山田風太郎明治小説全集13
明治十手架(上)
目 次
明治十手架 上
原胤昭座談抄
牢獄島
凶獄卒
恍惚と惨劇
十字屋絵草紙店
罪びとの波止場
切支丹の町奴
巾着切りぬらりひょん
どろん・ぬらりひょん
臭徒行伝
アラダル溶闇
開化の首斬り人
妖花は風に舞って
怪物とその用心棒
サルマタは飛ぶ
似顔絵
化師の秀
錦絵六壮士
物怪集う
星の涙の降る夜に
幻架
関連年表
[#改ページ]
明治十手架 上
原胤昭《はらたねあき》座談抄
一
あなたがた、毎日曜日、せっかくお休みの日を、豊多摩刑務所からわざわざこの神田の「原の家」へおいでになって、いろいろお手伝いして下さる。
それはあなたがたの上司で所長の有馬|四郎助《しろのすけ》さんから、ここへ見学にゆけとのおさしずによるものではありましょうが、機会があったら私の話を――特に、私がこういう出獄人保護にたずさわることになったきっかけについて――その話を聞いてこいとのお言葉もあったそうですが、何しろ古い古い明治のことで、記憶にも少々あやしいところがある上に、あの当時のこと、想い出すのも実は、つらい、切ないような感じもあり、何度かのお尋ねにもかかわらず、笑いでごまかして参りました。
が、さっきどなたかが、そこの壁にかけてある十字架にお目をとめられて、あれは十手のようでもあるが、と首をかたむけられた。
いつもあそこにかけてあるものでござんすが、それで久しぶりにつくづくあれを眺めているうちに、あらためてさまざまな想い出がよみがえり――かつは、お恥ずかしや、ことし喜寿なんてえ始末に相なりまして、あと何年かでまるっきりもうろくしちまうだろう、それならいま、何とか記憶の残ってるうちに、あれこれひとしゃべりするのも悪かあねえかも知れねえな、と思案いたしました次第です。
御承知のように、私は明治十七年、日本ではじめてのキリスト教の教誨師《きようかいし》ってえものになり、明治三十年ごろからここで、これまた日本ではじめての免囚すなわち出獄人の保護という仕事にとりかかったものですが、きょうはそれよりまだ昔の――そもそも私が洗礼を受ける前後の話をお聞かせしようと思う。そのころの体験が結局いまの仕事につながるのですが、これア私と親しい有馬さんも御存知ないはずです。
きょうは、といっても、いっぺんに何時間もしゃべるようなあごはもうござんせん。しかも、きょう一日かぎりではしゃべれそうにない想い出はいろいろあるんでさあ。従ってこれから何日かにわけて――それも日曜日ごと、あなたがたがおいでなすったときに、ぽつぽつお話しすることにいたしましょう。
いま、外は春雨がふってますねえ。それで結局、これから何ヶ月になりますか、話の終るのは夏か秋か見当もつきませんが、ごたいくつのおかたは、途中でもどうぞ御遠慮なく座をはずしておくんなさい。きいてやる気になったおかただけ、どうぞおききなすって下さい。私はちっとも気にはしません。
おうい、そこにいるやつら、かみさんが留守だから、だれでもいいから旦那《だんな》がたのお茶をお替えしろ。こら、尻《しり》をまくったまま、鉄瓶をぶら下げて出て来るやつがあるか、この唐変木《とうへんぼく》め。
ま、寄席《よせ》のもうろく講談をきいていただくようなものかも知れませんが、まわりに右往左往してるのは、ごらんのように牢《ろう》から出て来たあらくれ者ばかり。寄席のお茶子とは似ても似つかぬ殺風景ぶりは、どうぞごかんべん願います。
それに、じじいの通弊で、よけいな余談がはいる上に、何しろ監獄教誨師なんてえものをやってた癖が出て、ひょっとしたらところどころでお説教がまじるかも知れませんよ。……それから巡査看守その他司法関係の方々について、お耳ざわりのことを述べることがあるかも知れませんが、こりゃ明治も前期のころのお話です。おにがいところは薬と思ってお聞きを願います。
二
まず物の順序として、幕末、それから御一新前後の、江戸町奉行所の与力同心についてお話しいたしましょう。
御一新のとき、私|原胤昭《はらたねあき》は弥三郎といい、泣く子も黙る八丁堀の与力でした。まあ、それくらいのことは有馬さんからお聞きになってるでしょう。ちょうど年は十六でござんした。
御承知のように、江戸町奉行の下で与力五十騎、同心二百五十人、これが江戸の治安を守る枢軸でありました。その同心の下のいわゆる岡《おか》っ引《ぴき》なんざ、あれは同心が私用に使ってる者で、役人の中にはいってはおりません。
十六歳で与力とは、と、いまじゃあ眼をまるくされるかたが多いでしょうが、驚くのはまだ早い。私が与力の家督を相続したのが慶応二年、何しろ十四のときだったんだから。
原という家は、徳川《とくせん》家のはじめから与力なんです。あとでお見せしてもよろしいが、慶安四年、例の由比正雪の事件で、一味の丸橋忠弥を召捕りに向ったとき、その検使役として、原兵左衛門なる者が立ち合ったという公儀の書き物がちゃんと残っております。この原兵左衛門が原家三代目の与力です。私は十三代目に相成ります。
そういう家柄で、子供のときからそれらしい作法で育てられておりますから、十四で与力となっても、別に何とも思わなかった。
世間じゃあ、どういうわけか与力同心を「八丁堀の旦那」と呼んでいた。私もそのころから旦那と呼ばれていました。
当時はこれを可笑《おか》しいなんてつゆほども思わず、自分じゃあ、さよう――颯爽《さつそう》としているつもりで大手をふって歩いていました。
いま考えると、あの風態はやはり可笑しいですな。お白州へ出るときはカミシモをつけますが、ふだんはイキな着流しです。これに黒紋付の羽織を着、大小をかんぬきざしにする。頭はサカヤキを剃《そ》ってもらって、一人前の顔つきをしてる。この小さい与力のあとから、股引《ももひき》に尻《しり》っからげ姿の下男が、必要書類をいれた御用箱をかついでお供する。
こうして御奉行所に出勤するものの、新米《しんまい》で、その年ごろで、与力本来の捕物の出役やお白州の調べなんぞができるわけがない。でも、それなりに使い道はあるんです。
はじめ私どものやらされたのは、お白州での訴え書の朗読、それから検使、つまり処刑場での立ち合いですね。そして人足寄場の見回り、などでござんした。この人足寄場ってえやつがあとで私の一生にのっぴきならねえかかわりを持ってくるんでござんすが、このことはあとで詳しく申しあげましょう。
こういうお勤めを、私は勇気りんりんとしてやった。
いまいった検使など、斬罪《ざんざい》、はりつけ、火あぶり、獄門などの立ち合いが、よくそんな少年にできたものだと、いまじゃあ自分でも首をひねりますけれども、少年だからがまんしたのかも知れません。とにかく、それを検使するのが原家という与力の畑に生まれたものの務めだと思いこんで、私は平気でした。その酸鼻な光景に眼をすえながら、見よ、悪の末路ここにあり、と自分にいい聞かせたのを私はおぼえている。
新米としてのお勤めはお勤めとして、むろん私は大人の与力になる日のために、いろいろ修行をやりました。
八丁堀の与力の組屋敷は、一軒あたり三、四百坪の土地をいただき、二百石のお扶持のほかに、恒例として各大名方から付け届けが贈られるので、どこでも下男下女、五、六人はおくという、まさに「旦那《だんな》」の暮しでした。侍が窮乏し切っていた幕末じゃ、ずっと禄《ろく》の多い旗本衆より、こっちのほうが豊かだったかも知れない。
一方で、なかなか修行はきびしゅうござんした。組屋敷内に、剣術、柔術、十手|捕縄《とりなわ》の道場はもとより、馬術のための馬場までありました。
いえ、家督相続を待たず、私は十歳前後からそんなところへいって、稽古《けいこ》のまねごとをやったもんです。教えてくれたのはむろん与力同心の先輩ですが、たえずよそからの先生も呼んでいたようで、それは主として腕の立つ旗本や御家人がただった。
その中で忘れられないのは、旗本の佐々木只三郎という人でした。
この佐々木という人が忘れられないのは、二、三度、少年の私に稽古をつけてくれて、「お前、なかなか筋がいいぞ、さきがたのしみだ」と、ほめてくれたのと、そのすぐあとに京都へいって、いわゆる京都見廻組の隊長になり、そのまま鳥羽伏見のいくさで討死したという風聞を耳にしたことと――そして、これは少しあとになってから聞いたことですが、例の清河八郎や坂本龍馬を手にかけたのはどうもこの人らしい、という話などからでした。私の記憶にあるのは、三十なかばの沈毅《ちんき》せいかん、と評するしかないその風貌《ふうぼう》です。
それからもう一人、これは記憶に残る、どころではない。のちに私の生涯にかかわる縁を持つことになる有明捨兵衛《ありあけすてべえ》という人でありました。
これは外から来た人じゃない。私の家と同様、与力です。
佐々木さんと同年配でしたが、これが十手捕縄の名人でした。
学者みたいにもの静かな人で、代々秘術を伝えて来た家柄の、そんな術の名人とは思えない、知らないものには、与力とさえ見えない。私は「先生」と呼んでいました。
一口に十手というが、十手にもいろいろある。
よく岡《おか》っ引《ぴき》や手先が、御用御用とわめきながら朱房の十手をふるって、なんてえ小説や活動写真がありますけれど、朱房の十手を持つことを許されてたのは与力か同心だけです。岡っ引の十手には、そもそも房なんかない。
材質から見れば鉄製と真鍮《しんちゆう》製に分れますし、それも七寸から一尺以上、かたちに至っては、丸型十手に角型十手、刃鉤《はかぎ》十手に鍔《つば》十手、無鉤《むかぎ》十手に二鉤《ふたかぎ》十手、鉄砲十手に鳶口《とびぐち》十手、鉄扇十手に目つぶし十手、南蛮十手に朝鮮十手、等々。
それ、あそこの壁にかけてあるのが、その中の二鉤十手を変形させたものなんでさあ。
捕縄にもいろいろある。
縄は麻を三本ヨリにしたものですが、これも投げ方、かけ方、縛り方に、それぞれ日縄《ひなわ》、陰縄《かげなわ》、刀縄、玉縄、つばさ縄にこうがい縄、連雀《れんじやく》縄にくぐり縄、無双縄にかいどり縄なんて、さまざまござんす。
そして、それを使う術にも、方円流、制剛流、そして剣術みたいに新陰流なんてえのもある。
さて、私はこれを習いに組屋敷内の道場にもいったが、それより有明先生のおうちへうかがうことが多かった。というのは、道場じゃ、小さいのがウロチョロしてもじゃまにされるだけだし、だいいち先生が、名人という噂《うわさ》は高いのに、めったに道場へ指南に来ないからです。
この有明先生ってえ人は、お勤め以外は、家で本を読んだり、浮世絵を見たりしてるほうがお好きなたちらしくてねえ。
で、私はしょっちゅう有明先生のところへいった。先生も私を可愛がって下すって、机から離れて庭先などで、十手|捕縄《とりなわ》の稽古《けいこ》をつけて下すった。
十手のほうにも、竹内流、一角流、江戸|町方《まちかた》流なんて昔からの流儀があるが、先生のは先生独創の有明流というものでござんした。
なに、いろいろな流儀の詳しいことなんざのちに知ったことで、当時はほんの初歩的な手ほどきですが、それでも私は剣術や柔術よりも面白いと思いました。
ただ、私が有明先生のところへよくいったのは、十手捕縄のこと以外に、そこにゆくだけで何やら心はずむことがあったせいかも知れません。
有明家には二人の娘さんがありました。姉はお夕《ゆう》ちゃんといい、私より五つ下、妹のおひろちゃんはそれより二つ下でした。
こっちが十代前半なんだから、二人ともまだほんの子供です。妹のおひろちゃんなんか、ほんの|ねんね《ヽヽヽ》といってよろしい。
……ところが、姉のお夕ちゃんは少し変ってた。変ってたといっても、どう変ってたか、一口では申せませんが……母親だった人は、美しいけれど病身でさびしい感じの人でしたが、お夕ちゃんのほうがそれに似ていた。別に病身ではありませんが、何かこう、半透明な感じがする娘でした。
妹のほうは年齢相応にはねまわっているだけですが、姉だって年はいくらもちがわないのに、どこかおとなびていて、口数も少ない。といって別に陰気でもない。私を見ると、にこっと笑っておじぎします。私もどう口をきいていいかわからないから、やはり、にこっとしてすぐに先生のところへゆきますけれど、お夕ちゃんの顔を見た日は、一日じゅうほのぼのと胸がけぶるような気がしました。
いまになって想い出せば、こんな桃源境のような世界から、血まみれの仕置場や、生地獄のような人足寄場へ出勤し、それにちぐはぐな感じも持たず、生まれてからの日常として暮していたのだから、少年時代の自分がふしぎです。
それどころか、私はそういう日々を、よろこびと活気にみちて過ごしておりましたような次第で。――
が、この与力の組屋敷の奇妙な平安はつづかなかった。やがて瓦解《がかい》の時が来たのです。
三
私は少年のこととて、時勢の移り変りなどまるでわからなかったのですが、私に関係したことで、前兆ともいうべき一つの異変がありました。
瓦解の一年半ばかり前でしたろうか、師匠の有明《ありあけ》先生が京へゆかれたのです。あとで知ったことですが、それは先に上洛されていた佐々木只三郎さんが呼ばれたのでした。
御承知のように、当時京都では、いわゆる勤皇の志士のテロリズムってえやつが荒れ狂い、それに対して幕府のほうも新選組を作って対抗したが、それでも追っつかない。そこで、新選組は多摩の郷士などを基幹としたものですが、それとは別に旗本御家人の次男坊、三男坊などが志願して京都へゆき、京都見廻組というものを作って志士狩りに協力した。
佐々木さんはその隊長となられたのですな。そして、町奉行を通して、特に名指しで有明先生を呼ばれたらしい。
むろん、先生の十手|捕縄《とりなわ》の助けを求められたものでしょう。
先生がいなくなると、有明家へゆく用事がないので、私はちょっとさびしかった。
そうこうするうち一年ほどたち、それまでわりに平穏だった江戸も俄然《がぜん》騒がしくなった。薩摩浪人たちがあばれまわるいわゆる御用盗やら、薩摩屋敷の砲撃やら。――
その前後に、有明先生がひょっこり帰って来ました。
そうと聞いて、私はよろこんで先生の家へかけつけたが、もう落ちついて京都での話なんか聞いてはいられない。――もっとも先生も少年の私にそんな話はしなかったでしょうが――年が明けると早々に、鳥羽伏見で幕府方が薩長軍に敗れたという悲報でござんした。
旗本連と同様、八丁堀でも強気派と弱気派が出て混乱しました。私など年少のものは、三百年つづいた幕府が崩壊するなんて毛ほども信ぜられず、かん高い声で抗戦継続を口走りましたが、そんなかぼそい声の通るわけもなく、大人の抗戦派だってたちまち総崩れになっちまったのは御存知の通りです。
そして、あれよあれよというまに官軍が江戸を占領する日を迎えてしまいました。彰義隊が最後の花火を打ちあげたが、徳川はもう終りでした。やがて最後の将軍家慶喜公は静岡へいって御謹慎の生活にはいられる。で、徳川の侍たちは、さきの見込みもなく、続々とあとを追って静岡へ移る。
さて、この大瓦解のときにあたって、八丁堀の与力同心はどうしたか。
官軍の追及を怖れて、徳川方のお大名は右往左往、旗本衆は四散というていたらくになっちまったんでござんすが、ふしぎに八丁堀にはそれほどの異変は起きなかった。
もっとも、こちら側の処置もよかった。
もはや天下の大勢は変えがたい、と判断して、こうなったらせいぜいきれいな負けっぷりを見せてやろうじゃあねえか、ってんで、奉行所に乗りこんで来た官軍の隊長に、書類、公金、一枚一両も隠すところなくさし出して、事務のひき渡しを申し出ました。
これには向うも感心したと見え、すぐに、八丁堀の与力同心は一人も免職しない、そのまま全員居残って、従前通り仕事をつづけてくれ、ということになりました。
なに、その神妙さに感心したばかりじゃない、実際問題として官軍は、武家関係のことは別として、江戸八百八町の市政についちゃまるっきり不案内だから、治安を守るためにゃ今までの与力同心に頼るほかはなかったんでさあ。
奉行はそのときどきによって交替しますけれども、与力同心は世襲でござんすからね。江戸市中のことはたなごころを指すようにみな知っている。八丁堀が変になっちまったら、江戸の市民は蜂《はち》の巣をつついたような大混乱におちいってしまったでしょう。
江戸は東京と改名され、南北町奉行所は「東京市政裁判所」、私どもは「判事所属書記」なんてクソ面白くもない名に変えられたものの、仕事は従来通りということになったが、こちらとしてはみんながみんな、首をなでてほっとしたわけじゃない。
これからの暮しのことはさておいて、薩摩のイモ侍や長州のフグ侍にあごで使われるなんてまっぴらだ、ってえ連中も半分くらいはござんした。お先まっくらながら、やはり静岡へゆこうってんです。
これには幹部もあわてて、それじゃ新政府に意地を張るようで角が立つ、と説諭した。結局大半は居残ることになりました。私も実は先将軍さまに殉じたい組の一人でしたが、その私をこんこんと説得したのは有明《ありあけ》先生です。
弥三郎君はまだ十六だ。何もかもこれからなんだ。静岡へいった連中はみんな食うにも困ってるらしいが、そんな残党の捨場所に落ちていって何になる、お前さんは新しい東京にとどまって、新しい世界を切りひらいてゆくがいい、といって私を説き伏せました。
そのくせ自分は、静岡へゆくってんです。
聞いてみると、京都へいった際、いわゆる志士ってえやつとだいぶやり合ったから、そいつらが官軍となって乗りこんできた東京にいるのは、少々けんのんな気がするってんで。――
これには私もなるほどと合点しないわけにはゆかなかった。そして、そんな心配がなくなったら、やがて東京に帰って来るという約束をしました。
私はお夕《ゆう》ちゃんたちと別れるのがつらかったが、しかし、すぐにまた逢《あ》える日が来るだろう、と考えて自分をなぐさめました。
四
さて、新政府でのお勤めです。
新政府が当初思案に余ったものの一つは司法関係で、なかんずく困ったのは小伝馬町の大牢《たいろう》や石川島の人足寄場をどうするか、どう扱っていいのかという問題だったろうと思う。前政権の与力同心を一応そのまま使おうとした理由は、おそらくそのためでもござんしたろう。
さっき私は、与力としては年少なので、主な仕事として人足寄場の見回り役を命じられていたと申しましたが、それは新政府になっても同様でした。それどころか、奉行所の仕事がなくなったせいもあって、そのほう一点張りになりました。
人足寄場は、寛政のころ、長谷川平蔵という人がひらいたものです。
この人は四百石の旗本で、若いころは市井のごろつきとつき合うような無頼の一面を持つ人だったらしいが、やや年をとるとともに非常な有能さを発揮するようになって、ついに「火付盗賊改め」という重職につくに至った。
これは徳川の中ごろから始まった、火付けと盗賊を検挙することを専門とする役目で、もともとが荒っぽい仕事ですが、長谷川平蔵がこの役につくと、鶏一羽盗んだやつまでたちどころにそッ首をはねるという凄《すさま》じさで、たちまち六百人ほどの首を撫《な》で斬《ぎ》りにして、しばらくは江戸から火付け盗賊があとを絶ったといわれます。
ところが、こんなおっかない人が、一方ですばらしいことを考え出した。
平蔵は一応江戸の火付け泥棒のたぐいをねじ伏せましたが、当時江戸に流れこんで浮浪化しているおびただしい無宿者を何とかしなけりゃ、とうてい根絶できるものではない。また、タタキとか入れ墨などの比較的軽い刑を受けて牢から放り出された連中も、二度、三度、犯罪に戻るよりほかはない、と見た。そこで、これら犯罪予備軍ともいうべき連中と、すでに刑を終えた連中の中で、どうにも危ねえと見たやつらを狩り集めて、手に職を教え、賃金を与え、そこを出るとき積み立てたその賃金をわたしてやるという施設――いまでいう授産所ですな――を作る必要がある、と時の老中松平定信公に上申したのです。
それを定信公が受けいれて、その場所として佃島《つくだじま》の東側の浅瀬を埋めたてた島をあてた。これが石川島で、ここにいわゆる人足寄場が誕生したのであります。
時に寛政二年。
西暦で申すと一七九〇年。私が調べたところによりますと、西洋で出獄人保護という事業は、その少し前にアメリカで創始されていますが、ヨーロッパじゃずっとあとのことになります。
そういう出獄人保護事業とはいささか形態が異なりますけれども、ともかくもその理念をふくんだ設備を、長谷川平蔵は日本で独創的に考えついたので、ほんとうにエライもんです。
そのおかげで、七、八十年後、私のようなものまでが石川島の見回り与力なんてえものになり、明治の御一新になっても仕事はそのまま受けつぎ、それどころか七十七の今も、ここで免囚保護の「原の家」なんか作って苦労してるって始末になっちまったんでさあ。あはは。
長谷川平蔵が、出獄人や無宿人に働く場所を与え、生業を教えるということを着想したのはエライが、これが本人の自覚やお上の慈悲ばかりでうまくゆく気づかいのないことは、平蔵もよく知ってました。そんな連中は、まずたいていが凶暴無比の悪党か、刺青《いれずみ》する痛みなら十日でもがまんするが、まともに働くのは三日もしんぼうできねえってえ遊び人でござんすからね。
だから、そこへはまず強制収容する。はいってからあまり期間が短いと手に職もつかず、根性もなおらねえから、はいったら三年半はそこから出ることは許さない。そのためには四辺水にかこまれた島であることが望ましい――というわけで、石川島がそれにあてられたわけです。
江戸の人々は、ここを「無宿|島《じま》」と呼ぶようになりました。
そこで、長谷川平蔵の当初の理念はともあれ、この施設はどうしても大きな牢屋《ろうや》の色をおびざるを得ない。
最初は町奉行所とは別の機構で、事実旗本から寄場奉行が任ぜられたのですが、町奉行所のほうから、これは刑罰にかかわることだからといって、与力同心の派遣を要求し、年とともにだんだん牢屋の島に変り、なまじ授産設備があるために、明治になってからは完全に懲役場と化してしまいました。
私なども、寄場見回り与力として、石川島の連中をまったく罪人視して何の疑いも持っていませんでした。
五
さて、御一新以後も、私はそれまでと同様ここに勤務しましたが、ここは御一新前とほとんど変らない世界でした。
外はまるで走馬燈のように変る文明開化の世に、私は依然としてチョンマゲをゆい、刀に十手を持つ旧幕の与力姿でした。ただし、それまでの通称弥三郎を改めて、名乗りの胤昭《たねあき》を用いることにしました。
若い連中は先を争ってザンギリ頭にし、洋服を着る者さえ続出する中で、明治元年、十六歳だったくせに、生来私には変にガンコなところがあって、世の中のあまりな変りようが気にくわなかったんでござんす。
朋輩《ほうばい》には、刀はともかく、さすがにもう時代おくれの十手なんか持つ人はいなかったのですが、私は「判事書記」なんてえものになってから、いよいよ熱心に十手を稽古《けいこ》した。だいたい一人修行ですが、真髄はそれまでに有明先生にたたきこまれている。そのうちに、こういっちゃ口はばったいが、十手術にかけちゃわれながら相当な域にまで達したのじゃないか、と、うぬぼれるくらいになりました。いや、これはね、意地っぱりやへそ曲りだけの無意味な修行じゃなく、実は必要があったんです。
十手の目標は囚人じゃない、新しく傭《やと》われた役人連でござんした。
さきほども申したように旧幕の与力同心の大半はそのまま残ったとはいうものの、石川島にはやはり補充として新しい役人がはいって来る。その多くが薩長出身、特に薩人が多うござんした。いえ、補充どころじゃない、年とともにそっちのほうが次第にふえて来たんですが、みんなここにいる囚人以下の、まるでごろつきみたいなやつらばかりだ。
これが虎《とら》おおかみみたいにいばりやがって、私どもにいばる。囚人に対しては人間扱いをしない。
いや、おかしなもんでねえ、いままで申したように私どもだってけっこういばってたんですが、新米の役人にくらべると、あれでもまあ、身内の極道を扱うように扱ってたんだなあってえことがつくづくわかった。ここは囚人を懲罰する場所じゃない、真人間に返すところだという長谷川平蔵の精神がどこか一脈伝えられてたのかも知れません。
それは囚人たちも同様らしく、旧来の私どもに馴《な》れつき、よくいうことをきくんです。
新米の役人たちはそれをいまいましがって、われわれの見ている前で、つらあてみたいに囚人を虐待する。見るに見かねてわれわれがかばう。するといよいよのぼせあがって理不尽に囚人に暴行を加え、はてはわれわれにも暴力をふるおうとする。
ところが――これは私の場合ですが――私もようやく青年期にはいり、それまでだいぶ柔術の修行などやりましたから、ちょっとやそっとでは参らない。そこであちらは血迷って、そのころポリスが持っていた棒などを持ち出す。
これを防ぐのに甚だ好都合なのは十手でした。
十手はむろん攻撃にも使えますが、主眼は防禦《ぼうぎよ》の武器です。これなら血を見なくてすむ。
血は見なくってもすむが、私の対応ぶりは相当に手荒かった。相手の眼をまわさせたことが何度かあります。
十手にも工夫を加えましてね、鉤《かぎ》が一方にだけついた正規のもののほかに、いろいろ変種があることはさきに申しましたが、私は棒をふせぐには左右に鉤が二つ出たやつがいちばん好都合だと考えて、家にあった何種類かのうちから二鉤《ふたかぎ》十手をえらび出して、それを帯にはさんでました。
こういうわけで、そのころ石川島じゃ、原の十手というと、ちょっと有名なもんでした。はは。
――おう、かみさん、帰って来たか。いや、お前はいやがるだろうが、この旦那《だんな》方のおすすめにとうとう負けて、きょうはあれこれと昔ばなしだ。何か菓子でも買って来たなら出してくれ。なに、買って来たのア菓子じゃなくって桜の花だって? ああ、雨で花見にもゆけねえからか。
いや、雨がふらなくったって、ずいぶん前から花見をしねえな。いや、すまねえ、すまねえ。
ええ、ごらんのようにこの「原の家」にゃ、入れ替り立ち替り、牢《ろう》から出たやつが訪ねて来て、いろいろ相談を持ちかける。それを聞いてやるのが私の天職と心得てるから私はかまわねえが、女房にゃいつもすまねえとわびてるんでさあ。いや、こりゃないしょの話ですがね。
さて、その昔ばなしですが、実は私はね、そのころ石川島に勤めてはいたものの、囚人以下の人間のくずみてえな野郎どもが、看守づらしていばりまくるのが癪《しやく》で、いつやめてもいいという心づもりでいたんです。だからそういう手合いとケンカするのも平気でござんした。
私ばかりじゃなく、明治三年、四年と時が移るにつれて、昔からの先輩はぽつりぽつりと歯のぬけるようにやめてゆきました。そんなもめごともさることながら、瓦解《がかい》直後の応急処置としての留任期が過ぎて、お上のほうじゃもう出てゆけがしの方針を、だんだん露骨に見せはじめていたんでさあ。
ところで、いつやめてもいいという気の私は、やめなかった。右のような状態だから、かえって意地になってたんですな。
なんと、明治も七年になるまでそこにとぐろを巻いてたんです。私は二十二になっていました。
この年に、私の運命を一挙に変える大変事が起った。
牢獄島
一
「原さん、御面会人があります」
明治七年、西に佐賀の乱が鎮定されたことが伝えられて間もない早春のある午後、石川島懲役場の役所の一室で書類を見ていた原胤昭《はらたねあき》のところへ、小使いがやって来てそう告げた。
ふつうなら「何とか書記どの」と呼ぶところで、げんにほかの書記たちはそう呼ばせているが、胤昭は「てやんでえ」といって、押丁《おうてい》たちにも原さんと呼ばせている。
「おれに面会人? はて、だれか知らん?」
「有明捨兵衛《ありあけすてべえ》という方ですが」
「……あっ」
と、思わず叫んで、胤昭は立ちあがっていた。
「それにきれいな娘さんと……それから、異人もついて来てますぜ」
「へーえ?」
小首をかしげながら、躍るように胤昭はかけ出した。
有明先生には、御一新後、有明一家が静岡へ去ったあと、会ったことがない。
その後、静岡から帰って来た元旗本などにその消息を尋ねたが、だれも知らない。どうやら有明一家はまもなく静岡からも去ったらしい。――気にはかけながらどうしようもなく、そのままになっていたのである。
その有明先生が来られた!
しかも、きれいな娘さんを同伴しているという。――お夕《ゆう》ちゃんにちがいない。
門までつづく石だたみの上を走ってゆくと、そこに一団の人間が佇《たたず》んでいた。
門前の向うはすぐに、渡し場になっている海だ。碧《あお》い早春の海を背に、胤昭はその中のだれよりも先に一人の娘の姿に眼をやった。
お夕ちゃんだ。お夕ちゃんにちがいない。
しかし、これがお夕ちゃんか?
あとでお夕がことし十七になっていたことを勘定し、また明治元年に別れたときは十一だったことを勘定してうなずいたが、そのときは――そこに立っている唐人《とうじん》まげの娘に、まさにお夕の面輪《おもわ》を認めながら、碧い海に不知火《しらぬい》が燃えたかと見える美少女ぶりに眼を見張ったまま、原胤昭は数瞬立ちすくんでいるばかりであった。
お夕も眼をかがやかせて、しかし微笑していた。
胤昭は、彼女の胸に小さな銀の十字架がゆれているのに気がついた。
「弥三郎君」
呼ぶ声がした。
ふり返ると、有明先生だ。
これは、七年分|老《ふ》けたことにまちがいはないが――四十なかばだろう――あまり変らない。
「いや、これはりっぱな青年になったなあ」
それが七年ぶりの最初の挨拶《あいさつ》であった。
「徳川《とくせん》は滅んだが、八丁堀の伝統は大丈夫つづいてると見える。ほれぼれするほどイキな旦那《だんな》になったじゃないか。――いくつになった」
「ええと、二十二になりました」
胤昭は顔をさくら色に上気させて、
「ほんとうに御無沙汰《ごぶさた》しました。御消息を探したこともあったんですが、静岡にもいられないそうで――」
「ああ、あれからまもなく横浜にいったんだ」
「横浜へ?」
「まあ、おたがいのその後の話はあとにしよう。ところでこの方は、横浜で施療所をひらいておられるドクトル・ヘボンという方だがね」
「ああ、ドクトル・ヘボン!」
胤昭は叫んだ。
有明先生とならんで立っている異人は、西洋人にしては小柄なほうで、山高帽からはみ出した髪には銀がまじっているが、年は六十前だろう。気品高く、おだやかな容貌《ようぼう》で、澄んだ碧《あお》い眼で会釈した。
ドクトル・ヘボンの名は、胤昭も知っている。横浜はおろか東京にも聞こえている神魔のごとき大医だ。
「知ってるかね。このヘボン先生が、私が昔与力を――まあ、エドの警察の高官ということになるか――やってたことを最近知られて、ひとつ日本の監獄を案内してくれといい出されたんだ。いまの監獄とは関係ないと申しあげても、それでもだれか知り合いはあるだろうとおっしゃる。そのとき、ふとお前さんがこの石川島にいることを思い出したのさ」
と、有明捨兵衛はいった。
「いや、その前に、小伝馬町の大牢《たいろう》――いまは伝馬町囚獄署という名になってるそうだが――あっちの見学を考えたんだが、異人さんの牢屋見学というと難しかろうと、一応警視庁へ出頭して御意向をうかがったところ、来年市ヶ谷監獄ってえのが出来るそうで、いま小伝馬町の牢はとりこわしが始まっているという」
「警視庁」は、この年の一月十五日、鍛冶橋《かじばし》に誕生したばかりであった。
「どうしても見たいなら石川島へゆけってえことになり、そこでお前さんを思い出したわけだが――ここまで話をつけるのも実は大変だった。希望されるのが、政府の大官でさえ病気になりゃお世話になるヘボン先生でなけりゃ、許可にはならなんだろう。――それでも気をつかって、護衛つきだ」
と、有明先生は横のほうを見て、苦笑した。
そこには、一人の巡査が立っていた。こちらの話の聞こえる距離ではないが、遠目にも陰鬱《いんうつ》な仏頂づらをしていた。
「もう一人ついて来たが――私はまず君に会いたいと申しこんだのだが――その一人は、署長さんに連絡にいった」
「そうですか」
これで有明先生一行が石川島に現われたわけはほぼわかったが、それにしてもふしぎにたえないことがある。
「ところで、お夕《ゆう》ちゃんは……いや、お嬢さんまでが、どうしてここへ?」
「なに、私たちが石川島へゆく話をきいて、突然自分からいっしょに連れてって、といい出したのさ。そりゃいかん、と、むろん私はいった。そしたらヘボン先生に訴えおって……どういうおつもりかな、ヘボン先生が、そりゃ是非連れてゆけ、耶蘇《やそ》教を奉ずる者として、絶対囚人の世界を一見する必要があるといい出されたんだ」
「耶蘇教を奉ずる……?」
「説得されて、とうとう私も娘の同行を認めたが……いや、あとになって考えると、実は弥三郎君に会いたいというのがほんとうのところらしい。あははは」
胤昭もお夕も、また顔をぽうとあかくした。
二
そこへ、役所のほうから四、五人が急ぎ足で出て来た。一人、見なれない巡査は、いま有明先生がいった警視庁から来た巡査だろうが、あとはこの懲役場署長の鬼塚綱正以下の上司だ。
胤昭は一礼して、
「鬼塚署長です」
と、訪問者たちに紹介した。
「ほう、おはんが有名なドクトル・ヘボン先生でごわすか」
ひげをはねあげた薩人の鬼塚綱正署長はいった。これも名は耳にしていたらしく、大きな眼をまるくしている。
が、鬼塚はすぐにむずかしい顔つきにもどり、こういう場所は国家のごみ捨て場のようなもので、ことさらあちらの方にお見せすべきものではない。得べくんばおことわりしたい、といったが、ヘボンは、
「あちらの方といわれても、わたし、お国に、もう十五年住んでいるのです」
と、笑いながらいった。
アクセントに妙なところはあるが、日本語が使えるらしい。十五年も住んでいればあたり前かも知れない。
「それで……いまごろ、どげんして日本の懲役場を見る気を起されたのでごわすか」
「神のおさしずによって」
と、ヘボンは答えた。
鬼塚は狐《きつね》につままれたような顔で、
「へ?」
「それに川路大警視の許可状、さっきそのポリスさんに持たせたはずですが」
鬼塚署長は、もうしかたがない、といった風に、左右の役人に、
「それじゃ、おはんら、適当に御案内せえ」
ふきげんにあごをしゃくって、
「では、あとで是非署長室においで下され、御意見をうかがいたか」
と、いった。
「いや、御案内は、この原君で結構です」
と、有明《ありあけ》捨兵衛が口を出した。
「おはんは何者じゃ?」
「原君の昔の同僚、すなわち江戸町奉行与力だった者で。……ですから、何なら案内いらず、私にもだいたいの見当はついているのですが」
「なに、旧幕の与力?」
と、役人の一人がけわしい眼になって、
「それなら朝敵じゃ。いや、いまも元与力でここに勤めちょる者もおるが、どうも不平づらしちょるやつが多か。……ヘボン先生はともかく、おはんの立ち入りはことわる。それに何じゃ、見れば女もついちょるが、女にここをのぞかせるなぞ、とんでもなか!」
「この人たち、私の案内人にすること、それも警視庁の許可得ました」
と、ヘボン博士は静かに、しかし厳然といった。
勝手にせえ! といわんばかりに、鬼塚署長らがひき返していったあと、原胤昭は、ヘボン博士と有明|父娘《おやこ》を案内して歩き出した。
三
いまのやりとりで、ふつうなら板ばさみで困惑すべき立場にあるはずだが、若いせいか度胸のいいせいか、胤昭はけろりとしている。それどころか、
「むかし与力で、いま不平づらしてるやつ――の代表はこの原ですよ」
と、ニヤニヤしていった。
「弥三郎君、私は君に江戸にとどまるように勧めたが……あれはまちがってたかも知れんね」
と、有明先生は首をひねって、のぞきこんだ。
「あはは、向うはこちらが不平づらをしてるように見てるかも知れませんが、なに私は好きでここにいるんです」
胤昭《たねあき》は肩をそびやかし、
「先生は私に、江戸にいて新しい世界を切りひらけ、とおっしゃって下さったのに、あれから七年、まだこんなところにとぐろを巻いててお恥ずかしい限りですが……どういうわけですか、ここにいる囚人たちがこのごろつくづく哀れになりましてね。また囚人たちが、むかし与力同心だったわれわれのほうになつくんです。新政府の牢《ろう》役人が私たちを目のかたきにするのも、それが一つの原因でしてね」
胤昭はふと有明先生を見て、
「それはそうと、先生、いま、何をしていらっしゃるんですか」
「横浜で、異人相手の絵草紙屋をやっとる」
「絵草紙屋?」
これは意外であったが、しかし思い出すとこの十手の師匠には、以前から浮世絵を集める趣味があったようだ。
「こっちは絵草紙屋になり下がり、髪にも白いものがまじり出したが、君は昔と同じ――大人になっただけ、絵に書いたような八丁堀の旦那《だんな》になったじゃないか」
あらためて、つくづくと胤昭の風姿を見あげ見下ろして嘆声を発した。
ここからちらほら見えるところでは官服の役人が多いのに、この若者は旧幕時代と同じ、着流しに黒紋付の羽織、髪こそサカヤキはのばしたまま、うしろでたばねているが、大小を落し差しにし、足にはしゃれた雪駄《せつた》、帯には朱房の十手をたばさんでいる。若くスラリとしているせいもあって、イキで颯爽《さつそう》たるものだ。
これに対して有明捨兵衛のほうは、紋付はかま、白|足袋《たび》姿ながら、頭はザンギリにして、むろん無腰の町人風だが、それでもこちらにも争えぬ武士の気品があった。
それ以上、訊《き》きたいこと、しゃべりたいことが洪水のように胸にこみあげて来て、かえって言葉にならない。
有明先生に対してもそうだが、とくにお夕《ゆう》にだ。有明先生とならんで歩きながら、胤昭の意識の半分は、一|間《けん》ほどあとからついて来るお夕に向けられている。
お夕は、ドクトル・ヘボンと何か話している。どうやら日本語と英語のちゃんぽんのようだ。
そのお夕が、ふと小さな声をかけて来た。
「お父さま……あの人たちがついて来ます」
胤昭はふりむいた。――ずっとうしろを、二人の巡査が歩いて来る。
新政府が気にくわず、従って新警視庁も気にくわない胤昭は、まだその巡査たちに挨拶《あいさつ》もしていない。
お夕は、二人の巡査はこの懲役場の門まで送って来たのかと思ったらしい。
有明捨兵衛はふりかえりもせず、
「わかってる。あの連中はわれわれを見張りに来たのだから、しかたがない」
と、いったあと、つぶやいた。
「それにしても警視庁はどうしてあんなポリスをつけたのかな。どっちも巡査にしては風変りなやつだ」
「御存知なのですか」
「いや、ここへ来る途中、二、三語交わしただけだがね」
「どこが変ってるんです?」
「一人はピストルを持ってるよ。革サックで腰につるしてるが」
「ほう」
胤昭はもういちど、ちらっとうしろを見たが、よくわからない。
「もう一人は仕込杖《しこみづえ》をついている。……あれは出来るぞ」
「佩剣《はいけん》のほかに、仕込杖を――」
廃刀令がでたのはこのときから二年後の明治九年のことで、だから胤昭も帯刀していたのだが、御一新以来ポリスにかぎって三尺の警棒となった。が、この明治七年のはじめから、一等巡査だけには佩剣が許されていた。――
「うん、私の推量だが、ポリスにしておくのは惜しいほどの腕の持主だな。もっとも剣術なんか知ってたって何の役にも立たん世の中になったから、ポリスになったんだろうが」
と、有明先生は笑った。
「お夕、気にするな。きょうだけの送り狼《おおかみ》だ。こちらが何もしなけりゃ何のこともない」
門からまっすぐにゆけば、さっきまで胤昭がいた役所に突き当るが、胤昭は左に折れて埋《うず》み門をくぐった。やがて役所の横から裏側へ歩いてゆく。
すると右側に、ずらっとならんでいる長屋風のあばら家の前に出た。建物は風雨にさらされ変色しているが、これだけは怖ろしくがんじょうな格子がとりつけられて、その向うから無数のひげづらがのぞいて見えた。
一行が通ってゆくにつれて、その格子の中から、声ではない一種の異様などよめきが、どうっとあがる。
声にならなかったのは、そこに「書記」の原胤昭の姿があったからだろう。
それでも、やはり声を出すやつもあった。それは、「女だ! 女だ!」という声と、「異人だ! 異人だ!」という声に限られた。
ふりむいた原が、
「静かにしろい!」
と、一喝すると、あとはただ名状しがたいあえぎの波濤《はとう》となってうねってゆく。
四
寛政二年、長谷川平蔵が、隅田川河口に作った石川島人足寄場は、いま三万三千五百余坪の一大|牢獄島《ろうごくじま》に変っていた。隣りの佃島《つくだじま》とは深い堀割で区切られ、まわりは海だ。海へ飛びこんで逃げようと計っても、あちこちに設けられた見張り所の番人は、ことごとく水練の達者をそろえている。
この明治七年春の収容人員は、三百七十余人であった。
牢屋《ろうや》の前を通りぬけると、作業場であった。それこそ長谷川平蔵が独創した授産所であったが、いまは完全な懲役場と化している。
そこからは、さまざまなひびきが流れ出していた。
両側に大小の納屋《なや》のような建物がならび、獄丁たちの見張りの下に、おびただしい囚人が働いている。
建物によって、彼らの作業は異なっているらしい。竹笠《たけがさ》を作っている組、籠《かご》を編んでいる組、紙|漉《す》きをやっている組、米|搗《つ》きをやっている組、炭団《たどん》をまるめている組、煙草の葉をきざんでいる組。――
決してのどかな作業ではない。囚人たちは一様に坊主あたまだが、ひげと共に蓬々《ほうほう》と髪ものびたやつもおり、背中に「懲」という文字を染めた柿色《かきいろ》の仕着せは垢《あか》じみ、また破れ、わらぞうりをはいた足はみな火箸《ひばし》みたいに痩《や》せこけて、陰惨な苦役の雰囲気はありありとしている。
ヘボン博士は、さまざま質問し、有明捨兵衛と胤昭が説明した。
中でも大がかりなのは油しぼり場であった。いくつかの廃屋のような大きな建物の中で、何十人という囚人が働いている。菜種《なたね》をフルイにかけているもの、大鍋《おおなべ》であぶっているもの、また蒸しているもの――そして、巨大な材木を組み合わせた絞《し》め木《ぎ》があちこちにならべられ、それにふんどし一本の男たちが、クサビを打ちこむため汗まみれになって掛矢をふるっていた。
「昔より、ひどいなあ」
この油しぼりを三十分ほど見ていたあと、有明捨兵衛は暗然とした顔でつぶやいた。
「囚人は、死ねアそれだけお国の費《ついえ》がへる、ってえ内示がお上から来てるんですから」
胤昭も憮然《ぶぜん》として嘆息した。
はじめ有明先生|父娘《おやこ》が来たという、そのことだけで有頂天になっていた胤昭《たねあき》も、これ以上こんな光景を見せるのに、だんだん気が重くなって来た。
「まあ、ここは、こんなものです」
と、胤昭は意味不明な言葉をもらし、眼でひきあげることをうながした。
すると有明先生が、
「女置場というものは、今もあるのかな」
と、訊《き》いた。
旧幕のころこの島は牢《ろう》ではなかったので、女牢のことを女置場といった。
「それは、ありますが……」
「いや、ヘボン先生の奥さまがね、石川島には女囚もいますか、と尋ねられたから、旧幕のころはありました、と答えたら、ヘボン先生が、是非ともそれも参観したい、とおっしゃるんでね。……」
「しかし……お嬢さんもいられるし……きょうはごらんにならんほうがいいでしょう」
と、胤昭が首をふると、うしろから、
「いえ、それも私に見せて下さい」
と、お夕が声をかけて来た。
ふりむくと、もういままでの参観に蒼《あお》ざめた顔色をしていたが、強い決心のこもった眼で、
「私、ここにいる女のひとを見たいのです」
と、いった。
ヘボン博士も、沈んだ表情ながら、励ますようにうなずいた。しかたがない。
「では。……」
と、胤昭は先に立った。
どちらを向いても海の一角が見える島だ。作業場を離れ、女置場のほうへゆこうとして、しばらく歩いて――ふと四人は立ちどまった。どこかで怪鳥のような叫び声を聞いたからだ。
そこは広い石置場の手前であった。いまの声は、その方角から流れて来たようだ。……数分おいてまた聞こえた。
「あちら、どんなローヤ、あるのですか」
ドクトル・ヘボンが訊いた。
胤昭は狼狽《ろうばい》して、
「いや、あちらには何もありません」
と、首をふったが、思い当るものがある表情であった。
そういったものの、有明先生にまでとぼけることは出来ないと考えて、胤昭は有明に向って打ち明けた。
「ありゃ、ここの看守が囚人に私刑《リンチ》を加えてるんでさあ」
「看守が私刑?」
「私刑といっていいか、どうか、私にもわからんですが――一部の看守ににらまれてる何人かの囚人がいましてね。ときどきあそこで特別の懲罰を受ける。あの声はそれだろうと思います」
「ほう?」
「ただの懲罰じゃなく、そいつらを世に出すと必ず害をなすという信念を持って、だいぶ前から出獄の機会は何度かあったんですが、そのたびに、まあ、こっちから挑発して反抗させ、その罪でまた出獄を遅らせる――そういう方針らしい」
「そりゃむちゃな話じゃないか」
「私もどうかと思ってるんですが、ただね、その囚人たちもイヤハヤ相当なワルばかりで、なるほどここから出すと危険だと見るのも当然なふしがあります。一方、それをやる看守連も、こういっちゃ何ですが、私まで少々おっかないめんめんで――」
「ふうん」
また絶叫が聞こえた。あきらかに悲鳴であった。
「いってみましょう」
と、ヘボン博士がいった。
やむを得ない、と胤昭は観念したが、
「お夕さん、あなたはここでちょっと待っててくれませんか」
と、声をかけた。するとお夕はふりむいて、
「あの人たちがここへ来ます」
と、不安そうにいった。
いかにも、例の警視庁の二人の巡査が依然うしろからついて来る。どうも気にかかる監視者だ。ここにお夕を残しておくのも気味が悪い。
「それじゃ、気はすすまないが、いらっしゃい」
胤昭は三人を連れて、石置場の中の細い道を歩き出した。
石置場をぬけると、広い空地になっていた。両側は碧《あお》い海で、遠く向うに漁村の影が浮かんで見える。佃島《つくだじま》だ。
その間に堀割も作ってあるはずだが、さらに佃島を隔離するために、手前の空地はまだわざと埋立てを未完成のまま放置して、満潮のときはひざ小僧あたりまで波にひたされる状態で、いま水はひいているけれど、春というのに草一本のかげも見えない荒涼とした白い砂洲《さす》がひろがっていた。
その遠くに動いているいくつかの人影が見えた。
影が動いていた、というのは、その中の二人が棒を持って向い合い、また別の二人がとっ組み合っているように見えたからで――と見るまに、後者のうちの一人が、遠目にも巨体とわかる相手を空中高くほうりあげ、砂けぶりたてて地上にたたきつけた。
強い潮の香の中に、気のせいか血の匂《にお》いがまじっているようだ。
そのとき、近づいてゆくこちらの一行に気がついたらしい。だれか何か叫び、いっせいに顔をむけた。
凶獄卒
一
そこに立っているのは、官服に帽子をかぶった三人の看守と、水玉もようのついた柿色《かきいろ》の獄衣を着た一人の囚人であった。
そして地上には、別に三人の囚人が倒れていた。一人はいま投げつけられたやつで、相撲取りみたいな大男だが、もののみごとに投げつけられたせいで、あおのけにひっくり返ったまま動かない。さきに倒れている二人の囚人の身体の下の砂は、血に染まっている。
あくまで白い光の中だけに、血は眼がくらくらするほど赤く見えた。
「原書記か」
と、看守の一人がいった。
いま大男の囚人を投げつけた男だ。投げつけられた囚人ほど大男ではないが、やはり官服がはち切れるほどたくましい身体の持主で、四角な顔の下半分はひげにおおわれている。
三人の看守がみな佩剣《はいけん》しているのは、彼らが警視庁の序列としては一等巡査の資格を持っているからだ。
「どうしたんじゃ?」
と、不審な眼をむけたのは、胤昭《たねあき》の同行者に対してだろう。
「この方々は、石川島の参観に来られたんだ」
と、胤昭は答えた。
「横浜から来られたアメリカ人のヘボン博士、それからその友人の有明捨兵衛先生とお嬢さんで、有明先生は、実は御一新まで与力をやっておられた私の先輩だ」
「なに? ……有明捨兵衛?」
突然、一人が異様な声を発した。
カラスのように口がとがり、眼のつりあがった男だ。
「貴公……以前、京都にいってはいなかったか?」
有明捨兵衛はじっと、しかしおだやかな眼で相手を見やって、
「いかにも、京にいったことはありますが……それがどうかしましたか」
と、いった。
「いや、何でもない」
その看守は首をふった。
胤昭がささやいた。
「あれは寺西|冬四郎《とうしろう》という看守ですが……御存知ですか」
すると、有明もかぶりをふって、
「いや、知らんが」
と、いった。――それっきりだ。
この問答のあと、数瞬その場に白けた沈黙がながれたが、すぐに、いま大男の囚人を投げた看守が、
「たとえ以前に与力だった人間であろうと、いまのこの石川島懲役場には何の権威もない。ましてや異人や女を連れて来るとは奇怪千万だ。だれの許しを得て来たか!」
胤昭が答えた。
「川路大警視から。――それから、さっき鬼塚署長から」
「なに大警視や署長から?」
看守たちはちょっとひるんだが、その中の六尺ばかりの棒を持った男が、
「許可を得たといっても、われわれの職務について口を出すことは許さんぞ」
と、わめいた。
これが鳥居|鶏斉《けいさい》という看守だということは、むろん胤昭は知っている。ついでにいえば、大男を投げつけた看守は牛久保|蓮岳《れんがく》という看守だ。
「こいつら、油しぼりの成績が不良じゃから叱責《しつせき》したところ、サルマタの直熊《なおくま》め、ここを出たらうぬらただじゃおかねえ、うぬが用があって一歩でも町なかに出ることがあったら、無事にすまねえと覚悟しておれ、と、ぬかしおった」
と、鳥居鶏斉がいった。
「それでひきずってゆこうとしたら、あとの三人も加勢してじゃましおった。――だからここで懲罰を加えておる」
「しかも、無抵抗のやつをただぶちのめしておるのではない。そんな放言をするほど腕自慢、力自慢のやつらだから、互角に棒を与え、互角に相撲《すま》ってこの始末じゃい」
と、牛久保看守が、鍾馗《しようき》のようなひげをそよがせていった。
そんなことをいうけれど、この四人の囚徒がこの三人の看守にふだんから目のかたきにされて、こういう目にあわされるのは、しょっちゅう胤昭も見てきたことで、そのたびに官吏に刃向ったとして何度も出獄が延ばされて来たのだ。
しかもこの看守たちは、いま相手を力自慢、腕自慢といったけれど、自分たちこそ怖ろしくそのほうに自信があって、こういう格闘を気ばらしに愉《たの》しんでいるらしいことも承知している。
ドクトル・ヘボンは、倒れている囚人を見やって、恐怖の表情で尋ねた。
「あのひとたち、殺されたのですか?」
「いや、死んじゃいないでしょう。気絶してるだけでしょう」
胤昭は首をふった。
「いくら囚人でも、殺してしまっちゃあ罪になりますから」
殺さない程度に痛めつける、というのが三人の看守のやりかたで、それにまたこの四人の囚徒が半殺しの目にあいながら、いつもあとで不死身の人間みたいに回復することに、胤昭は前から首をひねっていた。
「でも、これは官憲によるリンチ――私刑ですね」
そのヘボンの声が聞こえたはずはないのに、
「おれたちは、耶蘇《やそ》はきらいだ!」
と、鳥居鶏斉がまた叫んだ。ヘボン博士が耶蘇の大医であることは耳にしていたのか。
彼はヒョロ長い身体をし、顔まで馬のように長い男であったが、片手の棒をとんと地に突くと、
「耶蘇がどういおうと、こちらは日本流に、悪徒に懲罰を加える。――サルマタ、来いっ」
と、わめいた。
二
ただ一人残っていた囚人が、棒をかまえた。なるほど彼にも棒を持たせてある。――獄丁の棒だ。下級巡査は三尺の棒を携帯しているが、ここの獄丁はみな六尺棒を与えられていたのだ。
そのサルマタの直熊と呼ばれる、これまたひげだらけの囚人の罵言《ばげん》が、この集団私刑のもとだったらしいが、とにかく直熊がこの石川島でも無類の凶暴な男であることは胤昭も認めざるを得ない。
「ようしっ」
直熊は歯を鳴らしてうめいた。
「外に出てからとはいわねえ、こうなったら、てめえはここでたたッ殺してやる」
そして、重戦車みたいに地ひびきたてて走って、鳥居看守に躍りかかった。
看守の長い身体がムチのように撓《しな》い、直熊は棒とともにつんのめった。看守の棒がその背に走った。直熊は猛然と一回転して、逆襲した。また看守がかわし、その棒が囚人の肩のあたりを突いたようだ。
が、棒と棒の相打つひびきはおろか、肉の音もしない。
それなのに、サルマタの直熊は次第に身体をまるくし、足ももつれて来た。
それでも直熊は、眼を血走らせ、歯をむき出してなぐりかかったが、まるで曲芸師の棒に飜弄《ほんろう》される巨大な鞠《まり》みたいな様相を呈して来た。
「香取《かとり》流|杖術《じようじゆつ》だな」
と、有明捨兵衛がつぶやいた。
「相当な名人だ。遊んでいる。肉を打つ音も聞こえないが、あれで打撃は与えているんだ。いまのままでも、三日くらいあの囚人は起きあがれないよ」
「ほう、そうですか」
「お前さんの十手で、あの杖術をふせげると思うかね」
「いえ」
と、胤昭は狼狽《ろうばい》した。
「まさか、あのひとと立ち合ったことはありませんが。……」
これほど凄《すさま》じい私刑を加えているのを見るのは、胤昭にとってもはじめてだが、この三人の看守がこの四人の囚人をしばしば痛い目にあわせていることは知っていた。知ってはいたが。――
新政府の看守が囚人をむやみに懲罰するのを見るに見かねてかばい、ときには看守たちと争い、そのためにまだ十手まで携帯している胤昭だが、いまここにいる両群の陰惨な関係についてはいままで知らない顔をして来た。
囚人の四人が、槍玉《やりだま》にあげられてもしようがないと思わせる連中であった上に、正直にいってその三人の看守が、怖さ知らずの胤昭にも、以前から、何といっていいか――人間離れしたぶきみなめんめんに感じられていたからだ。
眼がつりあがり、カラスのように口のとがった寺西看守。
背がヒョロ長く、顔もまた馬みたいに長い鳥居看守。
ゴバンみたいな体形で、ひげだらけの牛久保看守。
それらの顔貌《がんぼう》体形以外に、その内部からただならぬ妖気《ようき》がぬらっと泌み出して、たとえそれまでの彼らの経歴を知らなくても、いずれもふつうの世なら監獄の看守などになるはずの人間ではないことはわかる。
サルマタの直熊は、酔っぱらいのようによろめいていた。最初真っ赤な顔をしていたのが灰色に変って、瀕死《ひんし》の人間のような形相《ぎようそう》になっている。
「ミスター・アリアケ」
茫然《ぼうぜん》としていたヘボン博士がふりむいた。
「あれをほうっておくのですか」
博士にも、囚人がなぶりつくされていることが見てとれたらしい。
「もう助けてやりなさい。早く、早く」
有明捨兵衛はちょっと当惑した表情を見せたが、すぐに決然として、
「おうい、棒の看守さん、ちょい待ち」
と、声をかけた。
三
学者のようにもの静かな人物だが、言葉が伝法なのは江戸与力の名残《なご》りだ。
「おれか、なんだ」
と、鳥居看守がふりむいた。
「看守を威嚇した囚人を、獄則によりこらしめておるのだ。干渉は許さんぞ」
片手の棒でなお相手をあしらいつつの応答だ。
「ああ、いや」
有明捨兵衛は一笑して、
「そんな気は毛頭ない。ただそれほどの香取流杖術、そんなけだもの相手じゃもったいねえと思ってねえ。ちょっとこっちがムズムズして来た」
「なに?」
鳥居看守は眼をぎらっとひからせて、
「貴公……旧幕の与力だといったな」
「さよう」
「おれの杖術と立ち合おうってえのか?」
棒をひっこめると、サルマタの直熊は勝手にどうと倒れてごろんとあおむけになり、泡を吹いて気絶してしまった。
有明はそれを見て、
「いや……そっちの騒ぎがおさまったのなら、それでいい」
と、首をふったが、鳥居は逆挑戦の眼を燃やして、
「おい、ひとつやって見ようじゃないか。そっちは……刀でいい。そうだ、そこの若僧はまだ二本差しだ。それを借りるがいい」
「まさか」
「まさかではない。そこの若僧、ふだんから江戸与力を鼻にかけおって気にくわんやつだ。いつか眼にもの見せてくれようと考えていたが、きょうはちょうどいい機会だ。先輩の貴公相手に見学させてやろう。……心配することはない。こっちは棒だから殺しはせん」
有明捨兵衛の顔にうす笑いがひろがって来た。
「それじゃあ一つ、やりますか」
そして彼は胤昭をかえりみて、
「ちょっと、その十手を貸せ」
と、手を出した。
「なに、十手で来るというのか?」
鳥居は眼をむいた。
「そっちが棒で手心を加えて下さるそうだから、こっちも十手じゃないと申しわけない」
茫然《ぼうぜん》としていた胤昭は、突然にこっと笑って、帯にたばさんでいた朱房の十手を抜き出して手渡した。
受けとって、有明捨兵衛は、
「久しぶりの有明流十手だが……さて」
と、胤昭に笑顔を見せ、そのままスルスルと歩み出ていった。
「お父さま、おやめになって!」
お夕《ゆう》が叫んだ。梨《なし》の花のような顔色になっていた。
「大丈夫ですよ」
胤昭はささやいた。実は根拠はないけれど、有明先生に信頼をおぼえるのだ。しかし、えらいことになったと思うが、こうなったら意地でもあとにはひけないだろう。
ヘボン博士が不安そうにいった。
「あの二人、ケットーをやるのですか?」
「ケットー? え、日本のサムライの果し合いです」
海を背に、二人の男は相対した。
構えているのは、六尺の棒と一尺二寸の十手だ。
「えやーっ」
怪鳥のような声を発し、鳥居看守は躍りあがって、まっこうから棒をふり下ろした。小さな十手など竹箸《たけばし》のごとくたたき折られるに相違ない猛撃であった。
かっという異様な音があがった。
はね飛ばされたのは、長い棒のほうであった。同時に長い身体を蛇みたいにうねらせた鳥居看守とすれちがった有明捨兵衛のあとに、看守はくの字なりにつんのめり、長々と地に這《は》っている。みごとに脾腹《ひばら》を撫《な》ぎはらわれたのだ。
ほとんど一瞬の勝負といっていい。
立ちどまり、ふりむいた有明捨兵衛の顔はやや蒼《あお》ざめていたが、微笑が浮かんでいた。
信頼はしていたが、胤昭は息をのんだ。いつであったか、おれの十手も有明先生を超えたのじゃないかと考えたことがあったが、とんでもない話だ。それにしても、何たるわざだろう。
有明捨兵衛は立ちもどって来て、そこに落ちている看守の棒を拾いあげ、しげしげとのぞきこんでいた。それから、倒れている看守のそばへいって、しばし見下ろしていたが、
「殺しはせん。さっきこの仁の棒でやられた囚人と同程度――まあ、三日もたてば歩けるようにはなるでしょう」
と、声をかけた。
かたまって、これも息をのんで立っている二人の看守に対してである。
四
われに返り、顔見合わせ、その一人がもう一人をおさえて、
「おれにまかせろ。……こんどは、おれがやる」
という声が聞こえたかと思うと、つかつかと歩き出して、
「みごとなものだ。ひとつ、おれとも立ち合ってくれんか」
と、いった。眼がつりあがり、口がカラスのようにとがった寺西看守だ。
有明はこの相手を見やって、
「さっき……幕末、私が京都にいたのではないかとおっしゃったお方だな」
と、いった。
「どうやら私の名も御存知のようだが、私のほうはあなたを知らない……と首をかしげていたが、いま似た顔を思い出した。あなたは弟さんにでもなるのですか」
「いかにもおれは、勤皇の志士寺西夏次郎の弟だが」
「勤皇の志士? 私のつかまえたのは、私の承知しているかぎり、そんな素性の人物ではないが。……」
「だまれっ、しかしおれはそんな昔のことを持ち出す気はない。ただ貴公の十手術に対して興味を持つ。――おれの剣を受けて見い」
寺西看守はうなるようにいった。
「ただし、おれの剣をその十手で、いちどでも受けたらおれの負けとする。第二撃は加えん。やって見る気はないか?」
「いや、それは」
聞いていた胤昭のほうが恐慌をきたした。棒だって危険だが、刀はそれ以上に穏やかではない。十手で第一撃を受けとめたら刀の負けになるといったって、受けそこねたら命に保証はない。これは制止せざるを得ない。
「先生、やめて下さい!」
が、有明捨兵衛はこれにもうなずいた。
「やりましょう」
「やるか」
「ただ、いまあなたの第一撃を受けとめたらおれの負けとするといわれたが、負けになったら何をなさろうというのか」
「どうしろというのだ?」
「ただ負けたではすまない。私に百両下さるとか、十手であなたのお尻《しり》をぶたせるとか。――」
「ば、馬鹿《ばか》な!」
寺西看守は狼狽《ろうばい》した。
有明捨兵衛は笑いながら、
「いや、まあそんなことは要求しませんがね。要求したいことは別にある」
「なんだ」
「もし私が勝ったら――こんな囚人に、もうこれからあんな私刑は加えないでいただきたい。旧幕時代は、少なくとも役人はあのような残虐な懲罰はやらなんだ」
寺西は顔をさっと赤くし、ぎらっと眼をひからせたが、
「承知した」
と、うなずき、
「いざ、ゆくぞ!」
と、佩剣《はいけん》をぬいた。
「よしなさい!」
こんどはヘボン博士が叫び出した。
「そんな危険なケットーは、ここで行うべきではありません!」
と、いったが、剣と十手が向い合ったのを見ると、ふいにふりむいて、
「あなたがた、警視庁のポリス、これを見て黙っているのですか!」
と、呼びかけた。
そこに二人の巡査が立っているのを見たからである。きょう、ずっとうしろについて歩いて来た警視庁の巡査だ。それが先刻からそこに立っているのは胤昭も視界の一部にいれていた。
警視庁の巡査が、この場のなりゆきは充分見聞きしているはずなのに、別に制止の行動にも出ないことを、胤昭《たねあき》には怪しむ余裕はなかった。
それでも彼らは、黙然と黒い影のように動かなかったが、
「もしミスター・アリアケが斬《き》り殺されたなら、そこの看守、殺人罪で訴えます。それをまたポリスとして、何もしない、知らない顔してたら、川路大警視に、これも訴えますよ!」
というヘボンの声に、顔見合わせ、ゆっくりと歩き出して、
「やめろ」
と、いいながら割ってはいった。
低声の問答が、胤昭には聞こえた。
「相手が悪い」
「この男がか」
「いや、止めた人間がだ」
この石川島懲役場はいわゆる警視庁の管轄下にあるので、警視庁の巡査もしばしば来るが、胤昭はこの二人の顔ははじめて見る。ピストルのサックを腰にぶら下げたほうは能面のような顔をしているし、仕込杖をついたほうは何か鋼鉄のような感じがある。――改めて眺めると、どっちもただものではない。凶々《まがまが》しい雰囲気を持った巡査であった。
「異人がこわいのか」
寄っていった牛久保看守が、嘲笑《ちようしよう》の表情をつっこんだ。
「こわいわけではないが、やはりきょうはまずい」
と、巡査の一人が首をふった。
その二人の巡査と寺西たちが、前々から知り合いであったかどうか、胤昭にはわからなかった。
「看守も一人倒れているじゃないか。死んでいなけりゃ、とにかく収容しろ」
と、もう一人の巡査があごをしゃくったが、ふいに、
「あっ、あそこに舌を出してるやつがあるぞ!」
と、叫んだ。
胤昭がそちらに顔をむけると、そこに折り重なっていた四人の囚人のうち、地べたから顔を持ちあげているのが二つばかり見えたが、その一人はたしかに舌を出していた。見つかったとたん、がくんと大袈裟《おおげさ》に突っ伏してしまったが、胤昭はそれが化師《ばけし》の秀《ひで》というやつであることを認めた。
「……ゆきましょう」
虚脱したようにヘボン博士がいって、歩き出した。
五
有明|父娘《おやこ》、胤昭も黙々とあとに従う。
ほかの人々の心情はわからないが、胤昭《たねあき》は安心したような、腹立たしいような、ひょうしぬけしたような、波立っているような、混沌《こんとん》とした気持でいる。――ふと、われに返り、
「女置場へゆきますか」
と、先刻までの目的を思い出した。
ヘボンはちょっと考えて、
「いや、それ、きょうはよしましょう。石川島、どんなところか、だいたいわかりました」
と、首をふり、
「署長さんに御挨拶《ごあいさつ》してゆきましょう」
と、いった。
署長室のある役所への近道をとりながら、胤昭は有明先生に、さっきから気にかかっていたことを口にした。
「先生、変なことになりました」
「うん」
「その中で、ひとつ気になったのは、あの寺西看守の口走ったことで……たしか先生が京都でつかまえた勤皇の志士の弟とか。――」
「あはは、勤皇の志士なんてものじゃないよ」
有明先生は笑った。
「勤皇の志士に化けた強盗だ。あのころ、私が留守してた江戸にも御用盗なんてものが横行したそうだが、京都にもそんな連中がバッコしてね。新選組や京都見廻組は、それこそほんものの志士を退治するのに、日もこれ足らず、そっちのほうまで手がまわらない。見廻組の佐々木さんが私を呼ばれたのは、そのほうの御用のためさ」
なるほど、御一新前に江戸与力の有明先生が京都へいったわけが、それなら納得できる。
「いまの看守の顔で思い出したよ。あれほど異相じゃないが、やはりカラス天狗《てんぐ》みたいな顔をしたやつだった。佐幕派のお公卿《くげ》さんや諸大夫《しよだいぶ》のお屋敷ばかり狙って押しいるんだが、金品ばかりじゃなく、お姫さんだろうが女中だろうが、若い女がおれば必ず犯す。手下も連れていたが、当人も凄《すご》い腕で、あのころのことだからお公卿さんもたいてい何人かの用心棒などかかえてたんだが、これを大根のように斬《き》る。――まあ、私はつかまえたがね。縛って見廻組の屯所へつき出しただけさ。斬られたとすればそこでだろう」
有明捨兵衛はふりむいた。
「そうか、あれの弟がここの看守になっていたのか。われわれだけじゃない、世はすべて有為《うい》転変だなあ」
さっきの広場は建物のかげになって、もう見えない。例の巡査たちもついて来ないようだ。
有明はふと気づいたように手の十手に見いって、
「おい、弥三郎君、すまんことをした」
と、いった。
「何ですか」
「お前さんの十手の鉤《かぎ》が一つ欠けてしまったよ。さっき看守が放り出した棒を見たら、そっちに突き刺さってたがね」
「へへえ」
胤昭は、有明先生が鳥居看守を悶絶《もんぜつ》させたあと、その棒をじっと見下ろしていたのを思い出した。
受けとって、胤昭も十手をのぞきこむと、なるほどその二鉤十手の鉤の一つが欠けている。もっとも鉤全部が無くなっているわけではなく、十手と直角の部分は残っているが、平行の部分が消滅しているのだ。それが向うの棒に残っていたのだろう。
「これは、刀でもこうはならないはずなんですが」
「そりゃそうだ。刀を受けとめるための鉤なんだから。――いや、たいした棒の力だね」
と、有明先生は大感心のていであったが、それより、その棒の凄《すさま》じい力をふせいだ有明流十手こそたいしたものというべきだろう。
「あの棒の先生――あとの連中もそうだが――監獄の看守などになるのがおかしい顔ぶれだと思う。弥三郎君、あの仁たちの素性を知ってるか」
「いや、別に」
胤昭は首をふった。
「二、三、聞いたこともないではありませんが、特に調べたこともないので――寺西看守が京の強盗の弟だなんてことも、きょうはじめて知ったくらいです」
「そうか」
有明先生はうなずいて、
「それじゃ、もうちょっと貸してくれ。これを署長に見せて、あの棒の看守や寺西看守などの素性を聞く糸口にしよう」
と、また胤昭の十手をもらい受けた。
役所に帰って、外に巡査の立っている署長室の前まで来ると、
「あの、私はここで待っています」
と、お夕《ゆう》がしりごみした。
「ああ、そうか。お前はそうしたほうがいいかも知れん」
有明先生がうなずくと、胤昭も、
「それじゃ、私も――お夕さんと、久しぶりにお話もしたいし」
と、頬《ほお》を染めて申し出た。
「署長とのお話はどれほどかかるでしょうか」
ヘボンがちょっと考えてから答えた。
「さあ、三十分もあれば、充分、でしょう」
「では、それくらいの時を見はからって、私たちは門のところで待っています」
ヘボン博士と有明先生を立哨の巡査に託して、胤昭はお夕をうながして歩き出した。
恍惚と惨劇
一
どこで話をしよう、と迷いながら、胤昭《たねあき》が結局お夕《ゆう》を連れていったのは、島の東側の瓦蔵《かわらぐら》の裏であった。
幕末までここで囚人に瓦も焼かせていたので、それを収納するための蔵がいくつかならんでいるのだが、いまはほとんどがらんどうだ。
蔵とはいうものの木造の廃屋で、その裏に、積みかさねられた古瓦が長|椅子《いす》みたいに残っていた。ほこりをはらって、胤昭はそこにお夕を坐《すわ》らせ、自分も腰をかけた。
すぐ前の海の汀《みぎわ》に高い木柵《もくさく》がつらなっている。逃亡をふせぐためのもので、目的は殺風景だが、その柵越しのかなた、霞《かすみ》か潮けむりを通して浮かぶ東京の深川あたりの遠景は蜃気楼《しんきろう》のようだ。たとえ柵を乗り越えたとて泳いで逃げるには海に距離があった。
さて、話したいことは雲のごとくあるのに、胸がワクワクするばかりで、しばらく言葉も出なかったが、まず、
「おひろちゃんは元気ですか」
と、口を切った。お夕の妹のことだ。
「元気ですわ」
「いくつになりましたっけ?」
「十五。……」
「えっ、もうそんなになりましたか。私の知ってるころはほんのまだ|ねんね《ヽヽヽ》だったが」
「まだ|ねんね《ヽヽヽ》だから、きょうもおるす番させましたの。……まさか、牢屋《ろうや》の島へ連れてくるわけにもゆきませんもの」
そういうお夕もまだ十七歳のはずだ。
が、とうてい十七歳という感じではない。そういえばお夕は、まだ幼い少女のころからどこかおとなびた娘ではあった。
「お母上は?」
「母は……静岡で亡くなりました」
「えっ……そうでしたか。それは何ともお気の毒な……」
それにしても、問答の調子が昔とちがう。
むろん、七年相見なかったことがその原因にちがいない。特にこの若さでは、二人ともまったく別人に変っている。――それにしても胤昭にとって、十七歳のお夕は、自分より五つ年下の少女とは思われず、むしろ年上の女性のように感じられた。だから言葉も昔通りにはゆかないのだ。
年上の女性のように感じられたといっても、顔かたちのことではない。また、それほど話を交わしたわけではない。いや、いちどお夕が、
「まあ、昔知ってた弥三郎さんじゃないみたい」
と笑ったときなど、十七歳の少女にまぎれもなかったけれど。――
しかし胤昭には、七年ぶりに逢《あ》うこの少女の頭上に、ふしぎな形容だが、臈《ろう》たき月輪がかかっているような気がした。
「静岡を去られたあと、横浜で絵草紙屋をやってられたんですって?」
「え、十字屋という、異人さん相手の――いまも」
「十字屋」
胤昭は、お夕の胸もとに小さな十字架が、銀色にひかっているのを見た。
「それで、あのドクトル・ヘボンとお知り合いになられたのですか?」
「いえ、そうじゃありません。いちど妹が眼をわずらって、しばらくヘボン先生のところへかよってからお近づきになったのですわ」
「ああ、ヘボン先生は、何の病気でも名医だが、特に眼科の大家でしたね」
銀座二丁目に岸田|吟香《ぎんこう》という有名な人物が経営している楽善堂という薬店があり、そこで売り出している眼薬「|精※[#「金+奇」]水《せいきすい》」の名はだれでも知っている。そして、それはドクトル・ヘボンの処方によるものだということもみな知っている。また明治元年ごろ、当代一の名女形といわれた沢村田之助が脱疽《だつそ》にかかったとき、その足を切断する手術を行い、そのあと義足というものをつけてやったのもドクトル・ヘボンだったということも、「江戸人」ならだれでも知っている。
「それが、こうしてヘボン先生とごいっしょに、あなたまでがこんなところに見学に来るようになったのは、どうして?」
「ヘボン先生は、ただおえらいお医者さまというだけではありません。イエス・キリストのために御一身を捧《ささ》げていらっしゃる――先生御自身が神さまのようなお方なのです」
お夕は、キラキラかがやく眼を海のかなたへ投げてつぶやいた。海には、高く低く、無数の白い海鳥が飛びかっていた。
「ヘボン先生が日本においでになったのは、もう十五年も前……妹のおひろが生まれたころのことです。その前はアメリカ一のニューヨークという町で、もう名医として名高い方だったそうで、それが遠い日本へいって、そこに住む人々に、イエスさまのお教えを伝えよう、そして、日本に骨をうずめよう、と決心なすって、奥さまとごいっしょにやっておいでになったのです……」
「イエスさま……というと、つまり、切支丹バテレン……」
「そういう、いいかたをするなら、私も父も切支丹ですわ」
お夕は昂然《こうぜん》といった。その胸にゆれる銀色の十字架に、改めて胤昭は眼を吸われた。
「それは安政六年のことでした。そのころから御一新まで――あの異人といえば狼《おおかみ》のようにとびかかる人の多かった世の中に、ただ御夫婦だけで横浜に住みつづけられて来た御勇気を、何といったらいいでしょう。御一新のあとのいまだって、異人や耶蘇《やそ》に敵意を見せる人々はまだうんといます」
胤昭は、さっき看守のだれだったか、「おれたちは耶蘇はきらいだ!」とわめいたことを思い出した。
「その中でヘボン先生は、何千何万人もの日本の病人を治療して来られたのですわ。しかも、ただで」
「ただで」
「アメリカにいられたころに蓄《たくわ》えられたお金をぜんぶ使って――けれど、横浜居留地のお住まいには施療所のほかに祈祷《きとう》所があって、そこでイエスさまのお教えを説かれます。はじめは眼の治療に妹を連れていった父は、そこで信仰者となり、やがて私も妹も同心の者となったのですわ。……」
お夕は、じっと胤昭を見つめた。
「弥三郎さん、あなたも是非、横浜のヘボン先生のところへおいでになって下さい」
胤昭はめんくらった。こんな問答をするためにここに来たのではないはずだが……という考えも、ちらっと頭をかすめたが、すぐにお夕の――もの静かな美貌《びぼう》に、いっぺんに黒い花がかがやき出したような瞳《ひとみ》に、頭がしびれる思いがした。
「ゆきましょう」
と、答えて、彼はやっと自分をとりもどした。
「しかし、そのヘボン先生がどうしてまたこんなところへ?」
「どうやらヘボン先生は、囚人にイエスさまのお教えを説く牧師を、日本の牢屋《ろうや》が受け入れるかどうか、そんなことをおたしかめになりたくて――ちょうど父が昔、牢屋に関係していたのを聞かれて、それで父を案内にきょうの訪問を思い立たれたのではないでしょうか」
「なるほど。……そして、あなたまでが――」
「それを聞いて、私はあなたを想い出したのです。ああ、弥三郎さんはどうしていらっしゃるかしら、と。……それで私も石川島へお供したいといったら、お父さまは首をかしげて、弥三郎君に逢《あ》うのはまたの機会にしたらとおっしゃったけれど、それをまた聞かれたヘボン先生が、いや、そういうところは女も見ておいたほうがいいだろう、と、おっしゃって下すって……」
「そうですか」
胤昭は、しかし、これも首をかしげた。
「それが果していいことか、悪いことかわからなかったなあ」
「ほんとうに怖ろしいところ……怖ろしい人々……」
「いや、ありゃここでも特別怖ろしい連中ですが」
「でも、可哀そう。……」
お夕《ゆう》は溜息《ためいき》をついた。
「たしかに可哀そうな囚人ですが、しかしさっきやられてたやつらは、この島でも持て余してる凶悪な囚人で――」
「いえ、あの看守のひとたちも」
「えっ、あの看守たちが? なぜ?」
「なぜでも」
海の音ばかり聞こえるしばしの沈黙ののち、
「耶蘇《やそ》の教えって、一口にいうとどんなことですか」
と、胤昭は訊いた。
しばらく考えて、
「人を許すことだと思います」
と、お夕は答えた。それから、笑顔になってこんなことを話し出した。
「この冬ね、面白いことがありましたの。アメリカから施療に使う薬の瓶がいろいろ箱詰めで送られて来たのです。四人の下男がその箱の一つをあけたとき、お酒の匂《にお》いがぷんとしたので、みんな鼻をうごめかし、一人が、あ、これはいい焼酎《しようちゆう》の匂いだ、とさけびました。それを聞かれたヘボン先生が、これは焼酎なんかよりはるかに強いアルコールというもので、薬として使うものだから決して飲んじゃいけない、と、おっしゃいました」
「……」
「ところがその下男たちは、夜また施療所に忍びこんで、アルコールに水を割って、鯨みたいに飲んで四人ともぶっ倒れ、吐き、のたうちまわり、二人は死にそうなありさまになりました。先生はこれを治療してやったあと、下男たちをひとこともお叱《しか》りになりませんでした」
「……」
「四人の下男は、それまで祈祷《きとう》所に姿を見せたこともなかったのに、それ以来、ヘボン先生のお祈りに加わるようになりました。そんなことがありましたわ。……」
その話は面白かったけれど、繰返していうが胤昭はこんな話を聞くつもりでここへ来たのではなかった。
それはドクトル・ヘボンはどんな人なのか知りたい。耶蘇《やそ》教についても聞きたい。しかしそれより、別れてからのお夕たちのこと、またいまの暮しのこと、それから何より昔の思い出話などをしたかったのだ。
胤昭はいま、ヘボン先生と耶蘇教のことばかり口にするお夕に、しかし決して不服はおぼえず、ただ、どうしても昔にもどることができなくて、ぎごちない、間のぬけた受け答えばかりしている自分に、かすかないらだたしさを感じながらも、しかも二十二の彼は恍惚《こうこつ》としていた。
海は眼の前にひろがり、お夕は横に坐《すわ》っているのに、彼の眼にはお夕が蒼《あお》い波の中にただよう白鳥のように見え、彼女の声は波をころんでゆく碧玉《へきぎよく》のさやぎのように聞こえた。
なんぞ知らん、この忘我のひとときと同じ時刻、思いもよらぬ惨劇が進行中であったとは。
お夕はいった。
「私、ヘボン先生からカタリナという教名をいただいたのです」
「はあ、カタリナ……」
この潮騒の中の恍惚を一つのひびきが破った。
しばらくぼんやりしていて、
「あっ、あれは銃声じゃないか!」
と、胤昭ははじかれたように立ちあがった。
「さっきのところだ」
看守たちが囚人を私刑にかけ、有明先生と決闘した西方の砂洲《さす》だ。
ただ銃声というだけでなく、胤昭は異様な胸さわぎを感じた。
「いってみましょう」
と、お夕も立ちあがった。彼女も同じ思いにとらえられていることを彼は知った。
胤昭はお夕の手をひいて、瓦蔵《かわらぐら》の裏からあちこち獄舎の間を通って、その場所へ走った。
二
そこへ到達しても、はじめは何が起ったのかわからなかった。――
砂の上には五人の男が輪を作って立っていた。――その向うに、何人かの柿色《かきいろ》の獄衣を着た囚人たちがノロノロと動いていたが、これは視覚のふちの影に過ぎなかった。
五人の男は、官服はほとんど同じだが、三人が牛久保、鳥居、寺西の三看守で、二人が警視庁からついて来た二人のポリスであることはすぐにわかった。
彼らはこちらをむいて、ちょっと動揺したようだが、しかしそのまま談合をつづけている気配だ。
さっき有明捨兵衛の十手に倒されて、「三日は立てないだろう」といわれた鳥居看守が、立ってその中にいる怪異を怪しんでいる余裕はない。
近づくと、さすがに輪をひらいた。
彼らの足もとにうつ伏せに横たわっているものが見えた。その衣服もさることながら、横に投げ出された朱房の十手を見て、胤昭《たねあき》の全身の血は氷になった。
それはさっき、有明先生に手渡したはずの自分の十手ではなかったか?
「お父さまーっ」
お夕が絶叫した。
二人はつんのめるようにかけ出し、横たわっていたものを抱き起した。――果せるかな、それは有明捨兵衛であった。
「お父さま! お父さま!」
ゆさぶる身体はまだあたたかく、ふしぎに微笑しているような顔であったが、捨兵衛の絶命していることは明らかであった。左肩からみぞおちのあたりまで、袈裟《けさ》がけに斬《き》られている。凄《すさま》じいまでの切り口だ。血はまだ生々しく、二人も血まみれになった。
そのあたたかみを肌で感じ、その血潮を眼で見ながら、これが現実のものとは信じられない。ほんの先刻、署長室にはいっていった先生が。――
突然、胤昭ははねあがり、
「どうしてこんなことになったのだ?」
と、叫んだ。
「だ、だれが先生を斬ったのだ?」
看守たちは、しばらく黙然と立っていた。巡査もふくめて、黒々とした五つの不吉な像のようだ。
「おれだ」
ややあって答えたのは、看守の中の寺西|冬四郎《とうしろう》であった。
「貴公が?」
胤昭は、さきほど寺西が有明先生に勝負をいどみ、制止されたことを思い出した。
「こんどはおれが願ったことではないぞ。いましがた、この元与力とやらが、またここへ立ちもどって来て、さっきの決闘のつづきを申し入れた。ことわっても承知せぬ。やむなく相手をした結果がこれだ」
と、寺西はいい、
「おれは正当防衛だと思うが、これが殺人に当るというなら裁判は甘んじて受ける。が、いきさつは以上のごとしじゃ。それはここにおる同僚、いや、警視庁から来られた巡査諸君も目撃されていたはずだ」
と、左右をふり返った。
二人の警視庁巡査は、ゆっくりとうなずいた。
常識的にはこれほどたしかな証人はいないが、その巡査が二人ともうす笑いを浮かべているのを見て、胤昭の不審はさらに熱塊となった。不審の熱塊から火花が飛んだ。
「さっき銃声が聞こえたが、撃ったのはだれだ?」
「我輩じゃ」
と、ポリスがいった。ピストルのサックを腰にぶら下げたほうであった。
「いちど決闘をやめさせようとして、威嚇発射したのだ。……しかし、とめられなんだ」
と、その巡査はいい、どういうつもりかそのピストルを腰からぬき出して、しげしげと見まわしたあと、
「その死人の身体を調べて見るがいい。ピストルとは無関係なことがわかるはずだ」
といって、またピストルをサックにしまいこんだ。
以上のような説明を聞いて、胤昭は納得できるわけがない。ここに敬愛する有明捨兵衛が屍体《したい》となっているということ自体が大|不納得事《ふなつとくじ》だ。
胤昭の熱塊は爆発した。
「お前たちはみんなグルだ!」
と、彼は叫んだ。理屈なしの直感であった。
若い胤昭が年長の看守や巡査をお前呼ばわりしたのははじめてだ。直接手にかけたのがだれだろうが、ここにいる連中すべて合意の上の凶行にまちがいない!
「何がグルだ?」
歯をむき出したのは、やはり警視庁の巡査で、仕込杖《しこみづえ》を持ったやつだ。
「言いがかりをつけるなら、相手を見てものをいえ!」
「いう。おれがかたき討ちする。この屍体に胸におぼえのあるやつは、みんなかかって来い!」
眼を血走らせて、胤昭は腰の刀に手をかけた。
「ほう? かたき討ち?」
寺西看守が長い顔をつき出した。
「残念だが、かたき討ちは去年から禁止令が出ておる。――政府の役人の一人でありながら、お前それを破るのか。――かたき討ちといえば、その元与力を斬《き》ったのはおれだが、おれの兄貴はそいつのために殺された。――一見かたき討ちに似ているが、そうではない。挑戦されて、やむを得ず正当防衛のはずみでそういうことになったのだ」
「寺西、何をだらだら弁解しておるかい」
力士みたいな牛久保看守が、そばから牛のような声を出した。
「その若僧がやるというなら、遠慮なく相手になってやりゃいいじゃないか」
「待て、おれにやらせろ」
鳥居看守が棒をとり直し、
「おれともあろうものが、さっきは相手をなめすぎてしくじった。こんどこそは、おれの技術の真髄を見せてやる。おれに口直しさせてくれ!」
と、わめいたが、一瞬顔をひきゆがめた。さきほど有明の十手に打たれた痛みが走ったらしい。
が、そのまま長身をかがめて進み出て来た。
迎えて、抜刀しようとした胤昭《たねあき》の腕に、お夕はしがみついた。
「やめて下さい!」
胤昭は、まだ涙にぬれているその顔を見下ろして、手をふりはなそうとした。
「お夕さん、お父上のかたき討ちだ!」
「そんな必要はありません、父はそんなことを望みません!」
お夕は叫んだ。
「どんなことがあっても、人を殺してはいけません!」
「どんなことがあっても? ――あなたのお父上は、あいつらに殺されたのですよ!」
「たとえそうとしても、人を殺してはいけないのです!」
胤昭はもういちどお夕を見、その涙を通してかがやくお夕の眼を見て金縛りになった。
「原、やらんのか」
と、鳥居看守がいらだったように棒を一回転させたとき、
「待て」
と、仕込杖の巡査がいった。
三
牢屋《ろうや》のほうから、一団の人々がかけて来る。
見ると、鬼塚署長とヘボン博士と、それをかこむようにした看守や押丁《おうてい》たちだ。
「何じゃ。銃声が聞こえたっちゅうが、何が起ったのか」
そう叫んで現場にかけつけた署長に、寺西看守が敬礼して、報告した。さっき胤昭に説明したのと同じ内容だ。
「いや、先刻ヘボン先生とおいが話しておるのを、そばでしばらく聞いちょったその仁が、急に思い出したように、ちょっと用があるので座をはずさせていただくが、すぐに戻って来るからっちゅうて部屋を出ていったが、まさかこんなことになろうとは」と、鬼塚署長は長嘆した。
ヘボン博士は、ただただ驚きいった表情で、別に異議はとなえない。
してみると、有明捨兵衛が自発的にここへひき返して来たのはまちがいないらしい。
「しかし、えらいことになりおった。いま聞いたところでは、こちらにふつうの殺人罪が適用できるとは思われんが、さて、この始末をどげんしたものかのう」
署長は当惑の表情で、
「できるなら内聞にすませたか事件じゃが……おはんら、警視庁としてどう思う?」
と、巡査のほうを見た。
一介の巡査に、警視庁としての判断を求められても困るだろうが、ピストルの巡査が重々しく答えた。
「それは死人の遺族の意向次第でありましょうな」
このとき、お夕が胤昭にふるえ声でささやいた。
「お父さまの遺骸《いがい》を連れて帰りたいんですけど。……」
胤昭の脳中の熱塊は闇黒《あんこく》と化していた。すべて判断力を失った中に、唯一の執念が蒼白《あおじろ》い糸のようにゆらめき上った。
お夕の願いは、ただ父の屍骸《しがい》をここに残しておきたくない、ということだろうが、それ以外に、有明先生の傷を自分たちの眼で再検証する必要がある、という望みだ。
それに、いまの署長の口吻《こうふん》では、ここに遺骸を置いてゆけば何もかも闇《やみ》へ葬られるおそれがある。――まだまともな刑法もないころで、そういうことがあり得る時代であった。
「署長、屍骸は一応、ここにおられる遺族がひきとりたいと申されているのですが」
胤昭はいい出した。
「あとで異存を申し立てんけりゃな」
と、鬼塚署長はいった。
胤昭はしばらく黙っていたが、やがて、
「私がここに職を奉じているかぎり、そんなことはさせません」
と、答えた。彼はこのとき、ある決心をしたのである。
「おい、棺桶《かんおけ》を持って来い」
と、署長は命じた。――病死者がきわめて多いところなので、ふだんからそんなものが用意してあると見える。
いま署長といっしょにかけつけた連中のうち、押丁《おうてい》二、三人が、それをとりにかけ出していった。やがて、何度も使いつくしたらしい古い棺桶と、棒や縄を持ってもどって来た。
有明捨兵衛の屍骸を、胤昭は抱きあげて、一人で棺桶にいれた。
署長が訊《き》く。
「どこへ運ぶ」
「ひとまず、八丁堀の私の家へ移そうと思います」
と、地上に残っていた朱房の十手を拾いあげながら、胤昭は答えた。
「それじゃ、運び人が要る。だれかおらんか」
と、鬼塚署長は見まわした。
が、とっさに進み出る者はない。
ただの牢死《ろうし》者とはちがうのだ。その棺桶をかつぐのには、何か心ひるませるものがある。
一息おいて、
「へえ、あっしたちじゃいけませんか」
と、声をかけた者がある。
ふりむいて、みんな変な表情をした。そこに顔をつき出しているのは、四人の囚人だったからだ。
なかんずくあっけにとられた顔をしたのは、さっきその四人を私刑《リンチ》にかけた三人の看守で――たしかに当分足腰もたたないほど痛めつけてやったはずだ。
事実、そのサルマタの直熊《なおくま》、ぬらりひょんの安、アラダル、化師《ばけし》の秀《ひで》というやつらはそこに「死屍《しし》るいるい」といったていで横たわっていて、さっきヘボンたちが立ち去ったあと、もうかんべんしてやるから牢に帰れ、といったのだが、四人とも起きては倒れ、倒れてはまた起きるといった惨状で、いままでモタついていたのだが、それが不死身の人間みたいにみな立ち上って来たから、看守たちは眼をむいたのである。声をかけたのは化師の秀という、汚ない獄衣をまとってはいるが、怖ろしいほどのいい男だ。――胤昭《たねあき》は先刻一応ここを立ち去ったとき、こいつが地面の上から舌を出していたのを思い出した。
しかし、胤昭も驚いている。彼らはこれまでノビたふりをしていたのではない。実際彼らの血まみれの状態、身体をフラフラさせているありさまから、ほんとうに半死半生の目にあわされたことはたしかだ。それが、口々に、
「いま罰を受けやしたが、その罪ほろぼしに」
「あっしたちも、ときにゃ役に立つこともあるってことを知っていただきとうござんす」
「どうかその棺桶《かんおけ》をかつがせておくんなさい」
といって、近づいて来た。
すぐに胤昭は、この連中はそんな殊勝な心がけでその役を申し出たわけではない。彼らはともかくもこの島を出たいのだ、と看破した。三十分でも一時間でもここを出て、町を見たい――という理非を越えた望みは、この牢獄島《ろうごくじま》に閉じ込められた囚人一様のもので、彼らに限ったことではない。――
「そうか」
と、鬼塚署長もうなずいた。
「うん、交替もいれて、四人、ちょうど都合がよか、運んでくれ」
といったが、すぐに、
「ただし――脱走ふせぎの監視人がいるが」
「それは、本官らが」
と、いい出したのは、警視庁からついて来た二人の巡査であった。
彼らは、じろっと囚人たちを見ていった。
「逃亡をはかれば射殺するぞ」
「それから、途中、口をきくことは一切禁じる」
囚人たちが棺桶を縄でしばりにかかったとき、胤昭《たねあき》が鬼塚署長の前に立って、
「署長、私、きょうかぎり、この懲役場の書記をやめさせていただきます」
と、いった。
「ほ?」
署長はややめんくらった表情をしたが、
「そうか」
と、いっただけだ。
署長はふだんから、原書記が新看守たちと何かともめごとを起すことが多いのを知っている。――
すると、これも意外そうな顔をしてこちらを見ていた鳥居看守が、つと近づいて来て、
「原、やめるのか」
「ああ、もう二度とここへは帰って来ない。書記としてはね」
条件づきの胤昭の言葉を、意に介した風もなく、
「命びろいしたな」
と、うす笑いしていった。
「おれは、あとでもういちど、貴公と決闘してみてもいいと考えておったんじゃが」
「決闘?」
胤昭はこの杖術《じようじゆつ》の達人を見すえた。
「お望みなら、八丁堀へ来い。いつでも相手になってやる」
怖れを知らぬ、燃える若い眼であった。
「なにっ」
そのとき、いままで黙然となりゆきを眺めていたヘボン博士が、鬼塚署長のほうを見て声をかけた。
「署長さん、さっき教誨師《きようかいし》の話、しましたが、ここでは囚人より先、看守のための教誨師、要るようですね。川路大警視に、そう意見しておきましょう」
そして、胤昭とお夕を眼でうながして歩き出した。
四
棺桶《かんおけ》をしばり終え、縄に棒を通して二人の囚人が歩き出した。まずサルマタの直熊とぬらりひょんの安だ。化師《ばけし》の秀とアラダルがそれにくっついて歩く。
さらにそのうしろに、例の二人の巡査がまた送り狼《おおかみ》のようについて来る。
有明先生の死に、この巡査たちがどれほどかかわっていたかはまだ不明だが、少なくとも黙視していたことはたしかで、胤昭はさっきグルだと叫んだことを撤回するつもりはない。その彼らに先生の棺桶を護送されるのは甚だ不愉快のきわみだが、かつぎ手の囚人たちを監視するためとあれば、何ともいたしかたがない。
不愉快といえばそのかつぎ手もいまわしいかぎりだが、これもほかに棺桶のかつぎ手がいない以上、どうしようもない。
それにしても、その囚人たちの何たる凄《すさま》じい姿だろう。
牛久保看守に投げつけられた大男のアラダルは、酔っぱらいみたいによろめいている。鳥居看守の棒で打ちのめされたサルマタの直熊は、びっこをひいている。あとの化師の秀もぬらりひょんの安も、どんな目にあわされたかは知らないが、顔も手足もいたるところアザだらけになり、血が変色してこびりついている。
それが、荒縄でくくった棺桶をかついでゆくのだ。まるで地獄の亡者の行進だ。
こういう連中に棺桶を運ばれるとは――と、胤昭《たねあき》は自分もさることながら、お夕《ゆう》の心を思いやって、いうにいわれない思いがした。が、父の遺骸《いがい》をあとに残すのは耐えられないという気持もよくわかる。
お夕は、白蝋《はくろう》と化したような横顔を見せて歩いていた。
後の世なら、こんな姿の囚人を外の世界に出すなどとんでもない話だが、このころはそれをいとわない――むしろそれが世のみせしめになると役人が考える時代であった。
役所の門の前に渡し場がある。
蒼《あお》い河のように流れている潮であった。いや、ここはまだ隅田川の河口といっていい。
向う岸へ渡るために待っている御用商人らしい連中も四、五人あったが、この異形《いぎよう》の一団に胆《きも》をつぶして、舟に乗ったのは彼らだけだ。
――十四の年から八年間、代々の職として勤めてきた石川島だが。
と、離れてゆくその島を眺めながら、胤昭はさすがに深い感慨に打たれずにはいられなかった。
――もう二度とあそこに渡ることはあるまい。
だれが予想しよう、のちにふたたび、彼自身が必殺の運命に落ちた囚人としてそこへ渡ることになろうとは。
ふっと胤昭は渡し舟のまんなかに棺桶をかこむようにして坐《すわ》っている四人の囚人が、艫《とも》にいる自分のほうを――いや、ならんでいるお夕のほうを、じいっと見つめているのに気がついた。みんな飛び出すような眼をして、中には舌なめずりしているやつがある。あきらかによだれをたらしているやつもある。
ぎらっとにらみ返すと、彼らはあわてて首をすくめて、眼をよそにそらした。どうもふとどき千万なやつらだ。
まもなく、築地|本湊《ほんみなと》町の石川島専用の渡船場に着く。
ヘボン博士たちは、その日警視庁から渡船場まで俥《くるま》で来たということだが、帰りの俥を拾うまでもない。そこから、町の地名ともなった八丁堀に沿って、原胤昭の家まではそれこそ八丁ばかりであった。
このぶきみな葬列を、ゆきあう町の人々が、驚きと恐怖の眼で見まもったことはいうまでもない。
これに対して四人の囚人は、自分たちを恥ずかしがるどころか、久しぶりに見る娑婆《しやば》の眺めに有頂天になって、ともすれば何か奇声を発しようとしては、
「こら、黙れ」
「口をきくな!」
と、二人の巡査に叱りつけられた。
八丁堀の元与力組屋敷に近づいたときだ。
胤昭が先に立って案内しようと、うしろから足を早めて棺桶を追いぬこうとすると、このとき先棒をかついでいた化師の秀が堀のほうへよろめいて、
「おっとっとっと!」
と、胤昭にもつれついた。
あやうく堀に落ちかけて、胤昭が秀をささえてにらみつけると、
「あとで十手を見ておくんなさい。ピストルの弾が当ったはずだ。いま見ちゃいけねえ、これ以上しゃべれねえ」
と、秀は早口で小声でささやき、大声で、
「あぶねえ、あぶねえ! こんなところで仏さまを水葬にしちゃ申しわけねえ」
と、いいながら、姿勢を立てなおして、もとの歩行にもどった。
反射的に右手の十手をかざしかけて、はっとしてその手をとめる。
その十手は、先刻石川島で有明の屍体《したい》のそばに落ちていたのを拾ったものだが、もともと自分のものである上、ほかの烈しい思念のためこれまで意識の外にあったものだが――いま、左手を添えてみると、鉤《かぎ》がない!
正確にいうと、鉤の半分が欠けている。
二鉤十手の一つの鉤は、さきに有明先生と鳥居看守がやり合ったときに半分とれたことを承知しているが、いまさわってみると、もう一つの鉤も、やはり十手と平行の部分がとれている。――
これは、どういう意味だ?
また、いまの化師の秀の言葉は何だ?
惑乱して思わず足をゆるくした胤昭を、先にいった巡査の一人がふりむいて、ぎろっとにらんだ。
さらにその向うから秀が叫んだ。
「旦那《だんな》……お宅はどこでござんす?」
八丁堀の与力組屋敷はまだ残っていた。ただし三分の一は新政府の小役人が住み、三分の一は無人だ。何となくこの世からとり残されたような古びた一画となっている。
その中に、両親はすでに亡くなり、胤昭《たねあき》が昔からの婆やと二人で住んでいる一軒があった。
棺桶をかつぎこんで、胤昭がさしずする通り仏間にそれをすえると、
「われわれの眼から見ると、ともかくもこれで一件落着したと見える」
と、ピストルの巡査がいった。
「あと、何かと文句をつけんほうがいいぞ」
「しかし――」
と、もう一人の仕込杖の巡査がいった。
「あとで何かありそうだな。――どうも本職らと、これっきりにはならんような気がする」
ぶきみなうす笑いをした。
「お名前を承わっておこう」
と、胤昭は訊《き》いた。
「我輩は警視庁一等巡査、船戸|伴雄《ともお》」
とピストルの巡査が答え、
「同じく一等巡査|檜玄之助《ひのきげんのすけ》」
と、仕込杖の巡査が答えた。
「どうも御苦労さまでした」
胤昭は彼らと、そのうしろに神妙にひざ小僧をそろえている四人の囚人に頭を下げた。化師《ばけし》の秀だけが片眼をパチクリさせた。
すぐに巡査たちは、囚人達を追いたてるようにして引揚げてゆく。
五
やがて、眼をまるくして声もない婆やを線香など買いにゆかせたあと、そこに夜具をしいて有明捨兵衛のむくろを改めて横たえる。
それまで首も折れるほどうなだれたきり、ただ肩で息をしていたお夕《ゆう》が、はじめて、
「お父さまーっ」
と、絶叫して、遺骸《いがい》にすがりついた。
魂をえぐるような嗚咽《おえつ》がつづいた。
「ああ、横浜でおるす番しているおひろがこのことを知ったら……」
胤昭もむせび泣いた。もらい泣きではない。彼自身、悲憤の火に全身あぶられているのだ。
「お夕さん、許して下さい」
ヘボン博士も沈痛な声をもらした。
「お父さまに、石川島の案内、たのんだ私、そもそも悪かったのです。あんな、怖ろしいところとは、知らないで」
お夕がひとまず泣きやんだのを見て、胤昭はおずおずいった。
「ちょっと、有明先生のお身体、改めていいですか?」
ふしんな眼で見るお夕に、
「念のため調べたいことがあるのです。あのとき、銃声が聞こえたでしょう。その弾が、先生にあたっていやしないか、どうか。――」
うなずいたものの、向うむきになって両掌《りようて》で顔を覆っているお夕のうしろで、胤昭とヘボン博士は有明の遺骸《いがい》を調べた。
身の毛もよだつほどの手練で袈裟《けさ》がけに斬《き》られた傷はあったが、しかし弾の痕《あと》はどこにもなかった。
「やっぱり、そうでした。その自信があるからきゃつらは、私たちに遺骸を渡して平然としていたのでしょう」
と胤昭はいい、それから、さっきここへ来る途中、棺桶《かんおけ》をかついでいた化師の秀が自分にささやいた言葉を打ち明けた。
「その弾は、十手にあたったようだ、と、あいつはいいました。それで十手を見ると、なるほどもう一方の鉤《かぎ》も欠けている。いわれてみればピストルの弾にはね飛ばされたとしか見えない欠け具合です」
そういいながら、胤昭は十手をヘボンに渡した。
「あの囚人どもは現場を見ていたはずで――その状況を聞きたいにも、巡査が監視しているのでそれ以上は聞けなかったのですが――私の推量によれば、こうです。まず有明先生がひとりであそこに引き返されたことですが、あれは昔、自分がつかまえた京都の強盗の弟が看守の一人だということが、やはり気にかかって、もういちどそのことをたしかめに引き返されたのではないでしょうか」
胤昭は考えていった。
「その結果、ふたたびあの寺西看守との対決となった。むろん先生のほうから挑まれるはずがない。寺西が何かいいがかりをつけて再決闘に持ちこんだに相違ない。その勝負で寺西が負けそうになって、そこであの巡査の一人がピストルで助勢し、そのおかげで寺西が先生を斬ったにちがいない。――」
ヘボン博士は十手にしげしげと眼をそそいで、
「なるほど、こちらの鉤のあと、ピストルで飛ばされたように見えますね。これはしかし、ここを狙って撃ったものでしょうか?」
「まさか、そうではありますまい。先生のどこかを狙ったのが偶然そこに命中したのでしょう。しかし決闘の途中、そんなところを撃たれちゃあ、どんな名人だって一瞬ひるむでしょう。そこをやられたにちがいない」
「あの巡査たちと看守は、仲間でしょうか?」
「さ、そこがよくわかりません。私はあの巡査たちを見たのははじめてです。が、看守たちとは知り合いなのか、あるいはあの場で仲間意識からとっさにそんな行動に出たものか……何にしても私があいつらをグルだといった直感は変りません」
ヘボン博士は、十手をお夕《ゆう》に渡しながら、
「あの人々、あなたも敵の眼、見てましたね」
「かまいません。私はこれっきり、あそことは縁を断つつもりですから」
「ああ、私はあなたに、あやまらなければならない。あなた、そんな立場に追いこんだのは、もとは私ですから」
「なに、私は前々からあんなところ、やめてもちっともかまわないと考えていたのです。これはいい機会でした」
そういってから、あわてて、
「いや、いい機会だなんていうと叱られる。――縁を断つ、といいましたが実は縁を断ちたくない。あいつらが罪になるか、ならんかは知りませんが――おそらく、ならんでしょう――私はきゃつらにかたき討ちしたい!」
胤昭はお夕に悲憤の眼をむけて、
「お夕さん、あなたはどうだ?」
と、いった。
お夕は、じっと膝《ひざ》の上の十手に眼をそそいでいたが、やがてしずかに首を横にふった。
「えっ、お父さまのかたき討ちをしたくないのですか!」
「父はそんなことを望んでいないと思いますわ。……」
と、お夕はいった。
「私は父が、ひょっとしたら、わざと斬《き》られたのではないかとさえ考えているんです。……」
胤昭は息をのんだ。――いましがたまで、殺された父にすがって身をもんで泣いていたこのひとは、何をいい出すのだ?
お夕はヘボン博士に顔をむけた。
「先生は、そうお思いにならないでしょうか。……」
ヘボンはうなずいて、深い声でいった。
「私も、そう、思います」
そして胤昭を見つめて、
「有明サンの死に責任ある私、こんなこという資格があるか、わかりませんけれど……あの寺西という看守、カタキウチだといってましたね。それをまたカタキウチする……復讐《ふくしゆう》は復讐呼ぶだけです。……」
胤昭は、耶蘇《やそ》教とは何かという問いに、「人を許すことだ」とお夕が答えたのを思い出した。
が、官憲でありながら、五人グルになって人殺しをした連中まで許していいのだろうか?
「あ!」
突然、お夕が叫んだ。
「これは十字架です!」
「えっ、何が十字架?」
うす暗い仏間に欄間《らんま》のどこからかさしこんでいる一条の金色の光に、お夕は十手をかざしていた。
「ごらんなさい。あなたの二|鉤《かぎ》十手の鉤が、曲がったところからどちらも無くなって、ちょうど十字架のようになっていますわ!」
十字屋絵草紙店
一
さて、このあと始末です。
さしあたって有明《ありあけ》先生の遺骸《いがい》をどうするかということですが、有明家の菩提寺《ぼだいじ》は私も知っていますから、当然そこへ埋めてもらうつもりでいたところ、お夕《ゆう》さんは意外なことをいい出しました。横浜には日本に来て死んだ異人ばかりの墓地があり、実はヘボン先生も、そこに一区画を買われている。その近くにこちらも墓地を求めて、そこに埋葬したい、というのです。
あとで考えると、父娘《おやこ》ともどもクリスチャンであったところから、仏教による埋葬を避けようとしたのでしょう。この申し出にヘボン博士も賛成されたのは、同じ理由でお夕さんの気持を諒《りよう》としたものにちがいない。
となると、遺骸を横浜に運ばなくてはならない。横浜までの陸蒸気《おかじようき》は二年ほど前の明治五年から開通しているけれど、まさか棺桶《かんおけ》は乗せてくれないだろう。汽車どころか、人力俥だって駕籠《かご》だって、そんな用件にはおいそれと応じてくれないにちがいない、と考えて私は、どこかから大八車を借りて、これを自分で曳《ひ》いてゆくことを提言した。
こんどはヘボン先生やお夕さんのほうが驚いて、「それは」といったが、私は自分の考えを変えなかった。それよりほかに方法はないというより、私はどうしても有明先生の御遺骸を自分で運びたかったんでさあ。
すぐにその手配にかかり、間もなく私は、近くで借りた大八車を曳いて歩き出しました。ヘボン先生は人力俥に乗っていただいたが、お夕さんは私とならんで歩きました。
こうして、まるい春の月が浮かぶ東京・横浜七里の道を、私は棺桶を運んだ次第で――いま思い出しても、妖《あや》しい夢の中の出来事みたいな気がします。
横浜に着いたのは、もう真夜中過ぎでござんした。
ここで私は、お夕さんの妹のおひろちゃんにも再会した。姉より二つ年下で十五になるおひろちゃんは、その年よりまだ子供っぽい顔をしていたが、仏になって帰ってきた父親を見て気絶せんばかりになり、遺体にしがみついて泣き叫んだことはいうまでもない。
墓地と埋葬の件は、三、四日で望み通りに終りました。
が、あと始末はそれだけでは終らない。――残されたお夕、おひろの姉妹をどうするか、という件です。
もっとも当時二十二の私には、そこまで頭はまわらない。有明一家の後事もさることながら、ほかにも眼を見張ることばかりでありました。
まず横浜の景観です。御一新以来、二、三度見物に来たことはありますが、その、エキゾチックってんですか、異国的な印象はますます鮮やかになっている。外国にいったことはないけれど、海岸通りなんざ、私には外国の町としか思われなかった。
有明家は、その海岸通りをちょっとはいった路地にあった。ほんとに小さな絵草紙屋でした。
それより私が眼を見張ったのは、いわゆるヘボン館です。これは横浜居留地三十九番ってえところにあったんですが、施療にあたられる本館のほかに、祈祷所《きとうしよ》ともう一つ建物がありました。
この施療所には、もう朝うす暗いうちから日本人の患者が延々たる行列を作って待っている。――ヘボン先生が東京の石川島などへゆかれたのは、ほんとうに寸暇を盗んでのことであったことを私は知りました。
そして、この多忙の中で、ヘボン先生はもうひとつ一大事業を進められていました。それは日本ではじめての本格的な和英・英和をかねた辞書の編集と聖書の和訳で、それがもう一つの建物で行われているのでした。
二
ここで改めて、ドクトル・ヘボンがいかなる人であったかを、簡単に申しあげておきたい。
日本ではヘボンと呼ばれていますが、ほんとうはジェームス・カーチス=ヘップバーンという。ペンシルヴァニア大学で医学を学び、ニューヨークで開業された。専門は眼科です。
これがやがて名医の評判を得、病院は大|繁昌《はんじよう》した。いま申しのべたヘボン館も私などから見ると堂々たる建物で、のちに知ったその生活ぶりも日本人からすれば、たいしたものと思われたが、クララ夫人にいわせると「日本での一ト月分の生活費は、ニューヨークでの一ト月分の暖房費にも足りないものでした」という。
その名声と富を弊履《へいり》のごとく捨て、ヘボン夫妻が日本に来られたのは、ただキリストの福音《ふくいん》をこの東洋の未開の一島国に伝えんがためで、それは物好きや酔狂じゃない。ヘボン先生の若いころからの夢あるいは悲願であったのです。先生は四十三歳でありました。
物情騒然、異人には生命の心配すらあった安政六年の当時から、この明治七年までの十五年。そのころは日本に骨を埋めるつもりで墓地まで用意されたヘボン先生ですが、明治二十五年に至って御夫妻ともリューマチで足も御不自由となり、もはや老衰して日本のために役に立つことは何も出来ない、と、不本意ながらアメリカへお帰りになりましたが、時に先生は七十七歳。
もっとも先生は、その後九十六歳まで御長命になりました。
いま申したヘボン館は、先生御帰国後、先生が学長を勤められた芝白金の明治学院――文学者の島崎藤村や馬場孤蝶さんも学んだという――の校庭に移されたが、先生が永眠された明治四十四年九月二十一日早朝、ほとんど同時刻に火災のために焼失したことこそ何たるふしぎ。
それはともかく、先生が六十歳になんなんとする明治七年ごろのヘボン館ですが。――
ここにすがって来る病人は、先生御専門の眼科ばかりではない。内科はむろん、外科で女形の沢村田之助の脱疽《だつそ》の足を切断手術されたのは有名な話だし、のちに知ったところによると、例の高橋お伝が癩病《らいびよう》の夫を連れて治療を求めに来たこともあるという。皮膚病から痔《じ》、歯の治療までやられた。しかも、驚くべきことに、これがすべてタダなのです。先生御一家の暮しは、夫人のいわれたように比較的つつましいものでしたが、その生活費はアメリカにおられたころに蓄積されたものをあてられた。
私思うに、日本人には、どんな自称他称の名僧|君子《くんし》にも、こういうたぐいの人物はありませんな。ところが異人には――日本人には気ちがい沙汰《ざた》としか思えないヒューマニズムの行為を発起し、実行する人々がある。その人々を動かしているのは、明らかに神の声です。
まことにヘボン先生はその典型で、のちに子息のサムエルさんがおっしゃったように、「父の人生における唯一の目的は、ただキリスト教の信仰と伝道でありました」先生からすれば、こんな施療もその目的のための手段に過ぎなかった。
先生にとってもっと目的に近いのは、聖書を日本人に読ませるということでした。そのためには、日本語の聖書を作らなくてはならない。さらにそのためには、まず英和・和英の辞書を作らなくてはならない。そこで先生は、施療の一方で、助手を傭《やと》ってその事業を進められた。その仕事の必要上、いまも世に伝えられるヘボン式ローマ字などいうものを作られた。――
先生の日本語が、ただ日本に長くいるだけの異人とは別格だったのは当り前のことです。
ま、こういうことは後に追い追い知ったことですが、そのヘボン先生が、葬式後、私に話しかけられた。
「ミスター・ハラ、さてこれからの君の生活、どうしますか?」
「さ」
私はめんくらいました。実はこの騒ぎの中で、自分のこれからの暮しなんて考えるゆとりはなかった。
「あのなりゆきでは、君はもうあの石川島へは帰れまい」
「へへ、私、署長に辞表をたたきつけました」
「そうなったことについては、私も責任があります」
「いや、そんなことはありません。私は以前からあそこをやめたいと考えていたんです」
それは事実ですが、やめてどうするという具体的な思案をめぐらしたこともなかった。私はそういって、頭をかきました。
するとヘボン先生は、思いがけないことをいい出されたのです。
「そうか。さしあたって何をするということがないなら、どうでしょう、あのアリアケ家の絵草紙店、君が後見してやったら?」
「えっ」
私は仰天しました。
「正確にいえば、絵草紙店の協力者、またあの姉妹の保護者になってくれんだろうか、ということです」
「つまり……番頭ですか」
「そう、そう」
ヘボン先生は笑いました。
「バントーです」
そして、
「あの姉妹は、まことに恰好《かつこう》な絵草紙店のカンバン・ムスメだが――」
と、博士はいうのでした。
「父を失っては、姉妹だけで店をつづけてゆくこと、むずかしいと思う。商売のだいたいのところ、そばから見て知っている、と姉のお夕はいうけれど、いざ実際の話になると、やはり男の手がないとうまくゆかないと思う。それに、荒っぽい異国の船乗りを客としている店だから、少し心配でもある。私の望むところは、いわゆるバントーじゃなく、それ以上の役、父の捨兵衛サンに代ってその保護者の役、君がやってくれまいか」
ヘボン先生はここで微笑して、
「もし将来、君があのお夕さんと結婚するようなことがあれば、自然にバントーじゃなくなりますが」
私は真っ赤になりました。
「お夕さんにこの話をしたら、弥三郎さんにそうしていただいたらありがたいと思う、といっておった。その役のことですよ、結婚のことじゃありませんよ」
「そ、それは、もちろん。……」
「お夕さんは、少女のころのことを思い出して、君をなつかしがっています。……私の見るところでは、いまのところ、それだけらしい。あの娘の頭はイエス・キリストでいっぱいになって、ほかの存在をいれる余地はないように見える」
返事のしようもない私に、ヘボン先生はまたこんなことを申しました。
「それからね、いま私、船乗り相手の商売といったけれど――実はミスター・アリアケは、遠からず東京に帰りたい、といっておった。東京が故郷だし、商売はやはり東京でやりたい。生活上、絵草紙屋もつづけるが、もし、私の日本訳聖書が出来たら、あの和英辞書などといっしょに売って、少しでもキリスト教をひろめるお手伝いをしたい、といっていた。そもそも彼の店の名を十字屋というが、むろんそれは十字架を意味する名です」
「はあ」
「私も賛成しておいた。そういうわけだから、アリアケ姉妹の心が落着いたら、改めて具体的な相談をしたい。その話のためにも、東京人の君にいてもらうと都合がよいのだ」
――こういう次第で、私はそれから当分の間、横浜に住むことになったのでござんす。
のちにこれが私の運命そのものを変えたと知るのですが、そのときはそれほどとは知らず、東京から横浜へ――この小さな流離を受け入れた私の心は、しかしそれなりに半ば戸惑い、半ば昂奮《こうふん》しておりました。
戸惑いは、若い、血の気の多い、そしてまだどこかに江戸与力の誇りを捨てきれぬ自分に、絵草紙屋の番頭なんてやれるだろうか、という危惧《きぐ》から生まれたものであり、昂奮は、ヘボン先生をつつむ当然異国的な世界への好奇心と、そして有明姉妹と生活を共にするというワクワクした感情から来たものでありました。
三
私はヘボン館に寝起きし、昼間十字屋にかようことになりました。
さきほど申しあげたヘボン先生の清冽《せいれつ》高潔な人となりは、この間に改めて感銘を受けたものであります。
ただし、耶蘇《やそ》教だけはそうかんたんに感心するわけには参らなかった。
人を救うといったって、眼病みの眼をなおしてやることくらいならまだしも、魂まで救えるか――世にはどうしても救うことのできない人間というものがある、というのは、少年時代から石川島にいて、ある種の囚人たちを見て来た私の牢固《ろうこ》たる信念であり、それよりやはり、江戸与力としてこれまた少年期からたたきこまれた、切支丹禁制の習性から来た抵抗感によるものでしたろう。
古めかしい与力の習性といえばね。この横浜で私は、まだ例の十手を背負っておりました。これが形容じゃあなく、現実に背中に負ぶってたんです。
当時の横浜はもうハマと呼ばれ、異人はもとより、諸国からえたいの知れぬあぶれ者が集まって、荒っぽい、騒然たる世界を作っていて、私の場合も、ヘボン先生が心配したのをなるほどと思うような事態が何度もあった。
有明姉妹、とくにお夕のほうの美しさはやはり港でも評判で、これを狙ってあれこれいたずらをしかけてくる狼《おおかみ》たちはあとを絶たなかったのです。それで私も、酔っぱらいの毛唐のマドロスやハマの与太者を相手に、例の十手を持ち出して、腕ずくで災難を追っぱらったことがあるのです。
実際十手というやつは、刀やピストルなど取り返しのつかない武器とちがって、本来|防禦《ぼうぎよ》用のものですから、悪党ごろつきをあしらうには、まったく便利な道具でさあ。
ところで、横浜に来てから、さすがに私はチョンマゲを切って、いわゆるザンギリになりました。それから、刀もやめました。実際、その後間もなく帯刀禁止令が出たのですが、その前に私はやめてしまいました。そもそも絵草紙屋の番頭が刀をさしてるってのも変ですし、それより横浜ってえところは、何者にしろ刀をさして歩くなんて、ポンチ絵になっちまう雰囲気でした。そのくせまた、しごくけんのんな町でもあったのですが。
だからあるときまで、その十手は常時帯にたばさんでたのですが、マゲをとるとどうも恰好《かつこう》がつかないんでね。そこで、十手というやつは握りの付環《つけわ》に紐《ひも》を通し、その先に朱房がついてるんですが、その紐を二重の輪にして首にかけ、朱房は背中に、十手は胸に垂らすことにした。
一種の首飾りですが、そういう風俗も、派手な異人が往来するハマじゃ可笑《おか》しくなかった。洋服を着た日本人もふえて来てましたが、さすがに私はそこまでの勇気はなく、着物は着流しですが、いやハマなれば思いついたコスチュームってえやつだったでござんしょう。
とはいうものの、何しろ十手は一尺二寸もあって、下は臍《へそ》のあたりまでとどく。何かと日常じゃまっけなので、その中、逆に背にまわして、つまり十字架を背負って歩くような恰好になったんで。えへへへ。
ところで、鉤《かぎ》を失ったその十手、あのときお夕さんが、
「ごらんなさい、ちょうど十字架のようになっています!」
と叫んで私も驚いた。驚くには驚いたが、しかしそれで別に宗教的神秘に打たれて、たちまち耶蘇教の信者になったってえことはないんです。耶蘇に対する心情は、まださっき申しあげたような状態で。――
この十手を、あとでそんなアクセサリー、いや前と同様一種の武器に使おうとしたってえのもその証拠で――しいていえば、有明《ありあけ》姉妹をまもるために、その十手を握って死んだ父親の亡魂を背負ってるつもりが、ちょっぴりあった。
四
さて、このヘボン館で、私は珍しい人物と親交を結ぶことになりました。
ヘボン館には、先生の医術のほうの弟子、聖書翻訳のほうの助手など、二、三人ずつが起居しておりました。
医術のほうでは、私のいたころの人でいまあなたがたが御存知の方はないと思うが、それ以前の人で、陸軍を創《つく》った大村益次郎、後年外務大臣もやった林|董《ただす》、三井の大番頭となった益田孝――もっともこれらの中にゃ、ただ英学修行の人もあるでしょうが――それから有名な高橋是清なんてえ方々が、若いころここで学んだことがあるそうです。もっとも高橋さんは、猫の目玉の解剖を見ただけで脳貧血を起して、医者になることをあきらめられたそうですが。あはは。
とにかく幕末から明治にかけて、ドクトル・ヘボンのお教えを受けた高官、その治療を受けた大官は十人や二十人ではきかないのだから、先生が威張る気になれば石川島の署長はおろか警視総監だって叶《かな》うわけがない。
私が親交を結ぶことになったのは、辞書の編集のほうの助手で、岸田|吟香《ぎんこう》さんという人でした。この人の名は私だけでなく、後代のあなた方も御存知だろうと思う。ヘボン博士処方の眼薬「|精※[#「金+奇」]水《せいきすい》」は、明治から大正にかけて有名なもんでした。
そもそも私なんざ、ヘボンの名は、この岸田吟香の眼薬で知ってたようなもんでした。そして岸田吟香その人も、銀座で彼が経営する「楽善堂」ってえ店の奥で、お相撲みたいな大きな身体を椅子《いす》にうずめているのを、通りすがりに何度か見たことがあった。その人物と、じかにつき合うようになったわけです。
もっとも私が横浜にいったころは、例の辞書の「和英語林集成」はもう出来上っていて、吟香さんはヘボン館にはいなかった。――それも、たまたま日本の台湾出兵の従軍記者として台湾へいってたんでさあ。
いや、この人ほど多方面に才能をふるった人も、日本人には珍しい。
生まれは備前岡山だそうで、若いころから上京して洋学を学んだのはいいが、その後、芸者の箱屋、女郎屋の牛《ぎゆう》太郎、風呂《ふろ》屋の三助までやったというのが可笑《おか》しい。本名は銀次ってんで、そのころ仲間から「銀公、銀公」と呼ばれてたので、のちにえらくなってから「吟香」というもっともらしい名をつけた豪快な人物です。
吟香先生は文明開化の世になると、氷を作ったり石油を販売したりする事業家になったが、これはうまくゆかなかったらしい。一方で早くからヘボン先生のところへ出入りして、例の辞書の助手になったり、「東京日日新聞」の主筆をしたりする支離滅裂、神変不可思議の知識人でもありました。
ちょうど、そのころ吟香さんは、その新聞の従軍記者として台湾へいっており、その記事が大評判になったのですが、夏になって帰還してみたら、主筆は福地桜痴《ふくちおうち》にとって替えられていた――という、どこか間のぬけたところもある人でした。
ヘボン館に帰国のあいさつに来たのが秋のことで、私とのつきあいはそれが始まりです。例の辞書の手伝いはもう終っていたのですが、ヘボン博士から眼薬の専売特許をもらっている縁もあり、それからもまるで親戚《しんせき》の家に来るように、よくぶらりと姿を現わしました。
背丈《せたけ》は六尺になんなんとし、眉《まゆ》ふとく目玉大きく、顔の下半分はみごとなひげに覆われ、これがジャケツにズボン、頭には赤いトルコ帽といういでたちです。
当時四十歳くらいでしたか。――この人は晩婚のくせに一人の奥さんから十四人の子供を生ませたという豪傑です。その中の一人が岸田|劉生《りゆうせい》君という洋画家であることを御存知の方もあろうと思いますが、劉生君はそのころまだ生まれていなかった。――
それがヘボン先生から私の話を聞いて、東京へ出るなら我輩にまかせとき、せっかく絵草紙店をやるなら銀座にせえ、ただしそういう店は場所による、そのうち我輩がいい家の出物《でもの》があったら世話をしてやる、といってくれました。
それはいいが、その話のとき、ちょうどお夕さんもそばにいたのですが、つくづく私と見くらべて、
「いや、まったく絵草紙の中の|めおと《ヽヽヽ》だねえ」
といったのには弱った。白いというより蒼《あお》いお夕さんの頬《ほお》も、ぱっと赤くなりました。
こりゃ吟香さんの冗談の形容にきまっていますが、ずっとあとになってからも、ふとこの横浜時代の想い出話になったとき、吟香さんが、
「いや、あのころ、十手を背に投げかけて、ハマの海岸通りを闊歩《かつぽ》するお前さんは、まるで錦絵《にしきえ》の中の町奴《まちやつこ》だった」
と、いってくれたことがあります。べつにお愛想をいう必要のない仲ですから、そのころの私の元気は、見る人によっちゃ、お恥ずかしや、そんな印象を与えるところもあったのでしょう。
もう一人、これはヘボン館ではなく、店の十字屋においてですが、そこへの来訪者の中で親愛の仲となった人がある。
絵草紙屋にはむろん店で売るいろいろの品物に関係した人々が訪ねて来ます。お客はいうまでもなく、商人や絵師や職人や――こんな小さな絵草紙店でも、なるほどこれでは男がいなかったら、やはり困ったことになったろうと思わせられる相手も少なくなかった中に、その小林|清親《きよちか》という浮世絵師だけは、はじめからこれは正直でいい人だ、と直感させるものがありました。
これは大男の吟香さんよりさらに大きい。たしか六尺二寸と聞きましたが、いちど掌に物差しをあてて測ったら、一尺近くあったので驚いた記憶がある。顔の造作もみな大作りでたくましく、髪はむぞうさにうしろへなでつけていますが、堂々たる大豪傑の風貌《ふうぼう》です。
事実この人は幕末まで徳川《とくせん》御家人の家柄で、私より五つほど年上ですが、長州征伐や鳥羽伏見のいくさにも参加したことがあり、瓦解《がかい》後は榊原鍵吉《さかきばらけんきち》の撃剣会にはいって諸国を巡業したこともあると聞きました。
それくらいだから、ヤットウのほうも相当なものだったでしょうが、そのうちえらい方角ちがいの浮世絵師になった。ヤットウじゃ暮せなかったにちがいないが、もともと剣術より絵のほうが好きだったといってました。しかし、絵だって裕福に暮せるほど器用だったとは思えない。
この大豪傑が、ふだん大きな声を出したのを聞いたことがないほどおとなしい。だいたいが無口で、めったに笑いもしないが、笑っても声はたてない。
自分のかく絵に自信がなかったらしい。元来絵が好きだったとはいえ、本格的に浮世絵の師匠についたこともなく、廿歳《はたち》すぎてから我流ではじめたのだからむりもない。事実その絵は稚拙なところさえあった。
しかも、かくものはほかの絵師のように役者や芸者の似顔絵とちがって、風景画です。それも北斎のような富士とか、広重のような東海道じゃなくって、東京――いや、文明開化の東京の夕暮か夜の中に消えてゆこうとしている、残照のような江戸の風景画です。当時そんなものはだれも珍重しなかった。
しかし私は、浮世絵のことは知らないが――いや、知らなかったからこそ、その絵の値打ちを買った。その稚拙さと不器用さの中に、何ともいえない悲しさと美しさがあるのを買ったんでさあ。実際に、おずおずと遠慮がちに見せる清親の絵を、よろこんで買い受けた。
いばるわけじゃないが、ごらんなさい、いまごろになって、小林清親の「東京名所図」など、明治の広重とほめたたえる人々がたくさん出て来たじゃあありませんか。
絵もさることながら、私は清親《きよちか》という人間が好きでした。そもそも出身が同じ徳川《とくせん》の侍です。そのおかげで苦労しぬいた果ての男に、何ともいえないあたたかみがある。あたたかみどころか、実は大変な熱気さえつつんでいる。
それはこの無口の人が、まれにですが御一新以来の新政府の成り上りどもの威張りかげんに対して、慷慨《こうがい》の言葉をもらすときにあらわれた。その点についちゃ、私もまったく同感でした。ただ清親さんの場合、訥弁《とつべん》の中にそれでもハイカラな「僕」という言葉がまじり、権力的とか圧制的とか、しきりに的が出てくるのが可笑《おか》しうござんした。
こういう人々とつき合いながら、私は横浜で三年ほども過したのです。
吟香《ぎんこう》さんはそのころの私たちを、「絵草絵の中の何とか」とか、「錦絵《にしきえ》の中の何とか」とか形容してくれて、これはほんとうに冷汗《ひやあせ》ものですが、意味はちがうでしょうが、私自身も当時をふりかえると、まるで絵の中で暮していたようなふしぎな感じがします。
そもそも、絵草紙店というものが美しい。
ここに例の「築地明石町」で有名な画家の鏑木清方《かぶらぎきよかた》さん、あの方の「こしかたの記」という随筆を探して持ち出して来ましたが、その中に明治初期の絵草紙屋のことを、
「のれんのかかった店の中には、右から左へと幾筋も引き渡した細引《ほそびき》の綱に、竹串《たけぐし》で挟んで吊《つ》り下げた三枚続きは、二段、三段、役者絵あり、芸者絵あり、紅紫|嬋娟《せんけん》、板《はん》数をかさねた刷《すり》色は鮮やかに、軒下に吊るしたランプの照り返しに映《は》えて、見る者の魂を奪う」
と、描いておられる。
浮世絵や錦絵ばかりじゃない。店先にはカルタや双六《すごろく》、千代紙をいれたきれいな箱がならべてある。まるでお伽噺《とぎばなし》の世界でござんす。その中に、有明《ありあけ》姉妹が坐《すわ》っている。――
この世界の中に私自身もいたとは、想い出としても嘘《うそ》としか思われないのですが、実際そこで私は暮していた。
特に忘れられないのは、有明先生の毎月の命日、娘さんたちといっしょに異人墓地のそばのお墓に詣《まい》ったのですが、その丘の上から見下ろした海の碧《あお》い色です。いまでは記憶が混合して、その碧い海の泡つぶの中に十字屋絵草紙店が半分透きとおって浮かんでいたような気さえします。
またそこから東京のほうを眺めると、ここの海は日光にきらめいているのに、そちらの空はいつもどんよりと暗雲がかかっているように見えた。……その雲の下の石川島なんてえ牢獄島《ろうごくじま》に自分が暮していたなんて、その日その場では、そのことが悪夢のような感じがしたことをおぼえています。
罪びとの波止場
一
思えば、港の海にただよっていたような三年間というしかござんせん。
横浜で三年間暮そうとはまったく思いのほかでしたが、身体の置きどころのみならず、私の心も波にただよっているような気配でござんした。
それを自分でふり返ってみると、ここにとどまっていることを幸福に思う心と、いや、こんなことをしてはいられないと焦燥する心のたゆたいでありました。
とどまっているのを幸福に思ういちばん大きな理由は、むろんお夕《ゆう》さんでした。ついでヘボン先生でした。
お夕さんは、十七から廿歳《はたち》へ、日とともにいよいよ美しくなっていった。――そのころ十字屋の看板姉妹などと呼ばれ、姉を秋の月輪、妹を春のお日さまになぞらえる人もありましたが、私はただお夕さんのことで頭がいっぱいだった。
といって、決してデレデレしてたわけじゃない。日常は兄妹《きようだい》のごとく――少なくとも表面は、私は兄のごとく対していたつもりです。そしてお夕さんも、私に対して妹のように対しておりました。――いつまでも。
私のほうはミエを張ってたんだが、お夕さんのほうはそうじゃない。お夕さんもたしかに私を好いていた。こんなことをいうと気恥ずかしいが、それもただ幼ななじみだからという好意ばかりでなかったと思う。
ただお夕さんは別に私より好きな人があったんです。それはイエス・キリストでござんした。
私はいつぞやヘボン先生が、このことを私に告げ、お夕が私を結婚の対象などとはまったく考えていないようだ、といったのは、とっぴなからかいでもなければ、事前に釘《くぎ》を刺す警告でもなく、まったく事実そのままを、アメリカ人らしい率直さで口にしたものであることを知りました。
正直、私は哀愁ともいうべき感情にひたされることがありました。いや、そういってはきれいごとすぎる。心中、いくどか、炎にあぶられるような妄想に悩んだこともある。
そのうち私は、例の岸田|吟香《ぎんこう》先生からふしぎなことを聞いた。
「原君、あのお夕さんは妙な娘だな」
と、首をかしげていうのです。
「人なみでない娘さんだってえことは、みな知ってるじゃありませんか」
何をいまさら、という思いで、私は吟香さんの顔を見ました。
「それは承知しているが――実は我輩は、甚だおせっかいだが、お夕さんに、そのうち胤昭《たねあき》さんと結婚することになるのか、と、訊《き》いたんだ」
私は吟香さんがかつて、私とお夕《ゆう》を、「絵草紙の中の|めおと《ヽヽヽ》だ」といったことを思い出しました。
「するとお夕さんは、しばらく考えていたが、いえ、そんなことはありません、と答えた」
吟香さんはつづけていう。
「なぜなら、私はいつか殉教する日がありそうですから、といった。――」
「えっ、殉教?」
これには私も眼をパチクリさせた。
「まさか――徳川時代の切支丹じゃああるまいし」
「我輩もそういって笑った。そして、そのわけをきいた。するとお夕さんは、わけは私にもわからない。ただそんな気がしますというだけなんだ」
私は笑えなかった。ただ背筋に寒いものが、ぞうと流れたような気がしました。
こういうわけで、私はお夕さんを、だんだん別世界の女人として見るようになりました。どうしてお夕さんがそんなことを思うようになったのか、直接訊いても答えそうにないし、訊くのがこわかった。何かがあってそんな風になったというより、思い出すと八丁堀の組屋敷にいた少女のころから、どこか変った娘だった、と私は考えた。
それで私はお夕さんを縁なき他人と見るとか、生きてることに絶望的になったとか、そういう気にはならなかった。私の心の中で、その存在はいよいよ神秘的な光につつまれたものになり、私は恍惚《こうこつ》とした幸福な日々を過したのです。
そしてまた私を魅したものは、ヘボン先生でありました。とにかくヘボン館に起居しているのだから、その高潔な人格に魅せられざるを得ない。そしてまた、そこにいる以上、どうしても祈祷所《きとうしよ》にも出入りせざるを得ない。そして私は、門前の小僧同様、イエス・キリストとキリスト教について、曲りなりにもいろいろ知るところがあったのです。
私は一日で回心したものではない。徐々に、徐々に、地に水のしみこむように――私が回心の道へはいったのは、やはりあのころであったのかと、後年になって思い当ったくらいで、当時はその教義や掟《おきて》になお違和感を禁じ得なかった。ただ、ヘボン先生とその教えに、「人間には祖国以上の世界がある」ということだけは、おぼろげながら感じないわけにはゆかなかった。
そういう精神上のことと共に、三年私を横浜にとどめたのは、現実に有明《ありあけ》姉妹が横浜から動かなかったからです。ヘボン博士は、やがて東京へ出たいという有明先生の遺志を伝えたけれど、どうやら姉妹をそばから手離したがらないように見えた。
姉妹とも、絵草紙屋のかたわら、かわるがわる施療所にいって看護婦の仕事もしていたんです。そしてまた姉妹のほうもヘボン先生のもとを離れたがらないように見えた。
それからまたもう一つ、東京へ出るなら店のあっせんをしようと胸をたたいた岸田|吟香《ぎんこう》先生の約束がそれっきりになっているということもあった。別に忘れたわけじゃないが、いい出物がないからということだそうで、どんな商売でもそうでしょうが、とくに絵草紙店なんてどこでもいいというわけにはゆかないでしょうから、どうしようもない。また私が督促する立場にもない。
さらにまた、こういう平安な、どこかふしぎに甘美な生活をしていると、以前自分の暮していた石川島の日々が、次第にいまわしいものに感じられて来たのはいたしかたない。その世界しか知らなかったのが、はじめてほかの世界を知ったのです。
なかんずくおぞましく思い出されるのは、有明先生の死にまつわる、あのときのいくつかの魔のような影でした。これは毎月の命日、先生のお墓に詣《まい》るのだから、忘れようと思っても忘れられない。
しかし、父を殺された当のお夕さんが許せという。……なお納得できないものをいだきつつ、しかし私はもはやあの魔の影のむれに二度と逢《あ》うことはないだろうと思い、また逢わないことを祈る気持になっておりました。
ところが、この横浜で、その影といちどふっとめぐり逢ったのだから、私は驚いた。
二
明治九年の暮でござんした。ヘボン博士の友人で、東京築地の居留地に住んでる神父さんがアメリカへ一時帰国するってんで、船が出る日の朝、ヘボン先生とお夕《ゆう》さんと私がホテルに訪ねていった。
その人は前夜から、そのクラブ・ホテルってえ幕末からイギリス人のやってる小さなホテルに泊ってたんです。ヘボン先生はもとよりお夕さんも前から知ってる神父さんだからお見送りは当然だが、私はヘボン先生からのお土産の壺《つぼ》をいれた箱を運ぶための役でした。
ヘボン先生は、このホテルをよく御存知と見えて、ボーイの案内をことわってロビーから階段をのぼってゆくと、上から一人の女が急ぎ足で下りて来た。
金髪でこそないが、洋装して靴をはいているし、場所が場所だから、はじめちょっと異人女かと思ったくらいでした。
それが、階段の途中で立ちどまると、にいっとして、
「まあ……原の旦那《だんな》」
と、小声で呼びかけたから仰天した。
とっさには、私はそれがだれだか思い出せなかった。
「お久しぶりね。――それなのにこんなお願いして悪いけど、ちょっとこれをあずかって下さらない? あとですぐ受け取りに来ますから」
というと、その女は、抱いていた青い風呂敷《ふろしき》包みを私におしつけて、靴音もかろやかに階段を下りていってしまいました。
ちょうどあいていた右手でそれを受けとって、しばらくは口もきけず、あわてて見下ろしたが、女はすでにロビーからも消えている。
「御存知のかた?」
と、お夕さんがふりむいた。
「あいつか!」
と、私は叫んだ。
「あんな服装してるから、まさかあいつとは思わなかった!」
「だあれ?」
私は混乱したまま、
「私の昔の知り合いだ。それにしても、これは何だろ?」
と、手の風呂敷包みに眼をやったが、すぐにうしろに立っているヘボン先生に気がついて、
「あとで話す。さあ、ゆきましょう」
と、うながして歩き出した。
やがて、めざす部屋へ向って廊下を歩いていると、突然ある部屋のドアがひらいて、巡査とボーイが飛び出して来た。
「おいっ、お前ら、いま洋装の女を見かけなかったか!」
と、巡査はかみつくようにいって、私たちの顔を見て、
「やっ、お前らは!」
と、うなり声をたてた。
私も眼をむいた。私はそこにあの石川島で逢《あ》った警視庁の巡査の一人――有明捨兵衛《ありあけすてべえ》先生を少なくとも見殺しにした人間として、その名も胆に銘じて忘れない、仕込杖《しこみづえ》をぶら下げた檜玄之助《ひのきげんのすけ》という巡査を見出したのです。
お前らは、と思わず檜巡査が複数で呼んだのもむりはない。こちらもあのときと同じ顔ぶれなのだから。
「洋装の女を見なかったかと訊《き》いてるんだ!」
と、檜巡査が気をとりなおした風で、またわめいた。
私は相手をにらみつけたまま、黙って首を横にふった。これは反射的行為でした。
巡査も負けじと私をにらみつけたが、すぐにこうはしていられないといった風で、廊下をロビーへの階段のほうへ駈《か》け出していった。……
私たちは何事もなかったかのように、めざす部屋にゆきました。われわれが見送る人は、先刻申しあげたように、築地居留地にあるアメリカ長老教会の、白いひげをはやしたカロゾルス神父という方でありました。
しばし別れの歓談ののち、いっしょに部屋を出る。
さっきの部屋の前を通りかかると、ドアはまだひらいていて、ベッドに横たわったままの客を、ボーイともう一人の巡査が怖ろしい声を出して、呼び起そうとしているところでした。
その巡査が、どうやら――これも私たちの知っているあの船戸|伴雄《ともお》とかいう巡査らしい、と見て、内心私はこれはこれはと驚いた。
受付にいたホテル支配人に訊くと、おそらくこちらに、横浜でとくに有名なドクトル・ヘボンがいたからだろうと思いますが、その騒ぎのわけを話してくれました。
その部屋の客は壮士風の人物で、昨夜一人の女性と投宿したが、警視庁から何らかの疑いを受けて、先刻二人の巡査が踏みこんだ。
ところがその直前に女は立ち去っており、あと眠りこけたままの男がとり残された。そして巡査たちは、めざす証拠物件がどこにもないことを知った。残っている男を取調べようにも、鼻からちょうちんを出し、雷のようないびきをたてているばかりで、どうしても目をさまさない、というのでした。
私たちはそのままカロゾルス神父を送って、波止場へゆきました。その途中、私はヘボン先生とお夕さんに説明した。
「あれは、私が石川島にいたころ、そこの女置場――おんな牢《ろう》ですね、そこにいた女です」
そういってから私は、あの日ヘボン先生たちが石川島に来訪したとき、あちこち見回ったのちその女置場へゆこうとして、その直前に看守たちが四人の囚人を私刑にかけているのにぶつかって、それっきりになったことを思い出しました。
「あのときも石川島にいましたが、それ以前にも短期間だが二度ほどはいっていたことがある。売春して――売春はともかく、枕探《まくらさが》しをやって、しかも客を傷つけてつかまったんです。……名前はお町、異名を邯鄲《かんたん》お町といいました」
石川島で、邯鄲お町は、有名な女囚でござんした。第一に、そのたぐいない妖艶《ようえん》さにおいて、第二に、その先天的ともいえる悪女ぶりにおいて。――看守でさえ、彼女に誘惑されて罪を犯しクビになったやつが何人かある。
邯鄲とはえらくロマンチックな名ですが、実は枕探しの隠語です。が、お町の場合はそれ以上の意味を持った魔女的な異名だったかも知れません。
「その邯鄲お町がこの横浜のホテルにいようとは。――むろん事情はわかりませんが、いままでのことから想像すると、お町はその壮士とやらを誘惑してホテルに同宿し、この包みを盗んで逃げ出した。――その男の眠りかげんから見ると、眠り薬でも使ったのじゃないでしょうか」
「ああ」
と、ヘボン先生が吐息をもらした。
「横浜だけに効能のいい眠り薬を手に入れる便法もあったのでしょう。が、いかなる次第でか巡査の踏み込みをかぎとって、とっさに私にこの包みをおしつけて逃げていったのでしょうが――あの巡査たちが、石川島でかかりあった巡査たちだとお気づきでしたか? ――はて、これをどうするか」
と、私は片手にぶら下げた風呂敷《ふろしき》包みに眼をやりました。
さて神父さんを見送って、波止場を去ろうとすると、その雑踏の中で、ふと私たちの前に立ちふさがった者がある。
見ると、邯鄲お町です。これが西洋式に小腰をかがめ、
「サンキュー・サー」
艶然《えんぜん》として、いいやがった。
そして、私の手からその青い風呂敷包みをひったくると、
「いま、やばいからこのままお別れしますけれど、いずれお礼にゆきますからね」
といって、人混みの中へ、風鳥《ふうちよう》のように消えてゆきました。
私はついにその中身さえ見なかった。
まるでデクノボーの役回りを演じたわけで。――しかも、ともかくもこの間まで犯罪を罰する側にいた人間が、あきらかに盗品だとわかっているものを、みすみす犯罪者にわたすとは間のぬけた話ですが、実をいうと私は、邯鄲お町が取りに来なくっても、その風呂敷包みを警察にとどけるなんて気にはならなかったでしょう。その場合、さあ、それをどう処分したか、自分でもわかりませんが。
第一に、私は、つかまえるやつがあの巡査たちと知っては、とうてい協力する気にはなれなかった。第二に、彼らのかもし出す犯罪の世界に、もう一指も関係する気にはなれなかった。
三
このホテルの事件の真相については――翌年に例の西南戦争が起って、そのまた翌年になって私は知ることができた。
この戦争で薩摩に協力しようとして陰謀をめぐらした連中がつかまって、裁判にかけられて、その詳細が新聞に出ました。
その記事やその後に知ったところによると、当夜の壮士は、土佐の民権派の一人、竹内綱という人でした。
この竹内綱が、イギリス人の貿易商から小銃八百|挺《ちよう》と弾薬を仕入れて、薩摩の西郷方に送ろうとしたという罪で禁獄一年の判決を受けたのですが、実はこの裁判には、この当夜のことははいっていない。
このときも、金と契約書を用意して、そのホテルで相手の貿易商と交渉することになってたんだが、その直前に、いまいったような珍事で、金と契約書を包んだものを盗まれちまったので、これはこの件の犯罪を構成しない。この失敗のあとで、また同様のことをやって、そっちでやられたんです。
これは余談ですが、この竹内綱と肝胆相照らした親友が、当時横浜でやりてといわれた貿易商の吉田健三という人でしたが、この吉田ってえ人がのちにヘボン先生から眼の治療を受けて、そのときの雑談で以上のことがわかった。
それからこれはまったくの余談ですが、この竹内綱ってえ土佐の壮士は、大事な商談の前に町の売笑婦にひっかかり、鼻毛を抜かれてもちょうちんを出して白河夜舟だったとは甚だしまらないが、それなりになかなか豪傑で、鉄砲の件で吉田健三から大金をひき出した上に、いまいった禁獄刑の獄中に、ハマの芸者に生ませた子供も健三さんにおしつけてしまった。
その子がね。――
いや、これは余談のまた余談になりますが――ちょっと話が飛びます。
そもそもこの出獄人保護ってえ仕事の経費はどこから出てるかってえと、私は決して官公庁からいただかない。それは牢屋《ろうや》から出て来た人間の心理上、効果を薄めるからです。
そこでどうするかってえと、志ある人から寄附《きふ》を仰ぐんです。一般からもいただくが、やはり貴族やお金持から頂戴《ちようだい》することが多い。しかし、決して乞食《こじき》のように卑屈におもらいにゆくわけじゃない。一銭も私用に使う金じゃないから、私は露ほども恥じたりはしない。事情を申し述べると、たいていはこころよく出して下さる。
たとえば清浦伯とか土方《ひじかた》伯とか、もう亡くなられたが、故大隈伯とか――かの大隈伯についてはちょっと話があるが、これはあとで申しましょう。中にゃ渋沢栄一さんのように、あなたの仕事はまことに困難なことだ、御辛労をお察しします、それだけでいいのですか、もし足りなきゃいつでもおいでなさいといってくれる方もある。もっとも中にゃ原のユスリだと閉口してる人もあるかも知れませんがね。あははは。
いや、話が大それにそれました。
その芳志家の中に、牧野伸顕という方がある。この人は大久保利通公のお子さんですが、いつか牧野邸にうかがったとき、何かのはずみで伯から聞いておやおやと思ったのは、伯のお嬢さんがお嫁にゆかれた先が吉田茂という外交官だと知ったことでした。
この吉田茂ってえ人が、いま述べた竹内綱が吉田健三におしつけた子なんでさあ。いま外務次官をやっていなさるそうだが、外務大臣より大臣らしい顔をして威張ってるってえことですが、やっぱり豪傑の血を受けついで生まれなすったんですな。いやこの世の人間の織りなす糸の先はどうなるかわかったものじゃない、と感心します。
それはともかく以上の話、私が横浜にはからずも三年ほど滞在した事情や心情をあれこれ申し述べた次第ですが、人間とは可笑《おか》しなもので、同時にその正反対のむきに顔をむけて、けっこう悩んでることもあるんでさあ。
私なんざ、きっすいの江戸ッ子のつもりで、牢《ろう》から出て来た連中があんまり考えこんでると、「何をメソメソしてやがる。まず頭をあげて、しっかりおれの目玉を見て、考えてることを話せ」なんてどなりつけるんですが、なに、私だって若いころは、見かけだけは威勢はいいが、内心はけっこうクヨクヨと考えごとをしたもんだと思う。
それは一言でいうと、こんな中ぶらりんの状態はいやだってえことでした。
横浜にいるってえことは中ぶらりんだ。絵草紙屋の番頭みてえなことをやってるのも中ぶらりんだ。ほかにも中ぶらりんな感じのすることはいろいろとある。いつまでもこんなことはしていられない。――
ハマの海岸通りを、十手を背負って肩で風を切って歩いたり、絵草紙屋の帳場で鼻の下を長くして坐《すわ》ってたりしているうちに、いつしか私も二十代の半ばになり、やっと、おれの一生、なんとか方向だけはきめなきゃいけねえってえ気持になって来た。
一生の方向ったって、私ゃそのころから立身出世ってえやつがきらいでね。またたとえそれを願ったところで――勝さんや榎本さんなんて、もともと身分や頭の上等な人は別として、徳川《とくせん》家の二百石|扶持《ぶち》の与力ふぜいが、どうもがいてみたってたいしたことのないのは、ほかの例を見るまでもなく知れている。
それからまた私は、これでも感心に、どうせたった一度の一生なら、何とか世のため人のためになる仕事をして死にたいものだってえ考えが、そのころからありましてね。いま与力ふぜいといいましたが、与力のころはそれがその職、石川島にいたころだって、新政府以来の役人どもが気にくわねえ一方で、勤めそのものは決して無用の勤めとは卑下していなかったんでさあ。
ところが、新しくどんな仕事をすりゃいいんだかわからない。
そんな迷い、不満、じれったさも、私の胸にゆれ動いてはいたんです。
そのうち西南戦争がはじまり、終った。――明治十年秋のことです。
やっと岸田|吟香《ぎんこう》先生から、銀座三丁目二番地大通りに適当な家があいた、という連絡があった。西洋雑貨店の主人が亡くなって売りに出した店で、煉瓦《れんが》作りに絵草紙屋とは、と、いささかしりごみしたが、それはちょっと造作を変えればいいからと、吟香先生はそれに決めていました。
私は東京に帰ることをどう考えていいのかわからなかった。いま申したように、東京へ帰るのは怖ろしい、というような思いと、いや、ここで目的のない時をすごしてはいられない、というような思いでゆれ動いていたのですから。
四
そうこうしているうちに東京帰りの話は進み、いよいよ姉妹といっしょに有明先生のお墓に、最後のお別れを告げにいったときでござんした。――お夕《ゆう》さんが、大変なことをいい出したのです。
「お夕さん、ほんとうに東京へいって絵草紙屋をやるつもりなのかね?」
と、ここに至っても私のほうが、なお吹っ切れない問いを向けると、
「東京へはゆかなければなりませんわ」
と、お夕さんはきまりきったことのようにいう。
「なぜ?」
墓をじっと見つめて、
「父の遺志がそうでしたから」
「有明先生の遺志? そういや、ヘボン先生からもそんな話をきいたけれど……この三年間、あなたは別にそのことを焦《あせ》ってるようには見えなかったが」
「それは、まだ自信がなかったからですわ。……」
「東京へ出る自信がかい」
「東京へいってやることに、ですわ」
「何をやるのだ?」
「あのねえ、吟香さんのお店は二つに分けてあるでしょ。|精※[#「金+奇」]水《せいきすい》を売るお店と、支那のすずりなんか売るお店と」
お夕さんは妙なことをいい出しました。
それはその通りでござんした。銀座二丁目の吟香さんの「楽善堂」は、煉瓦街の一軒を二つに仕切って、一方を薬房と称し、もう一方を書房と称して、支那の筆墨|硯紙《けんし》や書籍などを売っていたのでした。
――その子の劉生《りゆうせい》君がのちにその風変りな店構えを「私の生家之図」に描いております。
「同じように、十字屋も二つに分けて、一方で絵草紙を、一方でヘボン先生の辞書や聖書や、その他キリスト教関係の絵や、教会で使う楽器なども売りたいのです」
それも有明先生の遺志だってえことは、私も知っていた。
「もう一つ……これは店は要《い》らないけれど」
お夕さんは私を見つめて、
「このことは、前から是非|胤昭《たねあき》さんに御相談したいと思っていたのですけれど……それをいま話します」
「……何だろう?」
「私は、牢屋《ろうや》から出て来た人々を助けてあげたいの。その仕事をいっしょにやっていただけませんか?」
「えっ?」
私は眼をまるくした。
「それも父の望みでした。牢から出た連中を何とかしてやりたいものだと。――あの最後の日、不承不承ながら私を石川島へ連れてったのも、前からそんな心があったからでしょう」
「ああ。……」
「石川島は、もともと罪人を罰する島じゃなかったそうですね。刑を終えた人々に、まっとうに生きるための職や心がまえを教えるための場所だったそうですね。それがいつのまにか変って、あんな怖ろしい懲役場になってしまったようですけれど」
「その通りだ」
「その本来の――牢を出た人々が、この世の海へふたたび出てゆくための小さな港を作ってあげたいのです」
「出獄人の港――」
私はくり返し、一息おいて叫んだ。
「そりゃ結構な思いつきだ。しかし、具体的にどんなことをしようってんだ?」
「港というと大げさかも知れません。巣です。鳥のねぐらです。牢を出た人々は、その日からどこへゆくか、ゆき場所もない人々が多いのでしょう。その人々を、二、三日でも、ただ泊めてあげるだけでも、ずいぶん助かるのじゃないでしょうか? それからまた、その後困ることがあったら、いつでもそこへ帰って来るようにしてあげたら……」
「そ、そりゃ結構なことだ」
と、私はまた叫んだ。
「しかし、そりゃ大変なことだぜ。でえいち、あんたたち若い姉妹で、そんな大それたことが……」
「大変なことは承知していますわ。それだから、あなたにもやっていただきたいんです」
「おれがやるったって大変だ。あんたは一日石川島を見ただけで、囚人ってえやつがどんなやつらだか、よく知らねえんだ」
「胤昭さん」
お夕さんは呼んだ。
「それがどれほどのことであろうと……ヘボン先生が何もかも捨てて、見知らぬ日本へ来られたときの大変さにくらべたら何でしょう」
私は雷《らい》に打たれたようでした。
耶蘇《やそ》はともかく、ヘボン先生に敬服していることは前に申した通りであり、なかんずく私が感動を過ぎて神秘を禁じ得なかったのは、まさにお夕のいう通り、ヘボン先生のその最初の思い立ちでありましたから。――
「東京へ出てからの十字屋の三つ目の仕事――ひょっとしたら、それがいちばん大きな仕事かも知れません」
お夕さんの眼には、碧《あお》い海に落ちる日を映《うつ》したような光がともっていました。
「胤昭さんは、きっとそれをいっしょにやって下さる方だと私は思っていましたわ。……」
私は、口をパクパクさせるだけでありました。
黙ってお夕さんを見返したまま、しかし私の胸に――これまで一面、闇夜《あんや》の海をただようようだった私の心の水平線に、光が――ほんの小さいものですが、一点の光が見えたような気がしたのはこのときであります。
立身出世なんか露ほども望まない。しかし、生きて甲斐《かい》ある何かをしたい――そう願って心中|悶々《もんもん》としていた私にとって、それこそは打ってつけの仕事じゃあるまいか?
お夕さんの突然の依頼には驚いたが、しかしこれを受けた私には、今から思うと、余人とは異なる特別の反応を起すだけの備《そな》えがあったのかも知れない。それは石川島における勤務であり、また御一新以来、むやみに囚人を圧制しようとする新役人どもへの怒りでござんした。
「父が死んだのは、お役人の囚人への乱暴をとめようとしたのがもとでした。この仕事は、父への何よりの供養になると思います。かたき討ちなどより、父はもっとそれをよろこぶでしょう」
私がなお口をパクパク動かしているので、お夕さんは急に不安になったらしく、
「胤昭さん、あなたにとって何のためだといわれるなら、それは神のためだといえるようになって下さい。ヘボン先生のように――」
と、思いつめたように申しました。
「ヘボン先生を動かしているのは、神の救いは罪人のためにあり、弱きもののためにありという、イエスさまのお教えなのです。……胤昭さん、洗礼をお受けになる気はありませんか?」
そして、私が返事もしないうちに、お夕さんは私をまたぎょっとさせるようなことをいいました。
「あなたの御先祖の中には、あの元和大殉教のヨハネ・原|主水《もんど》がいらっしゃるじゃありませんか?」
――原主水、その名をお夕さんは、おそらく父から耳にしたものでしょう。むろん私も知っていたが、かつて口にしたことのない不吉な名でありました。
原主水は将軍家光公のころ邪宗門を奉じて捕えられ、手足の指すべてを断たれ、ひたいに十字の烙印《らくいん》を押されても教えを捨てず、元和九年十月、彼に従う切支丹五十人とともに品川で火あぶりの処刑を受けた人物です。
ただし、ヨハネ・原主水は私の正系の祖先ではない。いつぞや申した、丸橋忠弥をつかまえにいった原兵左衛門のまたいとこにあたる人物ですが、お夕さんのいうように、先祖のむれの中の一人には相違ない。それで原主水という名は、わが原家で、以心伝心のタブーになっていたのでござんした。
いま、お夕さんは、その名をあえて口にした。――
「ヨハネ・原主水さまは、謀叛人《むほんにん》の名じゃない、聖者の名だと私は思いますわ。……胤昭さん、いまその名をついで下さる気にはなって下さいませんか?」
「待ってくれ、お夕さん」
やっと私の声が出ました。
「おれは、あんたのいうことが、おれの望んでることとあんまりぴったり合ったんで、それで口がきけなかったんだ」
私は、その仕事が大変だ、といったことも忘れてた。心の水平線の果ての光は、みるみる大きな炎に変っていました。
「その仕事をやろう。東京へ帰ろう」
そして、笑いました。
「ただし、ヨハネ・主水になることだけはまだごめんこうむりてえが。……」
ぱっと花が咲いたような笑顔になった姉妹のうち、私はそのときはじめて、妹のおひろちゃんに気がついた。
実はこの妹は、十字屋のかんばん姉妹と呼ばれたくらいで、秋の月輪のような姉にくらべて春風を思わせる。ものしずかに見えて強い意志を持っている姉のせいか、いつもその蔭《かげ》でニコニコしているのに目立たない。おとなしくて、素直で、ひとまかせで、どこかのんきなところさえ見える妹でござんした。
このおひろちゃんも、いっしょにゆくのか? いや、ゆくにはきまってるが。――
「おひろちゃん、あんたもこの仕事をいっしょにやるつもりかね?」
と、私は尋ねました。
おひろちゃんは、笑顔のまま、こっくりした。
「お姉さまや胤昭《たねあき》さんがやることなら、あたし何でもついてゆくわ」
「そうか、ありがとう、ありがとう!」
しかし、私は姉妹の背後のかなたに、東京の空を見た。その日も横浜の海は秋の日ざしにきらめいているのに、東京の空には気味の悪いほど暗い雲が妖《あや》しく横たわっているのが見えた。あの空の下へ、私たちは帰ってゆくのだ。
五
さて、横浜の十字屋をひきはらい、こうして私たちは東京へ帰ったのでござんす。
そのころ東京の東の空には、毎夜大きな赤い火星がかかり、望遠鏡で見た人間が、その星の中に大礼服を着た馬上の西郷隆盛が見えたといい出し、みな西郷星と呼んでいました。
銀座二丁目の楽善堂の吟香《ぎんこう》さんのお世話で造作変えをし、銀座三丁目に「十字屋」のかんばんをかかげ、店を二つに分けて、一方で絵草紙を、一方で耶蘇《やそ》教の聖書や讃美歌《さんびか》の本、宗教画や教会音楽に使う楽器、和英辞書などを売り出したのですが、そのまんなかに「出獄人保護所」の標札も打ち出した。
また、それまで横浜じゃあ、私はヘボン館に寝泊りしてたんだが、東京でそういう仕事――つまり出獄人を家に連れて来て泊らせるってえことになると、まさか女二人だけおいとくわけにもゆかねえから、私も同居することになったが、寝るのは姉妹はキリスト教の店のほう、私は絵草紙屋のほうにした。
……それにしても、いまから思えば私もお夕さんも、ほんとうに無謀で、未熟でござんした。そもそもこの「出獄人保護所」なんて標札が、その未熟のあらわれでござんした。
いま、この神田の私の家は、後年監獄|教誨師《きようかいし》をやめたあと、明治三十年に出獄人保護の仕事を再開して以来のものですが、どこにも「出獄人保護所」なんてかんばんをかかげちゃあいない。無標札です。ただ神田の「原の家」で通ってる。出獄人はただ囚人仲間の口伝えで、神田の原の家へいって見よう、とやって来るんでさあ。
ところでね、この家で思い出したことがある。さっき申した故大隈伯についての話で、また余談だが、面白いから聞いて下さい。
この家はねえ、もと幕府お抱えの蘭方医《らんぽうい》、有名な伊東玄朴先生の下屋敷だったもので、屋根の上にまた物見やぐらみてえな三階をのせた大威容です。
そこで原は、免囚保護事業に名を借り、分にすぎた家をかまえるってえ悪口も、ちゃんと承知しております。が、ここに常時泊ってる出獄人は、二十人や三十人ではきかないんです。それに私が買ったときは、三階にあちこち突っかい棒してるようなぼろ家でござんした。それでも実は買えなくって、しかたなく以前からちょいちょいお世話になってる大隈さんのところへ御相談にいった。
すると大隈さんは、わけを聞いて即座に寄附《きふ》を快諾されたが、それから葉巻をくゆらせながら、こんなことを話された。
「原さん、そういうものは大きいのに限る。医者だって立派な門がまえの家でなくちゃ患者が不安の気を起す。同様にあんまり貧寒な保護所じゃ、出獄人も寄らば大樹のかげという気にゃならんもんだよ。それに、特に注意しておきたいことがある。それは、つまらんことのようだが、飯を食わせるところは宏大《こうだい》でなけりゃいかんちゅうことだ。台所の板の間を拡げてもいいが、とにかくああいう狭いところから出て来た人たちは、広いところでにぎやかに飯を食うっちゅうことが何よりなんである。その点特に心を配って下さい」
など、妙なことを注意されたが、さてそのあと、
「ところで、いま我輩の家にゃ、いまあなたの必要とされるだけの金額が余分にないんである」
と、いわれたから、あっけにとられた。
すると、大隈伯はニコニコして、
「しかし、作ろうとすればそれくらいの金はわけはないんである」
「へえ? どうやってお作りになるんで?」
「ちょうど菊の真盛りだ。うちの菊を見せて客から金をとればいいんである」
と、いって、御自慢の菊をならべて御自邸で一大観菊会をもよおし、その見物料をとることを提案なすった。
そして、その通りをやって、あがりを全部お下げわたしになって下すったんです。いかにも機略縦横な大隈さんらしい話ですが、その手間ひまを考えると、だれにもできることじゃない。
しかも、いまいった妙な御忠言も、あとになるといろいろと思い当るところがあり、なるほど人間通の大隈さんらしいと私は感心した。
で、ごらんのように、ここにはいつも、少なくとも十人くらい、多いときにゃ何十人か、牢《ろう》から出て来たやつらがごろごろしてる。そして飯どきはまるで山賊の酒盛りです。もっとも、酒は飲ませませんが。――そして、私も女房も、いっしょに同じものを食う。私と女房だけ、さしむかいで食事をしたなんてえことはいちどもありません。
買い出しも、何人かの免囚のお供つきながら、毎日なかなかの労働で、私とは七つちがいながら、それでも女房も七十の坂にかかり、実は私もつくづく気の毒に思うこともある。さいわい当人は気にもせず、笑顔を消したことのないのを、口に出していったことはねえが、内心おじぎしたいほどありがてえと思ってるんですがね。……
それからもう一つ、つまらねえことのようで、あなたがたに参考になるかも知れねえ件がある。
ここに来る免囚たちの信用を失わないために、是非必要な配慮でござんすが、それはこれにかかる費用の出所進退です。むろん御承知のことでしょうが、牢から出て来た連中は、実に途方もねえほど猜疑心《さいぎしん》ってえやつが深うござんしてね。要らざる悪推量を受けないために、その金はどこからいくら頂戴《ちようだい》したか、何にどれほど使ったか、ということを、いちいち明細に書いた帳面を、だれでも見られるところに、それあそこにどしんと置いてあります。
さて、その銀座時代の最初の「出獄人保護所」は、しかし、いまにして思えば、何も知らない試行錯誤だらけの時代でござんした。私は実はこのときの仕事を、私の生涯をかけた保護事業のうちにいれていないほどなんでございます。
家もこんなこけおどしのでっかいものじゃなく、煉瓦《れんが》街の一軒ながら実に可愛らしいもので、それで囚人保護とは口はばったいかぎりですが、しかしこわさ知らずの熱い血と純粋さは、いまよりあったと思う。――とはいえ、何もかもが未熟の至りでござんした。
以下は、志はいいが大ヘマだらけの、それどころか私にとっちゃ身を切られるような切ない想い出話と相成ります。
おうい、口がかわいた。お茶を持って来てくれ。いや、梅雨《つゆ》どきに、この雨のようなかびくさい老人の昔ばなし、お聞きになるほうも辛気《しんき》くそうござんしょう。まったく恐れ入谷の鬼子母神で。――
なに、かみさんはさっき今晩の餌《えさ》の買い物に出た? そうか、それならそこにいる野郎ども、だれでもいい、お茶の熱いところを、この旦那《だんな》方に持って来てさしあげろ。……
切支丹の町奴
一
銀座は明治六年ごろから、西洋の物まねで煉瓦《れんが》街と変えられたが、最初のうちはそれまでの江戸風の建物とあまり異質なので店をひらく希望者もなく、えたいの知れぬ興行者などがはいりこんで、しばらくは、なんともあやしげな見世物街となっていた。
が、そのうちに街路樹の柳も定着し、ガス燈がつらなるようになると、追い追い有名な店も進出して来て、ほかの地域とはいちだんと広い大通りには、馬車人力|俥《しや》がゆきかい、のちの大繁華街のきざしがようやく見える景観を呈していた。
明治十年初冬のある日、その銀座三丁目の煉瓦街の一軒にかかった「十字屋絵草紙店」というかんばんをジロジロ見あげ、まんなかの柱にかけられた「出獄人保護所」という標札をチラチラ眺めていた二人の男が、何やらヒソヒソ話し合ったのち、柱の右のほうの絵草紙店へ、ぶらりとはいっていった。
二人ともべんけい縞《じま》の着物をしりっからげにして、はんてんを羽織った、いかにもごろつきらしい人相の男たちだ。
「ええ、まっぴらごめんねえ」
店番に坐《すわ》っていた娘を見て、顔見合わせ、
「なるほど、評判通りだわえ」
と、一人がつぶやいて、にやっとした。
「ええ、ちょっとうかがいやすが」
と、もう一人がいう。
坐っていたのはおひろであったが、べつにこわそうな表情も見せず、あどけなさをとどめた笑顔で、
「いらっしゃいまし」
と、桃割れの頭を下げた。かんざしがキラキラゆれた。――おひろは十八であった。
「いや、絵草紙を買いに来たんじゃねえ。ちょっくら訊《き》きてえことがあってね」
「何でございましょう?」
「表に出獄人保護所ってえ札が打ってあるが、いってえ何をするんだね?」
「それは……牢屋《ろうや》から出て来たお方の、これからのことをいろいろ御相談にのってあげる場所で……」
「お前さんがかい?」
「いえ、その相談に乗ってあげる人は別にございます」
「その人は、いまいねえのかい?」
「はい、ただいまは、その……牢から出て来る人を迎えに、本湊町の渡船場のほうへ出かけておりますけれど」
二階で、何人かの子供の笑う声がした。
けげんな顔で天井を見あげ、しかし、その一人が改めて口を切った。
「なんか、聞いたが、ここへ来ると、囚人はただで飯を食わせてもらえるそうだね」
「はい、三日間ほどでございますが、その間に御相談するのです」
「それじゃ、おれたちが来ても、三日間飯を食わせてくれるのかい?」
「いえ、それは牢屋から出て来たお方でないと……」
「牢から出て来たやつにさえ飯を食わせるってえのに、まともに働いても飯の食えねえおれたちに、なぜ飯を食わせられねえんだ?」
と、一人があごをつき出すと、もう一人も、
「そのわけを聞かねえうちは、ここから動かねえぞ」
と、凄《すご》んだ。
すると、横の、細引《ほそびき》に吊《つ》り下げた無数の錦絵《にしきえ》がガサと鳴って、それをくぐって一人の男が現われた。
それが、六尺以上の大男で、らんらんたる大目玉の所有者であったので、ごろつきたちはぎょっとした。
「ここは絵の客か、出獄人以外はあつかわないんだ。帰ってくれ」
と、彼はいった。
もの静かな声だが、それがいっそうぶきみである。
絵師の小林|清親《きよちか》だ。――たまたま彼は、絵を見せにここを訪れていたのである。
正体は知らず、見ただけでも豪傑然とした人物の出現に、ゆすりに来たごろつきは顔見合わせ、それでも虚勢を張って、
「そうかい、悪かったな」
「きょうのところは引きあげるが、いまの件よくかんげえておいてくれ」
と、わけのわからないことをいうと、あとずさりし、ぱっとのれんをかきわけて、出ていった。
往来に出て、二人は、「出獄人保護所」の札のかかった柱から壁がつながっていて、奥はどうなっているかわからないが、店は完全に二つに分かれていることに気がついた。
二人は小声でまた何やら相談し、図々しい連中で、こんどはもう一つの、本をならべた店のほうへはいっていった。こちらはガラス戸になっている。
壁には、彼らは名も知らない西洋楽器がかけられ、台にはこれまた西洋風の作りの本がならべられている。
その奥に坐《すわ》っている娘を見て、ごろつきたちは数瞬息をのんで棒立ちになったが、かくてはならじと気をとりなおした風で、
「ええ、ちょっとお願いがあってめえりやしたが」
「いらっしゃいまし、何でございましょう?」
壁の西洋楽器を背に、銀杏《いちよう》返しにゆった頭を下げたのは、廿歳《はたち》のお夕《ゆう》だ。――両人がいま息をのんだのもむりはない。隣りの絵草紙屋の娘はまだ人間界の可愛らしさであったが、これはまるで聖霊のような感じがする。
「表に、出獄人保護所とあるが……してみると、ここに牢屋《ろうや》から出たやつらが来るんですかい?」
「そうでございます。まだ来てくれる方が少のうございますけれど……」
「少なくって結構だ。そんなやつらにワンサと押しかけて来られちゃ困る。こっちがよ」
「あの、どちらさまでいらっしゃいますか」
「この銀座で、いろいろ町内の世話役をやってるもんだがね」
こういってから、二人はやっと本来の調子を取り戻して、
「ええっ、おい、そんな連中にウロウロされちゃあ、町内がかなわねえ。そいつらがこの御近所にユスリ、タカリを始めたらどうなるんだ」
「何もしなくったって、そんな物騒なやつらが出入りするだけで、商売上ったりにならあ」
「何とかしてくれって、町内一統から頼まれて来たんだ」
「ちゃんとした返事をもらわなきゃ、手ぶらでは帰らねえぞ!」
と、歯をむき出して咆《ほ》えはじめた。
すると、あいたままのガラス戸の外に立っていた男が、のそりとはいって来て、
「おい、竹、八」
と、呼んだ。
「町内一統から、いつ頼まれた?」
ふり返って二人は、いけねえ、と、うろたえた顔をした。
はいって来たのは銀座の名物男、岸田|吟香《ぎんこう》の大きな身体であった。関羽にまがう黒髯《くろひげ》をそよがせているのに、ゆったりとした洋服を着て、赤いトルコ帽をかぶっている。
「銀座八丁、人さまの悶着《もんちやく》はおろか、犬猫のお産まで面倒を見とる岸田だ。てめえたちにそんな用件を頼んだなんて話は聞いていねえ。この十字屋は我輩が後見して出させた店じゃ。もし文句のあるやつがあるなら、楽善堂へ来いといってくれ」
と、ひげをしごきながら、吟香はいった。
二人のごろつきは、頭をかかえて逃げていった。
あと見送って、吟香は、しかし、このらいらくな人物にしては、珍しく気がかりそうに、
「いいところへ我輩が来たが……しかし、いまの地回りの文句、ありゃユスリに来たやつだが、町内一統の心配はほんものじゃて。その不安もむりからんところもある。我輩も、まさか絵草紙屋のほかに、出獄人の相談所なんてえものを作るとは思わなかったぜ」
と、嘆息した。
「すみません。御町内の方々へのおわびは、どんなことでもいたします。また、万一のことがあったら、どんなつぐないでもするつもりでいます」
と、お夕《ゆう》は身をもんで頭を下げる。
吟香はすぐにひげの中から白い歯を見せて、
「いやなに、そう心配はいらんよ」
と、一笑した。
「お夕さん、あんたの志はよくわかっとる。このことを勧められたヘボン先生のお心についてはいうもおろかなりじゃ。岸田吟香、一身もって町内の説得にあたる。その点は安心して――不退転の意志をもって、この仕事をつづけなさい。それはそうと、胤昭《たねあき》君はお出かけか」
お夕は、うなずいた。
「はい、きょうもまた、築地のさんず茶屋のほうへ。……」
二
――原胤昭は、その通り築地本湊町のさんず茶屋にいた。本湊町は、石川島の対岸にあたる。ここに石川島専用の渡船場があり、渡船場のすぐそばにこの茶屋があるのであった。
さて、その日のことを語る前に、いままでのここでの某月または某日の景を点描しておこう。
青い潮の見える茶屋――というと風流なようだが、荒作りの厩《うまや》みたいな建物で、婆さんが茶くらいは出すが、若い茶屋女なんていない。
何本かの黒ずんだ柱に支えられた深い軒の下に、それでも十くらいの腰掛けが出してあり、そこではいくつかのむれがならんだり、向い合ったりして話しているが、そこから流れて来るのは、笑い声が半分、あと半分は泣き声か怒る声か、さもなくば陰鬱《いんうつ》な沈黙だ。
ここは牢《ろう》から出た人間を、その家族か知り合いが出迎える場所だ。さんず茶屋とは、石川島をへだてる海を三途《さんず》の川に見たてて、だれかがつけた名であった。
そこへ送りこまれる者を見送る者は少ないが、出て来た者を出迎える人間はある。たいていは新しい衣服や、ときには弁当、酒など持参している。
笑い声をたてているのは、大半が、さる九月に終結した西南戦争の関係者、特に賊軍と連動しようとした民権派の志士で、罪が軽いと認められ、早々に釈放された連中と、その出迎えの同志たちであった。
泣いたり怒ったりしているのは、ふつうの犯罪の出獄人とその家族知人が多かった。牢から出て来た人間をよろこんで迎える組もあるだろうが、それより入牢中の悲劇を聞かされて怒り、泣き、また出獄をかえって迷惑として沈黙で迎える組が少なくなかったのだ。
むろん、出迎える者は一人もいない、という出獄者もいる。いや、これがいちばん多いかも知れない。
彼らは渡船から上ると、人声のするこの茶屋へふらふらと吸い寄せられ、そこで笑ったり泣いたりしている人々の上に、すがりつくような眼をさまよわせ、だれも自分のところへ駈《か》けよって来る者もない、またどこにも自分の知った顔も見えないことを知ると、大半はぐいと肩をそびやかし、せせら笑うような表情で立ち去ってゆくが、中には迷子みたいにいまにも泣き出しそうな顔をして、いつまでも茫然《ぼうぜん》と立ちつくしている者もある。
茶屋の隅の腰掛に腰を下ろし、そういう出獄人を見つけ、しばらく観察したのち、原胤昭は近づいてその肩をたたく。
「おい、出迎えはいねえのか」
「へ」
相手はびっくりしてふり返り、キョトンと胤昭を見つめる。
「けえる家はあるのか。頼ってゆく知り合いはあるのか。どこへゆくつもりだ?」
「それが、ねえんで……」
「そうか。それならおれんちへ来ねえか」
「おれんち? ど、どこへ?」
「すぐそこの銀座だが――そこへゆきゃ、飯だけは三日食わせる。その間に、とっくりお前さんのこれからの身のふりかたを相談しようじゃねえか」
相手は狐《きつね》につままれたような顔で、胤昭のあとについて来る。――
そして「出獄人保護所」の聖書の店の二階に泊め、その話をきいてやり、相手の過去、性質、能力、意欲などから判断して、胤昭が新しい生計の道を探してやる。――
お夕がこの仕事に胤昭を頼りにしたのもむりはない。これは、実際、彼でなくては不可能とさえいえる仕事であった。
なぜなら、与力の家に生まれ、かつ与力もやっていた原胤昭は、江戸の、いや東京のあらゆる職業の親方と顔なじみであったからだ。その職人なり人足なりの親方のところへ連れていって、この男の責任は自分が持つからといって、こんせつに頼むのである。
その男の門出のとき、
「そういうわけで、おめえさんがまた悪いことをしたり怠けたりしちゃ、おれの顔にかかわる。原の責任になる。そう思ってまじめに働かなくっちゃいけねえ。……とはいうものの、やっぱりしんぼうできねえ、ということになったら、無断でどっかへすっ飛ばねえで、おれのところへまたおいで。必ず相談に乗ってやるからよ、いいかえ?」
と、胤昭はこんなことをいう。
またお夕は、その男に聖書をわたす。ドクトル・ヘボンと吟香《ぎんこう》が訳したものを、さらに彼女が適当にひらがなだけに書き直した手書きの冊子だ。
「もしおひまなときがあったら、十分でも二十分でもこれを読んで下さいな」
「おれ……おれ、字なんか読めねえぜ」
「もし読めなかったら、読める人に読んでもらって下さい。……はじめ意味がわからなくっても、繰返し繰返し読んでいると、そのうちわかるようになりますわ。それはきっとあなたのためになるでしょう。……」
――「出獄人保護所」開業以来二タ月ほどで、彼らはもう七、八人の出獄人を「保護」したが、その状況はざっと右のような次第だ。
その成績をいうと、たいていはその後、あてがわれた仕事場でおとなしく働いているようだが、中に一人、保護所滞在中の三日目にどこかへ出かけて、夜中グデングデンになって帰って来て大あばれしたやつがあり、またこれは見知らぬ男だが、おそらく右のような話を聞いた出獄人の一人だろう、ひるまお夕と同伴で歩いている胤昭にいいがかりをつけて来たやつがあった。
東京へ来てから彼は、例の十手を背負うことはいちじやめていたのだが、そのときの体験から胤昭は、元通り十手を背に、縄の輪まで腰にぶら下げて歩くことにした。
十手を背に、朱房を胸に垂れて、時にははかまをはいた書生風、時には黒紋付の着流しで歩くのは相当な異風のはずだが、ふしぎにふり返る者はあまりなかった。
実にこのころは、白日の往来を、大礼服にシルクハットの男がゆけば、エボシ、ヒタタレの男がゆく。ボンネットをかぶり、スカートをふくらませた女がゆけば、義経ばかまに靴をはいた女がゆく、といったていたらくで、まさに百鬼昼行の時代だったのである。
もう一つ、胤昭がさんず茶屋で眼をそそいでいるものがあった。女囚とその子供だ。
最初にこれに心をむけたのはやはりお夕であった。そのときはお夕もいっしょにさんず茶屋に来ていたのである。
石川島の女置場――いや、いまでは公然と女|牢《ろう》と呼ばれているが、そこから出て来た女で、半としくらいの赤ん坊をかかえているのがあった。あきらかに女牢で生まれた子だ。出迎える者もなく、茶屋でその女は、泣きむずかる子供をあやしあやし、半時間ほど途方にくれた顔をしていたが、やがてトボトボとどこかへ立ち去った。
しばらくして、お夕がはっとしたように叫んだ。
「あっ、悪いことしたわ!」
「な、なんだ?」
「いまの赤ちゃんを抱いた女のひと――」
「あれを連れてくってえのか。そりゃ始末に困るよ」
「私もそう思って見逃したけれど――あのひと、ほんとうに困った顔してたわ。これからいったいどうするのでしょう? あのひとこそ――少なくとも赤ん坊だけでも、何ヶ月かでもあずかってあげればよかったと思うわ!」
お夕は、胸を抱いてオロオロと叫んだ。
このときから、女囚にも眼をそそいでいると、獄中で生んだ子を抱いて出て来る女はさすがに二度となかったけれど、茶屋に出迎えた人間から、いきなり幼児を押しつけられて当惑している女囚を二人ばかり見た。おそらく何か事情があって入獄中やむなくあずかっていたものを、待っていたように母親に返したものにちがいない。
それに声をかけて、相談の結果、一応女の落ちつき先がきまったら引取りに来るという約束をしてあずかったまま、それっきり母親が現われないので、いまも十字屋絵草紙店の二階には、三つの女の子と二つの男の子が無心に遊びたわむれている始末だ。
三
――さて、その日、もう落ちかかったお日さまが、潮流をうす赤くけぶらせている時刻。
ここのところ、そこを往来する船の数が多い。それはさきごろから、石川島懲役場を「近代的監獄」に改造するための工事が始まっているからであった。
それとは別に、石川島から渡し船に乗って、一団の人々が上って来た。
さっき茶屋のまわりに、ふだんより俥《くるま》の数が多いと見、待っているむれに壮士風が多いのを見て想像していた通り、出獄者の大半は明らかに西南戦争関係の連中らしかった。その中にふつうの囚人も数人まじり、また若い女の影も一つ見えた。
そして、看守も一人いた。――
それがだれかと知って、さすがの胤昭もぎょっとした。
鍾馗《しようき》のようなひげをはやし、ひときわ巨大な図体をしているのですぐわかる。
あの惨劇の日、四人の囚人を私刑にかけていた三人の看守の一人。――石川島でも強力《ごうりき》で聞えたアラダルという囚人を鞠《まり》のごとくたたきつけて、半殺しの目にあわせていた牛久保|蓮岳《れんがく》という看守だ。
そればかりではない。胤昭の信じるところによると、こいつもまた有明《ありあけ》先生を殺した「五人組」の一人だ。
さらに、もともとが胤昭が唾棄《だき》していた看守であった。その相撲取りのような肉体もむべなるかな、御一新前は、たしか加賀藩のお抱え力士であったと聞く。
蓮岳という妙な名も、雅号なんかではなく、もと蓮《はす》ノ岳《たけ》と名乗っていたシコ名から来ているのである。
その怪力にまかせて、やりたい放題の暴力をふるうが、一方で臆面《おくめん》もなく囚人の家族に蔓《つる》(ワイロ)を、御用商人に口銭を要求する強欲無比の男だというひそかなうわさを、そのころ何度か耳にしたことがある。
できたら二度と見たくなかったひげづらであった。
それがいま、石川島からやって来た。――出獄人の護送役かと思っていたら、茶屋の軒下に立って、中をジロジロ見まわしている。
そして、茶屋の隅に坐《すわ》っていた胤昭と眼が合った。最初から探していたらしい。
と、見るや、胤昭は嫌悪もおっかなさも忘れて、ずいと立ちあがっていた。彼にはそういうところがあった。
向い合って、礼もせず、
「お久しぶりですな」
と、胤昭がいう。
「やはり、貴公か」
と、これまたあいさつも返さず、牛久保がいう。
「このごろさんず茶屋に現われて、出獄したやつと話しこみ、どこかへ連れてゆくやつがある。それがどうやら三年前、石川島を逐電《ちくてん》した原書記らしい、という話を聞いたので来てみたが、なるほどその通りじゃな」
「馬鹿《ばか》をぬかせ、逐電などはしねえ。署長に堂々と辞意をのべてやめたんだ」
「貴公、何をたくらんどるのじゃい?」
「何もたくらんじゃあいねえ。出獄人の身のふりかたの相談に乗ってやっているだけだよ」
「何を、一文の銭にもならんことを、物好きな。――」
「人間、だれもがおめえさんみてえにうす汚なく、銭のことばかりかんげえているわけじゃあねえ」
「な、何を――」
問答しているのもいとわしさのかぎりで、胤昭は顔をまわして、改めて茶屋の中を見た。
と、いま渡って来た女囚に、若い男女が四つほどの男の子をつき出すようにして、けわしい顔で何かいっている。――いままで何度か見たように、女囚の入獄中あずかっていた子供をひき渡そうとしているらしい。弟夫婦か妹夫婦かも知れない。
「では、これで失礼する」
と、胤昭が離れようとすると、
「待て、どこへゆく」
と、牛久保がとがめた。
「いま、ほかに用が出来たんだ。おめえさんのいう一文の銭にもならねえ用件がねえ」
「いや、逃げることは許さん、こっちにも用があるんじゃ」
「何の用だ」
「石川島へ連行して、江戸の負け与力の残党が、悪党を誘って何をやろうっちゅうのか厳重に取調べる。来《こ》う」
ぐいと胤昭の左手首をつかんだ。
その名の通り、牛の角をつかんでひき倒しかねまじき怪力であった。
「よせ、はなさねえか!」
「はなさん、来う!」
骨もくだけるような痛みに顔をひんまげながら、胤昭の右手が、首にかけた朱房の紐《ひも》にかかった。身をねじりつつ紐の輪を首からぬきとる。くるっとまわって来た背中の十手がその手に移ると、
「このひょうろくだま!」
と、自分の左手をつかんでいた相手の腕を、ぴしいっとなぐりつけた。
松の木みたいな腕であったが、たたきつけたのが鉄の十手だ。さすがの牛久保も、一声苦鳴を発して、その腕を左手でおさえて立ちすくんだが、
「こやつ、刃向うか!」
火を噴く鍾馗《しようき》さながらの形相《ぎようそう》になってつかみかかろうとする。
その巨大な影へ、胤昭はまっしぐらに自分の体をたたきつけていた。
まだ完全に姿勢の立て直しができていなかった牛久保蓮岳は、思わず、どどとのけぞっていって、うしろにならんでいた数台の人力|俥《しや》の一つへ――かじ棒の前にしゃがんでいた俥夫《しやふ》を蛙《かえる》のごとく踏みつぶして――そのあき俥の蹴《け》こみへ、どすんと尻《しり》もちをついた。
反動的にかじ棒がはねあがった。
突進した胤昭が、十手を口にくわえ、間一髪それをひっつかんだ。
十手のみならず柔術なども、少年時代から八丁堀でたたきこまれた胤昭なればこその身の動きであった。
「わっ、何をする!」
蹴こみからさらに上部へ、あおのけにずり落ちて、牛久保看守は悲鳴をあげた。
胤昭はかじ棒をにぎって、その俥をうしろざまに押して走った。そして、一気に岸まで駈《か》けて、手足をひろげてバタバタさせている看守を乗せたまま、俥を海へ押し落してしまった。十手を口から離し、のぞきこんで、
「や、何とか泳げるらしいな。ここが三途《さんず》の川にならなくて結構だった。しかし、こないだ見た、上野動物園の何とかいうでっけえ動物に似てるなあ、あはははは!」
少し蒼《あお》ざめてはいるが、笑いながらひき返して来る胤昭を、あたりの人々はあっけにとられて見まもっていた。
一息おいて、俥夫の数人が、
「と、とんでもねえことを!」
「相手もあろうに、看守さんを――」
「ム、ムチャしやがる!」
と、ざわめき出したが、たちまち、
「いや、痛快! 痛快!」
「あいつは石川島でも囚人泣かせの、名だたる凶暴なやつじゃった」
「天罰てきめんというやつじゃ。わはははは!」
どっとあがった若い壮士たちの哄笑《こうしよう》にかき消された。
それどころか、彼らの半分は岸へ走っていって、石を投げこんだりして騒ぎはじめたが、残りの半分はどっと胤昭をとりかこんで、
「咄《とつ》、この快男児はどこのどなたか」
「何なら、あとの始末はおいたちにまかせられえ」
「牢《ろう》から出た以上、もはやこっちに天下に怖れるものは何もごわせん!」
と、口々に呼びかけた。
「ありがとう」
胤昭は礼を述べ、俥《くるま》を落された俥夫のところへ行って、俥の修繕代をあとで銀座三丁目の十字屋絵草紙店に取りに来るようにいい――さすがに、女囚と子供の件はきょうは見送ることにして――引きあげた。
が、途中思わずニヤリとした。あの大男を人力俥に乗せて海へほうりこんだのが、相手の姿も自分の姿も、思い出すと笑わざるを得なかったのだ。それにしても、あの怪力の巨漢相手にうまくいったものだと思う。
あそこに人力俥がならんでいたとは、これ天佑《てんゆう》神助か――と思いかけて、いや有明《ありあけ》先生の冥助《みようじよ》のおかげだ、と胤昭は考えた。実際あいつは有明先生のかたきの一人だ。いつか一撃を加えてやりたい、という下心がどこかにあったからこそ、あんな猛然たる反撃ができたのだと思う。
ついで胤昭の顔を、ふっとひとつの雲がかげらせた。ただ牛久保看守の仕返しが予想されただけではない。
あれほど嫌悪していた石川島の対岸へみずから赴き、あれほど怖れていた魔の影とふたたび接触する可能性が明白な、出獄人保護という仕事にみずから飛び込んだ運命に、痛烈な皮肉をおぼえたのだ。
が、彼の耳には、お夕の声がよみがえった。
「この仕事は父への何よりの供養になると思いますわ。かたき討ちなどより、父はもっとそれをよろこぶでしょう。……」
胤昭は眉《まゆ》をあげた。
「そうだ。いまさらこわがることアねえ。あいつらにゃ負けねえ。きゃつらが何をしようと、おれは決して負けやしねえぞ。べらぼうめ、こうなりゃ矢でも鉄砲でも持って来いってんだ!」
四
――またある日。銀座の大通りにもこがらしが吹いて砂ぼこりをまきあげ、町を霞《かす》ませている午後。
「ごめん」
十字屋絵草紙店の聖書店のほうへ、ガラス戸をあけて、二人の巡査が靴音をたててはいって来た。
ちょうどその日は、胤昭が聖書の棚の前に坐《すわ》っていた。その顔と棚をじろっと見つめ、しばらくして、
「いつか、お前とはこれっきりにならんような気がする、といったようなおぼえがあるが……貴公、切支丹になったのか」
と、口を切ったのは警視庁の檜玄之助《ひのきげんのすけ》だ。相変らず鋼鉄製の巡査みたいな感じで、佩剣《はいけん》のほかに仕込杖《しこみづえ》をついている。これっきり云々《うんぬん》というのは、八丁堀に有明捨兵衛《ありあけすてべえ》の屍体《したい》を運んで別れるときの捨てぜりふのことだろう。
「いや」
と、胤昭は首をふった。
「表に出獄人保護所とあるが……どこの許可を受けてあんな看板を出したか」
と、訊《き》いたのは、同じく警視庁の船戸伴雄《ふなどともお》巡査だ。能面のような無表情で、依然腰にピストルのサックをぶら下げている。――あのピストルは、有明先生を狙撃した――少なくとも十手を撃ち砕いた疑いがある。
「いや」
と、胤昭は首をふった。
この二人には、去年の暮、横浜のホテルで、変な一件ですれちがい、向うもそれを知っているはずだが、いまそのことについては何も触れない。こっちもいう気はない。こいつらと口をきくのもいやなのだ。
船戸巡査は大声を出した。
「どこの許可を得たかと訊いとるんじゃ!」
「牢《ろう》から出た人間を保護するのに、どこの許可が要るんだ」
と、胤昭はジロリとにらみ返した。
檜巡査がわめいた。
「警視庁じゃ!」
「馬鹿《ばか》なことをいいなさんな。警察が干渉できるのは牢内までのことだ。そこから刑を終えて出て来た人間は青天白日の自由人だ。強《し》いて関係づけるなら、二度と悪の道へ走らんように免囚の面倒を見るってんだから、警視庁からほめてもらいてえくらいのもんだ」
「そちらこそ何を馬鹿なことをいっちょるか。いったん刑の執行を受けた人間の事後は、すべて警察だけに責任がある。一般人がこんな事業をやれば、泥棒の巣窟《そうくつ》となる危険があるわい」
と、檜巡査がいえば、
「一般人ならともかく、やる者が耶蘇《やそ》というのがいかん。切支丹が犯罪者の隠れ家を作ることは許せん。あのかんばんをはずせ。そして、以後こんなことに手を出すな!」
と、船戸巡査がいう。
「べらぼうめ、やめるもんか」
胤昭はどなった。
「なぜ耶蘇が免囚保護をやっちゃいけねえんだ。耶蘇はいかん、免囚保護はいかんなんて法律がどこにある?」
二人の巡査が、
「耶蘇公許は表向きのことじゃ」
「おれたちが法律だ。おれたちがいかんといったらいかんのだ!」
傲然《ごうぜん》とそう答えたとき、背後に人の影を感じて、同時にふりむいた。
あいたままになっていたガラス戸の外に、二人の異国人が立っていた。それがしずかにはいって来た。
「耶蘇公許は、日本政府の表向きだけの法令ですか?」
いったのは、彼らも知っているドクトル・ヘボンだ。
「それでは、そこの築地にある私たちの教会も許されないのですか?」
いったのは、白髯《はくぜん》黒衣の神父風の人物だ。
これは築地居留地にあるアメリカ長老教会のカロゾルス神父であった。――去年、いちじ帰国していた神父は、その後ふたたび来日して、その日たまたま上京したドクトル・ヘボンとともに、彼らが宝石のように愛するこの絵草紙屋を訪れたものであった。
「牢屋《ろうや》から出てきた人、守る仕事、私たちがミスター・ハラやミス・アリアケに頼んでやってもらってることです。それがいけないのですか?」
と、ドクトル・ヘボンがいった。
「あなたがた、ほんとうにポリスですか。警視庁か外務省に問い合わせてみますから、名前、いいなさい」
と、カロゾルス神父がいった。
二人の巡査は目を白黒させ、顔を黒ずませてふくれあがったが、一語も吐かず、荒々しい靴音とともに外へ出ていった。
――と、思うと、店の外で、
「きえーっ」
と、怪鳥のような声がした。そのあと、笑い声と靴音が遠ざかっていった。
胤昭が飛び出してみると、「出獄人保護所」と書いた長さ一尺ほどの厚い標札が二つに割れて落ちていた。それを拾いあげて胤昭は、この標札を打ちつけた太釘《ふとくぎ》の頭まできれいに切断されていることを知った。しかも柱にはすじほどの傷もつけられていない。
檜巡査のあの仕込杖《しこみづえ》のわざと考えられるが、腹立ちまぎれの愚行とはいえ、ぞっとするような手練にはちがいなかった。
その日、カロゾルス神父とドクトル・ヘボンが十字屋を訪れたのは、はじめて胤昭に洗礼を受けることをすすめ、かつ将来監獄のキリスト教の教誨師《きようかいし》になる気はないかと打診するためであった。
二人は切々と、その仕事の尊さ、かつそれが日本での最初の試みであることの意味の大きさを説いた。
――が、胤昭はこれまた眼を白黒させ、
「江戸の元与力が耶蘇《やそ》の教誨師になるなんて、あんまり話がすっとんきょう過ぎまさあ。とんでもねえ、いや、申しわけねえが、ただいまのところそんな気はありません」
と、頭を下げてことわった。
が、そうはいったものの――二、三日たつと、例の「出獄人保護所」の標札は倍の大きさでふたたび打ちつけられた。そしてまた二十日ほどのちの明治十一年の元旦《がんたん》には、十字屋絵草紙店の屋根の上に、人間くらいの大きさの白い十字架が立てられた。
それを見あげて、胸の前で掌を組んでいる有明《ありあけ》姉妹のそばに立って微笑している胤昭は、しかしおれはまだ耶蘇の信者じゃあねえんだが、と心中みずから首をひねっていた。
また巡査が来たら、「店の名が十字屋ってんだから、こりゃ店のかんばんだ」といってやるつもりだが、これは官憲に対する挑戦だ、と見られてもいたしかたない。
思えば、先日の牛久保看守との喧嘩《けんか》といい、これを見よといわんばかりのこの十字架の旗挙げといい、あんなに憂鬱《ゆううつ》に思っていた魔の影たちとの対決を、みずから呼ぼうとしている自分が、わがことながら奇々怪々としか思えない。ふしぎな笑いは、その自分の矛盾に対するものであった。
けれど。――
有明先生のかたき討ちは、お夕から禁じられた、と、胤昭は胸でつぶやいた。この十字架をかかげ、有明姉妹を守る騎士となり、哀れな出獄人を助ける仕事に従うことは、何よりのかたき討ちになるのじゃなかろうか。
哀れな出獄人。――しかし胤昭は、助けようとする対象の中には、闇《やみ》の世界の物怪《もののけ》のようなむれもあることを知らなかった。知っているつもりでも、まだほんとうには知らなかった。
巾着切りぬらりひょん
一
明治十一年三月のある日の夕刻、横浜から出た陸蒸気《おかじようき》が、ラッパのようにひらいた煙突から、黒い煙の玉を吐きながらトコトコ東京めがけて走っていた。
このころの汽車は、八|輛《りよう》編成であった。上等車一輛、中等車二輛、下等車五輛。定員はそれぞれ十八人、二十四人、三十人ということになっている。下等車の定員が多いといっても、別に大きいわけではない。同じ大きさにたくさんの人数をつめこむだけである。
上等車はゆったり坐《すわ》れるといっても、片側九人だから、車輛はそれだけの長さしかない。だいいち一輛ずつの車輪は四個だけで、後年の列車にくらべればその何分の一かで、大きさだけからいえば、まるでイギリス製の物置小屋を八つつらねて走っているような陸蒸気であった。
イギリスから輸入したといっても、ひとつひとつのコンパートメントごとに外へのドアがついているものではなく、このころヨーロッパでも採用されはじめた、中央に通路があり、両側のデッキから昇降する形式のものであったが、しかし、一輛は引戸で三つの客室に仕切られている。そして座席は、現代の通勤電車式に窓に添って設けられていた。
その中等車のちょうどまんなかの客室に、九人の客が乗っていた。定員二十四人を三つに仕切ってあるのだから一室八人だが、子供連れの組があったのだ。
海沿いの窓に添って、官吏一家らしい夫婦に三人の子供、それから、二タ抱えくらいありそうな大きな風呂敷《ふろしき》包みをおいて十二、三の小僧、こちら側は商家の手代風の男、初老のどこか浪人風の人物に、洋服に山高帽、インバネスを羽織った紳士が坐っていた。
この汽車は、四時に横浜を出て、四時五十五分に新橋ステーションに着く。途中、神奈川、鶴見、川崎、大森、品川に一分ずつとまるから、その停車時間を除けば所要時間は約五十分。
横浜から新橋まで約二十八キロだから、時速三十三・六キロということになるが――しかし当時としては人々がまさに飛ぶような早さに感じたことはいうまでもない。
春のことで、午後五時に近づいたといってもまだ明るい。洋服を着せられた三人の子供たちは窓にかじりついて、流れ去る光景に、きゃっきゃっと騒いでいる。大人たちも微笑してそれを眺めている。
まことに天下泰平な、開化の一空間の中に、しかし妙な行動を起そうとしている人間が一人あった。
山高帽に洋服、股《また》にステッキをはさんで、ひげだけは鼻下にしゃれた細ひげで、悠然とタバコをくゆらせている紳士だ。
彼はその道で、名人として知られた巾着切《きんちやくき》り、ぬらりひょんの安という男であった。
つけひげをしているが、どこかウナギのような顔をして、比較的長身のからだの動きは妙にくにゃくにゃと柔軟で、いつもすッとぼけたことをいうから、仲間からぬらりひょんというあだ名をつけられた。
ぬらりひょんとは元来、日本古来のお化けの名だが、彼の場合はただその顔と動作のみならず、そのスリかげんが鮮やかで、何となくぬらりひょんとスってしまうわざからも来たのだろう。
さて、ぬらりひょんの安が妙な行動を起すといえば、スリ以外にはないはずだけれど――一見したところ、この客室にはそれほどお金持らしい顔ぶれは見えないようだが。
二
実はスるのは、さっき横浜ステーションでやった。
停車場の切符売場の前で、手代風の男が、お供の小僧の顔をポカポカ殴っていた。小僧は背中に、自分の半分くらいの風呂敷《ふろしき》包みを背負わされているので、あおむけにころがったのを、さらに足蹴《あしげ》りにしたりした。まぬけとかぼんくら野郎とか罵《ののし》る声からすると、何かおとくいからの注文の品書きのようなものを紛失したらしかった。
やおら、その小僧をひったてるようにして改札口のほうへゆく手代の懐中から、雑踏にまぎれて安はみごとに財布をスった。
衆人の中で小僧を殴るってえ所業も気にくわなかったからだ。
財布はみごとにスったが、このとき安は、人混みの向うから、ぐいと顔をこちらにむけた一人の巡査を見た。
ハマでの稼ぎはこれで切りあげて東京へひきあげるつもりで、あらかじめ切符は買ってあったが、偶然|被害者《ガイシヤ》も帰京するところであったらしく、自分が坐《すわ》った中等車に小僧ともども同乗して来て、しかもスった当人が隣りに坐ったのには驚いたが、それよりその巡査も乗りこんで来たのにはアワを食った。
見知らぬ巡査ではない。何のために横浜に来ていたのか知らないが、名も知っている東京の警視庁の巡査だ。
スリ仲間では「ピス面《めん》」と呼んでいる者もあるおっかねえやつだ。能面みたいに無表情で、しかも常時ピストルを携帯しているからである。
そして向こうもこっちを知ってるはずだ。知っているどころか、いまの自分の仕事を感づいたことはまちがいがない。
その巡査はしかし、何を考えたか――おそらくこちらのわざをはっきり目撃したわけではなかったせいだろう――同じ客室にははいらず、前部の客室に乗ったようだが、境の引戸を二寸ばかりあけて、いまもそこに立ってじっとこちらを見張っているのであった。
あのようすでは、新橋に下りても無事にはすみそうにない。といってこちらが途中下車でもすれば、かえって火がついて猛然とつかまえに来るだろう。
いつか仲間の某が車中で逮捕されかかって、走る汽車《ナガバコ》から外へ飛び下りたが、ちょうどそこが田圃《たんぼ》で、まっさかさまに首を泥につっこんで窒息死をとげたことがある。その二の舞いはまっぴらごめんだ。
安は必死に思案した。――
思案しながら、インバネスの下で、さっきスった財布にさわってみる。意外に厚い。
きっとお得意さまから集金した金だろう。だから中等車などに乗ったにちがいない、眼《ガン》をつけた相手の商売にもカンの鋭い安で、おそらく横浜にもお得意を持つ呉服屋か仕立屋じゃないか、と見た。
スった財布をこのまま持ってるのは、とにかくけんのんだ。しばらくだれかにあずかってもらおう。
彼は右隣りの浪人風の男をちらっと横目で見た。
年は五十前後だろう。黒紋付に袴《はかま》をはいているが、どちらも色あせ、あちこちスリ切れている。やや面長《おもなが》の顔は、剛直と貧乏の皺《しわ》をきざんでいる。で一見浪人風に見えるのだ。
もっとも彼はこの時刻に、どこできこしめしたか熟柿《じゆくし》のような息を吐いて眼をつむっていた。
その酒のせいか、さきほど横浜の切符売場でも、駅員にむけてどなっていた。
「なんじゃと? どこまで参る、じゃと? 釣銭のないようにいたせ、じゃと? この無礼者めが、客を何と心得ておる? ただで乗せるならまだしも、代金をとる以上商人ではないか。それなのに役人風を吹かせるとは片腹痛い。銭をもらったらありがとうございますといえ!」
酩酊《めいてい》のあまりだろうが、けっこううるさい人物と見えるが、しかしいまその酔いがいよいよまわって来たようだ。
ぬらりひょんの安は、さっきから心地よげに眠っているその男に、スった財布をあずけることにした。むろん、断わりなしにである。
そもそもスった財布から金だけぬいて、空《から》財布だけもとに戻すなんて芸当は、彼にとって朝飯前のことだ。
この場合は、中身はそのままに別の人間に移動させるわけだが――東京についたらあとをつけて、巡査の姿がないことをたしかめたら、改めてスリなおせばいい。
安はこう決めたが、彼の思案はそれだけではすまない。
ついでに彼は、その右隣りの浪人風からスって、その財布を左隣りの手代のふところへ入れておくことを思いついた。つまり自分の両側の人物の財布の入れ替えということになる。
この行為には、何の意味もない。強いていえば、万一巡査が踏みこんで来た際、混乱が二重になってその分だけこっちが逃げる機会がふえる、とか、そのうち手代風が自分の財布の消失に気づいて騒ぎ出したとき、逆に恐喝《カツ》のたねになる、というような見込みもあったが、それより自分をにらんでいる巡査へのつらあてであった。
巡査が見張ってるからこそ、からかってやるのだ。空飛ぶ燕《つばめ》でさえ撃ち落すとかいう評判のピス面《めん》だが、さあ、その細い眼でおいらの離れわざをよっく見ていやがれ!
心中でこうつぶやきつつ、ぬらりひょんの安は悠然と紫煙をくゆらせている。
三
陸《おか》蒸気はもう品川から新橋へ向っているらしい。このあたりは、陸から四、五十メートル離れて築かれた土堤の上をゆく。まるで海の上を走っているような風景に、子供たちはもとより、大人までが車窓にかじりついている。
ぱっとひときわ濃い煙を吐き出し、そのタバコを左手に持ち替えながら、安のインバネスの裾《すそ》がフワリと動いた。その一瞬に、彼の右手は、浪人風の懐中に手代の財布をすべりこませると同時に、代りの財布に指をかけていた。
ボロボロの、うすっぺらな財布だ――と指に感じた刹那《せつな》、彼はまた別の異様な触覚をおぼえた。
それには紐《ひも》がついている! それを稲妻《いなずま》のように自分のひざまでひきよせたとたん、相手のふところや腰のまわりにあったもの、扇子《せんす》、煙管《きせる》からタバコ入れ、矢立、信玄袋などが、いっせいにゾロゾロ動き出したのだ。
「あっ、ドロボーッ」
と、浪人風が叫んだ。
いくら酔って寝ていても、これではだれだって眼をさますだろう。いままで閉じていた眼が、かっと見ひらかれて、隣りの安をにらみつけた。
安はもうそこにはいない。
紐《ひも》のついた財布を放り出し、ステッキだけを握って彼は飛び立っている。
後方の引戸をあけて逃げこむと、うしろ手にピシャリとしめて、安はその客室の中央通路を走った。デッキへ出て、危険を承知で外へ飛び下りるつもりだ。
「待て、ぬらりひょん!」
引戸がまたひらかれて、怒号する声が背を打った。
デッキへの戸をあけた。インバネスの裾が風にあおられて大きなコーモリのように、ぱあっと舞いあがった。
同時に、轟然《ごうぜん》たる音とともに、安の握っていたステッキの頭が吹っ飛んだ。
さすがにこれには仰天したとみえて、安の足がもつれて、その場にヘタヘタと坐《すわ》りこんだ。
嵐《あらし》のように飛びかかって来た巡査がそれをおさえつけ、両腕を背にねじまわすと、
「御用だ、神妙にせい!」
と、わめきながら、手錠をかけた。
――と、一息か二息ののち、その客室の座席でささやくものがあった。ただし、それはほかの人間には聞こえない。
「まあ、あの人だわ。……」
お夕《ゆう》であった。
「いつか、お父さまの棺桶《かんおけ》をかついでくれた人。……」
「あれはぬらりひょんの安という巾着切《きんちやくき》りだ」
と、うなずいたのは原|胤昭《たねあき》だ。
「えっ……してみると、お霜《しも》ちゃんの……」
「やあ、そういうことになるか」
「そして、お巡りさんも、あのときの人……」
「おう!」
胤昭は眼を大きく見ひらいた。
安をひっ立てようとしている巡査は、まさしく有明《ありあけ》先生の棺桶を「護送」した警視庁の船戸|伴雄《ともお》巡査であった。
また一息おいて、お夕がまたささやいた。
「お霜ちゃんのお父さんですわ。助けてあげられないかしら?」
そのとき前方の、あいたままの引戸のところで、
「なんじゃあ? 巾着切りか。やれ、つかまえてくれたか」
と、いう声がした。
そこに浪人風が立っていたが――その腰のあたりから何本かの紐がたれて、そこに煙管《きせる》やら矢立やら財布やら扇子《せんす》やらお守りやら、身の回りの品々がいっぱいぶら下がっている。
「やあ」
胤昭はふたたび眼をまるくした。
立ちあがって、そのほうへゆき、
「狩野《かのう》先生。……どうかお助け願います」
と、ささやいた。
相手はけげんな顔で胤昭を見て、
「や、あんたは、十字屋の――」
と、いって、ニコッとした。
「あの巾着切りは、私の知り合いなんで――どうかよろしくお願いしますよ」
胤昭は小声でまたいって、巡査とスリのところへ戻っていった。
「また、お逢《あ》いしましたな、船戸さん」
ひっ立てた安のインバネスや洋服の内外を荒々しくなでまわしていた巡査の船戸は、顔をふりむけて、
「や、十字屋の原か」
と、同じことをいったが、さすがに意外そうな顔をした。
四
この巡査は、有明《ありあけ》先生の横死にからんでいるのみならず、去年の師走、「出獄人保護所」の看板が気にくわないといって、文句をつけに銀座の十字屋に来たことがある。
彼はなお安の身体からつかみ出したタバコやマッチを放り出しながら、ちらっとお夕のほうにも眼をやって、
「ほう、貴公らもこの汽車に乗っておったのか。気がつかなんだな」
「船戸さん、しかし、たかがスリ一匹をつかまえるのに、汽車の中でピストルをぶっぱなすとは物騒しごくじゃござんせんか」
「あれを見逃せば、こやつデッキから飛び下りるところじゃった。――たかがスリというが、こやつ、ざらにはないしたたかな野郎だ。それに、おれのピストルに流れ弾なんかない。いまも威嚇のためにわざとこのステッキの頭を撃った」
胤昭は、そこに落ちている、頭をふっ飛ばされたステッキを見下ろして、
「いつかの石川島の十手のようにかね」
と、いった。
その鉤《かぎ》をふっ飛ばされた十手は、いまも彼の背中にある。――
「なに?」
能面のような船戸巡査の顔に、感情が動いた。
「このぬらりひょんめ、横浜駅で不審な挙動を見せおったから、見張っておった。そのおれの眼の前で、またぬけぬけとスリをやるふといやつだ。それを現行犯逮捕したのに文句があるのか」
「ある」
「なんだと?」
船戸巡査は気色《けしき》ばんだ。
胤昭《たねあき》は笑いながら、
「こりゃ、スリじゃあねえんだ」
「スリじゃない? た、たわけたことをいうな。あそこに被害者がおるではないか。それがいま、ドロボーと叫び、巾着切《きんちやくき》りと叫んだではないか」
「いや、あれはとっさに、われを忘れた声が出たんで、実ははじめから承知のことだったんだ」
「ば、馬鹿《ばか》なことをぬかせ」
「狩野《かのう》先生、怖れいりますが、こっちへ来ておくんなさい」
胤昭に呼ばれて、狩野先生はやって来たが、依然腰からぶら下がった紐《ひも》にいっぱい身の回り品をくっつけて、ひきずっている。
「この方は狩野|芳崖《ほうがい》というえらい絵師の先生だが、もとは長州のお侍で、柔術の達人だ。ところがお酒が大好きで、酔っぱらうと、こういう品々をかたっぱしから置き忘れてゆきなさる。それで奥さまが、それらの品々にごらんのごとくみんな紐をつけて外へ出されるようになった。――」
絵師狩野先生は、依然|熟柿《じゆくし》のような息を吐きながら、けんめいにその品々をたぐり集めようとしていたが、あやとりみたいに紐がもつれていて収拾がつかないようすだ。
「一方、こっちのぬらりひょんの安は、石川島以来の私の知り合いだが、とにかく巾着切りにかけちゃ天下一だといばりやがる。そんな天下一は困る。何とかしてその稼業をやめさせたい、それにはどうすりゃいいか――と、おいら思案しやしてね、先日はたと面白いことを考えた。スリのわざに賭《か》けるってえ趣向さ。――安に、おいらの知り合いに、外出のとき、財布に紐をつけて歩くこういうおひとがあるが、てめえみごとにスって見るか、といい、狩野先生に、おいらの知り合いにこういうスリの名人がいるが、それをみごとにふせいで見なさるか、と持ちかけたら、二人ともそりゃ面白い、と手を打った。――」
ぬらりひょんの安は、眼をパチクリさせている。
「もししくじったら、ぬらりひょん、もう巾着切りはやめるってえかたい約束です。それが十日ほど前の話で、期限はきょうまでだった。その勝負をいまやったんだ。ねえ、狩野先生――」
「あ、うん、そ、その通り――」
と、また紐をたぐりながら、狩野芳崖は大きくこっくりした。
「安、勝負はお前の負けだな。お前、紐なんかカミソリで、スッパリ切って見せるといったじゃあねえか」
安もニヤニヤ笑い出した。
「やっぱり、うまくゆかねえね。ぬらりひょんの安、一代のドジでござんすよ」
彼は、巡査の点検でも、自分の身体から特に不審な物品が出なかったことを知っている。
「こういうわけで船戸さん、いまのはスリじゃあねえ。二人承知の上、いまお聞きのように被害者も認めてる、ま、職人芸を賭けた遊びでさあ。これじゃ現行犯もへったくれもねえでしょう」
「な、何が職人芸だ」
と、船戸巡査はうめいたが、胤昭が笑いながら、馴《な》れたしぐさで安の手錠をはずしてしまうのを、制止はしなかった。いつかのこともある。威嚇はきかない相手と見たからだろう。
品川から新橋までは十分ほどで、その間の騒動である。
陸《おか》蒸気の車輪の音がゆるやかになり、とまり、代りにステーションの騒音がつつんで来た。
「原……貴公、官憲にあらがうつもりか」
と、船戸巡査は胤昭に、白い細い眼をむけ、
「言っておく。そのうち、ただではすまんことになるぞ」
と、捨てぜりふを残して、靴音荒々しく先に汽車から下りていった。
胤昭たちもデッキに出ようとすると、そのとき背後で、
「あっ、おれの財布がない!」
という声が聞こえた。
さっきの騒動を見ようと、まんなかの客室へあいた仕切り戸の間にならべた顔、顔、顔の中の一つからあがった叫び声であった。
胤昭は知らなかったが、これは例の手代風の男であった。切符をとり出そうとして、やっといまごろ気がついたらしい。
いちどふり返ったが、下車しようとする客のむれに押されて、そのまま胤昭とお夕たちもデッキから歩廊に下りた。
五
胤昭《たねあき》はそれよりほかに話をしなければならない用がある。
「先生、どうもありがとうございました」
雑踏から少し離れた鉄柱の下まで来て、近くに例の巡査のいないことをたしかめて、胤昭はおじぎした。
「あ、うん」
狩野《かのう》芳崖《ほうがい》は、やっと紐《ひも》を収納したものの、まだ腰のあたりをなでまわしながら、胡乱《うろん》くさい眼を、同行しているぬらりひょんの安にむけている。
安は居心地悪そうに、首をすくめてすっと向うへゆこうとした。
「待て、ぬらりひょん、どこにもいっちゃあいけねえ」
胤昭は一喝して止め、芳崖のほうへむきなおって、
「横浜へいってらしたのですか」
と、訊《き》いた。芳崖はうなずいた。
「うん。……十字屋が無くなっておるのには弱ったよ。どこへいったんじゃ」
「あ、御連絡しなくてまずかったですね。実は去年の秋から東京の銀座へ引っ越したんで――」
狩野芳崖は以前からの知り合いであった。
元長州支藩の豊浦《とよら》藩のお抱え絵師であったそうだ。さっき胤昭が柔術の達人なんていったのは口から出まかせだが、絵師のくせに幕末志士のむれに身を投じたサムライであったことはほんとうで、しかし御一新後、長閥につながる出身でありながらお役人には向かなかったらしく、また絵師で生計を立てるべく、東京に出て来た。が、狩野派の絵など求める人もない開化の時代で、彼は赤貧洗うがごとき境涯におちいり、輸出用の陶器や漆器、その他工芸品の下絵などかいて糊口《ここう》をしのぐありさまになった。
そして、ときどき横浜に現われて、日本の工芸品の輸出をする店にいって、自分の作品を売りこんだり、意見を聞いたりするようになった。彼が十字屋に何度か来て、自分が絵を書いた扇子などを見せたりしたのもそのためだ。――あの浮世絵師の小林|清親《きよちか》と同じ立場である。
清親の浮世絵に対して、これは狩野派だ。これまた胤昭にはわからないが、しかし絵のうまさでは清親とはだんちがいだと思った。思わず眼をあげて、武骨で、しかもくたびれた相手の顔を見まもったくらいである。とはいえ、この絵は浮世絵より、異人にはまず受けないだろうと考えた。
しかし、胤昭は、芳崖の持ってきた扇子を、十何本か買ってやった。商品としての絵の値打ちより、その画家に対する好感のためだ。
最初は、この人物になぜ好感を持ったのか、自分でもよくわからなかった。来たときはいつも酒気をおびていて、相手かまわず猛烈に画論を吹っかける。ひかえめで自分の絵に自信のなさそうな小林清親と異《ことな》って、強烈な自負をいだいている。いや、口から出るのはそればかりといっていいくらいだ。
やがて胤昭は、この狩野芳崖が、絵以外には幼児のごとき純粋さを持っていることを知った。とにかく、奇人だ。外出すれば身の回りの物をみんな忘れるか落すかするので、それらの品々をぜんぶ紐で結んであるという慣習もあとで知ったことだ。
芳崖に好意をいだいたのは、こういう底のぬけた無心の人柄を感じとったせいだろう。
その人柄のゆえに、先刻、ぬらりひょんの安を助けるためのとっさのお芝居が、かえってうまくいったといえる。
「きょうこれから、私たちの銀座の店へおいでになりませんか」
と、胤昭はいった。芳崖はちょっと考えて、
「ありがとう。いや、きょうは何とか横浜で扇子を十本ばかり買うてもらえた。老妻が空びつをかかえて待っとる。うかがうのは後日にしよう。ウーイ」
と、いった。いまの騒動はもう念頭にない顔である。
十字屋の新しい住所をきいて、やがて狩野芳崖は飄飄《ひようひよう》と人混みの中を去ってゆく。
この時において胤昭は、この貧しい浪人風の初老の絵師が、やがてアメリカから来朝したアーネスト・フェノロサによって真価を認められ、ついに明治絵画の神品といわれる「悲母|観音《かんのん》像」を描く大画家となろうとは、想像もしなかった。
六
「ところで、安」
胤昭はむきなおって、
「何てえ恰好《かつこう》をしてやがるんだ」
と、改めて、このインバネスに山高帽というハイカラ姿の巾着切《きんちやくき》りを見あげ見下ろして、にが笑いした。
「エヘヘ、よく似合うでしょう」
と、ぬらりひょんの安は鼻うごめかし、インバネスの裾《すそ》をひろげて見せた。
「馬鹿野郎《ばかやろう》、笑いごとじゃあねえ。おれがあそこにいなかったら、おめえ、ぶじにゃすまなかったんだぞ」
「まったくだ。よ、よくまあ、旦那《だんな》があのハコに乗ってたもんだ。ハマで乗るとき、まわりの客を見まわしたが、旦那の姿なんて見かけなかったが――」
実は胤昭たちは、横浜ステーションではなく、次の神奈川駅から乗りこんだのであった。
彼らは東京へ出てからも、毎月|有明捨兵衛《ありあけすてべえ》の命日に、横浜の丘の墓地に参るのをならいとしている。胤昭、お夕、おひろ、三人のうち一人だけるす番をして、このときはおひろがるす番であった。
で、胤昭とお夕が横浜に来て、墓参をして、一晩ヘボン館に泊った。そしてきょう、ヘボン先生が馬で散歩するのについて神奈川まで歩き、そこから二人だけ汽車に乗ったのである。
「逃げて来たのがおめえだと知り、追って来たのがあのピストル・ポリスだと知って、ムチャクチャをやっておめえを助けてやったが、実はおれも何が何だかわからねえ」
胤昭《たねあき》はいった。
「どうせ巾着切《きんちやくき》りをやったにちげえねえが、どうしたんだ」
「いや、まったく面目しでえもねえ」
ぬらりひょんの安は、頭をかきかき、小声で白状しはじめた。
ハマの停車場で、手代風の男からスったこと。それをあのポリスに感づかれたらしいこと。そのあと、あいつの見張りを受けたこと。それでいよいよ意地になって、ポリス監視のもとに名人芸を見せてやる気になって、スったものの処分をかねて、左右の両人の財布の入れ替えという離れわざを発心したこと。そうしたら、その初動であの爺《じじ》いの変ちくりんな紐のために、まんまとドジをふんだこと。――
「あ。……そういや、いま汽車から下りるとき、うしろで、おれの財布がない、という声が聞こえたのは――」
「あれがその手代でさあ。いまごろ気がついたようで」
胤昭は呆《あき》れ返った。
さっき、あれはスリの賭《か》けだなどと、強引《ごういん》な逃口上をしぼり出したが、実際は、こいつ、もっと途方もないスリの曲芸を志していたんだ。
「それにしても、馬鹿《ばか》げたまねをしたもんだ」
「はじめにスった財布は、あの絵師さんのふところへ放りこんだんです。いや、あのひとが紐をたぐっているとき、そいつが落ちやしねえか、ひっぱり出しゃしねえかとヒヤヒヤしましたぜ」
「で……その財布は、あの狩野《かのう》先生が気がつかねえまま、持ってってしまったのか」
「なに、ここにありまさあ」
安はウナギのような身体をくねらせると、インバネスの裾の下から、一つの財布をとり出した。
「これでやすがね。たっぷりとはいっていやす」
「それを……さっきのポリスの身体改めのとき、よく見つからなかったな」
「あのときまでは、まだ絵師さんのふところにあったんでさ。それが落ちやせんかとヒヤヒヤしたと、いまいったじゃあありませんか」
「それが、どうしておめえの手に……」
「いま陸《おか》蒸気から下りるとき、スリ戻したんでさあ」
すっとぼけた顔で、
「旦那《だんな》、お礼に半分あげやしょうか」
「ば、馬鹿をいえ。……実に、とんでもねえ野郎だ」
胤昭は唖然《あぜん》として、長嘆した。
「ああ、こんなふてえ野郎を、助けてやるんじゃなかったよ!」
ぬらりひょんの安は、へへへへ、と笑って、
「そんならお礼はまたの日にしやしょう。いやありがとうござんした。それじゃ、きょうのところはまず、これまでェ」
ステッキを小脇《こわき》にはさんで、自分では気取っているつもりで、グニャグニャと長い身体をくねらせながら立ち去ろうとする。
「おい待て、まだおれの用は終っちゃあいねえ」
胤昭《たねあき》は呼びとめた。
「おめえさんに見せてえものがあるんだ」
「あっしに? な、何でしょう?」
「うちへ来なきゃ見せられねえ。いっしょに来な。そもそもいま、おめえさんを助けてやったのは、そのためなんだ」
「へ?」
そばで、お夕《ゆう》がいった。
「どうぞ、おいでになって下さいな」
安はしげしげと眺めいって、
「いつか石川島に来たお嬢さんでござんすか。いや、きれいになりやしたねえ! あのときもきれいだったが……人間とは思われねえ」
と、決してお世辞ではない眼で讃辞《さんじ》をささげた。
「それじゃ、ゆきやしょう」
この男がおとなしくついて来る気になったのは、助けられた恩と、お前に見せたいものがあるという原胤昭の言葉への好奇心と、そしてこの人間とは思えないほど美しい娘のすすめのせいであったろう。
やがて、新橋ステーションを出て、黄昏《たそがれ》の銀座をゆく。
例の煉瓦《れんが》街にはガス燈がつらなって、点燈夫が長い棒で点燈しては走ってゆく。そのガス燈をまだ珍しがって、そんな時刻にもそぞろ歩きの多い銀座であった。
「しかし、久しぶりだな、安」
と、改めて胤昭がいう。
実に彼がぬらりひょんの安を見るのは、あの石川島で、この男や仲間が看守たちに私刑を受けるのを見、そのあと有明捨兵衛《ありあけすてべえ》の棺桶《かんおけ》を八丁堀まで運搬してくれたとき以来なのである。
「石川島をいつ出たんだ」
「ええっと、旦那《だんな》がいなくなってから……何ヶ月あとかな。いや、いったん出て、去年また入《へえ》ったんで……出たのは、この冬のこってす」
「困ったやつだ。その稼業、やめられねえのか」
「やめられねえ。何しろ餓鬼のころからやってるんだからね」
「餓鬼のころから――」
「赤ん坊のとき親に捨子《すてご》されて、物心ついたころから角兵衛|獅子《じし》でさ。それがある日、せっかくのアガリをスられて親方に焼火箸《やけひばし》でせっかんされてから、チキショー、おいらもこれからスリになってやると一大|発心《ほつしん》した日から。……まあ、ちょいとした立志伝でござんすが」
「何をいってやがる。ほう、おめえ、子供のころ角兵衛獅子をやってたのか」
角兵衛獅子は明治の今もある。ときどき見かけるが、見物していても涙のこぼれるような哀れな少年や少女たちだ。しかし、かれこれ三十くらいに見えるが、こいつの身体が妙に柔らかなのはそのせいかも知れない。
「そりゃ可哀そうな生いたちだが……しかし、人さまの汗水たらした金を、指先一つでスイと持ってくとは、スられたほうは気の毒だとは思わねえかね」
「いや、ひとが汗水たらした金を、指先一つでスイと持ってくってえのが、どうにもたまらん面白さなんでさあ。……」
安は笑った。
「どうもこういう芸当は、餓鬼のころから修行してねえとだめのようでござんすね。今じゃそのころから苦労したことを神様に感謝してまさあ。おかげでいまじゃ、指先はおいらとは別の生き物みてえで、何も考えなくったって、だれかとすれちがやあ、ぬらりひょんと指がすべりこんでスってるってえ境地です」
「だって、さっきドジを踏んだじゃあねえか」
「いや、ありゃぬらりひょんの安、一世一代のドジ、持ち物にみんな紐《ひも》をつけてるようなやつにゃかなわねえ。……旦那《だんな》、いまあそこを、芸者を連れたナマズひげが来やすが、あれをひとつスってお目にかけやしょうか」
「よせ、馬鹿野郎《ばかやろう》」
こんなぬらりひょん問答をかわしているうちに、銀座三丁目の十字屋に着いた。
この男の受け答えはいつもこんな調子だ。石川島の看守にも、平気でこんな無反省なすッとぼけた応答をするから、相手は小馬鹿にされているように感じて、あんな私刑を加えられることにもなった。
七
二つに分けた店のうち、絵草紙店のほうへはいると、
「あ、お帰りなさい」
洋燈《ランプ》の灯をいれようとしていたおひろが、ふりむいた。お夕《ゆう》がきいた。
「お秋さんいる? いたらお霜ちゃん連れて来て」
すぐに呼ばれた女が、赤ん坊を抱いて二階から下りて来たが、店の中に首をひねりながらつっ立っている安を見て、
「あっ……お前さん!」
と、駈《か》け寄った。
「どうしたのさ、この冬、さんず茶屋まで迎えにいったのに……」
「お秋じゃねえか」
安は眼をパチクリさせて、
「おめえ、こんなところにいたのか。……この赤ん坊は何だ」
「お前さんの子だよ! 先年の冬、お前さんがつかまって石川島へいったあと、赤ん坊の出来てることがわかって、秋に生まれたのさ。……」
「へーえっ、おれの子が」
「ごらん、お前さんにそっくりじゃないか!」
おしつけられて、反射的に安は、ぱっと身をひるがえした。
入口に、胤昭《たねあき》が立ちふさがり、
「逃げるな、おめえに見せてえものがあるといったのア、それだ。もういちどいうが、その子に逢《あ》わせるためにおめえを助けてやったんだ」
と、いった。
おしつけられて、安の腕の中にはいった赤ん坊は、顔じゅう口だらけにして泣き出した。なるほどいまお秋にいわれたように、実によく似た顔をしている。それはつまりウナギの頭に似ているということなのだが、赤ん坊だけにそれはそれで可愛らしかった。
いかなる思いが去来したか、若い母親のお秋は、しゃがみこみ、両手を顔にあてて嗚咽《おえつ》しはじめた。
――この冬、あのさんず茶屋から、胤昭とお夕が拾って来た母子《おやこ》であった。
石川島の囚人が出牢《しゆつろう》するときは、事前にその「身許《みもと》引受人」に連絡がある。それで出迎え人がゆくのだが、その母子もそこで待っていて、島から来る船に目あての男が見つからず、途方にくれているのを連れて来たのである。その男の名がぬらりひょんの安であった。
その稀代《きたい》の巾着切《きんちやくき》りの名は、むろん胤昭も知っていた。
お秋は深川の居酒屋に奉公したばかりの女で、スリとも知らずにいい仲になり、安がつかまったあとで身籠《みごも》っていることを知り、彼が入牢中に出産したのだ。それでも安が出牢すると聞いて出迎えにいったのである。
胤昭が訊《き》くと、いまのところ長屋住まいの叔母のうちに世話になっているが、男が出てきたらそれに面倒を見てもらえといい渡されたという。――それで、ここへ連れて来た。
これと相似た境遇の母子はちょいちょいあり、ほんとうにきょうゆくあてもない者だけを十字屋に連れて来る。女はやがて落着き場所を見つけると子供をひきとりに来るが、それでも二、三人、子供が二階にいることが多い。
子供の世話役として、適当な女にいてもらう。その役目をちょうどお秋につとめてもらっているところであった。
「おめえ、まあ、三日でも五日でもここにいな。そして赤ん坊の抱き心地を味わってみるがいい」
と、胤昭は安にいった。
そして、心中、なんだかおいら、「出獄人保護所」なんてやってるせいか、いつのまにか五十、六十のおやじみてえな口をきくようになった、と苦笑した。
一晩とまり、あくる日にぬらりひょんはいった。
「旦那《だんな》、変るもんですねえ。自分の子供ってえものが、あんなに可愛いもんだとア思わなかったぜ」
いつものすッとぼけた顔ではなかった。
三日後、安は胤昭《たねあき》にいい出した。
いつまでもおいらが御厄介になってるわけにゃゆかねえから、ひとまず自分のねぐらにひきあげやすが、そこはとうてい女房子供をおけるようなところじゃねえから、相すまねえが女房と子供はもうちょいとここへおいておくんなさい。しばらくおれはかんげえる。
いや、逃げやしません。これだけさんざん御恩を受けてあとは白波なんてまねをすれア、悪党の道にもはずれまさあ、必ずちょいちょい見に来る。その間、金輪際《こんりんざい》、巾着切りはやらねえことを旦那にちかいやす。
――実はあとでわかったことだが、安は牢屋《ろうや》でおきまりの「身許引受人」としてお秋の名と住所を告げたものの、出牢のとき急に腹痛を訴えてそれを翌日に延ばしてもらったのは、ひょっとしたらお秋のやつ、出迎えに来るかも知れねえ、と考えたからであった。
自分のスリとしての自由な境涯を束縛されるのがいやだったのだ。子供が生まれてるなんてことは夢にも知らなかった。
約束した通り、ぬらりひょんの安は、三日にあげず十字屋にやって来た。もう例の洋服に山高帽、つけひげなどという可笑《おか》しな装いを捨てて、一見いきな職人風になっていた。
そのうちに彼は、いま何かカタギの商売を探してる、と報告した。見つかったら母子《おやこ》をひきとりに来るから、もうしばらくお願えしやす、と両掌を合わせた。
あとで胤昭は、微笑してお夕にささやいた。
「ありゃ、スリ以外はまともに考えごとをしたこともないようなやつだが、こんどの子供の件だけは、少しはまともに考えごとをしたようだ」
「ほんとうにあの母子をひきとっていてよかったわ。……」
と、お夕もほっとしたようにうなずいた。
どろん・ぬらりひょん
一
すると、四月半ばにこんな事件が起った。
銀座も花曇りしているような夕刻近く、絵草紙屋に三人の壮士風の男たちがドヤドヤとはいって来た。
背は低いのに二十貫は超えて見え、みごとなひげをはやした壮年の男、髪がちぢれ、羅漢《らかん》みたいに奇怪な容貌《ようぼう》をした大男、美男だが、せいかんきわまる印象を与える青年――みんな、明らかに仕込杖《しこみづえ》とわかる杖をぶら下げている。
いずれも、絵草紙などとは無縁と見える連中で、しかもいささか酩酊《めいてい》のようであった。
果せるかな、錦絵《にしきえ》などには眼もくれず、ちょうど帳場で、抱いた赤ん坊をあやしていたおひろのそばに寄って、
「十字屋の看板娘というのはお前か」
「評判を聞いて顔見に来たが、こりゃなるほど可愛らしいのう」
「姉妹と聞いたが、お前は姉か、妹のほうか」
と、笑いながらいい、そのうち羅漢が、びっくりして身動きもできないようすのおひろのあごに手をかけて、
「ううん、眼も鼻も口も、つまんで食べたいほどじゃ」
と、いった。
赤ん坊が、ワーッと泣き出した。
――と、その壮士の顔に、横からふーっと濃い煙が吹きつけた。羅漢はむせて、大きなくしゃみをし、そのほうをふりむいた。
細引から吊《つ》り下げられた錦絵のかげに、職人風の男が坐《すわ》って、ウナギみたいな顔に煙管《きせる》をくわえていた。
「こやつ――無礼者めが!」
「どっちが無礼だい」
と、その男はいった。ぬらりひょんの安だ。
「ここは絵草紙屋だ。やさしいお嬢ちゃんやおかみさんを客にしてる店だ。そこへ来た客なら、それなりの行儀をしろ、このとんちき」
「な、なにを――」
「てめえら、面《つら》から見ると、きのうきょうお江戸へ出て来た田舎っぺえだろ。いちど日本橋の水で面を洗ってから出直して来い」
「こ、こ、こやつめが!」
羅漢は躍りかかり、安の胸ぐらをつかんでひきずり出した。憤怒の強腕に絞めあげられて、安は、
「ぎゅっ」
というような怪音を発したが、負けてはおらず、
「やるなら、やってやるぞ。が、ここはいけねえ、絵草紙が破れらあ。――外へ出ろ、外で相手になってやる。ぎゅっ」
と、声をしぼり出した。
「おう、外でやろう」
羅漢は仁王みたいな顔色になって、安をのれんの外へひきずり出し、つき飛ばした。安は七、八歩走って、顔を地面にぶつけるほどつんのめった。
「さあ、来いっ」
と、羅漢が大手をひろげて咆《ほ》えたとき、四つン這《ば》いの安は顔をあげて、
「あっ、旦那《だんな》!」
と、叫んだ。
すぐそこに立ちどまったのは原胤昭《はらたねあき》であった。ちょうど外出先から帰って来たのだ。
「どうしたんだ?」
「その酔っぱらいが店で乱暴しやがって――」
なるほど店の中から、火のつくような赤ん坊の泣き声がひびいて来る。
顔色を変えて、安を躍り越え、店のほうに走ろうとする胤昭を、「やあ、うぬも仲間か」と、羅漢がふしくれ立った腕でとらえかけた。
その腕にぴしいっという音が鳴ると、羅漢は苦鳴をあげてその腕をおさえたまま横倒しになり、大地でのたうちまわった。
「やるか?」
もう一人のせいかんな青年が、狂ったように仕込杖を抜いた。相手の手に銀色の武器が光っているのを見たからだ。
「あっ、待て、ちょう!」
残るずんぐりむっくりの男が制止の声をあげたのも及ばず、その若い壮士は砂けむりを蹴《け》たてて斬《き》りこんだ。
凄《すさま》じい金属音がして、その仕込杖も宙にはね飛んでいた。反射的な原胤昭の十手のわざであった。
いちどつんのめった壮士が、地を這いまわって落ちた刀身を探すのを、
「待て待て。――ちょう、大望ある身で乱心するな!」
と、ずんぐりむっくりが叱咤《しつた》した。
そして彼は、原胤昭にお辞儀した。
「当店の御主人か。いや、たいしたことではない。酔いにまぎれてのいたずらから、思いがけないこの騒ぎになったのだが、とにかく終始一貫して当方が悪い。許してくれ」
胤昭は心ここにあらず、店の中へかけこんでいる。帳場では、そっくり返って泣く赤ん坊を抱いて、おひろが蒼《あお》ざめてつっ立っていた。……
二
わけを聴いてみると、別にどうということはない。いま相手がわびたように、壮士の悪ふざけから予想外の騒ぎになったものらしい。
「いやあ、あっしもかっかとのぼせちまってね」
と、安が店の中へはいって来た。
「赤ん坊を抱いてるおひろさんのあごに手をかけたりするもんだから――こんなに頭に来たのア、おいらにゃ珍しい」
と、頭をかきかきいって、安はもういちどいまのなりゆきを説明した。
胤昭は外のほうを見て、
「で、連中はどうした」
「旦那《だんな》にやられた羅漢《らかん》みてえなやつを、仲間二人が両肩かかえていっちまいましたよ。しかしありゃ、手首が折れたんじゃねえかな。いや、旦那の十手にゃおそれいりやした」
と、安はおっかなそうに、まだ胤昭の手にある十手に眼をやった。
胤昭も、改めて十手を眺めていた。そして、前から鉤《かぎ》の欠けた部分が鋭くとがっているのに気がついた。
いま十手で相手の刀をはねのけたときにそうなったのにちがいない。夢中でやったことだが、あぶないところだったと思う。
「旦那」
ふと安が呼んで、ふところから何か折りたたんだ紙片をとり出した。
「何だ、それは」
「何だか、まだあっしにもわからねえ」
胤昭は受けとって、何気なくひらいた。
すると、まず、「斬奸状《ざんかんじよう》」という文字が眼についた。ついで――
「石川県士族島田一郎以下六名、仰いで天皇陛下に奏し、俯《ふ》して三千有余万の人衆に布告す。つくづく方今わが皇国の現状を思うに……」
以下延々と、漢字だらけの墨痕《ぼつこん》がつらなっている。めくると、半紙は七、八枚はある。達筆というより酔っぱらって書いたのではないかと思われる千鳥足の文字で、しかもその半分近くは抹消したり、棒を引いたりしてあるが、ただところどころ、
「当路|奸吏輩《かんりばら》のなすところ、内は以《もつ》て人民を玩物《がんぶつ》視し、奴隷視し、外は以て外国に叩頭《こうとう》し、国権を辱《はずか》しめ……」
とか、
「奸魁《かんかい》の斬《き》るべきものを数うるに、曰《いわ》く大久保利通、岩倉具視、黒田清隆、伊藤博文……」
とか、
「その根本を断滅せば枝葉従って秋落す。ゆえにわれら、いま天意を奉じ民望に従い、義剣を振《ふる》って大奸利通を斃《たお》さんとす。……」
と、いうような文字が眼に飛びこんだ。
「わっ、こりゃおっかねえしろものだが……」
胤昭はふり返った。
「こりゃなんだ。どうしておめえがこんなものを持ってるんだ」
「へ、いま、あの中の一人に店の外へひきずり出されたとき、知らぬまにこの手が……」
と、ぬらりひょんの安が恐縮し切ったように頭を下げた。
「またやったのか」
実に、呆《あき》れ返らざるを得ない。
「とにかく、すぐ追っかけて、返して来い」
「とんでもねえ。そんなことをしたら、こんどこそバッサリでさあ」
「スったものをまたもとに戻すことくれえ、おめえにゃ苦にならねえだろうが」
「それにしても、そいつにゃ、いってえ何が書いてあるんで?」
「天下のために、政府のおえら方に天誅《てんちゆう》を下すという宣言、……いわゆる斬奸状《ざんかんじよう》ってえやつらしいが……」
「へえ、えれえものをスったね」
と、いったが、安は、世にもつまらないものをスったという顔をして、
「何か知らねえが、しかし旦那《だんな》、居酒屋でそんなエラそうなことをわめいて、へべれけになってる若え連中は、田圃《たんぼ》の蛙《けえる》ほどいますぜ」
と、ニヤニヤした。
「そうだなあ」
そういわれれば、そのたぐいの大言壮語は胤昭《たねあき》もあちこちで見知っている。それに、この書きものは半分くらい抹消されたり添削されたりして、あまりにも汚ない。――彼らの酒盛りで、怪気焔《かいきえん》をあげてこんなものを書きなぐって誇示することは充分あり得る。
「ま、物騒なことが書いてあるから、一応警察へとどけたほうがいいかも知れねえが……」
「どこから手に入れたと警察に訊《き》かれて、どういやいいんです」
ぬらりひょんの安は笑った。
「とにかく、それほどごたいそうなやつが、絵草紙屋に来てカンバン娘にふざけかかるたア、それこそふざけるなってんだ」
そのとき胤昭は、「斬奸状」の何枚目かの紙の隅っこに、毛の生えた鼻糞《はなくそ》らしきものがくっついているのを発見して、これ以上まともに扱う気を失った。
「それじゃあ、とにかくおめえのスったもんだ。そっちで始末するがいい」
と、その汚ない紙っきれを安におしつけた。
「いや、おいらもそんなものア」
安はあわてて手をひっこめたが、すぐに、ともかくも、といった顔で、ふところにねじこんだ。
三
ぬらりひょんの安が、新しい職業をやっと見つけた、これで女房と子供をひきとれやす、と報告に来たのは、四月末のある日であった。
「ほう、それはよかった」
ちょうど店にいた胤昭とお夕《ゆう》は笑顔になった。
「それで、何をやるんだ」
「研《と》ぎ師なんで……」
安は照れくさそうに、しかし眼をかがやかせていった。
昔なら刀剣研ぎ師のことが頭に浮かんだかも知れないが、帯刀禁止令の出た今では――いや、この相手では、胤昭は、道ばたに坐《すわ》って庖丁《ほうちよう》などを研いでいる研ぎ屋を思い浮かべた。巾着切《きんちやくき》りもぬらりひょんクラスになると、ふだんなかなかぜいたくな暮しをしているものだが。――
「それで、親子三人食べてゆかれるのかね」
と、ちょっと心配になって訊いた。
「いえ、あっしの研いだものを、あちこちの板前や床屋に見せたら、みんな感心してくれやしてね。これから研ぎはお前に頼むからちょいちょい来てくれって、へへ、けっこうおとくいが出来たんでさあ」
急に胤昭は笑い出した。
「ああそうか、なるほどスリの研いだカミソリなら日本一だろう」
ぬらりひょんの安は指先の芸術家だが、しかし巾着|切り《ヽヽ》というように、スリはカミソリを使うのが常道だ。カミソリを二寸くらいに折ったものを指の間にはさんで、たもとや腹がけのどんぶりなどを一瞬に切るのだが、安はむろんそのほうでも名人だろう。
が、安はふいに笑顔を消した。胤昭はその変化に気がつかない。
「芸は身を助く、安、うめえ商売を見つけたなあ」
「てめえ……おいらをからかおうってえのか?」
押し殺したような声で、安はいった。
言葉のみならず、上眼づかいににらんだウナギの頭みたいな顔が、それまでとは別人のような陰惨な凶相に変っていた。
「けっ、青二才のくせに、エラそうな口をききやがって――てめえなんかに相談に来たのが大まちげえだったよ!」
胤昭はあっけにとられて、突如急変した相手の顔を見まもっているばかりであった。
「カタギになるのア、もうやめた! てめえのおだてるようにカミソリ研いで、日本一の巾着切りになってやらあ!」
わめくと、身をひるがえした。
「あっ、待って!」
やっとお夕が声を出した。
「そんなに怒らないで! 安さん、お秋さんや赤ん坊をどうするの?」
安はふりむいた。
「お秋や赤ん坊? どうせおれにくっついてたってロクなことアねえ。どうなと勝手にしやがれだ。じゃまになったら遠慮なく放り出してやってくれ。おれの知ったことじゃあねえ。あばよっ」
そして、ウナギの水中をゆくがごとく、店の外へ出ていって、ぬらりひょんと消えた。
二人は、しばし茫然《ぼうぜん》と顔見合わせた。
「どうしやがったんだ? 気でも狂ったか」
と、胤昭がつぶやいた。
「せっかく研ぎ屋になろうとしたのを、あなたがおからかいになったからよ」
と、お夕がいった。
「からかったわけじゃないが」
「でも、スリの研いだカミソリなら日本一だろう、なんて」
「そりゃ悪かった。しかし、それくらいの冗談口はいつもきいてたんだぜ。何をいってもいままでヘラヘラ笑ってて、なぜ突然怒り出したのかわからねえ。たとえカタギになろうとしたしょっぱなにしろ、さ」
胤昭は首をひねった。
「おれを青二才といいやがったが、あれじゃ向うがまるで子供だ」
それまでのにくまれ口も、いまのからかいも、彼としてはぬらりひょんへの親愛の情を示したつもりでいた。安も充分それはわかっていると信じていた。――
いまの冗談など、むしろ軽いほうだ。あにはからんや、それがあんな、一切合財ブチコワシの狂憤をひき起そうとは。
――この時点において、原胤昭は、物心ついて以来スリのみによって生きて来て、何度も牢《ろう》を出たりはいったりしている犯罪者が、新生を誓った時であるか否かに関せず、ふだんでもいかに不安定な情緒の持主であるか、泣くのも怒るのもそのときの風次第という心理状態を、よくわきまえているつもりで、まだわきまえていなかったのである。
「いけないわ! あのままゆかせちゃ――」
われに返って、お夕《ゆう》が叫び出した。
「胤昭《たねあき》さん、呼んで来て! 早く、早く安さんを追っかけてひき戻して――」
胤昭は、力なく首をふった。
「だめだ、あいつは――あれはぬらりひょんとしているようで、いったん曲がっちまったら、当分はもとに戻らねえやつだよ。……」
そのことは知っていたのだ。思えばここのところ、一応まともなつき合いをして来たのがふしぎなくらいで、あの巾着切りが矯正不能の犯罪者の一人ではないかという感じは、石川島当時からいだいていたのである。
若い二人の間に、虚《むな》しい風が吹きぬけた。……
四
十日ばかりたって、驚天動地の大事件が勃発《ぼつぱつ》した。
五月十五日「東京日日新聞」記事。
嗚呼《ああ》明治十一年五月十四日はこれ如何《いか》なる日ぞや。
参議兼内務卿正三位勲一等大久保利通公は参朝の途中、紀尾井坂において凶賊の刃《やいば》にかかりついに命を落されたり。
この日は太政官において海陸軍の将校に勲章を授与せらるるにつき、公は午前八時馬車にて裏霞ヶ関の邸を出でられ、紀尾井町一番地へさしかかる。
ここは両側とも小高き土堤を築き、夏草高く生いしげりて人の背をもかくしつべく、常にさえ往来まれなるに、早朝といい空かき曇り、今にも雨降り出でん気色なれば道ゆく人もなし。
ただ前路に書生ともおぼしき二人の若き男が、手に花を持ち何かたわむれいたるが、先を払う馬丁は駈《か》けぬけて紀尾井坂の方へ走るうしろより、馭者《ぎよしや》は馬に鞭《むちう》ち赤坂御門の前を左へ曲って壬生《みぶ》邸の横を走らす折しもあれ、左の方より四人の男現われ出で、おのおの上衣《うわぎ》肌ぬぎて両|袖《そで》を腹のあたりにひとつかね、白き筒袖の肌着をあらわし、手に手に長脇差《ながわきざし》を抜きつれ、左右いっときに馬の前足を薙《な》ぎ倒せば、馬はたまらず足を折りひと声いななき倒れ伏したり。
馭者は驚きてたづなをはなし、狼藉者《ろうぜきもの》と呼ばわりつつ飛び下りんとするところを、凶徒は一刀にて肩先より乳の下まで斬《き》り下ぐるや、二、三間先に進みし二人の男も、手に持ちたる花を捨て、いずこにか隠《かく》したりけん抜刀をふりかざし、六人ひとしく車の方へ走り寄ると、内務卿は馬車より地上に下り立たんとせられしに、先に立ちたる一人の凶徒、公の眉間《みけん》より目際《めぎわ》まで斬りつけ、車より引き出して、みな乱刃にて斬り伏せたり。
やがて短刀をとり直し、とどめを刺さんと頸《くび》の横より鍔際《つばぎわ》までつらぬきしまま抜きもせず、その余の刀は路傍の草中へ捨て、早くも麹町の方へ立ち去りける。
あるいはいう。壬生邸の土堤を越えてその内を通りぬけ、紀尾井坂上なる同邸の表門へ出で、ただちに宮内省へ出頭せりと。その間の事は甚だ分明ならず。
この報道に原胤昭が驚いたことは一般人に劣らないが、その上彼には、はっと胸をつかれることがあった。
この六人の刺客の名は、石川県士族、島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一、浅井寿篤と出ていた。――
ひょっとしたら先日のあの壮士たちは、この中の三人ではなかったか? という疑いが胤昭《たねあき》の頭に生じたのだ。
もしそうであったとすると、あの鼻糞《はなくそ》のついた斬奸状《ざんかんじよう》はほんものであったということになる。少なくとも、酒興乱酔の上のいたずらがきのたぐいではなく、その草案か下書きであったということになる。――
五
六月にはいってまもない風の吹くある午後である。十字屋の楽器店のほうで、胤昭は岸田|吟香《ぎんこう》と話をしていた。
物好きな吟香は、この事件のために八重洲の大審院に設けられた司法省臨時裁判所へ何度かかよって、その門前で、囚人護送馬車で往来する犯人たちを見物したのである。
それまでに胤昭から、十字屋における挿話を聞いていて、胤昭の疑いはあたっている、どうやらその騒ぎを起したのは島田一郎、長連豪、杉本乙菊というめんめんだったのではないかと、しゃべっていた。
そこへ表から、一人の客が入って来た。
客といっても、十二か三かの少年で、大工か何かの弟子か見習いらしい風態をしていたが。――
「こちらにお秋さんって女のひといる?」
と、訊《き》いて来た。
「いるが――何の用だ」
「原たねあきってえ旦那《だんな》は?」
「おれだが」
「そのひとにも伝言をあずかって来ました。いえ、お秋さんってひとにも伝言だけでいいんです」
「なんだ、お前は」
少年は声をひそめて、
「ぬらりひょんの親分からの使いです」
「なに、ぬらりひょんから? そ、その伝言とは何だ」
「お秋さんにはね――またつかまっちまって石川島へゆくことになったが、六ヶ月たったら出られるだろう、ってんで。お秋さんにはそれだけです」
「えっ、あいつ、またスリをやったのか!」
胤昭は眼をむいた。
「それで、お前は何だ」
「そうきかれたら、原の旦那にゃ、いってもいいだろう、と親分がいったのでいいますが、おいら、ぬらりひょんの親分の乾分《こぶん》なんで――」
「お前――スリの弟子か。あの野郎、おめえみてえな子供をスリの弟子にしてたのか!」
「いえ、おいらはまだ弟子になりたてのホヤホヤで――弟子になったのはこの五月はじめのことでさあ」
五月はじめというと、安がここにうしろ足で砂をかけて出ていってまもなくのことになるだろうか。
見ればその年ごろではないような、なかなか才ばしった顔をした少年だ。
「それまでお前は何をしてたんだ」
「へ、仕立屋の小僧です。それがへんな縁で、ぬらりひょんの親分がスリをやるのを見て……えらい大しくじりのときでしたが……そのあと、ふと往来で親分を見かけたんで、思い切って乾分にしてくれと頼んで……」
「仕立屋に奉公しながら、どうしてまた?」
「奉公がいやになったんでさあ。親分もはじめはしぶってたけど、親分の大しくじりを見たっていったら、頭をかいて、それじゃやって見るかって……」
この小僧が、いつか横浜からの汽車の中で、ぬらりひょんの安や狩野《かのう》芳崖《ほうがい》と同じ車室に、手代風の男といっしょにいた小僧だとは、この時点では胤昭《たねあき》は知らなかった。また小僧のほうも、いまそんな話はしない。
「それから手ほどきを受けて、まもなく浅草で親分から、銀公、ためしにきょうひとつ、あの女からスって見ろといわれて、おいらやったところが、こっちもまんまとやりそこねてひと騒ぎになり、親分が助けてくれようとしているところを、近くを歩いていた巡査に両方とも手錠かけられちまったんです」
「ふうん」
「それで鍛冶橋の警視庁の牢《ろう》にぶちこまれたんですが、おいらはまあ子供だからってんで出されて、親分だけが石川島へ送られました。そこで親分から原の旦那への伝言です」
「おう、そりゃ何だ」
「親分は、つかまって警視庁へしょっぴかれる途中、その巡査に――それが、前から親分を狙ったピス面《めん》というあだ名の巡査なんだそうで――何か書きつけを出して、こんなものがあるんだが、何かお役に立つならさしあげる、これでかんべんしてくれ、と、かけ合いました」
「ふむふむ」
と、岸田吟香も身を乗り出した。
「巡査はそれを見て顔色を変え、こりゃたいへんなもんだ、お前これが読めたのか、ほかに見せたものがあるか、なんてきいたあと、いいか、こんりんざいこのことをほかにしゃべっちゃあならねえぞ。その代りに、お前、すぐに釈放ってえ手つづきをとってやる、といった。――」
胤昭たちは応答の言葉も失っている。
書きつけとは、あの斬奸状《ざんかんじよう》の草案らしきものに相違ない。あの野郎、まだあんなものを持ち歩いてたのか。
「そしたらまもなく、あのおえらいさんが斬《き》り殺されたってえことが起って……警視庁の牢にも、それにかんけいしたひとが芋の子みてえにつながってはいって来て……牢内はその話でもちきりでした」
「なるほど」
「親分はいっしょうけんめいにそれを聞いたり尋ねたりしていたが、どうやら紀尾井坂で六人の犯人をつかまえたのは、そのピス面ってえ巡査だったらしい。逃げようとする六人の前に立ちふさがってその書きつけを見せたら、みんなガクリとなって、しんみょうにつかまったってえことで……」
「ほほう」
吟香と胤昭は顔見合わせた。
「そういや、新聞記事でも、事件後の刺客の行動は不分明とあったな」
「自分たちで近くの宮内省に自首したのじゃありませんか」
「いや、宮内省に飛びこんで急報したのは、馬車の先を走ってた馬丁《ばてい》だったとか聞いた。暗殺者たちが宮内省へ出頭したというのはおかしい。――うん、それで?」
吟香にうながされて、こまっちゃくれたガキ・スリは、
「親分がいうにはその巡査は、せっかくの証拠を自分で隠して、あとで手柄をひとり占めにしようとしたにちげえねえ。とんでもねえふてえ野郎だ。おまけにおれとの約束をそらとぼけやがって、また半年《はんとし》も石川島の牢にほうりこみやがる。……かんべんならねえから、このことを銀座の十字屋の原ってえ元江戸与力の旦那へ知らせてやってくれ、いいか、たのんだぞ銀公ってんで、それでおいら来たんでさあ」
「お前、銀公っていうのかえ?」
と、吟香が訊いた。どうも耳ざわりらしい。
「へえ、親分がそう呼びなさるんで」
「ほんとの名は何だ」
「富田銀次ってんですが……」
吟香はいよいよしぶい顔をした。
彼は雌伏《しふく》の若いころ仲間から銀公と呼ばれたのを、世に出てからしゃれて吟香という雅号にしたのだが、本名はこれまた岸田銀次といったからだ。
それでいよいよしょっぱい顔をしたのだが、しかしこのときまさかこの少年が、のちに明治一代のスリの大親分仕立屋銀次に成長しようとは想像のほかであった。――
「用はそれだけさ」
そういわれても、二人とも茫然《ぼうぜん》として、
「それじゃ、さいならっ」
と、風の子のように飛び出してゆく小さなスリの乾分を、声を出して止める余裕も失っていた。
六
それから数日後、梅雨《つゆ》もようの霧雨の午後、十字屋へその船戸巡査がはいって来た。ちょうど絵草紙店のほうに、胤昭《たねあき》とお夕がいた。
「ちょっと訊《き》きたいことがある」
と、彼はおうへいに声をかけ、
「例の内務卿暗殺事件に関してじゃがね。貴公がそれに関係しておったと認められる疑いがあるんじゃがね」
「へ、おれが? どういう?」
「つまり、その陰謀にかかわる文書を事前から知る機会がありながら、なぜか警察に届けなかったそうじゃな」
おうへいに、ネチネチといった。
「ああ、あれですか。ぬらりひょんの安がそういいましたか」
あの斬奸状《ざんかんじよう》草案をどうして手にいれたか、と訊問《じんもん》されれば、安もあのときのいきさつを白状しないわけにはゆかないだろう。
ただ白状しないわけにはゆかないばかりか、ぬらりひょんの安なら、自分がトクになることなら進んでべらべらしゃべりかねないやつだ。
「ほ、知っちょるか」
船戸巡査はちょっと意外な表情をした。彼としてはぬらりひょんの安をつかまえたことも、この原胤昭は知らないだろうと思っていたからだ。
「あれほど重大な証拠物件を見ながら、なぜ警察へ報告しなかったか」
「あんまり汚なくって、壮士連の空《から》元気のいたずらがきだと思ったんだ。それより、こっちがお前さんに不審なことがある」
と、胤昭はいった。
「それほど重大なものと思うなら、警察がそれによってなぜ手配しなかったんだ。そうすりゃ内務卿が殺されるってえことはなかったろうじゃあねえか」
以前からナマイキなこの江戸元与力の若僧をとっちめに来たつもりの船戸巡査は、思いがけぬさかねじを食わされて、うっと眼を白黒させた。胤昭はたたみかけた。
「お前さんこそあの文書をないしょにして、自分の手柄にしようとしたんじゃあねえかね。明治の警視庁はそんな汚ねえぬけがけを許してるのか。お江戸のころ、御公儀の与力同心は、そんなことア毛ほども考えたことアなかったぜ」
能面のような船戸巡査の顔がどす黒く染まった。ただ眼だけが、銀のように胤昭をにらんでいる。
若い胤昭はむかっ腹のあまり、そのとき頭に浮かんだことを口にした。――が、これがどれほど船戸巡査のズボシを射て、どれほど彼の悪しき魂を震撼《しんかん》させたかは後に知る。
臭徒行伝
一
大久保内務卿暗殺直後、日本にやって来て、横浜のヘボン邸にカバンを下ろし、以後、横浜、東京はおろか、その夏三ヶ月をかけて、ただ一人の日本の少年を道案内とし、馬で奥州から北海道まで旅をつづけ、アイヌ集落まで見物したイギリスの女性旅行家があった。名をイサベラ・バードという。
イサベラ・バードはこの難行苦行ぶりを「日本奥地紀行」という旅行記にしたが、それはそれとして、むろん浅草なども見物した。
それによると、たとえば雷門《かみなりもん》を「入口は二階建て二重の屋根の巨大な門で、美しい朱色に塗ってある」とか、仲店を「参道の両側には店が立ちならび、美しく豊富に品物をならべている。おもちゃ屋、煙草道具屋など。髪を飾るかんざしを売る店が圧倒的に多い」など――その他、仁王像や青銅の大香炉やオビンズルさまや、僧侶《そうりよ》の読経《どきよう》や線香をたててのお祈り風景など、異国人らしい好奇心をもって精細に叙述している。
それを読むと、このころの浅草の景観の原形が、現代の浅草とほとんど変らないのに驚く。そして、当時ここを訪れた異国人も、銀座などよりずっと興味をもって見物したにちがいない。それはここのほうが、エド時代の原形とほとんど変らない景観を保っていたからである。
つまり、アサクサは、ほかの町にくらべて、江戸、明治、現在といちばん変らない盛り場なのである。
バードは、そこの群衆について書いている。
「寺の中庭では、騒音と混雑をもって、人の波がたえず動き、眼のまわるほどだ。人々が下駄を鳴らしながら出たりはいったりする。何百羽という鳩《はと》が頭上を飛びめぐり、そのバタバタという羽根の音が、鈴の音や太鼓、銅鑼《どら》の音とまじり、僧侶の読経の声、つぶやくような人々の祈りの声、娘たちの笑いさざめく声、男たちのかん高い話し声とまじりあって、あたり一面、騒音に渦まいている。――」
明治十二年、松の内が明けたばかり、蒼《あお》い空のあちこちに無数の凧《たこ》があがっているある午後の、浅草境内の江戸的景観は同様であったが、この善男善女のむれを一大恐慌におとしいれたものがある。
「なんだなんだ」
「わっ、くせえ! 肥《こえ》ぐるまだ!」
「何てことをしやがるんだ。お正月だってえのに――」
「ここをどこだと思ってやがる、この馬鹿野郎《ばかやろう》!」
人々が混乱し、逃げまどったのもむりはない。――そこにはいって来たのは一台の大八車であったが、それがただの大八車ではない。その上に山型に積みあげてあるのは肥|桶《おけ》だ。いちおうふたはしてあるらしいが、中の糞《ふん》汁は桶からつたわり落ち、地上にしたたっている。
曳《ひ》いているのは、穴のあいた股引《ももひき》に、破れ半纏《はんてん》、煮しめたような手拭《てぬぐ》いで頬《ほお》かぶりした相撲とりのような大男だ。
町家の肥を集めて近郊の農家に運ぶのは、江戸から明治に変っても変らない東京のやむを得ない習俗だが、しかし、これが浅草寺《せんそうじ》のお正月の雑踏に闖入《ちんにゆう》して来るとは法外だ。
まさか正面の雷門から、両側に店のならぶ仲店を通って来たのではあるまい、東側の馬道方面からはいって来たものと思われるが、それにしてもムチャクチャなふるまいで、あわてて飛びのいた二、三人の若い衆が、
「き、気でもちがいやがったか」
「このとうへんぼく!」
と、なぐりかかろうとしたが、相手の身体の大きさと、頬かぶりの下からにたっとしたうす気味の悪さに、また飛びのこうとして――あおむけにころんだやつもある。
「ふゎ、ふゎ、ふゎ、ふゎ」
肥ぐるまの男は、胴間声《どうまごえ》をたてて笑った。
明らかに、ふつう人ではない笑い声だ。頬かぶりしているが、そこからのぞいて見えるのは、ダルマみたいな――ただし、ダルマを九年ドブ漬けにして膨張させ、脳味噌《のうみそ》もぬか味噌に変ってしまったような顔だ。
一言にいえば、愚鈍の相だ。それで、いっそうきみが悪い。
が、決して自分の所業もわきまえない錯乱ではないことは、その男が笑っていることからでもわかる。
彼は、お正月で晴着を着た善男善女が、仁王門の仁王さまがそこに出現でもしたように、悲鳴をあげ、こけつまろびつして逃げまわるのを見て、なおニタニタ笑いながら、肥ぐるまを稲妻型にひきまわした。
それにしても、何という馬鹿力だろう。
肥桶というものは、一個二個でも相当に重いものだ。それを何十個か山型に積んで、よく大八車がおしつぶされなかったものだが、それを縦横むじんにひきまわすものだから、木製の車輪はいまにもへし折られそうなキシミをあげる。
暴走につれて、桶の内部がゆれて、二つ、三つ、ふたがはずれて落ち、はては全体が、いちおう縄で固定してはあるものの、右へ左へ、ギッチギッチと傾くのが見え、
「わあっ」
「あぶない、あぶない!」
「く、崩れるぞ!」
と、人々は逃げまどった。初春の空に、鳩《はと》の羽根と悪臭のつむじ風が立ちのぼった。
二
するとそのとき、本堂のうしろのほうから回って来た着流しに雪駄《せつた》の若者が、美しい銀杏《いちよう》返しの娘と同伴であったが、二人ともしばらくあっけにとられたようにこの騒ぎを見ていて――すぐにその若者が早足で近づいて来て、
「馬鹿野郎《ばかやろう》、よさねえか、アラダル!」
と叱《しか》りつけた。
肥ぐるまの男は、頬かぶりの中から、鈍い眼で見返していたが、やおら相手をだれかと知ったらしく、緩慢ながら驚きの反応を見せて「へえっ」と、うなずくと、別人のようにおとなしくなった。
若者は原|胤昭《たねあき》であった。
「お正月の観音さまで、何てえことをしやがる。……とにかく、馬道のほうへ出ろ」
命じられて、そのまま男は、ノロノロと肥ぐるまの反転にかかる。
馬道へ出る随身門のほうへくるまを曳《ひ》いてゆくのを、胤昭は――いっしょにいたお夕《ゆう》も――とにかくこのまま、この乱暴者を放免には出来ないので、あとを追った。
二人はお正月に観音さまにお詣《まい》りに来ていたのである。クリスチャンのお夕であったが、同時に江戸に生まれて育った娘だけに、浅草の観音さまは特別であった。
――と、その随身門のほうからやって来た四台の人力|俥《しや》がある。みんなそれぞれ芸者といっしょの相乗り俥《ぐるま》であったが、先頭の山高帽、おまけに大きな黒マスクまでつけた男がこちらを見て、
「なんじゃあ?」
と、つぶやいて眼をこらしたが、胤昭に気がつくと、ふいに顔をそむけた。
「あれれ」
ちらと見あげて、胤昭がいった。
「どこのお大尽《だいじん》かと思ったら、石川島の牛久保さんじゃござんせんか。こりゃまた妙なところでお目にかかったもんだねえ!」
しかし、俥上、相乗りの黒マスクは、身体に狼狽《ろうばい》の色は見せたものの、何の応答も返さず、そのまま俥にゆられて、まだ喧騒《けんそう》の残る境内のほうへすれちがっていった。あとの三台もそれに従う。
こちらは随身門から馬道の通りへ出た。
これだけの騒ぎを起したのだから、ふつうなら好奇心から追っかけて来る子供などありそうなものだが、何しろ悪臭の大|堆積物《たいせきぶつ》だから、さすがにだれもついて来る者はない。
と、小さな空地があった。そこでベーゴマをまわして遊んでいた子供たちも、肥《こえ》ぐるまがはいって来るのを見ると、みな驚いて逃げていってしまった。
その空地に、ともかくも肥ぐるまをとめさせると、
「どうしたんだ、アラダル」
と、改めて、胤昭は訊いた。
「どうもしねえ」
「どうもしねえったって、肥ぐるまで大あばれしたじゃあねえか。お正月でみんなおめでたがって観音さまにお詣《まい》りに来てるのに、いくら何でもありゃムチャすぎるぜ」
アラダルという男は、ニタニタ笑っていたが、数分たってから、
「お正月でみんなめでたがってるのが、おら、腹が立ったもんだから」
と、つぶやいた。
胤昭はしばらくその頬《ほお》かぶりの中の非論理な顔を眺めていたが、やおら、
「いつ、石川島を出たんだ」
「へ……でえぶ前でがす」
「出てから、お百姓にやとわれてこんな肥|汲《く》みをしてたのか」
「うん、まあ。……」
答えはあいまいだ。胤昭はこのアラダルが泥棒の常習犯で、そのために石川島へ放りこまれていたことを知っている。
「おぼえてるかね?」
と、ふりむいて訊いた。
お夕は眼を見張ってアラダルを見つめてうなずいた。
「え、あのときお父さまの棺桶《かんおけ》を運んで下すった方。……」
何年たってもお夕には、忘れられない記憶にちがいない。
「その前に、牛久保看守に手ひどく痛めつけられてたが――」
と、胤昭がいい、ふと、いま来た方角を見て、
「や。……その牛久保看守たちがひき返して来たようだぜ」
といった。
そちらを見たアラダルの眼に、明らかに恐怖の色が浮かんだ。と、彼は大八車のところへ歩み寄って、肥桶のあいだにはさんであった長い肥びしゃくをつかんだ。
さすがの胤昭もあわてふためいた。
「おめえ、そんなもので刃向おうってえのかい? と、とんでもねえ野郎だ。ま、待て、おれがあやまってやるからよ。まあ、観音さまの境内に肥ぐるまをかつぎこんだだけなんだから、まさか牢屋《ろうや》に放りこみゃしめえ」
肥ぐるまをかつぎこんだ|だけ《ヽヽ》なんて、とうていいえない騒ぎではあったが――ともかくも、そういった。
砂けぶり立てんばかりの勢いで、さっきの黒マスクを先頭に、四人の男がこちらに歩いて来る。俥《くるま》と芸者たちの姿が見えないのは、境内に捨てて来たのか、それとも待たせておいたのか。
三
風邪ひきのためのマスクというものは、去年ごろからはじめて銀座の西洋雑貨店から売り出されたばかりであった。その黒いマスクで顔の下半分をかくしているが、それをさっき石川島の牛久保看守と看破した自分の眼にまちがいはない。
その牛久保がすぐひき返して来たのは、境内にはいっていまの騒動を聞いたからだろうが、胤昭にはもう一つ思い当ることがあった。――おととしの初冬、さんず茶屋で牛久保を海へ放りこんだことだ。
あれから何か仕返しをして来るだろうと覚悟していたが、それっきり何事もない。もともと向うが理不尽なのだから当り前だと思い、やがてそのことも忘れていたが、いま久々にゆき逢《あ》って、向うがそのことを思い出したということは充分あり得る。もっとも仕返しするには間《ま》がのびすぎた感もあるが。――
が、前に立った黒マスクは、ぎらっとアラダルのほうを見てから、「おい、きゃつをつかまえろ」と、うしろの三人をかえりみていった。なぜか、胤昭《たねあき》の顔は見ない。
三人の男が進み出ようとした。見ると、みな胤昭には見おぼえのある石川島の押丁《おうてい》たちだ。
「いや、これはおなつかしや」
といってから、
「待った」
胤昭は立ちふさがった。
「こいつのいまやったことかね? お正月の観音さまの境内に、こともあろうに肥《こえ》ぐるまをひきこむなんて、そ、そりゃこいつが重々悪いが、こいつ葛飾のお百姓にやとわれて肥|汲《く》みに来たばかりでよ、汲みとり先の伝法院へゆこうとして、入口をまちげえたんだ。アラダルの少し足りねえことア、みなさん御承知のはずじゃあねえか」
彼は手をひざにすべらせた。
「ま、お正月だから大目に見てやってくれ、原があやまる」
押丁たちは顔見合わせた。
実は彼らは、さっき境内にはいって、群衆のようすが少し妙なので、わけを尋ねて肥ぐるま騒動の一件を聞いた。しかし騒ぎはいちおうおさまっていて、彼らはそれを目撃したわけではないのである。
ところが、そのとき突然|俥上《しやじよう》の牛久保がはたとひざを打ち、「いまのは原とアラダルじゃな」と、うなり声を発し、「よしっ、きゃつらを逮捕する!」と、猛然と俥《くるま》から下り立って歩き出したので、残りの押丁たちも自動的にそれについて急行して来たのだ。彼らにとって牛久保看守は特別絶対の上司であった。で、いま牛久保は、マスクをむしりとって、
「あやまってもすむことではない!」
と、わめいた。そして、
「昨年来、東京諸処に跳梁《ちようりよう》しておる雪隠《せつちん》強盗なるものがある」
と、意外なことをいい出した。
「雪隠強盗?」
「富家の塀を乗り越え、夜、雪隠にひそみ、その家の女子がはいったとき、下から手をのばしてその片足をつかむ。そして穴から這《は》い出して来るのだ。それからその女子に案内させて、家族をおどし、金品を奪う。そして、その女子を再度雪隠に連れこみ、戸をとじてから、女子の片足を雪隠の窓の桟《さん》などに紐《ひも》でゆわえつけて逆吊《さかさづ》りにしてから、また穴に消えるのだ。……」
胤昭は笑いかけて、笑いが消えた。
「何をされておるかわからんから、家人はしばらく騒ぐことも出来ん。門番などがおる御屋敷が狙われることが多く、当局に判明しているだけでも奪われた金は巨額に上るが、訴えぬ家もその数倍に上るのではないか、と見ておる。訴えればその家の、二度と世間に顔を出せぬほどの恥となるからな」
話だけ聞くと可笑《おか》し味もあるが、なるほど実際は世にももの凄《すさ》まじい強盗だろう。
「その強盗め、むろん全身は糞《ふん》汁にぬれそぼっており、まともに顔や風態を見た者もない。が――いま、肥ぐるまを曳いとるアラダルを見て、はっと思い当った! 元来が泥棒で何度も石川島に来たやつだ。その嫌疑は充分、ここでそやつを雪隠強盗として逮捕する!」
三人の押丁が飛びかかろうとすると、ふだん動作のにぶいアラダルが、猛然として飛び下がり、手にした長い肥びしゃくを、ニューッとつき出した。
「ま、待て、待て」
立ちすくんでいた胤昭はやっと叫んだ。
「その話、くせえ」
四
「なんじゃと? うそ話というのか!」
「いや、うそとは思わねえが、ちょっと待ってくれ。このアラダルってえ野郎が、いってえ雪隠《せつちん》の穴から出入り出来ると思うかね?」
牛久保は一瞬考える顔になり、絶句した。
「牛久保さん、あんただってむずかしいんじゃあねえかね。あんたの図体もでかいが、アラダルはもっとでかい。あいつの腹のあたりなんざ、便所の穴の幅の二倍はあるぜ」
この臭気|匂《にお》う「算術」に、胤昭は自分で笑い出した。
「笑うな!」
牛久保は咆《ほ》えた。
「とにかく重大な容疑者だ。それは警察で取調べる」
「あんたは警官じゃない。刑のきまった者を扱う看守じゃないか」
「巡査の資格を持つ看守じゃ。おう、そうだ、貴公にいつかいった――牢《ろう》から出た悪党を集めて何をする、と。それ、いま強盗の重大容疑者と行を共にしておるじゃないか。貴公も来い、いっしょに取調べる。おい、二人とも逮捕せい!」
「お前さんら、その姿で分署へ行く気ですかね?」
動きかけた三人の押丁は、またひるんだ。
胤昭はジロジロとその姿を見まもって、
「みなさん、ゾロリと着流しで――」
「正月休みをとったんじゃ。非番に着流しがなぜ悪いか」
「その上、芸者と相乗り俥《ぐるま》で」
胤昭はニヤニヤした。
「それも非番なら、まあようござんしょう。看守だからって、お正月に芸者遊びをしたって目くじら立てることアねえと私も思う。拝見するとお風邪でもねえようだが、さっきまでの大きなマスクは、あれアお顔をかくそうってえ魂胆かね。そんなものア御無用じゃあござんせんか」
牛久保看守だけに眼をそそいで、
「それにしても蓮岳《れんがく》さん、きょうのお遊びはみんなあんたの|持ち《ヽヽ》と見たが、石川島の看守さんのお扶持《ふち》はおれも知っている。よくまあお金がありますねえ!」
と、いった。
牛久保看守は、牛のように飛び出した眼で胤昭をにらみつけたまま、しばしひげの中で厚い唇をパクパクわななかせているばかりであった。
――実は、彼がいまここに引き返して来たのは、さっきゆき逢《あ》った原胤昭に、芸者と相乗りの姿を見られたとき、原がはなった「あれれ、どこのお大尽かと思ったら」云々《うんぬん》のからかいの一語にあった。
その若者に対しては、さんず茶屋の事件のあと、牛久保蓮岳が脳溢血《のういつけつ》を起しそうなほど怒り狂ったことはいうまでもない。が、それと同時に、相手のあの怖れを知らないような反撃ぶりに、さすがの彼も鼻白む思いがあり、これは容易に手を出せぬ相手だと慎重になり、その後それとなく内偵してみたが、免囚の相談に乗ってやるという以外、別にこれといった悪事をたくらんでいるという証拠もない。なまじこちらが看守という身分だけに、おのれいつの日か目にもの見せてやる、という恨みだけをいだいて今日に至ったのである。
それを先刻――逆にこちらのまずい姿を一瞥《いちべつ》され、一笑されて、これは悪いやつに見つかった、と心中しかめっつらをし、さて突如相手に反撃し、封殺する法を思いついたのだ。
それは免囚アラダルと原|胤昭《たねあき》が同行していたことから、アラダルと共に原をとっつかまえてしまう、少なくともその口を封じるまでに威嚇するという手であった。
が、決してこの前の一件のごとく理のない言いがかりではない。雪隠強盗のことはほんとうで、しかもいまひらめいたアラダルとの結びつきは、充分|訊問《じんもん》に値するものと信じられた。
果せるかな、原胤昭は例によって、一歩もひかぬ応対に出た。逆に、凶暴な牛久保蓮岳がタジタジとした。
が、彼とて御一新まではお大名のお抱え力士をやっていたことからでもわかるように、また、げんにいま芸者遊びをやっているように、ただ凶暴の大肉塊ではない。彼は彼なりに老獪《ろうかい》の一面も持っている。
「原」
と、ふいにおとなしい声を出した。
「よし、お前も以前、石川島で同じ釜《かま》の飯を食った仲じゃ。いまの弁明を受け入れて、アラダルを強盗容疑から解いてやろう」
せいいっぱいの、うすきみ悪い笑顔を作って、
「その代り、その、なんだ、きょうのおれたちの遊びは知らない顔をしていてくれ。もしだれか、石川島の関係者に逢《あ》っても内聞にしておいてくれ。いいか、な?」
「そんな一方的な約束はごめんこうむる」
と、胤昭はピシャリとはねつけたが、すぐににこっとして、
「約束はごめんこうむるが、そんな野暮はしねえよ、安心しな、牛久保さん」
――再度「町奴《まちやつこ》」原胤昭にペシャンコにされた看守牛久保蓮岳は、何ともおさまりのつかない、陰鬱《いんうつ》な怒りの内攻した顔で、同じ顔つきの配下を促して立ち去った。このあと芸者と遊んでも、遊んだような気はしなかったろう。
五
さて、そのあとだ。
胤昭自身、しばし茫然《ぼうぜん》とした態《てい》で、やっとわれに返って、
「おい、アラダル」
と、ふり返った。
「おめえ……まさか……いまの話の雪隠《せつちん》強盗じゃああるめえな?」
いま、この男の体積と便所の穴の面積の関係で弁解してやったものの、突然その算術が、理を超えて心もとなくなったのだ。
「ああ……うう……」
と、アラダルは首をふった。
肯定したのか否定したのかわからない返事だ。首をたてにふったのか横にふったのか判別出来ないふり方だ。
臭い算術はともあれ、いま聞いた凄《すさま》じい雪隠強盗の所業、それがほんとうの話なら、いくら泥棒の常習犯とはいえ、こいつにそんな芸当の出来るわけがない、と胤昭《たねあき》は考えた。
改めて気がつくと、ともかくも臭い。そばの肥《こえ》ぐるまはもちろん、当人も臭気を発しているようだ。常臭犯といったほうがいいかも知れない。
自分より、お夕《ゆう》がそこにいることに、胤昭はたえられない気がした。
「まあ、かたぎで働いてるのはけっこうだ。元気でゆきな」
と、いって、促すようにお夕を見ると、お夕は立ったまま、眼で何か胤昭にいう。
――えっ、こいつも?
――そう。
――十字屋に連れてけってんですか?
――そう。
お夕の意向は素直に受けいれる胤昭だが、これにはいささか驚いた。なるほどこいつも免囚の一人にはちがいないが、まさか肥ぐるまもろとも連れてゆくわけにはゆくまい。
「あ、ちょっと待て。お前さん、どこか知らねえが、この肥ぐるまを、お百姓さんとこへ運んでゆくんだろ?」
と、胤昭は呼びかけた。アラダルはうなずく。
「それじゃあな、その仕事が終ったら、おれのところへ来てみねえか。銀座三丁目の十字屋ってえ絵草紙店だが」
そして、笑顔になって、
「とにかく腹がへって困ることがあったら、うちへ飯食いに来な」
といった。
さしたる反応も見せず、肥ぐるまを空地から曳《ひ》き出そうとしているアラダルをあとに、二人は帰路についた。
「まあ、あれでいいだろう」
と、胤昭はいった。
お夕が、首をかしげていう。
「あれで、あのアラダルってひと、来るでしょうか」
「それはわからないが……もともと、何をいっても、暗闇《くらやみ》の牛みたいな男で……」
「アラダルって、あだ名でしょ。どういう意味?」
「アラビアのダルマさ」
胤昭は笑った。
「アラビアってえのは、犯罪者仲間の隠語でね、大男という意味だが」
もう一つ、大男根という意味があるのだが、これは口にしなかった。
「ダルマは、見ての通り、達磨《だるま》そっくりのひげづらだからね」
「それにしても、大きな達磨さん。……それが、可哀そうに、あんなお仕事して」
「少し足りないものだから、あれじゃ、あれくらいの仕事しか出来ないのさ。そのくせ怖ろしい大喰《おおぐら》いだから、少々の仕事じゃ食うに食いかねて泥棒する。いま汲取《くみと》り屋をやってるようだが、まあけっこうなことだ」
「何ですか――少し足りないんですって?」
「うん。……」
と、うなずきかけて、胤昭《たねあき》は首をかしげた。
「一見そう見えるが……どうもふしぎだ。いわゆる馬鹿《ばか》とは何かちがう、妙な感じがある」
「というと?」
「もともとそれほど馬鹿じゃないんだが、何といっていいか、暗闇が頭をつつんでいるだけで、その奥に別のアラダルがいるような」
「えっ? 別の人がいるような、ですって? 馬鹿のまねをしてるっていう意味ですか」
「いやいや、そうじゃない。そんなまねをしたってトクなことは一つもないからね。うまくいえないが、見たところ単純な大男だが、あの中にひどく無情な、おっかねえ人間がいるってえ感じだ」
胤昭はなお首をひねりながら、
「あいつが石川島で、看守に目のかたきにされる組にはいってたってえのは、おそらく看守たちもそんな感じを持ったからじゃあねえかと思う。特に、あの牛久保にやられてたがね」
彼は、あの日もアラダルが、牛久保看守に鞠《まり》のごとくたたきつけられて血まみれになっていたのを思い出した。
どちらも大男だが、アラダルは牛久保よりさらに大きいのだ。思えば牛久保も怖ろしいやつで、それを相手にこのおれが、一度ならずよくまあ何とかしのいだものだと、いまさらのように首すじをなでたくなる。
「アラダルが怖えと思ってるのは、あの牛久保だけかも知れねえなあ」
アラダル溶闇
一
この暗闇《くらやみ》の牛みたいな大男が、のそりと十字屋の店頭に現われたのは、それから半歳《はんとし》もたった梅雨《つゆ》どきの夕暮であった。
のそりと――ではない。いつかの身体を縦《たて》に割ったように痩《や》せこけていたから、ひょろりと――だ。
それが、ビショビショふりしきる雨に打たれ、頭だけふくれあがった土左衛門みたいな顔色で、
「ここかね? 十字屋ってえのは……」
と、いい、何も知らないおひろが悲鳴をあげ、胤昭《たねあき》が飛び出して、
「や、お前、来たか」
と、叫ぶと、彼はまず、
「メ、メシを食わせてくれえ」
と、大息をもらし、ドタドタと坐《すわ》ってしまった。
胤昭はふりむいて、
「ばあさん、飯は炊けてるか!」
と、叫んだ。
「おい、ともかくも二階に上れ」
楽器店のほうの階段を上るにも、かいぞえしてやらなければならないほどのアラダルの弱りようだ。
ちょうどうまい具合に、夕食の飯が炊きあがったばかりであった。ばあさんはもともと胤昭が八丁堀で一人暮しをしていたころの飯炊き婆さんであったが、もうこの家を訪れて来る者がふつうでない人間ばかりなことに馴れているから、あわてふためくこともなく手早く飯を出す。
アラダルが二階に上ったときも、たまたま二人の出獄人がいて、その一人が、
「わっ、アラダルじゃあねえか、これは久しぶりだなあ!」
と、驚きの声をあげたが、返事はおろか一瞥《いちべつ》もせず、そこへ運ばれた食事にむしゃぶりついたその男の凄《すさま》じい食いっぷりに、眼をまるくして見まもっているばかりであった。
さすがに頬《ほお》かぶりはとって頭も出しているが、髪は自分で鋏《はさみ》で刈ったものか、短いところと長いところばらばらで、まるで藻をかぶった海坊主が、がつがつと水底の何かをむさぼっているようだ。
彼はおひつを一つ、ほとんどからにするほど食って、やっと大茶碗《おおちやわん》をおくと、胸をたたき腹をなで、はじめてにたっとして、「どうもありがとうごぜえやす」と、お給仕をしていたお夕《ゆう》に頭を下げた。にたっとしたのに、涙をこぼしている。
まったくの馬鹿《ばか》ではないことはこれでわかったが、さて胤昭が、あれからのアラダルの暮しぶりを訊《き》くと、やっぱり応答は遅鈍をきわめている。
どうやら、肥汲《こえく》みはあれからまもなくやめ――どうもあんまり大食漢なので、農家のほうでお払い箱にしたらしい――東京のあちこちの坂で立ちん坊をして生きて来たらしい。
東京は坂の多い町だ。その坂の下に立っていて、そこを上る荷ぐるまや人力|俥《しや》のあと押しをして、一厘《いちりん》二厘の駄賃をもらう。これを立ちん坊といった。なるほどそれでは大喰《おおぐら》いのアラダルが弱り果てたのもむりはない。
「おめえさん……おかみさんはまだ見つからねえのかい?」
知り合いらしい、青びょうたんの金助という男が、妙なことを訊いたが、
「ああ」
「泥棒《ドタマ》はもうやめたのかえ?」
「ああ」
と、例によって意味不明の返事が、うす笑いと共に返って来るばかりだ。
この金助と、もう一人の、そっぽの長蔵という元泥棒の出獄人は、胤昭の世話で、あさってから深川の荷馬車屋に傭《やと》われることになっていた。それにアラダルも加わることになった。
出獄人を複数で、同じ場所で働かせることは禁物だ。それはまた元の悪の仲間に戻るよすがとなる。彼らは分離して生活させなければならない――というのは、後年になって胤昭が、保護事業上の重大な注意として悟ったことだが、この当時においてはそのことを知らず、それどころかかえって彼らのためにも好都合だろうくらいに考えていたのである。
さてあくる日、そっぽの長蔵がアラダルをその荷馬車屋にお目見《めみえ》に連れていった。
おりあしく青びょうたんの金助は、その朝、持病らしいぎっくり腰をまたやって同行することが出来なかったが、ようすを見にいった胤昭と有明姉妹に、
「あのアラダルはおらと故郷《くに》が同じなんでさあ」
と、いい出した。
「ほう、そういや、あいつも生まれはたしか越後だったな」
双方とも、同様に農民出で、しかもアラダルの家は庄屋だったという。
「そのころからあいつは、あんな暗闇《くらやみ》の牛みたいなやつだったのかね?」
「いえ、ちがいます。ありゃ次男坊ですが、図体《ずうたい》同様、大らかな気性で、陽気で親切で、みんなに好かれる若|旦那《だんな》でがした。まだ二十代なのに、可愛いかみさんとの間に子供が三人もあって……」
「ふうん。……それが、どうしてあんな男になったのだ?」
「あの御一新の騒ぎのときに……」
二
貧しいけれど一個の桃源境であったその村が、突如地獄に投げこまれたのだ。明治元年春のことである。
西から進んで来る官軍に対して、彼らの村は、越後へ出て待ちかまえる会津軍が駐屯するところとなった。のちに武士道の華が燃えあがったような会津落城という運命を迎えることになる侍たちであったが、彼らの眼中には会津以外の土地はなかった。彼らの武士道に農民は存在しなかった。勝手に駐屯しながら、彼らはほしいままに掠奪《りやくだつ》し、牛馬のごとく扱った。
そして、優勢な銃隊を持つ官軍が一両日中に進撃して来るという情報に接すると、急ぎ村はずれに土嚢《どのう》を築くことを命じたが、土嚢を作るにも運ぶにも、村民の力の限界を超えた。焦燥した会津兵は、二、三人の百姓を斬《き》った。
庄屋であったアラダルの父は、ついに自家の納屋をひらき、何十俵かの米俵を持ち出してその土嚢に替えて、村民の難を救った。
二日後の戦闘で、会津兵は敗れて撤退したが、どういうわけかアラダルの女房ほか数人の、村でも美しい女たちをさらっていった。
入れ替って官軍が村を占領したが、防塁《ぼうるい》用に庄屋が米俵まで使ったことを聞くと、これを賊軍の加担者として庄屋一族の逮捕を命じた。庄屋夫婦に長男一家が捕えられた。
次男のアラダルは子供を連れて山中に逃げこんだが、捜索に来た村民に見つかり、彼が大あばれしているうちに、子供たちはつかまり、村へ連行されていった。
アラダルを除き、十余人にのぼる庄屋一族はすぐに河原で仕置きされたが、なんと官軍の銃の試《ため》し撃ちの標的とされたのである。子供たちまでがそのいけにえになった。やがて官軍も会津へ向って立った。
「それ以来のことでがす。あいつが変になっちまったのは」
青びょうたんの金助の話を聞いて、胤昭はしばし声もなかった。
「やがて村へ連れ戻された若|旦那《だんな》は、まったくうす馬鹿《ばか》みてえな人間に変っていました。庄屋一族に助けられながら見殺しにし――それどころか、官軍の命令とはいいながら、山につかまえにまでいった村の連中は、何とも間が悪く、申しわけなさにけんめいになって、若旦那の面倒を見ました。若旦那は働かず、何もせず、ただウスボンヤリと坐《すわ》ってる間に、二、三年たつと、まるで象みたいにふとっちまいました。――すると、三年ほどたって、何てえことですか、会津へ連れてゆかれた女たちが生きてるってえ噂《うわさ》が立ちやした」
金助は話をつづけた。
「その女たちは、落城騒ぎのとき死なねえで助かったが、みんなもう故郷《くに》にゃ帰れねえ身体になったと、みんな東京へいった――という噂です。それを聞いて若旦那は、急に正気に戻ったように、東京へいって女房を探して来ると、越後の村を出ていっちまったんでがす」
「ほう。……」
「それから一年ほどたって、おらも年貢《ねんぐ》が納め切れなくなって、田畑を捨てて東京へ出る始末になり、やがてあの石川島で若旦那に逢《あ》う羽目になりやしたが……もう若旦那じゃねえ、そのときゃもう、大泥棒の――いまアラダルと呼んでるような人間に変っちまっていました。女房にゃまだめぐり逢わねえっていってましたがね。……」
「ふうん。そうか。……そういうやつだったのか、あのアラダルって男は」
年に比して悲惨な話には馴《な》れた胤昭《たねあき》も、眼に涙が浮かぶのをおぼえ、有明姉妹に至っては両掌を顔にあててむせび泣きしていた。
これでアラダルという人間に、なんとも奇怪な、非人間的な闇《やみ》がかぶさっているような感じがするわけがわかった。
御一新の嵐《あらし》で、こちらの運命も変ったが、それは自分が徳川の侍だからまだ納得出来る。が、あの男は、時勢とは何の関係もないはずの越後の百姓でありながら、およそこの世のこととは思えない理不尽な惨劇に見舞われたのだ。あの男が発狂しなかったのがまだしものことだ。
いや、むしろ気が狂ったほうが幸福であったかも知れない。金助がいうように、そのときから闇が彼の全身をつつんでしまった。あの男はそれ以来、恐怖すべき人間世界に対して、鉛のような拒絶反応しか示さなくなった。そしていま白日の東京にあっても、闇をへだてて外界と相対しているのだ。ただアラダルは、その分厚い闇の奥から、哀しげな眼で、昔さらわれた女房を探し求めている。――
漠然とではあるが、胤昭はそう感じた。
「どうだろう、アラダルはこれから先、女房を見つけることが出来るだろうか?」
「いや、出来ないと思いますね」
と、金助は首を振った。
「いま考えると……でえいち、その女衆が東京へいったってえ話が、べつにしっかりした証拠もねえ、雲をつかむような話でごぜえますからね」
「そんなこといわないで下さいな」
と、お夕が祈るようにいった。
「見つかるわ。アラダルさんはきっとおかみさんを見つけるわ!」
三
青びょうたんの金助の話を聞いて、アラダルはむしろ気が狂ったほうが倖《しあわ》せだった、と考えたが、それにしても、あいつのいつかの浅草寺騒動、あれはいったい何だったろう? あれこそまったくの狂気の沙汰《さた》としか思えない。
あいつがときどき、あんなわけのわからない怪発作を起すとなるとちと困るが。――
「おい、金助」
胤昭の頭に、ふと気がかりなことが浮かんだ。
「アラダルに雪隠《せつちん》強盗なんて出来ると思うかね?」
「雪隠強盗って何です」
そこで胤昭は、あの浅草寺の肥《こえ》ぐるま事件とそのあとの石川島看守牛久保|蓮岳《れんがく》とのやりとりの話をし、牛久保がアラダルに雪隠強盗の疑いをかけた顛末《てんまつ》を話した。
「さあ、わからねえ」
金助は首をひねった。
「きのうはひどく痩《や》せて来たが、元来はアラビアのダルマと異名のついたほどのふとっちょだ」
と、胤昭《たねあき》はいった。
「それが便所の穴から出て来られるわけがねえとおれはいって、あいつを助けてやったんだが」
「だって、おっしゃるように、あいつはあんなに痩せこけてここにやってきたじゃありませんか」
と、金助はいった。
「あいつは、食い足りねえのが十日もつづくと、半分くらいに痩せちまうんでがすよ」
「えっ、しかし石川島にいたころ、そんなに痩せたのを見たことはねえぜ」
「石川島じゃ、モッソー飯がのどに通らねえ囚人もいますからねえ。その食い残しをもらうんです。まずいけれど、量《かさ》だけアそれでしのげますんで」
「ふうん。……」
「といって、おらなんか、あれの若|旦那《だんな》のころを知ってるだけに、雪隠強盗なんて想像もつきませんが、そう聞きゃ、いまのアラダルなら……でえいち、糞壺《くそつぼ》の中から九字を切ってニューッとセリ上るなんて馬鹿馬鹿《ばかばか》しいまねは、ふつうの泥棒じゃ出来ねえ。頭がヘンにでもならなきゃ、やれる仕事じゃあねえ。いまのアラダルなら、どっか気がふれてるように見えるんですがね」
胤昭は黙りこんだ。
「腹がへったら、あいつ、何でもやりかねませんぜ。……とはいえ、何も雪隠強盗がアラダルだと、おいら、いってるんじゃあねえが」
胤昭は、アラダルという人間が、精神上のみならず、肉体的にも、何だか別世界の怪物であるような気がして来た。
雪隠強盗なるものがいまも出没しているかどうか知らないが、万が一その正体がアラダルだとすれば、あのとき牛久保に図星《ずぼし》を指されて以後さすがにひるみ、その結果彼が痩せこけたということも充分考えられるのである。
「それより、おら、その牛久保って野郎のほうが臭えと思いますがね」
金助はいい出した。
彼は何度目かの石川島暮しをこの一年ばかりやって、先日出て来たばかりの男であった。
「牛久保が臭えとはどういう意味だ?」
「旦那、いま、牛久保が手下を連れて、芸者と相乗り俥《ぐるま》で浅草を乗りまわしてたといいましたね。その金の出どころがですよ」
「なに、金の出どころ」
「あの野郎、石川島でねえ、強盗《たたき》で牢《ろう》にはいって来たやつをつかまえて、いろいろと訊《き》くんでさあ、強盗をやったときのようすをね」
「看守なら、それくらいは訊くこともあるだろう」
「ところがね、強盗をやった連中の中にゃ、その家のお嫁さんとか娘さんとかをどうとかした連中がけっこう多い」
青びょうたんのくせに、にやにやして、
「それが向うを黙らせるのにいちばんの法でもござんすからねえ。また、たとえあとで届けても、それだけは、お上にもかくしてる例が少なくねえ」
「ううん」
「そういうやつらに、そのときのいちぶ始終を根掘り葉掘り訊くんですが、はじめはいやな助平野郎だとみな笑ってたが、そのうちだれか――おい、あの牛久保め、こっちが白状した家へいって、それをタネにユスリをやってるらしいぞ――と、いい出したやつがありやした」
「……」
「そのユスリ方、黙り賃のとり方にゃ、いろいろありまさあね。なぜそんな噂《うわさ》が出たかってえと、どうやらあそこの押丁《おうてい》の何人かのひそひそ話をもれ聞いたやつがあって、それから出た話らしいんで」
「……」
「むろん、そのユスリをだれも見たわけじゃなし、それ以外のことでもあそこの看守でおかしなやつはほかにねえじゃねえ。ま、さわらぬ神にたたりなし、こっちは看守さんらの心証をよくしてなるべく無事に御放免になりてえ一心だけで、そんな噂は噂だけですませたが、いま旦那のお話を聞いて、ふと思い出したんですがね」
「……」
「牛久保が臭え、といったのア、ま、そんなわけなんで」
胤昭《たねあき》は黙って、相手の顔を見まもっているばかりであった。
牢《ろう》役人に対する囚人の邪推には荒唐無稽《こうとうむけい》に近いものがあり、彼らの会話の半分はその悪口だ、くらいは胤昭も承知しているが、以上の金助の話には胤昭をうならせるものがあった。驚きとともに、いや、そういやただの邪推じゃねえぞ、といううなずきのためだ。
思い出せば自分もあの日、牛久保看守の「豪遊」ぶりを瞥見《べつけん》して首をひねった。それどころか、あいつとのやりとりの間に、そのことを指摘してやった。
そのときの牛久保看守の反応――最初のニガリをのんだような表情、そのあと、このことは内聞にしてくれと懐柔に出た猫なで声――今にして知る、おれの指摘は、きゃつのいちばん痛いところをついたのではなかったか。
そもそも自分が石川島に勤務していたころから、強欲ぶりに何かと評判のあった男であった。囚人やその家族から金品をまきあげるという噂に、その当時から捨ておけぬ気になったものだ。それが最近になって、強盗の被害者からその弱味につけこんで看守がユスリをかけるとは。――
野郎!
胤昭は怒りに身のふるえるのを禁じ得なかった。
「お前のいうことは、おそらくほんとうだろう」
そういってから、しかし彼は注意せずにはいられなかった。
「ただな、これからお前が働きに出ても、めったに口にするんじゃねえぞ」
「いうもんですか。旦那だからしゃべったんだ」
青びょうたんの金助は首をふり、
「おらがそんなこと外でしゃべったって、あいつがどうなるわけもねえ。こっちに三文のトクもねえ」
といって、胤昭の顔を見て、
「おらより、旦那のほうがあぶねえ。こんどあいつにどこかで逢《あ》ったら、旦那のほうがあいつの面《つら》の皮をひんむきゃしねえか――大やけどのもとになりますぜ」
忠告顔していったが、すぐにまた、
「しかしねえ、旦那、それにくらべりゃ、アラダルが雪隠《せつちん》強盗だろうが何だろうが、糞《くそ》でもくらえっていいたくなりまさあ」
と、せせら笑ったとたん、アイタタタとぎっくり腰の腰をおさえた。
夕方になって、そっぽの長蔵とアラダルは深川から帰って来た。そして、荷馬車屋のほうで三人とも使ってくれることになったと報告した。
四
その翌日から長蔵とアラダルは深川へ移っていった。二、三日たって、金助もぎっくり腰がおさまったようで、そのあとを追った。
このとき胤昭《たねあき》が、例のごとく、まじめに働くことを訓示したことはいうまでもないが、特にアラダルには、「食い足りなかったら、ときどきうちへ来て補《おぎな》いな」とつけ加えた。
雪隠《せつちん》強盗については、改めて問いただしもしなかった。訊《き》いてもまともな応答は返って来そうもない上に、彼もまた、泥棒の被害者をユスるような牢《ろう》役人がある以上、役人をやめたこっちが泥棒をあぶり出してみたところでしようがねえ、という金助同様の心境になったからだ。
お夕《ゆう》もまた、自分の書いた聖書の紙片を彼らに渡して、「ひまなときには読んで下さい」といい、「これについて訊きたいことがあったら、いつでもまたいらして下さい」と、いった。
アラダルを見るお夕の眼には、特別に哀憐《あいれん》の色があったが、果してアラダルにはそれを感じる能力があったか、どうか。――
胤昭はそう見ていたが、意外にもアラダルは、それからちょいちょい十字屋に顔を見せるようになった。むろん大飯は食うが、お夕かおひろに、照れたように耶蘇《やそ》の話をしてくれといい、彼女たちの声を黙って聞いているようなことが何度かあった。
「熊《くま》か何かを飼いならしてるような気がしやしないかね」
と胤昭が、あとで姉妹に話しかけるような光景であった。
それよりアラダルは、十字屋にいる幼女を可愛がって、そのために来るのではないかと思われるほどであった。
あの巾着切《きんちやくき》りのぬらりひょんの安が捨てていった女の子である。
ここに連れて来られた女の子はほかにも数組あるが、それでも母親が何とか落ち着き先を見つけると、礼を述べて去ってゆく。
ところが安の女、お秋の場合、適当なゆき先がなく、そこで胤昭は一丁目の岸田|吟香《ぎんこう》家の下女にやとってもらった。そして岸田家の物置を改造して、近いうち母子いっしょにひきとってくれることになっていたが、それまで子供だけ十字屋にあずかることにし、その間お秋は、日中何度かここへ駈《か》け戻って来ては乳をのませるという日々をつづけて来たのである。
その女の子は一つ半になり、ヨチヨチ歩きをし、ウナギの頭みたいな顔をしてカタコトをしゃべるのが可愛らしく、有明姉妹もいまは手離すのがつらいように見えたが、人間とは話の通じないようなところのあるアラダルが、このお霜を可愛いがって抱きたがるのだ。
「ひょっとしたら、殺されたアラダルの子供に、あの年ごろの女の子がいたのかも知れないよ」
と、胤昭はささやいたことがあり、
「きっと、そうですわ。……」
と、お夕もおひろもうなずいた。
しかし三人は、そのことを口にして、アラダルにたしかめるのは遠慮した。――それほどデリケートな心づかいをしていたのに。……
五
それは七夕《たなばた》の日であった。
銀座にガス燈がともりはじめたが、まだ薄暮の光が残っている時刻、暑い煉瓦《れんが》の屋内からのがれて、店の前においた縁台に胤昭《たねあき》は腰かけて、すぐ前で、ゆかたを着たお夕《ゆう》とおひろが、大きな葉《は》だけにたくさんの色紙《いろがみ》や短冊を結びつけるのを眺めていた。
ちょうどお秋もやって来て、ほんのいま乳をのませ終り、お霜を抱いてあやしながら、これは立って見物していた。
開化このかたそんな日本の古風な行事はとみに衰えた上に、特にここ煉瓦街の中の七夕祭りはおかしいが、実はその幼女に見せるための姉妹の思いつきだったのだ。
わけはわからないなりに、幼女はうれしげに笑い声をたてながら、母親にまわらぬ舌で何か話しかけている。おひろが笹竹《ささだけ》をつかんでかたむけ、それにお夕が色紙を吊《つ》っているのは、胤昭が見ても、ほんとうに美しい風物詩の景であった。
するとそこへ、たまたまアラダルと金助がやって来た。
「やあ、七夕でごぜえますか。これはなつかしいなあ」
と、金助は叫び、しばし、それを眺めたのち、胤昭に近づいて、
「アラダルに誘われて、というより、おらもしばらくぶりに旦那《だんな》のお顔を見たくってねえ」
と、おじぎした。
仕事を終えて、深川から急ぎ足で来たと見えて、青びょうたんの顔から首すじ、汗だらけになっている。
「やあ、おいで。七夕なので、冷麦を作ってある。てんぷらもある。食べてゆきな」
と、胤昭は笑いながらいったが、ふと向うを見て、
「おい、よしてくれ、アラダル――いま、お霜坊を抱くのは」
と、声をかけた。
アラダルが、赤ん坊を母親から受け取ろうとしているのが眼にはいったからだ。
「その身体で抱かれちゃ、お霜坊が臭くならあ。あちらで身体を洗ってからにしな」
金助も汗だらけになっているが、離れていても、アラダルはもっと汚ない。もとのごとく大肥満漢に戻っているが、それだけに、蓬々《ほうほう》たる髪、ふんどしにまねだけの破れじゅばんをつけて、まるで異形《いぎよう》の怪物さながらだ。
胤昭としては、そんなアラダルには馴《な》れているが、いままであんまりうっとりと、絵のような風景に見とれていただけに、その愛すべき風景の中へ闖入《ちんにゆう》したあまりにもムサくるしい異物に、ちょっと審美的な観念から注意したに過ぎない。
注意されてアラダルは、はっと手をひっこめた。そして、路上に、大きな丸太ン棒みたいにつっ立って、黙って、青笹《あおざさ》をめぐる美しい群像を眺めていた。
それを別に意識もせず、こちらで胤昭は金助に、このごろの暮しぶりなどについて訊《き》いていた。
――と、突然、「わおう」というような声がした。
はっとしてそのほうを見たとき、アラダルは飛びかかって、おひろの手から青笹をひったくり、それを狂ったように地面にたたきつけ出した。枝が折れ、葉が散り、無数の短冊や色紙が夕空にみだれ飛ぶ。
「どうしたんだ、アラダル!」
胤昭が立ちあがったとき、葉竹を踏みにじったアラダルは、こんどはお秋から幼女をひったくって、片手でつかんでふりかざした。赤ん坊のわっという泣き声が空中を裂いた。
「こんな餓鬼、たたきつぶしてやるぞ!」
彼はほえた。原始の猛獣さながらの声だ。
走り寄ろうとした胤昭は、髪の毛を逆立《さかだ》てて立ちすくんだ。
このとき、お夕《ゆう》が――あの、あえかにやさしいお夕が――躊躇《ちゆうちよ》することなく身をひるがえして、アラダルのその胸にしがみついた。
ふしぎなことに、幼女はやすやすとお夕の手に移った。
が、そのままうしろっ飛びに、往来のまんなかあたりまで飛びずさったアラダルは、ひげの中から赤くひかる眼を胤昭のほうへ投げて、「おらはこれから雪隠《せつちん》強盗をやるぞ!」と、絶叫した。
「どうせおらは、雪隠泥棒をやるように生まれついたんだ!」
そしてアラダルは、背を見せると、号泣のような声をあげながら、銀座の夕闇《ゆうやみ》の中へかけ去った。……
そこにいた者すべて、茫然《ぼうぜん》として、突風に襲われたように棒立ちになっている。お夕の胸の中で、ひきつけを起したように泣きさけぶ幼女の声だけが流れた。
「あの野郎。……」
ややあって、胤昭がぼやけた声を出した。
「またわけのわからねえ発作《ほつさ》を起しやがった!」
みな、笹の葉と紙片のちらかった惨澹《さんたん》たる路上に、虚脱したような眼をやっている。
しばらくして、おずおずとお夕がいった。
「さっき胤昭さんが、身体を洗ってから赤ん坊を抱け、とかおっしゃったのが気にさわったのじゃないかしら?」
胤昭は胸を衝《つ》かれた表情になり、しかし憮然《ぶぜん》として、
「しかし、ほんとうにあいつ汚ねえぜ。それに、それくらいのこと、いつもあいつにいったはずだが……」
「その言葉がはずみになったのかどうか、知らねえが」
と、金助がいい出した。
「こんどいっしょに暮してみてはじめて気がついたんだが、あいつ荷馬車を曳《ひ》いて往来を歩いてるときでも、倖《しあわ》せそうな親子とか家族を見ると何ていったらいいか、陰気なけだものみてえな眼つきになるんでさあ」
「え、倖せそうな家族を見ると……?」
「そうなんでがす。――いつか旦那《だんな》から聞いた浅草寺の肥《こえ》ぐるま騒ぎ、あれも、お正月で晴着を着て観音さまへやって来た家族たちを見て、ふいに爆発したのにちげえねえ」
さっきは意識になかったことだが、いま胤昭の眼に、さっき自分に一喝されて、青笹《あおざさ》をめぐるお秋親子や有明姉妹の姿を――その世界にはいることを拒否された獣みたいに、おびえたような顔で見ていたアラダルが、痛恨の残像としてよみがえった。
それから、理不尽な凶変で愛する家族をいっぺんに失ったアラダルの運命が思い出された。
それにしても、あんな自分の一語が、いまのアラダルを一挙に崩壊させたとは常識では信じがたいが。――
「雪隠強盗をやるといったな」
胤昭は彼らしくもなく、オロオロした声を出した。
「すると、あの雪隠強盗は、やっぱりあいつだったのか?」
「そうかも知れねえ。しかし、それはちがうが、これからおれもやるといったのかも知れねえ」
お夕が叫んだ。
「あのひとをゆかせちゃいけない! もういちどここへ連れて来て!」
青びょうたんの金助は、口をきゅっとまげて笑った。
「いや、あいつはまた人界の外へいっちまったんでござんすよ。もう旦那の手にゃあ負えねえ」
開化の首斬り人
一
「古い話である。僕は偶然それが明治十三年の出来事だと云《い》ふことを記憶してゐる」
こういう冒頭ではじまる鴎外の「雁《がん》」は、だれでも知るように、高利貸のお妾《めかけ》さんと東大医学生の哀切な恋の物語だが、その医学生と二人の友人は、はからずも死に至らせた不忍池《しのばずのいけ》の雁を、外套《がいとう》の中にかくして交番の前を通るとき、こちらの挙動をウンベファンゲン(無頓着《むとんちやく》)におくために、歩きながら、円錐《えんすい》の立方積を出す公式についてドイツ語まじりの会話を交す。
まあ、これほど「開化」の世となった当時の日本に、信じられないようだが、一方ではなんと斬首《ざんしゆ》という刑がまだ存在していたのである。
そして、最後の首斬り浅右衛門もまだ実在していた。――
人も知るように、江戸期、小伝馬町の大牢《たいろう》や小塚《こづか》ッ原《ぱら》で斬首刑の斬り手は、世にいう首斬り浅右衛門、正しくは山田浅右衛門であった。
これは、役人ではない。本来は刀剣鑑定をなりわいとする市井の浪人だが、牢役人も罪人の首を斬るなどという所業はあまりぞっとしないと見えて、享保のころからこの役を浪人の山田浅右衛門にまかせることになった。大名や旗本などから依頼された刀の試《ため》し斬りという名目である。
これが代々あって、いまの八代目山田浅右衛門|吉亮《よしふさ》に至る。幕末から職をつぎ、新政府になってからも、雲井龍雄や夜嵐《よあらし》お絹《きぬ》、岩倉卿を襲った「赤坂喰違いの変」の犯人らや、さきに述べた大久保卿暗殺の刺客ら、すなわち島田一郎、長連豪などを斬首したのは、この八代目であった。
しかるに西南の役関係の処刑が終ったころから、ようやく首斬りは甚だ野蛮で、外国の手前も恥ずかしいという論が出はじめ、次第にその声が高くなって、ついにきたる明治十四年七月をもって斬首刑を廃止し、以後絞首刑に切りかえられることになったのである。
山田浅右衛門は大いに抵抗したが、むろん認められるわけもなく、そこで彼はやる気を失って、当面の仕事もみるみるぞんざいになった。
このときにあたって彼は、高橋お伝という女囚を斬首しなければならないことになった。
首斬りの名人といわれた吉亮だが、実は女囚を斬るのはもともと好きではなかった。
お伝は、明治九年夏、古着屋の男を売春宿にひきこみ、枕探《まくらさが》しをやって見つかり、所持していたカミソリで男を殺害した罪で斬首の判決を受けた女であったが、それを処刑するとき、いままで三百人を斬ったという八代目にはあるまじき醜態をさらした。
それは明治十二年一月末のことであったが、彼は妖艶《ようえん》なお伝に三度刀を下しながら首を斬り落せず、狂乱してのたうちまわるお伝を、介添えの男におさえつけさせ、自分も馬乗りになって、まないたの上の魚みたいにゴシゴシと引き切りにするという無惨《むざん》なていたらくになったのだ。
やっとのことで首を斬り離して、そのあと虚脱したようにペタリと尻餅《しりもち》をついて、はあはあ大息をついていた八代目浅右衛門は、生首を地面に立て直してから、血まみれの手で、「いかがされたか」と、自分を抱き起しにかかった介添えの男に、
「いかん、山田浅右衛門はもういかん! あとはおぬしにまかせる。……」
と、悲痛な声をあげた。
場所は市ヶ谷監獄の斬罪《ざんざい》場であったが、その介添えは市ヶ谷監獄の役人ではなく、石川島監獄から来た看守であった。
その名を寺西|冬四郎《とうしろう》という。――
これが、人の首を斬るという作業に異常な興味を持つ男で、ここ四、五年来、市ヶ谷で斬首があると連絡すると――いや、連絡しなくても、死人の匂《にお》いをかいだカラスみたいにふっと現われて、斬首刑を参観する。
参観どころではない。そのうちだんだん首斬りを手伝うようになった。浅右衛門の身体の調子のよくないとき、とか、いっぺんに五人も七人も斬らなければならないとき、とか、あるいは浅右衛門の好きでない女囚斬首のとき、とか。――
眼が細く吊《つ》りあがり、カラス天狗《てんぐ》みたいに口がとがった怪異の相貌《そうぼう》だ。これが女囚を斬るときは、眼が陶酔の光をはなち、とがった口をニンマリさせる。血笑とはまさにこのことだろう。――よくこんな人物が牢獄《ろうごく》の看守になったものだ、と、三百人も首を斬った浅右衛門すら気味が悪くなるほどだ。
そして斬首ながら、その切れ味には、浅右衛門もぞっとするような冴《さ》えがある。おそらく過去に、何人かの人間を斬った体験があるのではないかと想像させる。
とにかく右のような次第で、明治十二年ごろから、斬罪の執刀者は、山田浅右衛門の代りに寺西冬四郎という看守が相勤めることになった。
何といっても開化のこの世に、天下公許で人を斬れるとは、こんな職があるだろうか。
彼は文字通り血ぶるいした。
が、残念なことに、斬首を宣告された者の中に、さしあたって女囚がいない。
で、寺西冬四郎の眼は、自分の刑刀の下に血しぶきをあげる美しい女囚の幻影を求めて、闇《やみ》の宙をさまよっていた。
二
さて、「雁《がん》」の物語と同じ明治十三年夏。
石川島監獄での勤務休憩時。――寺西冬四郎は、同僚の鳥居|鶏斉《けいさい》から、妙な囚人の話を聞いた。
この七月末、釈放されるはずのある囚人が、もう一年延ばしてもらえるとありがたい、と同囚に話したというのだが。――
「その動機が面白い」
「なんじゃ」
「貴公に首を斬られたくないから、というんじゃ」
「おれに首を?」
寺西看守が去年ごろから市ヶ谷監獄の斬首を請け負っているということは、いまではこの石川島でだれでも知っていることだ。
「風が吹いて桶屋《おけや》がもうかる、を地でいったような話だが――つまり、いまここを出ると、また人殺しをやるかも知れん。そしたら当然死刑になるわけじゃが、来年夏ごろまでは貴公が首斬り役を勤めることになっておるから、それ以後のことにしてもらいたいというんじゃがね」
「だれだ、そんなことをいうやつは」
「第八雑居房におる竹沢幸助という囚人だが」
「ああ、あの肺病病みの――」
「そう同囚にしゃべったのを、そいつからおれが聞いたんで、きのうおれが、何なら釈放延期の手続きをしてやろうか、と、からかったら、顔色を変えて、いや、それは冗談にいったことだと申しておったが――とにかく貴公の首斬りは、それなりに再犯防止の効験はあるな。なかなかやり甲斐《がい》のある仕事だと自信を持つがいい。あはは」
「ふふん」
このときは寺西冬四郎はなんの感興もそそられなかったが、二、三日たって、炎天の作業場で、ふんどし姿で冬のための炭団《たどん》作りをやらされている囚人たちの中に、ふとその竹沢幸助という若い男を見つけたので、「おいこら」と、呼びかけた。
「お前、おれに斬首されるのが怖くて、放免取下げの請願をしたってなあ」
「せ、請願なんて、とんでもねえ!」
寺西がそばに来ただけで逃げ腰になっていた竹沢幸助は、真っ黒な手をふった。
「ただ、ここを出たら、殺して仕返しをしてえやつがいる、と仲間に話しただけでございます。そしたらその仲間が、いま人殺しをするとまだ斬罪があるぜ、といったのが、どこで変な話になっちまったのか――」
そういうと幸助は、真っ黒な鼻の下に手をやって、烈しく咳《せ》きこんだ。炭団の粉《こな》だらけだが、顔色の蒼白《あおじろ》さはわかる。裸の身体は、鎖骨も肋骨《ろつこつ》も浮き出している。
彼は肺病であった。ここを出たら、人に仕返しをするよりも、自分のほうが先にお陀仏《だぶつ》になってしまうだろうと思われた。
「だれに仕返ししたいんじゃ」
「いえ、それは、あの、半分は冗談で」
「半分は本気か」
じろっと見つめて、「言え」と、寺西看守はいった。蛇に見こまれた蛙《かえる》のように、
「女で」
「その女に、どんな目にあわされたんじゃ」
また幸助は黙った。
「お前、何をやってここに来たのかな」
「へ、その、奉公先の使いこみと、おふくろをなぐって大怪我をさせたってんで――」
「その女のせいで使いこみをやり、母親をなぐったというんじゃな。――おい、仕事はつづけろ」
まわりでは囚人のむれが、それこそ真っ黒になって働いている。
石川島監獄もここ数年で洋式の十字形の新監獄に建て替えられていたが、懲役の実態は昔とほとんど変らない。炭団作りは病身者の作業だが、何しろ灼《や》けつくような炎天の下だから、黙々と黒い球体をまるめている囚人たちの光景は、これはこれでこの世のものではない亡者の苦役図となっていた。
「へえ、実は、その女のところへゆこうとするのを、おふくろが、狂ったようにとめようとしたもんで、つい、あたしものぼせちまいまして」
「その女というのは、芸者か、女郎か」
「いえ、夜の町で色を売る女で――邯鄲《かんたん》お町《まち》ってえ女でござんすが」
「な、なに、邯鄲お町?」
寺西看守は、一オクターヴ高い声を発した。
「へ、御存知ですか?」
「なに、知っているというほどではないが」
寺西は首をふって、
「何年か前、ここにいた女だ。しかも一度ではなく、何度か――ふうむ、あの女にひっかかったのか」
女の名を白状した以上は、という気になったのか、竹沢幸助はともかくもしゃべり出した。
それによると、彼は以前、両国の蝋燭問屋《ろうそくどんや》に、父親の平助といっしょに奉公していた。平助は番頭で、彼は丁稚《でつち》であった。ところが、十年ほど前――彼が十五のとき、その父親が大川に身を投げて死んだ。まだ五十歳であった。
あとになって、その年齢で、しかも律義一方であった平助が相当な使いこみをやって、窮したあまりの身投げだったことがわかった。
主人あての書き置きを残していて、それによると、その使いこみは女のせいらしい、しかもそれが芸者やおいらんではなく、どうやら町の私娼《ししよう》らしい、ということがささやかれたが、それ以上のことは幸助は知らない。彼はそんな話は耳をおおいたい気持であった。
さいわい主人が寛大で、子の彼に罪はないといい、放逐にもならずそのまま使ってもらえることになった。それどころか、その恩に感じ、身を粉にして働いたせいか、何年かのちには、彼も手代にまでなった。
ところが、三年ほど前――ある夜、本所の小料理屋で取引先の商人と商談を交わしたあと、ほろ酔いきげんで両国へ帰る途中、闇《やみ》の中から浮き出したような美しい女に誘われて、いっしょに近くの宿屋にはいる羽目となった。
それは何という妖《あや》しくも甘美な一夜であったろう。――幸助は、また女に逢《あ》ってくれといった。彼は狂い出したのである。
その女がお町という夜の辻君《つじぎみ》であることを幸助は知った。
最初誘ったくせに、女はなかなか逢ってくれなかった。いくども待ち合わせの約束はすっぽかされた。が、一夜逢うと、女の身体は幸助の総身をしぼりとるような快楽《けらく》を与えた。同時に、目の玉の飛び出るような金を要求された。当然彼は、奉公先の金に手をつけるようになった。
悦楽の消耗と盗みの苦しみのためか、彼は痩《や》せ衰え、半年ほどたって血を喀《は》くようになった。
死物狂いでごまかしていた盗みの発覚する日は迫った。そのときに、またその女と逢うことになった。
彼はその女と心中しようと思い、そこへ赴く前に、ひそかに母親だけにこの秘密を打ちあけて不孝をわびた。
母親は仰天し、その女の名を訊き、「何てことを――お前のお父《とう》のひっかかったのは、たしかお町という名の売女《ばいた》だよ!」と叫んだ。
おふくろ以上に、彼は仰天した。なお問いただすと、名ばかりでなく、それが同一人であることはたしからしい。
それでも彼は、やがてその女のところへゆこうとした。そして、狂気のようにむしゃぶりつく母親をなぐり、大|怪我《けが》をさせ、その足でよろめくように密会の場所へ出かけた。
ただ浮かれ女《め》のところへゆくのをとめようとした母親を、道楽息子がふりはらうような事態ではない、まったく救いのないなりゆきであった。
幸助は女に父親のことを話し、その女が父親の死におぼえのあることをたしかめ、心中を迫った。が、女は「母娘《おやこ》どんぶりという言葉があるけれど、これは逆だね。おやじも息子も、あたしの身体で同じ極楽を味わったわけさ。お前さん、とんだ親孝行をしたねえ!」と高笑いした。
幸助は、女が心中に応じない場合は、「父のかたき」として女を殺そうと思っていた。ところが、殺す前にまた女の媚惑《びわく》に沈んでしまった。同時に、口移しに眠り薬のようなものを飲まされたらしい。
そして彼が魔睡からさめたとき、その身体には縄がかけられていた。女は風のように消えていた。――
「ふうん、そういうことか」
幸助の話を聞き終えて、寺西看守は――途中、なんども「それから?」「それから?」と、うながしたくせに――何かほかのことを考えているようであった。
「その女がいったように、つまり親子ともども同じ蟻《あり》地獄に落ちたわけじゃな」
と、いい、
「いや、穴地獄か」
と、下品な冗談を口にしたが、自分でも笑いもせず、いまの想い出話だけでまた打ちのめされたように炭の粉の中につっ伏してしまった竹沢幸助をあとに、ねぎらいの言葉もかけず歩み去っていった。
彼は、一人の女に破滅させられた親子のことより、親子を破滅させた女のことを考えていたのである。
三
邯鄲《かんたん》お町《まち》。――
それはこの石川島でも有名な女であった。
たいした罪ではない。私娼《ししよう》として売春して、枕探《まくらさが》しをやってつかまって、たしか三度ばかり――そのうち二度は異国人相手だったと記憶している――三ヶ月とか半年とかの軽い刑ではいって来た女だが、その罪よりも、言語に絶する色っぽさにおいてだ。
最初に見たのは彼女がまだ廿歳《はたち》にもならない前だと思うが、そのころからあだっぽかった。それから何年おきかにはいって来ては出ていったが、そのたびに色っぽさをまして、石川島を――大げさにいえば、どよめかした。
またこの女が、自分の妖艶《ようえん》さをいかんなく利用した。
牢格子《ろうごうし》をへだてて、牢役人たちを誘惑するのである。
お町がいたころまでは、牢はまだいわゆる牢格子であったが、この格子柱が三寸角(約九センチ)、格子のすきまが一寸五分(約四・五センチ)あって、腕も出せないものであったが、その格子の向うに顔をよせて、看守や押丁《おうてい》を呼んで頼みごとをする。
その頼みごととは、小金はもとより菓子、紙、それから女の身のまわりの小道具類であったが、頼まれた通りそれを持っていってやらない男はいない。
持ってゆくと、格子の向うに顔をくっつけたお町が、「ありがとう」といい、おまけとしてほうっと息を吹きかける。その芳香は心魂とろけんばかりで、いかなる女を実際に抱くよりもエクスタシーに酔い痴《し》れさせるという。
そういう蔓《つる》を持っているから、彼女はいつここに来ても牢名主なみだ。
その上、そんな女の精のような姿態を持ちながら、実は残酷無惨の性格の持主だそうで、ほかのあばずれどもが慴伏《しようふく》するのは、むしろそのおっかなさのせいだという。
お町がここにはいって来るのは、いつも枕探し程度の罪だが、ほんとうはもっと凄《すさま》じいことをやっているという、それについてのいろいろな話もささやかれた。
たとえば舌の裏にカミソリの折ったやつをはさんでいて、客の舌を切って、うろたえている間に金をとって逃げ出したとか、悪ふざけする相手のふぐりをねじって悶絶《もんぜつ》させたとか、とがめる客にランプをたたきつけて、石油を浴びた身体にマッチで火をつけて大やけどさせたとか。――
「それがみな無事で通ったのは、警視庁の連中がみんなあの女にゃ、飴《あめ》みたいにトロトロになるからってよ」
「いや、大きにそうかも知れない」
「あの女を前に坐《すわ》らせてちゃ、取調べ官のほうも自分が何をいってるかわからなくなるだろう」
「それも無理はないなあ」
そんな看守仲間の笑い話を耳にしたこともある。いや、ほんとうをいうと笑い話ではない。その女囚へのサービスが過ぎて、それが発覚してクビになった看守が何人かある。
ところで寺西看守は、邯鄲お町に、いっぺんも頼まれごとをされたことがない。
実は彼も、人なみにその美しい悪の化身に関心をもって、いちど彼女を牢格子の向うに呼びつけようとしたのだが、お町は遠くからちらっとふり返って、
「イヤだよ。お前さんはおっかないよ!」
と、けんもほろろに一蹴《いつしゆう》されてしまった。
ふつうなら、そんな生意気きわまる囚人などただではすまさないのだが、その女囚にかぎって、鼻をひとねじりされたように声も出なくなって――それっきりになったのが、彼の場合、特にふしぎだ。もっとも彼は、それをことさらの侮辱とは感じなかったせいもある。そもそも彼は、どんな女にも好かれたためしがないのだ。
さて、いま久しぶりに彼は、その女の名を聞いた。そして、はからずもその女の悪の一挿話を耳にした。
ただし、お町はいま牢にいない。あいつのことだから、東京のどこかの闇《やみ》を妖鳥《ようちよう》のように飛んでいるに相違ないが。――
ふつうなら、話を聞いてもそれっきりになるところだ。
ところが寺西看守は、それから二、三日たって、こんどは女牢にいって、蝮《まむし》のお政という女囚を牢格子の向うに呼びよせた。蝮のお政は、これもそのころ名だたる女盗で、先月何度目かの入牢の身となった女であった。
「おい、お前、邯鄲お町がいまどこにおるか知らんか」
「知りませんねえ。そんなこと、あたしが知るわけがないじゃありませんか」
「とぼけるな、お前が昔からお町と友達だということはわかっているのだ。いえば、お前の欲しいものはおれが差入れしてやるが」
「お町の居どころを知って……つかまえるんですか」
「いや、おれは警視庁の巡査じゃない。男囚の中に、あれの居どころを知りたいというものがあるから訊《き》くんだ」
「そうですか。でも、友達だからって相棒じゃないから、いつもいっしょにはいませんよ。ただ、あたしの知ってるかぎりじゃ、この春ごろは築地居留地跡の唐人町をねぐらにして商売してましたよ。……」
「そうか、いや、ありがとう」
四
さらに数日後のある日ぐれ方、寺西看守は築地居留地の遊廓《ゆうかく》跡の一画にたたずんでいた。――
すぐそこの、狭い海をへだてた真向いの石川島の官舎に住みながら、築地居留地の跡がこんな風になっているとは知らなかった。
もともと異人ぎらいの寺西は、いままでこの居留地に一歩も足を踏みこんだことがないのである。
幕末、外国からしつこく要求のあった東京の居留地は、新政府になると早々にひらかれ、壮大な築地ホテル館や新島原と呼ばれる遊廓まで用意されたが、明治五年二月にそのホテル館が焼失し、一方、同年に横浜から汽車が通じたこともあって、はじめて想定していた異国の商社街は形もなさない無用の土地となった。
それでも、少数の異人は小区域に住んで、そこに教会やミッションスクールなどを建てて、それなりに西洋風の一画を生み出したが、何しろ海と堀割にかこまれた二万六千余坪という土地だ。大半は草ぼうぼうの野原といっていい。――ここが、全体としてエキゾチックな景観を復活させたのは、皮肉にも、むしろ明治中期、居留地が廃止されたあとのことである。
で、いま明治十三年の夏、その西洋人の住宅の洋燈《ランプ》が野末の灯のように見える場所にある、元遊廓の路地に寺西看守は立っている。
いま述べたように、遊廓は無用のものとなり、廃止されてから久しく――大きな建物だけが残っている。いや、いずれも歳月に朽ちて崩れ落ち、とりのけられて、あっちに二軒、こっちに三軒と分れてかたまっているばかりだ。
が、昼間はこれでけっこう、店となっていることを、寺西看守は知った。住人は、おかしいことに清《しん》国人が多い。西洋人の商人が寄りつかないと知ると、代って清国人が集まって来て、唐人町というほどではないが、一般の日本人を客としない、彼らだけの酒、タバコ、食料品、支那服や靴、雑貨などの問屋や倉庫として利用しているようだ。
げんにいま、夕暮だが、荒廃したシルエットながら、それらの建物のあちこちには、ちらほらと灯がともりはじめている。
その一軒の一階で老清国人が薬種商をやっているが、奥のほうには怪しげな煙がながれていて、どうやら清国人はもとより少数の日本人も阿片《あへん》を吸っているらしいことを、ここ数日の探偵で寺西はつきとめている。警視庁はまだ知るまい。
そして、表口を通らず、横から二階に上る階段があって、その二部屋ばかりが、朱《あか》い鳳凰《ほうおう》や青い蓮華《れんげ》を染めた壁紙の中に、支那風の寝台や洋燈をおいた妖《あや》しげな部屋であることを、彼はすでに知っている。
二、三日前、その部屋の女主人が出かけている留守にしのびこんでたしかめたのだ。
この隠れ家《が》に安心し切っているのか、鍵《かぎ》もかけていない野放図《のほうず》さであった。
――と、銀座の方角にむいた堀割にかかった真福寺橋を渡って、二台の人力俥《じんりきしや》が近づいて来た。
まだ空に残る明りで見ると、乗っているのはどうやら二人の異人らしい。――いや、そうではない。一人はたしかに大きな異人の男だが、もう一人は、洋装はしているが、女だ。
その女が邯鄲《かんたん》お町《まち》という売春婦であることは、すでに寺西は知っている。そして、今夜も彼女が獲物をくわえこんで来たことも。――
いままで何度か物蔭《ものかげ》から、お町の顔を遠見《とおみ》したこともある。これまで石川島で逢《あ》うたびに、はっとするほどなまめかしさの度を加えるのに瞠目《どうもく》していたが、いまはかれこれ三十になるだろうか、まさに地獄的な美しさであった。
あれが今夜も、毛だらけの異人と痴態のかぎりをつくす。それを具体的にあの部屋と結びつけて想像すると、身体じゅう業火《ごうか》にあぶられる思いがする。
ひょっとすると、あいつの稼ぎ場をつきとめたことでおどすと、おれも相手にしてくれるかも知れない――と、色気を出したこともあるが、いつかの「イヤだよ、お前さんはおっかないよ!」という一声を思い出すと、またその一声ではね返されるおそれのほうが大きい。そもそも、うまくいったところで、結局はあいつのために破滅させられるのが落ちだろう。
待っておれ、おれにはおれのやりかたがある。あいつを売春婦として買うなんぞという、世のありきたりの愉しみとは別次元の、おれだけの方法であいつを愉しんでやる!
いま、こちらのひそんでいる路地を出た通りを横切ってゆく二台の俥《くるま》を、首をつき出し、出ッ歯の歯をカチカチ鳴らしながら、寺西は胴ぶるいした。……
五
さて、それから数日たって、彼はまた懲役場で竹沢幸助をつかまえた。寺西は何のためか、片手に環のついた鎖をぶら下げていた。
「いよいよ明日釈放だな、竹沢」
翌日釈放になるというのに、幸助はその日も炎天の下で炭団《たどん》を作らされていたが、寺西の手の鎖を見て、ぎょっとして息をひいた。が、ともかくおじぎして、
「へえ、おかげさまで……どうもお世話になりました」
「ここを出て、どこへゆくか」
「さあ、それが……」
「何をするつもりか」
幸助は炭団作りの手をとめて、折れんばかりにうなだれた。彼が大怪我をさせた母親は、傷はいったんなおったが、やがてまもなく餓死にちかい病死をとげたということであった。
「きのうまた血を喀《は》いたそうだな。……お前ここを出ても、すぐに死ぬぞ」
寺西看守の言葉には、まったくいたわりというものがない。
「どうせ死ぬなら……お前、あの女に仕返しする気はないか」
「あの女?」
「邯鄲《かんたん》お町《まち》だ。あいつ、いまも相変らず闇《やみ》に咲く悪の花だが――しかも、いよいよ美しく」
「御存知なのでございますか」
「少々、あることでな。築地居留地の元女郎屋の二階をねぐらとして客をひっぱり込んどる」
「あ、あの女狐《めぎつね》……」
「だから、ひとつ仕返ししてやらんか」
「仕返しって……まさか殺せというんじゃないでしょうね」
「いつか、殺してやりたいといったではないか」
「そ、そりゃいいましたが、先日申しあげたように、そりゃ気持だけで……あいつを殺して、こっちが旦那《だんな》の刀で首をバッサリなんてのは……」
「ふ、ふ。いや、殺せとはいわん。ただ仕返しをしてやる気はないかといっとるのだ」
「ど、どんな仕返しを?」
「邯鄲お町に、一世一代の赤恥をかかせてやるのだ」
「一世一代の赤恥? どんな?」
「ま、それには少し手順が要るだろうが、とにかくお前があいつと寝るように運びをつける。あいつはお前に弱味はあるはずで、そこに大金を見せれば、それは出来ないことではあるまい。その金は、おれがやる」
「へ?」
「そして、夜中に、これを――」
と、手にしていた鎖をさし出した。
「近くここで使うことになっとる連鎖というやつ……囚人を外役させるとき二人の足をつなぐための道具だが、その鎖を少し短くしてある。こいつをお前と女の足にはめる」
鎖は一尺ほどで、両側に環のようなものがついていた。
「だれがはめるのでございますか」
「お前がだ」
「そ、そんなものを持ってゆくんでございますか」
「おれがその前に、あいつのねぐらの寝台の下にいれておく」
幸助は眼の玉をとび出させて、その連鎖を見つめた。
「これは、こっちから鍵《かぎ》を持ってゆかんけりゃ、はずれん。そこらの匕首《あいくち》、鋏《はさみ》、かなづちなどでは歯が立たん」
そういいながら寺西は、先にお町のねぐらを隠密捜索した際、寝台のそばの小引出しに匕首が二本はいっていたことを思い出している。
「この連鎖をはめられて、むろんお町は騒ぐだろう。はずそうとしてもがくだろう。しかし、金輪際、はずれん。そこへこのおれが、巡査を連れて踏みこむ。密|淫売《いんばい》の罪で警視庁へ連行する」
「二人、つながったまま、でございますか」
「その通り。築地から鍛冶橋の警視庁まで、この道行《みちゆき》は観物《みもの》になるぞ」
幸助は肩で息をした。眼が熱病のようにひかり出している。
「お前のみならず、お前の父親もあいつのために死んだ。お前のおふくろが死んだのも、もとはといえばあの女のせいといえんこともない。そしてお前も、まもなく死ぬ。お前の一家を破滅させたのはあの女だ」
「……」
「おびただしい男を不幸のどん底にたたき落す売春婦のくせに、あいつのまた威張っとることはお前もよく知っとるだろう。そのお町にとっては、かつて味わったことのない赤っ恥だ。お前からすれば、何よりの仕返しとなる」
「……」
「いまのお町の美しさは、眼がくらくらするほどじゃぞ。仕返しにもなるが、お前の死花《しにばな》ともなるではないか?」
「やりましょう」
と、幸助が叫んだとたん、べつの音がのどの奥で鳴って、彼はがぼっと血を喀《は》いた。その血でぬかるみと化した黒い炭の粉《こな》を両手でひっつかんで、
「旦那、やらして下せえ。幸助、一生一度の死花を咲かせましょう!」
と、叫んで、狂笑のような笑い声をもらしはじめた。
六
それを眺めながら、寺西|冬四郎《とうしろう》も笑っている。ただし、心の中でだ。
彼は、実はこんなことをやろうとは思っていない。この囚人に復讐《ふくしゆう》をさせてやったところで、自分に一|文《もん》のトクもない。
この男とあの女を鎖でつなぐ。――この思いつきに変りはない。
しかし、そのあと、あの邯鄲《かんたん》お町《まち》が、おとなしくこの男とつながって警視庁へ連行される、などということはあり得ない。あれはあれで、途方もなく誇り高い美女なのだ。
彼女はどうするだろうか。むろん連鎖を断《た》ち切ろうとして狂乱するだろう。手で切れないと知ると刃物を持ち出すだろう。刃物は寝台のそばの引出しの中にある。匕首《あいくち》でも切れないことを知ったら彼女はどうするか。
邯鄲お町という女なら、男の足首を切断してでも離れようとするだろう。
むろん、その前に男を殺害しているにきまっている。――逃れるための足首切断以前に、怒りのために殺害するかも知れない。あの女なら、きっとそれくらいのことはやる。
そこをつかまえるのだ。
その結果――邯鄲お町は斬首《ざんしゆ》刑となる。密|淫売《いんばい》の常習者で、人殺しだ。斬首刑にならないはずがない。斬るのはおれだ!
これこそが寺西冬四郎のほんとうの狙いなのであった。
高橋お伝をなぶり殺しにする手伝いをして、彼は美女を殺す快楽《けらく》に開眼《かいげん》した。あのみだれる黒髪、かっと見ひらかれた双眸《そうぼう》、絶叫する唇と舌、波打つ乳房、ねじれる胴、宙をかきむしり、のたうちまわる四肢、雪の肌を彩る鮮血――それをおさえつけて、首を斬る。あのとき彼はほとんど法悦の極に達した。
元来、廿歳《はたち》前後に「志士」として人を斬るという快味を知った男である。しかも御一新以来はそれを味わう機会を持たない。一方で、女に愛されたおぼえがない。――そういう欲求不満も深層にあったであろう。
さて、昨年、彼は山田浅右衛門のあとをついで、公認首斬り人の権利を得た。
で、あれから男囚は十数人斬ったが、女囚は一人もない。――しかもその役は来年七月をもって終りとなる。だいたいあと一年だ。
一種の焦燥にかられているところへ、はからずも邯鄲お町を殺したがっているという囚人を知るを得た。といって、彼が実際に女を殺すかどうかは疑わしい。
待っていて断頭の座にひかれる女囚がない以上、自分がそれを作るよりほかはない。
かくて右のごとき彼の「謀略」が進行しはじめたのだ。凶暴な男ではあるけれど、元来それほど謀略をめぐらす頭はないはずだが、やはりこれは彼なりの執念のなせるところに相違ない。
しかも、この密計を知る者は天下に一人もない。傀儡《かいらい》となるべき竹沢幸助すら、こちらの神算には気づかないだろう。
それにしても、邯鄲お町。――あれにまさる首斬りの絶好の対象がまたとあるだろうか。
寺西冬四郎の眼は、自分の刑刀の下に血しぶきをあげて切断される美女の首の幻影をはやくもえがいて、全身すでに、恍惚《こうこつ》と酔い痴《し》れていた。
妖花は風に舞って
一
さてまた数日後の夜ふけだ。寺西|冬四郎《とうしろう》はいつかの夜と同じように、築地居留地の半廃屋の元遊女町の路地に立っていた。
ときどき路地から首を出して、例の清国人が薬屋を出している一軒の二階にともった灯を見あげる。
ふだんは一望の草っ原に潮風の吹いている場所だが、きょうは風が死んで、じっとしていても汗がにじみ出るような夜で、それに馬鹿《ばか》に蚊《か》が多い。見たところほかに人影はないが、待機している用件が用件だけに、それをたたく音もはばかられて寺西は往生し、ジリジリした。
が、そのことは想定通りに進んでいる。――先刻のことである。
赤い月がのぼってから彼は、あの女があだっぽい紺のゆかた姿で銀座のほうへ出ていったあと、横の階段から二階に忍びこんで、その部屋の寝台の下に連鎖をおいて来た。
やがて、妖艶《ようえん》無比の女郎|蜘蛛《ぐも》は、でっぷりふとった商人らしい男を相乗り俥《ぐるま》で連れて来て、その部屋に連れこんだ。
そして小一時間もたってから、両人相連れて出て来た。男の足はへとへとになったようによろめき、しかも女の手を握って、ひわいな言葉で、讃嘆《さんたん》とみれんを表現し、またの機会を嘆願しつづけた。
そこへ、闇《やみ》の中からあの男――竹沢幸助が幽霊のように現われたのだ。
「まあ、幸助さん……いつ出て来たのさ?」
さすがにお町も驚いたようだ。石川島にはいっていたことは知っていたのだろう。
「二日前だ。……お前に逢《あ》いたくて逢いたくて……探したぜ。やっとここにいることがわかって、いま来たんだ」
と、幸助は高熱を病んでいるような声でいった。着物こそ娑婆《しやば》のものに着かえてはいるが、そのやせ衰えた顔や身体は、月の光にも見えたろう。
ぎょっとしたように立ちすくんでいたふとっちょの客は、この問答のあいだに、泳ぐように逃げていってしまった。
それに声をかける余裕もなく、
「お前さん、あたしを殺したいほど憎んでるはずじゃないか」
お町の声も心なしか狼狽《ろうばい》して聞こえる。
「憎んでるどころじゃない。あれはこっちが悪かった。いや、あのことはもう忘れよう。実は牢《ろう》を出てから、あるところに蓄《た》めてあったお金を、お前への手土産に持って来た。ほら、ここに百円ある。これをサカナに、今夜たがいに、つもる話をしようじゃあないか。……」
「そうなの。――」
お町ははずんだ息をもらして、
「ま、こんなところで立ち話してるのもどうかと思うよ。それじゃあ、ともかくこっちへおいでよ」
そういって、こんどは彼女のほうから幸助の手をとらんばかりにして、いま来た道をひき返していった。……
この幸助の登場と演技は寺西の命じた通りだが、その結果は寺西の予想以上にうまくいったといえる。それにしても、いまの幸助の哀願はお芝居のはずだが、その声色といい息づかいといい、とてもお芝居とは思えなかった。――
きゃつのせりふ、案外本心かも知れん、と寺西看守は苦笑した。
が、たとえ本心としても、おれを裏切ることなど金輪際《こんりんざい》あるまい、と彼は信じている。どうせ遠からず死ぬことは幸助も承知しているはずだし、だいいちあのヘナヘナ男が、石川島の鬼看守として聞こえたおれの命令にそむくことはありえない。
蚊がまた頬《ほお》にくっついて、彼は音のしないようにたたき、しかしおれも看守でありながら妙なことにとりかかったもんだ、と心中また苦笑した。
何しろ出獄人を売春婦と連鎖でつなぎ、女に男を殺させ、その罪で女を斬首《ざんしゆ》しようというのが目的の計略なのだから。
二
もともと、おれの人生はまともじゃないんだ、と自分でも認めざるを得ない。
それでも若いころは夢があった、と思う。
彼の素性は、もと丹波篠山《たんばささやま》の郷士の倅《せがれ》であった。郷士の倅ではあったが、十代のころから、七つ年上の兄夏次郎とともにカラス天狗《てんぐ》兄弟と呼ばれていた。兄も弟もカラスのように色黒く口のとがった怪異な相貌《そうぼう》の持主だったからだが、またその凶暴な剣技と、それで威をふるう行状のためであった。が、郷士の身分では、しょせんどうしようもない。
時、幕末、すぐ近くの京に風雲渦巻くのを知って、兄弟は京へ出た。冬四郎《とうしろう》は二十二歳であった。そして、土佐の人|斬《き》り以蔵《いぞう》と呼ばれた志士岡田以蔵らと知るに至り、彼らのテロ行為に参加した。
以蔵たちのテロは佐幕派をたおすという目的があり、寺西兄弟の参加はその同志となって出世のいとぐちをつかもうとする目的のためであったが、やがて二人は、結局土佐人から疎外されているということを知り、二人だけで別行動をとるようになった。
何より彼らは、殺人そのものが面白くなり、それに伴《ともな》って女を犯し、金品を奪う快味に酔い痴《し》れるようになったのである。
やがて回天の日が来たが、彼寺西冬四郎は――その間、兄を犠牲にしたにもかかわらず――志士としての報酬を受けることができなかった。右の凶行のせいばかりではないと彼は考える。なぜなら、彼らと五十歩百歩の行為をした土佐人たちを彼は知っているが、その土佐人たちは新政府の高官として、いまも大路に馬車を駆《か》っているからだ。
一方、自分はなんと、獄《ひとや》の看守。
そして、もはや得意の剣をふるう機会もない。――
しかも、それを恨み歎《なげ》く時勢はもう過ぎた。今や彼は、その剣を美女の首にふるうという妖《あや》しき願望だけに生きている。
「それにしても、ながいな」
と、寺西はまた目的の部屋の灯を見あげて舌打ちした。
鎖でつなぐには、女の熟睡を待たなければならないだろうということはわかっているが――もう夜も十時をまわったのではあるまいか。
「まだか?」
と、またつぶやいたとき、その方角から声が流れて来た。たしかに女の悲鳴であった。
寺西看守は駆け出し、めざす家の横についた階段をかけのぼった。
「あっ、何するのさ、きゃーっ」
たまぎるような女の声を耳にしつつ、彼は扉をあけた。
部屋には支那風のランプが赤い笠《かさ》を反射して、なまめかしい光を投げている。が、寝台の上にいる男女の姿はなまめかしいどころではなかった。
上半身、雪白の裸身を起した邯鄲《かんたん》お町《まち》は、大きく眼を見ひらいたきり、この夏の夜に凍りついたようだし、それとならんで横たわった幸助に至っては、口から胸にかけて鮮血に染まり、その口や胸がかすかに動いているから生きているとわかるばかりで、掛蒲団《かけぶとん》からはみ出した片足がダラリと寝台から床に垂れて、その足くびにはたしかに鎖の環がはまっている。
――予期の通りだ!
この両人の惨劇図を、絵図にかいたように思い描いていたわけではないから、とにかく予期の通りの事態になったと判断して、
「動くな! 密|淫売《いんばい》の現行犯で逮捕する!」
と、彼はわめき、寝台のそばに仁王立ちになって、上半身をかがめてのぞきこんだ。
自分の足首にガチャリと何かがはまったのを感覚したのはその刹那《せつな》だ。
そのあたりに、猫の影さえ見かけなかっただけに、さしもの寺西看守も驚愕《きようがく》した。
「わっ」
と、飛びのこうとして、あおむけにずでんどうと倒れた。彼の足首の一つには鉄環がはまり、それは鎖で幸助の足首の環とつながっていた。
そのことさえまだわからず、狂乱したようにはね起きようとする寺西に、寝台の下から這《は》い出して来た動物が、そのまま彼の身体の上にのしかかった。
「石川島看守寺西|冬四郎《とうしろう》を、売春|教唆《きようさ》犯として逮捕する!」
馬乗りになったのが人間で、しかも見おぼえのある顔と知って、
「あっ、うぬは!」
と、寺西が絶叫したとき、
「この悪党め! と、とんでもねえことをかんげえるやつだ。天にも地にも許せねえ!」
と、その男は満面を朱に染め、鉄拳《てつけん》をふるって寺西の両|頬《ほお》を乱打しはじめた。
ほんとうに怒っている顔だ。――原|胤昭《たねあき》であった。
さすが剣の名手も佩剣《はいけん》に手をかける余裕もなかったのは、あおむけに倒れた姿勢のせいばかりではなく、これ以上はない心の震駭《しんがい》のゆえであったろう。鼻血が散り、飛び出した歯が一、二本折れ、頬は紫色にふくれあがったが、寺西冬四郎はなすすべもなかった。
「旦那《だんな》、もうかんにんしておやりよ」
お町が声をかけた。笑い顔で寝台から下り立ちながら、
「ここで殺しちまっちゃ、警視庁への道行《みちゆき》ができなくなるじゃない?」
「ああ、そうか」
やっと胤昭は膺懲《ようちよう》の拳骨《げんこつ》をとめて立ちあがったが、そのとき相手の腰のあたりをまさぐって佩剣をはずし、とりあげてしまった。
「な、何するか」
寺西看守は反射的に起きなおったが、それ以上は立てず、両足を投げ出したまま、ぐったりとそばの壁にもたれかかった。殴られたせいばかりでなく、天地|晦冥《かいめい》の表情だ。いったいどうしてこんなことになったのか。
三
そもそも、どうしてここに第三者の原|胤昭《たねあき》が出現したのか。
寺西の想定では、自分の強要のみならず竹沢幸助自身の怨恨《えんこん》からも、彼と邯鄲《かんたん》お町《まち》を鎖でつなぐという奇怪なたくらみは、まちがいなく遂行されるはずであった。
――ただし、その間に第三者が介入しないかぎりは、だ。
二日前、石川島から釈放された幸助は、さんず茶屋で原胤昭と逢《あ》った。というより、これから自分のやる行為を打ち案じ、何かにすがるような眼をさまよわせている幸助を、いままで同類の出獄人にそうしているように、胤昭が近づいてその肩をたたいたのである。出獄人の心配ごとを訊《き》き出す呼吸は、もはや胤昭のお手のもの、となっている。こうして胤昭は、すべてのことを知ったのだ。
すべてのこと? いくらなんでも胤昭は、看守寺西|冬四郎《とうしろう》が、妖艶《ようえん》の売春婦邯鄲お町を斬首《ざんしゆ》したいためにこんなことをたくらんだとは思い及ばなかった。ただお町を売春婦としてつかまえるためだろう、と考えた。
それにしても、それだけの目的にくらべて、それまでの手まわしが大げさすぎるように思われるけれど、常人の頭では寺西の「大望」など想像のほかで、おそらく――お町を鑑賞するためにまた石川島へ連れてゆきたくって、そんなことを思いついたのだろう、と考えた。
何にしても看守として奇怪な越権行為だ。それは充分とがめるに値する。
さらに――そのとき胤昭は、われ知らず、「なに、寺西冬四郎?」と、叫んでいた。
それは胤昭にとって、決して忘れることのできないまがまがしい名だ。あの恩師|有明捨兵衛《ありあけすてべえ》先生を手にかけたのは――おそらく警視庁の船戸巡査のピストルの援助を得たと思われるが――あの凄《すさま》じい切れ味で斬《き》ったのは、まさにその寺西冬四郎に相違ないからであった。
聴き終えて、思案して、胤昭は、
「その仕掛け、やっぱりやってくれ」
と、幸助にいった。
「しかし、目的はちがう。お町を罠《わな》にかけるのじゃなく、寺西看守を罠にかけてやるのだ」
そして、そのことのほうが幸助にとって、ほんとうの死花《しにばな》になるだろう、と、こんこんと説いた。
いっときは寺西の教唆《きようさ》にその気になった竹沢幸助も、根は善良な男で、その後大いに煩悶《はんもん》していただけに、ついに胤昭の説得にうなずくに至ったのである。
胤昭はその足で、幸助に聞いた通り、築地居留地の怪しげな巣に棲《す》む邯鄲お町を訪ねた。お町は以前から石川島で知っていたのみならず、いつか横浜でおかしな邂逅《かいこう》をしたおぼえのある女であった。
「まあ、原の旦那《だんな》!」
胤昭を迎えて、お町は眼をまるくして、
「あの節は、とんだお世話に」
と、例のホテルでの一件をいい出そうとするのを胤昭はおさえて、竹沢幸助の話をした。
「えっ、あのカラス天狗《てんぐ》があたしを罠にかけようとしているって? へ、あの看守なんか、あたしゃもう忘れてるのに、いまごろになってなんとまあ、すっとんきょうな……」
めんくらった顔をしていたお町は、話を聞いて怒り出し、
「よござんす。やってやりましょうよ。いえ、狙われてるのはあたしなんだから、こっちがお力添えをお願いしたいくらい」
と、叫び出した。
かくて彼らは、まんまと寺西看守を逆の罠にかけることに成功したのだ。
きょうお町がわざと銀座へ客をつかまえに出ていった留守、寺西が忍びこんで寝台の下に連鎖をおいたとき、胤昭は二つある部屋のとなりの部屋にいた。やがて幸助がやって来て、お町と再会の問答をかわしたのも、そのあとのお町の悲鳴も、寺西が耳をそばだてているのを承知の上のお芝居であった。
それにしても、このきわどい芸当の間にも、お町が別にちゃんと客をとって、相手をたんのうさせる商売をやってのけたのには、胤昭も舌を巻いたが。――
ともあれ、罠は罠だが、これは正義の罠だ。少なくとも寺西自身が仕掛けた罠にみずから落ちたようなものだ、と胤昭は考えている。
四
そして、いま。
われに返った寺西は、ガサガサと自分の腰をまさぐって、佩剣《はいけん》はもとより、そこに吊《つ》ってあった連鎖の鍵《かぎ》も消滅していることに気がついた。
「鍵はここにある」
と、胤昭は鍵を指先でゆすって、うすく笑った。
「さっき、サーベルのついでにこれも召しあげたんだ」
「き、きさま……」
ほとんど死相になって、寺西はわめいた。
「いやしくも石川島監獄の看守に対して、何たるまねをするか!」
「いやしくも石川島監獄の看守が何たるまねをするか」
と、胤昭は叱咤《しつた》した。
「と、いいてえのはこっちだ!」
「石川島の女囚からこの女の売春行為を聞いて、その現場を押えようとしたのがなぜ悪い」
「それをかりに認めるとしても、わざわざ連鎖まで仕掛けて出獄人とつなぎ、警視庁まで道行《みちゆき》させようってえのは何のこんたんだ。あんまり趣味がよくねえぜ寺西さん」
さっき胤昭は寺西を「売春教唆犯」と呼んだのは実はおかしい。何と呼んだらいいのかわからないが、しかしとにかく天人ともに許さざる犯罪の教唆にはちがいない。
「とにかく警視庁へゆこう。この連鎖をはずせ! 鍵を返せ!」
「警視庁へはゆくさ。が、連鎖ははずさねえ」
「なにっ」
寺西はまた血相となった。
胤昭はいう。
「あすの朝になったら、この出獄人とつながったまま、警視庁へ道行してもらおう。これをはずすと、お前さん、何をしらばくれるかわかりゃしねえからね。出獄人とつながったまま、なぜそういうことになったか、警視総監に聴いてもらおうじゃあねえか」
寺西看守は肩で息をして、
「竹沢……裏切ったな?」
と、うめいた。
「なに、このほうがほんとの死花《しにばな》と考えただけで……カラス天狗《てんぐ》の旦那《だんな》、ごいっしょに道行しましょう。……ケケケケケ」
と、竹沢幸助は妙な笑い声をたてたが、そのとたん、口からがぼっと血をあふれさせてその血にむせ、全身をのた打たせた。
その足首の環が鳴って、鎖が寺西の足首の環をひっぱった。恐怖のあまり寺西が立とうとする。すると、それにひかれて幸助の身体も寝台からころがり落ちて血が床に飛び散った。それ以前から幸助の口と胸を染めていたのはお町が刺したのではなく、幸助自身の喀血《かつけつ》だったことに、寺西ははじめて気がついた。
「あっ、幸助さん!」
お町がかけより、胤昭がその身体を抱きあげた。
血まみれの幸助は、うすく眼をひらいて二人の顔を見たが、にやっと笑って、がくりと首をのけぞらした。
「死んだ」
数分後、胤昭は抱いた屍体《したい》を寝台に横たえた。そして寺西をかえりみて、
「寺西さん、やはり明日、この仏とつながったままで警視庁へいってもらおう、相乗り俥《ぐるま》でね」
と、いった。
お町は眼を見ひらいて、まじまじと胤昭を眺め、
「旦那、案外おっかないひとだね。……」
と、感心したようにいった。胤昭は粛然《しゆくぜん》たる表情で、
「こいつは、おれの先生を斬《き》った男だ」
と、つぶやいた。
胤昭はこのとき、六年前、有明先生の屍骸《しがい》を前に、この男が、正当防衛だの仇討《あだう》ち禁止令だの、ぬけぬけと口にしたあの惨劇の日のことをまざまざと頭によみがえらせている。
「もう助けてくれ!」
さすがの寺西看守も、恐怖にうわずった声で叫び出していた。
「あやまる、あやまる。寺西|冬四郎《とうしろう》、こうしてあやまる!」
寺西は、床の上に、ひたいが音をたてるほど、米つきばったのようにお辞儀しはじめた。
その醜態をじっと見下ろしていた胤昭は、ややあって、
「それじゃあ、今夜のことはこれでかんべんしてやろう」
と、いった。
実はもともと、この看守を警視庁へ連れてゆく気なんかなかったのである。そんなことをしたら、結局お町もぶじにはすまなくなる。
ただこの所業は徹底的にこらしめてやる義務があると考えたのみならず、こちらも血の気の多い人間として、いささかあの日の痛恨をいやしたいという望みはたしかにあった。――かたき討ちを否定するお夕も、これくらいのうっぷんばらしは許してくれるだろう。
彼は、鍵《かぎ》を寺西看守の足もとに投げ出した。ふるえる手で鉄環をはずした相手に、
「仏の環もはずしてくれ」
と、命じた。
寺西はその通りにした。
ついで胤昭は、さっき奪ったサーベルをとりなおし、抜剣した。
ぎょっとして見守る寺西の眼前で、胤昭はその抜身を床に横たえ、背からぬき出した例の十手をふりかざして、はっしと打ち下ろした。耳をつん裂く金属音をたてて、サーベルは二つに折れた。
これが有明先生を斬《き》った刀か。――おそらく、そうだろう。が、それを寺西へただすと、こちらの感情がまた激発しそうで、故意に胤昭は寺西に訊《き》かなかった。
二つになったサーベルを、これまた寺西の前に投げて、
「帰れ」
と、胤昭はいった。
寺西看守は上目づかいにこちらを見た。狂犬の眼であった。同時に、負け犬の眼であった。彼は折られたサーベルと連鎖をひとまとめにすると、それをかかえて、ほうほうのていで部屋を出て、酔っぱらいみたいな足音をたてて階段を下りていった。
胤昭は、寝台の上の屍骸《しがい》に眼をやった。手を合わせて拝《おが》んだのち、邯鄲お町を見た。さすがのお町も、放心状態で立ちつくしている。
「今夜はどうしようもない。明日《あした》にもおれがまた来て、どこかのお寺へ運んでやろう」
と、やおら胤昭はいった。
「が、いくらお前だって、ひと晩仏とここで寝る度胸はあるめえ。どうだ、今夜はともかくおれんところへ来ねえかえ?」
「……旦那《だんな》」
お町は声をひそめた。
「なんだ」
「旦那も……」
そういったきり、お町はふしぎな眼つきをした。――胤昭が、ぶるぶるっとしたくらい色っぽい流し目であった。
「馬鹿《ばか》、おれんちといったって、おれはひとりじゃあねえ」
狼狽《ろうばい》しつつ、彼はいった。
「銀座三丁目の十字屋ってえ絵草紙屋だがね」
「ああ、それなら知ってるわ。いちど絵草紙買いにはいろうと思ったけれど、何だか屋根に大きな十字架が立ってるもんだから、なんか変な感じがしてとうとうはいりそびれたけれど……へえ、旦那、あの絵草紙屋の御亭主なんですか」
「亭主じゃない、ま、番頭だ」
「番頭ってえと……」
「いや、死人《しびと》を前にこんな問答してるのも妙だ、とにかく今夜、大事なものだけ持って来な。それにあの寺西だって、またここへ顔を出さねえともかぎらねえ。当分はここにいるのアけんのんだよ」
お町はしばらく考えて、
「そうねえ。旦那にゃこれで二度助けられた御恩もあるし……それじゃあいってあげようかしら」
と、論理の飛躍した、妙な恩着せがましい承諾をした。
五
こうして売春婦邯鄲お町は、十字屋に来た。――
お町が有明《ありあけ》姉妹を見て眼をまるくしたことはいうまでもないが、姉妹はまったくなみの人を迎えるようにわだかまりのない笑顔で相対した。
実はこんどの事件に介入するにあたり、胤昭がお夕に相談したとき、当然邯鄲お町の話をしたら、そのひとをうちへ連れて来たらどうかしら、いえ、是非連れてくるようにして下さい、と提案したのはお夕なのである。
で、お町は、絵草紙屋のほうの二階に寝泊りするようになったのだが――去年いたあのお霜という幼女は、母親のお秋にひきとられてもういなかった――最初の二、三日は、やはり居心地悪そうにしていた。おそらく生まれてはじめて、そんな静穏な生活を経験したのだろうからむりもない。
そもそもが江戸の「地獄宿」と呼ばれる密|淫売《いんばい》屋に生まれて育った女だという。そして、そのおぞましい世界をこの世の当然の習俗のように思って、小娘になるやならずのころから春をひさいで生きて来たが、ただ、売春で金を得るのみならず、相手次第で枕探《まくらさが》しをやって逃げる。
それくらいならまだいいけれど――前にも述べたように、まかりまちがうと客をカミソリで切る、石油ランプの火をあびせるという凶暴な所業をあえて辞さぬ女だという話も、胤昭《たねあき》は石川島時代に聞いていた。
が、そう聞いただけで、お町が牢《ろう》に送られて来たのは、ふしぎに軽い売春罪か窃盗罪だけで、それについても獄丁たちのいろいろな当推量を耳にしたこともある。それが奇妙に悪い語感ではないのだ。
そのわけは、何といっても獄丁たちをトロトロにしてしまう彼女の凄艶《せいえん》さにあった。――胤昭すら、何となく危険性をおぼえて、お町の在獄しているとき、なるべくおんな牢に近づかないようにしていたが、それでもどういうわけかお町のほうはこちらをよくおぼえていたようだ。
だから、いつか横浜のホテルで、本人が犯跡をくらますために盗品をおしつける――あれをスリや泥棒の世界では陰語で「ワク」というが――まんまと共犯者に仕立てられたが、まったくいい面《つら》の皮というべきだ。
実は胤昭はお夕に、お町の犯状についてそれほど詳しく話したわけではない。話すにしのびないあばずれだし、いえばいっそうその人を連れて来てくれとお夕がいい出すのにきまっているからだ。それでも、
「あれはおっかない女だよ」
とはいった。むろん、そんな注意は無益であった。
ずっとあとになって思い出すと、とにかくお夕のいう通りお町を十字屋に連れて来ることにしたのは、やはりお町の妖艶《ようえん》さに自分もイカれていたせいにちがいない。――それほど邯鄲《かんたん》お町《まち》は男にとって魅惑的であったのだ。
そのお町は、はじめ少し居心地悪そうなようすであったが、それでも素直にお夕に従っていた。仕入れた錦絵《にしきえ》や絵草紙を仕分けし、店にならべるのを手伝ったり、聖書店のほうの洋楽器の鳴らし方を教わったり――なんと、日曜毎に有明姉妹がゆく築地の教会にまで、いちどは自分からくっついていったことさえあったのである。
が、十日ばかりして――ちょうど楽器店のほうに胤昭一人がいたとき、ふっとそばにやってきて、声をひそめて尋ねた。
「旦那《だんな》……ちょっとうかがいますけれどねえ」
「うん」
「旦那とあのお嬢さん……上のお嬢さんとは御夫婦じゃないんですか?」
「ちがう。見ればわかるだろうが」
「色おんなでもないんですね?」
「馬鹿《ばか》をいえ。そんなけがらわしい言葉を使うと、お夕さんが怒るぞ」
「おほほう。色おんなというとけがらわしいんですか」
お町は笑った。
「けれどね、あのお嬢さんは旦那に惚《ほ》れてますよ。――そして、旦那のほうもねえ」
「な、何をいうか」
「あたしにゃちゃあんとわかるんだ。おほほう。……あの妹のお嬢さんのほうも旦那に気があるね。両手に花ってえところで、旦那、あごをなでてけっこうな御身分ですねえ。おほほう」
胤昭は勃然《ぼつぜん》と顔を赤くして、
「と、とんでもねえことをいうやつだ。げ、げすのかんぐりにもほどがある」
「こないだおひろお嬢さんに訊いたら、旦那は二十八、お夕《ゆう》お嬢さんは二十三……旦那が横浜でいっしょに暮しはじめてから、もう六、七年になるんだってねえ。そのあいだ、若い男と女が……しかも惚れ合ってて、いったい何してたのさ?」
「お町」
やっと胤昭は姿勢を立て直し、厳然として、
「われわれとお前なんかとは、生きている目的がちがうんだ。お前もわかったと思うが、われわれはここで絵草紙屋をやってるだけじゃない。出獄人の面倒を見て、そいつらがまともに暮してゆけるようにしてやりたいという望みで生きてるんだ。特にお夕さんはそのために一生を捧《ささ》げようとしている。それに感心しておれもけんめいに手伝ってるんだ」
「だれに頼まれてそんなすッとんきょうなことをはじめたのさ?」
しばらく黙って、胤昭はやや照れたように、「イエス・キリストさまにさ」と、小声でいった。
「ヤソの神さま?」
「まあ、そうだ。……とにかく男と女といやあ、色恋という言葉しか出て来ねえ人間とは、少しちがった男と女もこの世にゃいるんだ」
こんどはお町がしばらく黙っていたが、
「それで旦那は倖《しあわ》せ?」
と、訊いた。
「倖せだ」
と、胤昭はうなずいた。
この問答で一応納得してくれたと思っていたら、それ以来、お町の胤昭に対する目つきや身ぶりがみるみる色っぽくなり、濃艶《のうえん》になった。
お夕が見ているというのに、平気で胤昭にしなだれかかり、顔すれすれに顔をすりよせて、鼻にかかった声で何かいう。うろたえて身を離し、眼で叱《しか》っても全然|風馬牛《ふうばぎゆう》だ。
さすがにお夕の眼にも動揺とかなしみが現われた。
あきらかにお町は胤昭にいどみ、返す刀でお夕にいどんでいた。胤昭は彼女をここへ連れて来たことを悔いた。
そして、軒に蝙蝠《こうもり》の舞う晩夏のある夕《ゆうべ》。
胤昭が錦絵《にしきえ》を細引に吊《つ》っていると、お町が勝手に手伝いに来た。これも錦絵を吊りながら、「こっち?」「こう?」などと訊きながら、だんだんそばへ寄って来て、彼の肩さきで顔をあおのけにして、
「旦那、口吸ってよ」
と、唇を半びらきにして、舌をひらひらさせた。
どんな男も魔酔にひきずりこむなまめかしい妖花がそこにゆれていた。一瞬くらっと昏迷《こんめい》におちいりかけて胤昭は、屏風《びようぶ》のような錦絵のむこうの帳場にお夕が坐《すわ》っているのをからくも思い出した。
「何いうか。……お前、もう居留地に帰れ」
彼は悲鳴のように叫んだ。――いや、叫ぶわけにはゆかないから、低い、かすれた声を出した。
「帰るわ。でも、旦那もいっしょにゆこう」
「お夕さんがいるのに、妙なことをいうな」
「いたっていいよ。ありゃ女房でも色おんなでもないといったじゃないか。それなら何でもありゃしない」
お町はあたりはばからぬ声を出して笑った。
「たとえ、どんなべっぴんさんだって……あんな屋根の十字架ばかり見てるような女より、あたしのほうがずっと美味《うま》いよ。旦那、いちどあたしを味わってごらんよ、ヤソの天国なんてメじゃないから」
妖花がゆらゆらとのびて来て、美酒のような息が鼻孔にからまるのを感じると、
「売女《ばいた》! ゆけ!」
わけがわからなくなって、胤昭はお町をつき飛ばした。
細引の一本が切れて、それに吊ってあった錦絵が店に散乱し、その上にお町はあられもない姿で、撩乱《りようらん》とあおむけに倒れた。
「畜生|牝《めす》! 人間の男を見そこなうな!」
ゆっくりと起き上り、お町はせせら笑った。
「なんだい、双方とも、ムリしてつっぱっていやがって……それでも人間の男と女かってんだ。それでも倖《しあわ》せだなんて、オチョボ口のアホダラ経を唱えやがって……そんなアホダラ経をひきちぎってやるのが、地獄の畜生牝の倖せなんだ。いまに見てろよ、このヤソの嘘《うそ》っぱち野郎!」
凄《すさま》じい悪態をつくと、邯鄲お町は、もう暗い銀座の風の中へ、妖蝙蝠みたいにひらひらと消えていった。……
お夕が蒼白《そうはく》に変った顔をしずかにふった。
「胤昭さん、あなたはまたまちがえましたわ。……」
怪物とその用心棒
一
――いや、暑い夏でござんしたねえ。それでも少し空が高くなって、銀座の風にもどうやら秋がただよい出したようで、私もほっとしました。私というより、実は家内のためにね。
牢《ろう》から出た連中の面倒を見るのは、私より家内じゃないか、と、このごろつくづく思うんですが、とにかく指おり数えれば四十何年かこういうことをやっていて、家内はだいぶ私より若いものですから、ついついまかせっきりになったんですが、考えてみりゃあれも年です。この暑さにゃ参るのもあたりまえかも知れません。
いや、どうもこのごろどこか大儀そうなので、私も気にはしてるんですがね。それでも買物は私じゃないとわからないといって、きょうもさっき市場へ出てゆきました。
いま「原の家」にゃ、三十何人かの出獄人がいる。とにかく飯を食わせるだけでも大変で――いや、私じゃなく女房が。
この仕事は私がやってて、家内に手伝ってもらってるつもりでしたが、よくよく考えると今申したように、ほんとうにやってるのは女房のほうかも知れない。だから、休ませたいにも休めねえってえわけで。――
それじゃこっちも、元気出して、日曜日の想い出話をつづけましょう。
実はもうお気づきでしょうが、ここんところ私のしゃべってるのは悪党列伝なんでさあ。
私がつき合った何千人かの出獄人のうち、いちばん忘れられない連中が――それは、あとで私の運命を変えるのにかかわったせいもありますが、いちどは矯正不能だとあきらめたやつらだったということも、いまとなっては印象が深い。それは五人ですが、その中の一人の女を除き、みんなあの有明先生の棺桶《かんおけ》をかついだ連中だということに、あとでしみじみ、偶然以上の因縁を感じたものです。
こんどはその中の一人、サルマタの直熊《なおくま》ってえ男の話ですが。――
明治十四年の、やはり秋風のたちはじめたころでした。私は浅草の井生村楼《いぶむらろう》に、「北海道官有物払い下げ事件・弾劾《だんがい》演説大会」を聴きにゆきました。たまたまうちに来た岸田|吟香《ぎんこう》さんと絵師の小林|清親《きよちか》さんに誘われたんです。
「北海道官有物払い下げ事件」ってえのは、御存知の方もあるかと思いますが、明治五年以来十年計画で進められて来た北海道開拓事業が、この明治十四年で一応期限に達した。そのあとどうするかってえことになって、その指揮をとって来た開拓長官の黒田清隆は継続を主張したが、西南戦争直後の財政難もあって、政府としてはやはりここで打ち切ることになった。
が、開拓事業そのものは、むろん民間の力でつづけなければならない。
このときにあたって黒田清隆は、それまで政府が管轄《かんかつ》していた北海道の官舎、工場、牧場、農場、炭鉱、船舶など厖大《ぼうだい》な資産を、ぜんぶ五代《ごだい》友厚という豪商に、たった三十八万円、それも無利子三十ヶ年の年賦というタダ同然の条件で払い下げようとした。
いうまでもなく黒田と五代は同じ薩摩人でござんす。
のちに思えば、黒田清隆にすれば、自分の手がけた事業がバラバラになるのが残念で、しかも当分はたいして利益のあがる見込みがない息の長い事業なので、才腕もあり気心も知れた五代友厚にまかせようとしただけで、必ずしも私欲がからんでのことではないと思われますが、そうはいってもやはりこれは余りに傍若無人のやりかたであり、薩閥の横暴と見られてもいたしかたがない。
これがいわゆる「北海道官有物払い下げ事件」です。
果然、これに対する非難は、新聞や演説会など、その夏ごろから全国的にごうごうと巻き起った。
岸田吟香さんはもと新聞の主筆をやっていたこともあって、こういうことには熱血的な論客です。温厚な小林清親さんも、薩長閥というと別人のように眼をむいて昂奮《こうふん》性を発揮する。
その日の午後、あいにく小雨だったにもかかわらず、私が井生村楼の演説会にいったのは、御両人に誘われたからですが、私自身も御両人に劣らない憤慨をいだいてのことでした。
井生村楼というのは、浅草須賀町にある大料亭で、百畳敷の大広間が二つもつながってるので、よく演説会場などに使われました。
この演説会は、自由党系のものでござんした。
自由党が党として正式に結成されたのは、たしかこのすぐあと――十月のことだったと記憶していますが、むろんそれ以前から、自由民権を唱える自由党の壮士たちは各地にむらがり起って横行しております。
もっとも反政府的で過激な壮士の演説会だけに、薩長政府、特にこの日は薩閥を痛撃する言辞は激烈をきわめ、臨検の巡査も気押《けお》されて――この官有物払い下げについては薩閥に弱味があったせいでしょうが――声も出ないありさまでした。
演説会が終って、やがて痛快さに酔っぱらって井生村楼を出る。
群衆にまじって大通りを歩いているうち、ふと私は足をとめた。
二
みな傘をさして歩いてる中に、傘もささず、立ち話をしている二人の巡査に見おぼえがある。一人は石川島の鳥居|鶏斉《けいさい》という看守で、もう一人はたしか警視庁の檜玄之助《ひのきげんのすけ》という巡査でした。
二人は、どちらも同じ、袖《そで》に黄色い筋のはいった外套《がいとう》をつけていますが、檜巡査は佩剣《はいけん》のほかに仕込杖《しこみづえ》を持ち、鳥居看守は例によって棒を持っております。それに鳥居のほうは、竹のようにヒョロ長い。
しかし、警視庁の巡査と石川島の看守が、こんなところで何をしているのか?
二人が話しながら、ちらっちらっと眼を投げている方向を私も見やりました。
往来の向うには、六、七台の、幌《ほろ》をつけた人力|俥《しや》がとまっていました。まんじゅう笠《がさ》をかぶった俥夫たちは、みなおたがいに話をしていますが、まんなかあたりに、一人、蹴込《けこ》みに腰を下ろして、煙管《きせる》から煙をくゆらせているやつがいます。笠を伏せているので、顔はわからない。
どうやら、二人は、その俥夫を見張っているらしい。
「どうしたのかね?」
と、少し先へいった赤いトルコ帽の吟香先生がふり返りました。
「いや、ちょっとむかしの知り合いを見かけましたのでね」
私はすぐに追いついた。
そして、やがて檜巡査と鳥居看守のうしろを歩き過ぎたが、二人はこちらには気がつかない。そのとき私はこんな問答を耳に入れたのでござんす。
「あの凶悪犯をお抱え俥夫《しやふ》兼用心棒に傭《やと》うとは、しかしいい度胸だ」
「まちがいなくサルマタの直熊《なおくま》だ」
「これでその傭い主をしめあげる手がかりが出来たな」
そこをゆき過ぎて、もういちど向うへ眼をやると、ちょうど例の俥夫が笠をあげて、ひげだらけの顔が見えた。
まさにそれは、石川島で知ったサルマタの直熊という囚人でござんした。むろん今は牢《ろう》から出てるんでしょうが。
その俥夫が顔をあげたのは、往来をつっきって近づいた人物を迎えてのことでござんした。ずんぐりむっくりした洋服姿にインバネスをつけ、山高帽にステッキという紳士風の男で、書生らしい青年を一人連れている。
二、三語かわしたのち、紳士が乗りこんだ俥《くるま》をひいて、サルマタは走り出しました。朴歯《ほおば》下駄の書生もならんで走る。
すると、二人の巡査がそれを追うのにかかりました。
「ごめん」
私は吟香さんと清親さんに声をかけた。
「ちょっと私、用件が出来たんで――お先にどうぞ」
そして私もまた、彼らのあとを追っかけた。何となく気にかかったからでござんす。
いままでのお話でお気づきでしょうが、私もそのころ若く、かつ相当酔狂なところがあったんですが、追う者が、私がかたきと考えてる巡査と看守で、追われてるのが、元石川島の囚人とありゃア、ゆきずりの人と見のがしちゃあいられねえ。
こっちは蛇《じや》の目《め》を半すぼめにして走る。
俥は神田方面に向います。
もう夕暮近い浅草橋にさしかかったとき、雨がやや強くなって、人通りがちょっと絶えました。
先まわりしていた二人の巡査が、橋の上で大手をひろげてその俥をとめた。
かじ棒をにぎっていた俥夫は、タタラを踏んで立ちどまりました。
「なんだ?」
と、書生が叫んだ。
「サルマタの直熊だな?」
と、馬みたいに長い顔をした鳥居看守が、俥夫に呼びかけました。
「警視庁へ来てもらおうか」
直熊はぎょっとしたように、
「なんの罪でだ?」
檜巡査が答えた。
「強盗|強姦《ごうかん》罪だ」
「そ、それアいつの話だ? そんな罪は石川島の懲役ですんだはずだ。おととし島を出てから、おら、何もしてねえぞ」
「それを取調べるために警視庁へ来いというんじゃ」
「拘引状を持ってるか?」
と、俥上から声がかけられました。
こちらの二人は、ちょっとまごついたようです。
「ないのか」
冷然と、幌《ほろ》の中の声は、
「拘引状がなけりゃ、ゆく必要はない。サルマタ、俥をやれ」
「ま、待て」
檜巡査は、夕闇《ゆうやみ》に銀のようにひかる眼をあげて、
「強盗強姦の容疑者をお抱え俥夫にするとは、そっちも不審なやつだ。お前も警視庁へ来い」
と、叫んだ。
「どけ!」
書生がそれをつきのけようとしました。
と、鳥居鶏斉の棒が空中をまわったと見ると、その足にたたきつけられて、書生は横倒しに倒れました。
「ムチャな野郎だ。……旦那《だんな》、ちょっと待って下せえ」
と、サルマタの直熊は俥のかじ棒を下ろすと、一本の棒をとり出した。――それは、かじ棒にならべて装着してあったのでござんす。
「こいつらに口でいってもわからねえ。こういうときのための用心棒だ。腕ずくで追っぱらうよりほかはねえ」
と、その棒に両手でつかんでかまえました。
「ふふん……やる気か」
鳥居鶏斉もふたたび棒をとり直しました。
「それではこっちも、腕ずくで連行する。――それにしてもサルマタ、石川島を忘れたか?」
馬づらが、大きな歯をむき出した。
少し離れたところで見ていた私の頭に、かつて石川島で、サルマタの直熊がこの鳥居鶏斉の杖術《じようじゆつ》で私刑を受け、悶絶《もんぜつ》させられた光景がかすめました。ムチャな野郎は直熊のほうです。
が、それにしても、巡査と看守のほうがやっぱりムチャだ。石川島なら知らず、ここは東京の町なか、天下の大道だ。そこでこいつらの威張りかげんを見ると、私は血が騒ぎ胸がムカつくのを抑えることができなかった。こいつら――こいつらは、すなわち有明先生のかたきでもあります。
実は、いま聴いてきた政府大官|弾劾《だんがい》の演説大会の熱気が身体に残っていたせいかも知れません。
「おい、その喧嘩《けんか》、買った」
と、私は出てゆきました。
「こいつら、かたちは巡査だが、やることはごろつきの乱暴だ。おれが代って相手になってやる」
みんな、けげんな顔でこっちを見た。――中でも、
「なんじゃ、きさまは?」
同じ声をあげてふり返った二人の巡査のうち、「あっ、うぬは十字屋の……」と、わめいたのは檜で、
「やあ、原じゃないか!」と、叫んだのは鳥居です。
「おう、十字屋の原|胤昭《たねあき》だ。手軽く警視庁へ来いとか何とかぬかしやがって、おめえたちの相棒や仲間が何をしてるか、よく知ってるかってんだ」
いま相手をごろつきと罵《ののし》ったが、こっちもけっこうごろつきです。今まで痛棒をくらわしてやった牛久保とか寺西とかをふくめて、こいつらを相手にすると、どうしてもこっちもごろつきにならざるを得ない。
「きっ、きっ、きさま――やるかっ」
鳥居看守が、ぱっと棒をかまえると、檜巡査も抜刀した。佩剣《はいけん》のほうじゃなく、手にしていた仕込杖《しこみづえ》です。
蛇《じや》の目《め》に雨の音がひときわ高くなっていたが、私は傘を投げすてた。背中の十手を前にまわすと、紐《ひも》の輪を首からぬきとりました。
「あっ……捕物だ!」
「浅草橋で捕物が始まったぞっ」
そんな声が耳の遠くで聞こえました。
雨がややはげしくなっていたが、もともと人通りの多い浅草橋で、これだけ大声でやり合っていちゃ、だんだん人が集まるのもむりはない。
思えば鳥居看守は、石川島で有明先生にはやっつけられたものの、その十手を――いま私のにぎっている十手の鉤《かぎ》の一つをはね飛ばしたほどの棒の強豪です。檜巡査は、十字屋の厚い看板を一刀のもとに斬《き》り割ったほどの凄《すご》い使い手です。――そのことをあまり考えないほど、私はのぼせていた。
この両人を相手に、こっちは十手一本。
いやまったく、放っておいたら、どうなったかわからない。
三
「待ちたまえ」
と、そのとき声がかかりました。
「ちょっと訊《き》くが、巡査君、この場でその青年を斬る気かね?」
人力|俥《しや》から下り立っている紳士でした。山高帽にインバネス、銀ぶちめがねにステッキという、えらくハイカラな姿ですが、実はずんぐりむっくりして、怖ろしく不恰好《ぶかつこう》な人物です。
「やむを得ん……斬る!」
と、檜巡査はうめいた。
「ははあ、何の罪状で斬るか」
野太い声でした。
「何の罪状? ……か、官吏抗拒罪によってじゃ」
「そうか。しかし、その原因は貴公らが、我輩及び我輩の俥夫を強制連行しようとしたことにあることを認めるかね?」
「待て、いまそんなことに答えておるひまがない。こっちを処置するまで待て」
「いや、どうせこの事件は裁判になる。――」
「えっ、裁判になる?」
さすがに檜巡査は狼狽《ろうばい》したようです。
「我輩が裁判にするのだ。――すると、我輩がその証人に立たんけりゃならんことになる。それならここで、貴公から確認しておかんけりゃならん。……どうじゃね、原因は我輩らの連行にあると認めるかね?」
「それを認めたら、黙っておるか?」
と、鳥居看守がいらいらしたように、
「よし、認めてやる」
「よろしい。しかし、我輩は黙らん」
私はようやく、これがただの仲裁人ではないことに気がつきました。このからみかたは、私どころの騒ぎじゃない。
「さっき、官吏に抗拒したとも思えん我輩の書生を、いきなり棒をもって殴打したのは、いかなる職権にもとづいてのことであるか」
「職権?」
「そもそも貴公らは、刑法第何条によって我輩らを連行しようとしたのであるか」
「刑法?」
鳥居|鶏斉《けいさい》が、けっと鶏みたいな声をたてて、
「……代言人みたいなことをぬかすな」
と、つぶやくと、
「左様、我輩は、司法省附属代言人、星亨《ほしとおる》だ」
と紳士は名乗りました。
あっ……と、私はのどの奥で息をのんでいました。
私も昔の職掌|柄《がら》、いや、いまやってる仕事の上から、三、四年前から始まった代言人という職業は知っていました。いまでいう弁護士ですな。
そして、星亨という名も聞いておりました。司法省附属代言人第一号。――つまり、日本ではじめて弁護士となった人物ですが、私が知っているどころか、その職にあっての星の活躍は、天下に――星亨じゃなくて「押し通る」だ、といわれたように雷名をとどろかせていたのでござんす。
「と、名乗るまでもなかろう」
と、星はうす笑いして、
「そっちははじめから我輩を星亨と知ってつけてきたのじゃないか?」
「ち、ちがう――」
「俥夫《しやふ》にひっかけて、我輩を拘引するつもりだったろう」
「い、いや」
「先刻、強盗|強姦《ごうかん》の容疑者をお抱え俥夫にするとは――云々《うんぬん》といったな。それは我輩がサルマタの直熊《なおくま》を傭《やと》っておることを知らんけりゃ出んせりふじゃないか」
檜巡査と鳥居看守は、ただ眼を白黒させるばかりでした。
雨がふってるのに、群衆は輪を作って、このやりとりを聞いています。「ヒヤヒヤ」と叫んだやつもある。二人の巡査の顔にいよいよ当惑の色が浮かびました。
「察するに貴公ら、正規の拘引状も持たんところを見ると、岡《おか》っ引程度のあたまの思いつきで、ここで星をしめあげて一手柄を立てようとしたか」
星はニヤリとして、
「貴公らには、ちと荷がかちすぎる。……それとも、それほど望むなら警視庁に出向いてやってもいいぞ。こちらから警視総監に会って談じてやろう。どうだ、ゆこうか」
「い、いや、もうけっこうだ」
思わず、檜巡査がいった。鉄仮面のような顔をした巡査だが、口のあたりがひんまがっている。
「そうか、こちらに用はないか」
「ない」
「それでは、ひきとってよろしい。ゆきたまえ」
と、星亨はあごをしゃくりました。二人の巡査は、ほうほうのていといったありさまで、群衆をかきわけて消えました。
それを悠然と見送っている星は、悪相としかいえない容貌《ようぼう》ですが、一方|颯爽《さつそう》たるものがある。
茫然《ぼうぜん》と見とれている私のほうへ、星は近づいて来て、
「いや、君は勇敢な青年だねえ」
と、破顔した。私は思わず一礼しました。
「君は銀座のあの十字屋の人か。うん、いちど十字屋をのぞいて見ようと思ってたんだ。そのうちお訪ねしよう」
そこへ、サルマタの直熊も寄って来て、
「旦那《だんな》、どうもありがとう」
と、まんじゅう笠《がさ》の頭を下げた。
「ずいぶんお久しぶりで。……もっとも十字屋のうわさは聞いてましたがね」
「ほう、貴公ら、知り合いか」
と、星が二人を見くらべると、サルマタは、へへへへ、と、てれくさそうに笑ったが、
「何しろこの雨じゃ、どうしようもねえ、旦那、とにかく俥《くるま》にかえっておくんなさい」
と、ふり返った。
「いや、俥にはあれを乗せてやってくれ」
と、星は眼を路上にやった。そこには、さっき鳥居の棒で倒された書生が、うめき声をもらしながら、両腕を地についていたのです。
「ひでえことをしやがる……旦那は?」
と見あげるサルマタに、
「なに、我輩は歩いてゆく」
と、いって私のほうに目礼した。
星亨ははげしい秋の雨の中を、ステッキをふりふり、先に悠々と歩み去ってゆきます。
鼻毛のさきで巡査二人を吹き飛ばしてしまった。いまんなっちゃあ、私が助《すけ》っ人《と》に飛び出したお節介がポンチ絵みたいなもんだ。
この人物が、のちにある事件、例の「福島事件」ですが、それを介して私とまた一種のつながりが出来ようとは、そのときは想像の外でしたが。……
あとで知って可笑《おか》しかったのは、そのとき星が――いえ、星さんと申しましょう――星さんが私を、「君は勇敢な青年だ」なんていったことで、実はこのとし星さんは三十二、私と三つしかちがわなかったんでさあ。
が、その煮てもやいても食えないつらがまえといい、背こそ短いが、銅か何かで出来てるようなどっしりした身体といい、それより何より人間離れした迫力が、私なんか子供扱いにして充分なものがありました。
だいいち、このころまでの履歴がこちとらとはてんでちがう。のちに調べたところによると、生まれは銀座の左官屋の倅《せがれ》ですが、怖ろしい勉強家で、十八くらいのときに幕府の開成所の英語教授となり、二十半ばで横浜税関長になり、ついで英国へ三年間留学を命じられ、そして帰朝後明治十一年には、日本の弁護士第一号になったのは先刻申した通り。
この栄達の資格を自分の手一つでつかみながら、星さんはこの話の翌年に、当時|不逞叛逆《ふていはんぎやく》の過激党と目されていた自由党に入党するのです。
後年政治家になって、その果てに「公盗の巨魁《きよかい》」なんておどろおどろしい悪名をつけられて非業《ひごう》の死をとげる星さんですが、公盗どころか、死んだあとには書物のほか借金だらけであったという。そういう悪意にみちたレッテルは、終始星さんが反薩長的存在であったために、政府の御用新聞から貼《は》りつけられたせいでござんしょう。
もっともこの人物は、反権力のくせに、当人は怖ろしく剛腹|傲岸《ごうがん》なところがあって、その人を人とも思わないつら憎さが凶運を招いたともいえますが。――
まあ、後年の運命は知らず、とにかくその日の星さんは、そのころから自由党入党の志があって、そこで自由党の政府弾劾演説なんてものを聴きにいったものでしょう。
そしてまた、そういうおそれのある大物の動静に眼をつけていた巡査が、この際ひとつおどしつけてやろうと軽率に手を出して、この怪物に痛快無比のさかねじをくわされたものと見えます。
サルマタは飛ぶ
一
そのときサルマタを助けてやる気で私がしゃしゃり出たのにまちがいはないのですが、しかし別に十字屋に来いとはいわなかったつもりです。
にもかかわらず、そのサルマタがひょっこり十字屋にやって来たのは、それから十日ばかり後のことでした。空俥《からぐるま》をひいてでござんす。
「よう、来たか」
来れば、いまやってる仕事の上からも、いやな顔では迎えられない。
「どうした?」
と、まず訊《き》くと、
「いやあ、星の旦那《だんな》のところをお役御免になっちゃってね」
と、首すじをかきながらの返事でした。
「えっ? だって……俥をひいてるじゃないか」
「なに、あれはもともとおれの俥だ」
思い出せば、私が石川島を去ってから早いもので、七、八年、さすがにサルマタの直熊《なおくま》もそれだけ年がよって、もう四十を越えたでしょうか。相変らずのひげづらにいくらか白いものがまじっているようですが、その精悍《せいかん》さは昔に変りません。
さてそれから、有明姉妹も坐《すわ》っている帳場のそばで、煙草のみのみのサルマタの話でござんす。
「へえ、お前の俥……お前、星さんのお抱え俥夫《しやふ》じゃあなかったのかい」
「いや、おりゃ辻俥《つじぐるま》やってたんだが、この梅雨《つゆ》のころ、たまたま星の旦那を乗せたところが、夜の雨の中をあっちへゆけ、こっちへゆけとメチャメチャに威張って命令しやがるから、おれもカンシャクを起して、とうとう俥のかじ棒から手を離して落っことしてやった。……すると、あの大将変ったおひとで、お前面白いやつだ、ってんで、俥ごと、まあお抱え俥夫みてえなものになっちまったのさ」
「ははあ。……」
「それどころか、お前、腕っぷしも強そうだな、我輩はたえず危険な目にあってるから、用心棒がいたほうが安心だと思っていたが、俥夫なら目立たなくていい、お前用心棒になってくれんか、ってんで――先年来、刀は御禁制になってるし、でえいち俥夫が刀を持ち歩くわけにゃゆかねえから、俥に棒をそなえつけるってえことになったんだが。……」
「どうしてクビになったんだ」
「それが、それ、先日のことよ」
「あの浅草橋の騒ぎか」
「そうよ。あれでおれの素性がばれちまったからね」
「石川島にいたことがか」
「いや、それははじめ、星先生から、一応|身上《しんじよう》をきかれたとき、おれア石川島にいた男ですぜ、といってあった。何をして石川島にいったんだというから、ケンカして何人かを半殺しにしたからといった。――まさか、強姦《ごうかん》強盗をしたとはいえねえからね。……」
私は、帳場の姉妹が気にかかりました。――その私の顔から姉妹のほうへ眼を移して、サルマタはまた、へへっと変な笑いかたをしました。
「それが、あの浅草橋でのやりとりでばれちまったんでさあ」
「ふうん」
そういえば、あのときのっけから、檜《ひのき》巡査が、その罪名でサルマタを逮捕する、といったようです。
「それで星さんがお払い箱にするといったのかね」
「いや、先生じゃあねえ。あのときいっしょにいた書生がそれを聞いてやがってよ。政府のおえら方の中にゃ、火つけ強盗と自由党は許さねえ、といってる向きもあるってえのに、強姦強盗が星先生の用心棒をやってるってえのはやはりまずい――と、いい出して、まわりが騒ぎ出した。で、つまるところクビさ」
「なるほど」
「こっちはもともと、お抱え俥夫なんてガラじゃあねえ。用心棒やってくれというから恰好《かつこう》だけ俥夫のつもりでいたんだ。それがもとの辻俥稼業にけえるだけだから屁《へ》のかっぱだ。で、その書生を張り倒して飛び出して来たんだが」
「ははは、そうか」
「ふと思い出したのは原の旦那のことさ。旦那がここで絵草紙店をひらいて、一方、出獄人保護なんてえことをやってるってえ話は聞いていた。――で、その足でちょっとのぞきに来る気になったのさ」
「やあ、それはよく来てくれた」
とはいったものの、正直なところ私はいささか動揺しておりました。
二
ここに次から次へと現われる出獄人の中には、万事覚悟の上でその保護所をひらいた私から見ても、しごく剣呑《けんのん》なやつらも少なくありませんでしたが、中でもこのサルマタの直熊《なおくま》は、その凶暴性では指折りのやつじゃないか――そう思わせるおぼえがあったからでござんす。
こいつが石川島で、鳥居看守たちにさんざん痛い目にあわされたてんまつは、いつか申しましたが。――
狂的に処罰好きな鳥居なんてえ看守も看守ですが、このサルマタもまた、ある程度以上の仕置を受けてもしようがねえじゃあねえかと思われる男でござんした。また、いくら処罰されても蛙《かえる》のつらに水、というより、いったんのぼせあがると処罰のことなんか頭から飛散しちまうんじゃないか、と思われる囚人でござんした。
そこへ、お夕さんがお茶を出した。
「どうぞ、めしあがれ」
お盆をすべらせながら、ちらっと私を見あげます。
いまじゃ、その一瞥《いちべつ》で、お夕さんが何をいおうとしているのか、私にはわかる。このひとの話をもっと聞いてあげなさい、といっているのでござんす。
そうはいうけれど。――
「はてな、このお嬢さんは」
と、サルマタはあらためてお夕さんを見やって、
「いつか、石川島からおれたちが棺桶《かんおけ》をかついだときの――」
「あの節は、ほんとうにお世話になりました」
お夕さんは頭を下げる。
「あれから何年になるかね。あのときもえらくべっぴんだと思っていたが、いまじゃ……この世の女じゃあねえみたいだねえ」
期せずして、いつかのぬらりひょんの安と同じような形容をしました。
ふと私は、その有明《ありあけ》先生の棺桶をのせて石川島から帰る舟の中で、お夕さんを見つめていた四人の囚人を思い出しました。あの中で、よだれをたらさんばかりにしていたのが、このサルマタの顔だったような気がする。
「それから、あっちは」
と帳場のおひろちゃんに眼を移して、
「ありゃ、妹さんかね? あっちもなかなか可愛らしいじゃないか。……」
「お前、いつ石川島を出たんだ」
と私は、しかめっつらで、|くつわ《ヽヽヽ》をひき戻した。
「こうっと……もう三年ほどになりますかね」
「何年はいってたんだ」
「七年」
私がサルマタを知ったのは、その間ということになります。
「いったい、何をやっていれられたんだっけ」
と、訊《き》くと、
「それが、その、強姦《ごうかん》と強盗で――」
いくら|くつわ《ヽヽヽ》をひき戻しても、この男を相手にしていると、どうしても話がそこにいってしまう。
私がとめるいとまもなく、
「ばかに威張ってる女をねえ――俥《くるま》から落っことしてやったんだが――それが政府のえらいお役人の奥さまで――あいにくといいたいが、実はおらも知ってるやつの内儀で、だからそんな目にあわせてやったんだが――」
ニヤニヤしていったかと思うと、急にサルマタは憮然《ぶぜん》たる表情に変り、
「しかし、その罰は七年の懲役で終ったはずなんだが、それでもまた追っかけるとア、お巡りも執念ぶけえもんだねえ」
「いや、あれはお前にひっかけて、星さんをつらまえようとしたんだ」
星さんもそういったが、それはまちがいないでしょう。私が路傍のゆきずりに耳にいれたあの二人の巡査の立ち話でも、それはたしかです。
が、いくら別件の犯罪でも、すでに刑をすませたものにまた言いがかりをつけるなんてことがあるだろうか? やはり近来、同様の犯罪があったのではなかろうか? 私の胸に、まじめな疑問が浮かびました。
それからまた思えば。
最近その種の犯罪の容疑者としてサルマタが浮かび、彼が星|亨《とおる》のお抱え俥夫《しやふ》になっていることを檜《ひのき》巡査が探知し、その顔を確認するために鳥居看守を呼んだものではなかろうか、という考えも浮かびました。それなら、あの場に警視庁の巡査と石川島の看守が同行していたわけも腑《ふ》におちる。
「おい、サルマタ」
「何だね」
「お前、星先生も俥から落っことしたといったな」
「うん」
「乱暴なやつだ。お前、俥から客を放り出す常習犯じゃないか。……女客を、またやったんじゃあねえか?」
サルマタは私の顔を見つめ、それから馬鹿に低い声を出した。
「旦那《だんな》、おれがなぜサルマタなんて異名をつけられたか知ってますかい?」
「いや、知らねえね」
「御一新後のある日――おれは唐物屋《とうぶつや》のゴミ箱からひろって来たサルマタをはいて、仲間の前で威張って歩いた。たった一度だ。それからアダ名がついた」
「ははは、しかし、それがどうした?」
「女を俥落しにかけて強姦強盗をやったのもたった一度だ、というこった」
いちど貼《は》られた貼札はいつまでもたたる――ということでしょう。
この飛躍した例え話には、私もちょっと感心した。
「そうか」
そうはいったが、しかしだからといってそれでサルマタへの疑いが氷解したわけじゃない。
こっちも元与力の――なみたいていでは悪党の言い分は信じないという――根性はなかなかとれないもので、ぬけぬけとこれくらいの嘘《うそ》はつく囚人を、いままでに何百人も見て来てるんでさあ。
「まあ、俥落しの件が、それだけならいいが……」
と、私が歯切れ悪くいうと、サルマタはふいに顔じゅうを火のように赤くして、
「武士の一言だ!」
と、家鳴《やなり》震動せんばかりにどなりました。
私はぎょっとしてサルマタの顔を見た。こんどは心中笑いませんでした。というのは、この途方もないサルマタの大喝に、一瞬ほんもののひびきを感じたからでござんす。
「えっ……お前……お侍だったのかあ?」
すると、サルマタは笑い出した。しかも顔じゅう口だらけにして、まるで気が変になったように。――そして、いったのです。
「……ってえ言葉があったんじゃあござんせんか。わはは、わははは、わはははは!」
三
――とにかく、こういう次第で、サルマタの直熊《なおくま》は当分十字屋にいることになりました。
当時東京の人力|俥《しや》は、大半あちこちにある俥宿《くるまやど》に属していたのですが、サルマタはただ一人の、いわゆる朦朧《もうろう》俥夫というやつをやってたらしい。それでも本所の貧民|窟《くつ》の長屋に独り暮らしをしていたそうですが、星家のお抱えになってからはそこも始末したので、当座ゆくところもない状態だからでしたが、サルマタの働き場所が見つかるまで置いてやるようにと、お夕さんがいうのでござんす。
私も少々困った。知り合いの俥宿に世話してやろうにも、突然爆発的に凶暴になる男で、三日のうちにも何か騒ぎを起すにちがいない。さればとて、うちをねじろに朦朧俥夫――親方を持たず、何やるかわからない一匹|狼《おおかみ》の俥夫――をやらせるわけにはゆかない。
ま、何か別の適当な働き場所はないかと私が探している間――サルマタの直熊は、楽器店のほうの二階にごろごろして――ごろごろならいいが、おくめんもなく店内のあちこちに顔を出す。そして、一人前に好奇心にもえて、錦絵《にしきえ》や西洋楽器や、そしてキリスト教の画集などについて、子供みたいにいろいろ訊《き》くんでござんす。
それを案内してやり、説明してやるのが有明《ありあけ》姉妹です。
とくにお夕さんのほうは、まったくその男に対して怖さというものを知らないかのようでした。
しかも、ふしぎなことにサルマタが――ここに来たときにはあんなに粗暴な態度を見せたのに――だんだん神妙になって、それどころか、お夕さんにペコペコする姿を見せるようになった。
さて、この間にお夕さんが、サルマタの過去を訊き出しました。私もいちど訊こうとしたのですが、それを鼻っ先で吹き飛ばしてとり合おうともしなかった直熊が、ぽつり、ぽつりと、お夕さんだけには話したと見えます。
それをとりまとめて見ますと。――
サルマタの直熊は、奥州南部――いまの岩手県ですね――の出身で、名字帯刀まで許された庄屋の子でした。本名は高野直吉という。
ところが、彼が幼少のころ、一家に大難がふりかかった。三十何年か前の話でござんす。何でも遠縁の男が江戸で大罪を犯して小伝馬町の牢《ろう》にいれられた。それがあるとき牢が火事になり、いわゆる「切りはなし」――緊急避難のための釈放を受けたのを機会に逃亡して来た。その男はもともと江戸に医者の勉強にいったのですが、その学資まで出してやったほどの縁なので、つい何ヶ月かかくまってやった。
いうまでもなく江戸期、牢からの逃亡は磔《はりつけ》の大罪です。その男はのちにつかまって殺されたそうですが、これを一時たりともかくまったほうも無事にゃすまない。直吉の両親もやがて首を吊《つ》るほどの運命に追いこまれ、一家は離散する羽目になった。
それ以後、直吉は親戚《しんせき》の郷士に養われて育ったが、それはむごい扱いだったらしい。
それでも自分じゃ武士の子のつもりで、武芸など気をいれて修行した。――そして御一新前、その養家を飛び出して江戸へ出た。当時まだ二十代の彼は、彼なりに青雲の志をいだいてのことだったでしょうが、半浮浪の生活をしているうちに、とうとう薩摩の御用盗の一人になってしまった。
御用盗とは、瓦解《がかい》前、薩摩藩が江戸の治安を不安に落すために、浮浪人たちを集めて江戸であばれまわった一味です。それでとうとう幕府方の薩摩屋敷焼打ちという事態を招くに至った。このとき浪人団の大半は殺されたりつかまったりしたが、あぶないところで船で上方へ逃げのびた一群の中に彼もはいっていた。
ところが上方へつくと同時に、鳥羽伏見のいくさが起って、天地は逆転した。彼らは官軍になっちまったんです。
そこでいわゆる官軍東征ってえことになるんですが、それに先立って西郷さんは先鋒《せんぽう》として赤報隊なるものを、東海道、中仙道、北陸道などに急ぎ送り出した。あとで本格的に進発する官軍の露ばらいとしてです。その指揮者に、江戸から逃げて来た御用盗の連中をあてたのです。高野直吉は中仙道組でした。
これが――もともとそんな荒っぽい連中である上に、はじめから軍資金などあてがってもらってないのですから、ゆくゆく掠奪《りやくだつ》などをほしいままにした。
そのうち沿道諸藩に抵抗の意志はないということがわかるとともに、この赤報隊の存在と行跡が官軍にとって有害無益なものとなりました。そこで西郷さんはあわててこれを一掃しちまうことにしたのです。で、中仙道に向った赤報隊の場合ですが、信州まで進軍したところを、隊長|相楽《さがら》総三をはじめみんな――幹部ではありますが薩摩人は一人もふくまれてない――ひとかために処刑されたんですが、西郷さんとしては、この際、それ以前の「御用盗」の痕跡《こんせき》も消してしまうつもりだったかも知れない。
高野直吉は逃げた。――というより、彼など処刑される幹部のうちにははいらない人間だったのでしょう。
狡兎《こうと》死して走狗《そうく》煮らる、とはこのことでござんす。
こういう始末だから、そのあと御一新となっても彼など浮かび上れるわけもない。――あげくのはては、サルマタの直熊《なおくま》なんてえ異名をつけられ、石川島に放りこまれるていたらくになってしまった。
彼にすればこんな運命には一言なきを得ないでしょう。
直熊が石川島にほうりこまれた例の貴婦人の俥《くるま》落しの事件ですが、あれは――貴婦人とまではゆかないが、とにかくその女性の夫がいまは一応の高官になっていて、それが、昔薩摩屋敷で自分を指図した薩摩人だと知って、それで頭に来てやったんだそうです。
――これがサルマタが、お夕さんにもらした彼の身の上でござんすが、むろんこんなに秩序立ってこまごま話したわけじゃない。少なくともお夕さんは話さない。実は相当私のあとからの知識で、おぎなってあります。
そのあとの知識で、私がおやっと思ったのは、そもそも彼の一家を没落させた一件――例の「切りはなし」から逃亡した遠縁の男のことですが、そりゃ高野長英じゃないか? ということでござんした。いろいろ考えてみると、高野という姓といい、故郷が南部であることといい、年代といい、そりゃ高野長英にまちがいない。
サルマタが「武士」の一言といったのは、養家の郷士のことをさすのか、浪人として参加した御用盗や赤報隊時代のことをさすのか、何にしても相当あやしいものですが、高野長英と縁つづきというなら、まあ認めてやってもいいかも知れません。もっとも彼自身は、そのことを知らなかったのでござんす。
こんなサルマタの身の上を聞いて――これは今さらのことじゃなく、またサルマタにかぎったことじゃないが――人間ってえものは、みんな過去に、実に重い石をひきずってるなあって感慨がありました。
後年|教誨師《きようかいし》として北海道の監獄を経《へ》めぐったあと、その思いはいよいよ深いものになりました。けだもののような、あるいは血まみれの、あるいは吹けば飛ぶような犯罪者でも――むしろそういう連中だからこそ、是非は別として、いっそう重い人生をひきずってるといえるかも知れません。
そのときサルマタは、珍しくしょげた顔で、お夕さんにこぼしたそうです。
「おれってえ人間は、つくづく、よくねえ星に生まれたと思うよ。……」
「これまではほんとうにお気の毒だと思うわ。けれど……そんなことはありませんよ」
と、お夕さんはいった。
「どんなに運が悪くても、その人の生き方次第で、きっといい星に変えることができると思うわ」
「生き方なんて関係ねえ」
と、サルマタは、ここでうす笑いしていったという。
「悪い星ってえやつは、天からピシャリとその人間にくっつくんだ」
この話を聞いたとき、いまいったようにサルマタの過去の重さを感じながら――彼の「悪い星の下に生まれた」というよく耳にする言葉の、本人の切実さに、私はやはり鈍感でした。
サルマタは、自分の体験から、人間の幸不幸は――特に不幸は、防ぎようもなく外界から来るという確信を持っていたのでさあ。
サルマタが一応まじめな述懐をもらしたのは、このお夕さんとの問答くらいでござんした。
四
この話を聞いたあと、さしあたって私は高野長英の件に興味をいだいた。
いえ、実は私はそのころ高野長英について、それほどの知識もなかったんでござんす。ただ、はじめて開国思想にめざめた蘭《らん》学者の一人だってえことと、それで幕府に狙われて、投獄、逃亡ののち、むざんな最期をとげた人だってえことくらいで。――
ああ、それにもう一つ、長英を追いつめたのが、当時の江戸南町奉行で、蘭学を弾圧するのに手段をえらばない鳥居甲斐守ってえ怖ろしい人だったということも知っておりました。
ところがね、なんと石川島の鬼看守、例の鳥居|鶏斉《けいさい》が、その鳥居甲斐守のお妾《めかけ》の子だと、石川島にいるころ聞いたことがあるのでござんす。
それを聞いたとき、へえ、町奉行の子息が石川島の看守とは――と、眼をまるくする一方で、何でも鳥居甲斐ってえ人は、あんまりやり過ぎだってんで罷免《ひめん》されたあと、何十年も流罪になってたと聞いたこともあるから、ましてや妾の子とあれば、どういうことになってもふしぎじゃない――とか、鳥居鶏斉なんて看守らしくもない名は、むろん本名じゃないでしょうが、とにかくそういう家筋から来た名かも知れない――なんて考えたこともおぼえている。
いや、瓦解《がかい》後はね、巡査や看守に最もそぐわねえのがいいかげんな採用のおかげで職についてることがある一面、世が世ならという身分や能力のある人間がそうなってることも多かったんです。ついでに申せば、いままで御紹介して来た巡査や看守は、その両方をかねためんめんだったかも知れません。
その鳥居看守は、先日サルマタを再逮捕しようとした。いや、以前から石川島でこのサルマタを目のかたきにして私刑を加えた人物です。
で、ある日、訊《き》いてみた。
「お前――高野長英ってえ名を聞いたことがあるかね?」
「高野長英? 知らねえね」
首をひとふりして、
「姓はおれとおんなじだが、それがどうした?」
出獄人は何かといえばそらとぼけますが、そんな風には見えなかった。
「お前の子供のころ、家を離散させたもととなったのはその人じゃあねえかと思うんだが――」
「やあ、おれのことをお嬢さんから聞いたのか。ああ、そういや、親戚《しんせき》に、一人牢破りが出たためにひどいことになったとは聞いた。そいつが、いまどこかにいるってえのかい?」
彼は気色《けしき》ばみました。
「いるなら、棒でぶち殺してやらあ。どこにいるんだ」
「いや、その人はずっと以前に死んだ。……そうか、やはり知らんか」
「何しろ一家離散はおれが五つ六つのころの話だからね」
サルマタは、お尻《しり》のあたりをポリポリかきながら、
「それにその後、その件についちゃあだれも壁みてえに黙ってたから、訊《き》いてもムダだと、何も訊かねえで来たよ」
これもずっと後年になって知ったことですが、何でも逃亡中の高野長英をかくまった人々は各地で数十人に上るが、その大半ははじめに公儀に痛めつけられ、あとでは村一統や一族にハチブにされて、そのため明治はおろかただいま昭和になっても、高野長英という名は禁句になってたそうで。
こりゃ高野長英だけの話じゃない。囚人、前科者一般に対しても同じことで、日本人はいいところもあるが、むろん悪いところもある。こいつは悪いほうの見本、日本人のいちばん感服しない心情習俗だと思う。長年出獄人を扱って来た私などの立場からするとまことに慨嘆にたえない。
「それじゃ、鳥居甲斐守って知ってるかい?」
「鳥居? 鳥居といや、あの看守野郎しか知らねえ。その甲斐って何者だね?」
「いや、知らなきゃ、それでいい」
サルマタはけもののうなるような声で、
「鳥居看守ならぶち殺してやりてえ一番手だが」
「ふふふ、しかしこないだ浅草橋じゃ、さすがのサルマタも胆をつぶしたようだったぜ」
「そりゃ、突然、石川島の看守が浅草橋ににゅっと出てくりゃ、だれだってびっくりすらあ」
「ところでサルマタ、お前さん、俥《くるま》に棒までそなえつけて星さんの用心棒になった――これがほんとの用心棒だ――といったっけが、正規に棒術でも修行したのかね」
「うんにゃ、棒はあの鳥居看守で修行しただけだ」
「あれが修行」
「あれ以上の修行はねえや」
サルマタはにが笑いしたが、考えてみると、私の見たとき以外も何度も何十ぺんもあんな目に合わされたろうから、なるほどあれ以上の凄《すご》い修行はないかも知れない。
「それで、もう鳥居看守などメじゃないという自信がついたか」
「あ、うん」
彼は閉口した表情になったが、
「まあ死ぬつもりなら、いいとこまでゆくかも知れねえ」
と、これは大まじめな顔の白状でござんした。
「まあ、よしたほうがいいね」
と、私はいった。
「あっちは、本格的な香取《かとり》流|杖術《じようじゆつ》だ。お前が多少の腕になったとしたって、まともにやればかなうわけがない。万が一お前さんがあっちをどうかしたら、また石川島だ」
とにかく鳥居看守とサルマタの直熊《なおくま》は、どうやら宿命的な怨敵《おんてき》の縁《えにし》にあるらしい。
もっとも一方の鳥居甲斐守のお妾《めかけ》の子、一方は高野長英の遠縁の子というのだから、宿命の縁というのは少々大げさで、かつまたそんなことをサルマタにしゃべったところで、いいことはひとつもなさそうだから、そのときは私は黙っていたが、心中に面白いことがあるものだ、と感心しました。
そしてまた、その弾圧者たる町奉行と、そのために悲劇的な死をとげた蘭《らん》学者につながる二人が、そのはるかのち監獄の看守と囚人として噛《か》みつき合って、しかもその昔のことは両人とも知らない、ということにもこの世のふしぎな曼陀羅絵《まんだらえ》を見ているような気がしました。
それでもこういういきさつで、サルマタの直熊に対して、石川島でも凶暴なこと一番じゃあねえか知らんと、はじめおっかなびっくりの態《てい》であった私も、こりゃ案外まともに相手になれるかも知れんぞ、と胸なで下ろすようになった。
何日か後、サルマタが、こんなところにじっとすくんでいちゃ、肉も骨もなえる、商売とまではゆかないが俥《くるま》をひいて走ってみてえ、といい出したのを了承したのも、ほかにどうしろという智慧《ちえ》が浮かばないのと、いまいったような感情がきざしていたからでござんした。
そのうちに――いけねえ、日が暮れてからホロ酔いかげんで帰って来るようになった。うちじゃあ、酒は飲ませねえんです。おそらく客を乗せて小銭が手にはいるようになったからでござんしょう。こっちがにがい顔をしても、ぬけぬけとしています。
五
そして、うちへ来て半月目くらいでしたろうか。十一月にはいったばかりのある午後、十字屋の楽器店のほうにおひろちゃんといっしょに坐《すわ》って、私は新聞を読んでいた。新聞にはたしか、板垣退助を総裁として、国会開設を要求する自由党が例の井生村楼で正式に結成された記事が出ていたと記憶しています。
するとそこへ、荒々しく表のガラス戸があいて、二人の巡査がはいって来ました。――例の檜《ひのき》巡査と船戸巡査でした。
「こちらに高野直吉がおるだろう?」
と、船戸巡査がほえるようにいうと、
「かくすとためにならんぞ。こっちにはちゃんとわかっておるのだ!」
と、檜巡査も叫んだ。
「高野はいるが……いません」
「なに?」
「この半月ばかり、たしかにここに住んでいますが、いまは俥をひいて外へ出てるんで……」
と、私は答えたが、不安は胸をついた。
「どこへいったか!」
「それはこちらにはわからない。……が、高野がどうかしたのですか」
「けさ、麻布|我善坊《がぜんぼう》町の原っぱで、貴婦人風の女性が殺されているのが発見された。その状況からして、暴行され金品を奪われていることが明らかになったが、その後の捜査で屍体《したい》はどうやら俥で運ばれたらしいということが判明したのだ」
「えっ……その下手人がサルマタだってんですか! そ、それは、何の証拠で――」
「この前の事件もある。こんどは俥の鉄輪《かなわ》の跡が草の中にはっきり残っておった。こんどこそは、まちがいなしの容疑者だ。――高野はいつ帰る?」
「それもわからねえが、だいたい、いつも日が暮れたころですね」
二人はふり返って、ガラス戸のまだ夕日には時間のある日ざしを見て、
「それじゃ、夕刻また来る。もし高野が帰って来たら、あと外へ出さないようにしておけ。ただし、感づかれてはならんぞ」
「おい――原、お前、何かと警視庁に盾《たて》つくようだが」
と、ぶきみに低い声でいったのは、大久保卿遭難事件以来、久しぶりに顔を見た船戸巡査でござんした。
「思うところあって、いままでのところはまず見逃しておいた。が、こんどまた妙なことをしたら……この店はつぶれる。いや、それではすまんことになると、しかと覚悟しておれ」
そういうと、二人の巡査はあわただしく店を飛び出してゆきました。――そうしている間にも、外でサルマタがつかまると、自分たちの手柄が泡になる、と焦燥していたのかも知れません。
私とおひろちゃんは、こわばった顔を見合わせた。
「あいつが……まさか? また……」
と、私はつぶやいた。
人間は、疑い出すと、どんなようすでも怪しく見えるもんですが、そういえば昨晩は、サルマタの帰宅がふだんよりおそく真っ暗になってからで、しかも赤い顔をして、こちらにろくにあいさつもせずに寝てしまったと思う。
ひょっとすると。……
「ここにいて、サルマタさんが、そんなことをするとは思えないわ。……」
おひろちゃんもつぶやいたが、かすかにふるえている。可愛らしい娘がサルマタさんなんていうのが、ふだん可笑《おか》しかったが、こんどは笑うどころではありません。
そこへ絵草紙店のほうからお夕さんもやって来て、これまた疑惑を否定する。おひろちゃんの否定は願望に近いひびきがありますが、お夕さんのほうはひどく断定的でした。
とにかく何にしても、サルマタが帰って来るのを待つよりほかはない。
私は疑惑、否定、半々の気持でしたが、だんだん疑惑のほうが強くなって来た。同時に怒りもつのって来て、捕縄《とりなわ》をとり出しました。ふだんから万一にそなえ、捕縄を輪にして腰にぶら下げていたのを、このごろちょいちょい忘れることもあったのですが、こんどは、野郎、返答次第ではこっちでふん縛《じば》ってやるという思いで腰につけた。
そして、サルマタの帰るのを待ちかねて戸口に出た。おひろちゃんも箒《ほうき》を手にしてそこらを掃きながら、ちらっちらっと往来のほうに眼をやっていたのは、同じ思いからでござんしょう。
ところが、それに応《こた》えるように、いつも日が暮れる前後に帰って来るサルマタが、その日はまだあかね色の光が銀座の町を染めているころ、往来の向うに姿を見せたのです。
六
「あ、旦那《だんな》、お嬢さん!」
まんじゅう笠《がさ》の下から白い歯をむいて、
「さっきあそこで昔の仲間に逢《あ》ってよ。いま魚《うお》河岸《がし》で働いてるそうだが、朝の残りものだがって、タコを三杯もらっちゃった」
と、かじ棒にあごをしゃくった。
なるほどかじ棒に、藁《わら》でくくってぶら下げてあるのはタコらしい。
「今夜は、これで一杯どうだ? いや、十字屋じゃあ酒はいけねえか?」
といったが、こっちが黙っているので、一|間《けん》の距離まで来て、変な顔をしました。
「さっき警察が来た」
と、私は申しました。
「けさ、麻布の草っ原で女の殺しが見つかったんだが、どうやら屍骸《しがい》は俥《くるま》で運ばれた形跡があるという。――お前さんが疑われてるんだがね」
そこへ、声を聞いてお夕さんも出て来た。
サルマタは、まんじゅう笠の蔭《かげ》から、じいっとこちらを見ていたが、俥のかじ棒を地に下ろして、ノソノソと歩いて来ました。
「旦那はそれを信じたのかい」
と、いった。
「おれだといったら、どうする?」
「お前をこの縄《なわ》で縛る」
と、いい、私は祈るような声をしぼり出しました。
「高野直吉、お前、武士だといったな。武士なら正直にいってくれ。ほんとうにお前はやったのか、やらんのか!」
「いつかいった通りだ」
と、サルマタは、なおおひゃらかすようにうす笑いしながら、おひろちゃんのほうへ近づいた。
「お嬢さんだけは、おれを信じてくれるなあ?」
その「いつか」とは、彼がここへ来て、星家の俥夫《しやふ》のころの容疑について私がただしたとき、おれのやったのは石川島に入獄の原因となった俥落しの強姦《ごうかん》ただ一度だ、といい、「武士の一言だ!」と大声でどなったときのことだ、と理解したのはあとになってからのことでござんす。
一息、首をひねって立ちすくんでいる私の眼の前で、いきなりサルマタはおひろちゃんの腕をひっつかむと、凄《すさま》じい勢いでひっぱってゆき、自分の俥に投げこんだ。
箒《ほうき》が空中に飛んだ。
おひろちゃん――などというと可笑《おか》しいかも知れない。実はこのとき、もう二十二になってたんですから。――それが、まるで幼女がさらわれるような、怖ろしいサルマタの動きでござんした。
彼はかじ棒をとりあげると、
「このとんま野郎、どうしてもおれを信じねえというなら、こうだっ」
その眼が西日を集めたように赤くかがやいて見えたかと思うと、その俥をくるっとまわし、嵐《あらし》のように駈《か》け出した。おひろちゃんを乗せたままです。
それまでの数瞬、息をのんだまま立ちすくんでいた私は、われに返るとともに飛びあがった。
「サルマタ、何をする!」
追っかける私を、さらにお夕さんも追っかける。
三丁目から四丁目へ。
このころの銀座の大通りは大変でござんした。というのは、新橋から日本橋へ、馬にひかせて三十人乗りの大馬車をレールの上を走らせる――いわゆる鉄道馬車というやつを来春から開業するってんで、そのレールを敷く工事で大わらわだったんでござんす。
あちこち土のかたまりや切石、材木が積みあげられ、人足が右往左往している。そこを苦労しながら、馬車や人力俥が通ってゆく。
その中を、サルマタの俥は砂塵《さじん》をあげてアシュラのように駈ける。
右へ左へ、幌《ほろ》はきしみつつ大きくゆれ、いまにも倒れそうです。
「あっ、何だ、この野郎っ」
「この立札が見えないかっ」
あちこち、人足の悲鳴があがり、飛びのこうとしてころがるやつもある。
おひろちゃんの悲鳴は聞こえなかった。お夕《ゆう》さんほど気丈とは見えない娘だから、気を失ってしまったのかも知れない。俥には幌がかけてあるし、かけてなくったって、これじゃあ飛び下りることなんか出来ない。たとえ往来がふつうでも、どうすることも出来ない悪鬼のごときサルマタの疾走でありました。
そのあとを、私とお夕さんは真っ蒼《さお》になって追いかけた。
俥は四丁目で数寄屋橋のほうへ曲った。
かつて少年与力のころ私が颯爽《さつそう》としてかよった南町奉行所はもとより、豪壮な数寄屋橋御門も明治初年にとりこわされて今はありませんが、堀と橋と石垣だけは昔のまま残っている。その橋のたもとの道のはしに、堀を背にしてサルマタは俥をとめ、かじ棒の外に出て、ただ左手でそれをひっつかみ、右手に棒をとって荒い息を吐きながら待ち受けていました。
「やい、それ以上来ると、俥を堀に落っことすぞ!」
と、彼はどなった。
ちょうど落日をまともに浴びて、まんじゅう笠《がさ》は|ずれ《ヽヽ》てあおのけになり、サルマタの顔はむき出しになって燃えあがらんばかり、あの凶暴無比の形相《ぎようそう》を再現しておりました。
夕日は幌の中にもさしこんで、あきらかに気絶してのけぞっているおひろの姿もまざまざと見えた。
「馬鹿《ばか》っ、よせ――おひろちゃんに罪はねえじゃあねえか!」
と、縄をつかんだまま、私は叫んだ。
「本人に罪があろうとあるまいと、この世じゃ不倖《ふしあわ》せは天から降って来るんだ。そのことを、いまてめえたちに見せてやらあ!」
と、サルマタはわめいた。
この言葉の意味の凄《すご》みに感じいる余裕はない。それどころか、その行動の理不尽さに逆上して、私が躍りかかろうとする。
「来るかっ」
サルマタの足があとずさりした。同時に、俥の車輪も石垣のふちにかかる。――
堀に落ちれば失神したおひろの命はない。
お夕さんが絶叫した。
「高野さん、あなたを信じるわ!」
「もう遅《おせ》えや」
サルマタはあざ笑いました。
「おれのいうことはオドシじゃねえ。見ろよ!」
サルマタが俥をうしろざまにつき離そうとした。
そのとき私は、縄を投げていました。
有明《ありあけ》先生から伝授された有明流|縄術《じようじゆつ》――といいたいが、これは夢中で必死のわざでござんした。
縄は大きな輪になって、ビューッと飛んで――サルマタじゃあなく――俥のほうを幌《ほろ》ごめに縛った。と見るや、渾身《こんしん》の力をふるってひきずりよせる。
俥が車輪をまわしてこちらに動いて来たのは、私の力もさることながら、サルマタがかじ棒から手を離したからでござんす。彼もこの投げ縄にあわてふためいたのでしょう。私はもう一方の手で十手を握った。
「な、何しやがる!」
俥より、私のほうへ、棒をふるって、けだものみたいに跳躍して来た。
こちらも縄から手を離して、あやういところで身をひるがえす。すれちがいざまに、つんのめってゆくサルマタのお尻《しり》を、ぴしいっと十手でぶちのめした。
十手といっても、何しろ鉄です、「ぎゃおっ」というような怪声を発して、サルマタは棒をほうり出して、二|間《けん》ほど先で四つン這《ば》いになりました。
私はそれより俥のほうに眼をやった。
こちらに転がって来た俥から、おひろちゃんは地面へ崩れ落ちていました。それに走りよって、お夕さんが抱きあげる。
「大丈夫か!」
私も駈《か》け寄った。
もしこのときサルマタが再逆襲していたらどうなったかわからない。
が、きゃつも狼狽《ろうばい》したのか気をのまれたのか、地べたから立ちあがると、私たちのほうをふり返ることもなく、ころがるように日比谷のほうへ逃げてゆきました。
「ま、待ちやがれ」
十手をとり直し、猛然としてそれを追っかけようとする私を、
「やめて!」
と、とめたのはお夕さんでした。
「あ、あの野郎、とんでもねえ――いいや、案じてた通りのけだものだった!」
なお息まく私に、お夕さんは申しました。
「いいえ、悪いのは、あのひとを信じてあげなかったこちらだわ。……」
まわりに群衆が――場所が場所だけに、あっというまに黒山のように集まっているのに、やっと気がついたのはこのときでござんす。
似顔絵
一
絵草紙店十字屋が、思いもかけないことでちょっとした大当りをとったのは、明治十五年の晩春のことでござんした。
四月六日、遊説《ゆうぜい》中の自由党総理板垣退助が、岐阜の演説会場で、刺客のために胸を刺されるという有名な事件が発生しました。
有名な、というのは、そのとき板垣さんが刺客をハッタとにらみつけ、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだという――実はこれ、相当あやしい話だそうですが、とにかく新聞という新聞がみんなデカデカそう書きたてたので、それで有名になり、板垣さんは一躍英雄になりました。
むろん私なんざ、もろにその話を信じて血をわきたたせました。
――余談ですが、そのとき板垣さんについていた自由党の旗本連が、その暴漢を折り重なってとりおさえたのですが、その中にいつかお話しした、それ、横浜のホテルで邯鄲《かんたん》お町《まち》に鼻毛を読まれた竹内綱さんがいたってえのも史談として面白い。
さて、その場面を――匕首《あいくち》をふりかざし、髪を逆立てて襲いかかる刺客と、立ちすくみつつこれを叱咤《しつた》する板垣退助の勇姿を錦絵《にしきえ》にして、十字屋から売り出してみたら、けっこうな馬鹿《ばか》当りになったんでさあ。
「板垣君自由遭難之図」ってんで――かいたのは小林|清親《きよちか》さんでござんす。
清親さんは、あの「東京名所図」をかいたあと、一連の風景画をやめて、ありふれた武者絵や美人画をかくようになってました。私はあの名所図なんかのほうがいい、といったのですが、「私もかきたいのだが、東京の名所図なんかだれも買ってくれないんでね。異人なら買ってくれるだろうが、あいにく十字屋は横浜からこっちへ移ったしねえ」と、悲しそうにいうのでござんす。
とにかく清親さんは、そのころおかみさんに先立たれ、まだ小さい女の子二人かかえて大貧乏してたから、それ以上私は何もいえなかった。
その清親さんが、板垣遭難をかいた。
先日申したように、彼は自由党の熱心なひいきですから、おそらく熱がこもったのでしょう。絵も悪くなかったが、それでも予想しなかったほどの売れ行きでした。げんきんなもので、私もすこぶるつきでよろこんだ。
五月末のある午後でござんす。
三人の客がはいって来て、その錦絵を求めていった。――なんと、百枚も買ってくれたんです。
絵草紙屋に男客は珍しいが、むろん自由党の壮士でしょう。いずれも三十前半と見える、いかにもひきしまった容貌《ようぼう》で、一人は洋服、あと二人はつんつるてんの袴《はかま》姿ですが、壮士の中でもまず上等のほうと見受けました。
もっとも言葉は、ひとり江戸弁の人がいて、これが主として用を足しましたが、あと二人にはたしか、重い、ぼくとつな奥州なまりがあった。
はて、奥州にも自由党があるのかな? と私はちょっと首をひねったが、考えるまでもなく、そりゃあるでしょう。げんに板垣さんも東海道から岐阜へ遊説に出ての遭難でした。自由民権を求める声は、ほうはいと日本じゅうに起っていたのです。
さて、その人々が去ってから、それと入れ替るようにお巡りが二人はいって来た。――みると、例によって船戸|伴雄《ともお》巡査と檜玄之助《ひのきげんのすけ》巡査でござんした。
いや、この二人はねえ。――去年のサルマタ事件の際、サルマタを逃がすようなことがあれば十字屋をつぶしてやるとか何とかおどしたんだが、まんまと私はサルマタをとり逃がしてしまった。むろん故意じゃない。
そこで私は、あの数寄屋橋の活劇のあと、それを見ていた群衆の中に巡査が一人いるのを見つけると、念のために店に来てもらった。やがてやって来た両警官は、サルマタの逃亡を知ってわめきちらしたが、そのいきさつをその巡査に証人になってもらって説明したので、両人、ふくれあがったものの、ともかくもひきあげていったのです。
で、十字屋はつぶされないで、またその日を迎えたわけです。
「おい、いま来た三人の客は、何を買っていったか」
と、船戸巡査が訊《き》いた。ま、うそをつくわけにはゆかないから、板垣遭難の錦絵だ、と私は答えた。
「何枚買っていったか」
と、檜巡査も訊く。これも正直に答えた。
「きさま。……注意しておくが、あまり自由民権を讃美《さんび》するような絵は売らんほうが無難だぞ」
と、二人はにくにくしげな捨てぜりふを残して消えてゆきました。
清親さんがやって来たのは、それから数日後のことでござんす。
二
「どうも、おかしな話を引き受けたんだが……」
と、清親《きよちか》さんは、首をひねりひねりいうのです。
「それは、どういう?」
と、尋ねると、
「どこで僕の住所を知ったのかな。きのう、自由党の党員なるものが訪れてね、妙なことを依頼した。――」
元幕臣の浮世絵師のくせに、この人は自分のことを「僕」なんていうのでござんした。
「それが妙な話だ。奥州の会津にね、会津にもこんど自由党の支部が出来た」
なるほど清親さんは唐突なことをしゃべり出しました。
「ところが新任の県令が、えらく自由党ぎらいでね、それに対抗して自分の手で会津帝政党なるものを作った。これがみんな元会津の侍で、恐ろしく荒っぽい――敵党と認めたら、暴行はおろか暗殺も辞さぬ連中だという」
「ほほう。……」
「ところで自由党本部は、この京橋|鎗屋《やりや》町にあるので、会津自由党の幹部連は、しばしば出京して相談に来る。が、県令がそういう人物なので密行といった態《てい》だそうだ。それをいま、帝政党の手練《てだ》れの暗殺隊が、これも上京して追っかけてるってんだ。で、けんのんでしかたがないが、さてその暗殺隊の顔がわからん」
「ははあ」
「会津自由党としては、是非暗殺隊の顔ぶれが知りたい。いま上京してる者だけじゃなく、会津自由党全部が承知しておく必要がある。――で、ある手段で、ここへその帝政党の暗殺隊全員を呼び寄せる――」
「ここへ? この十字屋にですか」
私は眼をまるくしました。
「会津自由党とこの十字屋と、別に何の関係もないじゃありませんか」
と、いったが、私の頭には数日前に、ここに板垣遭難の錦絵《にしきえ》を大量に買いに来た三人の客の中に、奥州なまりの人があったことが浮かびました。
してみると、あれが会津自由党の人々か。あの錦絵が会津自由党を呼びよせたのか。
「どういう名目で、帝政党とかをここへ呼ぶんですかね」
「それは知らん。とにかく、その男はそういうんだ。……会津自由党の連中も来て、物陰からそれを確認するという。一方で、その暗殺隊の似顔絵を僕に書いてくれというんだがね」
「それを引き受けたんですか」
「うん」
と、清親さんはうなずいた。
「僕は自由民権に共鳴してるからね。だいいちいくら憎らしいからって、県令が暗殺隊を送るなんて、けしからんどころのさわぎじゃないじゃないか。なにが明治の聖代だ」
「そ、そりゃそうですが」
私もまったく同感でしたが、
「しかし、変なことに巻きこまれるおそれがありゃしませんか」
と、自分の行状は棚にあげていった。清親さんのために心配したんです。
「それに、前払いとして百円おいていったぞ」
と清親さんは頭をかきかき申します。
「あんたに相談する前に、この十字屋を使うことを約束して悪いがね。――明日午後来るそうだ。いいかね?」
「それはかまいませんが……」
と、私は答えたが、なお不審ははれません。
「しかし、その暗殺隊を呼びよせて、わざわざ確認するくらいなら、何も似顔絵なんか作る必要はないじゃないですか」
「いや、その似顔絵を会津へ持ち帰って、あちらの自由党全員に承知させるためだという」
と、いってから、清親さんは変な息づかいをして、
「それはいいんだが――」
と、つづけました。
「妙な話はそれだけじゃなく、そのあとに、それ以上に妙な話が襲来した」
「話が襲来? どんな?」
「その自由党員が去ってしばらくすると、こんどは巡査が来たんだ。そして、いま来た男が何を依頼したのかと訊《き》くんだ」
「へえっ? それはなるほど襲来ですな」
「僕もうろたえて、いや、別に、とか何とかとぼけようとしたが、その巡査はうすきみ悪い笑い方をして、お前が答えなくてもこっちにわかっておる。会津帝政党の似顔絵をかけという注文だろう、といった。内心たまげつつ僕は、こっちはだれの似顔絵か知らん、とにかく絵師として注文の絵をかいて何が悪いか、とやり返した」
「それで?」
「すると巡査は、それはかまわぬ、かくがいい、とうなずき、ただ、そのとき会津自由党の連中も確認のため来るそうだな、同時にそっちの似顔絵もかいてくれ、といった。なぜ、そんなものが必要なんだ、と訊くと、理由はいう必要ない、要するに警視庁として必要なのだ、と、えらくおっかない顔になって答えた」
「そ、その巡査は――」
と、私はせきこんでいました。
「どんな巡査でござんしたか」
「それが、仕込杖《しこみづえ》を持った巡査で――」
「檜《ひのき》巡査だ!」
と、私は叫んだ。
「や、御存知か」
いままでおしゃべりしたように、檜巡査はちょいちょいここへ来る。清親さんはしょっちゅう来る。しかし両人これまでかけちがって、直接|逢《あ》ったことがなかったかも知れない。
「え、何ということなくね。なるほどそれは一筋なわではゆかない警視庁の巡査です」
と、私は答えてから、
「それも引き受けたんですか」
「いや、口に出して承知したとはいわなんだが、黙っていた。――まったくのところ、僕はふるえあがってたんだ。その巡査の用件もさることながら、そいつが、すぐ前に来た自由党の壮士の依頼したことを、たなごころをさすがごとく知っていたことにね」
実は私もそのことにはぞっとしました。どうして知ったか、そのいきさつはわからないが、恐るべき探知力といわなければならない。それじゃ自由党の内情など、みんな知ってるかも知れない。
「それをやると、暗殺するほうと狙われてるほうと、双方がこの家で、闇《やみ》のにらみ合いをすることになる。――えらい舞台に、この十字屋を使うことになるんだがね」
と、清親さんは嘆声を発して、
「にらみ合いどころじゃない。ほんものの斬《き》り合いが始まるかも知れん。――そもそも、そういう対決をするくらいなら、なぜ斬り合わんか、いまさら僕がおたがいの似顔絵なんかかく必要はないじゃないか」
と、さっき私がいったのと同じ疑問を呈しました。私もしばし首をひねったが、
「いや、まさかお江戸の銀座で、白昼血の雨ふらす大《おお》喧嘩《でいり》というわけにもゆかんでしょう」
と、こんどはこっちから否定した。
「県令とやらに使われてる暗殺隊です。実にとんでもない県令もあるもんだが、しかしそのため、たとえ彼らに殺意があったとしても、少なくとも暗殺――闇の中の仕事でなければならない。また会津以外の東京の自由党員とまちがえてはならない。だから当面の相手の似顔絵が必要になったんじゃないか。私はそう見ますね」
「そうか。それにしても、この双方からの頼まれごと、ほんとにきいてやっていいのかね?」
清親さんは依然困惑した表情で、
「原君、どうしよう?」
私は腕ぐみして、やがて顔をあげました。
「やるのも大変だが、やらないのも大変だ。いや、こっちがやらないと、いよいよ大変なことになる」
清親さんは私のいった意味がよくわからなかったらしく、変な顔をしました。
「今回こっちがことわっても、会津帝政党とやらは、いずれ会津自由党に凶刃をむけるでしょう。それをいまこっちがふせいでやらなければならない」
そのとき私は、有明《ありあけ》姉妹がさっきから心配そうにこちらの話を聞いているのに気がついて、わざと元気よくいった。
「私も自由党のひいきだ。で、あえてこの際またおせっかいな助《すけ》ッ人《と》となって、会津帝政党の魔手を封じてやりたいと思うんですが。――」
三
さて、その翌日の午後でござんす。
まずやってきたのは、会津自由党のめんめんです。六人でござんした。
「えらい御厄介をかけます」
大将分らしい、りっぱな口ひげをはやした洋服の人が、ていちょうに頭を下げたあと、
「先日、板垣さんの錦絵《にしきえ》を売っていただいた者で――福島県|三春《みはる》の産、河野|広中《ひろなか》と申す」
と、いった。
その前から私は眼を見張っていた。六人の中の、ほかの二人にも見おぼえがある。果せるかな、あの三人の客は会津自由党の人々だったのでござんす。
実は私はあなた方のひいきです、など、まだ言える段階ではない。私は黙礼しただけで、店の奥の部屋に案内しました。
そこには、その前にやって来た清親先生が待ってました。彼らはこれにも端座しておじぎし、
「このたびは、何とも御迷惑なことをお願いして……」
と、謝辞を述べます。清親さんはぐるっと見まわして、
「おや、きのう私のところへ来られた方は見えないようだが」
といった。
「ああ、石川君ですか。あれは、その帝政党の連中をここへ呼び寄せるのにかかっておって、いまこちらと同行するわけには参らぬが」
と、河野広中さんは答えました。おそらくきのう、清親さんのところへ、きょうのことを依頼にいった自由党員のことでしょう。
さて、十字屋は、煉瓦《れんが》街の中の一軒ですが、絵草紙屋の造作はすっかり和風にしてあります。で、店と奥とは唐紙《からかみ》でへだててあるのを、引手をはずしてそこを穴にした。そして店側のほうに、すれすれに紐《ひも》を張って、錦絵をズラリと吊《つ》り下げた。それで、奥座敷からは店の中がよく見えるが、店からはまずその穴に気がつかないからくりにしたんです。
こんな仕掛けを作ったものの、さあ私は、何をしたらいいのかわからない。
この自由党の人々が、自分たちを狙って上京したという会津帝政党の刺客の顔ぶれを知りたい。しかも小林清親さんにその似顔絵をかいてもらいたいという希望に、こちらは協力してあげたいと思う。
ところが東京の警視庁、少なくとも檜《ひのき》玄之助巡査はちゃんとそのことを探知していて、逆にそれら自由党のめんめんの似顔絵を清親さんにかけという。
とにかく当時、いくら開化の世といっても、いまのように写真機なんてない――いや、あるにはありましたが、一般にはないといってもいい時代でしたから、絵をかくよりほかはない。
会津帝政党は檜巡査のこの行為を知っているのだろうか、それがよくわからない。自由党の衆もここに来ていると知ったら、無事に納まりそうもないが――私は「彼らの魔手を封じてやりたい」なんて口走りましたが、実はどうして封じるのか、見当もつかない。
だいいち、きのうからきょうにかけての話ですから、一夜で何の智慧《ちえ》も出るわけがない。
ええい、出たとこ勝負だ、とにかくなりゆきを見よう、と、私の思案はそれだけでした。
それから一時間ほどたってから、なるほどまた壮士の一団が店にはいって来た。こちらもやはり六人でみんな太い仕込杖《しこみづえ》をついている。
まだ暮れるに早い時刻というのに、みな酒気をおびて赤い顔をしている。が、その面《つら》だましい、体つきから、みな容易ならぬ使い手ぞろい、と私は見ました。
彼らだけではない。女をひとり連れてました。
茶ねずみの無地紋付に黒じゅすの襟《えり》をかけ、納戸《なんど》地の昼夜帯をしめ、島田にさんごのかんざしをさした、芸者風の女です。年は三十前後でしょう。化粧も濃いが、なかなかの美人でござんした。
「こんにちは」
と、帳場にひとり出してあったおひろちゃんに声をかけ、
「この旦那《だんな》方、奥州から出ておいでになった衆でねえ。東京|土産《みやげ》に役者の錦絵《にしきえ》が欲しいとおっしゃるから、私が御案内して来ましたよ」
と、にっこり笑った。
してみると、彼女がその連中を連れて来たらしい。
「役者衆の絵はどこかしら?」
おひろちゃんが立っていって、役者の錦絵のある場所へいって、そこでその女のほうが、おひろちゃんより知ったかぶりで、いろいろ説明します。
男たちは、東京の絵草紙屋なんてものにはじめてはいったらしく、もの珍しげにキョトキョトまわりを見まわしていますが、こちらの襖《ふすま》の穴に気づくようすはないようです。
むろん、私がその穴からのぞいての光景でござんす。
すぐに私は穴をゆずって、六人の自由党の衆が、代る代るそこに眼をあてる。
「や……中村だ……」「大森正造もおるぞ」「ううむ、上坂源太郎、あいつも帝政党だったか」「古垣健吉、なるほどきゃつなら刺客になりそうなやつだ!」「あとは知らんな。……」
そんな声が思わずもれるのに、私はヒヤヒヤしました。
「しっ」
と、やはり気がついて、河野さんが注意しました。
ひと通り彼らの検分が終ると、紙と筆を持った小林清親さんがその穴を占領した。そして自由党の衆の教示を受けながら、紙にそれぞれの顔と名前をかいてゆく。さすがに絵師だけあって、特徴をよくとらえて、うまいもんです。
一方、店のほうでは、例の芸者がおひろちゃんそっちのけで、これが団十郎の西郷隆盛、これが宗十郎の曾我の五郎、これが菊五郎の弁天小僧、左団次の丸橋忠弥、あるいはだれの何々と、会津帝政党のよろこびそうな錦絵を出させて、しゃべっている。
これに対して彼らは、嘆声を発したり呵々《かか》大笑したりしているが、ちらっとこちらに眼をむける者もない。はてな、彼らはこっちに自由党のめんめんがいることを知らないのか知らん?
かれこれ二十分ほどたったでしょうか、たまたまお夕さんがその襖の穴に眼をあてた。お夕さんにしては珍しいふるまいですが、やはりみなにつられたのでしょう。
そのお夕さんが、ふいに、
「あ」
と、小さな叫び声をあげ、穴から眼をはなした。
「どうした?」
と、私が訊《き》くと、
「あの芸者さん……女のひとじゃないんじゃないかしら?」
「えっ?」
私はめんくらい、
「どれどれ」
と、お夕さんに代ってまた穴をのぞき、眺めいり――数秒後、全身に衝撃の走るのをおぼえた。
四
茫然《ぼうぜん》たる私に、清親さんがまた代る。
「なに、あれが女じゃないと? まさか? ううん、なるほど、そういわれてみると……」
女にすればやや長身ですが、その顔、その立ち姿、女にしてもちかごろ、これほど江戸前のイキな女はざらにはないかも知れない。
画家の小林清親さんでさえ、いままで気がつかなかった。それをお夕さんだけが見破ったのです。
が、私がびっくり仰天したのは、それもさることながら、その女の顔に、ある記憶がよみがえって来たからでした。女じゃないと指摘されて、はじめて思い出したのでござんす。
「なに、あれが男?」「信じられん!」「そんな奇怪な男が、帝政党といっしょに来るとは、どういうわけじゃ?」
と、自由党の人々も、改めて代る代る穴に眼をあててささやき合う。帝政党よりそっちに絶大な関心が生じたようです。
と、そのとき清親さんが、
「やあ、あれは」
と、ひざをたたいてまたうめいた。
「男といわれていま気がついた。あれは僕のところへ頼みに来た自由党の青年に似とるぞ」
すると、また自由党のだれかが、
「なるほど、ありゃ石川君によう似とるじゃないか?」
と、驚愕《きようがく》の叫びをあげた。みんな声もなくどよめいた。
私は訊きました。
「石川君ってだれです?」
「東京の自由党員で、きょうのことをあっせんしてくれた男です」
なるほど、さっき河野さんがそういい、「帝政党をここへ呼びよせるのにかかっておって、われわれと同行出来なかった」とか言ったようです。
その石川君は、まさに帝政党を連れて来たが、それが女装して――それどころか、ここにいる自由党の人々もいままで気がつかないほど変身してるとは、何ということでしょう。
私は混乱しました。
それにしても、たとえ声をひそめていたとはいえ、こちらのこんなざわめきが店のほうに聞こえなかったことがふしぎ、おそらくそれは帝政党が六人もいて、おたがいに大声でしゃべったり笑ったりしていたからでしょうが。――
そのうちに彼らは、その「芸者」に勧められて、数十枚の錦絵《にしきえ》を求め、ぞろぞろと店を立ち去ろうとする。
私はわれを忘れました。私はさまざまの怪異と疑問を、一刻もはやくたしかめたいという衝動を抑え切れなかったのでござんす。
「お願いでござんす。しばらく顔を出さねえでおくんなさいよ」
それでも私は、自由党の衆に釘《くぎ》を刺しておいて、ひとりで店へ出てゆきました。
往来に出たところで、彼らはふりむいた。
「待ちな」
と、私はその芸者の袖《そで》をつかみました。
「こりゃ、なんのまねだ、化師《ばけし》の秀《ひで》――」
さっき、あれは男だといわれて、私の記憶によみがえってきたといったのは、その名でござんした。
芸者はしばらく私を見つめていたが、ふいに、にやっと笑って、
「男と見られた上からア、窮屈な目をするだけムダだ。もし、原の旦那《だんな》、御推量の通り、わっちゃあ男さ。どなたもまっぴらごめんなせえ」
というなり、地面にどかりとあぐらをかいてしまった。折った片方のすねを片方のももへのせ、顔をぐいとあげると、
「知らざア言って聞かせやしょう。浜の真砂《まさご》と五右衛門が、歌に残せし盗人《ぬすびと》の、種はつきねえ七里ヶ浜、その白浪《しらなみ》の夜ばたらき、以前をいやあ石川島で、うぶ湯を使った化師の秀……旦那、よくお覚えでござんしたねえ!」
と、やったもんでさあ。
むろん、はりのある男の声に変ったのみならず、身体までぐーっと大きくなったようです。
肌ぬぎにこそならなかったものの、この場合に黙阿弥の弁天小僧を地でいったのは、何ともはや人を食ってますが、私はもとよりまわりの帝政党も、みな大眼玉をかっとむいたきり、しばし声もない。彼らもこれが男とは、まったく気がつかなかったようでござんした。
が、やがて、どっとどよめいて、
「やっ、きさまは……男!」
「き、奇怪なやつ――」
「なぜこんなまねをしたか――」
「そのわけを聞こう、とにかく、来い!」
と、ひっ立てようとする。
「ちょい待ち」
と、私は割ってはいった。
「その前に、こっちがわけを聞きたい。用がすんだら、そっちへ返しましょう」
「なにっ」
と、向うはさらに血相を変えて、
「お前は何だ」
「じゃますると、斬《き》るぞ!」
「いいや、この化物、返答次第ではここでぶった斬ってくれる!」
事実、その中の二、三人、仕込杖《しこみづえ》をひっこぬいたから、私は反射的に例の十手を持ち出した。
これが奥からも見えたのでしょう。襖《ふすま》を蹴《け》ひらくようにして、どやどやと会津自由党の衆もなだれ出して来た。それを見て、
「やっ、きさまら――河野――田母野《たもの》――」「花香《はなか》と沢田もおるな」「平島に愛沢か! うぬら、何でこんなところにいたのだ?」
帝政党はいよいよたけりたった。こうなったら、闇《やみ》のにらみ合いもへちまもない。
が、自由党のめんめんは、これも帝政党よりこの「妖女《ようじよ》」のほうに胆を奪われたらしく、
「やあ、石川、これはどうしたことだ?」
「女装などしおって――きさま、自由党員じゃないのか。うぬはいったい何者だ?」
「素性《すじよう》をいえ、事と次第ではこのままには捨ておかんぞ!」
と、口々にわめいて、つめよった。こっちにも仕込杖を持ってるのが、二人ばかりありました。
これには私も制止の声が出なかった。自由党の衆がみな実に大まじめな人々であることはいままでにわかっていたし、だいいち私自身がこの化師の秀の出現が、ふしぎにたえなかったのでござんす。
そうと見て、帝政党も勢いを盛り返し、
「いや、こっちが先だ。こっちがまず取調べる!」
と、押しよせて、秀のえりがみにニョキニョキと腕をさしのばす。
「わっ」
さすがのふとい化師の秀も悲鳴をあげたが、ふと街路の向うに眼を投げて、
「檜《ひのき》の旦那、もういけねえ、助けておくんなさい!」
と、大声をはりあげた。
五
すると、その方向の柳並木の一本のかげに隠れるように立っていた一人の巡査が、にがり切って現われて、こっちへ歩いて来た。
そばに来て、「馬鹿《ばか》っ、このドジ野郎!」と、舌打ちしてどなった。――それは檜《ひのき》玄之助巡査でござんした。
「いやあ、女に化けたのがばれちまったんじゃあ、どうしようもねえ」
と、秀は頭をかきます。
「お前がドジを踏んだからといって、おれを呼ぶことはない」
と、檜巡査は叱《しか》りつけた。どうやら自分を呼んだのがいちばんドジだといいたいらしい。
そして、帝政党と自由党双方に眼をやって、
「白昼ここで、それだけの人数が喧嘩《けんか》することは許されん。どちらもおひきとりなさい。この男は小官が取調べる」
と、いった。
壮士の両陣営のふしんな顔色はいよいよ濃くなりましたが、とにかく巡査が現われて――その巡査にも一言も二言もありそうでしたが、この騒ぎに物見高い銀座の通行人が、わらわらと集まって来たのを見て、たがいににらみ合っていた眼をそらし、吹っ切れない表情のまま、左右に別れ去ってゆきます。
それを見送って、「来い」と、檜巡査は秀をひき立てようとした。
「待った」
と、また私は止めに出た
「だんだん筋が読めて来た。おい秀、おめえのきょうの芸当は、みんな檜の旦那の猿回しだったんだな。一方じゃ芸者に化けて、錦絵《にしきえ》を買いに会津帝政党の衆をこの十字屋に案内し、一方じゃ自由党に化けて、その帝政党の顔ぶれを見せるからって、会津自由党の衆をここへ呼びよせる。――」
「黙れ、そんなことはお前と関係はない!」
どなったのは檜巡査です。
「関係はあるさ。第一にそんな細工の舞台にこの店が使われた。第二にお前さん、ここに来た自由党の衆の似顔絵をかけと小林清親さんに頼んだじゃあねえか」
と、私はどなり返した。
「つまり、人相書きってえやつだねえ。そんなものをかかせて、お前さん、何にするつもりだ? と訊《き》くまでもねえ、警視庁の探偵として、何か一手柄を立てようってえこんたんからだろう」
檜巡査は凄《すさま》じい眼で私をにらみつけましたが、すぐに秀を見下ろして、
「秀、来い」
と、手にしていた仕込杖《しこみづえ》をトンと路上について、また、あごをしゃくった。
すると、なにを思ったか、化師の秀はぱっと腰を浮かせると、私の足に抱きついて、
「原の旦那、助けておくんなさい!」
と、叫んだ。
「檜の旦那といっしょにいっちゃあ、あっしは殺される――」
「来ないか!」
と、檜巡査は声をあららげました。私はいった。
「おい、警視庁の巡査が、石川島から出て来た男を使って何するつもりだったんだ? 何ならおれもいっしょにいって、もっと上司にわけをきこう」
檜巡査は、まわりのざわめき――往来に輪を作っている見物人たちを見て、やや動揺したようすで、ドス黒い顔になった。
「では、秀、必ずあとで来いよ。――」
と、もういちどいって、背を見せました。
檜巡査は小林清親さんに会津自由党の似顔絵を依頼していたはずで、その清親さんもそこに出ていたのですが、そのことはまるっきり忘れたようでござんした。
何はともあれ、この場の騒動は、これでひとまず終りです。私も、そこに集まった見物人には辟易《へきえき》した。で、にが笑いして、「何も起らなくってどうも相すみません。おやかましゅう」と、おじぎをすると、みな、つまらなさそうな顔をして散ってゆく。
それを見すまして、「来な」と、化師の秀を連れて私は店にはいった。
座敷に通すなり、
「それにしても、秀、久しぶりだなあ。……」
いままで、こいつの仲間と再会したときにあげた嘆声を、この男にも発せずにはいられない。
「へえ、おなつかしゅうござんす。……」
と、秀はしおらしい声で頭を下げたが、
「と、いいてえが、実アこれまで、あっしは二度ばかりこのお店にうかがって、錦絵など買ってったんですがねえ」
と、いった。
私は驚きました。
「へえっ、いつ?」
「いつだったかなあ。いちどは旦那《だんな》が、いちどは、それ、あのお嬢さんが坐《すわ》ってましたがね」
と、おひろちゃんをちらっと見て、
「あっしゃ女に化けてたから、旦那もまったく気がつかなかったようですが」
と、秀はニヤニヤ笑ったが、次に首をかしげて、
「きょうは、どうしてわかったんです」
「この人が見破ったんだ」
と、私はお夕さんを指さした。秀は、こんどはお夕さんをじっと見て、
「ははん……いや、なるほど、このお方から見りゃ、なるほどおりゃ、女じゃねえや!」
と、叫んで恥ずかしそうに芸者姿の身体をくねらせて、みなを笑わせた。……そんな化師の秀を見つめて、なお清親さんは感嘆のつぶやきをもらします。
「お恥ずかしや、絵師のくせに僕にもわからなんだ。これが男だとは、いや、怖れいった。……」
実際、お夕さんだけが見破ったものの、これが男だとは、ましてや以前知ってる化師の秀だとは、まったく私は気がつかなかった。いま眼の前で、改めてつらつら眺めても、こいつが男の声さえ出さなかったら、やっぱり芸者としか見えない、呆《あき》れ果てるばかりの化けっぷりでござんした。
化師の秀
一
「化師」ってえのは、実はばくち打ちの隠語で、イカサマ・サイを使うやつのことなんですがね、この秀ってえ野郎は、むろんそのほうの名人ですが、それより自分以外のものに化けるのがうめえってえ評判は、石川島のころから私も聞いていた。――
石川島のころ――この秀も、あの有明先生の棺桶《かんおけ》をかついだ一人でござんした。
のみならず、いま思い出せば、その棺桶を八丁堀の私の家へ運んでゆく途中、監視の檜《ひのき》、船戸巡査の眼を盗んで、あとで先生の持っていた十手を見てくれ、たしかピストルの弾があたったはずだ、という意味のことを私にささやいてくれた男でござんす。
私はまずあのときのことについての礼をいったが、
「へえ、あっしがそんなこといいましたかねえ?」
と、当人のほうは忘れてるようなんで――もっとも、指おり数えれば、あのときから八年もたってるんだからむりもない。
むろん、私のことや、あの事件のことはおぼえている。――その秀の話で、有明先生の非業《ひごう》の死は、やはりあのとき私が想像した通りのものであったことを、あらためて私は確認した。
さてそれより当面、私が興味を持ったのは、その化師の秀がどうしてここへ現われたか、ということでした。
訊《き》いてみると、これまた私の想像通り、檜巡査に指図されての芸当でござんした。
檜巡査に命じられて、自由党の同志者みたいな顔をして京橋の自由党本部に出入りし、会津から出てきた河野|広中《ひろなか》さんらに近づく。そのとき彼は石川秀雄と名乗っていたそうです。石川というのは石川島にちなんでのことでしょうが、何とも人を食ったやつです。
そして、会津自由党を追って、やはり国元から上京して来た帝政党のめんめんにも、芸者として近づく。彼らはほんとうに、会津自由党の暗殺を目的としていたのです。
ところが、その両者、おたがいによく顔を知らない。――
自由党のほうは会津で県令の弾圧下にあり、帝政党のほうは弾圧のための組織であり、どっちも何か秘密組織の匂《にお》いをおびた存在だったからでござんしょうね。
そこで、帝政党とは、彼らが出入りしていた料亭で、芸者としてなじみになって、錦絵《にしきえ》を買いに十字屋に連れて来る。自由党のほうは、彼らを狙ってるという帝政党の顔ぶれを盗み見させるからといって、やはり十字屋に連れて来る。
この双方の陣営の似顔絵を、絵師の小林清親さんにかかせようってえのが、檜巡査の目的だったのでござんす。
いずれにしてもその場所に、十字屋をえらんだことは、こっちにゃとんだ迷惑だが、おそらく右のごとき細工をするのに、ここがいちばん好都合だったのと、それからあとで何か因縁をつけて、私もひっかけるこんたんがあったのかも知れない。しかし、このことはやはり檜巡査の失敗のもととなりました。
ひとり合点で私は「帝政党の魔手から自由党をふせいでやる」などとりきんだものの、実はどうしていいかわからなかったんですが、お夕さんが秀の化けっぷりを見破ったおかげで、隠密|裡《り》に人相書きをとるという檜のたくらみはぶちこわしになっちまったんでさあ。
この日の騒動の筋はあらかた以上の通りですが、そうはいっても秀の化けっぷりには、あらためて感服せざるを得ない。
秀はどちらかといえば小柄なほうにはちがいないが、女にすればやはり大柄にすぎる。芝居の女形はひざをまげて所作をするそうですが、秀の場合はべつにそんなことをしなくっても、まるっきり女の背、女の身体になってしまう。かつまた女形には女形特有の発声があるが、秀はほんとうに女の声になっちまうんです。
とにかく秀を知ってる私が、まったくわからなかったんだから――しかも、こいつ、以前に二度も女装で十字屋をのぞきに来たこともあるという――が、それにも理由がある。
異名化師の秀といい、他人に化けるのがめっぽううめえという話を聞いてたのは先刻申した通りですが、石川島のころはなにしろみんな坊主頭に柿色《かきいろ》の獄衣だけで、化けようにも化けようがないから、実際に私はきゃつの化けたのを見たことがなかったからでござんす。
秀が自由党の壮士に化けたり、芸者に化けたりした手口や手順も聞きましたが、とにかくその化けっぷりの鮮やかさを申しあげただけで御推量を願いましょう。
ただ、いい落すことができないのは、その化師の秀が、どうして檜巡査に使われるようになったかってえことでござんす。
「お前、あの巡査に何かしっぽを握られてるのかい」
「へえ、まあ……」
と、彼は首すじをかいた。
そのとき有明姉妹のほうを横目で見て、具合悪そうな顔をしたから、その場で私はその件についてはそれ以上|訊《き》かなかった。
しゃべりづらかったのも道理、あとで知ったところによるとこういうことでござんす。
化師の秀はねえ、その変装の妙技をおまんまのたねにしていろいろ悪事を働いて来たが、その一つに「ナオコマシ」――女を誘惑して、それから金品をまきあげるってえ手があった。
呉服屋とか小間物屋とか料理屋とか芝居小屋とか、そんなところに出入りして、然るべき女に目をつけると、近づいてこれに甘い言葉をかける。
ときによって、あるいは若旦那《わかだんな》風、あるいは官員風、あるいは書生風のいでたちだが、そんじょそこらにない、水のたれるようないい男だから、けっこうひっかかる女が多い。
それもいちばんよく化けたのは女姿だったそうで、相手がつい心許してついて来ると、然るべき場所でいきなり狼《おおかみ》の本性を現わして傷物にしてしまう。
そして、悪事はそれにとどまらず、そのあとでユスリのたねにするんです。
これがみんな闇《やみ》から闇へ葬られて、こいつ、これまでノウノウと暮して来たが、去年つい調子にのって、ある大官のお妾《めかけ》をこの手でコマした。その件を、いかにしてか檜《ひのき》巡査に探知されたんですね。――
ところが檜巡査は、なぜか秀を公然検挙しないで、その代り、右にのべたような自分の仕事の手先に使った、と、こういうわけなんでさあ。
次に、それじゃあなぜ檜巡査がそんな妙なことをやったのか、ってえ話ですが。――
こりゃ当人に訊かないとわからない。そして当人についに訊く機会がなかったから、あとになって私が知ったいろいろの事実からの推量ですが、要するに会津自由党と会津帝政党との争闘の間に暗躍して、何か一手柄をあげようとしたものにちがいありません。それも、直属の警視庁の指令ではなく、帝政党の黒幕たる福島県令三島|通庸《みちつね》ってえ人の息がかかっている仕事だったらしい。
そこで、東京銀座の絵草紙屋の店頭まで、こんな余波が及んだ会津の自由党と帝政党の争いですが。――
これはいわゆる「福島事件」の前哨戦の一つともいうべきものでありまして、この福島事件は余波どころか、やがて私自身を死地に落とすほど関係深いものとなる。
そんなことは神ならぬ身の知るよしもなく、そのころはまだ、例の清親さんから聞いた以外、さして詳しく知ることもなかったこの福島の騒動のよって来たるゆえんについて、この際一応申しあげておきましょう。
二
この明治十五年二月、福島県に新しい県令が着任しました。名を三島通庸という。
このときから、いわゆる「福島事件」の悲壮な幕があがったのでござんす。
この人は、明治の官僚の悪しき典型でありました。よくいえば自分の任務を果たすことにやる気まんまんですが、悪くいうと、その目的のためには手段をえらばない。
おのれの出世のためには、人民の苦しみなど眼中にないという――何しろ当時は、県令というとそこの大名になったようなつもりの連中が少なくなかったが、これはその中でもいちばん猛烈に権力をふるった人物でした。泣く子も黙る薩摩人です。
これが会津に乗りこんで来たとき、二大目標をかかげていた。一つは会津から三方に大道路をつけることであり、一つは福島県にも発生している自由党をたたきつぶすことでござんした。
御存知のように維新のとき、会津は最後まで官軍に抵抗したために県庁は福島に置かれたが、会津若松はやはり福島県の中心地です。そして、古来物産にも乏しくはないのだが、何しろまわりを山にかこまれているために発展性がない。そこでここから、山形、新潟、栃木の三県へ出る道路をつけさせようとした。
この目的は一応筋が通ってるんです。が、その手段が強引だった。
この道路作りに、会津地方の住民は、十五歳以上六十歳以下の男女は、毎月一日、二ヶ年間、労役に出る。これに服しないものは、男は一日当り十五銭、女は十銭の罰金を払えってんです。
月に一回、というと何でもないようですが、工事現場にゆくにも二本の足でゆくよりほかはない当時、往復だけでも何日もかかる者が多い。田畑の仕事に手のぬけない季節には、農民はたまらない。
また、罰金の十銭、十五銭にしても、米一升が東京相場でも、七、八銭という時代、赤貧の農民の多い地方では馬鹿《ばか》にならない負担です。しかも県の役人は、工事のできない雪の季節の分もとりたてた。まさに悪代官のしわざでござんす。
これに対する怨嗟《えんさ》の声を、当時、会津にも発生していた自由党が受けて、各地で三島県令|弾劾《だんがい》の演説が野火のようにひろがった。
ところが、三島県令のほうは、もともと福島県における自由党そのものを一掃するつもりで、まなじりを決して赴任して来た人物なのです。
三島県令は、人民が勝手なゴタクをのべる自由など断じて許さない、お国の官吏に反抗する民権なんてえものは言語道断だ、という鉄のごとき信念を持って乗りこんで来たのでござんす。
果然、会津を中心とする各地で衝突が起った。
三島県令は、警官のみならず、自由党に対抗して、半秘密|裡《り》に帝政党なるものを作ってこの弾圧に当らせました。
半秘密裡というのは、この帝政党の党員の顔ぶれが大半はっきりしなかったからですが――実は、なんとあの会津落城で戦った会津の侍たちなのでござんす。維新後、敗北し、落魄《らくはく》した士族として生き残っていた彼らに、三島は金品を与えて私党としたのです。
そのせいばかりでなく、おそらく彼らの固陋《ころう》な武士かたぎが、自由民権などという新思想を嫌悪させたものと思いますが、とにかくあの悲壮な武士道の遵奉《じゆんぽう》者が、鬼県令の手先になるとは、何とも評しようのない歴史の悲劇といえましょうか。
これが会津や福島で、自由党に対して惨烈無比の暴力をふるった。
あまりのひどさに、自由党の人々が、東京の自由党本部に実状の報告に来る。それを知って、帝政党が追跡して上京する。国元を離れれば、ほんとうにこの世からの抹殺も辞さない、という意気ごみです。
わが十字屋での騒ぎは、そのあげくの果ての余波でござんした。おまけに化師の秀なんて、あんまり自由民権とは関係なさそうなお化けまで飛び出して来た。
――こういう地方の話は、東京の新聞にゃ出ない。主としてその秀から聞いたことによるのです。
もっとも秀の話は、以上のように明快なものではなく、相当いいかげんなものでしたが――しかし、とにかく自由党の共鳴者に化けて、自由党の本部にもぐりこんで、上京した会津自由党に疑われなかったのだからエライ。
店で暮すようになってから、彼は芸者姿を解いて、ふつうの若い衆の姿に戻ってました。あの島田まげは、実によく出来てるが、やっぱりかつらだったのでござんす。
変装もさることながら、人間、化けるにゃ、ある程度相手の知識や暮しも心得ていなくちゃならない。秀はそれも一応コナしたから、ほかの人にも怪しまれなかったんでしょう。げんに会津自由党や帝政党の消息についても、以上述べたような知識を持っていた。
このことは、秀が決して馬鹿《ばか》にならない頭の持主だったということの現われですが――してみると、こいつ、生まれや育ちがまっとうなら、女蕩《ナオコマシ》などして生きねえで、りっぱな人生を送れたかも知れねえ。
と、いいたいところだが、実は私はそう考えなかった。
というのはねえ、こいつ、生まれも育ちもあんまり異常過ぎるんでさあ。
化師の秀が生まれたのは、なんと石川島寄場の女置場なんでござんす。つまり、女囚の生んだ子なんです。
例の夜嵐《よあらし》お絹《きぬ》が、密通した役者の赤ん坊を生んだのはたしか明治四、五年ごろの話とおぼえてますが、場所は伝馬町の女|牢《ろう》だから私は知らない。秀の場合は石川島の女置場ですが、私の生まれるより二、三年前だから、これも現実には知らない。ただ、そうと聞いたばかりです。
それがどうして化師の秀なんて犯罪者になったか――実はそれも知らないのですが、ただ、この男を見てりゃ、肌の匂《にお》いからして常人じゃないことがわかる。
うちへ来てからは、かつらをぬいでザンギリ頭を出し、私の着物を貸してやったから、一見、ふつうの青年です。実際、私より二つ三つ上のはずですが、二つ三つ分私より若く見えた。ふつうの青年じゃない、ほれぼれするようなりりしい美男でござんす。
が、それでいて――石川島の囚人時代から感じていた――何とも表現のしようのない妖気《ようき》が、その姿にからまりついている。
それは、牢獄島に生を受け、以後一日もまともな暮しをしたことがないだろうと思われる男の妖気でありましたろう。
三
さて、こいつを当分十字屋におくことになった。おいてやらざるを得ない。――
「お前、ここを出りゃ、檜《ひのき》巡査にとっつかまるんだろう」
「なに、あんな野郎おっかなかねえが……あの会津自由党や帝政党に見つかると無事にゃすまねえかも知れませんね」
と、いったが、美しい顔は笑っています。
「こっちは面白半分でやったんだが、会津の衆は、どっちも頭から湯気をたててる大まじめな連中だけにおっかねえね」
この十字屋を出るとあぶない、と私は申しましたが、実をいうと、ここにいてもあぶない。
いつ檜巡査が拘引にやって来るか、いつ会津の自由党、帝政党のどっちかがおしかけて来るか。――
彼らが来ないのがふしぎなほどでしたが、結局来なかった。檜巡査に至っては、清親さんに似顔絵を依頼したはずなのに、それも来なかった。
巡査のほうはウカウカやって来て、私に、なぜ犯罪者でもない人々の人相書を、犯罪者を使って作りあげようとしたか、と、さかねじを食わされるのを怖れたのかも知れず、会津の衆のほうは、この事件に警察が介入していることを知って、秀をつかまえることは藪蛇《やぶへび》になると警戒したのかも知れない。
こういう次第で、秀は当面つつがなく十字屋に滞在していたのですが、さてそれはそれで私は、心中当惑しておりました。
これまでいろいろな悪党をひきとって来たが、こんなに気味悪いやつを見たことがない。
そのわけはいままで申したことでおわかりでしょうが、とにかくいちばん困ったのは、秀が女を誘惑することを商売として来たやつだ、ということでした。
うちには有明《ありあけ》姉妹がいますんでね。
まさか、とは思うけれど、この有明姉妹が――妹のおひろちゃんのほうは、やはりどこかうす気味悪そうにしているところがあるけれど、姉のお夕さんのほうは、いつもの通りまったく怖さ知らずです。
秀を家においてやれといったのもお夕さんだし、これが例によって秀にイエス・キリストや聖書の話をする。
このときお夕さんが私にささやいた言葉がある。
「秀さんが生まれたころ、私たちがいたら、秀さんはあんなひとにならなかったでしょうね」
例の牢屋《ろうや》で生まれた子を母親ごめにひきとる仕事のことをいってるんです。これには私もうなずかざるを得なかった。
それに対して秀が――ふしぎに、おとなしく聴いている。といって、むろんこいつが子供みたいに素直にそうしているとは思われない。秀のほうも、まさかとは思うけれど、何しろ、いままでがいままでです。いつ狼《おおかみ》の本性を現わすか知れたものではない。
私は、実は留守も出来ないような気持になりました。秀の役者にもまがう美男ぶりが気になりました。お夕さんを対象に、ヤキモチをやいたのははじめてでさあ。
と――十日、十五日とたつうちに、秀がだんだんやつれて来た。そして、お夕さんを見る眼が、燐《りん》のようにひかるようになった。私のヤキモチのせいじゃなく、あきらかに秀はお夕さんに、ふつうでない感情を持って来たようでござんす。
四
そして、二十日ほど過ぎてのことでしょうか、さみだれの降る日曜日の午後、たまたま清親《きよちか》さんがやってきた。依然としてその後、檜《ひのき》巡査からは何もいってこないとのことでした。
その清親さんに、ふと秀がいい出したのでござんす。
「先生、ひとつ似顔絵をかいてくれませんかね」
「会津自由党のか、帝政党のか」
「いえ、この店の……上のお嬢さんの」
「え、お夕さんの?」
その日、有明姉妹は居留地の教会へいって留守でしたが、そばで聞いていた私が思わず口を出した。
「何のためだ?」
「ここを出ていったあとの、お守りにでさあ」
「ここを出る?」
私は眼をむいた。
「ここを出りゃ……お前、あぶねえことは知ってるだろう」
「ここにいりゃ、もっとあぶねえ」
「そ、そりゃ、どういう意味だ?」
「まことに申しわけねえが……いりゃあ、お嬢さんを殺すかも知れねえ」
「お夕さんを殺す?」
私は仰天しました。
秀はゆがんだ笑《えみ》を片頬《かたほお》に彫って、
「ま、そりゃ大ゲサだが、刃物であのお顔をひっかくくれえなことはやるかも知れねえ」
「な、なぜだ?」
「あのねエ、旦那《だんな》……あのお嬢さんのおかげで、あっしの人生はダメになりやした」
「お前の、人生?」
笑うどころではありません。むしろ聞き捨てならぬ言葉でござんす。
「お夕さんが、お前の人生をダメにしたとは……そりゃなんだ」
「旦那、あっしゃこれでも、他人に化ける化物といわれた男で……とくに女に化けることを生きがいにしてきた男でござんす。ところが、あのお嬢さんを見てると、もう女に化けるなんて、お恥ずかしくって、気もナエて……もういけねえ」
この化物がはじめて見せる哀れな眼をして、しぼり出すようにいうのでござんした。
「あっしゃ、女として、ともに天をいただかず、とさえ思いつめやした。……お嬢さんにヤキモチをやいたんです。……これ以上、ここにいたら、何やるかわからねえ。だから、あっしゃアここをおさらばしてえんでござんす。……」
私は眼をパチクリさせるばかりでござんした。
私は化師の秀の身ぶりにヤキモチをやいていたのに、秀のほうはお夕さんの女ぶりにヤキモチをやいていたとは?
いつのまにか私自身も、化物世界の一人物に組みこまれていたのじゃないか。――
「ヘンなやつだ」
と、私はつぶやいた。とにかくこんな奇怪な嫉妬《しつと》は、見たことも聞いたこともない。
同時に、からくもわれに返って、
「そ、それなのにお夕さんの似顔絵かいてくれってえのはどういうわけだ?」
と、訊《き》きました。
「これからのあっしの修行のハゲミ、お守り札にしてえんでさあ。……まあ、お化けの世界のマリアさまみてえなもんです」
大まじめな顔で、
「だから、清親先生、お嬢さんの似顔絵をかいておくんなさい」
やがて清親さんは、お夕さんの似顔絵をかいてやりました。
私から見ると、その絵に関するかぎりあまり似てるようには見えなかったが、秀はこれをうやうやしくおしいただいて、ふところにおさめました。殺したいほどヤキモチをやいている相手の絵とは思われないありがたぶりでしたが、一方、この化師の秀の奇怪な心理もどこかわかるような気がする。
「それじゃ、僕は帰るから、いっしょにゆかんか」
と、清親さんがいい、秀はうなずきました。
秀の姿は、若い男のままで――着ている私の着物は、せんべつとしてやることにした。
「いろいろ御厄介かけやした。ごあいさつもしねえが、お嬢さん方によろしくお伝え下せえ」
と、秀はおじぎして、
「ソヨと吹く風、無常の風
雨だれ落ちが三途《さんず》の川……」
と、デロレン節《ぶし》の調子で口ずさみながら、清親さんといっしょに番傘をならべて、小雨の中へ出ていった。……
数日後、また来た清親さんに訊いたら、べつに何の異変もなく、京橋で別れたっきり、化師の秀のゆくえは知れないそうでした。
十字屋のほうでも、その後これといって変ったこともない。
のちに知ったところによると、上京していた会津自由党の人々は、東京で警視庁が妙な介入をして来たことを知った上に、国元のほうの風雲がいよいよ急を告げているので、いそぎ会津へ帰ったそうで、それを追って帝政党も東京をひきあげていったのでありました。
錦絵六壮士
一
ところで、こちらには何事もなかったが、福島県のほうじゃ、春から夏へ、夏から秋へかけて、いよいよ騒ぎが大きくなっていました。
これは先に申した通り、ろくに東京の新聞にも出なかったんですが、どういう筋からですかね、岸田|吟香《ぎんこう》さんが状況を聞きこんで、間断なく伝えてくれたんでさあ。
例の会津からの三方道路工事に農民が狩り出され、そこに出ることが出来ない者は代夫賃を支払わされ、それを払えない者は、たたみ、障子まで差し押えられていること。
農民に同情し、県令の暴虐を指弾する自由党と、警官、帝政党との争いはますます凄壮《せいそう》をきわめ、自由党の中には、帝政党に襲われ、瀕死《ひんし》の重傷を受けた者も少なくないこと、など。
そのたびに私は、胸が暗く沈んだり、血が熱く煮えたぎったりしました。
とても遠い奥羽の話と聞きすごしてはいられない。
もともと自由党のひいきだった上に、ほんの先だって、会津自由党の人々とあんな御縁が出来たからでござんす。
とはいえ、東京で何をどうするってわけにもゆきません。
そのうち、会津じゃ、とうとう大変なことになりました。
農民のために戦う自由党員数名が検挙され、その釈放を求めて千人余の百姓が鋤鍬《すきくわ》持って、会津若松北方四里の喜多方《きたかた》という町の警察署におしかけ、これを警官が白刃《はくじん》をぬいて鎮圧したのが、十一月二十八日のこと。――これがいわゆる「福島事件」の発端でござんす。
三島県令にとって、これはむしろ待望の事態でござんした。これを好機に、十二月にはいるや、彼は一挙に自由党の掃滅に乗り出し、めぼしい党員を大々的に検挙したのであります。その数、千人余。容疑は「凶徒|嘯衆《しようしゆう》罪」というのだから凄《すさま》じい。
これはさすがに、東京の新聞にも報じられました。
明くれば、明治十六年。
大ゲサにいえば、この原胤昭《はらたねあき》にとって運命の年となりました。私のいのちにかかわる大難に落ちたのですが、実は私自身がそれを招いた気味がある。
二月にはいって会津から、右に述べた千人余の中から首謀者と目された五十八人が、国事犯として裁判を受けるため、東京に護送されて来ました。
正しくいえば、二月七日の昼過ぎでござんす。朝から雪がチラチラ降っておりました。
その日、私と有明《ありあけ》姉妹は、吟香《ぎんこう》さんと清親《きよちか》さんといっしょに、鍛冶《かじ》橋近くでこれを迎えました。
私たちだけじゃない。すでにこのことを知った人々が、沿道に行列して見物しておりました。その囚人たちは、裁判中、警視庁の鍛冶橋監獄に収容されることになっていたからでござんす。
やがて、囚人の行列がやって来ました。彼らは、福島県から東京まで、当時はここに汽車というものがありませんでしたから、ところどころは馬車か馬に乗せられましたが、時あたかも厳寒の雪の中を、ほとんど徒歩で追いたてられて来たものでござんした。
彼らはみんな編笠《あみがさ》をかぶせられ、うしろ手にくくりあげられています。東京でも雪が降ってるってえのに、裸に薄着一枚で、その着物もあちこち破れ、あらわになった肌には、この道中につけられたものとしか思えない黒紫の痣《あざ》が見える人々もあります。
会津自由党の大将は、河野|広中《ひろなか》ってえ人だ、ということはすでに承知している。それから河野をふくむ六人が、首謀者中の首謀者として、「内乱陰謀罪」という重罪に問われる可能性がある、ということも新聞で見ておりました。
六人――それは、ひょっとすると、あの似顔絵事件のとき、うちへ来た人じゃなかろうか?
そう気がついて、私たちはそれをたしかめるのも目的で出迎えにいったのですが、何しろ六十人近い人数で、しかもみんな編笠をつけているので、その日はだれがだれやら、ついにわかりませんでした。
とにかく彼らは、足はよろめいていましたが、編笠ながらみな昂然《こうぜん》と頭をあげておりました。
私は涙を禁じ得なかった。
囚人を見るのを家業として来たが、これほど同情すべき囚人の行列を見たことはない。
私は清親さんに話しかけた。
「出獄人保護なんてことをやってるんだが……あの人々が入獄するのを黙って見てるよりほかはないとなると、自分のやってることが何ともむなしくってたまらない」
「同感だ。薩長政府の暴虐もまた極まれりだ。が、まさか斬《き》りこんで助けるってえわけにもゆかんわなあ」
と、反薩長の清親さんも、くやしそうに大きな身体をふるわせてうめきました。
二
――福島事件の裁判はただちに始められ、春から夏の間つづきました。
この裁判でいちばん問題になったのは、農民|一揆《いつき》にちかい喜多方《きたかた》の騒動より、その前に河野さんら六人の自由党員が交した盟約書の中に、
「吾《わが》党は自由の公敵たる専制政府を顛覆《てんぷく》し、公議政体を建立するを以て任となす」
という文章があることでござんした。
検事はこの「政府顛覆」の文字をとらえ、これは内乱陰謀を意味し、極刑に値すると論じたのであります。
このときにあたって、被告側の弁護士として立ったのが、先に申した星亨《ほしとおる》さんであります。
この論告に対し星さんは、内乱の陰謀とは、謀議をめぐらし兵をあげることであるとし、この場合たとえ政府顛覆の文字はあっても、それは事実を伴わない空文にすぎないと、古今の和漢はおろか英仏の典例をあげて論じた。
一方、三島県令はわざわざ上京して、政府上層部や法曹界に、この際一大決意をもって河野ら幹部を極刑に処せねば、明治国家は累卵の危きにおちいる、と猛烈に運動していることが伝えられた。
そして、私の見るところ、必ずしも世論も、自由党に甘くはなかったのでござんす。彼らを、江戸時代の謀叛人《むほんにん》と同一視する者が少なくない、どころかむしろ大半だったのでござんす。
どういうものですかね、私ははじめから単純に、かつ明確に、河野さんたちのほうが正しい、三島県令はこの開化の時代に許すべからざる鬼県令だ、と信じておりました。
そのうち、裁判の中心をなす河野|広中《ひろなか》らのリーダーが、まさに私の家に来た六人の人々にまちがいないことが、だんだんわかって来た。たった数時間の接触でも、その人々の情熱、無私、朴訥《ぼくとつ》の人柄はいまでも記憶に残っております。その名は、河野広中、田母野秀顕《たものひであき》、花香《はなか》恭次郎、愛沢|寧堅《やすかた》、平島松尾、沢田清之助、ということも判明しました。
が、町の一介の絵草紙屋じゃ、何も出来ない。どうするわけにもゆかない。
そこへ、はたとひざをたたくある知慧《ちえ》が浮かんだ。
これまでのおしゃべりで、私にオッチョコチョイの性分《しようぶん》があることはすでに御承知でしょうが、それがまたムラムラと発動したんですな。
私はすぐに深川へ人をやって、小林清親さんを呼んだ。
忘れもしないかんかん照りの夏の日でしたが、夕方、清親さんが来るとすぐ大夕立になりました。
私は福島事件の被告のことを話し、世人に、彼らが謀叛人でなく義人であることを知らせるために、彼らを一人ずつ錦絵《にしきえ》にして売り出すことを持ち出しました。
「会津の役者衆かね」
清親さんは眼をまるくした。
いま生きてる人の錦絵なんて、男の場合、まあ役者のほかにありません。
「六人だから六枚の揃《そろ》い物にしてさ。みんな団十郎や菊五郎よりりっぱにかいてもらいたいんでさあ」
「そりゃ面白い。かく。かくともさ!」
と、清親さんは大きくうなずいた。おだやかなこの人物が、薩長政府の横暴に対してだけは、別人のようにいきり立つことは何度か申しあげた通りでござんす。
「あの六人の顔、おぼえてますかね?」
「あのときねえ、あとであの巡査がとりに来るかと、下絵だけはかいておいた。そいつをとうとうとりに来なかったが、下絵はどこかにあるはずだ」
ちょっと首をかしげて、
「しかし、一人一人の名までわからんが……なに、自由党本部へいって訊《き》けばわかるだろう」
檜《ひのき》巡査に、会津自由党の人相書きをかけと命じられたが、あれから自由党も帝政党もすぐに帰国したので、檜も手持|無沙汰《ぶさた》になったのでしょうか、あれはあれっきりになってたんですが、それがいまこんなことで役に立つとは思わなかった。
軒を打つ雷雨の中の相談でござんした。
「が、いまの政府のことだ。とっつかまりゃせんかね」
「そのことはこっちも考えました。が、まさかだれかを錦絵に仕立てたからってつかまることもあるめえが……まあ、念のため、こんどは清親ってえ落款《らつかん》だけはしねえで下せえ」
「だれがかいたと調べられたらどうするね」
「おれがかいたという」
清親さんは笑い出した。
「そんなこと、たとえつかまったって、その場であぶらをしぼられるか、せいぜい、三日か五日の勾留《こうりゆう》でしょう」
と、私はせせら笑った。
「それでもあんたなら、絵師として傷がつくかも知れん。また、子供さんもある。おれなら子も女房もねえ。たとえ十日勾留されたって、留守にゃお夕さんもおひろちゃんもいるから何てことはねえ」
その有明姉妹は、そばにいてこれを聞いてたが、どちらもニコニコ笑っていた。私の「壮挙」に大賛成なことは申すまでもありません。
「そうかい。どうせ僕がかいたってことはわかるだろうが、とにかくこいつは面白い。やろう、是非やらしてくれ」
まだ夕立はやまないのに、清親さんは武者ぶるいして帰ってゆきました。
三
この錦絵の題は、「天福六家|撰《せん》」と名づけました。
平安朝の大歌人六人を選んだ「六歌仙」という言葉がある。それをもじって、河内山など天保の六人の悪党を主人公とした「天保六花撰」という草双紙があります。この福島事件の六人が、政府|顛覆《てんぷく》を計ったというので、いま罪に問われるようにしている。そこで、それにまたひっかけて「天福六家撰」とやったんでさあ。
ところが――残念ながら、清親さんの版画が出来上る前に、九月一日、裁判の判決が下っちまいました。
河野|広中《ひろなか》は七年、あと五人は六年の禁獄。その他はすべて無罪。
これが重いか軽いか。世にはこの軽罪は星さんの大弁論のおかげだという人もありましたが、私は重罪だと思いました。自由党の人々も、おそらくみなそう思ったでしょう。
ところで、絵が間に合わなくなって私は少し失望しましたが、もともとこちらの目的は河野さんたちを義人として世に訴えるためだったから、私はこれを売り出すことをやめる気にはなれなかった。
まもなく出来上った錦絵に、私はその判決を踏んでわざわざ頭書《かしらが》きをつけた。たとえば河野広中の絵には、
「河野広中君の肖像。
去冬福島において縛につきたるも、その艱難《かんなん》に屈せず。これ自由への熱情の導くところなり。およそ天より賦与せられし人民の自由の権利は、われらが幸福の基《もとい》なれども、これによって罪を得、七年の長きを牢獄《ろうごく》に閉じこめらるるとは、嗚呼《ああ》!」
と、書いた。
この六枚|揃《ぞろ》いの錦絵を売り出した翌日、檜巡査が店頭に現われました。そして、無表情に、発売禁止の警視庁命令を伝えました。
「へえ、そうですか」
と、私は頭を下げたが、ニヤニヤして、
「しかしこれ、いつかあなたが注文なすったものを絵に仕立てただけですぜ」
「すると、この錦絵は、落款はないが小林清親のかいたものだな」
「いや、そうじゃありません」
私はあわてました。
「この私で」
「なに、貴公が?」
檜は肩をゆすって、
「馬鹿《ばか》なことをぬかせ!」
「いや、絵草紙屋を十年近くやってりゃ、門前の小僧でこれくらいの絵はかける。絵もこの文章も、まちがいなくこの原|胤昭《たねあき》でさあ」
ぬけぬけという私の顔を、檜巡査はじいっと見ておりましたが、
「それは追って取調べる。とにかく発売禁止は警視庁の命令じゃ。わかったか!」
と、どなりました。
「御命令は承わりました」
と、私はもういちど頭を下げた。檜はまだ何かいいたそうでしたが、とにかく一応ひきあげてゆきました。
その翌日の朝、私は日本橋に立って、ゆきかう人々にその錦絵をくばりはじめました。
ひるごろになって、檜巡査が、こんどは船戸巡査を連れて、凄《すさま》じい顔色で急行して来た。
「発売禁止を命じたのがわからんか!」
と、どなったのに対し、私は答えた。
「売っちゃいねえ。ただでくばってるんでさあ」
先刻申した通り、私は明治十六年のこの一件を、いまでも「わが生涯の大難」と呼んでおりますけれど、これじゃあこの大難は自分で呼びこんだものだといわれてもしようがないところがあります。
すると、ヘドモドするかと思ったら、二人の巡査は、凄じい顔色ながら、ぶきみに笑いを浮かべました。
「お前を逮捕する」
と、檜巡査がいった。
「えっ、逮捕?」
やっぱり、こう来たか、と私は心中舌打ちしつつ、
「ほう? だれかを錦絵にするとそれが罪になるんで? いままで役者絵を売っても、何のおとがめもなかったんでござんすよ。こいつア、団十郎や菊五郎の絵とおんなじじゃあありませんかねえ?」
「絵ではない、それについておる文章じゃ」
と、船戸巡査は意外なことをいった。
「その文章は、刑法に触れたるものを曲庇《きよくひ》するものだ。出版条令罰則第五条、新聞紙条令第三十八条に該当する。よって逮捕する!」
これには私もめんくらって、ポカンと口をあけている間に、身体に縄がかけられた。そして、その場から連行されて、警視庁の監獄へほうりこまれてしまいました。
あとで考えると、星さんにでも弁護を頼めばよかったと思うんですが、私は別に自由党じゃなし、星さんに頼むほど大物じゃなし、と遠慮してるうちに、いや軽罪裁判所における私の裁判は疾風迅雷、小林清親さんのほうは何の取調べもなく、五、六日で判決が出てしまった。十月一日のことでござんす。
ヘボン博士もこのことを聞いて、横浜から十字屋へかけつけて下すったそうですが、裁判にかけられた上はもうどうすることも出来なかった。
刑はなんと、禁錮《きんこ》三ヶ月、それに加えて罰金三十円ってんです。
さすがに茫然《ぼうぜん》としてるうちに、私は腰縄を打たれた姿で、ほか十人余りの囚人とともに、檜、船戸両巡査つきそいのもとに、石川島監獄にしょっぴかれてゆきました。
急をきいて、さんず茶屋には、有明姉妹と、吟香、清親両先生が待っていて、これまた茫然とした顔で私を見送りました。船に乗せられるとき、私はやっとわれに返って姉妹に叫んだ。
「たった三ヶ月だ! お正月には帰って来るぜ!」
抱き合うようにして立っている有明姉妹、とくにお夕さんの梨《なし》の花のように白い顔が、私の網膜になぜか凍りつくような印象を残しました。
ほんの先日、「たとえ十日|勾留《こうりゆう》されたって、留守にゃお夕さんやおひろちゃんがいるから何てことはねえ」と私はいったが、それが三ヶ月にのびたせいばかりでなく、その留守の間の有明姉妹について、説明できない不安がふっと胸をかすめたのは、虫の知らせというやつだったでしょうか。
また、たった三ヶ月にしても――もう二度とは来ないと誓った牢獄島《ろうごくじま》へ、なんと囚人としてふたたび渡ろうとは、実に思いがけないことでござんした。
そして、船着場へ着くと、前もって知らせてあったものか、そこに出迎えていたのは、鳥居|鶏斉《けいさい》、牛久保|蓮岳《れんがく》、寺西|冬四郎《とうしろう》の三看守でした。
この三人の、うす笑いをかくして、じいっとこちらを見つめている顔を見たとき、私ははじめて自分がただならぬ運命に落ちたことを感じて、秋風の中に戦慄《せんりつ》をおぼえました。
物怪集う
一
十月というと、好季節のようだが、意外に雨が多い。少なくとも、関東ではそうである。いわゆる秋霖《しゆうりん》というやつだ。
その十月半ばのある夕刻、例の築地のさんず茶屋の深い軒下の腰掛に腰かけて、海のほうを眺めている二人の巡査があった。
海といっても、二百数十メートルへだてて、石川島が黒い蛇のように浮んで見える。そこを往来する役人、囚人、出入り商人などは、雨の日だって変らないはずだが、どういうわけかその日その時刻、まるで死に絶えたように人影がなく、茶屋から渡し場にかけて、ただその二人の巡査しか存在していないようであった。
船戸|伴雄《ともお》巡査と檜《ひのき》玄之助巡査だ。
――と、その細い海を、渡し船が一そう、島のほうから近づいて来た。
これもふつうは、もっとたくさんの人数を乗せているのだが、いま見えるのは三つの影だけだ。外套《がいとう》をつけ、それについた頭巾《ずきん》をかぶっている。
岸に着くと、船をつながせ、船頭はそこにとどめて、さんず茶屋へ歩いて来た。
「や、わざわざ御苦労」
船戸巡査に声をかけられて、頭巾をとったのは、寺西|冬四郎《とうしろう》、鳥居|鶏斉《けいさい》、牛久保|蓮岳《れんがく》の三看守であった。
「原|胤昭《たねあき》のことについて内密に相談したいことがあるのだ」
と、檜巡査がいった。看守たちは黙ってうなずいた。
そして、五人は茶屋の中にはいっていった。
そこにはいくつかの飯台《はんだい》や腰掛があるが、ここもほかに「客」はいない。茶くらいは出す婆さんがいるはずだが、巡査たちに命じられたと見えて、どこかへ身をひそめているらしい。雨のせいで、中は夜のように暗い。
彼らは、いちばん奥まった飯台を中心に坐《すわ》った。黒い官服のせいか、まるで五つの闇《やみ》のかたまりのようだ。
「原はどうしとる」
と、まず船戸巡査が、声をひそめて尋ねた。
「元気じゃ」
と、鳥居看守がいい、
「元気で困っとる」
と、寺西看守が押し出すようにいった。
原胤昭を、船戸、檜の両巡査が石川島へ送りこみ、寺西、鳥居、牛久保の三看守が受けとってから十日ばかりたっている。あのときは、ほかの囚人もあり、事務的な受け渡しにとどまったが、二、三日前、両巡査は、石川島へゆく別の巡査に伝言して、きょう三看守をこのさんず茶屋に呼び出したのであった。
「元気とは?」
こんどは檜巡査が訊《き》いた。牛久保看守が答えた。
「雑居房で、あんにゃろ、すぐに牢名主《ろうなぬし》になった」
「牢名主に? きゃつが石川島をやめてから、かれこれもう十年近くたつだろう。それなのに、囚人たちはあいつを知ってるのか」
「十字屋で世話になったやつらで、また入牢しとるやつらがおる。それに、十字屋の名は囚人たちによく知られとる」
「ああ、そうか」
と、いったが、檜巡査は舌打ちして、
「それで、貴公らはきゃつをそのまま威張らせておくつもりか」
「いや――しかし、とにかくあいつは、まだことし一杯は牢におるんじゃから――」
「ということは、三ヶ月たったら出て来るということだ」
と、船戸巡査がいった。
そして二人の巡査は、地を這《は》うような声をそろえて、
「貴公ら、三ヶ月後、きゃつを無事に外へ出す気か?」
と、いった。
「きゃつのために、貴公らがいろいろ手痛い目にあったことは、何かのうわさで聞いちょるぞ。ふふふ」
と、船戸巡査は薄笑いをにじませて、
「実は、こっちも同じじゃ。――あの原胤昭というやつが、何かとこっちに敵対の挙動を見せるのは、いうまでもない、あいつの先輩、元江戸与力をこの五人で殺害したからじゃ。少なくとも、きゃつはそう思いこんで、おれたちをかたきだと見ておるようだ」
「そいつが――罪は三ヶ月の軽罪だが、とにかく石川島へ来る羽目になったのは、それこそ飛んで火にいる夏の虫じゃ」
と、檜巡査がいう。
「これを絶好の機に、二度とあいつを外に出したくないとは思わんか?」
「思う、思う。いや、そのことはこっちも考えておったんじゃ」
と、牛久保蓮岳がうなるようにいった。
「いずれ、寺西、鳥居両君に談合しようと思っちょったんだが、あんた方もそう考えちょったか。そうと聞けば、今夜のうちにもきゃつの首を絞めあげる」
と、力士のような両腕を飯台の上にうねらせた。
「待て待て」
と、船戸巡査が首をふった。
「それが簡単にゆくようなら、いままでにあのなまいきな若僧、おれのピストルか檜君の剣で始末しておる。それを自制して来たのは……あいつの背後に、横浜のドクトル・ヘボンがついとるからじゃ」
二
看守たちは、虚をつかれた表情をした。彼らもヘボンの名は知っている。――
「実は、三日ほど前、ドクトル・ヘボンが、自由党の代言人|星亨《ほしとおる》と同道して警視庁に来た。――それで貴公らに急ぎ相談をする気になったのじゃ」
と、檜巡査がいった。寺西看守が訊く。
「何の用で、その二人が警視庁へ?」
「会ったのは樺山《かばやま》警視総監閣下だけじゃから詳しいことは知らんが、風評によると、石川島における原胤昭の生命の安全の保証を要求したということじゃ」
「何を――バテレンの毛唐人が――あの自由党の三百代言が――」
と、鳥居看守が歯をむいてうめいた。彼の頭にはむろん去年浅草橋で、檜巡査と自分を嘲殺《ちようさつ》した星亨のふてぶてしい姿が浮かんでいたにちがいない。――が、
「石川島監獄にはいった罪人の処置については、一指もささせぬ!」
と、彼は叫んだ。
「原則的にはそうだが、そうとばかりはいっておられん」
船戸巡査はまた首をふって、
「星は知っての通りの反官の怪物、ヘボン博士は、これはまた政府も無視はできん高名の紅毛の大医。――おそらくこの両人の申し込みのことは、すでに警視総監閣下から監獄署長へ通達がいっとるのじゃないか」
「それじゃ、こっちは手が出せんっちゅうことかい?」
と、うなったのは牛久保看守だ。
「直接にはな」
と、檜巡査がうなずいた。
「が、間接的なら出来る。……ほかの人間にやらせるのじゃ」
「だれに?」
「囚人に」
と、檜が答えたのにつづいて船戸が、
「まだ警視庁の監獄にほうりこんだままだが……それ、貴公らも知っとるじゃろう。ぬらりひょんの安というスリ、異名アラダルってえ雪隠《せつちん》強盗、俥強姦《くるまごうかん》のサルマタの直熊《なおくま》、ナオコマシの化師《ばけし》の秀《ひで》、枕探《まくらさが》しの邯鄲《かんたん》お町《まち》……ってえめんめんだが」
「おう、知っとる! みんな知っとる!」
と、看守たちはいっせいに叫んだ。
「きゃつらにやらせたらどうだろう、と考えてるんじゃが」
「ううん、あいつらなら……」
と、鳥居鶏斉がうなずいたが、
「しかし、五人は要るまい」
「じゃから、二つに分けて、一方を石川島へ、一方を十字屋にかからせる」
「えっ、十字屋へ?」
船戸の眼が妖《あや》しくひかって、
「だれの手にかかっても、とにかく原が屍体《したい》となって島を出れば、あの有明《ありあけ》姉妹が騒ぎたてるじゃろう。それで……何が起ってもあの姉妹の口を封じてしまうようにする。原が消え、姉妹が黙ってしまえば、ヘボンも星もどうするわけにもゆくまい」
「黙らせるとは、どうするのじゃ?」
「それも、いまいった悪党五人との談合の上じゃ」
「五人との談合? いつ、どこで?」
「まさか、警視庁の監獄でそんな相談はできん。そっちがいいなら、明夜でも、その五人を然るべきところへ連れて来る。そこできゃつらと話して見ようと思うが、どうじゃ?」
「それはいいが……」
寺西看守がちょっと考えて、
「そういうことをやらせて、あとあの悪党どもをどうする?」
「これは闇《やみ》から闇へ始末すりゃいい。もともと闇が化けたような連中じゃ。こっちはどこからも文句は出ない」
船戸と檜の両巡査は腰のピストルと仕込杖《しこみづえ》に手をやって、うすく笑った。
「か、邯鄲お町を始末するときは、おれにやらせてくれ」
卒然と寺西看守がいい出したが、ふと首をかしげて、
「きゃつらを使うとなると……あいつら、みなあぶないやつらだぞ。あとでこっちの手をかまれる心配はないか?」
と、いったのは、いつかの築地居留地跡の唐人館における連鎖事件を思い出したのに相違ない。
「そんなことはさせん。とにかく、それもこれからの相談じゃ」
茶屋の板屋根を打つ雨の音が高くなり、五人の男たちはちょっと黙りこんだ。……
いま船戸が、五人の悪党を「闇が化けたような連中」といったが、ここにいる官服を着た五人こそ、闇が化けたような影に見えた。
この五人は、いままで職務上それぞれ接触したことはあるが、「私用」で五人、そろって集合したのはこの日がはじめてであった。
三
彼らはいまあらためて、自分と原|胤昭《たねあき》や五人の悪党たちとのいままでの応酬を思い出していた。
船戸|伴雄《ともお》巡査が原胤昭からいくどか痛烈な反応を受けたことはいうまでもないが、中でも顔がいまでもゆがむのを禁じ得ないのは、例の紀尾井坂の大久保卿遭難事件のさい、ぬらりひょんの安から手にいれた暗殺者たちの斬奸状《ざんかんじよう》のことだ。
せっかく事前にそれを入手しながら、彼はそれを役に立てることができなかった。
彼はもともと朝敵桑名藩の下級武士で、御一新後働く場所もなく、横浜の異人館のボーイとして勤め、そこで一念発起してピストルの使い方をおぼえてから巡査になった男であった。しかもその後、けんめいに修行をして、空飛ぶ雀《すずめ》さえ撃ち落す伎倆《ぎりよう》の持主となった。
そのため警視庁では特別にピストル携帯を許されているが、いかんながら朝敵藩出身のため、いつまでたってもうだつが上らない。
そこに、その斬奸状が手にはいったのである。
本来ならそれを警視総監に提出すべきところ、出世をあせる彼は、何を血迷ったか一足飛びに、斬奸状の相手たる大久保卿の屋敷にみずから出頭してそれを見せた。が、斬奸状が草稿としか見えず、かつその書き手が西南戦争とは無縁の加賀人たちであったためか、大久保家のほうでは一笑しただけでとり合わなかった。
そのあと、ほんとうに事件が勃発《ぼつぱつ》し、船戸は暗殺者たちをみごとに逮捕したのだが、その彼に与えられたのは勲功ではなく、証拠書類をそれまで隠していたことに対する総監の大叱責《だいしつせき》であった。
その後彼は、憤懣《ふんまん》のあまりに十字屋へ、原胤昭に八つ当りにいったものの、原から、何いってやがる、お前さんこそその文書をひとりじめにして、自分の手柄にしようとしたんじゃあねえか、明治の警視庁はそんな汚ねえぬけがけを許してるのか、と、さかねじのタンカを喰《くら》わされた。
それがみごとにズボシを射ているので、出鼻をくじかれて不本意に退散を余儀なくされたが。――
きゃつが、ああいう風に自分に敵意を見せるのはそれなりのわけがある。九年前、石川島であいつの師匠|有明《ありあけ》某の十手をピストルで撃ったのはこの船戸だと知ったらしいからだ。
思い出せばムカムカして来るような原とのやりとりの記憶はいくつもある。いつかは始末してやりたい、始末しなければならぬやつだ、と船戸はかねがね考えていた。――
もう一人の警視庁巡査|檜《ひのき》玄之助も、同様に原胤昭から、いくども煮湯をのまされるような思いをしている。
これは水戸藩の出の男であった。
幕末水戸藩は、いわゆる攘夷《じようい》の天狗党と佐幕派の諸生党との凄惨《せいさん》無比の内戦におちいったが、彼は諸生党の一人であった。
この抗争で、彼は藩中屈指といわれた豪剣をふるったのみならず、のちに越前|敦賀《つるが》まで逃れた天狗党が総処刑されたとき、わざわざ敦賀までいって数十人の斬首《ざんしゆ》を引き受けたくらいであった。すべて水戸藩のためであると信じての行為であった。
一朝明けて明治の世となったとき、水戸藩は右の内戦で敵味方を殺しつくして、廟堂《びようどう》に立つべき人材をことごとく失っていた。いわんや佐幕派に身をおいた彼は、職を得るどころか、いちじは逃亡の犯罪者のような状態に追いやられた。
数年後からくも警視庁の巡査の職を得たのはまだしものことだ。そのうちその剣技が人の認めるところとなって、いまでもサーベルとは別に仕込杖《しこみづえ》を常時携帯することを許される存在とはなったものの、それでもいつまでもひらの巡査から上ることができない。
彼は昔の身分や行跡を口外しなかったが、やはりそれがたたっているのだと思わざるを得ず、しかし過去を呪《のろ》わず、いまの世を呪った。
たまたま去年上京した福島県令三島通庸の護衛を頼まれたとき、県令と私的に話をする機会を得た。三島は近い将来中央に戻って警視総監になると警視庁内でもささやかれている人物であった。
檜が会津自由党の似顔絵を作って帝政党に渡してやろう、などと思い立ったのは、三島のために犬馬の労をつくして恩を売ろうという下心のためだ。彼もまた浮かび上るために焦燥していたのである。
その企みを失敗させたのは原胤昭だ、と彼は考えている。あの企みの舞台に十字屋を選んだのは、化師《ばけし》の秀《ひで》の思いつきであり、また化師の秀が見破られるはずはないと考えていたためであり、かつまた後に何かのことで原胤昭をとっつかまえてやろうという意図もあってのことであったが、要するに十字屋を使ったことは裏目に出た。
のみならず原は、それらの自分の下心をうすうすかんづいて嘲笑《ちようしよう》しおった。
またその前に、浅草橋で星亨《ほしとおる》をひっかけようとしてしくじったときにも、原が生意気にもちょっかいを出して、喧嘩《けんか》を買って来たという記憶もある。
三人の看守の原に対する憎しみはいわずもがなだ。
牛久保|蓮岳《れんがく》は、かつて原胤昭の囚人保護にいちゃもんをつけようとして、もののみごとにこのさんず茶屋の海へ、人力|俥《しや》ごめにほうりこまれたことがある。
のみならず、その後のことだが、昔のお大名のお抱え力士時代に味わった遊びの快味忘れがたく、部下とともに芸者を連れてお大尽然と俥《くるま》でゆくところを原に見られ、痛烈な皮肉を浴びせられた。
あのとき原は「石川島の看守さんのお扶持はおれも知っている。よくまあお金がありますねえ!」と、ぬかしおった。
その金は、囚人の家族や被害者の家族を脅してまきあげたものであったが、ひょっとするとあの原というやつ、その行状を嗅《か》ぎあてているかも知れん――というのが、その後の彼の、頭にねばりついて離れぬ不安であった。
寺西|冬四郎《とうしろう》に至っては、あの唐人館の連鎖の屈辱は、いまでも思い出すと全身にふるえを起すほどだ。
そしてまた鳥居|鶏斉《けいさい》は、例の浅草橋の件もあるが、そもそも以前、原の師匠という有明捨兵衛《ありあけすてべえ》なる者の十手で悶絶《もんぜつ》させられたことを忘れることは出来ない。杖術《じようじゆつ》では無双と信じる彼が、あんな恥辱をなめたことは一度もない。
そもそも処罰狂ともいうべき彼は、原が囚人保護などという仕事をやっているのが気にくわない。それこそ保護されるいかなる囚人の所業にもまさる大悪だと考えている。のみならず、その十字屋の屋根に――天日のもとに邪宗門の十字架をおっ立てているとは、かつての江戸町奉行鳥居|耀蔵《ようぞう》の血を享《う》けた彼にとっては、実に悪寒《おかん》をもよおすような風景であった。
さて、この五人が、しかしいままで原胤昭に手が出せなかった。
まことに不本意千万なことだが、それはまず、原胤昭がいまの法律で罪にあたる行状を犯していないこと、つぎに彼らの大半が自分の弱味を原に握られていて、へたに手を出すと藪蛇《やぶへび》になるおそれのあったこと、そしていちばん大きな制止力は、例のヘボンあるいは築地居留地の異人の教会であった。
が、この世から消すのに異論はない。いや消えてもらいたいその憎むべき男は、いまや彼らの支配する鉄の籠《かご》にはいった。しかも彼らはみずから手を下さず、五匹のけだものを飛びかからせようとしている。……
四界はただ、彼らの姿を沈める闇《やみ》と、彼らの声を消す雨の音ばかりであった。
四
そのあくる日のまた夕刻だ。やはり陰雨がふりしきり、さんず茶屋|附近《ふきん》には、ほかに人影はない。
と、一団の黒い影が、渡し場のほうへやって来た。
「ええっ、ほんとうに石川島へ放りこむんですかい?」
「裁判にもかけねえで、そりゃむちゃだ!」
「いったい何年の刑期か、それも知らねえ」
牛のほえるような声にまじって、
「証拠をお見せ、あたしが何したっていうのさ?」
と、怒った女の声が流れる。――それに対して、
「きさまら常習犯には、略式でいいのじゃ。手続きは島でする」
外套《がいとう》の頭巾《ずきん》をかぶった巡査が答え、もう一人の巡査が、
「待て待て、船は待っておるが、船頭が見えんな。……船頭が来るまで、茶屋で待つことにしよう」
と、いった。
五人の囚人と、二人の巡査であった。
囚人といっても、衣服は世間なみの姿だが、手錠をかけられ、腰縄《こしなわ》を五人分、鵜匠《うしよう》のように一人の巡査に握られている。みんな雨に打たれっぱなしだ。
彼らは茶屋にはいっていった。
茶屋の中には、だれもいない。――いや、薄い墨汁のかたまったような奥の飯台《はんだい》の前に、看守姿の三人の男がいた。
五人の囚人は、ぎょっとしたように棒立ちになった。
「いや、待っていたぞ」
「久しぶりに見る顔もあるな」
「なつかしいなあ」
と、笑顔を見せたのは、寺西看守、牛久保看守、鳥居看守だ。この三人に「なつかしいなあ」といわれ、笑顔をむけられて、ぞっとしないやつはあるまい。
五人の囚人はいうまでもなく、ぬらりひょんの安、サルマタの直熊《なおくま》、アラダル、化師《ばけし》の秀《ひで》、それに邯鄲《かんたん》お町《まち》であった。
彼らはいずれもここ数日の間に、船戸、檜巡査に検挙された。それも何か悪事を働いている現行犯ではなく、あるいは路上で、あるいは旅館に踏みこまれてつかまったもので、それ以来鍛冶橋監獄――警視庁の留置場にほうりこまれていたのだが、さきほど両巡査に呼び出されて、石川島へ収容するといわれ、昏迷《こんめい》状態で連行されて来たものであった。
「へえ……こりゃ、どういうこってす?」
と、まず化師の秀が訊《き》いた。美青年の書生風だ。
いま看守の一人が「待っていた」といったように、彼らがここにいるのも、自分たちがここに連れこまれたのも偶然ではないと、五人とも感づいたのである。
「いや、ちょっと話があるのだ」
と、檜巡査がいった。これまたいままでと別人のようにきびしさを解いた表情であった。
「実は十字屋の原|胤昭《たねあき》のことだがね。みな、原を知っとるじゃろ?」
と、船戸巡査がいった。
「知っとるはずだ、あの男を、どう思う?」
だれも答えない。五人とも無表情だ。
「みな、いちどは原の出獄人保護とやらの世話になったはずだが……それを恩義と思っとるかね? ……どうだ、ぬらりひょん?」
「別に」
と、ぬらりひょんの安が答えた。
そして、いちいち尋ねられて、みんな「別に」と無感動な返事をした。巡査や看守の問いに、その意図がつかめないうちは、然るべき反応を見せないのが、警察に馴《な》れ切った囚人一般の習性であった。
「どうしてあそこを出たのだ、サルマタ?」
と、鳥居看守が声をかけると、
「へ、ちょっと気にくわねえことがあったから」
と、サルマタの直熊《なおくま》がぶすりと答えた。
「実はその原は、囚人としていま石川島におる」
と、牛久保看守がいった。
「へーっ」
これは知らなかったらしく、はじめてみんな眼をまるくした。
「あの人、何やったんで?」
おずおずと、アラダルが尋ねた。
「政府|顛覆《てんぷく》を計る国事犯を錦絵《にしきえ》に仕立てて売り出した罪でな。――刑は禁錮《きんこ》三ヶ月と軽い」
と、寺西看守がニガニガしげに、
「そもそもそれ以前からきゃつ、公然と邪宗のしるしの十字架を屋根にかかげ、屋号も十字屋と名乗る不逞《ふてい》のやつじゃ」
と、うめいて、
「ズバリ、言おう。……おれたちは、三ヶ月たってもきゃつを牢《ろう》から出したくない」
「と、おっしゃると?」
邯鄲お町が訊く。
「石川島で消すのだ」
と、鳥居看守が地を這《は》うような声でいい、
「お前ら……その手伝いをする気はないか?」
「つまり、殺せってんですね?」
と、お町がいった。
二人の巡査と三人の看守は黙ってうなずいた。
五
五人の犯罪者は顔を見合わせた。
やおら、サルマタの直熊《なおくま》が、
「旦那《だんな》方がやる気なら、そりゃお安い御用でしょうが」
「そうはいかん。きゃつ、いま牢で、囚人の親分然としてなかなか権威をふるっとる。また、きゃつの背後に、それ、お前が主人とした星亨《ほしとおる》、それに横浜のドクトル・ヘボンなんてのが控えとる」
と、鳥居看守がいった。
「そこでお前たちに助《すけ》ッ人《と》を頼みたいのじゃ。……どうじゃな?」
「承知するなら、謝礼その他、これから談合する」
牛久保看守がいった。
「また、きいてくれるなら、原を始末したあと、ただちに釈放してやる。いや、それまでも、かたちは一応囚人だが、心はこちらの仲間として取り扱う」
「秀、お前に自由党員に化けてもらったことがあるだろう」
と、檜《ひのき》巡査が口を出した。
「まあ、あれと同じだ」
鳥居|鶏斉《けいさい》が、急速に濃くなった闇《やみ》の中に、燐《りん》のようにひかる眼をぐるっとまわして、
「不承知なら……そのように取り扱う」
これがどんな事態を意味するかは、むろん五人は骨の髄まで知っているだろう。
五人の悪党は、また顔を見合わせた。それは恐怖とともに、これに対する自分たちの態度を確認するためであった。
「いや、わかりやした。旦那方がそうおっしゃるなら、こっちも申しましょう」
と、サルマタの直熊がいい出した。
「あんにゃろ、おれの俥《くるま》落しの強姦《ごうかん》を、たったいちどだけといっても信用しねえ。おれは腹を立てて、あそこの妹のほうをひっさらって堀へ放りこんでやりかけたくらいでさあ」
「おれも同じさ」
と、ぬらりひょんの安がせきこんで、
「十字屋に連れてって、さんざん説教しやがったくせに、ひとをいつまでもスリ扱いにしやがる」
と、いうと、アラダルが、ぶすっと、
「おれは臭えから、そばに寄るなとぬかしやがった」
と、うなり声をたてた。
そのときのショックはともあれ、だいたい彼らがこんど検挙されたのは最近の嫌疑によるというのが名目で、それに対して彼らもほとんど無抵抗に拘引されたくらいだから、決して大きな口はきけないはずだが、彼らを拘引した両巡査は、いまうす笑いしただけで何の異議もさしはさもうとはしない。
「だいたいねえ」
と、化師《ばけし》の秀《ひで》も調子に乗って、
「あいつ何だ。きれいな絵草紙屋できれいな姉妹を両手に花とかかえやがってよ、本人は鼻の下をながくしてヤニ下がってるくせに、牢《ろう》から出たやつの面倒をみるとか何とか、エラそうな口ききやがって、くわせものの見本といっていい野郎だが、それどころじゃあねえ、あいつこそ化師も化師、天下の大化師だい!」
と、いった。
すると、邯鄲《かんたん》お町《まち》が、
「くわせ者も化師も、まだ正気なところのある人間だよ。あいつら、惚《ほ》れてるくせに抱き合うことはおろか、まだ手も握ったこともないらしいよ。あの男とあの姉妹、頭がおかしいんだよ。あのヤソ教のおかげで、みな気が変になってる連中だよ」
と、吐き出すようにいい、
「あいつらをメチャメチャにしてやるためなら、五人、なんでもやりますよ!」
と、身を乗り出した。
彼ら五人は、べつに仲間ではない。男の四人は、何度か同時期、石川島に収監されて、しかも鳥居看守らに目のかたきにされて残酷な私刑を受けたから顔見知りだが、それだけの縁だ。娑婆《しやば》に出てからはそれぞれ「専門」がちがうから、おたがいに顔を合わせることも稀《まれ》な関係であった。邯鄲お町にとってはなおさらだ。
が、彼らはさっき、五人の巡査看守らが自分たちをここへ集めた目的を知り、そのいきさつや以前からの経緯から、それが本気であることを認めたとたん、おたがいに以心伝心、たちまちこの企みに同心したのであった。
恐怖からの媚《こ》びもあるが、そればかりとは見えない彼らの眼の炎であった。
「ええ、旦那《だんな》方」
と、化師の秀が、ここで小首をちょっとひねって、
「しかし、それだけのことで――牢にいる原だけを消すのに、五人は多過ぎやしませんか」
と、いい出した。
「その通りだ。……実はな」
と、船戸巡査がうなずいて、
「原にかかるのは三人、十字屋には二人、と分けたいと思うんじゃが」
「十字屋へ?」
「三ヶ月たって原が石川島から出て来なきゃ、有明姉妹が黙ってはいまい。そして、あの姉妹だけならまだいいとして、さっきいったドクトル・ヘボンや星亨に乗り出して来られると面倒なことになる」
「あ、なるほど――」
と、サルマタの直熊《なおくま》が叫んだのは、短期間だが星亨の俥夫《しやふ》をやって、星がただものではないことを充分に知ったからにちがいない。
「そこで、有明姉妹を黙らせる役をやってもらいたい」
「黙らせるとは?」
と、化師の秀が首をかしげたが、船戸巡査が黙っているので、秀はつぶやいた。
「女を黙らせる――それもずうっと黙らせるにゃ、あっしの思いつく方法は一つしかありませんがね……」
すると、ぬらりひょんがニヤリと笑い、
「そりゃいい役だなあ。お、おれに十字屋のほうをやらせてくれ」
と、うなぎみたいに長い身体をくねらせたのは、秀のつぶやきの意味をたちまちのみこんでの注文だろう。
このとき寺西看守が、戦慄《せんりつ》すべきことをつぶやいた。
「斬りたいが……美女の首を斬りたいが……今回は、そうはゆかんか?」
邯鄲お町が一瞬鼻白んだ表情をしたが、すぐに身体をゆすって、
「何でもいいや、倖《しあわ》せそうな顔してるやつを地獄の底に落っことしてやることができりゃ、あたしゃ本望だよ!」
と、叫んだ。
あとの四人の悪党たちは、低く、どよめくように笑った。
あきらかに、命令者に媚びただけの笑いではない。世のあらゆる幸福なもの、あらゆる美しいもの、あらゆる気高いものへの呪咀《じゆそ》と悪念にみちた闇黒《あんこく》のけだものたちのうなりに似た笑い声であった。それらを傷つけ、打ち壊すことなら、彼らは平気でやる。むしろよろこびいさんでとりかかる。――
「そうと決まると、あんまり早く事を進めてはかえって都合が悪い。三ヶ月以内――むしろ遅いほうがいいかも知れん」
と、檜巡査がいうと、
「何にせよ、万事ぬかりのないように、談合する時間はたっぷりある」
と、船戸巡査がいった。
闇と雨の音につつまれて、九人の男と一人の女は顔を寄せ合った。
ああ、原胤昭は小林清親に、「たとえ勾留《こうりゆう》されたって、留守にゃ有明姉妹がいるから心配ねえ」といった。――が、心配ないどころか、両者は分断されたかたちで、十人の物怪《もののけ》たちに狙われることになったのだ。
星の涙の降る夜に
一
十月の末、銀座のガス燈に灯のはいるころ。――
十字屋絵草紙店に、一人の女がはいって来た。
店には客がなく、帳場にはお夕《ゆう》だけが坐《すわ》っていたが、お高祖頭巾《こそずきん》をかぶったその女をけげんそうに眺め、ついではっとしたように、
「あなたは!」
と、叫んだ。
「そうさ、お町よ」
と、邯鄲《かんたん》お町《まち》は答え、
「この前は、さんざんお世話になりながら、あんな風に、あと足で砂をかけるように追ん出ちまってごめんね。でも、いまおわびなんかしてるひまがないわ。原の旦那《だんな》がたいへんよ」
と、せきこんでいった。
「えっ胤昭《たねあき》さんが!」
お夕ははじかれたように立ちあがった。
「胤昭さんがどうしましたって?」
「ほうっとくと、殺されるかも知れない。……」
「だれに?」
「あそこ、原の旦那を目のかたきにしてるおっかない看守が、何人もいるからね。……」
お夕は、泳ぐようにお町のほうへ出て来た。
「あなたは、どうしてそんなことを?」
「二、三日前まであそこにはいってたのさ。そこで、そんなうわさを聞いたのさ。いえ、うわさじゃない、化師《ばけし》の秀《ひで》って御存知? あの男もここに御厄介になってたそうだから知ってるわねえ。あの男もいっしょに出て来ましてね。渡し船でいっしょになって、それから話を聞いたのさ」
お夕は蝋《ろう》のような顔色で、お町を見つめている。唇がふるえているが、声にはならなかった。
「それで、二人とも原の旦那にゃ御恩があるし、何とかしてあげなきゃならないって話して、なんとかそのメドをつけたんだけどね。……」
「そ、それは――」
「この世界もあの世界も、しょせんはツルさ。いえ、あの牢《ろう》の世界は、この娑婆《しやば》よりツルが何よりものをいうのよ」
囚人の面倒を見ている生活から、ツルとは金を意味するくらいはお夕も知っている。
「あそこの看守にツルを握らせりゃいっぺんにおとなしくなるってえメドが……でも、二人とも牢から出たばかりでお金がない。そこでやっぱりこちらさまから出してもらうよりしようがないってことになって、それでおうかがいしたんですよ」
「あの……いかほどのお金でよろしいのでしょうか?」
「三百円」
この時代、三百円はなかなかのものだ。
お夕が数十秒、お町の顔を見たままじっと眼をすえたのは、それだけのお金がいま家にあるかしら? と思案したためであったが、それをどうとったか、お町は首をふって、
「いえ、あたしがもらってゆこうってんじゃないんですよ。まちがいのないように、あなたにおとどけしてもらおうと思っているんですよ」
と、いった。
「えっ、あたしが?」
「そう、石川島へいって、じかに原の旦那に」
「胤昭さんに会えるんですか!」
「それ、三百円があればね」
「で、いつ?」
「これからすぐにでも。――いえ、今夜のほうが都合がいいの」
「この夜に?」
「夜だから、できるのさ。牢の裏門から出してもらえば、そこは広い空地になってるの。そこへこちら側から出した船を着けてもらって」
「船を?」
「念のため今夜、いまいった化師の秀さんが船を用意して待ってくれてるんだけどね」
「ゆきます! いまお金を用意してきますから、ちょっと待ってて下さいね」
相手の手順のよさを、お夕は疑わなかった。
なまじ彼女が、牢屋の慣習というものを知り、かつまた昔いちどいった石川島のようすを知っているだけに、お町のいうことがでたらめとは思えなかった。それに何より、彼女は火のように胤昭に会いたかったのだ。
実はお夕は、これまで二、三度、さし入れの衣服や食べ物を持って石川島を訪れたのだが、さし入れはもとより面会を許されなかったのだ。
そこで星亨《ほしとおる》に相談した。――星は、胤昭がつかまったとき、ヘボン博士が警視庁に胤昭の安全保証の要求にゆくに際し、法律的助言と通訳のため自由党代言人たる星亨にも同道を求めることを思いつき、そのときから知り合いになったのである。
が、星は、こんどのような軽罪では、面会やさし入れは認めないそうだ、と監獄側の方針を伝え、まあ、たった三ヶ月のことだから、とにかく辛抱しなさい、というなぐさめをよこしただけであった。胤昭が石川島へいってから一ト月近い。胤昭がいったあとで彼女も、そうだ、石川島にはあの怖ろしい看守がいる、と思いあたった。
その看守たちの凶暴さや悪どさや、かつまた胤昭とのいざこざは、胤昭の口から、あるいは直接にお夕も知っていた。――何よりも彼らは、父上のかたきだ!
それをかたきと見ることは、彼女自身禁じていたけれど、彼らについてのいまわしい記憶は、忘れようとしても忘れられるものではない。
この一ト月で、お夕はやつれはてた。
その心配をいだいていただけに、かえっていまのお町の言葉、特に「原の旦那を目のかたきにしてるおっかない看守は何人もいるからね……」という言葉に――あり得ることだ! と、胸ははやがねの音を打ち鳴らしていたことはいうまでもない。
いそいで帳場のほうへ戻ろうとするお夕に、「あの、妹さんは?」と、お町が尋ねた。
「妹は、きょう横浜のヘボン先生のところへ出かけましたわ。横浜に腸チブスという病気がはやって、ヘボン先生の病院が大忙がしで、そのお手伝いに」
お町の顔に、案外な、という色がさっと流れたのを、お夕は気がつかない。――お町は今夜、姉妹ともに誘い出そうとたくらんでいたのであった。
が、ここまで話した以上、予定のごとく事を進めるよりほかはない。
「そう。……でも、今夜こんな用で出かけることは、こんな用だから、ほかのだれにもいわないほうがいいよ」
「あの、婆《ばあ》やに、ちょっと所用があって出かけるけれど、夜のうちには帰るから、とだけいうのもいけないでしょうか?」
「それくらいならいいけれど……」
やがてお夕は、身支度して来た。これもお高祖頭巾《こそずきん》をかぶっている。
金は懐中にしているのだろうが、そのほかにお夕が片手にぶら下げているものにお町は気がついた。
「それは……十手じゃない」
「いえ、十字架ですわ」
と、この際にお夕は微笑んだ。
「そんなものを持ってって、どういうつもり?」
「胤昭《たねあき》さんのお護りにしたいと思って」
彼女は、いまそのことを思いついて、胤昭の残していった例の十手を持ち出したのであった。
「看守は、お金は受け取るだろうけれど……そんなものは受けつけないよ」
「十字架だからといってお願いして……もしだめなら、持って帰ります」
お夕はいった。
「もし許していただけたら、これは何よりのお護りになりますから」
いままでの動揺混乱していた表情とは別人のような、きっぱりしたお夕の顔であった。
まもなく、星影がまたたきはじめた秋の夜空の下を、二つのお高祖頭巾の影が、いそぎ足で銀座から築地のほうへ歩いていった。
二
それからしばらくして、二人の女は、さんず茶屋の渡し場からすこし離れた場所につないであった小船に乗った。
櫓《ろ》をとりあげたのは、尻《しり》っからげに頬《ほお》かぶりした若い男で――化師《ばけし》の秀《ひで》だ。
「やはり、来ましたか、お嬢さん、あっぱれだ」
と彼はいい、
「いつぞやは、どうも」
と、改めて頭を下げた。
お夕にとって、去年の初夏のころ、十字屋からのこの男の逃亡ほどふしぎなものはない。――彼がお夕に、「女」として奇怪なにくしみをいだき、それにもかかわらず女に化ける修行のため、彼女の似顔絵を懐中にして去った、などということは、あまりにいとわしくて胤昭がお夕に話さなかったからだ。
が、たとえそのことを知っていたとしても、お夕は今夜ここに来たろう。
「こんどはこちらがお世話になります」
こぎ出した船の中で、お夕はちょっと頭を下げただけで、蒼《あお》く暗い流れの向うの島影のほうに、ひたと眼をやっている。
自分を見ている頬かぶりの中の眼が、ただならぬ感慨をたたえて妖《あや》しくひかっているのにも彼女は気がつかない。
が、たとえそれに気がついたとしても、お夕は船から下りようとはしなかったろう。
もともと賢くて気丈な女ではあったが、やすやすと邯鄲《かんたん》お町《まち》の誘いに乗り、化師の秀の船に乗ったのは、気丈さのためばかりではない。その賢さが曇ったせいばかりではない。お夕の胸を熱塊のように凝《こ》らせていたのは、ツルの件もさることながら、例の十手を胤昭にとどける、ただその一事であった。
胤昭の命あやうし。
それを聞き、胤昭を救うためには金が要ると聞いて、いまその金を懐中にしているのだが、それよりもお夕は十手を渡すことのほうが祈りであった。先刻、出かけようとして、はっと思いついたことである。そうだ、胤昭さんにあれもとどけよう。
武器としてではない。十字架としてだ。
たとえ胤昭さんがどんな目にあわされようと、あれさえあれば、きっとイエスさまは護って下さる。――
その啓示は、お夕の魂をつかみ、その一念は、彼女をほかのことには盲目としてしまった。
櫓《ろ》をこぎながら、ふとそのとき秀は、お夕が胸に抱いているものに気がついたらしい。
「そりゃなんで?」
「ほら、原の旦那《だんな》がいつも首から下げていなすった――あれさ」
と、お町が答えた。
「ツルといっしょに、原の旦那へお渡しなさりたいってさ」
しばらく答えず、ややあって、「ふうん」と、鼻を鳴らしたきり、化師の秀はニヤリと笑った。同時にお町も、声もなく笑った。
そんなものが原胤昭の手に渡るわけがない、とは彼は口にしなかった。金輪際《こんりんざい》、渡るわけはないことを秀とお町は知っているのだ。知っていて、黙ったまま両人のかわした笑いは、まさに悪魔の笑いであった。
それも気づかず、前方にむけたままのお夕の横顔に両人は眼を移して、思わず息をのんだ。
その娘の美しさは、お町も秀も、かつてべつべつの意味でヤキモチをやいたほどだが、いま見る顔は水明りを受けて、この世のものとは思われなかったからだ。
水明り――月はまだのぼらず、大空は無数の星ばかりであったが、その星がみな海に落ちたように、波の泡は蒼い粒つぶの光をはなっていた。そして四界はふしぎな暗い蛍光に満ちているのであった。
物怪《もののけ》のような二人が、それぞれ、はじめて何か変な天象の夜だと考えた。
島は近づいて来た。
全体としては黒い影だが、しかし人間が住んでいる証拠に、左半分の空にはぼうっと光がさし、右半分は点々といさり火のような灯がまたたいている。
島の手前には数千本の杭《くい》、杭というより柵《さく》が海中からつき出している。万一の脱走をふせぐためだが、それでもあちこち、その柵が倒れたか、あるいははじめから作れない場所であったのか、広いすきまが出来ている。
船はそのすきまを通って島に着いた。砂の汀《みぎわ》の向うは、茫々《ぼうぼう》たる空地であった。
三
左の空にぼうっとさしているのは監獄で、ずっと右のほうにいさり火のような灯影をまたたかせているのは、一路の堀割をへだてた、昔ながらの佃島《つくだじま》である。その間にあるのは、広茫たるいちめんの空地だ。
ここ十年ほどの間に監獄は大拡張されたが、なにしろ石川島は三万三千五百坪もあるので、その半ばはまだ草も生えぬ砂地として捨てられているのであった。
もっとも数百メートルおきに、四面ガラスの窓をつけた監視所があって、そこからもランプらしい光がもれている。むろんこれは、豆粒のような光だ。
「さ、着いた、あがっとくんなさい」
と、秀がいった。
彼の話では、監獄から看守の案内で胤昭《たねあき》が出て来て、この空地で金を受けとる手はずになっているという。――
お町に手をとられるようにして、お夕は砂地に下り立った。
この海の中の曠野《こうや》は、しかし、お夕にもおぼえがある。いまは秋の夜だが、あれは九年前の明るい早春の真昼のこと――実にこの場所で、父|有明捨兵衛《ありあけすてべえ》は理不尽に殺害されたのであった!
と、前方の――蒼《あお》い闇《やみ》の中に、いくつかの墨汁のような影がにじみ出し、こちらに近づいて来た。
見ると、二、三人ではない。それは、八つを数えた。――胤昭は看守に導かれて出て来る、と聞いてはいたが、それにしても? と、いぶかしさに小首をかしげつつ、そのむれが数メートルの距離になったとき、
「胤昭さん?」
と、お夕はしのびやかに声をかけた。
返って来たのは、胤昭ではない、野太《のぶと》い、しゃがれ声であった。
「もう一人は、妹のほうか?」
「あ、た、し。お、ま、ち」
と、邯鄲お町が答えると、
「妹はどうした?」
「それが、きょう横浜へいったってさ。しようがないから、姉のほうだけ連れて来たんだけど」
二人につづいて岸に上って来た化師の秀が、
「なに、あれはあれで、あとで何とかなるよ」
と、いった。
お夕は、前にズラリとならんだ八つの影のうち、おぼろげながらたしかに、サルマタの直熊《なおくま》、アラダル、ぬらりひょんの安の顔を見た。これは獄衣姿だが、あと五人はいずれも官服を着て、しかもそのうち二人は、なんども十字屋に威嚇に来た巡査であることを認めた。
はじめて自分があざむかれてここへ連れて来られたことを知って、お夕は立ちすくんだ。
八人の男は、半円形になって近づいた。ふり返ると、海を背に、化師の秀と邯鄲お町がうす笑いを浮かべてふさいでいる。
「金を持って来たか?」
と、訊《き》いたのは看守の牛久保|蓮岳《れんがく》だ。
お夕は、いつか浅草で胤昭に一喝されてスゴスゴと退散したこの大男を見ている。この看守が、囚人や被害者の家族を恐喝しているという話も聞いた。――
彼女は答えず、お町が返事をした。
「持って来たよ」
「そうか。しかし、原に会いたけりゃ、金だけではすまんぞ」
と、いったのは、やはり看守の鳥居|鶏斉《けいさい》だ。そして、
「お前の身体ももらいたい」
と、ついに鳥居看守が切り出した。――
四
それこそは、原胤昭をどうしようと、この女の口を封じるいちばんの妙薬だ、と彼らが思いついた方法であった。
そのやりかたは、無惨であればあるほど効果的だ、という意味のことをいい出したのは邯鄲《かんたん》お町《まち》だ。ほかの人間には訴えることもできないほどの目に合わせてやれば、どこかお高くとまっている女だが――そうであるだけに、以後何が起っても石のように黙っているだろう。
その談合のとき――「それだけじゃあねえ」と、化師《ばけし》の秀《ひで》がいった。「おいらが、まったく別の女に変えてやるよ」
「色きちがいにか」と、露骨な言葉をはさんだのは、獰悪《どうあく》無類のサルマタの直熊だ。「そりゃ面白い、わふ、わふ、わふ」と、暗闇《くらやみ》の牛のようなアラダルまでが、牛のような笑い声をたてたものだ。
実は、二人の巡査、三人の看守も同様の着想を思い浮かべていた。彼らは彼らなりにそれぞれ、ある種の自負を持っていたのだが、凶暴の脳細胞を持っていることでは一致している。その脳細胞から出て来るこんな下等な智慧《ちえ》は、獣性をおびたこれらの元囚人と変らない。
もっとも巡査たちのほうは、もう少し事を遅らせてもいいじゃないか、と考えていたのだが、化師の秀と邯鄲お町が――有明《ありあけ》姉妹担当のこの両人はあの談合のあと、ふたたび町へ放たれ、十字屋のようすをうかがっていたのだが――しきりに、せっついてやまなかったのだ。
「女を変えるったって、土をこねるんじゃあるまいし、そういっぺんにゃゆきませんよ。いくらかは時がかかるんです」
「原がくたばったとき、こっちのいいなり次第の女に変っちまっていなけりゃ何にもならないじゃあありませんか」
そういわれて、二人の巡査もその気になった。
そこで石川島のほうへ連絡したところ――三人の看守、三人のエセ囚人も、打てばひびくように賛成した。
「善はいそげ、とはこのことかも知れん」
と、そのとき、寺西|冬四郎《とうしろう》はいった。
それがふざけているのではなく、
「切支丹《キリシタン》征伐としてな」
と、大まじめにつけ加えたから、いよいよ怖ろしい。
五人の巡査や看守たちは、そろいもそろって大の耶蘇《やそ》ぎらいで、それを蹂躙《じゆうりん》するのは大義名分として恥じない心情の持主ばかりであった。
あと五人の悪党のほうは、そんな大義名分の必要性は感じない。彼らはひたすら、気高《けだか》いものをけがし、美しいものを犯し、幸福なものを破壊することだけに歓喜をおぼえている。――あるいは、それが闇黒《あんこく》の人生を送って来た彼らにとっての大義名分であったかも知れない。
要するに彼ら十人は、原|胤昭《たねあき》を始末したときの消火作業という目的もさることながら、有明姉妹を地獄のどん底にひきずり落すそのこと自体に悪血をどよめかしたのだ。
姉は清麗、妹は可憐《かれん》、そのいずれもが無垢《むく》の香気につつまれているのを、なぶりつくし、しゃぶりつくし、自分たちの魔界の奴隷《どれい》とする。その想像は,それだけで全身をしびれ果てさせる。
いま、その姉のほうをとらえた。
つまらない手ちがいで妹のほうはとりにがしたが、やむを得ない。ここは岸にならぶ監視所の中間点にあるが、その二つの監視所に今夜詰めることになっていたのが、牛久保、鳥居の二人で、他者の眼にふれないという点でいちばん好都合な夜であったのだ。
五
むろん監視所の灯影などとどかない場所だが、しかし、ここには蒼白《そうはく》な光が満ちていた。それは満天の星と、まわりの波濤《はとう》から発する妖《あや》しい水明りのせいであった。そして、その波濤の、低いけれど巨大なとどろきは、呼べど、叫べど、その声を消し去るにちがいなかった。
物怪《もののけ》さながらの十の影に包囲されて、立ちすくんだお夕は、このとき胸の前に何かささげていた。
例の十手だ。お夕はそれで抵抗しようというのであろうか。
「お嬢さん」
と、ぬらりひょんの安が声をかけた。
「そんなものはムダだよ」
「おとなしくしておくんなさい」
と、アラダルもいった。
ほかの三人の元囚人も、同趣旨の声をそろえた。
ふしぎにそれは脅迫の調子ではなかった。哀願のひびきをおびていた。
実は五人にしても、思わず知らずそんな声が出たのだ。――さすがの彼らも、いささか憐《あわ》れみの心が搏動《はくどう》したのであろうか。
「おい、やれ」
「手足をおさえろ」
と、船戸巡査と檜《ひのき》巡査がいった。それが五人の元囚人たちの最初の役目であった。
十人は、二、三歩輪をちぢめた。
そのときお夕は、なかば気を失ったように、がくりと砂の上に両ひざをついた。
「イエスさま――」
天を仰いでお夕はいった。
「この人々を許して下さい。いつか救ってあげて下さい」
彼女は喪神したのではなかった。両ひざはついたが、身体をなお立てて、胸の前に両手で十字架を捧《ささ》げていた。
「それから、お力をもって、この十字架を胤昭さんにおとどけ下さいまし。――」
その十字架を逆にとり、角度を変えながら右手だけに持ち直すと、彼女はそれを、はっしと自分の左胸部に打ちこんだ。
「……?」
「……!」
息をひいて、棒立ちになった十人の眼前で、
「カタリナはみもとにあって、胤昭さんとおひろを護ります」
そういうとお夕は、ばたりと砂の上につっ伏してしまった。
海の果てに、流れ星が一つ、尾をひいて落ちた。
ひいた息をそのままに、ほとんど数分、銅像みたいに動かなかった十人のうち、
「おい、死なれちゃ計画が狂う」
「見てやれ」
と、最初にあわて出したのは二人の巡査であった。
看守と悪党たちは砂けぶりたてて駆け寄った。
お夕はあおのけにされた。が、その腕をとらえてひいても、胸に打ちこんだ十手は離れず、しかもあきらかにこときれているのに、蒼《あお》い光の中に死微笑ともいうべき表情がはっきり見えた。
幻架《げんか》
一
またしばし、十人の凶漢は立ちすくんだ。
星と波の蒼《あお》い光を受けて、みな人間外の顔色に見える。かすかにその筋肉を痙攣《けいれん》させている顔もあるし、仮面のように無表情の顔もあるが、みないちように衝撃に打たれていることはあきらかであった。
「まさか……まさか、こんなことをやるとは思わなかったなあ。……」
と、化師《ばけし》の秀《ひで》が風のような声を出した。
「おいっ、これはあの原がいつも首からぶら下げていた十手だろう?」
と、檜《ひのき》巡査がいった。
「どうしてそんなものを持って来させたんだ」
「原のお護りに持ってくってきかないんですよ。どうせ渡すことにゃならないからと思ってそのままにさせたんだけど……こんな使い方をするとは!」
と、お町が大息をついた。
「しかし、十手が……ありゃ鉤《かぎ》の部分だろう。十手の鉤が、どうして胸に……着物を通してまであんな風につき刺さったんだ?」
と、船戸巡査が訊《き》いた。
「これはね」
秀がいい出した。
「もとはこの娘さんの父親が持ってたやつで、有明捨兵衛《ありあけすてべえ》ってえ人だったとはあとで知りましたがね。ほら、昔ここで旦那《だんな》方とやり合った十手でさあ。たしか二鉤《ふたかぎ》十手だったが、一方の鉤をそこの鳥居の旦那の棒で飛ばされ、もう一方の鉤を船戸の旦那のピストルで飛ばされたやつで……だから、二鉤十手が耶蘇《やそ》の十字架みてえになっちまった」
「その鉤のとれたやつがね」
とつづいて口をいれたのは、ぬらりひょんの安だ。
「いつか十字屋で乱暴した壮士連と原の旦那がやり合った際――その壮士連ってえのがあとで大久保参議さまを仕止めたおっかねえ連中ですが――その鉤のとれた痕《あと》を仕込杖《しこみづえ》でまた切られて、それが鑿《のみ》みてえにとがったものになったんでさあ」
それをあのとき、ぬらりひょんの安は、まざまざと見ていたのだ。
お夕《ゆう》は、その鋭くとがった部分を、みずからの胸に打ちこんだのだ。元来ぜんぶが鉄で出来ている十手だから、それくらいの威力はあるだろう。
その死に方は凄絶《せいぜつ》なものであったが、しかしお夕があの挙に出なければ、その運命はさらに無惨なものになったにきまっている。
いうまでもなくキリスト教では自殺を禁じている。これはクリスチャンとしてではなく、元江戸与力の娘という誇りを持つ女としての行為であったろう。
いずれにせよ、十人の悪党の今夜の狙いはみごとに打ち砕かれたのだ。
牛久保|蓮岳《れんがく》が、もういちど抜きとろうとおそるおそるふとい手をさしのばしたとき、アラダルが陰鬱《いんうつ》な声でいった。
「そんな因縁がありゃあ、その十手はきっとたたるぜ。……」
牛久保はあわててその手をひっこめた。
「何を、馬鹿《ばか》な――」
やっと檜巡査が肩をゆすって、
「こんなことになっちまっちゃ、もうどうしようもない。ともかくも今夜のことはこれで御破算だ」
と、無念そうにつぶやき、一同を見まわして、
「それにしても、この仏をどうするかい?」
「このまま海に流したら?」
と、船戸巡査が答えると、鳥居看守が、
「いや、海で漁の船などに拾われたら困る。しかも身許がわかると、この石川島が疑われかねんぞ」
と、首をふったのは、すねに傷持つ側としての危惧《きぐ》からだろう。
「おい、お町」
檜巡査がふと気づいたように、
「お前がこの娘を連れ出したんじゃが……お前が連れ出したことを、十字屋のだれかに知られちゃいまいな」
「多分――」
と、お町は首をふり、
「いえ、だれも知らないことは受け合いますよ」
「それならいいが」
と、檜巡査はうなずいて、
「それじゃ、ここに埋めよう。……こんなところに、昼間だれも来やせん」
と、いったあと、ふりむいて、
「鍬《くわ》やシャヴェル、五、六|挺《ちよう》欲しいが、あるかな」
と、看守たちに尋ねた。
「ある。囚人の作業用のものが」
寺西看守と牛久保看守が、監獄の方へ駈《か》け出していった。
「しかし、それにしても因縁は十手どころじゃあねえね。旦那《だんな》たちやおれたちは、ここで父親と娘二代の屍骸《しがい》のあと始末をしなけりゃならねえとは……」
と、こんどはサルマタが長嘆した。
「うるさい、もういうな」
船戸巡査はいらいらと一喝して、
「お前ら、こわいのか。ふるえてるやつもあるな。お前たちらしくもないぞ」
「怖《こえ》えんじゃあねえ。海からの風が寒いんでさあ」
と、ぬらりひょんの安が、はためく獄衣をかき合わせた。
「いうまでもないが、このことを口外すると無事にはすまんぞ」
と、船戸巡査は腰のピストルに手をあてた。
「今夜のことは、うぬらもまったく同罪じゃからな」
と、檜巡査も威嚇的な声でいった。
「ほほほう、わかってますよ、そんなこと」
と、邯鄲《かんたん》お町が笑った。
やがて二人の看守が、それぞれひとかかえの鍬やシャヴェルを持って来た。
それを手にして歩き出しながら、化師の秀が、まわりの仲間以外には聞こえない声で、妙なことをささやいた。
「おい、これから談合してえことがある。あとの言葉だけ聞いてくれ、いいかえ?」
そして、ふりむいて大声で、
「ここらでよござんすか?」
巡査がうなずくと、そこに元囚人たちは夜がらすが踊るように大きな穴を掘りはじめた。ただし、邯鄲お町はすぐうしろに立って見物しているだけで、官服側は牛久保看守だけがシャヴェルをとった。あとの四人は、お夕の死骸をかこんで鉄の像のごとく立っている。
それでも、五人もの強壮な男たちの作業であり、砂地でもあり、穴はみるみる深く掘られてゆく。
二
さて、その墓穴を掘りながらの問答である。
いったい自分たちが何をやっているのかわきまえないような元囚人たちの騒々しさだ。
もっとも、決して間断ない話し声ではなく、ときどきは黙りこんで鍬やシャヴェルを動かしている時間もあり、かつしゃべりながらも、はあはあとあらい息づかいがまじるが、彼らは必ず自分がしゃべるとき、前半はわりに大声でいい、後半はゴニョゴニョと小声になった。口の中の声といっていい。
長方形の穴の一方にひとかたまりになった彼らの問答のそれぞれの後半は、もう一方でシャヴェルで盛大に砂をしゃくりあげている牛久保看守の耳には、音波としてとどかなかった。
「(大声)おい、今夜墓掘りするとは思わなかったなあ。はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、何てことになったんだ。可哀そうなことをしたなあ」
「(大声)仏がきれいなのがせめてものことだが、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、あのお嬢さんがあんなになっちまって……」
「(大声)もとからこの世の人間じゃあねえような顔をして、耶蘇《やそ》の変な呪文《じゆもん》をとなえてたけど。(小声)お嬢さんはいいひとだったよ。ゴニョゴニョ、原の旦那はこっちを人間扱いにしねえときもあったけど、あのお嬢さんだけアそうじゃなかったわ……」
「(大声)まさかおれたちに自分の墓を掘ってもらおうたあ、夢にも思わなかったろ、はあはあ。(小声)それをこんな目に合わせるのに、おれたちも手をかしたんだあ。ゴニョゴニョ」
「(大声)はあっくしょん! 今夜は寒いのかな、こんなに汗かいてるのにさ、はあはあ。(小声)身体がふるえてるのア、怖《こえ》えからさ、腹が立ってるからさ、ゴニョゴニョ、こんなことははじめてだい」
「(大声)妹をとり逃がしたのは惜しいな、はあはあ。(小声)おい、あの野郎ども、次にゃ妹さんのほうにかかるぜ、ゴニョゴニョ」
「(大声)こんどはあのおひろちゃんか。はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、おいらはもうつき合わねえぜ」
しばらく黙りこんで、ただ砂を投げる音がつづく。
「(大声)面白いねえ、こんどはうまくやろうよ。(小声)あたいもやめたよ」
「(大声)毒食わば皿《さら》までとはこのことだ。はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、やめてすむか。あいつらそれを許してくれるかい?」
「(大声)しかし今夜のことは、あの星以外だれにもわからないだろうなあ。はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、おそれながらと別の看守に訴えて出たらどうだろう?」
「(大声)この十人だけが知ってることだ。この十人は、ほんとうの仲間さ。はあはあ。(小声)そりゃだめだ。こいつら知らぬ存ぜぬで通すにきまってる。ゴニョゴニョ、そして、おれたちにぜんぶ罪をおっかぶせるにきまってらあ」
「(大声)これから一生仲間だ。ありがてえこった! はあはあ。(小声)おれたちの言い分は通らねえで、あいつらの言い分のほうが通るだろ、ゴニョゴニョ、みんな一生、いままでいつもそうだったじゃあねえか!」
「(大声)仲間となりゃ、みんな頼りになる旦那方ばかりだからなあ、これから一生いろいろ面倒見ておくんなさるそうだ。はあはあ。(小声)おれの見るところじゃ、あの野郎ども、原の旦那の始末が終ったら、まちげえなく、こっちをまとめてみんな、バッサリと来るぜ、ゴニョゴニョ」
「(大声)もう一生大船に乗ったようなもんだ。はあはあ。(小声)そうだ、そのことはおいらもそう思ったんだ。ゴニョゴニョ」
「(大声)前科者がお役人の御好意に甘えすぎちゃいけねえぜ、はあはあ。(小声)おれたちも悪党だが、ゴニョゴニョ、こいつら官服を着てやがって、十|倍《べえ》くれえ悪《わる》だ」
「(大声)いろいろ面白いことがあるぜ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、それじゃあどうする?」
また数分、砂の飛ぶ音ばかり。
「(大声)ここを出てからの浮世がたのしみだい。はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、おい、ひとつ、やってみねえか?」
「(大声)何をやってもつかまらねえときてるんだから、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、何をよ?」
「(大声)ああ、ずいぶん掘ったぜ、背丈《せたけ》くれえあらあ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、あのお嬢さんの仕返しにか?」
「(大声)もう少し掘ろう、化けて出られちゃ困る。はあはあ。(小声)こっちも手伝ったんだから、仕返しってえわけにゃゆかねえだろう。ゴニョゴニョ。ただ、こっちもそろそろ年貢の納めどきだ。一世一代、あいつらをこの世から消してやろうじゃあねえか?」
「(大声)さぞきれいな幽霊だろ、化けて出て欲しいもんだ、はあはあ。(小声)ううん、原の旦那《だんな》とおひろちゃんの命を救うにゃ、それよりほかはねえかも知れねえなあ。ゴニョゴニョ」
「(大声)もうよかろう、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、面白え、やるか。いま、やるか?」
「(大声)ええ、旦那方、そろそろ御埋葬の儀にとりかかってもよろしいようで、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、いまはだめだ。みんなこっちがもろにやられちまうにきまってらあ」
巡査や看守たちがうなずき、その一人がいった。
「埋めろ」
五人の元囚人たちは、お夕の遺骸《いがい》を抱きかかえ、二人ばかり穴の底に飛び下り、しずかに下ろした。
「(大声)それ、どっこいしょ。はあ、土をかけるのが惜しいや、はあはあ。(小声)これから、時をかけてバラバラにさ、ゴニョゴニョ、それもこっちの本心を気づかれちゃあブチコワシだ」
彼らは砂をかけはじめた。
「(大声)あの十手はそのままなのかね。はあはあ。(小声)知ったが最後、きゃつら、おれたちをみな殺しにすらあ、ゴニョゴニョ」
「(大声)安よ、お前、下りてあの十手をとってくれねえか、胸に刺したままってえのはあんまりむげえよ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、おれたちばかりじゃあねえ、そうなったらやけのやんぱちで、原の旦那にもおひろちゃんにもすぐに手を下すかも知れねえ」
「(大声)さっき抜こうとしたんだが、どうしても抜けねえ。また抜いたところで、半欠けの鉄の十手なんざ、質屋もひきとらねえ、はあはあ。(小声)うん、そうするだろなあ、ゴニョゴニョ」
「(大声)しようがねえか、それなら埋めちゃえ、埋めちゃえ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、だから、原の旦那にもないしょで、ゴニョゴニョ、こっちがやるんだ」
「(大声)ああ、もう見えなくなっちまった。はあはあ。(小声)何くわねえ顔してさ、そこんところはみんなぬかりのねえ悪党ばかりじゃあねえか。ゴニョゴニョ」
「(大声)南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、はあはあ。(小声)それじゃ、その手でゆくか。ゴニョゴニョ」
「(大声)耶蘇《やそ》はそういわねえぜ、アーメンってんだ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、ところでこのお嬢さんの件、原の旦那に教えるのか?」
「(大声)まあ、おとなしくこの石川島の砂の下で眠ってておくんなさい、はあはあ。(小声)おう一刻も早く――いいや、いけねえ、知ったら旦那は、狂乱してあばれ出すにきまってらあ。そうなったら、それこそ命とりだ。ゴニョゴニョ、こいつは旦那が牢《ろう》を出るまで、金輪際、知らせちゃならねえ」
「(大声)そらよっ、はあはあ。(小声)ゴニョゴニョ、談合はきまった!」
三
砂はかきならされ、凄惨《せいさん》な悲劇のあとは塵《ちり》ほどもあとをとどめてはいなかった。
「御苦労」
と、檜《ひのき》巡査は声をかけ、
「いまのことは、意外ではあったが、女を黙らせるという当初からの狙いには合致したといえんこともない。われわれの目的は継続する」
「これからのことは追って連絡する」
と、船戸巡査がいった。
「アラダルなど三人は、もとの通り牢へひきあげろ。秀とお町は町へ戻れ」
このとき、化師の秀がふと、ぬらりひょんの安を見て、「……あっ」と、小さいが奇声を発した。
アラダル、直熊《なおくま》の二人も、同じ方角を見つめて、これも眼をグルリとむき出した。ぬらりひょんの安の胸には、大きな十字架が一つぶらさがっているではないか。……
サルマタがすうっと寄って来て、
「おい、ぬらりひょん、いつそんなものをスったんだ?」
「おれが、何を?」
と、安はけげんな顔をする。サルマタはささやき声で、
「おめえの胸に変なものがぶら下がってるぜ」
ぬらりひょんの安は、自分の胸を見下ろしてぎょっとなり、手でさわっていよいよ狼狽《ろうばい》し、
「こ、こりゃなんだ?」
と、つぶやいてから、ふいに恐怖の相となって、
「こりゃ……あの……お嬢さんの持ってた十字架じゃあねえか?」
「だから、いつスったんだと訊《き》いてるんだ」
「おら、スらねえ。こんなものスったおぼえはねえよ。……こいつア仏の胸につき刺さったまんまで……その上から砂をかけたのア、いまみんな見てたじゃねえか?」
と、さっき埋めた穴のほうを眺めやった。暗闇《くらやみ》の牛みたいなアラダルが、感にたえたようにいう。
「しかし、おめえは、ふだんから、手が知らねえまにぬらりひょんとスってるってえ名人だとえばってたがのう」
「馬鹿《ばか》、いくらなんだって……まさか、こんなものを」
「何にしても、見つかるとまずい。……早くはずせ」
と、サルマタの直熊がいった。
さいわい、二人の巡査と三人の看守は、立ったまま額をあつめて何か話ちゅうであった。これからの行動についての相談だろう。――その額が離れて、船戸巡査がいった。
「おい、秀《ひで》とお町《まち》。――おれと檜《ひのき》君はお前らといっしょにあの船で帰ることにする。ゆこう」
「へえ」
と、答えたが、秀とお町はなお安のほうへ眼をやっている。やらずにはいられない。
ぬらりひょんの安は、首にかけた十手の朱房の紐《ひも》の輪をはずそうともがいていた。それが、あわてているせいか、紐が変にからまって、どうしても首からはずれないようだ。
「何をしておる?」
ついに三人の看守がそばに歩いて来た。
ぬらりひょんの安は、観念して手を紐から離し、やけっぱちのように棒立ちになった。
「人を殺して踊ってるやつがあるか、気でもちがったか」
と、鳥居看守が叱《しか》りつけた。
安をはじめ、ほかの連中も一瞬キョトンとした。
十手のことについては、鳥居は何もいわない。――ほかの看守たちもふきげんな眼で安をにらみつけているのに、十手に気づいているようすはない。
見えないはずはない。星明かりにはもう眼が馴《な》れているし、それに波が蛍《ほたる》のように蒼《あお》い光をはなっている夜であった。げんにこちらの眼には、ありありとその十手は見えるのに――看守や巡査たちはどうしたのだ?
「はてなあ?」
歩き出しながら、サルマタの直熊が首をかしげてささやいた。
「見えねえらしいぞ」
実に、信じられないことだが、そうとしか思えない。
彼らにそれが見えないとすれば、いま十手の紐を首からはずそうともがいていたぬらりひょんの安の手つきは、手踊りでもしているように見えたのもむりはない。
「……十字架のゆうれいじゃ!」
と、アラダルが低く、風のような声を出した。
四
向うで狐《きつね》につままれたような顔をしていた化師《ばけし》の秀《ひで》と邯鄲《かんたん》お町《まち》は、巡査たちに促《うなが》されて、首をひねりひねり、自分たちが乗って来た船のほうへ去ってゆく。
こちらの三人には、三人の看守がついて――ゆくてに遠く、黒々と煉瓦塀《れんがべい》が見えてきた。裏手にあたるこの広い空地と監獄をへだてる塀だ。
三人の囚人は黙々として、そして全身をふるわせていた。
それに気づいた牛久保看守が、
「なんじゃ、あれしきのことにふるえておるのか、きさまらしくもないぞ」
と嘲笑《ちようしよう》した。
「いや、寒いんでさあ、十月も末の海の夜風と来ちゃあ」
と、サルマタが肩をそびやかした。
彼らはまさしく戦慄《せんりつ》していたのだ。お夕を無惨な死に追いこんだのもさることながら、たしかにいっしょに埋めた十字架が、いまぬらりひょんの首にかかっていることに。
さらに、それが自分たちに見えるのに、巡査や看守たちには見えないとは!
いや、歩きながら安は、やっと十字架をはずして手にぶら下げたが、その変な手つきにちらっと眼をやったが、看守たちには依然見えないらしい。
「こっちに十字架のゆうれいが見えて、あの連中に見えねえたあ、どういうわけじゃい?」
と、サルマタが小声でこぼした。
「あっちのほうが、よっぽどタタられていいはずじゃあねえか?」
「しかし、こっちはずいぶんあの娘さんのお世話になったからなあ」
と、歯をカチカチ鳴らしながら、アラダルがつぶやいた。
「ま、そのうちほんものは、あっちのほうに出ようってえことなんだろ。……」
いよいよ小声で、
「イエスさま、この人々を許して下さい、とお嬢さんはいった。ゴニョゴニョ、この人々たあ、おれたちのことだぜ」
すると、サルマタの直熊が、
「色きちげえに堕《おと》したあの女を、いちど原の野郎に見せてやりたかったが――」
と、大声でいい、次に小声で、
「それから、お力をもって、この十字架を胤昭《たねあき》さんにおとどけ下さいまし――と、いったぜ。ゴニョゴニョ、そのために十字架が、ぬらりひょんの首ったまにとり憑《つ》いたんだあ」
「それにしても、原は今夜どんな顔してるかなあ、はあはあ」
と、ぬらりひょんの安が大声でいい、つづけて、
「この十字架は、どうしてもあの旦那《だんな》にとどけてやらなくっちゃあならねえ。ゴニョゴニョ、そうしなくっちゃあ、おいらがとり殺されちまわあ」
と、小声でいった。
恐怖もさることながら、彼らは「悲憤」していたのだ。彼らの身体をふるわせているのは、その魂の武者ぶるいからであった。
客観的に見れば、彼らがここで悲憤したり武者ぶるいしたりするのは、厚顔鉄面皮、何をいまさら、といわれてもしかたがない。五人の官憲の悪謀に参加したのは、それ以前からのことだったからである。
それも、ただ恐怖の強制ばかりでなく、彼ら自身、闇黒《あんこく》の誕生、あるいは血まみれの全過去から醸《かも》し出された悪念の放出に、無上のよろこびをもって共鳴したはずであった。
彼らは、世にも美しい、清らかな、幸福な対象をけがし、破壊する、その予想だけでニタニタ笑い、舌なめずりした。
そして、その事態は起った。
――ただし、彼らの予想とはちがう、それ以上の凄惨《せいさん》なかたちで。
その刹那《せつな》から彼らの心は変調をきたしたのである。予想していたことが現実に起ってみると、それに対する心の反応が予想外のものであることはしばしばあることだが、彼らにとっては、それははじめての現象であった。
砂の墓穴を掘りながら、その作業の外観では特に異常は認められなかったが、実は彼らの魂は震撼《しんかん》していたのである。
正確にいうと、作業に異常がなかったわけではない。五人はあの墓掘り問答を交わした。
それは彼らの「謀叛《むほん》」の談合であった。近くに巡査看守がいるから、おおっぴらな問答は出来ない。それで、大声に小声をまぜて談合したが、これは牢屋《ろうや》生活の大ベテランならではのしたたかな智慧《ちえ》だ。
もっとも元来、彼らはツーといえばカーと答えるほどの仲ではないし、もともと凶暴粗雑な連中だから、相談の内容そのものは短絡的で大ざっぱなものであった。
にもかかわらず、五人は充分に意を達した。それは彼らが心理的波長を共にしていたからである。つまり、同時に同じことを考えたからである。そもそも五人があんな問答を交わす気になったのは、目に見えない何か別のものにとり憑《つ》かれたからであった。
先刻別れた化師の秀と邯鄲お町は知らず――残った三人の悪党の体内に起った、もう一つの生まれてはじめての現象がある。
それは慟哭《どうこく》の声であった。
これまで彼らの眼には、具体的な影像として、お夕の凄絶《せいぜつ》な死の姿と、そして以前に知っているあの娘のやさしい姿が、重なってずっとゆれつづけている。十字屋で世話になったときの、さまざまな言動が――いかにそれをせせら笑い、好色の眼でなぶり、はては悪念の対象としたにせよ、その彼らを疑わず、怖れず、信じ切った眼で相対してくれた姿が――いま三人に、自分たちも予測出来なかった心の慟哭を呼んでいるのであった。
長い煉瓦塀《れんがべい》の中央にとりつけられた裏門の厚い樫《かし》の扉を、寺西看守が腰の鍵束《かぎたば》の一つであけたとき、
「げふっ」
「がふっ」
と、アラダルとぬらりひょんの安が、号泣に似た怪声を発した。
「何だ?」
と、牛久保が、かみつくような顔をしてふり返る。
「へ、夜風に風邪《かぜ》をひいたのかも知れねえ」
と、安がまた大きな咳《せき》ばらいを重ねて、
「ええ、旦那《だんな》方」
「なんじゃ」
「さっき、あの女、死ぬ前に、死んでも原と妹をまもる、とか何とかいいやしたね」
「そんなことをいったな。世迷いごとというやつだ。それがどうした」
「原のところへいってやしませんか」
「何が?」
「人魂《ひとだま》が」
「ば、馬鹿《ばか》をぬかせ」
「とにかく、あんな死に方でござんすからね。……ちょっと原のようすを見たいんですが、いけませんか?」
ぬらりひょんの安が、とっぴなことをいい出した。
「ここへ来て、まだ正面切って原に会ったことがねえということもありますしね」
「見て、どうする?」
「あいつ、大牢《たいろう》にはいってるってえのに、ぴんぴん張り切って大威張りだってんでしょう。今夜あの娘が殺されたってえのに、どんな顔してやがるか、ちょっと見てやりたいんでさあ」
「おい、娘が殺されたことを気取《けど》られちゃいかんぞ」
と、鳥居|鶏斉《けいさい》が口を出した。
「まだあの妹のほうが残っとる。その処置がきまらんうちは、原に手を出すことは避けたいんじゃ」
「わかってまさあ。ただ、むしょうにあいつのつらが見てえだけで――」
まったく意味のない願望だと思われるが、そういわれてみると、三人の看守も何だか原のようすが気がかりになって来た。悪魔的好奇心もあるが、犯罪者が現場に戻るのとちょっと一脈相似た異常心理であったかも知れない。
「それじゃ、ひとつのぞいてみるか」
やがて彼らは、監獄の中にはいっていった。
五
ここ数年間に、石川島は大改造されている。囚人の激増のためで、昔一棟であった獄舎は九棟にふえた。
一応西洋の牢屋にならったが、まだ中央に監視所をおいた十字形獄舎とはゆかず、廊下をはさんで両側に、昔通りの四寸角の牢格子をならべた風景で、ただ廊下の天井には、あちこち洋燈が吊《つ》るされている。
その一棟の廊下を歩いてゆくと、牢格子の間から無数の眼が飛びつくようにこちらを見た。
彼らが見たのは、三人の看守が三人の囚人を引率してゆく、珍しくもない光景であったが、それでもそこから、
「あ、ありゃ、アラダルじゃあねえか?」
「うん、ぬらりひょんと、サルマタの直熊《なおくま》だ」
「あいつら、ここへ来たのかな?」
というささやきにまじって、
「あの三人同士、いい組合わせだ」
とつぶやいたやつがあった。
ここへ、というのは、この棟へ、という意味だ。三人同士とは、ここでも名うての三悪党と泣く子も黙る三看守のことだが、それを「いい組合わせ」とは、いったやつもそのほんとうの意味を知らなかったろう。
これまでアラダルたち三人は、別の獄舎に、特別待遇のかたちでいれられていた。
目的は近い将来原|胤昭《たねあき》を仕留めさせることにあるのだが、それは、時と状況をもっとも好都合なように設定しなければならない。それまで原と同じ房内にいれておくと、何かのはずみでその意図が原に感づかれないでもない、と判断してのことであった。
監獄への名目は、警視庁の密偵の仕事ということにしてある。囚人の犯罪についてなおたしかめたいことがあるので、入牢者《じゆろうしや》のふりをして探らせる、というのだ。
こういう密偵の使用は、このころの警察の常套《じようとう》手段であったので、監獄のほうも黙認した。
しかし彼ら三人はかえってたいくつして、ぶらぶら懲役の作業場などを歩きまわる。何しろ三人とも、この石川島では名代《なだい》の連中なので、彼らがここに来ていることを知っている囚人も少なくなかったのだ。むろん彼らが「密偵《いぬ》」だとはだれも気がつかなかった。
六人は、ある雑居房の前に立ちどまった。
「原の野郎、いるけえ?」
と、ぬらりひょんの安が呼びかけた。
おうっ――というどよめきが、牢の中であがった。
さすがに、一帖《いちじよう》あたり数人、という旧幕府時代ほどではないが、それでも三十帖くらいの牢に、五、六十人は詰めこまれているだろう。ここは昔のいわゆる大牢にあたる一番大きな雑居房であった。
「昔、世話になったぬらりひょんの安だ」
「アラダルだ」
「サルマタの直熊だ。ここにお前さんも入牢中だと聞いて挨拶《あいさつ》に来た」
三人は、格子の前にならんで名乗った。そのうしろに三人の看守が立っている。
看守たちは、この雑居房にいる五、六十人の大半が、いつのまにか原胤昭の親衛隊《しんえいたい》みたいになっていることを知っていた。――いままでサルマタらをここにいれなかったのは、そのせいもある。
が、この三人の元囚人の出現には、親衛隊もめんくらったようで、「なんだなんだ」「何しに来たんだ」と、騒いでいるのをかきわけて、原胤昭が格子近くへ出て来た。
ふとい牢格子のすきまは、三寸――十センチくらいしかない。――それでも原の顔は何とか見えた。
少しやせたが、軽|禁錮《きんこ》のゆえか、坊主あたまはまぬがれているが、いかにも囚人らしいぶしょうひげはどうしようもない。
それだけに精悍《せいかん》さはいやました顔で、
「おう、安――アラダル、直熊か」
と、胤昭は白い歯を見せた。
この連中も石川島に来ていることは、胤昭も耳にしていた。が、別に驚かなかった。「あの野郎ども」と、にが笑いしただけである。このめんめんは、もうどうしてもまともには戻れないやつらだとあきらめていたのだ。
が、いまその三人を見ると、思わずなつかしい声を出さずにはいられない。
「おまえら、おれに挨拶《あいさつ》に来たって?」
と、彼はいった。
「そりゃどうもかたじけねえ、といいてえが――いまごろ、この時刻、どうしたんだ」
「さっき、てめえが牢《ろう》にぶちこまれてるってえ話を、この看守さんから聞いたんだ。それでてめえのつらを見てえといったら、お許しになったのよ」
それにしてもにくていな口のききようで、変な顔をした胤昭に、ぬらりひょんの安は口の前に左手の指を一本立てて見せた。
口をきくな――という合図だ。
「あんなにエラそうに人を説教したやつがよ、てめえが牢にはいるたあ、大笑いだ。ザマみやがれ」
そういいながら安は、右手で格子のすきまから何かをすべりこませた。
一目見て、胤昭は、はっとした。
十手だ!
まぎれもなく彼愛用のあの十手が、欠けた鉤《かぎ》の部分を上下にする角度でさしこまれて来たのであった。
あやうく声を出そうとして、胤昭は息をのんだ。
「おいっ、牢内の衆」
と、安はどなった。
「御一新前、ここにはいった岡《おか》っ引や密偵《いぬ》のたぐいはよ、糞《くそ》を椀盛《わんも》りで食わせるってえ仕置にあって、三日のうちにくたばったってえ話はみんな聞いてるだろ?」
それから、牢格子に口をつけて、
「お夕お嬢さんからあずかって来やした」
と、小声でいい、ついで割れるような大声で、
「こいつアちっと古いが、江戸の与力だった野郎だ。いや、御一新になってもここで牢役人してた野郎だ。牢役人してたやつがここにはいったというのに、そいつを五体満足で出してやる気か? 何してるんだ、みなの衆」
と、咆《ほ》え、小声で、
「旦那《だんな》、しんぺえねえ、こいつア、ほかのやつらにゃ見えねえんです」
と、ささやいた。
胤昭は、奇々怪々な顔で、十手を受けとった。
渡すと安は、長い身体をうなぎみたいにくねらせて、半分首をうしろへねじまげ、
「ねえ、旦那、いためつけてやってようござんしょう?」
と、いった。
三人の看守は背後に立ち、廊下の天井の洋燈はそのうしろ上方にある。従って安の手の動作は直接目にとまらなかったろうが、それにしても何か異常を感じずにはいられまいに、しかし全然不審の反応を見せず、陰鬱《いんうつ》な顔で石のように立っている。
いま牢役人への仕返しをそそのかす演説を聞かされたわけだが、この場合なんと応答していいのか、そのほうに困ったのかも知れない。
とたんに、安の左右にならんでいたアラダルとサルマタが、そっくり返って笑い出した。
「ぎゃははははは!」
「ぎゃははははは!」
笑いながら、彼らの眼から、キラキラとひかるものが放り落ちた。
ぬらりひょんの安も同様だ。彼らはいままでおさえにおさえていた号泣の声を、いま大|哄笑《こうしよう》に変えて放出したのだが、そんな芸当は、うしろの看守が感づきようがない。
「ぎゃーっはっはっはっはっはっ」
それは牢内に反響するけだものの咆哮《ほうこう》さながらの笑い声であった。
「よせ、よさんか」
「もうよかろう」
「引揚げるぞ」
三人の看守は、はじめてにがり切った声を出し、なお笑う三人の悪党をひったてるようにして、廊下をもと来たほうへひき返していった。
胤昭は、茫然《ぼうぜん》と手に残った十手を見まもった。
「な、なんですか、あんにゃろうども」
「すっとんきょうにもほどがある」
「気でも狂いやがったか」
と、左右から囚人たちがニョキニョキと首をつき出したが、その十手には特に気がつかないようだ。
胤昭の耳に、さっきの安の、「こいつア、ほかのやつらにゃ見えねえんです」という声がよみがえった。そんな面妖《めんよう》不可思議なことがあり得るか、といっても、げんに自分の手にある十手が、ほかの囚人たちにはまるで見えないらしい。
たしか、お夕お嬢さんから、といった。それにしても――「あいつら、たしかに泣いていやがったな」
あれは、どういう意味だ?
[#改ページ]
〈関連年表〉
年 出来事
寛政二年(一七九〇) 石川島人足寄場の設置、後に監獄に
文久二年(一八六二) ユゴー『レ・ミゼラブル』
明治元年(一八六八) 明治維新
江戸町奉行所が市政裁判所に改まる
一月、鳥羽伏見の戦い
明治五年(一八七二) 九月、新橋〜横浜間鉄道開通
帯刀禁止令
明治七年(一八七四) 一月、警視庁の設置
二月、江藤新平による佐賀の乱
明治九年(一八七六) 三月、廃刀令の発布
八月、高橋お伝事件
明治十年(一八七七) 西南戦争
明治十一年(一八七八) 五月、大久保利通暗殺事件
明治十三年(一八八〇) コッホによるチフス菌の発見
明治十四年(一八八一) 七月、斬首刑の廃止
十月、自由党結成
開拓使官有物払い下げ事件
[#この行13字下げ]十二月、木村荘平のいろは牛肉店一号店がオープン
明治十五年(一八八二) 五月、岐阜事件(板垣退助刺傷事件)
[#この行13字下げ]十二月、福島事件(県令三島通庸の土木工事強行に対して、県会議長河野広中らが反発。県政に不満を抱く数千の農民が決起した事件。これをきっかけとして多数の自由党員が弾圧された)
明治二十年(一八八七) ドイル『緋色の研究』
明治二十四年(一八九一) 四月、ロシアのニコライ皇太子が長崎に到着
五月、大津事件
明治二十七年(一八九四) 七月、日清戦争開戦
明治三十三年(一九〇〇) 九月、夏目漱石、ロンドン留学に出発
明治三十四年(一九〇一) 夏目漱石『倫敦消息』
明治三十七年(一九〇四) 二月、日露戦争開戦
明治三十八年(一九〇五) ドイル『シャーロック・ホームズの帰還』
明治四十年(一九〇七) 夏目漱石『文学論』
明治四十四年(一九一一) 森鴎外『雁』
[#地付き](作成・日下三蔵)
山田風太郎 (やまだ・ふうたろう)
一九二二(大正十一)年一月、兵庫県養父郡関宮町の医家に生れる。三六年中学に入学、その頃の仲間の渾名が雲太郎、雨太郎、雷太郎で、筆名・山田風太郎の契機となる。四九年、「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ章を受賞。五〇年、東京医科大学を卒業するが、医師の道を進まず、作家として身を立てる決心をする。
『甲賀忍法帖』『くノ一忍法帖』を初めとする、風太郎忍法を生み出し、忍法ブームをまきおこす。さらに四八年より『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治波濤歌』など、独自の手法による明治もの≠発表、ファンをうならせる。他に、『人間臨終図巻』『あと千回の晩歌』など死をみつめた作品もある。二〇〇一年、尊敬する江戸川乱歩と同じ、七月二十八日没。
本作品は一九九七年一二月、ちくま文庫として刊行された。