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忍法|行雲抄《こううんしよう》
山田風太郎
目 次
忍者 明智十兵衛
忍法 死のうは一定《いちじよう》
忍者 石川五右衛門
虫の忍法帖
忍法 関ケ原
忍者 本多佐渡守
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忍者 明智十兵衛
沙羅《さら》が蒼《あお》い顔をして城からもどってきて、明智十兵衛《あけちじゆうべえ》という忍法者の話をしたのは、早春の或《あ》る夕方であった。
「なに、腕が生《は》えておりましたと?」
と、書見台《しよけんだい》に向っていた土岐弥平次《ときやへいじ》はさけんだ。沙羅はうなずいた。
「ほんとうよ。ほんとうに斬《き》られた左の腕がちゃんと生えていたのです」
「作り物ではござるまいな」
「まさか。その腕で太刀もぬきましたし、裸になって見せもした。……肩のつけねに、赤い絹糸を巻いたような傷痕《きずあと》があったけれど、腕が生きた腕であったのにまちがいはありません。……それにしても、きみのわるい男……」
沙羅は身ぶるいしてつぶやいた。
弥平次は腕をくんだまま、なお秀麗な顔をかたむけていた。庭に梅は咲いているが、北国の春はなお寒く、一乗山や文殊山《もんじゆさん》から吹きおろす風は、腰からすうと底冷えさせる。
その明智十兵衛という四十ばかりの男が、この越前《えちぜん》一乗谷に、吹雪とともに飄然《ひようぜん》とあらわれたのは去年の暮のことであった。素性のしれない者がめったに一国の城下に入ることのむずかしい戦国の世にあって、彼がまもなく城主の朝倉義景《あさくらよしかげ》に目通りをゆるされたのは、重臣の中に彼を知っている者が少くなかったからだ。美濃《みの》国|明智庄《あけちのしよう》 土岐下野守《ときしもつけのかみ》といえば、小なりとはいえ一国のあるじであったが、十兵衛はその一子であった。ただし、土岐下野守は七、八年前|斎藤道三《さいとうどうさん》に滅ぼされたが、そのとき彼はおちのびて、いままで甲賀の卍谷《まんじだに》という山中で、忍法の修行をしていたというのであった。
槍《やり》ひとすじで一旗あげようと諸国を放浪する男は雲ほどある。いろいろな兵法武術を宣伝して、その実、とんでもないくわせ者も少くない。それにしても、忍法を看板にするとは珍しい、と噂《うわさ》をきいて弥平次は苦笑した。むろん、くわせ者にちがいないが、それでも十兵衛がそのままひとかどの屋敷と五百貫の知行《ちぎよう》を朝倉家からあたえられたのは、十兵衛の系図以外の何物でもあるまい、そうかんがえると、弥平次はおなじ土岐の末裔《まつえい》だけに羨《うらやま》しかった。
土岐というのはもともと清和源氏《せいわげんじ》から出て、美濃の土岐こそいちじは守護職の地位をしめた名門で、明智十兵衛はまさにその正流であるが、弥平次の方は、土岐家がいつどこで分れたのか、系図もない生まれであった。彼自身は丹波《たんば》の小大名の家老の家来にすぎなかった。
ただ遠い先祖がおなじというだけの興味でみていた明智十兵衛が、ついに忍術をみせなければならない破目におちいったという話をきいたとき、弥平次は美しい顔に皮肉な笑いをうかべた。
十兵衛がどうしてそんな破目におちいったか、弥平次はよく知らない。しかし、忍法を看板にして仕官し、五百貫という知行をもらい、しかも本人がまだ年も四十になるやならずというのに頭の毛がうすくなりかかった、いかにも風采《ふうさい》のあがらない容貌《ようぼう》の持主ときては、城主の義景がいちどその術をみせよといい出したのもむりはない。忍法は修行したが、あれはあくまで下郎《げろう》のわざ、じぶんとしては別に軍学についても自信があるから、それによって御奉公したい、十兵衛はそういってやまなかったそうであるが、義景はきかずついに十兵衛が承知したのは、一ト月ばかりまえのことであった。
が、義景をはじめ、家臣や侍女たちをおどろかせたのは、ここにいたって十兵衛の吐いた言葉であった。
「殿のお刀を以《もつ》て、私の左腕をお斬りおとし下されい」
彼は影のうすい笑顔でこういったという。
「一ト月のちに、もういちどその左腕を生やしてごらんに入れる」
「たわけたことを――」
「とかげの尾、蟹《かに》の鋏《はさみ》はもがれてもまた生じます。とかげ、蟹に成ることが人に成らぬという法はござらぬ。……どうぞ腕を斬って下されい」
うす笑いしたその顔を見ていた義景は、ついにあごをしゃくった。小姓に佩刀《はいとう》をもてといったのである。
文弱という噂も他国にはあるが、何といっても、戦国大名にまちがいはない朝倉義景である。その一閃《いつせん》は水もたまらず、明智十兵衛は血けむりたててたおれた。左肩のつけねから断ちきられた腕は、どくどくと血を吐きながら、みるみる藍色《あいいろ》に変っていった。
腕は捨てて犬にでもくわせられたい。拙者のからだは長持に入れ、蓋《ふた》をとじ、一ト月ののちひらいて下されたい、そう注文したとおりに、失神した十兵衛はとり扱われた。
それから一ト月たった今日である。人々は城につめかけた。ふだん城に上らぬ重臣の女房娘も、これを見ることをゆるされた。家老|黒坂備中《くろさかびつちゆう》の姪《めい》で、その寄人《よりゆうど》たる沙羅までが城にいって、その奇怪な忍者の首尾を見とどけてきたのはそのためである。
そしていま沙羅は、悪夢でもみたような顔色で、一ト月ぶりに蓋をひらいた長持の底に、そのあいだ一滴の水すらとらなかった明智十兵衛が、やや痩《や》せて蒼ざめてはいたものの、まさに二本の腕をぶらさげて、にゅーっと立ちあがってきた光景が、悪夢ではなく現実のものであったと報告するのであった。
「そんなばかな。……それはこうではありますまいか。つまり、一ト月まえ、殿様が腕をお斬りなされたとみえたは、実はそうみえただけのまやかしであった。……」
「それでも、斬られた腕は血をながしながら、ほんとうに残っていたという。――」
と、沙羅はいった。土岐弥平次はだまった。なんと判断してよいかわからない。
しばらくまた、彼のただひとりの主人である美しい娘の顔を見つめていた弥平次は、彼女の顔色が、ただその忍者の腕への恐怖だけではないらしいことを感づいた。
「沙羅さま、まだほかに何かあったのではありませぬか」
「弥平次、そなたは近江小谷《おうみおたに》の浅井備前《あさいびぜん》どのの御台《みだい》さまをご存じかえ」
弥平次は、沙羅があまり突拍子もないことをいうのでめんくらった。
「浅井どのの奥方、おお、織田弾《おだだん》 正《じようの》 忠《ちゆう》 の妹御で、去年の春十七で浅井へ輿入《こしい》れされたという方ですな。たしか、お市《いち》さまとか――話はきいておりまするが、丹波の城がおちてから、そのままこの越前へにげてきた私が、左様な方を存じておるわけがないではありませぬか。……それが何といたしましたか」
「そのお方に、わたしがそっくりじゃという。――」
「だれがそう申しました」
「明智十兵衛どのが」
「明智どのが、浅井家の奥方を知っておるのでございますか」
「ここへくるまえに、しばらく尾張《おわり》の清洲《きよす》にいたらしい」
弥平次はふしんな眼で、沙羅のおびえた顔を見まもった。
「あなたさまが、浅井|長政《ながまさ》どのの奥方に似ておる。――ふむ、それで?」
「あの明智という男は、ここの殿様と、もし腕が生えたら望みのものをいただくという約束をしたそうな。わたしはそれを知らなかった。あの男は長持を出ると、広間につめかけた人々のまえをあるきはじめた。が、そのわけをわたしは知らなかった。だから、あの男がわたしのまえに立っても、わたしはぼんやりとその顔を見ておった。すると、あの男の顔におどろきとよろこびの色がひろがって――この女性《によしよう》は浅井備前どのの御台そっくりだ、殿、御褒美《ごほうび》にはこの女人をいただき申す! とさけんだのじゃ」
沙羅の顔がゆがみ、その眼にくやし涙がひかると、彼女はがばと弥平次のひざにつっ伏した。身をもんでいう。
「わたしは城にゆかなければよかった!」
弥平次は沙羅のうねる背中をなでさすった。さすがに一瞬|驚愕《きようがく》の表情となったが、すぐにおちついた声でいった。
「それで、あなたさまは何と申されました」
「わたしは、わたしには夫がありまする、と思わずさけんで、そこをにげ出した。あとのことは知らぬ」
若い女が泣くときは、甘い花粉に似た匂《にお》いがむれたつようだ。しかし、波うつその背をしずかになでる土岐弥平次のきれながの眼は冷静な三十男のそれであった。
背中をなでられているうちに、沙羅はふいにおとなしくなった。やがて、うっとりとあげた眼は異様なうるみをおびている。ふかい息をついていった。
「弥平次、わたしがそのような辱めをうけるのも……おまえがわたしと祝言せぬからです」
「沙羅さまは左様に仰せられますが、あなたは主筋、私は家来」
「そんな他人行儀なことを――そなたというひとは、どうしてももちまえのかた苦しさがとれぬのか。じれったいひと! 主筋という、なるほどもとはそうでありました。しかし、わたしの父は討死した。わたしの主家の安見《やすみ》家そのものがもう三、四年もまえに滅亡している。いまのわたしは天涯の孤児のようなもの、主と家来どころか、わたしはそなただけをたよりにしている女ではありませぬか」
「あなたには御当家、すなわち北国に名だたる守護職朝倉家の御家老黒坂備中守様という伯父御《おじご》があらせられます」
「伯父とはいうものの、その寄人《よりゆうど》として、このごろ迷惑がられておることは、そなたも知っているではないか」
「備中さまが面白からぬお顔をあそばされるのも、あなたさまが伯父御の仰せられるさまざまの御縁談を片っぱしからはねつけられるからでございましょう」
「それは、わたしがそなたが好きだからじゃ」
「そのお心はもったいのうござるが、主従そろって黒坂家の食客たるわれら、しかもあるじたる沙羅さまが、家来の私、しかも十ちかく年のちがう私にかかずろうて、伯父御の仰せをおききなされぬ。備中さまが御不快に存ぜらるるはあたりまえ、まして、それを知りつつ、私の口からあなたさまとの祝言など、なんとして申し出されましょうか」
「……弥平次、どこかへゆこう」
「どこへ。この麻のごとき乱世のどこへ」
「わたしはそなたの才智を信じている。――弥平次は生まれたところがわるかった。丹波の小大名の家老の家来などとは泥中《でいちゆう》の蓮《はちす》、もし一国のあるじに生まれていたら、天下をとりかねぬ男――と、生前の父上がしばしば申されたことを沙羅は忘れはせぬ。そなたほどの兵学者なら、どこへいっても働き場所がありましょう」
「左様な野心を起すには、私、十年、年をとりすぎました。私はもう三十二でござります」
「まだ若いではないかえ」
「ふふ、沙羅さまがおからかいなさる」
土岐弥平次の名剣のような端麗な顔に、自嘲《じちよう》と哀愁をおびた苦笑がかすめた。
「わたしは剣にも槍にもさして自信はござりませぬ。ただ、仰せのごとく、大軍をうごかす軍法にかけてはいささか自負することもございます。さりながら、大軍をうごかす地位には、いかに戦国とはいえ、一足とびにつけるものではありませぬ。それには系図が要ります」
「系図?」
「されば、あの明智十兵衛どのがこの一乗谷に参られるやいなや、ただちに五百貫の知行をたまわったに反し、ここにきて三、四年にもなる私は、いちどとして殿に見参《げんざん》がかなうどころか、日蔭の花のようにこの黒坂家の居《い》 候《そうろう》として、だれもかえりみるものがないではありませぬか。すべて、系図の有無です。あなたさまに縁故ある朝倉家にしてすらしかり、況《いわ》んや、他国に漂泊するに於《おい》てをやです」
「それでは、弥平次、そなたはこの一乗谷で朽《く》ちてゆくつもりか。そなたといっしょなら、わたしはそれも本望であるけれど――」
「いや、私こそ、この青い磨鉢《すりばち》のような谷で孫子《そんし》など読みながら老いてゆくのは、或《ある》いは性にあっておることかもしれませぬが、あなたさまは」
沙羅は身もだえしてさけんだ。
「あの醜い明智十兵衛という化物の人身御供《ひとみごくう》になれといいやるか」
さすがに土岐弥平次は沈黙した。
丹波の城が三好勢《みよしぜい》に攻め落される前夜、弥平次の主人、すなわち沙羅の父は、どう思って沙羅を弥平次に託してひそかに落去させたのか。
むろん、愛する娘を死なせたくない慈悲心からにちがいないが、なぜそれを弥平次に託したのかとかんがえると、弥平次自身にもはっきりとはわからない。主人は、彼の前途を嘱望していた。彼の才能を買っていた。彼の人柄を信じていた。――そこまでは、うぬぼれでなく、彼にもわかる。しかし、沙羅の父は、じぶんを沙羅の夫として見込んだのか、また沙羅の騎士として見込んだのか。
もし後者として望んだのであったら、おれはまことにその負託にたえたものだが、前者として望んだのであったら、いかんながら落第だ、と弥平次は微笑する。沙羅の父の心事はさておき、いちばんわからなかったのは沙羅のこころだ。彼女は十ちかく年上の、身分のひくい弥平次をあきらかに恋しているのであった。
丹波から、彼女の伯父のいるこの越前一乗谷へおちのびてくるまでの苦難の旅、また伯父とはいえ、生まれてはじめて逢《あ》う人の多いこの国のこの家に住む心ぼそさから、ただ弥平次だけにすがる心が恋と変ったのか、はじめ弥平次はそう思った。しかし沙羅はちがうといった。落去の際、弥平次を供につけてくれと父にねがったのはわたしです、と沙羅はいった。
沙羅は丹波の城にいたころから、弥平次が好きであったらしい。粗野で、あらあらしいのみの丹波侍のなかにあって、ひとり書を読んでいる弥平次の端正で荘重《そうちよう》なものごしが好ましかったのだ、という意味のこともいった。そして、家が滅んで、天の下にただ二人だけとなったのをむしろ倖《しあわ》せとするように、彼女は若いゆたかな肉体を弥平次の胸に、ともすれば投げかけようとするのであった。
落去の際、十九であった沙羅ももはや二十三となり、彼女はたわわな花か、熟《う》れきった果実のようであった。――それを土岐弥平次は、さりげなくおしのける。端正に、荘重に。
そして、微笑とともにまたつぶやく。
「御家老さまが、おれを沙羅どのの騎士として託されたのなら、おれはこれ以上はない忠義者だろう」
北国の春は、くるのにおそく、すぎるのにはやい。――一乗山、文殊山はみるみる青葉に染まり、一乗谷は緑に黒ずむばかりの季節となった。そのなかに、城と町は絵のように美しく浮かび出してみえる。
狭い谷間の城下町だが、なんといっても足利《あしかが》以来百有余年、いまの義景で六世となり、そのあいだ管領|斯波《しば》家の守護代までつとめた名門朝倉家であり、百年以上もさかえた町である。城をめぐる町並は、ちょっと小京都を思わせた。
夕靄《ゆうもや》と青葉に、青ずんで薄れかかった離れの一室に、それも気づかぬ風で土岐弥平次は端然と坐って書見をしていた。すると、あわただしい跫音《あしおと》が庭をはしってきた。
「弥平次、こわい。あの男がやってきた」
縁先で、被衣《かつぎ》を波うたせてあえいでいる沙羅であった。
「いまわたしが外からかえってきて門を入ろうとしたら、往来を馬でやってきたあの男が、じっとわたしを見つめ、いきなり馬からとびおりて追ってきたのです」
「あの男とは?」
「明智十兵衛」
そのとき、庭のむこうから、おちつきはらってひとりの男があるいてきた。
「大事ない。ただ丹波からきた軍学者土岐弥平次とやらに逢いたいだけじゃ」
そういう声がきこえたのは、とめようとするこの屋敷の下男小者をしりぞけるためであったろう。
きっとむきなおった土岐弥平次のまえに、夕靄のなかに浮かびあがったのは、髪の毛のうすい、つやのない細ながい顔をした四十男であった。いつか沙羅は「醜い化物」といったが、醜くはない。しかし、影うすい貧相と評してもいいだろう。その異様な影のうすさに、妖怪《ようかい》じみた感じはたしかにあった。
顔よりも、弥平次はまず相手の左腕に眼をそそいだ。
「うたがうか」
明智十兵衛はぼんやりと笑って、左の腕をくねくねさせた。弥平次は狼狽《ろうばい》した。
「いや」
逆に十兵衛は弥平次の顔を見まもった。
「なるほど、噂《うわさ》にきいたとおりの美男子。……おれは、そなたが羨《うらやま》しい」
こんどは弥平次が微笑した。べつに美男子とほめられたのがうれしいわけではなく、十兵衛の嘆声がいかにも心の底からこみあげてきたようなひびきをおびていたのが可笑《おか》しかったのだ。直感的に、この男は好人物だ、と思った。あの奇怪な忍法が、どうやら事実らしい、と知るにつけて、ぶきみの感はいよいよ増すはずなのに、かえってこの男は人間としては悪い男ではない、と直感させるものがあった。
「何か御用でござるか」
「あ」
と、明智十兵衛はうろたえた。そして、向うからお辞儀をした。
「おれは明智十兵衛」
「拙者は土岐弥平次と申す」
「土岐とはなつかしい。おれは明智と名乗っておるが、美濃|明智庄《あけちのしよう》に住んでおったので、もとはおなじ土岐だ。そなたの系図はどこで分れたのか」
「系図も何もない。土岐の庶流です」
土岐弥平次はめずらしく赤面した。恥じではなく、怒りからであった。しかし、明智十兵衛は弥平次よりも沙羅に視線をうつしていた。沙羅は二|間《けん》もはなれて恐怖とにくしみにひとみをひからせてこの闖入者《ちんにゆうしや》をにらんでいる。十兵衛のほそい眼に気弱げなひかりがゆれた。
「なるほど、これほどの美男がそばについているとあっては、おれがきらわれるのはむりもない。……」
「御用はなんでござる」
もういちど、きびしい声で弥平次はききただした。
「あ、それは……これ、沙羅どの、左様にこわがられるな、おれはそなたを追ってきたわけではない。きょうは、ふとそこの往来で、この土岐弥平次というひとのことを思い出して入ってくる気になったまでのこと。姓もおれと同根、それに、うわさによれば、なかなかの軍学者だという。――」
弥平次は苦笑した。
「軍学者と申すほどのものではござらぬ。ただ、好きで読んでおるだけの兵法書、私自身はたんなる匹夫《ひつぷ》下郎です」
「いやいや、匹夫下郎の身を以て、兵書が好きとはいよいよ以て珍重するに足る。実はおれも兵学にはいささか興味がある。同志同学の士として、是非いちど、そなたと語ってみたい、そう存じてやってきたわけだ。弥平次、上ってよいかな」
けろりとしていう十兵衛に、弥平次は思わず、「どうぞ」とこたえてしまった。もっとも、相手が五百貫という知行取とあれば、一介の居候にすぎぬ弥平次がことわるわけにもゆかない。
沙羅の黒い炎のような眼は、不甲斐《ふがい》ない弥平次にそそがれた。すぐに彼女はぷいと顔をそむけ、足ばやに庭を出ていった。明智十兵衛はおどろいたようにそのうしろ姿を見おくり、悲劇的な溜息《ためいき》をついたが、すぐにのこのこと座敷にあがりこんできた。
弥平次はこの人物を、しだいに喜劇的に感じ出していたが、やがて話をしてみて、彼の兵法軍学に関する素養のふかいのに驚倒した。
明智十兵衛が義景に、忍法よりも兵学を以て奉公したいと願ったというのは、たんなる法螺《ほら》でも逃口上でもなかったのである。
同様に、十兵衛の方でも、弥平次にひどく感心したらしかった。
そして、軍法についてのふたりの意見、傾向は、実によくうまがあった。
十兵衛は弥平次を十年来の友人のような眼で見まもるのであった。話は兵法|咄《ばなし》から、当代の人物論にうつった。
奥羽《おうう》の伊達《だて》、関東の北条《ほうじよう》、北陸の上杉《うえすぎ》、甲斐の武田《たけだ》、上方の三好《みよし》、松永《まつなが》、中国の毛利《もうり》、四国の長曾我部《ちようそかべ》、九州の島津《しまづ》。――それらのなかで、最大の未来性をはらんでいるのは、尾張の織田|弾《だん》 正《じようの》 忠《ちゆう》 信長《のぶなが》だ、と十兵衛はいった。
「同感です」
と、弥平次はいった。さきに桶狭間《おけはざま》で今川《いまがわ》を撃破し、ついで美濃の斎藤を降服させた信長のただものでないことは、彼も認識していた。――すると、十兵衛は、ふと皮肉に笑った。
「ここの殿の名は出ぬなあ」
そして、ひとごとのようにつぶやいたのである。
「この古雅な一乗谷が、嵐《あらし》のような織田の鉄蹄《てつてい》にかけられるのも、まずひいき目にみて十年以内だな。何もかも、古すぎる。いまだに、公方《くぼう》、管領、守護などと、滅んだ夢を追いまわしておるとは――信長はせっせと鉄砲を仕込んでおるというのに」
「あなたほどの方が、なぜ織田に仕官なされなかったのです」
と、弥平次はきいた。
「弾正忠は家系家門を無視し、まったく人材本位に抜擢《ばつてき》する大将だということですが」
「鉄砲隊をつくるのに全精力をあげている人物のまえに、忍術をひっさげてあらわれて、どうするな。……肌があわぬよ」
十兵衛はげらげら笑った。ちょっと、この男の神経はわからない。
「実はな、おれには或《あ》る妙な望みがあったのだ」
彼はふいに声をひそめた。
「おれは、弾正忠どのの妹御、当年とって十八歳の市姫に惚《ほ》れたのよ」
「おお、去年の春、小谷の浅井備前どのへ輿入《こしい》られたという。――」
「そのおん方が寺|詣《もう》でされるお姿を、清洲の城下でふとかいまみてから、ぞっとおれは恋風にとり憑《つ》かれたのじゃ。この年になるまで忍法と兵学に心血をそそいで、人間の牝《めす》など、とんと興味のなかったこのおれがよ。天魔に魅入《みい》られたとはこのことか」
ふかいふかい声であった。ほそい眼がうっとりといっそうほそくなって、銀のようなひかりをはなっている。弥平次の方もぞっとした。
「さるによって、もはや織田家に仕えても、お市さまのお顔は見られぬ」
「ならば小谷へ仕官の口をさがされたらよかったでござりましょうに」
「それがさ、おれもいちどはそうかんがえたが、浅井へ奉公すればお市の方はあるじの奥方さま、それを毎日、家来となって拝顔するのもこりゃたまらぬ。ひとつの地獄じゃと思うてなあ」
十兵衛はがらにもなく顔をあからめて、がらにもなく繊細な人間心理の予測をのべるのであった。そのあかい顔が、すっと黒ずんだ。
「ひょっとしたら、おれは謀叛《むほん》を起すかもしれぬ。――備前どのが憎うなって」
「まさか」
「いや、ほんとうだ。だからおれはこの朝倉家へ奉公することにした。そなたも知るように、浅井家と朝倉家はふるい昔から友邦だ」
「しかし、いくら仲のよい国でも、ここにおっては浅井どのの奥方のお顔は見られますまい」
「ここで出世をすれば、浅井へ使者としてゆく日もあろうよ。はは、まるで夢のような話じゃが」
十兵衛は恥ずかしがる少年みたいにからだをくねらせた。
「実は、何が何だかおれにも分からぬのよ。ひとまず浅井に縁あるこの朝倉に足がかりつくって――というよりほかに、いまのところ余念はない。ところがだ、たんに渡り鳥のかりのねぐらのつもりであったこの朝倉家に、思いがけなく、お市の方そっくりの女人《によにん》を見つけ出したではないか」
さっきからしだいに感づきはじめていたことであったが、弥平次は頬《ほお》からかすかに血がひくのをおぼえた。
明智十兵衛のからだがふるえ出した。
「こんなことをいいにきたのではなかった。おれはそなたと兵法|咄《ばなし》をするためにきたのであった。しかし、やはり、いってしまった。弥平次、おれは、小谷へゆけばおちるであろうと思った地獄に、思いがけずこの一乗谷で落ちてしまった!」
両腕を縄《なわ》のようによじって苦悶《くもん》のていにみえる明智十兵衛を、土岐弥平次はまるで珍奇な動物でもみるようにながめている。
「わかっておろう、弥平次、それがあの沙羅であった。城でおれがあの人蟹《ひとがに》の忍法――切られてもその腕が、蟹の鋏《はさみ》のごとくまた生えるという忍法をみせたとき、夢でもみているのではないかと眼をうたがったのは、おれをみていた人々ではなく、その人々のなかに沙羅を見つけ出したおれであった」
「あなたは殿と、もしもその忍法をまこと見せるならば褒美《ほうび》は望みのままという御約束をなされたそうでござりますが、殿はなんと申されました」
「殿は……あれは朝倉のものではない、家老黒坂備中の寄人《よりゆうど》、せっかくだが、余のままにならぬ。女が望みなら、ほかの女をえらべと仰せられた。しかし、おれにとってほかの女は、石ころにひとしいのだ。また殿は、朝倉のものでない女ゆえ、余のままにはならぬが、そちがあの女と恋をするならば、それは自由だ、と仰せられた。すると、侍女たちがいっせいにどっと笑った」
弥平次のきれながの眼にも笑いがうかんだ。
「女どもが笑ったわけはよくわかる。風采《ふうさい》のあがらぬ、あたまのはげかかった四十男と恋という言葉のくみあわせが可笑《おか》しかったからだ。それ、そなたもそのように笑う」
「いや、これは」
「それは自信の笑いだ。おのれの美貌《びぼう》に自信のある男の笑いだ。女の心をしかとつかまえておる男の笑いだ、おれは、そなたが羨《うらやま》しい」
「何を仰せられます。ふらりとこの一乗谷にあらわれて、すぐに五百貫の知行を受けられた十兵衛さまが、寄人たる女人の、そのまた居候たる私を羨しいなどとは。……私など、生涯うだつのあがらぬ名なし草といえましょうか」
「恋し、恋される美しい女人ひとりをもてば、男はそれでよい!」
十兵衛はうめくがごとくいった。
「すくなくとも、それなくて何の栄達ぞや」
「恋し、恋されると申されたようでござるが、沙羅さまは私の恋人ではありませぬ。あのお方は私のあるじです」
「何を、おれにむかってそらぞらしい幕を張るか。あの女のそなたをみるときの眼をみるがよい。あれこそは、炎のような恋の眼だ」
「沙羅さまのお心はしらず、私は別に」
弥平次、はっきりと笑顔になった。燈も入れぬ座敷に、墨のようにひろがり出した闇《やみ》を計算のうえであったが、あきらかにこの可笑《おか》しげな男をからかって、それを愉《たの》しむ表情であった。
明智十兵衛は、きょとんとしたようであった。
「弥平次、それはまことか」
「まことでござる。ふたりの仲はあくまでも主人と家来。いかに夫婦となりとうても、ここの伯父御さまが、左様なことをおゆるしになりましょうか」
「では」
と、十兵衛が息をひき、生唾《なまつば》をのむ音がきこえたが、すぐに両手であたまをかかえこんだ。
「だめだ! あれはそなたを恋しておる。そなたでなくてはだめだ。おれがそなたにならなければ。……」
ふいにその声がぷつんと闇に消え、しいんとした沈黙がきた。悶《もだ》えのあまり、この男は絶息したのではないかと思われるほどの静寂《せいじやく》であった。弥平次はわれにもあらぬ恐怖に襲われた。
「明智さま、どうなされました、明智さま」
「弥平次、そなた、五百貫の知行取になる気はないか」
十兵衛はしゃがれた声でいった。弥平次は相手の言葉の意味を判じかねた。
「つまり、そなたは、おれという人間になる気はないかというのだ」
「わかりませぬ」
「いや、わからぬのは当然だ。おれがそなたという人間になるといった方がわかり易い。おれがそなたになる。つまり、土岐弥平次がこの世にふたりできることになる」
「わかりませぬ」
「おれの首を斬《き》るのだ。そうすると、つぎに生えてくる首は、おまえそっくりの首だというのだ」
弥平次よりも十兵衛の方が、恐怖に凍りつくような声であった。
「指をきれば指が生える。腕をきれば腕が生える。しかし、首をきられても首が生えるか、おれにはまだ験《ため》したことがない。おお、忍法人蟹、はたしておれの術が、その驚天動地の妙に達しておるかどうか?」
忍者明智十兵衛のいい出したことは、まさに驚天動地としかたとえようがない。それは狂人のうわごととしかきこえなかった。
彼自身、おのれのいい出した言葉が信じられないのか、ふるえ声で、自分にいいきかせるかのごとく陰々《いんいん》という。――
「大丈夫だ。手が生えて、首が生えぬという法はない、かならずおれは生きかえる。きっと首を生やしてみせる。……」
しばしの衝撃から弥平次はわれにかえった。かわりに強烈な好奇心にとらえられた。
「きった首がまた生える、よしそれが成ろうと、しかしそれはあなたの首ではありませぬか。私そっくりの首が生えてくるとは?」
「それは、首をきられるとき、未来|永劫《えいごう》、土岐弥平次になりたいと念力を凝集させて首をきられるのだ。左様さ、そのためには、あくまでそなたに代りたいと、おれを狂気のごとく鼓舞するものが必要だなあ」
「ところで、あなたさまの首はだれが斬るのでござる」
「そなたにたのみたいな」
「朝倉家の御家中の方を、浪人の私が斬っては、こんどは私の首があぶない」
「そのことは、殿におれから申しあげておく。そもそも、この世に土岐弥平次がふたり誕生するのだ。ふたりの土岐弥平次がならんでみせねば、殿も御信用なさるまい。しかし、それで五百貫の知行を頂戴《ちようだい》するのは土岐弥平次にあらずして、この明智十兵衛にまちがいないということを知っていただけるだろう」
しゃべっているうちに自信がついてきたのか、それともこの世のものならぬ夢想にとり憑《つ》かれたのか、恍惚《こうこつ》として十兵衛はいう。
「そして、美しい顔になった明智十兵衛は、朝倉家で栄達し、もうひとりの土岐弥平次は沙羅をつれてこの国を去る。おなじ顔をした人間がふたりおっては、諸人のみならず、かんじんの沙羅がこまるからの」
彼は笑い声すらたてていった。
「弥平次、わかったろう。朝倉家で栄達する明智十兵衛はそなたで、沙羅とともにこの国を去るのはおれだ」
「……沙羅さまが、それで満足なされましょうか」
嘲弄《ちようろう》の声ではない。魔法にかかったように相手の世界にひきずりこまれて、真剣にうち案ずる弥平次の声の余韻であった。
「そなたは沙羅に惚《ほ》れてはおらぬといったではないか。おれは沙羅に惚れておる。おなじ顔をした男で、しかも惚れてくれる方をえらばぬ女があろうか。そなたの顔をもちさえしたら、おれも自信がある。きっと沙羅の心までさらってみせる!」
昂然《こうぜん》として十兵衛はいうのであった。
「弥平次、女をとるか、栄達をとるか?」
ながい沈黙ののち、闇のなかで土岐弥平次はしずかにこたえた。
「ものは験《ため》し――栄達をえらびましょうか」
三日のちの夜である。五月雨《さみだれ》がふっていた。
沙羅は伯父のきびしい叱責《しつせき》をうけて、離れにかえってきた。実はいつか城で、沙羅が「わたしには夫があります」と口走ったことが問題になって、それはあの明智十兵衛というきみのわるい忍法者からのがれるための口実であったと、そのときは伯父に弁解したのだが、すておけば世間の誤解をうけるからと、伯父の黒坂備中はまた縁談をもち出し、そしてとうとう沙羅は土岐弥平次を愛していることを告げたのであった。
伯父はむろん、そのことを感づいていた。だから先日も弥平次を呼んでひそかにきいたといった。
「すると弥平次は、なにしに以て主筋の娘御と祝言する気がありましょうや、といい、そなたがきれいな処女《おとめ》のままであることも金打《きんちよう》して誓言したわ」
はじめてきくことであった。そんなことを伯父に誓い、しかもじぶんには何もいわない弥平次を思うと、沙羅は怒りのためにからだがふるえた。
「伯父上が何とおっしゃろうと、わたしはどこへもお嫁にゆきませぬ。わたしは明日にもおいとまさせていただきます」
前後の分別もなく、雨にぬれるのも感じないで、沙羅は離れにかけもどってきた。
すると土岐弥平次は、短檠《たんけい》がひとつともっているのでむしろ暗いような座敷に、寂然《じやくねん》と坐って、何かをながめていた。彼の眼のまえの床の間に置いてあるものをみて、逆上していた沙羅もあっけにとられた。
それはたけ三尺以上もある大きな壺《つぼ》であった。黒ずんだ、無数のなめくじが這《は》いまわっているような、古怪な壺である。
「弥平次、それはなに」
「何だかわかりませぬ。……明智どのからあずかったもので」
「明智十兵衛から」
沙羅は怒りをとりもどした。そういえば、先夜弥平次があの男を追いのけるどころか、座敷にあげて、夜おそくまで親友のように話しこんでいたことも意外であったし、腹だたしいことであった。
「そなたが、なんの因縁あって、あの男からそんなあずかりものをしたのです」
「因縁? 実は沙羅さま、私は明智どのの御推挙で、ちかく朝倉家に五百貫で御奉公いたすことになりました」
壺にちかよろうとした沙羅は、思わずたちどまった。ふりかえろうとするからだを、ふいにうしろからむずと抱きしめられた。
「明智どのは、まもなくまた漂泊の旅に出立《しゆつたつ》なさる。そのあとがまに、軍学を以て、この弥平次が」
「それはほんとうか」
ふりむく頬に、弥平次のあつい息がかかった。
「それでは、そなたは五百貫取りのお侍」
「もはや備中さまも反対はなさるまい。伯父御のみならず私にとっても……ひくい身分が、あなたさまとのあいだをへだてる壁でござった。もはや、はれてあなたさまを私の女房にいただいても、自他ともにはばかるところはない」
沙羅はそれまでの怒りをわすれてしまった。自負心のつよい弥平次なら、そういうこともあろうと思った。ふれられた乳房のさきまで、よろこびの血が脈をうった。――明智の壺のことはむろんわすれていた。
「よかった、弥平次」
「沙羅さま、いちど」
あえぎながら、弥平次はいった。
「あなたのおこころはわかっていた。あなたがきらいではなかったのです。それどころか弥平次は、いちどこうしてあなたさまを抱きしめたいと、いくたび夢にみたことか」
足がふるえて、沙羅はずるずると坐ってしまった。それを抱きしめ、ゆさぶり、頬ずりして弥平次はいう。
「祝言まではまてぬ。今宵《こよい》弥平次の望みをかなえて下され」
沙羅の顔もからだも、心まで波のようにゆれていた。これほど昂奮《こうふん》した弥平次をみたことがなかった。弥平次は、情熱のない男ではなかったのだ。
「どうせ」
彼女は息づく肩から、きものがずりおちるのを感じた。
「そなたにささげるつもりのからだでした。どうなりと」
唇が重ねられるまえに、そういっただけで彼女の息はつまっていた。それにしても、なんという弥平次の情熱だろう。彼の手はかきむしるようにうごいて、沙羅の帯をとき、きものをおしひろげている。
熟《う》れきった、恋する女のからだは一糸のこらずはぎとられた。唇を吸い、舌を吸い、乳房を吸いながら、待ちに待ちかねたこの一夜の幸福を惜しむのか、弥平次は、いつまでも彼女の声と息のむせびのみを愉しんでいる。……これがもし経験のある女であったら、耐えかねて怒り出すであろう。しかし処女《おとめ》の沙羅は脳髄まであつい白泥《はくでい》と化してにえたつようで、ただもだえにもだえた。
短檠《たんけい》のひかりのゆれる下で、嫋《じよう》 々《じよう》とうねり、はてはひきつるようなうごきをみせはじめた雪白の姿態に、さすがに弥平次もたまりかねたか、
「今……いま」
と、さけんだ。その刹那《せつな》、弥平次は女のからだをのこして、すうと立ったのである。
本能的に沙羅は両腕をさしのばした。二歩、三歩、女の指さきから弥平次はあゆみ去る。霞《かすみ》のかかったような視覚に、ふときらめくひかりをおぼえて、彼女は眼をあけ、弥平次が片手に白刃をひっさげているのをみた。
「ねたましや」
しゃがれたつぶやきがきこえた。沙羅は、弥平次の向うに――あの古怪な壺の口から、ひとつの首がにょっきりと生えているのにはじめて気がつき、ひいっとのどのおくでさけんだ。髪の毛のうすい、つやのない、ほそながい明智十兵衛の顔は、恍惚《こうこつ》たる眼から銀光をはなって、彼女の裸身を凝視しているのであった。
「地獄におちようと、弥平次になり代りたい。永劫《えいごう》。……」
みなまできかず、弥平次の一刀はその首を薙《な》いだ。肉の音より、かっと頸椎《けいつい》を断つ音がひびいて、おどろくような血潮の量が天井へ奔騰した。赤い雨のようにふりそそぐたたみの上に、すでに明智十兵衛の首はころがっていた。
その首は、血の斑点《はんてん》にそまりつつにんまりと笑って、なお沙羅をほそい銀の眼で見つめているのであった。
凝然と死固したように立ちすくんでいた沙羅が、ぐらりとたおれかかった。土岐弥平次は刀をすて、身をひるがえしてこれを抱きとめた。
声が、物理的に沙羅の耳に鳴った。
「おどろかれるな。明智どのにたのまれたことです。……きられた腕がまた生えたあの忍法を思い出しなされ。……十兵衛どのはきっと生きかえる。きられた首はまた生えるという。……しかも、こんど生えてくる首は、この弥平次とおなじ顔だという。……そのためには、あくまで弥平次になり代りたいという念力が要る。……その念力をおこすために、恋する沙羅さまとたわむれておる弥平次をみせてくれと……みな十兵衛どのが望んだことです。……」
うすれかかった意識のそこで、沙羅はめざめた。弥平次の最後の言葉が、彼女を鞭《むち》うったのだ。
「しかも、これは殿様も御存じのことという。……一ト月のち、あの壺からもうひとりの土岐弥平次があらわれる。……両人ならんで殿のおんまえにまかり出る。……顔もおなじ、声もおなじ、軍学の知識もまたおなじ。……そして十兵衛どのは、殿にこの弥平次を推挙してこの国を去られる。……あの方はこの弥平次の顔が是非欲しいと仰せなさる。五百貫の知行は、顔をもらった返礼でござるそうな」
弥平次は、偽った。十兵衛がこの国を去るについて、ひとりの同伴者を要求したということをだまっていた。
しかし、沙羅の耳を刺し、心をかんだのは、弥平次の先刻の言葉であった。ふるえながらいった。
「それでは、いまの……あれは、あの男にみせるつもりの見世物であったのかえ」
「いや」
弥平次は狼狽《ろうばい》した。
「あれは弥平次、真実の心です。沙羅さま、おききなされ、系図もない素浪人の私が一国のあるじに見参《げんざん》する機会はめったにない。その機会をあたえてくれ、あとがまをゆずってくれる明智どのの願いごとは、これはきいてやらねばならなんだ。まして、あれをみせねば、十兵衛どのの忍法が成らぬという。――哀れな弥平次の立場をくんで下され。弥平次出世のために、女房として力ぞえしたと思うて下され」
女房として――荒天の海をながすあぶらのような言葉であった。彼女はぐったりとなった。
「なぜ、十兵衛どのが、そうまでしてあなたを推挙し、じぶんは知行をすててゆくのです」
「それがいま申したとおり、この弥平次の顔をもらった礼、一乗谷を出てゆくのは、左様、弥平次の女房となったあなたさまを見るのが辛《つら》いからだそうで……沙羅さま、この忍法者の恐ろしき試みのそもそものもとは、あなたさまにあるのでござりますぞ」
そういうと、もういちど弥平次は沙羅の口を覆った。男の唇には血の匂いがした。
彼女がわれにかえったのは、血なまぐさい恍惚の一瞬のあとだ。彼女は全裸のまま立って抱かれている自分と、妖光《ようこう》またたく短檠の下にころがっている明智十兵衛の首に気がついた。それから、ひっそりとしずまりかえっているあの恐ろしい壺。……
「弥平次、あのひとはほんとうに生きかえるであろうか、ましてそなたの首が生えるなどとは。……」
弥平次は、首と壺をみた。昂奮のさめた顔は、その死んだ首におとらぬ土気《つちけ》色を呈している。
「正直に申せば、実は半信半疑」
ぶるぶると身ぶるいすると、沙羅をおいてつかつかと床の間の方へあるいていった。
「が、ここまで乗り出した上は」
壺の蓋をひろって壷の中をみずに、その口を封じた。それから、床の間に置いてあったもうひとつの巻物らしいものをとりあげて、短檠の燈にかざした。
「これが土岐正流の系図か」
眼はたたみにおちている刀よりもするどいひかりをはなっていた。
――座敷をよごした血をふきとる。庭の一隅を掘って明智十兵衛の首をふかく埋める。雨夜の幾刻《いくとき》かが、この惨劇のあと始末についやされた。まるで夢遊病者のようにきものをまとい、この作業に協力していた沙羅は、ふと思い出して、伯父と争って、明日にもこの家を出ると口走ったことを告げた。
「家出は一ト月あとにのばす、といいなされ」
と弥平次は歯牙《しが》にもかけない風でいった。沙羅が眼でなじると、あわてて彼は訂正した。
「ああいや、一ト月たったら、五百貫の知行取のところへ嫁にゆくといいなされ、わけあっていまはその名はいえぬが、それはちこうとな」
――壺《つぼ》の蓋をひらいてはならぬ、わが屍《しかばね》に光をあててはならぬ、忍者明智十兵衛はそういって、みずから首をきられた。
しかし、土岐弥平次と沙羅は、その壺の蓋をひらいてみずにはおれなかった。ただし、深夜の闇の中である。ふつうならみえぬ闇黒《あんこく》に、必死のふたりの眼は、壺のなかの変化を朦朧《もうろう》とみた。
七日めの夜である。本来なら、真っ赤な切断面が、もはやぬるぬると腐れ崩れているはずなのに、その頸《くび》の切口に肉がまるく、薄絹のような光沢で盛りあがっているのをみて、ふたりは息をのんだ。たしかに何事かが起りつつある。……
十五日めの夜である。蓋をとって、思わず弥平次はあっとうめいた。明智十兵衛の胴のうえには、大きな肉|団子《だんご》が発生し、その表面にヘンな数条のくびれが走りはじめていたのである。十兵衛の忍法人蟹は荒唐無稽《こうとうむけい》の話ではなく、いまや十兵衛自身すら「いのちがけ」の秘法の真髄を具現しつつある。……
二十三日めの夜である。蓋をのけたとたんに、ふたりはとびずさり、立ちすくんだ。肉団子はまだ髪も眉《まゆ》もなく、ぶよぶよとした輪廓《りんかく》であったが、たしかに人間の顔をととのえはじめていた。しかしふたりは、とじた眼――とがった鼻――くいしばった唇――そこに、まごうかたなき土岐弥平次の顔をはっきりとみとめたのである。
「殺して……あの男を殺して」
うなされたように沙羅はさけんだ。
「あの男は……まだ死びとです」
かすれた声で弥平次はうめいた。
「それに、あの男をどうして殺す? 首をきっても、また首の生える男を」
闇の中に、凝然としてふたりは顔を見あわせた。
三十日めの夜であった。
土岐弥平次は片手に縄をさげて、恐ろしい壺のそばにあゆみ寄った。その髪がさか立っているのまでが、赤いひかりにふるえてみえる。禁をやぶって火を点じた短檠《たんけい》をもった沙羅の腕が、風にふかれるかのようにおののいているのであった。
彼は、蓋をひらいた。燈がゆらいだ。
壺のなかには、土岐弥平次の顔があった。黒ぐろとした髪の毛が生えているが、眼をとじて、真一文字に唇をむすんで、それはなお死せるがごとく凝固していたが、まさに弥平次そのものであった。
「沙羅どの、気をしかと」
じぶんもよろめきながら弥平次はさけんで、足をふみなおして、ふたたび壺のそばに寄った。わななく手に、壺の中の弥平次の髪をひっつかんでひきずりあげる。首はにゅっと壺の上に出た。壺の外の弥平次は、義眼のごとく眼を見はってのぞきこみ、壺の中の弥平次の頸のまわりに、赤い絹糸のような輪がうかんでいるのをみた。
このとき、歯をくいしばりつつ沙羅が短檠をちかづけたのに、燈の色がぼやっと昏《くら》くなった。壺から一筋の妖気《ようき》がたちのぼったようである。そして壺の中の弥平次のまぶたが、ピクピクとうごきはじめた。……
わけのわからぬうめきをのどのおくからもらして、壺の外の弥平次は、壺の中の弥平次の頸に、赤い細い傷痕《きずあと》にかさねて縄をかけていた。床にたらした一方の端を足でふんまえ、もう一方の端を手にまきつけたとき、壺の中の弥平次のまぶたのほそいきれめから、にぶく銀光がひかりはじめた。
「生きてくる。……生きかえってくる」
うなされたように沙羅はつぶやいた。
「……おれは生きかえったらしいな。……」
吐息に似た声がながれた。
「……精妙なり、甲賀忍法|人蟹《ひとがに》。……」
きゅっと鎌《かま》みたいに唇が笑いかけた壺の中の弥平次のまえに、壺の外の弥平次は顔をさしよせた。歯をかちかちと鳴らしながらいう。――
「みごとだ、十兵衛どの。しかし、あまりにもみごとすぎた」
「……みごとすぎた?……」
「この土岐弥平次とそっくりおなじ土岐弥平次が、この世にいると思うと、私はがまんがならないのだ。やはり私はこの世にひとりでいなければならぬ」
「……弥平次、約束をやぶるのか?……」
壺の中の弥平次はいまやかっと眼をむいて、壺の外の弥平次をにらみつけた。その首が、にゅーっとのびあがろうとして、のどにからんだ縄にひきすえられ、しかもまだその壺を感覚しないようであった。
「……おれはこの国を去るのだ。沙羅さえもらえば、おれはふたたびそなたのまえにあらわれはせぬ。……」
沙羅はぎょっとしたように、ふたりの弥平次を見た。「沙羅さえもらえば?」唇はそううごいたが、声は出なかった。壺の外の弥平次は、ちらとそれに眼をはしらせていう。――
「沙羅は、あなたといっしょにゆくことはいやだという」
「……いや? そんなことはない。……おれは土岐弥平次だ。……沙羅、おれはこの弥平次に栄達の座をゆずったかわりに、そなたをもらう約束をしたのだ。……みろ、おれのどこが弥平次とちがう?……おなじ弥平次だ。おれといっしょに旅に出るな?……」
「殺して。……この男を殺して!」
身もだえしてさけぶ沙羅を、壺の外の土岐弥平次はぐいと片手で抱きよせた。歯ぎしりしながらいう。――
「きいたとおりだ。明智十兵衛。女のねがいどおり、殺してやろう」
そして、沙羅の唇に唇をかさねた。かっと眼をむいたままこれを見つめている壺の中の弥平次の顔が、このときむらさき色に変った。これみよがしに女の口を吸ってみせながら、壺の外の弥平次が、ぎゅーっと片手にからませた縄をひきしぼったのである。――縄は壺の中の弥平次のくびに、一、二寸もくびれこんだ。
「刀できってもまた生える化物め、しめ殺せば、もはや生きかえるまい」
女の口から口をはなし、肩で息をつきながら、壺の外の弥平次はいった。――壺の中の弥平次の顔は黒紫色になった。
もはや息の通ずる気管はないと思われるのに、このとき壺の中の弥平次は陰々とつぶやいたのである。
「……おれは死なぬ。明智十兵衛は死なぬ。……十兵衛は生きて、沙羅を追う。……お市の方さまを追う。……」
そして彼は、がくりと首をおとした。
この奇怪な忍者がよみがえったのも悪夢なら、彼がふたたび死んだのも悪夢のようであった。沙羅は、いまじぶんをめぐる出来事が、すべて悪夢のような気がした。
「ほんとうに死んだのだろうか?」
「こやつは、生きて、あなたを追うといったが。……」
不透明な声で、土岐弥平次はいった。
「こやつは、ほんとうにあなたを追うかもしれぬ」
「こわい、弥平次、わたしはこわい」
「そうはさせぬ。なぜなら、追おうにも、あなたはここで死ぬからだ」
硬直した沙羅のほそいくびに何かからんだ。いままで弥平次が足でふんまえていた縄であった。沙羅は、弥平次もまた悪夢の中の人間のような気がした。彼女の手から短檠が炎をひいておち、周囲は闇黒となった。
「何をするの、弥平次。……」
闇《やみ》の中で、弥平次の遠い声がきこえた。
「私は最初から迷っていた。明智十兵衛の推挙した土岐弥平次として仕官すべきか、土岐弥平次の顔に変身した明智十兵衛として仕官すべきか、私は迷っていた。しかし、昨夜やっと決心したのだ。明智十兵衛そのひととしてこの世の波へ乗り出してゆくことを。――その方が好都合だ。その方がたかく売れる。その方がすっきりする。いま明智十兵衛を殺したのは、この世にふたりの土岐弥平次が存在するとこまるからではなく、ふたりの明智十兵衛が存在するとこまるからだ。――私には大望があった。そもそも、あなたの恋を受け入れることすら逡巡《しゆんじゆん》していたのも、たかが丹波に滅亡した小大名の家老の娘を女房として、生涯それにしばられ、一生それをひきずってゆくことをばかげているとかんがえたからだ。ましてや、私がまことは土岐弥平次であることを知っているとあっては、安心して私の女房にしてはおかれぬ。――私は土岐弥平次とそれにからまるものをすべて絶つ。あなたは、あなたをあれほど恋慕した男に、あの世でしかと抱かれるがよかろう。いいや、顔かたちだけはまぎれもない土岐弥平次に」
縄がしまり、沙羅の苦悶《くもん》する顔はひきよせられた。唇が冷たいものと合った。それが髪をつかんでのけぞらされた死びとの口だと気がついた瞬間に、沙羅は息絶えた。
夜をうずめるのは、ただ雨の音ばかりであった。恐るべき野心児土岐弥平次、いや、明智十兵衛|光秀《みつひで》は、死の縄をひきしぼったまま、これまた死びとのごとく闇のなかに立っていた。
一乗谷の城の大手門をたたいた土岐弥平次の顔をした男は、「自分は明智十兵衛である。殿にはすべて御存じのことだ」といった。はじめ彼を狂人だと思った番士も、この言葉にともかく朝倉義景に報告した。おちつきはらってまかり出た男をみて、義景もまたとみにはこれが明智十兵衛だとは信じかねた。しかしその男は、明智十兵衛自身でなくては知らないさまざまなことを、微に入り細《さい》をうがって知っていた。――そもそも、どちらが十兵衛かわからぬほどに義景の胆をぬかせるのが死んだ男の目的であったから、そこは周到にうちあわせてあったのだ。ながい雨が終って、夏らしい日がかっと照りつけた三日めの朝、一乗谷の入口にあたる阿波賀《あわか》の里の森の中に、ふたりの男女が縊死《いし》しているのを村人が発見した。その女が、以前から家出|云々《うんぬん》と口ばしっていた家老黒坂備中守の寄人《よりゆうど》沙羅であり、その男が家来の土岐弥平次であることがわかったとき、義景もついに眼前の土岐弥平次が、忍法|人蟹《ひとがに》によって再生した明智十兵衛であることをみとめざるを得なかった。
「さてもふびんや。……備中どのは、きまま娘の愚かな心中と仰せられたとのことでござるが、女は知らず、土岐弥平次がくびれ死んだのは、私があの男そっくりの顔をもったことによるような気がしてなりませぬ。罪ぶかい忍法人蟹は、もはやみずから封ずることにいたそう」
憮然《ぶぜん》として、明智十兵衛はつぶやいた。
彼が天稟《てんぴん》の将器たることは、まもなく諸人のまえに証明された。朝倉を長年なやましていた真宗一揆《しんしゆういつき》を潰滅《かいめつ》させて、朝倉家の勢力を加賀半州にひろげたのは、まさに明智十兵衛だったからである。彼の知行は七百貫となった。
しかるに、それから三年後、彼は朝倉家をすてて、織田家にはしった。美濃の土岐氏という系図と、朝倉の軍師としての実績を買われて、高禄《こうろく》を以て信長に迎えられたのである。さらに六年後の天正元年八月、織田の部将としてまっさきに一乗谷へ攻め入り、朝倉家を滅亡させたのは、実にこの明智光秀であった。
天正十年六月一日、丹波|亀山《かめやま》の居城から一万三千の兵をひきいて出た惟任《これとう》日向守《ひゆうがのかみ》光秀の顔は、星月夜にも鬼気をおびた相にみえた。
いや、彼の相貌《そうぼう》が陰鬱《いんうつ》を加えたのは、五月十七日、主君の信長から中国出動を命ぜられて、その準備のために京から亀山へかえることを命じられたとき以来であった。
重臣のめんめんは光秀の顔色をあやしんだ。そして主人の気が鬱屈しているのは、曾《かつ》ては信長から、織田諸将中の第一とまで厚遇された主人が、いかなる風向きか、ここ数年急速に寵《ちよう》をうしなって、ときに衆人環視のなかで「気どり男よ」「腹に一物ある男よ」「猫の皮をかぶった奴め」と罵《ののし》られたりすることもあるこのごろの憂いか、さらに、曾ては下位にあった羽柴筑前《はしばちくぜん》の指揮する中国陣へ狩り出される憤りかと想像し、そのためかえって主人の沈鬱をなぐさめかねたのである。
一万三千の軍兵は黙々として、長蛇のごとく老《おい》ノ坂へすすんでゆく。馬上の光秀は、しかしその鉄蹄《てつてい》銀甲のひびきよりも、耳に鳴る奇怪な声をきいた。
「……おれは死なぬ。……明智十兵衛は死なぬ。……十兵衛は生きて、沙羅を追う。……お市の方さまを追う!」
恐ろしい声であった。その声を光秀は、二十年ちかくも忘れていた。それが突然耳によみがえったのは、こんど京から亀山にかえるとき、ふと或《あ》ることをきいて以来のことである。
江州《ごうしゆう》小谷の浅井長政が滅んでから十年、ことしまだ三十四歳の女ざかりを、ひっそりと清洲にかくしていた未亡人お市の方を、ちかく所望によって柴田勝家《しばたかついえ》に縁づかせるという話なのだ。
織田家に仕えてから光秀も、絶世の美女といわれるお市の方さまを、いくどかみる機会があった。それが若くして出世のためにこの世から消し去った沙羅という娘に似ているのに衝撃をおぼえたが、彼はつよい気力で動揺をねじ伏せた。すべては二十年のむかしに埋めてきた過去だ。いまは、自分は織田でも一、二を争う将星である。些細《ささい》にして無用な悩みやおびえに心をとらわれているときでないし、立場でもない。そして彼は、沙羅はもとより、お市のことも忘れた。
ただ、ふりすてようと思っても、ふりすてることのできないひとつの妖《あや》しい現象がある。ここ数年、戦塵《せんじん》のうちにとみに老いを加えるにつれて、彼の容貌に起ってきた変化だ。顔がながくなり、皮膚のつやがなくなり、そして信長から「きんかあたま」と嘲弄《ちようろう》されるほど髪の毛がうすくなり――それは、二十年のむかし彼が殺害した忍者明智十兵衛であった!
しかし、光秀はその恐怖もふりすてた。これは偶然の一致だ、たんにおれが年をとったための変貌だ、そう思った。わけもわからず、信長の寵をうしないはじめたのが、その変貌と時をおなじゅうしているらしいことに気がついて、ぎょっとしたこともあったが、これも偶然だとばかり迷蒙《めいもう》をふりはらった。
しかるに、なんたること、いまにいたって、耳に、忘れていた声が、忘れていた人を呼ぶとは!――「おれは死なぬ。……明智十兵衛は死なぬ。……十兵衛は生きて、お市の方さまを追う!」
突如として光秀は、おのれの胸をお市の方の姿が占めていることに気がついた。じぶんがあの哀艶《あいえん》な未亡人を死ぬほど恋していることを知った。「……十兵衛は生きて、お市の方さまを追う!」
天の川の下を、剣甲をきらめかして粛々と軍馬は行進をつづけている。いつしか光秀は、口に出して、ぶつぶつとつぶやいていた。
「お市の方さまはひとにやらぬ。おれはお市の方さまをわたさぬ。屍山血河《しさんけつか》をえがき出そうと、あの女性《によしよう》をこの腕に奪う!」
馬にうなだれて、闇を見つめる彼の眼が、しだいに銀光をはなってきた。彼は肩で息をしていた。まるで彼の内部から、まったく別の人間が、皮膚を破ってはじけ出したようであった。
「明智十兵衛は、お市さまを……」
「殿、何と仰せられましたか」
そばに老臣の斎藤|内蔵介《くらのすけ》が馬を寄せてきた。不安げに兜《かぶと》の下をのぞきこんだが、あたりを見まわし、すぐに笑った。
「老ノ坂でござる。右すれば備中――右へゆけと申されたのでござりますな。もとよりそれは下知《げち》してござりまする」
明智光秀は銀色の眼を、左のゆくてはるかに模糊《もこ》として横たわるうす白い帯になげた。それは京をへだてる桂川《かつらがわ》であった。
彼は憑《つ》かれたような声でいった。
「左へ――京の本能寺《ほんのうじ》へ」
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忍法 死のうは一定《いちじよう》
信長《のぶなが》は地球儀を眺めていた。
日本を含むアジアの部分をである。
前にならんで坐っていた二人の伴天連《バテレン》のうち、南蛮人のカリオン神父にはわからなかったが、以前から何人かの伴天連の通訳をし、またしばしば地球儀を眺める信長を見ている日本人|修道士《イルマン》ロレンソ法師には、今宵《こよい》の信長の態度が異様に感じられた。
地球儀や世界地図を見るとき、これまでひたすらなる好奇心、というよりこの独裁者には珍しい敬虔《けいけん》のかがやきを見せていた眼が、今夜は陶酔しているような炎を燃やしている。
「……生まれたのが、遅かったか」
と、彼はつぶやいた。
「いや、まだ間に合う」
その言葉の意味を、ロレンソが考えているうちに、信長はふと眼をこちらにむけて聞いて来た。
「伴天連、南蛮人どもが日本人への愛想は何度もきいた。異国にくらべて、日本人の悪いところ、及ばぬところをきいてくれ」
「は。――」
ロレンソ法師は片眼を――彼は片眼で、しかもびっこであった――信長の周囲に投げた。そこには、安土《あづち》からつれて来た数人の愛妾《あいしよう》、近習《きんじゆう》群、それにやはり今日呼ばれたらしい京都所司代、堺《さかい》の商人、去年伴天連ヴァリニヤーノから献ぜられてそのまま召使われている黒ン坊、さらに信長のすぐそばには、その姪《めい》とかいう美しい姫君までが侍《はべ》っている。
「何を申そうと、信長は怒らぬ。遠慮のないところを言えと伝えろ」
信長は上機嫌であった。
ロレンソはカリオンに通訳した。カリオン神父とてだいぶ日本語は解するのだが、むろん正確微妙な表現には遠いし、とくに相手が日本の最高権力者だから、ロレンソ法師の力をかりなければならない。
ロレンソの口を通して、伴天連はいった。
「左様なれば、率直に申しあげまする。日本人の素質は、世界中で最も高尚でよく教育された国民に匹敵することは保証いたしまするが、その悪い面となると、これは類例どころかそれ以下がないというほどで、それと申すのも、ひとえに異教の偶像信仰から――」
「坊主のくだらぬところは、信長、だれよりも知っておる。ききたいのは信心以外のことじゃ」
「は、では、第一に――日本人はあまりにも色欲上の罪に耽《ふけ》り過ぎることでござる。妻以外の幾人かの女人を同時に寵愛《ちようあい》し、その風習に男女ともに恬然《てんぜん》としておるがごとき。――」
「ふむ」
信長はちょっと苦笑したようだ。が、左右の女たちには眼もくれない。
「第二に、酒とお祭騒ぎに、あまりにも節制なきことでござる。これに耽溺《たんでき》し過ぎるために、さらに他の多くの堕落にひきずられます」
「同感じゃ、そのことについては、信長も苦々しゅう思うておるぞ」
信長は大声でいった。彼はあまり酒を好まなかった。
「第三に――これは真実の神を知らぬゆえでござるが――虚言を吐き、偽り装うことを怪しまないことでござる。日本人はそれを誤って、思慮深いことと考えておるようでござるが」
「はて?」
「外に現われた言葉や態度では、日本人が心中に考えたり企てたりしていることは絶対に知れませぬ」
いちど伴天連の批判に首をかしげた信長はすぐに薄く笑った。
「まだ、あるか」
「第四に、軽々しく人を殺し、また軽々しく自殺することでござる。人間の首を犬のように斬《き》り落したり、また敵の虜《とりこ》とならぬために切腹したりする。それ以上、生命というものの尊さを知らぬ野蛮な行為はござらぬ」
信長はちょっと反論したげな表情をしたが、しかしただ、「ふふん」といっただけであった。
「第五に、主君に対して忠誠心を欠いておることでござる。日本人は、都合のよいときに主君に対して謀叛《むほん》を起し、みずから主君になろうとする。――」
「なに?」
信長は、はじめて持前のやや甲高《かんだか》い声を出した。
「いまの激しい戦乱の中で繰返される数多《あまた》の裏切りを御覧になればわかる」
「それは……戦乱ゆえじゃ」
「いや、ヨーロッパに於《おい》ては、いかに戦争をしておっても、日本ほど主君と家臣の関係は混乱しておりませぬ。これと申すのも、日本の場合、反逆の黒幕に仏僧が動いておることが多いゆえ。――」
「また、それか」
いちど、虚をつかれたように見えた信長も、これまた伴天連特有の我田引水的論法か、と気づいたらしく破顔した。
「いや、思い当ることがあるぞ」
実をいうと、通訳をしているロレンソ法師は、途中からやや声がふるえていた。こういう仮の陣営というにも当らない寺泊りでも――この主君がちょっと身動きするだけでも、獅子《しし》の前の鼠《ねずみ》のように家来たちが動き、一人呼んだだけでも数十人がひれ伏し、まるで彼のからだから見えない火花が飛んでいるようで――この武将の威令のなみなみならぬことはかねてからよく承知していたが、今やまったく超人的、神に近い雰囲気を具《そな》えて来たことが感知されていたからだ。
ただその周囲ばかりでなく、ロレンソ自身が、信長の変化に眼を見張った。以前の、まともに顔も見られないほどの酷烈な気迫が決して消滅したとはいえないが、さらにそれを覆う悠揚《ゆうよう》たる自信とゆとりがある。具体的には、異国の伴天連の痛烈な批判に笑って耳をかたむけている寛闊《かんかつ》な風姿だが、それより前、地球儀を眺めているときから、ほんものの南溟《なんめい》の波でも一|呑《の》みにしそうな大きさを、ロレンソは感じていた。
「御苦労であった。これ、伴天連に何ぞ褒美《ほうび》をつかわせ。――伴天連、信長はこれより中国へ出陣するところゆえ、大したことはしてやれぬ。いずれ凱旋《がいせん》したら、安土で改めて引出物をつかわそうぞ」
と、信長は笑顔でいった。
二人の宣教師が退《さが》ってからも、信長はまだ地球儀に眼をやって、なおその笑顔を消さないでいる。
「宗易《そうえき》」
と、やがて呼んだ。
「いまの伴天連の申し分、どう思うぞ」
「は。――」
信長の前でも頭巾《ずきん》をかぶった六十半ばの男が一礼した。堺の豪商、納屋《なや》衆の長老、千宗易《せんのそうえき》である。
「ものは見様《みよう》でござるが、言われてみれば、なるほどいちいち日本人の急所に当っておるとも申せまするな。しかし、一朝一夕には直りますまい」
「直さねばならぬ」
と、信長はいった。
宗易は微笑した。
「それらの性分直すにはキリシタン――と伴天連は申したいのでありましょうが、私の思うところでは、そのためにはキリシタンよりは茶道にしかず。――」
「信長は無駄話をしておるのではない」
しずかな声であったが、宗易は、自分もべつにざれごとをいったわけではない、といいかけた口をとじた。この恐るべき主人の眼色にまじめなものを見てとったからだ。
「また、いまの伴天連の話、無駄話ときいてはならぬ。――あれらの日本人の悪癖、日本人同士ならば一笑に付してさしつかえはあるまい。しかし、たしかに異国には通用はすまい。もし、日本が外に出るならば。――」
「日本が、外に出る?」
「それよ」
と、信長はうなずいたが、ふと傍《そば》の少女に眼を移して、
「ちゃちゃ、眠いか?」
と、きいた。
伴天連が去ってからとみに退屈げになり、ちょっと生あくびさえしかけた美しい姫君は、口にあてた手のやりばに窮したようであった。安土からつれて来た信長の妹お市《いち》御寮人の長女である。
信長という人物は、男に対する場合とは別人みたいに、案外女にやさしいところがある。――とはいえ、それはいささか犬にやさしい人間に似た感触があるが――それがさらに別人みたいに、妹のお市御寮人に対しては、あきらかに深い感情を伴ったやさしさがあった。そしてまた、その母そっくりといわれるこの少女にも。
「眠れ。夜気もちと冷えて来たようじゃ。そのあいだによう寝ておかねば、夏の京見物が辛《つろ》うなる。女たち、そなたらも寝い。あとはかまわぬ」
と、信長は左右をかえりみた。
たとえねぎらいの言葉でも、この人物の命令は雷電にひとしい。すぐ女たちは、神秘なめしべを包む花弁のように、一団となって信長の座所を去ってゆく。
ちゃちゃ姫、この年十六歳。
「南蛮人どもが、印度のゴアや、マラッカや、ルソンなどを劫掠《こうりやく》してからもう何十年になるか?」
信長はいい出した。
「信長の生まれたのが遅かったか、と嘆じた意味はそのことにある」
「すりゃ、上様には、いずれその方へ」
と、千宗易は眼をまろくした。
「天は、そのために日本に信長を出現せしめ給《たも》うた。時、いささか遅れたりとはいえ、まだ間に合う。南蛮どもにそれらの国々を掠《かす》めさせたままに、百年、三百年、五百年を経させたならば、その地に根が生え、それなりの道理の葉がつく。いまのうち、その根をひきぬいておかねば、日本に千年の悔いを残す」
近習たちも耳かたむけているが、信長は宗易を相手に話していた。堺の豪商にはちがいないが、また信長に茶を教えているこの、色白くゆったりとした宗匠を、彼がふだんから帷幄《いあく》の諸部将以上に軍政の顧問としている風なのを、ふだんから近習たちはふしぎに思っていた。
しかし、宗易とて、信長からこんな壮大な野望をきいたのははじめてであった。
「大まかながら、その未来の日の軍配まで考えておるわ」
信長はつづけた。
「海を渡ってからのいくさするやつに不足はないが、まずその方の大将は柴田《しばた》としよう。むしろ海を渡るまでのいくさが容易ならず、これは大気《たいき》者の筑前《ちくぜん》をおいてほかにない。日本でのいくさとちがい、心にかけねばならぬことはまだある。それは補給と占領後の民政で、補給は明智《あけち》に、民政は徳川《とくがわ》にゆだねようと思う。――いまの伴天連の話、だれよりも家康《いえやす》にようきかせねばなるまいな。時と場合では、日本の風習道徳も捨てねばならぬことを」
信長の眼は恍惚《こうこつ》としていた。烱々《けいけい》、けだものの肺腑《はいふ》すらつらぬくような彼の眼が、こんな夢みるような光にかがやいているのを、今まで宗易は見たことがない。
まさしくこの日本最初の帝国主義者は夢みているのだ。日本どころではない巨大な風雲と怒濤《どとう》の世界を。
彼の眼中には、数日中にも出動すべき中国陣はすでにないと見える。それも当然かも知れない。もはや京に足利《あしかが》将軍なく、だれが見ても魔将と思われた甲斐《かい》の信玄《しんげん》、越後《えちご》の謙信《けんしん》はこの世にない。たとえあとに、当面の中国の毛利《もうり》、その他、北条《ほうじよう》、伊達《だて》、長曾我部《ちようそかべ》、島津《しまづ》などがあろうと、信長の天下布武はもう時間の問題といえる。
「宗易」
と、信長はいった。
「この話、いつぞや猿とだけは話したことがあるが、余人《よじん》に申すはその方が最初じゃ。これをその方に聞かせたわけはな、いま申した通り、このことを成すに至上の命題は海と船じゃ。八幡船《ばはんせん》や遣明《けんみん》船などでは間に合わぬ。万里の波濤《はとう》を自在に渡る船が要る。信長が、その海を渡って来た伴天連を近づける理由の一つもそこにある。いずれ、それから得た知識を伝えるがの、その方もこれよりしばらく堺に帰り、納屋衆たちと談合して、その用に立つ大船の設計にかかれ、今宵《こよい》のうちに帰れ」
「――は?」
この権力者の電光のようなせっかちは承知しているが、物に動ぜぬ宗易もただ口あんぐりとあけてきいていただけにまごついた。すぐに座を滑ろうとした。
「いや、もうしばし待て」
信長はわれに返ったように、
「信長は忙しい。その心中の気ぜわしさがつい出たわ」
と、苦笑した。
「あれを思い、これを思うと、信長これより百年の生を享《う》けても足りぬほどではある。船のこともあれば、武器のこともある。大気者の猿を、それなりに買《こ》うてはおるが、それだけにきゃつ、大まか過ぎて心もとないところもある上、おのれの面《つら》にも恥じず、女に意地汚ない悪癖もあるゆえ、まいちどしっかと信長のもとで教育してやらねばならぬ。家康に海外の民政をまかせるとして、今申したような日本の道徳や風習を世界に通ずるものとするためには、家康のみならず、日本の国民《くにたみ》そのものを再教育せねばならぬ。……思えば、膝《ひざ》も屈するほどじゃ」
しかし、その眼の炎はいよいよ燃えしきっていた。
「さりながら、このこと成すは、信長をおいてほかにない! ただいまの日本のみならず、未来|永劫《えいごう》。――」
酔ったかのごとくつぶやいて、
「いま何どきか?」
と、侍臣をかえりみた。
小姓の森蘭丸《もりらんまる》が答えた。
「もはや亥《い》の刻を回ったころではござりますまいか?」
午後十時ごろである。
そうと聞いても、信長はまだ座を立とうともせず、じっとまた地球儀に眼を吸わせている。ものに憑《つ》かれたような姿であった。
この天正十年六月一日、信長は満四十九歳に達したところであった。しかしこの夜ほど彼が若々しく見えたことはなかった。若いというより、空前の大夢想と超人的な生命力に満ちた男性美の権化《ごんげ》に見えた。
なんぞ知らん、この同じ時刻、丹波亀山《たんばかめやま》から明智一万三千の兵は、中国陣へ向うべき鉄甲の軍馬を、この京|本能寺《ほんのうじ》へむけて、妖々《ようよう》と進撃を開始しつつあったとは。
叛乱《はんらん》軍が本能寺へ殺到して来たのが、六月二日未明。
その溝の深さが幾尺あろうと、守兵はわずか百人前後だ。たちまち本能寺は血風に吹きくるまれた。
同じく京の妙覚寺《みようかくじ》にあった信長の一子|信忠《のぶただ》へ、光秀が本能寺から兵を反転させたのが午前八時ごろといわれる。本能寺がこの兵力の大差を以《もつ》て、ともかくも夏の未明から八時近くまで支え得たのは、ひとえに信長の力――それもただ意志力だけ――を根源としたからだというしかない。
信長は憤怒した。およそこの地上に生を享《う》けた人間の持ち得る極限の憤怒であったといっていい。右大臣たる身を以て、はじめみずから弓を取り、弦が切れるとさらに十文字|槍《やり》まで取って荒れ狂ったのは、防戦というより怒りのためであった。
最初は、むろんこのたわけた叛乱を起した光秀に対して、次にはとり返しのつかぬ油断をしたおのれ自身に対して。
激闘の中で、ひとつの顔が明滅した。
「――藤吉《とうきち》よ、来い!」
麾下《きか》の一将、羽柴《はしば》筑前であった。
「猿よ、天を翔《か》けて来い!」
しかし、彼の最も買っている秀吉《ひでよし》は、京から二百数十キロも遠い備中《びつちゆう》陣にあった。
数十分の防戦ののち、彼は負傷して一室にしりぞいた。
そこには十何人かの女たちがひとかたまりになっておののいている。安土からつれて来た数人の愛妾、侍女たちのむれであった。彼女たちは、入って来た信長を見たが、とりすがりもせず、悲鳴もあげず立ちすくんだ。
外の矢唸《やうな》り、銃弾のひびき、死闘の喚声すら、一瞬耳から消えたほど凄《すさま》じい信長の姿であった。
ただ乱髪、血まみれの白綾《しろあや》の衣服という外観だけではない。それは信長の凄惨《せいさん》な魂そのものの姿におしひしがれたからであった。
信長は女たちを見ていない。血ばしった彼の眼は凝視している。おのれの生の消滅のみならず、壮大きわまる日本の未来の消滅を。
それはアジアの海へ今や船出せんとする堂々たる巨船が、港の入口で突如頭の変になった味方の乗組員のために船底に穴をあけられて、大渦巻とともに沈んでゆくような光景であった。
「――ば、ばかなっ」
全身の血液と髄液をしぼり出すように彼はさけんだ。
いまだ曾《かつ》てこの信長ほどの夢想と、それを可能とする力を持った人間があったか。そして、その中道で、これほどばかげた死に方をとげた人間があったか。ない! 過去にはない。未来にもあり得ない。――いや、現実にもあって然《しか》るべきでない!
「き、聞きたいことがある」
彼は格天井《ごうてんじよう》をふり仰いでうめいた。
徹底的な無神論者であった信長だから、神に対して訴えるわけはなかったが、それはたしかにこの世のものならぬ何物かに対して投げつけた詰問《きつもん》であった。
「なんじは、なんの意あって信長をかかる運命に堕《おと》したか。いやさ、何のために信長を地上に生んだか?」
格天井は暗雲に覆われているようであった。おぼろおぼろとしているのみか、それが鳴動して、格子《こうし》すらもさだかでないのを、この場合、信長はべつに怪しむ余裕を失っていたのだ。
まるで雲の彼方《かなた》からのように不透明な声が、そこから聞えた。
「御尤《ごもつと》もでござる。ここでお死になされる法はない」
同時に、いちめんに拡《ひろ》がった雲がみるみるまんなかに集まって、大きな一羽の蝙蝠《こうもり》のかたちになった。――と見るや、それは人の姿と変って、ひらひらと信長の前に落ちて来た。
鶯《うぐいす》 茶《ちや》の道服を着た一人の老人が、たたみの上に坐っていた。鶴《つる》のように痩《や》せて、顔は恐ろしく長い。どじょうみたいにタラリと垂れた二本の髭《ひげ》のあいだから、口がニンマリと笑っていた。
「果心《かしん》!」
信長はさけんだ。
南都で幻術師として聞えた果心|居士《こじ》という人物だ。それとは認めたが、そううめいたきり、信長はかっと眼を見張ったままであった。
「まことに異《い》なとき、異なところで」
と、果心居士は一礼した。――それは信長の吐くべきせりふであったが、なお彼は声もなかった。
「なに、けさ、たまたまこの本能寺|界隈《かいわい》を通りかかったまででござるよ」
幻術師はうすく笑って、さて信長を見た。
「仰せのごとく、信長さまともあろうお方が、こんな御最期をとげらるるは、あまりにばかげております。さりながら、事態は絶体絶命、明智一万三千は十重二十重《とえはたえ》にこの寺を取巻いております。なみの男なら、ここを逃れるべくもない。――」
「逃げようとは思っておらぬ!」
「しかと、左様か? まだお生きになりとうはござらぬか、信長さま?」
信長は歯をくいしばり、沈黙した。
果心居士はひざでいざり寄って来た。皮肉な笑《え》みをたたえた眼を、すでに死相といっていい信長の顔から離さず、
「御承知のごとく、拙者はあなたさまの陰の協力者でござった。頼んだ覚えはない、と申されるかも知れぬ。それで結構。果心、勝手にあなたさまに共鳴しただけでござる。されば、ここで信長さまがこのような阿呆《あほ》らしき難破をなされるのは見るに忍びず、いや、あなたさま以上に、心耐えがたいものがござる。――」
三尺離れていても、なまぐさいような息であった。
「幻術、女陰往生。――」
杉戸の外の叫喚は、信長の耳から消えていた。ただ空中に果心とおのれの声のみがあり、またこの宇宙におのれと果心だけが実在しているようであった。――しかし、さすがに信長は、眼を移して、部屋の隅にかたまっている女たちを見た。
女たちはこの光景をどう見ているのか。声もたてず、こちらから見ると幻影の水中花のむれのようだ。
「女体《によたい》に入って逃げよというか」
と、信長は嗄《か》れた声できいた。
「されば」
「女なら、逃げられるか」
「明智は、女は見逃しましょう」
「しかし、果心」
と、信長はひかる眼で怪幻術師を見つめた。
「なんじの女陰往生。――しかし、そこに入った人間は、再誕しても往生するか、または廃人と化すではないか」
「それは常人ゆえでござる」
果心は信長を眺めた。くぼんだ眼窩《がんか》の奥にほれぼれと笑んだような眼が、かえってぶきみであった。
「御自負のごとく空前にして絶後の英雄児信長公――たとえ女陰でいちど往生なされようと、必ずまたもとの信長公として再誕なされることを、果心は信じ申す。いや、正直に申して、そのような例はいまだ存ぜぬ。何が起るかは、果心も保証は出来申さぬ。それゆえ、あなたさまをこの幻術にかけて見たいのでござる。そして信長公にかぎり、その結果の成功を、果心、信じたいのでござる!」
果心は道服の腕をひろげた。ふたたび妖《あや》しき鳥に変化《へんげ》したような姿であった。
「何よりも、もし信長さまがこの必殺の地から逃れんとお望みなさるならば、これ以外に法はないのではござらぬか?」
まことの名も知らぬ。生国も素性も知らぬ。年のほどさえ知れぬ。――
いや、それよりも信長にとって不可解なのは、この奈良の幻術師が、なぜ自分の生涯、身辺に出没するかということであった。本人も口にしたように、まさに頼んだおぼえはないのに、勝手にまつわりついて「陰の協力者」と自称するような行為をして来たのである。そして何より奇怪なのは、彼の幻術と哲学であった。
信長がはじめて果心居士を見たのは、永禄《えいろく》の末ごろ――いまから十四、五年ばかり前になろうか。信長は、当時近畿一円に威をふるっている松永弾正《まつながだんじよう》がひいきにしている幻術師として彼を知ったのであった。
それ以前から、名だけはきいていた。また弾正からひき合わされたとき、その口から、この幻術師のあらわすさまざまの怪異の話をきいた。奈良|元興寺《がんごうじ》の塔の上に忽然《こつねん》と現われて扇をつかって四界を遠望し、また忽然と消え去るとか、池辺《ちへん》の篠《しの》の葉をとって水にはなすと、ことごとく銀鱗《ぎんりん》をひらめかす魚に変るとか、屋内に洪水を起すとか、瓜《うり》の種を地にまくやいなや数瞬のうちに蔓《つる》のさきに実をならせるとか。――
信長は信じなかった。
そのころ、いちど気のない顔で、「それでは何かやって見ろ」といったことがある。果心はうす笑いしただけでそれらの幻術を見せようとしなかった。
ただ、これは弾正からきいたことではなく、ほかから耳にした話であるが、一つだけ信長が面白いと思ったのは、曾《かつ》て弾正に――家来の眼前で数人の寵《ちよう》 妾《しよう》と痴戯《ちぎ》する姿を見せてはばからぬ弾正の前に、十数年前に死んだ彼の亡妻を現わして戦慄《せんりつ》させたという幻術ばなしだ。それが、剛腹無比の弾正と、何となく人を食った果心という取合せだけに信長に一興を催させたのだ。
みな、めくらましだ、と信長は思った。そもそも彼は、そんな荒唐無稽《こうとうむけい》な妖怪《ようかい》話はきらいでもあった。果心居士という人物を見ることさえ、あまり好まなかった。
――にもかかわらず、果心はそれ以来、信長の身辺に出没するのである。信長が松永弾正を滅ぼしたあとも、平然として、それどころかメフィストフェレスじみた笑顔を、思いがけないときに、ヒョイ、ヒョイと現わしてやまないのである。
「お気にせられな。拙者、信長さまに害意は持ち申さぬ。それどころか、かげながらあなたさまをお護《まも》り申しあげておるつもりで」
と、彼はいい、さらに、
「拙者、あなたさまの御大望に陰の協力者でありたいと念じておるのでござる」
と、なれなれしくいった。
「要らざることじゃ」
と、信長はとり合わなかったり、
「うぬの力は借りぬ」
と、叱《しか》りつけたりしたが、何度目か果心が同じせりふを吐いたとき、ついでに彼がもらした一語がそれまでになく信長の神経にひっかかった。
「拙者の哲学を地に行なうのに、松永弾正どのこそ最適のお人と思うておりましたが、それよりももっとふさわしい巨人を見出し得て、果心まことに欣懐《きんかい》。――」
「信長と弾正と似ておるとでも申すか。たわけ。弾正が闇《やみ》ならば、信長はその闇を照らす炎じゃわ」
と、信長は一喝《いつかつ》した。
「いや、似ております。双生児ほどに。――」
「どこが」
「むやみやたらに人を殺しなされるところが」
「人を殺す。――それは信長、弾正に限ったことではない。この戦国の世に武将としてやむを得ぬ必要悪ではないか。おお、弾正は知らず、この信長は新しい地上を生むべく、文字通り降魔《ごうま》の剣をふるっておるつもりじゃ」
「叡山《えいざん》の焼討ちも左様でござりまするかな?」
そのとき、果心がこういったような記憶もあるし、また、
「長島《ながしま》の門徒みな殺しも左様でござりまするかな?」
と、いったような記憶もある。
叡山の焼討ちとは、信長の制覇をしかと認識しない比叡山を大軍を以て包囲し、仰天してわびをいれたのも一蹴《いつしゆう》して、根本中堂《こんぽんちゆうどう》、三王 廿《にじゆう》一社そのほか一堂一宇もあまさず焼きつくし、上人《しようにん》、僧、美女、小童一人も残さず殺戮《さつりく》して天下を震駭《しんがい》させた事件で、長島門徒|云々《うんぬん》のことは、これまた久しく信長に抵抗した伊勢長島のゲリラ門徒をついに撃滅するや、降を乞《こ》うその残党二万の男女を柵《さく》の中に追い込み、四方から火を以てことごとく焼き殺した事件だ。
血を見ること渇するがごとく、まさに大魔王――と、世を戦慄させた信長の殺戮は、これ以外にも数々ある。
やはり越前《えちぜん》の門徒を三、四万、数珠《じゆず》つなぎにして片っぱしから斬首《ざんしゆ》し、磔《はりつけ》にかけ、あるいは生きながら首をひきぬき、鳶《とび》の餌《えさ》にしつくしたこともあるし、謀叛《むほん》を起した伊丹《いたみ》城の女房わらべたち五百数十人を乾草の中に投げ込み、火をかけてみな殺しにしたこともあるし、また甲州|恵林寺《えりんじ》で傑僧|快川《かいせん》をはじめ、山門上の老若の僧数百名を生きながら火葬したこともある。
「罪あるも、罪なきも、玉石|倶《とも》に焚《や》く。――」
果心は笑顔でいうのであった。
「そのおん武者ぶりは、奈良の大仏殿をも焼き払われた松永弾正どのも三舎を避けまする。いや、批難しておるのではござらぬ。そこが果心のうれしくてたまらんところで」
彼は、どじょうひげの中の口をきゅっとまげ、舌なめずりした。
「罪あるも、罪なきも、人間なるもの、ひたすら殺しに殺すに限ります。なぜならば、この世に生まれて害をなさぬ人間は一人もござらねば。――おのれの慾のために、自我のために、おたがいにかきむしり、だまし、裏切り、鎖となり――女とみれば、例外なく臀《しり》をたたいて猿のごとき狂声を発する。この女なるものが、悪臭ある分泌物の肉ぶくろみたいなもので、しかも一瞬の春さえ過ぎれば、その肉ぶくろはおよそこの地上で最も醜悪なる形態を呈する。かかるものをめぐって、鼻息あらくもがきぬいておる獣類どもの景観は、いやこれにまさる滑稽《こつけい》なる修羅図はちょっとほかの世界にはござるまい。ああ、ただ花咲き鳥うたうこの地上から、人間獣ども一匹残らず消え失《う》せたら、いかにすがすがしく美しゅうなることでござろうか?」
こういったとき、果心居士は歯ぎしりの音さえたてた。
「かるがゆえに、かかる人間獣殺戮主義者たる信長公に、果心、心より共鳴いたす次第で」
「信長は、そんなつもりで人を殺しておるのではない!」
「いや、哲学は拙者だけでよろしいが」
果心は、ふおっ、ふおっ、ふおっ、と梟《ふくろう》みたいな声をたてて笑った。
「ともあれ、信長さまのおん敵は拙者の敵――かように果心、心得ておりますること、お忘れ下さりまするな。――」
果心がこんな哲学をしゃあしゃあと述べたとき、どうして癇癪《かんしやく》持ちの自分が蹴倒《けたお》さなかったのかふしぎである――と、あとで信長は首をひねったほどであった。おそらく、あまりの辛辣《しんらつ》さに毒気をぬかれたせいにちがいない。しかし、いよいよ以て愉快ならざる幻術師ではあった。この奇怪にして嫌悪すべき哲学による協力を受けることなど論外であった。
にもかかわらず、やがて信長は、おのれの大使命に対して、この幻術師が「陰の協力者」であることを認めざるを得なくなって来たのだ。
そしてまた、果心の幻術そのものも。――
信長が最初に「大敵」と意識したのは、甲斐の信玄であった。
彼はそれまで美濃《みの》の斎藤《さいとう》や江州《ごうしゆう》の浅井《あさい》や越前の朝倉《あさくら》とたたかって、いずれもしたたかな敵には相違なかったが、それでも自分のペースでいくさをやってきた。少くともそれぞれの敵の大将は、自分よりも器量が下だという確信があった。
が、信玄はちがう。――
その外交、戦略、これを老獪《ろうかい》と評し粘強と感ずるよりも、それより何だかペースがちがう、次元がちがうというぶきみさがあった。信玄という人物そのものが、信長の人間観の埒外《らちがい》にある妖気《ようき》と、そして大きさを持っているのだ。
これこそ、わが天下|布武《ふぶ》の途上の最大の難敵、と自覚しつつ――いや、そう思えばこそ、おのれの養女を信玄の子息に輿入《こしい》れさせたり、信玄の娘をおのれの息子の妻に迎えたり、莫大《ばくだい》な進物を甲州に送ったり、積年さまざまの手を打って来たのだが、両雄まさに並び立たず、ついに雌雄を決するときが来た。
信玄がついに動き出したのだ。精強天下に鳴る甲軍二万七千は西上を開始した。その道程にひれ伏さぬものは、何ぴとたりとも蹂躙《じゆうりん》せずにはおかぬ勢いであった。ときに元亀《げんき》三年十月。
当面、その進撃の矢面に立たされたのは徳川家康だが、次の犠牲は信長にきまっている。かくて両者は同盟を結んだが、しかも信長が家康にわずか三千の援軍しか送らなかったことが、信長には珍しい気おくれの現われといえる。
果然、十二月、織徳同盟軍は三方《みかた》ケ原《はら》で甲軍に粉砕された。
年を越えて甲軍は泥流のごとく三河《みかわ》に進入し、野田《のだ》城を囲んだ。
信長は懊悩《おうのう》した。曾《かつ》ての今川《いまがわ》のようにめちゃくちゃな急進撃をやらず、一歩一歩、遠江《とうとうみ》から三河へと、鉄輪のごとく地固めして来るかに思われる信玄の進攻ぶりこそ恐るべきものであった。
さしもの信長が、その春の一夜、冷たい寝汗を浮かべて、
「信玄、信玄」
と、うわごとをいった。
そのとき、静かに呼びかける者あり、はね起きた信長は、そこに寂然《じやくねん》と坐っている果心居士を発見したのだ。
「消しましょうかな、信玄を」
と、彼はいった。
すでにこれまでに信長はいくどか果心に相まみえている。そしてまた彼の怪しげな、いとおしい哲学もきいている。――じいっと睨《にら》みつけていた信長は、猛然といった。
「暗殺か。それはならぬ!」
「なにゆえ?」
「いま信玄が闇討ちされて見よ。その手はこの信長のものじゃと天下ことごとく見る。それで、なんでそのあと天下が信長に服そうや」
「信玄は闇討ちにいたしますまい。ただ女陰往生をとげさせたいと存ずるまででござる」
この奇怪な幻術の名を耳にしたのは、そのときがはじめてであった。
好奇心にかられて、信長はその意味をきいた。
「人は一生に三度往生をとげるものでござる」
と、果心はいい出した。
「往生というより、人生でござるが――一つは、われわれが人生と承知しておる人生でござるが、もう一つ、その人間が死ぬとき、一瞬の間にもういちど同じ人生を脳髄に反覆するものでござる。――」
そういう説は、死にかけて奇蹟《きせき》的に甦《よみがえ》った人間の話として、信長も以前にきいたことがあるが。――
「その長短二つの人生が最後に重なり、ついに一致した時点がすなわち死でござる」
そして果心はにっと笑って、うすきみのわるいことをいった。
「断末魔の一瞬の人生は、当人には断末魔の一瞬とはわからぬ。それもまた長い一つの人生であると感じておる。……信長さま、実はいまのあなたさまも、その断末魔の一瞬中の三度目の人生かも知れぬのでござりまするぞ。ふおっ、ふおっ、ふおっ」
「三度目とは?」
「それでござる。人間はふつうの人生を送らんとする直前にあたり、すなわち今や生まれ出でんとするときに、一度目の人生を送るものでござる」
「どういう意味じゃ?」
「子宮より出でて、陰門より生まれるまでのあいだ、人間はおのれの未来の全生涯を夢みる。――」
「ば、ばかな!」
「ただし、この世の息を最初に吸った刹那《せつな》に、すべてを忘れ果てておる。――」
「さ、左様なことが、なぜなんじにわかる? 嘘《うそ》八百もよいかげんにせい」
「それを嘘八百ときめつけるのが、おのれ自身、いずこよりか来ていずこへか去るを知らざる愚かなる人間の分際《ぶんざい》知らずのさかしらでござる。が、断末一瞬の人生をまま知る人があるごとく、この未生《みしよう》以前の人生の記憶を、ふと微《かす》かな羽音、遠きに去る物のひびきのように思い出す人もござる」
「…………」
「そのような現象を、むかし兼好《けんこう》と申す法師が、微妙にとらえておるではござりませぬか。すなわち――また、いかなる折ぞ、ただいま人のいう事も、目に見ゆる物も、わが心のうちも、かかることのいつぞやありしかと覚えて、いつとは思い出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思うにや。――」
「…………」
「それまで絶対未経験のはずのことを、以前にたしかに経験したと思うこの神秘なる心理、すなわちこれ女陰往生のときの記憶の断片が、ふっと甦ったものでなくて何でござろうや」
「果心」
と、信長は焦《じ》れたようにいった。
「よし、左様なことがあるとして、それが信玄を消すことと何の関係がある?」
「それでござる」
果心は褐色の舌を出して、どじょうひげをなめた。
「信玄をして、その女陰中の人生をもういちど味わわす――すなわち、彼を女陰中に追い込んで、ふたたび生誕せしめんとする。――」
「なんじゃと?」
さすがの信長も唖然《あぜん》とした。
「そ、そんなたわけた――大の男を、左様なところへ追い込むなどとは。――」
「たわけたといえば、そもそもふつうのあかん坊が左様なところから這《は》い出して来ることと、文字通り大同小異」
「い、いかにして?」
「とは申すものの、それは肉眼で見ねば信じられぬ光景でござろうが――要するに、交合によって、男が溶けて女人の体内に移るのでござる」
「うぬは、それをやったことがあるか」
「あればこそ、かような話、持ち出したので。――信玄とて、年いまだ五十三、定めし陣中女房を伴うて来ておることでござろう。その女にわが幻術をかけるのでござるが」
「それで信玄を消すと申すのか。信玄は永遠に女の体内に溶け失《う》せるのか」
「いや、それでは暗殺と変りありませぬ。最前申しあげたごとく、それをふたたび生誕せしめるところがわが幻術の味噌《みそ》。しかも、数瞬のうちに、もとの姿に復原いたす」
「ほ? よくわからぬが。しかしそれでは同じことではないか」
「それがちがう。大ちがい。――これまた先刻申したように、ふつう女陰中にて味わう第一の人生は、誕生とともに空白と相なりまするが、わが幻術によるそれは、女陰中にあってすでにおのれの人生が反復であることを知っており、かつ再誕後も――つれづれ草のごとく儚《はかな》き記憶の残片にあらずして――はっきりとそのことを憶《おぼ》えておるのでござる」
「ううむ」
「すなわち、おのれの本来の全生涯を知っておるということに相成る」
「や?」
見張った信長の眼は爛《らん》とかがやいた。
「未来を知る、それは、果心。――」
「大したことだとお考えになるか。――ところが、なかなかそうでない」
「どうなる」
「廃人になります」
「なに?」
「ああ、げにや人は生きたがる。にもかかわらず、おのれがもういちど送った人生をふたたび寸毫《すんごう》のちがいもなく辿《たど》れといわれたら、何ぴともたじろぐものらしい。いや、たじろぐどころではない、苦悶《くもん》のため、人は廃人となるらしゅうござる」
果心は、けけけけ、と笑った。怪鳥《けちよう》のような笑い声であった。
「すでに女陰中にあって、それまでの人生の再現をなめておるあいだに、恐怖のあまり、脳髄が麻痺《まひ》いたし、そのまま死産の態《てい》と相なるか、またたとえ再誕後姿はもとに戻れども、その人間は白痴となっておるのが大半。そしてまた再誕後は、すでに知っておる人生を反覆する戦慄《せんりつ》のあまり、これまた廃人となるか、もしくは自殺いたす。これは例外ござらぬ。――すなわちこの幻法を女陰往生と称するゆえん」
「未来を知っておれば、あらゆる難を避けることが出来る道理ではないか」
「いや、左様なわがまま[#「わがまま」に傍点]は許されぬ。すべて変改ならぬ運命でござる。――実をいうと、この幻法をかける果心自身も、幻法かけられた人間の心理はしかとはわからぬところがござるが――ひょっとすると、恐怖のために廃人ないし自殺という運命をもちゃんと承知しておって、そのための恐怖で、廃人ないし自殺という運命をみずから呼ぶのかも知れませぬ」
信長は頭が混乱して来た。
「で、信玄もその運命におちいるか」
「いままで、右の例に例外はござりませなんだが」
といって、果心は首をかしげた。
「その廃人化また自殺、さらに悩乱死に至る度合は、その人間の人生の恐ろしさと、その人間の気力とのかね合い次第のようでござる。――みごと信玄がそのような運命におちいれば、これは天下の何ぴとも自滅として疑わぬことはたしかながら、いまそれに例外なしとは申したものの、さて信玄の場合、いかが相成るか、このたびばかりはこの果心にもちと請け合え申せぬ。……」
どじょうひげをなでて、うす笑いした。
「実は、その興味もあって、信玄にこの幻法を試みたいのでござるが」
信長も強烈な好奇心につきあげられた。
「よし、やって見い!」
――野田城を囲んだ武田軍が、突如、みずから撤退を開始したのはそれから十余日のちのことであった。
何やら悲愁に覆われて粛々と甲軍がひきあげてゆく彼方《かなた》――甲斐の空に、巨《おお》きな流星が妖光《ようこう》をひいて落ちていった。
大敵などとはつゆ思わないが、信長が手を焼いた「難物」に、足利|義昭《よしあき》がある。
人間そのものは二流だが、とにかく二百数十年つづいて来た足利幕府の十五代将軍だ。その名は、さしもの信長も、容易に一撃のもとに打倒しかねるものがあった。げんに信長の前代の覇者ともいうべき松永弾正がやすやすと信長に追い落されたのは、彼が十三代将軍|義輝《よしてる》を弑《しい》してとみに民心を失ったことが大きい。信長自身がそこを衝《つ》いたのだ。
そしてこの義昭が、しょせんこの戦国の世に、名実ともに征夷《せいい》大将軍たる実力はないくせに、半|公卿《くげ》化していかにもそれらしい陰謀好きで、とうてい信長の傀儡《かいらい》たるに満足しなかった。彼は信長を舌打ちさせ、いらいらさせたのみか、事実信玄その他諸国の群雄にしきりに密書を飛ばしてアンチ信長同盟を作り、捨ておけば信長の大望をも根底からゆるがしかねない危険な存在となった。
「ううぬ、蠅公方《はえくぼう》め」
信長は歯をかんだ。
信玄西上――と符節を合わせて、信長打倒の蠢動《しゆんどう》を開始しながら、甲軍が本国へ回軍したと知るや、たちまち義昭は信長に和を請うて、宇治川の真木島に引籠《ひきこも》ってしまったときにである。
「断」
時しも、風雨、甍《いらか》を打ちたたく七月の一夜、信長はつぶやいた。京二条の妙覚寺《みようかくじ》である。
彼は手をたたいた。積年、胸を去来していた足別家血の終曲の第一音であった。襲撃隊編成のため、まず近習《きんじゆう》を呼ぼうとしたのだ。
「お召しにより参上」
背後で声がした。ふりかえると、朦朧《もうろう》たる道服の影が坐っていた。
「果心」
信長はさけんだ。
老幻術師はその春、信玄についてあの妖《あや》しき請負いをして去ったきり、ついぞ信長の前に姿を現わさなかったのである。その後、現実に甲州軍は謎《なぞ》のごとく軍を返した。さらにまた、武田では喪を秘してはいるが、どうやら信玄が陣歿《じんぼつ》したらしいという諜報《ちようほう》も耳にした。――さては? と思う一方、本質的に合理主義者である信長は、まだ半信半疑であった。だいいち、当の果心があれ以来、なんの報告にも、またなんの報酬請求にも現われなかったのだ。
「いけませぬ」
と、果心はいった。
「何が?」
信長は、そもそもこの幻術師がいま現われたことに呆《あき》れている。
「悪逆弾正のまねをなさるなど、信長さまらしからざること」
「や?」
どうしてわが今の決意を知ったか、などいう問いはさすがにいまさら投げる気はない。
「さればこそ、さまざま思案はしたが、しょせんはたたき潰《つぶ》さねばならぬ蠅公方じゃ」
「蠅を潰して、あなたさまの大いなる翼に傷がつくのは間尺に合いますまいが」
「そうは思ったが、考えてみるとあの御仁を生かしておくだけで、わが計画は十年遅れる。信長は急ぐのだ。信長はやらねばならぬことが、海ほどあるのだ」
「この世にあって、なきにひとしい存在とすればよろしかろうが」
信長の眼はひかり、果心を見すえ、
「あれか」
と、彼には珍しく声をひそめた。
「その方は信玄にまこと何かいたしたか?」
「その御疑問を霽《は》らすために、お望みならば今夜、公方の女陰往生を見せましょうず」
「なに?」
「果心とともに、ちょっと真木島にいって御覧になる気はござらぬか?」
真木島は宇治川と巨椋池《おぐらのいけ》にめぐらされた一州で、義昭は信長に和を請うたとはいうものの、一方ではしぶとくここに一城を築いて三千七百人の兵を以て立籠《たてこも》っていた。難攻不落をさえ噂《うわさ》される要害だ。
しかも、かかる風雨の夜に?
このえたいの知れぬ幻術師と?
信長が逡巡《しゆんじゆん》したのは一瞬である。笑うような果心の眼を受けて、「見せい」と彼はいって立ちあがった。自尊心よりも好奇心にかられたのだ。いや、反撥《はんぱつ》しつつも、いつしか信長も果心居士の心術に吸いこまれていたのかも知れない。
元亀四年七月十日の夜である。
泡立つ宇治川を扁舟《へんしゆう》に乗って、信長と果心は渡っていった。櫓《ろ》を握っているのはむろん果心で、闇《やみ》に湧《わ》き返る銀色の波の中を、これのみ滑るがごとく進んでゆくのである。
「この雨はここ当分霽れ申さぬよ」
と、果心はいった。稲妻がひらめいた。
「もし、お攻めになるならば百|梃櫓《ちようろ》くらいの船が要りましょうな」
「うむ。……」
さしもの信長も瞠若《どうじやく》たるよりほかはない。
そして彼が、茫乎《ぼうこ》たるどころか、この世のものならぬ幻怪の世界にある思いをさせられたのは、それから一刻ののちであった。
彼は果心とともに、真木島城の奥深く、義昭の寝室の隅に立ち、しかも義昭がこちらの存在にまったく気づかぬもののごとく、寵姫《ちようき》の一人と交合するのを見ていたのだ。
「おお、こりゃどうじゃ」
義昭はうめいた。
「今宵《こよい》、おまえはどうしたのじゃ。余の麻羅《まら》がとろけるようじゃわ」
嵐の夜ではあったが、それゆえ戸を立て切った真夏の夜。二人は全裸であった。義昭は快美にたえぬかのように弓なりにそり返った。
「血も肉も……骨までとろけるようじゃわ!」
そして彼は、糸に引かれるように立ちあがった。白い眼をむいて、口をぽかんとあけて、あごが魚みたいにゆるやかに動いている。こんな人間の表情をいままで見たことはないが、しかしそれが恍惚《こうこつ》の絶頂に達した男の顔だということは信長にもわかった。彼は鬼気すらおぼえた。
そして、公方の顔からその下半身に眼を移したとたん――信長の感じたのは鬼気どころではなくなった。寵姫は半失神状態で横たわり、公方は立っているのに、二人の間は肉の縄《なわ》でつながっていたのである。
やや紫がかった肉色はしているが、半透明なその管の中を、公方の方から寵姫の方へ、何やらどろどろしたものがたばしり流れてゆく。――
みるみる公方義昭の立ったままの肉体も、これまた半透明になり――骨の形まで透《す》いて見えて来た。その骨の影が薄れてくると、突如彼は音もなく、奇怪に変形《へんぎよう》しつつ崩折《くずお》れた。
そこにあるのは、円形の座蒲団《ざぶとん》みたいな大きさで、あちこち淡黄色の斑紋《はんもん》があるが、全体としては暗赤色の、表面に無数の溝《みぞ》のある盤状の肉塊であった。それが、その中央から、依然として肉の筒で寵姫とつながっているのだ。
「どういうものでござろうかな」
と、果心はひとごとみたいにいった。
「あれは人間が生まれたあとのいわゆる後産《あとざん》――すなわち胎盤と臍帯《せいたい》に似ております。むろん、ほんものはあれよりはるかに小ぶりでござるが」
それはさらに水を抜いた薄い皮袋みたいにひらべったくなった。
「ま、いわば人間のぬけがらで」
果心はとがった指をめぐらした。
「見られい、あれを」
寵姫の下腹部はむっちりと盛りあがり、そして、脈動していた。
「あの中に公方はおわす。……そして、今やおのれの全生涯を味わっておわす」
信長は放心したように眺めている。彼がこれほどうつけた顔をしているのは空前であろう。
「さて、信玄ほどの人物を打ち倒した恐怖……やわかあの公方に耐え得べきや、とも思われ申すが、しかしまた信玄ほどの罪業《ざいごう》も積んでおらぬ凡物のありがたさ、果心の見るところでは死なぬと見る。しかし。……」
「ああ!」
と、寵姫がたまぎるような悲鳴の尾をひいた。ねじれたような肉の筒を、こんどは逆に彼女の方から皮袋の方へ、どろどろしたものがたばしり流れはじめた。
はじめぺちゃんこであった皮袋が盤状となり、さらに盤状の肉塊が徐々にふくれあがってゆく。それが球形になり、手足をちぢめたあかん坊のかたちとなり、そして口をあけて声さえ発し出した。「おンぎゃあ……おンぎゃあ……おンぎゃあ!」
啼《な》き声が細くなるとともに、それは少年となり、青年となり、さらにこの年三十六歳の将軍義昭の姿となった。
ただ例の肉筒はなお両者をつらねている。……と見えたのも一息、それがちぢみはじめた。義昭は前に泳いだ。音もなく寵姫の上にかぶさった。この動作は、水中、というより異次元の世界にあるもののように見えた。
雷鳴がとどろいた。
「上様」
遠くで声がした。宿直《とのい》の侍らしい。
「……まず、これにて」
じいっと公方と寵姫の方へ、眼窩《がんか》の奥から青い炎みたいな視線をそそいでいた果心が信長をかえりみた。
「おそらくは、あなたさまのお望みに添うと存ずる」
女のからだの上から、公方義昭が顔をあげた。その視界にこちらの姿があることを知っていても、信長は身動きも出来なかった。が、義昭にはまだ何も見えないらしいのだ。放心したような眼のみならず、将軍のくせにいかにも「公卿悪《くげあく》」じみた顔が、まるで白痴と化したようにぼやけ、間のびしている。――
果心が袖《そで》を引いた。それにつられて、廊下を走って来る幾つかの跫音《あしおと》とは反対の方角へ、信長は足も空に浮いた心地でさまよい出た。
どうしてもとの二条妙覚寺に帰って来たのか、いつ果心と別れたのか、おのれの行動そのものが空間を超えているような思いであったが、時すらも数刻半夜のことでなく、一瞬とも思われ、永劫《えいごう》とも思われた。そして彼は、そもそも何のために果心にあのようなことをさせたのか、その政略的目的さえ忘れたほどであった。が、――あれほどうるさく、執拗《しつよう》に陰謀をめぐらし、機略を弄《ろう》して信長を悩ました足利十五代将軍義昭が、ふらりと宇治の真木島城から姿を消したことを知ったのは、それから八日後のことである。
そして、義昭はそれっきり、河内《かわち》へ落ち、紀伊《きい》へ流れ、はては備後《びんご》へまでさすらっていって、最後は信長もその行方さえ知らぬ流離の貴人になり果てた。
以上は必ずしも信長が期したことではなかったが、ただ一つ、彼みずから進んで、悲鳴のごとく果心を呼んでその力を借りようとしたことがある。それは越後の謙信から挑戦状を受け取ったときであった。
「来春三月十五日、必ず越後を出で上洛《じようらく》つかまつるべく候あいだ、そのとき信長も安土を出でられ兵を差向けらるべし。両家、軍神にかけて興亡の合戦致すべし。――」
時に天正五年十月である。
信長の生涯に、戦闘に於《おい》て最大の「強敵」と思わせたのはこの上杉《うえすぎ》謙信であったろう。むろん政略にかけても世にいわれているほどのお人好しではないが、何よりも戦闘そのものが精悍《せいかん》無比である。深く軍神摩利支天を信仰し、女を断ち、出陣するや純白|練絹《ねりぎぬ》の袈裟頭巾《けさずきん》に頭《こうべ》をつつみ、三尺の青竹をふるってまっさきに突撃する不識庵《ふしきあん》謙信と、彼そのものを摩利支天のごとく信仰する越後兵は、北国の野を焼く火のような凄《すさま》じさがあった。信長の鉄砲も調略も歯が立たぬ狂信的軍団のようであった。それまで正面衝突せずにすんだのは、久しく甲斐の武田や関東の北条がそれを牽制《けんせい》していたからに過ぎない。
信長は答えた。
「武辺はだれしもいたす事なれども、謙信の御弓箭《ごきゆうせん》は摩利支天の所変の業《わざ》にて、日本一州にならぶ者ありと覚え申さず。謙信御上洛については路次まで出迎え、扇一本腰にさし、一騎乗り込み、信長にて候、降参つかまつると申すべく候」
諧謔《かいぎやく》めかしてはいるが、なかば本音である。冗談にも、ふつうこんな挨拶《あいさつ》をする信長ではない。
秋から年を越えて春にかけ、越後では、越後のみならず、越中、加賀、能登《のと》、上野《こうずけ》にわたり大動員しているという情報が伝えられた。
事態は切迫した。さしもの信長も、わが天運ここに窮《きわ》まるか、と覚悟のほぞをかためたほどである。むろん、降伏などする気はない。
かくて。――
「果心、いずくにおるぞ。――」
と、呼んだのだ。もとより声に出してではない。心の中で、魔天に対してである。
果心居士は飄然《ひようぜん》と現われた。
「謙信でござるか」
と、彼は例のうす笑いを浮かべていった。
「謙信に、女陰往生をやらせますか」
「――あ、待て」
信長は卒然として或《あ》ることを頭に浮かべた。
「謙信は生涯|不犯《ふぼん》を誓った男であると申すぞ」
「承知いたしておりまする」
と、果心は長いあごでうなずいた。
これが天正六年二月半ばのことで、消えた果心からは何の消息もなく、謙信出撃の三月十五日は刻々に迫った。
しかるに――その十五日、信長は乱波《らつぱ》の諜者《ちようじや》から驚倒すべき情報を耳にしたのである。
不識庵謙信、三月九日、春日《かすが》山城の厠《かわや》にて倒れ、十三日死す!
果心居士はそれっきり現われない。
果心居士は現われた。――いま、必殺の本能寺にである。
そして、女陰に入って逃れるより、信長のいのちをつなぐすべはないという。
「ここまで来て、ここであなたさまが死なれるという法はない。それは、あんまり、ばかばかし過ぎる。中道にして斃《たお》れる壮絶なる討死、などいうべきものではござらぬ。これは織田信長なる曠世《こうせい》の英雄の生涯を、一挙に戯画化することでござる!」
果心は切々と説いた。その眼から、ふだんのメフィストフェレスじみた笑いが消えていた。
「女体に入って逃げる」
信長はうめいた。
「しかし、例の肉盤をどうするぞ」
「いちど御覧なされたことがあるように、最も菲薄《ひはく》な皮袋となるいっときがござる。あれならば、その女人の身に帯《たい》して逃げられましょう」
「女は気を失うておるではないか」
「もともと、女にかけて現われる幻法でござる。魔天より、果心、その女を動かしましょうず」
おのれがあのような状態になる、ということが戯画的であることを、この場合、信長も意識する余裕を失っていた。それより、繰返し、彼をとらえて離さぬ危惧《きぐ》があった。
「たとえ再誕しても、白痴の信長となったならば。――」
それこそ彼にとって、死よりも恐るべき事態に相違なかった。そしてまた――それこそ、このえたいの知れぬ怪幻術師が、そもそも狙《ねら》っていたことではないか? という疑惑が頭にひらめいた。
「なり申さぬ! 金輪際《こんりんざい》、左様なことにはなり申さぬ!」
果心は両腕をもみねじっていった。――ほんのいま、「何が起るかは保証出来ぬ。それゆえにあなたさまをこの幻術にかけて見たい」云々ともいったことを忘れたようだ。
「信長さまにかぎり、再誕後も信長さまでおわそう。あなたさまは、公方はもとより、信玄、謙信とはちがう大意志力、大生命力、大運命力をお持ちでござる。左様に見込んだればこそ、果心、いままであれほど肩入れしたのではござらぬか?」
森厳ともいうべきその眼光が、親愛の情《じよう》にうるんだ。いずれもこの幻術師にはあまり例のない表情であった。
「なぜ、その方はかくまで信長一人を買う? いや信長に天下を取らせようとする?」
この場合にも、信長の心を長らく領したこの疑惑が彼の口をついた。
「それも以前に申した。あなたさまが無数の人をお殺しなされる方だからで。――もしあなたさまが地上からお消えなされば、まだまだ殺さるべき幾十万の人間虫どもが地上に生き残ることになる。それがこの果心にはたまらん。――ふおっ、ふおっ、ふおっ」
本能寺に現われて、はじめて例の梟《ふくろう》に似た笑い声をたてた果心居士は、このとき杉戸につき刺さる横なぐりの雨みたいな矢の音をきくと、
「――いざ、信長さま!」
と、きっとしてさけんだ。
「時がござらぬ。どの女人《によにん》をお選びなさる?」
信長が彼の幻法を受けることはもはやきまったとする声音《こわね》であった。――信長は抵抗せず、じいっと女たちの方に眼をやった。一息おいて、
「ちゃちゃ」
と、いった。
さすがの果心もあっと口の中でさけんで、次にもがもがと何やらいった。ちゃちゃ姫が信長の姪《めい》であることは彼も知っている。その姪を女陰往生の対象に選んだのか、とわが耳を疑って問い返そうとしたのである。
「あれならば……その体内に入ってもよいわ」
と、信長はうめいた。果心の幻術を受ける以前に、すでに異常を呈したかに見えるまなざしであった。
たしかに信長はなかば狂していた。無限の大野望の城が、いまや、おのれの生命とともに、愚かとも何ともいいようのない謀叛のために砕け落ちようとしている土壇場《どたんば》だ。だれが、彼の平常心を失ったのを責められよう。
が、部屋の隅にひとかたまりになっている女たちの中に、おちゃちゃの姿を見出したとき、信長の頭にはためいた、
――あれだ。
という考えは、狂せる脳髄から出たものではなく、本来の信長として、それ以外にない選択であった。
――この信長自身が腹を借りるのに、やわか、なみの女で忍びんや。せめて、あのおちゃちゃの腹ならば!
それは、これこそ世の常ならぬ彼独特の矜持《きようじ》から出た断案であった。そこまでは信長自身、自覚している。が、その深層心理に、彼の妹お市に対する兄妹|相姦《そうかん》の志望があったといったなら、彼は怒るであろうか。
信長は女にやさしかった。しかしそれは対等の人間としてやさしいのではなかった。男の家来に対するよりも、別人のようにやさしいのは、女を進化上一段級遅れた生物として見ているからであった。それゆえに、何かのきっかけがあれば、このやさしさの外面《げめん》はひっ裂けて夜叉《やしや》となる。曾て彼が安土城から遠出した際、鬼のいない間の洗濯と遊山《ゆさん》に出かけた城中の女たち数十人を、ふいに帰城してことごとくその細首|刎《は》ねた事実など、その現われである。人は犬の自由行動を許さない。
ただひとり、例外があった。妹のお市に対する心情であった。彼はこの十二歳かけ離れた美しい妹に最初から兄よりも濃い父性のごとき愛を抱いていたが、いつしかさらにそれよりも濃い――妖《あや》しい感情をけぶらせるようになった。もとより無意識に抑圧している思念だから、それを近親相姦の欲望などいったら、信長は怒るよりさきに唖然《あぜん》としたにちがいない。しかし、まさしく彼は、とっくの昔この世を去った唯一の正妻お濃《のう》や、それ以後二十人近い子を生んだおびただしい愛妾たちよりも、その血をわけた妹の方へ、はるかに「人間の女性」として見るまなざしを投げていたのであった。
その眼は、お市の長女ちゃちゃへも拡散した。ちゃちゃが母そっくりでもあったからだ。むろん、その母に対するよりは軽い。軽いだけにその想いは華やかであった。
――とはいえ、十六歳のその姪をいま交合の相手に選ぼうとは?
まことに想像を絶したことであったが、事態ここに至って、信長の決意は不動であった。たんなる肉欲の道具、生理の処置機関以外の女体を選ぶとするならば、この場合、彼女をわが聖なる輿《こし》とするしかない。
「かしこまってござる」
と、果心は卒然としてうなずいた。どこまで信長の心理を読んだか不明である。
そして背を見せて、女たちの方へ近づき、数秒、彼女たちを凝視していた。おそらくこのときに彼女たちに催眠術をかけたに相違ない。なぜなら、女たちは信長と怪老人が何やら問答していたということ以外――以後、或る時点まで、完全に記憶は空白となったのだから。
果心居士はさしまねいた。
一団をさしまねいたのに、おちゃちゃだけが雲を踏むような足どりですすみ出て来た。
この姫君の美しさはかねてから果心もきいてはいたが、いま、歩み寄る彼女を見て――もはや半ばおのれの術中にある娘なのに、それが十六歳というあけぼのの清麗さと、すでに開花しはじめた天性の妖艶《ようえん》さの溶け合ったその姿態に、果心も息をのんだほどである。
「殿……殿っ」
杉戸の外で血を吐くような声が聞えた。蘭丸の声であった。
「殿、いまだ御存生《ごぞんじよう》でおわしますやっ。……敵はもはや――」
「いましばし」
と、信長の声がいった。
「いま、しばし、死力をつくして防げ」
声は信長のものであったが、それは果心の口から出た。
さて、しかるのち――阿鼻叫喚《あびきようかん》の死闘の大渦巻の中の不可思議な真空の空間で、例の女陰往生の幻法がくりひろげられたのである。
信長は姪のちゃちゃと交合し――男根は臍帯様のものと変り――信長は胎盤化し、さらに薄い皮膚の袋となり――そのまま、なお夢みるがごとく果心に助け起されたおちゃちゃの腹に着装された。
「蘭丸っ」
杉戸の内側に立って、果心居士は信長の声で呼ばわった。
「女どもを逃がせ。――」
呼ばれて、やや離れた回廊で血薙刀《ちなぎなた》を突いていた森蘭丸は、杉戸があいて、十数人の女たちが崩れ出して来たのを見た。
「女ども、寺を出でたら火をかけよ。自害した信長の骸《むくろ》、だれにも見せるな」
杉戸ははたと閉じられた。――書けば長いが、信長が傷ついてその一室に入ってから、十数分のあいだのことであったろう。
――女たちは矢弾《やだま》の下を、ときには乱戦の中を、ただようように外へ出ていった。こんな女たちがまだ寺にいたのかと驚く者あり、また信長と運命を共にしないのをいぶかしむ者あり――しかし、味方はもとより、敵すらもこれをとどめる者はいなかった。
むろん、本能寺を包囲した明智勢の中には、地ひびきたてて駈け寄って来ていちいち面体《めんてい》を改める者も少くなかったが、その中に女装の信長などいないことを見てとると、すぐに彼女たちの通過を許した。クーデター後の評判をおもんぱかって、女子供は殺傷するなというかねてからの光秀の命令もあったが、明智勢の一万三千ことごとく、そのときまでまだ討ち取ったという知らせのない大魔王信長に、全精魂を奪われていたのである。
ましてや、その女たちの中の、十六、七の少女など、たとえ腹部のあたりが怪しげであったとしても、それに不審の眼をそそぐ者などあろうはずがない。――女たちは、おちゃちゃを護《まも》るように包んでいた。みんな黙々として、また粛々としているのを、さすがは信長の侍女たちだと見た者もあり、また哀れ胆《きも》ひしがれてうつけのていになっていると見た者もあり、要するに彼女たちがまったく夢遊の状態にあることを知った者は一人もなかった。
暴風の圏外は、むしろ無風となる。まして本能寺から信長の一子信忠の駐屯している妙覚寺とは反対側の方角にある壬生寺《みぶでら》のあたりは、近傍の人々ことごとくそっちへ弥次馬《やじうま》となって駈け出すか、または戸を閉め切ってふるえていて、夏の朝というのに一帯無人といっていいありさまであった。
が、夏の朝というのに、冬の夕靄《ゆうもや》みたいな朦朧《もうろう》の気をたちこめさせるものは、果心という人間以外にない。どうしてあの本能寺からぬけ出したか、老幻術師は壬生寺の境内の竹林の中に立って、しかし祈るがごとき眼を地上に投げていた。
そこにはただ一人、ちゃちゃが横たわっていた。
断末魔の一瞬に、人は全脳髄を以ておのれの全生涯をふたたび辿《たど》るという。いや、ふたたびではない、それは三度目であって、人はこの世に生まれ出でんとして、その寸前に未来の一生を予見するという。――果心の説である。
それを味わわせるために、人を女体に追い込む果心の幻法「女陰往生」。
しかし、この場合は、それが目的ではなかった。ただ逃るべからざる運命の人を女体に隠して逃れさせるための幻法であった。そしてそれはどうやら成功したようである。
ただ、必然的に、おちゃちゃの腹中にある信長は、彼の全生涯を辿らなければならなかった。――
果心のいう三度の人生は、しかし完全な没交渉だ。人はただ一度の人生としかそれを感じない。――ただ「女陰往生」の幻術にかけられた場合にかぎり、胎中にあってこれが人生の繰返しであるという自覚があるという。そして、それに耐えずして、誕生後、廃人と化していることが多いという。
芳潤甘美な十六歳のおちゃちゃの膣《ちつ》という小天地で、おのれは液とも塊ともつかぬ模糊《もこ》たる存在として、信長はおのれの人生を繰返した。――
髪を茶筅《ちやせん》に、紅糸で巻き立て、かたびらの片袖《かたそで》はずして一方の肩をむき出しにあらわし、朱鞘《しゆざや》の大刀をぶちこみ、腰にひょうたんを七つ八つぶら下げて、柿《かき》や瓜《うり》をかぶりぐいに食いながら、那古屋《なごや》の町を町じゅう馬でねり歩いていた少年時代。父の信秀《のぶひで》が死んだとき、袴《はかま》もはかず、長刀と脇差《わきざし》を注連縄《しめなわ》で巻いたやつをわしづかみにし、仏前で抹香《まつこう》をくわっとつかんで投げた十六歳。
以下、桶狭間の決戦をはじめとし、斎藤、浅井、朝倉、松永、武田その他無数の群雄を撃破して来た血風の半生の再現を、おちゃちゃの腹中で見て、信長は快笑した。その血風の中には、彼みずから殺した叔父《おじ》や弟や甥《おい》や重臣などがあったが、彼の笑いはやまなかった。例の叡山、長島、伊丹城などの惨景に至っては、おのれの笑い声がちゃちゃの門から溢《あふ》れはせぬかと思ったくらいの快味を味わった。
天地に恥じぬ。信長はかくするためにかくしたのだ!
彼は胸を張った。――おのれの人生をふたたび繰返す苦悶《くもん》のために悩乱したという弱々しい虫けらどもとは、信長はちがう。
女陰世界に於《お》ける時の流れはそもいかなるものか。数瞬は四十九年を刻み、四十九年は数瞬のうちに過ぎて、かくて本能寺の日は到来した。彼の髪は逆立った。
必殺の土壇場に追いこめられて、信長はちゃちゃと交合した。精はほとばしり出た。
さて、この刹那《せつな》に彼は――ただ精のみならず、おのれの肉も骨も全肉体が溶けて流れるのを感じたとたん、天地は晦冥《かいめい》となった。
それから彼はどうなったのか。
信長はおちゃちゃの腹中にいる。半生の夢から醒《さ》めて、そこに厳存している。しかし。――
いったい果心居士はおのれの幻法の全容を確実に把握しているのであろうか。信長の場合にかぎって、何が起るか保証は出来ぬ、と一脈懐疑の言葉をもらしたけれど。
本能寺以後の未来がはじまった。信長はたしかにそれを見たのである。
備中陣から疾風のごとく羽柴筑前は馳《は》せ返った。そして逆賊明智光秀を屠《ほふ》り去った。それはよい。しかし。――
さて、そのあと。
ああ、何たるやつか、あの猿面は!
彼は織田家では彼よりも重鎮であった柴田勝家をも一掃した。あまつさえ、その妻となった信長の妹、信長があれほど愛していたお市の方をも劫火《ごうか》の中に消し去った。――この心腸九回するような悲劇を、信長は見た。
が――見ているだけなのだ。彼はそこにいないのだ。
――おれはここにおる。お市、信長はここにおるぞ。
信長は絶叫した。身もだえした。
しかし、曾て信長の草履《ぞうり》取りであった藤吉郎《とうきちろう》は、信長の想像を超える地獄相を織田家の系図にえがいてゆく。天衣無縫の笑顔で。
彼は信長の子供|信孝《のぶたか》を腹切らせた。腹に刃をつきたてたまま信孝が、「むくいを待てや羽柴筑前」とさけんだほどの無惨な最期であった。彼はまた信長の弟|信包《のぶかね》や長益《ながます》を家来とした。二人がそれぞれ頭を剃《そ》って、老犬斎《ろうけんさい》、有楽斎《うらくさい》と自嘲《じちよう》的な別名をつけたほどの、文字通り茶坊主にちかい待遇であった。
――猿、何をいたすか、光秀すらも三舎を避ける悪逆を!
信長の激怒に秋毫《しゆうごう》の反抗心もなく、最も忠実に慴伏《しようふく》した筑前であった。いや、激怒する前に、雷雲のごとくそれを感じて、信長の意にかなうべく、独楽鼠《こまねずみ》みたいに駈けまわった秀吉であった。それが。――
なんと、信長の娘の一人を妾《めかけ》にして、「三の丸どの」と呼ばせた。弟の信包の娘をも妾にして「姫路《ひめじ》どの」と呼ばせた。
――猿っ、来い! 手討ちにしてくれる。いや、その首ねじ切ってくれる。
信長は足ずりして絶叫した。
――信長はここにおるぞ!
彼はどこにいる? 彼はちゃちゃの女陰の中にいる。
そして、その猿面の首が、或《あ》る日、怒れる信長の前ににゅっと闖入《ちんにゆう》して来たのだ。いや秀吉の顔ではない。肉体の一部だ。――時に天正十七年、ちゃちゃは二十三になっていた。事そこに至る経過も信長はまざまざと見ている。ちゃちゃに、恐喝《きようかつ》、甘言、あらゆる手段をつくして言い寄り、まといつく猿面を、そのいやらしい鼻息まで聞える近さで見ている。何しろ、そのちゃちゃの体内にいるのだから。
いとわしさに、彼はうめき声をあげた。それでも、どうすることも出来なかった。怒りに彼はのたうちまわった。――かぐわしい、柔かい、薄紅の肉のひだの中で。
男同士として、筑前の才能は飛切り高く買っていた。しかし女から見た男としての猿はたまらなかった。柴田や丹羽《にわ》や滝川《たきがわ》などの諸将連はもとより、逆賊光秀よりさらに耐えがたい対象であった。――いわんや猿は、このとき五十四、もともと老《ふ》けた顔で、すでに老醜の相を呈している。それが、信長の眼前ににゅっと現われた。顔そっくりの、細っこい、皺《しわ》だらけの男根が。――
「下郎《げろう》、推参」
全身ねじくれさせて叱咤《しつた》した信長に、その醜悪きわまる無礼者は、したたかに白いものを吐きかけた。
信長は名状しがたい苦鳴をあげ、かあっと嘔吐《おうと》し、また嘔吐した。それは彼の臓腑《ぞうふ》どころか、肉から骨まで熔鉱《ようこう》と化して奔出するかのようであった。事実、信長の天地はふたたび晦冥となった。――
一〇
「信長さま……信長さま!」
暗雲のかなたから呼びかける声に、信長は頭をふり、眼をひらいた。
視界が徐々に仄明《ほのあか》るくなって来る。とはいえ、日の光もささぬ藪《やぶ》の中であった。それに薄く黒煙すらただよっているようだ。信長は自分が竹林の中にふらりと仁王《におう》立ちになっていることを知ったが、どうしてこんなところにいるのか、とっさにわからなかった。
「御再誕、おめでとうござる」
幻術師果心の声だとはきいたが、なお信長の脳髄はけぶっている。黒煙は彼の頭の中まで流れているようであった。ほとんど何の思考の連結もなく、信長はつぶやいた。
「この煙は何じゃ」
「本能寺がついに炎上しはじめたようでござる。その煙がここまで流れて参るので」
突如、脳髄までが炎上しはじめたかのごとく、信長の眼が赤くかがやいた。彼は思い出したのである。本能寺の変を。
「光秀っ」
彼は絶叫して、二歩、三歩、歩み出した。
「い、いけませぬ、せ、せっかく逃れて来たものを」
その前に、蝙蝠《こうもり》みたいな道服の影が現われて、あわてて両袖《りようそで》をひろげた。果心はそのまま、なまぐさい息が触れるほど近づいて信長を凝視した。
「おお、その眼!」
彼は怪鳥みたいな歓喜の声をあげた。
「見込んだ通りでござる。信長さまはちがう。信玄謙信とはちがう! まさしくそれは正気のお人の眼じゃ。幾百万かの人間を鉄血の意志を以て殺し得る英雄の眼じゃ!」
幻術師は、冷たい、ぬらっとする手で信長の手さえ取った。
「さればこそ、古今天下に二となきおんいのち、ササ、ここのところはひとまず落ちのびられませ。果心、御案内つかまつりましょうず」
といったが、ふいにその手を離した。
「いや、どこへゆかれるか、これはあなたさまのお心次第じゃ。信長さま、いずこへ?」
「安土へ――」
と、信長は反射的にいった。
「安土?」
果心はかぶりをふった。
「明智ほどのものが、やわか安土を捨ておきましょうや。ひょっとしたらもはや兵の一部をそちらに回しておるやも知れず。――実は、ほんのいま、おちゃちゃさまをほかの女性連とともに安土へ落しまいらせたが、危いかな、しまったことをしたと臍《ほぞ》をかんでおる次第で」
「ちゃちゃ!」
と、信長はさけんだ。
はじめて彼はちゃちゃのことを思い出したのだ。その記憶がいままで欠落していたのは、まだ判断力にひびが入っていたのみならず、あの本能寺に於ける怪異な幻法開始以来、自分がここに再誕するまでの経過が晦冥《かいめい》状態にあったからだ。
あれからどうしたのか。ここはどこか。
ここは壬生寺だ。自分は知っている。では、どうしてそれを知っているのか。
それを反芻《はんすう》するより、信長は突然、或るなまなましい感覚を甦《よみがえ》らせ、うっと息をつめた。
「安土には、ちゃちゃが参ったと?」
ちゃちゃのところへいってはならぬ。あれに近づいたら万事休すだ。――なぜそういう結論になるのか、理性よりもまず甦ったのは、おのれをつつむあのかぐわしい、柔かい、薄紅の肉のひだの感覚であった。恐怖が信長の足に鋲《びよう》を打った。
「備中」
と、信長はうめいた。
「筑前のところへ。――」
みなまでいわず、信長はまた見えない黒風に面《おもて》をたたかれたような表情をした。筑前――筑前――、ううぬ、あの天人ともに光秀以上にゆるすべからざる大逆猿面|冠者《かじや》。
突如信長は、一道の火光が照らし出したおのれの全生涯を見た。これから先の未来を。
「ば、ばかな。――」
彼はうめいた。
それをじいっと眺めていた果心は、
「見られたな」
と、いった。
「あなたさまの未来を。――おお、それこそは果心にもわからぬ。それはいかなる未来でござったか?」
「果心、あれはまことか」
「何を御覧になったか存ぜぬが、まことでござる。それは、鉄槌《てつつい》を打つがごとく」
「信長は信ぜぬ」
「信長さまが信ぜられると、信ぜられぬとに論なく」
「破ったら、どうするか?」
「破ることは、不可能でござる」
「信長はおのれの意志の通り、別の道へゆく。――いや、別の道ではない。き、きゃつらすべて卵のごとく踏みつぶし、信長の世界を作るために。――」
「されば、何処《いずこ》へ?」
キリキリと歯ぎしりの音さえたてながらうめく信長の顔をのぞきこみつつ、果心のおちくぼんだ眼に、急速に不安の霧がたちこめて来た。信長は、なお見ていた。惨たる眼で、おのれの未来を。――あの一年後、三年後、十年後の人間獣どもの世界を。
信ぜぬとはいったが、それはあまりに迫真的であった。変えることは不可能といった果心の言葉を拒否すべく、それはあまりに圧倒的であった。そこにひしめく秀吉、おちゃちゃはもとより、それをめぐる幾千、幾万、幾百万の人間たちの心と動きは、いま知っている秀吉、おちゃちゃその他無数の人間たちから推して、細流が大河となるがごとく、大河が海に入るがごとく、すべてあり得べきことであり、まさに変るべからざる鉄の運命と思われた。
信長は信長の世界を作るつもりでいた。むろん、信長一人の世界ではない。その山水の隅々まで人それぞれの所を得て、まことの生の讃歌《さんか》をうたうべき美しき大曼陀羅《だいまんだら》のはずであった。しかし――きゃつらは、ああいうやつらであったか。あの人間どもは、ああいう人間どもであったか?
おのれの見た未来は、彼にとってはこの世の終りともいうべき地獄相であったが、さらにそれを変えて、曾《かつ》て夢みたその曼陀羅にあてはめて見ても、それは前者に劣らぬ地獄図であることを信長は感じた。
おれはあのようなやつらのために、新しき世界を生もうと悪戦苦闘して来たのか?
「やあめた」
と、彼はいった。そして、ふらふらと歩き出した。
「何を?」
果心はついて来て、梟《ふくろう》みたいな眼でのぞきこんだ。
「あのように生きることを」
果心は愕《がく》と身をのけぞらし、恐ろしいしゃがれ声でいった。
「それはならぬ。あなたさまは、あの女陰から見られた通りの世界で生きられねばならぬ!」
信長はふりかえり、はたと果心をにらみつけた。
「化物、触《さわ》るな。……おれはうぬのままにはならぬ」
「いや、ひとたび女陰で往生されたお方は、果心の心とは縁なく――」
「信長は、女陰などで往生はせぬ!」
彼は雷電のごとく叱咤した。
ふいにある衝動が彼をひっとらえた。あのような未来、二度と見とうはない。あれを見たのはまちがいであった。ちゃちゃの女陰などに入って逃れたのが、信長の運命の狂いのはじまりであった。幻法女陰往生など試みるべきではあらなんだ!
羽柴筑前の痩《や》せて皺《しわ》だらけの男根が浮かんだ。それは厚かましく、みるみる色濃く、大きくなって、彼の眼前に迫って来た。「かっ」と信長はまた嘔吐するような声をのどの奥からもらした。消えろ、下郎。
あれを消す。すべてを消す。おのれの未来を永遠に消す。――そのためには――
果心が執念ぶかく追いすがって来た。
「信長さま、どこへ?」
「本能寺へ。――」
「――な、なんと申される?」
「信長の未来は、信長のものじゃ。下郎、すざりおれ!」
信長は歩く。その足は、次第に、果心すらも及ばぬほどの早さになった。
黒煙が吹きつけて来る。熱気が面を打って来る。明智の軍兵が右往左往するのさえ見えて来た。果心すら立ちすくんでしまった修羅のまっただ中へ歩み入りつつ、しかもふしぎに軍兵たちには、死神みたいに信長の姿が見えないかのようであった。
すでに本能寺は巨大な坩堝《るつぼ》と化していた。飛びめぐり、吹きつのる火炎の中を、不動明王のごとく歩みつつ、信長の脳髄には何かが描かれ出した。
馬上、朱鞘《しゆざや》の大刀をぶちこみ、瓜《うり》をかぶりぐいに食いながら練り歩いていた少年時代から、桶狭間へ疾駆するおのれの姿へ。――彼は、そのとき歌った唄声《うたごえ》までもきいて、涼しげな笑みを浮かべ、それにいまの声を合わせていた。
「人間五十年、下天《げてん》のうちをくらぶれば
夢まぼろしの如《ごと》くなり
ひとたび生《しよう》を得て
滅《めつ》せぬもののあるべきか。……」
[#改ページ]
忍者 石川五右衛門
「淀《よど》の川瀬の水ぐるま、
たれを待つやら、くるくると」
小鼓《こつづみ》、太鼓とともに、さっきの美少年群にかわって、こんどは娘たちが踊り出した。少年たちの、紅梅の小袖《こそで》に金襴《きんらん》羽織をつけ、いらだか[#「いらだか」に傍点]の数珠《じゆず》をくびにかけ、腰に白鮫鞘《しらさめざや》の太刀《たち》を佩《は》いて、いっせいに金扇《きんせん》をひらめかす扇《おうぎ》の舞いも見物の女たちの胸にとどろをうたせたが、こんどの、紅《くれない》 摺《ず》りのくびり[#「くびり」に傍点]帽子をかぶり、秋草を摺った小袖に箔絵《はくえ》の太帯をむすんでかけ、芙蓉《ふよう》の造花をさしかざしていりみだれる娘たちの姿は、いならぶ侍たちのきもをとろかした。
「わが恋は、
月にむらくも、
花に風とよ」
笛に鉦《かね》の音《ね》が加わった。囃子方《はやしかた》はみな男たちである。
数年前、出雲《いずも》の巫女《みこ》あがりの阿国《おくに》という女が京の四条河原にあらわれて、念仏踊りという新しい群舞でひとびとを魅了した。踊り子は女ばかりで、調子が軽快で、きわめて官能的であったので、民衆はむろん公卿《くげ》大名まで夢中になったが、その結果、当然これの亜流が数多くあらわれて、なかでも佐度島正吾《さどがしましようご》とか村山左近《むらやまさこん》とか幾島丹後《いくしまたんご》とか、男名前の遊女の歌舞団の名がきこえ、それぞれのひいきをもったが、これもそのひとつ、甲賀織部《こうがおりべ》の一座であった。しかも、ほかの少なからず品のわるい一座とちがい、この甲賀織部の踊りのどこか気品のあるところが、とくに身分のたかい公卿や大名たちにひいきの多いゆえんであった。それは娘ばかりでなく、少年たちも加えたこと、また囃子《はやし》方の男たちが、能楽《のうがく》の本格的な素養があって、ひょっとすると武士あがりではないかと思われる雰囲気をもっていることにもよったであろう。
「光明|遍照《へんじよう》、十方世界、
念仏|衆生《しゆじよう》、摂取不捨《せつしゆふしや》、
なむあみだぶつ、なむあみだ」
いま、その一座の座長にあたる甲賀織部が舞っていた。名は男名前だが、はたちにも足りぬとみえる美少女であった。黒髪は兵庫髷《ひようごまげ》にゆいあげているが、純白の小袖、袴《はかま》すがたに雲竜《うんりゆう》をえがいた羽織をひるがえし、太刀をひらめかして獅子《しし》とたわむれている。獅子は白髪朱面の獅子がしらをかむっているので顔はわからないが、六尺におよぶ屈強の男だ。舞い狂う獅子のまえにとび、うしろにとぶ織部は、軽がると音もなくその獅子の頭上をこえた。
珠《たま》のような頬《ほお》、黒い花の咲いているような瞳《ひとみ》、真紅《しんく》の唇、まごうかたなき美しい娘でありながら、その全身からたちのぼる生気、人間業ともみえぬみごとな乱舞は、まるで女豹《めひよう》に似た野性があって、女たちはもとより武士たちも盃《さかずき》をとりおとして茫乎《ぼうこ》として見とれるばかりだ。
はや、ながい晩春の暮れが庭にちかづいているのにも気づかぬ見物の男女は、笛太鼓の交響のなかに恍惚《こうこつ》として、正面にいたこの城のあるじ「淀《よど》の方《かた》」さまが、いつしか姿をけしていることすら知らなかった。ましてや、横笛を吹いていたこの一座の若衆のひとりがきえていることに眼をとめる余裕はない。
唄《うた》にもある水ぐるまの音もものうい、文禄《ぶんろく》三年晩春の淀城である。
淀のお方がつれづれのままに、この甲賀織部一座を城によんで見物したのは、去年の秋ごろから、これで六、七度になるだろう。最初は、やはり太閤《たいこう》の側妾《そばめ》のひとりである三条《さんじよう》の局《つぼね》から紹介されたのだが、それがたちまち夢中になってしまったのは、この一座のおもしろさもさることながら、囃子方のなかに、水もしたたるばかりの美青年を発見したからであった。
去年の夏、太閤のたったひとりの子「お拾《ひろい》」をうんで、絶世の美貌《びぼう》にくわえ、太閤がまったく惑溺《わくでき》している第一の寵姫《ちようき》だが、彼女はたしかに浮気ものであった。二十八という爛熟《らんじゆく》の年でもある。一方、太閤も名だたる女好きだが、なにしろもう五十八だ。大坂城、淀城、また京の諸所においてある「松《まつ》の丸《まる》どの」とか、「加賀《かが》の局《つぼね》」とか、「三の丸《まる》どの」とかいう側室のあいだをかけずりまわっているが、一方では壮大な伏見《ふしみ》城を築いてこの春|竣工《しゆんこう》したばかりであり、さらに朝鮮では泥沼のような戦争をやっている。いかに大英雄といえども、淀の方ばかりにかかっているわけにはゆかない。彼女が欲求不満の状態におかれたのは当然のことであった。しかも、その天性もあり、生まれもあって、彼女はほかの側室のように決しておとなしく隠忍してはいなかった。先年も淀の方は、出雲の阿国一座をよんで、阿国の情人|名古屋山三郎《なごややまさぶろう》とおだやかならぬ風評をたてられたことがある。これは実はなんの根もないことであって、むしろ淀の方のほうでわざとそんな風評をながして太閤への警報を発したのだが、太閤はけろりとして、そんなうわさにとりあう様子はなかった。うぬぼれのほうも英雄的なのである。
それで淀の方も、とうとう、こんどは浮気の実行にうつった。太閤への抵抗もあるが、たしかにその若者の美しさにたましいがしびれたせいもある。はっきりと、その若者の方でも彼女に秋波をおくっていた。彼女がその横笛を吹く若者を寝所にまねきいれたのは、このまえに一座をよんだときが最初だ。なんといっても皺《しわ》だらけの太閤とはちがう青春の香気が、彼女にもういちどという欲望をいだかせた。
信貴城之介《しきじようのすけ》という若者に、淀の方がふたたび豊艶《ほうえん》なからだをまかせたのは、実に、その乱舞がおこなわれている大広間と襖《ふすま》一枚をへだてたとなりの座敷であった。大胆でも突飛でもなく、彼女がそうしたのには次のようなやむことを得ない理由がある。
もとより、淀の方が浅井長政《あさいながまさ》の娘として江州《ごうしゆう》小谷の城に住んでいた幼少時代からの老侍女二、三人のみが知っていて、ひそかに膳立《ぜんだ》てをととのえてくれたことである。閉じきって、わざと灯ひとつおかない部屋の豪奢《ごうしや》な夜具のなかに、絶世の美姫《びき》と笛吹きの美青年はからみあった。
女のようにすらりとしてみえても、はだかになってみれば、青年らしくきりりとしまった筋肉であった。そのかたい弾力でさえ、太閤とは雲泥《うんでい》の差なのに、そのうえこの若者は、なんといっても遊芸の一座の男のゆえであろうか、女のあつかいかたが、とろけ心地になるほどうまい。薄明《うすあ》かりのなかに、淀の方の四|肢《し》をのこるところなく愛撫《あいぶ》しつくしながら、容易に手を下さず、淀の方があえぎ、のぼせて、はては半狂乱になって、
「城之介……城之介……」
と、うめいた口をおさえた。となりでは笛と鉦と鼓との囃子《はやし》が最高潮であった。
「お方さま、こんどこそは、例のものを――」
城之介は淀の方の耳たぶにあつい息を吐いてささやいた。
「そなたが、強《し》いてのぞむゆえ」
と、淀の方は、この場合になお頬にくれないをちらしてうなずいた。
それから淀の方は、何が起ったのかわからなかった。いや、城之介のために、骨も肉もしびれわたる悦楽の頂点にはこばれたことはおぼえている。城之介自身も、このまえにはもらさなかった快美のうめきをあげたのもおぼえている。そして、ひくい獣《けだもの》めいたふたりの声と、浮きたつような念仏踊りの囃子をぬって、閨《ねや》のおくから――いや、彼女の肉体のおくから、この世のものならぬ微妙な音が、珠をころばすような甘美なひびきをたててながれ出したのもおぼえている。そのあとがわからないのだ。
どれほどのときがたったか。――淀の方は眼をあけた。
「もし、お茶々《ちやちや》さま」
「お方さま!」
その呼び声がいちどうっとりと耳にしみこんでいって、つぎに思いがけぬ不快感がからだじゅうににじみ出した。まるで何かわるい酒でものんだあくる朝のようなきもちであった。横をみると、あの美しい若者信貴城之介はいない。
「あれは……どうしやったえ?」
と、淀の方はかすれた声でいった。老女たちは不安そうにいった。
「あれは、甲賀織部の一座とともに、もはや一刻もまえにお城を下ってございます。お方さまにはようお眠りあそばしておりますゆえ――と、申してゆきましたが」
「さりながら、いつまでもここに御寝《ぎよし》なされておりますわけにはまいらず――」
淀の方は、このとき何となくいままでとちがう感覚を肉体のおくにかんじて、閨《ねや》のなかでおそるおそる手を下腹部にのばし、ふいに愕然《がくぜん》として起きあがった。
「あ、……」
幼女時代から育ててくれた老女たちのまえとはいいながら、二十八になる一城のあるじともいうべき美姫が、あまりにしどけなく、はしたない狼狽《ろうばい》ぶりであった。しかし、彼女は、恥ずかしさも醜くさも一瞬にけしとぶほどの驚愕《きようがく》にうたれたのだ。
「ばば……あの楊貴妃《ようきひ》の鈴がない!」
悲痛な声であった。老女たちの顔も土気《つちけ》いろにかわった。
「あのお鈴が失《う》せておりますと?……どこぞそこらに――」
「いいえ、そんなにむやみにころがりおちるようなものではありません。指さしいれてとらねば……」
その言葉の意味する凄《すさま》じい淫猥《いんわい》さを、淀の方も老女たちも意識しなかった。それどころではない。老女のひとりがふるえながらいった。
「殿下は、七日のちにお成りあそばしまする」
七日のちに、太閤がやってくる。そのとき、楊貴妃の鈴が紛失しているのに気がついたら?――いや、気がつかないはずはない。太閤はその鈴の音をたのしみにやってくるのだ。
「城之介め……あ、あやつが――」
と、淀の方は眼を宙にこらし、歯をくいしばってうめいた。あの最中《さなか》に気がとおくなったこと、いまのからだにのこるうすきみわるいけだるさ――あの笛吹きの若者は何かけしからぬ薬でもかがせたものに相違ない。
「いかにあの鈴を欲しゅう思ったとはいえ――いかに芸人|風情《ふぜい》とはいえ――大胆な!」
ふいに狂気のようにさけび出した。
「あの男を斬《き》ってたも! あの男をとらえてたも! 楊貴妃の鈴をとりかえさねば、わたしのみならずそなたらも、首をならべて殿下の御成敗《ごせいばい》を受けねばなるまいぞ!」
「何という大《だい》それた――あの若者が――」
と、老女たちはなお茫然《ぼうぜん》としていたが、すぐにわれにかえった。女主人のいうとおりだ。曾《かつ》ての名古屋某との笑話に似たいたずら細工ではない。あの鈴をとられたということは、淀の方の密通をさらけ出すことであり、同時にこの女主人のだだッ子に似た不貞を、たとえ心すすまずとはいえ、じぶんたちが手助けした以上は、じぶんたちが太閤からうけるとがめは、淀の方をこえる酷烈なものであるとは容易に想像されることであった。
それにつけても、いかにふだんから貴顕堂上に出入りしている舞楽の一座とはいえ、かんがえてみればその素性をよくも知らなかったことが、いまにしてくやまれる。これはあの若者の出来ごころか。一座のものの知らぬことなのか。そうでなくて、もしも別の――ほかの御側妾《おそばめ》からまわされた手による行為であったとすると――老女たちの背に、戦慄《せんりつ》がはしった。
うろたえて立ちあがりながら、はたととまどったのは、この女主人の罪ふかい大秘密をめったな者に知られてはならぬということだ。しかも、ことは一刻の遅延もゆるさぬ。
「だれか、腕におぼえのある者どもを――」
「丸目七兵衛《まるめしちべえ》……小松蔵人《こまつくらんど》……宇多伴蔵《うたばんぞう》……松田十郎左《まつだじゆうろうさ》……寺西孫助《てらにしまごすけ》、などか」
「よし、その五人にいそぎ追わせましょう」
「そして、ぶじにとりかえして参ったら、ふびんながらみなに一服盛って、口なしにしてつかわすよりほかはござるまい」
老女たちは口から泡を吐いてささやきかわし、つんのめるように四方にかけ出していった。
あとに淀の方はこめかみを両掌《りようて》でおさえて、致命的な不倫の匂《にお》いののこる閨《ねや》につっ伏した。
彼女が、乱舞狂楽の大広間と襖一枚をへだてた座敷を密通の場所にえらんだのは、実に「楊貴妃の鈴」をつかい、しかもその音《ね》を踊りの交響のなかに消し去る目的以外の何ものでもなかったのである。
茫々《ぼうぼう》たる水の上に、春のおぼろ月がかかっていた。みわたすかぎり、幻のようにゆれているのは蓮《はす》の葉であろう。水を吹く風には、泥の匂いがした。
このあたり――古来から桂川《かつらがわ》、宇治川《うじがわ》が合して生み出した巨椋池《おぐらのいけ》という一大湖沼地帯を、太閤秀吉が埋めたて、東西南北に分断して、大和《やまと》街道をつくり、淀堤《よどづつみ》をきずいたのは近年のことだから、美しい風物ながら、どこかまだ荒涼たる気配もある。桂川を西南にながすために、巨椋池のあいだにきずいた大坂街道にも、なまぬるい泥の匂いが吹いていた。
「おおおいっ」
呼び声が風にのってきたのは、左の桂川、巨椋池からきりはなした右の横大路池にはさまれたその大坂街道を、うしろから追ってくる蹄《ひづめ》の音をきいて、甲賀織部一座がふとたちどまって、しばらくたってからであった。総勢四十数人――その大半は、例の美少年や美少女ばかりだ。
「しまった」
ふりかえって、狼狽した態《てい》にみえたのは、信貴城之介だ。
「淀の奴らだな。ねむり薬のさめかたが早すぎた。もう、京から迎えにくるはずだが、まにあわぬ、にげよう」
とみなをふりかえったが、一座がなおふしんげに耳をすませてたたずんだままなのに、いらだって、二、三歩じぶんだけさきににげかけたが、すぐにかけもどってきた。
「これ、織部、わしといっしょににげてくれ。あの追手につかまると命はないぞ」
「なぜでございますか。あなたは淀のお城で、何をなされたのでございますか」
と、一座の座がしら、甲賀織部はおちつきはらっていった。座がしらとも見えぬていねいな言葉づかいであった。
「主命により、淀どののいのちより大事なものを盗んできたのだ」
「主命? とは、北条《ほうじよう》家の?」
そう織部がきいたのは、この信貴城之介が以前からの仲間ではなく、半年ばかりまえに横笛一管をもって一座に加えてくれるようにたのみにきた男で、そのときたしか秀吉《ひでよし》にほろぼされた北条家の浪人だといったからであった。
「北条ではない。ええい、いま左様なことを話しておるいとまはない。とにかく、織部、わしといっしょに京へにげるのだ」
と、織部の手をつかんだが、そのとき蹄の音はもうすぐうしろに迫り、おぼろ月に五つの影が砂塵《さじん》のなかにうかんできていた。
「おおおい、待て――そこの一同」
あわてて左右にひらく一座のなかにつっこんできた馬はみな泡をかんでいる。
「やはり、甲賀一座だな」
「信貴城之介という笛吹きはおるか」
これも息せききっていう五人の武士のまえに、信貴城之介は月に蒼白《あおじろ》く観念した顔をあげてすすみ出た。
「城之介はわたしでござります」
「うぬか。――これ、うぬが先刻お城より盗みとったものをかえせ」
「わたしが、何を」
「白《しら》ばくれるな。楊貴妃の鈴と申す天下の重宝だ。よくも、よくも――これ、織部、うぬはこの若僧が淀のお城から大それた盗みをはたらいてきたことを承知の上か」
「いいえ、これは、このごろ一座に入ってきたばかりの男でございますゆえ」
と、織部はおどおどして首をふる。
「ええい、それにしても、うぬらにもあとでかならずおとがめがあろうぞ。やい、城之介、うぬはこのごろ京洛《きようらく》をなやます大盗|石川五《いしかわご》右衛門《えもん》の一味でもあるか。さもなくて出来心とあれば、いのちだけはたすけてとらす。早う、その鈴を出せい!」
と、わめいた宇多伴蔵の馬が急に竿立《さおだ》ちになって、伴蔵がどっと地上にころがりおちた。城之介がいきなり馬の両脚を一刀でなぎはらったのである。伴蔵が地上におちると同時にこれに斬《き》りつけ、それとみていっせいに馬からとびおりた四人のうち小松蔵人をそのまま地に這《は》わせたのは、顔に似合わぬ信貴城之介の手練であった。
「こ、この曲者《くせもの》――」
「もはや、容赦はせぬぞ!」
のこる三人の武士は、憤怒《ふんぬ》に満面を黒ずませ、三方から城之介をとりかこんだ。さすがに淀城からとくにえらび出された剣士だけはある。油断さえしなければ、いまの不覚は二度とみせなかった。凄《すさま》じい矢声とともに、刀身と刀身がかみあった次の刹那《せつな》、城之介のみだれた鬢《びん》からひとすじの血がしたたり、三人と一人、討手は前後|挟撃《きようげき》の位置にかわっている。
「助勢――だれか、助勢をたのむ」
池を背にして左右に血ばしった眼をくれながら、信貴城之介はうめいた。甲賀一座はひっそりとかたまって、この死闘をみているばかりだ。城之介がそうさけんでも、仲間のよしみに助けに出る様子はなく、彼が盗みをはたらいたからときいても、淀の城士に加勢する気配もない。芸人一座だから、気死しているのかもしれない。
「死ね」
南側のひとりが絶叫すると同時に、北側のふたりが猛然として刃《やいば》をあげかけて――ふいに、はっとしてうしろをふりかえった。
京の方角から、また鉄蹄《てつてい》の音をとどろかせて疾駆してくるものがあるのだ。しかもそれは五騎や七騎ではない。海鳴りのような地ひびきであった。
「迎えがきた! 迎えがきた!」
信貴城之介は狂喜してさけんだ。うろたえた南側の丸目七兵衛が、思わず刃を動揺させたのに、びゅっとその頬へ刀身をおくってくる。小豆《あずき》をたたくような音とともに七兵衛がのけぞるのをみて、北側のふたりが、もはや騎馬のもみあう影のみえる方角へはしりかけたのは、よほど動顛《どうてん》したものであろう。
「そやつをのがすな、斬りすてろ」
と、城之介がさけんだ。
躍りかかってきた先頭の馬のまえに、血けむりと砂けむりがあがり、淀の城士寺西孫助と松田十郎左の姿は消え、馬のむれは相ついでとまった。三十騎はたしかにいたろう。そのなかから二、三人ばらばらととびおりて、
「信貴どの、例のものは?」
「たしかに頂戴《ちようだい》した」
と、城之介はにっと白い歯をみせて、甲賀一座の方をするどい眼でふりかえった。
「おい、この半年ばかり、よう世話をしてくれた。もはや察するように、わしは浪人者ではない。関白秀次《かんぱくひでつぐ》公の家臣だ。そなたらも世上の風聞で知っておろう、わが殿秀次さまと太閤殿下のおんなかにこのごろおだやかならぬ雲のかかっておることを。しかと殿下のおんあとつぎとして、すでに関白をすらゆずりうけられた秀次さまを、なにゆえいまさら殿下が遠ざけられはじめたか。申すまでもない。それはお拾君《ひろいぎみ》を生んだ淀の方のせいだ。なにゆえ殿下があれほど淀の方におぼれあそばすか。それは淀の方の体内にある楊貴妃の鈴の魔力だと、ようやく知った。それをうばうことによって、淀の方の寵《ちよう》はおちる。しかも淀の方は、いかにして鈴をうばわれたか天下に公《おおやけ》にするわけにはゆかぬ。ただ殿下のみはそのゆえんを知って、あの女狐《めぎつね》を成敗《せいばい》あそばさずにはいられまい。そしてお拾君の出生にさえ、疑惑の目をむけられることは必定《ひつじよう》であろう。要するに、これで天下はふたたび関白さまのものにもどる。――その大事の奥底に鳴る楊貴妃の鈴、それを盗みとりたいばかりに、権門に出入りするそなたら甲賀一座の隠れ簑《みの》をしばし借りたのだ。いや、あの女狐に鈴をつかわせるのに、一座の囃子《はやし》が入用であったことまで、役にたった、礼をいうぞ」
半顔をそめる血をぬぐって、またにっとしたのがおぼろ月にぞっとするほど凄艶《せいえん》であった。
「礼は申すが、ここまできかせた以上、きのどくだがおぬしら一同、もはや生きて京へかえすわけにはゆかぬ。死んでもらわねばならぬ。迎えの三十騎は、実はそなたらを冥土《めいど》におくるためのものであったよ。場所も場所、蓮《はす》の生いしげる池のそばだ。屍骸《しがい》はことごとく蓮の底に沈めてやろう。ただ――織部ひとりをのぞいては」
このあいだ騎馬隊のなかばは、茫然たる甲賀一座のまえを南へとおりぬけて、はやくもその方角をふさいでいた。城之介は自信にみちた美しい笑顔で、
「織部、きやれ、そなただけは殺しとうない。いいや、わしといっしょにくらすのだ。わしほどのものをぞっこん惚《ほ》れさせたそなたは倖《しあわ》せ者だ。楊貴妃の鈴をうばった手柄にこれを頂戴し、そなたの体内にいれて末ながく可愛がってやろう」
「そうは参らぬ」
織部ではなく、そのうしろから錆《さび》をふくんだ声がして、ひとりの男がすすみ出た。騎馬隊がどよめいた。その男はいつのまにか獅子《しし》がしらをかぶっていた。
城之介はちょっと口をあけた。しかし、すぐそれが、淀の城で織部と乱舞した男――一座の名こそ花形甲賀織部をつかってはいるが、その実この一座のまことの座がしらともいうべき甲賀|丹波《たんば》という男であることを見ぬいた。
「丹波か」
「いや」
「なんだと?」
「おれの名は、石川五右衛門」
信貴城之介は、あっとさけんで棒立ちになっていた。石川五右衛門とは、この数年間、京洛、大坂、奈良、堺《さかい》などにかけて、かならず大名屋敷、神社仏閣、富商のみを襲い、しかも名のみきこえて、だれもその姿をみたもののない稀代《きだい》の群盗の首領だったからだ。
甲賀丹波がふしぎな男だということは感じていた。若々しく陽気な甲賀一座のなかにあって、実質上の統率者とはいえ、まるで黒い巌《いわ》みたいに重厚で寡黙《かもく》な男である。髪もながく月代《さかやき》をのばし、あごは青あおとして、年は三十七、八であろうか、どうしてこの男がこんな面白おかしい一座をくむ気を起こしたのか、そのなりゆきがふしぎであった。しかし城之介は、この丹波が座がしらの織部という娘をみるときだけ慈父のような眼になり、またそのものごしがこういう賤《いや》しいなりわいにかかわらず、まるで姫君に対する家臣のようなところすらあるのをみて、おそらくこの織部はむかしひとかどの武士の娘で、丹波はその家来筋のものではあるまいかとみていた。興亡浮沈ただならぬ戦国の世に、あてどもなく漂泊し、底しれず落魄《らくはく》していった名家の子女は数しれぬだけに、このなりわいの着想と丹波の態度に、むしろ感じ入っていたのである。もっとも城之介はくわしくそうと探ったわけではない。探ることは、探られることだ。彼はただ横笛の名手としてころがりこんだだけで、じぶんの素性を知られたくはなかったし、それに目的さえ達すれば、いかに感服しようと、この一座のものどもすべて討ち果たすつもりで、それまでの縁だとかんがえていた。丹波もほとんど城之介と口をきいたことはなかったが、ふだん口数のすくない男だったからそれをあやしみもせず、むしろありがたいことだと思っていたのだ。
その甲賀丹波が、兇悪|無惨《むざん》の大盗の首領であったとは!
いままでこの一座と居《きよ》をともにしていながら、城之介は夢にも気づかなかった。かんがえてみれば、居をともにしていたからこそ、かえって眼をくらまされていたといえる。丹波は夜な夜なこの一座のうちの数人、十数人をたくみにぬきとって、群盗の一団を編成していたものに相違ない。それにしても、じぶんほどのものに、まったくそれを感知させなかった神出鬼没ぶりに舌をまくと同時に、じぶんだけには感知させなかったこの男の心事に想到して、城之介はぎょっとした。――この男は、最初からおれの素性、目的を読んでいたのではないか?
「そのとおりだ」
獅子がしらは、いままさに城之介の心を読んだようにいった。
「それはな、うぬに淀の方から楊貴妃の鈴を盗みとらせるためだ。いかな五右衛門も、太閤第一の寵姫《ちようき》の女陰から盗み出すのははばかられての」
声が、笑っている。
「ようはたらいてくれた。礼をいう」
「斬れ、斬れ!」
恐怖と怒りに信貴城之介は美しい顔をねじれさせて絶叫した。
水にはさまれたひとすじの大坂街道、その前後をふさいだ騎馬隊がいっせいに抜刀してうごきかけて、このとき先頭の馬がいなないて、大きく前脚をあげた。人のみならず、馬もその眼をうたがったに相違ない。――街道の上にひとかたまりになっていた四十人あまりの人影が、まるで月光にけぶる霧のようにながれた。東へ――水の上へ。
「あっ」
彼らは水の上をあるいてゆく。散ってゆく。その足が、横大路池に浮かぶ蓮のまるい葉を飛石みたいに軽がるとふんでゆくのが、うすぐらい月のひかりにみえたか、どうか。たとえみえたとしても、関白一派の侍たちの喪神《そうしん》ぶりはかわらなかったにちがいない。
甲賀丹波と甲賀織部だけが路上にのこっていた。ぽかんと口をあけた信貴城之介をはさんで。
――織部がつぶやいた。
「忍法、浮寝鳥《うきねどり》。――」
むずと丹波が城之介の手をつかんでいった。
「楊貴妃の鈴をもらおうか」
城之介は憑《つ》かれたようにふらふらと、ふところからとり出したものをわたした。それをうけとって、丹波が、これまたすうと水の上にすべり出したのをみると、ふいに愕然《がくぜん》とわれにかえって、甲賀織部にむしゃぶりつき、ふりかえって、
「鉄砲、鉄砲はないか!」
といった。鉄砲までは用意してきていなかったが、騎馬隊もはじめて喪神《そうしん》からさめたようにどよめきかけた。
このとき甲賀丹波は、まるで水をのむ獅子のように獅子がしらをかたむけていたが、ふたたびあげた金色の歯のあいだに、蓮の葉を一枚くわえていた。それが口のなかに吸いこまれると、例の錆《さ》びた声が、
「もとより、楊貴妃の鈴がわれらの手に入ったと知られては、これからさきの用が果たせぬ。きのどくだが、おぬしら一同、もはや生きて京へかえすわけにはゆかぬ。死んでもらわねばならぬ」
気がつくと、その左右にいずれも獅子がしらをつけたむれが、獅子の一族のごとくその口に蓮の葉をくわえていた。
「場所も場所、蓮の生いしげる池のそばだ。屍骸はことごとく蓮の底へ沈めてやろう」
その声のきえ去らぬうち、口から蓮の葉が虚空《こくう》にとんだ。同時にほかの獅子の口の蓮もひらひらと怪鳥のつばさのごとく風にのって、もみあう馬の顔に、人の顔に、ひたとはりついた。凄じい悲鳴があがった。人も馬も、顔がもえたかと思われる灼熱《しやくねつ》のふたをされたのだ。甲賀丹波の陰々《いんいん》たる声がながれた。
「甲賀忍法、天華往生《てんげおうじよう》。――」
いななきと苦悶《くもん》の絶叫のうちに、馬影は狂奔して、水しぶきをあげて池におちた。もがきぬくその人馬の頭上へ、白鷺《しらさぎ》のような影が水をすべってきて、閃々《せんせん》と刃をひらめかした。あの美少女のむれである。たちまち、月光にも一帯の水面が血と泥に黒くかわった。
名状しがたい声をあげて、この夢魔の世界からにげ出そうと身をひるがえす信貴城之介の袖《そで》を、甲賀織部がつかんだ。
「そなたはわたしを助けたがったが」
城之介の顔すれすれに織部の眼が黒い炎のようにひかり、笑う息が匂った。
「わたしはそなたをゆるさぬ。よう甲賀織部をだました気でおったな。笑止なたわけよ」
そして、或《あ》るときにはじぶんに恋しているのではないかとうぬぼれたこともある城之介の美しい顔を、この女豹《めひよう》のような娘は一太刀のもとに真一文字に斬りさげて、あともふりかえらず水の上へすべり出た。
一瞬に死のしずけさにもどった街道とそのほとりの池から、くらい月光の下を妖々《ようよう》と、水煙のごとく巨椋池《おぐらのいけ》の方へわたってゆく一座のなかで、ただ歓喜にみちた織部の声がいちどきこえた。
「五右衛門、とうとう楊貴妃の鈴を手に入れたな。おまえはそれをどう使う?」
その返事は、水の音のなかによくきこえなかった。
唐《とう》の白楽天《はくらくてん》は、月白き秋夜、江心をただよう琵琶《びわ》の弾声をきいた。孤舟に琵琶をいだく一女人の指が、その絃《いと》をかるくおさえ、ゆるやかにひねり、つまんではまたはねるにつれて、絃はすすり泣きはじめ、しだいに高潮していった。――
大絃《たいげん》ハ|※[#「口+曹」、unicode5608]々《そうそう》トシテ急雨ノ如《ごと》ク
小絃ハ切々トシテ私語《しご》ノ如シ
※[#「口+曹」、unicode5608]々ト切々ト 錯雑《さくざつ》シテ弾《ひ》キ
大珠 小珠 玉盤ニ落ツ
間関《かんかん》タル鶯語《おうご》 花底ニナメラカニ
幽咽《ゆうえつ》スル泉流《せんりゆう》 氷下ニナヤメリ
氷泉ハ冷渋《れいじゆう》シテ絃ハ凝絶《ぎようぜつ》シ
凝絶シテ通ゼズ 声シバラク歇《や》ム
別ニ幽愁ト暗恨ノ生ズルアリ
コノトキ声ナキハ 声アルニマサル
銀瓶《ぎんぺい》タチマチ破レテ水漿《すいしよう》ホトバシリ
鉄騎突出シテ刀槍《とうそう》鳴ル
曲オワリ撥《ばち》ヲオサメテ心《むね》ニアタリテエガク
四絃ノ一声 裂帛《れつぱく》ノ如シ
この『琵琶行《びわこう》』が女人のからだで奏《かな》でられる。女陰のなかに繊細な絃が張られているかにきこえる「楊貴妃の鈴」――まさしく楊貴妃がこの鈴をつかったかどうかはわからないが、たしかに名はそれにふさわしかった。事実|支那《しな》からわたってきて、足利《あしかが》家に代々つたわったものというから、あの応仁《おうにん》の大乱をひきおこした妖姫日野富子《ようきひのとみこ》などはたしかにこれをつかったものに相違ない。そして戦乱のうちにこの鈴は転々とながれて、いつのころからか甲賀に住む一族甲賀|兵部《ひようぶ》の家につたえられた。しかし――
今を去る十二年前――天正九年九月、天下|布武《ふぶ》の大望にのり出した織田信長《おだのぶなが》の鉄蹄《てつてい》のもとに、甲賀、伊賀に住む数十の豪族は、必死の抵抗もむなしく徹底的な蹂躙《じゆうりん》をうけてほろび去った。そして、甲賀兵部の家とともに、「楊貴妃の鈴」もいずこかへ消えうせた。
それが、いま太閤第一の寵姫淀の方のもとにある。それを甲賀丹波と甲賀織部が知ったのは二、三年前のことである。丹波は甲賀兵部の遺臣であり、織部は兵部の娘であった。
いま京洛のうららかな昼に舞い、暗澹《あんたん》たる夜、群盗の女首領として刃をひっさげて大路をひた走りつつ、織部はときどき甲賀の山々をうっとりと恋しがることがあった。重《ちよう》 畳《じよう》たる山岳をながれる白い雲や、ひょうひょうと草に鳴る風の声を。
その自然のなかで、丹波と彼をめぐる遺臣やその子たちの恐ろしい鍛練がおこなわれた。猿《ましら》のように樹々《きぎ》をわたる。滝壺《たきつぼ》に身をおどらせる。野火や雪のなかをはだかで走る。――そして、森のおくに、外部からは絶対にそれとみえぬように築かれた砦《とりで》のなかでは、水をふくんだ唐紙《とうし》の上をあるいたり、あるくにしたがって畳をはねあげていったりする術が教えられた。いずれも甲賀、伊賀にふるくからつたえられる忍法の基礎訓練である。
それから、もっとすすんで、彼らの練磨は呪術《じゆじゆつ》魔法ともいうべき超人的な技《わざ》の域に入った。まさに血汗をしぼる苦行の連続である。死んだものは、からすの餌《えさ》になった。
それはそのときにはじまった修行ではない。甲賀、伊賀の忍法者の家では、その難易方法の如何《いかん》をとわず、以前からおこなわれてきたことである。ただそれが凄惨《せいさん》ともいえるまでに酷烈の度をましたというだけであった。そして、家がほろんだとき七歳であった織部は、それを凄惨とも酷烈とも思わなかった。幼い肉体はその修行を天然のものとして受け入れたし、幼い魂は甲賀丹波の力づよい愛護のまなざしにくるまれていたからだ。彼女は丹波を家来とはかんがえなかった。きびしい父とも思い、やさしい兄とも思っていた。
数年前、彼らは山を出た。そして念仏踊りの一座としてしばらく諸国を放浪したのち、京洛に入り、昼は歓楽の一座、夜は大盗の一団となった。なんのために盗みをはたらくのか。うばいとった財宝をひそかにおさめていたのは最初のうちだけで、まもなくそれはこれまたひそかに窮民にばらまいてゆくようになった。丹波の方針である。だから織部は、はじめは家再興のための盗みかと思い、あとでは復讐《ふくしゆう》のための賊かと思った。天下をすべる太閤は、甲賀をほろぼした織田の一部将であったからだ。彼女にとってはどうでもよかった。織部はじぶんの乱舞に酔い、そしてひとの血に酔った。どちらかといえば、あとのものの方に魅惑をかんじていた。
――いま、甲賀織部と丹波は、巨椋池《おぐらのいけ》のほとりにたたずんで、深夜の伏見《ふしみ》城をあおいでいる。もとより彼は、獅子がしらをすてている。配下はすでに京のねぐらに去って、あたりに人影はなかった。黄金を鑠《と》かしてぬったといわれる大天守閣の甍《いらか》が、おぼろ月の下に幻のように微光を発してうかびあがっていた。
「丹波、楊貴妃の鈴をどう使う?」
織部はもういちどきいた。丹波は依然としてだまって、暈《かさ》をかぶった城を見あげたままだ。
ややあってこたえた。
「あれはもともと甲賀家のもの、それをとりかえしたまででござる」
「それでは、わたしのものか」
「左様でござります」
「それではわたしが使ってもよいのか」
丹波は織部をふりむいて苦笑の顔がふっと苦渋《くじゆう》の顔にかわった。その表情をどうとったか、織部は丹波の肩に白い手をなげかけ、全身をすりよせてあつい息でいった。
「おまえがわたしに使っておくれ」
「…………」
「わたしをおまえのお嫁にしておくれ」
「…………」
「踊りもたのしい。人を殺すのもたのしい。けれど、おまえの花嫁にしてくれなければ織部はたのしゅうない。この鈴は、いつものように貧しい人にあたえてもしかたがあるまい。いったいなんのために、おまえはこの鈴を欲しがったのじゃ?」
大盗石川五右衛門の一党は、好んで、公卿《くげ》、大名、豪商の奥方、娘、愛妾《あいしよう》などを犯した。織部はしばしばそれを目撃していた。しかし、首領の丹波がみずからそのふるまいに出たのをいちども見たことはない。それのみか、丹波はいっさい女を断つという悲願をたてているかのようであった。とはいえ、織部はしばしば男と女の秘戯を見た。それはむしろ凄愴《せいそう》の感をあたえる場合が多かったが、それゆえにその印象は織部の野性をゆさぶり、赤い血をどよめかした。犯された女をあとで刺し殺すのはたいていの場合は彼女だった。ただ織部がいままで処女でいられたのは、むろん彼女をめぐる男が家来ばかりだったせいもあるが、それより織部がいつしか丹波を愛するようになっていたからである。七歳の童女であった織部は、十九の娘に成長していた。
そして、なんのはずみか――石川五右衛門のつぎに狙《ねら》っているものが「楊貴妃の鈴」であることを知り、それがどんな鈴であるか、配下のひとりにむりにせがんできき出してからは、彼女は勝手に、丹波が女人《によにん》を断つのはその鈴を手に入れるまで、その鈴を手に入れたらじぶんに使ってくれるのだと妄想《もうそう》しはじめたのであった。
「丹波……丹波……」
若々しい、生気にみちた息吹《いぶき》から、からくも顔をそらした丹波の眼には苦悶《くもん》の翳《かげ》があった。織部のひとみは女豹《めひよう》のように青くひかった。
「丹波、おまえはわたしがきらいか」
「なにしにもって!」
思わず丹波はさけんだ。が、すぐにもちまえの青銅のような表情にもどって、
「織部さま、あなたは丹波の望みをきいて下さりましょうか」
と、ひくい声でいった。
「きく。なんでもきく。おまえのためとあれば、織部、五体を裂かれてもいとわぬぞ」
うなずいた織部のまなざしは可憐《かれん》なばかりに純粋な恋の炎にもえあがった。丹波の頬《ほお》にまたかなしみに似た奇妙な翳《かげ》がただよった。
「あなたさまは、拙者がなにゆえ盗賊などをはじめたかご存じでござるか」
「甲賀家再興の軍用金をつくるつもりであろう」
「はじめはそのつもりでおりました。それどころか、十幾年かむかし、甲賀の山上では天下をとる夢さえ見ました。いまの太閤といえども、もとは野武士の小童《こわつぱ》だったと申すではございませぬか。それが――」
「それが?」
「そのために、富家豪商に押し入るにつれ、彼らの豪奢《ごうしや》とちまたの庶民とのあまりなちがいが眼に灼《や》きつくようになりました。町人百姓どもは太閤の朝鮮役、大名らの城づくりに虫のごとく這《は》いまわって苦しんでおります。それゆえ、一方では太閤大名らをおびやかし、一方では百姓町人を救い――」
「それはわかっておる。わたしにはおまえのすることはなんでもよいわ」
「そしてとうとう太閤を斃《たお》さねば、民のこの塗炭《とたん》の苦しみはきえることはないと思うようになりました」
「太閤を殺すことなど、おまえには赤子《あかご》のくびをしめるようなものであろう。そしておまえが天下をとればよい」
「ところが、太閤を殺したとて、民の苦しみはきえぬ。太閤が死ねば、世はいよいよ乱麻《らんま》の巷《ちまた》となり申す。天下をすべるものは、やはり太閤一人あるのみ。――そのことが丹波、ようよう相わかってござる」
「…………」
「太閤の人間をかえねばならぬ。太閤の心をうごかさねばならぬ。この朝鮮役、この大土木をやめさせねばならぬ。もしこれをなせば、甲賀丹波の男一代、生まれて甲斐《かい》あるものとすら考えるようになりました」
「丹波、どうして太閤をうごかす?」
「――女でござる。やさしい女の魂でうごかすのでござる。すでに淀の方は太閤をうごかしておるではございませぬか。京に聚楽第《じゆらくだい》あり、大坂に大坂城あるに、なおこの地上の竜宮《りゆうぐう》ともいうべき伏見城を築いたは、大坂の城に住む北《きたの》 政《まん》 所《どころ》にくらべて淀の城の小さいに不服の淀どのが、太閤にせがんでつくらせたものと申すではありませぬか」
「それでは淀の方にたのむのか」
「いや、あの女はいよいよ民を苦しめる天性の妖姫《ようき》でござる。それよりも――」
甲賀丹波は声をのんで、織部の顔を見まもった。さっき笛を吹いてみずからおどった愚か者を唐竹割りにしたともみえぬ、天使のような顔である。じぶんの声を音楽でもきくようにうっとりときいて、その真意にはまだ気がつかぬあどけない表情であった。
「三日のち、京の三条の局《つぼね》のところへ一座が招かれており申す。たしか、その日太閤もそこへ参るはず」
三条の局は、やはり太閤の側妾《そばめ》のひとりだ。しかし丹波の言葉のすじが急にかわったので、織部はあっけにとられたように眼を大きく見ひらいたが、すぐに、
「淀の城の件は大事ないか」
「大坂街道には討手と笛吹きの屍《かばね》が相討ちのごとくころがっているだけでござる。こちらにかけあってきたとて、とんと存ぜぬとそらとぼけても、盗まれたものがもの、淀の方はあたふたするよりほかはござるまい。それで、三条の局のところで、織部さま、どうぞ当日肌の透《す》いてみえるほどな薄衣《うすぎぬ》をまとって舞って下されい」
「薄衣を――それで?」
「それで、あなたさまが、太閤の眼にとまりまする」
織部は面上を鞭《むち》でうたれたようにとびさがった。凝然と丹波の顔を見つめていたが、やがていった。
「わたしに太閤の側妾になれというのか!」
「左様、天下のために」
甲賀丹波は、しぼり出すような声でいった。
「あなたさまには太閤をうごかしていただきたいのでござる。いいや、太閤をうごかす女人はあなたさまよりほかにないと、丹波は見込んでござる」
これほどいのち[#「いのち」に傍点]にあふれた美少女がどこにあろう、と丹波は思った。それはこの一、二年、織部が花粉の匂いのむれたつような娘になってから、彼の魂をひたしてきた思いである。そして丹波は、この織部なら、かならずあの鈴が鳴るだろうとも信仰にちかい見込みをつけていた。「楊貴妃の鈴」はどの女にも鳴るわけではない。いかなる美女であっても、微妙芳烈きわまる肉体の所有者でなければ、あの悩ましい琵琶《びわ》の音《ね》を奏《かな》でないのであった。太閤が淀の方だけにつかって、そして淀の方の寵《ちよう》がもっともふかいのはそのゆえであると知っていた。
「そして、太閤にその鈴をつかって下されい」
織部がだまっているので、丹波の方がたまりかねてまたいった。
「その鈴をどこから手に入れたかと太閤にきかれたら、関白の家臣|信貴《しき》某より踊りの纏頭《はな》にもらったと申されい。その一言で、妖姫淀の方と殺生《せつしよう》関白は両|成敗《せいばい》になるは必定、それよりもあなたさまが、鈴の力によって理も非もなく太閤第一の寵姫《ちようき》となられるのは必定でござります」
織部はかけよってきて、いきなり丹波の頬をうった。丹波は銅像みたいに動かないでいった。
「丹波の望みはこれでござる」
織部はよろめき、沈黙し、ふるえながらいった。
「それで、おまえは男として生まれてきた甲斐《かい》あることになるのか」
「さ、されば――」
織部は顔をあげた。その眼と頬と唇は涙にぬれ、城よりも妖《あや》しいひかりをはなち、丹波ほどの男に恐怖をさえ抱かせた。しばらく天地は暗い水の音と蘆《あし》を吹く風の声ばかりであった。やがて織部は眼を天守閣へあげてつぶやいた。
「わたしが太閤の心を盗む。――そしてほんとうに天下を盗むものは、丹波、おまえになるのじゃな」
雪洞《ぼんぼり》のひかりにまるく浮かびあがった格天井《ごうてんじよう》に織部のひとみはむけられていたが、その五彩をちりばめた華麗さをまったくみてはいなかった。金襴《きんらん》のへり[#「へり」に傍点]をつけた猩《しよう》 々緋《じようひ》のたたみ、骨は黄金で、紙のかわりに紅紗《こうしや》を張った明り障子、朱金で彫刻した柱、金地に狩野《かのう》派の濃絵《だみえ》をえがかせた襖《ふすま》――すべて彼女の眼には入っていなかった。
夜の伏見城、太閤の寝所である。異様なばかりの静寂《せいじやく》にみちた大奥に、どこからか自鳴鐘《とけい》の美しい音がながれてきた。
織部は豪奢《ごうしや》な閨《ねや》に雪のような肉体を横たえて待っていた。すべて、丹波がたくらんだとおりだ。三条の局の屋敷で、太閤は彼女の踊りをみて、きれいな菓子をみた子供みたいな――むしろ狂的な眼になった。そして、その日に彼女を伏見城につれてきた。そして彼女はいま閨のなかで待っている。太閤を――いや、丹波を。
太閤が寝所にやってくるのは四つ半(十一時)のはずであった。それを織部は丹波に五つ半(九時)とおしえた。丹波も彼女に同伴して、この城に入ることをゆるされたのである。ただし、それはむろん本丸ではない、遠い侍屋敷の供《とも》 侍《ざむらい》 部屋であった。そして彼は四つ(十時)にこの寝所にしのんでくるはずであった。それは丹波に最後にあったときにおしえた。声はなく、唇をかすかにうごかせただけだが、丹波がその唇を読みとったことはいうまでもない。
三条の局の屋敷にゆくまえに、織部が泣いてたのんだことがある。
「――丹波、きいてもやろう。そうきけばおまえのために織部はどうでもなろう。けれど、そのまえに、いちどだけおまえの手で鈴を鳴らしてくれぬか?」
「そ、そうはなりませぬ。あなたさまが、処女《おとめ》であってこそ、太閤の心をとらえることができるのでござります。そうでなくとも、太閤は鈴をくれた信貴某を一応うたがうに相違ないのでござります。それゆえ――」
「わたしが処女《おとめ》であるか、ないか、そんなことが太閤にわかるのか」
丹波はこたえなかった。ただ絶対に彼女は処女であって欲しいとくりかえすばかりであった。そこで織部は、せめて太閤がきたあとで、丹波にいちど抱きしめてくれとせがんだ。羞恥《しゆうち》をしらぬ忍者の娘――というより、なにか思いつめた、だだッ子のような眼であった。
「太閤はどうなさる」
と、丹波はきいた。
「ねむらせておく」
と、織部はこたえた。催眠術の文字どおり、ひとを眠らせるのは忍者にとって易々《いい》たることだ。丹波は苦笑して、うなずいた。それだけで丹波がかならずじぶんのところへきてくれると信じた。
織部は太閤に処女をあたえる気はなかった。じぶんをみて眼を赤くかがやかし、皺《しわ》だらけの唇を舌でなめた猿のような顔をみるにおよんで、いよいよ吐気《はきけ》がした。丹波にやる。丹波に女にしてもらう。そのあとは死んだつもりになって、丹波の願いのままになろう。彼女はからだをあつくして四つを待った。丹波を待った。
丹波はこなかった。五つ半になった。閨が氷のようになり、彼女のからだは恐怖と怒りにだんだん冷たくなっていった。やがて、四つ半になる。ほんとうに太閤がやってくる。――織部は絶望した。
四つ半がちかづいたとき、彼女はみずからの手で処女《おとめ》の膜をやぶった。するどいいたみに全身をのけぞらしながら、彼女は声もなく狂的に笑った。そして「楊貴妃の鈴」をおし入れ、息をとめた。敵にとらえられたとき、忍者がみずからのいのちを絶つための「自縛心《じばくしん》の術」であった。
喪神《そうしん》してゆきつつ、彼女の脳膜は、恋する丹波によって鳴りさやぐ「楊貴妃の鈴」の音をきいた。四つ半、彼女はうっとりと微笑したまま息絶えた。
四つ半、太閤はこなかった。それは疾風|怒濤《どとう》をくぐりぬけてきたこの英雄の天才的な危機感の知らせによるといえようが、もっと簡単にいえば、太閤は三条の局邸でみた向日葵《ひまわり》のように野性にみちたこの娘が、それゆえに眼を洗われるような思いがしたのに、城につれてきて以来、別人のごとく沈んでいるのに気がついたからである。たんなる肉欲の祭壇にささげられる処女の不安以上に、そこには異常に凄味《すごみ》をおびた陰気さがあった。はて、きゃつの素性は何者か? そのうたがいが、この一夜、彼の欲望の足をとどめさせた。彼は家臣たちに警戒を命じた。
深夜九つ(零時)、すでにまったく絶命した美少女を冷やかに照らす雪洞《ぼんぼり》の暈《かさ》のなかに――格天井に、黒い蜘蛛《くも》のような影が朦朧《もうろう》とあらわれた。
甲賀丹波ははっきりと織部の願いをきいたつもりはなかった。織部は処女のまま太閤の祭壇にささげねばならぬ。途方もない着想のようであるが、それが天下|蒼生《そうせい》の苦しみをすくうただ一つの路《みち》だ。この悲願をはたすのに涙をそそいではならぬ。ひとたび太閤の側妾《そばめ》におくりこんだ女を、そのあとなぐさめにゆくなどばかげている。
そう思っていた。
しかし、織部がいった五つ半がちかづくにしたがって、彼の心は動揺してきた。じぶんは途方もないかんがえちがいをしているのではなかろうか、それまでにいくどかかすめたこの懐疑が、いま刻々と黒いつばさをひろげてきたのだ。それからの三時間は、彼にとって、半生の忍法の苦錬よりももっと恐ろしいものであった。黒いつばさは荒れ狂う雲となり、そのなかにあのもえる黒い花のような瞳《ひとみ》や、生れてはじめてすすり泣いた可憐《かれん》な唇のまぼろしが明滅した。
丹波ははじめて織部を愛していることを知った。いつごろかまでは、主君の姫君としてそれをおさえていた。いつごろかからは、じぶんの大望のためにそれをおさえた。いまやその悲願の達せられるときだ。彼はあぶら汗をながし、歯をくいしばってそれに耐えた。しかし、すべてが終ったいま、彼は織部を主君としてでもなく、道具としてでもなく、女として愛していることを知ったのである。この知覚の痛みは、この剛毅《ごうき》な男の大きなからだをしらずしらずに浮かびあがらせた。
わびるためではない。なぐさめるためではない、ほとんど理性をうしなって、甲賀丹波はゆらりと蝙蝠《こうもり》のごとく宙に浮きあがっていた。音もなく、影もおとさず、彼は大奥の方角へただよっていった。惨たる心のどこかに、今夜の異様なしずけさを、本能的にあやしみつつも。――
九つである。そして彼は、閨のなかの白蝋《はくろう》のような織部のなきがらを見下ろしたのである。
まるで破幻《はげん》の術でもかけられたように、甲賀丹波は格天井《ごうてんじよう》からおちていた。物音をたてなかったのは無意識の忍者の技《わざ》だ。彼は織部を抱きあげて、そのからだがまったく冷えきっているのを知った。
大事が去った、とは思わなかった。太閤がそばにいないことをふしぎに思ういとまもなかった。ただ、
「ふびんや。……」
声もなくつぶやいた。男の涙が、死んだ女の頬におちた。彼女は太閤の獣欲にふみにじられて、たえかねたにちがいない。おのれの哀れさに生きる気力をうしなったに相違ない。
「ゆるして下され、おれが来てやらなんだことを。一刻まえに来れば、おれは生きているあなたをひっさらって、この太閤の城からにげていったものを。……」
それから、丹波はなにをしたか、氷の塑像《そぞう》のごとく抱きしめていた数分ののち、彼はひたと織部のからだの上に重なったのである。
彼女の体内に鈴があるかどうか、それは意識の外にあった。たとえあったとしても死んだ女の体内で鳴るはずはない。それは男の力のゆえではなく、男の力によって、うるおい、うねり、もえあがる女の肉のひだによって鳴るのであったが、それも意識の外にあった。
それが、鳴ったのだ。死んだ女の冷たいからだの奥で、「楊貴妃の鈴」が鳴りはじめたのだ。
大絃は|※[#「口+曹」、unicode5608]々《そうそう》として急雨のごとく、小絃は切々として私語のごとし。※[#「口+曹」、unicode5608]々と切々と錯雑して弾《ひ》き、大珠、小珠、玉盤に落つ。――その微妙甘美なひびきは、はじめむせぶようにひくく。やがてうれしげにたかく鳴りもやまず、しかし甲賀丹波はこの鈴の魔力に憑《つ》かれたように恍惚《こうこつ》として、宿直《とのい》の武士たちがみだれ入ってきたときも、なおその姿勢でいた。
文禄三年春、石川五右衛門と名乗る巨盗は太閤第一の秘宝を盗んだ罪で、三条河原で釜《かま》ゆでにされた。彼が「自縛心の術」によってみずから命を絶たなかったのは、彼のみ知る死んだ女への贖罪《しよくざい》のこころからであった。「楊貴妃の鈴」を盗まれた淀の方は、盗んだものが変幻の大盗とあって、あいまいのうちにゆるされたが、太閤がそれ以後めっきりと老衰の足どりを早めて、死期へいそぎはじめたことはたしかである。
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虫の忍法帖
文禄《ぶんろく》四年七月十五日、高野山青巌寺《こうやさんせいがんじ》に於《お》ける関白秀次《かんぱくひでつぐ》の心理と行動ほど世に奇怪なものはあるまい。
この日の未明、伏見《ふしみ》から来た太閤秀吉《たいこうひでよし》の使者は、八日以来ここに幽閉されていた秀次を切腹させよとの命令を伝えた。高野にひとたび身をあずけた罪人は、いかなることがあっても慈悲|忍辱《にんにく》の法衣でかばうのが古来の寺法だが、下知《げち》を下して来た人が人である。木食興山上人《もくじきこうざんしようにん》はただちに一山の衆徒を集めてこの通告に従うべきかどうか評《ひよう》 定《じよう》をひらいた。
自分たちの生死を決するこの遠いどよめきをききつつ、六人の人影は、青葉の影も暗い一室に寂《じやく》として水のように坐っていた。秀次と、その愛臣五人である。
評定の結果はきかずとも知れている。ただみごとな死にぶりを見せるだけだ。――と覚悟をきめた五人の家来は、しかしときどき不安げな眼をあるじに投げた。
その覚悟を言葉にもらしたのは主人自身であったのに、その人に先刻から――苦悶《くもん》とも悲哀ともつかない、たしかに動揺の波がわたっているのを感覚したからであった。
「……殿」
と、その家来の一人|不破伴作《ふわばんさく》がひくい声をかけたとき、
「無念じゃ」
と、秀次はいった。
無念にはちがいない。この戦国の世に非業《ひごう》の死をとげた人間は大地の果てまで埋めるばかりであろうが、この秀次ほど無念な運命を持った者はまたとあるまい。太閤の甥《おい》、その後継者たる関白としての権勢――まさに栄華《えいが》の天から急転直下のこの奈落《ならく》である。その罪名は謀叛《むほん》の企てだという。そんなことが根も葉もないこじつけだということは、こちらばかりではなく、太閤自身が承知しているはずだ。
しかし、ともあれ、もはや逃れるべくもない死の座である。そう観念して、われら家来も関白さまのお供をしようとしている。
――それなのに、何をいまさら無念とは?
というような表情を五人の家来はむけたが、それを言葉として発することも出来ないような物凄《ものすご》い主君の顔色であった。秀次はいった。
「……阿佐丸《あさまる》はおるか」
「は。――」
「呼んでくれ」
伴作が起《た》っていって、隣室に入った。隣室には、ここにも影のように十人の者がひっそりとひかえている。
謀叛の嫌疑に、そのような事実なし、と伏見へ申しひらきにいった秀次が、一切の弁明も許されずこの高野へ追いあげられたとき、わずかに供を許されたのが、侍、召使とも合わせて十五人であった。
伴作は、阿佐丸という小姓をつれて来た。
秀次は小姓を見すえていった。
「於阿佐《おあさ》、おまえの子壺《こつぼ》にはまだ宇綱兵太《うづなへいた》がおるか?」
小姓はまわりを見まわした。しかし座にいるほかの面々は、秀次の言葉も解しないようである。秀次はなおいった。
「この期《ご》に及んで、もはやかくすにはあたらぬ。それに、ここにおるものどもは、半刻のうちにもみなあの世へ参る。申せ。……子壺に入った男の精汁は、十月《とつき》にして死ぬとか申したな。兵太が留守してから、もうこれで十月《とつき》になるのではないか?」
「いえ、まだ八月《やつき》でござりまする」
「あとになれば、その力が徐々に衰えるともきいた」
「兵太は精が強うござりまするゆえ」
余人にはまったく禅問答のようなこんな会話ののち、
「秀次、心を決した。わしはおまえの子壺にわしの精をくれようと思う」
と、いった。
「いや。――いま決心したことではない。伏見へ参るそのときから、おまえを小姓に仕立ててつれてきたのはかかることもあらんかと思うてのことじゃ」
さすがに、五人の家来たちのあいだに声なきざわめきが流れた。彼らはこの阿佐丸が小姓の姿はしているが、女であることを知っていたからである。
だれが見たって、女と思う。いや、女にもめったにない妖艶《ようえん》さだ。高野の方でもうすうすとそれは気がついていたろうが、女人禁制のこの地へ上《のぼ》して、あえて眼をつぶっている風なのは、おそらく前代未聞のこのたびの関白の大悲劇に思いを馳《は》せてくれたからであろう。――ともあれ、事実、阿佐丸は女だ。そしていま秀次のいったことの前半はわからないが、後半の意味は彼らにもわかった。
「死は迫っておる。ことは急ぐ。於阿佐、あれへ参れ」
秀次は反対側の隣室へあごをしゃくり、立ちあがった。
阿佐丸の顔色は変っていた。片手をついて、秀次を見あげたままである。
――秀次以外には知らないが、彼女は甲賀の忍者であった。
そしてまたお阿佐は、甲賀の忍者の妻でもあった。夫、宇綱兵太は八ヵ月前、秀次の命で駿府《すんぷ》の方へ密偵として派遣されていた。
ところで、お阿佐の忍者たるゆえんは、甲賀相伝の「虫壺《むしつぼ》の術」を体得していることであった。甲賀でも彼女しか心得ていない秘法だ。つまりお阿佐は、男の精液を受け入れると、それをそのまま子宮内に保持する。女性の性器内に入った精子の生存期間は、膣内《ちつない》で十二時間以内、子宮|腔内《こうない》でふつう三日以内、まれに八日以内、いったん卵管内に入るとふつう四時間以内に白血球の喰菌作用で死滅するといわれる。それにも例外があって、性交後十四日目、さらに二十一日目にしてなお卵管内で運動している精子が発見されたという記録もあるが、まず大体は子宮内に入った精子の生存期間がいちばん長い。――それを、お阿佐の場合、十ヵ月保持するというのだ。
そして、その間、お阿佐はみずから或《あ》る操作をしないと妊娠しない。ということは、十ヵ月以内なら、みずから欲する時点で妊娠できるということだ。
こういう機能を持っていると、どんな便があるか。彼女の場合、夫が遠国にゆく。生死をかけた密偵の旅だ。その時点に於《おい》て彼女に妊娠してはならない事情があればそのままにしていて、万一夫の不慮の知らせでもあれば、以後の十ヵ月以内なら、その夫のたねを活性化して身籠《みごも》ることが可能なのだ。ただし、得べくんばそれは前半の五ヵ月以内が望ましい。後半になると、その精子が次第に減弱して、絶対可能とは保証できなくなる――と、お阿佐は、その秘法を相伝した彼女の母からきいた。
この虫壺の術には、もう一つの効能がある。
この術のことを秀次に教えたのは、夫の宇綱兵太であったが、そのとき兵太はニヤニヤしてまたいった。
「もう一つ、妙な働きを――しようと思えば出来まする。つまり、その間、お阿佐がほかの男と交合したといたしまする。すると――それ以前に入っておるおれの精汁と、新しい精汁が押し合って、おれの方が勝てば、おれの精汁がかえって向うの体内へ流れこむのでござる」
「ほほう。……」
「するとな、その負けた男の顔かたちが、どこやらおれに似て参る。のみならず――もしその男がべつの女とまた交合すれば、そこにまずそそがれるのはおれの精汁だということに相成ります。すなわち間男《まおとこ》したやつは、自分の子でなく、この兵太の子を作るという天罰をこうむるわけで、ま、いわばおれの精汁を他の女へ運ぶ管《くだ》と申してもよろしかろうか。こういう次第で、おれも安心して外出《そとで》ができるというものでござりまする」
いかにもそれが事実なら、これは変種の貞操帯、いや貞操液とでもいうべきものであろう。――そのとき秀次は、驚きながらも、からかいのこもった疑問を投げかけた。
「兵太よ、しかしおまえの精が勝つとはかぎらぬではないか」
美男ではあるが精悍《せいかん》をきわめ、むしろ野卑とさえ見える面《つら》だましいをあげて、宇綱兵太は昂然《こうぜん》として答えた。
「いや、おれの精汁に勝つ男はござりませぬ――とくに八月《やつき》以内ならば」
そして、笑った。
「いや、せっかくゆえ出張のときは一応仕込んではおきまするが、おれの女房にかぎってそんなまちがいは万々ありませぬがな」
それを秀次は思い出したのであった。いま突然思い出したのではなく、彼自身がいったように、伏見へ絶望的な召喚を受けたときから。
手をついたまま驚きととまどいの表情を見せているお阿佐に、
「於阿佐、兵太にもすまぬ。秀次、あの世から未来|永劫《えいごう》わびるであろう」
と、秀次はいった。
「しかし、わしはわしの子をこの世に残したいのじゃ!」
――京の聚楽第《じゆらくだい》を出るときから、自分が小姓姿になって供を命ぜられたことをいぶかしんでいたお阿佐は、はじめて主君の意図を了解した。
関白さまにお子さまがないわけではない。幼いながら四人の若君、一人の姫君がいまにある。
しかしそれらはみな、御台《みだい》さまほか二十九人の御側妾《おそばめ》とともに、この八日、ことごとく捕えられ、とじこめられているということはすでにきいている。その運命は知るべきだ。してみると、いかにも関白さまがお子さまをこの地上に残したいと望まれれば、その可能性はいま新しく蒔《ま》かれるよりほかはない。――
お阿佐は答えた。
「相わかってござりまする」
そして、秀次につづいて、隣室へ歩み出した。その決然たる顔色を、五人の家来たちは気圧《けお》されたように見送っているばかりであった。
秀次の望みを了解したということもある。忠節の念もある。その心なくして、いかに主命とはいえ、夫に対してはまさに密通となるこの行為を、どうして受け入れられようか。
しかしお阿佐をふるいたたせたのは、そんな理性よりも、この八日以来の主君のおんありさまに対する無限の同情であった。こんな暴虐無慈悲の運命を与えられたお方がまたと世にあろうか。――あとでこのことを夫に告げても、必ずや夫はようやったとむしろ自分たちの犠牲をよろこんでくれるであろう。
が、彼女にはただ一つの不安があった。その顔色を秀次はかえりみた。
「於阿佐、秀次の女狂いをゆるせや」
「いいえ、そうではありませぬ。ただ、夫の兵太の精が。――」
こうなっては、夫の精の強いことがむしろ呪《のろ》わしい。
「兵太は八月《やつき》たてば弱ると申した。たとえいかに兵太の精が強かろうと、秀次、念力を以《もつ》てかならず兵太の精に勝って見せる!」
と、秀次はうめいた。
お阿佐の花はひらいた。この死神を外に待たせた座で、この小姓姿で、しかも花心に男の虫をたたえた女とはとうてい思われぬ妖艶な花を。
「……む!」
途中、秀次は異様な声をいちど洩《も》らした。何か抵抗を感覚したようである。お阿佐の背の肉に、その指がくいこんだ。が、次の瞬間、お阿佐はおのれの体内にしぶく洪水のようなものを感じた。肉体的にというより、心理的に。――その刹那《せつな》、彼女はすべてを忘れ、花弁のすべてを秀次に巻きつけ、むせぶような声をあげた。
「かならず、於阿佐も必死の念力を以て殿さまのお子さまを生んでごらんに入れまする!」
――しかし、次に秀次が沈痛に吐いた言葉は実に思いがけないものであった。
「いなとよ、於阿佐、おまえが生んではならぬ」
「――え?」
「太閤にちかづいて、わしの精を太閤に移せ」
溶けていたからだじゅうの骨が、一瞬に凍りつくような気がした。
「女狩りのまだやまぬ太閤じゃ。おまえほどの美女ならば、そのつもりになれば太閤の眼にとまる機会はあろう。そして――あの男の老いぼれた精が、わしの精に勝てるか。勝てるはずがない! さすれば太閤は、わしの精を運ぶ朽《く》ちた管《くだ》の役をつとめるわけになる。今後、太閤がべつの女に生ませるのは、その実、わしの子ということになる。……」
まさに大魔王の相貌《そうぼう》だ。――お阿佐は、主君の望みを心魂に徹して了解したつもりでいたが、その望みがそれ以上のものであったことをはじめて知った。
瞳《ひとみ》をひらいたお阿佐に、しかし秀次はむしろウットリした声音《こわね》でいった。
「そして、わしの子をな、淀《よど》の方に生ませるのじゃ。……」
実に、秀次をしてこの破滅におとしたものは、二年前その淀の方が生んだ拾《ひろい》君という幼児にほかならない。その小さな存在に対する太閤の盲愛が、強引《ごういん》な秀次の抹殺《まつさつ》という非道を敢《あ》えて行わせたのだ。――それにしても、ああ何という痛絶にして恐るべき復讐《ふくしゆう》の奇想であろう。
「於阿佐。……わしは兵太に似て来たか?」
秀次は顔をつき出した。お阿佐は夢魔に襲われたようにかぶりをふった。
「勝ったと思う。兵太に」
秀次はしずかにいった。
「於阿佐、秀次|今生《こんじよう》の願い、頼み入るぞよ」
お阿佐は声もなかった。秀次は立ちあがった。
――しかしお阿佐は、まだそれでも、秀次のそれ以上の、真の望みを知らなかったのだ。世にあり得べしとも思われぬ秀次の奇怪な心理を。
秀次は、おのれを破滅させた子を生んだ淀君を、決して恨んではいなかった。それどころか、恋していた。――実は、はじめて淀の方を見たときから。
それは淀の方が、浅井長政《あさいながまさ》の遺児ちゃちゃ姫として秀吉のもとへ迎えられた十二年前の春であった。そのとき秀次は十六歳、ちゃちゃは十七歳であった。最初の一瞥《いちべつ》から、彼の魂にはちゃちゃの艶麗《えんれい》さが刻印された。一つ年上だが、彼は秀吉の肉親の甥《おい》であり、ちゃちゃは亡家の遺児である。彼が望めば、二人の結ばれることは可能であったろう。しかし秀次はそれを望むことが出来なかった。その十七歳にして彼女は、なんと四十七歳の秀吉の側妾にされてしまったからである。
年を経るに従って、その初恋が決して初恋にとどまらなかったことを秀次は思い知らされた。その傷心は、彼の精神を侵した。御台を菊亭《きくてい》家から迎えても心満たされず、次から次へ五人、十人の側妾を得ても飽きるところなく、はてはその数二十九人を数え、中にちゃちゃと名づける女人を加えても、ちがう、わしの求めている女はちがう! と彼は心にさけびつづけて来たのだ。彼の恋するのは、ただ淀の方一人であった。
淀の方に、わしの精汁をそそぎこむことが出来るならば、わしは死んでも悔いはない。
その夢想的執念を、この土壇場《どたんば》に於てやっと果す決意と方法を、いま関白秀次は得たのであった。
座に戻ると、山門評定の結果を伝える使者が待っていた。いうまでもなく死の決定であった。
秀次は凄絶《せいぜつ》な微笑を浮べて屠腹《とふく》した。五人の愛臣も殉死した。
半月ばかりののち、彼の五人の子供、彼のたねを宿している可能性のある御台と二十九人の側妾は、京の三条河原に於て一人残らず刑殺された。
三条河原の大屠殺が八月二日のことであったが、その月のうちに京の聚楽第の取壊しがはじまった。ルイス・フロイスが「豪奢《ごうしや》と華麗さのかぎりをつくし、ヨーロッパのどこへ持っていっても大きな讃嘆をとどめ得ぬ」と評した約十万坪にわたる大宮殿が、太閤の命令一下、惜しげもなく打ち砕かれはじめたのだ。これを作ったのは秀吉自身なのだが、そこに関白秀次が住んでいたということから、秀次に対する罪の記憶を消すための大破壊であった。
あぶら照りの空にあがる土けぶり、黒けぶり、そしてこの世の終りかとも思われるものの裂けるひびき、崩れおちるひびきを――荒海に沈没してゆく豪華船を岸から遠望するように、京の市民たちは声もなく眺めていた。
「ちょっと、おまえさん」
その異様に沈黙した群衆の中から、女の声が走った。
往来を、その砕かれてゆく聚楽第の方へ向ってトットと歩いていた一人の香具師《やし》風の男がふりむいた。
いい男だが、ほこりまみれの上に痩《や》せ衰えて、そのくせ動物的に精悍な感じがある。ぎろっと眼をむけ、それっきり呼ぶ声はなかったが、さっさとひき返して、同じ足どりで歩き出した。むろん、眼前の壮観に心胆を奪われた人々は、こんなむさくるしい香具師のゆくえなど追う者もない。
「とりこわし中のお屋敷へ、何をしにゆこうとしていたの」
いつのまにか、彼とならんだ市女笠《いちめがさ》の女がきく。
「何しにゆこうとしたのか、おれにもわからぬ。ただ胆をつぶしての」
と、香具師は答えた。女は笑った。
「兵太どの、お帰り」
「うむ、えらいことになったの」
「関白さまの御生害《ごしようがい》はとっくにきいたであろうに、いままで駿府《すんぷ》で何をしていやった?」
「患《わずら》ってたんだ。七月半ばから、下痢のしっぱなしだ」
「まあ、道理で、狼《おおかみ》みたいに痩せて、可哀そうに」
「やっと歩けるようになったから帰って来たんだが、帰って来たって何にもならぬ。おれに用をいいつけた関白さまがああいうざまになっては。そもそもいったい何のために駿府へいってたのかわけがわからぬ」
香具師は、市女笠の下をのぞきこんで、炎天のお日さまを見たような目つきをした。
「お阿佐、めっぽうきれいになったじゃないか」
「そう」
「きれいというより、お上臈《じようろう》みたいになりおった。聚楽第に奉公してると、女というものはそう変るものか。……おれの女房みたいじゃない」
彼らは忍者宇綱兵太・お阿佐夫婦であった。秀次の帷幄《いあく》の重臣|木村常陸介《きむらひたちのすけ》によって甲賀の山中から探し出されて、召しかかえられた宇綱兵太が、ふるさとからお阿佐という女房をとりよせてから二年、彼が主命によって駿府へ派遣されたのは九ヵ月前である。
「劣等感を感じるな」
と、兵太がつぶやいたので、お阿佐はまた笑った。
「おまえ、平気なつらをしているな。関白さまがあんなになったというのに。……お屋敷のこわされるのを、そんな顔して見物してたのか」
「おまえさまを待っていたのです。もう帰って来るはずだと、毎日毎日」
「おれを待ってたって?」
兵太はまたお阿佐の顔をのぞきこんで、日やけした顔ににやっと歯をむいた。
「おれも駿府でおまえのことばかり考えてたんだ。もうかれこれ、おれの虫もいなくなったころだろうって。よし来た、今夜久しぶりにたっぷり入れてやろう。子壺《こつぼ》がはち切れるほど」
「子壺にはもうたっぷり入っている」
「へ? まだ、おれのやつが?」
「いいえ、ほかのお人のが」
兵太はお阿佐が冗談をいっているのだと思った。が、彼女の顔色は雪のように冷たくて白い。ふいに兵太は狂暴なうなり声をたてた。
「お阿佐、おまえ、いま自分のいったことの意味を知っているのか?」
「それについて、おまえさまに話があるから、毎日待ちかねていたのじゃ」
と、お阿佐はしずかにいった。――先刻から気がついていたことだ。九ヵ月ぶりに逢《あ》った女房は、ただきれいに、みやびやかになっただけでなく、一方で毅然凜然《きぜんりんぜん》としたところがある。兵太の鼻では、へんにつんととり澄ました匂《にお》いが感じられる。
こいつ、どうしたんだ、間男しおって、ばかにいばっていやがるな。――
もっとも、野性にみちた兵太にくらべ、年は下だが姉さま女房みたいなところがあって、獣にちかい愛撫《あいぶ》を加えながら、ふだんはどこか頭のあがらないお阿佐ではあった。――それにしても、これはききずてならぬ。彼は吼《ほ》えた。
「やい、間男の名を言え。すぐにたたき殺してくれる!」
「そのお人はもう殺されています。――太閤さまに」
「え?」
「わたしの子壺に入っているのは、関白さまの精なのじゃ」
かっと眼をむき、口をぱくぱくさせているだけの兵太に、お阿佐は語りはじめた。あの高野山青巌寺の悲劇を。
それから、太閤の理も非もない悪逆の仕打ちと、関白さまの御無念を。
じゅんじゅんとして、女教師のごとく、また母のごとく。――それを宇綱兵太は、眼をぎらぎらさせてきいているばかりであった。
「兵太どの、これをきいて、おまえ血も煮えくりかえる思いがせぬか」
兵太はたしかにふくれっ面《つら》をしていた。憮然《ぶぜん》としていった。
「する」
それをじっと見つめたお阿佐の眼は、冷たいほどであった。
「怒っているのかえ、兵太どのは」
「いや、そんな。……しかし、ようもおまえはそれまで。……」
「ようした、お阿佐、とおまえはわたしをほめてくれるものとばかりわたしは信じていました。そうではないかえ?」
「ま、そういっていいだろう。……」
兵太はそれからわれに返ったようにいった。
「で、おまえはこれからどうするんだ」
「だから、わたしは関白さまのお望み通り、太閤に近づき、関白さまの精を移す。そのことについて、おまえさまの力をかりたいと、それでおまえさまを待ち暮していたのじゃ」
お阿佐は路上に立ちどまった。市女笠に手をかけて、昂然《こうぜん》と兵太を見あげた。
「わたくしの体内に関白さまがおわす。わたしのいうことは、関白さまの御諚《ごじよう》と思うて下され」
「――へ?」
「ついでにきくが、兵太どの、あなたの駿府ゆきの御用は何でありましたか」
「そ、それは女房にも。――」
「いま、わたしのいうことは関白さま同然と申したではありませぬか。そのことをおまえがまじめにきいたかどうか、ためすためにもきいているのです」
「それは……太閤さまと関白さまの御不仲は、まえまえから取沙汰《とりざた》されていたことじゃ。で、万一、このひび[#「ひび」に傍点]がとり返しのつかない破目になったとき、徳川《とくがわ》がどっちにつくか、その気配を探りにいったのじゃわ」
「で?」
「家康《いえやす》は太閤さまにつくな。淀のお方のお妹さまな、あれはもうさるお大名かお公卿《くげ》さまの奥方さまのはずじゃが、それをひき離して、ずうっと年下の徳川の息子どのに押しつける、という縁組を太閤が内々持ち出したらしい。淀のお方や拾君と徳川家を結びつけるための知恵だな。――それをまた徳川の方は受け入れたらしい。つまり、あくまで太閤につくつもりとおれは見た。――もっとも、こんなことを探り出したところで今は水の泡じゃが」
お阿佐はうなずいた。
この女がこんな報告をきいて何になるのか見当もつかないが、まず麾下《きか》の諜者《ちようじや》の報告をきく武将みたいなうなずきかたである。
――ふっと兵太は、女房の顔に関白の幻影が靄《もや》みたいにからまりついているような感じがした。はてな、男の精を入れた女がその男に似て来るという話はきいたことがないが。……
お阿佐はにっとしていった。
「兵太どの、わたしのいうことをきいてくれた方が、おまえさまのためにもなろう」
「どうして?」
「わたしの子壺にある関白さまの精は、早くだれかに吐き出させた方がよいとは、おまえ思わぬかえ?」
宇綱兵太はじっとお阿佐の――自分の女房とは思われぬような魅惑的な笑顔を見ていたが、やがて馬鹿みたいにゲタゲタ笑い出した。
「そりゃそうじゃ! そうしてくれ。おれも懸命に手伝うてやる!」
――駿府で宇綱兵太が探索して来た情報は、予想以上に早く事実となって現われた。「徳川実記」の中の台徳院殿(秀忠《ひでただ》)文禄《ぶんろく》四年の条にこうある。
「九月十七日、太閤のはからいにて、故浅井|備前守《びぜんのかみ》の季女《すえむすめ》をかしずき公にまいらせ、北の方と定められ御婚礼行わる」
「英雄色を好む」という言葉がある。万人が知っているのは、これが一つの真理だとだれしもが認めているからであろう。両者を精力絶倫という事実でつらねて、人々は首肯するのであろう。
しかし、それは一つの真理だが、完全な真理であるかどうかは疑問である。必ずしも色を好まない英雄もまた歴史上散見されるからである。それは性的能力がほかの事業に昇華されたものだと見得る例もあり、それも一つの真理であろうが、しかしどう見てもそれは別々の能力だとしか思われない例もたしかにある。要するに、真理は一なり、という言葉は一つの真理だが、人間の世界には、必ずしも真理は一ならず、真理にはいろいろあるというのが大真理であろう。
ところで、色を好む英雄として代表的な秀吉だが、彼がほんとうに精力絶倫であったかどうかは、これまた疑問だ。政治軍事に於《おい》て超人的に精力絶倫であったことは事実だが、性的能力に於て果してそれに比例したか。
四十九歳で死んだ信長には十一男十一女あり、七十五歳で死んだ家康には十一男五女があるのに、六十二歳で死んだ秀吉にはたった二人の男子のみ。それとこれとはべつだという考えもあり得るが、相手をえらばず子を生ませることになんの遠慮もない時代で、かつむしろそれが望まれる境遇でこの成績では、その能力に於てくびをかしげるのがまず常識であろう。ただし、その二人がいずれも秀吉が五十過ぎての子だということが、これはこれで異常といっていいけれど。
ただし、女好きであったことはいうまでもなく事実だ。当時来朝していた伴天連《バテレン》のオルガンチーノの記述によれば、「彼の好色の不行跡について述べれば、それはあちこちにある彼の宮殿のすべてが娼家《しようか》になってしまったかと思われるほどひどいものである。見目よい娘にして、彼から遁《のが》れ得るものは一人もない」とあり、またルイス・フロイスの記録によれば、「彼はこの上もなく破廉恥にして不身持である。その諸宮殿内には二百人以上の女を所有している。この暴君は、ミヤコや堺《さかい》の市民たちの娘のうちから処女といわず未亡人といわず、その中から美女を探し求めて、見つかり次第、だれかれといわず連れて来た」とある。
「好きこそものの上手なれ」という諺《ことわざ》もあれば、「下手《へた》の横好き」という諺もある。能力と好悪《こうお》は一致することもあり、一致しないこともある。むしろ、老いて消化機能が衰えて来るとかえって美食に憧憬《どうけい》するように、能力に劣等感があるとかえってがつがつとその対象に欲望をもやすということがあり得る。
秀吉の場合がそうであったと思われる。
そしてこのとし、文禄五年、秀吉六十歳、さすがにその不毛の欲望すらも消え果てようとしていた。
と、だれの眼にも見えていたのに、その春になって、ふと焼け跡にぽっと一陣の炎のあがったような出来事があった。また新しく一人の女を手に入れたのである。
醍醐《だいご》に花見にいったときだ。花というより、太閤の饗宴《きようえん》を見物に集まった群衆の中に、喧嘩《けんか》が起った。そして、逃げて来た一人の女が、秀吉を護衛する家来たちの中へ飛び込んだ。追って来た男は、やがてその女の亭主だということがわかった。酒に酔っての夫婦喧嘩だったのである。その女の美貌《びぼう》に、秀吉は久しぶりに眼を吸われた。そして伏見の城へつれて来るように命じた。亭主は――町の香具師《やし》だときいて秀吉は一笑し、草履《ぞうり》取りにでも使うてやれ、といった。それ以上の問答は無用であった。
いうまでもなく、お阿佐と宇綱兵太だが。――
お阿佐は少なからず焦《あせ》っていた。意外にも、太閤に近づく機会がめったになかったのである。実は去年の夏からこの春まで、兵太を叱咤《しつた》しつつ、これと大同小異の演出はしばしば試みたのだが、まったく太閤の眼にとまらなかったのだ。警戒厳重というより、太閤の女への反応がきわめて減弱して来ていたことに思い至らなかったのだ。
去年の七月十五日から、指折り数えれば、もう、八ヵ月。
虫壺の術は十ヵ月もつとはいうものの、後半その能力はみるみる減弱することは、兵太の例でもはっきりしたのだから、すでにぎりぎりの限界といっていい。
しかし、お阿佐はとうとうその機会をつかんだ。
彼女が伏見城の太閤の豪奢《ごうしや》な閨《ねや》に侍《はべ》ったのは、それから数日後の夜のことであった。
とはいえ、太閤をはじめてちかぢかと見て、お阿佐はぎょっとした。六十歳ときく。しかし実物はそれよりも十も老《ふ》けて見える。
「秀吉、容貌矮陋《ようぼうわいろう》、面色|黎黒《れいこく》、ただ眼光|閃々《せんせん》として人を射るをおぼゆ」
とは、これより六、七年前来朝した朝鮮の使者の描写だが、その閃々たる眼光はもう消えている。白目のところが黄味がかって、瞳《ひとみ》も薄く、これがいまのいまも数十万の大軍を朝鮮に追いやっている人間だとはとうてい思われない。
顔は鼠《ねずみ》と猿のあいの子を干物にしたようで、くびのあたりは毛をむしった鶏のようであった。――身をかたくして見まもっているお阿佐にじっとその薄い眼をすえて、
「こわいか?」
と、秀吉はしゃがれた声でいった。そして咳《せき》をした。
「いまの秀吉は、女にとってこわい人間ではない。わしの方が、女がこわい。――」
と、いい、彼はまた咳をした。ただの咳ではなく、何やら胸に疾患でも持っているらしいひびきであった。
「それでも、おまえのような女を拾ってくるのじゃから……女というものは、ふしぎなものよの」
実感ではあろうが、彼の方がよっぽどふしぎだ。
お阿佐はわれに返った。任務を思い出した。
「いいえ。……」
と、必死にくびをふった。
「太閤さまの御寵愛《ごちようあい》を受けるなど、わたし夢のようで。……」
悪夢である。しかしこの悪夢こそ彼女の待ちに待った念願の夢であった。彼女はみずから衣服をぬぎ、いざり寄って秀吉にしがみついた。
すると、
「あいた、た、た、た」
と、秀吉は悲鳴をあげた。どこか神経痛でもわずらっているらしい。
「これ、もっとやさしゅう扱うてくれ。……わしはな、手数がかかるのじゃ。女にしてやることがあるまえに、女にしてもらわねばならぬことがある。それも、時間がかかる。まず、わしのからだを、女になめたり、吸うたりしてもらわねばならぬのじゃ。……」
お阿佐は吐気を感じた。
「おう、美しい口をしておる。その赤い、柔らかい口で。……」
ようやく眼に燐《りん》のようなひかりがともり出したのを見て、お阿佐は渾身《こんしん》の勇をふるい起した。どんな苦役《くえき》であろうと、この老人の機能を始動させなくては虫壺《むしつぼ》の術を施《ほどこ》そうにも施せないのだ。
しかし、そのひからびた唐辛子みたいなものをあらわしたとき――お阿佐の手の中で、そのものはもうだらしなくだらだらと液体を吐いた。それは小便であった!
「だめだっ」
突然、たまりかねたような絶叫が聞えた。
「もうよせ! むだじゃっ」
秀吉ではない。――格天井《ごうてんじよう》の裏からの大音声《だいおんじよう》であった。
仰むけのまま、かくん、というような音をたてて口をひらいた秀吉は、それ以上声も発しなかったが、しかし寝所のまわりに宿直《とのい》していた護衛の家来たちが、騒然として立ちあがり、殺到して来るひびきが聞えた。
――万事休す。
お阿佐はしとねの上でからだを蝋《ろう》みたいにかたく冷たくしていた。
――ついに虫壺の術は成らぬか?
「大儀」
輿《こし》から下り立って、待っていた草履取りのそろえた草履に足をのせかけて、淀君はふと門の外にもう一つの輿が下ろされて、侍臣の中から女が一人、こちらに顔をむけているのを見た。
「姉上さま」
と、向うから呼びかけて歩いて来た。
「小督《こごう》か。よう来やった」
と、こちらからも笑顔を返した。
淀君は、淀の城にいたからその名で呼ばれたのだが、この伏見の城が出来てからは、むろんここを自分自身の城のようにしていた。
彼女が外出先から帰って来るのとほとんど同時に来訪したのは、彼女の妹の小督《こごう》である。浅井長政の娘、三人姉妹のうちの末娘で、ことし二十四になる。
二十四なのに、小督はもう四回の結婚をしていた。最初は尾州大野《びしゆうおおの》城主|佐治与九郎《さじよくろう》と、二度めは丹波《たんば》少将|秀勝《ひでかつ》と、三番めは九条《くじよう》左大臣|道房《みちふさ》と、そして去年の九月、徳川家康の嫡子秀忠と。
姉妹はならんで門をくぐって入る。伏見城内の淀君が住まう一画であった。
「姉上さま、きょうはどこへお出かけ?」
「大野|修理《しゆり》の屋敷へ、猿楽を見に」
と、答えて、淀君はちょっと赤い顔をした。彼女の方はことし三十だが、どう見ても二十四の妹より年上には見えない。晩春の夕風がまるであけぼのの色に染まるような、まさに無双の美しさだ。
「この時刻、何か用ですか?」
「姉上さまの皮肉、遊びに来ては悪いのですか」
「わたしは悪くはないけれど、秀忠どのにお悪かろう」
「あんなひと! まだ子供で、屋敷にいても話すこともありません」
小督の夫は、伏見の徳川屋敷にいるが、彼女より六つ年下なのであった。
「子供といっても、もう十八におなりのはずでしょう。おまえの夫ではありませんか」
「十八らしい若さがあるかといえば、それが面白|可笑《おか》しくもない、まるで若隠居みたいなひと」
平気で、新婚の夫の悪口をいい、小督はさらに、
「わたし、きのうから京へ出かけて、三条河原の悪逆塚《あくぎやくづか》へ花をあげて来て――そのまま、こちらへ回って来たのです」
と、あごをつき出すようにして挑戦的にいった。
四角なあごだ。色も黒い。からだつきもごつごつしている。これが姉妹かとふしぎなくらいだ。たんに器量が悪いばかりでなく、恐ろしく気の強い顔である。
淀君は眉《まゆ》をひそめた。――悪逆塚とは三条河原に穴を掘って、秀次の首やその妻妾《さいしよう》たちの屍体《したい》を投げこんだあとに築かれた石塔である。
「また?」
と、淀君はいった。
「おまえは、ほんとによくあそこにお参りしますね」
「姉上さまの後生《ごしよう》がいいようにと」
と、これは完全に毒のある言葉であった。
毒があるというより、無神経といった方が適当な小督である。ひとの気というものに全然かまわないで、いいたいことをいい、やりたいことをやる。彼女がこのとしで四回も結婚したのは、つまり三回離婚したのは、その容貌のせいもあり、また最後のものはあきらかに政略的な強制のゆえではあるけれど、さればとて彼女が泣いたという噂《うわさ》もない。思うに、妹の不幸な結婚歴は、ぎすぎすし、いらいらしたその性格にもよること多大だろう、と淀君は憂えていた。最初の結婚以来、何百回、それら代々の夫たちへの不満をきかされつづけて来たことだろう。いまではそれがこの妹の趣味ではないかと思われるほどだ。――自分だけは、その愚痴をがまんしてきいてやっているけれど。
「でも。……」
と、淀君はいった。話題を悪逆塚から離す目的もあった。
「あまり出歩いていると、こんどは秀忠さまから去り状をいただくようになるぞえ」
「お姉さまも出歩いていらっしゃるではありませんか」
小督はふいに意地悪く眼をひからせた。
「殿下はまた新しい女を召し出されたそうですね。それについておとといの夜何か騒ぎがあったようですけれど、どうしたのですか。曲者《くせもの》もまだつかまらないとききましたが」
「わたしは何もきかないから、何も知りません」
淀君はつんとした。あきらかに誇りを傷つけられた表情であった。
小督は皮肉な眼でちらとそれを見たが、すぐにまた大げさな溜息《ためいき》をついた。
「思えば、わたしたちはほんとに男運の悪い姉妹ですねえ」
「…………」
「太閤さまはどんなにおえらいか知らないけれど、あのような女狂い。女狂いはいいけれど、あのお年では、わたしなど拝見していても胸が悪くなりそう。……わたしから見ると、その太閤さまおひとりを守っていらっしゃる姉上など、ほんとに謎《なぞ》のようなおひとです。姉上さまは御満足? ね、ほんとに御満足?」
「…………」
「わたしは四人も夫を替えましたけれど、どの夫にも満足したことはありません。いまの秀忠どのにかぎらず、どの夫も、ほんとにつまらない男ばかり」
例の愚痴がはじまったと思っていると、ふいにふりむいて、
「寄るでない! 無礼者!」
と、叱《しか》りつけた。
一メートルばかりうしろに、うやうやしく従っていた草履取りの男が、あわてて飛びのいた。小督はそれをにらみつけたが、顔を戻して、
「ま、よい男」
と、小声でいった。気の変り易いところ、ヒステリーの典型である。
「あれが草履取りですか? 草履取りにはもったいないようなよい顔をした、精悍《せいかん》な男。わたしはいちどあんな男に抱かれてみたい。……」
「たわけたことをおいいでない!」
と、さすがに淀君はきっとしてたしなめた。小督はひるんだが、またいった。
「力強くてたくましくてよい男。そんな男はふしぎに下層の世界にいるものですね。大名とか公卿など、どれもこれもみなそろって狸《たぬき》か鼠《ねずみ》みたいな男。……ただ、そういう身分の高い方で、そんなすばらしい男性があるにはありました。わたしの知っているかぎりただ一人」
この女には珍しく夢みるような眼を空へ投げたのに、淀君ははじめて好奇心を抱いた。
「だれ?」
「秀次どの!」
また例のあてこすりかと顔をそむけかかった淀君の眼を、小督の眼がとらえた。いままでの意地悪さとはちがう――無限の哀愁をすらふくんだ涙の眼であった。彼女はあえぐようにつぶやいた。
「わたしは幼いときからあの方が好きだったのです。あの方は姉上が好きだったようでしたね。だから姉上が太閤さまのものにおなりなされたとき、わたしはほっとしたくらいです。けれど、あの方は、とうとうわたしなどふり返っても下さらなかった。わたしの不幸はそのときからはじまったのです。……」
淀君は何といっていいかわからなかった。
「そしてあの方は亡くなられました。わたしの不幸は死ぬまでつづくでしょう。……」
姉妹は建物についた。
二人の姿が消えるのをよく見すましてから、そこへ近づいて、ぬいだ淀君の草履をしまうためにとりあげた草履取りの男は、ふとその沓脱《くつぬぎ》の石に、ひざまずかなければ見えないほどの小さな文字を認めた。
「こんやねのこく」
子《ね》の刻、兵太はお阿佐の寝所に忍びこんだ。
おとといの夜の騒ぎからたくみに逃げ出しはしたものの、さすがにそれっきりお阿佐のそばに近づくことも出来なかったのだが、呼び出しがあれば別である。
「ばかなひと! あんな声を出して」
と、まずお阿佐は叱った。兵太はしょげた。
「たまりかねたんだ。……いくら何だって、ありゃひどい」
唐紙《からかみ》の外側に耳をつけている者があったとしても聞えない忍者夫婦の会話であった。
あれからどうした、という兵太の問いに、駆けつけた侍衆には、太閤殿下が何か大声を出されたようだけれど、自分にはわけがわからない、と答えておいたとお阿佐はいった。その太閤は、何が起ったのか、自分で声を出したか出さなかったか、はっきりしないという虚脱|老耄《ろうもう》ぶりである。何しろ小便の垂れながしといったありさまだから。
それでも疑いぶかく、たしかに曲者がいるはずだとあたりを捜索した侍たちもあったようだが、あと、どうなったかわからない。べつに今のところわたしに対してどんな処置をとる気もないらしい。――
「けれど。――」
と、お阿佐は白いあごをえりにうずめていった。
「わたしはもうここにいてもしかたがない。……」
絶望の顔であった。
「おれも、見ててそう思ったよ」
兵太はわれ知らずにたっとした。
「かりにおまえが千辛万苦、太閤に精を移したとしてもよ。それをまた太閤がほかの女に移すなんてことはおぼつかないぜ。いや、そんな見込みはないといっていい、ききしにまさるあのざまでは。……だからおれは止《と》めたのじゃ」
ほんとうは兵太は、お阿佐が妖艶《ようえん》無比の姿で、あの老醜|無惨《むざん》の太閤のいうがままになろうとしているのを見て、我慢の緒が切れて夢中でわめき出したのであった。
「残念だが、虫壺《むしつぼ》の術は太閤にはききめがない。ふうむ、こういうことになろうとは、関白さまも思いもよらなかったろう」
「兵太どの、おまえはうれしそうな顔をしているではありませんか」
恨めしげににらみつけられて、兵太は狼狽《ろうばい》するより肉欲の火を燃やした。
「お阿佐、おれはおとといのおまえの姿を見て、もう我慢できなくなった。それまでもつらかったが、この二日間はまるで地獄だ。きょうなんざ、淀君さまのうしろを歩いてて、その尻《しり》に飛びつきかけてはぐっと。……」
と、いいかけて、こんどは狼狽した。哀願するようにいった。
「な、抱かしてくれろ。……」
「いけません」
お阿佐はわれに返り、くびをふった。
「わたしの体内には、まだ関白さまの精がある」
「それが、使いようがないじゃないか。ましてや、もう八月《やつき》めだ。そろそろ効かないかも知れぬ。……」
「だから、強いおまえさまはいよいよいけないのです」
お阿佐の顔にはしかし覆いがたい焦燥の色があった。
「わたしはまだあきらめてはいません。あきらめてはいけないのです。十月《とつき》、関白さまの精があるうちは」
「あと二タ月もあるのか?」
宇綱兵太は歯をカチカチ鳴らせてお阿佐をにらんでいたが、ふいにピシャリとひざをたたいた。
「おい、お阿佐、その精をおれにくれないか?」
「関白さまの精をおまえさまに?」
「その精を、おれが淀君さまに移す。……」
お阿佐はぽかんと口をあけた。しばらく、兵太の意味する内容がよく判断できないといった表情であった。
「目的は、淀君さまだろ? 太閤はたんに虫運びの管《くだ》だろ? 管の役目ならおれだっておんなじだ。おれの管の方がもちろん強力だ! 太閤の方はもうぼろぼろで見込みがない。……」
兵太は熱烈に酔っぱらったようにいった。
「問題はおれが淀君さまに移す手順だが……なに、きっと移して見せる。きょうあの方とその妹さまの話をちらっときいていたんだが、二人ともかたちはちがうが、たしかに飢えてらあ。おれが飢えてるからよくわかるんだ。近づいただけで、男の精と女の精がうなり声をあげて空中を飛び交わすんだ。妹の方は願い下げだが……姉妹で、よくまああれだけちがったものじゃ。太閤を見ると胸が悪くなるとかいいおった。こいつは同感だが、自分だって胸の悪くなるような女だってことは自分で知らぬ。……妹はともかく、姉の淀君さまなら、おれはやってもいい。念力を以《もつ》て落すつもりだが、面倒なら強淫《ごういん》して逃げたっていい。殺されたっていい。……やらせてくれ」
お阿佐は考えこんだ。
「だけど。……」
「どうした?」
「おまえさまは強い。……八月目の関白さまの精が、おまえさまの方へうまく入るでしょうか?」
「そ、それは、……念力を以て、おれが受ける。ほかに法はない。二タ月たったら、何もかも水の泡になってしまうんだぜ。……」
お阿佐の眼に決意の光が浮び出た。
「――おまえさま、やりましょう。やって下さい!……」
「……おお!」
さて、これからこの忍者夫婦の間で、八ヵ月めの――いや、それ以前から数えれば一年半ぶりの合歓が行われたのだが――こんな奇妙な交合を経験したことは、兵太にとってもはじめてであった。
右の途方もない回路変更を思いついたのも、ひたすらいまこの自分の女房と交合したいという欲望からしぼり出したのではないかと思われたほどの――曾《かつ》て「子壺《こつぼ》がはち切れるほど入れてやる」と豪語したほどの――兵太の噴出力を、兵太自身が制御しなくてはならないのだ。八ヵ月めの関白の精を受け入れる心持でいなければならないのだ。
「……む!」
途中で、彼はうめいた。神仏も照覧あれ、彼はたしかにふつうでない抵抗をおぼえたのである。押した。押された。それから――自分の体内にしぶく洪水のようなものを感じた。
「あれ、あれ、あれえ。……」
この精悍な男は、その瞬間、ひどく女性的な忘我の声を発した。
お阿佐の方ははじめから、「虫壺の儀」を行う巫女《みこ》のような――いや、女体の形態をした精巧な発射機械のようなおごそかな姿であった。
数日たって、草履取りの兵太は、庭の水たまりに自分の顔をうつして、ぎょっとなり、次に肩で息をして、うれしいのか悲しいのかわからない表情をした。
どんな表情をしても、そこには関白秀次さまの――少なくとも彼にはそう見える顔があった。虫壺の術の効用はたしかに発現したのである。
「神仏も照覧あれ」
と、彼がつぶやいたとき、背後で人の気配がした。
あわててふりむくと、そこに、きょうも遊びに来ていた小督さまがこちらを見ていて、先日のごとく一喝《いつかつ》するどころか、みるみる眼を大きく見ひらいて立ちすくんだ。
一草履取りが太閤の第一の寵姫《ちようき》を誘惑する。
いうべくして至難の試みで、宇綱兵太がやっと目的を達するには、それからなお二タ月の経過を要した。関白秀次の精が秀次のからだから出て十ヵ月めになろうとする。女体からさらに男のからだに移った精が、いよいよ減弱するのか、それとも賦活《ふかつ》されるのか見当もつかないが、兵太が焦燥したのは当然である。彼は最後には、草履に下り立った淀君の足くびをそっと――しかし念力こめて撫《な》であげたりしたくらいである。
至誠は天に――いや、男の必死の思いは、ついに淀君に通じたのであろう。
「今夜、参りや」
淀君がそうささやいたのは、通算十ヵ月目の――その初夏のことであった。
その夜、宇綱兵太は闇《やみ》の中で女体を抱いた。飢えていると彼が看破した通り、彼ほどの男がからからになると感じたほどの女体の狂乱ぶりであった。むろん、彼は完全に「異物」を放出した。そして闇の中をややふらつきながら退散した。
事が成功したときまって、その夜のうちにお阿佐も伏見の城をぬけ出して、甲賀のふるさとへ帰ったはずだ。彼はそれを追う。顔はもとより、体内のすみずみまで、こんどこそは完全に純粋な夫として、完全に純粋な女房のところへ。
ふらついていた宇綱兵太の足は、次第に暁闇《ぎようあん》の天を飛んでいた。
そのころ――伏見城の淀君の寝所では、淀君が、しどけない――というより全裸にちかい妹の小督を抱いていた。
小督は涙をながしていた。
「姉上さま、ありがとう。よう譲って下さいました。わたしはほんとうに秀次どのに抱かれたような気がします……」
「おまえに頼まれたから、あの男をここへ引き入れるようなことをしたけれど」
と、淀君はいった。
「わたしにはあの男のどこが秀次どのに似ているのかわからない。……」
小督はしかし、よだれまで流していた。
「わたしはほんとうの男を知ったような気がします。わたしの女の花がはじめてひらいたような気がします。わたしは倖《しあわ》せになれそうです。ありがとう、姉上さま。……」
それから約十ヵ月のち――途中改元されたので――翌慶長二年四月十一日、小督は伏見の徳川屋敷で女児を生んだ。駿府の家康が千《せん》と名づけた。
この千姫が七歳にして、淀君の子|秀頼《ひでより》の花嫁となったことはだれでも知っていることである。そうと知ったとき、魔天で秀次は笑ったか。いや、それは少し話がちがうと首をふったか。いや、討ちつ討たれつの虫合戦に混乱して、腕をこまぬいてしまったかも知れない。
ただしそれは「虫壺の術」が完全に作動《さどう》したとしての話だ。千姫さまがだれのたねであったかは、その魔天すらもわかるまい。案外、秀忠のたねであったかも知れない。
ただ、これを皮切りに小督がその後十年間に、連続的になんと八人もの秀忠の子を生みつづけたことだけは、たしかに史実として残っている。そして秀忠が一生、歴代将軍中恐妻家のナンバー・ワンであったことも知られている。
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忍法 関ケ原
近江国《おうみのくに》坂田郡といえば琵琶《びわ》湖の東北隅にあたり、伊吹《いぶき》山から出る姉川が作る小平野だが、ここに国友《くにとも》村という村がある。
古来、これは国友|鍜冶《かじ》として聞えた村であった。となりの浅井郡に鍛冶部《かちべ》が住んでいて、それが集団移住したらしいという説もある。古記録によると、一村七十三軒、五百人ことごとくが鍛冶屋であったという。しかも、鋤鍬《すきくわ》などを作るのではなく、刀、槍《やり》などを製造する、いわゆる打物鍛冶である。
それが、いつのころからか、鉄砲鍛冶に変った。――「国友鉄砲記」によると、天文年間、種子島《たねがしま》から鉄砲を献上された時の将軍|足利義晴《あしかがよしはる》が、この国友村に、善兵衛《ぜんべえ》、藤九左衛門《とうくざえもん》、兵衛四郎《ひようえしろう》、助《すけ》太夫《だゆう》という甚だすぐれた四人の鉄匠がいることをきき伝えて、その鉄砲を下賜し、それを模して新しく鉄砲を作ることを命じた。それによって四人が、半歳の苦心の末、ついに二|梃《ちよう》の日本製鉄砲を製造したのがそのはじまりだという。
これより「国友鉄砲」の名はひろく世に伝わり、戦国の諸大名から注文が殺到し、ちょっとした「死の商人」的な鉄砲の産地となった。が信長《のぶなが》が天下を一統すると同時に、完全にその独占するところとなった。これを直接支配したのは、国友村のすぐ南にある長浜の領主|羽柴筑前《はしばちくぜん》である。
「国友の内を以《もつ》て百石扶助せしめ候。全く知行《ちぎよう》あるべく候。鉄砲の儀、前々のごとく相違あるべからず候。仍《よつ》て件《くだん》の如《ごと》し。
天正二年八月吉日 藤吉郎秀吉《とうきちろうひでよし》」
という、国友村の長老にあてた秀吉の文書がある。百石の知行とひきかえに、鉄砲の注文に厳重な統制を受ける義務のあることを申し渡したものだ。
秀吉が天下の覇者となると、むろん国友村はいよいよ豊臣《とよとみ》家の専用兵器|廠《しよう》になったが、こんどは直接にこれを支配したのは、同じ坂田郡佐和山の城主となった石田三成《いしだみつなり》である。国友村は彼の領地に組み入れられた。
彼は左のごとき掟書《おきてがき》を下した。――
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
「一、仰せなされ候鉄砲、随分入念に張り立て申すべきこと。
一、急ぎ御用の節はお手支《てつか》えなきように、常に相心得申すべきこと。
一、諸国より大小の鉄砲多く誂《あつら》え候わば、早速相届け申すべきこと。
一、鉄砲職の者、みだりに他国へ出《いで》候ことかたく無用のこと。
一、鉄砲細工、みだりに他人に相伝え申すまじきこと。
一、鉄砲薬調合のこと、他見他言いたすまじきこと。
右の条々、かたく相守り申すべきもの也《なり》」
[#ここで字下げ終わり]
慶長五年六月。――
それまで大坂にあって、太閤《たいこう》死後の天下ににらみをきかせていた家康《いえやす》は、会津《あいづ》の上杉景勝謀叛《うえすぎかげかつむほん》の情報に、それを鎮圧すべく、三千の兵をひきいて東征の旅に上った。十六日、大坂を発し、十七日、伏見《ふしみ》に入る。
この夕、家康は伏見城天守閣の千畳敷の大広間のまんなかに一人立ち、何思ったか、四方を見まわしてにこにこ笑っていたという。城をあずかっていた鳥居元忠《とりいもとただ》が、家康の帷幄《いあく》の臣|本多佐渡《ほんださど》とともにふしぎそうにそれを見ていると、
「彦《ひこ》右衛門《えもん》、この城はな」
と、家康の方から話しかけて来た。
「太閤《たいこう》が日本じゅうの人数を集めて築いた城じゃ。何かことあれば、この本丸天守閣に使《つこ》うてある金銀を鋳《い》ても当座の鉄砲玉にことは欠かぬぞ」
「金の鉄砲玉、銀の鉄砲玉をくらっては、敵も驚くでござりましょうな」
と、鳥居元忠が笑ったとき、家康はふと笑いをとめてこちらを見まもり、
「佐渡、鉄砲村のことはどうなっておるか」
と、きいた。
「は。――」
「近江の国友村の件よ」
「さ、そのことについては」
と、本多|佐渡守《さどのかみ》はくびをかしげ、一思案のていあって、
「あれはこの際、やはり服部《はつとり》をやった方がよいかもしれませぬなあ」
と、いった。
それからこの水魚のごとき君臣は、鳥居元忠を退けて、二人で何やら密語をはじめた。
家康の軍の中に従っていた徳川家忍び組の頭領服部|半蔵《はんぞう》が、配下の十人をつれてこの大広間に召し寄せられたのはそれから数刻ののちであった。
服部組が伏見城のこんなところに参入を許されるのははじめてだ。半蔵自身「……そも何事?」と怪しむ表情でそこへ入っていったが、もう長い夏の日も暮れかかっているのに灯もつけず、しかもその千畳敷のまんなかに、自分を呼んだ本多佐渡守のみならず、なんと大御所の姿まであることを知って、はっとした。彼らはいっせいにひれ伏した。
「近《ちこ》う。秘命を伝えるのはかような大広間が一番よい。半蔵、ここへ」
と、佐渡守はさしまねいた。
十一匹の蜘蛛《くも》のごとく滑り寄る服部組を見まわして、大御所がくびをかしげた。
「ほ、女もおるか?」
「最も手練《てだ》れの伊賀《いが》者十人を召しつれよ、との仰せにて、かくは参上つかまつってござりまする」
と、半蔵は答えた。十人の配下のうち、たしかに白く美しい女の顔が二つばかり見えた。
「くノ一じゃな」
と、佐渡は笑った。
「よい。くノ一ならば、かえって好都合のことがあるかも知れぬ――御用じゃ」
「御用とは?」
「実は、近江に国友村という鉄砲鍛冶の村がある。――」
「存じておりまする」
「いや、他のものどものためにも、念のため申しきかせておこう」
本多佐渡守は、国友村の歴史について語り出した。その概略の知識は半蔵にもあったが、やがて佐渡の――先年よりその国友村へ手を回して、一村そっくり徳川家に随身《ずいじん》するように働きかけ、まずいまのところ十中七、八|分《ぶ》まで、そこの年寄たちの心を動かしておる、という話をきくに及んで、いまさらのことではないが、この人物の稀代《きだい》の策士ぶりに心中舌をまいた。なぜかというと。――
いま、佐渡自身が、うす笑いしていう。
「あと二分、三分、心もとないところがあると申すは、何しろその国友村は石田|治部《じぶ》の領内じゃ」
石田治部|少輔《しようゆう》三成が、徳川家にとっていかなる人間か、ということは、むろん半蔵は知っている。それどころか、忍び組の頭領として、このたび大御所が東方の敵を討つと見せかけて、その実何を西に待っているかも推察している。
すなわち真の大敵石田三成の領内に存在する鉄砲村を、そっくり味方につけようとは――その大胆不敵、人をくった奇謀はたとえるに言葉もない。
「万一、石田に知られたら――と、国友村が恐怖するのもこりゃ当然じゃ。が、二分、三分のあいまいさが、もとの木阿弥《もくあみ》、すべて御破算につながっては一大事じゃ。この際、国友村がこちらの手につくか、治部の全面的な支配の下に置かれるかは、徳川の安危につながると申しても過言ではないぞ」
「治部どのは、そのことにまだ気づいておらぬのでござりまするか」
「まさに燈台の下、まさかとはじめは意にも介してはおらなんだが、話の進むに従って、どうやらきな臭い顔を国友村へ向け出したような案配でもある。万一露見したらぶちこわしじゃから――せめて、せいぜい石田のためにあまり働かんでくれい。石田からの鉄砲の注文も、事に託してなるべく間に合わせんでくれい――と、話はそこでとめてある」
佐渡はいった。さっきまでの笑顔が消えて、むずかしい表情になっていた。
「が、いろいろと案ずるに――このときにあたり、その件、しかとだめを押しておきたい。国友村を完全に徳川家のものとしておきたいのじゃ」
「は。――」
「特に、国友村の頭分の中に四人の鍛冶あり、国友|鎌《かま》太夫《だゆう》、鉄算《てつさん》、鍋三郎《なべさぶろう》、鋤《すき》右衛門《えもん》という男どもじゃが、これらの伝える鉄砲作りのわざは聞くだに容易ならぬものがある。それを思うと、いよいよ以て彼らのわざを石田に使わせてはならぬが、またこやつら、おのれの腕に自信があるだけに、いずれも煮ても焼いても食えぬしぶとい根性の持主、二分三分の不安というは、実はこの四人が煮え切らぬからともいえる。――」
「鎌太夫、鉄算、鍋三郎、鋤右衛門。――」
「されば、いま服部組に申しつける御用は二つ。……一つは、なんじらこれより国友村へ潜入し、右の四人の鉄匠を完全に徳川家へなびかせること。それから。――」
佐渡は指を折って、
「三ヵ月のち、まず九月半ばまでに、その証《あか》しとして、一貫目玉|鋳銅《ちゆうどう》砲五梃、八〇〇目玉鋳銅砲十梃をひそかに急造させ、石田領の外に運び出させること」
「あ!」
服部半蔵は、そんな声をあげた。秘密の重さ、大きさに、はじめてなぐりつけられた思いだ。
「むずかしいぞ」
「…………」
「いま、国友村に潜入することは容易でない」
「…………」
「しかし、徳川名代の服部組じゃ、先代半蔵より、これまで尽してくれた数々の働きに徴しても、決して不可能の御用でないと佐渡は信じておる」
「はっ」
それまで黙ってこの命令授受をきいていた大御所が、もぞもぞと膝《ひざ》の上の布をひろげ出した。
「その大砲、石田の領外に出たら、これを荷旗とせい」
葵紋《あおいもん》のついた一|旒《りゆう》の旗であった。
「天下御免の旗、それを末長く服部組の誉《ほま》れの旗とせい。もとより服部一統の栄達を保証する旗でもあるぞ。寄れ、半蔵」
満面に笑みをたたえて、大御所は手ずからその旗を半蔵に授けた。半蔵のからだに死もものかはという感動の身ぶるいが走り、彼は眼に涙さえにじませた。
家康はいった。
「この国友村鉄匠の争奪戦。――これはいわば、影の天下|分目《わけめ》のいくさでもあるぞよ」
翌日、大御所の軍は、十一人の数を減じて東海道を東へ立った。
だいたい同じころである。
江州《ごうしゆう》佐和山城で、石田三成と何やら談合していた家老の島左近《しまさこん》は、もう夜に入っていたのに、特に名ざして十人の家来を呼んだ。そして、領内国友村に不審な者の出入せぬよう、それとなく見張ることを命じた。
「徳川より唾《つばき》つけられるおそれがあるからよ」
というその理由に、呼ばれた十人の中の頭分《かしらぶん》らしい男が精悍《せいかん》な顔をふりあげた。
「それとなく? わが領民にそのような御遠慮は御無用ではござりませぬか」
「国友衆は石田家の宝じゃ」
と、左近はくびをふった。
「それに、職人らしく、あれで内心なかなか傲岸《ごうがん》な変り者が多い。へたにあしらってへそを曲げられてはかえって当家のおんためにならずと、腫物《はれもの》にさわるように特別扱いをして来たが」
十人の男たちは、みな甚だ面白くない顔をした。彼らはみな甲賀《こうが》者であった。
――しかし、特殊技能を持つという自信にかけては、決して国友村の職人輩にひけをとるとは思わないが、甲賀は、ほんのこの近くとはいえ、三成の領内ではなく、外から傭《やと》われて来ているのだから、国友衆の特別待遇を不満に思ってもいたしかたがない。
「徳川より唾つけられると仰せられて、何かそのしるしでもございましたか」
「ない。例の掟《おきて》もあり、まさか、とは思うが、この際念のためじゃ」
この島左近は、もと大和《やまと》の筒井《つつい》家の浪人であったものを、当時二万石であった三成に、なんとその半ばの一万石を以て招かれ、召し抱えたやつもやつなら、召し抱えられたやつもやつ、と天下をあっといわせた人物である。
いま彼は、東下する家康を石部あたりで襲撃しようと進言し、大事をとる三成の容《い》れるところとならず、その密議の果てに、ヒョイと出て来た国友村の一件であった。
家康に対してそんな計画をめぐらすくらいだから、その動静については、ここに呼んだ甲賀者たちにもずっと探らせていたが、べつにこの甲賀者たちが伏見城内千畳敷の秘命授受をかぎつけたわけではない。これは切迫した風雲を知っている雷鳥のごとき名参謀のみが感知した一種のインスピレーションであったとでもいうしかない。
もっとも、左近は以前から国友村に対しては何やら不安感が拭《ぬぐ》えず、ひそかに監視の網を張ってはいたのだが、それがこの夜ふけに改めて名状しがたい心もとなさに襲われたのである。
左近はいった。
「これはひょっとすると、いくさそのものより重い大きな役目かも知れぬぞ。よいか、甲賀の名にかけて、しっかと国友村を護《まも》れ。わが殿が天下さまにでもおなり遊ばされたあかつきには、必ずうぬらの期待を裏切らぬ御恩賞があろうぞ」
国友村からは見えない位置だが、しかしたしかにその周囲に――国友村に入る道はもとより、小川の横のほとり、土橋のかげ、林の中など、必ず死角のないように番所が立てられ、番卒が立ち、出入する人間を見張っている。
もっとも、とにかくゆくてに一つの村があり、かつこれが当時に於《お》ける兵器工場の団地だから、当の村民はいうまでもなく、日常生活に必要な物資を売る百姓、商人、或《ある》いはその鉄砲生産になくてはならない鉄、炭、木材、及び木工用具、煙硝などの売手、或いは注文者や買入れ業者など、存外出入する人間は多い。しかし、大半は番卒と顔見知りらしく、
「いや、毎日お暑いことで」
とか、
「御苦労さまでござります」
とか、挨拶《あいさつ》をして無事に通る。とがめられる者のめったにないのは、これはこの監視が長く、もうよく周知のことだからであろう。
その番所のちかくの土手の上に、ぼんやりと三つの影が立った。六月末の、月はあるのにどんよりと曇った夜である。――当然、番所から見える距離であった。見える明るさであった。
「や、怪しきやつ?」
「曲者《くせもの》だっ。――」
槍《やり》を構えた番卒が三人、それを見つけて駈け出し、さらに三人、小屋から飛び出した。
土手の上に立った三つの影は、いうまでもなく服部一党の忍者であった。これが、駈けつけて来る番卒たちを見て、おちつきはらって、実に奇怪な術を使った。奇怪というより――何といっていいか、「鼻もちのならない」忍法とでもいうしかない。
彼らはみんな全裸体であった。ただその中の二人が肩に大きな袋を背負っている。一つは三人のぬいだ衣服や大小を入れたものだが、あと一つは。――
いや、それを解きあかすより、三人の忍法の第一段階を述べるのが先決であろう。三人は金剛力士《こんごうりきし》みたいに立っていたが、その全身がおぼろな月光にぬらぬらとひかり出した。と、あたりに異様な匂《にお》いがひろがりはじめた。
三人はみずから全身に汗を噴き溢《あふ》れさせたのだ。それが、ただの汗ではない。かすかな脂肪酸や尿素の匂いではない。腋臭《わきが》どころか、強烈なインドール、スカトールの匂い――すなわち糞臭《ふんしゆう》だ。彼らは汗腺《かんせん》から、なんと糞臭を分泌発散させ出したのであった。
――と、このとき一人が、袋をかついだまま、その口をひらいた。そこから、一陣、二陣、三陣の黒い煙が吐き出された。いちどぼやっと拡散したかと思うと、たちまち三つの影に凝《こ》り出した。そのあいだ、風ではないのに、ぶおおっと風のような音がした。
蠅《はえ》だ。蠅の羽音だ。それが何千何万匹とも知れず――蠅でもこれだけ集められると、こんな音をたてるものと見える。
蠅は糞臭に呼ばれ、三人の体表に真っ黒に吸いついた。――と、その中から、三人はすーいとうしろへ逃れ出した。このとき、三人は人型の糞臭だけを空に残し、汗の分泌は停止している。
数メートルうしろに、また横で、彼らはふたたび異常発汗をやりはじめた。最初の糞臭にあふれた蠅が、たちまちその方へわっと集まる。――と、三人はまたもうしろへ逃れ出す。
駈けて来る番卒たちを迎えつつ、三人の伊賀者は数十秒でこれをやってのけたのである。蠅の群合を以て描き出す人間のデッサン、いや、人体の彫刻。
「……あっ、あれは何だ?」
「曲者がふえたぞ!」
番卒たちは立ちどまった。彼らの眼には三つの黒影がたちまち六つに、みるみる九つにふえたように見えた。
が、たちまちわめきつつ殺到し、前面の三つの影に槍《やり》を突きかける。槍は空《くう》をつらぬいて、彼らはよろめく。とたんにその向うから、ピイインというような音をたてて薄い月光にきらめきつつ、何やら綱のようなものが躍って来て番卒たちの頸動脈《けいどうみやく》を打撃し、彼らは悲鳴もあげず崩折《くずお》れた。
薙《な》ぎつけたのは鋼《はがね》の縄だ。ふだん小さくかたく環状に巻いてあるが、ひとたび揮《ふる》えば三メートルはのびる。刀で受けても彎曲《わんきよく》して相手を打ち、そのつもりになれば充分|頸《くび》ぐらいは切断してしまう。しかし、伊賀者たちは故意に番卒たちを昏倒《こんとう》させただけですませた。
はじめからその予定である。彼らは番卒の装束《しようぞく》を奪い、番卒に化けて国友村に入るつもりなのであった。
まず三人を倒し、さらに草を蹴散《けち》らして来た三人を迎える。
「やっ?」
ぱあっと散った蠅の大群にきょろきょろしている番卒たちに、またも鋼の長鞭《ながむち》がうなりをたてて薙ぎつけられた。三人の番卒はそこから忽然《こつねん》と消え失せた。
どこへ? 地に倒れたのではない。彼らは三本の鋼条に布きれみたいに巻きついてしまった。実際彼らは地に直立した黒い布と変っていたのである。
伊賀者たちは、相手がただの番卒ではないことを知った。一瞬に手もとに巻きこまれるはずの鋼線は、黒い布にからまれて、しかも布の一端は、こんどはたしかに番卒の姿となった三人の男の手につかまれて、ぴいんと引かれていた。
泳ぎ出した三人の伊賀者ののどぶえに、三本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》が突き立った。
七月はじめの灼《や》けつくような太陽の下を、汗まみれになって、俵をつんだ車を曳《ひ》いてゆく男たちがある。俵は七、八個、いかにも重いらしく、ふつうに曳く男に、綱を曳く男、うしろからあと押しが二人という人数であった。
「待て」
四、五人の番卒がその車のそばに寄って来た。
「その俵は何だ」
と、狼《おおかみ》みたいに鋭い顔をした一人がとがめたのは、俵がふつうの米俵ではない。――その二分の一くらいの大きさの、あまり見かけない俵であったからだ。
「あ、それは塩でござるよ」
と、あとから来た番卒がいった。車を曳いて来た男たちとは顔見知りらしく、その男たちが鉢巻をとってお辞儀するのに、「や、や」とうなずいて見せている。
「塩?」
「この男どもは長浜の塩問屋の男衆でな。国友村では鍛冶場に浄《きよ》めの塩をまくから、よそよりも塩使いがあらい。――そうじゃろ?」
「へい、国友鎌太夫さまのところへ持って参じます」
「そうか、通れ」
と、あごをしゃくるのに、さっき止めた狼みたいな顔をした番卒が、じいっと下積みの方の俵に眼をそそぎ、なに思ったか、槍をとり直した。
「あ、あの中に何かかくれておるとでも思われるのか」
と、本来の番卒はあわてた。槍をとり直したのは――甲賀者とまでは知らないが、家老の島左近から特別の命令を受けて応援に来た武士だということは承知している。しかし。――
「まさか?」
といったのは、その塩俵が、あかん坊なら二つ重ねて入るかも知れないが、一人前の人間なら、からだをどうまるめようと入りっこない大きさだからであった。
が、甲賀者は、もう二人の甲賀者とうなずき合い、三本、槍をそろえて、その中の三つの俵にぷすうっと突き刺した。
べつに、ただの塩俵を突き刺した以上の反応があったとは見えない。のみならず――やがて引き抜いた槍の穂先に血潮のあともない。ただ白く塩がこぼれたばかりである。
そうれ見ろ、何を疑ぐりぶかい――といった顔をふりむけた番卒に、しかし甲賀者は横柄《おうへい》にあごをしゃくった。
「水を持って来い。桶《おけ》一つではない。七つ、八つ、大桶に持って来させい!」
ただならぬ気配をおぼえたらしく、番卒は駈け走り、やがて仲間といっしょに桶に水を入れて運んで来た。
このとき、いま槍を刺された三つの俵は路上に放り出されている。甲賀者たちは、それに桶の水をぶっかけた。
「何なさるだ」
「これはうちの塩蔵にあるものを運んで来ただけだに」
「水かけた塩俵は商売物にならねえだぞ!」
と、塩問屋の男衆は、われに返っていきり立った。甲賀者たちは無表情にいう。
「わかっておる。おまえたちには罪はない。塩蔵で変っておったのじゃ」
「塩代はあとでくれてやる」
「――見ろ!」
そこにいたものすべてが、ぎょっとして眼を見張った。俵の中から、何かがたしかににゅーっとふくれあがって来た感じなのだ。水を吸った塩ばかりではない。
甲賀者たちが躍りかかって俵の縄《なわ》を切るより早く――塩を散らしながら、中から転がり出して来たのは、まるはだかの、幼児大の人間であった。幼児といわないのは、それがことごとく皺《しわ》だらけであったからだ。きいきいと錆《さび》たような声が、三つの巾着《きんちやく》みたいな口からもれた。
「水……水……」
甲賀者たちが残りの水桶をそばに置くと、その奇怪な動物たちは桶にとりついて、ぶきみな音をたてて水を飲みはじめた。それにつれて、彼らのからだは刻々と大きくふくれあがってゆく。――爛々《らんらん》たる真夏の白日の下に、それは見ていてもおのれの眼が信じられない怪異の光景であった。
むろん、これがただの人間であるはずがない。彼らは伊賀者であった。
人間の六三パーセントは水である。人体からあらゆる水分を瀉泄《しやせつ》し、排泄すれば彼は約三分の一の肉体となる。彼らはそれをやって、塩漬《しおづ》けになって、国友村へ潜入しようとした。が、水分がないのに全身の骨がことごとく軟骨化したように一団の肉塊と化していたのは、そもいかなる忍法か。
しかも、――いま、小柄ながら、たしかに大人の人間とわかるからだに戻って。――
「あっ。……痛《つ》う!」
「む、無念!」
ひどくタイミングの遅れた悲鳴を発したかと思うと、改めてその胸や脇腹《わきばら》の槍傷からビューッと盛大な鮮血を噴出し、彼らは地に爪《つめ》をたてると、そのままみるみる蒼褪《あおざ》めて、がくりと動かなくなってしまった。
服部半蔵は愕然《がくぜん》とした。
だれが見ても、実に驚くべき怪術で、彼ら自身それを使うのを大袈裟《おおげさ》なように思ったものの、ともかくも国友村へ潜入するのが先決だということになり、それだけに潜入そのものについては絶大の自信を以て試みたのだが、あっというまに十人のうち六人まで、伊賀組中のベテランを失ってしまったのだ。
半蔵が佐渡守に「最も手練れの伊賀者」とあえて言明したほどのめんめんである。彼らが体得する忍法のうち、それら「蠅|達磨《だるま》」「枯葉だたみ」の秘術の奥義に達するまでにも、どれほど超人的な修行を必要としたことか。――
――いま、国友村に潜入することも容易でない。
改めて佐渡の警告が想起された。
その通りだ。この思いがけない打撃を受けたところを見ると、国友村を防衛しているのはただの石田方の侍であるはずがない。おそらく、三成手飼いの忍者だ。
そう認識を新たにして、半蔵と生残りの四人の伊賀者が衝撃を受け、立ちすくんでしまったかというと、むろんちがう。
敵中に忍者ありと知ればこそ、またはからずも味方に六人の犠牲者を出したことを思えばこそ――彼らはふるい立った。敵愾《てきがい》心を燃えたたせた。ことここに及んだ以上は、ただ徳川家のためのみならず、服部組の名にかけて!
三成手飼いの甲賀者たちも、素破《すわ》とどよめきたっていた。
徳川方が国友村に唾《つばき》つけるおそれがある――と島左近からきいたとき、半信半疑、まさかと、それこそこちらこそ眉《まゆ》に唾つけてやって来たが、偶然、蠅を群舞させて国友村へ入ろうとした不審の者を発見して、彼らははじめて衝動を受けた。左近の言は杞憂《きゆう》にあらず、しかもあれはあきらかに徳川の忍者だ。十日ばかりのち、彼らが塩俵に人間のミニアチュアと化して潜入しようとした敵を看破したのは、先の経験による厳戒の功にほかならない。
さいわい、これまでは完全に阻止し得たものの、敵の企図がこのまま挫折《ざせつ》するものとは断じて思われない。さらば、敵が徳川の忍び組とあれば、ここはおのれらの出生した国とおなじ近江、すなわち「純生」の甲賀者の誇りにかけて!
――かくて両者の国友村潜入作戦と阻止作戦がくりひろげられることになったわけだが、さてそのなりゆきは一見、意外にあっけなかった。
七月半ばの或《あ》る夕方である。
長浜の或る居酒屋で鮒鮨《ふなずし》をさかなに酒をのんでいる四人の男があった。二階は旅籠《はたご》になっていて、下は土間の店となり、しかも裏側が湖を一望に見渡せるように吹きぬけになっているので、特に夏にはよく繁昌《はんじよう》する。
むろん、客はその四人ばかりでなく、足軽《あしがる》、町人、行商人、表に馬をつないだ馬子《まご》、そんな手合いがわめき合っている態《てい》の店だが、その四人の中の一人が、突然、
「おう、ややこ[#「ややこ」に傍点]踊りか」
と、大声を発し、
「ここへ来い。ここへ来い。話をきいてやる」
と、手をひらひらさせてさしまねいたのである。
ほんのしばらく前から門口に来て、店の男にしきりに哀願している男女の一行があった。
男二人、女二人。――男の方は赤い頭巾《ずきん》にたっつけ袴《ばかま》、それに太鼓を背負い、鼓、鉦《かね》、笛などを持っている。女は、一方は紅梅、一方は白梅の小袖《こそで》をつけ、これも金糸銀糸で刺繍《ぬいとり》をした袴をはき、腰に大小をさしている。こう書くといかにも華やかげだが、また本来そうあるべき男装にはちがいないが、事実はそれらの衣裳《いしよう》は風雨にさらされ、埃《ほこり》にまみれて、相当にくたびれた外観であった。
それが先刻から、宿の男に宿泊を頼み、旅籠の方は一杯だと断わられて、途方にくれているようなのだ。女二人の方はとくに疲労しているらしく、ぼんやりと立ったまま、またときどきかなしげな眼を店の中の景観にさまよわせていた。
で、いま、その四人の客の一人に。――
「悪くはしないから、ここへおいで」
と、呼びかけられて、四人の旅芸人はほっとしたように、またおずおずとして居酒屋の中に入って来た。
「ややこ踊りの一座らしいが、たった四人か」
「はい」
と、太鼓を背負った男が答える。
「京までは七人おりましたが、京で三人ぬけまして」
「どこへゆくつもりだな」
「北国へでも向かおうと存じてここまで参りましたが。……」
「では、はっきりした見当もないのだな。それじゃ、おれたちの村へ来たらどうだ」
「あなたさまがたの村、とおっしゃると?」
「ここから一里ばかりの国友村という村だ。年に何度かはわざわざ芸人一座を呼んでいるんだ。くたびれておるようで、また少々歩かせるのは気の毒だが、来た以上悪くはしない。何なら、暑い盛りずっと滞在して、秋ごろまでいてくれたっていい。来る気があるかね?」
「そ、それは願ってもないことでございます」
四人のややこ踊り一座が顔色をかがやかすのを、四人の国友村の男たちは、にやにやしたり、ささやき合ったりしながら、穴のあくほど見あげ、見下ろした。
十年ほど前から出雲《いずも》の阿国《おくに》という巫女《みこ》が「念仏踊り」とか「歌舞伎《かぶき》踊り」とか、この「ややこ踊り」とかいう舞踊団を組織して一世を風靡《ふうび》しはじめてから、無数に現われたその物|真似《まね》の、最も小さな一座だろう。しかし、うらぶれたその衣裳にも似ず、国友村の男たちの眼をひいたのはあきらかにこの一座の男女の美貌《びぼう》であった。とくに女たちの、たとえ埃にまみれていても、一人の肉感的な、一人の優雅な顔だちは覆いがたい。
「おまえたち、夫婦《めおと》かな」
「いえ、これはわたしの妹でござりまする」
「ほ、兄妹か? ほんとうかね? こっちも?」
「わたしどもは、これでも夫婦の縁を結んでおりまするが。――」
「ははあ」
改めてなめまわす視線が、いかにも田舎《いなか》者らしく傍若無人《ぼうじやくぶじん》だ。――いったいにこの四人の国友村の男たちは、さっきから酌女に対してもほかの客に対しても無遠慮で、人を人とも思わないところがある。とくに、しきりに問いかけている蟇《がま》みたいな顔をしたでぶ[#「でぶ」に傍点]はひとしおで、
「おうい、もっと酒を持って来い!」
と、また傍若無人なしゃがれ声を張りあげた。
「じゃ、ともかく芸を見てやろう。そこで一踊りしてもらおうか」
「まあ、よせ、鋤右衛門」
と、色の黒い痩《や》せた男がとめた。
「では、酌でも一つ」
「いや、もう引揚げよう。日が落ちて涼しくなってからと思っていたが、こういう連中をつれてゆくとなると、夜となるとかえっていろいろと番所がうるさい。もう帰ろう」
「あれか。うふ、ああいう木《こ》ッ端《ぱ》役人というものは、こっちでおどしつけるとかえってちぢみあがるものじゃが、しかし、ではそろそろ帰るとするか」
やがて国友村の男たちは、ややこ踊りの一座をつれて居酒屋を出た。
ぶらぶらと北へ向って歩き出す。夏の夕日は湖の西の山々を紫紺に染めて沈みかかっている。
田圃《たんぼ》の中の道を二キロもゆくと、
「待て」
果せるかな、水車小屋のかげから槍を持った番卒たちが現われた。
「やあ、御苦労さまでがす」
と、こちらの一人が笑って挨拶《あいさつ》した。色は白いが、ぼってり肥《ふと》った男だ。
「これから村へ帰るところでござる」
「わかっております。……しかし、そちらの異形《いぎよう》の四人は?」
顔見知りで、しかもこの四人は国友村でも重だった連中らしく、番卒たちは案外に鄭重《ていちよう》である。
「長浜で逢《お》うたややこ踊りの一座でござる」
「それは一応、取調べる。こちらへ」
「わしらがつれて帰る人間を疑いなさるのか?」
傍《そば》からのそりと立ちふさがったのは、一番年上の――五十年輩の、眼がおちくぼみ、口がへの字に曲がった、いかにも頑固そうな男であった。
「ここ四、五年、毎年国友村へ呼んでおる一座じゃが」
「え、ここ四、五年。――」
「わしら国友|新家《しんや》衆をお疑いなされるか。石田家の方で御信用なさらぬとあれば、わしらもこれからそのつもりでおるが」
「い、いや、信じる。信用し申す。毎年のなじみとあればよかろう。おゆきなさい」
と、番卒たちは狼狽《ろうばい》して道をひらいた。
四人の国友村の男たちはそっくり返り、ややこ踊り一座をうながして、大手をふって通った。そのあとを見送って。――
「あのめんめんは何だ」
と、うしろの方に立っていた番卒が、くびをかしげながらきいた。甲賀者である。
「ばかにいばりくさっておるの」
「あれが、いまの国友村の実質上の頭分、新家と呼ばれておる四人の鉄匠でござる。いったいにこのごろ景気よく、肩で風を切っておる国友|鍛冶《かじ》の中でも、最も手のつけられぬのがあの四人で、何でもそれぞれ鉄砲作りの秘術を心得、その力をかりねばろくな鉄砲が一|梃《ちよう》も出来ぬそうで、いちばん手がつけられませぬ」
「ははあ、あれがそうか」
と、甲賀者はにがい顔をした。彼は、島左近の――職人らしく、なかなか傲岸《ごうがん》な変り者が多い。へたにあしらってへそを曲げられてはかえって当家のためにならずと、腫物《はれもの》扱いにして来たが――という言葉を思い出したのである。
「あの四人、何という名であったな?」
「鎌太夫、鉄算、鍋三郎、鋤右衛門。――」
――国友村へ入ったとき、その一人、色の黒い、痩せた鴉《からす》みたいな国友鉄算が、突然ふりむいていった。
「徳川家の方かな」
四人のややこ踊りの男女は息をのんだまま、とっさに返事も出来なかった。
「さきごろ、国友村へ潜り込もうとして殺されたという妙な連中があった話をきいておったので、もしやと思ってきいたのだが、どうやらそうらしいな」
鉄算はうす笑いして見まもった。
「しかし、女を使者にするとは喃《のう》。よほどせっぱ詰って焦《あせ》ったか。……いや、徳川家からのその後の話、待っておった。きいて進ぜる。ただし、それを受け入れるかどうか、それは物は相談じゃが」
半蔵を除く服部組の男女四人の忍者は、はじめから長浜の居酒屋にいた国友衆を、国友鉄砲鍛冶の中で、とくに本多佐渡から名ざしで注意を受けた実力者たちと知っている。知っていて、それにとり入るつもりであったが、生むは案ずるより易し、向うからのこのことこちらの罠《わな》に落ちて来たと思った。
しかし、いまにしてこの四人の鍛冶衆が、石田の防衛線に劣らず厄介至極な、一筋縄ではゆかない存在であることを予感せざるを得なかった。
「――とにかく、村の四人の年寄衆には逢《あ》わせるが」
と、国友鉄算がいう。
「それはそれとして、表向きにはやはりややこ踊りの一座ということにしておく。ときどき辻《つじ》の広場で踊って見せてくれい。一応の踊りは出来るであろうが」
にやにやと笑った。徳川からの使者と知りながら、彼はまだこんな言葉づかいをする。
――たしかに戦国でも異色な部落ではあった。トンテンカン、トンテンカン、トンテンカーン、と、至るところで鉄で鉄を打つひびきがする。ふいごの音が流れる。それはふつうの刀鍛冶の家からも発する音響だが、そのほかどこかで、轟然《ごうぜん》と鉄砲を試射するらしい連続音が聞えるし、村の中の道をゆき交う車にも、おびただしい鉄塊、銅塊、それに出来上った鉄砲の部品類が多く、いかにもものものしい景観である。
鍛冶町という町名が日本じゅうあちこちに多いように、ほかに例もないではないが、この村のように鉄砲鍛冶ばかり七十三軒も軒をならべているところは――特にこの慶長初年代に於《おい》ては珍しい。
鉄砲を製作しはじめてからでも約五十年、それ以前の長い刀鍛冶の歴史をも加えて、その伝統を物語る家々は、たんに田舎の職人町の規模を越え、厚い土塀や漆喰《しつくい》塗りごめの壁はむしろ土豪の屋敷に似て、しかし作っているものがともかくも近代兵器だから、自然と、当時に於ては異風な工都の趣きをすら呈している。
新家四人衆は、その村の中を、四人の年寄の家にひきまわした。
国友村の四人の年寄というのは、天文《てんもん》年間、足利将軍から鉄砲製作を命じられた四人の刀匠の子孫であって、組合組織の事務局を司《つかさど》っている。その下の組合員は、年寄脇《としよりわき》、若年寄、平鍛冶と階級づけられていて、さらにこの平鍛冶は上下に分けられている。年寄は外部からの発注を受け、組合員の割りあて、製品の規格検査を行い、また試射に立ち合い、支払われる鉄砲代の受領に責任を持つことになっている。
名も、先代通り、善兵衛、藤九左衛門、兵衛四郎、助太夫をついだ四人の年寄は、徳川の密使を迎えて、眼をまるくした。しかし、むろん騒ぎたてることはない。本多佐渡が七、八分までその心を動かしておる、と打明けた通りであった。
徳川家に随身《ずいじん》すれば、村の安泰はもとより、永代徳川家の専属兵器|廠《しよう》たる身分を保証し、鉄砲の代金のほかに、四人の年寄にはそれぞれ百石、以下下級の平鍛冶の三石三斗三升に至るまでの扶持《ふち》を給する。使者は、かねてから与えられていたこの条件を告げ、これを承諾するならば、その証文代りに、九月半ばまでに十五梃の大砲を製作して徳川家に引渡すべく相つとめよ、という契約を持ち出した。
「存外、高飛車じゃな。太閤さま時代とちっとも変らんではないか」
と、つれて来た新家衆の一人、蟇《がま》みたいな顔をした国友鋤右衛門がしぶい顔をした。
「そこが大御所さまの大御所さまたるところじゃて」
と、長老の国友善兵衛がうなずく。
「しかし、大御所さまが名も実も天下取りにおなりなされるは、まず大地を槌《つち》で打つがごとしとわしは見ておるぞよ」
職業上、各大名の軍備の内情については詳しいらしく、年寄たちは、天下の形勢については、野《や》の軍事評論家以上の見識を持っていた。
「ただし、そのような大砲をないしょで作り、かつ外へ持ち出すのがむずかしいが」
「その条件では、まず一思案しよう」
と、国友鉄算がいった。
服部の使者の一人はたたみかけた。
「大砲製造の秘密を防衛するという点については、われらも協力いたす。あまりに大事をとっておられると、かんじんの期日に遅れましょう」
「遅れたら、どうなるな」
と、国友鎌太夫がいった。
「徳川が天下をとった場合、国友村の不利となります」
「それはわからぬよ」
と、鎌太夫はぐいと下唇をつき出した。
「徳川の天下となるかどうかはまだわからぬ」
そして彼は、傲然《ごうぜん》とそり返った。
「それはじゃな、この国友村が徳川につくか石田につくかということによって、天下の秤《はかり》がどう動くか知れぬからじゃよ。とくに、大砲製造にかけては、口はばったいが、まずそこのお年寄衆もお口の出しようのないこの鎌太夫の心次第でな」
――特に、国友村の頭分の中に四人の鍛冶あり、国友鎌太夫、鉄算、鍋三郎、鋤右衛門という男どもじゃが、これらの伝える鉄砲作りのわざは、聞くだに容易ならぬものがある。それを思うといよいよ以て彼らのわざを石田に使わせてはならぬが、またこやつら、おのれの腕に自信があるだけにいずれも煮ても焼いても食えぬしぶとい根性の持主、二|分《ぶ》三|分《ぶ》の不安というは、実はこの四人の男が煮え切らぬからともいえる。――
どうにかこうにか国友村に入った伊賀者――秋篠内記《あきしのないき》、川枯兵之介《かわがれひようのすけ》、お眉《まゆ》、お墨《すみ》の四人は、この本多佐渡守の言葉を、はじめはなるほどとうなずき、やがて心魂に徹して思い知らされるようになる。
この国友村の支配者は、名目上|或《ある》いは事務的にはいかにも例の四人の年寄だが、ほんとうの実力者はこの新家衆と呼ばれる四人らしい。彼らが異議を唱えれば、年寄もどうにも動きがつかないらしい。それはこの新家衆が鉄砲ないし大砲製作上の独歩の技術者だからであった。
そして彼らが年寄の意向に必ずしも従わないのは、これまたそれぞれ独歩の理由があった。
国友鋤右衛門。
例の蟇みたいな顔をしたでぶ[#「でぶ」に傍点]である。ひたいが禿《は》げあがり、唇あつく、あぶらぎって、いつもふうふうとふいご[#「ふいご」に傍点]みたいな息づかいをし、大して可笑《おか》しくもないのに、濁った声でげらげらとよく笑う。
彼が徳川家の誘いに乗ることに気が進まないのは、その金銭的条件に不服だからであった。家康の出した条件が、太閤時代とほぼ同じというのもたしかにしぶいが、しかしこの鋤右衛門その人が、もともと強欲のためであることは争えない。
彼の鍛冶場に出入りする商人は――大半、女だ。というのは材料を買うにも、製品を売るにも、相手が女でないと、その強欲ぶりにいかなる近江商人も音《ね》をあげるからだ。一|文《もん》のちがいにも終日大声を発してやり合うことを辞さない。それが、女だとややまけ[#「まけ」に傍点]る。――
ただまけ[#「まけ」に傍点]るのではない。彼は必ずその代償、すなわち女の肉体を要求する。そしておのれの鍛冶場で平然とこの「商関係」を望んで恥じるようすもない。国友村は刀匠時代から鉄砲鍛冶時代に変ったが、まだ注連縄《しめなわ》などを張った家も多いのに、これは特別例外であった。その点、これまた一個の天才といってよかったかも知れない。
彼は甚だ好色であり、かつ同時に技術上の天才にちがいなかった。銃身の製作にかけては彼に及ぶ者がなかったのである。
もともと日本に渡来した南蛮銃の銃身ははじめは鋳造《ちゆうぞう》法による――つまり、鋳物《いもの》であって、のちに鍛造法になったが、それも一本の幅広の錬鉄を心軸のまわりに捲《ま》きつけ、そのふちを重ね合わせるだけの単捲《たんけん》法によっていた。それを国友鋤右衛門は、鉄板をマキシノと称する鉄棒を心として、ワカシ延ばしに捲いて真《しん》を作り、この管へさらに葛《くず》の材料鋼を捲きつけて鍛接するいわゆる双層交錯法を発明したのだ。それによって火薬の爆発力とその発生熱に対する耐久力は倍加した。
彼は国友村のほかの鍛冶にもこれを教えたが、教えるには必ず金か女かを要求した。それでほかの鍛冶の銃身も売物にはなったが、そのくせ鋤右衛門自身の作る銃身にはとうてい及ばなかったところを見ると、彼はまだ余人には隠している秘術を保持していたにちがいない。
この秘法を餌《えさ》にして、彼は女を釣り寄せる。――彼は好色であるのみならず、甚だ多淫《たいん》でもあった。
「鋤右衛門は、相手が女でありさえすればだれでもいいのじゃないか」
と、かげで笑っていった商人もあった。
「何なら、牝《めす》でさえあれば」
実際その通りだが、それでいてやっぱり彼は心中点数をつけていて、美人であればあるほどまけ[#「まけ」に傍点]る。それがあまりげんきん[#「げんきん」に傍点]なので、あまり美人でない女に「商関係」を結ばせた場合など、その使い方のはげしさに比して、あまりにまけ[#「まけ」に傍点]方が少いので、その女が自尊心を傷つけられて怒り出すことがしばしばであった。
もっとも彼としても相手が美人であるほど、事実上その使い方がはげしいのだからあたりまえだというだろう。
「おれがいやかね」
と、にたにた笑い、
「まあ、人身御供《ひとみごくう》だから、女に好かれる狒々《ひひ》はいないね」
と、自分でも承知していて、
「ところがこちらからすると、いやがる女ほど――女がいやがればいやがるほど面白いのだから、そのつもりでおってくれ」
というのだからまったく助からない。
実際鋤右衛門はサディストであった。べつにぶったりたたいたりするわけではないが、常識外の野卑醜悪な行為を強《し》いて、女が嫌悪、苦痛、屈辱感にもだえればもだえるほど、この世が愉《たの》しくてたまらないといった顔をする。
しかも、ふしぎなことにその結果、このあぶらぎった蟇みたいな面構えの、強欲好色な男に、それ以後くっついて離れたがらない女がまま現われるものだから、彼としてはやめられない。
この鋤右衛門がお眉に眼をつけた。
国友村へ来て、はじめて眼をつけたのではない。そもそも長浜の居酒屋で、門口に立った一座のうちまっさきにお眉を、涎《よだれ》もたれんばかりに呼びこんだのはこの鋤右衛門である。
恐ろしく肉感的な彼女の美貌《びぼう》は、いちばん彼の好みに合った。というより、相手えらばずといわれたほどの彼が、生まれてはじめて、
「この女が手に入るなら、世の中のほかの女はみんな要《い》らない」とまで思い込んでしまったのだ。
ところが、さて、お眉は一座のうちの秋篠内記と夫婦だという。――いや、ややこ踊りの一座がいつわりである以上、それもいつわりであるかも知れないが、しかし二人のようすを見ていると、逗留《とうりゆう》している国友善兵衛宅では、夜の寝室など男二人、女二人と分れているにもかかわらず、やはり夫婦者らしいふしが見られる。そもそも鋤右衛門の眼からみると、あんな美しい女と、同行している男が肉体関係を結んでいないはずはないと思われるのだ。
或る日、鋤右衛門は、お眉をひとり、自分の鍛冶場につれこんだ。
「鉄砲筒を作るところを見せてやるから」
という名目だ。
実際に、それは見せた。弟子を使い、燃える炉の前で、ワカシ延ばしに捲いて作った真へ、リボン型の鋼をぐるぐる捲きつけて鍛接する光景を見せた。
半身に真っ赤な火照《ほて》りを受けて、下帯一つで仁王《におう》立ちになり、この作業をにらんでいる蟇入道みたいな裸像はさすがに森厳であり、はじめてお眉もこの男の姿を美しいと見たほどである。
が、美しいと見えたのは、ほんのいっときであった。
「お眉、おまえさんはほんとうにあの内記と夫婦かね」
みるみる出来上って来る鋼の銃身を見下ろしたまま、鋤右衛門はいう。
「ほんとうでございます」
と、お眉は答えた。事実、その通りであった。ちらっとそれをふりかえった鋤右衛門の眼に戸惑いの波がゆれた。
「残念じゃのう」
「何がでございます」
「お前さんの受けた御用命、首尾よくとげさせてやりたいがよ、それはお前さん一人の手柄にかぎる。それがあの内記と夫婦ってえなら、おまえさんの手柄は内記の手柄となる」
「…………」
「けっ、年寄に百石。それじゃおれらにはまず五十石がいいところだろう。たった五十石で、へたに動けば首のとぶ徳川加担など大《だい》それたことが出来るかよ。千石より、ビタ一文もまからない」
お眉は不安そうに弟子たちの方を見た。が、弟子たちは危険な仕事に精魂を吸いとられているのか、親方に完全に掌握されているのか、その動作に乱れはない。
「はっきりいっておくが、おれはやめた。大砲筒と鉄砲筒は同じじゃないが、しかしおれが手がけるだけで大砲筒の強さもちがうが、おれは手を出さぬことにした。おればかりじゃない、国友村ぜんぶを抑えて見せる」
鋤右衛門は自分の言葉に昂奮《こうふん》した。あまりにも国友鍛冶をなめた大御所のしわん坊ぶりが、思えば思うほど腹にすえかねるのだ。ほんとうに怒り出したので、その濁った声には恐ろしい迫力があった。
「お眉、いいかえ?」
彼はやや自制心をとり戻したようだ。蟇が美しい虫を見つけたように舌なめずりを一つして、
「これからおれのいうことが不承知だったら、すぐにこの鍛冶場を出てってくれ。同時に、おまえさんたちと国友村の縁も切れたと思ってくれ。……いいかえ? この国友鋤右衛門、おまえさんに惚《ほ》れたよ。だからおまえの亭主の手柄になるのが好ましくないのだ。けちなようだが、男ってえものはそんなものさ。そこを――せめていっぺん、ぎゅうっと抱かしてくれえ。そうしたら、おれの扶持《ふち》、ビタ一文もまか[#「まか」に傍点]らない千石を、そうだのう、九百石までまけ[#「まけ」に傍点]て承知する」
お眉はじっと動かなかった。鋤右衛門の眼はかがやいた。
「あっちへゆけ」
灼熱《しやくねつ》した鉄砲筒を冷やしにかかっている弟子たちにあごをしゃくった。
彼は巨体をお眉とならんで坐らせた。
「出てゆかぬの」
にたっと笑った。
「それじゃあ、一つ」
そして、毛むくじゃらの片腕をお眉の肩にまわし、ぎゅうっと抱きしめた。いった通りだが、まるでお眉をねじ切らんばかりの抱擁であった。
分厚い唇から出るとは思われない声でささやく。
「口を吸わせてくれえ」
「…………」
「吸わせてくれたら、九百石を八百石にまける。承知したら、まばたきをしてくれえ」
――数十秒後、お眉はかすかにまばたきした。
蟇入道は吸いついた。これまた盛大強烈な接吻《せつぷん》で、お眉は窒息寸前の痙攣《けいれん》みたいにもがき出したが、鋤右衛門はまだ離さない。彼は百石分吸いあげるつもりでいる。
やっと離れると、お眉は脳貧血を起したようにのけぞり返った。それを抱きとめて、
「ひとつ、乳をさわらせてくれえ。……」
次第に、鋤右衛門は図々《ずうずう》しくなった。これが彼の本領であって、これまでは惚れたあまりに彼らしくもなく、むしろ遠慮しすぎていたといえる。
女ががっくりと首をのけぞらしたまま、苦しげにただあえいでいると、鋤右衛門はこんどはそのゆるしを待たず、襟《えり》かきひらいて雪のような乳房を出し、一方を芋虫みたいな指でもみながら、一方にしゃぶりついた。
それから――。
「どうじゃい? いっそ。――」
と、薄目をあけていう。
「六百石……いや、五百石にまける」
相手のいうべきことを、自分でいっている。
「もう一声!」
なに、騒いでいるのは鋤右衛門一人だが――しかしこのとき波打っている女のからだが、はじめて彼の方へおしつけられて、
「ああ、もうたまらない!」
と、あえぐと、熱い腕がひしと鋤右衛門の猪首《いくび》に巻きついた。
――実は、こういうことはときどきある。はじめ嘔吐《おうと》をつかんばかりに苦しんでいた女が、彼の舌の執拗《しつよう》な攻撃に、からだのみならず精神状態まで麹《こうじ》みたいにべとべとにとろけてしまうことがある。
だから、狒々を以て自任する国友鋤右衛門といえども或る意味では変な自信を持っているのだが、これは彼がはじめて真実惚れた女であっただけに、かえってびっくりして、一瞬手を離した。
そのとたんにお眉は鍛冶場の戸口まで泳ぎ出し、乱れつくして名状しがたい凄艶《せいえん》な姿で鋤右衛門をふりかえり、
「夫が。……」
と、いったきり、身づくろいもせず、はたはたと逃れ去っていった。その背に、鋤右衛門はしゃがれた声をふりしぼった。
「そのままじゃと、御破算じゃぞ! 大御所さまのお望みも御破算じゃぞ!」
――三日間、お眉は彼の前に現われなかった。村のどこにも現われなかった。そのあいだ、鋤右衛門ほどの男が、全身情欲にあぶられてのた打ちまわる思いがした。
四日めの夜、お眉は鋤右衛門の鍛冶場にやって来た。珍しく一人で、じっと炉の炎を見つめて坐っていた鋤右衛門は、ふりかえって、火明りを受けた彼女が蝋《ろう》を削ったようにやつれているのに眼を見張った。
「やっぱり、あなたが忘れられませぬ。……」
と、お眉はいって、彼にしがみついて来た。
「五百石にまけ[#「まけ」に傍点]る!」
鋤右衛門はわめいた。歓天喜地の至境に達しても、べつにこの前の条件を譲りもしなかったのは、大御所のしわん坊ぶりと一|対《つい》である。
さて、これから鋤右衛門の鍛冶場で、夜となく昼となく、この世のものとは思われない肉欲の炉が燃えたぎった。
――むろん、煩悩《ぼんのう》の炎でこの鋤右衛門をとろかさんがためだ。
それは夫秋篠内記のゆるしを得たことであったが、もともとゆるしを受けるべきことでもなかった。服部のくノ一として、大御所さまの御下知《ごげち》は、いかなる道徳、思考、生命にすら先行する。――とはいえ、お眉のやつれかたが、彼女の苦しみぶりを何より物語っている。
お眉には自信があった。たんなる先天的な美貌とか、肉体的魅力以外に、忍者くノ一の術としての自信が。――本多佐渡自身、「くノ一ならばかえって好都合のことがあるかも知れぬ」といったゆえんだ。
ところが――鋤右衛門が相手では、すこし調子がちがった。
容易にとろけてくれないのである。
むろん、通常の愛撫《あいぶ》ではない。鋤右衛門はたちまち地金《じがね》の悪趣味を発揮しはじめた。例の女が屈辱感にもだえずにはいられない野卑醜悪な行為を強《し》い出したのである。お眉はそれに耐えた。耐えるのみならず、彼の趣味に麹みたいにべとべとになってしまった女たち同様、いやそれ以上にけだもの化して見せて、鋤右衛門を恐悦させた。
どうしても本多佐渡守さまから示された条件に従うまで彼を軟化させなければならない。
しかも鋤右衛門はますます壮健に、いよいよあぶらぎって来るのだ。軟化するどころか――。
「どうじゃ、どうじゃ。これがほんとうの男であろうが? おまえはおれという男に逢《お》うて、倖《しあわ》せであろうが?」
と、あぐら鼻をうごめかし、そのうち、
「おまえを愉《たの》しませてやって、しかも例の件まけ[#「まけ」に傍点]るということは算盤《そろばん》に合わぬ。これからは、左様、おれのやる精汁を升《ます》で量《はか》ることにしよう。つまり、それだけ徳川の見つもるおれの値段が高くなるわけじゃ。うふふ、なに心配するな、百石分の精汁というと大変なことじゃ。もっとも、おれにはまだまだたっぷりあるから、そうそう気を使うには及ばない。安心してしぼりとってくれ。そうれ!」
などと、勝手な熱を吹き出し、さらに。――
「それはそうと、このこと、内記は知っておるかえ?」
とささやいた。夫は知らぬ、とお眉がいうと、
「知らせてやれ。……いや、見せてやるがいい」
と、とんでもないことをいい出した。――ただの外形的サディズムのみならず、例の精神的サディズムの衝動が彼をとらえはじめたのだ。
それには、このお眉を完全におのれのものとしたといううぬぼれ、またたとえ秋篠内記が知ったとしても、あの任務がある以上、絶体絶命、どうすることも出来ないはずだという見込みもあってのことにはちがいないが、何よりこの肉感的な女に加えるサディズムの快味の予測が、鋤右衛門を酔っぱらわせてしまったのだ。
そして、とうとう、或る日、お眉に秋篠内記をそれとなく自分の鍛冶場に呼んで来させて、隣の土間に待たせ、こちらの秘戯をかいま見せた。あの物凄《ものすさま》じいまでの行為を。
二度、三度、それを試みたあげく、内記が「黙視」しているのに安心してか、それとも興が足りなくなってか、ついにはその場に内記を呼び込んだ。
「特別に見料をこちらから払う。一回十石」
にたにたと笑っていう。――秋篠内記はふるえながら、歯をくいしばってなお黙視していた。
しかし、伊賀者夫婦はみるみるやつれた。――二人は、二人だけになったとき、ただはらはらと落涙するばかりであった。
「あなた、わたしは死にとうございます。……いえ、いま死んでしまえば、あのけだものも人間にかえってくれるかも知れません。……」
「いや、すまぬのはわしだ。しかし、いま死んではすべてが水の泡となる。やられ損じゃ。……」
秋篠内記も、天然自然に勘定本能が伝染している。
「いかなる責苦《せめく》も徳川家のために辛抱してくれい。……」
「でも、鋤右衛門の気力は一向に衰えるようすもありませぬ。……」
そしてお眉はついにいい出した。
「内記どの、もはや鋤右衛門を穴よろけに堕《おと》すよりほかはないのではありますまいか」
「なに、穴よろけ?……しかし、そうすると鋤右衛門は当分、半廃人になるぞ。となると、きゃつの銃身製造というせっかくの貴重な技術が使えぬことになる」
「けれど、あの男は、大砲の方には直接関係がないようでございます。たとえ、ここ二タ月|三月《みつき》は廃人となっても、あとになればもとに戻ること、徳川家のものにしてから存分に使ってやればよいことでございましょう」
「では、やってみるか?」
「はい! けれど……わたしの狂態をどうぞおゆるしなされて」
忍法穴よろけ。――それは交合に於《おい》て、男をして常態の二倍三倍もの量を不可抗力的に射精させる術であった。
従って男女はそれに比例する強烈な快感を味わうことになるが、男の場合当然その消耗度は甚大で、みるみるうちに憔悴《しようすい》し、やがて肉体はよろけ、頭脳は半呆《はんぼ》け状態となる。
お眉はこれを試みた。
わたしの狂態をゆるせ、と彼女はいったが、これまでの体験を超えて内記は、なお眼を覆わんばかりであった。女体そのものが意志を超えて一匹の女獣、どころか淫靡《いんび》なる粥《かゆ》状物質となるかと見えたからであった。
しかし効果はやがて現われた。さしもの国友鋤右衛門のあぶらぎった顔もつやを失い、がに股の足もよろけ出した。
ところが――彼もおのれの肉体の異変に気づいたらしい。ふつうの男なら、気づいてもまさかそれが特別の忍法とは思わず、思ってもその魔魅《まみ》の快楽の誘惑にどうすることも出来ないはずであったが、鋤右衛門は突如として妙なことをいい出したのである。
「おお、そうじゃ。いつか村にきた京のあぶれ公卿《くげ》が教えてくれた――医心|方房篇《ほうぼうへん》とやらの環精の術!」
それは、いったん放出したおのれの精をふたたび口にとることであった。のみならず――鋤右衛門は、思いついたその術に、自分の着想、勘定高い強欲な彼の頭脳でなければ決して湧《わ》いて来ない怪奇なるアイデアを加え、らんらんと眼をひからせて内記を見すえ、世にもうれしげに吼《ほ》えたのである。
「おれが放出したあと、おまえもやれ。……いいか、主命のためだぞ。あとはおれが二人分吸う!」
――かくて、秋篠内記はいよいよやつれて、国友鋤右衛門はいよいよあぶらぎった。
国友鍋三郎。
色白で、ぼってりと肥った男である。新家衆四人男の中でいちばん若いが、どこか土左衛門みたいな感じがしないでもない。
これで国友鉄砲にはなくてはならない存在なのである。
というのは、筒の底をふさぐ雄螺旋《おらせん》、雌螺旋《めらせん》、すなわち捻《ねじ》が、この男によってはじめて発明され、そしていまも彼の手を以《もつ》てせねば満足な捻一本も作り得ないからであった。捻の発見ということは実に大変なことなのだが、この鍋三郎は男のくせに台所仕事が好きで、たまたま大根の皮をむいているときに、庖丁《ほうちよう》の先が欠けた。すると欠けた庖丁のかたちの通りに大根に痕《あと》がついたので、豁然《かつぜん》として捻のアイデアを生んだという。国友村のニュートン的天才である。そしてこの捻の製作法も、鑢《やすり》で切ってまず雄螺旋を作り、これを同型の鋼鉄製の雄螺旋を鉄筒の末端におしこんで雌螺旋を製作するのだが、これがきわめて熟練した技巧を要する。
洞富雄《ほらとみお》氏の「種子島銃」によれば、「鉄砲の作り方はむかしから秘伝になっていたが、なかでも螺旋の製作法は極秘になっていたらしい。職人の腕をためすにはまずこれを試みさせたという」とある。それほど鉄砲製造中のポイントともいうべき技術なのだ。
さて、この国友村のニュートンも、徳川家からの誘いに甚だ腰が重かった。べつにその条件を秤《はかり》にかけて考えこんだというわけではない。この男自身がもともときわめて煮え切らない性質だからであった。
優柔不断、あっちへふらふら、こっちへふらふら、まあプロへ入ろうか大学へゆこうか実業野球を選ぼうかと、父兄や先輩の意見の風のまにまに、スカウトを悩ませる甲子園の高校生のようなものだが、実はそれ以上で、本人の意志というものがちっともない。
彼を支配している者がある。それはおくらという後家であった。
彼はその家に入りこんでいる。いや、そこに住まわせられている。――ふしぎなことは、鍋三郎自身はぶよぶよと肥っているとはいえ、決して醜い容貌《ようぼう》ではないのに、このおくらというのが、鋤右衛門を女にしたような大|醜女《しこめ》なのだ。これに支配されるどころか、奴隷状態になって、ときどきその家から悲しげな泣き声が流れてくるのを、だれかときけば鍋三郎の声だという。
観察していると、外部から来た伊賀者たちは、例の秘命の有無に関せず、この哀れなる天才を救出したいという人道的感情につき動かされるほどであった。
ただ、さらに観察していると、さらにふしぎなことに、往来を歩いている鍋三郎の表情が、それほど不幸そうでない。決して陽気な顔とはいえないが、さればとて悲劇的運命に泣いているという顔でもない。
「とにかく、きいてやれ」
と、川枯兵之介はお墨に命じた。
「何か、あの後家に握られている弱味があるのだ。――女のおまえがきいた方がよいだろう。それによって、あの男をこちらのものにするめど[#「めど」に傍点]がつくかも知れぬ」
最初、兵之介はお墨と兄妹だといったが、むろんそうではない。ほんとうは恋人同士だ。
或《あ》る日、姉川のほとりを一人歩いている鍋三郎を、偶然ゆき逢《あ》ったように見せかけて、お墨はつかまえた。そして、例の徳川加担のことをその後どうお考えかときいた。清麗なお墨がやさしい笑いを――というよりせいいっぱいの媚笑《びしよう》をたたえていたのはむろんだ。
「あれは、そのままだな」
と、鍋三郎はうすぼんやりと答えた。
「そのままとは?」
「このままにしておった方がいいということだな」
この捻作りの天才は、こうしていると頭の捻がゆるんだ男のように見える。
「何も石田加担の徳川加担の――と、そんな恐ろしいことを決めることはない。いままで通りに暮しておればいい――と、おくら後家はいうんだな」
お墨を見る鍋三郎の眼には恐怖のようなものがあった。はじめはこういう問答を怖《おそ》れているのかと思ったが、やがてそうでないことがわかった。
ふいに鍋三郎は壁を塗るような手つきで両手をつき出し、しぼり出すようにさけび出したのだ。
「おれは女がこわい! こうしてたった二人で、女と向い合っているとこわくてたまらんのじゃ。いってくれ、早く、あっちへいってくれ!」
そして、自分の方から背をまるくして、土手の上を逃げていった。
「妙な男だな」
報告をきいて、兵之介はくびをひねった。
「おくらの嫉妬《しつと》がこわいのか? よし、それではおれがきいて見よう」
数日後、川枯兵之介はやはり姉川の河原でひとり笛を吹いていた。土手の上を向うからやって来る国友鍋三郎を見ながらである。
鍋三郎は歩いて来て、土手からこちらを見下ろした。それから、にやっと笑った。どうやら愛想笑いらしい。――
お墨の報告をきいたとき、兵之介は「うすきみの悪いやつだな」とつけ加えようと思ったが、そういえば新家衆四人ことごとくあまりきみのよくないめんめんなので、ことさらに鍋三郎に対してそんな批評を加えることはやめた。しかし、実際うすきみの悪さという点では、外見比較的最もまっとうなこの鍋三郎が一番なのである。それがどういうわけか、よくわからないのだが、忍者としていかなる怪異にもたじろがずに対する兵之介が、この男を見ると背に何かがぬらっとながれるような感じがする。
が、この際、奮発一番、愛嬌《あいきよう》笑いを浮かべてさしまねこうと思っていたのだが、向うで先に笑いかけて来たので、彼の方の笑いはとまってしまった。鍋三郎は意を決した風で河原に下りて来た。
「まことにいい音だな」
と、鍋三郎は近づいて来て、なおにたにた笑いながらいう。
「は、まことに河風が心地よく、きく人もないのを倖《さいわ》い、ややこ踊りのばかげた調べを。……」
「いや、もう少しわたしにきかせておくれ」
鍋三郎は、兵之介とならんで草の上に坐った。
どうにもきみが悪い。例の話をしなければ、と思いつつ、兵之介はともかくも気息をととのえるために横笛に唇をあて、喨《りよう》 々《りよう》と吹きはじめた。その横顔を、とろんとした眼で鍋三郎が見つめているのを感じつつ。――どうもきみがよくない。
「美しいなあ」
と、うっとりとつぶやいた。兵之介は笛をとめた。
「何が?」
「おまえがさ」
苦笑しつつ、兵之介はまた笛を口にあてた。
しかし、実際川枯兵之介は美男であった。まだ廿歳《はたち》だから、美少年といっていい。河原を染めていた夕焼けがしだいに紫色に変ってくる中で、横笛を吹く彼の姿は、もともとややこ踊り一座の囃子《はやし》方の衣裳《いしよう》をつけているし、一幅の絵のようだと形容しても、陳腐《ちんぷ》ではあるが大袈裟《おおげさ》ではない。
「おまえ……わたしと浮気をしないかな」
言葉よりも声の調子が変って聞えたので、兵之介はまた笛を離した。
「え? 何と申されました?」
「ね。……わたしを抱いておくれよ」
鍋三郎は赤い声を出して、兵之介の方へ身をもたせかけて来た。
「なんという美しい男であろ……最初にひと目見たときから、わたしはそう思っていたな。あのように美しい男にいちど抱かれて見たいと……それ以来、起きてはうつつ寝ては夢、思うはそなたのことばかり。……しかし、浮気をすればおくら後家が怒るであろうと案じて歯をくいしばってがまんしていたのじゃが、もうたまらん。……兵之介、わたしをぎゅっと抱きしめておくれ。……」
川枯兵之介はぎょっとして腰を浮かしかけて、からくも踏みとどまり、笛を放り出して鍋三郎のぶよぶよした肩を押えた。
「おう、美しい顔をして、この力の強さ! その手でぎゅっと。……」
兵之介は自分の腕を持てあました。押えている感触もたまらないが、さればとて離せばたいへんなことになりそうだ。――彼はこの男が、どうやら同性愛者らしいと、はじめて知ったのである。
「ひょ、兵之介」
鍋三郎は、ややこわい声を出した。眼つきも、女ならば閨怨《けいえん》とでもいった感じになるのであろうが、かつ本人もその心組みでにらんだらしいが、土左衛門みたいな顔だから可笑《おか》しい。――いや、兵之介は心底から戦慄《せんりつ》した。
「あの話、わたしがうんといわぬと、とうてい物にならんでな」
「は」
「そのためには、おまえがさきにうんといってくれねばならぬ」
「う」
うん、という声は、どうしても出なかった。――ぼってりふとったからだをくねらせ、鍋三郎は、自分ではなまめかしいと聞える声を出して兵之介の袖《そで》をひく。
「さ、抱いておくれ、兵之介、遠慮は要らぬでな。……」
「げっ」
ついに兵之介は躍りあがった。躍りあがったが、逃げきれぬ。逃げては万事休す。――肩で息をつきながら、
「拙者、せっかくながら、衆道《しゆどう》に不敏にして。……」
「だから、わたしが教えてやるでな」
鍋三郎は向うむきになり、裾《すそ》をそろそろとまくり出した。輪廓《りんかく》だけは変に女らしい、むっくりとした臀部《でんぶ》が出現しようとして。――
「し、しばらく、お待ちを!」
と、兵之介は声をふりしぼった。
「う、浮気をすればおくら後家どのがお怒りになりまするぞ!」
鍋三郎はどきっとしたように動かなくなり、裾を下ろした。そろそろとふりむいた。
「怒るかな? 怒るであろうな?」
――このとき川枯兵之介は卒然として怪奇きわまる疑問にとらえられた。
この国友鍋三郎が同性愛者であることはあきらかで、しかもどうやら受身の方らしい。しかし、同性愛者がどうして後家といっしょに暮しているのか? かつ受身の男が、女性といかなる応対をしているのか?
「つかぬことをおうかがいいたしますが」
と、兵之介はいった。
「あのおくら後家どのは……ほんとうに御女性《ごによしよう》で?」
「どうして?」
と、鍋三郎は妙な顔をした。
「女じゃよ。顔は蟇《がま》に似ておるが。……」
そして兵之介がいよいよ晦冥《かいめい》の思いをしていると、ふいにはっしと手を打った。
「おおそうじゃ。うん、衆道を知らぬおまえがわたしの願いを即座にきいてくれる気にならぬのもむりはない。心残りじゃが、それはひとまずとり下げるでな。そこでじゃ、おくら後家の相手をしてやってくれぬかな」
「おくら後家どのの相手?」
「その相手のしようにこつ[#「こつ」に傍点]があるでな。わたしはおくら後家に可愛がられておるが、その可愛がられかたをおまえにまず見せるでな。それをよく学んで、そっくりその通りにやってくれろ。……」
鍋三郎は眼をぎらぎらとひからせて、
「わたしはおまえになり代りたい! おまえのような美しい男に生れ変りたい! しかし、そういうわけにも参らぬでな。で、せめておまえのような美しい男が、おくら後家に可愛がられるのを、この眼で見たいのじゃよ。……」
そして、唖然《あぜん》としている兵之介の手をつかんだ。先刻兵之介の手の強さをほめたたえたが、それに劣らぬ恐ろしい力であった。
「兵之介、さっきいったように、わたしはおくら後家次第じゃでな。おくら後家が徳川に加担せいといったらする。加担するなといったらせぬでな。そこはようく胆《きも》に銘じておいてくれ。で、胆に銘じて、わたしのこの頼みをきいてくれる気になったら、おまえの方の頼みもきくでな。いや、おくら後家もきっときくことを請け合うでな。きいてくれなければ、わたしはわたしの持っておる雄螺旋雌螺旋《おらせんめらせん》をぜんぶ姉川に放り込むでな。そうなったら、国友村にはもうそんな鉄砲も大砲も出来ぬでな。……」
鍋三郎は兵之介の手をひいた。
「さ、来やれ。……」
川枯兵之介は抵抗出来なかった。彼は蒼《あお》くなっていた。
村に帰ると、夜が来ていた。さて、そこで、兵之介はおくら後家の家の一室で待たせられ、板戸の穴の前に坐らせられ、見学を命ぜられた。
兵之介は恥じている。さっき鍋三郎の最初の願いから逃げかかったことを。
仲間のだれにも告白できないほどの恥辱である。恥辱は恥ずべき行為を強《し》いられることでも実行することでもない。忍者の恥辱は、使命を忘れて恥辱にひるむことである。ましてやこのたびほどの大使命を受けつつ、婦女子のごとく恥辱的行為を恥じらって避けようとしたとは、それこそ何たる恥辱的行為であろうぞ。――反省し、みずからを鞭打《むちう》ち、彼はこの夜いかなることにも甘んずる不動心をかためていた。
とは覚悟してしたものの。――穴からのぞいて、兵之介は動顛《どうてん》せずにはいられなかった。
「あれえ!」
哀《かな》しげな声をあげて、逃げまどっているのは国友鍋三郎であった。
「おゆるし下さりませえ。あれえ」
壁を塗るような手つきをし、身をよじり、夜具にしがみつき、這《は》いずりまわって、彼は逃げる。お芝居にしても喜劇以外の何ものでもないが、しかし鍋三郎の恐怖と哀願にわななく顔には、あきらかに陶酔の色があった。彼は本気で一つの世界に溺《おぼ》れているのだ。
「あの、それだけは、おゆるし下さりませえ」
これを追いまわし、髪をひっつかみ、鍋三郎のきものをはいでゆくのがおくら後家であった。
まさに国友鋤右衛門を女にしたような蟇面で、まあふためと見られぬ醜女《しこめ》だが、相争い、もつれ合うにつれて、次第に自分のきものも乱れてゆき、そこから現われた肉体は――まさに女性にはちがいない! ただし、乳房は俵のごとく、腰は臼《うす》のごとく。――
兵之介は、はじめて同性愛で女役を望む国友鍋三郎が女と同棲《どうせい》し、かつふだんけっこう幸福そうな表情をして歩いていたわけを知った。彼はこの世界に満足しているのだ。こういう立場に自分を置かなければ満足しないのだ。その相手をつとめる女も、ほかにざらには求められないだろうが、見方によってはそれがおくら後家のような獰悪《どうあく》な醜女であればあるほど効果的だともいえる。――
兵之介は笑わなかった。呆《あき》れ、怖《おそ》れたというより、そこにくりひろげられた一個の愛欲の別天地に打たれたといっていい。
そして、鍋三郎はおくら後家に犯された。むろん同性愛的行為が成立するわけもないから、かたちとしては正常といっていいが、しかしどう見てもそれは、女に犯される男の図であった。
笑わず、むしろ打たれるものがあったとはいえ。――
「兵之介、こんどはおまえの番だ」
と呼ばれたときに、兵之介は身ぶるいせずにはいられなかった。
「さあ、わたしとそっくり同じに、おまえもおくら後家に可愛がられておくれ」
兵之介は逃げなかった――曾《かつ》て主命のため、彼は某大藩の怪物といわれた三人の忍者との決闘の場に乗りこんでいったことがある。そのときと同じ凄愴《せいそう》の顔色で彼はその部屋にすべりこんでいった。
「おう、美しい男よのう。……」
おくら後家は分厚い唇をまくりあげ、黄色い歯を出してけたけた笑い、牛のような舌で舌なめずりした。
「おうおう、よう来やった。あとで何でも願いはきいてやるぞえ。……」
彼女は蟇そっくりの構えで這い寄って来た。――南無八幡《なむはちまん》、忍びの神よ、われに鉄石の不動心を与えたまえ。……
「そんなこわい顔をしてちゃあだめだな。わたしと同じように、逃げまわるんだ。あれえといえ。それ、あれえ。……」
「あれえ。……」
あらゆるものをかなぐり捨て、川枯兵之介は忍び組の大義に殉じた。
それだけに、――大醜女に追われ、逃げまどう美少年の姿はいっそう悲壮であり、無惨であり、迫真性があった。はじめ指導していた鍋三郎も次第に黙りこみ、眼をかがやかせ、はては中風《ちゆうぶう》みたいに涎《よだれ》さえたらたらと流し出した。彼は自分を美しい兵之介に転化し、おのれ自身の場合よりも強烈な法悦の波に蕩揺《とうよう》したのである。
川枯兵之介はおくら後家に犯された。
このとき、「わたしとそっくり」と命じた鍋三郎とはちがう新事態が生じた。その鍋三郎が酔っぱらったように這いずって、兵之介の背中にとりついたのである。それはこの美少年と一体化したいという鍋三郎の衝動の表現であった。
前後からの灼熱《しやくねつ》感の中に、川枯兵之介はほんとうに女のような悲鳴をあげていた。
「南無|頓生菩提《とんしようぼだい》、忍びの仏よ、われに、テ、テ、鉄石の不動心を!」
国友鉄算。
痩《や》せて、色が黒くて、鴉《からす》みたいな顔をしているが、またありありと頭脳の優秀さを人に感じさせる容貌《ようぼう》でもある。新家衆四人の中でのリーダーであるばかりでなく、国友村の長老連にいちばん重きを置かれているのはこの人物であろう。
製鉄から鉄砲完成に至るまで、彼はほかの連中のようにたんなるかん[#「かん」に傍点]によらず、あくまですべて計算にもとづいて行う。従って、この男がいなければ国友鉄砲の技術に安定性がなく、進歩がなく、大量需要に応ずる生産計画も立たなかったろう。そしてまた出来上った鉄砲や大砲の照準、射角、射程、爆発力などの砲術知識にかけては、これはまったく鉄算の独壇場《どくだんじよう》となる。
たんに鉄砲についての技術ばかりでなく、彼はそれを注文する諸大名の支払い能力すなわち経済力についても、その判断の適確なこと、長老といえどもその指示を仰がなければならないほどである。
「鉄砲戦の者みだりに他国へ出《いで》候こと、かたく無用のこと」
というのは、領主三成の示達だが、彼は平気で弟子を諸国にやる。
「なに、あれは鉄砲戦ではござらぬ。細工は何も教えてはおらぬ。あれは諸大名方のお台所の気配をのぞきに参るまでで、せっかく鉄砲を作っても御勘定のたまること、ままなきにしもあらず、ときには出来上った鉄砲を受取る気も力もないのに、ただ当家の御注文の邪魔をする下心で注文して参られたのではないか、との疑心を抱かしめる向きもあり――かくては国友村のみならず、お国の御損にも相成りますのでな。御懸念《ごけねん》の点については注意して、鉄砲作りの細工そのものは知らせぬため、金は充分につかわす代りに、あまり長くは使わぬことにしております」
というのが彼の冷静なるいいわけで、事実その通り、しょっちゅう彼の弟子は入れ替っているように見える。鉄砲鍛冶の弟子というより、よくいえば国友村の商社員、悪くいえば国友村のスパイだろう。
七月二日、大御所江戸へ帰る。
七月十七日、三成、家康に天下私議をなじる詰問状を発す。
七月十九日、西軍ついに伏見城攻撃に向う。同日、江戸の家康、上杉景勝討伐のために会津へ向う。
八月一日、伏見城落つ。
八月四日、家康、会津出征より反転し、六日、江戸に帰る。
――むろん、まさか同日にではないが、こんな天下の風雲のあわただしさを最も早く村に伝えたのはこの鉄算だ。
「……道理で、見張りの網が少しゆるんだようじゃ。そうあってはならんことじゃが、治郎少輔さまもことここに及んで国友村どころではござるまい」
などと、長老の前で彼はうす笑いした。
「しかし、まだ天下の形勢はわかりませぬぞ。かようなときこそ、こちらは糞《くそ》落着きがかんじん。――」
――実際えらいのだろうが、いやみ氏ということにかけては、この鉄算あえてほかの三人にひけはとらない。少くとも、性格的に可愛げがないという点については一番である。
とにかく、こういう恐しく頭のいい人間によくあるタイプだが、冷たくって、計算ずくめで、高慢で、そしてもったいぶり屋だ。
そのくせ――お墨が近寄ると、決してきげんは悪くない、ということをお墨は発見した。とくに弟子たちに訓示するような場合、お墨がそばにいると、いっそうそっくり返る。
「――この男は、こんな顔をして、やっぱり女にもてたがっているのだわ」
と、お墨はやっと気がついた。
こういう点では最もとっつきにくい人柄みたいに見えたが、案外なものだ。もっとも、人間、この道ばかりはだれだって変らないともいえる。むしろ国友村ではあんまりえら過ぎて、女たちが敬遠する気味があるから、たとえべつに下心あるにせよ、お墨のような美しい女が近づくと、不可抗力的に鉄算の心も昂揚《こうよう》すると見える。
というと、鉄算もどこか可愛げがあるようだが――しかし、いざとなるとそのお墨に対する反応がまことにいやらしい。
「ちょっとふいごの風力について研究したい」
或《あ》る日、鍛冶場の炉の前でいった。
「おまえの息をわしの口へ吹き込んで見てくれ」
三人の弟子が見ているので、ものものしくいって――お墨が頬《ほお》あからめて、おずおずとそうしてやると、
「もう一吹き、もっと強く。――」
とろんとした眼つきになっていた。お墨は死人に接吻《せつぷん》するほどの一大決心をふるい起して、わざと自分の口を鉄算の口におしつけた。そして反射的にくいしばろうとするおのれの歯をひらき、あえぎと舌を鉄算の口に送り込んだ。
弟子の一人が、うめくように声をかけた。
「師匠、それがなんでふいごの研究でござる」
「徳川の風の吹き具合の研究になる」
と、鉄算は口を離していった。お墨はぎょっとした。鉄算は別人のように冷たく笑った眼でお墨を眺めていた。
「この女、こうしてわしを誘おうとしておるのじゃが、あの大御所さまからの風の吹き具合では、ちょっと靡《なび》けぬのう」
国友鎌太夫。
五十年輩の、眼はおちくぼみ、口をいつもへの字にひん曲げた頑固|爺《じじ》いである。
国友村では、鉄砲は大量生産しているが、大砲はときたましか作らない。いままで大砲を必要とするような戦争がなく、かつ砲手の用意がないからである。しかし、ときに注文があったとなると――いつぞや、「大砲製造については、口はばったいが、年寄衆もお口の出しようがない」と傲語《ごうご》したように、その第一人者はこの鎌太夫をおいてほかにない。
彼が、国友村の徳川加担をしぶる最大の理由は――ただ彼が天性のへそ曲がりだからであった。徹頭徹尾、何でも反対屋なのである。ああいえばこういう。右といえば左という。べつに彼の人生にそれほど不足があるようにも見えないが、どうも生まれる以前、胎《はら》の中にいるころから、満腔《まんこう》の不平を抱いてうずくまっていたように思われる。
つまり彼は、村の幹部の情報判断が徳川優勢に一致しているのが気にくわないのだ。
「それならば、何も徳川に加担する必要はない。放っておいても勝つものに力を貸してやったとて、あとでありがたがられるわけはない」
と、いい、
「何、わからぬよ。国友の鉄砲はそう多量に徳川の手に回っておらぬ。まだゆくすえがこうと決められるかよ」
そっぽをむく。その叛骨《はんこつ》は珍重したいところだが、
「ならば、石田方に力を打ち込んでは?」
と、打診してみると、
「恐れながら治郎少輔さまのお立場、あまりに御悲壮であるところが気にいらぬ。これでもし天下の大勢を覆《くつがえ》せば、話が出来すぎるところが面白くない」
と、またそっぽをむくのだから手がつけられない。
彼は世の、あらゆる美、善、壮、そのたぐいの物や行為にぐいと口をへの字にした。それだけに伊賀組の四人は、容易に彼に近づくことさえ出来なかった。
「おまえら、いい男であり過ぎ、いい女であり過ぎる。それが国友村へ来て、わしの気に入らねば果せぬ用件の使者となったのが、そもそものまちがいであったよ」
くぼんだ眼窩《がんか》の奥から、梟《ふくろう》みたいな眼でにらんで鎌太夫がいったことがある。
「おまえらのこと、石田家に訴えぬのは、たった四人で敵中に乗り込んで来たところがちょっとわしを泣かせるからよ」
しかし、彼の眼は泣いてはいなかった。その眼はきみ悪く笑っていた。
「が、それで首尾よう用件果し、手柄をたてたとあっては、おまえらが決死であり過ぎ、美男美女であり過ぎるゆえ、話があんまりうまくゆき過ぎる。そうは鎌太夫という問屋が下ろさぬわい。よいか、わしは大砲なんぞ作ってはやらんぞ。そしてこの鎌太夫が乗り出さねば、国友村に大砲は出来ぬぞや。うひ、ひ、ひ、ひ」
「明朝|寅《とら》の刻、鎌太夫の辻《つじ》にわしの弟子の中《うち》三人の者をやる。これを殺してくれ」
と、国友鉄算がお墨に伝えたのは、九月五日の夜のことであった。
「むろん、おまえの仲間すべてに手伝ってもらってよい」
「あなたの弟子を?」
お墨は息をのんだ。
「その三人は、石田方の忍びの者じゃ」
と、鉄算は冷たい声でいった。
「これより、例の大砲な、いよいよ製造にとりかかる。なに、すべて材料もそろえ、計算済みじゃ。すでに手をつけておるものもある。たとえ十五|梃《ちよう》にしても、われら四人が汗をながして采配《さいはい》をふるえば、期限の九月半ばまで、十日以内には出来上るじゃろう。――ただし、あの鎌太夫だけがちと難物じゃが」
お墨はなぜ突如としてこの鉄算が、ついにこちらの依頼を受け入れたのかわからなかった。
鉄算はその日、九月一日に家康がついに江戸を発して西へ反転を開始したという至急報を入手したのである。
あらゆるものを秤《はかり》にかけていた彼は、まさにいまいった通り、大砲製造の準備だけはぬけめなく完了していた。ただそれを徳川方へ渡すか、石田方へ売るか、まだ決定していなかった。そしてそれを餌《えさ》に、わざと石田方の忍者三人をおのれの弟子に加え、彼らが伊賀者に直接行動に出ることを抑えつつ、石田方にそれを売った場合の相場をつりあげようとしていた。
いつぞや鍛冶場で、伊賀組の女とのいちゃつきを見せつけてやったのはまさにその三人で、あれは欲情もないではないが、それと同時に彼らを焦《あせ》らせるデモンストレーションの一つに過ぎない。
美濃《みの》に於《おい》て、西軍と東軍の前哨《ぜんしよう》戦はすでにはじまっている。このときにあたって、ついに大御所自身が西上して来たということで、鉄算はこの戦いの帰趨《きすう》を見通した。いまにして国友村の誠意を見せずんば、大事ついに去る。
「作った大砲を東へ送り出すためにも、その三人を始末しなければどうにもならんのじゃよ」
九月六日。まだうす暗い午前四時ごろ。
その角に国友鎌太夫の鍛冶場があるから「鎌太夫の辻」と呼ばれている広場で、甲賀者三人と伊賀者四人の決闘が行なわれた。
三人の甲賀者は鉄算から、事に託して鎌太夫のところへでもやらされて来たらしく、はじめ反対側から近づいた四人の伊賀者にはべつに不審の眼をむけていないようであったが。――
突如、ピイインという鋼《はがね》の音が暗闇《くらやみ》に鳴った。三メートルの距離から秋篠内記が薙《な》ぎつけた鋼条のひびきであった。右から旋回していった鋼の長鞭《ながむち》に、しかしただヒラヒラと三枚の布が巻きついただけであったのはさすがである。
同時に三本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》が流星のように伊賀者に向って飛んでいる。※[#「金+票」、unicode93e2]を投げて、三人の甲賀者は左へ逃れ出していた。
左から、ピイインとまた鋼の鳴る音が回って来た。川枯兵之介の薙ぎつけた鋼線は、あっとたたらを踏んだ三人の甲賀者の頸《くび》を二人まで切断し、三人めの頸に巻きつき、その鼻口からがぼっと黒血を溢《あふ》れさせた。
「あっ……内記どの!」
お眉が悲痛な声をはりあげて、地上に伏しまろんだ。彼女はそこに転がった夫秋篠内記にしがみついた。
内記ののどには※[#「金+票」、unicode93e2]の一本が突き刺さっていた。
「……なんじゃ?」
戸のあく音がして、向うから現われたのは国友鎌太夫である。
倒れた甲賀組の背後から、しとしとと国友鉄算が歩いて来た。
「鎌太夫、やはり大砲を作ることになったよ」
と、彼は珍しくなれなれしい声でいった。
「諸般の情勢からそうせねばならぬ」
鎌太夫はじいっと鉄算をのぞきこんでたが、やがて梟みたいな眼を三人の伊賀者の方へ移し、
「やっぱり、おまえたちが勝ったか」
と、にが虫をかみつぶしたような顔になり、
「おれはいやだぞ」
と、口をへの字にした。
「まあ、そういわないで、わしの話をきいてくれ。おぬしの力をどうしても借りねばならぬ」
「いやだ。そこにおる美しい伊賀者、こうして手柄をたてて帰参し、祝言でもあげてめでたしめでたしとなるのだろうが、それが気にくわぬ」
鉄算が苦笑して近づき、縷々《るる》としておのれの得た情報を分析し、その国友村に及ぼす影響を説明していると、そのうしろから、
「あう!」
「ううむ!」
という悲鳴が聞えた。鎌太夫の鍛冶場の中からであった。
二人は仰天してそこへ飛び込んだ。燃えている炉の前に、二人の人間が焼けただれた顔をこちらに見せていた。
「川枯兵之介とお墨です」
と、背後からお眉がふるえる声でいった。
焼けただれた二つの顔が、にいっと白い歯を見せたので、それが笑ったのだとわかった。兵之介の声が聞えた。
「鎌太夫どの、これなら御満足でござりましょうか?」
一〇
慶長五年九月十三日の日が暮れてから、国友村から十台の車が動き出した。
車の上には、一貫目玉|鋳銅《ちゆうどう》砲五梃、八〇〇目玉鋳銅砲十梃が、前者は一門ずつ、後者は二門ずつ乗せられていた。
たとえ国友鉄算の周到|緻密《ちみつ》な準備があり、鎌太夫らの手練の技術があったとはいえ、驚くべき突貫作業であり、にもかかわらずみごとな出来栄えであった。
これを曳《ひ》いているのは数十人の国友衆だが、護《まも》っているのは新家四人衆であり、また川枯兵之介、お眉、お墨の三人の伊賀者である。
彼らは通常の北国街道に出て湖畔を南下する道をとらず、夜を越えて姉川沿いに遡《さかのぼ》り、北国|脇《わき》街道へ入って、東へ、伊吹山めがけて急いでゆく。
みごとな脱出であったため、はじめ監視の網も気づかなかったらしいが――ちょうど夜が明けて、伊吹山|西麓《せいろく》の春照村という部落にかかったころ、
「待て、国友衆」
「大それたやつら、何を運び、どこへゆこうとするか?」
背後から土けむりをあげて追跡して来た七人の騎馬侍がある。それを甲賀者とは知らず、まなじりを決して迎えようとする川枯兵之介を、
「お待ちなされ」
と、国友鉄算がとめた。
「そのおからだでの、お働きは恐れ多うござる」
言葉づかいからして打って変っている。そういって鉄算はふりむき、あごをしゃくった。
国友衆が車の上に積んであった鉄砲をいっせいにとって、車を盾《たて》に狙《ねら》いを定めた。十数梃の銃口が同時に火を噴くと、甲賀者たちは馬上からことごとくもんどり打って地上に転がり落ちた。――それっきりである。
「それ急げ!」
鉄算はさけんだ。
「春照村の向うにはかねてからの打合わせ通り、徳川家の成瀬隼人正《なるせはやとのしよう》どの、服部半蔵どのがひそかに出張って来ておられるはずじゃ。それゆけ!」
悪路をがたがたと疾走する十台の車の大砲にうちまたがって、鉄算はもとより、鋤右衛門、鍋三郎がげらげら笑っていた。鎌太夫までがしぶい笑いを、にんがりと浮かべている。
九月十五日。
その日天下|分目《わけめ》の戦いが終り、敵味方の屍体《したい》はなお野を埋め、沛然《はいぜん》たる豪雨がそれをうちたたいたあと、やや小降りになったばかりか、赤い太陽さえぼんやりとさしはじめた夕、関《せき》ケ原《はら》天満山の西南、藤川台に本陣をすえている大御所のもとに服部半蔵は伺候した。
太砲はぶじ成瀬隼人正が受取った。この際だから、国友村のことについてはいまわざわざ報告に参らずとも、と考えていた半蔵であったが、その数刻前、思いがけぬ事件が起ったのでそのための報告と、そしてついでに国友衆たちにお目通りさせておきたいと、彼らをつれて参上したのである。
思いがけぬ事件というのは、生き残って帰った三人の伊賀者が、わが任務ここに終り、せめてもの御褒美《ごほうび》はただ死を賜わらんのみ、という書置きを残して、みな自決したことである。焼けただれた顔となった川枯兵之介とお墨は刺しちがえて死に、お眉は夫秋篠内記を刺した※[#「金+票」、unicode93e2]で、おなじくのどを刺して死んでいた。
半蔵が国友村へやった十人の伊賀者は、これでことごとく主命に斃《たお》れたということになる。――
さしも惨事に馴《な》れた半蔵も嗚咽《おえつ》を禁じ得ず、どうしてもこのことだけは大御所さまのお耳に入れておかなければ気がすまなかった。
「なに、国友衆が参ったと?」
まず半蔵が、伊吹山から大砲を運ぶ際、車にへんぽんとひるがえした葵《あおい》の荷旗を一応返上し、次に国友衆を紹介すると、大御所は満面を笑みに崩してさしまねいた。
「おう、なんじらが音に聞えた鉄砲作りの名人――新家四人衆のめんめんよな。近《ちこ》う近う」
鉄算、鋤右衛門、鍋三郎が笑顔でまかり出、鎌太夫すらもはじめて見る大御所の威に打たれて、そのうしろにうやうやしく平伏した。
「不運や雨のため、きょうのいくさになんじらの大砲は使うことがなかったとはいえ、これからはあるぞ、大いに使わねばならぬときがきっとある。――これからのいくさは、槍《やり》、刀の時代ではない。わしはな、古くからある、徳川家の忍び組なるものを廃して、鉄砲組に変えようと、かねがね本多佐渡と相談しておるくらいじゃ」
服部半蔵はあっとばかり洞穴《ほらあな》みたいに口をあけたが、大御所は彼の存在すらもう眼中にないようであった。
「国友鉄砲こそは、これからの新しい時代、忍び組などにまさるわしの守護神となってくれるであろう。――おおそうじゃ、かねてよりの恩賞の約定、家康、相違なく履《ふ》んでつかわすぞや」
そして大御所は、膝《ひざ》の上の葵の旗をぱっとひらいて、四人の国友鉄砲衆の頭上に投げた。
「天下御免の旗、それを末長く国友衆の誉《ほま》れの旗とせい。もとより国友村の繁栄を保証する旗でもあるぞ。受取れ、鉄砲の者!」
「慶長五年|権現《ごんげん》さま上意を以て唐銅《からかね》おん筒一貫目玉五梃八百目玉十梃急ぎ御用仰せつけられ吹き立て候ところ石田三成ら妨害をなし狼藉《ろうぜき》に及び候あいだ一幅の木綿へ御紋付おん荷印おし立て鉄砲にて打払い御陣所へ持ち運び候。――国友村御紋付御荷印由来之事」
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忍者 本多佐渡守
慶長十六年十月六日、家康《いえやす》は放鷹《ほうよう》のため、駿府《すんぷ》を発し、江戸にむかった。供奉《ぐぶ》するものは、本多《ほんだ》上野介《こうずけのすけ》、安藤帯刀《あんどうたてわき》、成瀬隼人正《なるせはやとのしよう》ら、帷幄《いあく》の愛臣である。
十月九日、一行は小田原についた。城主の大久保相模守忠隣《おおくぼさがみのかみただちか》がこれを迎えた。本来ならば、忠隣も大御所に従ってそのまま江戸へゆくはずであったが、折悪しく一子の加賀守忠常《かがのかみただつね》が長らく病んで、きょうあすをも知れぬという状態にあったため、このことは廃した。
大久保は徳川譜代《とくがわふだい》中の名門である。このことは、家康が江戸をひらく以前、関東の覇府《はふ》であった小田原にこれを据《す》えたことでもわかるし、また忠常の妻に孫娘をあたえたことでもわかる。
家康が若い日、まだ三河《みかわ》の一土豪にすぎなかったころ、領内に一向一揆《いつこういつき》が起こり、宗教がからんでいるため、家臣団が蜂《はち》の巣をつついたように分裂し、ほとんど家康を死地におとした叛乱《はんらん》となった。このころから大久保一族は、迷いなく、わきめもふらず家康に節をささげた。爾来《じらい》、忠隣は、姉川、三方《みかた》ケ原《はら》、長篠《ながしの》、長久手《ながくて》と、徳川の運命決する合戦には、つねに家康と馬をならべていた。
家康はふかく彼を重んじ、老職として秀忠《ひでただ》につけて江戸においたのが、子息の忠常が病んだため、三年前から小田原にかえっていた。いかに彼が世に重んじられたかは、
「忠隣、ひさしく国家の政事をとり、威望甚だたかし。忠常度量人に絶す。ゆえに父子の門前、毎日|輿馬群《よばむれ》をなす。その来《きた》り問う者に各《おの》|※[#二の字点、unicode303b]《おの》飲食を設く。その面《おもて》を知らざる者といえども、入って座に列すれば、すなわち膳《ぜん》をすすめざるなし。江戸小田原のあいだ往還|絡繹《らくえき》たり」
と、「続|本朝通鑑《ほんちようつがん》」にあるのを見てもわかる。
だから家康は、小田原に一泊した夜、忠隣にきいた。それは表むき鷹狩《たかが》りと称しているこんどの出府の真の用件に関してであった。
「伜《せがれ》が死にかけておるというのに、かようなことをそなたに問うは心痛むが、そなたが江戸にゆけぬというからここできく」
と、家康はことわって、さてたずねた。
それはちかく大坂にしかけて、一挙に豊臣《とよとみ》を滅ぼすべきか否かということであった。家康はその春、二条城で会見した秀頼《ひでより》が、思っていた以上にたくましい青年に成長しているのを見て、捨ておかばさきざき容易ならず、という不安を抱きはじめていたのである。
「相模《さがみ》、忌憚《きたん》のないところをいえ」
「それでは、いつわりのない存念《ぞんねん》を申す」
大久保忠隣は、このとき六十一歳であった。幼少時代から家康のために戦塵《せんじん》をあびつづけてきた肉体は、鍛えぬかれた鉄のようで、その精悍《せいかん》な肌つやは、毫《ごう》も衰えをみせていない。剛毅《ごうき》で、一本気で、思ったことをズケズケといってはばからない忠隣であった。
「大殿《おおとの》のお心はようわかっておりまするが……拙者は大殿の御意向に反対であります。豊臣家はいま討つべきではござらぬ」
家康は何もいわなかった。
「第一に、千姫《せんひめ》さまをいかがあそばす御所存か。あわれ、おんとし十五の後家をお作りあそばしてよろしいか」
まず相模守が千姫のことをいい出したのにはわけがある。八年前、七歳の千姫が大坂城に入ったとき、このあどけない小さな花嫁の輿《こし》のそばに、はるばる彼がついていったからだ。
「第二に、豊臣家は滅ぼさずとも、天下はもはや徳川家のものでござる。それをいま、むりむたいにいくさをしかけて、うら若い秀頼さまを殺されては、かえって大殿のおん名に傷がつきましょう」
「……相模は、左様にかんがえるか」
家康は平静に、そううなずいたばかりである。
この諮問《しもん》の座に、ほかにいたのは家康の秘書ともいうべき本多上野介ひとりであったが、彼もまた影のようにひそとひかえているだけであった。
翌早朝、大久保加賀守忠常は死んだ。享年三十二歳である。家康はくやみの言葉をのべて、江戸へむかった。
江戸からは逆に人々の馳《は》せつけてくる波がひきもきらなかった。その中には、大御所を迎えるために、将軍秀忠がつかわした本多|佐渡守《さどのかみ》や、安藤|対馬守《つしまのかみ》などの人々もあったが、それ以上に、大久保加賀守忠常の病|篤《あつ》しときいて見舞にゆく者が多かった。
十月十六日、家康は江戸城に入った。
数日を経て、例の件について密議があった。座につらなる者は、秀忠をはじめとし、金地院崇伝《こんちいんすうでん》、南光坊天海《なんこうぼうてんかい》ら、いわゆる黒衣の謀僧、秀忠の補佐役、本多佐渡守、土井大炊頭《どいおおいのかみ》、それに酒井《さかい》雅楽頭《うたのかみ》、井伊掃部頭《いいかもんのかみ》、本多上野介らの幕府の主脳であった。ここで何が決しられたかは、いうまでもないことであろう。
家康は、その後一ト月あまり、武蔵野《むさしの》で放鷹して、十一月半ば駿府にかえった。
土井大炊頭|利勝《としかつ》が本多佐渡守に呼ばれて、その邸《やしき》にいったのは、それから数日ののちであった。
土井大炊頭も、本多佐渡守も、とくに大御所からつけられた将軍秀忠の補佐役である。禄高《ろくだか》からいえば、大炊頭は三万二千石余、佐渡守は二万二千石だが、ふたりの立場は逆であった。年もちがう。佐渡の七十四歳に対して、大炊頭はまだ四十前の若さである。おなじ補佐役といっても、佐渡は秀忠の後見役だが、大炊は秘書にすぎない。すべてにおいて、佐渡は大炊の大先輩であった。
本多佐渡は、大炊頭を愛した。もっとも、だれを愛しているのか、いったい人を愛するという感情があるのか、見当もつかない能面のように無表情な老人だが、陰に陽に、若いじぶんを鍛えよう、ひきたてようとする気持のあることは、茫洋《ぼうよう》とした外貌《がいぼう》をもった大炊頭も、心ではよくわかっている。
しかし、大炊頭は、その日、佐渡に呼ばれた用件をあらかじめ知らなかった。
案内されてゆく方角も、いつもの書院ではない。――と、或《あ》る座敷に通されたとき、さすが、ものに動じぬ大炊頭も、思わず眼を見はった。
「ようお出《いで》。……かようなありさまで、失礼する」
と、本多佐渡はこちらに首をねじむけて笑った。
彼は、閨《ねや》の上にあおむけに横たわっていた。その枕《まくら》の両側に、ふたりの娘が坐っている。どちらも、息をのむほど肉感的な美貌《びぼう》であった。その一方が――頭をかたむけると、老人の顔に顔を重ねた。
――はじめ、口を吸っているのかと思ったのである。が、すぐに、老人のやせたのどぼとけが、ごくりごくりとうごくのを見て、彼が娘の口から何かをのんでいることがわかった。
大炊頭は眼をうつした。佐渡の夜具のしりの方に、本多上野介が腕をくんで坐っていた。
本多上野介は佐渡守の子で、大御所の寵臣《ちようしん》だ。彼が大御所とともに駿府にかえらなかったことは知っているから、いま父の邸にいることはふしぎではないが、しかし――「これは、そもどうしたことでござる?」と眼で問う大炊頭に、彼はただにがい表情で父の方をながめているだけであった。
女は顔をはなした。口と口とのあいだに透明な粘液が糸をひいて、きれた。
「女の唾《つば》をのむ。……これが、わしの不老の薬で」
佐渡はいった。
「いま、しばらく待たれい」
すると、こんどはもう一方の女が、頭をかたむけて、おなじように老人に唾を口うつししはじめた。そのあいだ、いま唾をのませた女は、小さな唇をつぼませ、頬《ほお》をうごかせている。唾をためているらしい。――
女の唾を不老の薬とする。――それは、そういうこともあり得るかもしれない、と大炊頭もかんがえた。げんに、佐渡守は七十四歳だというのに、異様に若い。実によく似た父子で、ノッペリと長い顔だが、髪の白いことをのぞけば、父の方が、たしか四十六、七の上野介よりも、皮膚があぶらびかりにつやつやしているようだ。
そうか、佐渡どののお若いのは、このような養生《ようじよう》のせいであったか、と大炊頭は納得《なつとく》すると同時に、またふしぎに思った。
事実はいま眼前に見るとおりだから事実にちがいないが、ふだん克己《こつき》の化身《けしん》のような佐渡守の養生法がこのようなものだとは、やはり思いがけないことであり、さらにもうひとつ、佐渡守がどうしてこのようなあさましいといってもいい姿を、きょうわざわざじぶんに見せつけたか、という疑問であった。
「まさか、かような姿までお見せすることはありますまい。と申したのでござるが、いや、きょうは大炊殿に、ありのまま見せる、といってきかぬのでござる」
と、上野介はようやく苦笑を浮かべていった。
「その通り、わしもかような養生をせねばならぬほど年がよった。これからさき、わしがどれほど生きても、さきは知れておる。わしのあとをついで、上様をお守りしてもらわねばならぬ大炊どのじゃ。きょうお呼びしたのは、わしの心得、わしのやりよう、わしのすべてを大炊どのに相伝《そうでん》するためじゃ」
「わたしに、相伝?」
そのとき佐渡は、またも侍女から唾をのみはじめた。
将軍家補佐役としての心得は、何くれとなくこの老人から教えられている。しかし、「相伝」とはまた妙な言葉をつかう、と思って、上野介に眼をうつすと、上野介は、あらためてきびしい表情にもどっていた。能面みたいな父とちがって、鋭さが鋼鉄のように浮き出している上野介だが、このとき彼の全体にはぞっとするほど森厳なものがあらわれた。本多佐渡は、女の唾をのみおえ、起きなおると、身支度をととのえて、たたみの上に出てきて坐った。
「さて、大炊どの」
と、彼はいった。
「大殿の御意《ぎよい》には、大久保|相模《さがみ》は徳川家にとって、もはや害をなすものと見る、とのことでござる」
土井大炊頭は愕然《がくぜん》とした。大久保――それは譜代中の最右翼ともいうべき家柄だ。それは青天|霹靂《へきれき》のような発言であった。
ややあって、彼はきいた。
「大御所さまが、左様に仰せられましたか」
「徳川家|発祥《はつしよう》以来、影の形にそうがごとくつくして参った大久保家じゃ。なんで左様なことを大殿が仰せ出《い》だされよう」
と、しずかに本多上野介がいった。
「が、口には仰せられぬが、その御意はしかとそれがし承わった」
「大殿の御意を、鏡にうつすがごとく承わる奴《やつ》でのうて、なんで大殿がおそばにお使いあそばそう」
満腔《まんこう》の自信を以《もつ》て佐渡はいった。
土井大炊はなおしばらく沈思していたのちにいった。
「大坂のことでござるか」
大久保相模守が、豊臣家を滅ぼすという大御所の意志に反対意見を表明した、ということは、すでに先日の密議で披露《ひろう》されたことであった。しかし、佐渡はくびをふった。
「いや、そうでない。あれも千姫さま、また大殿さまを思えばこその忠言、左様なことをおとがめなさる大御所さまではない。――むしろ、相模が、大坂討つべからず、と申したことは、相模をとりのぞくためのじゃまになっておる」
「…………?」
大炊は判断に苦しんだ。
「というわけはな、相模の娘のひとりが、大坂方の片桐市正《かたぎりいちのかみ》の甥《おい》に嫁《かた》づいておる。もとより、左様な私縁で、相模が大坂攻めに反対したわけではない。しかし、相模の意向がそうと人に知られているうえは、もしいま相模をしりぞければ、徳川家は大坂を滅ぼすつもりでおる、と天下に知られるでござろう。それで、かえって、ちとこまる」
「では、大御所さまは、何ゆえ大久保殿を徳川家に害をなすものと御覧なされたのでござる」
「――まず第一に、相模どのが、息子の加賀どのが病気のため、江戸のお勤めをみずから辞して、勝手に小田原へかえられたること」
と、上野介は指を折った。
「第二にあれほど徳川家の運命決する重大な御評定に、子息が死なれたからとて、江戸へ参られざりしこと」
大炊頭は、心中に、ああ、とうなった。
「第三に加賀どのの御病死に、江戸の旗本どもが御公儀のゆるしを得ず、とるものもとりあえず小田原へかけつけるありさまを御覧あそばしたこと」
佐渡がいった。
「すべて、相模どのの、しらずしらずの思い上りが根《ね》でござる」
乾いた、深沈《しんちん》とした声であった。
「譜代は、その血、その肉、その魂の一片一滴までも徳川家へささげまつるべきもの。――これをすておかば、大久保家はさきざきかならず徳川家にとって害をなすもの、と大殿がおかんがえなされたわけを、大炊どの、おわかりか」
土井大炊頭は、茫洋として本多父子を見ていたが、心の中で戦慄《せんりつ》した。
本多父子の大久保相模守に対する弾劾《だんがい》は、至当でもあり、奇怪でもあった。
この父子の徳川家に対する態度は、完全に「滅私《めつし》」であった。それは大炊頭がげんにこの眼で見ていることであり、またさまざまな挿話《そうわ》を人からきいて、みとめざるを得なかった。あれほど人間性の機微にわたって恐るべき烱眼《けいがん》をそなえている大御所が、ながらく佐渡守を懐《ふところ》 刀《がたな》とし、のちには将軍の補佐とし、またいまじぶんは一子の上野介をそば近く召使っているのも当然といえる。
それは「伝説的」とすらいえる忠誠物語であり、君臣|譚《だん》であった。
本多佐渡が、大炊頭よりも禄高がひくいというのは、特別な事情がある。
「正信《まさのぶ》、人となり深沈胆略あり。明察果断一時比なし。家康その才を知り、政を任せり。正信つねに帷幄《いあく》に侍し、謀議に参預《さんよ》す。家康の天下を定むること、その功大なり。家康、正信を見ること朋友《ほうゆう》のごとく、秀忠には長者を以て待たる」
そのころ、何びとにもこう見られた佐渡守だ。曾《かつ》て家康は、彼に六万石の大禄を恵もうとしたのである。
そのとき、正信は辞してこういった。
「わたくし、富んではおりませぬが、べつに貧しくもありませぬ。一生の生計はいまで充分でござります。弓箭打物《きゆうせんうちもの》とっての功名もありませぬし、年もとりました。もはや、何のお役にもたちませぬ。わたくしに賜わるものがありますれば、何とぞそれを以てほかの勇力の士にあてがわれませ。わたくし、いまとなっては、心しずかに老を送らせていただくのが何よりの御恩でございます」
実際に、彼の生活は質実であった。
その邸もいかにも質素であり、万事かまわないようにみえた。夜具などはすべて木綿《もめん》であり、槍《やり》の鞘留《さやどめ》も紙縄《かみなわ》をつかっていた。出入りの者が瓜茄子《うりなす》のたぐいを贈れば、手ずからその一つだけをとり、「芳志は受ける」といって、残りはみな返した。
そのころやって来た新イスパニアの使節ヴィスカイノの報告書にも、
「将軍の顧問会議長たる佐渡ドノを訪問し、羅紗《ラシヤ》、玻璃器《はりき》、石鹸《せつけん》その他の品物を贈ったが、彼は謝意を表してこれを受け、しばらくしてのち、廉潔にその職をつくさんがために、他人より贈物を受けたるためしなき旨をのべ、贈物をみな返した。――つぎに後藤庄三郎《ごとうしようざぶろう》ドノの家を訪ねたところ、彼は金銀六百万を所有する人であるにかかわらず、一行を大いに歓迎し、羅紗その他の贈物を、躊躇《ちゆうちよ》するところなく受領した」
とある。
その一面、こんな話もある。
駿府で二、三年きびしい倹約令の出たことがある。そのとき佐渡は奉行《ぶぎよう》を承わったが、その年の城の門松は例年より大きくして、正月の間毎にともす蝋燭《ろうそく》も例年より太くした。大御所は彼を呼んできいた。佐渡はこたえた。
「かような御儀式のことを立派に仕るために、かねて倹約をいたして参ったのでござる」
大御所は微笑した。
「弓箭打物とっての功名はない」と、佐渡みずからいった。しかし彼の智恵は百万の大軍にまさるといわれた。曾て、煮ても焼いてもくえぬ奸雄《かんゆう》といわれた松永弾正《まつながだんじよう》が、若い日の佐渡を見て、「わしは徳川の侍をたくさん見たが、おおむね武勇の輩だ。ひとりあの正信は、強からず、柔らかならず、いやしからず、必ず世の常の人物ではない」と評したということだが、その眼に狂いはなかった。
江戸城の築城に、その縄張《なわば》りで大御所がもっとも議することの多かったのは佐渡だ。
また慶長三年、石田三成《いしだみつなり》が、いわゆる豊臣の七将に追われて、逆に伏見《ふしみ》城の家康のところへ逃げこんだことがある。
そのとき佐渡は、伏見の城にいそぎ上ったが、すでに夜の十一時ごろであった。家康は床についていた。佐渡はうち咳《せ》きうち咳き、「今夜は早う御寝《ぎよしん》なされた」といった。家康は、「佐渡よ、いまごろ何事で参ったか」ときいた。佐渡は、「別のことではござらぬ。石田のこと、いかに思召《おぼしめ》す」といった。「さればよ、わしもいまそのことを思案しておる」と家康がこたえると、彼はにことして「さて安心仕った。もはや佐渡の申すことはござらぬ」とつぶやいて、さっさとひきあげていった。
三成という人物が徳川にとって危険人物であることは、それまでのいきさつから周知のことであったから、本来ならばこれを好機に首と変えて、豊臣七将にわたすべきところだ。それを家康が思案しているのは、将来もっと大きな道具に三成を使うことをかんがえているということで、それを見ぬくというより、おのれの深謀と山彦《やまびこ》のごとくひびき合うのを知って、佐渡は莞爾《かんじ》として退去したのである。この夜の、伏見城におけるこの君臣の姿には、妖琴《ようきん》の絃《いと》と撥《ばち》を見るような凄味《すごみ》がある。
関《せき》ケ原《はら》以後なお降らぬ信州上田の真田安房守昌幸《さなだあわのかみまさゆき》を、ついに開城させて紀伊《きい》の九渡山に追いやったのは佐渡の一片の舌であった。この役に敗れた西軍の総帥浮田中納言秀家《そうすいうきたちゆうなごんひでいえ》が薩摩《さつま》にかくまわれていたのをたくみにさそい出して八丈島に放《はな》ちやったのも彼であった。さらに、なお西南に虎《とら》のごとくうずくまって毛を逆立てている島津《しまづ》を、いつのまにやら手なずけて猫と変えたのも、彼の謀計であった。
反対に、東軍について大功をたてた武将のうち、加藤嘉明《かとうよしあき》があった。家康がこれに五十万石の大封《たいほう》をあてようとしたのを、佐渡はとめた。嘉明は怒《いか》って、彼をうらんだ。佐渡は平然とその邸にいって、「あなたは武勇智謀たぐいまれなるお方で、また豊臣家の恩の深いお方であります。もしいま大国を領したまわば、必ず人の疑いを受けましょう。いま領国の少なきに、いささかのうらみなくおわすならば、恩遇かならず御子孫にいたりましょうぞ」といってかえった。嘉明は一言もなかった。
また当時、諸大名のうちには、なお徳川など眼中になく、あらあらしく驕慢《きようまん》なものが多かった。それをきびしくとりしまることを家康が思いたったとき、「いや、まだお早い」と佐渡はとどめていった。
「いまより御三代将軍までに、ソロリソロリと真綿で首をしめるがごとく遊ばされませ。いまはただ捨ておかるべし」
佐渡守が大御所と対したとき、じぶんで納得《なつとく》できないときは、ただ居眠りをしていた。心に得るものがあったとき、はじめて眼をひらいて、「よく候、よく候」とうなずき、やや度がすぎると思われるほど大御所をほめた。
――以上は、土井大炊頭が、いままでとくと見聞したことの一端だ。手に手をとって教えられなくとも、すべて大炊にとって、補佐役の師表たらざるはない。軍師学の典型たらざるはない。一言でいえば、本多佐渡は大御所の「影」であった。
その佐渡が、いま大久保をブラック・リストにのせた。
いままでのような外様《とざま》大名が対象ではない。譜代中の重鎮である。――いや、しかし、思い起せば、譜代にして消えたいくつかの名家の背後にも、この父子の手がうごいたのではないか。という陰微な噂《うわさ》があったことを大炊頭は思い出した。
天正十八年、それまで大御所の下で第一の謀臣といってよい存在であった石川伯耆守数正《いしかわほうきのかみかずまさ》が、突如、徳川を去って秀吉のもとに奔《はし》り、忘恩のそしりを受けてそのまま落魄《らくはく》してしまったが、あれは石川の自発的な裏切りではない、寝返らざるを得ない破目に佐渡守が追いこんだのだという風評があった。また徳川四天王の一といわれた榊原康政《さかきばらやすまさ》が、関ケ原後功賞にあずからず、「康政|腸《はらわた》が腐って死に申すと殿に言上あれ」とさけんで憤死した悲劇の背後にも、佐渡の意志がはたらいていたという私語もあった。
さらに、いま問題になっている大久保相模守が小田原に退身した原因も、決して愛児の病気によるものではなく、佐渡の手によって片づけられたのだという噂すらあった。
いちじ大久保忠隣は佐渡とならんで秀忠側近の重臣であったが、あるとき佐渡が忠隣に忠告したという。
「相模どの、上様には、われらが用もなきに、たえずお側《そば》に近侍しておるにいささか窮屈におぼえるとの御内意でござる」それで忠隣は、なるべく遠慮を心がけた。そのうち秀忠が他の侍臣にいった。「相模はこのごろ何やらよそよそしい男になりおったの」そして疎《うと》くなった君臣の間は、ついにもとにもどらなかったという。――
これは嘘《うそ》だ。おなじ近侍である大炊頭は知っている。佐渡守は大策士にはちがいないが、そんな子供らしい策をめぐらす人ではない。しかし、世にこの人を評して「佞者《ねいしや》」という語のあるのは、見ようによっては或《ある》いはあたっていないこともないのではないか、彼はちらとそうかんがえた。
いまその人が、じぶんに対してだけにしろ、公然と大久保|貶斥《へんせき》のことを口にした。――それが大御所さまの意志であることは、八幡《はちまん》、まちがいのないところであろう。
しかし、それにしても奇怪としかいいようのないのは、本多佐渡と大久保家の関係をかんがえたときであった。
佐渡守は若いとき、忠隣の父の忠世《ただよ》に日ごろから可愛がられ、塩、味噌《みそ》、薪《まき》にいたるまでもらい、大晦日《おおみそか》と正月の飯はかならず大久保家で食うというほどの深い縁であった、ときいていたからである。
しかも、いま佐渡はいう。――
「徳川家のおんためには、相模に消えてもらわねばならぬ」
冷たいが、しかし「私心」の曇りは一点もない、澄みきった老人の眼であった。
「いかに譜代なればとて、いや譜代なればこそ、増上慢のきざしでも仄《ほの》見えたときは、その芽のうちに摘まねばならぬ。まずこの大殿の御意は、しかと胸に刻んでおかれよ。――大殿の御意は鉄のごとくうごかぬが、さて、いかにして相模を消すか、わしのやりようをこれより大炊どのに相伝《そうでん》いたそう」
そのとき、家来がやってきてつたえた。
「駿府より、波太郎《なみたろう》帰ってござります」
「おお、それはちょうどよい。ここへ通せ」
「むさくるしき姿をしておりますが」
「かまわぬ、通せ」
と、佐渡はいった。それから大炊頭に話した。
「さて、いかにして相模を消すか。――いま申した大殿御不興の条々を以て、相模をとがめることは相成らぬ。ことが伜の病死に関しておるだけに、まかりまちがえば大殿御無情のそしりを下々《しもじも》にたてさせることになるのでな」
大炊はうなずいた。
「と、申して、ほかに相模にさしたる罪はない。むりむたいに罪におとせば――それ、先刻いった相模の大坂攻め反対のことがかんぐられて、大坂方を素破《すわ》と総立ちさせるきっかけにならぬともはかりがたい。――要するに、じかに相模当人をとがめ立てすることはかんがえものじゃて」
「――では?」
「世人も、相模自身も、よくわからぬ罪で相模を消す。しかも、それがむりとは思わせぬ法がある」
「…………」
「それは、相模ではない。大久保一族のほかの誰《だれ》かの罪で相模をひっかけることじゃ」
大炊頭は、心中にまたうなった。罪九族におよぶのが普通といっていい当時の法では、なるほどこれは一手段である。
「大久保一族の、だれを?」
「石見《いわみ》、石見」
と、佐渡はいった。面白げにさえみえる眼色になっていた。
「山将軍大久保|石見守長安《いわみのかみながやす》」
そのとき、座敷にだれか入って来たものがあった。ふりかえって、大炊頭は眼を見はった。
そこにきちんと坐って、おじぎをしたのは十二、三の少年であった。それが、雀《すずめ》の巣のようなあたまをして、浮浪児としかみえない風態なのだ。その少年が、おじぎをすませると、だまってふところから三つの蜜柑《みかん》をとり出して、前にならべた。
「長安めを料理するのでござるよ」
と、少年にうなずいてみせただけで、佐渡守がまたいうのに、大炊頭はふいに不安な表情をした。さっきから気にかかっていたことである。例の美しいふたりの娘は、しとやかにそこに坐っている。それに立ち去るように命じもせず、そこにまた、えたいのしれぬ怪少年が闖入《ちんにゆう》して来たというのに、佐渡は実に恐るべき秘計を口にしているのであった。
「これか」
と、佐渡は気がついたようであった。
「このものどもは大事ない。――わしの犬でござる」
「犬?」
「飼犬同然のものどもでござる。こやつらは、天地が裂けようと、わしを裏切ることはない。ゆけと命ずれば、水火の中へでもゆくでござろう。左様に、仕込んである。――四人姉弟のうち三人でござるが」
そういわれて、あらためて少年をふりかえると、垢《あか》と埃《ほこり》に覆われているが、つぶらな眼だけは、姉たちと同様に美しい光をはなっている。しかし、それ以上のことは、まだ大炊には見当もつかなかった。
「大炊どの。……この娘どもの唾が不老の妙薬じゃと先刻申したな。若い女の唾が、すべて不老の薬になるかどうかはわしにも請け合えぬが、この娘どもの唾がそれだけの精をもっておることは請け合う。これは、ただのものどもではない」
「……何者ですか」
「根来組《ねごろぐみ》」
「根来組?」
「と申す忍者のたぐいでござる」
「忍者」
と、大炊頭がさけんだとき、佐渡は「これへ」と、はじめて少年に声をかけた。
少年は、起《た》っていって、三つの蜜柑《みかん》を佐渡守の前においてさがった。
本多佐渡は、その蜜柑の一つをとって、皮をむいた。大炊頭のすぐ眼前である。佐渡はたしかにその皮をむいた。が、その中からあらわれたのは、蜜柑のふさではなく、一塊の白いものであった。それをひらくと、何やら墨でしたためた一片の白絹となった。
佐渡は読んで、上野介にわたし、二つめの蜜柑の皮をむきはじめた。あらわれたのは、やはり一つめと同様のものである。
完全に天然《てんねん》のままとしかみえぬ蜜柑――なんたる奇怪な秘状の容器であろうか。三つめの皮をむいている本多佐渡の手もとで、さすがの大炊頭も、かっと眼を見ひらいて凝視したきりであった。
三つめの蜜柑から出てきた、三つめの絹の秘状を読みおわると、本多上野介は、三つをまるめ、そばの青銅の大火鉢の、よくおこっている炭にかざした。青い炎がぽっとうつって、絹はもえあがった。
浮浪児のような少年が駿府からもたらしたものだということは、いまきいたが、何者からの手紙か知れぬ。何がかいてあったか、もとよりわからない。
「これよ」
と、本多佐渡はふりむいて、ふたりの娘にいった。
「もうよい。さがれ。……波太郎を洗ってやれ」
ふたりの侍女は、波太郎をうながして去った。顔だちはみなちがうが、姉弟《きようだい》と教えられれば、なるほどそれらしいそぶりであった。
しかし土井|大炊頭《おおいのかみ》は、それよりも、いまの秘状をくるんでいた蜜柑の皮を、なおまじまじとながめている。
「手品ではない。……根来流の忍法でござる」
と、佐渡は微笑した。
「いずれ、彼らは、あらためて大炊どのにひき合わせ、大炊どのの手足となるように仕込むつもりでおる」
「根来流と仰せられたな」
と、大炊頭はいった。根来組なら、彼も知らないではない。
紀州根来山にふるくから伝わる新義|真言宗《しんごんしゆう》の根来寺という寺があったが、いちじは堂塔二千七百余坊を数えるほど栄え、おびただしい僧兵を擁《よう》して、宛然《えんぜん》一国をなす観があった。この僧兵は鉄砲をあやつるのがたくみで、信長《のぶなが》の天下|布武《ふぶ》の鉄鞭《てつべん》にすら頑強に抵抗し、秀吉の手を待ってはじめて征伐された歴史を持つ。いまを去ること二十六年前の天正十三年のことだ。
寺を焼かれ、追いはらわれた僧兵は、流浪《るろう》の末、家康にすがった。家康はそのうちの数十人をえりすぐって召抱え、重臣の成瀬|隼人正《はやとのしよう》にこれをゆだねた。この一党は、前身が僧であったため、ことごとく総髪という異形《いぎよう》の風態で、且《かつ》、鉄砲の名手ぞろいとはきいているが、彼らが忍法の体得者でもあったとは、はじめてきいた。
「根来衆は、忍法者でもござるか」
「みながそうではないが、そういう奴もおるらしい」
と、佐渡はひとごとみたいにうなずいた。
「ただし、わしの知っておる忍法は、隼人正のところの根来組ではない。根来のものどもが太閤《たいこう》に滅ぼされるはるか以前……ある縁で、根来流の忍者父子を知りましてな。両人とも、わしに身命をささげる誓いをなし、その通り、わしのために果ててくれたが……いまの娘どもは、その孫、子供たちでござるよ」
それで、大炊は、ふと、この本多佐渡の過去を思い出した。
この老人が妖気《ようき》をおびて見られるのは、ただ恐るべき権謀の人といわれるゆえばかりではない。その過去のせいもある。
いまでこそ佐渡は、大御所の「影」のような存在であるが、この佐渡が、かつては大御所に叛《そむ》いたことがある。例の一向一揆《いつこういつき》の指導者が、若き日の佐渡、すなわち本多弥八郎《ほんだやはちろう》正信であったのだ。一揆がねじ伏せられたのち、弥八郎はひとり三河《みかわ》を逐電《ちくてん》し、ゆくえを絶った。永禄《えいろく》七年、弥八郎二十七歳のときである。それから彼が、どこで何をしていたのか、誰も知らない。大炊も佐渡守から、きいたことがない。ただそのあいだ、畿内、東海、北陸のあたりを漂泊していたらしい。松永弾正が、彼を「ただものではない」と評したというのも、このころのことであろう。
弥八郎が、家康のまえにふたたび姿をあらわしたのは、それから実に十九年目のことであった。天正十年のことである。弥八郎は四十代の半ばに達していた。そのあいだに何があったか、彼は右足がちんばになっていた。
このとき、家康は信長に招かれて上洛《じようらく》していた。たまたま突如として本能寺《ほんのうじ》の変が起り、家康は堺《さかい》に立往生《たちおうじよう》した。と知るや、正信は郷士《ごうし》一党百人ばかりを集めて木津川のあたりに篝火《かがりび》の陣を張り、いかにも家康がここを通ってひきあげるように明智の兵に思わせ、そのすきに家康に伊賀《いが》を経て三河へぶじ帰らせたという話がある。
いったいそれは、佐渡が家康に再会した直後のことなのか、それともこの働きで帰参がゆるされたのか、佐渡は手柄話を一切しない人だし、何しろ大炊頭が十か十一のころの話なので、そのへんは漠《ばく》としている。いずれにせよ、いちど叛逆《はんぎやく》した男が十九年ぶりに帰参した前後に、家康の運命を決する大事件が勃発《ぼつぱつ》したということは、いかにも劇的である。
このいきさつも、大炊頭にとって伝説的であったが、かんがえてみれば、その以後のことの方がもっと神秘的だ。この十九年ぶりにもどったかつての叛臣が、爾来《じらい》、大御所の分身ともいうべき帷幕《いばく》の謀臣となったのだから。――こんな例は、ほかの重臣を見まわしてみても、ひとりもない。いや、生まれてから、家康のために粉骨砕身《ふんこつさいしん》してきたその重臣たちでさえ、この人物の手によって何人かしりぞけられるほどの存在になったのだから。
いまにして思うと、一向一揆ののち、彼がひとり三河を逐電したのも、家康としめし合わせてのことで、以後諸国の形勢をうかがっていたのではあるまいかとさえ疑われる。それにしても、叛乱そのものは若い家康を死地におとすほど凄《すさま》じいものであったときいているし、さらに十九年の漂泊というのも長すぎるが、とにかく彼が、いまの娘たちの父や祖父――根来の忍者を相知ったのは、その謎《なぞ》の空白時代のことであろう。
ほんとうにそのころ、佐渡は何をしていたのか。その忍者とはどんな関係があったのか。……あらためて大炊頭は、この老人にくわしくききたい衝動をおぼえたが、しかし彼は抑制した。いまにいたるまで、幕閣のだれもが、そのことについて漠たる知識しかもっていないということは、それだけの理由があるからだ。つまり佐渡が誰にも語りたがらなかったということだ。それをきいてはならぬ、大炊はそうかんがえた。色白の、ふくよかな顔をしている大炊頭には、それだけの克己《こつき》心があった。
「いまの少年は、駿府の大久保石見守の邸から来たものでござるよ」
「ほう」
「あれたちのいちばんの姉が……三年前から石見の妾《めかけ》になっておりましてな」
「ほう」
大炊頭は、馬鹿みたいに二度うめいた。
実際、おどろいて、馬鹿みたいな返事をするよりほかはなかったのだが、頭はクルクル回転して、佐渡の言葉の意味するところをとらえようとしている。先刻佐渡は、大久保相模守を失脚させるために、その縁戚《えんせき》の大久保石見守を狙《ねら》うといった。そこに三年前から、佐渡の手から妾を入れてあるということは――すでに三年前から大久保一族を葬ると決っていたということだ。
上野介の方がいい出した。
「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ、と申す。……さて、その馬の石見じゃが、あれは相模とちがって、徳川家譜代の家来ではない。したがって、あれを除くことには相模ほど気に病む必要はないが、何しろ石見も稀代《きだい》の才物でござる。御存じのようなあれの奢《おご》りぶりも、かねがね大御所さまはにがにがしく思召しておられたが、いままでともかくもなすがままに捨ておかれたのも、あの金山《かなやま》掘りにかけては魔法使いと思われるほどの怪腕のゆえでござった。しかし、あれのおかげで、いまの徳川家には、天下取りのいくさを起すだけの軍費は充分たくわえられてござる。もはや、石見は、無用とはいわぬが、捨ておかばこれまたかえって徳川家の障《さわ》りとなる男。……それに、才物だけに石見には、相模とちがって隙《すき》がある。すでにわれらの手から三年前に女を――しかも忍者たる女を妾として入れてあるのを、まだ気がつかぬほどの油断がある。石見を罠《わな》にかけておとし入れる下ごしらえはすでに成った。と申してよいのでござるが……」
「さて、大炊どの」
佐渡は、大炊頭の眼をのぞきこむようにしていった。
「大久保石見を罠《わな》にかけて罪し、その罪を大久保相模に及ぼす。この秘策、これはこれでよいのでござるが、それだけでは足りぬのじゃ」
くぼんだ眼窩《がんか》のおくで、眼が老猫《ろうびよう》のごとく琥珀《こはく》色にひかった。
「何が足らぬか。それは、いまはいうまい。……大炊どの、本多父子のやりようを、ここ一両日のあいだ、ようく見ておりなされよ」
何が足らぬか、それどころか大炊頭には、事のすべてがよく了解できない。
何よりわからないのは、そもそも本多父子がなぜ、きょうじぶんを呼び、なぜこのような陰謀をじぶんにうちあけたか、ということであった。――ただし、陰謀とはいうものの、この父子の恣意《しい》にあるものではなく、その背後に大御所の影があることは疑いをいれない。それだけに、この計画には、いっそう身の毛もよだつ恐ろしさがある。
佐渡はしずかにいった。
「実は、それが眼目《がんもく》でござる。事を起すに先立って大炊どのをお呼び立ていたしたのは、さきになって、いま佐渡がかようなことを申したのを、ようく思い出して、失礼ながら胆《きも》に銘じていただきたい存念からでござる」
いわゆる「岡本大八《おかもとだいはち》事件」というものが起ったのは、その翌年の三月のことである。
駿府にいる本多上野介の家来に岡本大八という男があった。上野介が大御所の秘書ともいうべき存在であったが、この岡本大八は上野介の秘書役のひとりであった。剃刀《かみそり》のような上野介にくらべて、非常に愛嬌《あいきよう》がよく、如才がなく、陽性の人間なので、上野介はかえってそこを買ったとみえて、主として大名への使者、接待役――いまの言葉でいえば、渉外係として使っていた。
その大八が、ここ数年、主家の本多家にゆくよりも、やはり駿府にある金山総奉行《かなやまそうぶぎよう》大久保石見守長安の邸にいることの方が多いようになった。
いちど、そんな噂《うわさ》をきいた縁戚の大久保相模守が長安に注意したことがある。
「おぬしのところに、上野《こうずけ》のところの岡本大八がしょっちゅう出入りしておるということではないか。上野という男は、腹の底に何を抱いているかわからぬ男、よう気をつけられいよ」
これに対して、長安は剛腹に一笑した。
「私にも、人を見る眼はある。大八は左様な心配をするほどの男ではござらぬ。むしろ、きゃつを近づけておる方が、上野介の首根ッこをおさえるのに、何かと便宜で」
大久保長安には自信があった。
まず第一に、いかに猜疑《さいぎ》の眼を以てしても、岡本大八という男が、それほど警戒すべき人間とは思われない。長安自身が派手好きで享楽家だから、同類感覚でよくわかる。大八もまた天性の女好みで、快楽家なので、大八の主人が冷徹で厳格な本多上野介であることは、彼にとって救いのない悲劇である。長安の邸は、駿府における一大社交場であった。長安は、上野介のようにきびしくは垣を設けなかったから、そこには、大名、旗本、学者、富商が日夜参集した。岡本大八は別にこれといった用もないのにやってきて、その豪奢《ごうしや》な宴《うたげ》に、まんまるい顔となめらかにうごく赤い唇をいつも見せていた。あの疑いぶかい上野介のことだから、あるいは大八に、この社交場から何かと情報をとるように命じたのかもしれないが、大八自身にとっては、まったくこの邸が居心地がいいのだ。
第二に、相模守が何をかんがえているかしれないが――そして、たしかに本多上野介が、おなじ幕閣の同僚にすら深沈たる監察の眼をそそいでいる人間であること、とくにじぶんには、何となく性格的にけぶったい存在であることは承知しているが――じぶんに、痛くもない腹をさぐられるおぼえはちっともない。ぜいたくなのは、もうずっと以前から大御所さまご黙認のことだ。
第三に、長安は、たとえばほかから見て、じぶんにどんな欠点があろうと、それに数倍する功績と必要性が徳川家に対してあると自負している。じぶんが徳川家の金山奉行となってから、石見、佐渡、伊豆《いず》などの鉱山は、まるで魔術のごとく金銀を吹きはじめたではないか。この方面にかけてのじぶんの手腕がなかったら、いまの徳川はなかったろうとさえ思う。徳川家のためにじぶんが生み出した財宝の量にくらべれば、少々のじぶんのぜいたくなどは、まさに九牛の一毛にもあたらないほどである。――
――もっとも大久保長安は、べつにこれほど深刻な疑惑の眼をもって、いつも岡本大八を見ていたわけではない。ただ大久保一族の宗家《そうけ》たる相模守からふと注意されて、ちらとこんなことをかんがえて見ただけだ。
むしろ彼は、本多上野介の家来である大八を、じぶんのまわりにうろつかせておくことは、決して不利ではないと判断していた。消極的には、ことさら彼を拒否する理由もないが、積極的には、相模にこたえたように「上野介の首根ッこをおさえる」ためにである。――どうみても、まるまっちい岡本大八はたいへんな好色漢で、欲がふかくて、うすっぺらな道化《どうけ》役者であった。こちらにその気があれば、彼は大久保家にとってよりも、本多家にとって危なっかしい人間とみる方が適当な人間であった。
果せるかな、岡本大八がおかしな行為をしているという噂を、長安が耳にしたのは慶長十七年の年があらたまってまもなくのことである。
大久保家に直接関係したことではないが、大久保家に集まる名士連を相手に、彼が詐欺行為をやっているらしいというのだ。なんでも大御所側近の主人上野介にうまくとりなしてやるという口実で、何人からか金品をまきあげたらしい。ただし、それほど大がかりなものではない。長安はこのことを上野介に知らせてやるほど、上野介に親愛の情をおぼえなかった。
長安は、ひそかに大八の身辺を探った。そして大八が去年の暮ごろから、ひとりの若い妾を手に入れて、この妾がすばらしい美女で、かつ、なかなかのぜいたく屋であることをきいて苦笑した。大八の犯罪のもとはそれだ。
長安は、大八から身をはなした。一方で、眼をそそいだ。そして、つかずはなれずの姿勢をとったことを、大八自身に気づかれないように注意した。
やがて、事件が起った。
大久保石見守の邸を訪れるもののなかに、有馬修理《ありましゆり》大夫晴信《だゆうはるのぶ》という大名があった。肥前日野江《ひぜんひのえ》四万石の城主である。
慶長十四年、晴信は家康の命令で、伽羅香《きやらこう》を求むべく朱印船を占城《チヤンパ》《いまのベトナム》に送ったが、船はその途中|媽港《マカオ》に泊した。そのとき、その乗組員と在留ポルトガル人とのあいだに喧嘩《けんか》が起り、相手の数人を殺害した。ポルトガル人は大挙して仕返しにやってきて、朱印船の乗組員五人が殺され、貨物を掠奪《りやくだつ》された。
晴信は大いに怒り、復讐《ふくしゆう》の日を待っていた。果然、その年の末、ポルトガル船が長崎に入港した。晴信は兵船八|艘《そう》をもってこの黒船を襲い、のがれ去ろうとするのを海上に追い、火壺《ひつぼ》を投げかけ、乗り移って、火焔《かえん》の中に乱闘し、ついにポルトガル船は、船員二百余名をのせたまま海底に燃え沈んだ。
このときに本多佐渡が、将軍秀忠の命により、晴信にあたえた奉書が残っている。
「大御所さまより仰せつけられ候黒船、御成敗《ごせいばい》候て、参府ならせられ候ところ、大御所さまよろこびに思召《おぼしめ》され、おん腰物手ずから御拝領、なおさら黒船の荷物以下まで下しおかれる由《よし》仰せをこうむり候。まことにひとかたならぬおん事、謝し申しがたく候。その通り将軍さまへ披露つかまつり候ところ、大かたならず御祝着《ごしゆうちやく》に思召され、一段のおしあわせともに御座候。委曲は後音の時に期し、一二する能《あた》わず候。恐惶《きようこう》謹言
慶長十五年正月二十二日
有馬修理大夫様 本多佐渡守正信」
この晴信が、この慶長十七年正月駿府にいって、大久保邸を訪れたとき、岡本大八がちかづいた。そしていった。
「さる年、あなたさまのポルトガル船焼打ちのことは、大御所さま御感《ぎよかん》あさからず、ちかくさらに御褒美《ごほうび》をあたえたいと、主人上野介に内々仰せられたそうです。所領の地など望みたまうところはございませぬか」
晴信はよろこんでいった。
「左様ならば、望みを申す。いま鍋島《なべしま》の領地となっておる藤津《ふじつ》、彼杵《そのき》、杵島《きのしま》三郡、あれはもともと有馬家累代の所領であった。そなたのはからいにより上野介どのに申して、この三郡をお返し下さるならば、晴信のよろこびこれにまさるものはない」
そして晴信は、その斡旋《あつせん》料として、相当の金銀や綾羅《りようら》のたぐいを贈った。
その後音|沙汰《さた》がないので、晴信は使いをやって、あの件はどうなったかときいた。大八は追いつめられて、一通の文書を見せ、これが例の三郡をあて行われる御教書《みきようしよ》の草案でござる、大八、苦心のすえ、上野介さまのおん居間から写しとってきたものゆえ、人に語られな、ただおとなしゅう、いましばらくお待ちあるよう、といった。さらに大八は、このことを首尾よく成就《じようじゆ》せしめるには、なお閣老級の人々に贈り物をする必要があるといい、白銀六千両ばかりを晴信から乞《こ》いとった。
そのあとで、晴信がどうしても不審に思い、内々本多上野介にききあわせたところ、上野介は愕然《がくぜん》として、何もあずかり知らぬむねをこたえたことから、一切が曝露《ばくろ》したのである。
岡本大八は召し捕られた。そして有馬晴信と大八は、駿府の大久保石見守の邸で対決させられた。三月十八日のことである。
これが大久保邸で行われたということは、大八の犯罪の発端がここを舞台としたというので、長安がその証人となる意味もあったが、もう一つ理由があった。本来なら、駿府で起ったこういう事件は、大御所の司法長官ともいうべき本多上野介がとりあつかうところだが、何しろ被告が彼の家来なので、長安に裁《さば》きがゆだねられたのである。長安は、証人と裁判官をかねた。そしてまた幕府の蔵相兼通産相ともたとうべき人物にこのような役割があてられたというような点が、いかにも職分のまだはっきりとしない草創の時代を思わせる。
理非は明らかであった。
「有馬修理大夫、愚人のためにたばかられたは、まったく私欲にまなこくらみしによる。ましてやそのために、大八に金銀を贈るとはもってのほかのふるまい、よって修理大夫を甲州に配流《はいる》申しつける」
大久保長安は断獄した。
「岡本大八は安倍川《あべかわ》において磔《はりつけ》罪」
長安は、いい気持そうであった。何より彼は、清廉の権化《ごんげ》みたいな顔をしている本多上野介の側近から、こんな大汚職者が出たことに、皮肉な微笑を禁じ得なかったのである。
本多上野介に罪は及ばなかったが、彼は当分謹慎せざるを得なかった。
三月二十一日、岡本大八は駿府市内を引廻しになったあと、安倍川のほとりで磔に処せられた。たまたま土井大炊頭は所用あって駿府にあり、これを見た。
道化者岡本大八の最期に対して、天はそれにそぐわない、分《ぶん》にすぎた二つの花で飾った。
一つは自然の花であった。旧暦で三月二十一日といえば、桜の盛りであった。安倍川の堤には、桜並木が満開をすぎて、すでに花びらを春風にとばしていた。
一つは人間の花であった。もうひとり、大八とならんで磔にかけられた女があったのだ。大八の妾のお万《まん》という女であった。捨札《すてふだ》には、大八をそそのかし、大八を罪におとした妖婦《ようふ》として彼女を責める墨痕《ぼつこん》がつらねられていた。
事件が曝露されたとき、だれしも大八の強欲をにくむとともに、その犯行の無謀さにあきれたのである。しかし、彼に罪を犯させたというその妾を見たとき、だれもがまた「ああ」と納得《なつとく》の嘆声をあげた。それはどんな男でも、無軌道な愚行に追いこみ、底なしの地獄におとさずにはおかないだろうと、ひと目見ただけでうなずかせるほどの肉感的な美女であった。
陽炎《かげろう》たつ水を背に、白い河原に立てられた二本の磔柱の上で、岡本大八は何やら吼《ほ》えていた。風にのってくるその獣のような絶叫は、はじめ恐怖と呪《のろ》いとみれんの悲鳴かときこえたが、耳をすますとこうさけんでいた。
「おれはおまえを恨みに思わぬ。おまえのために、おまえといっしょに死ねるなら本望だ」
花が、もう一本の磔柱を吹きめぐった。引廻しのあいだにみだれたか、女の一方の乳房はむき出しになって、それは象牙《ぞうげ》のようにひかった。大八の叫び声をよそに、彼女は象牙のように冷やかであった。
ある予感から、土井大炊頭は編笠《あみがさ》に面《おもて》をつつんで、微行できて、竹矢来《たけやらい》をへだて、群衆にまじってこれを見ていた。予感はしていたが、やはり胸をつかれた。その女は去年の秋、江戸の本多佐渡の邸で逢《あ》ったあの姉妹のひとりであったのだ。
果せるかな、この事件の背後には、本多父子の意志がある。岡本大八もまた直接その意志によってうごいた傀儡《かいらい》であろうか。そうは思われぬ。それならば、あの女は必要がないからだ。彼は、あの女によってうごかされた哀れな愚かしい道具にすぎない。しかし、女はあきらかに本多父子の意志のもとにうごいている。
本多上野介が江戸からつれて来た女を、自分の放った女とは感づかれないで、どうして大八の妾としたか、その女がどんな風にして、大八を肉欲と物欲の餓狼《がろう》にしたか、それはわからぬ。しかし、あの上野介の手際と、女の美貌をもってすれば、それは易々《いい》たるものであったろう。
それにしても奇怪なのは、この結末を知りつつ、いやみずからこの結末を作りつつ、あえて死の座に上って、冷然平然としている女の心であった。大炊頭の耳に、佐渡の声が虫の羽音のように鳴った。「飼犬同然のものどもでござる。こやつらは天地が裂けようと、わしを裏切ることはない。左様に仕込んである……」
さらに奇怪なのは、本多父子の意志そのものだ。彼らは大久保石見守を罠《わな》にかける、といった。しかしこの岡本大八事件が、どうして石見守を罠にかけることになるのか。傷がついたのは、大八の主人本多上野介の方ではないのか。
数人の槍手《やりて》が歩き出した。まず女の磔柱の方であった。
「先にゆくか、お万――三途《さんず》の川で待っておれ。そこでおまえの美しいからだを洗って、血をおとしてやろうぞ」
と、大八がまたさけんだ。
二本の槍の穂先がひかって、女の両わきから胸へ刺しこまれた。
そのとき大炊頭は、すぐそばで、小さくうなるような声をきいた。見下ろすと、腰のあたりに、雀の巣みたいな頭があった。はっとして、二、三歩はなれ、大炊頭はもういちどその姿を見まもった。
本多佐渡の邸で見たあの少年だ。やはり浮浪児然たる風態で、垢《あか》だらけのこぶしで竹矢来を痺《しび》れるほどひっつかみ、眼をひからせて向うの光景を凝視していた。
「これは」
思わず大炊頭は、嗄《か》れた声をかけた。少年はびくっとふりむいた。
「あれは、おまえの姉ではないか?」
少年は爛《らん》と白くひかる眼で大炊頭をにらんだが、たちまち大きな尻切草履《しりきれぞうり》をはねあげて、むささびのように群衆のかなたへ駈け去った。
それから約一年ばかりのあいだは、大久保石見守長安の波瀾《はらん》にみちた生涯のうちでも、その豪奢《ごうしや》ぶりが夕映えのごとくもえかがやいた日々であったろう。
そもそも彼は、徳川家譜代の家臣ではなかった。
元来彼は、甲州|武田《たけだ》家の猿楽師《さるがくし》で、大蔵藤十郎《おおくらとうじゆうろう》といった男だ。それが天性鉱物や植物に興味を持って、しかもそれを産業化するのに特異な能力をもっていた。彼に茄子《なす》や瓜《うり》でも作らせると、百姓よりも大きくて美味なものを生み出し、金銀の製煉《せいれん》をやらせてみると、旧来のものとは面目一新するほど有効な独創的な方法を案出した。信玄《しんげん》はそれを見込んで、甲州金山の奉行とした。
信玄死後、彼は甲州をすてて徳川家に走った、時勢のうごきを見るにも鋭敏であったのだろう。その経済的才能はたちまち家康の嘱目《しよくもく》するところとなり、彼を重臣大久保|忠隣《ただちか》にあずけた。彼が大久保と結んだ機縁のはじめである。やがて彼は、大久保一族の女を妻とし、大久保|十兵衛《じゆうべえ》と名を改め、租税検地などにずばぬけた能力を見せ、石見、佐渡、伊豆などの金山奉行、八千石の大久保石見守長安と名乗る身分に成りあがった。
長安は、鉱山の採掘経営については古今独歩の天才であった。彼の手のふれるところ、廃坑にひとしい鉱山は錬金術師の息吹《いぶき》をあびたように燦爛《さんらん》たる光をはなち出した。
いかに彼が家康のためにおびただしい金銀を生み出してやったかは――たとえば、慶長十二年、家康が駿府に隠退したとき、江戸の西城にあった黄金三万枚、銀一万三千貫をそっくり将軍秀忠にわたしていったにもかかわらず、十年後、彼が死んだとき、駿府にはまた新たに黄金九十四万両、銀五万貫がたくわえられていたということでもわかる。そのすべてが長安の献上したものでないにしろ、その大部分が彼の魔術によったものであることは、家康が金山奉行たる長安を江戸に置かず、じぶんの膝下《ひざもと》に置いたことからでも分明だ。
当然、彼は奢《おご》った。――当時の見聞録にも「日本一のおごり者」という言葉がある。
「佐渡、石見、諸国金山へ上下するに、召使いの女臈《じよろう》女房を八十人、その次あわせて二百五十人、そのほか伝馬人足いくばくという数をしらず、ひとえに天人の如《ごと》し、さらに凡夫の及ぶところにあらず」
万事地味な徳川の家風の中の一大異彩だ。派手で、ぜいたくやで、豪快で、快楽家で――ひとの思惑《おもわく》など、歯牙《しが》にもかけないといったところがあった。
ただひとり、何となくけぶったいのは本多上野介であった。こちらにやましいところはないが、天性、合わないのだ。人間、ひと皮むけば、みんな肉欲と物欲のかたまりだという信念をもっている長安にとっては、その点で、少くとも鉄甲に身を鎧《よろ》って、まったく隙《すき》のないかにみえる上野介という存在は、実にとり扱いにくいものに思われた。
その上野介が、はじめてしくじった。家来の岡本大八の大汚職によってだ。
彼はそれ以来、ひそと邸に垂れこめたままであった。大御所の不興を買ったというより、みずから恥じ、みずから責めているようであった。
気がついてみると、大御所は、長安に対して「経」のみならず「政」についても、何かと相談するようになっていた。
さらに大御所は、しばしば大久保邸に赴いて、遊んでゆくようになった。長安は趣味の一つとして果物つくりの名人で、厖大《ぼうだい》な邸の一部に実験的果樹園を設けていた。家康は、これは趣味ではなく、殖産の見地から、やはりそういうことに関心をもっていて、長安のみごとな栽培ぶりを見に月に一、二度来たことがあったが、その年から翌年にかけて、葡萄《ぶどう》、西瓜《すいか》、柿《かき》、蜜柑《みかん》などの出来栄えを見に、数度もその邸に臨んだのである。そのときも、以前には影の形にそうように従っていた本多上野介の姿は見られなかった。
当時「大久保十兵衛どのは天下総代官」と形容したものがある。その羽振《はぶり》を見るべきである。いまや彼の実質的な権勢は、宗家の大久保相模守をすらはるかにしのいで見えた。
なんぞ知らん、この栄華《えいが》の背に、しずかに、しかし着々と、うす暗い死と破局の翳《かげ》がしのび寄っていようとは。――まして、それが彼自身を目標としたものですらなく、他のまことの目標をたおすための道具に見立てられていようとは。
一〇
鷹狩《たかが》りに出ていた大御所《おおごしよ》が、帰城の途中、ふいに大久保長安の邸に立ち寄った。
長安がおどろいて迎えると、
「いや、かまうな。おまえに逢《あ》いに来たのではない」
と、家康は手をふった。大御所には珍しく洒落《しやらく》な笑顔であった。
「西瓜畑を見に来たのじゃ」
座敷に上ろうともしないのである。いよいよめんくらっている長安をうながして、そのまま、西瓜畑の方へ案内させるのであった。慶長十八年の初夏のことである。
しかし、これは驚天動地というほどのことではなかった。大久保長安が果樹栽培の趣味をもち、大御所もまたそれに少なからぬ興味をよせていることは、前にのべた通りだが、とくに西瓜というのは、当時の珍果だ。いまの観念とはまったくちがう。
元来熱帯産の果実で、しかも渡来してまだ間もない果実であった。家康もこの歳《とし》になるまで、それほどしばしば賞味したことがない。しかし、ただ珍しいというのみで、大してうまいとも思われなかったのだが、ここ数年、大久保|石見《いわみ》から献上した西瓜は、まるで別の果物ではないかと思われるほど美味であった。
「殿……大殿……しかし」
長安はあわてていた。
「まだ召しあがるには、いま少しお早うござります」
「ほ、左様か。まあよい、見るだけでも見てゆこう」
宏大《こうだい》な屋敷の一部が、長安自慢の果樹園であった。その中に、西瓜畑があった。数十条のうねに藁《わら》を敷き、それを青い葉や蔓《つる》が覆っていたが、いたるところ、もう人間の頭より大きな西瓜がごろごろとのぞいて見えた。
これほど大きな果実は、それまで日本ではほかに見られなかったものだ。いかにもこれは、ただ見るだけで、その値うちはある。
「あ、これは」
長安はまた狼狽《ろうばい》した。
西瓜畑の中から、ふいに立ちあがったいくつかの影がある。それを愛妾《あいしよう》のお蓮《れん》とその侍女たちだと気がついて、彼はあわてたのだ。
ちょうど日が沈んで、夕風がたちはじめたころであった。涼を求めて、彼女たちはそこを逍遥《しようよう》していたらしい。大御所さまがお成りになったということすらも唐突《とうとつ》で、家人のことごとくにまだそのことが徹底して知れわたらない事態であったが、さらに大御所さまがこんなところにおはこびになろうとは、まったく想像のほかであった。
彼女たちは、ふいにあらわれた鷹狩り装束《しようぞく》の一団を迎えて、あっけにとられたようにこちらをながめていた。
「ひかえおれ、大御所さまであるぞ!」
長安はさけんだ。女たちは、雷に打たれたようにいっせいに地にひれ伏した。
「石見」
と、家康がいった。
「あれはだれじゃ」
「はっ、当家の女中どもにございまするが、まことに以《もつ》て……」
「いや、あのまんなかのひときわ美しい女よ」
大御所のいうのが、妾のお蓮をさすことはあきらかであった。一瞬、蒼味《あおみ》をおびた夕風の中に沈んだ女たちのなかで、お蓮の姿は玻璃燈籠《はりどうろう》が崩れおちたように見えた。
「あれは」
さすがの長安が、かすかに赤面した。
長安はこのとし六十五であった。お蓮を側妾《そばめ》としてからもう四、五年になるが、彼女はまだ二十六にしかならない。しかし見たところでは、花盛りの二十前後といっても誰《だれ》も疑わぬお蓮の美貌《びぼう》である。それを妾としていることをべつに恥じるような長安ではないが、このときばかりは相手が大御所さまだけに、さすがの長安もとっさにそうとは白状しかねた。それに、いままで何度も大御所がこの邸を訪れたが、むろんいちどもお目通りさせたことがない。
「あれは、私の遠縁の女でござります」
「左様か。珍しい美形じゃ……。どうじゃ、長安、城にあげぬか」
家康は笑っていた。これこそ珍しい好色の相《そう》にみえて、長安はどきりとした。
「はっ、かたじけのう存じまするが、あの女、ちとからだが弱うて、御奉公が相かないまするか、どうか」
長安はそういって、ふいにうずくまると、いきなり足もとの西瓜をたたいた。
「大殿、おききなされませ、この音はまだ澄んでおりましょう。これはまだよう熟しておらぬ証拠でござりまする」
「ほ、音でわかるか」
「されば」
彼は短刀をぬいて、その西瓜を切った。果せるかな、それはまだ未熟の薄緑色の肉をみせた。
「この通りでござる、熟すれば、もっと濁った音を発しまする」
しかし長安は西瓜よりも、お蓮から大御所の注意をそらすのに精いっぱいであった。
「恐れいってござりまするが、あと半月お待ち下されまし。よう熟して無類の美味と相なりましたるものを献上いたしますれば」
「あと、半月か。……いや、またわしの方から西瓜畑を見物に来ようぞ」
と、家康はいった。
「あの女人《によにん》に切らせた西瓜を賞味したいのじゃ。どうじゃな、石見」
からかうような口調であったが、こんな種類の諧謔《かいぎやく》はめったに口にする大御所さまではないだけに、どこまで本気か見当がつきかねて、大久保長安もとっさに返答のしようがなかった。
一一
半月のちにまた来ようといった大御所の言葉がどこまで本気か、それをたしかめるに至らぬうちに、大久保石見守の邸では、思いもかけぬ惨劇が起った。
石見守の娘の一人が嫁入った先に、服部伊豆守正重《はつとりいずのかみまさしげ》という者があった。父はいわゆる服部党という徳川家忍び組の創始者たる服部半蔵である。その初代半蔵も慶長元年に歿《ぼつ》し、長子の源左衛門正就《げんざえもんまさなり》もある事情から失踪《しつそう》したので、いま服部家をついでいるのは、次子のこの伊豆守正重であった。通称を、父とおなじく半蔵という。
その娘婿たる服部半蔵が、悍馬《かんば》に鞭《むち》打って江戸から駿府の大久保邸に急行してきたのだ。深夜であった。
「何か、半蔵」
お蓮と枕《まくら》をともにしていた長安も、きもをつぶして起きて来た。
「お人ばらいを願いたい」
半蔵ははずむ息をおさえていった。
「きく者はだれもおらぬ。どうしたのだ、半蔵」
「お蓮どののことでござるが」
「なに、お蓮のこと?」
「石見さまには、あのお方をどこで見つけて、お側《そば》に召し使われましたるや」
「あれはもう四、五年もまえになるか、伊豆|大仁《おおひと》の庄屋の家に泊った際、そこの養女分の女にて、たまたま給仕に出たのをそのままもらい受けたもの。それはそなたも知っておることではないか。爾来《じらい》、かげひなたなく、よう年寄りのわしに仕えてくれる。そのお蓮が何とした」
「そのお蓮どのが……本多佐渡の手よりはなたれた密偵にて、根来《ねごろ》流の忍者であるとしたら?」
「何だと? あれが佐渡の密偵?」
「忍びの宗家たる拙者も、まったく気づきませなんだ。佐渡守さまが、まさかおなじ徳川の重臣たる当家に乱波《らつぱ》を入れようとは――拙者いまだに信じられぬようです」
長安は、まだ唖然《あぜん》とした顔で半蔵を見ていたが、やがて笑い出した。
「ばかな――いや、どのような陰謀を張りめぐらすかわからぬ本多ではあるが――あのお蓮にかぎって、佐渡の廻し者などとは――よいか、あれは二十歳《はたち》すぎからわしの手許《てもと》に使うておる女であるぞ。それほど若い奴に、そこまで鼻毛を読まれて気づかぬわしか。ばかも休み休み申せ。そもそも、佐渡が何を探ろうとて、探られて痛む筋は当家にはない。それは、わしは君子ではないから、大御所さまのお気に染まぬところは多々あろうが、それは先刻御承知の上の行状だ。いまさら恐れはばかるところがあってたまるか」
彼はせきこんだ。
「そも、半蔵、そなたは左様なことをどこからきいたのか」
「それが……」
半蔵は口ごもった。
おとといの夜のことだ。彼は冷やした真桑瓜《まくわうり》を食った。瓜の中から妙なものが出て来たのだ。
実におどろくべきことであるが、あとで調べてみても、瓜は完全な天然自然のままの瓜であった。黄色い皮には剥《は》いだときの刃物のあと、白い果肉には割ったときの刃物のあとのほかに、一痕《いつこん》の傷も見られなかった。それなのに、まんなかの髄《しん》の部分がきれいにくりぬかれて、その中に小指ほどの青竹の筒が入っていたのであった。
竹筒からは、さらに一枚の紙片が出て来た。それにはこう書いてあった。
「十兵衛どのの妾、蓮なるものは、本佐の乱波《らつぱ》、根来の忍び者なることを存ぜられ候や」
十兵衛とはこの場合、いうまでもなく大久保十兵衛長安、本佐とは本多佐渡守をさすことはあきらかだ。
服部半蔵は、大久保長安といまいったような関係があるから、もとよりお蓮という女性を以前から知っている。本来なら、むろん一笑に付すところだ。その笑いを凍らせたのは、何とも幻妖《げんよう》、その眼で見ながら、なお信じられないこの瓜の中の密書という怪事であった。
その瓜がどこから厨《くりや》の瓜にまぎれこんできたか、家人を調べてみても、まったくわからない。ただ、そういえば、その夕刻門前を乞食《こじき》のような十四、五の少年がウロウロしているのを見た者があるという。――その怪少年のゆくえや、瓜の経路を探索するいとまもなく、とるものもとりあえず、ともかく半蔵は駿府に急行して来た。
――いま、そんな情報をどこから得たか、と長安にききかえされて、しかし半蔵はつまった。瓜の怪異をのべても、信じてもらえそうにない、ということばかりではない。
この怪異から、密書はとうていいたずらとは思えないが、もし事実とするならば、じぶんのような忍者の宗家が大久保家の縁つづきにありながら、いままでついぞ気がついたことがないというのは大不覚であるし、さらにこの密書を送った者の正体がかいもくわからない、ということは、さらに恥の上塗りだ。
「それは、服部組をうごかしてつかんだことでござるが」
と、彼は体面をつくろった。
「ともかくも、お蓮どのをここへ呼んでいただきたい」
先刻、いちどは笑殺したものの、服部半蔵ほどの人間が江戸から駈けつけ、いまそそけ立ったような顔色をしているのに、大久保長安もようやく事態ただごとならずと感じはじめたとみえて、動揺した表情で手をたたき、お蓮を呼ばせた。
お蓮があらわれた。ほんのさっきまで長安とおなじ褥《しとね》でみせていた妖艶《ようえん》たぐいない寝みだれ姿はさすがにぬぐい去り、身ずまいをあらためて、
「何の御用でございますか」
と、手をつかえ、不安げにやや小首をかたむけてふりあおいだ顔は、さしもの半蔵がおのれの疑惑を疑ったくらいのあどけない美しさであった。
しかし、半蔵は眼光と意志を凝集させた。
ふいにさけんだ。
「佐渡のくノ一」
はっとして、お蓮は立ちあがっていた。
くノ一とは女のことだ。女という字を分解すればくノ一となる。とくにこれは、女を以て探りを入れる忍法の陰語だ。ふつうの人間は、もとより意味も知らぬ。――それなのに、お蓮は立った。いや、鳥の羽ばたくように裳裾《もすそ》をひるがえして天井に舞いあがった。
「おおっ」
服部半蔵はおどりあがり、手をふった。天井に霰《あられ》のような音がして、いちめん、黒い星座が散った。マキビシだ。四方八方に釘《くぎ》がねじくれ出した忍者独特の武器だ。
天井に逆さにぶら下がる――というより、そのまま大地を歩むがごとく逃げ去ろうとしたお蓮の足は、一瞬それに封じられた。
「蓮」
驚愕《きようがく》の眼をむいて、長安はさけんだ。
「うぬはまことに佐渡の忍者であったか。あざむきおったな」
「いま、おわかりか」
逆さになったまま、にっと笑った愛妾の顔が、その刹那《せつな》、長安には妖怪《ようかい》のように見えた。――夢中で彼は、右手につかんだ刀を鞘《さや》ばしらせ、横に薙《な》いでいた。
血しぶきが立った。いや、滝となって降った。お蓮の首はたたみに落ちた。それからも、なお一息か二息、首のない胴は、しかと足で天井に結びつけられているように見えた。が、たちまちそれは真紅《しんく》の妖花のように舞いおちて来た。
「しまった」
服部半蔵はうめいた。
「とらえて、佐渡どのの御意図を吐かせるのでござった」
マキビシで彼女の行動を封じようとしたのは、そのつもりであったろう。しかし大久保長安は、いまのじぶんの狂的な成敗《せいばい》を、早まりすぎたと悔いる余裕も失っている。血の海の中に、美しい身首を異にした愛妾の死骸《しがい》を、まるで悪夢にうなされたような眼で、茫乎《ぼうこ》として見おろしているだけであった。
一二
大御所がふたたび長安の邸を訪れる。という前触れを使いがもたらしたのは、実にその翌朝のことである。
訪問の目的は、なんと先日約束した通り、西瓜を食いにゆきたいというのだ。長安にしてみれば、そんなのんきな応対をしている場合ではないが、相手が大御所さまだけに、もとより拒むことなどできなかった。
「佐渡がわしに忍びの者を? よし、これを機会に大御所さまにそのことを言上しようか」
使者の去ったあと、長安は半蔵に相談した。半蔵は思案したのち、くびをふった。
「いや、いまとなっては何の証拠もござりませぬ。しばらくお待ち下されい。拙者、江戸にて服部組の力の及ぶかぎり探って見ましょう」
そして半蔵は、馬を飛ばせて江戸へはせ帰っていった。
お蓮の屍骸は、夜のうちに仮の埋葬をしておいた。座敷の血を洗いおとし、何くわぬ顔で長安は大御所を待った。何くわぬ顔といっても、さすがに長安の眉宇《びう》には陰鬱《いんうつ》なものがあった。それは本多佐渡への怒りと恨みの翳《かげ》であった。
午後、家康が来た。
侍臣のなかに、珍しい顔があった。土井|大炊頭利勝《おおいのかみとしかつ》である。彼が数日前から駿府に来ていることを知っていたが、まさか大御所の西瓜食いの訪問に同行して来ようとは思わなかった。
「いや大殿が、大炊も長安どのお手作りの西瓜を食べてみよ、とおすすめ下さるのでな」
と、大炊は笑っていった。
長安は、昨夜の一件をひそかに大炊に打明けようかと思った。おなじ将軍補佐役でも、佐渡とちがってこの土井大炊頭には、若いが茫洋《ぼうよう》としたあたたかみがあって、長安には好意がもてる。しかし、再考してみるのに、この人物は佐渡の同僚である。それにここ数年、佐渡がじぶんの後継者として、何くれとなく大炊をひきたてようとしていることは、長安も感づいていた。それで、長安はこのことをやめた。すべては、婿の服部半蔵の報告をきいてからのことだ。
――土井大炊頭には、しかし或《あ》るぶきみな予感があった。それは、こんど江戸をたつとき、本多佐渡守から、「駿府へゆかれたら、大御所さまが西瓜を食べに長安のところへお成りあそばす。そのときは、きっとお供なされい」と笑顔でささやかれたからである。むろんこのたびの駿府|行《こう》はそれが目的ではないが、彼が大久保邸に来たのは、あきらかに佐渡のすすめによるものであった。しかし大炊は、この邸で何が起るか知らない。
家康は、また西瓜畑を見にいった。そして長安に教えられて、たたく音でその熟未熟を鑑別する遊びに興じた。そして、やがてひとつの大きな西瓜を指した。
「石見、これはどうであろうか」
「これならば、熟《う》れきって、さぞ美味でござりましょう。長安が保証いたしまする」
「では、これを冷やしておけ」
その西瓜は、うやうやしく運ばれて、井戸に吊《つ》るされた。
座敷にもどって、数刻の座談ののち、家康がいった。
「西瓜はもう冷えたであろう」
「御意《ぎよい》。ただいま、切らせて持ちまする」
「いや、切るな、長安、所望《しよもう》がある」
家康はにこにこと笑っていた。
「いつぞやの美女。あのものの手にて、ここで切らせい。さぞ西瓜の味もいや増すであろう」
長安は狼狽《ろうばい》していった。
「大殿、もったいなき御諚《ごじよう》ではござるが、かのもの、ここ数日、気分すぐれず、ただいま伏せっております」
「なに、病んでおるとや」
大御所はやや失望した表情をした。
「それでは、是非もない。またのおりとしよう。誰でもよい。西瓜を切らせい」
夏の夕ぐれである。広い庭園からは青い風が吹いた。庭は豪奢《ごうしや》な緑の饗宴《きようえん》のようであった。……そのなかに、チラとうごいたものがある。
土井大炊頭だけが気がついて、はっとした。苔《こけ》むした石燈籠《いしどうろう》のかげにしゃがんでいる小さな影がある。その影というより、灌木《かんぼく》のしげみからのぞく異様にひかる二つの瞳《ひとみ》に、大炊はあやうく声をたてようとした。それは去年|安倍《あべ》川の処刑場でみた例の怪少年波太郎の眼にまぎれもなかった。
そのとき、家康の面前で大《おお》 俎《まないた》に例の西瓜がのせられて、白だすきをした小姓が、ものものしく庖丁《ほうちよう》をあてようとしていた。
「あーっ」
突如、凄《すさま》じい悲鳴があがった。座にいたもののすべての絶叫であった。小姓は庖丁をもったまま、一|間《けん》もうしろへ飛んで尻《しり》もちをついている。
西瓜はぽっかりと二つに割れて、左右にころがっていた。中に赤い果肉はなかった。それは巨大な胡桃《くるみ》みたいに、皮だけの空洞《くうどう》であった。
そして、俎の上に鎮座しているのは、一個の女の生首であったのだ。みだれかかる黒髪のかげから、恨めしげにじいっと長安の方をながめている白蝋《はくろう》のような顔をみて、長安は息も声も出なかった。――いうまでもなく、埋葬したはずの愛妾お蓮の首だ。
「――石見っ」
腰を浮かせ、立ちすくんでいた家康はさけんだ。
「これがわしへの馳走《ちそう》か。いいや、わしへの皮肉か!」
「と、殿!」
家康がとんでもないかんちがいをしていることに気がついて、大久保長安は仰天《ぎようてん》して、その足にとりすがった。
「このものは、本多佐渡どのの諜者《ちようじや》にて、昨夜|成敗《せいばい》したものでござります」
「佐渡の諜者? 佐渡がおなじ徳川の奉行に諜者を入れることがあるか。それともうぬら、佐渡から諜者を入れられるような秘密があるか。いやさ、たとえ諜者としても、それをかような無惨《むざん》な首として、わざわざ余の眼前に披露《ひろう》する理由があるか。石見っ、乱心いたしたな」
家康は、どんと長安の胸を蹴《け》かえした。
「のけ、城に帰る」
家康はあともふりかえらず、つかつかと歩き出した。
大久保長安は見送る余裕も失い、蜘蛛《くも》みたいに這《は》いつくばったままであった。めったに怒ることのない大御所さまだがひとたび怒ると恐ろしい。まして、これほど激怒の相を見せたことは、わが身にはもとより、ほかの家来に対してもおぼえがないほどであった。――しかも、とっさにこの事態をいいとくことはむずかしい。いや、おちついて考えても、その釈明を正気のものとして受け入れてもらうことはむずかしい。
そも、じぶんは正気であろうか。これは現実のことであろうか。昨夜から突如としてじぶんにふりかかって来た霹靂《へきれき》のごとき異変は、夢魔の世界のことではなかろうか。――うなされたような視線を廻すと、愛妾お蓮の首は、依然彼を凝視している。それが、にっと笑ったような気がした。
「…………」
名状しがたい恐怖のうめきを発し、長安はまたがばと面《おもて》を伏せてしまった。網膜についで脳膜に、墨色《すみいろ》の霞《かすみ》がかかってきた。彼は喪神《そうしん》した。
大波のひくような座敷に、このときまでただひとり残っていた人間が、音もなく立ちあがった。土井大炊である。
彼は石燈籠のかげの二つの眼が、いつのまにか消え失《う》せていることを知った。――いまごろあの少年は、江戸の本多佐渡のもとへ韋駄天《いだてん》のごとく駈けていることであろう。
いかにして、あの女が昨夜大久保長安に成敗されたのか、大炊は知らぬ。しかし、それがどんななりゆきであろうと、女は覚悟の上でじぶんの首を斬《き》られたに相違ない。大炊頭は本多佐渡のささやきを思い出した。すべてはあの老人の意図のままだ。
そして大炊頭は、さらに恐るべき事実に想到して、背に水が走るような思いがした。それは妖琴《ようきん》の絃《いと》と撥《ばち》のごとく、きょうの大御所さまの訪問は、佐渡の意図と符節を合わせたるものであるということであった。
一三
その夜その日の衝撃のために、大久保長安は寝ついてしまった。
それでも大御所さまに対し、謝罪と弁解の使者を向けようとしたが、大御所はこれを受けつけなかった。その絶望のために、長安はほんとうの病気になった。
長安が灯の消えるように死んだのは、それからまもなくのことである。例の西瓜首の一件がひそかに巷《ちまた》にもれ、狂死したとか自殺したとかいう風説も伝わった。
彼が死ぬと同時に、役人たちが大久保邸に乱入した。そして彼の寝所の床下を調べた。すると、そこに二重になった石櫃《いしびつ》が置かれ、中に切支丹《キリシタン》関係の十字架、磔像《たくぞう》、祭具、文書などが充満しているのが発見された。
――さてこそ、と人々はうなずいた。
「……あの西瓜首も、伴天連《バテレン》の妖術であったという」
「……いや、あの金銀を湯水のように湧《わ》かしたのも切支丹の魔法であったというぞ」
実際大久保長安の才腕には、人々にそう噂《うわさ》させるもむりからぬような妖気があり、その豪奢《ごうしや》な驕《おご》りぶりには、人々の反感をひき起すだけの傍若無人《ぼうじやくぶじん》なところがあった。
まさに槿花一朝《きんかいつちよう》の夢だ。長安一族への追罰は疾風迅雷《しつぷうじんらい》、厳酷《げんこく》をきわめた。
その子息、大久保|藤十郎《とうじゆうろう》、外記《げき》、権之助《ごんのすけ》、内膳《ないぜん》、そのほか越後、播磨《はりま》に住んでいた息子まで、合わせて七人、ことごとく切腹を命ぜられ、彼に使われていた下役人三十余人は打首獄門の仕置を受けた。その余波は、彼の娘を妻としたものたちにも及び、例の服部半蔵も、弟に家督をゆずって浪々の身となるの余儀なきに至った。
ところで、長安の一族には、別格の大物があった。長安の一族というより、大久保の宗家ともいうべき小田原の城主大久保相模守|忠隣《ただちか》である。
さすがに彼には、しばらくなんのとがめもなかったが、しかしまったくこの騒動の圏外に置かれたというわけではない。
「大久保相模守もその縁者たればお咎《とが》めあるべきなれど三河以来無双の忠臣たれば別条なしといえども、こんどの一儀も忠隣知らざることはあるまじきに、一向注進の汰汰《さた》なきは心得ずとの御不審のおぼしめしありしゆえに、何とやらん御気色《みけしき》ありげに見えけるとぞ」
その年の暮、大久保相模守は、京の切支丹制禁のため、上洛を命ぜられた。一族の長安が切支丹であったという嫌疑で罰せられたあとのことである。さすが剛腹な相模守も、なんの異議もなく、唯々《いい》として急ぎ京に上った。
果然、彼に対する処分は、それに追い討ちをかけた。
小田原領五万石を召し上げ、城は没収し、相模守を追放に処するという厳刑である。
かくて、徳川家の世臣であって、譜代中の譜代、重臣中の重臣たる大久保忠隣も、一朝にして流竄《るざん》の身に落ちた。
土井大炊頭は舌を巻いた。
本多佐渡の矢は的《まと》に中《あた》った。的は大久保相模守忠隣である。彼は傲岸《ごうがん》であった。この傲岸さは、将来徳川家の禍《わざわい》をなすものと目された。しかし彼はまた忠節であった。むしろその傲岸さは、おのれの忠節を自負するあまりから発した。大御所の意志を知りながら、ひとり大坂城攻めに反対を表明したのもそのあらわれである。
大久保忠隣をたおすには、彼はあまりに堂々としていすぎた。無理にたおせば、世はその意図にかならずや不審を抱くであろう。そして彼が大坂城攻め反対論者であるという事実が、必要以上に強く浮かび出してくるにちがいない。
そこで佐渡は、忠隣をひとまずおいて、その親族の大久保長安に狙いをつけた。この人物は、見ようによっては忠隣以上の大物であったが、ともかくその処世に於《おい》て八方破れの弱点があった。たとえどのような死に方をし、死後いかなる秘密が曝露《ばくろ》されても、人々に「さもあらん」とうなずかせるような妖《あや》しいふしがあった。――長安の死後、その寝所から発見された邪宗門の祭具は、あれは佐渡の「くノ一」お蓮がしかけておいたものに相違ないが、しかし人々は長安と結びつけて毫《ごう》も不自然なことに思わなかったろう。長安が死んだのはますますもっけのさいわいだが、長安が死ななくとも、必ずや彼はあの一件を以て遠からず誅戮《ちゆうりく》されたにちがいない。
佐渡は、長安を槓杆《てこ》として忠隣をたおした。しかしもはや人々は、忠隣のたおされたことをあやしまなかった。罪九族に及ぶという法観念のゆきわたった時代だから、他人はもとより大久保一族、いや当の忠隣自身ですら、その失脚を納得《なつとく》したのであろう。
土井大炊頭は、ああ、とうなった。
この騒ぎが一応おさまったころ、彼は本多佐渡に逢《あ》った。
「――おわかりか」
と、佐渡は笑っていった。
「わかりました」
と、大炊は素直にうなずいたが、またいった。
「しかし、わからぬこともござる」
「何が」
「上野介どのの家臣岡本大八の一件です。岡本大八を大久保石見の手であばかれ、処断されたため――その恨みを以て、本多御父子が長安を葬り去られた――と噂するものが世にあります。あの一石《いつせき》は、あなたにとっては有害無益なものではござりませなんだか」
「それよ」
本多佐渡は厳粛な顔になっていった。
「あれは、世に左様な噂をたてさせるためでござる」
「なぜ?」
「大御所さまのおんために」
佐渡は能面のような顔でつぶやいた。
「君のため、恨みを一身に集む。――大久保一族のうちには、必ずやこの佐渡を恨んでおるものも多かろう。大炊どの、胆《きも》に銘じておかれよ。主君に傷をおつけせぬためには、そのかたわらにあって、奸物《かんぶつ》、佞臣《ねいしん》とそしられる人間が要るのでござるよ」
大坂の陣が起ったのは翌慶長十九年のことであった。
一四
大坂の陣に於《お》ける本多父子の権謀はだれでも知っている。
二十万の東軍は大坂城を攻囲したが、いわゆる「冬の陣」では落ちず、いったん和睦《わぼく》となり、その条件として大坂城は外濠《そとぼり》を埋めることになった。
「上野介あらかじめこの策をきき、相約すらく、某壁《ぼうへき》より某壁にいたるまではこれをこぼち、某壁より某壁にいたるまではこれをうずむ。すでに和してのち、衆をしてこれを埋めしむ。大坂の使者|来《きた》りて曰《いわ》く、破るところすでに約に過ぐと。上野介、軍にあり。病と称してあえて答えず。使者しばしば来り、しきりに請《こ》う。上野介帳内にあり、熱大いに発すと称して、ついに出《い》でて使者を見ず。すでにして日をかさね、諸軍多く集まり、塁《るい》をならし、わずかに存するところは本城のみ」(羅山《らざん》文集)
「淀《よど》どの、この由をききたまいて、お玉《たま》といえる女房に大野|主馬《しゆめ》そえて京都にのぼせ、本多佐渡守にその由をいえば、佐渡守承わりて、上野介がうつけにて侍《はべ》れば、ものの下知《げち》するさまをも知らぬ不覚さよ、ただいまこの由を大御所に申さめど、二、三日風に感じて悩まされぬ。薬をも服しぬればやがて平らぎ候らわんほど待ちたまえ。よく申すべきにはべるとてうち過ぎぬ。
とかくするほどに、堀は本城まで埋めぬときいて、大御所大いにおどろきたまい、佐渡を大坂に下さる。佐渡守、かほどまで埋めじとこそ思いしに、かかる奇怪なることはなし、この上はせんかたなし、わが子上野介をはじめその罪軽かるべからず。いそぎまかり帰りてこの由申さんとて帰る」(白石紳書《はくせきしんしよ》)
子供だましといえば子供だまし、辣腕《らつわん》といえば辣腕、とにかく家康、佐渡、上野介三者一体の共謀である。
二十万の大軍で力攻しても落ちなかった大坂城は、たちまち「夏の陣」で落ちた。
天下は完全に徳川のものになった。家康の「天職」は終った。
それは同時に、本多父子の天職も終ったことであった。――そのことを本多佐渡守はどの程度に知っていたろうか。
大坂の役《えき》ののち、ある日、佐渡守が将軍秀忠に「正信が奉公の労を忘れたまわで、ながく子孫の絶えざらんことを思召《おぼしめ》さば、嫡男上野が所領いまのままにてこそ候べけれ。かならず過分に賜うべからず」と訴えたという話から、佐渡がそのことを漠然とながら知覚していたことはたしかである。
大御所が本多父子をどういう眼で見ているか、本多父子が大御所の眼をどういう風に感じていたか。――土井大炊頭は何も知らなかった。
彼は以前の通り、茫洋《ぼうよう》とした顔で、しかし謹直に、将軍秘書としての役目に精励していた。
いったい土井大炊頭はどんな人柄であったか、こんな逸話がある。――
大炊頭が、勘定奉行|伊丹順斎《いたみじゆんさい》と同道して江戸城内をあるいていると、台所の小者が鶴《つる》を盗み、箱に入れて持ち出してくるのとゆき逢った。小者がおどろいて、逃げるはずみに箱をおとし、鶴があらわれた。伊丹順斎は大いに怒って台所奉行を呼び、小者を死罪に行うことを命じた。大炊頭はこれをきいていて、順斎にいった。「お腹立ちはもっともながら順斎老、死罪に行うほどのことはありますまい。われらの家でも鶴こそ盗まずとも、多少こういうことはありましょう。お上の鶴は、われらの雀《すずめ》より軽うござる。われらの台所で、雀を盗んだからとて、よも人一人を殺すわけにはゆきますまい。堪忍《かんにん》しておやりなされ」順斎は服した。
年少の家光《いえみつ》を教えるのに、その補佐役|青山伯耆守《あおやまほうきのかみ》はすこぶる剛直で、家光に少しでも過失があると、その場をたたず、面《おもて》を犯して諫言《かんげん》した。大炊頭は温柔の人であって、伯耆に叱《しか》られた家光のきげんがややおさまったとき、従容《しようよう》として、「さきほど伯耆が申しあげたことを、いかにきこしめされましたか。このことが父上さまのお耳に入ったるときは、あなたさまはいかがあそばしますか。とにかく伯耆にあれほど苦労をかけられましては、伯耆の身命もつづきますまい。ちと、ふびんに思うてやって下されませ」などいう言い方をした。
松平伊豆守信綱《まつだいらいずのかみのぶつな》は大下戸《おおげこ》であった。大炊頭は大上戸《おおじようご》であった。伊豆守は、天下の老中《ろうじゆう》で大酒をのむのはいかがであろう、と、その点だけは大炊頭に一言があった。ある日、いっしょに神田橋を通っているとき、ひとりの酔っぱらいがいて、よろめき歩く姿がきわめて見苦しかった。伊豆守は、時こそきたれ大炊頭をひとつとっちめてやろうと思い、「大炊どの大炊どの、向うをごらんなされ、みごとなる伊達歩《だてあゆ》み」といった。大炊頭はいった、「あれ見て伊豆どのも少しは酒をたしなみなされ。下戸の酔うた奴ほど見苦しいことはござらぬ」さすがの伊豆守も、なんの挨拶《あいさつ》も出なかった。
堀田正盛《ほつたまさもり》が大身《たいしん》になったとき、大炊頭の邸にやってきて、座談中に、「いったい目付《めつけ》になる人柄は、どんな者がよろしかろうか」ときいた。大炊頭はうなずいて「よいことにお気づきなされた。それは、たとえて申さば、私どもが他家に呼ばれていろいろ馳走《ちそう》を受けるときに、台所から人がきて、その汁には蠅《はえ》が入りました。この膾《なます》には蚊が入りましたといったなら、害にはならぬこととは知りながら、気にかけずにはいられないでしょう。それと同じことでござる。――もとより、毒の入った食物を見のがしにされてはこまる。役人の汚職はこの毒とおなじで、これを早く見つけて報告するのが目付の役ではありますが、さればとて、料理に蠅や蚊のとまったような瑣細《ささい》なことまで申したてる目付は、世に万全の人間などあるものならず、一事すぐれたところがあれば大事に使うべきことを知らぬものだといえましょう」といった。
大炊頭のところへ、はじめて老職に命じられた人が来て、「思いもよらず重職に加わることに相成りましたが、まず大体の心得をおきかせ下さるまいか」ときいた。大炊頭は、「べつにむずかしいことはござらぬ。丸い棒で四角な器《うつわ》をかきまわすようにしておられればよろしい」といった。隅々まで探索するようなことはするな、と教えたのである。
松平信綱がいった。「私は智慧伊豆《ちえいず》などいわれているが、決して智者ではない。なぜかというと、私はまずさしあたって思いついたことは、あとでいくら思案しても、それ以上の工夫の出たためしがない。それにくらべると、大炊頭どのは、きょうはきのうにまさり、日を経て案ずれば案ずるほど、よい御思慮がわき出してくるように見える。大炊頭どのこそ、まことの智者というべきである」
――これらの逸話から、寛大で、従容としていて、ものにこだわることのない彼の温容がまざまざと浮かび出してくるであろう。
この土井大炊頭を、大御所や本多佐渡がどう見ていたか。――実に彼自身がおどろくような秘事を、この底の知れぬ二老人から託されたのは、大坂の役の直後のことである。しかもそれは死にあたっての遺言ともいうべきものであった。
一五
大坂の役の終った元和元年の秋、大炊頭はまた本多佐渡に呼ばれた。
戦後処理のことなど、あれこれと雑談したのち、佐渡はふといい出した。
「実は、大炊どのにお頼みしたいことがござってな」
「なんでござろうか」
「用件というより、人間でござる。――いつぞや、ちらと申したことがあるが、お忘れか」
大炊頭がかんがえこんでいると、佐渡は手をうって侍臣を呼び、さらに「あのものども、来るように申せ」と命じた。
ふたりの人間が、しずかに座敷に入って来た。ひとりは若い女で、もうひとりは少年だ。
女は、いつか――といっても、もう五年ばかりも前になるが、この邸で佐渡に口うつしに唾《つば》をのませていたあの娘の一人であり、少年はその弟であった。あの唾が、七十をこえた佐渡にとっては不老の薬になるといった。それはともかく、いまその女を見て、五年前とほとんど変らぬ若さに大炊はびっくりしたが、それより、少年が大きくなっているのになお眼を見張った。
あのころ十二、三の小童《こわつぱ》であった。その翌年の春、駿府の安倍川のほとりで彼を見たことがあるが、そのころから四、五年たっているのだから、この変貌《へんぼう》は姉とちがって当然といえる。もう十七、八になったろうか。かつて見た雀の巣みたいな髪はりりしい前髪《まえがみ》となり、もはやそれは少年というより、青年であった。ただ、よくみれば、眼のひかりも頬の線にも、その年齢にはふさわしからぬ凄味《すごみ》と冷やかさがある。――
「例の根来組《ねごろぐみ》の姉弟《きようだい》でござる。姉をお才《さい》といい、弟を波太郎と申す」
「……思い出しました」
胸中の感慨をおさえて、大炊頭はいった。
「これを、それがしに頼むと仰せられるのは?」
「このものども、きょうより佐渡の手をはなして、大炊どのにまかせたいのでござる」
ふたりの若い忍者は、いまはじめてこの言葉をきいたらしく、さすがに衝動を受けた表情を佐渡にむけた。佐渡はふりかえりもせず、
「徳川家に対するわしの役目は終った。年も老いた。やがて大炊どのが佐渡に代って、天下の枢機《すうき》をつかさどるおひととなる。――そのとき、こやつらは必ずお役に立ちましょう。まず、飼って見なされ」
「お言葉ですが、それがし、忍びの者のごときは要りませぬし、また使う自信もありませぬ」
「徳川家のために要り申す、また使わねばならぬことを、きっと思いあたられるであろう」
大炊は、佐渡がこの若い根来者を使って大久保長安をたおし、大久保一族を葬り去ったことを思い出さずにはいられなかった。しかも、その経過を刻々とじぶんに見せたことを思い出さずにはいられなかった。あれがじぶんに対する「教育」であったことを、いまは大炊も知っている。
「しかし、このものども、私に従いましょうか」
「佐渡が命ずれば、そうします。これ、いまきいた通りじゃ。お才、波太郎、うぬらきょうかぎり、佐渡をはなれて、この大炊どのの御下知に従え」
ふたりの姉弟は、あきらかに不満と哀《かな》しみの眼色をしていたが、たちまち蒼白《あおじろ》い無表情にもどって、両手をつかえた。
「では、一応、この両人、頂戴《ちようだい》いたす」
大炊頭はこたえたが、またいった。
「しかし、佐渡どの、先刻老いたと仰せられたが、上野介どのがおわす。上野介どのこそ、あなたに代ってやがて天下の枢機をつかさどらるる方、また上野介どのこそ、このものどもを使わるるにふさわしいお方と存ずるが」
「それが、そうでない」
はじめて本多佐渡の顔に苦痛に似たものがあらわれた。
「あれは鋭どすぎる。我《が》が強すぎる。――上野ひとりが忍者を使うことは、徳川家にとって禍《わざわい》がある。従って、上野介自身にもわざわいをもたらすようになる」
佐渡は大炊頭を見た。この理性の怪物ともいうべき老人の眼に、大炊ははじめて弱々しい哀願の翳《かげ》を見たような気がした。
「わしは、あれを押えて来た。大炊どの、佐渡に代られよ。上野介のことも、佐渡に代って押えられよ。それが本多家のためじゃ」
佐渡はいざりより、大炊頭の手をとった。「大炊どの、くれぐれも上野介をよろしく頼み申すぞ」
――本多家を大炊頭は辞した。馬上にゆられながら思案していた彼は、ふと馬の両側に黙々と従ってくる根来姉弟に気がついた。
「波太郎と申したな」
呼ばれて波太郎は冷たい眼をあげた。
「おまえら、姉ふたりを殺したの。……ふびんな奴《やつ》ら」
じっと大炊頭をふりあおいでいた少年波太郎の眼に、内部の稚《おさ》ない激情が、薄い玻璃《はり》を破ったように、涙となってあふれ出した。
――おそらく、ふびんな奴、という一語すらかけてもらったのは、いまがはじめてではあるまいか、と大炊頭は理解した。
本多佐渡は、この根来流|忍者《にんじや》の姉弟を、幼ないころから人間でないものにする教育をしていたのであった。
馬上からしずかにふたりを見まもる大炊頭の眼には、深いあわれみがあった。
土井大炊頭は、本多佐渡が、どうしてあれほどじぶんに、異常なばかりに嘱望《しよくぼう》するのか、うすきみ悪いほどであったが、もうひとり、さらに恐るべき人物が、じぶんにただならぬ使命を託そうと眼をそそいでいたとは、その日まで知らなかった。それを知ったとき、さしも沈毅《ちんき》な彼が、顔色|蒼白《そうはく》となり、全身に冷汗がにじみ出すのを禁じ得なかった。
大御所である。病める家康であった。
家康は、元和二年一月二十一日夜半に発病した。原因は食あたりであったが、七十五歳のからだにそれが致命の病となった。いや、それより、大坂城を滅ぼしたという安堵《あんど》が、彼の気力を完全に奪い去っていったからであろう。家康の「天職」は終ったのである。
病状は一進一退をつづけ、日とともに重くなっていった。将軍秀忠、勅使、公卿《くげ》大名、旗本らは続々として駿府に参集し、城は憂色にとざされた。なかでも、その病床を去らず、もっとも沈痛な顔色をしていたのは、寵臣《ちようしん》本多上野介であった。
三月に入ったある日、やはり駿府に来ていた土井大炊頭は家康に呼ばれた。そのとき、なんのはずみか、病床のあたりには、ほかにひとりの影もなかった。
「甚三郎《じんざぶろう》、近《ちこ》う寄れ」
大御所は大炊の通称を呼び、
「その方に、たのみがある」
と、かすかな声でいった。大炊頭は身をふるわせて、傍《そば》へいざり寄った。
家康はあたまを枕につけて、暗い天井に眼をすえていた。はげしい下痢のため、木乃伊《ミイラ》みたいに小さくなって、かつて大炊が知っている大御所とは別の人間のように見えた。いや、それはすでに人間ではない。醜い、恐ろしい置物のようであった。
「わしは死ぬ」
と、家康はいった。大炊頭はうめいた。
「何を仰せられます。大殿……」
「あとのことじゃが。……」
かすかな声で家康はいった。
「ただ一つ、案じておることがある。……本多よ」
「――は?」
「わしなればこそ、使い馴《な》らした。しかし、秀忠には、……」
家康は首をうごかして、大炊頭を見た。褐色の隈《くま》にふちどられた眼であった。
「大炊、本多を始末せよ」
土井大炊頭は全身がしびれてしまった。それから、骨まで鳴りはじめてくる思いがした。
大御所はいま何と仰せられた。吐息のような声であったが、たしかに本多を始末せよときこえた。徳川が天下をとるまで、ほとんど全智能、全生涯をあげて忠節をつくして来た本多父子を。――
しかし、大炊頭は一瞬ののち、大御所が決して瀕死《ひんし》の妄想《もうそう》から口ばしった言葉ではないことを了解した。そして彼は、数ヵ月前にきいた佐渡守の「徳川家に対するわしの役目は終った」というつぶやきが耳に鳴るのをおぼえたのである。まるで妖琴《ようきん》の絃《いと》と撥《ばち》のように。
彼は大御所の眼を見た。死の翳《かげ》にふちどられた恐ろしい神秘的な眼であった。大炊はみるみる自分が石か氷かに変ってゆくような気がした。
「……大殿」
しかし、ひれ伏した土井大炊頭の姿は、それまでとおなじ、従容《しようよう》たるものであった。
「何とぞ、お心安らかにおわしませ」
大御所の小康を見すまして、江戸にかえった大炊頭が、お才をつれて本多佐渡の邸にいったのは、その数日後であった。
「せっかくお預りしましたが」
と、彼は微笑していった。
「この女人、どうしてもなつきませぬ。ふしぎなもの、御老人のおそばにおらぬと生きておるような気がせぬと申す」
けげんな表情で迎えた本多佐渡は、じろりとお才を見ていたが、哀艶《あいえん》な女の眼に、珍しく和《なご》んだ――しかし、外見にぶきみとしか見られぬ笑いをにじませた。
「忍者をつかうのも大炊、苦手でござるが、それは女とあっては、ますます扱いに窮《きゆう》します。だいいち、私のそばにおくには、あまりにも色っぽすぎて」
大炊らしくない用語に、佐渡はついにかわいた声をたてて笑った。
「左様か。では、死水とってもらうため、女だけはお返しいただこう。しかし、波太郎の方はよろしく頼みますぞ、大炊どの」
一六
大御所がこの世を去ったのは四月十七日であった。七十五歳である。
それから五十日後の六月七日、本多佐渡守正信も死んだ。七十九歳である。
大御所の死は、幕府を震撼《しんかん》させるものであった。その余震の中に、さしも帷幄《いあく》の臣本多佐渡の死もかげうすく、駿府にあって大御所死後のさまざまの公務に忙殺されていた上野介も、見舞うことはおろか、その死水をとることもできないほどであった。
多くのひとは、佐渡が病んでいたとさえきかなかった。通夜にきたのも、在府の親族のうち少数だけである。――あとで、佐渡の死をきいたものの多くは、
「大御所さまの影として生涯すごされた人じゃ。御本体が失《う》せられて、影もまた消えたのであろう」
と、死をすらほとんどともにした君臣の交わりを感嘆した。
ひっそりと消えた佐渡の死が、しかし実に凄惨《せいさん》なものであることを知っていた人々がある。その死顔を見たもののほかに、大久保一族がそれであった。
前にのべたように、大久保一族は佐渡にはかられてまんまと没落させられたから、彼に対して深讐《しんしゆう》ともいうべき特別の眼をそそいでいたことはいうまでもない。したがって、そういう情報を得るのに、余人《よじん》にもまして敏感であったと見える。一族の大久保|彦左衛門《ひこざえもん》は書きのこしている。
「因果は皿のはたを廻るといいけるが、さもあらんか。佐渡は三年も過ごさずして、頬に痘瘡《とうそう》を出かして、片頬《かたほお》崩れて奥歯の見えければそのまま死す」(三河物語)
三年といったのは宗家大久保相模守失脚後三年という意味である。因果応報、ざまを見ろと快哉《かいさい》をさけんでいるのである。
しかし、彦左衛門といえども、佐渡の死因の恐ろしさを、ほんとうには知らなかったであろう。
本多佐渡が、じぶんのからだに異常をおぼえたのは、二月の終りであった。唇に硬結《こうけつ》が生じたのである。それが消えたかと思うと、一ト月ばかりして、全体に淡紅色の発疹《はつしん》があらわれた。それは環となってつながり、さらにてらてらとひかる赤銅《しやくどう》色の豆のようなものが皮膚に出来た。口のはたがただれて、乳白色の汁がしみ出して来た。さらに一ト月ばかりたって、高熱と頭痛と骨痛が、波のように襲うようになった。この苦しみのため、彼は大御所の死さえ、夢うつつにきいたほどである。
この奇怪な病気が、どこからとりついたか。――佐渡がそれを知ったのは、五月の半ばすぎであった。このころ、彼のからだは、すきまもないほど赤銅色の結節に覆われて、それが崩れて、血と黄白色の膿《うみ》をしたたらせていた。
「お才。……うぬは」
突然、彼は気がついたのである。
「わしに唐瘡《とうそう》を移したな」
お才は顔色も変えず佐渡を見た。彼女自身はそんな病巣を抱いていようとは夢にも思えない象牙《ぞうげ》みたいにきれいな顔をしていた。
「左様でございます」
と、平然といった。
唐瘡とは、いまでいう梅毒《ばいどく》のことである。本来なら、第一期の初期硬結、第二期の薔薇《ばら》疹、第三期のゴム腫《しゆ》など、早くて三年、遅くて十数年かかる経過が、佐渡の場合は三ヵ月のあいだに来た。
「な、なにゆえ、うぬは……手塩にかけたこの佐渡を」
「殿さま、いつか殿さまは、きょうよりわしの手をはなれよ、と仰せられました。いま、お才の主人は、ほかのおひとでござります」
佐渡は病床で氷結したようになった。
「でも、つらいことでございました。殿、これにてお才の役目は果たしたようでござります。……お才、冥途《めいど》の道案内をいたしまする」
なよやかにお辞儀をして、しずかに去ってゆく女を、佐渡はほとんど意識に映さず、まるでそのまま絶息したようであった。
まもなく、人々のさわぎ声がきこえ、家臣のひとりが駆けこんで来た。
「殿、お才どのが自害なされてござりまするぞ」
「駿府の上野に使いをやれ」
佐渡はさけんだ。
「お才のことではない。本多家の一大事じゃ」
家来がうろたえて立ちかけると、佐渡はまたいった。
「いや、待て、……もはや及ばぬ。使者の要はない」
そして、この老人が発狂したのではないかと、家来がぎょっとしたような、ぶきみなしのび笑いを彼はもらしはじめたのである。
「やりおったな。うふ、たしかに師匠に勝《まさ》る弟子。わしの見込んだ通りじゃ。いかにあがこうと、上野、おまえの運命はきまったわ。うふふふふふふ」
それ以来、本多佐渡守は、一子上野介に使者を出すはおろか、上野介の名すらいちどももらさず、半月ばかりののち、ひっそりと死んだ。
ただ、片頬崩れ、奥歯のみえる恐ろしい形相《ぎようそう》で。
したがって、大久保一族のみならず、本多上野介もまた父の真の死因を知らなかった。それどころか、彼は大御所の棺《ひつぎ》を守って、余念がなかった。
その柩を久能山《くのうざん》に葬ったとき、彼はわらじをつけてこれに従い、柩をかつぐ武士たちが休めば、「大殿、上野ここにおりまする」といい、またかつぎあげれば、「大殿、上野がおん供申しあげておりまする」とささやき、あたかも生ける家康に仕えるがごとく、きく者ことごとく声をのんだという。
一七
三年後の元和五年、本多上野介は、それまでの小山《おやま》三万三千石に、十二万二千石を加え、宇都宮十五万五千石に封《ほう》ぜられた。
彼は、父が生前決して加増《かぞう》を受けることなかれと戒めた言葉を忘れたのではなかったが、大御所さまの御愛臣として、他とのつりあいがとれぬという老中《ろうじゆう》土井大炊のすすめに、つい従ったのである。
これが彼にとって、とりかえしのつかぬ禍《わざわい》のもととなったことはのちにわかった。加増はともあれ、宇都宮という土地が、妖雲《よううん》をはらんで彼を待ち受けていたのだ。
それまで宇都宮は奥平《おくだいら》家の所領であったが、領主|家昌歿《いえまさぼつ》して、七歳の忠昌《ただまさ》があとをつぐことになったため、あまりに幼君であるという理由で古河《こが》に移封され、本多上野介がこれに代ることになったのである。
しかるに、この忠昌の祖母は、秀忠の姉の亀姫《かめひめ》と呼ばれたひとで、かつ亀姫の娘の一人――すなわち忠昌にとって叔母《おば》にあたる――が、かつて大久保相模守の一子忠常に嫁した女人であった。
亀姫は加納殿《かのうどの》と呼ばれ、なお健在であった。おのれの所領を代って受けるものが本多上野介であると知って、その眼がただならぬひかりをおびた。彼こそは、じぶんの愛娘《まなむすめ》に亡家の歎《なげ》きをみせた怨敵《おんてき》である。――そこで彼女は、せめてもの腹いせに、移封《いほう》にあたって、宇都宮城にある家財道具ことごとくを古河へ運んで、上野介には一物も残さないようにした。これは幕典《ばくてん》としては許されない違法行為である。本多上野介は、面目にかけて途中でこれをすべて押えさせた。
理は彼にあった。しかし、相手は将軍秀忠の姉であった。そして、法によって彼をかばってくれる大御所はすでにこの世になかった。――秀忠と上野介のあいだに加納殿がたちふさがってヒステリックにさわぎたて、いつしか秀忠と上野介はよそよそしいものになった。
元和八年四月、将軍秀忠は日光御社参の途次、宇都宮城に一泊することになった。そのために、将軍を迎えるべく、上野介は公儀から派遣された根来組同心を使って、昼夜兼行で新御殿の造営にとりかかった。
根来組というのは、紀州根来寺の僧兵の末で、忍びの術を以て家康に召し抱えられ、はじめに成瀬隼人正の手に属して活躍していたが、世が泰平となるにつれて、伊賀《いが》組、甲賀《こうが》組とおなじく、江戸城の警備、また土木|普請《ふしん》のことに従っていた。――その根来組のはたらきで、新御殿は完成した。
四月十四日、将軍秀忠はこの宇都宮城に泊り、日光に上っていった。歓待した上野介とのあいだには、世上風聞されるようなこだわりは何もなかった。
帰途、十九日、この日も秀忠はまた宇都宮に泊るはずであった。げんにその前駆たる老中土井大炊頭の手勢《てぜい》は、その郊外まで到達した。しかるに大炊頭はそのままそこに停止してしまい、秀忠は今市から別街道を通って、宇都宮を避け、壬生《みぶ》の宿《しゆく》に泊《はく》して江戸へむかうことが伝えられたのである。
さすがの上野介も、この思いがけぬ突発事には狼狽《ろうばい》した。なぜ、そんなことになったのか、判断を絶した。面目にかかわると腹も立ったし、加納殿の悪意は承知しているだけに、不安にもなった。
「そもこれはいかなるゆえか、土井大炊にきいて参れ」
命を受けて走り出していった家来が、顔色をかえてはせもどって来た。
「殿。大炊頭さま仰せには、当城に詰めおる根来同心の一人より、御座所に奇怪なからくりあれば、上様二度とお泊り遊ばすべからずとの密告ありしゆえ――と申されておりまする」
「なに?」
上野介は耳をうたがった。寝耳に水とはこのことだ。
「根来同心を呼び集めろ。いや、余の方で御座所に参る」
血相《けつそう》かえて彼はさけんだ。それからまたいった。
「鉄砲の者に支度させて、御座所の庭のしかるべきところに伏せさせておけ。事と次第では成敗《せいばい》してくれる」
――新御殿の庭に、根来同心たちが招集された。縁に立って、上野介は人数をかぞえた。一人も欠けた者はない。彼はいよいよ不審な表情になりながら、大炊頭の疑いをのべ、この中にそのような事実無根の密告をした者があるか、ときいた。
すると、根来同心のひとりがしずかに縁に上ってきて、そこの遣戸《やりど》のどこかに手をかけると、その板が半びらきにクルリとひらいた。――遣戸というのは、閾《しきい》によって左右にひきあけられる戸のことである。それが、周囲一寸ばかりのこして、内部の板が扉式に外にひらいたのである。
彼は、次々に、そうした遣戸をひらいていった。
「ま、待て」
上野介は眼をむいてさけんだ。
「が、かようなことを、何のためにした?」
「地震などの場合、家がかたむいて戸のあかぬことがございます。その用心のため、かくは仕りました」
「余に無断で、要《い》らざることを――要らざるのみか、かようなからくりをしかけては、御公儀よりあらぬお疑い受けるのも当然のことじゃ」
その二十四、五歳の若い総髪の根来者は平然としていった。
「なお、忍びの者をふせぐため、御座所の床下に、一面剣を植えてござりまする」
「忍びの者?」
かすれた声でいって、その白面の美青年を見つめていた上野介は、突如、愕然《がくぜん》としてさけんだ。
「うぬは!」
「お忘れではござりませなんだか。その昔、御恩をこうむった根来波太郎でござりまする」
息をのみ、立ちすくんでいた本多上野介は、やがて軋《きし》るようにうめいた。
「大炊に命ぜられたか」
「昔は、命ぜられたままに駈けまわる犬でござった」
根来波太郎は声もなく笑った。冷たい、美しい、凄惨《せいさん》な笑いであった。
「しかし、大炊頭さまは私を人間としてお使い下されました。このからくりのことは、人間として私がかんがえた、上野介さまへの御恩報じの仕事でござる」
「――撃て」
上野介は逆上して、絶叫した。
銃声があがって、根来波太郎はがくと遣戸に背をぶっつけ、しかし上野介にむけた凱歌《がいか》の笑いを消さず、ズルズルと崩れおち、庭にまろびおちた。
その夏八月、出羽国最上《でわのくにもがみ》家は内紛のため改易《かいえき》せられ、本多上野介は城受取りのため山形へ赴いたが、果然その出先へ、本多の所領没収、上野介自身出羽に配流《はいる》せらるるむねの上意が追い討ちをかけた。
罪状は十一か条にわたっていたが、その中で、宇都宮城|作事《さくじ》の不審と、公儀派遣の根来同心殺害の罪がもっとも重いものであった。
この罪状はともかく、本多上野介は、このやり方が、かつて大久保相模守を京へつかわしてその留守中に鉄槌《てつつい》を下したじぶんのやりかたと、寸分変らぬことに気がついて、陳弁の語も忘れ、「ああ」とうめいたきりであった。
土井大炊頭に愛されていた若い御小姓組番頭松平|長四郎信綱《ちようしろうのぶつな》が、大炊頭に微笑してきいた。
「本多上野介どのの一件、そもそも宇都宮に大封を賜ったときから、大炊頭さまの御遠謀であったと申すものがございまするが」
大炊頭は、眠たげな茫洋《ぼうよう》とした表情でこたえた。
「信綱どの、胆《きも》に銘じておかれよ。上様をお護《まも》りするためには、そのかたわらにあって、奸物《かんぶつ》、佞臣《ねいしん》とそしられる人間がかならず要るものでござるよ」
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『忍法行雲抄』昭和57年12月20日初版発行