじゃ。……きいてくれるかえ?」
最後の文句が脅《おど》しであることはわかったが、それを怖れる余裕も鵯は失っている。これほど昼顔が御台さまを呼ぶのに熱中しているということに対する警戒心さえ、煙のごとくひろがり薄れた。鵯の心を魔のごとくとらえたのは、
「厨子丸と結ばれる法はただ一つ」という甘美な、呪術的《じゆじゆつてき》な一語であった。
――彼女は、こわばった動作でこっくりした。
――昼顔さまが内密に是非きいていただきたいことがあると申されております。
鵯は御台に告げた。憑《つ》かれているようなふるまいであったが、やはり本能的に、わたしは恐ろしいことをしているのではないか、というおびえはあった。
これに対して御台の反応は、拍子ぬけのするほど素直なものであった。
「え、昼顔がわたしに?」
御台はちょっと童女みたいにくびをかしげたが、すぐに、
「え、いって見ましょう」
と、うなずいた。
「あれは、思えば思うほど気の毒なひとじゃ。京のあの夜以来のあのひとの運命を思えば胸もつぶれるほどであった。この堺へ来ての行状、ただ驚くばかりではあるけれど、それもあれからの数々の難儀の果てであろう。いちどあのひとの心、きいてやりたいとわたしも思っていたのです」
このひとのくせで、一息ずつ息をのむようにいう。夕風のようにやさしい調子が、このとき鵯に、いつかその京の御所で、御台さまが公方さまに対して、いっしんに昼顔をかばっていたあの夜のことを思い出させた。
市女笠《いちめがさ》に顔をかくし、御台と鵯は数日後傾城町を訪ねていった。
そのことはあらかじめ昼顔に知らせてあったのに――廓者《くるわもの》、というより例の取巻き連の若者に案内されて入っていった二人は、あっとそこに立ちすくみ、眼を見張ってしまった。
「お、おいでなされませ」
昼顔はあえぎながらこれを迎えた。
彼女は全裸であった。彼女は髯《ひげ》だらけの三人の牢人ともつれ合っていた。
「お待ちを――御台さま」
一瞬に顔を染め、逃れ出ようとする御台を昼顔は呼びとめた。その足を鎖でからむような思いつめた声であった。
「わたしの話、きいていただくためには、このありさまを御覧になっていただかなくてはなりませぬ。昼顔がどんなに罪深い女であるか。――そのために、わざとこんな姿でお迎えしたのでございます。――どうぞ、昼顔の地獄図を!」
そして、昼顔と牢人群との凄じいたわむれの光景がくりひろげられた。
はじめ御台さまと鵯の二人をそこに釘づけにしたのは、言葉よりも視覚の恐怖、さらにそれよりもその影像からたちのぼる白炎のごとき迫力のせいであったかも知れない。それほどその愛戯の眺めは惨麗《さんれい》をきわめた。
三人の牢人はもはや人間ではなかった。それは三匹の淫獣であった。それがたおやかな白蛇のごとき女体を吸いあげ、ねじまげ、打撃してさいなみつくすと見えた――いつしか彼らの方が、眼に見えぬ無数の鞭《むち》にあやつられ、いまにも息をひきとりそうな姿態と形相《ぎようそう》で狂乱することを強《し》いられる獣の姿に変って見えて来たことこそ奇怪である。
しかし、これが地獄図であろうか。
――半刻ばかりのち、昼顔は牢人たちを追いのけ、海から上った人魚みたいなしずかな息づかいで、
「これはわたしの業《ごう》でございます」
とか、
「けれどまた、人間の業とも思われませぬか?」
とか、仔細《しさい》らしいことをいった。それから、とってつけたように、鵯が厨子丸を恋していることをいい、その厨子丸が御台さまに想いをかけていることをいい、またそのために鵯がどんなに苦しんでいるかをいった。――が、そもそも何が昼顔の苦しみか、訴えようとしたのは何であったか、まったく見当がつかない。これに対して、
「ま、厨子丸がわたしに?」
と、御台さまは眼を見ひらき、
「いえ、あの、わたしは」
と、鵯はかすかに顔をあからめたけれど、昼顔が何をしゃべったのか、あとになってもよく思い出せないほどであった。二人とも、最初の恐怖も忘れ、魂を奪われ、しびれつくしていたのだ。
――いまの「地獄図」の中で、あまりにも恍惚として、あまりにも美しい、夢幻の雲を漂っているように見えた昼顔の姿と表情の残像に。
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崩壊のとき
厨子丸はついに大砲を作り出した。口径三十センチ、長さ三メートルの大砲を。
心《しん》をはって鋳込《いこ》んだものはどうしても破裂し易いので、まず丸身に鋳込み、これを鑽《き》り開いて筒とする法をついに開発したのみならず、円板と台を嵌《は》め合わせて砲身を上下左右に旋回させる有効な砲架を創案し、これを鉄製の砲車に載《の》せたものを完成した。
――これは後日|譚《たん》になるが、これより八年後の天正四年、大坂湾に入った信長の甲鉄艦を実見したポルトガルの宣教師オルガンチノが、ルイス・フロイスに報告した手紙がある。
「……余はゆきてこれを見たるが、日本に於てかくのごとき物を造りたることに驚きたり。船には大砲三門を搭載《とうさい》せるが、いずこの国より来りしか考える能《あた》わず。なんとなれば、豊後の王が鋳造せしめたる数門の小砲を除きては、日本国中ほかに砲なきことはわれらの確知するところなればなり。余はゆきてこの大砲とその精巧なる装置を見たり」(イエズス会士日本通信)
ポルトガル人をすら、彼ら自身におぼえなく、そのいずこより来れるや疑わせたこの大砲の源流は、実にこのとき堺で厨子丸が開発したものであったのだ。
「おお、出来たっ」
燃える鉄の火を背に、厨子丸は躍《おど》り狂った。
彼がこんなに昂奮《こうふん》するのも珍しいが、それがふしぎでないことを、彼といっしょに苦闘し、協力した堺の鉄砲匠たちだけが認めた。途中でいくども音《ね》をあげかけて、厨子丸の熱情にひきずられて働いて来た彼らは、かわるがわる厨子丸に抱きついてはともに乱舞した。
「そうだ、何はともあれ助左衛門さまに!」
やっとわれに返った厨子丸は、鉄砲町から納屋家の方へ駈け出した。
彼は、松永弾正との最後の手切れ以来、堺の内外の風雲がどう動いているか知らない。頭をめぐらすいとまもない。しかし、これは――御台と鵯《ひよどり》が傾城《けいせい》町を訪れて、「昼顔地獄図」を目撃してから三日目の夜のことであった。
月明だ。たたかいの町に三度目の秋がたけて、とくにこのごろの月は凄愴《せいそう》な刃物の色に似ていた。
助左衛門屋敷の門のあたりには、例によって十数人の牢人たちが番をしていた。例によって、というが、ひところよりめっきり数が減り、残っているこの連中に意気の衰えは見られないが、その黒々と動く影にどこやら荒涼悲壮の感は覆いがたい。
厨子丸は駈け込んでいった。むろん彼は往来御免である。勝手知った建物の蔭から蔭を、助左衛門の居室のある方へ急いだ。月の夜空に、何やらはためく物音が聞える。三氏、昼夜の別なくひるがえりつづけている「自由大菩薩」の旗であった。助左衛門の居室はその旗の下に近いところにあるはずであった。
――と、その方からだれかシトシトと歩いて来た。うなだれていたその影は、厨子丸の跫音《あしおと》に顔をあげ、立ちすくんだ。
「鵯か」
と、厨子丸はいった。
「どうしたんだ」
ふだん、御台に仕えている鵯がこの屋敷の中にいるのにふしぎはないが、厨子丸はこのとき月光の中に浮かんだ鵯のまるで幽霊でも見たような顔色にあっけにとられたのだ。
「厨子丸どの」
やっと彼女はいった。
「どこへ?」
「むろん、助左衛門さまのところへ。――大砲が出来たんだ。鵯」
大砲製造に厨子丸が渾身《こんしん》の努力をふりしぼっていたことは知っているはずだから、ほんとうなら鵯も狂喜の声をあげるはずなのに、彼女は黙って厨子丸を見つめている。――彼女は両腕をねじり合わせるようにしていった。
「いま、助左衛門さまのところへいってはいけません」
ふしぎ千万な鵯の態度だが、厨子丸はいまそれを怪しむ余裕もなかった。それよりも彼は大砲完成のよろこびにとり憑《つ》かれていた。
「どけ」
彼は鵯をつき飛ばすようにして走った。
そして、庭から、灯のともっている助左衛門の居室に近づこうとして、ふと厨子丸は足をとめた。灯を背に、明り障子に二つの影が映《うつ》っている。――
助左衛門と御台であった。近ぢかと――それどころか、御台は助左衛門のひざに手をかけるようにして、仰のいて。
それがいつからつづいている姿であろう。――影は彫像みたいに動かなかったが――やがて夕風のような御台さまの声が聞えた。
「好きです、助左衛門。……」
厨子丸は電撃されたように立ちすくみ、これまた彫像みたいに動かなくなってしまった。彼は張り裂けるような眼で、このとき助左衛門がひしと御台を抱きしめるのを見た。
「運命を共にいたそう、御台さま。……たとえ死のうと、生きようと」
厨子丸は、ただ立っている。
ほかの人間の眼から見れば何のへんてつもない姿だが、うしろから眺めていた鵯は、全身がふいに劫火《ごうか》に吹かれた思いがした。わたしは大変なことをしてしまった! という思いが、はじめて脳髄に灼鏝《やきごて》のごとくあてられたのはこのときである。
この夜、助左衛門と御台さまのあのような姿を厨子丸に見せることは、もとより鵯の計算したことではなかった。しかし、それこそは鵯の期待していたことであった。そして、助左衛門と御台さまの心に変化が起った以上、いつかは厨子丸の眼に触れずにはおかない光景ではあったろう。ともあれ、天なり命なり、この夜ここへやって来た厨子丸を見たとき、彼女は、運命の瞬間が来たことを知り、それを期待していたにもかかわらず、突然恐怖に襲われた。今夜の御台さまと助左衛門さまを、厨子丸に見せてはいけない!
助左衛門と御台の変化は――いや、変化はまず御台から起った。それは火ありとも見えなかった埋《うず》み火が、ぱっと燃えあがったような感じであった。鵯でさえ、その瞳の炎の美しさ妖しさまぶしさに、眼もくらむ思いがした。助左衛門の変化は、それから燃え移って生じたのだ。
鵯は御台の変化の原因を知らなかった。それを自分が期待していることさえ意識しなかった。――というより、それを知り、それを意識することを怖れた。
いま、厨子丸に見せてはいけない、と焦燥しつつ、しかしそれを見た厨子丸を見たとき、彼女はそれまでの焦燥や恐怖をさらに超えた衝撃に打たれたのである。棒のように立っている厨子丸のうしろ姿に。
厨子丸はゆっくりと身を返した。
そして、そこに鵯がいるのも見えないかのように放心的な眼をうつろにあけて、鵯のそばを通り過ぎ、トボトボ、と遠ざかっていった。
鵯は声も出なかった。
なぜこういうことになってしまったのか。――まだ明確に意識せず、しかしこのとき彼女はどこかで昼顔の高笑いをきいたような気がした。
「おおいっ、おおいっ」
町の外の野で、明るい秋の日光の中に鴉《からす》みたいに踊っている男があった。
「わしだっ。……曾呂利じゃ。曾呂利伴内じゃっ」
日をいえば、その翌々日のことになる。――堺の上に立っていた牢人が、小手をかざした。野の影はさけんだ。
「撃つな。撃つのはちょっと待ってくれっ。……いま、織田のお使者を案内するゆえ、通してくれ。堺を救う最後のお使者だっ」
いっとき堺に帰っていて、またいつのころからか、ふっと姿を消していた堺の鞘師曾呂利伴内である。――伴内を織田へ鉄砲売込みのために送り込んだ会合《えごう》衆の一人、津田宗及がたまたま門のところにいて、くびをかしげて眺めている助左衛門に、
「入れてやってくれ」
と、頼んだ。
助左衛門は黙って、しかしはね[#「はね」に傍点]橋の鎖係の牢人に合図した。橋は下ろされた。
間もなく、野末の――ここ十余日、三倍くらいにふえた敵陣から一頭の馬に乗った武者とそのそばにくっついた曾呂利伴内が近づいて来た。たった二人である。
やがて橋を渡って来たその武者は、軽い具足だけつけた、猿のような顔をした男であった。
「織田の部将、木下藤吉郎と申す」
と、彼は門の内側で馬から下りて名乗った。
そして、敏活によく動く眼で、周囲をとり巻いている円陣の中に、厨子丸と鵯の姿を見つけ出して、にやっと笑った。
「で、御用は?」
と、助左衛門がうっそりと前に立ってきく。
「用は簡単。信長公の仰せには、三日のうちに矢銭《やせん》として二万貫を出されるように、さなくば堺をたたきつぶす。それだけでござる」
人々はどよめいた。津田宗及や、駈けつけた千宗易その他の会合衆も息をのんだきりだ。
この時代の通貨や物価ははっきりしないことが多い。貫といっても、銭一千文にあたる貫か、米十石にあたる貫か判断に迷うが、やはりこのとき信長が石山本願寺に五十貫の矢銭を課したというところから見て、おそらく後者の方であろう。前者なら一貫を以て米三升を買えたというから、五十貫ではわずかに十五斗ということになり、たったそれだけを信長が石山本願寺に課するわけはないからだ。で、一貫を米十石という方を取ると、二万貫では二十万石の米にあたり、いまの物価にして四、五十億円にもなるであろうか。
さしもの会合衆があっといったきり、しばし声もなかったのもむりはない。――
「お頼み申す!」
と、伴内は必死の顔で見まわした。
「眼をつぶって、出して下され。堺の生きるためでござる。そのためにわたしも眼をつぶって、敵となった織田のお使者について来た。何といわれようと、これが堺のためと信じたからじゃ。……」
眼は助左衛門にとまり、動かなくなったが、三角形のあごはがくがくと動いて、
「ひとたび断を下されたら、信長公の恐ろしいこと松永どのの比ではない。堺全滅は大地を打つよりまちがいはない! その恐ろしさは、そこにおる厨子丸、鵯も知っておるはず。伊勢の長島でしかと見たはず。……あれの大規模な運命が堺を見舞うのじゃ!」
と、金切声《かなきりごえ》でさけんだ。
「よろしい」
と、ややあって宗易がうなずいた。
「出しましょう」
ふとい声であった。みなの動揺を押し伏せるためもあろうが、しかしさすがの後《のち》のふてぶてしい利休である。思い切ったものだ。
「みなの衆、堺のいのちにはかえられぬ!」
と、彼もまわりを見まわし、次に助左衛門の顔に眼をとめた。
助左衛門は一言も発しなかった。やんぬるかな、といった顔をしていた。合議によって市政を決する会合衆の大半が承知では、もはや彼といえども手の打ちようがない。
――しかし、千宗易もまた見込みを誤っていたのである。信長はこのとき課した二万貫の矢銭にとどまらず、やがて進駐するや、向後《こうご》堺の軍備を禁じ、前例のない納屋年貢を毎年命じ、かつ堺の商業的自由を完全に抑圧したのである。そしてそのあとをついだ秀吉に至っては、港そのものを堺から大坂に移し、さらにそのあとの江戸幕府は奉行支配下の長崎へ移してしまった。すなわち堺は、宗易らが信長の条件を受け入れたこの日にすべてを失ったのだ。このとき堺は永遠に死んだのだ。歴史には、後年より見て、噫乎《ああ》、と嗟嘆《さたん》せずにはいられない瞬間というものがある。西欧と同じく、日本にも生まれかけていた唯一の自由都市、それが萌芽にして摘《つ》まれた運命的瞬間がこのときであった。
「それは重畳《ちようじよう》。――どちらさまにとっても」
木下藤吉郎は歯をむき出した。
「では、委細の交渉はのちほど。――ひとまず堺の応諾《おうだく》の件、信長公に御報告に立ち戻る」
彼が馬に飛び乗り、ぽくぽくと門の方へ歩ませかけたとき。――
「待って下さい!」
うしろから呼んだ者がある。ふりむいて、人々はまたどよめいた。
いつのまにかそこへ来ていたのか、傾城町の昼顔太夫がそこに立っていた。
「松永弾正の側妾《そばめ》昼顔です」
と、彼女は昂然と名乗った。藤吉郎は、「――ほ?」といった顔を見せた。
「堺への条件というのはそれだけですか?」
「それだけじゃが」
昼顔はくびをかしげてしばし考え込んでいたが、やがて「そう。……それでは、わたしもそろそろ松永の方へ引き揚げるとしよう。用は済んだようじゃ」
といって、助左衛門を見て、にいっと笑った。
「わたしを追い出したがっていた助左衛門、まさか止めはすまい喃《のう》。で、わたしはいま町から出てゆくけれど、別れにあたって、おまえに礼をいってもらわなければならぬ。御台さまのことで」
「なに?」
助左衛門は狼狽した表情になった。
「御台は倖《しあわ》せが来たと思われておるかや。……ふふふ」
そして彼女は、恐ろしいうすら笑いを浮かべた。
「そううまく問屋が下ろすであろうか?」
鵯は蒼白くなっていた。あれ以来、昼顔が御台さまを見たわけはないが、この女は魔女のごとくすべてを見通している。――
「厨子丸どの」
彼女はふるえ声でささやいた。
「あの女、ゆかせてよいのかえ?」
それは厨子丸にいうより、おのれにきく言葉であった。彼女はいま昼顔が、厨子丸に無惨な復讐をとげたことをはっきり知った。すなわち、助左衛門に抱かれる御台を見せるという。――その手伝いを、自分がやったのだ! しかも、それにあき足らず昼顔は、次には御台に対しての復讐を企てているらしい。おそらく織田松永の進駐後、御台さまが無事に助左衛門とともにあることは許されまい。――
鵯は、そっと厨子丸の腰から短銃を抜き取った。厨子丸は放心状態である。いや、彼は、あの夜からずっと魂のない人間のようである。
「――わたしはゆくけれど、わたしについてゆく者はないか?」
昼顔は周囲を見まわした。まったく傍若無人な眼であった。
「わたしを護《まも》って、向こうへ送りとどけてくれる者はないか」
「参る! 参る!」
と、さけび出したのは馬岳《うまだけ》十郎左衛門であった。髯の馬面《うまづら》につづいて、ばらばらと十数人の町人や牢人が駈《か》け出した。昼顔組の連中である。
「ほほほほう。では、堺の衆、さらば」
高らかに昼顔が赤い唇で笑った瞬間――華麗な布がひきちぎられたようにその姿がのけぞった。
凄じい銃声の連続音の中に、昼顔のみならず馬岳十郎左衛門、昼顔親衛隊のめんめんも、もんどり打って血の大地に転がっていた。七連発銃のひきがねを引いているのは鵯であった。
形容しがたい混乱が起った。会合衆の中には腰を抜かしたように地べたへ坐りこんだ者もあった。
脳天から出るような悲鳴の尾を長くひいて、木下藤吉郎が長鞭を乱打して、門から馬で逃げ出していったとき、これまた茫然としていた呂宋助左衛門が、やっと動き出してさけんだ。
「鵯、何をする! 厨子丸、止《と》めぬか?」
厨子丸は助左衛門の方へ歩いて来て、全然べつなことをいま思い出したといった顔で、しかもへんに清朗な眼をして報告した。
「助左衛門さま。……大砲が出来ました」
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市民兵ただ一人
――厨子丸が大砲を作り出した。
そうきいても、人々は織田の使者から二万貫の矢銭を要求されたときはおろか、昼顔が現われたときの半分のどよめきもあげなかった。そのあとで起った大惨劇に胆を奪われたせいもあるが、もはや堺に大砲が出来た、という事柄自体が彼らにそれほどの感動を呼ばなかったのだ。
それどころか、津田宗及のごときは、
「厨子丸、まだ抵抗しようと考えておるのか。滅相《めつそう》もない! もうこれ以上、恐ろしいそそのかしはやめてくれ!」
と、顔色変えて近づいて来て、
「ああ、弾正どのにゆかりある女人を殺して――大それたことをしてくれた!」
と、両腕をもみねじった。
「厨子丸」
助左衛門がいった。
「それはいつだ?」
「おとといです」
「なに?……そのことをなぜいままでいわなんだ?」
厨子丸は答えなかった。助左衛門を仰いでいる顔は変に無表情であった。助左衛門はまばたきして、
「まず、来い」
と、背を返した。数歩あゆんでふりかえり、なおおろおろしている会合《えごう》衆を眺めて、
「御心配は要《い》らん。いくさの相談ではない。堺の方針が降参ということに一決したとなれば、それにそむいてなおあがく助左衛門ではない」
と、いった。
厨子丸、鵯《ひよどり》をつれて歩きながら、助左衛門は腕組みをして思案していた。
「大砲を喃《のう》。……」
と、つぶやいたが、いつもの助左衛門なら即刻それを見にゆこうとするところだが、べつにそのようすはない。それより先に彼の思念をとらえているものがあるようだ。
「厨子丸、その大砲、船にはとりつけられぬか?」
と、ふといった。
「船?」
「左様」
「それは、出来ぬことではありますまい」
「そうか」
と、いったきり、助左衛門はまた沈黙して歩く。珍らしくこの武侠の大町人の肩に苦しみにちかい翳《かげ》がある。ややあって、
「厨子丸、堺は滅びる」
と、ふとい吐息をついた。
「敵よりも、堺の心そのものがもはや自潰《じかい》しておる。せっかくおまえが大砲を作ってくれたそうじゃが、かくては大砲もいかんともしがたい」
「はい」
厨子丸はべつに昂奮しない。ふしぎなほど平静だ。
「で、わしは逃げると申したら、おまえ、わしを卑怯だと思うか」
「逃げる? どこへ?」
「海の外へ」
「ああ!」
厨子丸のどこか虚ろな眼に灯がともった。
「もとより織田松永の進駐とともに、抵抗の巨魁《きよかい》たるわしの命もあるまい。きゃつらにこの首をやるいわれはないから、わしは逃げようかと思う。わしは町人だから命を惜しがるのを恥とも思わんが、しかし逃げることは堺を見捨てることになる。会合衆の見込みとはちがい、堺はこれから滅亡の道をたどるだろう。その堺をあとに、わしが海の外へ逃げてよいか?」
自分は町人だ、といったけれど、侍以上に侍的なところのある助左衛門は、この論理にみずから釈然とせぬところがあり、苦しみの翳はそこから生ずるものであったろう。そしてまた厨子丸に諮《はか》るというより、みずからに問うがごとき声を発したのもそのためであったろう。
「もとより、ただ命を惜しんで逃げるのではない。見よ、イスパニア、ポルトガルは、インド、マラッカ、マカオ、ルソンなどを侵し、おのれらの町を築きつつある。わしはそこへ乗り込んで、日本人の町を作ろうと思うのだ。以前から考えておったことだ。そこにこの堺のような自由の町を。――とはいえ、いま落人《おちうど》のごとく日本を逃げるのは、何やら気のはれぬものがあって喃《のう》」
「おゆきなされませ、助左衛門さま」
と、厨子丸はいった。
「いや、お逃げなされねばなりませぬ。――御台さまのためにも」
「なに?」
「敵が来れば、御台さまは捕われのおん身となりましょう。どうぞ助左衛門さま、御台さまをつれて、海の外へ逃げて下されませ!」
助左衛門は厨子丸を凝視した。
実に助左衛門をして脱出の志を起させたもの――その最大の原因はそのことなのであった。助左衛門の顔が、羞恥のために赤らんだ。彼はもはや厨子丸もまた御台を愛していることを知っていた。その厨子丸は、いかなる心情でそんなことをいい出したのか?
厨子丸の眼には涙が浮かんでいた。どこやら放心状態であったこの若者に魂が戻ったようだ。その涙は熱烈で、かつ美しいものに見えた。
「おまえもゆくか」
と、助左衛門は手を出した。
「いや、いってくれるなあ。おまえがあれほどゆきたがっておった海の向こうじゃからな」
「いえ、わたしは」
厨子丸は助左衛門の手をとらなかった。微笑して首をふった。
「いちど、あの大砲をどうしても敵に試《ため》して見とうござりまする」
「大砲は船に乗せようと思っていたのだ」
助左衛門は、厨子丸が町に残りそうな気配に愕然《がくぜん》としていた。
「いや、おまえが大砲を敵に試したくば試すがよい。しかし、船には乗れ。敵がやって来たら首の危いこと、おまえはわしに劣りはせぬぞ」
助左衛門は吼《ほ》えた。
「おまえが町に残るというなら、わしも残る」
厨子丸はあっさりと答えた。
「それなら、わたしもお供させていただきます。鵯もいっしょに」
その日。――
堺の町は二つの潮が相|搏《う》ち、すれちがってゆくような混乱の渦であった。織田方の使者木下藤吉郎なる者が命からがら逃げ出した翌日のことだが、いよいよ野のかなた数万の大軍が町へ向って前進を開始したのだ。
町の門はすべてひらかれた。すべての橋は下ろされた。――にもかかわらず、寄手は槍ぶすまと盾の壁を先頭に、一歩一歩、泥流のごとく近づいて来る。地雷はその前夜、町衆によってすべてとり除かれていたのだが、まだ警戒しているのだ。刀槍のみならず、いままで見かけなかったおびただしい鉄砲隊すら混っているのは、あれが堺が送ってやった鉄砲による織田軍の新鋭部隊なのであろう。
「槍という槍には、笠をつけてさしあげろ!」
「まちがっても、撃ってはならぬぞ。鉄砲は捨てろ」
「会合衆っ、みな集まれ、外に出て、お迎えしろっ」
津田宗及や今井宗久たちは声を嗄《か》らしてさけんでいた。槍に笠をつけて振るのは降伏のしるしであった。
わらわらと門の方へ駈けてゆくその大きな潮に対して、もう一つ海の方へ流れる潮がある。
いや、これは潮というほどの人数ではなく、いま浜で出帆の支度をしている船のところへ、物や武器を持って駈けつける数十人の非屈服派の町人や牢人たちだが――それとは別に、のろのろと動いてゆく巨獣のようなものがあった。長さ三メートルの砲身を持つ大砲だ。車輪はついているが、しかし運河の多い堺の町の橋がこれを渡すのに危険があるというので、いちいち橋を補強しては運搬されてゆくのであった。
「鵯」
それを指揮しながら、厨子丸はさけんだ。
「おまえは一足さきに船へいって、助左衛門さまのお手助けしろ。御台さまのお身のまわりを。――」
「え、もう少し」
鵯はなおそこから離れなかった。彼女は厨子丸の顔ばかり眺めていた。
「おじさん、いっちまうの? 助左衛門おじさんもいっしょに?」
大砲のまわりには四、五人の少年たちがまつわりついていた。悲しげにさけびかけたのは小西屋の弥九郎少年であった。
「おいらもゆきたいなあ。おいらも船に乗せてつれてっておくれよ!」
「つれていってやったら、降参組のおまえのおやじどのに叱られる。――危いよ! そこどきな!」
大砲はやっと浜辺に出た。
「さ、これからが大変だぞ」
と、厨子丸は手をこすった。
「砂の上をどう砲車を動かすかだ」
彼は人夫たちに命じた。
「ありったけの板を持って、ここに敷け」
砂の上に車輪の通る板の道を作るのかと思っていると、厨子丸は妙なことを命じた。彼はそのぜんぶの板を、そこだけ三坪分くらいに幾重にも敷かせて、その上に大砲を乗せると、砲身を逆に向け変えさせたのだ。
「おおいっ、よ、寄手が町に入りはじめたぜ! いま弾正と藤吉郎が、こ、こちらの宗易や伴内と話してらあ」
町の方から入道頭に湯気をたてて走って来たのは小唄隆達であった。腰に瓢箪《ひようたん》をぶら下げて、こんな場合に酔っぱらっているらしく、舌がもつれている。
「きょ、京から信長も、やがてここへ到着するってよ!」
浜の方から牢人軍の隊長|雁首《かりくび》鈍入斎が駈けて来た。
「厨子丸どのっ、何なら大砲はあきらめても、急ぎ船に来いとの仰せじゃ!」
砂に地団駄踏んで吼《ほ》えた。
「よい風が出た。船は碇《いかり》をあげたぞっ」
そのとき、大砲は万雷の落ちるような咆哮《ほうこう》を発した。
ウオーン、といううなりを雲に残して、砲弾は堺の屋並《やなみ》を越えて北東の方向へ飛び去った。隆達と鈍入斎は尻もちをついた。
「鵯っ」
と、厨子丸はまた絶叫した。
「厨子丸はこの自由の町が気に入った! 厨子丸はこの堺を護るために、あくまでここに残ると、助左衛門さまにお伝えして来てくれ! そして、おまえはそのまま船に乗るんだ」
「あっ」
仰天した声を発したのは雁首鈍入斎で、鵯はふしぎに驚きの声をたてなかった。やはりそうか、といった顔をして、しかし砂の上に立ったきり動かなかった。
「ゆかないか!」
厨子丸の叱咤《しつた》に、つき飛ばされたように彼女は海の方へ駈け出した。
門のあたりで銃声があがり出した。と見るや、ここからも見えていた納屋家の高い帆柱の上の「自由大菩薩」の旗がズタズタに裂けた。どういうつもりか、敵の狙い撃ちした弾丸がそれをみるみる穴だらけにして、たちまち風にひきちぎられたのだ。
「だれか、あれをとって来てくれ」
と、厨子丸がさけんだ。
「合点だ!」
弥九郎少年が飛燕のように駈け去り、キョトンと見送っていた小唄隆達がわれに返って、こけつまろびつそれを追っかけていった。
そのあいだにも厨子丸は鉄砲職人に命じて、二発目の砲弾を装填《そうてん》させている。
町の中では潮が火に変って灼熱の火の粉を空にまきあげるような叫喚がどよもし、それがこちらに近づいて来た。いまの大音響を大砲とは知らず、しかし容易ならぬ武器らしいと知って、それを求めて進駐軍が狂奔して来る喚声と地ひびきらしかった。それを聞きつつ、職人や人夫たちは逃げるのも忘れて、ものに憑《つ》かれたような厨子丸の動作に従っているだけであった。
厨子丸の手がふととまった。
「しまった」
と、彼は空に眼をあげてつぶやいた。
彼は例の帆柱をよじのぼってゆく黒い影が小唄隆達であると見て、自分の先刻の依頼が甚だ危険なものであったことにいま気がついたのだ。果せるかな、その周囲に白煙の花が散りはじめ、はっと息をのんだとき、旗まであと数メートルのところで、隆達の坊主頭がのけぞるのが見えた。
しかし、彼は落ちない。両腕をのばして、帆柱をひっつかんだまま、彼はそこに停っている。そして、ここからの距離では決して聞えるはずがないのに、厨子丸はこの酔いどれの詩人兼歌手の唄声を聞いたように思った。
「あまりのつれづれ、つれづれに
腰に瓢箪吊るしてな
折ふし風吹き
あなたへちゃっきりひょ
こなたへちゃっきりひょ」
停止していた隆達は、ふたたびスルスルとまたよじのぼりはじめ、破れた旗に手をかけた。そのとたん、ついに彼はもんどり打って落ちていった。手に旗を曳《ひ》いたまま。
大砲の第二弾が発射されたとき、浜と町の境に数十人の武者や法師が現われた。
実はその第一弾であったか第二弾であったか、それは堺の北東一里半の位置で――京から出馬して来た信長を迎えるために、そこまで馬を飛ばして来た牛頭坊以下数十人の根来僧のまんなかに落下して、凄じい黒煙と土砂の中にこれを木《こ》ッ端微塵《ぱみじん》に噴き飛ばしていたのである。牛頭坊の不死身の術も忍法もあらばこその威力であった。信長は運よくなお数町の前方にあったが、しかしこれは完全にその馬を停止させた。
そのことは知らず、浜に現われた松永弾正は、砂浜に煙を吐いている大砲と、海にいまや動き出した船形を見て、
「おお、御台っ」
と、さけんだ。
船は呂宋《るそん》丸であった。その舳《へさき》にならんで呂宋助左衛門と御台が立っていた。――その御台を手に入れることこそ、用心深い弾正がまず堺へ入って来た最大の理由であった。
「あの船、出させるなっ」
殺到して来た武者たちが、銃声の中に算を乱して倒れた。
厨子丸はうしろに七連発銃を構えて立っている鵯を見た。
「おまえ、帰って来たのか」
「わたしはおまえと死ぬつもり」
と、鵯は笑った。堺へ来てはじめて見せた鵯の爽《さわ》やかな勇ましい笑顔であった。
弾正は狼狽《ろうばい》し、武者たちに護られたまま、あたふたと町へ逃げ込んでゆく。――代りにそこから少年の姿が飛び出して来た。
「おじさん、旗だよっ」
「おお」
弥九郎であった。
「ありがとう!」
厨子丸はズタズタになったその旗をひろげた。「自由大菩薩」の文字は血と硝煙にまみれていた。彼はそれをおのれのからだに巻きつけた。
「おい、この子をつれて、早く逃げろ。すぐに敵が来る!」
職人たちが弥九郎をさらって横っ飛びに逃げ去ると同時に、町からまたも先刻の数倍の法師武者たちが湧《わ》き出した。いずれも手に鉄砲をかかえている。
厨子丸は両腰に吊った二梃の短銃をとった。大砲を盾にして構えながら絶叫した。
「鵯。――呂宋丸は出てゆくか」
「出てゆきます。ああ、御台さまと助左衛門さまは舳《へさき》に釘づけになったように動かないけれど、だんだん小さくなってゆきまする。船は長い水泡《みなわ》を曳いて。――」
「それでよし」
轟然《ごうぜん》と厨子丸の銃は火を噴いた。
のけぞり、泳ぎ、つんのめる法師武者の中から、しかしこれまた凄じい銃声があがり出した。鵯は鞭《むち》打たれたようにからだを痙攣《けいれん》させたが、
「厨子丸どの、わたしには弾がない。――その鉄砲を貸して」
と、さけんだ。厨子丸はふりむいて、万感のこもった眼で血まみれの鵯を見つめた。
「可哀そうに、鵯。――」
「銃を貸して、厨子丸どの、わたしはうれしい!」
すでにおのれも砲身に血しぶきを浴びせながら、なおそれを盾に銃撃をつづける美しい阿修羅のような厨子丸は、黒煙の中に敵を見ず、蒼い海原を波を蹴ってすべってゆく呂宋丸の幻影を見て笑っているのであった。
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品の文学性などを考慮しそのままとしました。
[#地付き](角川書店編集部)
時代小説文庫『海鳴り忍法帖』平成4年8月10日初版発行