[#表紙(表紙.jpg)]
忍法落花抄
山田風太郎
目 次
忍者 仁木弾正
忍者 玉虫内膳
忍者 傀儡《くぐつ》歓兵衛
忍者 枯葉塔九郎
忍者 帷子万助
忍者 野晒《のざらし》銀四郎
忍者 撫子甚五郎
「今昔物語集」の忍者
[#改ページ]
忍者 仁木弾正
一
――隠密《おんみつ》「薄雪《うすゆき》」は、階段をおりていった。
階段は七、八段おりたところで、板から土にかわった。気がつくと、両側の壁も土になっている。そこに龕《がん》のようにえぐられた四角なくぼみがあって、灯《ひ》の入った雪洞《ぼんぼり》がひとつ置かれてあった。入ってきた上の入口はすでにふさがれて、ひかりはまったくないはずなのに、おぼろながら階段がわかり、それが板から土にかわったことがわかったのも、その雪洞のせいであったにちがいない。しばらく下りると、また壁のくぼみに雪洞がともっていた。壁はもはや湿っぽく、ところどころ水滴をひからせている。いや、土の階段の両側には溝《みぞ》が掘られて、かすかに水の音さえひびいていた。
隠密「薄雪」の心には、むろん「罠《わな》にかかったのかもしれぬ」という意識があった。しかし、妻の手紙は、まちがいなく十日まえに失踪《しつそう》した妻の文字であった。死は、隠密という職務についたときから、覚悟していたことだ。まして、これはだれにもいってないことだが、愛する妻がほんとうにこの地底にいるとするならば、いっしょに死ぬことは何でもないと思っていた。
それにもかかわらず、土の階段をおりてゆくにつれて、隠密「薄雪」の心は、抵抗しがたい恐怖に粟立《あわだ》ってきた。じぶんのいのちのことではない。だれが江戸のまんなかに、こんな地中の路があると想像するだろう。「あの男」はいつ、何のためにこんな大工事をやったのか。
「あの男」の行動を探索するための隠密を命じられていながら、おれはいままでまったく知らなかった!
やがて、土の階段をおりつくして、隠密「薄雪」は茫然《ぼうぜん》としてたたずんだ。ここは地底何十メートルにあたるのだろうか、天井も人の背の三倍はたしかにある。ひろさは二十畳敷ぐらいもある。まるで巨大な土の筐《はこ》のような空間であった。三方は土の壁になっていて、真正面だけ四枚の板戸がならんでいる。たかい天井までとどく板戸は黒々として、みるからに厚そうであった。しかし、むろんその奥に何かあるのだ。それは戸というものの機能からそう判断されるということ以外に、その戸のむこうにたしかに人間の気配があるからであった。声ではない。物音でもない、けれど決してひとりではない人間のむれのうごいている気配が。
――妻はあそこにいるというのか? かけ寄ろうとして、隠密「薄雪」は突如立ちどまった。彼は何者かがじぶんを見つめているのを感覚したのである。しかも、周囲から無数の人間の眼が。
彼は雪洞をかかげて、ぐるっと見まわした。しかし、どこにも人間の影はない。三方の壁は洞然《どうぜん》たる空間をつつんでいるばかりだ。それにもかかわらず、たしかに何十人という人間が、じぶんをじっとのぞきこんでいる感じなのである。壁の中から――妙に凹凸《おうとつ》の多い、てらてらと水のひかる壁の中から。――
死さえおそれぬ隠密「薄雪」の心を、えたいのしれない恐怖がじわんと包んだ。彼はわけがわからないままに、妻の名をよびながら、板戸のほうへ突進していった。
ぎ、ぎ、ぎ……と重々しいきしみをあげて、その板戸がひらいた。まんなかの二枚が左右にうごいて、そこに灯の柱が立った。隠密「薄雪」は、あっとさけんで棒立ちになった。
板戸のむこうは、豪奢《ごうしや》な座敷になっていた。そのなかに何十人という女が、立ったり、坐ったり、寝そべったりしているのである。いくつか置かれた雪洞に香煙がまつわり、それはまるで漂う幻影のようにみえた。
「薄雪、来たか」
しゃがれた声がした。女の渦《うず》のまんなかに夜具をしいて、老人がひとり横たわっていた。蓬々《ほうほう》たる髪が銀のようにひかり、顔は蒼白《そうはく》な髑髏《どくろ》に似ていた。名をよばれたが、「薄雪」はいままでにこんな老人に逢《あ》ったことはない。
「入れ、薄雪」
その枕頭《ちんとう》にうやうやしく坐っていたもうひとりの男が呼んだ。その顔をみて、「薄雪」はもういちどあっとさけんでいた。この瞬間、彼は妻のことさえわすれ去った。
「あなたさまは!」
「吹雪《ふぶき》じゃ」
と、その男は笑った。隠密「吹雪」である。黒ずんだ唇を、きゅっと一方へつきあげた笑顔は、「薄雪」の上役「吹雪」にまぎれもなかった。
しかし、「吹雪」はどうしてこんなところにいるのか。幕府の御用部屋直属の密偵「吹雪」が、なぜ、なぜ、なぜ?――「薄雪」はあえいだ。
――「吹雪」には三日前にも地上で逢った。「吹雪」は「薄雪」の上役である。上部からの指令は、たいてい「吹雪」をとおしてくる。だから、使いに出た妻がそのままかえらなくなったという家庭的な異変事を、ひそかに報告した相手も、この上役の「吹雪」だけであった。そのときこのひとは眉《まゆ》をひそめた。
「それはおかしい、姿を消して七日になると?――おまえが御用部屋の隠密だとだれかに知られたのではないか?」
そのようなことは絶対にない、と断言すると、しばらくかんがえて、
「よし、それはおれの手でしらべてみよう。おまえはいままでどおり、例のところへ通え。私事で怠ってはならぬ大事の役目だ」
と、苛烈《かれつ》な眼で見すえていった。そのきびしい上役「吹雪」が、こんなところにいるとは、だれが想像もしよう。――「薄雪」は混迷におちいった。
あえぐのは、驚愕《きようがく》のせいばかりではなかった。いや、あえいでいるのは、彼ばかりではなかった。周囲の女たちすべてがあえいでいる。それが、さっきから鼻口にからまる異様に甘美な匂《にお》い――香煙のせいではないか、と気がついたとき、隠密「薄雪」は強烈な官能の靄《もや》にしずみかかっていた。
「薄雪、みよ、絶世の美女ばかりじゃ」
と、「吹雪」はうす笑いした。
「おれがどうしてここにおるか、これでわかったろう。可愛い配下だ。ここへ呼びよせたのは、おまえにも相伴《しようばん》させてやろうと思ったからだ。よりどり、みどり、煮てくおうが、焼いてくおうが心のままだ」
そういいながら、「吹雪」はそばにすがりついてきた女の唇を吸い、吐息《といき》を吸った。「薄雪」の足から、無数の白い手が、香煙とともにまつわり、這《は》いあがってきた。――これをつきはなすことができなかったのは、あきらかに燃える媚薬《びやく》のせいであった。
「薄雪、ただ、そのまえに頼みがひとつある」
「…………」
「伊豆守《いずのかみ》さまに一服盛ってもらいたいのだ。いや、殺《あや》めたてまつれと申すのではない。それはいま、かえってこまる。眠り薬だ。一夜、前後不覚に眠っていただきたいだけだ」
なるほど「薄雪」はひそかに単独で伊豆守に召されることがある。しかし、それならば、「吹雪」の方がもっとしばしば逢っているのではないか。なぜ本人がそうしないのか。――という疑問はしかし「薄雪」の心にうかばなかった。それ以前の衝撃に、彼はかっと眼をむいて「吹雪」を見つめたきりであった。
「ならぬ」
と、彼はうめいた。一階層上位の「吹雪」に反抗することは絶対にできない隠密の鉄の規律であった。しかし、それゆえに最上層の老中《ろうじゆう》伊豆守に、そんな大《だい》それたことをしかける叛逆《はんぎやく》はいよいよ思いもよらなかった。
のしかかるように、「吹雪」はいった。
「おれにそむくか? 承知してくれれば、あとで薬をわたす」
「ならぬ、なりませぬ」
そうくびをふりながら、「薄雪」は女たちの重みにずるずると坐ってしまった。女たちは身もだえして、もはや肩も乳房もあらわになって、彼のからだにからみついてくる。必死に、「薄雪」はさけんだ。
「すりゃ、おまえさまは、もはや伊豆守さまに――御公儀にお叛《そむ》きでござるか」
「おればかりではない。おまえは知るまいが、泡雪《あわゆき》も粉雪《こゆき》も、みなこの女人国の虜《とりこ》となっておるわ。それを知らぬのはおまえと、われらを使う伊豆守さまだけじゃ」
「泡雪」「粉雪」「吹雪」「薄雪」――それらはいずれも或《あ》る人間を対象にした隠密のむれの内部の符牒《ふちよう》であった。
「薄雪」はそのとき、雪洞のかげに黒ぐろとひかるふたつの眼をみた。妻だ。しかし、彼女は、坐ったままうごかなかった。唇をなかばひらき、眼はうるんで、必死に何かをおさえつけているように。――猛然と「薄雪」は女たちをふりはらい、その方へはしろうとした。
「うごくな」
とはじめて老人が叱咤《しつた》した。
そのくぼんだ眼窩《がんか》のおくの眼は、一瞬に「薄雪」を金しばりにした。まるで稲妻にうたれたように、「薄雪」は両眼にいたみすらおぼえた。はなそうとしても視線ははなれない。魔界の底から魅入《みい》るような眼で「薄雪」をしばったまま、
「吹雪、女房を犯せ」
と、老人はひくい声でいった。微動もせず、横たわったままである。
「吹雪」はたちあがって、「薄雪」の妻の名を、おのれの女房をよぶように呼んであるき出した。それに「薄雪」の妻は、じぶんの夫によばれたようにたちあがって、ついてゆくのだ。
妻をかどわかしてここへつれこんだのが、上役の「吹雪」であることをいまやはっきりと知ったが、「薄雪」は全身しびれたように立ちすくんだままであった。
ふたりは板戸の外へ出ていった。しかし、あけはなされた戸から、雪洞は絹をとおしてやわらかなひかりをそこの土になげていた。
あの貞節な妻が、たえかねていたように、はやくも「吹雪」にしがみついている。頬《ほお》をすりよせ、手足をまとい、なまめかしく腰をうねらせる妻を、「吹雪」は子供でもあやすように横たえて、ゆっくりとその裾《すそ》をかきひらいた。……
「待ってくれ!」
無数の白い鎖みたいに女たちに四肢をからまれたまま、「薄雪」は絶叫していた。
「きく。きき申す。……伊豆守さまに叛き申す」
「よし」
と、老人がうなずいた。そして、いまの一声を吐いたあと、からッぽになったように坐りこんで、肩で息をしている「薄雪」をのぞきこんで、歯のない口でぎゅっと笑った。
「これでおまえも、事と次第では主人に叛《そむ》く性《しよう》あるものとわかった。弾正《だんじよう》、もうよいぞ」
弾正? 弾正とはだれだろう? と、きょろきょろする「薄雪」の眼のまえで、「吹雪」は、女を無慈悲につきはなし、つかつかと一方の壁のそばへあるいていった。
そして、その壁におのれの顔をじっとおしつけたのである。
顔は壁にめりこんだ。いや、それが土壁にまえからあったくぼみに顔をはめたとわかったのはそのあとである。それは壁を這う巨大な蜘蛛《くも》みたいな姿にみえた。一分――二分――三分――彼は顔をはなした。彼は顔をこちらにむけた。
「薄雪」は名状しがたい恐怖のさけびをあげていた。その男の顔は、「吹雪」ではなかった。
全然べつの顔であった!
「隠密吹雪は死んだ。……伊豆守に叛くことを拒否したからじゃ」
と、その男は冷然といって、じぶんの顔をつるりとなでた。
「薄雪」ははじめてそこにあったくぼみが、仮面を逆にしたものと同様のくぼみであることを知った。
してみると――壁面いっぱいにある無数の凹凸《おうとつ》は、みんな無数の人間の顔をおしつけたあとではあるまいか? 先刻、じぶんがあそこでおびただしい人間に見られているような恐怖におそわれたのは、そのおびただしい逆の面型のゆえではなかったか? もしそうであるならば、幾十ともしれぬあの面型のもとの持主はいったいだれだろう。
いま、その男がおしつけたのが、彼本来の面型であることはあきらかだ。彼はじぶんの顔をとりもどしたのだ。しかし、土壁に刻印された面型にはめただけで、みるみる相貌《そうぼう》を変えて別人となるこの男は、なんたる幻怪な術の所有者であろう。
いや、それが彼自身の顔であるかどうかも疑問だが、すくなくとも、それはふだん白日の地上でいくどか見た若い男の顔であった。しかし、いまやっと思いあたるほど影のうすい、蒼白《あおじろ》く透明な皮膚と糸みたいにほそい眼をもった顔であった。そうだ、姓はたしかに仁木《にき》といった。――
その仁木弾正が、風のようにもどってきていった。
「薄雪、うぬの新しいまことの主人の名をきかせよう。ここにござる御老人は、森宗意軒《もりそういけん》さまじゃ。いざ、かための盃《さかずき》に、宗意軒さまのおん血を頂戴《ちようだい》せよ」
もういちど雷火にうたれたように、「薄雪」はひれ伏していた。
彼を驚倒させたのもむべなるかな、森宗意軒とは、大坂の残党で、島原の乱でも天草四郎時貞《あまくさしろうときさだ》の軍師といわれた人物である。その当時から、稀代《きだい》の忍法者とも切支丹《キリシタン》の妖術《ようじゆつ》つかいとも噂《うわさ》があったが、しかし原の城のおちるとともに、すでに十三年前死んだはずの人間なのに。
「弾正、血をとれ」
と、老人はいった。彼は全身不随らしかった。弾正はひざまずいて、老人の枯木のような腕をとり、その前膊《ぜんぱく》に匕首《あいくち》をあてた。
幕府御用部屋直属の隠密「薄雪」は、わなわなとふるえながら、口もとにさしつけられた盃をみた。老人の血は朱盃《しゆはい》のなかに、墨みたいにくろかった。
二
「間《かん》――間者《かんじや》を用いるのは兵法の大事でござる。孫子《そんし》第十三篇に曰《いわ》く、聖智の者にあらざれば間を用うることあたわず、仁義の者にあらざれば間を使うことあたわず、微妙の者にあらざれば間の実《じつ》を得《う》ることあたわずと。――聖智仁義微妙のことは、ことばを以《もつ》ては教えることがむずかしゅうござる。されど、推してこれをいえと申さるるならば、わが方円に安住して、中に一物のへだてなく……」
さわやかな夏の風にのって、朗々たる講義の声がながれてくる。竹林のむこうに池の水がひかって、蓮《はす》の花がゆれていた。――阿亭《あずまや》のうしろの築山《つきやま》をこえて反対の方角からは、これは勇ましい気合と床を踏み鳴らすひびきがつたわってきた。道場があるのだ。
「常《じよう》 見《けん》 常《じよう》 聞広見広聞《もんこうけんこうもん》、この本来をさぐり、視観察を以てかんがえれば分明ならざることなし、間者は外にない、人みな間《かん》と申してもよかろうか」
竹林をとおってくる風は冷たく、講堂の声はよくとおったが、この位置では、道場の矢声のために、ところどころ、とぎれてきこえた。
――いずれにせよ、その声に興味はないように、その武士は阿亭に頬杖《ほおづえ》をついて、まどろんでいる姿勢であった。年は三十前後であろうか、月代《さかやき》をのばしているところは浪人らしいが、その彫りのふかい苦味ばしった顔、気品のあるものごしには浪人らしいところはまったくなく、ただどこか素朴で、田舎《いなか》くさい感じはあった。
しかし、ほんとうにねむってはいなかったとみえる。鳴いていた蝉《せみ》がはばたくこともしなかったほどの跫音《あしおと》に、彼はうす眼をあけた。もっともこの八角の阿亭は、どういうものか、うしろの築山によりそうようにたてられていて、その背の部分が壁になっているほかは、柱のみの吹きとおしであった。まんなかに、まるい石の卓子《たくし》があった。
竹林のなかの小径《こみち》を、箒《ほうき》をかついでひとりの男がやってきた。のんきそうにあるいてきて、阿亭のまえから築山へのぼる路にまわりかけたが、ふと阿亭をのぞいて、
「信濃《しなの》どの」
と、呼びかけた。また眼をとじていた武士は、おどろいたように頬杖をはずして、
「やあ」
と微笑した。苦味ばしった顔が、笑うとひどくひとなつこくなった。箒をかついだ男も笑顔だが、これはどこかうすきみがわるい。
「いや、ひとりでかようなところで昼寝をさせてもらって相すまぬ」
「先生の兵学の御講義はきかれないのですか」
「 承《うけたまわ》 る。なに、この春少々病んだせいか、それほどの年でもないに、どうも疲れ易うてな」
箒の男は、依然としてにやにや笑っている。仁木弾正といって、名だけはいやにものものしいが、いつもこの張孔堂《ちようこうどう》の廊下や庭をぶらぶらあるきまわっていて、客を厠《かわや》へ案内したり、水をまいたり、蜘蛛《くも》の巣をはらったり、下男|然《ぜん》としたはたらきをしてへいきな男だ。だれにも愛想がよいが、なかでもどこが気に入ったのか、信濃宗輔《しなのむねすけ》と名のる聴講者にはなれなれしい。
「どれ、それでは先生の御講義を拝聴に参ろうか」
と、宗輔がたちかけると、弾正は、
「まだ、巳之助丸《みのすけまる》さまと兵部《ひようぶ》どのは、兵学堂においででござるぞ」
と、いった。平然とした口調だが、この言葉がなぜか宗輔にただならぬおどろきをあたえたらしく、いちどうかしかけた腰をまたおろした。じっと見つめる眼に、弾正は相変わらずにやにやと笑いかけて、
「まあ、もう少しお待ちなさい。いちどあなたと話してみたいと思っていた。御講義も、もう終わることでしょう」
といいながら、そばにきて坐りこんだ。宗輔はめいわく顔で、
「話とは何じゃ」
「信濃どの、あなたはわれらの先生をどうお思いです」
「どう思うと申して――敬服しておればこそ、兵学の聴講に参るのではないか」
「ところが、あなたはあまり熱心にきいてはおられぬ。ときどき、席をぬけてはこんなところで昼寝をなされておる。そのときがいつかとみていると、それはかならず伊達《だて》巳之助丸さまと伊達兵部どのがおいでなされたときだ。それで、気がついたのです。あなたはあの方々とここで逢うのを避けておられる。あの方々に気づかれまいと苦心しておられる。あなたは、あの方々をひそかに監視なされておる。――」
信濃宗輔の顔色は変わっていた。やがて、もちまえの男らしい笑顔をにっとつくって、
「御存じか」
「伊達家の御家臣でしょう。しかも江戸|詰《づめ》ではなく、このごろ本国から出府してこられたとみた。巳之助丸さまは、やがて伊達六十二万石の御当主となるお方、そのお方の御行状を案じて仙台から出て参られたか」
宗輔はまるで瞳《ひとみ》をぬかれたような表情をしていた。まるで悪魔みたいによくこちらのことを知っている男だ、と思った。おどろくのは、これがいままで眼中にもなかったこの下男侍の言葉だということだ。
「よく、御存じだな」
「家来の分際を以て、主家の若君の御行状をさぐる――これはけしからぬ、とは思いません。百万石の大名も、傘《かさ》張り浪人も、おなじくこれ張孔堂の大事な客でござる。先生は左様なことは意にかけてはおられぬ」
「先生――先生もすでに御承知のことか」
「むろん、わたしごときがそこまで智慧《ちえ》も調べもまわるわけはござらん。先生の御存じなのはあなたのことばかりではない。三千の門弟ことごとく、その鼻毛の数から、女房の尻《しり》のかたちまで――いやいや、天文地理十能六芸武芸十八般、およそこの世の森羅《しんら》万象、先生の破魔鏡《はまきよう》にうつし出されぬことはない。ないが、あなたのことは、特にお目をかけられてな」
兵学講義の声はもうやんでいた。それに代わって、講堂からながれ出てゆく人々の騒音がきこえた。しかし信濃宗輔はじっとうごかなかった。
「信濃どの、巳之助丸さまがこの張孔堂に通われることが御心配ですか。それは取越苦労と申すもの――いかにも御存じのように、出入りいたす浪人輩が多く、それゆえ妙なうわさをたてるものもあるが、うわさの出所はやきもちやきの他流の兵学者どもで、弟子の礼をとられるのは、諸侯旗本、いやいや、紀州大納言《きしゆうだいなごん》さまさえ、しばしばお成りあそばします。若君が兵学の御聴講においでなさるのは、むしろたのもしいことではありませんかな」
「先生が、私のどこにお目をとめられたか存ぜぬが、特にお心にかけられるときいて、私もいう気になった。それならば、ついでの節先生におつたえねがいたい」
決然として信濃宗輔は口をきった。
「私のきいたことに、こんな噂《うわさ》がある。曾《かつ》て先生が池田《いけだ》侯のお屋敷に召されて御退出のさい、熊沢蕃山《くまざわばんざん》とゆきあわれたそうでござるな。そのとき蕃山が池田侯に色を正して、あれを近づけては相成りませぬ。あの男の相《そう》には容易ならぬ叛骨《はんこつ》がみえますと申したとか」
弾正は笑った。
「いや、人相見なら、熊沢|了介《りようすけ》ごときより、うちの先生の方がずんと上手です。あの話でござるか。あれは先生が熊沢をみて、池田侯に、あれを近づけては相なりませぬ、あの男の相には容易ならぬ叛骨がみえますと言上なされたのが真実で、さて、どこで話がひっくりかえったやら」
「蕃山と巳之助丸さまとのあいだには何のつながりもない。私の気にかかるのは、巳之助丸さまと張孔堂先生との御関係でござる。いや、先生のことはさておいて、私の案ずるのは巳之助丸さまの御一身のみじゃ。家来の分際を以て若君の御行状をおさぐり申す私の行動について、いま云々《うんぬん》されたようだが、それというのも若君のおん身を案ずればこそだ。俯仰天地《ふぎようてんち》に恥じることではない」
宗輔は立った。
「いま私の申したことを先生に告げるのも、私のことを巳之助丸さまに知らせるのも、そなたの勝手だ。だいたいこそこそうごきまわるのは、われながらいやになっていたところだ」
弾正は宗輔の手をとらえた。蛇のようにぬらりと冷たい皮膚であった。宗輔の言葉などきいてはいなかったもののように笑いながら、
「先生がな、例の人相見で、あなたのことを申された。あの男には叛骨がある――と」
「ばかな!」
宗輔は一喝して、はじめて真に腹をたてた顔でにらみすえたが、何思ったかぐるりと阿亭《あずまや》のなかを見まわして、
「ちとうかがうが、このあたりで消え失《う》せた男を御存じではないか」
といい出した。弾正はあっけにとられて、
「消えた男? 何のことです」
「一ト月ばかりまえのことじゃ。私はこの竹林をこちらに入ってゆく男の姿をみた。私はあそこの池のそばで鯉《こい》をみて、老鶯《ろうおう》の声をきいていたが、ふとその男が手紙らしいものを手につかんでひどくあわてた風であったことを思い出し、何となく気にかかって、すぐその男のあとを追ってこの阿亭に入ってきたら、ふしぎなことにその姿がみえなんだのじゃ。いや、築山へ上がっていったのではない。その路なら、私がここへくるまでに上がりきれぬはずだ。他にゆく路はない――」
「何のことやら、さっぱりわからぬ。昼寝の夢でもみられたのではないか」
と、いったが、弾正のほそい眼に動揺がはしった。
「何にいたせ、おたがいに無用な詮議立《せんぎだて》はせぬ方がよいようだな」
はじめて、凄味《すごみ》のある笑顔をなげて、信濃宗輔はたもとをはらい、颯爽《さつそう》と阿亭から出ていった。
仁木弾正は蝉《せみ》しぐれの中に、阿亭の壁をむいて、あごに手をあてたまま、じっと立って思案していた。
「弾正」
呼ばれてふりかえると、入口にひとつの影が立っていた。小がらではあるが、総髪《そうはつ》を両肩にかけて、端麗な姿であり、悠揚とした気品もあった。
「先生」
「何をしておる」
と、影は阿亭に入ってきた。この牛込|榎《えのき》 町《ちよう》の宏壮《こうそう》な大道場のあるじ――さっきまで、講堂で兵法を講義していた張孔堂|由比民部之助正雪《ゆいみんぶのすけしようせつ》である。仁木弾正はあたまをさげた。
「いまそこらで信濃宗輔に逢われませんでしたか」
「逢った。池のほとりで会釈《えしやく》してわかれたが」
「あの男に少々|酢《す》をかけてみたのですが」
「どうであった」
「まだこちこちです。忠義の権化《ごんげ》でござる。まだ歯をたてるには日がかかるものとみえました。とうてい、まにあいますまい。――それより、逆に妙なしっぺがえしをくいました。この阿亭に消えた男があるなど申すのです。どうやら、あの『薄雪』の入るのを見かけたらしい。いや、まだはっきりとつきとめたようでもありませんが」
といって、顔をあげた。ほそい眼が、針みたいに白くひかった。
「あれも、消すとしましょうか」
「まあ、待て」
と、正雪はいった。しばらく考えていたが、
「あれは公儀の隠密ではない。あれの嗅《か》いでまわっておるのは伊達の若君で、この正雪ではない。殺す必要はない。いや、殺してはならぬ。奥州第一の大藩に是非とも布《し》いておかねばならぬ一石だ。わしにはわかる。わしの眼力に狂いはない。伊達家にとって真の叛逆者は、いま若君を迷わせておる伊達兵部でのうて、ひたすら若君を案じて奥羽から出てきたあの宗輔だ。あれこそ、伊達家に於《お》ける正雪だと予言してよかろう。ただ、本人はまだそのことを意識してはおらぬ。――」
正雪はじろと弾正を見やって、
「しかし、おまえのいうように、事はいそぐ。安閑と、本人の覚醒《かくせい》を待ってはおられぬ。といって、正雪が見込んだほどの男じゃ、女では堕《お》ちまい。弾正、いそぎあの男に踏ませる踏絵をつくってみろ。できるな?」
「何をいまさら――老中|松平《まつだいら》伊豆守の寝顔さえ盗んだ弾正でござるわ」
と、弾正は肩をゆすった。正雪は笑ってうなずいた。
「実はいま大坂の金井半兵衛《かないはんべえ》よりいそぎの飛脚がきた。それについて先生にうかがわねばならぬことが出来た」
先生?――正雪はたしかに、先生と呼んだ。
「いざ、先生にお目にかかろう」
と、もういちどいうと、正雪は、阿亭の中央のまるい石の卓子《たくし》に手をかけた。そしてしずかにそれをまわしはじめたのである。
三
それから十日ばかりたった或《あ》る霧雨の夜であった。日比谷御門外にある伊達陸奥守《だてむつのかみ》の屋敷の裏門から一|挺《ちよう》の駕籠《かご》が出た。人目をしのぶようにのりこんだのはたしかに女の影であったが、供はひとりもついてはいない。――駕籠は、赤坂の方へはしっていった。
雨夜ながら漫々《まんまん》とうすびかるのは溜池《ためいけ》だ。まだ玉川神田上水のひかれる以前で、この池は江戸水道の水源であった。それを背にこんもりと黒く樹々《きぎ》のもりあがった丘がみえる。いまの山王社だが、これがここに移されたのはのちの明暦《めいれき》の大火のあとで、このころはまだ鬱蒼《うつそう》たる森林の小丘であった。
森の入口で、女は駕籠をとめた。そして、じぶんひとりで、傘もささずに森の中に入っていった。駕籠をおりた位置ではみえなかったが、樹々のむこうにぽつんと一点の灯がみえた。
息をはずませてはしり寄り、
「原田《はらだ》さま」
と呼ぶ。霧雨をふせぐ自然の傘となった大木の下に、ひとりの武士が提灯《ちようちん》を置いて立っていた。
「お初《はつ》どのか」
と、彼はいった。そのまま彼は、だまりこんで女の顔をながめている。
闇《やみ》にうかんだ小さな顔は、まだ十八か十九の若々しい娘であった。
地上にゆらめく提灯の灯にさえ、頬が夢のように桜色に匂《にお》っている。冴《さ》えざえとした黒い眼やほそい鼻すじはこの娘のなみなみならぬ賢さをあらわしているのに、全体をまるで霞《かすみ》のかかったような臈《ろう》たけた美しさがつつんでいるのは、決して霧雨のせいばかりではない。
――武士はほとんど忘我の眼で見とれたが、すぐにわれにかえった風で、
「文《ふみ》をいただいた。若君のおん身に変事がござったと?」
と、せきこんできいた。
「はい、それが、ほんとうにきみのわるい妙な出来事なのです」
「御安泰でござろうな」
「おいのちに別状はございませぬ。けれど――」
と、お初という娘は眼にいっぱいの恐怖をありありとうかべて、
「おとといの夜のことでございます。若君さまはまた吉原へ忍んでゆかれたそうでございます。そのかえり――」
「れいによって、兵部さまのお誘いか」
「いいえ、その夜はおひとりで――このごろは、若君は兵部さまと御一緒なのをおきらいあそばして、ときどきおひとりでお屋敷をしのび出て、町の辻駕籠《つじかご》などをおひろいあそばすこともあるのです――そのおかえり、きみのわるいことが起こりました。駕籠かきがふいにねむくなって、或る小路をぬけるとき、そのままねむってしまったというのです」
「なに? そ、それで若君は?」
「あとで、その駕籠かきが恐ろしがって、お屋敷の門番にそっと知らせてくれたのでわかったのです。駕籠かきは、通行人にゆり起こされて気がつくと、駕籠の棒にかぶさるようにねむっていて、夜空の月のありかから、あのあいだは半刻《はんとき》もなかったろうと申します。はっとして眼をさまし、駕籠の中をのぞきこみましたら、若君もすやすやとおねむりで、ただどうあそばしたのか、顔に白っぽい泥がいっぱいにこびりついていたと申します。――」
「それは、どうしたことだ。若君はお憶《おぼ》えがないのか」
「その御様子らしゅうございます。ちかくの堀の水でお顔をあらわれておかえりあそばしたそうでございますが、そのことをお口になさいますと、吉原へお出かけになったことが殿様に知れるのを恐れておいであそばすとみえて、何も申されませぬ」
武士は、うなった。何とも判断をこえた事件である。ようやく、いった。
「兵部さまの仕業《しわざ》ではないか。その夜兵部さまが御一緒でなかったことがかえっていぶかしい」
「兵部さまが、なんのためにそのような奇怪なことをあそばすのでしょう」
武士は沈黙した。また、ややあって、切歯《せつし》して、
「それと申すのも、もとは兵部さまが若君をそそのかして、左様な無頼放蕩《ぶらいほうとう》の路にお迷いなさるようにしむけたからじゃ。六十二万石のあとつぎが、ひとりで吉原などへ出入りなさるなど、なんたるたわけた――」
「甲斐《かい》さま、若君はまだおんとし十七でございます。だれでも、そのとしごろには、じぶんをおさえることができませぬ。それに若君は、吉原とやらへお越しあそばしましても、ただお酒をのんで遊女たちの踊りなどを御見物なされただけでおかえりあそばしますとか」
と、お初は熱心に若君を弁護した。
「巳之助丸さまをお責めにならないで下さいまし。そのうち、きっとおん眼がさめられます。いいえ、おん眼のさめるまで、どんなことがあってもわたしたちがお守り申しあげなければ、伊達六十二万石はつぶれます」
たしなめられて、武士は赤面した。感動したのは、その娘の忠心よりも、彼女もまた若君より一つ年上の十八だということであった。
「いや、原田甲斐ともあろう男が、はしたないことを口ばしったものだな。恐れ入った。よろしい、その駕籠かきをさがして、もういちどそのことを調べてみよう」
「甲斐さま、わたくしは気にかかることがございます。このごろ若君や兵部さまがしばしばおいであそばす牛込榎町の由比と申す兵学者に、いろいろとおだやかでない風評がございますが」
「お、由比正雪」
と、武士は吐胸《とむね》をつかれたように、
「そう申せば、先日、きゃつの門人のひとりが、拙者に妙なことを申しおったが――」
と、凝然と宙に眼をあげた。
いま彼はじぶんを原田甲斐と呼んだが、これは由比の屋敷で信濃宗輔と名乗っていた男であった。彼は、あの由比正雪の弟子仁木弾正が、ふしぎにじぶんの素性をよく知っていたことを思い出した。
彼は、伊達家で七門八家老といわれる八家老のうち、片倉《かたくら》や茂庭《もにわ》などとならぶ名臣の家柄の生まれであった。もっとも家柄はそうだが、まだ若年のため、家老の職についてはいない。ただ、その俊秀ぶりは、あれこそ将来の伊達家をになう男だと、仙台ではだれしもがみとめている。それが、この春から病気だといいたててひきこもっているはずなのに、ひそかに名までかえて江戸へ出ているのには、次のようなわけがあった。
江戸では、当主伊達|陸奥守忠宗《むつのかみただむね》は、ながらく病床にあった。そのうえ、世子《せいし》がなかった。虎千代《とらちよ》、万助《まんすけ》という子があったが、早世したのである。
ただ、四人の側妾《そばめ》に七人の男子があった。そのなかのひとり巳之助丸を伊達家のあとつぎとして諸人だれしもがみとめたのは、出生の前後によらず、その母の素性によった。巳之助丸の母は貝姫《かいひめ》といって、京の櫛笥左中《くしげさちゆう》 将《じよう》の妹娘だったのである。そして、その姉は後水尾《ごみずのお》天皇の後宮《こうきゆう》に入って、後西《ごさい》天皇を生んだ御《み》 匣《くしげの》 局《つぼね》であった。つまり、巳之助丸と後西天皇とは従兄弟《いとこ》にあたるのである。
名門も名門、見ようによっては正統の世子よりも高貴な血脈といってもいいくらいだが、父の忠宗がなかなか巳之助丸を正式に世子として届け出なかったのは、その貝姫がすでに亡くなっていて巳之助丸の後楯《うしろだて》となってやることができなかったせいもあるが、巳之助丸の気性がきわめて奔放でもあったことにもよるであろう。しかし、それ以外に、それは忠宗の弟、兵部|宗勝《むねかつ》の策動によるものだと疑うものが、国元にあった。
伊達兵部宗勝は、すでに一万石の分家をたてていたが、はやくから兄の忠宗以上に智慧者とよばれ、本家の心ある家老を不安がらせていた。
それは彼が、異常なばかりの野心家だったからである。巳之助丸が世子とされないのは、この兵部が兄の他の側妾やそれにつながる者たちを煽動《せんどう》しているのだ、とみられてもやむを得ないような陰謀性が彼のうちにあった。
その兵部が、忠宗の長い病気をさいわい、ついに巳之助丸さえそそのかして、諸所つれあるき、巳之助丸に無頼の子という噂《うわさ》がたちはじめたのを案じて、国元の原田甲斐に救いをもとめたのは、巳之助丸の侍女のお初である。
甲斐は一門のうち誠忠の声もっともかたい伊達|安芸《あき》に相談した。対象が巳之助丸であり、伊達兵部である以上、これととりくむことのできるのは、原田甲斐宗輔のほかにはなかった。彼が病気といつわって、ひそかに仙台を留守にすることができたのは、むろん伊達安芸のはからいによるものである。
甲斐は出府したが、兵部の陰謀をさぐることが目的である以上、そのことを兵部に知られてはならなかった。彼は市井《しせい》にひそんで、ひそかにお初と連絡して、奔走していた。――甲斐がそうまでお初を信じたのは彼女が以前主君のお供をして仙台にきたときや、また甲斐が出府したときなど、その年少にもかかわらず、実にしっかりしていて怜悧《れいり》な娘であることを見ていたからだ。それもそのはずだ。侍女ではあるが、家柄もよい。彼女はいまは没落したが、もと美濃大垣《みのおおがき》の城主|三沢清長《みさわきよなが》の娘であった。いわゆる一国一城のあるじの遺児なのである。
けれど、そればかりではなく、原田甲斐は、このお初とじぶんとのあいだに運命の星のつながるのを意識した。
いや、年は十以上もはなれていたから、いままではっきり意識しなかったが、こんど出府して、まるで涼やかな花のように咲きひらいたその美しさに眼を見はって以来――彼にいえば憤然とするに相違ないが、真実は若君のためというより、このけなげな美少女の星にみちびかれて、江戸を東奔西走しているといってよかった。
原田甲斐は、張孔堂での出来事を話そうとして、絶句した。あの正雪が、じぶんを叛逆の相がある、と実にけしからぬ占《うらな》いをたてたことを思い出したのだ。急ににがい表情になって、
「いや、たしかにあの由比正雪と申す兵学者には胡乱《うろん》なふしがある。あの屋敷にもふしんな点がある。しかし――巳之助丸さまには、いまのところ、何のかかわりもない奴《やつ》と思う」
と、いった。
「私のさぐったところでは、少なくとも兵部さまは、正雪にも兵学にもまともな興味を抱いておられぬようだ。張孔堂通いは、巳之助丸さまをつれ出す兵部さまの口実ではあるまいか。私にはそうみえた。それにしても、兵法をまなぶと称して遊里へさそうなどとは、ばかばかしいのを通りこして、そこまで伊達六十二万石を手なぐさみになさる兵部さまの大胆さがそら恐ろしい」
お初はうなずいた。ふたりのあいだに沈黙がおちた。お初は、そくそくとお家にせまる大事、若君にふりかかった異変の恐怖をかみしめているのだろうか、甲斐はふいにそれらと無縁の重っ苦しい情感にとらえられていた。
微雨は音もなくふたりをつつんでいる。提灯《ちようちん》の灯が、雨を金粉にかえて、お初を浮きあがらせていた。まわりは塗りつぶしたように黒い深夜の森である。
「お初どの」
甲斐は、のどがつまったような声でよんだ。お初はきよらかな顔をあげた。黒い花のようにひらいた眼を、信じきったものの眼と知りつつ、甲斐は思わずその花に口づけたい誘惑にかられた。
おたがいに、いよいよお家のために砕身しよう、というつもりであった。言葉は出ず、酔ったようにあゆみ出たとき――お初がふいに身をひいた。
「甲斐さま」
きっとまわりを見まわして、
「だれかいます」
そういったとたん、甲斐は身をひねって、背後のしげみからつきかけた槍《やり》をかいこんでいる。そのまま抜きうちに刀身をうしろにおくって、獣《けもの》のような絶叫をあげさせてから、彼は横におどって提灯をふみ消していた。
「何奴《なにやつ》だ」
と、さけんだとき、森の入口の方から、雪崩《なだれ》のような跫音《あしおと》がはしってきた。
まったくの闇夜に、人も樹もみえず、ただ吹きつけてくる無数の殺気の息を、甲斐は闇斬《やみぎ》りにきり裂いた。
「お初どの、にげるのだ」
と、お初を手さぐりにつかんで、つきとばすと、お初の悲鳴があがった。甲斐は髪の毛も逆立つ思いがしたが、これは灌木《かんぼく》に足をとられて、お初がよろめいたのであった。
「灯を」
「松明《たいまつ》をつけろ」
「のがすな」
はじめて声があがって、たちまち松明がもえあがった。それがいくつとなく森をはしって円をえがき、しかもなお真っ向からかけむかってくる黒装束《くろしようぞく》は、決して七人や八人ではない。――かっと赤く染まった大木の根を背に、お初を救い起こした甲斐は、また二、三人を地に這《は》わせたが、そのこめかみには血をしたたらせていた。
「甲斐さま、わたしをすててにげて下さいまし」
「ばかな! 死ぬならいっしょだ」
ふたりがそうさけびかわしたとき、想像もつかなかったことが起こった。
なお奔騰《ほんとう》してこようとした黒装束のむれが、異様な悲鳴をあげて、いっせいに手を眼にあててのけぞったのだ。たおれないものも、火ねずみみたいにきりきり舞いをして、闇雲《やみくも》に刀をふりまわしていた。――甲斐とお初は愕然《がくぜん》として見まもったままだ。
ふたりは、何が起こったのかわからなかった。何の音もきこえず、何の影もみえなかった。それはいま襲撃されたときより、もっと恐ろしい光景であった。
「なんだ」
「どうしたのだ」
あわててかけ寄ってきた黒装束の松明に、きらっとひかったものがある。雨のひとすじだけ横なぐりに降ったかとみえたが、その男もたちまち両眼をおさえてつんのめっている。
――この奇怪事の突発には胆《きも》がつぶれたとみえて、ひとりがばたばたとにげ出すと、のこりの黒装束も蜘蛛《くも》をちらすようににげちった。
甲斐とお初はあゆみ出た。地におちてもえている松明をひろって、うめいている黒装束のひとりの頭巾《ずきん》をむしりとると果たせるかな、これは甲斐も知っている伊達兵部の家中《かちゆう》のものであった。しかし、ふたりの息をのませたのは、その両眼にぶすりとつき立っている二本の針であった。
かけまわってたしかめてみると、一帯にもがいている襲撃者たちの眼は、ひとりのこらず二本の針に縫われている。この針はどこから飛んできたのか、だれが飛ばせたのか――あきらかに人間|業《わざ》ではない。この世の出来事とは思われない。その針がじぶんたちを救ってくれたものと承知しながら、ふたりは名状しがたい恐怖に襲われて立ちすくんだ。
甲斐とお初が森の外で、袈裟《けさ》がけに斬り殺されているふたりの駕籠かきを抱きあげたとき――森の中の、甲斐が待っていた大木の上から、となりの梢《こずえ》へ、夜がらすのようにとんだ影がある。
梟《ふくろう》みたいに陰気な笑い声の尾をひいて、その影はみるみる枝から枝へ遠ざかっていった。
江戸の地底で、その笑い声が、こんどはひどくかしこまって報告していた。
「信濃宗輔はまことの名を原田甲斐と申すものであることが判明いたしました。きゃつを釣る餌《えさ》もやっと見つけ出しました」
それに対する返事はよくきこえなかった。
「これで先夜、行人のために馬鹿若殿の顔に泥をぬったままにげたしくじりの償《つぐな》いができました。宗意軒さま」
しばらくしてしゃがれた声が溜息《ためいき》を吐くように、
「伊達《だて》の件は、もはやまにあわぬかもしれぬ」
報告の声はいさいかまわずにいった。
「あの男の惚《ほ》れておる女がおります。あれほどの男が、恋のためには眼つきが変わっておりました。謀叛人《むほんにん》の踏絵の道具がこれでととのったわけでございます。果して甲斐が、ころぶか、どうか、わたしは愉《たの》しみでございます」
四
吉原といっても、のちのいわゆる北廓《ほつかく》ではない。元和《げんな》三年、庄司甚《しようじじん》右衛門《えもん》が家康のゆるしをえてひらいた傾城《けいせい》町で、明暦の大火までつづいたこの元吉原は、いまの日本橋人形町一帯にあたる。
甚右衛門が埋め立てたころ、一面、葦《あし》ばかり生えていた沼沢《しようたく》地帯はいまはその面影もない不夜城に変わって、日もくれぬうちから櫛比《しつぴ》した揚屋《あげや》に灯が入り、ゆきかうものは寛闊な武家姿が多かった。後世とちがって、町人にはまだ遊女を買うほどの余裕はなく、ときどき散見するのは旗本|奴《やつこ》に対抗して肩ひじ張る町奴の姿くらいなものである。
したがって、大身《たいしん》の旗本はおろか、大名などでもここに出入りするものはめずらしくなく、揚屋にはそれぞれ馬をつなぐ建物まで附属していた時代で、さればこそ、いかに奔放の性とはいえ、伊達の御曹司《おんぞうし》、十七歳の巳之助丸《みのすけまる》が、この狭斜《きようしや》の巷《ちまた》を徘徊《はいかい》できたわけだ。
巳之助丸がまた吉原に入っていったのは、七月二十二日の夕ぐれであった。きょうはひとりではなく、叔父《おじ》の伊達兵部以下十人あまりのいつもの取巻連が同行していた。いずれも深編笠《ふかあみがさ》をかぶり、さすがに忍びの姿ながら、ゆきかう不法者も思わずさけてとおるほど豪奢《ごうしや》な雰囲気をまきちらしてゆくのは争えなかった。
――兵部は、きょう兄の見舞いと称して日比谷の屋敷にあらわれた。そして巳之助丸に逢《あ》ってさりげなく馬鹿話をしていたが、蒼《あお》い顔で茶をはこんできたお初をみると、平然として巳之助丸をまた榎町の兵学堂にさそったのである。
巳之助丸は、いつかじぶんが吉原のかえり妙な事件に逢ったことなど意に介していない。お初がそれを知っていて、胸もつぶれるほど心配していることなど夢にも知らない。しかし、
「おやめ下さいまし、若君さま」
お初がたまりかねて、夢中でそうさけび出したとき、例によってまたへそをまげた。実は巳之助丸は、この侍女のお初がこのごろほとんど優婉《ゆうえん》と形容したいほど美しくなり、それがまた姉のようにやさしくきびしく、たしなめようとするのに、妙な反撥《はんぱつ》をかんじていた。
「なぜ? 兵学をまなびに参るのだぞ」
「由比《ゆい》はきのうから留守でございます。西国へむけて旅立ったそうでございます」
「なに? そなたが何ゆえ左様なことを知っておる?」
巳之助丸は妙な顔をした。お初ははっとしたように口をつぐみ、すぐにあえいで、
「おねがいでございます、どうぞお出かけあそばさないで――」
「参りましょう、叔父上」
と、巳之助丸はたちあがった。兵部はうなずいた笑顔をお初にむけて、急に物凄《ものすご》い眼つきになって、「無礼な奴が」と吐き出すようにいった。
その顔と心を恐ろしいと思っても、お初は先夜の赤坂の森の危難を口にすることはできなかった。原田甲斐出府のことをじぶんから白状するわけにはゆかないのである。彼女はふるえながら、どうすることもできなかった。
巳之助丸は叔父の兵部が「無礼な奴が」とお初をしかったのを、叔父の誘いを侍女の身分で口出ししてさえぎろうとしたのを不快に思っただけだ、と考えていたが、むろんそれもあるが、兵部の怒りはそれだけではない。
兵部はすでに国元から原田甲斐が出ていることをかぎつけていた。巳之助丸を一大|放蕩児《ほうとうじ》にしたてあげ、将来のおのれの野心の布石にしようという遠謀に水をさすためにである。
その甲斐と共謀しているのがこのお初だということもさぐりあてている。――家臣の分際を以てけしからぬ奴らだ、と兵部は盗人《ぬすつと》たけだけしく腹をたてた。よし、それならば、いっそう腕によりをかけて巳之助丸を馬鹿者にしてやる。公然とおれに刃むかうわけにゆかない証拠に甲斐は白日の下《もと》に面《つら》も出せぬではないか。
たとえ闇討《やみうち》に打ち果たしても、ぐうの音も出ぬはずである。先夜はわけのわからぬことで、討手《うつて》がしくじったようだが、いずれそのうち甲斐とこのお初は、かならず成敗《せいばい》してくれるぞ、と剛腹な兵部は決意していた。
牛込の由比兵学堂へ、といったが、誘ったものも誘われたものも、むろんその気はない。――で、こうして巳之助丸と兵部の一行は、灯の入りはじめた美しい吉原のぞめき[#「ぞめき」に傍点]のなかを、たもとをひるがえしてあるいている。
「叔父上、やはり、いくどきても、おもしろいところでございますな」
と、編笠の中で、巳之助丸は眼をかがやかせていた。両側にならんだ揚屋の紺の長のれんに鈴が鳴っていた。
甲斐とお初をどう始末してやろうか、とまだ思案していた兵部は、ふと或《あ》ることを思い出してたずねた。
「ときに、妙なことをきくが、そなた先日ひとりでここへ通ったそうだな。そのかえりふしんな目にあったそうではないか」
「あ、叔父上はそんなことを御存じですか。あれは何のことやら私にもわかりません。堀のかわうそにでも化《ば》かされたような気持で」
と、巳之助丸は笑った。ほんとに可笑《おか》しがっている無邪気な笑い声に、兵部ははぐらかされた感じで、
「面に泥を塗られたという――」
と、少々悪意のこもった呟《つぶや》きをむけると、
「左様、伊達巳之助丸が吉原のかえり顔に泥を塗られた、という評判を世間にたてさせるためではありますまいか」
「だれが、左様なことをしたと思われる」
「叔父上ではありませんか」
「ば、ばかな!」
「と、噂《うわさ》する者もあります」
と、けらけらとまた笑った。
「しかし、巳之助丸は伊達六十二万石をつぐ器量のない馬鹿者だ、という噂など、私には何でもありませぬ。むしろ、六十二万石の重石《おもし》をかけられるより、毎日この吉原へ通える気楽な身分の方がありがたい。そういう味を教えて下さった叔父上に感謝しているくらいなのです」
ときに、これはおれが放蕩児にしてやらなくとも、ほんとに馬鹿なのかもしれぬ、と思うこともあった兵部だが、この底ぬけの述懐には狼狽《ろうばい》していた。本心そう考えているのか、兵部に対する痛烈な皮肉か、判断がつかない。
しかし、兵部は、この夜巳之助丸の身に起こった怪異を、このとき予想もしなかったのである。
絶句している兵部をしりめに、巳之助丸はけろりとして、
「あれはなんだ」
と、うしろの侍臣をふりむいてきいていた。角町の路上である。
そこの柳の下に二つの風呂桶《ふろおけ》が伏せてあった。一つはただ伏せてあるだけだが、もうひとつは桶の両側に杭《くい》をうちこみ、その二本の杭にはめた横棒で、しっかりと桶の底をおさえつけてあるのだ。
そして、桶には小さな四角な穴があけられて、そこから蒼白《あおじろ》い色男らしい若者の顔がきょとんとのぞいていた。
「珍しきものがお眼にとまってござる。あれは桶伏せと申し、廓《くるわ》の折檻《せつかん》でござります」
「桶伏せ?」
「遊興の上、嚢中《のうちゆう》無一物なることが判明した客がかようなみせしめにあうことは、天下御免の廓の法度《はつと》でござります」
「ほう、おもしろいな」
と、巳之助丸はもうひとつの無人の桶をかんかんとたたいていたが、
「廓の兵学をまなびにきた者だ。ちょっと後学のため入ってみよう」
といって、いきなり編笠《あみがさ》をぬぎ、その風呂桶をかたむけて、中に入ってしまったから、兵部たちはあわてふためいた。
「若君、およしなされ」
「いくら何でも廓の罪人のまねなど、御酔狂がすぎまする」
すぐに巳之助丸は、桶からあらわれた。――べつに恥じる風もなく、顔をくるりとなでたのは、汗をふいたのだろう。
「やあ、なるほどこれはつらい折檻ではある。中は、むし風呂のようじゃ」
と、笑った。――まもなく彼らは、京町の方へむかって立ち去った。
――やがて、暮れつくして暗い柳のかげのその二つの桶のうち、桶伏せの仕置をうけた若者は、わんわんとたかる蚊をたたくのに死物狂いになっていたが、ふととなりの桶に寄ってきた跫音《あしおと》に気がついた。もうゆるしてくれるのか、と穴から顔をつき出すと、廓者ではなく、うす闇にもあきらかに屈強な三人の武士であった。
それが――その空桶《からおけ》をもちあげて、なかからひとりの人間をひきずり出したのをみて、若者はぎょっとした。さっき通りかかった大身らしい若侍が酔狂に入ったが、すぐに出たから、その桶の中にそんな人間が入っていようとは、いままで知らなかったのである。しかも、その人間は、死人《しびと》か気絶しているのか、ぐったりとして、そのままふたりの武士に両わきからかかえ起こされている。
まるで酔っぱらいみたいに、両腕を左右の武士のくびにまわさせられて、その人間ははこばれていった。――
あっけにとられ、穴から首をつき出して、それを見おくった若者のまえに、ふっと影がさした。もうひとりの深編笠の武士である。
「見たな」
ひくい声でいった。そして、あわてて首をひっこめようとする若者の髷《まげ》をむずとつかんだ。腰にぶらさげていた小さな瓢箪《ひようたん》を片手でつかみあげて、歯で栓《せん》をぬき、やさしい声で、
「この暑さに可哀そうに、のどがかわいたろう、飲むがいい」
と、それを若者の口におしつけ、かちかちと鳴る歯のあいだから、むりに中の液体をそそぎこんだのである。
その武士があともふりかえらず去ったあと、桶の穴に若者の顔はなかった。桶の中でいちど二度ひくいきみのわるいうめき声がきこえたあと、もう蚊をたたく音はおろか息の音も絶えて、ただ伏せた桶のふちに血泡がにじみ出てきたが、それは夜目にはみえなかった。
大門《おおもん》内の四郎兵衛番所の番人は、三人の武士がひとりの侍をかつぎ出してきて、大門の外で駕籠《かご》にのせるのをみていたが、「ひとり、酔いつぶれての、いや若い奴は手をやかすもの――」と笑った声をあやしまず、ましてその酔いつぶれた侍の衣服が、夕方廓に入っていった大身らしい武士の一行中のひとりとおなじものだとは思いもつかなかった。そう見たところで、おなじ一団だと考えたにちがいないのである。
京町のなじみの揚屋にあがった伊達巳之助丸は、愉快そうに大盃《たいはい》をかたむけていた。そばにひきつけているのはお気に入りの三浦屋《みうらや》の高尾太夫《たかおたゆう》である。
――ならんで、扇をつかいながら、兵部は横眼で、ちらっちらっとその方を見ていた。心中にしきりに小首をひねっている。
おかしい。きょうの巳之助丸はどうしたのか。
いつものように、わんぱくな可愛らしい顔をした巳之助丸だ。酒は恐ろしくつよいが、泥酔《でいすい》したのをみたことはない。どこか、おっとりした、おなじ伊達の血をうけた兵部が、しらずしらず気圧《けお》されるような感じにうたれるのは、やはり母方から享《う》けた高貴な血のゆえか、と思いあたることもあった。
それにこの巳之助丸は、年のせいもあろうが、ほんとうのところまだ遊女そのものに興味はもっていない、と兵部はみていた。いくどすすめても、まだこの吉原に泊まったことはなく、大乱痴気さわぎのうちに夜がふければ、あっさり帰館を申しわたす巳之助丸なのである。――ところが、今夜はどうもおかしい。
酒をのみながら、しきりに高尾にふざけかかる。遊女の踊りをながめながら、片手を、ひきつけた高尾の袖《そで》にさしいれて、高尾がときどきからだをくねらせるのは、どうやら乳房をいじっているらしい。高尾の表情におどろきの波紋がわたるが、相手が相手だけに、はしたない声も出せず、その困惑した顔をうす笑いしてながし眼にみている巳之助丸の眼は、まるで四十男みたいに皮肉なものにみえる。
――そのときがきたのだ、年も十七、さかり[#「さかり」に傍点]のつく時期だ、ようやくこの小倅《こせがれ》も女に眼があいてきたらしい。そう判断せざるを得ない。さて、この巳之助丸が女のおもしろさを知ってきたとなると、こちらもいよいよおもしろくなるぞ、と兵部はあきれながらも、心中にほくそ笑んだ。
しかし、夜ふけて巳之助丸は、やはり、もうかえることにしよう、といい出した。その点はいつもとおなじであった。が、怪異はそのかえりに起こったのである。
大門を出た二|挺《ちよう》の駕籠は、月明の下をきもちよさそうにはしる。供の武士たちが、その前後にしたがっている。前にのっているのが巳之助丸で、うしろが兵部であった。
その巳之助丸の駕籠のなかで、ふいにうすきみのわるい笑い声がひびき出したので、駕籠かきは、はじめ辛抱していたが、とうとうたまりかねて、
「殿さま、どうかなさいましたか」
と、きいた。返事はなく、ただ妙な笑い声のみ断続してきこえる。兵部も気がついて、うしろの駕籠から、
「どうしたのじゃ」
と、声をかけ、それから、
「待て、駕籠をとめろ」
と、命じた。二挺の駕籠はとまった。それが、噂にきいていた先夜の巳之助丸が奇怪な泥を顔にぬられた場所とおなじ場所であることに、気がついたものがあるか、どうか。
駕籠がとめられても、巳之助丸のへんな笑い声はつづいている。うしろの駕籠から出た兵部もややきみわるそうな表情になって、あごをしゃくった。家来のひとりが、
「若君」
と呼んで、おそるおそる駕籠の垂れをひきあげたが、中をのぞいて、あっとさけんでとびすさった。
駕籠の中から、すうと巳之助丸はあらわれた。が、蒼《あお》い月のひかりにうかびあがった顔は、妙に白っぽい泥のようなものに一面に覆われていたのである。ただ眼ばかり妖《あや》しい燐光《りんこう》をはなち、口がきゅっと鎌《かま》みたいにつりあがって、にんまりと笑った。
「みなのもの」
と、しゃがれた声でいった。
「さきにかえれ。わしはちと用ができた」
ぶらぶらとひとりであるき出す背を、眼をかっとむいて見おくっていた兵部はふいに愕然《がくぜん》として、
「ならぬ。これ、とりおさえろ、巳之助丸は変化《へんげ》にとり憑《つ》かれたぞ。手籠《てごめ》にしてもつかまえろ!」
と、さけび出した。家来たちがどっと追いすがった。
伊達巳之助丸は、ゆっくりとふりむいた。その口から、銀の糸がほとばしり出た。悲鳴をあげて、家来たちはたおれ伏している。その両眼につき刺さった針をみて、さすがの兵部もまっさきに背をみせていた。のこりの家来もころがるように逃げ出した。
巳之助丸は、ぶらぶらと立ちもどった。そして、腰をぬかしている駕籠かきたちのそばに立って、ふところから一枚の紙片を出して、その足もとにおとしたのである。
「これ、駕籠かき、一走り日比谷御門内の伊達屋敷に使いをしてくれ。それを、そこのお初という女にわたすのだ。余人にわたしたり、役人に申し出たりなぞすれば、たちどころにうぬらの眼もつぶれるぞ。よいか」
五
――原田甲斐は、由比屋敷の阿亭《あずまや》に立って、庭をかえってゆく提灯《ちようちん》を見おくっていた。まだ夜明けにはほど遠いが、もう西にかたむいた月が、阿亭のまんなかのまるい石の卓を蒼《あお》あおとうかびあがらせている。
彼がお初から、いつもお初が秘密な連絡によこす門番の少女を通じて、一通の手紙をうけとったのは、それより半刻ほどまえのことであった。
「甲斐さま。巳之助丸さまのおん身に、恐ろしいことが起こりました。
今夜、巳之助丸さまがお出かけさきから、わたしのところへ、これから由比屋敷にゆく。私にあいたくば、いそぎ由比屋敷の庭の築山下にある阿亭の石の卓をまわせ、このことを他のものに知られれば、巳之助丸の命はないものと知れ、というお手紙をおつかわしになりました。このお手紙の意味の奇怪さもさることながら、それをおつかわしになったときの若君の御様子をききますと、どうかんがえてよいのかわからないほどふしぎなことが、若君のおん身に起こったようでございます。
わたしはすぐに由比屋敷に参ります。お手紙には、もしこのことを余人に知られればおいのちにかかわるとありますので、わたしは苦しみましたけれど、やはり甲斐さまにだけはお知らせいたさずにはおれませぬ。どんなことがありましても、わたしは若君さまだけはお救い申しあげるつもりでおります。もしわたしがこの世から消え失《う》せてしまいましたときは、どうぞ由比屋敷をお調べ下さいまし」
そんな意味のことが、彼女の心のみだれと焦燥をまざまざとあらわす恐ろしいはしり書きでかいてあった。この手紙をうけとって、甲斐がひたばしりに牛込のこの由比兵学堂にかけつけてきたことは当然である。
この手紙では、何と処置してよいかわからぬままに、兵学堂の門番に、
「先生はおいででござるか」
と、甲斐はせきこんできいた。眠りを起こされた門番は、仏頂面《ぶつちようづら》で、正雪が旅に出ていることを告げた。甲斐はじぶんの動顛《どうてん》していることを意識した。正雪がなんのためか駿府《すんぷ》に旅に出たことは先日じぶんがさぐって、お初にも知らせたことだったからである。たたみかけて、
「当家に伊達家に奉公しておる女が来てはおりますまいか、ちと急用ができたのですが」
と、いうと案外あっけなく、
「それならば、こちらに廻られい」
と、提灯をつけて、この阿亭に案内してくれたのである。さきに立ってあるく門番が灯に顔をそむけて、にやりとへんな笑いをもらしたことを甲斐は知らない。ただ胸に波をたてているのは巳之助丸とお初のことばかりだ。巳之助丸が何の用でこの屋敷にやってきたものか、お初が何といってこの兵学堂に入ったものか、それを門番にきく余裕さえなかった。
深夜のゆえか、正雪が多くの門人をつれて旅に出ているせいか、屋敷は森閑としている。
「しばらく、ここでお待ちなされ」
といって、門番は去った。
甲斐は待ってはいなかった。彼は石の卓子に眼をおとした。
「巳之助丸にあいたくば、石の卓をまわせ」
とお初の手紙の中にあった。それはお初にあいたければ、この卓をまわさなければならないということだ。しかし、いくどかここに昼寝をしにきたときにも眼にふれていたが、なんのふしんも抱かなかったこの石の卓が、どうしたというのだ。いったい、これが廻るのか?
甲斐はその石の卓に両手をかけて、まわした。卓は重々しくまわりはじめた。
甲斐は息をのんでいた。卓をまわすと同時に、八角の阿亭そのものがしずかにまわり出したのである。壁面が庭の方へ入口が築山の方へ。――
そして、反対にまわった入口は、暗々たる空洞《くうどう》を生み出した。はしりよってのぞきこむと、空洞のなかに階段が下へつづいていた。築山の下に隧道《トンネル》が掘りぬかれてあったのだ。いや、その築山そのものが、掘り出した土で築かれたものであったのだ。
はるか下にぼんやりと灯影《ひかげ》さえみえた。それにてらてらとひかる坑道を見おろして、甲斐は五、六歩かけおりていた。――巳之助丸さまとお初はこの地底に入れられたのか?
頭上で、音もなく入口はふさがれていた。
しばらくして、地底の洞然たる谷間に立った甲斐のまえに、ぎ、ぎ、ぎ……と重々しいきしみをあげて巨大な板戸がひらくまで――彼のみた光景、彼の感じた心は、彼は知らないが、曾《かつ》て公儀隠密「薄雪」の経験したものとまったくおなじであったといってよい。そして、それ以後の或《あ》る刹那《せつな》までのなりゆきも。
板戸の向こうは豪奢《ごうしや》な座敷になっていた。そのなかに何十人という女が、立ったり坐ったり寝そべったりしているのである。いくつか置かれた雪洞《ぼんぼり》に香煙がまつわり、それはまるで幻影のようにみえた。
「原田甲斐、来たか」
しゃがれた声がした。女の渦のまんなかに夜具をしいて、老人がひとり横たわっていた。蓬々《ほうほう》たる髪が銀のようにひかり、顔は蒼白《そうはく》な髑髏《どくろ》に似ていた。名はよばれたが、甲斐はいままでにこんな老人に逢《あ》ったことはない。
「入れ、甲斐」
その枕頭《ちんとう》に坐っていたもうひとりの男が呼んだ。
その顔をみて、甲斐はあっとさけんでいた。
「あなたさまは!」
「伊達巳之助丸じゃ」
と、その男は笑った。気品はあるが、だだッ子みたいな愛くるしい顔は、まぎれもなく彼が死を賭《と》して守ろうとしている主家の御曹司《おんぞうし》であった。
あえぐのは、驚愕《きようがく》のせいばかりではなかった。いや、あえいでいるのは彼ばかりではなかった。周囲の女たちすべてがあえいでいる。それが、さっきから鼻口にからまる異様な匂い――香煙のせいではないか、と気がついたとき、甲斐は強烈な官能の靄《もや》にしずみかかっていた。
「甲斐、みろ、絶世の美女ばかりだ」
と、巳之助丸はうす笑いをした。
「わしがどうしてここにいるか、これでわかったろう。わしのため心血をしぼってくれておる可愛い家来だ。……ここへ呼びよせたのは、おまえにも相伴《しようばん》させてやろうと思ったからだ。よりどり、みどり、煮てくおうが、焼いてくおうが心のままだ」
そういいながら、巳之助丸はそばにすがりついてきた女の唇を吸い、吐息を吸った。甲斐の足から、無数の白い手が、香煙とともにまつわり、這《は》いあがってきた。――これをつきはなすことができなかったのは、あきらかに燃える媚薬《びやく》のせいであった。
「甲斐、ただその代わり頼みがある」
「…………」
「お初をわしにもらいたい」
甲斐は愕然として口をあけていた。じぶんがお初を愛していることを巳之助丸が知っているのにも驚愕したが、巳之助丸がわざわざじぶんに譲れと強請するのも判断を絶したのである。
「なにゆえ、わしがこのことをそなたにたのむというのか?」
と、巳之助丸は彼の心中を見とおしたようにいった。
「張孔堂の申すには、そなたには叛逆《はんぎやく》者の相《そう》があるそうな。将来かならずわしを滅ぼす相があるそうな。もし、ここでそなたの女を奪えばだ。――といって、いかに神魔のごとき張孔堂の言葉とて、わしが忠臣と信じきっておるそなたを、いま成敗《せいばい》いたす気にもならぬ。それゆえ、あとにしこりをのこさず、ここできれいにお初を譲ってもらいたいのじゃ。その代わり、ここにおる美女のどれでも、そなたのしたいようにさせてやる」
甲斐はそのとき、雪洞のかげに横たわっているひとりの女をみた。黒髪はみだれ、死んだもののようにうごかないが、どうしてそれを見まちがえよう、お初だ。
――猛然と、甲斐は女たちをふりはらい、その方へはしろうとした。
「うごくな」
と、巳之助丸は叱咤《しつた》した。
「わしにそむくか、甲斐。――わしの申すことは不承知か?」
甲斐は稲妻にうたれたようにたちすくんだ。主君にさからうことは絶対にできない武士の鉄の規律であった。ましてや、この若者の意にそむくことは、いままで「忠臣」甲斐の思いもよらないことであった。しかし――
「甲斐、お初をもらうぞ、見よ」
と巳之助丸はいった。そして、お初のそばにあるいていって、そのからだを抱きあげた。香煙のくゆりのせいか白い肉にさくら色の血がさしていた。失神しているのである。だらりとたれた手足をそのままに、巳之助丸は甲斐のまえを通って板戸の外へ出ていった。
巳之助丸は、あけられた板戸から土になげられた灯の帯の上に、白い花みたいにお初を横たえた。そして、もういちど甲斐の方をふりかえってにやりと笑い、半びらきの処女の唇を吸ってから、十七歳の少年とは思われぬ厚顔な手つきで、その裾《すそ》をかきひらいていった。……
「お、お待ち下され」
無数の白い鎖みたいにからみついた女たちをはねのけて甲斐は絶叫した。
「いやか、甲斐、これが不服か」
と、ふりむいて巳之助丸は舌なめずりした。甲斐はがばとひざをついた。みずから磐石《ばんじやく》でおさえつけたように、
「――御意《ぎよい》のままに」
と、ひくくうめいて、ひれ伏した。
床《ゆか》に這いつくばった甲斐は、このとき巳之助丸がふいにお初を地上におとして、老人の方をふりむいたのを知らなかった。ただ、
「これは宗意軒さま、また正雪先生のおめがね違いと存じまする。こやつに謀叛人の性根《しようね》はないものと見きわめました。われらに無用の者と相分かったうえは討ち果たしましょうか」
といった巳之助丸の意外な言葉にはっとして顔をあげた。
「いいや、見すてるにはまだ早い」
と、老人はいった。横たわったままである。
「わしの眼、正雪の眼に狂いはない。――殺すな。そやつは生かしておかねばならぬ」
そして、しばらくだまっていたが、また「弾正《だんじよう》」と呼んだ。
「正雪は死ぬぞ」
弾正と呼んだ声に甲斐は愕然としていたが、それ以上に驚愕の相をみせたのは、そう呼ばれた巳之助丸だ。夜がらすみたいに何か絶叫した。老人は寂然《じやくねん》として暗い穹《きゆう》 窿《りゆう》をあおいだまま、
「わしは、いまこの地底で星をみた。事やぶれて、いま正雪をとらえに、公儀の馬は駿府に走りつつある。やがて、正雪は死ぬであろう。――そのために、われらが叛逆の血脈をつたえるものとして、その男は生かしておかねばならぬ」
老人は顔を横にむけて、甲斐を見た。魔界の底から魅入《みい》るような眼は、甲斐を金しばりにした。その陰々たる声は、彼の血中にしみ入るようであった。
「弾正、のがしてやれ。――やがて、この屋敷にも捕手《とりて》どもが乱入してくるであろう。かかわりあいにさせてはならぬ」
老人は恐ろしいやさしさにみちた声で甲斐にいった。
「甲斐よ、その女をつれて早う立ち去るがよい。まことの巳之助丸はこの上の屋敷にねむっておる。両人のいのちを大事に思うならば、無用な抵抗《あらがい》はすな。つれかえって両人にせいぜい忠心をささげるがよかろう」
うしろで、梟《ふくろう》みたいな笑い声が笑った。
六
墨みたいな雲が垂れさがって、夜のように暗い江戸の町を、原田甲斐はあるいていた。
伊達家の表門を出るとき、鋼《はがね》のようにきびしい表情をしていたのが、いま喪神しそうに虚脱した顔色にかわっている。
彼はいま当主の伊達陸奥守忠宗に召されて、おほめの言葉をいただいたところであった。無断出府の罪をただすどころか、病床の君主は彼の手をとって、由比正雪事件にまきこまれかかった巳之助丸をぶじに救い出してくれたはたらきに感謝したのであった。国家老《くにがろう》にとりたててつかわす、と忠宗はいった。
――思えば、実に恐るべき由比の一味であった。正雪は仁木弾正という妖術《ようじゆつ》つかいをつかって数多くの大名の面型をとり、その大名に化けて、彼らがこれぞと眼をつけたものの心底をためしたのである。まことの忠心ある家来か、それとも事と次第によっては叛逆をたくらむ家臣かを。――それが、正雪が首尾よく幕府をたおしたあと、各藩中で呼応する謀叛の惑星となるように。
巳之助丸を誘拐したのは、お初をおびき出すためである。お初をおびき出したのは、原田甲斐を吸いよせるためであった。彼らは、お初が甲斐に知らせることをちゃんと勘定にいれていたのだ。そして甲斐を呼んだのは――?
そのことを、甲斐は忠宗にいわなかった。恐ろしいのは彼らの妖術よりも、彼らがじぶんという人間に眼をつけたことであった。そしてさらに恐ろしいのは、恋か、忠か、二者択一の試験に、じぶんがついに忠をまもりぬき、彼らの望みに反したにもかかわらず、同様の場合におそらく殺されたであろう他の者とちがって、なぜかじぶんを生かしてくれたことであった。
――「いや、見すてるにはまだ早い。わしの眼、正雪の眼に狂いはない。そやつは生かしておかねばならぬ」
あの老人の声が耳たぶをかすめた。あれはいったい何者であろう? 由比の屋敷を襲った公儀の一隊が、あの老人や弾正をとらえたとはきかないが、彼らはどこに消え去ったのであろう? あの老人こそ、むしろ正雪をあやつる真の傀儡師《かいらいし》ではなかったか?
そして、それ以上恐ろしいのは、それらのことを黙っている自分の心であった。
忠宗は甲斐をねぎらったあとで、「両人を呼べ」と侍臣に命じた。唐紙をあけて、しずかに入ってきたのは巳之助丸とお初であった。その刹那何ともしれず胸をかすめた予感のふるえを、甲斐は歯をかんで思い出す。――忠宗は告げたのである。
やがて後継者とする巳之助丸に、お初をめあわす決意であることを。
その聡明《そうめい》、その忠貞、その美貌《びぼう》、つらつらかんがえるに、伊達六十二万石の大守の妻として、なんの欠けるところもない。家柄さえももとは一国大名の娘、決して不自然な縁とは思わぬ。と忠宗はいった。ただ姉《あね》さま女房になるのがちとこまるが、それもこのわんぱく者の巳之助丸を制御するには、かえって都合がよいであろう。――
その笑いをふくんだ声を、原田甲斐は凝然ときいていた。
巳之助丸のだだッ子みたいな頬はあからんでいたが、はっきりとよろこびの色があった。お初はじっと甲斐を見つめた。その眼には、この幸福を得た歓喜のひかりよりも、深い湖のような女の愛と決意があった。
しずかに、ひくい声でいった。
「甲斐さま、御安心下さいまし。わたしはきっと巳之助丸さまのよい妻になります。どうぞあなたさまも、これからも伊達家をまもって下さいまし」
甲斐はするすると下がって、平伏した。
「まことに天下無二の御良縁。……原田甲斐この上なく祝《しゆう》 着《ちやく》に存じたてまつりまする」
――そして、甲斐はいま、病い犬のように暗い江戸の町をさまよいあるいていた。耳たぶには美しいお初の声と、しゃがれた老人の声が交錯していた。
「甲斐さま、御安心下さいまし。わたしはきっと巳之助丸さまのよい妻になります。どうぞあなたさまも、これからも伊達家をまもって下さいまし。……」
「われらが叛逆の血脈をつたえるものとして、その男は生かしておかねばならぬ。……」
ふいに傍《そば》にきて顔をのぞきこんだ者がだれであるかを知っても、甲斐は声もたてず、だまってあるきつづけた。その男は平気でついてきた。仁木弾正である。
「顔が変わられたな」
じぶんのことではない。甲斐のことをいったのである。しかし、弾正の顔も、しだいにメフィストフェレスじみた笑顔に変わっていった。
「参ろう。森宗意軒さまのところへ」
と、鎌みたいに唇をつりあげて、ささやいた。
前世からの兄弟のようにならんであるくふたりの背を雨つぶがうち、やがてまっ白な雨げむりの中へ、ふたりの影はきえていった。
巳之助丸はのちの伊達|綱宗《つなむね》である。先代萩《せんだいはぎ》の政岡《まさおか》は実存せず、綱宗の夫人三沢初子を変形させたものといわれる。
後年、綱宗は幕府から命じられたお茶の水の掘割|普請《ぶしん》への往来に、廓《くるわ》にたちよって遊蕩《ゆうとう》のかぎりをつくし、その不行跡のゆえを以て隠居を命じられたが、しかし「伊達家治家記録」によると、彼は当時|普請場《ふしんば》巡視に精励し、廓へ足をはこんだ形跡はない。まるでもうひとりの綱宗が存在して、伊達遊びをしたようにみえる。
さわれ、綱宗は若くして押込めの裁きをうけた。そして幼君|亀千代《かめちよ》をめぐっていわゆる「伊達騒動」の幕があがるのである。――
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忍者 玉虫内膳
一
……いつのころからであったろう、といっても、それほど古いことではない。この三、四年来の話である。将軍をめぐって、ふしぎな死びとがあらわれるようになった。
しかし、それらの死びとは、それぞれの屍体《したい》が見出された場所で迅速に秘密|裡《り》に処理されたから、いつ、どこで、どんな風に発見されたのか、全体の数は何人にのぼるのか、すべてを正確に知っている者は、幕閣の上層部の数人にすぎなかったろう。将軍さえも、というより、当の将軍が事件の真相について、いちばん知らなかったかもしれない。
とはいえ、世上の風聞はあった。
江戸城の諸門とか、内部のあちこちで、ときどき武士の屍体が発見された。彼らは端坐したまま、門や石垣にもたれかかったり、あるいは前にのめったりして息絶えていたが、その屍体に恐ろしい二つの特徴があった。
彼らはすべて血をながしていた。出血場所はきまっていない。唇が多いが頬《ほお》であることもあり、腕であることもあり、胸であることもある。そこからながれ出ている血は糸のようにほそいのに、屍体の下にたまっている量はまるで沼のようであった。いや彼らがそこに到達するまでにも、血はその歩みにしたがって、滴々とつづいていた。そして、その出血場所をしらべてみると、そこに傷はなかった。血を洗うと、皮膚に小さな木の葉に似た鬱血《うつけつ》の斑点《はんてん》がみえるだけであった。
もうひとつの特徴は、さらに恐ろしいことだが、彼らはいずれも白い訴状を口にくわえたり、手につかんだりして死んでいることだ。その訴状には「上」とあり、ひらいてみると、どの訴状にも、「上様《うえさま》お恨み」とただ五文字がかいてあるだけであった。
調べてみると、これらの文字はみな死びと自身の筆跡である。――要するに、彼らは自分でこれをかき、血をしたたらせながらも自分の足でやってきて、そこで刻々と血をながして死んでいったように思われる。――
いや、事実、彼らのうちの二、三人は、その怪奇な死にざまをありありと人びとに見せたのだ。将軍が上野や芝の御霊屋《おたまや》に参詣《さんけい》したとき、それから日光御社参のため日光街道を練っていったとき――その行列のまえで、彼らは死んでいったのだ。
それらの道程には、前方はおろか、両側にすら人影はない。文字どおり、無人の野をゆくような行列の道に、こつ然とあらわれた人影が、フラフラとあるいてくる。むろん万一の曲者《くせもの》にそなえておびただしい護衛の武士が従っているのだが、そのゆくてにたったひとつの影があらわれたのをみても、あまりに大《だい》それたことなので、しばらく息をのみ、寂寞《じやくまく》と見まもっているばかりであった。
しかも、その影の腰に力はなく、うなだれて、トボトボとあゆんでくるのが、この世のものではないようなうす暗い妖気《ようき》を引いて、それから行列の先駆|数間《すうけん》の先で、音もなく坐ると、彼らはひっそりと息絶えていった。うしろに血の糸をひき、口に「上様お恨み」の訴状をくわえて。
それらの武士はいずれも若かった。そしてすべてが直参《じきさん》であった。その共通点をのぞいては、はじめのうち、彼らの死因はもとより、その動機すら、だれにもわからないほどであった。彼らは身分もちがい、役目もちがい、平生おたがいに顔をみたこともない関係にあることはたしかだったからだ。
しかし、そのうちに、世上の風聞はつたえた――。
「公方《くぼう》さまをお恨みして死ぬ直参の衆がある。その衆は、花嫁を公方さまにとられて、それで、お恨みして死なれるそうな」
二
「御小人目付《おこびとめつけ》、稲富小三郎《いなとみこさぶろう》にござります」
「おなじく、玉虫内膳《たまむしないぜん》にござります」
しずかに草の上に伏したふたりの男の前に、小姓を従えた貴人は立った。早春の冷たい風をふせぐか、白綸子《しろりんず》の頭巾《ずきん》で面《おもて》を覆っている。
ドンヨリとした曇天の下に、風はようやく青い芽を吹き出したばかりの枝を潮騒《しおざい》のごとく鳴らしていた。足もとにも、去年の落ち葉が、ときどき舞いうごいている。その樹々《きぎ》と枯葉の音のほかは江戸の神田橋門内にこんな深山があるのかとふしぎに思われるような静寂《せいじやく》な一画《いつかく》であった。
「面をあげよ」
と、覆面の人はいった。この屋敷のあるじ柳沢出羽守吉保《やなぎさわでわのかみよしやす》である。
「その方らをひそかに呼んだは、別の儀ではない。天下の大事にかかわることだが、それを救うのは、その方ら両人以外にないとみたからだ。……その方ら、先年より、上様《うえさま》をめぐって奇怪な死びとがあらわれるのを存じておろう」
草の中から、ふたりの武士は顔をあげた。
稲富小三郎と名乗ったのは、色浅黒くみるからに剛毅精悍《ごうきせいかん》の相で、玉虫内膳と名乗ったのは、女のような白面の美青年であった。
「その数、今日までにすべて十七人。……数までは知るまいが、世の噂《うわさ》に戸は立てられぬ。下民《げみん》どもは、その死びとは上様に女をとられたのを恨んで死んだと風聞しておるそうな。――いかにも、その通りだ」
頭巾のあいだの眼が苦笑した。
「とはいえ、その十七人の妻やいいなずけの女を、上様が非道に召されたものではない。大奥に奉公する女は、上様さえご所望あそばすならば、すべてお手付きになることは、はじめより覚悟しておることだ。それを、あとになって、みれんな恨み死するなど直参にもあるまじきふとどきな奴ら。東照宮《とうしようぐう》さま、台徳院《たいとくいん》さま、御三代さま、御先代さまにも、ご同様の例はおわしたろうに、かかる不忠な直参が出たなど、かつてきいたこともない」
「…………」
「それにしても、女を召された十七人が、そろってあのような死にざまをみせたことを奇怪千万とは思わぬか。また事実、当方でとり調べたところ、彼らはことごとく、その件については観念し、みれんなくあきらめ、中にはいいなずけが御手付きの御中臈《ごちゆうろう》にのぼったのを本懐とよろこんだ者もあったそうな。しかるにその男どもが、ときを経てふいにあのようなふるまいに出て死におったのは、何としても解《げ》せぬ」
「…………」
「彼ら自身の発意ではない。彼らは何者かにうごかされたと余《よ》は見る。あのふしぎな血の出しようがそれを物語っておる」
「…………」
「何者が何のために、いかにしてきゃつらを左様な境涯におとしたか。いかにして――ということはわからぬが、何者が何のために、ということはほぼ推量がつく。上様のご行状を天下にさらすためにかかる大事を企《たくら》んでおるのだ」
「…………」
「きゃつらはみなおとなしゅう死んでくれた。しかし、すでに上様をお恨み申しあげておるのだ。いつなんどき、上様のおんいのちにかかわるがごとき大事をひき起こすやはかりがたい。また、彼らをあやつる者は、それを望んでおるかもしれぬ。それでのうても、いまの世上の風聞とても、お側《そば》にあるわれらのたえがたいところだ」
吉保がたえがたいのは、将軍の側用人《そばようにん》として権勢第一の地位にある人間の責任感というより、彼自身がその妻を将軍に献じて、百万石のお墨付きを手に入れようとしたとかいう噂のあるくらいの人物であったから、このようなたぐいの風聞は、ひとごとならずすておけないものがあったからであろう。
「何者が、いかにしてかかる陰謀をたくらみおるか。――実はいままでにも、女を召されたその十七人のうちの何人かを、ひそかに呼んで心底をきき、あらかじめ用心させたものじゃ。そのときは、きゃつら、ちゃんとしておる。決して上様をお恨み申しあげるような不逞《ふてい》な心はもたぬ。もし、それをそそのかすような奴があらわれたら、きっと誅戮《ちゆうりく》するかご注進申すという返答をした。それが……突然、あのような死にざまをとげるのだ」
「いったい、何者の仕業《しわざ》でござりましょう」
と、稲富小三郎がついにたまりかねたような声をもらした。
「忍者だな」
「やはり。――」
「あの奇怪至極な死にようをみれば、あきらかに忍者のわざだ。そこで、そちたちを思い出した。御小人目付ではあるが、数年、伊賀の鍔隠《つばがく》れ谷とやらで忍法を修行して参ったというその方らを。曲者《くせもの》を探索し、これを成敗《せいばい》するものは、曲者におとらぬ気力と技をもつその方どものほかにはない」
「いかにして、探索いたしましょうか。何ぞ手がかりがござりましょうか」
と、玉虫内膳が唇をかみしめ、伏し眼になってつぶやいた。
「手がかりはない。いま申したように、存じておる奴らは、何もいわずにみんな死んだ。手がかりは、その方どもがつかめ」
頭巾のかげの眼は、このとき奇妙なひかりを放った。
「その方ら、両人、御徒目付組頭《おかちめつけくみがしら》 兵《ひよう》 藤助太夫《どうすけだゆう》の娘お葉《よう》とやらを争っておるそうな」
ふたりの顔に、血潮がさした。吉保は冷然とそれを見すえて、
「お葉を大奥にあげろ」
「は?」
「余は、お葉を見たぞ。あの器量ならば上様のお手がついても当然、またお手付きの御中臈となるは必定――」
「さ、左様に相成って、ただいま下された御用となんのかかわりがあるのでござる」
と、稲富小三郎はせきこんでいった。
「その方らが、お葉を恋慕しておることは、余の耳にも入るほどの噂。さすれば――その曲者は、かならずその方どもに眼をつけるであろう。手がかりを、その方どもでつかめといったのは、この意味じゃ」
ふたりの若者は沈黙した。その顔から血の気がひいていった。稲富小三郎がいった。
「お頭《かしら》には何と申されておりましたか」
「助太夫は、上様のおんいのちにかかわるとあれば、一家一族をあげて火水の中にとびこむとも否やは申さぬ。娘にもその覚悟はいたさせる所存、と歯をくいしばって申したが、なにそれほど悲痛がるには及ぶまい。娘の出世につながることではないか。それはともかく助太夫の申すには、われらはよいとして気にかかるは稲富と玉虫、稲富とは十数年前御用のことで死すべき身を小三郎の父に助けられ、そのとき以来、娘を小三郎の嫁にやることをひそかに誓った次第もあり……」
小三郎は眼をひからせて吉保を見つめている。
「また玉虫は、この数年来、娘を妻にくれるように申しこんで参り、いかように避けてもあきらめてくれず、もし拒めば腹も切りかねまじき惚《ほ》れこみよう。その執心ぶりに娘さえもこのごろ心うごかされた様子」
内膳の両手をつかえた肩がふるえている。
「さればこの儀は父親たるおのれの一存にては何とも申しがたい。もし両人が承服いたせば、そのときこそはよろこんで御意にまかせるといいおった。きいてくれるか。もとよりお葉はその方らにとって組頭たる御|徒目付《かちめつけ》の娘、両人にとってはねがってもない縁組じゃが」
にっと頭巾のあいだの眼が笑った。
「あきらめてくれれば余みずから、御徒目付以上の娘を世話してつかわすぞ。のみならず、もし両人のいずれか、例の曲者を捕えるか誅戮《ちゆうりく》いたせば、まず千石は加増してくれる」
世にいわゆる隠密《おんみつ》というのは、この御徒目付|乃至《ないし》御小人目付の仕事であった。御徒目付が上で、その下に御小人目付が配属される。が、この御徒目付がまだ御目見得《おめみえ》以下だから、御小人目付の身分がかるいことはいうまでもない。ふつうの隠密御用で千石の加増などということは、まずないことだ。
彼らが隠密に出るときは、通常二人が一組となる。探索すべき対象は功罪の両面からみることが必要だから、二人で紅白の籤《くじ》をひいて、それによって分担を決するという。――稲富小三郎と玉虫内膳はこの隠密御用のカップルであった。
「どうじゃ」
と、吉保はいった。しかし、意向をきく、といった調子ではなかった。
「両人とも異議はあるまいが」
「お断りを申しあげまする」
と、稲富小三郎は吉保をにらみつけたままいった。
「なんと申す」
「私、上様のためにはいつでも死にまする。さりながら、おのれが立身するために妻を売ることはいやでござる」
「おまえを立身させるために、お葉をお部屋さまに出せと申すのではないわ。それにお葉を大奥にあげるのを売ると申すは、過言ではないか。小三郎」
「いや、ただいまのものの申され方では、そうとられます。しかも、きかぬならべつ、お葉を犠牲《いけにえ》にいたすことと、われらの仕事が離れがたき一体となっておることを知れば、男として拙者この御用をお断り申しあげねばなりませぬ」
「小三郎、お葉どのは、何もおぬしの女房というわけではあるまい」
と、玉虫内膳がしずかにいった。
「お葉はわしの妻だ。すくなくとも、いまの出羽守さまのお話を承って、御意のままにご返答いたすなら、わしは女房を売ると同然の気持ちになる。……そもそもが、もとはと申せば、上様のご好色、左様なことで世に芳《かんば》しからぬ噂《うわさ》がたってもこりゃ当然、拙者はかかることのため、さらにお葉をお側妾《そばめ》にさし出すなどというばかげたことには、断じて承服できぬ」
剛直無比の面《つら》 魂《だましい》を吉保は冷やかにみて、内膳に眼をうつした。
「内膳ならば承知か」
吉保に内膳は、吸いつくように美しい瞳《ひとみ》をあげた。
「上様のおんためならば、よろこんでお葉をさしあげまする」
「お葉はおぬしの妻ではない!」
と、小三郎は絶叫した。玉虫内膳はふっくりとした笑顔をむけた。
「お葉どのにきいてみろ」
それは満まんたる自信にみちた男の顔であった。小三郎は憤怒《ふんぬ》に身をもんだ。
「もしお葉がおぬしの女房ならば……お葉がおぬしを慕っておるというのがまことならば、いっそうお葉を売ることになるのだぞ、内膳」
「小三郎めは、どうやらお葉が拙者の妻であることを認めたようでござります」
と、内膳はしずかにいった。吉保の眼が笑った。内膳の返答のみならず、彼の人間性そのものに同類感をおぼえたらしかった。
「いかがいたしたものかのう」
と、なぶるようにいった。迷いの眼色でなく、すでにある決定を下しているらしい気配に、稲富小三郎は吉保の袴《はかま》のすそにとりすがった。
「出羽守さま、お願いでござる。お葉のことはおあきらめ下され。左様なことをいたさずとも、拙者に三月《みつき》のおいとまをたまわらば、必ず曲者を成敗してご覧に入れ申す」
「三月はながい。出羽守さま仰せのごとくすれば、一ト月で片がつこう」
と、内膳はいった。
吉保はふたりを見くらべてつぶやいた。
「いずれがお葉の夫たるべきか、紅白の籤《くじ》をひくか?」
「いや、その儀には及びますまい」
「なぜだ、内膳」
「花嫁ひとりに婿ふたり、どうせこのことなくとも、日の下にならんで生きてはゆけぬ両人でござった。――」
内膳がいいも終らぬうちに、稲富小三郎は坐ったままの姿勢で、ぱっと二|間《けん》も横にはねとんだ。
三
ふたりのあいだに、きらっと閃光《せんこう》がはしって、吉保がはっと眼を見はったとき、玉虫内膳と稲富小三郎は、寂然《じやくねん》として向かい合って立っていた。閃光は、内膳の抜き討ちの一刀であった。むなしく宙をきった刀身は、内膳の右腕にたかだかとかかげられたままであった。
「おぬしのいのちをもらうなどとは、いまの刹那《せつな》までかんがえたこともなかったが」
と、小三郎がいった。彼は刀の柄《つか》に手をかけてもいない。
たかだかとかかげた玉虫内膳の右腕が奇妙にふるえ、刀がユラユラと異様に浮動するのに吉保が気がついたのはそのときであった。内膳の美しい顔に凄《すさま》じい苦悶《くもん》の表情があらわれた。
「やむを得ぬ。勝負を決しよう。同じく伊賀の鍔隠《つばがく》れで忍法を修行したとはいえ、まだそれをつかう機会なく、おたがいには知らぬ忍法のわざ。それを最初に見せる相手がおぬしとは思わなんだぞ、玉虫内膳」
ゆっくりとちかづきながら、稲富小三郎のこぶしが何かをかいくるようにうごくと、内膳の右腕がゆらぐ。――まるで糸にひかれているようだが、ふたりのあいだの空間には何もみえぬ。
「内膳、あまりに痛がらせるは朋輩《ほうばい》のよしみにそむく。まず刀を投げてもらおう」
小三郎がいうと同時に、内膳の宙にあげた大刀が、腕からはなれて草の上におちた。――その柄に何やらくっついているものをのぞきこんで、吉保はあっとさけんだ。
地におちたのは、刀身ばかりではなかった。内膳の鉛色になった手首もいっしょであった。小三郎はまだ一|間《けん》もはなれているのに内膳のこぶしは、まるで腐熟した果実のようにぽろりともげおちたのである。
「忍法髪いたち。――」
小三郎は何やら手中にたぐりこむような手つきをした。
「見えたか。見えまい?――おぬしの手を斬《き》ったのは、髪だ。およそ五間の行動半径はきく。髪をたてにふたつに裂いてつないだものだ。――眼に見えぬほど細いこの髪が、からみついて絞めあげれば、青竹すらも断ちきれる」
ふたりの間隔は、半間《はんげん》となった。満面|藍色《あいいろ》になって棒立ちになっていた玉虫内膳のからだが、グラリとゆらいだ。
たおれるかとみえたのだ。実際に、内膳はたおれた。が、その直前に、吉保がみたものは、地から枯葉を巻いて薙《な》ぎあげられた白光の旋回《せんかい》であった。どすっ――というような凄惨《せいさん》な音とともに、ぱあっと血けむりが噴出して、稲富小三郎は胴を完全に切断され、ふたつになって地に崩れおちていた。
玉虫内膳も草の上にころがっていた。が、その右足は宙にあがっている。――その足袋《たび》をはいた右足が、まるでこぶしのごとくしかと刀身をにぎりしめているのであった。
さっき地におちた一刀だ。ほんもののこぶしは横にはねのけられていた。樹々に風が鳴り、赤い雨のごとくふりそそぐ血しぶきの中に、柳沢吉保は頭巾《ずきん》をかぶっているのも忘れて、袖《そで》を口にあてて立ちすくんでいた。
「髪いたち。――なるほど」
と、玉虫内膳はつぶやき、足から刀身をはなすと、しずかに立ちあがった。
「しかし、斬られたおれの手くびから血が出なんだことに気がつかなんだのが、こやつの不覚。――」
「手くびから、血が出なんだとは?」
と、吉保はしゃがれた声でいって、内膳の手くびのない右手をみた。内膳は赤い霧吹きをかけられたように血の斑点《はんてん》に染まっていたが、いかにもその切断された手くびから血はしたたってはいなかった。
「拙者の右手は、髪をかけられたときから、すでに死んでいたのでござります。拙者はからだのどこでも、その一部を、みずから死なせることができるのです。血も通わねば、痛みもおぼえぬ。先刻苦痛の顔をみせたのは、小三郎めをあざむく狂言でござった。そのかわり、足が手のかわりになります。足を斬られれば、拙者は手で走ってご覧に入れる。――」
「その方なら、御用を果たせる!」
と、柳沢吉保はみずから招いた忍法者に戦慄《せんりつ》をおぼえつつうめいた。
「よいか、きっと曲者を成敗いたせよ」
玉虫内膳は、もはやない右手の手くびをおさえたまま、じっと吉保を見つめた。
「出羽守さま、千石ご加増の儀は、内膳信じてよろしゅうございましょうな」
四
大奥にあがった御徒目付組頭《おかちめつけくみがしら》兵藤助太夫の娘お葉がお手付きの御中臈《ごちゆうろう》になったということを、内膳が吉保からきかされたのは、それから一ト月ばかりたったある日のことであった。
内膳のまぶたに、お葉の面輪《おもわ》がふっと浮かんだ。幻のお葉は泣いていた。
内膳はお葉がじぶんを愛するようになっていたことを、いまも信じて疑わない。そして彼もまたお葉を妻にしたいと熱望し、父親の助太夫のまえに土下座《どげざ》までしたことに嘘《うそ》はなかった。――あの吉保の言葉をきくまでは。
いまでも、彼には哀惜の想いはある。しかし、千石のまえには、やむを得ないことであった。
いくさがあったとしても、千石をとるのはなみたいていのことではない。まして、元禄《げんろく》の泰平だ。――伊賀の谷に入って、この世のものならぬ惨澹《さんたん》たる忍法の修行をしたのも、ふつうのことをしていては生涯うだつがあがらないという焦燥から発した野心のためであった。しかし、いかに忍法を体得したとしても、御小人目付はしょせん御小人目付であることを、内膳は心根に徹して悟りはじめていた。しかも、その職分として、いつの日かはいってかえらぬ隠密の旅に出なければならぬ。――そこに、この話だ。
飛ぶ鳥おとす柳沢出羽守さまが保証されたことだ。首を失っても千石はむずかしい世に、ひとつの手くびを失うくらいは安いものだ。ましてや、惚《ほ》れた女のひとりをや。まさか、千石取りの御小人目付というものはかんがえられないから、それは旗本に昇進することを意味する。
それから十日目の夜であった。所用あって神田へいった内膳が帰途についたのは、もう空に白いおぼろ月のかかる時刻になっていたが、音にきこえた護持院の塀の外をあるいていて、ゆきあったふたつの駕籠《かご》から、思いがけず声をかけられた。
「御小人目付の玉虫内膳どのでござりますな」
一方の駕籠の戸があいて、白髪の老女がこちらをうかがっていた。
ほかに供《とも》 侍《ざむらい》の姿もみえなかったから、べつに気にもとめず、ゆきちがおうとしていたのだが、呼びとめられて、その老女の気品のある姿に、ふと駕籠をみると、いずれも惣黒漆《そうくろうるし》に金蒔絵《きんまきえ》という、あきらかに大奥の女乗物であった。
「左様でござるが」
「寄られませ、内膳どの。……お葉のお方さまからのお呼びでござります」
「えっ……お葉のお方さま?」
さすがの内膳が、どきりとした。
ちかよると、老女はいう。――実は、お葉のお方さまには、御代参においでなされて、今宵《こよい》はこのちかくの某家にお泊まりになっている。ところがさきほど、ふと内膳の姿をこの神田の町で見かけたものがあって、そのことがお耳に入った。すると、お葉のお方さまは、是非とも内膳どのに逢《あ》いたい、女のいのちをかけて、是非内膳どのにおききせねばならぬことがある。――と申されるゆえ、お迎えにきた。すぐにもうひとつの駕籠にのっておいでになっては下さるまいか。――
内膳は、じっと品のいい老女の顔をみていた。
来たな。――と思ったのは、例の恋人を公方《くぼう》に奪われて、その後奇怪な死にざまをとげた十七人の武士たちのことであった。しかし、話は実にまことしやかだ。お葉に何かいい分があろうとは、うぬぼれているわけではないが内膳にも推量がつく。もしそれがまことならば、いまは上様の御愛妾《ごあいしよう》たるお葉のお方さまのお恨みを買わないためにも、じぶんはいって何とかなだめてこなくてはならぬ。またもし、これが偽《にせ》の使者ならば、その口上《こうじよう》の巧妙さに驚嘆せざるを得ないが、しかしたとえにせものであっても、じぶんはゆかねばならぬ。いや、これこそじぶんの待っていたことだ。
「参ろう」
と、内膳はうなずいた。
おぼろ月が雲に入った。護持院の塀の影に入った二|挺《ちよう》の駕籠はヒタヒタとあるいてゆくうち、ふっと消えて、あとには雪のごとき落花が渦《うず》をまいているばかりであった。
五
待ち受けていた女は、お葉の方ではなかった。
しかし、お葉が人間として美しい女といっていいなら、これは人間ではないもののような美しさであった。
江戸の地理であったら、大名はおろか、旗本|御家人《ごけにん》、いや寺から町家にかけて、その名、配置、路地、井戸にいたるまで精密な地図のようにあたまにたたきこんでいるはずの玉虫内膳が、まったく知らない武家屋敷の奥であった。駕籠のまま屋敷にはこびこまれたから、その外観は知りようがないが。しかし眼かくしされたにひとしい女乗物の中でも、正確に道すじをたどってきた内膳が、こんな場所にこのような武家屋敷があったことに、まったく思いあたるものがない。
それはともかく、ここは大奥の一室ではないかと思われるほど豪奢《ごうしや》な部屋であった。金泥《きんでい》のふすま、夢のような絹の雪洞《ぼんぼり》、そしてパンヤの褥《しとね》。
その緋《ひ》の閨《ねや》のうえに、女は内膳を坐らせてかきくどくのであった。大奥の一室ではないかと思われたというのは、さっきまで女が着ていたのが、大奥風の裲襠《うちかけ》であったからだが、いまは緋の長襦袢《ながじゆばん》を肌にまつわらせただけだ。しかし、髪がからす蛇《へび》のようなおすべらかしであることに変わりはなかった。
女はいった。――わたしはあなたが恋人を将軍にささげたお方であることを知っている。そのあなたをあざむいてここに呼んだのはほかでもない、わたしのからだであなたの苦しみを和《やわ》らげてあげたいからだ。それはわたしの悲願である。なぜそんな願いをかけたかというと、わたしの恋をしていたある旗本の若侍が、やはり恋人を公方さまにうばわれて、悶死《もんし》にちかい死に方をしたのを見たからだ。そのひとは、わたしが恋をしているのを気がつかなかった。そして、わたしもどうすることもできなかった。なぜなら、わたしはそのとき十三歳であったから。
女は内膳の胸にとりすがって訴えた。白蝋《はくろう》のようになめらかなひざが、襦袢からこぼれて、やわらかく彼のひざにのりかかっている。しかし、内膳は女のうごく唇をながめていた。
女はいった。――その記憶が、いまのわたしのふしぎな病気となった。いまの年になって、恋人を公方さまにとられた男の話をきくと、心《しん》ノ臓はきゅっとちぢみ、手足もそりかえるほど苦しい感覚が全身をうねるようになった。わたしのからだで、そのひとの苦しみを和らげてあげたいのが願い――といったけれど、ほんとうは、その男のからだでわたしの苦しみを和らげてもらいたいのだ。
内膳は、女の唇に見入っている。魔の花に似た唇を。
まさに、花だ。人間の肉の一部とは思われない。まっしろな頬とあごにつつまれて浮かびあがった一輪の緋牡丹《ひぼたん》。そのうす紅《くれない》の色といい、うるおいといい、さらにきらめく細かい歯のつらなり、ほのかな舌のうごめきは、微風にそよぐ花のめしべやおしべをのぞきこむとき、人を吸いこむ恍惚《こうこつ》と同様の酔いにおとした。
その肉の花は、いまや内膳の唇すれすれにちかづいて、甘ずっぱい芳香をはきかけている。奇怪な告白を、内膳は微妙な音楽のようにきいた。――
「うそだ」
からくも理性を呼びおこし、のけぞるようにして内膳はさけんだ。
「まことのことをいって下されい。わしは何でもあなたのいうことをきく」
女は、おどろかなかった。じぶんのいったことを相手が信じていないことを、すでに知っているかのようであった。というより、じぶんの魅惑をよく知っていて、相手がその美しい網にかかった昆虫であることを見ぬいたようであった。
「わたしは関石見守《せきいわみのかみ》の娘|桔梗《ききよう》」
「関石見守。――」
内膳は、女の顔をもういちど見すえようとしたが、黒い眼が夜のように視界いっぱいにひろがっているばかりであった。
関石見守は、十数年前、公方さまの御側用人として、しばしばその邸《やしき》にお成りがあったほどの寵臣《ちようしん》であった。が、石見守が突然発狂して縊死《いし》し、しかも男子がなかったので改易《かいえき》になったときいている。
「公方さまお成りの夜、母は無理|強《じ》いに公方さまの伽《とぎ》を命じられ、翌日自害して死んだ。父もまた公方さまに屈したのは武士にあるまじき所業であったと恥じて、わざと武士らしゅうもなく縊《くび》れて死んだのじゃ。そのときわたしは五つであった。そして乳母のふるさと甲賀の卍谷《まんじだに》にかえり、そこで忍法を教えてくれた。――」
そういったきり、桔梗の声はたえた。言葉の内容の恐ろしさと反対に、そのからだは緋の襦袢もしどろに、乳房を、腹を、足をなまめかしく内膳におしつけ、からみつかせ、白い蛇のようにくねらせた。
だまったのは、弱々しくはねのけようとした内膳の左腕に、ひたと唇をおしつけたからだ。
そこに異様な感覚が起こった。内膳は、唇をつけられた腕のつけねから射精したかと思った。快美な麻痺《まひ》感が、そこから全身にひろがっていった。
桔梗は唇をはなした。
「見るがよい、そなたの腕から血がしたたりはじめた。この血は、もはや糸をひくようにとまらぬ。そなたのからだじゅうの血がつきるまで」
笑った歯が、血にきらめいた。
「まもなく夜があける。朝のうちに、そなたは死ぬ。どのような手当てをしようと、それはふせげぬ。それは、やがて、血の失《う》せてゆくにつれて、そなたにもわかってくる。さて、それがのがれられぬ運とわかったとき、そなたは何をする。よいか、どのような果報が待っていようと、そなたは夜があけたら死なねばならぬのじゃ。十数年前公方さまがひとりの大名の妻を辱《はずか》しめたこと、それから、一ト月ばかりまえ公方さまがそなたの恋人を犯したこと、それこそがそなたがいま死の座にそなえられた理由だと知ったら、そなたは息のあるうちに何をしたいと思う。望むこと、できることはたったひとつ、公方さまを恨むことではないか?」
呪文《じゆもん》のように、声は内膳の耳にしみこんでいった。彼はうすい息を吐いて、横たわったままうなずいた。
「その通りでござる」
桔梗はもういちど笑った。笑ったまま、その首が黒髪をひいて横にとび、なまめかしく坐ったままの胴から血が奔騰《ほんとう》した。
内膳の関節は四方に回転するのか。――桔梗の背後で、鞭《むち》のようにしなってはねあがった彼の右足がひっつかんで薙《な》ぎあげたのは、そこに置いてあった彼の一刀であった。
「吸っていた口をはなしたとたんに、おれが左腕を死なせたことに気がつかなんだのは、そなたの不覚。――十八人目の男は、相手がわるかったわ」
刀をなげすて、立ちあがって、彼はつぶやいた。
「見ろ、血はながれぬ」
と、左腕をのぞきこんだ。そこには木の葉のかたちのうす赤い痕《あと》が印《しる》されているばかりであった。
うす笑いして、内膳は頭をめぐらした。そこにあった長持ちの上に、女の首はのっていた。なまめかしい微笑を浮かべたまま――。
じっと見つめているうちに、玉虫内膳の眼がしだいに異様なにごりをおびてきた。
「あやうく、御用を忘れて、うぬの美しい唇の地獄に堕《お》ちるところであったわ。死んだ口でも美しい。お葉よりも美しい。いまこそ、心ゆくまで吸わせてくれる」
六
まだ朝が早かったので老女や駕籠かきの中間《ちゆうげん》は気がつかなかったらしい。玉虫内膳は外に出た。
何という屋敷か、思いあたらなかったのも当然である。外に出れば、内にあのような豪奢な屋敷があろうとは、何ぴとも想像しない崩れかかった廃屋であった。春の草は庭のみならず、屋根にまで蓬々《ほうほう》と生いしげっていた。
「千石」
と、彼はつぶやいて、あるき出した。
しかし、白い朝のひかりに、内膳の顔は陶器みたいに白ちゃけていた。その左腕はダラリとたれている。しかし、彼の顔を蒼白《そうはく》にしているのは、みずから殺した左腕ではない。両腕失うとも、千石ならば惜しくはない。
彼を恐怖させたのは、先刻の桔梗の口であった。首だけになった桔梗は、口の中に入ってきたものを柔らかくくわえた。舌がうごめいてやさしく吸った。――いや、そんな感覚がしたのだ。
うめきとともに、彼が吸われたと感じた部分を一瞬みずから殺したのは、忍者の反射的行為であった。
「あれは妖《あや》かしだ。……千石こそはほんとうだ」
しかし、春の日の下に、彼の胸にはこがらしが無惨のひびきをたてた。
彼は男としての機能をみずから殺したのだ。それでも千石の褒美《ほうび》を受ければ、引き合うか?
「千石。……」
うわごとのごとくうめいてあるく玉虫内膳の股間《こかん》から、はじめ白い乳のようなものが、やがて赤い血の糸がしたたりはじめたのを彼は気がつかぬ。ましてや、それが死と死との接吻《せつぷん》によって伝導した「生」そのものの流出であることを彼は知らぬ。
「上様お恨み。……」
ちる花に背を吹かせつつ、彼はつぶやいた。それは彼の衰弱してゆく肉体そのものがもらしはじめた悲叫であった。――いつしか彼の足は、無意識のうちに、江戸城の方へむかっていた。
その大手門の前に、十八人目の死びととして、ひそと坐るために。
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忍者 傀儡歓兵衛《くぐつかんべえ》
一
伊賀組|小普請方《こぶしんかた》の花房宗八郎《はなぶさそうはちろう》は、同輩の九沓歓兵衛《くぐつかんべえ》から、
「御内儀の人形を作ってみたいが」
と、いわれて、へんな顔をした。
歓兵衛が人形の修繕に奇妙な技術をもっていることは知っている。歓兵衛の余技や道楽ではない。れっきとした彼の内職である。だから、花房家に古くからある雛《ひな》人形を修繕してもらうために、このごろ歓兵衛に通ってもらっていたのだが、まさか彼が人形そのものを制作するとは思わなかった。
「おぬし、人形も作るのか」
「いささかな。……ただし、相手によるが」
「相手によるとは」
「左様さ、この人を是非とも人形に作りたい、という気を起させる人にかぎる」
「では、おぬしの作る人形というのは、そこらの雛や玩具《おもちや》ではないのだな」
花房宗八郎にとってふしぎにたえなかったのは、九沓歓兵衛が人形を作る、ということより、その対象がじぶんの妻のお信《のぶ》だということであった。
「お信がおぬしにそんな気を起させるのか。お信などを人形にして、どうするのだ」
「どうともしない。ただ作ってみたいから、おねがいするわけだ」
宗八郎は、美しい顔を苦笑させた。
「物好きな男だな。そんなものを作りたければ、勝手に作ったらよかろう」
「それには、御内儀の型をとらねばならぬのでな」
「型をとる?」
「されば、御内儀に、わしの屋敷に来ていただいて、泥の中に寝てもらわねば型がとれぬ。しかも、失礼じゃが、はだかになっていただかねばならぬ。そんなわけで、貴公のゆるしをねがったのだ」
宗八郎はいよいよ唖然《あぜん》として、朋輩《ほうばい》の顔をみた。歓兵衛のいかつい、武骨な顔はまじめであったが、しかし黒い皮膚にかすかに血潮がのぼっているようであった。
「ほほう、泥で型をとる」
ややあって、宗八郎はつぶやいた。
「それは、面白いな。是非、みたい」
「むろん、貴公にも立ちあってもらわねばならぬ。では、貴公はゆるしてくれるのじゃな。しかし御内儀はどうであろうか」
花房宗八郎はちょっとかんがえこんだ。お信が、よその男のまえではだかになどなるだろうか。ふつうの人妻でも拒否するにちがいないが、ましてお信だ。そんなことは絶対に受けつけないだろう。……
しかし、宗八郎はうす笑いして大きくうなずいた。
「いや、承知させる。亭主の権限を以《もつ》て」
必要以上に語気を強めたのは、女房に命ずる事柄が事柄であるばかりではなく、宗八郎が花房家に婿となって入った男だからであった。
「ところで、九沓、おぬしが人形をつくろう腕も前々から感心しておったが、人形を作るとまでは知らなんだ。それは秘伝でもあるのか」
「まあ、家伝のものだ」
「家伝、というと――伊賀流の忍術か」
宗八郎はからかい気味にきいたのだが、思いのほかに九沓歓兵衛は大まじめにうなずいた。
「どうも、それと関係があるらしい」
「ほほう、人形作りと忍術と? はて、どこが、どう関係があるのだろうな」
「……わしの作った人形を見てくれればわかる」
歓兵衛はしずかにつぶやいた。ふだんからおちついた男だが、それがこの言葉をはいたとき、ひどく自信を持っているようなので、宗八郎はふとぶきみの感にうたれると同時に、いよいよ好奇心にとらえられた。
「それは、よかった! それでは、おぬしの伊賀流忍法修行のため、とお信にいおう。ひどく伊賀組に誇りをもっている女ゆえ、その口実で押せば承知するかもしれぬ」
と、宗八郎は手をうった。
「是非、たのむ」
九沓歓兵衛はふかぶかとあたまをさげてから立ちあがった。古武士のように礼儀の正しい男であった。しかし、あまり重々しいので、長屋のようなこの組屋敷の中ではやや不相応で、宗八郎はふだんからめんくらい、また滑稽《こつけい》に思うこともある。
玄関まで送って出ると、奥からあわてて女房のお信が出てきた。
「まあ、おかえりでございますか。おつくろいいただきました雛をしまうのにかかっておりまして、気づきませんで」
「由来のある雛でござる。御大切になされい」
「はい。おかげさまで、美しゅうなおりました」
手をついておじぎをする細いえりあしを、宗八郎は立ったまま見下ろして、どうして歓兵衛がこんな女を人形にしたいなどいう意欲を起したのだろう、ともういちどふしぎに思った。
顔だちはともかく、地味で、くそまじめで、まったく男の気などひかぬ女なのだ。まさか歓兵衛がそれに色気を感じたとは思われないが、人形にしたいという以上、一種の魅力をおぼえたに相違なかろうが、おれにはまったくその気がしれない。
「失礼いたす」
人形直しにやってきた九沓歓兵衛は、人形直しの道具を入れた箱をぶらさげて、まるで大名に使者にでもきたような荘重な足どりで、往来へ出ていった。
天保《てんぽう》末年、早春の午後である。花房宗八郎の家は四谷南伊賀町にある。九沓歓兵衛の家は北伊賀町にあった。寛永《かんえい》以来、この一帯は伊賀者の組屋敷となっていて、町の名もそれからついた。
二
しかし、二年ほどまえ、宗八郎が花房家に入夫したときは、お信を美しいと思ったこともあるのである。
宗八郎は安|御家人《ごけにん》の三男坊で、幼いときに東叡山《とうえいざん》三十六坊の一つに寺|小姓《こしよう》にやられた。これは本人の衣食をことごとく寺で面倒をみてくれる上に、年ごろになって坊主になるのがいやなら、侍の株も寺の方で買ってくれるので、貧しい御家人の家ではよくやったことだ。寺小姓というのは坊主の男色の対象となるのが本務といっていいくらいだが、宗八郎は非常な美少年であったから、とくに宿坊の和尚《おしよう》の寵《ちよう》が厚かった。
しかし、宗八郎は坊主の念者《ねんじや》となっていることに甘んぜず将来のことを思うと、どうしても身分を保証された武士になりたかった。そこに、二年前、伊賀組の花房家の婿にならぬかという話があったので、渡りに舟とその話に乗ったのである。
伊賀組が薄給であることは知っていたが、しかしいったん武士になれば、じぶんの才覚次第ではさらに栄進の道もひらかれようと思い、その自信はあったし、坊主のおもちゃになっているのがほとほといやになって耐えがたいまでになっていたし、さらにそのとき花房家の娘お信をひと目みたとき、これはわるくない、と思ったからだ。
それで彼は花房家に婿入りした。花房家には男子がなく、娘ひとりで、父の一兵衛《いちべえ》は重病で、まもなく死んだ。だから花房家の方でも、婿とりをいそいだのだ。
「――しまった」
と、宗八郎がほぞをかんだのは、半年もたたないうちであった。
旗本の最下級は三十俵二人|扶持《ぶち》だが、伊賀組|小普請方《こぶしんかた》がまさに三十俵二人扶持なのだ。伊賀町の組屋敷では、どの家もが内職に夜も日もなかった。虫を飼う、鳥を飼う、金魚を飼う、植木を作る、さらに傘《かさ》張り、凧《たこ》張り、提灯《ちようちん》張り、竹細工、藁《わら》細工。――九沓歓兵衛の人形の修繕もその一つで、これはまず異彩の方であろう。
新妻のお信も、祝言の翌日から虫籠《むしかご》の竹細工に余念がなかった。
そんなことを手伝いに婿にきたか。――宗八郎はせせら笑い、じぶんは職務の配置転換に奔走した。
伊賀組には「明屋敷《あけやしき》番」といって、将軍があちこちに持っている御殿や、国にかえっている大名の屋敷の管理、「御広敷《おひろしき》番」といって、大奥を護《まも》る職務、「山里警備」といって山里|櫓《やぐら》の番人、「小普請方《こぶしんかた》」といって、小普請|奉行《ぶぎよう》配下の事務書記など、だいたい四つの役目があったが、この中で「小普請方」が、いちばんワリがわるい。ワリがわるいというより、職名は名目だけで、全然無役にひとしいのだ。したがって、収入は少なく、伊賀組のうちでも最も日のあたらぬ連中といっていい。最も役得のあるのは、「御広敷番」で、これは大奥の女中や御用達《ごようたし》商人からの貰《もら》い物も多いので、比較的裕福であった。
宗八郎はせめてその御広敷番にでも役替えさせてもらいたいと、必死に運動した。毎日、組頭《くみがしら》たちのところに通って、その内儀や娘たちにも犬馬の労をとった。天性の美貌《びぼう》と寺小姓あがりの一種なまめかしい挙止で、意識して彼女たちの歓心を買おうとしたのである。
女たちに評判はよかったが、その結果はかえって男たちの反感を買ったような気配であった。彼の努力は黙殺された。職務の鉄壁はびくともうごかなかった。
宗八郎は、絶望するとともに、伊賀組の連中を逆に軽蔑《けいべつ》しはじめた。
伊賀組というのは、家康が江戸開府早々、伊賀の服部半蔵《はつとりはんぞう》以下二百人の伊賀者に江戸城護衛を命じたのがその発祥であって、当時は音にきこえた伊賀流の忍法を体得した者も多数あったのだろうが、爾来《じらい》泰平がつづくとともに忍術の必要もうすれ、伊賀組そのものの存在意義もうすれてきた。彼らは江戸城に勤仕する武士たちのうちでも最下級の卑役となった。
そして現在は、見るとおり、内職の町だ。忍術はおろか、武芸さえ体得している者は珍らしいのではないかと宗八郎は思っている。げんに、そのいずれをも知らない寺小姓あがりのじぶんが、花房家に入夫できたことでもそれはわかる。少なくとも彼は、朋輩から忍術のニの字も耳にしたことがない。
それなのに、笑止千万なのは、彼らがいずれもこの身分低い伊賀組の伝統を、ひそかに誇っているらしいことであった。天正《てんしよう》十年六月、神君|加太《かぶと》越えの御大難に際し、われら伊賀者は――と、何かといえばその光栄ある歴史を、おごそかに語り出すのだ。男のみならず、ほそい蒼白《あおじろ》い指で竹を削りながら、女房のお信までが同様なのには、宗八郎は失笑を過ぎて、ムカムカしてくるくらいであった。
そう思ってから、また一年半ばかりの歳月がすぎた。宗八郎にとっては、蟻《あり》が蟻地獄におちたような生活に思われた。
婿とはいうものの、宗八郎はお信にないがしろにされたことはいちどもない。宗八郎が伊賀組を小馬鹿にするような口吻《こうふん》をもらすたびに、「左様なことを仰せられてはなりませぬ」と、このときばかりはきっとなってたしなめるのは別として、また、貧乏のため、おたがいにいろいろとつらいことのあるのは別として、お信は夫を大切にし、立てている。やさしい、よくできた女房であった。
「あたりまえのことだ」
と、お信をジロリとみる宗八郎の眼は美しく、冷たかった。
「過ぎたる婿だ。花房家にも――この女にも」
最初だけにしろ、どうしてこんな女を美しいと思ったのだろう、と宗八郎はふしぎにたえない。内職にやつれたお信は、蒼白くしぼみかかった夕顔のようであった。
花房宗八郎が、朋輩九沓歓兵衛の奇妙な依頼にすぐさま応じたのは、彼の「泥で型をとって人形を作る」という言葉と事柄に好奇心をもやしたこと以外に、こういう妻に対する無関心、というより、悪意にちかい冷やかな感情があった。
三
九沓歓兵衛はもう三十を越えているだろうに、まだ独身であった。親もない、兄弟もない。いかつくて、武骨で、ときには四十過ぎにもみえるほどおちついている。
その年になってまだ妻帯もしないのは、親兄弟がいなくて親身に面倒をみる者がいないためばかりでなく、彼がどこか変っているせいが、たしかにある。
どこが変っているのかときかれると、宗八郎にも一言にはいえない。酒ものまず、女道楽もせず、寡黙《かもく》で、従容《しようよう》として、武士の典型といったような男だから、変っているというなら、ほかの人間の方が変っているだろう。強《し》いて歓兵衛の変っているところをいえというなら、この時世と環境の中で、彼があんまり武士の典型でありすぎる、ということか。とくに外から入ってきた宗八郎にはそう見える。
彼の容儀のあまりに重々しく、しかつめらしいのは滑稽《こつけい》に思われたが、宗八郎はこの男がきらいではなかった。世の中に何が面白いことがある、といった顔をしているが、その本性は素朴で、人なつこい人間のように思われた。そんな顔をしていて、優にやさしい人形直しに特技をもっているということは、宗八郎の笑いをさそい、哀愁の感すらそそった。それに、宗八郎の気のせいかもしれないが、なんとなく、じぶんを異物視し、冷眼にみているような伊賀組の中にあって、歓兵衛ばかりは他意なく宗八郎に話しかけてくるのであった。宗八郎が歓兵衛の願いを受け入れたのには、それに対する好意もある。
花房宗八郎が妻のお信を説得して、北伊賀町の九沓歓兵衛の家へつれていったのは、それから三日のちのことであった。果せるかな、歓兵衛の「伊賀流忍法修行のため」という大義名分は実によく効いた。
歓兵衛の家は、花房家とまったくおなじ陋宅《ろうたく》であったが、女手がないだけに、さらに汚なく、異臭さえただよっている。
が、その部屋に通されたとき、花房夫婦は思わず、「ああ」と立ちすくんだ。
八畳ばかりの部屋だ。が、障子も、その外の雨戸も閉じられて、外は明るい早春の日ざしというのに、雨の夜のように陰湿の気がたちこめている。ただし、部屋の四隅に、四つの行燈《あんどん》がつけられていた。
「わしの仕事部屋にしておる」
と、九沓歓兵衛は、顔に似合わぬ、はにかんだような笑顔をみせた。
宗八郎はいままで二、三度九沓の家を訪れたことがあったが、この部屋に通されたのははじめてであった。
「驚かれたろう。まず、お坐りなされ」
歓兵衛は、黒い頬《ほお》にぽうと血をのぼしてお信にいい、二枚のうす汚れた座蒲団《ざぶとん》をすすめたが、ふたりはなお眼を見ひらいて部屋の光景を見まわしている。
まず何からいったらよかろうか。
たたみの上には、木綿や糸などのほかに、天鵞絨《ビロード》、緞子《どんす》、綾《あや》、綸子《りんず》などの高価な布地も散乱している。それから五色の紙や貝殻や卵や、木片や竹片や、それに髪の毛の束《たば》や。――
「あの箱に入っているのは何だ」
「おが屑《くず》だ」
「あれは?」
「生麩《なまふ》」
「あの大きな壺《つぼ》に入っている真っ白いものは?」
「石膏《せつこう》といって、岩の一種をくだいたものじゃ。甲州|巨摩郡夜子沢《こまごおりよござわ》で採れる」
「何にする」
「水に溶かして、物の型をとるのに使う」
それから一方には、鉋《かんな》やのみ[#「のみ」に傍点]や錐《きり》やへら[#「へら」に傍点]や鋏《はさみ》、針や針金のならべられている板があった。それとならんで、絵具皿や胡粉《ごふん》や膠《にかわ》や筆などを置いた台があった。なかでもふたりの眼をひいたのは、何百本ともしれぬ美しい蝋燭《ろうそく》の堆積《たいせき》だ。
「あんなに蝋燭をどうするのだ」
「蝋燭ではない。芯《しん》がない。あれで人形を作る」
「蝋人形か」
「……左様」
「いや、たいへんな道具じゃな」
それからまた大きな臼《うす》と杵《きね》もあった。そこに盛りあげられているのは、餅《もち》ではないが、餅のようによく搗《つ》かれた真っ黒な粘土のかたまりであった。
「おぬしが人形を作るときいては来たが、これほどまでとは思わなんだ。おどろいたな」
宗八郎は呆《あき》れた息を吐いた。
「いったいこれほどの仕事場を持って、いままでどんな人形を作ったのだ」
「そうきかれると恥ずかしい、しまいまで作りあげても気にいらんで自分でこわしてしまうことが多くてな。むかし作ったものが二、三あるから見せてもよいが」
歓兵衛は壁の板戸のまえに歩み寄って、それをひらいた。
「あっ。……」
と、ふたりはさけんだ。
板戸の中は押入れのようになっていて、そこに三人の少女がならんでいた。まんなかに十四、五歳の少女、両側に七つか八つくらいの童女がならんで、じっとすずを張ったような眼でこちらを見ていた。眼ばかりではなく、その皮膚の色、唇の色、生きているとしか思えない少女像であった。
「あれが人形か」
「ちかづいて見てくれ」
ちかづくと、向うからも笑いながら駈《か》け出して来そうにみえる。「あれが人形?」とお信はなおうたがうかのように歩み寄っていったが、途中で宗八郎はピタリと立ちどまった。
「はてな。あのまんなかの娘御《むすめご》。……どこかで見たような」
「ははあ、わかったか。小普請奉行木室丹後守《こぶしんぶぎようきむろたんごのかみ》どのの御息女お千賀《ちか》どのだ」
「……しかし、あの御息女はもっとお年ごろのはずだが」
「左様、お千賀さまはたしか十九か二十歳《はたち》にはおなりだろう。あまり美しゅうて、丹後どのも嫁にやられるのを惜しんでおられるという話さえあるが、あながち嘘《うそ》ではあるまい。あの人形を作ったのはもう五、六年も前じゃが、それも丹後どのの御依頼によるものであった。あのころから、あのとおりお美しかった。いまとはちがう青い蕾《つぼみ》の美しさだが、それを丹後どのも惜しまれたものだろう」
「そうか。あとの二人の女童《めわらべ》は?」
「あとの二人も、さる大身《たいしん》の御息女じゃ。あの幼さで、患らって死なれたがの。その死顔から型をとって作ったもの。――」
「死顔から?……それで、あの三体がここにあるのは?」
「されば、あの三つは、わしの作った人形のうちで、やや会心のものでの。それで二体ずつ作って、一体はそれぞれ依頼主にお渡ししたが、一体はあそこに残しておいた」
「ふうむ。人は見かけによらぬもの――いやこれは失礼、まさに、名人芸だな。しかし歓兵衛、あの三体なら、おぬしがふるい立ったのもわかるが、さてこのたび」
と、声をひそめて、
「おれの女房の人形を作ろうという気が、なおさら以《もつ》てわからぬ」
「貴公、夫でありながら、お信どのの美しさがわからぬか?」
歓兵衛も、声をひそめた。宗八郎はまじまじと歓兵衛をながめ、三体の人形に見とれている妻のうしろ姿をながめやった。おなじ方向に視線をむけた歓兵衛の顔の恍惚《こうこつ》としているのをみると、ふいに妻のほそい腰のあたりに、はじめて靄《もや》のようななまめかしさがからみついているのを感じて、宗八郎はだまりこんだ。
ふたりの男が急にしんとしたので、お信は怪しむようにふりかえった。
急に宗八郎は高笑いをした。
「歓兵衛、しかし女房の人形を作ってくれても、二体はおろか、一体でもおれは買えんぞ」
「買ってもらいとうていい出したのではない。おぬしには、お信どのという本物があるではないか。それだけで、冥加至極《みようがしごく》」
宗八郎は、ちらとまた歓兵衛をみたが、このいかつい男の顔は、むしろ森厳ですらあった。
「わしはただ、お信どのの人形が作りとうて作るまでじゃ」
「――で?」
宗八郎はいった。歓兵衛はうなずいて、二、三歩あるき、足もとのたたみを二枚はねのけ、床板をはいだ。
たたみのすぐ下の床下に、舟のような木槽が二つ置いてあって、黒い液体がなめらかな光沢をはなってたたえられていた。
「これはなんだ」
「泥だ。――いや、あの臼で搗いた粘土《ねばつち》だ。柔らかにみえるが――事実柔らかいが、しずかに掌をあてれば、指紋掌紋までもひとすじ残らず印されて、あとしばらくはその形を保つ。そこに石膏《せつこう》を流しこみ、こんどはかたまった石膏に蝋を流しこむ」
「ほほう。……それで、お信の型をとるとすると?」
「それだ、難事は。――先日申したように、お信どのにはだかになっていただかねばならんのだ」
「そのことは承知させてきた。はだかになって、どうするのだ」
「まずうつ伏せになって、一方の粘土の上にしずかに横たわってもらう」
「沈みこんで、溺《おぼ》れてしまうではないか」
「いや、顔ならば耳のあたりまで、からだもちょうど半ば沈んだら、あとは沈まぬ練り具合になっておる。ほんの一息、息をとめておっていただきたい。――それが終ったら、こんどはもう一方の舟の土の上に、こんどはあおむけに寝ていただく。やってもらえばわかるが、からだに土もつかぬはずだ。ただ油をまぜてあるので、うすく油がつくだろう。そのために、あちらに行水の支度もしてある」
歓兵衛はその奇妙な泥舟に視線をおとしていったが、恐ろしくお信の方に気をつかってものを言っているのがわかった。お信はその泥舟のそばにもどって、きみわるそうにそれをのぞきこんでいた。
「相わかった。お信、よいな?」
「…………」
「歓兵衛の忍法修行の一助だ。いまさら、いやとはいうまい」
「はい」
蒼白《あおじろ》い頬に血をのぼし、お信は必死の眼で夫を見つめてうなずいた。歓兵衛は例のふかぶかとしたおじぎをした。
「かたじけない。ところで、宗八郎、おぬしにも手助けしてもらいたいことがある。この土にお信どのの型をつけるとして、ひとりではできぬ。ふたりでお信どのを抱いて、しずかに乗せねばならんのでな。……うつ伏せのときは、わしが足の方を持つから、おぬしは肩の方を支えてくれい。……あおむけのときは、おぬし、足の方へ廻ってくれ」
歓兵衛はしゃっくりのような調子でいった。
「承知した。では、お信、はだかになってくれ」
お信の姿にあらわれた反射的な抵抗は一瞬のことであった。やがて彼女は、歓兵衛に指さされた彼方《かなた》の屏風《びようぶ》のかげにかくれたが、しのびやかなきぬずれの音ののち、うつむいてあらわれた。両手にぬいだきものをひしとつかんで、胸と下半身にあてている。
「とれ」
と、宗八郎はいった。そして、じぶんでそのきものをむしりとった。
泥の舟のふちに、お信は眼をとじて立った。ほつれ毛が頬にかかっている。胸にあばら骨がほの蒼く浮いてみえ、腰は柳のようにほそい。が、妻の裸体の立像をはじめて見る彼は、お信の乳房がこれほどふくよかであったかと、はじめて眼を見張る思いであった。――こうしてみると、おれの女房もなかなか凄艶《せいえん》ではないか――と思うと同時に、あらゆる感情は逆に嗜虐《しぎやく》的な快感におしながされて、
「忍法修行のためだ!」
と、じぶんでもよく意味のわからない叱咤《しつた》をなげると、これもあとでかんがえて可笑《おか》しかったのだが、
「いざ」
と、九沓歓兵衛は、重大な儀式にでもとりかかるようにいった。
――十数分ののち、この儀式は終った。いかにも粘土の上に、腹面と背面と二つの女の裸像が刻印された。その精妙さにおどろくとともに、宗八郎はこのときにいたってはじめて妻に対するはげしい肉欲にとらえられていた。
それはお信の裸身をうすびからせるあぶら化粧の光沢と、泥舟の一つに微妙に刻まれた陰毛の痕《あと》を見た刹那《せつな》であった。
九沓歓兵衛が期限をきった約一ト月ののち、花房宗八郎はその家へ出かけていって、完成した人形を見た。
お信の人形は島田にゆい、お納戸《なんど》色のきものに黒襦子《くろじゆす》の帯をしめていた。その端正な武家の妻らしい衣裳《いしよう》が、人形のなまめかしさをいっそう際立《きわだ》たせた。――宗八郎は息をのんだ。
これがお信か。まさにお信だ。眼も鼻も口も、スンナリとした姿態も、まぎれもなくお信だ。が、眼は夢みるようにうるおい、紅をぬった唇は微笑《ほほえ》んで、黒くひかる鉄漿《おはぐろ》の歯をチラリとのぞかせている。襟《えり》の下に、ふくらんだ乳房はあたたかく匂《にお》わしく息づいているようであった。
「……笑っておる。あのとき、あいつは泥の中で笑っておったのか」
「そうらしい。型のままだ」
「型のまま。……しかし、これはほんものよりも十倍は美しい」
「いや、ちがう。ほんものの方が、こんなものより百倍も美しい」
と、九沓歓兵衛は断乎《だんこ》とした口調でいった。
「持ってゆくかね?」
宗八郎はしばらくかんがえたのち、くびをふった。
「いや、ここにおいてくれ。女房がこれをみて、じぶんはこれほど美しいかとかんちがいすると迷惑じゃ。だいいち、これほど美しい人形をみて、さて世帯やつれしたほんものをみて幻滅を感じるのはばかげている」
「ではここに置いてよいか」
歓兵衛は、顔をかがやかせた。絵師や工匠は、いちばんよくできた作品を、じぶんの手もとに置きたがるという。――それだけではない。異様なよろこびの眼のひかりであった。宗八郎がそれに気がつくと、歓兵衛は眼を伏せ、ぼそりとつぶやいた。
「おぬしの方が、かんちがいしているのだ」
家にかえると、お信が「人形は出来上っておりましたか」ときいた。
「出来ておった」
と、宗八郎はいったが、意地のわるい眼でジロリとみて、
「しかし、とても木室丹後どのの御息女のようにはゆかぬな」
「ホ、ホ、それはお手本がちがいますから、あたりまえでございます」
お信は珍しく――しかし、もちまえの寂しげな笑顔をみせた。
それっきり、その人形を見にゆきたいとも、どうであったかともきかず、ひそとして竹細工に精を出しているしずかな妻であった。
かえって宗八郎の方が気にかかっていった。
「いって見るかね」
お信はくびをふった。
「いいえ、もうわたくしは、九沓さまにお逢《あ》いするのも恥ずかしゅうございます」
四
あいつ、おれの女房に惚《ほ》れているのではないか、とはこの人形作りの前後にうすうす感じていたことだが、花房宗八郎がもうひとつ、妙なことに気がついたのは、それから十日ばかりたってからであった。
新しい発見というより、じぶんの忘失を思い出したのである。それは、あの人形作りが伊賀流の忍術なるものと、いったい何の関係があるか、ということであった。あのときは、蝋《ろう》人形を作るまでの怪奇な過程と、幻妙としかいいようのないその作品を見て、制作そのものを忍術の一種のように錯覚していたが、よくよくかんがえてみると、どこが忍術なのかよくわからない。
何かほかにあるのではないか。――虫の知らせか、そんな気がしたし、それにあれっきり歓兵衛がはたと姿をみせないのも何やらいぶかしい思いがして、宗八郎がふと思い立って歓兵衛の家を訪れたのは、もう桜の花もちりつくした晩春の夕方のことであった。
「御免」
玄関に立って呼びかけたが、返事がない。しかし他出したとは思えない様子である。
宗八郎は勝手にあがりこんだ。そして一直線にこのまえ案内された例の仕事部屋の方へあるいていって、唐紙《からかみ》をあけた。
九沓歓兵衛は坐っていた。宗八郎が家の中に入ってきた気配もまったく気がつかなかった風であっただけに、彼の驚愕《きようがく》はひどかった。こちらに顔をふりむけたきり、それこそ蝋人形みたいにうごかなくなってしまったので、こんどは宗八郎の方がぎょっとした。
歓兵衛の向う側には、だれか夜具をのべて横たわっていた。顔は歓兵衛の姿にかくれてみえないが、枕《まくら》にかかった髷《まげ》のかたちから、どうやら女らしい。
「お。……御病人か。これは失礼」
あわてて身をひいたとたん、その女の顔がみえた。宗八郎は息をひいた。
夜具にからだをのべたまま、あおむけになってお信が微笑んでいる。――知っているはずなのに、一瞬それをほんものかと思ったくらいだ。
「例の奴《やつ》か」
と、宗八郎はさけんで、歩み寄った。
「何をしている」
「こうして、ながめておる」
歓兵衛はようやくおちつきをとりもどし、腕をこまぬいていった。
宗八郎も坐って、歓兵衛と人形を見くらべた。お信の人形は、このまえの立像とちがって、夜具をかけられて横たわっていた。それを枕頭《ちんとう》に坐って、じっと歓兵衛は見まもっていたらしい。それは事実のようだが、しかしこの晩春の夕、陰湿なこの部屋でじっとその姿勢をつづけていたらしい「二人」を想像すると、宗八郎の背にすうとぶきみな水がながれた。
「貴公」
と、ややあって、宗八郎は口をきった。第一の疑問を投げたのである。
「……若《も》しかしたら、お信が好きなのではないか?」
九沓歓兵衛の眼に、動揺が走った。否定しようとしたが、頬がみるみる赤黒く染まった。
「いや、そんな気がしておった」
宗八郎は平静だった。何も知らない妻に対してかすかに憎悪をおぼえたが、この武骨な男には微笑すら感じたのだ。
「そうであったか。……しかし、それなら貴公がお信を女房にすればよかったに」
「それはならぬ。九沓家の当主たるおれが花房家に婿にゆくわけにはゆかぬ。さりとて、一人娘のお信どのを、一兵衛老がよそにくれるわけはない」
なるほど、いわれてみると、その通りだ。――歓兵衛の顔がゆがんだ。
「だいいち、お信どのが、わしではいやだろう」
「……それで、おぬし、せめてお信の人形を作って、それを愛《め》でていたというわけじゃな」
「愛《め》でる。――いや、こうして眺めておるだけじゃ」
「いや、人形で結構だった。お信がきいたら随喜の涙をこぼすかもしれん。せいぜい頬ずりし、抱きしめてやってくれい」
宗八郎は笑ったが、ふとこの人形に嫉妬《しつと》をおぼえた。あやうく、愛撫《あいぶ》するならほんものでもさしつかえない、おれはこの人形の方が欲しい――というところであった。
「そんなことはせぬ」
歓兵衛は怫然《ひぜん》といった。
「そんなことをすると、たいへんなことになる」
語気がたんなる否定でない異様なものをふくんでいるのを、宗八郎はききとがめた。
「何が起るのだ」
「いや」
「おぬし、いま、お信の人形を愛撫するとたいへんなことになるといったな」
それから彼は、じぶんがきょうここへ来たそもそもの理由――歓兵衛の忍術|云々《うんぬん》の件を思い出した。彼のいわゆる忍術は、いま思わず彼が口ばしったことと関係があるのではないか?
ちらと頭をかすめたこの妄想《もうそう》を、あてずっぽうに口にしてみた。
「伊賀流忍法というのはそれか」
九沓歓兵衛はぎょっとしたようであった。はじめてただならぬぶきみさをおぼえながら、宗八郎はたたみかけた。
「おい、何が起る。その忍術とやらを見せてくれ」
歓兵衛はむしろ恐怖にみちた義眼に似た眼で宗八郎をみていたが、やがてうめくようにいった。
「よし、見せよう。九沓家に、元亀天正《げんきてんしよう》のむかしから伝えられた忍びの秘伝がある。忍法|傀儡《くぐつ》廻し。――」
「お、九沓《くぐつ》という妙な名は、それからきたのか」
「そうらしい。生けるがごとき蝋人形を作るわざと、それを操って、人形の実体を操るわざだ。人形作りの方は知っておる者もあるが、あとの方は、この伊賀組のうちでもほとんど知らぬ。それをいまおぬしに見せようとするわけは二つある」
歓兵衛の様子は、荘重をすぎて苦悶《くもん》にちかいものさえあった。
「一つはな、わしがこの人形に淫《みだ》らなふるまいに及んだことはいままでいちどもないという証《あかし》のためだ。なんとなれば、わしがこの人形を操って、わしの欲するままの動きようをさせると、同じ時刻、ほんもののお信どのも、同じうごきをするようになる。無我のうちに、人形と一体となって、はてはこのわしを恋うてたえがたいまでになるのじゃ。したがって、いままでお信どのの挙止に異常がなかったということは、わしが何もせなんだということの証だ」
「この蝋人形を操る。――蝋人形が、うごくのか」
「されば、わしが抱けば、その人肌のあたたかみが移って溶けて、腰も手足も自在にうごくようになる。――次に、宗八郎、わしはいままでは何もせなんだが、この人形を作って以来、こうしてじっと見ていると、いまにも悩乱して何をするか、じぶんでも保証できぬ思いにかられることがある。左様なことになれば……お信どのに相すまぬことはもとより、友人たる貴公を裏切ることになる。それが恐ろしゅうて、わしは何度この人形をうち砕こうとしたかしれぬ。しかし、それはできなんだ! もはや、わしのいうことが夢物語でないことを証明して、おぬしにこれをひきとってもらうよりほかはない。それが、わしがおぬしに忍法|傀儡《くぐつ》廻しを見せる気になった二つめの理由だ」
「……わ、わかった、歓兵衛、はやく、その傀儡廻しとやらを見せてくれ」
「――では、ゆるしてくれるな?」
九沓歓兵衛は起《た》ちあがり、みずから衣服をとった。黒い、隆々たる肉体であった。そして彼は、夜具の中に人形とならんで身を横たえた。
それから宗八郎が見たものは、実におどろくべき光景であった。さすがに夜具に覆われていたので、歓兵衛が何をしているのかはよくわからなかったが、蝋人形は、たしかにうごいた。歓兵衛とたしかにリズムを合わせているようであった。そして、そのうごきが昂《たか》まるとともに、見るがいい、蝋人形はあきらかに、白いのどをのけぞらし、唇をすらひらいたのだ。――宗八郎には、人形の頬が紅潮し、かすかに汗にひかり、おくれ毛がねばりつくのさえ見えたのだ。
「……見たか?」
歓兵衛が、やがて人形の頬に頬をつけたまま、ガクリとうごかなくなり、そうかすかにつぶやいたとき、宗八郎は口ものどもカラカラにかわき、しばらく声も出ないほどであった。
「見た」
宗八郎はやっとそういい、なおこれは夢幻の中の心象《しんしよう》ではないかと、指をさしのべて人形の頬にさわって見た。蒼白いもとの色にもどったその頬のかたさ、冷たさ、なめらかさは、たしかに蝋にまぎれもなかった。
「おどろくべきものだ。……しかし」
と、宗八郎はふるえ声でいった。
「歓兵衛、さっきおぬし、もう一つ奇怪なことをいったな、同じ時刻、ほんもののお信も、同じうごきをする。無我のうちに、人形と一体となると。――」
「その通りだ。それゆえ、お信どのにもおぬしにもゆるしてもらわねばならぬといったのだ」
歓兵衛の眼はほとんど哀《かな》しげですらあった。
「信じられぬだろうから、もう一つおぬしにも見てもらわねばなるまい。お信どのの方を――今夜五ツ半としよう」
「今夜の五ツ半に」
「お信どのを抱いてくれ。そして、お信どのの様子を見ていてくれ。かならず思いあたるものがあるだろう」
五ツ半に、花房宗八郎はお信を抱いた。
このごろは、同衾《どうきん》するのさえ珍しい夫婦であった。お信はつつましやかに、夫のそばに身を横たえた。つつましやか――というより、義務的ですらあって、声をもらすどころか、頬に血ものぼさず、曾《かつ》て乱れたことのない妻であった。
五ツ半。――それが、頬に血をのぼしたのだ。乱れたのだ。宗八郎の腕の中で、
「……あっ、ああ……どうしたのでございましょう、わたしとしたことが……あれ、もう……」
みずから、どうすることもできない声をもらし、輾転《てんてん》と身もだえしたかと思うと、ひしと夫にしがみつき――彼女は息さえとめてしまった。
宗八郎はお信の顔をのぞきこんだ。かすかに汗にひかり、おくれ毛がねばりついているのでなかったら、それは人間とは思われない美しさであった。いや、宗八郎の心に、それと重なってくるまったく同じ顔があった。
「忍法|傀儡《くぐつ》廻し。……」宗八郎は心中に恐怖のうめき声をたてた。「いま、同じ時刻、きゃつはこうして……」
宗八郎はお信の眼をのぞきこんだ。霞《かすみ》のようにけぶったお信の眼は、あきらかに夫ではなく、ほかのものを――この世のものならぬ影を恍惚《こうこつ》と見ているようであった。鉄漿《おはぐろ》にひかる歯のあいだから、かすかに舌さえのぞかせ、嫋《じよう》 々《じよう》としてあえぐ吐息さえ蜜《みつ》のように甘美濃厚な匂いに変って、はじめてこの妻に凄《すさま》じい嫉妬をおぼえ、
「――不義者!」
と、宗八郎はあやうくさけび出すところであった。
五
――翌日、北伊賀町を訪れた花房宗八郎のただならぬ表情をみて、九沓歓兵衛はおびえた顔で、
「……だから、わしはおぬしのゆるしを請うたのだ。宗八郎、腹を立てたであろうな」
と、いった。宗八郎は息をしずめていった。
「歓兵衛、お信はおぬしにやる」
「…………」
「公然とはならぬものならば、不義密通でもよい。亭主たるおれがゆるす」
「ま、待ってくれ、宗八郎、立腹はわかるが、お信どのに罪はない」
「その代り、おれにもう一つ人形を作ってくれい」
「もう一つ……だれの人形を」
「小普請奉行、木室《きむろ》丹後守どのの御息女お千賀どのの人形を」
歓兵衛は茫然《ぼうぜん》として宗八郎をふりあおいだままであった。
「それは、泥で型をとらねばできぬとおぬしはいうかもしれぬ」
宗八郎はせきこんだ。
「しかし、おぬしは五、六年前お千賀どのの型をとったはずだ。そして、現在のお千賀どのの顔もよく知っている。おぬしの技倆《ぎりよう》を以てするならばいまのお千賀どのの人形を作れるはずだ」
「お千賀どのの人形を作って……どうするのじゃ」
「それはおぬしの知ったことではない」
宗八郎は横柄《おうへい》にいった。高飛車に歓兵衛に強要する意志よりも、彼はもえるような或《あ》る野心に憑《つ》かれていたのであった。
彼はなんども奉行の屋敷にかよったことがある。そして植木屋の手つだいをしたり、草むしりをしたり、庭さきをウロチョロして、奥方や息女の歓心を求めたことがある。そしてたしかに歓心を得たと彼は信じた。
彼はお千賀さまが好きであった。顔かたちも性質もはなやかで、少々浮気なところもあるようであった。宗八郎はそんな女が好きであった。彼はじぶんの美貌《びぼう》にものをいわせて、ちらちらと秋波を送った。そしてたしかにその手応《てごた》えがあったようだ。少なくともお千賀が彼に好意をもっていることはまちがいない、と彼は信じた。
むろん、いままではただそれだけである。奉行の息女を、小普請方の伊賀者が――とくに女房持ちの彼が、どうなるものでもない。しかし、お千賀さまの方が彼を恋うならば――恋いこがれて、死ぬほどになったならば。――
その夢想が、突然彼をとらえたのであった。そうなっても、その結果どうなるという確信はむろん彼にない。しかし、まったく望みがないというわけではない。もともと武士でない者が、武士の株を買える御時世である。げんに寺小姓あがりのじぶんが、まがりなりにも侍になったではないか。いや、もっと上の方で小姓あがりの人が大名になったという例もあるではないか。ましてや、たかが旗本の小普請奉行だ。しかも、じぶんがそこに婿にゆくというわけではない。ただ、息女をくれるだけだ。……
夢想は彼の胸で、しだいに現実性をましてきていた。じぶんは花房の家を出る。出るにしても、それ以後の手つづきにしても、いろいろ煩瑣《はんさ》なことがあろうが、しかし、お千賀さまがおれを恋うて死ぬほどのありさまになったら、それがすべてを解決するのではないか。一応、じぶんをほかのしかるべき家の養子ということにする手もある。とにかく、人形にするほど可愛がっている娘のいのちにはかえられないではないか。
「歓兵衛、いやか?」
ジリジリとして、宗八郎の声はしゃがれた。
「いやというなら、不義密通を訴えるぞ」
「不義密通。……おれはおぬしのゆるしを得たではないか。話がちがう。それにおれは、ほんもののお信どのと密通したわけではない。人形を抱いただけじゃ」
「人形を……歓兵衛、望むなら、お信をやる。おぬしは、それはできないといったが、おれが離縁になれば、お信がおぬしのところへ嫁にくることも不可能なことではない。一兵衛老が存生《ぞんしよう》していたときとちがう。やや[#「やや」に傍点]ができたら、それで花房家をたててよいではないか。いずれにせよ、たかが虫ケラのような伊賀組の内のことだ。お上《かみ》の方でむずかしく七面倒なことは申すまい」
歓兵衛の眼がきらっとひかったようであった。が、
「それにおぬしはただ人形を抱いただけといったが、現実にお信を犯したにひとしいことはおぬしも否定はできまい。事実、やがてお信はおぬしを恋うてたえがたいまでになると、その口でいったではないか。左様なものを、もはやわしは女房としておるわけにはゆかぬ。くれてやる」
と、宗八郎にのしかかられて、眼のひかりはきえた。宗八郎はこぶしをにぎりしめてさけんだ。
「おれはお信は要らぬ。お信の人形も要らぬ」
九沓歓兵衛は血の気のひいた顔をガクリとたれた。
「わかっていたことだが、やはり人形を作るのではなかった。……」
「もうひとつ、お千賀さまの人形を作れ」
歓兵衛はうめいた。
「いやというなら、おれは不義密通の罪でお信を成敗《せいばい》するぞ」
歓兵衛はひくくいった。
「作る」
一ト月ののち、花房宗八郎は、九沓歓兵衛の仕事部屋で、お千賀さまの人形と横たわっていた。
いまのお千賀さまを型にとったのではないから、と歓兵衛はやや満たぬ思いがあるらしかったが、宗八郎から見たところでは、ほんもののお千賀さまと毛ひとすじのちがいもないようであった。
おどろくにたえなかったのは、実際にそれを抱いたときだ。歓兵衛に教えられたとおり、はじめ身うごきもせず、ただそのかたく冷たくなめらかな蝋《ろう》の肌を抱いていただけだが、しばらくたつと、しだいに人形は柔らかくなり、しっとりとうるおい、そして体温さえも人肌になってきたのだ。すべて女体と同じ――内部でさえも、人体と同様のぬめりをおびてきたのである。
コツをおぼえてからは、それはますます人間と同様になった。人形はみずから腰をうねらせ、足をからませ、宗八郎の肌に吸いついてきた。その華麗な顔は、陶酔にもだえるお千賀さまそのものであった。――いや、しだいに宗八郎は、ほんとうのお千賀さまを忘れ、世にこの人形さえあればよいと思い出したほどであった。
この怪奇な人形との恋に、宗八郎は溺《おぼ》れた。そして、日毎夜毎《ひごとよごと》、歓兵衛の仕事部屋にとじこもって、人形との痴戯にふけり、逝《ゆ》く春も忘れたかのようであった。
しかし、半月ばかりのち、外からあわただしく駈けこんできた歓兵衛の思いがけない報告をきいたときは愕然《がくぜん》とした。
「おい、お千賀どのが祝言なさるというぞ」
「……何っ、どこへ?」
「御作事《おさくじ》奉行、二千石の真野大膳《まのだいぜん》どののところだそうだ。ひどく急な話で、十日ばかりののちに輿《こし》入れなさるときいた」
「……歓兵衛」
うめいた宗八郎の顔は、どこか常人でないものがあった。
「おまえは……人形を愛撫《あいぶ》すれば、ほんものも無我のうちに人形と一体となる。お千賀どのは、おれを恋いこがれて惑乱するまでになるといったではないか」
「それにいつわりはない。この半月ばかり、お千賀さまはこの人形とおなじふるまいをなされたろう。……その挙動の妖《あや》しさを、木室家の方で案じられて、逆に祝言をいそがれるということになったのではないか」
「では、お千賀さまがおれを恋うているということにまちがいないな?」
なお現実でない世界にいるもののように、宗八郎はつぶやいた。
花房宗八郎が、小普請奉行|木室《きむろ》丹後守の屋敷に忍び入り、息女のお千賀の寝所に這《は》い寄ろうとしている姿を発見され、家来たちの乱刃のもとに惨殺されたのは、二日のちの真夜中のことであった。
六
「……父、一兵衛の眼のあやまりでございました。所詮《しよせん》、宗八郎は伊賀組にいるべき男ではなかったのです」
「伊賀組の血をけがし、それにふさわしゅうない子をのこすことを思えば、いたしかたのないことでござった」
九沓家の暗い仕事部屋で、ヒッソリと歓兵衛とお信が話していた。
「あのようなことをせねば、あの男を伊賀組から除くことはできなんだでござろう。しかし、あなたは、ようなされた。あの男は、ほんとうに、あなたが人形と一体となったものと思いこんだのだから」
お信の頬にかすかに血がさしたが、すぐにもとの蒼白《そうはく》な色にもどった。自制力にみちた、貧しいが凜然《りんぜん》とした武家の人妻らしい姿である。それと相対した九沓歓兵衛も、ドッシリとした岩のように剛毅《ごうき》な姿であった。
「しかし、前以て縁切状はとってあるとは申せ、やはり花房家はこのまま絶家でございましょう」
「いや、左様なことはありますまい。組頭の方へよう申し、もういちど、まことに伊賀組の花房の家にふさわしい婿を――あのような、ばかげた野心をもつ軽薄な頓狂《とんきよう》者でない婿を――拙者がさがして進ぜる」
お信の歓兵衛を見た眼に、はじめて哀艶《あいえん》なものがながれた。が、すぐにお信は眼をそらし、
「それにしても、ほんとうによう出来ておりますこと」
と、壁の下に立つじぶんとお千賀さまの二体の人形を見あげた。
「いや、とうていほんものに及ばざること遠い。――」
と、歓兵衛は心の底から吐息をもらしたが、すぐに寂しげな笑顔になって、
「まあ、人形作りだけはな。これだけは忍法といってさしつかえのないほどの秘伝で。――しかし、用はすんだ。そろそろ、もとの蝋に帰してやるといたそう」
ユックリと立ちあがった。
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忍者 枯葉塔九郎
一
筧隼人《かけいはやと》が、枯葉塔九郎《かれはとうくろう》に妻のお圭《けい》を売ったのは鳥取の或《あ》るわびしい旅籠《はたご》に於《おい》てであった。
隼人がお圭と、奥州《おうしゆう》盛岡からかけおちしてから、わずかに一年後の秋のことである。
一年前、彼は盛岡藩|南部大膳太夫《なんぶだいぜんだゆう》の家中《かちゆう》で、剣法の麒麟児《きりんじ》とうたわれて、野心にもえた若者であった。ただし藩の分限牒《ぶげんちよう》にのっている直臣《じきしん》ではなく、国家老《くにがろう》の南部|修理《しゆり》の家来であったが、一刀流の印可《いんか》をうけた腕を見込まれて、ゆくゆくは大膳太夫の小姓《こしよう》にもとりたてられようというたしかな望みもあったのである。
それを棒にふったのは、お圭との恋のためだ。お圭は主人の南部修理の息女であった。
いずれも藩中で人の口にのぼる美男と美女であったから、或る面からみれば、この恋は当然のことといえる。
しかし、武家の社会では、それが当然ではなかった。修理は隼人をいたく目にかけていたが、娘を隼人にやる意志は毫《ごう》もなかった。国家老である彼には、娘を縁組みさせるしかるべき名家がすでにきまっていた。
そこで、隼人とお圭は、手に手をとって、盛岡を逐電《ちくでん》した。
隼人にしてみれば、この行為はむろん恋のためであったが、たんに恋におぼれたわけではなく、じぶんの才能を以《もつ》てすれば、日本じゅうどこにも仕官の口がないなどということは決してないという意気込みもあったのである。
しかし、一年間のむなしい漂泊は、隼人に思いがけないふたつの失意をもたらしただけであった。
一つは、むろん思うような奉公の口がなかったことだ。彼の夢は、奥州の井の中の蛙《かわず》の慢心にすぎなかった。戦国の世とはちがい、たんに腕が少々立つくらいで、相当な知行《ちぎよう》はもとより、侍として召しかかえるような藩はどこにもなかった。しかし、もう一つの意外な悩みは、あれだけ惚《ほ》れてかけおちまでしたお圭と、だんだんしっくりゆかなくなったことであった。
かけおちするとき、お圭がもって出た金も、ようやくあやしくなりかけていた。この半月あまり、ふたりは一日一食ですごしている。窮乏と焦燥の中に、女は彼の重い負担となった。いったんそう感じだすと、男にとっては女のすべてがやりきれないものとなる。
お圭は、いちどとして隼人に不平をもらしたことがない。いかにも家老の娘らしく、毅然《きぜん》としている。あくまで彼を信じ、彼に期待している。――それがかえって、彼にとってやりきれなくなったのだ。いままで放浪の途中、二、三度は安扶持《やすぶち》の口があったが、それを拒否したのはお圭の方であった。決して虚栄心からでなく、彼に対する誇りと信頼のためだが、いまとなってはそれも恨めしさのたねとなるのだ。
それから、こんなに窮迫しても、依然として彼女は清潔で、美しい。かけおちするとき白梅のような美しさをもっていたお圭は、いま紅梅のようななまめかしさを加えたが、貧乏は寒風のようにいよいよその色つやを冴《さ》えさせたかに思われる。しかも彼女は、閨房《けいぼう》のことに於ても、どこかりんとして、決して破目をはずすということがないのだ。まるで切腹にのぞむ侍のように粛然《しゆくぜん》としたところがあって、隼人も反射的に介錯《かいしやく》する武士のような心境と態度にならざるを得なかった。
そういう息のぬきどころのない旅で、隼人はヘトヘトになった。だんだんと、この美しい妻がじぶんの一生の足枷《あしかせ》のように思われてきた。
鳥取へやってきたのは、ここの藩主の池田備《いけだびつ》 中《ちゆうの》 守《かみ》がなかなかの武芸好きで、こんどこの藩で新しく数名の家臣を求めるのに、志願者に御前試合をこころみさせて、その成績によって召しかかえるという話をきいたからであった。
すでにこの情報はひろくゆきわたっているとみえて、鳥取の城下の宿や旅籠《はたご》は、諸国からあつまってきた浪人者であふれかえっていた。そのおびただしい人数を見ているうちに、隼人はしだいに意気|銷沈《しようちん》してきた。
これで新規に召しかかえるのは二、三人だという。――とうてい、だめだ、と自信を失うと同時に、これからさき、また妻をつれてさまよいあるくのかとかんがえると、ギリギリのどんづまりまできた金と思いあわせ、自暴自棄の心にならずにはいられなかった。
彼が、この鳥取にお圭を捨ててゆくという気を起したのは、その試合が二日のちに迫った日のことである。
そのために、彼はひとつの苦肉の計を案出した。――その夜、旅籠の一室で、彼は悄然《しようぜん》としてお圭にいい出したのだ。
「お圭。……実はこまったことができた」
「何でございますか」
「試合はあさってに迫ったが……おれの刀がかわっておることを知っておるか」
「えっ、刀がかわったとは?」
「いや、気づかぬのもむりはない。柄《つか》の作りも鞘《さや》もまえのものとおなじだから。……しかし、まことは似ても似つかぬ赤鰯《あかいわし》なのだ」
「まあ、どうなされたのでございますか」
「実は、この鳥取にくる途中、但馬《たじま》の豊岡《とよおか》に宿をとった際、そこの刀屋でとりかえたのだ。それは、ここまでたどりつく旅費を手に入れるためであった。……そなたは知るまいが、金はあそこで尽きていたのだ。むろん、ここで仕官の口にありつけば、刀などはすぐに新しく買いなおすことができる、そう思案していたのだが、きょう宿でふと浪人どもの話をきくと」
「…………」
「たんに試合のみならず、試合場でめいめいの差料《さしりよう》をさし出させてこれを調べ、それを以て当人の人柄、心構えを判断して採用の目安《めやす》にもするらしい。左様に申して、浪人どもはおたがいの刀を見せあい、手入れをしておった」
「…………」
「至急、明日にもしかるべき新しい刀を手に入れねばならぬ。しかし、金がない。いかにしても金を得る工面《くめん》がつかぬ」
お圭は美しい眼を見張って、じっと彼の顔を凝視していた。隼人は首をたれた。ながいあいだたってから、お圭はかすれた声でいった。
「どうしたらよいのでございましょう」
間をおいて、隼人はいった。
「ただ一案がある」
彼は眼をしばたたいた。
「おれの思案では、それひとつしかない。ただし、そなたがいやと申せば、それを強《し》いる権利はおれにはない」
「わたしが……わたしがお役にたちましょうか」
「いいづらいが、当地の遊女屋に身を売ってくれることだ」
「遊女屋に!」
「待て、そなたがおどろくのは無理もないが、まことに身を売るというのではなく、ただ抵当《かた》に置くだけだ。廓《くるわ》の亭主にようたのんで、見世《みせ》に出るのを五日待ってもらおう。そのあいだに、おれの仕官の口がきまれば、そなたをきっと買い戻しにゆく。当家に奉公するとなれば、かならず金を貸してくれる人もあろう。いや、絶対にとりもどす。……そなたは、ひとたび当地の廓に身を売った女が、藩士の妻となれるかと思うかもしれぬが、もとよりおれの素性はかくす。藩士の妻となった女が、廓者《くるわもの》にふたたびその顔をみせる機会はない。……」
「――もし、仕官のことがかないませぬときは?」
「おれは死ぬ」
隼人は悲痛にうめいた。――ややあって、お圭はつぶやいた。
「わたしも死にまする」
それでお圭が、じぶんのこの思案を承知してくれたことがわかった。むろん彼は、遊女屋から金さえ受け取ったら、試合には出ずそのまま雲を霞《かすみ》と逐電《ちくでん》するつもりであった。ほっとした顔色をかくすために、彼はいざり寄り、妻の手をとろうとした。しかし、お圭の彼をみた眼に、はじめてはげしい怒りと哀《かな》しみのひかりをみて、彼はたじろいだ。
「お圭、すまぬ、ゆるしてくれい」
「いいえ、妻として当然のことでございます」
と、お圭はふるえる声でいった。
「ただくやしいのは、わたしに身を売れと申されたことではなく、武士の魂たる刀を売られたおこころねでございます」
――筧隼人が、枯葉塔九郎という妙な男に逢《あ》ったのは、厠《かわや》に立ったその夜更《よふ》けのことであった。
二
その男の顔は知っていた。たんに隣室の宿泊人であったからではなく、その男の顔があまりに醜怪で、お圭がきみわるがっていたからだ。
髪を総髪《そうはつ》にしたその男の顔は、蒼《あお》いというよりむらさきを呈し、眼は糸のようにほそく、鼻は、ないといった方がいいほどひくくて、巨大な唇は厚ぼったく、ベトベトとぬれていた。もとより筧隼人はみたことはないが、まず類人猿《るいじんえん》の顔貌《がんぼう》と形容してよい。ただ、よくみれば、類人猿とおなじような奇妙な愛嬌《あいきよう》があった。
あとでかんがえると、彼はこちらの動静をうかがっていて、隼人が厠に立つのを見すまして追ってきたものらしい。
「恐縮でございますが」
ふいに、小声で呼びとめてきたのである。
「実は、貴殿御夫妻のお話を、きくともなくきいたのでござるが……それについて、ちと御談合申したいことがある」
隼人は狼狽《ろうばい》とともに、ふしんな眼で相手を見まもった。
「御内儀を当地の廓に売られるということじゃが、あなたは試合に勝って、めでたく御内儀を買いもどされる自信がおありかな」
隼人はこたえた。
「勝敗は時の運じゃが、もとよりその決意だ」
「しかし、おきのどくだが、そうは参らぬな」
と、男は厚い唇をニヤリとゆるませた。
「なぜ?」
「拙者も出場いたすから」
隼人は唖然《あぜん》とした。唖然とした理由の第一は、この男が侍志願のライバルだとは、それまで夢にも思わなかったからであった。なぜなら彼は、ふつうの浪人者風ではなく、経帷子《きようかたびら》の巡礼姿をしていたからだ。だから、先刻からの口のききようがいささかぞんざいなので、隼人はむっとしていたところであった。
呆《あき》れたことの第二は、むろん彼の高言にあった。
「拙者も出場いたすから、おまえが試合に勝つわけにはゆかぬ」――という。では、この男が武芸の達人というのか? 怪異醜態をきわめた容貌にもかかわらず、どこかおどけた、愚鈍にすらみえる印象からは、とうていそうは見えないが。――
しかし、相手を見まもっていた隼人は、逆にやや不安をおぼえてきいた。
「貴公も、奉公志願か。何流を使われる」
「いや、おれは刀も槍《やり》も知らぬ。――と、申してよろしい」
「では、弓? 馬? 鉄砲?」
「いや、おれは忍術」
「に、忍術」
「されば」
と、巡礼はあごをなでた。
「それで、あなたは負ける。まちがいなし」
そのいいかたが、ふつうではなかった。自信満々というより、白痴と問答しているような気がして、隼人はこれ以上この男と厠の外で立ち話をしているのがばかばかしくなった。忍術というものが世にあることはきいているが、隼人はいままで忍者なるものを見たことはないし、常識的にかんがえても、それほど超人的な術があろうとは思われない。
第一、じぶんはその試合には出場しないで、この鳥取を立ち去るつもりでいる。
「勝つか負けるか、やってみなければわかるまい。では、これで拙者は失礼する」
「待たれい、貴公ら御夫婦の話をきいて談合があると申したではないか」
隼人はふりかえった。巡礼はすましていった。
「 承《うけたまわ》 って、同情した。そこで」
「なんだ」
「拙者が金子《きんす》を用立てて進ぜる。御内儀を廓に売るなどはよしになされい」
「金子を用立てる。――しかし、拙者が以前に差料《さしりよう》としていたほどのものを新たに求めるとなると、少なくとも三十両はいたすぞ」
どうみても、この巡礼にそれほどの大金はありそうにもない。それにじぶんの刀は、実はこの鳥取の刀屋にいちじあずけて、代りにいまのこの赤鰯を借りてきたのだから、その意味での工面は実は無用のことであった。
「三十両、お安い御用だ。その代り」
「その代り?」
「拙者に御内儀を売られい」
隼人は息をのんだ。
「ばかな!」
「などと、肩をそびやかしてみせなさるが、貴公、内心御内儀をもてあましておられるのではないか、そうでなければ、かりそめにも妻を遊女に売るなどいう気の起るわけがない。いや、それは理屈と申すより、この数日拙者よそながら見ておった貴公の様子、あの問答のときの貴公の語尾から推量できた。おそらく貴公、あさっての試合に負ければ御内儀を廓におきざりに逐電、勝てば、ひとたび苦界《くがい》にけがれた女は知らぬと、門前払いでもするつもりでおられたろう」
大体は、あたった。この男、見かけとちがってばかでない。――隼人は茫然《ぼうぜん》と眼を見張ったままでいる。
「だから、拙者がひき受ける。いや、是非ともいただきたい。拙者、こうみえてなかなか女にむずかしい好みがあっての。実はその女を求めていままで漂泊していたようなものじゃ。その好みに、御内儀がピッタリ合うのだ。まこと、この宿でひとめ見たときから、ブルブルとからだじゅうがふるえたほどであったわ」
この話をきいたら、お圭もブルブルとからだじゅうをふるわすだろう。とうてい成り立つ契約ではない。――隼人は嘲弄《ちようろう》するようにいった。
「それで、その三十両を拙者が受け取ってここを立ち去るとする。あと、貴公がみごと試合に勝ち、めでたく仕官して、お圭を妻となされる御所存かな」
「いや、まこと御内儀を頂戴《ちようだい》できるものならば、もうひと声譲ろう。――あさっての勝ちも、貴公に譲ろう」
「なに、拙者に勝ちを譲って――それから、どうする」
「あなたは首尾よく池田家に御奉公なさるがよい。拙者は御内儀をいただいて、左様さ、うれし愉《たの》しの同行《どうぎよう》二人、鈴をふりふりまた巡礼の旅に出ることにいたそう。ああいや、気にかけられるな、だいたい拙者は天性として、かた苦しい仕官などはむかぬ方なのだ。……」
まるでお圭の意志など無視している。試合はともかく、そのあとそんなにうまく事が運ぶものか。――と呆れていた筧隼人に、巡礼はもはや談合は成ったもののようになれなれしく、
「そこで、あさっての試合に貴公が勝つやりかたについてじゃな。……」
――その話をきいて、隼人はさらに狐《きつね》につままれたような気になった。うす笑いをうかべ、蒸気のような息を吐きかけ、男はささやく。
隼人が彼の提案をしりぞけもせず、口をぽかんとあけてきいていたのは、それがあまりにも驚倒《きようとう》すべき内容だったからだ。
巡礼は、ふと思い出したようにいった。
「いや、申しおくれたが、拙者、枯葉塔九郎と申す」
三
――その日、鳥取|久松《ひさまつ》城内は思わざる凄惨《せいさん》の気に満ちた。
奉公志願の浪人たちは三組にわけられて試合がすすめられ、勝ちのこったのは大角勘左衛門《おおすみかんざえもん》という大兵《たいひよう》肥満の浪人と、三浦軍次《みうらぐんじ》という禿鷹《はげたか》に似た精悍《せいかん》な男と筧隼人の三人だった。
これで新規召抱えの人選は一応できたわけであるが、武芸好みの藩主池田備中守が、その三人の中でだれがいちばん強いか見たいといいだしたのである。残ったのが三人なので、籤《くじ》をひいて組み合せをつくるよりほかはなかった。その準備にとりかかったとき、敗れてひかえている浪人群のなかから、
「あいや。――」
という声がかかった。
そして醜悪無惨な巡礼姿の男がノコノコと現われて、枯葉塔九郎と名乗り、この最後の勝負にじぶんを加えてくれといい出したのである。
「これは、虫のいいことを申す奴。――」
「おや、きゃつ、いままで試合に出なんだではないか」
そんなどよめきが、当然、浪人や藩士のむれから起った。それに対して、枯葉塔九郎は恬然《てんぜん》としてこたえたのである。
「いや、拙者の望むのは真剣の勝負でござる。それゆえ、いままで遠慮しておったようなわけで。――」
しいっ――と身のひきしまるような音なき風が庭を吹いた。
家臣の報告をきいて、藩主が眉《まゆ》をひそめてこの途方もないことをいい出した男の方に眼をやったとき、大角勘左衛門が走り出してきて手をつかえ、その挑戦を是非とも受けたい旨を申し出た。
なおためらっていた備中守は、巡礼の醜怪なうす笑いを見ると、まるでじぶんが挑戦されたように満面を朱に染めて、「屍骸《しがい》の引取人はあるか」ときいた。枯葉塔九郎にきいたつもりであったが、大角勘左衛門の方が大音声《だいおんじよう》で、「屍骸の儀は千代川《せんだいがわ》にながされるなり、海ぎわの砂丘で風葬になされて結構でござる」とこたえた。塔九郎は依然として笑ったまま、かすかにうなずいてみせただけである。
そして、真剣の試合が始まった。
朝からの試合は何十組という人数なので、場所はひろい庭であった。その上に、はじめて鮮血がぶちまかれた。――しかも、これほどあっけない勝負は、朝からの試合のうちひとつもなかったであろう。
大角勘左衛門は真っ向上段から斬《き》りつけた。枯葉塔九郎はその前に棒みたいに立っていた。そして、ひとびとの眼には、勘左衛門の豪刀が塔九郎を唐竹割りにしたとみえたのである。それなのに、塔九郎の脳天からは一滴の血もとばず、みずから斬らせながら、そのあとでユックリとふり下ろしていった塔九郎の刀のために、勘左衛門は袈裟《けさ》がけになって血をふきあげた。
大地にたおれた相手をみてから、スルスルと枯葉塔九郎は下がった。いま唐竹割りになったとみえたのは錯覚としか思われなかった。しかも、見よ彼の経帷子《きようかたびら》の背と胸は、たしかに縦に斬り裂かれて、風にビラビラと、そよいでいる。――
「お次。――」
と、三浦軍次の方をふりかえって笑ったのである。
まるで、こちらこそ渦に吸いこまれる枯葉のように三浦軍次という浪人は抜刀して馳《は》せ寄っていった。
しかし、いままでの十何試合かに、まるで禿鷹《はげたか》のような剽悍《ひようかん》ぶりをみせた三浦軍次は、こんどはぶきみな相手に二|間《けん》の間隔をおいてピタと刀をかまえたまま、眼をひからせてうごかなくなった。別人のような慎重さであったが、実は彼はいま見たばかりの幻妖《げんよう》の光景に昏迷《こんめい》をおぼえて、しばしじぶんのあやつるべき刀法にまよっていたのだ。
その前に、刀身を片手にダラリとさげたまま、まるで相手の姿など眼に入らないかのごとく、枯葉塔九郎はあゆみ寄った。
迎え討つべきか、とびのくべきか、一瞬とまどった三浦軍次のまえに、なんと塔九郎は俎《まないた》の上の鯉《こい》のごとくゴロンと寝ころんだのだ。
反射的に、三浦軍次はこれに刀をふり下ろした。刀はまるでためし斬りのように塔九郎の胴を輪斬りにした。ひとびとの眼には、塔九郎のからだの下の土に、三浦軍次の刀身が彫った条痕《じようこん》まで見た。
仰向けになった塔九郎の刀が、ユックリと旋回していった。先刻とおなじであった。血を吹きあげたのは、逆に胴斬りになった三浦軍次だけであった。
枯葉塔九郎は立ちあがった。その経帷子は、こんどは横にグルリと斬り裂かれて、ほとんど上半身まる見えの姿として、風に吹きなびいている。――うなされたように、人々は寂《じやく》として声もなかった。
「お次。――」
と、塔九郎はさけんだ。
筧隼人が走り出した。塔九郎の犬歯がニヤリとむき出されたのがみえた。
美貌《びぼう》の剣士の一刀が奇怪な巡礼の肩をめがけて薙《な》ぎつけられ、それが煙でも斬ったようにすべりぬけ、そして塔九郎の刀身がまたもユックリとうごき出したのを見たとき――人々はすべて顔を覆った。
「あーっ」
途方もない絶叫に、人々がはっと眼を見ひらいたとき、こんどは意外な光景がそこにあった。
あとで、すべてを見ていた少数の人々が語ったところによると、筧隼人は斬りつけた刀をはなすと、同時に小刀をぬいて、横着《おうちやく》げにふりかぶった巡礼の右腕を――ついで左腕を、眼にもとまらぬ早さで、そのつけねから切断していたという。大部分の人々が見たのは、草の上にころがった二本の腕と、腕なしになってその中間にのたうちまわる枯葉塔九郎の姿であった。
ふしぎなことに、血は一滴もながれなかったが、数秒|痙攣《けいれん》した塔九郎は、みるみるうごかなくなった。
「やったっ!」
人々はかけ出した。どの顔にも、まるでもうじぶんたちの同輩がこの化物《ばけもの》を退治したようなよろこびの色があふれ出していた。
「これは同宿のものでござるが、かかる破目となっては不本意ながらやむを得ず、討ち果たしてござる」
と、水のように蒼《あお》く沈んだ顔色で筧隼人はいった。
「ただ、きょうの試合については、いかようの結果になろうとも双方に恨みなく、屍骸もまたおたがいに始末をしようと約定《やくじよう》つかまつった。ついては、旅籠《はたご》屋の亭主が御門外の濠《ほり》ばたに駕籠《かご》をもって迎えにきておるはずでござれば、この者の屍骸、打ち落した腕もろともお渡し下されまするよう。拙者あとで回向《えこう》をたむけてやりとう存ずる」
――しかし、水のような顔色は、その実恐怖のためであった。筧隼人が枯葉塔九郎をたおしたのは、すべて塔九郎の教えたとおりにすぎなかった。
おれの肉は蝋《ろう》に似ている。おれの臓腑《ぞうふ》は豆腐に似ている。たとえ斬られても、斬られた刹那《せつな》、すぐに溶けあい、たちまちつながる。これがおれの忍法だ、と塔九郎はいった。
きいたときは信じられなかったが、それが嘘《うそ》いつわりでないことを、隼人はいまたしかに見たのだ。
塔九郎はまたいった。――約定によって、貴公の刀だけには斬りはなされてやるが、宿にかえったら、おぬし、すぐにまたつないでくれよ、切られた腕を肩にあてがえば、肉はただちに溶接される。そして、おれはもと通りになって、お圭どのを頂戴して、ひそかに鳥取をはなれよう。……うれし愉《たの》しの同行《どうぎよう》二人旅。
四
しかし、その夜筧隼人は旅籠に帰らなかった。
弁解すれば、帰れなかったのだ。藩主の備中守から親しく盃《さかずき》を賜わり、あと城中の侍たちが彼をとりまいてはなさなかったのである。
彼をめがけて、盃と武芸譚《ぶげいたん》が集中した。
が、隼人が下城しなかったのは、下城することが恐ろしかった、というのがほんとうの理由であった。旅籠にかえって、枯葉塔九郎の屍体をつぐ。その恐怖もさることながら、ついで塔九郎が甦《よみがえ》ってからどうするのだ?
妻のお圭にはすべてをまだ話してはいなかった。
ただすでに遊女に売られることを覚悟し、また塔九郎が屍体となって帰ることをどうせ知られる以上、或《あ》る程度のことはいっておかなければならなかった。それで、刀を買う金子《きんす》は塔九郎どのから借用した。塔九郎どのは世にも奇怪な術をつかって、わざとおれに負けて仕官させてくれるという。屍骸をみてもおどろくな。おれにまかせておけ。――と、いった。
しかし、なぜ枯葉塔九郎がそのような破天荒《はてんこう》な親切をつくしてくれるのか説明していない。いわんや、仕官の代りに彼女を塔九郎に売ったとは口に出せなかった。
きいているうちに、お圭の眸《ひとみ》にいぶかしみの色がうかび、やがて恐怖と代り、最後には名状しがたい凝視となって隼人の顔からうごかなくなった。いまや枯葉塔九郎よりも恐ろしいのは、妻のお圭の純潔貞節な眸であった。
捨ておけば、きゃつ、死ぬのではないか! 城主からの盃を口にしたとき、ひらめいたこの考えは、それからあとの無数の盃の酒とともに体内にひろがった。そして隼人は、勝利と成功の夜にはふさわしくない苦い酔いと血みどろな悪夢の一夜をすごした。
あくる朝、筧隼人は蒼ざめた顔で下城した。やはり帰らずにはおれなかったのだ。
そして、旅籠にたどりついてから、思いがけぬ事件を知ったのである。
宿の亭主は、明け方まで隼人を待っていた。試合の結果、塔九郎か隼人か、いずれか落命して帰ってくるかもしれぬが、その屍骸の始末は生きて帰った方にまかせろ、世話をかけただけの礼はきっとする。――という約束をしたのだが、生きているはずの一方の隼人がもどってこないのだ。それで、土間に置いてある酸鼻《さんび》な駕籠の恐怖にたえかねて、ついに駕籠かきを呼んだ。どこかに捨てて来てくれろ、とたのんでいると、奥から、やはり寝もやらずに待っていたらしい奥さまが出ておいでなされた。――
「夫が手にかけたお方のなきがらです。わたしもいっしょにいって、砂丘の果てに埋め香華《こうげ》でも置いて参りましょう」
奥さまはそうしずかにいって、駕籠とともに夜明けの町へ出ておゆきなされた。――亭主はそういうのであった。
筧隼人は胸をつかれ、ちかくで馬を借り、鞭《むち》をあてた。
砂丘の果てに蒼白い夜明けのひかりがながれていた。
馬をとばしてきた筧隼人は、その砂丘の方からころがるように走ってきたふたりの男にゆきあった。
「駕籠屋」
その風体《ふうてい》からみてそう呼んだのだが、ふたりは駕籠をかついではいなかった。
「仏を運んだ駕籠かきだな」
馬上から叱咤《しつた》すると、男たちは声もなくガクガクとうなずく。その恐怖にみちた顔にはっとして、
「い、いかがしたのだ?」
と、せきこんで、どもった。
「言え。駕籠とともにいった女がひとりおるはずだ、それはどうしたのだ」
「へい、奥さまは、駕籠を砂の上に置かせると、屍骸を外に出すようにおっしゃいました。おっかなかったが、おっしゃる通りにしました」
駕籠かきは、のどをひきつらせながらいった。
「そうしたら、もうゆくがよい。あとはわたしが埋めるから――というんでごぜえます」
「それで、うぬら、女と屍骸をおいてかえってきたのか!」
「へえ、あんまり奥さまがおちついていらっしゃるんで――」
「たわけ! それはどこだ?」
「へえ、あっちでごぜえますが、もうそこにはふたりともいましねえ」
「なに、ふたりとも?」
「奥さまにそういわれて、あっしたちは駕籠をかついで一町ばかりもどったものの、心配でならねえからそこで立ちどまって、ふりかえったんでごぜえます。すると――」
もうひとりの駕籠かきは、腰がぬけたようにそこに坐ってしまった。
「屍骸を置いてきた砂の山の上に、ふたつの影が立っていたんでごぜえますよ!」
筧隼人の全身を吹いたのは、夜明の秋風だけではなかった。彼もまたのどに鉄丸でもつまったような感じで声が出なかった。
「白い影がふたつ――それが、やがて風に吹かれてもつれ合うように、砂の山の向うへ走っていったんでごぜえます!」
「白い影がふたつ――そのひとつは、遠目だが、あの腕のねえ屍骸だったにまちげえはねえ。それが、こう二、三度両腕をうれしそうにふりまわして、もうひとつの影の肩を抱くようにして、消えていったんでごぜえます!」
ものもいわず、筧隼人は馬に鞭をあてた。
道は砂に覆われ、しだいに砂だらけになり、蹄《ひづめ》は砂にくいこんだ。隼人はとびおりて、馬を捨て、まろぶようにひとり砂の山にかけのぼっていった。二度三度、彼はのめった。
枯葉塔九郎は甦《よみがえ》った。
甦らせたのはお圭だ。
しかし、お圭の心に何が起ったのか。そして、あの化物と手に手をとってどこへいったのだ?
はじめて隼人は、枯葉塔九郎のために、わずかな知行《ちぎよう》とひきかえに、くらべものにならぬ貴い宝石をうばい去られたという思いに打たれた。
が、砂丘の上へ、足に血をにじませて這《は》いのぼっていった筧隼人が見たものは、永劫《えいごう》のむかしから渺茫《びようぼう》とひろがる灰色の砂の風紋と、灰色にうねる海と、そして冷たく蒼白い黎明《れいめい》の空だけであった。
五
――三年後の春の或《あ》る夕方である。筧隼人は、十数人の配下をつれて、鳥取から智頭《ちず》街道を南へ急いでいた。
隼人は三年ばかりのあいだに、鳥取藩の八頭《やず》郡の郡代《ぐんだい》の地位を獲得していた。藩に召し抱えられてから新しく発見された才能で、じぶんでも意外に思っているのだが、彼は剣法のほかに、それ以上に、租税検地などの面で、なみなみならぬ行政的手腕のあることが認められたのである。
それで郡代に抜擢《ばつてき》されたのだが、租税検地に手腕があるということは、つまり苛斂《かれん》 誅《ちゆう》 求《きゆう》の傾向があるということで、このごろになって農民のあいだに、不穏なうごきが見えはじめていた。事実、彼は若佐にある郡代屋敷に大がかりな牢《ろう》をつくって、すでに十数人の百姓を放りこんでいる。この件につき藩と連絡の必要があって、この数日鳥取にいっていたのだが、けさ早く、一揆《いつき》というさらに切迫した事態が郡に起りかけているという知らせを受けて、とるものもとりあえず任地に馳《は》せかえる途中なのであった。
若佐は鳥取の東南八里の山中にあり、ここに至る道を若桜《わかさ》街道という。名は美しいが、むしろ荒涼といっていい山間の道であった。春とはいえ、北国のこのあたりには、その名にそむいてまだ花も咲いていない。ゆくての氷《ひよう》ノ山《せん》には、まだ雪がまっしろにひかっている。
「……あっ」
突然、筧隼人は馬の手綱をしめて、鞍《くら》の上からただならぬ顔をふりむけた。
いそいでいたので、思わずゆきすぎたが、いますれちがった二つの白い影が、ふいに彼の頭に、「もしや?」という疑惑の波をひろげたのだ。それは、街道を逆に、トボトボとやってきた二人の巡礼であった。
うすよごれた白布に笈摺《おいずる》をかけ、笈《きゆう》を負い、杖《つえ》をついた二人の巡礼は、路傍にさけて、笠《かさ》をひくく伏せていたが、隼人が馬をとめたのを見ると、急にあわてて歩き出そうとした。
「待てっ……きゃつらをとらえろ!」
隼人は顔色をかえてさけんだ。足軽たちが槍《やり》をかかえてその方に殺到し、ふたりをとりかこんだ。
巡礼のひとりが笠をあげた。足軽たちは思わずとびのいた。その笠の下の顔が、あまりに醜怪だったからだ。
むらさき色の皮膚、糸のような眼、厚ぼったい唇――それが隼人を見あげ、ニヤリとして、
「いや、その節は」
と、いった。――枯葉塔九郎であった。
ものもいわず、隼人は馬からとび下りて、もうひとりの巡礼のそばへ馳せ寄った。立ちすくんだその巡礼の、前に伏せている笠を、彼はぐいとあおのけた。白蝋《はくろう》のような頬《ほお》をして眼をとじているのは、まぎれもなくお圭の顔に相違なかった。
「お圭」
うめいて、彼は絶句した。混乱した頭に、すぐにみずから鞭をあて、
「来い、話がある」
と、お圭の手をとらえた。お圭はよろめきつつ、眼をひらいた。思いがけぬ、みずみずしくぬれた黒い眼がうしろへながれて、
「でも」
と、からだじゅうでためらった。
隼人はそれを、塔九郎に対する恐怖ととった。
「これ、おまえはわしの女房ではないか。かまわぬ、来い」
「あいや、そうは問屋が下ろしますまい」
のこのこと、枯葉塔九郎が寄ってきた。まだニヤニヤと笑っている。
「お圭はおれが買ったこと、貴公お忘れか」
「あ、あれは――」
隼人はつまった。売ったおぼえはない、とはいえなかった。それだけに、自分自身にも対する怒りが、彼の全身をふるわせた。
「お圭は、いま買いもどす」
「おれは、女房を――恋女房を売る気はない。……貴公とはちがってな」
からかうようなこの言葉をきいたとたん、隼人はついにわれを失った。
「文句があれば郡代屋敷できこう。おとなしゅうついて来ねば――」
まわりの足軽たちがいっせいに身がまえるのを見たとたん、ぱっと塔九郎は飛びすさった。手にしていた杖が、キラリと白いひかりをはなった。仕込杖だったのだ。
「抵抗するか、斬れ」
と、隼人は絶叫してから、突然水をあびたような思いがした。この男が、斬っても斬れぬ化物であることを思い出したのだ。
「ま、待て」
もういちどさけぶと、隼人も一刀をひきぬいて、ピタリとお圭の胸にさしつけた。
「塔九郎、手向いすればお圭を刺し殺すぞ。夫を捨てた不義者として成敗《せいばい》いたすぞ!」
枯葉塔九郎は、ぎょっとしたようにうごかなくなった。こちらをむいている紫いろの顔がすっと蒼白《そうはく》になると――彼はダランと仕込杖を地に垂れた。
いまの一言の効果の絶大さに、むしろ隼人は唖然《あぜん》として、思わず力をぬいたとき、塔九郎はふいに彼に背をむけて、白衣の裾《すそ》をまくりあげた。それから一息つくほどの時間をおいて、仕込杖が上から下へ、クルリと一旋回するのが見えたが、こちらからは何をしたかわからない。ただ、その刀が、白衣の裾の一部を切り裂いたのが見えたばかりである。
「あっ。……」
しかし、その向うに槍をかまえていた足軽が何を見たか、眼をむいた。
枯葉塔九郎はふりむいた。その仕込杖を捨て、またニヤリと笑った。
「とにかく、負けたといっておこう。郡代屋敷に参る」
「……そやつ、何をするかわからぬ化物だ。縛れ」
筧隼人は肩で息をしながら、なおお圭に刀をつきつけたまま、あごをしゃくった。足軽たちがとびかかって、塔九郎を縄《なわ》でしばりあげた。
このあいだ、お圭はじっと立ちすくんだまま、白い能面のような無表情であった。隼人には、そのお圭が枯葉塔九郎よりも奇怪で恐ろしいものに思われた。
彼女にいいたいことは百ほどもある。彼女にききたいことは千ほどもある。しかし、とっさに、何をいい、何をきいていいのかわからないほど、彼の頭は混乱していたし、それに足軽たちの眼や耳もあった。……すべては、郡代屋敷に帰ってからだ。
行列は砂ぼこりをあげて、ふたたび荒涼たる山峡の道を進み出した。筧隼人は馬の手綱を足軽にわたし、お圭とならんで歩き出したが、全神経はお圭だけにそそがれて、うしろに曳《ひ》かれてくる枯葉塔九郎のこともしばらく忘れていたほどであった。
ふいに気がつき、ふりむいて、塔九郎の人を小馬鹿にしたような笑顔を見ると、彼は先刻の塔九郎のふしぎな行動を思い出してはっとした。
「これ」
彼は、足軽のひとりを呼んだ。先刻の塔九郎の行動を見ていた足軽だ。彼はささやいた。
「きゃつ、さっき何をしたのだ」
「それが……」
足軽はくびをひねり、塔九郎をちらっと見ていった。
「男のものをつかみ出して、じぶんでたしかに斬ったように見えましたが、ふしぎなことに血も出なかったようで……」
「何?」
足軽は幻覚でも見たような顔をしていたが、それが幻覚とはいえないことを隼人は知っている。
「ううむ、きゃつ、何のために左様な真似《まね》をしおったか。よし、きゃつのからだをとり調べろ」
隼人は命じて、数人の足軽をのこし、お圭をひきたてるようにして先へ歩いた。一町ばかりいったとき、足軽が追って来た。
「まこと、きゃつの男のものは失《う》せております」
「で、それは?」
「それが、からだじゅうどこを探っても、どこにもござらぬ。本人はいましがた崖《がけ》の下へ捨てたと申しておりますが、念のため探して参りましょうか?」
さすがに隼人は、この探し物を命ずることはしなかったが、しかし枯葉塔九郎がなぜそんなことをしたかは、依然として想像のほかにあった。飄《ひよう》と面《おもて》を吹きつける氷《ひよう》ノ山颪《せんおろし》に眉《まゆ》をしかめていった。
「よい、捨ておけ。ただ、本人を逃さぬようにして、しかと曳いてこいよ。きゃつ……妖《あや》しき術をつかう忍者だ」
「へっ、忍者?」
六
――魔に魅入《みい》られたのだと思う。
三年前のことだ。あいつに妻を売ったことだ。いやいや、そもそもじぶんがお圭を売る気を起したことが、いつのまにかあいつに魅入られていたせいではないかと思う。
どうしてお圭を売るなどいう気を起したのだろう? それがあれ以来、筧隼人の魂をかきむしってきた悔恨であった。失った珠《たま》は、胸で現実以上に妖しいひかりをはなちはじめた。あの白梅のようにりんとした姿が、胸に象嵌《ぞうがん》されたようなのだ。閨房《けいぼう》のつつましやかさ、ぎごちなさすら、いまとなっては逆に異様ななまめかしさとして甦《よみがえ》る。――鳥取藩に仕えてから異例の取り立てを受け、また独身の彼に、縁談はふるほどあったが、いままでそれをことごとく辞退してきた理由は、ただこの悔いのなせるわざであった。
魔に魅入られたのだ。――じぶんばかりでなく、お圭もだと思う。
いくらかんがえても理解を絶しているのは、じぶんの心より、お圭の心だ。あれは、塔九郎の屍骸を入れた駕籠といっしょに宿を出ていったという。砂丘で、斬りはなされた塔九郎の二本の腕をつなぎ合わせたという。――お圭がやらなければ、ほかにやった人間のあるはずはない。――そして、塔九郎と肩をならべて、砂丘の果てへ消えていったという。いったい彼女の心に何が起ったのか。
三年間、ことあるごとに隼人はそれをかんがえたが、ついにわからなかった。ただ魔に魅入られたに相違ない、そう解釈するほかはなかった。
……いま、そのお圭を魔から解き放った、この手にとり返した、隼人はそう思った。
若佐の郡代屋敷の一室である。彼のまえには、お圭がいた。
若佐は若桜郷《わかさごう》の中心となる一駅だが、地味|痩《や》せ、蕭殺《しようさつ》たる山峡にある。ただ因幡《いなば》から戸倉峠を越えて播州《ばんしゆう》へ、氷ノ山峠をこえて但馬《たじま》へゆく道がここから分れているので、その意味では一要衝にあたり、昔は尼子《あまこ》の城があった。その名を鬼ケ城といい、山中鹿之介《やまなかしかのすけ》などもたて籠《こも》ったことがある。いまは廃城となり、そのあとに池田藩の郡代屋敷が作られていた。
その崩れ残った石垣などを利用し、あちこちにふとい格子《こうし》を組んで仮牢《かりろう》とし、このごろこの一帯に不穏の気を煽動《せんどう》したり直訴《じきそ》してきたりしていた百姓たちを、隼人はほうりこんでいた。
――その一つ、空牢《あきろう》となっていたものに、深夜彼は帰邸するなり、武器をとりあげた枯葉塔九郎をおしこみ、さて彼がお圭と相対したのは、もう夜明けにちかい時刻であった。
「お圭、どうしたのだ?」
「…………」
「おまえは何をかんがえて、あんな化物といっしょに逃げていったのだ?」
「…………」
「おれにはわからない。きゃつに魅入られたのだな。おまえにも、じぶんの心、じぶんの所業がよくわからぬのではないか?」
「…………」
「あれから何処《どこ》へいって、何をしていたのだ?」
「…………」
「これから何処へゆこうとしていたのだ?」
「…………」
何をきいても、お圭は答えない。意志があって沈黙しているというより、ただ彼女は茫《ぼう》としているように見えた。
しかも、なんというお圭の美しさだろう、むかしよりやや痩せたが、それだけに凄艶《せいえん》になって、まるで白蝶《はくちよう》の精のようだ。とはいえ、それは以前のお圭にまぎれもなかったが、ただ眼と唇は、よく見ていると別人のように思われて来た。黒々とした眼は夢みるようにうるみひかり、唇はじぶんの知らなかった凄《すさま》じいまでの淫猥《いんわい》さにうすくぬれている。
黙りこんで、しかも阿呆《あほう》みたいにじぶんをながめているお圭の顔を、しだいに隼人ははじめて見る女のように思い出し、はげしい肉欲にとらえられてきた。
「お圭、なぜそんな眼でおれを見る。おれを忘れたのか?」
「…………」
「おれだ。夫の隼人だ。昔のことを思い出してくれ」
「…………」
「なつかしいなあ、あの盛岡は。あのころの……春の桜山や、秋の北上川に立っていたおまえの姿がいま眼に甦るようだ。国を出るか、出ないか、まだ迷っているおれに、おまえの方から火をつけて――」
こうなると、誘惑を通りすぎて、泣きおとしだ。もともと女には自信のある隼人だったし、彼はじぶんの男としての魅力、熱情、智能のかぎりをかたむけて、曾《かつ》ての女房をくどき出した。
それでも、お圭は沈黙している。それよりも、夢みるように茫としている。
「ええい、こうまでいってもわからぬか。もはや――」
いきなり彼は、お圭にとびかかり、顔をねじむけ、その唇を吸った。すると――柔かいものが、彼の歯にふれた。唇をあけると、それは蛇のように彼の口の中に入ってきた。お圭の舌であった。それは彼の歯ぐきをチロチロと這《は》い、彼の舌にヒラヒラとからみついて、彼の脳髄をじんとしびれさせてしまった。
ふいに彼は忘我から醒《さ》めた。こんなことは、以前のお圭にはなかったことだ。あわてて顔をはなすと、お圭は例のうるんだ瞳《ひとみ》をひらき、なまめかしい舌の先をちょっぴりとのぞかせたまま、まだ茫としている。いまのは何かの反射機能のようであった。
――ええ、どうでもなれ!
隼人は、その媚情《びじよう》の靄《もや》におぼろなお圭の顔を見ているうち、さらに狂乱的な肉欲にかりたてられて、彼女を押したおし、そのもすそをかきひらいた。お圭はまったく無抵抗であった。
……ところが、お圭はばたりと両手両足を投げ出しているのに、隼人はそれ以上どうすることもできなかったのだ。彼女の門には先客があった。彼女の谷には何かが充填《じゆうてん》されていた!
「……ど、どうしたのだ。な、何だ、これは!」
「……塔九郎どのです」
仰むけに横たわったまま、お圭は白痴のような美しさを全身にけぶらせていった。
――しばし判断に苦しみ、ふいに隼人は名状しがたいうめきをもらした。彼は、あの若桜街道で枯葉塔九郎が見せた異様な動作と、そして足軽の「まこと、きゃつの男のものは失せております。それが、からだじゅうどこを探しても、どこにもござらぬ」という言葉を思い出したのだ。
同時に、お圭とひきはなされ、じぶんは牢に入れられながら、うす笑いを浮かべていた塔九郎の顔が眼に浮かんだ。
「き、きゃっ!」
絶叫して、筧隼人は立ちあがった。
立ちあがったとき、どこかで物音がきこえた。夜明けの空遠く、何か獣の集団のほえるような声と、地ひびきの音であった。
「お奉行《ぶぎよう》さま!」
あわただしい跫音《あしおと》をたてて、家来のひとりが走って来た。襖《ふすま》の外で息せき切っていう。
「どうやら百姓どもが一揆《いつき》を起したようでござりまする。数百人の百姓が、むしろ旗を立て、鍬鎌《くわかま》をもち、松明《たいまつ》をかかげてこちらにやってくるそうでござりまする!」
「よし、かねての手はずの通り、鉄砲組に出動を命じろ。まず百姓どもにはおれが逢《あ》う」
筧隼人は別人のように兇悪な表情になり、さらにいった。
「鉄砲組に用意をさせたら、牢《ろう》にいって、足軽どもにしかと護《まも》りをかためるようにいっておけ。なかんずく、あの枯葉塔九郎は逃すな、とな」
そして、例の奇怪な「貞操帯」を嵌《は》められて、さっきの姿のまま横たわっているお圭を、肉欲と憎悪の混合した眼でちらっと見て、彼はいそぎ足で出ていった。
七
――はい、拙者どもは仰せの通り、牢を――なかでもあの塔九郎という巡礼を入れてある牢を、しかとかためておりました。ところが、あの巡礼の女房が、庭の方からやってきたのでござります。
あの男の女房――とはいうものの、どうやら御奉行さまの以前の奥さま、とうかがっておりましたし、その方《かた》が来られても、どうしたらよいか、何の御采配《ごさいはい》もありませなんだし、ともかくも女だ、と思い、拙者どもは黙って見ておりました。
しかし、牢の前に来たあの女が、袖《そで》のかげから一本の小刀《しようとう》をとり出したのを見ては、拙者どももぎょっとなりました。あわてて、それをとりあげようと駈けつけますと、女がいうのでござります。
「御奉行さまのお申しつけです」
それが、あまりおちつきはらっているので、思わず手をひいて見まもっておりますと、女はその刀を格子《こうし》のあいだから中へ投げこんでしまいました。
むろん、あんな小刀などで、ちょっとやそっとで破られるような格子ではござりません。五寸もある丸太を組み合わせたものでござりますから。――それで、ひょっとしたら、御奉行さまとのお話し合いにより、巡礼に自害をするようにすすめに来たものではないか、と拙者どもはかんがえたわけでござります。
実際、そう思ったのがふしぎでないほど、女はおちついて、格子の前三尺にしずかに坐りました。と、暗い牢の中から、巡礼のきものがまるめて外に投げ出されました。
はて、こいつ、裸で自害をするつもりであろうかと、ながめておりますと――次に投げ出されたのは――なんと、一本の生腕だったのでござります。
それが血もみえず、まるで何か細工物のようにみえたので、みな傍《そば》に寄ってのぞきこもうとした足もとに、こんどは足が一本、さらにもう一本投げ出されました。
みな、わっといってとびのきましたが、次に首が――あの化物のような顔がニヤリと笑ってころがり出して来たときには、もう声をたてる者もありませなんだ。ヘナヘナと腰をぬかした者も三、四人ござります。腰をぬかさなんだ者も、からだじゅうがしびれたようになって、ただかっと眼をむいておるばかりでござりました。
あとに残ったのは、胴と一本の腕だけでござります。格子のあいだから、胴は出ませぬ。が、やがて出てきた材木のようなものは、そのときは何であるか見当もつきかねましたが、あとになってそれは胴を縦に斬ったものだとわかりました。
そのときまで、じっと坐っていた女は、しずかに立って、格子のあいだから両手をさし入れました。そしてひきずり出したのは、縦割りにしたあと半分の胴と、最後に刀をにぎった一本の腕だったのでござります。
まことにあれは化物でござります。いや、化物でもあのようなことはできません。あの男は、右手ににぎった刀でじぶんの左腕を、両足を断ち、首を斬り、首がなくなった胴を真桑瓜《まくわうり》みたいにふたつに分け、最後に刀をにぎった右腕さえ斬りはなしてしまったのでござりますから。
その光景は、牢の中が暗いので、拙者どもには見えませなんだが、そのバラバラになった首や胴や手足がまたつながってあの男に変るのは見ておりました。それをよせ集めて、組み立てたのは、あの女でござります。
首と胴と手足だけではござりません。やがて人間のかたちをして地面の上に大の字になった男の上に、あの女は裾《すそ》をひらいて馬乗りになりましたが、ユラユラと十度ばかり腰を前後にうごかすと、あの男のからだには、きのう若桜街道で見えなくなっていたものまでちゃんともと通りにもどっていたのでござります。
あの男は、立ちあがり、白衣を着ました。このあいだふたりは、なんの言葉ももらしませなんだ。ただ、ふたり手に手をとって庭を出てゆきながら、いちどふりかえってにっと笑い、こういった声がきこえただけでござります。
「あ、は、は、は、うれし愉《たの》しの」
「同行二人旅」
筧隼人が、牢番の足軽たちが唇をわななかせながら、こもごも語ったこの報告をきいたとき、彼は相対峙《あいたいじ》した百姓たちと一触即発のときにあった。
数百人の百姓たちは、郡代屋敷の前におしかけていた。その中から出てきた三人の庄屋《しようや》が必死の形相《ぎようそう》でつきつけた年貢緩和の要求を、門の下に出させた牀几《しようぎ》に腰をかけた隼人は黙ってきいていた。
はじめ騒然とどよめいていた百姓たちも、しだいに沼のように静まりかえった。それは郡代屋敷の門から両側の土塀にかけて、その屋根の上からのぞいた無数の鉄砲に威圧されたのと、それより、黙ってきいている郡代の顔の何とも形容しがたい殺気に圧倒されたのである。
「申すことはそれだけか」
庄屋たちの要求をききおえた隼人はいった。
「すべて、不承知だ」
そして立ちあがり、うしろの鉄砲組の方をふりむいたとき――牢から足軽たちが駈けつけて来たのであった。
報告をきくや、いままで銅像のように見えた筧隼人の全身に錯乱が起った。
「馬ひけ!」
絶叫すると、眼前の庄屋のうちの一人をいきなり袈裟《けさ》がけに斬《き》ったのである。そして百姓たちの中へ駈けこみながら、うしろをふりかえってまたさけんだ。
「馬だ! 馬をもって追ってこい! それから、足軽ども、みなついてこい。枯葉塔九郎を追うのだ!」
庄屋の一人を斬られたというより、その狂乱したような姿の物凄《ものすご》さに胆《きも》をおしひしがれて、百姓たちがどっとひらいた路を、白刃をひっさげた隼人はひた走った。
郡代屋敷の一団は、馬に鞭《むち》うって西へ駈けていった。背後の屋敷から、やがて炎があがった。
夜は明けていた。夜は明けたが、そのために風光はなお荒涼|凄惨《せいさん》の相貌《そうぼう》をあきらかにした。路は急速に高くのぼってゆく。ここらあたりからも先刻押しかけた百姓どもは来ているはずだが、それがふしぎなほど、人煙を絶するといっていい地帯である。馬はすでに乗りつぶした。いや、もう馬も通わぬ荒れはてた山道であった。
馬を捨て、隼人はまろぶように走った。最初のうち息を切らせ切らせついてきた足軽たちは、そのうち見えなくなった。はじめあちこちと灌木《かんぼく》や岩のかげに凍っていた残雪はしだいに一帯にひろがり、隼人のくるぶしから膝《ひざ》を没しはじめた。
それでも彼は、魔にとり憑《つ》かれたように這いのぼってゆく。
しかし――ついに彼がゆくての氷《ひよう》ノ山《せん》の峠を見あげたとき、蒼白い氷の漣《さざなみ》のような雲の下に、二つの白い影がうれしげに羽ばたきしながら、もつれあって飄《ひよう》 々《ひよう》と消えてゆくのを見たばかりであった。
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忍者 帷子万助《かたびらまんすけ》
一
初夏の日ざしの下を、縦横《たてよこ》一尺、高さ二尺あまりの木箱をさげて、裃《かみしも》をつけた室賀人参斎《むろがにんじんさい》先生が通る。
ヒョロリとやせて、どじょうひげを生やした老人が、三日に一度くらい、そんな箱をぶらさげて城にゆき、城からかえってくるのは、もう五年来、町の人々にはおなじみである。
老人がそんな箱をぶらさげて歩いているので、はじめは町の人びとが駈《か》けよって、
「先生、お持ちいたしましょうか」
と、箱に手をかけようとしたが、
「これ、触れてはならん! 要らざることをすな!」
と老人がどじょうひげをふるわせて怒ったのをなんどか体験してからは、だれもこんなお節介をやめてしまった。
しかし、人びとの尊敬の眼は変らない。人参斎先生が非常な博物学者で、その漆《うるし》のはげた汚ならしい箱に、貴重な鉱石や本草《ほんぞう》がいっぱいつまっていることを知っているからである。
一方は海だが、あと三方は高い山にかこまれたこの小藩に、室賀人参斎先生は、ひとりの娘とひとりの弟子をつれて、五年前にやってきた。どこからきたのか、だれもよく知らない。この年になるまで、玉石、草木、禽獣《きんじゆう》、昆虫などを求めて日本じゅうを放浪していたらしく、恐ろしく諸国のことをよく知っている。
この土地にやってきてからまもなく、彼は当時非常に貴重なものとされていた朝鮮人参を栽培して、たちまち藩から扶持《ふち》を受けるようになった。ちょうど諸侯が殖産の道を講ずる一途として、争って物産学を奨励している時代であった。
名目は一応お抱えの医者ということになっており、事実医者の心得も多少はあるらしいが、人の脈をみたことはいちどもなく、娘と弟子をつれて山野を跋渉《ばつしよう》し、本草を採取してきて、研究したり分類したりした結果、三日にいちどくらい登城して、殿さまや家老たちに、これをいかに殖産に役立てるかについて進言する。それもあらたまって進講するというのではなく、庭で殿さまをつかまえたり、廊下で家老に訥々《とつとつ》と唾《つば》をかけて説いたりする変人ぶりなのだが、大学者であるのはたしからしいので、先生の自由人ぶりは、天下御免といってよかった。
室賀人参斎先生は、飄《ひよう》 々《ひよう》として家にかえった。
「おかえりあそばせ」
と、娘の三登利《みどり》が両手をつかえた。
町の人々がふしぎがるのは、先生の学識や奇行ではなく、この仙人《せんにん》じみた老人に、どうしてこれほどきれいな娘が生まれたか、ということであった。もっとも五年前、この国にやってきたときは、よく日にやけて野の匂《にお》いのする十四、五の少女にすぎなかったのだが、この二、三年来、みるみる優雅な美人に変貌《へんぼう》してきたのである。
三登利は、式台に置かれた本草箱にいそいそと手をかけて、運ぼうとした。さすがに先生は娘は叱《しか》らなかったが、箱はビクリともうごかなかった。
「きょうは万助《まんすけ》が入っておるで」
と、先生はニコリともせずにいった。
それから、じぶんでその箱をぶらさげて、中に入っていった。三登利の力ではもちあがらなかった箱は、老人のやせた腕にかかると、いかにも枯れた木の根ッこか、昆虫の剥製《はくせい》でも入っているかのように軽がるとみえた。
人参斎は、蔵に入った。蔵の中の四周の壁には天井まで棚が作られて、蔭干《かげぼ》しにした薬草や鉱石やものの種子《たね》や動物の骨や貝殻などがギッシリとならべられている。
先生は木箱を蔵のまんなかに置くと、
「水を」
と、いった。
うしろについてきた三登利は、すでに水をいっぱいにたたえた手桶《ておけ》をそばに置いている。人参斎は箱の上のふたをとると、三登利から漏斗《じようご》を受けとって水を盛り、箱の中へさし入れた。
すると、箱の中で異様な水音が起った。たんに水が滴《したた》るひびきではない。たしかに生物がこくこくと飲むような音だ。
「よし」
はじめて先生は、箱の中のものを両手に抱いて外に出した。
薄明りの床に横たわったものは、一見したところでは生まれたばかりの赤ん坊かともみえた。が、よく見ると、顔は干しかためた果物のようで、体躯《からだ》はまるで木乃伊《ミイラ》みたいにもみえる。しかも、手足が異様にひんまげられ、からみあい、全身をしばっている紐《ひも》のようだ。――その顔らしい部分の中央に、人参斎はなお漏斗《じようご》をつっこんで、あとからあとから水を盛る。
えたいの知れないものは、いまやハッキリと人のかたちをとっていた。よじれた手足ははじけるように正常の位置にもどり、ひからびた肌はふくらんで生色をとりもどし、そして顔は――赤ん坊ではなく、美しい青年の顔をかたちづくりはじめていた。
四、五歳の幼児ほどの大きさにもどったとき、彼ははね起きた。そして、みずから手桶に顔をつっこんで、なお渇ききった人間のように水をむさぼり飲んだ。みるみるその背丈《せたけ》が少年くらいにのびてゆく。
三登利は顔をそむけた。最初のえたいの知れない怪物とみえたときは、しっかとのぞいた眼をそらしもしなかったのに。それがはだかの少年のかたちをとってゆくときに、彼女はいつも頬《ほお》をあからめて、眼をそらさずにはいられない。
「三登利」
と、人参斎が呼んだ。
「もう一杯、万助に水を」
三登利が空《から》になった手桶をかかえて走り出し、それに水をみたしてまた蔵に入っていったとき、弟子の帷子《かたびら》万助はもうちゃんと衣服をつけて、父の前に坐っていた。なお憔悴《しようすい》しきって、病みあがりのような顔をして、彼はものもいわず新しい水をのんだ。
やがて、その頬に血の色がさし、全身に常人でない精気があふれてきた。眼光するどい二十二、三の美青年である。
「御苦労」
と、室賀人参斎はいった。
「伊賀忍法枯葉だたみ――これをやるたびに、おまえの寿命は一年ずつちぢんでゆく。御用のためとはいえ、繰り返してやるべきことではない。――また大体御用の向きは調べあげた。そろそろ、ここを退散してもよかろう」
微笑して、娘をふりかえった。
「万助、江戸へかえったら、たしかに三登利と祝言《しゆうげん》させてやるぞ」
「それ承って、せくわけではござりませぬが」
と、帷子万助はややあからめた頬から、すぐに血をひいてきびしい表情になり、
「いかにも、一日も早く当領をぬけ出した方がよろしいようでござる」
「何、城で何かきいたか。このごろ木曾守《きそのかみ》がふっと衆人のまえに姿をみせぬようになった。わしも逢《あ》えぬ。ただ家老の可児隼人正《かにはやとのしよう》のみが、ただならぬ顔色で奥へ通うのをくさいと見て、またおまえに忍んでもらったのじゃが」
「例の青銅の花瓶《かびん》の中よりきいた立ち話、どうやら隼人正子飼いの剣士、関兵三郎《せきへいざぶろう》と小出源之進《こいでげんのしん》と申す男らしゅうござったが、その立ち話によれば、もとよりしかとわれわれが公儀の隠密《おんみつ》だとは知らぬものの、当藩にたしかに隠密が入りこんで、朝鮮との抜き荷の事実を探っておることを、ようやくかぎつけたようでござる」
二
戸祭藩の国家老《くにがろう》可児隼人正が、室賀人参斎|父娘《おやこ》を屋敷に呼んだのは、その翌日であった。使者に立ったのは、戸祭藩きっての使い手といわれる関兵三郎と小出源之進である。
「いや、あなた方だけではない。ほかにも、ぜんぶ合わせて十組、藩士で年ごろの娘御《むすめご》をもたれておる方を、御一緒にお呼びいたしてござる」
「ほ、娘とともに?……いかなる御用かな」
「それは拙者どもにもわからぬことです。御家老の仰せには、お招きした方々の御協力をいそぎお願いいたしたいことがあるとのことで……仔細《しさい》は知れませぬが、わるいお話ではないようです」
この両人の話をあたまから信じたわけではない。またこの両剣士を恐れたわけではないが、うしろめたいところがあるだけに、かえって断れなかった。また拒否すべき口実がない。……ほかの父娘《おやこ》の顔ぶれをきいたが、別に不審と思われる点はない。
「……もし、おれたちの正体を存じておるならば、おれたちだけを呼べばすむことよ」
使者が去ったあと、小くびをひねって思案していた人参斎はやがていった。
「いまあわてて逃げることは、われと尻《し》っ尾《ぽ》を出すようなものじゃ。おれはな、万助、敵はまだおれたちを何者か、しかとつかんではおらぬと見るぞ」
――そして彼は、不安げな眼で見送る帷子万助をのこし、三登利とともに可児隼人正の屋敷に出かけていった。
広い書院に通された。なるほどほかに九組、父親と娘たちが呼ばれて、おちつかない顔で待っていた。禄高《ろくだか》や職分はまちまちだが、ここにきてはじめて或《あ》る共通点に気がついたことがある。それは同伴した娘たちが、いずれも人目をそばだたしめるに充分な美女ばかりだということだ。書院には花粉の匂いがみちみちているようであった。
――はてな?
国家老の可児隼人正が出てきた。両側に関兵三郎と小出源之進がピタリと坐る。
可児隼人正は、ノッペリと長い顔に眼がギョロリと大きく、やや出ッ歯だが、剃刀《かみそり》のような才気が満面にあらわれている。戸祭藩には過ぎたるものといわれた才物である。
彼は、わざわざ一同を呼びたてたわびをいい、それから突如として、おどろくべきことをいい出した。
「わが戸祭藩に奉公する者として、これより申しあげる大事は決して口外なさらぬことをお誓い下されたい。……殿にはあと半年、ながくて一年しかお命がない」
みな、愕然《がくぜん》としてとび出すようになった眼を、沈痛な表情に受けて、
「このごろ殿には、いたく御飲食のお好みが変られ、ときにおん腹痛を訴えあそばす。そこで医師一同を以《もつ》てお診《み》たて申しあげたるところ、いわゆる亀腹《かめばら》の御前兆にて、おん腹裏《ふくり》にかたいシコリ生じ、おん腫物《はれもの》ができておるとのことじゃ。無念ながらこれを癒《なお》す法はいまのところなく、おいたわしや、おん寿命は、ただいま申したようにあと半年か一年をあますのみ――というのが、医師一同の一致した意見であった」
書院には蒼白《そうはく》な沈黙が凍りついたようであった。
「ただし、きょう明日《あす》というのではない。殿には目下お臥《ふ》しなされておるが、これは当方より強《た》っておねがい申しあげたことで、まずまず御健勝であらせられる。――そこで、本日、御一同をお呼びいたしたというのは」
隼人正は暗い眼で見まわした。
「御承知のごとく、殿には御世子《おんせいし》がおわさぬ。江戸の御屋敷、またこの国表に、奥方さまをはじめ七、八人のお手付きの女中衆はござるが、いかにしたことか、いままで御嫡子が御誕生なされたことがない。殿にはいまだ御壮年でおわすから、われわれもさほど気には病んでおらなんだのじゃが、さて、その殿があと一年半年の御余命ということになると、事態はまったく一変する。いうまでもなく、御男子なき場合は、領地は召しあげ、家はおとりつぶしとなるのが御定法《ごじようほう》だ」
いまさら気がついたように、一同のあいだには風のような動揺が起った。
「おわかりだろう。われわれはことごとく御扶持をはなれ、浪人となるほかはない。いや、われわれ家来はどうなろうとともあれ、御先祖以来の名家戸祭藩に万一のことがあれば、腹かっさばいても追いつかぬ。これをふせぐ道はただひとつ――御世子を作ることじゃ。たとえ御遺腹でもよい。殿御存生のうち、どうあっても御嫡子をお作り申しあげねばならぬ」
可児隼人正は、荘重に、断乎《だんこ》たる口調でいった。
「しかし、現在おわす奥方さま、またお手付きの女中衆には、もはやお望み申しあげることはできぬ。そのような時の余裕がないのだ。見込みのない痩《や》せ畑をあてにして、煙草《たばこ》をのんで芽の出るのを待つより、種を新しい畑にまいた方が見込みがあるというもの。――」
「わかってござる。御家老、相わかってござります」
二、三人、さけんで、娘の手をひいてまろび出したものがある。
「こ、この娘を、どうぞお役にたてて下され」
「いや、出世の欲で申すでない。一国の存立、一藩の運命のわかれるところ――拙者の娘を畑にお使い下されて異存はない」
隼人正はあたまをさげた。
「かたじけない。臣子として実にさもあるべきところ。――実はきょうお招きいたした娘御は、すべて殿と拙者が一夜つらつらと思案してえらび出した方々じゃ。どこで見ておわしたか、殿もこの娘たちならばと意気ごんでおいであそばす。たとえ一年の寿命を半年としても、半年の寿命を三月《みつき》としても、必死の覚悟で戸祭家のあとを残す覚悟と申される。みな、えらばれたことを光栄と思い、殿の御決意に感涙をおながしなされ」
それから顔をあげて、厳粛で苛烈《かれつ》な眼を一同になげた。
「御一同、御承引下されような?」
またがばがばと二、三組が這《は》い出した。
「ありがとうござる。よろこんで――」
二、三組ためらっている群があった。隼人正はジロリとその方を見やった。
「そちらは御不服か」
「いや、重々ごもっともな仰せではござるが、実は」
と、その中で口ごもりながらいった父親がある。
「この娘には、すでに花婿となるべき男がきまっておって、結納までとり交わしており――」
「お家が断絶して、結納も祝言もござるまい」
と、隼人正はニベもなくいった。
「なお、ここまでいった以上、あえて申しあげておくことがある。殿のおん胤《たね》をのこす、これは絶対の至上命令だ。したがって、そのことが成るように、われわれはできるかぎりの手だてを講ずる必要がある。それには、五人の女よりも七人の女、七人の女よりも十人の女をお伽《とぎ》に侍《はべ》らせた方がたしかなことは自明の理じゃ。承引した女性《によしよう》におん胤がつかず、不承の女人《によにん》にその見込みがあるということもあり得るではないか。ハッキリ申せば、きょうお呼びした方々に、辞退は御無用、失礼だが、無条件で承諾していただくよりほかはないのじゃ」
「仰せ、かしこまってござる」
残った組はあわてていざり出した。
ただ一組、じっと隅からうごかない組がある。室賀人参斎|父娘《おやこ》であった。
「室賀先生」
人参斎は顔をあげた。飄《ひよう》 々《ひよう》としてどじょうひげをかきなでたが、顔色がすこし悪かった。
「いや、お話はよくわかった。ただ、拙者のところはな、いずれさまとちがって、もともと当家譜代の家来でなし、その娘に殿のおん胤を残されるのは、御当家にとってかえってはばかりがあると思うが――」
「殿のおん胤にまちがいなければ、それでよろしい。腹は借り物と申す。御遠慮は要らざることだ」
「そ、それが――」
人参斎は口をパクパクさせて、苦しげにいった。
「左様にまで申されるなら、恥をしのんでも白状するよりほかはないが、実はこの娘、現在ただいま孕《はら》んでおる」
「なに?」
一同はふりむいた。二十いくつかの眼が、うつむいている三登利のからだにそそがれたのは是非もない。
「いや、わかるまい。まだ、左様、五月《いつつき》でござるから――身籠《みごも》った女が人の目に立つのは、ようやく七月《ななつき》くらいなもの。――相手は拙者の弟子でござる。先日はじめて娘からしおしおと打ちあけられて驚愕《きようがく》いたしたばかり、いちじは淫奔者《いたずらもの》と立腹いたしたものの、事ここに及んでは是非がない。きょう明日にも祝言させようと存じておったところで――」
人参斎はひたいに汗をうかべ、しどろもどろにいった。
「すでに身籠っておる女に、もはやお胤はつかぬ。ありがたい仰せではあるが、この際御辞退いたすよりほかはない。……残念でござる」
「相わかった」
と、隼人正はうなずいたが、すぐに厳然としていった。
「それでは、そちらの娘御はのぞく。ただし、このまま当家に残られて、やや[#「やや」に傍点]は当家で生んでいただこう」
「何と申される。なぜ、左様なことを」
「いまもいった通り、殿のおん死病のことは戸祭藩の大秘事じゃ、その噂《うわさ》がひろがればさまざまな混乱の起るは充分想像されるところ。しかも、すでにこれだけの方々に打ちあけた以上、それが外にもれぬという保証はない。……そのために、娘御は、ありていにいえば、まず人質というところじゃ」
「いや、拙者は誓って――」
どじょうひげをふるわせて、たたみの上を蠕動《ぜんどう》しようとする人参斎を、じっと隼人正は見つめた。深沈たる眼であった。屈せず、必死に人参斎はいった。
「拙者はひとつ安産の法を考案しておる。試み通りにゆけば安産となるが、まかりちがうと心もとない点がござる。それをひとつ娘で験《ため》してみたいと思っておったのじゃ。心配ないとなったら、御大切な御世子誕生の際にも、弓矢|八幡《はちまん》お役に立とうというもの――」
「よろしい。娘御がもしまことに御懐妊なされておることが分明とならばお返ししよう」
と、隼大正は人参斎の血相に、ついに手をあげていった。
「そのことが分明となるまで、やはり当家に残っていただこう」
そして、冷やかな眼でチラと両剣士をかえりみた。
「しかし、もしそのことがいつわりにて、いまの言葉が逃口上であることがわかれば……人参斎どの、ふびんながら、他へのいましめ、殿へのおわび、その娘御のいのちはいただくぞ」
三
三か月のちであった。
室賀人参斎の土蔵では、人参斎と弟子の万助が悄然《しようぜん》として坐っていた。ふたりとも別人のように憔悴《しようすい》している。
「……やはり、だめか?」
「拙者はともかく、三登利さまを外へ出すことは金輪際《こんりんざい》かないませぬ。格子の外にはたえず、あの関兵三郎と小出源之進が眼をひからせております。……のぞきこんで、ふむ、もはやだいぶ目立ってよいころのはず、などと申しておる声がきこえて参りました」
帷子万助は、いま可児屋敷から忍び出て、かえってきたところであった。三登利は待遇こそ悪くはないが、ていのいい座敷牢《ざしきろう》に入れられているというのだ。
戸祭木曾守が、九分九厘まで腹部|腫瘍《しゆよう》などでないことはすでにわかっていた。あの娘献上のたくらみは、彼の荒淫《こういん》の口実であろうが、しかし世子の欲しいことは事実だろう。――いや、目的がそれだけならいいが、人参斎と万助の憂えることはべつにあった。それは、あれが隠密縛りの絶妙の手ではないかということだ。
戸祭藩に隠密が入って、禁制の抜き荷をやっていることをつきとめたことを、いかにしてか木曾守と隼人正はかぎつけたらしい。しかし、その隠密がだれかという証拠を、まだハッキリつかんではいないようだ。そこであの手を打ったのではないか。
かんがえてみると、その日召喚された面々のなかには、ここ四、五年来新参の者が、人参斎以外にも二、三ある。隼人正が疑っているとすれば、その中にいる奴《やつ》だ。しかし、その中のだれか、まだ明白ではないらしい。そこで、それらをひっくるめて娘献上の提案となった。――
もし隠密の――戸祭藩の死命を制する隠密の娘が、藩主の世子を生んだなら――これにまさる皮肉で深刻で有効な箝口《かんこう》の手段はまたとあるまい。
「娘をつれて入国したのは、敵をあざむく計であったが、それがかようなあとのたたりとなろうとは思わなんだ。敵も、さるものじゃ」
と、人参斎はうめいた。
「隼人正のたくらみを、何とかしてはねのけようと、疑われるを承知で苦肉の策を用いたが、ついに逆手をとられたな」
彼は惨澹《さんたん》たる眼で弟子を見つめた。
「もとより、あれも公儀隠密の娘だ。死ぬは覚悟であろう。……ただ、これほど苦労してくれたおまえに、娘をやれぬのが心残りじゃ」
「三登利さまは死ぬお覚悟ではござりませぬ」
帷子万助は蒼白《そうはく》な顔で、歯ぎしりをしていった。
「何、何かあったか」
「たとえば――身籠っておられぬ証拠に、月水《げつすい》のことがござる。さすがは隠密の娘御、それを、関、小出その他に気づかれぬよう、みごとに処置しておいでなさる。つまり、あくまでも身籠っておるようにつくろっておいでなさる。それは――私たちを信じ、かならず私たちがお助けにゆくことを信じていなさるからのこと」
「……万助、わしが家老に苦しまぎれにいった勘定では、そろそろ三登利は生まねばならぬころとなるな」
絶体絶命の破目に追いこまれて、さしもの室賀人参斎も苦悶《くもん》のうめきをもらした。
帷子万助はすっくと立ちあがった。
「いかなることをしても、三登利さまだけはお助け申さねばなりませぬ」
憑《つ》きものがしたような顔つきで仁王《におう》立ちになり、暗い宙を凝然と見つめて、
「私だけなら、闇《やみ》にまぎれて座敷牢に忍び入ることはできないでもござりませぬが。……」
そういったとき、その眼、鼻、口、耳、その他全身の穴という穴から、タラタラと液体がながれはじめた。九穴ばかりではない。肌の毛穴という毛穴からも、汗というにはあまりにもおびただしい液体がにじみ出して、床におち、ながれひろがってゆく。
頭蓋《ずがい》のかたちが変って、顔がながくなった。胸廓《きようかく》も変形して、躯幹《くかん》がほそくなった。足がグニャグニャと溶けたように全身が沈んで、腕は紐《ひも》のごとくそのからだに巻きついてゆく。
内臓の七〇%は水である。骨の二〇%は水である。歯ですら五%は水である。要するに人間の六三%は水なのである。彼はそのあらゆる水分を瀉泄《しやせつ》し、排泄しつくして枯葉のような物質に変化した。
頭部が変形したのは、頭蓋骨を構成する矢状縫合《しじようほうごう》、冠状縫合、三角縫合などの組み合せが重なったためであった。胸廓が変形したのは、十二|対《つい》の肋骨《ろつこつ》が下方にしごかれて傘《かさ》のごとく折りたたまれたせいであった。手足が飴《あめ》のように柔かくまるまってしまったのは、あらゆる骨を軟骨に変えたゆえであった。もとより体腔《たいこう》に空気はない。
そして帷子万助は、きものの下に小さな一塊のかたまりとなってしまった。
この幻怪のわざを以て、彼はいままで城中の花瓶や櫃《ひつ》や箱や、その他常人の想像を絶した空間にひそんで、戸祭藩の秘密をさぐってきたのである。
忍法「枯葉だたみ」――
四
それからまた一ト月ばかりたった。
その早朝、室賀人参斎先生が、可児隼人正の屋敷にやってきた。昨夜の夢に、娘がきょう子供を生むという知らせがあった。例の工夫をためしてみたいゆえ、是非ひきとらせていただきたい、というのである。
可児隼人正は不審な表情をした。どうみても、人参斎の娘は妊娠していない。案の定――と思い、内々、これからの処置をかんがえていたところだったのだ。ケロリとした人参斎の様子に、隼人正の顔に動揺があらわれ、彼は人参斎をつれて座敷牢へかけつけた。
関兵三郎と小出源之進は厳然として格子の外に坐っていた。
「開けい」
と、隼人正はいった。格子はひらかれた。
三登利は両腕をついてからだを支えているので、その顔はみえなかった。が、髪はかすかにみだれ、肩で息をして、いかにも重く、切なげな姿であった。
「身籠《みごも》っておると?」
隼人正のつぶやきに、唖然《あぜん》として両剣士がふりかえったとき、室賀人参斎が叱咤《しつた》した。
「三登利、きものをとって、御家老にみせよ」
坐ったままの娘のからだから、しずかに帯がとけ、きものがずりおちていった。
そして彼女は恥じらいながら、一糸まとわぬ姿でヨロヨロと起《た》った。
男たちは臨月の女の全裸の姿をはじめて見た。
「…………」
事の意外というより、その裸形《らぎよう》の奇怪な凄艶《せいえん》さに、隼人正たちは茫乎《ぼうこ》として見とれて、声もなかった。
国境の峠に穂すすきがなびいていた。穂すすきの中に水の音がきこえるのは、ここを越えてゆく旅人のすべてをよろこばせる泉であった。
その泉のほとりで、さっきから、だれかが水をのむ音がする。まるで馬に水をやっているのではないかと思われるほど、ながいながい水をのむ音であった。
やがて穂すすきのなかから、三つの影が立った。旅姿の室賀人参斎と三登利と帷子万助であった。
「辛《つら》かろうが、万助」
と、人参斎はいった。
「一刻もはやく戸祭藩から離れねばならぬ。御用は果たした。あとは江戸へいって、御老中《ごろうじゆう》に復命ののちは、おまえと三登利を祝言させるだけじゃ。それを愉《たの》しみに、元気を出してくれい」
「先生、私はここでお別れいたします」
と、万助はうなだれていった。
「何、何と申した」
人参斎は愕然《がくぜん》としてさけんだ。三登利のあからんでいた頬からすうと血の気がひいて、黒い眼ははりさけるほど見ひらかれた。
「ここで別れると――何を申す。おまえは三登利を捨てる気か」
「私は三登利さまから生まれました。……私は三登利さまの子供でござります。……その私が三登利さまと祝言することは、子と母が祝言するにひとしき破倫。……忍法修行のためにはいかなる苦行をも耐えぬいた拙者ではござるが、いかにかんがえても、この大破倫にはたえきれませぬ」
万助はうなだれたままつぶやいた。――人参斎と三登利|父娘《おやこ》は吐胸《とむね》をつかれたようにだまりこみ、立ちすくんでいるだけだ。
「では、お別れいたします。おさらば」
帷子万助はおじぎをして、蹌踉《そうろう》とすすきの中を――別の道をあるき出した。
彼はいちども三登利の顔を見ようとはしなかった。恋する三登利をみごとに救い出しながら、ここで彼が訣別《けつべつ》の辞をのべたのは、ほんとうにそんな道徳的な理由からであったのか、それとも、神も照覧、絶体絶命やむをえぬこととはいいながら、女体の深淵《しんえん》に没してきた男の恐怖からであったのか、それはだれにもわからない。
[#改ページ]
忍者 野晒《のざらし》銀四郎
一
五年ぶりに伊賀の鍔隠《つばがく》れ谷から三雲藩《みくもはん》に帰ってきた野晒銀四郎《のざらしぎんしろう》は、まるで龍宮《りゆうぐう》から戻った浦島《うらしま》のようにおどろくことがうんとあった。
第一に、留守中に、父が死んでいたのみならず、野晒一族の重だった者がすべて国をひきはらって江戸詰となっていたことである。第二に、じぶんを伊賀にやってくれた側用人《そばようにん》の酒井内蔵《さかいくら》が江戸家老《えどがろう》となって、これもまた江戸へいっていたことである。
第三に、これは彼にいちばん衝撃をあたえたことだが、彼の家の隣に住んでいた少女のおゆうが、なんと主君|秩父守《ちちぶのかみ》の側妾《そばめ》となり、これまたむろん江戸の下屋敷にいると知ったことであった。
知り合いは、みんな江戸にいっている。そこで彼も、許しを得て江戸に旅立った。
東海道を下るとき、彼はほんの先月までじぶんが暮していた伊賀にちかい街道を通る機会があった。十八歳からことし二十三歳まで、まる五年の青春を削った山河だ。その生々しい記憶は、なつかしいとも恐ろしいとも、まだ混沌《こんとん》としているが、しかしただそれだけで、銀四郎はあまり強烈な感慨なくして通りすぎた。このころには、一族のことや、一族の庇護《ひご》者の酒井内蔵のことも忘れて、ただおゆうのことだけが念頭にあった。
下級の家とはいえ、武家は武家だ。はしたない色恋|沙汰《ざた》はゆるされず、また恋という意識もなかったが、好きな少女であった。
伊賀の山の中でも、あれはふしぎな女の子だと、よく思い出した。足軽の娘で、身なりはまずしげなのに、まるで大家《たいけ》の息女《そくじよ》みたいに口数が少なく、鷹揚《おうよう》な気品があった。顔が蝋《ろう》のように白く、瞳《ひとみ》の色が湖のように青味がかっている。そして髪の毛のところどころに細い束《たば》を作って金色の毛がまじっているのだ。おゆうの母は、おゆうを生んですぐ亡《な》くなったそうだから、銀四郎は知らない。そのころ、ひとりの異国の伴天連《ばてれん》が三雲藩の領内に潜伏していて見つかり、処刑された事件があったというが、ひょっとしたら、彼女の死んだ母は、その邪宗門の魔性《ましよう》の気を移されたものではあるまいか、銀四郎はふっとそんなことをかんがえたこともあったが、誰《だれ》も何もいわなかったし、彼もきいたことはなかった。おゆうのことを神秘的に思い出したのは、彼女と別れたあとのことで、別れるまではお城の門番の倅《せがれ》と足軽の娘との、貧しい、平凡な語らいにすぎなかった。
そのおゆうが、いま殿さまのお側妾となって、いっしょに江戸にいるという。二年前――つまり、じぶんが伊賀にいってから三年後のことで、お手付《てつき》となるまえ、城の奥に女中としてあげたのは、御用人の酒井内蔵であったという。しかも、おゆうの方さまは去年、御男子をお生みなされて、いまは、いわゆるお部屋さまであるという。――
そうきいても、銀四郎はいまのおゆうの顔や姿を想像することもできない。あのおゆうさんが――と、ただおどろくだけだ。
しかし、江戸にちかづくに従って、それまで飛ぶような――実に、往来の人々があっと眼をまるくしてふりかえるほどの速力で、しかもじぶんではそのことを意識しない銀四郎の足がしだいに遅くなってきた。なぜともしらず彼は体内に鉛が満ちてくるような気がした。
江戸の本邸に顔を出すと、野晒一族は下屋敷の方に住んでいるという。べつに殿さまに御挨拶《ごあいさつ》にまかり出るような身分ではない。銀四郎はすぐに下屋敷に廻った。そして彼はそこで、予想もしなかった場面に逢《あ》うことになったのである。
下屋敷で彼を迎えたのは、江戸家老の酒井内蔵であった。五年みなかったあいだに、三雲藩きっての才物といわれたそのひとも、見ちがえるほどの貫禄《かんろく》を身につけていた。
「おお、大人《おとな》になりおった。しかも、銀四郎といわれても、よくよく見すえねば、わからぬほどのたくましい男になりおったな」
と、向うでもいった。実際、銀四郎は、国でも誰もがしばらく信じなかったほど、どこか凄惨《せいさん》の気をたたえた外貌《がいぼう》に変っていたのである。それは伊賀の山中での荒修行からきたものであった。
「伊賀では、どんなことをした」
内蔵はきいた。銀四郎はありきたりの返答しかしなかった。伊賀で修行した忍法の詳細は、タブーになっていて、容易に口外すべからざるものであったからだ。
この下屋敷におゆうが――おゆうのお方さまがいる、ということを意識しながら、銀四郎はべつのことをきいた。
「野晒のものどもは、どこにおりましょうか」
「おお、そういえば、おまえの父は死んだな。生きておれば、いまのたくましいおまえを見て、どのように、よろこんだであろう。おまえを伊賀にやったばかりに、親の死目《しにめ》に逢《あ》わせなんだな。きのどくなことをした」
と、内蔵はわびて、
「ほかの面々は、息災《そくさい》で奉公しておる。きょうはちょうどみな他出しておるが」
と、いいかけたとき、侍のひとりがあわただしく駆けこんで来て、何か耳うちした。たっぷりした肉づきの酒井内蔵の顔が、ただならぬ愕然《がくぜん》たるものを見せて、
「いそぎ、みなこれへ」
と、夕ぐれの庭をあごでさした。
すぐにその庭に入ってきたのは七、八人の虚無僧《こむそう》であった。思い思いに天蓋《てんがい》をぬいだその顔をみて、銀四郎はのどの奥でおどろきの声を発した。それは野晒一族であった。
しかし彼らは銀四郎の存在に眼をとめる余裕もない風で、
「まことに、御家老さま、思わざる失態をし――」
といっせいにがばと両腕を地についた。
「ひとり斬《き》られたと?」
と内蔵はするどい声でいった。
「天蔵《てんぞう》め、ひとりを斬って、定廻《じようまわ》り同心《どうしん》に捕えられたと?」
「されば、むこうより定廻りの同心がくるのを見るや、天蔵はいきなり駆け戻って、追跡中のわれらの一人を斬り、身をひるがえして同心のまえにひれ伏してござる。同心が、こちらを見るよりはやく、われらはいっさんに逃げかえって参りましたが」
「町奉行《まちぶぎよう》は、大岡越前《おおおかえちぜん》じゃな」
酒井内蔵の声は、うめくように沈痛であった。
「天蔵め、ついに進退|窮《きわ》まってみずから猟師のふところに入ったか。……きゃつが大岡越前の手に入ったとすれば、事は容易ならぬ」
この江戸家老の顔は、先刻までとは別人のような冷酷なものに一変していた。
「越前はただの町奉行ではない。上様《うえさま》のふところ刀といわれるほどのおひと、若《も》し、天蔵の自白により、表立って当家に糾問《きゆうもん》があったとき――うぬらがおると面倒なことになるな」
庭の虚無僧は、闇《やみ》のただよいはじめた土に顔をつけたままだ。肩が波のようにゆれている。
江戸家老、酒井内蔵は錐《きり》をねじこむようにいった。
「野晒といえば、うぬらごとき未熟の子孫を持ったとはいえ、もともと忍びの一族ときく。忍者は、かような場合にどういたすな?」
庭に異様な沈黙が凝《こ》った。――そして、銀四郎がふいに立ちあがるよりはやく、そこにいた虚無僧すべて、彼の同族は、彼と一言の再会の辞をのべることもなく、いっせいに刀をぬいて、おのれの腹に刺しこんでいたのである。
二
戦国の世には、どんな大名の家にも忍びの者がかかえられていた。たんに敵国の偵察、流言、放火の役に立てるのみならず、ふたつの強大国にあって、そのあいだに生存をつづけようとするとき、いずれの側《がわ》につくかということは、家の死活に関することだから、いくさをしないまでもたえず、隣国の実情をよくつかんでいなければならぬ。そのためにも忍びの者は欠くべからざるものだ。
しかし、世が泰平に移るにつれて、彼らの存在の意味はうすれた。そして、彼らの子孫はたんに城の門番や庭番になり下った。どこの大名の家でもそうであった。三雲藩に於《お》ける野晒一族もその例をまぬかれなかった。いまでは、藩中のだれもが、この一族の先祖が忍者であったことすら忘れているようであった。
それを思い出して、彼ら一族に眼をかけたのは、側用人の酒井内蔵である。もっとも、内蔵が眼をかけたのは、彼ら一族だけではない。最初の出身はお茶坊主であったのが、一代のうちに御用人《ごようにん》まで成りあがったこの才物は、はやくからめぐまれない特殊技能者を身の廻りにあつめていた。学者、武芸者、兵法家、篤農理財家――むろん彼らのすべてを藩のしかるべき役職につける権限はまだ酒井内蔵になかったが、ひそかにじぶんの扶持《ふち》で彼らを養ったのである。眼をかけられた者はすべて感激した。
はじめ野晒一族は、なんのために内蔵が恵みをたれてくれるのか、じぶんたちでもわからないほどであった。やや彼の意図するものが何であるか察しられたのは、一族のうち抜群に出来がいいと見られていた少年銀四郎を、先祖の縁をたどって、伊賀の鍔隠れ谷というところへ、忍法の修行にゆくようにすすめたときである。
その内蔵の意図もなおよくわからず、十八歳の銀四郎は伊賀にゆき、二十三歳の忍者として帰ってきた。――そして、帰るや否や、一族の自裁を見た。
いったい、どういうことなのか、彼にはわからない。とにかく、彼らは何か、重大な失敗をしたらしい。――酒井内蔵は、銀四郎を伊賀へやるほどあって、その留守のあいだに野晒一族をまがりなりにも忍者の子孫らしく鍛えなおしていたとみえる。重大な失敗をして、いっせいに自決した一族の光景をながめたとき、銀四郎は驚愕《きようがく》はしたものの、思わず、みごと、と心中にさけんだくらいであった。それが伊賀で学んだ忍者の作法にかなっていたからだ。
しかし、ほんとうに留守中、いかなる異変が起り、現在いかなる事件が進行しつつあるのか。――問うべき一族がみな死んでしまったのだから、銀四郎はキョトンとしているだけだ。
ただ、酒井内蔵と野晒一族との最後の会話に出た天蔵という名には思いあたる人物がある。やはり茶坊主から御徒士《おかち》にとりあげられた板倉《いたくら》天蔵、あのひとだろう。酒井内蔵の二世といわれるほどのきれ者で、それだけに内蔵から腰巾着《こしぎんちやく》のように可愛がられていた男だ。
それを野晒一族が追った。追われて彼は、みずから江戸町奉行にとらえられた。その事情もいっさい謎《なぞ》なら、彼が町奉行にとらえられたことで、野晒一族に自決を命じるほど酒井内蔵が動顛《どうてん》したのも、それ以上の謎だ。
すべてが悪夢の走馬燈を見るようであった。茫乎《ぼうこ》として野晒銀四郎は、十日ばかりそのまま三雲藩の下屋敷で暮した。
が、それとはべつに、彼の胸にひとつの灯がともった。おゆうのお方さまであった。
彼は五年ぶりにおゆうを見た。じぶんがひどく変ったことをだれもがいう。しかしこのおゆうほど変ったものが、またとあろうか。
彼女はまさに大名のお部屋さまにみごとに変貌《へんぼう》していた。あの雪の肌、青い瞳《ひとみ》、金色をまじえた髪は彼女以外のだれでもないが、白日の下に出たときの牡丹《ぼたん》のような豪奢《ごうしや》、雪洞《ぼんぼり》にけぶる夜の回廊に消えてゆくときのあえかさ。――銀四郎は眼をまんまるくして身ぶるいをおぼえ、この世のものでない幻影のように恍惚《こうこつ》として見送った。
「銀四郎どのおひさしぶりです」
はじめ、ただいちど、彼女はそう声をかけて微笑《ほほえ》んだ。
それだけである。彼女のまわりには、いつも侍女のむれが輪をつくっていた。彼女は主君の寵姫《ちようき》であり、彼は藩の分限牒《ぶげんちよう》にすらのらないほどの下級の奉公人であった。彼からはもとより、彼女の方からも、したしく言葉もかけられないのは当然だ。
十日のうち、秩父守は四日も来た。銀四郎の伊賀で植えこまれた野性はふとこの重代の主君に、――青瓢箪《あおびようたん》みたいにめっきり頬《ほお》がこけて、やつれた主君に、生まれてはじめて憎悪にちかい感情をおぼえたほどであった。
十日目だ。彼は内蔵に呼ばれた。酒井内蔵はほとんどいつもこの下屋敷にいた。まるでここが彼自身の居宅であるかのような観《かん》があった。
「銀四郎、おまえはわしがおまえを伊賀へ忍法の修行にやったわけを知っておるか」
と、内蔵はいった。行燈《あんどん》のかげに、この江戸家老は十日前とはまた一変したように蒼黒《あおぐろ》くやつれ、眼ばかりギラギラひかってみえた。
「もとより、お家のお役にたつためでござりましょう」
と銀四郎はしずかに答えた。
内蔵はしばらく黙っていたが、ふと妙なことをいった。
「銀四郎、そちゃ……おゆうのお方さまと恋仲であったか」
「そんな!」
彼は驚愕してさけんだ。顔がみるみるあかくなった。
「左様なことはござりませぬ。だれが左様なたわけたことを申しましたか」
「おまえの父《てて》よ」
と、内蔵はいって奇妙なうすら笑いをにじみ出させた。
「おまえの父の作兵衛《さくべえ》が、おゆうのお方さまに殿のお手がついたときいたとき、ふとさびしげな笑いをうかべて、銀四郎が伊賀からもどったら何と申しましょうな、とつぶやいたわさ。もとより、きいておるのはわしだけの、冗談話の途中じゃが」
「…………」
「父親は、さすがによう見ておるものよ、銀四郎、さびしいか?」
「…………」
「どうじゃ、今宵《こよい》、おゆうのお方さまと昔ばなしをする気はないか?」
銀四郎は江戸家老を見あげたまま、あごをふるわせただけである。
「実はの、おゆうのお方さまも、このあいだより、いくども左様に申されておった。殿のおいでがない夜に、しみじみと銀四郎と話したいと。――今宵は、殿はおいでなさらぬ」
「…………」
「気にするな、となりでこの内蔵が聞いておるわ。あはははは」
三
「なんで、野晒の方々がお果てなされたか、御存じですか」
言葉は家来に対するもののようではなかった。それまで五年前の貧しい侍の倅《せがれ》と娘にかえってしめやかに昔を語らい、垣根ごしに住んでいた野晒一族の思い出を語っているうちに、自然とおゆうの方の話は、こう移っていたのである。
それこそは、私の知りたいことだ、とさけぶのを銀四郎は忘れていた。語調が自然に流動したからではない。彼は恍惚としておゆうの方に見とれていたのだ。
彼女は閨《ねや》の上に坐っていた。白いかいどりは羽織っていたが、その下は真紅《しんく》の寝衣《しんい》にしごきをむすんだままのなまめかしい姿であった。じぶんとの夜ばなしを望んでいるとはきいたが、彼女がこんな姿でじぶんを迎えようとは思いもかけなかったことだ。しかし、それをとがめる権利は、家来たるじぶんにない。
いつのまにか、おゆうの方は銀四郎にもたれかかるように寄りそっている。花粉に似た匂《にお》いがいちめんに揺曳《ようえい》して、銀四郎はときどき眼も霞《かす》む思いがした。
「銀四郎どの、このごろ家中《かちゆう》の或《あ》る者のたてる噂《うわさ》をおききですか」
「いや、何も。……拙者は、伊賀からかえったばかりで」
「どうせききます。わたしから申しましょう。家中の或る者は、江戸家老酒井内蔵どのが、お家横領のたくらみを持っておるというのです」
さすがに銀四郎は卒然としてわれにかえった。相手のいい出したことは実に大《だい》それたことである上に――彼は、隣室に坐っている当人の家老を思い出したのだ。
いよいよからだをすりよせて、耳たぶを匂う息でなでながら、しかしおゆうの方はつづける。
「酒井内蔵がじぶんのすすめたおゆうという女を以《もつ》て殿をたぶらかし、三雲藩を思うがままにしようとしている、という噂が、去年御誕生あそばした若君もだれの子やら知れたものではない、という噂に変りました」
「…………」
「こんなたわけた恐ろしい噂を、そのままとりあげる方々もいらっしゃいます。お国表《くにおもて》の三雲八|家《け》と呼ばれる御一族のお年寄さま方です。この方々は、はては酒井内蔵が、わたしを以て殿さまのお命をちぢめようとしている。――その証拠もつかんだ。とさえいい出され、殿のこのごろのおやつれぶりはただごとではないが、いかに忠言しても、殿がわたしのところへお通いあそばすのが止《や》まぬ上は、お命にかかわらぬうち、御公儀に訴えてそのお裁きを受けよう、とまで準備をすすめなされているということです」
「…………」
「もとより根も葉もないこと、内蔵はそれこそよい機会、すすんで身の証《あか》しをたてよう、と申しておりましたが、ここにこまった裏切者が出ました。内蔵がとりたててやった板倉天蔵という男です。この男は、さきごろまで虎《とら》の威をかる狐《きつね》として、内蔵以上に何かと評判をたてられた男ですが、この天蔵が、天魔に魅入《みい》られたか、このわたしにいいより――わたしにはねつけられ、内蔵に叱《しか》られると、恩を仇《あだ》でかえし、内蔵の陰謀の証拠をにぎっておると申して一味の外に逃げ出しました」
一味、とおゆうの方はうかと口にした。しかし銀四郎はそれよりも気をとられたことがあった。
「証拠とは? 陰謀の証拠というものがありましたのか」
「左様なものはありませぬ。ある道理がござりませぬ」
あわてて、しかしゆるやかにおゆうの方は首をふった。
「けれど、それをもってお国元の三雲八家にでも走られては事面倒、と内蔵は野晒一族の方々を以て追いまわし、いくどか天蔵の居宅をさぐり、それを探させようとしました。しかし、どうしてもそれが見つかりませぬ。ついに、やむを得ぬ、お家の恥をさらそうとする獅子《しし》身中の虫は斬るよりほかはないと――先日、ようやく天蔵を追いつめたところ、天蔵はわれとみずから江戸町奉行の手にとびこんでしまったのでございます」
「なぜでござろうか?」
「おそらく天蔵は、三雲八家に走っても、所詮《しよせん》はよい目は見ぬと判断し、それより御公儀のまえにおのれの立場をあきらかにしておけば、結局それが身の安全を守ることになるとかんがえたものでございましょう。のちに天蔵の命を狙《ねら》う者があれば、それは酒井か八家か、いずれかの刺客だと天下に知らせるようなものですから、もはやその方の手は出ぬと――」
「で、証拠は?」
「御家横領の証拠というには、あまりにも――言おうようなき品でございます。けれど、どうしても奪い返さねばならぬ品、お家の恥というよりわたしの恥でございますが、それでもそれが御公儀のお手に入れば、万一将来御公儀のお裁きがあるとき、のっぴきならぬわたしどもの不利となる品でございます」
その品が何であるか、なかなかおゆうの方は口にしなかった。
「それを天蔵は、わたしがまだお国のお城に上るまえに――お城に上らぬか、と内蔵よりいくどもすすめに来た際、その使者となったのが天蔵で、そのとき、むりむたいにわたしを手籠《てご》めにし――」
「なに?」
いままで、何をきいたときよりも、銀四郎は衝撃を受けた表情をした。
「これは珍しい、と一塊のたまになるほど切りとっていったもの――」
「そ、それは何でござるか、おゆうどの」
せきこんで、銀四郎はわれにもあらずそう叫んで、相手の顔を凝視した。
見つめられて、おゆうの方も頬に紅《くれない》がのぼった。全身が羞恥《しゆうち》にくねり、白いかいどりが肩からすべりおちた。彼女の乳房は二つ、三つ大きく起伏した。
「御覧あそばせ、……これでございます」
そう沁《し》み入るようにいうと、おゆうの方は坐ったまま、ひざをひらき、真紅の寝衣をひらいた。
銀四郎はうっと息をつめた。雪洞《ぼんぼり》にけぶる女体の秘奥《ひおう》。――それは金色《こんじき》にうす光った。
彼女の秘毛は金色であったのだ。
そのままの姿勢で、彼女はいざり寄り、銀四郎にしがみついた。熱い、あえぎの吐息が彼のあごをぬらす。
「ほかにまぎれもありませぬ。たとえ、むりむたいに剃《そ》りとっていったものとはいえ大名の側妾《そばめ》があのような男に、そのようなふるまいをされるのをゆるしたとあっては……わたしは天下の笑い者、どのような理《ことわり》がこちらにあっても、申しひらきはたちませぬ。銀四郎どの、わたしを救って下され、あれを奪い返して下され……」
「天蔵は伝馬《てんま》町の牢《ろう》におるのでござるな」
「そこから、それを奪い返して下さるのは、あなたのほかにはありませぬ。どのような牢|格子《ごうし》をも、けむりのようにぬける忍法……」
「そんな忍法は、この世にない」
やわらかにうねるふたつのむき出しのふとももが銀四郎のひざをはさんだ。ふたりは同時に苦悶《くもん》にちかいうめきをたてた。一方は絶望のうめきであり、一方は欲望のうめきであった。
「でも……でも……」
「ただ一つある」
「それは?」
「伝馬町の牢は幾重《いくえ》もの塀、門、格子にかこまれ、いまだ曾《かつ》て破牢した罪囚はひとりもないときく。そこに忍び入り、そこから忍び出るには、拙者が囚人として入り、囚人として出るよりほかはござらぬ」
「囚人として――入るのはわかりますが囚人として出る、とは?」
「屍骸《しがい》として出るのです」
おゆうの方は顔をあげて、まじまじと銀四郎をながめた。銀四郎は眼を宙にすえていた。
「合牢《あいろう》になってきゃつを当て殺す。その品を奪う。これはたやすいことです。それからあと、拙者はその品を呑《の》み、みずから息をとめて死ぬ」
「死ぬ?」
「いや、死んだ真似《まね》をするのでござる。虫がそうするように。――息、鼓動、脈搏《みやくはく》、皮膚の色、だれがみても死んだとしか思えぬ。伊賀忍法|生死人《いきしびと》。――伝馬町の牢で牢死した者は、牢死番所で改めて、裏門から運び出し、親類など屍骸の引受人があればひきわたすときいております。親類に化けるはちと面倒じゃが、忍法とはいえ、三日間死人となる苦労にくらべれば何のこともござるまい」
「三日間とは?」
「ここのところを、よっくおぼえておいて下されい。この忍法は三日しかもちませぬ。三日以内に甦《よみがえ》らせてもらわねば、その忍者は永劫《えいごう》に甦らないのです」
「それを甦らせるには?」
銀四郎はしばらくだまって、やがて微風のように小さな声でいった。
「男の忍者なら女に、女の忍者なら男に――生死人のまま犯してもらうのでござる」
こんどは、おゆうの方がだまった。が、みるみるその眼に媚情《びじよう》の炎がもえたち、満面にもえさかり、身もだえしながら、ひしとしがみついてきた。
「銀四郎どの、わたしが甦らせます」
隣室で、咳《せき》ばらいの声がした。銀四郎はとびはなれ、立ちあがった。
しずかに唐紙《からかみ》をあけて、出る。坐っていた酒井内蔵が、狸《たぬき》のように隈《くま》のある眼で見上げて、
「昔がたりはおすみか」
と、とぼけたことをいった。
「相すみました」
と、銀四郎は答えた。そして、心中につぶやいた。
御家老、お家横領の陰謀はまことだな、それに加担するつもりで伊賀鍔隠れでおれは忍法の荒修行をして来たのではないが、いまは承知していて助けてやる。それはあなたのためではない。おゆうのためだ。おゆうも、人が変った。淫婦《いんぷ》になった。しかし、それでもおれは、あの品をとりかえしにゆく。あの品を白日にさらすことは、おれは地獄におちようとがまんならぬからだ。
乞食《こじき》に化けた野晒銀四郎が往来で定廻り同心をなぐりつけて入牢したのは、その翌日のことであった。
四
――水底のようなうすい月光の中であった。
ひたひたと、人々は庭に下り立った。黒影はみな手に鍬《くわ》を持っている。庭の一隅に立つと、そのむれの中で、きれいな、しかしふるえる女の声がした。
「牢屋敷からもらい受けて、棺桶《かんおけ》のままここに埋めてから一ト月になる。もはや……死んでいることはまちがいないけれど……」
「死ぬはおろか、この暑さじゃ、腐りはてて水になっておるにきまっておるわ。念のためとはいえ、ばかげた墓掘りだ」
「あの品が……ほんとうにあるでしょうか、呑みこんでくると申しましたが」
「あれば、腐れ水の中に浮いておるはず。――なければ、ないでよい。天蔵が牢内で急死したことはもはや調べがついておる。要するに、あの金色の毛が大岡越前の手に入らねばよいのだ。それにしても、あのときはあわてたわ。すべて、おまえが浮気を起したむくいだぞ」
「でも、あのころは、ほんとうにお城の奥に御奉公に上る気持はなかったのです。わたしはただ伊賀にいった初恋の銀四郎を待つつもりでいたところに、むりに天蔵に犯されて、何をされようと、やけになってしまっていたのですもの」
「天蔵め、殿へのよいお側妾を探す役目をしながら、とんでもない奴だ。つまみ食いをした口をケロリとふいて、わしにも何くわぬ顔をしておった。はてはこのたびの陰謀に於けるわしの座まで狙いおって――なんたる不敵な悪党か」
この会話のあいだにも、地に鍬音はひびき、土は月光にぬれながら掘りあげられていた。
「とはいえ、こんど天蔵が例の品をもち出して逆ねじをくわすまで、おまえもそ知らぬ顔をしておったとは、きゃつにまけぬずぶとさだぞ」
「あなたがわたしをそんな女に変えたのです」
「あはは、まあよいよい。最初より男をけだものにする女を探しておって、眼にとまったおまえじゃ。どうせ乗りかかった舟、それくらいの度胸がなければ、大事は成就《じようじゆ》せぬ」
「ずぶといどころか、三日以内に甦らせねば、そのまま死んでしまう、とあれほどしかとたのんだ銀四郎を、甦らすどころか、棺桶に入れたまま地の底ふかく埋めてしまったときは、ほんとうに胸が苦しくなったくらいです」
「どうせ、あの失態がなくとも、野晒一族は始末するつもりだったのだ。銀四郎ひとりは生かしてはおけぬ。ましてや、甦らすには、女と交合させねばならぬというではないか。だまっていれば、おまえやる気だったのか」
「――あ、見えました、棺が」
ふかい穴をのぞきこんでいたおゆうの方は、酒井内蔵にとりすがった。鍬をすて、縄《なわ》を下ろす黒影は、すべて何をきかれ、何を見られても案ずる必要のない腹心の一味であった。
「こわがるな、どうせわしのために死なせるために、伊賀へ忍法の修行にやった奴だ」
酒井内蔵は肩をゆすって笑った。
「秘毛を呑みこんでやるほど惚《ほ》れた女のために死んだとあれば、本人も満足だろう」
泥まみれの棺桶が、地上にひきあげられた。――しばらく一同は、輪になってとり巻いたまま、進んで近寄る者もない。
「死人をおそれることはない。わしが見てやる」
内蔵が近づいて、棺桶のふたをはねのけた。
月光の下に、ニューッと立ちあがった者がある。ざんばら髪をはだかの肩にみだして――一ト月まえ埋めたときのままの野晒銀四郎であった。
まるで、こちらが死人と化したかのような一同の眼前で、彼はながれるように棺から外に出て、おゆうの方の前に立った。おゆうの方は崩折《くずお》れた。声も息もたてず、銀四郎は、失神した女に踏みまたがり、月先に白花《びやくか》のごとく女体をひらいて、これを犯しはじめた。
「……い、い、生死人《いきしびと》!」
数十秒か、数分か、そのながさも知れぬ幻怪の時が過ぎて――酒井内蔵の恐怖のうめきが、凍りつくような夏の夜気を破った一瞬、伊賀から来た若い忍者の全身はまっ黒な腐水と化して、女体の上にひろがり、ながれおちた。
あとに金色の毛が月光にちらばり、浮きあがって残った。
[#改ページ]
忍者 撫子《なでしこ》甚五郎
一
慶長《けいちよう》五年九月十五日午前二時ごろ、雨の中に篝火《かがりび》の連なり燃える濃州《のうしゆう》 赤坂《あかさか》の本営に、黒衣黒馬《こくいこくば》の三騎が駈けこんだ。
「服部半蔵《はつとりはんぞう》でござる。大殿にいそぎ御目通りを」
すぐに彼らは寝所《しんじよ》に通された。家康《いえやす》は粗末な夜のものの上にすでに起きなおっていた。
「半蔵か、待っておった。近う寄れ」
「はっ」
徳川家|乱波組《らつぱぐみ》の頭領《とうりよう》服部半蔵は、ぬれた衣のままヒタヒタと膝行《しつこう》して、
「おめがね通り、西進した敵は、関《せき》ケ原《はら》一帯に布陣しはじめてござります」
「そうであろう。治部《じぶ》としては、そうでなくてはならぬ。大垣《おおがき》の城を守って、佐和山《さわやま》を狙《ねら》われては、治部にとっては、手を保たんがため、首を失うも同然じゃからの」
家康は笑った。昨日ひるごろ、岐阜からこの赤坂に軍を進め、深更まで軍議をこらして、しばしまどろんだばかりとは思えない。――いや来年は六十の声をきこうとは思えない、精気にみちた笑顔であった。
「於《お》えい」
家康は陣中の女房をふりかえり、
「平八郎《へいはちろう》、兵部《ひようぶ》を呼べ。それから、於《お》かず、湯漬《ゆづ》けをもて」
と、命じた。二人の女房は走り去った。
服部半蔵は報告した。
昨夜七時ごろ、前面の大垣城を捨てた敵は、石田《いしだ》隊、島津《しまづ》隊、小西《こにし》隊、宇喜多《うきた》隊の順で西へ四里、関ケ原まで退《さが》り、石田は北国街道を扼《やく》する小関《こせき》村に、島津はその南|小池《こいけ》村に、以下小西、宇喜多と中山道《なかせんどう》まで、目下|柵《さく》を二重に植えて、陣地を構築中であると報告した。
家康は湯漬けを食べながら、ふむ、ふむ、とうなずいて、ときどき眼をじっと宙にすえる。関ケ原一帯の地図を脳中に描いているのか、凄《すさま》じい眼のひかりであった。
物見の報告をしながら、いまさらのように半蔵は、この老いたる軍神《いくさがみ》のような主君の手腕におどろかざるを得ない。
江戸から大兵をひきいて東海道をおし上って来た徳川方をむかえて、数刻まえまで西軍は総司令官の宇喜多|秀家《ひでいえ》、事実上の首謀者石田|三成《みつなり》をはじめとして、大垣城に拠《よ》っていた。これと真正面から一戦をまじえるべきか、また敵の逆をついてこれを牽制《けんせい》しておくのみで、大坂へ兵を進むべきか、昨夜の軍議はそれであった。前者は池田《いけだ》、井伊《いい》らの主張するところで、後者は福島《ふくしま》、本多《ほんだ》らの進言するところだ。家康はただ耳をかたむけているだけで、未だ決定を下さなかった。
むろん、数日前から遠く敵の背後に潜入して、家康の或《あ》る密命を果たしていた服部半蔵は、そんな軍議の内容は知らない。しかし彼は、最初から家康が関ケ原を決戦場と決めているらしいことを承知していた。
敵の全軍が立て籠《こも》っている城を攻めるのは容易でない。これに手間暇《てまひま》をかけているうちに、豊臣恩顧《とよとみおんこ》の大名を多くかかえている東軍にも、何が起るかわからない、と見た家康は、この数日、麾下《きか》の乱波組《らつぱぐみ》服部一党をひそかに敵の背後に放って、関ケ原付近に放火させたのである。三成はその手にかかった。彼は、家康が大垣城を見捨てて、ただちにじぶんの本城|江州《ごうしゆう》佐和山を衝《つ》き、大坂へ進軍するものと見たのだ。三成が急遽《きゆうきよ》全軍をうしろにひいて関ケ原に布陣したのは、ここが東軍を扼《やく》するにもっとも適当な地形だと判断したからに相違ない。が、野戦となれば両軍とも五分と五分。いや、西軍を一挙に潰滅《かいめつ》させる場所はここをおいてないと、関ケ原をえらんだのは家康の方なのだ。
軍監《ぐんかん》本多中務|大輔忠勝《たゆうただかつ》と井伊兵部|少輔直政《しようゆうなおまさ》が駈けつけてきたとき、家康はすでに女房衆と坊主に手伝わせて具足をつけようとしていた。
「殿、いずれへ」
まだ服部半蔵の報告をきかぬ本多忠勝が、せきこんできくのに、
「敵のおる方へ」
と、家康は快然《かいぜん》と笑った。
「平八、敵は関ケ原に陣をかまえ出したというぞ。ただちに全軍に進撃をつたえろ。きょうこそは、治部の首を検分してくれるわ」
「はっ」
と、平八郎忠勝は躍りあがって、鎧《よろい》を鳴らして馳《は》せ去った。たちまち赤坂の陣営は、さけび声、刀槍《とうそう》のひびき、馬のいななきと、凄愴《せいそう》な戦気にふくれあがりはじめた。
「兵部、いまごろ夜の明けるは何刻《なんどき》であったかの」
具足をつけ終った家康はきいた。具足といっても、独特の軽装である。下腹のつき出したまんまるい体躯《からだ》に小袖《こそで》を着、胴だけつけて、上に黒広袖《くろひろそで》の陣羽織を羽織ったばかりだ。
「はっ、まず卯《う》の刻(午前六時)でござりましょうか」
と、井伊兵部は答えた。
「さりながら、この雨が朝になっても霽《は》れるとも思えず、さらにこのごろこのあたり、毎朝霧が冷たくたちこめます。まず敵味方の見分けがつくは、それより半刻《はんとき》も遅れましょうか」
「よし、勝敗は巳《み》の刻(午前十時)までにつける」
家康は決然とうなずきかけたが、ふとその首がうごかなくなった。
「兵部、金吾中納言《きんごちゆうなごん》の内応はたしかであろうの」
「その件については、小早川《こばやかわ》の家老衆、それに浅野《あさの》どの黒田《くろだ》どのより、八幡まぎれなしと誓紙がござります」
「他人の保証はあてにはならぬ」
家康はふいにはげしい声でいった。
「浅野、黒田を信ぜぬというわけではないが、しかと知りたいのは当人の腹じゃ」
「中納言どのには、そのためにわざと石田らと行を共になされて大坂城に入られず、松尾山にひかえられております」
「松尾山といえば関ケ原を一望に見渡す場所」
家康の顔には、突如としていままで影もみえなかった雲がかかっていた。
「いざ、関ケ原が天下分目のいくさ場《ば》に決したとなると、そこにいる中納言の向背が急に気になって来たわ。そりゃ、中納言が、心ならずも西軍に入ってはおるものの、心は東軍にあるとは、かねてからきいておる。黒田、浅野も仲に入って承《う》け合ってはおる。さりながら、眼下に十余万の軍勢が、日本を二つに分け、ここを先途とたたかうのを見ておれば」
雲のかかった顔に、眼だけが異様にひかり出していた。半蔵が、はじめて見る家康の不安の眼であった。
「一|刻《とき》、二刻のあいだに、西軍を破ればよい。余はそのつもりでおる。が、いくさの勝敗は、ときとして人智を越えることがあるものじゃ。万一、鍔《つば》ぜり合いが長びけば、中納言の天秤《てんびん》がどうかたむくか知れたものではない。ひとは、だれでもわが身が可愛いものじゃ……兵部」
家康はきっと井伊兵部直政を見た。
「小早川の腹をさぐれ」
「はっ、それはすでにいくたびか糺《ただ》し、中納言どのの、返《かえり》 忠《ちゆう》は、万《ばん》まちがいなきことと」
「小早川は、石田にも同じことをいっておるかもしれぬ。いや、中納言が徳川に返忠いたすことがそれほど明らかならば、石田がいままで手をつかねておるはずはない。――もういちど探って、しかとたしかめろ」
「殿、いくさは夜の明け次第はじまると申しますのに」
「それゆえ、ギリギリの土壇場、向うのまことの腹をさぐるに、最もよい時であろうが」
「しかし、夜明けまでに松尾山に上り、探索し、かえってくることは」
「そこにおる奴《やつ》を使え」
家康は半蔵を見た。冷酷といっていいほどさしせまった眼であった。半蔵がはっとしたとき、家康は、こんどは直接に、
「半蔵、伊賀の忍者のほこりにかけて探ってこいよ。余は徳川の運命をかけて待っておるぞ」
といい、片手に陣刀、片手にのくち[#「のくち」に傍点]の塗笠《ぬりがさ》をもって、つかつかと本営の外に出ていった。
二
小早川中納言|秀秋《ひであき》は、太閤《たいこう》夫人、いまは高台院《こうだいいん》と呼ばれているひとの甥《おい》であったが、幼くして太閤の養子となった人物である。
のちに小早川|隆景《たかかげ》の養子に迎えられたが、この縁だけでいうなら、むろん彼は西軍につくのが当然であるのみならず、そのなかにあって大立物たるべき存在だ。事実、現在ただいまのところでは、表面的にはそうなっている。
しかし、内部の事情は必ずしもそう簡単ではなかった。第一に、彼の叔母《おば》たる高台院が家康党である。彼女は、東軍側についた豊臣恩顧の大名たちと同様、石田三成こそ豊臣家を滅ぼす元凶であり、家康を信頼してこそ豊臣家の命脈を保ち得ると深く思いこんでいる。むろん、淀君《よどぎみ》に対する反感もある。
第二に秀秋は、石田三成と不仲である。さる朝鮮役で、彼は総司令官として渡海したが、その地にあってのふるまいが、総司令官たるにふさわしくないとして秀吉《ひでよし》の叱責《しつせき》を受け、筑前《ちくぜん》五十二万石から越前《えちぜん》十五万石に落された。この移封《いほう》が実現しないうちに秀吉が薨じたので、この咎《とが》めは沙汰止《さたや》みになったものの、秀秋は、この件についてはすべて秀吉の懐《ふところ》 刀《がたな》 石田治部少輔の讒言《ざんげん》にあるものと信じている。
こんどの変《へん》に、彼はゆきがかり上西軍に属したが、あきらかにその腹に一物《いちもつ》あるらしく見えた。一万三千の兵をひきいて東軍迎撃のため美濃《みの》まで来ながら、石田三成らとともに大垣城に入らず、四里背後の松尾山に上って、ぶきみに静まりかえってしまったのである。
「大殿の仰せながら、それはむずかしゅうござる」
と、服部半蔵はさけんだ。
「いや、夜の明けるまでに関ケ原の松尾山にゆき、小早川の陣営にしのびこみ、はせもどってくる。――そのことではござりませぬ。それはできましょう。むずかしいのは、小早川がきょうの合戦に、はたしていずれの側に立つか、それを見分けることです。いまにいたって、なお大殿さえ迷われることが、われらごときに即刻見分けのつく道理がござらぬ」
「もっともだ。しかし」
徳川四天王の一人といわれる井伊直政も、緊張のため鉛のような顔色になっていた。
「殿はあのように御意《ぎよい》なさる。御意なさることに、なるほど一理も二理もある。一つは、開戦を数刻ののちにひかえて、小早川の陣営をみれば、いかになんでもその旗色がはっきりするであろうと思われるし、また一つには、松尾山にある一万三千の兵の向背がわからねば、こちらの陣立てのしようもない」
「それゆえに、われらには見分けがむずかしいと申すのでござる。医師《くすし》は、わが子の重病なるときは、その診立《みた》てがつかぬというではござりませぬか、兵部さま」
「いくたびか、いくさのたびに物見《ものみ》して来たその方《ほう》一党ではないか」
「このたびだけは、いままでのいくさとはちがいまする」
「よい、その方らの物見して来た通りを申せ」
「その診立てが万一まちがっていたら、と考えると、総身よりあぶら汗のしたたる心地がいたす」
「半蔵、わしはおまえを信じておる。そのおまえが、おまえ自身を信ぜぬのか。乱波の技《わざ》にかけては音にきこえた伊賀の忍者を――殿も、伊賀の忍者のほこりにかけて探って参れと申されたではないか」
「伊賀の忍者の誇りにかけて」
服部半蔵は鸚鵡《おうむ》がえしにつぶやいて宙を見つめ、それからうしろをふりむいた。そこには、二つの影がうずくまっていた。さっき、彼に従ってきた配下の二人だが、井伊兵部には、黒|頭巾《ずきん》をかぶったその顔がはっきりせぬのは当然として、その全身までがおぼろおぼろと半透明にみえるような気がした。
「おお、大殿の御下知《ごげぢ》に従いましょう」
と、ふいに半蔵はうなずいた。眼がただならぬかがやきをおびてきた。
「半蔵、何か目算《もくさん》がついたか」
「いかにも、いま稲妻のように或《あ》る人間のことを思い出しました」
「或る人間?」
「されば、やはり伊賀出身の忍者にて、波《なみ》ノ平法眼《ひらほうげん》と申す男でござります。時がござりませぬゆえ、手短かに申しまする。波ノ平法眼は、私の父先代服部半蔵と莫逆《ばくぎやく》の友の由にて、父の生前、拙者もいくどか逢《あ》ったことがござりまする。例の天正伊賀の乱で、伊賀者らが諸国に分散いたしたのち、父は三百人の配下とともに徳川家に奉公し、法眼もまた配下をひきいて諸大名を渡り歩いておりましたが、十年ばかり前から、法眼は石田治部に仕えております」
「何?」
「このたび治部と敵《かたき》となる以前――父死してもう五年以上もめんとむかっては逢ったことはござりませぬが、おそらく石田の忍びの者として働いておることでござろう」
「おまえの父と莫逆の友だといったな」
「もとより、ただいまは敵です。そのつもりでおります。従って、いま思い出したのは、波ノ平法眼のことではなく――父からきいた法眼との約定《やくじよう》で」
「どんな約定」
「もし伊賀者全体を、滅亡か否かという運命の見舞うときは、両人、いかなるとき、いかなるところにあろうと呼び合って、とくと談合しようと。――思うに、いまがそのときでござる。伊賀者全体の運命というにはちと大形《おおぎよう》ながら、服部一党波ノ平一党は、伊賀者中の精鋭。それが――きょうの合戦に徳川方が勝てば、波ノ平一党はもはや生存の道はござるまい。同様に、もし石田方が勝てば、われらも滅亡のほかはござりませぬ」
「その通りじゃ」
「いま気がついたことでござりまするが、法眼とて同じことを考えておりましょう。同時に、拙者思いまするに、石田方もまた鵺《ぬえ》のごとき小早川の存在に疑心暗鬼、その向背のめどをつけるに焦燥《しようそう》しておるのではありますまいか」
「そうかもしれぬ。で、いかがいたす」
「拙者、法眼と逢います」
「逢えるか」
「逢う方法は、父より、いろいろと伝授されております」
「逢って、どうする」
「法眼一派よりも、忍びの者を松尾山に入れさせ、双方の物見の内容をつきあわせ、それにて結論を出しましょう。双方の意見が一致すれば、おそらくその見込みに狂いはござりますまい。もし一致しなければ――それもまた参考の一つになろうと存ずる」
「左様な談合を、その法眼とやらがきくか」
「話の風の向け具合では」
「半蔵」
兵部の眼がぎらとひかった。
「敵の忍者の探ったこと――探ったと申すことを、そのまま信じてよいか。敵が黒と見たことを白というかもしれぬ。それにもとづいて、いかなる判断を下しても、それはあてにならぬぞ」
「よう仰せなされました。もとよりいまは所詮敵の忍者同士、左様な細工はいたしましょう。――おたがいに」
半蔵はうすく笑った。
「実は、拙者の思いつきましたは、いまのべたような敵味方共同の物見ではござらぬ。それを利用し、さらにそれを上廻るたくらみです。……うまくゆけば、それだけできょうの合戦に西軍を総崩れにさせるような」
「何、そのたくらみとは?」
「そのまえに」
と、半蔵はもういちどうしろの二つの影をかえり見た。
「事の首尾が悪ければ……いや、最初より談合がまとまらなければ、或《ある》いはこの者どもは生きてふたたび帰らぬかもしれませぬ。軍監たる兵部さま、何とぞこの両人をお見知りおき下されい」
おぼろおぼろとあげた二つの顔のうち、頭巾のあいだからのぞいた一つの顔の色の白さに、
「女か」
と、井伊兵部はさけんだ。
「小笹《こざさ》と申しまする。またもう一人は浮舟伴作《うきふねばんさく》」
と、半蔵はいって、たのもしげに微笑した。
「御存じのごとく、服部組一党は、ここ数日来ことごとく関ケ原から江州へかけて出払い、私のみ、傍《そば》にあったこの伴作小笹両人をひきつれて、いそぎ御注進にかけ戻って来たのでござりまするが、偶然ながら、よい者をつれて帰りました。この両人ならば」
幕屋の外の雨の音がきこえなくなった。止《や》んだのではない。遠く近く、怒濤《どとう》のような地ひびきの音がうねり出したからであった。家康の下知一下、一帯に夜営していた七万五千の東軍が、関ケ原へ向って進撃を開始したのだ。
半蔵は立ちあがった。
「この両人ならば、拙者のたくらみ、かならずとげてくれましょう」
三
関ケ原に於《おい》て、天下分目の一戦を交えることは、三成にとって最初から予定していたことではなかった。それはあわただしい作戦会議の結果で、その実、家康の思惑《おもわく》に乗ったことを彼は知らない。
三成は、もとより関ケ原の曠原《こうげん》で東軍を粉砕することを確信していたが、それにしても、その場所を予定していたわけではなかったので、急ぎ柵《さく》や土塁《どるい》を設ける必要がある。その時間を稼ぐために、九月十四日午後七時ごろ、大垣から関ケ原へ退《ひ》きはじめた西軍は、兵馬に枚《ばい》をふくませて、極力隠密行動をとろうとした。
九月十四日は、いまの暦で十月二十日にあたる。闇黒《あんこく》の中に秋雨は蕭《しよう》 条《じよう》とふりしきり、ぬかるみの山峡を四里進むうちに、兵馬の肌は濡《ぬ》れつくし骨まで凍るようであった。
午前一時ごろ関ケ原についた石田三成は、盟友|大谷刑部《おおたにぎようぶ》と何やら協議したのち、わが陣と決めた小関《こせき》村に来て、冷雨の中に陣地を構築している兵士たちを指揮していたが、ときどき何やら気にかかるらしく、南の方の空を見た。
深夜の天は、惨として暗い。その暗い夜空にひくく、点々と赤い炎が浮かんで見える。二十余丁の距離をおいて、そこには松尾山があるはずであった。松尾山の山上にもえている篝火《かがりび》なのだ。三時ごろである。
「殿はおわすや」
雨をついて、黒衣黒馬の三騎が小関村に馳《は》せ入って来た。
「波ノ平法眼よな、余はここにおるぞ」
待ちかねていた三成は、みずから声をあげて呼んだ。三人は馬からとびおりて、泥濘《でいねい》の中にひざをついた。物見《ものみ》のために、三成があとに残してきた乱波《らつぱ》のうちの三人である。
「おめがね通り、東軍は赤坂をひき払い、続々西進を開始してござります」
「その先鋒《せんぽう》が赤坂を出たは、何刻《なんどき》ごろか」
「先鋒の福島、黒田が出たは丑《うし》の刻、つづいて加藤《かとう》、細川《ほそかわ》、藤堂《とうどう》の順につづいております」
「では、敵の関ケ原到着は、まず夜明けじゃな」
「御意《ぎよい》」
「よし、勝敗は巳《み》の刻までにつける。きょうこそは、家康の首を検分してくれるわ」
「……殿」
波ノ平法眼と呼ばれた地上の声は、雨の中に冷たく、しかし、乾いていた。老人らしく、しゃがれた声であった。
「東軍の総勢は七万五千。お味方は、どれくらいでござりましたかな?」
「七万七千じゃ。数に於ても、西軍はひけはとらぬ」
「七万七千、それは小早川中納言さまの一万三千を加えてのことでござりましょうが」
「もとよりだ」
「中納言さまは確かに、お味方でござろうか?」
「何を申す」
三成は怫然《ふつぜん》とした様子であった。
「いかにも、金吾《きんご》中納言さまには、さまざまの取沙汰がある。高台院さまの、関東へのお取持《とりも》ちやら、中納言さまがわしに御不快の念をもっておわすとやら。……しかし、中納言さまは、豊臣家とお血つづきのおひとであるぞ。世上の風聞は、あくまで風聞にすぎぬとわしは信じておる。げんに中納言さまは、さきごろの伏見城攻めに加わられ、ひとかたならぬお働きをなされたではないか。いや、豊家《ほうけ》との御血縁やら御恩やら、左様なことより、この土壇場になって、裏切りなさるなど、もののふの面目にかけて――」
三成は、平生の冷哲|聡明《そうめい》を失ったように絶句した。
「それより、法眼、そちは何をいいたいのか。何か新しゅうきいたことでもあるのか」
「いえ、拙者はこのところしばらく、御下知のまま東軍へ乱波《らつぱ》に入っておりましたゆえ、そのことについてはべつに新しゅうききこんだことはござりませぬ。仰せまでもなく、拙者も中納言さまを信じとうござる。しかし……夜の明け次第、この関ケ原で天下分目の大合戦がくりひろげられるとなれば……あの松尾山は、何としても気にかかり申す」
法眼は頭をあげて、南の夜空の篝火《かがりび》をふりかえった。黒い頭巾でも、山法師などが面をつつむ袈裟《けさ》頭巾に似ている。どうやら、頭はまるめているらしい。
「万一、合戦の勝敗容易に決せぬときは、あの山上の向背は、たとえ五百、千の兵であっても運命にかかわりましょう。ましてや、それが一万三千の大兵とあれば」
「法眼」
「妖《あや》しき風聞のあるお方が陣を占められるにはあまりにも重大な山でござる」
「法眼。――実は、わしもあの篝火は気にかけておった」
と、三成はいった。先刻、怒ったような声を出したのは、おのれのその不安を指摘された狼狽《ろうばい》もあったのだ。
「それゆえ、先刻、この関ケ原につくと、すぐに刑部《ぎようぶ》と話し、刑部に松尾山に上って、中納言さまのお心をしかとたしかめるよう依頼して来た。刑部はいま松尾山の麓《ふもと》に陣を張りつつあるが、それが終り次第、すぐ山にのぼるはずじゃ。やがて、その報告が参ろう」
「お心をしかとたしかめる? 中納言さまが刑部さまに、たとえ豊臣家へ御忠節の確約をなされたとて、それがどこまであてになることでござりましょう」
「しかし、いまとなっては、それよりほかにたしかめるすべがない。本音《ほんね》を吐けば、余みずから糺《ただ》しにゆきたいと心ははやっておるのじゃが……余に隔意《かくい》ありと噂《うわさ》ある中納言さまゆえ、わざと刑部にたのんだのじゃ」
「裏切りのお噂ある御当人に糺すよりは」
ふいに法眼はそういいかけたが、そのまま黙りこんだ。三成はじっとそれを見おろした。
「法眼、何かよい智慧《ちえ》があるのか」
「されば、あまりに突拍子もないことゆえ、しばらく思案しましたが」
波ノ平法眼はいった。
「むしろ、東軍の内部を探った方が、よい手応《てごた》えがあるかもしれませぬ」
「東軍を探る。――東軍中に、中納言さま裏切りの音《ね》をきこうというのか」
三成は眼を見ひらいてさけんだ。
「いかにも、それは一策じゃ。しかし、法眼、もはやそのいとまはあるまい。いまのいま東軍はこの関ケ原めがけて進みつつあるのだぞ」
「ただ一つ見込みがござります。――敵の忍びの者と逢うことでござる」
「何、敵の忍びの者と?」
「おそらく、中納言さまの御向背には、敵もまたいたく心を悩ましておることでござりましょう。たとえ中納言さまが内々裏切りの御確約をなされたとて、一抹《いちまつ》の疑心暗鬼は捨てかねましょう。ために、これまで乱波が必死にはたらいたことと存ずる。その乱波に、直接逢って、その顔色音声からつきとめるのでござる」
「敵の乱波に――即刻逢えるのか」
「徳川に服部組と申す忍びの党がござります」
「おお、服部半蔵、存じておる」
「ただいまの半蔵は二代目にて、先代の服部半蔵は五年前死去してござりますが、その先代半蔵とは、伊賀におったころ、拙者|莫逆《ばくぎやく》の友でござりました。そして、彼と約定《やくじよう》したことがあるのでござる。曾《かつ》ての天正伊賀の乱のごとく、伊賀の忍者に大難あるときは、かならず両人逢って談合しようと。――この約定は、先代半蔵より倅《せがれ》の半蔵にも伝えられておるはずでござる。服部のひきいる伊賀者と、この法眼のひきいる伊賀者とは、ともに伊賀忍びの者の精鋭。思うにこのたびの合戦は、天下取りの争いのみならず、伊賀の忍者を二つに分けるいくさと申してもようござろう。されば、その約定通り――」
と、いいかけたとき、「やっ?」と三成が空を見た。
雨に満ちた夜空を、このとき赤い炎がすじをひいて飛んだのだ。それは東南から飛んできて、彼らの頭上を横ぎり、西北の伊吹《いぶき》山の方へ飛び去るようにみえたが、ふいにぱっと火の粉をまきちらしながら、闇《やみ》の地上へ舞いおちていった。
「おお、伊賀の梟火《ふくろび》!」
と、波ノ平法眼もさけんで立ちあがった。
「何、伊賀の梟火? あれはなんだ、法眼」
「思いはおなじか、服部半蔵。殿、半蔵の方より拙者に会見を申しこんで参りました」
その夜空の怪火は、ほかに目撃した兵も少くなかったのであろう。遠いうしろで柵《さく》を結んでいたらしい兵が、数十人、その山地の方向へ乱れ走ってゆく足音がきこえた。
「追ったところで、焼け死んだ梟が一羽おるばかり」と、法眼の声は笑った。
「あれは梟に、秘伝の焔硝《えんしよう》をしかけたものでござる。雨にも風にも消えず、或《あ》るところまで飛べば、運んだ梟にも火が移って燃えおちまするが、その落ちた場所と逢うべき人間を結んだ線を、逆の方向にその距離だけたどると、逢いたいと望んだ人間が待っておるのでござる。……半蔵は、ここから東南の、左様、十九女《つずや》ケ池《いけ》のあたりに立っており申そうか」
「服部半蔵が、おまえに逢いたいと望んでおると?……逢うか、法眼。しかし半蔵はそも何の目的で?」
「おそらく、半蔵も、拙者とおなじ悩みのためではござりますまいか」
「逢《お》うて、大事ないか。かえって敵の手にはまるのではないか、法眼」
「先代の服部ならば知らず、なんの若輩《じやくはい》の小倅ごときに」
波ノ平法眼はうすく笑った。
「それより、殿。拙者はいま……小早川中納言さまの向背を知るいとぐちのみならず、それを利して、きょうの合戦に東軍を総崩れにさせるたくらみを思いついてござる」
「何、そのたくらみとは?」
「そのまえに」
と、法眼は、はじめてじぶんのうしろにうずくまる二つの影をかえりみた。
「そのたくらみ、やりそこねれば、或いはこのものどもは生きてふたたび帰らぬかもしれませぬ。西軍の大柱石たる石田治部|少輔《しようゆう》さま、何とぞ、この両人をお見知りおき下されい」
おぼろおぼろさしあげた二つの顔のうち、頭巾のあいだから覗《のぞ》いた一つの顔の色の白さに、
「女か」
と、三成はさけんだ。
「撫子《なでしこ》と申しまする。またもう一人は弥勒甚五郎《みろくじんごろう》」
と、法眼はいって、たのもしげに微笑した。
「波ノ平一党は、御下知のごとく、みな東軍の進みようを物見に参り、やがてつぎつぎと敵の陣くばりを注進に参るはず。拙者のみ、傍にあったこの甚五郎撫子両人をひきつれて、とりあえずかけ戻ってきたのでござりまするが、偶然ながら、よい者をつれて帰りました。この両人ならば、拙者のたくらみ、かならずしとげてくれましょう」
四
闇黒《あんこく》の大地に巨大な皿があって、うすうすと蒸気をたてているように見える。関ケ原の東南に横たわる十九女ケ池であった。ひろい水面が、激しい雨にしぶきをあげてけぶっているのだ。
その十九女ケ池の北側に、ぼうと三つの影があらわれた。ふつうなら闇夜に見えぬ黒衣の姿だが、水面のしぶきに、墨痕《ぼつこん》のにじむように浮かびあがったのである。
「波ノ平党か」
声がきこえた。池の南側から、水面をわたってその声がながれてくると同時に、そこにも三つの黒影がにじみ出た。
「服部じゃな」
しゃがれた声がこたえる。
「半蔵しばらくじゃな。若輩を以て、あの内府の下で、乱波稼業《らつぱかぎよう》の苦労はなみたいていではあるまい。まずさしたる手落ちもなく奉公しておるとすれば、死んだ親父《おやじ》の半蔵も、さぞ草葉のかげでよろこんでおるじゃろう」
しばらく相手は、何かを自ら制するかのごとく沈黙していたが、すぐに決然として、
「御老人。いまは懐旧の挨拶《あいさつ》をしておるときではない。急用でござる。拙者が先刻、伊賀の梟火《ふくろび》で御老人を呼んだわけを御存じか」
「ズバリいえば、松尾山の旗風のなびき具合であろうが」
「さすがは、波ノ平の御老人」
うめくように服部半蔵がうなずくと、波ノ平法眼は笑った。ただし、苦味《にがみ》をおびた笑いであった。
「おだてるな、半蔵。――してみると、そちらも松尾山の鵺殿《ぬえどの》をもてあましておるとみえるな」
「されば、あの一万三千の向背は、文字通り天下の分れ目」
「半蔵、その一万三千の向背がわかったか」
「正直、かぶとをぬぎ申した。そちらは?」
「うふふ、わからぬからこそ、そちらの用件を知りつつここに来たのじゃわ」
「御老人、実は事はいそぐ。おたがいの腹のさぐり合い、とぼけ合いは、おたがいによすとしよう。いまはたしかにそちらにも、中納言の腹はわからぬと信じて話をすすめる」
「おお、それこそ、こちらの望むところだ」
「で、松尾山の向背は天下争奪の争いにつながると同時に、服部党、波ノ平党の命運にもつながる。それで、おれはいまは敵の法眼どのに来てもらったのだ」
「――正直、合戦の起る前に、おれも知りたい。伊賀者の誇りにかけて喃《のう》」
「その通りでござる。法眼どの、伊賀者の誇りにかけて、その一件に関するかぎり、波ノ平、服部、共同の物見をやってみる気はないか」
「敵味方共同の物見。――古今にきいたことがないが、鵺をつかまえるためには、それも妙策かもしれぬ」
「一方の物見だけでは、私情がまじる、空頼みがまじる。こんどだけは、それが恐ろしい」
「共同の物見。それはよいとして、誰《だれ》がゆく」
「それでござる。ちと考えることがあって、服部の方では、ここにおる浮舟伴作《うきふねばんさく》という男と、小笹《こざさ》という女をつかわしたい」
「こりゃふしぎじゃ。おれも実は、ここに弥勒甚五郎《みろくじんごろう》、撫子《なでしこ》というふたりの忍びの配下をつれてきた」
「それは好都合。おれは、談合成れば、御老人にひとまず小関村に帰っていただいて、二人の忍者をえらび出してもらおうと思っておったが、それならこの場からただちに松尾山に上ってもらえる」
「半蔵、この四人の物見の結果が悉《ことごと》く一致すればよいが、別々ちがっておったらどうするな」
「おれも、それを考えてござる。四人が一致するかもしれぬが、三人同じで一人がちがうかもしれぬ。二人と二人、異なるかもしれぬ。それを、おれと御老人がここに待っておって、よく勘考しようといちどは思索したが、御老人」
「ふむ」
「そちらの忍びの者が、中納言の裏切りはまことだと物見してかえってくるとする。中納言が裏切れば、きょうのいくさは西軍の負けじゃ。西軍が負ければ、おのれらの命はない、まことにつらい物見で。――それを逆にかえせば、こちらも同様」
それは忍者の宿命として、やむを得ぬ」
「やむを得ぬが、そもそも、波ノ平党の忍者が、物見の結果、この半蔵の前で、おのれのまことの見解を偽りなく申したてるであろうか?」
「その疑心はおたがいさまじゃ。だいいち、そこまで疑えば、共同の物見というやつの意味がなくなる」
「そこでおれは、また考えた。物見に出た者が、万いつわらぬ方法を」
「どう考えた」
「おれの配下二人、もしくは一人、もし中納言の裏切りなしと思えば、西軍に走れ。それをそのものの判断の結果と見る」
「そして、おれの配下二人、もしくは一人、もし中納言の裏切りありと思えば、東軍に走れ、というのか?」
「左様。要するに、おのれの勝つと信じる方へ走るのでござる。服部組が徳川に、波ノ平組が石田へ帰ってくれば、それでもともと、われらはただその物見の結果をきくだけでよい。黙ってきくよりほかはない。しかし、それぞれの両人、もしくは一人、敵陣に走った場合――その判断があやまってその陣が敗れれば、これは自業自得《じごうじとく》というべし、もしその判断的中して、その軍が勝てば――ふつうなら、勝てばとて元来は敵方の乱波《らつぱ》、ただではすまぬところじゃが、このたびにかぎって、この半蔵、そちらの法眼どの、おのれの手柄にかえて抱き入れるとしよう。――こう考えた。御老人、いかがでござる」
「――よかろう。もし、おれのところの甚五郎、撫子が徳川に走って、徳川が勝ったとしてもおれはにくむまい。実はこの両人、殺すに惜しい奴とは思うておった。万一この両人が、中納言の裏切りありと判断して徳川に走り、その通り石田が敗れても、両人が服部組に入ってそれぞれの忍法をつたえてゆくと思えば、おれも笑って眼がつぶれる。この思いは、そちらも同様だろう。その心をくんで、若《も》しそこな伴作、小笹とやらが石田方にくれば、波ノ平党、両手をひろげて迎えてやるぞ」
「談合は成った! これで梟火で法眼老を呼んだ甲斐《かい》があったというもの」
むしろほがらかな笑いをふくんだ声が、水の上を交流した。――この夜、数刻ののち、日本を二つに分ける一大|修羅場《しゆらば》と化すべき関ケ原の闇《やみ》の曠野《こうや》で、水をへだててこのように妖《あや》しい会見が行われたことを、敵味方十五万余の戦士のうち何人が知っていたろう。
「それにしても、法眼老、おれの談合を快くきかれてかたじけない。――ひょっとしたら、御老人、そちらもおれとそっくりのことを考えてこられたのではないか?」
「うふふ、血のせいよ。おなじ伊賀の血が山彦《やまびこ》のごとく応じたのよ」
「伊賀の――血」
ふたりの笑いは、同時にとまった。十九女ケ池の波も雨しぶきも、一瞬静止したかと思われる沈黙ののち、波ノ平法眼と服部半蔵の凄愴《せいそう》な声が同時にきこえた。
「ゆけ、撫子、弥勒甚五郎」
「小笹、浮舟伴作、ゆけ!」
五
関ケ原の西端は火光に染まっていた。いまや大々的に篝火《かがりび》で照らし、東軍迎撃の陣地構築に懸命なのだ。
が、その東軍がまだ関ケ原の東端に姿もあらわさぬ午前四時ごろ、松尾山にある小早川中納言秀秋の陣営を、大谷刑部が訪れた。
松尾山は三百メートル足らずの小山だが、山頂に平坦《へいたん》の地あり、少し山を下ればまた数か所の平地がある。ここは以前|信長《のぶなが》の部将|不破淡路守《ふわあわじのかみ》が嘗《かつ》て城を築いて浅井《あさい》氏とたたかったところで、いまは城はないが、いたるところに崩れ残る石垣がその趾《あと》をとどめている。これに盾《たて》をならべ、柵を植え、幕を張って、一万三千の小早川兵は陣を設営していた。もとより雨の中に、ここにも篝火が燃えしきっている。
それでも板屋根を急造した本営の一|画《かく》に、大谷刑部は通された。一行といっても、四、五人の家来を従えただけである。
「殿にはいまだ御寝《ぎよしん》中でござれば、しばらくお待ちを」
小早川家の老臣|平岡頼勝《ひらおかよりかつ》が出て、こう挨拶した。いかにも迷惑を露骨にみせた顔であった。
刑部の家臣たちの眼がひかったが、主人の刑部はわずかにうなずいただけで、その表情はわからない。わからないのは当然だ。この戦《いくさ》上手できこえた三成唯一の盟将は、癩《らい》の末期で眼もみえぬほど白布で顔を巻いているからだった。
ほど経て、侍女のひとりが静かにあらわれて、
「刑部さまのみ、こちらへ。わたくしがお手をひいて御案内いたしまする」
と、うながした。何かいおうとする家来たちを手で押え、刑部ひとり立ちあがる。雨の中を歩み、別の陣営の一室に通されたが、そこがどこか、瞳《ひとみ》もつぶれた刑部にはわからぬ。金吾中納言は、しかし重臣と協議でもしているのか、なかなかそこに現われなかった。
「刑部だ。――刑部が中納言と逢《お》うておる」
高い樹《き》の茂みで呟《つぶや》くような声がきこえた。
「中納言の姿はみえぬが、刑部の顔がみえる。いや、布で顔を巻いておるから、口だけがみえる。――ええ、雨脚がじゃまだ」
いったい、彼はどういう方法で見ているのであろう。小早川中納言の陣屋は、壁こそなけれ、もとより板で囲ってある。すぐ外に、槍《やり》をかまえて警戒している数十人の鎧《よろい》 兜《かぶと》の護衛兵すら、内部の様子は見えないのに。――その声のきこえるのは、そこからさらに百メートルもはなれた一むらの杉木立の中なのであった。
「刑部がしゃべっておる。……何々、このたびの戦いに豊臣家に御忠節あるときは、秀頼《ひでより》さまが十五歳になられるまで、関白職をおゆずりなされる淀のお方の御所存だと? ううむ、これで相手はまさに中納言だときまったが、刑部め、まるで自分が太閤《たいこう》のような口をききおる」
すぐ外の兵士すらきこえぬ声を、彼はきいている。あきらかに彼は読唇術できいているにちがいないが、しかし、それにしても、どこから刑部の唇がみえるのだ?
「まだいっておる。今までの筑前筑後はもとよりのこと、播州《ばんしゆう》一円、また江州に於て十万石をやるともいっておる。いや、吹きも吹いたりな」
「伴作どの、そこまでいわれたら、しかし中納言とて心がうごくのではありませぬか」
すぐ下の枝で、女の声がきこえた。
「ふむ、三成としたら、それできょう中納言の裏切りをくいとめたら、まだ安いものだろうが――しかし、これはあんまり焦りをあらわに見せすぎて、中納言も子供だましときくだろうが」
「もしっ、伴作どの、わたしも見たい。そのあぶら虫眼《ちゆうがん》を、わたしの眼にもさして下さいまし。何とかして、中納言の顔色を見たいもの――」
「いや、この位置では、中納言の顔はみえぬ。それにこのあぶら虫眼を眼にさしては、八町さきの針まで見える代りに、すぐ鼻の先のものもみえぬ。もし波ノ平組の弥勒甚五郎、撫子のふたりに逢うたら何とする。いや、何としてでもきゃつらをつかまえねばならぬが、あのふたりの始末は、おぬしにまかせてあるのだぞ」
あぶら虫眼とは人の眼を千里眼とする油のようなものであろうか。その通り、服部組の浮舟伴作は、遥《はる》かな秀秋の陣屋の羽目板のほんの僅《わず》かな割れ目を通して内部を見ているのであった。
「そうだ、あのふたりもこの松尾山に物見に入っているにちがいないが、どこにいるのか?」
と、小笹が樹上から地上の灌木《かんぼく》を見わたしたとき、浮舟伴作が、
「刑部が消えた。席を立ったらしい。……ううむ、まこと中納言の顔が見たい」
と、いった。その樹上に声が絶えて「――はてな」という名状しがたい疑惑にみちた伴作のつぶやきがきこえたのは、数分ののちであった。
「刑部があんなところに立っておる」
「どこに?」
「陣屋を出たところだ。篝火がもえて、番兵はすぐ近くに槍をもって睨《にら》みまわしておるのに気づかぬと見える。はてな、刑部は五人の家来をつれて山に上って来たのに、いま女と二人づれだぞ」
「女と」
「陣中の女房らしい風態をした女だ。それに刑部が話しておる。……中納言の心はすでに豊臣家にない、裏切りは必死と見たぞ、撫子と――あっ、あの女は、顔ははじめて見るが、撫子という波ノ平組の忍者だ。してみれば、おお、きゃつ大谷刑部ではない。弥勒甚五郎だ!」
「まあ、ほんものの刑部が、癩を病んで顔を布でまいているのにかこつけて――いつのまに入れちがったのか。それにしても刑部に化けて、じかに中納言の心をたたくとは何という不敵な」
「ふたり、悠々とこちらに歩いてくるぞ」
「伴作どの、では、あの両人、徳川方にくるつもりでしょうか」
「いや待て、甚五郎がまた撫子にしゃべっておる。――さて、かくときまったからは、あの浮舟伴作と小笹と申す両人を討ち果たさなければ、松尾山を下るわけにはゆかぬが、きゃつら、どこへいった?――と、おい、吐《ぬ》かしたりな」
「やっぱり、こちらと同様」
「いかにも十九女ケ池の約定は約定。きゃつらただであの約定に従う手合ではない。やはり、お頭《かしら》の命令通り、討ち果たさねばならぬ」
「伴作どの、いっそ、石田の忍びの者が大谷刑部に化けて入ったと大声でさけんでやったらどうでござりましょう」
「いかぬ。それはならぬ。弥勒甚五郎撫子が、小早川の手のものに討たれたと波ノ平法眼に知られては全《すべ》てぶちこわしだ。きゃつらはあくまで秘《ひそ》かに始末せねばならぬ。そうであってこそあの二人が徳川方に走ったと法眼が考えるのだ」
「しっ、伴作どの、近すぎてもう見えませぬか。ふたりがついそこまで来ましたので、もうお黙りなされまし」
小笹の声は低かったが、殺気にみちていた。
六
数分のちである。杉木立の下を急ぎ足で通りかかった二人は、ふいに頭上から、「波ノ平組」と、呼ばれて、はっとあげた顔を雨にうたれた。いや、顔を白布で巻いた弥勒甚五郎はべつとして、小早川の陣中女房に化けた撫子の方は、顔をあげたとたん、雨のようなものが眼に入るのをおぼえ、思わず「あっ」と顔を手で覆っていた。
忍者は闇中にも見える練磨をしている。一瞬頭上から薙《な》ぎおとされる数条の鎖を見たのを最後に、撫子はその視力を失った。眼に入ったのは雨ではなく、油のようなものであった。眼のないふたりは、鎖に両足を巻かれた。とみるまに、まるで蓑虫《みのむし》みたいに宙に逆吊《さかづ》りになった。
「おい、声をたてるな」
頭上の声が笑った。
「どうやら、刑部の偽者《にせもの》があらわれたことが、今頃やっとわかって、陣屋の方でも騒ぎ出したようだ。声をたてて見つかると困るのはうぬらだろう。とくに撫子とやらいう女の方は生き恥かこうな。裾《すそ》が逆さに垂れて、ここから見ると」
「服部組の奴らだな」
闇の空中で、逆さにゆれながら、弥勒甚五郎はうめいた。
盲目の大谷刑部を、あらぬ一室に案内してむなしく待たせたのは、小早川の侍女に化けた撫子であり、その刑部に化けて顔を白布でつつみ、秀秋に会見したのは弥勒甚五郎であったのだ。
浮舟伴作はいった。
「その通りだ。これ、刑部に化けて、駄法螺《だぼら》を吹いて、中納言の心がうごいたか。どうやらうまくゆかなかったようだが、どうじゃ、きょうのたたかいは必敗とみて、うぬら徳川家に走るか」
「そういう約定だ」
「約定は約定だが、ただ頭を下げて徳川家に走る気ではあるまい。さっき俺達《おれたち》を討ち果たすと吐《ぬ》かしておったな。これ、何をかんがえておる」
「…………」
「ええ、きかぬでもよい。うぬら、頭を下げてきても、服部組には異物は入れぬ。どうせ誅戮《ちゆうりく》するなら、ここで始末してやる。ここで始末しても、波ノ平法眼が、うぬらが徳川家に走ったと見るは同じだ。四人、ひとりも石田方へ走るものがなければ、きょうのいくさに金吾中納言の裏切りは必然。――そう思っても、西軍がいまさらこの松尾山を攻めるには時期がおくれた。東軍はすぐそこに迫っておるからだ。おい、撫子、裾をかきわけて、東の方を見ろ、うぬの眼に入ったあぶら虫眼は、三尺先のものもみえぬ代りに、八丁先のものでも三尺先のもののようにみえるはずだ。東軍の先鋒が、雲のように関ケ原の東に湧《わ》き出したのが見えるだろうが」
ケ、ケ、ケ、と杉木立の中の声は、怪鳥のように笑った。
「きょうの戦《いくさ》に、松尾山一万三千のために、西軍も一万三千をさいて備えるか。備えれば、西軍は五万四千、東軍は五万五千に逆に一万三千を加えて六万八千。敗北は必至だな。その戦いの前に、伊賀服部組は伊賀波ノ平組に完勝するのだ」
浮舟伴作の声は凱歌《がいか》と殺気にみちた。
「よし、小笹、鎖をたぐれ」
鎖を投げたのは小笹であった。
宙吊りの二人のからだが寄り、もつれあって、鎖は三尺たぐりあげられた。
そのとき、闇天《あんてん》で悲鳴があがって、樹上の二人が大地に転がりおちた。それよりさきに、やはり地上におちた弥勒甚五郎と撫子が、鎖を足に巻いたままよろめき立ったとき、浮舟伴作と小笹はからだを海老《えび》みたいにして苦悶《くもん》していた。
その喉笛《のどぶえ》に一本ずつの指がくいこんでいる。彼ら自身の指ではない切断された白い指だ。
「波ノ平忍法、鷹《たか》の爪《つめ》。――」
笑った撫子の左手の指は一本もなく、そこから五条の血のすじがおちた。逆吊りになったまま、彼女は懐剣で、己の左手の指をみな切った。鎖がもつれた瞬間に、彼女はそれを弥勒甚五郎に渡した。顔の白布を掻《か》き分けた甚五郎は、五本の指を逆に樹上の二人に投げた。女の指の爪はマキビシよりも恐ろしい毒の爪であった。
「波ノ平組の勝ちだ」
鎖をといて、甚五郎と撫子は、すでに絶命している伴作と小笹のそばに歩み寄った。
甚五郎はうす笑いしてつぶやいた。
「波ノ平組は、約束を守って徳川家に走る」
ふたりはしゃがみこんで、伴作と小笹の屍骸《しがい》の喉笛から毒の爪をぬきとった。
それから――闇の世界で何が起ったか。
ふりそそぐ雨の中に、彼らはきものをぬぎすてて裸体となり、またふたつの屍骸も同様の姿にした。そして、弥勒甚五郎はあおむけの小笹の両腿《りようもも》をじぶんの両|膝《ひざ》ではさみ、双腕の掌を小笹の両|脇腹《わきばら》にあてがった。一方、撫子も伴作の屍骸に対しておなじ姿勢をとった。
ふたりはつぶやき出した。
「交合|転生《てんしよう》。……」
「交合転生。……」
くりかえすこの声とともに、両掌《りようて》を屍骸の胸廓《きようかく》におしつける。弾《はじ》くようにはなす。またおしつける。この運動は、一分間約十四、五回の間隔で反覆された。
現代の人間がこの光景を見たら、かならず人工呼吸法を思い出したであろう。いかにも、死者の上半身に加えられる働きはそれに似ていた。しかし、それ以外に――同じリズムで、下半身に加えられるもう一つの働きがあったのだ。
「交合転生」
「交合転生」
十分……二十分……三十分、撫子と甚五郎の声は、呪文《じゆもん》のごとく恍惚《こうこつ》とたかまり、香煙のごとく妖しくもつれ合い――うちたたく冷雨に、そのからだからは、たしかにしぶきではない蒸気が白じろと立ちのぼりはじめた。
いや、生命を燃焼させているふたりだけではない。――見よ、草に横たわったふたりの死びとの肌からも、これまたたしかに雨しぶきではない、白い蒸気のようなものが、うすうすと立ちのぼり出している。
そも、これはどうしたことか。死せる伴作と小笹は、眼をほそく――雨の下に、まばたきもせずにひらいていた。はじめ、星眼|朦朧《もうろう》といった感じであったのが、しだいに銀色のひかりをはなち出した。そしてふたりの両腕は、いつのまにか、それぞれ馬乗りになった撫子と甚五郎の腰にあてがわれて、かえってこれを支えるかたちをとっていたのである。
「交合転生!」
「交合転生!」
声がさけんだ。その声は、死者の口から出た。
同時に、馬乗りになった甚五郎と撫子のからだが、硬直したように棒立ちになったかと思うと、のめるように前に伏した。男女それぞれ、二つに重なり合おうとして、かぶさってきたからだをふりおとし、小笹と伴作はむくりとはね起きた。
「首尾よう、転生《てんしよう》になりましたな」
と、伴作がいった。しかしそれは撫子の声であった。そのまま彼は――いや彼女は、雨にぬれつくした浮舟伴作の装束《しようぞく》を身にまといはじめている。
「のど[#「のど」に傍点]の傷は、かくしておいた方がよいかもしれぬ」
と、小笹がいった。しかしそれは甚五郎の声であった。そのまま彼女は――いや彼は、先刻巻きすてた顔の白布をちぎって半ばを相手にわたし、残りの布をじぶんのくびに巻きはじめている。
交合転生。――まさに交合によって、弥勒甚五郎は小笹に転生し、撫子は浮舟伴作に転生した。
正確にいえば屍姦《しかん》だ。――死者へながれこむ生命の精、しかし、ふつうならば、この生命と死との交流からは何物をも生み出さぬ。しかるにこの場合、生命は移動した。同時に魂も、生者から死者へ移動した。弥勒甚五郎から小笹へ、さらにおどろくべきことは、本来なら受身であるべき女の撫子から男の伴作へそれが移動したのである。一見それは、死せる浮舟伴作が甦《よみがえ》り、死せる小笹が甦ったようであった。
「では、東軍へ走ろう」
伴作と小笹はすっくと立ちあがった。そして、服部組の忍者の顔をしたふたりの男女は、にっと笑《え》んだ顔を見合わせたのである。
「波ノ平忍法は、天下分目の合戦の勝敗をもくつがえすぞ」
女が男を背負った。それは浮舟伴作の眼が、まだあぶら虫眼のため、地を走ることがむずかしいためであった。そしてふたりが、疾風のように松尾山を駈け下っていったあと、雨と闇の世界に、弥勒甚五郎と撫子の顔をしたふたつの屍骸だけが残された。
七
服部半蔵のもとへ馳《は》せもどった浮舟伴作と小笹は、
「小早川中納言さまは、相違なく東軍にお寝返りなされまする。その時刻は、きょう巳《み》の刻《こく》(午前十時)とつきとめてござる」
と、報告した。半蔵はきいた。
「波ノ平組はどうした」
「きゃつらも、この物見は一致してござるが、御推察の通り、きゃつら東軍に身を寄せる気なく、われらを討ち果たし、われらが西軍に走ったように思わせ、同時に中納言さまが西軍につかれるものと思わせるように謀《はか》る態《てい》に相みえましたので、御指図のごとくきゃつらを討ち果たしました」
「左様か。でかした。や、うぬら、そのくびの白布は!」
「波ノ平の奴らに、吹針で吹かれた傷のあと――さしたることはござらぬ」
快報を受けたよろこびのあまり、さすがの服部半蔵もそれ以上疑わなかった。
両人をひきいれ、半蔵は家康のところへ駈けた。
家康は関ケ原東端の桃配山に本陣を進めていた。慶長五年九月十五日の夜は明けつつあった。
「十五日、小雨ふる。山間なれば霧深くして五十|間《けん》さきは見えず、霧あがれば百間も百五十間さきもわずかに見ゆるかと思えば、そのまま霧下りて、敵の旗少しばかり見ゆることもあるかと思えば、そのまま見えず。
家康公おん馬立ちさせられ候ところと、石田治部、小西|摂津《せつつ》、大谷刑部陣場とは、そのあいだ一里ばかりなり。鉄砲の音は霧の中にておびただし。
御馬廻り若者ども、われもわれもと馬を乗りまわし、御備えしかと定まらざるとき、野々村四郎《ののむらしろう》右衛門《えもん》と申すもの、家康公御馬へ馬を乗りかけ申し候。おん腹立ち候て刀を抜きお払いならせられ候えば、野々村には御刀あたらず、御刀抜かせられ候におどろき、野々村走り逃げければ、お腹立ちのあまり、お側《そば》の者|門奈長三郎《もんなちようざぶろう》と申すお小姓の指物《さしもの》を、筒《つつ》の際《きわ》より切られ候えども、身にあたらず」(慶長年中|卜斎記《ぼくさいき》)
これほどいらだっていた家康も、半蔵の報告に愁眉《しゆうび》をひらいた。「思いのほかに悦喜《えつき》あり」と、当時の記録にある。しかるに。――
関ケ原の合戦は、霧まだふかい辰《たつ》の刻(午前八時)から火ぶたを切っておとした。
勝敗は容易に決しなかった。とくに午前十時に小早川の裏切りを期待していた東軍は、それゆえにかえって、この期待のむなしいことを知ったとき、動揺を禁じ得ず、いちじは危く潰乱《かいらん》状態におちいろうとした。
「この日辰の刻にいくさはじまり、巳の刻に及びてもいまだ勝負分れず、ややもすれば味方追いなびけらるるようなり。金吾中納言秀秋、かねて裏切りすべき由、うすうす聞えしが、いまだそのさまも見えず、家康公の家臣|久留島孫兵衛《くるしままごべえ》、先手より御本陣に駈け参り、金吾が旗色何とも疑わし。違約せんもはかりがたしといえば、御気色《みけしき》にわかに変じ、しきりにおん指をかませられ、さては倅めに欺かれたるかとの上意なり」
家康は若いころから、味方が危いときは指をかむ癖があった。彼の狼狽《ろうばい》と懊悩《おうのう》は察するにあまりある。――
「半蔵!」
鉛色の顔で、家康はさけんだ。十一時ごろであった。関ケ原一帯、突撃し、逆襲する鉄蹄《てつてい》の下に、すでに数千の屍体が算をみだし、吹きつける風に血の色があり、死臭があった。
服部半蔵が駈けてきて手をつかえたが、もとより家康に劣らぬ死相を呈している。
「うぬ一党の物見はどうしたか」
「はっ、実に、何とも――いまいちど、拙者が松尾山に物見に――」
「たわけっ、もうおそいわ。半蔵、うぬの成敗《せいばい》は追ってする。いま、いつわりの物見をもたらした奴らの首を、うぬみずからの手で刎《は》ねい!」
服部半蔵が、高手籠手《たかてこて》にしばりあげられた浮舟伴作と小笹のうしろに立って陣刀をふりあげたとき、家康の本陣の外でつむじ風のような叫喚が巻き起った。いうまでもなく西軍の一帯がそこまで突入して来たのだ。
「小笹、伴作――お味方がかかる窮地におちたのもうぬらのため、服部一党の名は泥にまみれたぞ!」
半蔵が絶叫したとき、小笹がくびをうしろにねじむけ、ニヤリとした。
「おれは服部一党ではない。波ノ平の弥勒甚五郎よ」
ひくいが、あきらかに男の声であった。服部半蔵は棒立ちになり、次の瞬間、恐怖の突風に吹かれたように、その首を斬りおとした。
その血しぶきを半面に受けつつ、浮舟伴作も文字通り血笑《けつしよう》の顔を仰《あお》のかせた。ほそい女の声でいった。
「見よ、東軍は敗れつつある。――わたしは、波ノ平の撫子《なでしこ》――」
みなまでいわせず半蔵の刃がその身首を断《た》った。
小早川秀秋が実際に裏切ったのは、正午過ぎであったが、しかし関ケ原の一隅に、血と泥にまみれてころがった波ノ平組のふたりの忍者の首には、たしか勝利の死微笑が刻まれていた。
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「今昔物語集」の忍者
一
荒唐無稽《こうとうむけい》の忍術小説を書き出したら、「どういうはずみであんなものをやり出したのだ」とよくきかれる。
どんなきっかけで、時代錯誤な忍術物語を書きはじめたのか、じぶんでも忘れてしまったが、いまくびをひねって思い出してみると、どうやら「水滸伝《すいこでん》」を私流に書いてみないかとすすめられたことが端緒となったような気がする。
ずっとまえ、私は中国四大奇書の一つといわれる「金瓶梅《きんぺいばい》」を推理小説化した「妖異金瓶梅《よういきんぺいばい》」という作品を書いたことがあって、そのつながりから、やはり四大奇書の一つ「水滸伝」をなんとかしてみないかといわれたようである。
それで、「水滸伝」を読んでみた。ご存じのように、これは百八人の豪傑が中国四百余州をあばれまくる波乱万丈の物語だが、これをそのまま私流に書くにしても、または日本の風土に植えかえるにしても、もう少し近代的に再構成しなければ、いまこと新しくとり扱う甲斐《かい》がない。まず第一に、少なくとも登場する豪傑の武器武術を百八種類に書きわけなければ面白くないとかんがえた。
ところが「水滸伝」は、いかにも中国大陸の面目躍如として、登場する豪傑は百八人だが、その武器武術は百八種どころか、二、三十種にも足りないのではないか。だいたい豪傑そのものも、ほんとうに読者の印象にのこるのは、それくらいの人数で、あとはただ仰《ぎよう》 々《ぎよう》しい名がつらねられているだけではないか。――そのへんは、実に大まかなものである。
そこで私は、腕をくんで考え出した。刀、弓、槍《やり》、薙刀《なぎなた》、鉄砲、杖《つえ》、棒、縄《なわ》、網、鎖鎌《くさりがま》、馬、犬。……と、それでも四十何種類かならべあげた。しかし、そこで尽きた。これがせめて百ちかくまでいったのなら、あとは死に物狂いにしぼり出すという元気も出るだろうが、百八種という目標に対して、四十何種ではもはや絶望的だ。
「そんなに神経質にならんでもいいではないか」と、いってくれる人もあったが、これはだめだ、と私はサジを投げ、シャッポをぬいで、「水滸伝」はあきらめていた。実は、少々ばかばかしくもなっていた。
それで、この件については打ち切ったつもりであったが、だいぶたってから、忍術だけで水滸伝を書いたらどうだろう、と、ふっと思いついたらしい。以前考えた武術の中に、当然忍術という一項目のあったのが、頭のどこかに残っていたとみえる。
忍術を、たんに一種とかぎることはないではないか。これを一種類とし、いままで存在した武術ばかりを数えあげれば、百八種類もないにきまっている。忍術を対象に、じぶんが新しい術を創造すれば、いくらでもあるではないか。
そこで、はたとひざをたたいて、忍術物語のシリーズを書き出したのである。
むろん最初から百八種類のアイデアがあったわけではないが、書いてゆくうちに、ふと気がついてみたら、いつのまにか百八種類どころではない、百数十人の忍者を作り出していた――というわけである。
合理と非合理という両極端のちがいはあるが、それ以外の点では、これは推理小説のトリックを考えるのとおなじだな、と書きながら私はしばしば思った。なるべく奇抜なアイデアであることが望ましいこと、いちど使ったアイデアは二度使いたくないこと、うまいアイデアは理づめに出てくるものではなく、忽然《こつねん》として天からふってくるがごとく思い浮かぶこと、などがそうである。
推理小説のトリックには、自他ともに、ずいぶんムリだなあ、と思われるものがあるが、忍術小説のアイデアにも、それはまぬがれない。いくら荒唐無稽の物語にしても、まさか雲にのって三千里走るとは書けない、それにはそれなりの限界というものがあるのである。
私の場合にも、書きながらしぶい顔をしたり、あとで読んでじぶんで吹き出したりしたことがしばしばあった。
凍った湖の上にいる敵を、水中からカステラを切るがごとく氷を切っておとす、などいうのは、われながらムチャであった。そんなことをするあいだ、人間が無呼吸でいられるかどうかはべつとして、氷がそう簡単に切れるものなら、氷屋が大ノコギリをふりまわしてゴシゴシやることはないわけだ。また、金縛《かなしば》りになった忍者が、じぶんの下アゴをむしりとって投げつけ、敵にカミつくという描写をしたことがあるが、よくよく考えてみると、下アゴだけでかみつくというのは、物理学的に至難なことのように思われる。――しかし、そこはまあ「なにしろ忍術小説ですからな」と、そらっとぼけて澄ましていることにしたい。
しかし、ともかくも百数十の忍術をかきわけると、たいていの人がおどろくとみえて、「よくまあ、あれだけばかげたことが次から次へと頭に浮かぶものですな」と、妙な眼つきで私をながめ、一応こちらが正気《しようき》であるらしいとたしかめると、次によくその発想法をきかれる。当方としては、「ただ苦しまぎれで」とお答えするよりほかはない。
そのなかで、「あなたは今《こん》 昔《じやく》 物《もの》 語《がたり》からヒントを受けているのではないか」といった人が二、三あった。
これは私には意外であった。ずっと以前、拾い読みしたこともないではないが、そういわれるまで、私は「今昔物語集」のことなど念頭になかったからだ。そういわれて、はじめてあらためて読んでみる気になった。
二
「今昔物語集」は、平安朝末期《へいあんちようまつき》に作られた説話物語である。著者は宇治大納言隆国《うじだいなごんたかくに》とつたえられるが、それもさだかではない。
この物語集を直接読まなくても、現代の人びとは、芥《あくた》 川《がわ》 竜之介《りゆうのすけ》の「羅生門《らしようもん》」「鼻」「芋粥《いもがゆ》」「往生絵巻」「藪《やぶ》の中《なか》」「好色」「六つの宮の姫君」などの短編や、谷崎《たにざき》 潤一郎《じゆんいちろう》の「少将|滋幹《しげもと》の母」などで、その一端にふれたことがあるはずだ。これらはすべて「今昔物語」から材料をとり、少なくとも暗示を受けたものである。
読んでみて、私はこの約九百年ほど前の物語の近代性におどろくとともに、右の大作家たちの材料の採取の巧妙さ、それからひろげていった空想力構成力のみごとさに感じ入らざるを得なかった。
これから材料をとった、右にあげたような作品以外にも、こんな話がある。
≪今は昔、初午《はつうま》の日に、稲荷詣《いなりもう》でに京じゅうの人が集まった。
そのとき、数人の舎人《とねり》が、酒や弁当をもってやってきたが、ふと群衆の中に、美しい被衣《かつぎ》をかぶった女を見出した。
彼らが来かかるのを見ると、女は道をゆずって樹立《こだ》ちのかげにかくれようとする。そのようすがなんとも愛らしいので、男たちはゆきもやらず、腰を折りまげて顔をのぞきこもうとしたり、ふざけて淫《みだ》らな声を投げかけたりした。なかでも、舎人のひとり茨田《まつた》の重方《しげかた》はすこぶる女好きの男であったから、そばへよってじっくりと誘惑にとりかかった。
女はいう。
「奥さまもおありでしょうに、いたずらなことをおっしゃっても、きく耳をもちません」
その声のなまめかしさに、重方はいよいよぞくぞくとして、
「いや、ほんとうのところ女房はおりますが、その顔ときたら猿同然《さるどうぜん》、心は物売りの女同様。まえから別れたい別れたいと思っているのですが、着物のほころびを縫ってくれる人間がいないとこまるから、いっしょにいるまでで、いい人があったらとり変えたいと夢みているわけです」
とかなんとか、うまいことをいって、両手をすり合わせてふしおがみ、はては女の胸に烏帽子《えぼし》をさしあてて、「のう、助けたまえ、情《つれ》なきことを仰《おお》せられるな」という、その烏帽子越しに、女は片手で髻《もとどり》をひたとつかみ、もう一方の手で音ひびくばかりに平手打ちにした。
「な、なにをなさる」
と、顔をふりあげて、重方は仰天した。被衣の中の顔は、じぶんの妻であった。
さてそれから重方はさんざんにとっちめられ、それにも一々ご尤《もつと》もご尤もと平身低頭したが、妻は一向にゆるさず、
「あなたは、あなたの好きな女のひとのところへいらっしゃればいいでしょう。あたしのそばへ二度とお寄りになると、こんどは蹴《け》とばしますよ」
と、颯爽《さつそう》として向こうへ歩いていってしまった。……≫
なんとまあ現代的な風景ではないか。また、
≪今は昔、藤原《ふじわら》の朝臣為盛《あそんためもり》が越前守《えちぜんのかみ》であったとき、諸国の租税が集まらなくて、下級の官吏たちに給料の払えなかったことがあった。そこで官吏たちはみな怒って、天幕や腰掛け持参で、為盛の家におしかけ、家人の出入を断《た》って督促した。
夏の暑い盛りのころである。未明から午後三時ごろまで烈日《れつじつ》に照らされて、彼らはうだりきっていたが、交渉が成立するまでは帰れない、とがんばっていた。すると、門を細目にひらいて、家老が首を出し、
「殿がこう仰《おお》せでござる。早速みなの衆と会って話したいとは思っているのだが、こう恐ろしいけんまくで押しかけられては、女子供がおびえて泣いているありさまで、いますぐには会えない。それにしても、こう暑い日に立ちづめでは、のどもかわいたであろうし、空腹になったでもあろう。ともかく門内に入って、飢渇《きかつ》をおさえられては如何《いかん》、かように申されまするが」
そこで、あごを出しかけていた一同が、ぞろぞろと中に入ると、中門の北の廊下に机をながくならべて、その上に、鯛《たい》に塩をした干物《ひもの》、塩鮭《しおさけ》、鰺《あじ》の塩辛《しおから》などが盛ってあった。酒が出た。その酒はすこし濁って、すっぱいようであったが、のどがかわいていたので、みな机の上のものを肴《さかな》に、がぶがぶと飲んだ。飯はまだかと思っていると、飯は出ないで、熟しきって紫色をしたすももが山盛りになって運ばれて来た。
やがて、為盛が出てきて、簾《すだれ》越しに、租税の集まりのわるい実状をくどくど弁解しているうちに、一同の腹が鳴りはじめ、猛烈な便意をもよおし、それを押えるのに全身が痙攣《けいれん》するようになった。やがてひとりが、「ちょっと用を足して参る」ととび上がったのをきっかけに、みな折り重なるようにして駆け出したが、走りながら、水をくつがえすように糞《くそ》を垂れはじめた。
しかも、この惨状を呈しながら、「なにか、なにか、やられるな、とは思っていたが、まんまとうまくしてやられた」と、みな笑い涙をこぼした。……≫
現代のピケラインにこの痛快無比の奇策が通じるやいかに。また、
≪今は昔、源《みなもとの》 頼光《らいこう》の家来に、平《たいらの》 貞道《さだみち》、 平《たいらの》 季武《すえたけ》、坂田金時《さかたのきんとき》という三人の豪傑があった。いずれも豪胆無比の偉丈夫《いじようふ》であったが、賀茂《かも》の祭りからの帰途、いちど車というものにのって、紫野までのしてみようではないか、ということになった。
それで、生まれてはじめて車にのってみたところが、車はゆれにゆれて、あるいは板に頭をぶっつけ、おたがいに頬《ほお》をぶっつけ、ひっくりかえったかと思うと前につんのめる。はてはへどを吐きちらし、虫のような声で、そう車を急がせるな、ゆっくりゆけ、ゆっくりゆけ、と哀訴する始末になった。……≫
などという、平安朝のタクシー奇譚《きだん》もある。また、
≪今は昔、三条《さんじよう》の中納言《ちゆうなごん》という人があった。まるでお相撲《すもう》のようにふとっていたが、あるとき医者を呼んで、
「こうふとっては、身うごきするのも苦しくてしようがない。なんとか痩《や》せる法がなかろうか」
と相談した。そこで医者が、
「冬は湯漬《ゆづ》け、夏は水飯《すいはん》を食べるようになされ」
と、教えた。ちょうど食事どきであったので、ではといって三条の中納言は水飯を食べはじめた。
見ていると、第一の膳《ぜん》には三寸ばかりの干瓜《ほしうり》を十ばかり盛り、第二の膳には大きな鮨鮎《すしあゆ》を三十ばかり盛ってある。さて巨大なお椀《わん》に飯を山盛りにして水をぶっかけ、干瓜を三つ食い、鮨鮎を五つ六つ食い、それから水飯をかきこみはじめたが、二口ばかりで空《から》にして、「また盛れ」とお椀をつき出した。……≫
現代でも低カロリーの食餌《しよくじ》療法をめぐって、こんな珍談がありそうだ。また、
≪今は昔、筑前《ちくぜん》の前司藤《ぜんじふじ》 原《わらの》 章家《あきいえ》の家来に、頼方《よりかた》というものがいた。髯《ひげ》ながく、眼は爛々《らんらん》とした勇士であった。
ある日、章家をとりかこんで、侍たちが食事をした。主人が食べ残したものは、家来たちが頂戴《ちようだい》して、じぶんの皿に移して食べることになっている。そのうち、頼方は、主人の皿を回されたが、なにをうっかりしていたのか、じぶんの皿には移さないで、そのまま食い出した。ほかのものが気がついて、
「どうした。それは殿のおん器《うつわ》であるぞ」
と注意したところが、頼方ははっと気がついて、食っていたものをまたその皿に吐き出した。あわてていたので、それが髯などにかかって、みるからに汚ならしく、主人の章家は苦い顔をし、侍たちは笑いをかみころした。
いったい、頼方はなにをぼんやりしていたのか、もとは思慮もあり、武勇の侍であったのに、この事件以来、することなすことへまをやって、武勇のわざにかけても劣るようになったことはふしぎである。……≫
こんな話も、人間心理の微妙なところをついていて、いかにもありそうに思われる。――
「今昔物語」は、九百年前の物語とは思われない、こういう面白いショート・ショートにみちみちているが、三十一巻にわたる厖大《ぼうだい》な説話の中で、私の忍術の参考になりそうなものは、存外なかった。
ただ、この中に、「外術《げじゆつ》」というものが出てくる。幻術と同じことで、外道《げどう》のわざという意味をふくんでいるらしい。
その「巻第二十」に、こんな話がある。
≪今は昔、京に外術ということを好みて役とする下衆法師《げすほうし》あり、履《は》きたる足駄《あしだ》、尻切《しりきれ》などを犬の子などになして這《は》わせ、また懐《ふところ》より狐《きつね》を鳴かせて出し、また馬牛の立てる尻より入りて、口より出づなどすることをぞしける≫
そういえば、谷崎潤一郎の「乱菊物語」に、三条の河原にあらわれた幻阿弥法師《げんあみほうし》という妖《あや》しき坊主がこの術を行なう場面が出てくる。
≪「さあ、よいかな、皆さん、愚僧は詐欺《さぎ》や騙《かた》りではない。するといったことは必ずする。依《よ》って唯今此《ただいまこ》れなる馬の尻から這入《はい》って、腹の中を通り抜け口から現われる。此《こ》の一番が今日の打ち止めじゃ。首尾よく行ったらお慰み、ごまかされないように、よッく気をつけて御覧《ごろう》じろ」
そういったかと思うと、緋毛氈《ひもうせん》の鞍覆《くらおお》いをはずして、それを頭からすっぽりと被《かぶ》って、馬の後脚のあいだへしゃがんだ。
馬は意外に大きな物体が尻の穴から侵入したので、苦しそうな声をしぼってひんひん[#「ひんひん」に傍点]啼《な》いた。途端にぱらり[#「ぱらり」に傍点]と緋毛氈が落ちた跡には、もう法師の姿はなかった。わずかに尻の穴の端に、痩《や》せた片一方の足の先だけ残っていたのが、それも見る間にするすると吸い込まれると、蛇が蛙《かえる》を呑《の》んだように、馬の腹が一遍にふくれ上がった。中で法師の身をもがいているのがはっきり分る。だんだんかたまり[#「かたまり」に傍点]が腹から胸へセリ上がって頭の方へ来る。馬は人間がはき気を催した時のように口を開いて切《せつ》ない息をし始めたが、
「わッはははは」
と、その口の中で法師の笑う声が聞こえた≫
わずか、「馬牛の立てる尻より入りて、口より出づなどすることをぞしける」という一行の文章から、これだけの情景をまざまざと描き出す手腕には嘆ぜざるを得ない。
さて、右の「巻第二十」である。
≪この外術をたしなむ法師の隣に若い男が住んでいて、是非これを習いたいとたのんだ。法師は、
「このことはたやすく人に伝うることにもあらず」
とことわったが、なお切願すると、
「では、ほんとうにこのことを習いたいとお望みなら、七日間|精進《しようじん》し、そのあとで新しい桶《おけ》にチマキを入れて、あるところへ参ろう。私はお教えすることはできぬ。ただそこへおつれするだけでござる」
と、いった。
七日間の精進ののち、男はいわれた通り新しい桶にチマキを入れて、法師とともに家を出た。そのときに法師がくりかえしくりかえし、「よいかな、きょうはゆめゆめ刀など持ってゆかれることは御無用ですぞ」といった。しかし若者は、そうきくとかえって不安になり、心中に、
「この法師がこういうのは怪しい。万一のことがあったとき、刀がなくては万事休すだ」とかんがえて、ひそかに小刀《しようとう》を懐《ふところ》にしのばせた。
未明に出立《しゆつたつ》して、歩きつづけ、ついにどことも知れぬ遠い山中についたのは午後三時ごろであった。
そこに小さな僧房があった。法師が木柴垣《こしばがき》の外にかしこまって、咳《せき》ばらいすると、障子をあけて、睫毛《まつげ》のひどくながい老僧が出て来た。「どうして久しく来なかったのだ」「どうもひまがございませんで、御無沙汰《ごぶさた》いたしました」というような問答ののち、法師は若者を紹介し、その望みをつたえた。すると、老僧はじっと見つめて、
「ところで、この若者は、刀など持ってはおるまいな」
と、いう。若者はかぶりをふった。
すると老僧は、人を呼んで、彼の懐をさぐるように命じた。そのようすの物凄《ものすご》さに若者はおびえ、たまりかねて、突然懐の刀をとり出して老僧にとびかかった。そのとたん老僧も僧房も忽然《こつねん》と消えてしまった。
気がついてみると、見知らぬ大きな堂の中に座っている。そして、そばで例の法師が、「なんというばかなことをしたものだ。なにもかもむだになってしまったではないか」と泣いていた。若者は一言もなかった。
あとで知ったところによると、その寺は西の洞院《とういん》にある大峰寺《だいほうじ》という寺であったが、恐ろしいことに、その外術法師は、家に帰ってから二、三日で急に死んでしまったということである≫
それから、「巻第二十八」には、こんな話がある。
≪今は昔、七月のころ、大和国《やまとのくに》からたくさんの馬に瓜《うり》をつんで、下衆《げす》のむれが京へ上ったが、宇治《うじ》の北に、ならぬ柿《かき》の木という木があって、彼らはその木陰に休んで、馬につんだ瓜をとって食っていた。
すると、平|足駄《あしだ》をはき、杖《つえ》をついたよぼよぼの老人がやって来て、下衆たちの瓜を食うのをながめていたが、やがて、
「私にもその瓜をひとついただけますまいか。どうものどがかわいてしかたがありませぬ」
と、たのんだ。下衆たちが、
「いや、この瓜は私物ではないから、ひとに食わせることはならん」
と、ことわると、老人はかなしげに、
「あわれ、情けのない方々じゃ。それでは私が瓜を作って食うといたしましょう」
と、うなずいて、そこらにころがっていた木ぎれで地面を掘りはじめ、そこに下衆たちの食いちらかした瓜のたねをばらまいた。
すると、そこからたちまち青い芽が出、するすると茎がのび、花が咲いて、瓜がなった。うまそうによく熟した瓜であった。老人はそれを食べ、にこにこして、
「ごらんの通りじゃ。さあさあみなさん、遠慮なくお食べなさい」
と、いった。下衆たちはみんなこれを食い、さらに道ゆく人びとをも呼んで食わせた。
「では、ごめん」
と、老人が笑いながら、飄然《ひようぜん》と立ち去ったあと、下衆たちは、「さて」と立ちあがり、馬のそばに寄ってあっと眼をむいた。馬の背の籠《かご》の中にあったたくさんの瓜は、一つのこらず消え失《う》せていた。……≫
これに似た話は、「聊斎志異《りようさいしい》」にもある。中国から伝来した話であろう。
だいたいこの外術というものが西域《せいいき》から中国へ伝わったものらしく、「漢書《かんじよ》」という千年ほど前に書かれた書物にも、右の牛馬の腹を通りぬける術は「馬腹術」と称し、瓜のたねを即刻《そつこく》生やす術は「生花術」と称して出ているということである。また、みずからの手足をばらばらに解体し、あとでつなぎ合わせる「屠人戮場《とじんりくば》の術」や、地にえがいて川となす「画地成川《がちせいせん》の術」なども記載されているという。
しかし、これらの術は、いかになんでも現代の忍法話には転用しがたい。少なくとも、私にこれを再現する意欲を起こさせなかった。
ところが――たった一つ、「今昔物語」の中に、それがあった。それどころか、平安朝時代に私の先祖が、私と同じ顔をして生きていたのではないかと思われるほどの話があった。
巻第二十「陽成《ようぜい》の院の御代《みよ》に、滝口《たきぐち》、金《こがね》の使いにゆきたること第十」がそれである。
三
今は昔、陽成院の天皇のころ、道範《みちのり》という滝口の武者があった。滝口とは、蔵人所《くらんどどころ》に属し、禁中の警衛にあたった武士のことで、清涼殿《せいりようでん》の東北方に御溝水《みかわみず》の落ちるところがあって、そこを詰所《つめしよ》としていたから、こう呼ぶ。
その滝口の道範が、宣旨《せんじ》をうけて、陸奥《むつ》へ黄金《こがね》を受け取りに下る旅の途上、信濃《しなの》のある村に宿った。郡《こおり》の司《つかさ》が待ちうけていて丁重《ていちよう》にねぎらった。
さてその夜、道範はなんとなく眠りがたく、起きあがって、ひとり家の内外をぶらぶらとあるいていると、ふとかんばしい香《こう》のかおりがただよってくるのをおぼえた。そこでその方へちかづいてゆくと、ある部屋に二十《はたち》ばかりの女がひとり眠っているのを見出した。きよらかにたたみをしき、屏風《びようぶ》、几帳《きちよう》などを立てまわし、二段になった厨子《ずし》などが飾ってあるところをみると、郡司《ぐんじ》の妻に相違ない。几帳のうしろにともされた灯をたよりに、あらためてしげしげと見入ると、実に夢幻の中の人ではないかと思われるほどの美貌《びぼう》である。
道範はあたりを見まわしたが、ほかに何者の影もない。彼は情欲にたえがたくなって、やおら遣戸《やりど》をひらいて中に入った。
あれほど親切に歓待してくれた郡司の妻にこんなことをするとは――と、いちどはみずからを制しようとしたが、閨《ねや》のそばにうずくまって見下ろすと、ちょうど晩夏のころであったから、女は薄着をしていて、ただ紫苑《しおん》の綾衣《あやぎぬ》を一重《ひとえ》まとっているばかりである。それを透かして息づく白く柔らかい肌を見ているうちに、道範はついに自分を失って、きものをぬぎすて、女のそばによりそって寝た。
女は眼をあけたが、声はたてなかった。口を覆い、わずかにかるく抵抗するようなそぶりをみせただけで、そのまま道範に抱きしめられた。
すると、そのとき道範は、ふいにじぶんの摩羅《まら》がかゆいような気がした。手をやってみると、毛ばかりあって摩羅がない。
「あながちに捜《さぐ》るといえども、すべて頭の髪を捜るがごとくにて、露あとだになし」と、もとの文章にある。
道範は仰天して、がばとはね起きた。そのとき、女は横たわったまま、にっと微笑《ほほえ》んだようであった。
道範はぞっとして、一陣の妖風《ようふう》に吹きとばされたように逃げ出した。じぶんの寝所に逃げもどって、もういちどたしかめたがやはりない。――なんとも奇々怪々の異変だが、さればとて、郡司の妻のところに夜這《よば》いにいったじぶんの行状を思うと、大声をあげてさわぎたてるわけにもゆかない。
道範はそっとひとりの郎党を呼んで、そうとは告げないで、「おい、しかじかの方角に、実にすばらしい美女が寝ておるぞ。実は、おれもいまいって来たのだが、ひとりで味わうにはもったいないほどの尤物《ゆうぶつ》であった。おまえもいってみるがよい」とけしかけた。
郎党は悦《えつ》にいって、さっそくに這っていったが、やがて帰って来た。みると、首をひねり、キョトンとしている。「さては、こいつもやられたな」と道範は思い、さらにほかの郎党七、八人をも、つぎつぎにやった。つぎつぎに彼らは帰って来たが、どの男も天を仰ぎ、すこぶる心得ぬ顔つきをしている。
夜が明けた。いくらかんがえても、このことはぶきみ千万である。そこで道範一行は、家人にも知らせないで、とるものもとりあえず、その家を早々に出立《しゆつたつ》した。
七、八町ゆくと、うしろで「おおーい、おおーい」と呼ぶものがある。ぎょっとしてふりかえると、ひとりの男が馬を馳《は》せてちかづいて来た。郡司の家来で、昨夜食事の給仕をしてくれた男であった。
馬から下りていう。
「けさ、お食事のご用意をしておりましたのに、いそいでお立ちになりましたので、こんなものを落としておゆきになりました。ひろい集めて持って来ましたが」
と、白い紙につつんだものをうやうやしく捧《ささ》げた。
「どうしてかようなものを捨てておゆきなされたか、はやく追いかけていって奉れ、と主人が申しまする」
茫然《ぼうぜん》として受け取ってみると、なんだか松茸《まつたけ》をつつんだような感触である。八人の郎党を呼びあつめ、紙をひらいてみると、九本の摩羅がそこにあった。
使いの男は、なにごともないかのような顔で、馬にとびのり、駆けもどっていった。……
この話には、まだあとがある。
滝口の道範は、陸奥からの帰途、またこの信濃の郡司の家に寄って、恥をしのんでいつぞやの怪事をただした。郡司は笑いながら、
「あれは、私の若いころ、この国の奥の郡に老郡司がおりまして、その妻が非常に若く美しかったので、つい忍んでいって、例の摩羅おとしの術にかかり、その老郡司に謝《あやま》って伝授された外術です」
とこたえた。
道範は多くの黄金《おうごん》をあたえて、その相伝を請うた。郡司は承諾した。
しかし、その奥義を体得するには、さまざまの恐るべきテストがあって、道範はついにその何課程めかに落第した。
郡司は天を仰いで、「あなたはとうてい摩羅おとしの術をおぼえるところまではゆきません。ほかのもっと他愛ない術をおぼえるのがせいいっぱいのところです」といった。
道範は残念に思ったが、しかたなく、もっと初歩の外術をならってかえった。
京にかえってから、彼はときどきそれを見せた。草履《ぞうり》を小犬に変えたり、わらじを鯉《こい》に変えたりする術であった。
ところが、それでも人びとの眼をうばうに十分であったらしい。評判を陽成天皇がきかれ、道範を召して、この外術をおならいになった。日本には、忍者の天皇が実在したのである。
――しかるに、世の人びとは、このことをよくいわなかった。帝王の御身を以《もつ》て、かかる外道の術をなしたまうとは、以てのほかの罪ふかいことであるとそしった。そしてまた陽成天皇は、のちについに発狂されたという。
「今昔物語集」はおごそかにいう。
≪それたまたま人界に生まれて仏法にあいたてまつりながら、仏道をすてて魔界に赴《おもむ》かんこと、これ宝の山に入りて手を空《むな》しくして出《い》で、石を抱いて深き淵《ふち》に入りて命を失うがごとし。しかれば、ゆめゆめとどむべきことなりとなん語り伝えたるとや≫
角川文庫『忍法落花抄』昭和58年10月10日初版発行