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忍法|鞘飛脚《さやびきやく》
山田風太郎
目 次
忍法|鞘飛脚《さやびきやく》
つばくろ試合
濡れ仏《ぼとけ》試合
伊賀の散歩者
天明の隠密
春夢兵
忍者|枝垂《しだれ》七十郎
忍者|死籤《しにくじ》
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忍法|鞘飛脚《さやびきやく》
私はインテリ忍者である。忍者中の文化人である。
従って、私はいわゆる忍法なるものを信じない。むしろ嫌悪《けんお》する。いや、ぜんぜん知らないのである。
にもかかわらず、ともかく「忍者」と称するのは、私が、甚《はなは》だ迷惑なことに、ともかくも忍者の一党に籍を置く人間だからだ。
私は医学を学んだ。私は臆病《おくびよう》である。――言葉をかえていえば、神経が繊細《せんさい》である。私は女が猛烈に好きである。どれくらい好きかというと、美人が数メートルの距離にちかづくと、それだけでもう勃起《ぼつき》現象を起すほどだ。これはわれながら少々異常で、この点だけについていうと、まさしく忍者の血が遺伝しているのではないかと思う。にもかかわらず、女が極めて恐ろしい。どれくらい恐ろしいかというと、三十三歳にもなってまだ童貞を守っているほどだ。ただし、これには私が包茎《ほうけい》であるという劣等感が重大な心理的影響を持っている。長崎の蘭館《らんかん》でクーケバッケル先生から、内科はもとより、外科産科などの相当大がかりな手術を学びながら、じぶん自身のこの小さな欠陥《けつかん》を手術してもらわなかったのは実に残念な気がするが、しかし私としては外人にそれを告白もできないほど恥ずかしがっていたのである。……ただし、私の場合は、包皮輪が甚だ狭く翻転《ほんてん》することのできない真性包茎ではなく、一見包茎のように見えるが容易に翻転し得る仮性包茎にすぎないが。
さて、私は忍者の一党に籍を置いたことを甚だ迷惑だといったが、迷惑も迷惑、これほどの迷惑を蒙《こうむ》った人間はちょっと世の中にあるまい。――なぜかというと、そのために私は、眼と耳と舌と四肢《しし》を失ってしまったのだから。こういう人間の姿、いや心理はいかなる状態にあるか、常人にはおいそれと御想像もつくまいが、まずヘレン・ケラー女史がダルマ大師と結婚したようなものだとかんがえていただきたい。
だから忍者などいやだといったのに……そして忍法などぜんぜん知らないのに、こんな状態になって、いったい私に何ができるというのか。
――と、作者が、「彼」に代っていうのである。きいてもつんぼで、しゃべるに口なく、書くに手なく、眼も足もないから何を合図する手段もない。ついでに彼に代って紹介すれば、この医者で、臆病で、女が好きで、女がこわい、おまけに包茎という文化人の要素をすべてそなえた忍者の名は、山鳥竹斎《やまどりちくさい》。
延宝《えんぽう》八年一月末|氷雨《ひさめ》のふる夜のことである。
医者の山鳥竹斎がここ四、五年も出入りしている志摩《しま》藩七万石|安乗志摩守《あのりしまのかみ》の上屋敷から帰宅してみると、一族の長老|根来孤雲《ねごろこうん》からいま使いがあって、内密にすぐ組屋敷に来てもらいたいという代診の報告であった。
ほとんどこの二年ばかり孤雲には逢《あ》っていなかったし、この夜ふけに何事であろう、と、さした傘《かさ》から冷たくしずくが掌につたわってくるのを感じながら、竹斎の心はふるえた。とくに「内密」という断りがあったのが気にかかる。
孤雲が来てくれといった組屋敷とは、公儀お小人目付《こびとめつけ》の組屋敷であった。お小人目付というのは、お城で諸女中のお出入りのときの輿添《こしぞ》い、大奥の軽い用向き、手紙の使い、物の運搬などに従うわずか十五俵一人|扶持《ぶち》の軽輩である。孤雲はその頭だからややましだが、それでもほんの陋宅《ろうたく》にすぎなかった。
二年ぶりに逢うと、孤雲はめっきり白髪を加えているのに、顔色がむかしよりかえってつやつやして、精気にみちていることがまず眼についた。
「なかなか、商売が繁昌しておるようで結構だ。……またいちだんとふとったな」
挨拶《あいさつ》がすむと、孤雲がじろじろと、まるまっちい竹斎の姿を見ながらいった。
「使いがいったときも、どこかへ往診に出かけていたということじゃが」
「安乗志摩守さまのお屋敷へ参っておりました」
「ほ、御病人はどなたじゃな」
「奥方さまでござりまする」
「奥方さまが――どうなされたか」
「さしたることはござらぬ。もの狂い――とまではゆかず、医者の言葉では臓燥《ぞうそう》と申しまするが、思いつめて狼藉《ろうぜき》をなさる。左様なことがしょっちゅうに起る奥方さまで」
臓燥とは、いまの言葉でいうヒステリーのことだ。
「まことにお父上の御|息女《そくじよ》でいられまする。お読みになる書物も歌書ならで史記、資治通鑑《しじつがん》のたぐいで、しかも漢の呂后《りよこう》や唐の則天武后《そくてんぶこう》のごときことがしてみたいと仰せられますから、恐ろしい奥方さまでござりまする」
竹斎が「お父上の御息女」といったのは、その志摩守の奥方さまが、時の大老|酒井雅楽頭《さかいうたのかみ》の娘だからであった。……正直なところ、彼は実際その奥方さまがこわい。じぶんの女性恐怖症を鼓舞《こぶ》したのはその奥方さまがあずかって力があったのではないかと思われるほどだ。そういう御身分でなかったら、往診などことわりたいほどである。
「奥方さまがもの狂いなされたは、志摩守さまが御病気のゆえではないか」
「え、殿さまが御病気でござると? それは存じませなんだ。志摩守さまはただいまお国元に御帰国中ではござりませぬか」
「それが――御帰国の期間はもうとっくにすぎておる。本来なら、去年九月に御帰府にならねばならぬはずだが、志摩守さまにはお国元で御病気じゃとのおとどけが出ておる」
大名が一年おきに領国に帰り、また在府するのは当時の習《なら》いである。
「で、奥方さまが、お見舞いにちかく志摩におゆきあそばす――とはきかなんだか」
「えっ、奥方さまも志摩へ?」
「いや、医者ふぜいに左様なことは仰《おお》せられまい。そういうおとどけが出ておるそうな。ふつうならばならぬことじゃが、何せ、御大老の御息女、できぬことではあるまい」
竹斎は眼をまろくして、孤雲を見まもった。孤雲のいっていることも思いがけないことだが、それよりたかがお小人目付の組頭にすぎない根来孤雲が、そういうお大名の内情を知っていることにおどろいたのだ。
「竹斎」
と、ふいに孤雲は言葉をあらためた。
「お小人にもどれ」
「――は?」
「いいや、根来組にもどれ」
「――は?」
「うぬに公儀隠密《こうぎおんみつ》を命じる」
根来孤雲は、曾《かつ》て竹斎が知らなかったほど厳然たる顔をしていた。山鳥竹斎はワナワナとふるえ出した。ここにくるとき、妙な予感がしたのは、あれは虫が知らせたのだと思った。このことを、じぶんはいちばん恐れていたのだ。……
とはいうものの、竹斎には孤雲のいうことがよくわからない。
竹斎はもとはこのお小人目付の出身であった。彼が根来孤雲を一族の長老としているのはそういう因縁《いんねん》からだ。ところでこの根来孤雲はもともとお小人目付ではない。もとは公儀根来組に属した人間であり、竹斎の父もそうであった。
根来組とは幕府の職制では伊賀《いが》一番隊、根来二番隊、甲賀《こうが》三番隊という編制で表面上は諸門、行列の警衛にあたっているが、元来は、いずれも忍者だ。しかし時代が下るにしたがって、忍者の需要は伊賀者甲賀者の専売となり、根来組はいつしかはみ出してしまった。そこにいたる由来は、竹斎は知らないし、知りたくもない。ただその果てに根来孤雲たち十数人が根来組を脱して、さらに身分の低いお小人に職をかえた。これは顛落《てんらく》に似ているが、内実は、雌伏《しふく》であったことを、竹斎はうすうす感じていた。なぜなら、一族の中では孤雲の指導によってひそかに相伝の忍法の修業が行われていたからである。
実は、竹斎も若いころ、その手ほどきを受けかけた。しかし彼が忍者としては肉体的にも心理的にも不適なことはすぐにわかった。彼は医者になりたかった。その彼を長崎の出島《でじま》の蘭医のもとに修業にゆかせ、帰府すると大名へ出入りの医者に斡旋《あつせん》してくれたのは根来孤雲である。竹斎は根来組からも忍者からもまったく解放されたものと信じていた。
そのじぶんに、いま突如としてお小人に帰れという。わからない。根来組に帰れという。わからない。簡単にそう職務復帰ができるものとも思えないし、また復帰してみたところでしかたがないと思う。
いや。――孤雲老は、いま妙なことをいった。公儀隠密を命じる、とだと?
「公儀隠密」
と、竹斎はかすれた声でくりかえした。
「いかにも。……もともと根来組は公儀隠密を承っていたのじゃ。その御用を、ふたたび承る。われら積年《せきねん》の悲願がかなうときがきたのじゃ。いや、げんにいまも、すでにわれら一党の者で諸国に出ておる者がある」
孤雲は眼をかがやかせていた。一見したときこの老人の顔色に精彩《せいさい》があったのはこのためであったことを竹斎は知った。
「積年の悲願、それはおまえもわかっておろうが」
「しかし、お頭。――わたしは医者で」
「医者も忍法修業の一つじゃ。そうでなくて、だれがお小人から、わざわざ長崎へやる者があろうかい。それがいよいよ役に立つ時がきたのじゃ。よろこべ」
曇りなくそう信じ、よろこんでいる恐ろしい眼であった。
「竹斎、まさかいやとはいうまいな。根来の掟《おきて》はおぼえておろうな」
「……はっ」
といったが、竹斎の背に冷たい汗がながれ出した。少年のころきいたその掟とやらには、一党の命にそむくものは死を以《もつ》て酬《むく》いる旨《むね》の一条があったのを遠く思い出したのである。
「と、申して、おまえの医術そのものを隠密御用のお役に立てようというのではない。医者とあれば、どこへでも潜入できる。そこをまず買いたいのじゃ」
「どこへゆくのでござります」
「いま、おまえから話に出たのも機縁、志摩藩七万石じゃ」
唖然《あぜん》としている竹斎に、孤雲はしずかにいった。
「安乗志摩守さまが、参覲《さんきん》交代でお国元へ帰らるるたびに、いつも病気と申したて御帰府が遅れがちになる。また、御帰府なされたときは、甚だ御憔悴《ごしようすい》なされておる。……志摩守どのは、お国元では何かを企《たくら》んでおいでなさるのではないか、というのが探索《たんさく》の目的じゃ」
「しかし、お頭。……志摩守さまは」
と、急に竹斎は或ることを思い出した。安乗志摩守は大老酒井雅楽頭のいわば婿《むこ》ではないか。――
「あの志摩守さまが、まさか」
「大老がそこに隠密を出されるのがおかしいか」
と、孤雲はきみわるく笑った。
「竹斎、わしがお前にお出入りを世話してやった御大名の奥方さまはどこからこられたかかんがえて見ろ」
「松《まつ》 平《だいら》 讃岐守《さぬきのかみ》さま、水野美《みずのみま》 作《さかの》 守《かみ》さま、中川因幡守《なかがわいなばのかみ》さま、加藤《かとう》 遠《とうと》 江《うみの》 守《かみ》さま。……」
と指おりかけて竹斎はぎょっとした。それはいずれも酒井雅楽頭さまの御息女を奥方としている大名方ばかりではないか。……
酒井雅楽頭といえば、もう十七、八年も大老をつとめ、病弱な将軍家をおいて実質的な将軍、げんに「下馬将軍」という異名のあるほどの人物である。
あまりに巨大すぎて竹斎などにはどういう人か想像もつかないが、いま――じぶんの婿たる諸大名にことごとく隠密をはなつとは、いよいよ以てその心情は謎《なぞ》めいているといわなければならない。
それにしても、そこに探索に入れるために、数年前からじぶんをそれらの諸家に斡旋してあったとは、大老とはいわず、根来孤雲の遠謀もまた戦慄《せんりつ》すべきものがある。――はやくも、竹斎は文化人らしい絶望を感じた。
「安乗家の奥方さまは、ちかく志摩へおゆきあそばすことになっておる。その殿を拝診させていただきたいとおまえが願い出て、志摩藩に入れ」
「……して、志摩藩の何を探るのでござりまする」
「それじゃ」
孤雲は一息ついて、それから横をむいて声をかけた。
「済んだか、千七郎《せんしちろう》」
「いえ、もう少し」
と、若い男の声がきこえた。思いがけず、隣室に誰かいたとみえる。
「竹斎、おまえは――ただ志摩にあって、城内で見たことのみを、奥方の御帰府とともに帰ったあとで報告してくれればよい。判断は、こちらでする」
と、孤雲はまた竹斎にいった。
「別に探索すべきことは、あの可児《かに》千七郎をやる。おまえはそしらぬ顔をしておれ。せっかく学んだ南蛮《なんばん》の医術じゃ。まだ使いたいことは山ほどある。――」
「お頭、できました」
と、いう声が隣できこえた。孤雲はあごをしゃくった。
「竹斎、そこの唐紙《からかみ》をあけろ。おまえも知っておる可児千七郎じゃ。――千七郎、竹斎を相手にやって見せい」
孤雲の言葉が何を意味するかは知らず、竹斎はフラフラと立って、うすよごれたへだての唐紙をあけた。
寒燈のもとに、寂然《じやくねん》と坐っている若い男の姿が見えた。それがこちらをむいて片膝《かたひざ》を立てたかと思うと、手をあげて何か投げつけた。赤い一塊が飛来するのを見たとたん、竹斎はとびあがった。一塊のものは空中でバラバラに散り、ひろがりつつ、竹斎を襲った。それは大小無数の環になったのである。とみるまに、環はひとつずつ竹斎の首に胴に、ふりあげた両腕に、そしておどろくべきことには、とびあがった片足にまで下から浮きあがってからまりついたのである。
「あっ」
もがいたが、それは皮膚にへばりつき、環と環がふれると、それもまた膠着《こうちやく》した。一瞬に竹斎は、無数の赤い環に、蜘蛛《くも》の巣にかかった虫みたいになってしまった。もがいても、それは糸のように細いのに蔓《つる》みたいにちぎれなかった。
「よう、修業した。忍法|紙杖環《しじようかん》」
と、孤雲がいった。
「竹斎、なんじゃと思う? それは血にひたした観世縒《かんぜより》じゃがの。紙とは思えまい?」
もがけばもがくほど、環と環がねばりついて、からだが不自由となり、ついに芋虫《いもむし》みたいにごろんところがってしまった山鳥竹斎を、可児千七郎は立って、うす笑いして見下していた。
数年前竹斎が見たときは、まだういういしい少年だったと記憶しているのに、いつのまにか鞭《むち》のように強靭《きようじん》な肢体をもつ凄絶《せいぜつ》な美貌《びぼう》の青年となっている可児千七郎であった。
大名の奥方というものは人質の意味で江戸にいるのが幕府の定法だから、これが主人の領国にゆくなどいうことは本来ならあり得べきことではない。それは、その主人が国元で病気をしているという理由ばかりでなく、奥方が時の大老の息女でなければ、とうてい望めないことであったろう。
一月の末、安乗志摩守の奥方|阿久里《あくり》は志摩に旅した。おびただしい供であった。医者の山鳥竹斎もこれに同行した。美々しい行列には、竹斎だけの気のせいかもしれないが、何やら妖気《ようき》があった。
志摩の城は、背後に海をひかえた美しい城であった。
ここに入って竹斎は大老がじぶんの婿の国へ隠密を派遣するなどいう異常事の原因はこれではなかったかと、たちまち思いあたることがあった。いや、奥方さまがお国入りなされたのは、たんに志摩守さまの御病気お見舞いという理由ばかりではなかったのではないか。――
安乗志摩守はほんとうに病気であった。蝋燭《ろうそく》みたいに白く、やせ衰えていた。拝診してみても、べつにどこが病気というわけでもない。竹斎はすぐにこれは房事過度《ぼうじかど》であると、心中に断を下した。
南蛮医学の知識をかりなくても、誰にだってわかる。――御国御前お濃《のう》の方をひと目みればだ。……竹斎は、たちまち例の現象を起して串《くし》で刺しつらぬかれたような疼痛《とうつう》をおぼえたほどである。
江戸で美しい女をたくさん見たが、これほど官能的な美女をいちども見たことはない。うるんだような眼、やや厚目だが花びらのようにかたちのいい唇《くちびる》、白いというより半透明な肌《はだ》、蛇《へび》のようにしなやかな四肢。……いや、こんな描写をいくらしてもしかたがない。一目みただけで、竹斎でなくってもあらゆる男にくらくらするほどの衝撃をあたえながら、その姿が奥ふかくかくれると、ふとっていたのか、やせていたのかそれすらもぼうっと脳膜《のうまく》から霞《かす》んでしまうような女人であった。
あとで知ったところによると、事実その女人はどこか霞んだようなところがあるらしかった。つまり、いわゆる才女からほど遠いということである。しかし、あれほどの官能美の結晶なら、あたまなどどうだっていい、と竹斎はかんがえた。これでは国へ帰ったきり、志摩守が容易に腰をあげないのも当然だ。また房事過度におちいって、腎虚《じんきよ》の相を呈するのも必然である。……
それを――「志摩守どのは、お国元で何かを企んでおいでなさるのではないか、というのが探索の目的じゃ」と重々しくいった根来孤雲のばからしさ。こんなことは、大袈裟《おおげさ》に公儀隠密を以て探りを入れるほどのことではあるまいが、と竹斎は思い、しかしすぐに、いや、ひょっとすると、と思いなおした。天下に恐ろしいもののない御大老にとっては、御息女のおん婿君の心身をかくもとろかし、吸いつくす女人の存在は、いちばん恐るべきことであるかもしれないぞ。
しかし、それにしても、当の奥方さま御自身がこうしてお国元に乗りこんでこられたのだから、いまさら隠密でもあるまいが――まして、じぶんのみならず、あの「紙杖環」など称する凄絶な忍法をふるう可児千七郎も別行動をとって潜入してくるらしいが、これはまったく鶏《にわとり》を裂くに牛刀を用いるようなものだ、と思わざるを得ない。
べつに竹斎がなんのおみたてを言上しなくても、奥方阿久里の方も、ひと目お濃の方を見ただけで、すべてを察したに相違ない。いや、そもそも奥方は、江戸でこの女人のことをきいて、最初からひとつの心づもりがあって乗りこんで来たのではないかと思われる。
たちまち阿久里は、竹斎の処方もまたず、じぶんで処置を下した。
中毒の原因たる毒物を病人から排除したのである。つまり、お濃の方を志摩守から遠ざけたのである。
効果はてきめんであった。志摩守はめきめきと体力を恢復《かいふく》した。
殿さまの全快祝いがあったのは、四月なかばのことであった。祝宴の末座に竹斎もつらなることができた。遠くみる志摩守は、はじめ見たときとは別人のように栄養状態が可良で、しかしどこか憂鬱《ゆううつ》そうであった。
あれはちかく、奥方さまとごいっしょに御帰府にならなければならぬからの御憂鬱だ、と竹斎はその精神状態をも診断し、且《かつ》大いに同情した。……それよりも、殿さまはともかく、じぶんの方が志摩国《しまのくに》に居残りたいものだ。何とかして、あのお濃の方さまのおそばちかく侍《はべ》りたいものだ。ひょっとしたら、それでじぶんの包茎は自然|治癒《ちゆ》をしてしまうかもしれない、と竹斎は途方もないことをかんがえた。彼は、隠密の用件を忘れていた。また事実として、公儀隠密として何ということもないなりゆきであった。
異変はその夜に起った。
真夜中、女中のひとりがあわただしく「お年寄がお呼びでござります」と竹斎のところへ走ってきたのである。
竹斎は奥へ駈けつけた。老女が待っていて、女中を去らせると、
「一大事じゃ。殿さまのお息がとまった」
と、唇をふるわせていった。竹斎は仰天した。
「こちらへ」
いそいで老女が案内した。奥の奥へ参入していって――と或る一部屋に一足入ったとたん、こんどは竹斎がじぶんの息がとまったかと思った。
豪奢《ごうしや》な夜具のそばに、朱《しゆ》にそまってたおれている女があった。それが一糸まとわぬ裸身である。その左の腕は、肩のつけねから切断されて、そばにころがっていた。
一目みただけでそれがお濃の方であることを知ると、竹斎は夢中で駈け寄ろうとした。
「医者。……殿じゃ」
と、座敷の隅で、老人の声が叱咤《しつた》した。
竹斎は、閨《ねや》の中にうつ伏せになっている男の姿に気がついた。あきらかに殿さまである。
投げ出された腕をとってみると、脈はとまっている。ふとんをはねのけると、殿さまも全裸体であった。胸に耳をあててきいたが、心臓も停止していた。いや、あおむけにされた顔をみると、ほそい眼は白くなり、口はアングリとひらいている。あきらかに完全な死相だ。しかし竹斎の一瞬の眼では、安乗志摩守の死相は、なぜか円満具足《えんまんぐそく》の笑顔に見えた。……
「お果てなされておりまする」
竹斎はしゃっくりのような声をもらして、ふりむいた。
部屋の隅でも、しゃっくりに似た声がふたつした。そこに二人の人間が立っているのにはじめて竹斎は気がついた。白刃《はくじん》をひっさげて幽鬼《ゆうき》のように立っている奥方さまと、その腕をとらえている御家老である。
「では、お部屋さまのお手当を」
と、家老がいった。歯ぎしりするような声で、奥方がいった。
「いや、その女、そのまま死ぬがよい」
「なりませぬ、奥方さま、何とぞ御辛抱を。――竹斎、はようお部屋さまをお手当申せ。道具がいるか? 道具は、はようだれぞにとりにゆかせい」
――あとで知ったところによると、この夜の大惨劇の顛末《てんまつ》は、次のごときものであったらしい。
全快の祝宴果てて、体力を恢復《かいふく》した志摩守は、禁断の木の実をむさぼろうとしたらしい。奥方さまのおゆるしがあったわけではなく、その眼を盗んで、夜這《よば》い同然にこの部屋にやって来たらしい。その結果、まるで飢《う》えた人間がいちどに大食すると死ぬことがあるように、殿さまの心臓がとまってしまったのである。いわゆる腹上死というやつである。
急をきいて、奥方さまが駈けつけた。そして家老が駈けつけるまえに、奥方さまは怒りにまかせて、このとんでもない破局をもたらした毒花お濃の方に斬《き》りつけ、その片腕をバッサリうちおとしてしまったのだ。
「しばらく、しばらく」
と、家老は白い髷《まげ》をふりたてた。
「奥方さま、おしずまり下さりませ」
「源左《げんざ》、おまえもこの女狐《めぎつね》と同じ穴の貉《むじな》か」
「何を仰せられます。奥方さま、まず源左の申すことをきかれませ。奥方さまの御丹精にて、せっかくおつくろい遊ばしたるものを、いっぺんにうちこわしたは、まことにとりかえしのつかぬ大失態ではござりまするが」
国家老の鳥羽源左衛門《とばげんざえもん》も狼狽動顛《ろうばいどうてん》その極に達していたのであろう、妙な用語をつかったが、それにも気づかぬ風で、
「さりながら、いまお濃のお方さまを御成敗なされては、いよいよ以《もつ》てとりかえしのつかぬ始末と相成りまする」
「なぜじゃ」
「お濃のお方さまには、ただいま御懐胎でござりまする」
「なに?」
「そのうち言上、と思いつつもその機を得ませなんだが、お濃のお方さまには月水御停止のこととか。……先月、松《まつ》ケ枝《え》、それは先月のことであったの?」
老女松ケ枝はがくがくとうなずいた。
さすがに奥方さまも愕然《がくぜん》としたようすで、失神したまま竹斎の手当を受けている愛妾の姿を見やったが、すぐに、
「それならいよいよ以て」
と、刃をとりなおそうとした。般若《はんにや》さながらの形相であった。
「あいや、奥方さま」
鳥羽源左衛門は声をしぼった。
「御当家にいまだお世継ぎおわさず……このまま殿の御不慮があきらかとなりますれば、安乗家は断絶のほかはないのでござりまするぞ」
「いいや、断絶はさせぬ。わたしは酒井雅楽頭の娘。……酒井の一族のだれを養子としても家は絶やさぬ」
「それはあまりにも常ならぬこと、左様なことをいたすには、殿の御不慮を公にせずばなりますまい。それでは、事がいすか[#「いすか」に傍点]のはしとくいちがいまする」
「しかし、殿はすでに御落命ではないか」
「そこでござる。今宵のこの椿事《ちんじ》はあくまで秘しぬくよりほかに法はござりませぬ」
「なに、このことをかくすと?」
「されば、若君御誕生まで、何とかして、たとえ御重病なりとも殿御存命のていにしつらえたく」
と、源左衛門は、たいへんなことをいい出した。
あたまが石みたいにかたまった老人としては、途方もない着想である。が、べつに彼の頭脳が天才的なわけでも、或いは熟慮の結果でもなく、これは主家断絶という破局をまえにして、そこに禄《ろく》をはむ人間の死物狂い、せっぱつまったあまりの智慧《ちえ》であったろう。
「いままでならば、とうてい成らぬことでござった。さりながら、幸か不幸か、奥方さまがお国元におわします。奥方さまとわれら、心をあわせ、若君御誕生まで、他の家来たちをもあざむきとうござる。奥方さまの遊ばしよう次第では、できぬことはござりませぬ。しかも、ほかならぬ御大老酒井雅楽頭さまの御息女のなさることでござりまする」
「源左。――生まれてくるやや[#「やや」に傍点]が、若君か姫かわからぬではないか」
「あ」
と、鳥羽源左衛門は虚をつかれた表情になったが、すぐに決然として、
「われら、一念を以てしても若君を生ませ申す」
と、むりなことをいった。
「何はともあれ、奥方さま、御成敗の儀は、しばらく、しばらく」
――途中まで、竹斎は夢中であった。この絶世の大美女の生命を救うためにである。しかし、応急手術が成功したという判断とともに、このおどろくべき問答が耳に入り、ワナワナとふるえ出した。
「竹斎、その女、片腕を失って、子を生めるかや?」
と、奥方がこちらをむいていった。
「しばらく御様子を見ねば、相わかりませぬ」
と、彼はこたえた。声はおののいているが、この際のことだから特に疑われなかったのが不幸中の倖《さいわ》い――と思ったのもつかのま、
「左様、この医者、もはや一歩も城外に出すことはならぬ」
鳥羽源左衛門がうめくようにいったので、山鳥竹斎はぎょっとした。
そのとき、女中の呼ぶ声に出ていった老女松ケ枝が、顔色変えて入ってきて、さらに驚倒すべき事実を報告した。
「ただいま江戸より早打ちの御使者が参られて、上様には、この八日夕刻、御他界あそばされたそうにござりまする」
慶事はひとつだけ離れてやってくるが、不幸は踵《きびす》を接してくるという。
この夜、江戸から四代将軍|家綱《いえつな》がこの世を去ったという急報がきたのは、あまりにも偶然の不幸が相ついだ暗い夜であったといえた。
もっともこの将軍さまはお若いころから御病弱であって、とくにこの冬からは枕もあがらない床《とこ》にお臥《ふ》しなされているという噂《うわさ》はたっていたから、こういう事態は予測されたことである。
ただ、この際にそのことがあったということは、よくよくかんがえてみると、安乗藩にとっては必ずしも不幸とはいえないかもしれなかった。江戸は将軍の死と新将軍|綱吉《つなよし》の襲職という騒ぎのために、安乗藩の内情などに眼をむけるどころではなかったと見られたからである。
ともかくも安乗藩では、主君志摩守はふたたび病み、病状は一進一退をつづけているというていにつくろって、それですんだ。お側ちかく侍るのは、奥方さま、お濃のお方、家老鳥羽源左衛門、老女松ケ枝、医者の山鳥竹斎、その他数人の重臣、小姓、女中だけであるとつたえられ、家臣のだれもが、憂えるだけで疑うものはなかった。
山鳥竹斎は閉じこめられていた。
彼としては、まったく意外なことである。
安乗藩には、ほんとうに大秘密が生じた。まさに公儀隠密の探るにふさわしい事実である。もっとも、この変事を、いかに根来孤雲といえども予測し得たはずはあるまいから、まったくの偶然にちがいないが、ともかくもこれは容易ならぬ秘事といわねばならない。それが、――竹斎は、隠密と知られずして城内に閉じこめられたのだ。彼には厠《かわや》にゆくにも、厳重な眼がひかっていた。
可児千七郎は何をしている? と竹斎は思った。あのとき千七郎は、じぶんとは別行動にとって安乗藩に潜入するというような話であったが、それっきり、ついに彼の影も見たことはないのである。或いはこんどの事件以前に、安乗の城の外をうろついて、すでに江戸に帰ったのかもしれない。
それに竹斎はこの秘密を江戸に報告することができるとしても、それがいいことか、わるいことか判断がつかなかった。報告すれば、安乗藩はとりつぶされるであろう。とりつぶされると、お濃の方の運命はどうなるか。
――いつしか竹斎はそのことの善悪を、お濃の方の運命を基準にして判断して、そして迷っていた。
いや、たとえ報告しても安乗藩がとりつぶされるかどうかはまだわからない。じぶんを派遣したのは酒井雅楽頭であり、雅楽頭は新将軍時代となってもまだ大老の地位を維持しているらしいからである。
そもそも、ここの奥方さまは大老の御息女だから、いかになんでもあの秘事は父に報告しているはずだが、それでも安乗藩に格別の沙汰《さた》がないところをみると、大老がすべてをのみこんでいるとしか思われない。つまり、鳥羽源左衛門の、主君の死を秘し、ともかくも一子の誕生を待って、そのあとで善後策を講ずるという苦肉の計画通りに事がはこんでいるように見える。
「ともかくも、しょせんわしの力の及ぶところではない」
と竹斎は弱々しくつぶやいて、そして気弱な人間らしく未来への不安には眼をつぶって、無責任に現在にしばしの安住をむさぼろうとした。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。二《ふ》タ月ばかりたって、彼は奥方さまに呼び出されたのである。
「竹斎」
と、彼女はやさしくいった。
「おまえにききたいことがある。……あの女の腕……もう一本|斬《き》っても、子供は生めるかや?」
「それは」
「いつぞやのおまえの手当ぶり、見ていてその鮮かなのに感心したぞ、あれが南蛮渡りの医術か。なみの漢方では及びもつかぬ」
奥方はにっと笑い、ひざさえすりよせて、竹斎の手をとった。
「できる喃《のう》」
阿久里の方は決して不美人というのではない。むしろ顔立ちはふつう以上にととのっている。ただし、能面のように。
美人が数メートルにちかづくと例の現象を起す竹斎であった。奥方にしたしく手をとられればどうにかなるはずだが、それが――竹斎にとって、以前からいかに傍に寄ってもこの現象を起さない唯一の例外がこの奥方であった。きみがわるいのである。冷えるのである。こわいのである。
「できぬかえ。……できねば、おまえにもはや用はない」
竹斎は背すじをほそい鉄の串《くし》で刺しつらぬかれたようになり、
「できましょう。……できまする」
とさけんだ。
その日のうちに、山鳥竹斎は、お濃の方のもう一本の腕を斬りはなし、あと例のごとく手当をした。おどろいたことに、いつのまにか城の奥のお濃の方の部屋は、ふとい格子でかこまれた座敷牢と変えられていた。その中で、お濃の方は生き、そして胎児もまだ生きていた。
「うるさいの」
と、その手術をみていた奥方がいった。お濃の方の悲鳴のことをいったのである。
「ついでに、舌も切ってやりやいの」
竹斎が、阿久里の方の愛読書が「史記」や「資治通鑑」であったことを思い出したのは、それからまた一《ひ》ト月たってからのことであった。
「お濃の片足を斬ってたもれ」
彼女はそういい出したのである。
この奥方は「史記」や「資治通鑑」の中の呂后《りよこう》や則天武后のひそみにならおうとしているのだ、と竹斎は戦慄《せんりつ》した。
呂后は前漢の高祖の皇后であるが、高祖が歿《ぼつ》するや、その寵《ちよう》を受けた美姫|戚《せき》夫人をとらえ、四肢を断ち、眼をえぐり、耳を聾《ろう》とし、薬で声帯を破壊し、それをおのれの厠の中に飼って「人豚《じんとん》」と称したという。また則天武后は唐の太宗の妾《しよう》のひとりであったが、太宗が歿するや、息子の高宗と通じてまたその妾のひとりとなり、皇后王妃と寵妃|蕭《しよう》夫人をとらえ、その四肢を断ち酒樽《さかだる》にひたしてその死にいたるまでの三日間を愉《たの》しんだという。
果せるかな、また一《ひ》ト月ほどたって奥方は、お濃の方の残る足も斬れと命じた。
「奥方さま。……それではお濃のお方さまがおんな達磨《だるま》になられまする」
と、たまたまそばにいた鳥羽源左衛門があえぐようにいった。
「御懐妊のやや[#「やや」に傍点]さまがお水とおなりなされたら、いかがあそばす」
「そうなったら、それでもよい」
「しかし、御家は断絶。――」
「父は、安乗家のことは心得ておると申して参った」
源左衛門はやや沈黙したが、しかしこの酸鼻《さんび》さにはたえかねたらしく、
「奥方さま、もし、だるまのごときやや[#「やや」に傍点]が御誕生なされたらどうなさる」
「それを見たいもの、――」
と阿久里はうっとりつぶやいた。が、すぐに能面のような細い眼で竹斎を見すえて、
「爺が案ずる。竹斎、やや[#「やや」に傍点]が死んだら、またはこの女が死んだら、おまえも死なねばならぬぞ」
と、いった。
竹斎は、お濃の方の残る足を斬った。悪夢の中に生きているような頭で、四本のうち、一本だけ残してもしようがないだろう、と弱々しく妙な計算をした。
また一《ひ》ト月たって、奥方はお濃をつんぼにせよと命じた。
まさに呂后、武后の再現である。もともと阿久里はそんな恐ろしい女性だったのであろうか。なるほど彼女は以前から呂后、武后のごとき所行がしたいといってはいた。その欲望がお濃という恰好《かつこう》の実験台を得て爆発したのであろうか。――まさか、そうではあるまい、と、竹斎はかんがえた。わが国の女人に、支那《しな》の古怪な物語に出てくるようなそんな魔女のあるはずがない。あの言葉を吐いたとき、奥方さまの頭には、国元にあって殿さまを蝋燭みたいにとろかしているお濃の方の姿が浮かんでいたのだ。あれはそんな場合、どんな女性の脳膜にもえがかれる嫉妬の幻想にすぎなかったのだ。
それが、偶然、その一肢を断つという意外の事態に直面して、もはや自暴自棄と半狂乱のうちに曾ての幻想を現実にえがきはじめたのだ。
とはいえ、その自暴自棄と半狂乱は恐るべきものであった。父の大老は保証するといったそうだが、彼女は安乗藩の運命さえ、どうなってもいいとかんがえているとしか思われなかった。
山鳥竹斎は、やっと決心がついた。むろん、安乗藩などはどうなってもかまわない、ともかくも、この惨事を江戸に報告することである。まさか、御大老さまは阿久里のお方さまがかかる御所行をなされつつあるとまでは御承知ではあるまい。御承知になれば、それは止めよ、と制止がくるにちがいない。――しかし、竹斎は、それを報告するすべを知らなかった。彼には、いよいよ厳重な監視の眼がついていた。
可児千七郎は何をしている?
「眼をつぶせ」
一《ひ》ト月ののち、ついにその命令が来た。
竹斎は、お濃の方の両眼をつぶした。――安乗の海には白い秋がきていた。しかしここは闇黒であった。お濃の方の視界はさらに、これ以上ないという闇黒に変えられた。
しかし、竹斎の魂は、それに劣らないほど暗かった。
わしは何をしているのだ。わしは死神の邏卒《らそつ》となっている。しかもそれはお濃の方を生かすためだけであった。が、いったい、お濃の方を生かしてどうしようというのだ? 眼なく、耳なく、舌なく、四肢なき、芋虫以下の女人を。
可児《かに》千七郎からやっと連絡があった時は、もう十一月も末になっていた。
或る雨の夜、竹斎の閉じこめられている座敷のたたみのあいだから、小さな紙片がすうっと生えて来た。
竹斎はぎょっとしてそれをひろいあげた。ひろいあげると二枚の紙になった。
「城厳重にして入る能わず、ようやく床下に罷《まか》りあり候。白紙の方に、竹斎どのの見聞せられしことをしたためて、たたみのあいだに返し候え」
と、一枚にかいてあった。
もう一枚の紙に、竹斎はふるえながらしたためた。紙片が小さな薄葉《うすよう》なので、それに事実を圧縮するのと、すぐ隣室にいる監視の侍に気どられないために、彼の筆はいよいよふるえた。
――半刻ののち、彼はその薄葉をふたたびもとのたたみのあいだからさしこんだ。すると薄葉はすっと下へ消えてしまった。
それからものの十分とたたぬうちであった。
「曲者だ!」
という絶叫が遠くできこえたかと思うと、たちまち颶風《ぐふう》のような物音があがりはじめた。……見つかったのだ。
竹斎は全身が麻痺《まひ》したようになってしまった。何というへまな……きゃつ、つかまったり、斬られたりしたら、どうしよう。いや、きゃつがどうなろうと、それはまずいいとして、わしの書いた薄葉の文字が発見されたらどうしよう。千七郎よ、ぶじに逃げてくれ!……彼は先刻一人前に義憤にかられて一つの報告書をかいたことをあぶら汗をながして悔いた。
しかし、混乱はいよいよ大きくなり、あきらかに死闘のひびきはますます悽愴《せいそう》になってきたようであった。……竹斎はウロウロと立ちあがり、座敷から亀の子みたいに首を出したり、ひっこめたりした。監視の侍はいなかった。
「捕《と》った!」
そのさけびがひびいたとたん、竹斎は脳貧血を起して壁にもたれかかった。
――あとできくと、その曲者の抵抗ぶりは実に奇怪凄絶をきわめていたらしい。彼はみずから手足を傷つけ、そこからの流血に無数の白い環状のものをなすりつけて赤い環と変えながら、これを侍のむれをめがけて投げつけたのである。
環はみごと侍たちの頸《くび》や手足や、そして刀槍までにはまって、それらをつらね、行動不能に陥《おとしい》れた。
――忍法|紙杖環《しじようかん》。おそらくそれは錫杖《しやくじよう》の頭部にかけてある数個の環になぞらえたものであったろう。それは知らなかったが、
「忍者よな」
と、捕えられた男を見て、阿久里の方はつぶやいたという。
どこの何者から何を探りにやって来たか、という問いに、ついに彼は答えなかった。あとになってそれをきいて、竹斎ははじめて奇怪に思った。可児千七郎を派遣したものは、阿久里の方の父酒井雅楽頭のほかにないはずだからだ。
どういう命令を下されたのかよくわからないが、事ここに至れば率直にそのことを白状すればよかろうにと思う。またそのほかに命の助かる法はないと思う。
にもかかわらず、恐ろしい拷問《ごうもん》に対して、可児千七郎はついに口を割らなかった。その血まみれの手足をじいっと見つめていた奥方は、やがてこういったという。
「おまえの探りに来たものを見せてやる。これ、こやつの手足を断ち、唖《おし》とし、つんぼとし、あの人豚の牢に入れてやりやい、一目見せたら、眼もつぶしてやりや」
これは数日後、例の秘密を知っている監視の侍から、竹斎がきき出したことだ。そのときは、もう千七郎は例の牢内で絶命していた。竹斎のような外科的切断を受けたわけでなく、またなんの手当も受けなかったのだから、これは当然だ。
……忍者というものは、たとえ味方であっても、おのれの命令者の名は告白しないものであろうか。きいて、竹斎は戦慄した。それにしても、あのうら若い、美男の千七郎が。
竹斎は忍者の一党に籍を置いたことを、あらためて恐怖した。こんど江戸に帰ったら、どんなことをしてもその籍をぬいてくれるように孤雲老に哀願せねばならぬ。
江戸へ帰る? しかし、じぶんは江戸に帰れるのか?
御大老の御息女の命じる通りにやったわしだ。まさか、殺されるとは思わないが――ただひとつ心配なことがある。じぶんが可児千七郎にわたしたあの薄葉の報告書だ。
あれが見つかって、じぶんの文字だと知られたらどうしよう。どうしてもじぶんとしか思われない文章であった。それが判明したら、万事休す。
しかし、どうしたことか、このことの追及はなかった。――千七郎はあの紙片をどうしたのか、とにかくそれは発見されないようであった。千七郎はあの窮地《きゆうち》の中で、かみちぎるか、のみこむか、何とか処分したとみえる。……
竹斎は胸なでおろした。
しかし、彼は逃げられなかった。師走《しわす》もなかばすぎ、彼は奥方に呼ばれた。
「何御用で」
と平伏からまんまるい顔をあげた竹斎に、
「江戸の隠密」
と、奥方が呼びかけた。
「……あいや、これは御大老からの御秘命で」
――ぎょっと息をのんでいた竹斎が、思わずこうさけんだのがかえって語るにおちた結果となった。
「たわけ、父は知らぬわ」
と、奥方はいった。
「いや、父は知った。知って、志摩に使者をよこしたのじゃ。……ええ、だまれ。おまえを隠密によこした向きはもうわかっておる。よう何年もわたしをあざむいたの」
何が何だかわからなくなり、狂乱したようなさけびをあげかかる竹斎に、
「うるさい、こやつの口を封じや」
と、奥方は金切声でさけんだ。声に応じて、武士たちがおどりかかった。
「そうじゃ、いっそ舌をきってやりや。いつぞやの隠密のことを思い合わせても、容易に口は割るまいし、割ったとしてもいま口走ってみせたように、こちらをたぶらかそうとするたわごとであろう。数年にわたって何くわぬ顔で志摩家に出入りしていたほどのしぶとい奴。ひと通りでない忍者じゃ。もはや、声もききとうない」
奥方の眼は――眼だけは憎悪にひかり、顔は能面のごとく無表情になっていた。舌を切られるまえから、竹斎は口がきけなくなってしまった。
「そうじゃ、こやつも人豚にしてやりや」
ついに、奥方はいった。
「ただ眼だけ残してな。あの女の姿――こやつがじぶんで作りあげたあの姿をよくよく見せて、あとで眼をつぶせ。なお、かんがえるところがあれば、なるべく殺すなよ。父上から、なお後便を待てとの御指令があったゆえ」
竹斎は舌を切られ、鼓膜《こまく》を破られ、四肢を断たれた。
……彼はよみがえった。じぶんがどうしたのかわからなかった。ここはどこかもわからなかった。ただ彼は闇黒の中に、ぼうと白くひかるまんまるいものだけを見た。
「ふしぎである。御懐妊のやや[#「やや」に傍点]はまだ御健在でおわす。……よし、眼をつぶせ」
声とともに瞼《まぶた》をおしあけられたままの両眼に錐《きり》が刺しこまれ、竹斎は沈黙したまま失神した。
……また、どれくらいの時がたったか知らず、彼はよみがえった。恐るべき激痛と闇黒だけが彼をつつんでいた。
やがて激痛は去り、憔悴《しようすい》がとって代った。みずからの外科的切断を受けたわけでもなく、手当を受けるすべもない彼のゆくてには、ただ可児千七郎と同じ運命が待ちかまえているだけであった。
……かくて、冒頭の彼の独白が闇中につぶやかれることになる。
闇黒のなかに、彼はぼうと白くひかるまんまるいものを見つめていた。あれはなんだ?
あれはお濃の方だ。声なく、眼なく、耳なく、四肢なき雪白の肉塊。それがまんまるいのは、あと一《ひ》ト月でこの世に誕生すべき生命を孕《はら》んでいるからであった。それだけが生きて、それをつつむ白い肉塊を音もなく息づかせていた。
その白いものをめざして、竹斎は這い出した。いや、手足がないのだから、芋虫みたいに蠕動《ぜんどう》をはじめたのである。
いまは彼もじぶんの見ているのが残像にすぎないことを知っていたが、それを追ってすすむと、ふしぎなことに現実に彼はやわらかい、あたたかいものに触れた。
「……お濃のお方さま、おゆるしを」
ただ、そう脳髄《のうずい》でつぶやいたつもりだったのである。
ふたつの肉塊は相ふれたまま、永劫《えいごう》を思わせる波動を以て息づいていた。竹斎のあたまにはいつしか幻の眼華《がんか》が浮かんでいた。それは、うるんだような眼、やや厚目だが花びらのようにかたちのいい唇、白いというより半透明な肌、蛇のようになよやかな四肢をもった女体がここにある、という幻想であった。
……はじめて竹斎がこのお濃の方を見たとき、彼がどれほど官能的衝撃を受けたかはまえに述べた通りである。
その後、彼はこの女性にいくたびか逢《あ》った。恐ろしい接触であった。そして、その傍にはいつも阿久里の方の眼がひかっていた。
神経の繊細な彼は、もとより例の現象を起す余裕はなかった。それほど繊細でなくても、どんな男でもこれはあたりまえであろう。それでも、ときとして彼は、四肢を断たれ、白い肉塊と変じてゆくこの女人に、惨麗《さんれい》とも形容すべき美をおぼえて酩酊《めいてい》したような感じになることがあった。とはいうものの、たとえ傍に奥方の眼がなくても、彼はそれ以上どんな行動をもとれなかったろう。彼は女人すべてに或る恥ずかしいコンプレックスをもっていたからだ。
いま、竹斎はお濃の方と相まみえた。いや、おたがいに眼は見えなかった。恐ろしい、しかし新しい接触であった。この女人は、わしを見ておらぬ。お濃の方の眼が見えぬということは以前からのことであったのに、見えるじぶんの眼が、その認識を呪縛《じゆばく》していた。いま、その呪縛がとけた。これは文字通り「接触」だけの感覚であった。
はじめ、ただ謝罪の意識で接触した竹斎のあたまから、次第にあのうるんだ眼や花のような唇や半透明な肌や蛇のような四肢の幻想が消えて、彼はひたすらその「接触」の感覚だけに溺《おぼ》れていった。
現象が起った。
延宝《えんぽう》八年十二月末の或る早朝のことである。
江戸の堀田筑前守《ほつたちくぜんのかみ》の屋敷の門前にひとつの屍体《したい》がほうり出してあった。ひどく憔悴した医者風の男で、まるで塩漬けにでもしてあったように塩がまわりにこぼれおちていたが、それでもやや腐れかかっていた。四本の手足は断ちきられているのに、屍体の顔はニンマリと笑っているようであった。
この奇怪な屍体を見て、しばらくうち案じていた堀田筑前守はやおら、
「根来孤雲を呼べ」
と、家来に命じた。
まもなくお小人組頭の根来孤雲がやって来て、
「御推量のごとく、安乗藩に潜入させてあった一党の山鳥竹斎と申すものでござりまする」
と、しずかにいった。
「……では、やはり、雅楽頭は、そこまでは探ったらしいの」
「十八年間御公儀の伊賀組をお使いなされた雅楽頭さまでござる。それにしてはお知りなされたのがむしろ遅すぎた、と申すべきでござりましょう。十八年間の御大老御在職中に重ねられた数々の御罪状を、およそ御大老にかかわりあるあらゆる御縁辺から拾いあげるべく、われら根来お小人が働いておったとは」
「が、知ったことを、かようにわしに見せつけられるとは、雅楽頭どのも子供らしい、というべきか、自暴自棄というべきか」
と、堀田筑前は苦笑した。
この四月、前将軍家綱の死とともに五代将軍として綱吉が立ったが、酒井雅楽頭はなお大老の地位にあった。が、これはまったく名目だけの地位であって、それどころか綱吉の襲職をあくまで阻止《そし》し、じぶんの傀儡《かいらい》として京都の某宮家を擁立《ようりつ》しようと策動した雅楽頭は、新将軍綱吉に冷眼を以て遇された。雅楽頭は恐れ、苦悶《くもん》し、はては反撥《はんぱつ》した。最後には将軍と自暴自棄にちかい喧嘩状態にすらおちた。
そしてこの十二日ついに大老の職を剥奪《はくだつ》されて蟄居《ちつきよ》を命じられたのである。代って老中から大老の職についたのが、この堀田筑前守|正俊《まさとし》である。以前から綱吉擁立のためひそかにはたらいていた堀田筑前守は、綱吉襲職とともに、すでに実質上の大老であった。
いや、さらに遠い昔から、彼は酒井雅楽頭を追放するために、彼の在職中の罪状を調べあげようとして、雅楽頭の手垢《てあか》のついた伊賀者は敬遠し、隠密御用の再任を悲願する根来孤雲一派を使っていたのである。……そのことを、最後にいたって、雅楽頭はようやく知ったらしい。そして、それを知ったということを、いまさらのようにあてつけがましく堀田筑前に見せつけたということは、あまりのことに逆上したせいもあろうが、しょせん、いたちの最後ッ屁というべく、蟄居中の雅楽頭がついに死を覚悟したということの表明でもあった。
「さりながら」
と、根来孤雲は、袋みたいな屍体のきものを剥《は》ぎとりながらいった。
「この山鳥竹斎、またさきに行方を絶った可児千七郎と申すもの、いずれも孤雲の最も買うておる忍者でござる。それが、何の報告もなく、むなしくかようなありさまになり果てたとは拙者には思われませぬ。かならずや、何らかの獲物《えもの》をつかんでおるに相違ござらぬ」
彼は、じいっと手足のない裸の屍体を見つめた。筑前守が、ふいにまた苦笑した。
「孤雲、そやつ、俗に申す皮かむりではないか」
「されば。――」
根来孤雲はニヤリと笑い、屍骸の一個所に手をさしのばした。
翻転させると、いままで全然見えなかったのに、その亀頭頸を環のごとく巻いた褐色の観世縒《かんぜより》があらわれた。
孤雲はそれをぬきとると、観世縒をよりもどして、ひらいた。褐色は血の変色したものらしかったが、その薄葉には、何やらビッシリと細かい字が書きつらねてあった。
「安乗志摩守さまの御愛妾お濃のお方さまには御懐妊、来年早々にも御出産とのことでござりまするが、ただいま酒井さまの御息女阿久里の方のために、おん母子の命|累卵《るいらん》の危《あやう》きにあると申す」
孤雲は読んで、眼をあげていった。
「これも雅楽頭さま積悪の一つの証拠として、でき得れば、なるべくお助け申しとうござるな」
[#改ページ]
つばくろ試合
慶安《けいあん》三年三月末のことである。
江戸城|溜《たまり》の間《ま》に、いわゆる御三家の尾張《おわり》大納言|義直《よしなお》、紀伊《きい》大納言|頼宣《よりのぶ》、それに水戸右近衛《みとうこんえの》中将|光圀《みつくに》が、むずかしい顔をして詰めていた。光圀は父の頼房《よりふさ》が在国中なので、代理で登城していたのである。
彼らは本来なら大廊下上の御部屋に詰めているのが常例だが、老中に会って将軍の病状をきくため、ここまで出ていたのであった。
時の三代将軍|家光《いえみつ》が他界したのはその翌年の四月のことだが、しかし晩年の――といっても死んだのが四十八歳という壮年だが――ここ四、五年、しばしば患《わずら》った。病名は発表されないが、腎虚《じんきよ》によるものらしいというのが殿中の噂《うわさ》であった。
「……もとからその道にはお抑《おさ》えがきかぬたちでおわすに、わざわざ京まで人をやって京随一の美女を探し出してあてがうなど、老中のすべきことかは」
と、紀伊頼宣が吐き出すようにつぶやいた。
「お夏のお方のことか」
と、尾張義直がうなずいて、くびをかしげた。
「しかし、あれは将軍家が白昼小姓に戯《たわむ》れておられるのを伊豆《いず》が見て、男色に凝《こ》らせられるよりは――と、気をもんで左様な才覚をしたものときいておる」
「いずれにしても」
と、頼宣はいって、さすがに唇《くちびる》をむすんだが、あと言おうとした言葉はきかなくてもわかる。一応敬語は使っていても、将軍家光にとって、どちらもけむたい二人の叔父《おじ》であった。
同時にこの二人は、光圀にとっても伯父にあたる。後年、こういうことについては、この二人の伯父以上にうるさい一言居士となった黄門さまも、まだこのときは二十四歳の若さであったから、のどまで出かかった批判を制して、さりげなく、
「燕《つばめ》のくる季節になりましたな」
と、中庭をかすめた影に眼をやった。いまの暦《こよみ》でいえば四月末にあたるから、桜の大樹ももう葉桜であった。
「上様も、やがて御|快癒《かいゆ》でござろう」
予定の時刻をだいぶすぎて待っていた人々があらわれた。大老の酒井讃岐守忠勝《さかいさぬきのかみただかつ》、元老格の井伊掃部頭直孝《いいかもんのかみなおたか》、老中の松平伊豆守信綱《まつだいらいずのかみのぶつな》、阿部豊後守忠秋《あべぶんごのかみただあき》、若年寄の堀田出羽守正盛《ほつたでわのかみまさもり》、阿部山城《あべやましろの》 守重次《かみしげつぐ》など、いわゆる幕閣の閣僚たちである。
「遅なわりました」
酒井大老がまず挨拶《あいさつ》したが、彼らがいならぶと、思いがけないことをいい出した。
「実は今朝未明、長崎奉行から急使が参りましてな、それについていままで談合しておったのでござるが、外交上の大事に関することでござれば、何はさておき御三家さまの御意向を伺《うかが》わずばなるまいと存じ、まかり出た次第です」
「外交上の大事?」
と、紀伊頼宣がけげんそうな表情をむけた。
「なんじゃ」
「例の明《みん》使の乞師《きつし》でござる」
「ほう」
と、頼宣が虚をつかれたような声をもらすと、義直がいった。
「大明乞師の件。また来たか。しかしそれはすでにいままでことわったことではないか」
「左様でござる。が、このたびの明使の書状ならびに長崎奉行の報告書を見るに及んで、われらのあいだにも意見が二つに分れたのでござる」
と、酒井讃岐守は左右の閣僚たちをかえりみた。
大明乞師の件。
海のかなたの明の遺臣《いしん》が日本兵の救援を求めてやまない使者は、いままでに三度来た。
三百年になんなんとする大明帝国が滅亡したのは六年前のことである。爾来《じらい》、その遺臣は明廷の遺孤《いこ》を奉じて南|支那《しな》にのがれ、新帝国たる清《しん》朝に抵抗し、明室の復興をはかっていた。その一人に鄭芝竜《ていしりゆう》という人物があった。もとは密貿易商人というより海賊の巨魁《きよかい》であったが、落日の明朝がこれを都督などという官職につけてその力に頼ろうとしたのだ。日本に対し、援軍を二度求めたのはこの鄭芝竜であった。
なぜ彼が日本に助けを求めたかというと、彼は若いときから商人としてしばしば来日し、慶長十七年には駿府《すんぷ》で家康《いえやす》に謁見《えつけん》したこともある。また平戸《ひらど》にながらく住んで、平戸侯の家来の娘を妻とし、二人の子供までもうけている。その後、彼は帰国し、栄達するとともに、日本に残しておいた妻と二子を呼びよせた。
――そういう縁があるからだ。
幕府では評定のあげく、結局これに応じなかった。そのうちに明朝回天のことは次第に望みがうすれ、もともと海賊出身で自分の欲望でうごいていた鄭芝竜は清軍に単独降伏し、連絡不充分のため妻は清兵に犯されて自殺した。
芝竜の単独降伏というのは一子の成功がなお抗戦を説いてやまず、かつすでに成功の方が鄭軍を掌握する将器をそなえはじめていたからだ。
鄭成功は父の裏切りと母の非業の死にいよいよふるい立った。彼は母の屍を見て、その腹を剖《さ》き、腸をひき出して、これを滌《そそ》いでけがれをきよめたという。解剖学的にはおかしいところがあるが、その精神は諒《りよう》とするに足りる。また厦門《アモイ》金門一帯にたてこもる彼の軍船には檣頭《しようとう》高く「殺父報国《さつぷほうこく》」の旗がひるがえっていたという。
亡国の明帝は彼に対して、帝姓たる朱の姓を与えた。このゆえに、人呼んで「国姓爺《こくせんや》」といった。爺《や》とは老人という意味でなく、尊称である。父が降り母が死んだとき、彼はまだ二十三歳であった。
明朝の帝姓は受けたが、彼の幼名は田川福松《たがわふくまつ》である。平戸で生まれた日支の混血児である。
彼は、これだけは父にならって日本軍の救援を乞《こ》うた。慶安元年のことである。
「いま艱難《かんなん》のとき、貴国われを憐み、数万の兵をかさば感義限りなけん」
とは、そのときの書中の一節である。
この文字のみならず、彼の出生、彼の立場などはすでに日本にも知られていた。うごかされないはずはない。
幕閣重臣の一人、板倉周防守重宗《いたくらすおうのかみしげむね》が当時出した秘状に次のような条々がある。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
「一、大明へ渡り候て別条これなくば乗り渡り候船は残らず焼捨て申すべく候。
一、それより陣城を作りいつまでも待軍しかるべく候。
一、日本の人数は総大将一人、次に大将十人」
[#ここで字下げ終わり]
その他騎兵歩兵の構成、人数、褒賞のことまでしるしている。いちじは決して冗談ではなく、幕府でも真剣に遠征軍派遣の議をこらした証拠である。
事実また、浪人群などでひそかに海を渡って国姓爺に馳《は》せ参じたものもあるらしい。鄭軍の親衛隊のことをしるした向うの一書に、
「親軍みな鉄面をいただき、鉄裾《てつきよ》を披《ひら》き、えがくに朱緑の綾《あや》を以てし、弓箭《きゆうせん》を帯し、斬馬《ざんば》の刀を佩《は》き、陣前にすすみ馬足を斬《き》る、号して鉄人軍という」
などいう記述が見られる。これは面頬《めんぼお》をつけ陣羽織を着、日本刀をふるう日本武士団としか解しようがない。
――しかし、幕府としては、やはりこれに応じなかった。
鎖国《さこく》という国家の大方針にもとるというのがその表向きの理由だが、しかし鎖国令はもともと切支丹《キリシタン》を目的としたもので、げんに支那とは貿易していたのだからそれは真因ではない。それより、五十年ばかりまえの例の豊太閤の朝鮮役に懲《こ》りたというのが本音であろう。――飛んで現代を思うと、歴史は似たようなことをくりかえすという感慨を禁じ得ない。
そしてこのとき慶安三年。
孤忠の混血児はふたたび日本に出兵を乞うて来たというのだ。
「しかも――」
と、大老酒井忠勝は、やや妙な顔をしていった。
「使者は国姓爺の妹、鄭春燕《ていしゆんえん》という女人じゃと申す」
「なに、国姓爺の妹?……すりゃ」
と、紀伊頼宣はいった。酒井讃岐守はうなずいた。
「やはり、日本と唐の混血児《あいのこ》でござるそうな。当年二十二歳、しかもつんぼで唖《おし》でござるそうな」
「唖。――」
「長崎奉行は、これについていそぎ平戸を調べたそうでござる。すると、いまを去る二十年前国姓爺の母が、二人の子をつれて唐へ渡ったが、その下の子が、お春と申す二歳の女児で、しかもこれが生まれたときから唖でつんぼであったことを語る者がありましたそうな。――事実のようでござる」
酒井忠勝はいよいよ妙な顔をしていた。
「この唖娘の明使は、江戸へ出て直接将軍家に国姓爺の書を捧げたいと申しておる由でござるが。――」
「いや、出師《すいし》の儀は相成らずと、それはさきに相決したこと。たとえ使者が何者であろうと長崎より帰らせた方がよい」
と尾張義直がいった。
忠勝は紀伊頼宣に眼をむけた。
「大納言さまにはどうおぼしめすか」
「わしは、さきの乞師のときも申した。征韓《せいかん》のときとはちがう。こんどは向うに手引きがおるのじゃ。あちらからこいねがっておるのじゃ。太閤の偉業を徳川家の手でしとげるのはこのときにある。いや、たんに一徳川家のためではない。海の外の様子を見るに、イギリス、イスパニア、ポルトガル、オランダなど、それぞれ天竺《てんじく》、呂宋《ルソン》、バタビア、高砂《たかさご》などを乗っ取りつつある。このときにあたって、わが日本が朝鮮役の羹《あつもの》に懲《こ》りて膾《なます》を吹き、じっと居すくんでおっては悔いを千載《せんざい》に残す、後代子孫のために罪を犯すことになることは、わしはいま予言しておく。――そのかねてからの持論は変らぬ。いままた国姓爺の乞師の使者が到来したという。これは機会の神が、まだかまだかと日本の尻《しり》をたたいておるものというべきではないか。国姓爺の意図は知らず、この機をつかんで日本は海の外へ出るべきじゃ」
「水戸さまはいかがおぼしめす」
明廷の義臣|朱舜水《しゆしゆんすい》を招聘《しようへい》したのはもっとあとのことになるが、後年の黄門さまは、やはりこのころから慨然《がいぜん》としていった。
「義をみてせざるは勇なきなり。義兵送るべしと存ずる」
紀伊頼宣はいよいよ意気ごんで、名代《なだい》の熊野水軍《くまのすいぐん》のことをもち出し、また紀州藩の老人で朝鮮役に武功をたてた者の名をあげ、中国、西国の大名を動員し、じぶんをその派遣軍の総司令官としてもらいたいとまでいった。
「紀伊、一人合点もいいかげんにせぬか」
と、兄にあたる尾張義直はいらいらしたように叱《しか》って、酒井忠勝の方にむきなおった。
「閣老たちはどう思うのか。海外派兵はせぬという方針に変更が生じたのか」
「もともと、異論はござりました。ここにおる者のうちでも、掃部、伊豆、豊後などはもともと反対論者ですが、出羽、山城――それにかくいう拙者《せつしや》は、この際、遠征軍を編成すべきではないか、という意見をのべたこともござる。ただしこれは紀伊さまや水戸さまの仰せあそばすような理由からではありませぬ」
と、忠勝はいった。
「いまや、天下に溢《あふ》れておる数十万の浪人どもの捨場所に」
忠勝の表情はこのときますます不可思議なものに変っていた。
「しかるに、このたびの長崎よりの報告によって、反対論者たる面々も口をつぐまざるを得ぬ事態が出来《しゆつたい》いたしてござる。少くとも、その使者を江戸に迎えざるを得ぬ事態が」
「なんじゃ、それは――」
「その国姓爺の妹鄭春燕なる女人、回春というより回生ともいうべき明廷三百年の秘法を心得ておるそうでござる」
「回生の秘法。――」
「されば、この女人、男と交わるに、ただ交わるのみならず口もまた接し、この姿にあること半年、時によれば一年、かかるときはいかなる垂死の病人にても、下より病いのもとを吸いとられ、口よりいのちのもとを吹きこまれ、両人の体腔《たいこう》、環となってめぐるうち、ふたたび壮健の鋭気をとりもどさずにはおかぬ――と申しておる由でござります」
「――ば、ばかな!」
と、尾張義直がさけんだ。むろん彼は、酸素吸入器などというものの存在を知る道理がない。
「左様なことが世にあり得るか。またもしあるとしても――何者がそれをためしたのか。長崎奉行がためして見たと申すのか」
「いや、そのことはためしたことはござらねど、奉行の書状には、その女人一室に入り来れば、その座にある燭《しよく》あかあかと光を倍し、かつ、対坐しておる者、ふしぎにからだがすがすがしく、活力がみなぎってくるような感がいたす。これはまちがいないことと申して来ております」
御三家の人々は唖然《あぜん》として顔見合わせた。
「一方で、その女人が息を吹きかければ、たちまち花も草も萎《な》えるそうで。とにかく奇怪なる術を体得しておる女人であることに相違ござらぬ」
大老酒井忠勝はいった。
「明の使者、長崎にて追い返すこと相ならず、出府いたさせ、この城へ登城させねばならぬことおわかりでござろうか。――乞師云々のことはさておき、上様御病気のおんためにも」
御三家の人々はなお沈黙していたが、ややあって紀伊頼宣がいった。
「すると――将軍家御|快癒《かいゆ》までに、その女人、一年もつながっておらねばならぬと申し、そのあいだに日本軍出兵を条件とされれば、その条件のむよりほかはない、ということに相なるな。……」
「……兵助《へいすけ》。十兵衛《じゆうべえ》が死んだことを存じておるか」
と、松平信綱はいった。
深夜の伊豆守の屋敷である。主人の前にいるのは二人の客であったが、そのうちの一人――二十五、六の巨大な体格をした侍が、あっというように伊豆守の顔を見た。
「いや、存じませぬ」
「きのう、わしも知った。柳生《やぎゆう》の庄にほどちかい山城|大《おお》河原《かわら》村|弓《ゆみ》ケ淵《ふち》で、鷹狩《たかがり》中に死んだそうな。なぜ死んだのか、まだわからぬ」
若い侍はしばし宙を見ていたが、
「……いちどお手合わせ願いたいと思っておりましたに、それは残念な」
と、しずかにつぶやいたが、この場合にうすくニヤリと笑った。
十兵衛とは、故柳生|但馬守宗矩《たじまのかみむねのり》の長子柳生十兵衛|三厳《みつよし》のことである。そしていま信綱の前に坐っているのは、尾張の柳生兵助|厳知《よしとも》という若者であった。
柳生|石舟斎《せきしゆうさい》の子供のうち、五男の又右衛門宗矩は江戸仕え、一万二千五百石の大名にまでなったが、嫡男《ちやくなん》の新次郎厳勝《しんじろうよしかつ》は終生どこにも仕官せず柳生にあって、その剣脈を一子の兵庫《ひようご》に伝えた。のちに柳生兵庫は尾張に仕え藩主義直の剣法指南役となったが、その兵庫歿後は次男|茂左衛門《もざえもん》があとをついで現在名古屋にある。
ここにいる柳生兵助はその弟で、三男坊ほどあっていまだに部屋住みの身だが、その天性の剣技は兄以上だといわれ、義直に愛されて、主人について江戸屋敷に詰めていた。巨躯《きよく》だが、のっぺりと長い顔が蒼白く、ただ坐っているだけで四方に放射する超人的な精気《せいき》と妖気《ようき》があった。――後年入道して柳生|連也《れんや》、または浦《うら》連也と名乗ったのはこの人物である。
「そのことで、おまえを呼んだのじゃ。たんに陳《ちん》先生のかいぞえとして呼んだのではない」
「十兵衛|兄《けい》の死が、何か――」
「いや、直接には今宵《こよい》のこととかかわりはない。おまえへの頼みはあとでいう。それよりも、陳先生」
と、信綱はもう一人の人物の方を見た。
綸巾《りんきん》をかぶり、道服《どうふく》をつけたその人物はもはや七十半ばにも達するであろうか、痩躯《そうく》鶴のごとく一代の学者とみえるが――同時に、あきらかに日本人でない容貌でもある。いま信綱が呼んだように、陳元贇《ちんげんぴん》、これがこの老人の名である。
陳元贇、河南《かなん》省|潁川《えいせん》の人。彼は元和五年に来朝した。爾来《じらい》約三十年間、長崎、萩《はぎ》、京、江戸などに住み、儒学《じゆがく》、詩はもとより、書、絵画、陶器、茶から建築、鍼灸《しんきゆう》、さらに菓子の製造まで教えて諸国におびただしい崇拝者を生んだが、寛永十五年以後は尾張藩の客となって現在にいたっている。むろん名古屋ばかりに住んでいたわけではなく、義直に従って江戸とも往来したが、松平伊豆守とは彼が尾張の客となる以前から親交があった。
信綱はようやく陳元贇に対し、きのう受けた長崎奉行の報告書の件を物語った。
「……男女交わって両者の体腔を一環となし、垂死の人間をも回生させるなど、左様な秘法が明廷に伝えられているというはまことであろうか」
陳先生は綸巾につつんだ頭をかしげた。
「少林寺拳法には」
と、彼はいった。
「息をふかく肺に吸い、肺より腎《じん》に吸気を通し、腎より流れる気を陰茎から吐く、その一瞬の喝力《かつりよく》を利して撃《う》つ。このとき撃てば手足を以て板も裂け、瓦《かわら》も砕けまするが」
陳元贇は若いころ中国五名山の一つ嵩山《すうざん》の少林寺に入って拳法を学んだ。少林寺の僧兵の拳法は隋唐の時代から有名であった。この寺の修行は、平生絶壁を鎖で下って水を汲《く》み、二斗入りの甕《かめ》で水を運び、十斤の刺股《さすまた》を片手であやつって薪《まき》を焚《た》き、二ヵ月にいちど鉾《ほこ》、槍、棍《こん》、青竜刀《せいりゆうとう》、拳法の試合がある。このとき僧は|※[#「巾+白」、unicode5e15]《はちまき》をしめ、水色の衣を襷《たすき》十字に綾《あや》どって試合し、勝てば一座ずつ席次があがる。入山したからにはこの極意に達しなければ死んでも退山は認められぬという掟《おきて》があった。
「ほ、では、やはりそのような術があるのか」
「いや、そのような呼吸法、というより気構えと申すべきものでござる。しかもこれは拳法のこと」
陳元贇はくびをふった。
「拙者《せつしや》は明廷に仕えたことはありませぬから、しかとは申せぬが、左様な術が唐土にあろうとは存ぜられませぬな。そのような術があれば明の帝王にして病んだり死んだりなされた人のあるはずがない。――拙者、国にあったころ、きいたこともありませぬ」
「わしもそう思う」
と、伊豆守はいった。智慧伊豆という異名の通り、いかにも聡明《そうめい》で冷静な容貌であった。
「しかし、長崎奉行はそう報告しておる。奉行山崎|権八郎《ごんぱちろう》は思慮ある老人、やすやすとたぶらかされる男ではない」
「……いったい、何でござろうか」
と、さしもの柳生兵助もくびをひねった。
「忍法。……」
と、信綱はつぶやいた。
「えっ、忍法?」
「古来、日本にはそのような妖《あや》かしのわざをなす者がある。――」
と、信綱は陳元贇を見ていった。柳生兵助はせきこんだ。
「伊豆守さま。すりゃその国姓爺の妹が、日本の忍法を……いま承ったところによれば、その女人は二歳のときに平戸を去って明へ渡ったということではありませぬか」
「わしは、その女人が、はたして国姓爺の妹であるかどうかまで疑っておる」
「――や?」
兵助は仰天した。
「そ、それは実に、容易ならざる一大事――」
「国姓爺に唖でつんぼの妹があるというのはまことであろう。その妹が日本へ来るとき、五島《ごとう》あたりで出迎えて入れ変ったか。――むろん、そのことは国姓爺も承知の上かもしれぬ。国姓爺としては日本の援軍を求めておるのは事実じゃから、その目的のためにはそのような術策を談合したのかもしれぬ。それくらいの念入りの細工をしかねぬ奴が……江戸に一人おる」
「江戸に。……何者でござる」
「それはいうまい。これはあくまでこの信綱の想像にすぎぬからじゃ。すでに長崎奉行の報告書は上様にも御覧あそばし、是が非でもその女人を呼べと仰せある。もしまことにその女人に回生のわざがあれば、これをとどめるということは何ぴとにもならぬ。……とはいえ、この明使がにせものであったとすれば、江戸に入らせてはいかにもとりかえしのつかぬ一大事じゃ。これが上様のお命をも狙《ねら》う陰謀の道具でのうて何であろうぞ」
信綱はいった。柳生兵助の顔色は変っていた。
「ただし、そこまで企《たくら》んだとすれば、容易なことでしっぽは出すまい。つんぼで唖ということだけでも、向うの強力な盾《たて》となる。つきそいの唐人どもは、もとよりほんものであろう――」
信綱のひたいに困惑の翳《かげ》が刻まれていた。智慧伊豆にそんな表情を見るのもはじめてだが、兵助は伊豆守の困惑ぶりをようやく納得した。
「にせものならば、ふせがねばならぬ。ほんものならば、殺してはならぬ。しかもその真贋《しんがん》を見わけることは容易ではない。――が、あくまで、至急に見分けねばならぬのじゃ」
「……いかにも」
「この至難な大事を、公然とわしの手でやれぬことはわかるだろう」
伊豆守は兵助を見た。
「わしは、柳生十兵衛を思い浮かべた。あの男なら、かような御用に打ってつけじゃ。かならず役目を果たしてくれるであろう。しかし、はからずも十兵衛は死んだ。――そこで思いついたのは一門のおまえじゃ」
兵助は口をあけた。
「明使の素性探索のこの御用、兵助、やってくれぬか」
「それは、伊豆守さま。……むずかしゅうござりまするぞ」
「むずかしいとは、いまわしがいった。で、陳先生の御助力をいただく」
陳元贇は微笑していた。
彼は武術によって、柳生兵助の師であったのだ。柳生兵助の師であるばかりではない。柔道の前身は柔術だが、柔術はこの陳元贇の拳法から始まった。拳法のことは、彼のもっとも余技とするところであったが、それにもかかわらず、陳元贇は日本の柔道の祖ともいうべき人であった。
「わしは老いた」
と、彼はいった。
「のみならず、伊豆どの、その明使、たとえにせものであろうと、事実として日本軍の救援という結果に結びつくとすれば、明廷に仕えたことのないわしにしろ、必ずしも敵意は持てぬ。が――面白い」
陳元贇は白髯《はくぜん》の中の口を、きゅっとすぼめた。
「お手伝いいたそう。兵助、やってみるがよい」
「お引受けせねばならぬことでござろうな」
ようやく兵助はうなずいた。彼の胸に、死んだ柳生十兵衛に対する敵愾《てきがい》心がわきあがった。
「が、その明使の素性探索のこと、たとえば陳先生の御眼力をかりてにせものであることが判明した場合はどういたします」
「その女人自身がひき返すようにしてもらいたい」
「それほど企んだ出府を断念して、その女人自身がひき返す。――」
柳生兵助はこの至難な命題をかんがえこむ表情になったが、やがて顔をあげて、
「犯してよろしいか」
と、いった。
「それよりほかに法はありませぬぞ」
そして、平然としてつけ加えた。
「まかりまちがえば、あとで拙者が腹切ればそれですむこと」
ふぉっ、ふぉっ、と老陳元贇が笑った。伊豆守も薄く笑ったのは、兵助のこの無法ともいうべき奇策にあながち反対でもなかったとみえる。が、すぐにその笑いを消して、きっと兵助を見すえた。
「なお、おまえを見込んだわけはもう一つある。この件がもし何者かの企みであるとすれば、そやつから邪魔が出るぞ。この伊豆がこのような手を打ちはせぬかと気をまわして、かならずおまえの探索をふせごうとする。それはよく覚悟しておけ」
「……なぜ、そちがそのことを知っておる」
と、紀伊大納言頼宣はさけんだ。
深夜の紀州藩江戸屋敷である。この時刻に訪れて、頼宣ほどの人間を書院に呼び出した客は、総髪を肩にたらして、ゆったりとした軍学者風の男であったが、あいさつもぬきにまず彼は小姓などを退かせたのち、「明使一件、御評定はいかが定まりましたか」と切り出して、頼宣をおどろかしたのである。
すぐに頼宣は、飛耳張目《ひじちようもく》のこの男ならば、早くもそのような噂《うわさ》をききこんでいることもふしぎではない、と思いなおした。牛込《うしごめ》 榎《えのき》 町《ちよう》に軍学の大道場をかまえ、門弟三千と号している由比民部之介正雪《ゆいみんぶのすけしようせつ》であった。その門弟の中には、幕府の要人や大名までがふくまれている。
「呼ぶことになった」
と、頼宣はこたえたが、その明の女使者の奇怪な術のことまでこの男に伝えるべきかどうかに迷った。
「しからば、いよいよ兵を出すということに相成りましたか」
「そこまではまだ決せぬが……おそらくそうなるであろう」
「大納言さまにはかねてからの御持論、そうなれば御本懐《ごほんかい》でござりましょうな」
「余を総大将にせよとまで申した」
「反対論はござりませなんだか。とくに松平伊豆守さまなど」
「伊豆? 伊豆も黙っておったが」
知らず知らず、柳営の評定の様子を語っているのに、はじめて気がついて頼宣はふいに口をとざした。
御三家の一つ「南海の竜」とまでうたわれた紀州大納言と江戸の軍学者由比正雪との関係は、実にあいまいなところがある。
評判のこの軍学者をふと藩邸に呼んで話をきいてから年久しい。そのあいだ正雪は足しげくこの屋敷に出入したが、彼にはそれだけの魅力があった。軍学の造詣《ぞうけい》ばかりではない、だれにも言われぬことだが、頼宣だけの心の琴線《きんせん》にふれる或るささやきが、彼の唇からもれるのだ。いや、はっきりと口にはせず、以心伝心《いしんでんしん》ともいうべきことだが、それはつまり「天下」のことであった。
ここ数年、将軍は荒淫《こういん》のあまり病みがちで、しかも世子はまだ幼君であった。もし万一のことがあったらどうなるか。後見として尾張大納言かじぶんが乗り出すよりほかはあるまいが、頼宣には、決して兄にはゆずらない、ゆずりたくない気力と野心があった。――それをこの正雪は見ぬいていて、さりげなく「天下」のことを語る。これをさりげなくききながら、頼宣は陶酔《とうすい》にちかい昂奮《こうふん》をおぼえていた。
いま。――正雪は、例の天才的ななれなれしさで、柳営の評定にスルリとすべりこもうとしている。
「伊豆守さまも、明使の女人が回生の秘術を心得ておるとあっては、どうなされようもござりますまいなあ」
うす笑いして、正雪はいった。頼宣は愕然《がくぜん》とした。
「正雪、なぜその方は、左様なことまで存じておる」
もういちど、こんどはほんとうに眼をむいて、彼はさけんだ。
「あれは、拙者が仕立てた使者でござりますゆえ」
「な、なに?」
「もとより日本の女、拙者秘蔵のくノ一、女忍者でござる」
衝撃のため、しばし声もない頼宣を笑顔で見て、正雪はつづけた。
「九州西方の五島にて明船に乗りこませたものでござりまする。もとより国姓爺にはこのむね連絡してあります。国姓爺としては、のどから手の出るほど日本の援兵が欲しいのでござるから、それが成るものならば手段をえらばず。――」
「正雪」
頼宣はあえいだ。
「うぬは、なんのためにそのような大それた陰謀を」
「将軍家の御命頂戴のためでござる。……そのくノ一の忍法はいつわりでござらぬ。忍法|陰陽環《いんようかん》、それは陰気を吸って陽気を吐く、常人とは正反対の呼吸をいたしまする。交わって数ヵ月は、将軍家はまさに風に煽《あお》られたともしびのごとく、あかあかといのちの炎をあげられることでござりましょう。しかし、それだけにいのちの火を燃やしつくして、一年のうちにも御他界あそばすは必定」
「正雪、うぬは、な、なんたる恐ろしきことを。――」
頼宣は立ちあがった。
「かかる大事をきいた以上、このままでは捨ておけぬ。いそぎ公儀に訴えねば――いいや、余みずから手討ちにいたす」
「御存分になされませ。正雪、年をかけ、そのくノ一の足の指まで切って纏足《てんそく》させ、これほど大がかりに企んだことでござりまする。いまさら何を怖れることがありましょうや。お手討ちを怖れるほどならば、わざわざこちらから出かけて、かようなことをお打明けいたしませぬ」
正雪は平然と頼宣を見あげた儘《まま》であった。
「すべて大納言さまのおんために計ったこと、その計策ようやく成って、いまやそのくノ一が長崎を発しようとする時にあたって、大納言さまのお気に召さず、お手討ちになったとすれば、これまた正雪の天命」
「余のため。……余のために計ったとは?」
「お手討ちの儀はいつでもお受けつかまつります。まず、大納言さま、正雪の計策をおきき下されませ」
このどちらかといえば小柄な軍学者が、このときほど大きく見えたことはない。自若として端坐《たんざ》している彼のからだのまわりにぼうと煙みたいな暈《かさ》がかかっているようだ。その妖煙《ようえん》にあてられたように、頼宣はヘナヘナとまた坐った。
「まず。……拙者がほかにもめぐらしておるさまざまの謀事《はかりごと》がいよいよ熟し、ここ一年以内にもかたをつけなければ、かえって腐るという事態に立ちいたりました。一方、将軍家におかれては、御病体とは申せ、きょうあすという御寿命ではござりますまい。また万一のことが起りましょうと、大納言さま、正雪種々の情報によって判断いたしまするに、御後見のこと、決して大納言さまにゆきませぬぞ。……とくに、あの松平伊豆が幕閣にあるかぎりは」
いまや正雪は、はっきりと、ここ数年頼宣の胸ふかく蔵されていた夢を口にした。
「正雪がかかる大それた奇策に乗り出しましたは、たんに将軍家のおいのちをちぢめようとする目的だけではござりませぬ。別に大軍を催《もよお》す準備のためでござりまする。――大納言さまが」
「わしが、大軍を催す」
「大明出兵の総大将はこの頼宣にせよと柳営で申されたそうではござりませぬか。大納言さま、そのお望みを、そのまま強く押し出されませ。――いざというときに兵をあげる。その支度は一夜にして成るものではありませぬ。公儀隠密の眼がひかっておりまする。このとき、公然と大軍を催す準備にかかる。――その機を作るためでござります。大明乞師のことは、国姓爺はしらず、正雪としてはたんに口実でござりまする」
豪邁《ごうまい》一世を圧するといわれた紀伊頼宣が、しだいにふるえて来たほど正雪の不敵な告白であった。
「拙者の計算では、明へ送る大軍の支度が成ったころに将軍御他界という段取りにいたしたい。そのとき大納言さまは大軍をひきい、西の海へ向われず、東の江戸へ向われるのでござる。――ただ待ち受けて柿の実のごとく天下はとれるものではありませぬ。天下はおのれの力でとるべきものでござる。しからずんば、あと持ちこたえることも成りますまい」
軍学の講義のごとく、冷静に正雪はつづける。
「いまや、拙者のはなったくノ一は大明の使者として江戸へ向おうとしておりまする。これを邪魔する者のないことは、大納言さま御存じの通り。――」
頼宣を上眼づかいに見て、にこと笑った。
「正雪を訴えられまするか。お手討ちあそばすか。それとも知らぬお顔で事態の推移におまかせあそばしまするか」
頼宣はしかしふたたび立とうとしなかった。しだいに正雪のこの途方もない大奇計が破綻《はたん》なく成立しそうな感じがして来たからふしぎである。その頼宣の心理の変化を読みとったように、
「もとより正雪のいちばん望むは、大納言さまが見ざる聞かざるの体でおわすこと」
と、正雪はいったが、すぐに、
「と申したいところですが、お願い申しあげたきことがござりまする」
と、つけ加えた。
「な、なんじゃ」
「ただいま邪魔する者はおらぬ、といいましたが、ただひとつ気にかかることがござる。いや気にかかるどころではない、あの人間なら、かならずこういう手を打ってくるに相違ないことが」
「それは」
「松平伊豆守信綱さま」
「伊豆が、何をいたすか」
「あの人物は、このたびの明使に疑いをかけずにはおきませぬ。その素性をたしかめるため、きっと然るべき探索の者をはなちまする。むろん、公然と調べることは成らず、また公然と調べてくれればそれでぼろを出すような偽使者ではござりませぬが、智慧伊豆という異名をとるほどの御仁、おそらくかげのごとき隠密をはなって、これを探ろうとあがくにちがいござりませぬ」
「ふうむ」
「それを大納言さまのおん手でふせいでいただきたいのでござりまする。具体的に申せば、紀州の侍でそのくノ一を護ってやっていただきたいのでござります」
「余の家中で。……それは」
「あいや、それも公然とではありませぬ。あちらの探索も公然とはできぬはずでござりまするから、こちらもあくまで陰の守護者として」
正雪はひざをすすめた。
「もとより、そのくノ一、守護せんとすれば正雪の手でもできまする。しかし拙者は得べくんば、大納言さまのおん手を借りとうござる。それは正雪個人の保証のためでもござりまするが、また事成ったあかつきに於ける大納言さまの御権利のためでもござりまする」
手ぶらで甘い汁だけは吸わせぬ、といっているのだ。頼宣を運命共同体にひきずりこもうとしているのだ。
「伊豆守さまがいかなる隠密をお出しなさろうとこれをふせぎ、しかも事と次第ではみずから死すとも口外せぬ、そのような武士が紀州藩にはござりませぬか?」
紀伊大納言頼宣は、異様にひかり出した眼で、じいっと正雪を見つめていたが、やがていった。
「ないこともない」
彼はもはや完全に正雪の魔力に魅入られていた。
「……これが根来《ねごろ》忍法僧の精鋭であるか」
と、紀州藩の国家老|安藤帯刀《あんどうたてわき》はいった。
月明《げつめい》の紀州城内、その奥ふかい庭上である。――帯刀のまえには五つの黒衣の影がひれ伏していた。
「左様、かく申す玄門《げんもん》と、香雲《こううん》、月心《げつしん》、それにお琉《りゆう》、お弦《つる》、みな一族の者――というより、数百年の根来忍法を伝える拙僧が、わらべのころより手に手をとって教え、この道にかけては根来村に住む者のうち比類なきわざの持主どもでござりまする」
と、まんなかの影が、しゃがれた声で答えた。
「二人は女じゃな」
「されば、……が、このお琉、お弦、両人力を合わせれば、おそらくこれにかなう兵法者は、恐れながら紀州の御藩士のうち、そう多くはござりますまい」
三人の男はみな雲水《うんすい》姿に総髪《そうはつ》という異風なかたちをしていたが、二人の女は、黒衣と黒頭巾で全身をつつんでいる。が、それでも月明に顔の白さがほのひかるほどであった。
「相わかった。……このたびの御用、ぶじに果たせば、うぬら積年の悲願、根来者を紀州藩の隠密組に登用するということを約してよいぞ」
安藤帯刀はちらとじぶんの持っている書状に眼をやった。けさ、江戸から急使を以てとどけられて来た主君直筆の書状である。
家康がその第十子頼宣のために、その後見としてとくにつけた名臣安藤帯刀|直次《なおつぐ》はすでに歿《ぼつ》し、これは二代目の帯刀であったが、紀州藩の国家老の位置に変りはない。のみならず同じ紀州領内田辺三万八千八百石の城主でもある。
が、その帯刀も、主君の書状の意味については、よくのみこめないところがあった。
「大納言さまの仰せには」
と、しかし彼はおごそかにいった。
「このたび長崎より大明の使者一行が出府いたす。しかるにこれに対し、その出府に横槍《よこやり》を入れんとする一派があるとのことじゃ。この陰謀を成らせては、大明の使臣に対する日本国の信義にもとる。で、大納言さまは、わが身でそれをふせぎ、明の使者を守護してやりたいと仰せある。が、色々の事情から、そのことも秘密にすませたい。いや紀州の手がうごいておるとは断じて知らせとうないと申される。うぬらに来てもらったのはそのためじゃ」
「……よく呼んで下されました」
と、やや老いた声の玄門坊がうれしげにいった。
「この際根来者を使え、と御上意にある。御用は、大明の使者を長崎より江戸へぶじに送ること、それをうかがう怪しき奴を追い払い、事と次第では討ち果たすこと、しかもこのことをまったく紀州の匂《にお》いもたてず、人しれず行うこと。――事成らば相違なく根来者一同を紀伊藩隠密組に召し出すであろう。――と仰せられておる」
そしてその書状の末尾には、あとでかならずこの書状を焼き捨てることも付加してあった。帯刀にもよく納得できないふしがあるが、いかにもこのことの重大性は看取《かんしゆ》される。それよりも、主命は絶対的であった。
紀伊国|那賀郡《ながごおり》根来村。――葛城《かつらぎ》山脈の中腹に、平安のころから根来寺という大寺院があった。いちじは堂塔二千七百余坊をかぞえ、おびただしい僧兵を擁していたが、この僧兵は、ほかの興福寺《こうふくじ》とか叡山《えいざん》のそれとは一風変っていて、鉄砲の名手が多く、かつ忍びの術にたけていたといわれる。このため信長に攻められてもついに屈せず、太閤《たいこう》の手によってはじめて滅亡するにいたった。
が、この特技に眼をつけた家康は、その残党のうちから数百人をえらんで、徳川家に召しかかえた。甲賀・伊賀とならぶ根来組は、江戸城の護衛役としていまもその職制に編《あ》みこまれている。
頼宣もそれは知っていた。おのれの領内に根来組発祥の寺があることはきいていた。しかし、父がその精鋭をぬき去ったこともよく承知していたので、残りものに興味はなかった。根来寺もほとんど太閤に焼きはらわれたまま捨ておかれていた。
ところが、ここ十年ばかりまえから、なお根来村に残る僧たちから、じぶんたちも紀州藩の隠密組にとりたてていただきたいという訴えが、しきりに頼宣の耳に入るようになっていたのである。実際に彼らの驚くべき秘技をひそかに見聞する機会も数度はあった。しかしそれだけにかえって異種族めいたうすきみわるさがあり、はたして彼らが藩にとけこめるかが疑問で、かつその請願《せいがん》ぶりがいかにも窮迫《きゆうはく》したあまりのあつかましさともとられ、頼宣はまだその陳情をとりあげなかった。
いま、頼宣は彼らの存在を思い出したのである。そして彼らを使ってみようと思い立ったのである。
根来者は紀州藩士ではない、いざとなればいつでも、切りすてて知らぬ顔をしていられる。――正雪のかけひきに応じて、それに一口乗るとみせかけ、こういう一群を出動させるとは、大納言頼宣もやはりふてぶてしいが、またこれがせいいっぱいの協力であったといえる。
「か、かたじけのう存じまする」
しかし、根来僧の玄門坊は感激に身をふるわせて地にひたいをすりつけた。
「して、この大明の使者に近づこうとする曲者《くせもの》は、どのような者で、またどれほどの人数でござりましょうか」
「一切わからぬ」
と、安藤帯刀はくびをふった。まことに雲をつかむような話とはこのことだ。
「なればこそ、うぬらに頼むのだ」
「叔父御」
と、傍のひとりがささやいた。若い声だ。
「ゆけば、わかる。およそ凶意《きようい》あるものを看破せずして、なんの根来者であろうか」
やや年上のもう一人がうなずいた。
「大納言さまのおめがねにかない、首尾ようこの御用を果《は》たして根来再興のことが成ればわれら五人、ことごとく死んでも悔《く》いはない」
僧には珍しい総髪という異形ながら、一方の香雲坊は二十五、六、他方の月心坊は二十二、三、さらにお琉、お弦という娘とならべてあの山中に荒廃した寺で仏道と忍法に修行している一族とは信じられないような美貌《びぼう》の若者たちであった。
「急げ長崎へ」
玄門坊がすっくと立った。立つと、彼は――彼だけは、足駄《あしだ》をはいていた。それが一礼してまず走り出したのに、大地に音もたてないのである。
これよりやや後年の元禄《げんろく》初年のことになるが、蘭領《らんりよう》東|印度《いんど》会社のお傭《やと》い医師として出島に来朝したエンゲルベルト・ケムプエルの長崎から江戸までの旅行記がある。すべてが停滞《ていたい》した徳川時代で、彼の描写した風物は、この慶安三年当時とほとんど変化がなかったのではあるまいか。
「長崎から十三里で大村湾を見た。ここまでの道路は、まわりの地質もふくめて砂地で石の多い山道だが、人力の極みをつくして山のいただきまで耕やされている。途中、路傍で九個の地蔵を見た。一|尋《ひろ》ばかりの高さの石段の上に立ち、花と樒《しきみ》で飾られて、前に灯をあげる細長い石筒がある。すこし離れて、手を洗う水盤《すいばん》がある」
「肥前《ひぜん》の鳥井《とりい》村に入って、はじめて肥前の女性を見た。この国の女性はみな姿美しく、挙止がしとやかだが、人形かと思われるほど化粧をしている。身のたけは小さくて未成年かとみえるほどなのに、乳をふくむ嬰児《えいじ》を抱き、眉《まゆ》を剃《そ》っているのは異様な感じを起させる」
「絹や紙や帆《ほ》や蝋燭《ろうそく》の心《しん》などを売っている町の入口に、ひとりの男が十字の磔《はりつけ》にかかっているのを見た。材木を盗んだために叱られたのを恨《うら》んで、相手を締め殺した男だそうだ。十字架は上に長い横木があって罪人の両腕をひっぱり、下に短い横木があって足をひろげるに用いる。固定するには釘を打たず綱を用う」
――こんな風に美しく貧しくて、優雅で野蛮《やばん》な慶安の春の西海道を、いま異様な行列がゆく。
行列は短い。五挺の駕籠《かご》と三|棹《さお》の長持と、それをとりまく四頭の馬にのった侍と小者たちだ。駕籠《かご》かきもいれて三十人前後。駕籠はむろん日本のものだが、ただその一つに、棒の前後に日本では見られない紅紗燈籠《こうしやとうろう》がぶら下げられて、ゆれている。それよりも異彩をはなっているのは三棹の長持をつつむ真紅のみごとな緞子《どんす》であった。
長崎を出た大明の使者一行であった。大明とはいうものの亡国の使者で、つきそいの中国人も四人だけ、あとは長崎奉行所の役人や通辞である。しかし三棹の長持には、この使者が江戸の将軍へ献上《けんじよう》するために持参した数十反の大花真金緞《たいかしんきんどん》や大紅花京綾《だいこうかきようあや》や鳥花《ちようか》天鵞絨《ビロウド》がぎっしりと入っている。
いかに小人数とはいえ、これがにせの明使だとはだれが想像するだろう。
「わかりませぬか、陳先生」
「わからぬの」
佐賀《さが》を出て久留米《くるめ》に向う筑紫平野《つくしへいや》の中の街道であった。このあたり両側はずっと松並木になっていたが、その木蔭に立っていた深編笠の二人の武士がこんな会話を交した。
遠く西から明使の行列が近づいてくる。
「唖でつんぼとはかんがえたな。いや、国姓爺の妹はまことの唖だそうだから、うまいところを狙《ねら》ったというべきか。本来ならさりげなく、わしがちかづきあちらの言葉をささやいて向うが反応しなければにせものということになるが、つんぼという触れ込みでは喃《のう》」
柳生兵助と陳元贇であった。陳元贇は一本の竹杖をついているが、完全に日本の武士の姿をしている。この老人は日本の服装があまり好きではないが、何しろ三十年も滞日していれば、ときにはこういう姿となってもまったくこの国の武士と見分けがつかない。
公儀から明使の参府をゆるすむねの飛脚《ひきやく》が長崎に走るのと前後してこの二人も九州に入り、長崎からずっと追って観察しているのだが。――
「一見しただけで、唐人か日本人か、先生の眼でもわかりませぬか」
「あれがほんものとしても、もともと混血児じゃからな。にせものとしても、見たか、纏足《てんそく》までしおって蓮歩|窈窕《ようちよう》、雲を踏む新月のごとし。――」
深編笠の中で、七十幾歳かの老中国人は、よだれのたれそうなつぶやきをもらした。――そんな趣味は兵助の解するところではないが、
「いや、美女でござるな」
と、長嘆《ちようたん》したのは、いくどか駕籠から姿を見せたその鄭春燕という女人の美貌に舌をまいたからだ。
「日本の女とは思われぬ。伊豆さまの仰せだが」
「これ、お役目を忘れてはいかぬ。……ここらあたり、ほかに人の気配もない。ひとつやってみぬか」
「どういたします」
「あれがほんものの鄭春燕か、日本の女か、それを即刻に見分けることがむずかしいとすれば、あれがほんものの唖か、にせものか、それを確める方が早道、にせ唖ならば、正体もまずにせものに相違ない」
「なるほど」
「兵助、耳をかせ」
すぐに二人は左右に分れ、両側の畑の中に沈んでしまった。
畑の中に身を沈めた柳生兵助は一本の細い短刀をつかんでいた。いま陳元贇から渡された中国の短剣であった。――ぱっとその手がうごくと、短剣はひかりの糸となって飛んでいった。いましも松並木を通りかかっている行列の中の紅紗燈籠をさげた駕籠へ。
同時に反対側から陳元贇も短剣を投げている。それは駕籠の垂れを通し、内部の一点、明の女使者の顔の前ですれちがおうとして、おたがいの鍔《つば》にきっさきをあててそのまま落ちたはずであった。
両人投げる合図も交さず、その距離でただ阿《あ》|※[#「口+云」、unicode544d]《うん》の呼吸を合わせただけでこの放れわざをしてのけた。――目的は、女使者の悲鳴だ。
柳生兵助はその悲鳴をきくいとまがなかった。腹|這《ば》って短剣を投げた刹那《せつな》、そのまま反転したかと思うと、すっくとはね起きていた。もとより電光のごとく抜刀している。いま彼の頸《くび》のあった場所の土にぷすっと一本の手裏剣がつき刺さったのだ。
兵助はすぐ向うに立っている一人の雲水を見た。網代笠《あじろがさ》をかぶり、杖を八双にかまえ、墨染《すみぞめ》の衣を風になぶらせて、
「……なるほど」
と、雲水はしゃがれた声でいった。
「……なるほど」
兵助もつぶやいた。
なぜ相手がなるほどといったのかは知らず、彼は伊豆守がいった「この件がもし何者かの企みであるとすれば、そやつから邪魔が出るぞ」といった言葉を思い出したのだ。はたしてしからば、あの女使者はやはりにせものか。何にしても、こやつをとらえ、その正体を白状させねばならぬ。
「うぬは何者だ」
「うぬは何者だ」
ふたりは同時にさけんだ。
松並木の方では、騒然たる混乱が起っていた。こちらの姿を見せず、支那の短剣だけでらち[#「らち」に傍点]をあけようとしたのだが、こうなっては逃げかくれできなかった。長崎奉行所の侍たちがさけび声をたててこちらに走ってこようとするのを知りつつ、相手から眼を放せなかった。
八双にかまえた雲水の杖が仕込杖であることは一目でわかる。が、剣客としては、少くとも柳生兵助にとってそれほど恐るべきものではない。――にもかかわらず、次にこの相手の構えがどう変るか予測もできない妖気をはらんでいるのだ。
「兵助、足」
遠くで、陳元贇の声がきこえた。
いつのまにか陳元贇が奉行所の侍たちのまえに立ちふさがっていた。奉行所の侍はすでに抜刀している。彼がそうさけんだとたん、三人がいっせいに斬《き》りこんだが、ただ竹杖の一|閃《せん》で、三本の刀身が折れ飛んだ。深編笠の老人が日本の武士でないと、だれが想像できるだろう。
柳生兵助は敵の足をみた。雲水はなんと高足駄をはいていたのである。
その刹那、雲水は黒い蝙蝠《こうもり》みたいに跳躍して来た。上から仕込杖をふり下ろすとともに右足を下から跳《は》ねあげた。
仕込杖は空中で割れて刀身となり、足駄の歯はこれまた割れて一枚の鉄片となって、同時に兵助の顔面を襲った。
その刀が兵助の額《ひたい》にふれる直前に、彼の大刀は網代笠《あじろがさ》ごめに雲水の頭部を唐竹割りにしていた。兵助の歯のあいだには、飛来した鉄片が、がっきとくわえられていた。
「兵助。いかん、この場は退《ひ》け」
と、陳元贇が駈け寄って来てさけんだ。
兵助は歯のあいだのものを吐き出した。鉋《かんな》の刃のような刃物であった。
「正体を白状させてやろうと思いましたが、そうはなりませなんだ」
と、彼は舌打ちした。いまの一撃で敵が即死したことはあきらかだったからだ。が、街道の方で、例の行列ばかりではない人影が乱れているのを見ると、くびをふって、もう先を逃げてゆく陳元贇のあとを追って、畑の中を駈けていった。
「先生、どうして草の中のきゃつの足駄がわかりました」
「足駄? そんなものは知らぬ。ただ、あの僧の足は拳法の足であった。――いや、ちがう、拳法の足技ではない」
陳元贇は編笠をかしげた。
「あのようなわざは、わしも知らぬ。おまえでのうては、やられたな。いったい何者であろう?」
「ひょっとしたら。……」
と、いいかけて、ふと気づいたように兵助は陳元贇をふりかえり、
「それより先生、あの女、声をたてましたか」
「いや」
と、陳元贇はくびを横にふった。
こんな問答を交しつつ、疾風《はやて》のように駈け去っていった二人は、だから気がつかなかった。――あとで、唐竹割りになったはずの雲水が、すうっと身を起したのを。
息をのんで、この奇怪な決闘を見ていた奉行所の役人たちは、畑に何物の姿もなくなったと知って、ふたたびわれにかえってそちらに駈けてゆこうとしたのだが、雲水が立ちあがったのを見てまた足を釘《くぎ》づけにした。
雲水の網代笠は裂けて、紐《ひも》だけで首にぶら下がっている。いや、頭部そのものも、あごまで裂けている。顔から肩へ朱を浴びたような姿で、フラリフラリと歩いてくる。
「江戸へはかならず。……」
裂けた唇で、雲水はたしかにそういった。かすかに笑いすら浮かべたようだ。そして玄門坊はどうとふたたび地にのめり、そのままうごかなくなっていた。
紅紗燈籠をさげた駕籠の垂《た》れは巻きあげられていた。先刻、仰天して侍たちがひらいたものだ。
その中に、髪に双鳳珠子《そうほうじゆし》の飾りをきらめかせた鄭春燕は坐って、じっとこの酸鼻《さんび》な雲水の死に美しい瞳《ひとみ》をひろげていたが、いまの声がきこえたかどうか。その聾唖《ろうあ》がほんものかにせものかは知らず、少くとも一見、何をきいたともみえなかった。つんぼのせいというより、はじめてめぐり逢《あ》った異国の珍事になんの判断力も失ったようであった。
ケムプエル江戸参府紀行。
「人または荷を運ぶ船は、通例長さ十四間、幅《はば》四間で、帆《ほ》をあげるにも櫓《ろ》を使うにも便利なように作ってある。帆はただ一張《いつちよう》で、麻で作られ、かなり大きなものである。帆檣《ほばしら》もただ一本で、船の中央より一間ほど後方にあり、長さは船の長さにひとしく、一個の引揚具と船首の方にある滑車《かつしや》がひきあげ、またひき下ろす。船材の接続には美しく豊富に、銅板とかすがい[#「かすがい」に傍点]を打ちこんである。船頭は三、四十人で船の後半部に住み、船室は船の前半部に設けられている。船室間には戸障子があり、床には畳がきれいにしいてある」
「やがて左舷《さげん》に有名な鞆《とも》の港と村を見た。備後国のなだらかな山の岸にある。海岸は半月状にまるみをおび、それに沿ってみごとにならんだ長い町通りには、二、三百軒の粗末とはみえぬ家々があって、そのあいだに花街と二つの美しい寺が見えた。鞆《とも》の港の背後の山の傾斜にはきれいな尼寺があった」
下《しも》ノ関《せき》を出た船は四日めの夕刻、播磨《はりま》の室津《むろつ》の港へ入ろうとしていた。港の中には百艘《ひやくそう》にちかい大船や小船が碇泊《ていはく》して、春の夕映えに浮いてゆれていた。
「いよいよ、室津ですぞ、先生」
「もうしばらく待て、もっと岸のちかくへ――あの船のむれの中へ入ってからの方がよかろう」
胴の間に詰めた数十人の客のうち、その隅っこに足を投げ出して坐っている二人の虚無僧《こむそう》が波音にまぎれてそっとこんな話をした。
「ところでこの船に、くさい奴は乗っておりませぬか。先日は行脚僧《あんぎやそう》の体《てい》でござったが、むろんただの雲水であるはずがない。かならず変装してわれらを見張っておると思われるのですが、拙者にはどうしてもわからん」
と、柳生兵助はいった。
「もっとも、これだけ浪人風の奴らが多いのだから、あれではないかと思うと、どいつもがそう見えてくるのですが」
「それが、わしにもわからん。凶気は未発のうちに悟《さと》れ、と教えたことのあるわしじゃが、あの中に、もしわしたちへの刺客が混っておるとすれば、実に大した奴じゃ」
わっと向うで騒ぐ声が起った。そちらの隅に二人の熊野比丘尼《くまのびくに》がいて、まわりで、酒盛りをしていた一団の浪人が唄をうたわせていたのだが、このとき二人が抱きついて、口うつしに酒をのませようとしているのであった。
熊野比丘尼は唄をうたって諸国を勧進《かんじん》するというのは表むきのことで、実は売笑婦だ。小袖《こそで》に幅の広い帯《おび》をまえに結び、柄杓《ひしやく》を腰にさし、鉦《かね》を持ち、手甲《てつこう》をかけ、頭には黒い絹の頭巾《ずきん》をかぶって、濃い化粧をしている。
「口よりも」
「酒よりも」
「もっといいものをいいところへ」
「飲ませてくれたら、もっといい声が出るよ」
二人の比丘尼は嗄《か》れた声でげらげらと笑った。濃い化粧が、醜怪《しゆうかい》なほどの三十女――ひょっとしたら老婆ではないかとも思われる唄比丘尼であった。
髯《ひげ》だらけの浪人とかまきりみたいに痩《や》せこけた浪人はそんなことに頓着《とんじやく》なく一方の手で徳利をあおりながら、いよいよからみついて、いまにもそこへ比丘尼を押したおしてしまいそうな狂態ぶりであった。
「先日、顔を見られなんだとはいえ、たとえ装束をこう変えても、明使といっしょの船に乗るときはちょっと胸さわぎがしたが、これはこっちよりあいつらの方がはるかに胡乱《うろん》くさい。よく明使がこの船に乗りこんだもの。――」
「あのころ下ノ関から大坂へ出る船はこれ一艘しかないといったではないか。将軍のお召しゆえ、やむを得ん。その代り、奉行所の役人はみな血まなこじゃぞ、あれでは江戸までつづくまい」
明使一行は、むろん別のいちばんいい船室を中心に詰めていた。
「しかし、公儀で呼んでおいて、公儀でそれをふせげと申される。伊豆守さまは、或る意味で公儀そのものと申してよろしいからな。伊豆守さまもお苦しいことで、同時にこっちも苦しゅうござる。なにせ、おおっぴらにかかるわけにゃゆかんのですから」
「わしはあの御仁、恐ろしいお方だと思っておる」
「左様、伊豆守さまの仰せの通り、果せるかなわれわれを監視し、邪魔する奴が出ましたからな、明察《めいさつ》、神の如し。――」
「そんなことではない」
陳元贇はゆらゆらと顔をふった。
「と、いわれると?」
「いや、ただなんとなく」
柳生兵助には陳先生の言葉の意味がよくわからなかった。というより、あくまでかんちがいをした。
「で、あのような奴がとび出して来たということは、これまた伊豆守さまの仰せの通り、あの明使が何者かの企みによるということになる。つまり、にせものということになる。――が、さて、それが何者の企みによるものか、拙者には見当がつきませぬ。先生、拙者はいまはあの明使の真贋《しんがん》よりも、その背後にある者の正体が知りたいくらいでござる。従って、こんど、あの雲水の仲間がまた現われてくるのを、むしろ心まちにしているのですが」
「わしもそうじゃ」
と、陳元贇はうなずいた。
「わしはあの女人やその傀儡師《かいらいし》より、あの雲水の素性が知りたい。先日あれが見せたわざ、拳法に似て然らず、日本の武術にもあのような奇怪なわざはないな。……兵助、あれもまた日本の忍者というものではないか」
「……や、先生も左様に感じられましたか」
と、兵助は眼を見ひらいて、それからくびをかしげた。
「ひょっとしたら……と、拙者も考えたことがありますが、しかし日本の忍者といえば、甲賀、伊賀、それに根来と――その三つのうちの精鋭は、ほぼ公儀が握っておられるはずで。――お」
と、兵助は耳をすました。びょうびょうと海風に鳴る法螺貝《ほらがい》の音がきこえた。
「船が着くらしゅうござるな。では、いよいよ」
と、立ちあがり、ニヤリと笑った。
「先生、拙者はあの明の女使者がほんものとしても、いちど犯しとうなりました」
そういって天蓋《てんがい》をかぶって出てゆく兵助のあとを、これも天蓋に面《おもて》をかくした陳元贇が飄《ひよう》 々《ひよう》として追っていった。
胴《どう》の間を出ていったのは彼ばかりではなくやはり法螺貝の音をきいたとみえて、数人どやどやと出て、ちょっとあたりがざわめいた。
――それにしてもふしぎである。泥酔《でいすい》した浪人の一団にかこまれていたとはいえ、ほんのいままでそこにいた二人の熊野比丘尼が消え失せていたとは。
それに気がついたのは、浪人たちのうち、じかに比丘尼に抱きついてなぶっていた髯とかまきりではない。
「これ、何をしておる?」
とんきょうな一人の声に、まわりの浪人たちが酔眼をすえてみると、抱き合って、よだれをたらしているのは、かまきりと髯である。それはいいが、二人の徳利を持たない方の手は、手首から先がすっぽり巾着《きんちやく》みたいなものに入っていた。それを、どうしたのか、二人は恍惚《こうこつ》とした表情で巾着の中の指をクニャクニャとうごめかしているのであった。
柳生兵助と陳元贇は海を見た。
夕映えはすでに消えて室津の港は暮れかけていた。蒼茫《そうぼう》とおだやかなひかりをうねらす波のかなたに点々と町の灯がまたたいている。
無数の大船がまわりに錨《いかり》を下ろし、たくさんの小舟が漕《こ》ぎ寄せて来た。
「や、出て来ましたぞ」
艫《とも》の方を見すかして、兵助がいった。
明使の一行がその方へ、現われて来たのだ。むろん、奉行所の侍たちが厳重にそれを護衛している。その中に、きょうは白銀の簪《かんざし》をさした鄭春燕は、簪のみならず、その全身が夕闇におぼろ月みたいなひかりをはなっているように見えた。
船の旅人はこの室津にみな上陸して、一夜の宿を、とることになっているのだ。
これに対して、帆檣のかげかどこかから、陳元贇に或る武器を投げてもらう。掌に入るような小さな鉤《かぎ》だ。それは舷《げん》に寄った鄭春燕の裾子《くんず》を縫いとめて、彼女をよろめかせて海へおとす。――これくらいのことは、陳元贇にとって、さしてむずかしいわざではない。そのために夕刻港に入るこの室津をえらんだのだが、おそらく春燕自身もまわりの者も、なぜ海へおちたかさえわからないだろう。
間髪を入れず、柳生兵助も海へとびこみ、彼女を抱いて泳ぐ。この間に、彼女がほんものの明使かにせものかを調べるのだ。少くとも、にせ唖か否か、文字通り音をあげさせることはできるだろう。
万一、ほんものであれば、そしらぬ顔でちかくの小舟に助けあげる。にせものとわかれば海と闇にそのまま消え去ろうが、何をしようが、それも思いのままだ。
この兵法であった。
「では」
舷と、屋根のついた船板《ふないた》とのあいだの細い通路を、先へ五、六歩いった陳元贇が、ふりむいて、そういって、何を見たか。
「危い、兵助」
と、さけんだ。
兵助はふりむいて、その方向から駈けてくる奇怪なものを見た。普通の人間の二倍の高さはある人間だ、と見たとたん、それが一人の女の肩にもう一人の女が乗っているのだと気がついた。上下二人、いずれも白刃をひっさげている。
鏘然《しようぜん》と空中で鉦《かね》の音がひびいた。陳元贇がうしろから、兵助の頭上を超えて上の女めがけて鉄の鉤《かぎ》を投げたのを、女が右手にかざした鉦でそれをはね返したひびきであった。
「比丘尼!」
と、兵助は絶叫した。
じぶんたちを見張っていた者が女だとは――あの淫《みだ》らな化粧をした女、おそらく老女らしい二人組だとはまったく予想していなかった。狼狽《ろうばい》はそれのみならず、その二人がこの奇怪な人間|梯子《ばしご》の構成で、しかも上の女が間髪を入れず頭上から跳躍《ちようやく》してくる構えにあることを看破《かんぱ》したことからも来た。
それに向って刃をふるえば、下の女がそのまま突っこんでくる。下の女に相対すれば、上から襲われる。しかも、じぶんの刃が下の女と触れ合うよりはるかにはやく、高さの関係から、飛ぼうと思えば上の女は飛びかかってくるであろう。――まことに一本道の決闘ならば、この二人二脚の女人組をふせぐ剣士がざらにあろうとは思えない。
こういう判断も一瞬なら、ふりかえってから二人比丘尼が殺到してくるのも一瞬のことであった。それはまるで生まれつき二脚で手が四本ある人間のようであった。一瞬の狼狽は、さしもの柳生兵助に死の感覚すらひき起した。
「下を斬《き》れ、兵助」
声は、兵助の頭上できこえた。背後からまるで灰色の鳥みたいに陳元贇が舞いあがったのだ。
陳元贇は足から先へ、水平に空中を飛んでいた。上の女はこれを襲った。が、かかる場合にあり得ない敵の姿勢に、その刀身が相手の水平になった胸におちるまえに、のびて来た足が、彼女のみぞおちを蹴っていた。強烈きわまる少林寺拳法の横蹴りに女は声もたてず空中から海へはね落されていた。
その下で、柳生兵助は、もう一人の女を斬った。生かしておく、などという余裕のなかったのは狼狽のせいだ。狼狽しつつも、二本の刀身が交叉すると見えて、兵助の刀だけが下の女の左肩から右胴へ、ほとんど肋骨《ろつこつ》のすべてを斬り離していた。女の上半身はこれまた海へ斬りおとされ、あとはななめに切断された下半身だけがどうと崩折れた。
「しまったの」
つぶやいたのは、その血しぶきの中へとんと舞い下りた陳元贇である。彼は舷に手をかけて、暗い波をのぞきこんだ。
「わしも殺してしもうたわ」
少林寺拳法の打撃の凄《すさま》じさを、だれよりも知っている人の嗟嘆《さたん》であった。柳生兵助は、まだそんな嗟嘆をあげる余裕はない。
この凄惨《せいさん》な死闘にだれも気がついた者のなかったのは、暗さのせいばかりでなく、迅速さのゆえでもあった。――このあいだにも、何も知らず、明使の一行は、艫《とも》の開き戸から舵《かじ》を橋として、漕ぎ寄せられた小舟に順次乗り移ろうとしていた。
まず、明使鄭春燕と四人の随員、それに数人の役人が一艘に乗りこみ、船から去ること数間。――
「あ、あれは?」
と、役人の一人が、すぐそばの海をさして眼をむいた。
そこに、あおむけにひとりの女が漂っていた。――彼らは胴の間にいた熊野比丘尼は知らなかったが、たとえそれを見、かつその水死人が黒い絹頭巾に幅広の帯をしめた衣服をまとっているのを見ても、それが先刻浪人たちとたわむれていた女とは思いもよらなかったろう。
海の水に、濃い化粧は洗われていた。化粧の下の老いの顔も洗われていた。そこに白蝋《はくろう》のごとく洗い出され、夜光虫のごとく浮かんでいるのは、生きていてもぞっとするほど美しい若い女の顔であった。
知る人ぞ知る。柳生兵助に斬られたのは姉のお琉《りゆう》、陳元贇にみぞおちを破られて海をただよっているこの女は妹のお弦《つる》。
陳元贇は彼女を即死させたことを確信した。事実、夕潮《ゆうしお》に洗われつつ、眼はうつろにひらいたままであった。が、このときその口から、光のせいか、墨《すみ》色の血潮が海にながれると、たしかに水面から女の声がきこえた。
「江戸へは、かならず。……」
ケムプエル参府紀行。
「浜松は千二百戸の粗末な家屋がある小都市で、町筋にはたくさんの店がひらいていて美しい。徒歩者は一端から一端までゆくのに四十五分かかる。これを横切るいくつかの通りは、みな左側の丘に倚《よ》る寺や重臣の屋敷にゆき当って終る。市の中央の北側には広大な城がある。市の周囲は豊かで青々とひろがった水田があり、右へ一里ゆくと海がある」
「折からの驟雨《しゆうう》に、ずぶぬれになって喘《あえ》いでいる病気の僧があった。野道《のみち》にうつ伏せにたおれ、生きている証拠にかすかなうなり声をたてている。石とてもこんな光景を見ては憐れみの情をうごかすだろうに、日本人はまったくそ知らぬ顔をして通る」
「浜松ですこぶる奇怪な話をきいた。或る人間が伊勢へ詣《もうで》るのに、途中、精進潔斎《しようじんけつさい》の戒《いまし》めを度外視して、売春婦と肉の交わりに身をゆだねた。するとこの淫《みだ》らな男女は、相抱いたまますでに十四日間固定して、いかなる方法もこの冥罰《みようばつ》の抱擁をひき離すことができぬという。日本人は、かかることはよくあることで、べつに珍しいことではないと主張した」
柳生兵助はようやく焦って来た。
むずかしい使命だとは最初から承知していたが、想像以上だ。たんにその明使を襲って討つというだけなら不可能でもあるまいが、素性をつきとめて、にせものと判明したらみずからひき返すようにさせるということは、実に至難なことであった。
伊豆守が予想したように、この兵助の行動を妨げようとする者が出たのは事実だ。だから兵助は、九分九厘までにせものだとは思うのだが、さればといってその証拠を明白にあげなければどうにもならぬ。たんに推定だけでこれを殺害したりすれば、たとえにせものであっても、天下にはほんもののままで終るだろう。すると、当然出兵反対論者が疑惑のまととなる。
老中松平信綱が、そんな秘命を下しているとは知らず、長崎奉行所の役人たちは懸命に明使を護送してくる。西国路、船路の道中に出来《しゆつたい》した怪事におびえて、ごていねいにも、大坂の町奉行所で応援の武士たちを求めて、人数もふえ、警備はいっそう厳重になった。
腕こまぬいて黙送していれば、一行はそのまま江戸へ到着してしまうであろう。
柳生兵助は非常|措置《そち》を決心した。――まかりまちがえば、あとで腹を切る。
さて、大井川。
ケムプエルの紀行によれば「この川には橋がなく、四分の一マイルの幅を徒渉《としよう》せねばならぬ。ちかい山脈から異常の水勢を以て矢のごとく早く落ち来り河底には大きな岩石がある。だから、水底の案内をよく知った人足があって、一足の賃銀で人馬を越えさせる。馬の膝《ひざ》を越すか越さぬ程度で、五人の案内者をつけ、もし水量多ければ馬一頭に十三人の人足をつける」とある。
雪溶けの季節はすぎて、大井川の水は腹に達する程度であった。春の日光が河にはねて、その日の河渡りはむしろ愉《たの》しげな風景にみえた。
とくにこの日は、金谷《かなや》から島田《しまだ》へ渡る一行が旅人たちをよろこばせた。輦台《れんだい》にのって渡る者の中に、五人の支那人の姿が見られたからだ。とくにその中の一人は翡翠《ひすい》の簪を髪に飾り、金糸《きんし》を刺繍《ししゆう》した紅《くれない》のかけ着を羽織《はお》った美女で、春の日のひかりはそこに集ったかとさえ思われた。じぶんをめぐって、どんな風が吹いているのかも知らぬげに、彼女ははじめて日本のこんな風景を見るもののごとく、新月のような眉《まゆ》を張って、胡麻《ごま》の花を縫いとりした汗巾《かんきん》をしずかにうごかしていた。
人足の前後には、奉行所の武士たちが背に太刀を背負って渡っている。対岸からこちらに渡ってくる輦台や馬や肩ぐるまの旅人が、これに気がついて思わず寄ってくると、
「ええ、寄るな」
「向うへゆけ」
と、眼をいからして叱咤《しつた》した。
あと対岸まで十数間というところであった。水がももまで下がって来て、ほっと一息ついたせいもある。大身らしい武士をのせた輦台が一つ、向うから河の中に入って来たが、それが編笠をかぶっているのもただ日の光をふせぐためと見たばかりで、護衛の武士たちは、それほど注意をはらわなかったのである。
事実、こちらとのあいだには、くつわをとられた数頭の馬が水を渡っていたし、その輦台はすれちがって、中流の方へ出てゆこうとしていたのだ。うしろには眼がない。――
「……わっ」
だれがさけんだのか、そんな声がした。
河の上を、怪鳥《けちよう》のようなものが飛んで来た。
それは、いまゆきすぎたその輦台から羽ばたいて来た編笠の武士であった。
むろん、一跳躍で達する距離ではない、彼は途中の馬の鞍《くら》を飛び石として飛んで来たのである。それが、明の女使者の輦台へ舞って来たかと見るまに、それを横抱きにして、やや前方をすすんでいた明の随員の輦台へ飛び、さらに次の輦台へ飛んだのが、人間とはみえず、まさに一羽の怪鳥が、蹴爪《けづめ》に獲物《えもの》をつかんで翔《か》け去っていったものとしか見えなかった。
むろん跳躍台になった輦台は、その上の人間がほうり出されるのはもとより、人足たちも水の中へ尻もちをついている。悲鳴と水けぶりと――それを見つつ、こんなことのために背負った太刀をぬくどころではない。踏まれもしないのに、役人たちの中には、仰天してじぶんから尻もちをつき、がぼがぼとおしながされた者もあった。
「曲者だ!」
「一大事だ!」
やっと何が起ったかを知って彼らが狂気のごとく追い出したとき、その編笠の武士は明の女使者を横抱きにしたまま、もう足くびまでの浅瀬へ飛び下り、水をちらして河原へ駈けのぼっていった。
広い河原にはむろんたくさんの旅人や人足がむれていたが、眼前に起ったのが、見ても信じられないような光景であったから、あっとばかり立ちすくんだままだ。そのあいだに、その武士は華麗な風鳥《ふうちよう》みたいな女人を抱いて広い河原をななめに走り、島田の宿《しゆく》とはだいぶ離れた林の中へ消えてしまった。
このころ、水の中をこけつまろびつ、やっと河原へ駈けのぼった役人たちは、その林の中から赤い風鳥がただ一羽、宿場の方へ走ってゆくのを見て、
「やっ、あれだ!」
「曲者の手をのがれたらしいぞ!」
と、その方向へ雪崩《なだれ》を打っていった。
――そのさけび声を遠くききつつ、春の日光も青ばんだ林の奥で、柳生兵助は明の女使者を見下ろした。地上の鄭春燕は、全裸というのではないが、それにちかい姿で、恐怖の眼を彼にむけていた。
「……失礼 仕《つかまつ》った」
と、柳生兵助はいった。
何ならば犯しても、と伊豆守に提案し、事実それくらいのことは辞さぬ兵助だから、これは礼儀でいったのではない。狼狽《ろうばい》からそんな言葉が口にもれたのだ。
――鄭春燕が声を発しない。あれほどの眼に逢って、どんな小さなさけび声も一語としてもらさなかった、ということが、彼の心にひどい動揺を起したのであった。これはほんものの唖ではないか?
青い草の中に、女使者はあえいでいた。――と、その顔のあたりに乱れている草と、それから名も知らぬ黄色い野の花が、みるみるしおれてゆくのに兵助は気がつき、灯は明るくするが花は枯らすといった伊豆守の言葉を思い出したが、われしらずかっと眼をむいていた。現実にその妖異な現象を見ると、日本の忍者などというものよりもっと超絶的《ちようぜつてき》な存在のような気がして来た。
こやつ、日本のくノ一か、それとも、ほんとうにこんなふしぎなからだを持っている明の女か?
「あなたさまは、まことに明の御使者でござるか?」
「…………」
「それさえ申して下されば、おいのちは保証いたすが」
「…………」
ほんものならば、口のきけるはずがない。いや、はじめからきこえるはずがない。ではにせものかと確信したかというと、かえって兵助が動揺していることはこの言葉づかいからでもわかる。
いや、いま、しおれた青草の中に、ねじったように坐っているあぶらづいたなめらかな腰や、おどろくべきほどゆたかで真っ白な乳房や、それらが白綾《しろあや》の唐風の下着をまといつつもむき出しになって、息づき、起伏《きふく》しているのを見ると、これは日本の女ではない、という非理性的な感覚が圧倒的になった。
兵助は抜刀した。それを見ても、鄭春燕は悲鳴をあげなかった。
それを見つつ兵助は、その刀を以ておのれの袴《はかま》の前を縦に裂いた。みずから押し破るように、凄《すさま》じい一物があらわれた。――おどす、というような下心からではない、ここまで強引なことをしてのけた上は、もはや非常手段に訴えても声が出るかどうかをためさずにはおかぬ、という破れかぶれの心情になったわけでもない。
柳生兵助は狂乱していた。行為は頭から発したものではなく、いま押し破ってあらわれたものが命じたようであった。たとえ、ほんものであろうと、彼はそこでこの女を犯さずにはいられなかった。
それを見て、女使者は唇をひらいた。舌がはねるのが見えたが、声はたてなかった。
兵助はちかよりかけてふっと睫毛《まつげ》に異様な感覚をおぼえた。何か、毛が飛んで来て触れたような。
彼は鄭春燕の向うに、樹の下に忽然《こつねん》と立っている一人の山伏を見とめた。青い葉かげに袈裟《けさ》を染めて、じっとこちらを凝視しているのは、まだ二十五、六の、山伏とは思われない美しい顔であった。
「……何者だ」
はっとして兵助がさけんだとき、相手の口から何か飛んで来た。
本能的に眼をつぶる。瞼《まぶた》がおちず何か唾《つばき》みたいなものが角膜に散った。が、一瞬後には、すぐに向うの山伏が腰の戒刀《かいとう》をぬいて馳せ寄ってくるのが見えた。
「兵助、まだか。――」
と、そのとき横の樹間から陳元贇の声がしたが、
「やっ。……兵助っ、刀を左に持て、左で勝負せい!」
と、老人がさけんだ。
このとき兵助は相手の山伏も左腕に刀をにぎっているのを見た。夢中で刀を左腕に移す。躍りかかってくる山伏の戒刀をどうかわしたかおのれも知らず、無想にふるった兵助の大刀から、ぱあっと鮮血が空中に散った。左腕の片手斬りに胴を薙《な》ぎはらわれて、山伏が草の中へころがりおちたのを知ったのは、わけもわからず駈けぬけたあとだ。
「大したものだな、柳生兵庫直伝の尾張柳生流。――」
陳元贇の長嘆する声がきこえた。
「まともに立ちあえば、さすがにいまおまえと勝負になるものは、まず天下にあるまい。まず妖剣といっていい。伊豆守さまが、見込まれただけのことはある」
兵助は、しきりに右の眼をこすっていた。それから右の眼をこすって、掌に何やらおとした。
「はて」
「なんじゃ」
「毛のようなものです。さっき何か睫毛に飛んで来たものがあるが、これか。――や、たしかに毛でござるが、弓のようにたわんで、鞏《かた》い。――そうか! まばたきできず、何やら眼に入るのをふせげなかったのは、これが瞼にかかっておしひらいていたのであったか」
「なに?」
陳元贇は寄って来て、兵助の掌の上の小さな毛をのぞきこんだが、左手にかかえていた一塊のきらびやかな衣裳をゆらめかして、
「これが見えるか」
「見えまする、眼は見えまする」
「どっちの手に持っておる」
「右腕でござる。――それよりも」
と、はじめてふしぎなことを思い出したように、
「先生、先刻、刀を左に持ちかえろ、といわれましたな。とっさに、夢中でそうしましたが、危いところ、われながら、よく斬ったものでござる」
と、山伏の屍体をふりかえって、
「斬って残念。……しかし、明の使者はとらえましたが」
「ほんものか、にせものか」
「声をたてませぬ。わかりませぬ」
「逃げよう」
「え?」
「こんな問答を交しておるひまはない。いちどまいたが、やはり役人たちが、ここへかけてくる」
なるほど、林の外に叫び声と走る音がちかづいて来た。
「しかし」
「万一、ほんものなれば、殺すわけにはゆかぬ。もういちど機会を狙《ねら》え」
そういうと陳元贇は、手にしていた衣裳を、白蝋《はくろう》の精みたいに凝然と坐っている鄭春燕の方へ投げ出し、林の奥へ駈けこんでいった。さっきいちど林から島田の宿へ逃げ出した女の影は、この老人が春燕の衣裳を羽織って追手の眼をくらましたものであったのだ。
いちど、ちらと春燕を見た兵助の眼に惑いの波がゆれたが、もう林へ駈けこんでくる追手の物音をきくと、これも豹《ひよう》みたいに陳元贇のあとを追った。
「兵助、あそこに楢《なら》の木と藪《やぶ》が見えるだろう」
「見えまする」
「楢がどっちだ」
「右です」
走りながら陳元贇がいった。
「左だ」
「えっ」
「どうも先刻、おまえの構えがあの敵に対し妙だと思うたぞよ。兵助、あいつ、忍者だ。きゃつの忍法にかけられたな。おまえの眼に映るものは左右が逆にされてしまった」
「そ、そんな、ばかな!」
と、兵助はさけんだが、さっき山伏が左腕に戒刀をつかんでいたと思い出し、ぎょっとして思わず立ちどまった。
「何か眼に吹きつけられたと申したな。兵助、おまえの眼は、ふつうの眼ではなく、鏡となった。鏡のごとく、この世のものを左右裏返しに映す眼とされてしまった。――あのとき、あのまま立ち合えば、いかなるおまえとて、あの山伏に斬られたであろう」
陳元贇も立ちどまり、くびをふった。
「まだ、なおらぬか?」
――ついでにいえば、このとき左右反対にものを映す鏡とされた柳生兵助の眼は、終生なおらなかった。やがて彼はこれを克服し、かえってそれを利用して敵と立ち合ったため、敵の方がかえって惑乱して、彼の妖剣にことごとく敗れた。のちに彼が浦連也とも名乗ったのは、裏連也を意味したつもりだったのである。
ケムプエル参府紀行。
「品川《しながわ》は江戸から二里の距離といわれるが、まったく連続して、その前駅とも認むべきものである。品川の手前で、恐るべく、いとうべき情景の刑場を見た。人の首や切断された肢体が、死んだ家畜の腐肉《ふにく》のあいだにまじって打ち捨てられている。一匹の痩《や》せこけた大犬が飢えたのどを鳴らして腐爛《ふらん》した人間のからだをくじりまわし、まわりには小犬や小鳥のむれが、この食卓が空《あ》いたらたちまちむさぼり食おうと待ちかまえている」
「品川の市街は櫛比《しつぴ》する家屋と屈曲する長い小路から成り立っている。右は海に臨《のぞ》み、左は寺々の立つ高台となっている。それらの寺院は、わがヨーロッパに於《お》ける石造の寺院の華麗荘厳《かれいそうごん》には及ばないが、日本人は人工と貨財をおしまず、かなり宏壮《こうそう》なものである。石の階段があって、これを上ると大きな彫像《ちようぞう》と高い門がある。海辺に出ると、港にむらがる船舶と、江戸の市街のうちの高い屋根屋根の甍《いらか》を望むことができる」
明使一行が品川の宿《しゆく》に入ったのは、長崎を出て二十七日目の雨の夕刻であった。
雨は初夏の生あたたかい微雨《びう》であったが、人馬ぬれつくしていたので、彼らは海沿いの本陣に江戸入り前夜をすごすことになった。
「先生、いよいよ、あれは明日江戸へ入ります」
「そういうことになるな」
「われわれはまったく無能でありましたな。あれをさえぎるはおろか、その前提となる真贋《しんがん》の区別さえまだつきとめることができん」
「そういうことになるな」
「もしあれで江戸に入り将軍家と交わり、そのあとでにせものということが判明したりすれば、拙者腹を切っても追いつきませぬ」
「そういうことになるな」
陳元贇は淡々たる返事をする。いったいにこの老中国人は、ふだん兵助は禅味《ぜんみ》があるといっているが、ほんとうのところは後半生を異国ですごしたボヘミアンらしく、ひどく虚無的なところがある。これが何かのはずみであの凄絶無比の武術を発揮するとは、いちども見たことのない人間には想像もつかないほどだ。
冷淡といっていい相槌《あいづち》を打ったくせに、ふと相手の語調をききとがめて陳先生は苦笑した。
「わしはな、兵助、伊豆守さまに申しあげたように、結果として日本軍出兵のこととなった方がよいと思うておる。ただ、この事柄そのものが面白うて――次には、わしたちを邪魔しようとする連中に興《きよう》をひかれて行を共にして来たのじゃが、おまえの方はおかしいな。長崎から江戸まで三百六十里、とうとう何もできなんだとは、おまえらしくもない」
「事実、その通りですから一言の弁駁《べんばく》もありませぬ」
「それそれ、そこがおまえらしゅうもない。兵助、何やら気力を失っておるではないか」
兵助は苦笑して黙っていたが、やがていった。
「先生、実は拙者、あの明使がにせものとわかっていても、このまま見のがしてやりとうなりました」
「ほんものであっても犯したいといったおまえが」
陳先生はきゅっと口をすぼませた。
「それはつながる心か。同じことか。つまり兵助、おまえが女人に惚《ほ》れたということじゃな。……それなら、どうしていまこんなところにおる」
明使一行の泊っている本陣の裏――海の匂《にお》いのする川沿いの暗い石垣のかげであった。ひるまの微雨はあがって、向うの宿の大屋根の甍にまるい満月が南風に吹かれていた。
「女はともかく」
と、兵助は苦《にが》っぽく、
「われわれを邪魔する奴らの正体が知りとうて」
「同感じゃ。それだけはつきとめたいの。……しかし、いつまでもわしたちがこうしておれば、たとえわしたちを見張っておる奴があってもはね出さぬぞ」
「そうですな」
兵助はうなずいた。
「では、もういちどちょっかいを出して見ることにいたそうか」
そのとき、陳元贇がささやいた。
「兵助、あれを見よ」
柳生兵助は本陣の高い屋根に眼をあげた。まるい大きな月がかかっているのは見ていたが、そこに忽然《こつねん》と黒い影が立っているのをそれまで気がつかなかったのだ。
「山伏ですな」
「大井川にもあらわれた」
「あれは討ち果たしましたから一味ですな」
「何をしておる」
「……向うむきでござるが、どうやら立ったまま掌を組んで、月に祈っておるように見えます」
「何者かに術をかけておるのではないか。はて、だれに術をかけておるのか。相手はわしたちよりほかにないはずじゃが」
「……や」
兵助は眼を凝《こ》らした。月に向いた寂然《じやくねん》と大屋根に立っている山伏の影をめぐって、白い煙のようなものが渦《うず》を巻いているのが見えて来たのだ。それは夜空から、ふうっと吹きつけてきては、薄白い渦に加わる。――
「蛾《が》ではないか」
「無数の蛾。――あれは幾十万匹とも知れぬ。――」
じいっとこの天変地異をふりあおいでいた柳生兵助が、いきなり片手をあげたかと思うと、一本の手裏剣が細いひかりの糸をひいて夜空を飛んでいった。――何かの判断にもとづくというより、この怪異にわれしらず触発されたような行動であった。
「仕止めました」
と、彼はいった。
彼の眼は――というより心眼は、その手裏剣が大屋根の上の影の背にふかぶかとつき刺さったのを感覚したのだ。その証拠に、一瞬ぱあっとひときわ濃く白い煙が渦まいた。その影にとまっていた無数の蛾は舞い立ったのに、影はうごかない。息を十ばかりつくあいだにちがいないのに、永劫《えいごう》を思わせる長さであった。いちど散った蛾のむれは、ふたたび――いっそう烈《はげ》しいつむじ風となってその姿をめぐりはじめた。……
が、そのときに至って、影は徐々に徐々にかたむき出し、それから崩れるように屋根の上をころがっていった。向う側へ。――
「兵助、ほんとうに仕止めたのか」
「そのはずでござる」
ふたりは風のように駈け出した。
大井川以来いよいよ厳重な――鉄桶《てつとう》のごとき警備ぶりであった。手が出せなかったのはそのためだが、しかし今宵《こよい》はどうあっても手を出すつもりであった。少くとも、じぶんたちの監視者を誘い出して、その正体をつきとめるためにだ。しかるにいま、こちらから誘い出したというより、向うの方から現われて、兵助の手応えによれば致命傷にちかい傷を受けてそれは消えた。――
消えた方角の裏手の塀《へい》を二人は躍り越えた。それから暗い庭を走った。とがめる者のないふしぎさに気がつくより、二人は異様なものを見た。大きな本陣の部屋部屋の灯が――それまでどこの戸障子にもあかあかとともっていた灯が、不規則ながら、みるみる消えてゆくのだ。
「あれ見よ、兵助」
と、陳元贇があごをしゃくった。
渡り廊下の一個所が空いて、そこの壁に金網《かなあみ》につつまれた燭台《しよくだい》があった。そのまわりに無数の蛾が渦まいているのだ。それがどういうわけか先刻のように白くなく、赤い煙のようにみえた。
「蛾の羽根が、みな血に染まっておる」
と、陳元贇がいった。
「人間の血だ」
その蛾のむれが一匹二匹金網をもぐって中に入る。――つづいて十数匹が入る。――いやすでに金網の中は赤い煙につつまれて――そして灯に入ると、むろんじゅっとみずから燃えて、そこから、こんどはほんとうにうす黒い煙と化した。
「……いかん」
と、ちかづいていった陳元贇が兵助の腕をとらえた。
「……宿じゅうを蛾の燃えた煙が這《は》っておる。それが、人を眠らせる。――死ぬかもしれぬぞ」
「えっ」
「見ろ、宿の灯はみるみる消えてゆくのに、何の騒ぐ物音もせぬではないか」
二人は鼻に袖《そで》をあてて、本陣の庭を輪のかたちに走った。そのあいだ兵助は事実あちこちと、槍を抱えたまま壁の下に両足を投げ出して首をたれている武士たちの姿を見た。
「わからぬ。……これはきゃつの忍法じゃ。ひょっとすると兵助、あの山伏め、おのれの血を蛾に吸わせたのかも知れぬぞ。瀕死《ひんし》の人間の血にぬれた蛾が、燃えて人を眠らす煙となる。……しかし、敵はわれらのはずではないか」
「それにしても、その瀕死の山伏めはどこへ?」
「……お」
陳元贇が指さすよりはやく、兵助も気がついた。
奥の一角に、そこだけ明るい一|劃《かく》があったのだ。遠い樹々のうしろを縫って、音もなく二人は走った。すると、そこに障子が一枚あけられた座敷が見えた。
銀色|燦《さん》といった感じである。ただ一台の燭台が、白い炎をあげていた。それが、いったい燃えているのは油であろうかと疑わずにはいられないような、眩《まぶ》しいばかりの明るさなのだ。
その前に端然《たんぜん》と――寝台のようなものに腰をかけているのは明使鄭春燕であった。鬢《びん》のみえるまで銀糸でたくしあげた髪に、きらきらと翡翠《ひすい》の簪《かんざし》がかがやき、うす紅《くれない》の綾羅《りようら》の裾《すそ》から、新月のような赤い靴がのぞいてみえる。
彼女はしかし眼を瞠《みは》っていた。
あいた障子の外にひとりの山伏がのめるように伏している。その背に手裏剣が根もとまでつき刺さっている。そのまま彼はすでに絶命したもののようにうごかない。背からつたいおちる血をめがけて、ふうっと煙みたいな蛾が吹きつけるが、それはそのまま障子沿いに暗い回廊を飛び去って、その座敷に入ろうとはしない。うごくものとては、それだけだ。
灯の明るさに比して、いっそう死を思わせる異様な静寂であった。
樹かげの二人も眼を瞠り、息をのんだままであった。
「……江戸へはかならず。……」
と、声がきこえた。
「お送り仕ろうと存じましたなれど……われら守護の一族、今宵すべて相果てまする。……」
山伏だ。
つっ伏したまま山伏がしゃべっているのだ。――しかし、何をいっても鄭春燕にはきこえまい。
事実彼女は白蝋のような無表情で、死にゆく山伏に瞳をひろげているだけであった。
「西海道にて叔父の玄門坊、室津の港で従姉妹のお琉、お弦、大井川にて兄の香雲坊、そして今宵かく申す月心。……あなたさまを狙《ねら》う者のために無念やことごとく相果てまするが、魂魄《こんぱく》はかならず魔天にあって、あなたさまを江戸へ。……」
鄭春燕の表情がふっとうごいた。
切々と別離の言葉をのべる断末魔の山伏を見つめている眼に、しずかにひかるものが浮かびあがった。……きこえたのか。この女は耳がきこえるのか。鄭春燕はつんぼではないのか。
彼女は立った。
それから山伏のそばに立ち、背の手裏剣をぬいて捨て、やさしくかかえあげ、もつれるようにして寝台に乗せると、血まみれの山伏の衣服をゆるめ、みずからもきらびやかな衣裳をぬいで、一糸まとわぬ姿となった。――それから兵助の心魂をとろかしたあの白くあぶらづいた肢体《したい》を、ひしと彼にからみつかせたのである。
「…………」
「…………」
何かうめき出そうとした兵助の声を、陳元贇がこれまた声もなく押えた。
鄭春燕は、山伏の唇《くちびる》におのれのなまめかしい唇をつけ、そしてみずからのうごきで交わっていった。銀燭燦たる光芒《こうぼう》のなかに、この世のものならぬ濃艶《のうえん》の秘図がそこにえがき出された。
「……忍法陰陽環。……」
と、彼女はつぶやいた。
唖の明使はうたうような声でいった。あきらかに日本の言葉であった。
ゆるやかな波動《はどう》の中に、瀕死の山伏の肌が、しだいに生き生きとしたさくら色に染まっていった。いかなる垂死の病人でも下から病いのもとを吸いとられ、上からいのちのもとを吹きこまれるという忍法陰陽環は、江戸城に上るに先立って、ここにはからずも素性も知れぬ一山伏とのあいだにかけられたのだ。
「おまえがだれであろうと」
と、彼女はいった。
「もうこれ以上、死なせることはできませぬ。おまえたちの死をかけた働きに対しても、わたしはほんとうのことをいわずにはいられませぬ。わたくしは由比民部之介正雪よりはなたれた日本の女です。日本の忍者です。……」
声の終りは泣く声となった。
感動の声というより、快美のすすり泣きであった。
月心坊のからだはまるで美しい獣のように、いまは彼の方から女を蹂躪《じゆうりん》しはじめていた。
「待っておった」
と、彼はさけんだ。
「くノ一、おれを生き返らせてくれた上、よう白状してくれた。おれは松平伊豆守信綱さまのおん手の公儀隠密」
これに対して、返答はなかった。鄭春燕はふたたび唖となった。
「おぼえておけ、およそ忍者たるもの非情の掟をみだしては、かならず身の破滅を来すことを。――」
――がばと寝台から下り立った若い美しい山伏に、上半身抱きかかえられているとはいえ、下もまだ密着して、しかも彼女の四肢はだらりと藤の花のように垂れていた。
脾腹《ひばら》でも打たれたのか、心の衝撃《しようげき》のためか、彼女は気を失ったのだ。
腰のあたりで、異様な音がすると、山伏は彼女をひき放し、横抱きにして縁側に出て来た。
「伊豆守さま、仰せのごとく、われらのうち四人落命いたすまで手数がかかってござる。しかし御用の趣きは」
凄艶《せいえん》な笑いをにっと江戸の空へ送ると、この若い公儀隠密は、将軍のいのちを狙うくノ一をひっかかえたまま、庭を走り、塀にとび――そして、くノ一以上に脳髄《のうずい》を衝撃《しようげき》され、全身しびれつくしている柳生兵助と陳元贇の眼の前で、この一瞬に逆転した主役は、まるい満月まで飛ぶかとみえるほど高々と、夜空へ姿を消していった。
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濡れ仏《ぼとけ》試合
姓名学の知識は皆無だが、小野次郎右衛門《おのじろううえもん》という名からは、私はどういうものか、地味で篤実《とくじつ》で、やや円満味を帯びた印象を受けていた。名前そのものの語感もそうだが、これはしかし、有名な初代次郎右衛門|忠明《ただあき》の、例の小野|善鬼《ぜんき》との対決一件や、またおなじ将軍家剣法指南役を承りながら、柳生ほど華《はな》やかでないという知識からも由来しているようだ。
この印象はまったくの錯誤《さくご》だ。事実はこうである。
人も知るように初代忠明は、前名を神子上典膳《みこがみてんぜん》といって伊藤一刀斎《いとういつとうさい》の高弟であったが、兄弟子に小野善鬼という男がいた。船頭あがりのこの男は、性凶暴|傲慢《ごうまん》、剣鬼と形容してもしかるべき人物で、師の一刀斎はこれをしりぞけ、典膳の方に一刀流の秘巻を授けようとした。これを恨《うら》んだ善鬼がやにわにこの秘巻を盗んで逃げ出したのを、典膳は総州小金《そうしゆうこがね》ケ原《はら》の酒屋まで追いつめた。善鬼が酒屋の庭に伏せてあった大きな甕《かめ》の中に逃げこむと、典膳はこれを甕もろともに斬《き》った。ぱっくりと甕がふたつに割れてころがったあと、秘巻を口にくわえ、一刀を八双にかまえ、片|膝《ひざ》たてたまま、脳天から真一文字に斬り下げられた善鬼の姿が現われた。――しかし、兄弟子を斬った神子上典膳は、爾来《じらい》その供養《くよう》のために小野を名乗るようになったという。
凶暴な善鬼との対照や、また姓を改めた由来から、小野次郎右衛門を、なんとなくものの哀れを知る武士のように感じていたのだが、しかしよくかんがえてみれば、甕ごとに敵を両断する猛烈《もうれつ》なやりくち、また殺した兄弟子の姓を平然として名乗る神経、これは決してたんに質実円満な人間にできることではない。
事実、徳川家に仕えてからも、軍律を破って先駆けしたり、或いは朋輩《ほうばい》の敗戦ぶりを痛烈に批判したりして、何度も蟄居《ちつきよ》や閉門を命ぜられている。柳生但馬守《やぎゆうたじまのかみ》が一万二千五百石の大名となったのにくらべ、彼がわずか六百石の一旗本で終ったのは、人柄が地味なせいではなくて、むしろその反対の個性からであったろう。
小野の血は、善鬼の姓をついだときから、その狷介剽悍《けんかいひようかん》の性もついだようだ。
二代目の小野次郎右衛門|忠常《ただつね》にもこんな逸話《いつわ》がある。或る日、他流の道場へゆき合せた忠常が、その試合ぶりを見ていてあまりに辛辣《しんらつ》な批評をするので、そこのあるじが勃然《ぼつぜん》として勝負を迫った。とたんに忠常は腰にさしていた鼻ねじをぬいて、相手の鼻ばしらをはっしとたたいた。相手は鼻血を噴出して昏倒《こんとう》した。やがてこの道場から再度の果し合いを所望する書状が来た。忠常がこれに応じてその道場を訪れ、入るや否や、その床いちめんにながしてあった油に足をとられて転倒した。えたりやと拝み討ちに斬りかかって来た相手を、ころがったまま忠常は、父子相伝の愛刀「甕割《かめわり》」を以《もつ》て横薙《よこな》ぎに切断してしまった。――しかし、将軍家指南役にふさわしからざるこの所業のゆえを以て、彼は下総《しもうさ》へ流罪《るざい》を命じられたという。
この血は、三代目小野次郎右衛門|忠於《ただお》にも伝わっていたとみえる。
この忠於は、やはり将軍|家綱《いえつな》、綱吉《つなよし》の指南役として仕えたが、べつに祖父や父ほど烈しい武勇|譚《だん》は残していない。もっとも世は滔々《とうとう》として泰平の時代に移りつつあった。それで彼も、ただ父祖伝来の小野派一刀流の剣脈をつなぐのみで生涯を終えるかと思えたのに、その晩年にいたって、はからずも思いがけない出来事が起り――そして、彼の血にまぎれもなく父祖の狷介の性が伝わっていることが証明されたのである。
一夜、次郎右衛門は、神田橋《かんだばし》御門内の柳沢出羽守吉保《やなぎさわでわのかみよしやす》の屋敷に呼ばれた。そして、この飛ぶ鳥おとす大老格の人物から意外なことを所望《しよもう》された。
「次郎右衛門、そなたの家にお志麻《しま》という美しい娘がいるそうであるな」
と、柳沢吉保はいった。
「――は、拙者《せつしや》の孫娘でござりまするが」
お志麻は、先年彼に先立って世を去った長男の娘であった。
「それが?」
「その美女ぶりが、はからずも上様のお耳に達しての」
そういったきり、吉保は笑っていた。大町人のように白くふくぶくしい笑顔であった。
しかし、これに対して次郎右衛門がにこりともせず、ただ穴のあくほどじぶんを見つめているので、根まけがして、やがてまたいった。
「どうじゃ、わしの養女にせぬか」
これが将軍家のお側妾《そばめ》にさし出す準備段階の一つであることはいうまでもなかった。吉保が将軍を自家薬籠《じかやくろう》中のものとするためにこの手をつかうのは、これがはじめてではない。それどころか、将軍が彼の屋敷を訪れたとき、じぶんの妻を献じたという風評すらある。
「それでそなたのところの次男坊が、剣法のお役目を相続することも相違なく保証されるが」
「小野家は、娘を妾《めかけ》にして家の安泰《あんたい》をはかる気は毛頭ござらぬ」
と、次郎右衛門はようやく口をきった。
「いやでござる」
或はそういう意味の返事をするのではないかという恐れはないでもなかったが、このせりふとにべもない口吻《こうふん》に、めったに怒色を見せぬ吉保も、かっと頬《ほお》を染めていた。
「ぬかしたな、次郎右衛門」
と、彼はいった。にらみつけて、のしかかるように、
「おまえの孫娘をさし出せといったは、この吉保ではないぞ。御所望なされたは上様であるぞ。わかっておるか」
「承知いたしております」
「小野家代々の禄《ろく》は、ことごとく徳川家より賜《たま》わっておるものであるぞ。その大恩を感じておるか」
「承知いたしております」
白髪のまじりはじめた次郎右衛門の顔に、やや苦痛と動揺《どうよう》の色があらわれた。
「その大恩ある上様の御所望をはねつけて、さきざきそなたは、その孫をどこの旗本へ嫁入りさせるつもりか」
もともと渋紙色をしていた次郎右衛門の顔が、充血して黒い皮みたいになった。ややあって、老人は決然と答えた。
「おわびまでに、志麻は生涯|不犯《ふぼん》の女といたします」
「なに、不犯の女? 娘を一生、処女のままでおらすと申すか」
吉保は眼を見ひらいて次郎右衛門を凝視していたが、やがてにやりと笑った。
「次郎右衛門、その誓《ちか》いをたてるか」
「たてまする」
「娘が、承知するか」
「承知いたさせます」
「破ったら、どうする。いやさ、娘が何者かに犯されたらいかがいたす」
黒い皮みたいな次郎右衛門のひたいの下から、眼が白くぴかとひかって、右に置いた相伝の愛刀「甕割」に走った。
「左様な者が娘にちかづけば、拙者片っぱしから斬り捨てまする」
吉保は沈黙した。この武芸にはあまり通じていないお側用人も、眼前に初代小野次郎右衛門が再来したような気がして、名状しがたい恐怖を感じたのである。
――小野次郎右衛門忠於は九段下《くだんした》の屋敷に帰ると、すぐに孫娘のお志麻を呼んで、柳沢出羽守所望の一件を淡々と話した。お志麻の顔があかくなり、また蒼くなった。
「志麻。じいの誓ったこと、悪かったか?」
お志麻は澄みきった眼を祖父にそそいでこたえた。
「おじいさま、よく誓って下さいました。志麻はおじいさまと同じ心でございます」
まるで玻璃《はり》から出来上っているような、透明なばかりに清麗《せいれい》な娘であった。
ややあって次郎右衛門は、
「十五夜孫六《じゆうごやまごろく》はおるか」
ときき、いると知ると、
「孫六を呼べ」
といった。
十五夜孫六なる男がやって来た。三十あまりの、しかしどこか金太郎みたいな童顔と、やや背はひくいが金剛力士《こんごうりきし》のような体格を持った男であった。彼は次郎右衛門の一番弟子であった。
次郎右衛門はこれまた淡々と事情を説明した。
「あの出羽守さまじゃ。わしの鼻をあかすために、必ず何か手を打ってくるにきまっておる。で、志麻を犯そうと襲ってくる奴は、ことごとく小野派一刀流の名にかけてわしが斬る、といいたいが、事実としてわしが日夜、一刻の休みもなく志麻を見張っておるわけにもゆくまい。孫六、わしを助けてくれい」
老いたる師は、弟子の手をとった。
「この役目、引受けてくれるのはおまえしかない。おまえの腕と、かねてきいておるおまえの一生不犯の誓いを信ずるぞ」
十五夜孫六が、駿河台甲賀《するがだいこうが》町の甲賀組首領、服部玄斎《はつとりげんさい》に呼ばれたのは、それから十日ばかりたった晩春のおぼろ夜のことであった。
「孫六、かねてからおまえが願っておった出家の儀じゃが、いよいよそれを許してやろう」
と、白髪の老首領はいった。
「ただし、このたびの御用を果たしたならばだ」
「このたびの御用?」
「今宵《こよい》、柳沢出羽守さまからおまえ同道にて参るようにお召しがあった」
十五夜孫六は、吐胸《とむね》をつかれた顔をした。
「私同道にて? してまた、御用とは、いかような」
「それはわしもまだきかぬ。きのう、ふいにわしが呼ばれての、出羽守さまはしばし何も仰せられず御思案のていにお見受けしたが、やがて、玄斎、甲賀町に女を犯すに妙を得た忍者はおらぬか、と仰せられた。それで、わしはおまえの名と術を申しあげた。すると出羽守さまはにこと破顔せられて、それそれ、その男を同道して参れ、あとはそのときと申されたきりで、わしもまだ仔細《しさい》は知らぬ」
孫六はなお息をつめて玄斎を見ていたが、ややあって、
「お頭《かしら》。……私が九段の小野道場に出入しておることを申されましたか」
と、きいた。
「いや、いわぬ。それが、どうしたか」
孫六が沈黙していると、服部玄斎は一刻のためらいも惜《お》しいといった顔色でさきに立ちあがった。
「神田橋までほんの一足じゃ。ゆこう、来い」
――神田橋御門内、といっても、まるで深山のような柳沢出羽守の屋敷の庭の林の中であった。
若葉の匂《にお》いにけぶるその樹々を通して雪洞《ぼんぼり》がひとつちかづいてくるのを見て、そこに坐っていた服部玄斎と十五夜孫六は平伏した。
「玄斎よな」
と、歩み寄って来たいくつかの影のうち、吉保の方から呼びかけた。
「十五夜なる男、つれて来たか」
「御意《ぎよい》」
「雪洞を寄せい。ほう。――こやつが」
吉保は白い頭巾《ずきん》で面《おもて》を覆《おお》っていたが、その頭巾の中からふくみ笑いしたようである。
孫六は、吉保以外に、雪洞と刀をささげた小姓二人と、それからあきらかに女人の影を見た。
「いかにも精は強げに見えるが、しかし……女を犯すと、その女は不断に法悦《ほうえつ》の境をさまよい――いや、肉欲の鬼となり、あさましき狂態をさらすようになるという――その忍法はまことか」
「忍法|濡《ぬ》れ仏《ぼとけ》と申しまする」
と、玄斎が註釈を入れた。
「この男に犯されたる女は、その女陰はおろか全身の肌《はだ》は薄く、が、乳のごとき甘い汁に汗ばみ、星眼|朦朧《もうろう》として息づきせわしく、あらぬ声を発するのみか、淫語《いんご》を発してしかもそれを恥じぬていたらくと相成りまする」
「見せい」
「――は?」
「ここに見てつかわす」
「女人が」
「あれにおる」
吉保はあごをしゃくり、小姓から雪洞と刀を受けとった。
「わしの側妾《そばめ》のひとりお梁《りよう》と申す女だが、十五夜孫六とやらの忍法の生胴試《いきどうだめ》しにつれて来た。生かそうと殺そうと心のままじゃ。苦しゅうない、見せい」
茫然《ぼうぜん》と立っていた女人は、何やらまだわけもわからぬ風で、しかし本能的にはあとずさろうとしたが、その両腕をふたりの小姓にとらえられた。
「どうするのじゃ、十五夜」
そう吉保にうながされても、林の中に坐った金剛力士みたいな影はとみにはうごかなかった。何か、かんがえこんでいるようである。
「孫六、何をしておる。早う御見《ぎよけん》に入れよ」
服部玄斎は狼狽《ろうばい》して、
「はっ、ただいま。……ともかくも、恐れながらその女人、裸形《らぎよう》となし参らせた方が、肌の濡《ぬ》れ具合などあきらかに見えて好都合と存じまするが、いや、それもこの孫六めに」
と、またふりかえり、
「これ、甲賀組に対する出羽守さま積年の御|庇護《ひご》を忘れたか。いやさ、公儀甲賀組の掟《おきて》を忘れたか。孫六、かかれ」
と、のどをしぼって叱咤《しつた》した。
「甲賀の掟」という一語に耳を打たれた刹那《せつな》、十五夜孫六の全身がぴくっと鞭《むち》打たれたように痙攣《けいれん》し、同時にはねあがるように彼は立っていた。
彼は歩き出し、小姓に左右からひきとめられている女の影をとらえた。手がどこかにかかると、まるで剃刀《かみそり》で薄紙を切るように、その衣服をズタズタにひきちぎった。みるみる一糸まとわぬ裸身となった女を、彼は春の枯葉のしとねの上に投げ出した。それが何か鉄の人形のうごきのように無意志にみえるだけに、いっそうぶきみな、恐ろしい動作に感じられた。
雪洞のあかりは要らぬ。まだ新芽の多い樹々をもれるおぼろ月も要らぬ。まるでそれ自身|蛍光《けいこう》を発するかのように、うねりのたうつ白い四肢《しし》がくっきりと浮かびあがって、吉保は、それが曾《かつ》てじぶんの寵愛《ちようあい》していた肉体であるかどうかを疑った。それどころか、果して人間の女であるかどうか、人外境の妖麗《ようれい》な食虫花ではないかとおのれの眼を疑ったほどであった。
が、それよりも吉保を茫然とさせたのは、その永遠と思われるほど――実は半|刻《とき》あまりの秘戯図が消えたあとのことである。吉保らの凝視《ぎようし》も視界に入らないかのごとく、女はうつろな眼をひらいたまま、ばたりと四肢を枯葉の上に投げ出していたが、やがてすすりあげるようなあえぎがのどを破ると、蛇《へび》のように身を起し、そばにあぐらをかいたまま、ふたたび思案に沈んでいる十五夜孫六に、ひしとしがみついたのである。
寵愛している側妾のひとり――といっても、こういう実験動物に提供するくらいだから、このごろ最も関心を失っていた女だ。というより、豊満《ほうまん》な肉体を持っているのに、自己抑制が強すぎるのか、どこか不器用で、物足りないところがあった。それが。――
「…………」
いま、孫六にまといつき、皮膚をこすりつけ、あごを男のあごの下でのけぞらして、息絶え絶えに口ばしっているのは、吉保が他の女からもきいたことのないほどの露骨《ろこつ》で淫猥《いんわい》な言葉であった。
「殿、お梁のお方さまのお肌をごらんなされ」
と、服部玄斎がささやいた。
「濡れておりましょう。乳のように濡れておりましょう。これぞ忍法濡れ仏。……あれのかわくときはありませぬ。あの汁を香汗《こうかん》と申す。からだじゅう濡れつくし、狂えるがごとく孫六を追い求め、そばに孫六なくば、あらぬ痴語《ちご》をもらしつつ、人目はばからぬ身もだえをして恥じるところがござらぬ」
「ふうむ」
そばに孫六がいるのに、すでにあらぬ痴語をもらし、人目もはばからぬ身もだえをしているお梁の方を見ている吉保の眼が、ぎらとあぶらをながしたようにひかるのを、
「いや、あれはもういけませぬ」
と、玄斎はあわててとめた。
「殿も持てあつかいにお窮しなさるは必定《ひつじよう》。――甲賀町に頂戴《ちようだい》して参る。あのお方さまを御することのできるのは、甲賀町の者どものほかにはござらねば」
「玄斎、あの孫六とやらに」
と、吉保は妙な、また当然な問いを投げかけた。
「女房はおるのか」
「いや、おりませぬ。女房がしょっちゅうあのていたらくとなり果てましては、いかな孫六も身がもちませぬ。また女に対しても要らざる殺生と、孫六めはかねてより沙門《しやもん》のごとく、不犯の戒律《かいりつ》をみずからに課しておりまする」
「なに、不犯の戒律? あのわざを持ちながら喃《のう》」
「これもまた忍者としてのつとめの一つでござる。ただ事あれば、あのように破天のわざをふるう。……甲賀一族に大恩ある出羽守さまのおんために、あのわざを使うときの到来したことを、孫六めはこの上もなく光栄至極《こうえいしごく》のことに存じておりましょう。して、出羽守さま、御用の趣《おもむき》は?」
吉保はわれにかえった。
「ふむ、娘があの姿となれば……小野め、いかなる顔をいたすか。そのときの、きゃつの面が見たいわ」
「……やはり、左様であったか。――」
枯草の上のうめきはあまりにも沈痛で、そのうえひきつるような女のあえぎにかき消され、吉保や玄斎の耳にも人間の声としてとどかなかった。
「小野?」
「次郎右衛門じゃ」
そして柳沢吉保は、先夜のいきさつをうちあけ、かつ、それより小野邸に夜這《よば》いに入った「刺客」が三人、それっきり行方を絶ったことを告げ、小野次郎右衛門のために討ち果たされたらしいと推測し、かくなるうえは忍者の力をかりて次郎右衛門の鼻をあかさねば上様の御面目にかかわると論じた。
「――小野?」
くりかえして、ちらと玄斎は孫六の方を見た。それを吉保はどうとったか、
「小野次郎右衛門ときいて、甲賀者も怯《おく》れたか。玄斎、いやか」
と、声をはげました。
「ああいや、滅相もござらぬ」
服部玄斎は狼狽《ろうばい》し、われにかえり、ぴたと平伏した。
「なんで甲賀者がひるみましょうや。また、なんで出羽守さまの御下知にそむきましょうや。いわんやこのたびのこと承れば、仰せのごとく上様の御面目にもかかわること、たとえ水火の中とても御用を相つとめまするがわれら一党のつとめ。――仰せ、かしこまってござる」
「引受けてくれるか、玄斎。――この一件、首尾《しゆび》よういったら、例の甲賀組登用のこと、吉保も心をきめてとりはからってやるぞ。――まず、事前の恩賞として、その女をつかわす。甲賀町へつれ帰って、焼くなり煮るなり、好きなようにいたせ」
そして、柳沢出羽守吉保は白痴《はくち》のようなふたりの小姓をうながして、屋敷の方へ去った。
林の中に残ったのは、南風にかすかにゆれる葉ずれのひびきと、女のあえぎ声だけであった。
ふいに十五夜孫六は女をはねつけ、苦鳴にちかいさけびをあげた。
「お頭。……おれを……今日ただいまから出家させて下されませぬか」
服部玄斎は一息つき、それから鉄槌《てつつい》を打つように答えた。
「甲賀一党にいのちを享《う》けた者は、その望み、義理、いやいのちよりも、孫六、甲賀組の名と利の方が先立つのじゃ。……今宵の御用を果たした上は、おまえに出家なり、或いは甲賀組頭領なり、何でも望みをかなえてやろうわい」
十五夜孫六は、こんなに途方《とほう》にくれたことはない。
要するに、同じものを、一方からは保護を託され、一方からは破壊を頼まれたのである。
しかし、公けに判断すれば、むろん後者の依頼の方がはるかに重大だ。致命的ですらある。
彼が公儀の甲賀組で、依頼者が時の大老格の人物で、ひいては将軍の意向をも反映しているというばかりではない。甲賀組と柳沢とは特別の関係があった。公儀|隠密《おんみつ》組といえば伊賀甲賀だが、幕府草創のころはしらず、どういうものか、次第に甲賀の方の影がうすくなって来ていた。むろんこのことは甲賀組にとってあまり愉快なことではない。それをこの柳沢吉保が、まだ少壮官僚《しようそうかんりよう》のころから目をつけて、ひそかに援助の手をさしのべてくれていたのだ。
その恩もある。また将来の望みも彼の存在につながる。甲賀組はいつしか大きなものになった柳沢の影の中にあった。甲賀の運命が吉保の手にゆだねられているなら、甲賀の掟もまた吉保の意志と表裏を合わせたものにならざるを得ない。
党の掟は個人にとっては絶対だ。そして党そのものも、吉保にそむけば滅亡《めつぼう》のほかはないであろう。
が。――
お志麻を犯せるか。お志麻を忍法「濡れ仏」のいけにえにしてしまえるか。
もとよりその結果は、お志麻は吉保の皮肉な見世物となり、将軍のむごいおもちゃとなり果てるにきまっている。
孫六は、吉保の依頼以前に、小野次郎右衛門の依頼を受けている。次郎右衛門の吉保に対する抵抗ぶりが、幕臣としてあり得ないほどのへそまがりな行為だが、実にあっぱれなものである。孫六もまた話にきいた初代次郎右衛門忠明の再来を見たような思いがして、この師匠を見なおしたくらいだ。その恩師が、手をとって彼に頼み入ったのだ。強情我慢の老人には珍しい――というより、孫六もはじめて経験したくらいだから、よくよくのことだ。彼としても侠《きよう》の血が波打たざるを得ない。
それに、もうひとつ、べつの血が彼の体内に脈|搏《う》っていた。
それはお志麻に対する彼の慕情《ぼじよう》であった。
三十をすぎてなお独身でいる孫六に、「おまえ妻帯をしないのか」と次郎右衛門がきいたことがある。これに対して彼は、「掟によって、拙者は一生不犯の男となっているのです」と答えた。次郎右衛門は孫六が甲賀者であることを知っていた。はじめいくどか甲賀組について質問したこともある。話が急所にふれると孫六は、言を左右にして避《さ》けた。次郎右衛門も甲賀組の特殊な掟を察したらしく、以後そのような質問はせず、ただおのれの一刀流の一番弟子として信頼の眼をむけていた。で、彼がそんな返答をしても、「一生不犯、妙な掟に縛《しば》られておるな」とつぶやいただけで、それ以上何もきかなかった。
掟にはちがいないが、ほんとうは掟を告白するのも掟にふれる掟なのである。それを思わず告白してしまったのは、十五夜孫六の苦渋のあまりのうめきであった。みずからに対する戒律《かいりつ》がよろめくのをおぼえて、他に表白してその閂《かんぬき》でみずからを縛ってしまおうとする努力であったといってもいい。現代人の禁煙宣言のもっと深刻なやつである。
お志麻を恋している。
かりにも将軍家指南役の家柄の娘と甲賀者とが結ばれるわけもないが、恋はべつだ。男は女だけしか意識せず、女は男だけしか意識しない。が、お志麻を女としてながめれば、それだけ孫六は苦しくなった。必然的にじぶんの忍法、忍法というよりもはや体質化してしまったあの特殊技能を思い出すからだ。
女人の精のようにあえかな姿を持ちながら、一方で彼からみれば神聖を感じさせるほど清純で凜然《りんぜん》としたお志麻であった。
あのひとを濡れ仏に――いや、濡れ仏という言葉を頭に浮かべるだけでも冒涜《ぼうとく》的である。
かくて十五夜孫六はますますストイックな顔になり、ますます次郎右衛門の信任を博した。――彼が出家|遁世《とんせい》を志したのは、こういうところに深い動機がある。
そこへ、こんどの甲賀組の任務である。掟により、これを拒否《きよひ》するなどいうことは絶対にできないが、たとえ拒否したとしても、そのときはまたほかの甲賀者がこの任務を果たすであろう。
小野次郎右衛門は彼を甲賀者とは知っているが、甲賀者と柳沢との関係は知らぬ。いわんやこんどの孫六に対する秘密指令などは夢にも知らぬ。かくて、いちど耳にした孫六の「一生不犯の掟」を以て、孫娘の騎士《きし》たる条件にいよいよ好都合なものとし、彼に全幅《ぜんぷく》の信頼をおいて疑わない。――
あちら立てれば、こちらが立たず。――これを如何《いかん》せん。
十五夜孫六は途方にくれた。いや、途方にくれるなどいう言葉では間に合わない。困惑《こんわく》、煩悶《はんもん》、絶体絶命。
しかも、いつまでも懊悩《おうのう》の頭をかかえこんでいることはゆるされない。事は急を告げているのだ。
――孫六は、ついに一案をしぼり出した。
十五夜孫六が十文字に荒縄《あらなわ》で縛られた一挺の駕籠《かご》によりそって、九段坂下の小野次郎右衛門の屋敷に入っていったのは、それから三日めの深夜であった。
とくに彼は請うて道場を借り、そこに駕籠をそのまま運びこませた。呼ばれて小野次郎右衛門とお志麻だけがやって来て、道場のまんなかに置かれた一挺の駕籠と、四方の戸を念入りに閉めている孫六に、あっけにとられたように交互に視線を送っていた。
それよりも。――
ふたりは十五夜孫六の顔の変りように驚いた。あれほどお志麻の護衛役《ごえいやく》を頼んであるのに、この三日間彼はここに来なかった。それを責めるまえに、ふたりは彼の変貌《へんぼう》ぶりに怪異の思いに打たれたのである。三日ばかりのあいだに、童顔といっても然るべき孫六の顔の、眉《まゆ》の下はおちくぼみ、鼻はとがり、頬はこけて蒼《あお》ずみ、別人のような凄絶《せいぜつ》の相を彫《ほ》り出していた。
「これ、何が起ったのか」
孫六が駕籠のそばに坐るのを待ちかねて、ともかくも次郎右衛門はきいた。
「例の件でござるが。――」
と、孫六はいった。
「あちらさまのお手をのがれるには、この一|途《と》しかないと思いきわめました」
「この一途、とは?」
孫六は沈黙した。ちらとお志麻を見た眼に、彼らしくもないおびえたひかりがかすめ、すぐにむずかしい顔をして腕ぐみをした。
真夜中の大道場は、森閑《しんかん》として、何か宗教的な建物のような厳粛《げんしゆく》の気にみちているが、一穂《いつすい》の灯が遠くの柱にぼうと映っているのは、漆《うるし》ではなくて血であった。初代以来すでに百年を越えて、そのあいだに重ねられた荒修行の血のあとである。
……ふと、駕籠の中で、妙な声がして、お志麻はぎょっとした。
「孫六、その中におるのはなんだ」
次郎右衛門にうながされて、十五夜孫六はとうとう決心したといった表情で、しかし低い声で語りはじめた。――ふたりにとって驚倒すべき話を。
つまり孫六は、じぶんが柳沢吉保から命じられて、お志麻を手籠《てご》めにする任務を受けたことをまず告白したのである。
「……で、おまえ、受けたのか」
「受けました」
次郎右衛門はそろりと右手をのばして「甕割《かめわり》」をつかんだ。この老人は、刀を持ち換えることなく、左腕の抜討ちができることを孫六は知っている。
「受けねばならぬ忍者の掟でござる」
じいっと見入ったままいう孫六の声の沈痛なひびきに、次郎右衛門は打たれた。ふと、つぶやいた。
「おまえならば……」
が、すぐに猛然《もうぜん》として、
「いや、相手が何者であろうと、この際、志麻をいけにえとしては小野家三代の面目《めんもく》がたたぬ。孫六、抜け。わしと立ち合い、わしを斃《たお》してから志麻を犯せ」
「いや、先生と立ち合えば、拙者が負けます」
そのとき、また駕籠の中で、異様な声がした。吐息《といき》ともあえぎともつかない、しかしあきらかに女の声であった。
それに対する疑惑が、次郎右衛門の理性を呼びもどした。
「孫六、いったい、うぬは今夜何しに来たのじゃ?」
「ですから拙者は、甲賀組の忍者としての任務を遂行《すいこう》し、しかも出羽守さまの御意向をうちくだく一途を御伝授に参ったのでござる」
そんな方法があり得るか、という問いを投げかけるより、老人と娘は駕籠の中の声に思考力を奪われた。
いかな老人でも、いかな処女でも顔をあからめずにはいられない声であり、そしてはっきりと淫《みだ》らな言葉すらきこえて来た。中の人間は、荒縄で縛られた垂《た》れをゆさぶり出したようだ。
「……気絶から醒《さ》めたとみえる」
やっと孫六は駕籠をふりかえり、いきなり抜き討ちにその縄を切った。
「出羽守さま御側妾《おそばめ》のおひとり、お梁のお方さまでござりまする」
垂れをおし破って、白い液体のようにころがり出て来たのは、一糸まとわぬひとりの女であった。
その動作も重い液体のように流動的であったが、それよりも彼女の全身がぬれぬれとひかって、しかも花粉に似た甘い香りをはなっているのに眼を見張ったふたりは――次の瞬間、お志麻だけが、思わず息をつめて立ちあがっていた。
柳沢出羽守の側妾は、そのままひしと十五夜孫六にしがみついたのである。そして、いきなり孫六の口を吸い、ぬれた舌を出して、頬《ほお》からくびすじのあたりをぺろぺろと犬みたいになめはじめた。
「いつぞや拙者が、不犯の戒律をまもると申しあげたのをおぼえてござりましょうな」
女のなすがままにまかせて、孫六はいう。
「拙者がその戒律を破ればどうなるか、という見本がこれでござる。すなわち拙者が女と交われば、女はかならずかような――まず色きちがいと申してよいありさまになりはてるのでござる」
女は、孫六の袴《はかま》のひもをとこうとしている。孫六はその指のうごきを制しようとしているが、とめてとまらぬものとあきらめた手つきでもある。
「女がかような姿を見せるということは、すなわち拙者に犯された証拠《しようこ》。で――出羽守さまは、かかる姿となり果てたお志麻さまをひきずり出して、次郎右衛門先生を笑いものにしよう――このようにおかんがえなされておるのでござります」
女は孫六のひざに顔をうずめていた。立ちすくんで、赤くなったり蒼くなったりしていたお志麻は、ついに見るにたえぬもののように顔を覆《おお》い、背をむけようとした。
「逃げられるな。ここが今生の大事でござるぞ」
孫六は叱咤《しつた》したが、しかしお志麻と眼が合うと、その頬があからみ、視点がさだまらぬものとなった。
「いや、ごもっともでござる。まことに、醜態。――」
彼は、女の刺激よりも、内心の羞恥《しゆうち》のために肩で息をし、
「さりながら、このことこそお志麻さまをお救い申しあげる唯一の手段。女人のこのようなあさましき姿を見れば、いかなる男でもふつふつ辟易《へきえき》いたそう。……すなわち、お志麻さま、出羽守さまのおんまえで、かような姿をお見せなされ。かようなふるまいをよそおってごらんなされ。……まさか、これを上様に献上《けんじよう》、などできるものではありませぬ。それはそれとして、出羽守さまは、一応は、得たり、と手を打ってお笑いなさるでござりましょう。そこへ次郎右衛門先生がまかり出られ、医者なり老女なりを呼んで、お志麻さまが処女でいらせられる証《あか》しをお立てなされば、出羽守さまのお笑いはもとより、お息の根もとまってしまうは必定《ひつじよう》。そこで先生はかんらからからと笑倒し、お志麻さまの手をひいて、しずしずと御退去になればよいのでござります。すなわち、この勝負、小野次郎右衛門の勝ちと相成ります」
あえぎながらも、一気にいった。
「むろん、万全《ばんぜん》の策とは申せませぬ。しかしながら、進退両難、押すも引くもならぬこのたびの事態に、万全の策などあるものではござらぬ。ましてや相手が柳沢出羽守さま、ひいてはもっと上の方とあれば、ただきれいごとにてこの危地《きち》がきりぬけられるとかんがえるのは、いささか虫がよすぎるものとおかんがえ下されい。拙者、思いまするに、そもお志麻さまはこの孫六のために犯されたのか、犯されなんだのか、出羽守さまは五里霧中、唖然《あぜん》、茫然《ぼうぜん》となさるのみで、ここまでやれば、さすがにもはや、あと追いなさることをおあきらめ遊ばされましょう。すなわち、あちらさまのお手をのがれ、しかも先生の勝ちというかたちにてこのたびの一件を結ぶには、この一途よりほかにないと孫六は判断するのです」
女は、孫六に白い蔦《つた》みたいにからみつき、這《は》い上っていって仁王立ちになり、両腕で孫六の頭をかかえこみ、身をよじらせ、のけぞるようにして淫語を口走りつづけていた。
「この女を今夜つれて来たのは、この姿をお見せしようがためでござる」
孫六の鼻は、女の肌にふさがれて、声もつぶれていた。
「処女でいらせられるお志麻さまが、かような女の痴態《ちたい》を御存じのはずがない。従って、よそおいたくも、よそおうすべも御存じないので、あえてその型を学んでいただかんがために、拙者、満身《まんしん》から血を噴かんばかりの恥をしのんで、かくは御覧に入れているのでござる」
しかし、このとき女の股間《こかん》からのぞいた十五夜孫六の眼は森厳《しんげん》のひかりをおび、その表情は、もはや迷いも羞恥もなく、確固たる信念にみちたものであった。
「いや、ここまでやられる必要はないが、一応、御参考にいたされよ。――お志麻どの、お寄りなされ、しかと心眼をすませて、よっく御覧なされ」
孫六の声は、宏壮《こうそう》な夜の道場にひびきわたった。まるでひるまの稽古《けいこ》のとき鳴りわたる小野次郎右衛門の叱咤《しつた》そっくりであった。
――ただ、それに女の淫声《いんせい》の伴奏《ばんそう》がついた。
「これを恥ずかしと存ぜられるのは、いまだお覚悟が足らぬのでござるぞ。小野派一刀流の名誉をつなぐのは、この一事にかかるものと思われよ。ここは神聖なる道場、この女は尊き師匠とおぼしめして、いざ、この一挙手一投足《いつきよしゆいつとうそく》を修行なされい!」
――それから約一刻あまり、お梁の方にからみつかれながら、十五夜孫六がお志麻の手をとり足をとって、色情狂の女の型をつけ、ふり[#「ふり」に傍点]をつけ、演技指導するのを、小野次郎右衛門は口をあんぐりとあけ、虚脱《きよだつ》したように見ているばかりであった。お志麻はあやつり人形みたいになっていた。
「ようおできなされた。まず、これで一通りは。――」
一刻ののち、十五夜孫六がそういって一汗ふいたとき、やっと次郎右衛門はきいた。
「――で、おまえは、これからさき、どうする」
「拙者、明日にも、お志麻さまをおつれして出羽守さまのお屋敷へ参り、門前にて退散《たいさん》つかまつります。あとは、先生がよろしく」
「おまえは退散するのか」
すっかり主導権を奪われた次郎右衛門は、心ぼそげな表情をした。
「拙者についても、忍法をかけたかかけぬか、出羽守さまは五里霧中のままで終りなさると存じますが、万一、あと甲賀組へ迷惑でもかかるかと思い、そのまま――甲賀|卍《まんじ》谷なる父祖の地へ逐電《ちくてん》つかまつる所存でござりまする」
「えっ、おまえは、甲賀国《こうがのくに》へ?」
お志麻がさけび声をたてた。
「出家|遁世《とんせい》はかねてよりの望みでござりました。が、半生苦練した忍法があなたさまのお役に立ち、孫六は本懐《ほんかい》でござります」
十五夜孫六は、さびしげな笑いをにっと頬《ほお》にきざみ、しずかに一刀をとりあげた。
「それはそうと、この女、これももはや用ずみ。いや、このありさまにて追ってこられては甚だ迷惑。――御免」
そういうと、いつ指が鞘《さや》の小柄にかかっていたか、銀の葉のように飛んだひかりが、なおまといつこうとするお梁の方《かた》の、はてしもなく淫《みだ》らな息を通す白いのどぶえを、ぐさと一瞬に縫ってしまった。
土が匂う。草が匂う。樹《き》が匂う。――そして、雲までが匂う。
しかし、人間の匂いはない。甲賀もこのあたりまで入ると、人外境であった。大自然の饗宴《きようえん》の匂いだけであった。
その山岳の道を、しかしひとりの人間が歩いて来た。その足はながれるように早いが、編笠の中の顔には寂寥《せきりよう》の翳《かげ》がある。十五夜孫六であった。
春深い山気を味わう意志も失っていたその鼻が――ふと、目覚めた。彼は人間の匂いをかいだのである。
人間の匂い。――いや、おぼえのある香ばしい汗の匂いを。
彼はふりかえり、信じられない眼つきになり、足を釘《くぎ》づけにした。はるか下の山路を、ひとりの女が駈けてくる。しかも両手をさしのべ、あきらかにじぶんを追ってくる。
それをだれかとはっきり確認すると、十五夜孫六は躍《おど》りあがるようにしてその方へ駈けもどっていった。
お志麻だ。お志麻ははだしのまま足を血まみれにし、きものは裂けて半裸の姿で走って来た。――何が起ったのか、柳沢出羽守の屋敷で何が起ったのか、ちらとそうかんがえ、すぐにここは甲賀だ、江戸で何が起ったにしろ、あの姿のままで追ってくるには遠すぎる――と孫六は再考《さいこう》し、しかしそれより、彼女がちかづくにつれていよいよ濃く匂ってくる花粉のような香りに魂《たましい》を奪われた。
「孫六」
と、お志麻はさけんで、彼の胸の中へとびこんで来た。
「待っておくれ。わたしをつれていっておくれ。――わたしは昔からおまえが好きだったのに、にくい孫六、一生不犯なんて、わたしにうそをついて」
これだけが、お志麻のいった言葉のうちで、わずかに理解のできる人間の言葉であった。
あとは言葉にならない――あのお梁の方の口ばしっていたのと同様の、いや、そっくり同じ言葉をあえぎとともにもらして、孫六にしがみついてくるばかりだ。
それも、たんにしがみつくのではない。お梁の方とまったく同じ動作で孫六にいどみかかってこようとする。
「……待て、お待ちなされ」
青嵐《せいらん》吹く山路で、なまめかしいもつれ合いというより、凄惨《せいさん》な争闘《そうとう》ともいうべきうごきがあったのち、孫六はからくもお志麻を押えつけた。
江戸で、あのあと、どういういきさつをたどったのか。どんな風に、なんのために、甲賀までじぶんを追って来たのか。――それをきいても返答が期待できないほど彼女が心みだれていることはたしかであった。演技ではない、彼女ははっきりと色情狂になっていた!
あの玻璃燈籠《はりどうろう》のように清純なお志麻さまが。――
それこそ五里霧中といった眼つきで、孫六はこのときお志麻の肌《はだ》が、薄い粘《ねば》っこい乳のような液汁にぬれつくしていることにあらためて気がついた。たんなる汗ではない。――香汗だ。
おれがお志麻さまに忍法「濡れ仏」をこころみたおぼえはない。もしかしたら、甲賀町のほかの忍者に? 愕然《がくぜん》として孫六は、おののく腕と指で、お志麻の下肢《かし》をのべさせておそるおそる探った。
このあいだだけ、お志麻はしずかにしていた。ただ香ばしい乳のみが地の青草につたいながれた。風もやんで、山は春《しゆん》 昼《ちゆう》のひかりとものうさに満ちた。
まぎれもなく薄紅色の薄膜が、神のあたえ給うたときのまま、ひたと張りめぐらされていることを知ったとき、彼は天地|晦冥《かいめい》の顔をした。
風が起った。いや、彼のみが恐怖の突風に吹かれ、いきなりころがるように駈け出した。めちゃめちゃに走り、ゆくてが果して甲賀卍谷であるかどうかさえ眼がくらみ、こけつまろびつ逃げてゆく忍者十五夜孫六は、しかし背後に迫ってくる跫音《あしおと》を悪夢のようにきいていた。
「濡れ仏」の忍法にかけられもしないのに、香汗をしたたらせてどこまでも追ってくる色情狂の女の跫音を。
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伊賀の散歩者
寛文《かんぶん》五年三月、伊勢《いせ》の津《つ》の、老公が帰国して来たとき、国侍や領民は眼を見張った。それは老公が江戸から新しいお妾さまをつれて帰って来たからである。
この驚きには、いろいろ意味がある。一つはむろん老公――藤堂大《とうどうだい》 学《がくの》 頭高次《かみたかつぐ》公がもう六十四歳というお年なのに、ということであったが、もう一つはその新しい御|側妾《そばめ》が、若いけれど、決して美人とはいえない女性であったからだ。
名は、おらんさまという。――
年は二十六、七くらいだろう。これを愛妾とした殿様にも驚くが、別の意味でこの女性の年齢も意外だ。どうせ新しい御側妾をおくなら、もっと若い、然るべき女性がうんとあるだろうに。しかも、聞くところによると、彼女は伊豆《いず》の貧しい郷士の娘であるという。
それがどうして伊勢の津、三十二万三千九百五十石という大大名の側妾になったかということだが、そのいきさつは、いま伊豆|熱海《あたみ》、冷川《ひえかわ》の東光寺という寺に現存している古文書に代って語らせよう。
「往昔、元禄ノ頃、伊勢国津ノ城主藤堂和泉守高久公、江戸出勤中、身体ノ病苦ヲ癒除センタメ、当国熱海ノ温泉ニ浴ヲ求メント入湯中、高久公|徒然《ツレヅレ》ヲ養ワント四方ヲ遊戯ナストキ、一ノ|※[#「女+莫」、unicode5aeb]女《ボジヨ》、川流ニ向ッテ垢衣ヲ洗除ナスヲ見テ、イカニモ奇様ノ姿ト思イシヤ手ヲ出シテ戯レケレバ、※[#「女+莫」、unicode5aeb]女、怒情ヲ発シテ高久公ニ水ヲ打掛ケ、跡ヲモ見ズ駆去リシカバ、高久公大イニ感ジ、コレ真実ノ勇胆ノ佳女ナリト讃嘆シ、使ヲ以テ在所ヲ尋探セシメケレバ、コノ女ハ当国加茂郡冷川村平井嘉兵衛ノ妹ニシテ、名ヲ於光《オコウ》ト云イ、当熱海某家ノ雇女ト聞クヨリ、高久公、使ヲ以テ妾トナサンコトヲ需《モト》ム」云々《うんぬん》。
この文で、元禄の頃とあり、また和泉守|高久《たかひさ》公とあるのはまちがいで、実はそれ以前の寛文年間の話であり、また高久の父の大学頭高次であったというのが正しいのだが、そのわけはあとで書く。
つまり彼女は、川で洗濯《せんたく》をしているところを老大名にからかわれ、怒って殿様に水をぶっかけて逃げ去り、それがかえって殿様のお気にいったというのである。
そこまでのいきさつを知らない家来たちも、しかしやがてその新しいお妾さまが殿様の心をとらえたわけを知った。
実に利発なのである。生き生きとしているのである。そして、だんだん美しくさえ見えて来たのである。
右の文中に「|※[#「女+莫」、unicode5aeb]女《ぼじよ》」とあるのは醜女という意味だが、それは当時の女性美の標準から見てのことで、肉づきのいい肌《はだ》は白いし、大きな眼はキラキラひかっているし、唇《くちびる》は厚いけれどきわめて肉感的で――そうだ、この女性は、いわゆる美人ではないにしても、たしかに官能的であった。同文の中に「奇様ノ姿」とあるのは、おそらく臀《しり》でも出して洗濯していたのではないかと思われるが、だから、その姿はもちろん、水をぶっかけて逃げてゆく姿も、大いに老公の心をとらえたのに相違ない。
側妾といっても、高次の正妻はもう十年も前に亡くなっていたから、これは彼の最も親愛する女性にちがいなかった。その証拠は彼女の改名である。熱海で洗濯女をしていたころの名|於光《おこう》を改めておらんと名づけたのは高次だが、その名は、徳川四天王の一人|酒井雅楽頭《さかいうたのかみ》忠次の子|忠世《ただよ》の女《むすめ》であった故夫人の名だ。つまり正妻の名を、高次はこの新しい妾に与えたのである。
――こりゃなんと、殿様は若返られた。
侍たちはみな眼ひき袖《そで》ひきした。国へ帰って来た高次は六十半ばというのに、それ以後おらんのほかに、三人も四人も、べつに新しい女を身辺に近づけ出したのである。奥方を失ってからここ十年ばかりのあいだ、ついぞなかったことであった。家来たちはそのことをよく話題にしたが、それは決して不安やからかいの心からではなく、みな善意にみちたものであった。
とにかく藤堂家には、もう三十一歳の高久から二十二の基精《もときよ》まで、四人の堂々たる男子があって、まさか殿様がこれから若い女たちにお子を作られて、よくある御家騒動が起る――などいうことはないだろう。御家騒動といえば、五、六年前からみちのくの伊達《だて》家では幼君があとをついで何やらごたごたがあるらしいが、こちらは右の通り後継者に問題はないし、だいいち現在の大老酒井雅楽頭|忠清《ただきよ》の叔母君が老公の故夫人にあたるのみならず、世子高久の奥方がまた忠清の娘にあたるという重縁なのだ。藤堂家が安泰であることは盤石のごとくまちがいはない。
――殿、老木にいよいよさかんな花を咲かせられませ。
家臣たちはそんな眼で見て、みな微笑した。
そしてまた、当のおらんの方《かた》も甚《はなは》だ聡明《そうめい》で、みなに悪評をたてさせなかった。いわゆる美人でないことも、かえって藩士たちの好意を誘った。そして、美人でない彼女は、あきらかに老公のみならず、ほかの若い美しい側妾たちを完全に手綱に握っているように見えた。
ただ、問題は彼女以外の彼女の関係者にあった。
おらんの方がいっしょにつれて来た弟である。年は二十四、五だろうが、姉とちがって面長《おもなが》で、背も高く堂々たる美丈夫だが、年にそぐわない老成した感じがある。それは、そんな若い美丈夫のくせに、頭にほとんど毛のないことにも因した。若|禿《は》げなのである。
名を歩左衛門《ぶざえもん》という。――
姉のおらんの望みによると、どうやら彼女はこの弟に鍼《はり》でも修業させて老公付きの侍医にしたいとかで、以前から藩《はん》に仕えている老鍼医に弟子入りさせ、師からすでに友益《ともえき》という名までもらっているのだが、それはちょっとかよっただけで、すぐに姿を見せなくなった。
どうやら、頂戴《ちようだい》した小さな屋敷に、ひっそりと垂《た》れ込《こ》めているらしい。何をしているのかわからない。
――もっとも、それだけなら、べつに大したことではない。だいいち、このことを知る者さえ少ない。知っていた者も、その存在を次第に忘れて来たくらいである。そして、半年ばかり経過した。
ところが――じっとこの平井歩左衛門から眼を離さない人間があった。
「風忍斎《ふうにんさい》」
その年の晩秋の或る夜明前である――津城の大目付《おおめつけ》部屋で呼ぶ声がした。
「これに」
しゃがれた声が応えた。灯は一つ、呼んだ人間の傍にあるばかりで、応えた声のした庭のあたりは朦朧《もうろう》と暗い。
「平井歩左衛門のその後の動静を知っておるか」
「は、二十日ばかり前、志摩郡《しまごおり》の沖《おき》の島から帰ったことは存じておりますが、はて、その後――?」
「けさ早く――先刻、伊賀《いが》へ旅立ったらしいぞ」
「えっ、伊賀へ? 何をしに?」
「わからぬ。そもそも、志摩の無人の沖の島へいったのも、それを追うたおまえ自身、あの男は何もないその島で十日ばかり、ただ岩に坐って海を眺《なが》めていただけで帰途につき、ついにわけがわからぬと報告したくらいではないか」
相手は数分間黙っていて、ややあってしゃがれた嘆息をもらした。
「まことに奇態なる人物で、目下暮しておる蔵には出入のからくりがあると思われ、また当人出入するにも変装するらしく、せっかく見張りを命じられながら、しばしば見失いまする段、まことに失態のほど恐れいりまする」
頭を下げたようだ。おぼろおぼろとした庭の底にも、その姿が奇怪なるものに見える。風忍斎と呼ばれた男は、黒衣に身をつつんでいたが、大きな頭を持つ一寸法師であった。
――それがどうやら、二人いるようだ。
「いったい、あの男は何を考えておるのでござりましょう?」
「御公儀の隠密《おんみつ》かも知れぬ」
と、相手はいった。
風忍斎を呼んだのは、藤堂藩の大目付の河島仲之丞《かわしまなかのじよう》という人物であった。
机の傍におかれた短檠《たんけい》に浮かび上った顔は、いかにも剛直できびしい。机の上はもちろんそのまわりの棚《たな》は、おびただしい書類でぎっしりとたわまんばかりであった。大目付としての調査報告書類なのだ。
「えっ、隠密? 殿が伊豆からつれて参られたお部屋さまの弟御が、江戸の隠密?」
黒い頭巾に包まれた大きな頭がかしげられた。
「下馬将軍とさえうたわれまする酒井雅楽頭さまと御存じのような御縁にある御当家に、その御公儀から、隠密?」
「裏の裏、そのまた裏、御政道のことにはいかなるからくりがあるか、たんげいしがたいものがある」
と、大目付はいった。
「公儀にもさまざまな渦《うず》や流れがある。例の伊達家でも、御当家とひとしく酒井どのの御息女を御子息の奥方としておられる伊達|兵部《ひようぶ》どのが、必ずしも意にまかせず現在いろいろもめておるのも、そのためじゃ。酒井どの以外の筋から息のかかった隠密ということもあり得る」
「いえ、私が申しまするのは、そればかりではなく、あの平井歩左衛門どのそのものが、公儀隠密などやれるような人物とは見えぬということでござる」
風忍斎はいった。
「まさか私を、藤堂家の無足人《むそくにん》、猿の風忍斎とは知らぬはずでござるゆえ、あれが志摩沖の島へゆく途中、そ知らぬ顔で近づき、話す機会がありましたが――ぼやっとしている子供のような、またわけ知りの大人物のような――どう申してよいやらわかりませぬが、とにかく隠密などいう厳しい勤めは到底出来そうもない人柄と見えましたが」
「なら、あれはふだん蔵の中で何をしておるのだ? なぜ、夜、蔵を忍び出て、伊勢や志摩あたりを徘徊《はいかい》するのだ?」
大目付、河島仲之丞はたたみかけた。
「そしてまた、なぜこんどは伊賀へ出かけたのじゃ?」
「さあ、それは」
「伊賀は……おまえら藤堂藩の隠密の供給地でもあるぞ」
「あ。――」
「ともかく、おまえ、また追跡しろ。伊賀へいって、あの男が何をするのか、いったい何を目的として当藩に来たものか、とくとつきとめて報告しろ」
「相わかってござりまする。ただしかし……仰せのごとく伊賀は私の出身地、知り合いが多くて、かえってやりにくうござりまするな」
「しかし、いろいろ考えたが、やはりこの探索、やるのはおまえのほかはない。ゆけ」
命ぜられた黒衣の影は、たしか二つ並んで見えるのに、不思議なことに、答えるのはただ一人で、もう一人の方は終始ぶきみに沈黙したままであった。
伊賀国もまた藤堂藩のうちだ。が、海に沿う津にはまだ潮に秋の香が漂っていたのに、そこから西へわずか五里ばかり、伊賀との国境、長野《ながの》峠にさしかかると、北の経《きよう》ケ峰《みね》は雨もよいの暗い空の下に、もうはだら[#「はだら」に傍点]雪さえ見せて、そこから吹き下ろす風は刺すように冷たかった。
その峠の下で、草の中の石に腰を下ろして、猿の風忍斎は迷っていた。
さきにいった平井歩左衛門が、峠の上の茶屋に入ったことはわかっている。けさ早く津を出たというのに、彼は途中で何をしていたのか、夕暮れちかい先刻ここの手前で見つけ出したのだが、それにしても茶屋に入ってから、長い。もうかれこれ半刻ちかくたつ。
おそらく甘酒でも飲んでいるのだろうが、いったい、何をしているのだろう?
そのあとを自分がつけていることは、伊賀の上野《うえの》に入るまでなるべく知られたくないのだが、そ知らぬ顔をして茶屋の前を通り過ぎようとしても、普通人なら知らず、自分ならすぐわかる。
大きな菅笠《すげがさ》、くろずみ褪《あ》せてはいるが赤い袖無《そでなし》羽織、たっつけ袴《ばかま》をはいて、胸に小さな太鼓《たいこ》をぶら下げている。ただその姿なら旅の芸人だろうと人は見すごすだろうが――いかんせん、彼は一寸法師であった。
十一、二歳の子供の胴体に、三十男の顔をくっつけたような怪物だ。頭の鉢《はち》が福助のようにひらいて、らっきょう型の顔には、クモが足をひろげたような深いしわと、ギョロリとした大きな眼と、丸い鼻と、笑う時には耳まで裂けるのではないかと思われる大きな口と、そして、鼻の下の薄黒い不精ひげとが不調和についていた。青白い顔に、唇だけは妙に真っ赤であった。
これで彼は、藤堂藩秘蔵の忍び組の一人なのである。
さあっとまた経ケ峰から木の葉とともに寒風が吹き下ろし、それに雨さえまじった。
「うつろ。――」
顔をあげて、風忍斎は呼んだ。
すると、枯草の中を、何かが飛び跳《は》ねて来た。ましらのごとく――といいたいが、まさに一匹の猿である。猿は、彼の前にちょこなんと坐った。
ははあ、彼の装束の意味がわかった。猿|廻《まわ》しの服装であったらしい。――その通り、彼はふだん「御用」を勤めるときは、猿|曳《ひ》きの姿をしていることが多かった。一寸法師の猿廻しだ。
もっとも彼が、猿の風忍斎と呼ばれているのはそのせいか、あるいは当人自身の顔のせいかよくわからない。
その猿は、人間の子供ほどもある大猿で――つまり、主人の風忍斎とほとんど変りのないほどの大きさだが、彼はこれをふだん放し飼いにしているらしい。ただ、それが放し飼いにしてあっても、注意深い人なら、すぐにそれがふつうの野生の猿ではないことに気がつくはずだ。その猿の陰茎は、一本の赤い糸で巻かれていた。そしてその猿は、そこらの野猿山猿よりもっと凶暴な顔をしていた。
「うつろ、先に峠を越えろ。あの茶屋の前の樹をな」
うつろと呼ばれた猿は、うなずいて――そう見えた――すぐに、峠を跳ねてゆき、途中、道の片側の樹に舞いあがったかと思うと、そのまま見えなくなった。
ひときわ強くふり出した山の雨の中を、風忍斎は駈け上っていった。頭でっかちのこびとが、いまの猿にも劣らないほどの軽捷《けいしよう》さであった。
さて、それから、茶屋の前数間の距離で、いちど彼は立ちどまった。その滑稽《こつけい》で奇怪な肉体の輪廓《りんかく》を、さっと眼には見えない緊張がふちどった。――次の瞬間、彼はスタスタと無造作に茶屋の前を通り過ぎていった。
いや、通り過ぎようとしたのである。
ちょうどそのとき、茶屋の前にならぶ数本の落葉樹の枝を、大きな猿が渡っていった。茶屋にいて外に眼をむけていた人間は、みなそれが眼に入ったはずである。「おや、猿が。――」げんに、そんな女の驚きの声も聞えた。
猿が見えたところで、その下の往来を通りかかる大きな笠をかぶった一寸法師も見えるはずだが――それが、見えない。見えないことになっている。風忍斎の術では。
そのとき、たしかに歩左衛門の声がした。
「なんだ。無足人《むそくにん》とはそんなものですか」
それまでの話のつづきらしい、がっかりしたような声であったが、そのとたん、風忍斎の全身をふちどっていた眼に見えない緊張がさっと崩れた。彼の術は破れたのである。
「おう、猿ではないか」
ふいに、名を――あきらかに自分を呼ばれたと知って、風忍斎は茶屋の中をのぞきこんだ。縁台に腰をかけて、こちらを見ているのは、知り合いの松尾甚七郎《まつおじんしちろう》という若い侍であった。
風忍斎は、反対の方をむいて、
「うつろ。――」
と、また呼んだ。
猿が空から飛んで来て、その背に飛びついた。めくらまし[#「めくらまし」に傍点]の術が失敗したのを知っているのか、「うつろ」は小さくなっている。それでも、どっちがどっちを背負っているのかわからないような姿で、風忍斎はニタニタ笑いながら茶屋の中に入っていった。
茶屋に休んでいた旅人たちが、びっくりしたように眺《なが》めている。それをギロリとにらみかえしてから、風忍斎は、
「や、お久しぶりで」
と、縁台の一つに近寄った。挨拶《あいさつ》はそこの二人に同時に送ったものであった。
自分の追っていた平井歩左衛門は、松尾甚七郎と向い合って甘酒を飲んでいたのである。松尾はふるさとの旧知だが、歩左衛門とて全然相手がこちらを知らないわけではない。きょうのところはなるべく知られたくないと考えて、いま妙なめくらまし[#「めくらまし」に傍点]を使おうとはしたけれど、二十日ばかりまえの志摩への旅では、それとなく近づいておたがいに話をしたこともある仲なのであった。
「伊賀へ帰るのか」
と、松尾甚七郎が聞く。
彼は、藤堂藩の伊賀城代藤堂|采女《うねめ》の侍大将五千石、藤堂新七郎の小姓で、まだ二十三、四だが、現在の身分のみならず、もともとの家の格が、風忍斎よりだいぶいい。
風忍斎はうなずいて、
「あなたは、またなんでこんなところに?」
と、聞いた。
「なに、ちょっと旅に出ての帰りだ」
甚七郎は答えた。眉目《びもく》清秀な若侍だが、なるほどうすよごれた旅姿だ。そして、平井歩左衛門の方をむいて、
「無足人といえば、この男も伊賀の無足人ですが」
と話しかけ、また風忍斎に眼を戻して、
「このお方はな、偶然ここでお逢いしたのだが、大殿さまのお部屋さま、おらんのお方《かた》さまの弟御、平井歩左衛門どのと仰せられるそうな。伊賀の無足人なるものにいたく興味を持たれて、これから伊賀へゆかれるという。――」
と、いった。
「ほう、おまえも無足人」
と、平井歩左衛門は眼をパチパチとしばたたいて、風忍斎を眺めやった。この人物は、いつも重たげなまぶたをして、右の頬《ほお》がピクピク痙攣《けいれん》するくせがある。
「なんだ、御存知でござるか」
と、松尾甚七郎は驚いたように二人を見くらべた。
「いや、先日、志摩でな」と歩左衛門が説明するのを、依然ニタニタして風忍斎は聞きながら、抱いた猿の頭を撫《な》でていたが、心中、松尾がどこまでしゃべったか、ひやひやしている。松尾甚七郎がこのおれの職分について何も知らないのも無理はないが。――
すると、突然、平井歩左衛門が風忍斎の方をむいて、
「いま、その猿がの、枝を渡って、そのあいだにおまえがそこを通りぬけようとしたのは、あれは猿にみなの注意を集中させるというめくらまし[#「めくらまし」に傍点]ではなかったのかな」
と、ズバリといったので、びっくり仰天した。
「へ? 私がめくらまし[#「めくらまし」に傍点]? ど、どうしてそんなことを?」
思わず眼をひからせて風忍斎がいうと、歩左衛門はうすぼんやりと笑った。
「いや、そうであったら面白い――そういう手もある――ということだ」
と、いって、彼は松尾甚七郎に話しかけた。「無足人、というのは、どうもいろいろと私の空想をそそりましてね」
人々が立ち出した。それに気づいて、甚七郎も外を見た。
「や、雨がやんだようだ。またひとふり来ぬうちに、出かけましょうか。話は道中ということにして、猿、おまえもいっしょにゆこう」
三人は茶屋を立ちいでた。向うの山が白くけぶっているのは、まだ雨が渡ってゆくのであろう。その寒々とした風景から、猿を背負った一寸法師のうすよごれた赤い袖無羽織のあたりに眼をもどしながら、松尾甚七郎はふと口ずさんだ。
「初しぐれ猿も小蓑《こみの》を欲しげなり」
「無足人」というのは、伊賀に昔から住む郷士の末孫の名である。名は妖気を孕《はら》んでいるが、おそらく扶持《ふち》も籍もない半農半士というような意味であろう。薩摩《さつま》にも土佐《とさ》にもこのたぐいの階級があった。
人も知るように伊賀の大豪族は服部《はつとり》家だが、それが幕府に仕え、その主だった一族をひきつれて江戸へ移ったあと、なお昔からの郷士が残った。それを、ここを藩領とした藤堂家は「無足人」と名づけたのである。
ただし、扶持も籍もないとはいったが、実は僅《わず》かな手当が出て準士分扱いをされている。またその中の優秀な子弟は召抱えるのにやぶさかではない。――松尾甚七郎などはその例だ。彼もまた伊賀の無足人の出身なのであった。
甚七郎は地元の、藤堂家からすれば支城たる上野《うえの》の城に奉公しているのだが、別にまた本城の津へ召出される者もむろんある。さて、それからのことは、伊賀に残っている無足人たちも知らない。津へいった無足人のうち、さらに選ばれた者が、藤堂家の隠密とされることを。そこで内々特殊技能を錬磨《れんま》させられることを。
それは藤堂藩の秘事であった。いまの老公は二代目で、初代は有名な高虎《たかとら》だが、さすがに戦国を生き抜いて、三十数万石をしかと手中につかんだ高虎は、伊賀が忍びの者の名産地である伝統を忘れてはいなかったのである。
ただしかし、いまいったように松尾甚七郎などはこんなことは知らないはずだし、まして自分が隠密などとは知らないはずだ、と風忍斎は思った。彼もまた無足人出身の男にちがいなかったが、これは特に指名されて津へ召出された人間ではなく、その選に当った或る無足人にくっついてゆき、そのうち藩の大目付の河島仲之丞に、かえって彼の方が目をつけられてその職を与えられたものであったからだ。それは伊賀にいたころから一匹の猿を飼っていて、それを自分の分身のごとく使うという特技を知られたからであった。
大目付に呼ばれたとき、彼と並んで坐っていたのは、いうまでもなくこの猿であった。
それはともかく、問題の平井歩左衛門だが。――
彼は上野に来ると、そのまま松尾家に逗留《とうりゆう》してしまった。むろん、峠が初対面のはずだが、年のころもほぼ似ているし、どうやらおたがいに肝胆《かんたん》相照らすところがあったらしい。
甚七郎は何もこちらのことを知っているわけではないと思うけれど、大目付からの下知を受けていることであるし、何を二人がしゃべるのか心配で、風忍斎はなんどかそこへ顔を出した。
松尾家では、ほかの同好の士を集めて、いついっても連句《れんく》の会をひらいていた。
風忍斎は、いつのまにかこの松尾甚七郎が大変な俳諧《はいかい》の趣味を持つようになり、かつ周囲からその道の偉才として敬重されていることを知ったが、さてその席に出てもさっぱりわからない。
もっとも、はじめから彼を相手にする者もない。風忍斎はただニタニタして猿の頭をなでているばかりであった。久しぶりにふるさとに帰った同じ無足人としてそこに姿をあらわすことを、ことさら妙に思う者もなかった。
ただ歩左衛門も、はじめいっとき発句《ほつく》を面白がったようだが、そのうち、
「どうも私はこの方の才能はないようだ」
と、いって、あくびをするようになった。
或るとき、甚七郎に歩左衛門はいったことがある。
「それにこの俳諧というものがこう平俗な洒落《しやれ》や滑稽に終始していてはどうにもしようがない。これは芸術ではない。ただ芸術になり得る文学の一つだとは思いますが、そのためには大天才の出現が必要でしょうな」
甚七郎は眼を大きく見ひらいた。
「そこまでおっしゃるあなたはただのお人ではない。あなたがそうして下すったらどうです」
「いやいや、いま申したように、私はこの方の天分はないどころか、存外私は俗談平語が好きな方でもありましてね」
彼は笑ってから、例の重たげなまぶたの下で、夢みるようなまなざしをした。
「もし私が何かをやるとするなら、この分野ではない。……その反対の分野ですな」
「反対の分野とは?」
「それが私にも、どんな世界かよくわからないのですが、実は松尾どの、私は人生を――うつし世は夢、夜の夢こそまこと――と思っているのですが、この心をうまく現わした発句は出来ませんか?」
「それは面白い。私も同じ心です。しかし」
甚七郎はしばらく考えて、歩左衛門を見て吐息をついた。
「言われて見ると、なるほど、その夜に見る夢が、私とあなたとではだいぶちがうようですな」
そういいながら、二人の話題が妙に共通する場合もあった。それは「衆道《しゆどう》」の話だ。それとなく聞いていて、風忍斎はびっくりした。両人ともこの道に恐ろしく蘊蓄《うんちく》があるのも意外であったが、またそれを語る二人が――一方は見るからにおだやかでやさしい甚七郎で、一方は禿《は》げ頭の茫洋《ぼうよう》とした歩左衛門なのに――眼に異様なひかりさえたたえているのにも驚いた。
人間とは、実にわからぬものだ。
と、あまりそういうたちの感慨を持ったことのない風忍斎が、眼をぱちくりさせたくらいである。
わからないといえば、しかし探索の目的物、平井歩左衛門がいちばんわからない。その人間もさることながら、いったい彼がなぜいつまでもこの松尾家に滞在しているのかわからない。いまもいったように、ここで俳諧の席が開かれると、彼は頭巾《ずきん》をかぶってぶらりと外へ出かけてしまうことが多いからである。そして、上野の町を、ぶらぶら歩く。では上野の城や地形などをよく観察しているかというと、例の眠そうな眼をして、しかもどう見てもほかのことを考えているような表情で歩いている。そもそも、なぜこの町へ来たのかもわからない。
或るとき、甚七郎がほかの客に話していた。――
「平井どのは、なにかわからない、ぼやっとして、人間ばなれをしているようで、実は人間ばなれなど少しもしていないおひとですな」
甚七郎にもよくわからないらしいのである。しかし風忍斎は、この批評には同感であった。歩左衛門はたしかに人間ばなれなど少しもしていないのである。
俳諧の席が開かれた日が雨の日などだと、歩左衛門はよく台所へ来て、猿に餌《えさ》をやっている風忍斎のところへやって来て、あぐらをかいてゆったりと話し込んだ。
風忍斎の猿の陰茎に赤い糸が結んであるのを不思議がるのは誰も同じで、歩左衛門も聞いた。
「これはどういうまじないだ」
「なに、いたずらをしないまじないで」
と、風忍斎は誰にも答えるように答えた。
歩左衛門はほかの人間と同様にそれ以上疑わなかったが、ただその猿の名を「うつろ」と名づけたことには、ほかの人間とちがってばかに感心したようであった。
もっとも、歩左衛門が猿のことについて質問するのは、ここに来てはじめてのことではなかった。志摩への旅の途上、ゆきずりの旅人と猿廻し、としか見えない道草話でも、彼は猿の生態について尋《たず》ねた。そればかりでなく、風忍斎の一寸法師としての生態についても。
それが、余人にはちょっと口には出来かねる性的なことに関しても、つけつけと平気で聞いた。いや、その点については、しつこいまでに尋ねた。風忍斎はニタニタ笑っただけでごまかしたが、実はちっとも不愉快ではなかった。ふつう彼は、こういう質問には激怒するのだが、この人物には不思議と腹が立たない。
奇妙な人徳を持っている男だ、とは、そのときから感じていたが、この伊賀へ来て、つき合っているうち、風忍斎はいよいよその感を深くした。――あまり普通の人間を好きになれない彼が、だんだんこの人物を好きになって来たのである。
それでは大目付の下知《げじ》に対して、まったく安心した返答をしていいかというと――やはり、どうにも妖《あや》しいところがある。
「無足人」ということについては、松尾甚七郎の説明で興味が索然としたと見えて、もうあまり聞かなかったが、伊賀の特産忍びの者については、彼はしばしば聞く。
「いや、それは少し伝説過剰で」
と、甚七郎は答え、また風忍斎も同様の意味のことを答えてあしらったが、彼のそれについての興味は消えず、そればかりか何やら研究さえしているらしく、ときどき妙なことを披露《ひろう》してみなをびっくりさせた。
或るとき、古老の一人が、その昔、服部一族の使っていた符牒《ふちよう》だといって奇妙な文字を見せたことがある。それは「泊横錆……」など一見何のへんてつもないようで、よく見ると火水木金土の偏《へん》に、青黄赤白黒などの文字を加えた文字ばかりで、しかもこれがいろは四十八文字を示すというものであった。
「それは面白いな」
歩左衛門は豊かな頬をピクピクさせていたが、やがて懐中から一枚の銅銭をとり出した。そして、そのふちに指をかけてキリキリとまわすと、それは裏表パックリと二つに分れて、中の薄い空洞から一枚の紙片が出て来たのである。それをひらくと、中に細字の行列があった。
「陀、阿弥陀、南無、無陀、無弥、阿陀仏、南無仏。……」
銅銭のからくりにあっけにとられていた人々は、これにはさらに首をかしげた。歩左衛門はニコニコしていった。
「実は私もこういうことが好きでしてね。これは私の作った符牒ですが。……」
「いったい、何と書いてあるのでござる?」
「ふつうの文字に直せば、物いえば唇寒し秋の風、と相なります」
まったくただの人間ではない。これを見ていた風忍斎は、さっと蒼ざめたくらいである。卒然として、いつかこの男が、自分の猿を使うめくらまし[#「めくらまし」に傍点]を看破したことを思い出し、しばらく忘れていた大目付の「江戸の隠密かも知れぬ」という声が、さっと頭によみがえった。……
が、その疑いもいっときであった。
公儀隠密というのは、やはりおかしい。それなら、こんなことを得意そうにぬけぬけと披露して見せるはずがない。――というより、風忍斎はもうそのころには、すっかりこの変な人物にいかれてしまっていたのである。この人は、ただこういうからくり[#「からくり」に傍点]とかめくらまし[#「めくらまし」に傍点]のようなことに異常な興味を持つだけの人なのだ。――
いつか、歩左衛門がつぶやいたことがある。
「私はたいくつしているのです」
それは彼のいった言葉の中で、なぜかいちばん深く胸に刻まれた言葉であった。そうだ、この人の奇妙な性格や行状は、結局その告白でいちばんよく説明出来るものかも知れない。変な銅銭や符牒や、さらに伊賀へ来ての無意味と見えるぶらぶら歩きの意味も。
だんだん、風忍斎は歩左衛門に感化されて、たいくつして来た。何しろ秋から翌年の春までの長逗留である。
ところが、春になって、無為なる探偵風忍斎のたいくつをいっぺんにかき消すようなことが起った。
正確にいえば、その年があけて間もなくからのことだが、そのころから松尾家の俳諧の座に、変った姿が見えるようになった。お寿《ひさ》、お貞《てい》という二人の姉妹である。上野の町で臙脂屋《えんじや》という押絵《おしえ》を売る店の娘だということであった。
若い娘で俳諧をやるのは珍しい。いったい連句の座に加われるのか聞いて見ると、思いのほかにいい才能を持っているらしい。――歩左衛門などはいった。
「どちらも素直だから、ほかの妙な語呂合せなどに腐心している連中よりはるかに上等のようだ」
しかし、風忍斎にとっては俳諧などどうでもよく、二人の娘を盗み見るのが何よりの愉《たの》しみであった。姉のお寿はやや勝気で華麗であり、妹のお貞はやさしくて繊美であった。――そして風忍斎は、この妹の方によく眼を吸わせた。そんなたおやかな美女が、一寸法師の彼の好みなのであった。
しかも、しばらくして、盗み見どころではない事態が発生したのである。
二月になって間もない或る日、歩左衛門が二枚の押絵を持って来た。
「あの臙脂屋の姉妹がな、もし気にいったらどちらでもよいからこの家のどこかに飾ってくれといって、これを持参したのだが――甚七郎はしばらく眺《なが》めていて、せっかくだがこの家には合わぬといって返そうとした。そこで私がもらって来たが、一枚をおまえにやろうと思う」
風忍斎はその二枚の押絵に見いった。
どちらもほとんど同じ絵だ。――どこかの御殿の青畳と格天井《ごうてんじよう》がはるか向うまでつづいている背景に、一人の娘が浮き出していた。その人物だけが押絵細工で出来ているのである。十七、八の水のたれるような町娘がなんともいえない嬌《きよう》 羞《しゆう》を含んでこちらを見つめている押絵であった。
「こちらがお寿《ひさ》……こちらがお貞。二人でそれぞれ作ったものだそうだが」
と歩左衛門は指さした。そういわれて見ると、ほとんど同じ構図に顔だけがちがい、あきらかに歩左衛門のいう通り、それぞれ二人の娘に似ていた。
「おまえは、お貞が好きだろうが」
例によって歩左衛門はけろりといった。風忍斎はぎょっとなり、それを隠そうとしたが、顔がみるみる赤いのを通り越して紫色になった。
「わしはお寿の方が好きだ」
そして彼はぼやっと笑った。
「ただしかし、あきらめた方がいい。あの二人は甚七郎どのに惚《ほ》れておる。……この押絵を持って来たのは、どっちか選べという謎《なぞ》かけじゃ。甚七郎どのがそれを断わったのは、女があまり好きでないせいか、それとも二人を選びかねたか、どっちにしても、もったいないようじゃが、わからぬでもない」
ちょっと考えてから、またいった。
「おまえはこびとで私は禿げ頭。……ま、実物よりも押絵をもらってがまんするよりほかはあるまい。しかし、ほんとうは、女の実物などより、この方がずっといいのだぞ」
そして彼はお貞の押絵を風忍斎にくれて、自分はお寿の押絵をかかえていってしまった。
松尾甚七郎の無情あるいは有情の仕打ちの心はまあそれでわかったとして、歩左衛門が風忍斎にそんなものをくれた心境については、風忍斎にもさっぱりわからない。わからないが――彼がそれ以来、歩左衛門にいっそう頭が上らなくなったのは事実である。
ところが、この風忍斎がいちどだけ歩左衛門にかみついたことがある。
春になって、やはり押絵の姉妹も来て俳諧の会の開かれている雨の日のことであったが、例によって台所へ来て、猿と風忍斎を相手にしていた歩左衛門が、何かのはずみで――風忍斎が立ったすきに、何気なく「うつろ」の陰茎に結んであった赤い糸を解きかけたのである。
「何さらすっ」
気がついて、風忍斎は飛んで来た。糸を解こうとしていた歩左衛門は細い眼をまろくして、
「悪かったか。……いや、悪かった。しかし、これを解いたら、なぜ――?」
と、いっただけで口をつぐんだ。あわててうつろを抱きあげた風忍斎の、ふいごみたいなあえぎをもらしている真っ赤な唇は耳まで裂けて、その醜悪にして凄《すさま》じい形相は、あまり物に動じそうもない歩左衛門をも恐怖させるのに充分であった。
こんなことがあってから十日ばかりたって、平井歩左衛門はやっと松尾家に鄭重《ていちよう》な別れを告げて、伊賀を出て、津へ帰った。
そして、津城のうす闇の中で、猿の風忍斎は、恐縮したような声で、大目付の河島仲之丞に報告した。
「半年以上も監視して、かような返答をするのもいかがと存じまするが、かの平井歩左衛門どの、いろいろ奇妙な行状はありますが、常識的に考えれば考えるほど、なぜ伊賀へいったのか、志摩へいったのと同様に全く不可解。……すべてたいくつ病より発生したもの、と見るよりほかはござりませぬ」
大目付はなおその状況を聞き糺《ただ》した上で、さてあいまいな声でいった。
「風忍斎、この探索で何ぞ得るところがあれば、いつものように、うつろに例の褒美《ほうび》をやろうと思うたが……さて、今回は、どうしよう喃《のう》?」
「滅相な!」
と、風忍斎は答えた。
「結構でござりまする。かように気の抜けた報告では――やむを得ぬとは申せ――御褒美などいただく資格はござりませぬ。その御心配は、ひらに、ひらに」
その声までが気の抜けたような――あるいは、うっとりとしたようなひびきを帯びているのに、大目付はふと首をかしげてうす闇をのぞきこんだ。
二つ並んだ影のうち、一つが低いうなり声をあげようとするのを、もう一つがしっかりと押えている気配であった。
「まあ、暗い」
一歩入って、おらんの方《かた》はさけんだ。
「歩左衛門、どこにいるのですか?」
蔵の隅の方で、ごそごそと物音がしたかと思うと、そこでカチリと火打石の鳴る音が聞えた。
「……あ!」
と、おらんの方はまた声をあげた。
そのとたん、まわりの壁に――一面に三ヵ所ずつとりつけられた燭台に、いっせいに大|蝋燭《ろうそく》が燃えあがり出したのだが、どういうしかけでそうなったのか、それに驚くより彼女は魂を奪われた。その四面の壁が真っ赤であったからだ。いちめん、真紅の布で貼《は》りつめられていたからだ。
「おいでなされ」
のっそりと隅の方から歩左衛門が立って来た。わが弟ながら――赤い光につつまれた、その毛のない頭は魔の章魚《たこ》のように、また仮面のようにぶきみなものに見えて、なおおらんの方は声も出ず、息をのんでいた。
「伊賀から帰って、御|挨拶《あいさつ》をと思いながら、……お城へ参るのが何やら億劫《おつくう》で、つい一ト月」
頭を下げたが、歩左衛門はどことなく不|機嫌《きげん》であった。城からお忍びながら主君の御愛妾の姉上さまがおいでになって、せっかちに弟に逢いたいというので、少年の召使いがやむなく案内したものだろうが、ふだんなら誰もいれない蔵の中だ。もっとも、入って来たのはさすがに彼女一人であったけれど。――
「ま、お坐りなさい」
指さされたところに椅子《いす》がある。――
椅子、などいうものをおらんの方はいままでに見たこともなく、しかもそれは蒲団《ふとん》を折りたたんで組合わせたような分厚いものであったが、とにかく坐る道具らしいということはわかって、彼女はふらふらとそれに坐った。
歩左衛門の方は、これはずっと離れた隅の椅子に腰を下ろした。――とにかく、おらんの方は口を切った。
「どういうわけでこんなに赤い布を貼りめぐらしたの? まあ、天井から床まで――なぜ、こんな気味の悪い赤い部屋を作ったの?」
「いや、べつに大した意味もないのですが、ただこうして坐っていると、いろいろと空想をそそりますのでね」
「どんな空想?」
歩左衛門はニヤニヤしただけであった。答えられなかったのかも知れないが、この姉に対していつまでも仏頂面でもいられないと思い直したようだ。
それを、これまでの体験から、弟に馬鹿にされたように感じ、おらんの方はしゃべり出した。
「まあ、いったいおまえはどういうつもりなんだろう。伊豆にいたころから、兄上はもとよりわたしまで働いているというのに、おまえはただひとり草原《くさはら》に寝ころんで海を眺《なが》めていたり、家でぼんやりしたりしていて、ちっとも働こうとはしない。叱《しか》ればどこかにいなくなる。探すと、押入れの中に寝ていたりする。それが、子供のころじゃないんですよ、二十歳《はたち》過ぎてからのことですよ。……だから、わたしがこういうことになったのをよい機会に、この津へつれて来て、せめて武士の世界に入れてやれば少しはしゃんとするかと思ったら、鍼《はり》の修業もやめて、相変らず同じこと。……せっかく蔵つきのこんな屋敷まで頂戴しながら、おまえはそれをかえっていいことにして、のらくらしている。しかも、美しい若衆ばかりを何人も召使いにして……まあ、いったいおまえは、どういうつもりなんだろう」
「どういうつもりなのですかな、実は私にもわからない」
歩左衛門は哀愁を帯びた顔でいった。姉はいきり立った。
「まだ、そんなことを! それにまたあちこちぶらぶら歩きまわって……そんな噂《うわさ》を聞いても、わたしはまたおまえの例の放浪癖が出ただけだと思っていたけれど、このごろふと聞いたところでは……まあ恐ろしい、おまえを江戸からの隠密ではないかと疑う向きもあるそうだよ。――」
「私が隠密?」
彼は瞼《まぶた》をしばたたいた。
「ははあ、やはり、あれがそうか。なるほど」
「何かおまえも思いあたることがおありか」
「いや。……隠密、ねえ。やれたら、やりたいような気もする仕事だが、やはり私にはやれますまいな。私はただ頭の中で考えているだけで。――それにしても、大名の妾の弟が公儀隠密だとは……そんなことを考えたやつの方が、相当な頭ですな」
「いったいおまえは、半年以上も伊賀へいって、何をしていたのです」
「や、伊賀といえば、あそこでもらって来た面白いものがある。姉上、一つ御覧下さい」
と、ふいに面白そうに歩左衛門がいった。そして、自分のそばの壁にかけてある赤い布をとった。するとそこに、小さいお皿ほどの大きさで、ぼうっと何やらひかるものが現われた。
「何よ?」
「まあ、見て下さい。……蝋燭を消しますよ。――」
カチリという音とともに、赤い土蔵の中はまた真っ暗になった。いつのまにか、彼女は手をとられている。弟に導かれてそこへひっぱってゆかれながら、さっき弟がひとりで何かやっていたのはおそらくそれにちがいない、と思い、おらんの方はそれまでの怒りは怒りとして、さすがに好奇心に打たれて、その皿――ギヤマンに眼をあてた。
「……おう!」
と、彼女はさけんだ。
のぞいた世界は明るかった。太陽の光ではなく、たしかに赤ちゃけた蝋燭の光であったが、それがどこからさして来るのかわからない。そんなことより、彼女はその中の世界に眼を吸われてしまった。
おらんの方はそこに――青畳と格天井のつづく大書院の中に坐っている美しい娘を見出したのであったが、それはふつうの人間と同じ大きさで、しかも乳のふくらみといい、腿《もも》のあたりのなまめかしい曲線といい、チラと見える肌《はだ》の色、指に生えている貝殻《かいがら》のような爪といい、まったく生きているとしか見えず――われ知らず、
「あれはだれ? あれは、だれ?」
と、さけび出したほどであった。
「あれは伊賀からもらって来た押絵ですよ」
声とともに、その世界が消え、代りに土蔵の壁の蝋燭がまためらめらと燃え出した。茫然たる姉の手をとって、歩左衛門はまたもとの椅子に坐らせた。
ややあって、おらんの方は溜息をついていった。
「では、やはり伊賀は忍びの術とやら幻術とやらの――」
ニタニタと笑っている歩左衛門を見ると、おらんの方はしかしこの弟が、浮世の稼ぎには恐ろしく怠惰《たいだ》なくせに、いろいろからくりを作ることにはばかに熱心なたちであったことを思い出した。それで気がついて見まわすと、四方の壁の下には、大きな人形やら衣裳やら青銅の鏡やら妙なかたちをした甕《かめ》やらが、古道具屋ほどぶら下げられたり並んだりしている。
「おまえの作ったからくりですね?」
おらんの方はいった。
「ほんとにおかしな男。――でも、こんなからくりを作って何になるのです? 何の役にたつのです?」
「大悪事を」
と、歩左衛門はいった。
「えっ」
「私は、この世のだれもが考えつかないほどの悪事をやってのけたくてうずうずしているのです。私の智慧《ちえ》やこれらのからくりを使ってね」
歩左衛門はつぶやいた。声はうっとりとしているのに、陰翳《いんえい》の加減で、そのあごがガクガク動くのが、まるでそれもからくりのように見えた。
「ど、どんな悪事を?」
「さあ、それが自分でもわからない。……うふ、大まじめな顔をなさって、私の考えていることはただの空想ですよ。心だけの悪人志願ですよ。実際には、こういうことをして蔵の中で愉《たの》しんでいるだけですから心配しないで下さい」
歩左衛門としては、姉の叱言をかわしたい一念でついからくりを見せ、そのあとで要らぬことをしたと悔《く》い、もうこうなったら、おどし半分からかい半分で煙《けむ》に巻いて追っ払うよりほかはないと考えて――実はいま口にしたことは決して心にもないことでもなかったが――そういう応対をして見せたのだが、姉が椅子に深ぶかと身を沈めたまま、変にひかる眼で自分を凝視しているのを見て、これはいけない、とあわて、さらに姉がまったく別のことを考えているらしいのに気がついて、はてな、と首をかしげた。
おそらくそれは「赤い部屋」の魔術だったのであろう。彼女は弟を叱《しか》りに来た。そして、いま冗談にせよ、大悪事をしたいという告白を聞いて――冗談だと確信する一方、この弟には案外本心とも思われるえたいの知れないところもあった――いよいよ立腹して然るべきであったろう。それなのに彼女が、しばしののち途方もないことをいい出したのは、この血のように真っ赤な光の醸《かも》し出した妖気のせいであったにちがいない。
「歩左衛門、わたしに智慧をかしておくれではないか」
と、おらんの方はあえぐように口を切った。
「へえ? 私が姉上に、どんな智慧を? 姉上は、私などよりずっとお賢《かしこ》いのに。――」
「私にはお子が宿りました」
「ひえっ」
珍しく歩左衛門は奇声を発した。姉は妊娠したといったようだが、まさか?
反射的にその腹部に眼をやったが、もともと豊満なたちなので、よくわからない。
「あの、殿さまが? あの、たしかことし六十五歳になるお殿さまが?」
「そうなのです」
と、おらんの方《かた》はうなずいた。
歩左衛門は、主君の高次公の牡丹餅《ぼたもち》を踏みつけたような、しかし年に似合わぬ血色のいい、つやつやした顔と、「なるほどなるほど」と尻上りにいう口癖――もっとも彼はめったにその高次公にお逢いしたことはないが――を頭にえがいて、いや、あの殿様ならあり得ないことでもない、と、めんくらいつつも納得した。
「生まれて来る子を不倖《ふしあわ》せにはしたくない」
と、姉はいった。歩左衛門はけげんな表情をした。
「姉上のお生みになる子が――三十二万石の藤堂家のお子さまが不倖せになるわけはないでしょう。それはめでたい。姉上、おめでとう」
「それが、そうともいえないのです。いろいろ先のことを考えると。――」
と、おらんの方は憂わしげにつぶやいた。
「兄上さまが四人もいられます」
「それは、いたしかたない。姉上が殿様につかまったのが最近のことだから」
「その方々が安心出来るお方だといいけれど――御世子の和泉守高久さまは江戸におわすけれどおからだがお弱いほうだと聞くし、それはいいとして、あとこの津にいらっしゃる方々は――御次男|佐渡守高通《さどのかみたかみち》さまはやや度の過ぎた女好き、御三男の図書高堅《ずしよたかかた》さまは御脳がお弱く、そして御四男の学助基精《がくすけもときよ》さまは少々狂気じみておわす。――」
「へへえ、藤堂家には四人も立派な若殿がおられるから安心だと聞いておりましたが――ほんとうはそんなことですか」
「こういう兄上方の下に生まれた子が、倖せであるはずがないような気がするのです。……」
「しかし、大殿がおわす。大殿は姉上を何より御|寵愛《ちようあい》になっているのではありませんか」
「その大殿は、何と申しても六十五というお年です。しかも、このごろは――わたしをお知りなされてから、若い女の味はだいぶ長い間忘れておったが、やはり悪うはないな、と仰せられて、まるで焼けぼっくいに火のついたように、あとからあとから若いお妾をお召し出しになることは、おまえも知っているでしょう」
おらんの方はにがい笑いを浮かべた。
「殿さまはこのごろ……人間は一生に二度妻帯すべきじゃ、若いころは姉さま女房をもらって手ほどきを受け、かつその女房を働かせ、のちに男の働きに余裕が出来ると、こんどは初々しい若い処女をたっぷりと味わう――これは大名のみならず、家臣どもにも是非勧めたいと仰せられ、歩左衛門、火をつけたのはわたしかも知れないけれど、このごろは、夜々召されるのはわたしよりもっと若い、もっと美しいお妾さまばかり。……わたしとて、先はどうなるか、いえ、このままならば先は見えておる、と申してもよい」
彼女はきっとした。
「その運命からのがれ、わたしとわたしの子を安泰にするのには、生まれて来る子を藤堂家の御世子にするよりほかはない」
「御世子?」
歩左衛門はどぎまぎとまた姉の腹に眼をやっていった。
「生まれて来るお子が、男の子とはきまっておりますまい」
「いえ、わたしは男の子を生む」
断乎として姉はいった。
「俗に、女の強い場合は、男の子が生まれるというではないかえ?」
そんな俗説はともかく、この姉が男の子を生むといった以上、まちがいなく男の子が生まれるような気が歩左衛門もした。
さて、しかし、いま姉は恐ろしいことをいった。姉の生む子が御世子というと。――
「四人の兄君さまがたは、どうなるので?」
「そこでおまえの知慧をかりたいというのじゃ」
真紅の光の中に、おらんの眼はぎらぎらと燃えている。その眼も、蝋燭《ろうそく》の一つのようであった。見つめられて歩左衛門は――この茫洋たる男が、ガタガタとふるえ出した。こんどは彼から見る姉こそが女怪であった。
「姉上」
彼は悲鳴に近い声をあげた。
「私は、ただ、先刻も申した通り、空想上の犯罪者で。……」
そのとき、頭上の鈴がリーンと鳴ったので――それが蔵の外から紐《ひも》をひいて鳴らす合図であることは知っているのに――歩左衛門は飛び上った。
「しばらくお待ち下されよ」
歩左衛門はささやくような声でいって、土蔵の外へ出ていった。美少年の召使いが、奇妙な訪問者の来訪を告げた。玄関に出て見ると、猿の風忍斎が立っていた。
「ちょっと御注進」
と、風忍斎は嗄《か》れた声でいった。彼は歩左衛門より蒼い顔をしていた。
「伊賀上野の松尾甚七郎が逐電《ちくてん》いたしたことを御存知ですかな」
「それはまことか。――いや、知らぬ」
「三日前のことだそうで、ただあとに、雲とへだつ友かや雁の生きわかれ、と書き残してあったそうで。――どうやら江戸へいったらしいとのことですが、その仔細《しさい》は知れず――何事が起ったのか、あのへんてつもない家や、あのおだやかな人に――」
「いや、わかる」
「何が?」
「あの仁《じん》が、家を捨てられた理由が」
「では御存知ですかな。きょう聞いたところによると、あの押絵師の姉妹がこの津のお城へ召し出されることになったということを」
「えっ」
「姉は大殿さまへ、妹は佐渡守|高通《たかみち》さまのもとへ」
風忍斎ののど[#「のど」に傍点]はぜいぜいと鳴った。
「あの仁、もったいぶっておるうちにまんまとよそから釣《つ》りあげられ、地団駄踏んで江戸へ――」
その眼が、さっきの姉の眼に似ている――と思いながら、歩左衛門は首をふった。
「いや、甚七郎どのの出奔《しゆつぽん》は、そんなことが理由ではないだろう」
「それじゃあ、何で?」
「前からうすうす感じておった。ものしずかに見えて、きっと思い切ったことをやりそうな人だと。――要するに、人間、一筋のいのちを懸《か》けるところ、生まれて来た甲斐《かい》のあることをやるためには、ふっと思い切らねばならぬことがあるということだ。私とあの人は、めざすところが正反対だが。――」
狐《きつね》につままれた猿みたいな顔をしている風忍斎に、
「ちょっとここで待て」
と、いい残し、歩左衛門はスタスタとひき返していった。
土蔵に帰ると、歩左衛門は棚の上の一つの手文庫から分厚い書き物をとり出した。そして、沈黙したまま、じいっと彼の動作を眼で追っている姉の前に立った。
「先刻の話ですがね。あれを考えてもいいという気持になりました。――お話の通りだと、藤堂家のお子さまがた、あとをおつぎになればどうもお家のためによろしくない、ということにもなりますしね。ただし、私はやはり智慧のほかは、生身《なまみ》でお手伝いするのはまだ気が進みませんな。だいいち、さっきの姉上のお話では、私は藩の隠密に眼をつけられているということだ。うふ。……だから、私の代りに姉上にお手伝いするやつを御紹介しましょう。――ところで」
と、彼はいって、手にした書き物をさし出した。その上書きには「卍《まんじ》の悲草紙《ひぞうし》」としるしてあった。
「私の智慧はこれです。これはいつぞや、つれづれなるままに私が書いたもので、これをお読みになれば何かの御参考になると思います」
「……卍の悲草紙って、何のこと?」
「要するに、人をうまく片づける四つの法を、へたな絵空ごとの物語に書いたものです。……しかし、その前に」
彼はふと迷ったように見えた。
「姉上はさっき、殿の御寵愛が衰えた、とおっしゃったようですが。……」
と、つぶやいて、姉をしげしげと眺めていて、ふいにぼんやりと笑った。
「姉上、いま姉上の坐っておられるその椅子を、ただの椅子と思われますか?」
おらんの方《かた》はけげんな顔をした。
「人肌がしませんか? だれかがその椅子の中に入っていて、あなたをうしろからじっと抱いているような気がしませんか?」
おらんの方は飛び上った。
「だ、だれかいるの、こ、この変な――」
「私の使っている少年の一人が」
「――ま! おまえは、黙って――」
「というのは、実は嘘《うそ》ですがね」
歩左衛門は手をふった。
「それも頭の中で考えただけのことですよ。しかし、この着想はわれながら面白い。――というより、いきなり卍の悲草紙を実行に移すのはいくら私でも少々こわい。私はこれで、存外常識的なところもありましてね」
彼は身ぶるいした。
「それより――姉上、もし殿の御寵愛が衰えたとおっしゃるのがほんとうなら、ひとまずこの着想を生かして御寵愛を回復されるべくもうひとふんばりなされたらいかがです。一応、その手を打って見るのが先だと思う」
「この着想を生かすって?」
「厚い蒲団《ふとん》を作って、ですな。その中に姉上が寝られる。ただ必要な個所だけ穴をあけて。――その上に、殿様に寝ていただくのです。これなら顔に自信のない姉上でも、若い美しいほかの方と変るところはないでしょう。まずこの手を打って、さてそれからのことです」
おらんの方《かた》は弟を恐怖の眼で見つめた。何やらこんこんと溢《あふ》れているように見える――また、憑《つ》かれたようにも見える歩左衛門であった。
彼はぶつぶつとつぶやいた。
「夜の夢こそまこと。……その卍の悲草紙も私の夜の夢だが、それがうつし世でうまくゆくなら、もう一つ、それこそ私の大いなる夜の夢をうつし世に実現出来るかも知れない。……」
それから、われに返ったように、
「いま、お手伝いするやつを推薦すると申しましたが、それを紹介しておきましょう」
といって、紐《ひも》をひっぱって、逆に蔵の外の鈴を鳴らし、顔をのぞかせた召使いに、「玄関で待っている一寸法師どのをつれて来い」と命じた。
まもなく、猿を背負った風忍斎が、いよいよ狐につままれたような表情で入って来た。真紅の光の中にぬれて立つおらんの方を見て、はっとして立ちすくむ。
「おい、おれ用の隠密」
と、歩左衛門は呼びかけた。風忍斎はぎょっとして眼をむき出した。歩左衛門はいった。
「――では、今はないと認める。それで改めておまえの心境を聞きたい。私は畸型《きけい》の心理にはなかなか理解があるつもりだ」
歩左衛門が姉に教えた最後のだめおしの一手――主君大学頭高次公のおらんの方への寵愛をとり戻すというアイデアは、結論からいえばうまくゆかなかった。
おらんの方《かた》は、厚い特別の夜具を作らせて、その内部の綿の中に横たわり、布をへだててその上に高次公を寝させるという珍案を実行して見たのである。ただ口と女陰の部分だけに穴をあけて。――
まさに滑稽《こつけい》きわまる珍案としか思われないが、それが案外そうでもなかった。真っ白な布の中に、赤い花と黒い花だけが咲いたようなその眺めは、実に異様なものであって、少々くたびれ加減であった高次公も、一目見るなり、
「なるほどなるほど」
と、牡丹餅《ぼたもち》のような相好《そうごう》を崩して恐悦《きようえつ》した。
「これなら顔に自信のない姉上でも」云々と歩左衛門はひどいことをいったけれど、そんなことはぬきにして、これはこれで強烈に刺戟的だ。しかもおらんの方は、唇だけは肉感的な唇を持ち、もう一方のほうだって、これはよくわからないけれど、べつに若い女にくらべて自信のないわけでもなかったのである。その上、顔の自信如何の問題より、だれにしても布をへだてて顔をかくすということは、人間の抑制心を溶かすという意味で――特に、賢い彼女などはどうしても理性の化粧を落すことが出来なかったが――恐ろしいききめがあった。
彼女は、どんなに恥知らずに、犬みたいに舌を出そうと、粘膜をピクつかして見せようと平気なのである。そして、女の顔が見えないということは、高次公のような殿様でも――彼にしても年齢から来る劣等感はむろんまぬがれなかったし――やはり羞恥《しゆうち》心からの魔術のような解放を感じないわけにはゆかないのである。彼は満悦し、大悦した。
「なるほどなるほど」
さて、しばらくの間は、それでよかったのだが。――
そのうちに大学頭高次公は、この素敵に刺戟的なやりかたを、ほかの妾に試みはじめたのだ。どうせやるなら、いくら布越しでも、もっと若くて美しい女の方が、やっぱり愉しいだろうと考えるのは自然のなりゆきで、しかも高次公はいよいよ盛大に、畳四帖半分くらいの大蒲団を作らせ、その中に七人も八人もの女を入れ、いたるところの穴から女の口と女陰をのぞかせ、欲するままにこれと狂い戯れるという奮闘ぶりを示し出したのであった。――彼はいった。
「なるほどなるほど、この法を以てするなら、人生三度妻帯説を唱えてもよいかも知れぬ。……」
それから、またつぶやいた。
「またこれは、人間の条件反射が最も純粋なかたちで研究出来るかも知れぬぞ。……」
――万事休す。
かくて「卍の悲草紙」から平井歩左衛門の「夜の夢」がながれ出した。――彼を呼んだのはおらんの方であったが、助手があった。
風忍斎である。そのころから彼は、津城の「奥」――江戸城なら大奥にあたる――の天井裏をさまよっていた。
彼は高次公の「人間蒲団」を見た。あの中に、伊賀の上野の押絵師の娘お寿《ひさ》が入っているはずだと思った。穴の中から高次公を慰めたてまつるもの[#「もの」に傍点]のどれがお寿かわからなかったが、その中に混っているのにまちがいはなかった。どの穴も、つつしむところなく、老公を慰めたてまつった。あの華麗だが、素直な押絵師の娘が。――
それからまた彼は、同じ城の中に住んでいる三人の子息たちのそれぞれの「奥」の天井裏をさまよった。そして、見た。次男の高通に蹂躪《じゆうりん》されるもう一人の押絵師の娘お貞の姿を。
次男の佐渡守高通は、肉体と容貌だけは戦国の勇将であった祖父高虎公にいちばんよく似ていたが、やや度を越した好色家で、女を愛する法もいささか獣的であった。父が、上野の美しい押絵師の姉妹を愛妾として召し出すと聞いて、せめてその妹の方はおれによこせと要求して、ついに手に入れたのだが。――
ほとんど一ヵ月で、彼はこのお貞を別の人間に変えてしまった。一見蹂躪されているように見えて、この連句の席につらなる感性を持つたおやかな娘が、実は色餓鬼高通に獣の雄たけびのごとき悲鳴をあげさせているのを風忍斎は見た。
彼の眼は天井裏の闇の中で血色《ちいろ》にひかった。
ところで彼は、童貞なのである。
童貞の彼がはじめて一人の女に惚《ほ》れたのである。そのお貞という女に。――最初から好ましいと見てはいたが、耐えがたい恋情にとらえられたのは、歩左衛門からもらったお貞の押絵を夜々抱いて寝はじめてからであった。彼女は彼にとっての天女となった。彼はいくどかその押絵の中に入ってしまう夢を見た。
恋する一寸法師は、闇の中で涙をながした。いちどなど、その涙が、のぞいている天井の節穴から、下で高通に抱かれたまま、うすく唇をあけて寝ているお貞の口へ落ちたくらいであった。
こういう行動をしているとき、彼はただ一人であった。猿のうつろはつれていなかった。
彼の肉体を動かしているのはおらんの方であったが、彼の魂をひきずりまわしているのは今や墜《お》ちたる天女であった。
しかし、異変が起ったのは、三男の図書高堅《ずしよたかかた》の方が先だ。
彼は相撲《すもう》とりのような大きな身体をしているくせに、ばかに犬などこわがる頭の弱いところがあって、よく津の城の「奥」などへふらふら入りこんで女たちを驚かせることがあったが、夏の或る夕方、女たちの衣裳や道具をいれてある蔵の長持の中でひとり死んでいるのが発見されたのである。
長持には金具の蝶《ちよう》 番《つがい》がついていて、一種の錠前になっていたが、それがかかっていた。この図書という若殿がその中に入り込んでいたのは、ふだんの行状からしてまったくあり得ないことでもなかったが、中に入ってから錠前を下ろすことは出来ないから、だれが外からかけたのだという騒ぎになった。が、だれも該当する者がなかった。いろいろの点から、図書がそこに入って死んだと思われる時刻、おらんの方をはじめほかの愛妾たち、女中たち、ことごとく七夕の祭りの支度で、そのころ蔵に近づいた者など一人もいなかったことが明らかになったからである。
屍体には傷もなく、毒をのまされた形跡もなかった。長持の内部にはめちゃくちゃに爪でかきむしった痕《あと》があったけれど。――結局彼は、女中でもおどしてやろうと思って一人でそこに入りこんだのだが、そのとき偶然蝶番の金具がおちて錠がかかったと同様の始末になり、ついに息がつまって死んだのであろうということになった。
ただ、そのひっかき傷の中に、よく注意する者があれば、サル、というたどたどしい文字が見えたはずなのだが。――
二番目に怪異が起ったのは、四男の学助|基精《もときよ》であった。
これにはあきらかに平井歩左衛門が関係がある。彼が妙な鏡を作っている――という話が学助の耳に入ったのは春の終りのころであったらしい。鏡といえばむろん白銅を主とした金属板を磨《みが》いたものだが、女の使う化粧鏡は大きくて直径一尺くらいのものがふつうであったのに、歩左衛門は三尺、四尺くらいのものを作りあげるという。実際におらんの方が使っているのを見せてもらって、学助はそれを執心した。そして、夏のころには、歩左衛門から大小十数枚を仕入れて、自分の寝室のいたるところにはめこんで喜んだ。むろん、女との痴態を見て、愉しむためだ。――現在の鏡とちがって鮮明を欠《か》くから、それはいっそう幻想的な眺めであったろう。
しかし、その秋のはじめのころ、この鏡で球体を作るに至った経過はよくわからない。もっとも正確な球体が作れるわけはなく、数十枚の鏡を細かく割って作った多面体だが、その中を中空にし、鏡の組合せの無数の隙間《すきま》から光を入れるようにして、その内部に入り込むという着想の出どころは――「おいたわしいが学助さま御自身らしい」とだれもがあとでいった。彼はもともと学問好きではあったが、一方では少々きちがいじみたところがあったし、事実彼自身そのころ鏡の魅力にとり憑《つ》かれ、そのさまざまな細工や、あるいは寝室の左右にそれをとりつけた場合の不可思議な影像の重なり合いについて、とくとくと人に語ったことがあったからである。
そして、秋の或る朝、学助基精はまっぱだかのまま、同じくまっぱだかの侍女と、子宮の双生児のごとくからみ合って、その準球体の鏡の中で、双方ともに発狂してゲタゲタ笑っているのが発見された。――たとえ不完全な球体であっても、無数の多面体といっていい鏡の内部が無限にうつり合う光景は、どれほど恐ろしいものであったろう。
三番目が、例の次男佐渡守高通であった。
やったのは、風忍斎だ。彼はおらんの方の指示に従って、晩秋の一夜、例の天井裏の穴から紐をたらし、それに毒液をつたわらせて、雷のごとき鼾声《いびき》をふいている高通の大きな口へ注ぎこんだのである。
――三男の図書高堅を長持に閉じこめて殺したのも彼であった。彼は猿のうつろで図書をおどし、恐怖させて、長持の中へ追い込んだのである。その行為は――主君のお子のお一人でもあり――彼としても恐ろしい、いとわしいことであったが、この佐渡守高通の殺害は待望のものであった。むしろこれをやらせてもらうために、図書《ずしよ》の殺害をひき受けたといっていいほどであった。
さて、ここで、これらの殺害方法を書いた原本の卍の悲草紙とはちがう事態が発生した。というのは、その書き物では、現場には殺される人間しかいないことになっており、風忍斎もそれを待っていたのだが、その夜高通とお貞とのあまりにも凄じい秘戯を見せつけられ、心狂ってやってしまったからだ。
当然、いっしょに寝ていたお貞が疑われ、つかまった。
彼女に斬首《ざんしゆ》の命令が下ったのはその冬のことであり、下したのは大目付河島仲之丞であった。
ところが、刑場に曳《ひ》かれてゆく彼女に異変が起った。突然、魔物のように襲って来た二匹の獣がそれを奪い去ったのだ。それは一人の一寸法師と一匹の猿であった。それが二人で――いや、一人と一匹で、彼女の頭と足をかついで、また魔のごとく去ったのだ。
あまり怪奇な椿事《ちんじ》なので、護送役人たちもうなされたように立ちすくんでいるばかりであった。
実はお貞の一件に関しては、平井歩左衛門は狼狽《ろうばい》していた。この春ごろから秋にかけて、彼はほとんど津におらず、志摩の方へ出かけていて、高通の横死のときさえいなかったので、そんなことからも来た手ちがいがあったのだ。
で、結果的に見ると風忍斎の発狂は、かえって彼にとっては好都合であったとはいえるのだが、しかし、それにしても。――
風忍斎は発狂した。実はそれ以前に、猿のうつろも発狂していた。
一寸法師は童貞であったが、猿は童貞ではなかった。隠密で何か使命を果したとき、大目付河島仲之丞が褒美として与えるのは、領内の若い女の死罪人であった。むろん、まだ生きているうちのことだが、それを猿のうつろに犯させるのだ。うつろが赤い糸を解いてもらうのはそのときであった。そして、その光景を観察するのが、風忍斎にとって何よりの褒美であったのだ。
彼は自分が一寸法師であるという自意識のために、女を犯すことが出来なかった。ただ彼の分身たるうつろが彼の代役を果した。うつろこそ、一寸法師のあらゆる怨恨《えんこん》、邪欲、淫夢《いんむ》、怨念《おんねん》の象徴であった。
そのうつろが、長らくその魔性を満足させることが許されないので、ついに精神異常を来した。ジキル風忍斎のお貞へのプラトニック・ラブが昂《たか》まれば昂まるほどハイドうつろの獣欲の苦悶も昂まって、ついにきちがい猿が出現したのだ。そして、うつろは――それまでそんなことは決してあり得なかったのに――自分で陰茎の赤い糸をひきちぎった。
しかし、お貞を奪うまでは、風忍斎はまだ完全に発狂したとはいえなかったかも知れない。が、そのうつろが、津の郊外の或る丘の上でお貞を犯し、犯し、犯し殺したのを見て、ついに発狂した。彼はうつろを絞《し》め殺し、犯された女の胴体から首を切り離した。首だけは繊美で、清麗であった。
急を聞いて駈けつけ、不安と恐怖にのぼせあがって一帯を探しまわっていた歩左衛門が、麓《ふもと》からその丘の上に異様なものを発見したのは、その夜寒月が上ってからであった。
何者であろう、丘の上で、子供のような人影が、月を背にして踊っていた。彼は西瓜《すいか》に似た丸いものを、提灯《ちようちん》のようにぶら下げて、踊り狂っていた。
一寸法師は、下げていた丸いものを、両手で彼の口のところへ持っていった。そして、地だんだを踏みながら、その西瓜のようなものに喰《く》いついた。彼は、それを離しては喰いつき、離しては喰いつき、さも愉しげに踊りつづけた。
水のような月光が、変化踊りの影法師を、真黒に浮き上がらせた。男の手にある丸い物から、そして彼自身の唇から、濃厚な、黒い液体が、ポトリポトリと垂れているのさえ、はっきりと見分けられた。
さすがの歩左衛門もあまりの恐ろしさに、そこに立ちすくんで、その不思議な黒影を見つめていたが、奇怪にもしだいにこの世のものならぬ幻想を見ているように感じられて来、その一寸法師も、あのうつろという猿も、何かの象徴のように思われて来た。
さて、卍の悲草紙の四人目だが。――
その翌年の春、江戸から世子の和泉守高久が帰国して来た。本来なら、父が国元にいる以上、そうたやすく世子の帰国は許されないのだが、相つぐ弟たちの怪死と、それに奥方が時の大老酒井|雅楽頭《うたのかみ》の女《むすめ》であるという特典でそれが出来たのである。
そして彼は、一ト月ほど前に誕生した小さな弟を見た。父の寵妾おらんの方が生んだ庄助高睦《しようすけたかちか》である。
高久自身にはまだ子がない始末であったから、彼は老父の偉大さにつくづく敬服しないわけにはゆかなかった。――ともあれ、それまでの藤堂家の悲劇は、これで一掃されたようであった。
春の一日、彼は、国元で正室となり、ひかりかがやくような存在となったおらんの方の弟、平井歩左衛門の屋敷を、儀礼上訪れた。そして、奇妙な椅子に坐らせられた。内部に数人の美少年が入った椅子に、である。
その異様なかたさと柔らかさの微妙な混合から成る椅子に坐っているうち、彼の心性に重大な変化が起った。もともと彼は身体が丈夫でなく、大老の女《むすめ》たる妻に身気《しんき》ともに圧倒されがちであったが、この日から美少年への愛好癖が、その椅子のようになまめかしく彼の肉体をしっかりとつかまえてしまったのだ。
彼は男色家になった。彼には生涯ついに子が生まれなかった。
「寛政|重《ちよう》 修《しゆう》諸家譜」は、藤堂高次の末子|高睦《たかちか》が寛文七年に生まれ、のちに――貞《じよう》 享《きよう》二年十月、子なき長兄高久の養子となって、藤堂家四代目をついだことを伝える。
同時に、この家譜は、高睦を生ませた寛文七年に父の高次は六十六歳という、子を生ませる父としては異常な年齢であったことも当然物語っている。
――さて、この悲喜あざなえる縄《なわ》のごとき藤堂家の運命と平井歩左衛門とを結びつけて、じっと眼を離さない人間がいた。大目付の河島仲之丞である。
藤堂家に悲劇が相ついだとき、歩左衛門はほとんど津にいないで志摩にいっていたことを仲之丞も知っていたが、それでも彼はこの人物に対して、奇妙な、深刻な疑惑を消すことが出来なかった。
そこでその春、ついに歩左衛門のあとを――猿の風忍斎がもうこの世にいないので――彼みずからが追って、沖の島へ忍び込んだ。
無人の島と思いこんでいた沖の島は、海から見れば以前の通りの直径二里足らずの饅頭《まんじゆう》を伏せたような島であることに変りはなかったが、舟で渡ってみて仲之丞は茫然《ぼうぜん》とした。そして忽然《こつぜん》としてこの地上に描き出された夢幻境の虜《とりこ》となってしまった。――それがどんなものであったかは、ここに語る余白がないので、諸君よ、請う、江戸川乱歩の名作「パノラマ島|奇譚《きたん》」を読まれて、それから御想像いただきたい。
――それこそは、平井歩左衛門の、卍の悲草紙とは別の、もう一つの大いなる夜の夢を、このうつし世にまこととしたものであった。
実にこれから十三年後の延宝《えんぽう》八年、江戸に将軍綱吉が立ち、それまで一世に威権をふるっていた大老酒井雅楽頭忠清が追放され、酒井に関係ある諸大名が戦慄《せんりつ》したとき。――
「藤堂家はしかし御安泰でござるな」
と、河島仲之丞は、いよいよ神秘的な光をはなっている入道頭の平井歩左衛門に礼拝せんばかりに話しかけた。
「もし、高久公に御世子がお生まれになっていたとするならば、それは酒井どののおん孫にあたり、藤堂家の命運はいかが相なったものやら、背に汗のしたたるばかり。それが、おかげさまにて。――ひょっとしたら、あなたさまは、酒井がかくなること、さらにすべて何もかも、あのころからお見通しで、あのようなことまでされて藤堂家を救おうとなされたのでござりませなんだか?」
茫洋たる風貌に、何やら巨人の面影さえ宿しはじめた藩の大医、千石取りの平井歩左衛門友益は、このとき頬をピクピクと痙攣《けいれん》させて大目付を眺めたが、何もいわなかった。
この年、江戸で松尾|桃青《とうせい》は深川《ふかがわ》の芭蕉庵《ばしようあん》に入っている。
さて、冒頭の「東光寺古文書」のまちがいについてだが。――
「私の家譜によると、於光《おこう》は二代高次公に奉仕、四代|高睦《たかちか》公の実母になっている。於光は殿様に水をぶっかけたばかりに、富裕大名の正室となり、その弟を千石取りにしたというわけである。私の先祖が、武功ではなくて、女の力によって出世したということは、どうも面白くない」(要約)
と、「祖先発見記」で平井友益から、九代目の子孫たる故江戸川乱歩氏は述べたあと、右文書の年代を訂正されている。
書き終って、或るとき先生がふと私に向って言われたことを思い出す。
「君はどうも険呑《けんのん》なやつだ」
ところで、親愛なる乱歩ファンのみなさん、この物語の中に、乱歩の小説ないし随筆が幾つとり込めてあるか、お慰みにクイズとして数えて見ませんか。
[#改ページ]
天明の隠密
白河《しらかわ》の関《せき》の跡を北へ少しばかりゆくと、旗宿《はたじゆく》という宿場がある。その中ほどに関屋《せきや》という旅籠《はたご》がある。ちょうど三月の初めの頃であった。この日は烈《はげ》しい吹雪《ふぶき》がつづいて、さなきだにまだ雪を残していたこの宿場が一段と雪に埋まって陰鬱《いんうつ》な光景を呈していた。日が暮れると、百姓家はもとより貧しげな店も戸をしめて、暗い宿場はただ雪だけにけぶってしまった。旅籠だけに関屋の表障子には行燈《あんどん》が一つ射《さ》していたが、今夜は客もあまりないと見えて、内もひっそりとして、おりおり雁首《がんくび》の太そうな煙管《きせる》で火鉢《ひばち》のふちを叩《たた》く音がするばかりである。
だしぬけに障子をあけて、一人の男がのっそり入って来た。長火鉢によりかかって胸算用に余念もなかった主人《あるじ》が驚いてこっちをむくいとまもなく、土間を三足《みあし》ばかり歩いて、主人の鼻先に突っ立った男は、年頃三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、深編笠《ふかあみがさ》に合羽をつけた若い侍であった。
「一晩|厄介《やつかい》になりたい」
主人は客の風采《ふうさい》を見ていてまだ何ともいわない。そのとき奥で手の鳴る音がした。
「六番でお手が鳴るよ」
咆《ほ》えるような声で主人は叫んだ。
「どちらからお越しでございます」
主人は火鉢に寄りかかったままで問うた。若侍はちょっと肩をそびやかしたが、たちまち口のあたりに微笑を洩《も》らして、
「江戸から」
「――ほ、江戸から」
「ただし、わしは当白河藩の者だ。十年ばかり前江戸へ参るとき、いちどここに厄介になったことがある。そのときにここに坐っておったおやじは、やはりお前であったかな」
「や、こちらのお方でございますか。それはそれは。――」
主人は、少し眼を見ひらいた。
「いえ、手前はここのおやじの弟で、七、八年前から手伝いに参ったものでござりまするから、その節のおやじとは別でございましょう」
「国の雪ももうそろそろ消えたであろうと思っておったが、またえらい吹雪じゃな。そのために難渋してこの時刻ここに辿《たど》りつくことになった。白河までもう二里半ということは存じておるが、もうゆけまい」
「早くお湯を持って来ないか。ヘェ随分《ずいぶん》今日はお寒かったでしょう。こちらは毎年、もう雪もおしまいと思うころになって、きっと二、三度はこんなに吹雪《ふぶ》きます」
という主人の言葉はあいそ[#「あいそ」に傍点]があっても、いったいの風《ふう》つきは極めて無愛嬌《ぶあいきよう》である。年は六十ばかり、ふとったからだの上に綿の多い半纏《はんてん》を着ているので、肩からすぐに太い頭が出て、幅の広い福々しい顔のまなじりが下がっている。それでどこかに気難しいところが見えている。しかし正直なおやじさんだなと客はすぐ思った。
客が足を洗ってしまって、まだ拭《ふ》き切らぬうち、主人は、
「七番へ御案内申しな!」
と、怒鳴《どな》った。それぎりで客へは何の挨拶《あいさつ》もしない。真っ黒な猫が厨《くりや》の方から来て、そっと主人の高い膝《ひざ》の上に這《は》いあがってまるくなった。
右の文章を読者の中に御記憶の方があるだろうか。――無断で使うと「盗作」になる。これは国木田独歩《くにきだどつぽ》の名作「忘れえぬ人々」の冒頭の部分を、ちょっと手を加えて借用したものである。
想起されたら書くまでもないが、独歩の作品では、この夜旅籠に泊った若い客は、隣室の旅の画家と夜もすがら自分の半生での「忘れえぬ人々」について語る。そして、数年後彼のノートにしるされたこの夜の「忘れえぬ人」は、一夜酒を酌《く》みかわした相手の画家ではなくて、無愛想でしかも人なつかしげな旅籠の主人《あるじ》であった、というのが結末である。
さて、これより山田風太郎の忍者小説「天明の隠密《おんみつ》」にとりかかる。
定府《じようふ》の白河藩士|天羽周助《あもうしゆうすけ》が十年ぶりに、「都をば霞《かすみ》とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」で名高いふるさとへ帰国して、入関第一歩ともいうべき――もっともその古歌で聞えた関所はすでに足利《あしかが》のころになくなったということだが――旗宿《はたじゆく》の旅籠《はたご》に泊った雪の夜の印象はまず右のごとき次第であった。
ただその光景が似ているから、横着に明治の独歩の文章を借用したばかりではない。――江戸から四十数里、天羽周助には、その奥州街道の宿々とはまたちがった特別の印象があったからだ。
むろん、十年ぶりに国元に帰ったという感動もあるが、それだけではない。ちがう。――この前にここを出たときと、どこかがちがう。
十年前、国を出たときはまだ十七、八ではあり、思いは江戸の空にのみあって、この宿やこのあたりの風景などそれほど鮮明に記憶に残っているわけではないが、しかしもっと寒ざむとし、もっと殺伐《さつばつ》な感じがあったようだ。
それが、いまどこかゆったりとしている。何やらほのぼのと心暖かなものがある。
風呂《ふろ》に入り、夕食をとっているあいだもそのことについて考えて、それは、「殿のせいだ。殿の御治政のせいだ」という結論に周助は達した。
しかし――と、雨戸を打つ吹雪の音を聞きながら、周助はまた考える。それにしても、この旅籠や宿場はほとんど変っていないようなのに――それどころか、国を出たときとちがって、今夜はこんなに烈しい雪の夜なのに、それはなぜだろう?
「婆や、吉蔵《きちぞう》が眠そうにしているじゃないか。早く被中炉《あんか》を入れてやってお寝かしな。可哀《かわい》そうに」
帳場の方で、おやじの声が聞える。その声の方が眠そうである。
――ひょっとしたら、あのおやじのせいかも知れないな。
やっと腑《ふ》に落ちたように周助が微笑して眠りかかったとき――ふと、また声が聞えた。
どうやら女の泣き声のようだ。ひくく抑えたむせび泣きだが、たしかに隣である。さすがに周助は聞耳《ききみみ》をたてた。
すると、こんどは男の声がした。
「ああまた泣く。いっそ、雪の中をひきずってでも白河を出るんだったなあ」
その男の声なら、ここへ着いてから聞いていた。のべつまくなしにしゃべるのを、宿の下女相手と思っていたが――実際、下女がその相手をしていたらしかった――ほかに、もう一人、女がいようとはこれまで気がつかなかった。
「まだ白河は出ねえが、いいかげんにあきらめねえかね。ただでさらって来たわけじゃあねえ。身代金をちゃんと親元に渡した以上、もうおまえさんの自由はきかねえんだ。わかってるね?」
これに対して、応えるのは、ただむせび泣きの声だけであった。
「ああ、困ったなあ」
といった声は、宵《よい》の駄弁にきいた案外のん気な人のよさそうなひびきを曳《ひ》いていたが、次の言葉は周助の耳をついに枕から離した。
「え、こんな貧乏な土地にそれほどみれんがありやすのかい。あんな薄情な親がそれほど恋しゅうござんすのかい。白河を出りゃ、もう雪はねえ。江戸はもう桜が咲いて、おお、吉原《よしわら》の夜桜を見りゃ、おまえさんも極楽へ来たような気がして、白河なんざ地獄と思い出すにちげえねえ」
ようやく周助は、隣室の二人の素性に思い当った。身売りの女と、それを江戸へつれてゆく男らしい。――
彼はがばと起き直った。それからちょっと身づくろいして、部屋を出て、帳場にいった。例のふとった亭主は、大きな背をまるめて、猫を抱いて居眠りをしていた。
「これ、つかぬことをきくが、亭主」
と、周助は呼んだ。
「わしの隣りに泊っておる客は何者じゃ。女衒《ぜげん》ではないか」
「いえ、あれは飴売《あめう》りで」
顔をあげたおやじは、ぼんやりした声で答えたが、すぐに頭をかたむけた。
「ここ何年来、このあたりを回っておる江戸の飴売り、ひだ平《へい》さんというお人でござりまするがな。きょうひるま、久しぶりにやって来たとき娘|御《ご》を一人つれておるのを、手前もはてと首をかしげておりましたが、へえ、女衒――なるほど」
あまりあわてないので、周助の方がいらだった。
「とにかく、白河藩の娘が江戸に売られるのを黙って見のがすわけには参らぬ。少し話をして見たい、おやじ、案内してくれ」
まだ彼の行為を解《げ》しかねる、といった顔をした亭主をひきたてるようにして、周助はもとの廊下に戻《もど》った。そして、この自分の突飛なふるまいが決して誤っていないことをすぐ知った。
「あの、それだけは許して」
という女の哀しげな声にかぶせて、
「ええ、売物に傷をつけちゃあならねえ廓《くるわ》の法度《はつと》は知っているが、奥州街道泣かれつづけじゃあたまらねえ。往生させるのはこの手よりほかにねえと覚悟をきめた」
という男の声が聞えたからだ。
「御免なさいまし」
落着いていたおやじもややあわて出して、二、三度呼びかけたが、中では聞えなかったと見えて、そのうち争う物音さえしはじめた。
周助はたまりかねて、唐紙《からかみ》をあけて躍《おど》りこむと、夜具の上に何やら白いものをねじ伏せていた男の髷《まげ》をつかんでひき起した。
「あっ、何しやがる」
男はさけんだが、麻幹《おがら》みたいに軽く、こんどは仰むけにひっくり返った。
そのまま周助は立ちすくんで、動かなくなった。彼は、眼を吸われてしまったのだ。――そこに倒れている女に。
男がひき離されたとたん、女はころがって逃げて、向うにうつ伏せになったが、半裸というより、帯に襦袢《じゆばん》がまといついただけの姿になっていた。行燈《あんどん》の灯はあかちゃけているのに、その肌《はだ》は白蝋《はくろう》のように見えた。それが波打っていた。髪を乱し、伏せた横顔は彫ったように凄艶《せいえん》であった。それがあえいでいた。
「な、なんだ、おめえは」
うしろで、声が聞えた。
「白河藩|御家中《ごかちゆう》の方じゃて、ひだ平どん」
と、おやじがいった。男はぎょっとしたように黙ってしまった。
「心配するな。わしが助けてやる。……身づくろいするがいい」
やっと周助はそういって、眼をそらすために、男の方に向き直った。男は尻餅《しりもち》をついた姿勢に戻っていたが、周助の怒った顔を見て、両手をつき出して、壁を塗るような手つきをして、「あふ、あふ」と何かいおうとしたが、口もきけない風であった。
「うぬは女衒か、白河に女買いに来たか」
と、周助はきいた。
「いえ、飴売りでございまして……それが、ヒョイとしたことで、いえ、その娘さんの親御さんに頼まれやして。……」
恐怖のためによく呂律《ろれつ》もまわらず、ともかくもこんな意味のことを男はいった。眉《まゆ》が下がり、ややしゃくれた、貧相といえば貧相、滑稽《こつけい》といえば滑稽、実に面白い顔をしている。やや冷静になって見つめると、女衒というような陰惨な、ふてぶてしい商売をやる顔ではないということに周助も気がついた。
「いくらで買ったのだ」
「へえ、十七両でございます」
「その金を、うぬは親元に渡したのか」
周助は、疑うように娘の方をふり返った。侍の彼でもいまここに十七両などという金は持っていない。――娘は起き直り、何とか身づくろいしていたが、周助にたしかめられてこっくりうなずいた。
「何はともあれ、このまま白河の女を江戸には売らせぬ。……わしがその金払ってやる」
と、周助は決心していた。
「ただし、白河に来い」
「――ひえっ」
飴売りは仰天して、また両腕をうしろについた。周助は苦笑した。
「こわがることはない。白河の武士が、約束したことは破りはせぬ。……実はここにそれだけの金子《きんす》を所持しておらぬから、わしの家まで参れと申すのだ」
夜半に吹雪が凪《な》いで、あくる日は凄《すご》いほど晴れた。雪は深くつもっていたが、これならば歩けぬことはない。天羽《あもう》周助は、二人をつれて白河城下へ出発した。
娘は名をお節《せつ》といった。驚いたことに――といっても、一目見たときから百姓娘ではないという直感があったが――浪人ながら侍の娘であるという。しかも、江戸生まれで、江戸育ちであった。三年前、母といっしょに浪人者の義父につれられてこの岩代国《いわしろのくに》の長沼《ながぬま》という村へやって来た。しかしまもなく母が家出をして行方不明となり、義父だけに養われるという事態になってから、とうとうこんど江戸へ身を売る羽目に至ったのだという。
口数は少なかったが、ものをきいて見ると存外利発な娘であった。しかしそんな素性よりも、雪の中を歩いているお節は、なぜか周助に「雪女」という言葉を思い浮かばせた。
男はもとより飴売りのひだ平である。浅黄木綿《あさぎもめん》の投頭巾《なげずきん》をかぶり、鬼の顔と柊《ひいらぎ》の紋をつけ長い羽織紐をぶら下げ紅絹《もみ》裏をつけた袖無《そでなし》羽織を着、飴を入れた荷を両かつぎにした、江戸近傍でもよく見かける飴売りの風態《ふうてい》であったが、しかしその頭巾や羽織の色はあせ、どことなく土くさく、一見しただけで田舎《いなか》回りの行商人と見える。それにしても周助は、こんな飴売りが国の岩代を歩き回っていることをはじめて知った。
助けてやったくせに、周助は娘と話すのが何となく照れくさく、ひだ平の方と多く話をした。この男が白河まで同行して来ることになったのは、むろん金をもらうためであるが、それより本人が気楽な性分でもあるからだということを周助はすぐに理解した。
最初のうちはさすがにしょげていたが、ものの一町と歩かないうちに、まるで雪見の道中みたいにしゃべり出したものだ。
「いや、りっぱになりやしたねえ!」
ひたいをたたいてほめ出したのを何かときくと、白河藩のことだ。
旅籠の亭主も、ここ何年来か白河藩を歩いている飴売りだといっていたが、その通りのなじみで、しかも一年ごとに藩内の暮らしが楽になってゆくのがありありと見えるという。
「それで女を買って歩くのか」
と、にがにがしげに周助がいうと、またひたいをたたいて、
「あっ、そいつをいわれると面目|次第《しでえ》もねえ。名器名物を買うくせが、ついとんだ方へそれやしてね、初めてこんなことをしたら、たちまち罰《ばち》があたりやした」
と、悲鳴のように叫んだ。
「名器名物?」
きくと、この飴売りは、ただ飴を売って歩くのではない。奥羽《おうう》の田舎を回ると、思いがけぬ家に刀や茶器や絵などの思いがけぬ名器名物が蔵されていて、しかもその値打を知らぬものが多い。それをうまく仕入れて江戸に持ってゆくのがほんとうの商売だという。それで、こんな飴売りが、お節を買ったという二十両近い金を持っていたわけもわかった。
つまり、そんな骨董《こつとう》ですませておけばいいものを、ついお節の美貌にふらふらとなって、吉原へつれてゆく気になったのがまちがいのもとであったというのである。
「しかし、あっしが強《し》いたわけでも、だましたわけでもござんせんぜ。こいつあ、向うの親御さんから頼まれたことなんだ。どうぞお嬢さまにきいておくんなさい」
周助はちらとお節を見た。そしてお節の顔色から、それが嘘《うそ》ではないことを知った。――それにしてもこいつはぬけぬけと、こんどはお嬢さまなどと呼んだ。
「とはいえ、あっしがふらふらとなったのもむりはねえ。よくこれほど美しい方が岩代国なんぞに――あっ、御免なせえまし――いや、お生まれは江戸ってえことだが、江戸にもざらにゃありますめえ。まず、吉原の太夫か、なんのなんの、吉原にだってもってえねえ」
感にたえたように見とれて、
「や、旦那さまもたいした色男、こう見ると、花ならぬ雪の中だが、とんとお軽勘平《かるかんぺい》の道行でござんすねえ」
「ばかめ」
「お買い戻しになったところで、あんな薄情な親元のところへ返すのアむげえ。どうでやす、おつれ帰りになって、奥さまにしておあげなすっちゃあ」
「何を申すか」
周助はもてあました。
昨夜のことなどけろりと忘れたように、ひだ平はのうてんき[#「のうてんき」に傍点]な声を出して唄《うた》う。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
「仙台の、仙台の、
大橋|普請《ぶしん》のあったとき、
鼠《ねずみ》一匹踏んまえて、
頭を剃《そ》って髪ゆうて、
焼餅《やきもち》売りに出したれば、
家の猫めが、
重箱ぐるみにしてやったり、
二度は出すまい飴売りに、
さんしょのせ」
[#ここで字下げ終わり]
しかし、まったく妙なことになったものだと思う。物好きといえば、こんなに物好きな行為はあまりなかろうと自分でも思う。
やがて、周助は白河城下に帰った。彼の家は十何年来、父が江戸御留守居役として江戸にあるので、帰ったゆくさきは伯父の家であった。
「殿のお呼びで帰藩いたしました」
と、彼はいった。
そのことはむろん事前に知らされていて、伯父も伯母もよろこんだが、同行の二人には眼をまるくした。周助は赤面しつつ、伯父伯母に旗宿でのいきさつを打ち明けた。
「それはよいことをした。殿のお心にも叶《かな》おう」
といって、伯父伯母は快《こころよ》くお節の身代金を出してくれた。
「何だか悪うござんしたねえ。あっしが借金をした気になりやしたねえ」
がらにもなく飴売りのひだ平は恐縮して、
「どうぞ、これを御縁に御|昵懇《じつこん》に。――いえ、この町にいるときにゃあ、ときどきお庭掃除にでも参《めえ》りやす。お役に立つことがあったら、何でもこき使っておくんなせえまし」
と、ひたいを叩いてすっ飛んでいってしまった。
さて、お節の処置には困った。きけば、事実上彼女は天涯孤独にひとしい。とうてい、ひだ平のいったように、彼女を平気で見も知らぬ行商人に売った薄情な継父のところへ返すわけにはゆかない。
「しばらく、ここにおるか?」
ときくと、お節はこっくりした。周助を見あげた眼は哀艶とも歓喜ともつかず、周助はぶるぶるっと身ぶるいしたほどであった。
そして伯父伯母が、お節を婢《はしため》としてではなく、一種の寄人《よりゆうど》として屋敷にとどめることを許したのは、そんな哀れな身の上を知ったばかりではなく、彼女の珍しいほどの美しさのゆえであった。
さて、天羽《あもう》周助は城へ出仕した。
主君の松《まつ》 平《だいら》 越《えつ》 中《ちゆうの》 守《かみ》は、去年の秋から国元に帰っている。在府のときその近習《きんじゆう》をしていた周助は、特に主人に呼ばれて帰国したのであった。参上してみると、別に急用があったわけではなく、使いよいという主君の意志かららしい。そうと知って、周助の感動はいっそう深いものがあった。
「御名君だ」
そうだれもいい、周助もまただれよりもそれと認める主君から、特別に目をかけられたのだ。
奥州白河十一万石、必ずしも大藩とはいえないが、主人の越中守の血統は徳川一門であった。それどころか、中興の英主といわれた八代将軍|吉宗《よしむね》公の孫にあたり、田安《たやす》家の御曹司《おんぞうし》であったのを、十年ばかり前にこの白河松平家に養子に来た人なのである。
まだ若い。周助より二つ年上の二十九歳である。しかし周助は、自分よりも二十も年長の主君に感じられた。悠揚《ゆうよう》とし、深沈としたお人柄は、御祖父の吉宗公もこういうお方ではなかったかと思わせる。
しかも越中守は、やる気充分であった。おのれの領国の治政について。
白河藩、必ずしも大藩とはいえないどころか、実体は十一万石という表むきの石高《こくだか》にはそぐわない貧寒の地といっていい。ここに越中守は、耕作技術の改良、加工農産物の奨励、備荒貯穀施設の充実などを鋭意計る一方、他藩からの農民、花嫁の移入受入れ態勢を整え、かつ口べらしのための間引きを禁じた。そしてここ数年のいわゆる天明の大|飢饉《ききん》で、特に東北諸藩では餓死者がおびただしい数に上ったのに、白河藩では一人も出さなかったのだ。
去年、帰国してからも越中守は、早朝から深更《しんこう》に至るまで、政務に励精していた。ただ城にいて奉行や代官の報告をきいたり、村役人や庄屋の陳情を受けたりするばかりでなく、まだ雪が残っているのに、領内の村々を親しく視察して回るのである。
旧暦の三月は、いまの四月だ。
寒国岩代の地も、やがて山々の雪も消え、青草と花々が萌《も》えひらきはじめる。
ふるさとに帰った天羽周助は夢見心地であった。むろん彼は主君のゆくところ、影の形に添うように従っている。
お供して歩くにつれて、彼は国へ帰ったとき十年前とは何やらちがう豊かな印象を受けたことと、その印象がまちがっていなかったことを再確認した。そしてその原因が一にかかって越中守の施政にもとづくものであることを知った。しかも、その主君の生活たるや、昼食だけが一汁二菜、朝夕は一汁一菜という驚くべき質素ぶりなのである。十一万石のお大名が――八代さまのおん孫にあたられるお方が。――
――これほどの御名君が天下にまたとあろうか、と心の底から感動せずにはいられない。魂をあげて讃嘆と敬意を捧げずにはいられない。どんなことがあっても、この主君のお役に立とうと思う。
もう一つ、周助を夢見心地にさせるものがあった。
お節の存在である。
彼女はまるで吹雪の中から春の風の中へ救いあげられた蝶《ちよう》のようにいそいそとよく働いた。しかも、やはり武士の娘らしく、つつましやかであった。口うるさい伯父や伯母が、はじめ「ほ?」と眼を見張り、やがて自分の娘のようにいとしげなまなざしをむけ出したのも当然と思われる。
しかし周助から見ると、お節はその薄倖《はつこう》を物語るように、ひと知れず暗愁をたたえているところがあった。そんなとき彼は、いきなり彼女を抱きしめてやりたい衝動にかられた。それから――彼女について、周助の脳膜にねばりついて離れない或る影像があった。吹雪の旅籠《はたご》の一夜、旅の飴売りに犯されかかっていたあのむごたらしい姿を忘れたといっては嘘になる。それは周助の頭を芯《しん》まで熱い靄《もや》でけぶらせるような記憶であった。
――いつしか彼は、お節を自分の妻にする空想にとらえられはじめた。七月には、越中守はまた参府する。そのときむろん自分もお供することになるが、どういう具合にお節をつれてゆこうかという甘い悩みさえ彼の胸に去来した。
日は五月に入った。
奥羽の天地はいよいよ明るくなって来たのに、このころから周助はふと自分の眼に映るものに微妙な変化を感じ出した。
白河藩が必ずしも桃源境ではないように思いはじめたのだ。むろん、昔のような、或いは他藩のような陰惨さは払拭《ふつしよく》されているが、万民|鼓腹《こふく》して撃壌《げきじよう》する、といった境地には遠いのだ。もとより元来が貧しい土地なのだからそれも当り前だとはいえるが、帰国の第一歩における、ゆったりとした心暖かな印象は、昔にくらべて大袈裟《おおげさ》に感じたものであって、むしろ粛然たる気が一国を流れているように感じた。
殿の御威令だ。
彼はすぐそう悟った。
主君の越中守は年に似合わず悠然とした温容の持主だが、藩士の怠慢《たいまん》、汚職などに対しての追及は実にきびしい。この国元でも、ここ数年来処罰を受けた者はおびただしい数にのぼるときく。――
何かのはずみで、その話が出たとき、伯父は、
「さればよ、なぜ殿が江戸からおまえを呼ばれたか。ひょっとするとそのせいかも知れぬとこのごろ思い当ってたぞよ」
と、いった。
「何のせい?」
「おまえの一刀流の腕よ」
「え。――」
「数多い不心得者の中には、おん罰を受けた逆恨《さかうら》みに殿をお恨みしておる者もないではあるまいし喃《のう》」
そういわれれば自分の召還も腑に落ちるような気がするが、越中守はそんな役目を周助に口にしたことはない。そこがまた越中守らしい。
「御名君には相違ないが、こわいお方でもあるな」
と、伯父はぶるっと身ぶるいしていった。声はひそめていたが、もともと越中守は田安家から養子に来た人であるから、旧来の松平家の家臣らしい口吻《こうふん》が時にまじる。
「いつぞや、悪事をした奉行で一人切腹申しつけられた者があったと思え。同時に、斬首《ざんしゆ》の刑に逢《あ》った者がある。奉行の下僚の男であったが、なんと殿から奉行の見張りを命ぜられておった人間であったということじゃ。それが、奉行の悪事を知りながら、つい情にほだされて然るべき報告をせなんだためにそのお仕置を受けたのじゃが、なぜそれが発覚したと思う?」
「さあ」
「その見張り役にまた人知れず隠密がついておったという。――」
はじめて聞く話だが、よく考えて見ると、それくらいのことはおやりになりかねぬ殿ではある、と周助も認めざるを得なかった。ただし、伯父のように恐怖の念を以《もつ》てではない。改めて、主人の水ももらさぬ政治の緻密《ちみつ》さに感じいったのだ。
これまた当然のことであると思う。藩主として当代比なき御政策を実行されつつある以上は。――むしろ周助はこれを聞いて痛快の念をおぼえ、万一、主君に対しよこしまな凶念を抱く者があれば、また主君の護衛者として呼ばれたことがまことであるならば、勇躍、破邪顕正《はじやけんしよう》の剣をふるうのに躊躇《ちゆうちよ》はしない、と一刀を撫《ぶ》した。
それからもう一つ、彼の眼に映る対象の変化を感じたのは、お節のことだ。
彼女が何かのはずみに薄倖の翳《かげ》をその姿態に見せることは前から知っていたが、それが――どういうわけか、たんに寂しさとか哀しさとかいう形容では足りないようすを見せはじめたのだ。ときどき、ひとり坐っているのをちらと見ると、大袈裟にいえば苦悩の精のように思われることさえあった。
「節、からだでも悪いのではないか」
きくと、首を横にふる。周助を見た顔がかすかにゆがみ、やはり何かある。
また別の日に、
「おまえ、ここにおるのがいやなのか」
きくと、明らかにとんでもないといった表情でまた首をふったが、しかし、いまの彼女の生活がまったき幸福に満ちていないらしいことはたしかであった。
周助は彼女を見るたびに不安になった。しかも、次第に彼女にものをきくのに脅《おび》えをおぼえるようになった。女を愛する男の心の通性である。
六月半ばの一日、ひょっこりと例の飴屋がやって来た。彼はあれから江戸へ帰っていたといって、
「へい、これは江戸|土産《みやげ》」
と、粉をまぶした白飴を出した。三官飴というそうな。
いまは周助も、領内にこんな飴屋が何人も徘徊《はいかい》して、飴を売る一方で金物などを買い、それを扱う問屋めいた店も白河にあることを承知している。――以前にはなかったことだ。こんな商売が領内で成り立つことになったのは、藩がそれだけ豊かになったということか、それとも依然として貧しいせいか、よくわからない。
「お節さんはどうしましたね?」
まるで出入商人みたいに――いや、親戚《しんせき》みたいに馴れ馴れしくいうひだ平に、周助はにがり切るどころか、まるで援軍が来たようなうれしさをおぼえた。
彼は、お節が何やら悩んでいるかに見えることを話し、そのわけをおまえから聞いてくれまいかと依頼した。
軽やかな男で、すぐに彼はその用を果たした。
「わかりやした、わかりやした。ありゃ恋の病でげす」
「恋の病? だれに?」
「てへっ、旦那もわかってるくせに。……旦那でげすよ!」
笑った眼を意識して、周助は頬《ほお》をあからめた。のどがつまったような声で、
「節の口からきいたのか」
「いえ、そんなはしたないひとではござんせんが、あっしにゃわかるんです」
「……かりにそうだとして……なぜ、あんなにやつれているのだ」
「旦那さまだって、おやつれじゃありませんか。御馳走さま、と来やがらあ」
ひだ平はひたいを叩いたが、すぐに声をひそめて、
「しかし、お節さんの恋わずらいもむりはねえ。あっしの推量したところでも、いかに侍|出《で》とはいえ、素性も知れぬ浪人の娘で、しかも女郎に売るような継父《ままちち》を持った女が、こちらみてえに白河藩江戸御留守居役の若様とどうにもなるもんじゃあねえ」
その通りであった。周助も思い悩んでいたのはそれであった。いくら考えても、江戸にいる父、またここにいる伯父伯母が認めるはずはないと思う。
――ともあれ、周助は、彼もまた苦悩にみちた顔をしていった。
「ひだ平。……おまえ、節の住んでおった村へ近くゆく用はないか」
「長沼でげすか。……あ、そっちへ向ってもよござんすが」
「では、その親元に逢うて、せめて節の素性をきいてくれ。実の父も浪人であったとはいえ、あれの立居振舞を見ておると、それほど名もなき者の娘とは思われぬ」
ひだ平は引承《ひきう》けて、風のように出ていった。
その報告を受けるまでもなく、お節が周助に自分の素性を告白したのは、それから十日ばかりののちであった。
彼女はいった。
「旦那さま。……わたしは御公儀の隠密《おんみつ》でございます」
――べつに周助が問いただしたわけではない。六月の終り近い或る夕方、独り刀の手入れをしていた彼のところへ、うなだれて入って来たお節が、静かに坐るといい出したことだ。
周助は耳を疑った。
「何と申した?」
「越中守さまを失い参らせるために、御老中からつかわされた刺客でございます」
周助は彼女の気がちがったのかと思った。狂女どころか――蒼味を帯びた夏の夕風の中に、お節は幽界の精霊のように見えた。
「苦しゅうて、苦しゅうて……思いあぐねてとうとう打ち明けはいたしましたが、もとよりこのようなことを打ち明けました以上、生きてはおられませぬ。ただ……せめてはあなたさまの御成敗を受けるのがいまの節のお願いでございます」
彼女は懐剣《かいけん》をとり出して、自分の前に置いた。
天羽《あもう》周助は口をぽかんとあけたまま、女の姿を見つめていたが、突然、彼女がその懐剣を取りあげそうな気配を感じて、羽ばたくようにその手をつかんだ。
「お、おまえは何者じゃ」
「甲賀の者でございます」
周助も、公儀に伊賀組甲賀組という隠密組織のあることは知っていたが、それが眼前に現われようとは――お節がその甲賀の一人であろうとは、しばし判断を絶した。
やおら。――
「御公儀が、徳川御一門であらせられる当松平藩になぜ隠密を――いやさ、稀代《きたい》の御名君でおわすわが殿に、なぜ刺客を。――」
と、あえぎながら問い返したとき、その心中では、「――あり得ることだ!」というみずからのさけび声が聞えていた。
お節はいった。
「御名君なればこそ、お怖れなさるのでござります」
「――田沼《たぬま》さまがか!」
と、周助はその名をうめき出していた。
彼も知っている。老中田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》と、主君松平越中守との暗黙の政争の噂《うわさ》を。
御公儀とは田沼意次そのものであった。すでに田沼時代と呼ばれる時代のつづくこと二十年に及ぶ。まるで肉も魚も油も酒も煮えくりかえっているような世相であった。才能は門閥をはね飛ばし、欲望は道徳を踏みにじった。廟堂《びようどう》には山師が横行し、巷《ちまた》には好色が氾濫《はんらん》した。そしてそんな世相を打ち出した張本人たる田沼の門には猟官の人々が雲集し、賄賂《わいろ》が山積した。
これを苦々《にがにが》しい眼で見る人は、少数ながらむろんあった。松平越中守はその代表的な一人である。
田沼がそれを怖れているらしいことは周助も知っていた。将軍、大奥を薬籠《やくろう》中のものとし、権臣、富豪を掌握し、傍若無人の栄華を極めているかに見える田沼意次も、もとはといえば六百石の小姓上りに過ぎない。これに対して松平越中守は現将軍家の従弟《いとこ》にあたり、しかも現将軍家に世子のない以上、将軍継承権のトップクラスにあげられる名門である。これが自分の批判者であることは容易ならぬ脅威であった。
ただ田沼の頼みとするところは越中守の若輩なことであるが、これがまた十代のころから老成してその思慮常人にあらずと評されたお人だ。かくて、十年ばかり前、越中守が田安家からこの寒国白河に養子に来たのも――それは周助などには光栄の至りではあったが――危険人物を僻陬《へきすう》の地に追いやる田沼の陰謀であったという風評すらある。
これに対して。――
いつ没するかと思われた田沼の日輪も、ようやく西に近づいた観があった。一昨年、意次の子|意知《おきとも》が殿中で刺殺されたという事件をきっかけにである。そして、その暗殺は佐野善左衛門《さのぜんざえもん》という一旗本の発作的凶行によるということになっているけれど。これまた風評ではあるが、それは白河の陰謀であるというひそかな声がないでもない。越中守に近侍してその堂々たる行状を見ている周助は、むろんそんなことは悪質なデマだと信じているけれど。
それにしても、現実に、田沼がわが殿に甲賀者を送って来ようとは?
お節は沁《し》みいるような声でいう。
「御老中さまは、越中守さまがかつて御老中さまを刺し殺そうと御短刀まで持って近づかれたことがある、と申されました」
あの殿が? あの温容自若たる殿が? といちどは疑い、すぐにまた周助は、いやひょっとしたら、と思い直した。そういわれれば、ふっくらした白面の下にそんな烈《はげ》しいものを秘められた主君ではあった。
――そしてまた後年に周助は、越中守が「……主殿頭《とのものかみ》心中その意を得ず存じ奉り候につき、刺し殺し申すべしと存じ、懐剣までこしらえ……」と若き日の心境を手記した文書を見、このころの田沼の眼力の的中していたことを知るのである。
「しかも越中守さまは近ごろ平然と賄賂を持って御老中さまのところへおいでになる。実にその心中測るべからざる御仁……と仰せられました」
そういえば、そんな押しのふとい一面もある。――
「今にして始末しておかねば遠からずとりかえしのつかぬ大事となる。とついに覚悟のほぞをかためた、と仰せられ、甲賀組にひそかに越中守さま御命|頂戴《ちようだい》つかまつれと御下知なされたのでございます」
「ううむ」
ようやく周助は、お節の告白を信じた。あらぬ虚言をいう女でもなければ、このような虚言が世にあるはずがない。それにお節の顔色をみるがいい。しかし。――
「しかし、女のそなたに?」
「わたしなればこそ選ばれたのでござりまする。……いま男を寄越して越中守さまを殺《あや》めたてまつれば、ことの仔細《しさい》は知らずとも闇の手は田沼だと噂されるは必定《ひつじよう》。天下の御老中が徳川一門の御名君を手にかけたという風評が立っては、越中守さま御健在以上の不利益と相成りまする」
「で、では、そなたは……ここに潜んで越中守さまをお刺し申しあげるつもりであったのか」
「いいえ」
お節は首をふった。
「刀は使いませぬ」
「ど、毒か」
「いいえ。……忍法|羅相変《らそうへん》」
「なに?」
この場合に、お節の白い顔が、夕闇の中にもぼうとあからんだ。
迷い、迷い、しかしお節はすでに白状の意志をかためたと見える。それから言いはじめた羅相変とやら称する甲賀流忍法の内容は、さらに天羽周助を驚倒させた。
彼女の語った言葉そのままではないが、それを現代医学用語で要約すると――この甲賀の忍びの女は、交合によって相手の男の面態《めんてい》を変えるという。すなわち、第一の男性の男根が女の子宮膣部にその亀頭のかたちを捺印《なついん》する。そして両者の分泌した液にまだ生命あるうちに第二の男性が交合すれば、その男根の亀頭は、第一の男の印した痕の通りに変形《へんぎよう》する。そして数刻のうちに、第二の男の顔は第一の男そっくりに変相するという。――
しからば二番目の男は、一番目の男の顔をもって何事でもなし得るではないか。すなわち一番目の男がなんら無関係の男ならば、二番目の真の行為者はあらゆる嫌疑《けんぎ》外に置かれるではないか。
その通りである。しかも、お節の告白によると――もし第一の交合者を白河藩士とすれば、第二の行為者の凶行は乱心としか思われなくなる、というのであった。
「その一番目の男が……あなたさまであったのでございます」
いうお節のびん[#「びん」に傍点]の毛もそそけ立っていれば、きく周助の髪の毛も逆立っている。
「では、二番目の男はだれだ?」
「数年前から長沼村に流れ住んでいたわたしの義父と名乗る男――すなわち、甲賀者でございます」
「なに、数年前から。――」
「あの飴売りがあなたさまのお申しつけで長沼村へ参ったことは存じております。けれど義父はもう――わたしを売った直後に、もう姿をくらましているはずでございます。ただしもう十日ばかりたったら、わたしの前に現われることになっております」
「そ、そして?」
「その直前に、わたしはあなたさまの……羅相をいただくことになっておりました」
「ううぬ。……」
「そして、あなたさまのお顔になって越中守さまに近づくはずになっているのでございます」
お節は両ひざを爬虫《はちゆう》みたいにうねらせていざり寄って来た。その顔はまるで花が燃え立ったようであった。こんな激情的な彼女の相貌をはじめて見たが、周助は恐怖して、尻であとずさりした。
「では……では、旗宿《はたじゆく》でおれと出逢ったのは?」
「江戸から御帰国なさる越中守さまの御愛臣、と知っていて、旅の飴売りを道具にしてわたしからあなたさまを罠《わな》にかけたのでございます。……」
周助は、うなされるようであった。しかし、数年前から白河藩に入り込んで機会の来るのを待っていたやつらだという。あり得ることだ。
「その罠には落ちぬ!」
彼は悲鳴のように叫んだが、その声はわれながら間のぬけたものに聞えた。罠に落ちなかったのは相手が告白してくれたからである。それを意識すると、彼は逆上した。
「よし。……斬《き》る!」
「斬って下さいまし」
と、お節はなおいざり寄った。
「そのつもりで申しあげたのでございます」
刀をつかんだまま、周助は硬直した。
「十日ばかりして、甲賀衆が来たときわたしが命ぜられたことをしていないとわかったら……どうせわたしの命はございませぬ」
周助は壁に背をつけ、わななく声でうめいた。
「な、なぜ、こんなことをおれに白状した?」
「……一つには、どう考えても越中守さまは御立派なお方でおわしますこと。もう一つは、あなたさまをそのような目に合わすことに、節がたえられなくなったからでございます。……」
悲痛をきわめる声であった。
「わたしに出来なかったこと、それどころかわたしがみな白状したことがわかれば、江戸の甲賀組は――御老中に対して金輪際不服従の許されない甲賀組は、容易ならぬお仕置を受けるでございましょう。……わたしはせめて旦那さまの御成敗を受けて、何もかもなかったことにしていただくのが今の願いでございます」
彼女は首をさし出した。
「どうぞ、この首を斬って下さいまし。それが御慈悲でございます」
すれすれにつき出された白蝋のように凄艶な顔を、周助はかっとにらみつけていたが、やがて息をひいて、
「ま、待て。……いましばし、おれに考えさせてくれ!」
と、さけんだ。
数瞬、悪夢の渦《うず》巻いているような脳髄で考える。
もとより捨ててはおけぬ。即刻、殿に御報告申しあげねばならぬ怪事だ。しかし、報告すれば。
このお節はむろん成敗される。成敗されなくても、彼女は死ぬ。それはならぬ!
この叫びが早鐘のように背に鳴りわたった。いや、お節はすべてを自分に引受けるために、みずから自分の前に身を投げ出し、首をさしのべたのだ。それを殺すことなど、男として金輪際出来ぬ!
お節が秘命と実行の責木《せめぎ》にかけられて絶体絶命の立場に追い込まれたように、周助も絶体絶命の心境に追い込まれた。
そして、お節がその進退両難のあげく、ついに告白の行動に出たように、彼もまた――さらに数瞬の昏迷《こんめい》ののち、からくも一道の光をつかんだ。それは理性よりも、怒りからしぼり出された。
「お節」
と、嗄《か》れた声で叫んだ。
「では、おれに命をくれるか」
「もとよりそのために。……」
「では、おれも命を捨てる」
お節は顔をあげた。
「おれが逆に田沼どのを刺す」
と、彼はいった。
「かかる奸悪《かんあく》な陰謀をきいて白河藩士として黙ってはおれぬ。いや、白河藩士としてではない。人間としてだ。わが殿にどのような罪があるのか。無恥強欲、天下をあげて今見るような濁世《じよくせ》を作りあげた悪政の張本人と、清節の御名君たるわが殿とくらべればまさに天地懸絶。……いかに田沼の爪牙《そうが》たるおまえにもこのことは明らかだろう。いや、それが明らかだから白状したとおまえはいった。ならば、おれがたんなる憂国の志士として田沼を誅戮《ちゆうりく》するといっても、おまえもふしぎには思わぬだろう」
怒りが彼の満面を染めた。
「お節、江戸へゆけば、おまえ田沼どのに逢えるか」
「はい。……甲賀の者として」
「それを利して、おれが田沼を刺す」
周助はお節の肩をつかんだ。
「おまえの死ぬのはそのあとでよい。もとより、おれも死ぬ覚悟だ。……天下のために、おれと力を合わせてくれ!」
お節は眼をいっぱいに見ひらいて、ぐらぐらとゆすぶられるままになっていたが、
「それは……なりませぬ」
と、いった。
「な、なぜだ? おまえはまだ田沼の爪牙のつもりか」
「いいえ、そうではございません。……おきき下さいませ、いまたとえわたしやほかの甲賀者が縛られて越中守さまのおんまえにつき出されても、田沼さまは何も知らぬとそらとぼけて通されるでございましょう。けれど、あなたさまの場合は、それは通りませぬ。御老中さまを刺したのが松平越中守さまの御寵臣であったとわかれば――もし捕えられれば、いつかわかるにきまっております。――それこそ、飛んで火にいる夏の虫、田沼さまの罠にみずからかかるようなものではございませんか?」
周助は、はっとしていた。
いかにも、その通りだ。今少し時をおけば彼とてそのことに想到したにちがいない。いかにも自分のみならず、越中守さまが御安泰ですむはずがない。――
「ただ……一つ、法があります」
と、ふるえながらお節はいった。
「な、なんだ?」
「わたしの忍法、羅相変を逆に使うことでございます」
「逆に?」
「つまり、一番目を甲賀者とし、二番目に、あなたさまが試みられて、あなたさまが甲賀者のお顔におなりになることでございます」
「――や?」
周助は眼をむき出した。
「ただ……」
と、お節はまた声をのんだ。
「変相した顔は、長くて一昼夜のうちに消えて、もとの顔に戻ります。……で、ございますから、もし捕えられたとき、化けた顔のままで通そうと思えば、死ぬよりほかはございませぬ。もとより甲賀者はその覚悟でございました」
「それが何だ」
と、周助はさけんだ。
「死ぬは承知の上だと申しておるではないか」
「もう一つ、心配なことがあります。……それは甲賀衆が現われてきたとき、どうしてごまかして江戸へつれてゆき、どうしてさきに羅相変にかけるか、ということでございます」
それは、周助の力の範囲外にあった。ただ彼はお節の手をとって「それはおまえに頼む。そこを何とかうまくやってくれ」というしかなかった。
ついにお節はうなずいた。すでに告白によってお節は甲賀を裏切ったのである。いずれにせよ、彼女もまた死を決していることは明らかであった。
手に汗を握る日々が過ぎた。甲賀者は現われなかった。
「……ひょっとしたら、感づいたのではないかしら?」
お節は蒼《あお》ざめてつぶやいた。周助は焦燥《しようそう》するとともに、その日が来るのを恐れた。
お節に頼んだときはまだはっきりとその事態を認識しなかったが、よく考えてみると、その日が来ればまずその甲賀者にお節を犯させなければならないのである。――
主君松平越中守が出府する日はみるみる近づいた。藩はその準備に騒然としていた。周助もその支度に忙殺されながら、気が気ではなかった。
そんな七月の或る日、甲賀者ではなく例の飴屋ひだ平がひょっくり現われた。
「旦那、その後長沼村にいって来やしたがね。あの浪人はいませんぜ。どこへ流れていっちまったのか、だれも知らねえ……」
いまごろになって、間のぬけたことをいう。
「いや、あの件はもうよい」
と、答えている周助を、そっとお節が物蔭へ呼んだ。
「――旦那さま、いま思いついたことですけれど」
「なんだ」
「どうやら甲賀衆は現われないようでございます。どうしたのか、わたしにもわかりませぬ。けれど、もう乗り出した船でございます。――甲賀衆が使えないとき、その代りの人を見つけました」
「だれを?」
「あのひだ平を」
「――えっ?」
「考えてみますと、田沼さまを狙《ねら》う人間は、白河藩とは無縁の人間であるということがわかれば、だれでもよいのでございます。それが甲賀者の顔をしていればかえって怪異の念を深めましょう。それならば、いっそ、どこの馬の骨とも知れぬ人間の方が」
この場合に、珍しくお節はにっと片えくぼを彫った。自分でもひどいことを思いつき、かつひどいことを口にしたと可笑《おか》しくなったらしい。
「無縁も無縁、ほんとの風来坊を道具に使うのは気がとがめますけれど、あの人なら羅相変にかけるのは、甲賀衆よりたやすうございます。それから、江戸へつれてゆくことも」
「おお」
と、周助も手を打った。
「そういう智恵もあるな。よし、きゃつを江戸へつれてゆくのは、おれが話そう」
周助はもとのところへ戻っていって、明るい庭で犬をからかっている飴売りに、
「ひだ平、頼みがある。近く参府するとき、お節を江戸へつれていってくれぬか」
と、いい出した。ひだ平は「へ?」といって周助の顔を見つめて、
「いよいよ、そういうことになりやしたか」
と、のみこみ顔でいって、
「お安い御用といっていいか、お安くない御用といっていいか――」
と、ひたいを叩《たた》き、何も知らぬ男を罠にかけるのを恥じて顔をあかくした周助に、
「ようがす。なあに、あっしも飴の仕入れにそろそろ江戸へ帰ろうと思っていたところでさあ」
と、笑った。
――数日後、松平越中守の行列は江戸へ向って出立した。
甲賀者はついに現われない。その代り、知らぬが仏の飴売りひだ平がゆく。むろん、一行中に加えられるべくもなく、彼はお節をつれて、それと前後して歩いているはずである。
国境《くにざかい》の旗宿《はたじゆく》にはむろん泊らなかった。が、周助には、すべての発端となったあの旅籠《はたご》のことは忘れられるものではない。――主君の御駕籠のそばについて歩きながら、そこを通過するとき、ちょっと関屋の方を見たら、行列の砂塵《さじん》をあびて土下座している沿道の住民たちの中に、例のおやじも神妙に大きな頭を地べたにすりつけていた。
江戸へ帰った天羽周助は、しかしそのまま立ちすくんだ。彼ばかりではなく、あらゆる侍も市民たちも息をつめるような事態が生じていた。
将軍家が病に伏し、しかもそれが重態であることが報ぜられたのである。
八月に入ったのに、江戸は見えない冷雨につつまれているようであったが、しかしやがて冷気どころかむらむらと黒雲が湧《わ》き立ちはじめたのを一部の人々は感得《かんとく》した。やがて予想される政局の急変を前に、いまや闇中の政争が凄愴《せいそう》の気をおびて来たことである。
詳細は、周助は知らない。しかし、近侍している主君のところへ、急速にふえてきた客の来訪、また江戸御留守居役をしている父のほとんど在宅することを許されないほどの繁忙ぶりから、推しても、主家をめぐるただならぬ颶風《ぐふう》を感じた。
お節は彼のところにいる。国元からつれて来た彼女を父は深く意にとめる余裕もないようであったが、周助もまた、
「あの甲賀衆はあれきり岩代で消息をたち、甲賀組でもそのわけがわからぬと申しております」
とか、
「白河では目的をとげなかったが、ともかくもここへ入り込んで別命を待っております、とわたしが申したところ、甲賀組でも、その旨田沼さまにお届けして置こうと、申しただけでした」
とか、ひそかに外から帰ってきたお節が報告するのにも、ただ遠い風の音のように耳の外にきいているばかりであった。
が、八月の半ばを過ぎて、彼は愕然《がくぜん》とわれに返った。
「大変でござります。越中守さまのおん身に一大事が起こります」
或る夕、帰ってきたお節が、ただならぬ顔色でこう告げたのだ。
「甲賀組は、おととし田沼山城守さまを殿中で討ち果たされた佐野善左衛門どのをそそのかした者を探り出したと申しております。むろん、山城守さまの父君《ちちぎみ》、田沼|主殿頭《とのものかみ》さまの御命令であれ以来ひそかに探りつづけていたのでございます」
「佐野善左衛門? あの方は乱心なされたのではないか」
「いいえ、そうではないと申しております。佐野さまの御領地は上州|甘楽郡《かんらごおり》、そこへ佐野さまがお帰りになったとき――おととしのあの事件の前――しばしば佐野さまのところへ出入りしていた白河夜舟《しらかわよふね》という男があったそうでございます」
「何だ、それは」
「ただ、その名がわかっているだけでございます。その男はまだつかまってはおりませぬ。けれど、それが松平越中守さまの隠密であったことだけはつきとめたと申しております」
「白河夜舟――ば、ばかな! そんな人をくった名はきいたことがない。では、わが殿がそやつを使って佐野どのをそそのかされたとでもいうのか。いかにも、そんなたわけた風評をきいたことがあった。が、君子であらせられるわが殿が、左様な隠密など使われるはずがない!」
「それでも、向うでは、これでついに越中の首根ッ子を押えた! と躍《おど》りあがっていましたが」
「ううむ」
いずれにせよ、急迫した政局に、田沼が越中守に対し最後のあがき、いやそれならばまだよいが、おそらく致命的な打撃を加えて一挙にこれを葬り去ろうとしている形勢は明らかであった。
「お節」
「はい」
「あれをやってくれるか。――忍法羅相変を」
「――は、はい!」
「実は、例の飴屋、ちかくまた奥州へ行商にゆくとて、その前に用があればことづてると申し、たしか今明日にも立ち寄ってくれるはず――それも正義をめでたもう天意の現われ、ひだ平が来たら、やってくれるか」
お節の顔が、ぽうっとあからんだ。
まさに天意としかいいようがない。その問答が終らぬうちに、表から、いま御存知の飴売りが参りましたが、という知らせがあった。
「倖《さいわ》い、父もおらぬ。……いや、おれも一応、この場を避ける。おまえ、うまくやってくれ」
「…………」
「頼んだぞ!」
「…………」
「よし、おれはちょっと他出しておるがとにかく待てといって、庭へ通せ」
と周助は命じた。
やがて庭へ廻《まわ》った飴売りひだ平と、座敷のお節が話し出した。お節はひだ平に訴えはじめた。要するに、ここにいてもとうてい周助さまの奥さまになれようはずがない、あれを思いこれを思うと、かえって苦しさにたえかねる。いっそひだ平さん、やはりわたしをどこかへつれていっておくれでないか、というのであったが、ふだん口の重い、物思いに沈みがちな女がいうので、物蔭でこれをきいていて、周助が思わず吐息をもらしかけたくらい真実性があった。
のみならず。――
彼女は、はじめ変な顔をしていたひだ平を、ついに座敷まで誘いあげ、しかも彼が生唾をのみ、はてはよだれをながさんばかりにしていざり寄るところまで誘うのに成功したのである。
自分が依頼したことであったのに、周助は息をとめた。
そして、卒然として思い出した。――あの旗宿の一夜を。そっくりそのままではないが、これはほぼあの夜の再現ではないか。
いや、あとになってきけば、あれはお節の罠であったという。いわゆる色仕掛というやつだが、それも甲賀の術の一つときいて納得はしたが、その媚術《びじゆつ》を改めて確認したほど、瞠目《どうもく》すべき女の蠱惑《こわく》であった。いったい、それ以後の自分に対するお節の魅惑も果して本心か、それとも術であったかと周助の心に疑いが生じたほどである。
いわんや、ひだ平においてをや。かつて同じ女にけものになった男においてをや。――いや、そんな前歴がなくても、どんな男でも、いまのお節に向えばけものに変化するにちがいない。どこが、どうというわけではないが、このときお節からぞっとするほど妖艶《ようえん》な炎が立ちのぼっているのを周助も感得した。
「おいっ……ほんとに若様はいねえんだね……そして、おれに何もかもまかせていいというんだね?」
飴売りはついに彼女の罠に落ちた。
それをまざまざと周助は見た。この前の旅籠と同じ光景を。
いや、あのときは自分が飛びだして制止したのだが、こんどはそれを制止することは出来なかった。それどころか、このことを自分はお節に命じたのだ。それは承知していながら、彼は胴ぶるいし、歯をくいしばって、その一部始終を見とどけた。
――天下のためだ!
「あう!」
突然、飴売りが奇声を発した。
同時に彼はぐたりとなり、お節のからだからはね落された。
「旦那さま……どうぞ!」
お節の小さな声が聞えた。
見えない糸にひかれて泳ぐように、周助はそこに入っていった。そしてお節を見下ろした。……お節は犯された姿のままでいる。ひらいた両肢から下腹にかけて、白い脂《あぶら》が濡《ぬ》れひかっているようだ。それより彼女の閉じたままの長いまつげに、彼は魔魅のような淫猥《いんわい》の翳《かげ》を感じた。
ひだ平はというと、仰むけになってひっくり返ったまま、眼を白くむいて明らかに悶絶《もんぜつ》している。交合の絶頂に当身をくらってはいかなる男でもひとたまりもあるまいが、それにしても当身をくわせる方も方、やはりこれは甲賀の女忍者だ!
「天下のためでございます」
眼をふさいだまま、女の唇が凄艶に動いた。先刻、周助が心中にさけんだのと同じ言葉を。――
「さ、どうぞ……早く!」
かくて周助はお節と交合した。
妖法羅相変――第二の男根が、第一の男根の印した痕の通りに変相する忍法、理屈からいってもそこに或る程度の溶解現象が起らなければ成立し得まいが、実際、周助はからだそのものがとろけ果てるのではないかと思った。
数分後。
「これを」
いつのまに用意したのか、お節は手鏡をさし出した。
周助は魔睡から醒《さ》めたように――いや、なお醒め切らぬように、おのれの股間《こかん》を見下ろしていた。そこに何の異常もないようである。が、さし出された鏡を放心状態で受けとって、自分の顔をのぞきこみ、凝然《ぎようぜん》と眼を見ひらいた。
顔のまわりに白い霧のようなものがけぶっているようだ。その霧の中の顔が――心なしか、眉《まゆ》が下がり、あごがしゃくれて来たようだ。少くともそこにある顔が、自分の顔とはちがって来つつあることを周助は認めた。
「なるほど」
と、彼はつぶやいた。
忍法羅相変は偽りではなかった。どうやら、白河藩士の何某とつきとめられることなく、えたいの知れぬ刺客として死ぬという目的は達せられるようである。
「さて」
と、彼は気絶した飴屋を見下ろした。
「こやつをどうするか」
「討ち果たさなければなりますまいが……」
と、お節はいったが、かすかに身ぶるいした。
「わたしたちの手にかけるのは、ちとふびんにも思われて」
周助はまた鏡を見た。鏡の中の顔はすでに自分自身よりもひだ平の顔に近かった。
これを殺害することに、周助が、お節と同じひるみをおぼえたのは、むろん顔が似て来たための憐憫《れんびん》の情からではない。――その意味からでは、この地上に二つとあってはならぬ顔だから、当然一方を消去しなければならないのだが、しかしすでに自分の刺客行は、君のため天下のためと信じている周助である。大の虫を生かすために小の虫を殺す、という論理はむろん成立するけれど、なぜか人間としていやであった。自分の義挙をけがすような気がした。特に、この飴売りがまったく道具に使われた無縁の男であって見れば。
ちょうどハイジャックをやった「志士」が、人質とした無縁の乗客に対したような心境である。
「あなたさまもこの殺生はおいやでございますか」
と、お節はいった。
「よし、父上におまかせしよう」
と、周助は決心した。
「父上は、今明日は御帰宅にならぬはず。しかし永遠におれが消える以上、そのわけを――田沼を刺したのはこの周助だということを、父上だけには書置きしておかずばなるまい。それまで、こやつはここに縛って若党に見張りさせておこう。すべてが終ったのち、こやつを生かしておくべきか、あるいはやはり生かしておけぬか、父上に御処置願うことにしよう。……どういう状態になるか見当もつかぬが、ひょっとしたら殺さずにすむかも知れぬ。それをおれは祈る」
「出来ましたら、わたしも、そのように。――」
ほっとしたようにお節はつぶやいた。
おのれの頭上で、死からわずかに生の可能性へ運命が入れ変ったのも知らず、哀れな飴売りはなお眼を白くむいてひっくり返っている。――そして、
「では、明日。――お節、田沼に近づく手配をせい!」
まなじりを決していう天羽《あもう》周助の、そのまなじりはたれ下がって、すでにひだ平そっくりであった。
天明六年八月二十日。
もう夜に入っていたが、神田橋にある老中田沼主殿頭|意次《おきつぐ》の屋敷は騒然としていた。夕刻、将軍|危篤《きとく》との報を受け取り、意次が急登城する用意のためであった。
その支度はすでに完了したのに、しかし意次はなかなか座を立とうとはしなかった。が、何やらいらだって、
「明楽《あけら》。――まだか」
と、ひたいに筋を浮かべてかえりみる。
若いころ殿中一の美男といわれたのっぺりした顔が、七十近いいまの年となっては、かえって能面のようにぶきみな感じがする。
「いま――いまに参るはずでござります」
と、傍の武士が答えた。眉が下がり、おかしげな顔だちであったが、これも内心のただならぬ焦燥を現わして、その表情はむしろ凄愴であった。
彼らは、何やら待っているらしい。――
「かようなものが、御門に」
と、やがて一人の家来が早いすり足で入って来て、妙なものをさし出した。
穴のない銭のようなもので、表に「甲」、裏に「伊」と彫ってある。
「参ったようでござる。――よし、火曜のお庭へ通せ!」
と、明楽《あけら》と呼ばれた侍臣は命じた。田沼屋敷にはその紋の七曜星にちなんだ七つの庭があった。
それから、意次に先立って、自分からその火曜の庭のある座敷の方へ走っていった。
そこは、玄関から門へかけての騒ぎとは別世界のようであった。障子をあけはなち、縁側に立った彼は、闇黒《あんこく》の庭へ向って、
「来るぞ。――よいか」
と、いった。闇は寂《じやく》としている。
やがて向うの潜《くぐ》り戸があいて、提灯《ちようちん》とともにべつの影が入って来た。
「よし、提灯と両人を残してゆけ。……両人、そこに坐ってお待ちいたせ」
縁側に坐った影が、庭のまんなかを指さす。二つだけ残った影は、その縁の前二メートルばかりの位置に坐った。
しいっ――と警蹕《けいひつ》の声とともに、座敷にいくつかの灯と人影が入って来た。数人の侍臣をつれた田沼意次であった。
縁側近く座をしめると、意次はせかせかと声をかけた。
「甲賀者よな。――佐野善左が意知を殺《あや》めた一|竿子忠綱《かんしただつな》の刀が手に入ったと?」
庭の影はひれ伏した。
「しかも、それが白河から出たものであるとわかったと?」
意次は手を出した。
「見せい、早う、見せい」
スルスルと庭の影の一つが、手に一刀を捧げたまま縁の下に近づいた。――その顔が、座敷からの灯影に浮びあがった。下がり眉の、しゃくれあごの、おかしげな容貌である。
もとよりこれは巷《ちまた》の飴売りに変貌した天羽周助であった。この田沼屋敷に入ったのも、その口実とする一刀を渡されたのも、すべて同行したお節の手数によるものだが、何だっていい、ただ今宵田沼に近づくことが出来た上は。――
「大悪政の巨魁《きよかい》!」
その偽《にせ》一竿子忠綱を抜き払うやいなや、天羽周助は絶叫した。
「天下のために御首|頂戴《ちようだい》!」
飛鳥《ひちよう》のごとく縁側に羽ばたこうとした周助は、その刹那《せつな》、逆にどうと庭にころがり落ちていた。何者か、縁の下にひそんでいた者が、これまた妖鳥のごとく躍り出してその足にしがみついたからであった。
同時に、縁の上に坐っていた影も飛び下りて、倒れた周助に折り重なり、一刀つかんだ手を抑えている。仰天し、格闘しつつ周助は、闇の庭の周囲からむらむらと湧き立った無数の黒影が殺倒して来るのを見た。
「は、計《はか》ったな?」
周助は声をしぼった。
――む、無念!
叫ぼうとする二の声は出なかった。口にかっと横なりに固い箸《はし》のようなものがくわえさせられ、そのまま頸《くび》のうしろに結《ゆわ》えられたからだ。刀はもぎとられ、みるみる無数の手でその全身を縛りあげられていた。
「越中の家来か」
と、田沼意次はいった。おちつきはらった、しかし憎悪に凍りつくような声であった。
「は。……その近習にして、かつ白河藩江戸留守居役の倅《せがれ》、天羽《あもう》周助なるものでござりまする」
答えた声は、たしかいま縁側から飛び下りて、周助の口に枚《ばい》をふくませた男のものだ。
狂気のように周助はくびをふっていた。ちがう、ちがう! その悲叫がまず熱泥《ねつでい》のような脳髄から湧き出して、それだけは否定しようとしたのだ。
「顔は飴売りひだ平なる者に化けておりまするが、無用のそらとぼけの手数を省《はぶ》くために、それが偽者なる証拠を」
声は冷やかにつづき、近づいて来た短檠《たんけい》の一つを奪いとるようにして、ぐいとおのれの顔にさしつけた。
おそらくそれを見たときの周助の驚きほど、世に恐しいものはなかったろう。――下がり眉にしゃくれあご、それは自分の家に縛りつけてある飴売りひだ平にまぎれもなかった。
「あれしきの縄《なわ》は、わしにとっては糸のようなものじゃ。うふ、先回りして、待っておった」
と、侍姿のひだ平は薄く笑った。同じおかしげな顔が、ぞっとするような冷厳な印象に変っている。
「聞け、わしの素性は、お庭番頭領、明楽飛騨守允武《あけらひだのかみまさたけ》」
と、彼は名乗り、
「面《つら》は貸してやったが、一夜のことじゃ。あしたになればもとの松平越中守どの家臣天羽周助に戻る……忍法羅相変」
と、またニンマリと笑った。
あの数年来白河をうろついていた飴売りが、公儀のお庭番であったと? あの風来坊の道化者が、明楽飛騨守という堂々たる官名を持つその首領であったと?――湧き返っていた天羽周助の脳髄は凝固してしまった。
――いまや、完全に、徹底的に、敵のたくらみぬいた罠に落ちたことは明らかであった。すなわち、天下の老中田沼|主殿頭《とのものかみ》に凶手をふるわんとした者は松平越中守であるという――その放《はな》った刺客を捕えて、動かぬ生証人としようという。――
それを怖れたからこそ、周助はわざと主君とは無関係に、かつ変貌の法あれば、その法を利用しようとした。それを逆手にとられたのだ。いや、そもそもの事のはじまりから、一切合財《いつさいがつさい》敵のたくらみに操られぬいた自分であったのだ。
「飴をなめさせてやったが、いまわかったか、御公儀お庭番また甲賀組の恐ろしさが。この大たわけめ! あはははははは!」
ついに明楽飛騨守は声をたてて笑った。
たわけ! たわけ! 大たわけ! その鉄槌《てつつい》でみずからの内部から破れんほどに打ち叩きつつ、天羽周助は血ばしる眼で、背後の庭をふりかえった。かくも自分をたわけに仕立てた者はだれか?
お節が立っていた。
「わたしは甲賀のくノ一です」
彼女は、両掌を胸の前に組み合わせ、周助を見つめたまま、乾いた声で、昂然《こうぜん》といった。が、たちまちその眼にキラキラと涙が溢《あふ》れ出した。
「けれど、あなたさまを恋する女です!」
組み合わされた両掌の間から、ひかるものが白いのどにのびると、そこから血が飛び散った。懐剣でのどをつらぬき、返す刀を左乳房の下に刺しこんだまま、女は崩折《くずお》れた。
愕《がく》として、甲賀者たちが馳せ寄った。明楽飛騨守もちょっと口をあけてそちらを見ていたが、すぐに冷然と、
「こやつ、城中へおつれなさる。その用意をしておけ!」
と、縛りあげた周助にあごをしゃくった。
「では登城して、越中どのを揉《も》んでやるか」
田沼意次は莞爾《かんじ》として立ちあがった。
周助は縄もひきちぎれそうなほど身もだえした。おのれを証拠として江戸城へつき出す。まことに異例の大怪事だが、それだけに田沼の思い切った決意には身の毛もよだつ。彼は一挙にこの生証人を以て主君を葬り去らんとしているのだ。しかし、縄は切れるすべもなく、舌を噛《か》もうにも、歯に枚《ばい》をくわえさせられているのであった。
彼は蓑虫《みのむし》みたいに門の方へひきずられていった。
やがて、田沼主殿頭の乗物がそこへ出てきた。夜目にもきらびやかな行列が揃《そろ》う。
遠くから鉄蹄《てつてい》の音がひびいて来たのはそのときである。
江戸城から早馬に泡《あわ》をかませて駈けつけて来た御納戸頭取《おなんどとうどり》衆|松《まつ》 平《だいら》 織部《おりべの》 正《しよう》は、実に意外なことを田沼意次に伝えた。上意により松平越中守がいまここへ罷《まか》り越すにつき、つつしんでお待ち下されというのである。
「なに、越中が?」
この場合に、ここにきくべからざる名をきいて、さしもの田沼意次も判断力を失って立ちすくみ、門前の駕籠《かご》をめぐらして屋敷で待つということさえ忘却した。
たちまちゆくてにおびただしい松明《たいまつ》が浮かびあがり、あきらかに武装した大集団が地ひびきたててこちらに近づいて来た。田沼の行列は唖然《あぜん》としてこれを迎えた。
槍組が止まると、その中から葵《あおい》の金紋を打った一挺の駕籠が進んで来て、やがて悠然と白面の貴公子が現われた。裃《かみしも》をつけた松平越中守である。
「田沼どの」
と、越中守はふっくらとした表情と声で呼びかけた。
「御登城の態に見えるが――間に合うてよかった。御登城、おひかえに相成りたい」
「――な、なにゆえでござる?」
冷静水のごときを常とする田沼意次も愕然とし、かみつくようにさけんだ。
越中守は懐から奉書をとり出した。
「上意」
と、さけんだ。
あ、とさけびつつ、田沼意次はひざをつき、それをとり巻く群臣も風になびくすすきのように地べたに這《は》う。
越中守は朗々と読み出した。
「その方儀、積年御側近相勤め、格別の御|鴻恩《こうおん》をこうむりながら、阿諛《あゆ》を以て付け入り、巧智をめぐらし、諸家の金銀財宝をむさぼり、天下を悪風俗に押し移し候儀、その根本はその一人の大罪にして遁《のが》るべからず、これを以て御役御免仰せつけらる。――」
そして、越中守は奉書を巻いて、にっと笑った。
「なお、御内定のことじゃが、元御老中の田沼どのゆえ、特にお知らせいたしておく。これより老中首座は、この松平越中守定信が相勤めることになっております」
「――越中っ」
さすがの田沼意次も悩乱状態になった。
「そもじのあがき、ついに実を結んだと申されるか。そうはさせぬ。刺客を送って老中たるこの意次を斃《たお》さんとした奸謀《かんぼう》、その証拠はわが手中にあり、いざ、これより登城して白日の下に晒《さら》さずにはおかぬ。そこどかれい」
「天羽周助のことでござるか」
と、定信は平然といった。
「それは、田沼どののあまりのお仕打ちに、わしから抗議にゆかせたまでのこと。――これ、もうその用は相すませたらしい、夜舟、引取って参れ」
そのうしろから、ずんぐりむっくりした裃姿の老臣が重々しく歩き出して、田沼の行列の中から、蓑虫みたいに転がっている天羽周助を軽々とかつぎ出して、定信の面前でばらばらに縄を切った。まるで田沼の家来たちなど眼中にないかのような落着きはらったふるまいであった。
「奸謀といわれたな」
口をあんぐりとあけている田沼意次に、定信はいった。
「奸謀をめぐらしたのはだれか。わが白河藩に隠密を入れ、それのみかわが家来を罠にかけて罪に落すという、天下の老中にもあるまじき奸謀をほしいままにしたのはどなたか。羅織《らしき》虚構とはまさにこのこと。これまた上意の田沼どの大罪の一つでござるわ」
息をひいたきり、ただ口をぱくぱくさせている田沼意次のうしろの方をのぞき、松平定信は微笑してあごをしゃくった。
「わが藩に潜入せる隠密どもの動静は、白河に一歩入って以来、掌《たなごころ》 をさすがごとく知っておるわが隠密、白河夜舟。――その名だけは甲賀組に知られておったらしいが、これ夜舟、いま顔を見せて田沼どのの隠密衆に挨拶《あいさつ》しておけ」
「なに、白河夜舟。――」
意次のうしろから泳ぎ出して来たお庭番首領明楽飛騨守は、その前に立ちふさがった戦車みたいな老武士の顔を見て、のどの奥から名状しがたいうめきを発した。
茫乎《ぼうこ》として大地に坐っていた天羽周助も、ふり仰いで、あっとさけんでいた。
「何番に御案内申そうかな」
と、旗宿の旅籠の亭主は錆《さび》をふくんだ声でいった。
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春夢兵
春の夜に、三人の忍者が、歌麿《うたまろ》の絵を中に、春画論をやりはじめた。
「歌麿は、大変な醜男《ぶおとこ》だったらしい」
と、その一人、鶴坂彦五郎《つるさかひこごろう》がいい出したのがもとであった。
喜多川《きたがわ》歌麿が死んだのはもう二十五、六年も前のことで、自画像も妻も子も残していないこの大浮世絵師は――むろん、生前の彼を見知っている人間はまだたくさん現存しているにちがいないが、それにもかかわらず――一般の世人の心には、もう伝説的な色男の印象を残しかけていた。
「じゃから、これは歌麿にとって、自分の夢の世界を描《か》いたものよ」
と、彦五郎は、湯上りらしい髪を長くたらした女に若い男が挑みかかって口づけし、鏡にその遊冶郎《ゆうやろう》の恍惚《こうこつ》とした顔が映っているという構図、あるいは花魁《おいらん》が長襦袢《ながじゆばん》で若衆をくるんで上位で愛撫《あいぶ》し、若衆はなかばおびえてその長襦袢の襟《えり》に指をかけているという構図の枕絵にあごをしゃくった。
「歌麿の笑い絵が、ほかの絵師より格段に人気があるのは、いちばん美しくいちばん力があるからじゃが、その美と力は、醜男の歌麿なればこその夢から出ておるのだ。おれには歌麿の気持がよくわかるわい」
苦笑する鶴坂彦五郎は、なるほど鬼瓦《おにがわら》みたいなこわい顔をしている。そのくせ彼もまた大変な女好きであったから、いっそう実感があったのかも知れない。
「では春画というものは、現実にはあり得ない世界か。夢を現実化したものか」
と、いったのは水無月民部《みなづきみんぶ》だ。彫りのふかい顔をこれまたニンマリとさせて、
「だから、この通りにやろうとして、腰の蝶《ちよう》つがいをはずすやつも出るのだな」
「いや、おれは現実を夢幻化して描《か》いたものだといっておる」
「何が何だか、わからぬなあ」
あとで紹介するが、この水無月民部の心得ている秘術を思うと、彼がこんな話をひとごとみたいにいっているのが可笑《おか》しいようなものであったが、むろん仲間同士の会話だからとぼけているのではない。まったく自分から離れて、「芸術」について論じていたのである。
「夢を現実化したものか、現実を夢幻化したものか、いずれにせよ、それは歌麿だからこそ言えることで」
と、ちょっと離れたところで、せっせと筆を動かしていた前髪の若衆がいった。
「ほかの絵師の春画など、夢も現実もありはしない」
そういいながら、彼が描いているのは――春画なのだ。そのまわりには描きちらしたそのたぐいの絵や絵皿や筆などが散乱している。この若衆は絵師なのか。そうではない。いま自分の絵を数えいれなかったのは、自分を論外においているからで、この篠縫之介《しのぬいのすけ》という若者は、やはり公儀忍び組に籍を置く一人なのであった。
彼は歌麿を手本に、笑い絵を描いているのだ。歌麿にくらべるのはまさに論外だが、なかなかうまい。絵草紙屋にならべても、結構売物になるのではないかと思われるほどである。
ただし、よく見れば、女の顔が――歌麿の、いや、どんな浮世絵師にも共通した、眼の細い、面長《おもなが》の、個性のない顔と異なって――それだけが、まるでそれぞれちがう女の似顔絵のようにちがい、しかも変になまなましい。それにくらべて、男の顔は、みなのっぺらぼうだ。輪廓《りんかく》だけなのである。そのくせ、性器だけは――これは日本の枕絵独特の、世界に誇るべきデフォルメ、あのユーモラスな大男根になっていて、しかも異様な力感があった。
もう一つ不思議なのは、散らかったそれらの絵の中に、たしかに描いて間もないものも見えるのに、変に薄れかかって、もう大部分色彩も線も消えているものが少なくないことだが。――
いや、それより何より異様なのは、描いている若衆の美しさであった。絵の中の色男の顔はのっぺらぼうなのに、この篠縫之介という若者が、歌麿の枕絵の男そっくりの、ノッペリ、トロリとした美男なのだ。
二つばかり、離して床に置かれた行燈《あんどん》の灯に、まるい虹《にじ》がかかっているようなのは、いかにも春らしいが、それにしてもほかの場所とはちがう妖《あや》しさをけぶらせている。――
ここはどこか。四谷伊賀《よつやいが》町の伊賀者組屋敷。外は朧夜《おぼろよ》で、どこかで、くくう、くくう、と鳩が鳴いていた。
組屋敷とは、いまの、まあ社宅みたいなものだが、これは共同で使っている土蔵の中だ。だから、しみ[#「しみ」に傍点]だらけの黒ずんだ壁に、鉄砲や鎖鎌《くさりがま》や変てこな武器|様《よう》の道具や、それにさまざまの職業の衣裳がぶら下がっている。ただし、いずれも錆《さ》びついていたり、ぼろぼろになっていたりするが、その古怪な背景とともに灯が浮かびあがらせている歌麿の春画の対照が、この妖しさを醸《かも》し出している原因であろう。
べつに今夜だけの光景ではない。世も天保《てんぽう》と変って二年目、徳川二百数十年の長夜の夢のかけらの一つに過ぎない眺《なが》めといっていい公儀忍び組|無聊《ぶりよう》の図であったが、それでも改めて感心したようにしげしげと、篠縫之介を眺めやって、鶴坂彦五郎が、
「それにしても、不思議じゃの、枕絵の若殿みたいな顔をした縫之介が、枕絵を描くのを能としておるとは」
と、つぶやいたとき、屋根の上の鳩の鳴声がはたとやみ、土戸《つちど》があいて、二人の人間が入って来た。
「おまえら、ここにおると聞いて来たが――また例のいたずらか」
と、その一人が苦虫《にがむし》をかみつぶしたような表情をした。もっとも、もともと難しい顔をしている、伊賀組の頭領|服部三蔵《はつとりさんぞう》であった。
服部三蔵は、つれて来た男を紹介した。
「元|松前《まつまえ》奉行御支配の調役《しらべやく》、間宮林蔵《まみやりんぞう》どのだ。お話があるといわれる」
世界地図にただ一人、日本人の名を冠する間宮海峡という地名を残した間宮林蔵。――その世界地図が、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによってはじめてアムステルダムで公刊されたのはこの翌年のことだが、蝦夷樺太《えぞカラフト》の大探険家としての名はすでに江戸でも聞えていた。
年は五十半ばであろうか、たしかいまは江戸で公儀に職を奉じているはずなのに、月代《さかやき》は蓬々《ほうほう》とのばし、北辺の探索から帰ったばかりのような感じがある。背は低いけれど、がっしりとしたいい体格で、皮膚には年齢には不自然なほど黒い脂《あぶら》をぬったような光沢がある。それより何より、この男が、はじめて見る人間にも、まぎれもなく超人という噂《うわさ》のある間宮林蔵だと思わせるのは、その全身から放射される凄絶《せいぜつ》の野性であった。
「こりゃ何だ?」
と、林蔵は床の上に散らばった絵を見わたしていった。
春画を描いていた篠縫之介は、筆をとめたままおっとりとこちらを見あげているのに、鑑賞していた鶴坂彦五郎の方が、一礼しかけて、あわててそれらの絵を両手でかくそうとしたが追いつかない。林蔵の足もとにも、醜怪な雲助に犯されつつ、美女がその腕にかみついている凄艶きわまる歌麿の強淫図が落ちている。
「このものどもは何をしておるのでござる?」
と、林蔵は頑丈《がんじよう》なあごをしゃくって、もういちどいった。
筑波《つくば》の箍屋《たがや》兼百姓の子として生まれ、蝦夷地に出張したのもほんの下役に過ぎず、現在ですら正式な身分を知っている者もあまりないほどの間宮林蔵だが、それにもかかわらず彼の上司である川路左衛門《かわじさえもんの》 尉《じよう》 聖《とし》 謨《あきら》でさえ、「先生」と呼んだほどの林蔵だ。いまや影薄い伊賀組の頭領など、その眼中にないらしいのも当然である。
「あ、いや、まさか夜までかようなことをして慰んでおるとは存ぜず。――」
服部三蔵はへどもどした。
「あれも、実は、忍びの術修業の一つで」
「秘戯画がなんで、忍びの修業に相成るか」
水無月民部が声をかけた。
「して、お話の向きとは?」
気の強い男だけに、不意に訪れた客の横柄《おうへい》さに、むっと反撥《はんぱつ》を感じたようだ。しかし間宮林蔵はそんな問いは意にも介せず、なお北海の熊か狼を思わせる、彼と会ったことのある儒者|斎藤拙堂《さいとうせつどう》が「爛然《らんぜん》人を射る双巌《そうがん》の雷《いなずま》」と形容した眼であたりを見まわして、
「いやしくも御公儀の忍び組が――しかもその頭領みずからが推挙してひき合わせようとする伊賀者が、枕絵を眺めて悦《えつ》にいっておるとは――」
と、長嘆した。
「江戸の町々の絵草紙屋に、公然春画が売られておる世相の現われともいえるが、四海に強大にして凶暴なる異国の船がめぐりはじめておると申すに、眼を覆い、耳を覆って、遊惰淫楽《ゆうだいんらく》に日も夜も足らぬばかりにうつつをぬかしておる馬鹿者ども」
服部三蔵は、見えない鞭《むち》にたたかれるように青くなったり赤くなったりした。何しろこれは、水戸の殿様のところへいっても同じ烈《はげ》しい口吻《こうふん》で吹きかける林蔵の持論だから、内容のわかるわからないに関せず、その迫力だけでも常人はひるまないわけにはゆかない。
「ああ、かかる愚者の天国に酔い痴《し》れておる民が――なかんずくかかる腐敗|爛熟《らんじゆく》の世に育つ若い奴らが、やがて来る国難にいかに対処するか、未来を思えば背も寒うなるわい。天下、見わたしても、それを見通しておる憂国の士は一人もないが。――」
「いや、べつに御心配はいりますまい」
と、水無月民部がいった。
「拙者《せつしや》の考えでは、公的には忠だの孝だの滅私奉公だのと聖人の語録のごとく鼓吹《こすい》している時代に限って、内部では隠微に背徳の行為がいろいろ行なわれておる。愛国|尚武《しようぶ》の教育を受けて育ったはずの世代が、案外国家を破滅させるような負けいくさをやるのではないか――と、こう考えております。人間、あまり無理しちゃいけませぬ」
「なに?」
思わぬしっぺ返しに、林蔵は眼をまるくした。彼に対してこんな口のききかたをする者は、幕閣の上司にも一人もない。それが、なんと、春画の中に坐っているこの不埒《ふらち》なる伊賀者が。――
「天下に憂国の先覚は一人もないようなことを仰せられたが、拙者の見るところでは、かかる世相にあっても虎のごとく竜のごとき人材は雲のごとくにある。江戸にも、諸藩にも。――」
「ど、どこに、どのようなやつがおる?」
林蔵としては、何もこんな伊賀者を相手に天下を論ずるつもりはなかった。むろん或《あ》る用件があってやって来たものの、一目見ただけで失望し、つい平生の慷慨《こうがい》が詩《うた》のように出たのに過ぎなかったのだが、意外な反撃につい釣《つ》り込まれた。
「こ、これ。――」
と、服部三蔵は狼狽《ろうばい》してとめかけたが、
「されば。――」
と、民部はとり合わず、眼をとじた。もうこうなったらひっこみがつかない。だいいち、頭《かしら》の不面目を救うためにもひっこんではいられない、と思うと、不敵なこの男は度胸をすえて、わざと荘重に、
「いま若いやつらの将来が思いやられる、というようなことを仰せられたゆえ、現在二十代を中心に、十代、三十代で前途有望なる俊秀を、思いつくままにあげて御覧にいれましょうか」
と、いって、咳《せき》ばらいした。
「まずお大名、ないしその御曹子《おんぞうし》では、薩摩《さつま》の若殿|島津又三郎斉彬《しまづまたさぶろうなりあきら》さまあり、佐賀《さが》に若き太守|鍋島肥前守《なべしまひぜんのかみ》さまあり、それから、これはまだ世人には知る者もない部屋住みの少年でおわすが、井伊兵部《いいひようぶ》さまのお子に鉄之介直弼《てつのすけなおすけ》どのと申さるる方あり。――」
林蔵の眼が大きくひらいた。
「諸国諸道にいななく若き名馬として、肥後に横井平四郎《よこいへいしろう》なる者あり、長崎の町年寄に高島四郎《たかしましろう》太夫《だゆう》あり、信州|松代《まつしろ》藩に佐久間修理《さくましゆり》あり、伊豆《いず》の韮山《にらやま》に江川太郎左衛門《えがわたろうざえもん》あり、水戸《みと》に藤田虎之助《ふじたとらのすけ》あり、この江戸でも、町医者|高野長英《たかのちようえい》なる者、有望というよりのちのち恐るべき人物と存ずる。……まだ申しましょうか」
「もういい」
林蔵は愕然《がくぜん》たるまなざしで、眼前の伊賀者を眺めやった。
彼が愕然たるまなざしになったのは、伊賀者のあげた人材の星が、まさに図星であることを認めたからだ。ということは、林蔵もまたこれらの星に――そのすべてに対してかどうかは別として――眼をそそいでいたということでもある。
「そ、そのようなことをなぜ知っておる?」
「伊賀者の務《つと》めは、諸国への隠密でござれば」
と、民部は答えた。わざと平然といったつもりだが、相手の動揺を看取して、ちょっと鼻がうごめくのを禁じがたい。
「そなたらが……諸国の隠密に?」
もういちど林蔵は、信じられないもののように、枕絵に眼をさまよわせた。
「されば、この水無月民部、またそこの鶴坂彦五郎など、春画を売る絵草紙の行商人や香《や》具|師《し》などに身をやつして、隠密御用を相勤めております」
と、服部三蔵が言葉をさしはさんだ。やっと醜態を弁解し面目を回復するよすがを得て、これまた鼻をうごめかした。
「江戸の枕絵は、江戸でこそどこでも売っておりますが、地方ではなかなか珍重されましてな」
「あの若者がそれを描《か》くのか。――」
と、林蔵は、絵筆を持った篠縫之介の方に眼をやった。
「いや、売り物はそこの歌麿などの版画で――あれの描くのはまたべつの修業でござるが」
意気込んで三蔵は説明しかけたが、林蔵の心はもうべつの――彼がここへやって来た本来の用に戻っていた。
「そなたら――南部《なんぶ》の隠密にいったことがあるか」
と、突然、鶴坂や水無月の方に向き直っていい出した。
「南部と申すと、南部藩でござるか」
鶴坂彦五郎はくびをふった。
「いや、参ったことはござらぬ」
「そこへいってもらいたい。わしが伊賀組へ依頼に来た用件はそのことじゃ」
林蔵は厳然といった。
間宮林蔵が松前奉行所の下役人として樺太の西岸を踏破し、これがシベリアの半島ではなく海峡を隔てた離島であることをはじめて明らかにしたのは、もう二十三、四年も前のことであった。
三十半ばにして世界的壮挙をやってのけたあと、彼はどうしたか。
それが世界的壮挙であることを外国のすべての地理学者は認め、なかんずくロシアの大水路学者クルーゼンシュテルンなどは、「われ日本人に敗れたり」と叫んだくらいであったが、日本で認識したのは幕府天文方の高橋景保《たかはしかげやす》ら一握りの知識人だけといってよかった。百姓出身の林蔵に幕府が与えたのは、公儀隠密という暗い職務であった。
いったいに徳川幕府ほど密偵組織を無造作にかつ巧妙に張りめぐらした政府はちょっと類がなく、大目付、目付、お小人《こびと》目付のほかにお庭番あり、伊賀者甲賀者あり、民間にも法的にはえたいの知れない岡っ引手先あり、幕末にヨーロッパへいった使節団まで西洋事情探索御用と称して、一種の探偵のつもりで疑問にも思わなかったくらいで、現代の日本人まで変に密告好きなところがあるのはその影響がなお残存しているのではないかとさえ思われる。
林蔵も、勘定奉行支配下で三十俵三人|扶持《ぶち》の普請《ふしん》役という職名でこの隠密役になったのである。右にいったように何でも隠密に仕立てたがる幕府で、表面は治水灌漑《ちすいかんがい》などの工事にあたる普請役は、時と場合でその公務に託して諸国の探索を命じられることがあったが、林蔵は主としてこの裏の仕事に従ったのであった。
上司の奉行からも「先生」と呼ばれる公儀隠密間宮林蔵。
しかも、世界に誇るべき大探険家は、この奇怪で卑《いや》しい職務に、|※[#「口+喜」、unicode563b]々《きき》として励んだ形跡がある。
その三年前――文政十一年、「シーボルト事件」として世を震駭《しんがい》させた事件が出来《しゆつたい》した。幕府天文方高橋作左衛門景保が、出島《でじま》蘭館の医者シーボルトの所有するクルーゼンシュテルンの「世界周航記」を熱望するあまり、伊能忠敬《いのうただたか》の作製した日本地図とひきかえにそれを入手したが、このことが発覚して逮捕され、数ヵ月にして獄死し、しかも塩漬けにされた屍体《したい》に斬罪の判決を下され、その他事件|連累者《れんるいしや》五十人もが遠島や改易を申し渡され、シーボルトも永久追放を命ぜられた事件である。
高橋景保こそ、間宮林蔵の樺太探険の壮図を企画し、また伊能忠敬に日本地図を作製させた畏敬《いけい》すべき日本|黎明《れいめい》の能吏であって、とくに林蔵にとって恩義あるパトロンといえた。景保がこのように大それたことをやってのけたのも、彼の純粋な学問的情熱以外の何物でもない。――
しかるに、この事件が発覚した端緒《たんしよ》は、林蔵の官憲への密告によるものであった。彼は恩人を売った。
ただ、林蔵には、恩人を売って益するところは何もない。事実彼は、立身とか享楽とかにはまったく興味がなく、その生活はストイックをきわめ、妻も子もなく、江戸城にゆくのにも裃《かみしも》もつけず上司をあわてさせたというような野性の持主であった。
それは消極的には、彼の公儀隠密という職務への忠実さと、積極的には国防への悲願のなせるわざであった。彼はかつて蝦夷《えぞ》や千島《ちしま》でオロシヤ人の劫掠《ごうりやく》ぶりを目撃し、それどころかこの敵と血戦して危く逃れ去った体験さえ持つ男であった。恐るべき外夷《がいい》から国土を護らなければならぬ。この「大義」につらぬかれた彼にとって、日本地図を外夷にわたすごとき「親《しん》」は、たとえ恩人であろうと滅《めつ》するに躊躇《ちゆうちよ》はしない。
こういうことも決然とやってのける林蔵である。恐るべき密偵、闇黒《あんこく》の密告者、という面上に印された烙印《らくいん》は意ともしなかったに相違ない。いや、それは彼にとってむしろ誇りであったかも知れない。彼は日本を護るための隠密行に、勇躍して東奔西走した。
川路聖謨の日記に、夏日炎熱の下を裸足《はだし》で歩いている林蔵を見かけて、「先生、なにゆえ裸足で?」と問いかけたら、「足の裏が柔《やわ》になると困ることがござるでな」と答えて、灼《や》けた大地をタッタといってしまったという記事がある。また彼は、夏でも蚊帳《かや》を吊《つ》らず蚊の食うままに寝、寒中でも炉《ろ》など一切設けず単《ひとえ》のままごろ寝して平然としていたという。
樺太踏破はおろかシベリアまで渡った鋼鉄の肉体は、日本内地の隠密行など物ともしなかったであろう。彼の足は、奥羽、西国はおろか、伊豆七島などの離島にも及んでいる。しかもただ肉体の強靭《きようじん》さに頼るのみならず、彼自身隠密のわざにいかに工夫を凝《こ》らしたかは、彼が平生|月代《さかやき》を剃《そ》らなかったのは乞食や虚無僧《こむそう》などの変装に便なるがためであり、居宅も終始転々と変えて、上司すら正確には知らなかったという事実でも知られる。
さらに、こんな話がある。
当時薩摩は、隠密として入るのに最も難しい国であった。そのために、いって還らぬ薩摩|飛脚《びきやく》とさえいわれた。しかるに一日、薩摩侯が江戸城で幕府の閣僚と談笑している際、あまりに鹿児島の城の内部について相手が精通しているふしがあるので不審にたえず、たまりかねて訊《ただ》したところ、相手は笑って、お国へ帰られたら城内某所の襖《ふすま》を剥《は》いで見たまえ、といった。そこで侯がその通りにしたところ、襖の下張りの中に、「大府《だいふ》探偵間宮林蔵」という名刺がさしはさんであったという。
さて、その間宮林蔵が伊賀の組屋敷に現われた。
右のような林蔵のキャリアを伊賀組がどこまで知っていたか。公儀のさまざまな隠密組織には、おたがいに横の連絡は何もないとはいえ、頭領の服部三蔵がその態度|甚《はなは》だ恭敬であったところからすると、さすがに彼は或る程度承知していたものと思われるが、配下の三人に至っては、ただ樺太探索の間宮どのはこのごろ隠密もやっておられるらしい、というくらいの風聞しか耳にしていなかった。――
だからこそ、不敵にもこの大豪の士にしっぺ返しを試みたのだろうが――しかし、ひょっとしたらば彼らは、林蔵の実績を知ると、いよいよ負けぬ気をふるい起したかも知れない。
「南部へ?」
と、鶴坂彦五郎はもういちど聞き直した。
「南部に何かあるのでござるか」
「ある」
と、林蔵はうなずいた。
「正しくいえば、南部の分藩|八戸《はちのへ》藩じゃが。――」
そして、彼は語り出した。――
南部は盛岡《もりおか》本藩十万石のほかに、支藩八戸二万石を持つ。問題はこの八戸藩で、これがここ数年ひそかに異変を起している。一言でいえば徹底的な軍国主義といってよかろうか。つまり、極力外部とのつながりを断《た》ち、藩士と領民に特別の精神的及び実際的訓練を施している形跡がある。
「……まるで、わしが指導者になったようじゃが」
と、林蔵は苦笑したが、その指導者は下斗米鉄之進《しもとまいてつのしん》という男であるという。
「それ、例の相馬大作《そうまだいさく》の弟で、まるで大作の再来のような男よ」
と、林蔵はいった。
相馬大作は南部藩から出た俊秀で、主家と旧怨《きゆうえん》ある隣藩|津軽《つがる》の太守を大砲まで持ち出して狙《ねら》い、捕えられて、もうかれこれ十年前に処刑された有名な刺客である。この弟が八戸にあって、藩制を改革し、軍国を推進している。それは北方不安の折、大いに嘉《よみ》すべきことだが――ここで特別の銃を発明し、その調練に藩士を従わせているらしい。
「どうやら大作が在世当時、近江の名人鉄砲|鍛冶国友一貫斎《かじくにともいつかんさい》から手に入れた新工夫の鉄砲を、さらに開発したもので、火縄《ひなわ》はおろか火薬も要《い》らぬ銃らしい」
「や?」
鶴坂彦五郎が大声を発した。林蔵はいう。
「今や八戸は一個の小薩摩と化しておるが――それは、その鉄砲の秘密を守るためではないかと思われる」
「それは……大変な発明ではござらぬか」
「いかにも、それがまことなら、これまた国家の大幸、近来の快事じゃが、さて一藩の秘密として調練しておるとあれば、これは有害無益のものとなる」
「八戸は、何を企んでおるのでござりましょうか」
「まさか天下の顛覆《てんぷく》まで思うはずはなく、彼らは、なお津軽への復讐《ふくしゆう》を捨てておらぬ、その挙に役立てようとしておるのではないか」
「ほほう」
「さて、そうであるとすると、北辺多事、オロシヤの脅威に対するには今のところ南部と津軽両藩の協力に待つよりほかはないに、一方のみが秘密の兵器を蔵し、他方に敵意を抱いておることは、かえって災いのもととなる」
「なるほど」
「両藩の不和ぶりには、わしもほとほと懲《こ》りたことがある」
林蔵はにがい顔をした。それが彼の今の外夷ノイローゼの原因の一つだが、若いころ――文化四年のことであったが、千島のエトロフにオロシヤの軍艦が来寇《らいこう》したとき、守備隊の南部・津軽兵はいちころに打ち破られ、松前奉行所下役人として出張していた林蔵も背に銃弾を受けて九死に一生をのがれた体験がある。そのときから両藩味方同士の敵意には怒りをさえおぼえていたのである。
「さて、以上のこと何とか探索したが、むろん不明なところもあり、わしとしても信じ切れないふしもある。それゆえ、わしみずからが乗り込んで確かめたいのはやまやまじゃが――何分、蝦夷地でわしの顔は南部の侍どもによく知られておるのでな。それゆえ、特に伊賀組の出動を頼みにやって来たのじゃわい」
と、林蔵はいった。そして、三人の伊賀者を見まわした。
「出来るか。いってくれるか」
「もとより。――」
と、鶴坂彦五郎はどんと胸を叩《たた》いて、頭領の三蔵をかえりみた。
「ゆくのは、おれでござろうな」
「わしはそう思っておる」
服部三蔵はうなずいた。林蔵はちょっと眼を大きくした。
「一人でよいのか」
「隠密は一人ですめば、その方がよろしゅうござろう」
と彦五郎がいうのに、三蔵が言葉を添えた。
「この男、いまのところ伊賀組切っての武道の達人で、なかんずく、鉄砲――短銃の名手でござる。探索の趣きから推《お》して、この御用に叶《かな》うもの鶴坂彦五郎にまさるものはござるまい」
不思議なことに、水無月民部はこの決定に異論を唱えず、うす笑いして黙っていたが、このときふと口をきいた。
「間宮先生。……しかし先生は、伊賀組をどこまでお信じで? 内心、危ぶんでおいでなさるのではありますまいかなあ?」
「う、はん」
間宮林蔵は半信半疑の心をそのままのあいまいな声をもらしたが、すぐに、
「いや、改めて見直した。さきほど聞いた諸国の人材の件に徴《ちよう》しても、伊賀組馬鹿にはならぬ」
と、いった。
「あのことでござるか。ふふ、では、伊賀の忍法は?」
「忍法?」
林蔵は頓狂《とんきよう》な声をあげ、一笑しかけて、そのとき、ふと――もう一人の伊賀者に眼をとめた。
右の問答を馬耳東風と、床に坐ったままの妖艶《ようえん》の若衆は、さっきからまた絵筆で春画のデッサンをはじめていたが、描いたはずの絵が、数分たつと、かたっぱしから、幻のように消えてゆく。
だれが、その日もこの海の向うを三|檣帆《しようはん》のオロシヤの艦《ふね》が往来しているかも知れぬ、など思うだろう。晩春の太平洋は目路《めじ》のかぎり、碧《あお》い波濤《はとう》に白い花を咲かせていた。
ただ大空に耳を聾《ろう》するぶきみな無数の怪声が、はじめての人間には何やら凶《きよう》 兆《ちよう》を告げるもののごとく聞えるかも知れないが、それが陸から百メートルの蕪島《かぶじま》に棲息《せいそく》する名物ウミネコの鳴声だと知れば、それもこの陸奥《むつ》の一寒国の風物詩でしかない。
八戸の海辺であった。
岩蔭《いわかげ》に、雲水《うんすい》姿の鶴坂彦五郎が坐っていた――彼は小さな紙片に何やら書いていた。
彦五郎が八戸に潜入してから二十日あまりになる。
潜入したといっても、さすがにこの一国、出入口をすべて鎖《とざ》し切っているわけではない。そんなことの許される時代ではない。だから旅の乞食《こじき》僧として入ることは可能であったのだが、入って見て彼は、林蔵がここは北国の小薩摩だといった意味をたしかに了解した。よそから来た人間に対してはもとより、領内の住民同士にまで、見えない眼がいつもどこからか注がれているような秋霜《しゆうそう》の気が、ピーンと張りつめていたのである。
「おれなればこそ出来たことだ」
と、彦五郎は自負する。
領内八十三ヵ村を托鉢《たくはつ》して回る彦五郎は、まったく領内のどこかの寺の僧――少なくとも、南部の坊主としか思われなかった。その言語は完全に南部弁であったからだ。しかも、持って生まれた鬼瓦みたいな顔が、それはそれなりに網代笠《あじろがさ》の下で別人のように可笑《おか》しみのある柔和の相に変貌していた。
この姿とこの顔で、彼は八戸を探索した。そして、間宮林蔵の推測通りの――それ以上の驚くべき事実を知った。
まず林蔵のいった新式銃だが――それは、実在する。それをたしかめるために、鉄砲にくわしい彦五郎がまず第一に乗り込んで来ることを志願したのだが、まだ残念ながら現物は入手出来ない。
八戸では、それをひそかに「風銃」と呼んでいた。
現物がまだ手に入らないので何ともいえないが、それは林蔵のいったように、国友一貫斎の「気砲」をさらに改良したものらしい。気砲とは、寛永のころオランダ人が将軍に献上した 風《ウインド》 砲《・ルウル》 なる玩具がその後こわれて物の用をなさなかったのを、文政年間、近江の名人鉄砲師国友一貫斎が修繕《しゆうぜん》し、かつ武器として改良し、みずから気砲と命名したもので、彦五郎もその実物を見たことがあるし、また一貫斎の著《あら》わした「気砲記」という書物にも目を通したことがある。この当時、一種の空気銃を発明したということは驚くべき才能で、彦五郎は一貫斎の天才にうなりはしたものの、当然やむを得ないことだが、大袈裟《おおげさ》な空気|圧搾《あつさく》の喞筒《そくとう》や面倒な送風の手順などを要し、現実に武器として使用出来るものではないことも知っていた。
それを八戸の下斗米鉄之進は、武器として使用出来るものにしたらしい。そして、この風銃隊を編成して、ひそかに調練しているらしい。
何のために? 津軽藩を痛撃するために。
南部は――特に、その北方で、津軽により近いその支藩八戸藩は、津軽藩への宿怨になお熱情を失ってはいなかった。先年の相馬大作事件以来、両家の争いには幕府の監視の眼がひかっているので、表面忘れたようなふりをしているが、近年|蝦夷《えぞ》や千島に両藩合同で守備隊を派遣することを命ぜられることが慣《なら》いとなるにつけ、不快感がよみがえり、かついっそう耐えがたいものになったようだ。
で――彦五郎の見るところでは、奥羽でこそ八戸は公然津軽に争いは挑まないが、遠い北の駐屯地《ちゆうとんち》で、共同出兵の津軽守備隊をひそかに片づけて、積年の欲求不満をはらそうと企図しているのではないかと思われる。たとえ津軽兵が一隊消息不明となっても、そんな僻遠《へきえん》の場所では何とでもごまかせるし、実に恐るべき望みとしかいいようがない。
それからもう一つ、この国に、それ以上に恐ろしい異変が起っている。
八十三の村々に必ず学校が置かれて、村民ことごとく学習させられているが、そこで試験をやる。また体格検査をやる。その他容貌性格など十数項目のデータを勘案して、領民すべて優劣のランクが公けの帳面に記録されているらしい。何のためかはじめわからなかったが、やがて彦五郎は、それによって領民の出産を規制するのが目的らしいと知った。
最上位の男と女の組合せによって生まれる子には奨励金さえ下される。ところが最低位の男と女の組合せで子供が出来た場合、生存も不可能になるほどの税金がかけられる。その中間にさまざまの段階がある。
要するに、八戸藩は、人種改良を計画しているのだ。
思い切ったことをやるものだ、と彦五郎はうなった。まさに八戸藩百年の大計――いや、その効果は、二十年内外でもう明らかになるだろう。それどころか、現在ただいま効果がある。最低ランクに登録されては、到底子供は作れない。従って、おちおち交合も出来ない。従って、心ゆくまで交合しようと望むなら、まずそのランクが上るように必死に努力しなければならない。世にこれほど効果的な鞭《むち》と人参《にんじん》はちょっとあるまい。
どの男とどの女の交合による子供か、ということが至上の問題とされるから、当然、その組合せは明確でなければならない。これに虚偽の申告をすれば厳罰を受ける。その男女はもとより、生まれた子供も首を斬《き》られてしまうのだ。従って、八戸領内、男女の道は遺伝学の図譜のごとくに厳粛であった。
指導者の理念通りにゆけば、一藩あげて、勤勉努力する人格者ばかりになる。事実、彦五郎がこの国に入ったとき、ピーンと感じた秋霜の気は、何よりこの事実から発したものらしいことを間もなく彼は知った。
ところで彦五郎は、たった二十日ばかりのあいだに、どうして以上のことを――特に、風銃隊のことまで探り出したのか。
「ふふ」
と、網代笠の下で彼は笑った。
「人間なるもの、なかなかそうは参らんで」
なんと彼は、右の情報を、春画を餌《えさ》にして手にいれたのだ。
そんなものを雲水が配れば、たちまち密告されるはずだが、それがそうではなかった。この国の人々は、彼がひそかに墨染《すみぞ》めの袖《そで》の下から見せた歌麿の秘画に、他領の民の数倍もの眼の燃やしかたをし、それをもらうためにはいのちを失うのもいとわない表情になった。やがて彼は、もらった人間がそれを公けにすれば、よそとちがってたちまち首が飛ぶことは請合《うけあ》いだから、かえってこれは彼らに秘密を守らせる麻薬となることを知った。もっとも、それがいつまでもつづくとは思われないが、彼はいつまでもこの国にとどまっているつもりはない。
用さえすめば、明日にもここから飛び去るつもりでいる。用とは、風銃を一梃《いつちよう》手にいれることであった。
右のような餌《えさ》で情報を蒐集《しゆうしゆう》するには、しかしいくら何でも相手をよく選ばなければならない。それは鶴坂彦五郎のような炯眼《けいがん》を以《もつ》てしてはじめて可能なことであったが、それにしても大胆な。――彼は、その一人として、八戸風銃隊の銃士をつかまえたのであった。
やがて、今にもその男が、銃を抱いてひそかにここにやって来る。
それをこの海辺の岩蔭で待ちつつ――以上、探知した事実を、彼はせっせと薄葉《うすよう》に書きつづけ、そして書き終えた。常人の眼では読めないような細字を書いた短い筆の、穂をすっと抜きとると、薄葉を細く巻いて、その軸にさしこんだ。
どうやら報告書らしいが、それを今書いて、彼はどうしようというのか、それを今書いたのは、彼の用心深さのせいであったか、それとも、虫が知らせたのであったか。――
突如、彼は、ぱっと大|蝙蝠《こうもり》みたいに立ちあがっていた。
待ち受けていた人間がやって来たのではない直感を、本能的に彼は得たのだ。
「動くな、江戸の隠密!」
背後で呼ぶ声がした。
彦五郎はふりむいた。十間ばかり離れた岩の上に立っている男を認めたのだ。それは彼が手なずけたと確信していたあの風銃隊の隊士であった。
轟然《ごうぜん》たるひびきが、彦五郎の手もとで起った。彼が袖のかげから取り出したオランダ渡りの燧石《ひうちいし》発火機による三連発後装短銃であった。相当の年代物だが、幕府手持ちの銃砲では一番性能の高いもので、これをかくも迅速《じんそく》に操作出来る者は、公儀でもこの鶴坂彦五郎の右に出るものはない。
銃士は鞭《むち》打たれたように痙攣《けいれん》した。が、彼は倒れなかった。
その刹那《せつな》、彦五郎は、その銃士の背後に重なって――つまり銃士を盾《たて》にしてひっかかえて、もう一人の人間が立っていて、今の声はその男の口から発せられたものであることを知った。
「やはり、そういう武器を持っておったか。ひっとらえてやろうと思ったが。――」
彦五郎は、その男が、探索中いちどちらっと見たことのある下斗米鉄之進《しもとまいてつのしん》であることを知った。青銅の彫刻めいた容貌の下斗米はさけんだ。
「やむを得ぬ、撃て!」
同時に、四方から――彦五郎をめぐる岩々の蔭から、ぷしゅっ! ぷしゅっ! というような音響が幾つか起って、こんどは彦五郎の方が鞭打たれたように痙攣している。彼はいつのまにか風銃隊に包囲されていたのである。その全身のあちこちから、鮮血が噴き出した。
彦五郎の手にはまだ二発の弾を残す短銃があった。が、彼はそれを敵にむけず、自分のあごの下にさしあてた。右手の指をひきがねにかけるとともに、彼は左手の指で網代笠《あじろがさ》の緒をふっと切った。
音響と白煙の中に、彼は崩れ伏した。
「あーっ」
四方から、いっせいにうめき声があがった。それはこの雲水に化けた公儀隠密の自殺に驚愕《きようがく》したばかりではない。崩折《くずお》れたその男から、網代笠だけフワと空中に残ったからだ。次の瞬間、その笠がくるっと翻《ひるがえ》ると、中から一羽の鳩が舞いあがった。
「や、や、あれを撃て!」
下斗米鉄之進が絶叫したが、遅かった。せいぜい十五|間《けん》の射程距離しかない風銃の乱射のもうはるかな上空を、脚に小さな筆の軸をつけた鳩は、矢のように南へ羽ばたき去った。
「――はてな?」
ふいに間宮林蔵が、服部三蔵の袖《そで》をひいた。真夜中ちかい伊賀組組屋敷の中である。墨をぼかしたような雲間から三日月がのぞいていた。
「妙な女が、例の土蔵に入ろうとしておるぞ」
服部三蔵はぎょっとしたようにそちらを見ていたが、
「……また、きゃつら、馬鹿な真似《まね》をいたしておる」
と、舌打ちした。
奥羽八戸にやった鶴坂彦五郎からの鳩が三蔵のもとへ到着したのは、その日の夕暮であった。鳩の脚に結びつけられた筆の軸に血がついているのは、発信者がおのれの死をつげる緊急信号であった。
三蔵はまず間宮林蔵に使いを出して呼びにやったが、折悪しく外出中で、やっと彼が来たのはもう夜も晩《おそ》く、そして筆の軸の中の薄葉の文字について協議すること一刻、かくてふたたび二人は例の土蔵に向ったのだが。――
組屋敷には、むろん女も住んでいる。しかるに女の影を一つ見て、外部者の林蔵が「妙な女」といったのは、その女が――遠い三日月の光にも蛍光《けいこう》を放って見えるほど美しく、それよりその歩きかた、動作、全体の感じが、何だか現実のものではないような印象を与えたからであった。
服部三蔵が自分をとめようと、その言葉に苦しんでいるのを見ると、
「参ろう」
と、林蔵は先に立って、つかつかと土蔵の方に歩き出した。
このとき妖《あや》しい女は、内から戸をあけられた蔵の中にすでに消え、また戸は閉じられていたが、それをまたあけて、二人は入り込んだ。
一歩入るなり、林蔵は立ちすくんだ。
篠縫之介はこの前のように、散乱する春画の中にフンワリ坐っていたが、水無月民部の方は赤い夜具をしいて、その上であぐらに一人の女を――あきらかに今入っていった若い町娘を抱いていたのである。
「やあ。これは飛んだところへ御入来」
こちらを見あげて、民部はにっと白い歯を見せた。二人が入って来るのを承知していたとしか見えない自若《じじやく》ぶりであった。それどころか、女を抱きなおして、悠々と口づけをした。
「よさぬか、民部」
服部三蔵はたまりかねて、声をはげました。
「それどころではない。鶴坂彦五郎は八戸で相果てたぞ」
「――ほ? いつ?」
さすがに驚いた表情になった水無月民部に、三蔵は筆の軸を投げた。変色した血痕に塗られた軸を見て、民部はすぐにその中から薄葉を抜き出して、ひろげて読んで、つぶやいた。
「さすがは彦五郎、ようこれまで調べあげた。……しかし、いかにして討たれたものかな?」
「それは書くいとまがなかったと見えるが、死んだことはたしかじゃ」
「――で?」
と、民部は腕をのばして薄葉を縫之介にわたしながら、
「ここにおいで下されたのは、拙者《せつしや》どもにいかなる役を?」
「むろん、鶴坂のあとをついで、風銃なるものの実物を押えてもらいたいのじゃ」
「参りましょう」
水無月民部はかるくうなずいて、
「しかし……それを手に入れて、また何かともみ合うより……いっそ八戸藩の企み、ここに彦五郎が書いて来ておるあの国の掟《おきて》、規律、主義、目的などを一挙に崩壊させる方が、さし当って望ましいことではござるまいか?」
「まことに、八戸藩が一種の内乱を指向しておるとすれば、現在のありかたはかえってお国のために害をなすとは言える。しかし」
林蔵は眼をむいていった。
「おぬしにそんなことが出来るのか」
「さればです」
林蔵のたくましい心臓を逆撫《さかな》でしたのは、この民部という男の、いかにも人をくった、事もなげなる口のききかたばかりでなく――それどころか、こういっているあいだ、この男が遠慮|会釈《えしやく》もなく膝《ひざ》の上の女の襟《えり》をかきひらいて、その真っ白な乳房を玩弄《がんろう》しはじめていることであった。
「民部」
われにかえって、三蔵が叱《しか》りつけた。
「よさぬか」
「いや、いかにして鉄桶《てつとう》のごとき八戸藩を瓦解《がかい》させるか、という法を間宮先生に御覧いただこうと思い立ちましたので――偶然ですが、よい機会と存ずる」
「そ、その娘は、どこの娘じゃ?」
「これは御駕籠《おかご》町の紅屋《べにや》の娘でござるが」
そういいながら、民部は娘をおし倒し、その裾《すそ》をかきひらきながら、自分もその態勢になって、傍若無人の前戯を加えている。
間宮林蔵は赤くなったり青くなったりした。それでもこの豪傑が爆発しなかったのは、そういう目に逢《あ》わされている娘の様子の怪異さであった。彼女の眼は恍惚《こうこつ》と見ひらかれている。肉感的な小さな唇《くちびる》はひらかれて、そこから熱い息となまめかしい声をもらしている。くびれたまるい胴《どう》はくねり、ふとももは蜜《みつ》を流したように濡《ぬ》れひかっている。しかもこの女が、なぜか現実のものではない、という感じが、乱れに乱れた帯や衣服とともにからみついているのだ。
「この娘は白痴か」
やっと彼はきいた。
「いえ、夢を見ておるので」
三蔵はおろおろと答えた。
「つまり、夢遊病の状態でござるので」
「なんじゃと?」
水無月民部は、いまや堂々とその娘を犯しつつあった。股間から鞭《むち》のような肉の音を発しつつ、彼はこちらを向いていう。
「間宮先生。……先生はこのごろ御公儀の隠密を相勤めておられると 承《うけたまわ》 りましたが……いや、それなればこそ、その用件でここへおいでなされた。ところで先生の隠密は、音に聞えた鉄脚や、お得意の測量術などを基本となされるものでありましょうなあ?」
正攻法によるもの、という意味だろう。林蔵は答えなかったが、その通りであった。例えば彼が薩摩に入って鹿児島城の唐紙《からかみ》に名刺を残した離れわざも、実は城下の経師屋《きようじや》に弟子として三年間奉公するという――それもまた大変なことだが――至極合理的な密偵術によったものであったのだ。
「そこで先生は、伊賀の忍法などというものをお信じ下されましょうや?」
「なに?」
林蔵は、いつぞやこの男が自分に同じ問いを投げたことを思い出した。交合中の男と問答するという馬鹿馬鹿しさを忘却して彼は答えた。
「それが、若《も》し荒唐|無稽《むけい》の妖術などを意味するものなら、わしは信ぜぬ」
「では、呪殺《じゆさつ》のごときは?」
「呪殺?」
「例えば、丑《うし》の刻《こく》参りとか、陰陽道《おんようどう》の加持祈祷《かじきとう》とか、修験道《しゆげんどう》の調伏とか。――」
ふっと林蔵の面上に、一種|惑《まど》いの雲が流れた。この世界的大探険家もやはり天保の人であったせいばかりではない。実は彼は薩摩にいたころ、その地に行なわれている兵道《ひようどう》なる修法《しゆほう》の決して笑殺出来ない例を――甲なる人間の念力が遠距離の乙なる人間の精神ないし肉体に感応することがあるという例を――目撃したことがあるのだ。
しかし、彼は傲然《ごうぜん》と首をふった。
「信ぜぬわい」
「それをお信じなさるかなされぬかは知らず、ただいま御覧いただいておる所業は、申さば呪淫《じゆいん》、すなわち伊賀の――正しくは、現在のところ拙者のみが体得しておる忍法のわざで」
女は、嫋《じよう》 々《じよう》たる声とともにぐったりとした。
「これ、絶えいってはならぬ。眠っておる人間が、気を失うという法は忍法にもない」
民部は笑って身を起し、女もまたひき起した。それで終りかと思ったら、自分は仁王立ちになって、濡れたままの肉体を女の口でぬぐわせはじめたのである。
「おぼえておけや。そなたを呼んだのはこれじゃ」
それから彼は、手をかして女に身づくろいさせ、蔵の戸をあけた。女は依然として雲を踏むような足どりで、三日月の下へ歩み出していた。
間宮林蔵の方が妖夢にうなされているような思いでこれを見送っている。
「夢ではござらぬ、御覧のごとく、現実のことでござる。しかしあの女は、あのまま帰ってもとの眠りにつき、朝になって幻華のごとく残るものがあっても、あれは夢であったと思い出すばかりでござろう」
水無月民部はうす笑いの顔をこちらに戻した。
「かくのごとく拙者は、拙者の欲する女を、どこからでも夢に乗せて呼んで、もてあそぶことが出来るのでござる」
春画は夢を現実化したものか、現実を夢幻化したものか、民部がそれについてひとごとみたいに論じたのが可笑しい、といったのはこういう意味だが、むろん林蔵はそんな芸術論は知らない。
「ただし、正しくは拙者だけの忍法、といま申したが、さらに正しく申せば拙者だけのわざではない。あの篠縫之介の力をかりねばなりませぬ」
民部は、春画の中に坐っている若衆を指さした。
「御覧のごとく、あれがめざす女の顔を描く。絵の中の相手の男の顔はのっぺらぼうでござるがの、男根はまさしく拙者のものの実写でござる。しかも、その大男根に、拙者が精汁を塗りたくる。――その絵を、女のもとへひそかに投げ込んでおくのでござる。女がそれをひとたび目にした以上、その夜、女は夢中遊行して精汁の匂いにひかれておれのところへ通って来ずにはおれぬ。残された絵は、息を三つつくあいだに消え失せようと。――」
あまり口をきかず、ただ笑い絵を描いている若衆の役割をはじめて林蔵は知った。
が、こういう説明を受けながら、いまもほのぼのと春画らしきものをいたずらがきしている美少年は、ふいに神秘的な印象に一変したような気がするが、また白痴みたいにも思われる。
「これを称して伊賀忍法夢の浮橋《うきはし》と申す。招く現実のおれが天におるのか地におるのか、誘い寄せられる夢の女が天か地か、こちらにもよくわからぬがいずれにせよ、浮橋は男根でござるよ、あはは」
「おまえら、左様なまねをして……町の女をなぐさんでおったのか」
「いや、術の修業です。わざというものはいかなるわざでも、ひまさえあれば試みねばなまくらになるものでありましてな」
服部三蔵が必死の顔でいった。
「間宮先生、民部を八戸にやってくだされ。そのためにこそ、ここへおつれしたのでござれば。……」
「その術を以て、いかにして八戸藩の内部崩壊を起すのか」
「されば」
民部がひきとった。
「本来なら右申すごとく縫之介の力をかりねばならぬところですが、たとえ縫之介を八戸につれていったとて、藩の重役や風銃隊の妻や娘の顔のすべてを写生するわけにも参りますまい。さればこんどは彼に、ただ何十枚かのおれの男根だけを普通の絵具で書いてもらい、それを使っておれ一人の念力で、その女どもを誘い寄せて見せようと存ずる。そして女どもを肉欲の夢幻境に堕《おと》し、淫風《いんぷう》に吹きくるんで、その方から八戸藩の掟も規律も主義も目的も土崩瓦解《どほうがかい》させて御覧にいれよう。――かかる法では、いかが?」
林蔵を見る民部の眼には、あきらかに八戸よりも林蔵に対する挑戦のひかりがあった。
林蔵もそれを看取した。この若い伊賀者は、わしが公儀隠密をやっておることに対して、眼にものを見せてくれよう、と決心しているのだ。思えば、こやつら最初からそういう敵対意識を持っておった。――
彼らが今これ見よがしに見せつけた怪しげなる術、それに瞠目《どうもく》しつつ、まさに妖しの術なるがゆえに禁じ得ない反感と疑惑と躊躇《ちゆうちよ》をおぼえつつ。――
「よし、やって見い」
と、間宮林蔵はあごをしゃくった。
かくて数日後、伊賀者水無月民部は、決然、鉄の意志と団結を持つ北辺の一国へ向って羽ばたいていった。
彼が武器として抱く一束の自分自身の男根図を想えば、これを壮というべきか怪というべきか。
八戸に潜入して、水無月民部は驚いた。
この前のことで、公儀隠密に対する藩の警戒はいやましたことはもちろんだから、民部の苦労ぶりは一通りではない。虚無僧《こむそう》、香具師《やし》、渡世人、物売り、はては地侍から土地の百姓と、彼の変貌変装が千変万化をきわめたことはいうまでもないが、それについてくだくだしく述べることは割愛する。
とにかく彼は、八戸の城下町を風のごとく往来することに成功し、彼の術をあやつり、一梃の風銃さえも手に入れたのだ。――それはともかく、彼が驚いたことというのは。――
鶴坂彦五郎の報告にもあったが、この藩の道徳――特に性道徳の徹底した異常さであった。
八戸藩が優良なる男女の合体による出産を望み、劣等なるそれを排斥《はいせき》して、それを褒賞金《ほうしようきん》ないし罰金で規制しているという事実を知ったとき、民部はなかば感心し、なかばいやなことをするな、と苦笑したが、自分が乗り込んで調べて見ると、それどころではなかった。
それは――とくに優良種同士の授精受胎は、奨励ではなく、ノルマであった。
事は、ほとんど毎夜、八戸城の奥深い大広間で行なわれていた。
授精者は主として風銃隊の隊士で、まさにこれこそ八戸で肉体的にも知能的にも最優秀なエリートに相違ない。これに対する受胎者の方はこれまた八戸全領から選抜されて来た娘たちだが――これが、男女同数ではない。女の方が男の員数の十倍くらいに上る。
これに秩序整然と乱交させる。
乱交というのは、その男女が始終入れ替るという意味だが、秩序整然というのは、女は一度交合したら次の月経期まで禁ぜられ、それに異常がない場合、はじめてまた性交を許されることや、このときの相手や日時がいちいち記録にとどめられることだ。
さて、質朴《しつぼく》ながら何といっても城の豪壮さを持った大広間で、毎夜少なくとも三十組くらいの、場所にそぐわぬ華やかな色彩の褥《しとね》が敷きならべられ、ここでその褥と同数のカップルが――いや、ひかえの男女を入れるとそれ以上の一糸まとわぬ裸のむれが、精根こめて交合する。何しろ、選びぬかれた若者たちであり、まるで白炎《びやくえん》をあげる風の中の花畑のようだ。
――ふうむ、こりゃ相当な壮観であり、かつこのような競技を思いつき断行したやつの度胸も相当なものだな。
大広間の天井裏にひそんでこれを俯瞰《ふかん》していた水無月民部は、自分がうだつのあがらない公儀忍び組などに生まれ、八戸風銃隊に生まれなかったことを残念がったが――それも最初のうちである。
――いや、これもラクではない。それどころか、一種の地獄ではないか?
と、そのうち認識を改め出した。
何しろ、監督官つきだ。何人かのコーチが、成績表片手に絶えず徘徊《はいかい》し、鼓舞激励し、叱咤鞭撻《しつたべんたつ》する。
「甲生! 何をモタモタしておるか。なに、もう立たぬ? あのここな柔弱者め、根性という言葉を知らぬか。根性とはその名のごとく根の性であるぞ!」
「乙生! おまえはまだ一回もタネツケに成功しておらぬではないか。風銃隊士の名に恥じぬか。今夜で成功せねば、風銃隊の名誉を剥奪《はくだつ》するぞ」
「丙生! 気合は腰じゃ。声ではない。声ばかり大袈裟《おおげさ》に吼《ほ》えおって、腰はヒョロヒョロしておるではないか、肩の力は抜いて、腰に気合を入れて。それ!」
はじめ、そんな馬鹿なことが、と民部にも信じられないようであったが、これほど選ばれた青年にして、かつこれほど選ばれた女性を相手にして、どうしても気が乗らぬ場合があるらしい。いや、かえって意気|阻喪《そそう》してしまうことが、案外多いらしいのだ。
――そりゃそうよ。こればっかりは食い物と同じで、どうしたって好ききらいはあるし、いくら好きだって首ねっこをつかまえられて鼻づらをつっ込ませられりゃ、たいていはいやになる。
最初のうち、この交配作業にちょっぴり感心しないでもなかった民部も、だんだんすべてが気にくわなくなって来た。
――もし、かりにだな。このタネツケが狙《ねら》い通りに成功したとしても、じゃな。それで生まれて来る子が狙い通りに優良種かどうかわからんじゃないか。
天井裏でもったいぶって腕組みをして彼は思索にふける。
――例えば、もったいないが将軍さまを見ろ。タネの方は恐れながら遠くさかのぼれば東照大権現。それが代々お腹さまの方も、たとえときどきお妾《めかけ》がまじるとはいえ、どこの馬の骨とも知れぬこちとらの先祖とちがい、顔も頭もそれなりお眼鏡《めがね》にかなった女人《によにん》ばかりにちがいないのだから、体躯《たいく》堂々、相貌|凜々《りんりん》の大英雄ばかり御誕生になるはずだが、恐れながらあまり冴《さ》えん将軍家が――常人《なみ》以下のお方も、ちょいちょいお出になったようであるな。
むろん、八戸の指導者は確率の見地からこんなことを始めたのだろうが、それでも民部は釈然としなかった。それどころか、だんだんむかむかして来た。
よく考えて見ると、このむかむかは、ここの指導者のものの考えかたのひどく非人間的なところに対する反撥《はんぱつ》から来ているようであった。そして、さらに考えて見ると、そもそも間宮林蔵に一矢酬《いつしむく》いてやろうと思い立ったのも、必ずしも商売|敵《がたき》というヤキモチからではなく、最初にあの超人を見たときから感じた一種非人間的な印象から発しているように思われた。
さて、そのうち八戸の交配作業には、何とも人間的な技巧がまじり出した。監督たちが、成績のあがらない連中に、見本として絵を持ち出し、それを以て彼らを指導発奮させようと試みはじめたのである。
その絵を天井裏から見て、民部はあっと驚いた。それは前にこの国に潜入した鶴坂彦五郎がおそらくばらまいたにちがいない歌麿の枕絵であった。
――それ見たことか。その方が役に立つ。
彼は破顔したが、しかしいったんまがった彼のへそは、敵の試みに拍手を送るどころか、かえって軽蔑《けいべつ》の断を下させた。
「おれはいつかあの樺太《カラフト》の先生に、かんかちの国ほど内側じゃワイセツなことが行なわれておるといってやった。確証があるわけじゃなく、何となくそういう感じがして、皮肉ってやっただけだが、見るがいいや、ここにその典型があるじゃないか。城のタネツケや笑い絵のことじゃあねえぜ。そもそも、この国の男女の道の取締りのことをいっているのだよ」
かくて水無月民部は、彼の忍法を発動した。
篠縫之介に書いてもらったおのれの男根は数十枚に及ぶが、まずその七枚に念力こめて精汁を塗り、そのうち四枚を風銃隊の「花嫁」のうち最も魅惑的な四人に、あとの三枚を藩の重役の若い妻や娘のうちこれまた最も美しい三人のところへ吹き送ったのだ。
彼の信ずるところによれば、その夜のうちに七人とも、彼のいるところへ来るはずだ。花粉にひかれる蝶《ちよう》のように、精臭に誘われて夢中遊行して来る忍法夢の浮橋。
それに彼は授精する。必ず受胎させる。
彼女たちは帰って眠る。彼女たちにはすべて夢の中の世界である。しかし、現実に女たちは孕《はら》む。
孕まなかったら、孕むまで、いくど繰返してもいいことだ。そして、うまくゆけば、対象を次第にひろげてゆく。――
さて、その結果はどうなるか。これほど交合を管理規制している国である。女が孕んでいないはずなのに孕んだということは、必ず発覚するに相違ない。そこで女を責めて見ても、女にはわからない。もし夢が残像を残していれば女は恐怖し、その苦悶《くもん》がかえって波瀾《はらん》を呼ぶにちがいない。かくて驚愕《きようがく》と猜疑《さいぎ》と不信は内部に満ち、鉄の統制を誇る八戸藩は蜂《はち》の巣をつついたような混乱と破綻《はたん》をきたすにきまっている。
水無月民部ははじめからこのつもりであったのだが、その夕暮、海辺の岩蔭で空に満ちるウミネコの鳴声を聞きつつ、これまで探索したことどもとおのれの楽観的予測を薄葉に書いて、また鳩に託したのは虫の知らせか。いや、この場合は、完全な用心深さ以外の何物でもなかったのだが。――
その夜、七人の女は来た。
ふだん近寄る者もない岩に囲まれた円《まる》い砂地で、むろん野天であったが、夏の海風はかえって心地よかった。太平洋にかかる銀河の下で、民部は恐悦しながら、順々に――というより、もつれ合って白い砂にまみれながら七人の女を犯したが、そんな環境のせいか、彼の方が人魚とたわむれている夢を見ているような思いがした。
そのとき、突然、水無月民部は刺し殺されたのである。全身に突き刺された匕首《あいくち》は七本あった。
「あっ、そなたらは!」
驚愕《きようがく》した彼の眼に、血まみれの懐剣をさか手に握って、すっくと周《まわ》りに立った七人の女の姿が映《うつ》ったが、その顔が――その眼が――いずれもあきらかに夢見ているものであることを知って、彼の面上に再度の驚愕《きようがく》が走った。
がくりと絶命したそのからだの下から一羽の鳩が舞い立ち、七人の女はちょっとびっくりしたように懐剣をとり落した。しかし、その鳥影も夢見ているとしか見えない表情で、彼女たちは蜜蜂《みつばち》みたいな星の下を、妖々として帰っていった。
朝になって七人の女は、それぞれ前夜の夢に、だれだかわからないけれど、とにかく自分が藩から指定された男以外の男と交合し、その恍惚に恐怖して相手を刺し殺した夢を見たことを思い出した。見知らぬ男を刺し殺したということより、その前に見知らぬ男根にひかれていったということを人に話すのがぶきみで、可笑《おか》しくて、彼女たちはみなこのことを口外しなかった。だいいち、夢の話では、話す必要もなかった。
血のついた筆の軸をつけた鳩を受けて、
「私が参ろう」
と、江戸の伊賀組の組屋敷では、篠縫之介がフンワリと立ちあがった。
「いや、もうよい」
さすがに間宮林蔵は首をふった。
「これ以上の犠牲者を出す必要はあるまい。いかにして二人目が落命したかわからぬが、とにかくこれだけでも八戸藩の御公儀に対する叛意《はんい》はあきらかじゃ。もうこれにて届けて、あちらを処置すべき材料はある。――」
「いいえ、私にゆかせて下さい」
首をかしげている頭領の服部三蔵を眺めながら、縫之介はいった。
「こういうことになるかも知れぬ――とは考えておりました。私は彦五郎や民部の遺志をついでやりたいのでございます」
「彦五郎や民部の遺志とは?」
「むろん、八戸藩を内部から崩すことでございますが、その方法として、軍国を以て任ずる一国を、泰平の世のたわけたる一風俗を以て倒すという――また一方では、伊賀忍法の念力なるものが案外馬鹿にならぬという証《あか》しのために」
「おまえは何をいおうとしておるのか」
「枕絵を使おう、といっているのです。あくまで、これを以て」
と、縫之介は自分のまわりにちらばった春画のむれを見まわした。
「恐ろしく枕絵にこだわる忍び組じゃな」
間宮林蔵はむずかしい顔に、呆れたような、が、彼特有の痛烈な苦笑をにじませた。
が、ふと、その絵が――歌麿の版画ではない――あきらかにこの若者が描いたもので、しかもこんどは消えた絵はなく、そのことごとく、男女の構図は千姿万態ながら、女の顔はのっぺらぼうで、男の顔は縫之介というその若者そっくりであるのに気がついて、まばたきした。
それがちっとも妙ではない。描いた当人が、もともと枕絵の若衆そっくりの容貌をした若者であったのだ。
林蔵はどもりながらきいた。
「そ、その絵を使うのか。馬鹿にならぬ念力とは、いかような?」
「うふ、私の風銃と申しましょうか」
篠縫之介はほのぼのと笑った。
「もっとも、民部の念力は現実を夢と思わせるものでござったが、私の念力は夢を現実と思わせるしろもので――うまく参りましたら、拍手御|喝采《かつさい》」
この若衆がべつに馬鹿ではないことはこのごろようやくわかって来ているが、口のききかたがなんどりして、間のびがしているので――少なくとも、これがこれから恐ろしい北の一国へいって帰らぬ陸奥《むつ》飛脚ともいうべき運命の影を曳《ひ》いて乗り込んでゆく人間とは思えない。
「ただし、お頭《かしら》。――私に限って、血のついた鳩が帰って来たら、こんどはうまくいったと思って下されませい」
数日後、鉄の軍国へ、枕絵の隠密は向った。――
あとになって、これほど美しい若衆が、どうして領内に入ってから八戸まで、だれの目もひかずにやって来たのかわからない。さらにその男が、いかにしてそれほど大量の絵を持っていたのかも不思議にたえなかった。――
とにかくその濡羽《ぬれば》色の前髪に大|振袖《ふりそで》の、匂《にお》うような若衆は、八戸の城下町の、しかも侍の屋敷町の中を、何十枚か何百枚かの絵をまきちらしながら歩いているのを発見されたのである。もう初秋の白い風に、それは紅葉した木の葉のごとく高く高く、屋敷の甍《いらか》まで飛んだが、拾って見ると薄葉に描かれた極彩色の笑い絵ばかりであった。
むろん、そんなことをしている彼の姿が見つかってから四半刻もたたないうちに、彼はつかまった。――
城中にひかれた彼を、厳しく訊問したのは、下斗米鉄之進であった。
「うぬは何者じゃ?」
「…………」
「何のためにあのような所業をいたした?」
「…………」
打《ぶ》っても叩《たた》いても、彼は一語の声ももらさなかった。鉄之進は歯の間からきしり出るような笑い声をもらした。
「白状せぬでも、公儀の隠密であることはわかっておるわ。うふ、公儀隠密があのようなたわけたる絵を撒《ま》いて八戸を惑わし、とろかせると思うておるのか。ここは堕落した江戸とはちがう、まことの侍の国であるぞ。――もはや、調べるは無用、八戸の秋水を浴びさせてくれるわ」
「どうぞ、お願い申します」
はじめて、その変な若衆はにっと笑ってお辞儀をした。
三日目、彼は町の外を流れる馬淵《まべち》川の河原にひき出された。
この笑い絵をまきちらしたけしからぬ若衆の噂《うわさ》は、むろん八戸じゅうにひびきわたっていて、河原は雲霞《うんか》のような見物人の波につつまれていた。むろん公儀隠密とは一般には知らされず、たんなる春画売りとして処刑するというのが表向きの罪状であった。その男が春画を売ったというのが不思議なような、また当然至極なような美しさに、まわりの群衆はどよめいた。何より、海のように覆う女の溜息であった。
水際の断頭の場にひきすえられた彼は、やさしい笑顔を刑手にあげて、小声でいった。
「拙者、御眼力のごとく江戸の伊賀者でござる。この期《ご》に及んで、みれんなふるまいはいたしませぬ。せめて縄は解いて下さいませぬか」
そのいさぎよさ、というより何とも不可解な美しさに魅入られて、刑手は縄を解いた。すると若者はスルリと袴《はかま》をとき、男根まであらわして、西方に向って、ぴたりと坐った。
「いざ!」
そのとたん、ぬぎ捨てた袴の下から、今までどこにどうして隠していたか、ぱっと一羽の鳩が舞い立って、検視の床几《しようぎ》に腰かけていた下斗米鉄之進が、「それを斬《き》れ」とさけびつつ立ちあがったが、それを刑の執行の叱咤《しつた》と聞いたか、罪人の励声に釣られてすでに風を起していた刑刀は行方《ゆくえ》を変えるにいとまがなかったか。――
ばす!
濡手拭いをはたくような音とともに、美しい隠密の首は切断されて河原の石の上に落ち、鮮麗な血の虹《にじ》が立った。
しかも、数十秒、首のない屍体は端座したままつんのめらず、それどころか、あぐらをかいた股間から、その血潮よりさらに高く、白い乳の霧みたいなものがビューッと噴出して、その方向にいた群衆の空にまでかかったかと思われた。――
八戸の女たちが、むやみやたらに懐胎しはじめたのはそれから間もなくであった。
すぐにそれがことごとく、藩の交合人別帳とは適合しない妊娠であることが判明した。だれの子じゃ、というきびしい追及に、女たちはすべて答えず、みな夢みるような笑顔で首をふるばかりであった。
彼女たちはみんなあの枕絵売りの美少年から受胎したという夢にとり憑《つ》かれていたのだ。
まさか彼が首を斬られたあとで噴出させたものがどうかしたなどいうことはあり得ない。その怪異はあとでみな聞いたが、その方向にいなかった女たちの中にも――いや、その刑場にゆかなかった女の中にも、非合法の懐妊をしたものがおびただしく出たのである。
ただ、女たちはあの笑い絵を見ていた。口が裂けても言えないことであったが、その枕絵の中で若衆と交合している女ののっぺらぼうの顔にみんな自分をあてはめた。その幻想に、若衆が最後に噴出させたというものが霧のようにかかって、すべてを熱い妄想図にたゆたわせた。その妄想は、必死にふりはらっても、ふりはらおうとすればするほど脳にねばりつき、けぶって――かくて彼女たちの腹がいっせいにふくれあがって来たのである。
女たちが藩の掟を破った。いや、男たちも造反したのだ。――おたがいに猜疑《さいぎ》し、憤激し、決闘|沙汰《ざた》まで起った混乱の中に、絶望の妄想にとり憑《つ》かれた野心の人、下斗米鉄之進は雪の来た日に自決し、鉄の八戸藩は内部からとろけ落ちた。奇怪なことに、その後になって、女たちのふくれた腹も嘘《うそ》みたいに次々にしぼみはじめた。
まさに幻華一朝の夢のごとく。――
下斗米にして然《しか》り、いわんやそのころの人のだれが知ろうか。
夢を現実と化す忍法が――想像妊娠という現象が、まことにこの地上にあろうとは。
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忍者|枝垂《しだれ》七十郎
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……かくて指令を享《う》くる時は、勘定所より旅銀の支給を領掌し、大丸呉服店内奥の一室にて、予《かね》て備付けたる農、商、工、僧侶、売卜《ばいぼく》者その他一切の衣裳を以て変装す。是職素《このしよくもと》より懸命の任、或は中道に発覚して非業の最期を遂ぐるものあり。……
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[#地付き](松平太郎「江戸時代制度の研究」)
大丸屋の娘お市《いち》は、少女のころから夢みるような顔をしていた。
字は勿論《もちろん》のこと、読書《よみかき》、和歌、香花、それに何といっても商家の娘らしくそろばん[#「そろばん」に傍点]まで、それぞれの師匠が舌をまくほどよくできた娘なのに、どこか空想的なところがあって、外からみれば、江戸で指折りの呉服《ごふく》問屋の娘だから「まるでお大名のお姫《ひい》さまのようにおっとりしていらっしゃる」とかえって感心するものもあったが、実際の商家はそれが大どころであればあるほどそんな鷹揚《おうよう》なものではないうえに、いずれは婿《むこ》をもらわなければならない一人娘であったから、死ぬまで母親が心配した。
そのお市が、影が陽に出るように変った。お市が十八のとき母親が死に、それから一年ほどたって父親の正《せい》右衛門《えもん》が軽い中気にかかった。あのころからではなかったかと、あとになっていった者もあったが、とにかく奉公人たちが気がついたとき、お市は、百年以上もつづいた江戸指折りの大《だい》老舗《しにせ》のあとつぎらしく、五百人をこえるお店者がひとりのこらず頭をさげるような娘になっていたのである。
町家も大丸屋くらいになると、或る意味では大名の家庭に似たところがある。表と奥とが峻別《しゆんべつ》されているのだ。店は表で、主人は朝になると出ていって商売にはげみ、内儀や娘が店先にうろうろ出てくるようなことはない。その一方で、数百人の奉公人の食事、洗濯《せんたく》、つくろいものなどの責任は内儀にあり、数十人の下女を指図してきりまわす忙しさだけは、大名の奥方どころのさわぎではない。……お市は、亡くなった母に代って、その役目をみごとに果たしたのみならず、中気をわずらって以来、店へ出るのもまれになった父の正右衛門への表からの報告をとりついでいるうちに、商売の方もいつしか、古手の番頭や手代が、「ほう」と眼を見はり、「さすがに、お血だ」とうなずくような女になった。
利口で、気丈な、大町人のひとり娘である。お嬢さまのお婿《むこ》さまはどんなおひとであろうとは、奉公人一同のまえからの噂《うわさ》のまとであった。才能のある若い手代などなら、必ずしも夢物語とはいえない噂だから、関心がそそられたのはなおさらのことである。しかし、お市が夢みるような娘であったころは、その噂にもどこか夢心地のところがあったのに、彼女がきびしい、凜《りん》とした変貌をみせるにつれて、頼もしさと同時に、「これは、お婿さまもらくではないぞ」という一種の畏怖《いふ》感もまじってきたのは当然である。それだけに、お市の未来の花婿は、いよいよみなの興味の対象になった。
女の結婚の年齢のはやい時代の話であり、またじぶんが病気のせいもあって、父の正右衛門は、むろんそのことを気にかけていた。のみならず、二、三の心当りもあったから、それとなくお市の心をたたいたこともいくどかあった。そのたびにお市は、正右衛門が面くらうほどきっぱりとした拒否の様子をみせた。そして、いかにもわたしには婿は不要といわんばかりに、甲斐甲斐しく店先へ出ていった。いちど正右衛門は、娘にだれか意中の男が店の方にいるのではないかと疑ったが、思いあたる人間はひとりもなかった。
しかし、お市には、たしかに意中の男があったのだ。
彼女が、ふいにきびしい翳《かげ》をもつ娘に変ったのは、母の死や父の病気のせいもあったであろう。大町人のあとつぎとしての自覚の血のゆえもあったかもしれない。しかし、ほんとうの理由は、彼女が或る厳粛な人生をみたからであった。それは、ひとりの人間ではなかった。けれど、彼女の意中の人は、そのなかにいた。そして彼女がその男の妻になることも、その男が彼女の夫になることも、まず不可能といえるくらい難しいことはあきらかであった。お市ががむしゃらに働くのは、彼らの人生に打たれたゆえもあったが、その望みのない恋の哀しみを忘れようとする努力のあらわれだったのである。
江戸で屈指の大呉服店のひとり娘お市の意中の男は、公儀御庭番であった。
大丸呉服店には、むかしからよくお城のお役人や、大奥の女中たちが訪れた。役人は主として、払方御納戸《はらいかたおなんど》や元方《もとかた》御納戸の人々である。払方御納戸は、将軍からの賜与《しよ》、褒美の時服など一切をつかさどる役所であり、元方御納戸は、将軍家自身の服飾|手廻《てまわ》り品一切を調達する役所である。それは、大丸屋が創業まもなく公儀の御用達《ごようたし》をつとめる家となったからふしぎではない。
しかし、お市はむかしから、それとは別に或るふしぎな事実に気がついていた。それは、それら役人のなかに、うちへやってきたまま、消滅してしまう人々があるということであった。
お城からの人々は、むろん、丸に大の字を染めぬいた店先の長のれんをくぐって入って来はしない。別の入口から入ってきて、すぐ奥座敷に入る。そして父親と用談したり、番頭に品物をはこばせて調べたりする。しかし、このなかで、奥座敷に入ったきり、二度と出てこない人間があるのだ。そのことに気づいていた者は、ほとんど稀《まれ》であった。奥に働く下女などで、「おや」と妙な顔をする者があると、正右衛門はさりげなく、「おいそぎの御用で、お役人さまは先刻かえられた」とか、そんないいわけがとおらない場合は、「二、三日、蔵で品物をお調べに相なるゆえ、御食事の用意をしてくれ」といって、その食事は内儀に運ばせた。しかも、その食事は、母があとでそっと捨てたりしているのを、お市はいくどか見た。たとえ、それらのことになお不審をおぼえた者があったとしても、相手はお上の役人である以上、だれが口にすることができたろう。
そのふしぎな男たちは、うちで消滅するのではない。姿をかえて出てゆくのだということを、お市が発見したのは、十か十一のころであったろうか。
「あ、さっきいらしたお役人さまが、お医者さまになって出ていった」
そうつぶやいたのをききとがめたときの父親の恐ろしい顔を、お市はいまでも忘れない。
「お市、そんなことをいうと、おうちは灰になるぞ。……お役人さまのことは、どんなことがあってもおしゃべりしてはなりませぬ」
お市が、この奇怪な事実の真相を知ったのは、彼女が十九のとし、正右衛門が中気となったあとのことであった。
「これは、いずれはおまえと、おまえの婿《むこ》になる男だけには知ってもらわなくてはならぬことだ。わしはこの通りで、御庭番の衆のお着換えのお世話を、充分にしてさしあげられなくなった。これからはおまえがやるのだ」
と、正右衛門はいって、はじめて秘密をうちあけたのである。
お上に、御庭番といって、諸国諸藩の内状をひそかに調べにゆくお役目の方々がある。その方々がそこへ出むくことを御存じなのは、将軍様御自身だけである。命をうけるや、御庭番はお家へかえられることなく、そのままこの大丸屋にやってきて、もっとも適当な姿に身をやつして、江戸を去ってゆく。御用がすむと、またここにもどって、もとの姿にかえって、お城へ復命にゆかれるのだが、その変装の楽屋を、この大丸屋が仰せつかっているのだというのであった。
これを語るとき正右衛門の顔色は、緊張のために蒼白《あおじろ》くなり、お市は、父のからだの方が不安になったくらいであった。――お江戸のまんなか大伝馬《おおでんま》町に、長い美しいのれんを風になびかせて、一日数千人のはなやかな買物客の男女をくぐらせる呉服店の奥に、公儀の秘密機関があるとはだれが想像しようか。しかしお市は、女であり、また御庭番という役目に無知であったから、じぶんが父に代って新しくいいつかった仕事を、それほど重大なものとは思わなかった。身ぶるいをおぼえたのは、あとになってからのことである。
御庭番。――それは公儀の密偵組織である。なるほど彼らはその任務の性格上さまざまな姿に変装する必要があるであろう。また、変装した姿のまま江戸城を出ることはできないことであろう。さらに、彼らの御用屋敷が、日比谷《ひびや》、虎《とら》の門《もん》、雉子橋《きじばし》門の三ヵ所にあることが衆知のことである以上、そこを利用したのでは変装の意味がない。それにしても、数千人の人々が身を飾るために出入りする大呉服店をその場所にえらぶとは、この着想の創案者は、「一枚の木の葉は森にかくせ」という最も近代的な隠匿《いんとく》の方法をすでに実行していたものと思わなければならぬ。
ただ、大丸呉服店がそれにえらばれた理由は、いまはっきりとはわからない。この密偵組織を創設したのは、八代将軍|吉宗《よしむね》であり、大丸屋が江戸に開店したのは享保《きようほう》三年十一月|朔日《ついたち》で、ほとんど時を同じゅう[#「同じゅう」に傍点]しているから、理由はそのあたりにあるのかもしれぬ。要するに、これは大丸屋誕生以来、百年にあまる体内の秘巣であった。
大丸にはいくつもの店蔵、中蔵、奥蔵がある。御庭番が利用するのは、その奥蔵のひとつであった。お市はその鍵をわたされ、それをどんな場合でも身辺からはなさないことをきびしく父から命じられた。
父に代って、お市がその役目を果たすようになった二年ほどのあいだにも、御庭番の男たちは、十数人、または数十回にわたって、そこに現われ、消えていった。この平和な空の下に、彼らが秘密の匕首《あいくち》でえぐりにゆかねばならぬところがそれほどあるのか、とふしぎなくらいであった。彼らは、ふだん町でみるお侍とはまったく別の世界の人のように、みな暗いほど厳粛な顔をしていた。しかも、ひとたび姿をかえるや、山伏、虚無僧《こむそう》、六十六部、股旅《またたび》者、雲水、万歳、飴《あめ》屋、扇売り、猿廻し、なんであろうと、たちまちそれらしく顔まで一変するのに、お市はびっくりした。彼らは実に女にまで化けた。
出ていってから、半年でかえる者もあった。一年でかえってきた者もあった。大半はやつれはて、なかには深い傷をうけたままなおりきらず、しずかに大丸屋に入ってきたのが人間業とは思われない者もあった。そしてまた、いったきり二度とかえってこない者もあった。
次第に、お市は感動してきていた。このひとたちの御用がどれほど大切なものであるかは知らない。いや、これだけの人々が、これだけ必死に働いている以上、それは大切なことにきまっているが、それより、この泰平な世の中に、うららかな日のひかりから身をひそめて、粛々とゆき、黙々とかえり、傷つき、病み、さらには、いって還《かえ》らぬ男たちがあるということは、彼女に身ぶるいするような壮絶な感動をよび起した。お市の顔にきびしさが現われてきたのは、じぶんの秘密の役目からくる緊張よりも、このような一群の男たちをみて、心をうたれたからであった。
お市が恋をしたのは、そのなかのひとりである。
御庭番のなかに、兄弟があった。兄を仏坂源内《ほとけざかげんない》といい、弟を仏坂堂馬《ほとけざかどうま》という。お市が恋したのは、彼女より二つばかり年上と思われる若い弟の方である。まるで女のように美しい若者で、これがこのように陰鬱《いんうつ》できびしい御用をつとめなさるのかと、二人で虚無僧に身を変えて出立してゆくときから、いたましい眼で見送ったが、彼は七ヵ月ばかりたった或る冬の夕ぐれ帰ってきた。ひとりであった。のみならず、ひとりかえってきた弟は、例の奥蔵へ入ると、どうとたおれてそのまま気を失った。
虚無僧の天蓋《てんがい》をぬいだときから、別人かと思われたほど憔悴《しようすい》していた堂馬である。抱きあげてみると、恐ろしい悪臭がした。衣服をぬがせてみて、お市は顔を覆った。肩に貝殻骨のみえるほどの傷があり、しかもそれが膿《う》んで、冬の日というのに蛆《うじ》が這《は》いまわっていたからである。
失神中に、彼は苦悶《くもん》のうわごとを数度もらした。お市にはその意味もわからなかったが、ただそのなかで、
「しだれ七十郎《しちじゆうろう》。……」
という妙な名前を二度きいたように思った。
仏坂堂馬はまもなく気がついた。そしてお市に、「わたしは何かうわごとはいいはせなんだか」ときいた。「いいえ」とお市はくびをふった。「そうか。わたしはじぶんでうわごとをいうのをじぶんの耳できいたように思ったが、それも悪夢であったか」と彼はいった。
堂馬は、さすがに三日間はそこに横たわったままであったが、三日のちには衣服をあらため、大丸屋を出ていった。城へかえるのである。薬で当座の手当をお市にさせたが、むろん医者もよばず、常人ならば起立も不可能と思われる重傷のままであった。
「……いったい、どこへおゆきになっていたのでございますか」
「……だれのために、こんなひどい目におあいになったのですか」
「……お兄さまはどうなすったのでございます」
「……それから、しだれ七十郎とは?」
ききたいことは、胸から泉のようにこみあげてきたが、お市は耐えた。きいてはならぬことであったし、きいたところで堂馬がこたえるはずのないことはよくわかっていたからである。
ただお市の瞼《まぶた》には、奥蔵の蒼《あお》い薄明りのなかに、葛籠《つづら》にもたれてあえいでいた、いたましく美しい仏坂堂馬の顔だけがのこった。息もつまるほど案じた蔵の中の三日間が、やがて名状しがたい甘美な想《おも》い出としてよみがえった。お市は堂馬を恋していることに気がついた。いつまた逢《あ》えるかわからない相手だけに、その胸は切なかった。
頭巾をかむった御庭番仏坂堂馬が、また大丸屋の奥蔵の中に姿をあらわしたのは、それから半年ばかりのちの或る夏の日であった。傷はまったくいえて、かえって堂馬は、以前には感じられなかった男の壮気さえみちていた。頭巾をとると、総髪《そうはつ》の髪は腰までながれた。
「また、たのむ」
と、彼はお市に眼で笑って、
「思うところあって、今度は女になって参りたい。鳥追女がよいな」
と、いった。
お市は、木綿《もめん》に袖口半襟《そでぐちはんえり》だけは縮緬《ちりめん》をつけた粋《いき》な鳥追女の着物、水色の脚絆《きやはん》、白|足袋《たび》に日和《ひより》下駄をそろえた。ここにくる御庭番の男たちの変装の妙術にはいまさらおどろきはしなかったが、髪を銀杏《いちよう》がえしにゆいあげると、お市は息をのまずにはいられなかった。ただ美しい青年が女の化粧をしたというだけでは絶対にない。その眼、唇《くちびる》、えりあし、からだからなまめかしい女そのものが匂《にお》いたつようなのである。
「堂馬さま」
編笠の紅鹿子《べにかのこ》のひもをあごにむすんでやったまま、お市はいった。思わずそう呼んだが、それから何をいおうとしたのか、じぶんでもわからなかった。
「……いつ、こんどはおかえりでございますか」
はじめてなげた問いであったが、答えてくれるとは思わなかった。しかし、堂馬はつぶやいたのである。
「五年のち」
お市は茫然《ぼうぜん》とした。全身から血のひく思いであった。堂馬は微笑した。
「こんどかえってくるときは、お市さんはもうお内儀《かみ》さんになっているだろうなあ」
「いいえ、いいえ」
お市ははげしくくびをふった。
「わたしはお嫁にはゆきませぬ。お嫁にはなりませぬ。わたしは……おかえりを待っております」
夢中でさけんで、お市は顔を火のようにした。
堂馬はじっとお市をのぞきこんだ。哀愁と冷酷なものがとけあって、ちらとその眼のおくをかすめたようである。
「五年……待っても、わしはかえってこぬかもしれぬ」
と、しみいるようにいった。
「げんに、このまえの御用のときにも、兄は殺された。敵の中に恐ろしい男がいるのだ」
「このまえと、おなじところにいらっしゃるのでございますか」
「左様。このまえの仕事のつづきなのだ。というより、御用はまだ果たせぬのに、兄が殺されたために、ひとまずわたしだけひきあげてきたのだ。両人ともに討たれては、それまでの苦労が水の泡《あわ》になると考えたのだが、いまになってみれば、わしは卑怯《ひきよう》だったかもしれぬ。臆病《おくびよう》風にふかれたのかもしれぬ。敵は、それほど恐ろしい奴であった。……」
堂馬の声はかすかにふるえ、お市もわなわなと身がおののくのをとめることができなかった。あの肩の傷のむごたらしさを思い出したのである。
「が、いかに恐ろしい敵とはいえ、わたしはゆかねばならぬ。御用は果たさなくてはならぬ。その御用の調べがつくのは、どうかんがえても、あと五年はかかる見込みなのだ」
堂馬の眼が編笠のかげで妖《あや》しいひかりをともした。
「お市さん」
「は、はい」
「わたしは、あんたが好きだった」
お市の全身はもえた。彼女は抱きよせられた。
「五年たって、いのちがあってかえってきたら……手柄に免じて、わたしは御庭番のお暇をいただくつもりだ」
「そうなすって下さいまし、ほんとうに!」
と、お市は必死にいった。彼女は、自由人となった仏坂堂馬とじぶんの未来を夢みた。
けれど、御庭番を辞する、そんなことができるのか。また役からはなれたとはいえ、御庭番であった者が、大丸呉服店の娘を妻とすることがゆるされるのか。
そんな不安は、この場合、お市の胸には浮かばなかった。堂馬もこのとき、理性を失った眼をしていた。……唇がはなれると、お市は身もだえした。
「五年とはいわず、いまお役目をおひきになることはできないのでございますか」
「それは、ならぬ」
突如として、峻烈《しゆんれつ》な声で堂馬はいった。彼はわれにかえったようであった。
「公儀隠密とは左様なものでない。……それに、わたしは兄の敵を討たねばならぬ。どんなことがあっても、枝垂《しだれ》七十郎は斃《たお》さねばならぬ」
「しだれ七十郎?」
苦悶《くもん》のうわごとの中にきいた名が、またひんやりとお市の耳をなでた。
「敵の名だ。容易ならぬ忍者だ」
堂馬はうめいて、お市を見つめた。
「お市さん、たのみがある。……いや、いままで、しゃべってはならぬことまでしゃべったのは、おまえを信じているからだ。きいてくれ」
「はい」
「この大丸呉服店に、かような場所があろうとは、天下の諸侯、一人たりとも知らぬ。存じておるのは、公方様をのぞいては、われら御庭番とそなたら親娘《おやこ》のみだ。……ただ、その敵、枝垂七十郎なるものが、ふっとかぎつけているのではないか、と思われるふしがこのまえの隠密行にあった。もとよりはっきりとは知らぬはずだ。しかし、その端緒《たんしよ》さえつかめば、いかなる手段を費してもつきとめずにはおかぬ奴だ。ひょっとしたら……きゃつ、この店を探索にくるかもしれぬ」
「…………」
「もう六十をこえた老人じゃ。やせていて、ひたいに白毫《びやくごう》のようなほくろが一つある。左手の中指が根もとからない。むろん、そのままの顔をみせることはあるまいが……万一、きゃつがこの大丸屋の界隈《かいわい》に顔をみせたら、なんとか智慧《ちえ》をめぐらして、この蔵の中におびきこみ、とじこめてもらいたいのだ。その誘いにのり、罠《わな》におちるようなら、それはまちがいなく枝垂七十郎だ。そして、そのままべつの御庭番がくるのを待つのだ。どうせ討ち果さねばならぬ奴、餓死いたせばそれでもよい」
「…………」
「枝垂七十郎を誅戮《ちゆうりく》したとき……若《も》しわたしがどこかに生きておれば、それはわたしのいのちを救ったことになり、若しわたしが死んでおれば、それはわたしの敵《かたき》を討ったことになる」
「…………」
「お市さん、蒼い顔をしているな」
堂馬は端麗な顔に苦笑を彫った。
「わたしでさえ恐ろしい敵、おまえの手にはおえまいなあ。いや、案ずるな、これはいま、ふと思いついたことで、是非ともと頼むわけではない。それにそもそも、きゃつがここにあらわれるとは限らないのだ。まず、あり得ないといった方がよい」
お市は堂馬を見つめたまま、はげしくくびをふった。顔が蒼白いのは、恐怖のためではなく、決意のためであった。
仏坂堂馬はしばらくお市の眼をくるむようにみかえしていたが、やがて彼女のからだをしずかにはなし、なよやかに腰をかがめた。
「では、お嬢さま、おさらばでございます」
女としか思われないなまめかしい声であった。そして、彼は出ていった。
一年たった。お市は、広い大丸屋の店に出て、おなじように忙しくはたらいた。それはちょっと、戦場で雑兵を指揮する若武者の姿を思わせた。女客の多い呉服店で、お市の姿をみるのが愉《たの》しみでやってくる男客もふえた。……しかし、だれもみていない、だれも知らない場所で、彼女は柱などにもたれかかって、移りゆく空の雲をあおいでいた。その眼には、以前の少女時代そっくりの、いや、それよりもっと哀切な夢が漂っていた。
(……あと、四年)
このあいだにも、仏坂さまは、恐ろしい敵とたたかっておいであそばすであろう。堂馬さまは御無事か。……そして、それにつけてお市はあの枝垂七十郎という名と、耳にきざんだその老人の姿を、わくわくする胸によみがえらせた。ひょっとすると、その男がこの店をうかがいにくるかもしれぬという。――
むろんお市は、一年いっときも眼をはなさず店を見張っているわけにはゆかなかった。彼女には、彼女しか知らない協力者が必要であった。利口で、人がよくて、そして彼女に忠実な人間――数百人の奉公人のなかから、お市は安兵衛《やすべえ》という若い手代をえらんだ。
「――安兵衛どん、妙なことをたのむようだけれど、そのうち店に、六十をこえたお爺さまがやってくるかもしれない。やせて、ひたいにほくろが一つあって、左手の中指がないという。そんなお爺さまの姿がみえたら、いそいでそっとわたしにおしえておくれ」
「……どなたさまなんでございます?」
と、安兵衛はまんまるい顔をななめにかしげた。お市は眉《まゆ》をよせた。
「おまえは、わたしのいうことだけをきいてくれればいいの」
安兵衛は、へっ、とくびをすくめてうなずいた。どこか、剽《ひよう》げたところのある男だが、これでもお市が見込んだのと同様に――いや、それとはまたべつな見地から、父も見込んだところもあるとみえて、この男も、父がお市の婿《むこ》の候補者のひとりにあげていたのをお市は思い出して、ふっと微笑がその面《おもて》をかすめた。
その手代の安兵衛が、それらしいお爺さまが店先にきていると、ちょうど奥にいたお市にそっと知らせてくれたのは、一年たった夏の午後であった。
「……是又《これまた》当時大家にて、五百余人の手代を使い、是も一日に千両の商いあれば祝いをするという。一ヵ年の暮し方の入用十万石の大名に似寄りたる金高なり」
と、当時のものの本に書かれた大丸呉服店の店先である。大伝馬町三丁目|通《とおり》旅籠《はたご》町に間口三十六間の長のれんをひるがえす店の中は、火事場のようなさわぎであった。
「判取り。――」
「はあい、七両三分二朱で、二|匁《もんめ》五分のおつりでございます」
「おうい、佐兵衛《さへえ》どん、店蔵へいって、繻珍《しゆちん》、錦、緞子《どんす》をはこんできてくりゃれ。御大家への御進物じゃそうな」
「三保松《みほまつ》よ、京染めの模様物、毛織錦の巻物に、緋縮緬《ひぢりめん》、緋鹿子《ひがのこ》をもってこい」
「小僧、茶番よ、茶番よ」
「はあい」
店には二十三ヵ所の帳場がならび、一ヵ所にはいつも客が六、七組もつめている。火事をおそれる当時として、品物は大半蔵の中にしまってあったから、客の註文、番頭の合図のたび、丁稚《でつち》小僧が南京鼠《なんきんねずみ》みたいにかけまわる。ぶつかり、ころがり、かついだ箱で胸などうって眼をまわしたりする者がでるのは日常のことだ。
お市はその店先へ出て、安兵衛に指さされた一角をみた。そこに、十徳をきて、杖《つえ》をついた町家の隠居風の老人が立っていた。
お市はまばたきをした。彼女の想像していたのは、もっとぶきみな、陰惨な感じの老人だったからである。しかし、その顔と手をみて、お市の顔色が変った。ひたいに黒いほくろがあり、杖にかさねた手の中指はなかった。老人は、はなやかな修羅場のような大呉服店内の風景を、珍しげに、面白げに、おだやかな笑顔で見まわしていた。
じぶんならば、かえって見のがしていたと思う。安兵衛にしても、もしこの探し人の素性をうちあけていたら見すごしたと思う。いや、ほんとうにこれが、あれほど仏坂さまのおそれられた忍者とやらであろうか? お市はしばし昏迷《こんめい》におちいった。
しかし、お市はきりりと唇をかみしめた。まちがいない。仏坂さまは、老人が「そのままの顔をみせることはあるまいが」とさえ仰せられた。身なり衣裳《いしよう》をかえてくるくらいは当然のことだ。
「……ちょいと、お貸し」
かすれ声でいって、お市はちかくの帳場から、ふたをとったままの硯箱《すずりばこ》をとりあげて、手にもってあるき出した。あっけにとられたように、その帳場にいた手代や安兵衛が、じぶんを見おくっているのを意識したが、それをかえりみるいとまはなかった。
老人は、客をかきわけかきわけ、ひとつの帳場の方へちかづこうとしていた。お市はそれとすれちがおうとして、ふいによろめいた。
「あっ……ごめんくださいまし」
からだがふれて、手にもった硯の墨《すみ》がはねて、老人の十徳にふりかかった。お市は立ちすくんだ。
「まあ、とんだことを」
老人の十徳には、胸のあたりに、真っ黒な墨がたらたらとしたたっていた。老人はあっけにとられている。
「何という粗相《そそう》を、わたしとしたことが……御隠居さま、どうぞ奥へ、おわびいたさねばなりませぬ。御召物のつぐないをいたさねばなりませぬ。どうぞ奥へ、御隠居さま」
お市は、まごまごしている老人の手をとって、しゃにむに、奥へつれていった。それは例の奥蔵の前の部屋であった。
彼女は手をついて、ひれ伏した。
「御隠居さま、申しわけないことをいたしました。どうぞ、おゆるし下さいまし」
「い、いや、わざとでしたことでない。左様にわび入られてはかえっていたみ入る」
「いいえ、何よりさきに、まず御召物をおとりかえいたさねば申しわけございませぬ。この蔵の中に、絽《ろ》、紗《しや》、精好《せいごう》、いえいえ、ただいまお召しの御十徳とおなじ生地のものもつんでございますゆえ、どうぞおえらび下さいまし」
お市はたちあがって、枯木のようにやせた老人の手をとって、蔵の中へみちびき入れた。
蔵の中に入って、老人は茫然《ぼうぜん》と見まわした。そこには、お市のいったように生地がつんであるのではなく、さまざまな職業の衣服、小道具、鬘《かつら》まで、まるで芝居の衣裳部屋のごとくならべられ、ぶら下げられていたからである。
「これは」
老人はふりかえった。息もつまる思いでお市はいった。
「これは、御公儀御庭番の衣裳部屋でございます」
「なに、御庭番の!」
思わずさけんだ声のひびきが、老人のただものでないことを証明した。彼はもういちどぐるりと周囲を見まわした。
「……枝垂七十郎さまとおっしゃいますか」
と、蔵の入口に立ったまま、お市はひくい声でいった。老人はふりむいて、お市を見た。
「そなたは何じゃ」
「大丸屋の娘でございます」
「当家の娘。……わしの名をだれにきいた」
くぼんだ眼窩《がんか》のおくから、眼が針みたいに白くひかった。やはり、そうであった! お市は必死に見返した。
「仏坂堂馬さまに」
「仏坂堂馬?」
つぶやいて、老人はうすくにやりと笑った。
「あれは、もはや死んだ。……しかし、娘、そなたはどうしてわしをここに……」
みなまできかず、お市はひらりと外へ出た。夢中になって土戸をしめ、錠をおろした。枝垂七十郎をとじこめたということより、「あれは、もはや死んだ」といういまの恐ろしい声が、鐘のように彼女のあたまに鳴っていた。
――数日たった。このあいだ彼女を支えたものは、「閉じこめられた老人」と「殺された恋人」のふたつであった。そのいずれか一つでも、それだけであったら、恐怖のために、または絶望のために、お市は悩乱してしまったかもしれない。
当時の土蔵の壁は、荒木田土の荒打、砂ずり、大直し、砂ずり、間樽巻《あいだるまき》、砂ずり、大直し、樽巻、縄《なわ》かくし、砂ずり、大津縛《おおつしば》り、村直し、砂ずり、小村直し、砂ずり、中塗、上塗と、俗に「二四|返塗《かえしぬり》」とよばれる手のこんだもので、厚さは一尺にちかかった。窓はすべて鉄格子だ。老人は、絶対に外へのがれることはできない。彼は一日ごとに飢え、渇き、死んでゆくのだ。いや、もうとっくに餓死しているに相違ない。
その無惨さにおびえるお市の心をはねかえすのは、「堂馬は死んだ」と冷笑した枝垂七十郎の声であった。「枝垂七十郎を誅戮したとき、若しわたしがどこかに生きておれば、それはわたしのいのちを救ったことになり、若しわたしが死んでおれば、それはわたしの敵《かたき》を討ったことになる」と堂馬はいった。――ああ、どうしてこれが前の場合であってくれなかったか! しかし、とにかく、わたしは堂馬さまの「敵を討った」のだ。わたしのしたことは、恋の神さまがゆるしてくれる。……
十日たった。お市は土蔵の扉をあけてみた。すると、すぐ足もとに黒いものがどろりとわだかまり、吐気のするような悪臭が鼻をついたので、彼女は、ひいっとのどから笛みたいな声をたてて扉《とびら》をしめた。
一瞬ではあったが、青黒い肉のねばりついた髑髏《どくろ》みたいな顔がみえた。声も通らぬ厚い土戸の内側を、どれほどたたき、かきむしったことか。彼の断末魔のあがきを、その位置がまざまざとしめして、枝垂七十郎は餓死していた。
「……そして、そのままべつの御庭番がくるのを待つのだ。どうせ討ち果たさねばならぬ奴、餓死いたせばそれでもよい」と堂馬はまたいった。彼女はその通りにやってのけたのだ。御庭番仏坂堂馬があれほどおそれ、そして彼自身をも殺したらしい老忍者に、これほど簡単に復讐《ふくしゆう》をしてのけた僥倖《ぎようこう》を、お市は意識しなかった。おそらく枝垂七十郎は、お市があのような行動に出るとは、まったく予想もしていなかったにちがいない。
また数日たった。「べつの御庭番」はなかなか現われなかった。お市はしだいにその餓死屍体のことを思いわずらいはじめた。じぶんの殺した屍体が、扉一枚のむこうで腐ってゆきつつあるということは、彼女の神経をたえがたくした。
「……お嬢さま、おからだでもおわるいのではございませんか」
最初に気がついて、そういってのぞきこんだ心配そうな手代の安兵衛の顔をみたとき、お市は思わずすがりつくようにいった。
「安兵衛どん」
「はい」
「おまえ、わたしの願いをきいておくれか」
「何をおっしゃります。お嬢さまのためなら、どんなことでも」
安兵衛は眼をかがやかせていった。剽軽者《ひようきんもの》ではあるが、誠実な人間であることは父もみとめていたし、それにお市は、この安兵衛が絶対にじぶんを裏切らないという自信があった。
「いつか、わたしが墨をかけたお爺さまのことをおぼえておいでかえ」
「あ……あの御隠居さま、わたしどもの知らぬうち、御召物をあらためてごきげんよくおかえりだったとききましたが」
「あのお爺さまは、蔵の中で死んでいる」
「ひえっ」
眼をむき出した安兵衛の顔すれすれに顔をよせて、お市はささやいた。
「何もきいておくれでない。わたしを死なせたくないと思ったら、そのお爺さまの骸《むくろ》を、どこかへ始末してきておくれ。おまえなら、きっとわたしのいうことをきいてくれると信じてたのんだこと、もしわたしのいうことをきいておくれなら、わたしはおまえのいうことを何でもきいてあげるから。……」
その夜、手代安兵衛は、蔵から葛籠《つづら》をひとつはこび出した。そのあと待っていたお市と力をあわせて店の方へはこび、何もしらぬ丁稚《でつち》たちに大八車までかつがせて、こんどは安兵衛だけが大八車をひいて、夜の闇《やみ》にきえた。
夜ふけてかえってきた安兵衛は、その葛籠に重石をつけて隅田《すみだ》川に投げこんだとお市に報告した。――翌る日から、安兵衛は三日寝こんだ。
手代安兵衛が大丸呉服店の花婿になったのは、その年の暮であった。
お市は、安兵衛におどされて彼を婿にしたわけでは決してなかった。この手代はそんなことをする悪党とはいちばん縁の遠い人柄にみえた。これはお市がえらんだことであり、父の正右衛門がよろこんで受けいれたことであった。
しかし、この花婿えらびは、むろん奉公人一同に――とくに若い手代たちに、ちょっとしたさわぎをもたらした。たんに朋輩《ほうばい》のなかから、じぶんたちの新しい支配者が出たという嫉妬《しつと》ばかりではない。安兵衛はいささか「変り種」といってよかったからである。
当時大きな商家の奉公人は、その出身といい、立身といい、武士の社会とそっくりというよりは、それ以上にきびしいものがあった。この大丸屋の奉公人にしても、いっさい本家のある京都出身者にかぎられ、また出来るだけ元奉公人の子弟ばかりをえらんだ。まず十一、二歳の子供をあつめ、京都の本家に半年ほど御目見得《おめみえ》させたのち、そのなかから出来のいいのをえらんで江戸へ送る。これを「子供衆」とよんで、使い走りや掃除や雑用に追いつかわれる。五年ばかりたつと元服して「若い衆」となり、はじめて店の営業面に参加できるようになる。このあいだの生活の辛さは筆舌につくしがたいものがあり、五人のうち三人は退店したり、出奔《しゆつぽん》したりしたといわれる。入店後八年目に、はじめて国元へ帰省することができ、京都の本家に挨拶《あいさつ》して生家にかえるのである。これを「初|上《のぼ》り」という。
三ヵ月目に、主家から再勤をゆるされた者だけが「上り衆」といって江戸店へかえる。そしてはじめて手代となるのだ。それから六年目ごとに「二度|上《のぼ》り」「三度上り」といって帰省をさせられ、そのたびに再勤をゆるされた者だけが「番頭」になるのであった。この手順と序列はきわめて酷烈なものであった。
安兵衛は、その「子供衆」「若い衆」時代を、この大丸屋江戸店で過さなかった。つまり、生粋《きつすい》の大丸屋育ちではなく、京都の本家に出入りしているうちにひどく見込まれて、たまたま「初上り」でかえった連中のうちひとりも再勤をみとめる出来のいいのがいなかったので、その穴埋めにえらばれて、江戸へ送られてきた男であった。
それだけに本人もほかにくらべてさぞ辛いこともあったろうが、彼はよく辛抱した。のみならず、その善良性と諧謔《かいぎやく》性は、朋輩からの意地わるさをうまくそらすのに役立った。さすがに主人の正右衛門は、彼の剽軽さが、天性のものというより、そのための彼の賢明さから出ていることを見ぬいた。
正右衛門はよろこんだ。安兵衛がたんに忠実な好人物であるばかりでなく、商売にかけては実にすぐれた才能をもっていることにすぐ気がついたからである。正右衛門がやがてこの安兵衛を娘の花婿の候補者のひとりにあげるようになったのもこのためであった。
この店で小僧時代をすごさなかったとはいえ、安兵衛が大丸屋に奉公してから、もう九年目になる。そのあいだ「二度上り」はすませたし、仲間から比較的好かれていた安兵衛は、花婿にえらばれて、結局いちばんいい選定であったと一同もみとめないわけにはゆかなかった。顔こそのんきなお月様みたいであるが、商売にかけてはだれにも劣らないし、それにこのごろ何やら凄艶ともいうべき感じの女になったお市さまを御《ぎよ》するのは、かえって安兵衛のようなふんわりとした男が最も適当しているのではないかと思われた。というより、その点にかけては、このごろ手代一同みな自信をうしなっていたからであった。
お市は、しかし、安兵衛をえらんだのは、むろん消極的な意味であった。彼女は二十三になっていた。そのころとしては、さしたる理由もなくひとりでいることは、決してゆるされない年齢である。ましてや大丸呉服店のひとり娘だ。父親に責められて、お市はとうとう安兵衛の名をあげた。――お市は安兵衛に好意をもってはいたが、もとより恋といったものではなかった。彼女の恋したのは御庭番仏坂堂馬ひとりである。
しかし、堂馬がたとえ生きていたとしても、ふたりが果たしていっしょになれるかどうかは極めて疑問であった。まして、彼は死んだ。お市はじぶんの人生は灰になったと感じた。お市が安兵衛をえらんだのは、灰のようなじぶんを受け入れてくれるのに、彼のようにおとなしい男がいちばんふさわしいと判断したからである。むろん、いつかのような恐ろしい依頼をきいてくれたお礼のこころもいくらかはあった。
婚礼の夜、お市は父の正右衛門立会いのもとに、「御庭番の化粧蔵」の秘密をうちあけた。安兵衛はちょっと蒼い顔をしたが、「さようでございましたか」といって、お市の眼をみた。
「それでは、いつかの男は?」
「あれは、その蔵の秘密をさぐりにきた敵です」
「それなら、やはりあれがああなるのは当りまえのむくいでございましたな」
と、彼は嘆息してうなずいた。
結婚してから、お市はふたたび「夢みる女」にもどっていた。しょっちゅうではないが、ときどき縫物などをしていて放心状態になることがあった。そんなときうっかり安兵衛が声をかけようものなら、彼女は甘美な夢でもさまされたように青い眉をひそめて、夫をにらんだ。じぶんでもどうすることもできない感情から、つんけんとあたりちらすこともあった。そのたびにおとなしい夫は、みじかいくびをすくめて、あわてて店へ出ていった。
安兵衛が婿となってから、大丸屋はいよいよ繁昌するようであった。彼は毎晩そろばんをはじいて、売上げの額をうれしそうにお市に報告した。そのそろばんの音をききながらも、お市はなお夢みることがあった。仏坂堂馬とはいわない。ただあの蔵にいまも粛々と入ってきては、黙々と出てゆく死のかげのただよう男たちの幻影を。――すると、ひたいをたたきながら、そろばんをはじいて悦にいっている夫に、全身がだるくなるような倦怠《けんたい》感をおぼえるのであった。
また二年たって、可愛い女の子が大丸屋に生まれた。
すべてはうまくいっていた。大丸屋呉服店の長い美しい紺のれんを春風が吹き、秋風がなでた。その下に、平和で華やかな人々の下駄の音は、音楽のように鳴りつづけた。
お市の胸から、ようやく仏坂堂馬の幻がうすれた。彼女はいつのまにか、好人物で働き者の夫に愛情をおぼえはじめていた。
五年目の秋の夕ぐれであった。大丸屋の秘密の入口から入ってきたうらぶれた鳥追女が編笠をぬいで、お市を驚倒させた。
仏坂堂馬は、笑顔でお市をみて、お市のひらいた口の鉄漿《かね》をみると、笑いを消した。彼はだまって蔵の中に入っていった。
お市はそのあとを追って、蔵に入った。堂馬は一言も口をきかなかった。ふたたびうす笑いをとりもどしていたが、眼は冷たくひかって、お市の姿を見あげ、見おろした。依然として美しい眼であったが、五年の星霜と辛苦は、彼の顔を凄味《すごみ》のあるものにかえていた。
「……枝垂《しだれ》七十郎が参りました」
と、お市はようやくいった。堂馬の顔からまた笑いがきえた。
「いつ?」
「あなたさまがお旅立ちあそばしましてから一年ばかりのちでございます」
「道理で、きゃつ、おらなんだ。――それで?」
「あなたさまのおっしゃったとおり、蔵の中にとじこめて……干殺しにしてしまいました」
「まちがいないか。きゃつが、そなたの手にかかるほど生やさしい奴とは思えぬが」
「まちがいございませぬ。たしかにひたいにほくろがあり、左手の中指のない爺さまでございました。それから、あのお爺さまは――」
お市はふるえる声でいった。
「仏坂堂馬は、もはや死んだ、と申しました」
「それはうそだ」
と、堂馬はさけんだ。
「さてはきゃつ、わたしが藩の秘密を調べておると知り、わたしの名までつきとめながら、どうしてもわたしをとらえることができないので、苦しまぎれにこちらをさぐりにきたのだな。そうか、枝垂七十郎は、わたしを殺したと申したか。それで、そなたは――」
と、うめいてお市を見まもったが、そのまま坐って、三味線をひざにのせた。
「むろん、そなたがこうなるとは、はじめからわかっていたことだ。いや、そなたがきゃつを殺してくれたので、わたしがこうしてかえってくることができたのかもしれぬ。礼をいう」
礼をいう、といったが、氷のような横顔をみせて、匕首《あいくち》をとり出し、三味線の皮にあてて、ぐいと切り裂いた。胴から、厚い書類の束があらわれた。
「枝垂七十郎のことは、またあとできこう。すこし、調べものがある。灯をもってきてくれい」
と、堂馬は冷やかにいった。
お市は夢遊病者のように蔵を出た。ほとんどじぶんが何をしているのかわからないままに行燈《あんどん》をさがしていると、うしろから子供の泣き声がちかづいてきた。泣きむずかる女の子をあやしている夫であった。
「おお、よちよち、お市、御庭番の方がおいでた様子だな」
「…………」
「はじめてのお方か」
「五年ぶりに御用からおかえりになった方です」
無限の想いをこめてお市はつぶやいた。子供の泣き声も耳に入らなかった。
「はじめてのお方、それではわたしも御|挨拶《あいさつ》せねばなるまい」
安兵衛は、うしろからやってきた乳母《うば》に女の子をわたして、蔵の方へいそいでいった。それは、はじめての御庭番にはいつもそうしていたことだから、お市はとめることができなかった。ただ胸もつぶれる思いで行燈をさげて、そのあとを追いながら、ふと堂馬が夫に対して何か恐ろしいことをするのではないかというおびえにとらわれた。
――夫の方に不安をおぼえたのである。お市は、いつしか三年をこえる安兵衛の女房であった。
行燈のかげで、仏坂堂馬は書類に朱をいれたり、綴《と》じあわせたりしていた。うしろにひそと坐った大丸屋の夫婦を無視した姿であった。
やっと、いった。
「その男は?」
「お初にお目にかかります。当家の婿の安兵衛でございます」
堂馬はふりかえって、安兵衛を見た。どんな人間にも好意のこもった微笑をうかばせずにはおかない、お盆《ぼん》のようにまるい顔がそこにあった。
「……面白い顔をした御亭主じゃな」
と、堂馬は皮肉に笑って、書類をつかんで立ちあがった。
「お城へかえらなければならぬ。御内儀、わたしがまえに着てきた衣服を出してくれい」
「そのまえに、おねがいが一つございます。頂戴《ちようだい》いたしたいものがございます」
と、安兵衛はひざで這《は》い出した。お市はあっけにとられた。
「ねがい? 大丸屋の亭主が、わしに何のねがい?」
「いいえ、大丸屋安兵衛としてではなく」
彼の手がのびて、堂馬の手の書類をすうとうばいとった。
「枝垂七十郎として」
そのまま彼は、ぱっと壁際まで、三間もひととびにうしろざまにとびずさった。このふとった男に、これほど神速な体術があろうとは想像もできないことであった。
「あっ」
堂馬とお市は、雷にうたれるように眼を見はっていた。
「枝垂七十郎……枝垂七十郎はうぬか!」
「おお、四年前、父枝垂七十郎がこの蔵で覚悟の往生をとげたときから、子のおれがその名をついだのだ。いいやその父の指図により、藩の秘密をさぐった隠密は、どうせこの大丸屋の蔵にかえってくるものと見込んで、十三年も網を張っていたおれだ」
枝垂七十郎は、まるい顔でにんまりと笑った。
「仏坂堂馬! 御苦労。調べたものは、おれがもらうぞ」
一方の手があがると、黒い閃光《せんこう》が二つたばしって、棒立ちになった堂馬の両眼に凄惨なひびきをたてて打ちこまれた。八方に釘を突出させたマキビシという忍者独特の飛道具がその美しい眼につき刺さったのである。反動で、堂馬の銀杏《いちよう》返しの元結《もとゆい》がきれて、ぱっと髪がうしろへみだれおちた。
それから、壁際にならべられていた刀のひとふりをとって、枝垂七十郎はするするとちかよった。そのとき盲目となった堂馬の唇がとがって、しゅっとひとすじの銀線をふき出した。枝垂七十郎はぴたと立ちどまった。そののどぶえを五寸にあまる針がつらぬいて、うなじに血まみれの尖端《せんたん》がとび出していた。
そのまま枝垂七十郎は、仏坂堂馬を唐竹割りに斬《き》った。両眼からふたすじの血の糸をひいた堂馬の顔のまんなかに、また一条の赤い線がはしった。完全に裂けた唇で、にやりと堂馬は笑った。
「その針の毒は、馬でも殺す。……七十郎、冥土《めいど》へいってまた忍法を争おうぞ」
ふたりは同時に、どうと床の上にころがった。
夢魔でもみるかのごとく、お市は立ちすくんだままだ。深淵《しんえん》に吸いこまれそうな内耳へ、虫みたいな声がつたわってきた。
「お市……その書類をもって城へゆけ。……」
「お市……その書類をやきすてろ。……」
ふた声、きこえて、ふたりの忍者は暗い蔵の底にうごかなくなった。
ながいあいだ、お市は身うごきもしなかった。全身|蝋《ろう》色に変っていた。彼女は床の上に血に染まっておちている十幾葉かの紙に眼をおとした。
蔵の戸はなかばひらいて、蒼ざめた非情な夕ぐれのひかりがみえた。一方にはめらめらと、行燈の燈心が執念の炎をあげているのであった。
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忍者|死籤《しにくじ》
折《せつ》 着《ちやく》 甲閑《こうかん》。
奇抜だが、これが姓名だ。服部《はつとり》組ではそれをどう書いていいか知らない者が多く、ただ「せっちゃく老」とか「こうかん先生」とか呼んでいる。本人も、署名どころか字も書いたことがない。
まるで、だぶだぶした皮袋に白い毛を生やしたような老人だ。
それでみんなが先生と呼ぶのはいったい何歳なのか首領の服部|千蔵《せんぞう》も知らないほどの老人である上に、大変な学者であるからである。
字も書かない学者というのは妙だが、たしかに学者だ。公儀忍び組首領のこの服部屋敷の一つの土蔵の中で、もう何十年もせっちゃく先生は研究している。
めったに外光にあたることもないが、まれに裏庭に出て、その研究の一端を見せることがある。小さな池から水を汲《く》んだり、桶から池へ水をあけたり――そして、それをのぞきこむ人は、あっと眼を大きくひらかざるを得ない。そこには尾が二本あるとかげがいたり、足の六本ある蛙《かえる》がいたりするからだ。また小さな台を草上に持ち出して、魚や鼠《ねずみ》や小猫の屍骸《しがい》をならべていることがある。屍骸というより、そんなとき、たいてい血まみれの匕首《あいくち》をふるっているから先生自身が切ったり裂いたりしているのだが、その魚や鼠や猫に頭が二つあったりするのを見れば、だれでもぎょっとせざるを得ない。
いや、服部屋敷の人々は、もういまではだれも眼をむかず、ぎょっともしない。彼らは、せっちゃく先生が何を研究しているか、だれも知っているからだ。
移植手術。今の言葉でいえば、そうなる。せっちゃく先生は、これを「万華《まんげ》の術」と称している。
それは先生が持っている万華鏡――幾十片かの色ギヤマンの破片を入れた筒を回すことによって、その一方からのぞくと無限の組合せの模様が見える――から来ているらしい。しかし、万華鏡とこの実験との結びつきは、或る時期までは実感としてよくわからなかった。どうやら先生は別個の肉体の各部分のすげかえを目的としているらしいが、しかし人間の万華鏡などいう破天荒《はてんこう》なことが地上に実現し得るものであろうか?
――などと、気を持たせることはやめる。それは実現したのである。そしてこれが実現したところからこの物語ははじまるのである。
「なに、ついに成ったか、せっちゃく老!」
服部千蔵は眼を爛《らん》とかがやかせた。
彼が長年――それどころか父の代から、この折着甲閑老人の研究の完成を嘱望《しよくぼう》していたのだ。むろんおのれの職務上、それがなみなみならぬ利をもたらすためだ。彼の職務、すなわち隠密《おんみつ》という使命は、当然さまざまな危険をともなう。死んでふたたび帰らないことさえ稀《まれ》ではないが、そうでなくても傷ついて帰って来て、二度とものの用に立たぬ例も多い。千辛万苦の修行をして、超人的な異能を体得しているのに、たんなる肉体的な一部の欠落損傷からそのすべてがむだになる例が少くないのを見て、「……ああ、ふびんな」と当人のために泣き、また「……ああ、もったいない」と職務のために歎《なげ》くことがしばしばあったのだ。もし、そんな損傷欠落を補い、つくろってやることが出来るならば!
「うんにゃ、いまのところ、どうやらとりかえっこの出来る自信のついたのは眼球《めだま》だけですて」
と、白い毛につつまれた皮袋みたいなせっちゃく老人はいった。
「眼?」
服部千蔵はくびをかしげたが、すぐに、
「なに、眼を――、二人の人間の眼球《めだま》をとりかえて、そしてやっぱりものが見えるとおっしゃるか」
「左様。――実はこれがいちばん困難ではないかと思うておったことがまず成功したから奇態なものじゃて。これはつまり血管のみならず神経の接続が可能になったということで、あとはいろいろ一瀉千里《いつしやせんり》じゃろうと思う」
「……ううむ、それは大変なことだ!」
事実、翹望《ぎようぼう》はしていたものの、文字通り瞠目《どうもく》に値する怪手術にちがいない。
「ただ喃《のう》、さればとてこれがどれほどのお役に立つか喃、よく考えてみるとじゃ」
と、こんどはせっちゃく先生の方が首をかたむけた。
「隠密にいって肉体の器官のどれかを傷つけられたとしても、それととりかえられた方は、こんどはこっちが欠陥のある器官の所有者となるだけで、結局同じことじゃし、ましてただいまのところは眼ばかりで、必ず眼だけ傷を受けるとも限らんし、わしがその場におらねば交換がきかないという難点もあるが、さて」
「……いや」
ややあって、思案していた服部千蔵は膝《ひざ》をたたいた。
「それが可能になったとすれば、それだけで迷うておった方針がきまってござる。ふむ」
数日後、彼は六人の若者を呼び集めた。――それから、一人の娘と。
若者たちは、天引坊太郎《あまびきぼうたろう》、狐川弁膳《きつねがわべんぜん》、阿曾平作《あそへいさく》、岩殿源之介《いわどのげんのすけ》、芒六太夫《すすきろくだゆう》、西方宗七郎《にしかたそうしちろう》といった。――いずれも千蔵秘蔵の忍び組最精鋭である。
そして、娘は彼の姪《めい》のお紅《べに》であった。
「さて、みなを呼んだのはほかの儀ではない」
と、千蔵は一同を見まわした。
「例の薩摩《さつま》の菊じるしの件じゃ」
男たちの顔に、きっとしたものが流れた。
「あれ以来御老中より御|督促《とくそく》はないが、もはやいつまでも荏苒《じんぜん》待っておれる事態ではない。服部組は何をしておる、と思召《おぼしめ》されておろうし。――」
こういうわけだ。
薩摩藩に「菊の密勅《みつちよく》」と呼ばれるものがある。公儀ではそれを「菊じるし」と呼んでいる。それを奪取出来ぬかという秘命が下されたのはもう一年ほど前のことであった。それが、その名の通り雲のかなたとかかわりあるものだけに、公儀といえども大っぴらにはゆかぬ仕事で、さればこそ服部組の出動となって、すでに三人もの人間が隠密として潜入したのだが、そのうち二人までがついに帰って来なかったのである。
向うが公儀の隠密を始末したということは、何よりもその意志を明白に物語っていることで、これに一撃を与えるためにもいよいよその「菊じるし」を入手しなければならなかった。そういう公儀の渇望をこれまた知りながら、薩摩の方でもものがものだけに、その密書を処分して何くわぬ顔をするわけにはゆかなかった。敵はそれを数人の秘密親衛隊を以て護っているらしい。その中心人物は、どうやら首次万華《くびつぎまんげ》という妙な名の男らしい――ということまでは判明した。
これだけでもわかったのは、今まで潜入した三人のうち、からくもただ一人、岩殿源之介が生きのびて帰還して来たからである。それはそのときの密行に二人が同行したからで、その仲間が半死の足で岩殿の潜伏している場所へ戻って来て、首次万華なる者の名を告げて絶命したのであった。その仲間は服部組でも名だたる使い手であったから、源之介はともかく右の事実を報告するために江戸へ帰って来た次第で、むろんかんじんの目的たる菊じるしの一件は手つかずだ。
「御老中よりの再度のお言葉を待つまでもなく、服部組の面目にかけ、かつは死者の弔《とむら》いのためにも捨ておけることではない、と気は焦っておったが、それでなおかつ今まで腕を組んでおったのは、もはや薩摩へやる者は、死んだ二人以下ではものの役に立つべくもあらず、従っておまえらのほかにないが――万一の際、おまえらのうち、だれにしろ、服部組から失うのはあまりにも惜しかったからじゃ」
千蔵は心底からの息を吐いていった。
「万一の際――といった。しかし、おそらく右の二人を倒したのはその首次万華とやらいうやつであろう。――まことを申せば、おまえらも危い」
六人の男たちは蒼《あお》くなっていた。しかし、恐怖の表情ではない。――いや、正確にいえば、ただ一人の例外を除いては。
千蔵は鋭くそれを見とがめた。
「天引《あまびき》」
と、呼んだ。
「おまえ、怖ろしいか」
「はあ」
「では、おまえ、ゆけ」
「はあ」
指名されたのは、六人の男の中でもいちばん立派な顔とからだを持っている若侍であった。名は天引坊太郎という。いや、六人の中、とはいわず、江戸のどこへ出しても必ず人の眼をひく若侍であろう。たんに美丈夫というだけではなく、どことなく大器の相がある。ただし声は、風呂の中から出て来るような声であった。
その声で、はあ、とは答えたが、彼はべつに立とうともしなかった。千蔵は声をあららげた。
「ゆかぬのか」
「いまですか」
不服げでも、人をくっている風にも見えず、ほんとにめんくらったように――といって、態度としてはそれほど目立たず――眼をまばたきさせていう。千蔵は舌打ちした。
「いまではない。もう少し言いきかせることがある。それはこのお紅のことじゃが」
と、あごを横にしゃくった。
「かねてから、このお紅の婿にするのはおまえら六人の中と心中に決めておった。実はおまえらを薩摩にやるのに迷うておったのは、それもあってのことじゃ。――ところで、はじめにきいておく。お紅の婿にするといわれて困るやつがあるか。遠慮なくいってくれ」
男たちの眼はかがやき出していた。いずれも、先刻の隠密行《おんみつこう》の話をきいたときよりいちじるしい昂奮《こうふん》の波が六つの顔にわたった。――こんどは例外がない。茫洋《ぼうよう》とした天引坊太郎でさえ、やや頬《ほお》を紅潮させている。芒六太夫という男がさけび出した。
「困るなど、そんなことは!」
「みな、同じか」
若者たちはうなずいた。のどぼとけに顎《あご》のぶつかる音が聞えるほどに。
千蔵はいった。
「では、薩摩より菊の密勅を取って来たやつにお紅をやろう」
――当然こう来る条件だが、しかし考えこまざるを得ない条件であった。薩摩にゆけば生命の危いことは、いま千蔵にいわれたのみならず、実例から明白だ。死んでしまえば、菊の密勅はおろか、お紅も手に入らないことになるからである。
死か、女か。
が、若者たちはこんども躊躇《ちゆうちよ》なくひざを乗り出した。
「拙者《せつしや》をやって下されい!」
困るなら遠慮なくいってくれとは口にしたものの、むろん千蔵には自信があった。自分の姪であるのみならず、お紅という娘自体に、はっきりいえばその美しさに。
熟れ切った白桃みたいな肉体を、処女の春霞がつつんでいる。眼はいかにも武士の娘らしく冴《さ》え冴えとしているのに、柔らかく結ばれたやや厚目の唇《くちびる》は真紅の妖花のようだ。そして彼女は一党の首領たる千蔵に絶対そむく心のあるはずもないが、実のところ伯父の彼にすらいささか神秘的なばかりの沈黙家であった。
六人の若者の灼《や》けつくような視線を受けて、お紅は笑顔を見せるはおろか、何かほかのことでも考えているように茫と眼を宙にそそいで、まるで春の幻みたいに坐っていた。
「薩摩にゆけば死ぬぞ」
伯父のくせに、一瞬二瞬、姪に見とれていた千蔵はわれにかえった。
ちょっと若者たちが硬直した。これまたおのれをとり戻して、死ねばお紅もへちまもないことに改めて気がついたようだ。――しかし、いうまでもなく薩摩ゆきの義務からのがれようとすれば、お紅を花嫁とする権利も失うことになる。彼らはむろん千蔵のだめ押しに、尻《しり》ごみの気配も見せなかった。
よし、と見て、千蔵はまたいった。
「もとより目的は菊じるしにある。従って、ゆくならば、おまえらの二人、三人、或いは六人、辞さぬならば六人すべてをゆかせようかとも考えた。しかし、そのような目的をとげるには、必ずしもそのようなやりかたが適当かどうか疑問であると再考した。そもそも、左様なことをすれば、敵に発見される機会もかえって多いにきまっておる。それで、やはり一応一人ずつやることにした。――おまえらならば、一人でもやれるかも知れぬ、とも思う。――」
「一人に限ります」
西方宗七郎という男がいえば、
「一人、やって下されい、まず拙者を。――」
阿曾平作という男もうめくようにいう。
自信もあるのだろうが、いまの話をきいてからの意気込みも加わったことは明白だ。二人以上いったら、お紅に対する優先権が混乱してしまう。
「とはいえ、何人目に成功するかしらぬが、それまでに死ぬやつがあればまことにふびん。――おまえらに対する期待と不安、こもごも交錯し、わしの申すことまことに矛盾《むじゆん》しておるが、わしの心事を諒《りよう》としてくれい。――成否いずれにせよ、その迷いのために、おまえら六人のうち、まずだれをやるか、あえてわしの心によって選ばず、籤《くじ》によって選ぶことにした」
「や、籤」
と、狐川弁膳という男がさけんだ。たんに千蔵の提案に驚いただけでなく、何やらほかに或る意志を伴った声であった。
「籤によって選ぶ――それは、ちと不公平になりはしませぬか」
「弁膳がおる以上」
岩殿源之介と芒六太夫が、あわてていい出した。――と、二人がいい、いま狐川弁膳が、そういえばわが意を得たりというような声をあげたのも道理、彼はなんと「籤の天才」なのであった。
「いや、弁膳は除く」
と、千蔵はいった。
「えっ、それはお頭。――」
と、弁膳が気色ばむのに、
「いや、弁膳には、みなが引いた残りの籤を引かせる、という意味じゃ。それならよかろうが」
と、千蔵は抑えて、眼を移し、
「ただし、坊太郎だけは完全に除外する」
と、いった。これに対して天引坊太郎は、弁膳のごとく「え?」という心外げな声を出さなかった。
これがこの若者のくせだ。たち[#「たち」に傍点]だ。先刻から千蔵は注意して見ていたのだが、自分の発言や提案に、この若者ばかりはほかの五人みたいな鋭い反応を示さない。だからこっちがいらだって叱《しか》りつけたが、それからもお紅のことを持ち出したとき、わずかに頬に血をのぼしたようだが、あとは全然茫洋としている。
見たところは立派な容貌である。いつもゆったりとしていて、曾《かつ》て千蔵は、この若者があわてたり大きな声を出したりするのを見たことも聞いたこともない。堂々たる美丈夫のくせにいつも控《ひか》え目で、もの静かである。その一方で、剣をとらせれば――しかも左ききという特技によって――党中ちょっと相手に立つ者がないのではないか、とさえ千蔵は見ているほどだ。――これは大器だ、千蔵はそう思った。かえって忍びの一族らしくないところが不安なくらいだ。いや、忍者にはもったいないやつかも知れん、そう考えた。――以前には、である。
が、一方でまた千蔵は、この男を大器と見るのは大変なかんちがいであって、見方によってはえらい意気地なし、優柔不断、臆病《おくびよう》者ではないかと思うこともあった。少くともあまりにも無欲過ぎる性情に相違なかった。そしてこのごろ、その疑いがますます強くなって来た。……要するに、服部千蔵にもこの若者はよくわからなかった。
そこへきょうのことである。見ていると、彼のみは反応遅鈍で、このペナントレースの旗が明示されたにもかかわらず、ひざ乗り出した朋輩と異なり、彼のみはぼんやりとして、それどころか心もち尻をうしろへずらし気味なようだ。
で、ついに服部千蔵は――内心、お紅がいちばん気を引かれているのはこの坊太郎ではないかと感じていることもあり――人の心も知らぬこの頼りないやつめ、と、かえって癇癪《かんしやく》を爆発させたのである。
「この天引は、薩摩にやったところでものの役に立つとは思えぬ。うぬだけは、千蔵の判断によって、はじめから列外に置く」
「――はあ」
「わかったか」
「はあ」
例によって、風呂から出て来るような声だ。――千蔵はこれ以上この若者にこだわるのがばかばかしくなった。
「さて、残りのめんめん、右の籤の件じゃが」
と、向き直り、
「それを引かせる前にちょっと申すことがある。実は、せっちゃく老の例の研究が完成した」
と、はじめて発表した。
――ほ? というような顔をみんなしたが、しかし衝動というより、それが何を意味するか、とっさに判断がつきかねたといった表情でもあった。
「眼の入れ替えが出来るそうじゃ」
「へへえ?」
「そこでじゃ」
と、千蔵はいった。
「まず籤に当ったやつ――すなわちこれより薩摩に乗り込んでゆくことになるやつが、その片目なりと、残る者と入れ替えていったらどうであろう?」
「えっ? な、なんのために?」
「かたみとして」
「かたみ。――」
「無事御用を果して帰還いたせばもと通りに返してもらうとして、万一そやつが非命に倒れれば、その者の眼はあとに残ることになる」
「お、いかにも。――」
「その眼をもらった者が出動するときは、これは責任を以てさらにあとの者に残してゆくことになる。――とすると、どやつが成功してお紅を嫁にするにせよ、少くとも片眼だけは女房としてのお紅を見ることになる。そうと知っておれば、これは本人もその分だけ安んじて出動出来るものではないか?」
「あっ……」
若者たちは、いっせいに口をあけた。
お紅をおのれのものにするためには、その決死の任務を果たさねばならぬ。しかし死ねばかんじんのお紅をほかの男の手にゆだねねばならぬ――という苦痛に満ちた矛盾は、いかにもこれで氷解とまではゆかなくても、少なからず――心理的には、想像以上に緩解されることになる。彼らのみならず、首領千蔵がわが意を得たりといった表情で一同を見まわしたのも、さこそと思われた。
「よいか、承知か」
と、千蔵はいい、みなががくがくとあごを振るのを見ると、立っていって座敷の隅の経机の前で何かしていたが、すぐに戻って来た。
「籤じゃ。引け。……ただし、坊太郎は遠慮せい」
千蔵の掌の上には、紙縒《こよ》りが五本乗っていた。
「中に二本、文字の書いてある紙があるが、巻き込んであるので、もはやわしにもわからぬ。天の字のあるのが第一番、地の字のあるのがそやつから眼をもらうやつじゃ」
「お頭……」
と、狐川弁膳が声を出した。
「弁膳はしばらく待て、先刻申した通り、おまえは残った一本じゃ」
「――は、それは承知いたしておりまするが、しかし何といっても拙者の運命にもかかわりのあること、せめてその五本の籤、拙者の掌の上で引かせて下されい。むろん、拙者は四人が取ったあとの一本をいただく」
「そうか。よいかな?」
千蔵は四人を見まわした。弁膳の申し入れを、それでもと押し返しかねたのだ。
「では、――」
狐川弁膳は、首領の掌から五本の籤を、さらりとおのれの掌に受けて、そのまま仲間の方へさし出した。
「取れ」
阿曾平作、岩殿源之介、芒六太夫、西方宗七郎は、順次、一本ずつ、その籤を取った。死か女かを包んだ紙縒りを。
「ひらいて見い」
四人はひらいた。
「――やっ!」
さけんだのは阿曾平作であった。千蔵はのびあがった。
「おまえに当ったか。何という字じゃ」
「天」
第一番の出動は、阿曾平作にきまったのである。
「では、地のやつは?」
あとの三人はきょろきょろした。どの紙縒りにもないようだ。――みんな、狐川弁膳の掌の上に残った一本に眼をやった。
弁膳はそれをひらいた。
「拙者のようですな」
つまり、眼を残して、死をかけた隠密の旅に出るのは阿曾平作、その眼を譲られるのは狐川弁膳ということにきまったわけだ。――一同は、ちょっと妙な表情で二人を見くらべた。
というのは、――
いま、眼を残すことになった阿曾平作の眼が、常人の眼ではない。一見したところでも、実に美しい光を放つ眼を持っているが、ただ外観のみならず、機能的にも、彼は「鳥の眼」を持つ。常人では判別のつかない遠距離や疾走する物体を、眼前に静止しているかのごとく判別する。これがいくさに於《お》けるいわゆる「物見」に役立つはおろか、例えば群衆の中に特定の個人を見分けるとか、高い天井裏から軍議の席にひろげられた地図を読むとか、どれほど大きな効能を発揮するか思い半ばに過ぎるものがある。すなわち彼こそ、「眼」を以て特技とする忍者なのであった。その彼が、眼を残す籤を引いたとは!
服部千蔵にはかねてから、服部家に相伝される古文書から得た或る一つの知識があった。
それは戦国時代生きぬいた初代|半蔵《はんぞう》の述懐で、それによると、武士たる者は戦場にゆく前に、決して女子供に心を残してはならないことはもとよりであるが、一方では必ず子供を残しておけというのであった。万一女房がない場合は、前夜に強姦《ごうかん》でもよいから女と交わって子を残すようにということであった。なんとなれば、勇躍戦場に赴くほどの強壮な者が子孫を残さずに死んで、あと肉体の劣悪な臆病者のみが残り、それが子孫を残すのは後代の天下のためでない、というのだ。
「いくさに当りてはむしろ弱き男をこそまっさきに殺すようにすべし、これ一国の大将たる者の心がくべきことにこそ」
などとある。――
だから、この場合、優秀な忍者の素質を遺伝させるためにも、せっちゃく先生の万華の術にひざを叩《たた》いたわけだが、しかしそれにしても、これは話があんまりうまくゆき過ぎる。
ただそれを仲間でつぐ者が狐川弁膳だとは、いささか首をかしげたいところもあるが。――
いや、そうではない。この狐川弁膳が外貌貧相なのにかかわらず、これでなかなかどうして、先刻もいうように「籤の名人」なのだ。彼は籤を以て特技とする忍者なのだ。
籤を引くことなどが忍者の特技となるのかと思われる向きもあるかも知れないが、それが事実、そうなのだ。
彼は籤を以て占いを立てる。明日が雨か、晴か。失せ物はいずれの方角にあるか。ゆくさきに待つは火難か水難か剣難か。ことの首尾は吉か、凶か。――むろん百発百中ということのあるはずはないが、まず七十パーセントくらいの確率を以《もつ》て的中する。これは実に大変な才能である。この能力はふだんの何でもない賭《か》け事自体にも現われて、彼とサイコロ遊びなどをやって、まず勝てるやつはない。――先刻、彼が籤を引くことを千蔵が禁止したのはこのためである。
そしてまた、果然この結果になったのを、果然、と判断していいか、どうか。――みな、穴のあくほど狐川弁膳を見たが、ふだん、いかにも貧相な容貌にいつもニヤニヤうす笑いを浮かべている弁膳は、このときはニコリともせず、むしろ厳粛な表情で掌の紙縒《こよ》りを眺《なが》めていた。ともあれ彼は、最後に残った籤を取ったのだ。いかに籤の名人でも、彼に細工の出来る余地はなかったろう。
「では」
服部千蔵は立ちあがった。
「阿曾、狐川、参れ。――せっちゃく老の蔵へ」
一眼をかたみに残して、阿曾平作は薩摩へ出動していった。
二ヵ月ばかりしてせっちゃく先生は、こんどは眼球交換に勝るとも劣らない新手術の開発に成功したことを告げた。
なんと、歯の入れ替えである。
そして、薩摩へいった阿曾平作は、すでに帰府の予定の日はとっくに過ぎているのに、まだ姿を見せなかった。――
しかし技術的には、歯の入れ替えなど、眼球交換に較べれば朝飯前のことであったろう。――実は服部組に籍を置く折着家には、入れ歯ということには先祖から伝統があったのである。その昔、慶安《けいあん》のころから義歯を作り、大名や旗本の中の希望者に施術した実績があり、その中の一つ、柳生飛騨守《やぎゆうひだのかみ》に篏《は》めた黄楊《つげ》と蝋石《ろうせき》で作られた、おそらく世界最古の義歯は、東京|台東《たいとう》区の広徳寺《こうとくじ》にある柳生家の墓所を発掘することによって発見され、いまに現存しているが、これこそ折着甲閑の先祖が作製したものなのである。ただこの折着家秘伝の木と石による義歯が、必ずしも満足すべきものでなかったことは、甲閑老その人がほかのだれよりもよく知っている。だからこそ、彼はその木製義歯の製作に手を下すこともなかったのだが、こんど人体各器官のすげかえという――大研究にとりかかって、その一連の中の一課題として、改めて歯を扱って見て――ついに彼は、人間の歯同士を交換するという手術に成功した。
「歯を喃《のう》。……」
みな顔見合わせた。さすがの忍者たちも少なからず辟易《へきえき》した表情であった。
「かたみに残すのは眼でもよいぞ」
と、千蔵がいった。
ちょうど、阿曾平作が目的を達せずして倒れたことがほぼ決定的となり、二番手の出動を考えるのやむなきに至った席のことである。
ともあれ、またも籤引きをやることになったわけだが。
「こんどは碁石でやることにする」
と、千蔵がいった。
そして、口だけは小さく、あかん坊ほどもある壺《つぼ》が運び出された。この中に数百個の白い碁石がつめられており、中にただ二つ、「天」という字と「地」という字を書いた石が入れられている。そこへ手をつっこんでひとつかみずつ銘々とり出し、その中にこの二つの碁石のいずれがあるかを調べる。もし二つ同時につかめば、その人間は「地」の方のみまたもとにもどして、あとの連中に同じことをやらせることにする。――
「お頭」
と、狐川弁膳が首をかしげた。
「ちょっとおうかがいいたしますが」
「何じゃ」
「もしこんど選ばれた者が、また眼を残すといい、それにもらう者が拙者となったら――、むろん、拙者は阿曾の眼は大事に保持しなければなりませぬし、となると拙者自身の眼がなくなってしまいますが」
弁膳の左眼は、阿曾平作の眼なのであった。眼裂のかたちが変ったわけではなく、左の眼球が阿曾のものに変っただけなのだが、貧相な弁膳の顔全体が、何だかいささか上等になったような印象があるのがふしぎである。外貌のみならず、彼が自分本来の右眼に手でふたをしてものを見て、
「おう、これは凄《すご》い!」
と、驚異のさけびをあげたくらいであった。
「ふうむ」
やや虚をつかれた顔になり、千蔵は弁膳を見た。
「弁膳、おまえはまたもらう方になるつもりか」
「あいや、拙者はまた残りの碁石をいただくつもり、その中に天があるか地があるかは神仏のみの知るところです。ただ、万一の可能性のことを申しあげておるだけで」
それはその通りだ。
「そのときはそのときで、また考えることとしよう」
「お頭、いかがでござろう」
と、弁膳はいい出した。
「やはりこの籤を引く者は、人数の多いほどかたみ分散の率が多くなります。それに、この前より感じていたことですが、せっかくお紅どのをいただく試みに、以前からの仲間を一人除外するのは何とも心安からず。――」
「天引を入れろと申すのか」
千蔵はふりかえった。
この席にも、天引坊太郎は同座していたのである。堂々たる美丈夫ぶりを、どこか影薄く、ひっそりとして。――
「やるか、天引」
千蔵もやや機嫌《きげん》を直したと見える。もともと千蔵が最も前途を嘱望していたのはこの青年なのだ。
「はあ」
べつに意外とした風でもなく、坊太郎は風呂の中みたいな声でいった。
さて、碁石による籤引きがはじまった。まず芒《すすき》六太夫が手をつっこんでひとつかみ取る。字はない。次に西方宗七郎が取る。すべて真っ白。三番目に岩殿源之介が取って、たたみにあけた。
「……あった」
一つ、天と書いた碁石があった。
「では、地は?」
と、一同が見まもる中に、千蔵にうながされて、新加入の天引坊太郎が壺に手をさし入れた。出して、掌をあけた。
「おう」
そこに一つ、くっきりと「地」と書いた石があった。
すなわちここに、出動二番手は岩殿源之介と決し、また彼からかたみをもらう者は天引坊太郎ときまったのだ。
「岩殿。……眼を残してゆくかの」
と、千蔵がいった。
「お頭」
心なしか、沈痛の声音《こわね》で源之介がいい出した。
「せっちゃく老の術は、ただ眼と歯ばかりでござりましょうか?」
「なぜ? ほかにおまえ、何か望むものがあるのか」
「は……もし、得べくんば、あの、男根を」
「えっ」
みな、いぶかしみの眼を集中した。
「阿曾を討ち果たしたのは、例の首次万華《くびつぎまんげ》に相違ござらぬ」
と、源之介は蒼い顔でいった。彼は――彼だけは、いちどべつの朋輩と薩摩へ潜入したことがあるのだ。そのとき彼自身は、実際には首次万華と対決しなかったとはいえ、この敵の恐ろしさはよくよく思い知ったのであろう。
「拙者、そのときより思ったのでござるが、首次万華よりも、からめ手よりきゃつの女房を落すにしかず――あの女房は稀代《きたい》の淫婦《いんぷ》にて、万華自身も頭があがらぬということでござれば」
この女房の存在については、すでに以前に報告を受けたから、みな知っている。
しかし。――
「そのためには、拙者にもし芒の男根あらばとふと思い。……」
仲間でも讃嘆のまととなっている芒六太夫の大男根だ。
「男根交換のことなど、せっちゃく老からきいてはおらぬ」
と、千蔵はいい、さらに首をかしげて岩殿源之介を見た。
「それに源之介、おまえはもらう方ではない。やる方だぞ」
「――あ」
と、岩殿源之介は自分の思いちがいにやっと気がついたらしい。しかし、それも彼のよくせきの懊悩《おうのう》のなせるわざであったろう。
「源之介、おまえ、薩摩ゆきがこわいのか」
「ばかな!」
岩殿源之介は肩をゆすった。たんなる虚勢ではない。彼は党中第一の手裏剣の達人であった。この前江戸に帰還して、すぐにまた薩摩にとって返そうとしたのを必死にとめたのは千蔵自身なのだ。
「ただ、目的を果たすことのみを考えての思案でござる」
服部組の忍者としては当然の心情であったに相違ない。そして彼は一同を見まわした。
「では、拙者は歯を残す」
「わっ」
奇声を発したのは狐川弁膳だ。
彼がそんな声をたてたのもむべなるかな。岩殿源之介はやや出っ歯で、その上相当以上の乱杭歯《らんぐいば》の所有者なのであった。
「拙者、この前に薩摩入りしたとき、ひょっとしたら敵に顔を見憶えられたかも知れませぬ。それゆえ顔を変ずる必要があると思っておりましたが、この歯を天引のものと替えられるとはもっけの倖《しあわ》せ」
と、源之介は天引坊太郎の方にむき直り、
「或いは、この歯でお紅どのの舌をしごいたり、しゃぶったり――ということになるかも知れぬ。その節は天引、よう歯で味わってくれいよ」
と、甚《はなは》だ愉快ならざるせりふを口にした。――ところを見ると、岩殿源之介は、いま薩摩にゆくのがこわいなどとんでもない、と言いはしたものの、ひょっとするとすでに死を予感して、やけっぱちのいやがらせを吐かずにはいられなかったのかも知れない。
「心得た」
と、天引坊太郎はいった。
岩殿の物凄い歯をもらうことになったときいてもあえて驚かず、最後にお紅を自分がもらうことになると予定されてもべつにわざとらしい異議もとなえず、この人物の心理はちょっと見当がつかない。
折着甲閑の手術によって、岩殿源之介と天引坊太郎は歯をとりかえた。そして源之介は薩摩に出動していった。
そして――これまた予定日を過ぎても帰らず、さては、とみな暗愁につつまれたころ、せっちゃく老はまたも第三の手術の成功を報告した。四肢の交換である。この怪異の万華の術はまさに人体万華鏡のごとく花ひらきはじめたのだ。
服部屋敷の書院に、千蔵はまた秘蔵の配下たちを集めた。晩秋の夕暮であった。
集まった者は、四人。
「もはや、籤で一人ずつやることはあきらめた」
と、いい出した服部千蔵の声は、暗然、というより、慄然《りつぜん》たるものがあった。
「せめて、二人ずつゆけ」
「あいや」
狐川弁膳が顔ふりあげた。
「やはり、是非とも、一人ずつやっていただこう」
「なんと?」
「こうなっては、もはや意地でござる。服部組の名にかけて。――どうじゃ?」
ほかの三人の仲間を見まわした。
「複数でいっては、お紅どのがあとで困るわ」
「その通りじゃ。お頭、どうぞ一人やって下されい!」
と、芒六太夫がさけんだ。
そんな理由もさることながら、若い配下のこのような意気は、たしかに千蔵の心琴《しんきん》に触れるものがあったようだ。千蔵は背中の子に教えられたような表情になったが、すぐに、
「左様か。しかし、籤の用意はしておらぬが」
と、やや戸惑ったようにいった。
「それは造作もないこと」
狐川弁膳は立っていって、障子をあけた。
秋の蒼空に庭の樹々の大半は枯木をゆさぶっていた。風があって、枝に残った枯葉は雨のように散りそそいでいた。
「左様。あの柿の木を見い。あそこに船のようなかたちをした雲があるじゃろ。その舳《へさき》にあたるところにさし出しておる枝、あの先から四枚、葉が残っておる」
と、指さした。
「あの葉を一枚ずつ、順次指定しろ」
「で?」
「最初に落ちたやつを薩摩ゆき、次に落ちたやつをかたみを預かる者としよう」
「あ、なるほど。――」
「よいか、では、決めろ」
一番尖端の葉を芒六太夫が、二番目の葉を西方宗七郎が、指定した。
「天引は?」
「わしはどれでもよいが」
「相変らずまだるっこいやつだ。早く言え」
「では、いちばんあとの葉っぱ」
声は以前よりさらに不透明なものになっていた。どうも、歯のせいらしい。堂々たる美男に妙な歯が入って、ふしぎなことにもその岩殿源之介はそれなりに凄絶味を帯びた容貌であったのだが、これはまことにいたましい相好《そうごう》に変ってしまった。ただ、醜いというよりどこかユーモラスな顔になったのは、本人の人柄のせいであろう。
「あ、散った!」
と、西方宗七郎がさけんだ。
彼らの指定を待ちかねるようにして、一枚の木の葉が風にひるがえっていったのである。尖端から二番目の――西方宗七郎の葉であった。
と、みるまに、夕《ゆうべ》の秋風はしずこころなく、また次の葉をふるい落した。先から三番目の葉を。
「……ということは、かたみをもらうのはわしか」
と、狐川弁膳はつぶやいた。
「西方、何をかたみに残す?」
千蔵がきいた。
「眼か、歯か、手足のどれかか」
「いや、足一本はちんばとなります。手は困る。――」
宗七郎はくびをふった。彼は稀代の鎖鎌《くさりがま》の達人であった。鎖鎌は右手に鎖、左手に鎌をふるう。
なるほどいずれを交換されても、刀術以上に困るにちがいない。
「眼は――弁膳が困るし喃《のう》。では、歯を残すか?」
「あいや、拙者は西方の手を所望したい」
と、手といわれて弁膳は少なからず狼狽《ろうばい》したようだ。
「むろん、拙者の恣意《しい》によるものではない。――西方宗七郎の玄妙の鎖さばき鎌さばき、その根源たる腕こそ、服部組に伝えたいのだ。そしてまたこれこそお頭が、人体かたみわけという発心をなされたゆえんのものである。……」
「まるでおれが死ぬときまっておるようではないか」
西方宗七郎はにがり切った。
「しかし、この腕を替えられたら、それこそわしが討たれるにきまっておるが」
「では、かたみを残さずにゆくか」
弁膳は長嘆した。
「首尾ようゆけばよいが、まかりちがった場合、その腕でお紅どのを抱けるかも知れないのだぞ。……」
西方宗七郎の表情に動揺の波がわたり――その眼が天引坊太郎の腕にとまった。
「天引の左腕なら、替えていってもよいが喃《のう》。……」
いかにも天引坊太郎は左利きの名剣士だ。西方宗七郎の鎌をふるう左腕の威力にまさりこそすれ、劣ることはあるまいが。――
「では、そうしようかの」
坊太郎はあっさりといった。
弁膳は妙に意地になったように両者の間に割って入った。
「ま、待て、西方からかたみをもらうことになったのはおれだ。いまの枯葉の籤を見たか。あれは風の定めた天意じゃ。それを無視するとなると、死をかけたいままでの籤の厳粛さがすべて水の泡《あわ》となるではないか」
「だから西方の腕はかたみとして狐川がもらうがいい。そして、西方にはわしの腕をやって、わしは狐川の腕をもらうことにしよう」
と、坊太郎はにこやかにいった。
「喃《のう》、名案であろうが?」
――服部千蔵はむっとふくれあがった狸《たぬき》みたいな顔で、この問答をきいていた。
それまでは彼は彼なりに、少なからず悩んでいたのである。弁膳のいったように、万一のことがあった際、あとに残したいのはまさに西方宗七郎の怪腕であった。さればとて、その腕をとっては、かんじんの宗七郎の目的が果たせるわけはないからである。
そこへいま、突然天引坊太郎が突拍子もなく三人の腕のとりかえごっこを提案した。それで西方宗七郎の不安は解消したとして、では坊太郎はどうなるのか。いや、彼はどうするつもりか。左利きの豪剣をふるう坊太郎が、籤を引くより能のない狐川弁膳の腕をもらったら、あとはまったくでくの坊ではないか。
――そんな交換は相成らん。
この声がのどもとまで出かかって、千蔵はしかしそれをのんだ。
こいつ、いよいよやる気がないな。
と、坊太郎に匙《さじ》を投げたのである。
――最初からおかしいと思っていたが、やっぱりそうか、勝手にしろ。
かくて――折着甲閑の妖《あや》しのメスは乱舞して、三人の忍者の左腕は移動し、その結果、必勝の信念に燃えた西方宗七郎は薩摩へ出動していったのである。
そして、せっちゃく老が、男根の交換も可能であると宣言した冬の或る日――またも服部千蔵は三人の忍者を召集したのだ。なぜなら、とっくに帰るべき宗七郎が、果然また消息を絶ったのが明白となっていたから。
「もはや辛抱ならぬ。三人ゆけ」
と、千蔵は身ぶるいしていった。
「しばらく、しばらく」
狐川弁膳は制した。曾《かつ》て、頭はよく回るが、少々ちょこざいな、と見えるふしもあった弁膳だが、このごろ妙に堂々たる風格をそなえて来て、千蔵の軍師役となった観すらある。
「われら三人同士の相談、成るまでしばしお待ちを」
そして彼は、二人の仲間の方に向き直った。
「ここまでつらぬいて来た方針を変えてよいと思うか」
天引坊太郎はもとより、芒六太夫も何と判断していいかわからない顔つきで黙っていた。
「いまいちどだけ、隠密御用の籤を引こうといったらこわがるか?」
「ばかを言え!」
と、芒六太夫が吼《ほ》えた。
「よし……ただし、こんどはおれがやるぞ」
六太夫は弁膳の顔をにらみつけていった。
弁膳はうす笑いした。
「ほう、おぬしが、どんな籤を?」
「左様。……いま、おれが百文銭を二枚投げる」
「で?」
「表々が出たら、おれが薩摩にゆこう。裏々が出たら天引がゆけ。そして裏表が出たら、狐川、おまえがゆくのじゃ」
「それは面白い、やって見ろ」
芒六太夫は二枚の百文銭を出して、しばし瞑目《めいもく》し、それを宙に投げあげた。それは落ちてたたみにならんだ。
「表々」
冷静に狐川弁膳はいった。――確率としては実は同じではないのだが、常識では、一番ありそうもないことが実現していた。
「六太夫、ゆくか?」
すでに選手を選ぶ主導権を失ったように茫然《ぼうぜん》として三人の忍者を見ていた千蔵は、はじめてこのとき声を出した。
「やはり、天意か?」
「――へ?」
芒六太夫はふりむいた。
「岩殿がいっておった喃《のう》。芒の魔羅《まら》を持っていったら、或いは菊じるしが奪えるかも知れぬと。――どうやら首次万華の女房をたらかす道具に使うらしいが」
「いや――拙者、左様なものを道具にしとうはござらぬ。堂々と首次万華そのものを倒す所存」
「――ほ?」
ちょっと服部千蔵は赤面した。無意味な豪語ではない。芒六太夫は鉄砲の名人であったのだ。
「拙者の男根は、そのようなことに使いとうはござらぬ」
「わかった」
「それはかたみに残しておこうと存ずる」
声に哀切のひびきがあったのは、彼自身虫の知らせを感じていたものか。――それをかたみということは、何に執念を抱いてのことか、そこまではまだ頭をめぐらす余裕はなく、
「どちらに?」
と、千蔵がきいたのは、天引にか、狐川にか、という意味だが、芒六太夫が二人の朋輩の顔を見て一息入れたあいだに、狐川が宣言した。
「籤にしよう」
「おれは弁膳のものなど欲しくはない。せめて天引のものをもらってゆこう」
と、六太夫があわてていい出したが、弁膳ははね返した。
「すべて籤の天意にまかせるのが掟《おきて》となったではないか。――よいか、天引、この百文銭」
と、一枚を拾って、
「裏か表か言え」
「……裏」
「では、おまえ投げろ」
と、押しつけた。
「表が出たら、おれが芒のものをもらうぞ」
天引坊太郎はきょとんとした顔で、ともかく投げた。
弁膳がさけんだ。
「表じゃ!」
「助けてくれ。――」
芒六太夫は悲鳴のような声をあげた。
「狐川のものはよく知っておる。あのような哀れなものをつけていったら、おれは九州にゆくまえにへなへなになってしまう。それくらいなら、おれはおれのものを持ってゆく」
「では、こうしたらどうじゃ。芒、おまえのものは弁膳にかたみに残しておけ」
と、坊太郎がおずおずといい出した。
「そして、わしのものを持ってゆけ。わしは狐川のものをもらっておく」
――やんぬるかな、というように千蔵は眼をとじた。
そして、もはや怒る気力も失せて、ふと人間もここまで無欲になると或いは大物かも知れぬ――と思い直した。ただし、忍者としては徹底的に不向きだ。だいいち、こうがらくたばかり集めたからだでは、もう忍者として使いようがない。……
年が明けて雪のふる日であった。
夕暮、服部千蔵は顔面を黒ずませて騎馬で門を入って来た。彼は老中から薩摩の一件について叱責《しつせき》を受けて帰邸して来たのである。かねてから、かかることもあらん、と覚悟はしていたものの、そのような予感も粉微塵《こなみじん》になるほどの激烈な叱罵《しつば》であった。
千蔵に呼ばれて書院へ急ぎながら。――
「天引、いよいよ最後の籤じゃぞ」
と、狐川弁膳は笑った。
笑ったのは、これまでのなりゆきを想起したからであり、また相手の天引坊太郎を完全に見くびったからであった。
――おれが籤の名人だということを、みな知っておるつもりで、実はまだ腹の底まで知ってはおらなんだのだな。いや、お頭さえも御存知あるまい。まさに神技の域に達しておることを。
笑いつつ歩む狐川弁膳は、或る器官を他人のものと変えたためその分だけ目方はふえているにはちがいないが、人の目に立つほどでもないのに、どっし、どっしと、数ヵ月前までとは別人のごとく重量感があった。これにくらべて黙々たる天引坊太郎はまるで影が薄い、というより影そのもののようだ。
たんに死の籤をのがれるために発揮した神技ではない。弁膳はこれを利用して――いささか強引のきらいはあったが――おのれの肉体の改造に成功した。変ったのは眼と片腕と男根だけだが、その分だけ優秀な肉体になったことはたしかだ。そしてそれ以上に彼を変えたのは、何よりも絶大な自信であった。歩む跫音《あしおと》は自信の重量感から来るものといっていいほどであった。
――曾《かつ》ては、頭と籤にかけては別、容貌、肉体、武術にかけては天引に遜色《そんしよく》のあったことを否定はしない。しかし、いまや恋がたきとして両者は伯仲だ。いや、さしひきすればおれの方が上かも知れぬ。
――しかし、一応天引を薩摩にやろう。そして天引がしくじったあと、おれが薩摩へ乗り込んで、頭脳と籤占い、眼と腕と男根の力を総動員して、みごと首次万華とやらを倒して見せる。
そう思うほどに。――
が、呼びつけた服部千蔵の顔色は、そんな弁膳の「最後の籤」を持ち出す余地のないほど凄《すさま》じいものであった。
「明日、わしみずから薩摩に出かけるぞ。二人、供をせい!」
頭からこういわれ、さしもの弁膳も気をのまれて、一瞬口あんぐりとあけて首領を見まもり、やがてこれまた必死に何かいい出そうとしたとき――縁側を小走りに走って来た跫音と、それにつづく声が、三人を驚倒させた。
「申しあげます。薩摩より首次万華なる御仁が参られて、お頭に御意得たいと申されておりまするが」
「な、なに、首次万華?」
その名のことは、彼らだけが知っていて、服部屋敷のほかのだれにもまだ告げていなかったから、このような注進があったのだが、しかし千蔵と弁膳は音たてるばかり顔面を硬直させていた。
「……き、きゃつが……何をしに?」
と、弁膳がかすれ声でいったとき、庭の方でべつの声がした。
「首次万華、服部千蔵どのにお願いのことがあって参府つかまつった」
「あっ……そこまでもう入って来ておる!」
と、千蔵がうめいた。
そのとき、何も知らないようすでお紅がふとそこに入りかけたが、さすがにそれをかえりみる余裕もなく、弁膳は躍りあがって障子をひらいた。
外は霏々《ひひ》たる早春の牡丹雪《ぼたんゆき》であった。
その雪のかなたに――庭にひれ伏していた影が頭をあげた。
「服部千蔵どのか。万華、お願いいたしたき儀がごわす。――」
痩《や》せて、青銅の禿鷹《はげたか》みたいな、超人的な精悍《せいかん》さに満ちた男であった。それがこういって、またうやうやしく平伏した。
「うぬが……首次万華か。な、何しに来た?」
さしもの服部千蔵も、まだとっさの動顛《どうてん》を消すことが出来ない。
「人体をすげかえ、接木《つぎき》する術について御教授たまわりたく。――」
「なに?」
「拙者も積年このわざに心|籠《こ》めて来たものでごわすが、いまだ充分究めつくしたとは申しがたく、その術について、お教え下さらば――例の菊の密勅、お渡しいたすもまたやむを得ずとまで決心、実は拙者、このことに反対する最愛の女房まで手討ちにし、薩摩の主家よりそれを盗んでここに懐中持参いたしてごわす」
「な、なんだと?」
驚きは鎮まるどころか、さらにふくれあがった。
「薩摩に参られたる隠密どのにきけば、かの術は御当家の、せっちゃく・こうかんなるお方の御研究にかかるものの由。そのことにつき――特に異物拒否反応につき――是非ともその大学者のお教えを賜わりたい。その代りこの菊じるしはよろこんで御進呈申す。――この取引、いかがでごわす?」
「ば、ばかめ!」
千蔵はようやくおのれをとり戻した。
「左様な取引、成ると思うか」
彼は刀をひっつかんで、立ちあがった。
「すでにわが服部組、いやさ公儀隠密を五指にても足らざるほど討ち果たしながら、ぬけぬけと天下の服部屋敷に推参《すいさん》いたすとは人を食った曲者、折着甲閑などに逢《あ》わせてなるものか。菊じるしはもらう。――生きて帰れると思うて来たか、この痴《し》れ者め。――弁膳っ」
彼は絶叫した。
「きゃつ、この場で討ち果たせ!」
「あ。――」
狐川弁膳もわれにかえった。
「天引と、籤を。――」
「たわけっ」
千蔵は刀のつかに手をかけて、弁膳の方を手討ちにしそうな形相《ぎようそう》をした。
「左様なことをいっておる場合か、天引など、ものの役に立つと思うか!」
「――はっ」
「きゃつを討ってとれ。きゃつを討つ者はわしかうぬのほかはない。うぬは阿曾の眼、西方の腕、芒の大男根を持っておる男ではないか。服部の精髄と申しても過言ではない。公儀忍び組の代表者として、その面目にかけてうぬ一人できゃつを討ち果たせ」
「はっ!」
狐川弁膳は突風に吹かれたように庭へ飛び下りた。
実に凄絶ともいいようのない、弁膳がはじめて見る服部組首領の迫力であった。――老中の叱罵を受けた昂奮状態がつづいているのだから無理もない。
が、雪の庭に飛び下りた瞬間、弁膳の肉体に自信の炎が燃えあがった。そうだ、おれは阿曾の鳥の眼、西方の怪腕、芒の大男根を所有している。それにあの曲者を討ってお紅を一挙に手に入れる機会は、いま敵が持って来てくれたではないか。
「神妙にせい!」
と、弁膳は絶叫した。
「……やむを得ぬ。お願いの儀は、あとで、もういちど事をわけ、熱誠をこめて申す」
首次万華は沈痛な声でいい、しかし従容《しようよう》と立った。
同時に二人は抜刀し、そのまま凝然《ぎようぜん》と動かなくなった。――雪はその三メートルばかりの空間を霏々《ひひ》としてななめにふりつづけている。
その雪けぶりの中に、おたがいを透かし合って。――
「……あっ」
二人はうめいていた。
二人は三メートルかなたに、それぞれ自分自身を見たような気がしたのだ。――そんなはずはない。顔から姿かたち、むろんちがう。それなのに、おたがいにそう見えたのは、なぜだろう?
それは狐川弁膳の左眼が阿曾平作の左眼、首次万華の右眼が同じく平作の右眼。また狐川弁膳の左腕が西方宗七郎の左腕、首次万華の右腕が同じく宗七郎の右腕という――すなわち、薩摩の忍者首次万華もまた折着甲閑の万華の術に類する術を以て、討ち果たした服部組の精鋭の器官を身につけていたのだが――そのことから来た錯覚に相違なかった。
それがわかったわけではない。ただ反射的な恐怖にかられ、まるで実体と鏡中の影のごとく、二人は躍りあがって斬《き》りつけていた。
二条の刀身はおたがいを袈裟《けさ》に斬って、二人は血しぶきの中に倒れた。
それっきり動かない二つの影と、雪を染めてゆく血潮を、服部千蔵は茫乎《ぼうこ》として見下ろしている。
狐川弁膳を褒《ほ》めるのはおろか、助けにゆく気をも失ったほど、さしもの千蔵も夢魔的忘我に陥ったのだ。
「……これはどういうこと?」
うしろで、お紅がきいていた。
「……はあ?」
風呂の中から出るような声で、天引坊太郎が答えていた。
「まあ、ああいうことです」
「弁膳は死んでしまった?」
「……そうらしいですな。……仲間はみんな死んでしまったようです」
「あなたは?」
「わたしは御覧の通り、生き残ったようです。……人の世の嵐には、えてして人間の屑《くず》の方が生き残らせてもらえることが多いもので……まことにけしからん現象ですが。……」
「でも。……」
お紅は甘美な声で吐息をついた。とにもかくにも伯父の服部千蔵は、お紅がこんなにしゃべるのを今までにきいたことがない。
「わたしは、うれしいわ。あなたが生き残って。――」
「しかし、わたしはひどい顔とからだになりました。こりゃいったい、わたしでしょうか?」
お紅はいった。
「まちがいありません。からだはどう変っても、あなたは天引坊太郎どのの魂を持っています。わたしの好きな坊太郎どのに相違はありません」
「そういわれると、困るなあ」
「何が?」
「あそこに、わたしの右腕やらそれから何やらがあるんで、いまのうちならせっちゃく先生を呼んでくれば取り戻せるだろう、と思っているんですが。――」
「えっ?」
「しかしこの五体にも、友人たちのかたみが残っていますしね。あなたがそういってくれるなら、一生、このままでいようか知らん?」
「いや! そんなら変えて! 坊太郎どの、もとの天引坊太郎どのにかえって下さい! 早く、早く!」
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『忍法鞘飛脚』昭和56年4月30日初版発行