山田風太郎
戦中派不戦日記
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[#小見出し]  まえがき
――私の見た「昭和二十年」の記録である。
いうまでもなく日本歴史上、これほど――物理的にも――日本人の多量の血と涙が流された一年間はなかったであろう。そして敗北につづく凄じい百八十度転回――すなわち、これほど恐るべきドラマチックな一年間はなかったであろう。
ただ私はそのドラマの中の通行人であった。当時私は満二十三歳の医学生であって、最も「死にどき」の年代にありながら戦争にさえ参加しなかった。「戦中派不戦日記」と題したのはそのためだ。ただし「戦中派」といっても、むろん私一人のことである。
従って、汗牛充棟の敗戦記録に私のこんなものを加えるのは、どれだけ意味があるのか、本人にはわからない。これはあのころの民衆すべての体験であって、特別異常なものではないからである。
ただ戦記や外交記録などに較べれば、一般民衆側の記録は、あるようで意外に少ない。さらにその戦記や外交記録にしても、その記録者がその出来事に直接参加していなかったり、また参加しているにもかかわらず、記録者自身の言動、そのなまの耳目にふれた周囲の雰囲気を活写したものが稀である。敗戦後十年ばかりこの現象を、私は記録者がアメリカに対して憚《はばか》っているものと思っていた。ところが、その後に至っても次々に出て来た記録は、数字的には正確になった一面はあるものの、他方、意識的無意識的にかえって嘘や法螺や口ぬぐいや回想には免れがたい変質の傾向が甚だしくなったように感じられる。むしろ終戦直後のものの方が、腹を立てて書いているだけにかえって真実の息吹きを伝えているものが多いことを再発見した。
だから、あの戦争の、特に民衆側の真実の脈搏を伝えた記録が出来るだけ欲しい――例えば、突飛な例を持ち出すようだが、戦国時代における民衆の精細な記録があれば今どれくらい貴重な文献になるだろう――と私は思う。私のみならず、さきに「暮しの手帖社」が、戦争中の『暮しの記録』を出版したのも同じ気持からであろうと思う。そこで、その目的のための九牛の一毛にでもと、粗悪な紙にもはや鉛筆のあとも薄れかかったこの日記をとり出して来たのだが、それにしても軍国の大事とはおよそ縁遠い、貧しい一医学生の日記が、例えその書かれた当時の心境、外部の景観などに一点の嘘はないにしても、もとよりそれほど貴重なものであろうはずがない。この日記が右の目的にそうものであるかどうかは疑問である。
さらに私をひるませたのは、当時これを、読者を意識に入れて将来のための記録として残すという意識が――荷風のごとく――明確になかったということから来る不充分の点である。当然のことであるが、私は当時作家でもなければ、そんなものになる意志もなく、またのちに現代のような時代が訪れようとはまったく想像を絶したことであった。それにまた日記というものはふつう世相を写すのが目的ではなく、身辺雑事、あるいは自分自身との対話が多いものである。それならそれでいまから思えば、例えば当時の毎日の食物などについてもっと精密な記録を残しておけばよかったなどの悔いはあるが、その時点においては、それはあまりに日常化していたから、特に書くに値しなかったのである。空腹の描写が少ないのは、そのとき空腹でなかったということではない。ただしそういう「暮し」に密着した事象に無関心な観念的な年齢のゆえもある。また自分と関係のない空襲の罹災地をわざわざ見にゆくことが少なかったのも――もとより電車の杜絶などという不可抗力もあったにせよ――同じ日常化という理由からである。のみならず、例え記録を意識した時があったにしても、本人の力量不足で描写未熟、それどころか案外ノンビリしているところもあるではないかと思われるかも知れないが、それもまた一つの真実である。無用な文章も多いが、結果としてとにかく残っているのは、ゆきつく果ては知らず、一日ごとにありのまま、感じ、見たことを記録したこの日記だけなのである。(ただし、実際はその当日に書けず、数日後に書いたものを当日にひき戻した部分が数ヵ所あるけれど)
以上のことを承知していて、なおあえて公けにするのは、繰返すようだが、あのころの世相、民衆の真実の姿は、その一面に関するかぎり当時新聞も存在しないにひとしく、甚だその記録が稀なので、記録という明確な意識はなかったにしろ、ともかくも私が記した断片に、その――明日のことも知らぬ、哀れな、絶望的な、そのくせたちまち希望をとりもどして生きてゆく楽天的な日本人の姿が――幾分でも反映していやしないかと思われるからである。
ただし、断るまでもなく、あくまでも九牛の一毛的記録である。戦争体験は万人万様だ。しかも二十三歳の医学生という比較的身軽な立場から書かれたもので、真に書かれるべきは、家族も家も職も、或いは本人の命さえ奪われた多くの人々の記録であったろう。ただ、その人々の多くは、そういうギリギリの立場のために日々このような閑文字を残す余裕がなかったに相違ない。
なお、そんな青二才のくせに、文中「余は」などとエラそうに書いているのは、日記の中の自称としては、日本語中この文字が最も簡略だからである。それから、現在、当時の私と同年齢にある人が、当時の青年はだれもがこんな文語体で書いたのかと思われるかも知れないが、やはり当時としても現代同様の口語体で書く若い人の方が普通であったと思う。みずから読み返してみて、八月十五日以前は文語体が多く、以後は口語体が多いような現象が可笑しい。
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[#見出し]    昭和二十年
[#小見出し]  一 月
一日[#「一日」はゴシック体](月) 薄曇のち晴
○運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ。
○昨夜十時、午前零時、黎明五時、三回にわたりてB29来襲。除夜の鐘は凄絶なる迎撃の砲音、清め火は炎々たる火の色なり。浅草蔵前附近に投弾ありし由。この一夜、焼けたる家千軒にちかしと。
○午前高輪|螺子《らし》にゆく。振袖にかっこ下駄の愛らしき少女いずこへ消えたりや。凄涼の街頭、ただ音たててひるがえるは戸毎の国旗のみ。高輪螺子にて先日の鶏、その他くるま海老、豚などにて飲み、酔いて帰る。午後より家にてまた飲み、夕ついにエルブレッヘン(嘔吐)し、泥のごとく眠る。
二日[#「二日」はゴシック体](火) 晴風強し
○浅草仲店界隈元旦の空爆で焼けたる由。
○矢崎徳光『不滅の科学者』を読む。
三日[#「三日」はゴシック体](水) 晴
○午前、加藤家の清女《きよめ》さん来る。午後送りて、高須さんと御徒町へゆく。
大みそかの空爆にて、三百軒ばかり焼けたる跡を見る。縄張りめぐらせど、何しろ場所広ければその惨澹の景余すところなく見得るなり。げに人間の住みしあとは汚なきものかな。トタン板、焼け石、焼け残りの柱、道具。ところどころにむしろ敷きて、被災者のむれ、整理に働く。いたるところ立退き先を書ける貼紙あり。いまだ余燼鼻をさし、焼失地周辺の家々の持ち出したるたたみや家具や――燃えて無き焼跡よりもむしろこの方が当夜の人々の混乱を想像せしむ。蒼白にひきつりし顔、見ひらかれたる眼、わけのわからぬ絶叫をあげし口など、まざまざと胸痛きまでに思い描かる。
地下鉄にて渋谷に戻り、夕暮目黒に帰る。
○水飴石油罐に千円。鰹ぶし一本七十円なりと。
岡山辺では米一升三十円なる由。ただしこれは疎開者のなせるわざなりと。
○菊池寛の短編集を読む。彼の小説はまるまっちくふとれる職人の手より作り出だされる美しき菓子のごとし。ただし一般にいわれるほど価値なき作家にあらず。むしろ、芥川の小説よりも妖気あり。芥川の皮肉には涙あり、寛の皮肉には滑稽あり、妖気はここより発す。これ彼の人柄より出ずるものならん。
四日[#「四日」はゴシック体](木) 晴
○午前改めてガス会社にゆく。
○夜八時十五分警報発令。敵一機静岡侵入。
○川端康成の短編集を読む。
五日[#「五日」はゴシック体](金) 晴
○朝五時、敵またも静岡侵入。関東西部に来り、信越南部に向い、さらに西進して去る。
○夜八時、敵一機東北方より帝都に入り、投弾して去る。二階に上るに、芝―新橋のあたりなるべきか、炎上、雲に映りて魚の腸のごとし。
六日[#「六日」はゴシック体](土) 晴
敵寄する比島の磯べ
あがる濤朱《なみあけ》に染まりて
燃ゆる日も煙に錆びつ
火の矢なし神風吹けど
吹雪なし神兵降れど
千万《ちよろず》の敵いかにせむ
海覆う船いかにせむ。
ああ比島戦局徐々に暗転せんとす。
過去のすべての正月は、個人国民ともにそれぞれ何らの希望ありき。目算ありき。今年こそはあの仕事やらん、身体を鍛えん、怒らざらむ等々。よしそれの成らざるも、一年の計を元旦になすは、元旦の楽しみの一つなりき。しかも今年に限りてかかる目算立つる人一人もあらざるべし。
連日連夜敵機来襲し、南北東西に突忽として火炎あがり、人惨死す。明日の命知れずとは、まさに今の時勢をいうなるべし。ただし人は、他の死するも吾は死なずと理由なき自信を有するものなれば、必ずしも一日一日戦々兢々として暮しあるものにはあらざれども、ただ――日本の興亡のみは実に理由なき希望のみにては安閑たるを得ざるなり。
もとより誰しも、日本は滅ばずと思う。されどその根拠となすは、いまやいわゆる日本魂よりほかになし。しかれども米はまたその富強に頼り、支那はその広大に頼り、英はその不敗の伝統に頼る。根拠とするところのものは各国異なれども、その頼らんとする心理や同じ。然り而《しこ》うして、その日本人の心理の、実に根本的より動揺せざるを得ざるは、苛烈なる、酷薄なる戦局なり。日本無くんばすべて無し。各自の智恵も富も力も理想もすべてその根底より崩壊せざるを得ず。勝ちたらば――など夢みるもの一人もなし。
ただ全日本人が夢遊病者のごとく、物に憑かれたるがごとく、この凄烈暗澹たる日本の運命を、両手にて支え、一切他事を思う余裕なきが、この正月の気分なり。
○学徒の勤労動員問題に関し、新聞の論調、文部当局を責めて厳烈なり。
わが校、今年はなるべく浪人を入学させる由。最近の中学生は勤労動員のため全然知識なく、入学後の授業に耐うべからざるゆえなりと。
○未明五時敵機また至る。焼夷弾を投下して去る。
○午前、水道橋にゆき柳町にて都電下車、高須さんの知人金沢さん宅へ、薪もらいにゆく。留守なればむなしく帰る。
○「浅草に三亀松のドドイツをききにゆかないか」と勇太郎君がいうので、午後、地下鉄で浅草にゆく。浅草花月に入る。
上田竜児なるものの鉄棒あり。二人で大車輪などやる。もう一人いたりしが、きのう舞台に固着せしはずの鉄棒ぬけて観客席に転落せし由。
次に川田義雄の「八五郎一番手柄」なる芝居あり。のど痛めたりとて白布にて湿布す。喜劇なれば、チョンマゲに湿布しようと眼鏡かけようとサルマタをはこうと支障なし、気楽なものなり。ただし、この喜劇は全然可笑しくも悲しくもなし。よくこれで浅草に出るものだと見ている方で恥ずかしくなるような劣等無気力の芝居なり。
最後に柳家三亀松|出《い》ず。当代ドドイツの名人、さすが何も分らざる吾らにも、その冴えわたりたる撥《ばち》の音、鼓膜を打つ。マイクが今の舞台になくなりし由。そこらの歌手は大閉口の模様なれども私なんぞは平気なり、といばりて、婦系図や明治一代女の映画説明をやりつつ、中にドドイツをさしはさむ。終りに大河内や阪妻の剣戟の真似をす。
三亀松、さすがに紋付袴イタにつき、その痛快なるべらんめえ調、観客への愛嬌と罵倒、皮肉とシャレと自嘲的なるニガ笑い、まことに江戸人的なり。これで帰れば防空副団長なる由。
「かの憎むべきB公が……」などいいて笑わしむ。高輪の親父はB29のことをポー助と呼ぶ。このあいだ来訪せる某婦人はその子に「さあさ、早く帰らないとプーちゃんが来ますからね」といえり。これらサイレンの音の形容ならんが、何でも茶化す江戸っ子の気風、昭和二十年になお残る。
花月を出ずれば外蒼茫。盛り場、いたるところに疎開空地作り、実に荒涼たり。「浅草もヒドくなったなあ!」との嘆声きこゆ。さすがに人波あり。たちまち「すり! すり!」と叫びて人波の向うを四、五人駈けゆくが見ゆ。これにてはじめて、ちょっと浅草情緒を感じたり。
○夜七時四十分、警戒警報。敵伊豆より侵入。帝都の西、北、東と廻りて脱去。
七日[#「七日」はゴシック体](日) 晴
○朝五時半警報発令。それまでに夢を見る。
人間は全然現われず、ただ新聞の記事ばかりの夢なり。
「独逸《ドイツ》力闘空しくついに屈服す」と大見出しあり、ヒトラー総統の写真など出《い》ず。下に帝国政府声明の記事あり、陸軍総司令官は閑院宮殿下、海軍司令長官は東郷平八郎に更迭し、断乎戦争を継続すとのことなり。
余は、これらの人々は偉大なり、されどまた一種の偶像にして、果して今の近代戦を指揮する能力ありやと心配す。
二面を見れば「B29日本昼間爆撃の機能喪失」とあり、日本の攻撃により、B29は今後昼間爆撃の基地を失い、夜間のみとなれる由書かる。これは面妖なり。B29は夜間と昼間との発進基地ちがうものなりやと思えども、ともかく痛し痒しの思いにて読む。而して、さめてこの夢を高須氏夫妻に語る。――ところが、それも夢なりき。
朝飯のとき、この夢を語らんとせしが、その景、夢中のありさまと同じなればやめにせり。奥さんも昨夜の夢を語る。買出しの夢なりきと。
○銭湯。
自分が東京の銭湯についてはじめてきいたのは、九つか十のときであった。当時東京にいた一人の叔父が入院して、その看護のために母が妹をつれて上京したので、その土産話の一つにこの東京のお風呂屋があったのである。
壁も床もタイル貼りでかがやくようであり、栓一つひねれば水も湯もシャワーも自由自在に溢れ出る。妹などは、その美しい床になんど滑ってころんだかわからない――などきいた話のきれぎれが頭の奥に残っていたので、中学時代にローマのカラカラ浴場や、ムガール王宮のハマム浴場のことなど読んだとき、まさかそれほどとは思わなかったにしろ、壮麗な円柱を夢のようにぼかす湯けむりの中をゆきかう美しい裸体の都びとの光景は、充分古代の大浴場の幻想の中に溶けこんで来た。
はじめて東京に出て来て、はじめていった銭湯は牛込の袋町にちかい銭湯であったが、このときは敏捷な東京の人に恐れをなしていたのと、桶を手に入れ、石鹸を離すまいとする緊張に一心不乱になっていたのと、それに東京の幻滅は、風呂などよりほかのもっと大きなことで、毎日毎時間暗い潮のように心に流れこんでいたから、銭湯の美醜など、今も胸に残るような強い印象として残ってはいない。
そうして、その汚なさが改めて分るようになったころには、東京すべての汚なさが身心ともに沁みこんでしまって、これまた特別の感動を受けるような生活の切れ目がなかった。しかし、このごろは――いくらこちらが無感動で、とり合わぬつもりでいても、これでもか、これでもかと塵溜めに頭をつき込まれるような恐るべきものである――と、しみじみ感じることがある。
去年大阪帝大の医学部で検査してみたら、夜七時以後の銭湯の細菌数、不純物は、道頓堀のどぶに匹敵したそうである。世相は物価の急騰に比例して悪化しているから、ことしの風呂などは道頓堀はおろか、下水道くらいになっているかも知れない。
さて、まず下駄箱というものがぶきみなものになった。とにかくふつうの履物をはいてゆけば、絶対に盗まれるのである。
以前に古清水さんが、男と女と片かたの下駄をはいていって、これなら大丈夫だろうと安心していたら、豈《あに》はからんやみごとに持ってゆかれてしまって、残りの両方とも役に立たなくなったという悲劇さえある。高須さんもこれをやられて、さんざん奥さんにその迂闊を叱られた。ところがその翌晩には奥さんがはだしで帰ってくるという始末になった。
自分などは、片方は歯の抜けて全然ないやつ、他の片方はかかとの部分が三分の一欠けている奴をひきずってゆくのだが、これにはドロ欲がそそられないと見えて、さすがに盗む奴がない。
風呂代は十二銭である。昭和十七年の夏上京したときは七銭であった。
次に、衣服を入れる籠である。壊れても新しく補充することができないから、需要と供給に相当の落差があり、たいてい十分間くらいは立往生して、籠の空くのを待っていなければならない。風呂敷を持参する人もある。「盗難注意!」という赤い見出しのついたポスターには、籠に入れるにしても風呂敷に包んでから入れるように、と注意してある。壁には何々警察署とかいたポスターばかりべたべた貼ってある。大時計のガラスはこわれ、錆びた振子には挨がたまっている。
この籠は恐るべきものである。去年の夏全都に猖獗《しようけつ》をきわめた発疹チフスはこの銭湯の籠が媒介する虱《しらみ》であったといわれる。チフスこそ伝染しないが、依然あまりぞっとしない虱は、今でもしばしばこの籠にいるらしい。
いよいよ風呂に入る。わき返った道頓堀に入る。
灰桃色の臭い蒸気の中にみちみちてうごめく灰桃色の臭い肉体! 湯槽は乳色にとろんとして、さし入れた足は水面を越えるともう見えない。いや、たいていのときは、この一本の足をさし入れるということさえも容易ではない――立錐の余地なしというのが形容ではない満員ぶりである。
なぜこんなに銭湯が汚なくなってしまったのか。
それは一つの湯槽に入る人間の数が多くなったからである。極度の燃料払底のため、自宅で風呂のたてられる人はふつうにはまずなかろう。その上、工場の油に汚れる人が激増し、防空壕掘りの土にまみれる人がふえ、さらに日毎夜毎の空襲に、穴に飛びこんだり地に這ったりする人が多くなった。それに、夜工場から帰っても、何一つ娯楽はなし、火鉢一つ抱けない時勢なので、せめて一つの娯楽、暖房として銭湯にでも入るよりほかはないのであろう。自分のごときも、この暖をとる、ただ一つの目的のためにこの汚ない風呂に入るのである。その上、やはり燃料と人手の不足のためと、企業整備のために、お風呂屋の戸数と回数が激減した。
その他に、商売は横着にかぎる時勢の余波で、前回の風呂のあと始末が不完全きわまること、さらに重大な理由として、石鹸不足のため、人間が甚だしく不潔となったことがあげられよう。
小指の先ほどの石鹸を大事そうに使っている老人がある。石か泥かえたいの知れぬあやしげなかたまりを傍においている少年がある。何にも使わずただ手拭いでこすってばかりいる男がある。今石鹸は闇で五円するそうだ。すでに自分のごとき、上京以来二年半になるけれど、配給された石鹸といえば、浴用が三個、洗濯用が五個くらいなものであろう。タオルなどは一本も買ったことがない。衣料切符には一昨年も去年も今年もちゃんとあるけれど、売っている店がない。もしあっても、朝暗いうちから寒風に吹かれて行列して待っているありさまだから、とうてい他生の縁なのである。それで、今は蒲団の敷布を裂いてタオルにあてているという始末である。
さて、昭和二十年新春の浮世風呂。――
十七年はまだ戦争の話が多かったと憶えている。十八年には工場と食物の話が風呂談義の王座を占めていた。十九年は闇の話と、そして末期は空襲の話。
「いやあ、おどろきましたなあ。昨晩は!」「色々こわい目にも逢いましたが、あんなことは初めてですよ」
「何とかサイパンの基地がなりませんかねえ!」
「やっぱり飛行機が足らんのですなあ!」等々。
それが、
「昨晩も、どうも」
「うるそうてかなわんですなあ」
くらいに変り、今ではいくら前の晩に猛烈な空襲があっても、こそとも言わない。
黙って、ぐったりとみな天井を見ている。疲れ切った顔である。それで、べつに恐怖とか厭戦とかの表情でもない。戦う、戦う、戦いぬくということは、この国に生まれた人間の宿命のごとくである。前には一人くらい、きっとお尻に竜など彫った中年のおやじさんがいて、いい気持そうに虎造崩しなどをうなったものであるが、今はどこにもそんな声は聞えない。壁の向うの女湯では、前にはべちゃくちゃと笑う声、叫ぶ声、子供の泣く声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、今はひっそりと死のごとくである。女たちも疲れているのである。いや女こそ、最も疲労困憊し切っているのである。
こうして裸になると、いかにも青年がいなくなったことがよくわかる。美しいアダムのむれは、東京の銭湯にはもう見られない。蠢《うごめ》いているのは、干乾びた、斑点のある、色つやの悪い老人か、中年、ないし少年ばかり。
温泉水滑らかにして凝脂を洗う。ただし水滑らかなるのは、垢でヌルヌルしているからであり、凝脂は黒い機械油である。
侍児|扶《たす》け起せども媚びて力なし――栄養不良の老人が一人、ぐったりと湯槽の外側にもたれて、両足を投げ出していた。昨晩のことである。
気味悪いほど痩せて、真っ蒼になっていたが、むろん肺病の少女のように透き通る青さでなく、イゴロット族のミイラみたいに蒼黒い色だった。くぼんだ眼窩の中で眼をつむって、ぽかんとあけた貝のような歯のない口に、天井から臭い湯気を溶かした水滴が、ぽとんぽとんと落ちていた。
爺さん、爺さん、とみな気づいて騒ぎ出したが、湯にアテられたと見え、老人はぼろきれみたいに動かなかった。痩せているのに、欠食児童のように肥満した腹部が、いっそう人々を不安にした。
うしろの湯槽の中でしきりに呼んでいた中年の男が、「冷やしてやれ、冷やしてやれ、水を頭にぶっかけるんだ」と命令したが、誰もやってやらないので、やにわに自分が水を汲んで、爺さんの頭をひっつかみ、ざあっと一杯これにかけた。
「おっ冷てえ……」
と、爺さんははじめてかすかにうめいた。
自分は容赦なく頭をつかんだまま、ざぶざぶと冷水をかけた。爺さんの色のない唇が紫色になって、水ぶるいしながら、抵抗の気配を見せて不透明につぶやいた。
「おお冷てえ、冷てえよう。……おお冷てえ」
「冷てえもへちまもあるもんか。しっかりしなよ、爺さん、おいっ、死んじまうぜ、そらっ、もう一杯!」
氷のようにしぶく水たまりの中で、爺さんは顔をしかめ、あの世の人間のような声でぼんやりとうめいた。
「……ごじょうだんでしょう……」
みな、どっと笑い出した。爺さんの言葉が、変に可笑しかった。みな、眼をひそめたまま、人のよさそうな声で、げらげら笑いつづけていた。
八日[#「八日」はゴシック体](月) 晴
○午前第一教室にて大詔奉戴式、昼屍体解剖見学。♀24。
○午後道部教授、ゲーテの話ばかりす。老いたるゲーテが例のギッケンハーン山頂に上り、若き日の詩を彫りつけたるを眺めて涙流したる逸話を語りて、先生みずから恍惚また潸然《さんぜん》たるものあらんとす。ついには昂奮して、ハイネの恋の詩などを黒板に書く。みな一生懸命ノートす。
○放課後本郷にゆき金原書店にて加藤元一『生理学』(下)を求む。九円なり。
帰途、暮の空爆被害地を見る。神田区役所附近、美土代町、神田駅附近、惨澹たる廃墟と化す。美土代町最も荒涼たり。この三日に見たる末広町よりも被害地広し。焼けて赤き鉄屑、石、柱、或いは機械の残骸、或いは四、五台の自動車も焼けて放置さる。西空夕焼けて、灰燼の跡をななめに照らす。高架を通る省線電車の窓、夕映に燃ゆるがごとく見ゆ。
○敵大輸送船団、フィリッピン、リンガエン湾に進入。第二、第三の大輸送船団も西進中なりと。ついにルソン決戦の火ぶた切って落さる。
○陸軍観兵式宮城前にて行わる。B29ついにわが天皇をして代々木原頭に御馬首を進めざらしむ。情けなき次第なり。
九日[#「九日」はゴシック体](火) 午前曇午後晴
○午後第一教室にて山辺中佐の戦局論。
およそ一国強大なりといえども、戦線伸ぶれば強弩の末となりて弱国の力と釣合うものなり。重慶が日本になお対抗するはこの理に基づく。このゆえにアメリカがいかに物量大なりとも、必ずや攻勢の終末点あるに相違なし。日本は最初この敵の攻勢終末点をガダルカナルに求め、ニューギニアに求め、クエゼリン、ルオットに求め、さらにサイパン、テニヤンに求めたり。いかに吾がこれらの線にて支えんとしたるかは、連合艦隊出動せるも明らけし。然れども航空兵力の差余りに懸絶して、ついに比島まで撤退す。ここにこそ両国の補給匹敵せしめざるべからず。決戦の意はここなりと。
されど、中佐またいう。比島でだめなら支那大陸なり。支那でだめなら帝国本土なり。あくまでも最後の一兵に至るまで戦意を喪失することなかれ。さきに妥協を申し込みたる方が負けなり。イタリア、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド等の悲惨を見ずやと。
中佐は最後まで闘魂を捨てざらしむるため、かくいいたるに相違なし。されど、新聞、人々の言説、また人心、ことごとく比島こそ天王山、関ケ原と高唱し、絶叫し、認識するごとくなれども、その裏になおこれに敗るれば支那ありとの心なきや。比島こそ日本の絶体絶命の土壇場、最後的決戦なりとの覚悟ありや。この正念場ありてこそ比島決戦に勝ち得るにあらざるか。
されど、万一の場合を慮《おもんぱか》りて、なおみなに希望、少くとも執拗なるみれんを捨てざらしむるため、かく考えるもまたよしとも思う。
一般に事は慎重なれば、犠牲を小にして成功す。しかれども、戦争のみは必ずしもこの理に添わず。石橋を叩いてわたる態のモルトケが犠牲のみ多うして戦いを決する能わず、電撃疾風のごときナポレオンが寡兵を以てたちまち敵大軍を潰滅せしむる等の歴史的戦例を処々に見る。吾人が「偉大なる平凡人」「地道なる努力家」「大器晩成型」等の将軍にあらずして、神変捕うべからざる天才的名将を望むはこのゆえなり。ああ、日本にロンメルなし!
○中佐の談話中、警戒警報発令。時に一時半。まもなく敵四ケ編隊、東京来襲。
真青なる空をB29の翼銀色にきらめく。北方にわが戦闘機、白煙を天よりひいて墜つ。西より来る八機編隊中一機の胴に突如白煙わき、たちまち赤き炎舞わして下に墜ちゆきたるものあり。みな歓呼して敵機数を数うるに、依然八機。さては今墜ちたるはまたも味方戦闘機なるか。体当りせんとする直前撃墜されたりという者あり。体当りせるも不充分なりしなりと叫ぶ者あり。
その敵一機、やや遅れ、細き一条の白煙をひき出せるもなお飛びつづく。味方戦闘機、これを待ち受けて飛びかかるも、みなあわやというところにてすれ違い、B29八機ついに全機視界に没す。みな声のみてこの大空の死闘を仰ぐ。
今ごろは敵機頭上にあるも、壕に入る者ほとんどなし。みな、あれよあれよと固唾のみてこれを見物するのみ。
三時半警報解除。
○『医家の蔵書』を読む。
十日[#「十日」はゴシック体](水) 晴
○午前一時、五時及び午後九時空襲。
○午後三時半、大本営発表、敵ついにリンガエン湾に上陸開始。
○組織学の時間、吉岡教授、敵艦隊の構成を説く。
敵米、まずアリューシャン方面にフレッチャー第九艦隊あり、中部太平洋にハルゼー第三艦隊、スプルーアンス第五艦隊、オーストラリア方面に第七艦隊。別に米太平洋沿岸に第一艦隊、フレーザー指揮の英印度洋艦隊あり。
この他に五十八機動部隊なるものありて、ミッチャーに指揮を受く。
前の台湾沖及び比島沖海戦にてほとんど潰滅せるは、このハルゼー、スプルーアンス、ミッチャーの諸艦隊にして、この危急を救わんがため、敵は当時第一、第七、第九艦隊までくり出せるがごとし。今リンガエン湾に殺到せるは、この第三、第五、第五十八機動部隊の残存艦隊にキンケード艦隊の合流せるものにして、三百五十隻の大輸送船団をふくむ有力なるものなりと。
○木村泰賢『仏教学入門』を読む。
十一日[#「十一日」はゴシック体](木) 曇|頗《すこぶ》る寒し
○沖電気がその発注する小工場群、いわゆる協力工場の従業員及びその家族慰安として、歌舞伎座に招待する券を、高須さん三枚もらって来たゆえ、午前九時、奥さん、勇太郎君とともに有楽町にゆく。
一年休業を命ぜられたる日劇、扉を下し、その周囲に石炭箱のごときもの積みあげて、円筒型の建物、寒空の下に荒れはてた顔して立つ。
休業を命ぜられたるは歌舞伎座も同じなれど、かかる催しものの時にのみ開くなるべし。歌舞伎座の前には「海軍海桜会主催」「沖電気協力工場慰安会」との二つの大看板立つ。
芝居は羽左衛門の「高田の馬場」と「源平布引滝」なりき。安兵衛この寒さに着流しの赤鞘、御老体の奮闘、真に同情す。大いなる観客席に、見物半ばにも満たず。空襲のおそれあれば招待券ありとも来らざる者多くあるべし。ゲートル戦闘帽の工員、或いはモンペの女工達が、モソモソと玄米の握飯を口に入れつつ寒そうに見る。熱気はらむ雰囲気もなければ、たちばなやの掛声も稀なり。ただし羽左は熱演、ことに実盛のごときは一分のゆるみもなき至芸なり。便所にゆくに、ふだん使わざれば糞便などタイルの上にかたまりて這う。
○歯痛み耐ゆべからず。目黒に帰りてより、不動近くの歯医者にゆく。
寒くて寒くて、炭もないんですからなあ、などいいつつもみ手して出て来たる医者は、中年の、魚屋のおやじのような男なりき。第一臼歯に神経出であり、一週間くらいかかるという。
破れたる足袋にジャンパーの風体、医者ともなれば少くとも白衣にひげをひねりあげて傲然と鼻をつきあげておることを得んと、はかなき楽しみを持ちいたるわけにはあらざれども、同業者の卵としていささか前途を悲観す。
不動のうしろを通りて帰らんと来る道を変えしため、ついに迷いて荏原の武蔵小山などに出て、めちゃめちゃに歩きたるところ、目黒の清水に出《い》ず。自分の地理感覚なきに呆れたり。
道の両側、防空壕の上に霜柱まだ溶けず、用水桶に冷たげなる氷浮く。家々ほとんど戸を閉じ、ガラスなど破れたるもただ板を打ちつけたる家少からず。開ける店は貸本屋か配給店のみ。
貸本屋の棚はがらん洞なり。これ貸本屋は定価一円ほどの本を五円くらいにして貸し、三日なり五日なり後に持ち来れば三十銭五十銭とりてあとは返金する仕組みなるも、今の十円二十円はほとんど金にあらざる時勢のため、たいてい借りっぱなしとなるゆえなり。
野菜の配給店の内には、大根一本、葱一つかみずつほど入れたる無数の各家庭の手提籠並ぶ。
このほかに目立つは、近年筍のごとく簇出せる小工場にして、至るところ「○○電機協力工場」「××製鋼協力工場」「△△光学協力工場」等の看板かけたる家、ほとんど十軒に一軒の割にて並ぶ。ふつうの住宅はもとより銭湯、映画館までこの工場の札をかく。目黒などほとんど工場あらざるべしと思いいたるに、清水のあたりこのたぐいのもの頗る多ければ呆れたり。
寒風凍るがごとく、夕ついに乾ける雪舞う。
○本日、午前一時、三時、午後十時敵襲来。
十二日[#「十二日」はゴシック体](金) 晴
○午前一時、三時半、空襲。
○昨夜の雪、路上に凍りて銀沙のごとし。
○比島全空軍、体当り戦法をとる。日に日に新兵器生まる。曰く、V1号、V2号、凍結砲弾、無人戦車等。しかも日本軍の新兵器は、永遠に兵みずから生還せざる事実を包含する新兵器なり。
吾が空軍の一将帥曰く「吾ら全軍体当り捨身の悔いなき戦争を決行せん。われらの子孫が、後世に於て、祖先はかく戦えりということを記憶するかぎり大和民族は断じて滅亡することあらざるべし」と。
言々血を吐く声なり。叫びなり。凄絶悲壮、実に吾人をして背に粛然、また欣然たる感動を与うるものなれど、そもそもこの将、体当り戦法をとりてこの戦争の前途に微光を認むるや否や。
○今をさる七千年前に興亡せるアッシリアの民族性を、歴史家は次のごとき表現にて断ず。
「アッシリア人は、その武威をエジプトまでもかがやかせたる強力かつ残虐なる好戦人種にして、その精神的活動は、おおむねバビロニア文化の遺産を蒐集し系統化し補足することにありき」と。
外人おそらく大和民族をもかく見おるものならん。而して日本はたとえ未来七千年七万年の時ながるとも、断じて史書の上のみの国家に消滅せしむるべからず。
十三日[#「十三日」はゴシック体](土) 晴
○なぎさにボートが一つ揺れていた。波は船尾を一つ大きくゆりあげて、白いかがやくような泡をかみながら砂浜をかけ上ってゆくのだが、舳はかろくなぎさにくいこんでいるので、その動揺は生あるもののごとく諧調的で、食べ捨てた桃の赤い核《たね》は、潮風にぬれながらいつまでも舷にのっていた。
そのボートの陰に、女が一人、腕をさしのべて小さい蟹を追うていた。
崩れ、ゆらめき、翳り、満ちわたる蒼い水の光の底に、指に追われて小さな蟹は右往左往した。人知れぬ沖の小島の、静かななぎさにぽつんと湧いて生きてきたこの小蟹にも、やはり「危険」を弁《わきま》える智恵があるのか? 従って、たたかいの世界があるのか?
女は急にまつげを見ひらいて、うしろを見た。白い砂に影を落して、男はひざを折りまげてうずくまっていた。盛りあがった黒い肩の肉が鈍くひかって、それは奴隷の像のようであった。
女はまた眼を返して蒼い海原をながめやった。海はあぶらのようにながれ、空はパレットのように動かず、光はじっと溶けていた。生きているのは、波がしらをかすめる白い鳥と、背後に聞える浜の青草のそよぎだけだった。女は眼をとじた。もの哀しくなり、ただ無限の蒼空を廻るしずかな巨大な球体を空想し、それから頭が空虚になった。
しんとしている。――が、寂莫の底から、女はやがて微かな物音をきいた。まず、ひたいをなぶる黒髪の音。呼吸の音、とっとと鳴る心臓の音。――それから――女はしだいに息がはずんで来た。女は男が立ちあがって、うしろに来ていることを知っている。身体が微風のようにふるえて、膝がたわんで、ついに女はうしろによろめいた。男の鋼鉄のような二本の腕が、女のまるい乳房にくいこんだ。
次の瞬間、男と女は、わっわっと蒼空も破れるような叫びをあげながら、四本の足で砂の上を駈けていた。二人の髪と息はもつれて、溶けて、炎の虹のように背後にながれる。掠奪者みたいに男の小脇に抱きあげられた女のまるい胴に、白い脂が魚の鱗のようにひかる。女は男の腕にかみついて、血があごをつたわっている。女は怒りと恐怖の泣声をひき男は歓喜の哄笑をあげている。
二人は四本の足をつっぱらせて、数秒青い草の上に立っていた。女の腕は男の背中で断末魔のように空をつかみ、胸は波うち、眼前に地獄の火みたいに燃える男の眼に、頭はしびれ、息がとまった。海鳥がひろひろと鳴いた。女の眼に涙が浮かび、かなしげに息があふれ出た。その息は吸いとられ、唇はふさがれて、身もだえする白い肉体は、容赦もなく一分も動かさじとしめつけられて、二人は青草の中に倒れた。風が吹いて、葉ずれの音がこれを覆った。
おお、そうだ。見よ、風は吹く。海は叫び、太陽は動きはじめた。鳥の声は天地に満ちた。
誰が海に生命がないというのか? 海は新陳代謝をする。それは全世界百万の河から水を受け、満天の雲から雨を受けて、不変の息を空に吹く。海のエネルギーは転換する。山を打ち、巌をたたき、時あってか一大陸をも海瀟の下に覆い消す。海の形態は変化する。それは風に躍り、熱に流れ、黒雲をつかんで一大竜巻となる。おお、海! 産み! 万物を産む海!
そしてその海のほとりに生命の一大讃歌は奏でられている。光と風の乱舞する蒼い虚空に、美しい葉ずれの下から立ちのぼるすがたなき一道の白い炎の中に、神は笑い、魂は歌っている。
青い葉が空に蹴上げられて、男が躍り出した。彼はよろめいて、乱れた髪のかげから海を見た。そのひたいには、はっきりと不満と苦悶と絶望の刻印が押されていた。彼は顔を覆って、号泣の声をもらしながらまた海を見た。しだいにその眼はかがやき、彼は双手をさしのべて蒼空に立つ巌頭めがけて走り出した。
草の上に、女は両腕をつき、身をねじらせて微笑していた。彼女は涙のかがやく瞳に、巌頭に荒鷲のように立つ男を仰いでいた。女のくれないのみなぎった頬には円光がさしていた。
イヴはすなわちマリアである。女は実に人類のすべてである。人類の――生物の――すなわち生命の全目的全意義はただ一つに過ぎぬ。それは「生む」ということである。生んでどうなるのか? 人類が幾千年たっても全然幸福の相対量を増さぬと嘆く人間は、生命の意義を誤っている。生む、ただそのことだけに生命のすべてがあるのだ。生まれてのちの幸福はその目的でも意義でもない。
男は腕をくんで水平線の果ての幻を見ていた。人間の顔をした神がいる。お菓子のような芸術がある。水を握るような愚かな科学がある。譎詐《けつさ》が道徳の薄衣をまとっている。――けれど、男は眼に微光を点じて、いつまでもこの幻を凝視している。
男は盗賊と並んだ十字架のキリストである。野たれ死をしたトルストイである。金具の鼻をつけたテイコ・ブラーエである。親友の刃に刺されたケーザルである。それは道化の権化である。
ああ、人間の一人をオブエクト・グラスにのせてみれば、
直径一ミリの世界をうごめく菌虫類と、
寸分変らぬ無意義な存在だ。
聖者も偉人も英雄も
彼がこの世にあったと無かったとで、どれほどの差があろう?
ただ彼が子孫を生んだというその事だけで、
吾々は宇宙を見、時間を感じ、数学に興ずることができる。
吾々は宇宙も時間も数学も知らない。
しかしそれでよい。吾々が生まれたのは知るためではない。
けれど。――
子孫を生むだけの目的では余りに情けない。
吾々は女を愛し、戦いを愛し、芸術を愛する。
しかし、ショーペンハウエルの言によれば、
男女の最初の一瞥には未来の生命が息づいているそうだ。
芸術は、異性を呼ぶ野の鳥の声が起原だという。
戦いだって――考えてみれば、
この戦いだって、短い吾々の生涯のためではない。
子孫のためだと知らずして、
子孫のために人は生き、人は苦しみ、人は死ぬ。
その魔術をかける者はだれだ?
――など考えて、
得意になるのが、
すなわち男の道化たるゆえんなのさ。
○すべてを破壊すること、習慣、教育等有形無形のものの醸し出す幻の衣をいちどひっぺがして、「ほんとうのもの」を眺めること。
何だかルソーみたいなれど、一ぺん全部洗い落したい。
○午後歯医者にゆく。がりがりと歯をけずる音、頭蓋骨を震動させて最初は気味悪けれど、しばらくするとほとんど脳髄を麻痺陶酔せしめ、むしろ心地よし。
十四日[#「十四日」はゴシック体](日) 晴
○先日あまりに銭湯の悪口を書きたる天罰てきめん、きょうメリヤスのシャツ二枚板間にて盗まる。最も上等なるシャツにして、あと所持せるはぼろぼろにちかきしろものばかりなれば閉口す。しかし可笑しくもあり。
さて、これが人生上の大問題なりとせば、時により、かかること考える人間も出ずるならんか。すなわち――
一、この世には神も仏もなきや。悪人が結局得をする世界なりや。
二、悪口をいいたる罰なり。以後決してかかる悪口をいうべからず。
余が答。
一、この世には勿論神も仏もなし。ほんとうをいえば、善人も悪人もなし。ただ人間があるばかりなり、よし善人悪人あるとするも、善人は善なるがゆえによきこともあり悪きこともあり、悪人は悪なるがゆえによきこともあり悪きこともあり。そもそも神仏善悪を利損を通して見るは愚の極みなり。
二、ものをかつぐことは最も排す。人事界の前兆なることは、強いて説明すれば心理学の範疇に属す。しかれどもまた自己の感情に関係ある人事を心理学的に考究するは、心理学の心理学たるゆえんを知らざるものにして、まずたいていこれを以て正鵠《せいこく》を射ること能わざるものと知るべし。すべては偶然なり。偶然の意義につき知りたき物好きあらば、ポアンカレーの論文でも読みて頭を三角にすれば可なり。
――今考えたることなれど、偶然なる問題につき、最も考えたるはポアンカレーよりも釈迦にあらずや。
これとは別に、「偶然の研究」「うぬぼれの研究」の二事は、美や神の研究に匹敵する人間界の重大問題にしてかつ興味深き題目たらん。
○B29伊勢の皇大神宮爆撃。
十五日[#「十五日」はゴシック体](月) 晴午後曇夕雪
○空襲のため毎日明日の命わからず。高須さんまでが遺言を書いておくという。
余の遺言はただ一つ「無葬式」。
紙製の蓮花、欲ふかき坊主の意味わからざる読経、悲しくも可笑しくもあらざるに神妙げなる顔の陳列。いずれも腹の底から御免こうむりたし。
やるならウイスキーを供えて、ベートーベンのレコードでもかけてくれたらそれにて結構なれど、もとよりそれも愚にして無。
○母死にしとき、余は他に対し、おのれに対し、その悲しみを誇張せんとせり。孤児はひがむと世にいう。われ果してひがむやと考えしこと記憶せるが、ついにまんまとひがみ終りたり。(尤《もつと》も自分ではひがみおるとは思わず。しかれども他は余の言動と父母亡きことを結びつけてひがみなりと断定せり)
而してこのごろ他と情に於て交渉するが煩わしければ、ことさらにとぼけ、飄然とす。たいていのこと、見ざるまね、聞かざるまね、知らざるまねして通すに、習い性となり、偽次第に真となりて、ようやく老耄《ろうもう》の気をおぼゆ。二十四歳にして耄碌せりといわば、人大いに笑うべし。
○歯医者にゆき、神経をとってもらう。
十六日[#「十六日」はゴシック体](火) 晴
○午前十時、独逸語の授業中警戒警報発令。校庭に飛び出すや否や、もう頭上はるかなる蒼空にB29西より飛び来るが見ゆ。こは何事ぞと呆れるうちに東方に消え去りぬ。弾幕いたずらに蒼空に美し。
○午後、山辺中佐より航空原理。ほとんど耄碌せりと思いいたる老教官が、ベルヌーイの定律や力の平行四辺形などしゃべり出し、一同呆れた顔なり。
○『シャーマネとメジンマン』を読む。
十七日[#「十七日」はゴシック体](水) 晴
○肥運搬人来らず、家多く糞壺より溢る。わが宅にても溢れて汲出口より塀に至るまで、尿と糞ながれて湿潤す。もちろん汚なし。
田舎ならばこちらにて如何ともするを得べけれども、東京に於ては手のつけようなし。穴を掘らんか、三坪の庭、その庭せまきまですでに防空壕を掘りてあるを如何せん。
○夜十時B29一機伊豆方面より侵入。帝都周辺の探照燈、幾十条となく天を這い、ついにこれを捉う。B29一万メートル以上にも見ゆる高空なり。その白き一点より地へ傘のごとく拡がる光の柱壮観を極む。高射砲きらめけど、砲手藪睨みか、見当はずれのところ射ちついに逸す。
十八日[#「十八日」はゴシック体](木) 晴
○午後一時より細菌学試験。
○試験終りたるころ、校庭に出ずるに、北の方に白煙黄煙流る。火事なりとの叫びに、屋上に上るに新宿二丁目のあたりに火炎チロチロ隠顕して黒煙凄し。ヤジウマに加わりて走る。アパートのごとし。消防隊活動して暫時にして火炎を鎮圧す。いまごろの火事は罰金にてすまず。体刑なりとのこと。失火せる者は泣きっ面に蜂なり。
○帰宅後、歯医者にゆく。歯をけずりて型をとる。その帰途「大鳥館」なる映画館にふらりと入りみるに「野戦軍楽隊」なる映画を上映しあり。数うるに見物わずか十五人。これまた空襲を怖れてのことなるべし。寒きことおびただし。便所の臭い場内に満つ。銀幕に媚笑のかぎりつくして歌う李香蘭を見つつ、われ思えらく、なんじかくのごとき場所におのれの美しき顔さらさるるを知るやと。
○星きらめき、月鎌をなす。風なく夜しずかにして、全東京ほとんど暗き大いなる氷に閉じこめられたるごとし。頗る寒冷なり。
十九日[#「十九日」はゴシック体](金) 晴
○午後二時警戒警報発令。敵数編隊阪神地区に進入。二機は関東西部を旋回。
碧き空に、葉なき樹々、金色にかがやきつつ浮かび、白々と三日月一つ、円を淡くぼかして中天にあり。味方戦闘機、白き飛行機雲ひきつつ哨戒するが見ゆ。
西部の敵二機、東京に入ることなくして去る。
○隣組条令にて夜十時以後は絶対灯を外にもらさざるよう申し渡されたるとの事。これを称してゆきすぎという。食っては眠る動物ならばともかく、何かやらんとの心ある者、これによって何も出来ず。暗幕を下げ、スタンドを黒布にて覆いて、なお暗き光|朦朧《もうろう》と外にもるる程度ならば――而して警戒警報発令とともにただちに消燈するならばそれでよきにあらずや。戦争はそう簡単にすまざるなり。あまり神経質なるは長つづきせざるなり。
○噂によればドイツ技師団指導のもとに名古屋にてV2号製作中なりと。医学生も四月より七月まで名古屋に動員さるるとのことなり。
○夜雪。のち晴れて満天の銀河凍る。風邪心地。
二十日[#「二十日」はゴシック体](土) 晴
○十八日、帰宅時寒かりき。家に火なく、心荒涼たるものあれば、ついふらふらと映画館に入る。館中また寒く、而して出ずれば日暮る。駈けて帰りしが、突然寒冷なる空気を肺に呑吐せしゆえなるか、爾来《じらい》のど乾き咳嗽《がいそう》出で、かつ水洟垂る。
今日に至りて舌乾き顔火照り、脳かすかに混濁をおぼゆ。全身に悪寒あり、奥さんの命により検温するに三十八度二分。
○眠りつつ、『アズテック族の医学』を読む。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](日) 曇
○昨日は午後三時より六時まで眠りぬ。夕食を喫し、また七時よりけさ七時まで眠る。一夜長かりき。蒲団熱くさく、時に身体を動かせば筋々痛めど、また一種の快感ありて、混濁せる眼にて恍惚と暗き窓見て、また混沌と眠る。
而して今日また一日じゅう眠る。午前十時検温、三十七度九分。午後四時三十八度一分。奥さんには三十七度ちょっと越すばかりという。いたずらなる心配かけるが心苦しければなり。
○べつに今の病気により考え出したるわけではないけれども、余は死を怖れず。勿論死を歓迎せず。死はイヤなものなり。第一解剖台上の屍体を見るも、死はイヤなものなり。しかれどもまた生にそれほどみれんなし。生を苦しと思うにあらざれど、ただくだらぬなり。金、野心、色欲、人情、もとよりわれもまたこれらより脱する能わず。しかれどもまた実につまらぬものにあらずや。五十年の生、これらの万花万塵の中に生きぬきて、しかも死や必ずこれにピリオドを打つ。而してその後にその生を見れば、その生初めよりこの地上になきも殆ど大差なし。
この死に辛くも一矢を酬《むく》いる法はなんぞ。そはあのイヤな解剖台上にのりて、学友の群に解剖させることなり。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](月) 晴
○朝検温三十七度二分。登校。十時半より独逸語試験。
○生理学教室の二階より中庭を見る。明るき日に影美しく角帽の群三々五々と流る。柴煙談笑。本館の塔の影の背景に、碧空霞む。何となく春を感ず。わが全身熱く酔いたるがごとし。教室の壁の落書を読むに曰く、
「大いなる悲観は大いなる楽観に一致す」
「試験亡国論を著わす者なきや」
「ならぬカンニングするがカンニング」
「ルーズ兵衛が種蒔きゃチャラスがほじくる」
「諸君はなぜこんなに落書をするのか。それで医学生といえるか。アーン?」
「公認殺人者養成学校」
可笑しくなし、もの哀し。今風邪流行ると。肺炎への誘発傾向強きものなりと。されど今はこの陶然たる頭脳、酔えるがごとき身体に何となく一種の快感をおぼゆ。傍より心配する人かえってわずらわし。
○午後七時半、警報発令。B29一機静岡に入る。帝都に入ることなく相模湾より去る。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](火) 晴
○午前零時半警報発令。敵一機また静岡に入りしが西進して去る。
○熱をおぼえざるも咳止まず。胸背に一種異様の感覚あり。去春のことあれば大事をとりて休む。夕刻長岡歯科にゆけども医者不在。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](水) 晴
○来年より授業方針次のごとくなるやも知れずと。すなわち解剖、生理等、基礎医学を分類することなく、消化器系、呼吸器系、循環器系のごとき科目に分け、これら各※[#二の字点、unicode303b]につき解剖も生理も病理も外科もやる仕組なり。
これおそらく実現せざるべし。第一かくなりては、一年は医学生時代に使用するすべての参考書を一時に備えざるべからず。これ明らかに不可能なり。その他すべて、この方法、根本的の錯誤を発見せらるるに至るべし。
咳止まず、夜盗汗あり。さてはいよいよ一年ぶりの再来なるか。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](木) 晴寒
○午後三時より第一教室にて、同盟通信社海外局欧米部長という頗る長き肩書をつけた三輪武久氏の講演あり。演題は「最近の世界情勢」なれど、多くは宣伝戦の話なり。新聞にリスボン発同盟、ストックホルム発同盟などあるはことごとく嘘にして、この日本に於て直接米英の電波を受けたるものなりと。
○咳烈しく、全身に悪寒あり。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](金) 晴
○午後友人らと、学校屋上にて日向ぼっこす。空気澄みて日かがやく。風冷やかなれど教室よりはマシなり。身体暖かきがごとく寒きがごとく、陶然たるがごとく不快なるがごとく、終始黙す。みな、恐ろしくシュルンペン(憔悴)しておるなと笑う。
帰宅後眠る。全身の関節なかんずく肩腰痛く、咳嗽烈し。
○夜十時B29一機来。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](土) 晴午後曇
○昨夜にひきつづき、一時また一機、さらに三時ごろまた一機、暫時してまた一機来る。高射砲の音凄じ。
余起きず。高須さん必ず飛び起きて身支度して待つ。半ば精勤、半ば臆病、頗る尊敬すべく頗る滑稽なり。「おまえみたいに図々しいヤツはねえ。あんな音でよく寝ておられるもんだ」という。
○午前中、近傍の谷山なる医者にゆく。診察、注射、散薬二日分、診断書にて九円。流感なりという。ついでに歯医者にゆけども留守なり。
○午後一時半ごろ、敵二機先ばらいとして来る。
これに続きて約七十機のB29五梯団に分れて怒濤のごとく襲来。雲低くして雲上の彼方より轟き来り。ヘリオスのごとく頭上を翔けり去る音無気味なり。一編隊東南洋上に去らんとして次なる編隊西より進入、これいまだ帝都を去らざるに第三編隊静岡に侵入、東方に進み来るといったありさまなり。
二階に上りて東方を望めば、京橋、日本橋より上野にもかかるべきか――ともかくも、日翳りて蒼暗き家並の地平線、黒煙漠々と天を覆い、その上空の横雲、日中なるにあかねさしたるが如く赤らむ。これは相当のものなりとみな長嘆す。夜に入るも空なお赤し。
○咳止まず、背寒けれど、ごろごろしているも飽きたれば、寝床にて辰野隆博士の『仏蘭西文学』を読みいしが、ふと思いつきて検温すれば、三十八度八分。あわてて寝る。
○深夜十二時、敵一機襲来、焼夷弾投下して去る。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](日) 晴
○午前十時、警報も鳴らざるに突如高射砲を打出す。すわB29来襲なり。忽然として敵一機、帝都上空にあり。昨日の爆撃跡を偵察して脱す。
○つづいて午前十一時また一機来りただちに去る。
○午前十一時検温三七・五度。咳嗽やまず。これが最もイヤなり。
○午後四時三八・二度。
○午後十一時敵一機来。
○今日上野へいって来たる奥さん、浜松町より上野まで沿線惨澹たりと話す。日劇、有楽座、朝日新聞社等満足なる窓ガラスなし。倒潰家屋おびただしと。昨日切符買行列の人々ことごとく死せるため、きょうは有楽町駅に電車停らざりきと。上野界隈も兵士学生の出動に満ち、嗚咽しつつ往還の人に訴うる老婆あり。埋没中の家族を必死に発掘中の人々あり。思い出しても肌に粟を生ずと。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](月) 晴
○午前一時敵一機来。午前四時また警報。これは伊豆諸島のみ爆撃して去る。
外に寒風の声凄く、防護団の人なるか、この隣組に見張り一人も出ておらずとどなるが聞ゆ。高須さん出でゆきて大いに叱らる。
○午後より淀橋病院にでもゆかんかと、あらかじめ検温するに三九・二度なり、さてこそ全身異様にものうく、食欲おきず、頭痛割るるがごとくなりしなり。T・Bなりと自ら診断し、奥さんに食器など別にするように頼む。アスピリンを飲みて眠る。発汗。
午後五時、三十七度二分。全身爽快、元気回復するをおぼゆ。いまだ軽き咳やまず。
○戦争は人間を正直にすという。戦場にある者或いはしからん。しかれども国民の大部分を不正直にすることはたしかなり。
少くとも日本の作家にして、戦争以来正直なる者を未だ見ず。戦争以前も不正直なりき。而も彼らはそれを人に隠さざりき。彼らは戦争以来笑うべき不正直に陥り、しかもこれを隠すに汲々たるものあらんとす。されど、むべなり、ポール・ブールジェすらも戦争中は自らに正直なるを得ざりしことを考うれば。
三十日[#「三十日」はゴシック体](火) 晴
○午前出廬。歯医者にゆく。サンプラを篏む。二十五円也。金足らず走り帰りて奥さんに借る。払い終りて五反田を回り新宿へ、淀橋病院へゆく。
森戸教授かかり、ちょうど三年これが試験とみえて、傍に侍して戦々兢々たり。下級生たる余に対しても、「おのどを」、「お舌を」などと鞠躬《きつきゆう》如たり。痛快の至りなり。検温三六・八度、血沈のブレートを採る。やはり風邪のごとし。費二円五十銭、中一円は瓶代。つまり診察代と薬代は一円五十銭にして、余のごとく全然医者の勉強せぬ者に対してすらひとしくこの恩恵を垂れたまう母校、げに感激の至りなり。
孤児が冷酷なる一因。
人間は天性自我の権化なり。小児を見ずや。社会的生活中、人は人を愛する、ないし愛する真似をする行為を身につく。
己と他と、これ天地死生のごとく懸絶せるもの、両者の断崖をはるばる手をさしのべて越えんには相当の練習を要す。この練習台となるものすなわち親なり。
親や純然たる他人にあらず、純然たる自己にあらず、子はこの中間的存在を愛することをおぼえて、然るのち同筆法を他に及ぼさんとす。
孤児はこれなきがゆえに、一挙に他を愛する飛躍をなす能わず、人を愛するすべ(これ手練手管にあらず、心の状態なり)を知らず、これ孤児が冷酷なる一因なりとす。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](水) 晴午後曇
○下校時、新宿駅前の露店にて七味トーガラシを買う。四十人余りも延々たる行列、並んで十分ほどたちて失敗《しま》ったと思えど、あとは助平根性出してついに買う。一時間ちかくかかりたるならんか。病みあがり久々の出動に、夕暮の寒風に吹かれてトーガラシを買う、われながら精神状態を疑わずんばあらず。
一握一円余り。これを十円分も買いてゆきたる人あり、何にするつもりなりや。売る人、赤い大黒帽、白衣に赤き羽織着て、七味混ぜるとき早口にて歌のごとく呪文のごときものつぶやく。
この行列を見つつ割込まんとする老女あり。みな口々にこれを叱れど、笑み返すのみにて去ることなし、ついに割込み買いて去る。珍らしきことにあらざれど、四十過ぎての女ばかり図々しきもの世にあらず。
女学生一人、余が前につと入らんとす。ただし余がうしろになお行列あることを知らざりしがごとし。余ふとこれをとがめたるに赤面してあとずさり、余がうしろ見て驚きたる顔し、すぐにおのれのはしたなきを恥じていっそう赤くなってうつむく。余前へ入れてやりたくなりたれど、わが後、これまた意地悪げなる四十婆アなれば断念す。トーガラシごときを買うに、前に女の子一人入りてこれをとがむるとは、吾も下らなき男かな。
と、割込みもその対象異なれば当方の心もまた大いに異なるは可笑し。
○最近極めて突忽として厭戦気分一帯に瀰漫《びまん》せるように感ず。あたかも火の柱たりし樹木のぽっくりと焼けおちたるごとし。
これ余が病みて気力衰えたるためもあらん、先日の大空爆のためもあるべし。されどまた、いったい日本は勝てるやという一事に、日本人が根底より自信を失いつつあるは事実なり。
ドイツ今や決河のごとき赤軍の前に崩れんとす。ルソンの米軍次第にマニラに近接、山下いずこにありやとみな疑う。アジア全土米機の跳梁せざるなし。曾てその夢見たり、まさしく正夢なりしなり。
日本は勝つ、かくして勝つという明確なる指導理念、炬火《きよか》のごとき鉄血の意志を台閣示さざれば、日本潰ゆるの虞れなしとせず。日本に穏やかなる政治家は要らず。欲するはむしろロベスピエール、ダントン、マラー或いはクロンウェルの徒。
[#改ページ]
[#小見出し]  二 月
一日[#「一日」はゴシック体](木) 曇寒
○午後三時より鈴木文四朗氏の「敵の国民性」なる講演あり。
鈴木氏小柄にして痩せたりといえども、顔色褐色に焼けて光頭げに赫然《かくぜん》たり。精気全身より発し、而も穏厚の気を失わず。
主としてアメリカ人の国民性に就ていう。まず美点をあげんに曰く、
一、米人は恐るべく勤勉なり、今の日本で最も働き最も能率をあげいる者は誰ぞや、そは囚人と米軍の捕虜なり。囚人は知らず、米捕虜の働くは必ずしも背後に銃剣あるに依らず。彼らは実に働くをたのしみとなす国民なり。余、今次大戦始まる前、米に渡り而して欧州にゆき、ふたたび米に帰れるに、その印象、欧は午後三時の国にして米は実に午前十時の国なりということなりき。ヨーロッパ、その文化絢爛たるものありといえども何となく黄昏ちかき気あり、然るに米国、白日かがやきて新風|赫灼《かくしやく》、道ゆく人々の顔、あがる物の響、生気充ち満ちてまひる近き朝の国なるを感ず。
二、彼らの組織力に富むことなり。而して何事も極度に分化し、平易化せしめ、以て驚嘆すべき能率をあげることなり。フォード会社にては、自動車一台を作るに費すは四十五分のみ。四十五分後にはすでにガソリン注がれて出口より疾走して去る。余これを見て茫然たりしに、案内の人曰く、お気に召さばこの車記念に買いあげ給え、値三百ドル、ただちにさしあげんと。日本ならばこちらが注文するも、いやこれは駄目なり、御所望ならば営業部販売係へなどいいて小半日もかかるなるべし。本土来襲のB29の内部を点検してまず気のつくことは、あの巨体の操縦法、約していわば、まず全然飛行機に未経験の者もただちにこれに搭乗操縦し得るにあらずやと思わるるまでに、簡明にして平易なることなり。
三、清潔なることなり。フォード会社のごとき八人に一人の割にて掃除人つくという。しかもその工場の清潔爽快なるに因する工員溌剌の心は、この負担を補いてなお余りありと。日本はなるほど自らの家庭は茶室的にこまめに磨き清む。しかしひとたび社会に出ずれば実に痛嘆の極みなり。街頭に痰を吐く、鼻紙を捨つ、甚だしきは――先日東京駅地下道にて見たることなるが、大の紳士の堂々と立小便しているにはかつ呆れかつ憤激にたえざりき。公園、病院等最も美しく清潔なるべきものが最も不潔なり。文部省のごとき外観美なりといえども内は村役場のごとし。その汚穢乱雑なる、これで大日本の文教の府なりなどとは凄じきかぎりなり。
四、平等主義にして、身分高き人も低き人も、いたずらにいばることなく、いたずらに卑下することなく、人のいうことはまず信ず。人を見たら泥棒と思えという日本とは反対なり。大阪商人にはユダヤ人もはだしで逃げるという。日本人|奸譎《かんきつ》の評果してよろこぶべきことなりや。
五、勇気あることなり。――このあたりより、米国人の厭うべき点をあぐ。勇の道誤りて凶暴残忍の気味あること、女性崇拝の観念ゆきすぎて女性傲慢にしてまた男女の道乱れたること、賭博を熱愛すること等。
海賊に発せるアングロサクソンの中、さらに勇敢無比の青年海を渡りて建国せるよりいまだ二百年、ロッキーを越えて西の方太平洋に至り、ハワイを奪い、フィリッピンを取りてさらに西へ、アジアへ手をのばさんとしてここにわが日本帝国に阻まる。
この恐るべき敵を相手として、吾人何すれぞ今までごとき苦労にて大東亜帝国の建設成るべきや。蘭印ビルマ、支那、フィリッピン、かくのごとき無限の宝庫、これを手に得ればまさに有史以来未曾有の強大帝国現前するや必せり。而してかくのごとき広大富裕の地を、僅々四年未満の歳月を以て手中にせんとはあまりに虫よき話なり。吾人はさらに血と涙と汗を流さざるべからず。
ドイツ今や危殆に瀕し、ベルリンの命運あと数週も如何かと思わる。ソビエトとの中立条約期限満期迫り、日本は侵略国なりとの不気味なる言をスターリンの演説にきく。ルソンの戦局暗澹として、B29連日連夜本土を襲う。実に恐るべく肌に粟を生ずる未曾有の国難眼前にあり、日本の運命決すもこの二、三ヵ月かとすら思わる。諸君奮起せよ、祖国千年の計、否、永遠に決するの時は今にあり。東京灰燼に帰するはもとより覚悟の前なり。米は日本を日清役以前のものに追い落すと呼号しているにあらずや。皇軍を解除され、工業力を奪われ、ひたすら蚕のみ飼いてヤンキーの女の靴下製造国に甘んじ得べきや諸君と。
○鈴木氏の講演終り、新宿に急ぐ。雲冷たく夕空を覆いて風寒なり。
新宿駅に達せしとき、傍に自動車音なく停る。後に「外務省」とあり、国民服戦闘帽の老紳士、ステッキ振りて降り立つ。一友人「いばってるな、ゲートルも巻いていやがらねえ」と罵るに、神倉あわててその腕をひきて曰く「あれは有田八郎なり」と。
神倉の従兄に有田氏の娘嫁せる由。有田氏悠々とステッキを振りつつ、雑踏の中を新宿駅内の地下道をゆく。吾らそのあとを追いて歩む。有田氏血色よく、左頬に痣あり。曾てクレーギー英大使と相対し、大東亜戦前の日本の歴史にその片影を印せし人、いまこの疲れたる荒々しき雑踏を歩み、何をか思える。――何も思わざるなるべし。
○幸田露伴『術くらべ』を読む。この謹厳にこのユーモアあるが可笑し。『連環記』中の一節に曾て笑いたるが、この編はまたベラボーなり。この人のユーモア幼児のごとく、無邪気にして他愛なし。
二日[#「二日」はゴシック体](金) 雪、曇、夕晴
○昨夜十二時寝につく。いまだ眠りに入らざるに警戒警報発令。敵一機関東西部に入る。帝都に入ることなく相模湾より南方海上に退去せり。
○明くれば雪なり。大いなる牡丹雪、霏々《ひひ》としてふり、また霏々としてふる。またたく間に一寸ちかく積る。街上雪水に濡れはてて、靴底の隙より入れる冷水、靴下を浸して足指凍らんとす。
○午後福田教授の生理学休講、代りて佐野教授の解剖試験あり。突然なればみな狼狽、悲鳴をあぐれども佐野師厳然として毫も反響の色なし。
○夕、銭湯にゆく。空碧く晴れ、夕照赤く樹々にかがやく。冷風頬を撫でるも快く、血の暖気、風中に春来を感ず。帰りて胡桃を焼き、割りて食う。
○七十歳のアナトール・フランス、五十二歳のモーリス・バレスが銃をとりて祖国の難に赴かんとせしごとき景、今の日本に見られざるは何ぞや。
そは国民性にもよるべし。されど日本の国難がフランスのごとく、少くとも一般民衆の眼に突然現われ来るがごときものにあらざりしことにもよらん。すなわち日本は、今より九年前負くるおそれなき支那事変を始め、四年前米英と開戦せしときはすでに足かけ五年の戦争を経験せる後なりき。十二月八日、必ずしも日本は一点の疲戦の色をも民衆の間に残さずして起ちしにはあらざりき。慢性的戦争の気味なしとはいえざりき。バレスは知らず、少くともアナトール・フランスをして日本にあらしめば、十二月八日、必ずしも七十の老躯をさげて陸軍省に出頭せざりしなるべし。
三日[#「三日」はゴシック体](土) 晴後曇
○碧落日照る。風ひょうひょうと路上を吹きて、塀の陰、溝の中に残れる雪に日はさせど、風凍りて溶くるすべなし。午後より雲|出《い》ず。夜また晴れて星凄し。耳切れて落ちんばかりの寒さなり。
○午後十時過、大鳥神社近傍に火事あり。二階の窓ひらくに、湧き上る大いなる煙、火炎を映して大空に消ゆ。火の粉とび、近くの樹々の葉、火光を受けて一枚一枚数えられんばかり。叫喚潮騒のごとし、星一つ、朱煙の上に冷々たり。
○「自分は新しい時期に到達したのだろうか。それとも決定的な衰頽期に陥ったのだろうか。来しかた行く末を想って見ても、何物をも見出し得ない、何物も。方針もなく、定見もなく、計画もない。殊に悪いのは何の野心ももたぬことだ。ただ、永遠の《それが何になる》という答がすべてにつき纏って、自分の招こうとする臆説の領土の路に、黄銅の扉を閉すのだ。……」
「創作の生涯……広い書斎……快い安楽椅子……円い卓……削りたての鵞ペン二百本とそれを使う術《ヌアル》……而して独立不羈……余みずから同胞に拘わらざるごとく、同胞をして余に拘わらしむるなかれ。……」
「善をなし、悪をなす。それが何になる。後世を頼むことはやめた。……おれは、おれの穴に閉じこもって、世界が崩れようとも一歩も動かぬ」
以上、フローベールの書簡。
フローベールとわが胸の中の差おそらく雲泥もただならずといえども、彼が右の言々このごろのわが胸を搏つことの何ぞ深きや。
四日[#「四日」はゴシック体](日) 晴
○本日より比島戦線に関する新聞論調一変す。
すなわち昨日までは、比島戦は日米戦の天王山なり、断じてルソン米に渡すべからず、との叫び全面を彩りしが、本日より俄然として比島一都邑の得失は二の次なり。否、比島そのものも問題外なり、ただ日本の欲するは米軍の出血、大出血なりとの調子に一変す。比島戦の未来ついに絶望のほかなきか。
山下将軍|麾下《きか》の将兵の死戦、政府の渾身の努力はわれら知る。されど政府なお国民を欺かんとするや。何ゆえ比島戦は日本生死の一戦なり、しかれども米の鉄量圧倒的にしてついに吾ら今や|敗れんとす《ヽヽヽヽヽ》。国民よ、|日本は敗れんとするなり《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、愛すべきただ一つの祖国抹殺せられんとするなり。日本なくして日本人いずこに住むべきぞ。吾らは血をしぼり汗をすするも米に食い下らざるべからず。現状は然り、米軍の力は然り、わが国力は然りと、何ゆえすべてを国民の前に正直に、赤裸々に吐露してその激憤を求めざる。
今に及んでなお比島戦の目的は敵の出血などそらぞらしきことに、この危局に注げる国民の眼を転ぜしめんとす。戦場に敵の出血を求めざるものありや。ガダルカナル以来サイパンに至るまで恐るべき後退を示しつつ、なお国民の真の奮起を喚起し得ざりしもの、一に政府のお茶濁し的、顧みて他をいう態の指導にもとづく。
すでに狂瀾を既倒に返すの道まったくふさがれし土壇場に到りて、初めて真相を打明けたればとて、時遅し、国民の憤激は敵に向わずして指導者に向うの虞れなしとせざるを知るや否や。
五日[#「五日」はゴシック体](月) 晴
○往来に蹴出されたる拳大の氷塊、日の下に二日たちても三日たちても溶くることなし。日の冷たき風の寒きこれを以て知るべし。
新聞によれば全世界にわたって二十数年来の寒さなりと。古老の言は信じ難し、感覚の再現は不可能なればなり、但しこれは気温統計表よりいえるなれば信ずるに足るべし。今年の夏また二十年来の暑さなるやも計られず。人類の狂愚、これに下すに厳冬百年の酷寒と炎夏千年の猛暑を以てす、天帝も怒り給わん。
○ドイツ語授業中、教室のドアに何やら外より大いなるもの投げて逃げ去りしいたずら者あり。道部教授走りてこれを開くにもとより人の影なし。教授黙してしばらく立ちしが、やがて吐き出すがごとき一言「野蛮人」、みな笑倒。
○放課後淀橋病院にゆき、先日の血沈結果をきく。一時間に八十。プレ公(看護婦)もう一度お採りになりますかという。われ敢て辞す。現在、異常なし。古だたみの塵みずから見てみずから悔むことを恐る。
六日[#「六日」はゴシック体](火) 晴
○米軍先鋒マニラに突入す。
○話。――先日の大空襲の際、A氏某街にありて伏す。後に老人伏してあり。爆発轟音ありてA氏臀部をイヤというほど殴らる。黒煙薄れてA氏どなる。「何する、失敬な!」A氏は老人が何かを以て尻を打ちたりと思いしなり。而して憤然と振向くに老人死して転がる。臀部の傍に舗石一枚転がりあり。尻を打ちしはこれなりけり。舗石は爆風によりいずこよりか飛び来りしものなるべし。A氏助かりて老人死せしは老人の姿勢悪しかりしなるべし、と。
○古来より天才英雄にして恋に敗れたる者多し。彼らは失恋の悩みを転じて己れが事業に向け、刻苦精励以て衆人に抜きんずといわる。
余つらつら思うに、彼らは失恋の苦悶エネルギーを昇華せしめたるにあらざるなり。彼らが衆人に抜きんずべき才は失恋以前にすでに有す。衆人に抜きんずるの人物はもとより衆人と一風を異にす。このゆえに、その力、その才、女子と小人には理解しがたく、理解しがたきものは――人間は他のものにては或いはこれを神秘化し憧憬化すれども、人ばかりは――理解し難き人間ばかりは、人多くこれを或いは憎悪し或いは軽蔑するものなるを以て、その恋に勝つ能わざりしなり。
世のいえるは真の逆なり。
七日[#「七日」はゴシック体](水) 曇、雪
○午前八時半敵一機、つづいてまた一機偵察来。
○午後屍体解剖。肋骨を切り開く。年を越しての解剖続行なれば、皮膚はスルメのごとく、筋肉は乾燥芋のごとく、睾丸は干柿のごとし。かく呟きたるところ、もうスルメも芋も柿も食えなくなるではないかと怒りし男あり。
○最近食糧配給極度に悪化。街頭の雑炊食堂等に並ぶ群衆激増す。
○夜雪。露伴流に形容すれば、鵞毛と乱れ飛び、綏々《すいすい》然と静かに下るかとみれば|※[#「さんずい+(鹿/れっか)」、unicode700c]々《ひようひよう》乎として斜めに墜ち、正と狂い卍と翻えり、またたくまに方なるものを圭となし、円きものを璧となし、大路の芥を埋めつくして白世界と変ぜしむ。
八日[#「八日」はゴシック体](木) 曇
○隣組の渡辺男爵死す。
人集まれど、御馳走はおろか菜一片もなし。それどころか味噌一匙もなき始末にて、婆や、近隣を駈けめぐれどいずこも同じ冬の夕暮、この数日アタシャお塩かけて食べてましたけれど、お客さまにはそうもならずと、うちの台所へ来て愚痴を越えての悲鳴なり。塩借りて帰りたる模様なり。男爵家もへちまもあったものでなし、蚊帳を纏いて客に会いし元亀天正の公卿笑うべからず。
九日[#「九日」はゴシック体](金) 晴
○午後物理、電磁気学。福田教授コールラウシュ氏橋まで講じ来れるときに警報発令、一時半なり。
敵一機それより一時間有余にわたり、悠々と関東東部地区を偵察し去る。三時解除。
○夜半、独り想う。
一、今次世界戦争の真因は何ぞや。西の方ヨーロッパの戦いと東の方アジアの戦いの関係如何。冷静なる巨視的史眼に照らすとき全地球を覆うこの民族的大闘争は何をか描く。
二、わが祖国現時の大苦戦を招きしものは何ぞや。物量の不足、科学の水準、政治の朦朧、国民の水準――一々点検して蒼然たり。
三、吾らは勝たざるべからず。この苦難を転じて光明への鍵となす方策なきや。
四、勝利と敗北。この二つの運命に照らしみるとき日本のそれぞれの相貌。
五、十年後の世界、百年後の世界。
十日[#「十日」はゴシック体](土) 晴
○午前九時半敵二機偵察来。空は晴れたり。そろそろ今日あたり大空襲ありて然るべきころなりとみな語る。
果然午後一時半まず敵二機先駆して来る。これ去りて暫時、敵約九十機五編隊を以て逐次房総半島より北上進入。関東東部より北部(栃木県)に入る。帝都周辺をとりまき、一斉に都心めがけて殺到するにあらずやと思う。
先日の都心爆撃に於て死者七百、負傷者一万五千なりと。中天に吹っ飛びし者あり、木ッ葉微塵となりし者あり、石に打たれて惨死せし者あり、顔半分打砕かれ、腸ひっちぎれし者あり、白けて石地蔵のごとく転がりて死せし者あり等種々噂しきりなり。語る者も聞く者も「生きて」あれば、ともに笑みつつ語り、また聞く。余もまた然り。
ただこの七百或いは一万五千の人、当日敵爆弾により死傷するとは、生まれてよりその日まで、夢にも考えたることあらざらん。
余ならばその地にゆかずとはいい得ず、いかなる用事でいかなる日に、ゆきたる場所に空爆あるやは神のみが知ればなり。たとえ一尺の地を限りてそこにひそむも、敵弾はその一尺に落つるや計りがたし。余ならば死せずとはいい得ず。いかに頑健なるも敏捷なるも、天才なるも馬鹿なるも、頭上至近に敵弾炸裂すれば死を免れざればなり。
余はかく思いて、非常なる|はかなさ《ヽヽヽヽ》、胸を覆う夕暮の海のごとき|はかなさ《ヽヽヽヽ》を感じたり。されどこの感実に暮潮のごとく淡く薄く、あくまで第三者の感情にして、腹の底よりの恐怖はつゆ覚えざりき。
今日敵機九十機、轟々と帝都の北辺を旋回すること数時、初め躍々と笑みをすら浮かべて待ちしが、一人往来に出でて、薄雲しずかに動き、日翳りて、残雪の路上薄暮のごとき景呈したる刹那、ふと恐るべき身ぶるいを感じき。
吾が死する? 永劫のあの世へ?
この思い、人は生涯にだれしも抱き、或るとき信ぜず、或るとき慄然たり。しかも要するに必ず永劫のあの世へゆき、後人は冷然また欣然と彼ら自身の生を生きるのみ。
その運命今日二月十日、吾を見舞うや――かく問いてこれに明確なる返答を与え得べきもの一人もなかるべし。余は実に脳意識薄るるばかりの感情を経験せり。恐怖とは少しちがった感情なりき。而して余は、何やら胸騒ぎのごときものを覚え、ははあ、虫が知らすとはかくのごときことなるかと弱々しき笑みを浮かべき。
敵九十機帝都に入らず。関東北部を爆撃の後、順次東方海上に脱去す。時に午後四時。
いわゆる「胸騒ぎ」「虫が知らす」等のいかに無意味なるものか、以て知るべし。――とはいえど、人もとよりこれを知る。知りてなお永遠に「胸騒ぎ」や「虫が知らす」におびゆるものならん。
十一日[#「十一日」はゴシック体](日) 晴
○昨日の大空襲。群馬県太田がやられたる由。太田は中島飛行機の本拠にして従業員五万人もいるとのことなれば、定めて死傷者も多からん。若干の被害ありとの大本営発表。大本営が「若干」と発表するほどなれば相当のものならん。
○昨夜九時敵一機、伊豆より進入、北上して群馬県に入り、長野県に進み、南下しまた反転してふたたび関東西北に入る。而して東南に下り、帝都北部をかすめて十一時東方海上に去る。
本日午前二時、十一時、一機ずつ関東を偵察して退去す。
○高須さん夫妻千葉の茂原へ野菜の買出しにゆく。野菜このごろ一日十匁の配給なれば、奥さん困惑の態なり。一ヵ月の生活費いま五百円かかるとのことなり。
○露伴『風流微塵蔵』を読む。
登場人物ことごとく筆頭に描きつくして、この地に生くる無数の人々の深刻なる過去、運命の一つ一つ、石のごとく積み上げて壮大なる人間の城を描かんとす。露伴の野心壮なりといえども、侠盗あり、怪僧あり、妖婦ありて、空想力さほど異常ならざる露伴ついに力屈したるがごとし。
○しかれども、妖婦たらず、怪僧たらず、侠盗たらざるも、この地上の人々を思えば、いかに一見平凡なるも、長き一生のうちにはそれぞれ数奇悲痛の光を仰ぐものかな。吾が周囲の人々は一見平凡なり、されどよく見れば再婚せる人あり、子を戦死させし人あり、親を知らざる人あり、狂死せし人あり。この吾すらも、その青春は青春といえざるまでに力弱く、薄暗く、茫々たる青春を送ると見ゆるが、ふりかえれば、実に波瀾一丈二丈三丈くらいの想い出はあり。二葉亭の『平凡』必ずしも平凡ならず。『平凡』を書きし二葉亭自身実に不平凡の人なりき。ああ、真に春昼のごとき平々凡々たる人生、この地上に何ぞ稀なる。
十二日[#「十二日」はゴシック体](月) 晴
○午前九時半、午後七時敵一機ずつ来る。
○郷里よりの送金、一月十八日に発送せるもの一ヵ月になんなんとして今日来る。郵便局の遅怠混乱知るに足る。
○露伴『運命』を読む。見事なり。傑作なり。
十三日[#「十三日」はゴシック体](火) 曇
○午後山辺中佐より「動員」と「国民総動員」について聞く。
十四日[#「十四日」はゴシック体](水) 曇後晴
○午前三時、十時B29一機ずつ来る。
○ひるまえ三年のひと四人教室に来り、みなこのごろ少し気勢上らず、少し気合を入れよと気合を入れる。
○河江伯母より来書。大阪の孝叔父、昨年二月八日ニューブリテンにて戦死せられしとのこと。太田の四郎兄フィリッピン沖にて昨年十一月十八日行方を絶てりとのことを伝う。
すでに吾は河江の勇兄をガダルカナルに失い、諸寄の勇夫叔父をフィリッピンに、泰夫叔父をビルマに失う。
大阪の孝叔父は優しく静かに鷹揚なる人柄にて文学を愛する人、四郎兄は滑稽なるあわて者。而してこの二人、また泰夫叔父いずれも軍医たり。われにとりてその性親しく、その職近し。その人を思い、戦争と運命なるものを偲びて、校庭の白き冬日の中に立ちつつ、悵然として個人と祖国について黙想せり。
○爆弾の落つるを一町あまり離れてきけば、ちょうどガードの下に立ちて頭上を走り過ぐる電車の轟音をきくが如しと。その間三十秒。ああっと思う間にぐわあんと大地鳴動する由。
○『屍体貯存法』を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](木) 曇午後晴
○午前十一時より月例防空演習。午後一時半、八時B29来。
○昨夜頭冴えて一時過まで眠る能わず。浅き苦しき眠りに入りて夢を見る。
蒼白き石塊のごろごろ転がった砂浜より少し離れて、海中に壺を伏せたるがごとき岩島あり。その上に無数の若き男と女のむれ、岩の肌も見えざるまでに或いは立ち、或いは座り、或いは腹這いて動かざる風景。悦びもなければ哀しみもなし。希望も見えず、苦痛も見えず、死せるか生けるかそれも分明ならず。ただ無表情に――いずれかといえば憂鬱げに、鈍重に、暗く冷たく荒るる冬の海を眺めある景。――この意味はわからず、フロイドにきけばとんでもないことをいうやも知れず。
○夕食時の話。いま米一升十五円、炭一俵七十円、酒一升百四十円、砂糖一貫四百円、卵一個二円とのこと。
もとよりこのうち酒や砂糖や卵はぜいたくの範疇に入るべく、これを求めてこの暴利を貪らるるは自業自得なり。
されど米一日に二合三勺、野菜一日に十匁のみにては、この限りなき民衆、限りなき歳月の間、「闇」海の夜霧のごとくたちのぼり、全生活を覆わんとするも是非なきなり。これを責むるは易く、これを救うは難し。その心に怒るは易く、その具体的生活を教うるは難し。
この議会にて、国民の生活上闇の占むる割合を諸公知れるやと一議員|質《ただ》し、左様なことは研究せずと大臣答えたり。ああかくのごとき大臣国を滅ぼすなり。何たる冷淡、何たるとぼけ、国民の口にする大部は闇のものならずや。日々闇を嘆く声きかれざる日ありや。「最低生活の確保」これぞ日本の国難を救う根本の問題なり。
十六日[#「十六日」はゴシック体](金) 晴
○朝七時警報発令。こは妙な時刻に御入来と思うに、たちまち敵艦載機群東方より関東地方に疾駆進入中なりとラジオ告ぐ。すわ敵機動部隊本土に接近せりと直感し、急遽身支度してこれを待つ。
これより実に午後六時まで、入れ代り立ち代り殺到する敵機群、幾百機なるかを知らず。伊豆より二十機北進中なりとの声いまだ消えざるに、北東より四十機西進し来る。銚子より三十機入れば、房総より六十機入る。
日は白く、乱雲悠々たり。春近きを思わする中天に、大いなる月、淡き深き弧を描く。しかもその空弾幕に彩られて、東西南北より遠雷のごとき響絶えず。頭上翔けりゆく編隊、はじめてのことなればグラマンか、カーチスか。或いは日本の彗星、雷電、月光、飛燕、または零戦なるか全然判別出来ず、ときにキューン……という響とともに、タタタタ……と機銃掃射のごとき音聞ゆ。おまけにマリアナのB29まで呼応進入し来る。されど各敵機主としてわが飛行場を狙いつつありと聞き、さてこそ硫黄島ないし父島母島に敵上陸なりと悲憤おく能わず。
夕、ラジオ発表によれば、本日来襲の敵機千機以上に及ぶと。空母戦艦等三十隻より成る敵艦隊、今朝来硫黄島を砲撃中なりと。
午後は運を天にまかせてひる寝す。而して夜は電燈をつけるなど、敵機よりも近隣に対して恐れあれば、五時よりまた寝る。
ゆえに寝飽きて、深夜眼ざめ、眠られざること長時、日本の運命を憂うるの念抑うる能わず。
十七日[#「十七日」はゴシック体](土) 晴、暖
○午前七時より、敵艦載機群雲霞のごとくまた至りはじむ。敵の爆音ききつつ登校す。
敵はきょうも各飛行場を狙いつつある由。ただし船舶列車等も爆撃し、一般民家も機銃掃射するとのことなり。
硫黄島に向える別動隊のほかに、この艦載機群を飛ばしつつある敵機動部隊は、空母三十数隻を中心とする戦巡駆二百余隻の大艦隊なりとの噂なり。
機銃掃射は一メートル以上もの土嚢を貫通する由、たいていの防空壕はほとんど役にたたざるなり。
登校するにみな元気なり。されど、この敵全滅せしめられざるや、神機神機といいし神機は今にあらずや、敵を手元にひきつくるもいいかげんにすべしとて切歯慷慨耐ゆる能わざるありさまなり。日本の海軍は何をしている。日本の海軍? そんなものありはせんよ、海の底だい。何そんなことはデマだ、連合艦隊は厳として存在しているが、いま全部隊昭南島にいるんだ、と口角の泡ふんぷん。
また友人達の話によれば、昨年「余ら待たん、戦場にて逢うべし」といいすてて征きし卒業生、すでにはや戦死をとげたるもの二、三にとどまらずと。
午後、敵来襲次第に衰う。されどきのうにつづいて本日かくも依然として艦載機群襲来せるなれば、期待せる昨夜のわが海軍の夜襲は実現せられざりしなるべし。
四時警報解除。あたかも暴風の一過せしごとし。
夜八時半警報発令。B29一機伊豆より東北進、わが頭上通過して東に去る。
雲ひくく乱れ、月光蒼白くもれて凄し。応戦の砲音に混りて、パリーンというがごとき異様の音響鳴り渡り来る。「五反田へんに落ちたるにあらずや」と隣の遠藤さん窓あけて空を仰ぐ。しかしあの程度ではまだ遠方の地ならん。
九時過B29また一機、伊豆に入り山梨に入り東進、さらに南下して相模湾より退去。この両日それぞれ千機を超ゆる空爆を味わいしあとにては、B29の一機二機のごとき庇とも思われず。|馴れ《ヽヽ》とは面白きものなり。
○硫黄島に敵上陸を開始せるも撃退せりと。戦巡等数隻轟撃沈。
また南の方、フィリッピンのコレヒドールに敵上陸。思わざりき、この名かく聞かんとは。
十八日[#「十八日」はゴシック体](日) 晴
○昨夜十一時、今日午前二時半敵反覆来襲。
○午後六時より学校宿直に登校。みな女を語りて暴れ騒ぎ、十二時まで眠らせず。まるで色情狂みたいな奴ばかりなり。
○本大戦のもたらす最大の史的影響。――英国の王冠落つること。日独勝つも、米ソ勝つも、いずれにせよこのことは避くべからず。
本大戦の真因。――地球に人間の増え過ぎたること。人間或る程度まで増加すれば、みずから相食みてたがいにこれを殺戮す。神意あるとせば、この人間のみずからなしつつ、みずから如何ともする能わざる勢いをいうか。
十九日[#「十九日」はゴシック体](月) 晴
○午後一時より故木村院長供養式。このときB29大編隊南方より近接中なりとの報伝えらる。横鎮情報なり。しかもサイレン鳴らず。式終りてみな帰途につく。
今日は名古屋の番なるべしといいつつ笑いたるに、ついに警報発令。新宿駅のフォームにて空襲警報となる。
棒を振りたて振りたてどなりつける警防団員に青梅口より追い出され、柳原、神倉とともに学校に引返さんと走る。
青梅口方面より新宿駅前へ抜ける細きトンネル状のガードあり。中に女子供群衆す。かきわけて通りつつ、危いかな、この近辺に投弾せられなば、爆風、トンネルをかえって数倍の颶風《ぐふう》を巻いて通らんと思い、焦りてようやくガード出でんとするや、広場の彼方の土嚢の陰、防空壕より
「危いっ、出るな、出るなっ」と発狂せるがごとき声飛び来る。頭上仰ぎてみな色変ず。
B29一機ちょうど頭上にさしかからんとし、わが戦闘機これに激突せんとし、敵狼狽して補助タンクを空に投げ――タンクを投げたるが先か、戦闘機の体当りせるはそのあとの印象なるか、ただ空に投げられたる銀色の物体がタンクなりや爆弾なりやもその時は知らず。ああーっというがごとき群衆の恐怖のうめきと動揺を背に、次にわが見たるは白煙ひきつつ墜ち来るB29の巨体なりき。
翼銀色にきらめきつつ、まさしく頭上にみるみる拡大して墜ち来る。ガード入口の悲鳴に、奥の者は波のごとく外へ出でんとす。入口の者は奥へ逃げんとす。みな、叫びしか、うなりしか、記憶せず。ただ記憶するは、男、女、子供、老婆ら、無数の見ひらかれたる瞳孔、ひきつれる蒼白の頬、力一杯あけられたる口の洞《ほら》のみ。
次の瞬間、群衆とともにある危険を直感し、余ら脱兎のごとく広場に走り出で、転がるがごとく対角の軒下に走る。背後に、ド、ドーッという地響あり。「馬鹿っ、命がいらないのかっ」との怒号を耳にかすめさせつつ、軒下に立ちてふりむけば、新宿駅の背面に黒煙白煙うずまきて天に沖す。
気づけば全身の冷汗びっしょり、ぬぐう間もなくみな学校に走る。ときどき振りむくに、黒煙天日を覆うてなお流るるが見ゆ。
学校にゆきてようやく安心、校庭より観戦。西より東より、B29十五機の編隊にて、白き雲堂々とひきつつ天空を去る。また一機墜ちたる北東の方にも黒煙あがる。
三時半ごろ警報解除。
新宿駅附近の撃墜機の残骸を見んと、第一劇場前を新宿駅南口の方へ上るに、見物の群衆雲霞のごとく、ゆく者あり、帰る者あり、壮観なり。鉄道病院のかなたより、白煙空を覆いて渦まき流る。左方の民家の物干台二つに割れて陥没す。かの補助タンクの落下跡なりと。
警防団所々に縄張りして群衆をとどめ、残骸見ることを得ず、むなしく帰る。群衆の中を黄色の自動車煙の方へ急ぐ。ちらと見たるに、これ防衛総司令官東久邇宮殿下なりき。
省線、渋谷で停電のため長時間停車、目黒でまた停電ドア開かず。電気関係のところに被害でもありたるや。
築地のあたりなるべきか、大いなる黒煙あがる。
○大本営発表によれば、本日来襲のB29は百機内外なりと。
○夜しきりにクシャミと鼻みず出《い》ず。冷汗かきて風邪をひくなど、あまり勇ましからず。
二十日[#「二十日」はゴシック体](火) 晴
○朝七時警報発令。すわ、またも艦載機群来襲なりと、はね起きる。
東部軍管区情報に曰く、敵機動部隊ふたたび本土に近接中なりと。
八時半ごろ一応解除さる。ただし敵の動向厳に警戒を要するものありと。
○きのう墜落機より飛下りたる敵飛行士、所もあろうに三宅坂の航空総本部に落下せる由。むろんただちに捕虜となる。敵都を襲いてなお生きんとする敵の心理、つくづく合点ゆかず。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](水) 晴午後曇
○敵ついに硫黄島に上陸を開始せり。同島周辺の敵艦船約八百隻なりと。
飛行機を以てせば皇城を去ることわずか三時間、しかも吾らにとりてはこの島太平洋の孤島なりと断腸の言吐かざるべからずと、新聞論調沈痛をきわむ。
三百隻より成る敵の大機動部隊は、なお本土をへだたること七十里の海面をわが池のごとくに航行しあり。
この島、例のごとく喪わんか、帝都は文字通り四時敵の戦爆連合の乱舞にさらさるるのほかなし。「房総海岸に敵は上陸を開始せり」と発表せらるるも決して唐突無稽のこととは思われざる事態現前せり。
街々、学校、終日この話ばかりなり。
「政府はいったい何をしているんだ?」
「海軍は――日本海軍はすべて海底にありという敵の宣伝も、これじゃ信じないわけにはゆかないじゃないか!」
「硫黄島はもう駄目だな。いや、日本はもう駄目だな。だんちがいだ。手も足も出ないとはこのことだな。公平に見て、日本は絶対にかちめがないな」
「この戦争を始めたのはいったい誰なんだ? 一大誤算だったんだ。近衛さんはやっぱりえらかったな」
国民とはすなわち愚衆なりとの徴《しるし》、騒然と波打つ街頭に歴として出現す。
しかも彼らの心底になおまさか日本は敗れじとの思いあり。されど、これ実に希望にして、「必勝の信念」のごとき熱烈確固たるものにあらず。ああ、戦勢不利にして「必勝の信念」堅持すべきことの難きかな。
西にドイツ潰《つい》えんとして、東に敵艦海を覆い、敵機空を覆わんとす。しかも米の富強、なお余りありて、英、ソ、支に莫大の武器を注入す。一を以て十を撃つも及ばず、百を撃たんか、一を以て百を撃つものは科学と精神力なり。科学は如何、日々のB29の来襲ほとんど傍若無人にあらずや。ああ、日本をこの危機に陥らしめたるもの。みそぎや、神風や、かかる荒唐無稽なるものを以てすべてに勝れりとなす固陋卑怯の政治家、職業的精神主義者、神がかり的狂信者どもなり。性能劣れる兵器を以て卓抜する千倍の敵を撃たんとす。戦術も手をこまぬき、精神力も圧倒せられざるを得んや。この機動部隊を粉砕し、硫黄島の敵を駆逐し、比島奪回に成功し、しかも長駆広茫の太平洋を越えて米本土を制圧せんとす。あに夢といわずして何ぞや。ああ、必勝の信念堅持することの難きかな。
○われらは死なん。死は怖れず。しかも日本の滅ぶるは耐え難し。白日の下悵然として首を垂れ、夜半独り黙然として想うは、ただ祖国の運命なり。自らの死生如何にあらず。死ねばよしでは済まざるなり。武士道とは死ぬことと見つけたり、後に結果としてみれば各個人の気構え態度はそれでよからん。されど、その渦中にありては、ただおのれの死生のごとき小事は、みずからの心を安んずる信念の楔としては足らざるなり。
○午前四時B29一機来。午後二時四機来。
○午後より、木造の事務所、コンクリートの本館へ引っ越し作業。
○富士川遊『生死の問題』を読む。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](木) 雪
○明くれば粉雪。路上背をまろくしてゆき交う人々、三角の防空頭巾、モンペ姿、迷彩せるビルをしばらく視頭に消して、暗澹の乱雲を幻想せば、景あたかも北国のごとし。
吹雪ついて、B29一機正午来襲。
寒気骨を凍らす中に、火の気もなき事務所引っ越し跡にて教授会開かれし模様なり。入学試験のこと、進級試験のこと、春季休暇のこと、防空対策等についての会議なるべし。校長すこぶる御機嫌ななめにして、叱咤する声ときおり外部にもれ、小使連、センセンキョウキョウたり。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](金) 晴
○雪凪ぎて美しき晴天。進級試験日程発表さる。
○硫黄島に特別攻撃隊出撃、空母二隻撃沈せりと。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](土) 晴
○本日を以て第一学年の課程終了。三月一日まで休暇。(ただし、二十七日午前は、余は防衛当番)
三月二日より一日おきに進級試験。十二日に終り、以後三月末日まで補講。
佐々教授、右の日程を発表後、当番日に来らざる者、試験終るやただちに帰省するがごとき者はみな落第せしむといい、みな大笑いす。
○ドイツ西部戦線、米英軍攻勢開始、ドイツ小学生をも前線に動員、悲壮の極みなり。ドイツよ、その闘魂を永遠に失うことなかれ。たとえ今次大戦に一敗すとも、その精神あらんかぎり、やがて烈々の火炎となりてふたたび三度、世界の強国として再起するや必せり。
○国民はみずからその首をしめ、みずからその頬を打つ。
運送人夫は半時間のリヤカーに三十円をとる。運ばれたる砂糖一貫目は千円にて売らる。買いたる人はさらにこの砂糖を以て暴利をむさぼらんとす。途方もなき値で肥料を求めたる百姓は途方もなき値にて米を売る。ばかばかしき闇値で材料を仕入れたる工場は、ばかばかしき闇値で製品を売る。かくて物価は鰻上りに上り、貨幣価値は腹下りに下る。みずからあえぎ、みずからもだえつつ、国民はみずから如何ともする能わず。
朝の電車で車掌にどなりつけられたる役人は、役所にて部下にどなる。叱りつけられたる小役人は、配給所の係員を叱りとばす。叱りとばされたる係員は商人にイヤミをいう。イヤミをいわれたる商人は客に対してけんつくをくわす。かくて日本に不機嫌と不親切と不平とイヤミ充満す。みずから怒り、みずから悲しみつつ、国民はみずから如何ともする能わず。
人間は、実に馬鹿なり。(勿論余もその馬鹿の一人なり)
しかも! この馬鹿々々しき、愚劣なる世の荒波の中に、なお生きんとする。怒りつつ、悲しみつつ、喘ぎつつ、悶えつつ、闇を買えば闇を売り、怒号さるれば怒号して生きてゆく人間の逞しさは何に例うべきか。
壮絶とやいわん、悲壮とやいわん、何たるさかんなる人間、何たる勇ましき人生ぞや。余は苦笑の底より微笑が、微笑の裡より哄笑のあがり来るを禁じ得ざるなり。
○夕、風呂にゆく。女ども黒山のごとく風呂屋の扉ひらくを待つ。今日より上り湯は中止さるとのことなり。
○午前三時半、午後六時半、B29一機ずつ飛来。九時に二機飛来。深夜十二時一機来り、投弾退去。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](日) 雪
○朝七時半空襲警報。敵機動部隊近接、艦載機群来襲。粉雪霏々としてふる。空に爆音満てど、敵味方わからず。
十時ごろ、耳近くたばしる機銃掃射の音にびっくり仰天して机の下にもぐりこむ。
午後マリアナのB29呼応して大挙殺到。雪雲暗き東京のはるか上空より無差別盲爆、投弾の爆裂音しきりなり。雪ふる壕にひそむこと数時間、壕中の土、霜柱に板のごとくめくれては崩れおち、惨澹たり。つらら下り、霜柱立ち、粉雪舞いこみ、あたかも氷獄中にあるがごとし。しかもB29西より東へ、盲爆しつつ来り去ること幾編隊なるかを知らず。
一編隊去りて一編隊来らざる間、野菜の配給あり。この五日間、野菜の配給まったくなかりしゆえ、女たち、B29もあらばこそ家々を走り出《い》ず。配給いくばくぞ、一人大根の輪切二寸ずつ、その値三銭なりと。
○夕、勇太郎君の話によれば、この五月ごろ米国を粉砕すべき秘策成り、目下都下の提灯屋は提灯の大量生産に大童なりと。
その噂なら最近他にて聞きしことあり。都下の提灯屋が提灯を作りおること或いは事実ならん。されどこれが戦勝の行列に備うるものなりや否や、頗る眉唾ものなり。もし然るならばこれほど歓天のことなし。しかれどもおそらくその提灯は、現時の管制、闇黒の都下に犯罪防止その他不便のこと多く、懐中電燈の生産見込みなきゆえに提灯の生産を督促しおるものなるべし。
多数の提灯を見て、提灯行列を思う。敵艦本土に迫り、敵機国土に乱舞する近時、弱者の描きそうな夢想なり。希望の化物なり。
○夜も雪はげし。八時、十時、B29一機ずつ来。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](月) 晴
○昨日の艦載機は約六百機、B29は約百三十機なりと。
B29は宮内省及び大宮御所にも投弾せりと。夜も走りちがう消防自動車の音烈しかりき。
○午前一時敵一機来、朝七時半警報発令、敵艦載機発進の徴ありと、まもなく一応解除せらる。午後七時B29一機来。
○きのう昨夜の雪一尺五寸以上積もる。朝、家の周囲の道の除雪をなす。東京四十年来の大雪なりとか。夜、満月なりや、白き月、雲一片もなく霞める空にかかる。地は雪に澄みて蒼々の光満ち、清麗の極みなり。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](火) 晴、暖
昨夜十一時四十分警報発令。
B29一機静岡に侵入。東北進して関東西南部に入る。二階に上りて四方を見るに、月光たそがれのごとく雪の町を照らす。敵は変針して山梨地区に入り、ふたたび東進を開始して関東西部に入りしが、また反転して長野南部に入り、東北進して関東西北部に入る。ここより南下しかかりしが、また東北に変針して、関東東北部より海上に去る。時に午前一時。――ひとをばかにしやがって!
B29一機に何人の搭乗員あるやは知らず。出血作戦という言葉最近喧伝されつつあれど、出エネルギー作戦も、これでは日本に分の悪きことおびただし。関東、中部、北陸、東北の人ことごとくこの一爆音に耳をすます。――日本は灯のない国となりはてぬ。
午前中、学校に当番す。八時より十時にかけてB29二機相ついで関東に入り、例によって各地を悠々と散歩して退去す。
帰途、津端に会う。「やられちゃったあい! 凄かったぞお!」という。一昨日の空爆で、百メートルほど離れたところに爆弾落ち、家を焼かれし由。とても試験は受けられねば、追試験としてもらうべく頼みに登校するとのこと。
生き埋めになりし人を今朝なお発掘中という。あの爆撃で焼失せる家三万、靖国神社から隅田川が見える由なり。二十五日深夜、粉雪吹きすさむ中を、蒲団を抱えたるまま町を彷徨する罹災民、或いは雪の焼土に木屑を集めて炊《かし》ぎする罹災民を見たる者は、涙なき能わざる由。
明日はわが身。明日はわが身。
○硫黄島、比島、戦勢いよいよ悪し。実に暗澹たり。
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[#小見出し]  三 月
二日[#「二日」はゴシック体](金) 雨
○午前九時より解剖学試験。
四日[#「四日」はゴシック体](日) 雪
○朝七時半警報発令。思わず歓呼の絶叫をあげて奥さんに叱らる。
きょうは数学の試験なり。余は数学的白痴なれば高等数学のごとき、初めから投げて授業中、講義の声をきいたことなし。されど一科目にても五十点以下のものあれば落第せしむるとのことにて、五十点はおろか一点もおぼつかなきゆえ途方にくれいたるなり。
この試験前、試験中空襲ありたらば如何と学校に談判せるところ、学校にても種々考えた末、その場合は諸君を信頼して無試験合格とすとの確約を得たり。延期すれば他の科目の試験の予定狂い、またその日にも空襲あるやも知れず、さらに日中空襲あることは珍らしければ、学校もかく非常の決定を下せしものならん。
されば、明朝B公来ないかな、などつぶやきて高須さん夫婦を怒らしめたるは昨夜のことなりしに、果然、朝より空襲警報朗々と鳴りわたれり。
B29少数機静岡に入れりと。これら次第に後続編隊従えて京浜地区に近接し来る。
B公この数日珍らしく枕頭を騒がさず。本日、高等数学の試験の日、よりによってこの時刻に来る。わがあごゆるまずんばあらず。朝飯を食いつつも笑い、奥さんに叱らる。
曇なり、暗澹たる雲、空を閉じて、来り去るB29の轟音十時までつづく。投弾の音凄し。
十時半解除、登校す。路上みな帰り来る。果して試験はなしと。みな「万歳だ」と両手をあげて見せる。頗る上機嫌なり。余も大東亜戦争は余のこの日のために勃発したるにあらずやと感涙にむせぶ。
○四時まで居残りを命ぜらる。正午ごろ粉雪またも降りはじめ、寒耐えがたし。上中と抜けて新宿文化劇場に小津安二郎の「戸田家の兄妹」を見にゆく。
○学校に帰り、電話室の火なき火鉢を囲みて、みな戦争の前途を語る。とてもわれらが卒業間に合わず、明日の命も保証する能わず、比島もダメなり。硫黄島もダメなりと嘆く者あればみな沈鬱す。航空機工場の大部分はすでに完全に地下にあり、驚くべく大規模のものなり。かつこの四、五月、敵機必墜、敵艦必沈の新兵器登場し、また米本土空襲の航空機すでに成り、目下五万の決死隊猛訓練中なりと口角泡を飛ばす者あれば、みな眼をかがやかす。
かかるたぐいの話、この戦争の間、浮沈することいくばくぞ。而してこの中実現せらるもの果していくばくぞ。しかも人は、いかにその内容の荒唐なるも、或いは笑み、或いは嘆く。死に瀕して幻を見るがごとき心理作用のみにあらず。いかなる悲壮痛烈の空想、いかなる神秘巨大の人力発現、これら必ずしも実現不可能ならざること、この戦争に於て、人、身を以て知ればなり。
○雪ふりつづく。本日の被害地の中には巣鴨駅一帯ありし由。附近に住む三輪、そこより来りてその凄惨さを語る。彼来るとき、あたりはなお炎上中にして、鎮火せる地区に焼残れる建物は、工兵出動して自ら爆破中なりと。
○大本営発表によれば、本日来襲のB29約百五十機なりと。
五日[#「五日」はゴシック体](月) 曇
○午前零時半より二時半にわたり、B29十機、一機ずつ東京上空を分列行進して去る。わが方、高射砲も射たず、戦闘機も飛ばず、ただ月明蒼き雪の帝都を、敵悠々と横切り、ほしいままに投弾するのみ。無念なり。
投弾の音頗る近く、家震動す。うち一発は、例の、電車のガードを過ぐるがごとき、ガーという音を虚空に発し、たちまちだだあんと地を震わしむ。このガー実に二、三秒。頭上に落つるとも身動きする能わざる恐るべき音なり。
夜明けてきくに大岡山附近なりしと。
夜七時敵一機また至る。
六日[#「六日」はゴシック体](火) 雨午後曇
○生理学試験。
○雨ザンザと降る。正午B29一機来。
七日[#「七日」はゴシック体](水) 晴薄雲あり
○午前零時伊豆より一機、同時に房総より二機、侵入。
○午前三時近隣に火事あり、避難を促す声すら聞え来る。二階に上るに西北のほんの近きところより真紅の煙火光を映して夜空に渦まきながる。強風叫び、大いなる火の粉ひんぷんと頭上を飛ぶ。
八日[#「八日」はゴシック体](木) 晴
○午前十時警報発令。
○ちょうど化学、医化学の試験初まりたるところにてみな騒然となる。柳の下に二匹目のどじょうを得たる心地なり。しかるに敵三機、静岡より東進、ただし帝都に入ることなく去り、試験続行さる。
小山教授「一機くらいなら、入って来ても試験はやります」
学生「爆弾で死んだらどうします」
教授「私も死にます。諸君といっしょに死にましょう」
学生、小声「ジョ、冗談じゃない。お爺さんと心中させられてはたまらん」
教授「試験中に死ねば、これは学生の戦死です。諸君も本懐というべきでしょう」
学生、小声「戦死したあとで答案を見たら、デタラメばかりじゃ、あんまり勇ましくないなあ」
○わが本土に米軍上陸切迫せるを告ぐる声しきり。いよいよ東京は徹底的大空爆のもとにさらされん。ベルリン今や完全なる地下要塞の都市となれる由、東京のあの哀れなる貧弱なる待避壕は何ぞや、今少し何とかすべく、国家は資材を配給せよとの声に、政府答えて曰く、資材なし、やむを得ずと。
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皇暦二千六百五年
君よ、想え、大君のいます都の乱れ雲
春来らんとして風なお荒るる雪地獄
敵百機昨夜|潮《うしお》のごとく来り
地平の雲火炎をつらねて血のごとく燃えき
敵百機今朝魔のごとく去り
余燼の陰に友しかばねを埋めき
光ひそけき解剖《ふわけ》部屋
白衣着てわれ立てど、眼に去らばこそ
あの雲、あの火、あの煙、あの屍《しかばね》の姿
君よ、想え、厳たる神州の一角硫黄島
三たび水際に追い落しつつ
口惜しやついにその土に星条旗立てしめき
血戦死闘、月巡らんとして弾すでに尽き
雪崩《なだれ》なす戦車にふるう日本刀
その剣ささらなしけん、今ははや折れ果てにけん
千古を照らす天才の書々《ふみぶみ》
黙然としてわれひもとけど、耳去りやらぬ
あの旗、あの音、あの島、あの兵の姿
米軍わが本土に上陸近し
この声|万斛《ばんこく》の感こめて流れそめたり
徒らなる壮語はやめよ、瞳凝らして国難を見よ
事ここに至らしめたる、そも何ぞや
夜半独座して祖国の万象《ばんしよう》を顧る、想い蒼々
眼を投げて銀河に描く広茫の世界史
悠久の時の前にはただこれ夢幻の如き一瞬
わが生何ぞや? 血は動かず額《ぬか》に汗したたらんとす
ただ、知る――日本と、皇暦二千六百五年
さなり、さなり、われこの地に生まれ、この時に会いき
運命の神秘も知らず生の幽幻も知らず
ただわれはこの地に生まれ、この時に会いき
皇暦二千六百五年の日本人
ああ、何たる不動の事実ぞや
歴史は訓《おし》ゆ魂は指す祖国のために死ね
古えの日本人、その身大いなる国家の力に抱かれき
雪朝風夜、空を飛び来る敵編隊群
苦難の祖国われらの生命を抱く力なし
裸身、吹雪にさらして立ち
われ笑まざらんと欲するも能わず
君よ笑め、げにわれらこそ祖国を抱きしむるなり
血潮波うつ裸の双腕をもて
いのちの極み抱きしむるなり今の日本
千載一遇、ああ、何たる偉大なる今なるや
神に謝す、ああ、何たる壮美なる運命なるや
敵百万寄せなば寄せわれ戦わん
一発の弾丸微々たる肉体は殺すとも
聞けや、桜咲く祖国に溢れちる生命の讃歌
星よ、日よ、願わくば七難八苦を与え給え
われ知らな燦爛無窮《さんらんむきゆう》のわが魂の光芒
ああ、米軍わが本土に上陸近し
皇暦二千六百五年
[#ここで字下げ終わり]
十日[#「十日」はゴシック体](土) 晴
○午前零時ごろより三時ごろにかけ、B29約百五十機、夜間爆撃。東方の空血の如く燃え、凄惨言語に絶す。
爆撃は下町なるに、目黒にて新聞の読めるほどなり。
朝来る。目黒駅にゆくに、一般の乗客はのせず、パス所持者のみ乗せる。浜松町より上野にかけ不通、田端と田町にて|夫※[#二の字点、unicode303b]《それぞれ》折返し運転。
八時半に目黒を出て、十時に新宿に着く。
まさかきょうの「胎生学」「組織学」「生物学」の試験はあるまじと思いしに。教室に入れば行われつつあり。ただし生徒は三分の二に満たず。
○午後、松葉と本郷へゆく。
若松町に出ると、晴れた南の空に巨大な黒煙がまだぼんやりと這っていた。それは昨夜の真夜中から今朝のあけがたまで、東京中を血のように染めて燃えつづけた炎の中を、真っ黒な蛇のようにのたくっていたぶきみな煙と同じものであった。
牛込山伏町あたりにまでやって来ると、もう何ともいいようのない鬼気が感じられはじめた。ときどき罹災民の群に逢う。リヤカーに泥まみれの蒲団や、赤く焼けただれた鍋などをごたごた積んで、額に繃帯した老人や、幽霊のように髪の乱れた女などが、あえぎあえぎ通り過ぎてゆく。――しかし、たとえそれらの姿をしばらく視界から除いても、やっぱりこの何ともいえない鬼気は町に漂っているのである。
店々のガラスは壊れ、看板は傾き、壁は剥げ落ちている。その壊れたガラスや傾いた看板や剥げ落ちた壁に、灰色の塵が厚くこびりついているところから見ると、この惨澹たる町の風景は、決してこの一夜で変貌したものではなく、過去の三年間の――日本が苦戦に苦戦を重ねて来た陰惨な過去の三年間の結果に相違ない。
鳥も鳴かない。青い草も見えない。ただ、舗道のそばに掘り返された防空壕の上に、砂塵がかろく立ち迷い、冷たい早春の日の光が虚無的な白さで満ちているばかりである。
しかし、飯田橋まで来ると、もうぷうんと物の焦げる匂いが漂って来た。駅前の書店の前に、炊出し隊が罹災民の群に握り飯をくばっていた。自転車に積んだ握り飯は玉蜀黍がまじってちょうど小さなあかん坊のこぶしのようで、しかもその数はもうそう多く残っていないのに、罹災民の群は延々と続いている。
みんな、泥と煤がこびりついて、アジソン氏病みたいな顔になって、眼の周囲だけがどす赤い。そしていい合わせたように、手拭いを顔にあてている。
「みな、眼が変だな。どうしたんだろう?」
「泣いているんだろう」
と、松葉がいった。
自分はまだ解しかねる心持でいたが、それでも松葉以上の智恵が出なかった。人間は何と迂闊なものであろう。
しかし、川沿いに水道橋へゆく道路の途中で、警防団に助けられながらよろめいている三人の老人が、三人とも眼だけに布を巻かれているのを見て、自分は叫んだ。
「ああ、あれは煙にやられたんだ!」
自分たちは、火事に煙がどんなに恐ろしいものであるかを、まだ体験しないのであった。煙ばかりではない。その熱ささえも実感がないのである。自分たちはこの夜、地平線に燃える熔鉱炉のような炎を見た。しかし、ただ真っ赤な、めらめらと空をなめる光景を見たばかりで、その恐るべき熱気と黒煙は、直接の感覚として受けなかったのである。眼が蛇のように充血して、瞼が赤くむくんで、涙ばかり流れていても――まだ開いているのは運のいい方だそうであった。多くの人は眼が完全につぶれてしまった。さらに多くの人は窒息して死んだ。
おびただしい電車が、路上に並んで座っていた。客は勿論、車掌の姿も見えない。そのそばに焼けたぼろ布だの木片だのが散在しているところから判断して、これはおそらく今朝早く罹災者の群を運んだものであろう。電車は全然走っていないので、自分達は新宿から本郷まで歩かなければならなかったのである。
或る国民学校の校庭には、罹災者が充満していた。校門には下手な字で、「罹災者の方は御遠慮なく御休み下さい」と書いた紙が貼られて、その下に四、五人の少女が、茶碗と薬罐をのせた机のうしろに座っていた。眼の見えない老人や老婆が、続々と両腕を支えられて入って来る。この人々にお茶しか与えられない状態であった。しかし少女たちは、きゃっきゃっと笑っている。そこだけに明るい早春の光がふさわしかった。罹災者が入ってくると、みな立ち上って、傷《いた》ましそうな優しい声で、「どうぞ」と叫びながら駈け寄ってゆくのだが、今までの惰性で、その円い顔にはまだ笑いの影がとれないのである。
水道橋から本郷に上ってゆく坂の下に、帝大の貨物自動車が四台捨てられていた。松葉と自分は暗然と顔を見合わせた。帝大も焼けてしまったのか? という心配と、それから、その附近に下宿していて今日登校して来なかった向山と外島のことが、改めて恐ろしい不安となって襲って来たのである。
焼け焦げの肩の肉の見えるどてらを着た老人が、杖をひきながら餓鬼のように乾パンをむさぼりつづけていた。扉の壊れた食堂の前に、欠けたコップや埃のしみこんだ茶碗を盛った石炭箱が置いてあって、その前に、「罹災者の方へ、御遠慮なくお持ち下さい。失礼ですが」と書いた紙が風に吹かれて、髪を乱した老婆が、盗人みたいにそれを前掛につかみ入れていた。
「ちきしょう。やっぱりおれが特攻隊にならんといけんかな」
「へへえ、お前がね。お前が特攻隊に入って大いばりで飯食うことになりや。霞ヶ浦は飢饉になっちまわあ」
「何いいやがる。おれが出なくっちゃどうしたってだめなんだ、日本はね!」
そして明るい笑い声をひびかせながら、三人の中学生が通り過ぎていった。
自分と松葉は本郷に来た。
茫然とした、――何という凄さであろう! まさしく、満目荒涼である。焼けた石、舗道、柱、材木、扉、その他あらゆる人間の生活の背景をなす「物」の姿が、ことごとく灰となり、煙となり、なおまだチロチロと燃えつつ、横たわり、投げ出され、ひっくり返って、眼路の限りつづいている。色といえば大部分灰の色、ところどころ黒い煙、また赤い余炎となって、ついこのあいだまで丘とも知らなかった丘が、坂とも気づかなかった坂が、道灌以前の地形をありありと描いて、この広茫たる廃墟の凄惨さを浮き上らせている。電柱はなお赤い炎となり、樹々は黒い杭となり、崩れ落ちた黒い柱のあいだからガス管がポッポッと青い火を飛ばし、水道は水を吹きあげ、そして、形容し難い茫漠感をひろげている風景を、縦に、横に、斜めに、上に、下に、曲りくねり、うねり去り、ぶら下がり、乱れ伏している黒い電線の曲線。
黄色い煙は、砂塵か、灰か、或いはほんものの煙か、地平線を霞めて、その中を幻影のようにのろのろと歩き、佇み、座り、茫然としている罹災民の影が見える。
この一夜、目黒の町まで夕焼けのように染まったことが、はじめて肯けた。
しかも、この本郷の惨禍はまだまだ小さい方なのだという。日比谷はまだひどい。浅草はさらにひどい。本所深川は何とも形容を絶しているという。浅草の観音さまも焼けてしまった。国際劇場も焼けてしまった。上野の松坂屋も焼けてしまった。九段の偕行社も神田明神も本所の精巧社も――宮城の一角さえも焔の中に包まれたのである。罹災民は二百万だという。死者も十五万人を下らないという。ああ、あの熔鉱炉の中でどのような阿鼻叫喚が演ぜられたことであろう。
自分たちは向山の下宿を探しあてた。廃墟になっていた。赤くやけた石の陰から、書物の紙片を見つけ出した。勿論青白い灰の一塊である。上膊の神経を示した図がぼんやり見える。解剖の本らしい。
松葉が灰の中に倒れていた立札を探して来た。一家無事でA町の何とかいう鮨屋に移った旨書いてある。
自分たちはそれを探ねて歩き出した。一面の灰燼の中に帝大の赤門も赤煉瓦も、これだけは残っていた。涙が出るような気がした。
風はまだ冷たい季節のはずなのに、むうっとするような熱風が吹いて来る。黄色い硫黄のような毒煙のたちゆらめく空に――碧い深い空に、ひょうひょうと風がうなって、まだ火のついた布や紙片がひらひらと飛んでいる。自分は歯ぎしりするような怒りを感じた。
「――こうまでしたか、奴ら!」
と思ったのである。
昨晩目黒で、この下町の炎の上を悠々と旋回しては、雨のように焼夷弾を撒いているB29の姿を自分は見ていた。おそらくきゃつらは、この下界に住んでいる者を人間仲間とは認めない、小さな黄色い猿の群とでも考えているのであろう。勿論、戦争である。敵の無差別爆撃を、天人ともに許さざるとか何とか、野暮な恨みはのべはしない。敵としては、日本人を何万人殺戮しようと、それは極めて当然である。
さらばわれわれもまたアメリカ人を幾十万人殺戮しようと、もとより当然以上である。いや、殺さねばならない。一人でも多く。
われわれは冷静になろう。冷血動物のようになって、眼には眼、歯には歯を以てしよう。この血と涙を凍りつかせて、きゃつらを一人でも多く殺す研究をしよう。
日本人が一人死ぬのに、アメリカ人を一人地獄へひっぱっていては引合わない。一人は三人を殺そう。二人は七人殺そう。三人は十三人殺そう。こうして全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ。自分は歯をくいしばって碧空を見た。日は白く、虚しく、じっとかがやいていた。
しかし、自分達はいいようのない憂いを持って、A町の鮨屋を訪ねた。鮨屋では、すでにB町の富士ハウスというアパートに移ったといった。富士ハウスを探しあてると、もうC町の何とかいう家に去ったあとだった。わずか半日の間に、よくまあそれほど転々としたものだ! と二人は呆れて、しまいには泣き笑いのような顔を見合わせた。しかし向山や外島はともかく元気だったということをたしかめて、安心して、新宿に引返すことに決めた。
もう足が棒のようになって、とても歩けそうもないので、神保町までいって新宿行の電車に乗ろうと相談した。
神保町に出ると、靖国神社の周囲の蒼い空に、薄い黒煙が立ち昇っているのが見えた。偕行社が焼けているのだという。新宿行の電車は不通だった。水道橋まで通じていたので、水道橋までいった。
電車の中では三人の中年の男が、火傷にただれた頬をひきゆがめて、昨夜の体験を叫ぶように話していた。ときどき脅えたように周囲を見回して、「しかし、みなさん、こういうことは参考としてきいておかれたがよろしかろう。だから私はいうんですが……」と合いの手のように断わりながら、またしゃべりつづけた。彼らは警官や憲兵を怖れているのである。哀れな国民よ!
彼らの言葉によると、防空頭巾をかぶっていた人達はたいてい死んだという。火の粉が頭巾に焼けついて、たちまち頭が燃えあがったという。――
しかし、昨夜は焼夷弾ばかりであったからそうであったかも知れないが、もし爆弾も混っていたら、その爆風の危険は防空頭巾をかぶっていなければ防げないだろう。
防空壕にひそんでいるのも危険だという。逃げ遅れて蒸焼きになった者が無数にあるという。早く広場を求めて逃げることだという。
しかし、爆弾なら、地上に立っていれば吹き飛ばされてしまうだろう。低空で銃撃でもされれば、広場では盆の上の昆虫の運命を免れまい。
彼らもそのことはいった。そして、――
「――つまり、何でも、運ですなあ。……」
と、一人がいった。みな肯いて、何ともいえないさびしい微笑を浮かべた。
運、この漠然とした言葉が、今ほど民衆にとって、深い、凄い、恐ろしい、虚無的な――そして変な明るさをさえ持って浮かび上った時代はないであろう。東京に住む人間たちの生死は、ただ「運」という柱をめぐって動いているのだ。
水道橋駅では、大群衆が並んで切符を求めていた。みな罹災者だそうだ。罹災者だけしか切符を売らないそうだ。
「おい、新宿へ帰れないじゃないか」
二人は苦笑いしてそこに佇んだ。
焦げた手拭いを頬かむりした中年の女が二人、ぼんやりと路傍に腰を下ろしていた。風が吹いて、しょんぼりした二人に、白い砂塵を吐きかけた。そのとき、女の一人がふと蒼空を仰いで
「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」
と、呟いたのが聞えた。
自分の心をその一瞬、電流のようなものが流れ過ぎた。
数十年の生活を一夜に失った女ではあるまいか。子供でさえ炎に落して来た女ではあるまいか。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞いた女ではあるまいか。
それでも彼女は生きている。また、きっと、いいことがあると、もう信じようとしている。人間は生きてゆく。命の絶えるまで、望みの灯を見つめている。……この細ぼそとした女の声は、人間なるものの「人間の讃歌」であった。
自分達はそれから大塚へいった。そして夕暮、やっと、へとへとになって新宿へ帰ることが出来た。
○午前十時半、B29三機偵察来。
十一日[#「十一日」はゴシック体](日) 晴
○午前四時よりB29少数機相ついで来る。
午前十時一機来。午後一時敵数編隊、房総半島に近接中なりと空襲警報発令、一時十五分ごろには本土に到達する見込みなりという。しかし、この敵は中途より反転して南方に去る。気味悪きことおびただし。セトモノなどを土中に埋む。
○下谷の加藤さんも焼け出され、きょう来る。その話。
加藤さんたちは火と戦っていた。炎に照らされて、発狂したような声をあげて日本刀をふりまわして、空のB29を斬ろうとしていた青年があるという。消防隊の人々は、炎の方へホースをむけたまま、全員生不動のように燃えていたという。
血の色に染まった往来を、背から炎をあげながら老人が駈けて来た。髪も燃えていた。髯も燃えていた。加藤さんたちの見ている前で、彼はひっくり返って、火鼠みたいに燃えてしまった。それで加藤さん達も逃げ出した。
疎開の空地には、何万人という避難民がのたうち回って、火の海の熱気に泣き叫んでいた。水はどこにもなかった。運び出して来た荷物に火がついて、そばの人に移った。人々はその人をつかまえて、炎の中へつきとばした。そうせずにはいられなかった。雹《ひよう》みたいな火の粉が、顔にも背にも吹きつけた。加藤さんたちは溝の水をくり返しくり返し頭から浴びていたが、たまらなくなって逃げ出した。そして炎の中をつっ切って、上野の山へ逃げ上った。
黒焦げになった屍体が、いたるところに夏の日のトカゲみたいに転がっていた。真っ黒に焼けた母親のからだの下で、赤ん坊も真っ黒に焼けていた。加藤さんたちは、なんどもそれらの屍体につまずいたり、踏んだり、転んだりした。
火の潮に追われて、人々は隅田川へ飛び込んだ。しかし隅田川も燃えていた。吹きつける火の雨に船は焼け、水は煮えていた。無数の人々がそこでも死んだ。屍体は今なおマグロのように無数に浮かんでいるという。
十二日[#「十二日」はゴシック体](月) 晴
○午前、細菌、病理試験。これで進級試験終了。
念のため、十日とこの十二日の試験問題を書いておく。
胎生学「腹膜の発生に就て」
組織学「心臓筋繊維に就て」
生物学「雑種に就て」
細菌学「一、チフス患者診定の細菌学的免疫学的方法如何。
二、滅菌法の種類と効果」
病理学「肝吸虫の形状、中間宿主、終宿主に於ける寄生部位、主なる病変について記せ」
○加藤さんの家族の一部、故郷山形県鶴岡へ引き揚げるのについて、高須さんの奥さんも疎開することになる。高須さんを残してゆくので申しわけなげなり。
近所合壁、ことごとく奥さんを疎開せしめて、どこも主人自炊をなす。
○『中世期に於ける衛生』を読む。
十三日[#「十三日」はゴシック体](火) 曇
○加藤さんの移転先目黒三谷町の家へ奥さんの荷物を運ぶ。さらにリヤカーにて渋谷駅まで運ぶ。加藤さんの妹さん清女さん、もう一夜東京の名残りを惜しみたしとのことで、奥さんも明朝出発のこととなる。
○加藤さんの話によれば、先夜の惨は、加藤さんも経験ある大正の大震災どころではなかったという。都庁も司法省も焼けたという。本郷の医書店、南山堂も南江堂も焼けたらしい。
○夜十時半、敵大編隊東方海上より本土に近接中との横鎮情報、十二時頃解除。
十四日[#「十四日」はゴシック体](水) 曇
○昨夜のB29大編隊は大阪を爆撃したるとなり。相当の損害ありし模様。
○先日敵の撒布せるビラには、十五日夜また参上します。東京のあと半分はそのときに片づけます、とあった由。或いはアメリカは鷲百羽、日本は雀二羽。どうして勝てますか、など書いてあった由。
ふざけ放題にふざけるべし。日本人はまじめなり。
○大西比島方面海軍航空部隊司令官、特攻隊に対する訓示は、すなわち全日本人に告ぐる言葉なり。アメリカ人を殺せ、一人でも多く殺せ、日本人は腰をすえ、冷徹無比の心を以て、如何にせば一人でも多くアメリカ人を殺し得べきや研究せよ、彼らの血と肉を以て戦争の悲惨さを思い知らすべしと。――先日、余が空襲の焼跡に立ちて思いしことと、符節を合わせるがごとし。その訓示中、「殺せ」という単語いくばくぞ。その声、その叫び、ただアメリカ人を殺せという一念につらぬかれ、まさに陰鬼の咆哮《ほうこう》のごとし。
○九十九里浜、十二キロの深さにわたりて民家の立退きを命ぜられたりと。近いうち戒厳令発せらる由噂あり。
○学校の図書室本館に移転作業、大いに疲る。本館周辺にある柔道場、相撲道場、航空医学研究所等も近い中《うち》取壊す由なり。
○三月十日以来、登校せざる学友数名あり。焼死せしが如し。
○鏡花を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](木) 曇
○午前中第三学年の仮卒業式。彼らは近い中《うち》、軍医学校に移る。
余は少し遅刻したれば校長の演説をきかざれども、何でも、この時に及んでなお学校を休んでいる学生あり、国家に対して面目なきゆえ、これらの連中は断乎退校せしめ、校長みずからも職を退かんと、声調激越なりし由。
○朝八時警報。昨夜来敵艦隊、硫黄島より本土にかけて何事かを企図しあるもののごとく厳戒中なりと。
○チエホフの短編集を読む。
十六日[#「十六日」はゴシック体](金) 曇
○午後学校事務所の金庫三個を本館に運ぶ。
○七個師を搭載せる米大輸船団本土近海を徘徊中なりと。
○昨夜、米機の機銃掃射にて、背より射ちぬかれたる夢を見る。夢の中まで米機を背負っていてはやりきれず。
○チエホフを読む。
十七日[#「十七日」はゴシック体](土) 曇
○このごろ東京都民ことごとく戦々兢々として、仕事も何もウワのソラなり。東を向くも西を向くも敗戦論ばかり。日本が勝つというのは大臣と新聞の社説と神がかりと馬鹿ばかりのごとし。
得意になりて日本人に勝目なきことを喋々とする者、その人柄を見るにいい合わせたように、みな小利口な奴なり。而して、世に小利口なる――自分では利口とうぬぼれつつ、嗤《わら》うべき愚かなる人間なんぞ多きや。彼らは日本は負けるといいつつ、真に負けたるときの様相を明確に知覚し得ず。
而してこれをなじれば、「われは日本を愛するゆえに心配するなり。われといえどもいざとなれば死ぬに後れじ」などいう。死ぬ前に負けざるを思え。而して、彼らが得意になりて口にする軽薄なる片言が、いかに周囲に甚大なる悪影響を与えるかを思え。
○今暁二時、敵大編隊近接中なりとの警報あり。今夜こそはまた東京なりと思い、用意せしが、これらみな阪神へゆく。午後一時半ふたたび警報。
十八日[#「十八日」はゴシック体](日) 晴
○午前中洗濯。ひる前登校、警備す。
正午より二時にわたり、敵数機帝都侵入。投弾退去。
帰途、新宿駅の屋上にて、一楽団高らかに喇叭《らつぱ》吹き鳴らし、群集広場に佇みてこれをきくを見る。柱に、国難祖国に迫り云々と書きなぐりたる紙片、風にひるがえる。曲は「突撃」なり。佇む群集、油に汚れたる青年あり、今なお繃帯を顔に巻きし罹災者らしき老人あり、山のごとき荷背に負い子供を両手にひきたる女あり。広場を埋め、天を仰いで耳を傾く。夕陽乱雲を通して赤あかとこの景を照らす。
○十日東京、十二日名古屋、十四日大阪、十七日神戸、いずれも深夜、大編隊を以て爆撃せるB29、今夜あたりふたたび機首をめぐらせて東京に来襲する公算大なり。
敵機動部隊、九州東南海上に出現、今早朝より艦載機を以て九州方面を攻撃中なりと。
硫黄島の決戦ついに終焉を告げんとす。
十九日[#「十九日」はゴシック体](月) 晴
○天皇陛下、昨日帝都罹災地を御巡幸。
○ドイツ語、道部教授、フリードリッヒ大王の七年戦争やフィヒテの「独逸国民に告ぐ」の話をなす。
教授の話。
知人多く家を焼かれしが、みなにこにこして「これでサッパリしましたよ」と洒々落々たる人多き由。この日本人の楽天性と、余燼の中に陛下を迎えて泣く日本人の涙あるかぎり、いかに物量科学に軒輊《けんち》ありとも、一億の一帝国、さまで簡単に消ゆるものにあらず。見ずや、東西一里、南北二里の小島硫黄島に於てすら、海覆うアメリカの大軍を一ヵ月に及び支え得たり。敵本土に上陸せば、これぞまさに天来の神機なり、この父祖の地に於て、敢戦死闘、一挙に戦勢を逆転せしめん、いま一万円を失いたる人は、その後日に於て米より十万円をとれ。十万円失いたる人は百万円をとれ。
「こう考えると、私なども一日も早く家を焼かれた方がいいと思っています。今の貧乏がたちまち金持ちになってしまう。ほっほっほっ」と、教授のんきな声たてて笑う。
○B29の大編隊は昨夜は名古屋に来襲。
○理工科系を除く全学徒、四月一日より向う一年間授業停止令|出《い》ず。
○『医師の工学的業績』を読む。
二十日[#「二十日」はゴシック体](火) 晴
○弓道場取壊し作業。
午前八時、午後一時、B29一機ずつ来。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](水) 晴
○春季皇霊祭。午前一時B29一機来。
終日防空壕の霜崩れを直したり、瀬戸物を埋めたり、薪を割ったり大忙がし。
○硫黄島の残存将兵、十七日最後の総攻撃を敢行、爾後《じご》通信絶ゆと大本営発表。
近々にP51をはじめ敵の新たなる戦爆機にお目にかかることと相なるべし。
○夜、高須氏の知人千葉氏、子息勝男君を同伴して来る。今回海軍省をやめて渋川の螺旋工場に勤むこととなりしため、この一月より高須氏に託しおきたる衣類を受取りに来れるなり。二ヵ月前ウンウンと唸りつつ運び来れる荷物を、夜十一時、またウンウンと唸りつつ運び去る。
都落ちの理由は、やはり先日の大空襲なり。あの日、千葉氏の町をめぐりて四辺火の海と化し、以来焼残りたるその町の人々、日毎夜毎倉皇として地方へ疎開し、何やら心細くて東京に残る能わず。二十五年も勤めたる海軍省を捨てて、胆石病の老躯をさげて新しい職場に移らんとす、かく語る顔さびしげなり。
ただし、一家あげての都落ちの中、勝男君のみは東京に残る。父の代りに海軍省に勤めるといってきかざる由。わが子ながらその心のみこめずと、千葉氏、悲しそうな、嬉しそうな、心配そうな顔つきなり。勝男君、一見少女のごときやさしき少年ながら、眉のあたりに凜たる気概あり。
時は移る。弱者は去れ。女は去れ。老人は去れ。帝都は青年のみにて護るべし。火の都、轟音の都、死の都となるとても、やがてまた敵戦車群往来する帝都となるとても、断じて吾ら背を見せじ。ただ死守の二字あるのみ。
○ゴーリキー『どん底』を読む。
想起す。中学卒業の年の秋、夕靄美しく哀愁漂う鳥取の町を、古本屋にて得たる岩波文庫の『どん底』に、熱き眼をくいいらせつつひとり歩みし日を。当時わが脳中に芸術は幻の大殿堂にして、また最高の穹窿《きゆうりゆう》なりき。
今日ふたたび見る『どん底』なんぞ心を打たざる。脳半球の半ばはただ日本を思う。芸術の尊きはもとよりこれを知る。されど、祖国は芸術よりさらに重大なり。これ理屈にあらず、やむを得ざるなり。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](木) 曇
○午後三時半まで、相撲道場打壊し。
一人槌をふるって四本柱の一本を打叩かんとするに、二年の相撲部員来りて、しばらく待てという。無情の打撃を加えるに忍びざるがごとし。而してその柱にもたれかかりて、悲しげな眼にて相撲道場の屋根はがれ、羽目板飛び、柱傾くを見る。壁に白墨にて書きなぐりたる跡あり、曰く「先輩よ許せ、われらの本意にあらざるなり」と。
○終日風強し。黒雲暗澹として空低く飛び、町は白き砂塵に霞む。大江戸は黄塵万丈なりしときく。明治以来舗道成りて漸次砂塵消えたるに、近年の防空壕掘りにて土ほとんどあらわれ、風吹けば眼をひらく能わず。雲間よりときに白き淡き陽さして、街の風物を朦朧と浮かび上らしむ。町荒れたれば、もの哀しき一種の美観を呈す。
○本土戦場の声満つ。築城設営大々的に始まらんとす。実に感無量なり。
感は無量なれども、恐るるに足らず。いな恐るべき事態なりといえども、吾らは欣然これに馳せ参じ、米軍来寇より祖国を護らざるべからず。
恐るるもの多し。されど一般に今の人心昂奮し、騒然とし、殺気に溢る。ゆえに今米軍来らば別に恐るるに足らざるなり。
むしろ恐るべきは、米軍がサイパンよりの爆撃をさらに激烈化し、硫黄島よりB29、P51等の発進を開始し、さらに小笠原諸島、或いは伊豆七島、また台湾支那へ基地を推進して、日毎夜毎、徹底的空爆を続行するときの事態なり。かくなりしときの数ヵ月、半年、一年の間に於ける国民士気の動揺、恐怖、萎縮、沈滞なり。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](金) 午前曇午後晴
○学校は入学試験なるため午前休み。
家で寝ていたら、面倒臭くなりて午後も休んでしまう。ゴーゴリー『鼻』、『タラス・ブーリバ』を読む。奥さん留守となりてより十日。飯炊きもようやく堂に入りたり。
○特別攻撃隊を基幹とせるわが百五十機。九州南東海面の敵機動部隊を攻撃。
確認せる戦果、撃沈空母五、戦艦二、巡洋艦三、艦型未詳一、撃墜百八十機なりと、未確認のもの合すれば、敵部隊の空母ほぼ壊滅せるがごとし。
小磯首相、杉山陸相、米内海相ら議会にてこもごも曰く、吾ら必ずや硫黄島、サイパン、ガダルカナルまで奪還せん。今なお比島或いはラバウルにありて孤軍勇戦を続けつつある皇軍は何のために戦えるや、断じて防戦のみの目的にあらず、請う見よ、吾ら誓って敵をふたたび押し戻さんと。かかる声、その声のみにていま国民に無限の希望を与う。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](土) 晴、雲往来
○朝遅刻す。道部教授独語試験ありし由。月曜に追試験を受くることとせり。
午前中相撲道場取壊し作業続行。午前九時B29一機偵察来。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](日) 晴
○昨夜十時警報発令。南方海上をB29数目標北上中にして、本土に到達するは二十三時ごろの見込みなりと。
高須さんと、二階にバケツや洗面器に水を張りたるを上げたり、窓をあけはなしたり、あらゆる容器を戸口まで運び出したりしてこれを待つ。
敵は五目標にして、やや西北に変針北上しつつあり、ただいま十時三十分。敵は七目標に増せり、ただいま十時四十五分、とあたかも末期の時を刻むがごとし。
敵はふたたび西北に進みつつあり、十日の空襲のごとく、一機ずつ長期にわたりて来襲する恐れあり。水の用意はよきや、防空壕の準備成れるや、等、東部軍管区情報すこぶる親切なり。敵数機、東部軍管区に侵入すという。十一時ごろなり。
されど後続機なお陸続と北上中にして、東海軍管区に入るとみせ、大部分は東部軍管区に入る見込み大なり。また敵は戦法を一変し、大挙少時間に殺到するおそれありとラジオ情報いう。要するに、何処に来るやら、如何に来襲するやら、何が何だか分らざるなり。
東部軍もこれを自認せると見え、あらゆる敵の戦法に対し、万全の防空体制を望むと叫ぶ。こちらはこれを、東部軍に対してこそ要求したし。
余は思いたり。それはそれとして東部軍余り親切すぎて、かえってこちらに恐怖心を起さしむと。
而してまた、戦局の真相を国民に知らしめよ、たとえそれがいかに恐るべきものなりといえども、それを恐るがごとき日本人にあらずとの声高きも、これと同様にて、余りに細密に知らしめるは、意志薄弱なる愚衆大半なる国民には、結局恐怖心を起さしむるの害なしとせず、政府が或いは実相を覆い、真実をかくすはやはり一理ありといわざるべからずと思いたり。
敵二機静岡地区に近接中、間もなく本土に到達する見込みなりとて、甲駿地区に空襲警報発せらる。
しかるにそれより、十分たつも二十分たつも、ウンともスンとも音沙汰なし。十日の朝のごとく、敵の動き不明となりたるにはあらずやと不安なり。
ややありてラジオ曰く。静岡地区に近接中なりし敵二機は、いまだ本土に侵入することなく洋上を旋回中なるもののごとく、目下のところ東部軍管区内に敵機あらざる模様なりと、どうも確信なげなる頼なき報道なり。
ソーラ始まった、あいつが危ないのだ、と高須さん不安がる。この十日も敵数機、房総沖にてわが電波探知器をまんまと煙にまき、突如京浜上空に出現せりとの噂高ければなり。
やがて、後続部隊は遠州灘を旋回せるのち、逐次南方に去りつつありという。どうも危ないなあ、それじゃ何のために飛んで来たか分らんではないか、といっているうちに、敵は名古屋を爆撃しつつありという。十二時過なり。
どうやら今夜は名古屋の番なるがごとし。警報解除となる。
警報発令せられしころより、しずかなる夜に突然待ち設けたるがごとく風吹きはじめ、樹々のざわめく音、大空のうなり凄く大いに心配せしが、幸い敵機来らず一時ごろ眠る。
○午前学校へ日直登校。入学試験の受験生、三々五々と見ゆ。
帰途武蔵野館に入りてレオギード・モギイの「格子なき牢獄」を見る。コリンヌ・リシェールの顔好まし。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](月) 晴
○午前一時、午後一時B29一機ずつ来。
○午前中ドイツ語追試験。
道部教授、かかる時勢にかくのごとき問題を出す。甚だ興味あれば問題の一つを書いておく。
(問) Tod im Ahrenfeld の詩を訳せ
Im Weizenfeld, in Korn und Mohn,
Liegt ein Soldat unaufgefunden,
Zwei Tage schon, zwei Wachte schon,
Mit schweren Wunden unverbunden.
Drustuberogualt und fieberwild,
Im Todes Kampfden Kopf erhaben,
Ein letzter Traum, ein letztes Bied,
Sein brechend Auge schlagt nach oben.
Die Sense surrt im Ahrenfeld,
Er sieht sein Dorf im Arbeitsfrienden,
Ade, ade-du Heimatawelt,
Und beugt das Haupt und ist verscheiden.
(Dettev von Lilencron)
わが訳、間違っているやも知れず。
「麦野の死」
麦の野に、稔りと罌粟《けし》の花かげに
人知れず、つわもの一人打ち伏せり
日はすでに、ふたたび昇り沈めども
傷ましき傷に布巻く人もなし。
傷痛み、渇きの上に熱燃えて
いのち死ぬ末期《いまわ》の悶えたかまりぬ
いやはてに乱るるは夢か幻か
傷つける眼ははるかなる空を見つ
麦の野を刈りて鳴りゆく鎌の音よ、
人々の嬉々といそしむ里は見ゆ
さらば汝《なれ》 さらば汝わがふるさとよ
つわものは、首垂れ、かくてこときれぬ。
○午後三時半まで、剣道場、柔道場の建物破壊作業。
原教授の言によれば、四月一日より国民義勇隊、学徒隊として動員令下さる由。
先夜の空爆の経験により、最近またまた強制大疎開令下され、町々いたるところ※[#「○に疎」]の白墨印押されたる家を見る。学校近傍の家々もほとんどこれを印せらる。おそらくこの動員は疎開家屋除却作業なるべし。
○今夜白き月十日ごろか、やや片割れ、星黄にして南風涼し。シュニッツレル『アナトール』『恋愛三昧』を読む。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](火) 晴
○柔剣道場除却作業終る。
この連日の作業は三十一日までの予定なりしが、早く終うれば早く休日とすと原教授いいたるゆえに、みな勇戦力闘して本日に終了せるなり。
しかるに三十一日より勤労動員、淀橋区内の疎開事業に就役せしめらるる旨発表され、みなダーとなる。
「三十一日まで学校内にて作業すべし、四月一日より七日までは休みと発表せられたるゆえに、それを信じて働きたりしに、かくのごとくペテンにかくるとは何ぞや。ペテンにはペテンを以て報いよ、みんなサボレーッ」
と、高山咆哮す。
○暫く休んでいたるマリアナのB29一昨夜名古屋に来る。整備成りたるべし。
たいてい二日目の夜々に来襲するキマリなれば、昨夜あたり来るかと思いしに来らず。果然、本日午前百三十機北九州に来襲せる由。
敵機動部隊また南西諸島に近接沖縄に上陸を開始せりと発表さる。
何としてもこれを撃攘せざるべからず。――ただ、われらはこれを如何せん?
何といっても今これを撃攘するは軍のほかなし。その軍は? 海軍は? われらはいうべき言葉を知らず。
ああ、無敵海軍、その艨艟《もうどう》見ざること久し、聞かざること久し。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](水) 晴
○休日。午後一時B29一機来。九州にまた七十機来襲せりとなり。
○山本有三『米百表』を読む。
この戯曲曾て井上正夫(?)によって上演せらる。されどこれが上演せられたるは、作者の名と、時勢のゆえにあらずや。山本元帥の戦死により全国に喧伝せられたる長岡魂と、常在戦場という句の流行に乗りたるまでにあらずや。
もとよりこの作はまじめなり。少くとも、まじめそうなり。されど戯曲の作者にはまじめ以上のものなかるべからず。まず才あり、面白くありてのちのまじめなり。舞台に於て、魅力は真実よりも必要なり。高遠の想、正当の理、これを論文的に俳優に問答せしめたるのみにて能足れりとなすがごときは、劇場に来る観客の心を知らざるものなり。而して山本有三なる人、真底よりまじめなる人なりや?
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](木) 晴風吹く
○このごろ毎日、衣服一枚ずつ脱ぐ。空の色、一時間毎にうららかさをますかと覚ゆ。路地ゆけば塀の内より白梅さしのぞく。空の蒼さに古色きよらかに浮かび、義士の妻のごとし。
○午後一時B29一機偵察来。
三十日[#「三十日」はゴシック体](金) 晴
○極めて暖、半日は裸にて過す。午前中米配給受けに、隣組のばばあ連と米屋にゆく。
○B29二機朝九時来。午後一時また来りて投弾退去す。
○ひる散髪にゆく。
黄門公は漫遊途上へんくつ屋なる旅籠に宿り給いし。四海波しずかなる江戸の世には、かかるとんきょうなる行燈をかかげ、かかる酔狂なる旅ごころ起すいとまありしなるべし。
昭和もはたちなる春の床、その入口に Barber なる洋文字うすれつつ残れるに、砂けぶり曇れるガラス戸越しにおそるおそるのぞけば、五人掛けの藁はみ出したるままの長椅子に、八人ばかり雀おしに小さくなりて、その傍にはまた三人立ちん坊のごとく髯面待てり。
その奥に腕まくりしてバリカンふるうおやじ、ほつれ髪すさまじく剃刀ひらめかす老婆、鬼床と麗々しき看板かかげねど、今の都に鬼床ならざる浮世床ありや。
三度の食事さえ千人の行列作りて、箸も立たざる雑炊食う世なり。理髪調髯もとより贅沢。十一人待つがごときはこれ天命と観念して、音もせざるよう扉を押せば、バリカンのおやじジロリと見て、
「待ちますよ」
「けっこうです」
と小さく答えて、立ちん坊のあとに立つ。おやじ舌打ちたかく、
「ふん、悪日だな。きょうは知らねえがんくびばかりおしかけやがる。あんまり入ってくれるなよ。気が詰って、くそ面白くもねえ」
さすがに気色ばみてその顔にらめば、いよいよ声高に、
「疎開々々で追っ立てられた床屋に、あぶれた連中がみんな来るんだから、こちら身体がつづかねえ。いくら稼いだって腹いっぺえ食えるわけあねえしサ」
と語るに落つる匹夫の腹勘定。なに、たかが床屋風情なり。時のあらしにいささかのぼせ気味あるは大目に見るとせんと、ほほえみてなお隅に立つ。窓外強制疎開の群衆、或いは車を押し或いは背に負いて往来しきりなり。
「いってえ、どうなる時勢なんだろうなあ」
と、のどぼとけに剃刀危き客ためいき吐けば、おやじ、
「今夜のいのちもアテにならねえんだからなあ。客がありすぎてシャクにさわるなんざ、トチ狂ってやがる。ねえ、そば屋さん、あんたとこも同じでがしょう」
「そうでさ、情実売りとか何とかいわれたって、なんしろ猫の飯ほどの配給でがしょう。昔からのおとくい――だって、それだけだって足りやしねえのさ。フリの客まで相手にしていられるかってんだ」
「こちとらも」
といいかけたるとたん、扉を鳴らして油だらけの兄い飛びこみ来る。
「おっと、兼兄い、そっちに椅子があらあ」
と、床屋は奥に一つひそめる革椅子をあごでさし、
「これがすみゃすぐにやってやらあ。なじみだものな。フリの客はあとまわしだ」
と、またジロリと八人椅子をながし眼で見れど、こちらはごもっともさまといいたげに、音をもあげ得でひかえたり。
「もうこうなりゃ強制立退きでもくらった方がありがてえぜ。こう毎日毎晩ドカドカ来られたひにゃあ、寝ることさえできやしねえ」
「が、五日までに出ろ、うんにゃきょう午後には出ろなんて、軍隊が斧と綱を持って外に待ってる、ってなのあ目もあてられねえな。運送屋はねえしさ」
「ちきしょう、もうけやがるなあ」
「なんしろ、一時間でゆけるところへ運ぶんだって五十円見せなきゃ動かねえんだからな。でえてえ見知り越しでもなけりゃ、いくら出したって運んでくれやしねえや」
「うん、こねえだ、あそこの林田の奥さんが来てね。どこかトラックを知らねえかってんだ。おりゃ倉井の運公を知ってるから頼んでやろうと、ちょっと思ったっけが、金はいくらでも出すからなんていいやがるからやめにしちゃった。金はいくらでも出すからなんてえのが、いちばん始末におえねえや、ねえ」
「そりゃそうよ。千なり二千なり、ちゃんと並べてさて用談は、と来やがるなら話相手になれるがね。金はいくらでも出すなんていいやがる手合にかぎって、きょうび一日トラックを動かしゃいくらかかるってことをきかされて青くなりやがるのさ」
「そして旦那を呼んで来て、二人でこそこそ相談して、いったいいくらくらいかかるんでしょうと来やがった。おりゃ、そんなことあ交番にいってきけっていってやった」
と鬼床すごい笑い顔となる。そば屋もぶきみに笑う。
おかみは机の上にて設計せる格子を以て世にはっしと伏せたるつもりなり。知るや知らずや格子の下、水流闇のうなりをあげてとどろき流る。この流れに茫然として足をすくわれ、伏しまろべるむれの一例を林田某の妻女に見る。而して水中を飛び舞う瓦石をいだいて縦横無尽に跳躍するむれの一例を床屋そば屋のやからに見るを得べし。とはいえ、彼もこれも、五十歩百歩、同じ水底の塵と石。
このとき、警報鳴りぬ。ラジオわれがねのごとく叫び出したり。「敵B29一機伊豆北部より京浜地区に向い近接中なり」
「ふん一機かい」
とおかみはほつれ毛をかきあげもせず。十分間にて刈りあげられたる男、一円札を出して、
「どうもありがとうございます」
おかみは身じろぎもせず、
「おつりは」
「いいんです」
男はまたペコリとして外へ出でたり。正面の壁に丸刈り六十銭として、東京理髪組合、警視庁の赤き印いたずらに埃に薄し。一円ぽんと箱に投げ入れつつ、つり銭さぐりもせず機械的に「おつりは」と問いかくるおかみ、見ぬふりして「いいんです」といいて去る客、みな「国民公定価格」なる芝居の俳優なり。
「しかし床屋なんざ、やっぱりこの通り要るんだから、徴用などかけなきゃいいにな。若い者をみんなひっぱってゆきやがる。床屋の若え者なんてひっぱったっておよそ役になど立ちゃしめえ、ろくなやつあいねえもの」
と、鬼床は新しく代れる油だらけの工員に話しかけたり。工員はいまポケットより出したる煙草三個を台の上にのせ、
「とっつあん、吸いなよ」
「ありがとう。何だ、いま煙草一箱十円するっていうじゃあねえか。すまねえなあ」
「なに、いいんだよ。うん、とっつあんとこの庄さんも召集になったそうだなあ」
と、話をひきとりぬ。一個十円の煙草ならばこれで三十円になるべし。八人椅子の非運をまぬがれんとするにはそれ相応の犠牲を要するもののごとし。
「あんなの召集くらった方がいいんだよ。徴用なんぞ、とても手に負えるもんじゃあねえ。いって三日もたつと工場を逃げ出すんだからな」
「あの時やおどろいたねえ。お父さんは留守だしさ、あたしゃあんなにおどろいたことは初めてだ」
と、おかみは口さしはさんで溜息をつきぬ。
「どうしたんだい」
「この一月のことよ、庄公がまた工場を逃げた――なに、それまでだって逃げ出したことあ数えきれねえんだが、工場の方でも弱り切って、何でもあれを組長にしたらしいんだね。うふっ、庄公の組長なんて笑わせやがるが、それであいつも、ともかく一ヵ月あまりは静かにしていたらしいが、とうとう晩に工場の塀を乗りこえて逃げ出したってんだ。そちらにいっちゃいねえかって工場から電報がくる――」
「あたしゃ、こりゃたいへんだと思って、来ていないって返事したんですよ」
「おれが帰ってみると、こいつ青くなってやがる。そいつあ捨てておけねえってんで、おりゃ心あたりのとこを二、三軒回ってみたんだが来ていねえってんだ。いってえどこをうろついてやがんだろうと思いながら、五反田の駅のガードの下を歩いてたんだ。すると、白木屋の下を、腕ぐみしていばって歩いてるのがどうも庄公らしい――鳥打ちなんかかぶって黒いマスクかけて、てめえじゃ分らねえつもりでいたらしいが、なに着てるジャンパーがおれのくれてやったものよ。いつだったか、あんまり寒そうにしてやがるんで、これ着ろってくれたもんだから忘れやしねえ。――うまく見つかったもんさ。庄公! って呼ぼうと思ったっけが、こいつ呼ぶとすっ飛びやがると思って、黙って、そうっと傍へいって、こら庄公、憲兵隊から出頭命令が来てるぞって、いきなりおどしつけてやったら、あいつ眼をパチクリさせやがって、へへえ、もうそっちの手が回りましたかってぬかしやがった。呆れちゃったい」
「庄さん、いくつだったね?」
「あれで二十八だよ。それから一週間ほどたったら、また店へぼんやり来やがってね。今日は工場が休みなんだ、親方手伝いましょうかなんていいやがる。あとできいたらまた逃げ出して来たんだってよ。十人ばかりで遊びにゆく約束をして、てんでに金を集めてくるってことになってたんだそうだ。庄公えらく愛想をいうから、ははあん、と思って十円小遣いをやってみると、これだけじゃどうにもなりゃしねえやと本音を吐きやがる。馬鹿野郎、それだからてめえに金はやれねえんだ。いい年をして遊び回るのもほどほどにしゃがれってどなりつけてやったら、今夜どうしたってゆかなきゃ男がすたるんだって、ぬけぬけしてやがる。――召集が来てくれて、おりゃヤレ助かったと思ったよ」
敵は京浜の一部に投弾して東方海上に脱去せり。
「庄公、てめえ死んじまえ、いちばん親孝行だっていったら、そうでがす、おりゃ死ぬです。何がなんでも真っ先に進むです。へへ、そうだな、おりゃ死んで、はじめておふくろに孝行できるってわけだな。へへっと阿呆笑いしていっちまったよ」
「最初にして最後の親孝行かね。はははははは」
と、油だらけの工員は面白げに笑いたり。
余も笑みたり。ああ時は変る。しかも人の変らざるかな、庄公のごとき人江戸の読本草紙のうちに幾たびか見たる。しかしてこの鬼床もおかみも工員も八人椅子の面々も、ふしぎや未生《みしよう》以前に見たるがごとき顔なり。
さなりこの人々、京伝、三馬の眺めしと同一の人々にあらずや。五蘊《ごうん》解散してまた和合す。かぎりある遺伝因子その組合せにかぎりあり、後世余と同一の人物地に出現すべきことを考うれば戦慄を禁じ得ずといいたるはニーチェなりしか。純然たる同一個体の再現は無限遠のかなたにあれども、同じき横目縦鼻のむれ、ほくろその小鼻にあると頬にあると異小にして同大の人は、江戸の町にも京の町にも東京の町にも、満ち生まれ、溢れ動く。
さらば吾は何ぞや? 天上天下唯我独尊とうぬぼるるは釈迦のみにあらざるに、吾もまた胚軌をめぐる地上の一生物、カルマの輪廻流転の申し子の掌上を出でざりき。
泡とばすべらんめえ耳に次第に遠く、黙然としてオツな哲学的瞑想にさまよい出でたる吾を、ふとこづく者あり、鬼床わが前に立ちつつふしぎな顔。
「お次の番だよ。お前さんでがしょう。何しろ陽気があったかくなったからなあ」
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](土) 晴
○午前八時、命のごとく淀橋区役所前に集合せしところ、区役所の手違いのため、なすべき仕事分らず。明後日より開始すとのこと。なお区役所の事務を始むるが八時半なるため、みなの来るも八時半でよろしとのこと。いわゆるお役所仕事のだらしなさを、第一日より喰わさる。
今の工場ことごとく七時|乃至《ないし》七時半に作業を開始するに、区役所のみが八時半に始むること許さるべきや。
○進級試験結果発表。進級す。
○数日前より咽喉乾燥の感あり、やや嚥下に疼痛を覚えしが、次第に昂進し、きょう夕となりて食事はもとより、物いうも不快となる。微熱あるがごとし。扁桃腺炎ならんか。塩水にて含嗽す。
○午後一時B29一機来、投弾、牛込区なりときく。
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[#小見出し]  四 月
一日[#「一日」はゴシック体](日) 晴午後曇
○午後、目黒国民学校に隣組防空群長に対する警察の話ありとて、高須さんの代理としてゆく。
一時までに集合せよとの達しに、集まりたる下目黒の各群長百五十余人。一時半にもなるにいまだ署長来らず。
一人の男立ち、この忙がしき時に何事ぞやと怒れるに、傍の警防団員、その文句は警察に言ってくれとうそぶくのみ。そりゃ言う、言うが、その仲介に立ちたる君達もそれでは責任がすむまいではないかとなじれば、吾らは一時に集めよとの|その筋《ヽヽヽ》(彼、この声を高く張りあぐ)の命令により集めたるのみと答う。この男馬鹿に相違なし。しかも憤慨する相手を、君のいうように世の中は調子よくゆくものにあらずと、利口ぶったる冷笑的な顔にてなだむ。かかるたぐいの男実に世に多し。
二時、ようやく署長来る。「お互いに――|お互い《ヽヽヽ》にこの忙がしい中を」と署長も高びしゃに不平顔をにらみ回す。
警察の忙がしきは知る。それならば二時に集合せよと何ゆえいわざる。みな悪意あるにあらず、頭悪きなり。而して署長延々四時までしゃべりつづく、今まできいた話ばかりなり。
防空壕は完全ならざるべからず。扉はトタンにて覆い、木材を露出せしめざる要あり。不用の建具は取払うべし。二階の天井には穴をあけおくべし。水は極めて多量に到るところに配置すべし。落下せる焼夷弾は火を噴く反対の側をつかんで水槽または空地へ投げるべし。焼土となりて後地中に埋たる家財を掘り出すときは、完全なる冷却の後なるを要す。然らずしてただちに箱のふたを開くるときは、鬱積せる熱気風を呼んで突如発火することあり、等。
○本日、エイプリル・フール。勇太郎さんに「あずかっていた債券あたりましたよ」と言えるに、顔色変えてがばと起き直る。
夜、外に出て、扉をドンドンたたき「高須さん、電報ですよ!」と叫びたてるに、便所にありし高須さん蒼くなって飛び出し来る。召集かと思いたり、三年いのちが縮んだりとて大いに怒る。悲劇的気分すら醸されて、大いに弱る。
それより高須さんと散歩に出ずるに、月なく星のみ暗天に燦たり。幾十条の探照燈凄々と夜空を撫ず。町に一個の街燈なく、風のみ烈し。何だか間抜けた散歩なり。
八時警報。不明の目標南方海上より近接中なりと、味方機なること判明、まもなく解除せらる。
○朝鮮台湾に国政参与の大詔渙発せらる。手遅れの恐れなきや。ただし早く発せられしとても結果は同じならんか。
○沖縄近海に来襲せる敵艦隊、約百隻を撃沈破せしが、なお百隻以上跳梁をやめず、ついに沖縄本島に本格的上陸を開始せりと。
この戦果あるに、大本営発表の声調沈痛なり。
二日[#「二日」はゴシック体](月) 晴雲多し
○先日より読みつづけあるヘンリー・E・ジーゲリストの『医学序説』この夜明一時ごろまで、褥中で読む。種々の想念脳中を過ぎる。
今は正しく闇黒時代なり。西洋の中世時代、或いは日本の応仁乱以後、これを闇黒時代というと学びき。何となく日もささざる夜の世界のごとき感ありしは可笑し。この時代といえども、日はうららかに鳥は歌い、人は生まれ、笑い、恋し、働きたるに相違なきものを。
今も同様なり。まじめに考うれば戦慄すべき日々を、吾ら多く神経鈍麻して、さほど恐るべき時代とも感ぜず。消光す。
また思う。西欧の中世期、日本の応仁乱時、学問の灯は僧院或いは五山の門中に微けくも油つがれき。今かくのごときもの日本のいずこにある。宗教滅びて年久しく、学校、芸術、すでにことごとく壊滅し終る。いな日本のみにあらず、美しき人間の智恵の営み、尊く涼しき学問の殿堂を以て自他ともにゆるす国家、地球上のいずこにありやと。
しばらく読みてまた思う。書の内容とは全然関係なきことばかりなり。
余は文芸言論の力を必要以上に蔑視しありたり。しょせんは曳かれ者の小唄に過ぎずと思いたり。平和有閑のときは知らず、死か生いずれを選ぶかとの切迫時に、かくのごときものほとんど何らの効なしと思いいたり。余は文学を以て男児のなすべき雄偉の事業なりとは考えざりき。この点に於ては二葉亭とひとし。しかるにかかわらず、余がつねにこれに眼を注ぎあるは、余が信ずる男児有為の事業に、余自身力不足なりと知るゆえのみ。もとより文学上、余輩の及ぶべからざる偉人無数なるは熟知す。ただ文学にもピンからキリまであり、余はまたこの点に於ても力不足を知るゆえに、このキリ近きところを眺め、ただおのれの情を愉しませありしに過ぎざるのみ。
然れども今思うに、言論の力はさほど軽蔑すべきものにあらず。見ずや同一の事件を報道せるものなりといえども、新聞の論調により、吾人の心に明暗二つの情感現わるるを。
わが軍全滅を記して沈痛悲壮のものあり、吾らまた暗澹絶望の念に沈淪せざるを得ず。また同一を録してその将兵の勇戦を讃美し、愛国の情歌うがごとく、吾らをして祖国のために死するを恐れざらしむるものあり。いずれが正しきかは知らず、新聞のごとき杜撰なる論にして、読者の心胸に与うる影響かくの如し。
考うれば、実に死は恐るべきものなり、生は讃うべきものなり。また考うれば生それほど魅力あるものにあらず、而も自ら死を欲せざるを知る。この深刻なる本能を自覚するとき、死はさらに恐るべきものとなる。
しかも、巣林子を見ずや、一編の筆力、げにその恐るべき死に人を欣然恍惚として就かしめんとす!
その恍惚が夢か幻影か、そは問題にあらず、真実を凝視しありと自覚する人間の心、果して夢ならざるや幻ならざるや神のみぞ知る。酔わざるときの情感、酔いたるときの理性といくばくの軒輊ありや。この魔睡美酒の役果たすのみにても、言論文章の力は実に偉大なるものといわざるべからず。
○午前二時より四時半にわたり、B29五十機、帝都西方に来襲す。月光満つるに、B29西方の空に照明弾を投下しては焼夷弾を撒布するが見ゆ。ラジオ情報によれば時限爆弾を投下せる形跡ありと。
○眠るが遅く、また空襲にて起こされたれば、つい寝過して淀橋区役所にゆきたるときは、級友ことごとくいずれかへ去りたるあとなりき。工学院附近なりときき、ゆけども分らず。
桜ほころびしものあれど、すでに疎開除却せられて荒涼たる空地、また人去りて無人の町となれる新疎開区域など、甲州街道の一帯、実に以前の町を回顧するよすがもなし。
学校にゆく。入学試験合格者発表せられあり。改めて級友らのゆくさきをきくに、淀橋病院近くのはずなりと。
ゆくになるほどみな淀橋図書館に屯せる形跡あり。さらに尋ねゆくにこのあたり一街区、ゆけどもゆけども悉《ことごと》く疎開指定地にして、右側の店舗すでに人なく荒廃し、綱曳きて壊す兵の群、瓦投げ落す人夫の群、建具運ぶ学生の群、さらに戦車の姿すら至るところに見ゆ。あがる物音、砂煙の中に、老婆、子供、男、女、或いは兵、人夫まで掠奪者のごとくその家々の中より色々の物探しては布に包む。今次の疎開は過去の常識を絶して大規模にして、また立退命令早急にして厳重なれば、まだ色々の物品残りあるなり。
一同、働きあるに逢う。わが友もまた、或いは書物抱えて来れる者あり。薬屋なりし家に入りて、吸入器、クロロホルムの瓶など持ち出し来れる者あり、中に美しき雛の一式を探し来れる者すらあり、誰なるや、それを愛《め》でし子はT・Bにて死にきといい、持てる者、あわてて捨てて踏みにじる。あわれ、癆咳《ろうがい》の少女愛でし官女|瓔珞《ようらく》いよよ哀艶ならずや。
余はみなの上衣弁当の番人を仰せつかり、成子天神社の鳥居の内に座す。杉山平助の『悲しきいのち』なる書残しゆける者あり。拾いて読む。この人いま黙す。いずこにありや。
時に起ちて町を点検するに、この柏木一帯全疎開にして、右側の住民はなお引っ越し中なり。
「うりもの」と記して、茶碗、家具、その他種々様々のものを店頭街上に出して並ぶ。半年前までは三里遠きもみな来りて買い争いしに相違なき品々を、ゆく人見返る者もなきは哀れなり。
美しきもの買いて何にならん。今夜にもことごとく灰となるの運命計りがたき時勢にあらずや。華やかなる町一劃。昼夜を分たぬ敵味方の破壊によりて、みるみる惨たる廃墟と化してゆく景、人間の恐ろしさと滑稽味、遺憾なく発揮して余りあり。
○朝九時、正午B29一機ずつ来。
○マーテルリンク『モンナ・※[#「ワ」に濁点、unicode30f7]ンナ』を読む。
三日[#「三日」はゴシック体](火) 晴風強し
○午前建物破壊作業。軍隊と共同にて、家数軒を曳き倒す。
「綱曳き、用――意っ」
など、威勢よきことおびただし。
○午後、勇太郎さんと渋谷へロッパを見にゆく。道玄坂一帯もすべて破壊中、兵や戦車の姿も見ゆ。
ロッパは「突貫駅長」と「歌と兵隊」。くだらなきことは予想通り。ただし竹久千恵子は若い女の子に混ればさすがに舞台光る。料金は六円。この中《うち》真の観劇料は二円にして、四円は税金なり。
○正午B29一機来。
先月二十三日敵機動部隊沖縄に出現してより、撃沈破実に約百八十隻に達す。未曾有の成績なり。しかも、如何せん、敵艦隊の兵力は千四百隻なりと。
○権之助坂の桜はほころびんとして春風に揺る。マーテルリンク『闖入者《ちんにゆうしや》』、『ペレアスとメリザンド』を読む。
四日[#「四日」はゴシック体](水) 雨
○午前零時過警報。敵大編隊南方海上を北上中なりと。
一時ごろよりその主力は房総より、その一部は伊豆、駿河湾より進入し来る。
伊豆に入りたるものは焼夷カードを撒布する。房総より入りたるものは関東東部を経て北部に至り。照明弾、焼夷弾を投下中とラジオいう。
高須さんと二階に上り、窓あけて、暗々と雲ひくき夜空を仰ぎつつ、ヤレヤレ今夜は東京にあらざるごとしとよろこびいたるに、この北部の敵南下して、帝都上空を経て南方に去る。そのついでにしきりに爆弾を各所に投下し、轟音、炸裂、家震動、ガラス戸ガタガタと鳴り、大いに戦慄す。
少数機ずつ続々と入りては投弾し、防空壕より出でんとすれば青白の閃光四辺にきらめき、ダダーンという音、凄じとも何とも形容し難し。小便もする能わず、今までの空襲の中、最も閉口す。
三時過ぎ、もう下火となりたるべしと思いしに新たなる敵伊豆に侵入しつつありといいて、ラジオ沈黙す。やがて、轟音と、ダ、ダ、ダ、ダ、ダーンという爆弾の落されゆく音、四時過ぎまで荒れ狂う。
ラジオようやく声を発す。敵は京浜地区にも時限爆弾を投下せりと。四時半ようやく解除せらる。二階に上って見るに、東西南北いずれにも火の手あがる。三月十日よりも火炎弱く見ゆるも、範囲は広し。遠く近くしきりに消防自動車の音聞ゆ。
寝につく。未だ眠りに入らざるに、もう朝五時のラジオ、「みなさんお早うございます」の声をきく。
終日、雨、暗くして寒し。朝九時、正午、B29一機ずつ来。
夜、勇太郎君来り、新宿のへんやられたりと知らす。東京駅近傍、大森あたりもやられたりと。
五日[#「五日」はゴシック体](木) 曇時々薄日
○建物破壊作業。
午後、柏木より本町の方へどんどん歩きみるに、どこまでいっても両側|惨澹《さんたん》。くたびれて引返す。
新宿よりガードをくぐりて柏木へ曲る角筈の角、昨朝の爆撃にやられて青き余燼くすぶる。
午後七時情報局発表、小磯内閣総辞職。
六日[#「六日」はゴシック体](金) 曇時々雨、寒
○組閣の大命鈴木貫太郎大将に降下。
この時、この時に内閣総辞職をなす。内外ともに与うる深刻なる影響は、もとより当人の小磯大将最もよく知悉しあるべし。しかるにかかわらず、なおこれを行う。その苦悩察するに余りあり。吾人はこれを責むるの浅薄なるを信ず。
しかれども余らはこれを責めざるべからず。その無責任、これを責めざるとせば、古来責むべき悪政府ありや。光秀といえども必ずやそれ相応の理由ありしなるべし。バドリオといえども絶対に背信者とは銘打たれざるべし。しかも国家的眼光を以てするときは、個人に対するがごとき甘き同情は払拭せざるべからず。モンテーニュいわずや、理解することは許すことなりと。
吾々は小磯首相を許すべからず。従ってその理由を理解せざるべく、強いて眼をつむらざるべからず。
ソビエト、日ソ中立条約破棄の通告。内閣瓦解は沖縄よりもむしろこれか。
○午前九時B29一機来。権之助坂の桜ちらほらほころびそめたるに、急に陽気冷ゆ。冬のごとき雨ときに過ぐ。実に憂鬱の極みなり。
○バルザック『ボエームの王』を読む。
七日[#「七日」はゴシック体](土) 晴
○午前七時警報敵編隊北上中なりと。十時ごろB29九十機。P51三十機帝都に入る。なおこれと同時にB29百五十機名古屋に向う。合計二百七十機。空爆開始以来のB29の大群なり。これに加うるにP51は、いよいよ硫黄島より発進せるものなるか。陸上基地より発進せる戦闘機としては初見参なり。
外に出てみるに、西の方をこれら十機ないし二十機の編隊組みて北へ飛ぶ。或いは幻のごとく白きものあり、銀色|燦爛《さんらん》とかがやいて飛ぶ編隊あり。敵ながら実に堂々として壮麗無比の姿なり。B29一機翼舞わして撃墜されたるを見き。
本日は大挙短時間の来襲なれば、あたかも台風一過せるごとく頗るタチよろし。一機ずつ三時間四時間もかけて来らるるがいちばんやり切れず。
午後一時B29また一機来。
○軍隊と共同にて建物を引き倒す。軍人の中で佩剣美々しき将校よりも、むさくるしき兵士の方美し。どなりつけられ、殴りつけられても、「はい」と叫ぶのみにて、黙々と一心に働く。実に美し。
○死や必ず至る。しかも生それほど恋うべきものにあらず。理性にてはかく知る。しかも死の腹の底より恐ろしきは何ぞや。
女や大部分痴愚。しかも余曾て、ああ美しきかなと恍惚たりし女ほとんど見ず。たいていわが理想と千歩懸絶す。しかも往来ありきたりの少女に対し、精神の動揺を禁じ得ざるは何ぞや。――ああ、恐るべきは人間の本能なるかな。
余は夢と美のロマンを愛しき。今も愛す。将来もこの心、胸中の一隅に残らんことを欲してやまず。されど最近ただこれのみにては飽きたらざるものを感じ始めたるは自然の歩みか。表面のものを払拭せよ、人工的なる浅薄なる夢のヴェール、美の色眼鏡を脱せよ、ありのままの人間の赤裸の本能を凝視せよ。この声しきりに耳朶にきこゆ。
○鈴木内閣成る。
○バルザック『ド・カデイニヤン公妃の秘密』を読む。
八日[#「八日」はゴシック体](日) 晴午後曇
○日曜なれど作業続行。正午より一時にかけB29二機来。
○夜学校に宿直にゆく。道場取壊しによりて生じたる木片を炉にくすべつつ、十二時過まで事務所の中畑氏を囲みて話す。広谷、楢原、藤田ら、余と合わせて六人なり。
拓大、勤労動員の成績悪しく、軍より学校閉鎖を命ぜられ、全学生入営を命ぜられたりと。文部省には現在毫の権能なく。ただ軍の意向に戦々兢々たり。
母校も勤労動員の成績悪しくば閉鎖を命ぜらるることなきにしもあらず、最近憲兵しきりに学校界隈を徘徊監視中なり。
また先日爆撃によりて焼失せる角筈の一劃は、すでに本校学生により破壊除却せられたるはずなりしに未だ家屋残存し、ついに火災を発生せしめたる段不とどきなりとありて、中畑氏始末書を出したりと。
そも区役所は何ぞや、吾らは先月末より作業開始に集合せるに、そちらの用意整わずとてこの月二日よりかかりたるにあらざるか。また吾らに一丁の鋸、一丁の錐、一丁の槌をすら与えたるか。実に憤激にたえざるなり。
戦局非にして今国内たがいに他を責むるの声きびし。諸新聞声をはげまして政府を責むれども、政府の諸公はこまれば総辞職して身を雲中に消し、実質上の苦をなむるはしょせん国民なり。
なお、余は信ぜざるも、現在の流言蜚語の例として次の三種を書き置く。
「某月某日、どこそこを爆撃すとB29必ず事前にビラをまく。そのビラに告げしことにほとんど偽りなし」
「某省某官吏はスパイなりき。空爆となれば必ずや地下に入りて無電をたたき、その妻はこの音を消さんがためにピアノを打つ。このこと学校に於けるその子の綴り方によって曝露せり。また某工場監督武官は、空襲の来る前必ず工場より帰宅す。怪しみてこれを調べたるに防空壕中に精巧なる無電機ありたりき」
「東条は七十万円の別荘を建てたり。小磯は南京より支那料理を飛行機にてとりよせて喫すと」
ああ、流言の恐るべきかな。ことに最後のごときもの最も悪質にして、信ぜざるといえども心激憤を禁じ得ざるは何ぞや。
九日[#「九日」はゴシック体](月) 午前曇午後雨
○作業。正午B29一機来。
○町、雨にけぶる。目黒の坂道の桜ほのぼのとけぶりて哀艶たとえがたし。豊艶、嬌艶、優艶の美女見ることなしとせず、しかも桜のごとく或いは曙のごとくはでやかに、或いは雪洞のごとく暗愁にあふれ、而して一脈して流るる清麗のかぐわしさは、女性に見られざる美にしてむしろ男性中の美少年に見る。
花の下ゆく人、春来れる明るさと、運命の日迫る哀痛の表情溶け合い、またこれ雨にけぶりて、ふつう日本人に見られざる美しき顔を生み出せり。
十日[#「十日」はゴシック体](火) 雨
○作業休み。午後一時B29一機来、終日条々たる雨、夜に入りていよいよ音高し。
○モーパッサンの短編を読む。
十一日[#「十一日」はゴシック体](水) 晴雲多し
○作業瓦運び。動員十五日まで延長。正午B29一機来。
○目黒の坂の桜、きのう雨中に満開の日を過したるとみえ、きょうはすでに散りはじむ。風も強し。下枝にははや青き若葉萌え出でたり。夕日雲を透して、桜の上半は淡紅の霞のごとく柔らかにかがやき、家々の陰なる下半分は薄紫に翳る。きのうの雨路上に冷たくたまりたるに、春の雲いそがしげにゆき交うが映り、水面に浮かびゆらめく一片、三片の花弁、白き貝のごとし。春風はげしく埃をまいて虚空に上り、陽に映えて金色の竜巻のごとく、ゆく人花を満面に吹きつけられてしかめ顔するが可笑し。
夜風呂にゆく。花と星天地に溢る。路上声あり。「気持のいい晩だ。B29が来そうな晩だ。ふん」
○八十三歳の老ハウプトマン、ドレスデンに対して行われたるアメリカ空軍のソドムとゴモラ的大爆撃に悲嘆痛憤し、ドイッチェ・アルゲマイネ・ツアイツング紙上に「余は近く神の前に出でたるとき、人類をもっと賢きものと生み給わんことを願う」云々と寄す。
永遠にかかることをいい、かかる表現より脱する能わざる文豪の姿、尊きか、笑うべきか、痛むべきか。
十二日[#「十二日」はゴシック体](木) 晴
○朝八時半警報発令、敵大編隊北上中なりと。先駆の少数機、或いは静岡、或いは伊豆、或いは銚子などに陽動をほしいままにし、十一時ごろ約百五十機、本土に進入、帝都西部を爆撃して退去す。投弾の音きこゆ。
○作業続行。午後一時B29一機また至る。
○花散り初む。桜は他の景観中に置くべき花ならず。天地四辺ただ桜花のみ。揺るるも桜、踏むも桜、触るるも桜、騒ぐも桜、ただその花に埋まるとき、その美他にくらべがたし。散る花日にかがやきひかる。
省線の沿線。家々の庭に、桃、椿咲くが見ゆ。線路の柵の下に紫の薔薇風にふるう。樹々も土堤も、自然の微笑、衣をなぶらせつつ、日毎に青き刷毛をぬりかさねゆく。ただ空霞みて、B29の航跡はおろか、姿も判然とせざるは困ったことなり。
○歓楽極まって哀情生ずという言葉がある。ほんとうに生命の炎も燃えつくすような歓楽の後に来る空漠虚脱はどんなに深く寂しいものであろう。それは内から夜靄のように暗く冷たく立ち昇るものだけに、何びともこれを慰めようがない。ただ「時」だけがこれを救う。時間が経過すれば、彼はふたたび新しい歓楽に没入してゆくことができる。
しかし、その哀情を怖れて――いや、たんに硬化した道徳観念、或いは無気力から、生涯いちどもこの歓楽を経験せずにすんだ人が、老後青春をふりかえったとき、そこに眩しい、狂おしい、花や灯を追憶を認めることができなかったら、それはまたどんなに寒々とした寂しさであろう。
時は帰らない。過ぎ去った青春はもう来ない。それはもう時も救うことはできない。
むろん、謹厳精励な青春だけを持った人だって、老後には老後の愉しみがあろう。放蕩しなかっただけに、その報酬として、その人の晩年は遊蕩三昧の輩よりもはるかに安定してしずかな寂光につつまれるに違いない。しかし、その静かな魂を、時に稲妻のように掠めて痛ませる帰らぬ青春への悔恨は、陋屋《ろうおく》にうずくまって若い日のかがやかしい光をじっとなつかしく暖めている人の愉しさと同程度であろう。
自分はエピキュリアンではない。それどころか、何らの歓楽なしに、この青春をあとにしてゆきつつある人間である。もっとも、これは何とも名状しがたい時勢のゆえもある。しかし、まじめな人間を必ずしも尊敬しない。放蕩の素質のある友人を、たとえ羨ましくは思わないにしろ、好ましく愛らしく思う。
しょせん、青春をいかに送るかということは、それは個々の人の性格により、境遇により、運命による。本人の心の幸福を眼目とするとき、道徳者は決して若い遊蕩者を訓戒する権利はない。
十三日[#「十三日」はゴシック体](金) 晴
○午前零時警報発せられ、敵らしき一目標房総半島に近接中なりと報ぜられたるも、本土に入ることなく反転して南方に去る。
午前八時半、午後三時、一機ずつ来る。花しきりに散る。
○ルーズヴェルト、昨日午後三時過ぎに急死す。
僕達はそのとき淀橋図書館の中にいた。外は明るい春光に溢れていたが、館内は黎明《れいめい》のように薄暗かった。(日本の図書館は――外国の図書館は知らないが――どういうものか、みな妙に冷たく陰気で、兵営の銃器庫と同一の印象をたたえている)
友人達は椅子に反りかえったり、机に足をあげたりして、ざわざわ話し合っていたが、みな妙に陰鬱だった。一ヵ月ちかい労働で、疲れて自然とふきげんになっていたのだ。
そのとき入口の方で、「ルーズヴェルトが?」「そりゃほんとの話かね?」という驚きと疑いをこめた声が聞えた。
それは他のがやがやいう騒音よりも高い声ではなかったし、またその周囲にいた者以外は、だれもそれに気がつかない風だった。しかし、それと反対の一番遠い隅に座ってバルザックの小説を読んでいた僕は、その短い叫びに愕然とした直感を受けて、立ち上るや足早にその方へ歩いていった。
「おい、ルーズヴェルトがどうしたって?」
「死んだとさ」
と、返事は笑いをふくんでいた。その笑いは、この報道の内容に対する笑いというより、それを疑って可笑しがっているような笑いだった。
「ど、どうして? どうして死んだのだい? いつの話だ、それあ」
「脳溢血だってさ。きのう――だってね、ねえ?」
と、傍をふり返って、
「今の――おひるのニュースでいったとさ。何だかデマみたいな気がするなあ」
自分はちょうど山本司令長官戦死の報をきいたときと同じような衝動を受けた。僕も他の人々と同じように、それをデマではあるまいかと疑う心が一部にあった。しかし直感はこのニュースが真実であることを認めた。
このニュースは次第に館内にひろがっていったが、みないっせいに立って、万歳を叫ぶような劇的光景は見られなかった。女の話や、書物の話や、落第の話にまじって、あちこちで、「へへえ?」「そうかい?」「暗殺じゃねえのか?」「それならまだいい」「万歳だ」「もう日本は勝ったな」「まさか?」というような声が、ぽつりぽつり聞えるだけで、すぐにそれはまたもとのくだらない騒音の中へ溶けこんでいった。
それから一時間半余りたって、午後の作業に出てゆく時でさえ、この狭い部屋でしゃべり合っていた人間の中の三分の一はまだそのことを知らず、はじめて驚いているありさまだった。しかもその驚きは、きわめて表情に貧しいもので、次の瞬間にはもうほかのことを話しているのである。
自分は日本人の度胸に感心した。ルーズヴェルトの死がこの戦争の未来にどれほどの影響を与えるかは疑問である。しかし過去の数年間をふりかえるとき、強敵アメリカの首魁ルーズヴェルト、世界の外交を牛耳っていた大いなるルーズヴェルトの死は、日本人に相当の衝撃を与えて然るべきである。しかも日本人は、いかなる大ニュースにももはや決して感動も昂奮もしないほどに鍛えられた。(――疲れてしまったのかも知れない)
ただ、図書館を出たとき、往来を通り過ぎてゆく三人の女学生が「――でも、ドイツはやっぱり大変でしょう? スターリンがいるんですもの」と話しているのをきいたとき、自分はその声のあどけなさに微笑するとともに、その声のはずみ具合にわずかに日本の昂奮を感じた。
「――だが、とにかく悪いニュースじゃねえな、ちかごろじゃあ」と、Aは鼻糞をほじりながら歩いていた。
あしたの新聞の論説は予想がつく。凡《おそ》らくこんなことであろう。
「世界制覇の野心家、戦争挑発の元凶ルーズヴェルトに天誅下る」
「しかし彼は敵ながら偉大なる政治家であった。彼を失った反枢軸陣営に開いた巨大なる穴は、何ものを以てしても埋めることが出来ない。また彼を失った米国が、将来の政策推進に大いなる不安を生じることは否めない」
「それにも拘わらず、米国の野心は、彼の死によって消滅するようなことは絶対にない。対日侵攻、本土爆撃は今後さらに強化され、特にこの直後はいよいよ自棄的な暴挙をくりかえすであろう」
「吾々の敵はルーズヴェルトではなく米国である。勝に驕った米国にとって、ルーズヴェルトの死は、最初のケチのつきはじめでなくてはならぬ。第二の打撃は今や沖縄決戦によって下されつつある。暴風のごとく下りつつある吾が特攻隊の相つぐ猛攻に、千四百隻の敵艦隊が露呈しはじめた動揺の色がそれである。吾々は断じてこの決戦に勝抜き、敵を潰滅掃蕩し、一挙に押戻す攻勢移転の契機をつかまねばならない」等、等、等、
――ルーズヴェルトはたしかに敵ながら恐るべき第一の巨人であった。それは死んだ。吾々はここに武士の情けを以てその哀悼を祈りたい。
○夜九時半、高須さん、勇太郎さん山形県へ出発。家は余一人留守番となる。
十四日[#「十四日」はゴシック体](土) 晴
○昨夜十一時より今暁三時にかけ、B29約百七十機夜間爆撃。
一機ないし少数機にて波状的に来襲し、まず爆弾を以て都民を壕中に金縛りになし、ついで焼夷弾を撒布す。ために北方の空東西にわたり、ほとんど三月十日に匹敵するの惨景を呈し、目黒また夕焼けのごとく染まる。余一人なれば、一人で大いに頑張る。
○明くれば都内諸所交通機関杜絶し、上野、池袋、新宿間の山の手線も不通なり。電車大いに混む。
宮城、大宮御所、赤坂離宮等も火災発生、明治神宮のごときは本殿烏有に帰せり。
ルーズヴェルトの死にその弔合戦としてB29大挙来襲せるなるべし。ただしルーズヴェルトの死に対する各紙の論調はおおむね彼の偉大なりしをしのび、死者に鞭打つがごとき言をみずから抑う。この日本の態度及び猛然来襲せるB29の態度、いずれも雄々しく男らし。
○新宿駅に着くに、二幸より伊勢丹に至る線を第一線として、そのかなた焼土と化す。そこよりちょっとゆくに、思いがけざる位置よりわが母校の本館見えたり、すなわちその周辺ことごとく焼野原と化したればなり。
はじめてこの建物がわが母校なるや否やを疑い、その白と黒との迷彩の特徴よりそれに相違なし、と認むるや、胸動悸を打つ。しかも、悪いことながら、とうとうヤラレタナと思ったら、解すべからざる笑いニヤニヤと口辺に浮かぶ。この心理問題とするに足れり。
ゆきみるに学校を中心とし、四辺満目荒涼たり。学校は本館と航空医学研究所のみ残り、生理学教室、図書室、事務所、講堂、塀等はことごとく烏有に帰す。先日打壊したる道場の材木の山、きれいに焼けて影もなし。
校庭には空より落下、地につき刺さりたる焼夷弾の孔いたるところに開き、一ヵ所にその焼夷弾の殻四、五十個並べあり。校内に落下せる焼夷弾は百五、六十個にも及び、一角には爆弾も落ちし由。
原教授、高橋理事ら、視察する姿見ゆ。先般来、現に焼失せる諸建物内の重要物件ことごとく鉄筋の本館内に搬入しありたるは不幸中の倖いなり。まわりに何もなければすこぶる偉観にして、蒼空に屹立するを仰ぎつつ、原教授ちょっと得意そうなり。先日来の作業を指揮せるは原教授なればなり。
わが通いたる近傍の朝日食堂も信濃屋食堂もむろんなし。ほんのこのあいだまで下宿しいたりし酒店小池屋もあとかたもなし。
熱火に赤くふくらみたる顔のおじさん、おばさん、焼土を掘返している姿見え、暗然、愁然、また慄然たらずんばあらず。近寄りて見舞を述ぶ。
こもごも昨夜の恐怖を語る。ほとんどまっさきにやられ、一物をも持ち出すひまなく、逃ぐるが精一杯なりきと。学校にては、当夜の宿直員らよく最後まで敢闘する姿見えたりと。
相撲部の和田さんを途上に見る。昨夜最も勇戦せる人なり。顔赤く腫る。
本館内はみごとに安全にして何らの混雑すらも見えず。十六日より授業開始との告示あり。
二年はなお勤労動員中なれば、学校の焼跡整理は三年に委せ、われらは近隣の天神国民学校附近に集まる。電車不通なれば、集まりし者二十人に満たず。
学校のポンプを運び来りて、一帯の焼跡の余燼を消火するに努力す。なかなか消えず、踏む土夏の砂漠のごとく、熱風顔を吹く。
トタンは赤く、瓦礫は黄なり。ガラスは不透明なる緑色の飴のごとく溶けかたまる。疎開中なりしと見え、積みあげたる畳、燃えつくしてあたかも巨大なる浅草海苔の束のごとく、水を浴せども煙衰えず。少しく崩せばまた燃えあがる。樹木は生木なればこれまたくすぶりて消ゆることなく、風吹けばまた赤き焔をチロチロとあぐ。荒涼たる中に、一角、赤、黄、青、白と妙に色鮮やかに美しき種々の砂盛りあげあるところあり、左官屋なりしごとし。
午後四時解散。春たけて蒼空無心なり。
○松葉の下宿も灰燼に帰せり。彼いずこにゆきたるならん。上中に逢う。彼もまた焼け出されたりと。
○午前九時B29一機偵察来。ルナール『土地の便り』を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](日) 晴
○午前零時半、一時半、B29それぞれ一機ずつ至る。経路ちょっと変る。すなわち、伊豆方面より侵入する敵はたいてい東北進して帝都に至り、東方海上にぬけるに、これは帝都東方より来り、反転してもと来た路より退去したり。午前八時また一機来。
○ルナール『エロアの控帖』を読む。
十六日[#「十六日」はゴシック体](月) 晴
○昨夜九時半警報発令。十時半より、今晩一時にわたり、B29二百機来襲。
最初の一機頭上を過ぎて、二階に上れば、はや西南の方に火の手あがる。敵は房総より、また伊豆方面より続々進入、投弾と高射砲の轟音天地に満つ。
「敵は火を吐き墜落しつつあり」
とラジオ勇ましく叫びてのちはたと切れ、東西南北まったく火の海と化す。シューッと虚空より降り来るぶきみなる音、ザーッと夕立のごとき焼夷弾の撒布さるる音、壁も窓も夕焼けのごとく染まる。黒煙天を覆いて、はじめ清澄、銀沙をちりばめいたる夜の蒼穹まったく雨雲のごときものにかくされ、コゲ臭き匂い、パーンパーンと何物なりや、燃えはぜる音す。(後にきけば祐天寺近くに毛利なる屋敷あり、その庭内の竹林の焼ける音なりしと)
往来へ走り出てみれば、荷物かつぎてはや避難する人あり、隣組いずれの家も、狂気のごとく防空壕に家財を運び入れ、上より土をかぶせるに大童なり。
余もまた手当り次第に壕中に入れ、戸板をかぶせ、さらに土をかく。やおら座敷にどっかと座し、お櫃《ひつ》かかえこんで飯をくらう。四辺火光いよいよ凄く、頭上にB29の爆音しきりなり。
縁側に蒲団を重ね、バケツ二個、盥《たらい》一つ、洗面器三つ、お釜二つ、皿小鉢に至るまで水をたたえて並べ、いざとなれば防空壕の上に蒲団をかぶせ、ありったけの水をかけて逃げんと用意して、また往来に出で見れば、黒い燃えかす、灰等、横なぐりの雨のごとく顔を吹く。
近隣の人々みな今日こそは駄目なりといえど、余は四方の火の手なお若干の距離あるを、夜目の錯覚より脱却して悟り、どうやら今夜は助かるごとしと思う。
一時近く、B29の襲来次第に衰う。ラジオ沈黙したままなればさっぱり形勢分らず。突如、ダアーンと大爆発の音聞え、つづいて、ザッザッザッザッと波のごとき異様の音ひびき来る。みな飛び出して、今の音は何なりやと顔見合わすも見当つかず。ガスタンクの爆発にしても少し妙なり、わやわやいうに、またダアーンと大爆発し、ザッザッザッという音つづきて胆を冷やす。
一時空襲警報解除。なお時限爆弾らしき炸裂音聞ゆ。
火の手なお烈しく、黒煙天空に雲をつくり、火はこれをつなぐ柱のごとく、否、真紅の瀑布、炎の垂幕のごとく、今夜もまた三月十日に劣らざる大火炎なり。
○夜明く。登校す。往来も屋根も、わが着せる制服も、燃えかすと灰に雪を浴びしがごとし。
入学式あれど新入生は四、五十人来れるのみ。大部の交通機関杜絶しおれば是非もなし。
昨夜は主として京浜西南部――品川より横浜にかけてやられ、この方面よりの電車まったく絶ゆ。祐天寺、目黒区役所附近、清水、鷹番町も焼失せりと。武蔵小山はほとんど全滅せりとのことなり。池上線、目蒲線、東横線等全線絶えたり。すぐそばの大鳥神社には高射砲の不発弾落ち、四、五人即死せる由。高田馬場、目白駅焼失。この附近及び池袋方面ほとんど全滅的廃墟と化せる由なり。山形県へ帰れる勇太郎君、その留守中にそのアパートを失いし虞大なり。
帰宅後、家じゅうの大掃除、防空壕中に投げ入れたる物品の泥落しに汗をかく。
○昨夜ききしがごとく、焼夷弾はさながら夕立のごとく降る。しかれども、人事をつくせば必ずしも防火不可能とも思われず。
しかるにみな、消えるものかと頭より絶望し、このごろはわれさきに焼夷弾の始末より家財の始末に狂奔す。されば或る一家消火に全力を傾倒すとも、四隣猛火に包まるれば、勿論如何ともなし難し。このゆえに一人残らず争いておのれが家の道具を運ぶに熱中す。
一家に落ちたる弾はその一家に於て必ず消火すべし。これを果たさざりし者は厳刑に処すとの命令下す要あり。これ無謀に似て無謀にあらず、今のありさまにては、敵数十機至ればいずこも同じ、ほとんど収拾しがたき大火災となるや必せり。
○ルナール『葡萄畑の葡萄作り』を読む。
十七日[#「十七日」はゴシック体](火) 晴
○午前八時敵少数機来。十一時にもそれぞれ一機ずつまた至る。
作業二十日まで延長さる。
○デュマ『鉄仮面』を読む。
十八日[#「十八日」はゴシック体](水) 晴
○疎開作業地、新宿武蔵野館近傍に移る。エビスビヤホール屋上に本拠をかまえ、その界隈を破壊す。
○昼、淀橋図書館傍で罹災者に酒をのませる由伝えし者あり。河越より罹災証明書を借りて走りてゆく。ナオシなり。コップ一杯一円。二杯のむ。
酔っぱらって路傍に座りクダをまき、なおのまんとする男を、人々、もうやめろ、やめろ、それじゃ働けやしねえ、もっと働いてもらわなきゃいけねえってんで飲ませるんだ、もうやめろと酒売る店の男達連れ去る。卓の傍に「元気出せ!」と大書せる貼紙あり。余二杯のむに、
「学生さん、あんまり飲んじゃいけねえぜ」
と笑いしが、
「まあいいや、お互いさまだ。学校焼かれたんだものな。特攻隊だ、がんばれえ!」
と論理不明なることを叫ぶ。ナオシなればやや酔う。
正午過ぎB29一機来。終日風強し。夜に入っていよいよ猛、今夜あたり空襲あらざらんことを祈る。
○沖縄周辺の敵艦隊の撃沈破三百九十三隻に達す。敵の沖縄作戦今や悲劇に終らんとす。
しかもなお強引に近海を去らず、攻撃をつづくる米艦隊。吾はもとより全機特攻。沖縄戦日米最後の決戦の相貌を呈し来り、凄惨激烈言語に絶す。
十九日[#「十九日」はゴシック体](木) 曇
○終日暗き風、悲しげなる音たてて吹く。午前十時より正午にかけB29数機とP51五十機来襲投弾、機銃掃射して去る。夕刻より雨、夜を通して雨|蕭々《しようしよう》。
○バルザック『絶対の探求』を読む。怖るべきかなオノレ・ド・バルザックの絶倫の精力、この作家の小説は、げに知力を以て読む以前にまず体力を以て読むを要す。
○いったい芸術にせよ科学にせよ、智能をしぼりつくして優れたものを生み出して、それが何になるんだろう?
それによって名声を得るよろこびよりも、この頭脳を酷使する苦しみの方がはるかに大きいのではないか。――それに、名声がどうしたというのだ。死んだら、すべては終りだ。
ナポレオンが部下にこうきいたことがある。「余が死んだら、人は何というかね」部下が辞に窮していると、彼はみずから答えた。「何ともいわないさ。ただふんというだけだよ」
ナポレオンにしてすらこうである。そして、これはかなしいかな、事実である。人は、口や筆でこそ死んでいった人をしのび、その徳をしゃべりたてるけれど、ほんとうは実に驚くほど他人には無関心なものである。いわんや、死人をや!
しかしまた考えてみると、ふんと鼻息一つもらすのと、世界中にひびくような大声をあげて泣きたてるのと、どれほどの違いがあろうか。これは人の罪ではなく、神の罪である。人間は孤独で死ぬのだ。
どんなに嘆いても、嘆く人は死ぬ人ではない。殉死したって心中したって、死は別々である。二つの死の間には全然関係がない。
従って、芸術科学上の苦しみが、永遠に自分に酬いられる望みを起すことはできない。生きている間は――それはつまり苦しみの一生である。何も考えないで、秋の空のような心で暮したいなあ、とは、かかる人々の胸中に必ず一度ならず浮かぶ気持に相違ない。それでは、他人のためか? ――他人は上述のごとく冷淡なものである。全然自分というものを離れても――人類は一つも昔から、美しくも幸福にも進歩していない。一を得れば一を失う。新しい美が生まれれば古い美が失われる。一つの幸福を得れば、もう一つの幸福が消える。美と幸福の相対量は、紀元前と同じである。
しかし、古来の大芸術家、大科学者のすべてが、必ずしもことごとく人類愛に燃えていたのではなかったろう。すなわち天才と人類の幸福とは全然関係がない。これは分り切ったことである。
彼らはやりたいことをやったに過ぎない。
女が一般に男より長命なのは、その頭脳を使う度合が少いからであろうとマルサスはいう。しかし長命なことが何だろう?
働いたって何になる? とは承知しつつも、無為に生きる八十年の生涯の空虚は、頭脳にはち切れるような思想のきしりよりも苦痛である。つまり天才の創造は、われわれに於ける煙草みたいなものなのであろう。喫煙することは身体に害があると知りつつも、喫煙せずにはいられない。創造せずにはいられないのであろう。
自分の脳髄でありながら、自分でどうすることもできない。何物かがこれにとり憑いていて、それがスリ切れて壊れてしまうまでいよいよ振子の運動を続けるのである。人間とは、妙なものだ!
二十日[#「二十日」はゴシック体](金) 曇時々雨
午前吉田君来。これまた新宿二幸裏の焼跡整理にいっている由。配給米倉庫焼け、三千俵あまり焼失、残りの米のうち二升もらって来たとて、袋に入れたのを見せる。嗅ぐにコゲ臭し。
午前零時半B29一機来。
○午前にて作業終る。エビスビヤホールにて一同帽子ふりふり校歌合唱。学校に帰り学校地下食堂にて丼一杯ずつのビール配給、乾杯す。ばかげている。
○ちょっと思いついたが、先日観たる「源平布引滝」の芝居に出てくる女の腕は、凡らく手塚太郎の手塚から発想したるものにあらずや。作者の空想には恐れ入るの外なし。江戸時代の小説脚本にはかくのごときたぐいのもの多し。
○トルストイ『結婚の幸福』を読む。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](土) 晴
○朝、高須さん勇太郎君鶴岡より帰る。
○塀こわしはじむ。炊事の薪を得んがため、また防火の目的を以てなり。
○モーパッサンの短編集を読む。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](日) 晴
○窓をひらいて、葉巻を手にしたまま、ぼんやりとソファに腰を沈めている。テーブルの上の紅茶からはしずかに湯気がたちのぼり、チエホフの小説は白いページをひらいたままになっている。雪のようなライラックの花の向うに、隣の家のお嬢さんは黙って編物の手を動かしながら、どこからともなく聞えてくる牧神の午後のレコードに身をひたしている。自分は満ち足りた倦怠に快く魂を沈めて、晩春の薄青い靄が、美しい町へ水のように降りてくるのをいつまでも眺めている。雲一つない空に、金色の円い月が一つ、しっとりと昇ってゆく。
頭に浮かぶ、小さな、平凡な、平和な空想――馬鹿な!
○午前八時半、十時半、それぞれB29一機ずつ至る。午後一時半、敵味方不明一機、駿河湾に近接せるも反転南方に去る。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](月) 薄曇暖
○授業再開。きょうは午前は法医学。午後は淀橋病院臨床講堂にて外科、内科、耳鼻咽喉科。今後午後は毎日病院の方で講義。
学校の授業、今後二ヵ月間に臨床医学をともかく一応修了すべしとのことなり。すなわちいかなる変事出来するとも、少くとも看護婦以上のことはなし得べく速成栽培し、もし二ヵ月後なお時勢に余裕あらば、改めて正規課程を踏みゆくこととなる由なり。そんなにうまくゆくものなりや。
○モーパッサンの短編には『月光』なる題名のもの二つあるもののごとし。(原題は知らず)アンリエット・ルトール夫人の話と司祭ラベ・マリニヤンの話なり。モーパッサンは必ず美しくかぐわしき月光の道を歩みつつ、これらの短編を発想せるに相違なし。
そして余は、両者、発表年代を詳しく得ざるを以て何とも確言はなし得ざるも、モーパッサンの歩みし月夜は、おそらく時を異にすべし。同一の夜にこの二編を着想せしことも考え得べけれど、もし然るならば、彼おそらくルトール夫人の話を捨てて、マリニヤン司祭の話を採りたるように余には思わる。
○正午B29一機来。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](火) 晴
○午前七時半警報発令。八時半ごろよりB29約百二十機来襲、帝都西北方――立川附近の工場、飛行場を爆撃す。その響、はるか目黒の大地まで震わし、家々をゆする。
ひる、日白く暑し。正午、B29また一機来。
○ひる休み第一教室にて新入生の校歌練習。新入生といっても大半はいまだ中学時代の工場動員を続けおり、その義務より脱する能わず、この七月に入学し来る予定なり。きょうより登校せるは浪人生三十人余りのみ。去年大いに活を入れられしがごとく、松葉、見塩、中谷、向山ら、大いに活を入る。
○午後病院臨床講堂にて産婦人科講義。教授、何思いしか産婦人科など放り出し、次のようなことを述べらる。曰く、
ドイツは今敗れんとすれど、ドイツ人は決して滅ぶ国民にあらず。その頭脳の優秀なる、生活力の旺盛なる、執拗にして根気強き、権謀術数に長けたる、実に恐るべくゆだんのできざる国民なり。ラテン、スラヴ、アングロサクソンすらも、このゲルマン民族に較ぶればいまだ恐るるに足らずといいて可なるほどなり。
しかれども諸君、友人としてドイツを買いかぶるはやめよ。われら医家はほとんどドイツ医学の流れをくむものなるがゆえに――余のごときも留学せるはドイツなりき――自然ドイツを讃美しがちになれども、日本にとっては決して一蓮託生すべき友邦にあらず。
日本人はおめでたき国民なるゆえ、日独同盟日独同盟とお祭り騒ぎせるが、ドイツは日本をおのれのための東洋の番犬か飼猿のごとく見あるのみ。もっとも今は彼らふるわざるゆえに、溺るる者は藁をもつかむ眼にて日本を見あるならんも、曾て数年前、ドイツがオランダを席巻せし当時、蘭印に眼を向けんとせし日本を、背後より綱を引きしめたるは誰ぞや。
而してドイツもまた日本を最もゆだんできざる国民となす。何となればその真似の迅速にして見事なる、彼らも呆るるほどの手腕なればなり。(教授苦笑い)例えば医学万面に於ても、かのサルヴァルサン、ズルフォンアミド剤、その他、ドイツはその製法を極力秘密とし、また三十余の特許を設けて、疎をも漏らさざる天網を張りめぐらしたるも、あれよあれよという間に、日本はさらに優秀なるサルヴァルサン、ズルフォンアミド剤を作りて彼を愕然たらしめき。
今やドイツ敗れんとす。されど一から十まで日本に悲観すべき事態なりと考うるなかれ。最も恐るべき敵の一人が亡ぶるなりと見ればよろしと。
二時間目、第二内科|岩男《いわお》教授。三十人ほどの一年生、七月の新入生来るまでさきに学ぶわけにゆかず、学校も処置に窮し、それまでわれら二年について歩くことになる。彼ら解剖も生理も知らず、ただ端然としてこれら産婦人科や内科の講義聞きおる顔可笑し。
○スタンダール『ヴァニナ・ヴァニニ』を読む。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](水) 晴
○きのう頗る暑かりしゆえに、きょう薄着してゆくに風寒くして、終日教室にて震う。
○サンフランシスコ会議ひらく、ソ連軍ベルリンに突入。ドイツ最後の幕下らんとす。実に感慨無量なり。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](木) 曇
○生暖かし。午前中の四方教授、家焼かれたりとて細菌学休講。
○寒さ長くつづきたるゆえ、街路樹の芽ぶき遅くして緑いまだ淡し。遠くより見れば、家々を背景に、霧吹きにて緑吹きかけたるがごとく、ぼっとぼけて霞めり。淀橋病院にゆく途中、背後に若き二人の女の話す声をきく。
「あたしはね、やっぱり紅葉より緑の方が好きよ。だって、紅葉は何となく人生の終りって感じがするでしょう?」
かかる文句、幾億の過去の人ことごとくつぶやけるに相違なし。余は背後をふりかえってその女の顔見る元気なかりき。
オートジャイロ低く飛ぶ。十にもみたざる男の子ら、「あれあれ、オートジャイロが飛んでら!」と町を走ってゆく。労働者もぼんやりと手を休めて「あんなものがまだ役にたつのかなあ?」とつぶやいている。余はあのプロペラに遠心沈澱器をとりつけたくなる。
○ヴィリエ・ド・リラダンの短編を読む。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](金) 曇夜雨
○白き雲ドンヨリと垂れ、全身快き蒸気に肌なぶらるるごとく、頗るものうく、頗る眠し。
正午、一年に校歌を練習せしむ。二十回くらい歌わすに、声涸れ、帽子ふる手も萎ゆ。甚だしき者を前に出して殴る。津端、岩男教授の子の横っ面をひっぱたくに、打たれたる頬いちど赤らみてさっと蒼くなる。津端のごとき喧嘩馴れたる男も、顔面異様にひきつる。
殴る、殴られる、この景、中学時代より幾たび見しことぞ。それどころか、中学時代余も大いに殴りかつ殴られき。この学校に入ってからですら去年殴られき。今はただ座して頬杖ついて見あるのみ。殴る上級生、殴らるる下級生にして、いまだ双方さすがに悠然たる者あるを見ず。殴らるる方いかに気弱き子も眼ひかり、殴る方いかな暴れ者も顔色変る。かくて醸し出さるる一種異様の凄壮感、若者同士の「教育」は、忘れがたき人生の一景なり。
○教練山辺大佐(今度昇級せるなり)の戦術変遷論
曾て築城要塞にして、科学の粋をつくしたるものは、必ず敵攻撃軍を阻止するを得と考えられき。少くとも前大戦までは然り、かのペタン守るヴェルダンを抜く能わざりし独軍はついに敗北の徴を招きしなり。
而していかなる要塞といえども決して難攻不落のものにあらざること立証せられたるは今次大戦なり。独軍はみごとにマジノ線を突破せり。米軍は易々としてジーグフリード線を蹂躙《じゆうりん》せり。日本もまた、アッツ、マキン、タラワ、クェゼリン、ルオット、サイパン、テニヤン、大宮島を無念にも失いぬ。
「水際撃滅」なる兵法は、曾て海上の敵船を撃沈せば、兵もまた沈むゆえにむしろ容易なる作戦と考えられたれど、米艦隊はこの常識を破りき。すなわちかの激烈なる艦砲射撃は――戦艦一隻の砲撃は実に数千機の爆撃に匹敵すといわる――海岸の守備隊を徹底的に沈黙せしむ。この戦法によりて、右の各島は上陸の敵軍を屠《ほふ》るよりはるかに多くの皇軍を失いたり。
これを防ぐには如何にすべき。かのペリリュー、アンガウル、ルソン、硫黄島の戦いはこれを示唆する好戦例にして、すなわち皇軍のとれる斬込戦術は、わが死傷に数倍する出血を敵に与えたり。上陸地点に於てはあえて抗せず、揚げるだけ揚げさせて、しかるのち島の内部に於て、夜半魔のごとく出没して敵に斬り込む。斬り込むといっても、もちろん近藤勇のごとく勇壮に斬りまくるわけにあらず。十日分の食糧に短剣、ピストル、銃剣、日本刀、また爆雷等およそ十貫目内外のものを持ちて、夜間百メートルの距離をも数時間かかりて這い寄り、一挙に敵陣に殺到、闇夜の中にこれを殺害して風のごとく去る。
もはや、突撃に――前へっ、など悠長なる戦法にては全滅のほかなきなり。銃を撃つは、三百以下、百、五十などの至近距離にして、たいていは銃剣を以て敵を刺すと同時に弾丸をも発射す。このゆえに今の兵の銃は照尺もなければ索条もなし、諸君の持てる三八銃の方がはるかに銃らしき銃なり。すなわち斬込隊とは、よくいえば大規模の斥候、悪くいえば群盗のごとし。
敵米国は、ヨーロッパ戦線に於てはその機動力を極度に発揮し、大戦車群を以て疾撃力走すれども、日本兵相手に於ては、一寸刻みのひた押し戦法をとる。すなわち戦車一台を五十人の歩兵とりまき、上空に一機の飛行機を配し、一歩一歩、警戒しつつ前進し来る。
これに対してわが兵は、モグラのごとく穴を掘り、草をかぶり、ヒソと声なくこれを待ち、敵戦車の手をのばせばとどかんとする距離に於て、はじめて俄然として躍り出で、その軌道内に三式爆雷を投げ込むなり。
敵戦車は甚だしきは数十センチの厚き装甲をめぐらしおれば、もはや手榴弾ごときはハネ返るのみ。三式爆雷とは石油罐大にして、沢庵石くらいの重量なり。これを軌道内に投げ込むには、やはり或る程度の訓練を要す。
諸君は近く斬込隊の親玉たるべき人々なり。従って自らもまたこの技術に長ずるを要す。よって以後の教練はこの練習を主としてなすべし云々。
○夕刻より雨となる。闇に閃々と稲妻キラめき春雷聞ゆ。爆弾の音を遠雷のごとしと形容すべき時代は過ぎたり。今は爆弾のごとき遠雷と形容せざるべからず。
○アンドレ・ジイド『狭き門』読了。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](土) 晴
○午前休講。校庭の防空壕の上に寝そべって、友人たちと笑いと駄ジャレの交換。青い空に白雲動く。理屈ぬきの溢れるような明るい悦び。
正午B29相ついで、二機至る。頭上を白き雲ひきて通りすぎてゆく敵機を仰むけになったまま眺めて、みな笑っている。
○キップリング『ジャングル・ジム』を読む。『リッキ・テイツキ・ターヴィ』一番快き作品に感ぜらる。
象トゥーマイの歌を、象インドの歌に直せば左のごとし。
「昔の我を我は思い出さん。我は綱と鎖に飽き果てたり。
我は我が昔の力とすべての我が林の出来事を思い出さん。
我は砂糖黍の束のため、我が背を英国《ヽヽ》に売らず。
我は我が同胞に帰りゆかん、臥床に息《いこ》う亜細亜《ヽヽヽ》の族《やから》に。
我は昼となるまで出でゆかん、夜の明くるまで出でゆかん。
ゆきて汚れなき風の接吻、清き河水の愛撫を受けん。
我は足輪を忘れ去り、柵の杭《くい》をばへし折らん。
我は亜細亜《ヽヽヽ》の愛《いと》しき友、また盟主《ヽヽ》たる日本《ヽヽ》を訪れん!」
――キップリング如何となす?
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](日) 晴
○午前九時半より午後一時にかけてB29四機至る。
○午後一時より新橋演舞場に菊五郎見にゆく。広谷が切符買いて恵みくれたるものなり。
新橋駅附近。疎開除去の建物すでに崩れて荒涼。銀座通りは柳青あおとけぶり、初夏の日夢のごとく深く静かに路上に照れど、両側の美しき店々※[#「○に疎」]の印打たれ、住む人なく――死の町といわんにはいまだ余りにも麗わし。ひっそりとして、柳の下の白き舗道には草が生えて――白き夏雲、かなたの時計塔をしずかに翳らす――憂鬱なる谷間、幻の町のごとく、余はしばし佇みて深き息せり。
演舞場にては、すでに「義経千本桜」の幕上りありき。一等席なり。十三円五十銭なり。貧乏なる余はいまだ一等席を買いて歌舞伎見たることなし。
「棒しばり」面白し。幕間《まくあい》に菊五郎、次郎冠者の扮装のまま挨拶す。
殺気だてる人心を柔らげるは芸術にしかざること。吾は芸術より知らざるゆえ、疎開してもお国への御奉公とはならず、よって劇場焼けなば青空の下でやらん、死すとも東京の舞台にて死なんと思う。一座焼け出され、負傷者はおろか、爆死者焼死者も多く、大道具小道具衣裳おびただしく焼失し、本日のこの衣裳のごときもすべて借着なり、背景の紅白だんだらのごときも御覧のごとく幕にて御免こうむる。訥子、男女蔵のごとき、家失いても、やらしてくれとわがもとに来る。褒めたまうべし等演説して、終りに菊音頭にて天皇陛下万歳を唱す。
最後は「弥次喜多道中」、これは下らなし。
日比谷に出て、都電にて新宿へ帰る。四谷の廃墟――美しき初夏の日の下に、海のごとく広がる赤き瓦、土、トタン――空しき白日、風に哀愁と鬼気を含めり。
三十日[#「三十日」はゴシック体](月) 晴
○八時警報発令。十一時半ごろまでにB29百機、P51百機、計二百機、主として立川方面に襲来す。浅田博士の法医学、半ばききては校庭に走り出で、教室に入りて、また半ばきいては躍り出《い》ず。
夜十時敵らしきもの一機房総方面に近接中との警報出でたれど、味方機なること判明、ただちに解除せらる。
○独、ついに米英軍に無条件降服申し出でたりとの報道あり。されど米英、ソ連にもまた同様に降服せよと拒絶したりと。
ソのモロトフ、サンフランシスコに於て横ぐるまを押しまくる。勝者と敗者の運命の光と惨めさ。ヒトラー総統の心中実に一大地獄たらん。
○わが特攻隊、沖縄の天候回復後三度猛然出撃開始、米艦撃沈破八十隻になんなんとす。沖縄戦開始以来、五百隻に迫る。しかも真に真なる国難ついに至る。
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[#小見出し]  五 月
一日[#「一日」はゴシック体](火) 曇
○新宿駅前廃墟の中の大立札に墨痕淋漓《ぼつこんりんり》、
「家は焼けても
心は焼けぬ
糞! 鬼畜ルメーに負けてなるか
起《た》て! 日本人!」
○終日曇天、烈風砂をまいて猛る。正午よりB29二機来る。
午後岩男教授の内科に「ヒポクラテス顔貌」なる語出で来り、みなどっと爆笑す。このところ連日新入生に鉄拳を以て教えつつある校歌の第一句が「ヒポクラテスの名によれる……」なればなり。岩男教授、情けなげなる顔してちょっと皮肉をいう。教授の子息、新入生中にあり、それが殴られたるが四、五日前のことなり。みな苦笑いす。
○ムッソリーニ、ミラノの叛乱軍のため殺害せられたりと。何たる惨澹たる最期ぞや。巨眼世界を睥睨《へいげい》し、全イタリー民衆より神のごとく崇められたる英雄伝中の典型児、いま同じイタリー人のために犬のごとく殺害せらる。かかることになるならば、ローマ陥落後いちど米英軍のために捕えられ、ヒトラー中世の伝奇小説のごとき冒険を敢てしてこれを救出したる追憶がむしろ悲惨なり。
ペタン、またフランス新政府に捕縛せらる。この老将軍のさし出せる手を、捕縛隊長冷然としてとらざりきと。ペタンはフランスに於ける東郷元帥的存在にはあらざりしか。秋風星落の人の運命哀れむべきかな。
本夕、「四年目の神機」なる題にて放送あり。この中に「明治大正昭和に於て日本を指導せる老政治家」なる名に於て、徹底的に痛撃せられたるもの、おそらく尾崎愕堂なるべし。日本の放送局は国営にひとし。国家よりかく弾劾を受くる愕堂、いまいずこにありや。その生死すら余は知らず。
ああ、ムッソリーニを殺害せしイタリー人、ペタンの手をしりぞけしフランス人、愕堂を泥地にまみれしめたる「四年目の神機」の放送者。これら個人としてはおそらくムッソリーニ、ペタン、愕堂に及ばざることけだし万里、しかもこれら小群像はこれ「運命」の象徴なり。これに抗し得るものまた世にあらず。人間世界の実に恐るべきかな。
二日[#「二日」はゴシック体](水) 雨
○風強く終日雨大いに降る。夕止む。このごろ連日眠く、今日は休みてぐっすり眠る。
○ヒトラー総統ついに死せりとのニュース放送されたり。
自殺か、戦死か、横死かいまだ判明せず。この大戦終焉ちかき号砲なるか。
近来巨星しきりに堕つ。ヒトラーの死は予期の外にあらずといえども、吾らの心胸に実にいう能わざる感慨を起さずんばやまず、彼や実に英雄なりき!
当分の歴史が何と断ずるにせよ、彼はまさしく、シーザー、チャールス十二世、ナポレオン、アレキサンダー、ピーター大帝らに匹敵する人類史上の超人なりき。吾らは彼を思うとき、彼と同じ空の下に生くるを想うとき、今が悠遠の世界史上、特記さるべき英雄時代、暴風時代、恐怖時代、栄光時代――いわゆる歴史的時代なることに想到せずんばやまず、一種異様の昂奮を覚えざるを得ざりき。
ヒトラーの歴史的意義、人物評価は百年の後に知らるべし。而して、メレジコフスキーの『神々の死』に於けるジュリアン皇帝、ヴォルテールの『チャールス十二世』、ユーゴーのナポレオン等と相並ぶ、悲壮の光芒人類の眼を射る英雄伝必ずや何びとかこれを描かん。
ムッソリーニ、ヒトラーの死を見つつ、敵陣営の統率者、なかんずくスターリンは如何なる感慨あらん。
曾てこれらの支配者を讃仰至らざるなかりしイタリー、ドイツの民衆、今やこれを憎悪、怨恨し、鉾をさかしまにふるう修羅の景を見――この愚劣にして頼るべからざる民衆、しかもそれをつらぬく歴史的実相はいずれの国民にも――ロシア国民をも含めて――適用し得るものなることを、スターリン知るや知らずや。
これを知りて無常の観に寂光を見るはこれ東洋の英雄、スターリンはこれを知らば、いよいよ全智全能をふりしぼりて独裁の権をふるうべし。
○芸術は真を目的としない。美を目的とする。真が描かれるのは、それが美と一致する場合のみである。(背徳も汚物も醜もまた美の一形式たり得る)――幾何学は決して芸術とはなり得ない。
美は情感の産物である。情感は他との対照によって起る。満目花ばかりであったら、人間は「花のごとく美しい」と形容される情感を持たないであろう。従って芸術は、「譬喩」を許される。のみならず文学のごときは、「譬喩」こそその生命であるといっていいくらいである。
しかし論説は情感を斥けなければならない。その目的は真でなければならない。もし言わんとする目的が5という数であったら、それは赤という色彩や或る階調の音で表現すべからざるはもちろん、10でも6でもない、絶対的の5でなければならない。
このゆえに余は論説に於けるあらゆる譬喩をきらう。譬喩は数字を色彩や音響や、或いは他の数字を以て表現するものだからである。5は全世界で一つしかない唯一の真であるからである。
三日[#「三日」はゴシック体](木) 曇
○午後三時B29一機来。
○四方教授、細菌学の時間 Gonokokken(淋菌)についてみなを大いに笑わしむ。曰く。
「本菌は培養すこぶる困難なるにかかわらず、人間に対しては百発百中、保菌者と kontakt(交接)して感染せざるは Eisen penis(鉄茎)ともいうべきものにして、しかも免疫療法なく、かつ Nat殲lich erworbene Imm殤itatも成立せず、何度でもかかる。而して本菌の猛威をふるうはもっばら人間のみに限りて、他の動物にはこのことなきがごとし。実に人間みずから開拓せる天罰の標本にして、諸君青年の大いに心すべきところなり」
冷然としていい、ニコリともせず、みな抱腹絶倒す。余思えらく天虫とは凡らく本菌のことをいうなるべしと。
○午後皮膚科授業中、蝋製の各皮膚疾患の模型を見る。
或いは腹部の皮斑、乳房の丘疹、頭部の結節、肩部の瘤腫《りゆうしゆ》、胸部の膿疱《のうほう》、顔面の水疱等、患部はもちろん、その肉体の色、ふくらみ、小皺、毛穴、毛髪等あたかも生けるがごとく、実にぶきみなるほどみごとなる蝋人形なり。
余ははじめほんものなるかと思い、触るるに固く、いかにしてかくまで見事に腐敗を防ぎしならんとふしぎにたえざるほどなりき。
三分、五分熟視するに、この蝋人形実物の人間以上に妖しき美、肉感を以て余の情感を襲わんとす。ああ、この手腕を以て天下の美女を製作せば如何。往来三町に見る百人の凡女凡婦の生けるより優れることいくばくぞ。この病的陶酔、この不可思議なる恍惚、余ははじめてポーやボードレールの感興を悟り得き。
○独の降伏説は、ベルリン防衛総司令官ヒムラーより出でし模様。新総統デーニッツ、ヒムラーの家族を捕縛す。実に血を血で洗う敗戦の相なり。
ヒムラー何者ぞ、彼はわずか一週前に「祖国を裏切り敵に屈服する卑怯者は断乎銃殺せらるべし」と全ドイツ民衆に布告したる人間にあらずや。何が何だかさっぱりわからず。
オランダの独軍、米英軍に屈し、イタリー戦線のドイツ全将兵もまた無条件降伏す。ベルリンはついに抵抗を中止し、ゲッベルスは自殺せりと。ああドイツ、何たる恐ろしき最期ぞや。
○夕、鈴木首相より、日本はなお戦いぬかんとの放送あり。勿論なり。
しかれども風呂屋にゆけば民衆の顔みな憂う。いくら憂いても憂い足らざる顔なり。
サイパン落ちてみな悲しみき。しかもその結果の恐るべき、なお当時の悲しみに千倍するものなりき。ドイツ降伏の結果、おそらく今の憂いに万倍する苛烈さを以て、日本に雪崩れかからん。人これに対していくばくの覚悟ありや。――米英軍は、全世界の艦船兵力をあげて大挙日本の攻撃を開始せん。ソ連、また北方より襲い来たる公算、十中八九。
しかも吾らは戦わん!
戦いて国を滅ぼすか、屈して永遠の汚辱にまみえるか。実に恐るべき関頭なり。決して小説中に於けるがごとき簡単なる命題にあらず。これ生きんとする本能と、光栄をつらぬかんとする理智との闘いなり。人間内部に於ける動物と神との格闘なり。日本人はいずれをえらぶか。断じて屈するなかれ。恥を知り死を恐れざる民族たれ!
四日[#「四日」はゴシック体](金) 曇ときどき日さす
○午前九時半、正午それぞれB29一機ずつ来る。
午前の教練は新式散開訓練。
○ピエル・ロテイの短編を読む。
五日[#「五日」はゴシック体](土) 曇
○ルントシュテット元帥もクライスト元帥も、独軍首脳相ついで捕虜となる。百万、五十万、各地の独軍続々と無条件降伏。
天地|晦冥《かいめい》の轟音一過して、一夜に首都と総統を失いたるベルリン市民、壕より這い出で、茫然、虚脱せる微笑浮かべつつ、食物を求めて市中を彷徨しあり。一方モスクワにては、全市民街頭に躍り出で、相擁し、接吻し、狂喜乱舞をつづけつつありと。ああ何たる胸えぐる対照ぞや。
ドイツは実に徹底的、これ以上申し分なきほど無惨なる潰滅をとげぬ。日高駐伊大使、イタリー遊撃隊に捕えられたりとの報道あり。大島駐独大使はいかになりしにや。願うらくヨーロッパ各地の日本人、米英の手にとらえらるるよりも、いさぎよくみずから処して、断じて祖国の患いをなすなかれ。
正午、B29一機来。
B29五十機、百機、最近連日本土西半を襲う。機雷等を近海各海峡等に投下するがごとし。本土制空権完全に敵手に移りつつあり。――日本の相貌実に昏《くら》し。
○ノルウェーの独軍もまた降伏を申し出でたりと。
本国敗れて遠征軍おのずから潰ゆ。
敵アメリカ、日本本土直接攻撃の犠牲甚大なるを危惧し、支那大陸に上りて日本を孤立せしめ自滅せしむる作戦。また一挙に日本本土を攻撃して、中枢を消滅せしめ末梢おのずから滅ぼす作戦。この二法いずれをえらぶかは種々論議されたれど、このドイツの戦例によりて、日本本土直接攻撃を採る算大なり。いずれにしても、日本は不撓不屈、ドイツとは違うなり。ドイツの戦例を以て日本に適用せんとする敵の錯覚誤解をその致命傷たらしめよ。
○バルザック『田舎の医者』を読む。この主人公ブナシスといい、ツルゲーネフの『父と子』に於けるバザロフといい、田舎医者をかくのごとく偉大にかくのごとく凄味あらしめたるものいまだ日本の小説に見ず。日本の小説に現わるる医者は、たいてい冷淡で好色で欲深なるは可笑しけれど、また考うべき問題なり。
六日[#「六日」はゴシック体](日) 晴曇はげし
○昨夜十二時近く警報発令。敵大編隊北上中なりと。まもなく空襲警報発せらる。B29三機、房総と相模湾より相ついで進入せるも後続の主力は西進し、本日午前一時解除せらる。雲低くして、ときどき稲妻に似たる青白き閃光きらめく。
朝晴る。午前九時半敵一機至る。雲出で、曇る。十一時また一機。雨となる。雨をついてまた一機、鹿島灘方面に来る。B29なりしがごとし。
午後次第に晴れ、夕は美しき快晴となれり。高須さんが会社の無電機に入りたる情報を告ぐ。B29二百機、午後五時マリアナを発進せりと。然るならば到着は今夜十一時――十二時の間。
ルメー、爾後連日日本本土を大空襲せんとほざきたるが、言ようやく事実化せんとす。
○独、米英には全面的無条件降伏せるも、ソ連にはなお抵抗せんと欲するがごとし。
もし然るならば、米英と交戦しソ連とは中立状態にある帝国とは戦争目的を異にし、かつ日独伊三国同盟に背馳せるものなれば、帝国は本条約に責任を有せず。爾後自由なる政策をとらんとの外相の声明あり。
外交の駈引、実に虚々実々、同盟や条約や、現実の前にはうたかたのごときものなるかな。
ドイツの米英に屈したるは、実に刀折れ矢尽きたるものにして、これもたんに単独不講和にそむくという一条を以て責むるは情として耐えざるものあり。またドイツがなお「ボルシェビキに抗する」は、ソ連と中立状態にある帝国の立場と相違すとの外相の言は、理はすなわち理なれども、防共という根本的国是を定めたるはずの日本の言い分としては少し妙ちきりんなり。
されど、日本興亡の決戦は眼前にあり。いま日本はソ連を敵の一に加うるは重大以上の負担なり。しかしてドイツの米英に屈せるは、たとえ満身創痍のやむを得ざるによるとはいえ、同盟に背けるの事実や明らけし。外相、ソ連に秋波を送るの第一声を発す、など日本人としては冷淡に評しがたし。
しかれども、そもそもソ連がかかる秋波に乗るものなりや?
外相の心理を推するに左のごとし。
ソ連が究極に於て日本と一戦せざるべからざるはこれ宿命の未来なり。今や太平洋に苦戦する日本の背後より満州に出ずるにしかず、ソ連がかく考うるもまた尤も千万なり。今やソ連の手は空《あ》けり。アメリカはなお日本と戦う。その日本はいまだ降服の兵一人も出だしたることなく、一島攻むれば守備隊全軍玉砕するまで死戦敢闘す。この厄介なる敵を相手にしている間に、ソ連に欧州を――せっかくあれほど甚だしき犠牲を払いたる欧州の天地を、自由なるソ連に料理せらるるは米としては耐えがたきところならん。日本のみならずアメリカのこの焦慮を、恐るべき現実主義者たるスターリンがこれを極度に利用せんとするは容易に予想せらるるところなり。
すでにモロトフはサンフランシスコに於て米英にいやがらせを逞ましうす。いかにもソ連にとりて日本は敵なりといえども、またアメリカが一手に世界を征するも彼のよろこばざるところならん。このゆえにソ連の欲するは、日米両国がなお交戦死闘を継続し、疲労困憊する事態ならん。このゆえに日本危しと見れば、むしろ日本に活を入れてなおアメリカと戦わしむるの望みを出だすや、なしとはいまだ断ずべからず。然るときは、日ソ結び、米英独を敵に回すという奇妙キテレツの事態出現せずとはいまだ計るべからず。――
外相は右のごとく考えたるにあらざるか。――されど、くりかえし言う。ソ連はかかる手に乗るものなりや?
溺るる者は藁をもつかむ。――さらに巌をもつかむ日まで、この藁を極度に利用すべく、妖剣村正をふるいて敵を倒し自ら傷つくことなきは、これ外交の本領なり。外相の手腕に期待すといえども、また待つあるを恃むことを忘るべからず。あまりに虫よきことを考え、軽々しく秋波を送りてかえって敵に内兜を見すかされ、米ソ両国に嘲笑さるるの醜態を招くべからず。
シュニッツレル『盲目のジェロニモとその兄』を読む。
七日[#「七日」はゴシック体](月) 晴
○午前九時半、十一時、正午の三回にわたり、それぞれB29一機ずつ来る。
日ようやく白く、緑萌ゆ。――ただし、見わたすかぎり、樹々のなかばは骸骨のごとく黒く焼けて立つ。東京の樹の半ばはこの災いを受けたるにあらざるか。風いまだ寒し。
○デュマ・フイスの『椿姫』を読む。この書いままで幾度か読みたり。いままた読むも名作なり。思想円熟せる老人の作のみが唯一の傑作にあらざるなり。二十四歳の小デュマの二十四歳たるゆえんは、老人のなす能わざる夢と美と哀感と熱情に現わる。その優しさと、愛と、喋々喃々《ちようちようなんなん》尽くるなきアルマンとマルグリットの語々に現わる。この一編、考えようによりては、彼が曾て糟粕を嘗むるを辞せざりし父大デュマ百巻の伝奇小説にまさるというも過言にあらざるなり。
ただしアルマンが、マルグリットの死をみずからたしかめんがために、モンマルトルの墓地を掘り返すがごときは、日本のアルマンのなし得ざるところなるべし。
○羽左衛門死す。余は菊よりもこの人好きなりき。
八日[#「八日」はゴシック体](火) 曇ときどき雨
○朝登校途上なりき。新宿駅前でいっしょになりし友三人とつれだちて急ぐ途中、「ヨー、学生さん」という男のごとき声をきく。
ふりかえれば、路傍の防空壕の上に、四十がらみの女一人腰打ちかけて新聞を読みあり。
「?」
と、顔を見ていると、突然、
「きょうは大詔奉戴日である!」
と、叫ぶ。
四人驚いて、眼をぱちくり。女はモンペ姿、頬赤く元気そうな長屋風のおかみさんなり。西郷さんのごとき眼をぎろりとむいて、
「学徒がんばれ、学徒がんばれ。――今日は人の身、明日はわが身。――空襲警報! 空襲警報! 火だあ。火だあー」
と、けたたましく叫び出す。一同おったまげて周囲見回すに、そこらの軒下に女子供十人ほど並びいて、好奇と笑いに眼をかがやかして見物しあるが見ゆ。狂人、とはじめて気づき、逃げ出しながら、一人「チキショー、朝っぱらから活を入れやがる」とこぼすに、うしろより、
「学徒がんばれ! 学徒がんばれ!」
云々とかん高く吼ゆる声追い来る。あとは凄い歌声にして、ふり返れば、手ふり足ふり路上に踊り狂う姿見えたり。
頻々たる空襲――或は先の大爆撃大火災の中に発狂せる人々の一人なるべし。
○十一時半より第一講堂にて大詔奉戴式あり。佐々教授詔書奉読中、空襲警報のぶきみなるサイレンの音断続して聞え来る。
式後屋上にかけ上るに、雲低く暗澹として風うなり飛ぶ。雨ぽつぽつと頬にあたる。敵小型機数十機襲来せるとなり。雲の下を十機あまり乱舞するが見ゆ。高射砲の音も聞ゆ。代々木の森の上を、一機すこぶる超低空にてしきりにめぐる姿も見ゆるも、敵味方判別できず。間もなく空襲警報解除となる。B29数機、P51百機来れるとなり。
病院へゆく途中、背後より突如嵐のごとき爆音聞ゆ。愕然としてふり仰げば、鼠色の機体に真紅の日の丸染めたる凄美の戦闘機十機あまり、疾風《はやて》のごとく超低空にて東へ翔けゆきたり。
○イワノフ『餓鬼』を読む。
イルトゥイシュ沿岸のロシア人ら、一人の赤ん坊の乳を求めんがためキルギーズ女を奪い来り、その乳をロシア人の赤ん坊に独占せしめんがために女の赤ん坊を殺す。
アファナーシイ・ペトローヴィッチが、キルギーズの赤ん坊を罵る言葉。
「ちょっ、黄っ面の畜生め、しこたまくらいやがって」
またその母親を罵る言葉。
「いってえお前は――どこの馬の骨とも知れねえキルギーズのために、ロシア人が一人死んでもいいっていうのかい?」
これら作者イワノフは、もとよりその残忍性を主題としてこの作をなす。従って一面他の無意識白人よりはタチよろしき方ならん。しかしまた一面、それゆえにこは恐るべき憎むべき残虐なり。
日本のこの戦争は、意識的無意識的に、かかる白人に対する黄色人種の復讐にはあらざるか。
戦いの結果、彼らの「黄っ面の畜生」に対する憎悪はいよいよ深くなりまさらん。それにてよし、この戦争は彼らに対する訴えにあらず、復讐にしてその半ばはすでに成ればなり。
○独軍全面的無条件降伏にあたり、米総司令官アイゼンハウアー「降伏条件いかに苛酷なるも承知なりや」とダメを押す。独答えて曰く「承知なり」と。ここまで敗ければ文句なし。
九日[#「九日」はゴシック体](水) 降りみ晴れみ
○朝曇。レインコート着てゆくに、空濡るるがごとき青空となる。ひる曇り、風寒し。雨ふりはじめ、遠雷の音聞ゆ。午後また美くしく晴れ、臨床講堂の窓に芭蕉の影ゆれて、雨の露涼しげに光る見ゆ。田林教授の泌尿器科講義中、また雨沛然、雷鳴はためく。帰途曇り、夕刻降りては晴れ、晴れては曇る。天ふざけ放題にふざけちらして、ついに雨ふりつつ日光まぶしき奇現象を呈す。
○バルザック『追放者』を読む。
何者とも知れざる神秘奇怪の一老人を描き来りて、結末に至るや、鉄騎鞭をあげて馳せ来り、この老人に呼びかくる一語、「親愛なるダンテよ」蒼穹に鉄箭、鏘然《しようぜん》として突っ立つごとき一句なり。
十日[#「十日」はゴシック体](木) 快晴
○正午B29二機来。新宿上空、高い五月のコバルトを白き尾ひき、人魂のごとく東へ飛ぶ。二十世紀の幽霊
○ソオヴァジュ君は、肩をぴくんとさせ――「また始めやがった」
モリソオ君は浮子《うき》の羽根がぴくぴくとしきりに沈むのを気がかりそうに眺めていたが、いきなり怒り出した。それは、こうして死物狂いで戦争をしている連中に対する、平和な人間の憤りだった。彼は呟いた。――「こんな風に殺し合いをするなんて、まるで正気の沙汰じゃねえ」
ソオヴァジュ君がそれを引きとって――「畜生にも劣る奴らだ」
(モーパッサン『二人の友』)
十一日[#「十一日」はゴシック体](金) 曇
○午前八時半B29一機来、十時半二機来。
冷たき曇天。冬支度したきほど寒し。学校周辺荒涼たる灰燼の景、樹々火に枯れて暗き雲の下に黒々と立ち、異様な寒気とともにあたかも初冬のごとき感を抱かしむ。
午前分隊戦闘教練。斬込隊訓練。ひる伊勢丹四階にて散髪す。二円なり。床屋で強制的に五十銭の貯蓄券を買わさる。
夜、高須さん勇太郎さんと焼酎を一升飲む。
○ドイツベルリン、飢えて惨たる廃墟、赤軍司令官の前にならびて、「これからは貴方がたの部下だ」などいうドイツ人――実に愍然の極みなり。
狂喜乱舞するモスクワ。「済みました。神様、とうとう、やっと済みました」と慟哭するロシア人たち。――さだめて嬉しからん。その心察するに足る。
――されど、日本人は!
万が一敗るるも、これからは貴方がたの部下だ、などいう馬鹿は一人もあらざるべし。闇黒の平和より、赫灼の戦い!
十二日[#「十二日」はゴシック体](土) 雨夕晴
○朝より雨ざんざと降る。正午B29一機来。
○松柳、教室にて余に「君ほど幸福なる者、この学校にあらず」という。
「?」
と、顔を見るに、「君ほど本をよく読んでいる人間はこの学校中になし。人間は精神的苦労をせねば立派なる人間になれず」という。
余は真に苦笑せり。背に粟の生ずるを覚えたり。
松柳なる人間は、頭脳もとより鋭敏という能わず。しかれども純真朴訥、嬰児の清らかさと西郷的なるまどかさと明朗暢気を有す。余のごとき男より、はるかに立派なる人間なり。余がこれに対するにいささかからかい気味あるは、たんに彼が年下であるという浅薄なる理由にもとづくのみ。年上ならばおそらく尊敬せし人間ならん、而して松柳のよきところはたんなる読書家たんなる秀才にあらざる点にあるがゆえに、余は松柳の前に余が小なる読書力をひけらかしたること曾てなし。
彼はおそらく余と他友との短き問答を傍よりききて、バルザックのドストエフスキーのという彼にあまりなじみなき名の出で来るにおびえ、未知のものに対する人間必然の尊敬が余にむけられたるに相違なきのみ。
余答えて曰く「君の言葉によれば、本を読むことと精神的苦労とは同一のごとく感ず。然るや?」
松柳曰く「然り」而してふしぎそうな顔なり。余は微笑を禁ずるを得ざりき。
「然り。然るが本当なり、まじめなる人々にとりては。――されど、世に、真にまじめなる人間は稀有なり。余のごとき、最もふまじめなる人間なり。これ決して謙遜にあらず」
余はかくいいて、余が平生の態度――冷笑家、皮肉家、駄ジャレばかりいいてまじめに人にとり合わざる態度を想起す。松柳はこの浅薄なる余の背後に、まじめなる余の幻を空想す。――否! 余は、人にかく思わせるよう、最も巧妙なる芝居、嗤うべき芝居をみずから演出しいたり!
余はいう。
「人間は自分以外のことには、おおむね無関心のものなり。いわんや、書物をや。書中の思想がいかに深刻ならんも、小説中の主人公がいかに惨澹たる運命をたどるもそれは読む方の知りたることにあらず。それと同一体化するほど余は無邪気ならず、まじめならず。――特に小説の場合、作者と読者の間にはすでに作品介在し、この作者なるものが曲者にて――そは人間一般のことなれど――煙草を吹かしつつ悲劇を書き、歯痛に悩みつつ喜劇を書く、書き得るという不思議なる技倆を有す。一つ一つの小説に感動感激し、熱涙を禁じ得ざるほど敏感の心を有せば、何とて君のいわゆる校内随一の読書家たるに耐え得んや。――要するに、読書と精神的苦労なるものとは一致せず。少くとも余に於ては然り。君を笑うにあらず、責むるにあらず、ただ願うらくは、書物ないし余に対し無稽の幻を抱くなかれ」
而して余心中に思えらく、松柳若し余の、口から出まかせの諧謔と、刺すがごとき皮肉と、冷たさと虚無と憂鬱と投げやりの外観に魅せられたるならば、その光栄は書にあらずして、余の過去の担うところなり。
精神的苦労≠ヘ、人間と人間とのきしりより生まる。おのれと、それにひとしく卑小なる周囲との、おそらく愚劣極まる小事をめぐる魂のたたかいより生ず。而して夢それを羨むことなかれ!
松柳、愛にみてる父母と優しき妹を有し、靄々の故郷を有す。かくして苦も知らず悩みも知らずすくすくと杉の木のごとく、素直なる、鷹揚なる、明朗なる品性に育てあげらる。これにまさる幸福、人生の価値いずこにあらん。余の精神的苦労≠アそ文学的片影、小説的魅力など毫もあらざる惨めなる、滑稽なる、悲惨なる魂の地獄なりしを。
而してまた「学校一の幸福者」という彼が言葉を思いて余は笑めり。――或いは然るべし。
何となれば、余のごとく幼にして父母を失い、身体弱く、心曲りたる者にして、なお足らずながらともかく勉学させてくるる人あり、みな宿と食に苦しむ今、安らかなる臥床と豊かなる食を与えてくるる人あり、鴎外の『天寵《てんちよう》』の主人公は憎めざるエゴイストなりしが、余は憎むべきエゴイストなるに、しかもかくの如くなる、決して天意にあらず、されど「天寵」以外の語にて表現する能わざるなり。
○午後楢原に誘われて、日比谷劇場に黒沢明の「続姿三四郎」を観にゆく。前編より転落千歩。もっとも続≠フ名のつきたるものに傑作は稀なり。その理由種々あり。
○ニュース映画に「比島戦線」あり。山下将軍その巨躯を悠々と歩ませる姿見て、みな熱狂拍手す。その人気、推して知るべし。
教官の山辺大佐と陸士同期なりと。大佐あるとき「あいつが大将になるとは思わんかった」と呟ける由。たんにめめしき嫉妬を表するがごとき大佐ならねば、この苦笑をふくみたる小さき一戯言を解剖してみるに、二つの解釈あり。
一は、いかなる英雄巨人も肉親朋友等、共に飯をくらい糞をたるる仲にありては、決して異様の光を放つものにあらざることなり。英雄の英雄たるゆえんは、長き生涯の一瞬時、狼煙のごとくあがりて消ゆ。巨人の巨人たるゆえんは、長き一生を一塊に圧搾せるとき、宝石のごとき光を発す。英雄も一日のうち二十三時間は凡人とひとし。巨人の生涯もひきのばしにすれば小人のごとく淡々たり。行屎送尿、ことごとく気どっていてはヤリキレざるなり。生理学的にも命を保つ能わざるなり。
その二は、山下将軍が果して日本人が胸に描きあるほどの名将なりや否や疑問なることなり。余は将軍が比島に於て、必ずしもシンガポールに於けるがごときにあらざるを見ていうにあらず。――「あいつが大将になるとは思わんかった」これ実に意外の真実を呟けるにあらざるか。
人気は恐るべきものなり。すべてを見、すべてを知りて人は歓呼するにあらず。多くは何が何だか分らざるままに熱狂するものなり。この浮薄、人心の頼むに足らざる、ムッソリーニのごとき骨髄に徹して知りたるならん。
ただし、かくいえば、世に真の英雄などあらざるべし。少くとも歴史のいわゆる英雄は、かく見ればみな頗るあやしきものなり。
天才の凡人に異なるはたんに一歩にして、この一歩は千歩なりという芥川の言にて、一と二の矛盾を片づけるとせんか。
○夕晴る。酒あり。飲む。アポリネール『オノレ、シュブラック滅形』を読み、大いに感服す。怪奇小説はここまでゆかねばウソなり。
十三日[#「十三日」はゴシック体](日) 快晴
○美しい日曜日。午前中大掃除大洗濯。それから塀をこわしての薪作り。正午に敵四発一機来る。
○美しい絵には陰翳が必要である。一つの幸福が享受されている陰には、必ず何人かそれに比例する苦痛をなめている。少くとも生きている者≠キべてに何の害をも及ぼさない幸福が、この地上にないものだろうか。
○ダンヌンツィオ『死の勝利』を読む。この恋と、『狭き門』の恋と、両極端だがいずれも日本人ばなれがしている。とても理解できない。
十四日[#「十四日」はゴシック体](月) 晴
○午前零時警報。B29単機ずつ静岡に侵入、北上中なりと。いよいよ久しぶりに来るなと思い緊張せしが、これ四機のみにて長野新潟を過ぎて日本海に出で、福島を通りて太平洋に出る。日本海に機雷を投下せりとぞ。最近B29頻々と各内海海峡に大量の機雷を投下す。
午前七時ラジオブザー鳴り、敵大編隊南方洋上を旋回中なりという。ただしこれら西進し、帝都には八時過ぎ一機来れるのみ。西進せる編隊は約四百機。名古屋を襲いし模様。正午また一機来る。
陽気ようやく五月らしき日の光となる。ただし暦に比していまだいささか寒きように感ぜらる。
○アンリ・ド・レニエの短編集を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](火) 曇夕より雨
○薬理学、阿片について。原教授、アナトール・フランスの『タイス』や、ジャン・コクトーの『阿片』まで引っ張り出し、こちらまでちょっと阿片の味が知りたくなる。
○昨日の名古屋空爆により、名古屋城焼失せる由なり。
○夕より雨。夜雨声いよいよ深し。冬装束してもよき寒さ。麦の芽出でず。百姓の顔に蒼色濃しと。
十六日[#「十六日」はゴシック体](水) 曇時々雨夕晴
○外科、先日の空襲にて大腿背面の肉飛ばされ、肉芽組織新生中のクランケを見る。女なり。学生達がずらっと見ているのに、女しきりに「いやだわ、いやだわ」と咳き、篠井教授、無造作にガーゼをあてれば「痛た、タ、タ、タ」と叫ぶ。傷痕無惨なり。学生一人蒼くなりてふらふら教室外に出でたるを教授見送りて、「頼りないな、ええ?」
正午警報、何機来れるや知らず。
○病理の時間中、隣りの松柳と書問答。
松柳「松葉ハコノゴロ高田ト親交ヲ結ンデイル」
僕「? ソレガドウシタノカ」
松柳「君ハ松葉ガ浮気ダトハ思ワナイカ」
僕「? 浮気トハ信ズベキ義務ヲ有スル人ヲ措イテ、信ズベカラザル者ヲ愛スルコトヲイウ。――松葉ガ誰ト仲ヨクシヨウト俺ノ知ッタコトデハナイ」
松柳(沈黙)「俺ノイウコトガマチガッテイタ」――やや暫くののち「高田ハ頗ル優秀ナ人間ダ」
僕「ソウカモ知レナイ。少クトモ松葉ヨリ――松葉ハイツモ誰カニ引キズラレテイル。俺デモソノ気サエアレバ俺ナリニ引キズッテ見セル」
松柳「高田ハ卓越シタ学校改革ノ意見ヲ抱イテイル。松葉ハスッカリコレニ共鳴シ、生甲斐ヲ感ジテイル」
僕「学校改革――トハドウイウコトカ。高田ノ意見ヲ君ハ知ッテイルカ」
松柳「片鱗ダケ知ッテイル」
僕「君モ改革ガ必要ダト思ッテイルカ」
松柳「然リ」
僕「思ッテイルナラ、ナゼ高田達ト一緒ニヤラナイカ」
松柳「俺ハ馬鹿ダカラトテモ出来ナイ」
僕「ソンナコトハナイ。第一イヤシクモ本校ノ生徒デアル以上、ソノ改革ニ参ズベキ権利ガアル。ソレガ正シイモノナラ義務ガアル。――高田ノ改革トハ凡ラク学校機構ノ改革デハナク学生精神ノ改革ニアルノダロウ。然ラバ高田達ノ志ガマジメナモノデアルナラバ、ホカノ学生同志ノ参加ヲ何デ拒モウ。高田ヤ松葉ガ秘密メカシク案ヲ練リ、突如或ル日教壇デコレヲ級友ニ宣言シテモ、ソレハ何ニモナルマイ。皆ハ改革ナドトイウコトニ必ズシモ興味ヲ有シテハイナイカラダ。ソレニハ心ノ準備ガ必要ダ。ソシテ精神ノ改革ナラバ、暗イ、烈シイ、突発的ナ宣言ヨリモ、イツノ間ニカ級友同士ノ静カナ友情ノ間ニ結バレタ固イ明ルイ誓イデナケレバナルマイ。――君ハ感心シテイルナラ、ナゼソノ試ミニアズカラナイカ」
松柳「俺ハ(僕の顔をうかがいつつ)ソンナコトハ小サナコトダト考エテイル」
僕「ウソヲツケ。――一体君ハ高田達ニ共鳴シテイルノカイナイノカ」
松柳(沈黙)「シカシ、俺ニハ山田ガイル」
僕「ソレガドウシタノカ。俺ト仲ノヨイコトト、高田達トハ何ラ関係ナイデハナイカ。俺ハ高田達トハ何ノ恩怨モナイ」
松柳「君ハ高田達ノ試ミヲドウ思ウカ」
僕「納得デキルコトナラ改革ヲ手伝ッテモヨイ、トイイタイガ、実ハ俺ニハソノ元気ハナイ。皆羨マシイ限リダ。俺ハ何ニモツマラナイ」
松柳「ソノ感ジハヨク分ル」
僕「分ラナイ。君ニハ分ラナイ。ソレガ君ノヨイトコロダ」
松柳「俺ハ君ノ才能ニ感心シテイル」
僕「俺ニ何ノ才能ガアルトイウノカ」
松柳「何ダカ分ラナイガ、トニカク才能ガ君ニハアル」
僕「冗談ヲイッテハイケナイ」
松柳「俺ハ冗談ナンカイッテイナイ」
僕「俺ニ才能ガアルナンテドウシテ君ニ分ルカ。ソンナコトハ俺ニモ分リハシナイ。マタアッタトシテモ、ソンナコトガ何ニナルトイウノダ。君ニソレガ何ノ関係ガアルノカ。自分ニヨク分ラヌモノヲ買イカブッテハイケナイ。俺ノヨウナ人間ヨリ、君ノ方ガハルカニ立派ナ人間ダ」
松柳「尊敬スル人ニ心酔スルノハ俺ノ勝手ダ」
僕「ソンナラヨロシイ。俺ハ何ニモ言ワナイ。タダ俺ハモトモト冷淡デ、軽薄デ、ウソバカリツイテイル人間ダ。マジメニツキ合ッテイルト馬鹿ヲ見ル、失望スル、腹ガ立ツ。将来ソレガ気ノ毒ダカラ、今断ワッテオク」
松柳「承知シタ」
(余は松柳及び余自らの心情に対し暗然たり)
松柳「君ハ怒ッテイルノカ」
僕「ドウシテ? ――俺ハ曾テ怒ッタコトハナイ。心カラ泣イタコトモナイ。腹ノ底カラ笑ッタコトモナイ。――君ハ非常ニヨク感チガイスル。感チガイシテハ、怒ッタリウレシガッタリシテイル。――シカシ、ソレヲ今君ニ説明スルコトハデキナイ。マタ、無駄デアル。ソシテソノ感チガイコソ君ガ俺ヨリ優レテイル点ダカラ。……」
松柳「君ノ言葉ハ分ラナイ」
僕「分ラナクテモヨロシイ。俺ハ高田ニモ松葉ニモ君ニモ言イタイコトハ色々アルガ、イッテ見テモ仕方ガナイ」
松柳「謹聴。――ナゼ言ワナイノカ」
僕「ソレガ俺ノ主義デアル。コノ俺ノ主義ガ賢明カ、高田達ノ熱ガ美シイカ、ソレハ未来ガ説明スル。マダコノ世ノ経験ヲ自身デ持タナイ俺達ハ、書物ノ智恵デ軽々ソレヲ判断スルコトハ出来ナイ」――(沈黙)「若シ君ガ将来高田達ト志ヲ一ニスルナラバ、改革モヨロシイ、粛清モヨロシイ。タダ、ホントニ静カデ平和デ善良ナ学生ノ横ッ面ヲイキナリ打ツヨウナコトハ遠慮願イタイ。勿論、俺ノコトデハナイ。――一番尊ムベキ弱者ニ代ッテ断ワッテオクノダ」
十七日[#「十七日」はゴシック体](木) 曇
○朝曇、電車例により殺人的混雑、ラッシュアワーなるものまったく消失、代りにラッシュデイとでもいうべきか。一日じゅうの現象なればなり。
一人でも多く運搬せんがため、座席は全部取払われ、吊革もみなひきちぎられて寥々たり。網棚もほとんど破れて、糸汚なくぶら下がる。棚を形作る棒また折れてななめに下がる。一車、窓全部満足なるものなし。甚だしきはことごとくガラス落ちて頗る夏向きの姿を呈す。つかまる吊革もなく、動揺に足踏みしめる空間的余地もなし。電車発着のたびに、乗客は前へ雪崩れ、うしろへよろめく。(但し、足は動かず)
余割れガラスに拳擦りつけ、右手の親指を大いに切る。出血、動脈なると見え、色鮮紅、七、八分にしてようやく凝固、色次第に黒ずみて後に皮剥げ落ちたり。
○正午前警報。空次第に晴る。敵大編隊八丈島南方に集結中なりと。間もなく空襲警報、P51四十機、京浜西南方に来襲銃撃して去る。夕、大粒の雨|沛然《はいぜん》として降る。
○ドストイエフスキー『スチェパンチコヴォ村とその住人』読了。余もまたこの主人公たる居候の性格の萌芽を――有せずと断言する能わず。苦笑の外なし。
十八日[#「十八日」はゴシック体](金)
○朝八時半警報。
午前中、新宿駅前より牛込の方へ焼野の中を歩いて見る。何処までいっても赤茶けた焼けトタンの海。――他の木や壁はまったく焼失せるゆえに、トタン板のみ眼に立つかは知らねども、日本の家屋にいかにトタンが利用されおるかは予想外なり。樹々黒々と枯れて立ち、風冷え冷えと吹けど、日は白く、見よ青き草ところどころの土陰にかなしくも萌え出でたり。大いなるビルも窓枠焼けガラス溶けて、火炎内部を荒れて通りしか、黒きがらんどうの姿あたかも巨人のミイラのごとし。
天神様の森の中に入り、正午まで石に坐して、ギッシングの『草堂の夏』を読む。土はなお去年の落葉に埋まりて黒々と湿り、靴裏冷やかなり。ここばかりは樹陰の青、黒きばかりにしげり、その上、光透明なる緑の若葉に、チチ、チチと種々の小鳥の声聞ゆ。ああ小鳥よ、小鳥よ、なんじ幸福なるかな、この言葉、古来の詩人歌いしこと幾千たびぞ。しかも今のわれらのごとき痛切の羨望またあらざるべし。遥かなる上空の葉は日に鱗のごとく白くひかり、そよめき、空色沁みるばかりに碧藍なり。樹々の間微かに地の赤き焼跡見え、なお整理中の煙ときに幻のごとく流るるが見ゆ。
正午また警報。
○新宿駅前などに、最近「勝利絶対確信運動本部」なるものが、新聞紙に墨でなぐり書きせるものを、到るところにベタベタ貼っている。――全都ことごとくに貼っているのかも知れない。曰く、
「同胞を信ぜよ」
「神代以来、日本民族の高さ美しさ」
「国に生き、卒伍に生きよ」
「叩きつけろ神州の恕り」(怒りのまちがいならん)
「蒙古来る。北より来る。かくて時宗自ら剣を把り、その妻子また将兵の炊事を――」
「誇れ、大君のおんそば近くお仕え申す都民よ」云々。云々。
中には「ヒトラーをどう思うか」「真田紐の由来」など新聞紙五、六枚に書き殴った長論文≠り。駅をとりまく爆風よけの土嚢の配置上、ヘンなところでその続きが二、三間も離れた次の土嚢の壁に飛んでいる。
○家に味噌も醤油も塩もまったく尽きたり。醤油は五月分いまだ配給にならざるなり。塩は三月以降一さじの配給もなきなり。況んや、酢、酒をや。砂糖のごときはすでに遠き昔の童話となりはてぬ。このゆえに味噌のみ極度に利用せざるを得ず、十五日にしてすでに尽く。副食物の配給も旱天の一滴のごとし、勇太郎さんと顔見合わせて苦笑するのみ。
勇太郎さん苦心惨澹。今夕は壺掻きはらいての塩、瓶打ちふりての醤油、而してこれにソースを加えて(!)汁を作る。内容は昆布と菜ッ葉と大根一握ずつ。
十九日[#「十九日」はゴシック体](土) 曇後雨
○二時間目、病理授業中、敵数目標八丈島南方を北上中との警報。空曇。敵なかなか来らず。やがて爆音聞え、投弾の音聞ゆ。このごろは一々防空壕にも入らず、授業続行。正午前解除。
夕の放送によれば、九十機、関東南部、東海地区を雲上より攻撃せりと。
他に今朝より十機二十機、或いは九州に、或いは北陸に、ほとんど日本全土を爆撃、機雷投下。本土の上空はただ敵の跳梁にゆだねるのみ。P51も活躍を開始せしもののごとし。
○夕冷雨となる。季節にくらべ、気味悪きまでに寒し。
二十日[#「二十日」はゴシック体](日) 霧雨寒し
○正午警報。味噌なきに困惑、高須さん知人に五合|升《ます》ほどの小桶に味噌を借り来る。
○日本、三国同盟、防共協定その他の失効を宣言。
およそ国家の安危は武力にあり。(特に現時のごとき大戦争時代にはいうまでもなし)而して日本の運命は今沖縄にかかる。南西諸島海域の戦況また暗転せんとし、この危局に臨んでや、人多く頭をめぐらして途を他に求めんとす。しかれども現代のごとく各国の内情電波のごとく全世界に通達せられ易く、また人智精緻を極むるの時に於て、「力」を外に、徒手空拳、ただ「外交」のみにて驚天動地の変転をなし得るや否や。特に日本にその手腕ありや、東郷外相にその自信ありや。
廟堂の苦悩吾ら知る。されどなお恐る、第一等の、否、唯一の鍵たる沖縄決戦に勝つ能わずしてただ外交にのみ途を求め、ソビエトに翻弄されて全世界の嗤笑《ししよう》の的たらんことを。日本よ、祈るらく、ことここに及んで下手な媚態に身をこらすことなかれと。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](月) 曇
○正午B29一機来りて、神田方面へビラを撒けりと。軍部は御裁可を待たずして満州事変を初めたりとか、日本人を幸福にするは降伏あるのみとか、B29は無敵なりとか、アメリカの生産力は驚異的なりとか書ける由。
「降服」なる文字は日本人に対するかぎり使用せざるが可ならん。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](火) 曇
○時々霧雨ふる。寒し。産婦人科の清水教授など、六月来らんとするに外套を着て講義す。ことしの農作心痛にたえず。
○H・G・ウエルズ『パイクロフトの正体』を読む。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](水) 雨
○ドイツは政府を認められない、米英ソ仏四国の軍政下にひきすえられた。ナチス首脳部をはじめおびただしい人間が「戦争犯罪者」として断罪され、幾十百万のドイツ兵は捕虜として、徒歩で本国に追い返され、また戦後復興の奴隷として英国やソ連やフランスへ送られつつある。米兵はドイツ内の「宝探し」に狂奔し、ドイツ民衆は「生きるだけの食糧」を与えられて地べたを這いずりまわっている。
流血の犯罪者ドイツ! 世界の悪党ドイツ! 勝利者は冷酷に、高らかに宣言する。
一個人すら「悪人」と刻印打つは躊躇せざるを得ない時代に、一国あげて悪人国と断ずるのは!
曾ての盟邦にセンチメンタルな同情を寄せるのではない。チャーチルやスターリンや米国人はつくづく馬鹿だと思う。勿論彼らの今までの惨苦や犠牲や勝利の陶酔は知っているが、しかし、これはまた新しい未来の戦争のたねをまくだけである。
彼らは、たとえドイツを寛大にゆるしても結果は同じだというであろう。それはそうかも知れない。――しかし、ドイツが数十年の後、さらに復讐の頭をあげることは眼に見えている。
こうしてまた酷薄な殺戮が――ああ、永遠にくり返されるのであろう。
○バルザック『|※[#「鹿/(鹿+鹿)」、unicode9ea4]皮《あらかわ》』を読む。第二章「情《つれ》なき女性」に於ける貧しきラファエルの女性に対する感想はわが微笑を禁ずる能わざらしむ。
○昨日今日珍らしくB29来らず。最近B29の大挙爆撃本土になし。沖縄の戦い、大本営沈黙久しく、新聞の激越なる報道もやや中だるみの感あり。――まさに山雨到らんとして風楼に満つるの日々。
六月五日[#「六月五日」はゴシック体]
○朝。……いま自分は、故郷の家の二階の窓越しに、青葉に埋もれた初夏たけなわの風景を見ている。柿も桜もくらくらするような濃青の光を照り返して、その向うにゆれる庭の麦、ヒマのそよぎ。さらにその向うの裏隣りの息子も、いま特攻隊となっていっているとか。
さて、五月二十四日からきのうまでの十二日間。
思い起せばまさに波瀾万丈である。不精なことではあえて人にゆずらない自分が、眠らない夜も数日、猛火の中を馳駆したのも一夜ならず。はては北の方羽前の国から、西の方但馬の国まで流離漂泊の旅をつづけたのだから。……
記憶をたどりたどり書いて見る。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体]
○前夜のことである。高須さんと勇太郎さんと風呂へゆく途中大鳥神社の方へ下る広い坂路を歩みながら、初夏の美しい星空をしずかになでている数本の探照燈を仰いで、自分は指折り数え、
「高須さん、あなたたちが夜間の大空襲に会ったのは、あの三月十日が最後ですね。四月中旬のやつのときには田舎へいってたんだから」
「うん、そうだ」
「じゃ、もうそろそろ凄いやつをくらっても文句はいえんわけだ」
「冗談じゃない」
すると勇太郎さんが「コロコロいうて、なかなかコラへんかな」といった。朝鮮の遊女のまねだそうだ。三人は大笑した。
○二十四日午前零時過ぎである。夢を破って、警報が聞えた。「南方海上を敵数目標北上中なり」とラジオの声が聞える。
高須さんはすぐに起きて身支度をはじめた模様であるが、自分はなお横着をきめこんで狸寝入りをしていた。途中で「敵は西進せり」といって名古屋或いは阪神にゆくのはしょっちゅうのことだったからである。
しかし「敵先頭目標は、逐次房総南端に近接中なり」という声をきいて、やっと眼をひらいて、枕もとの眼鏡をさぐった。高須さんが呼んだ。自分は身支度をはじめた。勇太郎さんはまだぐうぐうやっていると見えて、高須さんは一生懸命階段の下で呼んでいた。
例によって、あらゆる容器に水を入れ、縁側に行李やトランクや箱など出した。
第一のB29が西南の空を通って、はやその下にぼうっと赤い火の手があがった。高射砲の音が轟きはじめた。自分がゲートルを巻いていると、
「あれっ、何だあれは?」
と、高須さんが玄関の外で叫んだ。出てみると、不動様の方へゆく路地の向うに、赤白い炎がめらめらとあがっている。町会事務所の裏あたりらしい。
「おい、こりゃいよいよこっちの番だぜ」
「なあに、まだ大丈夫ですよ」
と、自分はまだタカをくくっていた。座敷では勇太郎さんが、お櫃の中の飯を一心に握飯に作り出した。
薄暗い煙が流れ、はや避難の人々が家の前を通りはじめた。もう敵機は単機ずつすでに数十機東京の空に侵入して来て、どっちをむいても赤い火の色が見え、夜空は轟音と火花に満ちゆれていた。
近所で、女子供を避難させるために相連呼する、カン走った震え声が物凄く聞え出した。明日の掃除が面倒くさいと、この前の経験からまだ横着なことをいっていた自分も、ついに縁側に出した品物を、防空壕に運び入れることに賛成しないわけにはゆかなくなった。
行李、トランク、箱四、五個、靴や鞄や、書物や洋傘や鍋釜類。――コマ鼠みたいに防空壕を出入りしていると、満面は汗にぬれ、腹もへったので、縁側におかれた握飯をムシャムシャ頬張った。遠く近く、ザアーアッと凄じい豪雨のような焼夷弾撒布の音、パチパチと物の焼ける響。からだじゅう、もう汗と泥にまみれていたが、恐怖はみじんも感じなかった。空は真っ赤になって、壁には自分たちや樹の影が映っていた。さすがに握飯は一つ食べたらもう腹が一杯になってしまった。唾液の分泌は悪いし、それに闇中に作った握飯なので、塩の量が分らなかったと見えて、舌も曲るほどからい。
突然、土砂のふってくるような物凄い音が虚空でして、すぐ近いところでカンカンと屋根に何かあたる音が聞えた。防空壕の口に立っていた自分は、間一髪土煙りをあげてその底へすべり込んだ。仰むけになった空を、真っ赤な炎に包まれたB29の巨体が通り過ぎていった。
はね起きて、躍り出してみると、まだこの隣組は大丈夫らしい。しかし暗い濛々たる煙は四辺に満ちて、眼が痛い。水にひたした手拭いで拭き拭き、蒲団を防空壕に運んだ。
ときどき仰ぐ空には、西にも東にもB29が赤い巨大な鰹節みたいに飛んでいる。四つ五つ火の塊に分解して落ちてゆくやつもある。地上から、あれが新兵器のロケット砲であろうか、火の帯のようなものが空へ流れてゆく。――この夜ほど多数のB29が墜ちるのを見たことはなかった。
万歳! 畜生! ザマミヤガレ! と叫ぶ余裕も次第に消え、煙の底で自分はレインコートを着、ノート類と奉公袋をポケットに押しこむと、また外に出て、防空壕の覆いの上であばれ出した。防空壕の口には杉の板戸が渡してあり、その上には土がかぶせてある。それをそのまま踏み落そうというのである。ポキッと戸の折れる音がして覆いはたわんだが、なかなか落ちない。高須さんはもう一方の口に手で土を一心にかき落している。シャベルがないのでどうにもなすすべがない。シャベルがないのが命取りになりはせぬか、とは常々考えていたが、手に入る見込みなどどうしてもなかったのだ。しかしこれはほんとうに家財の命取りになってしまった。
夢中になってあばれていると、ザザッ――ダダダッと凄じい音がして、ついにこの一帯も焼夷弾の雨の中に置かれた。
自分は思わず軒下にへばりついた。眼の前の、裏の藤原という家の塀の下で白い炎があがっている。茫然たること一瞬、自分と高須さんと隣の遠藤さんはこれに飛びかかって水をぶっかけた。しかし黄燐の炎は消えない。靴で踏むと、靴も燃え上る。土と砂をぶっかけてやっとこれは消したが、一個木小屋の下に転がりこんで白い炎を噴いているのが、場所が悪くて処置なしだ。遠藤さんの娘で節ちゃんという子が狂気のように、
「藤原さん! 藤原さん! 焼夷弾落下ですよ! 何してるの、何してるの、逃げちゃだめですよ!」
と叫ぶ声が鼓膜をかすめてゆく。しかし藤原家には一人もいなかった。あとで分ったことだが、この一家はそれ以前に自動車に荷物を積みこんで一目散にどこかへ遁走していたのであった。
自分に代って防空壕の覆い落しに必死になっていた勇太郎さんはついに成功した。しかし隙間はまだ大きく開き、まして完全に土一尺の厚さで埋めるなどということは思いもよらない。それにもう一方の口は開いたままになっている。のども痛い、恐ろしい煙だ。焼けて崩れる音が近くで聞え出した。
木小屋の下の焼夷弾は次第にとろとろと奥深く燃えひろがってゆく。ちらっと顔をなげると、隣の小口家は火に包まれ、安達家は完全に燃え上っている。
「だめだ!」
と自分は叫んだ。
「だめだ!」
と高須さんも叫んだ。
まだ家にいられたかも知れない。しかし周囲はすでに火の海と化していた。とても防ぎ切れるものではない。それに恐ろしいのは煙だ。眼をあけていられない。逃げられなくなってから逃げてももう遅いのだ。
「逃げよう、もういい、もういい、山田君」
と高須さんが叫んだ。二人は門のところまで逃げて来た。大通りに出る路地はもう火に包まれていた。
自分は反対の遠藤さんの方向へ路地を走った。遠藤さんの家の前では、家財を背負った一家の人々が、
「節ちゃんっ、節ちゃんっ、何してるの、早く来ないかっ、節ちゃんっ」
と血声をあげていた。
ふと傍を見ると、いっしょにいると思っていた高須さんがいない。自分はふりむいて、
「高須さん、勇太郎さあん」
と、必死に叫んだ。眼とのどが痛く、濡手拭いで顔を覆って自分は連呼しつづけた。しかし二人とも来なかった。勿論むざと焼け死ぬ二人ではないので、さては小口家の方角へ逃げたかなと思って、自分はそのままどんどん走って、欅の大木のある細い十字路に出た。
真っ直の方向はいちばん最初から燃えているところで、まったく火の海だった――町会へ出る路は、すでに両側の家が燃えていた。その方角から数団の人々が駈けて来て、
「駄目です、こちらは逃げられません」
と、叫んだ。
自分の逃げて来た路も、もう駄目である。みな右の女学校へゆく細い道を走った。
「逃げられますか」
「分らないが、とにかくゆきましょう!」
と、だれか叫んでいる。
「ウロウロしてると焼け死んでしまう。とにかく何処かへ出なければ」
風向きなど全然分らなかった。いつのまにか自分は一人になっていた。
遠いところで、ぐわう、と火がうなっている。あたりは夜霧のように煙がたちこめて、一尺先の人影も分らない。
息が切れて自分は歩いた。歩いたりなどしていてはいけない! と思ったが、苦しくてとても走れなかった。ふと「死」が頭を掠めた。いま考えるとばかばかしいが、そのときは勿論物凄く緊張した顔をしていたであろう、煙が苦しくて、早く澄んだ空気を吸いたかった。自分は「死」を考えつつ、一人で夜霧のような煙の中を歩いた。
「駄目です、こっちも火の海です」
と、前方から二、三人駈けて来た。
「そちらに道はありませんか?」
自分達は引っ返した。またもとの十字路へ出た。
「町会の方へ出ましょう」
と自分は叫んで、傍の用水槽にざぶっと飛び込み、全身を浸すと水煙あげて飛び出し、両側の燃えている路地の中を、顔を伏せて走りぬけていった。
大通りへ出たところで、高須さんと勇太郎さんに逢った。高須さんはリュックを背負っていた。二人ともやっぱり小口さんの横を通って逃げて来たそうである。
町会のあった一帯はほとんどすでに焼け落ちて、通りに面した家々は骨だけになってまだ燃えていた。
煙の中を群衆といっしょに、五反田へゆく大通りへ出た。そのとたん、ザザッ――という音がして、頭上からまた焼夷弾が撒かれていって、広い街路は見はるかす果まで無数の大蝋燭をともしたような光の帯となった。自分達はこの火の花を踏んで走った。
五反田の空は真っ赤に焼けただれ、凄じい業火の海はとどろいていた。煙にかすみ、火花に浮かんで、虫の大群のように群衆は逃げる。泣く子、叫ぶ母、どなる男、ふしまろぶ老婆――まさに阿鼻叫喚だ。高射砲はまだとどろき、空に爆音は執拗につづいている。
やっと目黒川のほとりに出た。この一帯も炎々と燃え、ほとんどすでに焼け落ちて、煙と熱気にうるんで柱や電柱が無数の赤いアイスキャンデーのようにはろばろとゆらめいていた。熱い。しかしいざとなればこの河へ飛びこめば命に別状はないのだから、何といってもほっとした。
新橋のたもとへ出て、一時間近くあたりの燃えるのを眺めていた。人々は一杯路傍に立ったり座ったりしていた。蒲団を積んだ自転車やリヤカーや大八車が並んでいた。みな恐ろしいほど黙っていた。火だけがうなっていた。ぼんやり立っていると、びしょ濡れの服が寒くてたまらなくなった。傍の、たしか工場らしいと記憶していた建物はすでに崩れ落ちて、煮えたぎるような火の坩堝が地上にひろがっていたが、ときどきパーン、パーンと何か爆発して、真っ黒な煙がもくもくと火の中を昇っていった。傍へいって身体を暖めた。ごうせいな焚火だ。この期に及んで、道に落ちている一本のシャベルを拾った。
三人は権之助坂を下ってゆき、家の方へ帰ってゆこうとした。
いつもゆくロータリーの傍の銭湯はすでに火の野原となり、煙突だけが火炎の中にそそり立っていた。まだ燃えている左側の家々に、警防団の人々が細いホースをむけていた。反対側の舗道には、中年の女が一人蓆の上に横たえられて唸っていた。大鳥神社も燃え、小杉八郎邸も燃えていた。その前の往来に置かれているゴミ車が、一人前の顔をして燃えているのがへんに可笑しかった。
家のすぐ近くの米の配給店のあたりはなお盛んに燃え、その炎と煙が路上に吹きつけ、とても通れそうにないので、家にゆくのは断念して、しばらくロータリーのところで、下目黒から五反田へかけての火の海を眺めていた。
東の空は薄蒼い微光をたたえ出していた。身体の疲労が感じられて来た。もう空襲警報は解除になっているのであろうが、サイレンは聞えず、あたりのラジオも勿論早くから切れてしまっているので、状況はさっぱり分らない。
またトボトボと権之助坂を上っていった。数百人の人々がむらがって、坂の下の火事を眺めていた。日の出女学校が燃えている。壁、建具が焼け落ち、屋根が落ち、赤い火が柱なりの形を残して空に描かれているが、やがて何とも形容しがたい響をたてて一本の梁が折れると、どどっーとみな地に崩れ落ちる。地平線は火の潮がながれているようだ。
薄暗い夜明けの路を、罹災民のむれといっしょに高輪の方へ歩きつづけ、知り合いの町工場、高輪螺子へころがりこんだ。雑炊を食べさせてもらい、二階に上り、ぐったりと眠った。
ときどきぼんやりと眼をさますと、美しい朝。日が眼に痛い。警報を夢うつつで聞く。一機偵察に来たとかであった。
○午後、シャベルを持って、高須さん、高輪螺子のおやじさん、そこの工員の唖男、自分と、四人で焼跡へゆく。
目黒の空は煙にまだ暗く、まるで煤ガラスをかざしてのぞいたように、太陽が血色にまるくはっきり見える。空はどんよりとして、雨でも頬に落ちそうな曇りである。
焼跡は、今までよそで見たのと同じく、赤茶けたトタン板と瓦の海と化していた。なお余燼がいたるところに立ち昇り、大地は靴を通して炎の上を歩くように熱い。熱風が吹く。
遠くからこの下目黒三丁目を眺めたときは奇妙な笑いがニヤニヤと浮かんでいたが、現場について焼土と化したこの跡を見ると、さすが万感が胸に充ちて哀愁の念にとらわれざるを得ない。
サンルームのように日当りのよかった二階や、毎日食事をとった六畳や、ラジオを置いてあった三畳や、米をといだ台所や、そして自分が寝起きし、勉強した四畳半の部屋や……この想い出と、いま熱い瓦礫に埋まった大地をくらべると、何とも名状しがたい悲愁の感が全身を揺する。
防空壕の口は、赤い炭みたいにオコった瓦で埋まっていた。完全にふさぐことができなかった酬いだ。掘り返してゆくと、焼け焦げて、切れ切れになった蒲団が出て来た。地面へ出しておくと、またポッポと燃え出して、覗きに来た隣りの遠藤さんが、どんな切り端からでも綿がとれる、それで座蒲団も作れる、早く消せといったが、水をいくらかけても消えない。くすぶりつづけて、一寸ほかのことをやっていると、またすぐに炎をあげている。遠い井戸から水を運んでは、ぶっかけ、足で踏んでいるうち泥んこになってしまい、はては馬鹿々々しくなって、燃えるなら燃えちまえとみな放り出してしまった。
鍋、お釜、茶碗、米櫃、それからずっと前に入れて土をかけて置いた瀬戸物、そして風呂敷に包んであった自分のノート類など、これは狐色に焦げて、これだけ出て来て、あとはみな燃えていた。防空壕内部の横穴の方へ大部分の家財を入れておいたのだが、何しろ恐ろしい熱気と煙なので手もつけられず、あきらめて夕刻帰る。
町会も焼けたので、わずかに焼け残った近くの一軒の家を借りて事務をとっていたが、「罹災証明書」は出しつくして明日区役所からもらって来るまで待ってくれと書いた紙が塀に貼ってあった。
○夜、高須さんと、高輪螺子に勤めている唖の工員とが話している。この唖は四十ということだが、見たところ年の見当もつかない、青白く痩せて、髪も眼の色も薄く、すぐに印象から薄れてしまいそうな男だが、恐ろしくよく働くそうだ。高須さんと手真似身振りで話し、こっちにはさっぱり分らないが、高須さんとは何とか通じるらしい。時々通訳してもらうと、エビスビールの工場が焼けてしまってもう飲めなくて残念だとか、隣家に芸者の罹災者が来てて嬉しいとか、落下傘で下りて来た敵が憎くてたまらないとか、話しているのだそうだ。
唖の話した落下傘云々というのはこんな話だ。今暁墜ちたB29の中の一機が、高輪螺子の裏、十間ほどの空地を隔てて厚生省があるが、その石塀の向う側とこちら側にかけて落ちた。その恐ろしい響といったら、みんな柱に抱きついたくらいだと高輪螺子のおやじはそのまねをしてみんなを笑わせたが、それはあんな巨大なものがわずか十間ばかり離れたところに墜ちれば恐ろしかったろう。それは自分もあとで見にいったが、塀のこちら側に尾翼の一部が落ちて地面にめり込み、ビクとも動かなかった。
さて、話にきくと、続いて落下傘で二、三人降りて来た。斜め前の肉屋だった家の軒先を掠めて落ちて来た一人は、落下傘が完全にひらかず、つぶれて死んでしまった。その跡も自分は見たが、血はまだ路上に斑々と残っていた。もう一人は恐ろしく若い飛行兵だったそうだが、集った民衆が激怒してみんなでよってたかって鳶口で半殺しにしてしまったという。もう一人は、なんと女であったそうで、これは憲兵が連行していって今厚生省の中にいるらしい。なお今でもそこにみんながおしかけてわいわい騒いでいる。
おやじは墜ちた機体から素早く油を四、五升汲み出して来たそうで、これで捻子を作るんだと悦に入っている。今度墜ちて来たら、憲兵の来ないうちにウイスキーや菓子をとってくるんだといい、あんなものにまた墜ちられてはたまらないと女工たちは悲鳴をあげている。
○深夜また警報。B29数機駿河湾より本州を北上、日本海に機雷投下。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体]
○朝、また焼跡にいって見ると、驚いたことにきのう半分掘りかけた防空壕の入口が、また新しい瓦礫でぎっしり埋まっている。きくと隣家の遠藤さんの娘の節ちゃんが、昨夜八時までかかって埋めたのだそうだ。
むろん遠藤さんの家もないが、ここは防空壕がちゃんとしているので、当分そこに住むことにしたらしく、こちらの防空壕の口から火と煙がたち昇り、見ていて不安だったのと、もう何もだめだろうと思って埋めたのだという。
しかし、こちらにして見れば、掘って見ればまだ何が残っているかも知れない。お節介なことをすると、高須さんは大いに怒り、もう一度昨日の通りに掘り返してもらおう、とどなりつけて会社へ出かけていった。
遠藤家でまた掘り返すからというので、自分も町会へ出かけてゆき、ひるまで行列して罹災証明をもらった。
警報は二、三度鳴ったが、無一物になった者にとっては、もう戦々兢々としている必要は何もない。しかしそのうちにまた空襲警報になってしまった。五、六十機の小型機が侵入中だという。
小型機は銃撃する。白いものを身につけている者はどこかにいってくれ、という叫び声がする。しかしみんな動かない。罹災証明書をもらわなければ、何も買えず、どこへも汽車でゆけないからである。
その罹災証明書をもらうのに、一日でも駄目、二日目に半日も並ばせるとは何事だと怒り出す者もある。ところが町会事務所では、老人が一人、女が二人キリキリ舞いをしていて、私達も焼け出されたんだ、その焼跡整理も出来ないんだと悲しげにつぶやいているのである。
不平をいえばきりがない。なぜ政府は急遽大々的に消防隊を作らないのか、なぜ罹災地に数日分の米なり罐詰なりを運ばないのか。いやそれよりもB29そのものを、なぜ海上で迎撃して全部やっつけないのか。――やりたいのだが、やれないのだ。出来ないのだ。
ひる、乾パンを一袋もらって焼跡にひき返してみると、防空壕はもとのままで、遠藤家では自分の方の焼跡整理に一心不乱である。自分を見ても知らない顔をしている。顔まけして新宿の学校へゆく。
学校へゆくと、みな病院へいっているらしかった。自分はひとまず帰郷するよりほかはないと決心し、罹災のむね報告。また高輪にもどると、高須さんとおやじは目黒の焼跡へいっているという。すぐに追っかけていってみると、例の穴は依然そのまま、高須さん大いに怒り、遠藤家では言を左右にしているところであった。
怒ったり弁解していてもしかたがないと、高須さんと勇太郎さんと自分と節ちゃんで、汗と煙と埃に恐ろしい顔つきになってふたたび掘り返し出した。しかし、結局出て来たものは、焼けた靴、中の服やシャツや着物も焼けこげたトランク、行李、下半分灰になった医学書など、モノらしいモノは何も出て来なかった。奥の方に毛布や蚊帳があるはずなのだが、まだ熱く、煙がひどく、あきらめて夕刻高輪に帰る。
夜、風呂にゆく。このへん一帯断水しているため、小半里もある銭湯を探してそこへゆく。二日間の煙と煤と汗と砂と泥を洗いおとし、美しい月明の夜を歌をうたいながら帰る。そしていい心持で蒲団に入ろうとした、時に十時。
警報またもや発令。
敵先夜とひとしく二百五十機を以て来襲。
二百五十機とはあとになって知ったことだが、がばとばかり起き上り、かくて先夜についで、いや先夜にまさる炎との大悪戦が開始されたのである。
敵はまず照明弾を投下して攻撃を開始した。
三十分ほど後には、東西南北、猛火が夜空を焦がし出した。とくに東方――芝、新橋のあたりは言語に絶する大火だった。中目黒のあたりも燃えているらしい。
ザァーアッという例の夕立のような音が絶え間なく怒濤のように響く。東からB29は、一機、また二機、業火に赤く、また探照燈に青くその翼を染めながら入って来る。悠々と旋回している奴もある。
隣組の人々は、厚生省傍の空地に集まっていた。そこは建物疎開の跡で、大きな防空壕が二つ、菜など蒔いた畠があった。人々は空を仰いで、畜生、畜生、と叫んでいた。厚生省は真っ赤に浮き上り、ガラス窓は紅玉のようにかがやいていた。B29がまっすぐに頭上に進んでくると、「ああっ、危いっ」と叫んで、みなあわてて軒下や防空壕に逃げこんだ。それると、「わっ、助かった!」と胸をなで下ろした。
厚生省の向うの女学校が燃えあがった。エレクトロン焼夷弾というのであろうか、真っ白なしぶきのように炎が噴き上って、パーン、パーンと凄じい音が空中に無数の火の粉をまきあげている。
「いよいよ今夜はこっちの番だ!」
と高輪螺子のおやじは迫った声でさけんだ。
どうせ結局やられるんだ、早く片づけてくれ、などと昼間はいっていたのだが、さすがにいざとなると動揺は覆いがたい。
B29は今夜もまたよく墜ちた。赤い人だまみたいに炎の尾をひいて飛んでゆく奴もあった。煙が空中に満ちて、空が次第に見えなくなって来た。
ゴウーと風が出はじめて、近くの邸宅の森の樹立が海鳴りみたいな音をたて出した。あまりの大火に凄じい気動が生じるのは、この空襲がはじまってから身を以て体験した一事実である。
ピカッと空にきらめく青白い閃光、轟音、投弾の響。女達の悲鳴。男の女を叱りつける威張った、そのくせかん走った声。――みんな、なんども肝をつぶして物陰に逃げこんだ。
何時間たったか分らない。もう星のまったく見えなくなった空に、敵機の爆音はなお轟いている。
この白金台町もつづいて燃えあがり出した。目黒方面から、炎が潮のように迫って来た。黒煙は濃霧のように流れ、前の往来は避難の群衆でいっぱいだった。
蒲団をかぶった老人、大八車をひいてゆく姉妹、赤ん坊を背負った母親、しかしこの人々は何処へ逃げようというのだろう。敵機はまだ飛んでいる。安住の地は東京の何処にもないはずだ。火のないところ、火のないところと、敵は丁寧に投弾してゆくのだ。
見るがいい、さっきまでは暗かったただ一つの方角の空にも、まるで金の砂のように焼夷弾がふってゆくではないか。焼夷弾は地中にめり込む鉄の筒だ。凄じい速力で落下するにきまっている。しかしそのあとの空中に、オーロラのごとく垂幕のごとく、徐々に徐々にふってゆく金色の砂みたいなものはいったい何だろう。幾千億の花火が傘をひらいて降りてゆくようにも見える。そして風の唸りがはげしくなって来た。
空を仰ぐと、火の潮みたいに赤い火の粉が渦まき流れてゆく。無数の赤い昆虫が飛んでゆくようにも見える。大きな燃えかすが、屋根や路上に落ち、ころがり回って危険なことこの上ない。自分と勇太郎さんは屋根に上って火叩きをふりまわした。みな、往来をころがってゆく大きな火の粉に必死に水をあびせている。
「水を使うな、そんなものに水を使うな!」
と、だれか叫んだ。しかし眼の前に飛びめぐっている火の塊を見ると、みな本能的に飛びかかって踏みにじらずにはいられない。
電車通りをはさんで左側一帯を焼き払ってくる炎は、とうとう右側にも移った。焼ける音が凄惨にひびいた。
「みんな逃げるな、最後まで敢闘せよ!」
ここの防空群長をやっている在郷軍人が凄じい声をあげて、荷物を背負った群衆の逃げまどう往来を歩いていた。しまいには、
「白金台町は断じて燃えない! 逃げるやつは厳罰に処するぞ、逃げちゃいかん」
と、棒を持って群衆の方へ躍りかかっていった。
「白金台町には神様がついておる。決して燃えん、神様がついておるぞお」
たんに激励のためではなく、ほんとにそう信じているとしか見えない形相だ、と思って見ていると、いきなりこっちをむいて、
「こらっ、そこの学生、何をボンヤリしとるか、いって手伝わんか」
と、駈け寄って来た。
こんな場合にもちょっと癪に障ったが、向うの炎を見て、よし、やってやる、と心に叫んで、二町ばかり宙を駈けた。警官が前に立った。
「危いっ、何処へゆく!」
「手伝います!」
「よしっ」
自分は人々の最前線に飛び出した。
目黒駅の方角から燃えて来た炎は、次から次へと家を焼きながらこちらに移動してくる。水がない! 水道はどうなっているのか、烈しい警笛をあげながら消防自動車は幾台か走り集まってくるが、みな処置のない様子で、水を出しているのはただ二台だけだ。警防団や市民が、一町以上もの列を作って、遠い家々の用水槽からバケツを手送りに運んで、その消防車のポンプへ注ぎこむ。
その行列の中へ飛び込んだ。
「水っ」
「そらっ」
「何ぼんやりしてる」
右からくる水のバケツ、左からくる空バケツ、いつのまにか全身濡れ鼠になり、それが火の熱さにすぐ乾いてはまた濡れ鼠になる。
自分は手押しポンプに回った。ゴウ、と火が吹きつけて、火の粉で眼もあけていられないほどになる。思わず一瞬、うしろをむいてうずくまらずにはいられない。しかし、水と火の凄じい修羅場の中で、必死にポンプを動かしていると、次第に悲壮な英雄的気分になって来た。
気がつくと、自分と並んでポンプの柄にとりついているのは十七、八の少女であった。火光に映える円い顔は、燃える薔薇のようだった。頭巾の下からはみ出した髪はふり乱され、ふりむいては銀鈴のような声で、「水、水をお願い。――」と叫ぶ。まさにジャンヌダルクを思わせる壮絶無比の姿である。
空にはなお金蛾のような火の粉が渦まき、水に濡れた路上には火影が荒れている。手前の数軒はなお物凄い勢いで炎をふいているが、その向うの町はもう焼けつくして、樹や柱や電柱が幾百本の赤い棒となって、闇黒の中にゆらめいている。地獄の風景のようだ。
あれよあれよというまに、火はまた手前の家に移る。みな疲労困憊して、ともすれば水が途絶え、ホースの水が細くなり、折れ、消えてゆく。
「もう一息だ」
「もう一がんばり」
「負けちゃいかん、火に負けちゃいかん!」
「水を、水を切らさないように、みながんばって下さあい!」
と、警防団が絶叫する。
もう一息! この声がほとんど明方までくり返された。まったく死力をつくしたという感じだった。ポンプを動かし続けて、自分は頬がげっそり落ちたような気がした。しかし面白いことは面白かった。
右は或るお寺の境内でくいとめた。火はうしろに回ったが、これも薄明のころ、やっと消しとめた。
左側は往来に面した家にとりかかっている間に、火は次第に奥へ奥へと回っていって、一時はほとんど収拾のつかない状態になった。しかしこれも朝になって、津雲という代議士の邸宅を最後の犠牲として食いとめてしまった。
この最後の犠牲は実に豪華版だった。
自分は夜明けの邸宅街を走って、裏側からこの津雲邸の庭に入り込んだ。
美しい、広い庭園だ。建物は、尖った屋根やヴェランダや、まるで西洋の中世期の寺院のようだった。それが火の海を背景に、そしてまた蒼い黎明の空を背景にくっきりと最後の姿を浮かべていた。
庭にはB29の翼が落ちていた。おそらく厚生省の傍に落ちていた尾翼と同じ機体であろう。その翼の上に、雀みたいに町民どもが並んで、
「惜しいなあ!」
「助けたいものだがなあ」
と、口々に嘆声を発していた。しかし、みな腕をこまねいているだけで、どうやらこの富めるものの潰滅の光景に、どこか歓喜をおぼえている眼のかがやきでもあった。
赤い火が、屋根の青い瓦を蛇のようにチロチロとなめはじめた。大邸宅はゴウ――と微かに、しかし重々しい、物凄いうなりを立て出した。
消防隊のホースはもうこの邸の方は放擲して、庭園の樹々を必死に濡らすのにかかっていた。自分は、いまこの燃えはじめた邸の一階、二階、三階を一人で駈け回ってみたい衝動を覚えた。
十人あまりのボロボロの菜っ葉服を着た少年の群が、長い塀に両手をかけて押し倒そうと汗を流していた。
「チキショーめ、でっかい家を作りやがったなあ!」
など、嘆声をあげている。近くの町工場の少年工であろう。その頭上から、樹々にむけられたホースの水が真っ白な夕立みたいに注ぎかけられた。彼らは濡れ鼠みたいになって奮戦していた。
津雲邸はついに炎の城になりかかっていた。
しかし夜はまったく明けたし、まわりは大体鎮火したし、もう延焼のおそれはまずなかった。自分は死ぬほど疲労していた。眼のまわりにクマが出来ているような気がした。この大邸宅の炎上する美観を見たいという芸術的欲望も、今にも倒れそうな睡魔にはかなわなかった。
恐ろしい混雑の町を帰った。
まだ津雲邸は燃えているのに、厚生省の前では数台の消防自動車がホースを長々とのばして、後始末にかかっていた。三人、手錠をはめられた男が、警官につれられて歩いていた。火事場泥棒らしい。
計画的群盗団が横行しているという噂もある。実際あの修羅の火の町の中では、強盗でも強姦でも、やる気になれば何でもやれるかも知れない。
最高の美と最低の悪が、火炎の中で乱舞する。恐るべき時代である。
一時間ほど死んだ魚みたいに眠りこけた。
眼をさましてから、火事場を歩いて見る。
この一夜に出現した荒野は、まだ煙と残火に燃えくすぶっている。津雲邸はなお巨大な赤い柱のピラミッドを虚空に組み立てていた。電車が数台、半分焼けたまま線路の上に放置され、罹災民がその中に眠っていた。負傷者が担架に乗せられてしきりに通る。炊き出し隊の前には何百人かの人々がバケツを持って並んでいる。米屋の焼跡には黒焦げになった豆の山が残り、女子供が餓鬼のようにバケツにすくい入れている。
下目黒の方へいってみると、二十四日焼け残った部分が、この朝きれいに掃除されたように焼き払われていた。町会はまた焼かれて、さらにどこかへ引っ越していた。
○電車、バス全く不通である。東海道線も不通だという。帰郷しようと思っていた自分は途方にくれた。この高輪螺子は高須さんの知人だから、高須さんはまだいいとして、その下宿人たる自分がいつまでもここにくっついていることは出来ないのである。その高須さんも、ともかく勇太郎さんといっしょに鶴岡近くの奥さんの実家にゆくことにして、自転車で上野駅に切符を買いにゆく。
夕刻東海道線は品川と鶴見間通じ、大船以西は通じていることが分った。しかたがない。鶴見と大船のあいだは歩くよりほかはない。
夕食、みなで酒をのんでいるうち、いっそ山田君、勇太郎君といっしょに君が山形県へゆかないか、と高須さんがいい出す。切符を買ったものの、高須さんは会社のこともあり、山形県へゆきっぱなしというわけにもゆかないので、東京で新しい住所を求める必要もあり、今夜旅立つのはやはり都合が悪いというのである。で、自分がそちらへゆくことになった。
但馬へ帰るつもりが羽前へゆくことになってしまった。何がどうなるのか見当がつかない。
依然電車は不通である。京橋にゆくと地下鉄が通じている。で、自転車二台を借りて、高須さんが自分をのせ、勇太郎さんがクラちゃんという女工をのせて、白金台町から京橋まで月下の町を走る。
至るところ余燼くすぶる廃墟の中を芝公園まで来たら、路上に散乱する物体のため、勇太郎さんの自転車がパンクしてしまった。しかたがないので、ここから高須さんとクラちゃんに帰ってもらい、自分たちは京橋まで歩くことにした。
まだ酔っぱらっていて、歌を歌いながら京橋まで歩く。途中日比谷公園で勇太郎さんは脱糞した。有楽町はコンクリートの建物だけが蒼い月光に浮かび、その間々にはまだ赤い火がチロチロと地上に燃えていた。人気のない月の町が赤あかと燃えているのは、恐ろしい神秘的な光景であった。
○京橋から地下鉄で上野にゆく。上野駅の地下道は依然凄じい人間の波にひしめいていた。
汽車にのってから気分が悪くなり、窓から嘔吐した。越後に入るまで、断続的に吐きつづけた。水上温泉のあたり、深山幽谷が蒼い空に浮かんで、月明は清澄を極めていたが、苦しくて眠られず、起きていられず、悶々とした車中の一夜を過ごした。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体]
○久しぶりに日本海の荒涼たる波濤を見る。しかしこれより北へは、自分ははじめて旅するのである。
越後寒川附近。人けのない白い砂浜に赤茶けた雑草がそよぎ、汀には太い丸太がころがっているのみ。家の屋根々々には無数の石がのせられ、寂莫とした海とよく映り合っている。裸の子供が三、四人砂浜で遊んでいた。
或るところでは「西」と白く染めぬいた赤い旗が立っていた。西風の意味であろう。浜には可能の最大限度と思われる位置まで田が作られている。或るところでは、浜で大きな木造船を作っていた。
列車は庄内平野に入った。田圃は青い畦で巨大な美しい碁盤のようだ。ふいにこの北国の野が憂愁にかげったと思ったら、はげしい驟雨《しゆうう》がわたり出した。
羽前大山駅についた。驟雨は去って日さえさし出した。
歩いて勇太郎さんの家にゆく。すなわち高須さんの奥さんの実家である。御両親のおじいさんおばあさんのほかに、奥さん、その妹さんの満ちゃん、満ちゃんの子供男の子二人、それから啓子ちゃんという可愛らしい女学生がいた。これはだれに属する女の子かよくわからない。
完全に焼け出された顛末、自分がここへ漂泊して来たいきさつを報告。
夕刻、奥さん、勇太郎さんと北大山駅近くの善宝寺という寺にいって見る。
碧い空に赤松が夕日を受けて燃えるようにかがやき、糸垂桜はまだ咲いていた。五重塔もある美しい大きな寺だ。本堂に入り、廊下の壁に高くかかげられた竜や王昭君の絵や、経机に幾百となく積みあげられた大般若波羅蜜多経や金色の祭壇を見て出る。
この寺にも東京小岩の学童が疎開していて、この五月に来たそうだ。みんな一生懸命に石段などを掃いていた。
山門を出て、ひなびた町を帰る。カラタチの垣根に白い花が咲き、赤い椿の花がこぼれ、牛の鳴声がするといった町だ。家の屋根はほとんど杉皮でふかれ、樽桶製作という看板が目につく。この町は酒と糟漬の名産地だそうだ。鳥海山はなお雪をかぶって遠く霞んでいたが、雲のため羽黒、月山は見えず。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体]
○快晴。いつまでも蒲団にもぐりこんでいたら、満ちゃんが早く|起きれ《ヽヽヽ》といって上って来た。なに、眼はずっと前からさましているのだといったら「瞑想にふけっていたのかや」といった。
○午前勇太郎さんと電車で鶴岡へゆく。町の劇場には、ロッパと米若と藤原義江の広告がかかっている。豪華版である。東京から逃げ出した芸人は、今やこんな地方の都市に安住の地を求めているのであろう。
鶴岡城を通って、さきに疎開した加藤さんの家を訪ねたが、加藤さんは留守であった。濠には柳の糸が垂れ、燕が飛んでいる。加藤さんの奥さんの話では、ここらあたりは夜に入るとすぐ燈火管制がなかなかうるさいらしい。東京ではいまごろは空襲の直前まで図々しく電燈をつけている。二、三ヵ月前の東京の「流行」がいまこんな田舎の町で再現されている。
帰りはバス。つつじと藤の花があふれる村々。――ああ、美しき日本の山河よ! これもやがては戦火にさらされるのか。
○午後、勇太郎さんの長姉の家にゆき、鰯で葡萄酒をのむ。鰯はシュンで大漁だが全然輸送ができないので、地元で食うよりほかはない由。葡萄酒は酒石酸をとったあとのカスを酒にしたもので、ヤケにしぶい。酒石酸は水晶の代用品となり、航空機の部品に使うというがよくわからない。夕暮帰る。菜の花が宵闇に浮かび、見わたすかぎりの田園に蛙が大合唱している。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体]
○美しい雨午前、レコードを聴く。「美しのマリエッタ」「あでびと」「マノリータ」など、東京とは別の世界に来たごとし。やがて雨あがる。金色の日光に柿の若葉と裏庭のチューリップが燃えるようにかがやく。
正午近く、半鐘が鳴り出した。空襲警報なのだそうだ。この町にもいたるところ大げさな防空壕が掘ってある。
○午後、勇太郎さんと湯野浜温泉に出かける。電車に乗り遅れたので、砂山を越えて歩いてゆく。砂山の頂上では、暑くてサルマタ一つになってしばらく涼んだ。
この温泉の十数軒のどの旅館にも「東京都小松川国民学校第一学寮」「第二学寮」などいう看板がかかり、いたるところ疎開の子供たちがウヨウヨしていた。浜では黒いカマキリみたいに痩せた子供たちが、先生の行司でスモウをとっていた。子供は健康にはなるだろうが、先生は大変だ。
或る一軒の旅館にゆく。勇太郎さんの知り合いのおばさんが湯治に来ていて、その部屋に入って、かきもちとお茶を御馳走になる。
すると、縁側に面した障子のはずれから、一年坊主くらいの男の子がちょっちょっとのぞく。ふりむくと、さっとかくれるが、またのぞいてはこちらのカキモチを見つめている。
「先生にスカられるけんど」
と、おばさんはいいながら、カキモチを持って子供に与えた。
子供はじっと餅を見つめていたが、やがてそっと口に入れようとした。その瞬間、さっと一本の手がのびて、カキモチを叩き落した。餅は手すりから往来へ飛んでいってしまった。五年生くらいの男の子が、一年坊主の前に立って、じっとにらみつけた。
「バカヤロ!」
と、少年はいって、すぐにどこかへいってしまった。
すると、それと入れ代って、三年生くらいの女の子が出て来て、何か一生懸命に叱りはじめた。――この三人は兄妹らしい。
なんたる壮烈な子供たち! 親が見たら涙を流さずにはいられまい。
夕、電車で帰る。砂浜の遠く近くに赤松の波がつづいている。松の衣更えの季節らしく、花が咲いて幾百本とも知れぬ白い指を空へむけている。
○B29五百機横浜を大爆撃した由。品川あたりもやられたという。高須さんのことが大いに心配である。
三十日[#「三十日」はゴシック体]
○曇天の下を、奥さん、勇太郎さんとまた湯野浜にゆく。今はなかなか一般客を泊めないのを、奥さんが頼んで「いさごや」というのに泊る。
ここにも疎開児童がわいわいと騒いでいる。しかしみな元気よく、準軍隊式に生活しているらしい。鈴蘭がたくさん白い吊鐘をぶらさげた鉢のある廊下などを、みな小さい尻を高くあげて掃除させられていた。
夜、奥さんが風呂にいっているあいだに、ふと勇太郎さんに、啓子ちゃんという女学生はだれに属するのか、ときいた。
「房」
と、ただ一語答えた、高須さんの奥さんの名だ。
電流に打たれたような感じだった。奥さんが高須さんと再婚だということは知っていたが、あんなに大きなお嬢さんがここにいようとは、まったく知らなかった。お父さんはずっと以前に死んだという。
夜、暗い海は夜雨のようなひびきをたてていた。一人の少女が自分の運命に突如接近して来たのを感じた。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体]
○朝、風呂に入り曇り空の浜を散歩。勇太郎さんと、帆船の尻に猛烈な風を起こす機械をすえつけたら船は進むか進まないかということについて議論する。勇太郎さんは進むといい、自分は進まないという。しかしなぜ進まないか、という理論的な説明が出来ない。
宿の下で、女中達が大きな鍋で学童達の衣類を煮ていた。虱が跳梁してこまるそうだ。
○夕晴れる。紫の横雲のたなびく蒼い水平線に、真っ赤な太陽が落ちてゆく。水にじゅっと音をたてそうな迅さである。その下から足もとの汀へかけて、金色の橋がかかったようだ。やがて浜は蒼茫と暮れはじめたが、その中に一人、労働者風の老人がじっと立って、いつまでも海を眺めている。
宿は十時に全部消燈。十一時ごろまっ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で、酒をのんで騒いでいる声がする。灯はどうしているのか、酔っぱらってくだをまいている女の声も聞える。声からして、東京を焼け出されて来た一団らしいが、子供たちが疎開している場所であることをわきまえないか。
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[#小見出し]  六 月
一日[#「一日」はゴシック体]
○朝から霧が深い。海は恐ろしいほど凪《な》いでいる。海鳥が白く、死神みたいに飛んでいる。浜で学童たちが整列して朝礼をやっている。南の方――宮城を拝し、それからいっせいに何やら合唱した。きいてみると、
「つぎの世をせおうべき身ぞたくましく
正しくのびよ里にうつりて」
という皇后陛下のお歌だそうだ。それから、やあっというかけ声勇ましく体操をはじめた。
九時に宿をひきあげる。二晩泊って四十九円いくらかであったらしい。半分以上は税金の由。しかし、夕食など、蟹、かれい、鯨肉と筍、おひたし、茗荷汁、お新香と、東京では夢のような御馳走であった。
○大山に帰り、湯疲れの気味もあったが、午後また鶴岡へゆく。帽子のアゴヒモを買う。この間火の中で、水につっこんではかぶり、つっこんではかぶりしていたので何処かへ飛んでしまったのだが、こんなものでも東京にない。ハブラシ四個(一個一円五十銭)と団扇二十本を買う。店で買えるものといったら、こんなものしかない。
夕、大山の古峰山と泰平山に上る。森々たる杉が宵闇にそびえ、堤の水が廃屋に残った鏡のように白くひかり、蒼茫と芦がそよぎ、釣舟が一つ二つ南画みたいに浮かんでいた。勇太郎さんの長姉、山の家へいって紅茶をもらう。このあたりは、紅茶を紙で巻いて煙草の代りに吸っている由。
闇の中を、葱の白い坊主が幻のようにゆらめいている道を帰る。
○明朝いよいよ帰京するというので、夜は一時過ぎまで、味噌を樽につめたり、鰯の塩漬や米や弁当をリュックにつめたり大騒ぎ。みんなほんとうにいい人だ。幸福な家庭だ。
これは決して勇太郎さんの家を見ての感想ではないが、自分は幸福な家庭を見るとき、いつも胸の中で何者かが薄暗く首を垂れるのを感じる。そしてまたその首が薄暗くもちあがるのを感じる。その首がつぶやく。この不幸がやがておれの武器となる、と。――
二日[#「二日」はゴシック体]
○朝四時半ごろ起きる。家の人々はもう起きて準備万端整えていてくれる。お礼をいい別れを告げて家を出る。曇っているが暖い。五時五十五分、羽前大山駅発車。
越後に入ると、雨になった。越後堀之内のあたり、新緑ちらほらと菜の花が咲いているのに、山かげや山のひだひだには、なお薙刀のように雪がひかっている。六月にこの残雪はただごとではない。
小出で弁当を売っていた。百キロ以上の切符を見せなければ売ってくれない。
湯檜曾《ゆびそ》界隈は、青い雪崩のような山峡に漠々と白い霧がみち、渓流に濁水が奔騰していた。越後から群馬に移るあたりは、遠くにまだ残雪をいただいた群嶺がひかり、雄大なスロープに牛が遊んでいた。暗い森の中を汽車が走るとき、雲がきれて金色の日光の縞が樹々を染めた。森の中を黒くひかるながれが、冷たそうなせせらぎをあげていた。車中、バルザック『アデイユ』を読む。
沼田で乗りこんで来たおばさんが、あたりの白い霧に浮かびつ消えつする山々をふりかえって、「猿飛佐助の現われそうな山だ」といった。
このおばさんは、五月二十九日に上野駅にいたという。横浜が大空襲された日だ。南から流れて来る黒煙のため、東京は夕暮のようになり、上野辺でも煙で眼をあけていられなかったという。
吹上の附近で、日は暮れて来た。雨はなお蒼茫とけぶり、絨緞のような青麦の野は虚空に青い微光を満たして、家も樹立ちもことごとくこの青い光の中に沈んでいる。
○八時ごろ東京に入った。警報も出ていないのに、全東京は闇黒であった。消燈しているのではない――家がもうあらかた無いのである!
それでも電車に乗りかえて、きびきびした東京の人々や娘たちを見ると心がはずんだ。自分は東京がなつかしい。たとえ焼土と化そうとも。
目黒から白金台町へ、電車がないのでてくてく歩いて日吉坂上の高輪螺子へ帰る。九時過ぎであったが、みなもう寝ていた。このあたり、横浜空襲以来もう五日目なのにずっと停電していて、夜になると寝るよりほかはないのだという。
火鉢に薪を燃し、その灯りで土産の酒を焼ガレイで飲み、一時ごろまで四方山《よもやま》の話をする。
横浜空襲の日は、品川の沖電気を狙ったのが、はずれたのか、すぐ傍の芝浦屠殺場がやられ、投弾の響と爆風のため、沖電気の鉄筋の建物も波のようにゆれ、高須さんはいよいよこれが最後かと思ったという。
三日[#「三日」はゴシック体]
○朝、自転車で下目黒の焼跡へいってみる。
途中の電車通りの焼跡もそうだが、いたるところ罹災者が一坪ほどの掘立小屋をたてて住んでいる。木という木は焼けはてたので、屋根も壁もみな赤茶けたトタン板である。入口には焦げた釜だの土瓶だのがころがり、中に寝ている老人などが見える。
どうしても東京に残っていなければならない人間、地方のどこにもゆくあてのない人間が、こんな鶏小屋みたいなものを作って住んでいるのだろうが、しかし人間の生活力の図太さには驚嘆のほかはない。
大鳥神社から清水の方へ――また五反田の方へ、自転車を駈けらせてみると、ただ一望の灰燼、いまさら茫然たらざるを得ない。
とくに五反田、また五反田から目黒へかけての町々は自分になじみが深いので、夢ではないかと思われるほどだ。五反田のごとき、白木屋の建物が一つ残っているばかりといってさしつかえない。駅も焼けて、白木屋で切符を売っている。
これは現実のことなのか。ほんとうに何もない! 赤い焼土の上には、ここもまた鶏小屋みたいな赤トタンの塊が、ぽつりぽつりと散在しているのみ。――その中を、陸軍のトラックが群をなして往来している。陸軍関係の建物が焼けたので、どこかへ引っ越しをしているらしい。碧い明るい初夏の空だった。日の色はいつのまにか、すっかり白く眩しく変っている。暑い。
自分の以前に住んでいた下大崎二丁目のあたりももちろん無い。逓信省電気研究所はさすがに残って、その足もとにコビリついたわずか五、六軒の民家の中に、驚いたことに双松荘が見えた。このボロアパートは残っていたのである。白い干物をかかえた楊白石老人の姿も見えた。
白金台町に帰る。電気がやっと動力の方だけ来始めたとのことで、ロクロがゴーゴーうなっている。二人の男工員、三人の女工員が一心に捻子を作っている。二階に上ってみると、おやじは腹這いになって「千種花双蝶々」という変体仮名の春本を、眼を赤くして読んでいた。
○ひる、高田馬場へいっていた勇太郎さんが、眼をぱちくりさせて帰って来た。山形県へいっている間にアパートが焼けてしまって、いつのまにか御自分も無一物になってしまっていたのだそうだ。みなげらげら笑い出す。
○午後、新しい家を探して、二人で世田谷区三軒茶屋へ自転車を飛ばす。路々ほとんど焼野原だ。もう東京には、めぼしい、町らしい一劃は存在しないだろう。いつか、東京全部が焼けつくすには二年かかるとか何とかいっていたが、とんでもない話である。ここらあたりも陸軍のトラックだけがしきりに動いている。
勇太郎さんが心当りの三軒茶屋の家は、家主が焼け出されてそこに転がりこんでいたので駄目であった。
○さあ、弱った。住む家もない。生活の道具も一つもない。いつまでも高輪螺子に厄介になっているわけにはいかないが、下宿すべき家はどこにもない。第一、蒲団はどうするのだ。書物、ノート、机、鉛筆、それに洋服、傘、下駄はもとより、着換えのシャツ、サルマタに至るまで何にもない。時計、ラジオ、洗濯盥、バケツはおろか、庖丁一つ、俎一つないのである。いままで笑っていたが、ほんとうに笑いごとではない。
「罹災って、やっぱりあんまりよくないことだなあ」
といったら、おやじは春本からジロリと眼を離して、
「何のんきなことをいってやがる。あたりまえじゃあねえか。焼け出されたら何かいいことでもあるのかと思っていたのか」
と、いった。
焼けたものについては一切愚痴はいわないというみなとの約束なので、ウーンとうなって、ただいたずらにあごを撫でまわす。ただ、いつまでもこうしてぶらぶらしていることはできない。それにまた今夜にでもドカドカと来て東海道線が不通になったら万事休す。
とにかく故郷に帰ってシャツ一枚でももらって来なければならない、と突然発心して、あわてて握飯を作ってもらい、七時過家を出た。
○品川駅のフォームで時間表を見ると、東海道線は小田原止りばかりで、遠いところへゆく列車は二十二時五十五分と、二十三時二十分の広島行だけである。
十一時ちかくまで、四時間もここで待つ。腹がすいて、いま眼と鼻の先で作ってもらった三つの握飯をみんな食べてしまった。
午後十時五十五分の列車、すでに満員で来る。
○横浜はまだ燃えていた!
二十九日の朝やられたというのに、三十日、三十一日、一日、二日、三日のきょうの深夜まで、いったい何が燃えているのだろう。
月はまだ昇らず、ただ闇黒の中に、全市灰燼となった残骸が、赤い火をチロチロと、不知火の大海原のように燃えつつ拡がっている。棒杭のような無数の黒い柱が蛇の肌みたいに光って、何たる凄惨、陰刻、蕭殺の景か。――車窓から見て、みな嘆声を発した。
どっと罹災者が乗り込んで来た。この人々のため、空車になっていた最後の車輛が提供された。そこへ入って見ると、大半は負傷者である。丸太のように足を繃帯で巻いた少女、手を首にくくった老人。そして仲間にかつがれて入って来た物体は、ミイラみたいに全身を繃帯で巻かれて、ただ顔面に、眼と鼻と口が四つの小さい黒い穴をあけているばかりで、老人か女か見当もつかない。「可哀そうに、可哀そうに……」という声が聞えた。
○茅ケ崎で警報。みな車中で騒然となったが、B29一機ときいて安心。きょう正午偵察に来た一機は珍らしく撃墜したそうである。
四日[#「四日」はゴシック体]
○車中のいやな暑さにたえかねてデッキに出る。
ここにも人々は蹲って眠っているが、さすがに涼しい。二時半ごろ、駿河湾に白い半月が昇った。風はないと見え、海は濠のように凪いでいる。次第に空気が夜明けの蒼みをたたえて来る。寒さをおぼえてまた車中に入る。
○座席は三人掛、肘かけにもそれぞれ尻をのせて、通路は歩けないほど、みなギッシリと座りこんでいる。みんな、眠っている。いや完全に眠ってはいないのだが、猛烈に舟を漕いでいる。ほとんど額が腹につくほどふり下げて来ては、またぐらっとふり上げる。それが無意識的なのだが、あんなに猛烈な運動をするくらいならいっそ起きていた方が楽だろうにと思うのだが、睡魔と疲労には抵抗しがたいらしい。
暗い電燈に照らされて、おちくぼんだ眼、天井にひらいた二粒の黒豆のような鼻の穴、ぽかんとあいた紫色の唇から褐色の舌がのぞいて、眼の周りにも頬にも何か痣でもあるように見える。若い娘も老婆のようだ。いや、実際に若い女と見知らぬ老人とがいつのまにか頬と頬がくっつくほど寄りかかって、ぐたりぐたりと眠っている。深夜の車中は、あさましくて、貧しくて、寒々として、ただ「醜」の一字に尽きた。
自分一人立っている足もとの通路には、朝鮮人の女がそばに五人の幼児をごろごろさせて眠っている。これまた力漕また力漕しているのだが、胸に抱いた赤ん坊だけはしっかり放そうとはしない。たるんだ大きな乳房をふくませているのだ。幼児も眠っている。ときどき無意識的に小さなこぶしで乳房をつかんでしぼり、唇をうごかす。この母子は今こそそれぞれの本能だけで生きている。醜く美しく、貧しく壮厳なる人間カンガルー。
ちょっと前方の座席には、いままで肘掛に尻をのせて通路に足をぶら下げていた四十男がいつのまにか尻を座席に落してしまいそこに座っていた五つくらいの女の子がハミ出して、すぐ前の座席と座席の間に縦に立ててある大きな行李にかじりついている。しかし行李が大き過ぎて、つかみどころがないらしい。壁に這い上った蛙の子みたいにムシャぶりついて、立ったままコクリコクリやっている女の子は、次第々々にズリ落ちて座りこんでしまおうとするのだが、いかんせん行李と両側の大人のひざのために座ることも出来ない。ふらふら立ちあがっては、また行李にムシャブリついてコクリコクリやっている。ときどき眼をつむったまま、泣きそうな顔になる。思いがけない怒りの表情さえ頬に浮かぶ。しかし、周囲の強力な大人はことごとく眠っている。本能的に女の子は泣いても訴えても無駄なことを知っている。かくて幼児は、ついに立ったまま眠った!
冷然と一人車中に立ってあたりの光景を観察していた自分も、ついにこれには辛抱ならず、幼女をハミ出させた四十男の傍へいって、その肩を叩いてもとの位置に帰らせ、女の子を座らせてやった。女の子は眼をつむったまま、本能的に座席に戻り、そのまま眠りに落ちてしまった。
この少女の大脳には、この一夜どんなに自分が悪戦苦闘したか、そしてまた一人の学生がそれを救ってくれたか、永遠に印象をとどめることはあるまい。――夜が明けて来た。
○浜松に来たときはまったく明けはなれていた。ここもまた爆撃に赤い焼土を拡げている。熱田から名古屋にかけては、さらに凄惨を極める。曠茫《こうぼう》たる焼野原の広さは東京に匹敵する。大きな機械が焼けただれて、ずらりと遠くまで並んでいるところを見ると、おそらく工場の内部だったのであろう。赤く焼けた起重機が碧空に、古代の恐竜の化石のように空しくそびえている。例のトタン小屋が点々と建てられ、工員の大群がもうその中を工場へ急いでいた。
名古屋でまたどっと乗り込んで来た。窓から入って来る奴もある。
軍人が乗り込んで来るときは黙っていたくせに。次の工員風の男が窓に足をかけると、「駄目だ駄目だ。こんなところから入るもんじゃねえや、馬鹿野郎」と窓をとじてしまう。そのくせ、その後から若い女が、「お願いですっ、入れて下さいね。ね。お願いするわ」と哀願すると、たちまち窓をあけて、「あ、いいよいいよ」とか何とかいって、抱きあげて運び入れてやっている。人間は女に生まれるか、刀を持って生まれて来るにかぎる。
車中では沖縄の戦況に関する憂色をたたえた話が多い。神雷特攻隊、義烈空挺隊、などいう語も聞える。
「本土にあげなきゃいけません。二、三百万本土にあげてみんな叩いたら、なにアメリカだって音をあげますさ。なあに、日本が敗れてたまるもんですか!」
と、小さな老人が威勢よく唾を飛ばしている。どうやら横浜を焼け出されて来たらしい。猛火の中から救い出して来た唯一のものとかいう伝家の日本刀を、傍の軍人に見せている。軍人は抜きはらって、羨ましそうな嘆声を発している。
このあいだの山形県への往来のときもそうであったが、召集があったと見えて、この東海道線も至るところ、万歳万歳の声が聞える。出征兵は四十前後の人が多い。汽車が走り出しても、線路に沿って、十数人の少年工たちが追っかけて、走りながら帽子をふったり上衣をふったりして見送っている。
|醒ケ井《さめがい》あたりはゲンゲの花が美しかった。浜松附近はもう麦秋の景であったのに、この附近の麦はまだ青々としている。石山を発車してまもなく警報が鳴った。
○午前十時京都駅に到着。
午後三時五分の鳥取行しかない。それを待って、山陰線のフォームでバルザックの『谷間の白百合』を読んでいると、うしろから「山田じゃないか」と呼びかけた者がある。
若い軍人が立っていた。見たような顔であるが、例によって自分はその名を忘れている。
「田熊だ」
と、彼はいった。思い出した! 中学時代の同級生である。
千葉の連隊に勤務していたが、こんど大阪に転任を命じられた。明日十時大阪に集合、編成を終り、兵をつれて南か、或いは九州へゆくことになろうといった。学徒出陣で出た一人で、金条一本星三つ、何だかえらそうなので、そりゃ何だいときいたら、幹部候補生だといった。何しろ千葉から大阪へ直行すべきところを、最後の別れを告げるべく郷里へ寄ることにしたのだから、三十分でも時間が欲しい。とにかく途中の綾部行の汽車にでも乗ろうというので、今出ようとしていた汽車の最後部に飛び乗った。
田熊が水筒に詰めて来た酒をのみかわしつつ、二人で沖縄戦について悲憤する。もはや本土が戦場になることは避け難い。しかし最後の一兵まで、国民の一人まで死物狂いに戦ったらきっと勝つ、というのが二人の結論だった。
しかし、B29の話になると、二人とも苦笑のほかはない。田熊は殺人光線式の新兵器が完成しているという。自分も以前に、桜五号とかいうB29撃墜用の新航空機とか、米本土爆撃用の航空隊の話などきいたことがある。しかし、それは一向に現われない。あやしいものだと自分は思う。もしほんとうにB29撃墜用の飛行機があるなら、いいかげんに現われてくれないと、日本じゅうきれいに無くなってしまうだろう。とにかく新兵器の幻を夢みつつ滅んでしまったドイツの轍《てつ》を踏んではならない。
田熊は、目下日本では必死に毒ガスを製造中だという。戦争に負けてなお生き残ろうとする国ではないから、破れかぶれに毒ガスを使うのも結構だろうが、それより前にまずB29を何とかしないと、こちらの方が毒ガスで全滅してしまう。
綾部に下車、福知山までゆき、さらにここから豊岡行に乗りかえる。これでも三時五分京都発の鳥取行に乗るより一時間早くなるそうだ。田熊は明朝二時にはまた大阪行にのってひき返すのだそうだ。
自分はバルザックの小説と奉公袋だけの恐ろしく簡単な品物しか身の周りに持っていないが、田熊はみな家に置いておくのだといって、書物の入った大トランク、軍装品の入った大行李、それに紫の帛でくるみ赤い房のついた軍刀など、なかなかの大荷物なので、乗りかえるたびに大変だ。
中学時代の同級生も二、三十人はもう死んだという。特攻隊でいった者もあるらしい。
「ああ、あの中学時代、だれがこんな運命になると予想していたろうか?」
と、二人は悵然として天を仰いだ。実に万感無量である。
八鹿駅で自分は下りた。
「また今度笑って逢えたら倖せだなあ」
というのが二人の最後の別れの言葉だった。
夕刻バスで関宮につく。バスは一円三十銭にはね上っていた。
――これが五月二十四日から六月五日まで、十二日間の記録である。
五日[#「五日」はゴシック体](火) 晴夕曇
○裏の畠にも麦が作ってあり、穂をふくみはじめている。叔母に命ぜられて土をかう。柿の花はすでに散って青葉は燃えたっているが、おびただしい毛虫がついて葉を食い荒している。叔母の話では凄じいばかりの毛虫の大群が山野にみちている由。駆除するにも薬がない。手のつけようもないが、ピンセットでつまんでみると面白いので、大きな瓶をたちまち一杯にしてしまう。
○村にも疎開の子供が大阪方面から来ている。そのため村中虱が猖獗を極めている由。
○夜雨。『谷間の白百合』読了。
何とうるさい白百合だろう。これが白百合なら、日本じゅうの女はみんな白百合だ。
ただバルザックは貧しい青年の熱情を描くとき、彼自身異常に熱情を燃やすようだ。バルザックも若いとき恐らく、貧乏を経験したものに相違ない。
○朝からラジオは阪神地区に来襲したB29の模様を叫んでいる。夕方の発表によると来襲機三百五十機、その中二百機を撃墜破せりと。
六日[#「六日」はゴシック体](水) 晴夕曇
○六月の日の光の中に、紅薔薇と芍薬が花盛りだ。池に佇むと、鯉が寄って来る。このごろほど無心な動物が幸福に思われることはない。
○昨夜は爆撃の夢を見た。「B29二機長崎を爆撃」とあって、例の白い魔影が長崎の寺院の尖塔の上に並んでいる写真がのっている新聞の夢だ。これは敵機のまいたもので、日本の勝目のないことを科学的論法を以て書き立てた宣伝ビラの夢である。
これは先日、車中で田熊が見せたビラのことが頭に残っていたせいに相違ない。それは東京にB29がまいていったもので、ハガキの二倍大、表には聖路可病院の写真が色刷でのり、裏には「米国から日本への贈り物」と題打って、大体次のような意味の文句が書いてあった。
「日本の軍部は天皇陛下の御裁可を経ずして真珠湾を攻撃した。……吾々の敵はこの野心的な軍部であって君達国民ではない。……君達の勇敢なことは吾々もよく認めた。しかし戦いは明らかに君達に不利である。この上の抵抗は無益な犠牲を増すばかりである。米国の船舶航空機の生産力は、日本とは太陽と星ほどちがう。君達が戦うなら、吾々は一物もなきまでに徹底的に大爆撃を反覆する。しかし吾々は平和を愛する。そんな暴力を逞しうするに忍びない。日本国民諸君よ! 君達の幸福はまず剣を置くことから始まる。そして戦争以前の友達になって米国に手をさしのべて来たまえ。吾々は君達を決して不合理な待遇で迎えない。……云々」
さすがにうまいものである。
しかし彼らは、日本人が降服の上にいかなる幸福もあり得ないことを信じていることを知らないのである。
○夜雨。鈴木大拙『禅と日本文化』を読む。
七日[#「七日」はゴシック体](木) 雨
○向いの青山の頂上に霧が白じろと漂って、けぶる雨、冷たい暗い光をはなつ但馬の風物。
ずっと昔の「新潮」に中村武羅夫氏が、晴れた日の山陰の豊かな風景を絶讃し、山陰という名でだいぶ損をしていると書いていたような記憶があるが、見当ちがいだ。自分は実に適当な名だと思う。
山陰は暗い。澄んでいる。寂莫としている。そこに山陰の美しさがある。こういう雨の日に窓外を見ているときほど、幼い日を想い出し、身もふるえるような郷愁(尤も今は帰省しているのだが、幼い日の故郷に対する郷愁である)に襲われることはない。
○渡辺喜三『遺伝の研究』を読む。
八日[#「八日」はゴシック体](金) 雨
○梅雨に入ったのであろうか。暗い庭にあやめと立葵の花が咲いて、冷たい風にゆれている。双方とも日本の色ではなく、フランスの色のような感じがする。日本の赤は柿の赤であり、茄子の紫だ。
○蚊帳を持っていてもまた焼かれるだろうから、ガーゼを縫って蚊帳を作る相談。
○フローベール『素朴な者』を読む。
九日[#「九日」はゴシック体](土) 曇後晴
○朝からラジオは阪神地方の空襲を叫んでいる。六月に入って以来、B29、四百機、三百五十機、二百五十機と阪神のみに間断なく来襲す。本日は百三十機程度なるがごとし。
村にもしばしば半鐘鳴る。時に投弾するがごとき異様の轟音つたわり来る。まさかこの僻遠の山村に投弾することあらざるべしと思えど、この音見当つかず。|氷ノ山《ひようせん》の高射砲陣地にあらずやなどいう者もあり。
○夕、突如悟りをひらきたるがごとく日本の必勝を信ず。自分自身が、追いつめられ攻め寄せらるる日本人の一人なることを思うときは、心配なり、苦痛なり、恐怖あり。しかれども眼を離して、日本人とアメリカ人の頭上より俯瞰するとき、本土上陸恐るるに足らず、剽悍勇猛の日本人一億、何とて長駆して来れる驕慢のアメリカ人にむざと敗れんや。血風下に必ずや彼をして絶望の剣を投げしむること不可能にあらずと信ず。
十日[#「十日」はゴシック体](日) 快晴
○白日燦々。柿や麦や桜や椿や梅や木犀や、すべて青き炎のごとく燃ゆ。暑ようやくはげしからんとす。
○旅客列車。現行の二割五分大幅削減の発表あり。上京不可能となることを怖れ、至急八鹿に出でんとしたるも、どういうわけかバス来らず、数時間待ちてむなしく帰る。
○沖縄戦ついに最悪の事態迫る。本土決戦眼前にあり。臨時議会に於げる鈴木首相、阿南陸相、米内海相らの国民に告ぐる声、切々悲痛を極む。
敵勢いにのり、一挙に本土に上陸し来るか。その上陸地点はいずこならん。
或いはまた沖縄の基地を整備し、マリアナ、硫黄島よりも、さらに連日大々的に本土爆撃を続行し来るか。
いずれにせよ今回上京せば、ふたたびこの故郷に帰る日あるや否やは疑問なり。叔父、なんじ東京で死ね、われらもここで死なんと微笑していう。
十一日[#「十一日」はゴシック体](月)
○十時半のバスで八鹿にゆく。罹災者用衣料切符にてシャツ一枚、足袋二足、糸十匁を買う。
八鹿駅にゆくに行列混雑猛烈なり。午後のいま切符買いの行列に並びある人々、朝暗きうちよりここにありという。
駅長に会して医学生として上京せざるべからざるゆえんをいう。空爆のため目下掛川以東不通なり、開通次第申告しおくゆえ、二、三日中に電話にて打合わせ来れと駅長いう。この前のことより余を手強しと思いおるごとし。
会社員、工員、労働者ら傍にあり、みな蠅のごとく手すりて、大阪や姫路や尼ケ崎ゆきの切符を特別に売り呉るるよう哀願す。中部軍の証明書や海軍技術云々の証明書を机上に展示し、もし間に合わざれば厳罰をくらう云々と切願しあり。駅長困惑して、一々理由きけば尤もなり、されど実際間題として切符なく、朝来の千客ことごとく貴君らと同じと首をふるのみ。
○バスにて帰る街道、麦ようやく黄ならんとす。馬鈴薯の葉は黒青。この道グミ多く、黄に赤に枝ようやくたわわならんとす。
夕六時電話にて八鹿駅に尋ねしに、東海道線開通せり。明日の切符申告許可せらる。早目にとりに来れと。
夜雨一時過ぎまで叔父叔母と語る。ふたたび逢う日を期せざれば、珍らしく優し。
○「武士道の将来」に於て新渡辺博士曰く「悲しいかな。武士道の徳や、悲しいかな武者の誇や。鉦鼓※[#「金+堂」、unicode93dc]々の声を以てこの世に迎えられたりし道徳は、今や詩人の将軍も去り王者も去りぬ≠ニ歌えるがごとく、衰亡回すべからざるの命数にあり」と。
爾来、約半世紀の星霜をけみして、果して然るや。日本武士道滅びたりや。否!
日本人がいまや眼前の大惨禍を勇躍して迎えんとするもの、これその魂の中に降伏を知らざる武士道、脈々たるがゆえにあらずや。
この半年、数ヵ月、最も恐るべき未来なるを吾知る。若し吾にしてその気あらば、この山深き故郷に於て小学教師でもして、難をしばし避くるを得べけん。而も今や手に唾して轟音鉄火の帝都へ馳せ帰らんとするは、すなわち名誉の念なり、廉恥の魂なり。もとよりこれみずから安んずるの言にはあらず、余のごとき臆病者にしてすでに然るをいうのみ。
十二日[#「十二日」はゴシック体](火) 雨
○雨ふる。八時家を出る。
八鹿駅にゆくと、駅長の卓をかこみて、きょうも六、七人、或いは何々工場、何々製作所、或いは何々技術etcの証明書を出し、大阪や尼ケ崎や姫路へ帰らざるべからざる理由をのべて叩頭しあり。みな罹災し、家族を送りて一度帰郷せる人々なり。駅長ほとんどこれを斥く。余の切符はすぐにくれたり。
○午前十時五分発す。
福知山駅よりしばらく車窓の鎧戸を下ろさしむ。この近辺飛行場などの軍事施設でも設営中にや。これ果してその効あるか。知らざれば何の気もなく眺め去る景、このためみな好奇心を誘発せられ、特に見んと欲する者はデッキにゆけばこれを見るを得べし、スパイには何の価値もあらざるなり。ただし、恐るべきは一人のスパイにあらずして千人の無心なる日本人同士の流言か。どこそこで何を見たりとの悪意なき、為にせざる、しかもセンセーショナルの会話を防止せんがためか。――やはり鎧戸を下さしめたる方賢明なるやも知れず。それに今の日本人には、好奇心薄れたり。見ざれといわるれば、それを恐るるにはあらで、虚無的なる、無頓着なる顔して一人も見ることなし。
車中の会話。――食物の不足いよいよ急を告げあるにこの語なく、ただ空襲の話、沖縄の話のみ。
八木駅の傍には、雨に濡れて飛行機一機墜ちいたり。真紅の日の丸、翼の亀裂にゆがみたる円を描く。
午後二時四十分京都着。しばらく五月雨けぶる京都の街に出《い》ず。
桐の並木みどりに霞みて、チョコレート色の電車走る。丸物百貨店に入る。ショーウインドウに「京都大空襲必至」と太文字に書きたるポスターあれど、店内灯ともりて美しく、物もとより不足なれど、東京のデパートより大分豊富なるがごとく感ぜらる。
実に京都の壊滅は眼前にあり。ここ二ヵ月ここ旬日の間にも、いま眼前に見る街の廃墟となるはほとんど確実なり。しかるにこの京都の街の人心如何。指呼の間、大阪はすでに徹底的に破壊され終んぬ。京の人もとよりおびゆ。しかれども人は己の身に痛苦至るまで、どうしてもピンと来ぬもののごとし。街上の防空壕も京都らしく繊美にして、建物疎開も児戯に類するもののごとし。
聞く、東京灰燼に帰しつつあるを見、しかも一度も空襲を受くることなかりし横浜は、米国、彼が交易の地なりしを愛惜し、この町この港は爆撃なかるべしとのささやきすら交されし由。而して一日六百機猛襲し、瞬時の間に全滅し去る。吾人すら東京にありて三日敵機来らざれば空襲など遠き昔の話のごとく忘却し去らんとす。この神秘なる――神秘なるばかりに鈍感なる人間心理は実に研究に値するものなり。憂うらく京都の人、恐れつつ、覚悟しつつ、而もこの観光を以て世界に聞えたる古都、或いは米国もこれを惜しむと思いあらずやと。これを訊《といただ》せば彼ら否定せん、而もその心底にかかる一縷《いちる》の自慰なきや。危きかな。
されど、雨にけぶるこの美しき古都を見るとき、余は予言者の誇りはつゆ感ぜざりき。哀惜の念胸に満ちき。出来ることなら助けたきかな。東京大阪ごとき雑然紛然たる大ガラクタ都市はふたたび成るに易し。新しき東京は帝都の面目を具うべく、新しき大阪は商都の相を全くすべし。されどひとたび失われたる京都は永遠に帰らず、そはこの町が過去の象徴なればなり。あたかも幼き日の唯一のアルバムのごとく再生するを得ず、ふたたび成る金閣銀閣、まことの金閣銀閣ならんや。
東本願寺にゆく。
堀の蓮に雨の水玉白く暗くひかる。山門の太き円柱、牡丹に唐獅子浮彫せる青銅の打物に鳩の糞白くななめに流れて乾きたり。山門内の庭にはウマゴヤシやクローバ蓬々たり。
本堂内に入る。大障子も破れ果てぬ。暗き大広間、仏壇の前に二十歳あまりの若者一人、国民服のまま端座しありしが、突如拍手を打ちたり。仏微笑してさぞや幸福なる功徳与え給わん。トルストイの「三人の隠者」を思う。廻縁に沿いて裏に回る。牡丹描きたる大衝立の陰に、青錆古き仏燈や雪洞、また経机に浄土宗和讃十冊あまり積まる。
本堂を出でて休憩所に腰を下ろし、細雨ふる景観を望む。雨中に鳩しきりに鳴く。庭には蛸壺式の防空壕無数に掘らる。隣の腰掛の軍人、竹の皮に握飯の粒残りたるを地に置くに、鳩群がりてこれを食う。くちばしにつきたるを互いにつつき合うあり、目白押しの背に、翼鳴らし尾を可愛ゆき扇のごとくひろげて飛び乗るあり。庭たずみに鳩の頸の羽毛よりながるる紅と青との反映虹のごとくうつる。梵鐘ここはいまだ残る。あわれこの大伽藍の命数いくばくぞや。哀愁胸をふるわさずんばあらず。
門を出《い》ず。街上の公孫樹暗くしげりて、夏草にふる美しき雨、初夏の憂鬱をたたえたり。瓦ぶきの家多し。花屋町より烏丸通りを鍵屋町へ歩む。漢薬ひさぐ家あり。ガラス瓶に白蛇や亀や猿の首や蛞蝓《なめくじ》や土竜《もぐら》やとかげや山淑魚やいもりや鹿の胎児や、あたかも西洋の妖婆が鍋で煮る材料を盗み来りしごとし。雨にぬれつつ、興味津々としてこれを眺む。かかる旅にわれも物好きの男かな。
東京行いたく遅る。四時五十五分発のはずなりしが、大阪発なるに京都を出でしは五時半なり。雨どうどうと車窓を洗う。
上りなれば客次第に減ず。昔と逆なり。
この車中も依然空爆談。沖縄談。
大阪のあそこもなし。ここもなし。――焼夷弾の数多ければ火の回り早くしてとうてい消すなど思いもよらず。――爆弾は恐ろし、実に恐ろし、等々。
しかもなおおかみさん連曰く。
「これで一人前になったんや。いっぺん焼かれんと大きな顔できまへんわ」
「B29にくいやっちゃな。何とかサイパンがなりまへんもんかいな。戦争はお互いやさかいな。あっちゃにもちっと熱がってもらわんことには」
「落下傘で下りて来よる。そりゃだれかて命は惜しゅおまっさ。けんど人殺しに来よって、落下傘で下りりゃ助けてもらえると思ってるのだっしゃろか。虫がよすぎて、ちょっとこっちゃに分りまへんな」
「もう少しの辛抱だっせ。ここでがんばるこっちゃ。歯をくいしばってがんばるこっちゃ。大臣さんそうおっしやってるもんなあ」
日本の女の強きかな。されど沖縄の戦局に対してはみなすでにあきらむ。
「もうだめでっしゃろな。時間の問題≠轤オうおまんな、可哀いこと、見殺しやものな。――」
日本人は諦めがよすぎるなり。粘り、執拗さ、往生際の悪さが足らぬなり。吾も勿論その通りなり。されど国民をしてかくいわしむるは、今までの戦例と、新聞の悲観的論調の他なし。――要するに、有馬少将のいえるごとく「百論一勝に若《し》かず」
浜松前後、闇夜なるにまた鎧戸を下ろさしむ。車中の電燈は両端の二個のみ赤き弱き光を下せり。梅雨来れるか、夜次第に明け、野に冷やかなる水満ちぬ。
横浜より東京に至るすべて灰燼。渺茫の野赤くただれて、雨暗くけぶる。ところどころに幽霊のごとく立つ煙突より黒煙あがる。生産なおつづけつつありや。されど滅亡の曠野に雄たけぶ瀕死の巨獣のごとく悲壮にしてまた凄惨の景なり。
この廃墟の復興いかにすべき。日本じゅうの山を裸にするともなお足らざらんとさえ思う。
十三日午前五時四十分。品川着。車中にてバルザック『従妹ベット』読み終る。
十三日[#「十三日」はゴシック体](水) 午前細雨午後曇
○ひるまで高輪螺子の二階に眠る。
高須さんは山形県へゆけりと。余はいかにすべき、途方に暮れはてたり。
十四日[#「十四日」はゴシック体](木) 曇
○朝登校するに、生徒二、三十人しか来ておらず。いずれも罹災してみなそれぞればらばらの態なり。
掲示板見るに、学校は信州飯田に疎開すと告示あり、大いに驚く。二年三年は飯田に、一年生は茅野なりと。二十日までに各自の荷五十キロ以内(夜具、学用品、洗面道具、食器etc)を持ち来れと。七月十日より彼地に於て授業を開始する由なり。
この焼土の帝都捨てていまさら疎開するは逃ぐるなり、豈耐え得んやと悲憤する者あり、騒然たり。余もまた同感なれど、その心情とはまったく別に、現在住むべきところ東京にあらねばこの疎開のこと、その点だけは天の助けのごとくに思う。
早速松葉らと図書室に入り、向うに運搬すべき書物の選定を命ぜられ、働く。
○今晩零時警報。敵六目標。九十九里浜沿いに北上、日本海に機雷投下。正午一機来。
十五日[#「十五日」はゴシック体](金) 曇
○図書室暮し。座りこんで石原純『相対性原理』など読む。
○大阪へまたB29三百機以上来襲せりと。
十六日[#「十六日」はゴシック体](土) 午前雨午後曇
○深夜B29十数機相模湾に来り機雷投下。
○正午B29帝都に来り。ビラを撒布す。無数に学校内にも落下し来る。「マリアナ時報」なるものなり。
○図書室整理。『学校内救急処置』を読む。
十七日[#「十七日」はゴシック体](日) 曇後晴
○正午B29一機来。
○午後美しく晴る。三時ごろ日吉坂を下りて二キロあまりの銭湯にゆく。東京村≠ニ改名してもさしつかえなきばかりの焼土の中に、このあたり珍らしく人家なお残れり。風寒く日光背に熱く、あたかも秋の日のごとき寂寥の気町に満つ。夕まで芥川の短編を読む。
○夜ひそかに学校へ訣別の辞を草す。
「今やしばらく別れんとするに当り、わが愛する母校に告ぐ。
母校よ、まず見よ、四辺荒涼粛殺の景を。夏たけなわならんとして鳥啼かず、草木緑ならず、ただ鬼哭愁々《きこくしゆうしゆう》たる瓦礫の曠野なり。これ何者のなせるわざぞや。
吾らは銘記す七十日以前、帝都の夜空、銀河を覆って襲来せる敵魔翼の群は、鬼畜のごとくこの地一帯を焼き払えり。この夜遠く炎の瀑布なす帝都西北の空を望みたる吾らは、悲憤切歯、また学校の運命を想いて露眠る能わざりき。しかも夜明けて馳せ来れる吾らが、余燼いまだ暗き天空に仰ぎたるは何ぞや。見よ、厳として燦たる母校の偉容ならずや。その姿、蒼穹に不死の頭揚げて雄たけぶ鷲のごとく、吾ら覚えずも涙禁ずる能わざりしなり。
偶然か、天佑か。あらず、吾らは誇る、四辺怒濤のごとく荒るる業火の中に、母校を護って敢戦死闘せる吾らが友あるを。
然り、伝統いまだ死なず、吾らまた今や一大荒野と化せる帝都の一角に、不屈の闘志以て敵機を迎え、不撓の微笑以て母校を護りぬかんとの覚悟を極めたりき。
しかるに今や吾らはからずも遠く信濃の地に去らんとす。
苦を避けんとするにあらず、難をまぬがれんとするにあらず。本土決戦は切迫せり。愛すべきわが同胞はことごとく剣を把って起たんとす。その血潮一滴もあだに散らすべからず、その骨肉一片といえども敵撃滅の弾丸たらしむべし。尊きかな同胞の生命や、かくて国家は一瞬一刻をも争いて、吾らが軍医たらんことを要請せり。今一人として馳駆せんよりは、明日百人の生命を提げて戦わんことを希求せり。吾らはかく信じて、しばらく戦雲暗き帝都を去らんとすなり。
されど、愛する母校よ、理は理なりといえども、情はすなわち如何せん、この学舎の陰に送りたる二年、一年、その歳月短なりというなかれ、その歌や、血や、涙や、笑いや、智恵や、これわが母校の歴史の縮図なるものを。
吾らはほとんど戦いの子なり。その幼き日より耳に軍鼓の響絶えず、なかんずくこの東医時代はすなわち有史未曾有の国難期にして、吾ら眼に花を見ず星を見ず、しかも美しきかがやかしき母校の伝統と追憶は、一個燦爛たる珠玉として胸底に彫らる。かくていま母校を仰げば、人よ、女々《めめ》しと嗤うことなかれ、吾らげに万感悲愁胸に迫り、双眼に涙なきを得ざるなり。
吾らいま行かんとす。ゆきてのち吾らの運命如何、残りてのち母校の運命如何、神のみぞ知る。ただ吾らは信ず、運命を支配するは吾ら自身の戦わんとする意志のみなることを。
母校よ、見よ、遠く信濃の地にゆける吾らを。愛と団結鉄のごとく、切磋琢磨、全身全霊をあげて医学を研鑽し、断じて国家の期待にそむかざるべし。
吾らは誓う。吾らが兄や友や、すでに必死必殺の特別攻撃隊として悠久の大義に殉ぜり。吾ら何ぞおくれんや。祖国しばらく血風に曇るといえども、青春赴難の讃歌絶えず、懸軍万里の敵、桜花のもとに殲滅し、一人も生きて還らしむることなかるべし。
こいねがわくば、やがて凱歌高らかなる帝都復興の日まで、母校よ、独り耐え、忍び、この姿厳然としてつつがなくこの地に屹立しつづけんことを」
○これを書いているうちに、妙に哀感が胸に満ちて来た。嘘をついているような気がして来た。――これは夕方まで読んだ芥川の小説のせいに相違ない――ずっと前から、嘘ばかりついて暮しているような気がして来たのである。
自分ばかりではない。みな誰もかれも嘘ばかり叫んでいるような気がする。
愛国の情は嘘なのか。嘘ではない! どんなに惨めな、影の薄い日本人だって、日本が勝った方がよいと思っているにきまっている。しかし、五のことを十にいうのは嘘である。ビールをウイスキーというのは嘘である。要するに、誇張は嘘である。
日本人全部がこの嘘をわめきたてている。いや、日本人ばかりではない。アメリカ人もソビエト人もイギリス人もドイツ人も、ことごとくこの数年凄じい芝居を演じつづけている。(個人個人が――である。これが一国として、また世界史として見れば、真に恐るべき決定的宿命的事実であることには違いない。――この矛盾はいまだ解明するほど頭がおちついていない)その嘘を冷笑し得た芥川は、しかし平和時代の人であった、
もし芥川と同時代の、同年輩の人間が、祖国を守って死闘し、死んでゆくのを見たならば――例えその人々個人はこの嘘を自覚し、また呪咀していたにしろ(結果は同じだ)――彼はそれでも『将軍』を書くことができたであろうか。
正直にいえば、自分は日本必勝を信じていない。客観的事実は、日本が次第に最後の関頭に追いつめられつつあることを証明している。
また、降伏よりは死するに若かずと鉄のごとく信じて疑わないほど死に無反応ではない、(降伏など考えても身に粟を生じる、降伏などして、生きていて、それほどの楽しみも予想できない。逆にまた、たとえ万一日本が勝って、かつ自分がまかりちがって名声や富や美人を最高限度に享受しても、死はやっぱりいつか来る。そのとき自分の生をふり返るとき、その生は依然として虚無の生にちがいないであろう)――しかし、それと承知しているにも拘わらず、死を見ること帰するがごとき心境にはどうしてもなれない。これは本能である。
けれども吾々はすでに嵐の中にいる。個人はもはや自分で自分をどうすることもできない。ただ運命のなりゆきにまかせるのみだ。
それならば、たとえ「芝居」でも昂然と頭をあげているに限る。それが嘆賞すべき態度か笑うべき態度かは知らぬ。心中におのれを冷笑しつつも、毅然として死に赴いた方が何だか立派そうである。
将来どんなに惨めな闇黒の中で一人さびしく銃弾に死ぬ日があろうとも、自分は芝居がかった気持で勇ましく死んでゆこう。敵の面前に曳き出されて、死か降伏かを選ばなければならないときには、英雄的演技を以て死を選ぼう。
○この祖国の大難の中に、こんな屈折した考えを持っている一人の青年があったと知るとき、後世の立派な日本人は自分を痛罵するであろう。米国人がこれを知ったとすれば、日本人の人心動揺せりと手を打つであろう。
それは当然である。自分も恥じる。
しかし人間の真実は――少くとも真実の一面は、案外「曳かれ者の小唄」の中にあるものである。
強者は責めよ、勝者は笑え、しかし古来幾億万の哀れな弱者が、鉄蹄の下に惨烈な戦いを悲しみつつ死んでいったことであろうか。
いかにも戦争は悪である。人間は野獣である。弱肉強食である。この世界は戦争である。ゆえに強者こそ尊ぶべく、英雄たたうべく、壮烈こそ讃嘆に値する――と考えて澄ましていられる人間は幸福なるかな。
○何が人間の真相かわからない。自分のいっていることは陳腐なる弱音に過ぎない。
が、少くとも或る瞬間、胸の中を恐ろしく鋭い閃めきで照らして過ぎた一つの想念である。
また明日から、自分は芝居をして――無意識的な芝居をして、それを疑わない生活をくり返してゆくであろう。
○神はない。少くとも弱者に神はない。従って神は決して存在しない。
十八日[#「十八日」はゴシック体](月) 曇
○午後二時より第一講堂にて、本日の閑院宮殿下国葬に当り遥拝式。然るのち佐々学監より疎開についての話あり。
飯田の町。昔は桃源境にひとしかりしも、今は疎開者罹災者溢れ、決して楽にあらず。食物の配給は東京よりかえって悪いくらいなり。宿舎は以前疎開児童のいたる旅館、青年訓練所、或いは倉庫(!)
授業は座学とならん。常任の教授もあれど、東京より通いの人もむろんあるべし。これは一週に一度二度、毎週通うわけにゆかねば、一ヵ月なり半月なりぶっ通しに同一課目をやり終えることとならん。病院は飯田病院、高安病院(級友高安の家なり)とす。泌尿器と産婦人科の専門病院なければ、これは新しく設立するか他の方法によりて、諸君の学問に支障は与えざるべしetc。
つづいて佐野生徒監より輸送について述べらる。
本校の使用し得るは貨車六輛のみなり。この計算でゆけば、私物は一人五十キロ一個以内に定むべし。運搬搬入積下ろしなど、すべて学生にてやる。二十六、二十七、二十八日の三日間に新宿駅の貨車に積み、これより一歩先に先発隊飯田にゆきて待ち受け、これを積下ろす。
○午後六時まで図書室の仕事。
○都内各所に貼られたる「絶対勝利確信運動本部」なるもののポスターの一に曰く、
「みな殺しにしろ、暗愚魯作糞人!」
なんと読むのかと思ったら、アングロサクソンと読むのだそうだ。新万葉。
十九日[#「十九日」はゴシック体](火)
○図書館の仕事。正午B29一機来。白日熱し。
○高輪螺子をひきあげたるも、ゆくところなし。焼け残りの蒲団一枚をもらいて学校図書館室に運搬、これより飯田にゆくまでここで暮すことにす。
○桜井忠温『肉弾』を読む。
これ日本人の戦争文学かは知らねども、人間の戦争文学にあらず。本編に現わるる日本の将兵ことごとく小英雄、感動せざるを得ざるとともに、また真に偉大なる戦争文学にあらざることを確信す。
二十日[#「二十日」はゴシック体](水) 曇
○本暁零時より数時間にわたり、敵六目標、鹿島灘沿いに北上、茨城県北部より西進して新潟佐渡間に機雷を投下。また数機相模湾に行動す。これら去りてより第二梯団北上、静岡伊豆を爆撃す。正午また一機至る。
○級友松葉楢原われを気の毒がりて、一両日ちゅう自分の家に泊めてくれることとなれるも、今夜も図書室に机ならべ、蒲団一枚にて眠る、奇妙な夜々なり。
○鈴木文四朗『米欧変転紀』を読む。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](木) 晴
○午前図書室にて梱包作業。
○夕、楢原と浦和なる彼の家へゆく。神田、水道橋、お茶の水――といまさら数えたてるまでもなく全部の廃墟に赤き夏の落日照る。
これだけの大都市がこれだけの廃墟と化して、化しっぱなしで空しく斜陽にひろがっているのは――すなわち普通ならその余燼消ゆるとともに間髪を入れず再建の槌音ひびきおるはずなるに――変な感じのものなり。荒川では工兵の群沐浴しあり。
○東京の食糧配給一ヵ月分のうち米は四、五日分、あとは全部大豆となれる由。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](金) 晴
○夜半警報鳴れる由知らず。朝また警報。正午また警報。
○朝楢原の飯田ゆきの荷物を浦和駅へ運んでやる。午後登校。今夜は茨城県石岡町の松葉の家へ泊めてもらうことになる。
いっしょに新宿駅から山の手線に乗れるも、どういうわけか電車いつまでも動かず、駅員も何の説明もせず、暑熱の中を数十分すし詰めの車内でギュウギュウうなり、ついにあきらめて中央線で神田に出て、都電で池袋へ。これまた超満員にて松葉は乗りたれどつづいて余は乗れず、一電車遅れて追いついたほどなり。
日暮里より常磐線に乗る。北千住みな赤き廃墟、落日悲し。
夜八時石岡町につく。兵隊の姿多く、いたるところ駐屯所あり。歩哨の銃剣半月に蒼し。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](土) 曇
○朝六時起床。警報鳴れど委細かまわず松葉の荷物を石岡駅に運ぶ。
六時五十分石岡発。東京へ帰る。途中汽車亀有に一時間近く停って動かず。上野に十一時過ぎにつく。
それより新宿へ戻るにまた警報。青梅口より追い出さる。群衆まさに阿鼻叫喚の騒ぎなり。P51百機侵入せりとなり。
○今夜はまた浦和の楢原宅へ泊めてもらう。夜浦和館に漫画映画を見にゆく。帰途、月白く雲飛びて竹籔に風声強し。
佐藤信淵『混同秘策』『垂統秘録』を読む。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](日) 曇
○夜半また警報鳴りしとぞ。正午またB29一機来。暗雲矢のごとく飛び強風凄し、夕やむ。楢原と浦和の町散歩。
○ひる楢原と警察に行き、疎開につき、向うの配給を受けるまでの特配を請願し、ウドン一人十日分十把をもらう。十把にて一円九十銭なり。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](月) 曇後晴
○朝六時起床。曇。握飯を作ってもらい、七時楢原とともにその宅を出る。
八時新宿青梅口につく。一年二十名、二年九名、三年十名が集る。各自の荷物の上に四十個の顕微鏡が乗せられている。貨車では安んじて運べないため、小使いが学校からここまで運んできたものである。この四十名が、本月末飯田と茅野に疎開する学生の先発隊として、きょうまず出発するわけである。
午前十時十分、中央線にて新宿発。混雑言語に絶し、通路はおろかみな座席に立つ。
空はなお曇っているが、暑い六月末の日の光は地に満ちて、赤い焼土のひろがった中野あたりにポツリポツリ残っている鉄筋の建物や、芽をふき出した青い樹木がうしろへ流れ飛んでゆく。
さようなら、東京よ!
ふたたび自分達が帰って来るとき、お前はどうなっていることだろう。万感胸に迫る。
○昨夜十二時近くまで起きていたため、途中やっと座れたら、ウトウトと眠る。
ふと眼がさめたら初狩という駅に停っていた。はれやかな麦秋である。空は晴れて夕立のあとのようなきれいな碧空に、白雲が光のかたまりとなって浮かんでいる。野には明るい、もの哀しいほどの静寂が満ちている。ところどころ田植えをしている光景も見える。
○五時辰野に着く。ここで下車して二時間あまり伊那電鉄を待つ。
すると、真っ赤な地の片隅に青天白日を印した旗を先頭に、ぼろぼろの車夫の服みたいなものを着た青年、中年、老年の一団――四、五十人の男が駅前に整列していた。しゃべっているのは支那語である。どうやら支那兵の捕虜のようだ。担架でかつがれているのも二、三人ある。みな黒ずんで、癩病やみのような皮膚をしている。いや現に気味悪い腫物を顔面にてらてらさせている者もある。日本語で号令をかけさせられて、辰野の町を「愛馬進軍歌」を歌わせられながら、どこかへ行進していった。ときどき、ホウッ、ホウッ、というようなかけ声を入れるのが、可笑しいよりも陰惨である。
本土決戦に備え、信州の山岳地帯に大々的に要塞線が構築中であるという。彼らはその工事に使役されているのではあるまいか。
戦争に負けると、ああなる。敗戦というものは決して甘いものではないことを、腹の底から痛感した。
○六時五十分、伊那電鉄に乗って飯田へ、おんぼろ電車だが、ガラス窓が完全なだけでも東京よりはましである。
美しい夕であった、碧く澄んだ空、ばら色の雲がむらがってその縁は黄金色にかがやき、それがそっくり田植えを終ったばかりの水田に映っている。そしてその碧、紅は、色はそのまま次第に暗く、澄みきった、沈んだ色に変ってゆく。月が東の空にのぼった。紫色の雲は大空を覆って、眼のような切れ目にこの蒼い光の輪がのぞいて、山々のすぐ上には雲の断裂が青い三条の刃のように横たわっている。実にみごとな月明であった。黄なるべき麦の野は清澄な青色に染められ、はるか天竜川が光って見える。山の麓に一点二点灯がまたたきはじめた。チエホフの『谷間』という小説を思い出す。
○飯田に九時過ぎにつく。
月曜の町を宿舎桐好館へ歩く。両手にぶら下げた顕微鏡がなかなか重い。
夕飯を食べて、十一時ごろまで騒ぐ。外出から帰って来た連中の叫びに促されて二階の裏縁に出て見ると、月蝕であった。白い月を地球の影が薄暗く覆っていた。そこへまた警報が鳴り出した。
○B・H・チェムバレン『鼠はまだ生きている』を読む。胸に共鳴の音鳴り微笑禁じ得ず。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](火) 曇
○桐好館の看板は「甲戊仲春・岳南小史題・桐好館」と大きな木片に書いた雅なものだが、宿そのものは襖は破れ、たたみは赤茶け、壁紙はめくれた木賃宿だ。老人と老婆、そして伜は出征しているとかで嫁女が一人のみ。
八時半ごろより田林教授につれられ、高安病院、飯田病院、市役所、地方事務所、警察、はては農会支部まで挨拶に回る。
このあいだも警報が鳴り、ラジオは敵が十機二十機の集団で、名古屋、浜松、近畿中部の境を中心に至るところ爆撃中の情報を伝えている。本土制空権は完全に敵手にあり。本土決戦に於てわれわれは味方機なしの戦闘を覚悟せねばならぬであろう。――何の音か、山々のあなたよりしきりに遠雷の如き響が伝わってくる。
○夕、散歩し、松川河畔の壮麗な景観を見る。徳富蘇峰『吉田松陰』を読む。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](水) 曇
○朝勤労動員署に挨拶にゆく。午前中飯田駅に到着した貨車一輛の荷を荷馬車につみて、町の合宿指定地たる三軒の料理店や飯田病院に運ぶ。
午後、馬車にのって飯田市郊外上郷村なる天理教会伊那支会の別館に移る。別館の二階は六十畳敷の大広間にて、将来これまた合宿所となる予定なり。
夕、飯田市に今度新たに設けられたる学校の附属食堂なるものへゆく。東京のミルクホールと同じ仕組なれど、東京荒れはて学生はかかる雰囲気に飢えたれば、コリャスゲーヤ、カンジガイイジャーネーカとむやみに嬉しがる。久保食堂という由。無糖なれど紅茶ゼリーもあり。
○ここにて田林教授より一場の演説あり。
「疎開のことを考え初めたるは去年末のことなれど吾ら先見の明なく、空しく時日を費し、突然あわててこれを真剣に考えたるはこの三月以後のことなり。しかも時すでに遅くついに今回のごとく学校の財も半ば東京に捨て、こちらの授業場、宿舎も諸君にとりては不自由なるありさまになり果てたり、学校としては諸君に対しおわびの言葉もなし。
しかし、学校としては実に全力をこれに傾倒しあり。この前古未曾有の国難に際し、あくまで諸君を軍医として国家に捧げるが唯一の御奉公なりと信じ、学校はそのため全財力を投ずるも悔いざる決心を固めある次第なり。この飯田市もまた灰燼と帰せんか、吾々はさらに山中に籠りて野天にても医学を研鑽し、不撓不屈以て米英とただ戦わんのみ。
諸君。正直にいいて吾らはB29のためにこの境地まで追いこまれたるなり。必ずこの復讐を忘るることなかれ。
なお吾ら学校の疎開につき、地元飯田の人々は大いなる期待を以て吾々を見る。この期待にそむくことなかれ。固くなり、いじける必要はなけれど、学生としての正義、高貴、純潔の心情と態度を失することなかるべし」
なおこの久保食堂の主人は義侠的に諸君の世話を引き受けたるなれば感謝の心を忘れざれといいて主人を紹介す。
○夕暮の中を中川と二人で下宿を求めて町を歩き回る。西空一帯紅の海のごとく燃え、山峡の町に蒼茫の黄昏沈み、この世の町にあらざるごとし。されどどの家も疎開者罹災者入りこみ、貸間なし。ようやく知久町の福田なる家の二階を借ることにす。
ただしこの家の隠居は中風の老人にして、この春より衰死の老妻あり、主人は病身なる四十年輩の人にして、その妻君は先日ふた児を生めりと。さてはそのために医学生たるわれわれを置きてくるる気になりたるものならん。「美しいお嬢さんのいる家はないかな」などのんきなこと考えいたる吾ら、アテがはずれて外に出てより顔見合わせて大笑す。
月上らず、暗き路を上郷村に帰る。途中東京日本橋より疎開せるどこかの奥さんと娘さんと闇問答しつつ歩く。いま親戚に身を寄せおれど、どうにも居辛くやはり一軒を求めて彷徨しありと涙まじりにいう。
○夜、三年野口氏より重ねて、久保食堂の親爺は義侠的にやってくれるなれば、女学生の娘一人あれど、これには絶対手を出すなかれと言い渡しあり。一人考えこみ、
「そりゃあこっちは大丈夫だがな」
と、呟きて、
「しかし、向うがどうかね?」
といい、みな爆笑す。
○この天理教会の教主明朝出征の由。母屋の奥では酒宴の様子なり。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](木) 晴
○朝四時起床。出征の天理教主を送る。薄明蒼き西空に十七、八夜くらいの月白じろとかかる。本堂にてはドンドコドンドコ太鼓を打ち、ときどき拍手の音聞ゆ。門を出ずるとき、教主「学生諸君の来られることは承知していながら、ちょうど出征のため充分なるおもてなし出来ず恐縮の至り、御自愛を請う!」と快活に挨拶す。四十二、三歳の人なり。こちらの脳中に先入観としてありし天理教会の教主とは印象大いに異なる。
上郷村校庭にて村民一同万歳三唱。出征の人、もう一人あり、「この戦争はわれら一代にあらず、孫子の代までも戦わねばならぬ戦いなり、あとを頼む」と叫ぶ。東天は紅の潮流したるごとし。
野道を伊那上郷駅まで送る。野の暁の涼しさと美しさ、小川の水冷たく流れ、底の小石透けり。小鳥の声満つ。
○午前中飯田駅に新たに到着せる貨車一輛に満載されたる荷物をトラックにて分宿予定地たる天理教会、三楽、東竹などの元料理屋へ運ぶ。白熱の空。みな顔灼けて流汗淋漓たり。駅の切符切の少女、外人めきたる美少女にして笑めば歯美し。学生を見ればおどおどと恥ずかしげなるが面白く、みな大いに色めき立つ。
○昼前、中川とともに改めて別の下宿を求めて町をうろつく。或る歯科医院に頼むに、主人裏庭で猿股一つとなりて防空壕を掘りつつあり。この人の姉の江知という家を紹介してもらう。
江知家にゆくに、老女ありて、部屋は多く空きたれども、疎開者三家族を強制的に割当てられたれば、へぼい=iつまらぬの方言)部屋のみ残る。恥ずかしければ出来れば他を探されたし。ただし私にも東京に下宿しある息子あり、下宿の苦労はさんざんさせたれば、もし他になければお気の毒ゆえうちに来たまえという。
このことまたもとの歯医者に報告にゆく。二階に上りて話す。この五月まで東京赤坂に開業しいたれど罹災帰郷した人なりとぞ。器械焼かれて目下これを入手すべく努力中なりという。痩せた小柄の人なれども頗る景気よく、また飄逸なる人にして、「君達、何じゃ、娘っ子をまずつかまえ、その家に入らんかい」などいう。
午後また運搬作業。
夜、ふたたび江知にゆき改めて頼む。紹介されたる部屋は中二階のばかに天井の低い(立って歩けぬほど)、格子に囲まれた部屋なり。老女、しゃべるわしゃべるわ、主人のこと、二人の娘のこと、東京の伜のこと、姪のこと、疎開者のこと、はては伜の下宿している家の細君の妹の嫁入先のことまで微に入り細をうがち、中川と余頗るもて余す。それはともあれ、この部屋に移れる見込みありそうなれば、ここを借りることを約す。
帰途二本松遊廓をひやかす。写真を見てもみな頗る醜悪なり。格子の奥に煙草をふかす女、あたかも白粉樽にころがる半腐爛の豚のごとし。路地にも肥料のごとき異臭あり。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](金) 曇
○午前また飯田駅に到着せる貨車二輛の荷を運搬す。実に山のごとき量にして、しかもその一つ一つ複雑なる器械や書物なれば、これらをトラックや荷馬車に積み入れ積み下ろす作業に、みなヘトヘトに困憊す。
昼より食堂変る。今までの久保食堂は先ほど企業整備の槍玉にあげられ今営業停止中の店にて、警察がわが学校の専門食堂になることは許可せざる由。みな落胆し、警察に頼みにゆこうとの話も出たれど、またきくに久保食堂は町でも評判悪かりしごとし。さては営業停止を回復すべく、われわれを頼りに腕にヨリをかけしなるべしと可笑しくなる。
夜、あちこちの倉庫に運びたる荷物の整理。夜雨となり、天理教会門前に一応積みたる荷物濡れつくすおそれあり、十時ごろより闇夜の雨中裸となりて屋根あるところまで運ぶ。途中石段あり。また荷はことごとく十貫二十貫のものなれば途中絶望し、あとはこもやむしろかけて終る。
三十日[#「三十日」はゴシック体](土)
○昨夜は一夜中どうどうと大雨の音を聴く。早朝、雨の中を残りの荷を本堂の軒下に運ぶ。中川は東京に帰る。
午後は一応休息となり、江知の二階にて漱石の『明暗』を読む。主人と奥座敷で会う。中風の老人にしてヨダレばかり流し発音不明なり。老妻傍で大いにしゃべれば、くやしがりて眼球をむき手をあげて黙れと合図す。喜劇のごとし。
○飯田の町はばかに医者と散髪屋と風呂屋の多き町なり。ただし医者は商売柄、他の二者は東京でさんざん苦しみたればよく目にとまるものなるべし。「混同秘策」なりしか、ここに紙工場だか紙役所だかを設けよとありしように記憶す。堀久太郎秀政の城下なりし由。
○夜十時半ごろ後続の十五人ばかり、雨をついて飯田に来る。天理教会の二階に蒲団一組に数人ずつ寝る騒ぎなり。
話をするに、実にみな可笑しきまでにうぬぼれ強し。女ならば惚れざらんと欲するも能わざる美男子と思いおる男、曾ては神童なりといわれたりという男。しかもこれを冗談にいっているにあらず。彼らの言によれば、小学校時代すべって転んだ話まで神童的転び方となるなり。中学校時代教師に貴様のような奴は二十五年の教職中はじめてなりと罵られたることすら、彼らのうぬぼれの輝かしき鍍金《メツキ》となるなり。自惚の傍よりきけば、いかに片腹痛きかな。
しかれども余といえども豈彼らと変らんや。過去のみじめなる泥まみれの猫のごとき或る日の姿も、みずから奇妙なる燦然たるヴェールを以てこれを粉飾し、得々として他に語る。
人間なるものは、すべて、己の凡てを――或る部分を――また唯一つの特徴をも、他と特別のものにして、古今稀なるものにして、またこの一点をもって世のいかなる立派なるものにも匹敵し、凌駕すると自惚る。この感なくんば人間は生きている能わざるものなるべし。
ただし、かく思えば、自分の長所を他に述ぶるほど愚なるものなし。
人間の最大本能の一つは他に対する君臨欲なるを以て、自己宣伝は実に猛烈なる快感を与うるものなり。ただ果してその効果ありや。他はこれをききて果して感服するや。
感服する半ばの人は、この豪語を聞くと聞かざるとに拘わらず、しょせん他にひきずり回さるる弱者劣者なり。かかるりきみたるプロパガンダの目標たるに不足なる群なり。一も感服せず、反感を持ち、冷笑し、軽蔑する他の半ばは――これこそ自ら一つのタレントを有する人なれば――要するに何にもならざるなり。
ただ、己の自信する長所の内容を具現すれば足る。かくて自己宣伝は自己発現となるなり。ただその具体化をなさず口のみの自慢は男児のなすべきことにあらず。
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[#小見出し]  七 月
一日[#「一日」はゴシック体](日) 雨
○終日霧雨ふりみふらずみ。午後荷物運搬作業。
○飯田にてもしばしばサイレンや半鐘鳴る。ラジオの「敵は飯田南方を東進中」などいう声も聞ゆ。いつ往来を歩いていても、必ず例のジージーというブザーの音聞ゆ、B29、攻撃目標を中小都市に移しはじめたる模様にして、少数機ずつを以て殆ど日本全土を終日乱舞しあるがごとく思わる。
○沖縄戦ついに終焉を告げんとす。敵の発表によれば、司令官牛島中将は腹十文字に割腹、介錯により首は前に落ちいたりと。
二日[#「二日」はゴシック体](月) 曇
○日本をこの大危局に追いこんだのは青白き理屈屋にあらず、理屈を頭から食わず嫌いにする車屋的人夫的連中なり。日本人はもう少し理屈っぽくならねばならず、全体としてその理屈の量と質がレベルをあげて、物事の解剖、総合、批判などがお互いに理屈とは感じられなくなるまでにならねばならぬと痛感しきりなり。かかる習慣が長き歴史の間に科学精神を養うなり。今となってあわてて「天才教育」などやるは無益無意味にしてばかげたことなり。
○曇天より微光落ちむし暑し、時に霧雨。午前江知家の荷物を蔵に運ばせらる。午後江知家を紹介してくれたる歯科医松野先生宅に遊びにゆく。壕掘りを手伝わさる。夕食をいただく。
松野白麟先生、小躯なれど剣道五段の由。剽悍の気満ち、緒戦当時の日本人の夢失せたるを嘆き、
「往来でも通ってぶつかって見ろ、肩で切れそうな奴は一人もいねえ。みんなヒョロヒョロしてつんのめってしまいそうな奴ばかりじゃねえか」
といい、また、
「勝つ勝ついって、何を根拠に勝つちゅんじゃ」
という。されど憂国の気、眉宇に満つ。
三日[#「三日」はゴシック体](火) 晴
○雨きれいにあがる。コバルトの空に水々しき純白の雲かがやきて白日町を灼く。午前は江知家の衣料を近郷の家に疎開すとて、土蔵中の箪笥長持蒲団を運び出す。
夕食後、駅より友人中谷の荷を神倉の下宿に荷車で運ぶ。宵明りに、蒲団包みより短刀の白い柄のぞく。万一の際の自決用なりと。九時までトランプす。帰途夜風涼し。水田に天の川うつり、野面を埋めて蛙鳴く。
○一日二合三勺の配給米。今後その一割を減らすむね政府発表。国民に与うる影響或いは沖縄喪失以上か。
○ポール・ド・クリュー『細菌の猟人』を読む。
四日[#「四日」はゴシック体](水) 晴
○昨夜も一昨夜も深夜町は空襲警報に騒然たり。タイヒーッ、タイヒーッ、との叫びも夢うつつにきく。東京でいやというほど鍛えられたれば、蚊の鳴くほどにも感ぜず、まさに千軍万馬の境地なり。
○午前江知家の疎開荷物を馬車に積みこむ。午後、夜、文星堂二階にてピンポンす。白く灼けし路に霧のごとき雨ふりそそぎはじめ、たちまち遠雷を混えたる沛然たる雨となる。時にやみ、また光りつつ降り、仰げば空を灰色の大いなるちぎれ雲、ところどころに碧空をのぞかせつつも矢のごとく渡る。夜もまた遠くより近くより雨声来る。
五日[#「五日」はゴシック体](木) 晴
○学校より各自の下宿を許さず。寮に入ることを命ぜらる。
暑し。真白き入道雲、裾は山脈のいただきを覆いて中天に立つ。時に白雨颯然と一過し、日また爛と照る。
○大村得二、土井十二『法医学提要』を読む。
六日[#「六日」はゴシック体](金) 晴
○この地方は午後十時以後は絶対消燈たり。一寸の灯も外に洩るるときは、戸外より叫び、叱り、はては電球をも持ち去る騒ぎなり。田舎にては警報伝達ややもすれば遅れがちにて、敵機通過後警報出ずること多しときけばこれも無理はなし。その上わが借りたる部屋は中二階の七畳という奇怪なる部屋にして、電燈もなし。迂闊にも来るまでこのことに気づかざりき。されば夜は闇中無聊に苦しむ。
○午前、元支那料理店三楽に積みこみたる荷物の整理。みな荷物の山の上に横たわり、もたれ、胡座して、バナナや葡萄、はては河豚やシュークリームなど食物の話の花々。午後は江知家の宝丹(燃料の一種――円筒形の炭団)を屋根に乾すことを手伝わさる。ていのいい下男なり。
○鴎外『灰燼』を読む。『雁』の岡田、『青年』の小泉、本編に於ける山口節蔵、ことごとく共通せる、鴎外好みのすなわち鴎外の性格の縮図ないし片影的人物なれど、この節蔵最も凄味あり。
七日[#「七日」はゴシック体](土) 晴
○本暁深夜警報。B29数編隊。甲府及び清水市を爆撃、時にラジオの波長変り、「飯田さん! 飯田さん! 飯田さん! いやこれはダメだ」などという変なアナウンス聞え来り、町の人々ぶきみがる。
午前、神倉の下宿にてトランプ遊び。また山下、梅津、畑、杉山、長、各将軍、だれが一番人物なりや、だれが一番戦争上手なりやの話。長将軍の話より、切腹の話となる。
切腹は腹を切るにあらず、皮膚に痕跡を作る程度なり、或いは突刺すのみにて介錯一閃すと中谷いう、時代場合により必ずしも然らざるべし。直木三十五の『南国太平記』も必ずしも小説的表現なりと見るべからず。鴎外の『堺事件』に於てはさらに然り。
○今日のように気持のいい夏の日はまれである。濃い碧の穹窿に、白い入道雲はじっとかがやいているが、鋭い日の光は水晶のように澄んで、路上に落ちた桜の大樹の陰は水を打ったようである。樹々の葉は碧空を背景に大きく、黒いほど青い。何もしない。どこへゆくというあてもない。それにもかかわらず路を歩いていて、何気なく眼にうつる青い絨緞を垂れたような生垣や日傘や子供の顔や燕や水の音や、それから起伏する広野の丘の向うに、どこまでも重なる山脈が――永遠に脳髄の一隅に、深い美しい人生の追憶の一つとして印せられるような夏の日である。
八日[#「八日」はゴシック体](日) 晴
○午前、古屋芳雄『国土・人口・血液』を読む。また江知家の荷物疎開の荷造り。
○午後、江知家の満ちゃんという娘さんと、近所の手伝いのおばさんと一緒に、これらの荷物を荷車に山と積み、自分がこれをひいて飯田市から一里半余り離れた三日市という農村の某百姓の家へ運んでゆく。
白日は強烈だが、風はあるので暑さはさほど感じられない。しかし荷がだんだん後へ下がって梶棒が上にあがり、これを死物狂いに押しながら挽かなければならないので大いに疲れる。しまいには三百歩いってはこの荷を直し、二百歩いっては水を飲み、百歩いってはまた荷を直し、五十歩いってはまた水を飲むといった態たらくになる。
田の苗はもう五寸以上、雲は豊かな水に映り、夏風に苗は波のように遠くへなびいてゆく。
「農兵隊、長野大隊・第十一中隊寄宿舎」という看板をぶらさげた国民学校風の大きな建物が途中にあった。ここまで来る途中沿道の水田に十七、八の少年の群が集団で田植をしている光景を見たが、あれが凡らく農兵隊なのであろう。この建物の裏で三人の十五、六の少年がしきりに芋や胡瓜を刻んでいた。炊事係にちがいない。路上を駈けまわっている可愛い雛を拾うと、この中の一人の所有物であった。やるというから、おばさんは貰って布でくるみ車にのせる。
途中峻しい坂道もあり、一里半余の路を、十二時半に家を出て、目的の家についたのは四時近くであったろう。
塀、土蔵、大きな納屋に池もある裕福そうな百姓家であった。庭には麦が壁のように乾されている。西洋カボチャの棚の下に棕梠の葉が鳴っている。家の西側の障子にはすでに赤あかと色づいた日がさして、竹林の影が動いている。寒いくらいに涼しい。
牡丹餅の御馳走にあずかり、六時過出発。
日は西の山に入りかけて、美しい銀鼠色の雲が純白のかがやくふちどりを見せ、東の方の雲の群はばら色に染まっている。その日も落ちる。帰り車は気持のいいほど軽く、身体は汗ばんで夕風が快い。山峡はすでに蒼味を帯びた日陰に入っているのに、東の重畳たる赤石連峰の波がしらはまだ赤あかとかがやいている。
甲府や清水が爆撃されて、飯田も今日明日やられるという情報が土地の電気会社に入ったとか、市長がいったとか、警察から隣組に通達があったとか、一見流言と明らかな流言が飯田市の人々を戦々兢々とさせて、こうした路の往還にも、百歩も置かず馬車が通る、牛車が通る、リヤカーが通る、荷車が通る。田舎へ、さらに山奥へと、時ならぬ家財の大行列が続いている。
七時帰る。
○夜、三河寮にて遊ぶ。見塩未知洋《みしおみちひろ》、山岳部の連中に酒飲まされたりとて真っ赤になって帰り、熱血熱涙、赤松の幹のごとき腕をふるって演説す。
すなわち佐々教授、清水教授が、
「余らの学生時代には酒や女に不足せず、青春の歓楽燦爛たるものありき。しかるに今の学生は、食うにこと欠き、遊ぶ時間も場所もなく、おちついて勉強すら出来ず。小さくなって追いまわされているようすは気の毒なり、可哀そうなり。しかしてこの学生、数年後の運命は如何、戦死、これなり。余らは諸君のこの短き人生を赤き焼土たる東京にて暮させるに忍びず、せめて青き美しき自然の中にて過させたし、かかる心にて疎開を断行せるなり。もし金に窮せば――交通杜絶して家よりの送金絶ゆることあらんか、遠慮なく学校に申し出でよ、諸君全部が一文無しになるとも、学校は自らこれを養いて、軍医として国家に捧ぐるだけの覚悟を有す。諸君、いじけることなく、不安がることなく、安んじて明朗に勉強せよ」
淡々と言われたる言々に感奮し、絶叫して曰く、
「諸君、吾らはこの師に恥ずることなき生活をせざるべからず。不平は捨てん、文句は捨てん、弱音を捨てん。黙って師の情に服し、よく学び、よく働かん。――飯田の町は始めて角帽の群を迎え入れたり。町の少女がこれに憧憬の瞳投ぐるは当然にして、またすでに諸君の経験せるところならん。しかし吾らはこの瞳と相関する余暇なきはずなり。毅然たれ。凜然たれ。もし学生として恥ずべき行為に出でたる者あるときは、吾鉄拳を以てぶんなぐるべし。われは腕力に於て、闘志に於て誰にも負けざる自信あり。吾は嫌われてもよし、憎まれてもよし、学生の面目を汚す者は上級生といえどもぶんなぐらん」等々。
みな圧倒され、然り然りと肯くのみ。
九日[#「九日」はゴシック体](月) 晴
○朝。松柳、故郷能登より来る。相擁して歓喜す。酒七合余り持ち来る。見塩と三人。松川河畔に出で、水洗う石と草に鼎座し、餅くらいつつ酒を飲む。
大いなる空より白き日頭上に落ち、風悠々と白雲を飛ばす。物みな光る。かかる夏日炎熱の日、さえぎるものなき河原にて酒くみ交せしは初めてなり。三人大いに歌いかつ踊る。
○九時警報発令。鴎外の短編を読む。
十日[#「十日」はゴシック体](火) 晴
○昨夜は一夜中ラジオ敵機各地に跳梁するを叫ぶ。深夜B29の爆音低く市の上空を通る。江知家の人みな一夜中眠られざりきと。蒼醒めたる寝不足の顔を朝日にさらす。余は大いに眠る。山田さん山田さんと連呼したれど返答なかりきと江知の老女呆れ返る。こんなことくらいで一々騒いでいては東京などでは三日で睡眠不足で死んじまうなりと余いう。
朝七時ごろ解除となる。ただし、なおラジオは終日敵機の活動を叫びつづく。
午後三時大本営発表によれば、艦載機約八百機京浜を攻撃中なりと。敵機動部隊また本土に近接せるもののごとし。いよいよ九州に上陸でもするにや。
十一日[#「十一日」はゴシック体](水) 曇時々雨
○鴎外『黄禍論梗※[#「漑のつくり/木」、unicode69e9]』を読む。
○日本人は人のいい子供で、餓鬼大将《アンフアンテリプル》である。支那人はまじめなる大人である。
○日本人には思量の力が全然ない。抽象的能力が全然ない。この精神的無能力の結果として、日本人は物の真似をする。それゆえにいかにも手早く西洋の技術を取ったけれども、その取ったのは手柄ではない。その真似たところのものがよかったのは偶中だ。支那人はこれに反して沈着で、懐疑的で、すべて外から来たものは妄りに寄せつけないようにしている。
○日本人は悪い意味で唯物家だ。古来特有の道徳がない。それゆえ理想というものがない。儒教仏教が後に輸入せられて日本人は初めて道徳らしいものを知った。日本人は概して淫荒をほしいままにして恥を知らない。支那には古来道徳がある。品行の点でも日本人とは雲泥の差がある。
○日本人は勇武の気風に富んでいるというが、それは虚言だ。日本人が戦争を好むように見えるのは、日本人の精神に平均を失っているところがあるので、容易に喧嘩を始めるに過ぎない。支那人の方が古来戦争に長じている。今まで敗けたのは売官の弊制が行われたために無能の将軍があったからで、兵は強い。
○日本人は野蛮である。電信汽船を使いながら辻斬りもする。こんな蛮風は古来支那にはない。
○日本人は真の教育が行き渡っていない。その証拠に、仏教の儀式を知ってその精神を知らない。
○日本人には商人の信用が少しもない。支那人はこれに反してその民が商業の精神に富んでいる。支那の商人の最も感服すべき点は、取引がすべて口約束で済む一事である。
○日本の開化は国民が自分で作った開化ではない。欧羅巴の開化を学んだのである。支那の開化は支那人自身の脳髄から出たものだ。
(以上、Sammson Himmelstzerna "Diegelbe Gefahrals Moralproblem" より)
十二日[#「十二日」はゴシック体](木) 雨
○午後二時、二年全員(今のところ七十人余り。あとは故郷より来らず)三河寮二階に集りて、清水、佐々教授より話をきく。
学校としては、学生が間借りのみして外の食堂にて食事するを許さず、これ食堂が学生を盾に闇にて食糧を買入れ、しかも学生に出さずして闇にて処分する恐れありと警察より注意がありたればなり。
ゆえに学校としては全寮制として、寮に於て食事をとることに決定したれども、いま飯田市の食糧状態混乱し、一日二合一勺の配給も豆七分米三分の割合なりという。さればこれを切抜けんがため、学生にして故郷より米を持参し、所持しある者はすべてその米を出し呉れよとの相談なり。
十八畳の部屋に二人の老師を囲む七十余人の学生、問題が問題なれば、みな憂鬱そうな――悲惨なような滑稽なような情景を呈す。
寮制は、小隊別(つまりクラス制)か、それとも各自のグルッペを以て編むか、五時まで議論をつづく。
○夜、三河寮にごろ寝す。夜半しきりにB29の爆音上空を通過し、ざんざと降る雨中、町騒然たり。「待避ーっ、待避ーっ」とモノに憑かれたような逆上せる声街頭を駈けまわれども、みな蒲団より動かず。
「何いってやがるんだい」
「キチガイじみてるなあ」
「うるせえから窓しめちゃえ」
と、むにゃむにゃと呟くのみ。
十三日[#「十三日」はゴシック体](金) 晴
○朝、白山町の農業倉庫に積み入れたる荷を移転せんがために、十人あまりの友人とゆけど仕事すでに終りて引返す。路傍の小川、昨夜の雨に濁り溢れ、葡萄の蔓低く垂れたり。
○夜、大安食堂の二階にて、みなと葡萄酒を飲む。灯なければ闇中問答なり。
いまや学校雑然紛然とし、さらに近き将来一大戦闘の事態迫るにあたり、クラスの統制をいかにすべきか、誰を以て首とし、誰を以てその補佐役とするか、要するに軍隊式の中隊長、小隊長、分隊長を誰を以て当てるべきか、みな口角泡を飛ばす。
猿すらも群をなせば首領一匹立つ。君臨欲は本能なり。従って人一団をなすときは、必ずドングリ騒動生ず、馬鹿々々しと笑うもよし、これをめぐって笑い、泣き、怒り、喜び、また苦しむ。また青年として尊し。
○中谷の話の中に打たれた話がある。
中谷の父は四国山中の一老医である。五十を越えて今ニューギニアに軍医としていっているという。この人は、勲章を子たる中谷に見せて胸をそりかえらせる無邪気なところがあるが、また病人を見るたびに涙を浮かべる人でもある。
村にいたころ、野越え山越え、深夜急いでゆくと、山奥の病人は遠くまで聞えるような声で苦痛のうめきをあげている。すると中谷老医は叫ぶのである。
「おおーい、おおーい、わしが来たぞう」
それは電流のごとく走る天使の声である。声だけでこのうめきはぴたりと止む。そして村中歓喜の叫びが渦巻くのである。
――しかし、このような医者は中谷老医に限らない。自分の想い出をもつらぬいている。諸寄の祖父、太田の伯父、また関宮の叔父等はその例である。太田の伯父のごとき、みずから不治の病いを抱きつつ、なお雪の夜の山路を患家へいそぎつつ倒れたではないか。祖父の如きも衰死老残の身に鞭打って蹌踉と鞄をぶら下げて魚くさい村路を歩き回っているではないか。これは経済のためばかりでは絶対にない。考えてみれば、自分の亡父もまた病家で倒れ、そこで死んでいったのである。
中央にあって日本医学の最高峰として研究にいそしむ教授博士はもとより尊い。げんにいま吾々を教育しつつある師はすべてこれである。しかし汽車も自動車も通らぬ日本の無数の山間僻村にあって、人知れず多くの民衆の生命を守って来、また守ってゆこうとしている「田舎の医者」――日本の田舎の医者たちは、バルザックのブナシスに劣らぬ偉大な存在ではあるまいか。
○「天才と教師連との間には昔から動かし難い深い溝がある。天才的な人間が学校で示すことは、教授たちにとって由来禁物である。教授連にとっては、天才というものは、教授を尊敬せず、十四の歳に煙草を吸い、十五で恋をし、十六で酒場にゆき、禁制の本を読み、大胆な作文を書き、先生たちを時折嘲笑的に見つめ、日誌の中で煽動者と監禁候補者を勤める不逞の輩である。学校の教師は自分の組に一人の天才を持つより、十人の折紙つきの頓馬を持ちたがるものである。よく考えてみると、それも尤である。教師の役目は、常規を逸した人間ではなくて、よきラテン語通、よき計算家、堅気な人間を作りあげる点にあるのだからである。しかし、誰がより多くのひどい苦しみを受けるか。先生が生徒から苦しめられるのか、或いはその逆であるか。両者の何れがより多く暴君であるか。両者の何れがより多く苦しめ手であるか。他方の心と生活を害《そこな》い、汚すのは両者の何れであるか。それを検討すれば、誰しも苦い気持になり、怒りと恥じらいを以て自分の若い時代を思い出すのである。しかし、それはわれわれの取り上ぐべきことではない。真に天才的な人間ならば、傷は大抵の場合よく癒着し、学校に屈せずよき作品を創り、他日死んでからは時の距りの快い後光に包まれ、幾世代にかけて後世の学校の先生たちから、高貴な範として引合いに出されるような人物になる、ということを以てわれわれは慰めとするのである。こうして学校から学校へと、規則と精神との間の戦いの場面はくり返されている。そして国家と学校とが、毎年現われてくる数人の、一段とすぐれた精神を打倒し、根もとから折り取ろうと、息もつかずに努めているのをわれわれは絶えず見ている。しかもいつもながら、他ならぬ学校の先生に憎まれたもの、度々罰せられたもの、脱走したもの、追い出されたものが、後にわれわれの国民の宝を富ますものとなるのである。しかし、内心の反抗のうちに消耗して、破滅する者も少くない。――その数がどれくらいあるか、誰が知ろう?」(ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』)
十四日[#「十四日」はゴシック体](土) 曇むし暑し
○午後、江知家の仏壇を蔵に運び、蔵の中に水を湛えた大盥を置く。
○七夕か、町の家にちらほらとそれらしき青竹見ゆ。家の前には枝葉つきたるままの青竹を立て、屋内に祭壇を造る。往来にて余の見たる一軒は、藍色の布かけたる祭壇に三宝、皿をならべ、米、大根、人参、野菜などをのせ、その上の段におみき用の徳利を置く。注連縄も見ゆ。青青とした菖蒲も見ゆ。祭神は何なりや、紫のまん幕にさえぎられて分らず。
○敵艦隊、金華山沖に来襲、釜石附近を艦砲射撃中なりと。
十五日[#「十五日」はゴシック体](日) 雨
○七夕ではない。祇園祭なのだそうである。尤も祇園祭の祭神も知らない。雪洞も置かれている。門の大提灯には「家内安全町内繁昌、知久町」などと書かれてある。
○午前、雨の白山町を通りてみなと農業倉庫の荷物を整理にゆく。女たちが撰台で真っ白な繭の山をかきわけて、病んだものや畸型のものをとりのける作業をしている。黒板には白墨で二十日受入一六、三八五六〆、二十一日受入九二、四六一〆などと書いてある。
○午後、今度より寮となりし大和寮(元旅館)の部屋を抽選で選ぶ。余、松葉、松柳、安西の四人組となり、二階八畳の最もよき部屋に当る。
○夜、隣室三畳の徳田さん酒を持ち来り飲む。闇夜豪雨にして青白き稲妻凄し。余と徳田さんを除きみな酔いて吐く。
十六日[#「十六日」はゴシック体](月) 曇
○大和寮にて終日暮す。早坂一郎『随筆地質学』を読む。
○町の大松座に前進座来り。夜、松葉と見にゆく。九円九十銭なり。
一、「元禄忠臣蔵・第二の使者」内蔵助は長十郎、十内は翫右衛門。二、「権三と助十」権三は翫、家主は長なり。
舞台貧しきためか忠臣蔵も以前東京で見たときより迫力なきように感ぜらる。第二の大岡政談に至っては、喜劇なれど可笑しからず、諷刺もあるようなれどピンと来ず、綺堂が何のためにかかるものを作りしかその心理を疑う。
その上、大松座の外より犬の声、車の音、さらにここに限らざれども、赤ん坊を抱いて芝居見にくるという馬鹿な母親数人ありて、おちついて観劇する能わず。
十七日[#「十七日」はゴシック体](火) 雨
○午前みなと農耕にゆく。雨ふり、全身濡る。後続の者来らず、空しく帰る。大豆隠元の葉青く、南瓜の花黄色く咲けり。
○夜、大和寮、消燈の闇中にて松葉と人生問答。松葉はおのれを幸福にし、日本を幸福にし、世界を幸福にするはただ日本精神なりと確信するという。これを信念として行動するという。余これにさからう。余は例の意見なり。
すなわち人間は、いかに文明が進歩しても相対的には幸福量を増さない。従って何をしても無駄である。そもそも人間は目的あって生まれたものではない。大きな眼で見て、犬猫虫けらの生となんの変るところもない云々。
松葉、余を殺したくなったといい、また笑い出す。そして、自分の精神理想に共鳴してくれとはいわないが、せめてその精神理想を知ってくれという。雨蕭々。
夜半零時、豪雨の中に警報。敵機相当数本土を北上中なりとラジオ聞ゆ。江知家に中風の老人あり。一旦緩急のときはこれを背負い逃げてくれと、江知家の婆さんに依頼されあれば、雨の闇夜を江知家に駈けつける。ニヒリストも婆さんにはとうてい腕立てが出来ない。
北陸を襲いたるB29、南方脱去の際、しばしば飯田上空を通過す。爆音凄し、雨声また凄し。
十八日[#「十八日」はゴシック体](水) 晴
○午前江知家の畠の南瓜やトマトに支柱を立てさせらる。
○「わが邦人は利害に明にして理義に暗し。事に従うことを好みて考うることを好まず。それただ考うることを好まず。ゆえに天下の最も明白なる道理にして、これを放過して曾て怪しまず。永年封建制度を甘受し、士人の跋扈に任じていわゆる切捨御免の暴に遭うも、曾て抗争することをなさざりしゆえんのもの、まさにそれ考うることなきに座するのみ。それただ考うることを好まず、ゆえにおよそそのなすところ、浅薄にして十二分の処所に透徹すること能わず。今後に要するところは豪傑的偉人よりも哲学的偉人を得るにあり」「わが邦には、口の人、手の人多くして脳の人寡し」
(兆民『一年有半』)
日本百年たっても同じことなり。
十九日[#「十九日」はゴシック体](木) 晴
○午前薪倉庫より松薪三百把を大八車にて各寮に運搬す。空襲警報鳴り、町に子供ら蜘蛛の子を散らすがごとく走る。何事もなし。杏の実青々と実れり。松柳故郷の能登に帰る。
○神勅に天壌無窮云々とあるから日本は滅びない、など大まじめでいう奴がある。「神勅を疑うの罪軽からざる也」と松陰もいった。
神勅とは何ぞや? 否、天照大神とはそも何人ぞや。天皇の御先祖であるという説明は、鶏は卵から生まれたというと同様である。天皇とは? 天照大神の御子孫である、といえば卵は鶏から生まれたというと同様であるように。
天照大神とは女神である。するとその夫たる神は? 子孫がある以上、必ず男性神があったに相違ない。いくら眼や耳を洗っても子孫の生まれる道理がない。そしてあの時代に必ずも女尊男卑でなかったことは、他の神々の多くが男性神を残していることからでもわかる。
余はかく想像する。原型の大和民族の中の、巫女的存在か、もしくはその一族中からマスコット扱いをされていた神聖美にみちた女性ではなかったかと。
それはさておき、「神勅」とは何か。これに懐疑を持つのは当然で、持たない方がどうかしている。ところが今の教育では頭からこれを絶対信仰せよという。そして絶対信仰している狂信者たちが指導者となり、国民はみんな絶対信仰しているような顔をしている。実に馬鹿々々しい迷信だ。二十世紀のこととは思われない。
日本人はこういう迷信がなくては秩序が保てないのか。こういう迷信も信仰の一種なのか。そういえば、あらゆる信仰も迷信の一種にはちがいない。
二十日[#「二十日」はゴシック体](金) 晴夕曇また雨
○きょうも真昼の町を出征の兵士がゆく。児童の行列がそれにつづく。以前の手に手に持った旗はないが、笛や太鼓を鳴らし、可憐なのどをあげて唄いながら歩いてゆく。
「天皇陛下のおんために
死ねと教えたちちははの
赤い血潮を受けついで
心に決死の赤襷……」
これをじっときいているうちに、次第に疼いてくる胸、浮かんでくる涙は何だろう? センチメンタルであろうか、教育の習慣であろうか。否、否、それでは世に美しいものは一つもない。
自分は日本を愛する。
しかし――迷信は絶対に信じない。
戦争が二、三年であったら、こういう疑いは心に起らなかったであろう。暴風のような熱狂の中に終ったであろう。戦争も九年目くらいになると、いかなる人間も心胸一編の戦争哲学が心に編まれざるを得ない。
○ツルゲーネフ・二葉亭訳『うき草』を読む。ルージン、吾らをして戦慄せしめずんばやまず。されどルージンすらなお真理は信仰せり。われには何もなし。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](土) 終日大雨夕あがる
○夕、松川河畔を散歩す。雨あがれど雲陰暗として、霧朦朧となお山々を覆う。家暗く竹林暗く、路また暗し。ところどころ大いにぬかる。
町の端の岩の上に立ちて望めば、西空の雲間より断裂一条の光、青き冷たき鋼鉄のごとく落ちて、丘や野や、墨絵のごとく蒼茫と浮かべり。松川、一白蛇に似る。位置によりて町々の屋根屋根霜ふれるがごとく光る。
一橋に凭《よ》りて流れを俯瞰す。終日の豪雨あつまりて褐色の濁流橋脚に鈍き物凄き白沫をあげたり。過ぐる日、友と酒のみし草の河原、ほとんど水にかくれ、ところどころ砂石に囲まれて動かざる水、冷やかに灰色の雲を映す。
帰途大松座に入りて見る。女歌舞伎沢村茂美一座なるものなり。料金三円。芝居は他愛なき下品なるものにして、余はもっぱら観客席の方を見る。愚なる茶番を笑いどよめきつつ見る人々、浮世とはなつかしきものなりとしみじみ思う。
寮に帰る。十三夜の月、矢のごとく走る乱雲中に凄じく、町に風声怒濤、樹叫び藪騒ぎ、白壁の土塀、海中の人魚の肌のごとく光る。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](日) 快晴
○朝よりみなと上郷村の天理教会にゆく。教場となる別館二階六十畳に、教卓を運び上げ、黒板を設ける作業のためなり。
碧天、碧天。虚空蔵山の方にきららのごとき横雲あれど、白日路に燃ゆ。小伝馬橋に立てば野底川に濁流いまだ滔々。
教会の庭、先日まで麦、黄に光りしところ、すでにさつま芋を植ゆ。柿碧空に黒し、実はいまだ葡萄大。ヒマ、玉蜀黍に混りて小さき花咲けり。
○夜、三階第十一号室にて宇宙論たけなわにして、深夜まで、太陽系だの星雲だのニュートンだのラプラスなどの高声四辺に轟く。
○「恥辱ならざる餓死あり。名誉なる満腹あることなし」
「戦争の前は憤怒なり。戦争の中は悲惨なり。戦争の後は滑稽なり」
「獣類社会の道徳には腕力を要す」
「右の頬を打たれてさらに左の頬を向けしは基督なり。右の頬を打ちてさらに左の頬を要求するは基督教国なり」
また、
「男子は結婚によりて女子の賢なるを知り、女子は結婚によりて男子の愚なるを知る」
「男子の貞操は連隊旗のごとく、女子の貞操は糠袋のごとし。前者の全きは侮られ、後者の破れたるは棄てらる」
「男子は羽織より売り始めふんどしに至りて極まり、女子は肉より売り始め羽織に至りて極まる」
「女子は売品なり。男子は非売品なり。前者の売れざると、後者の買われたるは嘆きなり」
「嗅覚なき者にとりては、屁は快活なる音なり」(『如是閑語』より)
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](月) 快晴時々雨夜雨
○午後、松葉、高柳と農業倉庫にゆき、リヤカーにて疎開書籍を上郷村天理教会へ運搬する。雲ゆらいで驟雨しきり。赤き毛を垂れたる等身大の玉蜀黍、颯々と水玉散らす。遠き赤石連峰に薄日美し。
○ポール・ヴァレリー、去る二十日、パリで死去せる由。
○このところ連日連夜、B29を始めとして小型機艦載機等、数千機を以て日本各地の中小都市、交通機関を攻撃しつつありし米軍、この二日ほど不気味に沈黙す。彼何を企むや。
○バルザック『知られざる傑作』を読む。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](火) 晴午後雲|出《い》ず
○午前九時半より天理教会に於て、清水教授内科開講。
授業を受くる実に二ヵ月目なり。急性伝染病総論。六十畳の二階、みな胡座して聴く。外に鶏犬の声、小鳥の声、また蝉の声。
○本日終日、ラジオ、敵機の各地空襲を報じている。こちらも再開。夜月明美し。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](水) 晴
○午前七時半より丸山国民学校裁縫室にて、飯田病院長原教授の内科(呼吸器)講義。大いにドイツ語を使う。飯田訛りのドイツ語なり。
裁縫室は四十畳余りか。左は桜、梅などの青葉ゆれて、ガラス越しの光あたかも青きカーテンを透かせるごとし。右は、畑なり。葱、ゴボウ、人参、薩摩芋など見ゆ。風越山、虚空蔵山に霧のごとき雲かかれど、光は地に満てり。
白き校庭には裸の児童、代用教員らしき少年の笛のもとに棒倒しなどす。光澄めど涼しくして初夏のごとし。風に桜、銀杏などの青葉ゆらぐ。しずかにして何のへんてつもなき小学校の風景なれど、幼き日の想い出胸に沁むがごとき感あり。
飯田に天然痘発生せる由にて、種痘の児童ら渡り廊下に並ぶが見ゆ。いかなる庭、中庭にも甘藷を植えたり。裏には豚羊など飼える小屋あり。
軍隊も入りある模様にて、或る建物には「越三一〇二一部隊」の看板かかる。また他の建物には兵隊の炊事所ありと見え、大釜にシャベル振う男を誰かと見れば、われらもゆく町の食堂大安の主人なりき。二十日ほど前防衛召集受けしこの人、ここにありとは意外なりき。工場もまた入りあると見え、或る中庭には機械並ぶ。戦災受けしものを運び来りしにや、赤く焼きただれしものもあり。
○午後、松葉、見塩、高柳と天竜峡に出かける。明木曜が休日となっているからである。
午後二時、飯田駅にゆく。
上りは駅内に、下りは駅外に、それぞれ四、五十人ずつ並んでいる。一電車毎に二十人分余り切符を売って、すぐに窓口を下ろす。
二十人目の人と二十一人目の人とは、並んだときは一分の差でも、電車は二時間、三時間の差となって現われる。人間世界にはほかにもこんなことがありそうだ。
四人が一人ずつ、二十分余り交互に行列して、あとはベンチに座って待つことにする。僕たちは遠くから、切符切りの少女駅員を鑑賞する。飯田駅随一の美少女だそうで、眼は非常に大きい。肌は蒼味がかって見えるほど白い。笑うとひどくエキゾチックな顔になる。
先発隊が飯田にはじめてついた晩、こんな話があった。Aがいう。「あの切符切りの娘だがね、あれはどうもおかしいよ。駅でぶらぶらしてるおれを、じっと見ている。こちらで見ると眼をそらすが、しばらくするとまたそっとおれを眺めている。おれに気があるとしか思えない」するとBが「ばかだなあ、貴様、あれならおれにも妙な眼つきをしていたぜ」すると、おれもおれもという連中が続出して、みな唖然となり、かつ笑い出した。
しかしあの顔は、どうも悲劇的な運命を予告しているように思われる。甚だしく未来の夫に剋される顔だ。――などと遠くから眺めながら、こんなことを考えている僕も馬鹿々々しいが、今の環境もずいぶん馬鹿々々しい。三十分ほどでゆける天竜峡へゆくのに、二時から五時十一分まで、三時間以上も待ったのである。
しかし、二十人で窓口が冷然と下りると、二十一人目以下四、五人が、必ずボンヤリと笑うのはどういうわけか知らん。
事実として決して笑うべき時ではない。一歩の差でまた数時間立ちん坊をしなければならないのだから、無念の形相物凄くなってしかるべき場合である。それなのに、なぜ笑うのだろう。
人間は他人が困ったときに笑う。困った当人は負けん気を出して笑う。しかしあの笑いはそんな意味の笑いではないらしい。その証拠に、他人が見ていなくても、あんな場合にボンヤリと笑いそうである。――あれは「運命」を笑ったのである。一歩遅れたために万歩遅れたのは、自分の迂闊のためではない。誰の責任でもない。いわゆる「運」である。運に対する日本人特有の諦観が、あの笑いとなって現われるのである。日本人が切腹するときに浮かべるという笑いも、或いはこれと同種のものかも知れない。
僕達もこの「日本人の微笑」を二度浮かべなければならなかった。五時十一分、ようやく電車に投ず。
晴れてはいるが、雲が多い。時々さす日の光が、桃畑の桃の実を赤く、青く、また黄金色にかがやかす。やがて天竜川を電車は走り渡る。トンネルもある。掘りぬいた岩石に黒く滴が光って、窓際の者の頬に冷たいしずくが吹きかかる。
天竜峡駅に下りて、六時前、天竜峡ホテルにつく。階下の十二畳。十畳つづきの部屋に通される。床の間の鰐みたいな変な木には埃がいっぱいたまっている。きいてみると女中はたった四人、しかもその二人はずいぶん前から休んでいるという。
縁と塀の間の小庭には、桜、梅、松の青葉がそよぎ、紅百合が可憐に咲いている。蝉とひぐらしが鳴きしきり、すぐ下に淙々と天竜川の渓音が聞える。
入浴、夕食。お菜には肉、魚一切なし。茄子や胡瓜のみ。しかも調味料不足でうまくも何ともなし。飯は一人七勺ずつ。
夕、松葉の持って来た浅野晃の『明治の精神』をまたひらいてみる。悲願とか哀泣とか慟哭とかいう言葉がやたらに使ってある。福沢諭吉を「元凶」という名で呼んでいる。元凶などという言葉をそう軽々しく使うものではあるまい。他のあらゆる章、この調子だから、僕はこの人を馬鹿々々しく思う。
就寝前入浴、手拭いの代りにまちがえて帯を持って湯に入り大笑い。月明蒼し。敵機しきりに跳梁すると見え、ラジオのブザー鳴りつづけである。爆弾の音を遠くできくような地響きも家を震わす。一、二度B29の爆音も空に聞く。
厠に入るとき窓から見ると、ちょうど裏にあたる天竜峡駅の構内に発着する電車が、無燈火のためか、荒々しい癇高い合図の叫びの中に唸っていた。
敵の爆弾はいつ、どこに落ちるかわからない。そこでまた「運命」ということを考え、さらにまたなぜ日本人が「運命」を笑うのか、を考える。あれは滑稽なる運命を笑ったのである。運命の定義にいちばん適確な「滑稽なる」運命を笑ったのである。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](木) 晴
○朝六時、駅にゆく。いまのうちに切符を買っておかないと、きょう中に飯田に帰れないおそれがある。七時ごろ買う。五十銭。
朝食前に散歩、銀鼠色に流れる天竜川、赤松の中の道、竹林、蝉の声。そして奇巌。――南画的風景。しかし僕はこういういわゆる奇岩怪石の風景を好まない。その岩に一々「帰鷹崖」だの「浴鶴岩」などいう名をつけ、また彫りつけたりする趣味を好まない
八時彩雲閣に帰り、哀れな朝飯を食う。勘定をする。一人約三十円。
宿を出て、またあたりを歩き回る。ほかにも旅館幾つかあり。いずれも「陸軍航空本部」とか「航空総軍」指定旅館などの看板をかかげている。こういう「趣味」はいよいよ好まない。
仙峡閣というホテル前の小橋から山路に入ってゆくと、赤松の林の中に忽然と大きな工場が出現したので驚いた。バラック建てだが、中では旋盤か何か轟々と唸って、青い菜っ葉服がちらちらと働いている。――ここならB29も気がつくまい。傍の小山に上って下る途中、重そうに鉄材をモッコにぶら下げた四、五人の少年に逢う。戦闘帽に金の糸で錨のマークが縫いつけてあるところを見ると、今の工場は海軍関係のものなのであろうか。
もとの橋にもどり、姑射《はこや》橋を渡り、竜峡園にいって昼飯を食う。玉葱を卵で煮たもの、胡瓜、椎茸、つけもので意外な御馳走であった。錨のマークのついた戦闘帽をかむった少年や少女工員が十人余り来て味噌汁だけのんでいる。昼食代一人分二円五十銭。
天竜峡駅前の写真館に入り、記念写真をとる。物はみな疎開させたそうで、撮影室には家具もなく、背景の幕さえない。しかしこんなところから、さらにどこへ疎開させたのだろう。一人のが十五円、四人一緒のは三十五円だという。
十二時二分発。四十分飯田着。
○夜ゴーゴリ『外套』を読む。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](金) 晴
○雲あれど地明るくむし暑し。丸山国民学校にて、外科、産科、耳鼻科講義。
○英霊凱旋にや、町の家々国旗を出し喪章を付す。知久町にて背後より「山田さん」と呼びかける者あり。ふりむくと沖電気時代の下請工場大洋製作のおやじなので驚く。五月二十四日に焼け出され、この飯田に来てこちらに工場を作りかかっている由。
○夜、みなアルコールをのみ、大いに嘔吐す。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](土) 晴
○昨夜の悪酔いたたりて、ちょうど午前休講なれば、部屋に寝そべりて、うつうつ陶然たり。ガンジーの無抵抗主義が好きになる。
○厨川白村『象牙の塔を出て』を読む。実に癪に障る話なれども、白村の炯眼なるを容認せざるを得ざるふしもあり。
「日本人を熱し易いが冷め易いなどいう陳腐平凡の語を以てきいた風の批評をするものがあるならば、それは全然誤っている。熱し易いというが、最近四、五十年来、戦争の場合を除いて、真の文化生活のため、一度だって日本人が本当に熱したことがあるだろうか」
たしかに然り。全日本人が真に魂の底から感動して震えしは、戦争に於てすらも――この大東亜戦争に於てすらも、最初の十日間或いは三日間にあらざりしか。
「しかし※[#「玄+玄」、unicode7386]に唯一つ私が知っている確かな事実がある。それは世界の強国と称して威張っている国々が、不思議にもロシア人の思想と活動とをひどく恐れているという事実である。金もなければ武力もなくなったロシア人を恐れているという不可解不可思議の事実である。なかには自分の国は世界一だとばかりの大言壮語を吐く或る国のごときは、ロシアと聞いただけでもぶるぶると震え上って蒼くなっているではないか。ただロシアの前世紀の思想や芸術から推測して見て、何でもこれはまた田舎者がその特有の野性を発揮し、馬鹿者の馬鹿々々しさと馬鹿力をいかんなく発揮しているのではなかろうかと思う」
「欧州戦争はあの通りの人命と財貨を費して、一方が片方を打ちのめし、叩き伏せ、英語にいわゆる to the knock out という所まで戦った。いかにも毒々しい徹底性がある。特に戦後フランスのドイツに対する態度なぞを見ると特にこの感が著しい。然るに日露戦争に於ける日本は素早く火蓋を切って敏捷にぱちぱちとやりはしても、あとは一、二年で済ます。戦争は中途半端だ。懸軍長駆、敵の牙城を突くどころか、敵の玄関にすらもいかない、奉天あたりで切り上げている。単に国力が続かないのみでなく、小利巧なだけに目先がきいて大抵の所で見切りをつけて引上げる。世界戦争のような馬鹿げた真似は何としても出来ないところが日本人である」
あたかも現時の戦争――世界大戦を言えるごとし。ソビエトは実に馬鹿力を以て勝ちしなり。
またこの文章により、前大戦に於ても人々は、「ドイツが徹底的に敗北せる」ように感ぜしことを知り得、今次また然り。而して前大戦後二十年にしてナチスは大勢を挽回せり。今は徹底的に抑えられあれども、「時」の恐るべき力は連合国側の手綱を緩ませずんば止まざるべし。ドイツ人の素質一変せざる以上は、ドイツ再び勃興せんこと疑いあるべからず――と考えるは余が甘きか否か。
日本は――誓う、この戦いはまさしく最後の一兵まで戦うべし。この白村の評の絶対当らざることを余は祈る。
「日本人が宣伝運動に拙だったと評した人があるが、思想のない者が何を宣伝するのであろうか。宣伝しようにも宣伝する思想がないではないか」
然り。八紘一宇、何ぞ他民族に対して不可解の理想なるや。日本人たる余にもよく分らず。況んや他民族をして信ぜしむるをや。ただし、理想の旗の文句はどうでもよし。要は力なり、武力なり。これ本次大戦により吾らが得たる悲痛なる最大の真理なり。
「政府を官僚的だなどときいた風なことをいうが、日本は民衆そのものがすでに官僚的なのではないか」
まさに然り。実に現在の日本をかかる暗澹たるものにせる最大の原因の一つなり。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](日) 晴
○日曜なれど、国民学校を借りている関係上、授業あり。内科。
午後、吾妻町一丁目の大洋製作を訪ぬ。風呂屋なり。浴場脱衣場を工場にするつもりと見え、ここにいまだ梱包せるままの荷雑然と積まれあれども、おやじの姿見えず。だれの姿も見えず。
夜、東南の山のあなたより遠く探照燈、夜空を這うが見ゆ。十九夜くらいの月美し。先日アルコール飲みて窓より吐きし吐物、隣家の屋根にかかりて談判し来る。夜更けこれを掃除す。月光漂渺として吐物また乳のごとくうるわし。
○チャーチル引退し、アトリー代る。ここしばらくの世界史にチャーチルの名消ゆべし。いささか感無量。チャーチルは聡明なりしか。彼には妙に一面鈍なる悟りの悪きところなかりしか。古来の英雄ことごとくこの一面を具え、チャーチルたしかにこれを具う。
○鏡花『婦系図』を読む。これだけ愚なる内容をこれだけ引きずってゆく鏡花の手腕感服するに足れり。
三十日[#「三十日」はゴシック体](月) 晴
○午前、腫瘍講義、午後病理。酷暑。
○大和寮の食事。
朝は豆三勺米三勺の飯に、湯呑茶碗一ぱい程度の人参の味噌汁。
昼は飯は朝と同じく、菜は大豆を煮たるもの小皿一皿。
夜は朝昼の飯量の半ばをかゆにせるもの。これに卓の真中に小皿ありて、黒き唐辛子の葉を煮たるものを載す。
三十人でかゆ啜りつつ餓鬼のごとく一口にこれを食うなり。考えてみれば、これで動き勉強しているのが不思議なり。
○緒方知三郎校長、飯田に来らる。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](火) 晴
○昨日まで茅野にありて一年の面倒を見ておられた緒方校長、飯田に来られ、きょうより入学以来はじめての校長の病理学講義始まる。
気分が悪いと寝ていたる者、三年までも吾らにまじって上郷村の天理教会にゆく。
病理学講義に先立って次のごとき演説をせらる。
「諸君は茅野にいる一年生よりはるかに恵まれていることは事実である。第一に諸君はごらんの通り、たたみに座って勉強が出来る。茅野は実に一介の寒村で、寝るのも板敷、教場もむろん板敷――桑の倉庫なのだから、汚ないことは言語に絶し、食物はいうまでもなくお話にならない。だから雨のふる日など、みな家が恋しくてならないらしい。それで私なども真っ先ににぎやかにやっているわけですが、私の信念としては、この苦痛を明るくするものは、ただ勉強、勉強より外にはないと考えている。
危急存亡といおうか、この未曾有の国難に際し、諸君にはそれぞれ煩悶があろう。学問も国家あっての学問である。国家なくして何の学問ぞや。私も、この研究が果して何になるのか、そう考えると、夜も眠られないことがある。諸君にとってはなおさらであろう。
しかしながら、現在の吾々にとって、学問するにまさる愛国の道は断じてない。戦争は軍人に委せようではないか。吾々は学問しよう。研究しよう。困苦欠乏にめげず、あくまで医学にかじりついてゆこう。飯田が焼かれたら、さらに山に入ろう。私はどこの果てまでも、諸君とともにゆく。あくまでも諸君を、インチキ医者ではない立派な医者に、必ず育てる。
日本をこの惨苦に追いこんだものは何であるか? それは決して物量などではない。それは頭だ。それはこの頭なのだ!
日本医学がなんで世界の最高水準などに在るものか。下らないひとりよがりの自惚れはもうよそうではないか。日本医学は決して西欧医学の水準には達していない。医学ばかりではない。工学でも物理学でも化学でもそうである。その例はあのB29に見るがよい。日本じゅうの都市という都市が全滅してゆくにもかかわらず、なおあの通りB29の跳梁に委せているのは、物が足りないのではない。あれが出来ないからだ。あれを撃ち墜す飛行機が日本にないからだ!
諸君、このくやしい思いを満喫しなければならないのは、吾々の頭が招いたことなのだ。はっきりいっておくが、毛唐は日本人を対等の人間とは認めていない。黄色い猿だと思っている。この軽蔑を粉砕してやるのは、吾々の頭だ。学問だ。研究だ。不撓不屈の勤勉なのだ。
諸君にはもはや私達のような学問の生活を送ることはできないだろう。この戦いのあとは惨澹たるものであろう。医者の資格さえとればそれでよい。開業すれば何とかやって、金さえ儲ければよい――とまではゆかなくても、単なる安楽な、こぢんまりした平和な生活を望んで、ただそれだけで満足してもらいたくはないのだ。――これから頼りになるのは、本当に自分の実力だけである。金とか親の威光などいうものは何にもなりませんよ。断言しておきますが、近い将来に日本には恐ろしい変化が起ります。明治維新以上の大転回が参ります。そのときに頼りになるのは自分自身だけですよ。
つい昂奮してしまって、みなを固くして相すみません。しかし、老いた私は諸君学生が力なのだ。頼りとするのは諸君だけなのだ。諸君、どんなことが起ろうと日本を忘れるな。日本を挽回するのは誰がするのか。諸君の外に誰があろうか。だから諸君にお願いするのです。心からお願いするのです」
これらの言々、校長の眼に涙あらずやと思わるるほど激情的に吐かる。みな感動して身動き一つせず、大広間に窓外の梧桐の青葉日にゆれて、薄き緑の反映動くのみ。
これより――午後一時より三時半にわたって病理学総論講義。実にこの夏の午後、二時間半、みなを欠伸一つするどころか緊張せしめ、眼をかがやかせ、講義後疲労困憊を覚ゆるまでにひきずりこみたる緒方校長の講義、実に偉大なり。
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[#小見出し]  八 月
一日[#「一日」はゴシック体](水) 晴
○午後校長の病理学総論つづく。
○白熱酷暑。
二日[#「二日」はゴシック体](木) 快晴
○一昨夜も昨夜も、日暮るるや警報鳴り、昨夜のごときほとんど一晩中、サイレン半鐘の乱打つづく。
夜半町の物騒がしきに眼醒むれば、蒼穹に陰暗たる一条の黒雲棚びき、猫の眼のごときぶきみなる白き半月、蒼白く部屋にさしこめり。B29の爆音きこえ、「敵十九目標は富山西方を東進中」などのラジオの叫び聞ゆ。
○ゴーゴリ『肖像画』を読む。かくのごとき妖気と飄逸、凄味と笑いをかねたる風の作家いまだ日本に見られず。酷暑つづく。
四日[#「四日」はゴシック体](土) 晴
○午前、上郷村をどんどん歩いて見る。雄大な青い山脈のいただきにポッカリと漂っている純白の雲のむれ、真っ蒼な大円空から、ひたいや頬に燃えるような夏の日がかっと降って来て、街道は白く森閑としている。青と金の光の斑のゆれる大竹藪の陰で、黒い大きな風呂敷包みを背負った行商人みたいな男が立小便をしている。代赭色の崖と、青い樹々――なかんずく、自分の故郷で石鹸の木という楕円形の細かい葉を持ったものが多い。この樹は、その葉を水にひたして両掌でもむと、石鹸のように涼しい泡が湧くのでそう呼ぶのである。村路に「武田末孫もみれうじ――目かさもおなおしいたします」と書いた看板があって、その上に武田菱の紋が書いてある。一つ二つ、風船のように赤い日傘が動いて来る。
路から見下ろすと、眼下にひろがる伊那平野は、水田、野菜畑、黍畑など、まるで絨緞でものべたよう。その中に、小さい家々が黒瑪瑙のように光り散っている。はるか向うに天竜が見える。風もない。鳥影も見えぬ。ただ満山しーんと蝉の声に満ちているばかりである。
○午後緒方病理。
○永井荷風『珊瑚集』を読む。
五日[#「五日」はゴシック体](日) 晴
○午後緒方病理。きょうにて校長の授業は一段落。
○岸田国士氏がこの飯田郊外に疎開しているという。それが百姓たちの評判かんばしからずという。なぜかというと闇で米を買うからだという。煙草を吹かしてぶらぶら歩き回るからだという。
闇をしなくても生きてゆける百姓は倖いなり。おまけに散歩まで悪口の対象になっては、岸田先生立つ瀬がない。
六日[#「六日」はゴシック体](月) 晴
○丸山国民学校の内部は一部工場化されつつある。機械すえつけ作業にモンペ姿の女学生たちが動員されて、灼けつくような炎天の下を、営々として蟻のごとく石塊を運ばせられている。
○ドイツ処分案苛酷を極む。トルーマン、チャーチル、スターリンの三人は、人間の馬鹿の標本である。
そう思うと実に人類の滑稽を感じるが、しかし現実に第二のドイツと目されている日本を思うとき、決して笑いごとではない。滑稽なる喜劇であればこそ、敗北せる当事国はいっそう悲惨な、戦慄すべき状態となる。
決して敗けられない。況んや降伏をや。降伏するより全部滅亡した方が、慷慨とか理念とかはさておいて、事実として幸福である。
七日[#「七日」はゴシック体](火) 晴
○連日天地炎々。午前外科、内科。午後、飯田に疎開させたる図書室の書籍の目録を作る。
帰郷せる松柳に帰寮督促の手紙を出す。
「今や国家存亡のとき、むなしく故郷にありて狸腹便々。大事去って千載の悔を残すことなかれ。ただちに吾らが戦場≠ノ復帰せよ」云々。
○ヒトラーが生きているという噂が絶えない。確証ある屍体が発見されないのだから、これは当分連合国側の夢魔であろう。
若し真に生きていて、エルバ島から現われたナポレオンのごとく風を捲いて起つ日があるか、顔を焼いてどこかの巷に潜んでいるか。――これは小説で、彼の死にまちがいはないであろう。
しかし、屍骸が見出されぬ以上、後年のデュマは必ずこれを利用するだろう。とんだヨーロッパの秀頼公だ。
八日[#「八日」はゴシック体](水) 晴
○烈日。休みて午前中図書室目録を作る仕事を続ける。
○広島空襲に関する大本営発表。
来襲せる敵は少数機とあり。百機五百機数千機来襲するも、その発表は各地方軍管区に委せて黙せし大本営が、今次少数機の攻撃を愕然として報ぜしは、敵が新型爆弾を使用せるによる。
「相当の損害あり」といい「威力侮るべからざるものあり」とも伝う。曾てなき表現なり。いかなるものなりや。
九日[#「九日」はゴシック体](木) 晴
○松葉数日前より身体異和を訴え食欲頗る不振なり。清水教授に診断を仰ぎしところ、栄養不良による腸カタルなりと。
一日も早く帰郷せしめて一週なり十日なり栄養物をとらしむるにしかずと、午前飯田駅に彼の帰郷の切符買いにゆく。
○飯田市内にもついに建物疎開始まる。白日の町に埃まきあげ、各所に嵐のごとき家屋除却作業始まる。学生みな動員さる。
○今、夜十二時十分前だ。
昭和二十年八月九日、運命の日ついに日本に来る。夕のラジオは、ソビエトがついに日本に対し交戦状態に入ったことを通告し、その空軍陸軍が満州進入を開始したと伝えた。
ソ連についてはこんな噂が囁やかれていた。――ソ連はなお疲労している。まだ手は出さないだろう。第一日本とアメリカをヘトヘトになるまで戦わせるのが彼の目的であろうから。――いや、すでにソ連は日本に対し続々と石油を供給しつつある。B29がしきりに日本海に機雷を投下しているのはそれを妨害するためだ、とか、松岡洋右がソ連へいって、アメリカとの戦争の仲裁を頼んでいる、とか。――
こんな噂に耳をすませていた輩は、この発表に愕然と蒼醒めたことであろう。
たしかに日本は打撃された。大きな鈍器に打たれたような感じだ。
しかし、鈍い。一般には十二月八日のような昂奮は認められない。予期せぬことではなかったこと。どんな激情的な事実にも馴れっこになっていること。疲れはてていること。――そのためか、みなほとんど動揺しないようだ。「とうとう、やりやがったなあ」と鈍い微笑の顔を見合せるだけである。例の「運命を笑う」笑いにちょっと似ている。
夜それでもみなこのことに就て話す。
「日本が今まで敵に先手を打たれたことはないじゃないか。おべっかをつかって、張り飛ばされて、こりゃ醜態だな」
「厳重抗議、なんて間のぬけたことやらなきゃいいがねえ。だいたい日本は、横っ面を殴られたら丸太ン棒で殴り返す方なのだが、こんどは、おそるおそる抵抗、というようなかたちでゆくような気がしてならん。畜生、こうなったら、ウラジオなんか一挙にどっと攻撃してしまえ」
「こんなことになるなら、スターリングラード戦当時に、ドイツと相呼応すればよかったんだ。あんまり大事をとりすぎて、とり返しのつかないことになってしまった。海軍などもその通りだ。晴れの決戦らしい決戦もしないで、いつのまにやらなし崩しにぐずぐず無くなってしまったようじゃないか」
「しかし、今度の事だけは、ソ連が日本の弱っているのにつけこんで、背中からいきなり殴りつけて来たことに間違いはない。この恨みは絶対に忘れまいぜ」
「もともとソ連こそ日本の宿敵なのだ。それが大東亜戦争以来、すっかりその意識が拡散しちまっている。これをいま火をつけたって、急には盛り上らないしなあ。それにそもそも関東軍はレイテや沖縄であらかた無くなっちまったというじゃないか」
これらの言葉を叫ぶ声激烈なり。
「もうこうなったら、やけのやんぱち、もっと宣戦布告してくるめぼしい国が欲しいくらいのもんだ」
「アメリカに――もうおまえのとことの喧嘩は飽いたよ、新味はないよ、だから、おまえさんは暫く見てる気はないか、こっちは当分ソ連とやるから――っていっても、きかないかね」
「そうはゆかんよ。これで米軍の上陸もいよいよ迫ったな。第一、B29の基地が沿海州に出来るにきまってる。いよいよ夜も睡れん状態になるぞ」
「いよいよおれたちも出る番だな。なに、出された方がいいんだ。大体おれたちが今ごろここにいるのが変なんだ。こうなったらもう暴れ死しようや。一日でも長く全世界を相手に戦ったら、それだけ日本の箔がつくことにならあ」
「問題はメシだな。もう先のことを考える必要はないもの、うんと食わせてくれたらいいんだ。メシさえ腹一杯食わせてくれたら、なに百年だって戦争してやる」
「それからメッチェンだ。これももう先のことを考える必要はないんだから、こっちも腹一杯。――」
そこで、みな大爆笑。
まさにソ連は日本に強心剤を与えた。ただし二、三日効果が続く程度の。
しかし、問題はそのあとだ。警戒すべきは今の日本人の自棄的な笑いの反動である。恐るべき事態はその後生ずるであろう。
十日[#「十日」はゴシック体](金) 晴
○午前篠井外科。
○町のラジオ聞える家の前には子供達まで集まってニュースをきいている。ソ連軍は満ソ国境のさらに数ヵ所から攻撃を開始し、次第に兵力を増強中なりとか、朝鮮東方海面に於てわが輸送船団を攻撃せるソ連機約八十機中十四機を撃墜したとか報じている。
その一方では、大松座できょうと明日、東海林太郎の独唱会があるとかで、十七、八から二十歳前後の娘たち雲集し、行列し、金切声をあげている。アイスキャンデー屋の店先には、キャンデーとは名ばかり、箸の先に黄色い氷がくっついただけのものなのに、ここも六、七歳の幼児が雲集し、行列している。
飯田をめぐる山脈の上には入道雲の壮観。
○日本人の大部分は、理性的にはこの戦争には勝てまいと考えている。しかし感情的には、まさか負けやしないだろうとまだ考えている。
今、その理性を信じ、どうせ勝てないと想定する。
どうせ負けるなら、なるべく早く手をあげて、ともかくも日本という国を存続させ、そして百年の後を期するという考え方がある。
しかし、それは甘い。敵はふたたび日本が起てないまでに叩きのめすだろう。再起の原動力は教育だが、その教育そのものがアメリカによって「再教育」されるだろう。手をついたって、大目に見てくれるわけがない。第一、敗北を知らない歴史に傷がつく。こうなれば最後の一兵まで戦うのみだ、という考え方もある。
最後の一兵まで、など口でいうのはたやすいが、事実として出来ることではない。向うの三割をやっつけたとき、こちらが七割やっつけられたとしたら、あとは物理的に袋叩きに会うのが戦争というものだ。無益で悲惨な戦闘だ。女子供をみなわれわれの手で処分し得るとは、いかに冷静に考えようとしても考えられない。日本人というものが或る人数生き残る以上、それがこれからさき何億年か地球上に生きてゆかねばならない日本である。一度や二度戦争に負けたからとて、どうしてそれが恥になるものか。長い歴史の上では、却ってそれが薬になるだろう。ドイツでもフランスでもロシアでもその通りではないか、という考え方もある。
自分は考える。どれも尤もである。
しかし、やっぱり戦った方がよい。金輪際まで戦って、血みどろに戦って、まさしく弾尽くれば石を投げ、石果てなば歯で噛むというところまで戦って――そうして失神的敗北の日を迎えたら、それは吾々の時代は悲惨だろう。後代千年の後までもその物質的影響は残るであろう。
しかし、その誇りは子孫の胸に残る。それは何ものを以てしても購い得ない壮烈な涙である。日本の再興はこの涙の中から築かれよう。また外国に与える影響も甚大である。日本と戦争したらトコトンまでゆく、そういう歴史的印象を与えることは、後代にとって幸福とならざるを得まい。
そう決すれば、敗戦論はもはや一語も口にする必要はない。たとえそれに何分かの理があったとしても、戦うと決意した以上、それは戦いの邪魔になるだけである。八百長では死物狂いになれぬ。ただ要するのは、まさに馬鹿力だけである。
○頭脳熱しつつ、考えつづける。
ソ連政府の宣言の中に次のごとき意味のことがある。「日本は、米、英、重慶の降伏勧告を拒絶した。これによって、日本がソビエトに、|極東戦争の仲裁を依頼した《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》ことの誠意が疑われる。このゆえにソビエトは、侵略国たる日本を世界平和のために攻撃する」
われわれを愕然たらしめるのは、ソ連の宣戦布告よりも、この傍点を打った文句である。
三国がポツダムで宣言したのは、日本の無条件降伏である。日本がソ連に依頼したのは仲裁である。話が違う。降伏を拒絶したのが、どうして誠意がないことになるのか。ソ連のいいぐさは、強引で卑劣な三百代言的言葉の|あや《ヽヽ》に過ぎない。
――と、怒って見ても、しかし始まらない。こういういいがかりをつけられるのも、実は日本政府自身が招いたことなのだ。
そんな事実があったのか。国民は何も知らずに戦って来たのだ。――ともいえない。松岡洋右がその交渉にソ連にいっているとかいうような噂は、大分前から田舎の隅まで広がっている。ただし、素朴な国民の大半は、こんな噂を九分まで疑惑を抱いてきいていたけれど。――しかし、これが事実なら、これほど重大な秘密が下層にまで洩れていたのは、恐るべき事実ではあるまいか。
国民に戦意がないと叱る。しかし戦意のないのは誰であるか。上層の十人の秘密が中層の百人に洩れ、下層の千人に伝わるならば、上層の十人の戦意喪失は、中層の千人に、下層の万人に広がるのは当然ではないか。
それならば、なぜ戦争を始めたのか。政府の宣言する如くんば、この戦争は自存自衛の聖戦であるという。それならばなぜその信念に殉じないのか。
血みどろになって、飢餓と爆撃の中に黙々と新聞を信じて戦っている国民の哀れむべきかな。
ソ連の仲裁が実現出来たら、それは好都合であろう。しかしソ連はほんの二、三年前まで日本の仮想敵ではなかったのか。日本はソ連の敵ドイツの同盟国であり、ソ連の同盟国米英の敵ではなかったのか。こんなことが可能だと考えるのは正気の沙汰ではない。江知の老婆がソ連に頼むとか何とか智恵を出したが、政府もまたあの無知な一老女と同じ程度の稚気満々たる頭しかなかったのか。
いかに苦しまぎれとはいえ、馬鹿々々しくて悲憤する張合いもない。
○突如、電撃のごとく痛みが体内を走る。政府にして右のごとき心ならば、遠からず|日本は降伏するであろう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。|必ず降伏するであろう《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。
吾らは何をなすべきか?
十一日[#「十一日」はゴシック体](土) 晴
○午前中山細菌、佐々病理。
佐々教授曰く「戦局はいよいよ苦しくなって来ました。外交上のミスに、敵の新武器、――新聞にはとうてい発表できないような惨状も或る町には起ったとききます。戦争は今後更に凄惨にして最悪を極めることを覚悟しなければならぬ。……しかし、あまりクヨクヨしたって始まらない。酒でも――そんなものは、まあありますまいが、若しあれば飲んで気勢をあげるんですな。歌でも――町で歌えばうるさいから、山の上にでも上って歌うんですな。どうもあまりあれもいかん、これもいかんと抑えつけるものだから、 Atrophie(萎縮)になってしまう。……」云々。
実際われわれが寮の窓際で歌を歌っても、町で下駄を鳴らしても、この小さな山の町の人々は、グズグズと蟹のごとく泡を吹くのである。
教場、潮騒のごとく、敵の使用せる新型爆弾の話に満つ。中に「もう駄目だ」「もう長くはねえなあ」という声聞ゆ。そして最後には「もうこうなったら、やりたいことをやっておくんだ」という絶望と自棄と頽廃の極を尽した独白も聞ゆ。
○百姓も然《しか》なり。いまは酷暑つづけども、土用中は秋のごとくなりしため、稲の成長もとにかえらず。稲はまだしも、こんどは雨一滴もなきため野菜枯れ、もうあるものを食い放題食うにしかずという考えが、農民の間に蔓延している由。今年は大飢饉の徴ある天候なりという。
○午後三年草地氏入営歓送をかねて、飯田市内にデモンストレーションをやるとて、三年より集合の命あり。警察より許可を得たりとて、女の割烹着を着るもの、羽織に朴歯高鳴らすもの、木剣や日本刀を振りつつゆくものありしとか。出ねば殴るというゆえに吾はゆかず。どうせ富士の白雪やノーエでも歌いしことならん。こんなことで気勢が上るほど簡単なことなら、日本が負けるはずなきなり。
夕雷鳴、雨ポツリポツリ路上に斑を描けども、ついに沛然たることなし。
○佐々教授のいえるは、敵が今回広島に使用せる爆弾を指せるなり。原子爆弾なりと伝えらる。ウラニュームを応用せるものか。
噂によれば、敵の来れるはただ一機ただ一発なり。しかも広島の三里四方生きとし生けるものすべて全滅す。遠くより電話すれども通ぜず、飛行機にて偵察してはじめて死の町なることを発見せるなりと。助かりしは出張中なりし県知事一人なりしとのことなり。
誇大のデマなることを信じたし。
されど大本営が倉皇として発表せること。進入せるが少数機とあること、新聞の威力侮り難しとの簡単なる文句の中に覆いがたき混迷と動揺の色あること、米国の宣伝に全世界衝撃を受け、あまりにも非人道的なりと非難しあること、等を見れば、これが今までの爆弾の性能の三倍五倍のものにあらざるを察するに足る。とにかくそれが果して原子爆弾なりとせば、威力はまさしく恐るべきものなるに相違なし。
余は、日本の命脈があと二、三ヵ月のごとき感じ、昨夜せり。しかれども若しこれが事実ならば、あと十日とすら思う。ここまで切迫せりとは愕かざるを得ざれど、敵が原子爆弾を使用せる以上、戦争は真に無益なりといわざるべからず。
残念なり。無念なり。
無念なれど、完全なる「科学の敗北」なり。
○ソ連八日に宣戦してすでにきょう四日目、日本政府の沈黙せるは何ぞや。宣戦するでもなし、帝国政府声明すらもなし。総理大臣談も情報局発表もなきは何ぞや。
戦争は気合のものなり、間髪を入れず相起つところにあり。日本、ドイツ宣戦せるときは、すでに大軍敵地へ深くくさびを打ち込みありしは過去の証するところ。ソ連八日に宣戦して九日に進撃を開始す。正々堂々たるがごとくして、実は吾の内兜を見すかせしなり。しかもなお吾は黙して敵の進入を許しつつあり。
然り、吾は内兜を見すかされたり。講和調停の役を申込みたるはすなわちそれなり。政府も好んでこれをやりたるにあらざるべし。それ相当の理由ありてやりたるに相違なし。果して然らば、ああ万事休す!
何かある。この何かは必ず近日中に現われん。
とにかく原子爆弾は全日本に一大衝撃を与えたり。
アナウンサーの元気なきことおびただし。しかもその元気なき放送すらも、数分毎に敵機侵入のジジーというブザーに妨げらる。
○悪夢と幻交錯す。
悪夢。
「一、帝国政府は、米国、英国、及びソビエト連邦に対し無条件降伏を申し入れたり。
二、天皇陛下には御退位のこと仰せ出だされたり。陸軍大将東条英機、同小磯国昭、同畑俊六、同杉山元、海軍大将米内光政、同島田繁太郎、同豊田副武、同小沢治三郎は昨夜自決せり。
三、国民は静粛に各自処せられんことを期待す」……?
幻。
「大本営発表。
米国東海岸を南下中なりし皇軍の先鋒部隊は、昨○月○日ついにニューヨーク市内に突入せり」……!
凱旋する皇軍、凱旋する連合艦隊。旗の波、提灯の波。――そうなれば、吾々は一ヵ月くらいぶっ通しに酒を飲み、ぶっ通しに踊りまくるのだ。それを誰が怒るものか。
十二日[#「十二日」はゴシック体](日) 晴後雨
○蒸暑し。終日鬱々茫々たり。
夕より夜にかけて雷雨――「原子爆弾だ!」と叫ぶ者ありて、みな大恐慌大爆笑。
十三日[#「十三日」はゴシック体](月) 晴
○午前外科。上郷村の天理教会にて病理。途上の壁に「信濃特報」なるもの貼られあり、今朝来、敵艦載機群、上田と長野を銃爆撃中なりと。
依然かがやく入道雲の碧空に盛り上る紅い百日紅の花。黄色い向日葵の花。……いずれも動かず。
○飯田市の建物疎開、半ばにして突如中止となる。而して市民は十八日までに郊外二里以上の地に急遽避難せよとの命令|出《い》ず。原子爆弾のためなるべし。吾らはゆくところなし。
○日本いまだソ連に宣戦せず。いかなるつもりならん。
○夕、市より招待されて(先日の疎開事業手伝の慰労のためか)大松座にまた前進座を見る。長十郎、翫右衛門出でず、瀬川菊之丞などが主なるものなり。菊池寛「時の氏神」八木隆一郎「雪国の人」など。さすがに他の田舎回りと異なりてまじめなるところあれど、題材すでに現在と万里のへだてあり。夜驟雨一過。一滴千金。
○或る寸劇。
あぶら胡麻をまいたように蠅のとまっている黒い四角なテーブルに、二人の学生が黙々と|かゆ《ヽヽ》をすすっている。
|かゆ《ヽヽ》は、馬鈴薯と大豆が三割、米粒が二割、あと五割は湯という「箸にも棒にもかからぬ」しろものである。二十燭光の裸電球は赤いわびしげな光を落して、深い地の底の穴ぐらのようである。暑い。
猿股一つの、遠い先祖はたしかにインドネシアに違いないと思われる、唇の厚い、鼻のあぐらをかいた学生は、かゆをふうふう吹きながら、しきりに舌打ちの音をたてている。もう一人の学生は、一すすりしては、テーブルに広げた新聞を読んでいる。これは瓢箪のように痩せて、肋骨の浮き出した学生である。
電燈の光もとどかない暗い台所の隅で、二人の炊事婦は明朝の味噌汁に入れる馬鈴薯をコツコツと刻んでいる。二人とも五十をすぎた、痩せた、灰色の皮膚をした老婆である。
「おい、原子爆弾は凄えなあ」
と、瓢箪が新聞から頭もあげずに呟く。
「これあ、上陸を待たなくっても、これだけで日本は参るぜ」
「おれはそうは思わんな」
とインドネシアはどんぐりまなこをギロリとその方へむける。
「だって一発で三里四方、猫の子一匹残らず全滅だぜ。例えば三千機のB29がこいつを日本じゅうに落して見ろ、一秒、一瞬で日本の地上から人間が無くなってしまう」
「いや、爆撃だけでは絶対に滅ばん。科学はどこまでいっても、戦争の決定的因子とはなり得ない。最後のものは精神力だ」
「精神力? ああ、この化物は日本を押しつぶしてしまう。君は科学こそ精神の力の結晶だとは思わんかね。僕は科学だけで敵は滅ぼし得ると思う」
「科学で今まで滅んだ国が、歴史上あったかね」
「科学ばかりは、過去を以て未来を判断することはできない。今まで滅んだ国がなかったから、将来も滅ぶ国がないと断言することは出来ない。いや、過去を以て推せばこそ、未来はそういうことが可能だといえる。今までの爆弾は一発で百人殺した。今度の爆弾は一発で数万人殺す。これが将来に、一発で百万人千万人殺せないといい切れるか。すでに飛行機というものを見ろ、何世紀か前には、空中を飛ぶ機械は力学的に不可能だとさえいわれたじゃあないか。それが、飛ぶ。大いに飛ぶ。B29などは。……」
「敗戦論だ!」
インドネシアは丼を箸でかんと叩いて大声で叫ぶ。
「大隊長倒れなば中隊長指揮をとれ、中隊長倒れなば小隊長指揮をとれ、という言葉を知らんのか。ちえっ、何ていい文句なんだろう。中隊長――いや、小隊長倒れなば分隊長指揮をとれ、分隊長倒れなば――これが大和魂だ! 一人が弱音を吹けば百人に伝染する。原子爆弾がどれほど恐ろしいんだ。死ぬのは、針一本で殺されるのと同じく、どっちにせよ自分一人じゃあないか。死生観に徹するんだ。吾々は砲弾の流れの中へ吾々の肉体を投げ込もう。日本の山も河も日本人の屍体で埋めよう。一億の日本人が七千万死のうと八千万死のうと、なお武器を離さないとき、はじめて敵は圧倒される。それが精神力というものなんだ。ああ、大隊長倒れなば。……」
泡を吹いている厚い唇を、あっけにとられたようにボンヤリ見ながら、瓢箪は心中にこう考えている。(その文句は、そっくりこの新聞のこの社説に書いてあるのと、おんなじじゃあないか?)
「中隊長倒れなば、分隊長指揮をとり。……」
「事実が証明するだろう。一億の日本人が七千万死のうとなお戦うか、やがて事実が証明するだろう」
と、瓢箪は冷然と言いすてて、あともふり返らず、石炭箱をつみ重ねたような細い階段をギコギコと上ってゆく。
「ああいうのがいるからいかん。絶対にいかん。いったいどうなるんだ、周囲を敗戦的にするだけなんだ。……」
と、ぶつぶついっていたインドネシアは、豚のすするような音をたてて、丼の雑炊の最後を一呑みにして、からんと叩きつけるように箸を置く。しばらく気抜けしたようにボンヤリと腹の皮を撫で廻していたが、
「どうも腹具合が悪い。全然食欲がない。あんまり暑過ぎる。明日は逆療法に水泳にでもいってやるかな。腹がへって、却って調子がよくなるかも知れん」
と、呟く。薄暗い台所の隅ではなおもコツコツと刻む音が響いている。インドネシアはふと顔をあげて、
「ねえ、おばさん、明日からおれ、おかゆを作ってくれんかな」
「おかゆは、今でもおかゆですに。……」
と、台所からは朦朧たる返事が聞えて来る。
「いや、これは豆や芋が入ってるだろう。おれ、この一週間あまりずっと下痢ばかりしてるんだ。豆や芋を入れずに一つやってもらえんかな。……」
「へえ――そんならしてあげますに」
「じゃ頼んだよ、ね」
と、インドネシアは急に元気づいたように立ちあがって、どしんどしんと食堂を出てゆく。
台所ではしばらくコツコツが続いている。
「ねえ、おくめさん、……」
と、朦朧たる声が呼びかける。
「なにね」
「今の学生さん、おかゆ作ってくれといったけんどね、あれことわればいいに……」
「なぜね?」
「豆や芋が食われないなら、今でもそれを丼の外に出しそうなもんだに、あん人はペロリとみんな食っちまっただよ」
「なあるほど」
「それに明日は水泳にゆくだってさ。下痢やってるなら、腹が冷えてどうして水になんか入れるもんかね。水泳やるくらいなら、豆雑炊で結構だに。とってもそりあ作る必要ないわさ……」
「そりゃそうだに。じゃそうすべか……」
と、朦朧たる声が聞える。
赤い裸電球は暑くるしく、わびしい。油虫が床を無数に這い回っている。まだ皺に泥をくっつけた馬鈴薯が、鈍くまるく光ってザルに積まれている。その陰で、コツコツという淋しい音が、夏の暗い夜を刻んでゆく。……
○夜、安西と蚊帳の中にて国を憂いて心痛み、胸騒ぎて眠る能わず、相ともに語りて天明に至る。
十四日[#「十四日」はゴシック体](火) 晴
○国難! 幼い日にきいたこの言葉は、何という壮絶な響を含んでいたろうか。
国難! 今呼んで見て、それは何という恐ろしい言葉だろう。
日本は最後の関頭に立っている。まさに滅失の奈落を一歩の背に、闇黒の嵐のさけぶ断崖の上に追いつめられている。
硫黄島を奪い、沖縄を屠ったアメリカ軍は、日夜瞬時の小止《こやみ》みもなく数千機の飛行機を飛ばし、尨大な艦隊を日本近海に遊弋せしめて、爆撃、銃撃、砲撃をくりかえしている。都市の大半はすでに廃墟と化した。無数の民衆は地方に流竄した。あまつさえこの敵は戦慄すべき原子爆弾を創造して、一瞬の間に広島を全滅せしめた。
しかも唯一の盟邦ドイツを潰滅させた不死身のごときソビエトは、八月八日ついに日本に対して宣戦を布告したのである。
怪物支那民族を相手に力闘することすでに八年、満身創痍の日本が、なおこの上米英ソを真正面に回し、全世界を敵として戦い得るか?
僕は日本を顧みる。
国民はどうであるか? 国民はすでに戦いに倦んだ。一日の大半を腐肉に眼をひからす路傍の犬のごとくに送り、不安の眼を大空に投げ、あとは虚無的な薄笑いを浮かべているばかりである。
政府はどうであるか? 政府はさらに動揺している。開戦当時の大理想を繁文縟礼の中に見失い、国民に明日のことすらも教示し得ない無定見と薄弱なる意志がこれにとって代った。今やソビエトの宣戦を受けながら、それより一週になんなんとする今日、いまだに弱々しく沈黙しているではないか。否、ソビエトの発表によれば、政府は彼に対して対米英戦の仲裁を依頼していたというではないか。政府はすでに戦争の将来に関して確信を有しないのである。
ソビエトがその依頼を引受けてくれると思考したわが政府の愚劣さは、恥辱にわれわれの顔の赤らむことを忍耐すればまず許そう。「蒋政権、米に泣訴」という文句は、事変以来僕達は百度も見た。その「泣訴」をまさしく今度は日本がやったわけである。しかし韓信の故事をわれわれは知っている。泣訴には目的がある。政府の目的は何であるか。
日本の存続、それであろう。
すでに必勝の信念を失った政府は、この一代に、二千数百年の歴史を有する大日本帝国を滅ぼすだけの度胸がないのであろう。
むろんソビエトを通じて米英に泣訴した以上、ただちに哀隣の情をかけてくれるほど彼らは甘くはない。太平洋、大陸すべてを敵に還すことは覚悟の上のことであろう。
維新以来の日本人の血と涙はここに於てすべて夢幻と化する。それでも神武天皇以来の「小日本帝国」は残るであろう。――政府はこう考えたに相違ない。
倖いにしてソビエトは日本の依頼を一蹴した。とらば腕でとると、満州はおろか朝鮮にまで兵を入れて来たのである。ああ天は日本を捨てず、政府案出の「日本を救う第一の道」はここに消滅した。
日本を救う第二の道は何であるか。
それは新兵器の出現である。敵の意表を超える新兵器とまでは望まない。敵と同等のものでもよい。日本に原子爆弾が出来ていたなら!
アメリカが日本人を十万人殺せば、日本はアメリカ人を十万人殺す。そうすれば日本は必ず勝つ。そうであったら、たとえこの爆弾で百万人の日本人の首が宙天へ飛ぼうと、その百万の首はことごとく満足の死微笑を浮かべているであろう。
しかし日本には、原子爆弾はおろかB29もない。作り得る見込みさえも政府は口にし得ないのである。政府が戦争の前途に関し、自信を失っていることがこの事実を裏書きしている。
ヒトラーが新兵器の出現を待てとカンフルのごとく叫びつづけた科学国ドイツにして、ついに決定的新兵器を出すことなく、空しき幻影の中に滅亡した。日本はその轍を踏んではならない。無為にして太平洋の海が涸れ、ロッキーの山が裂けることを望んではならない。
ただ、死児の齢を数えるがごとき愚に類するが、この期に及んで骨髄から残念なのは、過去の日本の教育である。
今やまさしく今次大戦の勝利はすなわち科学の勝利たらんとしている。いまの日本の惨苦は、過去の教育に於て顧みられなかった科学の呪いに外ならぬ。今に及んで少数の天才教育をやればとて、果していくばくの効果があろうか。鴎外は日本に科学の雰囲気のないことを嘆じた。如何に特別製の肥料を与えればとて、鉢の上の盆栽がどうして蒼天に亭々たる巨木となり得よう。
兆民のいわゆる「口の人、手の人」――事務的才能ある者のみを重用し、目先に銭のころがっているのが見える学問でなければこれを迂遠としてないがしろにした日本人の小利口さが――天空から眼を離さない夢想家や、電子の回転を凝視する天才、すなわち「脳の人」を土芥のごとく棄てて顧みなかった日本人の小才が、いまの最後の審判にも比すべき業苦を招来したのである。
ついでながら、過去の日本の教育に関して、もう一つ痛恨の念に耐えないのは、それが各自の個性を尊重しなかった点である。頭を出せばこれを打つ。少し異なった道へ歩もうとすればこれを追い返す。かくて個人個人には全く独立独特の筋金の入らないドングリの大群のごとき日本人が鋳出された。
個人主義は利己主義と同意語と思いこんでいる一般日本人の無知笑うべきかな。憎むべきかな。
ドイツは中枢ベルリンにとどめを刺されて全面的に崩壊した。ソビエトはその国民の馬鹿力をあくまで示したが、それでもソ連はいかに苦境に陥ったときもその中枢が欠滞したことはなかった。もしスターリンがドイツの手中に落ちていたならば全ソビエトが支離滅裂にならなかったとはいい難い。全体主義の欠陥はここにある。さればとて英仏は何といってもすでに老廃の国家である。
僕には、例え中枢が消滅しても、なお局部局部、個人個人が最も頑強に抵抗するのは、新鋭溌剌としたアメリカ人のように思われる。各人がそれぞれの自覚と自信を胸中に抱いていて、最も屈服させ難いように考える。これは単なる知識の意味ではない。学校も家庭も社会もひっくるめた教育の意味である。
少くとも、今の日本の立場にアメリカ人を置いたなら、今の日本人よりも動揺しないと思うのだ。
新兵器なく、しかもかかるアメリカ人を敵として、なお敗れない道が他にあるか?
ある!
ただ一つある。
それは日本人の「不撓不屈」の戦う意志、それ一つである。
これは前言と矛盾のように聞えるだろう。実をいうと僕自身、不屈不撓の意志力が、日本人よりもアメリカ人の方が強いと思いたくない。同等だとすら考えたくない。しかし、例えそうだとしても、アメリカ人には致命的な弱点がある。
それは彼らの戦争目的がぜいたくなことである。彼は世界の警察権を掌握して、彼らのいわゆる「正義」を四海に布こうとしている。
一国家の宣言する正義なるものが果して存在するか否かは別として、国家の信奉する正義は個人の信奉する正義よりも脆弱なものであることは確かである。少くともアメリカの正義には限界がある。
然らば、彼らは無際限の殺戮戦に耐えられようか。すでに彼らは領土に日没するところなき富裕を愉しみつつ、さらにそれ以上の全世界の警察権掌握のために、無限の血を流しつづけることを、国民のすべてが了承するであろうか。それはあまりに思い上った、ぜいたくの沙汰ではないか。
これが生死の巌頭に追いつめられた日本の必死なるに対し、彼らの致命的な弱点というゆえんである。
この弱点を衝くには、今後十年とは言わない。僕の信じるところでは、あと三年戦いつづければよい。これはほとんど確信を以ていうことができる。
日本人はもう三年辛抱すればよいのだ。もう三十六ヵ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ。
敗北した時を思え。
皇室の存続は疑問である。それ以上に、不敗の歴史に瑕《きず》をつけ、永遠の未来にその痕跡を残す。さらに百年たってもなお幕末の日本以下の日本たらしむべく徹底した外科的手術が施されるであろう。
敗北直後の状況こそ悲惨である。
吾らの将軍は戦争犯罪者として断頭台上に送られるであろう。数百万の兵士は、敵の復興工事に奴隷として強制就役せしめられるであろう。婦女子は無数に姦せられるであろう。軍備はすべて解除され、工業はことごとく破壊されるであろう。
勲章も、国債も、あらゆる国家的契約も、憲法も法律もことごとく一片の反古と化し、一個の玩具と変ずるであろう。
南洋、太平洋諸島、ビルマ、マレー、昭南、仏印、支那、台湾、満州、蒙古、朝鮮、樺太はすべて失い、そこから追い返された日本人は、さなきだに人口過剰の本土に加わり、あたかも盆上の蝗のごとくひしめき合い、恐るべき飢餓地獄に陥るであろう。
衣食足って礼節を知る。働けど働けど天文学的賠償金のために吸いあげられて、飢えすさんだ国民に、芸術などは遠い天上の童話となる。国宝などは勿論戦利品として敵に奪い去られるであろう。
実に想像を絶する地獄が、狭い日本に現出することは火を見るよりもあきらかである。
これを思えば、あと三年の辛抱が何であろうか?
誇りを以て熱汗をしぼる。三十六ヵ月が何であろうか?
原子爆弾に対しては、徹底的に山岳森林に全国民を分散し、死物狂いで深い壕を掘ればよい。
ソビエトに対しては、満州北支に残る軍民を総動員し、死力を極めてこれを釘づけにすればよい。さなきだに対独戦の傷いまだ癒えぬソ連である。何とていま本格的に、日本との持久戦に残存国力を消磨しつくすに耐えるであろうか。
B29の爆撃のみならば、右の疎開分散により、三年は保ち得る。
もしアメリカ軍百万本土に上陸し来れば、これぞ全日本人の熱願する神機ではないか。一億がそののどぶえに喰いついても、これを日本の土の餌食たらしめる。
いまや米本土に日章旗のひるがえるなどは夢想としても、この上で和議成れば、日本人の誇りは全地球上にとどろき、日本の歴史は子孫の胸に、また外人の心に、それぞれ刻印を打たずには置くまい。
あと千日耐えよ。血と涙にむせびつつも耐えよ。
それが――日本人の糸がきれかかっている。政府の腰が今や砕けようとしている。
何という恐るべき馬鹿々々しさだ。渇して毒薬を飲むがごとき狂気の沙汰ではないか。
食いとめなければならない。日本人をしてなお戦争を継続させなければならない。
それはついに不可能のことであろうか?
僕はそうは思わない。
それは出来る。僕は日本人を信頼する。
新聞の自讃するほど優秀な民族だとは思わないが、あと三年間戦争を継続するくらいの気力はあると認める。ともあれ、未だ曾て敗れたことのない歴史を有し、維新以来わずか八十年の間に、大東洋帝国創造の一歩手前まで肉薄した民族である。内に何物か優れたる素質を有しないと見るのは、かえって不合理といわねばならぬ。
その魂の炎消えんとし、今や大事去らんとして如何ともなし得ないのは、果して真に如何ともなし得ないのか?
否、なし得る人物がいないだけである!
英雄出でよ、鉄の人出でよ。炎の人出でよ。戦争開始以来内閣変ること三たび、そのたびに国民はかく叫んで、しかもついにその人出でず。今やわれわれは空しく他に望んで恐るべき破局を迎えるに忍びない。
○「何とかできないか」
と、安西がいう。昨夜のことだ。
「おれたちが!」
真っ暗な蚊帳の中だった。仰むけになって、国の運命を談じているうちに、忽然と燃えあがって来た企図なのである。
「やろうか」
と、僕もいう。
目的は、衰死の日本へのカンフル注射である。戦闘継続への劇薬投与である。そんなことが、この信濃の山中にいる学生に出来るか。それを疑ってはいられない。やらねばならない。二人は話した。
「それは青年をおいてほかにない。これまでも大日本政治会とか言論報国会とか、名ばかり大げさなものが出来て、ついに熱狂的な戦意の盛上らなかったのは、その指導者が老人だったからだ。常識がありすぎたからだ。平常なら知らず、もうこうなったら人々を気違いにしなければならないし、それはおれ達青年以外にやる者はいない。いや、やらなければならない」
「原動力となるんだ。核となるんだ。それならおれ達でも出来る。きっとそれは出来る」
「その第一歩は、まず急速にこの飯田市を組織し、その炎を長野全県に拡げてゆくことだ。そのためには全国の学生に連絡して、相呼応して起ち、それぞれの新しい発火点となることを求めよう」
「やろう、断じてやろう」
「一種の麻薬が必要だ。煽動が必要だ。芝居がかったことも必要だ。町々にビラを貼ろう。辻で演説もしよう。その檄は、必死になって書けば、もともと共鳴器は人々の胸にあるのだから、きっとその胸を打つものができる。夢のような話ではない」
「やらねばならんことだ」
「これは、ほんとうに男としてやり甲斐のある仕事だぜ。勉強など、もうしていられるときじゃない。そんなことは何でもいい。身体なんか壊してもいい。死んだっていい!」
それっきり二人は黙りこんだ。感動と昂奮のため、言葉が絶えたのだ。
もう十二時近いころであろう。天地は森閑としている。
この数日、夜、警報が鳴らない。この二、三日は、昼でさえ全国的には敵機の来襲がいささか衰えたようである。それが却ってぶきみ千万である。日本がソ連に宣戦しないことを思い合わせて、実にえたいの知れない不安が這い上ってくる。
寝ようと努めた。しかし、寝られない。胸が波を打って、眼が冴えて、頭は嵐のような空想を果しもなく描いてゆく。
町々に貼り出す檄文まで頭の中で考える。
「市民に告ぐ。
後に続くを信ず。
幾万の若き特攻隊はかく絶叫して天翔けていった。
諸君はこの殉忠の青年達を裏切るつもりか」
「いまだ曾て敗れたることなき歴史に汚辱を印して、なんの顔《かんばせ》あって子孫にまみえよう。
吾らは戦う。生きてこの汚辱を子孫に伝えんよりはむしろ全滅するを選ぶ」
「日本人よ!
諸君には、日清日露戦役以来、無限の血潮を流した忠魂のすすり泣きが聞えないか。
満州、台湾、朝鮮をおめおめと敵に渡し得るか」
「東郷元帥は何のために日本海海戦で戦ったか。
乃木大将は何のために旅順で悪戦したか。
今屈しては、維新以来の吾々の祖父や父や兄の血と汗と涙はすべて水泡に帰するではないか」
「日本人が敵に降伏する?
御冗談でしょう。日本人は玉砕は知っているが、降伏などはどんなものか知らないのだ。
原子爆弾などにおったまげていたら屁もひれない。
山に入れ、壕を掘れ。徹底的に分散疎開せよ、ただ頑張るのだ。親が死んでも子が死んでも、歯をくいしばって戦うのだ。
そのときこそ大和魂が敵を戦慄せしめ、敵を圧倒するであろう」
「思え。
花の如く神の如き微笑を刻んで蒼空へ飛び立っていった神風特攻隊の青年達を。
吾らがいま敗れんか、これら幾十万の魂魄は、永遠に修羅妄執の地獄を狂い飛ぶであろう。
一切を忘れ、理屈はすてて彼らに続こうではないか」
「重臣はすでに敵に魂を売ろうとしている。
彼らは必死必中の特攻隊を見送りつつ、見苦しい哀願の手をソ連にさしのべている。天誅はやがて彼らに下るであろう。
国民はもう彼らにだまされぬ。国民は戦争の真相を見ぬいている。かかるがゆえに戦う!」
「敵は日本人を日本本土に追い込めると宣言している。本土だけで一億の日本人が食ってゆけるか、子供でもこの計算は明らかではないか。
ひとたび武器を奪われて、極寒の中に餓死しても時すでに遅し。悲憤慟哭すべて空しく、そのとき返らざる無念のほぞをかむなかれ。……」
むろんただ檄だけで能事終れりとすべきではない。まずみずから行動しなければならぬ。第一歩として、いまこの飯田市がやらねばならぬ最も苦しい作業に、率先自ら参加することだ。
その作業はもとより、戦争継続運動のためにも、強力な組織が必要であり、規律が必要であり、統率者と指揮系統が必要である。この組織、規律、統率者は絶対である。血判も必要かも知れないし、私刑もまた必要かも知れない。
この運動には学生のほかに労働者が加わる。役人も加わる。少年が加わる。少女も加わる。しかし指導者はあくまでも、一人以ていかなる難にも赴く熱血の学生でなければならない。……
「山田……起きているか?」
と、安西が闇の中でいった。
「おれは昂奮して眠られない。……」
「おれもさっきからずっと考え続けていたんだ」
と、僕もいった。
それからまず最初の団結を作るために、クラスの誰々に相談したらよかろうか、と話し合った。色々な名があがった。すると意外にその対象になる友が少いのに気がついた。強い意志力がありながら私心のない奴、指導的能力がありながら妙な野心のない奴――と考えると、ほとんどない!
「しかし、事態は切迫しているんだ。一刻の差でとり返しのつかないことになるかも知れないんだ。とにかく誰にでも、誠心誠意をこめて相談しよう」
「よし、それでは一応まず高田を呼んで来る」
安西は寝床からむくりと起きあがって、暗い廊下に出ていった。
もう二時を回っているだろう。僕は眼をあけて天井を見ていた。自分の心臓の鼓動する音が聞えた。全身に力が満ちてくる感じだった。
戦争とは何だろう? 祖国とは何だろう? 勝利とは何だろう? 懐疑すれば際限がない。しかし、いま突如として霊感のごとく、この戦争を継続することが自分たちにとって最大最高の義務として直感される。夜明けだ。なぜか自分はその言葉を胸の中で叫んだ。
安西は高田を起して、しばらくこれと話している様子であったが、やがて二人でやって来た。
高田は蚊帳をまくって入ってくると、二人の間に寝そべりながら、
「何だって? 何をやるって?」
と、笑い顔をしていった。
安西と僕は説明しかかったが、今までの感動の雰囲気や経過を全然知らない、それ以前の態度でいる高田の表情に――むりもない――と思いながらもいらだたしさを感じ、これをうまくひきずりこむ表現力のないことを残念に思った。
「それは松葉と曾ておれたちもやろうとしたことなんだ」
と、高田はいって、そのときの話を細ごまと話し出した。
それは僕も知っている。その話をきいたときに僕は笑った。そしていまやその立場が逆転した。そのとき僕が心に呟いたことを、今度は高田が述べはじめたのである。
要するに一プラス一はどうしても二しかならぬと見る人間と、それをどうしても三にしなければならぬと考える人間とのくいちがいである。
高田の経験談をききながら、(そんなことは勿論承知している。しかしこれはあのときと違う。事態は真に急迫しているのだ。少くとも僕のような、文字通り懦夫をして起たしめるほど外的事情は切迫しているのだ。たとえ過去に挫折の経験があろうと、それは今忘れて、全く新しい熱情をふるい起してこの計画に共鳴してくれないか?)そう思いつつ、自分は次第に皮肉で滑稽な微笑が頬に浮かんでくるのを禁じ得なかった。
高田はいう。
「それはまず十人――いや、五人くらいでやって見ることだ。これが盟友として、文字通り刎頸の友となる。それと三ヵ月なり半年なり運動してみてうまくゆくようなら、次第に同志を加えてゆく。しかし、血判なんてものは全然無意味だ。落伍する奴は血判如何にかかわらず落伍する。だめな奴を加えたら、かえって結束が弱くなる。そんな奴ははじめから、はねのけて、まず仲間を精選することだよ。それができないで、どうして全学生を糾合することなんて出来るものか。況んや日本を何とかするなんて、痴人のたわごとだ」
「それは分っている」
と、僕はいった。
「しかし、これは目的が目的だ。単なる趣味同好会や人格修養会じゃない。意志薄弱者もふくめてあらゆる日本人を戦争へ狩りたてようというのが目的なんだ。まずこちらの仲間と切磋琢磨し合うなんてことをしてはいられない。そんなこといってたら、まず自分の人格を完璧にすることからはじめなくてはならん。それだけで一生涯かかっちまう。それよりいまはメチャクチャが必要なんだ。……」
しかし、僕は心中に自分のいっていることが馬鹿々々しくなって来た。その馬鹿々々しい急所に高田は容赦なく斬り込んでくる。
「それじゃ君達は、一足飛びに街頭演説やビラを貼って回るつもりなのか。そんなことで効果があるなら僕も参加する。しかしそれは成功しない。確実でないことは僕はきらいだ。第一そんなことをすれば、たちまち警察につかまっちまう」
「いや、僕達は何も悪いことをするのじゃない。反戦思想の宣伝をするのじゃない。むしろ警察に届ければ、向うから激励されるだろう。……」
「甘い甘い。そんなに簡単なものじゃない。そんなことをするためには、まず学校の許可を得なければならない。警察の許可を得なければならない。その間に運動は毒にも薬にもならぬ微温的なものに変えられてしまう。それでは無断でやるか。戦時特例法というものがあって、悪くすると学校から放り出されて、どこかの工場へ徴用工として回されるか、監獄に入れられてしまう」
遠い家で時計が四時を打った。鶏が鳴いた。
高田のいうことをきいていると、何だか僕達は国家に叛く大陰謀でも企んでいるようである。言葉のはずみという魔術は恐るべきものである。高田自身べつにその言葉の魔術に気がついていないのだから、いっそう恐るべきものである。
「ともかくもまず五人くらいでやって見るんだな」
と、高田はいう。
そんなことをいってる場合じゃあないんだ、と自分は同じことをまたくり返したかったが、しかし空虚感が心にひろがって来た。実際、血をすすり合う五人、それすらないのだ。
酔いが消えてゆく。劇的な発作は崩壊した。蚊帳の外が薄明るい。蒼い空気をつんざいて鶏が鳴いた。
先刻までの昂奮が、まるで自分でも理解できない遠い夢のように思われる。自分が空を飛ぶことを望んだ鶏のように感じられる。
安西も沈黙して、蚊帳の中でじっと天井を見ている。
――定石通りだ。
と、なぜか僕はそう思った。
何もかも滑稽になり、疲労し、死ぬほど眠くなって来た。夜の思想と朝の思想は全然別物だ、という鴎外の言葉がぼやけた脳を横切ってゆく。
――日本に戦争を続けさせる、などいう巨大な運動の、第一歩にも入らないところで、すでに一友人の参加で動揺している。いやになりかかっている。高田の理屈よりも、そんな自分に何が出来ようか。
まぶたが落ちてくる。光は次第に強くなって来る。八月十四日が明けかかっているのだ。朦朧と高田の声が鼓膜を鈍く震わせる。
「しかしそういう企図自体にはおれも賛成するよ。間に合わないという焦りにも一理はあるよ。……支障がなくて、しかも急速な運動方法がないかと、おれも考えてみるよ」
この言い方の中に、自分は高田が軍師役として呼ばれたとでも考えているような自惚を感じ、何もかもばかばかしくなった。
台所の方で、もうゴトゴトと音がしはじめた。炊事婦たちが朝の食事の準備を始めたらしい。
――熱狂して、一夜魔に憑かれたように国家のことを友と語り合ったことがあった。そういう追憶だけが青春の記念として残るに過ぎないのだろうか?
僕は、悲しいような、弱々しいような、嘲笑うような微笑をもういちど浮かべて、ついに泥のような眠りに落ちた。
○午前高安外科。安西コクリコクリと眠っている。
○飯田の町に鬼気が漂いはじめた。これは半ば取壊した疎開の建物から発するものに相違ない。しかし飯田全市民、二里外に退去せよという命令のために、そうでない町にも名状しがたい鬼気が流れている。灯のない町に凄味のある半月だけが美しく上る。
十五日[#「十五日」はゴシック体](水) 炎天
○帝国ツイニ敵ニ屈ス。
十六日[#「十六日」はゴシック体](木) 晴・夜大雨一過
○朝九時全員児島寮に参集。これより吾々のとるべき態度について議論す。
滅ぶを知りつつなお戦いし彰義隊こそ日本人の真髄なり。断じて戦わんと叫ぶ者あり。
聖断下る。天皇陛下の命に叛く能わず。忍苦また忍苦。学問して学問して、もういちどやって、今度こそ勝たん。むしろこれより永遠の戦いに入るなりと叫ぶ者あり。
軽挙妄動せざらんことを約す。
○中華民国留学生数人あり。その態度嘲笑的なりと悲憤し、酒に酔いて日本刀まで持ち出せる男あり。Kのごとき、真剣にこれを考えて余に手伝えという。断る。せめて屍骸の始末を手伝えという。断る。悲憤の向けどころが狂っているなり。
○東久邇宮稔彦王殿下に大命下る。このあと始末には皇族のほかに人なからん。
○八月十五日のこと。
その日も、きのうや一昨日や、またその前と同じように暑い、晴れた日であった。
朝、起きるとともに安西が、きょう正午に政府から重大発表があると早朝のニュースがあったと教えてくれた。その刹那、「降伏?」という考えが僕の胸をひらめき過ぎた。しかしすぐに烈しく打ち消した。日本はこの通り静かだ。空さえあんなに美しくかがやいているではないか。
だから丸山国民学校の教場で、広田教授の皮膚科の講義をきいている間に、
「休戦?
降伏?
宣戦布告?」
と、三つの単語を並べた紙片がそっと回って来たときには躊躇なく「宣戦布告」の上に円印をつけた。きょうの重大発表は天皇自らなされるということをきいていたからである。
これは大変なことだ。開闢以来のことだ。そう思うと同時に、これはいよいよソ連に対する宣戦の大詔であると確信した。いまや米英との激闘惨烈を極める上に、新しく強大ソ連をも敵に迎えるのである。まさに表現を絶する国難であり、これより国民の耐ゆべき苦痛は今までに百倍するであろう。このときに当って陛下自ら国民に一層の努力を命じられるのは決して意外の珍事ではない。
「最後の一兵まで戦え」
陛下のこのお言葉あれば、まさに全日本人は歓喜の叫びを発しつつ、その通り最後の一兵まで戦うであろう。これは僕の夢想していたいかなるカンフル注射の幾倍かの効果を現わすにちがいない。
日は碧い空に白くまぶしくかがやいていた。風は死んで、風越山にかかる雲も動かず、青い大竹藪はたわんだ葉をじっと空中に捧げている。玉蜀黍もだらりと大きな葉を垂れて赤い毛がペルシャ猫みたいなつやを放っている。暑い。
……十一時を過ぎると、みなざわざわして来た。時計と広田教授の顔を見くらべては溜息をつき、見くらべては溜息をつく。ついに一人が立っていった。
「先生、十二時に天皇陛下の御放送がありますから、すみませんがもう授業をやめて下さい」
「承知しています」
と、教授は落着いたものであった。
「しかし、まだいいでしょう」
「いえ、ラジオをきくのに遠い者もいますから、どうか。……」
教授はしぶしぶと「薔薇粃糠疹」の講義をやめた。
教授はそのとき果してその御放送の内容を感づいていたであろうか。また学生も予感していたであろうか。学生のききたがっていたのは、その内容よりもむしろ生まれてはじめてきく天皇陛下の御声であった。
教授も学生もことごとくソビエトに対する宣戦の大詔だと信じて疑わなかったのである。
一人が例の紙片を書いた張本人をつかまえてやっつけている。
「どうして休戦なんて書いたんだ。今やめれば、サイパンも沖縄も硫黄島もとられっぱなしじゃないか。そんなことになれば大騒動が持ち上る。宣戦布告にきまってるじゃないか!」
降伏などは論外においたけんまくである。
白い日盛りの道を僕達は寮に帰った。道には砂けむりをあげながら、近郷へ家財を運び出す大八車の群がつづいていた。世間は昨日と同じであった。
途中、ふと大安食堂をのぞいてみたら、安西と柳沢と加藤が中でラジオを囲んで座っていたので、僕も入った。
「天皇陛下の御声ってどうだろうな」
「東海林太郎とどうかね」
そんなことをいって四人は笑った。東海林太郎が先日この町の劇場に巡演に来ていたからである。中華民国留学生の呉が入って来て、煙草を巻くから糊の代りに御飯粒をくれとおばさんに頼んでいる。
十二時が近づいて来た。四人は暑いのを我慢して、制服の上衣をつけた。加藤などはゲートルさえ巻きはじめた。
呉は椅子に座って僕達をモジモジと見ていたが、急に風のように外へ出ていった。僕達のやることを見ていて、素知らぬ顔でランニングシャツのままでいるわけにはゆかないし、さればとて改めて空ぞらしい芝居をする気にはなれなかったものと思われる。僕は彼に同情を感じた。
加藤の腕時計は十二時をちょっと回った。ラジオはまだ何も言わない。が、遠い家のそれはもう何かしゃべっている。……おじさんがあわててダイヤルをひねった。――たちまち一つの声が聞えた。四人はばねのごとく立ち上り直立不動の姿勢をとった。
「……その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。……」
真っ先に聞えたのはこの声である。
その一瞬、僕は全身の毛穴がそそけ立った気がした。万事は休した!
額が白み、唇から血がひいて、顔がチアノーゼ症状を呈したのが自分でも分った。
ラジオから声は流れつづける。
「……然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各※[#二の字点、unicode303b]最善を尽せるに拘わらず、戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また吾に利あらず。……」
何という悲痛な声であろう。自分は生まれてからこれほど血と涙にむせぶような人間の声音というものを聞いたことがない。
「加うるに敵は新たに残虐なる爆弾を使用してしきりに無辜を殺傷し、惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る。而もなお交戦を継続せんか、ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず延ては人類の文明をも破却すべし。かくの如くんば、朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せんや。……」
のどがつまり、涙が眼に盛りあがって来た。腸がちぎれる思いであった。
「朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず、帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたるもの、及びその遺族に想を致せば五内ために裂く。……」
魂はまさに寸断される。一生忘れ得ぬ声である。
「惟うに今後帝国の受くべき受難はもとより尋常にあらず。爾臣民の衷情も朕よくこれを知る。然れども朕は時運の趨くところ堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。……朕はここに国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。……」
十二月八日よりももっと熱烈な一瞬を自分は感じた。
御放送は終った。みな凝然と佇立したまま動かない。……
じっと垂れて動かない黒い覆いに煤のたまった電燈。油があちこちにこぼれて黒びかりしているテーブル、棚に並んでいる茶碗どんぶり、色あせたポスターを貼りつけた壁。……冷え冷えとする町の大衆食堂の中に、四人の学生は茫然とうつろな眼を入口の眩しい日光にむけ、主人は端座して唇をかみ、おかみさんは脅えたような眼を天井に投げ、娘は首を垂れ、両腕をだらりと下げたまま立ちすくんでいる。……
「どうなの? 宣戦布告でしょう? どうなの?」
と、おばさんがかすれた声でいった。訴えるような瞳であった。
これはラジオの調子が極めて悪く、声がときどき遠ざかり、用語がやや難解で、また降伏などいう文字は一語も使用していないこと――などによる誤解ばかりではない。
信じられなかったのである。
日本が戦争に負ける、このままで武器を投げるなど、まさに夢にも思わなかったのである。
「済んだ」
と、僕はいった。
「おばさん、日本は負けたんだ」
「どうしたんだ? え、どうしてだ?」
と、驚いたことに柳沢もいった。
しかしその眼の色は、彼がすでに真実を知っていることを示していた。あの悲痛を極めた音調のみからでも、どうしてそれが悟らずに居られようか。しかし頭はなおこれを否定しているのである。いや、否定したいのである。
「共同宣言を受諾する、という言葉が真っ先にあったろう」
と、僕は答えた。
「あれはポツダム共同宣言だ。米国、英国、蒋介石の日本に対する無条件降伏要求の宣言をいっているんだ」
「く、口惜しい!」
と、一声叫んでおばさんは急にがばと前へうつ伏した。はげしい嗚咽の声が、そのふるえる肩の下から洩れている。みな、死のごとく沈黙している。ほとんど凄惨ともいうべき数分間であった。
ラジオは続いて内閣告諭を伝え初めた。真相は一点の疑惑もなく明らかとなった。
「本日畏くも大詔を拝す。帝国は大東亜戦争に従うこと実に四年に近く、而もついに聖慮を以て非常の措置によりその局を結ぶのほか途なきに至る。臣子として恐懼いうべきところを知らざるなり。
顧みるに開戦以降遠く骨を異域にさらせるの将兵その数を知らず、本土の被害無辜の犠牲またここに極まる。思うてここに至れば痛憤限りなし。
然るに戦争の目的を実現するに由なく、戦勢必ずしも利あらず、ついに科学史上未曾有の破壊力を有する新爆弾の用いらるるに至りて戦争の仕法を一変せしめ、ついでソ連邦は去る九日帝国に宣戦を布告し、帝国はまさに未曾有の難に逢着したり。
聖徳の広大無辺なる、世界の和平と臣民の康寧とをねがわせ給い、ここに畏くも大詔を渙発せらる。聖断すでに下る。赤子の率由すべき方途はおのずから明らかなり。
もとより帝国の前途はこれにより一層の困難を加え、さらに国民の忍苦を求むるに至るべし。然れども帝国はこの忍苦の結実によりて、国家の運命を将来に開拓せざるべからず。本大臣はここに万斛の涙をのみ、あえてこの難きを同胞に求めんと欲す。
今や国民のひとしく向うべきところは国体の護持にあり。而していやしくも既往に拘泥して同胞|相《あい》猜し、内争以て他の乗ずるところとなり、或いは情に激して軽挙妄動し、信義を世界に失うがごときことあるべからず。また特に戦死者戦災者の遺族及び傷痍軍人の援護については、国民悉く力を効すべし。政府は国民とともに承詔必謹、刻苦奮励、常に大御心に帰一し奉り、必ず国威を恢弘し、父祖の遺託に応えんことを期す。
なおこの際特に一言すべきは、この難局に処すべき官吏の任務なり。畏くも至尊は爾臣民の衷情は朕よくこれを知るとのたまわせ給う。官吏はよろしく陛下の有司としてこの御仁慈の聖旨を奉行し、以て堅確なる復興精神喚起の先達とならんことを期すべし。
昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣男爵鈴木貫太郎」
ああ、思うてここに至れば痛憤限りなし。……
「然れども帝国はこの忍苦の結実によって国家の運命を将来に開拓せざるべからず。本大臣はここに万斛の涙をのみ、敢てこの難きを同胞に求めんと欲す。……」
復讐せよ、とはすでにいうことが出来ぬ。すでに敵の巨大な影は政府の背後に幻のごとくのしかかっているのである。けれど、この腸をえぐるような老首相の言葉の裏に、何とてそれを思わぬ日本人があろうか。
臥薪嘗胆! この言葉は三国干渉以来十年の日本人の合言葉であった。しかしこんどの破局はそれと比倫を絶する。再興するにはほとんど百年を要するであろう。しかもその間、臥《ふ》すべき薪も、嘗むべき胆もない惨苦の中に生きることを覚悟せねばならぬ。
けれど、日本人は「百年後の十二月八日」を心魂に刻みつけて待つであろう。
「お可哀そうに……天皇さま、お可哀そうに……」
肩をもんで泣きつづけるおかみさんの声をよそに、ラジオは冷静にポツダム宣言成文を読みあげている。七月二十六日、トルーマン、チャーチル、蒋介石によって日本につきつけられたものである。
「一、我ら合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣は、われら数億の国民を代表し、協議の上、日本に対し、今次の戦争を終結するの機会を与うることに意見一致せり。
二、合衆国、英帝国及び中華民国の強大なる陸海空軍は四方より自国の強大なる陸海空軍による数倍の増強を受け、日本に対し最後の打撃を加うるの態勢を整えたり。右軍備をして、日本が抵抗を終止するに至るまで、同国に対し戦争を遂行するの一切の連合国の決意により支持せられ、かつ鼓舞せられあるものなり。
三、蹶起せる世界の自由なる人民の力に対するドイツの無益かつ無意義なる抵抗の結果は、日本国民に対する先例を極めて明白に示すものなり。現在日本に対し集結しつつある力は、抵抗するナチスに対し適用せられたる場合に於て、全独逸国人民の土地産業及び生活様式を必然的に荒廃に帰せしめたる力に比し、測り知れざる程度に強大なるものなり。
我らの決意に支持せらるる我らの軍事力の最高度の使用は、日本国軍隊の不可避かつ完全なる潰滅を意味すべく、また同様必然的に日本本土の完全なる破壊を意味すべし。
四、無分別なる打撃により日本帝国を滅亡の淵に陥れたるわがままなる軍国主義的助言者に、日本を引続き統御せらるべきか、または理性の経路を日本が踏むべきかを、日本が決定すべき時期は到来せり。
五、我らの条件は左の如し。我らは左の条件より離脱することなかるべし、左に代わる条件は存在せず、吾らは遅延を認むるを得ず。
六、我々は無責任なる軍国主義者が世界より駆逐せらるるに至るまでは、平和安全及び世紀の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本国民を欺瞞し、これをして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたるものの権力及び勢力は永久に除去せざるべからず。
七、右のごとき新秩序が建設せられ、かつ日本の戦争遂行能力が破壊せられたることが確証あるに至るまでは、連合国の指定すべき日本領域内の諸地点は、我らのここに支持する基本的目的達成を確保するために占領せらるべし。
八、カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州、及び四国ならびに我らの決定する諸小島に局限せらるべし。
九、日本国軍隊は完全に武装解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的なる生活を営むの機会を得しめらるべし。
十、我らは、日本人を民族として奴隷化し、または国民として滅亡せしめんとするの意図を有するものにあらざるも、我らの俘虜を虐待せるものを含む一切の戦争犯罪者に対しては、厳重なる処罰を加えらるべし、日本政府は、日本国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除去すべし。言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし。
十一、日本は、その経済を支持し、かつ公正なる実物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することは許さるべし。但し日本として戦争のため再軍備を許さしめるがごとき産業はこの限りにあらず。右目的のため原料の入手(その支配とはこれを区別す)は許さるべし。日本は将来世界貿易関係への参加を許さるべし。
十二、前記目的が達成せられ、かつ日本国民の自由に表明せる意志に従い、平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が樹立せらるるに於ては、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収せらるべし。
十三、我らは日本政府がただちに前記の各軍隊の無条件降伏を宣言し、かつ右行動における同政府の誠意につき、適当かつ充分なる保証を提供せんことを同政府に対し要求す。右以外の日本国の選択は、迅速かつ充分なる潰滅あるのみとす」
この傲慢なる威嚇、この厳酷なる要求。
いまここに新聞より再録していても、歯軋りせずにはいられない。――しかもこれを聴くよりほかはない立場に立たされたのだ。
首を垂れた。全身に血液がなくなった感じで、足もよろめいた。四人は顔を見合わせて、おばさんの方を振返った。何か言おうと思ったが、声も出なかった。四人は唖のように黙したまま外へ出ていった。
明るい。くらくらするほど夏の太陽は白く燃えている。負けたのか! 信じられない。この静かな夏の日の日本が、今の瞬間から、恥辱に満ちた敗戦国となったとは!
四人はひとことも話さなかった。寮に帰って昼食のテーブルについたが、全然食欲がなかった。一口も物をのみこむことが出来ず、僕は箸を捨てた。二階に上ると、暑い灼けたたたみの上に寝そべった。
日本が負けた。
嘘だ!
いや、嘘ではない。……台湾、朝鮮、満州、樺太はもう日本のものではない。日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、これらの戦役に流されたわが幾十万の将兵の鮮血はすべて空しいものであったのか。旅順包囲軍、日本海海戦、いや維新の志士たちはなんのために生まれたのか?
過去はすべて空しい。眼が涸れはてて、涙も出なかった。
高田の部屋にいって見ると、高田は柱にもたれかかったまま、あぐらをかいて、眼をつむっていた。涙が二すじ頬にひいていた。
「当った」
と、僕はいった。
これは一週間ほど前に、自分が「ここ十日以内にも日本は参るのではないか」と予言したことをいったのである。また一昨夜その怖れの急迫していることを口にしたことをいったのである。それが何の誇りになろう。ただ「負けた」という言葉を発するに忍びなかった。それが勝利の予言であったら、どんなにか嬉しかったであろう。
いや、勝利の予言などなくてもいい。あれが日ソ開戦の布告であってくれた方が、どんなに今より嬉しかったか知れない。
――しかし、事実は厳たる事実だ。
悲しみは否が応でも、たちまち現実に襲いかかってくるであろう。その将来は如何なる事態であるか?
安西達が部屋に入って来た。みなそれを語り合う。
やがて連合軍が上陸して来る。アメリカ兵、イギリス兵、支那兵、何万か何十万か想像のしようもない。これらの軍隊が、道徳的に、精神的に、経済的に、感情的に日本人として恐るべき苦悶に陥し入れることは火を見るよりも明らかである。
政府は誰が作るのか。
近衛公が立つであろうという話が出る。
配給制度はどうなるであろうか。一応統制はつづくであろう。恐るべきは食糧問題である。駐屯軍が食い荒す。現物賠償の中に今秋の収穫物が加えられれば、さなきだに飢餓状態にある現在である。いかなる状態になるか肌に粟の生ずる思いがする。そもそも農民が今までのごとく自ら鼓舞して作物を供出するか否かが疑問である。
軍隊の復員。徴用工の放出。――彼らを受け入れるべき産業も工場もない。
吾々はどうなるのか? 「まず教練がなくなる」といった奴があって、こんな場合にみな笑った。――しかし、こうなってはあの鉄砲の感触がむしろ懐しい。
わが艦隊はもう生きているこの眼では見られまい。いや、あのカーキ色の軍服すらも見られなくなるであろう。
国民学校、中等学校は教科書の大改訂からはじまるであろう。工科関係の学校もあのポツダム宣言から推せばもはや不必要だとして破壊されるに違いない。医学関係の方はそれに較べると、冷静に考えて最も変動なく存続を認められるであろうが、その内容はドイツ医学からアメリカ医学に移るであろう。
しかし、われわれの学校は残るとするも、果してやる元気があるだろうか。やる張合いがあるだろうか? また将来医療関係の薬品や機械の製造は日本に自由であろうか?
天皇はどうなるか、御退位は必定と見られるが、或いはそれ以上のことも起るかも知れない。新聞によると最後の御前会議で天皇は「朕は国が焦土と化することを思えば、例え朕の身は如何あろうとも顧みるところではない」と仰せられ、全閣僚が声をあげて慟哭したという。この御一言で、たとえ陛下に万一のことがあれば、連合国側がいかなる態度に出ようと、われわれは小なりとも「昭和神宮」を作る義務がある、と誰かいった。
しかし、そもそも国体は護持されたとはいっているが、連合国は何も保証してはいないではないか。強引に白ばくれられれば、万事休すではないか。
朝鮮はどうなるか。朝鮮は赤く染まる。ソ連はそのあとどう出るか。背後から日本を刺したにひとしいソ連の行為は日本人として永遠に忘れないであろうが、しかし。……
悲愁を極めた未来の想像談は、いつのまにか蒸すような暑い空気の中にはたと止まって、深い沈黙がつづく。
雲が光のかたまりとなって動かない。じっと部屋に座ってこんな問答を交わしているのに耐えられなくなって、外に出て見る気になる。
下に降りると、暗い台所で炊事の老婆が二人、昨日と一昨日と同じように、コツコツと馬鈴薯を刻んでいる。その表情には何の微動もない。……あとできくとこの二人の婆さんは、ひるの天皇の御放送をききつつ、断じて芋を刻むことを止めなかったという。こういう生物が日本に棲息しているとは奇怪である。
広谷の父母が大連にいることを思い出し、慰めてやろうと町へ出て歩いてゆく。まぶしい太陽が額にジリジリとあたって、眼をひらくことも恥ずかしい。――まだ町にはアメリカ兵も支那兵もいないのに、えたいの知れぬ恥辱感が、おてんとうさまに対する恥ずかしさが、眼を地上に落させずには置かない。
アイスキャンデー屋の前には、きょうも雀の大群みたいに子供達が集まって騒いでいた。赤や黄色の氷の棒をふりまわして、キャッキャッと笑っている。子供達は何も知らない。いいきかせてやってもわからない。またいいきかせる気力がない。それが彼らにわかったときには、彼らはすでに有形無形の鉄鎖の中にある。
大松座では相変らず女剣劇の音楽がブカブカ鳴っていた。ここにも不思議な連中がいる。
坂を下りかかったが、足が萎えたようでそれ以上歩く元気がなくなった。太陽が眩しすぎる。ふらふらとひき返す。
佐竹さんの下宿の前を通りかかったら、
「おうい、恐ろしくシュルンペンしてるな。元気出せよ!」
という声がして、高い窓から笑った顔がのぞいた。上れというから上って見る。
「戦争はこれからですぜ」
という。じっと顔を見ていたら、
「どうしてこれが納まりますか。どうせ僕は、親父も姉も祖母も広島でやられちゃいました。女房は――女房は田舎に疎開させていますが、離縁します。これが手紙のやり納めです」
と、一通の封筒を投げ出した。佐竹さんはもう三十を回った人である。
「一戦やります。必ず一泡吹かせる連中が出て来ますから、それに参加します。山に立て籠ってやるんです。ええ、このままでは絶対やめられませんよ」
と気焔を上げているところに、佐多が顔を出して、酒は一升とか二升とか話しかける。どうやら今夜東京庵で闇の酒でも仕入れてヤケ酒を飲むつもりらしい。
まだ眼が醒めないのか、と思った。今夜こそ、夜を徹しても、なぜ日本は敗れたか、という問題を考えつめるべき夜ではないか。いまさら何のヤケ酒ぞや、と腹が立ったが、日本人に対する寂しさの念が口をつぐませた。
佐竹さんの心はよくわかる。分りすぎるほど分る。敗けた! 腹の底からそう思った日本人はおそらくあるまい。みな、りきんだ腕が空を打ったように拍子ぬけしたのだ。
親を失い子を失い、兄を失い弟を失い、その無念さは骨も凍らんばかりである。で、一万十万、山に籠って天誅組のごとくのろしをあげる。一発の原子爆弾で空になる。それでいいんだ。そんなことは覚悟の前だ、ただ日本人の意気地を敵に見せ、後世に伝えるのだ。また敗れた日本にこれから生きていて何ほどのことがあろう。今の犬死は百年後子孫の胸に炬火となって甦えるだろう。理屈は一切クソクラエだ。
彼らはそう思う。無理とは決して思わない。たしかにそういうことも必要だ。僕の気の進まぬのは、まさしく臆病かも知れない。しかし臆病でも。――
僕達はなるほど大いなる夢は消えたであろう。もはや偉大なことは何も出来ないであろう。しかし、百年後のためのひそやかな第一歩を踏み出す者は、生き残ったわれわれを置いて誰があろうか。二歩進むためにも、百歩進むためにも、最初の一歩は絶対必要だ。
いまの軽挙は、美しいがしかし最後の花火のようなものである。
僕達は眼をつむり、眼をあけ、遥かなる未来へ眼を投げるべきである。
すでに大事去った上は、静々粛々、清掃して敵を迎え、驕る敵をして恥ずかしからしめるほど端然また凜然たる態度を持すべきである。いまの激情にかられた花火は、かえって一般国民の惨苦を増大し長びかせるだけである。われわれは敵の駐屯を一日も短くするように努めなければならない。今一日の隠忍の緒を切れば、将来数年再興の日が遅れることになるのだ。
しかし、残念だ。――どうして佐竹さんを説得できよう。その気力は自分にない。
首を垂れ、黙々として寮に帰る。全寮悉く声のみて、死の家の如し。
夜ラジオ、阿南陸相の割腹を伝う。遺書に曰く、
「一死以て大罪を謝し奉る。
神州不滅を確信しつつ。
大君の深き恵にあみし身は言いのこすべき言の葉もなし。
昭和二十年八月十日夜
陸軍大臣阿南惟幾」
大将よ、御身の魂は千載に生く。
また敢て思う。敵より見て戦争犯罪者として処刑さるる怖れある人々、ことごとく先んじて自決すべしと。
暗愁の褥中に、夜更けてなお思いつづける。頭がずきずきと痛んだ。
事ここに至らしめた原因は何であろうか。大小無数の原因が相倚り相重なり、何れを大とすることは出来まいが、僕の信ずるところでは、最大の敗因は「科学」である。
ここで痛感することがある。それはエンゲルスの次のような言葉である。
「人間の歴史は、もはや決して、今日成熟している哲理の裁断によってことごとく一様に有罪を宣告されるような、そして人は出来るだけ早くそれを忘れてしまうがよいというような、そんな無意味な暴動の荒れ狂いではなく、実に人類そのものの進化の過程と見るべきである。そこで学問の任務は、この過程の段々の進行を、そのあらゆる迷路の間に追究し、外見上、偶然と見える一切の現象の中に内的法則を発見することに在る」
これはヘーゲルにとどめを刺す言葉であるから、語句の二、三は必ずしも妥当ではないが、こういう考え方は今の日本人にとって実に必要だと思われる。
古い日本は滅んだ。富国強兵の日本は消滅した。吾々はすべてを洗い流し、一刻も早く過去を忘れて、新しい美と正義の日本を築かねばならぬ――こういう考え方は、絶対に禁物である。
武力なくして正義が通し得るか。富なくして美が創造し得るか。理想としては出来る。個人としても可能である。
しかし国家というものはそこまでまだ発達してはいない。このことは、この十年余の世界史でわれわれが否が応でも凝視せずにはいられなかった事実ではないか。われわれは、にがい、憂鬱な感情を以て現実論者にならなければならぬ。
僕はいいたい。日本はふたたび富国強兵の国家にならなければならない。そのためにはこの大戦を骨の髄まで切開し、嫌悪と苦痛を以て、その惨澹たる敗因を追及し、噛みしめなければならぬ。
全然新しい日本など、考えてもならず、また考えても実現不可能な話であるし、そんな日本を作ったとしても、一朝事あればたちまち脆く崩壊してしまうだろう。
にがい過去の追及の中に路が開ける。まず最大の敗因は科学であり、さらに科学教育の不手際であったことを知る。
少数の天才教育などは労して効少きに驚くであろう。日本人全体を科学的頭脳の持主にしなければならぬ。この科学とは何も物理や化学や機械を指すのではない。いや、さらに科学そのものにだけ力を入れてみても無駄である。
学問そのものの発達が大切なのである。学問的な思考法に国民全体が馴れることが必要なのである。
「なぜか?」
日本人はこういう疑問を起すことが稀である。まして、
「なぜこうなったのか?」というその経過を分析し、徹底的に探究し、そこから一法則を抽出することなど全然思いつかない。考えて出来ないのではなく、全然そういう考え方に頭脳を向けないのである。一口にいえば、浅薄なのである。上すべりなのである。いい加減なのである。
吾々は忍苦する。残念ながら忍苦する。
そして次代の人間を教育しよう。千年後には必ず日本がふたたび偉大な国家になるような遠大な教育を考えよう。
青年は無限に死んだ。生き残っている青年達もその大部分は戦争に頭脳が空虚になり、また荒廃している。ほとんど絶えず学んで来た少数の緻密な頭脳こそ新しき日本の唯一の原動力とならねばならぬ。吾々はその重大な責任を銘肝し、またそれを果すことを天に誓おう。
われわれは、健康な肉体と冷徹な頭脳を持った子供たちを作ろう。一口でいうと、鋼鉄のような日本人である。
鋼鉄のように美しく澄んだ感覚、鋼鉄のように強靭な肉体、鋼鉄のように鮮烈で確固たる頭脳。そして触るれば切れる鋭さを持ちながら、輪になるまでも柔軟に屈し、しかも屈すれば屈すだけそれが潜勢力となって激烈にはねもどる鋼鉄のような不屈不撓の意志力を持った日本人を創造しよう。
これはいうに易く、行なうは実に至難の命題であろう。まして敵の懐柔政策と弾圧の下に行なうのは、まことに苦難にみちた道程であろう。しかしわれわれは辛抱強くなければならない。そして必ずこれを行ないぬかなければならない。
そういう丈夫な、頭のよい、恐るべき日本人を作りあげて、さてそれからどうするか?
ここに於て僕は、大きな深い悲しみに打たれずにはいられない。今のところその目的は、ただ敵に対する報復の念のみであるからである。が――日本再興は、もういちど行なうべき「悪戦」の後であるにしてもこの一念以外に、いまは何も考えられない。
甘い、感傷的な、理想的な思考はみずから抑えよう。そしてこの一念のみを深く沈澱させよう。敵が日本に対し苛烈な政策をとることをむしろ歓迎する。敵が寛大に日本を遇し、平和的に腐敗させかかって来る政策を何よりも怖れる。
戦いは終った。が、この一日の思いを永遠に銘記せよ!
十七日[#「十七日」はゴシック体](金) 晴
○眼醒むるもいまだ信ずる能わず。
正直にいいて学校にゆく気せず。張合いなし。
○宮城前にて将校二人割腹せりと。ああ、昨日、今日、死を選びし日本人幾ばくぞ。
鈴木、平沼両家に焼打ちをかけし者ありと。馬鹿なり。無念耐えずんば、黙して自分が腹切るべし。いま血を血で洗うの愚を日本に現わすべからず。静々粛々、沈痛の中にも一致して結束を固めて敵を迎うべし。
東久邇宮内閣成る。果然近衛公|出《い》ず。
清水に敵上陸せり。名古屋に支那兵上陸し、食糧徴発を開始せり。東京にすでに米兵四万入りこみありとの噂ながる。
いまだ日本人の頭は八月十五日以前と同じなり。しかも敵上陸の第一歩とともにイヤでもこの頭切換えざるべからず。惨苦は来れり。血の涙を流すべき忍苦の日はいよいよ来れり。
されど、いかに敏速なる東京人といえども、一昨日までの眼を敵見るやたちまち微笑の眼に変えることは不可能ならん。
○今日飯田駅で兵隊がいままでの如く特別に切符を買おうとしたら、少女駅員冷然として「兵隊さんはあとですよ」といった由。この話をきける面々、話した男を、なぜその女狐をぶんなぐらざりしと大いに怒る。余りといえば軽薄残忍の女にあらずや。
一将功成らず万骨枯る。
松岡なる友あり、大いなる製薬会社の社長の子なり。戦争以来、つねに白米の弁当に卵焼などを食い、いまだ配給物を食べたることなしと、十五日夜「今後はアメリカ人と手を握りてゆくが賢明なり。わが会社にては早速化粧品でも作りてアメリカ婦人に売りて儲けん」と澄ましていい、そんなことはできずといいたる友に、冷然として「そういう奴は将来乞食になるよりほかはなし」と笑いしという。
ききてみな大いに怒る。冗談にせよ、時と場合による。安西、柳沢、加藤らこれを制裁せんと相談しあり。いまさら殴りても始まらずといいかけたるところ、一人「四人のゲンコツで、これが日本のゲンシ爆弾なり」といえるに失笑。
十八日[#「十八日」はゴシック体](土) 晴
○軍隊に軽挙を戒むる勅語下る。
一昨日、信濃上空に日本機ビラを撒きて過ぎたりと。ビラには、国を売りたるは重臣なり。われら天皇を擁してなお戦わん。国民よ蹶起せよとありたりと。
横浜に三十万の米軍上陸せりとの噂あり。
大西海軍中将、特攻隊に謝するの遺書を残し、割腹。
○午後、大洋製作のおやじを訪ぬ、おやじ大いに悲憤す。
「呆れけえってものもいえねえや。一てえ全てえどうしていいんだか見当もつかねえ。
ここで投げるって話はねえ。まったくそんなふざけた話はねえ。おら阿南さんが可哀そうでなんねえや。こりゃてっきり重臣連中が国い売ったにきまってらい。一方で特攻隊を出しながら一方で敵に色眼をつかっていたとあ何てむげえ、恥っさらしな真似をしやがるんだろう。あの野郎どもたたっ殺しちまえ。
降参したら、急にいくじなく敵の強えことをぬけぬけと宣伝しやがる。醜態ったらねえ。
しかしシャクだなあ、何が神州不滅でえ。負けて何が不滅でえ。勝利か、民族滅亡か。なんて生意気なことをぬかしやがって、今度は民族滅亡の怖れがあるから降参する、なんて、何が何だかさっぱりわかりゃしねえ。こちとら人間が簡単だからな。こんなにあっさり負けていいのなら、今まで食うものも食わずに我慢して来やしねえや。ええっ、畜生、シャクに障る。
特攻隊は何のために死んだんだ。可哀そうなことをしたなあ。いいや、特攻隊とか満州とられるとか、そんな損得いうんじゃねえ。ただ降参するって手はねえ。最後の一人まで戦って、日本が滅んだらそれでいいじゃあねえか。それでこそ勝ったということにならねえか。花々しく全滅したら気持がいいじゃあねえか。でえてえ、小せえ奴が大きい野郎と喧嘩するんだ。命をかけねえで何が出来る? 苦しみ方が足りねえよ。まだ苦しみ方が足りねえよ。おらも苦しかったが、こんな苦しみ方で勝てるなんてつゆ思っちゃあいなかった。負けるにしたって勝つにしたって、こんな苦しみ方じゃ薬にも毒にもなりゃしねえ。
イタリーが前の大戦で寝返った。今度の戦争でもまた寝返ってる。いきさつあちがうかも知れねえが、根を正しゃあおんなじこった。つまり弱えんだ。国民が腰ぬけなんだ――って笑ったっけか、これじゃこっちもあんまり大きな口は利けやしねえや。こんなことで投げ出すのなら、またやったって、また途中いい加減なところで投げ出すにきまってる。案外日本人てこんなもんじゃあねえか。――ヘンに気がめいっちゃったよ。めいらざるを得ねえってわけだ。
あのとき天皇陛下は、なぜ、最後の一人まで戦えっておっしゃらなかったのかなあ。もってえねえ話だが、おら泣くにゃ泣いたが、やっぱりもう一戦やりたかったなあ。
親を殺され子を殺され、家を焼かれて、へっ、いまさら毛唐にもみ手をして、へいへいばったの真似ができるもんけえ。これあこのまま納まりっこねえね。騒いだってしかたがねえね。
しかし、もうこうなったら、どっちにしたって――もう駄目だね。畜生、畜生、畜生っ、か。へっ。
愚痴だ。愚痴だなあ。こんなこと、いまさらかんげえたって始まらねえ。――頭が悪いんだねえ、日本人は。黄色い猿に毛が生えたようなもんだっていわれたって、これじゃしかたがねえ。ほんとにしかたがねえ。
おらの時代はもう駄目だ。そら、もう駄目だ。
ええ、畜生、ヤケだ。こうなったらへいへいしたっていいや。戦争にゃ負けたんだから、もうこうなったら奴らに頭を下げて、それでおらなりの敵を討ってやる、あいつらからふんだくってやる、畜生、いくらでもいい気になりやがれ。こっちは顔じゃあ笑って、腹の中であざ笑ってやる。あいつらあ、まあ或る意味でお坊っちゃんだからな。シャクに障るが、しかたがねえ。
これでね、支那もヘンなことになっちゃって、勝った方の仲間に入ったようなあんばいにゃなったが、これから何年かたってみろ、日本人の方がアメリカから可愛がられるにきまってる。支那人ってのあ、汚なくって、ずるくって、ネチネチして、どのみちあんまり可愛いたちじゃねえからなあ。それからみると日本人はまだ可愛いところがあるってえわけだあ。そらおれみてえに、へっ、へっ、何、なかなか油断はなりゃしねえんだが。――
おら、こうなったらハマにでもいって洗濯屋にでもなろうかと思う。工場やってるときに職人の菜っ葉服が油によごれるもんだから、洗濯の機械を買っておいたんだが――世の中って可笑しなもんだなあ、何がどうなるか分らねえもんだ。あれを使って、やつらのでっけえ服でも洗って、せいぜいふんだくってやらなきゃ気がすまねえ。なに、今すぐやりゃしねえ。今そんなことをしたら、日本人の気の短けえ奴にたたっ殺されちまわあ。
――女がこまるって? ミサオを汚されるってのか? そりゃそうだなあ。アメリカ兵ったら、イギリスへいったってその道じゃあばれちらしたんだからなあ。まして負けた日本に来るんだ、うん、そりゃ上陸して船から下りるときに、もうそのことばっかりかんげえてるにきまってる。……こまったもんだ。
――うんにゃ、こまりゃしねえ。今の日本の淫売どもといったら、何百万いるか知れやしねえ。全日本にみちみちてるっていってもいい。うちの職人でも、養いもなんにもできねえようなのらくらに、三人も四人もひっついて追っかけ回してるんだから。……米一升ならどうでもなる、なんてのはザラにあらあ。なんしろ日本の女あいま余ってるんだからな。
けんどおぼこは勿論いけねえ。アメリカ兵のおもちゃにさせるのは勿体ねえ。芸者、女郎、女給なんてえのは、工場なんかに動員されたっててんで駄目だったが、こっちなら本職だ。日本の女あその道にかけちゃ、ちょっと世界に類がねえほどうめえっていうぜ。
それにあいつらだったら、アメリカ人ってきいたら、いっそううれしがって、首ったまに飛びつくにきまってる。満天下に募集してみろ、たちどころに何十万と集まらあ。なんしろ、飢えて飢えて、足をばたばたさせてるのが多いんだから。何とか特攻隊とでも名づけるかね? へっへっ。
日本の処女の防波堤? 国体の護持? 御冗談でしょう。あいつらに国体もシャケの頭もあるもんか。またそれでいいんだ。うれしがって、毛唐の鼻毛を数えてりゃあ、それが御国のためになるっていうもんだ。
しかし、こうなるとちょっとまたこまる。でえてえアメリカなんて女が大きなつらしやがって、男は女の靴紐を結ぶなんて可笑しな国だそうだから、そう日本の女に可愛がられると、日本が大好きになって、駐屯が長くなったりしたらこまる。司令官がもう帰れなんていっても、おらいやだ、おら日本がいい、おら日本に残りますなんてことになったら一大事だ。――どうもいいことばかりはねえなあ。
なに、産科の医者になって、混血児はみなおろしちまうつもりだって? そんなことより、どうだね、バイドクでも植えつけちゃあ? そんなことは出来ねえもんかね。毛唐どもをみんなバイドク野郎にしちまやあ、負けて勝ったというもんだ。男で負けて、日本は女で勝つというもんだ。
こうなると女さまさまだ。うんにゃ、もうそろそろ男の時代がすんで、女の時代が来たのかも知んねえぜ、ほんとうに。……戦争ってものは、どうしたって男の時代だからなあ。思やあ長い間、女もつれえ目をして来たもんだ。
こうなったら、せいぜいノンビリやるさ。いまさら泣きわめいたってしかたがねえ。俎の上の鯛か鯉か知らねえが、あっさり諦めてニコニコ笑うんだねえ。
おらも、もうこうなったら戦闘帽なんかやめて、中折帽にでもまた作り直すかね。いや、ヘンな話になっちゃった。
ありがてえ。少し気がはれて来たい。ばかばかしいが、そうでも考げえなきゃ、気がくさくさしてたまらねえ。それでもシャクにゃ障るなあ。――畜生っ」
十九日[#「十九日」はゴシック体](日) 晴
○酷暑つづく。
爆音聞え、日本機一機飛ぶ。どこかへビラでも撒くつもりにや。あの姿、あの日本機の姿。――千機万機仰ぐは未来いつの日ぞ。
○夕、徳田氏東京より帰る、都民みな呆然。陸軍機海軍機東京上空を乱舞し、軍は降伏せずと盛んにビラを撒きありとのこと。
マニラにて休戦協定を結ぶため、山下奉文この役を快諾せりという。山下がふつうの意味でこれを「快諾」するはずなし。すべてひっくり返しておじゃんにするつもりなるべし、そうなったら面白くなるぞ、とみな期待す。
○夜凄じき雷鳴。青白き閃光きらめきて、轟々たる音につづき、時にどこかに落ちたるがごとき音す。電燈消ゆ。ただし雨一滴もふらず。空鳴りにて秋となるや、こおろぎ鳴く。
二十日[#「二十日」はゴシック体](月) 晴
○徳田氏ら、寮二階にて松岡を殴る。鼻血ふすまに飛び、腕をつたい、頬|鬼灯《ほおずき》のごとくふくれあがり、紫色の血管ひたいに浮く。殴らるるものたたみに伏して泣き、殴るものまた声をあげて泣く。
○東京より帰れる友の話。某兵営の一部隊ひるま解散の訓示中、日本機ビラを撒いて過ぐ。部隊解散せず、この夜猛烈なる夜間演習を開始せりと。
○日本人は憐れだ。惨めだ。だれを見ても、だれの顔を見ても、この数日、この感じがしてたまらない。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](火) 晴
○昨夜十二時まで、首相宮、ラジオにて反覆数回、国民に告げらる。国体維持に政府方策を有す。聖断は絶対なり、国民は静粛に治安を保つべしとの意味なりしがごとし。雑音多くて明らかに聴く能わず。
「敵にしてわが国体を根本より破壊せんとの意図を有するときは再び開戦す。最後の一人まで蹶起せよ」とでもいわるるにあらずやとみな胸躍らせて待ちしに、絶望悲嘆甚だしきものあり。
○各地の防空陣、敵機来るときはいまだ猛烈に応戦す。東京都内にては各所に貼り出されたる降伏のニュース、一夜のうちに、ことごとくはぎとられたりと。またフィリッピンの日本軍は総攻撃を開始せりとの噂あり。
このありさまにては戦意全国に炎のごとく燃え上り、不穏の状況いちじるしきものあり、かくて首相宮の悲鳴のごとき御放送となりたるものならん。みな、この分にては面白くなるぞとよろこぶ。
○夕また日本戦闘機来る。一機なり。西の空の入道雲金色にふちどられ、その背後より三条の毫光天空にさしたり。翼ひかる。旋回して去る。夕雲のかなたへ消えゆく機影悲しく、万感胸に満つ。
○授業再開。午前外科、皮膚科。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](水) 晴
○午前内科。
○昨夜も眠る能わず、高田の部屋にゆき三時ごろまで話す。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](木) 夜来豪雨終日つづく、夜晴
○昨夜も十数人わが部屋に集まりて、一時半過ぎまで大激論。意見区々に分る。
「今すでに大詔下る。この上いたずらに蹶起するは、現実に国内を乱し、国民を苦しめ、敵の思うツボにはまるのみ。隠忍せよ、自重せよ、忍苦せよ」という意見。
「忍苦して再興の見込みありや。いいかげんなところでは再興し得ることを、敵は第一次大戦のドイツにより経験す。必ず再興する能わざるまでの圧制乃至懐柔の策を施し来るべし。精神的にわが民族滅亡を企てるに相違なし。それならば今起つにしかず、今ならばなお武器はあり」という意見。
「起ちて何をする?」
「軍は必ず起つ。必ず起つと航空隊はビラを撒きおるにあらずや。これに応じて吾らまた馳せ参ず。敵の上陸地点がすなわち戦場なり。われらそこへ赴かん」
「軍起たざれば如何?」
「必ず起つ。軍もまた国民や学生の起つを待つ」
「軍は起ちてもそはすでに局部的なり。組織的にあらず。感情的、散発的なり。一つの暴動は千の苦悩を呼ぶのみ」
「精神的にはわが民族は敵の工作により根本より滅亡することなしと信ず。敵いかに教育を施すも、日本人の民族性は脈々として後代に伝え得ると確信す」
「ただ恐るべきは混血児の問題なり。こは防ぐべからず。しかれどもこれまた下級の米兵個々の衝動に基くものとせば、一見その害測るべからざるものに見ゆるも、大いなる眼にて見るときは恐るるに足らざるなり。恐るべきは米最高当局の組織的なる民族涜血計画なるも、われは敵がそこまで徹底せる残忍性を発揮するとは信ずる能わず。甘くみると誹らるればそれまでなれど、今のところわれはかく信ず。果して然らば日本に再興の望みなしとはいうべからざるなり」
これらの意見中、最も激烈なるは、
「やりて見込ありとてやるにあらず。敵に領土奪わるるとて起つにあらず。敵、わが国民を苦しむとて怒るにあらず。ただ無念なり。このまま刃をひくにたえざるなり。どうでも一戦やらずにはおれぬなり。日本人の意気地を爆発せしめずんば能わざるなり」
との叫びなり。
結局意見まとまらず。十数人、各々四つ五つに分れて議論|囂々《ごうごう》、部屋鳴り返るばかり。外へ出ろと喧嘩すら起きんとす。
言いくたびれてみな去る。物散乱せる部屋に哀愁のみ沈澱す。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](金) 雨
○昨夜また眠る能わず。今暁三時までエンゲルス『空想的から科学的へ』を読む。
午前外科。
今夜ごろ満月のはずなるが、雨降る。しとしとと薄く広く暗く降る雨。夜空は茫々たる黒雲に覆わるるも、不思議や東方にぼんやりと円き薄白き光透けり。月なり。四界茫々たる霧海の底にただ一つゆらめける水月《くらげ》のごとく、神秘幽麗の月なり。
○「米国は勝った。しかし日本は降伏していない。少くとも負けたと思っていない。ポツダム宣言受諾からこの十日間、米英新聞は大いに日本に向って不満を爆発させた。ソ連もこのころからこれに調子を合わせ、十九日プラウダ紙は日本がぐずぐずして時を稼ぐのは、早くも帝国主義的復讐戦の準備をなしつつあることだ≠ニ見得を切っている」(ストックホルム衣奈特派員二十一日発)
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](土) 曇午後雨
○午前外科、病理。
○佐々教授の話によれば、軍医学校急遽解散せられ、生徒は出身校に復帰することとなる。しかも一度も軍籍に入らず、はじめより出身校にありしがごとく秘密裡に書類を改むることとなれりと。なさけなきかな、まるで豊臣の残党のごとくなり。
○今汽車は兵と工員の復員帰郷にて、無蓋貨車にまでのせて運んでいる由。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](日) 曇、時に照り時に降る
○暑さ戻る。蝉声ものうし。
○本日より横須賀を中心とする東京湾に米軍の進駐始まる予定なりしも、同地方に台風通過して四十八時間延期せらるることになれりと。
○「青年は冷笑的《シニツク》になる。しかし彼のシニスムは裏切られた理想主義、夢と現実との背馳の結果である。それは凡ゆる生涯、とりわけ優れた生涯に於ける悲劇的な時期である」
――アンドレ・モーロア――
○夜ふけまで月を見る。
赤石山脈より上りし蒼き月輪やや欠けたり。月面氷盤のごとく澄みて、その山その海ありありと見ゆ。蒼々として黒き大空に黄金色の暈《かさ》を作る。雲無数に乱れとび、雨一過また一颯。月現わるれば清光窓より入りて冷たき縞を編み、甍は人魚の魚鱗のごとくひかり、空気は水晶のごとく透き通れり。夜半二時、月すでに上りて中天にあり、窓より見る能わず。ただ白羊のごとく流るる無限の雲より、赤味を帯びたる星一つ、宇宙の蒼海中にきらめく。雲の動くゆえに星の動くがごとく、あたかも神秘なる世界の果てを、美しき霊のいずこにか召されて急ぐがごとし。――吾は実に何も知らざるなり、この感、深々と胸に落つ。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](月) 晴
○午前外科。病理、明二十八日より九月二十日まで休講の旨発表さる。
○蒋介石の全中国民衆に対する布告。
「旧悪を問わず人のために善をなすはわが民族の伝統の徳性である。かねて声明せるがごとく吾人は、日本民族はこれを敵と見なさない。日本軍はすでに吾らの軍門に降ったが、吾々は報復を企てたり無辜の人民に侮辱を加えたりすることがあってはならない。日本人をして過去の錯誤を反省せしむべきで、従前の日本の優越感に対し侮辱を以て応うるがごときことがあれば、永遠に恨みは残るであろう。かくのごときは断じてわれら仁義の師の目的ではない」
チューリッヒ特電による一親日スイス人の忌憚なき意見。
「こんどの戦争で日本がドイツと並んで世界の憎まれっ子になってしまったのに心を痛めていたのだが、ごく公平に見て日本の今日の悲境は日本自身の招いたところが多いのだから他を責める気持にはなれない。自分としては、日本が男らしく転換し、公然と自己の敗北を認め、再び人類の尊敬と信頼を集めるべく真に平和な近代的法治国建設に一日も早く出発することを願ってやまぬ。……」
きょう来れる叔父の手紙。
「八月十五日、突如として重大声明の発表あり、皇紀三千年を誇る大日本帝国に想像だにせざりし事態が生じた。真に骨節粛然一散し、八万四千の毫竅《ごうきよう》熱血を噴くとはこのことであろう。しかしながら吾々はいたずらに泣き悲しむときであろうか。本日ただいまより報復の準備にとりかからねばならない」
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](火) 晴
○蒋介石のいうことはまことに立派である。しかし吾々は、幸福なとき人は善人になるということを知らないわけではない。また連合国が仁義の道を以て日本に、過去に対したとも将来に対するとも考えない。過去の錯誤は力が不足だったということだけである。
また一スイス人のいうごとく「憎まれっ子」といい「自業自得」といわれても、これはただ負ければ賊軍という諺通りの現実で、歯をくいしばって耐えるよりほかはない。
何が「平和な法治国」であるか。全世界がそうなったらどんなに美しく愉しい世界であろう。しかし連合国は強大な軍備をさらに拡張しつつあるではないか。これは彼らの信じる道義をつらぬくにも武力あってのこと、また文化も富あってのことと確信しているからだ。これを云々するのは引かれ者の小唄という奴で、吾々は沈黙するよりほかはないが、勝利者側が敗れた方へいう「真理」は信じない。
日本はふたたび武力を確保する必要がある。断じてある。
叔父のような人間は今全日本に充満している。これが十年後にはどうなるか。今考えるのも可笑しいような「アメリカの真理」の中に日本は溺れつくしていることであろう。自分は予言するが、しかしそのとき断じて自分だけはこの予言の外にありたい。
ともあれ、本人が意識するとしないとに関せず、またもいままでとは違う種類の「仮面の舞踏」が日本人によって行なわれるのである。
○近村の一国民学校の老校長、八月十五日午前、「神国日本を汚さんとする獣敵米英について」熱嘲痛罵。
午後、いかにして事態急変の演説を児童に対してなすべきや苦悶、ついに、辞表を提出せりと。
○夜、町に灯明るくともる。街燈の鉄柱は遠き昔に弾丸となりて今や南海の底に沈めど、往来の空を横切りて両側の店舗を結ぶ電線に裸電球ぶら下がる。その下に、美しき円き輪落せる光の中に、痩せ腹ふくれたる黒き裸の子ら十数人愉しげに遊べり。
彼らはものごころつきてよりかかる路上の灯を見たることなし。このわびしき円光は彼らにとりて実に新しき世界なるなり。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](水) 晴
○寮の炭運搬のため朝八時事務所前に集合。三年二年の寮生六十人余。十台の大八車をひき、各※[#二の字点、unicode303b]背板を背負いて太平街道を二里あまり上る。一ノ瀬なるところで大八車を捨て、十町あまり山  を歩きて炭焼小屋に至る。
信濃なる古き街道
ゆきゆけど人影見えず
赤石は日に青霞み
青杉は風にさやげど
飛ぶは鳥鳴くは蝉のみ
海をぬく千五百尺
小屋ありて硝子戸光る
墨ふるし「伐採事務所」
ゆきすぎて百歩に満たず
瞳《まみ》に咲く白き面影
窓のぞき笑みし乙女子
見上げると栗の葉の間から碧い空に雲の流れるのが見える。葉は淡緑の灯をともしたような色を最上層として、その下にやや濃い青葉が一枚一枚浮かびあがって見え、そのまた下にさらに黒みがかった葉が重なり、かくて幾百枚幾千枚と重なって、林の中は足裏が冷たく濡れるような暗さと湿気に満ちている。首尾よくその無数の青葉の防備線を通りぬけた日の光は、暗い林の中に黄金色の縞となって降って、黄味を帯びた灰色の地を透かせたまま矢のように走るせせらぎの上に、点々と蛍光を砕き、青苔白苔にぬるぬるした岩の上のとかげの背に、紫色の虹を描いている。
杉の林の中で雨に逢う。蝉の声もやまぬ。風の渡るような音をたてる時雨は、淡く細く、小径は日の光を失った代り、雨は一滴も落ちない。ただどこまでもつづく遠い薄暗い緑の空気の中に、幾百本の赤黒い杉の幹が柱のように林立し、その足もとに繊美な山吹の青い葉や茎がからまって、遠いそれは青い靄が林の底にけぶり、沈み、漂っているようである。
炭焼小屋は、パプア人の大きな小屋みたいだった。藁ぶきの中に石を積んでかまどとし、大木のままの炭が山のように積まれている。傍に積んだ俵はみな腐って、持ちあげようとするとごろごろと炭がこぼれる。
八貫目俵を重い、背負えないと悲鳴をあげたら、真っ黒なゴリラ的顔貌の炭焼のおかみさんが現われて、この冬は寒風の中を、国民学校の子供たちさえ背負って山を下っていった。私でさえも三俵は背負う。いい若い者がそんなざまだから日本は負けたんだと叱りつけた。
みなその炭俵や薪を背負い、車に積んで帰る。青い樹々、遠い山脈、赤い夕焼雲、頭の痛くなるほど濃厚な青葉の匂い――夏の夕は豊麗というべきか、壮麗というべきか。しかしみな疲労困憊して、ヒポクラテス顔貌になる。帰寮七時。
○ケーベル博士『盛夏漫筆』『秋日閑談』を読む。
三十日[#「三十日」はゴシック体](木) 晴
○厚木飛行場に着陸した米将校を出迎えているわが有末委員長の敬礼しているみっともない姿。
今日の新聞にのった写真のこの惨めな醜態から当分の日本の生きてゆく路が生ずるのである。
敵進駐軍はお世辞もいわなければ恫喝もしない。ただ冷然として無表情な事務的態度であるという。両者のいずれかを期待していた国民は、この態度にあっけにとられ、やがて恐怖をおぼえるであろう。最も恐るべきはこの敵の態度である。
新聞論調徐々ながら明白に、あたかも階段を一段一段下るがごとく日々に変ってゆく。石原莞爾将軍のいうように、日本人は精神的に、加速度的に屈辱のどん底まで叩きのめされるであろう。
○モーパッサン『水の上』を読む。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](金) 雨
○「巨大な陥没の後の再興の年、それはもろもろの民族のよき成長の年であった。
敗北に宿る尊き価値を認識するものは、常にただ少数の思慮ある能動的な精神に限られている。しかし、決定力は実にこの少数の精神にある。他の者が享楽し、糾弾し、呪詛し、攪乱し、或いは今後の発展について人類に命令を下しているあいだに、この少数者は静かに未来を準備しつつある。彼らはすべて、すでに没落を感じた者であり、今や既成のものに対して極めて自由な立場にある。のみならず世界審判の暴風は爽やかに彼らの額を吹いている。
彼らは新しい責任を予感する。あたかも自分達が最後の人間であり、自分の生命を、損われた預り物のように、出来るだけ修復した姿で創造主の手に返そうとしているかのようであった。彼らは大言壮語を口にすまいとかたく誓った。愛、自由、英雄精神、これらの言葉を、彼らはもはや口にすることを悦ばなかった。それらはすべて蛹となって冬の深淵に眠っているものと考え、執拗な呼声を以て原始の諸力の神聖な祭壇を攪乱することを懼れるのであった。彼らはたとえどんなにささやかなものであろうとも、心の声の示すところを実現しようと欲した。これを以て、彼らは墓の懸燈を潤おす油とした。かくて、ただ日常的なもののうちにのみ、時として彼らに、より高き世界が現われるのであった。」(ハンス・カロッサ)
○ハンス・カロッサ『医師ギオン』読了。
今次の敗戦ドイツは、前大戦後のそれと比を絶する凄惨なものであろう。前大戦に於ては、連合軍はドイツ領に一歩も入り得なかったし、政府は残っていたし、航空機の威力も児戯に類するものであった。それに較べると、今度は凄じい、英米ソ軍はほとんど全ドイツを蹂躙し、政府は粉砕され、爆撃は全都市を廃墟と化せしめている。その上前大戦の経験に懲りて、連合軍の弾圧誅求は昔に千倍するであろう。
しかもその前大戦でさえ――カロッサの描いた敗戦後のドイツ――寒風の吹き荒れる廃墟にボロを着た乞食のごとき民衆が、膝を抱えてうずくまったまま、高い冷たい碧空をじっと見つめているようなドイツの姿――こんな姿は、まだ日本には見られない。(東京の光景はまだ見ない)
廃墟は廃墟としても、精神的にはここまで叩きのめされてはいないと思う。――しかし、はじまるならばこれからである。あさっての東京湾に於ける降伏調印がその序幕となるのである。
○友人続々帰郷。余も明後日帰郷せんとす。
安西、柳沢を雨中、駅に見送る。待合室内に兵士数名座る。襟章に星一つ。戦闘帽になお徽章あれど、帯革、剣、銃なく丸腰の惨めなる姿なり。ただ背には何やら山のごときものを背負う。解散に際し軍より半ば押しつけられ、半ば掠奪的に運び来るものなるべし。米俵、馬、トラックまで貰いし兵もありときく。八十年、日本国民が血と涙しぼりて作りあげし大陸軍、大海軍の凄じき崩壊なり。兵一人一人がこれくらい貰いても不思議にあらず。
雨に濡れて貨車動く。いずこへゆくにや無蓋の貨車の上にキャタピラ壊れし黄褐色の戦車一台乗れり。この戦車、戦いしか否か。おそらくまだ戦いたることなき戦車ならん。鉄鋼雨に暗く濡れ、あたかも屠殺場へ運ばるる牡牛のごとく、さびしく冷たき姿なり、子を背負いたる女、労働者、少年、農夫、光る眼にてこの兵を見、またこの戦車を見る。
[#改ページ]
[#小見出し]  九 月
一日[#「一日」はゴシック体](土) 雨
○新聞がそろそろ軍閥を叩きはじめた。「公然たる闇の巨魁」といい、「権力を以て専制を行い、軍刀を以て言論を窒息せしめた」といい「陛下を盾として神がかり信念を強要した」という。そして。――
「われわれ言論人はこの威圧に盲従していたことを恥じる。過去の十年は、日本言論史上未曾有の恥辱時代であった」
などと、ぬけぬけと言う。
この糾弾は一面、たしかに事実である。不合理な神がかり的信念に対して、僕などは幾たび懐疑し、周囲の滔々たる狂信者どもを、或いは馬鹿々々しく思い、或いは不思議に思ったか知れない。そして結局みなより比較的狂信の度は薄くして今日に至った。
とはいえ、実はなお僕はみなのこの信念を怖れていた。それは狂信の濁流中にあって微かながら真実を見ている者の心細さ。不安ではない。戦争などいう狂気じみた事態に於ては、「日本は神国なり。かるがゆえに絶対不敗なり」とか「科学を制するは精神力なり」とかいう非論理的な信仰に憑かれている方が、結局勝利の原動力になるのではあるまいか、とも考えていたためである。自分の合理的な考え方が、動物的といっていい今の人間世界では或いはまちがっているのではないか、という恐ろしい疑いのためである。
しかし、非論理はついに非論理であり、不合理は最後まで不合理であった。
さて、この新聞論調は、やがてみな日本人の戦争観、世界観を一変してしまうであろう。今まで神がかり的信念を抱いていたものほど、心情的に素質があるわけだから、この新しい波にまた溺れて夢中になるであろう。――敵を悪魔と思い、血みどろにこれを殺すことに狂奔していた同じ人間が、一年もたたぬうちに、自分を世界の罪人と思い、平和とか文化とかを盲信しはじめるであろう!
人間の思想などいうものは、何という根拠薄弱な、馬鹿々々しいものであろう。もっとも新聞人だって、こういうことは承知の上で、いまの運命を生きのびてゆくためにこういうことをぬけぬけと書き出したのであろう。そして国民はそれに溺れる。
それでよいのである。それが日本を救う一つの道なのである。しかし過去に於て完全には溺れなかった自分である。将来に於ても決して溺れつくすことはあるまい。
しかし、このことは渦中にあっては、案外難しいことである。
○午後飯田駅にゆき、切符を求め、蒲団をチッキで送り出す。
剣なき兵、窓口に顔出し、
「兵隊だがねえ、切符一枚売ってくれい」
と、今まで通りやり、駅員にさんざんどなりつけらる。
「兵隊? 兵隊かなんか知らんが、まさかもう公用じゃあるまい。公用じゃなければ一般といっしょにならんでもらいたい」
見ているのに、たんに兵を侮るにあらず。駅員も運命に対して腹立ちを抑えかねるといった顔なり。兵隊赤くなり青くなり、はては泣きそうな顔になり、それでも切符を投げ出してもらい、ニヤニヤ恥ずかしげに笑いて去る。
増田惟茂『心理学概論』読了。
二日[#「二日」はゴシック体](日) 曇
○午前、鈴木と炭を寮に運搬す。午後帰省の途につく。
○空は灰色の雲をどんよりと垂れていた。飯田の町は、重苦しい静かな水蒸気に包まれていた。
自分と鈴木が駅に向って急いでいると、往来や辻の至るところに、人の群が佇んでいるのが見えた。作業衣の青年、年老いた農夫、国民学校の少年。……一様に、みな首を垂れて、両腕をだらりと下げて、凝然と塑像のように立っている。――そこには必ずラジオの声が傍の家から洩れている。悲壮なアナウンサーの朗読が聞える。
それは今日午前、東京湾上の米艦ミズリー号で、マッカーサー元帥を始めとする米支ソ蘭各代表と、わが重光外相と梅津参謀総長との間に調印された降伏文書の内容だった。
日本は今日より独立国としての存在を失ったのである。
風はなく、樹の葉も動かず、町は悪夢のような暗い雨もよいの光の中に沈んでいる。
沈鬱な顔で耳を傾けている人々。……しかしこの日の結果する恐るべき苦難と恥辱は、まだ各自の肉体には直接に迫ってはいない。みないずれかといえば、鈍い、ぼんやりしたような感情が、暗い表情の奥からぼやけ滲んでいる。――すべては|これから始まる《ヽヽヽヽヽヽ》のである。
駅で小川と河本と一緒になった。鈴木は舞鶴の小川の故郷へ米を貰いにゆくのであり、河本は故郷の広島へ帰るのである。河本の一家は先に強制疎開で広島から田舎へ引っ込んでいたので、危く命拾いしたわけである。原子爆弾の投ぜられた日、河本はちょうど帰省していたが、閃光と、遠い広島市にあたる方向からの鳴動で、まるで落雷のように感じられたそうである。
午後三時四十三分、飯田駅発。天竜峡で乗換えて、天竜川に沿い電鉄で徐々に南下す。依然ひどい混雑である。剣のない兵隊が多い。
山々には白い雲が漠々とかかり、青い谷からは霧が冷たく湧いて流れている。川は雨あがりの後のこととて銀鼠色に濁って、美しい渦を巻きながら汪洋《おうよう》と動いている。めちゃくちゃに短いトンネルが多い。飯田から豊橋への鉄道の半分はトンネルではないかと思われるほどである。神経衰弱になりそうなほど多いトンネルの間から瞬間的に見える風景は、まあいわゆる奇勝といってよかろうが、僕はこういう凝った奇勝は好まない。僕の好むのはやはり、砂漠であり、海原であり、そして何もない大空である。
日はどんよりと暮れてゆき、また雨になる。
豊橋に八時十五分に着く。駅員が「大阪方面の方は急いで下さあい。発車します!」と叫んでいるので、雨のざんざん降る中を、線路を渡ってべつのフォームに這い上り、黒い汽車に乗り込む。出発してしばらくたつと、これは米原止りだといった。
信号燈の光の中をひかりつつ降る雨、モクモクと湧き立つ真っ白な蒸気、交錯する鉄路の重厚な反射、ゆきちがう怪物のような機関車。――自分は天竜峡よりも、一瞬うしろに消えていった豊橋駅の夜景の方に、遥かに美を――感動をすら覚えた。もっともそれには、こういうまあ「重工業的な」景観が――駅の夜景などは変らないにしても――将来の日本にはもう見られないだろうという哀愁が伴っての感動である。
汽車の中は惨澹たるものだった。弱々しい電燈が一輛に三つほどしかともっていない。その赤茶けた光の中にボンヤリと浮かび上っている網棚――いや、網棚などいうものはない。その棒は折れて、消えてしまって、網糸のみが壁にところどころ頭蓋骨にへばりついた女の髪の毛みたいに垂れ下がっているばかりである。ガラス窓はいたるところ破れ、自分は吹きこむ雨に閉口した。すぐ前の座席は覆いの青い布がそっくり消えて、虱のいっぱいいそうな裸の藁が露出している。自分の席は小学校のように木片を打ちつけたベンチになっている。いや、全然腰掛けなど歯のぬけたように無くなって、車の中で奇妙な空洞を作っているところさえある。戦争中の殺人的混雑と機銃掃射の結果であろう。
薄暗い赤い光の中で、人々は眠ったりモゴモゴと何か食ったりしている。しかし、いまにはじまったことではないが、日本人の顔は何と貧相なものであろう。外人と較べて、頭脳などはその教育法によっては大して劣っているとは思われないが、容貌に至っては、全く如何ともする能わざる相違である。東京に一番乗りしたアメリカ記者が「日本人はいかにも疲れたような顔に見えた」といっていたが、これは別に敗戦に疲れたのではなく、もともとそうなのである。一番旗色のいい時でも、やっぱりこういう疲れたような顔をしていたのである。
平原は雨の中に暗い。遠い家々の灯は、まだ脅えたように小さくまばらである。このあたりのあの家々に住んでいる人々は、この数ヵ月敵機の跳梁下にどんなに恐ろしい思いをしたことであろう。
今になってみると、自分にしても、すべてを「運命」にかけて、連日連夜爆撃の東京に平然と住んでいたことがふしぎである。凡らく夢中だったのであろう。もっとも人間というものは、熱中していた過去を振返ってみると、それがいかに冷静な判断の中に動いていたつもりであっても、後ではまるで「夢中だった」ように感ずるものである。実際過去は、いまその連続で自分がここにいるという自覚を除いたら、すべては夢である。
暗澹とした雲に、時々かっと青白い物凄い十字架がきらめき浮かぶ。列車の光が空中に外の電柱を照らし出すのだ。
尾張一の宮付近で雨は止む。しかし破れた窓から烈しく吹き込んでくる風は寒いくらいである。
「おい、台風がフィリッピン東方海面を北上中だそうだね」
「逐次本土に近接中なり、かね。いやなことをいうなあ」
と、前の汚ない戦闘帽に作業衣をつけた痩せた二人の青年が話している。
B29の動静を伝えるラジオの声は、当分日本人の耳から悪夢のごとく離れないであろう。……二人の荷物は少ない。おそらくどこかの徴用工だったのであろう。兵隊はそれでもいくばくかの物資や金を貰って復員した。それからみると徴用工はほとんど乞食のごとく追っ払われた。ひどいものである。
また雨が降り出した。窓のすぐ外を銀線が斜めに切る。豊橋、熱田、名古屋などは、闇夜のこととてその廃墟は見えなかったが、大垣では駅の灯のかげんで、夜雨に濡れひかる荒涼たる残骸の野がうすぼんやりと見えた。岐阜も同じのはずである。
真っ白なみずみずしい煙が汽車の灯に照らされてうしろへうしろへと流れてゆく。時には雲の中にいるような錯覚に捕えられる。雲の連想から「冬には飛行機に乗って、ちょっと蘭印へ避寒を」などいって笑っていたことがまったく夢の夢となってしまったことを思う。日本の空は永遠に完全にアメリカに掌握されてしまうのである。
遠い地の果てに、ふと赤い灯と青い灯を見とめた。勿論電車か汽車かの信号であろうが、しかし自分は絢爛たる夜の大都会を幻想した。赤い灯、青い灯の不夜城。――自分はしかし、そういう東京も一度も見たことはないのである。そんな光景を見たのは実に昔のこと、それも小さい田舎都市、鳥取や豊岡の夜景に過ぎない。――そういう都会が、そういう時代が来るのはいったいいつの日のことであろうか。
三日[#「三日」はゴシック体](月) 曇
○三日になった。午前零時半米原に着く。汽車はここまでしか来ないので、フォームに出て待つ。同乗して来た三年の人が、今の汽車で靴を二足入れて来た箱を盗まれたといって嘆いている。
フォームに貨車が入って来た。「大阪行臨時列車――早くお乗り下さあい」と駅員が呼んでいる。
「いよいよ牛なみとなったか!」
とみな驚き呆れつつ、やむなく暗い穴のような鉄の箱につめこまれる。藁だの紙屑だのいっぱいありそうな気がするが、暗いのでわからないまま、隅にいって腰を下ろす。扉の傍の人が、雨が吹きこむのでそれを閉じたため、あたりは鼻をつままれても分らない真の闇となった。
ゴトリゴトリと貨車が動き出すと、予想外に線路のつぎめの震動が尻に響く。牛の苦労がしみじみと分った。
「なあ。……これから先あ、日本人はいつもこういう汽車に乗せられるかも知れねえなあ。……客車にはアメリカの野郎が乗ってよ。……」
「まるで囚人の護送みてえだなあ。……何処へつれてゆかれるんだろう、といった気持がするなあ」
「はは、屠殺場じゃあねえかね」
と、遠いところで話している。
実際「自分は一体全体何をしているのだろう?」という疑いは、形容のわりに実生活上めったに起るものではないが、そのとき真っ暗な、臭い空気の中に座って、尻の震動をじっと味わっていると、まったくそういう疑問がしみじみと浮かばないわけにはゆかなかった。
誰かマッチをつけて煙草を吸いはじめた。短い火あかりに二、三人の顔が浮かび上った。落ちくぼんだ眼窩、こけた頬などが仄赤く、また濃い陰翳を作って、ちょっとバグダッドの盗賊の集会のようだった。遠いところでぽっちりと赤い煙草の火を見ていると、闇黒の宇宙に燃えている太陽を冥王星から望んでいるように思われる。
「……こうまでして旅をしなけりゃならないんだからなあ」
「なあに、人間の一生なんてこんなものさ。誰だって、自分勝手で、またしかたなしに、こんな臭い暗い箱に乗りこんで、死ぬまで走ってゆくんだよ」
ぼそぼそと誰か話している。まるで『どん底』のルカ老人のせりふでもきいているようである。
しかし、たしかに臭い。体臭と、汗の匂いと、煙草の煙と、汽車の煤煙と、鉄と鼠と塵と、そして屁の匂い。……炭酸ガスが濃く沈澱して、息苦しくなって来た。
午前三時十五分京都着、やっとワム8609≠ゥら解放されて、冷たい朝の空気をぱくぱくと吸いこむ。
山陰線のフォームにいってみると、自分の方は五時十五分の須佐行ないし十時二分の出雲大社行であり、鈴木、小川の方は六時半の敦賀行なので、しばらく暁闇の京を歩いてくることにする。小川はフォームのベンチにトランクを置き頭をのせて眠っているので、鈴木と二人で、濡れた京都のアスファルトの上へ出てゆく。雨はやんでいる。
まださすがに真っ暗で、灯影も見えない。烏丸通りをどんどん歩いてゆくうちに、雨が霧のように細く落ちて来た。昨夜は一睡もしていないので、身体はいくらかくたびれている。引返してくるうち、雨がひどくなったので、東本願寺の大きな山門の下に雨やどりした。
真っ暗な門の下で、二人は何か腰かけるものはないかと屋根の下に沿って歩き出した。扉はまだ閉じられていた。手さぐりに撫でて戻りながら、自分は「何もないや」といった。
「じゃ、いいや、地面に腰を下ろそう」と鈴木が答えたとき、どこからか、
「にいちゃんや。……」
という小さな声が聞えたような気がした。二人は急に口をつぐんで顔を見合わせた。するとまた、
「にいちゃんや。……」
というかぼそい声が、陰々滅々たる風にのって流れて来た。二人は棒立ちになったまま、のどの奥で(――ぎおっ)と叫んだ。
「何だ!」
と鈴木がかすれた声でいって、僕の顔を見た。
「出たかね?」
といって、僕も鈴木の顔を見つめた。
「にいちゃんや。……兵隊さんかな。……なんぞたべるものをもっておらりゃせんかな。……あたしゃ、腹がへって腹がへって……」
「なんだコンチキショーびっくりさせやがって」
と、二人は笑い出した。乞食の老婆らしい。壁のすぐ下に横たわったまま、二人の方に細い手をさし出している気配である。
「わあ、驚いた。……何しろふいに地面からへんな声が出て来たんだからな。ドキンとせざるを得んわい」
「おばあさん、いったいどうしたの?」
と、自分は闇の中でたずねた。老婆はふるえる細い声でしゃべり出した。
「わたしなあ。……焼け出されましたんや」
「東京でかい?」
「へえ、東京でなあ。……それから大阪でも……二回焼かれましたんや。……お父さんも(これは夫のことであろう)息子も、姪も、みんな死んでしもうて、わたしも足とここ(暗いから分らない)に大やけどして、病院に入ってましたんやけどなあ。……追い出されて、京都に知ってる人があるもんやさかい来て見ましたけんど……何処いったか分りまへん。置いてくれる人あらへんし、毎晩々々、ここで寝とるのどす。もう十日も飯食べまへん。水ばかりのんどるのどす。どうか助けてやっておくんなはれ」
声が細く、かつ舌がもつれてはっきり聞えないが、大体こういうことをいったようである。
「警察へゆけばいいじゃないか。罹災者だから何とかしてくれるよ」
「ゆきましたんや。いって御飯たべさせてくれ、いいましたんやけど、そんなものあらへんわいうて追い出されましたんや。警察なんてそんなもんですわ」
自分は鞄からパンを二つ出して投げてやった。暗いからうかつに手を出せない。レプラででもあったら、一大事である。
「おばあさん、あんた東京だといったが、東京じゃないね?」
「え、え。――おいしいなあ」
と、老婆はがつがつとパンをむさぼっていた。
「わたしの伯父が東京でやられましたんや。わたしは大阪……」
「いつ?」
「十三日。……三月の十三日どす。……」
これはほんとらしい。しかし老婆のいっていることが嘘だろうが何だろうが、それはかまわない。とにかく冗談に一晩こんなところに寝ていられるものではない。自分はもう一つパンをやった。
「おい鈴木。……おれ、もうパンがなくなっちゃったよ」
「いいや。おれの弁当が残ってるもの。あとでいっしょに食おうや」
と話していると、闇にも光る眼がこちらをのぞいて、
「弁当……おまんまかな。……おまんま、いただきとうおますなあ。わたし、この二十日ほど、御飯一つぶも食べたことおまへん」
「そいつあお気の毒だが、駅に置いて来たんだ」
もさもさパンを食べている乞食から二間あまり離れたところに腰を下ろしたまま、二人は、「雨はふるふる、陣羽は濡るる、越すに越されぬ田原坂」――と歌い出した。
東の空が薄青んで、霧のような雨が静かな空気の中に降っているのが見えて来た。歌がすむと、鈴木は東京のリーベの話をしはじめた。二人の笑い声をきいていた老婆は、ふるえ声でまたいい出した。
「にいちゃんや。……お父さん、お母さん、おあんなさるかな」
「あるさ」
と、自分はいった。自分にはない。しかし自分はぼんやりと残酷な心持を感じている。心の一部にこの年老いた乞食を意識していて、友達と歌をうたい、恋の話をし、笑い声をたてているところがある。
「いいなあ。……お父さん、お母さん、いいもんでっせ。わたしには親もない、子もない。ひとりぼっちでっせ」
自分の残酷な意識はおそらくこの老婆には通じまい。羨望よりもこの乞食は、いっそうおのれを哀れなものにして、何かにありつきたいというかけひきの方が強いであろう。
「にいちゃんや。タバコ持っとられんかな」
と、乞食がいった。自分は巻いたタバコがないので、無いなあと返事をすると、老婆はきせるにタバコをつめて、マッチで火をつけた。これには驚いた。
「食後に一服やりたくなるのは、誰もおんなじだと見えるね」
と、二人は笑い出した。
門前の芝生に公孫樹が銀色の露をしたたらせ、噴水がキラキラとかがやく光の糸をあげているのが見えて来た。雨は止んでいる。門の陰も仄白い光が次第に漂って来て、そこに何かぼんやりと人間のかたちを現わしてくるようである。
「おい、もうゆこうや」
と、なぜかそれを見るのが恐ろしいような気がして、自分は鈴木を促した。
「おばあさん、パンを食った元気でこれから警察へでもいってみな。もう秋になる。いつまでもこんなところに寝ていられるもんじゃない」
といって、二人は門から離れた。
ふと鈴木が「ねえ、こっちにもいるかも知れないぜ」といったので、そっちに向って見ると、いる、いる、そこにもやっぱり朦朧とした影が壁の下にうずくまっている。
「驚いたね、こいつは」
四辺壕をめぐらし、雲上と黄金と血の糸をつないだこの壮厳の大寺院、わずかに山門下の乞食を通じて仏縁を裟婆に投げているわけである。
「おれたちゃ、あの婆さんにとって阿弥陀さま以上だ」
と、二人は笑いながら、駅の方へ歩いていった。
曇である。しかし薄明にさやぐ鈴懸の並木の下に投げ捨てられている青い西瓜の皮や黒いたねは、水みずしく美しかった。
京都は残った。残ったのがむしろ癪である。アメリカが自分たちの遊覧地としてこの古都を残したのが癪である。しかし多くの人のいうように、自分たちの「遊び場所」としてではなく、結局はそうなるわけだが、文化の記念として彼らはこの京都や奈良に手をつけなかったのであろう。つまりそれだけ余裕があったわけで、一層それが癪にさわる。ソ連なら容赦なく爆撃したであろう。そしてまた、もしアメリカにこのような古都があるならば、日本は勿論これを潰滅するのに何の遠慮をも感じまい。少くとも日本の軍人は。
「おい、あの婆さんを見てこようじゃないか? もう見えるだろう」
と、鈴木はいった。自分は首を傾けて、しばらく逡巡していた。それからやっと肯いた。
「俺達が芸術家だったら、あれは暗い中で――少くとも夜明けのぼんやりした中で別れるのが一番いいのだが――しかし、俺達は医者だ。うん、見てゆこう」
二人はひきかえして、東本願寺門前を通り過ぎていった。しかし老婆の姿はどこにも見えなかった。
だいぶ歩いてから、またもと来た道を帰ってみると、門のつき出した壁の陰で依然ぼんやりとした影が、立ったまま何か身づくろいしていた。この年老いた乞食は、おそらく夏の白日の下でも、やっぱりぼんやりと見えるであろう。――そこが彼女の楽屋であろうと思ったら、ちょっと可笑しくなった。
そっちに顔をむけたまま通り過ぎてゆくと、乞食はぺこりと頭を下げた。闇中問答だったが、こちらの姿は分っていたと見える。
「よう、婆さん、元気でかせぎなよう」
と、二人は手をふって見せた。
気がついてみると、もう一方の乞食はどこかへいってしまったのか見当らない。それほど時間もたっていないのに、広い大通りにも異形の影は見えぬ。まるで闇とともに消える妖かしの精のようである。
「待て、待て、楽屋」
といって、鈴木がおそるおそるそっちの突出した壁のうしろへ向っていったが、「いる、いる」とささやきながら、足をあげ、両手を胸の前にぶら下げて出て来た。
いっしょにいってみると、蓆をかぶって地面に寝ている者がある。顔は幸いに見えない。しかし「お薦《こも》」という名称は徳川も昭和も末代までも広辞林中に印刷されるであろう。
こんどはほんとうに駅にゆく。
この六月に見たときは、勝利の日まで戦え! と絶叫していた丸物百貨店の飾窓のポスターはことごとくはぎとられて、壁にこびりついた紙のあとが、白々とした朝の光の中に哀れである。
駅前の広場には、まだ街燈がともっていた。昧爽の灯ほど美しい灯はあるまい。蒼みを帯びた夜明けの空に白く淡く浮かんだ灯は星より澄んで、百合のように香って、処女のように清らかである。その下に立って、京都駅を望むと、その鼠色のしっとりした色が、もくもくと湧き上る白い煙の峰を背景になかなか美しい。第一シンメトリーでないのがうれしい。
一応もとのフォームにいってみる。新聞を買う。「ああ、東京湾上降伏文書調印成る」という大見出しである。みなこれを見つめたまま、暗い表情である。
握飯を食って鈴木達と別れ、自分はまた町へ出てゆく。もう五時半になっていて、須佐行は出たあとであり、次は十時二分の汽車まで待たなければならないからである。
チョコレート色の電車に、でたらめに飛び乗って見る。電車は両側の家の小屋根の瓦すれすれに走る。
二条城の白壁や松を、薄曇の空の下に望みつつ電車は走る。何だか町がまだ寝ぼけているような気がするが、こちらが眠いせいかも知れない。
終点で放り出されてみたら、北野天満宮前であった。
「天満宮」と彫った額をかかげた大鳥居をくぐって参道をゆく。至るところ常夜燈が林立し、また青銅の牛が鈍く光りつつ横たわっている。天神様と臥牛とは、画題かも知れないが、その因縁が分らない。第一天神様がどうして神様なのか分らない。
道真が朝臣として人並以上に忠臣であったという事実も知らないし、詩文も古今に冠絶しているとも思われない。もっとも日本ではいくら詩文が古今に冠絶していたって神様にはなれないから、おそらく忠臣のせいであろう。しかし神様にまでなるとは。自分は、寺子屋か、「東風吹かば」の歌か、「独断腸」の詩以外の道真については何も知らない。
いや、吾々は真の日本歴史さえ教えられていない。
松林では朝蝉が鳴きぬいていた。虫の声は草に満ちている。白い朝靄がしずかに流れている。ラフカデオ・ハーンのいわゆる音楽的な下駄の音がしきりに甃《いしだたみ》に鳴る。ちょっといい心持になった。
本殿の屋根や土塀の屋根の苔が美しい。――と思ったが、ふと絵などで古木や木塀には必ず黒い地にこの青白い苔が描かれているのを思い出したら、急にいやになった。絵はもちろんもとは現実から描写したのだろうが、それがだんだん技巧上の慣習となって、今では実際には見えなくとも、梅など書くとこの苔を描く。するとこういう神社でもその絵の真似をして、わざわざこの苔をとって来て屋根に植えつける。天満宮の苔がそうかどうかは勿論詮議する必要はないが、この青白い苔が黒い屋根に浮かんでいるのを見たら、いかにもわざとらしいものに思われて来た。赤塗りの鳥居などはむしろ愉快である。苔みたいに老獪ではない。
露しげく虫声またしげき中を一時間あまりぶらついて、また電車に乗る。居眠りをしていて、起されたら京都駅だった。まだ九時前だった。
山陰線のフォームには、数十人の復員兵が座ったり歩いたりしている。無表情に降伏の新聞を見ている者もある。
「尾崎!」
と呼ぶ声がして、通りかかった一人の兵が、
「はっ」
といって電光のごとく直立し、敬礼をした。傍の柱にもたれかかり、両足を投げ出したまま弁当を食っていた兵隊が、上眼づかいにジロリと見上げて、投げ捨てるような口調できいた。
「きさま、どこだい?」
おそらく軍曹か伍長くらいであろう。達磨みたいに肥って、髯だらけだが、ジロリと見上げた眼には恐ろしい鋭さがある。
「はっ、尾崎は兵庫県の浜坂に帰りますっ」
と兵はいって、しばらく黙って見つめていたが、相手はもう知らん顔で弁当をむしゃむしゃやっているので、また電光のごとく敬礼して歩いていった。軍曹どのは、ちょっと自分の威力がまだ残っているか、ためしてみたようなところがある。
どちらにも剣はない。銃もない。襟章さえすでにない兵もある。しかしさすがにまだ規律は残っている。習性かも知れないが、恐ろしい、なつかしい、微笑ましい、涙の出るような光景に感じられた。
十時二分京都発。窓に頬をあてたままウトウトと眠りにおちいる。午後一時過八鹿着。
駅前で村にゆくバスを待つ。
「みな、ここにならんで」
と、赤い腕章をつけたバス会社の老人が威張って命令したところに、田舎の人々がぞろぞろ金魚のうんこのごとく並んでいる。
ところが三時になっても、二時のバスがまだ出ない。空車は三、四台ならんで、女車掌などキャーキャー騒いでいるのに、バスはまだ出ない。その中に小雨が降り出した。それでもみな黙って命じられた場所から動かない。停っているバスの尻につけたタンクに、木片をざらざら流しこむと、恐ろしい白煙が湧き上って、あたり一帯一メートル先も見えぬ煙にとじこめられる。それでもみな黙って、命じられた場所から動かない。
チエホフの短編集を読んでいた自分が、やっと呆れて事務所へいって、赤い腕章をつかまえ、二時のバスはいつ来るのか、ときくと
「今、車が故障しているんですよ」
と、澄ましている。
「それならそうとみなに断わったらいいでしょう」
というと、びっくりしたようにこちらの顔を見つめ、急にあわてて立ち上り、広場の方へいって、
「車が故障でもう三十分あまり待って下さあい」
と叫んだ。まだ文句はつけたいが、いってみても結局どうなるというわけではないから――この田舎に限らない。日本の社会はどこでもこうである。自分がつねられなきゃ何にも感じない馬鹿が、無意味に人を苦しめている。黙って待合室で待つ。
なんと、バスは五時に出た。雨の中を、六時帰宅する。
○叔父は、降伏以来、落胆してあまり働かないそうである。
四日[#「四日」はゴシック体](火) 曇時々雨
○戦艦ミズリーの檣頭にひるがえっている旗は、幕末ペルリが黒船にひるがえした旗と同一であるという。パーシヴァルは、フィリッピンに於ける山下奉文大将の降伏調印に列席するためにマニラに急行したという。人間の芝居がかったことの好きなのは、たしかに本能の一つである。
五日[#「五日」はゴシック体](水) 霧雨
○谷間より霧白くもうもうと上る。青き柿の実、小さき蜜柑大。
○異科異属の生物も外囲状態相似たところに生ずれば、互いに相似た外形構造を具う。例えば高山植物は一様に矮小、革質にして多毛を有する葉、長き根、濃厚なる大輪の花を具える。これを適応的特徴 Adaptive character という。
しかしながら、いかにその棲息場所に変化あるも、蝶形花冠の草が十字花冠を具え、漿果を結ぶべき樹が刮ハを結ぶようにはならぬ、この外囲状態とは無関係に不変なる特徴を形態的特徴 Morphological character という。
日本人の Adaptive character は今後否応なしに変ってゆくであろう。しかしその Morphological character は不変であろう。
六日[#「六日」はゴシック体](木) 晴
○雨美しく晴れ碧空に白雲まばゆし、山鮮やかに、樹々幾百の宝玉のごとくひかる、鍛冶屋の鎚の音――水の声――虫声日の光の下に微かなり。清澄の秋来る。
吾生きてあり。されど友は多く死にたり。
○大東亜戦争開始以来わが損耗数、発表。
@陸軍戦死者三十一万(内玉砕二十万)
戦病死者四万
計三十五万
戦傷十四万六千
戦病四百四十七万
計四百六十一万六千
(計)四百九十六万六千
海軍戦死者十五万七千三百二十一
行方不明者千四百三十
計十五万八千七百五十一
陸海戦没者総計五十万七千三百二十一人
A陸軍航空機損耗数二万五千五百機
海軍航空機損耗数二万五千六百九機
(計)五万千百九機
B海軍艦艇損耗数
戦艦八隻、空母十九隻、巡洋艦三十六隻、水母潜母十一隻、駆逐艦百三十五隻、潜水艦百三十一隻、海防艦七十二隻、小艦艇二百七十二隻
(計)六百八十四隻
C終戦時兵力
陸軍人員五百五十万
軍機六千機
海軍機五千八百八十六機
計一万一千八百八十六機
艦艇(航行可能のもの)
戦艦〇、空母二、巡洋艦三、水母潜母三、駆逐艦三十、潜水艦五十、海防艦八十、小艦艇?
なるほど陸軍が本土決戦を固執せるも理あり。ただし米軍兵力を知らざるかぎりは。
七日[#「七日」はゴシック体](金) 曇後雨
○アメリカ機の監視飛行の爆音、こんなところの上空も数度過ぐ。
○谷崎潤一郎の短編を読む。
八日[#「八日」はゴシック体](土) 曇
○ナポレオンはいった。「荘厳から滑稽へ移るのはただ一歩のみだ」(ユーゴー『クロムウエル』序論)
十二月八日、アメリカに対する日本帝国の怒りは荘厳を極めた。八月十五日以来、日本政府が命がけでマッカーサーに米つきばったのごとくお辞儀している姿は、ただ滑稽の一語につきる。
九日[#「九日」はゴシック体](日) 雨
○各地に米兵狼藉を極むるごとし。吾方は「陰忍自重」と新聞伝う。何が陰忍自重なりや。
娘を捕えてキスする者。軍人とみれば襲いかかりて軍刀を奪う者。これ米兵なればやむなし。されどこちらよりして県庁にて米兵用のダンサーを募集したり、或いは自ら戦争犯罪者を国民法廷にて裁くべしなど叫んだり――まさに醜態の極みならずや。
十日[#「十日」はゴシック体](月) 曇時々晴暑し
○近頃バスの混雑言語に絶す。すでにわが村を通過するとき満員にて乗れず。八鹿まで歩いて出て、切符前日申告して夕帰る。
○戦争中の日本は、偏していたかも知れないが、少くともまじめであった。
敗戦後の日本はこの最後の徳さえ失ってしまった。この数日、十数日、日本に乱舞しているのは――僕は言論のことをいうのだがただ軽薄の一語につきる。いい大人が汗水たらして軽薄のかぎりをつくしている。
十一日[#「十一日」はゴシック体](火) 曇後雨
○近衛師団消滅して、禁衛府設置さる。
米国、アメリカ映画の日本輸入を大々的に企図中なりと。そろそろやりはじめたな。
○イプセン『牧師』『ノラ』『幽霊』『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』再読。
○奥の中瀬部落まで半里上りてバスに乗る。八鹿駅にゆきしに、復員輸送のため本日は切符だめなりと。
バス待合所で鍛冶屋のアキちゃんに逢う。下関附近で船舶兵をやっていた由。終戦後は生野鉱山にあり。鉱山にて使役中なりしアメリカの捕虜大いにあばれ「ビール! ビール!」或は「オンナ! オンナ!」とさけびつつ各家にあばれこみ、アキちゃんが黙ってにらんでいたら、いきなり躍りかかって頬を殴られたという。するともう一人の捕虜がやってきて、これをなだめ、ひっくり返した下駄箱をもとに直し、家人におじぎして去ったという。
午後、豪雨中を帰村。
十二日[#「十二日」はゴシック体](水) 曇
○支那奥地から海軍に引揚げてくる邦人は、掠奪暴行の極をつくされているという。朝鮮の日本人は、とくに日本女性はその九〇%まで凌辱されたという。
日本の不徳がそのよって来る一因である。しかし、全部ではない。――日本人は、支那人や朝鮮人のすることをじっと見つめている。
われわれの時代には、如何ともすることができない。ただわれわれのなすべきことは、力のあらんかぎり海外の将兵邦人を一刻も早く本土に帰還せしむるとともに、日本内地に於ける支那人朝鮮人を、鄭重にその母国へ送り帰すことである。これこそ日本人が大国民として彼らに対する態度であるべきである。
広島の原子爆弾で死せる朝鮮王族の一将軍のあとを追い、そのお付武官たる或る日本将校が割腹殉死したとの報道あり。仕うることわずかに三年。これこそ日本武士道というべきである。
○連合軍司令部より逮捕状を発せられた東条大将それを待つことなくピストルを以て自決を計ったが死に至らず、敵幕舎に拘留せられ、アメリカ軍軍医の手当を受けつつありと報ぜらる。
「東条大将はピストルを以て……」ここまできいたとき、全日本人は、「とうとうやったか!」と叫んだであろう。来るべきものが来た、という感動と悲哀とともに、安堵の吐息を吐いたであろう。
しかし、そのあとがいけない。
なぜ東条大将は、阿南陸相のごとくいさぎよくあの夜に死ななかったのか。なぜ東条大将は、阿南陸相のごとく日本刀を用いなかったのか。
逮捕状の出ることは明々白々なのに、今までみれんげに生きていて、外国人のようにピストルを使って、そして死に損っている。日本人は苦い笑いを浮かべずにはいられない。
逮捕状は続々と発せられるであろう。それにあたるべき人々は、みな自決してもらいたい。今、百の理屈よりも一の死は、後世に於て千の言葉を以て国民に語りかけるにちがいないのだ。
ただ、出来るならこれらの人々は余命の炎をかりたてて、愚かな自己弁護のない本戦争の真相を書き残し、信頼し得る側近の日本人に秘密裡に託しておいて欲しい。
○夕、八鹿駅に電話せるに切符買えたりと。明日、飯田に帰るつもりなり。
十三日[#「十三日」はゴシック体](木) 曇
○夏草の湿っぽく生いしげった裏庭で、村に住む朝鮮人が一人さまよっている。彼は柿の木の下をうろついて、地に落ちて、割れて白い汁を出している青い柿の実を拾って、頭陀袋のようなものに入れている。これを食うつもりである。
薬局の節が裏縁に立って、「そんなもの食うならもう薬やらん」といった。「クスリ?」と彼は顔をあげてキョトンとしている。彼らは薬をもらうと五日分の薬も二日くらいで飲んでしまうそうである。「うん、やらん、そんなもの食うなら、やらん」と節がくり返す。「クスリ? やらん? これ」と朝鮮人は青い柿を入れた袋を指さして「……やらん?」「うん」と節がうなずくと、彼は悲しそうに袋から柿をごろごろと地へ出してしまった。
「あれで腹をこわさないのかね」
と、自分がきく。
「こわしません。朝鮮人ったらまるで豚みたいで、何食べても腹なんかこわさないんです」
「そんなら、空腹の補いになるんだから、勝手に拾わせとけばいいじゃないか。なぜ叱ったんだ」
「だって、放っておくと、そのうちまた庭に入って来て赤い柿をもぐようになりますもの」
「いいじゃないか、赤いのを持ってったって」
「そこらのものでも盗んでゆくようになります」
「盗まれたって大したもの、そこらになさそうじゃないか」
節が笑う。
「心配せんでも、今出した青いのも、そのうちまたそっと持ってゆきますわ」
「誠ちゃんみたいなことをいってるから、日本人があなどられて今度のように朝鮮でひどい目にあうんだ」
と、叔母がいう。
「そうじゃありません。日本人があいつらを人間扱いにしないからそういうことになるんです」
と、自分がいう。
○連合軍より第一次戦争犯罪者として逮捕状を出された人々。
東条大将。前海相島田繁太郎、鈴木貞一大将、前比島最高指揮官本間雅晴、前厚相小泉親彦中将、前文相橋田邦彦博士、東郷前外相、寺島前逓相、賀屋前蔵相、井野前農相。
その他各捕虜収容所関係者。
比島政府の最高責任者、ラウレル、ヴァルガス、アキノ各氏。
これらの人々のうち、日本人は黙して死せ。新聞はことごとく敵の検閲下にあれば信ずる能わず。されどわれらは魂の眼をあけてこれらの人々の運命を見とどけん。
杉山元本土防衛総司令官自決。夫人殉死。杉山夫人、戦争中東条夫人のごとく人の目に立つことなし。しかし東条夫人は恬然として生き、ひそやかなる杉山夫人ひそやかに死す。されどその婦道燦たり。
されど死にし幾十万の兵の母、妻を思わば、軍の責任者の妻として是非もなし。
○朝より蒲団二枚蓆で荷造り。トラックで八鹿駅に運び出してもらう。自分は秋冬のシャツ類に梨四十個をリュックにつめ、書物と三食分の弁当を入れた鞄を持ってバスで出る。
駅で中学時代の友人奥田に逢う。拓大にいっていたのだが学徒出陣で京都に入隊。塹壕掘りばかりやっていて、戦争はおろか爆撃も経験しなかったという。兵隊よりも一般市民の僕の方がはるかにスリル満点の戦時生活を送ったわけになる。ただし母が実家の長崎へ妹や弟をつれていっていて、原子爆弾以来消息なく、それを探しにこれからゆくという。野宿を覚悟し、毛布を持ってゆくと暗然としていう。
駅前は野糞で臭気ふんぷん。褐色の地に黒雲をぼかしたような迷彩のバスがたえず凄じい白煙を木炭タンクからまきあげ、その中に四、五十人の人々がじっと並んで待っている。駅の中も徹夜で切符を買う人々のため身動きできぬ混雑だ。
トラックで運び出した二包みの蒲団を両手でぶら下げ、背にリュック、肩に鞄という蓑虫みたいな姿でフォームに出る。空襲による破壊をおそれてブリッジは壊してあるので、線路の上を渡るのである。汽車四十分遅れ、例によって超満員。それに右のような姿で乗り込むのは――文字通りデッキにぶら下がるのは、実に軽業的冒険であった。蒲団などチッキで送りたいのだが、チッキで出すといつ向うに到着するのか全然あてにならないからだ。現に十日ばかり前飯田からこちらに送ったチッキはまだ到着しないありさまである。
保津峡が見えるころ、日は暮れて来た。白いしぶきが夢のように仄かだ。京に灯がともりはじめたが、空襲時代の名残りでまだ脅えたように遠慮勝ちであった。灰色の乱雲が大空一杯に狂い飛び、その間から蒼白い星が鋼鉄のように光ってのぞいている。
京都駅もまた依然として大混雑、群衆はむしろや新聞紙の上に座り、横たわり、紳士も女も、大豆を煎ったようなものをモソモソと食っている。臭気がホールにたちこめている。一等待合室は外人待合室と書き変えられて清掃され、晃々たる電燈がともっていた。
八時十三分の汽車に乗るつもりでいたところ、言語に絶する満員で、大荷物をかかえた身では、全然とりつきようがない。ガラスは破れ、その間から「痛いっ」などと叫びながらもぐりこんでゆく者もある。窓をとじて知らん顔をしている客があると、フォームを走り回っている男がそれを乱打する。
「窓をあけろ! あけんか、こら!」
剣のない将校が怒鳴っていた。
「おい、軍が解散になったからといって馬鹿にするか! きさまは日本人か! 日本人というものはな、そんなものじゃあないんだ、開けろ、叩き殺すぞっ」
仕方がないから十一時の東京行に乗るつもりで待っていたら、貨物がフォームに横づけになって、これが臨時列車だという。米原、名古屋停り、浜松行だという。豊橋には停るかどうか分らないというけれど、果して十一時にも乗れるかどうか疑問だからこれに乗りこむ。ところがこいつ無蓋貨車だから、いくら何でも余り乗手がない。僕の乗り込んだ奴などは、僕一人であった。前側の鉄壁の陰に蒲団包みを二つ並べ、その上に仰向けに横たわって発車する。九時半であった。
貨車の広さは二十畳敷きくらいもあろうか。石炭の粉が一杯に底に散り敷いている模様である。京都を出るとまもなくトンネルに入った。相当長いようだ。はじめ狸の心理を研究するつもりで大威張りで眼をあけていたが、窒息しかかって、あわてて帽子で顔を覆った。大津へゆくまで二つ長いトンネルがあったようだ。蒲団包みは敷いてはいるが、震動はやはり猛烈を極めている。広い平地を走るときは震動が音響を発するという感じだが、トンネル内では音響が震動を発しているようだ。グワーという内部にこもる響、息がつまりそうな煙の匂い、だれ一人としていない恐ろしい闇の中、顔も服もザラザラと凄じい石炭の粉が積って、十分間も一時間くらいに感じられた。
それだけにトンネルを出て、夜風が煙を吹っ飛ばしてくれたときの心持は何ともいえない。
いつのまにか雲が霽れて大きな黒い夜空に星がふるようにきらめいている。ちょうど頭上に平行に天の川が白じろとかかっていたような気がするが、それは煙だったかも知れない。
平地を走っているときなど、まるで匪賊討伐に急行する北満守備隊のような気になる。
琵琶湖では漁火が点々と明滅していた。
暗い山峡の間を一人揺られて過ぎるときは何ともいえない孤独が身に迫る。森林の中を通るときは恐ろしい。山の中の小さな駅を汽車が徐行して過ぎる時には、虫と蛙の声が急にひろびろと四辺に湧き上って、寂しいというより何だか馬鹿げた夢でも見ているようである。赤い信号燈の傍を通るときは煙が血のように染まる。青い灯の下を走るときは物凄く美しい青い煙となる。
身を起して前方を見ると、黒闇々たる夜気の中をくわっと赤い火の粉と煙を吐きあげながら、真っ黒な機関車のかたちがありありと浮かびあがって、これこそまことに地獄の怪物といった姿である。耳の穴の中がザラザラしはじめた。
力一杯、大の字にふんぞり返ったまま歌を歌う。音痴だろうが何だろうがかまわない。耳を聾する轟音の絶え間に、これを聞いているのは頭上満天の星のみ。豪快壮快を極めているが、ついには声がかれて、くたびれて、眠くなって来た。
ウトウトしていたら、汽車は米原に停って、早稲田の学生が一人乗り込んで来た。米原駅のフォームで寝て待っていたら風邪をひいたらしいといって、しきりに咳をする。
深夜である。もう秋である。だんだんこちらも寒くなって、がたがたと身体が震える。もう相乗りがいるのできちがいめいた歌は歌えないから、汽車の震動とこちらの知覚について考えたりする。汽車が疾走するときほど知覚は苛酷に変動するはずなのだが、疾走すれば震動曲線の山をかすめて知覚が飛ぶのか、かえって安らかである。
名古屋に停車した時、豊橋には停らないときいたので、下車してフォームで次の汽車を待つ。
名古屋は廃墟となったが、名古屋駅は――少くともこのフォームだけは比較的完全に残っている。白い電燈がずらっと向うまで連なって――ああこんな光景を見るのは何年ぶりであろう――その下には、ここにも女や子供や老人や剣のない兵隊などが、乞食のように座ったり横たわったりして、何かモソモソと食ったり、秋の夜風にふるえたりしている。
僕の前にも三人の子供をつれた女が、冷たいコンクリートの上にぺたんと座っている。汚ない毛布だの歪んだバケツだの、みすぼらしい家財を括ったガラクタを山のように積んで、母親は一人の赤ん坊に乳房をふくませ、一人の三つくらいの女の子を膝によりかからせている。五つくらいの男の子は、変にお行儀よく座ったまま、身体を二つに折って、額をコンクリートにくっつけて眠っている。「寒い……」とか何とかいってときどき不機嫌な顔で母親の方を見上げるが、弟や妹がその胸と膝とに溢れているのを見ると、とても自分にその権利はないと諦めたらしく、黙ってまた眠り出す。膝の女の子は絶えず何か愚図っていたが、それでも眠くなったと見え、コンクリートの方に足を曲げて横にころりとなったが、ズロースをはいていないので、股の間から Vulva が可愛らしくのぞいて見える。乳房に吸いついている赤ん坊は頭の毛がぬけて大きな油紙が貼りつけてあるところを見ると腫物でもあるのだろう。手といい足といいこれが赤ん坊かと思われるように痩せて皺だらけだ。母親はまだ三十にもなっていまい、髪は短く切って、恐ろしく男性的な容貌をしているが、子供たちを見たり撫でさすったりしている姿は、動物の女性そのものである。
四時十分汽車来り、デッキにやっと乗る。蒼茫と夜明け来る。風物の色彩はただ蒼味がかった薄暗い光の中にぼんやりと浮かび、黒い大地と仄白い空の間に地平線のみがはっきりと浮かんで来る。
六時豊橋着。
新しい粗末なブリッジを渡るとき、曇天の冷たい朝の光に赤茶けた豊橋市の灰燼の跡が、哀愁の光を放ちつつ広がっているのが見えた。駅も田舎芝居のバラックのようである。
八時、飯田線に乗る。ときどき殴りつけるような驟雨がザッと渡って天竜峡がけぶる。
電車の中に大きな航空兵が二人乗っていた。戦闘帽にカーキ色のワイシャツを着、赤味がかった褐色の飛行ズボンをつけ、日本武尊みたいな赤革の靴をはいているが、剣はない。
「なあに、交渉はこちらのいいなり次第でさ。いま日本人を怒らしちゃ、ソ連とやるときに助《す》けて貰えんですからな」
「日本とドイツが勝ってたらこの二つがやるです。米国とソ連が近いうちやるのは分ってまさ。そのときですな」
と、二人は傍の老人に話している。老人は軍刀らしい袋を一本ぶら下げている。いっていることは他愛ないが、これまで「死」を決定的運命として見つめていた男たちらしく、眼光といい、歯並びといい、男の凄みがいかんなく溢れている。
老人は、兵の帯剣を全部連合軍が没収したので、家宝の日本刀もどうなるかわからないと予測してどこか田舎にかくしにゆくところらしい。
「全部刀狩りやるでしょうかな?」
「いや、そりゃあ程度の問題ですよ。兵一人剣一本の割で出して、員数さえ合えばいいですよ。いい刀など、どうしたって出せるもんじゃないです」
などと話している。この勇ましい航空兵が、どちらも片手に一つかみほどの青い葱をぶら下げているのは可笑しい。
正午飯田着。寮にはまだ友人一人も帰っていず、清閑を極めている。
煤煙のため狸みたいになっていた身体を風呂にいってすっかり洗い落す。
○寮に手紙来りあり。高須さんより、東京の世田谷区三軒茶屋一九六に家を見つけて住んでいると。
○夜、電光しきりにきらめき雷雨烈し。チエホフの短編を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](土) 晴暑し
○正午、飯田でもサイレンが鳴り出す。おひるのサイレンだが、まだ条件反射的にうすきみのよくないのが可笑しい。
○小泉親彦中将、橋田邦彦博士、吉本東北軍管区司令官自決。
少くとも前の二人は連合軍司令部に出頭すればとて九分九厘まで死刑になるべき筋合いの人にあらず、しかも敵の法廷に立つを忌みて自決す。われらその心事を諒とす。
○白蟻の世界では、女王や王、兵蟻、職蟻等あり、先天的に外形が異っている。人間の世界でも、指導者の外形が先天的に特徴を持っていたら、人類の歴史はこんなにも悲惨な、愚鈍な、滑稽なものにならずに済んだであろう。
十六日[#「十六日」はゴシック体](日) 晴薄曇、夕雷雨
○軍は今、夜半しきりにトラックを動かして何物かを各山中の地下に埋めつつありという。
復員将兵が物資を山のごとく持ち帰るのを、それは軍のものではない、陛下のものであり国民のものだ。罹災民は裸で冬を迎えんとしているのに、敗軍の将兵がほしいままに軍の物資を分配するは何事ぞやと悲憤の声が高いが、しかしそのままにしておけば連合軍に没収されてしまうのがおちである。一刻をも争って分配ないし隠匿するのも一理あるかも知れぬ。
○「米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか」「私個人としては日本が支那と戦争したことを遺憾に思っており、また大東亜戦争については、一九四一年に一私人として日米問題が平和的に解決されるよう熱烈な希望を表明したことがある」等々東久邇宮首相の米国民へのお言葉。
日本国民はめんくらわざるを得ない。いまの日本人の感情から千歩も飛び離れた言葉である。
国民は呆れ返り、苦笑いしている。これでも長い時間のうちには利いて来るのだから恐ろしい。比島に於ける日本兵の暴行についてマッカーサー司令部より発表。敗軍は何をいわれても惨めに沈黙しているよりほかはない。
日本軍は勿論惨虐な暴行をやったのであろう。しかし古来の戦争では勝軍と敗軍とがどっちが惨虐であったかというと、これは一概に決定出来ない。これは敗くれば賊軍≠ナある。広島を見よ、長崎を見よ。
橋田邦彦博士自決直前「新日本の文教」なる一論文を毎日新聞に寄せて死す。句々断腸。中に「一部で実施されている科学の英才教育で科学日本の水準が高められると思ったら大きな間違いである」という意味のことをいっている。余の信念と同じ。
○ゾラ『ナナ』読了。
十七日[#「十七日」はゴシック体](月) 雨
米国新聞が、日本の指導者にだまされるなとさけんで、こんなことをいっている。
「米国人は東条こそ戦争の元凶であり、侵略政策の張本人であると思っているが、日本人はそうは考えてはいない。東条は日本の歯車の一つに過ぎない。真の指導者は依然として日本の指導権を握っている」
アメリカ人は、東条大将をヒトラーに匹敵する怪物に考えているらしいが、これは滑稽である。日本人は東条大将を、戦争中も現在も、唯一最大の指導者であったとは考えていない。一陸軍大将だと思っているに過ぎない。
ただわれわれが東条大将にいさぎよく死んで欲しかったのは、彼に対する恨みでも責任転嫁でもなく、アメリカがそう見ているから、そういう代表的日本人に敵の裁きを受けるような恥辱を見せたくないし、またこちらも見たくないからそう念願したのである。
が、とにかく東条大将はこれからも敵から怪物的悪漢と誹謗され、また日本の新聞も否が応でもそれに合わせて書きたてるであろう。
東条大将は敗戦日本の犠牲者である。日本人はそれを知りつつ、日本人同士のよしみとして、彼が犠牲者の地に立つことを、敵と口を合わせて罵りつつ、心中万斛の涙をのんで彼に強いるのである。
しかし彼の人間と存在意義は、遠い後に歴史が決定するであろう。
○マッカーサー司令部十五日発表中より、
「……マッカーサー元帥は、連合国が如何なる点に於ても日本と連合国とが平等であるとは見なさないことを明確に理解するよう要望している。日本は、文明諸国家間に位置を占める権利を容認されていない。敗北せる敵である日本政府には、最高司令官に対して交渉《ヽヽ》というものは存在しない。最高司令官は日本政府に対して命令《ヽヽ》する。しかし交渉《ヽヽ》するのではない。交渉は対等のものの間にのみ行われるのである」
ウェーンライト大将の演説より、
「……日本人は、彼らが蹂躙した諸国家の無数の国民に対して、彼らがなし来ったところの罪を悲しんでいない。また米兵に対して加えた拷問をも悲しんではいない。彼らは彼らが信奉する哲学に従って行動したまでであるから悲しむことがないわけだ」
○友人連続々帰寮。東京より帰れる柳沢の話。
米兵は東京で案外厳正な軍規を保っているという。神保町などを一人でふらりと歩いているそうである。新宿などの街頭では、タバコを闇値の十円二十円で日本人に売っているというから可笑しい。日本兵が敵都を占領した場合、こういう態度でいるかどうかは疑問だ。
しかし、日本人が従順であるということにもこれは原因しているであろう。
日本人はあの食糧不足と大爆撃の中に黙々として働いていた。(戦争中日本人が口にした嘆きは愚痴であって、戦争そのものに対する不平ではなかった。理論的な、また組織的な反戦運動などまず皆無であった。十五日の大詔如何では、日本人は文字通りなお玉砕戦をも辞さなかったろう。恐怖心あるもの不満あるものは例外的に存在しても、国民の九十九パーセントは熱狂の波に溺れて、狂人的戦闘を続行したであろう)そうして大詔が下れば、この間まで怨みと憎しみの対象であったアメリカ兵が自分達のむれの中をフラフラ歩いていても、黙って見ている。……これほど従順な、おとなしい、統治し易い国民というものは世界に類がないのではあるまいか。
○「過去二十四時間に日本の名士百八十八人が自殺した」と外人が報じている。これまた日本の中世期的やり口として、野蛮なる方法として吾々は将来教え込まれるであろう。しかしこの自殺、大部分は切腹という日本独特の道徳はおそらく永遠に失われないであろう。古代日本にハラキリという行為が行われたとは思えないが、とにかく恐ろしく日本民族にしみこんでしまった行為である。
○今日は飯田長姫神社の祭礼だそうである。花火は飯田名物の一つだそうで、支那事変以来ずっと中止して来たものを、やっとはじめてことし揚げるのだという。で、雨あがりのどんよりした仄白い雲めがけて打ち揚げているが、数も種類も哀れなものだ。
夜、台風が九州から日本海へ抜ける。その余波でここらも相当に風吹きすさむ。
十八日[#「十八日」はゴシック体](火) 曇午後晴
○午前、長姫神社へ散歩に行く。
昨夜の暴風で、或る家の板塀が、それにからまった南瓜の青い蔓をひきちぎったまま道路に倒れている。路傍の石塊は美しく洗われてみるからに磊々といった感じである。
神社の青い大杉はざあっと鳴りながらゆれ動き、暗い光を放つ灰色の大空へ、雀の子のように黒い木の葉が乱れ飛んでゆく。風はまだ烈しい。
境内の入口に露店がただ一つ出ていて、中年の色の黒い痩せた男が、板戸の上に、青竹に染めた鳥の羽根をくっつけた貧しいおもちゃを並べていた。それでも周りにはリボンなどつけた女の子たちが集まっていた。
境内には豆畑が作ってある。幟がはためき、古ぼけた赤い長い大提灯には御神燈と書いてある。玉垣には「武運長久」など書いた紙が至るところ貼りつけられて、大部分は雨風に剥げ落ちている。石だたみの上を、白衣の神官が二人、白木の櫃のようなものをうやうやしく運んでいた。
杉、松、アカシア、桐、栗などが高い頭上で海のようにどよめき、地上には吹きちぎられた小枝が生なましく散乱している。
境内の横から、石塊の洗い出された坂路を下る。栗のイガがあちこち転がっている。眼下の稲田は、青い長い柔らかな動物の毛を濡れ刷毛でかき回したように風の跡がつき、その向うに鼠色の松川が白いしぶきをあげながら奔騰し、そのさらに向うに伊奈盆地の野や丘が青黒い濡れた隆起を拡げ、藍色の山脈に消えている。灰色の空に風がうなり、頬に烈しくあたるのが快い。こんな荒涼とした風景が、僕は好きだ。
○『アンナ・カレーニナ』を読みはじめる。
トルストイは、いかなる尊厳にも知識にも思想にも神聖にも媚態にも微笑にも苦悶にも無邪気にも慈愛にも皮肉にも、絶対に眼をくらませられない。彼はあらゆる人間の仮面をひんむいて、もぐりこんで、冷然と、悠揚とその臓腑を切り開き、ならべてゆく。
十九日[#「十九日」はゴシック体](火) 快晴
○自分は、過去、すべての友人にくらべて、ものの考え方が自由で、柔軟で、不偏で、相対的には広いと、こう考えていた。
が、さて思想の自由、言論の自由、何をいってもよろしいとなると、自らも如何ともする能わざる一つの偏った観念が胸底深く植えつけられていて、自分がそれに縛りつけられていることを痛感する。
もっとも今は、少くとも当分の間は、また敵の出方如何によっては永遠に――思想も言論も、真に自由ではないが。
○疑い。――日本人はしかし「自由」ということに、西洋人ほど烈しい魅力を感じているか? それは今まで大した圧制を加えられなかったという答えも成り立つかも知れぬ。それならば今新聞で書きたてている戦時中の圧迫という言葉が無意味になる。自分には、日本人が自由という理想にそれほどの魅力を感じているとは思われない。
○鈴木前首相が米人記者に愛想笑いしながら、大命降下当時から和平工作の意志があっただの何だの、得々として語っている。
彼が和平工作をしなければならなかったことは知っている。しかも国民には最後の一兵までとか何とか演説しなければならなかったこともよく分る。
しかしである。日本にこの汚辱の時代を導いた時点の首相として、大義名分の上の責任があるではないか。彼の叫びに応じて死んでいった特攻隊があったということを思わないのか。なぜアメリカ人記者にそんなことをしゃべる必要があるのか。
東条でもそうである。「死ぬは易い。しかし敵に堂々と日本の所信を明らかにしなければならぬ」と彼はいっているそうである。それならばそれでよい。卑怯といわれようが奸臣といわれようが国を誤まったといわれようが、文字通り自分を乱臣賊子として国家と国民を救う意志であったならそれでよい。それならしかしなぜ自殺しようとしたのか。死に損ったのち、なぜ敵将に自分の刀など贈ったのか。
「生きて虜囚の恥しめを受けることなかれ」と戦陣訓を出したのは誰であったか。今、彼らはただ黙して死ねばいいのだ。今の百の理屈より、一つの死の方が永遠の言葉になることを知らないのか。
東条大将や鈴木大将の価値は後世の史家に待つとしても、この死に対する踏み切りの悪さだけはどうにもいただきかねる。
○横浜より帰れる安西の話。
マッカーサーが安西の家の前を通って厚木飛行場から横浜へいった。通行は一切禁じられ、銃口を四方八方に連ねて向けたまま通過していったという。
進駐軍の焼跡整理は機械力をいかんなく発揮した凄じいもので、京浜市民は口をあけて見とれ、結局「何につけてもかなわない」という感想に陥っている由。敗北感は何よりもまずこのことから始まっているらしいとのこと。
子供達は敵のジープが通ると万歳を連呼する。米兵はチョコレートや煙草をばらまき、子供のみならず大人までが這い回って拾っているのを、大口あいて笑って見ているという。
夜、アメリカ兵が民家に押入って来て、箪笥などひっかきまわしてゆくが、お雛様などならべておくと、これだけ取ってゆくから厄除けになるという。
デパートなどにゆくと反物を持っていって、代りにタバコを一つぽんと置いてゆくという。
ジープに乗って走っていて、女がいると騒ぐ、手を振る。ふつうの女は真っ蒼になって逃げるが、花柳界の女たちはもう手をつないで本牧あたりを歩いているという。
あらゆる機種のアメリカ機が毎日京浜上空を飛び回っているという。
アメリカ兵はゲートルなどはかず、鉄砲は肩にぶら下げ、チューインガムをかみながら歩いているが、その動作は実に柔軟敏捷だという。
○今思うのだが、日本人のゲートル、あの面倒くさい手数は、あれはいったい何だったろう。鉄砲に対してもまるで神器でも扱うようなシャチホコバリぶりはいったい何だったろう。
○嵐去ってコバルト色の晴天、秋風吹きはじむ。
午後、町の北、今宮公園に散歩にゆく。
町のあちこちでは、終戦直前の疎開騒ぎで屋根瓦や壁をうち壊し、柱をうち折った廃屋を修繕するのに大わらわの風景が見られる。
郷社郊戸神社に歩み入り、本殿の前から右へ折れて裏山に上ってゆく。昨朝までの豪雨に赤土が混って紫色を帯びて、土の匂いがむんと鼻をつく。秋草の中で虫が鳴きぬいている。蝉の声もう聞えない。
胸つき坂で右側の隆起にそよいでいる桑畑の上に、白い雲が流れている。明るい秋の静寂が胸に沁み入る。風が耳殻のうぶ毛にぼうと鳴る。青黒い、生々と生いしげった甘藷畑が左側になだらかに這い上って、その頂上に小さく鳥居が見える。ずっと遠くの松林の中で、籠を下げた子供たちが青笹を分けて歩いているのは、松茸でも探しているのであろう。
丘の上にのぼると小さな神社があって、水色の袴をつけた白髪の老人が薪を割っていた。斧の響が大きな山上の空気を震わせる。
ここから見ると、すぐうしろの風越山と、東のかなたの赤石山脈の間にうねり波うつ伊那盆地の大景観が一望に見わたせる。薄い緑にけむる重畳たる赤石山脈の上に、まるで神が巨大なきせるを吹いたように、北の果てから南の果てへ長い真っ白な細雲が棚びいて、その端はもくもくと盛りあがっている。頭上には真綿をちぎったような雲がみだれ飛んで、そのまんなかは薄暗くかげっているが、周辺はガラスのようにかがやいている。太陽にかかると、青い野と丘と森に囲まれた飯田の街の白い西洋館が中世期の絵のようにぼんやりと浮かび上る。
神社の裏の赤松に腰を下ろす。
蟻がせっせと蝉の屍骸を運んでいる。蟻と蜂は同じ種類の昆虫だろうが、蜂が広い空間を矢のように飛んで食物を見つけ出すのに対し、蟻は狭い地面の上を這い回って餌を求める。それで蟻が不便ないし不幸かというと、そうでもない。――人間の生活の仕方にも似たような現象がありはしないかと思う。
バッタが西洋人のやる指と指を擦り合わせてたてる響のような鋭い音で、羽根か脚を打ち合わせて草むらを飛ぶ。
やや背に寒さを覚えて山を下る。日の光を見ただけで初秋の午後とはっきり分るような冷たく澄んだ空気である。四時近く寮に帰る。
○夕、大安食堂で安西、柳沢と徳利二本ずつの葡萄酒をのむ。
二十日[#「二十日」はゴシック体](木) 晴
○きのう東京から帰った松葉の話。
大詔下る数時間前、抗戦を叫ぶ青年将校に近衛師団長森中将は射殺されたが、射殺したのは東条大将の女婿なりし由。舅は泥だがこれは珠だとの評判なる由。
降伏してからZ旗をかかげて出撃していった潜水艦、爆装して飛び立っていった航空機少なからざりし由。
某軍人は強盗に入った米兵の中三人まで斬って米軍司令部に出頭したが、正当防衛としてすぐ釈放されたという。
暴行を働かれた日本の女が、敵の屯営でいかなる損害賠償を望むかときかれ、洋服一着を所望したという。
省線のドアがひらくや飛び込まんとした一土方を米兵いきなりひき戻して、レディ・ファーストという。土方怒りて、何をう、この野郎、と腕まくりするに、米兵、ホワイ? とか何とか眼をぱちくりさせている光景ありしと。
敵兵、マッチや煙草の箱を破りて中身を路上にまきちらし、日本の民衆先を争ってこれを拾う風景見ゆと。
この話は醜態なり。
○松葉「日本精神日本精神というと、日本人はすぐ軽蔑的な笑いで敬遠する。なぜそうなのだろう? 日本が世界のために尽そうと考えるなら、まず日本の歴史――精神史を探究し、その精髄を把握しなければ何を貢献していいやらわからないではないか」
僕「日本精神がそんなに毛嫌いされたわけは、過去の日本精神鼓吹者が、天下り的な、不合理な、独善的な態度を持っていたことに依るんだ。例えば、神勅は絶対である。従って神州は不滅である、というような。
しかし、神勅とは一体何だろう。僕は、神勅を下した人は天皇の御先祖が下した詔書のようなものだ、その人はむろん人間である、まあ、独逸必勝を叫んだヒトラーの宣言のようなものだと思う。それがどうして絶対なのか。ましてそれがあるからどうして神州が不滅なのか。日本は滅びるときは滅びるのだ。
一体、神州とは何であるか。自分の祖国に誇りを持つのはいい。また持つべきであり、その感情を鼓舞するための詩語としては適当かも知れないが、むやみやたらに神州不滅を叫んで総ての運命をこの一語に結びつけて、それで平然としていたのはどうだろう。それでいてユダヤの選民思想の悪口をいうのは可笑しいじゃないか。
過去の日本精神主義者にはそんなところがあった。負けた重大な原因は、国民がこの不合理な、神州不滅などいう詩語そのものに自ら眩惑され、陶酔していたからだ。
僕はこのことを考えると、教育というものの恐ろしさを痛感する。僕はそんな過去の教育を払拭して、自由な、裸の人間として考えてみたい。後天的なヴェールを払い落したい」
松葉「じゃ君は、ここで民主主義のバスに乗り換えるのかね」
僕「なぜ、そんな嘲笑的な顔をするのだ。そんなことはいわない。実をいうと、僕は民主主義というものはどんなものか知らない。共産主義とはいかなるものか、それも僕達日本人は教えられていないのだ。悪い悪いと頭ごなしに教えこまれているだけで、なぜ悪いのか、その理屈は一切わからないのだ。ほんとうに悪いかも知れない。しかし、なぜ悪いのか、それを一応疑ってみることは許されないだろうか。疑うのが人間として、当然ではあるまいか。
僕はあのアリストテレスやガレーヌスの医学を根本から疑うことからかかった近代の医学者の態度にならいたい。君は怒るかも知れないが、僕は日本精神そのものの実在さえ疑っている。そんなものがあったのか」
松葉「それはあんまりだ。国民精神というものはどこの国にもある。日本の場合、それを具体的に見たいと思うなら、大楠公を見ろ、吉田松陰を見ろ、高山彦九郎を見ろ。あれがすなわち日本精神の凝って人々となったものだ」
僕「ところが僕は大楠公が信じられない。太平記という小説に理想化された忠臣を見るばかりで、人間楠公を知らない。ほかに正確な史実があるかどうか知らないが、少くとも僕達が教えられたのは、修養するにもまったく手がかりのない神的人物だ。高山彦九郎や松陰はどうか。僕はそこに彼らの人間を見る。しかし一風変った人物を見るばかりだ。僕は彼らを思うと、耳を切ったゴッホを思わずにはいられない。対象が天皇と美と違うだけで、心理状態に於ては同じのような気がする。
理想を目標に生きることは必要だが、こういう神的人物、異常人物を目標としては、日本人をほんとうに強い優れた民族にすることは事実問題として出来ないと思う。
僕は天皇陛下は敬愛する。しかしその敬意を商売にしているやつはきらいだ。また正直にいって、僕は天皇がなくなっても精神的には死なない。日本人の大部分が死なないだろうと思う。ほかに生きてゆく愉しみはいっぱいあるからだ。
精神は偉大だ。あらゆる世界がその中にある。従って、人間の精神世界はいろんな彩光で照射することが出来る。学問の真理の光で照らすことも出来れば、芸術の美の光で照らすことも出来る。ニュートンの見た真理が、君の見る天皇とその荘厳に於いて一籌《いつちゆう》を輸するとは思われない。ダヴィンチの見た美が、君の見る天皇とその燦爛に於て軒輊するとは考えられない。それは全然別の話だからだ。
それなのに君たちは、他の世界に生きているものを、自分の世界観から見て許すべからざるものという。例えば浅野晃みたいに、漱石や鴎外は国体観念がないから一流作家ではないという馬鹿げたことをいい出す。僕は滑稽と憤激を感ぜざるを得ないのだ。日本精神主義者は、鴎外、漱石はおろか、キリスト教や仏教にさえも眼をふさいでいる。
ダンテはキリスト教から見た異教徒を地獄に堕しているが、それだったら、楠公も松陰も君も僕も地獄に堕ちるわけだ。にもかかわらず、僕も君もかくのごとく幸福であり、楠公、松陰に至っては日本の神である。これを不合理とは思わないか。
然り、不合理だ。しかし、君たちの見方で鴎外、漱石を糾弾するのも同様の不合理だ。
僕は日本精神というものを認めない。僕の認めるのは日本民族性だ。日本精神とは、日本民族性の大地の上に浮かんだ蜃気楼だ。好意的に見て、日本民族性のよいところばかりとったエキスだ。
そればかりを見ても日本人はかくのごとく優秀なりと思うのは、盲目的で愚劣な唯我独尊主義だ。自己批判の入りこむ余地がない。
僕たちは、その優秀な素質も、またその忌むべき素質もともに含まれ、混在した日本民族性そのものを仔細に点検してみる必要がある。敗戦直後、それでなくてさえ敵が日本の欠点をあばきたてているとき、自分でそういうメスを入れるのは苦痛であり、またかえって反抗的な気持になるし、或いは時局便乗だというかも知れない。しかし、それこそいま必要で、かつ価値のあることなのだと思う。民主主義でも共産主義でも、彼此相照し正しいと信じるなら、これを採用するのに躊躇する必要はない。
僕は日本精神をただ斥けるんじゃあない。日本民族性のエキスだもの、立派なものに決っている。ただいわゆるその鼓吹者たちの思考の偏狭な視野を排斥するのだ。医学で、打診し、聴診し、視診し、レントゲンをかけ、化学的検査をするように、日本民族性にあらゆる光をあてて見て、分析し、研究した上で、その上にこれからの合理的な教育法を加えることが必要だと思う」
松葉「君は天皇制反対論者なのか」
僕「僕はどういう政治形態が一番日本人に幸福をもたらすか、まだまじめに考えたことがないから何ともいえない。
おそらく全民族に共通した唯一不動の政治形態はあり得ない、その民族性によって異なると思う。自分の民族によいから他の民族にそれを及ぼしても必ずしも成功しないと思う。また同一の政治形態があまり長年月にわたるときっと沈澱物が生ずるし、人間の心が飽くということがある。こういうことから見ても、他民族と、また同一民族中に於ても、戦争は必ず生まれる。僕は戦争の防止論では絶望論者だ。
……今、僕には信念がないのだ。信念がないというより誠意がないのかも知れないが、何が何やらさっぱりわからないというのが正直だろう。すべてを疑い、すべてに確信がない。天皇制どころか……実は、心の根本に、人間というものは無意味にこの世に生を受けて来るもので、もし意味があるとすれば、それは虫ケラや虱と同じ性質のもので、まず子孫を遺すため、何の目的かは知らないが、とにかくにも子孫を絶やさぬために生まれて来るに過ぎない。その他に人間の世界の意味はない、という思想があるからね。
こんな動物的な人間だから、動物の範疇を超えた叡智などあるわけはない。従って人間は永遠に愚かな、不幸な戦争から脱することは出来ないだろう。……」
松葉「君は将来子供が生まれたら、どんな教育をするつもりかね」
僕「僕は正直なところ教育する自信がない。すべてを疑っているんだから。
僕は人間性を知らない。どうなったら人間は平和な状態にあるといえるのか知らない。人間社会には、一定不動の平和などいうものはあり得ない。平和というものは推移するところにあると思う。万物流転の上にあると思う。従って、不動の教育法などあり得ないと思うだけだ。
君ははじめに日本人がその本質を把握して外に対しなければならないといったが、そんな選択が事実上可能だとは思えない。
僕は日本精神を認めず、民族性を認めるといったが、実は僕は人格などいうものも認め得ないのだ。僕の認め得るのは性格だけだ。そして、それは結局大脳ということになる。人格の向上ななどはあり得ず、大脳の訓練あるのみだ」
夜半の天皇制問答、ゆきつく果てはかくのごとし。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](金) 晴
○午前、天理教会にて校長の訓示。西川院長の講義食欲論。
本年中に東京へ帰還したき意向なれど、文部省は許可したれども都の方が食住の関係より難色あり、されど出来るかぎり努力すと校長いう。
校長院長、過去の権力政治、圧制を糾弾し、将来は自由なる愉快なる学校を創らんという。終戦後第一回の訓示なるに、痛恨の語一句もなし。この二人の老博士、祖国の敗戦にはまったく無関心なるがごとし。みな物足りなさそうな顔なり。怒れる顔もあり。
○谷崎潤一郎の諸短編を読む。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](土) 曇、雨多し
○昨夜大安食堂にて贋札なりとみな騒ぎて、十円札一枚灯に透かすに、なるほど「十円」のスカシなく、また印刷せられたる数字スカシある札には、黒かるべきところをこれは赤なり。気づいて十枚余り調ぶるに、これと同様なるもの十中五。
高田の言によれば、これ米国の謀略にて、朝鮮を通じて五億円入り来れるものの一なりと。政府気づきたる時にすでに遅く、ためにこれを黙認することになれる由。戦争中、内地在住の朝鮮人の闇目に余りたる記憶新たなるを以て、或いは真実なりや知らねども、また信ずべからざるふしもあり。
○余は日本人なり。天皇に対する敬意に於て一般日本人に劣るとは思わず。しかるに日本精神を讃仰する友人の論の矢表に立ちて、つねにこれに対する破目に陥るは何ぞや。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](日) 雨
○秋分。夜松葉より実験としてヨヒンビンを注射してもらう。やや全身に熱感あり、脈搏昂進、尿意頻数の傾向あるも、べつに大した異常なし。実験動物たるの責任果す能わざりき。
○『アンナ・カレーニナ』読了。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](月) 午前曇午後秋晴
○朝宇多小路外科。
○河江の伯母より来書。
「永い戦争の苦るしみも末は必勝とのみ思い頑張って居りましたが突然降伏とききし時は何よりの驚きでこれまでまだまだだと申ながらぼーぜんとなって仕舞ました。それがだんだん事実となり泣いても悔やんでも取かへしの付ぬことになりました。それでも戦争が終結すれば他の兵隊さんは早や追々帰って来ます。帰った嬉しさで敗けた事など思っても居ないらしいけれども日々の紙上で見る通り戦争犯罪者とか何とかいって大将方がつぎつぎと自決いたされ実に残念で身を切らる思いが致します戦死なさるのなら仕方ないとしても此んな残念なことが有るものですかこんな立派な方々をなくする国のうれひはこれでも新日本の新発足が出来るであらうか誠に悲惨のきはみです勇《いさむ》達の霊魂も敗戦ときいていかにないてゐるか南のはてで奮戦死した者皆ないて居ります南方に行っている兵隊さん皆無事に帰る様にと祈って居ります」
また、
「頭のかげんが悪るくて丁度神経衰弱の様で何回筆を持って見ても思うように書けないので夜もねむれぬ程思い続けながら一日送りに今日に立至りました」
戦死せる愛児還らず、年老いし母の、敗れて還る村の兵士を見つつ、悲しみ、怒り、耐え、しかも国を憂うるの心情切々として、その筆つたなく、仮名遣い違えりというなかれ。これ余らの及ばざる名文なり、真情の期せずして溢るればなり。現に廟堂に立ちて、マッカーサーの鼻息うかがいつつ敗戦の責任追及云々と叫ぶ輩よ、この日本の母の声に愧死《きし》すべし。
○国体護持が最後の一戦であるといわれた。しかし国体は現在は護持されていない。天皇は最高司令部に隷属するものとす、と敵は公表している。「われらは天皇制を支持しない。目下ただ利用しているだけである」とトルーマンはうそぶく。神州の神州たるゆえん、まさに風前の灯。
新聞紙法、経済法……矢つぎ早に最高司令部の法令下る。
降伏した以上は覚悟の前である。われらは人間の歴史を知る。人類の歴史は正義の歴史にあらずして力の歴史である。呪わしくとも悲痛のきわみであっても、この事実は厳として事実である。
これが事実であることを――例え表面は笑い、狂い、踊ろうと――将来子々孫々に至るまで、日本人の魂の底に銘記せしめよ。
○ユーゴー『エルナニ』『トルクマダ』など読む。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](火) 快晴
○碧落の秋天。爽涼の日なり。
松葉と飯田病院にゆき、三年の高沢さんに案内してもらって精神病患者の病室を見て回る。
重い網戸を開けて廊下を歩んで、右側にならぶ厚いドアをあけてゆく。赤茶けた畳――四畳半くらいの部屋の底に、クランケは煎餅蒲団をかぶって、足を縮めて眠っていた。鉄の格子から薄明るい微光がさしこんで部屋には何もない。――なくてもあっても気違いには同じことで、何かあれば却って危険なのかも知れないが、人間が住んでいるのに、花一輪、書物一冊はおろか、机も灰皿も何もないのは見ているだけでも恐ろしい。
鬱病の男二人は蒲団をかぶっていて、高沢さんが飯は食べたかと尋ねても、ぼんやりとくぐもった声でうなっただけであった。そう面白いクランケはいないんだという。或る部屋は、ボロボロになった畳がめくられているだけで、病人の姿は見えなかったが、これは鉄格子の間から逃げ去ったのだという。格子の間隔は約十センチであるが、その上に一個所だけ十五センチくらいのところがあって、そこから逃げたらしいが、それにしても人間業ではない。頭をあてて見ても額の両側に鉄棒が触れるだけで、そこから脱出するなど、まるで白血球みたいである。
二十畳敷の部屋に入ると、ここには三人の女がいた。一人はやはり煎餅蒲団をかぶって隅っこの方に寝ていたが、一人はその反対側に座って、悲しげに、膝の上にちらばった赤や白の布きれを眺めている。痩せて蒼白い顔だが、容貌は比較的端麗である。年は三十くらいであろう。もう一人は端麗という点ではいっそう整った二十五、六の女で、窓に佇って格子の間から深い蒼空を眺めている。
高沢さんの質問に、「えっえっ」と答えるさまは、痛々しいほどおとなしい。
「水沢さん。ここがどこだかわかるかね?」
「ええ。――やっぱり田舎の方なんですって。……」
「いつからここへ来ているのかね」
「あの、え」と考えて「この三月」と答える。
「朝飯は食べたかね」
「ええ。……」
といったが、突然笑い出して、また急にまじめな顔つきになる。
壁には鉛筆や赤鉛筆で一杯落書きがしてあった。牧水の歌だの、国定教科書の一節だのが書いてある。「愚かなる吾は愚かなることのみ考う」とか「精神病」などいう文句も見える。
「じゃ、まあ。……」と高沢さんが傍を離れると、急に座って、とんでもない方向に丁寧にお辞儀をした。膝の上に布をちらした女は、眼をあげて、それを悲しそうに微笑んで見つめていた。一見狂人とは思われないが、こんなところに辛抱しているだけでもやはり変なのであろう。「さようなら」と小さい声でいった。部屋を出るとき振向いてみたら、窓の下の若い女は、高い鼻をうつむけて、蒼白く端然悄然と座っていた。
病者はいずれも悲惨である。しかし余は、少くとも精神病者に勝る悲惨なものを見ない。それは人間であって、人間ではない。といって、どうして動物と思われようか。それは人間の形をしている。あの悲しげな瞳、震える蒼白い唇――それは紛うかたなきわれわれの同胞ではないか。しかも彼らがこの悲しむべき運命に落ちたのは、他の機械や細菌やその他の化学現象や、野獣のためではない。ほとんどその加害者は人間である。人間同士の魂の相剋から、苦しんで苦しんで、苦しみぬいた果の始末である。
この物静かな、寂しげな女三人が、灯のない格子の中に座ったまま、暮れゆく蒼い空を見つめつつ、毎日何を語っているのか。余は彼女らの加害者に――殺人以上のことをなしつつ、殺人者ほどの良心の苛責を凡らく感じてはいまい加害者に対して、沈痛な憤激を覚えた。
そこを出てあと戻りし、他の病棟にいって見る。途中に恐ろしく凶暴な病人を入れているという扉を見たが、入らなかった。
やはり四畳の、がらんどうの部屋の底に白い毛布を膝にかけた女が腰を下ろしていた。寒いと見えて――北向きで、光線も蒼く冷たい上に、モンペも上衣もそこにぬぎ捨てて、ズロースと薄い肌着しかつけていないのだからむりもない――ガタガタと震えている。
しかし、余らの姿を見ると、恐ろしくしゃべり出した。年は三十くらいと見えたが、実際はまだ若いのかも知れない。女子大とか何とか口走るインテリだそうである。なるほど英語も独逸語も仏蘭西語も洩れる。或る三年が先日ふらりと入ったとたんに "what time is it now" と呼びかけられて面喰ったという話である。
「島村さん、あんた幾つかね」
「ten miniute」
「今日は何日かね?」
「今日はね、今日は―― season」
といった調子である。
「男の方って意気地がないわね。私これから中飛行場と北飛行場を取りにゆくのよ。甲冑に身を固めてね、あらま、恥ずかしい」
またトルーマンなどいう語が混るところを見ると、気が触れたのは最近らしい。ゲルだのダンケだの独逸語を使うかと思うと、メルシイ、マドモアゼルなど仏蘭西語がこぼれる。ルート3を含んだ暗算が始まる。
紙の赤いリボンをつけたさんばら髪の頭を、ごつんごつんと壁にぶつけながら、けらけらと笑いながら、小止みもなく喋べりつづける言葉は、気をつけて見ると、錯乱の中に一脈の筋が通っているようだ。
「十五頁本を読んだのよ今日……十五夜はいつだったか知ら? お月さま綺麗だわねえ、今月はね」
窓からさしこむ冷たい光に身を震わせて、
「ウインターよ、雪が降ってね、花子このリボン、あらあ紙だわ、高沢さん似顔絵書いてあげましょうか、おやこの先生も知ってるよ」
と白衣を着たもう一人の三年を見て、
「先生、ここに頓服を造りましたよ、あげましょうか」
懐から紙包みを取出し、あけて見ると婦人雑誌の一頁である。
「そら御覧なさい、ヘチマコロン」
看護婦を眺めて、
「あんた、私のお姉様でしょ? え、あらま、妹、じゃ私威張れるわけだわね。……」
ゴツン! とまたいきなり壁に頭をぶつける。看護婦が面白がって色々尋ねかける、男の学生の方はにがい微笑を浮かべている。
外に出て、白い澄んだ秋の日の光を見上げた。世界は明るく動いている。誰も知らない。自分も先刻までこういう人々は知らなかったのである。そして明日からはまたそんな存在は忘れ果ててしまうであろう。……
しかし、今日は、少くとも今日は、あの冷たい暗い鉄格子の中に、何ら悪をなさぬのにむごたらしく閉じこめられて、寂しい光を空しい瞳で眺めている女たちの姿が忘れられそうにない。
鎮静剤を与えるだけで、ただ放っておくのだ、狂人を理論的に正気へ教導する方法も、化学的治療剤もまだない、それでも放っておくとたいていは癒るから不思議だよ、と高沢さんはいった。
しかし、頭脳自身の力で元通りにする理論が立てられないだろうか。リボンをつけた女のお喋べりに含まれる一条の糸、突飛な飛躍のごとく見えて、それは或る大脳作用の順を踏んでいる。ああいう経験は、余らといえども決して無いどころか、屡※[#二の字点、unicode303b]思考中に現われる現象である。フロイドが頭を掠める。精厳に一歩一歩組立ててゆけば、そういう治療法が生み出せそうな気がする。……そんなことを考えながら歩いた。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](水) 快晴
○午前原外科。
午後松葉、松柳と寮のおばさん二人といっしょに鼎村に林檎を買いにゆく。
高い谷の底から眩しい日の光が真っ白に、ジリジリと落ちて来る道を三粁ばかり。――虚空蔵山に霧のような淡い雲が動き、赤石山脈の上に小猫のような白雲が遊んでいるほかは、ただ碧い空。古い塀に蔦がからんで、その中に浮かび上った薄黄色い柿、丘にそよぐ蕎麦の白い花、茶色な栗。……丘の上から見下ろすと、青い稲と樹と草の中に、飯田の町は愛らしい絵のようだ。
唐沢という農家にゆく。清潔な大きな農家である。(日本中の農家が少くともこの程度の構えをなすようにならなくてはならない)家の裏にちょっとした牛の牧場があった。
林檎全部で十五貫買う。一貫十六円也。
「ポリに気をつけておくんなんしょ。鼎村の橋が危のうござんすがな、あそこが関所ですけえ。皆あそこで取上げられて……ポリどうそいつを処分するもんですかな。大方、やつらが食っちまうでがんしょ。どう逃げるかって? ま、何処で買ったかと問います。知らんなぞいったら、そらっとぼけるなと叱られますよって、正直にいったほうがええ。値は勿論公定で一貫三円……気をつけておくんなんしょ、うるそうござんすけん」
と、老翁大いに心配す。狡猾と傲慢その面にてらてらと赤く輝く。戦争中に農夫が得たる新しき表情なり。
○東京より帰れる内ケ崎の土産話。
交通整理の米兵、傍にテーブルを置き、その上に妻らしき女の写真を置き、花を飾り、すましてゴー・ストップをやりおる由。
物干竿の赤き女の腰巻を無理に買い求め、マフラとして頸に巻き、得意になってジープに乗ってるやつがある由。
敵憲兵すこぶる厳正に取締り、敵兵の駐屯状況も勝利の軍としてはまず上乗の由。ただしこれには今の進駐軍が敵の最精鋭なること。また日本がまだ完全に武装解除されておらず、敵なお日本人を恐れおること(日本刀は兵なると民衆なるとを問わず敵の最も恐怖するところのもののごとし、斬込隊の効果ならんか)に依るという。敵は日本軍の支那比島に於ける暴虐行為をあぐれど、思うても見よ、支那比島の民衆は最も日本にとりて反抗的なる民衆なりしにあらずや。インドネシアまたビルマに於てはかくのごときことなかるべし。また当時は激烈なる戦争中にして、静々粛々、黙して敵を迎えたる日本本土と異れり。
都人、敵の機械力には参れども、その軍隊の動作放漫なること、贅沢享楽の途方もなきこと等を見て、科学的に或る程度まで匹敵せば断じて敗れざることを痛感しおる由。
米ソ戦予想せられざるにあらず、敵国内にも、剽悍無比の日本民族を徹底的に弾圧して圧服するか、またその恐るべき憎悪を免れんとするか二派の意見あるもののごとし。
○ユーゴーの作品の結末にはみな共通した情景が現われる。主人公の死ないし主人公の殺人である。これを結末に持って来ることは悲劇たらしむる最上の方法であるとはいえ、ユーゴーの作を並べて考えてみると、あまりにこの傾向が極端に現われているので、少し驚かざるを得ない。
○上田敏『詩聖ダンテ』を読む。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](木) 曇夕より雨
○朝原外科。
米国は日本人の再教育に於て武士道的材料を排撃するという。
余は生涯を通じて真の武士道を鼓吹したい。しかしそのためには、過去の武士道のきびしい精髄を保ちつつ、これからの新しい世界、永遠につづく人類の精神を何ら不合理なる異和感を感ぜしめない「朗らかなる」武士道的哲学を発見することを必要とする。
林語堂が「日本人の独善的神秘感を捨てよ、天皇が神ではないことは天皇自らが知っておられる」云々と、日本人のための率直なる忠告として毎日新聞に書いている。
昨日まで敵国民であった日本人に、真の忠告をなし得るほど林語堂がエライとは思わないし、またそう来られるとナニクソと向っ腹がたつし。またその「神秘的思想」を喪失すれば、日本人の本源が消滅してしまいそうな不安があるけれど、まじめに考えるとこれは傾聴に値する。たとえ彼が為にするの念を以ていったとしても、これは日本人の為に傾聴に値する。
近代文明の照射を受けて、あいまいな靄に煙っているような神秘感を失って、それで腑抜けになるような日本人なら、追い追い発展する人類の文明戦の潮流に、事実上遥かに遅れてしまうであろう。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](金) 晴
○小西哲夫より来書。
「拝復、寔《まこと》に意外の事になりました。貴兄昨年来元気旺盛に御勉学の由。小生昨年八月入院以来三ヵ月半のベッド生活をなし、昨年暮より舞鶴鎮守府として陸上勤務をなし、本年二月第六艦隊司令部に転じ、爾来終戦の事に至る迄同司令部幕僚補佐官として勤務、去る九月十五日艦隊解散により一先ず帰郷、本二十四日再度呉に向い、クラス会の仕事を約一ヵ月受持ち、その後は郷里に帰る予定。外地部隊の引揚等に使わるるはまっぴらにて十一月には家に帰るつもりです。
之に至るまでの事色々言度いことも訊きたい事もありますが、まあ何も考える必要もないでしょう。地球の上で人間のやっていたいたずらですから。
それにしても大東亜戦争の苛烈なる矢面に立ち、我々の級はバタバタと斃れていったのに、運悪くここまで生きのびています。大詔のあった直後呉で級会をやり、みななんと運が悪いんじゃろうと顔見合わせた次第です。
これからの日本にやはり御尽しせにゃいかんと思って、一先ずここ一両年は潜るつもりです。事態を静観するために田舎で山の中に荘を築いて住みたいような気がします。しかしこれは暫くの考えだと思うんです。色々とお話し致したい気持です。左記に連絡して下さい。
呉市吉浦松葉町一番地上本方 小西哲夫」
○チエホフ『かもめ』『伯父ワーニャ』読む。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](土) 晴
○昨日きょう、一年中随一といいて可なるほどの美しき爽やかなる日和なり。午前中山師衛生学。
○チェホフ『三人姉妹』『桜の園』を読む
三十日[#「三十日」はゴシック体](日) 快晴
○午後医談会なるもの飯田保健所にて開催さるるときき、寮生一同ゆく。鮮やかなる午後なり。碧空に黄色き柿の実鈴なりに浮かぶ。白すすき、そよぐ粟。真っ青にひろがる甘藷畑。スマートな白き米国機二機、爆音高く町すれすれに旋回して去る。一時開催の予定がなかなか開かれず、余イヤになりて帰る。
○「戦禍の苦痛がいかに甚大であっても、一度軍事的栄誉を有した国民はこれを失うことは諦め切れないものである」
――ブールジェ
昭和十七年初頭前後の、あの日本の剣の花、アジア全土に咲いた大和民族の旗の潮の幻影は、永劫にわれわれの夢寐《むび》から消えることはあるまい。
時あってかこの夢は、ふたたび鉄蹄を鼓舞する偉大な回想となり、また呪わしい悪夢となる。あの追憶なかりせば、と恨むのである。またもやかかる血の怒濤をまき起すような野心は起すまいに、と悲しむのである。しかもこの追憶は、その価値を裏表にひるがえしつつ永遠につづき、よかれあしかれ日本民族にこびりついて回るであろう。
「忘れることが出来ない」とは実に恐ろしいことである。
○ヴイリュ・ド・リラダン『残酷物語』を読む。
[#改ページ]
[#小見出し]  十 月
一日[#「一日」はゴシック体](月) 快晴
○午後中、岡村周諦『生物学精義』を読んだり、リラダンの短編を読んだり。
○午前松葉と二人でまた今宮様裏の城山に登る。今宮神社に「帰還御礼、二十五歳男」と書いた細長い木札が立てあり。
山上の雄渾壮美の大景観。夕日に霞む重畳たる赤石山脈、光りそよぐ白すすき、ひろひろと鳴く虫の声。
茶店に寄る。きょう朔日で参拝客多く、茶菓子(漬物なり)なし、売切れましたと婆さん大いに恐縮したが、梨半分を切りて茶とともに供す。
「悪いなあ……気を悪くせんようになあ、ほんとうにお気の毒でなあ」
と、繰り返し繰り返しいう。
秋風青く大いなる山上、六畳一間に萱の屋根、土作りの竈《かまど》に赤銅の大茶瓶かかりて赤き火チロチロ燃ゆ。白雲悠々去りまた来るの景、われらもいつかかかるところに庵を結びて晴耕雨読の日月を送りたしと、二人ガラにもなき殊勝なる気を起す。
「婆や、お茶くれえ」
と、入り来れる一老人に、また茶菓子なきことを詫びたるのち、婆さんひとりごとをいう。
「負けるって情けないことじゃなあ。のう、こんなことがありますかい。――何しろ今まで負けたことがないんじゃものなあ。……昨日の新聞の天子様のお写真はどうです。あの、敵の大将と一緒の……お可哀そうになあ、あんまりウツリもよくないに。……」
一円置きて去る。
山上の草の上に伏して蒼穹を長時仰ぐ。視界の底の赤松の緑眼醒むるばかり鮮やかなり。絵のごとく鮮やかに美しと吾らは形容す。しかれども自然ばかり色鮮やかに美しきものはあらじと痛感す。盛夏去りて秋風立ちそめたり。この緑、この光、この盛り溢れ滴る自然の青緑の豪華は、自然の最後の饗宴というべきか。
うろこ雲、静かに光りつつ動き、寂莫と消ゆ。
「吾に痛切なる悲しみいまなし。八月十五日の涙すでに消えたりや。人間の哀歓空しきかな」
と、松葉いう。
「さなり。また、さにあらず。かの痛みは去れど創痕を吾人の魂深くとどめたり。無意識ながらも、その創痕永遠に消ゆることあらじ。これ吾らの運命なり。――いま幼児また後に生まれんとする子ら、新しき教育受けて吾らのこの執念を時代遅れと笑うべし」
と、余いう。
「さらば吾らもすでに時代遅れとなりたるか」
と、松葉嘆き、二人大笑す。
松葉、白秋の邪宗曲秘曲など朗吟す。余は、この詩は――白秋の詩の大部分なれど――吟ずる詩にあらずして見る詩なりと思う。この一連の詩曾て陶酔せり。今は何の感動もなし。馴れたりという理由もあれど、またその理由が尤もなるほどに、これは単なる幻想的異国的の言葉、新しき語の魔術に過ぎざるゆえにはあらざるか。されど白秋の『思い出抄』の中「梨」の一編の、余が中学時代の幼き魂に印したる感動は今も生き生きと波打てるを感ず。
本戦争のこといろいろ考う。
今、日本は完全なる罪人となれり。悪なるがゆえに敗れたりと全世界より断ぜらる。されば戦争中の宣伝に関して、その荒唐なりしを笑わるれど、明白なる敗戦の一因は、宣伝戦の未熟なりしにあらざるか。敗るる以前すでに日本は世界の敵と目されたり。余は国家間のいわゆる正義を認めず。負け惜しみにもフテクサレにもあらずして、国家間のいわゆる正義なるものは、実に浮雲のごときものと思うなり。而して日本は敗戦以前すでに連合国側の尨大なる宜伝機構に圧倒されいたるなり。
また戦争中のわれらの思想について想う。
戦争中われらは、日本は正義の神国にして米は凶悪の野蛮国なりと教えられたり。それを信じたるわけにはあらず、ただどうせ戦争は正気の沙汰にあらざるもの、従ってかかる毒々しき、単純なる論理の方が国民を狂気的血闘にかりたてるには好都合ならんと思いて自ら従いたるに過ぎざるのみ。
また吾らは、戦後の日本人が果して大東亜共栄圏を指導し得るや否や疑いいたり。(戦争に負けるとは思わざりき。これ確信ありて敗北を思わざりしにあらずして、これを思うは耐えがたくして、かつそれ以後の運命を予想し得べくもなきゆえに、われと目を覆いて必勝を信じいたるなり)さて勝つとして、日本人が、アングロサクソン、ソヴィエット、独、伊の各共栄圏の各指導民族と比して、果して遜色なきやと疑いいたり。これ単なる科学力文化力のみをいうにあらず、その人間としての生地の力量に対する不安なり。詮じつめれば、日本人の情けなき島国根性なり。しかれども、吾人はこれに対してもまた、本戦争にともかくもガムシャラに勝たば、而してともかくも大東亜共栄圏を建設して、他の指導民族と角逐すれば、これに琢磨されて島国根性一掃され、闊達なる大民族の気宇おのずから養われんと思いたるのみ。
数十年後の人、本戦争に於て、われらがいかに狂気じみたる自尊と敵愾の教育を易々として受け入れ、また途方もなき野心を出だしたるを奇怪に思わんも、われらとしてはそれ相当の理由ありしなり。
五時前山を下る。
夜、この六日、学生が大松座を借りて飯田市民を招待し、素人芝居音楽会をやらんとの企図に応ずるため、出演者の選択やプログラムの編成に関し相談会あり。
二日[#「二日」はゴシック体](火) 曇
○六日の芝居稽古各寮にはじまり、昨夜遅くまであちこちでヘンな声聞ゆ。「金色夜叉」、「国定忠治」などやる由。まるで正気の沙汰にあらず。学校にもみな登校せざるゆえ自然休校の態となる。学校も苦笑しつつ、戦争中の学生の陰鬱なる生活を思いて、このたびの騒ぎを黙認するもののごとし。
夜、演芸大会のポスターを松葉と書く。リラダンの短編を読む。
○「闇黒時代は去れり」と本日の毎日新聞に石川達三書く。日本人に対し極度の不信と憎悪を感ずといい、歴史はすべて忘れよといい、今の日本人の根性を叩き直すためにマッカーサー将軍よ一日も長く日本に君臨せられんことを請うという。――彼にいわすれば彼相当の理由あるべし。すなわち「涙を以て日本人を鞭打つ」つもりなり。
ああ、何たる無責任、浅薄の論ぞや。彼は日本現代の流行作家の一人として、戦争中幾多の戦時小説、文章、詩を書き、以て日本民衆の心理の幾分かを導きし人間にあらずや。開戦当時日本の軍人こそ古今東西に冠たるロマンチストなりと讃仰の歓声あげし一人にあらずや。
彼また鞭打たれて然るべき日本人中の一人なり。軍人にすべての責任を転嫁せしめんとする今の卑怯なる風潮に作家たるもの真っ先きに染まりて許さるべきや。戦死者を想え。かくのごとき論をなして、自らは悲壮の言を発せしごとく思うならば、人間に節義なるもの存在せず、君子豹変は古今一の大道徳というべきなり。
歴史は忘れ得べきものか。論の是非はともあれ、第一忘るることが可能なるか。全然別人となるなどいうことは個人としてもあり得べき現象にあらず、フランスの永遠にフランスなるがごとくロシアの永遠にロシアなるがごとく、日本もまた永遠に日本なるを免れざるなり。
この人、まだ事態一変せんか、「いや、あの時代はあのように書くより日本の甦生すべき道あらざりき」などいいかねまじ。余は達三の言必ずしもことごとく斥くるものにあらず。されど彼には書く権利なく、資格なく、義務なしという。少くともこの一年くらいは沈黙し、座して日本の反省(悪の反省にあらず、失敗の反省なり)の中に生きて然るべしと思う。
この分では、いよいよ極端なる崇米主義日本に氾濫せん。而して死者に鞭打つがごとき軍人痛撃横行せん。これは或る程度まで必要ならんも、当分上っ調子なる、ヒステリックなる、暴露のための暴露の小説評論時代来らん。而してそのあとにまた反省か。――実に世は愚劣なるかな。
三日[#「三日」はゴシック体](水) 朝晴後曇
○芝居のポスター五枚書く。プーシキン『ペールキン物語』を読む。
○学校より東京帰還発表さる。十月十日より十五日迄の間なり。九日までに各自の荷物三十キロ二個以内梱包して置くべしと。東京に家なきものはしばし淀橋病院に住むも可なり。ただし外食にして一ヵ月以上留ることを得ず等。
夕、雨雲の中に虹立つ。夜雨。
四日[#「四日」はゴシック体](木) 雨
○終日豪雨。ポスター四枚書く。ジンタ、角兵衛獅子、暫、酋長の娘など、「笑い倒れたるお方には医療設備あり」など書く。プーシキン『スペードの女王』を読む。
○食糧事情の未来暗澹といわんよりも絶望的なり。このぶんでゆかば八百万ないし一千万の餓死者の出ずるは必定といわる。
しかも米軍は食糧輸入を許さず冷然たり。「日本政府無為無策なり」と責めらるれど、政府如何すべき。先般の台風にて関西方面の稲作甚大の損害を受け、しかも飢えたる海外の邦人将兵濁流のごとく帰国せんとす。
先日メレヨンより帰りし帰還第一陣の将兵三十キロの体重なりきと。同島にては一日に百五十人ずつの将兵餓死せりという。戦慄すべし。
敵の別言に曰く「日本人の苦しむは天罰にしてまた自業自得ともいうべく、長き苛酷なる苦しみの、今はただ第一歩に過ぎず」と。われらすでに武器を投ぐ。敵のかかる言動にいまさらのごとく切歯するともこれごまめの歯軋りを出でざるなり。
最近、突如として日本人の平和国家転換ぶりに疑惑ありと敵の論かまびすし。これ日本人食わんと欲すればみずから政府を変革せよとの暗示にあらざるか。空腹か天皇か、この滑稽のごとくにして滑稽にあらざる命題を日本人に課しおるにあらざるか。
○日本政府は今やまったく日本の尊厳を失えり。ほとんどあれどもなきがごとしと評してさしつかえなし、しかれども全然消失せりというべからず。一種独特の価値を呈し来る。
そは将来に命脈を伝うるとか、或いはお体裁に独立形態を具うるとかいう空虚なるものにあらずして、現実的なる大価値なり。
そは日本人の不平の捨場所なり。いまや日本人は大不平、大不満、大苦悩のどん底に落つ。しかもこれを向けんにはマッカーサー司令部はあまりにも勝誇り、あまりにも冷烈にして、またあまりにも恐怖的なり。ここに於て日本人は、悪口憤慨の猛焔を幻の日本政府に吹きかく。物いわねば腹ふくる。この点に於て日本政府なくば、日本人はいかに腹中の苦渋を持て余ししならん。かかる存在価値、重大なる価値のみ有して存する政府は歴史上皆無なりというべきか。
五日[#「五日」はゴシック体](金) 雨
○夜をつらぬき日を徹して、暴風豪雨荒れ狂う。終日褥中にねてくらす。プーシキン『ドウブローフスキー』を読む。
○われらは歴史を知りたり。
余らは無意識の中に歴史を一つのドラマとして観じいたり。明治維新は昭和維新の序幕としてこそ意味あるべく、明治の日本の曙は昭和のアジアの黎明の前奏曲なりと思いこみて疑わざりき。これ日本の近代史があまりにとんとん拍子なりしゆえに、一直線に進行せるゆえに、当然或る目的を相定して自ら悠然たりしならん。
されど、歴史に目的なし。目的あるか知らねども、そは一時代の一国民たる人類には到底知り得べからざるもの。一つのドラマかは知らねども、第一幕第二幕と次第に進みて終幕に至りてクライマックスの脚光浴びるがごとき芝居を見て大芸術なりと陶酔する人間には、絶対にうかがい得ざる尨大神秘なるもの、そは地球上の歴史の実相なり。この簡単なる真理を、時代によりてはついに悟り得ざる国民あるにあらざるか。たとえば明治大正の日本人、或いは現代のアメリカ人などこれにあらざるかと思う。
されどわれらは、悲壮にして滑稽なる戦いを戦いて、すなわち明確に歴史を知りたり。
六日[#「六日」はゴシック体](土) 晴
○昨夜よりけさ六時まで起きて武者小路『一休、曾呂利、良寛』を読み、ノンキ節など作る。
還らぬ神鷲羽ばたく鷲を
神州不滅と見送りながら
かげでコソコソ降参ばなし
腰ぬけ大臣面よごし
生きて虜となるなかれなど
戦陣訓でいばったくせに
腹切りそこねて敵のママ
食って生きてる馬鹿もある。
etc
○快晴。
大松座にゆくに「国定忠治」を演る三年の人々、暗いがらんとした舞台で最後の猛練習。セリフ堂に入ったものなり。芝居の話出でたるは今月一日。二日より練習をはじめてわずかに五日、よくぞこれまでになりたりと感心す。
勘太郎になる男の子、東京の疎開児童なりと。愛らしくニコニコして舞台度胸のあるところ芝居関係の子なるべし。五、六十の老人あり、鳥打帽に着流し、みな師匠と呼ぶ。この人指導しつつあり。
十二時近くなりしが見物一向に集まらず、心配しているうちに次第に集まり来り、十二時半には相当なる行列劇場前に並ぴ安心す。娘圧倒的に多し。
しかるに停電してマイク通ぜず。軽音楽や歌謡に差支えありて幕をあげる能わず。みな顔色変りてこの意外の事故に狼狽す。電気会社に電話かけたれど通ぜず。人走る。一時過ぎやっと電気来り愁眉をひらく。
見物来ないどころか凄じき満員。一階二階立錐の余地もなし。軽音楽ありて、二年の「曇後晴」の喜劇あり。踊、漫談、学生仲間に芸人多きに一驚す。これならばヘタな田舎回りの劇団に劣るとも思われず。
されど余は、舞台裏や楽屋や奈落を駈けめぐりて、大道具小道具の運搬や連絡に奔命し、面白がるよりひたすら心配す。
最後に「国定忠治」。第一場忠治の大難立廻りあり。第二場赤城山。第三場御室の勘助の家、浅(後藤さん)みごとなり。第四場ふたたび赤城山忠治山を下る景。
六時近し。入口を見るに驚きたり、大松座の前雲霞のごとき人の波。雪崩れ入らんとする人々をふせぎつつ、昼間見物の入場者を出す。
余ら夕飯食いに寮に帰らんとせしが、入口に殺到する人凄じくして出るどころの騒ぎでなし。場内、紙片や吸殻や果物の皮などに汚れ女たち掃除に狂奔する間もなく、何処からともなく防禦を突破せし群衆入り来る。これを追い出さんとすれども及ばず。ついに扉を閉ず。
扉押されてはじけんとす。招待者の列のみ入れんとせしがみな乱入せんとし、学生たちボタン飛び流汗淋漓として大手を拡げて、絶叫咆哮これを防ぐ。叫ぶ子、泣く子、咆える男、笑う少年、まさに大松座前阿鼻叫喚の大混雑、怒濤のごとくどよめき、学生達昂奮して飛び回れど、自分らの芝居がかくまで人気呼ばんとは予期もせざりしゆえに、うれしさの情満面に溢る。余ら隣家より逃れ出《い》ず。
「二階が落ちるう」と、劇場の人々の恐怖の叫び、死物狂いに閉ざしたるままの大扉、なお前の道路にもみ合う、六、七百人の群衆、怒号する警官などの姿をあとに寮に帰る。
夕飯食べてまた大松座にゆく。なお扉前に群衆待てど、もはや超満員にて建物危険状態なれば如何ともする能わず。
夜ふけてふと外をのぞくに、数十人の幼児外に待ちて「見せてえ、見せてえ」と泣かんばかりに騒ぐ。扉あけても芝居を見るどころか踏み殺さるる恐れあれば、涙のみて開けず。
飯田病院高安病院の看護婦連の踊り数々あり。病院の先生達の飛入りあり。時間延長されて十一時回れど見物去らず。最後に学生校歌を咆哮し、十二時ふらふらになって帰る。大成功なり。
いずれにせよ、市民いかにかかるものに飢渇せるかを見るべし。寮に帰り、夜食食いて泥のごとく眠る。
七日[#「七日」はゴシック体](日) 曇雨がち
○一日中ぐたぐたと寝転がるばかり。プーシキン『大尉の娘』再読。
○夜、柳沢ギンギバー腫れて痛むとて、銀コロイド静注、三十分後クランプ起し戦慄、鼻の頭白くなる。松葉ザルソカンファーと塩酸モルヒネ皮下注、やっと鎮まる。
ところがそのあと高柳足に化膿ありてズルフォン剤静注やりしにまたクランプ。みな笑う。ザルソカンファー皮下注してもらいつつ高柳泣き笑いすれど、慄えてものもいう能わず。
八日[#「八日」はゴシック体](月) 雨
○午後天理教会へ、松葉、安西と図書の梱包をしにゆく。風越山に暗き雨雲かかる。飯田という町は雲の恐ろしく低く飛ぶ土地のごとく見ゆれども、やはり地の高きがゆえか。
○周囲と愉快な関係が持続している間は、笑い声の裏に、淋しい、こんなことはしていられないといった焦燥が絶えない。それで気分が沈鬱になって、みなから変人扱いにされ除者《のけもの》にされで、独り黙然と座っているとき、はじめて心の成長が意識される。しかしそれはまた何という別の淋しさであろう。
外が賑やかなときは内が淋しい。内が賑やかなときは外が淋しい。内も賑やかで外も賑やかなことは曾て経験したことがない。
空想するのに、これを満足せしめるのは、愛か智恵かであろう。
愛といっても、ほんとうの意味で女の愛は残念乍ら経験したことがないから何ともいわれないが、おそらくこれを満足せしめないであろう。友情などいうものはいいかげんなものである。友情があると信じて交際している二人の人間を見ると、実に滑稽な芝居を見ている感じがする。
僕の思うのは、母ないし父の愛であるが、それは僕の場合望むことは出来ない。それでは宗教か。しかし僕は宗教に入るほど痛切な苦痛を感じていない。痛切な苦痛に人間が悶えるとき、彼はまさしく幻影に希望の糸を投げかける。僕は、宗教とはこの幻影であると信じている。
そういうと、理由もないのにしかめ顔をする人間が、何とこの世に多いことだろう。そのくせ、宗教とはどんなものか、彼らは一向に知っていないのだ。そうして宗教が幻影であることは、その尊厳を一毫も傷つけるものではない。この世界の偉大とか尊厳とか壮烈とか雄渾とかいう形容詞に値するものは悉く幻影である。
内をも外をも賑やかにするのは、智恵ある人と智恵ある話をすることであろう。しかし、それも絶望だ。僕の周囲にいるのは、善良だが鈍感な人間、馬鹿のくせに下らぬことにうぬぼれている人間、野卑低劣を以て男児の本分と信じている人間、当り障りがなくてナマズのように誰ともなめらかにくっつくが、内は空洞な人間、下司な、一向反省力のない人間、そんなやつらばかりだ。
それではお前はどれだけエライ人間か、と笑う人があるだろう。そうだ、僕も彼らと大差はない。しかしこういう怒りと欲望を持つのは人間として当然ではないか。
○おのれの肉体のごとく日本を意識した国民は、今やそれから離れゆかんとしている。誰が内閣を作ろうと、何を声明しようと、次第に無関心な、冷淡なものに変りつつある。然り、日本は今や日本人のものではないのであるから。
九日[#「九日」はゴシック体](火) 豪雨
○また雨。車軸を流すがごとき雨。ことしの飢饉いよいよ現実化し来るべし。
○チエホフ『六号室』読了。見事なり。
常人が精神病院に入るがごときこと現実にはあり得ずと安西いう。然り。
また余は必ずしも然らずと思う。即ち、精神病者は何のゆえにかかる格子中に抑留さるるや。そは彼を社会中に放置すれば自他ともに危険を招来するがゆえなり。しからば常人として社会に活動せる無数の人間の中、現在狂人病院に黙座する人々より遥かに自他ともに危険を招来する人物あらざるや。
必ずしも戦争をひき起して幾千万の人間の死を招くがごとき人物をいうにあらず。英雄にあらず天才にあらざる余の周囲にも、精神病院に抑留して永遠にわが周りを巡らざる方が、世人の安静を擾さざる点に於て万々と思わる人間多し。一見常人と見ゆる者も精神病院に入れた方がよい場合もあり。
『六号室』半ば読み来りて、ドクトル、アンドレイ・エフイムイチ・ラーギンが、のちに六号室に閉じこめられて、玄関番ニキータに殴打さるる仕組にあらずやとの想像早くも浮かぶ。これ余りに常套的なるを以て、それを期待しつつもチエホフのためにこれを畏る。果して結末に至りて然り。ただしこれは現実の描写にあらず、一種の象徴的諷刺なれば、かかる手法は当然なりとも思う。
十日[#「十日」はゴシック体](水) 雨
○午後一瞬薄日さす。ほとんど依然雨。
また上郷村天理教会に松葉、安西と図書梱包にゆく。帰途、濡れつくす。野底川青みがかりて、銀鼠色の濁流轟々と飛沫をあぐ。灰色の雲漠々また矢のごとく流れ、その間隙、白雲透かせるごとく蒼空見ゆるも、雨来り、去り、夜に入りても絶ゆるなし。窓中に雨を聴く。音やよし。窓中の雨声は実に佳きものなり。
○余は異常に敏感なるところあるに似て、しかも甚だ間ぬけたる性状多し。松柳は鈍に似て、しかも病的に敏感なるところあり。
余の敏感なるは鏡のごとく冷たし。鮮明に映せども、ただ映すのみ。(ただし現象消ゆれば映像また消えて永遠に現わるることなしとはいう能わず。ひとたび映りたるものは陰画紙を重ぬるがごとく脳中の一隅に蓄えらる)
松柳の敏感なるは、法医学に於ける Sump 法のごとく、対話者の感情が、その柔らかなる製造中のセルロイドのごとき魂に微細に印せらるるのみならず――またその印が魂に痕を刻み、これを傷つく。
純情といわんか痛々しきまでに柔らかなりといわんか、時に余まで苦しくなることあり。余のごとく冷やかなる無感動の人間になりてはおしまいなれど、この世に生くる以上松柳はもう少し磨滅さるる必要ありと思う。いまのままならば、いつの日か彼の心に一挙に致命的の大打撃を受くるおそれなきにしもあらず。
○ブールジェ『秩序の為に』読了。
十一日[#「十一日」はゴシック体](木) 朝雨のち晴る
○午後真白きゆたかなる雨雲飛びて碧落日落つ。濡れて涼しき山河に澄みたる光照りて物みなすべて黄金色にきらめく。また曇り風起る。
○夜大安二階で松葉、安西ほか九人の常連一同、大安の招待(?)で最後の晩餐。味付飯に松茸汁、牛肉、南瓜のカレー煮など。
松葉七時の下りで東上す。下りで東上とは可笑しいが、飯田線では辰野行が下り、豊橋行が上りなのだから仕方がない。送りて駅にゆく。黒雲大空にむらがりたちて、その縁銀光を発し、凄き月陰暗と透く。雲間に星光る。
学生第一陣三十名余り帰京の途につくと見え、青筍寮の面々歩廊に赤き旗振りて校歌を唄い太鼓叩きて鼓舞放唱。珍らしきか群衆柵に寄りて見る。改札の美少女の片頬に哀愁の翳ふかし。
○チエホフの短編を読む。
十二日[#「十二日」はゴシック体](金) 曇後晴
○朝琥珀色の日光燦爛と天地に満ち、白雲の間より凄きまでに蒼き空見えしがすぐに曇る。底冷え甚だし。外より戻りし人すべて唇の色紫なり。松柳に高柳は朝より林檎の買出しにゆく。夕また美しく晴れぬ。
○単純にて仁侠を以てみずから任ずれど如何せん頭粗雑にして人間性を知らず。ただ人の耐ゆるはその暴力と馬鹿と無鉄砲に遠慮しおるに過ぎざるを悟らず、徒らに平地に波瀾を起し、多くの人に苦しみと恨みを与うるがごとき男多し。
○アレクセイ・トルストイ『ピョートル大帝』読む。
十三日[#「十三日」はゴシック体](土) 快晴
○晩秋の晴天。青き靄に赤石連峰柔かく烟る。襞々垂幕のごとく紫なり。午後安西、松柳と城山に上る。蓆敷きて酒のむ人々の姿も見ゆ。
○面《つら》問いに科《とが》なし。
虚笑《そらわらい》するものは臆病なり。――葉隠――
○チエホフ短編を読む。
十四日[#「十四日」はゴシック体](日) 快晴
○午前松葉帰寮。午後斎藤方にゆき砂糖で煮たる南瓜を食う。夜大安より酒八合(七十円といいたれど八十円与う)を求め、斎藤のオヤジとともに町の料理屋にゆき交渉すれどいずこも休業中。ようやく小さき一軒見つけ、松葉、安西を呼び来りて四人で飲む。夜十一時町に出ずるに星燦然大空凍る。
明日を限りとして寮生寮に留るを禁ぜらる。それより各寮を修復して宿屋は宿屋、料理屋は料理屋として原型となし返還する由なり。
○チエホフ『妻』を読む。
十五日[#「十五日」はゴシック体](月) 快晴
○午後松葉と上郷村天理教会へ図書の梱包にゆき仕事する。十二箱となれり。近くの梨畑より両人各五円分梨を買う。虫食いのものしかくれず。
懐かしの(?)教会もきょうを限りとして、ふたたび――また永遠に見ること能わざるべし。かく想いて振返れば雨に褪せたる古き大門の上の赤き夕雲哀し。下枝払われて白き細き樹々秋風に撓う、青きやさしき桑畑、静かに香ばしき夕の空気の中に遊ぶ路上の子ら、すべてさらば。
夜七時の汽車にて学生大半帰京す。ゆえに正午寮の二階にて会費十円にて会食を行ない校歌を歌いしが、夕寮の前にてまた歌う。近所の人々驚きて家を飛び出せしが、すぐに口々にさよならさよならを叫ぶ。学生笑いつつ去れど哀愁覆い難し。
大安に寄る。おばさんの眼に涙あり。児島寮前にも三年一輪となり帽を振り振り校歌を高唱しつつあり。近隣の人々群がる。半月のぼる朧なり。駅前にても広場に大円陣作りてまた校歌応援歌。
電車の出るまでが大変なり。「しっかりゆけや」「早く来うい」「東京で逢おうぜ」等の喚声爆笑絶叫咆哮の間、校歌の怒濤波打つ。柵にまたがり、トラックに立ち、はてはフォームに雪崩れ出て帽を振り、上衣を翻えし、歌、歌、歌。
見送りの群衆に少女多し。勘太郎になりたる子をふくめる東京の疎開学童のむれ泣声にてサヨナラサヨナラを叫ぶ。駅員圧倒されて茫然たり。
哀愁風のごとく流れてさらに歌声これを覆い、はたと沈黙落ちてはまた万歳の声渦巻く。青春の哀歓ここに極まる。(余は決してセンチメンタルになりておらず、実感にして実景なり)
帰途、広場にて米兵を見る。一昨日一部進駐せるものなるべし。一人猫背にてのそのそ群衆の中を歩み去りしが、その巨大今さらのごとく感服せり。一目見るより恐れてシクシク泣き出せし小学生の女児あり。いままでいい気になりて熱をあげたるだけに少し滅入る。半月冷やかに夜空に吹かれたり。
○チエホフ『無名氏の詩』を読む。
十六日[#「十六日」はゴシック体](火) 快晴
○朝霧深く寒し。晴れ来る。午前中蒲団を梱包す。午後松葉と天竜峡に出かける。
飯田銀座通りの辻に、老人や娘や子供達が黒山のように集まっているのでのぞいてみたら、アメリカ兵がトラックを止めて、チョコレートや煙草をならべて売っていた。
「何でえ、進駐に来たのか商売に来たのか分らねえじゃあねえか」
といった者があって、みな笑った。
赤い米兵の顔はすこぶるまじめくさったものである。暖かい美しい晩秋の日の光が蜜柑のように群衆の顔を照らして、そこには好奇心と微笑こそあれ、憎悪や敵愾の色は毫も見えぬ。自分の胸に淡い憂鬱の霧がたちこめる。
東京から帰った斎藤のおやじは「エレエもんだよ、向うのやつらは。やっぱり大国民だね。コセコセ狡い日本人たあだいぶちがうね、鷹揚でのんきで、戦勝国なんて気配は一つも見えねえ。話しているのを見ると、どっちが勝ったのか負けたのか分りゃしねえ」とほめちぎっている。
マッカーサーが誇るだけのことはある。これは|残念乍ら《ヽヽヽヽ》認めなければならぬ。
それに対して僕達は、大正年間に人と成った半老人達が、今の青年は骨の髄まで軍国主義がしみこんでいるときめつけている人間である。われわれは勝利者米国による日本の真の平和を八割まで信用していない。たとえあとの二割を信ずるとしても、それはもう一度戦って相手を叩き伏せてからの相談であると思っている。しかし――あの群衆の、哀愁を感じさせるほど明るい和やかな姿は?
自分の魂に、雲の翳りのごとき動揺がたゆたい渡る。
飯田線に乗る。晴れた碧い空に小猫のように白い雲がぽかりぽかり浮かんで、その下の段丘に樹々と草につつまれて立ち並ぶ白い家々――明日あさってにも別れを告げるせいか、静かな南信濃の風景は、眼に沁みるほど美しかった。
至るところ赤い柿の実が鈴なりに浮かび上っている。この疎開中ほど、桃、林檎、葡萄、梨、柿、栗などの果物をいっぱいに食べたことはなかったろう。
二時天竜峡駅につく。仙峡閣はきょうも県知事が御降臨になっているそうで相変らず一般民衆の投宿はおさしとめになっているため、また彩雲閣天竜峡ホテルに泊る。
こんどは裏の方の六畳の座敷であった。一方の縁側は便所の裏に面しているが、他の一方の廊下は眼下の洋々たる天竜川の流れを俯瞰している。すでに日は傾いて、その灰色の水は崖を覆う鬱蒼たる大竹林のために冷たく翳っているが、遠い上流はあかあかとした斜陽に染っている。
荷物を置いて散歩に出る。姑射《はこや》橋の手前から山に入って右岸伝いに下ってゆく。赤松の林には微かな脂の匂いが満ちている。七月末来たときには電動機の唸りを響かせていた山中の工具工場は門を閉されて、森閑として、その扉の上には Tenryukyo Small Tools Dispersion と書いた木札がかかっていた。
ふと、枯草のそよぐ空地に出た。ひっそりと秋の風が吹いている。向うに夕日があかあかと照って、その下の遠い山脈は淡く霞んでいる。絢爛目を奪う絶景奇勝よりも、時によってはこういう小さな、わびしい、いわば取残された自然とも評すべき風景の中に、暖かく心が浸るものであることを痛感した。しかしこれも今の心境のゆえか。一つの崖の中腹まで下りて栗を拾う。天竜川両岸の山々はすでに紅葉しかかっている。
夕、帰って風呂に入る。夜松葉と二人で七合あまり飲む。食後また風呂に入り、疲れと酔いで前後不覚に眠りこむ。夜中、河のどよめきを夜雨のごとくに聴く。
十七日[#「十七日」はゴシック体](水) 快晴
○昨夜、冷たい水がなみなみと湛えられていながらなかなか飲めない夢から醒めた。いや、夢うつつで起きあがり、廊下を歩んで便所の手洗い桶から杓で凍るように美味い水を飲んだ。まだ酔っていたと見える。もっとも便所とはいうものの水道から直接落ちて来る水だから衛生的には無害だろう。
八時起床、朝、まだ霧が深い。遠い山脈は裾の蒼い地を見せているだけで中腹以上はまったく白い雲に包まれている。寒い。毎日こうなのだが、やがて晴れて来るのだそうな。
勘定してもらう。八十二円であった。
出かける。なるほど晴れて来る。今度は左岸伝いに下りてゆく。みずみずしい竹林に美しい朝の日光がなめらかにかがやいている。ヒロヒロと虫が鳴きぬいている。黒い山路には至るところ褐色の栗のイガが落ちている。
竜峡園を過ぎて、芋畑――畑は掘り返されて、茎が這い回り、葉は乱雑にあちこちに積まれてある――の中を通り、竜峡亭という茶店にゆく。米を二合渡して昼食を頼んでおき、山路を上ってまた芋畑に出た。姉弟らしい二人が働いていた。隅のあずまやに腰を下ろして、赤松の間から、銀鼠色の天竜川とそのかなたの薄藍色の赤石山脈を見る。コバルト色の空に遊ぶ白雲、青い芋の葉のそよぎ。丘の上に立つ小さな雲――何もかも晩秋の午後の美しさと明るさと穏やかさを満点以上に湛えている。非常に快適である。
煙草をのみのみ、さっき駅前の売店で買って来た読売報知を見る。二面に「陸軍最後の日」と題する読物が載っている。「終戦交渉も知らず、独善の本土決戦」とか「つんぼ桟敷に敬遠された軍」とかいう見出しで書いてあるが、日本陸軍最後の苦悶はわれわれの魂をゆさぶらずにはおかない。
本土決戦の場合、戦場附近の住民はどうなるのか、この問題に関して「杉山元帥以下の判断は、日本人ならば、大和魂があるならば、決して皇軍の邪魔になるような行動をとることはないであろう。皇土死守の犠牲となって喜んで死ぬだろう。難民となりパニックを起すようなことはないであろうという軍人的解釈の精神論に終始して、これを頼みに本土決戦の基礎が打立てられたのであった」
また陸軍将兵に与えられた国土決戦教令の第二章に、「敵は住民、婦女、老幼を先頭に立てて前進し、我が戦意の消磨を計ることあるべし。かかる場合わが同胞は己が生命の長きを希わんよりは、皇国の戦捷を祈念しあるを信じ、敵兵撃滅に躊躇すべからず」といっている。
杉山元帥や阿南陸相がこう考えたのが、なぜ「独善」であるか。敵軍侵攻を迎える国民としてどんな国家も当然のことではないか。
一度は開闢以来のクーデターを思いつつ、ひとたび下った御聖断に、そこまでいっては末代まで不忠の臣となると思いとどまった阿南陸相。聖断に従わんとする上官を斬ってなお戦わんとした将校、マリアナに最後の殴り込みをかけようと飛び立っていった特攻隊――これらの分子を含みつつ、綸言には絶対服従すべきであるとして崩壊していった大陸軍――われわれは、この苦悶の激動の中に、「後世の史家がすべてを証明してくれるであろう」と屠腹の血を以て書き残していった一軍人の叫びに全幅的に共鳴する。
軍人を憎んではならない。少くともその大部分は、官吏や産業人のごとく自己の私欲から来た罪を認めがたいからである。
今はあらゆるものが口を極めて、色々なことを叫びまわっている。尊いものも立派なものも、無茶苦茶に罵っている。しかし、人間の真実はやがてふたたび日本に炬火となって甦えるであろう。
われわれは平和の尊むべきことを知っている。復讐という行為に対する動揺や懐疑に理のあることも知っている。しかし、後に至ってふたたび三度豹変する醜態は、今だけでたくさんだ。
とはいえ、われわれは魂の分裂のためになおこれからも長く苦しむであろう。
芋畑の向うから小さな軍国主義者がやって来た。五つくらいの男の子が、父でも復員したのか、赤い大きな軍帽をかぶって歩いて来た。「にいちゃん」と呼んでニコニコしている。梨を一つやる。
竜峡亭に帰り、スキヤキで酒三合をのむ。七十円。午後、竜角峰の頂上までゆき、碧空に鈴なりの柿の実を見つつ、天竜峡駅に帰る。五時飯田着。
夜、大安にゆき別れを告げる。寮で炊事のおばさんたちと茶をのみながら話す。晩は小池から蒲団を借りて寝る。
十八日[#「十八日」はゴシック体](木) 曇
○午前三時起床。小池のおばさんに送られて寮を出る。星はふるようにきらめいているが、案外暖かい。
四時半、飯田発下り電車で東京へ。眠くて松葉も自分もぐたぐた居眠りするばかりだ。七時辰野着。相変らず信濃の朝は白い霧が深い。すぐに上りの汽車に乗り込む。依然、凄い混雑で座ることが出来ない。
車中復員したらしい一将校とその老母が、何か読んだり書いたりしている。将校の読んでいるのは竹田敏彦の大衆小説で、老母が塵紙に写しているのは日用英語のパンフレットであった。どういうつもりでこの年で英語などやり出すのかわかりかねるが、敗戦国とはいいながら御苦労千万である。混みようがひどいせいかむし暑く気持が悪い。車中緒方富雄『病気をめぐって』を読む。
浅川でプラットフォームをのそのそ歩いているアメリカ憲兵を見る。青い鉄兜に白く大きくM・Pと書いている。すれちがう日本人の群――子供を負ぶった女、ボロボロの作業衣を着た少年、袋を背負った老人たちは、もう馴れていると見え、振返りもしない。その背景に、すでに見えはじめた廃墟がひろがり、敗戦日本の情けなさが今更のように胸を衝く。すべてが見すぼらしく、汚ならしく、ゴミゴミしている。赤い大柄なスタイルのよい米兵は、巻煙草をくわえて悠々と倉庫など覗き込んでいた。
立川からまた二人米兵が乗り込んで来た。絶えず口を動かしているところを見るとチューインガムでも噛んでいるのであろう。中年の男が小声でひそひそと話している。
「それでもいいところで戦争がすんでくれました。日本中がまああの通りに焼けてしまったあとで降参してごらんなさい、そりゃあ惨めなもんですよ。どっちにしろ叶わないのだから、大都市がやられたくらいのところで手をあげて、結局助かったというもんですよ。……」
午後二時新宿着。
○東京は相変らず物凄い人間の波だ。駅の中の至るところに英語が白ペンキや墨で書いてある。青梅口の広場には、女や老人が路傍に腰を下ろして見わたすかぎり露店をひらいている。いわゆる新宿マーケットであろう。
群衆の間から覗いてみると、化粧品、紐、靴ベラ、草履――安っぽいが、日常生活に必要なものでないものはない。その前に貼り出された値段表は公然と公定の二十倍三十倍の値段である。
東京新聞に「餓死線上に彷徨する都民」という見出しで、冠水芋を買出部隊に掘り出させ、しかもそれを一貫十五円二十円に売りつけて、先日の大雨による水害を転じて一億円の闇利益をむさぼった東京近郊の強欲な農民を国民法廷にかけろと絶叫しているが、見たところ「彷徨している」何千人かの都民はべつに餓死線上にいるようには見えない。赤い肥った顔ばかりである。
しかし、渺茫と目路のかぎりのびひろがる大焼土――そこには荒れた草が蓬々と生いしげって、この六月下旬去ったときのような「赤い」印象は大分薄れているが、曇天の下に風にゆれている草原はいっそう鬼気を含んでいる。
爆音物凄く二、三機敵機が飛んでいる。「東京村」の住民は相変らず掘立小屋に住んでいる。おもちゃのように小さいながら柱を組んでいる家もあるが、全然赤茶けたトタンだけから出来ているひどいのもある。パプア人の小屋の出来そこないみたいな小屋から、髪の蓬々とした女が、赤い乳房をさらけ出したまま、地面の上の七輪を破れ団扇でバタバタ煽いでいる風景も見える。
或るケンブリッジ大学を卒業した紳士が米兵に道を教えたところ、米兵が煙草を与えようとした。紳士は毅然として「貴兄は敗戦国民はみな乞食だと思っているのか」といった。米兵は愕然としまた微笑して、「私は貴方のような日本人を待っていた」云々といったという話を物語り、それに対して東条大将の醜態を痛罵し、また米兵の残飯を拾い歩く民衆を熱嘲していた投書があった。東条大将は、彼自身の理屈はさておき、軍人としてはまさに一言もない不始末である。しかし民衆は責められまい。だれもがケンブリッジ大学を出たわけではない。だれも満腹で米兵の残飯など拾いたいものではない。実際、配給ばかりで暮していたら、闇をしなかったら、国法を破らなかったら栄養失調に陥らない日本人は一人もあるまい。
淀橋病院に寄り、また虫すだく「昭和二十年の武蔵野」を駅に帰る。十六時十分の平行常磐線に乗り、六時半茨城県石岡町に着く。松葉の家に泊る。
十九日[#「十九日」はゴシック体](金) 雨後曇
○夕、松葉と石岡近郊を散歩。常陸総社宮などに詣る。玉垣にも拝殿にも英語が書いて貼ってある。野道に夕靄蒼し。ひろびろとした稲田に虫の音微かに、いい匂いが満ちている。雑木林の東の空に黄色の月昇り、北に筑波山微かに影を浮かむ。
浅田教授の『法医学講義』を読む。
○狷介といわれ剽悍と罵られた日本軍(それは軍人としての一種の美点ではあるまいか)が、終戦時大した反抗も示さず消え去ったのは、後にふたたび日本軍が建設されるときに(それは自明のことである。その根拠も理由も今は絶対に挙げることは出来ないが、時というものがそうさせる。不思議だがそうさせるのだ)軍人精神のゆえに大命に従ったのだというようになるかも知れない。
しかし日本軍の消滅は天皇の御命令だけではない。それは軍全体に印せられた敗北観念からである。
強がりはやめよう。日本はたしかに負けたのである。しかし。――
われわれは未来永劫にわたって、現在のごとく米国の占領下に日本があるとは信じない。日本は盛り返す。そしてきっと軍隊を再建する。
軍備なき文化国、などいう見出しのもとにスエーデンなどが今称揚されているが、スエーデンが世界史上どれほど存在意義を持っているのか。
戦争のない世界、軍隊のない国家――それは理想的なものだ。そういう論にわれわれが憧憬するのは、ほんとうは尊いことなのであろう。しかしわれわれは、そういう理想を抱くにはあまりにも苛烈な世界の中に生きて来た。軍備なくして隆盛を極めた国家が史上のどこにあったか。われわれは現実論者だ。
正直は美徳にちがいないが、正直に徹すれば社会から葬り去られる。それを現にわれわれは戦争中の国民生活でイヤというほど見て来たではないか。
悲しいことだが、それは厳然たる事実である。それを「軍備なき文化国家を史上空前の事実として創《う》み出すのだ」などいう美辞を案出し、また日本人特有の言葉に於ける溺死ともいうべき思考法で満足している連中の甘さには驚くほかはない。実際世間とは馬鹿なものである。相当なインテリまでが、アメリカによる強制的運命に置かれている現実をけろりと忘れた顔で、大まじめに論じている。
「そのアメリカは軍備をいよいよ拡大しつつあるではないか」
こう問いかけるわれわれに根拠のある返答の出来る人がどれだけあるだろう。神兵だの神話創造など、戦争中無意味な造語や屁理屈的論理を喋々した連中にかぎって、今度は澄まして、しかも頗る悲劇的な顔つきをしてみせて、幼児のごとき平和論をわれわれに強制している。このごろラジオで中性的な金切声を張りあげている女どもは、あれは半陰陽ではあるまいか。
二十日[#「二十日」はゴシック体](土) 雨また曇
○正宗白鳥『文壇人物評論』を読む。
白鳥の眼の冴えたると態度に拘われざるに感服す。ヘタな小説を読むより遥かに人が悪くなる。よくいえば物を見る眼が深くなる。ただし藤村論、漱石論だけは逆方向にいささか何かに拘われていずや。作品を論ずるに作者を熟知するは必ずしも得とならざる例の一つか。
○松葉三十八度五分の高熱を発す。何病か分らず。
○何度も思うことなれども、一つの時代を結果的に後世より評論断定するのは実に危険である。今、戦争中の事象について、アメリカの尻馬にのって論じている連中は言語道断であるが、しかし戦争中またそれ以前、歴史をわれわれがいかに見ていたかを反省するとき、全日本史に対して深い懐疑を覚えずにはいられない。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](日) 雨
○嵐模様。寒し、午後微震あり。松葉歯痛甚し。高熱衰えず。Anginaか。
○吉川英治『親鸞』を読む。内より発する宗教的感動一毫もなくしてかかる大冊を書きつづけたる作者の線の太さには感服せざるを得ず。読むに大努力を要す。
「女人編」中「吉水夜話」に於ける心寂の話、「法敵編」中「春雷」に於ける心蓮の話、全然同種のものを別人の逸話として書きあり、また何のためにかかる人物を登場せしめたるかその始末をどこにつけたるか、判断に苦しむものあり。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](月) 雨
○午前十時四十分の上りで上京。霧雨。
淀橋病院にゆき、学校へゆく。事務所の扉をあけて入って見たら、奥野教官が背広を着て事務を執っていたので胆をつぶした。
復員後の職を学校の事務に求めていたのであろう。何も奥野教官のせいで敗けたのでも、教官が終戦時に見苦しい醜態を見せた軍人の一人というわけでもない。彼は戦争中怒罵叱咤で全校を摺伏させた鬼教官であり、勇気凜々と召集され、終戦に当っては悲憤した模範的将校である。それが今は悲しきサラリーマンとなって、おそらく当分の間は、軽薄な学生のザマ見やがれ的な嘲笑の的とならねばならぬ。八月十五日を境としてこんな――もっとひどい運命の逆転を見た人々が多かろう。悲痛というより人生的滑稽の感がこみあげて来て、外へ出てからも自棄的な? クツクツ笑いがとまらなかった。
伊勢丹のところの十字路で、アメリカ兵が通行中の日本娘二人をジープの中に抱き入れて、膝に抱っこして飛んでいってしまった。悲鳴をあげるどころか、娘たちは顔を真っ赤にして、しかし眼はかがやいて笑っていた。
渋谷から玉電に乗り、三軒茶屋に下りて高須さんの家を探す。霧雨に傘なく眼鏡曇りて閉口す。夕方やっと探しあて、再会の悦びをのべる。
高須さんは近いうち沖電気をやめて、二、三人の友人と銀座にフルーツパーラーをひらくという。青森の林檎や林檎酒が明日にもトラックで到着するはずなりとか、新宿の高野フルーツパーラーの支配人にやらせるとか、気焔当るべからず。
ただし今の家は、六畳二つに三畳の平屋、障子破れ屋根洩り、道具何一つなくガランとして見るからに惨澹。
夜雨。一つ蒲団に寝る。枕もとにしきりに雨洩る。だいぶ以前より洩るとみえ畳のその部分腐っているが、高須さんは平気な顔をしている。
永松浅造『革新陣営の人々』という本があったから読んでみる。戦争勃発当時の各界のホープと目されし人々の顔ぶれ、今読めば実に感無量なり。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](火) 雨
○十時ごろ起床。高須さんと二人で貧しき朝兼昼食。
正午ごろ新宿にゆきて、学校にいってみる。飯田より帰還の荷物第一陣が午前新宿駅に到着するゆえ生徒は協力せられたしとの掲示があった。
伊勢丹でも三越でも一枚十円で漫画家が似顔を書いていた。見本として貼ってある顔もアメリカ兵の顔で、Welcome! とか Everybody! とか、やたらに英語が書きたててある。
二時ごろ上野にゆく。構内埃立ち迷い、幾百千の人々の泥靴とどろく。冷たいコンクリートの床に横たわっている三人の少年があった。顔は新聞で隠しているが、痩せ細った手足の青さ。また円柱の下で、半裸の女が新聞を舐めていた。凡らく握飯でも包んであった新聞紙であろう。
この駅では今、住むところのない老人や少年たちが、多いときは五、六人、少い日でも二、三人は毎日餓死してゆくそうである。浮浪少年たちはグループを作り、それぞれチンピラの親分があって、スリ、カッパライ、また米兵にねだって獲得した煙草やチョコレートを売って暮しているそうである。復員した工員や戦災孤児が多いという。老人も爆弾で家を焼かれ身寄りを失った人ばかりという。駅前の宿屋には復員して来たが東京の家も肉親も消え失せていたという兵士が茫然と暮しているが、その生活費として一ヵ月千円以上かかるという。闇で食糧を買わなくてはどうしようもないからである。
五時半石岡町着。松葉熱さり、痛みも収まりたるごとし。左頬大いに腫る。
○ブルノー・タウト『日本美の再発見』読む。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](水) 晴
○夜来の雨止む。白雲流るれど久しぶりに碧空より日の光落つ。午後相当の地震を感ず。
○アルツイバーシェフ『最後の一線』を読む。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](木) 晴
○蒼空。松葉に栗買ってもらう。二貫目で四十円なり。
○伊沢凡人『薬』を読む。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](金) 曇
○薄冷え。天野貞祐『学生に与うる書』を読む。
○終戦時日本機の撒布せるビラ。藁半紙ハガキ大に謄写版刷りせるもの。
「断乎徹底戦斗アルノミ。内ニハ大逆臣ノ重臣閣僚及ビ其ノ参謀格タル財閥組織ヲ覆滅シ、外ニハ米英ヲ撃滅ソ支ヲ破砕シテ、天皇絶対ヲ護持スベシ。国民ヨ、謀略ニカカリタル大逆臣ノ謀略ニカカル勿レ。唯歯ヲ食ヒシバツテ闘ヘバ必ズ光明アリ神州不滅。ポツダム条件ハ一顧ダニナシ。之ヲ鵜呑ミセンカ神州ノ再起ハ絶対ニナシ。吾等ハ神州ノ名ニ闘ヒ抜イテ神州護持ノ実ヲ享ク。実ヲトツテ国ヲ亡ボスカ。百円出シテ一銭ノ釣銭ヲ得ントスルユダヤ的計算ノ頭ノ日本人ハ赤子ニアラズ。天皇絶対ノ大ナル名ヲ護持スルニ飽マデ積極的ニ土ヲ喰ンデ前進戦闘セン。
天皇陛下万歳。日本陸海軍万歳。日本国民万歳。大東亜万歳。    東天会」
東天会とは陸軍乃至海軍内の一結社ならんか。書いた本人にはよくわかっているのだろうが、読む方は一寸首をかしげざるを得ない文章ではあるが、いかにも単純な青年将校の昂奮した息づかいが見えるようなり。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](土) 快晴
○朝七時半、駅に東京行切符を買いにゆく。
これまでは前日申告制であったのが、この二十五日から当日先着順となりこの石岡駅では午前十時から札を売り出す。局内二百枚内外だそうである。この札をもらって、改めてまた切符の行列にならぶのである。
朝四時五時からならんでいる人もあるそうで、僕がいったときはもう百五、六十人もならんでいた、碧く美しく晴れた空なのがまだしものことだ。しかしその空にはアメリカの飛行機が銀色の翼と胴をかがやかせて、悠々と監視飛行をやっている。
ほんのしばしブールジェの『弟子』を読んでいたら、もう後に三、四十人の行列がくっついていた。そこには白い木札に Goods office(貨物取扱所)と書いたのがぶら下がっている倉庫の横で、飴色の牛をつけた空車が一台置き放しになっていたが、飢えた牛は、山のように積まれた蓆包みの荷を口で引きずって、その蓆をばりばりとむしり取っては涎と一緒に食べていた。梱包も何もかもめちゃくちゃになってしまうのだが、それを人々は気がかりそうに眺め、牛を追おうともしない。だいぶたってから男が一人やって来て、荷物をちらっと見ただけで、牛をどこかへ引っぱっていった。
ブールジェは面白い。読んであとでああ馬鹿を見たという感じを決して起させない。医学者的な解剖癖が、現在の自分と合うからなのであろう。しかし昨夜二時まで起きて本を読んでいたので眠くってしかたがない。
「やいやい、金魚のうんこみたいにぞろぞろならびやがって、朝っぱらからこんなところに暇そうに立ってる野郎の面あ見ろい。どいつもこいつもロクな面あしていねえ」
と、突然発音不明瞭な声でこう怒鳴った者があって、振返ってみたら、黒い角袖を着た老人が、煙管を横くわえにしたまま、よろよろと歩いていた。酔っぱらっているらしい。色んな悪口雑言を大声でしゃべっては皆を笑わしている。
「天皇――天皇が何だい、あんなもの何でもありゃしねえ。あんなものあ床の間のお飾りみたいなもんだよ」
といった。みんな黙っている。三ヵ月前ならこの老人は張り倒されたろう。
わあーっという声がして、駅前の広場をアメリカ兵を乗せたジープが横切っていった。声はあとを追っかけて走る町の子供たちである。石岡にも進駐して来るはずで宿所まで決めてあったのだが、何かの都合で取止めになったそうだから、これは土浦かどこかに来ている進駐兵であろう。
行列があんまり長くなり過ぎたので、心配した人が順々に数えはじめた。最初数えたとき僕は百五十六番であったが、二度目のときは百八十八番になっていた。
「途中から割り込む人があるんだよ。図々しいったらありあしない。いくら知ってる人だからって、割り込む奴も奴なら、入れる奴も奴だよ」
「そりゃね、一寸便所にゆくくらいはいいさ。けど御飯食べに帰るとか――そんなのはまあいいけど、仕事しに家に帰るなんて、そんなことをいやあ、だれだって忙しいわ。それをこうやって我慢してならんでるんだもの、公衆道徳ってものをもう少し守らなくちゃあねえ」
と、うしろの長屋風の女が――もっとも今の女は大抵長屋風になってしまったが――憎らしそうに話している。御当人たちだって時と場合によれば平気で割り込みかねない御面相である。
二百と数えられた人の後の行列も、未練を残して決して去らない。二百枚内外に希望をつないでいるのである。
やっと行列が動き出し、ほっとした。あと十人位でおしまいになる危いところで買えた。その札をもらってからまた切符の長い行列にならばねばならないのだが、一応松葉医院に帰る。町の家々は配給のサツマ芋を大事そうに蓆にならべて日向に乾していた。
二時十四分の汽車で上京。大混雑。
依然窓ガラス破れ、座席の布裂けて藁のはみ出した汚ならしい汽車、この汽車も「ポツダム宣言」をのせて走っているのだ。各駅ごとに、新しく乗り込もうとする人々と、デッキに溢れて身動きも出来ない乗客との間には汚ない喧嘩の応酬が起る。
多分買い出しであろう。重そうなリュックを背負った老人が強引にもぐり込んで来て、網棚を祈るがごとく見あげたが、むろんどこにも荷物をのせる空間はない。老人はともかくといった顔でリュックを肩から外して足もとに置こうとした。足もともそれこそ立錐の余地はない。傍の中年女が大げさに顔をしかめて、「イタ、タ、タ、ああイタ!」と悲鳴をあげる。
窓をあけるとそこからもぐり込んで来るので、人いきれでむし暑いのにガラス窓はしめっきりだ。駅につくと外のフォームからどんどん拳で叩いて、「入れてやって下さあい、お願いです」と半狂乱にわめきたてるのだが、みな知らん顔をしている。
土浦で若い駅員が窓硝子を壊れるほど叩いて、
「こらっ、中の奴ら、あけんか。あけろ、こらっ」
と、さけんだ。
すると、その内側の殺気走った顔をした男がいきなり硝子窓をあけて、ぐいと駅員の手首をつかんだ。
「きさま何だ」
「駅員です」
と駅員はめんくらって答えた。
「駅員なら駅員らしくしろ。何だいまの言い草は。――戦争中たあちがうぞ。きさま何て名だ」
「土浦の松尾です」
「土浦駅の松尾、よし」
というと、中の男はまたがちんと窓を下ろして、知らん顔をしている。鉄道関係の人でも何でもないらしい。唯々諾々として羊のような今の乗客をなめている駅員の心胆を寒からしめただけらしい。
汽車が出ると、ひとりごとのように、
「戦争中には駅員なんてやつが大きな面をしやがったから、これからは少しおどしてやるに限る。何でも逆になったんだから」
と、いった。
人間世界の醜さ、凄惨さ、あさましさにくらべて、窓外の風景の何という美しさ。碧い空に白雲流れ、見わたすかぎりの田園は黄金の波を打っている。国破れて山河あり。
東京近くなったとき、デッキの方から、
「諸君よ、諸君、同胞諸君。(彼は同胞を特に|はらから《ヽヽヽヽ》と叫んだ)吾々の兄弟姉妹よ、お互いにいたわり合いましょう、席は譲り合いましょう。是非三人がけ、三人がけになすっていただきます」
と、野太い大声でいいながらやって来た人があった。黒い戦闘帽をかぶり、骨組の大きい、頬にイボのようなほくろのある老人であった。僕の前に中学生が座っていたが、それを指さして、
「そこの中学生君――」といいかけたら、中学生はピョコンと立ちあがった。
「ああいや、立たなくてもいいです。三人掛、君、立たなくても。――」
と老人はいったが、中学生は顔を真っ赤にして、もう座ろうとはしなかった。老人はその肩を叩いて、
「君は立派な中学生だ。そう来なくっちゃいけない。君はきっといいお嫁さんをもらうよ」
といった。
身動きも出来ないはずの通路をこの老人はやすやすと通り過ぎてゆくからふしぎである。肩をいからし肘を張って自分の権利を主張して、おたがいを窮屈にさせている意地悪さが、老人の号令に圧倒されたのである。
凡らくどこかの町会長か隣組長でもやっている人ではあるまいか。そのわざとらしい調子に、人々はしかし感心するより何だか気恥かしさを感じているようだった。しかしひっこみ思案の日本人の中では、こういう度胸を持った人はたしかに存在価値がある。
日暮里でもがきながら下りた。山の手線は恐るべき満員で全然手出しが出来ず、二台を見送り、三台目にやっと乗る。
日はとっぷりと暮れていた。渋谷から、これまた人間にふくれあがった玉川電車で三軒茶屋へ。
空にはふるような星屑が凍っている。暗くてこの前来た路地がわからず、夜|晩《おそ》く高須さんの家につく。
入れちがいに一人の婆さんが出ていった。
高須さんにきくと、それは高須さんがこの家に引っ越して来た当時近所にいた人で、そのとき高須さんはその人から蒲団を借りた。婆さん一家は甲府に疎開したが、今度東京に帰って来た。ついては米を貸してくれまいかという話に来たのだという。蒲団は借りっぱなしだが、婆さんの口のきき方がいかにも恩着せがましいのでそれを断わった。だいいち実際問題として貸す米もない。
「借りた蒲団も今は使っていませんが、少し汚れましたのできれいにしてお返しします。といってやったよ」
と、高須さんがいっているところへ、先刻出ていった婆さんがまた入って来た。
「お蒲団、今使っていられないのでしたら、ついでに戴いて帰ります」
という。高須さんは大狼狽して「あとできれいにして」云々といって見たが、婆さんは強引に抱えて持っていってしまった。二人苦笑、爆笑。
「今夜一晩何とか蒲団なしで我慢しましょう。明日は僕が病院から僕のやつをとって来るから」
と僕いう。
昨夜夜ふかしをしたあげく、今日一日中もまれぬいたので疲労困憊していたが、この始末なので一寸寝られない。十二時ごろから薪を焚いて、茨城から持って来た栗をゆでて食う。二時ごろ眠る。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](日) 快晴
○秋はすでに深い。夜明けせまるにつれ、沈々と寒さは凍ってゆく。畳の上に二人レインコートを着て横たわり、上には毛布を一枚かぶっただけだから、腸の底まで冷えわたって三時には眼が醒め、またウトウトしたかと思うと四時にはもう寝ていられなくなって起きる。
朝食後、淀橋病院に蒲団とりに出かける。快晴である。眠りは足りないが、美しい秋晴れは爽やかで、心まで弾むようだ。三軒茶屋停留所ちかくの焼野原に、マーケットが出来るらしく、柱を組み立てつつあった。
淀橋病院にゆく。飯田から送った荷物は小児科室に積んであるので大童になって探したが、どうしてもない。きくと第二回目の荷物はきょうごろ着く予定だという。まだそんなことかと失望した。
学校に顔を出すつもりで歩いてゆくと、伊勢丹裏の焼野原を、アメリカ兵が大きな車輛機械で整地していた。ブルドーザーというものだそうだ。巨大な機械が二台、それに一人ずつ乗って、チューインガムをかみかみ、また煙草を横ぐわえして、ハンドルを握っている。車の通ったあとは黒土が平坦にならされてゆく。チンチクリンの日本人たちが雲集して、口をあけて見物していた。
学校にゆく途中、予科練の少年と逢う。東医に入りたいのだそうだ。軍学校生徒の入学試験は今日病院で行われているそうで、三十人入れるという。早稲田などでは、軍学校生徒に特権を与える必要はない、来春一般とひとしく入学試験を受けて入って来るべしと学生が反対して、学校相手に騒いでいるという。
学校の本館の前で見塩や谷川たちが日向ぼっこしていた。いま病院に寝泊りしているという。この月一杯で出ろといわれているが下宿などありっこはないし、第一いま外食しているのだが、それはそれはひどいもので、この通りだとゲッソリこけた頬を見せる。ゆきだおれはたいてい外食者だそうで、このままでは生命にかかわるという。
駅にゆく途中、伊勢丹の壁の下にアメリカ兵が一人腰を下ろして、その周りに子供達が集まっていた。彼は子供の持っていた日常英会話の紙(藁紙に謄写版で刷って一枚五円で今売っているもの)をとりあげて見ていた。首ったまにかじりついたり、肘につかまったりしている子供たちに、アメリカ兵は人のよさそうな赤い頬に微笑を湛えて、グッドモーニングサーなどとゆっくりしゃべっていた。傍の十字路で笛を吹いている交通巡査の青い腕章にも Police と書いてある。
○午後高須さんと浅草にゆく。
地下鉄のフォームにも群衆充満し、この焼野原のどこにこれだけの人間が住んでいるのだろうと奇怪なほどである。静かな飯田から帰ったせいか、神経繊維をタワシでこすられているような気がする。
浅草。地下から上っていって歩道に出ると、青い大空、白く満ち渡った日光。そして焼けひろがる浅草の風景の中に、芋を洗うように雑踏している何万の大群衆。
仲店もむろん焼けているが、建物がコンクリートだったせいか、輪廓だけは残り、落ちた瓦や朱の剥げた壁の下に、人相の悪い男や女が品物をならべてさけんでいる。
「さあ遠慮なく手にとってごらん。誰にもいい土産になる。田舎に持っていったら悦ばれること受合いだよ!」
「日用品、ホントの、ホンモノの日用品!」
「本革で四十円、東京のどこにも、これだけのものを四十円で売っているところはないよ!」
それにどよめく大群衆の騒音。――にぎやかさ、などいう形容では追いつかない。肩々相摩すといいたいが、前にも後ろにも自由には歩けず、この人間の洪水に入ったら、ただその一滴となってのろのろと動いてゆくよりほかない。日にかがやいててらてらひかる何万人かの顔はことごとく歯をむき出しているが、希望の色は見えぬ。ところどころ電信柱のようにアメリ兵の首がつき出している。
食物以外は、何でもないものはないと思われるほどだ。むしろに並べられた品物は少ないが、見たところ最近作られたものではなく、よく戦争中こんなものを作り、貯えてあったものだと思う。値段は公然たる国民公定価格≠ナある。鍋四十円、バケツ三十円、革帯四十円、歯ブラシ二円、といった調子である。その他フライパン、鞄、庖丁、鋸、お茶入れのブリキの筒――これも一個七円。
群衆の洪水の中をアメリカ兵が二人歩いていた。傍を歩いていた若者がそのお尻をつつく。アメリカ兵がふり返ると、青年は十円札三枚をつき出している。碧い眼は一応群衆の頭越しに見回して、それからポケットからキャメルを出して金を受取った。進駐軍との煙草の売買は禁じられているので、M・Pや Police man のいないことをたしかめて、兵士と民衆はこうしてウマくやっているのである。
現在煙草の配給は一日あたり三本である。どう工夫しても、十日や十五日は強制的禁煙となってしまう。
仲店の裏で、茶色の髪をした少年みたいなアメリカ兵が立って、その周りに群衆が集まっていた。傍で黄銅製の煙管を売っていた男が、
「買うねえ買うねえ、買うからいけねえんだ。こん畜生ののっぽ野郎、ひとの商売を邪魔しやがる。こっちは上ったりだ」
と、怒鳴った。
アメリカ兵はあんまり人が集まって来たので不安になったと見えて、スタスタ歩いていってしまった。「――一枚でも三十円でしょ? いっぺんに食べちまうもの、つまんないわ」と娘があと見送って話しているところを見ると、チョコレートでも売っていたらしい。
観音様の堂が作られつつあった。瓦も葺かれているし、朱も塗られている。高いところで大工が蜂みたいに槌をふるっている。一面広茫の焼野原にまっさきに浅草寺再建をやっているのはさすがである。堂の前に遠く縄を張って、その中におサイセン箱が置いてある。銭を投げておじぎしている男女たちを、アメリカ兵が軽蔑的なうすら笑いを浮かべて横目で見ていた。
バケツを叩いて売っていた男が、アメリカ兵に、ハローと怒鳴ってヒヒと笑ったが、アメリカ兵は苦笑して通り過ぎていった。おべっかをつかったのではない。この大道商人はからかって見たのである。群衆も笑った。
「幾らですか、というのはどういうのだい」と高須さんがきくので How much? だといったら、早速一人のアメリカ兵をつかまえて、一つチェスターフィールドを買った。アメリカ兵は How much には頓着しないで、サンジューエンとへんな声で答えた。日本人が妙な英語で話しかけ、アメリカ兵が妙な日本語で答える。滑稽な光景だが、みな馴れたものである。樹陰でその煙草を吸い出したら、まわりからたくさん煙草や煙管がニョキニョキつき出されて来た。みなマッチがないのである。瓜生岩子?の銅像が悲しそうにこの光景を見下ろしていた。
夕日が赤あかと、渦巻く砂塵を照らしはじめた。引返す。仲店の入口で若い男がトランクからパンみたいなものをつかみ出して、まわりの人々は餓狼のようにもみ合ってこれを買っていた。二個で五円であった。
高須さんがゴム引きの前かけを一枚十円で買っている間に、僕は枯れた草むらの中から噴き出している水道の鉛管を見つけて、乾いたのどをうるおした。
地下鉄に下りてみると大満員で、改札を出さない。米国兵が二人改札の両側に肘をつき体をうしろに斜めにのばして、入って来る日本人をジロジロ見ている。二人の姿勢が唐獅子めいていて、電車から下りて来る日本人は、とくに女はさっと顔を緊張させて足早に通りぬける。きれいな女だと、碧い眼がチラとあとを追う。みなの顔が緊張するのは敵愾心ではなく、恐怖のためである。
薄暗い地下に埃が朦々と乳色の霧のように渦まいて、とても改札を待ってはいられない。いっそ上野まで歩こうかと相談して、また街上に出る。
空をアメリカ機が嵐のような音をたてて飛んでいる。青黒い装甲トラックが七、八台連なって、アメリカ兵を満載して通り過ぎる。こうなると、敵の自動車までが日本の戦車より精巧で堅牢で瀟洒に見える。日本のすべてが不細工で脆そうに思われるのだ。無表情の奥に傲然たる誇りを碧い眼から冷たくのぞかせて、アメリカ兵たちは、薄汚ない猿の群のような日本人の波の中を大股に歩きまわっている。靴の革みたいな顔をした黒人兵も見える。
高須さんがこの間煙草を買おうとして値切ったら、首を横にふったので、うしろから "Black boy!" と怒鳴ってみたら、ギロリと睨みつけられてそれはそれはこわかったそうだ。そのいわゆる黒ん坊にさえ、日本人たちは珍らしそうにぞろぞろつきまとっているのである。
ここに愉快なのは大道商人のモグリである。仲店界隈の商人も土地の顔役から縄張りをもらっているらしいが、その許しを得ない連中が、路傍でコソコソ売っているのである。自転車をとめて箱からヒラメを出して売っている二人の男があった。女たちが十五円出して、ヒラメを一枚ずつ買ってゆく。むさ苦しい老婆が風呂敷包みからふかし芋を出して、四つ十円で売っている。饅頭みたいなものを一個五円で売っているやつもある。それでも黒山のように人がすぐにたかるのである。工場から追い出されたらしい少年工が、その芋をガツガツむさぼりながら歩いている。戦争中の苦役に対して余りにも少なかった報酬を、この空腹の少年はほんの数日でこうして使いつくしてしまうのであろう。
草っ原の中の焼け崩れた石塀のかげで、一人の青年がリュックをひらいてあたりを見回し、林檎をとり出した。ちょうどそこを通りかかったので、喉も乾いていたし、二個五円で買った。振向いたらもう凄い人だかりで、「チクショー、えらくまた集まって来やがった」とさけびながら、その林檎売りが逃げ出して来た。この青年がべつのところでコソコソとまた売っているのを、それから二回ばかり見た。彼は逃げ回りながら売っているのである。
上野駅に至るまで一面の廃墟だ。ただ駅附近の町だけふしぎに残っている。理髪店は Barber、弓道具店は Bow and Allow とガラス戸に書き出している。
まだ四時ごろなのに、五時からひらかれるのを待って、駅近くの食堂には外食者たちが行列を作っていた。赤鬼みたいに髪ふりみだした食堂のおかみが、行列の前で、舗道に台を持ち出して遊びのようにさつま芋を切っていた。この間まで用水槽に使われていたらしい伏せた空樽に、洟汁をたらした十くらいの小僧が座って、アメリカ兵を見てハローハローと笑いかけたが、アメリカ兵はニコリともせず通りすぎていった。
上野駅前にも切符を買う者、切符は買ったが今夜の汽車に乗る者が数千人座りこんで、長蛇を作っていた。中には立ったまま白米の握飯を食っている者がある。この間まではこんな大道や広場で、公然と白米を見せつけて食うような人間はいなかったであろう。
駅の中の切符売場の前にも、数条の行列がぎっしりつまっていた。その中の柱のまわりに人々が円陣を作っているのでのぞいて見たら、七つか八つくらいの男の子が、柱の下に座って泣いていた。はじめ猿の子かと思った。長くのびた髪の毛に埃を真っ白にかぶって、地も模様もわからないぼろぼろの着物をまとい、手足は枯木みたいに垢で真っ黒だ。そのあぐらの前には三つ四つのさつま芋がころがっている。
迷子でないことは、もうだいぶまえからここに座っているらしい風態からわかる。芋はおそらく通りがかりの人が与えたものであろう。
彼は大勢の人々にとりかこまれている照れくささから、芋をしきりに食った。が、もう芋に飽いているのは、一口か二口食ったら下に置くことでわかる。芋をかじっては、呆れたような、恐ろしそうな、怒ったような、脅えたような眼でキョトンと人々を見あげる。いま照れくさげなといったけれど、彼はまだそういう感情を持ってはいまい。何が何だかさっぱりわからないといった顔つきである。ときどき芋をくわえたまま、アアーン、アアーン、と悲しげに泣く。涙が埃と垢だらけの頬をつたう。その泣声は、だれかその泣声を聞かせるべき人を意識した烈しいものではない。子供の「お芝居」ではない。それは虚ろな、張合のなさそうな泣声で、すぐにキョトンとして芋をかじり出す。彼はこの何千何万とも知れぬ群衆の中にあって、まさしく孤独を感じているのだ。その泣声は子供としての恐怖や心細さや悲しさだけでなく、実に人間としての哀泣なのであった。それだけにその声は心ある者の腸をえぐるようだった。しかし、だれがこの子をどうしてやることが出来るだろう?
彼はちょいと立ち上ったかと思うと、柱の横に向って紙を敷き、その上にしゃがんでウンコを垂れ出した。みな呆れて、嫌悪と微笑を顔に浮かべた。一人老婦人が涙をふきながら、群衆の足もとに残されている芋を紙につつんで、そっと柱の根もとに寄せてやった。
切符を買って改札口に歩いてゆく途中にも、柱の陰の、息もつまりそうな埃の中に、ボロを着た女の子がしょんぼり座ってすすり泣いていた。
上野から新宿ゆきの電車を待ったがなかなか来ない。プラットフォームは群衆でぎっしり詰まっている。そこで東京駅へゆき、中央線で新宿へゆく。落日は赤あかと廃墟を照らし、焼け崩れたあちこちのコンクリート建築のガラス窓が血のようにかがやいていた。電車の窓から西の空に紫色の富士が見えた。
新宿につき、病院にいったがまだ蒲団は着いていない。石原に会う。これも目下病院に泊って外食している人間である。別人かと思ったほど頬が落ちていた。病院前の往来を、日本娘をのせたアメリカ兵のジープが矢のように走っていった。
駅前の新宿マーケットを見物する。関東尾津組が支配しているもので、電燈をつらねて景気のいいことおびただしい。商人の口上は浅草よりうまいようだ。
沖電気の藤川さんに逢う。終戦後莫大な人数の社員工員が解雇され、来年の二月ごろさらに大整理がある予定だという。手当も何もつかないし、とても今の東京では食べてゆくことさえ出来ないから、田舎に引っこんで当分形勢を見ようかと考えているという。海軍の電波兵器を作っていた沖電気はいま細ぼそと電気コンロなど作っているという。そんなことを話しているうしろを、二人の日本娘を従えたアメリカ兵が散歩している。みな憮然としてそのあとを見送り、「これからは女の方がいいかも知れないなあ」
夜晩くヘトヘトにくたびれはてて帰る。今の東京で二、三日あちこち動いたら、乗物だけで参ってしまう。すし詰めどころか電車は人間でふくらみ、鈴なりにぶら下がって走る超満員で、その中でもみつもまれつ、よろめいたり転がったりして騒いでいる人間を見ると――そしてその乗物を発明したのも同じ人間であることを考えると、涙の出るような滑稽を感じざるを得ない。
夜また栗をゆでて飢えをしのぐ。十二時就寝。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](月) 快晴
○明け方の寒さにまた四時ごろ眼醒む。ひるになれば日向、日の光に酔うようなり。日向ぼっこが今の最大の愉しみなり。午前中町会事務所にゆきて転入手続きをとる。
○午後淀橋病院にゆけど荷物いまだ到着せず。強引に東京に帰還せしめたる学校にして、爾来半月を経ていまだ荷物を疎開先より搬出し得ざるは何ごとぞやと談判すれど、日本とひとしく責任者あいまいにして、無益の談判に終る。
○駅の売店デパート、煙草配給所及び街頭いたるところに宣伝のたすきをかけ、旗を持ちたる宝クジの販売員を見る。ほんの先日まで勝札といいて売りたるものなり。一枚十円一等十万円、四等まで純綿の金巾、クジ外れ四枚にて金鵄一箱なり。
○チエホフの短編を読む。
三十日[#「三十日」はゴシック体](火) 朝晴午後曇夜雨
○四時半起床。九時高須さんといっしょにリュック背負って買い出しに、お茶の水から千葉県の津田沼へ。
十時三十分着。少し歩いて京成バスを待つ。大行列。ときどき百姓が車をひいて通ると、みんな「何だ?」といって首をさしのばす。飢えた眼である。
青い野菜畑のつづく地平線にレンズのような雲が浮かんでいる。一時間ばかり待って、汚ないバスにすし詰めになって、習志野を通って終点につく。ここから林の中の白い路を歩いて大和田にゆく。風が渡ると黄塵万丈三々伍々リュックを背負った買出部隊がつづく。
富士アイス牧場傍の小さな家に古清水さんを訪ねるつもりでいったのだが(古清水さんの奥さんの里)古清水さんは留守で、勝螺子のおやじが女工を一人つれて来ていた。野菜をもらいに来たのだが、古清水さんがいないので奥さんに薩摩芋をもらって帰る。勝は二人で五貫目ずつ背負っていた。こちらは芋はきらいだが、ほかに買うものがないので、二人合わせて五貫目もらう。
勝は沖縄の人である。雇っている十人ばかりの職工女工もみな沖縄の人間で、終戦以来工場は休んでいるが、これらの雇人をくびにするわけにもゆかず、食糧の補給に大変らしい。芋でも一貫十円するけれど、米一升七十円よりもまだマシだという。
終点に戻ってバスを待ってみたが、行列は長いしバスは来ないし、たとえ来ても乗れるかどうか疑問なので、いっそ歩いちゃえということになり、四人で習志野を横切る。
白い埃路の両側に白すすきがなびいて、土の上にその影がゆれている。両側は松木立を混えた大草原である。時々通るトラックは眼もあけられないほどの埃を巻きあげる。それにも買出部隊がのせてもらっている。飴色の牛が、やはり二、三人の買出女をのせて、ひっきりなしに通る。路上には涎のあとがうねうねとつづいている。
路の遠いのに閉口した。足にマメが出来たような痛みが生じた。ヘトヘトになって津田沼駅に着く。
壁に、椀に梅の実みたいなものが二つ入ったへたくそな絵が貼ってあって、その上に、
「長い道を歩いてみると乗物の有難味がわかる。つねにその感謝の気持ちで。里見ク、社団法人、日本文学報国会」と書いてあった。ク先生もポスター書きはあまり上手ではない。
東京に帰る電車にも芋買いの大群が充満している。いまにも死にそうな老婆が八貫目くらいの大袋を背負っているから驚かざるを得ない。
お茶の水から渋谷までの電車も、息もつけぬ混みよう。男も女も全身を密着させてハーハーいっているが、性欲など感じるにはあまりに物凄くて、激烈で、だいいちお互いがむさ苦しい。都会生活は烈しいなんていっても、こんな物凄い激しさは過去の東京人は知らなかったろう。尤も今の東京は都会生活といえたものではないが。
家についたときはちょっと不機嫌になっていたほど疲労していた。疲労の三分は習志野を歩いたことが、七分は乗物の拷問のせいである。
風呂にいったが例によって休業である。寒いけれど、冷水でからだを洗って寝る。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](水) 雨
○午前芋を洗う。午後天ぷらを作る。
○佐藤春夫『田園の憂鬱』を読む。余は『都会の憂鬱』の方が好きなり。
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[#小見出し]  十一月
一日[#「一日」はゴシック体](木) 快晴
○午前十時より第一教室にて緒方校長の話あり。学校民主化をさけぶ論旨、あまりにも|げんきん《ヽヽヽヽ》にしてひっかかるところあれど、またあまりに熱烈痛快なるがゆえに、みな笑う。
曰く「教授内容はドイツ医学より米国医学に切替えるべし。従って外国語はドイツ語より英語を重んず。出来るなら教授数名をただちにアメリカに派遣致したし。この際進んでアメリカの懐に入るにしかず」
また、校地の買収拡張計画、図書館、標本室拡大計画、血清学教室、病因学教室、公衆衛生学教室の拡張計画etcにつづき、――曰く「戦争中は実に不本意なること多かりき。配属将校なるものが諸君の及落にまでくちばしを入れたるは余の心外千万なるところなりしも、当時は万やむを得ざりしなり。彼らに対し、その酷使するところとなりし諸君の恨み深かるべきも、彼らはもと教養なき野蛮人なり、諸君とは育ちがちがうなりと思いて、たとえ彼らが本校の事務員となれる姿を見るもこれを問題とすることなかれ。戦争中の責任はことごとくわが負うところなり。
これより軍国主義は一切払拭す。軍隊のごとく徒らに大声を発し、機械人形のごとくピンシャンするのはエネルギーの大損にして、ふつうの態度をとりて充分つとまる話なり。
見よ、アメリカはそれでいって、しかも戦さに勝ちしにあらずや。上官にも或る場合を除けば敬礼せず、上下悉く愉快に笑えり。それがほんとうにして、日本のごとく敬礼一つ忘れたるがため重営倉に叩きこむがごときは愚劣野蛮の骨頂なり。話せばわかるなり。話せばわかるといいし犬養首相を問答無用と射殺し、議会で黙れとどなりつけたる軍人は、無智蒙昧の標本なり。人間の思想と感情は自由なものにして、これを腕力で押えつけんとするは僭越の極みなり。爾今、挙手の敬礼など一切止むべし」
曰く「よく遊びよく学ぶ。まず遊んでしかるのち勉強と考えてよろし。これより出席のごときは一切諸君の自由とす。授業時間以外は学校に笛太鼓がプカプカドンドン鳴りているとも一向に構わず」
曰く「ただ目下諸君の住と食は問題なるも――宇都宮より通学する学生もありときく――しかし学校としては、諸君の私生活まで援助する資力もなければ、義務も感ぜず。何とかして東京に居を探し、モグリ込み、歯をくいしばっても辛抱せられたし。それの不可能なる人は当分休学するか地方の医専にでも転学せられよ。お気の毒ながら学校としてはかくいうよりほかはなし」
校長の演説をきいていると、何だか敗戦をうれしがっているようなり。ただし、校長も情ない情ないを連発す。
日本人は頭が悪いから仕方がない。余はこの頭の貧弱なる国民に生まれたることを恥辱と思う。余を卑屈と怒るか知らねども、当分日本はどうしたって米国に頼らねば生きてゆけざるなり。こう考えるは賢明にして、決して卑屈にあらずと思う――などいう。
さて、一般に教養ある日本人が、終戦以来の連合軍司令部に心中快哉を叫ぶがごとく見ゆるは考うべき問題なり。余のごときは、その命令が適切なればなるほど、それだけ癪に障ることおびただし。されど……だんだんとかかる新教育に馴致されゆくこととなるべし。実に残念無念なり。
学生中より各クラス五人ずつの委員を出し、これを以て議会的に運用せんとの校長の立案あり。
校長の思考は幸福なり。されどアメリカのつむじ一たび曲るときは日本の干上るは免れがたし。ふたたび、力、これを得ねば永遠に日本はだめなり。余は校長よりも遥かに時代遅れなりと思う。
○空気碧く澄みて日光麗わし。きょうのごとく美しき天気めったになし。今の東京は、枯木、草原、碧空、赤土、いずこを見ても蕭殺妖麗の絵画たり得たり得。
○夜沖電気の橋本氏来り、高須さんと、米、魚、豆、塩、果物など地方より買う話、売る話。余は商売の話など無縁の性なれども、あれほど気楽に無鉄砲に考えてよきものなりやと、傍できいていていささか心配となりたり。
二日[#「二日」はゴシック体](金) 晴のち曇
○朝十時より浅田法医。午後、病院にゆきて飯田よりの荷物の山を探す。依然余の蒲団包みなし。
○日本はマッカーサーと凄惨な運命にのたうちまわり、津々浦々まで蒼ざめてこの名と今の運命のことのみ脳天に充満させているが、世界はもう日本のことなど考えてはいまい。マッカーサーという日本にとって永劫に運命的な名も、世界の中では知らない者の方が多かろう。あたかも独逸占領のソヴィエト司令官の名などわれわれが知らないごとくに。
世界の考えているのは、打ち倒れた日本や独逸のことではなく原子爆弾のことである。
いよいよ科学が人間の手を離れてあばれ出した。人類が自ら発明した科学を制御出来るのはいつまでであろう。
地球も、人類の脳味噌も、滑稽で、恐ろしいものである。
三日[#「三日」はゴシック体](土) 快晴
○とにかく二人とも蒲団がないのだから大変である。どうして夜寝ているかというと、二人の所持している現在ありったけの衣類を総動員するのだが、それはそれは珍妙なものである。
まず机かけを敷いて、足もとには蚊帳をひろげる。肩の下に座蒲団を一枚ずつおいて、その上に身体を横たえるわけである。二人ともオーバーがないので、レインコートをかぶって、その上にたった一枚の軍隊のカーキ色の毛布をひろげる。足の部分に衣紋かけのついたままの洋服をのせて重みをつける。枕は書物である。
一夜、案外暖かったので「これ、やめられないね」といったら、冗談じゃない、いつまでたっても高須さんの蒲団も田舎から来ないし、こっちのやつも見つからない。けさも四時半ごろ寒さにふるえあがって眼がさめた。
夜いきなり屋根を引っぺがしたら、神さまも抱腹せずにはいられない漫画だろう。
ひるから高須さんと病院へゆき、半狂乱になってまた荷物を探せども、山のごとき疎開帰りの荷の中どうひっくり返して見ても、僕のやつはない。途中で失われたおそれ大なり。
午後風呂にゆき、ついでに三軒茶屋丸通へいってみたら、嬉しや! 高須さんの蒲団が来ていた。
○ポール・ブールジェ『弟子』を読む。
○滑稽と偉大とは一歩の差だ、とナポレオンはいった。ナポレオンは成功と失敗のことをいったのだろうが、べつの意味でこの二つの概念を連結する言葉がある。それは「悲惨」である。
悲惨は多くの場合、偉大と滑稽を同時に包含している。いまの日本の民衆の生きんとする苦闘の景など、この見事な例証である。
四日[#「四日」はゴシック体](日) 快晴
○朝、日昇らんとする黎明のころから、薄暮、日の没せんとするころまで、米機の爆音雪崩のごとし。今日も、昨日も、いつの日も。
○午前大掃除、午後、物置の屋根を壊して薪作り。
夜橋本氏来。進駐軍より買ったという煙草 Pallmall をくれる。二十本入り四十円とか。芥川の『開化の殺人』にこの語ありしを思い出す。
商談しきり。青森より林檎、山形より鮭、名古屋よりカマボコ、ツクダニなど仕入れる話、話依然楽天的なり。
つづいて勝螺子のおやじと工員来る。故郷沖縄なき十人の工員を養うに力尽きんとするがごとく意気消沈、慰めようもなきほどなり。
「もう、暴動起す元気もねえや。この一週間お米の顔など見たこともねえんです。悪くすると一千万の中に入っちまいますぜ。……」云々。一千万とは来年餓死者の予定数なり。
突然みんな火がついたように、復讐の話となる。近来の新聞ラジオの喧々囂々たる論をみなばかばかしいと吐き出すようにいう。剣を投げたる日本を、世界じゅう寄ってたかって、それのみか日本人までが踏んだり蹴ったりしている論議のことなり。
いまいちど、遠き未来とてもいつの日にか逆転せん。「それまで何とかして生きていたいものだな」とみな長嘆。
○チエホフの短編を読む。
五日[#「五日」はゴシック体](月) 快晴
○病院にゆきてまた荷物探し。古清水氏夜来泊。
○古清水氏の予測によれば、将来見込みあるは銀座、新宿よりも浅草なりと。田舎と関係深きところあればなり。
商売をやるに最もうるさきは警察にして、これさえ手に入れればあとは大したことはない。儲かるのは少くとも来年中にして、今のような何もかもメチャクチャの混沌時代は今年じゅうならん、闇商売も次第になくなりゆくべしとの話。
○大隠は巷に住むという。市井を愛するような口ぶりをする人に荷風がある。しかし市井というものは、あんまり愉快なものではない。余の上京以来の牛込袋町、五反田、東大久保、下目黒、ことごとくそうであった。今度の三軒茶屋はどうであろう。
となりの馬上吾郎という大工さんは好人物らしい。日向で鉋など鳴らしながら、「ねえ、ねえ、愛して頂戴ね」などヘンな声出して唄っている。おかみさんは不愛想で口が重くておっとりして、それだけに親切な善人である。子供がいないので、貧しく静かな生活の中に、仄かな寂しさが風のように吹いている。
○東京新聞に「戦争責任論」と題し、帝大教授横田喜三郎が、日本は口に自衛を説きながら侵略戦を行った。この「不当なる戦争」という痛感から日本は再出発しなければならぬといっている。
われわれはそれを否定しない。それはよく知っている。(ただし僕個人としては、アジアを占領したら諸民族を日本の奴隷化するなどいう意識はなかった。解放を純粋に信じていた)
ただ、ききたい。それでは白人はどうであったか。果して彼らが自国の利益の増大を目的とした戦争を行わなかったか。領土の拡大と資源の獲得、勢力の増大を計画しなかったか。
戦争中は敵の邪悪のみをあげ日本の美点のみを説き、敗戦後は敵の美点のみを説き日本の邪悪のみをあげる。それを戦争中の生きる道、敗戦後の生きる道といえばそれまでだが、横田氏ともある人が、それでは「人間の実相」に強いて眼をつむった一種の愚論とはいえまいか。
また平林たい子が「暗黒時代の生き方」と題して、いわゆる「転向」は「時を待つためにこの手段をとらなければならなかった、やむを得ないことであった」といっている。それならば日本人の大部分が、「今」がそうではないのか。いまが偽装を必要としない真実の時代であるというのは、盾の一面しか見ないこれまた一種の愚論ではないのか。
六日[#「六日」はゴシック体](火) 快晴
○学校の事務の方では、飯田からの学生の荷物はことごとく送出したという。ついに絶望のほかなきか。蒲団のみならず、衣類一切中にあり。焼け出されて、辛うじて家より整えてもらいたるものなれば閉口の極に達す。
○高須さんが船橋にゆき、夕、干鰯を買って帰る。三匹一円の由。船橋では何でも売っている。鰯の天ぷら三つで十円、牛乳コップ一杯五十銭、ショーチューなどもあるという。
○チエホフ短編を読む。
七日[#「七日」はゴシック体](水) 晴午後曇
○松葉に茨城から葱、里芋、大根など持って来てもらう。このごろ芋飯に芋の味噌汁のみでヴィタミン欠乏症になりそうなゆえなり。
○小泉丹『生物体の機構』を読む。
八日[#「八日」はゴシック体](木) 快晴
○予想というものは、一般に希望の別名であることが多い。希望とは自分の利益となる空想である。従って、これを逆にいえば「あいつは大した人間にはなれないだろう」などよく人は断言するが、これはその「あいつ」なるものが評者にとって不利益な人間であることが分ったときに発せられることが多い。銘々が心に振返って見るがよい。この野郎、将来小人物になるに過ぎんわい、など思うのは、たいてい癪にさわった――つまり自分の不利益になったときにきまっている。
○午前木村教雄教授、日本数学史第一回。志賀直哉『大津順吉』を読む。
九日[#「九日」はゴシック体](金) 快晴
○きょう電車の中で、前の人の肩越しにのぞいてみたら、白柳秀湖が「日本歴史より神話追放」という大見出しで何か書いているらしかった。その説はたいてい分っている。大賛成である。
天孫降臨や八州の修理固成や大蛇退治が、この戦争中哲学的に喋々され、神聖化されたばかばかしさは、実に何とも評しようがなかった。
われわれはこれから「神」さえも合理化しなければならない。例えば天皇が二度とマイクの前に立たれることはないであろうという側近者の話は、時勢後れと評するほかはない。ラジオで国民に呼びかけるというようなことを、それほど重々しく考える必要はない。くだらない神秘やもったいをつけることで民衆の崇敬がかち得られない時代は、遅かれ早かれやって来るのだ。
科学万能の果は人類の幸福か不幸か――それを不幸としないためには、事実としてはっきり把握することが必要だ。神秘はすなわち無知の産物で、それが人間の脳髄の及ばない時代はしかたがなかったとして、これからは堂々と天日に照らすべきである。惨禍は大部分無知から生まれるものである。
新しい日本歴史を歓迎する。ただし、これから出る歴史書は当分、今までの歴史と同様眉に唾をつけて見る必要がある。秀吉の朝鮮征伐を、大東亜共栄圏建設の理想に燃えたもの、など書いた戦争中の評価はばかげているが、さればとてこれを突忽たる侵略と断定し、イギリスの印度征服やアメリカのフィリッピン占領には眼をつむっているような歴史書はお話にならない。
とにかく神話は、ギリシャ神話の水準にとどめるべきである。
○夕、風呂にゆく。この五日から銭湯は二十銭に上った。「風呂の二十銭はいいですよ、燃料も要ることですから……しかし散髪の五円はひどい、メチャクチャですよ」という声、風呂の中でしきりなるをきけば、どうやら散髪代も上ったらしい。
出れば金色の細い上弦の宵月。空は淡青に冷たく澄んでいる。国民酒場には労働者や人夫やサラリーマンや職人たちが大行列している。通りすがりにきくと「三百円、どうして飲めるもんですか!」という嘆声。酒一升の闇値の話ならん。
十日[#「十日」はゴシック体](土) 晴
○午前久保生理。午後岩男内科、低血圧症に就いて。
○明日は進駐軍が神宮外苑で遊楽するため、一部省線電車は乗車禁止を行うと。敗戦国は惨めなるかな。
○日本のアジア解放戦は真実邪悪なる侵略戦であったか。見よ、インドネシアは独立を叫んで英蘭軍と戦い、安南軍はフランスと死闘をつづけているではないか。日本は今や刀折れ矢尽きて不甲斐なくも敵の軍門に下った。われらはこれらアジア諸民族の戦いをただ黙して傍観しているよりほかはない。
日本に執拗な反抗をつづけた蒋介石は、日本の価値と大東亜戦争の意義を、遠からず骨身に徹して知るであろう。今やすでに全中国を動乱の渦に巻きこみつつある中共との戦いに対し、蒋先生以て如何となす。だから言わぬことではない、と日本から思われても致し方ないではないか。
○「小智恵あるものは当代を諷するものなり。」
○「小理屈などを合点したるものは、頓《やが》て高慢の心を生じ、一風変りたるものなどと言われては有頂天になって喜び、われ今の世に合わぬ生まれつきなど云いてわれをこの上なしと思うは、天罰あるべきなり。」
――葉隠――
十一日[#「十一日」はゴシック体](日) 快晴
○蒼空一片の雲もなく強風烈し。神宮外苑の米兵に相応ずるか、米機十機二十機編隊くみて爆音凄じく飛び交う。
○午後うどん作り。摺鉢にて小麦粉を練り、机の上にてすりこぎを以てこれをのばし、庖丁にて細く切る。仲々うまくゆかず、縄のごときうどん生ず。それでも食えばやっぱりうどん的にして頗るうまし。
○夕食後(夕食は四時なり。今は朝飯を九時乃至十時に食い、昼食ぬきの二食生活なり)高須さんと三軒茶屋より若林町の方へ散歩す。
キャンプでもあるにや、米軍ジープ往来しきりなり。町の子らことごとく双手をあげて、一台毎に歓声をあぐ。苦笑いのほかなし。この子ら先日まで皇軍に歓呼す。強者こそ彼らの絶対無条件の英雄なり。無邪気という点に於て、女子また群衆、小児に大同小異。
松陰神社も暮れんとして幽暗閑寂。村塾の模型にも人住めるがごとし。裏に回れば芋干されあり、火も見えぬ。罹災者なるべし。
○「上下によらず時節到来すれば家が崩るるものなり。さるをそのとき崩すまじとすれば、見苦しき崩れ様するものなり。時節到来すれば、潔く崩す方実に見よきものなり。」
――葉隠――
十二日[#「十二日」はゴシック体](月) 快晴
○午前木村教授、日本数学史第二回。午後田林教授 Syphilis。
○日本人は敗戦の打撃による自失からようやく立ち直ろうとしている。むろん自失は未だまったく消えたわけではない。醒めてもマッカーサーの厳酷なる命令には服従しなければならぬ。しかし民衆の心の底には、これまでの総司令部の命令を夢うつつのごとくにはきかない一種の批判力が生まれて来つつあるように思われる。この感情がすなわち「時」の賜物であって、再起の第一歩となるものである。
米軍総司令部は、東条大将が三菱財閥からその邸宅と一千万円の贈与を受けたと公表し、その後郷古潔から左様な事実なしと訂正の申入れを受けた。事実のあいまいなるに拘わらず、がむしゃらに東条を悪漢にしてしまおうとする魂胆はここにも見え透いている。
U・P社長ベーリーの「日本には食糧もいかなる種類の援助をも与えず、世界の前に惨たる日本たらしめよ」云々という談話。その他天皇制問題について最近敵側が露わにしはじめた、ただ勝利者としての圧迫的放言は、今でこそアメリカは天下無敵だからいいようなものの、これが後世にタタッて来ないと誰が保証出来ようか。
圧迫歓迎、弾圧万歳。われわれは米国の甘い「人道的政策」を心配しているのだ。精々惨忍と圧制をほしいままにして、日本人に或る感情を蓄積せしめよ。
○「将来日本の政体は日本人民の自由なる意志にもとづいて決定される」と敵はいう。
この「自由なる意志」というのにみな安心しているが、そう安心していいことであろうか。
現在ただいまならば、公平に見て、日本人中九割九分までは天皇制を支持している。しかし「将来」とはいつのことか。敵はそれを明言していない。
敗戦のとき日本は反覆して天皇制存続のことにつき条件を保留した。敵はこれに対して空とぼけた。苦しまぎれに日本は、敵が黙っている以上は承知したものと考えて(考えようと無理に考えて)降伏した。敵が絶対不承知なら、あの際日本のダメ押しを明確に一蹴すべきである。そのときは素知らぬ顔をして、今や日本がまる裸となってから「われらは天皇制を支持すると曾て言明したことはない」と放言しようとしている。日本みずから進んで欺かれたのだとも云えるが、敵も進んで欺いたのである。
いつのことかはっきりしない将来にまで、日本人民が「自由なる意志」を持ち得るか。圧制、懐柔、新教育、新理念、宣伝等によりそれが歪められることは可能であろう。
しかし、余思うに、日本人に天皇は必要である。われわれは八月十五日に於ける天皇に対する戦慄的な敬愛の念を忘れることは出来ない。
いずれにせよ、敵が天皇制を認めようと否定しようと、それは米国自身の政策の都合による。そしてまた絶対廃止とまで自信のないことは、終戦時の「沈黙」及び今の小姑的な言動から推しても明らかである。われわれは心をひきしめて敵を見すえ、「日本の珠玉」を護りぬかなくてはならない。ひとたびこの珠壊けんか、それは永遠に返らない。われわれの時代にこの取返しのつかぬ失態をしてはならない。
○「或はまた問うて曰わん、仏神の正体を知らざれば実に信じ難しと。対して曰く、仏神の正体は不思議なり。見聞覚知の及ぶところにあらず。若し正体を知って後に是を信ぜんとならば終いに之を信ずることを得べからず」
――用鑑抄――
十三日[#「十三日」はゴシック体](火) 快晴
○午前浅田博士ラテン語、午後田林師※[#「ワ」に濁点、unicode30f7]ッセルマン反応について。
○冷やかな血のような夕日が、それでなくとも赤い廃墟を照らしている。茫々と枯草がなびいている。一年前までここに町があったのだと誰が想像出来よう。強いてその幻を夢みれば人は戦慄せざるを得ない。しかし人々はそんな回想に沈むより、ただ飢えに戦慄している。
曾てあったその町を想わせる、ただ一つの荒原の中の大河にも似た大通りに、何千という群衆が、飢えて、叫喚して流れている。自分たちはこの流れからようやく脱け出して、細い路に入り込んだ。草むらの中に消えている小路に。
ひびの入った半ば崩れたコンクリートの壁は夕陽をさえぎって、そこに暗い陰を倒していた。自分たちはその壁の下で小便をして、路傍で買った二個五円の小さな林檎をかじった。
初秋の風は冷たかったが、飢えにひしめく人間は、熱い乾いた砂塵をのどに吹きつけ、青白い果物は歯にしみてうまかった。
そこへ右肢の股のつけねからない青年が松葉杖でとことこやって来て、やっぱり立小便をして、片手で懐から黒い皮の薩摩芋をとり出して、ガツガツ食い出した。自分たちとふと眼が合うと、
「高いですなあ、何もかも。芋一つが一円ですからなあ」
と、いった。
「あなた、傷痍軍人ですか」
と、きくと、
「ガダルカナルの生残りですよ、は、は、は」
と、彼は枯木に風の鳴るような笑い声をあげた。自分たちが黙っていると、彼はふたたび歯の間から押し出すようにいった。
「もう、今の日本にゃくたばり損ないのゴクツブシですよ」
口はぱくぱくと笑うように動いたが、笑い声は聞えなかった。
○夕、風呂にゆく。銭湯は二時より七時までなり。七時に近ければすでに臭きことおびただし。白き洗面器持ち来りし人あり。洗い湯出ず。この洗面器に湯ぶねより汲める湯を見れば、さながら雑巾バケツの湯のごとし。
十四日[#「十四日」はゴシック体](水) 曇時々雨
○午後、松葉、納富らと神田に、今度使うことになった英語の教科書を買いにゆく。途中雨。
暗雲に冷たくひろがる四谷区役所附近――塩町、本塩町、四谷駅近傍、いずれも惨たる焼土。トタン張りの小さな掘立小屋のむれが風の中に悲鳴をあげている。
雨にぬれた道を細帯一本の気のちがった女が裾をひきずって歩き、それをジープが追い越す。ジープの中のアメリカ兵は暖かそうな帽子の中から煙草の煙をなびかせている。
市ケ谷駅は石垣の間に屋根をかぶせ、その上に土を盛りあげた原始的な姿である。街路樹の美しかった一口坂《いもあらいざか》もただ灰燼。真っ黒に焦げた電柱が二つに折れて、上の柱は電柱にひっぱられて宙に浮かんでゆれている。靖国神社は雨の中に人影もない。先日アメリカ人記者が報道していた。「靖国神社、明治神宮などに参詣する日本人はいなくなった。この神道の潰滅こそ日本人の天皇観の革命的変化の先駆となるものである」果してそうなるか。
神保町は残って、学生群が出入しているが、本屋の本は寥々として、並べてある本もボロボロだ。まるでバンフレットみたいな、いや新聞紙を四つにたたんだような新雑誌がチラホラ見える。色々な日米会話のチャチな謄写本がある。進駐軍をあてにしたらしい店々が、ヘンな浮世絵や人形や陶器や提灯や数珠などを貧しげにならべて、その一軒から黒人兵が日本娘をつれて出て来るのが見えた。
神保町が下らなくなくなるのは、いつの日であろう?
○夜大串兎代夫『全体国家論の擡頭』を読む。べつに審判的な眼で読み出したわけではない。
宇宙の現象はすべて永遠の輪廻の中の一つの輪にすぎない。況んやほんの先日全世界を暴風のごとく吹き過ぎた全体主義をや。それを審判するのはまだ早い。――とはいいうものの、今これを読めば一種の感慨は禁じ得ない。カール・シュミットの『喚声説』(アクラマチオン・テオリー)は面白い。
十五日[#「十五日」はゴシック体](木) 曇
○未明大豪雨。早朝山形県より勇太郎さん羽田豊作氏を同伴して上京し来る。
羽田氏ことし二十四歳、秋田鉱専卒業後海軍航空隊に入っていた由。戦争末期の航空隊の惨況や、長崎の原爆の恐怖を語る。大村にいたりしなり。
○午前本島師レントゲン。突如何を思い出したか平和論一席あり。先日若きアメリカ将校と論ずる機会あり。愛は無限なれど憎は殺戮にて極まる。愛の哲学のすぐるることこの一事にて明らかなりといいしところ、アメリカ将校大いに共鳴せりと。だれだってかかる平凡の論には同意すべし。
いったいに教授連の異口同音の平和礼讃ことごとく敗戦の事実とかけ離る。日本に訪れし平和は、剣にて刺されたる屍の静寂にあらずや。
○夜外出中の勇太郎、豊作両君、就職の口ダメなりと帰り来る。帰ってトロ押しでもやりますかと海軍航空隊憮然たり。土産の|さわし《ヽヽヽ》柿余二十個以上も食う。
十六日[#「十六日」はゴシック体](金) 快晴
○昨夜の柿の大食いたたりしか、早朝腹中に不快感をおぼえて厠に走る。
朝食後、復員軍人らしき汚ならしき男、表より首をつき出して、何か食うものなきや芋にても結構なりといい、みな脅威を感ず。
上野駅頭の餓死者に復員の将兵多しと。まだピクピクしているのを運び去りて墓穴に投ずとの話あり。母国に帰還すれど、家焼け妻子の行方知れず、加うるにマッカーサー司令部より軍人の就職禁忌の命令発せられ、ためにヤケクソになりて悪行をほしいままにする者多しと。
○午前十時より第一講堂にて始業式。校長の演説、また軍部を弾劾す。東条のごとき首刎ねても足らずと叫びしとき、拍手せる馬鹿あり。
○伊沢凡人『毒』を読む。
十七日[#「十七日」はゴシック体](土) 快晴
○朝勇太郎さんと、勇太郎さんのチッキを渋谷駅に取りにゆく。
満員の玉川電車の窓から、広茫たる焼野を背に、浮浪者のむれがさまよっているのが見える。その中にアメリカ人夫婦が、乳母車を押して歩いている。夫の口からは紫煙がながれ、妻の唇は紅に彩られ、小供の帽子や蒲団はまるで花のようだ。「――サッソーたるもんだな」と車中の一学生が嘆じた。
渋谷駅の石の壁には――全東京至るところそうであるが――ベタベタ貼紙だらけで、破れてはためいているもの、落ちたあとの汚ならしく残っているもの、文句も百花撩乱といいたいが、玉石金糞紛然錯然たるものがある。
曰く「餓死対策国民大会!」
曰く「吸血鬼財閥の米倉庫を襲撃せよ!」
曰く「日本自由党結成大会!」
曰く「赤尾敏大獅子吼、軍閥打倒!」
曰く「財閥の走狗毎日新聞を葬れ!」
曰く「天皇制打倒、日本共産党!」
曰く「爆笑エノケン笑いの特配! 東京宝塚劇場!」
曰く「十万円の夢、宝クジ!」
この中に薄く、護持、という字だけ壁に残っているのは、その上に神州か国体という文字がのっていたのだろう。
その壁の下に、青年や老人が、リュックやトランクや籠から何かを出して売っていた。鯖を半分に切ったもの一枚十円。アメリカ兵が蜜柑売りをのぞいている。傍の中学生が得意そうに「トゥエンティ・ファイブ」といった。二十五銭の意である。アメリカ兵は「ワン?」と一本指を立てて、「トウエンティ・ファイブ・シェーン?」といった。イエス、イエスと答えると、大きな手に小さい蜜柑を一つもらって、「オー、O・K」といい口笛吹いていってしまった。みな笑った。アメリカ兵だから安くしたと見える。一般に蜜柑は十五、六で十円するのである。
駅の倉庫にゆくと、自分たちで勝手に探してくれという。探したが、チッキなし。帰る。
○十時ごろ、高須さん勇太郎さんと地下鉄で浅草にゆく。
地下鉄、ガラス破れ、言語に絶する超満員。身体は宙に浮きあがり、足は踏んづけられ、子供は泣き、女は金切声をあげ、男は怒声を飛ばす。形容ではなくまさに窒息一分前といったありさまで田原町に着く。
仲店の向うに松屋だけ壮然と浮かび、コバルト色の空に雲が流れているが、地上は相変らずの群衆の修羅地獄。瓢箪池のまわりに食物屋が露店をならべている。汁粉一杯二円、蜜柑は五つで五円。その他浅利汁、芋、林檎、汚ならしい妙なパン――どれもがその一個その一杯もはや銭単位でない。呼ぶ声、呼ぶ声、まるで支那の市場だ。
公園のベンチに乞食のむれが日向ぼっこしている。「乞食のように汚ない」という形容があるが、ホントに汚ない。ぼろぼろの雑巾のようなものをまとって、裸足で、髪は蓬々と埃をあび、顔は青黒く垢に埋まっている。少年と老人が多く、女は少ない。いれば老婆だ。二人の老人が指を立てて「四つ?」「四つ」と話している。一方の枯木のような掌には芋がのっている。まるでアラビアの悪夢のような風景だ。
靴は五百円、八百円。靴墨は黒が十三円、赤が十四円、コルクの栓まで五個五十銭と書いて売っている。ハマグリ一升三円五十銭、林檎は七個で二十円、これはいいとして、竹の皮五枚で三円というのには眼をぱちくりさせる。
焼けはてても、浅草は凄じい活気に白熱の火花を散らしている。
ズックの靴をぶら下げた老人に物陰へひっぱってゆかれて、三人それぞれ進駐軍の煙草やチョコレートを買わされる。キャラメル四個で百円、チョコレートは一枚四十円。
壁の下でぐにゃりと柔かいものを踏んづけて、気がつくとあたり一面野糞だらけだ。もう灰色に硬化しているのだが、踏んづけるとまだ柔かい内部が黄色ににゅっとはみ出すのである。
○上野駅まで歩く。駅の隅に老婆が一人蓆に横たえられていた。通りがかりの人々、暫くこれを眺め、やおら歩み出す。近寄る人一人もなし。老婆、眼をひらいてじっとしている。まだ生きている。
十八日[#「十八日」はゴシック体](日) 快晴
○午後羽田氏航空隊のあった土浦より帰る。知らぬまに中尉になっていた由。もうこうなれば中尉になろうが大将になろうが同じことじゃとみな苦笑。時期遅れて退職金はもらえなかった由。
十九日[#「十九日」はゴシック体](月) 快晴
○朝吉田より柿を送って来たが、箱壊れてだいぶ抜かれたようである。
○「日本人はその醜悪なる面貌によってわれわれに嫌悪を催さしめる」
と、或る外人がいった。ヒドイことをいうやつだと思ったが、ナルホド電車などに乗って周囲の顔、顔、顔を見回すと、まさに醜悪ないし貧相の極を尽している。よくまあ、これだけヘンな顔ばかり揃って出来たものだと感心せざるを得ない。
二十日[#「二十日」はゴシック体](火) 晴薄雲あり
○午前衛生学。
○新聞に東条勝子夫人の心境談のる。これはこれとして、今の日本人の東条大将に対する反応は少しヒステリック過ぎるではないか。校長の論のごとき、まさに手を覆えせば雨となると誹られてもいたしかたがない。
僕は、東条が終戦以来、逮捕令の出るまで死なず、アメリカ兵が来て急に死のうとしてしかも死ねず、いま敵のパンを食って生きている不手際を、軍人として非難するまでで、戦争犯罪人などとは考えていない。
○小磯、真崎、本庄、荒木、松井、南の六大将。久原、松岡、白鳥、葛生、鹿子木の五氏に戦争犯罪人としての逮捕令発せらる。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](水) 曇寒
○午前道部師ドイツ語、午後浅田師法医。
○平石よりアメリカ煙草ラッキー・ストライクを買って来てもらう。白地に赤丸のデザインなり。平石、日本占領記念なりというがほんとうかな。
○本庄繁大将自決す。
○里見クの短編を読む。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](木) 雨夕上る
○ウイリアム・ジェームス曰く「科学は一側の極端なる理論よりこれに反対せる他側の極端なる理論に移り、次にまたもとの側の極端なる理論に移りゆき、かくしてその両側の極端なる諸理論間に交番的移行をなす中、のちの理論の極端なることによりてさきの理論の極端なることを矯正しつつ、稲妻型に進行しつつあるものなり」と。
これ科学のみにかぎらんや。思想、世界観また然り。
この両極端に立つ者すなわち天才英雄にして、その極端なる点がとりも直さず天才英雄の往々悲劇的運命に陥るゆえんなり。
この中間に立って動かざるものかえって幸福なる人生を獲得す。されど両極端に立つ者ほど人類にとりてコペルニクス的存在たるを得ず、また偉大にして壮絶なる存在意義を有せず。
右に走り左に馳り、これに附和し彼に雷同する者すなわち愚衆にして、愚衆とは一億人中、九千九百九十九万九千九百九十九人の意なり。
○学校の飯田より送れる荷はすべて送れりと判明。万事休す。
○村井順『源氏物語評論』を読む。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](金) 快晴
○ほがらかなる秋天。三軒茶屋マーケットにて石鹸一個を買って来る。泥色のこんにゃくのごとく軟かきもの八円なり。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](土) 晴時々曇
○午前佐々病理。
○新宿マーケットで、向う鉢巻のあにいが「尾津組長の都民のみなさまへの大奉仕です。はまぐり一升六円、市場卸しの半額」と書いた看板の下で、「さあ買ってゆきやがれ、こんなこと二度とねえぞ」と叫んでいるから、ついつりこまれて一升買って来る。高須さん曰く、それは船橋では五円で売っていると。
○武者小路実篤『人生論』を読む。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](日) 午前曇午後晴
○朝高須さんの父君逝去されたりとの電報。
○佐藤春夫『指紋』『瀬沼氏の山羊』『のんしゃらんの記憶』など読む。『指紋』はコケオドシなり。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](月) 薄曇
○高須さんは名古屋へゆく切符を手に入れるため、玉電もまだ通らない未明の三時、渋谷まで歩き、省線一番に乗って東京駅へゆく。徹夜組多くそれでも買えないところを、何かの偶然で幸い一枚手に入れたと九時ごろ帰宅。二十二時十分の列車にのると夜七時ごろ家を出る。香典三十円を呈す。
○午前緒方校長のカシンベック病論。満州の研究所の運命を憂うる顔悲痛なり。
○「われわれは戦争中心ならずも真の声をあげることが出来なかった。これからはそれが出来るわけである」とほとんどの言論人がいっている。
なるほど戦争中いえなかったことはいえる。そこで彼らは今を限りと軍閥と侵略戦を鞭打つのである。屍に鞭打つのだから「吾々は戦時中臆病であったことを自認する」という彼らでも平気なわけである。しかし、今は何でもいえるか。
現在ただいま、インドネシアを弾圧し、仏印を強圧している英仏に何が言えるか。蒋介石と毛沢東の背後にいる米ソに何か言っているか。しかし戦時中臆病であった彼らは、この点についてはまた黙っている。
戦時中の沈黙は勝利のための沈黙とはいえないか。いまの沈黙は屈従のための沈黙とはいえないか。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](火) 雨
○朝鮮にいた日本女性の九〇%までは汚されたという。
○ハンス・カロッサの『医師ギオン』で読んだ第一次大戦後のドイツ国民の――寒風吹く廃墟にぼろを着て冷たい大地にうずくまっているような姿――終戦直後「日本人はまだあれほど打ちのめされてはいない」と考えたが、今やそれが事実として眼前に現われて来つつある。しかも敗戦の苦悩はまだ序の口なのだ。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](水) 晴
○解剖実習室に屍体二十余来る。すべて上野駅頭の餓死者なり。それでもまだ「女」を探して失笑す。
一様に硬口蓋見ゆるばかりに口ひらき、穴のごとくくぼみたる眼窩の奥にどろんと白ちゃけたる眼球、腐魚の眼のごとく乾きたる光はなてり。肋骨そり返りて、薄き腹に急坂をなす。手は無理に合掌させたるもののごとく手頸紐にてくくられぬ。指はみ出でたる地下足袋、糸の目見ゆるゲートル、ぼろぼろの作業服。悲惨の具象。
○午後松葉と有楽町、日比谷劇場に映画「限りなき前進」を見にゆく。中学時代盗み見て感心した作品であるが、あらすじと局部的シーンのみを記憶しているだけで、ほとんど忘れていた。しかし最後に保吉が夢から醒めるところ、雨の夜の町をさまようところは、なぜかカットされて、めでたしめでたしで笑う顔で終っている。これではストーリーが空疎なものになってしまう。しかし見物はストーリーの欠陥に疑問を抱くどころか、戦前の華やかな東京の風景が画面に現われるのに嘆息をもらしていた。
ニュースの中に天皇の伊勢御親拝あり。「脱帽」の字幕はもう出ないが、反射的にいっせいにみな脱帽する。そのあとで徳田球一が天皇制打倒を吼える共産党大会の情況が出る。
○四時ころ劇場を出て、日比谷公園に入って見る。草枯れ、樹々荒れて荒涼蕭殺たる公園のかなたに赤い落日が沈んでゆく。
噂の通り、なるほど進駐軍がいたるところ日本娘の頸や腰に手を巻いて座っていたり歩いていたりする。中には向い合ってブランコにのっている組もある。
日本人は首さしのばし、この風景を見るがごとく見ざるがごとく歩いている。ベンチの端では老人がぼそぼそと芋をかじっているのに、反対の端では抱き合って、チョーチョーナンナンとやっている。
噂では、女学生の時間、事務員の時間、売春婦の時間の別があるということだが、今は何の時間にあたるのか、あまり品のいい女はいないようだ。リボンなど髪につけて、服装も下司ばり、顔も進駐軍には気の毒なようなものが大半である。
彼女たちは必ずしも食わんがためばかりとは考えられない。上野駅頭の浮浪者の多くが精神薄弱者であるように、これら女性も少し精神が異常なのではないかと思われるが、しかしそれにしても彼女たちは戦争中日本のどこに住んでいたのか、思えば不思議千万である。
歩きながらかたことで話しては、手まね身ぶりに忙がしい。ハヴ・ユウ……サンキュウとか何とかいう声が聞え、兵士がセンキュウと発音を訂正してやっている。
日比谷公会堂には入口まで人が溢れているところを見ると、今夜も何か演説大会が行われているらしい。進駐軍用の建物には灯が煌々とかがやいて、入口にM・Pが立っている。
濠の水、初冬のうす青い光にゆれて、柳の糸静かなり。天皇このごろの御心境やいかに。濠端にはジープが飛び交わしている。
殺人的電車に乗って帰る。一番先には進駐軍用の車が一輛ついてこれは閑散を極めている。
夜、一夜中停電。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](木) 冷雨
○きのうの議会。「正義を叫ぶべくわが国はその力を失っている」と首相の述懐。
議員、戦争犯罪人を糾弾せよと吼えまくる。
「軍として国民の前に深くおわび申しあげる。ただ尽忠の将兵と英霊には御同情を……」と壇上手をついて首を垂れる下村陸相。野次の嵐に、ただ一人軍服の巨躯黙して語らぬ米内海相。
終戦のドサクサに軍用品を持逃げした不心得の軍人は許せないが、この最後の陸海両相の態度は悲壮見事にして、いかにも日本人らしく武士的である。
○酒五合配給。七円五十銭。
○緒方知三郎『病理学講義』を読む。
三十日[#「三十日」はゴシック体](金) 曇のち雨
○昼休み、二年三年の懇話会。三年の某、われらは家族制度の桎梏に苦しみたり、天皇はすなわちその表象にして根源たり、すべからく打倒せざるべからずなど叫び、みなの黙れ黙れとの声に立往生。
食糧問題重大にして、二ヵ月乃至それ以上の冬休みとなれる学校多し。相談の結果十二月十日より一月二十日までと決め学校に交渉せるところ、十二月十日より一月一杯は休みとすと却ってまけてもらう。
○午前佐々病理。放課後、学校に電線引くとて、電柱を無用の焼野より倒し運ぶ。冷雨蕭々たり。
○寒気ようやく烈しからんとす。冬物一切失いたれば、夏シャツ夏服寒くして耐えがたし。風呂敷をたたんで背中にあてて、その上から上衣を着てすまして歩いている。誰も知らないから可笑しい。
[#改ページ]
[#小見出し]  十二月
一日[#「一日」はゴシック体](土) 晴
○午前十時家を出て、勇太郎さんと津田沼へゆく。また古清水氏から芋を売ってもらうためである。
津田沼駅の前にも、蜜柑、大根、葱、鰯などの露店が出ている。帰途にあるかどうかわからないので、蜜柑二十個十円、鰯二十匹十円で買う。きょうも街道を大きなリュックを背負った買出部隊がぞろぞろ行進している。
十二時半バスで習志野を通る。枯すすきゆれて褐色の広野に大きな雲の影が動く。昨日の雨で街道は泥んこでバスははねまわるが、地平線に巻きあがった入道雲の繊細な光の陰翳の美しさ。
車中で婆さんたちが話している。
「何しろ内地にいた兵隊さんはトクですよ。二、三日行って山みたいに物をもらって帰った人もあるんですもの。それからみるとうちの伜なんぞは可哀そうなものです。先月十八日に北支をたって二十八日に帰って来たんですがね、何でも向うじゃ朝はこれだけほどの御飯(と片手で盃を作って)昼はすいとん、晩は粟がゆなんだそうで、こんなに痩せちゃってねえ。いろんなデマが飛んで日本の家はみんな焼けて、人はばたばた餓死してるなんていうもんだから、帰って来て御飯を食べさせてやったら涙をこぼしていましたよ。それでも少しは物をもらって帰ったらしいんだけど、内地へ上るとすぐアメリカの兵隊に全部とりあげられて、お金を二百円もらって来ただけ。――」
「軍隊の物を罹災者に配給しろといったら、あれは外から帰って来る兵隊にやるんだからなんていってたけど、そんなことは嘘っぱちで、みんな上陸したら即時解散で追っぱらわれちゃうんですってねえ。政府のすることなんぞ、何をやるんだかまったくアテになりゃしない」
口は達者らしいが、さして教育のありそうもない老婆の口から発せられる政府不信用の声。彼女らが何の信念も持たぬ代表的人種であるだけに、かえっていまの民衆の代表的声といえる。
「あたしの伜など六人出征したんですよ。二人戦死しました。今まで帰って来たのは一人だけ。――あとの三人はみんな南方で、いつになったら帰って来ることやら」
「御無事ならよござんすねえ」
と、傍で話をきいていた老人が口を出す。
「とにかく負けたってことはみじめなもんですなあ」
「でも、案外大したことなかったじゃありませんか。何しろ政府の宣伝がひどかったですものねえ。男という男はみんな殺される。女はみんな黒ん坊の人身御供になるなんて」
「ほんとにアメリカの兵隊なんて親切ですねえ。あたしにも年ごろの娘がいてずいぶん心配したものですけど、今じゃ進駐軍のクラブに勤めています。何でもないわなんて笑っていますよ」
「よく政府もだましたもんですなあ」
「ほがらかで、鷹揚で、電車など戸がしまりかけても女の人が困ってると、駈けていって戸をひきあけてくれますものね。電車の中でも女の人が重いものでも持ってると持ってくれる。席は立ち上ってくれる。日本の男なんて――このあいだわたし七輪を買って来る途中、大変混んでツイ隣の男にぶっつけたら、いきなりグイと人をコヅキ返すじゃありませんか。だって仕方がないじゃありませんか。わたしシャクに障ったから、降りる前、またイヤというほど七輪をお尻にぶっつけてやった」
日本の男サンザンである。
「きれいな服着て、女の子が夢中になるのも無理はないですなあ」
「女ばかりじゃないですよ。子供だってそりゃ可愛がるったら――ウチの子供だって、まあどこで覚えて来るんだか、サンキューだのハローだの、小さいのがねえ。……ハローってどういうことでしょうかね、路でも子供たちがアメリカの兵隊を見ると、ハローハローと呼びかけて、するとわざわざ寄って来て、チョコレートなどくれてゆくんですよ。あの黒ん坊ね、顔はおっかないけど、子供は白いのよりもっとなつきますね。駅などこんな小さいのが両腕にぶらさがって歩いて、電車が見えなくなるまで黒ん坊を見送っているんですから、何しろチョコレートがないと、お金までくれるそうですからね」
終点で下車。大和田村の古清水さん宅へ。上りこんで芋や南京豆を食べながら話す。
船橋へんの遊廓、今や日本人など相手にしないそうで、近隣の若い男は悲鳴をあげているそうである。向うの方が気前がよくて、煙草やチョコレートをくれて、あっさりしているからだそうである。
五時ごろ出たときは日はもうとっぷり暮れていた。空は黒雲に覆われて、ただ西の方だけに鋼のごとく冷たい蒼空に、恐ろしいほど鮮やかな黒紫の雲が乱れたち、その中の細い三筋の切れ目が鯖の腸みたいな朱さに染まっている。
窓ガラスことごとく破れ、座席は落ちたぼろバスで津田沼へ。女車掌は石油の空罐に腰を下ろしている。二人ともリュックを背負っているので、倍の一円二十銭ずつのバス代をとりあげられる。
駅前の露店はもうしまっていたが、地面に七輪を置いただけのおでん屋が、小さな皿に大根などを盛って、それを若い男ががつがつと立ち食いをしていた。
――いつ東京に入って来たのかわからないほど東京の灯はまばらである。ほとんど焼野原だからである。
渋谷からの玉電入口に、米兵二人立って愉快そうにしゃべっては、ハ、ハ、ハ、ハ、と笑っている。まわりの日本人たちが、わけもわからないのにうす笑いをしているのは劣等感の現われだ。入口を上って来る女を一々手をとってひきあげる。そして上通で、サヨナラ、サヨナラ、と乗客に笑いかけて下りていった。
「占領軍か観光客かわからない。ホガラカですなあ」
「日本人とはだいぶ違いますな。立派なもんだ」
「やっぱり持てる国だからああ気楽になるんですな。こちとら貧乏で、どうしたってコセコセしてしまう」
「どうしたって勝てない戦争でした。馬鹿なことをやったもんですよ。この文明開化の時代に引っ越しに馬を使うより手はないと来ているんですから、進駐軍があれを見て、これじゃ勝てないはずだって笑ったそうですよ」
「兵隊の月給が何しろ千円だといいますからな。日本なんてお話しになりませんや」
過去の日本人の日本の悪口は、気取った自嘲ないし憤り、また改良しようという目的を持った悪口であったが、今の民衆の悪口は、しんから進駐軍に参り、おのれらを劣等として自認する、救いようのない嘆声である。
明らかに、進駐軍を見得る土地の日本の民衆はアメリカ兵に参りつつある。軍規の厳正なこと、機械化の大規模なこと、物資の潤沢なことよりも、アメリカ兵の明朗なことと親切なこととあっさりしていることに参りつつある。
吾々は、この民衆を嘲笑したい。ただ時勢のままに動く愚衆の波を笑いたい。――しかし笑うことは出来ない。この愚衆こそ、すなわち日本人そのものだからである。吾々はたしかに米国人に劣っていることを率直に認める必要がある。それは主として社会的訓練であり、公衆道徳である。
本音を吐くと、天皇制を護るというわれわれ友人のだれ一人も、天皇制以外の政体というものを知らない。従って天皇制が他に勝っているゆえんを、真に万人に納得出来る説明の出来る者がない。それは過去の教育から来た信仰と、占領軍に対する反抗に過ぎないところがある。
八時半帰宅。
二日[#「二日」はゴシック体](日) 快晴
○早朝高須さん帰宅。東海道線の車中でトランク盗まれたりと。
飯田より斎藤のおやじも帰京来訪。五合の配給酒のみつつ、横浜で貿易商をやると怪気焔をあげていたが、突然鮭の自由販売があると思い出して駈け出していったのは滑稽である。
○マーテルリンク『小児の虐殺』を読む。
三日[#「三日」はゴシック体](月) 晴
○午前薬理、午後病理。
○マッカーサー司令部より五十九人の名士に逮捕令下る。蘇峰の名その中にあり。『近世日本国民史』挫折の外なきに至る。蘇峰あの著にとりかかりたるとき、かかる運命は夢想だもせざりしことならん。
○マーテルリンク『マグダラのマリア』を読む。
四日[#「四日」はゴシック体](火) 晴
○午後病理。
○夜、煙草なきに困り、勇太郎さんと新宿へ煙草買いに出かける。全市、まれに灯ともれど暗涼たり。このごろ世田谷に闇夜の殺人事件続発。十二月に入ってからでも、つい近くの上馬、上町、若林町などの往来に屍体三つも転がる。月なく銀河乳のごとし。
新宿の焼けてなき中村屋の前で人集まる。のぞきみれば進駐兵、暗きところに両掌に煙草とチョコレートをのせて、蠅のごとく集まる日本人をもの哀しき顔にて見まわして「チョコレート」と呟いている。とても勝利の兵とは見えず。
群衆かきわけ小さき老人「おれが英語知っとる。みなどけどけ」と怒鳴りつつ出て来て、ペラペラしゃべり、 oh! my friend! などいいて肩叩きて去る。得意さと、敗戦国民たるの卑屈と軽薄さ、その眼に溢る。アメリカ兵苦笑い。
キャメル二十五円で買う。また別のところで角帽かぶった学生よりフイリップ・モリス三十円で買う。角帽の闇屋増したりとききしが果せるかな。焼けて暗き辻にて蜜柑二十個十円にて買う。八時半ごろ帰る。
○マーテルリンク『内部』を読む。
五日[#「五日」はゴシック体](水) 晴
○二日に逮捕令状を出された五十九人中に梨本宮守正王の名あり。それについて「利本宮、全外人記者に語らる」という記事を読みて心胸の動揺を禁じ得ない。
われわれは、皇族の「生きた」お人柄についてはまったく知らされていない。知らされているのはその御写真と御経歴くらいなものである。僕はむろん皇族が神の一族であるなどとは信じていない、しかし天皇の御一族としての高貴、信念、責任感は当然その血の中に具有されているものと思っていた。ところが。――
梨本宮は曰く、「天皇制が維持されるかどうかは国民が決定するであろう」と。それはそうであろうが、何という頼りない口上であろうか。ひとごとのようにいわないで、皇族としては断乎天皇護持の信念を外人に吐露されるべきではないか。
また曰く「自分は戦争とは何の関係もなかったし、政治問題について相談も受けたことはない」と。何という空虚なる陸軍元帥、軍事参議官であろう。
また曰く「神官としても何もしなかった」と。何という奇怪な神宮祭主であろう。
また日く、「自分と神道との関係は、神官として毎年一回、天照大神の着物を冬から夏に更える場合だけであった」と。ここに至っては唖然とし、ただ狐に化かされたような気持で首をかしげるほかはない。
この最後のお言葉はいったいどういう意味なのか。あえていうなら、まず大本教の神に対した白痴の申し分と大差ないように思われる。
われわれはいわゆる「骨の髄まで軍国主義的教育を叩き込まれた」青年である。或る方面に対する神秘の霧を眼の前に張り渡され、これを吹き払われるのは一種肉体的苦痛をすらおぼえるようになっている。しかし、今やその霧は否が応でも取り除かれようとしている。僕は「十九世紀風の髯をたくわえられた」威容厳然たる元帥宮殿下のお姿が、無為無能、筋肉のだぶだぶした、意気地のない一老人に変貌しているのを見て愕然とせざるを得ない。
この記事によって見るに、梨本宮が真の元帥たるにふさわしい雄偉の器とは義理にもいいかねる御人物であるか、もしくはその器を具えていられるにしても、われわれの知性を以てしては判断を絶する珍妙不可思議な儀式の飾り人形であったか、どちらかであると批評するほかはない。
どちらにしても、それはわれわれ日本人にふたたび破局的惨苦をもたらす最も危険なる仕組みの一つである。われわれは今次の大不幸の血と涙の中に幾多の敗戦の原因を見出しつつあるが、その中の最も重大な一つにかかる奇怪な「制度」のあったことを直感するのだ。そしてかかる制度は、今後の日本にはただ滑稽として笑い捨てるだけではすまされない存在となるであろう。
皇族だからといって一般人を超える叡智や剛毅を具えているとは限らない。それは知っている。しかし、ともあれ僕はこれから先、自分の思想がどう変るか分らないが、今や天皇制そのものに対しても、はじめて痛切深刻な懐疑が胸中に立ちはじめたことをここに白状する。
天皇制に対する、深い、冷たい、沈痛な懐疑の第一歩、それを導いたのが皇族のお一人であったとは痛烈な皮肉だ。
なお梨本宮に限らず、今まで戦争犯罪人として逮捕された人々は、何やら責任を他になすりつけるような、卑怯な語韻をひく一言を残している。今戦争犯罪人として逮捕されることは、日本人の光栄というべし、というほどの凜烈たる態度まで要求はしない。ただ沈黙して曳かれていって欲しい。
六日[#「六日」はゴシック体](木)
○午後学校からの帰途、伊勢丹の角に群集ならぶを見る。大いなる長き白紙を垂らして、
「梨本宮御逮捕猶予請願、御署名願います」
とあり、また四角な別紙に、
「軍閥財閥打破、民主主義興隆は大賛成なるも国体護持の一線は堅守せざるべからず。梨本宮御逮捕猶予に関する吾が政府の懇請は拒絶せられたり。吾等臣民たるもの何ぞ御高齢の殿下を収容所に送り奉るに忍びんや。吾らは輿論により再び殿下の御逮捕御猶予を連合軍最高司令部に請願せんとす。諸賢の御署名を請う。同志の士よ、余微力ながら随所にこの運動の展開せられんことを希いてやまず。
○責任者、牛込高田町一、斎藤直芳」
と、あり。
ガラスのない飾窓の中に一冊の帳面と鉛筆ありて、老人、婦人、青年、少年らならびてこれに署名す。立ちどまる人の半ばこれをなし、他の半ばは悲しげに笑いて、何やらささやきて去る。
そのすぐ前にジープ二、三台停りて、その一台に二人のアメリカ兵、煙草を吹かす。これに白粉濃き断髪の若き日本の女一人、首さし入れて何やら話す。人だかりすればうるさげにふりかえる高慢なる顔、紅き唇のあいだより白き歯ひかる。
余署名す。「マッカーサーに請願」など虫唾走らんばかりなれど、虚心に考えればこれカライバリなり。皇族のことにつきては一考あれど、アレはアレ、コレはコレなり。
○いくら考えてもアメリカとソ連には怒りを禁じ得ない。
アメリカに対しては、戦争に負けたことよりもそのあとのことだ、二口目には「日本政府は連合軍最高司令部を嘲弄している」などイキリ立ち、恫喝し、威張り返っているのが癪に障る。
ソヴィエトにしても、日本が碧血を流した満州、樺太、千島を、まるで背中から刃をつき刺すような卑劣なやりかたで奪ったことに対して痛憤せざるを得ない。あの行為が、うまくしてやったようで、結局長い目でロシアにとってトクでなかったことを、将来必ず思い知らせてやらなければならない。
さらに考える。そのためにも、われわれの生涯の悲願は、ふたたび大日本を再建しなければならぬ。そしてそのためには、いままでの日本の内部の癌を除去しなければならぬ。ところが、日本人の力では出来ないことが、いまアメリカの力を利用すれば可能である。
敵の力を利用して敵を撃つ力を蓄えるという方法、マッカーサーの尻馬に乗ると見せかけて、獅子身中の虫を殺す手術。一見、この手段と目的は混同しているようであるが、自から信ずること固くんば恐れるに当らない。
七日[#「七日」はゴシック体](金) 曇
○新宿の薄曇の空の下に、国民学校の児童たちが、旗を持って、箱を首にぶらさげて、いたいけな声をはりあげて、
「気の毒な戦争孤児を憐れんで下さあい。御同情をお願いしまあす」
と、さけんでいる。傍を通りかかったら、こんな紙片をくれた。
「戦災児に暖かい心を。
饑餓同胞奉仕運動ヾave the starving orphans!
空襲で両親を失った戦災遺児や孤児にお芋一本、絵本一冊でも歳末に贈って元気づけてやろうではないか。そして彼らの死んだ親たちの魂に祈ろうではないか。
昭和二十年十二月五日より九日まで。
都下有志仏教寺院、有志学生生徒
王子区赤羽町三丁目法善寺内」
○近衛公、木戸侯、大島浩、緒方竹虎、大達茂雄ら九名にも逮捕令状下る。
八日[#「八日」はゴシック体](土) 晴
○午後松柳と有楽町へゆく。
共産党が「戦争犯罪人追及大会」をやるというので、一体どんなことをがなりたてるのか一寸きいてやろうと思っていったのだが、いってみるとそれは神田の共立講堂だそうな。
それで日比谷劇場に、四年ぶり、はじめてというアメリカ映画「ユーコンの叫び」を観に入る。超満員。しかし映画はつまらない。
出ると、長い切符買いの行列が並んだ裏の焼跡で、浮浪者たちが火を焚いてあたっている。みんな恐ろしい垢に埋まった顔をして黙々たり、うずくまって、ボロボロの着物をぬいで、冷たい初冬の風に裸をさらしてしきりに虱をとっているのもある。
夜、一夜じゅうまた停電。このごろ停電しきりなるは、燃料のたりない各家庭でみな電気コンロを使用するためだそうだ。
○山下奉文大将、比島裁判でついに死刑宣告さる。大東亜戦争悲歌のクライマックス。
九日[#「九日」はゴシック体](日) 晴
○午後勇太郎さんと東京駅八重洲口にゆく。
省線電車に乗っていたら、満員の隅の方から、
「誰か何かちょうだいよう」
という声が聞えた。少年の声であった。
「誰か何かちょうだいよう」
みな、しんとした。声は一分に一度くらいの割合でつづいている。
「誰か何かちょうだいよう。イモでもミカンでもいいから、誰か何かちょうだいよう」
くすくすと笑う声がざわめいた。すると少年の声は憤然となった。
「笑うやつがあるかい! ひとが何かちょうだいっていうのが何がおかしいんだい! 笑うやつがあるかい!」
声は泣声に変った。
「みんな、みんな、あったかいふとんに寝てやがって、おまんまをいっぱい食ってやがって……」
隣の青年が、御冗談でしょう、と小さく呟いた。
「笑うやつがあるかい!」
そして少年ははげしくすすり泣きしはじめた。
「けいさつへでもどこへでもつれてゆきやがれ。せいふのところへでもどこへでもつれてゆきやがれ」
少年の声はただ泣声に溺れた。
「恐ろしくいうことが筋が通っているが、いくつくらいの子?」
と、自分はわざとその方を見ずに勇太郎さんにきいた。
「さあ、十二……十三くらいかな。ボロボロの着物を着て、床に座りこんでる。髪はぼうぼうで、垢だらけで、くびに汚ない手拭いみたいなものを巻いて、顔にはいっぱい吹出物を出して。……」
と、勇太郎さんが答えた。
みな、しんとし、暗然となっている中をまたもや少年の声が流れはじめる。
「おなかがすいたよう。……何か誰かちょうだいよう。……」
「新橋へでも連れておりて何か食わしてやりたいけれど、定食一人前五十円じゃなあ」
と、自分が嘆息していう。自分はついにこの少年の声をきくのみで、その姿を見る勇気がなかった。
ほかの人々もみな知らん顔をして窓から外を見ている。しかし、心の中まで冷々水のごとしといった顔は一つもなかった。
助けてやろうにも、みな自分のことに追われているのだ。(勿論、これは弁解の気持もある。しかし、十円持っている人で乞食に五円やるのは神様の心を持った人に限る。普通人は百円持っていなければ、五円人に与える余裕が出て来ない。そしていまは誰も十円しか持っていない時勢なのだ)こういう経験をしながら、黙って傍観していなければならぬという記憶は、重なるにつれて人々の心を、ほんとに冷酷なものにしてしまうであろう。
東京駅の大ホールも惨澹たり。コンクリートが灼けて赤錆びた鉄骨がむき出しにうねって、床は沈没前の空母の甲板みたいにデコボコして、天井は筒ぬけ、円い巨大な抜け穴から、眼にしみるような碧空がのぞいて、そこをアメリカ機が爆音凄じく通ってゆく。
勇太郎さんが定期券を買っている間に、そこらを歩きまわって見る。「海外引揚民相談所」と書いた紙が垂れ下がった下に――そこは焼け崩れた駅の一隅で、係員らしい者の姿も見えなかったが――二人の復員兵が、大きな背嚢を置いたまま、ボンヤリ虚ろな眼を宙に投げていた。
「復員兵っていうと、何だか悪漢みたいな気がして来たから、時勢の流れって面白いわね」
傍をけばけばしい二人の娘がこんなことを話しながら通り過ぎていった。
そこから対角線をひいた片隅には、きれいにペンキを塗って、ピカピカにガラスを磨きたてて、市松模様の床に棕梠の大きな鉢を置いた部屋に、アメリカ兵たちが悠々と歩いたり座ったりしている。そこから、カメラを肩からぶら下げた紺のセーラー服、白い帽子をちょんとのせた大きな水兵が三人ドアをあけて出て来て、そのうしろから日本人のボーイが、大きな荷物を背負って苦しそうについていった。
駅前の広場にも進駐兵が歩きまわっている。たいてい日本の娘をつれている。ビルのあちこちには畳三畳分くらいでもありそうな星条旗が碧空に翻っている。それを眺めていたら、何となく眼に涙がにじんで来た。
闇商人のむれが路傍に座って蜜柑を売っている。人力車にのってアハハ、アハハと笑いながら乗りまわしているアメリカ兵もあった。
きょうの切符はすでに一時に売切れと札が出ているのに、明日午後一時までの切符買わんとて、はや数千の群衆、幾条かの延々たる大行列を作って並ぶ。ところどころ変な男たちが集団べつにかたまっているのは、闇切符のブローカーたちである。
銀座にゆく。東京駅前の広場も同じなりしが、ここも電車の高架の下、路傍、並木の下、いたるところ乞食のごとき風態の男や女、蜜柑、飴、魚、干柿などを売る。煙草をくゆらしつつ米兵陽気に歩きまわる。このあたり、日本人百人にアメリカ兵十人と見えるほどその姿多し。柳焼けたる舗道に露店つづく。焼跡でニグロが二人お互いに写真をとっているのを、みな笑って見ていた。どうも石鹸をつけてタワシでこすってやりたい欲望を感ずる。
新橋駅裏の広場の闇市にゆく。電車から見ると、幾万の群衆のひしめくさま一大壮観にして支那の市場のようであるが、実際に入ってみると、雑踏相摩しいちいち店をのぞいてはいられないほどだ。干柿七つ十円、汁粉一杯五十銭、菓子五個十円、などいう札が見える。戦争中とちがって、金さえあれば、飢えはしないのだ。
闇市の中央に「東京都食糧生産供給組合」と書いた大看板が立てられて、その下で、貧相な男が、
「二合一勺では絶対生きてゆけません! これを救うにはどうすればよいか! 本組合はこの解答として出現したものであります!」
と、さけんでいた。
満員の電車で帰る。車中、母に抱かれた幼児米兵を見てハローハローとさけぶ。米兵笑いてハローと答え、しまいにその腹をつついて、きゃっきゃっと幼児を笑わせていた。
三軒茶屋マーケットで酒糟十円ばかり買う。文藝春秋を求む。六十銭、三十二頁。
○米国の対日賠償要求の中間計画発表。日本を奴隷的存在にたたき落す苛酷なるもの。
○このごろ連合軍提供の大東亜戦争史しきりに発表さる。ことごとく嘘ではないであろうが、戦争中の軍部の宣伝と逆の意味で大同小異なるべし。
十日[#「十日」はゴシック体](月) 快晴
○午後松葉と本郷へゆく。
沿道いずこも赤茶けたトタンの波。初冬の日の光寂し。
電車混み、入口ふさぎ、降りる人降りる能わず、「電車は逃げちまやしねえんだから、あけてくれったら! これだからいくさに負けるんだ!」と怒鳴った者あり、みな悲しげな笑い声、民衆はヤケになっている。
焼けた南山堂の引っ越し先の店で、緒方知三郎著、『病理学講義』二百冊をもらって帰る。来春の新入生用なり。
松葉と新宿東宝に入る。内部は劫火に焼けて、天井は赤い鉄骨がむき出しだ。壁も赤く焼け落ちて凄じい。椅子ことごとく焼失して、塵と泥と埃と煙草の吸殻と蜜柑の皮の堆積散乱した床に、見物みなじかに腰をかけて見るなり。古い映画で雨ふりトーキー聞えざるのみか数度切れる。そのたびに長き休憩。みな口笛吹きてうながすさま、昔の田舎の野天活動写真のごとし。ニュースは、新橋駅前の闇市に食を求めてうろつく群衆やら、「富豪の蔵には米が余ってウナっているのである!」と吼える共産党大会の徳田球一など。
渋谷駅構内は人間の大海原。玉川線は戦慄すべき地獄電車。
十一日[#「十一日」はゴシック体](火) 晴のち曇
○「靖国の神々よ、安んじて眠れ
吾人は、天皇制を護持す!」
街頭に墨痕淋漓といいたいが、汚ならしい粗野な大貼紙がひるがえって、その下に「日本天狗党」とある。大仏次郎の小説の映画の広告かと思った。
いよいよ出でていよいよ奇々怪々な世の中になって来た。そのうちに「黒手組」だの、「日本コンペイ党」「日本アルヘイ党」「日本シソ党」なんてのが出て来るかも知れない。この天狗党なるもの、その党宣言に「皇族駆逐」を叫んでいるからいよいよわけがわからない。
○午後三軒茶屋マーケットで、鰯二十五匹十円、蜜柑二十個十円にて買ってくる。その他、タワシ二十銭、軽石四十銭、葱一貫十五円、鯛一匹七円etc、にて売っている。
○マーテルリンク『スチルモンド市長』を読む。
十二日[#「十二日」はゴシック体](水) 晴
○朝霜、水凍る。いよいよ冬となれり。
○午後新宿文化劇場にて阪妻の「無法松の一生」を見る。昔見たるものなれども、やはり上出来の映画なり。映画代一円九十銭のうち税八十五銭。
十三日[#「十三日」はゴシック体](木) 晴
○碧空寒風。午後は学校の図書室にて疎開帰りの図書を棚に整理。
○中沢と武蔵野館にやはり古い映画「愛染かつら」を見にゆく。途中街頭で飴を買う。ハガキ大にて十円なり。
十四日[#「十四日」はゴシック体](金) 晴
○この戦争の日本人にもたらした最大の惨禍は、日本人の心情が無感動になったということであった。
○学校にて、病理解剖室より解剖実習室に標本類を運搬す。フォルマリン漬けの肝臓や心臓や胃や腎臓などを、みな、ほら食パン、ほら鰻の蒲焼、ほらビフテキ、ほら椎茸など命名しつつ手送りする。みな甚だ空想力逞し。
十五日[#「十五日」はゴシック体](土) 晴
○中学時代の親友山村澄より復員せりとて戦後はじめて手紙来る。
「昭和十九年一月大邱から釜山憲兵隊に補助憲兵として勤務半年。ことし三月には済州島に渡った。黄海と東支那海との境附近にある香川県と同面積くらいの一大山島だ。
島は水なく緑なく中央にジャングルに包まれた二千メートルの高山あり、稲も野草もない。甘藷、粟ばかり。石が多い。石ころばかりといってよい。牛、馬が圧倒的に多く、人間の世界というより牛馬の世界といった方がいいくらいだ。
ここで陣地構築半年。――敵上陸の算大なりと殺気みなぎる磊々たる山野の夏の空に轟然とまきあがる数十メートルの煙。陣地構築の爆薬の凄まじい煙と光の中に、自分の死ぬ時の血みどろの姿を、涸れはてた眼でどろんと見つめるともなく見つめている生活だった。
終戦後三ヵ月たって十一月はじめ米船にのせてもらって佐世保に上陸復員した」云々。
復員後すぐに浜坂近くの農家の娘と見合い婚約した由。廃墟の日本を見ても何の感慨も湧かぬ。まったくの無抵抗無感動な心である。結婚も米の入手と親のすすめによるものに過ぎず、ただ、今は寮から会社への機械のごとき黙々たる無味乾燥な生活だ。昔の小説を読んでも曾てのような興味を失って、ただボンヤリとあっちを開き、こっちを開き……ただ一つ、強烈な清潔の習癖がついて、ひまさえあれば洗濯と掃除をする。その程度はまったく徹底したもので、病的とさえいいたいくらいで、そのほかには何一つするすべを知らぬもののごとくである――云々。
本大戦が出征せる青年に与えた影響はかくのごときものであった。
○このごろ、手紙類ことごとく封を切られ、あとに Opened by Army Examiner と印せるセロファンを貼らる。すでにわれらは敗れたり、またむろん国家機密を書いているわけにあらざれば御苦労千万といいたけれども、不愉快なることは不愉快なり。そのためか、一週、十日、甚だしきは月余も通信遅る。これが「自由」なりや、戦時中の検閲もかほどにはあらざりき。
○午前三時起床、山形県へ帰郷する勇太郎さんを送ってゆく。この時刻にはまだ玉電が通っていない。渋谷まで約半里の道を歩いてゆくよりほかはないが、この時刻一人では途中が危険だからである。
星は満天にちりばめられ、風はむろん冷たい。三軒茶屋から、三宿、池尻、大橋――この時刻に、ときどき二、三人ずつかたまって歩いてゆく者がある。復員風の男二人とすれちがう。こちらも同年輩、似たような服装である。双方ともすこぶる緊張した表情で通り過ぎる。
大橋から坂を上って上通りへ――蒼い暗い夜明前の空の下に、焼け果てた東京の大地は地平線を見せて、まるで満州の曠野のようである。道玄坂を下って渋谷駅につく。
渋谷駅の改札口には、二、三十人の男女がぞろぞろ待っていた。男は汚ない戦闘帽、女はモンペ、誰も彼も大きなリュックを背負って、今の日本人はこれ以外の服装を知らぬもののごとくである。
三十分ばかり待って一番電車に乗る。
いたるところ座席に浮浪者眠る。みな一様にカーキ色とも灰色ともつかぬ服、|物持ち《ヽヽヽ》の方はボロボロの毛布をかぶって、どの車輛の座席にも横たわっている。座席はことごとくもうふさがれて、吊革にぶら下がって、ふらふら眠っているやつもある。落ちくぼんだ眼窩、土気色の顔色、骨はつっ張って、しかも骨軟化症みたいにみなグニャグニャしている。
中に三十あまりの浮浪の男あり。口の傍に泥色のパンが二つころがり、傍に七、八つの男の子が座って、コクリコクリ眠っている。
蓬々たる髪に頬かむりして、無意識のうちに股ぐらに手をつっこんでは虱をつまみ出している。
彼らは夜はガード下で焚火をして暖をとり、省線一番電車の音をきくとただちにこれに乗り込んで、山の手線をぐるぐる回りながら、朝のラッシュアワーまでしばしのまどろみをとるのだという。
そして、布を切り取られて藁のはみ出した座席に虱を残し、これを都民に配給してゆくという。
上野駅下車、リュックを背負った大群が一番列車めがけ、土埃をあげてフォームへ走ってゆく。その土埃の下にも、砂に埋もれた生物みたいに、毛布をかぶった連中が横たわって寝ている。
五時四十分発の上越線に勇太郎さんを見送る。帰りの山の手線を待っている間、フォームを六十くらいの浮浪の老人が、裸足でボロボロの丹前の裾をひきずりひきずり、のそのそ歩いて、平気でちんとフォームの上に手洟をかむのを見る。――どうも日本人も、えらいことになったものである。
○余もまた帰郷せんとす。その切符ついに東京では入手不可能と見て、松葉に茨城の石岡から但馬までの切符を依頼したれども、これまた買えずとのことにて、やむなくまた東京駅八重洲口にゆく。
碧空に米機飛び交う。未曾有の石炭飢饉のためきょうより列車半減さる。雲霞のごとき行列はすでにことごとく整理票ないし急行券を求め得たる人々のみという。道路には明日午後一時の切符を得んとひしめく人々がそれぞれ隣組を編成している。
茫然としているところへ駅員来り、本日の急行券がまだ余っているから欲しい人はこちらに並べという。とっさに並んでこれを買う。三円五十銭。
二時にここにやって来て、四時に山陰線江原までの切符も買えた。十八円。余のごとき僥倖児はめったにあるまじ。
帰途新橋駅に降りて闇市に飛び込み、イカの煮つけを二つ食う。十円なり。蜜柑二十五個十円にて買う。
その他サンマ四匹十円、ドーナツ(但し指で輪を作ったほどの小ささ)一個三円、干柿一個三円などという値段。飢えたる人々の狂喚、夕陽あかあかと砂塵を照らす。
十六日[#「十六日」はゴシック体](日) 晴
○空晴るれど寒風。
号外飛ぶ。数年ぶりの号外なり。二枚ありて、一枚は近衛文麿公けさ午前五時自殺との報。一枚は国家神道禁止のマッカーサー命令。
近衛公はきょうまでにマッカーサー司令部に出頭を命ぜられたるなり。死によって公は歴史に光を投げたりと認む。
神道禁止は、日本の「神国」なることを払拭するものにして、かかるたわけたることは余のつとに笑いたるところ、何の痛痒もなきはずなれど、ああこれ知性ある日本人のいいしことにあらず征服者の強要なり。かくて日本はその「神」を失わんとす。こうなれば日本の神々もなつかしきかな。
それはそれとして、マッカーサー、「天皇制」の城に刃を一太刀切り込みぬ。その波及するところを憂うるならば、国民はここで抵抗する必要あり。さなくばマッカーサーさらに一歩を進めん。されど国民は今や天皇や天照大神よりも一片の食を求むるに狂奔す。
○夕五時三軒茶屋を出て東京駅へ。九時四十分急行大阪行を待てど、各列車を待つ行列ホームに錯綜してさっぱり分らず。みな座席に座らんとして、かく三時間四時間前より待つなり。
豊橋あたりより雨となる。
十七日[#「十七日」はゴシック体](月) 雨
○午後二時山陰線八鹿着。バスを待ち四時家に帰る。暗澹たる冬空の下に群嶺の雪冷たくひかる。刈田、水藻に青く寒し、夜雪。
○汽車バス中の物語断片。
比島よりの復員兵の話。
「わしたちは内地に帰って決して歓迎されるなんて、夢にも考えてはいなかった。しかしです、こうまで冷たいとは思いませんでした。浦賀に帰って来てはじめて聞いた声は、何だ案外肥っとるじゃないか、という言葉でした。わしたちがフィリッピンで何を食っとったか知っとりますか? 東京へ行く電車の中で、若い女が背中のあかん坊に、ほらあれが捕虜だの敗残兵だのと教えとりましたが、わしたちは降伏したんじゃないんです。五年でも十年でもやるつもりで山に立籠ったんです。ロープばかりでよじ上らねばならんような山の中に陣を築いていたんです。先に参ったのは内地の方じゃありませんか。日本が降服したときいても、わしたちはほんとうにはせなんだものでした。後になって命令によってやっと下山していったんです。わしはその女を殴り倒してやろうと思ったが、いやいや折角命あって帰還したんじゃからと胸をさすってがまんしました。東京のあの女たちのザマはなんですか。アメリカ兵と手をつないで歩いている女どもに、フィリッピンで片腕や片足を失った、いや死んでいった戦友たちの姿を一目でも見せてやりたい」
前の座席に座っていた女の人の話。
「兵隊って可哀そうなもんですねえ。終戦前、私の家の近くに部隊が駐屯していましてね、そこの将校さんたちったら、朝から晩までお酒をのんで騒いでいるんですよ、それなのに兵隊さんたちは、朝、昼、晩、こんな小さなムスビ一つずつなんですよ。はじめ近くの畠を荒す者があって、そのうちそれが兵隊さんだってことがわかったんですがね。一日じゅう材木をかついだりシャベルで穴を掘ったりしてるんでしょう、それなのにあんなムスビ一つずつじゃあんまりひどいって――何もこちらはいわなかったですよ。よくうちへもやって来て、色々食べさしてやりましたがね、何とかしてあげなきゃ見ていられませんよ。兵隊さん、炊事にはなるべくお焦げをたくさん作るんですってねえ、それを自分たちで食うらしいんです。それで将校さんたちの兵隊さんを殴ったり蹴ったりするったら、そりゃむごたらしいくらい。うちの子もあんな目に合っているんだろうか、ああああ兵隊にゃやりたくないもんだって、みんな身につまされてましたよ」
特攻隊生残りという青年の話。
「軍隊もなかなかいいところがあるんですがね」
姫路の若い男の話。
「チャンコロや朝鮮のやつら、シャクにさわりますなあ。いま列車でどんどん帰国してるらしいですな。それが駅に停ると、ワッとばかり飛び出して駅前の店やマーケットを襲って掠奪してゆくんですよ。何しろ何百何千ってんだから、警察も手が出せない。みんな血の涙流してくやしがってるんですがね」
老人の話。
「今年や悪い年でしたなあ。戦争にまける年なんていいことのあるはずがないが、大雪、風は吹く、長雨はふる、地震はある、大根なんて――あんなものでも、ことしはいくら面倒みても、こんなにしか実が入らなかったですな。負けるなんて、実際何ちゅうこってすか、日本が負けるなんて、お上が勝つっちゃ、てっきり勝つっちうことに――うんにゃ、戦争すりゃ勝つことに決めていたもんですがな。ひどいことになりましたなあ。まるで地獄ですなあ。負けて三ヵ月、せめて半年くらいの辛抱じゃ、みなそう思ってじいっとがまんしていたんですがな、まだこのありさまじゃ、こりゃもうみんな死ぬよりほかはない」
十八日[#「十八日」はゴシック体](火) 雪
○叔父恐るべき悲観論。
「こんな世の中が一年や二年でおさまるものか。政府にどうしろったって、政府にどうなるんじゃ。モトが日本のどこにもありゃせんじゃないか。日本はもう駄目だよ」
もう医者もやめたいという。本音を吐くと、もういちど銃をとって満州や南方を取らねば、日本はどうにもならんといいたいらしい。
叔父の叱言。小学校時代は恐ろしかった。中学時代は反抗を感じた。中学卒業したころは不服に耐えなかった。このごろは面白がってきいている。そのうちには憐れみを感じるだろう。おしまいには、何か音が聞えるな、という程度に何も感じなくなるかも知れぬ。
○朝雪一尺あまりつもっている。終日霏々。
○アルフレッド・ヴイニイ曰く「悪のみこそは純なものである。善にはまじり気がある」
十九日[#「十九日」はゴシック体](水) 曇
○アメリカ兵、通訳と警官をつれて突如薬局検分に来る。麻薬調査のためなり。家内震動し、遠き窓々より、妹、女中二人こわごわ覗く。叔父も急ぎ洋服に着がえて緊張せる顔にて案内す。
飼犬のエスは見知らぬ人には何びとにも吠えつくを以て、役場より使いの少年、右ジープより早く犬を繋ぐように間道を飛んで来りしは悲喜劇なり。
二十日[#「二十日」はゴシック体](木) 曇
○午後また米兵二人、通訳二人、八鹿署長、当村駐在巡査ジープにて来り、薬局を再検分す。米兵はきのうと同じく土足のまま上る。
家中恐慌、一部の薬はあらかじめ隣の安木酒造店に運びおくという騒ぎなり。麻薬の幾分かは残し置かねば却って疑惑を受くる怖れありとて残し置けるもの、ヘロイン三、モルヒネ三押収さる。「合衆国政府の命令により、ランディス軍曹押収す」とのメモ残し、サヨナラ、サヨナラといいて帰りゆけり。
妹、薬局の娘たち、窓より恐る恐る覗きあるに、オーキニと愛嬌ふりまく。あまり愛嬌よきに、ことし八月十五日激昂して「八万四千の毛穴より熱血を噴きたる」叔父、つい「またおひまの節はお遊びに」など口走る。媚びたるにあらず、善人のゆえなり。
哀れをとどめたるは犬のエスにして、犬小屋に追い込まれたるのみか、入口は炭俵にて塞がれ、中でキューキューいっている。
押収されたる薬は姫路にて検査、別状なければ返還とのことにて、取りにゆかねばまだあとに残っていはせぬかと疑われる怖れありと、あれを思いこれを思って、叔父は御苦労にも近く姫路へゆくことになる。
夕、村民続々見舞いに来る。敗戦滑稽談。
二十一日[#「二十一日」はゴシック体](金) 午前晴午後曇
○昼前に関宮を出かけて、河江の伯母の家へ。
道はまだ完全に雪のけがしてない。重いスキー靴をはいて、八鹿まで三里半の道を歩く。雪の道はまるでラクダの背中でも歩いているようだ。
八鹿町に入ってから、一個六十銭の干柿を十円分買ってみな食いつくす。三時半に駅につく。
この次に来る汽車は五時半だという。寒い。待っているうちに日が暮れて来る。正月近いためかガラスをいっしんに水で洗っている少女駅員のそばで、青年と娘が話していた。娘の兄は一ヵ月ほど前満州から復員して来たが栄養失調になっていて、今豊岡病院に入院しているが、米から炭から一切こうして運ばなければ病院で置いてくれないのだと話していた。
雪の山々は薄暗い霧にけぶったまま暮れてゆく。昨夜から停電したままだそうで駅は真っ暗である。
真っ暗な中で二人の老婆が話している。
「今年の正月は餅も食えませんなあ」
「餅なんて、そんなものはよその国の話ですわ」
やっと汽車に乗って着いた江原駅も真っ暗であった。
雪の道を河江まで二里半歩く。蒼白い雪の原の果てに黒々と小さな家は見えるが、灯影は見えぬ。ただくわっと火の粉をひいて上りの汽車が通ってゆく。
はじめ歩き出したときは息もつけないほど寒かったが、歩いているうち汗ばんで来た。しかし、足が痛んで来た。両側の家は真っ暗で人が住んでいるとは思われないほどしんとしている。
峠を二つ越える。月がおぼろに上って、満山雪に覆われた林の中を蒼白い光が流れている。ときどき雪をつかんで食う。
八時伯母の家に着く。
二十二日[#「二十二日」はゴシック体](土) 曇ときどき薄ら日
○囲炉裏ばたにて終日茫然。傷つける獣の炉の火に血を乾かしおるがごとし。
二十三日[#「二十三日」はゴシック体](日) 晴
○午前伯父と米を搗きに村外れの発電所へ出かける。
この村にはまだ電燈がひいてなく、村外れに小屋を作り山の上から鉄管で水を落し電気を起している。村人が交替で夜電気をつけにゆき朝消して戻るのである。電気をつけるといっても電球のはりがねが赤い線になって見えるくらいだが、書物を読むでなし、ただ囲炉裏の焚火を見て夜を過すこの村の人々の生活にはべつにそれほどの支障は来さないのである。この小屋で米も搗く。
伯父が二斗、自分が一斗背負って出かけ、午後また三斗の米を精白す。伯父が隅のハンドルを回すと、ガーと天井の車輪やベルトや床の上の車輪が回り出した。大きなラッパのような精米機に米を入れると、ラッパの端から徐々に米が吸いこまれ、逆の端に徐々に盛り上って来る。下の口をあけると黄色い糠が網越しに下の木箱に小さな滝のようにそそぎはじめて、米は次第に薄白くなってゆく。
四十分ばかりで「こりゃ悪米《わりごめ》だしけえ、これくれえでええ」と伯父がいってベルトの動きをとめた。また下の別の口をあけると、白い米がカマスの中に落ちて来る。糠はべつのカマスに入れる。
夕暮の雪路を米を背負って帰る。夜雪。暖。
二十四日[#「二十四日」はゴシック体](月) 晴
○屋根の雪どけ烈しくして、軒に雨ふるがごとし。
午前発電所にきのうの糠を取りにゆく。家人は大根洗い。
○敗戦して、自由の時代が来た、と狂喜しているいわゆる文化人たちは、彼らが何と理屈をこねようと、本人は「死なずにすんだ」という極めて単純な歓喜に過ぎない。
そして、「死ぬのがこわい」という心を大っぴらに表白するのが文明人だと思っている。余は武士道とはおよそ縁遠い男だが、しかし死ぬのがこわい、ということを大っぴらに表白するのはあまり上等なことではないと信じている。
二十五日[#「二十五日」はゴシック体](火) 曇
○炭焼きを見る。
伯父は山着に頬かぶり、ハバキに深沓《ふかぐつ》。自分は長靴に縄を巻く。それでも雪の山道はすべる。
雪の杉林に点々と山兎の飛んだ跡。竹林はことごとく撓んで頭を地につけ、虚空に青い円弧を描いている。水田は黒く冷たく、切株だけが白い小さな雪の帽子をかぶっている。山峡の村は蒼黒い墨絵のようだ。水のにじみ出ているところの山道は代赭色の土が現われて、そこを踏んで通ったあとしばらくは、真っ白な雪の上に赤い靴の跡が蟹の行列のようにつづく。
山を一つ越し、もう一つ回って、枯桑の中の雪道を上ってゆくと、尾根の向うに蒼い煙が立ちのぼっているのが見えた。
近づいてゆくと、隣家の百姓ヨキが藁小屋の中で炭窯を見つめていた。山腹を利用して畳一畳ぶんほどの洞窟を作り、口は縦一尺五寸、横一尺ばかり、これを石貨みたいな孔のあいた石でふさいである。孔からのぞくと、中は真っ赤に焼けた炭の山で炎がゆっくりとたち昇っている。
簡単な木橇を曳いて山上から木を運ぶ。楢、樺、樫、栗、朴などの雑木を伯父が切り、五、六尺の長さにしたものを橇にのせて下る。雪の中には黄色い熊笹。
炭出し。
孔に棒を通してふさぎ石をとる。エンブリと称する長い鉄の火掻き棒で炭をかき出す。恐ろしい熱気が顔を打つ。すぐにこれに土をかぶせる。
空になった窯に運んで来た木を投げ込む。例の小さな口からヨキが投げ込むと、棒は手品みたいにヒョイヒョイと立って、奥から空間を埋めてゆく。一杯になると、乾いた小枝を口につみ火をつける。これを口焚きというそうな。よい窯で二、三時間、この窯なら五、六時間も焚きつづけにしていないと全体に火が回らないという。
今日が最初の炭出しなので、成績かんばしからず、四俵分しか出なかった。この次からはいちどに八俵分くらい出るという。
二十六日[#「二十六日」はゴシック体](水) 晴
○雪山の楢、櫟の黄色き葉、白い幹。それを浮きあがらせる冬の碧空。
○市老人の話。
八月十五日、この村にはラジオなく、新聞も翌日の昼過ぎに来るという状態なので、一農夫が近郷の村にいって噂をきき、駈け戻り、役場にいったところデマなりと叱り、村中に馬鹿げたデマを信じる者はかんべんならぬと触れを回す。そのうち、いややっぱりほんとうらしい、天皇様の御放送があったそうだと二転三転、ついにうそではなかったと判明し、ややずれて慟哭の声が山野に満ちたという。
二十七日[#「二十七日」はゴシック体](木) 晴
○炭焼きにゆく。杉林の中の雪に、枯葉は幾万匹の蜘蛛の屍骸のごとし。針金で兎の罠をしかけておいたが、兎の足跡のみ残る。
二十八日[#「二十八日」はゴシック体](金) 晴
○蒼空。寒風に乾いた粉雪舞う。
○夜の炉端に近所の百姓ら集まり、ただ天皇を憂うる声のみ。
たまたま新聞に、北海道にて天皇打倒を演説せる徳田球一が、地方民に袋叩きに合い、民衆天皇陛下万歳を絶叫し、君が代を高唱せりという事件報道せられ、百姓ら、球一がこの村に来たら袋叩きどころかぶち殺すという。
天皇信仰の鉄壁はげに農村にあり。されど、ああ、これら農民の信仰は盲信との区別なし。それゆえに強く、それゆえに弱し。それゆえに恐るべく、それゆえに恐るるに足らざるなり。
二十九日[#「二十九日」はゴシック体](土) 快晴
○昨夜よりの雪、満地をかがやかして清浄燦爛。山に兎を見にゆく。かからず。炭窯を見にゆく。小さき口より白き煙ひとりで蒼空に立ち昇る。
前日木を籠《こ》みて翌日炭を出だすを「日窯」といい、中一日おいて出せるを「止め窯」という由。
○きょうは餅つき、ふつうの餅のほかに、栃餅、豆餅、蓬餅など。蓬餅は、蓬の若芽の乾したるをゆでて米の粉と練り、団子にしたものをせいろうで蒸して、もちごめとともに搗き合わす。このあたりでゲンタ餅という。
○徳田球一殴打事件に世論囂々。口をひらかせず殴るは野蛮封建的にして、世界の前に恥ずかしとの論多し。
これ尤もの論なり。ただしこれを潜行せる軍国主義者の煽動となすは少々いいがかりなり。事実はこの村に見るごとし。
三十日[#「三十日」はゴシック体](日) 曇雪
○重慶にありて日本兵の反戦を指導せし鹿地亘、延安にありて日本兵の厭戦を計画せし野坂参弐、愛国者として帰国するむね、大きく報道せらる。時の変転の凄じき、世界にも類あるまじ。
三十一日[#「三十一日」はゴシック体](月) 大雪
○雪降りに降る。けぶる林の中に、雉子の声、山鳥の声、樫鳥の声、ひよどりの声。
○運命の年暮るる。
日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず。
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[#小見出し]  あとがき
この日記の出版が決まったとき(昭和四十六年番町書房刊)、私の心に浮かんだのは、無用な記述が多過ぎるから相当削除する必要がありはしないかということであった。今から考えて、正気の沙汰ではない思想もあるし、見当ちがいの滑稽な判断もあるし、前後に矛盾撞着もあるし、「日記は自分との対話」だとはいうものの、当然年齢相応の、青くさい、稚拙な、そのくせショッた、ひとさまから見れば噴飯物の観察や意見もある。特に自分でも閉口するのは、中に妙に小説がかった書き方をした部分である。
私はその一日ごとに現在の(注)を入れたい衝動を感じた。しかしそれはおそらく無用に無用を重ねることになるであろう。それに現在手を入れては無意味なものとなり、かつ取捨そのものが一種の虚偽となるおそれがある。無用か無用でないか本人と第三者との判断の相違もあるだろう。そこを考慮して、あえてこの愚かな全文を収録された出版社の方針に、感謝を以て従うことにした。自分で読んで背に汗が出るような部分も、当時としてはそのように書く何らかの必然性があったのだ。
しかし、それよりもなお忸怩《じくじ》たらざるを得ないのは、結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民のだれもが自由意志を以て傍観者であることを許されなかった時代に、私がそうであり得たのは、みずから選択したことではなく偶然の運命にちがいないが、それにしても――例えば私の小学校の同級生男子三十四人中十四人が戦死したという事実を想うとき、かかる日記の空しさをいよいよ痛感せずにはいられない。それに「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。
そしてまた現在の自分を思うと、この日記中の自分は別人のごとくである。昭和二十年以前の「歳月と教育」の恐ろしさもさることながら、それ以後の「歳月と教育」の恐ろしさよ、日本人そのものがあの当時は今の日本人とは別の日本人であったのだ。当時すでに、いまとは別人の逆上気味の私でさえ、戦争に対するものの見方は公平に見て私のまわりとはややちがうことを自覚していた。今ふり返って失笑ないし理解を絶するところは、ほかの人々にはもっと多量に存在していた。
しかし、それはほんとうに別の存在であるか。
私はいまの自分を「世を忍ぶかりの姿」のように思うことがしばしばある。そして日本人もいまの日本人がほんとうの姿なのか。また三十年ほどたったら、いまの日本人を浮薄で滑稽な別の人種のように思うことにはならないか。いや見ようによっては、私も日本人も、過去、現在、未来、同じものではあるまいか。げんに「傍観者」であった私にしても、現在のぬきがたい地上相への不信感は、天性があるにしても、この昭和二十年のショックで植えつけられたと感ずることが多大である。
人は変らない。そして、おそらく人間のひき起すことも。
昭和四十八年二月
[#地付き]山田風太郎
本作品には、現在の眼からみれば差別的な表現がある。しかし、この作品は昭和二十年という時代を背景にして書かれた「日記」である。「日記」という表現方式を、時間が過ぎてから修正するのは「日記」の持つ意味を変質させることになると判断し、原文のまま掲載した。(編集部)
・単行本    一九七一年一月 番町書房刊
・講談社文庫版 一九八五年八月刊