山田風太郎明治小説全集9
明治波濤歌(上)
目 次
それからの咸臨丸
風の中の蝶
からゆき草紙
関連年表
[#改ページ]
明治波濤歌 上
[#地付き]波濤《なみ》は運び来《きた》り
[#地付き]波濤は運び去る
[#地付き]明治の歌………
それからの咸臨丸
凶盗
明治元年暮から翌年春にかけて、江戸から名の変ったばかりの東京で、五、六件の、大胆で、ぶきみで、怖ろしい強盗事件が発生した。特にこの形容詞をつけたのは、対象の中に官軍の幹部クラスの人間が数人あり、盗賊団がみな官軍のいわゆるダンブクロ姿で、顔にヒョットコのお面をつけており、かつ大金を強奪したあと、襲われた家の当主に奇妙な処刑を加え、また抵抗した者を容赦なく斬るといった残忍性を発揮したからであった。
このヒョットコ組に最初に襲われたのは、長州藩の藻刈義方《もがりよしかた》という、ほんのこの間まで藩の船に乗りこんで指揮していた人物であったが、秋ごろ軍艦から艀《はしけ》に飛び移ろうとして誤ってころがり、右の足を骨折して、船からあがり、芝増上寺裏の元旗本邸を勝手に接収して静養中であった。
そこへ、十二月十日の夜、右の強盗団がはいって来たのである。
一応、門番らしき者もいたのだが、
「藻刈どんが病気と聞いて、お見舞いに来もした」
と、薩摩訛りでいったその一団が、みなダンブクロの官軍服を着ていたので、旧知の薩摩人と思って、そのまま門を通した。おまけに、何気ない問いに、主人の臥床している部屋の方角まで教えたのである。
夜のことであり、彼らがみな韮山笠《にらやまがさ》をかぶっていたので、その顔もよく見ていなかった。あとで考えると、彼らはぜんぶで六人で、みなその笠を伏せて、顔をかくしていたようだ。
これが玄関から土足で家にあがりこんで来たときは、みな笠を赤いシャグマに変え、ヒョットコのお面をつけていたのである。その手には、白刃がひっさげられていた。
彼らは、主人の藻刈義方の居室へ向って、雪崩《なだれ》のごとく殺到した。門番に一応ただしたが、もともと旗本の家の規格は一定したものだから、主人の居室などはじめから知っていたものと思われた。
跫音《あしおと》は耳にしたが、逃げるいとまもなく、驚愕して起き直ろうとした藻刈に、
「藻刈どん、ながなが海では御苦労じゃったのう」
「御病気と聞いて参上した」
「ところで、慰労金をもらったろう」
と、ヒョットコたちは口々にいった。ズラリと寝床をとり巻いてである。行燈《あんどん》の光を下から受けて、シャグマの毛につつまれて、ユーモラスな顔の陰翳が、いっそう怖ろしかった。
実際、藻刈義方は、上陸以来、しつこく藩に慰労金を請求し、三百両という金が、やっと前日下附されて、それはその部屋の違い棚の匣《はこ》の中にいれて置いてあったのだ。
「な、何やつだ?」
藻刈はさけんだ。
「あれじゃな」
ヒョットコの一人は、すぐにその匣に眼をつけて、そのほうへ歩いてゆき、これをひらいて、
「あった」
と、いった。
「泥棒っ」
まだ足が完全に癒っていないにもかかわらず、たまりかねて立ちあがろうとした藻刈の両肩に二本の白刃が置かれ、激痛とともに血がほとばしった。ヒョットコがいった。
「まだ蝦夷《えぞ》では戦争がつづいとる。慰労金は早過ぎる。金は戦費としてもらってゆく」
藻刈を押えた刀は脅しに過ぎなかったが、そのとき別室から、二、三人の部下が何かわめきながら駈けつけて来たのを、入口のヒョットコがその一人をいきなりたたっ斬った。あとの人間は腰をぬかしてしまい、藻刈も完全に制圧された。
その藻刈義方の四本の手足を、四人のヒッョトコがうつ伏せに押えつけた。そして、お面の下から凄《すさま》じい髯をはみ出させた一人が、その寝衣《ねまき》のすそをまくって、尻をまる出しにした。
臀部《でんぶ》の二つの肉塊に、凄じい痛みが走った。ヒョットコは、彼の肉の上を、小柄《こづか》で切りさいなんだのである。
「訴えて、恥をさらしたければさらせ」
どっと笑いながらヒョットコたちが立ちあがったとき、藻刈義方はうつ伏せになったまま、気を失っていた。
凶盗たちは部屋から玄関へ、門から闇の中へ、こがらしの風とともに消え去った。最初から十分もたたぬ間の犯行であった。
藻刈の尻には、「馬」と「鹿」の字が刻まれていた。
とにかく金を奪われ、一人斬殺されたので、届けを出さないわけにはゆかない。藻刈義方は「鎮将府」に届けを出した。鎮将府とは、新東京に置かれた治安取締り機関だ。
藻刈は、尻の傷文字のことは報告しなかった。ただ犯人は薩摩人ではないかと思う、と報告した。盗賊のもらした言語に薩摩訛りがあったような気がするのみならず、いまの東京で長州人に対してあれほど大胆凶暴な行為に出られるのは、薩摩人のほかにない、と思いこんだのだ。
それに彼は、ここ一年の幕軍との戦争の間にも、いくさのやりかたについて何度も友軍たる薩摩人と衝突し、いまにも同士討ちしかねない雲ゆきになった経験があった。
藻刈義方は、歯がみしながら、それらの連中を思い出そうとした。ところが、はじめ、てっきり薩摩人だと思いこんだにもかかわらず、いちいちそれらの顔を思い出すと、そのどれもが適合しないのだ。
薩長の喧嘩といっても、何といっても公的のことだ。そのしっぺ返しというには、あれはあんまり無茶過ぎる。――
鎮将府のほうも、雲をつかむような話で、捜査の手がかりもなかったようだ。
すると、十二月十七日の夜、またもヒョットコ組が出現した。
こんど襲われたのは、肥前鍋島藩の赤壁佐八郎であった。これもさきごろまで藩の軍艦に乗っていたのだが、計数の才にたけているのを先輩の大隈重信に見こまれて、築地の一邸で特別任務についていた。それは主として藩から船でとり寄せる軍資金や物資をとり扱う仕事であった。
それはちょうど雪のふる夜であったが、赤壁の屋敷では、前もっての予定は変えず、藩の御用達《ごようたし》商人四、五人を集めて大宴会を催し、それもおひらきになろうとする夜十時ごろ、突如大広間の四方の襖がいっせいにひらいて、赤毛のシャグマにダンブクロ、それにヒョットコのお面をかぶった六人の男が闖入《ちんにゆう》し、杯盤狼藉といった景観の中を、真一文字に赤壁佐八郎のところへ馳せ寄り、六本の刀でとり囲んだ。
「佐賀から金が来たろう」
「それを出せ!」
と、彼らはいった。
結局無抵抗で、千両箱を二つ出すよりほかはなかった。おまけに酩酊していた赤壁は、蓑虫みたいに縄でくくりあげられた。
のみならず、そのときはじめて気がついたのだが、強盗の中に長い青竹を二本、むしろでつつんだようなものを携帯しているやつがあって、それをクルクルひらくと、一個の担架となった。彼らはそれに二個の千両箱と、縛りあげた赤壁佐八郎をのせて、地ひびきたてて大広間を走り出した。
このとき、二人の部下がわれに返り、やっと抜刀して追いかけたが、襖の外の両側に待ち受けていた曲者に、血しぶきたてて斬り倒された。
「追って来ると、この通りだぞ!」
嘲笑とともに、跫音は玄関のほうへ遠ざかっていった。
座にいた鍋島侍たちが、追跡の義務感をふるい起したのは、約十分後であった。彼らは狂ったようなさけび声をあげて、どっと駈け出した。
さいわい、雪がふっていて、地は薄白く、あきらかに数人の足跡が残っていた。
しかし、それを追っていった彼らは、その足跡が大川のふちではたと途切れ、そこにうつ伏せになった赤壁佐八郎の姿を発見しただけであった。
曲者たちは、そこから舟でどこかへ逃れたのだ。おそらくその舟は、前もって用意してあったのだ。――赤壁は気絶しただけで生命に別状はなかったが、殺されたほうがましであったと思われる奇妙な処刑を加えられていた。すなわち、むき出しにされた尻に、馬と鹿の二文字が刻まれていたのである。
報告を受けて、鎮将府は、最初の事件に倍して驚愕した。
ヒョットコ組は、明らかに官軍を狙っているのである。たとえダンブクロを着ていようと、官軍ではあり得ない。その手際から見て、それは幕臣、少くとも幕府方の侍たちにちがいない。
江戸開城以来、治安は悪かった。新政府は、江戸町奉行の組織を撤廃してしまった。代りに官軍諸藩の藩兵が市中取締りにあたったが、この藩兵がいたるところ、掠奪、無銭飲食、婦女暴行などを働いて市民と衝突を起すという始末だ。あわてて旧奉行所の同心たちを無理に呼び戻して、「捕亡方《ほぼうかた》」という変な役名をつけて使用したが、これが当然やる気をなくしていて、いまのところほとんど役に立たない。
ただし、治安が悪いといっても、右のように官軍兵士の横暴と、それにたまりかねての町民のかよわい抵抗による悶着が大半で、当初警戒していた新政府そのものへの叛乱的な騒ぎは、彰義隊以来ない。だいたい徳川の侍たちは、大半慶喜とともに駿府《すんぷ》へ強制移住させられてしまい、無禄を覚悟でごく少数東京に残っている連中も、侍のぬけがらみたいになって、息もひそめているはずだ。
と、見ていたのに、ここに来て、官軍に対して、突如くりひろげられた大胆無比の犯行であった。
鎮将府は狼狽して、東京に進駐している官軍各藩に警戒の告示を発し、「捕亡方」に犯人の逮捕を厳命した。
しかるに、そのヒョットコ組は、知るや知らずや、翌年早々一月六日に、不敵にも三たび現われた。
三番目の被害者は、阿波藩の櫓《やぐら》彦之丞という男であった。阿波藩は幕末、まあ遅れることなく官軍方に加わった藩である。このころ少し気のきいた藩は、多くて数隻、少くとも一隻は、旧式であろうがボロ船であろうが、西洋から買いいれた船を持っていたが、この櫓彦之丞も、阿波藩所有の武蔵丸というただ一隻の蒸気船の船将として働いて来たのだが、箱館に逃げた幕軍の勢いがまだ侮るべからざるものがあるので、近く援軍として出動を命じられ、本所の一邸で、藩の重役たちと別れの宴をひらいていたところであった。柳橋から芸者も数人呼んだ。
宴たけなわな午後八時ごろ、ヒョットコ組が襲来した。
「箱館へゆく支度金が下りたろう。それを出してもらおうか」
と、ヒョットコのお面の下から、髯をのぞかせた一人がいった。むろん、白刃は櫓彦之丞をはじめ、重役たちにつきつけられている。
鎮将府からの警報は一応受けていたが、しかし官軍としては影うすい阿波藩まで狙われるとは意外で、さしもの海の猛者《もさ》もまったく無抵抗で、一千両献上するの余儀なきに至った。
しかもこの凶賊は、花のような芸者たちの前で、櫓彦之丞を押えつけ、尻をまる出しにし、例の文字を刻んでいったのである。
遠い夜空に哄笑の余韻が消えていったころ、阿波侍たちはわれに返って追跡に出て、しかも道のかなたを逃げてゆく曲者のむれを見たが、これまたその影が大川から舟で逃げ去るのを、どうすることも出来なかった。
――この被害者たちの履歴に、官軍であるということ以外に、ある共通した一項目があることに気がついた者はない。
ただ官軍に盾つき、辱しめを与える、途方もない、大胆不敵な痴者《しれもの》どもだ、と鎮将府は逆上し、江戸にいる官軍外の不審な侍の探索に狂奔した。
これらの事件の噂は、ようやく巷にも流れ出した。第二の事件には御用達商人が同座し、第三の事件には柳橋の芸者たちが呼ばれていた。むろん、かたく口どめしたのだが、とうてい防ぎ切れるものではない。
鎮将府を嘲笑するかのように、ヒョットコ組はまた現われた。
ところが、こんどは官軍ではない。例の共通項目に気づいた者があったとしたら、かえって昏迷におちいったに相違ない。――ふつうの商家だ。
一月二十一日の夜、深川の三条屋という呉服店にヒョットコ組が押しいった。どういうわけか、この夜は三人組であった。
しかし、ほんの先日、本所の阿波藩のお侍の家に起った事件を聞いていた呉服屋の人々は、そのシャグマをつけたヒョットコを見ただけで、みな金縛りになり、腰をぬかしてしまった。
で、ヒョットコ組は悠々とこの店から五十両を召しあげ、主人の尻に馬と鹿の文字を刻んだことは同様だが、おまけにいままでやらなかったことをやった。息子の若い女房と二人の女中を犯したのだ。交替で主人に白刃をつきつけているので、女たちも抵抗のしようがなかった。
ついで、二月七日、こんどは谷中《やなか》の仏具店に押しいって、この夜もまた三人組であったが、七十両を奪い、娘二人を代るがわる輪姦したあげく、主人の尻に例の文字を刻んで逃げた。――
官軍のおえら方がとんだ目にあったと聞いて、内心快哉をさけんでいた市民も、この噂には恐慌を来《きた》した。ヒョットコ組はメチャクチャだ。相手えらばずだ! しかも、女まで犯すとは。……
――そんな穏やかならぬ新しい東京で、いちどは水の切れた花のようにしおれていた狭斜の町も、ふたたび花ひらこうとしている。
新しい支配者に、いっときけんつくを食わせた女たちも少くなかったが、いつまでもそんなやせがまんはしていられない世界である。もう去年の秋のころから、三味線の音《ね》にまじって張りあげられる蛮声の唄は、西国《さいごく》の訛りをおびたものが多かった。
明治二年早春の、いまにも落ちて来そうな午後|晩《おそ》く、柳橋の一料亭から、くわえ楊子、千鳥足で出て来た三人の遊び人風の男たちが、近くで辻待ちしていた幾つかの駕籠へ近づいて、
「おい、吉原へやってくんねえ」
と、声をかけた。
そのうちの一人が、身をかがめて一つの駕籠にはいろうとして、ふいにぎょっとしたように、先棒の、笠をかぶった駕籠かきの男を見つめた。それは彼が気がついたというより、その男のほうが彼を見て、ただごとでない驚きを示したことへの反応であった。
くわえ楊子を口から落して、彼はさけんだ。
「あ、兄上……兄上じゃねえですか?」
そう呼ばれた駕籠かきは、ややあって、
「仁平《じんぺい》か。……久しぶりだな」
と、苦笑していった。
遊び人のほうは三十半ばで、自堕落な翳はあるが、なかなかの男前であったが、駕籠かきの男は、物凄い髯面で、まだ羽織の欲しい季節というのに、醤油で煮しめたような襦袢一枚で、四本の手足はまる出しだ。もっとも、このころ駕籠かきといえば、冬でも下帯一本などいう手合が多かった。
それが、いった。
「別れてから、もう何年になるかのう。かれこれ十年になるか」
運命は波に似て
「やっぱり兄上か。こ、これは驚いた」
仁平と呼ばれた遊び人風の男は、まだ信じられないように眼をまるくしている。だいぶ酩酊して、もつれた舌で、
「兄上が軍艦に乗って、アメリカへいった年だから、そ、それくらいになるかも知れねえなあ。……それはとにかく、えらばれて、か、咸臨丸に乗ってった人が、いま、駕籠かきたあ。……」
「乞食になったやつもおるさ。徳川家がなくなってしまったのだから、しかたがない」
と、駕籠かきは髯の中から、また苦笑の眼をもう一人の駕籠かきにやって、
「後棒も、御同様じゃ」
これも髯面で、しかしあきらかに侍の眼でにらみつけられて、仁平はちょっと辟易した顔をしたが、すぐに、はね返すようにいった。
「徳川の侍が、東京にいていいのかね。す、駿府にゃゆかねえのか」
「駿府は流人島《るにんとう》じゃ」
と、髯の兄上は答えた。駿府へ強制移住させられた旗本や御家人及びその家族が、国を追われた難民部落そのままの状態であることを形容したのだろう。
「妻子を養うためには、亭主は出稼ぎに来にゃならん。その出稼ぎ先が、こないだまでわが物顔にのし歩いていた江戸《ヽヽ》だとは情けない次第だがね」
「さ、妻子――ああ」
仁平はうす笑いを浮かべた。
「吉岡家のその後は何となく知ってるよ。瓦解後のことは知らねえが……兄上、あのあと、さ、妻帯されたんだってなあ」
「うむ。……仁平、とにかくその兄上というのはやめてくれんか」
「しかし、あ、兄上にちげえねえじゃねえですか」
そのとき、だいぶ向うの路上から、
「仁平、何してる? 早く来ねえか!」
と、いらだった声が飛んで来た。さきにいった仲間が、駕籠から首をつき出していた。
「ま、ゆこう、乗れ」
と、駕籠屋の兄上がいった。
「いいのかね? いくら何でも、兄上の――」
「おれのいまの商売じゃ。ゆくぜ」
仁平を乗せた駕籠はあがって、歩き出した。ゆくては吉原だ。
ちょうど、小糠のような雨も落ちて来た。
それでも仁平は、ときどき垂れをあけて、首をつき出して、先棒に話しかけた。
「しかし、何だなあ、人の運ってえものは、な、波みてえなもんだなあ。上がったり、下がったり……上がったところが次に下がり、下がったところが次に上がるんだねえ。やれ旗本だの御家人だの、て、天下の禄を背中にして威張ってたやつらが、その禄がなくなっちまや、て、手も足も出ねえ始末になって、乞食同然に落ちぶれる。こちとらからすりゃ、ザ、ザマを見ろといいたいところがあるよ」
ピタピタと走りながら、兄上は重く答える。
「そうじゃろうな」
「それから見ると、おれなんざ、はじめから裸だ。い、家もなけりゃ、禄もねえ。ただ、この身体と才覚で、ふ、吹きさらしの中を生きて来たんだ。だから、世の中がひっくりけえったって、おんなじだよ。いや、こ、こんなときこそ、腕の見せどきだ。いま、ごらんのように、柳橋から吉原へという、け、結構な身分だよ。へっ」
「景気がよさそうで結構だ」
はっ、はっ、と、あえぎながら、しばらくして、
「仁平、いま何をしている?」
「おれかね? おれは――へ、へ」
と、また笑った。
「兄上なんぞにいってもしようがねえ。あ、あんたの真似の出来ねえような仕事だ」
「そうか」
雨がやや強くなり、酔った顔が、さすがにひっこんだ。
その雨がまた小糠のようになったのは、浅草を駈け過ぎて、日本堤にかかったころであった。
衣紋《えもん》坂を下って、五十|間《けん》を過ぎ、駕籠は大門の前にとまった。去年江戸城が開城されたあと、土足で城にはいった官軍兵士もあるというのに、可笑しいことにその官軍でさえ、廓《くるわ》内乗打ちが出来ない江戸以来の吉原の慣習が守られている。
仁平は駕籠から出て、代金を払いながら、
「兄上、そこらで一杯やる気はねえかね?」
といった。兄上は首をふった。
「いや、この風態《ふうてい》じゃあ……それより、お前の住いはどこだ」
「おれの住い……そりゃ、ちょっとわけがあって人にはいわねえことにしてるんだが……兄上は、いつも柳橋のあのあたりに辻待ちしてるのかね?」
「まあ、たいていはあそこにおるが」
先に着いた仁平の二人の仲間は、大門の中から、
「おい、早く来ねえか」
と、さけんでいた。
「それじゃ、近いうち、また改めて」
「もう一つだけ訊く」
駕籠かきは呼びかけた。
「お前……女房は達者かな?」
仁平は相手を見つめ、奇妙な笑顔を作って、
「達者でさあ」
と、いって、背を見せた。
彼が大門をくぐったとき、また駕籠かきの兄上が追って来た。
「おい、忘れものじゃ。駕籠の中に落ちてたよ」
つき出したのは、ヒョットコのお面であった。
「あ。――」
仁平は狼狽して、
「こいつあ、踊りに使うやつだが。――」
と、あわてて懐にいれ、もう灯のはいった廓の中へ、そそくさと駈けこんでいった。
冷たい細雨の中を、駕籠は帰ってゆく。
「コンタ、ありゃ何だえ?」
と、後棒の髯面が訊いた。
「あれはおれの弟だ」
「いや、お前さんの髯さえとりゃ、顔はよく似てるし、まさしくあっちは兄上と呼んでたが……しかし、コンタに弟があったなんて、いままで聞いたことがないぜ」
「十年ほど前に家を出ていった弟だが」
「兄弟で、十年ぶりに再会したにしちゃ、何だかヨソヨソしい問答に聞えたが。……」
「やっぱり、そう聞えたか。実は事情があってな。あれは親父が、おふくろじゃないさる女に生ませた子だ。腹ちがいなのに、どっちも父親似で、顔だけはほんとうの兄弟以上によく似とるが……その女が亡くなったものだから、うちに親戚の者としてひきとった。おれが二十歳《はたち》、あれが十六のときのことじゃ。……」
「ふうむ。……」
「これが、どうも出来が悪くてな。わしもほんとの弟として、叱ったり可愛がったつもりなんじゃが、来たときからひがみ根性が強くて……頭はそう馬鹿とも思えんのだが、学問はきらい、何の修行もきらい、そのうち外ばかりほっつき歩いて、やくざどもとつき合うようになった。家でも将来どうなることかと持て余し、親父も心配しいしい亡くなった」
日本堤にけぶる雨の中で、空駕籠をへだてての問答である。――それにしても、ゆき合う人や駕籠が少い。やはり、嵐のあとの東京であった。
「十年くらい吉岡家にいたか知らん。万延元年、おれは例の咸臨丸に乗ってゆくことになった。その留守の間に、あれは家を出てしまって、それっきりであったのじゃ」
コンタの声は沈んでいた。
「なるほど、そういう弟か」
後棒はうなずいて、
「しかし、あの弟、落ちぶれ果てた兄貴を見て、痛快そうであったのう」
「あ、は、は、は。その気持わからんでもないわい」
と、コンタは笑った。
後棒はふとまじめな顔になって、また訊いた。
「ところで、あのヒョットコ面は何だ?」
「踊りに使うといったっけな」
「気のせいか、その弁解くさいところがおかしい。……コンタ、あのヒョットコ組のあとの二件は……」
「まさか?」
と、コンタはしゃがれ声でいった。
「おれの知ってるころの仁平にかぎってじゃが、それほど度胸のあるやつではない」
「しかし、兄貴の弟だからなあ。ふ、ふ、ふ」
「おれのことを知って、という意味か」
「いや、そうじゃない。何も知らんことは、いまのようすからでもわかる。知らないで、ただヒョットコ組の噂を聞いて、それに対する恐怖につけこんで、その真似をしたのじゃないか。……もしそうであったら、その、真似をしようと思い立った心ゆきが、偶然というより兄と弟の暗合じゃないか、という意味じゃ」
「馬鹿な。それじゃおれの血筋が泥棒に向いているように聞えるじゃないか」
と、コンタは吐き出すようにいった。
「そんな偶然、いや暗合が、そう世の中にあるものか。……しかし、一応調べさせよう。もし万が一そうであったら、生かしてはおけぬ。そもそもおれたちの強盗は懲罰と大義のためだが、あと、その真似をして罪なき町人の家に押しいり、女まで凌辱したというあの凶賊どもは、実に人間の風上におけぬけがらわしいやつ、そうでなくても、何とか天誅を下してやりたいと思っていたのじゃ」
「これ、コンタ、あまり大きな声を出すな」
後棒はあわてた。
「弟御が何とかというのは冗談じゃ」
「いや、あの弟、実は昔、いちど斬ろうと思ったこともあるのだが。……」
急にコンタは声をひそめた。前方に一つの人影が見えたからだ。――それは早足で近づいて来た。笠をかぶった雲水であった。
前に立って、
「お頭《かしら》」
と、呼ぶ。髯だらけの駕籠かきのコンタに対してである。
「柳橋の辻で訊くと、こちらへ来られたということで」
「おう」
と、コンタは答えた。
「咸臨丸は三月四日横浜に入港、十一日に出港の予定だそうです。兵隊も若干乗せるかも知れませんが、大半は鉄砲や弾、その他軍需物資だそうで。――手はずは充分整った、との鵜沢の報告であります」
「そうか」
コンタはうなずいた。
「その上に、長州藩から奪った三百両、佐賀藩から二千両、阿波藩から一千両。――計三千三百両の祝儀を持ってゆける。榎本さんはよろこぶじゃろう」
「お頭、いよいよ時節到来でありますな」
と、後棒が粛然と言葉を改めていった。
この髯面の駕籠かきこそ、凶賊ヒョットコ組の首領なのであった。
本名を吉岡|艮《こん》太夫《だゆう》という。
出身は御家人で、以前の名は勇平といった。その名の通り勇壮活溌な性格であるのみならず、与えられた任務にも積極的で、かつ誠実な人柄を、どこで勝麟太郎が見ていたか――例の咸臨丸渡航の際、その乗組員の一人にえらんだ。
この咸臨丸に同乗した福沢諭吉が、太平洋で荒天に遭遇したときのユーモラスな挿話を、「福翁自伝」に書いている。
「……艦長は船の艫《とも》の方の部屋に居るので、或る日朝起きていつもの通り用を弁じませうと思《おもつ》て艫の部屋に行た、所が其《その》部屋に弗《ドルラル》が何百枚か何千枚か知れぬ程散乱して居る。如何《どう》したのかと思ふと、前夜の大嵐で、袋に入れて押入の中に積上げてあつた弗《ドルラル》、定めし錠《ぢやう》も卸《おろ》してあつたに違ひないが、劇しい船の動揺で、弗《ドルラル》の袋が戸を押破つて外に散乱したものと見える。是《これ》は大変な事と思《おもつ》て、直《ただち》に引返して舳《おもて》の方に居る公用方の吉岡勇平に其《その》次第を告げると、同人も大に驚き、場所に駈附け、私も加勢して其弗《そのドルラル》を拾《ひろひ》集めて袋に入れて元の通り戸棚に入れたことがある」
この文章では、艦長は軍艦奉行木村|摂津守《せつつのかみ》をさすが、ほんとうの艦長は勝安房守である。
この年、勇平は満二十九歳であった。
当時、軍艦に乗ってはじめて太平洋を横断することは、現代の宇宙飛行にも匹敵するほどの冒険で、水夫たちは別として、選抜された「士官」たちは、宇宙飛行士と同じく大半三十代で、吉岡勇平はまだ若いほうであった。
彼は「公用方」(いわば奉行・艦長の補佐官)であったにもかかわらず、往路、サンフランシスコ碇泊中、そして復路、機会さえあれば操舵室や機関室にいりびたりになって航法を習い、帰国したときは長崎海軍伝習所卒業の他の士官にもひけはとらぬほどになっていた。――
他に人材が少かったせいもあろうが、実に彼は、それ以来咸臨丸の「運用方」見習いとして二年ばかり勤め、ときにはみずから操艦して大過なかったほどである。
しかし、その後は混乱をつづける陸の世界に呼び戻され、支配組頭という役は同じながら、神奈川奉行所、長崎奉行所、大坂奉行所などをあわただしく転任した。彼は優秀な官吏でもあったのである。
この間に彼は、勇平という名を艮太夫というもっともらしい名に変えている。名で体を現わそうとしたのではあるまいが、彼は次第に重厚味をおびた人間に変り、周囲からリーダー格に目されるようになっていた。
明治元年、江戸城を明け渡して水戸へ引退する慶喜の護衛隊長を勤めたのは、吉岡艮太夫であった。
将軍さまは降参してしまったが、彼はなお抗戦派であった。
江戸湾になお健在な幕府海軍があるかぎり、それと運命をともにすべきだと彼は考えた。それで、江戸へひき返し、同志を求めて、かつて咸臨丸で行をともにした人々を訪ね歩いた。
咸臨丸には、助《すけ》ッ人《と》として同乗した十一人のアメリカ人、瀬戸内海の漁夫から徴募した約七十人の水夫、火夫などを別とすれば、正式の乗組員は、その従者をもふくめて十八人であった。
このうち司令官ともいうべき軍艦奉行木村摂津守は、その温厚な人柄からして、いまさら官軍に抗する行為などにくみしそうにない。艦長であった勝安房は、徳川を売った張本人だから問題外だ。木村の従者としてくっついて来た福沢諭吉は、戦争などわれ関せずといった顔で塾をひらいている。通弁のジョン万次郎は、その名の通り半アメリカ人みたいなものだ。
残る十四人、いや自分をのぞく十三人を、艮太夫は訪ね歩いたのである。
アメリカから帰って、船から下りて、幕末の大騒乱にみなちりぢりになり、九年ぶりに知るかつての咸臨丸の「同志」の消息であった。
そのうち、蒸気方の山本金次郎はもう五、六年も前に病死し、運用方の鈴藤《すずふじ》勇次郎は瓦解騒ぎのとき悲憤して自殺していた。同じく運用方の佐々倉桐太郎は肺を病んで臥していた。測量方の小野友五郎はもはや謹慎の余生を過すといい、公用方の小永井五八郎は市井に小さな私塾を営んで、これもふたたび世に出る意志を放擲していた。
それから、蒸気方の肥田浜五郎、運用方の浜口興右衛門、測量方の伴鉄太郎、手伝い役の岡田井蔵もまた、なお徳川艦隊に同ずることに賛意は示さなかった。口にはしなかったが、彼らはもしこれからの自分たちの後半生を海にかけるのなら、それは新政府の海軍だ、と考えている気配であった。
あのとき、一番若い、まだ十九歳であった手伝い役の赤松大三郎ごときは、このとき二十八歳になっていたが、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、「吉岡さん、僕にはサッパリわけがわからない」と笑った。彼はあの後、もういちど本格的にオランダに留学した履歴をつけ加えていた。のみならず、実は彼は、この五月にそのオランダから帰って来たばかりであったから、そんなとぼけたことをいったのもむりはない。
――余談だが、この赤松大三郎は、こんなことをいったすぐあとに結婚したのだが、やがて生まれた娘が後年森鴎外と結婚し、彼自身も海軍中将男爵赤松|則良《のりよし》となる。
悲劇と喜劇
結局、艮太夫のすすめに応じたのは、測量方の松岡盤吉、手伝い役の根津欽次郎、同じく小杉雅之進の三人だけであった。
彼らは、そのころ品川に碇泊していた榎本武揚|麾下《きか》八隻、三千五百人の徳川艦隊に身を投じた。四人は分散して受けいれられたが、艮太夫は、偶然、その中の咸臨丸に当ったことを無上のよろこびとした。
咸臨丸は、安政四年、オランダから買いいれた、長さ約五十メートル、幅約七メートル、百馬力、蒸気三|檣帆《しようはん》、すなわち木造スクーナー・コルヴェットであった。
オランダ側はこの船に日本《ヤツパン》丸と命名して送って来たのだが、もったいぶった幕府の役人は、これを咸臨丸と改名した。咸臨とは易経にあり、君臣厚睦を意味する言葉だそうだ。そして、長崎海軍伝習所で練習船として使用された。
三年後の万延元年、日本人による最初の太平洋横断の船として選ばれた咸臨丸に乗りこんだとき、はじめ艮太夫は、これはやはり「日本丸」という名であるべきだった、と考えたこともあるが、航海が終ったときには、咸臨丸という名に愛着をおぼえていた。
それからまた九年。
その間、神奈川沖の警備船として使われ、ときに、ロシアに一時占領された対馬《つしま》に急行を命じられたり、小笠原諸島の開拓に従事させられたりした咸臨丸は、艮太夫が再会して、眼を疑ったくらい老朽化していた。
しかしそれは、老武者となった父を見るように、かえって艮太夫の心を敬意といとおしさの感情でつつんだ。
何にしても、あと一息頑張ってもらわねばならぬ!
明治元年八月十九日夜半、八隻の徳川艦隊は、ついに蝦夷に脱走すべく、品川沖を抜錨《ばつびよう》し、東京湾を出ていった。
それは、官軍糞くらえ、という勇ましい姿であったが、前途を予兆するような暗転の運命は、早くも航海二日目の二十一日に訪れた。
八月二十一日、房総半島を回ったころから吹き起った北東の風は、夜にはいって鹿島灘にさしかかったころ凄じい嵐と変って、艦隊はバラバラになり、それでも六隻は苦闘を経て荒天を何とか乗り切ったが、その中の美加保丸はついに銚子沖で沈没し、咸臨丸も押し流されて行方不明となった。
なんと咸臨丸は、もはや風浪のなすがまま、二十八日には伊豆の下田まで吹き戻され、そこに官軍の船がいるので入港碇泊もならず、ついで九月一日、駿河の清水港に漂着したのである。
ここには官軍は駐屯しておらず、帆檣《ほばしら》の折れた咸臨丸は、二百人を越える侍たちの大半はもとより、乗せていた銃砲弾薬もみな陸へあげ、破壊された船体の修理にとりかかった。
九月十八日に至って、そこへ官軍の軍艦、富士山《ふじやま》丸、飛龍丸、武蔵丸が来襲した。悲劇は惨劇と変った。
その日も、咸臨丸は、船将小林文次郎はじめ大半陸地にあり、船には副長春山弁蔵ほか三十余人しか残っていなかった。それに官軍は、来襲に先立って、この日清水港に入港する三隻の蒸気船は、港にある甲州米積込みのためのものだという偽情報を流していた。そして、咸臨丸に近づくや、いきなり砲撃を開始したのである。
副長の春山弁蔵は長崎海軍伝習所第一期生で、すでに軍艦を組立設計したほどすぐれた人物であったが、とうてい戦える状態でないと悟って、白旗をかかげさせた。
三隻の官軍艦は近づき、艀《はしけ》を下ろして、咸臨丸に乗り移るや、何たることか、甲板に銃刀を捨てて神妙にならんでいる咸臨丸の乗組員に、いきなり小銃を乱射し、抜刀して襲いかかったのである。春山をはじめその部下すべて、このメチャクチャな殺戮のいけにえとなった。
ただ一人、果敢な抵抗をこころみた人間がある。
その男は、凄じい憤怒の形相《ぎようそう》で数人の官軍を斬り倒したあと、船の厨房にあった炭火を大丼《おおどんぶり》に盛って火薬艙にたどりついた。残念なことに火薬艙の扉の鍵は船将の小林が持ったまま上陸していたので、扉をひらくことが出来ず、彼は急遽、そこらにこぼれていた塵のような火薬を集めて床上に導火線を作った。この間、なお官軍と斬り合い、本人も血まみれになっての作業である。そして、扉へ至るその火薬の一端に点火することに成功した。
点火は成功したものの、事実は、炎は扉の下まで燃えていってそこで消えてしまったのだが、この行為に官軍は恐怖し、「船が爆発するぞっ」と、だれかさけぶと一大恐慌におちいり、その大半は先を争って海へ飛びこんだ。
一時間ほど後、官軍が、海に漂っている咸臨丸にふたたび戻って点検したとき、そこに残っているのは、敵味方四十余の死傷者だけであった。その中に例の男がいたかどうか確認出来なかったが、あの血まみれの凄惨な姿から、海を泳いで逃げたものとは思われず、当然死人の中にいるものと考えられた。
官軍は味方の死傷者は収容したが、あと傷つきうめいている咸臨丸の乗組員はすべて惨殺し、戦死者もろとも海中へ投げこんだ。
陸上にあった船将小林は急を聞いて船に戻って来たところを捕えられた。官軍はこれにも甲板上で殴る蹴るの大暴行を加え、あやうく殺されるところであったが、このころやっと逆上からさめた責任者によってとめられ、数日後、半死の身体を東京の伝馬牢に送られた。
武器弾薬がことごとく押収されたことはいうまでもない。上陸中の残りの咸臨丸の乗組員も半分は縛についたが、これはもうどこへ逃げてもだめだと観念したからであった。むろん逃亡した者も半分はある。
こうして咸臨丸は、この惨劇後、官軍の船となってしまったのである。
……それから数日たっても、清水港の海中には、なお腐乱した徳川方の侍の屍体が漂っていたが、官軍を怖れて、しばらくそれに手を出す者もなかった。しかるに、それを見た土地の博徒の次郎長なるものが、これを憐れんで、乾分《こぶん》を督励し、浮屍三十六体を拾い集めてやっと埋葬したという。――
咸臨丸で大あばれした男は、吉岡艮太夫であった。
そしてまた、その年の暮から、ヒョットコ面をつけて官軍の家に押しいって、多額の金を奪い、その対象者に馬鹿という傷文字を刻んでいった凶賊の首領も彼であった。
清水港を逃れ、東京に潜伏し、ようやく傷癒えた彼は、活動を開始したのである。
ただ、でたらめに強盗にはいったのではない。これは復讐であり、懲罰であった。
だれも気がつかなかったが、被害者はいずれも咸臨丸を襲った官軍の船の船将や、それに準ずる人物で、長州藩の藻刈義方は富士山丸、肥前藩の赤壁佐八郎は飛龍丸、阿波藩の櫓彦之丞は武蔵丸に乗っていた男であったのだ。
ただ、襲われて味方がみな殺しになったからという復讐ばかりではない。
これでもいちどはアメリカに渡り、軍艦操練の技術とともに万国公法などをかじったこともある艮太夫には、無抵抗で白旗をかかげているのになお殺戮行為に出た官軍の将たちに懲罰を加えずにはおかない、という彼にすれば正当な大義名分があったのだ。
明けてこの明治二年、彼は三十九になる。年齢とともに重厚の気を加えて来たが、実は若いころの熱血をなお失っていない吉岡艮太夫であった。
あの強盗行為は、さらに、復讐や懲罰のためばかりではない。対象者から、ついでに大金を奪い、現在なお箱館で戦っている榎本以下の幕府軍への土産物とするためであった。
実に吉岡艮太夫は、新政府の軍艦そのものを奪って、援軍として蝦夷へ渡るつもりであったのだ。
同志もすでに十余人集めている。強盗に押しいったとき五人の仲間を連れていったが、みなその連中だ。
そのうち、彼もふくめて数人は、ふだんは駕籠かきに身をやつしている。しかも、遊里近くで辻待ちしている。駕籠屋になったのは、むろん武士姿で歩いていればたちまち官軍の屯所に連行されて取調べられるありさまだからだが、遊里の外で待っているのは、官軍の大物の動静を外部から知るには、それがいちばん好都合であったからだ。
……さて、その早春の一日、艮太夫は雲水姿の部下の一人から、いよいよ時期が到来したという報告を受けた。
彼らが狙っていたのは、咸臨丸であった。それにはすでに鵜沢という配下を水夫として乗りこませてあったが、修復されていまは新政府の船となっている咸臨丸が、蝦夷から、三月四日、横浜に帰って来て、新しく軍需物資を乗せて、三月十一日にまた蝦夷へ出港するというのだ。
その鵜沢の手引によって、咸臨丸に潜入し、海上でこれを奪う、つまり後年のシージャックをやるのが、かねてからの彼らの計画であった。咸臨丸をみずから操艦しなければならない事態となっても、それなら艮太夫には自信があった。
しかし、たとえその乗っ取りに成功したとしても、ゆくての北方の戦場に待つのは、結局は死だ、ということは艮太夫にもわかっている。
彼には、駿府にやってある妻と五つになる女の子があった。死の船出に先立って、二人に別れを告げてゆきたい、と彼が考えたのは当然だ。
自分が駿府にゆくよりも、彼女たちを呼び寄せたほうが危険がない、と艮太夫は判断した。また、一挙を前に、彼自身多忙をきわめた。それで至急、妻と子が東京に来るように手配した。その結果、二人が品川の心光寺という寺にひそかに到着した、という連絡を受けたのが、三月二日の午後である。
艮太夫は、久しぶりに髯を剃った。実際、しばらく逢わない幼ない娘が見たら、泣き出すにちがいない凄じい髯面であった。それを剃ると、沈毅な意志をあらわした、面長の――同志たちが眼を見張ったような、意外に若々しい顔が出て来た。
「五つは若く見えますな」
と、駕籠の相棒をしていた男がいった。彼は、艮太夫がコンタという駕籠屋用の名に変えたのにならって、カンタと呼ばれていたが、ほんとうは真木完兵衛という、しかつめらしい名の元御家人であった。
髯は剃ったが、それではいよいよ武士姿では歩けない。といって月代《さかやき》を剃って町人|髷《まげ》にするのも大事《おおごと》なので、艮太夫は町の遊び人風に身をやつして、その日、品川へ出かけた。
妻と子には、去年の夏、咸臨丸に身を投ずる少し前に逢ったきりだ。――士道のためにはあえて万死の戦場へ赴くことを辞せない艮太夫は、しかし妻と子を愛することに、同じ熱い血を持つ人間でもあった。
品川にはいり、海沿いの道を歩きながら、彼の頭には、久しぶりに逢う妻や子に、ふたたびいかなる別れの言葉を投げるべきか、あれこれと思いにふけり、その路上で、一人の女が彼とゆき逢ってふと立ちどまり、あわてて路地へ駈けこんでいったことに気づかなかった。
高輪北町へさしかかったときだ。ふいに呼びとめられて、ふり返り、彼はそこに、銃を抱えた者もまじる五人の官軍と一人の女が立っているのを見た。
「鎮将府の巡邏《じゆんら》の者じゃ。取調べのことがある。神妙にせい!」
わめくと、彼らは走り寄り、艮太夫の手をつかんだ。
「な、なんだ?」
愕然として、彼はさけんだ。
「おれが、何をしたってんだ?」
「うぬは去年六月、この女の店で無銭飲食をやり、とがめられると居直って、ほかに客がなかったのを幸い、この女を手籠めにして逃げたじゃろ? その面《つら》にまちがいはないと、この女の訴えじゃ」
「ば、馬鹿な!」
艮太夫は、あっけにとられた。
「そんなことをおれがするか。そりゃ、人ちがいだ!」
「文句があるなら、屯所に来い。手向いすると、即刻ここで撃ち殺すぞ!」
有無《うむ》をいわせず、艮太夫は品川北本宿の橋のたもとにある官軍の屯所へ連行された。
こんな馬鹿な話はない! まったく人ちがいだ!
彼は心中にのたうちまわった。ところが、彼は、自身の身の明しをたてることが出来ないのだ。そのためには、自分の名と素性を述べなければならないのだが、それが出来ないのだ。
まさか、ヒョットコ組の件は知られてはいまい。いや、それについては自信がある。しかし、かつて抗戦継続を咸臨丸の「旧同志」に説いてまわったことについて、あとでその旧同志の何人かが取調べを受けたという情報は耳にしたことがあった。ひょっとしたら、あの清水港の一件も名がわかっているかも知れない。――
いずれにせよ、元将軍護衛隊長、吉岡艮太夫の名を出すことは金輪際禁物であった。
「……おそれいりやした。なんとか御勘弁を。――」
屯所で、彼は米つきばったのようにお辞儀した。
「あっしゃア、その、食い逃げの鮫《さめ》ってえ無宿者で……、いえ、親も生まれたところも知らねえんです。どうぞ、お目こぼしを」
連行される途中で、やっと考えたのがこのせりふだ。とにかくこれでつっ張り通すよりほかはない。
官軍は、やはり彼を吉岡艮太夫という名と結びつける気配はなかった。しかし、威張りくさった隊長らしい男は、じろじろと見上げ、見下ろし、
「うぬの顔、しかし食い逃げして居直って、強姦するような面《つら》じゃないが。……」
と、髯をひねりながらいって、かえって艮太夫に冷汗をながさせた。
「へ、へ、その食い逃げばかりやっていると、つい眼つきが悪くなりやしてね。怖れいりやす」
――その夕方、艮太夫は縛りあげられたまま、小伝馬町の牢屋敷へ送りこまれた。
……何という意外な蹉跌だろう。
いままで、苦難、辛労、挫折、絶望、そんな心理的経験は、人後におちず存分になめて来たつもりの吉岡艮太夫であったが、このときほど彼は打ちのめされたことはない。
愛する妻と幼ない娘への別れはもとより、あれほど大がかりに計画した咸臨丸乗っ取りの壮挙が、その寸前で水の泡と帰そうとは。――
しかも、それが人ちがいによる拘引という、形容の言葉もない馬鹿馬鹿しい出来事のためなのだ。
十年前の艮太夫であったら、昂奮のあまりわれを忘れて、この馬鹿げた災難をのがれるために、自分の正体を明かすという愚を犯したにちがいない。
それを耐えて、ついに正体不明のまま、官軍屯所から伝馬牢に送りこまれるという経過をたどったのは、何といっても右の苦難、辛労、挫折、絶望を経た中年の男のしたたかさのおかげであった。ともかくもしばらく駕籠屋をやっていたという体験も、その演技をなんとかやり通すのに役立ったといえる。
伝馬牢
小伝馬町の牢屋敷など、むろんはじめて知る世界だが、そこへいれられて数日の間は、艮太夫は、自分がどこにいるのか、どういう立場になったのか、それさえ意識にないほどの放心状態にあった。むろん、思いがけない蹉跌の衝撃のためで、それは牢に送りこまれてから、さらに全身をしびれさせて来たのである。
咸臨丸奪取の計画はどうなったろう?
品川の寺で待っていた妻と娘はどうしたろう?
放心状態の中にも、この問いはいくたびか、熱泥《ねつでい》のように浮かびあがった。とくに前者については、新しく入牢《じゆろう》して来る者の中の然るべき人間に、それとなく、そんな話を聞いたことはないか、と尋ねた。しかし、みんな狐につままれたような顔の反応を見せただけであった。
あれは立ち消えになってしまったにちがいない、と彼は断ぜざるを得なかった。すべては自分が中心、自分あっての計画であったから、それは当然のことである。
――とにかく、出てからのことだ。
数日にして、やっとそれだけの決心がついた。
どうやら自分の罪は、食い逃げと強姦らしい。実にけがらわしい、呆れはてた罪名だが、そんなことでまさか死罪になるはずはなかろう。どういう罰を受けるのか見当もつかないが、まあ十日、長くて一ト月くらいで、「急度叱《きつとしか》り」程度で放免になるにちがいない。――艮太夫はそう考えた。
ところが、彼は容易に釈放にならなかった。改めての取調べさえないのである。
小伝馬町の牢屋敷は、忍び返しを打ちつけた高さ二丈の総練塀《そうねりべい》にかこまれた二千六百十八坪の敷地に、お目見《めみえ》以上の武士を収容する揚《あがり》座敷、お目見以下の揚屋、一般庶民をいれる大牢、無宿者の二間牢、百姓牢、おんな牢と、六種の牢獄が配置されている。
いや、配置されていた、というべきだろう。艮太夫は、はじめてここの二間牢にいれられたのだが、漠然と右の旧幕時代の牢についての知識はあった。しかし、おんな牢は別として、いまはあきらかに、右の分類はめちゃくちゃになっていた。とにかく、むやみやたらにしょっぴいて、むやみやたらにここへ放りこんでいるらしい。昔もぎゅう詰めの状態で、そのこと自体が原因で牢死する者が多かったと聞いているが、それでもこれほどではなかったろうと思われるありさまであった。しかも、なお足りなくて、官軍に抵抗する佐幕派の捕虜などは、べつに龍《たつ》ノ口の兵部《ひようぶ》省に新しく牢獄を作って、そこに収容していると聞いている。
これはいちいち取調べていたら、大変だ、と艮太夫自身認めざるを得なかった。どうやら新政府は、いまのところ、東京の治安に害ありと見た人間は、とにかく無期限にここに拘禁しておく方針らしい。従って、たいした罪でないやつは、かえってそのまま放置される可能性が多い。
こうした実状を知って、艮太夫は改めて狼狽と焦躁にとらえられた。
彼はやっと番人の源助という老人を手なずけて、同志に連絡することだけは出来た。
食い逃げの鮫のままで、柳橋で辻待ちしているカンタという駕籠かきに、自分が三月二日以来、人ちがいの逮捕でここにいることを告げてもらったのである。カンタはすぐに察して、番人にしかるべき金を握らせ、「了解。女房と子供はこちらで面倒を見ている」という返事をよこした。
その点ではひとまずほっとしたが、三月は空しく過ぎた。彼はふたたび物凄い髯面に戻った。
おしくらまんじゅうの牢内は、陽気とともにいよいよ暑苦しさと悪臭をましてゆき、一日に、二、三人くらいの死人が出て運び出されてゆく。その中に自分がはいらないという自信はない。
そして、四月のなかば、彼のいれられている二間牢の前の、いわゆる外鞘《そとざや》と呼ばれる通路を、大牢のほうへ曳かれてゆく新しい一団の囚人の中に、思いがけない人間を見た。
あの異母弟の仁平なのである。
艮太夫があやうく声をのんだから、仁平は気づかずに通り過ぎた。この春、偶然逢ったときの仁平は、以前とは別人のようなふてぶてしい人相に変っているように見えたが、このときは、昔、少年時代しばしば見せた暗い翳――どころか、腰をまげ、卑屈そのものの姿で曳かれていった。
驚いたあとで、艮太夫は苦笑した。理由はともあれ、兄弟そろって牢屋にはいるというていたらくへの自嘲であった。
しかし、あいつ、何をしたのだろう?
そう首をひねって、ふいに艮太夫は、心中にあっと声をあげた。
おれが人ちがいされたのは、あいつではないか。――ということに思い当ったのだ。
品川の飲屋や飯屋か、そこで無銭飲食し、女を強姦したというのは、あいつではないか。髯を剃って、「若返った」といわれた自分を、あの被害者の女は、てっきり加害者の男、すなわち仁平と見まちがえたのではないか。
そうだ、それにちがいない!
考えれば考えるほど、そのことはたしかに思われた。
しかし、何たるうす汚ない所業をしたやつだろう。
改めて赤面し、舌打ちしたあと、艮太夫は、すぐに、もしそうなら、そして、「真犯人」たるあいつがつかまった以上、おれが近く放免になることはまちがいない、と考えた。いや、即刻自分が役人にそう訴えて出ればいいのである。
そこで彼は、どきんとした。
それはならぬ。そう訴えて出ることは、やはり自分の正体を明らかにすることだ、と気がつき、ついで、もし弟が自分の入牢していることを知って、兄貴の無実を白状するようなことがあれば、やはり同様の結果になる、と気がついたのだ。
いま自分の名を知られることは、食い逃げ強姦のやくざ者として裁かれるよりあぶない、と彼は感じた。
自分をそんな無実の罪でこの牢に放りこんだもとを作った「真犯人」が、これまた牢に放りこまれて来たというのに、それを訴えることが出来ないとは、何という皮肉だろう。
それどころか、あっちが白状することを怖れなければならないのだ。
それにしても、きゃつ、どういう悪事でつかまったのか?
ふたたび艮太夫は、どきんとしていた。……ヒョットコ組の強盗の最後の二件は、仁平らの所業ではないか、ということに想到したのだ。
長州藩、肥前藩、阿波藩の責任者に懲罰を加えたのはまさに自分たちだが、あと町家を襲った二件は、こちらの真似をした、ヒョットコ強盗の噂による恐怖に便乗した連中であった。
あのあと、仁平を乗せた駕籠に、あいつはヒョットコのお面を残し、それを見て同志のカンタは、あれが物真似猿ではないか、といった。自分がまさかと答え、それでもその二件について一応調べて見るといったが、あの日から咸臨丸奪取の計画を進行させるのに日々を費して、それっきりになっていた。――
いま改めて思い出し、やはり同志の、なかば冗談の疑いは当っていたのではないか、と思う。猿真似組は三人だということだが、あのとき仁平といっしょにいたごろつきめいた仲間が、その連中ではなかったか、と思う。
例の食い逃げは去年の夏の事件らしい。仁平がそのころどんな暮しをしていたか知らないが、そんな情けない犯罪をやるほどのありさまであったのだ。それがこの春、柳橋から吉原へ乗りこむという大尽ぶりだ。その間に偽ヒョットコ強盗の事件をはさむと、ピッタリつじつまが合う。
――待てよ。きゃつ、兄貴のおれのしたことを知って、その真似をしたのか?
いや、ちがう。あのときのことを思い出しても、あいつがおれのことを知らなかったのはたしかだ。
そうだ、カンタがいいおった。兄貴の弟だからなあ、と。――知らないで、偶然、あいつ、おれの真似をしたのだ。
兄弟とはいえ、悪縁としかいいようがない。
艮太夫の頭に、十年ほど前のある想い出がよみがえった。
――咸臨丸に乗ってアメリカへゆく前、彼にはお冬という許婚者《いいなずけ》があった。吉岡家の知人の家に養われている十九になる娘であった。
いろいろと学ぶことが多過ぎて、三十近くなるまで妻帯の意志もなかった彼が、早くから親を失ってよその家の掛人《かかりうど》になっているその娘との縁談が持ちあがったとき、はじめて心を動かされた。この豪快な男が、美しいけれど、まるで夕顔のように寂しげな、むしろたよりなげな娘に、強烈ないとおしさをおぼえたのだ。
艮太夫は――そのころ、勇平といったが――婚約はしたが、しかし祝言は帰国後にしたい、といった。そのわけは、このたびの船旅は生死のほどもたしかでないから、というのだ。家族たちは、それだからこそ嫁を残してゆけ、と懸命に説いたが、彼の意志は変らなかった。
あとになって、家族の説得を無視した悔いより、艮太夫の胸に哀切な印象を残した記憶がある。
「海を渡られることを、おやめになって下さらないでしょうか?」
おずおずといい出したお冬の言葉と、大きな、そのくせたよりなげな眼であった。
「馬鹿な!」
艮太夫は笑い捨てた。そして、勇ましく咸臨丸に乗りこんで、アメリカへいった。
五ケ月ののち、彼は意気揚々と帰って来た。そして、お冬が、異母弟の仁平と手に手をとってかけおちしたことを知った。それは指おり数えれば、サンフランシスコのメーア造船所で、帰国のために咸臨丸が鋭意修理しているのを、艮太夫たちが熱心に手伝っているころのことであった。
いまにして思えば、あの婚約や渡航準備やに忙殺されているころ、じっとそれを見ていた仁平の暗い眼があったような記憶がある。それにしても、仁平とお冬の間にどんないきさつがあったのか。何か突発的な出来事が起ったのか。あるいは、出発前、お冬が自分の渡航をやめてくれといったころ、すでに彼女自身に何か不安な予感があったのか。
ともあれ、艮太夫が憤怒《ふんぬ》したことはいうまでもない。かつて彼がカンタに、「あの弟、実は、いちど斬ろうと思ったこともあるのだが。……」と述懐したのはこのときのことである。仁平のみならず、お冬も、草の根わけても探し出し、成敗せずにはおかぬとさえ思いつめた。
しかし、やがて彼は、男らしくきっぱりとあきらめた。すべてはもはや手遅れだ。どう考えてもお冬は、仁平にたぶらかされたものとしか思えないが、あんなやつにたぶらかされるような女だ。しょせんは自分の妻にはふさわしくない女にきまっている。
その後、一年ばかりを経て、艮太夫は、たしかな家からしっかりした妻を迎えた。そして女の子が生まれて、いま五つになる。
それは艮太夫にとって、苦い想い出であった。
そのふらちな弟に、この間、再会した。それがあの程度の応対で終ったのは、十年の歳月と、艮太夫の自制のおかげに加えて、その弟とあれ以上問答を交すことをいさぎよしとしない嫌悪感のせいであった。
ところが、仁平は、いままた追っかけて来た。この小伝馬町の牢屋の中までも。――それを向うは知らないらしいから、いよいよ皮肉な悪縁を感じないわけにはゆかない。
仁平は何の罪で入牢して来たのか。
あの強盗事件の罪ならば、斬罪以上であることは必至だ。また事と次第では、こちらに断頭の刃《やいば》が及ぶ。――
艮太夫は手に汗にぎり、ときには夜うなされるまでに、そのなりゆきを待った。
しかし、それっきり、十日たっても、二十日たっても、何のこともない。例の買収した牢番の源助にそれとなく探ってもらうと、どうやら仁平は無事らしい。
そしてこちらも何の取調べもなく、依然として放りっぱなしだ。
とかくするうち、五月下旬になって、この十八日、箱館五稜郭で最後の抵抗をしていた徳川軍がついに降伏したという噂が、牢の中にも伝わって来た。
咸臨丸も軍資金も間に合わなかった。――大事は去ったのである。
ついで、その主将榎本らが東京に護送されて来て、六月三十日、龍ノ口の兵部省糺問所の牢獄にいれられたということを聞いた。
気落ち、落胆、そんな形容では追いつかない。自分の人生をあそこで燃やしつくすのだ、と思いつめていた北方の炎が消えて、ゆくてはただ闇となったのである。
五稜郭陥落の報を聞いたあと、いちど彼は絶食死を考えたくらいだ。
ついで、榎本らが東京に送られて来ると聞いて、その処刑の日がきまったなら、自分も牢から堂々と名乗り出て、同じ断罪の場に連なりたい、と考えた。
ところが――そのあと、案に相違して、榎本らが刑に処せられるという情報がない。
そのうちに、七月の末になって、艮太夫たちはいままでの二間牢から、昔の揚座敷近くに新しく作られた牢に移された。
そういえば、牢が新築される槌の音を二タ月ほど前から聞いていた。――なにしろ瓦解騒ぎで糊口に窮して犯罪者となる者がボウフラみたいに湧いて来る上に、ようやく新政府の警察力が回復しかかって、つかまえたやつをめちゃくちゃにここへ送りこんで来る。新牢はそのためだろうと思っていたら、艮太夫たちがそこへいれられてしまったのだ。
いままでの割合なら、百人ははいれそうな大きな牢へ、三十人ほど移されたのだ。これはどうしたことだ、と、選ばれた者は動揺したが、牢番に聞くと、あまり混んだのを少しらくにさせるためで、まったく無作意の抽出だ、というので、一同はほっとした。実際、夏の真っ盛りに、満員状態の牢は、それだけで一つの地獄といってよかった。
で、ここのところずっと沈鬱に黙りこんでいた艮太夫でさえ、
「畳と何とやらは新しいのにかぎるというが、牢屋もその通りだとははじめて知ったな」
と、つぶやいて、一同を笑わせたくらいである。
しかし、数日たって、そこへまた新しい囚人たちが送りこまれて来た。
人数は二十人ほどであったが、それがなんと兵部省の牢にいた連中で、そちらは謀叛人、軍事犯専門の牢であったが、そこにも新入牢者が続々ふえて、さきごろからあわてて新牢を増築中だが間に合わず、暫時その中から、こちらの出来上った新牢へ移されることになったのである。何でも二タ月ばかりの移動だ、ということであった。
そのことは事前に番人から聞かされたが、むろんそれがどんな連中かは知らず、その新しい同囚の中に、はからずも榎本武揚の顔を発見して、艮太夫ははっとした。
いや、その連中も威張ったもので、その中の一人が、
「おい、これは箱館戦争の榎本和泉守さまだぞ、下郎どもひかえおれ!」
と、大喝して、そっくり返った。
生きるべきか死ぬべきか
榎本武揚は、ほかの囚人同様、むろん髯だらけであったが、それにもかかわらず、その天性の美丈夫ぶりと颯爽の英気は、彼をグルリととりかこんでいる囚人たちの中から、四方に光彩を放射しているように見えた。
その二十人余りの男たちは、みな箱館戦争に参加した彼の部下かと思われたが、そうではなかった。あとで知ったところによると、兵部省の牢は軍事犯の収容がたてまえだが、ここも混乱状態で相手かまわず放り込むといったありさまとなり、そこへ箱館戦争の主脳たちをバラバラに分けていれたものだから、榎本のまわりも、彼自身が獄外への手紙に「下獄後、匹夫下郎の徒|穿※[#「穴/兪」]《せんゆ》悪党の輩と比肩《ひけん》雑居いたしをり候へども」と書いたような手合ばかりで、それが偶然のひとつかみで、こちらへ移されて来たものであった。
|穿※[#「穴/兪」]《せんゆ》の輩とは、コソドロ輩のことだ。ところが、この連中が、ほんのしばらくの間に、榎本の威風に打たれて心服し、たちまちその親衛隊となってしまったのだ。
それはともかく、この榎本を見て、なつかしさのあまり、すぐに呼びかけるということをしなかったのが、さすがに吉岡艮太夫である。彼は依然食い逃げの鮫をきめこんでいたのである。榎本も、髯だらけの吉岡を見ても気がつかなかったようだ。
艮太夫が何気なく榎本のそばに寄ってささやいたのは、二日目の夕方であった。
「榎本どの、お久しぶりです」
「おや」
と、不審な眼をむけて、
「お前さん、だれだえ?」
「へ、へ、食い逃げの鮫ってえケチな野郎で」
「なんだと?」
「ということになってるんで、そのつもりで話しておくんなさい。実は去年、咸臨丸で榎本どのといっしょに蝦夷へゆきかかって、ゆきそこねた吉岡艮太夫です」
「おう」
と、武揚の眼がひかって、すぐにまわりの親衛隊にいった。
「おい、ないしょの話があるから、あっちの囚人には感づかれないようにしてくれ」
それから、あごをつき出して、嘆息とともにいった。
「なるほど、吉岡艮太夫だなあ」
武揚はこの明治二年、満三十三歳である。艮太夫より六歳年下で、やはり御家人出身だが、少年時代から刮目《かつもく》された俊秀児で、長崎海軍伝習所第一期卒業生で、すでにオランダに留学し、いちどは和泉守とまで名乗ることになった人間だ。艮太夫とは身分がちがった。
彼はやっと、幕艦脱走の前に同行を切願に来た男の顔を、髯の中から見つけ出したのだ。――もっとも榎本は、それ以前に、だいぶ古い話になるが、吉岡艮太夫という男を、もっと印象にとどめる記憶を持っていた。
「咸臨丸は残念なことをした。一応話は聞いているが、どういうようすだったのだえ?」
艮太夫は、嵐のために清水港に漂着した咸臨丸が、官軍に襲われて、副長以下理不尽に虐殺された次第を述べた。
榎本の前に、まる出しにした両膝をきちんとそろえ、遠目には、町のごろつきが元幕府要人の前にかしこまって、何かしゃべっているように見える。
しかし、艮太夫の清水港の話は簡明であった。その後、ヒョットコ強盗で軍資金を調達しようとしたことや、咸臨丸奪取計画の話もしなかった。彼はそれより、何より、まず榎本に訊きたいことがあったのだ。
「榎本どの、どうしてあなたは降伏されたのでござる?」
艮太夫は思わず侍言葉になっていた。眼もただならぬひかりをおびていた。
「なぜ、将兵すべて城を枕に最後まで戦うか、よしかりに降伏のやむなきに至ったとしても、主将としての責任をとって、ただちに切腹なされなんだのでござる?」
「そのことか」
と、榎本武揚はうなずいた。
「もとよりおれはその覚悟だったんだが、まさに刀折れ矢尽きたといったありさまの部下をみな殺しにしてしまうのが、可哀そうになってなあ。おれ一人死ねばよかろう、と思い直して降参することにしたんだ。そして、実際に腹を切ろうとしたんだが、みなに刀をとりあげられて、とうとう死にぞこなったのさ」
「榎本どの。……」
「おい、榎本どのはやめてくれんか。まあ、榎本さんでいいよ」
と、武揚は苦笑いしていったが、
「そんな御弁明はともかく、あなたの名誉と士道のために、あなたが死なれなんだことを甚だ残念に思う」
と、腸《はらわた》の底からしぼり出すような艮太夫の言葉を聞くと、急に笑いを消して、髯の中の顔がみるみる紅潮した。
――後年、福沢諭吉からこれと同様の弾劾状をつきつけられて、彼が真っ赤になって怒ったといわれるのと同様の表情であった。それはまさに彼の痛所にふれたのだ。
「お前さんがそういうなら、おれもいう。いや、お前さんだからいおう」
それは、この相手が誠実な人間であり、かつ自分と同様に烈しい気性の持主であることを認めての言葉であった。
「正直なところ、いっときの逆上が過ぎたあとは、おれも生きる気になったよ。生きたい気になったよ。いや、生きなければならんと思ったよ」
その心情を彼は語りはじめた。
――のちに明治二十五年、福沢諭吉に指弾されたとき、彼は黙殺した。
福沢の詰問状は、有名な「痩我慢の説」である。
およそ国家と人間で大事なのは独立精神であって、そのすじがねとなるのは痩我慢というやつである。武士の意気地というのもこれに当る。しかるに勝海舟は、なお戦う力があるのに幕府を屈服させた。そのことについての利がどれほどあろうとも、国民の気概を傷つけた罪には及ばない。人命財産に多少の犠牲が出ようと、それはいっときの禍《わざわい》であって、士風の維持は万世の要だ。もし勝が賞揚されるなら、これは日本の未来に悪い先例を作ったことになるだろう。しかもその勝が、新政府で栄爵を極めるとは、いよいよもって人間の節義に反するといわなければならない。
それから見ると榎本は、最後まで抵抗したところはあっぱれといえるが、そのあとがいけない。降参を責めようとは思わないが、以後、箱館の戦いで死んだ同志、部下たちの冥福を祈るために坊主になって然るべきところを、これまた新政府の官僚となって立身するとは何ごとぞや、云々。
これは、一生転向というものを経験せず、しかも論理的に士道という主義を讃美する論客が、いちどは死を賭して士道という主義に殉じようとし、その後転向した行動者に対して投げつけた弾劾状であった。
これに対して、勝は「言いたいやつは勝手に言え」と、涼しい顔をしてそらうそぶいただけであった。榎本は激怒したが、しかしこれも黙殺した。
これには当時榎本がすでにもう六十近くになっていて、論敵としてうるさいことおびただしい福沢に論駁する煩《はん》にたえなかったのであろうが、それより自分の反論が世にいれられないものであることを承知していたからではないかと思われる。
福沢の言い分を認めたわけではない。しかし、おのれの転身の理由について、決して口に出来ないことであった。
いちどは幕臣の残党をひきいてその将となり、最後の抵抗をやった人間である。敵の薩将からも、男として惚れ申し候、といわれた男である。死を怖れるわけがない。また、後世、自分の汚ならしい私欲の罪歴を覆うために、もったいぶって、厚顔卑劣な「愚者の沈黙」などいう言葉を持ち出してダンマリをきめこんだ政治家の奸智などとは比を絶する。
いま――この「痩我慢」事件に先立つ二十数年前に、しかもまだ生死のほども知れぬ牢獄の中にあって――榎本武揚は、すでに転身したおのれの心境を、吉岡艮太夫に吐露するのであった。
「お前さんは笑うかも知れんが、おれは大まじめでいう。榎本は、このままで死ぬにゃ、日本のために惜し過ぎるよ」
と、彼は厳粛にいった。
「おれは、オランダで、海軍のことばかりじゃない。それに関係する造船、火薬、鉄砲の製法についても学んだ。それから指命以外の万国公法から、電信、化学《セーミ》、鉱山学まで自分で勉強して来た。口はばったいが、以上の科学的技術的知識にかけては、おれはいまの日本では第一人者であり、かけがえのない人間だと思っているのさ」
「……」
「士道のために死ぬべきか、それとも、お国のために生きるべきか。もういちど考えて、おれは後者を選ぶことにしたんだ」
ややあって、艮太夫はいった。
「しかし、榎本さん……それでは、人間、死すべきときに、だれでも生きる口実を持つことになるではありませんか」
「その通りだ。それは生きたあと、その人間のやったことを見てもらうしかない」
「……」
「それも口実だ、というのなら、勝手にいえ。おれはほかの人間の例は見ないことにした。おれは自信があるのだ」
――後年彼が弁解しなかった最大の理由がこれなのであった。世には、真実であると信じていても公然と口にすることの出来ないことがあるが、このおのれに対する途方もない自負の宣言もその一つである。死ぬにはおれはあんまりエラ過ぎたから生きたんだ、とは、いいづらいし、世間も素直には受取らない。
しかし、この榎本の自負が客観的に見て正当なものであったことは、彼が明治政府の最も有能な大官僚として生涯を終ったことからも明らかである。
ただ。――それでもなおかつ。――
がんじがらめの薩長閥の中で、前政権の残党というハンディキャップを認めてやっても、彼が日本の近代化に貢献した業績は、果して彼があえて生きのびたにふさわしいものであったかどうか。
オランダ帰りのこの海将が、義と侠の旗の下に五稜郭で壮烈な死をとげていたら、あるいは彼こそ、維新の嵐における最大のヒーローとなり、それどころか永遠に日本人を鼓舞する幾人かの叙事詩的英雄の一人として残ったのではあるまいか、と作者は思う。――福沢の長嘆は、あながちまとはずれでもなかったのである。
艮太夫は、榎本の自信だけは妥当性があると認めた。
たんなるうぬぼれや弁解ではない。彼は榎本が、真実、彼の知るかぎり日本で最高の西洋科学の体得者であることを知っていた。
ただ、榎本の、これからも生きる、というあまりにも楽天的な言葉にかえって別の意味で不安になった。
「榎本さん。……御心境は承わりましたが、いったいあなたは大丈夫ですか。生きて牢から出られるおつもりですか?」
「そりゃ、わからんが。……」
榎本は苦笑した。
「しかし、どうやら何とかなるらしい。いや、おれもたった一度取調べがあったきりなんで、政府のほうでどう考えてるか、むろん知らんのだが、芝新銭座で英学塾をひらいている福沢諭吉という男が……おう、福沢といえば、たしかお前さんといっしょに咸臨丸でアメリカへいった男じゃないか。それならお前さんも知ってるだろう。あれが奔走してくれて、おれの家族に伝えたところでは、何とか助かりそうだ、ということだ」
――この親切な福沢が、さっき述べたように後年弾劾役にまわるのだから、世の中はわからないものだ。
しかも、福沢がその詰問状を書くに至ったきっかけが、明治二十四年、興津の清見寺にいったとき、そこの境内に、清水港で死んだ咸臨丸の戦死者を弔う記念碑が立っていて、それに榎本が、彼らの殉節を讃える文章を書いているのを見て、図々しいにもほどがある、と腹をたてたのがはじまりだというのだから、咸臨丸はいつまでも榎本にもくっついて来たわけだ。
で、福沢は榎本を糾弾し、それはかねてから抱《いだ》いていた不満が爆発したのだといい、しかも主目標は勝だというのだが、しかし実はこの明治二年、榎本助命のためにああも奔走したことに対して、出獄した榎本がけろりかんと知らぬ顔をしていたことに、やはり釈然としないものが鬱積していたのではあるまいか。彼自身はこのことについて、はじめから恩に着せる意志は全然なかったといっているけれど、理性とともに愛憎の念も人に倍して濃い福沢のことだから、必ずしもそう淡泊ではいられなかったろうと思われる。
実は榎本は、助けてはもらったものの、その当時福沢という人間をよく知らず、あまり重きをおいていなかったのである。獄中、福沢から洋書を差入れてもらったのに対し、その本があまり初歩的なものであったことに失笑して、「これくらいの見識にても百余人の弟子ありとは、我が邦いまだ開化文明のとどかぬ事知るべし」と冷評している。長崎海軍伝習所卒業、オランダ留学の経歴を持つ榎本は、一面エリート意識のかたまりであった。福沢に助けてもらったことも、素町人が殿様のために奔走してくれたくらいにしか思わなかったのである。
そのことについて礼らしい礼もいわれなかったこともさることながら、福沢はこの榎本のエリート意識に気がついて、それがかんにさわったにちがいない。福沢は官学を嫌悪する上に、これまた人並はずれてプライドの高い男であった。
榎本にしろ洒脱な一面を持ち、福沢も柔軟な精神の持主であり、しかもこういう事情で二人の関係がはじまったのだから、両人大いに親密な交際をつづけて然るべきであったのに、どっちも自負していた「知識」の面でぶつかり合い、ついに反撥の生涯を過したのは、人間の性格による悲劇というしかない。
とにかく、これほど自信家の榎本なのである。
その再生の弁が榎本自身にとって恥ずべきものではないことは了解したが――しかし、艮太夫にはやはり釈然としないものがあった。
「そうですか。……しかし榎本さんほどえらい方はいいでしょうが、私ごときは、これから先、何を生《いき》甲斐《がい》に、また何をして生きていっていいかわからない。お先真っ暗とはこのことです」
「まあ待て。それよりお前さん、どういうわけでここにいるのだえ?」
艮太夫は、自分が人ちがいで、食い逃げ、強姦の罪でつかまったことを話した。
榎本は笑い出した。
「こりゃ可笑しい。侍の中の侍、吉岡艮太夫が、食い逃げ、強姦とは。……しかし、それなら、その人ちがいのことを申し立てたらいいじゃないか」
「ところが、その吉岡艮太夫と名乗ることのほうが剣呑《けんのん》らしいので。……」
榎本は真顔になった。
「なるほど、藪蛇というやつか。そういうこともあるな」
しかし、すぐに彼はまた笑顔になった。
「そうか。それなら、その食い逃げ男として通したほうがいい。おれなんざ、命の助かる見込みはあるといっても、四年や五年で出られまいが、そんな罪なら、お前さんは追っつけ放免になるだろう」
艮太夫が、自分もそのつもりでいたのだが、まだ一回も取調べがない、と憮然としてつぶやくと、榎本は慰めるように、
「箱館で戦争をやった大将のおれでさえ、実は東京に着いたとき一度取調べられただけで、あとは放りっぱなしという始末さ。ま、とにかく牢はこのありさまだ、食い逃げ強姦などをいつまでもいれておったら、いくら増築しても追っつかない。その点からしてもお前さんは遠からず出られるよ」
と、肩をたたき、生命力に満ちた眼を艮太夫にそそいで、
「お前さん、さっきお先真っ暗といったな。そんなことはない。お前さんほどの能を持っている人間は、いまの日本にはそうザラにはいないはずだよ。それを生かして生きてゆくことを考えろ」
と、いった。
牢を出る工夫
榎本武揚は、艮太夫の船についての知識や技術を知っていたのである。
艮太夫は、あの幕艦脱走のときはじめて榎本に逢ったのではない。あれより前――文久二年夏、榎本らがオランダに留学するとき、江戸から長崎まで送っていったのは咸臨丸で、そのときの艦長は矢田堀景蔵という人であったが、その手伝いとして艮太夫も乗りこんでいたのだ。ついでにいえば、例の赤松大三郎もこのときの留学生一行十五人の中にいた。
「もう、七、八年も前になるかな」
明らかに榎本はそのときのことを回想していた。
「何しろ、江戸から長崎まで、二タ月かかっての船旅でしたからのんきなものでしたな。あれなら歩いていったほうが早い」
と、艮太夫も思い出し笑いをした。
船中に病人が出るごとに港々に寄って上陸させ、癒るまで碇泊して待つなどいうことを繰返したので、そんな始末になったのだ。
その二タ月の船旅の間に、二人はよく話し合った。船のことについて、海について、西洋について。――そのときに榎本は、艮太夫の能力や向学心を認めたらしい。
「ああ、海はいいなあ。……難破して、死にかかったことさえ、今となってはなつかしい」
と、榎本は、宙を見てつぶやいた。
彼らオランダ留学生は、長崎でオランダの船に乗り変えて出航したが、ジャワ北方の海で大嵐のために難破し、漂流しているところを、マレー人の海賊船に襲われた。ところが榎本らは逆に日本刀をつらねて海賊を制圧し、ある島に案内させたものの、上陸してみると、満潮時には全島水びたしになる赤道直下の無人島であった。たまたまその島に漕ぎつけた土人をとらえてバンカ島という島に移り、ここの酋長に大いに歓待された。そして、やっとバタビヤ港に運ばれ、ここから改めてインド洋を越えて、オランダへ渡っていったのである。
九死に一生を得たそんな災難も、いまとなってはお伽噺のようになつかしい。
そんな回想にふけっている榎本を見て、艮太夫も耳たぶに海鳴りのひびきを聞いた。
あのころ、世はすでに騒々しかったが、それでもオランダへ留学生たちを送り出す幕府に対する信頼にゆらぎはなかった。オランダへゆく船上の人々とともに、オランダから来た咸臨丸もまだ若々しかった。
そして、彼の頭には、それよりさらに二年ほど前の、太平洋の怒濤を渡ってゆく咸臨丸の幻影が浮かんで来た。
日本を出てから十日もたたぬうちに遭遇した大嵐に苦闘した記憶さえ、榎本と同様にいまではなつかしい。荒天の下に帆も吹き破られつつ、東へ東へつき進む咸臨丸が海神のごとく雄々しく思い出される。
それから、はるばる到着したサンフランシスコでの歓迎ぶり、驚くべき市街の景観、異国の御馳走、なかんずく忘れられないのは、船の修理のために泊りづめで見学した壮大なメーア造船所の日々だ。
あれは、夢ではないか。ほんとうに自分が経験したことなのか。
「働き場所はある。お前さんの使い場所はある。ここを出たら、吉岡、海へゆけ」
艮太夫はわれに返った。ここは小伝馬町の牢獄の中であった。
しかし、榎本武揚は、髯の中に燦々《さんさん》とかがやく眼で彼をのぞきこんでいった。
「そうだ、それがむずかしかったら――蝦夷へゆけ。おれははじめてあそこにいって、箱館で七ケ月ほど戦争したばかりだが、あそこには内地で望みを失った男たちが生きてゆくに足る天地がある。おれも、もし命があったら、いずれゆくつもりだ。お前さん、先にいって、鍬をいれておいてくれ。何をやるか、それはこれから相談しよう」
艮太夫は黙って考えていた。
しかし、ようやく彼は、士道という呪縛《じゆばく》から解かれ、榎本武揚の新しい呪文にとらわれかかっていた。
それにしても、自分はいつここから出られるのか?
彼はもう一つ気にかかる妻子の安否が知りたくて、それから三日ばかり後、例の牢番の源助にまたカンタのところへいってもらった。
――この時代、牢番が何がしかの金が手にはいると囚人のために働いてくれることについて、やはり榎本のために差入れその他に奔走した福沢が、そのこと自体の善悪はともあれ、いかにも律儀にその用を果すことを、「よき風俗なり」と感心している。これが外国だと、同様の場合、金だけとって用は果さない、というような例が多いのではあるまいか。――
源助が、こんどはカンタの手紙を持って帰って来た。それには驚くべきことが書いてあった。
あのヒョットコ強盗の中の二人――里見と味岡という同志が、掠奪した軍資金三千三百両の大半を拐帯《かいたい》して逐電した、というのであった。それで、戸田と綱川の二人は、きゃつらを捜索し、制裁すべく旅に出た。自分だけ御妻子保護のためもあって残っているが、一日も早い御出獄を祈るのみ、と、書いてあった。
里見と味岡もまた、箱館戦争の結末に、わがこと終る、と、あきらめてしまったのにちがいない。そう判断したが、さればとて彼らの裏切りの行為を認めるわけにはゆかない。
艮太夫はむろん激怒した。妻と娘が駿府へ帰れる状態でないことは承知している。だからこそカンタが養ってくれているのだが、いつまでもその苦労に頼っているわけにはゆかない。彼は焦躁し、真剣に脱獄を考えた。
しかし、一度の取調べもない、という野放図ぶりの一方で、この江戸以来の大牢獄は、機械的に脱獄など許さない仕組みになっていた。
焦熱地獄のような夏の一日一日が過ぎた。
九月半ばごろ、榎本らは、兵部省の新しい牢へ帰っていった。
その二タ月ほどの間に、榎本は艮太夫を鼓舞し、激励しつづけ、いろいろの夢想を述べた。かつて艮太夫がその人とともに死のうと考えたこの快男児は、艮太夫に生への希望の炎を点じて去った。
艮太夫の胸にも、次第に生きる意志と未来への夢が醸《かも》し出されて来たが、同時にそれは彼を以前よりも苦しめた。
そこへ――榎本らが去るとともに、それに倍する一団の囚人が、どっと流れこんで来た。まったく新しい入牢者ではない。どういう都合か、それまで大牢にいた連中のうちの四十人ばかりが、こちらへ移動させられて来たのである。
やっと秋風が立ちはじめたというのに、またこれで暑苦しくなる。――と、ゲンナリとその連中を迎えた艮太夫は、その中に異母弟の仁平の顔を見出して、ぎょっとした。
この四月のはじめ、外鞘《そとざや》を曳かれてゆく姿をチラと見ただけの仁平であったが、その後処刑もされず放免にもならず、やはりこの伝馬牢で暮していたものと見える。物凄い髯面になっていた。
艮太夫は、囚人たちをかきわけ、そばに寄ってささやいた。
「仁平」
仁平は、自分をのぞきこんでいる髯面を見て、これもぎょっとした。
「何をして、ここにいれられたんだ」
仁平は、二、三度、口をパクパクさせたが、虫のような声で、
「兄上、仁平と呼ばねえでくれ。おれは平八ってえ名でつかまってるんだから。……お恥かしいが、泥棒だ」
「泥棒、というと?」
「なに、コソドロだよ。……それより、兄上はどうして?」
「おれか。おれは……」
「徳川の侍が、駕籠かきなんかしてるから怪しまれたんだろ? ま、何でもいいや。とにかくおれには知らねえ顔をしていてくんな。二人は知らねえ仲ということにしよう」
そして彼は、すぐにヨソヨソしい顔でそっぽをむいて、どじょうが泥にもぐりこむように、囚人の中へもぐっていった。見るからに舌打ちしたくなるような卑屈なうしろ姿であった。
艮太夫にしても、シンミリ話し合いたい相手ではない。――実は、問い糺《ただ》したいことがあるのだが、ここでそれを問い糺すことには疑問がある。
ともあれ仁平がつかまったのは、あの強盗事件についてではなかったらしい。それならいままで無事にすんだわけはないからだ。
それにしても、兄弟がこんなところでめぐり逢うことさえ嗟嘆のほかはないのに、めぐり逢ってもそんな他人の顔をしていなければならないとは、情けない話に相違ない。
一方、カンタと妻子のこともいよいよ気にかかった。彼はもういちど源助に頼んで、その後のことを聞きにやらせた。
すると、カンタは、さらに大変な連絡をよこして来た。上方《かみがた》まで逃げた里見と味岡が、追いつめられて逆に密告したために、追っかけていった戸田がつかまり、綱川も官憲に追われる身の上になってしまった。里見と味岡がどこまで密告し、戸田がどこまで白状したかわからないが、とにかく危険なので、大至急、そちらも東京の隠れ家から姿を消すように、という綱川の知らせが――追われつつ書いたらしい手紙が、十五日ばかり前に来た。
いったい、どこへ逃げるべきか。
それ以来、死物狂いに奔走した結果、御妻子を連れて、蝦夷へ逃げることにした。蝦夷はこの八月から北海道と名が変り、例の咸臨丸が、いまぽつぽつと開拓民を乗せて航海している。いつぞや水夫として乗り込ませていた仲間の鵜沢がいまもそのままでいることを思い出し、頼んだところ、この九月二十七日に横浜を出帆することになっており、そこに、男、女、子供の三人の枠をとってくれた。北海道に着いたら、その住所を駿府のほうへ連絡しておくから、出獄後はそちらへ問い合わせてもらいたい。
それは九月二十三日のことであった。
九月二十七日。――
四日後、妻と子は、北海道へ逃げてゆくというのだ。そして、そんな事情なら、いつ自分のことも発覚して呼び出され、処刑されることになるかわからない。
その翌日の夕方のことだ。
役人が牢格子の外に立って、明朝、いま呼ぶ名の連中は放免するからそのつもりでおれ、といって、十人ばかりの名を読みあげた。その中に、平八、つまり仁平の名があった。
その夜、吉岡艮太夫は、夢想の世界から夢魔の世界に沈んだ。
……夜とも昼とも知れない牢の中だが、たしかに夜明前であった。
「仁平、仁平」
艮太夫は仁平をゆり起した。
仁平は薄眼をあけて、あわてて起き直り、頓狂な声をあげた。
「兄上か。なんだ」
「しいっ、静かに話せ」
艮太夫は制した。まわりは、いびきの波だ。
ささやくような声で、
「お前、きょう放免になるといったな」
「ああ、そうだ。ありがてえなあ。しかし、たかがコソドロでよ、半年もぶちこまれてりゃ、もうたくさんだ」
「ただ、コソドロだけか?」
「そ、そうだよ。……」
「お前、その前に――去年の六月、品川の飲屋や飯屋で、強姦し、食い逃げをやったことはないか?」
「えっ、ど、どうしてそんなことを?」
びっくりのあまり、仁平はたちまち白状と同様の言葉をもらした。――やはり、そうだったのだ。
「そればかりじゃない。去年からことしにかけて、ヒョットコのお面をつけて官軍の隊長や物持ちの家に押入り、人殺しをして何千両か取っていった大強盗はお前だろう」
こんどは仁平は黙りこんだ。髯だらけの顔の皮膚の見える部分が、薄明りの中に粉を吹いたように白くなった。ややあって、
「途方もねえことをいう人だ。なんの証拠があって。……」
「お前、いつか駕籠の中に、ヒョットコのお面を忘れていったろう?」
「ありゃ、余興の道具だ」
「そのことを役人にいっていいか。それで通るか通らないか、役人にまかせていいか?」
恐怖のため、仁平の眼は洞穴《ほらあな》みたいな感じになった。これまたまさしく的中していたのだ!
「兄貴」
兄貴といい、彼の歯はカチカチと鳴った。
「役人にいうのか?」
「いう」
「畜生!」
「こら、大きな声を出すな。ほかのやつに聞かれたら、きさまの身の終りとなるぞ」
艮太夫はいよいよ声をひそめた。
「ということは、事と次第では黙っていてやるということだ」
「黙っていてくれ。お願いだから……それにおれたちゃ、官軍の屋敷などにゃ押入らねえ。ヒョットコ強盗の噂を聞いて、|まね《ヽヽ》しただけで……二度だけだ」
「たとえそうとしても、それで罪が軽くなるわけじゃない」
「だから、兄貴、黙っていてくれ。これでも兄と弟じゃあねえか。おれはきょう放免になるんだ。出たら、兄貴のために何でもしてやるからよ。……」
艮太夫は仁平をにらみつけていった。
「おれと身代りになってくれ。そうすれば黙っていてやる」
「なんだって?」
「放免の呼出しがあるだろう。そのときに、お前の代りにおれが出てゆく。見たところ、そっくりだから、まず大丈夫だ」
「そ、そんな馬鹿な!」
「では、ヒョットコ強盗のことをいう。そうすりゃ、きさま、放免どころじゃないだろう」
「あ、兄貴が出て、おれはどうするんだ?」
「お前はおれとしてここに残るんだ。ことわっておくが、今はおれは勇平とはいわない。艮《うしとら》という字の艮太夫という名だが。……」
「兄貴になって……おれはどうなる?」
「一足遅れて、釈放になるだけさ」
「兄貴、いったい何をやったんだ?」
「お前が心配するように、徳川の侍が駕籠かきをやって東京に残ってたのを怪しまれて、つかまっただけだ」
「それだけか。ほんとうに何もやってねえか」
「それだけだ。何かやってたら、いままで無事でいられるわけがない。だいいち、おれがお前みたいな悪事の出来る男だと思うか?」
ぬけぬけといった。しかし、これが艮太夫が脱出の夢想から醸し出した夢魔のような、起死回生の着想であった。
仁平とまちがえられて牢にはいっただけだ。仁平に化けて牢を出るのに、何の憚《はばか》ることがある?
仁平の顔には苦悶の表情がのびちぢみした。実にとんでもない要求だ。が、ことわれば自分の大罪をばらすといっている。――その脅《おど》しの内容もさることながら、彼を怖れさせたのは、兄の眼であった。
少年時、彼に絶対権威を持っていた兄の眼だ。
仁平はあえぐようにいった。
「おれが兄貴の身代りになっても、ほんとうに出られるのか?」
「そうだ、もう十日待ってくれ」
艮太夫は仁平を安心させるために、一歩譲歩する言葉を与えた。
「十日以内にお前が放免にならなかったら、おれは牢に帰って来る」
「また、牢に帰るウ?」
「おれは何も、ただ牢から逃げ出したくてこんな無茶なことをお前に頼むのではない。いま、大至急、外に出てやりたい用件があるからで、その用を果たしさえすればいいんだ。だから、お前が吉岡艮太夫として無事放免されれば結構、そうならなきゃ、おれが帰って、牢のほうにあやまる」
「それで、例のヒョットコ強盗をばらすんじゃあるまいね?」
「そんなことはしない。ただお前をおどして、おれがお前に化けて出たとだけいう。お前に罪はないという」
「ほんとうか?」
「おれは武士だ。武士に二言はない」
仁平はつくづくと異母兄を見てつぶやいた。
「そうだ、兄上はたしかにお侍だったなあ!」
以前の記憶が甦ったらしく、その軽薄な眼にも讃嘆の光がともった。
「とにかく、しかたがねえ。あれをばらされちゃ、モトもコもねえ。兄上、そいつは承知することにしたが……兄上と見込んで、それじゃこっちから頼みてえことがある」
「なんだ」
「実は、おれ、外に出るとあぶねえこともあるんだ」
「と、いうと?」
「そのヒョットコ強盗だがね。信用しちゃくれめえが、おれたちのやったのは、ほんとに二つだけだが、それでも百二十両ほどせしめたんだ。で、当分は大尽遊びをして――うん、兄貴に見られたのはその節のことさ――だいぶ使ったが、まだ半分残ってるところで、おれがなくしちまった。廓へゆく途中――兄貴の駕籠のときはお面だったが――こんどは猪牙《ちよき》の中に、金包みを置き忘れたんだ」
「ほう」
「ところが、仲間がそれを信用しねえ。おれがネコババしたといい張って、とうとうおれを刃物で追いまわすようになった。おれがこの牢にはいったのは、助かったこともあるんだ」
「なるほど」
「で、牢を一歩出ると、きゃつらが待ってるかも知れねえ。兄貴、こう髯面が似てると、まちがってやられるかも知れねえぜ。用心しな」
「心得た。で、頼みとは?」
「出来たら、そいつらを消してくれ」
艮太夫はしばらく考えて、
「よし、そういうことになれば、そうしよう」
と、答えた。
仁平は、耳のうしろをかきかきいった。
「それから、もう一つ頼みがある。こいつは、ちょっとあぶねえんだが。……背に腹はけえられねえ」
「何があぶない」
「兄貴をおれの女房に逢わせるのがだ」
「おれが……お前の女房に逢う?」
艮太夫はじっと相手を見まもった。
「お冬さんは、達者かな」
「達者だと思う。実は、この二、三年、あんまり逢ったことがねえ。いや、去年の暮にいちど帰ったかなあ。おりゃ、東京をすっ飛んで歩いてるもんで。……」
「お冬さんは東京にゃいないのか」
「横浜の三吉町ってえところに住んでるんだが……兄上が逢うとなると……」
「馬鹿、あれから何年になると思う? おれはいまは女房も子供もある」
「それじゃ、兄貴を信用して、やっぱり頼もう。いや、お冬にはもう苦労のかけ通しでね。五つになる男の子もあるんだが。……去年の暮に久しぶりに逢って、その暮しぶりを見て、さすがのおれも、つくづく気がとがめてね。実は荒稼ぎを思いついたのは、それが|しお《ヽヽ》だ」
「ふうむ。……」
「放りっぱなしなのに、子供が何やらわかる年齢《とし》になって……おれを父上と呼びやがった。呆れたことに、お冬がそうしつけてるらしい。何にしても、もちっとましな暮しをさせてえ、いや|かたぎ《ヽヽヽ》に生まれ変って、親子三人いっしょに暮すことにしようってえ気になったんだが……そこへ金を持ってってやってもれえてえんだ」
「金を? ここに持ってるのか」
「いや、麻布の二ノ橋のたもとに地蔵堂がある。その地蔵堂の縁の下に、五十両ばかり包みにして埋めてあるんだが。……」
「その金は?」
「さっきいった金だ。つまり強盗をやってネコババした金だよ。猪牙に置き忘れたってのア、実はうそだ」
艮太夫は、唖然憮然とせざるを得なかった。
人間を同じ条件で行動させると、同じような反応を起すと見える。自分たちの仲間にも、奪った金を拐帯して逃げるというふとどき者が出て、大いに彼を怒らせたが、その真似をした連中にも、同様の例が生じたのだ。しかも、その男がこの弟の仁平だとは。――
「どうだ、やってくれるか?」
「やってやろう」
と、しかし艮太夫はうなずいた。
船は出てゆく……
その日の昼近く、呼び出された放免の一団に混って、のっそりと艮太夫は出ていった。
牢を出るとき、ちょっとふり返ったら、羨望にひかる無数の髯面の中に、仁平の泣き笑いするような顔が見えた。
一同は、牢役人から、その方ら微罪と認め、特別の寛典をもって釈放する。爾今再犯のことあれば厳しく処置するむねの説諭を受けたのち、ゾロゾロと牢屋敷の表門を出た。
吉岡艮太夫は、いっさんにカンタと妻子の待つ品川の隠れ家心光寺に走った。
妻のお貞と五つになる女の子のお波はむろん、あさっての出発にそなえて、カンタの真木完兵衛もいた。彼らがことの意外に狂喜して迎えたことはいうまでもない。
去年の夏、蝦夷へ脱走する前、いちど駿府で逢ったきりだから、再会したのは一年ぶり以上になる。お波はびっくりするほど成長し、また可愛らしくなっていた。
彼は抱きあげ、頬ずりをした。お波が痛がって泣顔をしたのを見て、お貞もうれし涙をこぼしながら、
「まあ、とにかく髯をお剃りなされませ」
と、いった。
完兵衛は、あさって乗りこむ咸臨丸の乗船札を見せた。木札の表に、男、女という文字、裏に北海道開拓使、と焼印が押してある。すでに政府はその希望者を募集していたが、お尋ね者、凶状持ちなどが混るおそれがあるので、しかるべき身許引受人の保証した者のみにこの木札を渡して船に乗せるのだそうだ。完兵衛は、鵜沢を通してこれを手にいれたのである。
真木完兵衛は、お貞とお波を北海道へ送っていって、一応落着き先と生活のめどがたったら、自分だけはまた帰って来るつもりだったといい、艮太夫が出て来た以上、むろん艮太夫がゆくべきだ、自分はまた鵜沢に頼んでこの木札を入手して、次の機会を待つことにしよう、と、いった。
艮太夫は、自分が出獄して来たいきさつを詳しく語らなかったが、ただ同囚だった男に頼まれたからといって、麻布二ノ橋地蔵堂へ完兵衛にいってもらった。すると、そこに、ほんとうに油紙につつんだ五十両があったのだ。
完兵衛は妙な顔をしていた。
明くれば九月二十六日であった。
咸臨丸の出帆は明日八ツ半――午後三時だが、四ツ半――午前十一時には波止場に集まれということで、艮太夫たちは横浜の旅籠《はたご》屋に一泊するつもりで、その日のうちに駕籠を頼んで出かけた。彼には船に乗る前に、一つ用件があったのである。
彼は月代《さかやき》はのばしたままであったが、髯を剃り、職人か何かの旅姿風に変えていた。
爽やかな秋風に吹かれてうねる碧い海は、道の左に見えつかくれつした。
「壮士ひとたび去って、また還らず、か」
と、艮太夫は駕籠の中で微笑してつぶやいた。むろん刺客|荊軻《けいか》の悲壮な詩《うた》とは関連がなく、これは吉岡艮太夫新生の詩《うた》であった。
その海を渡ってゆく果ての北海道で、どんな運命が待っているかは知らない。しかし、彼は生きてゆく自信があった。いまにして榎本さんの声がよみがえる。
「お前さんほどの能を持っている人間は、いまの日本にはそうザラにはいないはずだよ。……蝦夷へゆけ、あそこには内地で望みを失った男たちが生きてゆくに足る天地がある。……」
血みどろの苦闘や馬鹿らしい牢獄の記憶よ、永遠にさらばだ。
艮太夫は、しかし膝の上においた五十両をふと撫でた。
弟の仁平のことなどは忘れている。いや、忘れたい。十日以内に仁平が放免にならなかったら自分がまた帰って来ると約束したが、むろんそれは方便で、彼はかくのごとく北海道へ去ろうとしている。
そういう目にあわされてもいたしかたない、愚かで、不肖で、下劣で、言語道断な弟であった。こんどのこと以前でも、思い出しても忘れようとした。
が、もっと忘れようとして、ときにふっと頭に浮かびあがり、からみついてはなれないのは、あのことであった。仁平が、自分の許婚者《いいなずけ》をさらっていった事件だ。また、自分が咸臨丸に乗ってアメリカへ渡る前に、「……おやめになっては下さらないでしょうか?」と、心細げに訴えたあの娘の哀切な眼であった。
とはいえ、どんな事情があったにせよ、おれの留守中に手に手をとって駈け落ちした二人だ。
妾《めかけ》の子と、他家の掛人《かかりうど》になっていた娘。……似合いの男女といっていい。
「横浜ですぜ、お客さん」
駕籠かきの声に、彼は苦々しい回想からさめた。午後四時ごろであった。
海岸通りで駕籠を下りると、静かな海に浮かんでいる幾隻かの船が見えた。
艮太夫はすぐにその中の咸臨丸を見いだした。たたまれた帆は古着のように灰色で、塗装もはげ、この春に見たときよりまた一段と老いたように見えた。かつて戦場を疾駆した駿馬《しゆんめ》が、落ちぶれて、ついに荷車をひくようになった輓馬《ばんば》を思わせる姿であった。実際、かつての新鋭の幕府の軍艦は、いまや北海道へ移民する人間の運搬船となったのである。
その新移民が自分たちであった。艮太夫は、どこまでも自分に縁のある咸臨丸に、改めていとおしさとありがたさをおぼえた。
しばらくそれを眺めていて、それから彼らは海岸通りの裏通りにある小さな旅籠を探しあてた。
しかし、その前で艮太夫は完兵衛にいった。
「さきにはいっていてくれ。おれはちょっと寄るところがある。それ、あの五十両な、あれは同じ牢にいたやつからの頼まれもので、その家族がこの横浜におる。そこへとどけてやる約束をしたんだ」
艮太夫は、十年前に自分を裏切った女のところへ金をとどけるという、その約束だけは守ろうとしているのであった。――その心理は、彼自身にも不可解であった。
横浜の三吉町。――ここが横浜の貧民街であることをはじめて知った。
海岸通りに立ちならぶ商館、商店、ホテル、倉庫など、久しぶりに来た艮太夫は眼を見張る思いがしたが、しかしそもそもこの明治初年の横浜そのものが、まだ運河に汚水の臭《にお》いのただよう、雑草のような町であった。
それでも、この当時、最も活気に満ちた町は、東京ではなく横浜であったにちがいない。そして、商人はもとより、水夫、大工、人足たちが雲集し、彼らのための食物屋、飲屋、売春宿が営業可能となり、そしてまたいつしかさらにその下の、落伍者たちの貧民街が発生していたのである。その一つが三吉町であった。
汚水のながれる細い路地の両側は、棟割長屋というとまだ言葉が過ぎるような建物がならび、その小屋の内外に積んである物体から判断すると、古着屋、ぼろ屋、鋳掛《いかけ》屋、箸けずり、屑拾い、一文菓子、鼻紙漉し、臓物屋、残飯屋……のたぐいで、いちじは駕籠屋までやった艮太夫だが、それでも日本に、まして横浜に、こんな一劃があったのかと嘆声をもらした。うす赤い夕日が漂う中に、大袈裟にいうと、それは人外境のようであった。
――あの女は、こんなところに住んでいるのか?
艮太夫は、吐気のようなものをおぼえていた。
――仁平は、女房をこんなところに住まわせていたのか?
改めて、ひどいものだ、と嘆息をもらさざるを得ない。いや、天罰かも知れぬ、とも思う。
それでも彼は、異様な臭いの満ちた迷路のような路地を歩いてゆく。ときどき、懐《ふところ》から出した紙片をかざして、赤い光にすかした。
仁平から聞いた住所の心おぼえだ。この中に「かいこ屋」という木賃宿があり、その裏手の家で、お冬は仕立物をして暮しているというのであった。
「あっ……父上!」
突然、可愛らしい声を聞いて、艮太夫は立ちどまった。
路上に、竹の棒を持った五つくらいの男の子が――粗末ながら、この陋巷《ろうこう》には珍らしくきちんとした着物に小さな袴さえつけた子供が、黒い眼をまんまるくして立っていた。
――仁平の子だ。
と、直感した。
まさしく自分の甥にあたる。しかし、おれを「父上」と呼ぶとは。――
「母上。……父上がかえってきたよ、母上!」
子供は躍るように、すぐそばのあばら家に駈けこんでいった。
やがて、その子の手をとって出て来た女は、艮太夫を見て、棒立ちになった。
痩せて、髪はほつれ、蒼白いというより、透き通るように見える。なかば亡霊のようなその女は、十年ぶりにあいまみえるお冬にちがいなかった。
「お久しぶりです」
何かがつきあげて来るのを抑えて、艮太夫は低い声でいった。
「父上だ、父上がかえってきたよ!」
子供は、母親の手を握って、ゆさぶった。
「ちがいます、父上ではありません」
と、お冬がいった。髯を剃った艮太夫は、なるほど仁平とよく似た相貌にまちがいはなかったが。――
「ふだん見ないで、去年の暮にいちど来て、また来ると約束していったものですから。――」
と、お冬はいった。仁平のことだ。やつれた頬に、彼女は微笑を浮かべた。
「父はお侍で、お国のために働いているのです、と教えてあるものですから、お見まちがいしたのです。……お恥かしゅうございます」
彼女は首をたれた。
「勇平さま、お冬は罰を受けました」
突然、艮太夫の胸の中に、火のようなものが渦まき、波うち、ふくれあがり出した。
「仁平から、これを渡してくれと頼まれて来たのだが。――」
彼はそういいながら、ともかくも懐中から金包みをとり出して、お冬に手渡した。お冬は戸惑った顔でそれを受取り、
「あの、夫は、どこにおりましょう?」
と、訊いた。
「仁平は。……」
艮太夫は黙った。その耳に、この哀れな妻と子を案ずる牢屋の仁平の声がよみがえった。
艮太夫は、なお二、三分黙りこんでいた。日の光は、いつしか暗みをおびた赤さに変っていた。お冬の眼は、不審から不安に、さらに恐怖に変った。
「夫は、何かしたのでしょうか?」
「何もしない」
やっと、艮太夫はいった。
「でも、この品物は。……」
「それはお金だ。あれは蝦夷へゆくといっていた。あなたがたを連れて、あちらで新しい暮しをするといっていた。……」
自分自身がいっているのではなく、別の何者かがいわせていることを、艮太夫は感じた。
「父上は、すぐにやって来る」
と、彼は子供に向っていった。
「いや、明日《あした》、波止場にやって来る、お冬さん、これから支度して、明朝四ツ半までに波止場に来て下さい」
彼ははじめて微笑した。
「私の用はそれだけだ。さらばです」
そして、艮太夫は、あっけにとられている母と子を残して、背を見せた。
歩きながら、艮太夫は胸の中で問答していた。
――おれは、まだあの女に惚れていたのか?
――ちがう。あれを弱い哀れなものと思うだけだ。仁平をだますことは、あれたちをだますことになる。侍のタテマエとして、弱い哀れなものをだますわけにはゆかない。
――しかし、帰れば、待っているのは死だぞ。榎本さんからその能力を保証されたほどのお前が、あの虫ケラのような男を生かすために死ぬつもりか。お前はタテマエのために死ぬつもりか。
――そうだ。士道はタテマエだ。そしてタテマエのために死ぬのが士道というものだ!
半刻《はんとき》ほどのち、自分の妻と子を泊らせてある旅籠の前に帰って来たとき、吉岡艮太夫は、どこから手にいれたか、一頭の馬さえ曳いていた。
彼は、「これから東京に帰る。急用が出来たのだ」といい、驚きのあまり声もなく立ちすくんだ妻のお貞と娘のお波を異様な深い眼で眺めたが、すぐに完兵衛だけを連れて、波止場にやって来た。
すると――向うからキョロキョロしながらやって来た二人のやくざ風の男が、こちらをすかし見て、
「やっ」
「あの野郎だ」
と、大声をあげた。
「女房が横浜三吉町にいると聞いたが……やっぱりいやがった」
「やい、ネコババした金はどこへやった? あれを返せ!」
二人は駈け寄って来た。
その手に匕首《あいくち》がひかっていたのはおどしのためであったろうが、ものもいわず艮太夫はそちらへ突進し、もみ合ったとも見えぬ間に、二人の男を大きく海へ放り投げた。
二つ、白くあがったしぶきのあと、浮かんで来るはずの頭はなかった。――二人の男は、どちらも当身《あてみ》をくわされていたのである。
「どうしたのです?」
あっけにとられて尋ねる完兵衛に、何事もなかったような顔をして、艮太夫は訊いた。
「いま何どきだ?」
「六ツ半ごろでしょう。……しかし、何事でござる?」
真木完兵衛は、狐につままれたような顔をしていた。
「明朝四ツ半か。横浜東京は約七里だな。往復十四里。……何とか間に合うだろう」
と、彼は指折り数え、それから、完兵衛には、久しぶりに――あのヒョットコ組のころに見せた豪快無比の笑顔を向けて、
「伝馬町の牢に帰る」
と、いった。
「代りに、ある囚人を出して、明朝ここへ来させるから、おれたちの代りに、その男とその家族を北海道へやってくれ」
艮太夫はいちど海をふり返り、夕暮の波の上にゆれている咸臨丸を眺めた。それから馬に飛び乗り、鞭をくれた。
「思い出したが、武士に二言はない、という約束をしたのだ!」
声はすでに、銀鼠《ぎんねず》色の夕風のかなたから伝わって来た。
元咸臨丸乗組員、吉岡艮太夫が小伝馬町の牢獄で斬罪に処せられたのは、翌明治三年十一月十八日のことである。
開拓使の運送船となった咸臨丸が、同じ明治三年九月十九日、移住者四百余人を乗せて、函館から小樽へ向おうとしたとき、函館を出たところでまた難破したことも記録に残っている。その後修理されて、民間の回漕会社に払い下げられた。明治四年末ごろ、吹雪が悲しげな声をあげている津軽海峡を、ヨタヨタと渡ってゆく廃船に近いその姿を見た者があるが、その後の運命はだれも知る者がない。
*参考資料「吉岡艮太夫小伝」
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風の中の蝶
多摩梁山泊
明治十八年の春、武州八王子の北方西多摩の丘陵を歩いている奇妙な風態《ふうてい》の男があった。大きな麦藁帽子をかぶり、垢じみた着物を尻っからげにして、その腰の両側に魚籠《びく》のようなものを二つとりつけている。足は素足に草鞋《わらじ》をはいている。
丘陵とはいえ、杉や櫟《くぬぎ》や楢《なら》などの大木が空を覆い、うす暗い地面には熊笹や茨《いばら》などが密生している。とうてい、その中を歩いてゆく風態ではない。
もっとも、手には山刀のようなものを持っている。それでときどき灌木の枝などを払うが、むき出しのふとももや脛を茨がかきむしるのも平気で歩いている。よく肥って、体格もいいが、それ以上に原始人のような感じがあった。顔の下半分は不精髯に覆われているが、まだ若いようだ。
ときどき彼は立ちどまり、じっと地上をのぞきこむ。ふとい眉の下の大きな眼が、爛々《らんらん》とただごとでない光をはなつ。そして、めざすものを発見すると、そこにしゃがみこむ。
彼が探しているのは、虫でも蝶でもなく、石でも花でもなかった。なんと、それは腐った木であった。だいぶ前に倒れた木が、森の底に腐って横たわっている。そのある部分を、山刀で注意ぶかく削りとるのだ。そして、左の魚籠《びく》からとり出した紙に大事そうにくるんで、右の魚籠にいれる。それにはもう三分の二も、同様の包みがたまっていた。
ときどき、森がとぎれて、明るい空地に出る。もう葉桜になりかかった山桜が、ほっかりと咲いている。やや夕日の色をおびはじめた空に、光る貝のように花びらが舞ってゆく。小鳥の声にまじって、まだ鶯《うぐいす》が鳴いている。
しかし彼は、花も鳥も眼や耳にはいらないらしく、すぐに次の森の湿っぽい穴にはいってゆく。
それでも予定していたコースがあったのか、それとも偶然か、やがて彼は一本の街道に出た。八王子から五日市へ通じる道であった。
彼は八王子のほうへ歩き出した。
すると、路傍にじっと佇《たたず》んでいた二人の男が、ふいにこちらに近づいて来て、前に立ちふさがった。
二人とも、年は三十半ば、太いステッキをついた壮士風の男だ。これは別に場ちがいの異装ではない。このあたりはいわゆる三多摩壮士の本場である。
「おい、きさま何をしておる」
「どこの何者か、素性を言え」
と、横柄にいった。
「あんた方こそだれですか」
と、森の徘徊者は訊き返した。
「われわれはそこの川口村の者だ」
「きさまがここ数日、このあたり一帯を歩きまわっておることを知っとる。いったい何をしておるのだ」
と、二人の壮士はかみつくようにいった。
森の徘徊者は答えた。
「ネンキンを採取しとるのです」
「ネンキン? 何だ、それは」
「粘《ねば》っこい菌《きのこ》と書く、腐った木などに寄生しとる下等菌類で……」
壮士は顔見合わせた。
「どれ、見せろ」
徘徊者は腰の魚籠から一つの紙包みを出し、ひらいて見せた。見たところ、それは削りとった木の一片としか思われなかった。
「ここに粘菌が棲息しとるのです」
「ふん。……そんなものを集めて、食えるのか、金になるのか」
徘徊者は、髯の中で笑った。
「食えもせん。金にもならん」
「では、何にする?」
「これはね、植物かと思えば植物、そのくせ偽足というものを出して、食物をとり、這いまわる。つまり、動物といえば動物、という奇態な生物で……すなわち生物の起原を研究する上で重大な材料なのです」
「きさま、何だ、素性を言え」
「わしは、大学予備門の学生ですが」
「なに? 学生?」
二人はめんくらった顔で、乞食みたいな相手の風態を改めて見あげ、見下ろし、
「学校でそんなことを教えるのか」
「いや、学校では英語を習っとります。こりゃ、わしの趣味で。……」
「学生なら、いまは休暇じゃないはずだ。口から出まかせをぬかしおって……ちょっと来い、本音《ほんね》を吐かしてやる」
壮士の一人は、骨ばってヒョロリと背が高く、もう一人は角ばってズングリムックリした男であったが、そのズングリムックリのほうが片腕をのばしてつかまえようとした。
麦藁帽の男は、壮士を頭上から見下ろすかたちになった。
と、そののどのあたりで、ガボッという音がもれた。
次の瞬間、口から壮士の頭に、ヘドのようなものが――いや、あきらかにヘドがあふれ出して、しぶきを散らしながら壮士の顔から肩へ浴びせられた。
「な、なんだ?」
それを浴びた当人はもとより、もう一人ののっぽのほうも、仰天して飛びのき、同時に白刃をひきぬいた。ステッキと見えたのは仕込杖であったのだ。
「待って!」
そのとき、女の声がした。
向うから、一人の娘が飛ぶように街道を走って来て、
「その人、警視庁の密偵なんかじゃないと、お父さまがおっしゃってたわ。手荒なことはしないで!」
と、さけんだ。
髪は結わず、背の半ばに切りそろえ、紺がすりの筒袖に同じく紺のモンペをはいている。ただ胸に赤い木《こ》の実の輪を、首飾りのようにさげていた。そして、何より燃え立つ若さが薔薇色のまるい頬にあった。
それが、ふと、ヘドをかぶった壮士のほうを見て、
「あらっ……どうしたの、赤沼さん!」
と、はじめて気がついて、眼をまろくした。
赤沼と呼ばれた壮士は、手で顔を撫で、ドロリとしたものが口にはいると、「げえっ」と悲鳴をあげ、次に発狂したように躍りあがって、
「こやつ、斬る!」
と、わめいて、これも抜刀した。
その二人をやっと制止したものの、娘は、彼らがその奇怪な若者を連行するということはとめることが出来なかった。そうさせるのが精一杯であった。
なだめはしたが、その男を見る娘の眼には、ようやくいぶかしみの色が浮かんでいる。――どうやら髯男はヘドを赤沼の頭に吐いたらしいが、それにしては、彼はいい血色で、悠然と立っていたからだ。
「とにかく、うちへ来て下さい」
と、いう娘の言葉に、
「身の証《あか》しさえ立ったら、すぐに解放してくれるでしょうな」
と、いい、別に恐怖の色もなく、彼はノソノソとついて来た。もっとも、その前後を二人の壮士が挟んでいる。
彼が連れてゆかれたのは、そこから四、五町ばかり歩いた川口村の――しかし村とは一軒だけ離れ、四方竹藪に囲まれている農家の庭であった。
そこでは、ちょうど、チョンマゲを結った初老の隠士めいた人物と、三人の若い壮士風の男が立ち話をしているところであった。向うに、納屋《なや》とならんだ小屋から牛と馬が一頭ずつ首を出している。夕日の庭には鶏が遊んでいる。
「やあ、赤沼さん、どうした?」
と、壮士の一人がふりむいて、これまた眼をまろくした。
赤沼はものもいわず、庭の隅の井戸へ駈けてゆき、着物と袴をぬぎ、下帯一つになって頭から水を浴び出した。
「土方《ひじかた》さん、ここに来ておられたのか」
と、もう一人に訊く。
「うむ、ここ二、三日、御厄介になっとる」
土方と呼ばれた長身痩躯の壮士は答え、逆に尋ねた。
「大矢……貴公ら、いま来たのかね」
「左様、東京からね。野津田《のづた》の石坂家を御存知でしょう。……ここにいるのが石坂家の息子さんの公歴君と友人の北村門太郎君ですが」
と、若い二人を紹介したのち、大矢はまた不審の眼を、土方に命じられて地べたに坐らせられた奇妙な男にむけて、
「それは?」
と、いった。
「警視庁の密偵《いぬ》だ――と、赤沼君はいう」
土方は驚くべきことを妙ないい方でいって、それから説明した。
「こちらにうかがっていて、ふとおやじさんから変な話を聞いた。ここ数日、ここらあたりの山中をうろついておる妙な男がいる。おやじさんと蓬《よもぎ》さんもいちど林の中でゆき逢ったそうだが、筍掘りでもわらびとりでもないようだ。この近郷の者でないことはたしかだが、夕方なのになお山中にはいってゆく――はて、どこに泊って、何をしているのだろう、というお話だ」
ちらっとチョンマゲの人物のほうを見て、
「それを聞いてわれわれは、それは警視庁の密偵《いぬ》ではないかと直感した。おやじさんは、ただふしぎな男がいるという話をしただけだ、とおっしゃるが、何とも気にかかるので、おれと赤沼が探索にゆくと、果せるかなこの近くの森をウロウロしておった。――この男だ」
「殺気立って出かけたので、心配になってすぐ蓬に追わせたのだが」
と、隠士は、新米らしい若い壮士たちをかえりみて笑いながらいった。
「ま、手荒なこともせなんだようで結構だった。何しろこの土方|襄之助《じようのすけ》君は、天然理心流の名人だからね。めったにその仕込杖など抜かれると険呑だ」
「手荒なことをしたのはこいつのほうで」
と、土方襄之助はいって、井戸のほうの赤沼に眼をやった。
「手荒といっていいかどうか、いや、それよりもっとひどい。こいつ――赤沼がつかまえようとすると、頭からヘドをかけおった!」
「なに、ありゃヘドか。そりゃ、どういうわけじゃ」
地面にあぐらをかいて坐っていた男が、苦笑していった。
「相すまんことでした。わしはね、実は食ったものを牛のように反芻《はんすう》出来るのです。だから山中、三、四日、何も食わんでも平気です。反芻は自由意志で出来るのですが、ただ身に危険が迫ると、いたちの最後ッ屁のごとく敵めがけて噴射する。こりゃ反射行為で、自分でもどうにもならんのですよ。まことに失礼しました」
何とも判断がつかない。
「まるで忍者のようなやつだ」
と、土方襄之助がつぶやいた。
隠士が訊く。
「あんたはいったいどういう人だね」
「さっきもこの方に申しあげたのですが、わしは大学予備門の生徒で、南方熊楠《みなかたくまくす》といい、粘菌という下等植物を研究するのが趣味で、その採取に来ておったのです」
「ミナカタ・クマクス?」
土方がその文字を訊き返し、
「いよいよ忍者の一族としか思えん」
と、また首をひねると、隠士もいった。
「ミナカタクマクスノミコト――なんてのが古事記に出て来やせんかな?」
そこへ、裸のままの赤沼が、仕込杖だけをつかんで井戸のほうからやって来て、
「何を悠長な問答を交しておるか。白状しないなら、おれが吐かしてやる。そこどけ」
と、わめいて、また白刃をひっこぬいた。
南方熊楠は笑い出した。
「さっきからどうも解《げ》せんことをおっしゃる。わしが警視庁の密偵など――こんな多摩の山中に、どうしてそんなものがうろつく必要があるのです?」
しかし、まわりをとりかこんでいる人々はだれも笑わず、じいっと彼を眺めている。――
眼で見たところでは、多摩の山河は春の饗宴だ。野も河も、花と新緑にあふれている。しかし、この明治十八年、そこに住む人々の心は死灰のようであった。
すぐ西で秩父|困民《こんみん》党が蜂起したのは、前年の秋のことだ。しかし困民党が生じたのは秩父だけではなかった。同じ名を名乗る農民の群は上州にも発生し、相模にも発生し、そしてこの多摩地方にも発生した。
原因は、西南戦争以来のひどい赤字財政をたて直すことを目的とした、三、四年前からの政府の大増税と強引な引き締め政策にあった。大蔵卿松方正義によるいわゆる松方デフレ政策である。
そのために全国が不景気に陥ったのはどこも同様だが、特にこの関東西部地方は、昔から養蚕《ようさん》地帯、というより地味痩せ、水利悪く、それでしか食えない土地で、しかも御一新以来唯一に近い輸出物、生糸《きいと》の原産地として、懸命に、桑畑の開墾、養蚕場の増築などに励んで来たのみならず、蚕卵《さんらん》紙やマユ網の買入れに、金貸しから金を借りて事業の拡大を計って来たところに、この強烈な引き締めにぶつかって、生糸はもちろんあらゆる農産物は下落を重ね、ほとんどすべての農民は生色を失うに至った。
金貸しの大半は高利貸しであった。借金は雪ダルマ式にふくれあがり、それを返せぬ農民の土地は抵当として奪われた。しかも、彼らを保護するものは何もなかった。法律上、従って事実上、警察は高利貸しの味方となった。
こうして、明治十七年十月三十一日、秩父の農民たちは絶望的な叛乱を起した。約一万の農民が、猟銃、刀、竹槍をとって蜂起し、大宮郷(現秩父市)の郡役所その他お上の役所を占領し、各地の高利貸しの出張所を焼打ちしたのである。が、はげしい戦闘の末、出動した警官隊、軍隊によって徹底的に鎮圧された。
一方、もともと三多摩地方は自由民権運動の大いなる揺籃《ようらん》地でもあった。東京横浜に近くて新思想の洗礼をうけ易い距離にあり、しかも政府の監視の眼の外側にあるという地理的な理由もあったが、すでに幕末、新選組の主体が多摩の壮士であったことを見てもわかるように、もろくも崩壊した旗本八万騎を尻目に、薩長何するものぞ、という気概は、かえって「江戸の外廓《そとぐるわ》」ともいうべきこの地に燃え残っていたのである。
秩父の叛乱は三多摩壮士と直接関係はなかったが、しかし困民党の潰滅は自由民権運動にも致命的な影響をもたらした。
いや、実のところ、秩父事件以前に、自由党の過激派による加波山《かばさん》事件とか名古屋事件とかいう血なまぐさい反政府行動が起って、自由党そのものが解散を余儀なくされていたのだが。――
しかし、むろん政府は、壮士のすべてがその志を捨てたとは見ていない。事実、特に三多摩の壮士たちは、なお不屈の叛骨をみなぎらせて、仕込杖をかかえて横行している。
農民と壮士との結合を怖れた政府は、秩父事件後、この一帯の民衆の動静に異常にきびしい眼をそそいだ。こうして、困民党の残党の探索と、自由民権の壮士の監視をかねて、多摩の町や村に、行商人や旅芸人などに化けた警察の密偵たちが執拗に徘徊した。――
ここに、八王子北方三里ばかりのところにある南多摩郡川口村に、ふしぎな人物があった。
近くでは龍子《りゆうし》先生と呼んでいるが、本名は秋山国三郎という。
もともとこの村の豪農に生まれたのだが、若いころから天然理心流の剣を学び、十七歳のとき免許皆伝を受けると、飄然としてどこかへ出ていった。
それっきり、どこで何をしていたかわからなかったが、御一新のあと、ぶらりと帰って来て、妻をめとり一女児をもうけた。が、その妻が間もなく死ぬと、子供を親戚に託して、また飄然と村を出ていった。
それから十年ほど経て、ふたたび村に帰って来て、少女に成長した娘を受けとり、以来竹藪の中の家で、晴耕雨読の日を送っている。
すなわち、右の隠士風の人物がこの秋山龍子先生である。
いったいその二度にわたる長い放浪の間、どこで何をしていたか、本人が余りしゃべらないので、だれもよく知らない。
どうしたのか、帰郷したときから、左足が少しびっこになっていた。
ただ、ここに登場した北村門太郎という壮士が、その前半生について、のちに「されども彼は元来一個の侠骨男子……再三再四家を出でて豪侠を以て自ら任じ……或時は剣を挺《てい》して武人の横暴に当り、危道を踏み死地に陥りしこと数を知らず」という文章を残している。
波瀾万丈の剣の世界を踏んで来たことはたしからしい。しかも「武人の横暴に当り」というのだから、彼が町人百姓の側に立って剣をふるったこともまちがいない。
びっこになったのは、そのためかも知れない。
ところが二度目の放浪時代は、なんと、明治初年の東京で、寄席に出て、義太夫をうなっていたという。これについても北村門太郎は、「好むところに従って義太夫語りとなり、江都に数多き太夫の中にも寄席に出でては常に二枚目を語りしとぞ。……風流の遊場《あそびば》に立ちては幾多の佳人を悩殺して今に懺悔の種を残し……」云々と記している。なかなかの遊び人でもあったらしい。
それがいまでは、へたな俳句をひねり、盆栽をめで、「世に知られず人に重んぜられざるも、胸中に万里の風月を蓄え綽々《しやくしやく》余生を養う」老侠骨、と評される秋山龍子先生であった。半白の髪を、このころではもう珍らしいチョンマゲに結い、野良に出ないときはチャンチャンコを着て、たいてい短冊と筆を持って、空ゆく雲を眺めている。
この世捨て人のところへ、どういうわけかいつのころからか、近郷の三多摩壮士たちが出入りするようになった。ときには何人かが、何日も逗留してゆくこともあった。
最初は壮士のだれかが、剣術について何か話を聞きに来たのがきっかけらしい。壮士たちはこの人物を「ヤットーのおやじ」と呼んでいる。龍子がこの呼称をあまり好まないらしいところから見て、彼がどれほどまじめに剣術の話をしたか疑わしいが、とにかく平気で壮士たちの出入を許している。
当然、壮士たちはここで悲憤慷慨の自由民権論を交すようになった。龍子先生はこれを制止しない。笑顔で聞いている。ときにはケシかけるような言辞を弄することさえある。
しかし、たいていは、いつのまにか一座を離れて、黙って大空を眺めていたり、縁側で三味線をつまびいていることが多い。
そんなときの龍子老の姿に首をひねって、壮士のだれかが尋ねたことがある。
「おやじ、あんな話に興味はないのかね?」
「いや、面白い」
「面白かったら仲間にはいって論じたらいいじゃないか」
「お前さんと同じ年頃ならな。いまじゃ、わしはもうおそいよ」
そして、若い一座のほうに眼をやって、
「若いとはいいことだのう。しかし、あれたちがどうなるかと考えると、わしは涙がこぼれる」
「ふうむ。……それにしても、警察は怖《こわ》くはないのか」
「なに、調べられたら、みな義太夫の弟子じゃということにするさ。義太夫の|のど《ヽヽ》馴らしの修行をさせておると」
そんな弁明が通るか通らないかは知らず、龍子先生は平気でからからと笑った。
それでも壮士たちは、ここへ来ると、まるで慈父の膝に乗ったような安らぎ、なつかしさを感じるらしかった。ここは三多摩壮士の梁山泊であった。
緑酒に月の影やどし
さて、このふしぎな隠士の庭に連行されて来た南方熊楠《みなかたくまくす》に、ヘドをかけられた壮士赤沼は凶暴な眼をそそぎ、「警視庁の密偵《いぬ》であることを、身体で白状させてやる」と、白刃をひっさげて近づいた。
「ひどいことをしないで、赤沼さん」
と、龍子先生の娘、蓬があわててさけんだ。
「お父さま、とめて!」
ところが、龍子先生は動かない。何もいわない。ふだんの通りのおだやかな眼で、しかし黙って捕虜を眺めている。
身の証しがたてば解放してくれるだろうと考えて、わりにのんきな顔をしていた南方熊楠は、先刻からのなりゆきと外見から、いちばん分別人に感じられた隠士が、こちらに危険が迫ってもまだ風馬牛《ふうばぎゆう》の顔をしているので、はじめて狼狽した。
「わしはまちがいなく大学予備門の生徒です。とにかく学校に電報で聞き合わせてからのことにして下さい」
と、彼はさけんだ。
「はじめから密偵が学生として入学するという手もある。このごろの警察の密偵作りは手がこんでいての」
と、土方襄之助が冷然といった。
「中には、わが自由党の中に、党員として潜入しておるやつもいるありさまだからな」
そして、赤沼をじろっと見た。
「赤沼、たしかにこいつを密偵と思うか?」
「と、思う。ほかに考えられん」
「よし、それでは斬ってしまえ」
赤沼の顔に動揺の波が立った。
「殺せ、というのか?」
「左様、貴公のカンを信じる。おそらく警視庁の密偵にまちがいあるまい」
「うん、いや、しかし、それをたしかめるために、これから少々痛い目を見せても白状させようと思っていたのだが」
赤沼は、さすがにやや当惑の顔をした。
「なに、まちがってもいいのだ。責任はおれもとる」
土方は怖ろしいことをいった。青銅で作ったような顔の中で、銀色にひかる眼が赤沼を見すえていた。
「密偵であるかないか、簡単に白状するわけもなく、調べていたらきりがない。とにかく疑わしきは斬る。――闇ノ目組は、その方針じゃなかったか?」
「闇ノ目組? 土方さん、闇ノ目組って何ですか」
と、訊いたのは大矢という壮士である。
「それはあとでいう。――とにかく、赤沼、斬れ。責任はおれもとる、いや、おれがとるといってるじゃないか」
「しつこいひとね!」
蓬がさけんだ。
「さっきから、むやみやたらに斬れ斬れとばかりいって――土方さん、あなたは人の斬られる痛さがわからないのですか?」
「そりゃ、斬られたことがないからわからない」
「それじゃ、わたしがあなたを斬って見てあげましょうか」
土方襄之助は黙って蓬のほうを見つめていたが、やがてニヤリと笑った。
「ヤットーのおやじさんの娘さんながら、大変なことをいう。おれと斬り合うつもりかね?」
「お父さまがお許し下さるなら」
活気に満ちているが、まだあどけない十七歳の娘の顔を見まもって、みな唖然とした。
「おやじさん、どう思いなさる?」
土方はそちらに眼をむけた。やはり笑っていたが、こういう場合の男の笑いとは少しちがっていた。陰気で、殺伐な笑顔であった。
「面白い組合わせと思う」
これに対して、龍子先生は恬然《てんぜん》とこう答えた。
「そのうち、機会があったら、やって見たらよかろう」
「なんですと?」
「しかし、いまそんなことをする必要はあるまい。ふたりとも、頭を冷やせ。……とにかく赤沼さん、君も、そのふんどし一本に刀をひっこぬいてわめいている姿は、倭寇《わこう》のようで可笑しい。着物をつけて来なさい」
「あ」
土方のけんまくに気圧《けお》され気味であった赤沼は、ここではじめてわれに返ったように、また井戸のほうへ戻ってゆき、着物の一塊を抱きあげたが、いったいどうしたのか、そのままぱっと走り出した。
「しまった!」
身をひるがえして、土方襄之助は数歩追いかけたが、赤沼はそのまま竹垣を躍り越え、もう暗みをおびた向うの竹藪の中へ、むささびみたいに駈けこんでいった。
来訪したばかりの三人の若い壮士たちは、あっけにとられて見送っていたが、舌打ちしてひき返して来た土方を迎えて、
「どうしたのです、あれは?」
と、訊いた。吐き出すように土方襄之助は答えた。
「あれが警視庁の密偵だったのじゃ」
みな顔を見合わせた。事情はよくわからないなりに、これには口をぽかんとあけないわけにはゆかなかった。
「あと一歩のところで、密偵《いぬ》の首に鎖をつけたものを!」
みれんげに藪のほうをふりむいて、土方は切歯した。大矢がさけんだ。
「それはまちがいないのですか!」
「逃げたのがその証拠だ」
猛然と駈け出そうとする大矢を、
「もう遅いわい。追ってもむだだ」
と、土方はにがり切っていった。
「それはいったい、どういうわけですか。党員中、あの最も勇猛な赤沼さんが、警視庁の密偵だったとは!」
「最近、どうもくさいと思われるふしがあったのだ。しかし、容易にしっぽを出すわけもない。そこで一策を案じた」
土方襄之助は話し出した。
「おれは赤沼にいった。こんど馬城《ばじよう》先生、磯山先生と相談して、党中に秘密の闇ノ目組というものを作ることにした。――党に潜入しとる警察の密偵《いぬ》を探してこれを処分し、かつまた裏切って同志の検挙に一役買った者などがあればこれに誅戮《ちゆうりく》を加える党の防衛秘密機関だ。おぬし、それに加わってくれないか、と。――」
「……」
「おれの見るところの密偵赤沼兵吾は、ますます自分の任務に好都合だと思ったのだろう。よろこんでその一員になることを承諾した。そのとき、おれたちはまた約束した。密偵、裏切者の嫌疑について、疑わしきは斬ると」
「……」
「さて、こんどおれが川口村へ来るについて、赤沼にも同行を誘った。おれはあいつのしっぽをいぶり出すために同行を求めたのだが、あいつはかねてから、ここのおやじさんのうちへ同志たちが集まることを聞いておって、その顔ぶれはどんなやつか、何を談じているか、それを探索したい気から、飛びつくようにこの誘いに乗った。――いぶり出しの機会を狙っとるうちに、はからずもつかまえたのがこの男だ」
と、南方熊楠をあごでさした。
「どうやら赤沼は、自分が疑われていることをうすうす感づいていたようだ。それで、自分への疑いをはらすために、躍起になってこの男を密偵扱いにしたがった。で、おれはこいつを斬れといった。闇ノ目組の約定《やくじよう》だ。赤沼ははたと困った。約定を履行せねば自分への疑いが濃化する。斬れば自分が人殺しとなる」
土方は残念そうに、地面に唾を吐いた。
「あれは踏み絵に乗せたんだ。どっちにしても、あいつはこれから金縛りになる。それなのに、だ。――」
「すみませんでした、土方さん!」
と、蓬がさけんだ。身も世もあらぬ表情で、
「わたし、そんなことは知らないで。……」
と、実際に身もだえしたが、すぐに父の龍子先生のほうをふりむいて、
「お父さまは、赤沼さんが……そんな人だったと御存知だったのですか!」
と、訊いた。
龍子先生は、春風の中に首をふった。
「そんなこと、わしが知るかよ」
それにしてはさっきから泰然とし、またいまも泰然とし過ぎているようだが、事実、どういう場合にも泰然としているのが、このヤットーのおやじなのであった。
大矢が口を出した。
「いや、驚きました。事情はわかりましたが、しかし、そこにおる男はほんとうに密偵なんですか?」
「わしは大学予備門の生徒です」
と、南方熊楠は何度目かの同じ返答をした。落着きをとり戻したようだが、それにしてもやはりどこか常人とは異った男だ。
すると、龍子先生がいった。
「それはほんとじゃろ。相すまんことでした」
「それじゃ、赤沼さんが……赤沼が、ほんとに斬ったらどうしたんですか?」
これは龍子先生と土方双方に投げた問いであったが、土方だけが答えた。
「警視庁の密偵が殺人者となったら、首ったまにつけた鎖をわれわれが握ったようなものだ」
さすがに南方熊楠は、ぶるっと頭をふって、ふとい頸を撫でた。
大矢はまた訊いた。
「で、赤沼は逃げてしまいましたが……あれが警視庁に帰って報告したらどうするんです」
「こちらはまだ殺人も何も犯しとらんのだから、向うもどうするわけにもゆかんだろう」
土方は薄笑いした。
「おれたちを険呑《けんのん》だと見ているのははじめからのことだから、いまさら案ずるには及ばない。……それにおれは、かねてから馬城先生の御下知で大阪へゆかねばならん用件がある。東京へは帰らず、このままそっちへ飛ぶ。万一警察から調べに来たら、どこへいったかわからんといっておいてくれ」
「は。……それは承知しました。しかし、土方さん」
大矢はなお首をひねった。
「いま聞いた闇ノ目組とやらの話ですが……こんなことをいうのも変ですが、僕はまあ土方さんに知られてる男だからよろしいが、ここにおる北村君、石坂君は、あなたにとってはじめて見る人間です。それにそんな秘密の話を聞かせてよろしいのですか?」
「なに、嘘だよ」
「え?」
「あれは赤沼を罠《わな》にかけるために作り出した話だよ。――と、いったら、どうするね?」
土方襄之助は乾いた高笑いをあげ、
「では、おやじさん、とんだ空《から》騒ぎで御厄介かけました。いずれまた」
と、頭を下げて、スタスタと庭から出ていった。痩せて高く、春なのに、こがらしに吹かれる枯木を思わせるうしろ姿であった。
何とも判断がつきかねる、といった表情で、新来の若い三人の壮士は見送っている。
「あんた方、新選組という名を御存知かな」
と、龍子先生がいった。北村と石坂はうなずいた。
「その副長に、土方歳三という男がおった。土方歳三は、この近く――多摩|郡《ごおり》の石田村の出身でね。あの土方襄之助はその甥に当る。叔父と同様、天然理心流の名人だ。そもそも天然理心流というのがこの多摩の郷士が生み出した実戦型の百姓剣法じゃが――とにかく、あれに狙われたら、狙われた人間にとってとり返しのつかぬ災難だと思ったほうがよろしい。――ま、そんな話は、酒でも飲みながら話そう」
と、いい、さらに、地べたに坐ったままの南方熊楠にも、
「いや、あなた、ひどい目に逢いなすったな。あなたもよかったら休んでゆきなさい」
と、いった。
外見は、茅《かや》ぶき屋根に草がはえ、農家にしても小さいほうだが、中にはいると意外に清楚で、どこか粋《いき》な匂いさえ漂っている。べつにぜいたくな道具があるわけではないが、よく掃除されていることと、壁にかけられた二、三枚の色紙、床の間にたてかけられた三味線などから来る印象だろう。
色紙には、
「夢いくつさまして来しぞほととぎす 龍子」
「ここに寝む花の吹雪に埋むまで 龍子」
と、枯淡な筆で書いてあった。あるじ自身の句であった。
その座敷へ案内された四人の若者は、龍子先生に改めて挨拶し、話し合った。
もっとも、このうち、大矢だけは以前からここへ出入りしている。しばらく居候をしていたこともあったという。石坂と北村は、彼が連れて来たのだ。
大矢正夫は、相州高座郡栗原村の貧しい農家の生まれだが、よく勉強して、いちじは小学校の教師などやったこともあるが、その後自由民権運動に身を投じ、いまは元自由党左派の領袖《りようしゆう》大井憲太郎一派に属している二十三歳の壮士であった。
石坂公歴は、南多摩郡野津田村の豪農の息子だが、早くから自由党にはいっていた父を持ち、いまは東京の大学予備門にはいるべく受験勉強中の十八歳の若者であった。公歴と名づけた父親は、マサツグと読ませるつもりであったが、ふつうそうは読めないので、だれもがコウレキと呼んでいる。
北村門太郎は、生まれたのは小田原だが、その後家は東京に移住して京橋で小さな煙草屋をひらいている。彼はいちじ一、二の学校に籍をおいたこともあるが、これも民権運動に誘われて学校をやめ、目下放浪中という境涯であった。石坂と同年だ。
この三人はむろん仲間だが、妙ななりゆきで一座に加えられる羽目になった南方熊楠は、これは生地もはるか西へ飛んで、紀州和歌山の産で、いま東京大学予備門の生徒で、年は十九だという。
熊楠は頭をかいていった。
「それが、粘菌《ねんきん》っちゅうもんにとり憑かれて、学校の勉強なんか馬鹿馬鹿しくて。……」
大学予備門はのちの一高である。
「ああ、あんたは大学予備門にはいってるのか!」
石坂公歴は、最初その名乗りを聞いたときからの感動の眼を、いまや敬意に変えてさけんだ。
「僕もこの六月、予備門の試験を受けるつもりなんだけど、難関なのに勉強に身がはいらなくて弱ってるんだ。あんたはせっかくそこにはいりながら、ネンキン採りとかにこんなところを歩きまわってる。予備門は、はいっちまえばそんなに遊んでおれるのか。ああ、羨ましいなあ!」
「ネンキンとは何ですかい」
と、龍子が尋ねた。
すると南方熊楠は、ふとって、髯だらけで、いかにも口の重そうな分厚い容貌なのに、別人のように粘菌なるものの生態についてしゃべり出した。
やがて、ほかの三人の若者はありありと退屈顔を見せて、面白そうに聞いているのは龍子先生だけになったが、熊楠は全然頓着せず、口から唾をとばして熱弁をふるった。途中で、さすがに降参顔になった龍子先生が、
「ネンキンもわからんが、あんたが赤沼にひっかけたというヘドもよくわからん。牛なみに反芻とか何とかいっとったが、そりゃほんとかね?」
と、言葉をさしはさまなかったら、熊楠の粘菌講義は朝までつづいたかも知れない。
熊楠は、自分の胃袋が何日間かの食糧を貯蔵する能力を持っていることを述べ、山野の跋渉《ばつしよう》には甚だ好都合だ、と自慢顔でいった。で、そのためには事前に大食する必要があり、いちど学校の寮で実験してみたところ、丼飯を二十八杯食ったことがある、といった。そういう具合にして胃に貯えたものを、必要なときに口に戻して食い直す。
「うまいかな?」
と、龍子先生が訊く。
「そりゃうまいです。酸味のある麹《こうじ》を食うようで……何ならいちど食味していただきたいもので……」
「結構、結構」
と、龍子先生があわてて手をふり、ちょうど灯をいれた行燈を運んで来た蓬が、口をおさえて逃げ出した。みな腹をかかえて笑った。
熊楠は胃のあたりをなでて、
「いや、残念ながら、今回は胃に三日分しか用意していなかったのを、さっきみんな出してしまったので、貯えが尽きておるようです」
「ということは、腹がへったということか」
「まあ、そういうわけです」
「では、蓬、そろそろ晩飯の支度をしてくれ。いや、きょうは鶏鍋を御馳走しよう。どりゃ、わしがひとつ絞めて来る。よっこらしょ」
龍子先生は立ちあがった。
「手伝いましょう」
熊楠が身を起すと、
「僕たちも」
と、あと三人も立つ。龍子先生がいった。
「なに、鶏を一、二羽絞めるのに、そんなに人手は要らん」
「いや、ついてないと、この人は何をするかわからんです」
と、石坂が熊楠を見ていうと、また爆笑となった。
三人の壮士から見ると、依然としてえたいの知れない男だが、それでも親愛感を禁じ得ない童心爛漫といった風格を持つ南方熊楠であった。
みな若い。さっき述べた年齢は数え年だから、満ではそれより一つまだ若いことになる。北村、石坂は、現代でいえば高校三年くらいだろう。しかし、保護された若者だけの世界というものがほとんどなかったこの時代では、十五、六のいわゆる元服年齢を迎えれば、だれも子供とは認めなかった。それどころか、庶民の生活では、九つや十で丁稚《でつち》にやられて、たちまち苛烈な大人の世界に放りこまれるのがふつうの時代だったのである。
十八歳の北村門太郎も石坂公歴も、長髪にして、長袖のシャツにめくら縞の着物に袴、闊歩するときは高足駄という、一人前の壮士の身なりをしている。そして、むろん彼らは背のびしているつもりはなく、一人前の面がまえをしていた。
彼らは、夕暮の庭へ出て、鶏を追いまわした。こういうことになると、急に少年の動作となり、声となる。
鶏は二羽絞められた。少し風の出て来た大竹藪の上にまるい月がかかった。
やがて鶏は肉と化して、ありあわせの野菜、山菜とともに囲炉裡の大鍋にかけられた。大徳利に酒も出た。龍子先生も彼らを完全に大人として待遇している。
食う者、飲む者、そしてまたひとしきりの歓声の中で、
「蓬、君も食べな」
と、大矢正夫がいった。うしろで、酒や汁の具《ぐ》の世話ばかりしている娘の姿に気がついたのである。呼び捨てにするのは、彼がここに居候をしていたころからの習慣であった。
「先生、先生は、さっき娘さんとあの新選組の隊長と斬り合いをやったら面白かろうとおっしゃいましたが」
と、熊楠が不審そうに訊いた。新選組の隊長とは、土方襄之助のことらしい。
「こんな娘さんに剣術を教えなさったか?」
「――いやだあ!」
と、蓬が大声をあげて、両掌で顔をかくした。彼女はまだ十七歳であった。
空に青雲地に青春
「こう見えて、娘に剣術を教えるほどわしは野暮な爺いじゃないよ」
龍子先生はニコニコしていった。蓬をかえりみる眼は、かわゆくてかわゆくてしかたがない、といった眼であった。
「ただ、ひところ、ひとりで竹藪にはいって竹をたたいているのを見たことはあるがね」
「あれ、土方さんがあんまりしつこくあなたを斬れ斬れというものだから、わたし、腹が立って――」
と、熊楠を見て、蓬も笑っている。
「それに、お父さまがついていると思って」
「先生は、お強いんですか?」
「強い――だからヤットーのおやじさんと呼ばれているんだ」
と、大矢がいった。
「お前、見たこともないくせに何をいっとるか。何にしても、そりゃ昔のことじゃよ。それに、こう|ちんば《ヽヽヽ》になってしまっては、どうしようもないわい。ところで、ミナカタノクマクスさん、先生はよしてくれ、おやじでいい」
「しかし。――」
「強《し》いて呼びたかったら、お師匠とでも呼んでくれ。ただし、義太夫のお師匠さんじゃ。……ひとつ聞かせようか?」
北村門太郎のほうを見て、
「あんた、江戸育ちと聞いたが、義太夫はお好きかな?」
「あまり好きじゃないです」
と、北村は率直に答え、龍子は大笑した。
「はは、おきらいか、それは残念」
「それより、おやじさん」
と、大矢が急に真顔でいい出した。
「おやじさんが議論めいたことを好きじゃないってことはよく知ってるんですがね。どうしてもひとつお訊きしたいことがあるんですが……正気のうちに教えて下さい」
「何じゃね?」
「目的が絶対に正しいなら、それを達するための手段はすべて正当化されるものでしょうか?」
これは質問者をよく知らないと答えにくい問いであった。相手によって返答は変るべきものだからであった。
龍子先生はたちどころに答えた。
「その通り」
「いいですか」
「ただ、二つ、条件があると思う」
「何ですか」
「その手段のほうで、じゃな。第一に、無関係な人に飛ばっちりがいって血を流させちゃあいけない。第二に、たとえ血は流さなくても、自分より弱い者を犠牲にしちゃあいけない」
大矢はむずしい顔で宙を見て、何か考えこんでいる風であった。
「その条件さえ守れば……目的が正しいなら、何をやってもよかろう」
これも、この隠士めいた人物の口から出るとは思えない、怖ろしい返答であった。
「ただし、こりゃもうこの世に役立たずになった爺いのいうことだから、無責任なものだぜ、あはは。……それより、まあ、歌え、歌え。――わしの義太夫はよすとして、お前さん方の唄が聞きたい、待て待て」
と、龍子先生は立って、床の間の太棹《ふとざお》の三味線をとって来た。
「相の手をいれてやろう。さあ、何でも歌え」
やがて、大矢正夫が、「風|蕭々《しようしよう》」の詩を吟じ出した。ついで、石坂公歴が、
「むかし思えばアメリカの
独立したのもむしろ旗
ここらで血の雨ふらせねば
自由の土台がかたまらぬ」
と、去年の困民党騒ぎの中で、農民たちが歌ったという唄を歌う。
次に、ミナカタクマクスノミコトも何かやれ、といわれ、「わしは歌のほうの声帯はまことに異常で」と、大いに苦悶の態《てい》であったが、やがて熊楠は決心したらしく、
「それじゃ、蓬さんを見て、感ずるところがありまして」
と、いい、いきなり脳天のつむじから螺旋状に立ちのぼるような声で、
「ハアァァァ……エエェェェ……ハアァァァ……エエェェェ……」
と、やり出した。そのあとに何かつづくのかと待っていても、いつまでたっても、この長大な余韻の繰返しである。
これには三味線の合わせようがない。
「そりゃ、唄か、囃子か」
と、大矢が眼をパチクリさせて訊くと、
「わしの故郷の近くの村に、巴御前という異名のある娘がおりましてね。なかなかの別嬪のくせに、米一俵背負って五里くらい平気で歩くという勇婦です」
と、妙な話をはじめた。
「この娘が、とうとう祝言をあげました。で、その晩、どうなるのじゃろ、と、われわれ悪童連が、嫁入り先の家のまわりで眺めておった。月明の夜でありました。すると深夜、この、ハアァァァ……エエェェェ……という、迦陵頻伽《かりようびんが》のような声が、七度《ななたび》流れて参った」
「なんだ、それは?」
「ハアァァァは感嘆の声で、エエェェェは、好《え》え、つまり快美の声です」
十九歳のくせに、大まじめな髯面でいう。笑い出したのは龍子先生ひとり、赤い顔をしたのは大矢だけで、あとは北村も石坂も蓬もキョトンとしている。
やおら、大矢が尋ねた。
「それを……蓬を見て感じるところがあって思い出したとはどういうことだ」
「いや、蓬さんも……新選組と一騎打ちを志されるほどの勇婦なので、ただなんとなく」
「ま、そりゃいい、北村君、あんたも何か歌え」
と、龍子先生が、ハーエー問答の転換をはかった。
盃を二、三杯たてつづけにほしてから、これは最近作った僕の詩だ、といって北村門太郎は歌った。――
「いわず語らぬ蝶ふたつ
ひとしくたちて舞いゆけり
うしろを見れば野は寂し
前に向えば風寒し
過ぎにし春は夢なれど
迷いゆくえはいずこぞや。……」
「何だか悲しい歌ですな」
と、南方熊楠がいった。
「ふたつの蝶って何です」
「いや、ただ二羽の蝶が飛び立ってゆく風景を歌っただけで。……」
しかし、実際このとき、眼をつぶって聞いていた龍子先生の頬には涙がつたわっていた。
「歌が悲しいせいではない」
と、いった。
「お前さんたちが悲しいんじゃ」
「私たちのどこが悲しいんです?」
と石坂が訊いた。龍子先生はつぶやいた。
「わしはなあ、あんた方を見ていると、いかにも風の中を飛ぶ蝶のような気がする」
「へえ、僕たちが蝶。……よくわからないが、そうだとしたら、何が悲しいんです?」
「風はいつか秋に変るからさ」
北村門太郎はのちに透谷と名乗る詩人となる。
――短く苦しみのみ多かった人生で、透谷はなぜかこの一夜の灯のまどいをいつまでも忘れなかった。酔った龍子先生から、断片的ながらその昔話を聞いたのもこの夜のことである。彼はのちのちまで、このふしぎな梁山泊を「幻境」と呼び、また「希望《ホープ》の故郷」として回想した。
一夜泊って、四人の若者と蓬は朝早く川口村を出ていった。
南方熊楠まで梁山泊に枕をならべて寝る始末となったのである。
三人の壮士は、これから石坂公歴の家のある野津田(いまの東京都町田市)へゆく予定になっていた。熊楠はもう東京へ帰るといった。蓬は彼らを見送りのためについて来た。彼女は馬を曳いていたが、それには乗らず、歩いている。
いわゆる秋川街道を、八王子に向って、四、五町歩いたところで、
「や、ここがわしの、きのうつかまったところだ」
と、熊楠が立ちどまった。そのまま片側の林のほうを見あげて、何か考えていたが、やがてふりむいた。
「諸君、何だったら先へいってくれたまえ」
「どうしたんだ」
「まだネンキンが棲息しているかも知れない――という場所を思い出したんだ」
三人の若者は苦笑した。
「じゃ、いって来たまえ」
と、大矢がいった。
「おれたちはここでしばらく待っている」
熊楠が、例の、森で釣りをする原始人みたいな姿で、林の中へガサゴソとはいってゆくのを見送って、三人は草原に腰を下ろした。蓬もちかくの立木に馬をつないで坐った。
そこにも近くに葉桜になった山桜が咲いていて、しきりに花びらが散って来る。かんばしい若草の上に坐って、石坂はふと空を見あげ、
「やあ、雲がきれいだなあ」
と、さけんで、仰むけになった。
三人の若者は、しばらく、碧い空をわたってゆく光の船のような雲を仰いでいた。
「ああ、来年の春はどうなってるかなあ」
と、石坂公歴がつぶやいた。北村が草の上で、首を横にむけていった。
「君は大学予備門にいってるんだろう」
「そうなってるといいんだが、僕には自信がない。六月に試験だというのに、ここ二、三ケ月、英語の本なんかひらいたこともないありさまだからな」
そういいながら、石坂はひどく悩んでいる風でもない。色白で、小柄で、スラリとしていて、髪型と衣裳を変えると、女にも見まがうほどのういういしい美少年だ。それに、三多摩切っての豪農の御曹司らしい鷹揚さが、ふっくらと匂っていた。
「君が石坂家の息子さんでなかったら、大学予備門なんかへゆくのはよせ、というんだが」
と、北村門太郎はにがにがしげにいった。
「あれは出世予備門だ。しかし、君の場合、やむを得まい。君には君の運命があるんだから」
「予備門にはいっても、僕は自分の出世なんか考ええていない。大学を出て、一日も早く県会に出て、農民のために奮闘しようと考えているだけだ」
「それはいつのことになる?」
と、北村はいった。
「現在ただいま、農民は高利貸しに土地を奪われ、暴動を起しても警官や軍隊に撃たれ、捕われ、死刑になってるじゃないか。自由党は解散させられ、これまた激発しても、ただの強盗殺人として逮捕されてるじゃないか」
北村門太郎は、いちじ東京専門学校(後の早稲田大学)に籍をおいたこともあるが、民権運動に魂を奪われて学校など放り出し、去年の夏など、大矢とともに、印半纏を着て東海道を小間物の行商をして歩きながら、自由民権の伝道をして歩いたという青年であった。
彼らは東京で、自由民権に関するベンサムやスペンサーなどの洋書の「読書研究会」で知り合った仲であった。大矢と北村は正式に自由党員になったが、石坂はまだ加入していない。大学予備門にはいるという目的があったからだ。
彼らの間に、何度こういう問答が繰返されたことだろう。――石坂公歴は、彼なりに一応苦しんでいた。彼をおちおち勉強させないのは、北村に指摘される通りの悩み以外の何物でもなかった。そのことは北村も知っている。だから、党員にならなくても、同志としてつき合っている。石坂の現状も容認している。
だいたい北村門太郎は、公歴と同じ年だが、右のごとくともかくも行商をやったり横浜のグランドホテルのボーイをやったりして、生活的にはるかに苦労しているだけあって、ずっと大人《おとな》だ。容貌も、眼は澄み、口もとはひきしまり、ずっときびしい顔をしていた。内心では、頭の点でも公歴を見下している。――同時に、愛している。
一方、公歴のほうは、素直に門太郎を敬愛している。若者特有の、濁りのない美しい友情が二人の間にあった。
で、こういう関係から、ともすれば北村門太郎は公歴を、こんな風に叱咤せずにはいられないのであった。
――しかも、それはただ友人への叱咤ではなく、彼のほうにも深い悩みがあって、その言葉は彼自身への鞭なのであった。
「われわれが全身全霊を捧げるのは今だ、と僕は信じて、今を生きるつもりだ」
「ほんとうにお前はそう信じているか」
と、大矢正夫が横からいった。
「門太、お前はほんとうに党や農民のために全身全霊を捧げるか?」
北村の顔に動揺の波が立った。大矢は厳然といった。
「もう女郎屋狂いはよせよ」
「うん、もうやらん」
北村は頭をかかえた。
実はそこに彼の弱味があったので、彼は最近も一週間ほど女郎屋に流連《いつづけ》し、大矢が迎えにゆくと女郎の着物を着て現われて、大矢に殴られたこともあるのである。
そんなことがなくても、北村も石坂もいっぱし大人のつもりでいるが、やはり二十三歳の大矢に叱られると、頭が上らない。そもそも大矢正夫が、精悍な若い獣と、ストイックな修道僧のような雰囲気をあわせ持つ青年であった。
大矢は空を見あげ、胸を張っていった。
「おれは東洋の民衆の解放のために生きる」
といって、自分で笑った。
「というと、法螺吹きのようだが、馬城先生の思想がそうなんだ。おれは馬城先生に殉じて生きるつもりだ」
ふいに北村門太郎が、両掌を顔にあてて嗚咽《おえつ》しはじめた。先輩の壮大な夢と信念にくらべて、自分の小ささ、醜さが胸に迫って、それが涙となって溢れ出したのである。
すると、それにつられて、石坂公歴も泣き出した。これはわけのわからない感動の涙であった。
ボンヤリとその光景を眺めていた蓬が、ふいにこれも胸をそらしてさけんだ。
「わたしにも、夢があるわ。……わたしは、ジャンヌ・ダルクになりたいのです!」
三人の青年は、あっけにとられたようにそのほうを見て、みなゲタゲタと笑い出した。
そこへ、ノソノソと南方熊楠が帰って来て、四人が泣き笑いしているのを、大きな眼をむいて見まもった。
「いや、石坂君がね、大学予備門にはいるには勉強が足りんといって歎くものだから、それから議論が発展して、みんなもらい泣きという始末さ」
と、大矢がいいかげんなことをいって、ごまかした。
「勉強が足りんくらいではいれないなら、予備門にはいらなくてもよいです」
何をつまらぬ、といった顔で熊楠はいった。
「あんなところへは天然自然にはいるものです」
「へえ、天然自然にはいれるかねえ」
石坂公歴は眼をまろくした。
「天然自然にはいれない人は、そっちは不向きなんじゃから、ほかの天然自然の道をいったらいい。人間たった一度、ただ一生。何も無理な道をゆくことはないです。いや、エラそうなことはいえん。実はわしも、去年予備門にはいることははいったのですが、それがわしにとって天然自然の道かどうか、疑問を持っとるのです」
「君にとって、天然自然の道とは何だね」
と、大矢が尋ねた。
「そりゃ粘菌の研究です」
「またネンキンか。ところで、君の探しにいったネンキンは見つかったのかね?」
「いや、わしの見込みちがいで、ありませんでした。――ところが、日本にゃ、粘菌学について教えてくれるところがない。それに関する本さえない。そこでわしは、西洋へいってその研究をやるのが、わしにとっての天然自然の道じゃなかろうか、と、こう考えておるのです」
熊楠も空の雲を見た。
「世界的な粘菌学者になる。――それがわしの夢です」
四人の若者は、黙ってその姿をふり仰いだ。四人とも――ややノーマルな石坂公歴を除けば、世俗的な功名や幸福を度外においた夢をえがいている若者たちであったが、このネンキンにとり憑かれた風来坊の夢には、何とも批評の言葉がなかった。
馬が、彼らをうながすようにいなないた。
やがて彼らは、また歩き出した。
四人は、八王子の手前、浅川を渡る橋で別れた。蓬はひき返し、南方熊楠は甲州街道を、そこから十里の東京へ、あとの三人は南へ六里、御殿峠を越えて町田のほうへゆくのだ。石坂の家のある野津田はそのすぐ北であった。
三里近く送って来た蓬は、そこではじめて馬に乗り、
「大矢さん、またね!」
と、いって、軽やかにもと来た道を帰っていった。
「さっき、ジャンヌ・ダルクになりたい、という声が聞えたが、ちゃんとジャンヌ・ダルクになっとるじゃないですか」
と、あとを見送って熊楠がつぶやき、大矢を見て、
「あの娘さんを、将来ハーエーといわせるのはあんたじゃないですか」
と、いった。
しばらく、何の意味かわからず、狐につままれたような顔をしていた大矢正夫は、やがてみるみる満面を朱に染めて、
「何をいうか!」
と、大喝した。
「しかし、あの娘さん、あんたに惚れとりますぞ」
「馬鹿っ、おれはこれでもいちど結婚したことのある人間だ。しかし志すところがあって、あえてその妻子を離別したんだ。何をいまさら。――」
と、大矢は肩をそびやかして、
「君は仙人みたいな顔をしておって、また妙なところに気をまわすな。君は好色漢か」
と、かみつくようにいった。
「いや、わしは女はきらいです」
恬然と熊楠はいったかと思うと、いきなりそばの石坂公歴をむんずと抱き寄せて、
「あんたは美少年じゃのう!」
というと、髯の中の厚い唇で、ちゅっとその頬に接吻した。
「な、何をする!」
仰天してとびのき、怒りの眼でにらみつける公歴を惚れ惚れと眺め、
「いや、わしはこっちのほうの趣味がありましてな」
と、天をむいて牡牛《おうし》みたいな声で哄笑し、ミナカタクマクスノミコトは、スタスタと東の方へ歩き出した。
女壮士
当時の地名では、神奈川県南多摩郡野津田村という。
春というのに、野に出て働く農夫の姿もまれで、村のあちこちには、茅ぶき屋根に蓬々《ほうほう》と草が生えて、明らかに無人の家が見えた。借金のためにどこかへ逃げていった百姓の家であった。
北村門太郎が石坂公歴の家を訪れたのははじめてである。南多摩切っての大地主とは知っていたが、その長大な土塀にはびっくりした。ただ、あかあかと夕日のさしたその土塀はところどころ剥落《はくらく》し、中には一部崩れたままになっている個所もあった。
父の石坂|昌孝《まさたか》は、四十半ば、ゆたかに肥って、立派な口髭をはやし、みるからに磊落《らいらく》な人物で、にこやかに息子と二人の友人を迎えたが、敏感な門太郎は、その表情のどこかに憂いの雲がただよっているのを認めた。
そもそも門太郎がここに来たのは、先だって友人の公歴が、「おふくろがこの冬のころから気鬱症で具合がよくないらしい。といって、特別心配するほどでもないが、いちどくらい帰って来てはどうかと父が手紙を寄越したので、近く帰るつもりでいる。ついでに君も春の遊山《ゆさん》のつもりでいっしょにゆかないか」と、いったのがきっかけだ。
石坂家に興味はないこともないが、ともかくも病人のいる家へ遊山でもあるまいと、門太郎は尻込みしたのだが、たまたまそれを耳にした大矢正夫が、「それなら僕もいっしょにゆこう。実は父親の石坂さんのほうに、党務のことで頼みごとがあるんだ」といい出し、ことのついでに大矢がかねてから親しい川口村の梁山泊秋山龍子先生のところへも顔を出して来ようと誘って、その通りのコースでこちらへ廻って来たものであった。
公歴が見舞ったのにつづいて、門太郎たちもその母親に挨拶した。母親は縫物をしていた。品のいい顔は蒼白く、なるほど気鬱症らしい、と感じさせたが、しかし針仕事が出来るくらいなら、まあまあだろう。
それより、門太郎の印象に残ったのは、そこにいっしょにいた一人の娘だ。
「公歴の姉のミナでございます。よくいらっしゃいました」
と、彼女は、どういうわけか、門太郎のほうだけ見てお辞儀した。少くとも彼のほうはそう感じた。
運命の一瞥であった。
自分たちに与えられた一室に案内されてから、門太郎は公歴にいった。
「君に姉さんがあるとは聞いていたが、あんなにきれいなひととは思わなかった。もっとも、君が美少年だから当然だが。……」
「何をいう。ちっとも美人じゃないよ」
「美人以上だ」
と、門太郎はいった。お愛想など、いう必要があっても決していわない北村門太郎にしては珍らしいことであった。
公歴はいった。
「横浜共立女学校へいっているんだが、おふくろがあの状態なので、一ト月ほど前から帰ってるんだ」
「年はいくつ?」
「二十一」
三つ年上だ。
「まだお嫁にゆかないのか」
「何でも、八王子のお医者と話があるそうだけど、本人はまだ勉強したいといってるし。……」
門太郎は、何となくほっと溜息をついた。
まだ恋という自覚はない。だいいち、三つも年上だ。しかし、なぜか自分にとって運命的な女性に逢った、という自覚が彼の胸に烙印《らくいん》された。
北村門太郎は、すでに大矢に殴られるほど女郎屋通いをしたこともある青年である。そしてまた、そのなまなましい体験や、そんな獣のような自分自身を、胸がむかつくほどいとわしく感じて苦しんでいる彼の眼に、いま見た女性は、彼にとっては決して大袈裟でなく、マリアのように清らかな印象であった。それはむしろ恋愛感情とは反対の極北に立つ女人像に思われた。
夕食は、ミナのお給仕で、公歴と二人で食べた。どういうわけか、大矢だけ主人の昌孝と食事を共にした。門太郎は、大矢が、党務のことで石坂さんに頼みごとがあるんだ、といった言葉をふっと思い出したが、別にたいして気にしなかった。彼はただ、ミナがそばにいることで、ワクワクした。
お給仕をしながらミナは、英語の本のことで、二つ三つ質問した。門太郎は明快に答えた。彼は、ミナの訊いた本のページ数まで記憶していた。
「公歴からもうかがったのですけれど、あなたはほんとうに英語がよくお出来になるんですね」
と、ミナはいった。
門太郎が何かいうよりさきに、公歴が素直にいった。
「ほんとうだ。この人はえらいんだよ」
それはむしろこの友人を持つことを誇る、天真爛漫な顔であった。
あくる日の昼過ぎ、それまでなお石坂昌孝と話しこんでいた大矢正夫は、これから自分は東京に帰る、といい出した。門太郎は、それじゃ僕も、と腰を浮かしかけたが、大矢は、
「いや、自分はそういう予定だったんだから、君はもうしばらくお世話になってゆけ」
と、いい、笑顔になって、
「ひょっとすると、近いうち、おれはここへ大変なお客を連れて、もういちど来ることになるかも知れんぞ」
と、ささやいて、狐につままれたような顔の門太郎を残して、元気よく出ていった。途中まで見送ってゆく、といって、公歴もいっしょに出かけた。
門太郎がミナに、庭に呼び出されたのはそのあとのことだ。
広い庭を幾曲りかして、だれもいない納屋の蔭に連れてゆくと、
「北村さん、公歴を助けて下さい」
と、ミナはいった。門太郎はまばたきした。
「そして、石坂家を助けて下さい」
「と、おっしゃると?」
「こういうわけなんです」
ミナはいい出した。
「石坂家はここ、七、八年ほどの間に、財産が四分の一くらいにへってしまいました。それは御存知のような税金や、お米もまゆもひどく値が下がった不景気のせいもありますけれど、父が自由党のために惜しまずお金を出したせいのほうが大きいのです。むろん、父はいやでそうしたわけではありません。民権運動は正しいことと信じ、父は自発的に、よろこんでお金を使ったのですわ。……」
芽ぶきはじめた柿の木の下で、思いがけない話であった。
石坂昌孝が、神奈川県会に自由党から打って出て議長となったこともあることを、門太郎は知っている。彼が、三多摩壮士たちのパトロン的存在と目されていることも知っている。
「お金をもらいに来る人々の中には、わたしから見ても、何に使うか、疑わしい人々もありました。で、わたしがそのことをいうと、父は、自分はあの連中と商売をやっているわけではない、とわたしを叱りました。そして、いったのです。おれはお前と公歴に学問だけは存分にさせてやる。しかしそれ以外の金は残さない。自由民権のために石坂家の財産はすべて使いつくすから、そのつもりでいるように、と」
「……」
「その公歴が、まだ巣立たない前から、自由党にのぼせてしまったとは何ということでしょう」
「……」
「学問だけはさせてやる、と父がいったのに、どうやら弟は学問は上《うわ》の空《そら》で、民権運動の集まりなどに熱中しているようで……母が気鬱症になったのも、そのほうの心配もあるんです。父も苦しんでいます。父の立場として、その口から公歴に、そんな運動に熱をあげるのはやめろ、とはいえません。けれど、父は内心、いまのところは公歴に、何よりまず大学予備門にはいってもらいたいと願っていることはたしかなんですわ。……」
門太郎の顔は、赤くなったり青くなったりした。
のんきそうな石坂公歴の背景には、こんな「家」の悩みがあったことをはじめて知ったのだ。多摩切っての豪農の息子という公歴を、結構な御身分だと皮肉に考えたこともあったが、それゆえに公歴には、貧しい家を放り出して勝手にほっつき歩いている風来坊の自分などとはちがう煩《わずら》いがあったのだ。
門太郎は、きのうこの家を訪れたとき、笑顔で迎えた父の昌孝氏のひたいに一抹の雲がかかっていたことを思い出した。
もっとも公歴自体は、そのことをあまり意識しているようには思えない。――
門太郎が狼狽したのは、そんな公歴を、ともすれば民権運動に熱がないと叱咤した自分の行為に対してであった。
「こんなこと、姉のわたしがいっても、公歴は鼻で笑うだけです。……お願いです、北村さん、ここしばらく、公歴を自由党から解き放してやって下さいませんでしょうか?」
「そ、それはもう」
と、門太郎はさけんだ。
実は公歴を叱る一方で、すでに彼が運動から離れることを認めていたのは先に述べた通りだが、しかし、それを哀願する者がミナでなかったら――公歴とは反対に――門太郎はこんな声を出さなかったろう。
「僕も以前から、とにかく予備門にはいれと公歴君にいってるくらいで。……」
それは事実だが、叱りつけたことも事実だ。
ミナは微笑《ほほえ》んだ。
「それで、安心しましたわ。……」
「しかし、それじゃ僕がそばにいちゃ御心配でしょう。僕はすぐ失礼します。いまからなら大矢さんを追っかければ間に合うと思いますから」
「いえ、そういうわけじゃないんです。北村さん、怒らないで下さい」
「なに、怒っちゃいません。……」
門太郎はあわてていたが、それ以上にミナもあわてた。
「それどころか、わたし、北村さんに当分うちにいていただきたいの」
「何ですって? どうして僕が?」
「公歴は、予備門にはいるための勉強に東京にやってあったのですけれど、ろくに勉強していないことはよくわかっています。ですから、せめて六月の試験までこちらで勉強したほうがいいのじゃないかと考えたのですけれど、それもどうだか――だいいち、いてくれるかどうか――」
ミナは熱心にいった。
「ですから、あなたもいっしょにいていただいて、公歴を教えてやって下さらないかしら。――わたしのお願いしたいのは、英語なんです」
「とんでもない。同年の僕に公歴君を教えるほどの語学力はありませんよ」
「いえ、ありますわ。公歴も北村さんの英語はすごい、天才だ、と感心してました。わたしにも、何となくわかります。……それにあなたは、公歴とちがって、ずっとしっかりしていらっしゃるわ」
手をふろうとした門太郎は、ミナの白い頬がうす赤く染まり、その黒い眼に涙さえたまっているのを見ると、声をのんだ。
「ね、北村さん、公歴を助けてやって下さい。どうか予備門にいれてやって下さい。そして、石坂家を救って下さい!」
石坂家に、三人ずつの思いがけない客が二組、相ついでやって来たのは、それから十日ばかりのちのことであった。
まず、その日の午後、人力俥をつらねて訪れて来た三人がある。
二人は深い編笠をかぶった男で、一人はお高祖頭巾《こそずきん》をつけた女だ。彼らは玄関でみな笠や頭巾をとったが、その顔ぶれを見て、北村門太郎は、まったく驚いた。
それは、かつての自由党左派の指導者大井馬城先生と、監事の磯山清兵衛と――これは顔見知りだが――もう一人は、はじめて見る若い女性であった。
大井も磯山も、門太郎を知っていて、
「や、君はここにおるのか」
と、向うもちょっと意外な表情をしたが、しかしすぐに色あせた紋付羽織をひるがえして奥へ通っていった。
まだ党員ではない公歴には記憶はないらしかったが、公歴のほうは集会の演説などでこの自由党の大立物を何度か見たことはあって、
「おやじは東京で何度も逢ってると思うが……馬城先生みずからうちへ来たのははじめてだろう。えらい人が来たものだな」
と、玄関で眼をまろくした。
門太郎は、卒然として大矢正夫の言葉を思い出して、
「ああ、そうか、大矢さんが近いうちにここへ大変な客を連れて来るといったが、あれはこのことだったのか」
と、さけんだ。公歴がいった。
「しかし、大矢さんはいないじゃないか」
「そうだな。でも、大矢さんが何か動いたことはたしかだ」
「それにしても、馬城先生や磯山先生が、うちへ――何の御用だろ?」
「さあ、それは知らない」
しかし、三多摩壮士のパトロンである石坂家へ、自由党の大立物がやって来る、ということは、それほど変なことでもない、と門太郎には思われた。
「もう一人のあの女は何者だろう?」
と、公歴は首をかしげた。
「ひょっとすると。――」
考えこんでいた門太郎がいった。
「有一館に、去年の秋ごろから若い女性が一人はいったという話を聞いたことがあるが、あれがその人にちがいない」
有一館とは、築地にある自由党の関東本部だ。
「ふうん」
公歴はあとを見送って、
「颯爽たるものだな」
と、つぶやいた。実際、その女は、ひさし髪に結い、着物も地味ながら、この当時の娘の風俗そのままのくせに、しかも、どこか肉感的な円顔でありながら、薫風のように爽やかな印象をひいていったのである。年はミナと同じくらいに見えた。
門太郎は、われに返って、
「さ、つづけよう」
と、公歴をうながした。二人は英語の勉強中だったのだ。
公歴は、のぼせた顔で首をふった。
「いや、きょうはとてもそんな気になれない。馬城先生がおいでになったんだから。……」
――大井馬城。本名は憲太郎。
これまでの記述では、自由党なるものが、このときまでに解党していたのか、まだ存在しているのか、混乱される読者もあるにちがいない。
いかにも、すでに述べたように、自由党中の過激派による各地の蜂起、暴発――さらになおあとにつづきそうな――事件の予感に恐怖した自由党首脳は、ダラ幹の素質もあった板垣退助の意向もあって、前年十月末に、公式には解党していた。
しかし、全員があっけらかんとそれに従ったわけではない。名を変え、形を変え、組織を変えても、その炎をリレーしてゆこうとする人々があって、さればこそ警視庁がなお監視の眼をひからせていたのである。いわば自由党残党の中の大物が大井憲太郎なのであった。
豊前宇佐郡|高並《たかなみ》村の生まれで、そこに馬城山という山があったので馬城と号した。若いころ江戸に出て、開成所にはいりフランス学など学んだところから、フランスの民権思想に共鳴するようになり、やがて民権運動の指導者の一人となった。
長大な顔に、どこか西洋人めいたくぼんだ眼、みごとな口髭頬髯、雄偉な体格に加えて、斗酒なお辞せず、頼まれてはいやとはいわず、衣をぬいでも友を助けるといった豪快熱血の風格は、まさに将に将たる器《うつわ》を見せ、馬城の由来は右の通りだが、見るからに馬上の将軍を彷彿させるので、いつしか同志たちから馬城将軍と呼ばれるようになった。この年、満で四十二となる。
ただこの人物は、放胆に過ぎて、少々破れ太鼓的なところがある。
それを補佐する軍師格の人物が、磯山清兵衛だ。
これは水戸っぽで、げんに築地の有一館の監事をやっている。有一館とは、明治十五年、当時自由党の板垣が岐阜で刺客に傷つけられたとき――このとき板垣が、「板垣死すとも自由は死せず」とさけんだというのは作り話だが――それを機会に自由党が、ボディガードを作る必要を感じ、以後、築地|新栄《しんさかえ》町に設けたボディガード養成所である。当時としては、当然武術の修行ということになり、荒っぽい青年たちが日夜|咆哮《ほうこう》している。そして、板垣が自由党を解散したいまでも、青年修養所的な名目で、実は自由党残党の関東本部として残され、その監事をやっているのが磯山清兵衛なのであった。
これもみごとな黒髯をはやしているが、人物が冷静で、重厚で、しかも計数に明るく、豪快な馬城将軍のまたとない参謀であった。
この二人が自分の家に来訪したのだから、公歴が昂奮したのも無理はない。
それを鎮静させようと門太郎が努力しているところへ、ついでまた三人の訪問客があった。これはこれで、二人とも、また眼を見ひらき、口をあけずにはいられなかった。
なんと、秋山龍子先生と蓬と大矢なのである。びっこの龍子は馬で、若い二人はその両側によりそって、歩いてやって来た。
「わけは、あとで――そのうち」
笑いながらそういって、大矢は龍子先生とともにこれまた奥へはいる。すべては大矢のお膳立てに相違ない。
「何の話かな?」
と、また公歴がいった。ただし、こんどは蓬に向ってである。
「君、知らんのか」
「いいえ、わたしはただくっついて来ただけ」
と、門の内で馬の手綱を握ったまま、首をふった。これは依然として、あどけなく愛くるしい笑顔であった。
「でも、ほんとに御立派なおうちですねえ。……」
と、まわりを見まわし、
「この馬、つなぐところはありませんか?」
と、いった。
そこへ、玄関のほうから、だれか出て来た。見ると、先刻馬城先生といっしょに来た、あの若い女性であった。
「はじめて御意《ぎよい》を得る」
爽やかな笑顔で、
「妾《わらわ》は、東京の有一館で働いている景山|英子《ひでこ》と申すものです」
と、改めて挨拶した。
みんな、あっけにとられている。
「いま大矢|氏《うじ》から承わったが――この馬は貴公のものか」
と、景山英子は蓬に訊いた。
蓬はびっくりした顔で、こっくりした。
「久しぶりに乗馬を試みたいが、よろしいか。……よろしいなら、貴公、貴公の袴を拝借したい」
と、公歴を見た。
公歴は、あやつり人形みたいに、袴をぬいだ。
景山英子と名乗った女性は、それを受取り、みなの前でそれをはくと、足首まで垂れる長さとなったが、しかしみごとな体さばきで馬に打乗り、ややかたむいた太陽のほうへ顔をあげて、
「愛国ノ丹心万死|軽《かろ》シ
剣華弾雨マタナンゾ驚カン
誰カ言ウ巾幗《きんかく》事ヲ成サズト
曾《かつ》テ記ス神功赫々《じんぐうかくかく》ノ名」
と、朗々と吟じた。銀鈴のような声であった。
巾幗とは女のことである。あとで知ったのだが、これは彼女自作の詩であった。
「では、暫時、騎乗を試みる」
かろく鞭をあてると、戞々《かつかつ》と蹄《ひづめ》の音をたて、「ああ、欣喜、欣喜」とさけびながら、門を出ていった。――頭はひさし髪のままだから、ふつうなら滑稽に見えるはずなのだが、ふしぎに妖しい美しさと、しかも颯爽の気を失わない姿であった。
口をあけて見送っていた三人のうち、ややあって、
「女壮士だな」
と、北村門太郎が嘆声を発して、ふり返った。
すると石坂公歴は、魂を宙に飛ばしたような顔でつぶやいた。
「僕は自由党にはいる。――」
「なんだって?」
「女性でもあの通りだ。男と生まれて、立身出世の看板をかかげた大学予備門などくぐれるか。……僕は、断然、自由党員となる!」
門太郎は言葉を失っていた。
十日以前だったら――たとえば、あの西多摩の草原に寝て、雲を仰いで夢を語り合っていたときに公歴からこの言葉を聞いたなら、彼は感動して泣いて、公歴の手を握ったろう。
しかし。――
門太郎は、救いを求めるように、ウロウロと眼をさまよわせた。が、ミナの姿はどこにも見えなかった。彼女は、奥で客の接待に当っているらしい。
……遠ざかってもらいたい自由党の、その大物の客におしかけられて、ミナはどんな顔で接待しているのだろう?
一時間近くたって、景山英子は帰って来た。そして、馬と袴を返したところに、龍子先生と大矢正夫が出て来た。
そして、龍子先生は馬に乗り、大矢だけ連れて出ていった。今夜は、大矢の出身地の栗原村に一泊し、あした川口村に帰るという。
蓬はあとに残された。
別れの挨拶を交わすのも忘れて、門太郎と公歴は茫然と立っている。二人の耳には、別れ際に龍子先生が蓬にいった言葉だけが残った。
「蓬、お前は、明日、この景山さんといっしょに東京にゆけ。これから何度か景山さんは、この石坂家へ来ることになっておる。お前はそのお供をして、景山さんを護るのだ。景山さんの護衛には、男よりお前のほうがいい。――お前を、風の中の蝶に加えることにする」
と、龍子先生は笑っていい、馬に乗ると、だれにともなくつぶやいたのである。
「ヤットーのおやじは、娘を滅びゆく自由党に捧げる」
栄華の巷ひくく見て
六月上旬まで、門太郎は公歴の「家庭教師」として、石坂家にいた。最初、門太郎の滞在に複雑な表情を見せた父の昌孝も、娘のミナの説明を聞き、また公歴の受験勉強を鞭撻する門太郎を見て、心を解いたようだ。
しかし、勉強し、鞭撻するかに見えた二人の青年の心は、実はそこになかった。
公歴の心が自由党に飛び、ほんとうはあの女壮士の景山英子への憧憬に夢見心地であることを、門太郎は見ぬいていた。そして、その門太郎の心も、実はミナに吸引されていた。
客観的にいえば、初恋というものであったろうが、奇妙な恋ではあった。
双方とも相手は三つ年上で、彼女たちは自分が恋されていることを知らない。二人の青年は、この点だけは大変な克己心をもって挙動に現わさなかったし、だいいち自分が感じている憧憬を恋だと意識していない。
そもそも景山英子が、常識的に見て、恋愛の対象になり得る女性だったろうか?
彼女は、岡山の士族の娘だが、少女時代から「マガイ」と呼ばれたという。マガイとは、馬の爪の鼈甲《べつこう》に似せたもので、似て非なるものをいう。この場合は、おとこ女《おんな》、という意味だろう。英子は幼女のころから男の子と同じことをやるのが好きで、やや長じてからも、髪は短く切り、着物も少年同様のものを着て、つんつるてんの袴をはいて闊歩したから、そういうあだ名をつけられたのである。
娘となって、さすがに装いはふつうの娘姿になったものの、活溌な性質は変らず、やがて当時の青年と同じく自由民権思想に感激し、ついに家を飛び出し、上京して、馬城大井憲太郎のもとへ身を投じたのである。それが去年の秋のことで、ことし数えで二十一になるそうな。
彼女は築地の有一館に勤めて、ここに出入りする壮士たちの食事や洗濯の――そのための下女が数人いたが、その監督をする一方で、文書や手紙の処理などもしているという。
その景山英子は、門太郎が石坂家にいるあいだに、二度来た。
彼女は例によってお高祖頭巾をつけて、幌《ほろ》をかけた人力俥に乗って来たが、それに蓬が徒歩でぴったりくっついている。こちらは昔通りのモンペ姿だが、大きな菅笠をかぶって、一本のふとい杖をついている。それが仕込杖だと知って、門太郎と公歴は顔見合わせた。
東京からこの野津田まで約十里。
向うは未明に発《た》ったというが、それでもこちらに着くのは日が暮れてからになる。むろん途中で俥《くるま》は替えるのだろうが、乗っているほうもラクではないはずだし、まして蓬は歩きづめで、全身埃で真っ白であったが、それでも両人は生き生きとしていた。
その景山英子が、門まで駈け出した門太郎と公歴を見ると、
「やあ、御苦労だが、あれを運んでくれたまえ」
と、俥に残した物体を指さした。彼女はそれを膝に抱くようにして運んで来たらしい。
それは長さ四尺くらいの長方形のもので、風呂敷に包んであったが、中は木箱の感触であった。下ろそうとすると、二人がよろめいたほど重かった。
「これは何ですか」
「刀」
と、英子は答えた。刀なら十数本分はあると思われた。
「有一館にある刀剣――あそこに置いてあると険呑なので、こちらに運べとのことで」
それを奥座敷に運ぶと、英子はあるじの昌孝としばし密談したようだ。が、すぐに入浴し、食事が出され、彼女と蓬は寝《しん》についた。俥夫も一泊した。
そして、翌朝また未明、公歴と門太郎がまだ眠っているうちに、二人の女は東京へ帰っていったことを、朝になって知らされた。――刀箱はいつのまにか、土蔵に移されたようだ。
これでは恋の語りようがない。
だいいち景山英子は、言葉も男性の壮士――というのも可笑《おか》しいが――と、まったく同じで、ちがっているのは自分のことを「妾《わらわ》」と称することくらいだ。まるで巴御前である。充分美人といっていいくせに、男の言葉づかいをし、それも漢語が多く、いつぞやなど朗々と漢詩を吟じたくらいで、客観的には可笑しいはずだが、それが可笑しくない。最初はだれでも驚くけれど、数分のうちに、実に奇妙な魅力にとりつかれる。
二度目の来訪時もまた然《しか》りであった。彼女たちは風のように来て、風のように去った。
お供の蓬は、以前見たときにはあどけない少女と見えたのに、そういう役目を与えられてからは、門太郎たちにあまり口もきかず、馬鹿にまじめな、ひたむきな顔をして、仕込杖を横にして、きちんと膝小僧をそろえて坐っていた。
実に奇妙|奇天烈《きてれつ》な女壮士とその従者であった。
一方、北村門太郎のほうも、ミナについて不可思議な想いにとらわれていた。
最初の一瞥から、自分にとって運命の女性に逢った、という印象を受けたことは事実だが、彼もまたそれが恋だとは意識していないのであった。
だいいちミナは、彼より三つも年上だ。それに立派なお医者の許婚者《いいなずけ》があるという。片や、自分はほとんど財産もない放浪者で、先々何をして暮してゆくのか、自分でもわからない。そもそも、いままでそんなことを考えたこともないが、とにかくまともな結婚生活など出来るわけがないことは自分でも承知している。
恋愛の対象に考えていないのだから、そんなことは心配するに及ばないはずなのだが、にもかかわらず、門太郎は苦しかった。
いったい、どうしたらいいのかわからない。
ただ、いまはミナの憂いを解いてやることだけが自分のなすべきことである。つまり、公歴の予備門合格だ。それこそが、同時にまた自分の苦しさをまぎらわせる唯一の法でもある。――
門太郎はそう決心して、ときには怒鳴りつけんばかりにして、公歴を督励した。
ほんのこのあいだまで、公歴が予備門をめざしていることをにがにがしい目で見ていたのに、その手伝いを懸命にしなければならないとは皮肉な話だが、彼自身は夢中になっていて、皮肉とも感じなかった。
実際、この石坂家における二タ月近い初夏の白い日々は、のちになって想い出しても、すべてが夢の中の出来事のようであった。
藤の花が垂れて散った。
柿の花が咲いてこぼれた。
どちらのときであったか、ほろほろと酔っていたようでよくわからない。その下を、彼はミナといっしょに歩いていて話した。
たしか、例の女壮士とその従者が来て、去った翌日ごろであったと思う。門太郎は、その来訪者に対するミナの態度をほめた。
ミナは、石坂家を侵してゆく自由党を怖れているはずであった。従って、ここにまたやって来る女壮士たちにも憂いの表情をもって迎えて然るべきであった。それなのにミナは、むしろ友人に対するように、いそいそと明るく彼女たちに対したのである。
「あら、わたしはあの人たちを尊敬していますわ」
と、ミナはいった。
「わたし自身は、父と同様、自由民権が正しいと信じているんです」
「でも、石坂家は。……」
「あのね、北村さん、わたしは……ほんとうのところは、石坂家などどうなってもいい――いえ、民権運動のために石坂家がなくなってもいいと考えているんです」
「しかし、いつかミナさんは……」
「ほんとうに矛盾してる、と自分でも思うわ」
ミナはつぶやいた。
「でも人間は、これが自分にとって、正しい、真実の道だ、と信じることに人生を捧げるのがほんとうだ、と考えています。そうでなかったら、たとえお金があっても、家庭の幸福があっても、そんなもの無意味じゃないかしら?」
門太郎は、立ちどまって、ミナを見つめた。彼はこの女性を見たときの最初の直感が正しいものであったと知った。
彼はかすれた声でいった。
「あなたはやがて、八王子のお医者さんと結婚なさるんでしょう?」
「いえ、わかりません。わたしはその方をいい方だと思っています。でも、愛を感じないのです。なぜか、その方と結婚するのがわたしの真実の道だと考えられないのです。……」
ミナは、門太郎の気にいるようにこんなことをいったのではなかった。彼女は門太郎の心を知らない。これはミナのほんとうの意見で、ただ何となく北村門太郎という若者が、年少ながらこんな意見を理解してくれるだろうという気がして、口にしたに過ぎない。
しかし、門太郎の胸には灯がともった。
彼がボンヤリと――実は恍惚とミナを眺めていると、ミナはすぐに、
「たいへん、たいへん」
と、大声でいって、笑い出した。
「でも、わたしはそうでも、公歴には予備門にはいってもらわなくっちゃならないわ。子供に学問だけは存分にさせてやる、とおっしゃるお父さまのためにも。――北村さん、ほんとうにお願いね!」
六月七日に、門太郎と公歴は東京に帰った。公歴の受験のためである。
石坂昌孝は本郷龍岡町に楽只園《らくしえん》という葉茶屋を持っていたので、公歴はそこへゆき、門太郎は、ここ数年ほとんど寄りつかなかった京橋弥左衛門町の実家に帰った。
六月十日に試験があった。
十二日に、門太郎は一ツ橋の東京大学予備門へ出かけていった。試験の合否の発表があるからだ。公歴とは、発表場で待ち合わせた。
合格者の中に、石坂公歴の名はなかった。
門太郎のほうが、頭の中がからっぽになった。
「落ちたのが当り前だ」
と、公歴がつぶやいた。
門太郎は頭を下げた。
「石坂君、すまん」
「君があやまることはないさ。僕はかえってほっとした」
公歴は笑った。決して痩せがまんではなく、無用の重荷をふり落したような明るい顔をしていた。
すると、どよめく雑踏の中から出て来て、その肩をうしろからたたいた者がある。
「うまくゆかんようだったね」
二人は、そこに、あの南方熊楠の姿をみとめた。その横にも、友人らしい青年が二人いた。
「なに、しょげることはない。もういっぺん受けるさ」
「いや、僕はもう」
「もうよすかね。……それもよかろう。そんなに頑張ってはいるほど値打ちのあるところじゃない。なあ、君たち?」
と、友人たちをふりむいた。どうやら、同級生らしい。二人の青年はニヤニヤ笑っている。
さすがに公歴の眼には、彼らの書生姿はまぶしく見えた。
「わしは馬鹿馬鹿しいから、そのうちやめようと思ってるんだ」
「えっ、せっかくはいった予備門を?」
と、公歴は眼をまろくした。
「そして、何をするんです?」
「だから、こないだいったじゃろ。外国へいって、粘菌の研究をやると――粘菌学をやるには、日本じゃあ――」
またネンキンの話がはじまるのか、と、門太郎と公歴が恐慌をきたすと、熊楠の大きな頭にはふと別のことがひらめいたようで、
「ああ、そうそう、この人はね、大変な詩才がある。先日、聞いて、感心した。漢詩じゃない、西洋風の詩だ」
と、門太郎を指さしながら、また友人をかえりみて、
「こりゃクラスメートだが、わしとちがって、どっちも大した文才がある。こっちが夏目金之助君、こっちが正岡|升《のぼる》君。――」
と、紹介し、また門太郎を見て、
「これ、北村門太郎君。つき合って見たら、面白かろう。――はて、ところで北村君は何をしてる人か知らん?」
と、首をかしげた。
門太郎は、夏目と正岡を見て、ただ冷やかにお辞儀をしただけである。
「じゃ、失敬」
三人の学生がいってしまうと、門太郎は公歴の顔を見た。
「ところで君、これからどうする」
「僕は有一館へゆく。正式に自由党にはいるんだ」
と、公歴は胸を張って、眼をかがやかせて答えた。
……貧しく、荒々しく、夢想と失望を繰返し青春彷徨の日々を送っている北村門太郎であったが、この夏ほど暗い夏を過したことはない。
それが友人石坂公歴の受験失敗によるものだと思うと、自分でも馬鹿馬鹿しい。しかも、当人の公歴はけろりかんとしてどこかへ飛んでいってしまったのだから、いよいよ馬鹿げている。
公歴の不合格もさることながら、彼を落胆させたのは、例の「灯」が消えてしまったことであった。つまり、石坂ミナに逢えなくなったことだ。とにかく自分はあのひとの付託に応えられなかったのだ。面目なくて、二度と顔を合わせられない。
門太郎は、母のやっている京橋の小さな煙草屋の二階で、暗澹たる夏を過した。町には「当世書生|気質《かたぎ》」という小説が出て大あたりしているということであったが、買って読む気にもならなかった。
……それとは別に、怖ろしいことがある。
ここ二、三年、彼は民権運動に熱中して来た。それは自由党の壮士の行列のいちばんうしろにくっついて、旗をかついで歩いているような存在であったが、自分としてはそれ以外に人生はないとまで思いつめていた。
その行為と自分自身について疑いが生じて来たのである。
一つは、壮士たちと接触するにつれて、彼らの日常に嫌悪の念を禁じ得ないことが多くなったことだ。壮士たちは大言壮語する。そして、どこからかえたいの知れぬ金をとって来る。その金は、必ずしも民権運動に捧げず、酒をくらい、女郎を買うことに投ずる。そんな彼らと人生を共にすることが、果して自分にとって、「正しい、真実の道」であるか?
この疑問は、実はいまはじめて生じて来たものではない。以前から漠然と胸中に湧いていて彼をおびやかしていたものであった。彼自身が女郎買いをし、公歴を叱咤したのは、ほんとうはこのおびえを圧殺するため、というところもあったのだ。
……と、すると、果して自分の過去は、何のための青春であったのか。
もう一つは、自分という人間が、果して政治運動にたずさわるのにふさわしい素質を持っているか、という疑問であった。自分は行動する男ではなく、考える男ではあるまいか。剣をもって戦う人間ではなく、筆をもって戦う人間ではあるまいか?
しかし、どこに何を書くのか、あてもなく、たしかな内容の思想があるわけでもなかった。
……と、なると、現在もまた無だ。
その上、放浪のあげく、ふらりと帰って来て、貧しい家で徒食している自分である。――門太郎は、雨のふる日など、雨戸をしめて、暗い中に腕組みをして坐ったまま、思わずすすり泣きをもらすことがあった。
そこへ、九月半ばのある日暮れどき、大矢正夫が訪れて来た。
苦獄の門
「ちょっと話があるんだが……外で話したほうがいいかも知れない」
店先まで出た門太郎に、大矢はささやいた。
あまりに小さな家と、すぐ向うで心配そうにこちらを見ている門太郎のおふくろに気を使ったようだ。
「出られるか」
「うん、よし」
門太郎は朴歯《ほおば》下駄をはいて、すぐに出た。
大矢正夫と逢うのは、晩春、あの石坂家から大矢が龍子先生と去ったとき以来だが――大矢の顔色にはただならぬものがあった。
弥左衛門町からはほんの一足で数寄屋橋だが、二人はわざと裏通りを歩き出した。表は鍛冶橋から数寄屋橋に至る外堀通りで、反対側はこれまた銀座通りとなるが、それにはさまれたこの界隈は、職人や小商いの家や|しもたや《ヽヽヽヽ》などがゴミゴミと立ちならび、その間を碁盤の筋のような細い路地が縫っていて、黄昏《たそがれ》の中にまだ裸の子供たちが遊び、そして軒々にこうもりの舞う影がうすく見えた。
「君、朝鮮の現状を知ってるか」
突然、大矢は妙なことをいい出した。
「むろん、知っている。――甲申《こうしん》事変だろう?」
と、門太郎は答えた。
甲申事変とは、朝鮮のソウルで起った反日暴動のことだ。当時朝鮮は、宗主国|清《しん》を頼ろうとする保守の閔妃《びんぴ》派と、清《しん》国の支配から脱して完全に独立し、日本にならって近代化を計ろうとする金玉均《きんぎよくきん》派と別れて抗争していたが、去年十二月、金玉均派はついにクーデターを起した。しかしクーデターは失敗し、閔妃の要請で出動した清国軍が、ソウルに駐屯していた日本軍の小部隊を駆逐し、金玉均一派は命からがら日本へ逃げて来た事件であった。
金玉均らにクーデターを指嗾《しそう》したのは日本であったが、そういう詳しい内情は知らされぬまま、ただ日本公使館の破壊や在留邦人の虐殺などの反日暴動の報道に、日本人のナショナリズムは燃えあがり、東京でも、この一月ごろ、清国を象徴する豚の頭、朝鮮を意味する鶏を、血だらけのまま竹槍の先につき刺して、壮士たちがデモ行進する光景などが見られたが。――
「いや、そのあとのことだ」
「日本と清国が談判して……」
「どっちも軍隊を撤収して、あと朝鮮に何か事が起れば談合しよう、ということになったんだが……まだ問題は何も解決していない」
と、大矢はいった。
「おまけに、日清にいや気のさした朝鮮は、こんどはロシアに保護を求めたので、ロシアの進出を怖れるイギリスが、この五月、全羅南道と済州島の間にある巨文島という島を勝手に占領してしまった」
「……」
「要するに朝鮮は、どうしたらいいか、ただウロウロしてもがいている。政情民状すべて泥のように混沌としている。まあ、文久時代の日本みたいなものだ」
「大矢さん、……しかし、それがどうしたんだ」
「馬城先生及びわれわれは、その朝鮮へ乗り込もうというんだ」
門太郎は眼をむいた。
「朝鮮へゆく? 朝鮮へいって何をしようというんだ」
「金玉均の残党がまだいる、それと結んで、もういちど革命を起させるんだ」
「そんなことが出来るのか」
「出来る、と馬城先生はいわれる。成算があるといわれる。……すでに六十人ほどの行動隊が結成されているが、中には朝鮮に長らくいて、あちらに知り合いの多い人々もあるし。……」
声が高くなったのに気がついて、大矢はそれを低くした。
両側の家に、働く人々は見えるが、どこもしんとしている。もう洋燈《ランプ》をつけてもいい暗さだが、微光のあるうちはそれを頼りに内職に励んでいる家ばかりらしい。ほんとうに火の消えたような不景気の世相は、こんな路地裏にも明らかであった。
「門太、お前にもわかるだろう。自由党はもう日本じゃだめだ。暴発しては潰滅し……遠からず息の根をとめられるだろう。われわれも、このままにしておれば、結局牢屋ゆきか餓死か。空しく坐ってその日を待つより、この際、起死回生の大一番を打たねばならん。それは外だ、朝鮮だ、と馬城先生はいわれる。まさに豪快なる革命の天才大井憲太郎ならではの着想だ」
「しかし、それにしても朝鮮とは。――」
常人より夢想家の門太郎も、これには度胆をぬかれないわけにはゆかなかった。
「それで、それがうまくいったとして、あと朝鮮をどうするんだ」
「さあ、そこが馬城先生の天才的なところなんだ。馬城先生は、朝鮮に革命を起し、民衆を頑冥固陋な李王朝から解放し、みごとな自由民権の国に育成する。自由民権の模範国をすぐそばに作って、その勢いで日本をも自由民権の国家にする、という思想なんだ。そしてゆくゆくは、アジアすべて連帯して、白人の鉄鎖から解き放つ。――」
門太郎の夢想癖が、ふと刺戟されかけた。が、あやうく彼は首をふった。
「そんなにうまくゆくかい。日本で出来ないことが、朝鮮で出来るかい。……万一失敗したら、大変なことになるぜ」
「成算はある。成算はあるが、たとえ失敗しても、それはそれでいいんだ。失敗したら、当面はまさに大変なことになる。朝鮮政府は内政干渉として日本に怒るだろうし、清国も硬化するだろう。ひょっとしたら戦争になるかも知れない。しかし、日本は戦争出来ない。いま国庫はからっぽに近い」
「それなのに、失敗してもいいとはどういうわけだ」
「政府が当惑して、清や朝鮮に謝罪などすれば、政府は非難の標的になる。甲申事変でさえあの騒ぎだ。いまの日本人のナショナリズムは、そんな政府の存在を許さなくなるだろう。つまり、そうなればなったで、革命の気運が醸成される。……あの慎重な磯山先生が馬城先生の計画に賛成されたのは、実はこっちの可能性のほうを見込まれたかららしい」
門太郎はうなった。
「少くとも政府は、その国難のために、国内の自由党の弾圧どころじゃなくなるにちがいない。政府の首をそっちへねじむけるんだ。この法しか、いま自由党が生き残る法はない、と磯山先生はいわれる」
――のちになって門太郎は、これこそが発想の原点ではなかったか、と考えた。しかし、そこからみなで痛飲し熱論しているうちに、計画の意味づけや規模や可能性が自己増殖的に膨張して来たものに相違ない。
しかし、いま突然、こんな話を聞かされた門太郎は――まだ十八の、しかも空想力に富んだ門太郎にも、そんな分析をぬきにしても、これはあまりに途方もない計画に思われた。
が、それにもかかわらず、ふいに彼は体内に吹き起る暗い情熱を感じた。こんなムチャクチャな話だからこそ、すべてが「無」である自分の青春を投げこんでいいのではあるまいか。――
「大矢さん、あんたがそんな話を僕にするのは、僕にも参加しろという意味だろうね」
「そうなんだ」
と、大矢はいった。
話しているうち、まわりはいつしか暗くなり、本能的に二人は明るい外堀通りに出ていた。明るいのは、その通りにもうガス燈がともっていたからだ。が、二人はそのことも意識しなかった。二人は西紺屋町から数寄屋橋のほうへ歩いていった。銀座通りとちがい、こちらはこの時刻、人影はまばらであった。
「で、参加するとして、さしあたって僕は何をするんだ」
「強盗だ」
門太郎は眼をむいて立ちどまった。
「こういうわけだ」
大矢は話し出した。
「朝鮮へひそかに渡るといっても、無一文で、手ぶらでゆくわけにはいかん。だいいち革命を起す以上、鉄砲、拳銃、弾丸その他相当量の武器が要る。渡航費、向うでの生活費を考えると、容易ならぬ軍資金が必要で、そのために馬城先生、磯山先生らも、然るべきところから、懸命に金を集めておられるが。――」
門太郎の頭を、ふっと石坂昌孝のことがかすめた。
「それでもまだまだ足りん。そこで――おれは磯山先生からの御下知を受けたんだが、各自がめいめいその金を工面し、供出することになった。おれに割当てられたのは、千円だ。……門太、歩け、立ち話はいかん」
二人はまた歩き出した。
「千円、そんな金はむろんおれには作れそうもない。そう申しあげたんだが、そんなことをいったら、やすやすと出来るやつはだれもおらん、といわれた。それくらいのことが出来んで、何が朝鮮の革命だ、ともいわれた。目的のためには手段をえらばず、という言葉はあまりよくないが、しかし目的によってはそれが許される場合がある、とも。――」
門太郎は卒然として、多摩の梁山泊の一夜を思い出した。大矢もそれを思い出したらしい。
「おれは同じことを、だれよりも尊敬するヤットーのおやじさんにも訊いた。お前はおぼえているか。おやじはあのとき、無関係の人に血を流させるな、自分より弱者を犠牲にするな、それさえ守れば……目的が正しけりゃ、何をやってもよかろう、といった」
あの質問はそのためであったのか。では、大矢は、あのころからこの計画に心をくだいていたのか。――門太郎は戦慄した。
「で、おれは強盗をやろうと思う。いろいろ考えたが、まさにそれしか法はない」
大矢はいった。彼の顔も一種凄惨味をおびたものになっていた。
「そう決心して、考えると、三多摩には、何となくものになりそうな家もある。ただ、強盗というのは一人じゃ成功の見込みがうすい。見張り、威嚇、逃走、何につけても、少くとも一人よりは相棒が欲しい。――門太、手伝ってくれ」
門太郎の唇はふるえただけで、声が出なかった。
「いやか」
大矢はひくい声でいった。
「お前なら、いやとはいうまい、と見込んだんだが。――」
「大矢さん、しかしそれは大変なことだ。強盗にはいれば、血を流すことにもなるじゃないか」
「いや、刀はおどしに使わなきゃならんだろうが、血は流さないことをおれは約束する」
「万一、つかまるようなことがあれば……強盗の汚名を受けることになる」
「お前は名を惜しむのか? 惜しむほどの名がお前にあるか?」
大矢は立ちどまった。
門太郎は、相手の鉄拳が頬に飛んで来ることを覚悟した。かつて彼は、女郎屋に流連《いつづけ》して大矢に殴られたことがある。そのとき門太郎はむしろ感激した。その克己心において、その熱情において、大矢正夫は、自我《エゴ》の強さと懐疑性の弱さを自覚している門太郎にとって、畏敬すべき唯一の先輩であった。――が、それにしても強盗とは。……
「失礼。お前にもやはり名誉心のあることは認める。しかし人間には、ある大事を志す以上、時には自分の名も名誉も捨てる必要のあるときがあるんじゃないかね?」
大矢の頬を涙が洗っているのを、ガス燈の光に門太郎は見た。門太郎の胸に、さっき湧きたちかけた、自分の青春を「無」に投げこむという衝動が、ふたたび走った。あやうく彼は、「――わかった、やろう、大矢さん!」というさけびをもらすところであった。
が、彼はこのとき、自分の未来に何かがあることをはじめて意識した。
「それはあるだろう。あるどころか、大矢さんのいうように、僕なんかまったく無名の若僧だよ」
と、門太郎は、うめくようにいった。
「しかし、大矢さん。……僕はいま自由党の運動に情熱を感じないんだ!」
「なに?」
「いま、逃げるためにいうんじゃない。僕はこの夏じゅう考えこんでいたんだ。その結果の結論は、僕は……どうしても有一館の人々にはついてゆけない。あんな政治運動に関係するのは僕の本質に合わない、ということだったんだ」
大矢は、門太郎の顔を眺めた。最初は驚きのまなざしであった。……数分と思われた数秒の間に、ふいにその眼の光がゆれ出した。
彼は北村門太郎のいうことが、門太郎にとって真実の声であることを認めたのだ。
大矢は門太郎を知っていた。いままで門太郎の自由民権への熱狂的|頌歌《しようか》を聞きつつ、彼への信愛とは別に、一抹のふしぎな不安を抱いていた。だからいままで、石坂家に大井馬城を案内するなどいう行動をとりながら、その意味を門太郎に打ちあけなかったのである。――それゆえに、こういうこともあり得ることを直感したのである。
大矢はまた歩きはじめた。彼は沈黙していた。
門太郎は夢幻状態であった。
あとになってもこのとき数瞬の自分の心理が不可解であったが、大矢からのっぴきならぬ闇黒の要請を受けた刹那、彼は突然前途に光明を認めたのだ。
それは、自分は文学に生きる、ということであった。それから、石坂ミナの幻影であった。
筆をもって生きる、といっても、何を書いていいのか、空漠たる望みであったのが、いまガス燈の光の中に、彼は自分の生存の根幹となる文字まで見た。「戦うに剣を以てするあり、筆を以てするあり。……わが一生は勝利を目的として戦わず、空を撃ち虚を狙い、空の空なる事業となす。文士の前にある戦場は、広大なる原野なり。事業をもたらし帰らんとして戦場に赴かず、必死を期し、原頭の露となるを覚悟して家を出るなり。……」
同時に、完全に切れたはずのミナとのつながりも、決して絶望的ではない、という予感が生まれたのだ。ミナが、彼女にとって真実の道と信じる行路に人生を捧げる女性であるかぎりは。そうして自分が彼女を愛するかぎりは。
が、酔うような光明を感じたとたん、それと比例して、それまで感じなかった罪の意識がはじめて自覚された。
――僕はあきらかに、この友人を裏切った!
恐怖のために裏切ったよりも、自分の未来への夢想のために裏切ったという意識が、彼の胸をさらに強烈にえぐった。それはガス燈の光がふいに暗くなり、薄闇の世界を歩いているような感覚を起させたほどであった。
――北村透谷は、のちにこの経験を「苦獄」と呼んでいる。現実に彼は獄にはいったのではなかった。その運命からあやうく逃れたのだ。しかも彼はそのために、裏切りという、釈放されることない魂の苦獄の門をくぐったのである。
――ふと、二人の耳に、かすかに異様な音楽が流れて来た。
眼をあげると、樹立ちの向うに、灯の船のような建物が浮かんでいた。その一帯だけ、急に人通りがふえ、馬車、人力俥が雑踏しているようだ。それは鹿鳴館であった。二階の窓々を通して、たしかに舞踏する人影が見えた。今夜も大夜会があるらしい。
二人の青年は、街路樹の暗い影の中に立って、しばらくそれを眺めていた。
「維新の功臣というものが華族になって、有象《うぞう》無象五百何人か、それに天皇が一家あたり三万円だか五万円だか配ったというのが、去年の暮だったかなあ。……民衆のほうはあの惨状というのに、天皇さまもずいぶん傍若無人なことをなさるものだ」
大矢が、そんなことをつぶやいた。
「それと戦うほうは、千円の軍資金の割当てで強盗をやらねばならん。龍車に向う蟷螂《とうろう》の斧《おの》、といった趣きがあるな」
彼は門太郎のほうをむいていった。
「おれは、おれの行動は正しいと思う。……しかし、君が承知しないことは承知した。君は君の道をゆくがいい。ただ、それでもおれは君を信じている。いいか、この件だけは黙っていてくれ」
大矢は一語も門太郎を責める言葉を吐かなかった。彼は微笑さえ浮かべていた。
門太郎はふいにうずくまり、両掌を顔にあてて嗚咽しはじめた。
北村門太郎は、頭を丸坊主にした。古着屋から、墨染めの衣と網代笠《あじろがさ》を手にいれた。彼は、あらゆるものを捨てて、また漂泊の旅に出ようと思った。そうせずにはいられなかった。――九月の末のことである。
そこへ、ミナから手紙が来た。
自分は九月から横浜の共立女学校の寄宿舎に戻ったけれど、公歴のことで、また是非お願いしたいことがある。ついては、近く上京し、本郷龍岡町の楽只園《らくしえん》にゆくから、日曜日の九月二十七日午後三時ごろ、湯島天神の境内までおいで願えまいか、という文面であった。
門太郎は、ミナとの運命の糸が切れたわけではない、という自分の直感があたったことを知った。
すべてを捨てて漂泊の旅に出よう、と決心していたのに、彼はその日、胸をワクワクさせて湯島天神へ出かけていった。
境内に、日傘《パラソル》をさしてミナは待っていた。家にいたときとちがい、髪はお下げにしてリボンを結び、カシミヤの海老茶の袴に短靴という姿で、近づいていった雲水を、首をかしげて見まもっていたが、やがてそれが北村門太郎だと気がついて、眼をまろくしながら傘をたたんだ。
「まあ、どうなさったの?」
「いや、申しわけないことをやりまして」
門太郎は網代笠を下げた。
「公歴の試験のことですか」
「それもあります」
「それもあります、とは、ほかに?」
「僕は自由党を捨てたんです」
彼は悄然といい、
「それにしても、公歴君のことは御依頼にそえず、相すまんことをしました」
と、また頭を下げた。
「いいえ、あなたのせいじゃありませんわ。公歴自身の責任です」
ミナは門太郎を見つめた。
「その公歴のことなんですけれど……あなたはこのごろ、あれとお逢いですか?」
「いえ、予備門の発表場で別れてから、一、二度、往来の上で逢ったきりで――どうも面目なくて、合わせる顔がないものですから」
しかし門太郎は、あれ以来石坂公歴が有一館に泊りづめであることを知っていた。そして、それをとめる力も資格も自分にないことを知っていた。
「それで、あなたは自由党をお捨てになったって……どういうわけで?」
「捨てたというより、脱落したんです。僕という人間の肌が、ああいう運動に合わないことを自覚したんです」
「それは。……それならますます結構ですわ。……北村さん、もういちど、わたしたちを助けて下さい」
石坂ミナはいった。
「公歴はいま、龍岡町の家を飛び出して、自由党の本部とかいう有一館にいるらしいのです。そして、ときどき野津田の家に帰って来ます。――あの女のひと、二人といっしょに」
「えっ?」
「それが、まあ、あの景山さんを乗せた俥を自分でひいて来るのです。俥夫姿で。――村の人がびっくりして訊くと、この俥の中の人と近く結婚するので、その花嫁道具を運搬しているんだ、など、人をくったことをいってるそうですわ」
「へへえ」
「それが、公歴のようすを見ていると、冗談ではなく、正気らしいんです。それどころか――俥夫を傭うより自分が曳くほうが万事安心だからというのですけれど、実は景山さんの俥を曳くことに有頂天になっているようなんですわ」
あり得ることだ、と門太郎は心中にうなずいた。
「その運んで来るものが……北村さん、以前、刀剣とかいっておりましたけれど、あれは銃だったのです。そして、このごろ公歴が運搬して来るのは……爆裂弾なんです!」
「そりゃ、ほんとですか!」
門太郎の顔色はさすがに変った。
「そんなものを、しかし、よく父上が……」
「父はとめられません。いつか大井馬城先生たちがおいでになったのも、その武器を預ってくれという御依頼だったんです。大井先生は、そんな武器や爆裂弾を東京であつらえては、南多摩のわたしの家に運び、貯蔵させてもらいたい、とおっしゃって……」
――野津田から南へ六里下がれば東海道神奈川に出る。それを彼らは、いずれ東海道から西へ運んで朝鮮へ持ちこむつもりなのだ、と門太郎は思い当った。恰好の中継基地にはちがいない。
「そういうわけですから、わたしがいっても公歴がきいてくれるわけがありません。……このまま放っておくと、石坂家は破滅してしまいます」
まさに、その通りだ。爆裂弾運びという行為の容易ならざることはむろん、そのうえに公歴も強盗を命じられる怖れさえある。
パラソルが地に落ちた。ミナは門太郎の衣《ころも》にすがりつくようにした。
年上で、理知的なミナが、そんなふるまいをして、眼から涙をあふれさせながら、
「北村さん、石坂家を助けて下さい。こんどこそ助けて下さい。公歴にそんなことをやめさせるのは、あなたしかありません。どうぞ公歴を助けて下さい!」
と、ゆさぶった。
門太郎は、自分に公歴をとめる資格のないことが、ちらっと頭をかすめた。
しかし、彼はあえぐようにさけんだ。
「わかりました。どんなことをしても、僕がやめさせます!」
墜ちた偶像
十月はじめのある朝、黄色くなりかかった稲穂が波打つ中を通る甲州街道の、ちょうど人影のとぎれた幡ヶ谷村の西のはずれに、一人待っていた墨染め姿の雲水が、新宿のほうからやって来た一台の俥の前に、杖を横にかまえて通せんぼをした。
「なんだ?」
めんくらって、思わず梶棒をとめてたたらを踏んだ饅頭笠の俥夫が、相手の網代笠の下をのぞきこんで、
「やっ、北村じゃないか!」
と、驚きの声をあげた。紺の半被《はつぴ》、股引《ももひき》姿だが、石坂公歴だ。
俥のそばには、菅笠、モンペをつけた蓬が従っているが、これまた眼をまんまるくした。
「石坂、ゆくのはやめてくれ」
と、北村門太郎はいった。彼は幌の閉じた俥を見あげた。
「そこに何が乗ってるんだ」
「景山さんさ」
「爆裂弾も、だろう」
彼はいった。
「石坂。――そんなことをしてると、君だけじゃなく石坂家が破滅してしまうぞ」
「君はいったい何をいってるんだ?」
と、公歴はいった。
それはとぼけているのではなく、この相手がそんなことをいい出したのが、まるきり腑に落ちない表情であった。――公歴は、あれきり、ほとんど門太郎に逢っていない。従って門太郎の「転向」を知らない。また、いま自分のやっていることに夢中の日々を過していて、友人北村門太郎の動静などかえりみるいとまもない、といった状態なのであった。
「それに、そもそも、君のその姿はなんだ。ほんとに坊主になったのか。そりゃどういうわけだ?」
「僕のことはどうでもいい。それどころじゃない。とにかく野津田へゆくのはやめてくれ。頼む、公歴、頼む。……」
門太郎の唇はわななき、双頬を涙が洗っていた。
「北村。――君は頭が変になったのじゃないか」
公歴は白い歯をむき出した。
「われわれが全身全霊を捧げるべきときはいまだ、といったのは君じゃないか」
饅頭笠の下の顔が、笑ったようにも怒ったようにも見えた。
「父も承知のことだ。だいいち石坂家が滅びようがどうなろうが、君には関係ない! どけ!」
「どかん、絶対にどかん!」
杖を横たえたまま、門太郎もわめいた。
「蓬。――」
俥の幌の中で、銀鈴のような声がした。
「妨害者を排除せよ!」
「はいっ」
つかつかと蓬が出て来た。
自分の前に立って、左手の杖に右手をかけたのを見て、それが仕込杖だと知っていたが――次の瞬間、秋の白い日ざしに、きらっと何かひらめき、同時に笠と杖に異様な衝撃を受けて、反射的にのけぞるように飛びのいていた。
そこへ俥が突進して来た。
そして、いままで門太郎のいた位置をやすやすと通りぬけ、怖ろしい勢いで西へ駈け去っていった。何事もなかったかのように、蓬もその横にくっついて走っている。
門太郎は茫然とそれを見送って――自分の網代笠の前の部分が二つに裂け、手に横たえていた杖が、まんなかで左右にスッパリ切断されていることに気がついた。気がついても、それが蓬のやったこととは、数分間信じられなかった。
蓬の思いがけない妙技にあっけにとられると同時に、その父がヤットーのおやじであることを想起し、そのヤットーのおやじが、いつか、
「娘を滅びゆく自由党に捧げる」
と、つぶやいたことを門太郎は思い出した。
ヤットーのおやじは何を考えているのか。このままでおけば、ほんとうに蓬も大変なことになるではないか。……
北村門太郎が築地新栄町の有一館を訪れたのは、それから二十日ばかりたってからの、ある午後であった。
前にも述べたように、これは自由党が関東支部の本拠として、またボディガードの養成所として作ったものだが、自由党が公式には解散したいまでも、意味不明な青年修養所の名目でまだ残されている。
看板は、依然として「有一館」の三文字だけだ。
自由党は自発的に解散したのであり、政府もまだ自由党そのものを国事犯集団と認めていないのだから、警察も手をつけることが出来ず、それどころか、以前に倍して肩いからせて、日夜壮士たちが出入りしている状態であった。
「北村門太郎です。磯山先生にちょっとお話がございますので、お取次ぎ下さい」
玄関で網代笠をぬいで、彼はいった。
彼は以前、何度かここへ来たことがある。その雲水姿に妙な顔をした壮士が、しかしさいわい彼の顔をおぼえていてくれて、すぐに二階へ案内してくれた。
一階は道場になっていて、そこではその日もお面お籠手《こて》をつけた連中が、床踏み鳴らして凄じい竹刀《しない》の音を立てていた。夜になると、ここが山賊の酒盛り然とした光景に変ることが珍らしくない。
自由党にはいって間もないころ、何度かここへ来て、その後門太郎があまり足踏みしなくなったのは、その殺伐さが――尚武というより、ただ乱暴なのと、豪快ぶった大言壮語にいや気がさしたせいもあった。そのころは彼らに同化しようと、そのまねをしてみたが、やはり無理な努力であったと思う。
それにしても、こんなところに景山|英子《ひでこ》、蓬、石坂公歴が住み込んでいるとは――特に女性二人には、呆れざるを得ない。その三人は、きょうはいないはずだ。けさ、例によって俥で三人がここを出かけるのを見すましての門太郎の有一館訪問であった。
公歴の爆裂弾運搬はとめられない。――苦悶したあげく門太郎は、直接この有一館監事磯山清兵衛に哀願して、それをやめさせてもらうことを決心したのだ。
「あ、ちょっと待て」
と、取次ぎの壮士は、階段を上ったときにいった。
「そうだ、きょうは馬城先生がおいでになっておるが――ちょっと磯山先生の御都合をうかがって来る」
総帥大井馬城は、別に、河内山宗俊みたいに下谷練塀町に家を持っていた。妻もあった。
取次ぎがひき返して来ていった。
「やはり、御両人、御酒談中じゃった。それでよければ来いとおっしゃる。いいか?」
「結構です」
と、門太郎はお辞儀した。
馬城先生がいっしょとあれば、いよいよ好都合だ。冷徹な磯山監事より、豪快ながら血あり涙ある人と聞えた馬城先生のほうが、自分の願いを聞きとどけてくれる可能性が大きい。
その座敷にはいると、二人は酒を飲んで話していた。二人の間には一斗樽と小さな手桶のようなものと、湯呑茶碗と大丼が置いてあった。
門太郎が坐って挨拶すると、ふりむいて、二人とも、
「おや」
と、いった。これも青《あお》道心に驚いたのである。磯山が尋ねた。
「どうしたんじゃ」
「いささか感ずるところがありまして」
と、門太郎は答えた。
実はここを訪れるについて、彼には、石坂公歴と二人の女性の留守を待つほかに、大矢正夫もまた不在であることを願う心理があった。――鹿鳴館の近くで別れてから、大矢には逢っていない。大矢はここに住んではいないが、来ている可能性は充分あって、おられるとやはり顔を出しにくい。そのあたりをたしかめなければならないので、二十日ほど前に幡ヶ谷村で公歴らに撃退されてから、ジリジリしながら日を空しく過したのだ。
それから、もう一つ、気になることがあった。大矢が、自分の自由党からの脱落を磯山監事に報告していやしないか、ということだ。
しかし、その点は、なぜか大丈夫、という気がしていた。自分が党員として三下|奴《やつこ》、というより大矢正夫の附録みたいな存在であった上に、あの強盗勧誘は大矢ひとりの独断であったにちがいないと思い、かつ大矢の性格からして、あのことは大矢だけの胸にしまっておいてくれたような気がしていた。
この推測は当っていたようだ。果せるかな、この自由党残党の両巨頭は、そんなことは何も知らない風で、磯山がまた、
「話とは何か」
と、尋ねた。
門太郎はほっと息をついたあと、こんどは大きく息を吸いこんで、
「実は、石坂公歴君のことですが。……」
と、口を切った。
そして、公歴が石坂家へしきりに爆裂弾を運んでいるらしいが、石坂家は南多摩切っての名家であり、万一発覚するようなことがあれば大変なことになる。どうか、このことは中止させていただけまいか、と、あえぐようにいった。
「ああ、お前は石坂家におったな」
磯山は思い出したらしい。それだけで北村門太郎がそんなことを頼みに来たわけを納得したようで、しかしまた、
「それは石坂家からの依頼か」
と、訊いた。門太郎は頭をあげ、きっぱりとふった。
「いえ、僕ひとりの考えです」
「そうじゃろう。石坂家も承知のことだ。お前の願いは見当はずれじゃ」
「ああ、燕雀《えんじやく》いずくんぞ鴻鵠《こうこく》の志を知らんや」
と、大井馬城がいった。
「お前、石坂公歴から朝鮮のことを聞いたか」
「いえ」
公歴からは聞かないが、大矢からは聞いている。しかし、そのことはいわないほうがいいだろう。
「北村の心配はもっともじゃが……お前、赤穂浪士のときの天野屋利兵衛の話を知っとるじゃろ。石坂家は自由党にとっての天野屋じゃ。いや、我輩らの志しておるところは、赤穂義士どころではない。もっと大いなる思想、目的による壮挙なんじゃ」
「あ、先生。――」
と、あわてて磯山監事がとめようとしたが、
「いや、かまわん。石坂家のことが心配でこんなことをいいに来た若者だ。教えてやったほうがいい。たしかこいつは大矢や石坂の友達じゃが、それがまだ知らんほうがおかしい」
と、馬城はいった。
そして、自由党が復活する土地は、日本より朝鮮のほうが見込みがあること、朝鮮を自由民権の国家に育成して、その影響で日本をも変革し、将来さらに支那をも同様に改革し、三国連帯してアジアを救援するという大計画を論じはじめた。
すでに門太郎がはいって来たときから、その髯面は赤かったが、この演説の間にも、一斗樽から直接に茶碗についで、鯨のように飲む。サカナは手桶から丼にしゃくい出す豆腐である。冷やっこのつもりらしいが、葱《ねぎ》もなければ|しょうが《ヽヽヽヽ》も花|鰹《がつお》もない。ただ醤油だけをぶっかけたやつをムシャムシャ食って、平気な顔をしている。
――この馬城大井憲太郎の大計画は、のちにそのあまりな短絡ぶりが道化的な笑いのまととなった。たしかに、日本でやれないことを朝鮮でやろうとする。その朝鮮での革命を実に安易に考えていたことにおいて、軽挙暴挙というしかない。
しかし朝鮮を甘く見ることは征韓論以来の日本人の通弊であり、一方、国外で行動して日本に変革を起すというアイデアは、意外に後代まで――昭和の赤軍派に至るまで、「国士」「壮士」「志士」「コマンド」たちに、捨てがたい魅力的な影響を及ぼすのである。この点において最初の大井憲太郎はやはり一個の天才であったといえる。
すでに大矢から聞いていたことだが、しかしこんどはそれを口にする人がちがった。
堂々たる風貌の、しかも一種カリスマ的な力を持つ人物が、燃えるように眼をかがやかせ、髯をゆるがせて熱弁をふるうところ、あたかも獅子のうそぶくに似て、
「喝! 日本に生を享《う》けた青年、いまこそ東洋のため鶏林八道で死ね!」
と、酒息の風を吹きつけられて来たときには、またも門太郎の血は湧きたちかけたほどであった。
「どうじゃ、お前も参加せんか。まあ、ひとつ飲め」
と、馬城は茶碗をつき出し、門太郎があわてて手をふると、何をかんちがいしたか、
「いやか」
と、にらみつけた。
さっきから、やや気がかりな表情を見せていた磯山清兵衛が、
「北村、いうまでもないが、この話、絶対に外でしてはならんぞ」
と、釘をさすと、馬城はやっとわれに返ったかのごとく、また磯山に弁解するように、
「万一のことがあれば、闇ノ目組で始末させるが」
と、つぶやいた。
門太郎は、はっとしていた。
闇ノ目組?――それはやはり、実在するのか?
風に吹き飛ばされたように門太郎が部屋を出て、階段の上まで来ると、うしろから磯山清兵衛が追っかけて来て、
「北村、ちょっとわしからも話がある。三十分待て。いや、ここではなく、左様、明石橋の上で待っていてくれ」
と、ささやいた。
この新栄町は昔築地居留地のあった一劃で、明石橋はそれをかこむ堀割にかかる小橋であった。いわゆる築地明石町からかかる橋で、いちばん大川に近く、すぐ向うに佃島が見える。南の方に眼を移すと、そこはもう海といってよかった。風にも潮の匂いがした。
その明石橋の欄干にもたれたまま、門太郎は、ふと海の向うへゆきたいと思った。朝鮮ではなかった。血なまぐさい日本とは無縁の、もっと遠い異国であった。
しかし、自分にそんなことの叶えられるはずもない。それより、では石坂ミナはどうなるのだ?――ともかく、公歴を破滅から救わなければならない。
とはいえ、使命に燃える公歴はもとより、その使命を与えた大井馬城からも追い返されて、自分はどうしたらいいのか?
そして、磯山先生の話とは何だろう? 何だか馬城先生の前では話しにくい事柄のようであったが。……
闇ノ目組といううす気味悪い名が、ふうっと門太郎の背を撫でた。
三十分たって、その磯山清兵衛がやって来た。
「お待たせした」
と、彼はていねいにいった。
「さっきの石坂公歴君の件だがね。……」
「は?」
「君の心配するのは無理もない。石坂君はたしかに気の毒じゃ」
それっきり、磯山清兵衛は黙って、眼窩がくぼみ、頬がこけ、しかしいかにも大井馬城の軍師にふさわしい沈鬱な横顔を見せて、海のほうを眺めている。風にそよぐ髯と長身の黒紋付が、なにか不吉な影のように見えた。
「あれは、景山女史に惚れとるようじゃね」
ややあって、磯山はいった。
「じゃが、あきらめたほうがいい。景山女史は大井先生のものじゃからな」
「なんですって?」
門太郎は鞭でなぐられたような顔をした。
「あの景山さんが馬城先生の女、いや失礼。しかし、馬城先生にはたしか奥さまが。……」
「ある。あるが、この道ばかりは喃《のう》」
磯山清兵衛は苦笑した。
「石坂君は何も知らん。可哀そうで、わしの口からは教えてやれなんだが。……」
「まさか……まさか……大井先生と、あの景山さんが……嘘でしょう。それは磯山先生の何かのおまちがいでしょう。……」
「こんなことを、このわしが嘘をつくか。ただ、騒がれては困る。将来のためを考えて、可哀そうだが今のうちに、石坂君にはあきらめてもらいたい。おとなしくあきらめてくれるという条件なら……わしが、そのうち証拠を見せてやってもいい」
魂灰燼
十五歳以上は一人前とはいえ、やはりふつうの若者以上に早熟で、内からの心の嵐や外からの衝撃を人に倍して経験することの多い北村門太郎であったが、こんなに驚いたことはない。
馬城将軍大井憲太郎と、勇婦景山英子が情人関係にあろうとは。――
正直にいって門太郎は、石坂ミナが婚約者の医者と結婚するという知らせを受けても、これほどの驚きをおぼえなかったろう。
大井憲太郎は、いかにも豪傑である。配下の壮士たちをひきつれて青楼に上り、長夜の宴を張ることが珍らしくないことは彼も知っている。しかし、同時に自由党が臆病風に吹かれて解散しても、断乎残党をひきいて驚天動地の風雲を東洋に巻き起そうとしている人物だ。いかに手近かにいるとはいえ、同志たちのマスコットとなっている女性に手をつけるなどいうことは、あり得べからざることである。
一方、景山英子は。――
これこそは、大井以上の意外事だ。少女のころから、おとこ女、といわれ、女らしいことは一切好まず、真一文字に自由民権運動に身を投じた女性、あの男性言葉すら、はじめはいささか滑稽に聞えたが、いまは颯爽の耳ざわりを与える。それが、大井馬城の情婦だとは?
情婦。
耳にするのもけがらわしいが、世にいう情婦の定義にあたるものにはちがいない。大井馬城にれっきとした妻のある以上は。
門太郎は、自分が裏切った自由党でありながら、概念的には自由党を神聖視し、悲壮視するところがあり、それゆえに心の「苦獄」に苦しんでいたのだから、大袈裟にいえば、自分の世界観が崩壊したような気がした。
南方熊楠が聞いたなら、そら、ハーエーの大真打が登場したと豪笑したかも知れないが、門太郎は笑うどころではなかった。
――「石坂公歴があまりに可哀そうだから教えるのだ」と、磯山清兵衛はいった。しかし門太郎は、公歴があまりに可哀そうで、教えられなかった。
それに、教えてやると、公歴がどんな反応を起すか、それが怖かった。さらに、磯山は何ならその証拠を見せてやるといったが、門太郎自身、それを見ることが、吐気のするほど怖かった。
門太郎は、磯山からそんな話を聞いたあと、ほとんど毎日、築地の有一館の遠い周囲を、壮士たちに気づかれないようにして、うろついた。公歴に告げるべきか、告げざるべきか、自分でもどうしていいのかわからない夢遊の行動であった。
石坂公歴は、あれからも何度か、俥を曳いて、蓬を連れて駈け出し、駈けていった。幌の中には英子と爆裂弾が乗っているにちがいない。
一見、町の人には、何のへんてつもない俥に見える。しかしその実怖るべき俥であることを知っている――そのつもりであった門太郎も、さらにその上、乗っている女と曳いている男の、彼ら自身もまだ知らぬ断絶を考えると、それは魔のくるまそのものに思われた。
迷い、焦り、苦しんだのち、門太郎をついに決心させたのは、十一月二日の新聞記事であった。
それは、さる十月三十日、神奈川県高座郡座間入谷村の戸長役場に、覆面し、襷《たすき》をかけ、仕込杖、短銃を持った三人の壮漢が押し入り、宿直の小使を麻縄で縛りあげ、銭箱を破壊して、中にあった千七十一円八十銭を奪って逃げたという記事であった。
――大矢だ!
門太郎は直感した。
なぜなら、その村は大矢の実家のある高座郡栗原村から一里ほどの距離にあったからだ。短銃持参というのもただの強盗ではないことを推定させる。あと二人は知らないが、おそらく有一館に出入りする壮士のだれかだろう。
大矢正夫がついに強盗を決行したのだ。――門太郎は全身がふるえ出すのを禁じ得なかった。
――のちに判明したことだが、この強盗はまさしく大矢正夫たちであったが、このとき妙なことがあった。一味三人のうち菊田条三郎という壮士が見張りに立ち、大矢が宿直を刀でおどしている間に、長坂喜作という男が奥座敷にあった銭箱をこわして金をとり出したのだが、あとで長坂は、これだけしかなかった、といって大矢に五百何円しか渡していない。長坂はあと五百円あまりを、チョロまかしたのである。
大矢はそんなことは知らず、受取った五百余円をぜんぶ磯山清兵衛に提出し、あと自分の煙草代にも困って長坂から借用したりしている。のちに大矢ははじめて右の次第を知って腹をたてたが、こういう手合いも壮士に混っていたのである。
さて、畏友大矢が強盗をやった。直接に命令を下したのは有一館監事磯山清兵衛である。その磯山は、首領の大井馬城と有一館の花景山英子が姦通しているという。――北村門太郎には、すべてこの世が、ドロドロした魔界に変じたように思われた。
ともあれ、この新聞記事に触発され、一日も早く石坂公歴をこの魔界から救い出さなければならないという決心がついた。
十一月四日の夕方、新栄町に近い築地の西本願寺の裏通りで、門太郎は前をゆく磯山清兵衛の姿を見かけて、呼びとめた。
「磯山先生。……例の件、証拠を見せてやるとおっしゃいましたね」
「なんの証拠だ」
「大井先生と、景山さんの……」
「ああ、あれか。……お前、まだ石坂に教えてやらんのか」
「まだです。……が、いよいよ教えてやろうと思うんです。ただ、僕が口でいってもあいつは信じないでしょう。ですから、その証拠というやつは、どうしたら……」
「ううん。石坂が可哀そうなのでああはいったがな。どうも、気がすすまんな」
磯山清兵衛は当惑したような表情で門太郎を眺めていたが、門太郎の思いつめた眼に眼をそらして、
「……やはり、義憤は禁じがたい。よし、我輩から教えられたということを、だれにも――石坂にも告げんということを誓うなら、証拠を見せてやろう」
と、いった。
「誓います」
「そうか。それなら、きょうは四日か。左様、明日夜、八時ごろから九時ごろの間、石坂といっしょに、本郷|妻恋《つまごい》坂の妻恋稲荷、あそこの裏門にはいる路地がある。その路地の一軒からだれか出て来るはずだ。ただし、お前らの姿、見られてはならんぞ」
門太郎は、何とも判断を絶し、ただ眼をまるくしていた。
「今のところ、我輩の口からはそれだけしかいえん。明日、その前に、我輩が石坂を外へ出してやる。午後六時半ごろ、お前がここで待っているから、と伝えておく」
そして、磯山は、有一館の方角へいってしまった。
日が暮れて時がたち、このあたりガス燈はないから、もう店を閉じた坂の町は暗かった。御一新前と同じ常夜燈が、ところどころボンヤリとともっているだけである。
その中に、一つの路地だけが、ぼっと明るい光を吐いていた。その路地にならぶ何軒かの待合が軒燈を連ねていて、その灯の影が往来にまで及んでいるのだ。
午後八時前、北村門太郎と石坂公歴は、その路地をはいっていった。つき当りは妻恋稲荷の裏門に通じる場所になっていて、何の木か、二、三本大きな枝をひろげていて、その下は暗い。
二人はその下に立って、路地のほうを眺めていた。
「いったい、どうしたってんだよう」
と、公歴は狐につままれたような顔をしている。
――その夕方、公歴は磯山監事から、「おい、石坂、西本願寺裏で北村門太郎に逢ってな。お前に何か話があるからそこへ来てもらいたいということじゃった。いってやれ」と、いわれた。公歴はちょっと不快な表情になった。「しつこいやつだな!」と、彼は考えた。門太郎に対してだ。
そのくせ公歴は、いつか北村が自分の爆裂弾運びをとめだてしようとしたことを、磯山監事に報告していない。その仕事を命じたのは、磯山なのだが――だからこそ、自分の友人がそんなことをしたのが、恥ずかしかったからだ。
どうしようか、景山女史に相談しようか、と、ちらっと思ったが、景山英子はついさっきどこかへ外出したということであった。
それで、しかたなく仏頂面で、仕込杖をひっつかんで出かけたのだ。すると、そこに例の雲水姿で待っていた北村門太郎は、爆裂弾の件については何もいわず、「ただ黙って、いっしょに来てくれ」といって、本郷妻恋坂までやって来たのである。
ようやく公歴も、ただならぬ予感をおぼえたらしく、不安そうに黙りこんだ。
時計は持っていないが、おそらく八時半ごろであったろう。路地のまんなかあたりの――たしか「誰袖《たがそで》」と書いた軒燈のかかった家から、二人の男女が出て来た。そこに二台の俥が待っていた。
――あ!
さけびかけた公歴の口を、あわてて門太郎はふさいだが、実は、覚悟していたのに彼もまた、あやうく声を発するところであった。
山高帽に毛皮の襟のついた外套を着ていたが、男はまさしく大井馬城で、女はお高祖頭巾をかぶっていたが、二人の眼にそれが景山英子だと何で見誤ろう?
馬城はそこで、英子をちょっと抱くようなしぐさをして、何か冗談をいったらしく、送って出たおかみが笑い声をたてた。英子はつんとして、さっさと俥に乗った。
つづいて馬城も、もう一台の俥に乗った。俥は幌の垂れを下ろして駈け出した。
ただ頭に炎の渦が巻いているのを感じながら、二人はそれを追って路地を飛び出した。雲水姿の門太郎はわらじをつけているが、公歴は朴歯下駄だ。その下駄をいつのまにかはね飛ばし、彼ははだしになっていた。
「あの家は何だ」
公歴が訊く。
「待合だ」
「待合とは何だ」
「男と女がひそかに逢うところだろうと思う」
女郎屋にはいったが、門太郎はまだ待合なるところにいったことがない。
二台の俥は、神田から上野広小路に通じる――昔お成街道といった――大通りに出だ。ここにはガス燈がつらなっている。
その光を受けて、石坂公歴の顔が、カチカチと歯を鳴らして痙攣しているのがはっきり見えた。
「あの二人は、あんなところで何のためにひそかに逢っていたんだ」
「……そういう関係なんだ」
大通りに出た二台の俥は、ふいに別れた。馬城の乗った俥は、自宅のある下谷練塀町の方角へはいってゆき、景山英子の俥は、万世橋のほうへ駈けてゆく。――英子は、築地の有一館へ帰ってゆくつもりにちがいない。
ふいに公歴は、馬城の俥のほうへ走りかけた。
「待て」
と、門太郎はそれにうしろから組みついた。
「こ、殺してやる」
公歴はもがいた。
「待て、そんなことをさせたくて見せたんじゃない」
門太郎は死物狂いに抱きとめたまま、いった。
「君に、自分のやってることがどんなに馬鹿馬鹿しいことか、知ってもらうために見せたんだ。これ以上愚行の上塗りをするな。あきらめろ、悪い夢を見たと思ってあきらめろ!」
その間にも、大井の俥は町角から消えてしまった。
公歴はふりむいた。景山英子の俥は、ガス燈にけぶりつつ、まだ小さく見える。
「北村、離してくれ」
「離すと、追っかけるだろう」
「景山女史を追っかける」
「あれもよせ、いまさら追ってどうするんだ」
「聞きたいことがあるんだ」
苦鳴にちかい声であった。
「景山さんの気持を聞きたいんだ」
それこそは門太郎にとっても、最大の疑問事であった。同じことをしても、どういうわけか、大井憲太郎よりもあの女壮士の心情のほうが不可解に思われたのだ。
それを知りたい、という望みは、ついに門太郎の忍耐力を超えた。
「石坂、乱暴はせんな」
「……せん」
「仕込杖をよこせ。……おれも聞きたい」
公歴から仕込杖を受取ると、門太郎は公歴にまけぬ勢いで駈け出した。
石橋の下が二つの半円を描き、水に映ると眼鏡のように二つの円に見えるので、めがね橋とも呼ばれる万世橋の上で、二人は俥を追いぬき、前にまわった。
俥は驚いてとまった。
「景山さん!」
公歴は呼びかけた。
「石坂公歴です。おうかがいしたいことがある」
「俥夫、あけよ」
と、俥の中の声がいった。俥夫は梶棒を下ろし、幌の垂れをひらいた。お高祖頭巾をかぶった姿がおぼろおぼろと浮かびあがった。
「あなたはいままで、どこで何をしておられたのか」
さすがに英子の身体に、はっとしたものが走ったようだ。
「大井馬城先生とひとときを過しておりました」
「待合でですか?」
お高祖頭巾の中の眼が、一瞬とじられ、またひらいた。
「それが悪いのか」
「アジア解放の烽火《のろし》をあげるために朝鮮に義軍を送ると呼号される大井馬城先生と、日本の自由民権のためにすべてを捧げるといって上京したあなたが。――」
これを公歴は、昂奮のためにどもり、どもり、一句ずつ、たたきつけるようにいった。
「場所もあろうに、けがらわしい待合で――恥ずかしいとは思わんのですか!」
「妾《わらわ》は恥じてはおらぬ」
と、英子はいった。
「そのように偉大な方に、身も心も捧げることを妾《わらわ》は恥じてはおらぬ。なんとなれば、たとえ恋はしようと、そのために大事は忘れはせぬ。見よ、妾《わらわ》は遠からず馬城先生とともに朝鮮へ渡り、みごとに革命の旗をひるがえすであろう」
ひらき直りとは見えなかった。真実そう信じている女性の昂然たる眼であった。実際、門太郎は、ガス燈の遠あかりに青く燃える景山英子の眼を、このときほど美しく思ったことはない。
二人の青年は完全に圧倒された。
「そもそも、馬城先生と妾《わらわ》の仲がどうあろうと、それが貴公にとって何の関係ありや。妾《わらわ》は貴公に責められるいわれはない!」
英子は凜然と叱咤し、
「俥夫、ゆけ」
と、垂れを閉じた。
動き出した俥に、門太郎と公歴は、茫乎として道をひらき、茫乎として見送るばかりであった。
のちに知る。――
景山英子は、ほんとうにそう信じて大井憲太郎に身をまかせ、それを誇りに思っていたのである。
そして、大事が去り、罪せられ、獄から出たのち、やがて大井の子を生んだ。
大井には妻があった。英子はかねてからの約束の通り、その妻を離別することを迫った。大井は妻は精神病だから遠からず離別するといって、英子を誘惑したからである。
ところが、そのときになって大井は、狂妻であるからこそ、簡単に離別出来ないといった。その一方で、彼はまた別の女に手を出して、これも妊娠させるていたらくであった。
馬城大井憲太郎はまさしく豪傑であった。アジア連帯革命の夢は、彼のつもりでは法螺ではなかった。ただ、いかんせん――女は手当り次第につまんで捨てるという点でも豪傑であったのだ。
「――彼は全く変心せしなり。……ここにおいて妾《しよう》は全く重井《おもい》の為に弄ばれ」
と、のちに景山英子は、その自伝で痛恨する。
妾《しよう》とは私という意味で妾《めかけ》のことではないが、事実において彼女はまさしくその立場におかれたのだから、この一人称は悲喜劇的といわざるを得ない。自伝には重井とあるが、大井のことだ。
「はては全く欺かれしを知りて、吾《わが》憤怨の情は何ともあれ、さしあたりて両親兄弟への申訳をいかにすべきと、ほとほと狂すべき思いなりし。……」(福田英子「妾《わらわ》の半生涯」)
五年後のことである。
石坂公歴は、もう有一館には戻らないといった。当然のことだ。龍岡町の楽只園に帰るといった。そして夢遊病者みたいに去っていった。
彼は門太郎に、どうしてお前は馬城と景山英子の仲のことを知ったのだ、とも訊かなかった。「事実」に完全に打ちのめされたのだ。
打ちのめされた思いは門太郎も同じであったが――彼はともかくも目的を達したのである。
しかし、事態はこれで解決しなかった。すでに有一館の壮士たちによって動き出した運命の船は、ひとたびそれにかかわった者を、強力な航跡に巻きこんで曳いてゆく。
それから数日後、門太郎はまた湯島天神で石坂ミナと逢い、公歴があれ以来高熱を出して寝ているということを聞いた。公歴が帰って来たというので、ミナは横浜からまた楽只園に帰っていたのだ。しかし医者に診てもらうと、別に病気ではない、熱はやがて下るだろう、ということで、ともかくもう有一館にはゆかないといっているし、これで石坂家は救われた、ほんとうにありがとう、とミナは礼をいった。
しかるに。――
十一月十日の夕方であった。ミナは手紙もよこさず、直接に弥左衛門町の門太郎の家にやって来て、けさ公歴がまた出奔したことを告げたのである。しかも、仕込杖を携えていったという。
門太郎は愕然となり、惑乱しつつ考えたすえ、築地の有一館へ走った。公歴が出かけたゆくさきはそこしかない、と判断したのだ。
しかるに、また。――
門太郎は、有一館がほとんどからっぽになっていることを知って驚愕した。磯山監事も景山英子も蓬もいない。――おそらく、大井馬城もいないだろう。
彼は、やがて有一館の連中が、ここ三日ばかりの間に、三々五々、横浜から関西へゆく船に乗っていったことを知った。――当時、東海道線はまだ全通していなかった。
では、彼らはいよいよ朝鮮に向ったのか?
そしてまた石坂公歴もそれを追っていったのか?
――北村門太郎は、なすすべを知らず、茫然と立ちすくんだ。
壮士相搏つ
十一月二十二日の夕刻、石坂公歴は、大阪の曾根崎あたりの町を、中之島のほうへ向って歩いていた。片手に杖をつき、片手に風呂敷につつんだ小さな棒状のものをかかえている。
大阪も、長い不景気で町はさびれ、ただこがらしだけが勢いよく砂塵《さじん》をまきあげている印象であった。そして公歴も、髪は蓬々とのびて耳まで覆いかぶさり、着物も袴も垢じみてあちこち破れ、まるでこがらしの精のようであった。
ついている杖は仕込杖で、抱えているのは爆裂弾だ。
――のちにわかったことだが、これは大井憲太郎配下の壮士の一人で、工学校卒業の田代|季吉《すえきち》なる者が製造した爆裂弾で、中継地として南多摩の石坂昌孝の家に貯えてあったものの一つであった。その大部分はすでに運び出していたが、まだ十数個残っていた。
――事件発覚後、昌孝はこれを処分しようとし、山中へ運んで一弾を投じたところ、物凄い音響を発して全山にとどろきわたり、あとを処分する勇気を失って残弾をまた持ち帰り、いちど水田に埋めたもののやはり不安になり、のちにとうとう深夜横浜から舟で運び出して海中に投じて、やっと始末したという厄介なしろものであった。
公歴は、本郷の楽只園を飛び出すと、その足で野津田の家に帰り、その爆裂弾の一個を携《たずさ》えて横浜に走り、船で長崎へいったのである。
彼は爆裂弾運搬に従事しながら、首領大井馬城の計画をよく知らなかった。計画の大要そのものはむろん承知していたが、その正確な日程や行動計画を知らなかった。それでも、目的の朝鮮へは、長崎から船を仕立てて渡ることを聞いていた。
果せるかな、公歴は、長崎の宿屋に、景山英子、蓬、大矢正夫――大矢は、強盗決行後まっさきに長崎へ逃げのびていた――をはじめ、数十人の壮士が泊って船を待っていることをつきとめたが、首領の大井馬城や参謀格の磯山清兵衛はまだ来ていないことを知った。
彼らに知られては困るので、公歴としては大苦心の探索であった。
そして、大井がほかの幹部ら十数人と、大阪中之島の銀水楼という料亭兼宿屋にとどまっていることを、やっと探り出した。
――これものちに判明したことだが、一味には実に途方もない意外事が発生していたのである。
なんと、いちどは長崎まで来ていた参謀の磯山清兵衛が、この土壇場で、軍資金の大半をかかえて逃亡してしまったのだ。
そのために景山英子らは、待機ではなく立往生していたものであり、大阪まで来ていた大井憲太郎らも――実はそれでなくても軍資金が足りな目で、近畿一帯の自由党のシンパから助力を仰ぐために大阪にとどまっていたのだが――この事件でいよいよ事は重大化し、血まなこになって金を集めるのに狂奔していたのだ。
そこまでは知るよしもなかったが、公歴は大井の居場所をつきとめると、ただちに船で大阪へ反転した。
彼は、朝鮮革命計画そのものに異論はなかったから、長崎にいる景山英子に爆裂弾を投げるつもりはなかった。しかし、大井馬城は許せなかった。この不徳な指導者は、どうしても罰せずにはいられなかった!
大井を爆殺すれば、右の計画はつぶれるかも知れないが、そこまでは考えてはいられない。その点も彼は何となく、あの勇ましい景山英子と深謀遠慮の磯山清兵衛さえいれば、壮挙は計画通り進行するのではないか、と考えていた。
公歴が、中之島の銀水楼という料亭を探しあてたのは、もう日が暮れようとして、二階の障子に灯がはいった時刻で、中で乱舞している影が見えた。たまたまその障子があいて、吐くために首を出した男を見ると、有一館で知っている顔であった。
――長崎へゆく途中、景山英子も一両日、大阪に泊ったことがあった。このときはまだ磯山の事件は起っていなかったが、この間にも壮士一同、新町遊廓にくり出しての豪遊ぶりに、彼女は、
「――大事の前に小欲を捨《すつ》るあたわず、前途近からざるの事業を抱えて、嚢底《のうてい》多からざるの資金を濫費す。妾《しよう》の不満と心痛は、妾《しよう》を引いて早くも失望の淵に立たしめんとはしたり」
と、痛嘆している。
これがそのころの壮士なるものの、棒で殴っても癒らない悪習であったが、それにしても、その後さらに事態は決定的に悪化しているのに、なおこの乱痴気騒ぎとは、言語道断、呆れはてたる所業だ。
とは、公歴は知らない。例によって例のごとしか、と思っただけだ。
彼は料亭のまわりを一周し、裏の道ばたにある柳の木を利用すれば、何とか塀を越せるのではないか、と見当をつけた。
しかし、まだ駄目だ。このあたりはまだ人通りが多い。柳の木などによじのぼっておれば、たちまち怪しまれるにきまっている。
真夜中近くまで待ったほうがいい。その時刻、忍びこみ、料亭の女中か男衆でも脅して、大井馬城の寝ている部屋に案内させ、爆裂弾を投げこんでやるのだ。
そう考えて、公歴は一応ひき返した。
すると、堂島川にかかる玉江橋の上で、ゆきちがった二人の男が、ゆき過ぎてふと立ちどまり、ふり返った。乗馬帽をかぶり、股引に尻っからげという風態の男だ。一人が一人に何かささやいた。公歴はそれに気がつかなかった。
二人の男は、そっと公歴のうしろをつけて、橋のまんなかで、いきなり組みついた。
「あっ、何だ?」
公歴はもがき、争うはずみに片手の風呂敷包みが大きく飛んだ。このとき、公歴は眼をつぶった。しかし爆裂弾は河へ落ちてゆき、爆発はしなかった。
その間に、もう一方の手の仕込杖はもぎとられ、その腕はつかまえられている。
「きさま。……」
と、ズングリムックリした乗馬帽の一人がいった。
「南多摩の秋山国三郎の家で逢ったやつだな。それがどうして大阪におる?」
しばらく、角ばったその顔を見ていた公歴は、ふいにはっとした。
「お前は!」
「東京の警視庁の者だ」
と、相手はいった。――公歴は、この春、秋山|龍子《りゆうし》の家で警視庁の密偵であることを看破され、逃走した男の顔をそこに見た。
「いま、河へ投げたものは何だ」
公歴は狼狽しつつ、うめくようにいった。
「そんなこと、君に答える必要はない」
「警察へ来い!」
二人は、公歴の両腕をつかんでいた。
「お、おれが何をした。何の嫌疑だ」
「強盗の嫌疑だ」
「えっ? 強盗?」
「きさま、大矢正夫と友達だろう? シラは切らせんぞ。秋山の家で、きさまが大矢といっしょにいるのを見た。その大矢が相模《さがみ》の戸長役場に強盗にはいったが、きさま、その一味にちがいなかろうが」
「ば、馬鹿な!」
公歴は顔を真っ赤にしてさけんだ。
「おれが強盗なんかやるものか。おれはもっとでっかいことを考えてるんだ!」
この春、南方熊楠にヘドを吐きかけられ、土方襄之助に密偵であることを看破されて逃走した赤沼兵吾なのである。彼はまさしく警視庁の巡査であった。
赤沼は――実はこれも変名だが――それまで自由党の壮士に化けて有一館へも出入りしていたが、それ以来顔が出せなくなった。それどころか、町で壮士たちにゆき逢うことも憚らなければならなくなった。
そのだれよりも、彼にとって怖いのは、彼を警視庁の密偵だと看破しながら、わざと自分に殺人を犯させようとしたあの土方襄之助だ。そのやりくち自体ひとが悪いが、さらにそれ以前、「同志」としてつき合っていたころを思い出してもうす気味が悪い。その剣術の凄さを知る機会があって、それも怖いが、それより何より、とにかく怖い男だという実感があった。
むろん警視庁の密偵というのは「公務」だから、理窟の上では何も怖がる必要はなく、また怖がってはいられないのだが、とにかくやりにくい状態になったことは事実で、あれ以来赤沼は、警視庁の内部にあって、強窃盗などの取調べをやっていた。
そこへ、この十月三十日、神奈川県座間入谷村の戸長役場に、短銃を持った三人の若い男が強盗に押しいったという事件が発生した。
それを耳にしたとき、彼は――北村門太郎と同様に――その犯人の一人は、少くとも大矢正夫ではないか、と直感した。有一館の壮士たちが金に困っているのは知っていたし――何より、大矢の実家がその入谷村に近い、ということを思い出したからだ。
赤沼はすぐに入谷村に急行し、当夜縛られたという小使を訊問して、覆面はしていたものの小使を脅していた犯人の一人が、どうやら大矢にまちがいない、ということをたしかめるに至った。
それで、築地の有一館に出入りする壮士たちの動静を内偵して見ると、果せるかな大矢がいない。それも右の事件の直後から姿を消している。
さらに数日調べて、大矢正夫はどうやら船で関西にいったらしい、ということをつきとめた。
赤沼は、大阪及びその近傍にも、自由党のシンパがいることを知っていた。大矢はそこに逃げこんだのではないか、と彼は推定した。それで彼も大阪へ追って来て、大阪の警察の巡査とともに、それらシンパのところを探っていたのである。しかし、大矢はいない。――
そのうちに彼は、はからずも大井憲太郎その人が、家の子郎党をひきいてこれまた大阪にやって来て、中之島の銀水楼に泊ったことを知った。そして、右のシンパたちの間を金集めにまわっていることをつきとめた。しかし、その中にも大矢はいない。
そして、この日、思いがけず大矢ではなく、その仲間の石坂公歴を発見したのである。
こいつは大矢の強盗の一味ではないか、と赤沼は思いこみ、警察へ連行し、訊問を開始した。
「強盗なんかじゃない、もっとでっかいこととは何だ」
石坂公歴は、むろんとっさに白状はしなかったが、その苦悶の表情から、彼がただならぬ秘密を抱いていることは、明らかに看取された。
そこへ、もう一人の巡査が顔色を変えて駈けこんで来た。さっき公歴が堂島川に投げこんだ物をすくいあげて、それが爆裂弾であることを知ったのである。
「きさま、爆裂弾を使って強盗をやろうとしたのか」
「ち、ちがう!」
それまでの苛烈な訊問にヘトヘトになり、ここでいよいよのっぴきならぬことになった公歴は、少年のような泣き顔になってさけんだ。
「僕はそいつを、大井先生に投げつけようと思ったんだ!」
「なに、大井馬城に? なぜだ?」
「大井先生が、人の道にはずれたことをされたから」
「とは、何だ?」
「大井先生は景山さんと姦通した」
「なんだと? 景山女史と?」
赤沼は唖然たる顔つきになった。彼も景山英子を知っており、しかしこのことは彼にも意外事であったらしい。
「お、そういえばその景山英子は銀水楼におらんな。景山はどこにおる?」
「長崎だ」
公歴はもう自暴自棄であった。大井馬城も景山英子も、何もかも――自分をもふくめて、爆裂弾の火炎の中に飛散してしまえばいい、という気持であった。
「景山英子が、なぜ長崎にいるんだ?」
「朝鮮に革命を起させるために――」
その意味を訊きただし、赤沼は驚倒した。
赤沼は壮士に化けて有一館に出入りしながら、それまでこの大計画のことを知らなかった。――彼が有一館から離れてから、その計画が急速に具体化したということもあるが、あとで考えると、それ以前から彼は疑惑を持たれていて、土方が注意してそんな情報から彼を遮断していたらしい。
それにそもそも赤沼は、近くで大井馬城を見ていて、その破れ太鼓のような言動に、かえって彼を甘く見る眼を持たされたのである。だから、大井一党が大阪に現われたのも、東京では難しくなった資金集めを大阪に求めたというだけのことで、その金も彼らの空しい政治資金、さらには放埒な生活費だろうと見ていたのである。
赤沼は取調室を駈け出した。
数時間後、長崎の警察に電報が打たれた。
大阪で大井憲太郎らが、長崎で景山英子、大矢正夫らが一斉に逮捕されたのは、翌日すなわち明治十八年十一月二十三日のことであった。
容疑は「外患罪」及び「爆発物取締罰則違反罪」それに「強盗罪」であった。
長崎組もただちに大阪に送られ、収監された。
このころの一連の自由党関係の騒擾《そうじよう》事件の中でも、未発に終ったものの、その規模の大きさで世人を聳動《しようどう》した、いわゆる「大阪事件」の発覚である。
これによって獄につながれた者はぜんぶで五十八人に上った。
この五十八人の中には、事前に軍資金を持ち逃げし、潜伏先の播磨の塩田温泉からやがてつかまった有一館監事の磯山清兵衛も混っている。
この不思議な「参謀」の行為は、彼の自爆目的から発したものであった。
磯山は、自分たち大井一派が生き永らえるためには、朝鮮に「転移」して革命を起すよりほかはない、という計画に賛成した。それどころか、彼自身が計画を推進した。ところが、冷徹な彼は、それゆえに大井の八方破れの言動を見ていて、これはとうてい成功しないと絶望したのである。土壇場に至って、この計画の必然的な破綻を見ぬいて彼は怖気《おじけ》づいたのである。
彼が長崎から軍資金を持って逃げたのは、この計画をつぶすためであった。たとえこのためにあとで何らかの罰を受けようと、実行して失敗したときの罪よりもはるかにましである。「軍師」たる彼はこう考えたのだ。
思えば彼が、石坂公歴に大井と景山英子の密通を暴露したのも、彼のあがきの一つであったろう。それによって、この多感な青年が大井に何らかの行動を起してくれれば、事は未然につぶれる、ということを期待しての行為であったろう。
ところが、それが期待通りにゆかないので、時間切れになって彼自身が自爆したのである。
石坂公歴の「行動」の結果は、それから一歩遅れて現われた。それは磯山の期待していたものより、もっと大がかりな一味の一網打尽という結果を呼んだ。
一網打尽とはいうが、網の目からもれた者もあった。
あとで、胸とどろかせながら新聞を見て、次に北村門太郎はその胸を撫で下ろしたのだが、それは逮捕された五十八人の中に、石坂公歴と秋山蓬の名がなかったことだ。
門太郎が安堵したのはいいとして――石坂公歴はどうしたのか?
実は公歴も、悪夢からさめて、茫然と眼を見ひらいたような気持だったのだ。彼は十日ばかり大阪の警察に留置されたのち釈放されたのである。
「まあ、お前が陰謀に参加しておらなんだことを認めて、今回は許してやる。お前のような若僧が、大人のきちがいどもの世界に首をつっこむと大やけどをするぞ。よくおぼえておけ」
最後に、赤沼巡査はいった。公歴は、爆裂弾は有一館から持ち出したといい、赤沼はそれで納得したらしい。――が、そう訓戒したあと、彼はふと声をひそめて、
「もういちど訊く。お前、ほんとうに土方襄之助のゆくえを知らんな?」
と、いった。
「知りません。あのあと、あの人はどこかへ――そう、大阪へゆくとかいって、いっちまったきりで。――」
「大阪にはおらん。長崎にもおらん」
赤沼は首をふって、それから公歴をじっとにらみつけ、
「ところでお前の今後じゃが、当分監視の要があるから、さっき命じたように、警視庁の許可なくして南多摩の実家から離れてはいかんぞ。……よし、ゆけ」
と、あごをしゃくった。
赤沼にしてみれば、逮捕者の中に土方襄之助の名がないことこそ、何よりの怪事であった。
石坂公歴は、水の中を歩くような足どりで、ユラユラと警察署を出ていった。彼にとって、この世はすでにこの世ではなかった。
ここに奇怪な事件がある。
収監された事件関係者は、それから毎日のように大阪始審裁判所へ呼び出されて検事の取調べを受けることになったのだが、暮近い一日――始審裁判所へ向うべく堀川監獄を出た一団が、門から檻車《かんしや》に歩いているとき、突然、あっという悲鳴があがり、一人がのけぞった。
次にしゃがみこみ、手錠をかけられているのでただ上半身をのた打たせている囚人の背に、一本のたたみ針が突き立てられているのがわかったのは、そのあとである。その囚人は、磯山清兵衛であった。
実は、磯山は別として、この大井自由党の被告たちは大人気のまとで、いつもこの時刻、監獄の外には何十人かの壮士や市民が待ち受けて、激励の言葉を投げていた。それがだんだん毎日の行事となって、そのころは囚人の行列の両側にならぶ状態になっていたが、しかしむろん看守たちは見張っていたのである。
看守たちは、だれも囚人の行列に、手のふれるほど近づいた者はないといった。――
しかし、磯山の背中には事実針が突きたてられ、その針の穴には、「闇ノ目」と書いた紙片が結びつけてあったのだ。
針は長かったが、しかしとにかく針に過ぎない。――しかし彼はこの傷のため獄中で苦しみ、いちじは危篤におちいったほどであった。針に毒性のものが塗ってあったと見るほかはない。何者かがこの裏切者を罰したことは明らかであった。
すでにこのころ、赤沼は東京の警視庁に戻っていたが、この事件のことを聞いて、眼を宙にむけて、うなり声を発した。
石坂公歴は、幽霊みたいに南多摩野津田村の家に帰って来た。
彼はそれでも、父の昌孝だけには、自分が何をしたかを報告した。父は叱らなかった。
「そうか。何もかも忘れろ。当分心を静かにして休んでおれ」
と、やさしくいっただけであった。
しかし、翌年一月になって、昌孝は警察に呼び出され、拘留された。しかし、これは例の爆裂弾の件に関してではなかった。感心なことに大井たちは、その件については白状しなかったのである。――石坂家に残っていた爆裂弾は、前に述べたように、それまでにみな処分されていた。――召喚拘留されたのは昌孝だけでなく、三多摩にあって自由党のシンパと見られた数人の豪農政客たちみんなであって、十日ばかりのち、そのほとんどは事件に「関係薄き」ものとして釈放された。
昌孝もその中にはいっていたが、しかし石坂家が怖ろしい嵐に吹かれたことは事実である。そして、一見その嵐は吹き過ぎたように見えたが――真空に近い日々の中に、すべてに敗れた父と子は、放心状態で坐りつづけていた。
人間の港
明治十九年。――別の意味で、それは北村門太郎にとっても忘我の年であった。
改めて石坂ミナとの交際がはじまったのだ。最初は、暮にミナから、「公歴が無事に家に帰って来たらしい」という手紙が来て、そのようすを聞きに横浜へ出かけたのである。ミナは横浜の共立女学校の寄宿舎にいたからだ。
そして、正月に野津田に帰省して、また横浜に戻って来たミナから、改めて公歴のことを聞いた。
公歴が何をしたか。――そのことをミナは父から聞き、門太郎に伝えたのである。……むろん、門太郎は衝撃を受けた。大井馬城の壮大な国外革命計画を挫折させたのは石坂公歴であり、公歴にそんなことをやらせる端緒を作ったのは、まさに自分であることを知ったからだ。
「公歴はそれで、病気になるほど苦しんでいるらしいのです」
というミナの言葉に彼も頭をかかえ、やがてその頭をあげて、
「僕が野津田へいって、公歴君と話しちゃいけないでしょうか?」
と、いった。これに対してミナは、
「いいえ、あなたはゆかないで下さい。いまのところは公歴に、自由党のことを忘れさせるのが何よりの法だ、と父が申しておりますから」
と、すまなさそうに、しかし懸命な表情でいった。
「それに何でも警視庁のほうから、自宅謹慎を命令されているとかで、やはり以前のお知り合いの方は遠慮していただいたほうがいいんじゃないでしょうか」
そういわれれば、門太郎も返す言葉もないし、だいいち自分がいって、公歴に何を話したらいいかわからない。
しかし、こうして彼は公歴の安否を聞くためにミナに何度か逢う機会を持つことになった。何度か、といっても、月に一度くらいなものであったろうか。
このとし北村門太郎は、もう雲水となる非現実的な夢は捨てて、もとの姿に戻り、横浜のある西洋人の貿易商のところへ出入りして、その輸入品の売りさばきに従事することになった。文学をもって身をたてることを熱願しながら、文筆業がまだ職業として成立たない時代で、生活のためには、彼はそんなことをしなければならなかったのだ。
しかし彼は、それまでの苦労のわりに、実業に適合する素質を先天的に欠いた若者であった。当然、そんな商売の成績はかんばしくなかった。……
生活にもがきながら、しかし門太郎は横浜にゆくのがうれしかった。その横浜の商用も、実はミナに逢うための、自己弁解的な行為の匂いがあった。そのくせ、しょっちゅう横浜にはゆきながら、実際にミナに逢うのは、右にいったように月に一度くらいなものであった。
二人は、共立女学校に近い、港の見える小公園のベンチに坐って話した。
ミナが、野津田の家に変な男が訪れ出した、という話をしたのは、春になってからのことである。それは警視庁の巡査で、来るたびに少からぬ金を持ってゆくようになったという。
「えっ、巡査が?」
門太郎は眼をむいた。
「なぜ?」
「公歴を監視するため、といって、ときどき顔を出すようになったんだそうですけれど。……」
「それが、東京の警視庁からわざわざ南多摩までゆくんですか」
「その巡査は、大阪で公歴をつかまえた人で……公歴が無事釈放されたのは、その人のおかげなんだそうです」
「へへえ」
その男があの秋山家に現われた警視庁の密偵だとは、ミナは知らず、従って門太郎もそれとこれを結びつけるきっかけがなかった。
「自分でせびるんですか。けしからん巡査ですな」
「それが、はっきり口に出してはいいませんけれど、お礼といって渡すと受取り、渡さないとそれとなくいやみをいうそうで。……」
石坂家が爆裂弾の中継地になっていたことを知っている門太郎は、そのふとどきな巡査の話を聞いても、どうしていいかわからなかった。なまじ問題にすると、藪蛇になるかも知れないのだ。
五月二十五日、「大阪事件」の公判が、大阪重罪裁判所で始まった。大井憲太郎をはじめ全被告は、背中に「自由」という文字を白く染めぬいたそろいの黒羽織を着、手に手に「正気」と書いた白扇を持って、昂然と法廷に現われたという。新聞は大井馬城の風貌態度を、「大事を企てし首領というも恥なかるべし」と、好意的に評した。
この記事を読んで、門太郎の胸に複雑な波の立ったことはいうまでもない。ことに、その被告の中に大矢正夫のいることを考えると、心臓がしめつけられる思いになった。彼は自分がまだ「苦獄」の住人であることを確認せずにはいられなかった。
夏のはじめ、ミナはいった。
「公歴は、アメリカへでもゆきたいといっています。警視庁から……あの巡査から逃れるためにも」
「そいつは、まだ現われるんですか?」
門太郎はやや呆れてミナの顔を見た。
「しかし、公歴君がアメリカへ……それはいい! 僕は賛成だ」
彼は、港に浮かぶ白い船を眺めながら、いつか自分も異国へゆきたいと夢みたことを思いだした。
「留学とは羨ましい。是非公歴君をそうさせてやって下さい!」
「それが、実は難しいのです。いまいった警視庁の監視もありますし」
ミナは哀しそうにいった。
「それにいま、うちはとても公歴を留学させるようなお金がないのですわ。わたしでさえ、いつ女学校をやめなくちゃいけないかも知れない……というほどのありさまなんです。……」
「へえ、石坂さんが?」
門太郎は茫然とした。そういえば、いつかミナが石坂家の没落を語ったことがあったが――いま、それほどになったのか?
春から夏へ――門太郎とミナは、公園のベンチで、こんな話をした。
決して明るい話ではなかった。人生というものは、嵐が吹き過ぎて、雲一片も残さない蒼空となるようなわけにはゆかない。地上にはいつまでもしつこく水たまりが残り、傾いた家が残っている――そんな憂鬱をいだかずにはいられないような話であった。
――にもかかわらず、北村門太郎はなお忘我の世界にあったのである。
かつての同志たち、とくに親友大矢正夫への自分の裏切りによる苦悩、公歴に対しての憂い、石坂家についての心痛、依然窮迫したままの自分の生活に関する悲哀、さらに何かが追いかけて来るような不安、何かが起りそうな胸騒ぎ――それらの憂愁を、すべて心の陽炎《かげろう》のように霞ませるミナへの熱愛であった。
門太郎とミナは、たしかに右のような話もした。
しかし、彼らの会話の多くは、門太郎の文学についての話と、ミナのキリスト教についての話であった。公歴のことは、二人が逢うための口実のかたむきさえあった。ミッション系の共立女学校の生徒であるミナは、門太郎の新しい文学談をよく理解し、門太郎も彼女のバイブルについての話にうっとりと耳をかたむけた。
三歳年上の、三多摩切っての名家の娘石坂ミナの胸に、いつのまにやら縁談話のある医者の影がうすれ、社会人としては「無」にひとしい年下の北村門太郎を――彼女もまた愛しはじめていたのであった。それが自分にとっての「真実の道」だと、彼女は感じはじめたのだ。
恍惚と不安にけぶる二人の頭上に、夏が去り、秋が流れて来た。
公歴がついにアメリカへ脱出することがきまったのは、十一月下旬のことだ。父の昌孝が、船賃と、とりあえず半年ばかりの生活を見込んだ滞在費を工面《くめん》してくれたのである。あとはそのときになって送金するという話であった。
十二月十三日の午後、公歴は横浜に来て、北村門太郎と逢った。約一年ぶりの再会である。
二人は、涙をこぼしながら抱き合った。
公歴はひどく痩せていて、オドオドしていて、去年のあの狂熱的な若者とは別人のようであった。それは、事件の打撃がいかに大きく、しかもそれからまだ彼が脱却していないことを思わせた。
あのことについては一切触れない、というミナとの約束であったが、ふと門太郎の頭をかすめる影があり、
「まだ、警視庁はくっついてるのか?」
と、ささやかずにはいられなかった。公歴は歩きながら、まわりを見まわした。
「うん。……ここへも尾《つ》けて来ているかも知れん」
「しかし、べつに、もうつかまる心配はないんだろう?」
「アメリカへ逃げることがわかったら、どうだかわからん」
門太郎は語調を変えて、力づけるようにいった。
「とにかくアメリカへゆけることになって結構だ。いって、向うの大学にでもはいるつもりか」
「まだよく考えとらん。サンフランシスコに着いてから考える。いまはただ逃げるだけだ」
彼らは、海岸通りを歩いていた。そこにあるアメリカの汽船会社の支店に、船のことについて交渉するためであった。
ふしぎなことに、その前にミナが申請してくれた公歴の海外旅行免状は何のこともなく下りていた。
船は、十二月二十二日正午に出航するシティ・オブ・ペキン号ときまった。彼らは支店を出た。
すると――また海岸通りを歩いているときだ。ゆき交う雑踏の中から、バタバタ駈けて来た者がある。
「石坂さん!」
立ちどまって、門太郎は眼を見張った。蒼白い公歴の頬もみるみる紅潮した。それはなんと、あの蓬であった。
「どうしたんだ?」
公歴はさけんだ。
彼と蓬とは、これまた去年十一月ごろ、東京で別れて以来の邂逅であったのだ。蓬が、景山英子といっしょに長崎へいったとき、そのことも公歴は知らなかった。あとで長崎へ追っていったとき、チラと蓬の姿をかいま見たこともあったが、むろん声はかけられなかった。――
「お久しぶりね。……ほんとうにお久しぶりね!」
蓬は息はずませていった。
一年逢わない間に、蓬はめっきり女らしくなったようだ。あのころから愛くるしかったのが、どこか凄艶の気をおびて来たような気がする。彼女の笑顔は、なつかしさにかがやかんばかりであった。
公歴はしかし、どうしたんだとさけんだきり、のどに何かつまったような表情になった。自分がこの娘をもふくめて同志たちを裏切ったということを思い出したのである。
「父もあそこにいます」
しかし蓬は、何も知らないようすで、ふり返って指さした。
すると、海岸通りの道ばたに、四、五人の男女が立ち話をしている風で、それがこちらを眺めている。
その顔ぶれを見て、門太郎と公歴はさらに眼をまろくした。女は一人いるが、これは知らない。しかし、あとは、あの秋山龍子先生と――そして南方熊楠と、その友人らしい二人の青年であった。
こうなったら、逃げるわけにはゆかない。門太郎たちは、そこへ歩いていった。
「秋山先生、お久しぶりです」
「南方君も。……どうしてまたこんなところにいっしょに?」
と、二人は口々に訊いた。
「なに、偶然ここでゆき逢っただけさ」
龍子先生は笑った。
「お正月が近いので、蓬にねだられて横浜に買物に来たら……珍らしいことをすると、天の神様も面白がると見えて、珍らしい連中を降らせなさる」
龍子は石坂公歴を見て、
「何じゃ、ひどくやつれていなさるじゃないか」
「は。……」
おだやかな老人の眼であったのに、公歴はふるえた。龍子先生はあのことを、知っているのか、いないのか?――いまの蓬のようすから見ると知っていないようだが――それでも公歴は、この「ヤットーのおやじ」に、何もかも見ぬかれているような感じがした。
「先生」
門太郎は呼びかけた。
「蓬さんは、長崎で……」
どうして長崎での検挙を逃れたのか、という意味だ。公歴から注意をそらさせるための助け舟のつもりもあったが、門太郎にもそのことはふしぎであった。
それだけで龍子は、門太郎の疑問を推察したらしい。
「大阪事件のことかい。や、あれはね、騒ぎのときちょうどこいつは、酒買いにいってて助かったそうじゃよ。あとで探されるほどの人間でもないから見逃されたらしいが……大矢のことを心配して、帰って来ても半病人じゃった。やっとこのごろ横浜に買物にゆこうとせびるまでになったが。……」
蓬の頬が、ぼうと赤くなった。
「いや、奇遇だなあ」
南方熊楠が近づいて、声をかけて来た。以上の会話にはまったく風馬牛の顔で、
「わしはとうとう予備門はやめて、アメリカへゆくよ」
と、公歴に向っていった。
「えっ?」
「いま、船会社にいって、船をきめて来た帰りだ」
「いつ、何という船で?」
「十二月二十二日の、たしかシティ・オブ・ペキンというアメリカの船だ」
公歴と門太郎が顔見合わせている表情を気にもとめず、頭をかきかき熊楠はいった。
「学校やめてアメリカへネンキンの研究にゆく、ということを紀州の実家に承諾してもらうのが大変でねえ。こないだまで、国へ帰って大汗かいたが。……」
ちらっと、やや離れた女性のほうに眼をやって、
「アメリカへいったとしても、わしが何をするかわからん、ボロを着て|はだし《ヽヽヽ》で歩きまわるんじゃないか、ちゅうて……何か妙なことをやったらすぐ連れ戻す役に、嫁までおしつけられた。遠縁の金持の娘で、あんな面《つら》じゃが、そっちからも渡航費を出してもらうことになったんで、やむを得ん仕儀じゃて」
と、しょっぱい顔をした。
港のほうを見ている女は、丸髷を結っているが、背ひくく、横幅ひろく、まるで河馬《かば》のような顔をしていた。――小声で、
「途中、太平洋で、甲板から落ちてくれんかと祈っとるが。……」
娘がふとこちらを向いたのを見ると、こんどは大声でいった。
「いや、そういうわけでね。近いうちに友人が、忘年会兼わしのための送別会をやってくれるについて、余興にシェクスピアの英語劇をやるっちゅう話になった。そこで、西洋の女の金髪のかつらはないか、と、その探しものもかねていっしょに横浜に来たんだ」
門太郎と公歴は、そこにいる熊楠の二人の友達が、いつか一ツ橋の東京大学予備門の構内で逢った二人だと気がついたが、名前まで思い出せなかった。
門太郎が訊いた。
「金髪のかつらはありましたか」
「いや、あいにくなかった。ふしぎなことに伊勢佐木町に、日本のかつらを売ってる店はあったがね。輸出用だというんだが、日本のかつらを輸出して、何に使うものかな? おうい、正岡君、立派な文金高島田があったのう、あれはどうしても使えんかね?」
正岡君は苦笑して答えた。
「文金高島田のオフェリアはいかんよ、なあ夏目君」
夏目君はいった。
「あの高島田は、越後の国は蒲原郡《かんばらごおり》、蛸壺《たこつぼ》峠から持って来たような高島田だったな」
「なんのことだ、それは?」
「なんのことだかわからない」
龍子先生は、彼らの駄弁に呆れた顔で、
「のんきな人たちじゃな。……倖せなことじゃ」
と、笑った。
「それじゃ、これで。――もう逢うこともあるまいが、ごきげんよう」
南方熊楠はちょっとお辞儀して、河馬のような花嫁と二人の友人をうながして、ぶらぶらと歩いていった。
笑顔で見送って、龍子先生がつぶやいた。
「大将、まさかあの花嫁にヘドを吐きやすまいな」
それから、ふり返った。
「海風《うみかぜ》は寒いな。……あんた方、用がないなら、少し歩くが翁町《おきなまち》にあるわしの宿にゆかんか。あれからのことで、聞きたいことも話したいこともある」
「は。……」
龍子|父娘《おやこ》について、二人は歩き出したが、しばらくいって、旭町通りにはいろうとしたところで、公歴の足がとまった。
「僕はゆけない!」
と、彼はうめいた。
門太郎はぎょっとした。
公歴は、髪もそそけ立ったような顔でいった。
「僕はゆけない。……僕は裏切者なんだ!」
――華やかな人々のゆき交う路傍で、石坂公歴は、龍子父娘に告白した。
大井馬城と景山英子の密通に逆上して、爆裂弾を持って大阪に走り、それを投ずる直前に逮捕され、自暴自棄になって大井らの計画を白状したことを。――
聞いている蓬の表情といったらなかった。この中で、蓬がいちばん驚愕したのは密通の件らしかった。景山英子の「侍女」として仕えながら、蓬も気がつかなかったらしい。
それから公歴は、自分をつかまえた巡査が、いつか秋山の家で警視庁の密偵であることを曝露されて逃げた赤沼兵吾で、赤沼は、自分をその朝鮮革命計画とは関係ないと認めるといって釈放してくれたけれど、この春ごろから南多摩の家へちょくちょくやって来て、金を持ってゆくようになった。家の苦しみは、ただの金銭問題以上のものがある。それで自分は、すべてから逃れるためにアメリカへゆこうと思い、先刻その船も予約した。実は、それはさっき南方熊楠のいった船と同じ船だ。――と、いった。
聞いている龍子先生が、「ほう」という声を出したのは、その赤沼の名が出たときであった。門太郎に至っては、声も出なかった。
龍子がいった。
「あれはそんな男じゃったか。……なるほどあのミナカタクマクスノミコトがそいつにヘドをかけたのは、神様の胃袋が正しかったわけじゃのう!」
追跡者
「その赤沼は、あんたのアメリカゆきを知っとるのかね」
と、龍子先生は訊いた。公歴は答えた。
「いまのところは知らんはずです」
「知れば、どうするじゃろう?」
「さあ?」
「理屈からいえば、向うが止《と》めることは出来んはずじゃが。……そもそも、そんなゆすりのようなことをやる男だから、打出の小槌を黙って見送りはせんだろうね。きっとじゃまするか、何かいやがらせの行為に出るにちがいない」
「やると思います。だから僕も、あいつに知られないようにアメリカへゆこうとしているんです」
「それを万一知って、向うが何か手を打っても、こちらにはそれをふせぐ手段がない。へたをすると、藪蛇になる」
北村門太郎も、歯がみしながらうなずいた。
龍子先生はしばらく空を見ていたが、やがて、
「ただ一つ、あいつを封じる法がある」
と、いった。
「土方襄之助に頼むことじゃ」
「えっ?」
公歴と門太郎はさけんだ。龍子はいった。
「封じる法というより、封じる男といったほうがよかろうか。あの男なら、赤沼を金縛りにしてくれるじゃろう」
「土方さん……あの人はいまどこにいるんですか」
門太郎は尋ねた。
「先生はそのいどころを御存知なのですか?」
「いや、知らん。――知らんがね。それは多摩石田村のあれの実家に訊き合わせりゃ――わしから頼んでおけば、知らせてくれるじゃろ。いま近いところにおれば、すぐに連絡はつくと思う」
「土方さんを呼んで、どうなさるの」
と、蓬がいった。
「その赤沼とやらのところへゆかせる」
「警視庁へ? そんなことしたら、かえってそれこそ藪蛇になるじゃありませんか」
「なるほど、いや待て。――それにそもそも赤沼は、いま公歴君のアメリカゆきを知っておらんという。――」
龍子先生はややあわてた顔で、また考えて、
「公歴君、あんた出発までどこにおる」
と、尋ねた。
「本郷龍岡町の楽只園にいるつもりですが」
「もし赤沼が感づいたら、そのあたりをウロウロするな」
「は?」
「では、そこへ土方をやる」
「楽只園へ、あの人が来るのですか」
「いや、お宅へはうかがわせん。近くで見張らせておく。……そのあたりの手順は、この蓬に然るべく運ばせよう。蓬、お前は公歴君の出発まで、楽只園に泊らせてもらって、随時近くを見張り、赤沼が現われたら、土方にまかせるのだ。……わしの考えはわかるじゃろう」
「お父さま」
と、蓬はいった。
「いったい、何のためにわたしがそんなことをしなければならないのですか」
「公歴君を無事アメリカへ逃すためだ」
「このひとを」
と、いったきり、蓬は黙りこんだ。その大きな眼に、みるみる涙が盛りあがった。
「大矢さんを牢にいれたこの人を!」
公歴はもとより、門太郎も石と化した思いがした。
「それに」
と、蓬はしゃくりあげながら、いった。
「わたし、あの土方さんはこわい。――」
「こわい男じゃから頼むんじゃ。だいいちお前が土方にとっちめられるわけじゃない」
「いえ、おやじさん、心配しないで下さい」
やっと、公歴がいった。
「何も赤沼が来るときまってる話じゃなし、もう十日ほどの間のことですから」
「いや、念のためじゃ。……蓬」
と、龍子先生は娘のほうに向き直った。
「わしはお前を滅びゆく自由党に捧げるといった。……お前はそれを承知した」
「ですから、その自由党を裏切った――」
「はは、大井さんのやろうとしたことは、たとえ公歴君のことがなくってもうまくゆかなんだろう。わしはそれを承知でお前に手伝わせたんじゃ。……それに、うまくゆかなんだおかげで、大井も大矢も、そのうち大きな顔をして牢から出て来るよ」
「……」
「それにくらべて石坂家は……こういっちゃなんだが、石坂家が自由党につくした労は、大井さんなんかよりまだ大きい。なんの名誉も欲得も求めず、自由民権のために捧げた石坂家は……三多摩切っての名家石坂家は、そのためにいまそのすべてを失おうとしておる。いや、もう失ってしまったかも知れん」
「……」
「せめて一粒種の公歴君を、安全なところへ逃してやるのがわしたちの務めだと思わんか。獄中の大矢も、そう聞いたら、お前によくやってくれたとありがたがるじゃろう」
蓬は顔をあげた。涙にぬれた頬がかがやいていた。
「お父さま、やります」
十二月二十日の夜八時ごろであった。
本郷龍岡町の葉茶屋楽只園の店頭に、一人の巡査が現われた。紺の制服制帽に、厳然たる髭をはやしているが、これは赤沼兵吾であった。
「こちらに石坂公歴君がおられるか。……いや、おられることをたしかめて、うかがったものだ。ちょっと尋ねたいことがある」
――やはり来た。とうとう来た。
公歴は店先に出た。
「や、しばらく。君がこっちに来てるとは、三日ほど前まで知らなんだ」
ニコリともせず、赤沼はいった。
「近く、アメリカへゆくんだってね」
否定のしようもない、押しぶとい眼であった。
公歴は蒼ざめ、しかし肩を張っていった。
「それが、どうかしましたか」
「どうもせん」
「僕がアメリカへゆくのを、あなたが止められる権利はないはずだ」
「止めはせん」
はじめて、赤沼巡査はニヤリとした。
「ただ、一年ほど前あのような事件に関係した人間が海外へ渡航するとあれば、その監視の任務を持つ者として、一応その海外旅行免状を調べんけりゃならん義務がある」
「海外旅行免状。――」
「それを持って来たまえ。なに、調査してまちがいがなけりゃ、明日、左様、午後三時ごろ返す。警視庁第三局に取りに来たまえ」
それなら、まだ間に合う、という安堵と、果してそのときに返してくれるか、という不安が公歴の胸に交錯した。
「早くせい!」
威嚇的な眼に、公歴は相手の悪意を悟った。しかし、これ以上、どうすることも出来なかった。
彼は奥から海外旅行免状を取って来て、黙って渡した。
そのとき、表に向いたどこかの部屋で、コロコロシャーン……と、琴の音《ね》がひびいた。
「なんだ?」
赤沼はふとそちらに顔を向けたが、それっきり何のこともないので、
「では」
と、いって、佩剣《はいけん》をガチャつかせながら往来へ出ていった。
――こういうことをやって、実は赤沼兵吾は、石坂公歴のアメリカゆきを止める気はない。彼は、ほんとうにその翌日海外旅行免状を返してやるつもりであった。
そもそも赤沼は、最初から石坂家をゆするつもりで公歴を釈放したものではなかった。彼よりも、大阪の警察の署長が――実際に公歴が「外患」事件には無関係であるどころか、大井の不倫を怒って制裁を加えようとしたもので、しかも見たところいかにもういういしく、純粋な未成年者であることを憐れんで、説諭だけで釈放することを命じたのであった。
ところが、その後――もともと三多摩の壮士の探索係であった赤沼は、ふと石坂家をのぞく気になって訪れたところ、思いがけず大金を贈られた。公歴の無罪釈放についての好意に対するお礼ということらしかったが、これで彼は欲念を起した。
その金で遊興し、その遊興がまた金を欲しがらせた。――悪いことをしている、という苦悶が、彼を逆に悪党ぶらせ、毒|食《くら》わば皿まで、という心境に追いやった。
で、その悪念の源となった石坂公歴が日本から消えるとなると、妙な話だが、彼にはほっとするところもあったのである。
そのくせ、公歴が自分に隠れてアメリカへゆこうとしていることを嗅ぎつけて、一方で彼は不愉快な思いがした。この相手が無抵抗の立場にあることを知っているだけに、いよいよ意地悪をしてやりたくなった。猫が鼠をいたぶるような悪魔的な感情が、にゅーっと拡大して来たのだ。
これは赤沼兵吾の最後のいやがらせであった。
こがらしの吹く切通しの坂を、上野のほうへ彼は歩いていった。
その坂の上に、ボンヤリと一つ常夜燈がともっていた。その蔭から現われた三つの影が、赤沼の前に立った。――二人は、背後にまわった。
「赤沼、久しぶりだな」
前に立った骨ばった男の顔を常夜燈にすかし見て、赤沼巡査はぎょっとした。
「あっ、これは、土方、さん。……」
と、彼はうめいた。
「大井自由党の闇ノ目組の出動じゃ」
と、相手はいった。
「闇ノ目組。――」
「かつてきさまもその一員だったじゃないか。……大井自由党は潰滅しても、その機関は闇の中に存続しとる」
ニヤリとして、
「もとは磯山監事の発案だが、その磯山清兵衛自身が裏切者の烙印《らくいん》を押されて懲罰を受けることになったのは皮肉じゃな。しかもきゃつ、そのことを官憲に訴えることも出来ん。しゃべって、本人のトクになることじゃないからの。……ともあれ、裏切者だけでなく、密偵もまた闇ノ目組の処罰の対象となる」
土方襄之助はいった。
「きさまは警視庁の密偵だった」
「探偵は公務だ。公務で働いた者を、君はどうしようというのか。しかも、あれはもう終ったことだ」
「その終ったことだがね。赤沼、ちょっと訊きたいことがある。大阪で馬城先生をつかまえるのに指揮をとったのはお前だということはわかったが、同じ日に、長崎でも一斉逮捕しとる。お前の手際にしちゃ、鮮やか過ぎる。おれの知っとる密偵赤沼兵吾はもっと愚鈍な男のはずだが、どうして朝鮮計画のことを知った」
闇の中に、蛍のように二つの眼がひかっている。赤沼にとって、理も非もなく怖ろしい眼であった。逃れようにも、背後を二人の壮士がふさいでいる。
返答せねば、ただではすまない、と赤沼は判断した。
「あれは石坂公歴という若僧の自白からわかったんだ」
「なに、石坂――いま、お前が出て来た家の――あれが、どうして?」
「大井憲太郎と影山英子の密通に憤慨してのことだ」
土方襄之助はしばし黙った。やがて、うつむいてつぶやいた。
「そうか。それでお前は石坂家をゆすっておったのか。……お前が石坂家をゆすっておる話は聞いたが、大阪の破綻があの若僧から起ったとははじめて知った。これは闇ノ目組など御大層な名をつけながら、われわれの笑止な怠慢であった」
彼は顔をあげた。
「では、これから処刑する」
赤沼兵吾は仰天した。
「ば、馬鹿な、何の理由あって――」
「裏切者としての罪によって」
「裏切者? おれはもともと巡査だ。自由党を裏切ったおぼえはない」
「それはそちらの見解で、当方はあくまでお前は自由党員で、それが裏切ったものと認める。視点の相違だな」
土方の手が、仕込杖にかかった。
反射的にサーベルに手をかけたが、赤沼の全身は恐怖のために筋張り、ただ歯だけが鳴った。この相手に対してこの恐怖は、もう本能的なものであった。
「か、官憲を殺せば、うぬは――」
舌が上顎にくっついて、他人には何をいっているかわからない声を、聞いたか、聞かなかったか、
「赤沼、実をいうとおれは職業を誤ったのかも知れんのだ。いや、土方歳三の甥などいう素性に生まれなかったら、おれも司法のほうへいったかも知れん。おれは人を罰するのが好きなんだ」
と、土方襄之助はほんとうに嬉しそうな笑い声で、
「処罰だから、闇討ちはせん。待機の時間を与える。三分前……二分前……一分前……」
それを聞きながら赤沼巡査はなお水母《くらげ》みたいに震慄しているだけであったが、
「そうれ!」
という声を聞くやいなや、ばねじかけにかけられたようにサーベルをひき抜こうとした。
それだけである。常夜燈の灯に、一閃赤い光がきらめくと、そのままの姿勢で赤沼巡査は棒立ちになり、崩折れた。土方の仕込杖の刀身はその左頸部から胸へかけて通り過ぎていた。
そのとき、本郷側の坂をハタハタと駈け上って来る跫音がして、二人の壮士はふりむいたが、
「やあ、蓬か」
と、声をかけただけだ。
「ま。……殺しちまったんですか!」
と、蓬は立ちすくんだ。
――が、「闇ノ目組」を出動させたのは、彼女なのである。土方から連絡がついて、彼らがやって来たのが二日前であった。ちょうど楽只園の前に学生相手の下宿屋があったので、その二階に彼らは泊って、そこから往来を見張っていた。そして、もし赤沼が現われるのが夜であったら、蓬の琴の音でただちに出動するということになっていたのである。
そして、自分の合図に闇ノ目組が出動して、赤沼のゆくてに先廻りまでしたのを見すまして、蓬は坂の途中まで追って来て、坂の上でどうやら土方らが赤沼を捕捉したらしいと察して、それ以上近づくのが怖くて立ちどまっていたのだが、そのときやはり本郷のほうから三人の巡査が巡邏に歩いて来るのを見て、あわてて知らせに駈けつけて来たものであった。
まさか、殺すとは思わなかった――いや、この人はもともと人殺しの好きな男だったんだ――という驚愕や後悔に、数秒も身をかんでいるひまはなかった。
「巡査が三人、こちらに来るわ!」
彼女はさけんだ。
そのとき土方襄之助は、赤沼巡査の内ポケットからとり出した紙片を常夜燈にすかして見ていたが、この声に、
「あ」
と、顔をあげてうなずき、その紙片を屍体の胸に置いて、
「では、ゆこうか」
と、二人の仲間を促して立ちあがった。
「ともかくも、蓬もこっちへ逃げろ」
そのまま四人は、坂を上野のほうへ駈け下りていった。土方があまり落ちついていたのと、自分のほうが動顛していたのとで、蓬は、土方が屍体の胸に置いた紙片が何であったか、とっさには気にもとめなかった。
池の端について、あとを追って来る者もないことをたしかめると同時に、あの巡邏の巡査たちはいまごろ屍体を発見しているにちがいない、と思い、蓬はあえぎながらいった。
「土方さん。……赤沼さんを殺しちまって、あと、どうするの? わたしは、そこまで――」
「いや、大丈夫だ」
土方襄之助は恬然《てんぜん》とうそぶいた。
「こちらはつかまらん」
「そんなことをいったって。……」
「屍体の上に石坂公歴の旅行免状を残して来たからの」
蓬は心臓を氷の手でわしづかみにされたような気がした。
「赤沼め、あれを石坂公歴から召しあげて来たものと見える」
「そ、それじゃあ、公歴さんはアメリカへ……」
「ゆけんな。いってもらっては困る。きゃつも……きゃつこそ、大井自由党の裏切者だ。あれを罰せずして、どこに闇ノ目組の存在意義がある?」
棒立ちになっている蓬を見て、土方襄之助は薄く笑った。
「と、いって、いま石坂につかまってもらっても困る。そうなりゃ結局こっちに手がのびることになるが……それより、われわれがあいつを処刑出来なくなるからじゃ。おい、蓬、巡査が楽只園にいる公歴を逮捕に向う前に、早くこのことを知らせてやれ」
と、彼は、実に人を喰った勧告を与え、二人の仲間とともに、魔の蝙蝠《こうもり》のようにヒラヒラと不忍池《しのばずのいけ》の向うへ消えてしまった。
蓬はまろぶように、また切通しの坂のほうへ駈け出した。坂の上に赤沼の屍体と巡査たちが待っているのを知っていたが、ほんとうに一刻も早く石坂公歴へ知らせなければ、万事は休するのだ。
しかし――たとえ知らせたとしても、結果は同じではないか、という、うなされるような思いが、走る蓬をとらえた。
いまや石坂公歴は、アメリカへゆくこともならず、さればとて日本にとどまれば警察につかまるか、闇ノ目組の死の追跡をまぬがれないことになったのではないか?
闇ノ目組というものは、やはり実在したのである。
――果して秋山龍子もそこまで知っていて、土方襄之助に依頼することを思いついたものだろうか。彼は同じ三多摩の壮士として、かつ幼少時からの襄之助を知っているために、成長後の襄之助の怖ろしさをつい甘く見て、ゆすりの巡査以上に危険な人間を、みずから招き寄せるという大まちがいを犯したのではあるまいか。
霧笛
十二月二十二日午前六時半ごろ。
海の上で、霧笛が鳴っている。――横浜の港は、うす明りと深い朝霧の中に沈んでいた。
葉の落ちつくした樹々も、おぼろおぼろと水底の藻のようにゆらいで見える横浜公園の中で、何人かの声がした。
「公歴は、波止場にゆくにゃ、必ずここを通るのだな?」
「出航は正午だというのに、それまでここで待っておるのか?」
「何にしても、ちと早く来過ぎたの。寒い。――霧でぬれたせいか、ううっ、いよいよ寒いっ」
だいぶたってから、また声がした。
「泊っておるのは、翁町の宿にまちがいないな?」
「せめて、それだけはたしかめておこうではないか?」
「ふむ、この霧ではこちらの姿も見えまい。とにかく、動かねば寒い。よし、いって見よう」
公園の西南にあたる出口から、曚朧と出て来たのは三人の壮漢であった。
すぐ道は大岡川にかかる。この時刻、まだ日の出前で、人通りはない。
橋があった。港橋という。
その橋のまんなかに――渦まく霧の中に、一つの影が立っていた。
「やはり、来ましたね」
と、その影がいった。うら若い女の声であった。
「蓬か。――」
立ちどまった三人の中で、土方襄之助がうめいた。
「公歴さんを処刑とかにゆくのですか。やめて下さい」
そういう蓬を見て、三人はちょっと息をのんだ。
けぶる霧の中に、髪を背のなかばに切りそろえ、元禄袖とモンペという可憐な姿だが、片手に握っているのは仕込杖にちがいない。それより彼らに息をのませたのは、その愛くるしい顔がすでに死の世界にある娘のように半透明に見えたことだ。
あの夜、蓬は本郷楽只園に駈け戻って、石坂公歴を連れ出した。彼の海外旅行免状が赤沼巡査の屍体に置いてあった以上、警察の手がまず公歴にのびるのは必定《ひつじよう》だからだ。一刻をも争う事態で、ともかくも連れ出したあとで、公歴が船に乗るまでの隠れ家を、先日まで自分が泊っていた横浜翁町の旅籠《はたご》にすることを思いついた。
旅行免状がないのに、果して船に乗れるのか?
という疑問もあるにはあったが、この際そのことを深刻に考えてはいられなかった、そんなことは何とかなるだろう、というのが、十八になる、田舎娘の蓬の稚ない判断であった。
それより彼女にとって心配であったのは、闇ノ目組なるものの追跡だ。自分が公歴を横浜の宿に連れて来たことを知られてはいないはずだと思うけれど、何とも気にかかる。だいいち、公歴を連れて早く逃げろとさえいった不敵な土方襄之助のことだ。もしや? もしや? もしやすると?
その不安のために、あれから一日|二夜《ふたよ》、蓬はこの港橋界隈で、寒風に吹きさらされて見張っていた。父の龍子はすでに南多摩の村に帰っていた。
闇ノ目組をわざわざ呼び寄せることになった父の判断ちがいを、彼女は自分の責任と感じている。――彼女がすでに死の世界にあるかのごとく見えたのは、凍りつくした身体のためばかりではなく、闇ノ目組が来た場合、死を賭してもそれをここから通すまいとする覚悟のゆえであった。
案の定、それは来た。
「土方さん、やめて下さい!」
蓬は裂帛のさけびをあげた。
つっ立ったまま、じいっと見ていた土方襄之助の頬に笑みが浮かぶと、
「どかせろ」
と、あごをしゃくった。
二人の壮士は進み出た。二人とも、ニヤニヤしていた。
刀も抜かず、歩み寄って、まるで鳥でもとらえるように手を出したところを――まさに鳥のように蓬はうしろに飛びのき、その手から仕込杖の白刃がひらめいて、一人の壮士の右腕をパサと打ち落していた。
苦鳴をあげ、身体をくの字なりにしてつんのめった男は、欄干にひっかかって、そのまま河へ落ちてゆく。あとに、肘から先の腕が一本残った。
「こやつ!」
もう一人が、愕然として横に飛び、一回転すると抜刀した。
「何するか。――もはや容赦はせん!」
わめきながら、獣のように踊りかかる剣尖《けんせん》から、蓬は燕のように身をひるがえし、ひるがえしたかと思うと、髪吹きなびかせて真一文字に突撃した。
両者飛びちがったあと、壮士は血しぶきあげつつ無人の欄干へよろめいていって、これまた霧の底の水音となった。
霧ににじむ墨絵の死闘図に、はじめて朱の色彩が点じられた。蓬の浴びた返り血であった。
「なるほど」
凝然と立っていた土方襄之助がいった。
「ヤットーのおやじの娘だな。……いや、おやじがいつか、面白い組合せだ、機会があったら両人試合をして見たら面白かろうといった意味が、やっとわかったわい。いつのまに、そこまで教えこんだか。――」
しかし、彼は痙笑《けいしよう》ともいうべき笑いを片頬に彫っていた。
「いいや、お前もまた、おれを斬って見ようかと高言を吐きおった! おれを斬る? ふふん」
仕込杖から刀身がすべり出た。
それが徐々にあがってゆくのを見つつ、刀は構えたものの、蓬は肩で息をしている。返り血ばかりでなく、彼女自身、いまの決闘でどこか斬られたようだ。
「大人気《おとなげ》ないが――斬る!」
土方襄之助は躍りかかった。二条の刀身が空中でかみ合い、ついで蓬の身体がはね飛ばされて欄干にぶつかり、前にがくとつんのめった。はね飛ばされた刹那に、襄之助の刀は稲妻のように追い打っていたのだ。
橋の上に土下座するように両腕ついた蓬の左肩から、血が橋板をたたいた。
「いくら何でもな、土方襄之助ともあろう者を」
唇をつりあげたまま、もういちど刀身をふりかぶって土方は近づき、とどめの一撃を振り下ろそうとして――その身体がのけぞった。頭を垂れたまま、地上から薙ぎあげた蓬の刀身がその胴にくいこんでいたのだ。肉を断つ凄惨なひびきとともに、刀は蓬の手から離れた。
刀を胴にくいこませたまま、土方襄之助は反対の欄干にのけぞっていって、だれにも見えぬ虚空に驚愕の顔をむけたかと思うと、河に三つ目の水音をひびかせた。
霧はしずかに流れている。
……数分、蓬は伏したままであった。
が、やがて、羽根をもがれて地に落ちた蝶のように、じりっじりっと這い出した。途中で、落ちていた自分の仕込杖の鞘と一本の壮士の腕を拾って、欄干の下から河へ落した。
それから、怖ろしい努力で、欄干に手をかけて身を起した。彼女は空に顔をふりあげた。
「お父さま、やりました。……」
空中は真っ白であったが、すでに彼女の眼は何も見ることは出来なかったろう。
「大矢さん、元気でね。……」
呼びかけると、蓬はみずから欄干を越えて、橋から大岡川に落ちていった。――冷たい河の流れは、すべてを霧にかくしたまま、やがて冬の海へ運んでゆくだろう。
シティ・オブ・ペキン号の出帆は正午ということであったが、十時には税関を通ってくれという話であった。
八時過ぎに、石坂公歴は翁町の旅籠を出た。彼ばかりではない。きのうひそかに電報で呼んだ姉のミナと友人の北村門太郎もいっしょだ。
公歴は、大きな鞄をぶら下げていた。それはミナのもので、中にはいっている着換えその他思いつく当面必要のものも、きのうミナが駈けまわって支度したものだ。
が――さて、かんじんの船に乗れるかどうか、ということになると、三人ともまったく予想が立たない。
ただ、警察と闇ノ目組に追われている、という自覚と、アメリカへゆくその日の船切符まで買ってある、という事実が、彼らを、そのほかになすべきことはない、という切迫感に狩り立てていた。
「とにかく、波止場にいってようすを見よう」
と、門太郎がいい、彼らは早めに宿を出た。
夜明けごろの濃い霧は、ほんの二、三十分のあいだに嘘のように霽《は》れて、碧い氷の湖のような空がひろがっていた。
彼らは大岡川にかかる港橋の上まで来た。公歴がふと立ちどまった。
「蓬はどこにいるのか知らん。……ここらで見張ってくれてたはずなんだが。……」
――実は、そこにおびただしい血のあとが発見されて、人々がほんの三、四十分前まで騒いでいたのだが、ついに正体がわからずみな散ってしまったあとなのであった。そのとき橋の上を水で洗ったこともあり、その後の人々の朝のゆきかいで、いまそこには一見何の変りも見られなかった。
「宿にいって、僕たちが出かけたことを知ったら、すぐ追いかけて来るだろう」
と、門太郎はいい、三人は歩み過ぎた。
「闇ノ目組は、とうとう現われて来なかったね」
と、横浜公園を通りながら、公歴がいった。
横浜の町を通って、海岸通りに来た。さすがにこのあたりには、もうたくさんの人影がゆききしている。
三人は波止場に立って、沖合を眺めた。さかんに艀《はしけ》が往来しているかなたに――やや離れて、四、五隻の外国船らしい船が浮かんでいるが、どれがシティ・オブ・ペキン号かわからない。
――このころは、まだ少し大きな船が横づけ出来るような桟橋はなく、船は沖合に碇泊して、人は艀で往来することになっていた。
しかし、見ていると、その艀はどこからでも、でたらめに発着しているのではない。大根、葱、白菜などの野菜その他を運び出す一劃があったが、そこにも役人らしい男が数人立っている。
そして、大部分の艀は、税関の建物の向うから発着していた。
「こりゃいかん」
三人は、ようやく、そこらの艀で船へ運んでもらうことは不可能だ、ということを知った。
しばらく、絶望的な眼を一帯にさまよわせていた門太郎は、ふと海岸通りを歩いて来る四人の男女を見とめた。
「やあ、南方君。――」
と、彼はさけんだ。
近づいて来たのは、南方熊楠とその花嫁、そして友人の夏目金之助と正岡|升《のぼる》であった。熊楠は、片手にこれも大きな鞄をぶら下げている。
熊楠夫婦もシティ・オブ・ペキン号に乗ることになっているのだから、彼らがいまここに来たのは怪しむに足りない。二人の友人はその見送りにちがいない。
このとき、北村門太郎の頭に、途方もないある智慧《ちえ》がひらめいた。それがあまり苦しまぎれの荒唐無稽なアイデアなので、とっさにその明確なかたちが自分でもつかみかねたほどであった。
「おや、どうしたのかね」
熊楠は、いぶかしげに尋ねた。
「実は、この石坂公歴君も、君と同じ船でアメリカへゆくことになってるんだ」
「へえっ?」
熊楠は眼をむいた。
「そりゃほんとうか。そいつはたまげた。……この前、そんなこと何もいわなかったじゃないか」
「うん、それにはある事情があってね」
門太郎は熊楠の手をつかんで、
「ちょっとこっちへ」
と、少し離れたところへ連れていった。
そして彼は、手短かに――石坂公歴が自由党に関係していたために官憲に追われ、海外旅行免状もとりあげられたことを話した。それをとりあげたのは、いつか熊楠がヘドをかけたあの警視庁の密偵であること、公歴はまったく無実の罪だが、いま船に乗らないと、彼の前途は絶望的なものになることを話した。
――その密偵がすでに殺されたことや、さらに怖ろしい組織に狙われていることは、わざといわなかった。
「で、すまないが、君、税関にいって、何か特別に警戒している雰囲気があるとか……もしそんなようすがなくても、石坂公歴――いや、その名をいってもらっちゃ困るが――それに似た名を考えて、それがまだ税関を通っているか、いないか、うまく尋ねてくれんだろうか」
「役人が、旅行免状の名をいちいちおぼえとるかね」
「いや、何かあれば、その名に注目しているにきまっている。役人の反応を見て、手配が税関にまわっているかどうか、探りをいれてもらいたいんだ」
熊楠はしばらく考えて、
「そうか。じゃ、やって見よう。それだけで、いいのじゃね?」
と、意外に無造作に引受けた。この人物には、元来危惧、恐怖心などいう感情が欠落しているところがあった。
やがて、彼らは税関に近づき、熊楠一人がはいってゆき、十分ばかりして出て来た。
「いかん、いかん」
彼はさすがにただならぬ顔色をしていた。
「警官が、七、八人立ってにらんどるぞ」
「えっ?」
「旅行免状を調べる通常の係りかも知れんが、どうもそれだけじゃない雰囲気がある」
「……」
「それでも、わしは訊いてやった」
「そ、そうしたら?」
「石坂コウレキ――じゃない、石坂コウジロウ、という者はまだここへ来てないか、と尋ねたら、役人が何か書類を見て、そりゃコウレキじゃあるまいな? と訊き返した。いや、石坂コウジロウ、という親戚の老人だが、といって、出て来たが。――」
と、彼はいった。
手配書はまわっていたのだ。
熊楠《くまくす》蜜月旅行《ハネムーン》
北村門太郎は、眼も口もうつろにあけて熊楠の顔を眺めていたが、すぐにまた、
「君、ちょっとこっちへ」
と、離れた場所へ誘った。
放心した表情ながら、このとき門太郎の頭には、あの着想が明瞭なかたちをとって結ばれていたのだ。
彼はささやいた。
「南方君。……君は、あの嫁さんをアメリカへ連れてゆきたいかね?」
「ううん」
熊楠はうなって、
「こうなっちゃ、いたしかたがない」
と、ふとい眉を八の字に下げたが、
「しかし、そりゃ、どういう意味かね?」
と、ふしぎそうに門太郎を見た。
門太郎はしゃべり出した。まるで憑かれたような声であった。聞いているうちに、熊楠の口はアングリとあけられ、眼は花嫁のほうへ何度かむけられ、やがて、だんだん奇怪な笑顔になっていった。
十分ばかりのち、熊楠は二人の友人を連れて来て、密談を交わし出した。河馬に似た花嫁は、一、二度こちらを不安そうに眺めたが、すぐに小さい眼を海のほうに吸いもどされている気配だ。彼女は、これからの航海や異国での生活に対して、もっと大きな不安にとらわれているようすであった。
やがて熊楠は、花嫁のところへいった。
「いやあ、あの友人の提案じゃがね、おから。――日本を出発する前に、二人が仲よくならんだ写真をとったらどうじゃろ、というんだ。あと、その写真をあの連中が、責任をもって故郷《くに》のほうへ送ってくれるっちゅう。親孝行にもなるので、わしは賛成した。写真館も知っとるそうだ。な、いいじゃろ、おから?」
おからという名の花嫁らしい。
二十分ばかりのち、二人は伊勢佐木町の写真館で、写真機とともに黒い布をかぶった写真師の前に、船の浮かんだ港風景を描いた幕を背にして、まじめくさって立っていた。
それは横浜によく来る北村門太郎が知っていたのだが、偶然、いつか南方たちが金髪のかつらを買いに来たかつら屋の隣にある写真館であった。
「へい、撮りますよ。ニッコリ笑って、息をつめて、動かないで――へい!」
と、写真屋が布の中でさけんだとき、南方熊楠ののどの奥が、がぼっと鳴って、あわてて横をむいた熊楠の口から、背のひくいおからの頭と肩へ、したたかにヘドが浴びせかけられた。
「わっ」
二人とも、奇声を発したことはいうまでもない。
「こりゃ大変だ!」
壁際で神妙に見まもっていた友人の夏目君と正岡君が、仰天して駈けつけ、またあわてて飛びのいた。
まさに大変なことになった。手もつけられない惨状だ。
「写真屋、風呂はないか!」
写真屋は失神せんばかりの顔で、風呂はない、といった。銭湯もまだひらいていない、ともいった。
「なけりゃ、大至急、湯をわかせ!」
湯をわかすにも薪の時代だから、おいそれとはゆかない。
この騒ぎが三十分ばかりもつづいたとき、それまでオロオロと陳謝のしつづけであった南方熊楠が、ふと懐中時計を出して、のぞいて、突然飛びあがった。
「こりゃいかん。もうそろそろ十時だ。船に乗る手続きをせんけりゃ。……」
と、狼狽し、二、三度ゆきつもどりつしたあげく、
「おい、わしだけともかく、先へいって手続きをして来る。夏目君、正岡君、こっちの改装が終り次第、すまんが君たちが連れて来てくれ。……おから、心配するな、何なら、船の出港をしばらくとめてもらうから! では、万事よろしく頼む!」
と、いい置いて、鞄をひっつかんでドタドタと駈け出して行った。
――この自在にヘドを吐くという怪癖について、彼は後年、知人宛書簡で、「小生|反芻《はんすう》人にて、物を食へば幾度も口へ出来《いできた》り、それを食ふにうまきこと限りなし」と、いっている。
しかも彼は、中学時代から大変な乱暴者でよく友達と喧嘩したが、みずから欲すればたちどころにヘドを吐きかけて相手を制圧したという。
本人は、うまきこと限りなし、といったって、相手にとっては目もあてられない。ましてこの場合は、それどころではない。
さてこのとき、彼らは写真屋の台所にいた。写真屋が死物狂いに薪で大釜に湯をわかし、半分裸にされた花嫁が、河馬の泣声のごときうなり声をあげながら、流しに首をつき出して、夏目と正岡に髪を洗ってもらっていたのだが、二人の青年は、洗っているのかひっかきまわしているのかわからない。いつ「改装」が完成するのか見当もつかない状態で、いわんやその髪をまた大丸髷に結いあげるなど、まず絶望的であった。
ついに花嫁が、たまりかねて、いわゆる「洗い髪」のまま、帯もひきずるようにして駈け出し、それを夏目と正岡が追っかけ、税関に駈けつけたのは、しかし十時二十分ごろであった。
税関では、もうシティ・オブ・ペキン号へゆく艀は出てしまった、と、無情にいった。
「ああ、どうしよう。……ああ、どうしよう。……」
と、両掌を顔にあてて泣き出したおからを見ながら、
「熊楠は一人で乗ってしまったのか知らん。花嫁を置いてけぼりとは、ひどいやつだな。……」
と、正岡|升《のぼる》がいった。
「どうも何ともいたしかたがない。あいつもどうしようもなかったんだろう。……奥さん、またいつか別の船で追っかけられちゃどうですか? それとも故郷《おくに》へ帰られますか?」
と、夏目金之助がいった。
しゃがみこんでいる花嫁の頭上で、二人はすこし間の悪いような顔をしていた。
正午。
蒼いうねりの上を、銅鑼《どら》の音《ね》が伝わって来、やがてシティ・オブ・ペキン号はひときわ濃く黒煙を吐きあげ、しずかに動き出した。
その甲板にむらがっている豆粒のような人影の中に、だれをどう認めたか、
「ああ、いるわ!」
と、波止場で石坂ミナがさけんで、ちぎれるように白いハンケチをふった。彼女は泣いていた。
「さよなら、公歴、さよなら」
やはり頬に涙をつたわらせながら、北村門太郎はひくく歌った。
「いわず語らぬ蝶ふたつ
ひとしくたちて舞いゆけり
うしろを見れば野は寂し
前に向えば風寒し
過ぎにし春は夢なれど
迷いゆくえはいずこぞや。……」
シティ・オブ・ペキン号の甲板で、石坂公歴は笑っていた。すべてを脱して新天地アメリカへゆける――彼の心はただ歓喜でいっぱいであった。
ところで彼は、文金高島田の娘姿であった。写真館の隣のかつら屋でかつらをあつらえ、そこに北村門太郎が、南方熊楠からもらったお金で古着屋から衣裳を買って来て、ミナが大車輪で着つけをしてやり、化粧してやったのだが――やや小柄で美少年の彼が、それをつけ、化粧すると、姉のミナさえも、ああ、と嘆声を発したほど美しい令嬢が出現したのだ。――税関にいってからも、熊楠がさし出した、南方熊楠妻おから、という海外旅行免状と見くらべて、臨検の巡査たちがうっかり見のがしたどころか、あとしばらく口をあけて見送ったほどのあで姿であった。
「ありがたい。もう追っかけて来る者はない」
と、公歴がつぶやいた。
その手を、ぎゅっとにぎりしめた者がある。
「わしがおるよ」
南方熊楠が、奇怪な笑顔を近づけた。
「いや、女にまがうどころか、女にまさる。わしはこっちのほうの趣味があるのでな。……」
厚い唇が蛸のようにとんがって、頬に迫って来るのを見て、
「わっ」
と、石坂公歴は悲鳴をあげた。……
これで彼らの青春物語は終る。
いや、作者としては終らせたい。――
しかしながら、彼らが実在人物であるかぎり、彼らの物語は青春だけで終らない。青春はどんなに悲壮なものであっても、客観的にはどこか楽天的な光につつまれて見えるけれど、全人生の物語となると、ただ惨澹の思いに打たれないわけにはゆかないこと――あえて彼らにはかぎらない。
あえて彼らにかぎらない、と考えることにして、作者は、なお痛む心で迷いつつ、彼らの後半生をここに書きとどめる。
漱石、子規の生涯は人みな知る通りだ。
南方熊楠は、渡米後、いちどミシガン州立農科大学にはいったが、果せるかな、そこでの授業が不本意で、一年二ケ月ほどで退学し、あと曲馬団にくっついて歩くなどいう漂泊の生活にはいった。この間彼は熱心に粘菌の採集に励んでいる。彼の目的は勉強にあって大学ではなかったのである。六年後、イギリスに渡り、大英博物館の嘱託に傭われたが、怖ろしい薄給で、乞食に近い生活をしながら自分の好む粘菌学その他の勉強に没頭した。そして八年後の明治三十三年、やっと日本に帰った。
面白いことに、この年の九月一日に熊楠はロンドンを出て日本に向ったのだが、偶然、同じ九月八日に夏目漱石は日本を出て、ロンドンに向っている。このときは双方、知らずしてインド洋あたりですれちがったのである。
そしてまた漱石も、熊楠に似た――食を節して万巻の書を読むというようなロンドン生活をすることになる。
さて、熊楠だが、すでにこの帰朝が、蚊帳をまとったような洋服を着て港についたといったありさまであったが、以後も全然世に出ず、紀州田辺に住んで、「神仙」のごとき清貧と研究の生涯を過した。その貧乏ぶりと超然ぶりは、昭和四年、天皇が南紀を行幸されたとき、お召艦「長門」に招かれて粘菌について進講したが、そのとき持ち出した標本はみなミルクキャラメルの空箱にいれてあったので、天皇が微笑されたという話で有名だ。そして昭和十六年、ハワイ海戦の勝利で一躍英雄となった山本五十六に紀州蜜柑を送ることを命じたあと、十二月二十九日、七十四歳をもって永眠した。
北村透谷と石坂ミナとの烈しい恋愛は進行し、彼らはついに明治二十一年に結婚した。しかし、生活と文学との惨澹たる苦闘の末、透谷は身心ともに病み、疲れ、ついに力つき、明治二十七年五月十六日の月の明るい夜、当時住んでいた芝公園地の若葉のひろがった桜の樹の枝で首を吊って死んだ。二十六歳であった。
彼と同じ数寄屋橋の泰明小学校の同窓生だが、四歳年下であるためこの物語には登場しなかった島崎藤村は、その後彼と友人になり、急を聞いて駈けつけたが、小さな家の暗い部屋に移され、横たえられた彼の屍体のそばで、三つになる女の子が、「お父さん、ねんね」と、いった。奇《く》しくもその女の子の名前は英子といった。
当時の新聞は、この自殺を、「裏口なる桜の木へ兵児帯をかけ、見事にブランコ往生をとげたる由」と報じた。
しかしながら、以上の人々は、まさになすべきことをなしたのである。たとえその生活が貧窮をきわめようと、その生命の長短にかかわりなく、熊楠は論敵柳田国男ほどの碩学から、「日本人としての可能性の極限」といわれるほどの大学者の名を残し、透谷は近代文学の暁鐘を打ち鳴らし、藤村から「彼こそはまことの天才」と呼ばれるほどの仕事を残してこの世を去ったのである。
けれど、大矢正夫、石坂公歴の名に至っては、いまや知る人もない。――
本篇を草するにあたり、作者は、色川大吉氏の諸著書に負うこと多大なものがあったのだが、その色川氏の「北村透谷と大矢正夫」によれば、明治二十二年、特赦によって、大井憲太郎、景山英子らとともに出獄を許された大矢正夫は、しばらく野津田の落魄した石坂家に居候などしていたが、明治二十八年、かつて渡ろうとして挫折した朝鮮についに渡った。――
時あたかも日清戦争直後で、この戦争で清国の勢力を朝鮮から駆逐した日本は、朝鮮を完全に自分の勢力下におこうとあがいていたが、例の反日の閔妃《びんぴ》は、こんどはロシアと結んで日本に抵抗していた。
明治二十八年十月七日の夜、ソウルの景福宮に白刃をひっさげた日本人の壮士の一群が乱入し、閔妃を斬殺し、石油で屍体を焼いて、魔風のごとく去った。明治の凄じい蛮性の一典型である。この朝鮮王妃殺害事件の凶行者の中に、大矢正夫がいた。――
かつてはひたむきに朝鮮に自由民権の革命を起そうとした純熱の青年は、いつのまにやら日本の侵略政策の一尖兵に変化していたのである。彼としては彼なりの理由があったのであろうが、そもそも大井憲太郎のアジア連帯革命の思想そのものが、アジアにおける日本の盟主思想と背中合せの危険な要素を持っていたのである。
彼は大義のために強盗をした。しかしこの行為は、意外に彼の全人生に深い傷を与えたように思われる。
そして大矢は、その後株屋の用心棒となったり、政友会の院外団になったりしたあと、昭和三年、六十五歳で死んだ。――彼の多幸を祈りつつ、十八歳で壮烈な死をとげた秋山|蓬《よもぎ》は――彼女のほうがまだ幸福であったというべきであろう。
その大矢より、さらに痛ましいのは石坂公歴の末路である。
以下はまったく色川氏の発掘にかかる事実だが、氏の「石坂公歴」によれば、カリフォルニアに着いた公歴は、最初のうちこそ、そこに住む同じ亡命民権家たちとともに、明治政府を批判する新聞を作って日本に送って来たりしていたが、数年後、サクラメント平原のホップ摘みとなり、爾来、アメリカ西部を季節労働者として放浪すること数十星霜、はてはカナダあたりまで流れて老残を養う身となった。
しかも、やがて昭和にはいり、支那事変がはじまって、日本軍が大陸に怒濤のごとく氾濫する報道に彼は欣喜雀躍した。老いて彼は、ナショナリズムの権化たる明治人に回帰していったものらしい。
そして、太平洋戦争がはじまるや――いちどは日本を捨てた彼も、やはり日本人として、フロリダ州マンザナの収容所に強制収容され、昭和十九年八月、この収容所で、だれ一人みとる者もなく――従って正確な日時も不明なままに――七十六歳の生を終えた。このとき彼はすでに内障眼《そこひ》で失明していたという。
いま、収容所時代の友人によってたてられた彼の小さな墓は、アメリカ西部の荒野を見下ろすコロラドのボルダー丘の上に、風に吹かれてうずくまっている。風は遠い明治の、若き日の透谷の蝶の詩《うた》を彼にささやいてはいないであろうか。
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からゆき草紙
けやき茶屋の宴《うたげ》
ひとしきり、琴と三味線と横笛の合奏が終ると、
「暖かいというより、暑いわね。ちょっとそこをあけて下さらない?」
と、師匠の中島歌子が、日の当った南側の障子を指さした。末座に坐っていた樋口夏子が、すぐに立ってそれをあけると、
「ああ!」
と、令嬢たちはいっせいに吐息をもらした。流れこむ冬の空気がいかにも快かったからだ。
障子の外は回り縁になっていて、そこに、二、三人出ていった者もあったが、二階なので、そのまま坐っていても、外の景色がよく見わたせた。その方角は三百坪ほどの畑になっていて――それも冬のことだから広い空地然として、そのまんなかにつっ立っている欅《けやき》の大木が、蒼空を背にみごとな幾何図形を浮きあがらせていた。
「それで、けやき茶屋というのね」
と、令嬢の一人鳥尾広子がいった。
「そうなんでございます」
座敷の中央でお給仕をしていたおかみが笑顔をむけた。
「ごらん下さいまし。うちの塀はすぐ下にございます。欅の立っているところはお隣りさまのお屋敷内で――でも、お客さまのおいでになるいい目印になりますので、こちらが図々しくけやき茶屋とつけさせていただきました。借景という言葉がございますけれど、借名《しやくみよう》なんて聞いたことがありませんが、ほんとうにお隣りさまに借金しておりますような気持ちでございます」
「でも、欅もあれほど大きくなりますと」
と、樋口夏子は小声でいった。
「冬の裸木のほうが美しゅうございますね」
「あ、あちらのおうちに、だれか出て来たわ」
と、別の令嬢小笠原つや子がさけんだ。
こちらの黒板塀と欅の木との距離と、ほぼ同じ距離に――ここから見ると、十|間《けん》ばかり離れて――隣家の茶室めいた風雅な一|屋《おく》がある。その向うの屋敷はもっと豪壮で、おそらくそれは渡り廊下か何かでこちらにつき出している建物のように思われた。
いまその障子をあけて、三人の男が顔をのぞかせた。おかみはちょっとのびあがって、
「ああ、お一人は御主人ですけれど、あとはお客さまでしょうか」
と、いったが、少し困ったような顔をした。師匠の歌子がすぐに気がついて、
「おはいんなさい。……そして、もう障子をしめて」
と、廊下に出ていた娘たちに命じた。
障子をしめると、冬の風景と断ち切られて、もと通り、そこは春の園のようになった。襖をとり払って十六帖ほどの広間となったその座敷は、おかみや数人の女中をのぞいても、二十数人の娘たちによってふちどられている。十二月中旬とはいえ、明るく暖かな日で、それにいくつかの火鉢に炭が赤く燃えている上に、何よりそこにならんだ若い娘たちの体温が、部屋を温室に変えていた。彼女たちの前には、みな膳がならび、お銚子さえそえてあった。
「あんな広いお屋敷に……お隣りは、どういうお方?」
と、中島歌子が尋ねた。
「久佐賀義教《くさかよしのり》とおっしゃいまして、天狗顕真術とかいう占いをなさる方で」
と、おかみは答えた。
「天狗……?」
「なんでも天狗がとり憑いて、それが占いをするとか。――」
おかみは首をかしげて、ほのかに笑った。歌子も苦笑した。
「占いであんな大きなお屋敷が持てるなら、歌の指南より結構な商売ね」
娘たちが、わっと笑った。
「でも、相手が天狗さまじゃ、かないっこないわね」
中島歌子は元水戸藩士の妻だが、結婚前は小石川で水戸藩の定宿《じようやど》をやっていた家の娘であったので、ふだんは厳然としているが、ときにこんな下世話なことをいう。
そのとき、階下から呼ばれて、笑いながらおかみが立って下りていった。そのあとを見送って、
「わたしがここで納会をやる気になったのがわかるでしょう」
と、歌子は弟子の娘たちを見まわした。
竹藪につつまれた家の作りもいい。料理もあかぬけしている。しかし、歌子がそういったのはそんなことではあるまい。
「ほんとうに、女でも惚れ惚れするおかみさんですわね」
と、高弟の三宅|龍子《たつこ》が感にたえたようにいった。
「料理屋のおかみにはもったいない。いえ、そうは見えませんわ。どういう素性のひとなんでしょう。きっと武家の出にはちがいないと思いますけれど」
「わたしも訊いたのだけれど、笑って答えないのです」
「御亭主は?」
「よくわからないけれど、独り身ですと。……何かわけがあるのでしょうね」
「名は何というのですか」
「あなたと同じですよ」
「え?」
「いえ、字は同じだけど、呼び方は、お龍《りゆう》さん」
ほんとうに好ましいおかみさんだ、と隅のほうで樋口夏子も考えている。おかみといっても、年は三十半ばだろう。水際だった粋《いき》な美しさはこういう商売だから当然として、それに紅梅のようにふくよかな気品が――ここにいる大家のお嬢さま方より、もっと優雅な品のよさがけぶっているようで――あんな人を主人公に、何か小説が書けないかしら、と、ふと彼女は思った。
――さっき、欅もあれほど大きいと、冬の裸木のほうが美しい、といったのが、夏子がここに来てから発した唯一の言葉であった。それもおかみに向ってである。
あるいはあでやかな被布姿、あるいは薄色りんずの中振袖、あるいは薄紫のリボンをつけた夜会巻《やかいまき》と、眼もあやな、春の花園の隅っこにひっそりとひかえていて、夏子は、自分はここへ来るべきではなかった、と悔いていた。
きょう、久しぶりに小石川安藤坂の歌塾|萩之舎《はぎのや》へ顔を出したら、中は正装の令嬢たちでざわめいていた。ふつうの稽古日にしては少し変だと首をかしげながら、師匠の歌子女史に挨拶にまかり出ると、女史はちょっとその後の夏子の消息を訊いたあと、「きょうは歌の納会に――いえ、歌はやめて、みなで忘年会をやることになってるのよ。それが、うちじゃないの、こないだある人に連れられていって、大変感心した料理屋が本郷|真砂《まさご》町にあるので、そこへゆくことになってるの。あなたもいらっしゃい」と誘われた。
夏子はびっくりして、いえ、私はそんなところには、と、ことわったのだが、「久しぶりに顔を見せたのだからいいじゃないの。是非いらっしゃい!」と、頭から命じられて、おずおずとついて来た。それがこの料亭けやき茶屋であったのだ。
もっとも、同行することになった二十幾人かの令嬢の大半は、以前からの知り合いで、夏子が顔を見せたことに、抱きつかんばかりによろこんでくれた人も何人かあった。
夏子が萩之舎に弟子入りしたのは、もう八年も前の、数えで彼女がまだ十五歳のときであった。
そのころは父もまだ在世で、経済的にも少しは余裕もあり、彼女は士族の娘という誇りをもって入門した。
入門して間もない一日、五目鮨が出て、その皿に書いてある「赤壁賦《せきへきのふ》」の文字を、だれかしげしげと眺めていると、夏子がうしろからのぞいて、
「壬戌《じんじゆつ》之秋七月|既望《きぼう》
蘇子ト客ト舟ヲ泛《うか》ベテ
赤壁之下ニ遊ブ」
と、詠んだ。――
これが、小生意気な、と先輩の娘たちににらまれるもととなって、それから彼女は大いにしごかれる羽目になった。
歌や学問によって、ではない。彼女がどうすることも出来ない身分や貧富の差を武器にしての意地悪である。
士族の娘、といっても、樋口家は敗残徳川の、しかも農民出身の父が懸命に努力してやっと瓦解前八丁堀同心の株を買ったというに過ぎず、一方萩之舎に集まる令嬢たちは、今をときめく政府の顕官や富商の娘ばかりであったからだ。
一年で樋口夏子は、羽根をぬかれた小鳥みたいにおとなしくなった。で、それからの夏子を、「ものつつみの君」と綽名した者があった。そういう感じの娘になってしまったのだ。
そのうちに、同門の令嬢たちと、身分のちがいはいっそうかけ離れていった。十八のとき、その父も亡くなって、彼女は授業料も払えない境遇となり、とうとう師の家に住込みで働かなければならなくなったからだ。
夏子としては内弟子になったつもりであったが、実際は下女仕事専門になり、歌会にもただ茶菓を持って出るだけというありさまで、それでは何のために中島家にいるのかわからないので、これは半年でやめた。
といって、暮し向きがよくなったわけではない。老母と妹と、女三人だけの生活は、一日ごとに苦しくなっていた。ここ二、三年は、あらゆるところから借りつくし、借金で借金を返し、ときにはきょうの御飯を食べたら明日の御飯がないという日さえあった。
それでも夏子は、努力して萩之舎に顔を出した。
それは――中島歌子先生の教える新古今調の歌に、どうにも身がはいらないことを自覚しつつ――自分も将来和歌の塾をひらいて身を立てるよりほかに生きてゆく法はない、と思いこんでいたのと、もうひとつ、世間の狭い自分にとっては、そこに集まる令嬢たちが、金を借りるのに何よりのすがりどころだからであった。
けれど、そんな無理なやりくりには限度があって、去年の夏、もうもう歌どころではない、という状態になり、何よりきょう明日の暮しが立つのが先決だ、と決心して、知人に泣きついて十五円借り、下谷龍泉寺に小さな荒物屋をひらいた。そして、二銭三銭の商売にひたすら悪戦苦闘してみたが、一年足らずでそれでも食べてゆかれないことを思い知らされた。細い商いのせいより、彼女をはじめ母も妹も、そんな商売には向かないたちであったのだ。
それでまた店をたたんで、本郷の丸山福山町のあばら家を借り、さらに窮迫した、暗澹たる暮しの果てに、ついまたふらふらと、久しぶりに中島邸に顔を出して――こうして、はからずも一門の宴《うたげ》につらなることになったのである。
この集いにまじるのは場ちがいだとは、ずっと前々から承知していたけれど――特にきょう、こんな宴《うたげ》と知って着飾って来た令嬢たちの中にいると、花畑の中に舞いこんだ一枚の枯葉のような気がする。
実際、彼女の着物が見劣りしているのは以前からのことであったが、ここしばらく姿を見せなかった間に――どんな粗末な着物でも、清潔に、キリリと着こなす本人の習慣にもかかわらず――しみついた貧しさの翳はいかんともしがたいものがあった。顔にも、血色がない。
と、末座に影のように坐っている夏子へ、
「あなた、小説をお書きになるんですって?」
と、二人ほどおいた席から呼びかけた娘があった。
持ちこんだ琴を、さっき合奏した娘の一人で、そのときたしか横浜のお金持の令嬢、綱島|朋子《ともこ》と紹介された。
首をつき出した顔は、お芝居のように濃化粧をしているが、鼻が少し天井をむいている。――夏子は、はじめて見る顔だ。彼女が御無沙汰している間に入門した令嬢らしい。
「どこに、どんな小説をお書きになってますの?」
夏子はうろたえ、ちらと相手を見て、すぐにその眼を伏せた。
「さっきから、どうもほかの方と御様子がちがうから、いったいどなた、と、このつや子さまにお訊きしたら、あなた萩之舎で、あそこにいらっしゃる三宅龍子さまとならぶほどの御才女なんですってね。どうして、と尋ねたら、どちらも小説をお書きになるからって。――」
朋子はいった。
「小説を書くなんて、大変でしょ。わたし、鴎外って人の『即興詩人』ってのと、露伴って人の『五重塔』ってのを読みかけたことがあるけれど、むずかしくって投げ出しちまった。……あなた、おえらいのねえ」
「いえ、わたしは……ただお金が欲しいだけで書いておりますので、とてもそんな方々のお作とは……小説とはいえないほどのものでございます」
と、夏子は身をよじらせていった。
「あら、小説を書くと、お金をくれますの?」
「そうなのよ」
と、隣りの小笠原つや子がいった。
「あの三宅さまは『藪の鶯』という小説をお書きになって、三十何円かおもらいになったのよ。……ねえ、花圃《かほ》さま?」
呼びかけられて、遠くの三宅龍子は苦笑して、
「そりゃずいふん昔……もう、六、七年も前のお話よ」
と、いった。
それは、いまは三宅雪嶺夫人だが、そのころは田辺という姓だった龍子が、花圃という筆名で書いた小説であった。
「ああ、小説を書くには、雅号がいるのね」
と、綱島朋子はいった。
「樋口夏子なんて、聞いたことがないと思ってたんだけど、べつに名があるのね。なんという雅号?」
夏子は顔をあからめ、うつむいたきりであった。
小笠原つや子が教えた。
「たしか、一葉とおっしゃるの」
大つごもり
「樋口一葉?」
綱島朋子は首をかしげた。
「それも、聞いたことがないわねえ。……」
そういわれても、そのこと自体に一葉はべつに不愉快はおぼえない。
彼女が小説というものを書き出してから三年近くになる。その間に、雑誌に出たのは十篇ほどだが、大半がほんの短いもので、書くときはむろん懸命に書いたのだが、あとになれば彼女自身みんな意に満たないものばかりだったからだ。
ただ、綱島朋子の口のききかたに、悪意のようなものがあるのを感じて、彼女は心がすくんだ。
「それでも小説を書けば、とにかくお小遣いになるから、いいわねえ」
「あら、お夏さんはお小遣いどころじゃなくってよ。それでお母さまとお妹さんの一家を養っていらっしゃるのよ」
と、小笠原つや子が訂正した。
「一家を養う。――」
朋子が大袈裟に眼を見ひらいてみせるのに、一葉はいたたまれない気持になった。
「いえ、いえ、とても、そんな。――」
と、あえぐようにいった。
「そんなことは出来ません。ほんとうに食うや食わずの貧しい暮しをしております」
「ああ。……それであなたは萩之舎にいらっしゃるのね」
「――と、おっしゃると?」
綱島朋子の眼は、あきらかに敵意にかがやいていた。
あとで知ったところによると、朋子は貿易商の娘で、四、五ケ月ほど前に萩之舎に入門したという。これが華族の令嬢も少くないグループにはいって、それらの令嬢たちより気どり屋ぶりを発揮した。それでなくても、歌より上流階級の娘たちの社交機関の傾向があったその集いを、いっそう金ピカにしようとしている娘であった。
そこにその日、彼女から見れば影のように一人の女がまぎれこんで来たので違和感をおぼえ、だれかにその素性を訊き、不愉快になったらしい。怖さを知らないわがまま娘で、すぐにこれは排除しなければならない、と思い立ったようだ。
「さっき、どなたからかお聞きしたんだけど――樋口さんとお近づきになると、きっとお金を借りられるからその覚悟でいらっしゃい、そのために萩之舎に来るひとだからって。――」
一葉は深く深く首をたれた。
――実際その通りなのだ。しかし、めんと向っていわれたのははじめてで、彼女は心臓を一刺しされたような気がした。
みんながやがやとおしゃべりしていて、最初からこの問答を聞いていたのは近くの娘たちであったが、途中からだんだんこちらに顔をむけ、このときは一座が聴耳《ききみみ》をたてている風であった。
と、一人、動き出した者がある。いつのまにか座敷に戻っていたおかみであった。
おかみは歩いていって、中島歌子の前に坐って、
「先生、おそれいりますが、あのお嬢さまにお帰り下さいますようにお伝え下さいまし」
と、綱島朋子のほうへ眼をやっていった。
「こんなことを申して口も裂けるようでございますが……私も、女ひとりでこんな店を出しますまではお金も借り、いうにいえない恥もかいて参りました。そういう苦労を御存知ないお嬢さまには、私のところの料理など、とうていお口に合いますまい、と存じますので。――」
そういって、おかみは三つ指をついてひれ伏した。
温室に似た部屋が、一瞬に水を打ったようになっていた。
一葉は打ちのめされたが、二日ほどで立ちなおった。
外見《そとみ》には「ものつつみの君」といわれたくらいで、はっきり意見もいわないつつましい女だが、実は彼女は意外に気丈な性質であった。それに――こんな辱しめは、ここ数年何度受けて来たことだろう。それどころか、もっとつらい、もっとのっぴきならない打撃は、もういくどもなめている。数え年二十三で、一葉の魂は雄々しく鍛えられていた。鍛えられないわけにはゆかなかったのである。
彼女は日記にしるした。
「けふの一葉は世上のくるしみをくるしみとすべからず、恒産なくして世にふる身のかくあるは覚悟の前なり」
暮近い二十八日の午後、「文学界」の編集をやっている平田|禿木《とくぼく》が、彼女の新作「大つごもり」をのせた新しい雑誌と、稿料八円十銭をとどけてくれた。
一葉は「文学界」には、それまで四つほど短篇をのせてもらっていたが、彼女は不満足なのに向うは意外に買ってくれて、その日、平田がわざわざやって来たのも、ただ雑誌とお金をとどけるほかに、年末までにもう一篇を書くという約束がしてあったからだ。
「まだ出来ていません」
と、一葉はわびた。
「でも、お正月中にはきっと書きます」
実は、まだこれといった腹案があるわけではなかったが、彼女の声ははずんでいた。それはいまもらった稿料のせいであった。
このころ三人世帯で月十五円ではギリギリの暮しという時代に、一葉の家では母と彼女と妹で死物狂いで仕立物の賃仕事をして、月に五、六円という収入しかなかった。一葉は決して原稿料で一家を養っていたわけではなかったのだ。そこへ八円幾らかという金がはいって来たので、実質以上に一葉は浮かれた。
それに、書いた「大つごもり」という小説の出来ばえが、やや彼女の意を満たすものであったので、いっそううれしかった。
その夜、彼女は日記に書いた。
「餅も来たりぬ。酒も来たりぬ。醤油も来たりぬ。払ひも出来たり。和風家の内に吹くこそさてもはかなき」
ただいっとき、寒天に一|杓《しやく》の酒を恵まれてよろこんでいる自分たちの他愛なさを自嘲する眼も持っていたのである。
その翌々日の午後、暮の三十日というのに、洋服に山高帽、眼鏡をかけた小ぶとりの紳士が訪れた。名刺を見ると、「万朝報社長 黒岩周六」とある。
「あなたが樋口一葉女史か」
と、彼は眼をまろくした。
「お若いのに、驚きいった」
ああ、これが探偵小説で有名な黒岩涙香か、と一葉のほうも、相手が若いのに意外な気がした。涙香の雷名はもう、六、七年も前から耳にしていたからだ。涙香はまだ三十を幾つか出たばかりらしい、精悍な、あぶらぎった顔をしていた。
「実はあなたの大つごもりという小説を読んで感心しました」
と、彼はいった。
「文章はむろんですが、哀れな下女が主家の金を盗む、その罪を主家のやくざ息子がそ知らぬ顔でひき受けて去ってゆくという趣向ですな。あれを少しひねると、探偵小説になります。……実は、きょう私が参ったのは、あなたに探偵小説を、万朝報に書いてもらいたいと考えてのことです」
女流作家に探偵小説を書かせる、ということだけでも売物になると思ったのだが、それが妙齢の娘さんとあれば、いよいよもって大評判になるだろう、と彼はいった。
「探偵小説なんて、そんな。……」
「いやいや、あなたの頭なら書けます」
と、涙香はいい、自分の書いたものに、実際に起った殺人事件からヒントを得た「無惨」という作品があるが、その上篇は「疑団」と題し、謎めいた事件を提出してある、中篇は「忖度《そんたく》」と題し、探偵の推理が展開してある、下篇は「氷解」と題し、事件の解決が述べてある。探偵小説は、この組立てで書けばいい。疑団はなるべく不可思議に、推理と解決はなるべく合理的であることが望ましい、と探偵小説のいろはを説明した。
「いったいあなた方純文芸の方は探偵小説を馬鹿になさるが、しかし私は、英雄伝のごとく人の気≠ノ訴える文学、恋物語のごとく人の情≠ノ訴える文学とならび、純然たる人の知≠ノ訴える文学も存在価値があると思う。――それが探偵小説です」
そのころから「純文芸」という言葉はあったのである。
「もっとも、そうはいうけれど、私の書くものはだいぶ低俗だ。それはなるべく沢山の大衆に読んでもらいたいという信条からだ、と私は論じとるが、なに、高尚な文章を書けといわれても、私にゃ書けんのです。やはり知≠フ文学である以上、出来得ればある程度の文学性は欲しい。そこであなたに眼をつけたわけだ」
涙香の表情は、たんなる商売気とは別の熱情にかがやいて見えた。
「といって、高尚過ぎてもやはりいかん。少くとも、いまのあなたの文章では大衆はとりつけん。そこで私が手を加えることがあるかも知れん。時によると、両者合作という状態になるかも知れん。いや、あなたを拝見して、樋口一葉・黒岩涙香合作の探偵小説を書いたら、ひょっとするとふしぎなものが出来上るかも知れん、という夢が生まれて来ました」
涙香は、もうすっかり一葉がやってくれるものときめこんでいるようであった。そして彼は、家の中を見まわした。
「そこらあたりをおふくみの上で御承知下さって、出来上ったものがこれは使える、となったら、たとえ合作であったとしても、一枚一円五十銭の稿料はさしあげる。……失礼だが、あまりお豊かではないとお見受けする。こりゃあなたにとっても、決して悪い話ではないと思うがどうです」
一葉の原稿料は、それまで、全然もらえないものが半分くらいあり、もらったものもせいぜい一枚三十銭であった。
金で小説を書くことを悪いことだと彼女は考えていない。それどころか、そもそも小説を書こうなどと思い立ったのが、ずっと以前、田辺花圃が小説を書いて三十何円かの稿料をもらったと聞いたのが発心のもとで、いままで金が欲しくて書いて来たのだ。
それに、いま世は、探偵小説にあらずんば小説にあらず、という時代であった。万朝報の発行部数は、朝日新聞の二万五千部に対して五万と伝えられていた。それも主として涙香の書く飜案探偵小説の力によるといわれ、はじめ涙香ものなど「純文芸」ではない、と冷笑していた硯友《けんゆう》社の連中も、たまりかねて続々探偵小説を書きはじめている時勢である。
一葉は動揺した。
「わかりました」
彼女はうなずいた。
「でも、いま、ほかにお約束した仕事もございますので。……」
「どこです」
「文学界なんですけれど。……」
「また文学界ですか。なんです、あんな耶蘇《ヤソ》かぶれの青二才たちの作ってる雑誌。放っときなさい」
「でも。……」
一葉は口の中でいった。涙香のすすめに動揺をおぼえつつ、しかし彼女をからくもひきとめたのは、たしかにあの約束のせいも半分あるが、あとそれだけではない何かが半分あった。
正月過ぎまで考えさせてくれ、という一葉の訴えを聞いて、涙香は表に出た。表は、一人だけしか歩けないような路地だ。
「私は、人間が乗って、人間が曳く人力俥というやつがきらいでね」
と、笑いながら涙香は、乗って来た自転車で、その路地を帰っていった。もっともこのころは、自転車は大ハイカラの乗物であったのだ。
あるいはしかし、一葉にいっときの余裕を与えたのは、その前々日にもらった八円なにがしの稿料のせいであったかも知れない。
一葉ばかりではない。六十一になる母親の滝までが浮き浮きして、
「お夏。……もしよかったら、明日にでも稲葉さまのところへ、お歳暮を持っていってもらいたいんだがね。……」
と、いい出した。
「出来たら少しお金を……何だったら、子供さんもいらっしゃるから、お菓子一折でもいいよ」
稲葉というのは、昔、滝が奉公した家なのである。
一葉の父母は、甲州から江戸へ出て来た農民であったが、それも何とかしてひとかどの侍になりたいという望みからで、夫の大吉はある幕臣の中間《ちゆうげん》となり、妻の滝はある旗本に乳母奉公に上った。夫婦共稼ぎである。――それ以来、二人は血のにじむような苦労を重ね、金をためて、大吉がやっと八丁堀同心の株を買ったのが、慶応三年五月のことである。それから一年もたたないうちに幕府は無くなってしまったのだから、これは一つの悲喜劇であった。
それはともかく、滝が奉公した稲葉家は、かつては二千五百石、いっときは長崎奉行まで勤めたというのに、いまは零落し切っていた。
滝が奉公したころの当主夫妻は、維新後尾羽打ち枯らしてもう亡くなっていたが、その娘が――滝が乳を与えた姫君が――いまはもう四十近い年になって、夫と二人の子供とともに、牛込柳町に住んでいたのを、滝はまだ旧主扱いにして、何かといえばその安否を案じた。
で、去年の暮もお歳暮の件を持ち出したが、樋口家のほうがとうていそんなことは思いもよらないありさまであったのだが――老母にまたそれを口にされて、一葉はうなずき、あくる日の午後、本郷の丸山福山町の家を出た。
年がら年じゅう貧乏の愚痴をこぼしながら、わずかな金がはいるとそんなことを思い立つ老母の心情を、一葉は理解した。彼女自身は稲葉家に恩義はないけれど、心中一点の侠《きよう》の魂は、どうしても捨て切れない性質であった。
明治二十七年十二月三十一日。――町には氷雨《ひさめ》がふりつづいている。
実は、日本はこのころ日清戦争のまっただなかであったのである。しかし、東京の町には別に変りはない。国運を賭けたといっても、それはやはり、遠い戦争であった。ただ、気のせいかいくぶん町が暗く、殺伐な感じがするけれど、それも師走の冷雨のせいかも知れなかった。
たけくらべ
丸山福山町の一葉の家だって、沼を埋めたてた銘酒屋ばかりの土地の、しかもジメジメした崖下の家だが、この牛込柳町の一《ひと》区劃は完全な貧民街であった。
長屋にはさまれたそこの路地を、傘をさしてはいっていった一葉は、めざす家の中から、
「イヤイヤ、もうあそこに帰るのはイヤ!」
と、泣きさけぶような少女の声を聞いて、思わず立ちどまった。
あれはだれだろう? と、首をかしげ、次に、ひょっとしたら?――と思い当り、急にいそぎ足になって、その家の戸をひきあけた。
そして、眼を見張った。廃屋の中に、破れた床の下から咲き出した思いがけぬ一輪の花を見出した思いであった。
十五歳くらいの娘だ。それが、こちらをふりむいて、じいっと見つめていたが、
「夏子お姉さま!」
と、さけぶと、立ちあがり、駈けて来て、一葉にしがみついて、わっと泣き出した。
「お姉さま、お願い――わたしを吉原に帰らないようにして! 何でもします、お裁縫《はり》でも、水汲みでも、下女でも――でも、吉原に帰るのはイヤ、そうお父さま、お母さまにお願いして!」
身をもんでいう。一葉はあっけにとられ、
「これはいったい、どうしたことなのでございますか?」
と、顔を奥のほうにむけた。
そこに三人の人間が、じっと坐っていた。この家のあるじ稲葉寛とその妻|香《こう》と息子の正朔であった。
一葉がここを訪れたのは、おととしのやはり年の暮であった。――そのときのことを、彼女はこう日記に書いた。
「――昔は三千石の姫と呼ばれて白き肌に綾羅《りようら》を断たざりし人の、髪はただ枯野のすすきのやうにて、いつ取りあげけん油気もあらず、袖無しの羽織見すぼらしげに着て、さすがにわれを恥ぢればにや、うつむきがちに、さても見苦しき住居にて茶を参らせんもなかなかに無礼なればとてうちわびるぞ、ことに涙のたねなり」
妻のお香の描写だ。すなわち一葉の母が乳をのませた姫君のなれの果ての姿である。
もっとも三千石というのは筆のあやで、実際は二千五百石であったし、白き肌に綾羅を云々も、瓦解したのがもう二十七年前のことで、そのころ香はまだ十歳をわずかに越えた年齢であったはずだが。――
「あるじは是《これ》より仕事に出る処とて筒袖の法被肌寒げにあんかを抱きて夜食の膳に向ひ居るもはかなし」
主の寛である。明治十年ごろ結婚したと聞いているが、これももとは大身の旗本の子であった。
結婚したころもすでに落魄の境遇にあったはずだが、まさか、それ以上、ここまで落ちるとはおたがいに想像もしなかったろう。寛はいま、なんと、大晦日近くなっても夜働きに出かけなければならない日傭いの労働者であった。
「畳は六畳|斗《ばかり》にて切れもきれたり。唯わらごみの様なるに、障子は一処《ひとつところ》として紙の続きたる処もなく、見し昔の形見と残るものは卯の毛におく露ほどもなし。夜具蒲団もなかるべし。手道具もなかるべし。浅ましき形の火桶に土瓶かけて、小鍋立ての面影|何処《いづく》にかある」
その家の中の光景を、一葉はこう日記にしるした。
それから二年たったが、その光景は同様であった。いや、さらに惨澹の度を深めていた。
ただ、ちがうものがある。――それは、そのとき、やはり襤褸《ぼろ》をまとっていた娘の美登利《みどり》と息子の正朔が、あのときたしか十三と八つという年から、あきらかに二つ年を加えた少女と少年に成長していることであった。
それも、弟のほうが襤褸《ぼろ》につつまれていることは同じだが、姉の美登利のほうはまったく変身していた。
なんと、髪はシャグマという、名は怖ろしいがこのごろ流行の、前髪大きく髷《まげ》をあげた、良家の令嬢もするかたちに結いあげ、総《ふさ》つきの花かんざしをきらめかし、極彩色の京人形のような衣裳なのだ。
もとから美しい娘で、器量よしというより、大きな眼にも唇にも活き活きしたところがあって、いつか一葉も、これから二、三年たったらどれほどになるだろう、と思ったものであったが――それが、二年たったいま。
あれはだれだろう? と声を聞いて一葉が首をかしげ、ひょっとしたら? と思い当ったのはこの美登利であったが、衣裳ばかりではなく、まさに匂いたつような美少女に変っていた。
その衣裳もふくめて、これはいったいどういうことか、まったく見当もつきかねるありさまだ。
自分の胸に顔をおしあて、身もだえしている美登利をのぞきこみ、
「どうしたの、美登利さん」
と、一葉はいった。
「その姿は――そして、吉原へ帰りたくないとは?」
美登利は顔をあげていった。
「わたし、ことしの春から、吉原のお女郎に売られたの。――」
「えっ?」
一葉は息をひいた。
しばらく、ここに来なかったが、まさかそんなことになっていようとは。――
「樋口さん、お恥かしいことだ」
法被姿の稲葉寛は、垂れていた首をあげて、
「その通りだ。去年の春、美登利も学校を卒業したが、これといった奉公先もない。うちにおっても、満足な食事も与えられん始末です。そこへある人から、吉原の弁天屋という大籬《おおまがき》から養女にもらいたいという話があり、そうなれば手芸学校にも通わせてやるとのことで。……」
声がかすれたので、母のお香が、
「吉原の大籬に娘を養女にやったからといって、何も遊女にするとはかぎらない。幸か不幸か、弁天屋にはお子がないそうで……どうやら利発で活溌な娘らしいから、先は婿を迎えて弁天屋をつがせるということで、この春美登利を出したのです」
と、あとをつづけた。
「そしたら、きのう、お正月のひまをもらってここへ帰って来る前に」
美登利が泣きじゃくりながらいう。
「来年の春から、お女郎になって見世《みせ》に出るように、と、おかみさんからいわれたの。笑いながら――だから、せいいっぱい、おふくろの乳をのんでおいでって。――」
そして、また身もだえした。
「イヤイヤ、そんなこと、美登利はイヤ、あそこへゆくのはもうイヤ。……夏子お姉さま、美登利を助けて!」
一葉は心臓を冷たい手でつかまれたような気持になり、しばらく口もきけなかったが、やっと少女をひき離してしずかに坐り、父親と母親のほうへ顔をむけて、
「お願いでございます。お嬢さまのおっしゃる通りにしてあげて下さいまし」
と、いった。
数年前まで彼女は、寛を旦那さま、香を奥方さま、子供たちをお嬢さま坊っちゃまと呼んで、彼らから手をふって、それだけはかんべんしてくれといわれ、美登利を美登利さんと呼ぶようにし、美登利も彼女を夏子お姉さまと呼ぶようになったが――このときは知らずして昔の呼称が出た。
「このお嬢さまをお女郎になど、もったいない……いえ、怖ろしいことでございます」
「お夏さん、三百円、何とかなるか?」
寛は燐のようにひかる眼で、一葉を見つめた。
一葉はまたと胸《むね》をつかれた。
「三百円。……」
「美登利を養女にやるとき、弁天屋からそれだけもらったのだ。その金を返さねば、娘を引取ることは出来ん。そのときは養女としてもらい受けるいわば身請けの金で、決して女郎として買う身代《みのしろ》金ではない、ということだったが、名目はどうでもいい。そのときうちは、たまりにたまった借金が二百円。どうしてもそれだけの金が要った。そして、残った金も、そのあとで寝ついた家内の医者代にみんな使ってしまった。……」
破れた股引のひざをつかんで、悲痛な父親はうめいた。
「その金を返却せねば、娘を返してくれとはいえないのだ!」
母親のお香は、ただ嗚咽《おえつ》していた。
「いやお夏さん、三百円、あんたに何とかしてもらいたいと思って打ちあけたわけじゃない。あんたにそんな金のないことは承知しておる」
一葉は、石のように黙って坐っているばかりであった。それはまさしく彼女にとって、別世界の金額であった。
「美登利さん。……いつまでおうちにいらっしゃるの?」
と、ややあって一葉は訊いた。
「お正月の四日まで」
「それじゃ、それまでによく考えましょう」
美登利は顔をあげた。
「また来てくれますか、お姉さま?」
「――ええ」
「いつ?」
「そう、じゃあ、三日にね」
なんの見込みもなく、一葉は反射的にそう答えて、胸が苦しくなった。もういちど来たところで、自分がどうしてやれるだろう?
暗澹とした気持をおしかくし、しかし一葉は笑顔を見せた。
「それまでに何とかいい工夫が出るかも知れませんわ。……きょうはお菓子を持って来ました。とにかく坊っちゃん、召しあがって」
彼女は途中で買って来た藤村《ふじむら》のようかんの箱を自分でひらいて、
「美登利さん、すみません、お茶をいれて下さいな」
と、いった。
ようかんを切ってもらうと、それまでおびえたようにすくんでいた息子の正朔は、飛びつくように二きればかりむさぼり食って、胸をたたきながら、
「姉さん、心配するな、そのうちぼくが陸軍大将になって、銀行からたくさんお金をかりて助けてやるよ」
と、いった。
みんな、笑った。悲しい笑いであったが、はじめての笑いであった。
一葉は、改めて御無沙汰のわびを述べ、またそれからの暮し――おたがいの貧乏話をしながら、持って来た紙づつみをそっとお香に渡して、小声で「お恥かしゅうございます。――一円なんですけど」と、赤い顔をした。お香はおしいただいて、また涙をこぼした。
ふと、そのとき一葉は、少し離れたところに坐っていた美登利に眼をやった。
夏子お姉さまに慰められたものの――おそらく事態は絶望的なことを感づいたのだろう、おしつけられたようかんを持って、膝の上においたまま、それまでうなだれていた美登利が、顔をあげて往来のほうを見つめていた。
さっき一葉がはいって来た入口の戸は、しめるいとまのないままに、まだあいたままになっていた。外はただ雨ふりしきる路地だ。
その向うの家の軒下にしゃがんでいる影が見えた。どうやら、蛇の目をさした少年らしい。
「信如《しんによ》さんじゃないか」
と、お香も気がついて、首をのばした。
「下駄の鼻緒を切って困ってるようだね。ここにうちがあるのに、なぜ|すげ《ヽヽ》る紐をもらいに来ないんだろうね」
美登利は返事をしない。
「何か持ってっておやりよ」
それでも美登利が立とうとしないので、一葉が見まわし、お香が縫物をしていた布のきれはしが落ちていたのを拾った。
「わたしがゆくわ」
突然美登利が立ちあがり、手近かの針箱をあけて、赤い布きれをとり出し、入口のほうへいった。
「近くの天華《てんげ》寺というお寺の息子さんでね、美登利と同級だったのですよ。……そういや、きのうから何度もこの前をウロウロしてたようだが。……」
と、お香がいった。
「美登利さんが帰っていらしたのを知ってじゃございませんか」
一葉が微笑した。
「いえ、大変お利口な坊っちゃまで、美登利はよく噂話をしたけれど……べつにそれほど仲よくも見えなかったけれど――あら!」
お香がさけんだ。
美登利が入口から、いまの赤い布を往来へ投げ出して、そのままひき返して来たからだ。
「どうして声をかけて、じかに渡してあげないの?」
「いいの」
と、いって、美登利はまた坐った。
信如という少年は、ふりむいて泥の上の赤い布を眺めていた。そして、立ちあがったが、それを拾いもせず、鼻緒の切れた朴下駄をぶら下げて、片足ちんばのまま、そこから去っていった。
あとに赤い布だけが残されて、ふりしきる雨に打たれていた。
父親と母親は、不可解そのもの、といった顔を見合わせている。――と、お香がまた何かいいかける機先を制するように、
「夏子お姉さま」
と、美登利が呼びかけた。
「あのことは、もういいわ」
「え?」
「でも、もういちど来てね」
「それは、来ますとも」
「そのときに、見せていただきたいものがあるの」
「あら、なあに?」
「いま両国の回向院《えこういん》でやってる西洋の曲馬団。――あれを見せていただきたいの。だって、吉原へ帰ったら、もうちょっと外へ出られないでしょ?」
無邪気と悲愁の溶け合った、十五歳の少女の顔であった。
その夜、除夜の鐘の音《ね》を聞きながら、一葉は「たけくらべ」という小説を書き出した。――
「廻れば大門《おほもん》の見かへり柳いと長けれど、おはぐろ溝《どぶ》に燈火《ともしび》うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明暮れなしの車の往来《ゆきき》にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申《まうし》き、……」
場所は、八ケ月ほど前まで荒物屋をひらいていた下谷龍泉寺界隈の風物詩を頭にえがきつつ、大音寺前と架空の名にしてあるが、登場人物の美登利と信如という名はそのまま使った。
まちがいなく、これを彼らが読むことはないだろう、という確信はあったが、その名はこの小説に動かせないものであった。
探偵小説ではない。彼女はこれを「文学界」のために書き出した。
平田|禿木《とくぼく》の依頼では、一回分として十七枚ほど書けばよかったが、すでに全篇は一葉の頭に描き出されていた。それは、吉原近くの下町に住む少年と少女の、淡い、哀切な、恋と別れの物語であった。
曲馬団桟敷席
「邦子、もしきょう平田さんがおいでになったらね、これ渡しておいてちょうだい」
一葉は、二つちがいの妹に、机の上の封筒にいれた原稿をさしていって、家を出た。――明治二十八年の一月三日の朝のことである。
彼女の胸の中は複雑であった。
まずだいいちに、よろこびの心があった。――
それは大晦日から昨夜おそくまでに書いた「たけくらべ」の第一回掲載分の出来が、きわめて満足すべきものであったからだ。
事実、その自信通り、一葉はまさに神来の傑作を書きはじめていたのである。
ついでながら、このあとのことをいえば、彼女はそのつづきを、五回にわけて「文学界」に書きついだ。とびとびの発表であったため、連載中はべつに評判にもならなかったが、翌年四月、改めて全篇が一挙に再掲載されるや、当時からすでに「文壇の神」といわれた鴎外が、「われは縦令《たとひ》世の人に一葉崇拝の嘲《あざけり》を受けんまでも、此人《このひと》をまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」と嘆賞し、露伴が「作中の文字五六字づつ今の世の評家作家に伎倆上達の霊符として呑ませたきものなり」と感嘆した。これと平行して彼女は、「にごりえ」「十三夜」などの名作を発表する。
樋口一葉の「奇蹟の一年」といわれる最後の一年がはじまったのだ。最後の一年というのは、彼女の名がようやく天才として世にかまびすしく伝えられ出したとき、一葉はすでに病魔にとりつかれており、その年の十一月には、わずか二十四年と八ケ月の、薄倖の生涯をとじるからである。
翌年のうちに自分がこの地上を去ってゆこうとは、彼女は知らない。
よろこびとともに、哀しみをいだいて、正月三日の東京の町を、いま一葉は俥に乗ってゆく。
哀しみは、自分にその作品を与えてくれた一人の少女を、どんなにもがいても救ってやることが出来ないという自覚から来た。
そしてまた、当の美登利も、あの日泣いたあと、ついに花魁《おいらん》たるべき自分の運命にあきらめをつけたようだ。きょう西洋の曲馬団を見たい、などいう望みを出したのも、十五歳の少女の最後の夢を現実に見ておきたいという願いからであろう。――可憐さに、俥の上の一葉の眼はうるんだ。
彼女は牛込の柳町へいった。
美登利はむろんよろこんだ。曲馬団へゆくことより、まず夏子お姉さまがほんとうにまた来てくれたことをよろこんだ。
弟の正朔も、むろんゆくという。――母親のお香が叱ったが、一葉は、
「いいわ、いいわ、三人でゆきましょう」
と、笑顔でいった。それから正朔に、からくもとってあった一張羅を着せるのがまた一騒ぎであった。
やがて一葉は、俥を二台、しかも一台は相乗り俥をつかまえて、そちらに美登利と正朔を乗せて、柳町から出かけた。その俥代さえ、いまの彼女にとっては生爪をはがされるような出費であったが、一方ではまた、明日《あした》は明日の風が吹く、といったような性格が一葉にはあった。
ゆくさきは、両国の回向院である。
大晦日の冷雨は元旦の朝からからっとあがって、いかにも連戦連勝の国らしい、三日つづきのいいお天気のお正月だ。
五千坪ある回向院の境内に、水母《くらげ》の大化物のような大小三つの天幕が出現し、その一つから西洋楽器による異様な楽《がく》の音《ね》が、おびただしい幟や旗のはためく蒼空へ舞いあがっていた。
去年の暮からここで興行しているアームストン曲馬団一座だ。
「英国アームストン大曲馬」という文字と、さまざまの曲芸を演じている西洋の男女や猛獣など描いたチラシは一葉も何度か見たし、新聞の広告にも見た。御一新以来、西洋のサーカスは何度か来朝したが、こんどの規模は第一番と宣伝している。
いま東京で最も話題になっているのは、日清戦争の次にはこのアームストン曲馬団であったかも知れない。――美登利が見たがったのも無理はない。
木戸へつながる行列は、天幕群を二周三周している。楽隊の音は西洋音楽であったが、ときどき、「道は六百八十里……」とか、「火砲《ほづつ》のひびき遠ざかる……」とか、いま流行の軍歌のメロディが混る。それがわかると群衆は、手拍子打って合唱した。
小さい天幕のうちの一つは、曲馬団の団員や道具の待機用らしいが、もう一つからは、オ、オ、オーンと、ライオンか虎かの咆哮がたしかに聞えた。その中に猛獣の檻がいれてあると見える。それもみなを昂奮させずにはおかなかった。
一葉たちは、一時間くらいもならばなければならなかった。その間も、大天幕の中ではたえず波のようなどよめきがあがって、正朔は地団駄踏み、美登利もそれに近い反応を見せた。十五歳の頭からは、吉原のことなどけし飛んでいるように見えた。
一葉は作家として、吉原の妓楼の私的なほうの日常を訊きたい心を動かされたが、美登利がそれらのことを口にしないので、尋ねることをやめた。
木戸銭は上等五十銭、中等三十銭、下等二十銭で、十歳以下の子供と兵隊はそれぞれ半額であった。
はいると、曲芸そのものより、まず天幕の大きさに、ああ、と眼を見張らずにはいられない。外から見ても壮観であったが、内部から天井をふりあおぐと――高さは少くとも十丈以上――三十メートル以上はあるように見え、そこに無数の柱や綱が張りめぐらされている。
その下の演芸場は円形で、二百坪ほどもあろうか。それをとりまく見物席は、いちばん前が椅子席でこれが上等、あと五段の雛壇が作られていて、前方の二段が中等で、後方の三段が下等らしい。ぜんぶで二千席はあるということだ。天幕の大きさをなるほどと思う。
一葉は中等を買ったのだが、運よく出ていった組があって、椅子席のすぐうしろの席が見つかった。
演芸場では、いましも椅子の曲乗りが演じられているところであった。七つ八つの椅子を高く積みあげて、その上で紫|繻子《しゆす》にガラス玉をひからせた西洋人が逆立ちしている。――
それに眼を吸われて数分。――前の椅子席の、洋服を着た一人の男が、かん高い正朔の歓声にふとふりむいて、
「おや」
と、いった。
一葉も眼を大きくした。それは暮に訪問して来た万朝報の黒岩涙香であった。
「これはまた、妙なところで」
美登利と正朔に眼を移し、
「お妹さんで?」
と、訊いた。
「いえ、お知り合いの御|姉弟《きようだい》でございます。私はそのお相伴。……」
「ああ、そう。いや、新年おめでとう」
「おめでとうございます」
一葉も笑い出した。涙香がいう。
「それはそうと、こんなところで何だが……松の内が明けたら御返事をうかがいにまた参上しようと思っていたんだが、例の件はどうです。決心はつきましたか」
「いえ。……申しわけございませんが、あれはだめでございます」
「だめ?」
「やはり、私、探偵小説なんて書けませんわ。……」
「いや、それは、この前申したように……」
「いま、どうしても私には、そんなものに興味がないのでございます」
「やはり、いかんか。そりゃ残念だ」
涙香は落胆の吐息をつき、首をもとに戻した。
このとき一葉は、涙香の右にならんでいる三人の――黒紋付一人、山高帽に洋服の男二人が、みんな首をねじむけてこちらを見つめているのに気がついた。
涙香が首を戻しても、三人はなお数分間、じっとそのままの姿勢でいる。
見ているのはしかし一葉ではなく、美登利らしい。
容貌はむろんそれぞれだが、いずれもあまりよろしくない人相で、美登利がひたすら曲芸に眼を奪われていなかったら、おびえて一葉にとりすがったかも知れない。
楽隊の音がひときわ高まり、曲芸は文字通り曲馬に変っていた。二頭ずつならび、合わせて六頭の白馬が駈け出して来たのだ。その一頭ずつに、若い男と女が立って乗っていた。むろん、どれも西洋人である。
それは円い演芸場をグルグル回り出した。
三人の男はやっとそのほうに顔をむけたが、ちらと見ただけで、涙香に小声で何か訊いている。一葉ははじめて彼らが――涙香をふくめて四人が仲間であることに気がついた。
人馬は軽業《かるわざ》の妙を見せていた。二頭の馬に男が両足で踏みまたがり、その肩に躍りあがった女が逆立ちをして駈けめぐっている。
この芸当が終ったとき、涙香がまたふりむいてささやいた。
「樋口さん。……お連れの娘さんな、お知り合いといわれたが、どういう方の娘さんですかな」
「それは……」
一葉はまごついた。一口では、ただ知り合い、としかいいようがない。
「それが、何か?」
と、訊き返した。
「私の隣りにいるのは有名な占い師だが、それが訊いてくれといわれる。――占いに、女難の相というものがあるのは御存知でしょう。妙な言葉だが、女の場合は、男難の相というものがあるそうで……それが、その娘さんに現われているという」
「えっ?」
「それが、見ればまだ十四、五くらいの娘さんだからふしぎで、どうも気にかかるというのです」
一葉は息をひいた。
「その、占いをなさる方、とおっしゃると?」
「本郷真砂町の天狗顕真術の久佐賀義教《くさかよしのり》さんという人だが」
「聞かれたことがおありか」
「は。……いえ」
はじめ、どこかで聞いたような――と思い、つぎに一葉は、はっとしていた。
去年の師走、萩之舎が納会をひらいたけやき茶屋の隣り――いや、あの大けやきの生えた家の主人は、たしか天狗顕真術の久佐賀義教だとか、おかみがいった。
あのとき、こちらが障子をひらいてしゃべっていると、それを聞きつけたように――距離からして聞えたはずはないが――向うも離れらしい建物の障子をあけて、三人の男が顔を見せた。ひょっとすると、あの三人がこの男たちだったかも知れない、と思い出したが、記憶に残るほど近くで見たわけではなかったので、むろんはっきりしない。
いまそこにいる黒紋付の男が、けやき茶屋の隣家のあるじか。
「あとで、改めてユックリ拝見したいといわれるが」
一葉は答えなかった。何と答えていいかわからないほど動顛していたからだ。
天幕がふくらんだりちぢんだりしているのではないかと思われるほどのどよめきの中だが、こちらの問答を聞いているだろうに、と見えるのに、その久佐賀義教という男は、こんどはそ知らぬ顔で正面をむいている。さきほどの印象では、年は四十くらいか、ひたいは禿げあがり、眼鏡をかけ、八字髭をはやした、どこか下品な顔であった。
けれど、美登利に「男難」の相があるとは思い当る。――それは美登利が、闇にも浮き立つような美少女であることだけではあるまい。その言葉は、この娘が遠からず吉原の花魁にならなければならないという運命を予言したものではあるまいか。
一葉は、いまにも美登利の手をひいてこの場を逃げ出したくなった。しかし。――
その美登利は、これも耳をすませれば自分についての問答が聞えないはずはあるまいに、依然夢中の瞳を、演芸場のほうにむけている。
わーっと、歓声がひときわ高くなった。
さっきから人間の背丈の三倍はありそうなキャタツが遠く離れて二台立てられ、その上に青竹を渡す作業がつづけられていた。距離は四、五間もあり、一本の青竹では太さの点で間に合わなくて、どうやら二、三本つぎ足してあるようであり、それでもたわむので、下から縦に、やはり三本の青竹が中間に立てられて、それを支えた。
歓声があがったのは、そのとき出て来てお辞儀したのが、あきらかに日本人の女だからであった。
年は三十半ばだろう。高島田に濃い化粧、振袖、袴に高下駄をはき、たたんだ傘をかかえている。その振袖と袴は、金襴の能衣裳めいたものであった。
彼女は一方のキャタツに上り、ぱっと紺色の絵日傘をひらいた。そして、なめらかな光をはね返す青竹の上を、高下駄で渡り出した。――
「日本の女曲芸師を加えたのは、日本での興行政策からですかなあ?」
と、黒岩涙香が首さしのばし、久佐賀義教をおいて、山高帽の一人に尋ねていた。
「いや、青竹渡りは日本の曲芸師の特技です」
と、相手は答えた。
その女芸人は、音楽に合わせ、しなう青竹の上を、ユラリユラリと渡ってゆく。見物人はふいに静まり返り、手に汗にぎってこれを仰いでいた。
二人の山高帽が話していた。
「おい、伊平次、お前おぼえておるか。もう何年になるかのう。二十年くらい前になるか、シンガポールで脱走して曲馬団にはいったやつを? まさか、あれがあの女じゃああるまいなあ?」
「えっ、あれが――」
若いほうの山高帽はしげしげと青竹渡りをしている女芸人を見て、
「ちがいますよ、似ても似つかん――」
「しかし、年から考えると、あの年ごろになるがのう。男も十五と三十五じゃ別人になる。女はなおさらのことじゃろう」
「ちがう。おじさん、全然ちがいますよ。それにあの娘は、空中ブランコをやってたし。――」
「そうか、やっぱり別人か」
山高帽は、このときまたうしろをふりむいて美登利をちらっと眺め、首を戻して、
「これ、あのときの娘と、ちょっと感じが似てるじゃないか」
と、相手にささやくのを、一葉は聞いた。若いほうはうなずいた。
「一見しただけで、飛切り、上玉といった感じがねえ」
そして、笑った。
「まかりちがうと、キンタマを蹴飛ばしかねないところもね。あ、は、は、は」
逢魔ケ時
それから一葉たちは、玉乗り、梯子乗り、自転車の曲乗り、短剣投げ、道化の笑劇、孔雀の舞踏、虎の火の環抜け、そして最後に、少女もまじえた空中ブランコを見て、やっと大天幕を出た。
最後の空中ブランコの前に、涙香たち四人組が席を立ったので、一葉はほっとした。その中の久佐賀義教という占い師が、美登利に「男難」の相がある、といったのみならず、頼みもしないのに、改めてあとで拝見したい、などといったというのが、何とも気にかかっていたからだ。
むろん、そんなことになったらことわるつもりでいたけれど――その男たちがいなくなったので、一葉は胸撫で下ろした。
はいったのは昼過ぎであったのに、暮れるに早い冬の日はもう西へかたむいて、なお回向院の広い境内を流れる群衆がまきあげる砂埃がうす赤く染まっている。
その中を三人は、出口のほうへ歩いた。稲葉|姉弟《きようだい》は、最後に見た空中ブランコの離れ業について、恍惚と話し合っている。――すると、
「樋口さん」
と、うしろから呼ぶものがあった。
見ると、また黒岩涙香だ。
「さっきは失礼」
一葉はまわりを見まわしたが、どうやら彼一人らしかった。
姉弟はさきに五、六歩いって、立ちどまってこちらを眺めている。
「あの連中とは別れましたよ。私一人、あなたを待ってたんだ。いや、探偵小説の話じゃない」
と、涙香はいった。
「実はうっかり、あの連中にそこの御姉弟を紹介したかたちになったが、それがどうも気にかかるのでね」
「と、おっしゃいますと?」
「あの久佐賀義教ですな。占いで大きな門戸を張っとるが、占いだけじゃない、高利貸しに相場、それならまだいいが、ほかにどうもいろいろと、うしろ暗いことをやっとるらしい。それから、あとの二人は人買い商人です」
「人買い。――」
「あれは叔父と甥に当るが、共同して南洋であちこち女郎屋を経営しておって、ときどきその女郎を仕込みに日本に帰る。――いまもその用件で、帰国中なんです。叔父のほうが村岡茂平次、甥のほうが村岡伊平次っちゅう男ですがね」
「……で、黒岩さまは、どうしてまあ、そんな方々と?」
「いやね、私のつき合ってたのは、久佐賀だけなんです。実はうちの新聞に占いの欄を作ろうと思いましてね。それで、そのほうで有名なあの男を訪ねた。去年の秋のことです。村岡たちはそのあと久佐賀家へやって来たもので、以来あそこに居候をしておる。どういう縁か知らんが、昔から久佐賀は村岡茂平次と知り合いらしい」
涙香は説明した。
「どうも、いかがわしい連中だが、つき合って見ると、あの連中はあれでなかなか面白いところもある、と私は感じて、きょうもサーカス見物に同行したような次第だが……面白い、など思うのは私だけで、ほかの人にはやはり険呑な連中でしょうな」
「でも、別に私たち、あの方々とおつき合いすることはないと思いますけれど。……」
「そりゃそうです。私もそう思ったんだが……何となく気になるもんだから、私が間に立って口をきいた責任上、一応御注意を喚起しといたほうがいいんじゃないかと考えましてね。用件はそれだけです。じゃあ、失敬」
彼は帽子にちょっと手をかけて離れていったが、いちどふり返って、
「樋口さん、探偵小説の話じゃないといったが、その件、もういちど考えて見て下さいよ。――」
と、いって、群衆の中へスタスタと消えてしまった。
いかがわしい連中だが、つき合って見ると面白い、と涙香はいったが、涙香自身にもどこかいかがわしい匂いのあるのを、一葉はかぎつけている。あるいはそれは曝露記事を売物にする万朝報という新聞の性質から来るものかも知れない。万朝報に小説を書かなくてよかったし、これからも書くことはないだろう、と一葉は考えた。
稲葉姉弟に追いつくと、
「あのひと、お知り合い?」
と、美登利が訊いた。
「あらいやだ。さっき曲馬団を見物してるとき逢ったひとじゃありませんの」
「そう、全然気がつかなかった」
姉弟はまだうわの空の顔をしていた。
また俥を呼んで、牛込柳町に帰ったのは、もう黄昏《たそがれ》のころであった。稲葉夫婦は、土下座せんばかりに礼をいう。お茶だけのんで、一葉が外へ出ると、また美登利が路地の出口まで送って来た。
「夏子お姉さま、もうお逢い出来ないわね。でも、美登利、きょうのことは忘れないわ」
と、美登利は一葉の手を握っていった。
「さようなら」
美登利はその日、吉原のことについて何もいわなかった。一葉の助けを期待している風でもなかった。それがはじめてもらした訣別の言葉であった。
明日《あした》、彼女は吉原に帰り、やがて遊女となる――その運命を、どうしても変えることは出来ないのだ、と考えると、一葉の胸は絞めつけられるように痛んだ。
と、路地を出ると――大通りの向うの郵便函のかげに立っているヒョロ長い男の影が見えた。もううす暗いのに、本能的に一葉はそのほうに眼を吸われた。
向うもこちらを眺めていて、眺められたことに気がついたらしい。背を見せると、コツコツと足早に立ち去っていった。山高帽に洋服を着た影であった。
あの男ではないか? あれは、さっき曲馬団で見た久佐賀義教の知人の一人――そうだ、村岡某の若いほうの男ではなかったか?
あの男が、自分たちをつけて来たのだろうか。……
一葉は美登利をふり返った。美登利は気がつかず、ちょうど通りかかった人力俥を、
「くるまやさん!」
と、呼んでいた。むろん一葉を乗せる俥だ。
一葉は、いまのことを美登利に告げようとして、首をふった。あれは、この暗さだもの、自分の見まちがいに相違ない。まったく縁もゆかりもない自分たちを、あの男がつけて来るいわれがない。それなら、無用の恐怖を口にして美登利を不安がらせることはない。
「美登利さん、じゃあお元気でね。どんなにつらいことがあっても、いつかはいい日が来る、きっと来る、と信じていらっしゃいね。私のようなものでも、そう信じて生きてるの」
一葉はそういって、美登利の肩を撫でて、俥に乗った。
「ただ。――」
と、やはり気にかかって、ふり返った。
「もし変なことが起ったら、坊っちゃんに頼んで、本郷丸山福山町の私の家へ呼びに来るようにおっしゃって!」
少年稲葉正朔が白い息を吐いて、牛込から本郷まで駈けて来たのは、その翌々日の午後であった。
「お姉さんが、すぐ来て下さいって。――」
「えっ?」
一葉は驚いた。
「美登利さん、まだいらっしゃるの?」
きょうは五日だ。美登利はたしか四日には吉原へ帰らなければならないといっていた。
「うん、きのう、お姉さんが出かけようとしたら、男の人が三人来て、お父さんに何かお話してたよ。それで吉原へゆかなくてもいいことになったんだって。――」
「えっ、三人の男が。――」
「でも、お姉さん、そっとぼくを呼んで、夏子お姉さまを呼んで来てって。――」
とにかく、一葉は出かけた。正朔をひざに抱いて、一台の俥で柳町へ駈けていった。
稲葉の家では、両親と美登利が、ボンヤリ坐っていた。まるで狐につままれたような顔をしていた。正朔が一葉を呼びにいったことを寛は知らなかったと見えて、
「お前が呼んだのか」
と、美登利を見て、難しい顔をした。
「お姉さまに話してみて」
美登利はそれだけいった。
「樋口さん、こういうわけだ」
寛は話し出した。
「きのう、美登利が吉原へ帰ろうとしたら、そこへ三人の見知らぬ方がやって来られた。その一人は、有名な天狗顕真術という占いの先生で、久佐賀義教とおっしゃる。――」
一葉は、息をのんだ。
「それが、おととい両国回向院の曲馬団の桟敷席で、ふと美登利を見かけられたそうだが、美登利にふしぎな相が現われているので、もういちど見たいとやって来られたそうな。……どうしてこの家をつきとめられたのか、と訊くと、それも顕真術で方角を占えばすぐわかるそうで」
仲間につけさせたのだ、と一葉はすぐに思い当った。それにしても、その執拗さは少し異常ではあるまいか。
「そして、美登利の顔を見て、占いには男難の相が出ておる、しかも近いうちにじゃ、用心なされ、といわれる。それを聞いてわしが、胸もつぶれる思いがしたのはいうまでもない。それで、尋ねられるままに、この娘はいまは吉原のさる大籬《おおまがき》の養女という身分だが、近くいよいよ見世《みせ》に出なければならぬことになっておる、と申しあげた。――」
「……」
「それだそれだ、と久佐賀先生はひざをたたかれたが、さてあと二人の紳士と何やら話したあと、その紳士の一人がおっしゃる。それは何ともいたましい。これほど美しく、これほど利発に見える御令嬢を、その年ごろで吉原の女郎にしてしまうのは、無惨としかいいようがない」
「……」
「そして自分は、久佐賀先生と知り合いの、南洋で貿易商をやっておって、ただいま商用で帰国中の村岡茂平次という者だが、シンガポールという町の、あるイギリス人の大貿易商が、日本と商売するについて、日本人の女秘書があると甚だ好都合だ。もしミスター・ムラオカが帰国中、それにふさわしい娘があったら、是非連れて来てくれ、と頼まれたのだが、見たところ御令嬢がそれにピッタリだ、といわれる。――」
「……」
「十五か、いや十六になったか、そんな娘が南洋へ――またイギリス人の秘書なんて大それた――英語も知らんのに、と、こちらが驚くと、いや、十五、六というのが向うの希望なのだ、それ以下では幼な過ぎて扱いに困る、それ以上では言葉をおぼえにくい。それくらいがちょうどいいのだ、これからじっくり英語を勉強させて、二十歳《はたち》ごろになればいい秘書になるだろう、という見込みだそうで。――」
「……」
「そして、いい娘が見つかった場合の支度金として五百円預って来た。それをここでお渡ししておこう、と、五百円の札束を鞄からとり出された」
「……」
「遠い海の向うの南洋へ、と心配なさるか知らんが、いま支那と戦争しとるように、日本はこれから海外にどんどんひろがるようになる。それにまた日本と商売するための秘書だから、年に何回か日本へ来てもらうことになるだろう。……何にしても、女郎になるよりゃましだろう、と村岡さんはいわれる」
「……」
「樋口さん、わしはその最後の言葉に負けた。ほんとうだ、たとえ村岡さんのいうほどうまい話じゃないにしても、女郎になるよりはまだましだ、と、わしは考えた。そして、承知した」
「ああ!」
一葉は、やっと声を出すことが出来た。
「いけません。……それは、いけません!」
「な、なぜ?」
「いまのお話、何とも間がよすぎる話だとお思いになりません?」
「と、いうと?」
「その村岡という人は、貿易商人なんかじゃありません。南洋であちこち女郎屋をひらいてて、女の仕込みにいま日本に帰ってる人だそうですわ。いわば、人買い商人。……」
「樋口さん、あんた、あの村岡って人を知ってるのか」
「いえ、話したこともありません。ただ、ある人からそう聞いたのでございます。……でも、まさか、それがこちらにやって来ようとは思いませんでした。……」
一葉はあわてていた。
「それより、稲葉さま、その支度金をもうお受取りになったのですか?」
「もらった。受取り証文まで書いた」
「とにかくそれは、お返しになったほうが。――」
「それが。……」
稲葉寛も妻のお香も、顔色を変えていた。
「けさ、吉原の弁天屋から迎えの人が来た。きのう美登利が帰らんものだから、呼びに来たんだ。そのとき、美登利は養女の約束でお渡ししたので、女郎に売ったのではない、といって……その五百円から、いつか身請けの金としてもらった三百円に、わび代として五十円加えて返してやった。向うは怒ったが、とにかくそれを受取って帰っていった。……」
寛はふるえながらいった。
「だから、その三百円……いえ、三百五十円ですか、それを埋め合せねば、やっぱり美登利をその村岡氏に渡さなければならんことになる。――」
お香が、すがりつくような眼で一葉を見た。
「お夏さん、それはほんとうですか。村岡さんという人が、人買いだとは。……」
「ほんとうだと思います」
と、一葉は答えた。ただ涙香から聞いたばかりではない。今にして思えば、曲馬団桟敷席でのあの男たちの会話からしてもそう認めないわけにはゆかない。
一葉は尋ねた。
「それで、その人たちは、いつ美登利さんを連れてゆくというのでございます?」
「さ、そのことだ。その村岡氏が十七日には船に乗るので、少くとも十五日には迎えに来る。それまでに支度しておいてくれ。もっとも冬でも暑いところへゆくのだから、裸でもいい、と笑っていわれたが。――」
「きょうは五日」
あと十日しかない。
「美登利は死ぬわ」
と、美登利がいった。
「まだ弁天屋に帰るほうがよくってよ。そんな、南洋へゆくなんて――私は死ぬわ!」
彼女の歯は小さくカチカチと鳴っていた。――
美登利は、自分がシンガポールとやらへいってイギリス人の秘書になる、などいう話に漠然と不安をおぼえて一葉を呼んだのだが、いま一葉に新しい事実を知らされて、改めてふるえはじめたのであった。
吉原の花魁になったほうがまだましだ――と、美登利はいった。そのことを哀れと見ていたが、こうなると一葉もその言葉にうなずきたくなる。そういう運命の娘たちは、彼女もいままでたくさん身のまわりに見て来たのだ。それは、いたましいけれど、このころの憂き世のならいでもあった。
しかし、人買い商人によって海の外へ連れ去られるというのは、これはまったく次元を異にする。
人のいい稲葉夫婦は、苦しまぎれとはいえ、軽率にも娘を、さらに悪い運命の穴へ移し替えたものといわなければならない。
「とにかく、さし当って三百五十円を作らなきゃなりませんわね。……」
一葉は、襟に手をさしいれてつぶやいた。
稲葉寛は、首すじをなでまわした。
「いや、実はそれだけじゃない、大《おお》晦日《みそか》にも払えなかった借金、その他以前からのもろもろの借金、合わせて七十円ほど支払ってしまったんだ。……」
すると、かれこれ支度金としてもらった五百円の大半が、あっというまになくなってしまったことになる。――
それを笑うことも責めることも、一葉には出来なかった。そういう貧乏人のやりくり、はいった金の消滅ぶりは、それほど大きな金額ではないにしろ、樋口家でも年がら年じゅう思い知らされていることだったからだ。いわゆる火の車というやつである。
「夏子お姉さま、美登利を助けて!」
美登利はしがみついた。
「こんどこそ、助けて……お願い!」
弟の正朔も、べそをかいていった。
「ね、ぼくが陸軍大将になったら、きっと返すから、美登利お姉さんを助けておくれよ、ね、ね。……」
一葉はわれを忘れ、涙声を口からもらしていた。
「何とかします。ええ、私が何とかしてあげますとも。……」
水の上日記
稲葉寛によれば、埋め合わせなければならない金は四百二十円。
それは一葉にとって、天外の金額であった。いままで金を借りたのは何十ぺん、何百ぺんあるか知れないが、それも多くて十数円、ふつうは何円か、ときには何十銭という金で、それでももう借りる相手を見つけるのに難渋するありさまであった。ひとのために金を借りるどころか、樋口家自身が例によって危急を告げている。
一葉は当惑し、焦躁し、はては身分不相応な約束を口走ってしまったことへの自嘲にさいなまれた。
いちど、黒岩涙香に依頼された探偵小説のことを、ふっと考えたことがある。あれを、書くといって原稿料を前借しようか、と思ったのである。が、原稿料を前借することはなるべく遠慮したい、一歩ゆずって前借するにしても、それには何らかの小説の目算がなければいい出せない――それが「身持ちのかたい」一葉に固着した習性であった。
しかし、探偵小説の筋立てなど、薄雲ほども浮かんで来ない。
あるのは――ただ「たけくらべ」の物語だけだ。
しかし、このほうは次回分を書いたところで――この前の分と合わせても、十円前後の稿料にしかならないだろう。
そうと知りつつ――現実に四百二十円の金に苦しむ少女の運命に思い悩みながら――しかしまったく別の世界の――色町の祭の夜の「美登利」が、一葉の頭の中を哀艶に駈けてゆく。
「打つや鼓のしらべ、三味《しやみ》の音色《ねいろ》に事かかぬ場処も、祭礼《まつり》は別もの、酉《とり》の市を除《の》けては一年一度の賑ひぞかし、……」
彼女が筆を走らせる経机のすぐ前の障子をあけると、そこは崖からしたたり落ちる水がたまった池であった。それで一葉は、自分の書く日記の題を、「水の上日記」とつけていた。
あれ以来彼女は、自分の暮しはおろか気持までが、暗い冷たい水の上にあるような気がしていた。
八方ふさがりからの逃避が、作家に、それゆえに現実以上に生動した別世界を創造させることがある。「たけくらべ」は書きつづけられた。
ただ、金の工面の点では日は空しく過ぎた。
十日を過ぎて、一葉はわれに返った。むろん、忘れていたわけではない。何とかしなければならない。あの美登利を人買いに渡してはならない。
人には、追いつめられてはじめて出る智慧がある。第三者の眼には狂気の沙汰としか見えないが、当人にはいかにも可能性がありそうに思われる智慧が。――
そのとき一葉の頭にひらめいたのは、稲葉家に五百円与えた人間に直接に逢う、ということであった。
逢って、彼に、なにぶんの御慈悲をお願いするのではない。嘆願して、それで向うが五百円の返済を猶予してくれる――そんなことがあり得るとは、一葉も考えていない。金というものがそんな甘いものでないことは、むろんいままで鋼《はがね》を肌にあてられるような体験で知っているし、また特にあの連中がただものでないことは、ちらっと見ただけの印象でもよくわかる。
あの連中――それも一葉は、人買いの村岡たちでなく、久佐賀義教という人間に逢おうと思い立ったのだ。
彼女の耳には、突然、涙香が、久佐賀が占いだけではなく、高利貸しや相場もやっている男だ、といったことが、ふっとよみがえって来たのであった。
五百円という金がだれから出て来たかは問わない。稲葉方の使者としてその返済猶予を乞うのではなく、一葉は自分個人として金貸しの久佐賀から金を借りることを決心したのだ。
まるで虎穴に入るようなムチャクチャな思いつきだが、それは五百円ちかい大金を借りるあてがほかにまったくない、というところから来た苦しまぎれの智慧であった。
しかし、こちらには何の担保も一人の保証人もない。いったい、久佐賀が自分に金を貸してくれるだろうか。
またもし、かりに貸してくれたとして、そのあとをどうするのか。
それは自分の機略次第――やりかた次第だ、と一葉は思案した。
「ものつつみの君」と呼ばれる女性にしては、一見まさに狂気の沙汰だが、一葉は、かつて十五歳のとき、いならぶ淑女たちの前で昂然と赤壁賦《せきへきのふ》を詠んだ気鋒を、まったく失ってはいなかったのである。
一月十二日の昼前、鉛のような雲の下を、彼女は本郷真砂町に出かけた。
久佐賀義教の屋敷はよくわかっている。
本郷あぶみ坂の上に、「天狗顕真術会本部」と書いた板が、雨露にさらされて立っていた。その前を通りかかると、久佐賀の屋敷のほうから、一人の紳士がやって来て、
「おう、こりゃまた、樋口さん。――」
と、呼びかけて来た。
黒岩涙香であった。
「どこへゆきなさる」
「天狗顕真術会本部へ」
「なんですと?」
涙香は眼鏡の奥で眼をまろくして、
「いや、私もいま訪問したのですが、久佐賀氏は――例の村岡たちも――留守ですぜ」
と、いった。
張りつめていた一葉の気力は、急に萎えた。
「そりゃそうと、どうしてまあ、あなたがあそこへ?」
涙香はけげんそうにまた尋ねた。先日、警戒するように、といったはずなのに、という眼であった。
めざす人間が不在と聞いて、気力が萎えるとともに一葉は、改めてこの相手にすがりつきたい衝動にかられた。決して訪問したい対象ではなかったのだ。
「黒岩さま。……実は、来たのでございます」
「え、何が来た?」
「先日の曲馬団見物のとき、私の連れておりました娘さんの家へ、久佐賀、村岡とおっしゃる方々がおいでになって、あの娘を買いたいと、五百円を置いてゆかれたそうでございます」
「な、なに?」
涙香は眼をむいた。
「その件について、ちょっと久佐賀先生にお話し申しあげたいと存じまして。――」
涙香はなお一葉の顔をじっと見ていたが、
「私も話を聞こう。そんな話なら、私にもちと責任があるかも知れん。……しかし、この寒さの中の立ち話はかなわん」
と、まわりを見まわし、
「そうだ、この近くにちょっと知っとる店がある。ちょうどお昼だ。そこで飯でも食いながら聞くことにしましょう」
と、いった。
そして、彼が少しひき返し、路地をはいって、一葉を連れていったのは、例のけやき茶屋であった。けやき茶屋は、久佐賀の屋敷の隣りといっても、裏手に当るのだ。
「久佐賀のところへ来出してから、偶然知った料理屋でね。なかなかいい店だ」
と、いって、茅ぶき屋根の風雅な門をはいる。門には「けやき茶屋」という看板がかかっている。字は勝海舟だと先日聞いた。
すると、玄関近くの竹林で――けやき茶屋そのものが三方をふとい孟宗竹に囲まれている店であったが――男衆に竹を切らしていたおかみがふり返り、
「いらっしゃいませ、黒岩さま。――」
こぼれるような笑顔で近づいて来て、一葉に眼をやり、まばたきした。見おぼえはあるが、思い出せない、といった表情であった。
「暮の萩之舎の納会の節は」
と、一葉はお辞儀した。
「お助けいただいて、ありがとうございました」
珍らしく、それだけの挨拶に、一葉の声はうるんでいた。
「ああ、あのときのお嬢さま。――」
おかみはまた笑顔になった。優雅な、気品のある顔が、笑うと紅梅のようにあでやかだ。
涙香は眼をパチクリさせた。
「なんだ、知っとるのか」
「いえ、ちょっとこの間。……どうぞ、おあがり下さいまし」
先に立つおかみは、両手に一尺くらいのふとい青竹をかかえている。涙香がのぞきこんで、
「何だね、それは?」
と、訊いた。
「いえ、花活けを作ろうと思いまして」
「お前さんがか」
「はい」
涙香は感心したように相手の横顔を見た。
「お前さん、ほんとうに料理屋のおかみにはもったいない趣味人だねえ。……」
ここの昼はうなぎ飯が名物だそうな。
それが出て来るまでに話を聞いて、稲葉家が金を受取ったいきさつまでは心配そうな表情をし、稲葉家と一葉のかかわりあいには同情の顔を見せていた黒岩涙香は、さてそれとは別に一葉が、久佐賀義教に借金を申し込むためにいまゆこうとしていたところだ、というのを聞くに及んで、
「で、いくら借りようといわれるのか」
と、尋ねた。一葉は、
「五百円」
と、答えた。涙香はあっけにとられた顔をした。
「その人買い用にもらった金について慈悲は願わない。まったく別個にあなた個人が借りるとおっしゃるのだね」
「はい。……まだそのほうが見込みがありそうな気がいたしまして」
「なぜ」
「ただ、なんとなく」
「何に使う金だというのです」
「私一人が相場を張る金にしたい、というつもりでございました」
「あははははは!」
と、涙香は笑い出した。
二、三分もつづく大哄笑で、ちょうどそのとき、うなぎ飯を運んで来たおかみと女中が、あっけにとられたように見まもったほどであった。
「お若いに似ず、相当世故にたけた女子衆《おなごしゆ》じゃと思っとったが、やっぱりお若いなあ。……」
と、涙香はいって、おかみに気がつくと、そちらに顔をむけて訊いた。
「おい、おかみ、隣りの大将は、女に甘い男かね?」
「久佐賀さまでございますか」
「うん」
「女に甘いか、どうか、など、そんなことは。……」
涙香は一葉に眼を戻し、
「樋口さん、このおかみさんにいまの話、聞かせていいか?」
「――はい!」
ためらいもなく一葉はうなずき、それどころか、訴えるような眼でおかみを見た。実は彼女は、涙香よりこのおかみのほうに話を聞いてもらいたいような気がしていたのだ。
「お給仕は私がしますから」
おかみは女中を去らせた。
涙香は、彼だけつけてもらった一本を、飯前にやりながら、一葉から聞いた話をした。「……まあ」そんな声を、おかみは何度かもらした。
「……で、そういう次第で、この樋口さんが、久佐賀のところへ乗り込んで金を借りようというのだが、あれが貸してくれると思うかね?」
「あの……実は私、久佐賀さまをあまりよく存じあげていないのでございます」
と、おかみは当惑したようにいった。
「なんだ、隣りにこんないい店がありながら、あれはここに来んのか」
「いえ、それは、二、三度はいらして下さいましたけれど、そうそう、いちど、やはり隣りじゃ料理屋気分が出ないな、と笑っておっしゃったことがございましたっけ。左様でございます。ここ一年ばかりは、何かのはずみで外でお見かけしたとき、目で御挨拶いたしますくらいで。……」
「じゃあ、あの村岡たちも知らんのか」
「はあ。……ただ……」
おかみは気の毒そうに一葉を見た。
「それはお嬢さま、およしになったほうがよろしいのじゃございますまいか?」
うなだれていた一葉は顔をあげた。
「……やはり、久佐賀さまはきいては下さらないでしょうか」
「いま申しあげたように、こちらは久佐賀さまをよく存じあげないのでございますけれど、そんなお話では……たとえ久佐賀さまでなくても、どなたでも……担保も保証人もなく、五百円貸してくれる男の方は、この世にいらっしゃらないのではございますまいか?」
けやき茶屋のおかみは、この場合、ほのかに笑いさえした。
「あなたさまのようなおしとやかなお嬢さまが、まあ、相場をおやりになるなんて……御名目としてもおかしゅうございますわ。……」
お嬢さま、と呼ばれることに抵抗はおぼえるが、それを気にしている場合ではない。
あなたの思いつきは論外だ、と、いわれて――いったのがおかみであったことに、涙香にいわれたより一葉はショックを受けた。
「まあ、それが常識というもんだろうね」
と、涙香はいう。
「そんな馬鹿な行為はやめなさい」
そして彼は、パクパクうなぎ飯を食い出した。おかみはしずかにお茶をいれている。
「こいつが冷めてはだいなしになる。樋口さん、お食べ」
「はい。……」
一葉は思いつめた眼をむけて、
「わかりました。黒岩さま。それでは別の御相談がございます」
「何ですか」
「あの……先日お話しの探偵小説、あれを書かせていただきたいと思いますが。……」
「やあ、それはありがたい。で、いつごろ出来ますか」
「いえ、いつごろといわれましても……ただ、お約束するだけで……」
一葉は顔をあからめた。
「稿料を前借させていただけないものでございましょうか?」
「いかんねえ。万朝報は原稿料の前借というものはやらんことにしておるんです。特に小説家にはね。いままで稿料を前借させて、約束通り書いた小説家は一人もおらん」
「いえ、私は……」
「それは小説家のためにもならん。原稿料を先にもらうと、すぐに使っちまい、そのあと原稿を書くのが馬鹿らしくなるらしい。樋口さん、まだお若いのにそんな癖をおぼえちゃいかんよ」
涙香はうなぎ飯をかかえたまま、眼鏡ごしにじろっと見て、
「それはあんたに是非書いてもらいたい。しかし、稿料は、実際にそれを見せてもらってから払います」
と、実に因業な顔つきをした。
「それに、樋口さん、前借といって……まさか私に五百円貸せというんじゃあるまいね?」
「私はあの娘さんに、助けてあげる、と約束したのでございます。いま、あの子を助けるためには……」
「そんなことは、私にゃ関係ない」
そういって、涙香はまたうなぎ飯をパクパク食い出した。――
感情をかくすことに馴れた一葉だが、それでも彼女は、このとき思わず知らず、にくらしそうに涙香をにらんだ。
それはむろんこの相手が自分の希望を叶えてくれないという、借り手の身勝手な怒りにちがいないが、一葉の場合はそれだけではなかった。一葉にはもともとどこか姐御肌《あねごはだ》の一面があって――もう少し生きていて、金銭的にも余裕が出来ていたら、それがもっと鮮やかに出て来たろうといわれている――一種の侠気の持主であった。それだけに、他人にもそれを期待する心情があったのだ。
「それともあなた、最初に久佐賀たちがその娘さんに眼をつけたきっかけを、私が作った責任があるとでも思っとるのかね」
涙香は、からになった重箱をおいた。
「しかし、あとで私は警告した。にもかかわらず、彼らから五百円もらったのは、そりゃ親のほうが馬鹿なんだよ。――こんどは、あなたのために忠告する。私の考えでは、この事件はあなたにも関係ないことだよ」
いつのまにか、一葉に対する言葉づかいも変っている。
「その娘さんは気の毒だ。しかし気の毒だからといって、力のない人間が救おうとすりゃ、どこかに無理が生ずる。……あなたが久佐賀のところへ乗込もうとか、探偵小説を書く気もないのにその稿料を前借させろとかいい出したのがそれで、常識から見ればきちがい沙汰だ」
清水《きよみず》焼きの湯呑を受取りながら、
「ええ、おかみ、どう思う?」
と、訊いた。
一葉はおかみを見た。訴えるつもりはなかったが、一葉の眼には無意識の訴えがあった。
一葉はこの前のことを忘れていない。ここで自分が満座の中で貧しさゆえの辱しめを受けたとき、自分をかばって、辱しめた相手にキッパリ一矢をむくいてくれたおかみを。――
なんというみごとな女性がいるものだろう、と、あのとき彼女は感動した。もし、このおかみが男性であったら――少くとも料理屋のおかみなどいう立場の人でなかったら、こんどの問題に際して、まず相談相手にこの人を思い出していたにちがいない。
この人に、いま自分が必要としている金を与えてくれ、などとは考えていない。けれど、せめて黒岩涙香の非情な常識に、何かひとこと異をさしはさんでもらいたい。――いや、それすらも願わないが、このときおかみを見た一葉の眼には、漠としてそのひとの侠気を期待する訴えがあった。
しかし。――
一葉を見て、けやき茶屋のおかみはしずかに首を横にふった。
「ほんとうに、私も黒岩さまのおっしゃる通りだと思いますわ。……ね、およしなさいませよ、お嬢さま」
一葉からすれば、見そこなったという感じはいなめない。
一葉虎穴に入《い》る
うなぎ飯には手もつけず、うなだれて、一葉はけやき茶屋を去った。
あくる日、十三日の午後、彼女はまた真砂町へ出かけた。
十五日には美登利が連れてゆかれてしまう。それまでに何とかしなくちゃいけない、という焦躁があった上に、彼女自身の意地もあったのである。
その日、一葉があぶみ坂を上ってゆくと、鉛色の空から雪がチラチラ落ちて来た。
めざす家は、左右に長い黒板塀を張り、門には大きく「天狗顕真術会本部」という大看板がかかっている。
さすがに一葉の胸はとどろいた。
玄関で声をかけると、つきあたりの障子を五寸ばかりあけて、弟子らしい若い男の顔がのぞいた。
「あの……この本郷の丸山福山町に住んでいるものでございますけれど、久佐賀先生にちょっと御相談申しあげたいことがございましてうかがいました。お客さまのいらっしゃらないときにおめもじ願いとうございますが、いつごろ参上したらよろしゅうございましょうか、お取次して下さいまし」
「御鑑定ですか」
「いえ、そうではございません。ただお願いしたいことがございまして」
相手は妙な顔をして、
「お名前は?」
「はじめてこちらにおうかがいした者で、名を申しあげてもしかたがないと存じますけれど、樋口|夏《なつ》と申します」
男は消え、五分ばかりしてまた出て来た。
「あなたは運がいい。先生はきょういま、会って進ぜると申しておられる。どうぞ、おあがり」
一葉は上り、折れ曲った長い廊下を案内されていった。
と、庭に面した廊下沿いに、雪が舞っているというのに障子をあけはなって、四、五人の男が掃除している大広間のそばを通りかかった。みな白衣に水色の袴姿だが、こわいような壮漢ばかりだ。それより一葉は、その部屋の異様な景観に眼を見張った。
三方の壁いちめんをびっしりとすきまもなく埋めているのは大小無数の――大きいのは等身大のものもあった――真っ赤な天狗のお面であったのだ。そして、正面に金色の祭壇らしきものがあり、たしか「天狗顕真」と書いた掛軸が見えた。
「ここが、占いの……?」
と、一葉が尋ねると、弟子は、
「左様。いま掃除中なので、先生はあちらでお会いになる」
と、歩きながら答えた。
一葉はいつか、けやき茶屋のおかみが、「なんでも天狗がとり憑いて、それが占いをするとか。――」と、つぶやいたことを思い出した。天狗がとり憑くとはどういうことかよくわからないけれど、あの三方天狗のお面に埋まった部屋で占いを受ければ、占う人より占われる人のほうが先に天狗にとり憑かれるような気持になるにちがいない、と彼女は考えた。
世の中はふしぎなものだ、と、つくづく思う。
こういうえたいの知れぬことをやって、これだけ宏大な屋敷をかまえる人があり、またそういう人のところへ、自分が哀願に来なければならないのだ。
いや、哀願ではない。一騎打ちだ。
この相手を、ただコケオドシで世を瞞着している人間とは思わない。やはりそれなりに、何かの力を持っている人物に相違ない。
ここへあわや捕われようとしている一少女を救うために、自分は乗込んで来たのだ。――身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、というのが一葉の覚悟であり、心境であった。緊張に蒼ざめて、彼女はいま渡り廊下を導かれてゆく。
「――敷《しき》つめたる織物の流石《さすが》に見にくからず、十畳|計《ばかり》なる処に書棚ちがひ棚黒棚など何処《いづこ》の富家よりおくられけん見る眼まばゆし。……」
と、あとで一葉は日記にその部屋の情景を書く。
一方のガラス窓を通して、向うに欅《けやき》の大木が見えた。高い裸の梢に、依然雪が舞っている。
あれが、いつかけやき茶屋の二階から見た欅だろう。ここがあのとき見えた離れ風の部屋にちがいない。坐った場所を移せば、けやき茶屋が遠く見えるかも知れない、と、ちらっと考えたが、むろんそんなことをしている場合ではない。
「床《とこ》を背にして大きやかなる机をひかへ火鉢の灰かきならし居《を》るは其《その》人ならん。年は四十|計《ばかり》にや、小男にして……」
久佐賀義教は、ひたいが禿げあがり、銀ぶち眼鏡をかけ、八の字の髭をはやしていた。骨相にいやしいところがあるが、眼鏡の奥からじいっとこちらを眺めた眼には、さすがにただものではない光があった。彼一人だ。人買いの村岡某々たちはいない。
その眼の光が、ふいにゆれて、
「はて、あんたは?」
と、さけんだ。
「先日、回向院の曲馬団で……」
「おぼえていて下さいましたか」
と、坐りながら一葉はいった。
久佐賀はしばらく黙り、やがて口を切った。
「ははあ、あんたが来られたのは、あの件についてかな」
「稲葉美登利のことをおっしゃるのでございますか」
「左様。――ちがうのか?」
「あの件について、のようでもあり、そうではないようでもあり――」
久佐賀はけげんな表情をした。
「と、いうと?」
「私個人の相談で参りました、と申しあげたほうがよろしいかも知れませんわ。……」
いよいよ妙な顔をする久佐賀に、一葉はいった。
「でも、その前に、やはり稲葉美登利の件についておうかがいしたいことがございます。……いったい、どうしてまあ、あの子に眼をおつけになったのでしょうか?」
「さ、それは」
久佐賀はややうろたえ、すぐに、
「それはわしの顕真術により、あの娘に近い将来、男に苦しむ相が現われておることが明らかになったからじゃよ」
それはまさに的中していた。あれには一葉も内心驚いた。しかし。――
「でも、そればかりではございますまい。あとで、何か、美登利を南洋のイギリス人とかに売られる話を持っておいでになったそうでございますが。――」
彼女の判断によると、それが彼らの目的で、「男難」の相云々はそのための手管だったのではないかという疑いがあった。が、どうして美登利をそんな突飛なことの対象にしたのか、そのためにわざわざあとをつけて稲葉家にやって来るほどなぜ見込んだのか、それがふしぎでならなかったのだ。
「売る?」
久佐賀はとんきょうな声をたてた。
「売るとは、人聞きの悪いことをいう。売るのではない、周旋じゃ。あの娘が吉原の女郎にされると聞いて、それよりはと、親切気から持ち出した話じゃ。むしろ向うにとって、これは天の助けじゃないか。……」
一葉は黙って相手を見つめている。
きれながの眼は、「たけくらべ」「にごりえ」の作者の眼であった。
そんなことは、むろん久佐賀は知らない。しかし――最初弟子が取次いだとき、若い女が個人相談にやって来たということに、ふと不謹慎な好奇心を起して通せといったのだが、いまやっと、この女がただありきたりの女ではない、ということを感触したようだ。
「あんたは、あの娘の何にあたる人だ。そして、何というお名前だ」
と、改めて訊いた。
実はあのあと久佐賀らが稲葉の陋屋《ろうおく》を訪れた際、曲馬団見物席で美登利といっしょにいた女がいないので、あれはだれだったのかと尋ね、その答えも聞いたのだが、要するに他人だと知ってそれきり忘れていたのだ。
「恐れいりました。実は私の母が、御一新前あの稲葉さまが御大身でいらしたころ、乳母にあがっておりました御縁で……私、樋口夏と申します」
一葉は三つ指をついてお辞儀した。
「いわば御主筋にあたりますおうちでございますので、そこのお嬢さまが人買いに買われると承わっては捨ててもおけず、こうしておしかけて参った次第でございます」
「ああ、そういうことか」
久佐賀はうなずいた。
「その、何じゃ、南洋ゆきの話は、わしの友人の村岡という男が持ち出したことだ。左様、あんたがここへ来た以上、稲葉のほうから聞いたじゃろ。村岡はシンガポールで貿易商をやっとる男だが、そこのイギリス人から、十五歳くらいの日本の娘をゆくゆく秘書に養成したいからと頼まれて、その条件に合う娘を物色中、たまたまあの娘が眼についた、というわけじゃて」
一応それなりに筋が通っている。
けれど、そんな話はまるきり嘘で、ただの人買いだとしたら、なぜ美登利に眼をつけたのか、依然としてわからない。
「その村岡さまは、いまこちらにいらっしゃいませんの?」
「村岡は」
と、いいかけて久佐賀義教は、ふと何か思い出した表情になり、
「いま、外に出かけとる」
と、いって、なぜか薄く笑った。
「あんた、また娘が人買いに買われるとか何とかいったな。それじゃ、村岡がどういう人間か、もう知っとるな。だれから聞かれたか」
一葉が黙っていると、
「ああそうか、あんた黒岩涙香と知り合いらしいの。黒岩からか」
と、彼は思い当ったようだ。
「しかし、何にしても稲葉家のほうじゃ、五百円を受取った。その受取証文もちゃんと村岡の手にある。いまさら、娘を渡すことはかんべんしてくれといっても、その金を返しでもせんけりゃ通らん話だろう」
「わかっております」
一葉はうなずいた。
「稲葉家のことは気になりますけれど、実は私の力の及ばないことだと考えております」
それから、眼をあげていった。
「ですから、必ずしもその件についてではなく、私個人の願いごとでうかがいましたと申しあげました」
「お、おう、そういわれたな。そりゃ何です」
「突然、こんな身の上話を申しあげては何でございますが……六年ほど前、父が亡くなりますまでは、私もまず人並みの暮しをさせていただいて参りましたけれど、父が亡くなりましてからは、年よった母と妹をかかえ、まるで荒波の中をただようような日々を過して参りました」
一葉は訴えはじめた。
「実は私、歌道で身を立てようと思い、ゆくゆくは歌塾をひらくのを夢としておりましたけれど、それも思うにまかせず、とにかく生計《たつき》の道を立てるのが先決だと、おととしから一年ばかり、下谷の貧しい町に、商いともいえないほどの小店《こみせ》を出して見ましたが、馴れぬこととてそれもうまくゆかず、ただいまは母に満足な食事も与えかねるような暮しをしております」
「それは、それは」
と、久佐賀はいったが、狐につままれたような顔をしている。
「これで私の一生は終るのだろうか、それでは私の一生はいったい何だろう、と考えると、胸がしめつけられるように痛み、夜半目ざめて眠れないことがしばしばございます」
「なるほど」
「けれど、このままこうしておれば、いつまでたっても同じことでございます。いえ、文字通り窮死のほかはございません」
一葉の眼にはうっすら涙が浮かんでいた。
「そこで私は考えたのでございます。ここで運を天にかけ、世にいう相場というものを一つ張って見ようと。――」
「相場?」
久佐賀は眼鏡の奥で眼をまんまるくした。
「あんたが、相場を?」
笑い出しかけた表情は、その気配だけでとまった。自分を見つめている女の眼が、真剣を通り過ぎて狂的な光さえおびているのを認めたからだ。……萩之舎の令嬢たちが、こんな一葉を見たら、びっくり仰天したろう。
「はい、相場を」
と、一葉ははっきり答えた。
「相場といっても、英雄豪傑でなければやれないものでもございますまい」
「そ、そりゃそうだが、しかし」
と、いったとき、弟子の一人が声をかけて襖をあけた。
彼は報告し、久佐賀は応答した。それは大阪の米相場の高下をいま電話で伝えて来たものの報告で、久佐賀の答えはそれに対する指示であった。用語はともかく、そのことは明らかに一葉にもわかった。どうやら、こういうことはしょっちゅうらしい。
弟子が去ると、一葉はひざをすすめた。
「先生、そうは申しましても、私に相場を張るお金などあるはずもございません。――窮鳥|懐《ふところ》に入《い》る、と、おぼしめして、先生、私にその資本《もとで》をお貸し下さいますまいか?」
――馬鹿げたことを!
本来ならそう一笑すべきところを、久佐賀義教は一笑しなかった。それはいま、自分が相場に関係していることを見られたせいか、それとも、この突拍子もないことをいい出した女自体に興味を持ったためか。――
「いくらな」
と、訊いた。
「千円」
と、一葉は答えた。五百円を倍にして吹っかけたのである。
一騎打ち
それは金貸しをやっている久佐賀にとっても、大金であったろう。――さすがに彼は、呆れた眼で相手を眺めた。
「お気持はわかった」
ややあって、彼はいった。
「しかしな。相場はなるほど英雄豪傑でなくてはやれないものじゃないが……しかし、人間には持って生まれた天分というものがある。たとえ福禄があっても、秀吉家康の福禄と西行芭蕉の福禄はちがう。……顕真術によって拝見したところ、あんたにはたしかに福禄がある」
しげしげと見まもって、
「しかし、それは金銭の福禄ではない。あんたは、こういっちゃ何だが、女には珍らしいほどの才あり智あるお人と見受ける。が、惜しいかな、望みが大き過ぎて破れるかたちがある。そういうたちの人に、売買相場の道はあぶない。やればしょせんは破綻して乞食になるだけじゃろう」
「乞食――それはいまでも――」
一葉は苦笑した。
「いえ、先生、人間はだれでも、死ねば何もかも無に帰するのでございます。たとえゆくすえ、破れて道ばたに伏す乞食になっても何でありましょう。……ただ、その乞食になるまでの道中を作りたい、と私はもだえているのでございます。その道中に花を敷きたいのでございます。先生、私にその道を作って下さいまし。それとも私などは、しょせんどぶどろの中に生まれて死んでゆく虫のような天命だとおっしゃるのでございましょうか?」
「そんなことはいわない。ただ相場などやる人ではない、というまでじゃて。あんたは、左様、雪月花の中にいのちをたのしむべき天性の女人《によにん》と見受ける」
「雪月花をたのしむ――それはその通りでございます!」
一葉は思わず、さけぶようにいった。ほんとうにその通りであった。ああ、ただ花を眺めて暮せたら。――彼女の顔はゆがんだ。
「でも、そんなことは、いまの私にとっては夢のような」
「そんなことはない。その境涯で安心立命出来るなら、いまでもあんたにはその道がある」
「それは、どうすれば?」
おほん、と、久佐賀は咳を一つした。
「ところで、あんた、もしわしが千円貸すとしたら、どうなさる?」
「どうなさる、とは?」
「金を借りるにゃ抵当《かた》というものが要る。いくら何でもあんたもそれくらいのことは御存知だろう」
「――はい!」
「それが、ないね?」
「はい!」
「だから、どうなさるおつもりだったと訊いておる」
一葉はうなだれた。身体が細かくふるえている。
それを見つめている久佐賀義教の眼鏡の奥の眼に、次第に笑いが浮かんで来た。あきらかに、好色の笑いであった。
一葉は一見目立たない女であった。それは貧しい衣服、化粧一つしない顔、そしていかにも病身げな蒼白い肌などのせいで、容貌そのものはまず十人並といっていい。しかも、大勢の女の中では影のように見えるだけだが、一対一で向い合っていると、相手におやと思わせ、さらに次第に相手をとらえる力がたしかにある。それは彼女の気力と頭の冴えが透き通って来る印象からであった。
久佐賀義教も、話しているうちに、一種変った魅力をこの女に感じて来たのだ。この女は、たしかに賢い。しかも、いかにも理智的な口のききかたをする。――こういう女を抱いたら? ああしてやったら、こうしてやったら? と、さまざまけしからぬ空想をめぐらすと、眼前の、まるで御一新前の武家の娘のような女人とその空想との違和感が、ひとひねりひねった欲望の炎をあげはじめたのであった。
いや、賢くて理智的で、武家の娘のような女にちがいないが、さっきからの眼のかがやき、おさえている息づかい、そして蒼白い頬にいつしか血の色さえさして――これは本気だ。相場をやるから千円貸せとは正気の沙汰ではないが、決してからかいに来たのではない。まさに正気だ。
千円、と吹っかけた金額の中には、ひょっとすると、まだあの稲葉家の娘とやらをどうとかするつもりで、その勘定をふくんでいるかも知れないが、とにかくこの女は本気で金を欲しがっているのだ、と久佐賀義教は読んだ。
さっき、窮鳥が懐にはいったと思ってくれ、とか何とかいったようだが、こちらは、飛んで火にいる夏の虫、と心得ている。あばずれ女なら知らず、こんなたちの女が手にはいる機会など、めったにあるものではない。
一葉は顔をあげていった。
「抵当《かた》は、私一身でございます」
「ははあ、あんたの一身をな」
久佐賀義教は笑った。ニタリ、という感じにならざるを得ない。
「そこまで覚悟していなされば、それ、あんたがお望みの、花よ月よと浮かれている生活くらいは出来る」
「――え、そうおっしゃいますと?」
「どうじゃな、失敬だが、左様、毎月二十五円くらいなら、御援助出来るが」
「ただ、ただで御援助下さるのですか」
「ただということはない。あんたの一身をわしにまかせるという条件でじゃ」
「それは……妾《めかけ》になれということですか」
一葉の顔は紅潮した。
――もっとも一葉は、事と次第ではこれくらいの問答になることは予想しないでもなかった。しかし、それは自分の応対次第で何とか切りぬけられる、と考えていた。自信があるわけではない。刀の刃渡りのようなかけひきになるだろうが、何とかして切りぬけなければならない、と考えていたのだ。
が、果せるかな、といおうか、想像していた以上に露骨に、といおうか、いま相手からその条件の確認を求められて、彼女は全身がかっと熱くなるのを禁じ得なかった。
その銀ぶち眼鏡、そのもったいぶった髭、見るからに下司《げす》なその風貌。――覚悟はしていたのに、一葉は吐気がして、身ぶるいした。
いや、どんな男だろうと、妾になる、などいうことは金輪際出来ることではない!
おそらく自分自身の窮迫のためのこんなやりとりであったら、おそらくわれを忘れて彼女はここで席を蹴立てて去ったろう。――助ける目的が知り合いの一少女であったことが、かえってこの際一葉にまだ一応のかけひきの余地を残した。
ここで事を破ってはならない。少くとも五百円という金は、どうしても手にしなければならない。
「はて、一身を抵当《かた》にするとは、そういう意味じゃなかったのかね」
相手はあごをつき出し、上眼づかいでいった。
「一身とは、私という人間のすべて、という意味でございます。身体ばかりではございません」
と、一葉はいった。
「私の持っております心や、もしあるとすれば才能や――身体だけの切り売りはいたしません」
久佐賀は腑に落ちぬ表情になった。
「身体ばかり売るなら、東京にはよそにも買い手がございます。私がきょうここへ参りましたのは、高名な天狗顕真術の久佐賀義教先生なら、私という窮鳥を、大きな広いお胸で――長い眼で――具体的に申しますと、私が歌道で身が立てられるようになるまで、義侠のお心で受けいれて下さるだろうと考えたからでございます」
久佐賀はいよいよまごついた顔をした。
相手のいっていることの内容に降参したのではない。あんまり虫のいいことを、真っ向上段から要求する迫力に辟易したのである。
いや、それより彼は、はじめてこの女に可憐さすらおぼえた。美しい、とさえ思った。それで、これはいよいよ手離せない、という気になった。
まあ、いわせるだけいわせて見よう。どうせこの女は、もうおれの手の中にある。まさに、懐にはいった鳥をもてあそんで、手の中の羽ばたきの快感をたのしんでいる心境だ。
「もし、どうしても私の身体だけが欲しい、とおっしゃいますなら、月に二十円、三十円では売りませんわ。はじめにいま、ひとまとめにして千円いただきたいのでございます」
と、一葉はいった。
いって、背すじに、熱いような冷たいような汗がじわんとにじんだ。この条件、受けいれられても困る、はねつけられても困る。冴え冴えとしたきれながの眼で相手を見すえながら、実は一葉は次第に錯乱の状態になろうとしている。
はたと落ちた沈黙の座に、そのとき母屋のほうから何かざわめきが流れて来た。
久佐賀義教はそれにちょっと耳をかたむけている風であったが、ふいに何やら決心した眼つきになり、
「よろしい、それじゃ思い切って五百円だそう」
と、いい、指おり数えて、
「二十ケ月分、つまり一年八ケ月分の前渡しじゃな」
と、つぶやいて、ニヤリとした。
「それであんたが承知しなけりゃ、ま、この話はなかったことにしてもらおう」
一葉は、息がつまった。
相手は、しぶとく値切って来た。が、それを拒否すれば、美登利は救えない。が、五百円のために自分はこんな男の妾にならなければならないのだろうか?
「どうじゃ?」
一葉の頬から血の気がひいていた。
そのとき、この離れの外に、荒い跫音が近づいて来た。
跫音を聞いて、久佐賀義教は、あわてて襖をあけて、渡り廊下のほうへ出ていった。
そして、やって来た人間を抑えて、何か話している。――
「なに、だれ?」
向うが訊くのに、久佐賀が低い声で説明し、しばらくして、
「ほう、千円」
と、ややめんくらった声がした。久佐賀は相手の声を制しているようであったが、たちまち、
「拙者が人買いだと知っちょると? 人買いがなぜ悪い。どきなさい、拙者が話しちゃる」
と、怒気をふくんだ大声がひびいて、久佐賀をおしのける気配がし、離れに二人の男がずかずかとはいって来た。
その応答の途中から、さては? と、思っていたが、果せるかな、いつかちらっと見たあの村岡何とかいう男たちであった。――さきほど久佐賀が、いま外に出かけとる、といったのが、帰って来たらしい。
「だいたい、話を聞いたがな」
洋服のまま、一葉の前に大あぐらをかいて、年長のほうが、
「拙者から挨拶する」
と、いった。
そうはいったが、数十秒黙って、ジロジロと一葉をなめまわすように見た。彼女はこれほど不遠慮に男から眺められたことはない。しかも、それは人間の女を見る眼ではない。馬市場における馬喰《ばくろう》のような眼であった。……われ知らずうつむき、ついで一葉はきっと顔をふりあげた。
あぐらをかいているが、怖ろしく長身の男であった。それがどこか、しなやかな鞭を思わせる。そういえば皮膚はあぶらをぬったなめし皮のようだ。細い口髭をピンとはやして――容貌は整っているほうだが、眼は野獣のような光をはなっている。凶暴な、というより、人を喰った、人を人くさいとも思わない、人間離れした人間の眼の感じだ。
それから、どこか異国人めいた匂いもあった。異国人めいた、といっても西洋人ではない――あとで一葉は、それは南洋の匂いではなかったか、と考えた。
この当時、日本人にとって南洋とは東南アジア一帯を意味した。
「拙者は村岡茂平次、こっちは甥の伊平次という」
と、若いほうにあごをしゃくった。
彼は四十半ば、甥は三十半ばと見えた。叔父甥とはいえ、父子《おやこ》よりよく似た顔だ。いつか稲葉家へつけて来たのは、まさしくその伊平次という男であった。
「南洋であちこち女郎屋をやっちょるが……いま、その女を仕込みに帰っちょるところじゃ。人買い商売といえばいえるじゃろうな」
上眼づかいに見て、
「おまいさん、久佐賀先生をゆすりに来なすったようだが。……」
「ゆすりになんか来ません!」
「だいたいこの先生は、こんな顔をしてて、相手が女となると、いいところを見せたがって、鼻の下を長くする癖《へき》があるが……とにかく女ひとりで出て来る度胸じゃない。だれか、うしろで煽ったやつがおるのかね」
「そんな人はいません!」
「そうかね?」
と、うす笑いして、
「それじゃ、そうしておこう。……何にしてもおまいさん、金を欲しがっとるようだが……それじゃあ、あんたもひとつ、どうかね?」
と、いった。きっとにらんでいる一葉に、
「いやいや女郎に、じゃない。久佐賀先生のお見立てじゃどうか知らんが、おまいさんは女郎向きじゃない。もっとも、どんな女でも――華族のお姫さまでも、女郎屋に放りこめば半年でりっぱな女郎になっちまうが――あんたはほかに使い道がある。左様、日本じゃ、やりて婆と呼んどるが、そりゃあんまりだから拙者の店じゃ、ママさんと呼ばせとるが、ま、女郎たちの監督じゃね。それに、おまいさんは向いとるようだ。どうじゃね? 悪いことはいわん、女郎にゃ負けん、そりゃいい金になるが。――」
「私は久佐賀さまに御用があって来たのです。人買いに用はありません!」
一葉はさけんだ。
「人買い人買いと、そうさげすんだ眼で見なさるな」
村岡茂平次は、蛙の面に水といった顔で、なお笑いながらいった。
「おまいさんがどういう素性の人かよく知らんが、あの娘さんを知っとっただけでも、こっちにとっちゃ使い道のある人だ。もっとほかに、あんな娘さんを知らんか。世話してくれただけでも礼金はするが」
「あんな娘さんとは……」
この場合に、一葉はふと問い返さずにはいられなかった。なぜ彼らが美登利に眼をつけたか、さっき久佐賀から一応の説明を聞いたが、まだ納得出来ないものがあったのだ。
「どういう娘さんでございますか」
「いまいったように、たいていの女は女郎に出来るがね、しかし店としちゃ、客を呼べる玉が欲しい。日本の廓《くるわ》でいやあ、お職になるやつさ。あの娘なら、充分以上にそれになれる。ただきれいだからというんじゃない。それになる娘にゃ、その匂いがあるんじゃよ。こりゃ拙者の何十年かの商売の|かん《ヽヽ》だよ。強いていえば、あの娘にゃいまから色町の匂いがしたよ」
そういえば美登利はもう一年近く色町に住んでおり、あの衣裳もそこで仕立ててもらったものだが。――
何にしても、この男がイギリス人の秘書に世話をする云々といったというのは、口から出まかせの嘘っぱちだということはこれではっきりした。ただこの男は、いまそれをごまかそうとはせず、あからさまに本性を見せて、平然としている。――
「それさえ承われば結構です。失礼します」
一葉は立ちかけた。
「おい、待て」
茂平次は地を這うような、おしぶとい声で呼んだ。
「拙者のいいたいことはまだいっとらん。それを聞いてゆきなさい」
「聞きたくありません!」
「いや、聞いてもらう。これ以上、あとで騒がれんためにな」
茂平次は馬鹿にしつこく――えたいの知れぬ妙なせりふを吐いて、またあごをしゃくった。
「伊平次、しばらくそちらに坐っていてくれ」
甥の村岡伊平次がのそりと立って、入口に坐った。逃げ道をふさいだのだ。
「なに、おびえなさるな。ただ拙者の人買い商売の――左様さ、やり方と考え方っちゅうもんを少し聞いてもらいたいだけさ。それを聞きゃ、あんたが心配することはないってことがわかるだろ。もし、だれかうしろについてるなら、そいつにも話してやってくれ」
と、茂平次は笑いながらいった。
「だいいち、それがいかがわしいものであったら、ここにいなさる人格者の久佐賀義教先生が拙者に協力、ああいや、拙者が帰国して東京に来たとき、その宿をして下さるほどの仲になるわけがない。ねえ、先生?」
はじめ、ちょっと狼狽したかに見えた久佐賀義教も、もうひらき直った顔つきで、これもうすく笑っただけだ。
この東京で有名な占い師が、どうして人買い商売となれそめになったのかまだ明らかではないが、いずれにしてもそういう仲になったのがおかしくない――はじめからどこか感じさせられた下劣さが、骨まであらわにむき出されたような表情であった。
三方を囲まれた中に、一葉は凍りついたように坐っていた。
村岡茂平次人買い話
――まあ、聞け。
そもそも拙者は長崎県島原の生まれでな。これでも島原藩の下級侍の生まれじゃったが、御一新以来御多分にもれず零落して、長崎に出て酒のかつぎ売り、野菜のかつぎ売り、はては人力俥夫までやるていたらくになった。
そこへある方面から、上海、香港、あるいは南洋方面で日本雑貨の店を出せば半年に三千円くらいはもうかるという話を聞いたところへ、それをやるなら品物をまわしてやろうというお人があって、拙者はまず香港へ渡って見た。明治四年、二十一のときじゃ。
いって見ると、話に聞いたとは大ちがい、波止場あたりに五階建ての西洋館がギッシリならんで、とうていこちとらが出してもらえる資本程度の店は出せん、とんでもないっちゅうことが判明いたした。
立往生しとるうちにホテルの宿泊代はおろか帰りの船賃もない始末になり、やっとのことである支那人からイギリスの貨物船の水夫を世話された。拙者はこれで日本へ帰る算段じゃったが、こいつが実は奴隷船でな、拙者は知らぬまに奴隷に売られとったんじゃ。
それだから、簡単にゃ逃げられん。いちどせっかく船は門司にはいりながら、見張りがきびしくって逃げられず、また支那に舞い戻って、鞭とピストルでおどされながら、芝罘《チーフー》や牛荘《ニユーチヤン》の港で石炭や豆粕の積みこみ積み下ろしにこき使われた。
結局、脱走でけたのは、天津《テンシン》で、半年ほどたってからのことじゃった。夜中に船から泳ぎ出して、すんでのことで溺れかかったが、あぶないところで岸にたどりつき、船が出るまで川べりの葦の中に身をかくすという苦労をした。
それから天津で理髪店をひらいとる日本人に救われて、店の手伝いにやとわれた。
ここは日本の女の髪結いもやっちょって、天津じゅうの日本の女が入れ代り立ち代りやって来る。髪を結うためもあるが、遊び場、しゃべり場、憂さのはらし場となっちょった。天津におる日本の女っちゅうのは、みんな支那人の妾になっとる女たちじゃ。
しかも、これが天草の女が多い。天草じゃな、以前から出稼ぎに海外へ出る女が多く、これを「からゆきさん」――「唐行《からゆき》さん」っちゅう意味じゃな――という言葉があったが、はじめてなるほどと拙者は感服いたした。
その女どもが集まってやるのは花札などのばくちだが、口にするのは日本恋しやの話ばかりじゃ。日本といっても天草のほかは知らん連中だから、天草の話ばかりじゃ。島原生まれの拙者とは、まあ同郷といってよろしい。
そういうこともあって、その女どもが馬鹿に拙者をひいきにし、小遣い銭をくれ、はてはホテルに連れていってくれるようになった。それがみんながみんな拙者と寝て、甘露甘露といった顔をし、中には、「ああ、日本の男!」っちゅうて泣き出す始末じゃ。そのうち拙者をめぐって、女どもが蹴合鶏《けあいどり》みたいに喧嘩をはじめた。
そういうありさまじゃ、何よりこっちの身がもたんので、一年ばかりで天津を逃げ出して、こんどは上海にいった。そこでたまたま、日本から潜行中の上原勇作っちゅう中尉どのにお逢いしてな。これが軍事探偵の命令を受けて支那のあちこちに密行するのに従者を求めておって、拙者がそれに当ることになった。
で、七ケ月ばかり北支那、満州などを歩きまわったのだが、そのいたるところに無数の日本の女が、女郎や支那人の妾になっちょることを知った。――
軍事探偵といってもな、言葉もよく通ぜん土地を歩きまわって、何ほどのことも探れるわけがない。ありていにいうと、そんな女たちを探し歩いて、女たちからその土地の兵隊や民心や物産や地理を聞いてまわったんじゃ。
ええか、よう聞け、いま日本は清国と戦争して連戦連勝、明日にも北京に攻めこまんず勢いじゃが、その働きの蔭にゃ、前もってこの女たちのくれた情報っちゅうもんがある。いま戦場となっちょる土地の情報もさることながら、それ以外にも、支那全土の状勢を知らんけりゃ支那との戦争はでけんわけじゃが、その報告の根源もからゆきたちにある。
白人は古来宣教師をおしたてて世界じゅうを征服したが、日本の場合は宣教師じゃなくて、まさにこのからゆきどもが、その役目を引受けたわけじゃな。
ああ、偉なるかなからゆき、壮なるかなからゆき、からゆきさんこそ大日本帝国の尖兵じゃて。
もっともそんなことはあとになって考えたことで、そのときは、上原中尉は知らず拙者は、支那のいたるところに日本の女が売られとることに憤慨した。
そりゃ中にゃ金持の妾になっちょる女もおるが、大半はまるで豚か狼のむれの中の肉のかたまりみたいな悲惨な生活をしちょる。自分で万事承知で出て来た者もないではないが、たいていは人買いの口ぐるまに乗って――それ、拙者が奴隷船に乗せられたように――知らぬまに売られて、借金に縛られて身動きでけん女どもじゃ。
これは助け出してやらんけりゃならん、と熱血の拙者は考えた。
さてこれをどうするか。
そこで思い当ったのが、各地の――日本領事館じゃなく、イギリス領事館じゃ。天津、上海、香港などで見ちょるとな、いちばん威張りくさってお節介好きなのがイギリス人じゃ。よくいえば筋を通す。わるくいえば横ぐるまをおす。この根性を利用してやろう、と思いついた。
で、拙者は支那各地に売られた女の実態を調べると、その足でその土地のイギリス領事館に駈けこんで訴え、あっちの館員をひっぱっていって支那側と談判した。イギリス人の威張りぐせとお節介好きはまんまと役に立ち、あっちこっちから、三十人、五十人とまとまって日本の女が助け出された。
ところがさて、こうして女たちを救い出してみたが、そこで拙者、ハタと当惑いたした。女どもが日本に帰ることに首をたてにふらんのじゃ。みんな日本を恋いこがれとるくせに、もうこうけがれはてた身体になっては帰ることはでけん、また故郷に帰っても暮してゆく道がないという。
それは男の拙者自身が食いつめておったのじゃから、ようわかる。そこで、拙者大いに狼狽し、苦悩したあげく、香港、トンキン、ハノイ、シンガポール、サンダカンなどの女郎屋に女たちをひきとってもらった。――それじゃ同じこっちゃないか、というかも知れんが、ほかに法はないじゃないか。
それに、決して同じことじゃない。その女郎屋をやっちょったのはみんな日本人じゃからね。拙者はもうそのころ、そんなめんめんとあちこちで知り合いになっておったんじゃよ。
それはともかく、そうするにも、むろん女たちがあいよあいよとおとなしくいうことを聞くわけがない。そう事が結着するまでには、ひとりひとりひと騒ぎがあった。何より拙者は、助けてやったその女たちが、みな拙者を恋いしたうのに閉口いたした。
日本へ帰るのもイヤ、南洋の女郎屋にゆくのもイヤ、といわれても拙者は困る。
助け出した女は、左様さな、四、五百人に上ったろう。まあ、ぜんぶ同時に助け出したわけではないが、それにしても容易ならん数で、これをみんな妻にすることはでけん。そういって説得しても、女たちはだれもが、だから私一人を女房にして、という。
右からも左からも抱きつかれ、涙、涙、また涙。これがみんな、それまでの苦労で頭のおかしくなった女ばかりで、理をもって説いてもなかなか受けつけん。
そこで拙者は、これまた涙をふるっていった。
「みなさん」
みなさんとは、そのころ拙者の身のまわりには、いつも少くとも十何人かの女がゴロゴロしとったからじゃ。
「みなさんは、みんな拙者の妻であります。どの方も拙者を恋しておられます。拙者としては、いまのところ、どなたをえらんでええかわからん。それにぜんぶ応えておっては、拙者は殺されてしまいます。ここはいっとき別れて、よく考えさせて下さい。どんなことになろうと、拙者は決してあんた方を忘れません。あんた方がどこへゆこうと、将来拙者が金をためたら、この中のだれか一人をえらんで、必ず妻として迎えにゆきます。それをたのしみに待っていて下さい。それまでは泣き泣きお別れです」
どうじゃね、うまい縁切りの挨拶じゃろが。――これを猫ナデ声でいう。
そして、みんなに接吻してやり、上海から各地へ送り出してやった。ま、こんな具合じゃ。上海っちゅうのは、そのころ拙者の活動の本拠地を上海においておったからじゃ。
こうして支那から助け出した女たちを、みんな南洋へ売り飛ばしたわけじゃが――それまでに拙者もいろいろ費用がかかり、元来資本あって乗り出した土地ではないから、売り飛ばさんけりゃ、次の活動がでけん。
で、次の活動じゃが――この仕事で、女を売るのは実にいい商売だと知ってな。なにしろ上玉なら二千円から三千円、出来の悪いのでも千円にゃ売れる。それを買う女郎屋は、それでももうかるから買うわけで、これこれ、これに限ると、拙者みずからそっちへ乗り出すことになった。
人間のやること、何事もよってきたる筋道があり、それぞれに修行の時代っちゅうもんがある。拙者が南洋で盛大に女郎屋を経営しはじめた由来は以上のごとしじゃ。
それから約二十年。――いまではシンガポールを本店として、安南、台湾、ジャワ、スマトラ、フィリピン、ボルネオ、シャム、インドのあちこちの町に、十五軒、拙者の女郎屋がある。――
いや、もうかるもうかる。玉代は平均一回五ドルで、一日最低五人客をとっても二十五ドル。いまの相場で七円と若干じゃ。月にすれば二百何十円。女郎に四|分《ぶ》やって飯を食わせても百円はもうかる。いまシンガポールの店にゃ女が二十三人おるが、月に二千円以上の純益がある。それが、ほかの各地の店十何軒かを合算した額を考えて見なされ。日本の総理大臣もそれだけの収入はござるまい。
拙者ばかりもうかるのではない。女郎たちももうかる。四分としても月に百円以上。いまの日本の男に百円の月給もらっちょる男がどれだけある? じゃから女どもは、セッセと故郷に金を送る。
拙者は各地の店を巡回し、そこの女郎どもに訓示する。
「あんた方はみな罪人である。
第一に、ここに来たのはみなお国から、正規の旅券を頂戴して来たのではない。みな密航罪の罪人である。
第二に、ここで男の精を吸いとり、病気をうつし、兵隊を作る器械をこわしておる。
第三に、国の親兄弟に恥をかかしておる。
第四に、もし将来だれかの妻になるつもりなら、いまさんざん貞操を破っておる。日本婦道の違反者である。
かるがゆえにあんた方は、ふつうの人間と思ってはまちがいである。犬にも劣った人間なり。
であるから、あんた方は、その罪を何とぞしてつぐなうように努めんけりゃならん。それには道がある。それは一銭でも多く金をため、親兄弟に送り、税金を払わせ、お国を富ませることである。忠孝両全とはまさにこのことである。
そのためには一人でも多く客をとらんけりゃならん。そのためにはこの店の気分をよくするようにせんけりゃならん。そのためには日ごろ不平反抗の言動なく、拙者のいうことをよくきき、模範的女性にならんけりゃならん。わかりましたか」
いや、こう教えさとしても、中にゃ、やけくそになって酒びたりになったり、あばれたり、刃向って来る女もあってな。そのときは、この甥の伊平次が料理してくれた。
ちょうど拙者がシンガポールで女郎屋をひらいたころ、うまい具合にこいつが故郷《くに》から来てくれたんじゃ。――おい、伊平次、お前がシンガポールに来たのは、十七か十八か。――ふうん、その年でこいつ、馬鹿に女をおとなしくさせるのに妙を得ておった。
特に、若い――若いというより、子供にちかい娘にな。
なにしろ、十五以下の子供には手を焼く。右のごとき訓示は、屁ほども役に立たん。泣きわめき、ピンシャンとはねまわり、甚だしきは海へ飛びこんでしまう。
その年齢の女の子は拙者も手に負えんのじゃが、この伊平次の手にかかると、ふしぎにおとなしくなってしまう。なに、いまはあんな荒っぽいことはでけんと? はは、それはそうじゃろ。――お、そういえば、あのころ、さすがのおまいも閉口した娘が一人あったな。
やはり長崎から来た娘で、生まれは長崎奉行所に勤めた侍の子っちゅうことだったが、まだ十四か、十五か、これがきれいな娘で――きれいという以上に、生き生きしちょる。おう、そうじゃ、それ、あの稲葉美登利という娘、あれと、むろん顔はちがうが、感じがそっくりなんじゃ。
いや、美登利っちゅう娘はまだおとなしいらしいが、そのときの娘は、あんまり可愛いから、拙者つい手を出してみたが、かんざし握って大あばれし、拙者持てあまして、ちょうどそのころシンガポールに来てまもない伊平次を助太刀に呼んだ。その伊平次がキンタマを蹴っ飛ばされて、眼を白黒させてひっくり返る始末じゃ。そして、その娘はそのまま脱走しおった。
脱走したところで、場所はシンガポールという島じゃ。逃げ切れるものではなく、そんな年ごろの日本娘が、その足で船に乗れるものでもない。で、大捜索したが、こいつがつかまらん。結局行方不明になってしまった。
残念だが、海へ飛びこんで死んだろう、と思っていたら――それから三年ばかりして、シンガポールにイタリアのチャリネっちゅう曲馬団がやって来て――おう、その後その曲馬団は日本にもやって来て、曲馬団といえばチャリネと呼ぶほど評判とったそうじゃね――偶然、伊平次と見物にいったら、なんとその中で、鮮やかに空中ブランコをやっちょる女が、それ、その娘じゃったのには胆をつぶした。
拙者などは西洋人の娘だとばかり思っておって、伊平次につつかれてはじめて気がついたんじゃが、いや、あれには驚いた。そういえば三年ばかり前にもシンガポールでチャリネが興行しておったが、いまにして思うと、あのときその娘は、その一座に逃げこんだものと見える。
思い出した。それ、おまいさんも見た先日の回向院のアームストン大曲馬、あれに日本の女が青竹渡りをやっちょって、変な思いちがいをしたが、ありゃイギリスの曲馬団じゃったね。だいいちかれこれ二十年ほど前の話じゃから、まさかあのときの娘がいまも軽業などやっちょるはずがない。
ま、こんなやつははじめてで最後。これは例外。
うん、十四、五の娘に手を焼いたといったが、むろんそんな年ごろの日本娘が南洋にゴロゴロおるわけはない。そいつはみんな、日本から誘拐して来たんじゃよ。
以前はからゆきなど、南洋にウジャウジャおるものと思っちょったが、いざこちらが女郎屋をやってみると、いや女が足りんのは意外じゃった。
こちらじゃどうか知らんが、向うじゃ、あの暑さ、水の悪さ、それに客が異国の船乗りや土人が大半じゃから、イタミかげんもひどくて、四、五年も使《つか》や使いもんにならなくなるから、女が不足するのも無理はない。なに、それでもシャニムニ使っちょるが、客を吸い寄せるにゃ、やっぱり鮮度《いき》のいい新しい女が必要で、それは坐っちょっては手にはいらん。
それには、前から誘拐を商売にしとる連中があってな。それを通じて買うのじゃが、拙者はもともとその道から女郎屋商売にはいったくらいで、その手口も勉強したし、誘拐そのものも結構いい商売になることを知っちょる。
こりゃ最初から一貫して――本国からの誘拐もこっちの手でやったほうが万事好都合じゃと見込みをつけた。で、誘拐組――いや、誘拐部っちゅうもんを作った。
いまじゃ、わが村岡・南洋女郎屋チェーンでは――チェーンとは、鎖という意味じゃ。南洋各地に拙者の支店があるのを知ったあるイギリスの船長がそういった――次のような組織になっちょる。
女郎屋各支店、賭博部、誘拐部、前科部、外交部――こりゃ各地の警察当局、港湾当局との交渉、通訳をつかさどる。それぞれに店長あり、部長あり、その下に課長あり、堂々たる陣容じゃ。
誘拐部っちゅうのは、前科部と特に関係が深い。前科部とは前科者を扱う部じゃ。
女を日本から連れ出すのは、特別の場合をのぞいて、密航じゃ。とくにあっちの役人は、からゆきと知ると、眼の玉の飛び出るような袖の下を吹っかけるのでな。で、南洋へゆく船の事務長、コック長などに頼んで、船底へかくしてもらい、向うへ着くと、役人が引揚げてから、またそっと上陸させる。これにも口銭は要《い》るが、それでもこのほうが安くあがる。
日本で女を仕入れるのは、南洋へいって、イギリス人の家の女中になるとか、フランス人相手の酒場の女給になるとか、口あたりのいい話を持ちかけるんじゃが、ま、たいていは向うも感づいてはおるじゃろ。
この場合、どんな娘に眼をつけるか。拙者の体験からわり出して、生活の余裕のある家の娘はいかん、学問のある女はいかん、っちゅうこっちゃ。こういうのは、あとで、面倒なことが起りやすい。で、なるべく貧乏で、学問のない娘をえらぶ。
こういうわけで、誘拐といっても、二つ三つの子供をさらうわけじゃない。で、話を持ちかけるにも船に乗せるにも、一応も二応も手練手管《てれんてくだ》が要る。とてもまともな男じゃ、間に合わん。
そこで、これには前科者をあてる。南洋にゃ、日本を食いつめた前科者がウヨウヨとおるからね。
こういう連中を集めて、しばらくただ飯を食わせてやったあと、最初に拙者はこんな演説をした。
「きょうはみなさんとゆっくり酒を飲みたいが、その前にちょっと聞いてもらいたいことがある。
おまいさん方はいままで、十銭あればばくちをし、負ければもちろん勝っても飲み買いして、もとのもくあみとなる。そういうゴクツブシ、ウジムシのようなおまいさん方に、高い飯を食わせて遊ばせてあげたのは、実はわけのあることです。
世には親分|乾分《こぶん》となった以上、泥棒しろといわれても人殺しをしろといわれても、その通りにする習いもあるようですが、拙者はそんなことは求めない。
ただ、おまいさん方は身をもち崩し、日本国民としてお国に|あだ《ヽヽ》をし、尊い御先祖の墓に足をむけて寝ることもでけんありさまになっちょることがふびんで、これを救ってやろうと思うのである。
おまいさん方を国民の一人として、国家百年の事業にたずさわらせ、その結果お金をもうけ、一銭でも多く国家の負担を払わせ、真人間にしてさしあげたい。これから拙者の述べることを聞き、拙者と一心同体になって働けば、数年のうちにおまいさん方は、晴れて国元へ錦を飾って帰れることを保証する。
そのためには、大死一番、みなさんはもういちど国法を破り、罪を重ねる必要があります」
と、いって、内地で女を誘拐して来る仕事と方法を教えた。そして、
「おわかりか。おわかりの方は手をあげて下さい」
と、いうと、みんな手をあげた。
「よろしい。そこでみなさん、ここで改めて天皇陛下におわびをいたし、われら日本国民の一人として、新しい壮挙にいでたつのを祝って、天皇陛下万歳を唱えましょう」
といって、一同、天皇陛下万歳を三唱した。
前科者たちを晴れて錦を飾って故郷に帰らせるっちゅうのは、拙者のホラではない。かりに一人三百円で女を仕入れたら、口銭として百円やった。十人誘拐したら千円じゃ。これで一《ひと》財産作って帰国し、いまじゃ村で村会議員などやっちょる人はたくさんある。
拙者は、ほかに密航の費用として百円出す。合計一人五百円かかるが、さっきもいったように、女は月に二百円以上もかせぐんじゃから、拙者のもうけを百円としても、五ケ月で|もと《ヽヽ》はとれる。また、かりによそへ売っても二千円から三千円には売れる。
こうして、お国に|あだ《ヽヽ》をする人間の屑、前科者を真人間に返らす上に、女もせっせと故郷に送金する。親兄弟は裕福になる。それを村長が聞いて、所得税をかけて来る。どれだけお国のためになるかわからん。
その上、南洋の各地に日本の女郎屋がでくると、すぐに日本の雑貨店がでくる。日本の雑貨が売れる。店員が独立してまた店を出す。女郎屋をふくめて、どれほどドルをかせぐことか。
いま日本は支那と戦争しちょるが、豊島《ほうとう》沖、黄海の海戦に大勝利をしめた日本の軍艦は、ありゃみんな外国から買ったもんじゃ。その日本海軍の軍艦の一隻くらいは、この二十年拙者の店の女郎たちが日本に送った金で買えたんじゃないか、と思っちょる。
それどころじゃない、日清戦争で勝って、日本は支那の領土のどこをもらうか知らんが、拙者が南洋に雄飛し、扶植した日本の勢力は、それに劣らんじゃろと思っちょる。いま支那におる日本の娼婦が日本軍の道案内をしたように、将来日本が南洋征服に乗り出すとき、どれほど役に立つことか。
こら、これでも拙者をただの人買いだと思うか。人買いを悪事のようにぬかしくさるか!
雪のあぶみ坂
「わが村岡・南洋女郎屋チェーンは以上のような雄大な抱負と組織を持っちょる」
と、村岡茂平次は鼻うごめかした。
「おまいさん、お見受けしたところ、あんまり裕福じゃないようだ。いや、金に困っちょるから久佐賀先生に、わけのわからん無心に来たんじゃろが。――ふだんは五円、十円の金もままにならんじゃろが」
ズケズケという。
「もういちど訊く。南洋へいって、拙者の店を手伝う気はないか。女郎なんかやらんでも、千円二千円の金はすぐにたまるぞ。どうじゃね?」
一葉はだまって、相手の顔を眺めていた。
彼女は、ただ呆れはてていたのだ。――この男が、どうして自分のようなものにこんな長広舌をふるったのかわからない。
思うに、村岡茂平次は日本に帰国して、自分の話を黙って聞いてくれる者があれば、だれにでもこの自慢話に懸河の弁をふるうにちがいない。村岡にとって、これはしゃべりたくってしゃべりたくってたまらない自慢話なのだ。
本人の持つ何やらユーモラスな天性もあって、その女郎屋商売はひどく楽天的なものに聞えたが、一面、自分の悪もあけっぴろげなところもある。いや、茂平次は悪とも感じていまい。悪に対しても楽天的な、それだけにこれは一葉がいままで逢ったこともない、天衣無縫の大型の悪党であった。
この男を責めても無駄だ、問答無用、と一葉は覚悟をきめた。――が、すぐにまた、問答無用といってしまうことは自分の負けだ、と気がついた。
すでに自分の一身を賭けて久佐賀から金を借りるという試みは、この男の口出しで打ち砕かれている。では、美登利はみすみすこの化物の手にゆだねなければならないのか?
そんなことになってはならない。さらってゆく当人がこれほど人間離れした大悪党だとわかった以上、いよいよもってそんなことをさせてはならない!
「お話、面白うございました。御趣旨はよくわかりました」
一葉はひれ伏した。
「それほどお身のまわりの方々の倖せにお気をお使いなさいます村岡さまなら……また、最初哀れな女たちをお救いになろうとするお志をお立てなさいました村岡さまなら……」
必死の声であった。
「お願いでございます。どうぞ仁侠のお心で、あの稲葉美登利を南洋へ連れてゆくことだけはおゆるしになって下さいまし」
「そりゃだめだ」
と、茂平次はにべもなくいった。
「人買いは酔狂にやっとるのじゃない。いまじゃ拙者の真剣にして神聖なる職業じゃからな。……それにだ、いまいったように女の仕込みは誘拐部にまかせとるんじゃが、ときどき拙者みずから仕込みに帰ることがある。今回の帰国がそれだ。特にありゃ、拙者が眼をつけた、絶対売物になる上玉じゃ。あれほどの玉は近来珍らしい。まるで天からふって来たようなもんじゃ」
あごをつき出して首をふった。
「たとえ五百円返してもらっても、あの娘を返すことはでけんよ」
このとき茂平次は何か思い出した顔になり、一葉を見て変な笑い方をした。
「それじゃ、おまいさん、お帰ンなさい。ただ拙者のいったことを、向うの親御さんに伝えて安心させてやってくれ。……伊平次、お見送りしろ。それから、ついでにあれを見せてやったほうが、あきらめがついてよかろう。見せてやれ」
伊平次がムクリと身を起した。
よろめきながら、一葉も立ちあがった。
悪夢にうなされているような思い、とはこのことだ。いいたい放題にしゃべりまくられただけで、彼女の企図は完全に挫折したのである。――久佐賀義教がどんな顔をしていたか、見さだめる余裕などない。
村岡伊平次に案内されて渡り廊下をゆき、例の天狗のお面のかかった鑑定室の前の廊下にさしかかった。――さっきまでやっていた掃除は終ったと見えて、大障子はぜんぶ閉じられている。
と、先を歩いていた伊平次が、通りすがりにその障子の一枚をひらいた。そのあとを歩く一葉は、中をのぞきこんで、棒立ちになった。
「夏子お姉さま!」
たまぎるようなさけびがして、奥で美登利が立ちあがるのが見えた。
美登利は、怪異な朱色の天狗面の壁に囲まれていた。のみならず、五、六人の壮漢たちに囲まれていた。――天狗顕真術の弟子たちだ。おびえ切った顔が、いま思いがけなく一葉の姿を見て、驚愕と狂喜に燃え立つように見えたのも一瞬、その肩はおさえつけられ、こちらの障子ははたとしめられた。
「ござれ」
と、伊平次は先をうながした。
一葉は顔色まで氷結したようになって、
「美登利さんを、ここへ――」
と、自失した声でつぶやき、ついで、
「ここへ連れて来るのは、十五日ということではなかったのでございますか!」
と、さけんだ。きょうは十三日だ。
「だれがそんなことをいった」
伊平次はせせら笑った。
「十七日は船に乗るんだ。きょうごろ連れて来て、仕込まねばならんことがある。だいいち金を渡した日から、あの娘はこっちのものだ」
――そういわれてみれば、美登利を十五日に連れに来るとは、美登利の親から聞いただけだ。てっきりそうだと思いこんでいたが、いまにして思うとあいまいな記憶である。
一葉はさっき茂平次が、ふと何かを思い出したような変な笑い顔をしたのを頭によみがえらせた。美登利を連れてゆかないでくれという自分の哀訴に、彼としては、それはもう連れて来た、といいたくて笑ったのにちがいない。そういえばそれ以前、村岡は外出中だと久佐賀がいったとき、これまた薄笑いしたのは、その外出は美登利を連れにいったのだ、という声をのんで笑ったのにちがいない。
まったく自分は、あの悪党たちになぶりものにされていたのである。――
「お姉さま! 夏子お姉さま! 助けて!」
障子の向うで、美登利の泣き声がながれた。一葉は顔を紅潮させて、障子に手をかけようとした。
「いかん」
伊平次の鞭みたいに長い身体が立ちふさがった。
「おまいさんと、あの娘はもう関係ない。ゆけっ」
笑ってはいるが、兇暴な眼であった。
……外がはげしい雪になっていることも、だいぶ歩いてから気がついた。来るときは、まだチラチラと舞う程度で、下界を暗くぬらすばかりであった雪は、いま大きな牡丹雪となって、夕暮ちかい路上を薄白くしている。
一葉は、自分の身体が冷たいのか、熱いのか、わからなかった。身体の中に血が煮えたぎっているようでもあり、冷たい空洞が出来ているようでもあった。
――お姉さま! 夏子お姉さま! 助けて!
美登利の悲叫が鼓膜に鳴る。
どうすればいいのだ? このまま見すごしてはいられないが、自分はどうすればいいのだ?
「樋口さま」
呼びかけられて、一葉は放心状態の顔を道のはしに向けた。
雪の中に、蛇の目傘をさして立っているのは、あのけやき茶屋のおかみであった。
「まあ、傘もささないで……どうなすったのでございます?」
一葉は、自分が天狗顕真術会本部に傘を忘れて来たことに気がついた。
「何かあったのでございますか?」
おかみはこちらの顔色を見て、心配そうに近づいて来た。一方の手に小さな手桶を下げて、そこから水仙の花があふれている。――おかみ自身が、その水仙の花よりも優雅な姿であったが、いまの一葉にそれに見とれる余裕はない。
「例の娘さんが……きょう天狗顕真術へ連れ込まれたのです」
そういうと、一葉の眼から涙があふれ出した。彼女は、はじめてといっていいが、いじめられて姉にすがる妹のような心になっていた。
「それを、私はどうすることも出来ないのです!」
「まあ。……」
と、おかみは黒い眼を大きく見ひらいた。
が、そういっただけだ。ややあって――彼女は妙なことを訊いた。
「そのお嬢さまは、たしか稲葉さまとおっしゃって、以前長崎のお奉行さまをなすったお家柄のお方なんですってね?」
そのことは先日自分が黒岩涙香に話し、涙香がまたおかみにしゃべったかも知れない。しかし、この場合、それがどうしたというのだ?
「そんなお家柄のお嬢さまが、何てことに……お可哀そうに」
と、おかみは嘆声をもらし、いたましそうに一葉を見やって、
「何もかも時世時節《ときよじせつ》でございます。男でも時勢にはかないませんわ。樋口さま、とうてい女の腕ではどうにもならないこととお考えなさいまし」
と、いった。
すがりつくのは無用であった。一葉は、ただ頭を下げてゆきかけた。
すると、おかみは、
「あの、この傘を」
と、自分の傘を一葉の手に握らせて、
「私はすぐそこでございますから……お返し下さいますなら、いつでもおついでの節に」
と、いい、手桶の中の水仙にちらと眼を落し、一葉の思いとはかけはなれた、のんきなことをつぶやいた。
「きょうからうちは藪入りとしましたので、花を買うにも私が出かけなければなりませんの。……」
本郷あぶみ坂に霏々《ひひ》としてふりしきる雪の中であった。
どさっ……という雪ひびきの音に、村岡伊平次はふと目覚めた。
洋燈《ランプ》の鈍い光に、枕もとの懐中時計をすかして見ると、午前六時半だ。障子の向う、廊下を越えて雨戸がしまっているはずだが、ぼっとどこか蒼白いのは、夜が明けかかっているのか、それとも昨夜おそく寝につくときもなおふりつづいていた雪のせいか。
いまの音は、屋根に木の枝から落ちた雪の音と思われたが、もうそれほどつもっているのか。――
天狗顕真術鑑定室だ。まわりの壁から無数の天狗が、洋燈にテラテラと妖しくひかりながら見下ろしている。その下に、六人の弟子も夜具をならべて眠っている。
本来ならここは人の寝る場所ではないが――隣室に例の娘が眠っており、そこから出るにはこの大広間を通るしかないので、見張りのためにここに寝ることを命じられたのであった。大の男が六、七人も見張るというのも大袈裟だが、昨夜までのあの娘の反抗ぶりを見ると、無謀な脱走を試みるおそれは充分あったからだ。
「……カラス天狗のやつら、何をするかわからん。お前はそっちを見張っておれ」
と、伊平次は茂平次に命令されて、ここにいっしょに寝た。カラス天狗とは、久佐賀の弟子たちのことだ。もっとも、あの叔父がそんなことをいったのは、ほんとうは自分を弟子たちに見張らせるのが狙いだろう、と、彼は推量している。こちらの顔をのぞきこんで、「……ええか、船に乗せるまで待て」と、ささやいたくらいだからだ。
伊平次はふすまのほうを見た。ふすまには、なんとつぎめに一枚ずつ白い紙が貼ってある。――茂平次が念のために考えた封印だ。
――それどころか、まだ可笑しいことがある。
いま叔父と久佐賀義教は離れに寝ているが、叔父は昨夜までこの母屋の一室に眠っていた。それが今夜から同室に寝ることにしたのは、なんとあのもったいぶった久佐賀が、連れて来た娘を見て変な気を起したらしく、「どうせ南洋で女郎にするなら、船に乗せる前に、我輩に一晩抱っこさせてくれ」といい、叔父が拒否した上に、久佐賀を監視するために自分も離れに寝ることにしたようだ。
まるで、狼のむれの中に投げられた一片の美肉だ。
と、伊平次さえそう思う。それほどあの娘は魅力的で、猛烈な食欲をそそる。ふすまの封印もその意味では滑稽とは思わない。
ふっと彼は、大昔、叔父の茂平次が飛びかかり、自分に助けを呼んだものの、まんまと逃げられた少女を思い出した。久しぶりに、叔父はあのときと同じような眼つきをしている。「船に乗せるまでは待て」といったが、船に乗せたら、叔父がまず飛びかかるに相違ない。
伊平次は、蒲団からムクと鎌首をもたげて、また隣室のふすまを見て、反対側の弟子たちのほうを見て思案している。
昨夜、大酒を飲んで寝るのがおそかったので、弟子たちは大いびきかいて眠りこけている。自分への見張りもへちまもない。
彼は半身を起した。――あとで叔父からどなられようと、まず自分がその娘を食いちぎる決意をかためたのだ。多少の叱責には、ひき合って余りある快楽の報酬であった。だいいち、やってしまえばどうしようもないだろう。
伊平次は、隣室のほうへ、蛇のように這い出した。
そして、ふすまに手をかけた。薄い半紙は簡単に破れた。弟子たちは眠っている。彼はソロソロとふすまをひらいていった。
――眠っていても、音に敏感になっていたのだろう、夜具の中の美登利がふっと眼をひらいてこちらを見た。そして、四つン這いになってのぞいた男と眼が合うと、がばとはね起きた。
そのとき、遠くで何か音がした。
大きな声でも高い声でもない。げんに、顕真術の弟子たちで、眼をさました者はない。
何かの聞きちがいか――と思ったとき、ほとんど数十秒ののちに、また同じような声がした。
ふすまをひらいたまま、村岡伊平次は顔をねじむけ、眼を宙にそそいだ。顔をむけたのは、離れの方角だ。
それは、おし殺されたように低いけれど、たしかに人間の苦鳴であった。
そう直感すると、伊平次はギョクンと立ちあがり、鑑定室から縁側に飛び出し、そこから寒気の凍りついた渡り廊下を走っていった。
離れのふすまの前で、
「先生……久佐賀先生」
と、呼んだ。返事はない。
「叔父貴、どうした?」
大声をたてたが、これまた応答はない。
ふすまをあけた。――鞭のようにしなやかな伊平次の長身が、ピーンと硬直した。
惨劇の朝
離れの一隅にある机の上に、ここも|しん《ヽヽ》を細くした洋燈がともっている。暗い光だが、それでも一方の壁の下に崩折れている二人の男の影が見えた。
一人はうつ伏せになっているが、その上に交叉して倒れている男はあおむけになって、その左胸部にたしかに刀の白木《しらき》の柄《つか》が見えた。のけぞった顔は、まさしく叔父の村岡茂平次であった! してみれば、下の男は久佐賀義教にちがいない。……
「叔父貴!」
伊平次はまろびこんだ。
抱きあげ、短刀をひきぬいたが、茂平次の眼は白くむき出されたままだ。凄じい恐怖の形相であった。その下の久佐賀義教の背には、同様の短刀らしいきっさきが、胸廓をつらぬいて、まだ血にぬれてつき出している。
それだけの動作で、伊平次の手は血まみれになった。短刀を手に握ったまま、ふいに彼はぎょっとしてはね上り、棒立ちになり、まわりを見まわした。
下手人はまだ部屋の中にいる――と、直感したからだ。
先刻の異様な二つのうめき声、それはあきらかに断末魔の声に相違なかったが、それを聞いてからいままでに、二、三分とたってはいまい。
見たところ、離れの二面にある、障子と雨戸が二重になった窓が――一方はさらにガラスが重なっている――いずれも閉じられている以上、下手人は渡り廊下から母屋の縁側のほうへ逃げて来るほかはないが、いまそこを駈けつけて来た自分は、だれの姿も見なかったし、そんな気配を耳にもしなかった。――
この離れは十帖で、ふだん久佐賀が書斎兼居間に使っていたので、絨毯をしき、大机をおき、書棚違い棚もあり、大火鉢もあり――物の蔭はあるが、人影はない。
ただ、手前に押入がある。下手人はその中に隠れた、としか考えようがない。
と判断したところで、思わずどどっと、一応は入口まで逃げたものの、胆のふといところのある伊平次は、血まみれの短刀をつき出してどなった。
「出て来い! 押入の中にいるなら――野郎、出て来い!」
部屋はしいんと静まり返っている。
なぜか伊平次は、その押入の中にはだれもいないような気がした。すると、かえって彼は、異様な怖ろしさが全身を吹いて来るのを感じた。
彼はそのまま、もと来た渡り廊下を駈け戻っていった。
大広間に躍りこんで、
「みな起きろっ、大変だっ」
と、絶叫した。
ほんのいまの、離れでの彼のわめき声を聞いたやつもあったらしく、二人ほど寝ぼけまなこで起き直っている者もあったが、
「離れで、久佐賀先生と叔父貴が殺されとるぞ!」
という伊平次のさけびに、弟子たちはみんな鞠みたいに夜具からはね上った。
「待て待て。――娘が逃げるといかん、一人見張っとれ!」
この場合にも、これだけの注意は与えておいて、伊平次は残りの弟子を連れて、ふたたび渡り廊下を駈けていった。
だれともゆき逢わない。――離れの中の光景はおんなじだ。
久佐賀義教と村岡茂平次の凄惨な屍骸を見て、腰をぬかしたやつもあったが、それでも一同は、へっぴり腰ながら決死の形相で押入をひらいた。
――中に、人間はいなかった。
二ケ所ある窓の一方の障子をあける。そのすぐ外側は雨戸だ。雨戸はとじると下方の栓が閾《しきい》の穴に落ちるようになっていたが、栓は落ちていた。
その栓をあげて、雨戸をひらく。
外はもう夜明けになっていて、文字通りの銀世界だ。まだ蒼味をおびた光の中に、もうやんではいたが、一夜のうちに五寸以上もつもった雪は、三百坪あまりの庭をいっそう広く見せて、ただ向うに例の欅の大木がみごとな裸形を浮かばせているばかり。――
どこを見渡して見ても、人間の足跡らしいものはなかった。
その朝だ。
一葉は決心して、俥で牛込柳町に出かけた。夜明け近くまでふっていた雪はあがって、美しい朝であったが、彼女の心は沈んでいた。
きのうの自分の久佐賀邸での談判やその破綻はしゃべる気にはならなかったが、ついに美登利をどうすることも出来なかった自分の無力をわびなければならない。そして、あの哀れな両親をなぐさめなければならない、と考えたのである。
柳町の稲葉家を訪れると、思いがけない人間がいた。小さなお坊さんなのである。
「これは天華《てんげ》寺の信如さん。……」
と、お香はいい、
「そら、あれ、大《おお》晦日《みそか》、あなたが来てくれたときに。……」
と、いいそえた。
一葉は、あの日、雨の中で切れた下駄の鼻緒をすげようとしてしゃがんでいた少年を思い出した。あのときはしかし、髪をのばし、小倉の袴をはいていたが、いまはくりくり坊主にして、墨染めの衣をつけている。
「この七日から、いよいよ何とか学林とかいう坊さまの学校にはいられたとかで、それで頭を剃られたそうだが」
と、父親の寛は、膝の前の白紙にならべられた五、六本の水仙の花に眼をやった。ふっと一葉は、きのうのけやき茶屋のおかみのことを思い浮かべたが、
「これは造花だよ」
と、寛にいわれて、眼をまろくした。
「まあ、これが造花。――」
「信如さんが作られたものだそうだ。いつまでも枯れないように、という心をこめて、美登利に持って来て下すったんだが。……」
うなだれて坐っている少年僧のりりしい頬が、ぱっと赤くなった。
「美登利は、もううちにいない。……お夏さん、美登利はきのう連れてゆかれてしまった」
「存じております」
と、一葉はいった。稲葉夫婦はけげんな顔をした。
「それについて、何のお力にもなれませんでしたことが申しわけなくて……」
「いやいや、それはあなたのせいじゃない。甲斐性のないのは、親の私たちだ。……」
哀れをきわめた夫婦の顔を、しばらく声もなく眺めていた一葉は、やがてきっとしていった。
「信如さんとおっしゃいますか。私といっしょに参りましょう」
「えっ、どこへ?」
と、少年は顔をふりあげた。
「美登利さんのところへ」
稲葉夫婦のほうがうろたえた。
「お夏さん。……実はこの坊っちゃんに、まだ美登利のゆくさきは話してないのだが。……」
「わかっております。ですから、せめてもういちどこのお坊っちゃんを美登利さんに逢わせてあげて、御自分の手でその花をわたすようにしてさしあげたいのでございます」
それだけが、せめて自分に出来る最後のつとめだ。彼女はもういちどあぶみ坂の久佐賀屋敷に乗りこむ決心をかためたのであった。
一葉と信如は、二台の俥に乗って出かけた。小坊主のひざには、紙につつまれた造花の水仙が顔をのぞかせてゆれている。
――と、天狗顕真術会本部の近くに来たときだ。その方角から出て来た男が、こちらを見て、や、樋口さん、と、声をかけた。黒岩涙香であった。
「久佐賀のところへゆかれるのか」
「はい」
「何の用で」
「あそこに、例の稲葉美登利さんが昨日からいっていらっしゃるのです。それで、このお友達をお別れのために。――」
涙香はちらとうしろの俥の少年僧を見て、けげんな表情をしたが、すぐにその顔色を改めて、
「あんた知らんのか」
「何をでございます」
「いや、私もいま訪れて、はじめて知ったんだ。いや大変なことが持ち上っとる。その久佐賀義教と村岡茂平次が、けさ未明に殺されたそうじゃ」
「えっ?」
一葉はのけぞり返った。次の刹那、あらぬ不吉な想像が閃光のごとく胸を走った。
「ま、まさか、美登利さんが?」
「ちがう、ちがう。なんでも二人は、雨戸を閉じ切った離れで、影もかたちもない犯人に殺されたっちゅう。――しかし、まだよく事情がわからん。いま巡査たちもおしかけて、大騒ぎだ。私もほうほうの態《てい》で追っぱらわれたところで。――」
一葉は俥の上で凍りついてしまった。
「そうか、例の娘は、久佐賀邸に連れてゆかれておったのか。……待て待て」
涙香はちょっと思案して、
「それなら、こっちもはいる道があるかも知れん。もういちどいって見ましょう」
と、身体を反転させ、先に立ってつかつか歩き出した。
気がつくと、往来のこのあたりはおびただしい足跡に踏み荒らされて、泥濘と化している。一葉たちは俥から下りた。歩きながら涙香は、美登利のことや信如のことについて、二、三問いただした。
門から玄関への途中で、弟子の一人が飛んで来て、立ちふさがり、
「黒岩先生、さっきも申しあげたように、当本部には一大惨劇が発生し――」
と、いいかけるのに対し、
「そのことはわかっとる。しかしそれはそれとして、この小坊主どのが、親戚の娘さんがこちらにひきとられとるっちゅうて逢いに来られたので、その娘さんに一目逢わせてやってくれ」
と、涙香はいった。弟子は手をふった。
「いや、それどころではありません」
「しかし、その娘さんがおることは事実だろうが。何でもこちらに寄留しとる人買いがさらっていった疑いがあるとも聞いた。即刻本人に逢ってその点をたしかめなきゃならんのだ」
「そ、そんなことは、またあとで――」
「だめだ。ことによると南洋に売り飛ばされる心配もあるっちゅう。強いて陰蔽ないし妨害の挙に出るとあらば、誘拐罪で訴えるほかはありませんぞ!」
涙香は大音声《だいおんじよう》をはりあげた。
「ええか、誘拐罪で訴えられてもええのか!」
玄関に立っていた二人の巡査が、ぎろっとこちらを見た。
弟子は、弱りはてて、
「それじゃ、その娘さんに逢うだけですぞ」
と、道をあけた
涙香と一葉たちは玄関にかかった。涙香は巡査に一礼して、
「私は久佐賀さんと友人の万朝報の黒岩周六ですが、久佐賀家に滞在しとる娘さんに、この親戚の方々が急用があるっちゅうことで案内して来ました。大事件発生のことは承知しておりますが、それとは関係ありません。こちらの用件だけすませればいいのです。お立合いの上でも結構ですから暫時面会をお許しのほどを願います」
と、いった。
巡査は弟子を見た。弟子は黙っている。それと、黒岩のうしろにくっついているのが若い娘と小坊主であることにも心を許したのだろう。一人が、
「その用件がすんだら、すぐに退去するのですぞ」
と、うなずいた。涙香たちは家の中にはいった。弟子もそのあとを追った。
例の鑑定室の前へ来ると、弟子が障子をひらいた。
天狗面の行列の下に悄然と坐っていた美登利が、顔をかがやかして立ちあがった。
「あっ、お姉さま!」
一葉は駈けこみ、抱きしめた。そばに一人、やはり弟子が坐っていたが、手も出せないほどの勢いであった。
「信如さんを連れて来ましたよ!」
という一葉の声に、美登利はやっと身を離して、ふしぎそうに少年僧を見た。……この場合に、最初に美登利が出したのは、
「あらっ? どうして信如さん、お坊さまになっちゃったの?」
という言葉であった。
水仙の造花を持って来たというのに、信如は赤い顔をして、しかし黙ってつくねんと立っている。
その光景を廊下で見ていた涙香は、突然大声で、
「それじゃ樋口さん、私はちょっと現場を見て来る」
と呼びかけて、立ち去ろうとした。
「黒岩先生、事件とは関係ない、と、いまおっしゃったではありませんか」
と、涙香について来た弟子が狼狽してその袖をとらえた。
「そりゃ関係はないが、しかし私にゃ興味があるね。ちらと聞いたところによると、久佐賀さんと村岡さんは、だれも侵入逃走した形跡のない離れで殺されとるというじゃないか」
「しかし、それはあなたと――」
「いや、私はね、元来犯罪事件の捜査に大変な興味を持っとって、西洋《あちら》の知識もたっぷり仕入れとる。実際、前に起った、そら、築地海軍ケ原の殺人事件、あれをたねに一つ探偵小説を書いたことがあるくらいでね」
涙香は、ほんとうに好奇心に眼をひからせ、大きな鼻をヒクヒクさせて、
「べつに評判にもならなかったが、そりゃ日本人が犯罪捜査法に未開のせいで、作中に書いた、三本の髪の毛から犯人をつきとめるわしの推理方法はなかなかのものだと自負しとる」
「……」
「こんどの事件でも、ほかのだれも気づかん証拠を私が発見するかも知れん。いや、見つけ出す自信がある。とにかく被害者は二人とも私の親友だ。放っちゃおけん」
しゃあしゃあといった。
「とにかく、私が責任を負う。心配なら、ついて来なさい」
と、高飛車にいって、大手をふって渡り廊下のほうへ歩いていった。
気をのまれた弟子は――座敷にいたやつまでが――あわててそのあとを追っていった。
それを見送って、一葉は、
「美登利さん、大変な事件が起ったそうね。どういう状態だったの?」
と、まず訊かずにはいられなかった。
「え、けさはやくね、あの伊平次ってひとが私の寝ている部屋にはいって来ようとして、それで私、眼がさめたの。そのとき離れで変な声が聞えたの」
美登利はいった。小さな歯がカチカチと鳴り出した。
「で、伊平次さんが見にいって、二人が殺されてることがわかったの。あの離れは雨戸がみんなしまってたそうだし、外の雪のつもった庭にも足あとはないし、そっちからこっちへ逃げて来れば、そこの廊下を通るほかはないんだそうだけど、私もそんな音ぜんぜん聞かなかったわ」
一葉は離れのほうへ顔をむけたままであった。
やがて美登利と信如が小声で――しかし息はずませて何か話しはじめたが、それを耳にとめる余裕もない。
これほど驚倒すべきことが世にあろうか、久佐賀義教と村岡茂平次が殺されたとは。――だれに殺されたのか、なぜ殺されたのか、どういう風に殺されたのか?
これは夢の中の出来事ではないか、と疑われるばかりだ。
天狗顕身
十数分して、離れのほうから大声がもつれ合いながら近づいて来た。
「なんだと? 犯人はこの家の中におると? 妙なことをいいなさるな、黒岩先生。――」
村岡伊平次の声だ。
「だいたいあんたがあそこに鼻づらを突っこんで来たのがおかしな話で、見張りの巡査は何をしとったんだといいたいが、その上、変なことをいう。待ちなさい、おい待て、久佐賀先生の知り合いというから先生と呼んどったが、たかが赤新聞の親玉が、何をえらそうな顔をして――こら、涙香、逃げるな!」
「逃げはせん、あの娘を連れてゆくんじゃ」
あいた障子から、黒岩涙香と、その肩をつかまんばかりにしてくっついている伊平次と、さらに四、五人の巡査や弟子たちの姿が現われた。
伊平次は、そこにいる一葉を見て、
「や、あの女までがここにおる! ははあ、わかった、涙香、きさま、ひとに因縁を吹っかけて金縛りにして、この美登利をさらってゆく気だな」
と、わめいた。
「そうはさせんぞ。叔父貴がどうなろうと、その娘は村岡のものだ。どんなことがあっても、十七日には船に乗せてゆく!」
「お前さんが船に乗れたらね」
涙香はニタリとしていった。
「警察が、雨戸もしまり周囲は雪につつまれた離れの中の殺人に、ひたすら首をひねっとるのが、こっちもおかしい」
「おれもおかしいと思っとる。おかしいが事実そうなんじゃからしかたがない」
「では、下手人はどこからはいって、どこへ逃げたんじゃ」
「だからおれはいった。あれは相対死《あいたいじに》だ。おたがいが刺しっこしたにちがいないと」
「どうして、まあ?」
「それもわからん。おれの知らん事情が二人の間にあったにちがいない」
「相対死……若い美男美女なら相対死ということもあろうが」
涙香は笑った。
「二人ともみごとに短刀で心臓を刺されとる。それが相対死なら、一人はうつ伏せになり、その上にもう一人があおむけにひっくり返っとるということがあるか」
「そんなことは死人に訊け!」
「人界の事件はいかに謎につつまれて見えても、実相は合理的なものじゃ。はっきりいおう。下手人は屋内の者で……しかも、この場合、最初の発見者じゃ」
涙香は伊平次をまっすぐに指さした。
「お前さん、そこから血まみれの短刀を握って駈けて来たというじゃないか」
「あれはまだ下手人がおると思って、そいつとたたかうためだ。だいいち、離れから悲鳴が聞えて来たときおれがここにおったことは、あそこの部屋に寝ておったあの美登利が知っとる。警察もそれを認めたから立往生しとるんじゃ」
「娘さん」
涙香は美登利をふりむいた。
「そりゃ、ほんとうですかな?」
美登利はこっくりした。
涙香はちょっと当惑した眼を、隣室との間のふすまにむけて、
「あの紙は何だ」
と、尋ねた。ふすまにペタリと貼られ、破れた半紙であった。
伊平次は唇を吊りあげて笑った。
「あれは、おれがこの娘に手を出しはせんかと叔父貴が心配して貼った紙だ。……そいつをおれが破って夜這いをやろうとしたのが、あぶないところでおれを助けるもととなった。その音で娘が眼をさまし、そのとき離れから悲鳴が聞えたんじゃ」
涙香は元気をとり戻した。
「そうか。それでお前さんが叔父貴を殺した理由が判明した。お前さんは、その封印を破りたくって、叔父貴に手を出したんじゃろ。……その悲鳴というのは、何かのききちがいじゃ。娘さん、それはたしかに人間の声でしたかな?」
「はい。……いえ。人間の声のような、人間の声じゃないような」
と、美登利は、なお悪夢を見ているような、ボンヤリした、しかし恐怖にみちた表情で答えた。
「それごらん」
「馬鹿っ、そんな封印など平気で破るおれが、わざわざそのために叔父貴を殺すものか!」
「ほかにも動機は考えられる。人買い商売、南洋の女郎屋商売のうまみを一人じめにしたくなったとか――天狗顕真術としばらくつき合ったおかげで、私も少し人相見の素養が出来た。お前さんの人相を見てると、やりかねんぞ。いや、叔父貴もおんなじだが、お前さんもいままで何人人を殺したかわからん人相じゃて」
「こ、この野郎!」
ほんとうに人殺しの人相そのものになって殴りかかろうとする村岡伊平次を、うしろの巡査が怖ろしい勢いで抱きとめた。
「とにかく、私の忖度《そんたく》以外に氷解はあり得ん」
涙香はそっくり返っていった。
「人殺しの重大容疑者にこの娘は渡せん。何にしてもお前さん、当分船にゃ乗れんよ」
――時間は未明に遡る。
トン……トン……と、窓の雨戸をかろく打つ音に、久佐賀義教はふと眼をさました。洋燈のそばの置時計を見ると、六時三十分過ぎであった。
「なんじゃ?」
声をかけたが返事はなく、また、トン……トン……と雨戸を打つ者がある。
「だれだ?」
と、村岡茂平次が半身を起した。これも眼をさましたのだ。
トン……トン……音はつづいた。たしかに人間の打つ音であった。が、外はたしか大雪のはずだが、いまごろ庭にまわってそんなことをする人間はだれだろう?
久佐賀は枕頭の眼鏡をとってかけ、起きあがり、窓のところへいって障子をひらき、ついで栓をあげて雨戸をひらいた。
「……!」
見るには見たが、一瞬声が出なかった。
空中から、人間の足がはいって来たのだ。
おそらく庇《ひさし》に手をかけてぶら下がっていたものと思われる。それが、身体を振って、あっというまに、部屋の中に下り立った。
さしもの久佐賀と村岡が、胆をつぶして一方の壁際にまろび逃げていた。
天から闖入《ちんにゆう》して来たのは、全身黒衣の人物であった。それがお高祖頭巾に真紅《しんく》の天狗のお面をかぶり、腰に二本の白木の短刀をさし、黒いたっつけ袴に、足だけは裸足《はだし》であった。いま雨戸をたたいたのは、その足にちがいない。
窓の内側に仁王立ちに立つと同時に、その短刀の一本をひきぬいて手に握り、
「天誅を下しに来た」
と、いった。低い声だが、女の声であった。そして、天狗のお面をおしあげた。
「あっ……け、け、け――」
驚愕のあまり、絞め殺されるような声をたてた久佐賀義教の左胸部に、流星のように短刀がつき刺さり、彼は崩折れた。崩折れたとたんに、刀は背までつきぬけた。
壁に背をこすりつけ、恐怖の極限の表情で、
「き、き、き――」
と、これまた意味不明のあえぎをもらした茂平次に、
「忘れたか、村岡茂平次」
と、天狗はいった。
「二十年前、シンガポールでお前たちの魔手を逃がれた女です。けれど、今ここに来たのは、そのときの恨みからではありません。私の父が奉公した長崎のお奉行さまのお孫さまをお救い申しあげるため――いえ、いえ、何よりも、女に対するお前の悪業をもう見過せないため――」
「い、いへ――」
伊平次、と呼ぼうとしたのだろう、そこまでさけんだだけで、その胸にもう一本の短刀の流星がたたきこまれ、茂平次は久佐賀の身体に折り重なって倒れた。
天狗は身をひるがえし、あいている雨戸の外に小さな釘を刺した。窓に乗ると、こちら側をむいたまま、窓がまちを蹴って、ひさしに手をかけ、ぶら下がった。はだしの足をのばすと、障子をしめた。雨戸に刺した釘を指ではさんで、戸をしめた。栓はコトリと穴に落ちた。釘は足指でひきぬかれた。
あとには、無惨絵のような二つの屍体が残されているばかりであった。
最初、天狗が闖入してから、ものの一分もたっていなかったろう。まさに天狗としか思われない神速凄絶のわざであった。
まだ夜明け前だ。雪はやんでいるが、五寸ばかりふりつもった地上は、青味をおびた妖しい光を照り返している。
天狗は離れの雪の屋根にすっくと立った。手に、どういうわけか、一本の綱を握っている。――渡り廊下を、伊平次が離れに駈けていったのは、ちょうどそのときであった。
天狗が、握っていた綱をたぐると、それは空中のかなたに一直線になった。
その果ては、庭のまんなかにある欅の高い枝の一本に結ばれていた。
天狗は綱を握って屋根を蹴った。その身体が宙に浮かび、庭へ舞い下りた。欅の真下、足がスレスレになる地点で天狗は地上に下り立った。
綱をたぐると、たぐればはずれるようになっていたらしく、綱は地面に落ちた。それを腰にたばさむと、天狗はそこにおいてあった傘をぱっとひらいた。
そこから、五|間《けん》ばかり――約十メートル――離れて、裏手の家とへだつ黒板塀があった。そこへななめに、二本つないだ太い孟宗竹がさしわたしてあった。
天狗は傘をひらいたまま、その青竹の上を渡り出した。ひらいた傘は、だれの眼にも見えないが、あでやかな絵日傘であった。
寂寞《じやくまく》たる雪の世界、蒼茫たる夜明け前の光の中、だれも見ていない、だれに見られてもならない一人だけの軽業であった。青竹渡りの絵日傘は、ただの飾りではない、平均をとるために欠かせぬ道具だ。
天狗はみごとに渡り切って、塀の上に立った。あと、庭には鳥の跡ほどの足跡もない。
しかし、もし足跡をつけないためだけなら、久佐賀家の母屋の大屋根に上って飛べば、その塀の上までいっぺんに空中を帰れるだろう。……ただ、その前にやらなければならない仕事があった。
天狗が欅から塀までの距離を青竹でつないだのは――つまり、欅の下にいちど着陸したのは、欅にかけてある綱を収容するためであった。また、その前に、いちど欅の樹上に上って、綱をとりつける作業のためであった。
最初に飛ぶときは、この作業をしたのち、その塀の裏手にある二階家の大屋根から、虚空に巨大な円弧を描いて、天狗は久佐賀家の離れの屋根に着陸したのである。
その離れに、ふたたび村岡伊平次らが殺到したころ――青竹は空に回転して、天狗の影とともに裏手の家に消えていた。
それはけやき茶屋であった。
そこからいつも欅の幾何図形を見ていれば、どの高さのどの枝に綱をかければ支障なく久佐賀家の屋根に飛び移れるか、計算出来るわけである。
――惨劇の家から出ると、外はまぶしい白光の世界であった。一葉には、それがかえって異次元の世界のように思われた。
涙香、一葉、美登利、信如の順で歩く。みんな黙っている。美登利は信如からもらった造花の水仙を握っている。
「おう、お龍《りゆう》さん」
ふいに、先頭の涙香が呼びかけた。
一葉たちは、そこに、水仙を投げこんだ青竹の花活けを片手にさげているけやき茶屋のおかみを見た。
「お隣りに、えらいことが起ったぞ」
「それを聞いて、ほんとうにまあ、びっくりしているところなんでございます」
と、おかみはあえぐようにいった。
「何という怖ろしいことが……いったい、どうなすったのでございましょう?」
「それがよくわからんのだ」
おかみがふしぎそうに、一葉たちに眼をむけているのに気づいて、
「ああ、あのお嬢さんが、それ、こないだ樋口さんが話した例の娘さんだ。久佐賀家に連れてゆかれて、二、三日中に南洋へ送られるところだったのが、けさの事件で吹っ飛んでしまった。いや、私が吹っ飛ばして助け出して来たんだが。……」
涙香はいった。
「久佐賀さんと人買いの男は、離れで殺されておった。その悲鳴を聞いて駈けつけた男は、途中だれにもゆき逢わん。離れの窓は閉じられたままだし、まわりの雪の上には足跡がない。で……その駈けつけた男――人買いの男の一人を犯人じゃと私がきめつけてやったんじゃが、実はたしかなことはわからん。どうも下手人はその男じゃないようで、私ゃ首をひねっとるんだよ」
おかみは何とも返事のしようがないらしく、首をかしげて立っている。
「ところで、あんたどこへゆくのだ」
「はい、あの……ちょうどうちは藪入りで、一人も奉公人がいないものでございますから、まだよく事情がわからないのでございますが……とにかくお隣りの旦那さまが亡くなられたというので、何はともあれ御遺骸のそばにでも置いていただこうと存じまして……」
「その花をか」
「はい、いけませんでございましょうか」
「いかん、いかん、まだそんな状態じゃない」
涙香に大袈裟に手をふられて、おかみは当惑した表情で佇んでいたが、
「それは天狗のしわざでございましょうか。……」
と、つぶやき、美登利のほうへ顔をむけて、
「それじゃ、また出直しましょう。お嬢さま、もしよろしかったら、これをお持ちなさいまし」
と、花活けのまま水仙をさし出した。
美登利は茫然と受けとった。
「それがおととい切ってた竹で作った花活けかね」
「そうでございます」
「ふうん、風雅なものが出来るものだな」
と、涙香はいい、「じゃ、また」と、歩き出した。
一葉は、ただ黙礼したまま通り過ぎた。彼女はおかみを、自分たちとは無縁の人だと思っている。
坂を下りると、美登利の手にはいまの花活けの水仙しかなかった。ふり返ると、坂の途中に信如の造花は捨てられているようであった。
一葉につられてふり返った涙香は、それには気づかず、
「しかし、この際だが、あれはいい女だなあ。あのしとやかさはどこで身につけたのか知らん」
と、つぶやいた。
雪晴れの蒼空《あおぞら》の下、本郷あぶみ坂の上に立って、こちらを見ているおかみは、無縁の人だと思っても、ほんとうにウットリせずにはいられない優雅な姿であった。
*参考資料「村岡伊平次自伝」
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〈関連年表〉
年           出来事
安政四年(一八五七)   幕府、オランダより三百トンの木造戦艦を購入、咸臨丸と命名する
万延元年(一八六〇)   咸臨丸、遣米使節の随行艦として、初の太平洋横断に成功
文久二年(一八六二)   ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』
慶応三年(一八六七)   パリの万国博覧会開催。日本より旅芸人渡仏
明治元年(一八六八)   明治維新
鳥羽・伏見の戦い
五稜郭の戦い
明治二年(一八六九)   エミール・ガボリオ『ルコック探偵』
明治四年(一八七一)   十一月、岩倉具視視察団の渡米
明治五年(一八七二)   九月、パリ警察組織視察のため、川路利良渡仏
十二月、マリー・セレスト号事件
明治六年(一八七三)   築地の西洋料理店・精養軒開業
明治七年(一八七四)   成島柳北『柳橋新誌』
明治八年(一八七五)   六月、讒謗律の制定
明治十年(一八七七)   西南戦争
明治十五年(一八八二)  四月、岐阜事件(板垣退助刺傷事件)
明治十七年(一八八四)  十月、秩父事件
十二月、金玉均による甲申事変
明治十八年(一八八五)  坪内逍遥『当世書生気質』
十一月、旧自由党員・大井憲太郎らによる大阪事件
粘菌研究のため、南方熊楠渡米
明治二十二年(一八八九) 北村透谷『楚囚之詩』
黒岩涙香『無惨』
明治二十三年(一八九〇) 森鴎外『舞姫』
明治二十四年(一八九一) 六月、川上音二郎、東京で壮士劇を興行
明治二十五年(一八九二) 十月、北里柴三郎、伝染病研究所を設立
十一月、黒岩涙香、「万朝報」を創刊
明治二十六年(一八九三) 一月、川上音二郎、初日を前に演劇視察のため、仏へ向けて突然神戸を出発
明治二十七年(一八九四) 樋口一葉『大つごもり』
七月、日清戦争開戦
明治二十八年(一八九五) 樋口一葉『たけくらべ』
十月、京城の閔妃殺害事件
明治二十九年(一八九六) 三月、横浜に、中国人ペスト患者上陸
明治三十二年(一八九九) 福沢諭吉『福翁自伝』
明治四十年(一九〇七)  一月、福田英子、日本最初の社会主義的婦人雑誌『世界婦人』創刊
明治四十一年(一九〇八) 永井荷風『あめりか物語』
明治四十三年(一九一〇) 森鴎外『普請中』
明治四十五年(一九一二) 一月、白瀬矗中尉による北極探検隊の出発
大正八年(一九一九)   野口英世、黄熱病病原体を発見
サマセット・モーム『月と六ペンス』
昭和六年(一九三一)   長谷川伸『一本刀土俵入』
昭和四十九年(一九七四) 星新一『祖父・小金井良精の記』
[#地付き](作成・日下三蔵)
山田風太郎 (やまだ・ふうたろう)
一九二二(大正十一)年一月、兵庫県養父郡関宮町の医家に生れる。三六年中学に入学、その頃の仲間の渾名が雲太郎、雨太郎、雷太郎で、筆名・山田風太郎の契機となる。四九年、「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ章を受賞。五〇年、東京医科大学を卒業するが、医師の道を進まず、作家として身を立てる決心をする。
『甲賀忍法帖』『くノ一忍法帖』を初めとする、風太郎忍法を生み出し、忍法ブームをまきおこす。さらに四八年より『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治波濤歌』など、独自の手法による明治もの≠発表、ファンをうならせる。他に、『人間臨終図巻』『あと千回の晩歌』など死をみつめた作品もある。二〇〇一年、尊敬する江戸川乱歩と同じ、七月二十八日没。
本作品は一九九七年九月、ちくま文庫として刊行された。