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忍法破倭兵状
山田風太郎忍法帖短篇全集 3
目 次
忍法鞘飛脚
忍法肉太鼓
忍法花盗人
忍法しだれ桜
忍法おだまき
忍法破倭兵状
*
忍法相伝64
[#改ページ]
忍法鞘飛脚
私はインテリ忍者である。忍者中の文化人である。
従って、私はいわゆる忍法なるものを信じない。むしろ嫌悪する。いや、ぜんぜん知らないのである。
にもかかわらず、ともかく「忍者」と称するのは、私が、甚《はなは》だ迷惑なことに、ともかくも忍者の一党に籍を置く人間だからだ。
私は医学を学んだ。私は臆病である。――言葉をかえていえば、神経が繊細である。私は女が猛烈に好きである。どれくらい好きかというと、美人が数メートルの距離にちかづくと、それだけでもう勃起現象を起すほどだ。これはわれながら少々異常で、この点だけについていうと、まさしく忍者の血が遺伝しているのではないかと思う。にもかかわらず、女が極めて恐ろしい。どれくらい恐ろしいかというと、三十三歳にもなってまだ童貞を守っているほどだ。ただし、これには私が包茎であるという劣等感が重大な心理的影響を持っている。長崎の蘭館《らんかん》でクーケバッケル先生から、内科はもとより、外科産科などの相当大がかりな手術を学びながら、じぶん自身のこの小さな欠陥を手術してもらわなかったのは実に残念な気がするが、しかし私としては外人にそれを告白もできないほど恥ずかしがっていたのである。……ただし、私の場合は、包皮輪が甚だ狭く翻転《ほんてん》することのできない真性包茎ではなく、一見包茎のように見えるが容易に翻転し得る仮性包茎にすぎないが。
さて、私は忍者の一党に籍を置いたことを甚だ迷惑だといったが、迷惑も迷惑、これほどの迷惑を蒙《こうむ》った人間はちょっと世の中にあるまい。――なぜかというと、そのために私は、眼と耳と舌と四肢を失ってしまったのだから。こういう人間の姿、いや心理はいかなる状態にあるか、常人にはおいそれと御想像もつくまいが、まずヘレン・ケラー女史がダルマ大師と結婚したようなものだとかんがえていただきたい。
だから忍者などいやだといったのに……そして忍法などぜんぜん知らないのに、こんな状態になって、いったい私に何ができるというのか。
――と、作者が、「彼」に代っていうのである。きいてもつんぼで、しゃべるに口なく、書くに手なく、眼も足もないから何を合図する手段もない。ついでに彼に代って紹介すれば、この医者で、臆病で、女が好きで、女がこわい、おまけに包茎という文化人の要素をすべてそなえた忍者の名は、山鳥竹斎《やまどりちくさい》。
一
延宝《えんぽう》八年一月末|氷雨《ひさめ》のふる夜のことである。
医者の山鳥竹斎がここ四、五年も出入りしている志摩《しま》藩七万石|安乗志摩守《あのりしまのかみ》の上屋敷から帰宅してみると、一族の長老|根来孤雲《ねごろこうん》からいま使いがあって、内密にすぐ組屋敷に来てもらいたいという代診の報告であった。
ほとんどこの二年ばかり孤雲には逢っていなかったし、この夜ふけに何事であろう、と、さした傘から冷たくしずくが掌につたわってくるのを感じながら、竹斎の心はふるえた。とくに「内密」という断りがあったのが気にかかる。
孤雲が来てくれといった組屋敷とは、公儀《こうぎ》お小人目付《こびとめつけ》の組屋敷であった。お小人目付というのは、お城で諸女中のお出入りのときの輿添《こしぞ》い、大奥の軽い用向き、手紙の使い、物の運搬などに従うわずか十五俵一人|扶持《ぶち》の軽輩である。孤雲はその頭だからややましだが、それでもほんの陋宅《ろうたく》にすぎなかった。
二年ぶりに逢うと、孤雲はめっきり白髪を加えているのに、顔色がむかしよりかえってつやつやして、精気にみちていることがまず眼についた。
「なかなか、商売が繁昌しておるようで結構だ。……またいちだんとふとったな」
挨拶がすむと、孤雲がじろじろと、まるまっちい竹斎の姿を見ながらいった。
「使いがいったときも、どこかへ往診に出かけていたということじゃが」
「安乗志摩守さまのお屋敷へ参っておりました」
「ほ、御病人はどなたじゃな」
「奥方さまでござりまする」
「奥方さまが――どうなされたか」
「さしたることはござらぬ。もの狂い――とまではゆかず、医者の言葉では臓燥《ぞうそう》と申しまするが、思いつめて狼藉《ろうぜき》をなさる。左様なことがしょっちゅうに起る奥方さまで」
臓燥とは、いまの言葉でいうヒステリーのことだ。
「まことにお父上の御息女でいられまする。お読みになる書物も歌書ならで史記、資治通鑑《しじつがん》のたぐいで、しかも漢の呂后《りよこう》や唐の則天武后《そくてんぶこう》のごときことがしてみたいと仰せられますから、恐ろしい奥方さまでござりまする」
竹斎が「お父上の御息女」といったのは、その志摩守の奥方さまが、時の大老|酒井《さかい》雅楽頭《うたのかみ》の娘だからであった。……正直なところ、彼は実際その奥方さまがこわい。じぶんの女性恐怖症を鼓舞《こぶ》したのはその奥方さまがあずかって力があったのではないかと思われるほどだ。そういう御身分でなかったら、往診などことわりたいほどである。
「奥方さまがもの狂いなされたは、志摩守さまが御病気のゆえではないか」
「え、殿さまが御病気でござると? それは存じませなんだ。志摩守さまはただいまお国元に御帰国中ではござりませぬか」
「それが――御帰国の期間はもうとっくにすぎておる。本来なら、去年九月に御帰府にならねばならぬはずだが、志摩守さまにはお国元で御病気じゃとのおとどけが出ておる」
大名が一年おきに領国に帰り、また在府するのは当時の習いである。
「で、奥方さまが、お見舞いにちかく志摩におゆきあそばす――とはきかなんだか」
「えっ、奥方さまも志摩へ?」
「いや、医者ふぜいに左様なことは仰せられまい。そういうおとどけが出ておるそうな。ふつうならばならぬことじゃが、何せ、御大老の御息女、できぬことではあるまい」
竹斎は眼をまろくして、孤雲を見まもった。孤雲のいっていることも思いがけないことだが、それよりたかがお小人目付の組頭にすぎない根来孤雲が、そういうお大名の内情を知っていることにおどろいたのだ。
「竹斎」
と、ふいに孤雲は言葉をあらためた。
「お小人にもどれ」
「――は?」
「いいや、根来組にもどれ」
「――は?」
「うぬに公儀|隠密《おんみつ》を命じる」
根来孤雲は、曾《かつ》て竹斎が知らなかったほど厳然たる顔をしていた。山鳥竹斎はワナワナとふるえ出した。ここにくるとき、妙な予感がしたのは、あれは虫が知らせたのだと思った。このことを、じぶんはいちばん恐れていたのだ。……
とはいうものの、竹斎には孤雲のいうことがよくわからない。
竹斎はもとはこのお小人目付の出身であった。彼が根来孤雲を一族の長老としているのはそういう因縁からだ。ところでこの根来孤雲はもともとお小人目付ではない。もとは公儀根来組に属した人間であり、竹斎の父もそうであった。
根来組とは幕府の職制では伊賀《いが》一番隊、根来二番隊、甲賀《こうが》三番隊という編制で表面上は諸門、行列の警衛にあたっているが、元来は、いずれも忍者だ。しかし時代が下るにしたがって、忍者の需要は伊賀者甲賀者の専売となり、根来組はいつしかはみ出してしまった。そこにいたる由来は、竹斎は知らないし、知りたくもない。ただその果てに根来孤雲たち十数人が根来組を脱して、さらに身分の低いお小人に職をかえた。これは顛落《てんらく》に似ているが、内実は、雌伏《しふく》であったことを、竹斎はうすうす感じていた。なぜなら、一族の中では孤雲の指導によってひそかに相伝の忍法の修業が行われていたからである。
実は、竹斎も若いころ、その手ほどきを受けかけた。しかし彼が忍者としては肉体的にも心理的にも不適なことはすぐにわかった。彼は医者になりたかった。その彼を長崎の出島《でじま》の蘭医のもとに修業にゆかせ、帰府すると大名へ出入りの医者に斡旋《あつせん》してくれたのは根来孤雲である。竹斎は根来組からも忍者からもまったく解放されたものと信じていた。
そのじぶんに、いま突如としてお小人に帰れという。わからない。根来組に帰れという。わからない。簡単にそう職務復帰ができるものとも思えないし、また復帰してみたところでしかたがないと思う。
いや。――孤雲老は、いま妙なことをいった。公儀隠密を命じる、とだと?
二
「公儀隠密」
と、竹斎はかすれた声でくりかえした。
「いかにも。……もともと根来組は公儀隠密を承っていたのじゃ。その御用を、ふたたび承る。われら積年の悲願がかなうときがきたのじゃ。いや、げんにいまも、すでにわれら一党の者で諸国に出ておる者がある」
孤雲は眼をかがやかせていた。一見したときこの老人の顔色に精彩があったのはこのためであったことを竹斎は知った。
「積年の悲願、それはおまえもわかっておろうが」
「しかし、お頭。――わたしは医者で」
「医者も忍法修行の一つじゃ。そうでなくて、だれがお小人から、わざわざ長崎へやる者があろうかい。それがいよいよ役に立つ時がきたのじゃ。よろこべ」
曇りなくそう信じ、よろこんでいる恐ろしい眼であった。
「竹斎、まさかいやとはいうまいな。根来の掟はおぼえておろうな」
「……はっ」
といったが、竹斎の背に冷たい汗がながれ出した。少年のころきいたその掟とやらには、一党の命にそむくものは死を以て酬《むく》いる旨の一条があったのを遠く思い出したのである。
「と、申して、おまえの医術そのものを隠密御用のお役に立てようというのではない。医者とあれば、どこへでも潜入できる。そこをまず買いたいのじゃ」
「どこへゆくのでござります」
「いま、おまえから話に出たのも機縁、志摩藩七万石じゃ」
唖然《あぜん》としている竹斎に、孤雲はしずかにいった。
「安乗志摩守さまが、参覲《さんきん》交代でお国元へ帰らるるたびに、いつも病気と申したて御帰府が遅れがちになる。また、御帰府なされたときは、甚だ御憔悴《ごしようすい》なされておる。……志摩守どのは、お国元では何かを企んでおいでなさるのではないか、というのが探索の目的じゃ」
「しかし、お頭。……志摩守さまは」
と、急に竹斎は或ることを思い出した。安乗志摩守は大老酒井雅楽頭のいわば婿《むこ》ではないか。――
「あの志摩守さまが、まさか」
「大老がそこに隠密を出されるのがおかしいか」
と、孤雲はきみわるく笑った。
「竹斎、わしがお前にお出入りを世話してやった御大名の奥方さまはどこからこられたかかんがえて見ろ」
「松平讃岐守《まつだいらさぬきのかみ》さま、水野美作守《みずのみまさかのかみ》さま、中川因幡守《なかがわいなばのかみ》さま、加藤《かとう》遠江守《とおとうみのかみ》さま。……」
と指おりかけて竹斎はぎょっとした。それはいずれも酒井雅楽頭さまの御息女を奥方としている大名方ばかりではないか。……
酒井雅楽頭といえば、もう十七、八年も大老をつとめ、病弱な将軍家をおいて実質的な将軍、げんに「下馬将軍」という異名のあるほどの人物である。
あまりに巨大すぎて竹斎などにはどういう人か想像もつかないが、いま――じぶんの婿たる諸大名にことごとく隠密をはなつとは、いよいよ以てその心情は謎めいているといわなければならない。
それにしても、そこに探索に入れるために、数年前からじぶんをそれらの諸家に斡旋してあったとは、大老とはいわず、根来孤雲の遠謀もまた戦慄《せんりつ》すべきものがある。――はやくも、竹斎は文化人らしい絶望を感じた。
「安乗家の奥方さまは、ちかく志摩へおゆきあそばすことになっておる。その殿を拝診させていただきたいとおまえが願い出て、志摩藩に入れ」
「……して、志摩藩の何を探るのでござりまする」
「それじゃ」
孤雲は一息ついて、それから横をむいて声をかけた。
「済んだか、千七郎《せんしちろう》」
「いえ、もう少し」
と、若い男の声がきこえた。思いがけず、隣室に誰かいたとみえる。
「竹斎、おまえは――ただ志摩にあって、城内で見たことのみを、奥方の御帰府とともに帰ったあとで報告してくれればよい。判断は、こちらでする」
と、孤雲はまた竹斎にいった。
「別に探索すべきことは、あの可児《かに》千七郎をやる。おまえはそしらぬ顔をしておれ。せっかく学んだ南蛮の医術じゃ。まだ使いたいことは山ほどある。――」
「お頭、できました」
と、いう声が隣できこえた。孤雲はあごをしゃくった。
「竹斎、そこの唐紙《からかみ》をあけろ。おまえも知っておる可児千七郎じゃ。――千七郎、竹斎を相手にやって見せい」
孤雲の言葉が何を意味するかは知らず、竹斎はフラフラと立って、うすよごれたへだての唐紙をあけた。
寒燈のもとに、寂然《じやくねん》と坐っている若い男の姿が見えた。それがこちらをむいて片膝《かたひざ》を立てたかと思うと、手をあげて何か投げつけた。赤い一塊が飛来するのを見たとたん、竹斎はとびあがった。一塊のものは空中でバラバラに散り、ひろがりつつ、竹斎を襲った。それは大小無数の環になったのである。とみるまに、環はひとつずつ竹斎の首に胴に、ふりあげた両腕に、そしておどろくべきことには、とびあがった片足にまで下から浮きあがってからまりついたのである。
「あっ」
もがいたが、それは皮膚にへばりつき、環と環がふれると、それもまた膠着《こうちやく》した。一瞬に竹斎は、無数の赤い環に、蜘蛛《くも》の巣にかかった虫みたいになってしまった。もがいても、それは糸のように細いのに蔓《つる》みたいにちぎれなかった。
「よう、修業した。忍法|紙杖環《しじようかん》」
と、孤雲がいった。
「竹斎、なんじゃと思う? それは血にひたした観世縒《かんぜより》じゃがの。紙とは思えまい?」
もがけばもがくほど、環と環がねばりついて、からだが不自由となり、ついに芋虫みたいにごろんところがってしまった山鳥竹斎を、可児千七郎は立って、うす笑いして見下していた。
数年前竹斎が見たときは、まだういういしい少年だったと記憶しているのに、いつのまにか鞭《むち》のように強靭《きようじん》な肢体をもつ凄絶な美貌の青年となっている可児千七郎であった。
三
大名の奥方というものは人質の意味で江戸にいるのが幕府の定法だから、これが主人の領国にゆくなどいうことは本来ならあり得べきことではない。それは、その主人が国元で病気をしているという理由ばかりでなく、奥方が時の大老の息女でなければ、とうてい望めないことであったろう。
一月の末、安乗志摩守の奥方|阿久里《あくり》は志摩に旅した。おびただしい供であった。医者の山鳥竹斎もこれに同行した。美々しい行列には、竹斎だけの気のせいかもしれないが、何やら妖気があった。
志摩の城は、背後に海をひかえた美しい城であった。
ここに入って竹斎は大老がじぶんの婿の国へ隠密を派遣するなどいう異常事の原因はこれではなかったかと、たちまち思いあたることがあった。いや、奥方さまがお国入りなされたのは、たんに志摩守さまの御病気お見舞いという理由ばかりではなかったのではないか。――
安乗志摩守はほんとうに病気であった。蝋燭《ろうそく》みたいに白く、やせ衰えていた。拝診してみても、べつにどこが病気というわけでもない。竹斎はすぐにこれは房事過度《ぼうじかど》であると、心中に断を下した。
南蛮医学の知識をかりなくても、誰にだってわかる。――御国御前お濃《のう》の方をひと目みればだ。……竹斎は、たちまち例の現象を起して串で刺しつらぬかれたような疼痛《とうつう》をおぼえたほどである。
江戸で美しい女をたくさん見たが、これほど官能的な美女をいちども見たことはない。うるんだような眼、やや厚目だが花びらのようにかたちのいい唇《くちびる》、白いというより半透明な肌、蛇のようにしなやかな四肢。……いや、こんな描写をいくらしてもしかたがない。一目みただけで、竹斎でなくってもあらゆる男にくらくらするほどの衝撃をあたえながら、その姿が奥ふかくかくれると、ふとっていたのか、やせていたのかそれすらもぼうっと脳膜から霞《かす》んでしまうような女人であった。
あとで知ったところによると、事実その女人はどこか霞んだようなところがあるらしかった。つまり、いわゆる才女からほど遠いということである。しかし、あれほどの官能美の結晶なら、あたまなどどうだっていい、と竹斎はかんがえた。これでは国へ帰ったきり、志摩守が容易に腰をあげないのも当然だ。また房事過度におちいって、腎虚《じんきよ》の相を呈するのも必然である。……
それを――「志摩守どのは、お国元で何かを企んでおいでなさるのではないか、というのが探索の目的じゃ」と重々しくいった根来孤雲のばからしさ。こんなことは、大袈裟《おおげさ》に公儀隠密を以て探りを入れるほどのことではあるまいが、と竹斎は思い、しかしすぐに、いや、ひょっとすると、と思いなおした。天下に恐ろしいもののない御大老にとっては、御息女のおん婿君の心身をかくもとろかし、吸いつくす女人の存在は、いちばん恐るべきことであるかもしれないぞ。
しかし、それにしても、当の奥方さま御自身がこうしてお国元に乗りこんでこられたのだから、いまさら隠密でもあるまいが――まして、じぶんのみならず、あの「紙杖環」など称する凄絶な忍法をふるう可児千七郎も別行動をとって潜入してくるらしいが、これはまったく鶏《にわとり》を裂くに牛刀を用いるようなものだ、と思わざるを得ない。
べつに竹斎がなんのおみたてを言上しなくても、奥方阿久里の方も、ひと目お濃の方を見ただけで、すべてを察したに相違ない。いや、そもそも奥方は、江戸でこの女人のことをきいて、最初からひとつの心づもりがあって乗りこんで来たのではないかと思われる。
たちまち阿久里は、竹斎の処方もまたず、じぶんで処置を下した。
中毒の原因たる毒物を病人から排除したのである。つまり、お濃の方を志摩守から遠ざけたのである。
効果はてきめんであった。志摩守はめきめきと体力を恢復《かいふく》した。
殿さまの全快祝いがあったのは、四月なかばのことであった。祝宴の末座に竹斎もつらなることができた。遠くみる志摩守は、はじめ見たときとは別人のように栄養状態が可良で、しかしどこか憂鬱そうであった。
あれはちかく、奥方さまとごいっしょに御帰府にならなければならぬからの御憂鬱だ、と竹斎はその精神状態をも診断し、且《かつ》大いに同情した。……それよりも、殿さまはともかく、じぶんの方が志摩国《しまのくに》に居残りたいものだ。何とかして、あのお濃の方さまのおそばちかく侍りたいものだ。ひょっとしたら、それでじぶんの包茎は自然|治癒《ちゆ》をしてしまうかもしれない、と竹斎は途方もないことをかんがえた。彼は、隠密の用件を忘れていた。また事実として、公儀隠密として何ということもないなりゆきであった。
異変はその夜に起った。
真夜中、女中のひとりがあわただしく「お年寄がお呼びでござります」と竹斎のところへ走ってきたのである。
竹斎は奥へ駈けつけた。老女が待っていて、女中を去らせると、
「一大事じゃ。殿さまのお息がとまった」
と、唇をふるわせていった。竹斎は仰天した。
「こちらへ」
いそいで老女が案内した。奥の奥へ参入していって――と或る一部屋に一足入ったとたん、こんどは竹斎がじぶんの息がとまったかと思った。
豪奢《ごうしや》な夜具のそばに、朱《しゆ》にそまってたおれている女があった。それが一糸まとわぬ裸身である。その左の腕は、肩のつけねから切断されて、そばにころがっていた。
一目みただけでそれがお濃の方であることを知ると、竹斎は夢中で駈け寄ろうとした。
「医者。……殿じゃ」
と、座敷の隅で、老人の声が叱咤《しつた》した。
竹斎は、閨《ねや》の中にうつ伏せになっている男の姿に気がついた。あきらかに殿さまである。
投げ出された腕をとってみると、脈はとまっている。ふとんをはねのけると、殿さまも全裸体であった。胸に耳をあててきいたが、心臓も停止していた。いや、あおむけにされた顔をみると、ほそい眼は白くなり、口はアングリとひらいている。あきらかに完全な死相だ。しかし竹斎の一瞬の眼では、安乗志摩守の死相は、なぜか円満具足《えんまんぐそく》の笑顔に見えた。……
「お果てなされておりまする」
竹斎はしゃっくりのような声をもらして、ふりむいた。
四
部屋の隅でも、しゃっくりに似た声がふたつした。そこに二人の人間が立っているのにはじめて竹斎は気がついた。白刃《はくじん》をひっさげて幽鬼のように立っている奥方さまと、その腕をとらえている御家老である。
「では、お部屋さまのお手当を」
と、家老がいった。歯ぎしりするような声で、奥方がいった。
「いや、その女、そのまま死ぬがよい」
「なりませぬ、奥方さま、何とぞ御辛抱を。――竹斎、はようお部屋さまをお手当申せ。道具がいるか? 道具は、はようだれぞにとりにゆかせい」
――あとで知ったところによると、この夜の大惨劇の顛末《てんまつ》は、次のごときものであったらしい。
全快の祝宴果てて、体力を恢復した志摩守は、禁断の木の実をむさぼろうとしたらしい。奥方さまのおゆるしがあったわけではなく、その眼を盗んで、夜這《よば》い同然にこの部屋にやって来たらしい。その結果、まるで飢えた人間がいちどに大食すると死ぬことがあるように、殿さまの心臓がとまってしまったのである。いわゆる腹上死というやつである。
急をきいて、奥方さまが駈けつけた。そして家老が駈けつけるまえに、奥方さまは怒りにまかせて、このとんでもない破局をもたらした毒花お濃の方に斬りつけ、その片腕をバッサリうちおとしてしまったのだ。
「しばらく、しばらく」
と、家老は白い髷《まげ》をふりたてた。
「奥方さま、おしずまり下さいませ」
「源左《げんざ》、おまえもこの女狐《めぎつね》と同じ穴の貉《むじな》か」
「何を仰せられます。奥方さま、まず源左の申すことをきかれませ。奥方さまの御丹精にて、せっかくおつくろい遊ばしたるものを、いっぺんにうちこわしたは、まことにとりかえしのつかぬ大失態ではござりまするが」
国家老の鳥羽源左衛門《とばげんざえもん》も狼狽動顛《ろうばいどうてん》その極に達していたのであろう、妙な用語をつかったが、それにも気づかぬ風で、
「さりながら、いまお濃のお方さまを御成敗なされては、いよいよ以てとりかえしのつかぬ始末と相成りまする」
「なぜじゃ」
「お濃のお方さまには、ただいま御懐胎でござりまする」
「なに?」
「そのうち言上、と思いつつもその機を得ませなんだが、お濃のお方さまには月水御停止のこととか。……先月、松《まつ》ヶ枝《え》、それは先月のことであったの?」
老女松ヶ枝はがくがくとうなずいた。
さすがに奥方さまも愕然《がくぜん》としたようすで、失神したまま竹斎の手当を受けている愛妾の姿を見やったが、すぐに、
「それならいよいよ以て」
と、刃をとりなおそうとした。般若《はんにや》さながらの形相であった。
「あいや、奥方さま」
鳥羽源左衛門は声をしぼった。
「御当家にいまだお世継ぎおわさず……このまま殿の御不慮があきらかとなりますれば、安乗家は断絶のほかはないのでござりまするぞ」
「いいや、断絶はさせぬ。わたしは酒井雅楽頭の娘。……酒井の一族のだれを養子としても家は絶やさぬ」
「それはあまりにも常ならぬこと、左様なことをいたすには、殿の御不慮を公にせずばなりますまい。それでは、事がいすか[#「いすか」に傍点]のはしとくいちがいまする」
「しかし、殿はすでに御落命ではないか」
「そこでござる。今宵のこの椿事《ちんじ》はあくまで秘しぬくよりほかに法はござりませぬ」
「なに、このことをかくすと?」
「されば、若君御誕生まで、何とかして、たとえ御重病なりとも殿御存命のていにしつらえたく」
と、源左衛門は、たいへんなことをいい出した。
あたまが石みたいにかたまった老人としては、途方もない着想である。が、べつに彼の頭脳が天才的なわけでも、或いは熟慮の結果でもなく、これは主家断絶という破局をまえにして、そこに禄《ろく》をはむ人間の死物狂い、せっぱつまったあまりの智慧《ちえ》であったろう。
「いままでならば、とうてい成らぬことでござった。さりながら、幸か不幸か、奥方さまがお国元におわします。奥方さまとわれら、心をあわせ、若君御誕生まで、他の家来たちをもあざむきとうござる。奥方さまの遊ばしよう次第では、できぬことはござりませぬ。しかも、ほかならぬ御大老酒井雅楽頭さまの御息女のなさることでござりまする」
「源左。――生まれてくるやや[#「やや」に傍点]が、若君か姫かわからぬではないか」
「あ」
と、鳥羽源左衛門は虚をつかれた表情になったが、すぐに決然として、
「われら、一念を以てしても若君を生ませ申す」
と、むりなことをいった。
「何はともあれ、奥方さま、御成敗の儀は、しばらく、しばらく」
――途中まで、竹斎は夢中であった。この絶世の大美女の生命を救うためにである。しかし、応急手術が成功したという判断とともに、このおどろくべき問答が耳に入り、ワナワナとふるえ出した。
「竹斎、その女、片腕を失って、子を生めるかや?」
と、奥方がこちらをむいていった。
「しばらく御様子を見ねば、相わかりませぬ」
と、彼はこたえた。声はおののいているが、この際のことだから特に疑われなかったのが不幸中の倖《さいわ》い――と思ったのもつかのま、
「左様、この医者、もはや一歩も城外に出すことはならぬ」
鳥羽源左衛門がうめくようにいったので、山鳥竹斎はぎょっとした。
そのとき、女中の呼ぶ声に出ていった老女松ヶ枝が、顔色変えて入ってきて、さらに驚倒すべき事実を報告した。
「ただいま江戸より早打ちの御使者が参られて、上様には、この八日夕刻、御他界あそばされたそうにござりまする」
五
慶事はひとつだけ離れてやってくるが、不幸は踵《きびす》を接してくるという。
この夜、江戸から四代将軍|家綱《いえつな》がこの世を去ったという急報がきたのは、あまりにも偶然の不幸が相ついだ暗い夜であったといえた。
もっともこの将軍さまはお若いころから御病弱であって、とくにこの冬からは枕もあがらない床《とこ》にお臥《ふ》しなされているという噂はたっていたから、こういう事態は予測されたことである。
ただ、この際にそのことがあったということは、よくよくかんがえてみると、安乗藩にとっては必ずしも不幸とはいえないかもしれなかった。江戸は将軍の死と新将軍|綱吉《つなよし》の襲職という騒ぎのために、安乗藩の内情などに眼をむけるどころではなかったと見られたからである。
ともかくも安乗藩では、主君志摩守はふたたび病み、病状は一進一退をつづけているというていにつくろって、それですんだ。お側ちかく侍るのは、奥方さま、お濃のお方、家老鳥羽源左衛門、老女松ヶ枝、医者の山鳥竹斎、その他数人の重臣、小姓、女中だけであるとつたえられ、家臣のだれもが、憂えるだけで疑うものはなかった。
山鳥竹斎は閉じこめられていた。
彼としては、まったく意外なことである。
安乗藩には、ほんとうに大秘密が生じた。まさに公儀隠密の探るにふさわしい事実である。もっとも、この変事を、いかに根来孤雲といえども予測し得たはずはあるまいから、まったくの偶然にちがいないが、ともかくもこれは容易ならぬ秘事といわねばならない。それが、――竹斎は、隠密と知られずして城内に閉じこめられたのだ。彼には厠《かわや》にゆくにも、厳重な眼がひかっていた。
可児千七郎は何をしている? と竹斎は思った。あのとき千七郎は、じぶんとは別行動をとって安乗藩に潜入するというような話であったが、それっきり、ついに彼の影も見たことはないのである。或いはこんどの事件以前に、安乗の城の外をうろついて、すでに江戸に帰ったのかもしれない。
それに竹斎はこの秘密を江戸に報告することができるとしても、それがいいことか、わるいことか判断がつかなかった。報告すれば、安乗藩はとりつぶされるであろう。とりつぶされると、お濃の方の運命はどうなるか。
――いつしか竹斎はそのことの善悪を、お濃の方の運命を基準にして判断して、そして迷っていた。
いや、たとえ報告しても安乗藩がとりつぶされるかどうかはまだわからない。じぶんを派遣したのは酒井雅楽頭であり、雅楽頭は新将軍時代となってもまだ大老の地位を維持しているらしいからである。
そもそも、ここの奥方さまは大老の御息女だから、いかになんでもあの秘事は父に報告しているはずだが、それでも安乗藩に格別の沙汰《さた》がないところをみると、大老がすべてをのみこんでいるとしか思われない。つまり、鳥羽源左衛門の、主君の死を秘し、ともかくも一子の誕生を待って、そのあとで善後策を講ずるという苦肉の計画通りに事がはこんでいるように見える。
「ともかくも、しょせんわしの力の及ぶところではない」
と竹斎は弱々しくつぶやいて、そして気弱な人間らしく未来への不安には眼をつぶって、無責任に現在にしばしの安住をむさぼろうとした。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。二《ふ》タ月ばかりたって、彼は奥方さまに呼び出されたのである。
「竹斎」
と、彼女はやさしくいった。
「おまえにききたいことがある。……あの女の腕……もう一本斬っても、子供は生めるかや?」
「それは」
「いつぞやのおまえの手当ぶり、見ていてその鮮かなのに感心したぞ、あれが南蛮渡りの医術か。なみの漢方では及びもつかぬ」
奥方はにっと笑い、ひざさえすりよせて、竹斎の手をとった。
「できる喃《のう》」
阿久里の方は決して不美人というのではない。むしろ顔立ちはふつう以上にととのっている。ただし、能面のように。
美人が数メートルにちかづくと例の現象を起す竹斎であった。奥方にしたしく手をとられればどうにかなるはずだが、それが――竹斎にとって、以前からいかに傍に寄ってもこの現象を起さない唯一の例外がこの奥方であった。きみがわるいのである。冷えるのである。こわいのである。
「できぬかえ。……できねば、おまえにもはや用はない」
竹斎は背すじをほそい鉄の串で刺しつらぬかれたようになり、
「できましょう。……できまする」
とさけんだ。
その日のうちに、山鳥竹斎は、お濃の方のもう一本の腕を斬りはなし、あと例のごとく手当をした。おどろいたことに、いつのまにか城の奥のお濃の方の部屋は、ふとい格子でかこまれた座敷牢と変えられていた。その中で、お濃の方は生き、そして胎児もまだ生きていた。
「うるさいの」
と、その手術をみていた奥方がいった。お濃の方の悲鳴のことをいったのである。
「ついでに、舌も切ってやりやいの」
竹斎が、阿久里の方の愛読書が「史記」や「資治通鑑」であったことを思い出したのは、それからまた一《ひ》ト月たってからのことであった。
「お濃の片足を斬ってたもれ」
彼女はそういい出したのである。
この奥方は「史記」や「資治通鑑」の中の呂后《りよこう》や則天武后《そくてんぶこう》のひそみにならおうとしているのだ、と竹斎は戦慄《せんりつ》した。
呂后は前漢の高祖の皇后であるが、高祖が歿《ぼつ》するや、その寵《ちよう》を受けた美姫|戚《せき》夫人をとらえ、四肢を断ち、眼をえぐり、耳を聾《ろう》とし、薬で声帯を破壊し、それをおのれの厠の中に飼って「人豚《じんとん》」と称したという。また則天武后は唐の太宗の妾《しよう》のひとりであったが、太宗が歿するや、息子の高宗と通じてまたその妾のひとりとなり、皇后王妃と寵妃|蕭《しよう》夫人をとらえ、その四肢を断ち酒樽《さかだる》にひたしてその死にいたるまでの三日間を愉《たの》しんだという。
果せるかな、また一ト月ほどたって奥方は、お濃の方の残る足も斬れと命じた。
「奥方さま。……それではお濃のお方さまがおんな達磨《だるま》になられまする」
と、たまたまそばにいた鳥羽源左衛門があえぐようにいった。
「御懐妊のやや[#「やや」に傍点]さまがお水とおなりなされたら、いかがあそばす」
「そうなったら、それでもよい」
「しかし、御家は断絶。――」
「父は、安乗家のことは心得ておると申して参った」
源左衛門はやや沈黙したが、しかしこの酸鼻《さんぴ》さにはたえかねたらしく、
「奥方さま、もし、だるまのごときやや[#「やや」に傍点]が御誕生なされたらどうなさる」
「それを見たいもの、――」
と阿久里はうっとりつぶやいた。が、すぐに能面のような細い眼で竹斎を見すえて、
「爺が案ずる。竹斎、やや[#「やや」に傍点]が死んだら、またはこの女が死んだら、おまえも死なねばならぬぞ」
と、いった。
竹斎は、お濃の方の残る足を斬った。悪夢の中に生きているような頭で、四本のうち、一本だけ残してもしようがないだろう、と弱々しく妙な計算をした。
また一ト月たって、奥方はお濃をつんぼにせよと命じた。
まさに呂后、武后の再現である。もともと阿久里はそんな恐ろしい女性だったのであろうか。なるほど彼女は以前から呂后、武后のごとき所行がしたいといってはいた。その欲望がお濃という恰好《かつこう》の実験台を得て爆発したのであろうか。――まさか、そうではあるまい、と、竹斎はかんがえた。わが国の女人に、支那《しな》の古怪な物語に出てくるようなそんな魔女のあるはずがない。あの言葉を吐いたとき、奥方さまの頭には、国元にあって殿さまを蝋燭みたいにとろかしているお濃の方の姿が浮かんでいたのだ。あれはそんな場合、どんな女性の脳膜にもえがかれる嫉妬の幻想にすぎなかったのだ。
それが、偶然、その一肢を断つという意外の事態に直面して、もはや自暴自棄と半狂乱のうちに曾ての幻想を現実にえがきはじめたのだ。
とはいえ、その自暴自棄と半狂乱は恐るべきものであった。父の大老は保証するといったそうだが、彼女は安乗藩の運命さえ、どうなってもいいとかんがえているとしか思われなかった。
山鳥竹斎は、やっと決心がついた。むろん、安乗藩などはどうなってもかまわない、ともかくも、この惨事を江戸に報告することである。まさか、御大老さまは阿久里のお方さまがかかる御所行をなされつつあるとまでは御承知ではあるまい。御承知になれば、それは止めよ、と制止がくるにちがいない。――しかし、竹斎は、それを報告するすべを知らなかった。彼には、いよいよ厳重な監視の眼がついていた。
可児千七郎は何をしている?
「眼をつぶせ」
一ト月ののち、ついにその命令が来た。
竹斎は、お濃の方の両眼をつぶした。――安乗の海には白い秋がきていた。しかしここは闇黒であった。お濃の方の視界はさらに、これ以上ないという闇黒に変えられた。
しかし、竹斎の魂は、それに劣らないほど暗かった。
わしは何をしているのだ。わしは死神の邏卒《らそつ》となっている。しかもそれはお濃の方を生かすためだけであった。が、いったい、お濃の方を生かしてどうしようというのだ? 眼なく、耳なく、舌なく、四肢なき、芋虫以下の女人を。
六
可児《かに》千七郎からやっと連絡があった時は、もう十一月も末になっていた。
或る雨の夜、竹斎の閉じこめられている座敷のたたみのあいだから、小さな紙片がすうっと生えて来た。
竹斎はぎょっとしてそれをひろいあげた。ひろいあげると二枚の紙になった。
「城厳重にして入る能わず、ようやく床下に罷《まか》りあり候。白紙の方に、竹斎どのの見聞せられしことをしたためて、たたみのあいだに返し候え」
と、一枚にかいてあった。
もう一枚の紙に、竹斎はふるえながらしたためた。紙片が小さな薄葉《うすよう》なので、それに事実を圧縮するのと、すぐ隣室にいる監視の侍に気どられないために、彼の筆はいよいよふるえた。
――半刻ののち、彼はその薄葉をふたたびもとのたたみのあいだからさしこんだ。すると薄葉はすっと下へ消えてしまった。
それからものの十分とたたぬうちであった。
「曲者《くせもの》だ!」
という絶叫が遠くできこえたかと思うと、たちまち颶風《ぐふう》のような物音があがりはじめた。……見つかったのだ。
竹斎は全身が麻痺《まひ》したようになってしまった。何というへまな……きゃつ、つかまったり、斬られたりしたら、どうしよう。いや、きゃつがどうなろうと、それはまずいいとして、わしの書いた薄葉の文字が発見されたらどうしよう。千七郎よ、ぶじに逃げてくれ!……彼は先刻一人前に義憤にかられて一つの報告書をかいたことをあぶら汗をながして悔いた。
しかし、混乱はいよいよ大きくなり、あきらかに死闘のひびきはますます悽愴《せいそう》になってきたようであった。……竹斎はウロウロと立ちあがり、座敷から亀の子みたいに首を出したり、ひっこめたりした。監視の侍はいなかった。
「捕《と》った!」
そのさけびがひびいたとたん、竹斎は脳貧血を起して壁にもたれかかった。
――あとできくと、その曲者の抵抗ぶりは実に奇怪凄絶をきわめていたらしい。彼はみずから手足を傷つけ、そこからの流血に無数の白い環状のものをなすりつけて赤い環と変えながら、これを侍のむれをめがけて投げつけたのである。
環はみごと侍たちの頸《くび》や手足や、そして刀槍までにはまって、それらをつらね、行動不能に陥《おとしい》れた。
――忍法|紙杖環《しじようかん》。おそらくそれは錫杖《しやくじよう》の頭部にかけてある数個の環になぞらえたものであったろう。それは知らなかったが、
「忍者よな」
と、捕えられた男を見て、阿久里の方はつぶやいたという。
どこの何者から何を探りにやって来たか、という問いに、ついに彼は答えなかった。あとになってそれをきいて、竹斎ははじめて奇怪に思った。可児千七郎を派遣したものは、阿久里の方の父酒井雅楽頭のほかにないはずだからだ。
どういう命令を下されたのかよくわからないが、事ここに至れば率直にそのことを白状すればよかろうにと思う。またそのほかに命の助かる法はないと思う。
にもかかわらず、恐ろしい拷問《ごうもん》に対して、可児千七郎はついに口を割らなかった。その血まみれの手足をじいっと見つめていた奥方は、やがてこういったという。
「おまえの探りに来たものを見せてやる。これ、こやつの手足を断ち、唖《おし》とし、つんぼとし、あの人豚の牢に入れてやりやい、一目見せたら、眼もつぶしてやりや」
これは数日後、例の秘密を知っている監視の侍から、竹斎がきき出したことだ。そのときは、もう千七郎は例の牢内で絶命していた。竹斎のような外科的切断を受けたわけでなく、またなんの手当も受けなかったのだから、これは当然だ。
……忍者というものは、たとえ味方であっても、おのれの命令者の名は告白しないものであろうか。きいて、竹斎は戦慄した。それにしても、あのうら若い、美男の千七郎が。
竹斎は忍者の一党に籍を置いたことを、あらためて恐怖した。こんど江戸に帰ったら、どんなことをしてもその籍をぬいてくれるように孤雲老に哀願せねばならぬ。
江戸へ帰る? しかし、じぶんは江戸に帰れるのか?
御大老の御息女の命じる通りにやったわしだ。まさか、殺されるとは思わないが――ただひとつ心配なことがある。じぶんが可児千七郎にわたしたあの薄葉の報告書だ。
あれが見つかって、じぶんの文字だと知られたらどうしよう。どうしてもじぶんとしか思われない文章であった。それが判明したら、万事休す。
しかし、どうしたことか、このことの追及はなかった。――千七郎はあの紙片をどうしたのか、とにかくそれは発見されないようであった。千七郎はあの窮地《きゆうち》の中で、かみちぎるか、のみこむか、何とか処分したとみえる。……
竹斎は胸なでおろした。
しかし、彼は逃げられなかった。師走《しわす》もなかばすぎ、彼は奥方に呼ばれた。
「何御用で」
と平伏からまんまるい顔をあげた竹斎に、
「江戸の隠密」
と、奥方が呼びかけた。
七
「……あいや、これは御大老からの御秘命で」
――ぎょっと息をのんでいた竹斎が、思わずこうさけんだのがかえって語るにおちた結果となった。
「たわけ、父は知らぬわ」
と、奥方はいった。
「いや、父は知った。知って、志摩に使者をよこしたのじゃ。……ええ、だまれ。おまえを隠密によこした向きはもうわかっておる。よう何年もわたしをあざむいたの」
何が何だかわからなくなり、狂乱したようなさけびをあげかかる竹斎に、
「うるさい、こやつの口を封じや」
と、奥方は金切声でさけんだ。声に応じて、武士たちがおどりかかった。
「そうじゃ、いっそ舌をきってやりや。いつぞやの隠密のことを思い合わせても、容易に口は割るまいし、割ったとしてもいま口走ってみせたように、こちらをたぶらかそうとするたわごとであろう。数年にわたって何くわぬ顔で志摩家に出入りしていたほどのしぶとい奴。ひと通りでない忍者じゃ。もはや、声もききとうない」
奥方の眼は――眼だけは憎悪にひかり、顔は能面のごとく無表情になっていた。舌を切られるまえから、竹斎は口がきけなくなってしまった。
「そうじゃ、こやつも人豚にしてやりや」
ついに、奥方はいった。
「ただ眼だけ残してな。あの女の姿――こやつがじぶんで作りあげたあの姿をよくよく見せて、あとで眼をつぶせ。なお、かんがえるところがあれば、なるべく殺すなよ。父上から、なお後便を待てとの御指令があったゆえ」
竹斎は舌を切られ、鼓膜《こまく》を破られ、四肢を断たれた。
……彼はよみがえった。じぶんがどうしたのかわからなかった。ここはどこかもわからなかった。ただ彼は闇黒の中に、ぼうと白くひかるまんまるいものだけを見た。
「ふしぎである。御懐妊のやや[#「やや」に傍点]はまだ御健在でおわす。……よし、眼をつぶせ」
声とともに瞼《まぶた》をおしあけられたままの両眼に錐《きり》が刺しこまれ、竹斎は沈黙したまま失神した。
……また、どれくらいの時がたったか知らず、彼はよみがえった。恐るべき激痛と闇黒だけが彼をつつんでいた。
やがて激痛は去り、憔悴《しようすい》がとって代った。みずからの外科的切断を受けたわけでもなく、手当を受けるすべもない彼のゆくてには、ただ可児千七郎と同じ運命が待ちかまえているだけであった。
……かくて、冒頭の彼の独白が闇中につぶやかれることになる。
闇黒のなかに、彼はぼうと白くひかるまんまるいものを見つめていた。あれはなんだ?
あれはお濃の方だ。声なく、眼なく、耳なく、四肢なき雪白の肉塊。それがまんまるいのは、あと一ト月でこの世に誕生すべき生命を孕《はら》んでいるからであった。それだけが生きて、それをつつむ白い肉塊を音もなく息づかせていた。
その白いものをめざして、竹斎は這い出した。いや、手足がないのだから、芋虫みたいに蠕動《ぜんどう》をはじめたのである。
いまは彼もじぶんの見ているのが残像にすぎないことを知っていたが、それを追ってすすむと、ふしぎなことに現実に彼はやわらかい、あたたかいものに触れた。
「……お濃のお方さま、おゆるしを」
ただ、そう脳髄でつぶやいたつもりだったのである。
ふたつの肉塊は相ふれたまま、永劫《えいごう》を思わせる波動を以て息づいていた。竹斎のあたまにはいつしか幻の眼華《がんか》が浮かんでいた。それは、うるんだような眼、やや厚目だが花びらのようにかたちのいい唇、白いというより半透明な肌、蛇のようになよやかな四肢をもった女体がここにある、という幻想であった。
……はじめて竹斎がこのお濃の方を見たとき、彼がどれほど官能的衝撃を受けたかはまえに述べた通りである。
その後、彼はこの女性にいくたびか逢った。恐ろしい接触であった。そして、その傍にはいつも阿久里の方の眼がひかっていた。
神経の繊細な彼は、もとより例の現象を起す余裕はなかった。それほど繊細でなくても、どんな男でもこれはあたりまえであろう。それでも、ときとして彼は、四肢を断たれ、白い肉塊と変じてゆくこの女人に、惨麗《さんれい》とも形容すべき美をおぼえて酩酊《めいてい》したような感じになることがあった。とはいうものの、たとえ傍に奥方の眼がなくても、彼はそれ以上どんな行動をもとれなかったろう。彼は女人すべてに或る恥ずかしいコンプレックスをもっていたからだ。
いま、竹斎はお濃の方と相まみえた。いや、おたがいに眼は見えなかった。恐ろしい、しかし新しい接触であった。この女人は、わしを見ておらぬ。お濃の方の眼が見えぬということは以前からのことであったのに、見えるじぶんの眼が、その認識を呪縛《じゆばく》していた。いま、その呪縛がとけた。これは文字通り「接触」だけの感覚であった。
はじめ、ただ謝罪の意識で接触した竹斎のあたまから、次第にあのうるんだ眼や花のような唇や半透明な肌や蛇のような四肢の幻想が消えて、彼はひたすらその「接触」の感覚だけに溺《おぼ》れていった。
現象が起った。
八
延宝《えんぽう》八年十二月末の或る早朝のことである。
江戸の堀田筑前守《ほつたちくぜんのかみ》の屋敷の門前にひとつの屍体《したい》がほうり出してあった。ひどく憔悴した医者風の男で、まるで塩漬けにでもしてあったように塩がまわりにこぼれおちていたが、それでもやや腐れかかっていた。四本の手足は断ちきられているのに、屍体の顔はニンマリと笑っているようであった。
この奇怪な屍体を見て、しばらくうち案じていた堀田筑前守はやおら、
「根来孤雲を呼べ」
と、家来に命じた。
まもなくお小人組頭の根来孤雲がやって来て、
「御推量のごとく、安乗藩に潜入させてあった一党の山鳥竹斎と申すものでござりまする」
と、しずかにいった。
「……では、やはり、雅楽頭は、そこまでは探ったらしいの」
「十八年間御公儀の伊賀組をお使いなされた雅楽頭さまでござる。それにしてはお知りなされたのがむしろ遅すぎた、と申すべきでござりましょう。十八年間の御大老御在職中に重ねられた数々の御罪状を、およそ御大老にかかわりあるあらゆる御縁辺から拾いあげるべく、われら根来お小人が働いておったとは」
「が、知ったことを、かようにわしに見せつけられるとは、雅楽頭どのも子供らしい、というべきか、自暴自棄というべきか」
と、堀田筑前は苦笑した。
この四月、前将軍家綱の死とともに五代将軍として綱吉が立ったが、酒井雅楽頭はなお大老の地位にあった。が、これはまったく名目だけの地位であって、それどころか綱吉の襲職をあくまで阻止《そし》し、じぶんの傀儡《かいらい》として京都の某宮家を擁立《ようりつ》しようと策動した雅楽頭は、新将軍綱吉に冷眼を以て遇された。雅楽頭は恐れ、苦悶《くもん》し、はては反撥《はんぱつ》した。最後には将軍と自暴自棄にちかい喧嘩状態にすらおちた。
そしてこの十二日ついに大老の職を剥奪《はくだつ》されて蟄居《ちつきよ》を命じられたのである。代って老中から大老の職についたのが、この堀田筑前守|正俊《まさとし》である。以前から綱吉擁立のためひそかにはたらいていた堀田筑前守は、綱吉襲職とともに、すでに実質上の大老であった。
いや、さらに遠い昔から、彼は酒井雅楽頭を追放するために、彼の在職中の罪状を調べあげようとして、雅楽頭の手垢《てあか》のついた伊賀者は敬遠し、隠密御用の再任を悲願する根来孤雲一派を使っていたのである。……そのことを、最後にいたって、雅楽頭はようやく知ったらしい。そして、それを知ったということを、いまさらのようにあてつけがましく堀田筑前に見せつけたということは、あまりのことに逆上したせいもあろうが、しょせん、いたちの最後ッ屁というべく、蟄居中の雅楽頭がついに死を覚悟したということの表明でもあった。
「さりながら」
と、根来孤雲は、袋みたいな屍体のきものを剥《は》ぎとりながらいった。
「この山鳥竹斎、またさきに行方を絶った可児千七郎と申すもの、いずれも孤雲の最も買うておる忍者でござる。それが、何の報告もなく、むなしくかようなありさまになり果てたとは拙者には思われませぬ。かならずや、何らかの獲物《えもの》をつかんでおるに相違ござらぬ」
彼は、じいっと手足のない裸の屍体を見つめた。筑前守が、ふいにまた苦笑した。
「孤雲、そやつ、俗に申す皮かむりではないか」
「されば。――」
根来孤雲はニヤリと笑い、屍骸の一個所に手をさしのばした。
翻転させると、いままで全然見えなかったのに、その亀頭頸を環のごとく巻いた褐色の観世縒《かんぜより》があらわれた。
孤雲はそれをぬきとると、観世縒をよりもどして、ひらいた。褐色は血の変色したものらしかったが、その薄葉には、何やらビッシリと細かい字が書きつらねてあった。
「安乗志摩守さまの御愛妾お濃のお方さまには御懐妊、来年早々にも御出産とのことでござりまするが、ただいま酒井さまの御息女阿久里の方のために、おん母子の命|累卵《るいらん》の危《あやう》きにあると申す」
孤雲は読んで、眼をあげていった。
「これも雅楽頭さま積悪の一つの証拠として、でき得れば、なるべくお助け申しとうござるな」
[#改ページ]
忍法肉太鼓
一
「六波羅《ろくはら》」
と、声をかけたが、返事がない。
表で呼んで、奥まで声のとどかないような家ではない。長屋にひとしい四谷伊賀《よつやいが》町の組屋敷である。
伊賀者の原助太夫《はらすけだゆう》と古坂《ふるさか》内匠《たくみ》と菅沼主馬《すがぬましゆめ》はちょっと顔を見合わせたが、すぐに戸をあけて中に入っていった。べつに会釈《えしやく》の要《い》る仲ではない。
座敷にあがり、唐紙《からかみ》をあけて、三人は立ちすくんだ。彼らはそこに、見るべからざるものを見たのだ。
真正面に、女がひとり、大きな盥《たらい》の中に坐っていた。坐っているというより、うしろの葛籠《つづら》にもたれかかっているのだが、彼女は一糸まとわぬ裸で、あぐらをかいて、眼をとじて――そして、その足をひたす盥の液体は鮮麗な血であった。
煤《すす》けた障子を透《とお》す光まで、春の日とは思われぬほど幻怪味をおびて見えた。女は葛籠にのけぞるような姿勢で、盛りあがったふたつの乳房が、上は蒼《あお》くぼうっとひかり、下は盥の血を映してうす赤く見えた。六波羅|十蔵《じゆうぞう》の妻のお路《みち》であった。
「御内儀」
と、呼び、すぐに彼女が失神していることに気がついて、
「十蔵」
と、三人はさけんだ。
座敷の隅《すみ》に立てまわした、うすよごれた屏風《びようぶ》があった。三人はそこへ駈け寄った。
その中に、六波羅十蔵は端然と坐り、ふかぶかと首をたれていた。
「六波羅、何をしておる」
十蔵は顔をあげた。ふりむいて、
「――お、おぬしたち」
と、いった。まるで居眠りから醒《さ》めたようであった。
「十蔵、どうしたのだ。御内儀はどうしたのだ」
六波羅十蔵は黙って立ちあがり、屏風のかげから出て来た。座敷のお路をちらとながめたが、べつにおどろいた様子ではない。しずかにそばに寄って、まず盥の中に手を入れた。血の中をかきまわして、何やら探しているようであったが、
「ふむ」
うなずいた声に、会心の笑みがあった。それからふりむいて、
「おぬしら、何か用か」
「話があって来たが、それより御内儀を」
「わかっておる。すぐに手当をしよう。……おぬしら、となりでちょっと待っていてくれ。いまゆく」
と、彼はおちつきはらっていった。
――十分ばかりして、六波羅十蔵は、三人の待っている座敷にあらわれた。
「お待たせした」
「御内儀は?」
「いま、休ませてある。茶も出せんで、恐縮だが。……」
「茶などはどうでもよいが、十蔵、いまのありさまはありゃなんだ」
と、年輩の原助太夫がじっと十蔵の顔を見て、
「おぬし、御内儀をまないたにのせて、何か忍法の工夫をしていたのではないか」
十蔵は黙っていた。まじめな表情である。ややあって、
「助太夫老。お話というのは何でござろうか」
と、きいた。
「実は、伊奈《いな》家の断絶がきまった」
「ほう。……では、甚八郎《じんぱちろう》は死にましたか」
「それがたしかとなったと見える」
四人は憮然《ぶぜん》たる眼つきで、しばし沈黙した。
彼らの会話はこういうわけだ。やはりこの組屋敷に住む伊賀者伊奈甚八郎が、三年前からふっと姿を消した。べつにさわぐ者はいない。それに甚八郎が、隠密御用《おんみつごよう》で出立《しゆつたつ》したことは、だれにもわかっていたからだ。ここに住む伊賀者は、不時に、ひそかに、江戸城の奥ふかく庭で将軍みずからの命により、或いは大老《たいろう》の御用部屋に呼びつけられて、隠密の任務を与えられる。彼はそのまま、自宅へもどることなく、どんな遠国へでも飛び立ってゆく。――甚八郎もそれにきまっているから、だれも話題にする者もなかったのだが、しかしだれいうともなく、彼のいった先は上州館林《じようしゆうたてばやし》であることを、みなが知っていた。領主は館林|中納言《ちゆうなごん》、二十五万石の城下町である。
それっきり、彼は帰らない。――そしていま、伊奈甚八郎の家は断絶ときまったというのだ。それは彼の死が確実となったことを意味する。
「――で?」
「甚八郎のことはやむを得ぬとして、伊奈の家がつぶれたのは」
と、菅沼主馬がいった。
「伊奈の家に甚八郎以外に男がなく、甚八郎にも子がなかったからだ」
「――で?」
「おぬしにも子がない」
十蔵はまたしばらく黙っていたが、やがていった。
「そればかりは、どうにもいたしかたがない」
「ほんとうにしかたのないことか?」
と、古坂内匠がいった。
「どんな女でもおれに惚れさせてみせる、というのが、おぬしの豪語ではなかったか」
「惚れる、惚れないと、子供ができる、できないとはべつの話だ」
「はじめ、おぬしが豪語したときはわれわれも笑った。しかし、おぬしがあのお路どのをわがものとしてからは、おぬしを見なおした。お路どのはこの組屋敷でも当時第一の美女、狙っておる者もうんといたし、だいいちよそから是非嫁にという口も、ふるほどあったはずだ。それなのに、お路どのはおぬしのところへ嫁に来た。掟によって、おれたちはおたがいの忍法を知らぬが、しかし、さては十蔵、やったな、とはじめて思いあたって、舌をまいたものだ。それから、七年たつ。見たところ、仲はわるくない。それどころか、この組屋敷でも、仲のいいことでは随一の夫婦に見える。――」
「仲はいいよ。しかし」
「待て、それで、伊奈家断絶のことをきいて、三人話をしておるうちに、おぬしの話が出た」
と、菅沼主馬がいった。
「そういえば、六波羅十蔵のところにも子供がない。できないのではない。ひょっとしたら、十蔵のことだから、あまり忍法の工夫に精を出しすぎて、子を生むことを忘れているのではないか、とこの助太夫老が心配なされ出したのだ」
「で、子供だけはせめて一人でも作っておけいよ、といいにやって来てみれば」
と、助太夫がいった。
「十蔵、おぬし、御内儀を道具にして、忍法の工夫をしておるな。道理で。――」
といって、次に言葉をのんだのは、お路が十蔵のところへ嫁にきていよいよ美しくなったが、その美しさがどこか病的に凄艶《せいえん》なものであったことを思い出し、そもそも十蔵がどんな実験を試みているかは知らないが、そんな材料につかわれては、子供のできるわけがない、といおうとしたのだ。
「いったい、十蔵、何をしておった」
「いや、拙者のためのお気づかい、かたじけない」
と、十蔵は顔をあげた。
忍者というより、学者のようにものしずかで、まじめで、荘重《そうちよう》な容貌《ようぼう》である。さっき古坂内匠が、お路を妻にすると十蔵が豪語したといったが、豪語するようなタイプではない。ただ自信と見込みを冷静に述べただけのことであったろう。ただ、ここ数年、彼は学者タイプから――何やら芸術家めいた翳《かげ》をおびて来た。しかも、どこやら狂気じみた芸術家の相貌《そうぼう》である。現代でも、じぶんの研究とか製作とかに熱中して、妻子のことには放心的な学者や技術者や芸術家があるが、三人の先輩や朋輩《ほうばい》も、それに似た危惧《きぐ》を抱いて忠告にやって来たのである。
「実は、子供を堕《おろ》したのだ」
「なに?」
「さっき、拙者が盥からすくいあげたのは、三月目《みつきめ》の胎児や胎盤であった」
「六波羅、それはまことか」
「……あれと祝言《しゆうげん》してから七年、お路が孕《はら》んだのはもう二十何回かに上ろうか。それを、おれはすべて水にした」
「そ、そりゃ、なんのためだ」
「水にするために、水にした」
堕胎そのものが目的で堕胎した、という意味である。
唖然《あぜん》として十蔵を見まもっていた菅沼主馬が、ややあってきいた。
「左様《さよう》な忍法を、何につかう」
「何につかうか、おれにもわからぬ」
十蔵は厳粛な眼で三人を見やった。
「それを判断なさるのは、上様か、御大老だけだ」
三人は沈黙した。
公儀伊賀組の忍者は、鉄の掟でおたがいの忍法を秘すことになっている。しかし、彼らを使用する将軍と大老は、むろんそれを知っている。江戸城の奥ふかく、それは一覧表としてそなえられているはずであった。それはたとえその将軍が隠居し、大老が罷免《ひめん》されようと、それを他にあかしてはならない。これも柳営《りゆうえい》の鉄の掟であった。いまの大臣が職務上知った国家の機密と同様である。
「子を生めとすすめにきてくれたから、これだけはいった」
六波羅十蔵は笑った。別人のようにやさしい、人のいい、哀愁味すらある笑顔になった。
「左様さ、それではおれも、そろそろひとりくらい男の子を生んでおこうかい」
二
六波羅十蔵が、大老の酒井《さかい》雅楽《うたの》頭忠清《かみただきよ》に呼ばれたのは、それから十日ばかりたった深夜のことである。
これは実に、将軍の居間から二間《ふたま》をへだてた次の間で、三十|石《こく》三人|扶持《ぶち》の六波羅十蔵は、そこへみちびかれてゆくにつれて、ふだんおちついた人間であったのに、しだいに足からわなないて来たほどであった。
この深更、いかに大老とはいえ、御用部屋に居残っているのも異例のことである。容易ならぬ密命が下されることはあきらかだ。
彼を案内して来た小姓《こしよう》は去って、御用部屋にあるのは、一|穂《すい》の灯と、大老酒井雅楽頭だけであった。
「伊賀者六波羅十蔵と申すか」
と、雅楽頭はいった。十蔵は平《ひら》蜘蛛《ぐも》のごとくひれ伏した。
「近う寄れ」
雅楽頭はうなずいたが、平伏した十蔵はしばらく身うごきもできなかった。
当然である。病弱な将軍|家綱《いえつな》のもとにあってすでに十八年大老の職にあり、威権一世を圧し、その屋敷が江戸城大手門|下馬《げば》先にあったので、「下馬将軍」とさえ称せられている人物であった。このとし五十七歳、堂々たる相貌には、一目見ただけで圧倒されるような威厳がある。
曾《かつ》て「伊達《だて》騒動」「越後《えちご》騒動」を裁決したのはこの大老である。ただ「伊達騒動」では奸臣《かんしん》側と目《もく》された伊達|兵部《ひようぶ》、原田甲斐《はらだかい》の方をひいきにし、「越後騒動」でも同じく奸物の噂のある小栗美作《おぐりみまさか》に味方したといわれ、かげではとかくの批評もあるが、それだけに一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかない妖気が、そのゆたかな風姿にまつわりついていた。
この二つの御家騒動に際しても、雅楽頭の手から、おびただしい伊賀組隠密が奥州《おうしゆう》や越後へ派せられたはずだが、六波羅十蔵がこの大老に直接呼びつけられたのはこの夜がはじめてであった。
「十蔵、近う寄れ」
雅楽頭はもういちど、こんどは強くいったが、眼は机の上の書類にそそがれたままであった。
眼をあげた。大老がいままで見ていたのは、伊賀組の名簿らしかった。
「内密の御用を申しつける」
「はっ」
「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」
「心得ております」
「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」
「覚悟の上でござりまする」
ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな感激はあったが、外見は彼らしく従容《しようよう》たる態度を見せていた。
「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」
「遠国ではない」
と、大老はいった。
「大奥じゃ」
「――は?」
「そちは、大奥へ忍び込めるか?」
さすがの六波羅十蔵も息をのんだまま、声もなかった。大奥、いかにもそれは遠国ではない。この江戸城のおなじ郭《くるわ》の中にあるが、将軍家をのぞいては、大老ですら一歩も入ることはゆるされない男子禁制の秘境であることはいうまでもない。しかし十蔵は、その目的の場所の名より、そこへ御用を申しつけるという大老の心事を疑った。正直なところ、この御大老は狂気なされているのではないかと思ったのである。
しゃっくりのようにいった。
「大奥へ……いかなる御用で」
「そちの忍法|届出《とどけいで》には、どのような女人《によにん》にても催情《さいじよう》せしめ、且《かつ》、まちがいなく身籠《みごも》らせるとある」
「いかにも左様に届けてござります。しかし雅楽頭さま、まさか……その忍法を大奥の女人に使えと仰せなさるのでは」
「上様にはただいまお手付の御中臈《ごちゆうろう》が七人おわす」
大老はいった。
「その七人のおん方を御懐妊のおん身となし参らせたいのじゃ」
両腕をつき、雅楽頭を見あげたまま、六波羅十蔵は満面|蒼白《そうはく》になっていた。まさに天魔の命令としか譬《たと》えようがない。その驚愕《きようがく》すべき命令の意味を、
「きけ、十蔵」
と、大老は息もみださず、じゅんじゅんと説くがごとくいう。――
「そちも知るように、上様はお若きときより御病身にて、当年四十一にておわすが、いまだ御世子《ごせいし》がおわさぬ。これまで二、三度、御中臈御懐胎のこともあったが、いずれも水におなりなされた。しかも、ことしに入って、いよいよ御気分すぐれず……ここのところ一見つつがのう見え奉るが、奥医師どものおん見立てによれば、御病症内部にていよいよすすみ、御寿命はながくてあと半年――と申すことじゃ」
「…………」
「しかも、いまも申す通り、御世継ぎがない」
「…………」
「しからば上様御他界のとき、いずれさまが五代さまにおなりあそばすか」
「…………」
「御連枝《ごれんし》としては、ただおひとりの弟君、館林中納言|綱吉《つなよし》さまがおわす」
「…………」
「本来のおん血脈《けつみやく》としては、中納言さまが五代さまにおなりなさるべきであろう。さりながら、忠清が見るに、中納言さまはその御性行、喜怒哀楽つねなく、一事に熱中されるやそれをお押えなさるところなく、執拗《しつよう》徹底、しかも明日はケロリとお忘れなさるという――まことに以て、常人の手に負いかねる大|天狗《てんぐ》じゃ。かかるおん方を将軍家に迎え奉れば、かならず民は塗炭《とたん》の苦しみにおちいることは……不肖忠清、十八年大老の職にあったものとして、鏡にかけて見るがごとしじゃ」
率然として六波羅十蔵は、三年前館林に潜行し、行方を絶った伊奈甚八郎のことを思い出した。甚八郎がこの大老からいかなる秘命を受けたか、それははっきりとはわからないが、朧《おぼろ》げながらも身の毛がよだつ思いがする。一方は下馬将軍とうたわれる酒井雅楽頭、一方は館林の大天狗と呼ばれる中納言綱吉|卿《きよう》、ふたりのあいだにはすでにそのころからひそかなる暗闘が開始されていたのだと、いまにして思う。
「しかも、綱吉さまには、当上様の御余命遠からざることを御承知にて、以前より水戸中納言|光圀《みつくに》卿をはじめ、尾張《おわり》、紀伊《きい》、また稲葉《いなば》、堀田《ほつた》などの老中《ろうじゆう》に、はげしく運動なされておる。……いま、上様御他界あそばさば、綱吉さまが五代さまとおなりあそばすよりほかはない」
「…………」
「時が欲しい。いましばらく、この忠清に策をめぐらす時日が欲しい」
「…………」
「そのためには……上様|御寵愛《ごちようあい》の御中臈御懐妊という事態を、どうあっても必要とするのじゃ。その事態となれば、たとえ上様が御他界あそばしても、御出生のことあるまでは、綱吉さまは足どめとなる。況《いわ》んや若君御誕生あそばさば、綱吉さま御相続のことなどまったくけし飛ぶであろう」
――大老のいうことはわかったが、わかればいよいよ全身に震慄《しんりつ》を禁じ得ないたくらみであった。
「十蔵、そちの忍法は必ず女人を身籠らせるという。相違ないであろうな」
「……相違なく、とは申しあげませぬ。十中六、七までは」
「それは男か。男と女を生みわけることはできぬか」
「あいや、こればかりは、拙者の思い通りにはなりませぬ」
「さもあろう。……さればによって、御寵愛の七人の御中臈すべてを御懐胎なしまいらせよ」
酒井雅楽頭は、あきらかに確率の現象をあてにしていた。――しかし、十蔵の頭はしびれ、混乱し、返答はしているが、何を返答しているかわからないほどであった。
恐怖に蒼《あお》ざめ、ひたいにあぶら汗をにじませて、やっと彼はいった。
「御大老、しかし、もし……もし若君御出生あそばさば」
と、いって、息せききって唇《くちびる》をわななかせた。それはこの三十石三人扶持の六波羅十蔵の血をひくものではないか、といいかけて絶句したのである。
「それは上様のおん胤《たね》かもしれぬ」
と、雅楽頭は、むしろ沈痛味をおびた声でいって、
「上様はおん病《やまい》の日毎《ひごと》にすすみつつあるを知り給わで、夜毎大奥へお通いじゃ。御中臈のお身籠りなされたおん胤がどこから来たかは神のみぞ知る。……」
きっとして、十蔵を見て、のしかかるように、
「天下のためだ!」
と、大老はいった。
三
後宮《こうきゆう》の美女三千人と称する江戸城大奥。
それは大別して、御殿向《ごてんむき》、御広敷《おひろしき》、長局《ながつぼね》の三つに分かれる。御殿向は将軍夫妻の私邸ともいうべきもので、これだけでも百余|間《ま》はある。これに大奥の庶務一切をあつかう御広敷、女中宿舎たる長局を合わせたものが御殿向に倍し、この大建築物はきわめて不規則に紆余《うよ》曲折し、さながら一大迷宮の観があるが、これと幕府政庁たる表《おもて》とは、ただ上《かみ》と下《しも》、二本の廊下でつながっているばかりである。
「上のお錠口」は将軍の通路で、黒塗縁《くろぬりぶち》の杉戸を立て、その外に銅板張りの大戸を立て、ここに「是《これ》より男入るべからず」と書いた紙札がかかげてあった。戸は朝八時から夕方六時まで半扉《はんぴ》をあけてあるが、あとは締める。その外部には、たえず数人の伊賀者が詰めていて、重々しくこの男子禁制の扉を守っている。「下《しも》のお錠口」は非常口であって、ここはたえず締めきりで、ふだんは使わない。
奥女中の外部への通路は、べつに七ツ口というものがあって、ここにも伊賀者の詰所があり、女中の出入りを監視し、また御用達《ごようたし》商人を受け付けるが、それも七ツ(午後四時)には締めきってしまう。しかも彼ら自身はあくまで番人であって、それより奥向きにはまったく進入をゆるされない。
そして大奥をめぐる築地《ついじ》や塀には諸所に門や木戸があるが、門の通行には切手を要し、木戸はその外側を伊賀者が守り、錠を下ろし、錠は上司の判をおした美濃《みの》紙で封印し、掃除その他の用事のためにこれをひらいたときは一々切った封印の点検を受け、また濠《ほり》や池にかかる橋は桔橋《はねばし》であった。
三千人の柔媚《じゆうび》な肉をつつんで、これはまさに鉄の壁であった。
長い思案ののち、六波羅十蔵は、北桔橋から大奥に潜入するのがいちばん成功率が高いとかんがえた。
第一には、それ以外の場所には幾重《いくえ》もの濠や門があり、且《かつ》首尾よく大奥に入ったとしても、大奥のまた奥にある長局まで達することは容易でない。内部のお錠口を通るなどということは、絶対に不可能である。その長局は江戸城のいちばん北部にあるのだが、その背面は濠になっている。外部から長局までの最短距離である。
第二には、その北桔橋は、その名の通り北側の濠にかかる唯一の橋であるが、これは葬式のときに下ろすだけで、ふだんは釣りあげたままになっていて、釣ってある鎖も錆《さ》びついているほどである。従って、ここがいちばん警戒が手薄で、桔橋のたもとの番所には、夜は二人の番人がつめているだけである。
六波羅十蔵は、大奥へ忍び入るにはここよりほかはないと決めた。
が、北桔橋、とつぶやいて、それから心中に嘆息をもらした。そこを守る番人はもとより伊賀者だが、それはじぶんと組屋敷ではもっとも親しい古坂内匠、菅沼主馬、原助太夫の三人であることに気がついたのだ。
十蔵自身はふだん内桜田《うちさくらだ》御門の警衛が役目であったが、その三人は北桔橋御門と西桔橋御門の番人をかねていて、ほかにも同役の者はいるが、少なくとも三人のうちの一人は、かならず毎夜北桔橋の番所にいることに想到したのである。
六波羅十蔵は、伊賀者の組屋敷でもいささか変り者と目されていた。それは忍者の繁昌した戦国の世から百年内外も経て、たんに城門の番人たるに甘んじている者の多い伊賀者の中で、とくべつ斯道《しどう》の研鑽《けんさん》にはげんでいるのが、かえって異質の人間に思われていたせいであったが、その中で、古坂内匠、菅沼主馬、原助太夫とだけはどこか肌が合ったというのは、この三人が忍法にかけては、それぞれ自負するものがあったからだ。
彼らの眼、耳、嗅覚《きゆうかく》。――それに、その忍法は掟によって知らないが、これがなみなみならぬものであることは、平生のつきあいから本能的にわかる。
しかも彼らは、いずれも先輩としてまた朋輩《ほうばい》として、ふだん親愛の情を見せ、或いは適切な忠告をしてくれた人々であった。
しかし、彼らは討ち果たさねばならぬ、もしじぶんの使命の障害になるならば。
特殊任務に服するとき、その秘密を守り、且唯一の命令者たる大老に絶対服従することは、伊賀者の厳たる宿命である。おそらく、人を変えて彼ら三人のうちに同じ命令が下ったとすれば、彼らも同じ決意を以て、同じ行動に出るであろう。
いちど、もっとも手ごわいと思われるこの三人を、組屋敷かそのほか外部のどこかで始末することをかんがえたが、すぐにこの思案は撤回した。それはかえって不審と騒ぎをひろげるもとだ。江戸城で服務中に斃《たお》せば、何事も秘密のうちに葬り去られると判断したのである。
鋭いが短い苦悶《くもん》ののち、六波羅十蔵は男らしく決意した。
四
夜だ。
濠をひそかに泳ぎわたって、江戸城北桔橋の下の石垣にたどりついた六波羅十蔵は、水面からわずかに口をのぞかせて、五寸ほどの竹筒を吹いた。
いや、吹いたのではない。なんの音も発しない。――竹の内部には、うすい紙様の膜がついている。彼の持っている一|節《ふし》の竹は、その節をぬいて、この膜を張ったものであった。彼はその膜を、息でかすかにふるわせたのだ。
ふつうの人間には音波としてはきこえぬこの空気の振動が、桔橋御門の番所にいたふたりの伊賀者の鼓膜に微妙な振動を起した。共鳴現象というべきであろうか。
それは、あたたかい大地の底ふかくから、また星のまたたく春の夜空からきこえてくるような――いや、おのれ自身の耳の内部からわき出してくるような女の声であった。ふつうの声ではない。かすかに、かすかに、しかし、あきらかに性のよろこびに陶酔し、むせび泣く声で、男の脳髄をしびれさせる法悦の旋律であった。
番所にいた古坂内匠ともうひとりの番人は、はじめそれを聴覚とも意識しなかった。いつとはしれず、奇怪な妄想に沈んでいたのだ。この旋律は、眼に白い肌のうねりを、鼻にかぐわしいあえぎを、皮膚にやわらかい肉のうごめきの幻覚すらを呼んで、ふたりはあらい息さえついていた。
「――はてな」
さすがに古坂内匠は、からくもおのれをとりもどした。
「おい、きいておるか」
「……何を」
「耳に奇妙な音がきこえぬか」
「……おお、そういえば」
古坂内匠は番所の外へ飛び出して、大地にピタリと耳をつけた。
「桔橋の下の石垣だ。声はそこからきこえてくる」
もうひとりの番人は、槍をかかえてそこに走った。しかし、さすがにこれも伊賀者だ。不用意にはのぞかず、これまた土に耳をつけ、そこから徐々に石垣から首をのぞかせていった。
彼は暗い水面からつたわってくる微妙な音波をきいて、槍をとりなおした。しかし音の発する場所に何者の影も見えなかった。それで首をぜんぶつき出してキョロキョロした。――そのとき、思いがけぬ方角から一本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》がななめに飛来して、彼の頸部《けいぶ》をつらぬいていた。うめきもあげず彼は即死し、石垣から半身をダラリと垂れた。
桔橋の直下の石垣に竹筒をつき挿《さ》し、六波羅十蔵はそこから二|間《けん》もはなれた水面で、もう一本の竹筒を吹いていた。その音波の振動は、石垣の竹筒に共鳴を起し、番人の耳にはなおそこが音源であるかのごとく錯覚させたのだ。それは二本の竹筒の角度が作り出した幻覚であった。
そのまま彼は石垣を、守宮《やもり》のごとく垂直に、いっきに這《は》いあがった。なお口に竹筒をくわえている。
その個所の空間へ――石垣からあがる音波めがけて、古坂内匠の手裏剣が走った。しかし、石垣の上端からまだ一間の間隔をおいて、六波羅十蔵のからだはこれまたななめに塀にとびつき、そのいらかに指がかかると、一回転して内部に降り立っていた。
絶叫しようとする古坂内匠の機先を制して、十蔵はささやくようにいった。
「内匠。六波羅だ」
「――十蔵。これは何としたことだ」
「わけはいえぬ。いわぬ以上、死なねばここを通すまい。内匠、死んでくれ」
ふたたび次の手裏剣をにぎった古坂内匠の前で、黒頭巾黒装束《くろずきんくろしようぞく》の六波羅十蔵は、忍者刀《にんじやとう》に手をかけず、なお竹筒を持っていた。
その竹筒をぬうと内匠の前につき出し、右手をそれに持ちそえたのだ。
何とは知らず、それが恐るべき武器であり、恐るべき姿勢であるような予感にうたれ、内匠は十蔵の行動の不審さを再考するいとまもなく、夢中でこぶしの手裏剣を投げた。
あまりに距離がちかすぎて、かえって手もとが狂い、それは十蔵の顔をかすめすぎた。火の糸が頬《ほお》をながれるのをおぼえつつ――十蔵は竹筒の節に張った膜を、一方の人差指ですっとつらぬいた。
古坂内匠は悲鳴をあげた。ふたつの耳に奇妙な音と激痛をおぼえたのだ。それっきり、彼は聾になった。一瞬、天地が真空の寂寞《じやくまく》と化したのを感じながら、彼は狂気のごとく第三の手裏剣を投げつけた。手裏剣はあらぬ空《くう》にそれ、彼は千鳥《ちどり》足になってよろめいた。
はじめて六波羅十蔵は竹筒を捨て、忍者刀をぬきはらって内匠におどりかかっている。
「ゆるせ、古坂」
胴を横薙《よこな》ぎにされて、古坂内匠は地に這《は》った。
その刹那《せつな》になっても、彼はじぶんの耳がどうなったかわからなかったろう。六波羅十蔵が竹筒に張った薄膜をつき破ると同時に、古坂内匠の鼓膜も破れ、その衝動は内耳《ないじ》にある三半規管をも破壊してしまったのだ。人間の平衡《へいこう》感覚をつかさどる三半規管を破壊されて、内匠はよろめいたのだが、しかしそれはただ共鳴現象という空気の震動によるといわれても、さらに判断ができなかったであろう。
「つらいなあ」
と、十蔵はつぶやいた。彼の頬には、手裏剣がかすめたあとの血が糸をひいていた。
しかし、古坂内匠のからだからは、血はながれてはいなかった。この場合に、十蔵は内匠を峰打ちにしたのである。それはただ血のあとを残さないためだけであった。
やがて彼は失神した内匠ともうひとりの伊賀者を抱き合わせて縛りつけ、石をつけて濠《ほり》に沈めた。
そして、漂うように夜の底をあるきはじめた。長局の方へ。――
長局は、大奥御殿向の北方につらなる五|棟《むね》から成る大建築で、一棟の廊下の長さが五十余|間《けん》、さらにこれと直角に各棟をつなぎ将軍のいる御殿向へわたる出仕廊下があるが、これが全長七十余間あったという。
各棟には、その東西両側に表廊下と縁側がついているが、表廊下の向こうには各部屋ごとに厠《かわや》と湯殿が設けられている。つまり、バス、トイレつきというわけだ。各部屋の入口の柱には、奉書を切って、そこに住む女性の名札がかかげてあった。
この東西の表廊下五十余間と南北の出仕廊下七十余間という数字から概算するのに、この一画だけでも三千五百坪から四千坪ある勘定で、ここに住むのは、もとより女人ばかりだ。
これはずっと後年の幕末の話になるが、御中臈《ごちゆうろう》をつとめた大岡《おおおか》ませ子刀自《ことじ》の談話によると、「――長廊下を夜あるくのは淋しゅうございました。ところどころに金網燈籠《かなあみどうろう》がぼんやり明るいだけなのです。煌々《こうこう》と明るいところはなく、どこも薄暗い中を通るのでした」とある。以てその妖気を察するに足るであろう。
その女人国に、忍者六波羅十蔵は入った。
しかも、その一室――お瑠璃《るり》の方の部屋に入った。――彼は、隅《すみ》に絢爛《けんらん》たる裲襠《かいどり》のかけられた屏風《びようぶ》のかげに坐っていた。
春ふかい深夜である。雪洞《ぼんぼり》には、どこから散りこんだか、二、三片の花びらさえ蛾のようにとまっていた。――その下に、お瑠璃の方は、スヤスヤと眠っていた。むろん将軍の閨《ねや》に侍るときは出仕廊下をわたって御殿向へゆくので、ここに眠るときはただひとりである。
屏風のかげに坐った十蔵の顔に、しかし好奇や好色の翳《かげ》はなかった。眼をとじて、端然として、むしろ厳粛な、凄いような無表情であった。
無表情に――しかし、唇がかすかにうごいている。二枚の唇を横にしずかにすり合わせるようにうごかせているのだ。
数分――十数分――その唇のはしに、粘っこい唾《つば》がにじみ出し、唇がぬれてきた。ようやく彼の顔に、快感に似た表情がひろがりはじめた。
そして、眠っているお瑠璃の方は、いつか春夢を夢みていたのである。下半身をかすかにかすかに摩擦され、白い汗がにじみ出し、びっしょりとぬれつくし、はては波濤《はとう》のようなうねりが眠るお瑠璃の方を蕩揺《とうよう》した。
「――ああ……」
じぶんの小さな声に、彼女は目ざめた。そして頭上に覆いかぶさるようにした何者かから、栗《くり》の花のような匂いのする体臭が吹きつけてくるのを知った。雪洞は消えていた。
しかし彼女は、こんどはさけび声をたてなかった。彼女はじぶんが目ざめたとも意識しなかった。
ただ混沌《こんとん》たる陶酔の中に、身を灼《や》く白い炎にあぶられて、そこにいる「男」に両腕をさしのばし、ぬれつくした二本の雌《め》しべのような両足の中にそれをのみこもうと、かすかに歯ぎしりの音さえもらしていたのである。
――一刻ののち、六波羅十蔵は、蝙蝠《こうもり》みたいに夜の長廊下を歩いていた。一刻のあいだに、頬は削《そ》いだようになっていた。おそらくそれは、たんなる合歓の疲労のゆえばかりでなく、さらに、女人に蒔《ま》いたたねを、かならず芽生えさせてみせるという忍法のための消耗であったろう。
――それでも彼は歩いてゆく。二人目のお敬《けい》の方の部屋へ。
――三人めのお国《くに》の方の部屋から出て、夜明前の長局から北桔橋の方へ逃げてゆく六波羅十蔵の足どりは、彼自身の三半規管が破壊されたようであった。
五
十日目の夜、ふたたび六波羅十蔵は北桔橋から江戸城大奥の区画に入った。
彼はまず、ひとりの伊賀者を音もなく背後から襲って、これを絞め殺し、その気配を感づいて、一丈もの距離をひと飛びで飛びすさった菅沼主馬と相対した。
「……六波羅ではないか」
星影もない、どんよりとした雨雲の下で、菅沼主馬はそういった。さすがに愕然《がくぜん》とした声であった。
「十蔵、かようなところにあらわれるとは、気でも狂ったか」
「気は狂わぬ」
闇《やみ》の中で、沈痛に十蔵は答えた。
「内密の御用によって、ここを罷《まか》り通る」
「内密の御用? 十蔵を通せという指示は、おれは受けておらぬ。いかに親友でも、こればかりはゆるせぬ」
「そうであろうな」
「十蔵、御用とはなんだ」
「それは申せぬ」
歎《なげ》くがごとく十蔵はいった。いいながら、彼は胸のまえで両掌《りようて》を組んだ。
「やはり、おぬしにも死んでもらわねばなるまいなあ。……古坂内匠と同様に」
「なに、内匠を――おぬしが――」
菅沼主馬は息をひいた。
古坂内匠が十日前、江戸城の勤番にいってから四谷の伊賀町に帰ってこないことは主馬も知っていた。しかし、これは伊賀者として珍しいことではない。突然の秘命によって、そのまま遠国へ飛ぶことは、伊賀者の通例であるからだ。
しばらく黙りこんで、凄《すさま》じい眼で十蔵を見すえていた菅沼主馬はやがてうめいた。
「いかなる内密の御用か知らぬが、おれが何もきいておらぬ上は、ここを守るのがおれの役目だ。十蔵、覚悟はよいか?」
六波羅十蔵は寂然《じやくねん》として、両掌の指を組んでいた。
それはまるで――昔の物語の忍者が九字の印でもむすんでいるような古怪な姿に見えた。さすがの主馬も、左掌の人差指をにぎりしめた十蔵の右掌が、小刻みにそれを上下にすり合わせているのを知らなかった。また見たとしても、それが何を意味するのかわからなかった。
菅沼主馬の腕から、一丈もあるひとすじの鎖がたばしって、相手の影を薙《な》いだ。十蔵はからくもそれをかわした。うなりすぎた鎖は、おどろくべきことに彎曲《わんきよく》しつつ空中で静止し、次の瞬間まるで巨大なぜんまいのようにはねかえって、また十蔵を襲った。十蔵は一|間《けん》ちかくも宙におどりあがった。
地上に舞い下りる影をめがけて、夜目にも蒼白《あおじろ》い閃光《せんこう》がはしった。菅沼主馬の鎖はなお手もとにあまっていた。彼は反対側の鎌を投げつけたのである。
が、十蔵の影三尺手前で、突如鎌は小波《さざなみ》のごとく刃影《じんえい》をみだして地におちた。――その刹那、菅沼主馬はふいにじぶんの下腹部に、異様な触感と温感をおぼえたのだ。
それは彼の男根をにぎりしめる指そのものの感覚であった。
死闘の中のこの荒唐無稽《こうとうむけい》な現象に彼は狼狽《ろうばい》し、狼狽しつつ、狂気のように鎖を薙ぎまわした。
鎌と分銅《ふんどう》は、機《はた》のように交互にくり出された。本来なら、ただ一撃だ。たとえ敵に心得があって一方からのがれても、のがれた位置に正確に一方が飛び、狂いなくそこに血しぶきがあがるはずであった。
そのはずなのに、六波羅十蔵は蝙蝠《こうもり》みたいに舞って逃げた。相手の体術よりも、主馬はじぶんの眼と腕がみだれているのを意識した。それは下腹部から波のごとくひろがってくる或る快感のゆえであった。
一語ももらさず、十蔵は分銅と鎌に眼を走らせて身をかわしながら、なお指を指でにぎりしめている。それをすり合わせている。その摩擦はいよいよはげしくなっている。――
「――うむ!」
はじめて、十蔵はうめいた。彼自身の快美のうめきであった。この刹那《せつな》、鎌は彼の左肩の肉を一片切りとばした。
しかし、菅沼主馬は棒立ちになった。全身にぶるっと痙攣《けいれん》がはしった。彼は射精し、一瞬の忘我におちた。
六波羅十蔵は組んだ両掌を解いた。疾風のように駈け寄った。そして立ちすくみ、眼をつりあげている菅沼主馬のみぞおちを拳《こぶし》でついた。
主馬は口からタラリと黒い血を吐き、身を釘《くぎ》なりにかがめて大地に崩折れた。
やがて十蔵は、絶命した主馬ともうひとりの伊賀者に石をつけて濠《ほり》に沈め、妖々として長局の方へあるき出した。
この夜の目標は、お溶《よう》の方とお梶《かじ》の方であった。
闇の中に、ぼうと絖《ぬめ》のような女の腹がひかっている。
そこに二本の指がのびて、しずかに這《は》いまわった。徐々に這いながら、十本の指は、時々は釦《ボタン》を押すように、時には鍵盤《けんばん》をかるくたたくように、時には絃《いと》を爪《つま》びくようにうごめいた。その指の叩打《こうだ》と吸着と摩擦は、ほとんど人間のわざとは思われぬほど微妙で且《かつ》深刻であった。
全身の血液はそこにあつまってうすべに色に染まり、また波のように散って蒼白《そうはく》となった。
女がからだをうねらせぬいたのは数十分前のことである。女があえぎ、すすり泣いたのは十数分前のことである。女が数度くりかえして、ゆるやかに痙攣したのは数分前のことである。
女の内部で何かが充血し、何かが肥厚し、何かが海綿《かいめん》状になり、何かが粘液にあふれた。そこにあるのはただ精妙きわまる物理的な刺激に反応する筋肉と血液と分泌腺《ぶんぴつせん》のかたまりだけであった。
「……忍法、肉太鼓……」
恍惚《こうこつ》たるつぶやきが、なまあたたかい夜気に沈んだ。
闇の中に坐り、女のからだを鞣《なめ》し、醗酵《はつこう》させる六波羅十蔵の顔は、実験に熱中する技術者か、製作に没頭する芸術家のように厳粛であった。
六
また十日目の夜、みたび六波羅十蔵は、北桔橋から大奥に入った。
夜空に黒ぐろとはねあげられた橋の上まで濠の側から、よじのぼった十蔵は、その下を番人の伊賀者が槍を抱いて通りかかったとき、上から投縄《なげなわ》を投げて頸《くび》にかけ、キリキリと吊《つ》るしあげた。なるべく血をながしたくない配慮からであった。
ほとんど物音をたてないはずであったのに、遠くにいた原助太夫は黒い風みたいに駈けてきた。
「助太夫老」
高い夜空で、ささやくように六波羅十蔵は呼んだ。
「六波羅でござる」
例によって、すすんで名乗ったのは、助太夫に高い声を出させ遠くの木戸や番所からほかの者を呼ばせないためだ。
いうまでもなく、原助太夫は驚愕《きようがく》した。
「十蔵。……そこにおるのは、死霊《しりよう》か、生霊《いきりよう》か」
思わずそうさけんだのは、たんにそこに現わるべからざる人間が現われたというばかりではない。半月あまりのあいだに、六波羅十蔵が奇怪なほどやつれて、ここ七日ばかりは寝こんでいるときいて、前日助太夫が十蔵を病床に見舞ったばかりだったからだ。
「そのいずれでもござろうか。……」
と、桔橋の上の声はいった。
「生霊か、死霊か。助太夫老、ちかくに寄って、よく御覧なされ」
原助太夫は五、六歩あゆみ寄って、そこで足をとめた。
高く吊りあげられた橋の上で、六波羅十蔵は仁王《におう》立ちになっている。両手を股《また》のあたりにあて、一見何も持っていない様子だ。いや――彼は何かを持っている。春の夜の闇《やみ》に、助太夫はそれが彼の男根であるのをみとめた。それはまるで放尿でもしそうな姿であった。
「やはり、気が狂っておるのか、十蔵」
また二、三歩寄って、助太夫はピタと立ちどまった。橋までなお三|間《げん》以上もの距離があったが、空から吹きつけてくるそくそくたる殺気を彼は感じたのだ。
「……きこえた」
と、空の声がつぶやいた。何がきこえたのか?
いまだ曾《かつ》て恐怖というものをおぼえたことのない老練の伊賀者原助太夫であったのに、このとき彼は何とも形容のできない恐怖をおぼえた。ふしぎなことに、それは六波羅十蔵に対してではなく、じぶんのからだの内部からくる不安であった。
助太夫はそれまで経験したことはないが、それは発作性心臓|急搏《きゆうはく》にかかった病人に似ていた。それは苦痛というより名状しがたい不安の感覚だ――その不安を、もとより助太夫は空の六波羅十蔵への敵意に染めかえた。
「怪しき奴、十蔵。――ひっとらえてくれる」
手が口にあがると、その口から、銀の雨のようなものが大空に噴出した。扇状にたばしりひろがったのは、麻薬をぬった無数の吹針であった。
それは充分助太夫の射程内にあったのに、からくも十蔵の足に四、五本つき刺さったばかりで、あとはむなしく地上にふりそそいだ。
原助太夫は、不意に異様なうめきをあげ、胸をおさえた。彼は心臓がふくれあがり、次にぎゅっとしめつけられ、ひき裂けたような苦痛にうたれたのである。次の瞬間、彼は地ひびきをたてて顛倒《てんとう》していた。
橋の上から銀の雨はふりそそいでいる。
――ただし、ひとすじの。
六波羅十蔵は、高だかと放尿していた。
いったい何が起ったのか。――十蔵は、三間以上もの距離をおいて、原助太夫の心臓をとめたのである。
彼が、きこえた、といったのは、助太夫の鼓動の音であった。それをきくや、彼はおのれの鼓動を合わせはじめた。じぶんの心臓とではない。膀胱《ぼうこう》とである。六波羅十蔵は体内の不随意筋をも、随意筋のごとくうごかすことのできる術を体得した。それでじぶんの膀胱を鼓動させた。その鼓動によって、原助太夫の心臓に一種の共鳴現象をひき起したのである。助太夫をとらえたのは、それからひき起された不整脈、或いは心臓急搏の不安感であった。そして十蔵が膀胱をしぼって放尿すると同時に、助太夫の心臓も眼に見えぬ何者かの手に鷲《わし》づかみにされたように挟扼《きようやく》され、彼は即死したのだ。
しかし、十蔵は、放尿をおえると橋からまろびおちた。足につき刺さった吹針の麻薬にからだをしびれさせられたのである。
さすがに猫のごとく回転して大地に降り立とうとしたが、麻痺《まひ》のために姿勢がくずれて、彼は地上にころがった。
数分後、十蔵は立ちあがったが、かすかにちんばをひいていた。
ちんばをひきつつ、彼は歩き出した。長局の奥ふかく、お泰《やす》の方と、お宮《みや》の方の部屋へ。
忍法肉太鼓。
音叉《おんさ》を二本置き、一方だけを振動させると、他の一方も、一指をも触れないのにやがて振動してかすかに鳴りはじめる。――
六波羅十蔵の編み出した忍法は、音波にはかぎらないが、一種の共鳴現象にもとづくものといえた。彼はそれを原型として、さまざまの変法を工夫した。人間には電流もながれているから、知らずしてそれを利用していたかも知れない。或いは心理的に催眠術にひとしい域に達しているものもあったかも知れない。
彼が女体に対して、蒔いた種は十中六、七までは芽ぶかせて見せると確信したのもその一つで、彼は女性の子宮やそれに附属する器官を、最も妊娠しやすい状態に変化させるのだ。
女は月経によって、子宮粘膜の大部分を剥離《はくり》排出させる。五、六日にして、その損傷した組織は再生現象をつづけ修覆が完成される。それから半月ばかりのあいだに、しだいに粘膜は肥厚し、充血し、腺管《せんかん》は多量の粘液脂肪にみたされ、この充血と分泌がきわまってふたたび次の月経をひき起すのだが、妊卵がいちばん着牀《ちやくしよう》しやすいのは、このあいだの或る期間――正確にいえば、予定月経前第十二|乃至《ないし》十九日までの八日間がもっとも適当であるという。
六波羅十蔵は、女身の腹部を叩打《こうだ》し、鞣《なめ》すことによって、内部の子宮や卵巣を、その期間の状態に変えるのであった。
――それから一《ひ》ト月を経て、ふたたび深夜の御用部屋に呼び出された六波羅十蔵は、大老酒井雅楽頭から、上様|御愛妾《ごあいしよう》のうち、お瑠璃の方、お国の方、お梶の方、お宮の方の四人が懐胎なされたようであると知らされた。
「……まことに以《もつ》てめでたきことじゃ」
と、雅楽頭は、やせおとろえた十蔵を、じっと見すえていった。
「さすがは権現《ごんげん》さまのおん血をひきたまう上様の御気力、御病体とはいえ、常人では思いも及ばぬ」
七
延宝《えんぽう》八年五月八日午後六時、四代将軍家綱はこの世を去った。
そして、改めて徳川家の相続問題が重大化した。
大老酒井雅楽頭の意見はこうであった。上様のおん胤《たね》は目下四人の御愛妾の御胎内におわす。もしこの中に御男子あって御出生あそばせば、当然このお方が五代さまたるべきである。ただ御出産までにはまだ若干《じやつかん》の時がある。このあいだ将軍家がおわさぬということは一大事であるから、暫定的手段として、京から有栖川宮《ありすがわのみや》幸仁親王を仰いで五代さまとしたい。しかるのち、若君御出生相成り次第、天下を譲《ゆず》らせ給えば御家御安泰と存ずるがいかに、というのであった。
下馬将軍といわれる大老の言葉である。稲葉|美濃守《みののかみ》、大久保|加賀守《かがのかみ》、土井|能登守《のとのかみ》ら老中はみなこれに服した。酒井雅楽頭としては、これは計算ずみのことであり、すべてこれで決着するものとかんがえていたであろう。
ところがここに、敢然と異論をとなえた者がある。やはり老中のひとりで、春日局《かすがのつぼね》の孫で剛直無比ときこえた堀田筑前守正俊《ほつたちくぜんのかみまさとし》であった。
「お言葉ではござるが、徳川家には正しき御血脈がござる。厳有院《げんゆういん》さま(家綱)には、館林中納言さまと申される弟君がござる。これほどれっきとしたお世継ぎがおわすに、なんの必要があってわざわざ京から無縁のお方をお呼び奉るのか。拙者、断じて承服はなりませぬ」
この抵抗は、雅楽頭の面《おもて》をそむけさせるほど猛烈で、且頑強《かつがんきよう》なものであった。大老はついに沈黙し、にがりきって退出した。
酒井雅楽頭としては、一応これをききながし、あらためて懐柔策に出るつもりであったのであろうが、彼が退出したあと、堀田筑前守の運動は疾風|迅雷《じんらい》、一夜のうちに他の閣僚を説服し、水戸光圀《みとみつくに》にわたりをつけ、ついに館林中納言を五代将軍たらしめるという事実を作りあげることに成功してしまったのだ。
酒井雅楽頭にとっては瞳をぬかれたような大意外事で、一朝明けて愕然《がくぜん》としたときはもう遅かった。
待つや久し、とばかり、在府していた綱吉はその夜のうちに江戸城二の丸に入り、いったん下城したが、翌日にはまったく新将軍たる威厳を以て本丸に乗り込んだ。
――すべては、事志とちがった。
酒井雅楽頭が大老を免ぜられたのは、その年の十二月である。彼は下馬先の上屋敷をひきはらい、無紋の行列で巣鴨《すがも》の下屋敷へひきこもったが、それから半年後に死んだ。自殺したという説もある。
綱吉は、大目付彦坂九兵衛《おおめつけひこさかきゆうべえ》、御目付|北条新蔵《ほうじようしんぞう》に、いそぎ酒井の屋敷におもむき検死してこいと命じた。自殺ならば、酒井家断絶である。このとき雅楽頭の婿である藤堂高久《とうどうたかひさ》が検死役に応接し、忠清は病死に相違はござらぬ、死骸《しがい》の検分には及ばない。一切の責任は拙者がとるでござろうといった。その決死の形相《ぎようそう》におされて、彦坂と北条はそのままひきとって、綱吉に報告した。綱吉は顔色を変じ、なんじらはなんのために検死に参ったのか、是非とも死骸を見とどけてこいと声をはげました。そこで両人はふたたび巣鴨へ走ったが、そのときは葬送の柩《ひつぎ》がすでに門を出るところであった。やむなく帰城してその旨を復命すると、綱吉は、しからばその墓にゆき、死骸を掘り出し、踏みくだいてこいと命じた。両人が三たび馬を駆《か》って寺に走ると、すでに火葬に附したあとであったから、嘆息して帰ったという。
以て綱吉の雅楽頭に対するにくしみを察するに足る。
綱吉が雅楽頭をにくんだのは、京より傀儡《かいらい》の将軍を迎え、また将来生まれるべき幼君を擁《よう》しておのれの野心をほしいままにしようとしたという名目であったが、その名目もさることながら、それにいたるまでの雅楽頭のじぶんに対する仕打ちに腹がすえかねたのだ。
で、雅楽頭が大老をやめたのはその年の十二月であったが、両者の衝突は、綱吉が江戸城に入るや否や開始されたことはいうまでもない。
雅楽頭が登城して挨拶《あいさつ》しても、綱吉は何の言葉もかけず、ややあっていきなり、肩衣《かたぎぬ》をとれ、と叱咤《しつた》したことがあるという。
これに対して雅楽頭も、それに相当した反応を見せた。酒井の家には、権現さまの仰せおかれた御軍法その他の御書付があるというが、それを見せいと綱吉がいった。そのとき雅楽頭は、右の御書付は何びとにも見せるなという権現さまの御禁制がござりますから、たとえ上意でござりましょうと、さしあげることはなりませぬ、と答えた。それは余人のことだ。天下の主《あるじ》たる余には苦しゅうはあるまい、と綱吉はいったが、雅楽頭はにべもなく断った。そして一子を呼んで、右の書付をわたし、何びとが参っても渡すことは相ならぬ、その咎《とが》により切腹を命ぜられるならば、右の御書付を燃やし、灰をのんで腹中に納めてから切腹せよ、といった。――こうなると、売言葉に買言葉というより、自暴自棄である。
そもそも、綱吉が城に入ってまもなく――それまでは、盃《さかずき》をとらせるにもまず雅楽頭が筆頭という先規であったのに、たちまち堀田、稲葉、大久保、土井、そして酒井という順序に変えられて、大老の面目いずこにありや、と怫然《ふつぜん》とした雅楽頭は、ほとんど登城しなくなってしまったのである。
御用部屋には、代りの人間が入った。堀田筑前守正俊であった。
堀田正俊が正式に大老の職についたのは、翌|天和《てんな》元年十一月のことであるが、しかし実質的には、将軍交替と同時に大老も交替したといっていい。
八
六波羅十蔵が御用部屋に呼ばれたのは、六月末の或る深夜のことであった。
「伊賀者六波羅十蔵と申すか」
と、堀田筑前守はいった。十蔵は平《ひら》蜘蛛《ぐも》のごとくひれ伏した。
「近う寄れ」
筑前守はうなずいたが、平伏した十蔵はしばらく身うごきもできなかった。
当然である。この堀田正俊はおのれの出世のために酒井忠清を葬り去ったのではない。酒井に邪心があり、じぶんこそ正論の士だと信じて、あの一種のクーデターを敢行したので、綱吉が主となってからも、おのれの功にほこることはなかったが、また阿諛《あゆ》もしなかった。酒井に対したごとく堂々と綱吉に諫言《かんげん》し、ついには大|天狗《てんぐ》たる綱吉に煙《けむ》たがられるほどになった人物であった。このとし四十七歳、その男ざかりの剛直な相貌《そうぼう》には、一目見ただけで圧倒されるような精悍《せいかん》さすらある。
曾《かつ》て彼は「勧忠書《かんちゆうしよ》」なる一書をかいたことがある。中に曰《いわ》く、
「およそ君に仕える者は、みな禄《ろく》を重んじ、恩に感じて奉公以て勤《つと》むる者多し。真忠というべからず。このゆえに或いは命《めい》に違《たが》い、怒りを犯し、しりぞけられ、うとんぜらるればすなわち恨みを生ず。豈《あに》忠を致すの誠といわんや。ただ純一君を愛するの心を以て、而《しか》してこれに勤めて可なり」
以て、その忠臣ぶりを知るべきである。
「十蔵、近う寄れ」
筑前守はもういちど、こんどは強くいったが、眼は机の上の書類にそそがれたままであった。
眼をあげた。筑前がいままで見ていたのは、伊賀者の名簿らしかった。
「内密の御用を申しつける」
「はっ」
「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」
「心得ております」
「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」
「覚悟のうえでござりまする」
ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな恐怖はあったが、外見は彼らしく従容《しようよう》たる態度を見せていた。
「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」
「遠国ではない」
と、筑前はいった。
「比丘尼《びくに》屋敷じゃ」
「――は?」
「そちは、桜田の御用屋敷に忍び込めるか?」
さすがの六波羅十蔵も、息をのんだまま、言葉も出なかった。比丘尼屋敷、いかにもそれは遠国ではない。この江戸城桜田門の前にあるが、これはふつうの人間の立ち入るべき場所ではないことはいうまでもない。前将軍の御愛妾《ごあいしよう》のおすまいである。しかし十蔵は、その目的の場所の名より、そこへ御用を申しつけるという筑前守の心事を疑った。正直なところ、この御老中は狂気なされたのではないかと思ったのである。
しゃっくりのようにいった。
「桜田の御用屋敷へ……いかなる御用で」
「そちの忍法|届出《とどけいで》には、およそ身籠《みごも》りたる女人は、まちがいなくその懐胎を水にするとある」
「いかにも左様《さよう》に届けてござります。しかし御老中さま、ま、まさか……その忍法を御用屋敷に使えと仰せなさるのでは」
「御用屋敷には、ただいま御懐妊の前|御中臈《ごちゆうろう》が四人おわす」
筑前はいった。
「その四人のお方の御懐胎を水になし参らせたいのじゃ」
両腕をつき、筑前守を見あげたまま、六波羅十蔵は満面|蒼白《そうはく》になっていた。まさに天魔の命令としか、譬《たと》えようがない。その驚倒すべき命令の意味を、
「きけ、十蔵」
と、筑前は息もみださず、じゅんじゅんと説くがごとくにいう。
「そちも知るように、上様にはすでに徳松《とくまつ》さまと申す若君がおわす。しかるにここに御先代厳有院さまの若君がおひとり、おふたり……事によっては四人も御出生あそばして見よ、六代さまはどなたさまであるべきか。そのことを酒井大老も仰せられたのじゃが、大老の申さるることにも一理はある。また左様なことにはかならず一言ある水戸光圀卿と申すお方もある。当上様は、もとより徳松|君《ぎみ》がお世継ぎとおなりあそばすことを望んでおわそう。……かくて諸議諸説ふんぷんとして、或いは将来天下大乱のもとと相成らぬとは断じがたい」
「…………」
「もったいなきことながら、御用屋敷におわす四人のおん方のおん胤《たね》は、いまひそかに水となし参らせた方が、徳川家のためじゃ」
――堀田筑前守のいうことはわかったが、わかればいよいよ全身に震慄《しんりつ》を禁じ得ないたくらみであった。
そして、筑前守のたくらみとはべつに、或る感情から、十蔵の頭はしびれ、混乱し、ひたいからはあぶら汗がしたたった。
桜田の御用屋敷に暮す四人の御愛妾がもし御出産なされたら、それは十中八九までじぶんの子である。それについての恐怖はあれ以来夢魔のように彼をおびやかしていたが、いざそれを流せといわれると、彼の全身には何とも名状しがたい虚《むな》しさがひろがった。それは精魂《せいこん》をこめて作りあげたものを、みずからの手でまた無にかえしてしまうという悲哀感であった。
蒼《あお》ざめている十蔵をきっと見て、のしかかるように、
「天下のためだ!」
と、筑前守はいった。
九
将軍が死ぬと、その側室たちは、それぞれ御位牌《おいはい》を頂戴《ちようだい》し、桜田の御用屋敷に入れられる。
むろん、終世|上臈《じようろう》年寄格の地位と御遺金《おのこしがね》を賜わるのだが、決して実家《さと》にかえるとか、いわんや再婚するとかなどということはゆるされず、まるで黄金の格子《こうし》にかこまれた鳥のような一生を終えなければならぬ。世人呼んで、比丘尼屋敷というのもむべなるかなである。
その黄金の格子を通りぬけて、忍者六波羅十蔵は忍びこんだ。お瑠璃の方の部屋であった。
彼は隅《すみ》の絢爛《けんらん》たる裲襠《かいどり》のかけられた屏風《びようぶ》のかげに坐った。
しとしとと雨のふる六月の深夜である。――雪洞《ぼんぼり》も雨にけぶっているような灯の中に、お瑠璃の方はスヤスヤと眠っていた。
屏風のかげに坐った十蔵は眼をとじて、端然として――しかし、どこか悲哀の翳《かげ》があった。それは二、三か月前の悪戦苦闘の疲労がまだぬけきれないせいでもあった。実際彼は、あの大事をなしとげて以来、ずっと床についていて、妻のお路といちども合歓のことを行う気力をすら喪《うしな》っていたのである。
彼は腹をふくらませた。またくぼませた。胃はしだいに西洋|梨《なし》みたいな――子宮のかたちに変った。それを律動《りつどう》させることにより、懐胎した女人の子宮に陣痛を起し、一指もふれずに流産させるのが、彼の編み出した忍法「肉太鼓」の一つであった。
「……来ましたね」
声がきこえた。
「見なくてもわかります。匂いでわかります。比丘尼屋敷に男がひとりでも入ってきたらわかります。いいえ、匂いがなくてもわかります。あのときの男ですね」
お瑠璃の方は眼をとじていった。――十蔵は息をのみ、肉太鼓を打つのを忘れてしまった。
「あれ以来、わたしはおまえを忘れはせぬ。生まれてはじめて知ったあの法悦を忘れてなろうか。……おまえはきっとくる、もういちどきっとわたしのところへやってくる。わたしはそう信じていままで待っていたのです」
お瑠璃の方は夢みるようにいった。
「なぜなら、ここにおまえの子供が生きていますもの。おいで、来て、わたしのおなかにさわって見ておくれ」
彼女は白い腕をのばしてさしまねいた。
さしまねかれたゆえではなく、十蔵は判断力を失い、見えない糸にひかれるように這《は》い出した。うめくようにいった。
「御存じでござりましたか」
「おまえがだれか、わたしは知らぬ。おぼろげながら、その素性も目的もわからないでもないが、わかりとうはない。知らずともよい。ただわたしは、おまえという男が来てくれさえすればよい」
お瑠璃の方は、はじめて眼を見ひらいた。これも雨にけぶるような眼であった。
六波羅十蔵はがばとひれ伏した。
「恐れ入ってござりまする」
それから、悲痛な声でいった。
「ふたたび拙者参上仕りましたは……よんどころなき儀にて、おん胤《たね》を水になし参らせんがためでござる」
「よんどころない儀とはえ?」
「天下のためでござる!」
お瑠璃の方の唇に、淡い微笑が浮かんだ。そしてつぶやいた。
「いやです。わたしはおまえの子供を生みたい」
十蔵は愕然《がくぜん》として顔をあげた。しばらく口をあけて、重病人みたいに息をはいていたが、
「それはなりませぬ。もし若君御出生あそばさば……かえって、若君のおんためにも、あなたさまのおんためにも、おんわずらいのもとに相成りましょう」
うわごとのようにくりかえした。
「徳川家のためでござる。……徳川家のためでござる。……」
「わかりました」
と、お瑠璃の方はうなずいた。
「おまえのいうことをききましょう。けれど、いまはいや、今夜はいやなのです」
「――では、いつ?」
「わたしが、いいという日まで」
白い手がのびて、十蔵の袖をつかんでいるのを知らず、しずかにひかれただけなのに、放心状態の彼は、がくんと前にのめった。おちてきた彼の顔を、女の顔が受けた。
「おまえ、いつかのような目に合わせておくれ。そうでないと、わたしはいつまでも、おまえのいうことはきかぬぞえ、喃《のう》、忍者」
十蔵は完全にうちのめされた。
十蔵は蛇のような女体に巻かれてしまった。
いつかのように受身のお瑠璃の方とは別の女人のようであった。彼は下半身を摩擦され、汗がにじみ出し、びっしょりとぬれつくし、はては波濤《はとう》のようなうねりの中に蕩揺《とうよう》した。彼の内部で何かが充血し、何かが肥厚し、何かが海綿状になり、何かが粘液にあふれた。そこにあるのは、ただ精妙きわまる物理的な刺戟に反応する筋肉と粘膜と血液の分泌腺《ぶんぴつせん》があるだけであった。
――一刻ののち、六波羅十蔵は、蝙蝠《こうもり》みたいに夜の長廊下を歩いていた。一刻のあいだに、彼は糸のようにおとろえはてていた。
それでも彼は歩いてゆく。二人目のお国の方の部屋へ。
そっくり同じ運命が、そこで彼を待っていた。
三人目のお梶の方、四人目のお宮の方の部屋を訪れ、ようやく解放されて、夜明前の桜田の御用屋敷を逃げてゆく六波羅十蔵は、三半規管どころか、全身の神経系統が破壊されたようであった。
それでも彼は、その翌夜、また御用屋敷にやって来た。じぶんの願いをきいてもらうためには、彼女たちの願いをきいてやらなければならなかった。
三日目も、四日目も。――いや、十日目も、十五日目も。
伊賀者の受けた御用の秘命は、死すとも果たさねばならぬ。
歯をくいしばってうめきつつ、夜の比丘尼屋敷を這いまわる忍者六波羅十蔵の姿は、すでに生きながら亡者《もうじや》であった。
四人の御愛妾がようやく流産してくれたのは、一《ひ》ト月ののちである。
三日後に、六波羅十蔵も死んだ。四谷の組屋敷でいつのまにか冷たくなって、枯葉のように死んでいるのを、朝になって女房のお路が発見したのである。
子がなかったので、六波羅家は断絶となった。
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忍法花盗人
一
会津藩江戸家老|簗瀬《やなせ》三左衛門は、奥方さまのお口から、お輿入《こしい》れ以来九か月以上にもなるのに、殿様とのあいだにまだいちどとして合歓のおんことがないときいておどろいた。
むろん、奥方さまがすすんで、古びた羅漢みたいな老家老にそんなことを訴えたのではない。ちかく殿様が一年の御在府を終えられて御帰国あそばすについては、お国元に「御国御前」さまというものが必要であるということを説明にまかり出て、そして奥方さまからそのおどろくべき事実をはじめてきかされたのである。
「肥後守《ひごのかみ》どのには、左様なものは要るまい」
と、奥方さまはいった。
「あいや。――」
困惑は覚悟していたが、それを説くためにお目通りを願い出たのだから、三左衛門が勇気をふるい起して一席弁ずるために唇《くちびる》をなめると、奥方さまはうす気味わるい冷笑を浮かべて、
「肥後守どののあれは、しなびたきりで、ものの用には立たぬわいの」
といった。
簗瀬三左衛門は唖然《あぜん》として奥方さまの白粉《おしろい》がまだらで頬骨《ほおぼね》のたかい顔を見あげた。
江戸家老が「御国御前」の件について、殿様よりもさきに奥方さまに御諒解《ごりようかい》を求めにまかり出たのは、事柄の性質もあるが、それより奥方さまが、考えようによっては殿さまよりもっと御身分がたかい――すなわち将軍家の息女であったからだ。
九か月前、すなわち去年、文政四年夏、会津二十三万石の当主松平肥後守に輿入れしてきた元姫は、将軍|家斉《いえなり》の子女のうち二十四番目にあたる姫君であった。
人も知るように、十一代将軍家斉は一生のうちに五十四人の子を作った。当人にとってはまことに家門|繁昌《はんじよう》、めでたいかぎりだが、さてこの生んだ五十四人の始末ということになると、かならずしもめでたいと恐悦ばかりしていられない事態となった。何しろ将軍家の子女だからめったなところへは片づけられない。どうしても相手は大名ということになり、事実、大名の養子或いは奥方としておしつけたのだが、おしつけられた方は文字通りありがた迷惑である。いまも残る東大の赤門は、その第三十四号溶姫を頂戴した加賀侯がそのために作った新御殿の名残《なご》りであり、その第三十号盛姫を拝領した佐賀侯は、婚礼費用のため藩費を蕩尽《とうじん》し、ために参勤《さんきん》もできなくなってしまったほどだといわれる。またその三十一号五郎|斉衆《なりひろ》を降臨させられた鳥取藩は、本来の世子はおしのけられて日陰者とされてしまい、第四十八号千三郎斉善は福井侯の養子として天下《あまくだ》ったが、この人物は盲だったといわれる。世にこれを騒動婿に厄介嫁と呼んだのもむりはない。
しかし、むろん内証はどうあろうと、この押付婿押付嫁を表立って拒否するものはだれもない。……会津の松平家でも、うやうやしく二十四号の姫君を頂戴した。
頂戴してみて、会津藩の家臣たちはあっと息をのみ、顔見合わせた。
殿様がまだ二十一の若さなのにこの花嫁が二十五歳にもなっているということは承知していたが、容貌《ようぼう》までは事前に知らなかったからである。
元姫さまのおん母君は、おやちの方と申される方である。むろん、会津藩でそのお顔を見た者はだれもないが、将軍家の御寵妾《ごちようしよう》となるくらいの女性だから、絶世の美貌であることは想像にかたくない。ところが……遺伝というものは実に面白い、というより奇々怪々なもので、両親のみならず先祖代々水準以上の美しい女性を妻として迎えてきたことがあきらかな名門の家に、かならずしも美男美女が生まれるとはかぎらず、どこの馬の骨ともしれぬ男女の野合から気品にみちた好男子や珠《たま》のごとき美少女が創造されたりする例が多い。遺伝因子の万華鏡《まんげきよう》に似た魔術である。
で、この元姫さまだが……背は花婿の肥後守より二寸は高く、筋肉りゅうりゅうとして色あくまで黒く、頬骨張って鼻ひくく、眼は金つぼまなこで口はこぶしが入るくらい大きい。……ということは、お輿入れになってはじめて知ったことだが、むろんいまさらどうすることもできない。いや、あらかじめわかっていたとしても、とうてい御辞退などできなかったであろう。
とはいえ、何といっても御夫婦のおんなかだ。このたびの御婚礼のことは、二、三年前から内交渉があって、肥後守にほかに愛妾のごときものは設けぬようにというお達しであったし、家来の知るところでは、殿様はたしかにまだ童貞であった。結婚後もべつに主君がそのようなものを要求したことはなかったし、おそらく琴瑟《きんしつ》相和しておいであそばすものと……家来たちはかんがえていた。
しかるに、殿と奥方さまのおんなかには、まだ合歓のおんことがいちどもないという。――
そういわれてみれば、思いあたることがないでもない。ここ数か月のあいだに、肥後守は小柄なくせにだぶだぶふとってくる一方で、顔色のみならず肌の色まで蒼《あお》ざめてきて、ときどき放心状態にあることがあるし、奥方さまは、もともと武芸が御趣味ということだが、柳営《りゆうえい》から従えてきた女中たちを相手に日夜その御修業に余念もない風景が、いまにして按《あん》ずればむしろ凶暴の気をおびていたように思われる。――
とはいえ、ただのいちども御《おん》夫婦《みようと》の契りをむすばれたことがないとは――これはいくらなんでもあんまりだ。おそらく、花嫁さまの御出身が御出身だから、老女も御首尾をきくのをはばかったせいであろうが――実に容易ならざることといわねばならぬ。
「殿は、御陰萎《ごいんい》にて」
ややあって、簗瀬三左衛門は蒼白《そうはく》になってつぶやいた。
「ものの用にはお立ちあそばされぬ、と仰せられる」
しばし、判断を絶する表情で、ぽかんと宙を見ていたが、
「しばらく、しばらく、――この件については、二、三日お待ち下さりましょう」
といって、早々にこの羅漢のごとき江戸家老はひき下がっていった。
二
簗瀬三左衛門は、重役の内藤助右衛門、田口土佐、老女の梅《うめ》ヶ枝《え》を呼んで鳩首《きゆうしゆ》協議をした。
会談の用語はもってまわって重々しいものであったが、本音の結論は簡単であった。それは、いよいよ以《もつ》て御国御前は必要であるということであった。
「殿に御世子がお生まれあそばさぬなどいうことがあれば、お家大事じゃ」
と、内藤助右衛門がいうと、みな憂悶《ゆうもん》にみちた顔でうなずいた。
彼らは意識はしていないが、お家の大事はすなわち家臣たちの大事である。
世子がなければ家名の断絶は幕府の御定法《ごじようほう》であり、たとえ親族から養子などをもらって立てるとしても、藩の勢力関係に一大|波瀾《はらん》をまき起すことだから、それは極力避けたいことである。いったい大名が数多くの寵妾をもったということも、たんに個人的な色好みばかりではなく、家存続のための生殖機械たる義務があったからだ。
「いそぎ西郷《さいごう》へ早打ちをたてて、然《しか》るべき美女数名をえらび、殿の御帰国をお待ち受けさせねば」
と、田口土佐もいった。西郷とは、国家老の西郷|頼母《たのも》のことであった。
御国御前とは、大名の在国中の妻、すなわち妾《めかけ》のことだ。参勤交代の制により、大名は一年ごとに在府と在国をくりかえすが、正妻は江戸におくのが厳たる慣《なら》いだから、国元にあるあいだは、べつの女性が必要となる。輿入れされたばかりの将軍家の姫君にはばかって江戸にこそほかに愛妾のたぐいを置かなかったが、このたび御帰国とある上は当然なくてはかなうまい、とほんの常識的な考えから、ともかくほかならぬやんごとなき奥方さまの御諒解を得ておくつもりで三左衛門はお目通り願ったのだが、いまやこのことは、たんなる慣習以上の重大性をおびた問題となった。
もう談合ももどかしげに立つ田口土佐に、
「美女をな。……世にもまれなる美女をな」
と、あえぐように老女の梅ヶ枝もいう。
もし主君の肥後守が完全な陰萎であったら、美女も何も、それこそものの用に立たぬはずだが、四人ともそんな危惧《きぐ》はさらさら念頭にないかに見えたのは、これもだれも口には出してはいわないが、あの奥方さまなら、殿さまに左様な異変が生ずることは或いは充分あり得ることだと、以心伝心、いまさらのように、いっせいに思いあったためだ。
翌《あく》る日、簗瀬三左衛門はふたたび奥方さまのまえに罷《まか》り出た。すると奥方は、見なれない三人の若い女を従えてあらわれた。
「三左、国元の妾のことでまた参ったか」
「御意」
「どうあっても、妾が要ると申すか」
「さ、さればにござりまする」
三左衛門は、禿《は》げあがったひたいに汗をにじませた。
「奥方さまより承り、実に驚愕《きようがく》いたしてござりまするが、もし殿のおん病いがまことでござりますれば、寛永の聖人とうたわれましたる藩祖|保科正之《ほしなまさゆき》公以来二百年になんなんとする御当家の命脈がここに絶たれることに相成りまする」
奥方さまは、例の金つぼまなこで、はたとにらみすえている。それだけでも身がすくむようなのに、おなじように怖れげもなくじぶんを凝視している三人の女が、何となくうす気味わるい。
いったいにお輿入れとともに柳営からついてきた女中たちは、会津藩はえぬきの女中にむかってはいうまでもなく、侍たちに対しても権がたかい。家来のみならず、殿様をすら小馬鹿にしているところがある。三左衛門は、彼女たちが日常の会話に殿様のことを、肥後守肥後守と呼びすてにしていることを知っている。それくらいだから三左衛門は、奥方さまお身の廻りの侍女たちは甚《はなは》だ苦手なのだが、それにしてもこの三人の女にはぞっとするような妖気がある。はて、ふだん奥方さまの御身辺には見かけたことのない女だが何者であろう?
「されば、このたびの御帰国をよい機会に、何とぞして殿の御病気をなおしまいらせ、御世子御誕生の望みを――」
「肥後守どのが、わたしから離れれば御病気がなおると申すか」
「あ、あいや、左様なわけではござりませぬ。ただ――」
「ほかに妾をもち給えば、あのしなびた殿のものが用をなすと申すか」
「あ、あいや、そうともかぎりませぬが、われら家臣の娘のうちより最も忠節なるものをえらび、熱誠以て相勤めますれば、神仏も感応ましまさんかと――」
三左衛門のひたいから、ついに汗がしたたり出した。
奥方さまは、大きな口をぐいと皮肉にひんまげた。
「まず、そのようなことを申すであろうと思うておりました」
「はっ。……」
「ゆるします。肥後守どのに妾をもたせるがよい」
「へへっ。……」
「ただし、条件がある」
三左衛門はたたみから上目づかいをした。
容貌の出来不出来はともかく、この奥方さまは、お輿入れになった当時は、いかにも公方《くぼう》様の姫君にふさわしい大らかさ、豪快さがあったのに、いま見る奥方さまの顔には実に陰惨|凄絶《せいぜつ》、この世の人とも思われぬ妖気が蒼白く明滅しているのに気がついて、三左衛門の背にすうと冷たいものがながれた。
「肥後守どの御在国中の妾というは、三左、あくまでも殿のおん持物をものの役に立たせる道具であろうが」
「仰せの通りでござりまする」
「されば、条件の第一、その間、万が一その妾にお子が出来たる場合は、お子だけをとりあげ、妾はただちに放逐すること」
「……はっ」
「条件の第二、肥後守とその妾と御同衾《ごどうきん》の際、ここにおる三人の女を交替にて、たえずお添寝せしめること」
「……はっ」
と、いって、簗瀬三左衛門は、あらためて例の三人の女に不審の眼をむけた。
「それは、どちらさまでござりましょう」
「伊賀者の女じゃ」
「伊賀者。――」
「そちは知らぬか。柳営には権現さま以来召し使われ、徳川家のためには身命をささげて悔いぬ忍び組がある。これはその中でも特に手練《てだれ》の家の娘、お綱、お谷、お弓と申す女たちじゃ、見知りおけ」
三
文政五年の四月である。北へ移る春を追うて、会津二十三万石松平肥後守交代の行列はあゆみ、江戸から六十五里、若松へ帰りついた。
国元の家臣たちは、結婚以来はじめての主君を見たわけだが、むろん内情は知らないにせよ、目立って肥後守が不健康になっているのに気がついて顔見合わせた。やつれているわけではない。かえってふとっているのだが、二十をすこし出たばかりなのに、このふとり方は異常である。体内に何かがたまっているようにふくれあがって、歩き方もヨチヨチとけだるげである。まるで水死人みたいな肌の色だ。
江戸からの急使を受けて、まさかと思っていた国家老の西郷頼母も実物を見て、これはただごとでないとはじめて胸に釘《くぎ》を打たれた思いになった。いろいろと、国元の仕置のことを報告しても、肥後守は放心状態である。もともと、あまり頭脳明敏な方ではなかったが、気のせいか、いっそう暗愚になったような気がする。
結婚してから九か月になるというのに、まだ御夫婦の契りがないということは、どうかんがえても異常である。江戸からの報告によると、殿には、あろうことか、御陰萎であらせられるという。しかし、ひいき目に見るわけではないが、先天的に殿にそんな御奇病があろうとは断じて思えない、先天的といえば、御先祖代々――聖人といわれた藩祖正之公ですら生涯に十四人の子女を作られたくらい、その方面ではなかなかのお方であったと承っているくらいである。
殿の御陰萎の原因は、やはりあの奥方さまだ。御婚礼のときは、頼母もわざわざ出府してその御盛宴につらなったのだが、あのおんかんばせには頼母も少なからず衝撃を受けた。いわんやお若い殿様に於《おい》てをやである。しかもその上、その奥方が公方さまの姫君であるという威圧感がのしかかって、殿様をおしひしいでしまったのであろう。
「こりゃ、なるほどこちらで眉目《みめ》うるわしい女どもを以て殿を御寛解、御慰労いたさねばならんわ」
江戸の重役たちの意図に、西郷頼母は完全に同意した。
領内の政情についての報告もそこそこに、頼母が三人の女をつれて御前にまかり出たのは、御帰国後十日も経ないうちであった。
「頼母、この女どもは?」
「これより一年、御在国のあいだ、殿のお身廻りのことどもをお世話申しあげるために、頼母がとくに選び出したる女人でござりまする」
「余の身の廻り?」
「その他、殿のお気のはれますことならば何なりと、お望みのまま」
「余の気分のはれることなら?」
「下世話に申せば、煮て食おうと焼いて食おうと、御意《ぎよい》次第」
相当あたまのかたい西郷頼母だが、主君の察しのわるいのにはじりじりとした。――やっと肥後守がいった。
「頼母。……この女ども、余が抱いてもよいのかや?」
「抱かれてよろしいどころではござりませぬ。この女ども、そのために御奉公をお願い出た次第にござりまする」
「江戸の……奥がよいと申したかや?」
肥後守はあごをつき出し、不安そうな小声でいった。頼母は、果せるかな、と思うとともに、眼がしらがじわんとぬれるのをおぼえた。
「御安心下されませ。奥方さまはおゆるしでござりまする。ただし、お添寝の女をつけられてござりまするが」
「なに、お添寝の女を奥がつけた?」
頼母は声をはげました。
「殿、御国御前はどこの御大名も持ち給うが御定法、お添寝の女がつくも貴人にはおんならいでござりまする。お心安らかに、この女ども御寵愛下さりませ。――もしお気に召しましたならば」
そして彼はふりむいて、
「おえん、御挨拶《ごあいさつ》申せ」
「お旗奉行石堂彦兵衛の娘、おえんでござりまする」
一人目の女が顔をあげた。きれながの眼、象牙を刻んだような鼻、会津の田舎にもこれほど凄艶《せいえん》な女がいたか――と眼をみはったほど美貌の女であった。
「次は郡代《ぐんだい》岡谷平内の娘でござる」
「お優と申しまする」
二人目の女が顔をあげた。これはたっぷりと肉がついて、しかも雪のように皮膚がまっしろで、眼も唇も濡《ぬ》れひかっているように肉感的な女であった。
「次はお鷹匠《たかじよう》杉江玄左衛門の娘」
三人目の娘は顔を伏せたままである。お辞儀しているというより、うなだれているという感じであった。いつまでも、何もいわないので、
「真柄《まがら》と申しまする。真柄、面をあげい」
と、西郷頼母がいった。
そういわれて、ようやく三人目の娘が顔をあげた。ほかの二人が濃い化粧をしているのに、この娘ばかりは白粉ひとつつけず、まるでいま水で洗ったように清純で、いたいたしいほど可憐な顔だちで、しかも見ようによってはこの娘がいちばん美しいかもしれなかった。
「頼母、こ、この女ども」
肥後守はどもった。口のはしから泡がもれた。
「余が自由にいたしても、この女ども腹をたてぬかや」
「何を仰せられまするや。この三人の女、いかにすれば殿を御悦喜なしまいらせるか、かねてより肝胆をくだいてお待ち申しあげていた女どもでござりまするぞ」
頼母は落涙した。じぶんに眼をつけられ、因果をふくめられたときの三人の女の心を思いやってふびんに思ったのではない。彼はまったく彼女たちの忠節を信じ、期待し、一点の疑惑も抱いてはいない。彼はほんとうに、かくまで女人に対しておびえている若い主君が、ひたすらいたましくて落涙したのである。
涙をながしながら、この国家老は、三人の美女をながめている主君の眼が生気をとりもどしたようにぎらぎらとひかっているのを見て、「御陰萎など、あろうことかは」と心中にうなずいた。
第一夜であった。
「その方は何者だ」
寝所に入って、肥後守はきいた。
パンヤを芯《しん》にしてまわりを真綿でつつんだおじょう[#「おじょう」に傍点]畳をしき、その上にお納戸縮緬《なんどちりめん》の夜具がしいてある。それほど豪奢《ごうしや》ではないが、それとならんでもう一組の夜具がしかれ、そこに見知らぬ女がひとり横たわっているのだ。
「江戸表の奥方さまよりつかわされましたるお綱と申しまする」
その女は能面のような無表情でこたえた。
「わたくし、今宵お添寝のお役を相つとめまする」
「あれか」
肥後守はげんなりとした。
お添寝という奇怪な風習がいつごろからはじまったのか、よくわからない。一説に五代将軍のころお側衆柳沢吉保が妾を献じて、その喃語《なんご》のあいだに百万石のお墨付をとろうとはかったことから、そういうおそれを防ぐために考案されたものともいわれるが、とにかくこの異様な習慣は江戸城大奥からはじまって諸大名にひろがった。
それを将軍家姫君たる肥後守の奥方が命じたというのは当然のならいに従ったまでだといえるかもしれないが、やはり寵姫《ちようき》の魅力の際限のない流露をふせぐという妬心《としん》が生んだ智慧《ちえ》であったろう。或いは、もし懦夫《だふ》肥後守を立たしめるものがあればその秘訣をよく伊賀の女に見とどけさせたいという切ない願いもあったかもしれない。
しかし、あの奥方の辛辣《しんらつ》な性格から推察するのに、じぶん以外のいかなる女人によっても、ついに懦夫が立たなかったことが明白となれば、それを嘲笑して復讐の快を味わえるわけで、或いは九分九厘まで、そういう事態を彼女が期待していたと見るのが最も深刻で正確な解釈であったろう。
ところが、肥後守はふるい立った。彼は、江戸の奥方の真意についてあれこれとおしはかるよりも、ただ眼前の美女にひかれた。
お納戸縮緬の中には、すでにおえんが横たわって、雪洞《ぼんぼり》の灯《ほ》かげに凄艶なまつげをとじている。それを見るや、肥後守はお添寝お綱の存在すら忘却したほどであった。
おのれの体内にいまだ曾《かつ》て経験したことのない炎を意識すると、あとは二十三万石の大名らしい大まかさで、彼は夜具を剥《は》ぎおえんを剥いだ。
「これが女じゃ、これが女というものじゃ。……これ、このような美しい顔をして、からだのどこもが奥とは異っておろうな」
しげしげとのぞきこんで――そのとたん、肥後守は急速にしなびてしまった。
「これは、同じではないか!」
悲痛な声であった。それきり、彼はふたたび立つ能《あた》わなかった。
第二夜であった。
「わたくし今宵お添寝のお役を相つとめまするお谷でござりまする」
そういう伊賀の女を顧みることなく、肥後守の眼は、そこに横たわる豊麗なお優に吸われた。
彼はかちかちとかすかに歯の音すらたてながら、この官能のかたまりのような美女を剥ぎとった。見ることを怖《おそ》れつつ、しかし彼は事前に見ずにはいられなかった。
「これは、このように美しい顔をして……奥よりもまだ凄《すさ》まじい。……」
恐怖にみちた声であった。肥後守の脳裏には、九か月前の初夜、はじめて奥方と相対したときの妖怪味《ようかいみ》をおびた光景がまざまざとひろがり、その夢魔がここに再現したかと思われた。
第三夜であった。
「お添寝のお弓でござりまする」
その声を遠くにきき、肥後守は足もとの美少女真柄を見下ろした。見下ろしたその眼には、すでに名状しがたい悲愁の翳《かげ》があった。
今宵かすかに歯の音をたてているのは真柄だ。彼女は恐怖のために死人のようになっていて、生きているとわかるのは、ふるえるその歯の音だけであった。
しかし、肥後守の面上に哀《かな》しみの色が刷《は》かれていたのは、もとより彼女を犠牲者としてあわれんだゆえではない。彼はこの清純な娘を犠牲者ともかんがえていない。
肥後守は真柄を剥いだ。
「……そちも、また!」
うつろな、絶望のさけびであった。
――いつの夜も、三人の女忍者は、能面のように無表情に、この無惨な喜劇をながめていた。
四
一ト月ばかり後、この事実を知って、西郷頼母は「ああ!」と長嘆した。
長嘆したきり、あと何の判断も浮かばない。――殿様が、女色に溺れあそばすというのなら、死を覚悟して諫言《かんげん》もしよう。が、美女のさざなみに投げこんでも、ただ土左衛門のごとく浮かんでいるだけというのでは、いったいどうしたらいいのか、お手あげである。
しかし、事態は重大である。西郷頼母は、江戸で簗瀬三左衛門が奥方さまから事実をきいて驚愕したよりも、もっと事態の重大性を認識した。
一夜|懊悩《おうのう》した頼母にふっと或る人間たちの影が浮かびあがった。
「芦名玄伯《あしなげんぱく》を呼べ」
呼ばれて家老屋敷に来たのは、腰が釘みたいに折れまがった、貧しげな風態《ふうてい》の老人であった。年のころはわからないが、とにかくあまりの老齢に、髪も髯《ひげ》も白いのを通りこして、黄色くなっている。五十をこえた頼母が、かんがえてみると少年のころから、この芦名玄伯という老人はおなじような老人であったような気がする。
他言を禁じ、右の事実を打ちあけたのち、頼母はいった。
「いかに思案しても、通常のことを以てして殿のおん奇病を癒《いや》したてまつることができようとは思われぬ。それを癒す最善の治療法と信じたことが失敗したのだ。そこで、おぬしらを思い出したのだ。会津に古くよりつたわる芦名流の忍法。――もとより芦名の忍法は、武術の一つであって、かようなことを頼むのは、その方には不本意であろう、が、このたびのことは、或いは軍国のことにまさる、御当家の存続にかかわる大事じゃ、芦名忍法には、常人の想像も及ばぬ数々の秘法があるときく。玄伯、何とぞして松平家を救ってくれい」
会津松平家に芦名衆と呼ばれる一党があった。
古い――正保《しようほう》元年、徳川家光の弟保科正之がこの会津に任ぜられたときより、この一党がこの地に棲息《せいそく》していた方がさらに古い。会津はそれ以前、戦国時代から徳川初期にかけて、伊達《だて》、蒲生《がもう》、上杉、加藤と主《あるじ》を変えたが、芦名という名がこの国にあったのは、それよりももっと古い。芦名氏は南北朝時代から数百年にわたり、実にこの会津の覇王《はおう》として君臨して来た家柄なのであった。
支配者としての芦名氏は戦国の興亡のうちに滅び去ったが、しかしその一族はなお連綿として会津に残っている。他の諸大名が、豊臣家や徳川家から任命された領主であったのに対し、これは土着だ。その強さとともに、代々の諸家の家臣団はすでにあとかたもないのに、この一党がいまにいたっても残存しているのは、彼らが芦名流忍法者という心性と特技をつたえて来たからであったろう。
もっとも――この一族も衰えた。芦名氏以後の領主に、ときには何かのはずみで重用された記録がないでもないが、滅亡以来すでに二百三十余年、そのあいだに古木の枯れるがごとく一族は痩《や》せほそり――いまはただ十数家にすぎない。しかもその家も足軽級の下層に属する。そして、泰平とともに当然忍法などの需要はうすれ――いまは、国家老の西郷頼母なども稀《まれ》に彼らの怪しげな修行ぶり、土俗的な呪術についての風聞をきくばかりで、ふだんほとんど念頭になかった。
その頼母が、彼らの宗家ともいうべき芦名玄伯をわざわざ自邸に呼んだのも、以前の記憶にはないほど久しいことであり、ましてこれほど辞をひくくして切願したのははじめてのことであった。
「殿さまのおん摩羅《まら》がお立ちなされぬ」
と、芦名玄伯はうなずいた。
「心得ましてござる」
うやうやしげな態度は崩さなかったが、あまりひきうけかたが簡単で、且《かつ》老人の声がさりげないので、西郷頼母は拍子《ひようし》ぬけすると同時に不安にもなった。
「玄伯、大丈夫か、芦名の忍法のうちにこのお役に立つものがあるか」
老人は指を折り、歯のない口で何やらつぶやいていた。どうやら、一族のものどもの名を反芻《はんすう》しているらしかった。
「左様。玄伯は御覧のごとき老衰の身、もはや術に精気がござらねばまだ血気の三人を使いましょう」
すぐに、その三人の男が呼ばれた。
「阿武隈法馬《あぶくまほうま》と申しまする」
紹介されて、名乗ったのは三十あまりの男であった。ふだん城に出仕する用もないのか、それにいそいで呼ばれたために髪を剃《そ》るひまもなかったとみえて、月代《さかやき》をのばした、顔色の蒼白《あおじろ》い、みるからに凄絶の相をした男であった。
「芦名兵蔵でござる」
二人目は、背はあまり高くないが、金剛力士みたいな筋肉をした、四十年輩の剛直という言葉の化身のような男であった。
「信夫《しのぶ》銀三郎でござりまする」
三人目は、これも忍法者かと頼母が不審の眼をむけたくらい頬にどこか少年の匂いがあり、背もスラリとした若者であった。
「われら芦名一族が松平家の御恩恵を受けて生き長らえること二百三十余年」
と、老玄伯は風のような声でいった。
「ほそぼそと忍法の灯をまもりつづけて来たは、きょうの日のためと思え。――わかっておるな?」
三人の忍者はたたみに這《は》いつくばった。
頼母はおちつかぬ表情できいた。
「ところで――いかなる忍法をつかう?」
三人の男は、ひれ伏したままである。
「殿には……毎夜、お添寝の女がおるぞ。江戸の奥方さまからつけられた女じゃ。おそらく殿の御寵愛があまりにふかく他の女に移らるるを気になされたものか。まさか、会津に、その方らがおると御承知なされてのことではあるまいが、とにかく……江戸の柳営、伊賀組の女だという。――」
三人の頭がちょっともちあがりかけたが、すぐにまたたたみにピタとくっついてしまった。
五
伊賀組の女、お弓は義眼みたいにうごかない眼でながめていた。
無表情な眼だが、いじわるなよろこびが、けむりのように漂っている。江戸で将軍様御息女たる会津の奥方さまから、お添寝の御用を受けたとき、べつに殿さまが御愛妾を御寵愛なさるのを妨害せよと命令されたわけではないが、一皮むいた奥方さまの御期待をだれよりも明確に――鏡にうつすように感得《かんとく》したのはこのお弓であったろう。あるいは、奥方さま以上の悪意を彼女はおぼえたかもしれない。お弓は、不感症の女であった。
閨《ねや》に坐って、肥後守はうなだれている。まるで、裁きの廷《にわ》に出た罪人のように哀れな姿であった。
お鷹匠杉江玄左衛門の娘真柄はすでに横たわって、眼をとじていたが、これまた断罪されている娘のように蒼白い顔色をしていた。彼女はこれで、この会津城大奥の寝所に横たわること四度めだが、なおからだのふるえるのを禁じ得ない。彼女はまだ処女であった。
これまで三度も、殿様はおなじことであった。いや、第一夜だけ、真柄にとって死んでしまいたいような恥ずかしい、恐ろしいふるまいに出られたが、それがふいにばたりと嵐がとまったように発作《ほつさ》が過ぎると、あとは――二夜目、三夜目と同様であった。
つまり、殿様は雨の日のてるてる坊主みたいに悄然《しようぜん》として、一|刻《とき》も二刻もうごかず、そして真柄が寝こむのを見すますように、そうっと閨にもぐりこむ。
何とはしれず、真柄は殿様を気の毒に思うようになった。世にこれほど哀れなお方はないと思うようになった。
が――いま眼をそっとあけて見れば――やはり全身が寒毛《そうけ》立たずにはいられない。言葉をかけてさしあげる気にはいよいよなれない。ただこの永劫《えいごう》の夜の車とも思われる暗いぶきみな夜々がすぎて、いつの日か、じぶんが御家老さまから、もはやひきとってよろしいといわれるのを祈るばかりであった。
「また、来たか。……」
肥後守はいった。風のような声であった。それは夜のことであった。
「はい。――御家老さまに」
と、殿さまのうつろな眼と眼が逢ったので、真柄はこたえた。肥後守はいった。
「わしもいわれた。いや、叱りつけられた。頼母に。――しかし」
そういったとき、殿さまの月代《さかやき》にぽたっと何か白いものがしたたって、しぶいたような気がした。
それは錯覚ではなかったか?――殿様はそれに気がつかない風で、じっと真柄を見つめている。が、真柄の眼はすわった。また一滴、何やら白いものが、肥後守の頭上に散った。錯覚ではない。音もなくお添寝のお弓も起きなおっている。
三滴目がおちた。しぶいた白い霧は、肥後守の顔からからだをぼうとつつみはじめた。……その霧の中から、肥後守の眼がひかっている。それはしだいに別人のようにつよいひかりをはなち出した。別人のように――そこに坐っているのは、肥後守ではなかった。だれかわからない。ただ別の生気にみちただれかだ。
「真柄」
と、肥後守はいった。声はまぎれもなく殿様で、はっと眼を凝《こ》らせば、姿はやはり殿様だ。が、声の余韻は清爽《せいそう》であった。
「いとしい奴、心ゆくまで愛《め》でてくれるぞ」
肥後守をつつむ妖《あや》しい霧が栗《くり》の花のような匂いを吹きつけて、真柄はあたまがふらっとしびれた。
肥後守は、真柄を剥いだ。このまえのような恐怖のさけびはあげなかった。それどころか、彼は実にやさしく、たくましく真柄の処女を奪った。
そして真柄もまた恐怖のさけびをあげなかったのだ。彼女は栗の花の匂いに酔い、天上にはこばれた。力強く抱きしめられ、唇を吸われながら、恍惚《こうこつ》たる中に、真柄はしかしじぶんを抱きしめ、唇を吸っているのが、肥後守ではない、べつの清爽な誰かだと感じていた。
この光景を、お弓は義眼みたいにうごかない眼でながめていた。
無表情な眼だが、禁じ得ないおどろきがひかり、彼女は口をあけていた。――これはいったいどうしたのだ? というように。
真柄に重なった肥後守のくびすじにまた白いものがしたたった。はじめてお弓は、天井に視線をうつした。そしてそこに常人では見えない錐《きり》があけたほどの小さい穴を見た。
「…………?」
いちどくびをかしげ、ふいにお弓の眼がきらりとひかると、彼女はこぶしを口にあてて何やらふくんだ。――と、その口がすぼまると、唇からひとすじの銀の糸が天井へむかって走った。
おそらくあまりにつよく吹いて、肥後守たちにきかれることをはばかったのであろう、そのためか、数本バラバラとたたみの上におちて来たのを見れば、細かい針であった。――吹針だ。
そしてまた、そのことをお弓はおそれたと見える。彼女は吹針を天井の穴にむかって吹かず、そこから三尺あまりずらせて吹いた。
針は天井に音もなくつき刺さった。
「――痛《いた》っ」
という小さいさけびがあがった。
何やら手応えを感じたらしく、飛び立とうとするかにみえたお弓は、はっとしてふりかえった。悲鳴をあげたのは、肥後守であった。彼は真柄に重なったまま、右足を折りまげてその足くびをつかんでいた。
「殿さま」
われにかえり、真柄がさけんだ。
肥後守もわれにかえった。――と、みえた瞬間、彼は萎《な》えた。あらゆるものが萎えた。じぶんからずりおち、だらんと無気力な四肢を投げ出して、しなびた瓜《うり》みたいな顔にぽかんと口をあけているのを見ると、真柄はぞっとした。
「……しまった」
お弓がかすかにさけんだ。
もとより断定はできぬ。しかし彼女は先刻天井裏に何者かがひそんでいることを感覚したのである。それで吹針を吹いた。が、思いがけぬ肥後守の悲鳴で、われしらずはっとそちらに注意をむけているあいだに、天井裏の何者かはすでに消えていることを知ったのである。
投げ出された肥後守のむくんだ足くびのあたりには、むろん針の影もみえなかった。落ちて来た針に刺されたのではない。
六
伊賀組の女、お谷は憎悪に赤くひかる眼でながめていた。
将軍様の御息女の御命令だから、いたしかたなくこんどの御用を引受けたが、お添寝という役割には、彼女は身をやかれるような苦痛をおぼえている。彼女が天性潔癖であったせいではない――おそらくはその正反対であったろう――それが或る事情から、男女のことにはげしい制動《ブレーキ》をかけられて、もともと執拗《しつよう》な、濃厚な性格であっただけに、以来――いまは犬のつるむのをみても打ち殺してやりたいほどの嫌悪を抱くようになった。
閨に坐って、肥後守はあたまをかかえてもだえている。まるで気がちがったかと思われる姿であった。
お旗奉行石堂彦兵衛の娘おえんはすでに横たわって、いかにも不安げに肥後守を見つめていた。殿さまの挙動が心配なのではない。彼女は、じぶんが殿さまのお気にいらなかったのではないかと、そればかり気にかかっていたのだ。
家中《かちゆう》の娘のうちでも冷たいばかりの美貌をうたわれたおえんである。ともかくもお旗奉行の娘である。良縁がなかったわけではない。そのすべてをしりぞけてきたのは彼女の自負以外の何物でもなかった。べつにどこへ嫁《とつ》がなければ承知できないというたしかなあてがあったわけではないが、ともかくいままでは、どの口にも満足できなかったのだ。ただ彼女は漠《ばく》とはしているがまぶしいばかりの未来の雲を見つづけていたのであった。
そこへ、突然、家老の西郷頼母から、いまの話をもってきた。狼狽して辞退しようとした父を制して、みずからこの祭壇にのぼることを承諾したのはおえんの方であった。
彼女は主君の愛妾たることを恥じなかった。たとえ殿様がほかに幾人の女を御寵愛あそばそうと、かならずじぶんがその、第一人者、すなわち御国御前となることを信じて疑わなかった。なりゆき次第では、御世子の母公たることも決して夢ではない。いや、きっとじぶんがそうなってみせる。――彼女のまぶしい雲は、いまかたちをととのえた。
それなのに、なんたることか、殿様は、これで幾夜か、閨に横たわるじぶんを見ながら第一夜、奇妙なあらあらしさを見せかけたあとは、ただあたまをかかえて、おいであそばすだけなのだ。ときどき、上目づかいにじぶんを御覧なさる眼には、何ともいえないにくしみの色さえある。
「殿。……」
たまりかねて、おえんは身を起し、肥後守にすがりついた。ぴくっとして筋肉をこわばらせる肥後守の腕をとらえ、わざと唇をよせて、
「おえんがおきらいでございますか。……」
と、熱く匂う息を吐きかけた。
どこかでのどの鳴る音がした。お添寝の女だ。江戸から来たというお添寝の女が憎悪にみちた眼でこちらをながめているのをおえんは知っている。はじめ、ぶきみに思い、その監視に腹をたてたが、やがて、いまに見ているがいい、御国御前になったら、きっと江戸に追い返してやると勝気なおえんは負けずににらみかえした。そしていま彼女は焦りのあまり、そんな女の存在も、じぶんの羞恥心《しゆうちしん》も忘れてしまった。
「口、口を吸って下さいませ、殿。……」
そういっておえんは、肥後守に抱きついたまま、蛇のように柔軟にうなじをそらし、口を半びらきにしてはげしくあえいで見せた。
肥後守はとろんとうすびかる眼で、おえんの口を見た。ぬれた唇とひかる歯とほのめく貝のような舌を見た。……ついに彼は、その蠱惑《こわく》にとらえられた。
彼はおえんの口にかぶりついた。おえんは身をふるわせ、舌を肥後守の舌にからみつかせた。教わったことではないが、野心にみちた女の本能的な、全機能をあげる媚態《びたい》であった。
「女の口というものは美しい……えもいわれぬほどこころよいものじゃな」
肥後守は、おえんの口を果物みたいにしゃぶりながらいった。彼ははじめて肉欲の持続をおぼえたのである。
「殿。……」
おえんは肥後守を抱いたまま、徐々にたおれてゆこうとした。
「ま、待て」
肥後守はかすれた声でさけんだ。
「おえん、わしは」
身もだえして、嘔吐《おうと》するようにいった。
「わしは、女と交ることができぬのだ」
「えっ?」
眼をまるくした女の顔を見ているうちに、いちど起りかけた昂奮《こうふん》が、またナヨナヨとしぼんでゆくのを肥後守は感覚した。――ふしぎなことに彼は真柄という娘と堂々と交ったのに、本人はまったくその記憶がないのである。
「しかし」
いま、必死にあげた眼をおえんの唇に吸いつけて、肥後守はいった。
「口」
「え」
「口ならば……おえん、おまえの口ならば、死んだわしを甦《よみがえ》らせてくれるかもしれぬ。……」
おえんはじっと主君のわななく顔を見つめたままであった。……が、やがて彼女はかわいた唇をなめ、白いのどをこくりとさせて、眼でうなずいたのである。その眼には異様な欲情とともに目的のためには手段をえらばぬ強烈な野心があった。
お谷はまるで破傷風患者みたいにひきつった顔でながめた。もはや怒りがすぎて息もつまりそうであった。彼女は、じぶんにこんどの御用を命じた元姫さまを憎悪した。
死物狂いに眼をそらす。……その眼に、ふと妙なものが映った。
床の間の花瓶《かびん》に牡丹《ぼたん》の花が投げ入れられている。その花がゆれているのに気がついたのだ。いちばん大きな大輪の牡丹に、一匹のとかげがとまっていた。そのとかげがあたまをしきりに花の中に出入させる運動をつづけているのだ。
「……あれは?」
お谷の眼がひかった。彼女はお弓から先夜の怪異をきいていたのだ。
お弓は天井から何やら白いものがふってきて、みるみる肥後守の様子が変ったといった。だから、天井にはよく気をつけていたのだが、それは異常なく――いま、妖しいとかげが花の中に頭を出没させて――おお、それは肥後守とおえんと合奏しているようではないか?
同時にお谷は、このときじぶんが実に奇怪な感覚にとらえられていることに気がついた。その床の間は、肥後守の閨をへだてて東側にあった。いまも依然として肥後守の閨をへだててはいるが、なぜか西側にあるような気がして来たのである。それがなぜだかわからない。外部は一切見えぬ部屋の中だから、たとえ部屋が廻転してもわからない知覚のはずだが、どうしてかそんな気がしてならないのだ。
――しかし、人はしばしば深夜お谷と同様の錯覚におちいることがある。寝ている方角がどうしても逆転しているようで、不安にたえかね、灯をつけてみた経験のない人があろうか? 昔の人はこの異様な心理作用を「枕返《まくらがえ》し」という妖怪のせいであるとした。この妖怪はいかにふせごうとしてからだをむすびつけていても、一夜のうちに東西首の位置を異にさせると「大鏡《おおかがみ》」にもある。――いまお谷はこの「枕返し」に襲われたようなふしぎな幻覚にとらえられたのだ。
お谷の手から、ひとすじの白光が牡丹の花に走った。それは吹針よりもっとながい、三寸ばかりの細い毒針であった。それは狙いあやまたず、とかげの頭部をプスリとつらぬいた。とかげはキリキリと廻転した。とみるまに、その頭部と胸が切れて、胴だけがスルスルと花のかげにかくれてしまった。床の間にポタリと頭がおちた。……
お谷はかっと眼をむいた。おちたのは、尾であった。尾には針がつき刺さったままであった。――たしかに針は頭にうちこんだはずなのに!
「おお、えもいわれぬほどここちよいものじゃな」
恍惚《こうこつ》たるうめきにお谷はふりむいた。
女陰恐怖症にとらえられていた肥後守は、いつのまにかおえんと交っていた。正常位だ。彼はまた快美のさけびをもらした。
「女の口というものは!」
南風が細い三日月を吹いている大屋根の上に、じっと鴟尾《しび》のようにうごかぬ黒い影があった。ふたつの掌を組み合わせ、ひとつの祈りに魂を没入させているその顔が――金剛力士に似た芦名兵蔵であることを、三日月だけが知っている。
精神凝集の一方法としていわゆる九字の印をむすぶのは物語の忍者で知られていることだが、この古怪な儀式を芦名兵蔵は踏んでいるのか。ただ彼のふたつの掌は、胸の前にあらずして背中にひしと組まれていた。
七
阿武隈法馬がひとりの女をつれて国家老西郷頼母の前にまかり出たのは、頼母から例の依頼をされてから十日のちのことであった。
「女房のお志乃《しの》でござりまする」
と、紹介されても、頼母には法馬の意図がわからず、不審な眼で彼の妻を見やった。
「十日間、語り合い、ようやく決心させてござりまする」
「何を?」
「女房を殿のお伽《とぎ》をさせるおんな衆にお加え願えませぬか?」
「法馬。……そのおんな衆は、わしがえらんだ。ひとの女房はちとこまる。そこまでの必要はない。それともそなたは。……」
じっと思いつめたようにじぶんを凝視している阿武隈法馬に眼をもどして、頼母は絶句した。それともそなたは、途方もない望みを抱いてでもおるのか、といいかけて、彼の凄絶《せいぜつ》とも悲痛とも形容しがたい相貌《そうぼう》に打たれたのである。
「ただ、一夜でござります」
と、法馬はいった。
「銀三郎、兵蔵の忍法を以てしても、あるいは御家老さまのお頼みに応《こた》えられましょう。しかし、おそらくはただいっときのわざでござろう。かくては会津二十三万石のおんあるじのおん悩みの果てさせ給う日はござりませぬ。拙者は殿を永遠に男にしてさしあげとうござる。そのためには、この女房の力をかりねばならんのでござります」
「そなたの女房は?」
「まず、これを御覧下さりましょう」
阿武隈法馬は懐中から一冊の本をとり出した。本には「今昔物語集」とあった。
「今昔物語ならば、むかし一読したことがあるが」
「この章をお憶《おぼ》えでござろうか」
ひらかれたところを頼母は読んだ。「陽成院《ようぜいいん》の御代《みよ》に、滝口《たきぐち》、金《きん》の使いに行きたること第十」とあった。
「――今は昔、陽成院の天皇の御代に、滝口を以て黄金《こがね》の使いに陸奥《むつ》の国につかわしけるに、道範という滝口、宣旨《せんじ》を承りて下りけるに、信濃国《しなののくに》のさるところに宿りぬ。この郡《こおり》の司《つかさ》の家に宿りしたれば、郡の司待ちうけて、いたわることかぎりなし、食物などのことみな果てぬれば、あるじの司、郎党など相具して家を出でて去りぬ」
この話には頼母は記憶がなかった。
「道範、旅の宿にして寝られざりければ、やわら起きて見あるくに、妻《め》のある方をのぞけば、屏風几帳《びようぶきちよう》など立て並《な》めたり。たたみなど清げにしきて厨子《ずし》の二階など目安くしつらいたり。そらたきものにやあらむ、いと香ばしく匂わせたり。田舎などにもかくあるを心にくく思いてよくのぞけば、年は二十歳《はたち》あまりばかりの女、頭《かしら》つき姿細やかにて、額《ひたい》つきよく、ありさまここはつたなしと見ゆるところなし。めでたく臥《ふ》したり。道範これを見るに見すぐべき心地《ここち》なくて思うに、あたりに人もなければ、うちとけて寄るとも咎《とが》むべき人もなければ、やわら遣戸《やりど》をひきあけて入りぬ。『誰ぞ』という人もなし。灯《あかり》を几帳のうしろに立てたればいと明《あか》し。きわめてねんごろにあたりつる郡司の妻《め》を、うしろめたき心を仕《つか》わむがいとおしけれど、女のありさまをみるに思いしのびがたくて寄るなりけり」
頼母は興味にとらえられた。
「女のそばに寄りてそい臥すに、気悪《けあ》しくも驚かず、口覆いして臥したる顔いわむ方なく近まさりして、いよいよめでたし。道範うれしく思うことかぎりなし。九月の十日のころおいなれば、衣も多く着ず、紫苑色の綾《あや》の衣|一重《ひとえ》、濃き袴《はかま》をぞ着たりける。香こうばしきこと、あたりの物にさえ匂いたり。道範わが衣をばぬぎすてて女の懐に入る。しばらくは引きせぐようにすれども、気悪しくも拒《いな》ぶことなければ懐に入りぬ。そのほどに、男の摩羅の痒《かゆ》がるようにすれば、かきさぐりたるに毛ばかりありて摩羅失せにたり。驚き怪しくて、あながちにさぐるといえどもすべて頭の髪をさぐるがごとくにして、露、あとだになし。大いに驚きて、女のめでたかりつることも忘れぬ。女、男のかくさぐり惑《まど》いて怪しびたる気色《けしき》を見て、少し頬笑《ほほえ》みたり」
頼母は唖然《あぜん》とした。
「男いよいよ心得ず、怪しく思ゆれば、やわら起きてもとの寝所にかえりて、またさぐるになお無し。あさましく思ゆれば、親しく仕う郎党どもを呼びて、しかじかとはいわずして『かしこにめでたき女なむある。われもゆきたりつるを何事かあらむ、汝《なんじ》もゆけ』といえば、郎党よろこびながらまたゆきぬ。しばしばかりありて、この郎党かえり来たりたり。いみじくあさましき気色したれば『これもしかあるなめり』と思いて、またほかの郎党を呼びて、すすめてやりたるに、それどもまたかえり来て、空を仰ぎて、いみじく心得ぬ気色なり。かくのごとくして七、八人の郎党をやりたるにみなかえりつつ、その気色ただ同じように見ゆ」
頼母は、彼もまた心得ぬ顔で読みつづけた。
「かえすがえすあさましく思うほどに、夜明けぬれば、道範、心の中に、夜前に家のあるじ、いみじくいたわりつるを嬉《うれ》しと思いつれども、このこときわめて心得ず怪しきに、よろず忘れて、夜明くるまでに急ぎて立ちぬ。七、八町ばかりゆくほどに、しりえに呼ばう声あり。見れば馬を馳《は》せて来たる者あり。馳せつきたる見れば、ありつるところに物取りて食わせつる郎党なり。白き紙につつみたる物をささげて来たりたり。道範馬をひかえて、『それは何ぞ』と問えば、郎党のいう『これは郡司の、奉れ、と候いつるものなり。かかる物をばいかに捨てておわしましぬるぞ。かたのごとくけさの御儲《おんもう》けなど営みて候いつれども、急がせ給いけるほどに、これをさえ落させ給いてけり。しかれば拾い集めて奉るなりといいて取らすれば『何ぞ』と思いて開きて見れば松茸《まつたけ》をつつみあつめたるごとくにして、男の摩羅九つあり。……」
頼母は顔をあげた。
「これは、どうしたことじゃ」
「拙者の妻お志乃は、この信濃の郡司とその妻の末裔《まつえい》でござる」
と、阿武隈法馬はこたえた。
「――と、申すと?」
「この忍法を以て、まず拙者の摩羅をとり、次に殿のおん摩羅をとり奉って、両者を入れ替えさせまする」
「なに?」
法馬の凄味《すごみ》のある顔は、別人のようにかなしげに微笑した。
「それにて殿のこれからの夜々は、女人と羽化登仙《うかとうせん》なされましょう」
もういちど、頼母は阿武隈法馬の妻を見た。
それまで影のように見えた法馬の妻は――ほそぼそとして、透きとおるような肌の色をして、しかも、おそらくはこの十日ばかりのあいだの悶《もだ》えのゆえと思われるやつれを見せながら――ふいに、この世の女ではないような妖しい美しさにけぶってみえた。
伊賀の女、お綱は好奇にもえる眼でながめた。
彼女は処女であった。彼女の処女は江戸の伊賀組に管理されていた。ゆえなくそれを破ることはゆるされなかった。
しかし、男女のことについては、お綱は異常なばかりの興味と探究心をもっていた。とくに、二十三万石の大名が、どんな風に女を寵愛《ちようあい》するものか、その光景をしかとみて、精細に江戸の奥方さまに報告しようと、ギラギラと眼をみはっていた。
が、彼女の見たのは、ただ子供のように泣きじゃくる肥後守の姿だけであった。
お綱がお添寝するのは、お優という女の場合と分担がきめられたのだが、お綱が見てさえ一種の肉欲をおぼえるほど豊艶《ほうえん》なお優をまえに、肥後守は泣くばかりなのだ。はて、お大名というものは、新しい女と閨《ねや》をともにするとき、幾夜かはこう泣くものであろうか?
そのうちに彼女は、朋輩のお弓お谷から、肥後守がほかの女と寝たときの怪異についてきいた。しかし、いかに眼を凝《こ》らし、耳をすましても、彼女の場合には何の異変も起らない。
すると或る夜、思いがけないことが起った。お優ではない。べつの女が肥後守の寝所に侍ったのだ。それはほそぼそとして、透きとおるような肌をして、この世のものではない――幽界から来たような女であった。
それが、肥後守といっしょに寝た。しかし、お綱の見たところでは、何事も起らなかった。
「そちは。……」
肥後守は弱々しく眼をみはった。
「やはり頼母にいいつけられたか?」
「…………」
「誰の娘で、名は何という?」
「…………」
何かこたえたようだが、お綱にはきこえなかった。肥後守にもきこえなかったろう。彼女はただ水のように寂しげに微笑《ほほえ》んだばかりに見えた。
そしてその女は、ただ母親のようにやさしく肥後守を撫でながら、しずかに閨の中により添うて横たわったのである。ふしぎなことに、その一夜だけ、肥後守は悶えもせず、泣きもせず、疲れはてた人間がはじめてやすらぎの夜を迎えたようにこんこんと眠った。
あまりのしずけさと物足りなさに、監視役のお綱も、不覚にも眠ってしまった。お綱が目ざめたとき、肥後守はまだ眠っていたが、もうその女の姿はなかった。
これを陰《いん》の異変とするならば、陽《よう》の異変は、次に肥後守がお優と寝た夜に起った。
はじめて肥後守は、お優を愛撫《あいぶ》したのである。それは、愛撫というより獣戯ともいうべき光景であった。
もともと白い肌からはあぶらがしたたるようなお優である。その官能のかたまりのような女が、あえぎというより、獣みたいなうめきをあげてころがりまわった。それを追う肥後守は――お綱ははじめてみたのだが、肥後守のゆえんたるものは、といいたいくらい、ふとく、たくましく、遠目でみてもお綱を気絶させんばかりであった。
「おう、おう、わしは――」
わけのわからぬ歓喜のさけびをあげながら、肥後守はお優を完全に蹂躙《じゆうりん》しつくした。あまりのもの凄《すさ》まじい光景に、お優のみならず、見ていたお綱さえ悶絶《もんぜつ》した。
のちにきけば、この一夜以来、お優のみならず、真柄《まがら》、おえんの夜にも、肥後守は一変したという。――
ただ、いちどだけあらわれたあの影のような女は、二度と肥後守の寝所にあらわれなかった。
あのはじめての肥後守の寝所に侍った夜のあくる日、お志乃が自害したことだけを、夫の阿武隈法馬と家老の西郷頼母だけが知っていた。
八
松平肥後守は甦《よみがえ》った。
肥後守様には、三人の御女性《ごによしよう》をふかく御寵愛である。三人の伊賀組の女はやむなく江戸の奥方にこう報告の使いを出した。それにいたるまでに三人が見た怪異については、何もいわなかった。三人自身にとってもまだわけのわからないことについて、とうてい説明することができなかったのである。
夏になって、三人の御愛妾はいずれも御懐胎なされた、と三人の伊賀組の女は報告した。
翌年の春、お優の方、おえんの方、真柄の方は順に、ほとんど十日ずつの間隔をおいて、男、女、男のお子様が御誕生あそばされたと、これは国家老の西郷頼母から江戸表によろこびの使者を走らせた。
それに対して奥方から返事があった。
「かねての約定《やくじよう》の通り、お子だけをとりあげ、その三人の妾は放逐せよ。もしなお御国御前とやらが必要ならば勝手に召しかかえ、もしそれがまたお子を生んだならば、同様の扱いをするように」
というのである。
本来なら、あるべき処置ではないが、何しろふつうの奥方さまではない。公方様《くぼうさま》の御息女である。それに――西郷頼母にとっても、殿様の御愛妾はたんに子供を生む機械にすぎないのだから、これに抵抗も異論もなかった。
肥後守にもまた異論も抵抗もなかった。はじめ、ちょっとみれんげな表情をみせたが、代りにならべられた妾の見本を見ると、たちまちよだれをたらさんばかりになって、「よきにはからえ」といった。彼は夜毎《よごと》に無限の女の車をまわすおのれの道具を験《ため》したくて、意気|昂揚《こうよう》していたのである。
本来ならばあるべき処置ではないといったが、しかしこのようなことは会津藩には例のないことではない。
将軍家というものは御妾《おめかけ》を臣下に与えるということは絶対にない。大名になると、ときにこれがある。しかしお腹さまとなると、縁談の沙汰《さた》はないのが通例である。ところが、会津藩では、子供のないのは勿論《もちろん》だが、お腹さまでも片づけてしまう前例がある。
会津藩三世の松平|正容《まさかた》は、愛妾おもんが世子|正邦《まさくに》を生んだのにもかかわらずお使番神尾八兵衛にあたえている。正徳《しようとく》年間のことである。またおなじく愛妾お市の方を、一人|容貞《かたさだ》を生んだのにもかかわらず物頭笹原《ものがしらささはら》与五右衛門にあたえている。享保《きようほう》年間のことである。
その他、おきちの方を堀半右衛門に、おれつの方を山崎左助に、というようにまるでつかいふるしの道具のように家臣に下賜している。
西郷頼母は三人の愛妾の処理法について思案した。とにかく殿さまのお子を生んだ女人たちだから、めったなところへは片づけられない。――頼母のあたまに或る男たちの影が浮かんだ。
真柄の方を、信夫銀三郎に、
おえんの方を、芦名兵蔵に。
お優の方を、阿武隈法馬に。
信夫銀三郎はまだひとり身であるし、芦名兵蔵は数年前に妻を失っている。阿武隈法馬の悲劇にいたっては、いまさらいうまでもない。
頼母は、彼ら三人の芦名の忍者に、それまでの何人|扶持《ぶち》かの薄禄から一挙に五百石ずつを与えることにし、且、三人の御愛妾を下賜することを決心した。
彼は三人を呼び出し、威儀を正し、
「褒美《ほうび》といえば辞退するものもあろう。真柄の方さま、おえんの方さま、お優の方さまはいずれも殿のお子さまのおん母君でおわす、めったなところへは片づけられぬ。よって熟考の末、その方らをおいて安心してあずけるものはないと決めた。つつしんで拝領いたせ」
と、命じた。拒否をゆるさぬ命令のかたちであったが、しかし頼母は心の中で、この処置も、この形式も、武士の情け、と自画自讃していた。
九
忍者芦名兵蔵はおえんの方を拝領した。
そして、一ト月もたたないうちに困惑その極に達した。
おえんの方は、このたびの処置がまことに意外であり、心外であった。ついに殿様をじぶんの魅力の虜《とりこ》とし、みごとにお子さままで生んだのに――それが女子であって、真柄というお鷹匠風情の娘が男子を生んだのは、天の皮肉であり、彼女にとっては不本意であったが――何ぞや、えたいのしれぬ男の妻に下されるとは。
光彩にみちた雲は消えた。のみならず、じぶんはひとに顔むけならぬほどの侮辱をこうむったのだ。
おえんは血ばしる眼できっとお城を仰いだきり兵蔵がどうなだめても、返事もしなかった。城を仰ぐことをやめると、彼女はたけり狂った。実際に、兵蔵めがけて器物を投げつけたのである。妖艶《ようえん》無比の女の狂乱ぶりは、それゆえにいっそう恐ろしかった。
あらゆる慰撫《いぶ》も説得もききめがなかった。腕力は――いやしくも藩主の姫君のおん母君に対して腕力をふるうことはゆるされなかったが、たとえそれをふるったとしても、このおえんには藪蛇《やぶへび》であったろう。幻怪きわまる彼の忍法、「枕返し」すらもまったくほどこすすべがなかった!
一ト月ののち、芦名兵蔵は悄然《しようぜん》として、ひそかに家老邸をおとずれて、おえんの方さま御返上のことを申し出た。
「たわけ、ひとたび家来の女房となった女をふたたび御主君のおそばにあげられるか。頭を冷やしてよく考えて見よ」
と、西郷頼母は叱咤《しつた》した。くろい隈《くま》の中で、兵蔵の眼はしばたたいた。
「御家老さま、なれどおえんは……まったくそれがしが不服で、憎うて、たえかねる風情でござります。どこぞ、ひとりで暮しのたちゆくように御勘考下されませぬか?」
「ひとり? 姫さまのおん母君を、まさか幽閉はならぬ。またひとりで暮させて万一、思わざるまちがいがあれば何とする?」
頼母は声をひそめて、彼に笑《え》みかけた。
「とはいえ、おえんの暴状、わしもきかぬではない。その方の困却はよくわかる。しかし、女だ。おまえは夫であるぞ。しかも、あれほど破天の忍法者ではないか。たかが女一匹、とり鎮《しず》められんで何とする。いっときのことだ。いっときの辛抱じゃ。よし、それが三年、五年つづこうと、おまえら一族、数百年にわたり御当家のおかげで生きながらえた御恩を報ずるはこのときにあると思え。兵蔵、死んだと思って拝領女房のお守りをせよ」
しかし、それからさらに一ト月たって、忍者芦名兵蔵はひとり物置で縊死《いし》をした。
曾《かつ》ての金剛力士のような肉体は糸のごとくやせ細って、その肌のあちこちに、ぶたれたり投げつけられたりした痣《あざ》が残っていた。
忍者阿武隈法馬は、お優の方を拝領した。
そして、一ト月もたたないうちに苦悩その極に達した。
お優は官能のかたまりであった。天性そんな肉体の持主であったのが、肥後守の獣戯ともいうべき愛撫を受けたのだ。燃えあがり、燃えしきる肉欲の炎は、とどまるところをしらず法馬ひとりに襲いかかった。そして、それを受けとめるべき法馬は――しなびた肥後守そのものにほかならなかった。
最初のうち阿武隈法馬は、力の足りないところを技術で補った。それは忍者なればこそのわざであった。しかし、それもついにもちこたえられなくなった。お優は容赦なかった。彼女は法馬におおいかぶさり、またぎ、ゆさぶり、しめつけ、そしてころがり廻った。
「助けてくれ!」
あの凄絶無比な忍者の面影はどこへいったのか? 法馬は犬のような悲鳴をあげた。
「助けてくれ、志乃!」
彼が救いを求めたのは死んだ妻であった。ふだん影のようにひっそりとじぶんによりそい、そして彼がたのめば、火の中へでも飛びこんでいった妻――その志乃を殺したのは、まさに彼自身であった。
法馬をふたたび法馬たらしめるものが、もしあるとすれば、それは志乃だ。しかし志乃はもういない。あの人倫にそむいた忍法を主君のために使うことを、夫に両腕ついてたのまれた志乃は、はじめ拒否し、つぎに苦悩し、最後に承諾して、その苦行の約を果すとひっそりと自害していったのだ。
法馬は憔悴《しようすい》し、あえぎ、のたうちまわった。それでもお優は彼を逃がさなかった。ゆるさなかった。肉欲のために彼女はわれを失い、見さかいがつかず、凄惨《せいさん》華麗なけだものと変っていた。いらいらした、ひきつるような、きちがいじみた笑いをあげ、彼女はぶるぶるふるえながら、法馬をがつがつと吸い、かじり、かみついた。
「助けてくれ、助けてくれ!」
法馬はお優を恐怖した。いや女そのものを恐怖した。彼は曾ての肥後守と同じになっていた。
それは肉と骨との、交りではなくて、死闘であった。
頭が灼《や》け、からだも灼け、焼けおちてがらん洞《どう》になった体内にお優の笑い声が反響し、黒焦げになった皮膚にお優がどろどろした白い熱い液体となってまといつくような日と夜がすぎた。
そして三か月めに、忍者阿武隈法馬は幽鬼のような狂人となった。
忍者信夫銀三郎は、真柄の方を拝領した。
ふたりは夫婦雛《みようとびな》のようであった。半年たってもふたりは膠着《こうちやく》したようにむつまじかった。
真柄はひとりの子を生んだ女とは思われぬほど清純で、ういういしかった。銀三郎は、いかにお家の大事とはいいながら、この女に――手淫《しゆいん》によって放出した精液にのりうつり、あびせかけた相手に憑《つ》くという芦名相伝の忍法をふるったことを内心に恥じた。
真柄は、この頬に少年の面影をとどめた新しい夫をはじめて見たときに、それがはじめてではないという気がしてならなかった。抱かれてみて、いよいよその奇怪な感覚にとらえられた。しかし、いつ、いかにしてそんな感覚をもつにいたったか、ということを夫に告白することはできなかった。じぶんでも思い出したくなかった。いや、あの悪夢のような一夜より、真柄は前世からこのひとと結ばれるのが運命であったような気がした。
甘美な、夢幻的な半年がすぎた。城を出るとき真柄の胸をいたませた子供のことすら、彼女はいつしか忘れていたほどであった。
しかるに、半年目、信夫銀三郎は家老西郷頼母に呼び出された。
「信夫、まことに申しにくいことじゃが」
と、頼母はいった。
「そなたの女房となった真柄を、お城へ返上してくれまいか」
「なんと仰せられます」
銀三郎は唖然として相手の顔を見た。頼母は沈痛な声でいう。――
「おまえも知っておるように、去る日、お優のお方さまよりお生まれあそばした若君が疫痢《えきり》のためお失《う》せなされた。もし江戸表の奥方さまにお子さまがお生まれあそばさなければ、会津の御世子さまたるべきお方じゃ。それがお失せなされたとすれば、次のおえんのお方さまよりお生まれあそばしたおん方は女子、従って真柄さまのお生みなされた若君が御世子となる。御世子のおん母公を、藩士の妻としておくわけにはゆかぬ。――」
「御家老」
愕然《がくぜん》となり、蒼白《そうはく》になって銀三郎はさけんだ。
彼はたしかにお優の方から御誕生になった若君が急死なされたことはきいていたが、夢見心地のうちに、そんなことはあまり念頭においていなかった。芦名兵蔵が縊死したことも、阿武隈法馬が発狂したことも、遠い世界の出来事のようにきいていただけである。
「いまさら左様なことを――さ、左様なことは、最初からわかっていたことではござりませぬか。そもそも第一の若君をお生みなされたお優のお方さまを、阿武隈法馬に賜ったではありませぬか?」
「それよ」
頼母はうなずいた。
「その第一の若君がお失せなされたので、こんどの儀がもちあがったのじゃ。もしおん母君がおそばにおわしたら、かような不幸はなかったのではないかとな。子供にとっては母親こそは命のもと――そのことがはじめてわかって、重臣会議でも一同うなずき、さるにても御大切な若君をふたたび御不幸な目にあわせ奉ってはならぬと、いそぎ江戸表へ使者を出したのじゃ。若君御哺育のため、是非とも真柄のおん方さまをお城へおひきとり申したいとな。――江戸表の奥方さまからは、藩のためとあらばやむを得まい、ゆるすとの御返答があった」
信夫銀三郎は息をのんだ。頼母は手をついた。
「そもそも、そなたに頼んだことが、殿を救うため、藩を救うためであったのじゃ。ききとどけにくかろうが、信夫、ききとどけてくれい。いや、そなたら芦名一族、禄を食《は》むこと数百年。……」
銀三郎はふいにがばとひれ伏して、背を波うたせたまま、いつまでも一語ももらさなかった。
数日ののち、死びとのような真柄をのせた駕籠《かご》が信夫家を出た。美々しい行列が、冷たい透きとおるような秋の日ざしの下を城へうごいていった。
あとには、割腹した忍者信夫銀三郎のかばねだけがとり残された。
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忍法しだれ桜
一
「木曾根来組連判《きそねごろぐみれんぱん》」
と、漆卜斎《うるしぼくさい》はいった。
「一、御主君に対したてまつり御奉公の儀、尾張御同然に疎略に存ずべからざる事。
一、尾張さまに対したてまつり御奉公の儀、公儀御同然に疎略に存ずべからざる事」
みな、ちょっと坐りなおしたが、べつにかしこまった気配はない。
「一、一族の頭《かしら》に対し、相背《あいそむ》くべからざる事。
一、一族に叛《そむ》き、また私に退転すべからざる事」
そういう卜斎が一族の頭なのだが、そんな威厳はないし、また威厳を張ろうという様子もない。小柄で、白い髷《まげ》をチンマリとむすんでいるが、あから顔で、まったくの好々爺《こうこうや》である。もっともあから顔なのは、もうだいぶ酒が入っているせいもある。
「一、忍法の儀、親子兄弟夫婦によらず、一切他言すべからざる事。
右条々相背くに於ては、一族同心|成敗《せいばい》つかまつり候べき事」
いささか、もつれた舌で、しかし軽がると読みあげて、卜斎はひろげていた巻物の端を巻きおさめようとした。色褪《いろあ》せ、すりきれた巻物であった。
「一族の頭」漆卜斎がこの奇怪な文言を無造作に読みあげ、きいていた者またほとんどさしたる緊張の様子もなかったのは、一つはこの一族で冠婚葬祭、儀式的なことがあるたびに、何かといえばこれが読みあげられることになっていて、もう慣習的な行事になっているためであり、一つは、それだけに一同の皮膚に沁み入っていて、ことさらな感動を呼ばないせいであった。まあ、現代でいえば、会社の綱領みたいなものだといってよかろうか。――ただ、例外の人間が四人ばかりいた。
で、卜斎がその巻物を巻きおさめようとすると、
「お頭《かしら》さま」
と、二人、声をそろえて呼んだ者がある。
末座にチンマリと坐っていた十五六の少年と少女であった。
「おお、伴作とねね[#「ねね」に傍点]か。……おまえたち、今夜来ておったのか」
「来ておったのかとはひどい。連判さしゆるすゆえ、今夜参れとお頭が申されたではありませぬか」
と、少年伴作は口をとがらせていった。
「おまえはすじがようて、まずこれなら木曾根来の一人に加えてもよかろう。わしが江戸へゆくまえに連判させてやろう、と申されたではございませぬか。私は天にものぼるきもちで今夜を待っていたのです」
「わたしも同様です」
と、少女のねね[#「ねね」に傍点]も眼をかがやかせていった。
「今夜までお待ちしていましたのは、お頭さまのおうちで、今夜の御婚礼のお支度《したく》やら、お頭さま御出府のお支度やらでたいへんお忙しう見えたからと、それに、今夜は御一同さまがお集りだから、そのときがいいだろうと、伴作どのと相談したからなのです」
そして、ふたりはまた声をそろえていった。
「いま、その木曾根来組連判をひらかれたついでに、私たちにも連判させて下さいませ!」
「ついでとは何じゃ」
と、傍《そば》の中年の男が叱った。叱ったが、眼は笑っている。
「今宵は漆家《うるしけ》の御祝言《ごしゆうげん》であるぞ。まず、花婿花嫁どのの三々九度の盃の儀が先じゃ。あとで待っておれ」
「いや、よいよい。まことによいついでじゃ」
と、漆卜斎は頭をかいていった。それで、一同が哄笑《こうしよう》した。
「そうであった。今宵はいよいよめでたいことが重なる。――木曾根来に、また二羽の鳳雛《ほうすう》を加えるとは」
そして、ふりむいていった。
「誰ぞ、墨《すみ》を持ってこい」
墨と筆が運ばれた。伴作とねね[#「ねね」に傍点]が進み出た。
漆卜斎は、もういちど巻物をひらいた。さっきひらいたのは、そのはじめの一部分だけであって、ひろげてゆくと実に二、三丈はあろうかと思われる長さである。それにビッシリと名前がつらねられ、名の下に血判が押してある。はじめの方は、墨も血の痕もうすれかかっているのみならず、紙そのものが古色蒼然と黄ばんでいる。そして、その名と血判には、ことごとく朱線がひいてあった。途中から紙も墨も血もしだいに新しくなってゆき、朱線はまばらになってゆき、終りの方はただ名と血判だけになる。
「名をしるせ」
はじめて、漆卜斎はやや厳粛な表情でいった。
「はい!」
少年と少女は、筆をとって書いた。
――粕谷《かすや》伴作。
――ねね[#「ねね」に傍点]。
そして、嬉々《きき》として小刀をぬいて、伴作は左の薬指の爪の下を、ねね[#「ねね」に傍点]は右の薬指の爪の下を切って、いま墨痕りんりとしるしたじぶんの名の下へ、鮮かに赤い血をこぼした。――彼らは、彼らが無上の光栄とする木曾根来組の一員に加えられたのである。
「ふむ、三十一人か」
あごをふって何やら数え、卜斎がつぶやいたとき、またうしろからすべり出して来て呼んだ者があった。
「お頭。これもついでですから、われわれの名に朱をひいて置いていただきましょうか」
五人の青年がそこにいた。
「尾州|御土居下組《おどいしたぐみ》に入れば、もはや木曾根来組から死に失《う》せたも同然」
と、二人が笑顔でいう。
「公儀根来組に入ってもまた同様。……従って、われわれ五人を除けば、あと木曾根来組は二十六人となるわけでござる」
と、三人が昂然《こうぜん》という。
卜斎はちょっと思案したが、すぐにくびをふった。
「いや、まだわからぬ。おまえらを尾張御土居下組に、また江戸根来組にひきあわせて、その技を見てもらわねば、あちらに入れるか、どうかはまだ決められぬ」
「それは、大丈夫です」
五人の青年は、自信満々といった。
「たわけ、おまえらはまだ御土居下や江戸根来の衆をよく知らぬのだ」
卜斎はひくく一喝して、彼らにはとりあわずスルスルと連判の巻物を巻きおさめはじめた。
さて、それからいう。
「妙な飛入りで、かんじんのことが遅うなった。では、三々九度の盃を。――」
――実は、漆家の、今宵は婚礼の席なのである。さっき、さんざめくこの座敷に、例外として緊張している人間が四人いたといったが、伴作とねね[#「ねね」に傍点]をのぞけば、それがこの夜の花婿と花嫁なのであった。
花婿は、本多|織部《おりべ》という。――いや、今宵からは漆織部という。なぜなら、彼は漆家に婿になって来たからだ。
花嫁は、卜斎老人のひとり娘で、龍胆《りんどう》という。
その三々九度の盃を前にして、卜斎が恒例の朗読をしたところが、妙な飛入りが入って、式次第が混乱してしまったが、花婿花嫁は明るく微笑していた。べつにそれを気にするようないかめしい婚礼ではない。この座にある者は、文字通り血判を以て誓った一党の人々であったし、それに――ふつうの武家で行う婚礼儀式の真草行《しんそうぎよう》の三級にもあたらない貧しい祝言であった。
「木曾根来組」――その名すら、彼らの内部でひそかに自称しているだけで、公称は「根来同心」と呼ばれているが、城の侍たちは武士仲間とさえ認めてはいまい。彼らは犬山城諸門の門番一族であった。
しかし、花婿の漆織部は、とうていそうは見えぬほど清爽《せいそう》でりりしい男前であった。そして、真っ白な綿帽子に顔をつつみ、白綾の小袖に白いかいどりを羽織った花嫁は、名は龍胆《りんどう》だが、純白の山百合のようにかぐわしく、ういういしかった。
三々九度の盃さえすめば、もうあと色直しとかその他改まったことはやらない。もう無礼講になり、盃がとび、唄が出る。
――そのうち、花婿の前に、どかどかと盃をもった連中がおしかけた。頭《かしら》の卜斎に、「名に朱をひけ」といった例の五人の青年である。
「織部、飲め」
と、ひとりがいう。宋蓮之介《そうれんのすけ》という男だ。
「いや、織部といってはわるいか。もはや木曾根来組首領のあととりだからの」
「その通りだ。まだあととりに過ぎぬ。お頭はあくまで卜斎老なのだから、織部で結構」
と、盃を受けながら、おだやかに織部がいう。
「そうだ、おれたちは明日、卜斎老とともに名古屋にゆき、また江戸へゆく。今宵一夜しかこの犬山にはおらぬのだから、やはり織部と呼びすてにさせてもらおう」
と、もうひとりがいう。巣波禅馬という男だ。
「織部、きのどくだな」
ちらと花嫁の方を見て、声をひそめ、
「木曾根来組頭領漆卜斎の婿――というときこえはいいが、婚礼のあくる日からは、早速内職に精を出さねばならんとは」
「別に変ったことではない。婿にくるまえからやっていたことだ」
「おい、おれは尾張御土居下組に入るぞ」
「おめでとう」
「御土居下組がなんだ」
と、べつのひとりが朱盃をつきつけた。飲めというのかと思ったら、つげというのであったらしい。――風祭兵蔵という男だ。
「宋、巣波は望みが小さい。おなじ大志を抱くなら、なぜ江戸根来組を望まんのか」
盃をあおって、わめいた。
「忍び組にもさまざまある。尾張藩御土居下組を中とするなら、この犬山藩の根来組はまず下だ。それにくらべると将軍家直属の根来組はこれより上はない。おれはそこへゆくぞ」
「いや、まことに羨望《せんぼう》にたえない」
「こいつ――泰然自若《たいぜんじじやく》としていやがる」
またひとりが、織部のひざをたたいた。――久世孫四郎という男だ。
「泰然自若としているのは、龍胆《りんどう》どのを、はれて恋女房としたからだろう。何が、羨望にたえない、だ。織部、しかし、よくきけよ、男というものはな、恋も野心も、二つながらとげることはまずできぬのだ。一方を得れば、必ず一方を失う。どっちの失ったものが大きかったか、十年二十年たってみねばまだわからんぞ!」
「もういい、痩《や》せがまんはもういい」
と、最後のひとり、波切八十次《なきりやそじ》という男が、悲鳴みたいにさけび出した。
「みんな嫉《や》いてやがる。みんな負けたんだ。龍胆どのを得た織部に。――おれたちは龍胆どのを失った。つらくって、みんなここにいたたまれないんだ。江戸ゆきや名古屋ゆきが、野心のためだと、けっ、何をひとぎきのいいことをいってやがる。龍胆どのにふられたおれたちを、織部、どうか憐れんでくれ!」
そして、花婿織部の手をとって、波切八十次はおいおいと泣き出した。――もっともこの男は、ふだんから泣上戸の気味がある。
一座の人々は、その泣声にいっせいにこちらをふりむいたが、すぐ何のこともなげに、談笑しながら盃を交している。女人の影もちらほら見えたが、これも木曾根来組以外の人間ではない。彼らは、この一党にむやみな喧嘩沙汰など起るはずがないと信じきっているのだ。
「ぬかしたな?」
ほかの四人はさけんだが、しかし笑い出した。
「――いかにも、図星《ずぼし》だ」
「織部、おれたちは羨《うらやま》しいぞ」
「今宵こそは、龍胆どのを抱いて初寝《ういね》の夢。――おお、それを思うと、めったにこやつは放されぬ。飲もう」
「せめて、おれたちのとどまる今夜ひと夜は、腰のたたぬまで酔いつぶしてやろう。八十次、つげ、さあ、飲め、織部」
織部に四つの朱の大盃をつきつけた。いま泣いた波切八十次が笑いながら、一升徳利から、それに一つずつとくとくと酒をつぐ。
「――や、や、や」
と、彼らはさけんだ。
琥珀《こはく》の酒のつがれた四つの朱盃には、忽然と一輪ずつの紫の花が――筆《ふで》龍胆《りんどう》の花が、夢のように浮かんでいた。
五人のみならず、織部も眼をむいて向うを見た。
白い綿帽子、白いかいどりにつつまれた花嫁は、ただひとりとりのこされて、ひっそりと坐っている。うつむいて、消えも入りたげな姿だが、よく見ると肩がふるえて、どうやら忍び笑いしているらしかった。
二
享保十五年五月二十日、尾張犬山三万五千石の成瀬|隼人正正幸《はやとのしようまさゆき》は、居城犬山城を発して六里南の名古屋にむかった。
これはおのれの参覲《さんきん》交代のためであるが、同時に主家の尾張大納言|継友《つぐとも》の参覲に従うためでもある。
この成瀬家は、いわゆる三百諸侯のうちでも一種特別な家柄であって、れっきとした大名でありながら、同時に尾張徳川家の家老でもある。これと同じ例は、紀州に於ける安藤家、水戸に於ける中山家のほかにない。公儀からつけられた家老であって、世にこれを「御付《おつき》家老」といった。
犬山城の根来同心の頭《かしら》、漆卜斎《うるしぼくさい》はこれに加わった。配下の同心宋蓮之介、巣波禅馬、風祭兵蔵、久世孫四郎、波切八十次も頭に従って犬山を出た。
その朝。――
別れに際し、五人の若者は、昨夜の乱酔狂態はどこへやら、さすがに愁然《しゆうぜん》として、波切八十次など、老母の手をとって涙をながしていたが、卜斎について織部と龍胆が姿をあらわすと、急にしゃっきりとなって、
「若大将、ごきげんはいかがでござる」
と、いっせいに頭をさげた。それから、頭をあげて、ニヤニヤとふたりをながめまわす。――初夜を明かしたふたりをからかっているのだ。
まだ夜明け前の風の中に、新妻の龍胆は恥じらって、薄明に溶けこみそうに見えた。織部も頬をあからめた。
「では、織部、留守中しかと頼んだぞよ。……組も、娘も」
木戸のところで、漆卜斎はふりかえっていった。織部はわれにかえり、粛然《しゆくぜん》とした眼色で、
「お気づかいなされますな、織部、懸命《けんめい》に」
といった。卜斎は笑った。
「べつに、さしたることではない。世は泰平だ」
と、空を仰いだ。ふかい森のしげみを通して、きょうも晴れるらしい澄んだ空に、城の天守閣がチラと高く見えた。
漆卜斎と、それに同行する五人の若者につづいて、きょう城門の警備当番の連中が三十人ばかり、ぞろぞろと木戸を出ていった。道は急な坂をのぼり、森の中へ消えてゆく。そのあたりで、たしかに宋蓮之介と風祭兵蔵らしい詩を吟ずる声がきこえた。
「朝《あした》に白帝を辞す、彩雲の間《かん》
千里の江陵《こうりよう》、一日に還《かえ》る」
犬山城をまた白帝城とも呼ぶ。李太白《りたいはく》が詩《うた》った四川《しせん》の白帝城にならい、絶壁の上にそびえ立っているから、こう名づけたものであろうか。
城は尾州北隅の一丘陵、いわゆる犬山に築かれ、ここに立てば南と西の濃尾平野を一望のもとに見わたすことができる。三層の天守閣はこの山上の最も高い北端にそびえ、その下は断崖となって、木曾川が泡をかんで流れ、西に廻っている。
西側は、北側ほど絶壁ではなく、中腹に馬場とか材木蔵などがあるが、その馬場のまた下の一画《いつかく》に、数段になって粗末な組長屋があって、それが根来同心の棲家《すみか》であった。急な斜面にしがみついているような場所だが、そのまわりを樫《かし》や椎や杉などの深い常緑樹につつまれて、上からはもちろん、木曾川をへだてた対岸からもまったく見えない。
外部の人間はいうまでもなく、城侍でさえ、そこにそんな一画があるとは知らない者が多かった。その部落の下方は木曾川であるし、上方に通じる路は、森を通ってただ一すじ馬場に通じているだけである。知らない若侍などで馬場での調練をおえて、ふとその方向へ下りてゆく者があると、突然、小さな、が、頑丈な木戸につきあたり、そこに現われた人間が小腰をかがめて、「これより下には根来同心の長屋がござりますので」と鄭重《ていちよう》に追い返す。根来同心とは士分以下の城の諸門の門番だから、それを押して見にゆこうという意欲を起すものはひとりもなかった。
なんぞ知らん、これこそ犬山城の文字通り「忍びの者」の砦《とりで》であろうとは。
舅《しゆうと》の卜斎一行を見送ったあと、漆織部は新妻の龍胆《りんどう》をつれて、組長屋の中を見廻った。
もう夏といっていい季節で、組長屋をとりまく森は青い穹窿《きゆうりゆう》となって覆《おお》いかぶさり、木の間を通してふりそそぐ日光は緑の雨のようであった。見下ろすと、樹間に木曾川のさざなみがひかりくだけている。
ここに生まれ、ここに育った織部だが、けさはまるで新しい風景を見るように思われる。
「美しいな」
彼はわれしらず感動の吐息《といき》をもらして、龍胆をふりかえった。
「城のだれも知らないが、ここが城の中でいちばん美しいところじゃないか。ひょっとすると、殿の御覧あそばすお庭よりも」
「ほんとうに」
と、小さな声で龍胆はいった。そんな言葉をもらすだけでも、彼女がはじらっているのがよくわかる。――
織部は昨夜のことを思い出して、全身があつくなった。彼の信ずるところによれば、御家老の息女にもおとらない気品をもっている龍胆だが、むろん彼女の方でそういう風にふだんとりすましているわけではない。明るくて、童女めいたいたずらなところさえあって、いつも冗談や諧謔《かいぎやく》を投げあった龍胆であった。それが。――
昨夜じぶんの腕に抱かれたときのあのはじらい、いまにも死ぬのではないかと不安になったほどの鼓動、息のふるえ、柔肌《やわはだ》のおののき。――それは、むかしから愛していた龍胆にまちがいないのに、抱きしめて、かえってこのまま溶けてしまう幻ではないかと思われた。
しかし、彼女は、いま楚々《そそ》としてじぶんのあとについてくる。
――おれの妻だ。
と織部はあらためて心にいいきかせる。
――おれは、龍胆を妻にした。
「われもはや龍胆得たりみなひとの得がてにすちょう龍胆得たり」彼はそう詩《うた》いたくなったくらいであった。同時に、じぶんをえらんでくれた龍胆を、心からいとしいと思わざるを得ない。――いま旅立っていった五人の仲間の顔が眼に浮かぶ。仲のいい朋輩《ほうばい》であったが、みんな龍胆ひとりを争ったのだ。負けたあいつらが、ここを去りたくなったのもむりはない。
宋蓮之介と巣波禅馬は、尾州藩御土居下組に入るという。
風祭兵蔵と久世孫四郎と波切八十次は公儀根来組に入るという。
むろん、いまのところそれは彼らの希望にすぎないから、頭卜斎のいったように、あちらの試験を受けてみなければわからないが、そして、あいつらの技もおれは知らないが、しかしあいつらなら大丈夫だろう。いままでこの木曾根来組に甘んじて、そんな野心を出さなかったのは、まったく龍胆ひとりに見えない糸でひきとめられていたのだ。
あいつらはいった。
――織部、きけよ、男というものは、恋も野心も、二つながらとげることはまずできぬのだ。一方を得れば、必ず一方を失う。どっちの失ったものが大きかったか、十年二十年たってみねばまだわからぬ。
しかし、何十年たとうと、おれは悔いはしないだろう。龍胆を得たというよろこびもさることながら、おれは、この犬山城にへばりつき、木曾のさざなみに浮かんでいるような人知れぬ小さな故郷《ふるさと》を愛する。ここで生まれ、ここで死んでゆくことに満足する。
「龍胆」
「はい」
足もとに咲いている可憐な筆龍胆を見て、織部は思い出し笑いをした。
「きのうの夜はおどろいたな」
「何がでございます?」
「あの盃に浮かんだ龍胆の花よ。さも、あの連中をたしなめるように。……あれは、いったいどうしたのだ?」
龍胆は微笑《ほほえ》んだだけで、こたえなかった。織部はすぐにその肩をたたいた。
「ああそうか。きくまい、忍法の儀、親子兄弟夫婦によらず、一切他言すべからざる事、であったな」
こんな対話のあいだでも、ゆきかう組長屋の人々がみんなていねいなお辞儀をするのに、織部は明るい笑顔で会釈する。この組長屋では、城侍のだれも知らぬ奇妙な慣習があって、外部に於けるよりも、内部でいっそう頭の漆卜斎に敬意を表するのだが、その態度がもうその婿たる織部に対しても見られた。
ふたりは、組長屋の中をあるいていた。
別棟《べつむね》になっている頭領卜斎の家をのぞけば、城のほかのどんな組長屋よりもはるかに小さく貧しい長屋であった。その中で、非番の同心やその家族がせっせと働いていた。内職だ。きょう殿さまが参覲《さんきん》の旅に出られたというのに、お見送りもせず、この一画ではもう平日のように働いているのであった。もっとも、ここに住む人間は、特別のことがないかぎり、めったに外部に姿を現わさないという習慣のせいもあった。
内職そのものについていえば驚くことはない。実は卜斎の家でもやっていることだ。
傘細工、提灯《ちようちん》細工、仕立物、唐紙細工、蝋燭の芯巻《しんまき》。――なかでも、大半の長屋でよくやっているのは、土人形とデンデコ太鼓の製造であった。
ねば土を臼《うす》で搗《つ》いている男があった。作られた土のままの人形を蔭干《かげぼ》しにして庭にならべている少女があった。それを焼いている竈《かまど》の火を見つめている少年があった。家の中で、土人形に胡粉《ごふん》や絵具で彩色しているのはたいてい女だ。土人形というと、ふつうは大きいものでも一尺どまりなのに、ここで作るのは三尺から、ときには等身大のものすらあった。
デンデコ太鼓は、四寸ばかりの竹笛の先に風ぐるまと紙人形をつけたもので、笛を吹くと、風ぐるまが廻って、人形が豆太鼓を打つという、見ただけで笑い出さずにはいられない愛すべきおもちゃであった。
――これら、犬山土人形や犬山デンデコ太鼓は世に知られ、べつにこの根来同心の組長屋だけで作っているのではないが、ここで作られたものが、いちばん評判がいいようだ。
織部と龍胆は、家々をのこりなくのぞきこみ、お茶をのんだり、冗談をいったり、子供のあたまを撫でたりした。織部は、龍胆がだんだんふだんの明るさをとりもどしてくるのを、何よりもよろこんだ。
ただ一軒、めんくらった家がある。それはお絃《げん》という後家の家であったが、そこに淡雪《あわゆき》、お筆《ふで》、お芹《せり》という三人の娘が遊びに来ていて、狭いだけにまるで花があふれかえっている感じであったが、そこで、
「まあ、織部どの、これをごらんなされ」
と、お絃が笑いながら見せたものが、まだ竈に入れるまえの、五寸ばかりの大きさの土人形であった。裃《かみしも》をつけた若侍だ。
「うまく作ったな。これは型にはあるまい」
「型にはありませぬ。きのうの夜の、うれしそうな織部どののお姿でありますもの。……この淡雪が作ったのですよ」
「きのうのおれ、はて、淡雪はあの席へきてくれておったのかな」
「それ、ほかの女のだれもお眼には入っておらぬ。あの席に女のだれだれがいっておったか、織部どのにはいまここでいえますまいが」
「うむ、そういえば……たしか女の影がチラチラしてはおったが」
「まあ、にくや。……だから、わたしはこういうものを作って」
お絃はもうひとつ土人形をとり出した。それは横坐りに坐った裸体の女人のかたちをしていた。
「織部どの、ごらんなされ」
お絃が篦《へら》のさきで織部の人形の手をうごかした。それから篦《へら》が春風に舞うように人形の表面を撫でた。すると、人形はじぶんの裃をとり、袴をとり、――裸になった。篦《へら》のさきに土がついてゆくところをみると、彼女が土をそぎとってゆくに相違ないのだが、見ている人間には、人形がじぶんの手でそうしてゆくとしか見えないのだ。
眼を見ひらいてながめている織部と龍胆を、いちど見あげて、お絃はにっと笑い、篦でふたつの人形をかき寄せた。――すると、裸の人形はそれぞれ四本の手足をあげて、ひしと抱き合った。
「よう見なされ、この女人形は龍胆さまでありまするぞえ」
あともみず、龍胆がばたばたと逃げ出し、それを追って織部も駈け出した。
龍胆は路《みち》もない草だらけの崖を、風鳥《ふうちよう》のように駈け下りてゆく。木曾川へ逆落《さかおと》しに。――
「あぶない!」
水のほとりで、織部は龍胆をとらえた。
そのまま、ふたりは抱き合った。織部は、たおやかな龍胆を骨も折れるほど抱きしめた。抱きしめられて、龍胆は、腰を織部の腰に吸いつかせて、はげしく波うたせた。昨夜の初寝《ういね》には見せなかった龍胆の痴態《ちたい》であった。
めくるめく恍惚《こうこつ》の一瞬にしびれながら、織部の脳髄の一隅を、ふっと驚愕《きようがく》の思いがながれていた。
さっき、お絃の家の人形が抱き合った刹那、あたまがふらっとして、ふいに龍胆を抱きしめたいという衝動にとらえられたことを思い出したのだ。あれはひょっとすると、お絃のつかった忍法ではあるまいか。そして、ひょっとするといまのこの龍胆の燃えようも。――
しかし、すぐにふたりは忘我の世界に沈んだ。ただ、足もとにいざよう木曾のさざなみの音だけが、織部の耳に鳴っていた。
五月二十日朝、名古屋へむかって出立《しゆつたつ》した参覲の成瀬隼人正の行列が、ふいに犬山城へひきかえして来たのは二十二日の午後である。
ただ主君の隼人正と重臣の十数人だけが、名古屋城に泊って帰らなかった。
「尾張大納言さまの御参府は急におとりやめになった。従って、当家の江戸ゆきも中止になった。何が起ったのか、よくわからぬ」
帰ってきた宋蓮之介たちは憮然《ぶぜん》としていった。――ただし、頭の漆卜斎の姿がみえないので、殿といっしょか、ときくと、ちがう、とくびをふって、
「何が起ったのか、調べて帰るから、二、三日待て、というお頭のお言葉であった」
と、彼らは不安げな小声でこたえた。
漆卜斎は二日後の夜に帰ってきた。そして屋敷に木曾根来組連判の人々を招集して、実に想像以上の驚倒すべき事実を知らせた。
それは、尾張大納言の家来のひとりが、この五月十七日、日光御社参途上の将軍家を狙撃《そげき》して失敗したという事件であった。
三
時の将軍は八代吉宗であるが、彼は万人異議なくすらすらと襲職したものではない。
七代将軍|家継《いえつぐ》は八歳で夭折《ようせつ》したからもとより継嗣《けいし》なく、神祖|御定法《ごじようほう》によって、新将軍はいわゆる御三家、尾張、紀伊、水戸のうちから求めなければならなかった。
その御三家の藩祖は、尾張義直、紀伊頼宣、水戸頼房の順であって、いちじはその順に従い、尾張から新将軍を出すべきだ、という説も高かったのである。しかし結局御神君からの血脈のちかいものということになって、紀伊の吉宗が八代将軍の地位をしめた。吉宗と水戸の綱条《つなえだ》は家康の曾孫にあたるが、尾張大納言|継友《つぐとも》は玄孫にあたったからだ。しかしこれに決着するまでには、江戸城大奥に対する吉宗の運動はきわめて執拗で強引なものであったという風評もつたえられた。
それから十五年たつ。
江戸と尾張には、何のこともなかった。しかし、それは表面的なことであって、内部に於てどんな怨恨《えんこん》や弾圧や憎悪やいやがらせやしっぺがえしの交流があったかは、世間の人間の知らぬことである。
だいたい江戸では、そもそも初期から援紀排尾《えんきはいび》の傾向があり、これに対して尾張の方でも江戸に屈せぬところがあった。三代将軍家光が大病にかかったとき、尾張の初代義直が江戸に乗り込もうとしたのを、本家|押領《おうりよう》の意図があると見られて入府を拒否された話があり、四代将軍家綱のころにも、大老堀田正俊が御三家のうち尾張をしりぞけて加賀を加えようとはかったという話があり、尾張四代の吉通《よしみち》の遺書にも「三家の者は公方の家来にてなし。朝廷の臣なり。しかれば、いかなる不測の変ありとも、かりにも朝廷に向って弓をひくことあるべからず」という、江戸にとっては甚だおだやかならぬ一節があったという話もある。排撃《はいげき》が反抗を呼び、反抗が排撃を呼んだというところであろう。
もとから援紀排尾《えんきはいび》の傾向があったのに、ましてやいまの将軍は紀州の出身だ。十五年間、吉宗と尾張七代の当主継友とのあいだにどんな感情の火花がちっていたかは想像にあまりある。
その火花がついに表面にあらわれた。
継友の小姓|安財数馬《あんざいかずま》というものが、吉宗の日光御社参の帰途、雀ノ宮と宇都宮のあいだの松崎山という山にひそんで将軍の駕籠《かご》を狙撃し、失敗して、追いつめられて割腹したという事件が起ったのは、享保十五年五月十七日のことである。
その兇変の使者が尾張にはせつけたのが、五月二十日の夜である。尾張は震駭《しんがい》した。安財数馬は、前年の暮からすでに脱藩していた男であったが、頬かぶりですむ事件ではない。――ちょうど犬山から、御付家老成瀬隼人正が、尾張継友の参覲の供をすべく名古屋に到着したところであったが、これをも加えて、深夜名古屋城では重大会議がひらかれた。
その結果、どういうことになったのか、外部にはわからない。ともかく、尾張大納言の参覲はとりやめとなり、そして成瀬隼人正も犬山にひきあげてきた。五月二十五日のことである。
成瀬隼人正の顔に憂悶《ゆうもん》の色がふかかった。帰城すると隼人正はすぐに病気と称してひき籠ってしまった。
犬山藩の家来たちは主君の心事を了解した。
尾州家は成瀬家にとって主家である。主家の一大事に隼人正が憂悶するのは当然だが、その憂悶がまた単純でない。なぜなら、成瀬家にとってはもう一つの大主家がある。それが江戸の将軍であった。
いまの隼人正|正幸《まさゆき》は犬山成瀬の四代にあたるが、初代の成瀬隼人正|正成《まさなり》は神祖家康の股肱《ここう》の臣であった。
家康はその第七子義直を尾張へ、第八子頼宣を紀伊へ、第九子頼房を水戸へ配したが、みずからの死期迫るを知るや、最も信頼すべき家来たる成瀬隼人正正成、安藤|帯刀《たてわき》直次《なおつぐ》、中山備前守|信吉《のぶよし》をそれぞれ三子につけた。それはもとより三家を護らせるためでもあったが、それ以上に徳川家を護るためであった。
世にこれを「御付家老」と称し、成瀬隼人正に三万五千石、安藤帯刀に三万八千石、中山備前守に二万石という大封をあたえ、大名として遇したのはこの由来からである。
とくに尾張につけた成瀬隼人正には、その死の床に呼んで、「われ世に亡からんのちは、義直をして二心なく将軍に仕えしめよ。ゆめゆめ逆心あるべからず。万が一にも逆心あらば、汝を恨むぞや」と遺言したといわれる。
成瀬家はたしかに尾張藩の家老であった。同時に尾張藩に対する公儀のお目付役であった。
おそらく江戸対尾張の代々の軋轢《あつれき》にもかかわらず大過がなかったのは、この御付家老の苦心の斡旋《あつせん》もあったであろう。――いままでは無事にすんだ。
しかし、尾張七代の大納言継友、成瀬四代の隼人正正幸にいたって、容易に弥縫《びほう》すべからざる大事を惹起してしまったのである。
万が一、事態悪化して、江戸と尾張のあいだに不測の変が起れば、犬山三万五千石は、江戸につくべきか? 尾張につくべきか?
犬山城根来同心|頭《がしら》漆卜斎が主君隼人正に呼ばれたのは、その数日後の夜のことであった。
隼人正は病気ではなかったが、病人のように蒼白くやつれた顔色をしていた。
「卜斎。……これより当城によそより密偵のごときものが忍び入るやもしれぬ。かまえて入らすな。見つけ次第討ち果たせ」
と、彼は命じた。
漆卜斎の眼が、一瞬かがやいたようであった。――知る人ぞ知る、それこそは城の門番たる根来同心ならぬ「木曾根来組」本来の任務にかえれという命令であったからだ。
しかし、ひきさがってゆく卜斎の顔は、しだいに主君にも劣らぬ憂色《ゆうしよく》に沈んでいった。
「根来同心」或いは「木曾根来組」とは何物か。
――戦国時代、織田信長と豊臣秀吉を、他の群雄に伍して悩ませたものに、紀州根来寺の僧兵があった。紀州|葛城《かつらぎ》山脈の中腹にある、平安朝以来のこの古い寺の僧兵は、おなじく信長らを苦しめた石山本願寺の僧兵にくらべて、その規模こそ小さかったが、ことごとく鉄砲の名手で、しかもどういうわけか、古来から忍法の秘技を体得している者が多く、信長にはついに抵抗し通し、天正十三年、秀吉の手によってようやく全山焼きはらわれて全滅した。
このとき家康は、逃竄流浪《とうざんるろう》した法師のうち、鉄砲忍法の精鋭のみをえらんで召しかかえ、愛臣成瀬隼人正正成の配下として、いわゆる乱波《らつぱ》部隊とし、のちに天下を制覇《せいは》し終えると、江戸城諸門の警衛《けいえい》に当らせた。ちょうど信長に追われた服部半蔵|麾下《きか》の伊賀組と同じあつかいである。事実、この根来組は、表面江戸城の門番で、裏側に於ては隠密《おんみつ》に使われていたことも伊賀組と同様であったが、ただ前身が法師であるため、全員|総髪《そうはつ》という姿で異彩を放っていたといわれる。
元和《げんな》二年、成瀬隼人正は犬山城を賜ったとき、公儀から預けられた根来同心のうち、とくにおのれのえらんだ者二十人をつれて犬山へ移った。
これが犬山の根来同心の発祥である。隼人正はこれを江戸城とまったく同じ使い方をした。すなわち表面は犬山城の門番、裏面は忍者団としてだ。そのためには特に城内の一画に住居をあたえ、また外部との連絡を絶ち、彼らの真の任務は、城主とこの一党に代々告げ伝えるのみで、城の武士たちもほとんど知る者がないようにした。
彼らは表むきには、士分にもあたらぬ根来同心として、つつましやかに城の警衛にあたりながら、一党の内部ではひそかに「木曾根来組」と称して、その伝統を誇っていた。犬山は尾張の北端にあるが、その城のすぐ下を木曾川がながれているので、こうとなえたのである。
最初二十人であった根来組は、それから追い追い繁殖して、いまは家族も合わせれば、百名をこえる部落となっていた。それを、発祥以来の首領である漆家《うるしけ》では、その当主が統率《とうそつ》し、且つ相伝の忍法を教えて、その眼にかなった者のみをえらび、いわゆる「木曾根来組」の連判に加えた。その素質なき者はいかに大兵《だいひよう》の壮漢であってもただの門番役にとどめられ、その天稟《てんぴん》ある者は女子少年であっても、このメンバーにつらねられる。例の連判は、このエリートたちの掟であると同時に誇りでもあった。
さてここに、首領漆家には、犬山城内に忍者団の形態をつたえるほかに、もうひとつの義務があった。犬山城主に対してではなく、公儀と尾州家に対してだ。
それは一年おきの藩主の参覲ごとに、根来組頭領が同行して、尾張乃至江戸に配下のうち選抜したものを何人か供給することであった。これはいつごろはじまったことかしらぬが、とにかく藩主も承知の黙約になっている。
江戸にむけられた者は、むろん公儀根来組に入る。これは昔の本家であるから当然だが、名古屋にむけられた者は、尾州藩の御土居下組に入るのだ。
御土居下組。――それは公儀隠密組に匹敵する尾張藩の秘密組織であった。慶長十五年、名古屋城が築城されるに際し、三ノ丸の北側一帯の人馬もたたぬ大|沼沢《しようたく》地帯をへだてるために、御土居なる長堤が作られた。この御土居の下に、義直は特殊任務に服する武士の一団を住まわせたが、これがいわゆる御土居下組のはじまりである。彼らは、表面は名古屋城の門番であったが、その実は藩主の秘密親衛隊であった。
その存在を、犬山の根来組は知っていた。知っているどころか、いまもいったように、隔年に木曾根来組から何人かそれに入るように要求されるのだ。にもかかわらず、木曾根来組の方では、御土居下組の詳細はわからない。なぜなら、その取捨は御土居下組の一方的な見解による。またそこに入った者は、二度と犬山に帰ってくることはない。完全な一方通行だ。――そしてこれは公儀根来組の場合でも同様であった。
木曾根来組の連判に、「忍法の儀、親子兄弟夫婦によらず、一切他言すべからざる事」という個条があるのは、こういう歴史から必然的に生み出された要請であったろう。
それでも、木曾根来組の方では、そんな大組織への人材の供給源たるじぶんたちに、ひそかな誇りをもっていた。それどころか、とくに若い者は、御土居下組や公儀根来組に対して漠たる憧れをもち、そこに採用されることを何よりの光栄とした。
いままでは、それですんだ。おなじく連判の「尾張さまに対したてまつり、公儀御同然に疎略に存ずべからざる事」という命題は、矛盾なく果たされて来た。むしろ彼らは二大組織をむすぶ糸といってよかった。
しかし、それは、この二大組織が一応の均衡を保っているあいだのことであった。それがゆるぎ出したとき、なお両者をつなぐ力があるか、どうか?
隼人正のまえからひきさがって来て、また木曾根来組を集めた漆卜斎の顔にかかった雲は、あきらかにこの苦悩をあらわしたものであった。
「――当城によそより忍び入るやもしれぬ密偵とは?」
と、物集《もずめ》十休という男が不安そうにいった。これが忍者とは思いもよらぬような――内職にはもっとも精を出す男である。きいたが、あきらかにじぶんの疑問を知っている表情であった。
「いうまでもない、公儀根来組と御土居下組」
と、多摩磯五郎というみるからに剛直な男がこたえる。
「なにゆえに?」
「尾張からみれば、江戸が尾張に対して、どこまで手を出してくるか、一刻もはやく知りたいであろう。むろん江戸に対して直接探りは入れるであろうが、一方、公儀お目付たる当藩を啄木鳥《きつつき》のごとく叩いてこずにはおられまい。また江戸からみれば、尾張が江戸に対して、やぶれかぶれ、どこまでひらき直るか、その度合を早くはかりたいであろう。むろん尾張に対し直接探りは入れるであろうが、一方、尾州藩の家老たる当家から、まず山彦の声をきこうとするに相違ない。さらに、そもそも犬山がどちらにつくか、それも知りたいと焦慮するは当然だ」
「――若し、万一のことあった際は、犬山はどっちにつけばよいのじゃ?」
猫柳又助という猫みたいな顔をした男がきいた。――みな、沈黙した。
漆卜斎が、しずかに一同を見まわした。
「みなの衆、忌憚《きたん》なく、存じよりを申せ」
それでも、だれもが金縛りになったように身うごきもしなかったが、ややあって花房助太夫という八十をこえる老人が、
「それは御公儀につくべきと存ずる」
と、口を切り、御神君と初代隼人正さまとの関係をじゅんじゅんと説き出した。すると、その途中から、
「あいや」とこれまた六十をこえた鵜垂玄札《うたりげんさつ》という老人が、
「それはもはや百年以上もの昔のこと、爾来《じらい》、重代の御相恩は尾張さまより受けておる」
と、さえぎって、侃々諤々《かんかんがくがく》と論じはじめた。堰《せき》を切ったように人々はいい争い出した。
概していえば、江戸派は理論党であった。実際、理屈からいえば、成瀬家の存在理由は尾張の監督にあるといった方が正しかったかもしれない。また江戸根来こそ、彼らの発生地にちがいなかった。しかし、何しろ江戸は遠かった。その時間的、空間的な距離が、尾張にくらべていつしかよそよそしい感じを生み出していることは否めなかった。そういうところから、尾張派にはどちらかといえば感情派が多かった。成瀬家の尾張に対する役目は監視でない、補佐である、その補佐が全うできなかった場合は、あくまで尾張に殉ずべきである、と彼らはいった。といって、その親近感にかえって反撥を表明する者もある。するとまた相手は、それは公儀に対する功利的な阿諛《あゆ》から発したものだとそしる。座は収拾のつかない論議の渦となった。――まずこれは、中ソ分裂という事態に於ける日本共産党の苦悶にたとえたらよかろうか。
黙っていた者も数人あったが、その中に例の五人の若者がいた。こんな場合、ふだんなら決して黙っている連中ではないが、これはその直前、二人は御土居下組へ、三人は公儀根来組へ、はからずもあまりに露骨に旗幟《きし》をあきらかにしすぎたので、かえって或る種の怖れに縛られてしまったからであろう。
「尾張は十五人か」
と、やがて卜斎がいった。
「そして、江戸は十三人」
尾張派には、お絃《げん》がいた。お筆《ふで》がいた。お芹《せり》がいた。江戸派には淡雪《あわゆき》がいた。女性もまた二つに分れたのである。そして、連判に名をつらねたばかりの少女ねね[#「ねね」に傍点]は尾張派につき、少年伴作は江戸派についているのであった。ふたりの少年少女は敵愾《てきがい》にみちた眼で、じっとにらみ合っていた。
「お頭たちは、いかがでござる?」
小栗甲蔵《おぐりこうぞう》という尾張派が、ふいに陰気な上眼づかいをしていった。「お頭たち」といったのは、漆卜斎のみならず、その娘|龍胆《りんどう》もその婿織部も、それまで一語も吐かなかったからだ。
「おれは殿のお心とおなじじゃ」
沈痛な声で、卜斎はいった。
「殿のお心?」
「殿には、この城に忍びよる者は、何びとたりとも討ってとれと仰せられた」
そして卜斎は、詰《なじ》るような眼を一座にまわした。
「みなの意見はこれできいた。しかし――いまのところは、われらの護るべきは犬山城のほかにはない。木曾根来組以外にはない。みな、それぞれの存念はあろうが、しばらくそれは放擲《ほうてき》してくれい。いまはただ、犬山城と木曾根来は、小さく、かたく、殻をかぶって待つよりほかになすすべはない。殿の御意《ぎよい》もその通りでおわそう。いま卜斎が一同に望むは、ただ一党の一致団結にあるのみ。――殻の中で抱き合うて、当分待つのじゃ。外の嵐の吹きすぎるまで。――」
みな、うなずいた。好々爺《こうこうや》としか見えなかった漆卜斎の姿に、はじめて忍者の首領らしい凄味があらわれた。
しかし、いったあとで、また不自然なくらいに黙りこんで、もと通りの沈痛な顔色にもどった卜斎を見て、織部は老人を襲っている哀しみと恐怖を了解した。
百有余年にわたって、この小さな忍者団の支配者たる家をついだ老人は、その伝統だけはつたえるが、それ以外の点では、なるべく平凡に、ふつうに、さりげなく、つつましやかに暮してゆくことを望み、そのように指導していたことを、彼はだれよりもよく知っていたからだ。……嵐は、断じて、この木曾根来組に吹き入れてはならぬ。
織部はふいに身をふるわせて口をきった。
「一族の頭《かしら》に対し、相背くべからざる事。……この掟を破れば一族同心、成敗つかまつり候べきこと、御一同、これを改めてお頭とわれわれの心に誓おう」
ほんの数日前、その婿となったばかりという身分を忘れ、感動のためいい出したことだが、その純粋な感動は人々を打ったようであった。凜然《りんぜん》たる気魄にみちた若い顔をあおいで、人々は思わずいっせいに手をつかえた。
龍胆だけが、うっとりと微笑んで、織部の横顔に見とれていた。
四
城の北側――そこは木曾川から数丈の石垣がそそり立っているが、ちょうど車谷御門と水ノ手御門の中間あたりに、黒衣の屍体が発見されたのは、その三日のちのことであった。
その屍体のかたちが異様であった。彼は数丈の石垣のまんなかに、蜘蛛《くも》のように、しかし逆さにとまったまま息絶えていたのである。夏の朝のひかりに、逆さになった黒頭巾から、石垣にながく血の糸がひいて乾いていた。
根来組のひとり、鳴海《なるみ》円四郎という若者が、上から綱をつたって下りてゆき、それを収容してみると、そののどぶえと顔面に、マキビシという八方にねじくれた小さな鉄金具《てつかなぐ》が、七、八個もたたきこまれているのがわかった。顔はめちゃくちゃになっていて人相もわからず、だれにそのような目にあわされたのかも不明であったが、城の人々の息をのませたのは、そこまで傷つきながら、その曲者がなお石垣を這いおりて逃れようとし、いもり[#「いもり」に傍点]のごとく石に吸着したまま死んでいるという事実であった。
さらに七日後、こんどは城の東側にある木曾川の水をひいた薬研《やげん》堀という濠《ほり》の水の上に、やはり黒衣の男が血の輪をえがいて浮かびあがった。その心臓には八方手裏剣が突き刺さっていたが、首はなかった。
漆織部は、それが何者であるか知っていた。
石垣で死んでいたのは、三年前尾州御土居下組に入った三雲丈念《みくもじようねん》という男だ。薬研堀に浮かんでいた男は、五年前公儀根来組に入った五明道阿弥《ごみようどうあみ》という男だ。顔面が粉砕され、首がなくなっていても、からだつきから彼にはわかった。
すなわち彼らは、何らかの情報を得るためか、或いは何かの調略をしかけるために犬山城に潜入しようとして、そこで殺されたのだ。嵐は来た。想像していたように、江戸も尾州も犬山を捨ててはおかなかったのだ。そのいずれもが、木曾根来組出身の者をつかって探りを入れてきたのである。
しかし織部は、彼らをふせぎとめたのがだれか、それがわからなかった。その討ち果たしようから見て、木曾根来組の者にちがいないが、その中のだれのしわざかわからないのだ。
「……だれの仕事でしょうか」
織部は卜斎にきいた。卜斎はあいまいに、哀しげにくびを横にふった。
本来なら、城に忍び入ろうとした曲者を討ち果たしたのだから、その手柄をたてた者は昂然《こうぜん》と名乗り出るはずであった。それが、ひっそりと黙っていることはおろか、被害者の顔を傷つけ、その首を斬って、根来組出身の者であることさえかくそうとしたことは――その理由は、織部にはわかっている。屍骸を見に集った人々のむれの中に、三雲丈念の老母や、五明道阿弥の娘のくい入るような眼を思い出すと、その理由はあきらかだ。「敵」の遺族は、この部落の仲間の中にいるのであった。
……嵐は来た。さざなみは血しぶきをあげはじめた。織部は慄然《りつぜん》とした眼で、美しく貧しい長屋の風景を見まわした。
公儀と尾州藩のあいだは、あれっきりであった。もとより、脱藩者とはいえ尾州藩から将軍に対する刺客を出したのだから、陳謝の使者は走ったのであろうが、そのほかには、べつになんのうごきも見られなかった。そして、表面的には犬山城も、あるじは病気でひき籠ったままであるし、世にわれ関せずといわぬばかりに、しずかに、ひそやかに、木曾川にそそり立っていた。
しかし――内部では、正確にいえばその断崖にへばりついている忍者の小さな部落では、恐るべき殺戮《さつりく》が開始されたのである。これまた、しずかに、ひそやかに。――
……そも、いかなる魔性《ましよう》の風が、この平和な世界に忍び入ったのか。
同じ長屋の北側に、いちめんの大竹藪がある。むろん急な斜面にひろがっている竹林だが、そこで三人の根来組の男が死んでいたのは、六月半ばの或る雨の朝であった。
その死にざまは酸鼻怪異《さんびかいい》をきわめた。十数本の竹が、地上から六尺の高さでななめに切られていたが、そのうちの二本に、猫柳又助、鳴海円四郎という男が、うつ伏せに串刺しになって垂れ下がっていたのだ。
そして、そこから数間はなれた地上には、図司《ずし》軍兵衛という男が、これは仰むけになって死んでいたが、その腹には、竹が――しかも、上部には枝も葉も完全にしげった竹がつき立てられていた。あとで調べると、その竹の下部はやはりななめにそぎおとされて、それが軍兵衛のからだをつらぬき、さらに地中一尺以上もめりこんでいることがわかったが、一見したところでは、軍兵衛をつらぬいたまま、はじめから竹が生えているように見えた。
梅雨《つゆ》あけちかい銀色の雨は、蕭条《しようじよう》としてふりつづけている。雨がながしたか、血の色が一滴もみえないのが、かえって悪夢の中の情景を思わせた。
猫柳又助の屍骸のふところを調べてみると、思いがけぬものが見つかった。それは公儀根来組に入れば立身は保証するという手紙であった。少数の人間だけが、その手紙の筆跡をみて顔色を変えた。それは十日ばかりまえに薬研堀で屍骸となって浮かんでいた江戸根来組の五明道阿弥の筆跡にまちがいなかったからだ。それでは、道阿弥はあのときに殺されたとはいえ、この誘惑の手紙だけは、いかにしてか、猫柳又助にわたすことに成功していたのであろうか。そういえば、猫柳又助も、同じ死にざまをしている鳴海円四郎もまた江戸派であった。それに対して、図司軍兵衛は直情的な尾張派だ。では、利にさそわれた又助と円四郎を、軍兵衛が討ち果たしたのか。それとも逆か。いや、彼ら以外の何者かが、彼らのいずれかに成敗《せいばい》を加えたとみた方が妥当であろうが、それはいったいだれなのか。
だれであろうと、この死の構図はまったく人間の常識を超えるものであった。しかも、この殺戮が行われている音を、長屋のだれもがきかないというのだ。忍法の死闘としかかんがえようがないが、それが何者によるいかなる忍法か、根来組のだれもが知らないのであった。
――いや、少くとも、ただひとり知っている人間がある。
彼らにその忍法を教えた漆卜斎である。
「……相討ちだ」
そう卜斎がつぶやく声を、織部はきいた。
それから卜斎は、別人のように恐ろしい顔をしてふりむいて、茫乎《ぼうこ》たる同心長屋の人々にいった。
「こやつら、おれの申しつけに背《そむ》いた。その罰で自身成敗したと同様の始末となったが、これ以上、なお外の風に乗せられて波風立てる奴があれば、卜斎みずから成敗するぞや」
根来同心長屋とおなじ城の西側だが、やや北になる崖の下に小さな埋門《うずみもん》がある。その外は木曾川が洗っていて、いつも小舟が二、三艘つないであるが、ほとんど使われたためしがない。しかし、門番はたえず二人ずつ交替でここに詰めていて、むろん根来同心の所管であった。
七月はじめの或る夜、ここに詰めていたのは、多摩磯五郎と板倉半内という男であった。本来なら板倉半内ではなく、物集《もずめ》十休という男の当番のはずであったが、急に十休が腹痛を訴えたので、親切な板倉半内がそれに代ってやったのである。
「ほんとうにきゃつ腹痛か」
と、多摩磯五郎はいった。半内はけげんな顔をして、
「そうみえた。なぜ?」
「あれは江戸方だからよ。おれとふたり、ここに一晩じゅう立っておって、頭ごなしにやられてはたまらぬとおそれをなしたのではないか」
門番は、まえには根来組以外のふつうの根来同心も勤務していたが、あの隼人正の命令の下った日以後は、城内の諸門は知らず、外部とへだてる門々には、かならず根来組の精鋭だけが詰めることになっている。しかも卜斎の方針で、できるだけ江戸派尾張派の組み合わせであった。――板倉半内は、多摩磯五郎ほど剛直な気性ではないが、やはり尾張方であった。
ひとにはさからわず、しかも性質が反対なだけに、ふだんかえってウマのあうその半内が、めずらしくにがい表情をして、
「磯五郎、その話はよそうではないか」
「いや、おぬしと論争をするつもりはない」
「十休ともやめた方がよい。――お頭のお申しつけにそむいてはならぬ。わざと、江戸派と尾張派を組み合わせて勤めさせられるのも、極力、そんな対立をふせごうとのお心からのことじゃ。江戸派、尾張派――ああいやだ。どうなるかしらぬが、ほんものの江戸と尾張のあいだに、一日も早うはっきりと和解のしるしが見えぬものか喃《のう》」
板倉半内は嘆息した。尾張方といっても、そういえばそういえるという程度で、彼はつつましやかな妻と、ひとりの女の子を、眼じりをさげんばかりに愛する平和な夫であり、父親であった。
それをよく知っているだけに、苦笑とともにその話はもううちきって、木曾川の鮎などの話をしていた多摩磯五郎が、夜半突如としてこの温厚な朋輩を殺害した。門の内側の番所に立って外を見ている半内を、ふいにうしろから斬りつけたのだ。
「何をする」
血けむりあげてたおれながら、半内は驚愕の眼をむいてさけんだ。
「磯五郎、気でも狂ったか」
多摩磯五郎は口をひんまげ、悪鬼のような形相《ぎようそう》であった。彼は乱心したのではない。しかし彼は驚愕し、苦悶していた。まったくじぶんの意志ではなく、他動的に手がうごいて抜刀し、朋輩に斬りつけたことを。
「お、おれを斬れ、おれを斬ってくれ」
彼は、破傷風の発作《ほつさ》みたいに歯をくいしばってうめいた。うめきながらも、また刀をにぎった腕が頭上にあがってゆく。板倉半内といえども根来組連判に名をつらねた人間のはずなのに、あまりにもふいに右肩から左脇腹にかけて斬り裂かれて、地上をのたうちまわりながら、彼はもう反撃する機能を失っていた。
「おれを斬ってくれえ」
涙をながし、磯五郎はそうさけびながら、またも血みどろの虫みたいな半内の胴に斬りつけた。
「わかった。磯五郎」
常人なら、もはや生きているはずのない重傷を受けつつ、半内は絶叫した。
「おぬし、忍法にかけられたな」
「だ、だれだ。おれをこんな目に会わせたのは――」
「わからぬ」
板倉半内はふるえる掌を胸にくんだ。
「冥土からそれを探ってくれる」
祈るようにさけんだ半内の頭を、三たびふり下ろされた多摩磯五郎の刃は切断した。
ふいにマラリヤの間歇期《かんけつき》みたいに磯五郎は体内から熱が去るのをおぼえた。全身滝のようにあぶら汗がながれていた。彼は血刃をダラリと下げ、放心したように朋輩の屍体を見下ろした。
「だれだっ」
突如、彼は愕然とわれに返った。彼の耳は、遠くからここに忍びやかにちかづいてくる跫音《あしおと》をききつけたのだ。
跫音はとまった。それから、蛇が枯葉をすべってゆくような音が、上の森へ消えてゆく。――追おうとして磯五郎は、じぶんのからだが大病のあとみたいに疲れはてて、足もよろめくのをおぼえた。それに彼は、この「西谷埋門」をはなれることができないことも知った。もうひとりの同役、板倉半内は、いまじぶんが殺害してしまったのである。……いまや彼は、何者かが、外側からか、おそらくは内側から、この門を通りぬけるために忍法をほどこしてきたのを悟らざるを得なかった。ここを空虚《から》にすることは、その罠《わな》におちることになる。
狼煙《のろし》をあげて味方に急報することを思いついて、磯五郎はまたはたと金縛りになった。いまのおのれの失態をなんと弁明すべきか? いや、じぶんの恥辱などはどうでもよいが。――
「半内どの――半内どの」
また上の方から声がきこえた。女の声だ。
「半内どの、変ったことはありませぬか」
「……半内の女房の声だな」
と、多摩磯五郎はつぶやいた。彼の眼に、いつも日蔭の花のようにひっそりとして、夫のそばで仕立物に精を出している板倉半内の妻お汐《しお》の姿が浮かんだ。――そのお汐の声とともに、二、三人の跫音が、あわただしく上の森を駈けおりて来る。
忍者としては、じぶんの恥辱にはたえて、この失態を冷静に頭《かしら》に報告し、味方とともにその不名誉をそそいでから、おのれに対する処置をかんがえるべきであったろう。しかし、多摩磯五郎は剛毅《ごうき》な気性だけに、かえってお汐そのひとに対する弁明のつらさにたえかねた。
人影がすぐ向うの闇にみえてくると、
「……よし、もはやここは大丈夫だろう」
つぶやいて、彼はそれまでぶら下げていた刀身を袖につつんで逆手に持ち、仁王立ちになったまま、いっきにじぶんの心臓に刺しこんでしまった。
腹痛のため門番を休んだ物集《もずめ》十休が、じぶんの小屋で頸動脈をかき切って死んでいるのが発見されたのは、その翌朝のことであった。
――死骸はすべて、同心長屋の裏にあたる陰湿な崖の下にひそと埋葬された。城の人々は何も知らなかった。犬山城の天守閣には、いままでの年と変りなく、美しく夏雲がひかっているばかりであった。
「……六人、死にました」
と、織部は漆卜斎にいった。
「お頭があれほど戒められましたのに。――みな、なんの魔に憑《つ》かれたものか?」
それは、卜斎が多摩磯五郎と板倉半内の屍骸をながめたときに、また「相討ちだ」とつぶやいたのを思い出したからであった。
「殿のお力ですら及ばぬことだ。おれの力などいかんともすべからざる大きな魔物の争いじゃ。その争いが、ここに結晶しておる。……」
ぶつぶつと、ひとりごとのように卜斎はいった。このときふと織部は、この老人がつねに配下の惨劇を相討ちだと片づけるのを、あれは本心ではなく、党内に疑心暗鬼の尾をひかせないための配慮ではあるまいかと疑った。
しかし、それ以上卜斎は何もいわず、ただうごかぬ夏雲をじっとあおいでいるばかりであった。雲よ早くゆけ、時よ早く移れと祈るように。
五
奇妙な死はつづいた。それは小さな根来同心の長屋を、崖に焦《こ》げつかせるような七月の西陽の下であった。
そこにはなんのさけびも、たたかいの音も起らなかったから、おなじ長屋の一画にいた漆卜斎も織部も知らず、あとできいたばかりである。――その時刻、織部は義父の卜斎と、或る土蔵の中に対坐していた。
これだけは別棟になっている漆家の裏手にある蔵である。この蔵こそは、師匠漆卜斎の忍法の道場であった。階下には、壁もみえないほど奇怪な武器が黒びかりして、或いは錆びついて、掛けられている。刀、槍、鉄砲、八方手裏剣、くさり鎌、十手、大クナイ、マキビシ、錐、鉤《かぎ》、鑿《のみ》、錨《いかり》、金属製の竿、梯子《はしご》、火矢、狼煙、火薬、砂、石。――卜斎は、この部落に生まれた者には、すべてこれらさまざまな武器の使用法を教えた。そして、弟子の素質を見ぬいて、「木曾根来組」をえらび出した。それから、えらばれた者のみ、二階にあげた。二階には一物もなかった。そこで卜斎は特殊訓練をした。
特殊訓練――それは、だいたいに於て一人一技であった。その怪異をきわめた忍法の修行は、もとより常人にはたえられぬほど超人的なものであった。しかし学ぶ者は、苦痛もさることながら、それに倍する快感をもおぼえた。それは彼らが幼時から訓練をうけていたというせいもあったであろう。また特別にえらばれただけあって、天稟《てんぴん》の素質があったせいもあろう。しかしそれより、そこで施される技能教育が、百余年にわたる木曾根来組の――いや、さらにそれ以前からの紀州根来僧時代からの伝統で、迷い、迂路、夾雑物《きようざつぶつ》をすべてはぶき、人間の精神力と肉体的機能の限界を極度に生かした、ながれるように能率的なものであったためと思われる。さらにまた、教える技能が人間の限界を超えて幻怪の域に達しているにもかかわらず、卜斎の教授ぶりがいかにも軽妙で、愉しげで、淡々としていたせいもあったと思われる。
その二階に、卜斎と織部は、寂念《じやくねん》と坐っていた。無一物の、ただ黒ずんだ壁にただ一つ、わずかに外光を入れる金網の小窓がある。窓の外はふかい青葉で、蝉がじーんと鳴いていた。
「祝言以来、例の変事でその折がなかったが」
ながい雑談のあとで、卜斎がいった。
「おまえにいよいよ、漆家につたわる根来流忍法の伝書をつたえようと思う」
織部は恐怖にちかい緊張をおぼえた。
しかし、卜斎はふとまたほかの思念に心をうばわれたらしい。――窓の外の青葉をじっとながめていたのち、つぶやいた。
「この木曾根来組で相伝するのは一人一技。しかもそれをたがいに口外することはならぬ。その掟を、この漆家を頭領としてつたえるためのものじゃと、実はこのごろまでおれもそう思っておったが――こういうこともあるゆえじゃな」
卜斎が「こういうこと」といったのは、こんどの変事をさすのはあきらかであった。ここから忍者を供給する公儀根来組と尾州御土居下組から、逆にこの木曾根来組が狙われるという事態のことをいったのである。
はっきりとそのことが暴露《ばくろ》されたのは、あの三雲丈念と五明道阿弥の屍骸が発見されたときだけで、以来御土居下組また公儀根来組が姿をあらわしたことはないが、しかし織部は、その黒い手を脳裡から抹殺することはできない。この長屋につぎつぎと起る事件は、あきらかにその黒い手から放射される誘惑、不信、怨恨、恐怖、憤怒《ふんぬ》の霧のゆえでなくて何であろう。
「が、当城、或いはわれらの決意は、三雲五明の件で向うにもわかっておりましたろうに、なにゆえ執拗に狙うのでござりましょう」
「公儀からみれば、尾張に御謀叛のお心ありや、尾張からみれば、公儀に御成敗のお心ありや、それを打診する手がかりをつかもうとする焦りのほかに――ひょっとすると、公儀根来組と御土居下組が意地になって、われらを代理の忍法争いの矢面《やおもて》に立てておるのではないか――と、おれは恐れる」
青葉のせいでなく、卜斎の顔は蒼ざめた。
「いや、恐れておった、といった方がよかろう。しかし、次第に事はおさまるであろう。いまにいたって江戸と尾張のあいだに何のこともないのがその証拠じゃ。江戸と尾張が争っても、どちらの得にもならぬことは、どなたさまにもおわかりのはず。――もはや、変事は起るまい」
彼はおだやかに笑った。
「と、判断して、おれは、婿たるおまえに漆家の伝書をつたえようと思うのじゃ」
そのとき、頭上の天井で鈴が鳴った。鈴は紐でつながれていて、急用があるとき漆家の下男が土蔵の外でそれをひいて知らせるものであった。
卜斎と織部は蔵の外に出て、その夕刻、同心長屋に起った異変を知った。鈴の紐をひいた者は、下男ではなく陶《すえ》兵左衛門という根来組の男で、そばに蒼い顔をして龍胆《りんどう》が立っていた。彼女は肩から朱をあびたように血まみれであった。
「どうしたのだ?」
織部はまろび寄って彼女を抱いた。龍胆はふるえながら、しかしくびをふっていった。
「いいえ、これは返り血でございます」
「――だれの?」
――それより半刻ほどまえのことである。
ひとり長屋を見廻っていた龍胆は、やがて崖の段と段をつなぐ石段を上ろうとした。すると、上から宋蓮之介と巣波禅馬のふたりが下りてきた。彼らはどういうわけか、以前の闊達《かつたつ》さを失って、妙に卑屈な人柄に変ったようであった。すれちがうのがやっとという狭い石段だから、まず宋蓮之介が鄭重《ていちよう》な挨拶をして下に通りすぎたが――そのとき、突然彼と上の巣波禅馬が抜刀したのである。
「あっ」
さけんだのは龍胆ではない。彼女は声も出なかった。宋と巣波の方だ。ふたりは驚愕と恐怖に顔をひんまげて、
「龍胆どの、お逃げなされ」
そううめきつつ、猛然と刃をひらめかしたのである。
「どうしたのだ、これはどうしたのだ?」
ふたりは口走りながら、旋風のように龍胆を斬りつけ、追いまわした。追いまわすまでもない。兇刃は上下からはさみ討ちにし、横へ飛ぶこともならぬ狭い石段の中途であった。
龍胆は胡蝶《こちよう》のように必死に逃げた。怪我をしなかったのは、しかし彼女の力ではない。伏しまろんだ彼女の上で、宋蓮之介と巣波禅馬はおたがいの肩に袈裟《けさ》がけに斬りこんだ。そして、曾てはおなじ尾張藩御土居下組に入るべく、肩をならべて旅立っていったこともあるこのふたりの若者は、その姿勢で直立したまま、まるで粘土でもひき切るように、おたがいのからだへ刃をくいこませていったのである。――龍胆が雨のように返り血をあびたのはこのときであった。
……赤い松葉のように立っているふたりの若者の下から、からくも龍胆はのがれ出した。そして恐怖の眼をむいて、硬直したまま絶命しているふたりを、放心したようにながめているところへ、通りかかった陶兵左衛門が駈けつけて来たのである。
「……お絃《げん》のところへいってみましょう」
と、やがて龍胆がいった。
ふたりは長屋へ駈けもどり、後家のお絃のところへいってみた。すると、その家では、ここにもまたふたりの女が血みどろになってつっ伏していた。
お絃と、このあいだ死んだ板倉半内の女房のお汐であった。血の海の中に、お汐の娘で、ことし七つになる少女がボンヤリと坐っていた。
「お絃どのを殺したのはわたしでございます」
胸の下に懐剣をつき立てたお汐は息たえだえにいった。
「死んだ夫は、ほんとうは多摩磯五郎どのに殺されたのではない。ほかのだれかの忍法にかかって殺されたのだ。磯五郎どのを忍法にかけて、よそからうごかした者がある、とあの世からわたしに告げて参りました。それでわたしは、その人間をずっと探してきたのです。そして、やっとそれを見つけました。何気なくそっとこの家をのぞいてみたら、お絃どのが、そこにある宋蓮之介どのと巣波禅馬どのそっくりの土人形に小さな刀を持たせて、篦《へら》で人形の手をうごかしているのでございます。わたしに気がついてふりむくと、見たな、半内の女房どの、忍法|傀儡《くぐつ》廻しを見られたうえは、もはや生かしてはおかぬ、逃げたところで、わたしの手から逃れられぬ、その証拠に、それ、いまのいま、蓮之介どのと禅馬どのは、この土人形の通りに刀をふりまわしてきちがい踊りを踊っておるわ、と申しました。夫を殺したのはこのひとだ、と思ったとたん、わたしは夢中で駈けこんで、お絃どのを刺してしまったのでございます。……」
刺されたとたんにお絃の手が狂ったのか、ふたつの小さな土人形は、向いあった肩に刀をくいこませたまま、そばに立っていた。
「お絃が――なぜ、左様なまねをした?」
陶兵左衛門はお絃をひきずりあげ、ゆさぶった。すると、背中から左胸部へかけて刺し通された彼女はまだこときれないでいて、わななく唇から虫のような息をもらした。
「わたしはここを逃げたかったのです。けれど連判に名をつらねたわたしは、掟によってここを逃げられませぬ。逃げようとして見つかれば、成敗を受けまする。それであの夜、西谷埋門を守る多摩磯五郎どのと物集十休どのを、忍法傀儡廻しにかけて相討ちさせて、そのすきに木曾川から舟で逃げようとしました。ところがあの晩、十休どのの代りに板倉半内どのが門を守っていようとは。……十休どのはその夜のうちに、やはり傀儡廻しで自害させましたし、だれにもわからないと思っておりましたのに」
「これ、うぬはいずれからの下知でそんな無惨なことをしたのだ。木曾根来をようも大胆に裏切ったな」
「はい、裏切りました。けれど、わたしを裏切らせたのは、連判のうちのどなたかでございます。鏡に……」
「鏡に?」
「そこにある鏡に、いくらわたしが顔をうつしても、わたしの顔はうつらず、代りに男のものが……」
「なに、男のものが?」
「夜も昼もうつり……わたしはとうとうきちがいのようになり、あくまで後家を立て通さねばならぬここにおるよりは、いっそ地獄におちた方がましとまで思いつめたのでございます。けれど……鏡にそのようなものを見せた人はだれか、わたしにもわかりませぬ。そのひとは、おそらくわたしに門を破らせて、それにつけこんでやはり外に出ようとたくらんだに相違ありませぬ。それはだれか……」
声が糸のようにほそくなり、いちどふるえると、この豊艶な後家は、兵左衛門の腕の中で、がくりとのけぞった。
「お汐、お汐」
龍胆はお汐にとりすがった。お汐は忍者の妻ではあるが、忍者ではなかった。
「ほんとうに、半内の死霊《しりよう》が告げたのか」
「はい。……いま参ります、そこへ」
かすかな返事が、すでに死霊へささやいたものだと知って、龍胆がぎょっと身をはなしたとき、それまでおぼろおぼろとそこに坐っていたお汐の娘が、ふいに銅鑼《どら》をうつような声でいった。
「――来るか、お汐。気をつけいよ、ここは暗いぞ。……」
それは半内の声であった。彼は七つになるじぶんの娘にとり憑《つ》いていたのである。
「――しかし、なぜおまえは、お絃のうちへいってみる気になったのだ」
と、卜斎がきいた。
「そしてまた、なぜお絃は、宋と巣波のふたりをつかってそなたを斬ろうとしたのか」
と、織部がきいた。
龍胆はこたえた。
「それは、そのまえにわたしがお絃のところへ寄って、まちがっても木曾根来組を裏切ることのないようにといいきかせたからでございましょう。それでお絃は、忍法傀儡廻しのことを知られたものと思い、いそいでわたしを殺そうとしたものに相違ありませぬ。わたしの土人形もありましたけれど、きょうわたしは懐剣をもってあるいていなかったので、しかたなくそこにあった宋と巣波の土人形をつかったものと思われます」
卜斎はにがい顔をした。
「おまえは、お絃の忍法傀儡廻しを知っておったのか」
「しかとは知りませぬが、まえに――織部どのといっしょに、お絃にかけられかかったことがありましたから、もしやと思ったのでございます」
織部は蒼白い顔で、腕をくんだままであった。……ここに吹きはじめた死の嵐は、ついに龍胆までとらえようとした!
「……十人死にました。お汐をのぞいても九人」
と、彼はいった。
たんにその人数ばかりでなく、死に到る経路が恐るべきものである。忍者同士が殺し合う。――ほんのこのあいだまで、血盟までかわした人間が殺戮《さつりく》し合う。しかも、いつ、いかなる方法で襲われるか、おたがいに見当がつかないのだ。忍者が忍者に忍法をかけ、しかもその正体がわからないのだ。げんに、竹林で死んでいた図司軍兵衛、猫柳又助、鳴海円四郎らがいかにしてそんな最期をとげたのかまだ謎であるし、お絃に鏡の忍法をかけた者がだれかもわからない。
その上、この小さな世界で共食いをしつつ、だれもここを逃れることはできない。いまの時点でここから離脱することは、さらに大いなる敵の手中におちることになるからだ。それを敵は待っているのだ。――しかし、そもそも、あれはわれわれの敵であるのか?
――いまとなっては、この混沌として恐ろしい事態を救う法はただ一つしかない。
そう心にさけんで、織部は顔をふりあげた。しかし卜斎は暗然たる表情で、
「いってみよう、お絃の家へ」
と、うなずいて、赤い落日の路をせかせかと前かがみにあるき出した。
六
――しばらく吹きやんでいるかと思われた妖風は、ときどき思い出したように吹いた。そしてそのあとに、いくつかの屍体が残った。
本丸から北の断崖《だんがい》を水ノ手御門に下る細路に七曲りというところがある。そう名づけられるほど屈曲した坂道の二つの角に、一つずつ女の屍骸が見つけ出されたのは、八月も半ばになった或る夜明け方であった。
それは一糸まとわぬ裸体とされて、奇怪なことに躯幹《くかん》には傷ひとつなく、眠るように死んでいたが――ただ両手の指だけが切りとられ、ただ淡雪の左手の親指一本だけが残されていた。
ふたつの屍骸が根来組の女であることが判明するや否や、疾風迅雷のごとく卜斎はこれを同心長屋に収容し、埋葬してしまった。
女は淡雪と山鳥という女であった。しかし、なぜ彼女たちがそんなところへいって殺されたのかわからない。まして、なぜ手指をほとんど切断されていたのかは、さらにわからない。切りとられた指は、どれほど捜索してもあたりには見当らなかった。
「根来組のうち十一人死にました」
と、織部はいった。それから、卜斎にお辞儀をした。
「お頭、漆家につたわる忍法伝書を私にお授け下さい」
いつかそれを伝えられかけて、たまたま起ったお絃をめぐる事件でそれっきりになり、以後、どういうものか卜斎はふたたびそれを口にしようとはしなかったのである。そしていま、
「何にする」
と、ひどくよそよそしいことをいった。
「みなにおたがいの忍法を教えまする」
と、織部はいった。
「おたがいの忍法を知らぬゆえ、ふせぐこともかなわず、下手人も知れぬのです。私はお頭がなぜこのことについて口をつぐんでおいでになるのかわかりませぬ。……それよりほかに、これ以上不幸をくいとめる法はありませぬ」
「下手人をいえば、おれみずから、生き残った者のすべてを殺さねばならぬかもしれぬ」
と、卜斎は実にぞっとするようなことをいった。
「また、おたがいに知れば、なお殺し合いが増すとはかんがえぬか」
しみ入るようなつぶやきに変っていた。
「それに……みなに手の内見せることは、木曾根来組のこの世に存在するゆえんを、根こそぎ失うことになるとはかんがえぬか? 連判の中の、忍法の儀一切他言すべからずとは、ふかい意味のあることじゃ」
鞭打たれたような織部をみて、卜斎はいった。
「おれがおまえを婿にえらんだときとは、事態が変った。いちどは相伝しようと思ったが……おまえが左様なことをかんがえておると知って、おれはしばらく見合わせたのじゃ。しかし、おまえの心はようわかる。織部、風の吹きすぎるまで待て」
その翌朝、こんどは城内の桜ノ丸の櫓門《やぐらもん》の甍《いらか》の上に、またも裸身の女の屍骸が二つ発見された。やはり根来組の、お筆とお芹という女で、これまた手の指を切断されていたが――ふしぎなことに、こんどはふたりとも親指だけは残されていた。
それはどういう意味か、と眼をすえてかんがえているうちに、漆織部はある途方もない想像にとらえられた。きのう殺された淡雪と山鳥が江戸方に属する女で、きょう殺されたお筆とお芹が尾張方と目されている女だということに気がついたときに、はたと頭を衝撃して来たことだ。
江戸方の女の切られた指は九本。
尾張方の女の切られた指は八本。
それは両派の殺された人間の数ではないか。
江戸方は、鳴海円四郎、猫柳又助、物集十休、淡雪、山鳥の五人が殺された。ちがう。
尾張方は、宋蓮之介、巣波禅馬、図司軍兵衛、多摩磯五郎、板倉半内、お絃、お筆、お芹の八人が殺された。これは合う。
江戸方がちがうのは、どういうわけか。それでは、これは生き残った者の数ではあるまいか。
きのう江戸方の淡雪と山鳥が殺されたとき、江戸方はもとの十三人のうち、このふたりを入れて五人殺され、八人が残っていた。――それもちがう。
きょう尾張方のお筆とお芹が殺されたとき、尾張方はもと十五人のうち、このふたりを入れて八人殺され、七人残っていた。――これまたちがう。
では――それは敵方の生き残った者の人数ではあるまいか。江戸方の淡雪と山鳥の殺されたとき、尾張方の生き残り組は、まだお筆、お芹が生きていたのだから九人。
尾張方のお筆とお芹が殺されたとき、江戸方の生き残りはいま八人。
――これだ。切りとられた指の数は、それぞれ生き残った敵の人数をあらわしているのだ。
しかし、それがそんな意味をもつものとしても、それ以上織部には、どんな思考力もはたらかなかった。ただ吐気をおぼえただけであった。
「十三人死にました」
彼はただ卜斎の前に土下座した。
「お頭、残った者の忍法をみなに教えて下され。おねがいでござる。このまま坐視すれば、みな死に絶えまする」
「まだ、われら三人を加えて十八人生き残っておる」
卜斎はひくい声でいった。
「一人でも生き残っておるうちは、木曾根来組は絶えたとはいえぬ。織部、もがくな。ただ歯をくいしばって待っておれい」
九月初旬の或る夕《ゆうべ》西谷|埋門《うずみもん》からふたりの少年と少女をのせて木曾川へすべり出た小舟があった。
それをとめる門番はいなかった。なぜなら、十六歳と十五歳とはいえ、粕谷伴作とねね[#「ねね」に傍点]は、いずれもれっきとした根来連判衆で、しかもその日の西谷埋門の番人だったからだ。
外はもう薄暮であった。この数日来の雨はけさがたあがったばかりで、木曾川の水は滔々とふくれあがり、河のあちこちに露出した奇岩に凄絶なしぶきが、初秋の冷光をくだいていた。
伴作が櫓《ろ》をにぎり、ねね[#「ねね」に傍点]がときどき対岸を指さして何かさけぶ。若々しい笑い声が水にこだました。
その笑いと水音の交響が突如はたときれた。その刹那、ねね[#「ねね」に傍点]の右袖から黒いほそい鎖《くさり》がすべり出して、うなりをあげて伴作を薙《な》ぎつけた。伴作は身をしずめ、櫓でそれを受けた。くさり鎌の分銅は蛇の頭のように櫓に巻きついた。櫓をうばわれて矢のごとく急湍《きゆうたん》をくだる舟の上で、伴作とねね[#「ねね」に傍点]は若い獣のような眼を見合わせて向いあっていた。ふたりの間には、ピーンと一条の鎖が張られていた。
ねね[#「ねね」に傍点]の左腕に小さな鎌がふりあげられたとたん、伴作は櫓を少女めがけてたたきつけ、足で舟底を蹴った。一方の足の爪先で、戛《かつ》と斧のごとく舟板に穴をあけつつ、少年のからだは横に飛燕《ひえん》のようにながれ出して、すれちがいざまに河中の岩に移っていた。
櫓を投げつけられたためにのけぞったねね[#「ねね」に傍点]に、舟底からしぶきが吹きつけた。しぶきのなかに、また鎖が走った。その先には、こんどは鎌があった。
鎌は舟をかすめ去る別の岩頭に、はっしとつき刺さった。その岩のそばを稲妻のようにながれ過ぎた舟は、鎖の長さだけの距離でつなぎとめられ、その反動と鎖を利用して、ねね[#「ねね」に傍点]もまた、もはやなかば沈みかかった舟からその岩へ飛び移っていた。
それは数秒のことであったが、岩と岩とのあいだは二間以上もはなれている。
「おなじことをかんがえていたのだな」と、伴作はいった。
「ふたりで舟に乗って出ようといい出したときから、ね」
と、ねね[#「ねね」に傍点]がいった。
「尾張方の奴らは、江戸方を五人も殺した」
「江戸方は、尾張方を八人も殺しました」
「それは江戸方の方が強いからだ」
「ホホ、どちらが強いか、いま見せっこしましょうか」
二間の距離であったが、ふたりの声は水音にさえぎられ、風に吹きちぎれた。
「きいてくれ、おれはねね[#「ねね」に傍点]に恨みはないが」
「ねね[#「ねね」に傍点]も伴作どのが好きでした。それが恐ろしくなったのです」
「そうだ、好きだからこそ――殺さねばならぬ」
ふたりの顔はしぶきにぬれて、泣いているようにひかった。ほんとうにふたりは泣いているのかもしれなかった。
岩頭に立つふたりの小さな姿が殺気にかたまって、いっそう小さくなった。同時にふたりは、相手の岩めがけて宙天に飛んだ。ねね[#「ねね」に傍点]は懐剣をにぎり、伴作は一刀をひらめかして、岩を蹴った刹那、しかしふたりは懐剣と刀を捨てていた。それは突然相手に斬られたいという奇妙な発作《ほつさ》にとらえられたためであった。
素手となった伴作とねね[#「ねね」に傍点]は、空中でひしと抱き合い、一つになって水におち、そして木曾の激流にのまれて消えた。
七
十月十三日の夜のことであった。主君隼人正に召された漆卜斎は、水をあびたような顔色でもどってきた。
彼はじぶんの屋敷に、七人の男を呼んだ。いずれも木曾根来組であった。
「まず、よろこんでくれい」
と、いって、卜斎は一同を見まわしたが、うなされているようなまなざしであった。
「このたび、江戸と尾張との御和解は成った。すべてを水にながそうとの上様の御上意が尾州家に下されたとのことじゃ。殿もようやく愁いの眉をひらいておいでなされた。……ただ、一つ、水にながれぬことがある」
卜斎は、ほとばしるようにいった。
「一同、今宵おれに命をくれい」
さすがに七人の男は、愕然とした眼を老首領にそそいだ。
「きょう尾州家より御使者があった。その御口上で右のことが相知れたのじゃが、そのとき御使者は別に小箱を出して、この小箱の中に姓名をしるされた者は首討って尾州家に出すように申された由。……小箱は頂戴して参った。これじゃ」
卜斎は前におかれた小箱をひらいて、何やらたたみにならべた。
「塩づけにされていた八本の指じゃ」
しかし、そこにならべられた八本のほっそりした指は、象牙のように美しくつやつやしていた。
「尾州御土居下組より出されたものとのことじゃが、いうまでもなく、これはお筆お芹の指じゃ。いかにしてこれが御土居下組の手に入ったかわからぬ」
卜斎は一本ずつとりあげて、灯にすかして読んだ。
「一本ずつに、姓名が書いてある。風祭兵蔵、久世孫四郎、波切八十次、花房助太夫、陶兵左衛門、人見万八、石寺甚八郎、粕谷伴作……伴作はねね[#「ねね」に傍点]と心中しおったが、すなわち、そなたら江戸派のものどもの名だ」
「……その人々の首を出せと?」
だれよりも悲痛な声をしぼったのは、卜斎のそばに龍胆とならんで坐っていた漆織部であった。
「罪は? その人々が尾張に対していかなる罪を犯したというのでござる」
「尾州藩家老たる成瀬家の家来でありながら、尾州御土居下組の三雲丈念を殺害せし罪による。――と、一応の口上にはあるが、それは理由にならぬ理由じゃ。犬山城に忍び入る者は何ぴとたりとも討ち果たせ、と命じたのはおれであり、また殿さまでもある。しかし、その道理をいいたててみても、いまは通らぬ。いまはただ犬山藩のために、そなたらの首をとってくれとの殿の仰せじゃ」
しずかにいいながら、老人の頬には涙がつたいおちた。織部はさけんだ。
「敵のまえに、むなしく首を出すとは?」
「尾州藩は敵ではない。当家の主家じゃ。従って御土居下組も敵ではない。われらにとっては兄にあたる友党である。……その仲をとりもどすために、七人、みごとに死んでくれ!」
「死にませぬ」
猛然と風祭兵蔵がさけんだ。
「死ぬことは何でもないが、そのようなたわけた理由のためには死ねませぬ」
「そもそも三雲丈念を討ったのはわれらではない。少くとも、拙者ではない。いちどは公儀根来組に入ろうとしただけに、かえって身をつつしみ、お頭のお教えどおりにひそと過して来た拙者だ」
と、久世孫四郎がいった。つづいて、
「いかにお頭の仰せなればとて――」
と、ふるえて、にらみすえながら波切八十次が腰を浮かすと、三人はいっせいに立ちあがった。
漆卜斎はそれにはかまわず、一座を見まわした。
「あとの面々はどうじゃ」
「御主君に対したてまつり、御奉公の儀、尾張御同然に疎略に存ずべからざる事。――連判の掟により、よろこんでこの首献上つかまつりましょう」
八十幾歳かの花房助太夫が淡々としていい、それからきゅっと歯のない口をすぼませた。
「丈念を討ったのは、このわしでもあるし。――ただし、このお頭から教えを賜った忍法ではないぞ。御先代の卜斎どの直伝の忍法じゃ。ずんと年期が入っておるわ」
あとの陶兵左衛門、人見万八、石寺甚八郎も笑顔で手をつかえた。
「助太夫老に、われら従いまする」
「そこな三人、やはりきいてくれぬか?」
と、卜斎は涙を浮かべていった。三人は立ちすくんで、血ばしった眼をひからせていたが、たちまち風祭兵蔵が絶叫した。
「この首、みずからたたきつぶしても、いやでござる」
「では、織部、やむを得ぬ。その三人を討ってとれ」
織部は唖然となり、つぎに逡巡した。卜斎がいった。
「頭に対し背くべからずという掟を忘れたか?」
漆織部は立ちあがった。とみるや、三人の男は顔を見合わせ、ふいにうしろざまにどんと障子を蹴った。
三枚、前に倒れ伏す障子の下をかいくぐって、三人の男はむささびのようにとびすさってとんと庭に立ったが、眼をすえてみると、障子はまだ完全に倒れきらぬのに、縁側に一刀をさげて粛然と立つ漆織部の姿があった。
三人の男の眼は、憎悪の血光をはなった。
「織部、いっしょに育った仲間だ。よい役廻りばかりはやらぬ」
同時に、波切八十次の口からまるで光のすじのように毒をぬった吹針が吹きつけ、久世孫四郎の鞘《さや》から刀ならぬ鋼《はがね》の鞭が一丈もの長さになってすべり出し、風祭兵蔵は一刀をぬいて、水を泳ぐ魚のように水平に浮かびあがった。――と、彼らは思った。そのつもりであった。
それなのに彼らは、何としたことか、忍者らしくもない悲鳴をあげ、まるでからだの均衡《きんこう》を失ったようにぶざまによろめき、波切の吹針は大地に吹きつけられ、久世の鉄鞭は横になぎつけられ、風祭のからだはあおむけに地上に転倒したのである。
織部はかなしげに歩み寄り、いちど卜斎をふりむいて、それから一人一人の首をはねた。まるで俎《まないた》であばれる魚でも斬るように。
斬られた三人の瞳に、天と地は逆転していた。
天が下にあり、地が上にあり、漆織部は逆さにぶらさがっているように見えたのだ。
――そもそも人間の網膜にむすぶ像はすべて倒立している。生まれたばかりの嬰児《えいじ》の眼には、森羅万象《しんらばんしよう》ことごとく倒立して見えているのだ。それがやがて直立してみえてくるのは、この世に直立しているものは倒立して像をむすぶものだという経験から、物体が直立して見えるのにすぎない。が、三人の若者は二十余歳にして、その刹那ことごとく新生児の眼に還ったのであった。あらゆる武器の目標は混乱し、無効となり、それどころかおのれの立っている大地と空間すら、渦まく雲と化したかのような感覚におちいることは当然である。
「ゆるせ、忍法逆流れ。――」
暗澹と、織部はつぶやいた。
世は端倪《たんげい》すべからずである。それから一月半後、犬山藩にとっては驚天動地の新事態が生じた。
享保十五年十一月二十七日、尾張大納言|継友《つぐとも》が急死したのである。継友の死についてはいろいろの巷説《こうせつ》があるが、それはここには説かない。とにかくいちど幕府とにらみ合い、また和解した当主が、この世から忽然消滅したのである。
このことが犬山藩にいかなる影響を及ぼしたかはべつの話として、犬山城の根来同心首領漆卜斎が鉛色の顔をして、おのれの屋敷に端座していたのは、師走《しわす》なかばのことであった。
「――もとより、そなたらに罪はない。さきの尾張との暗闘に際し、存分に腕のふるえなかった公儀根来組の八つ当りにすぎない。しかし、そこから五明道阿弥殺害の罪により、指名して首を出せといわれれば、いまわれらとしてはそれに従わざるを得ないのじゃ。なんとなれば、わが殿には、さきのいざこざにあたって、あくまで中立の態度をおとりなされた。それは犬山藩としては、他になすすべのない、やむを得ぬ御処置であった。が、はっきりと公儀側に立たれなかった上は、公儀から殿ににがにがしい眼をむけさせられても、これまたいたしかたのないことじゃ。その殿に代り、そなたたちが公儀のうさばらしのいけにえとなる。ばかげたことではあるが、しかしそれは犬山城に仕える忍者として、また忍者にふさわしい光栄ある死とは申せまいか?」
彼はじゅんじゅんとして説いていた。ときどき黙りこんで、しばらく肩で息をつきながら。
そのまえには一個の小箱がある。そばに九本の指がころがっていた。江戸根来組から送られてきた淡雪と山鳥の白蝋のような指であった。
それには尾張派の木曾根来の名がしるされてあった。
しかし、いま卜斎のまえに坐っているのは六人だ。鵜垂《うたり》玄札、小栗甲蔵、醍醐宗判、寒河法兵衛、坂部小膳、鶉《うずら》五太夫という。――それは淡雪と山鳥が殺されたあとで、お筆、お芹、ねね[#「ねね」に傍点]の三人が死んだからであった。
「みな、首をくれるか?」
一同は、なんのこともなげにうなずいた。
「かしこまってござります」
「実は、おれも腹を切った」
と、卜斎はいった。さっきからその様子をいぶかしげな不安げな眼で見ていた織部と龍胆は、はっとして身を起した。
「せめて、みなの衆へ――今宵の衆だけではない、先日死んでくれた江戸派の連中に対してもじゃが――ただ阿呆《あほう》のように嵐の吹きすぎるのを待っておった卜斎のわび心からよ」
卜斎は軽い笑いを浮かべながら、襟《えり》をくつろげた。すると、腹に巻いた白布ににじみ出してくる血がみえた。
「お頭!」
「父上!」
織部と龍胆はまろび寄った。卜斎は手をあげて、それをおさえた。
「手品の手のうち見せて、木曾根来組が瓦解してもやむを得ぬといった織部の考えようの方が、正しかったかもしれぬ。これで木曾根来組は、要するに公儀と尾張から虫のごとくひねりつぶされたのも同然じゃからの。――いや、しかし、そなたら両人がおる。龍胆、よい子を生めよ、数かぎりなく生めよ。そこからまた新しい木曾根来組を生み出すのじゃ。織部、その日のために、漆家につたわる忍法の伝書をいまそなたと龍胆にわたす」
両手をつかえたまま、凝然と見まもっている婿と娘に、漆卜斎は笑顔でいった。
「わかったら、織部、介錯《かいしやく》してくれい。そして、六つの首におれの首をおまけにして、公儀根来組へ送ってくれい」
八
明日は七つの首をもって江戸へ旅立とうという前夜のことであった。犬山城は小止みない雪につつまれた。
その中で、漆織部と龍胆は決闘した。
事は、織部が龍胆に思いがけない提案をしたことから起った。――主家の安泰のためだから七つの首を江戸へもってゆくことはやむを得ないが、それからあとはもはやふたたびこの犬山城へ帰るまいといい出したのである。
「それでは、もはや木曾根来組をお捨てなさるのでございますか」
「そうだ」
「忍者たることもお捨てになるのでございますか」
「そうだ」
「それは御本心でございますか」
「そうだ」
そして、織部は、当然のことのように妻にいった。
「いかにも犬山城に静謐《せいひつ》はもどった。しかし、代りに木曾根来組は何を得た? ただこれ無惨。忍者たることの虚しさは以前から感じておったが、こんどというこんどこそは、骨の髄まで思い知らされたぞ。おれは、この忍法の伝書も、木曾根来連判も、木曾の流れに投げこんでゆこうと思う」
「それでは、わたしはお供できませぬ」
と、龍胆はふるえながらいった。
「それどころか、もしそのお言葉が本当なら、わたしはあなたを討たねばなりませぬ」
「――そなたが、わしを?」
織部は微笑した。
その夫の微笑をふと凍りつかせるような厳粛なものが、龍胆の顔にあらわれた。
「あなたは木曾根来連判の、一族に叛《そむ》き、また私に退転すべからざること、という掟を踏みにじろうとなされております。百年以上もつたわってきた木曾根来組を絶つ。……もしっ、織部どの、あなたは御自分がどんなに恐ろしいことをなされようとしているか、よく御存じでいらっしゃいますか」
織部は唖然《あぜん》として、妻の顔を見つめたままであった。このういういしく、素直で、稚《おさな》いところすらある龍胆が、じぶんに訓戒の言葉を垂《た》れようとは意外であった。じぶんの心に叛《そむ》こうとは思いがけなかった。
いや、それほどあの古怪な連判の掟に縛りつけられ、しがみついていようとは驚くべきであった。
「龍胆、いやでもおれはおまえをつれてゆくよ」
「……それならば、織部どの、わたしはあなたを成敗《せいばい》しなければなりませぬ。ああ、もうあなたのお子が、このおなかにあるのですけれど。……」
「なにっ?」
愕然としてさしのばす夫の手から、龍胆はのがれた。そして、はたはたと夜の雪の中へ駈け出した。
「待て、龍胆」
小止みなくふる雪の中を駈けてゆく妻を、織部は乱心したかと思った。
雪の断崖に、龍胆は待っていた。追いついて、織部は息をのんだ。――まさに、正気の沙汰ではない。霏々《ひひ》としてふりしきる雪をあびつつ、彼女は一糸まとわぬ裸身で立っていた。いつどこから持ち出したか、一刀をぬきはらってひっさげている。
「もしっ、織部どの、どうしても木曾根来組をお捨てになりますか?」
哀しげにもういちど、龍胆はいった。
それは思いつめ、確定した漆織部の本心に相違なかった。しかし、それより織部は、それに叛けばじぶんを討つという妻に諧謔《かいぎやく》をおぼえ、微笑をおぼえ、ひとつからかってみようという気になった。そうだ、そういえばおれは龍胆の忍法なるものを、あのばかげた掟によってまだ知らぬ。それを見るのも一興だ。
「男の思い立ったことに変改はない」
彼は昂然といった。そして龍胆をじっと見つめた。
と、彼の眼に天地が逆転したように見えた。一瞬錯覚したが、龍胆が刀を横ぐわえにし逆さに立ったのである。両腕を雪につき、両足をそろえて夜の天にのばして。
この姿勢にはじめてただならぬ妖気をおぼえ、つぎに彼は怒りと恐怖にちかい感情にとらえられた。相手が本気であることを悟ったのである。彼は一刀をぬきはらった。
「忍法|逆流《さかなが》れ」
織部はさけんだ。
しかし、彼は倒立している龍胆の眼に、じぶんとこの世界がどう見えるのか、判断するのに混乱した。かえって彼の眼に、雪の闇天《あんてん》にまっしろな両足がひらいたのが、この世のものならぬ幻怪な花に見えた。
まさに花はひらいた。夜々、彼を夢幻境にさそいこんだ女の花は匂いたかくひらいて眼前にあった。
かかる妖花《ようか》に、刀を以て相対した男はいかなる行動に出るか、原始本能はそれを攻撃しようとする衝動を起す。同時に理性はそれにためらう。
漆織部もその例をまぬがれなかった。刃はさそい寄せられたように、そのひらいた花の中へフラフラとおちていった。刃は空中でとまった。ひらいた足がとじられて、ピタと柔かい足裏でその刃をはさみとめたのだ。
「忍法しだれ桜!」
龍胆がかなしげにさけんだのは、口にくわえた刀身がくびをふるとともに旋回しつつ横なりに飛んで、漆織部の胴を完全に切断したあとであった。
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忍法おだまき
一
蒼《あお》い油絵具をぬったような京の空に、やや赤みがさしかけたころ、聚楽第《じゆらくだい》の巨大な門の前に、忽然と立った二つの影があった。
第(邸)とはいうものの、これは城である。場所は大内裏《だいだいり》の旧趾《きゆうし》にあたり、東は大谷、西は浄福寺、北は一条、南は下長者町にわたり、濠《ほり》をめぐらし、天守閣さえ築き、その四面には諸侯の屋敷も布置されているし、容易に庶民のちかづけるところではない。
その二人は、実に忽然とそこに現われた。
ひとりは、鶯茶《うぐいすちや》の道服をまとった老人だ。鶴のように痩《や》せて、顔は恐ろしくながい。その口の両はしに、どじょうみたいな髭《ひげ》が二本タラリと垂れている。相当な老齢だということはわかるが、髪は漆黒《しつこく》だし、いったい幾歳くらいの人物なのか、見当がつかない。
もうひとりは、琵琶《びわ》法師だ。琵琶法師だが、背に負うた琵琶の絃《いと》は切れ、胴は裂けて、ものの役に立つとは思われない。顔色は病人、というより死びとのようで、垢《あか》だらけで、これまた年のほどはわからない。いや、よく見ればまだ極めて若い法師らしいが、一見したところでは老人みたいに見えた。むろん盲人で、しかも左腕がなかった。
この両人が、朱と金に彩《いろど》られた華麗な唐破風《からはふ》の門の下に立ったとき、門番はおどろくよりも、眼を疑った。
「木村|常陸介《ひたちのすけ》どのにお伝えを願いたい」
恬然《てんぜん》として、道服の老人がいった。
「お召しにより南都の果心《かしん》が参上仕りましたとな」
「――果心?」
まじまじとこの異様な二人の訪問者を見ていた武士たちのうち、
「あっ、では、あの果心|居士《こじ》!」
と、はじめて驚きの声をあげた者がある。その武士のみならず、ほかの誰もがその名を知っていて、かえって声が出なかったのであったが、ややあって、ひとりが、
「もうひとりの、それは?」
と、琵琶法師に眼をむけた。
「これは、それがしの弟子」
と、果心と名乗る老人はこたえて、それからうすく笑った。
「むさくるしいが、これも関白家には縁あるもの。――関白さま御寵愛《ごちようあい》の御女臈《ごじよろう》のうち、刈萱《かるかや》のおん方と申すお方がござるげな。これは刈萱の方のもとの亭主でござるわ」
数人の武士が、顔色をかえて奥へ走っていった。
やがて、関白の重臣木村常陸介が出て来た。
「果心どの、お待ちしていた、と申したいが」
常陸介の声は重く沈んで、それっきりしばらく黙っていたが、やがてしぼり出すようにいった。
「果心どの、どうぞ殿を地獄からお救い下されい」
「地獄から?」
「御覧になれば、おわかりでござろう」
二
かねてから手をつくして招いていた客で、しかもほとんど来訪を期待できないものとあきらめていた客が来た。それなのに木村常陸介は、いまこの人物を主君に逢わせたくなかった。
しかし、門番の知らせで、一応主君にその旨を伝えると、関白は、
「なに、果心が来た?」
と、あわてて立とうとした。常陸介は小声でそれを制した。
「殿、居士はひとりの琵琶法師を供として参ったとのことで」
「琵琶法師、それがどうしたのか」
「それが、どうやらいつぞや北野で逢うた法師らしゅうござる」
そういわれても、まだ関白はわからなかったようであったが、常陸介の眼が、左右にいながれた二十数人の侍妾《じしよう》のうち、刈萱にちらとそそがれたのを見ると、はっと何やら思い出したようであった。
「あの法師」
と、さけんだ。
「きゃつを、果心がつれて来て、何とするつもりか」
「それがしにもわかりませぬ」
関白は眼をひからせて、じっと常陸介の顔を見ていたが、
「よし、ここへ呼べ」
と、にやりと笑った。
「え、ここへ?」
「かまわぬ。ここで果心とその法師に逢うてやろう」
常陸介は、じぶんの遅疑が、この主君に対して逆効果となったことを知ったが、同時に、いや、主君の言葉の通り、彼らをここへ呼んだ方がよいかもしれぬ、と思いなおした。気まぐれな果心居士が聚楽第へやって来たのは、その法師のおかげかもしれないし、それに主君を自己破滅の地獄から救うためには、現に見る通りの主君の行状を果心にも見せた方がいいかもしれない。おそらく果心は、ありきたりの悪意を以てその法師をつれてきたのではなかろうから、主君のおいのちに別状はあるまい。
常陸介はお辞儀して去り、やがてその奇妙な来訪者をみちびいて来た。
廻廊《かいろう》から廻って来て、果心はふいに供の法師を制し、じぶんも立ちどまった。庭上の言語を絶する光景を見たからである。
広い庭の白洲《しらす》は、朱色に染まっていた。それは夕焼けの色ばかりでなく、血のせいであった。
七つの巨大な俎様《まないたよう》の板が置かれ、そこに一糸まとわぬ女があおむけに大の字になっていた。四肢は朱の紐《ひも》で、板にゆわえつけてあった。そのうち四人が、のどぶえから下腹部まで切り裂かれて、真っ赤な腹腔《ふつこう》をひらいていた。あとの三人はまだ五体完全であったが、しかし二人は、すでに死んだようにうごかなかったし、もうひとりはたしかに正気を失った虚《うつ》ろな眼を、赤い夕焼けに見ひらいていた。
凄惨《せいさん》なる壮観である。
果心は、ちらと供の法師を見た。法師は盲目である。果心はすぐに何事もなかったかのような顔で、すたすたと廻廊を歩いて来た。
「果心よな」
常陸介の紹介もまたず、老人の挨拶《あいさつ》もないうちから、若い関白は声をかけた。
「名は久しゅうきいておった。是非逢いたいと思うておったぞ」
「ありがたき倖《しあわ》せ」
と、老人はいった。そして、お辞儀もしないで、供の琵琶法師の両耳に口をあてて、ぷっ、ぷっ、と何か吹きこんだ。
「果心さま、耳がきこえなくなりました」
法師は嗄《か》れた声でいった。
「そこにおわすは関白|秀次《ひでつぐ》さまではござりませぬか」
老人はこたえず――こたえても、もう琵琶法師にはきこえなかったろうが――肩に手をあてて、法師を坐らせ、じぶんも坐った。
「はじめて御意《ぎよい》を得まする。殺生関白《せつしようかんぱく》さま」
そう呼ばれて、関白秀次のひたいにさっと青い炎のようなものが走ったが、すぐに唇《くちびる》をひきつらせて笑い、庭をあごでさした。
「女の腹の中のやや[#「やや」に傍点]を見とうてな」
果心居士は、もういちど庭を見た。
腹を裂かれた四人の女の俎のまわりには、血と臓物《ぞうもつ》がぶちまけられていたが、その中に、たしかに胎児らしいかたちが見えた。そういえば、ほかの三人の女の腹部は、むっちりと盛りあがっている。
――おそらく、合図のあるまで制せられているのであろう。その向うには、この屠殺《とさつ》を行うのに、大袈裟《おおげさ》というべきか、当然というべきか、具足をつけた武士が二人、血まみれの陣刀をたてたまま、黒い死神のごとくひかえていた。
「果心、きくところによると、その方はみずからのからだをばらばらに手刃し、あとでみずからつなぎ合わせてよみがえるという。あの女ども、子供をまた腹に入れて生き返らせることができるか」
「屠人戮馬《とじんりくば》の術でござりまするか」
果心はしずかにくびをふった。
「それは、拙者みずからのみのこと、余人には成りませぬ」
三
果心居士。――生国も知れぬ、生年も不明である。本名をなんというのか、誰も知らない。
ただ、南都の住人ということで、しかしどこに住んでいるのかわからない。ときどき、元興寺《がんごうじ》の五重の塔の頂上に腰うちかけ、扇をつかいながら四方を眺望《ちようぼう》している姿を見ることがあるので、奈良の住人らしいといわれるだけである。
戦国時代から安土桃山時代にかけて、人々に異様な噂をつたえられている幻術師であった。
曾《かつ》て松永|弾正《だんじよう》が信貴山《しぎさん》城に彼を召して、わしはこの世に恐ろしいもののあることを知らぬ、御辺《ごへん》、わしを恐れさすことができるか、ときいた。このとき居士はうなずいて、広縁《ひろえん》の方へ歩み出した。すると、庭の月明がみるみる昏《くら》くなり、小雨がそぼ降りはじめ、その縁にぼんやり坐っている女の影が浮かびあがった。それが以前に死んだはずの妻であることを知ると、さしもの梟雄《きようゆう》松永弾正も思わず蒼然《そうぜん》として、果心居士止めよ、とさけんだ。――と、庭の雨がしだいに消え、月光がさしてきて、そこに寂然《じやくねん》と坐って笑《え》んでいる果心居士の姿が現われたという。――その松永弾正が死んだのが天正五年だから、少くともそれは二十年以前の話であろう。
また、これは数年前のことだが、奈良の某家で酒宴をひらいているとき、客の中に居士と懇意の者があって、今宵《こよい》居士はこのちかくに来ているはずだから、ここへ呼んで居士の幻術を御見《ぎよけん》に入れようといった。やがて果心がやって来た。そして客の中で、なお居士の幻術に疑いを懐《いだ》くひとりの男にむかい、世に神変のことあるを疑いたもうな、といいながら、楊枝《ようじ》でその男の歯を右から左へ撫でた。するとたちまちその歯はふらふらと浮き出して、いまにもぬけおちんばかりになった。男が仰天して悲鳴をあげると、居士は、これでおわかりか、といって、ふたたび楊枝でその歯を左から右へ撫でた。すると、浮いていた歯はひしひしとかたまって、もとのようになった。――
その一夜の客の中に、木村常陸介がいた。彼は実際にその怪異を目撃したのである。
が、飄然《ひようぜん》として去った果心居士を、噂にまさる老幻術師、と舌をまきながら、彼はそれを追おうとはしなかった。当時彼は、太閤《たいこう》の甥《おい》として、いや唯一の後継者として関白職についたばかりの秀次を主君にもって、得意絶頂のときにあり、そんな怪力乱神をなんら必要とはしなかったし、その老人に、何やらいたずらめいた、悪魔的な翳《かげ》を看取したからである。むしろ、世に害をなす人間、とそのとき彼はかんがえた。しかし果心という幻術師は、いったい何を目的として生きているのか、どこの大名にも仕えたという話をきかず、ときどき風のように諸所に現われて、気まぐれに奇怪な術を披露して人々をおどろかせるだけで、べつに大した害もしないようであった。
ところが――事態は変った。常陸介の方で変ったのだ。正確にいえば、彼の主君の立場に急変が生じたのだ。
三年前、愛児|鶴松《つるまつ》を失った秀吉は、五十九歳という年から、もはや血肉の子をあきらめて、甥の秀次を後継者にえらび、関白を譲った。同時に秀次に譲られた聚楽第《じゆらくだい》には、人々が雲集した。しかるに去年、あきらめていた太閤に、また一子|拾君《ひろいぎみ》が生まれたのである。
ほとんど露骨ともいうべき変化が太閤に現われたのを、秀次も常陸介も肌で知った。彼らが不安と不快をおぼえたのは当然である。秀次は、不安や不快を超えて、苦悶《くもん》をすら感じはじめたらしい。世間に、彼の乱行が、戦慄《せんりつ》とともにささやかれ出した。一年もたたぬうちに、太閤対関白の関係は、いまやだれが見てもぬきさしならぬ破局的様相をおびてきていた。
木村常陸介は秀次をいさめた。無益であった。太閤へのとりなしも働きかけた。無効であった。関白|帷幄《いあく》の謀臣といわれた常陸介が、いかなる努力も権謀もほとんど歯が立たぬ運命の圧迫をおぼえた。そして、突然彼は奈良で見た大幻術師果心居士のことを思い出したのである。
常陸介は果心居士を必要とした。居士をおいて、関白を救う者はないとまでかんがえるようになった。すでに魔界にいるといっていいこのごろの秀次を助け出すには、この幻怪の魔人果心居士のほかにない。――
しかし、常陸介は、果心という人間をよく知らないのだ。むしろ、皮肉で、いたずら好きな老悪魔という第一印象を持っているのだ。常陸介は果心が、世の常の徳目を以て秀次に説くことを期待したのではない。ただ、魔道には魔道を以て、とかんがえたにすぎない。しかし、彼自身も意識せぬ心の底には、果心に対してもっと恐るべき談合の成立を期待していたかもしれなかった。
ところで、果心という人間は、ふだんどこにいるのか、誰も知らない。溺れる者は藁《わら》をもつかむ心で、常陸介は奈良で果心を知っているという例の知人に、もし居士と逢うようなことがあれば、是非京の聚楽第を訪れてくれるように依頼しておいた。半年前のことだ。
心中必死に願いつつ、しかもなかばあきらめていたその果心がやって来た。
四
「ところで、関白さま、そもいかなるお心で、かようなものを御覧あそばしますか」
と、果心は、庭にくりひろげられた妊婦の解剖風景に眼を投げたままきいた。
「ただ、腹の中のやや[#「やや」に傍点]が見とうてか」
「それもある。が、そればかりではない」
秀次は血に酔いすぎて、むしろ醒《さ》めたような蒼白《そうはく》な顔でこたえた。
「果心、わしのこの世に生きておるのは、もう長うはない」
果心はその意味を問いかえしもせず、秀次に眼をもどしている。秀次は地にしみいるようにつぶやいた。
「ふたたびとは来ぬ人生に、わしは人間というものの極限、ぎりぎりの魔相を見ておきたいのだ」
そして笑った。
「その方の破天の幻法も、よもやこれほどの地獄相は見せられまいが」
「仰せの通りでござりまする」
果心はこたえた。澄ました顔で、それっきり何もいわないので、秀次はかえって果心に不審の眼をむけた。
「果心、そちはわしに何を見せに来たのか」
幻術師果心を呼んだ、とは愛臣木村常陸介からきいてはいたが、もとより秀次は常陸介の真の意図を知らない。ただ果心の幻術を座興として見せるために呼んだものとかんがえている。
ふいに、琵琶法師に眼を移していった。
「その男を見せに来たのか」
「左様」
「わしに恨みをいうためか。……いわせて見ろ。きいてやろう」
秀次の眼には、冷笑とも虚無ともつかないものがあった。それから、顔を横にむけて、
「刈萱《かるかや》、ここへ参れ」
と、いった。
この座敷には、関白だけがいたのではない。最初から十数人の愛妾《あいしよう》らしい美しい女性や侍女や小姓たちも侍っていたのである。ただ彼女たちは、庭に大の字になって、まだ生きてはいるが死んだような妊婦と同様な虚《うつ》ろな眼になって、寂《せき》として坐っていたのであった。
「来いと申すに。そなたの亭主が来たというではないか」
秀次はもういちどさけんだ。
これがほとんど魔王の命令にひとしいことは、そこにいた侍妾たちが微風に吹かれたように動揺したことでわかった。しかし、だれひとりとして立つ女がいない。それでも果心には、刈萱という女がどれかわかった。侍妾のそよぎの中に、ただひとり蝋《ろう》みたいにうごかぬ女があったからだ。
「果心さま」
と、琵琶《びわ》法師がささやいた。
「殺生関白はまだここへお出になりませぬか? 関白どのはそこにおわしませぬか」
つんぼにされた盲《めくら》法師は、それらしく痴呆《ちほう》的な顔を、ゆらゆらと左右にゆりうごかした。つんぼでも盲でも、次第に異様な雰囲気を感じはじめたようだ。
蒼《あお》ざめて、木村常陸介がいった。
「果心どの、その男をいつから御存じか」
「けさのことで」
果心居士はけろりとこたえた。
「片腕の琵琶法師とは珍しいと思うて、つかまえて、その由来をきいた次第でござる」
――一年ばかり前のことだ。関白秀次は北野天神へいって、そのときこの琵琶法師にゆき逢った。たった一年前のことだが、別の人間のように若く美しい盲法師であった。一人ではなかった。女をつれていた。その女のあまりな美しさに、秀次はそれを聚楽第《じゆらくだい》につれてくることを家来に命じた。狂乱したように追って来た法師の腕を、秀次みずからうち落したのだ。さらって来た女刈萱から、彼女がその法師|鴉丸《からすまる》といっしょになって間もない妻であったことを知った。……
「御覧のごとく琵琶は背負っておれど、片腕で琵琶のひける道理がなく、乞食《こつじき》物ごい同然、当人が申すには、ただいつの日か妻をとりもどさんがために、その望みだけに生きて、日毎《ひごと》夜毎、この聚楽第のまわりを遠くめぐりつづけておったということでござるわ」
果心がいったとき、法師の鼻がひくひくとうごいた。
「果心さま、そこらに女房がいるのではござりませぬか? 刈萱がいるのではござりませぬか?」
「返しておやりなされ」
と、果心が微笑して秀次を見た。
「女房をこの男に返しておやり下さるならば、拙者、お礼に面白い幻術を御見《ぎよけん》に入れ申そう」
「なに、幻術を?」
と、秀次は眼をひからせた。
「果心、いかなる幻術を」
「苧環《おだまき》」
五
果心はかえりみて、
「いつぞや奈良で、生花《せいか》の幻法をお見せいたさなんだかの、常陸介どの」
「生花の幻法? いや、拙者の拝見したのは、楊枝《ようじ》を以て人の歯をおとす術でした」
「左様か」
果心はうなずいて、
「生花の幻法と申すは、瓜《うり》の種子《たね》をまいて、一息か二息つくあいだに蔓《つる》をのばし、花を咲かせ、瓜をならす術でござるが、苧環《おだまき》の幻法は、これを人間で見せるものでござる」
そういわれても一同は、判断を絶したこの老幻術師を見まもっているばかりだ。
「刈萱さまとやらを、まことにお返し下さりましょうか、関白さま」
「返す、……いや、あの女もう要らぬ」
「では」
果心は、琵琶法師鴉丸の両耳に指を入れた。
「法師、おんまえにあるは、関白さまであるぞ」
そうきくまえに、法師の耳のきこえ出したことは、その表情でわかった。かえって、そうきいて、彼は愕然《がくぜん》とうごかなくなったのである。
果心はいった。
「関白さまに逢《お》うたら、かなわぬまでもそののどぶえにかみつき参らせん――と、その方は申したな。しかし、それはよすがよい。関白さまは、前非を悔いなされて、女房を返してやろうと仰せられる」
「刈萱を!」
と、法師はさけんだ。
「刈萱を返して下さるものならば、どんな恨みをも捨てまする。どのようなことでもいたしまする。果心さま、か、刈萱はどこにおるのでござりまする?」
「鴉丸、女房が返るならば、どのようなことでもすると申したな」
果心居士のしずかな声にこもるぶきみさに、何かぎょっとしたとみえて、法師はしばらく口をあけたままであったが、すぐに、そのひざにすがりついた。
「はい、どのようなことでもいたしまする。早く、早く、刈萱をこれに」
「いや、おまえにとって悪いことではない」
と、果心はやさしくいった。
「第一に、おまえの斬られた腕を生やしてやろう。……第二に、おまえの盲となった眼をあけてやろう。……おまえは、まだ恋女房の顔を見たことがないといったな。見たかろう。それをおまえに見せてやるのじゃ」
「…………」
「一年前のおまえにかえしてやる。しかも、眼のみえる鴉丸にじゃ」
「…………」
「ただし、そのためには、ここで女人《によにん》とまぐわいをせねばならぬ」
あっけにとられたのは、法師ばかりではなく、そこにいた人すべてであった。果心は秀次を見た。
「おゆるし下さりましょうか、関白さま」
「……ゆるす、ゆるす」
眼を見張っていた秀次の顔に、強烈な好奇の色がひろがって来て、
「それが、果心、苧環《おだまき》とやらいう幻法につながるのか」
「その通りでござりまする」
「……まぐわいをする女人とは、刈萱か」
「いや、ちがう女人でござります。どなたかおひとり、御不要の女人をお貸し下さりませ」
「不要の女人?……そこにまだ生きておる孕《はら》み女では成らぬか」
「相つとまりませぬ。孕み女ゆえ、もはや孕むことができませぬゆえ」
「その法師にまぐわいさせて、女を孕ませると申すか」
「左様にござります」
「孕まして……どうする」
「あとは、苧環を御覧なされ」
秀次はしばらく沈黙して、ただ眼をひからせていたが、やがてその眼を左右に移して、
「小車《おぐるま》、出い」
といい、さらに声をはげました。
「出ぬか、伴作《ばんさく》、小車をひきずり出せ」
小姓のひとりが立ちかけた。ひとりの女が、突風に吹かれたようによろめき立ち、ふらふらと歩み出して来た。
果心はながいあごをしゃくった。
「では、そこの庭の俎《まないた》の上にでも寝ていただこうか。左様、そこの女人の骸《むくろ》をひとつとりのけて――骸とそっくりに寝ていただけば好都合でござるな」
六
茜雲《あかねぐも》というより、もう紫色になった空の下で、一糸まとわぬ姿となった女人に、おなじ姿となった男が重なった。そのしとねとなった俎の血も紫色に変っていた。
すでにふたりは、魔界の人間にあやつられている人形であった。愛妾《あいしよう》小車は殺生関白に、盲法師鴉丸は果心居士に。
果心居士は、秀次とならんで縁側に出て、端坐した。
「鴉丸は二十五歳と申したな」
秀次は果心がつぶやくのをきいた。
「それでは、二十四」
そして果心が、ひざの上ににぎった左手のこぶしに、ゆるやかに右手の人さし指をさし入れてはこれをぬき、それをくりかえしはじめたのを秀次は見た。
同時に俎の上で、琵琶法師は、彼の愛妾を犯しはじめたのである。恐ろしいほど――通常の人間にはたえきれぬほど緩慢な速度で――秀次は、それが果心の手の動きとまったく調子を合わせているのを見た。
紫色の血俎《ちまないた》の上に横たわった白蝋《はくろう》のような女身、それに重なった垢《あか》だらけの痩《や》せこけた法師、それを両側から、死んだ眼で見ている腹を裂かれた孕み女。――すでにこの世にあり得る光景ではない。しかし、法師と愛妾はうごいた。うごくともみえぬほどのゆるやかさであったが、法師はたしかに愛妾を犯しつつあった。果心の指がこぶしに十回入るのに半刻を要するほどの速度であった。
十度、指と拳《こぶし》が相ふれたとき、琵琶法師のからだが徐々に鉛色に変りつつあるのに秀次は気がついた。
十五度目に、小車の腹が異様にふくらんで来ているのを見た。重なっているのでよく見えないはずなのだが、法師のからだが半円形に曲がって来たので、それがわかったのである。
「鴉丸《からすまる》は、すでに死んでござる」
と、果心がいった。
「なに、法師は死んだ?」
しかし、琵琶法師はまぎれもなく、春の潮のごとく腰をうねらせていた。果心は平然と手をうごかしつつつぶやく。
「鴉丸の子は、女人の胎中にあり、すでに十七歳。……」
「鴉丸の子……十七歳の子が、小車の腹中におると申すか」
「子というより、新しい鴉丸といった方がよろしかろうか」
二十度にいたって、琵琶法師のからだは黒ずみ、しかもその輪郭があいまいになった。全身が液体化して来たような感じであった。しかも、その奇怪な物体はなおゆっくりと波うちつづける。
「二十二歳」
法師のからだは、もはや人間の原形をとどめてはいなかった。それは黒い水のようにしたたり出し、俎をながれ、地にしみはじめた。
「二十四歳」
果心の声ばかりだ。ものみなすべて、寂寞《じやくまく》としていた。
すでに鴉丸の姿はなかった。それは黒い粘液と化して、小車の方にまぶれついているだけであった。――いや、あれは小車の方《かた》であるか? いつのまにやら腹部の膨満《ぼうまん》は消えていたが、代りにからだぜんたいが、ぼやっと大きくなったようであり――黒い粘液にまみれているため、顔はもとより、肌の色さえさだかではなかったが、それは女ではなく――どこやら朦朧《もうろう》と、男の姿を現わし出しているようであった。
「鴉丸、世に出でよ」
果心居士はさけんだ。
同時に、小車の方は、ニューッと立ちあがった。
立ちあがるとともに、その髪は腐ったようにぬけおちた。からだにまぶれついていた黒い液体は地におちた。それはしたたるというよりも、乾いた薄片と化して散ったという感じであった。液体のみならず、全身の皮膚そのものが蛇のぬけがらみたいな薄い皮となり、卵のようにひび[#「ひび」に傍点]が入り、それがすべて剥《は》げおちた。
そこに立っているのは、はだかではあるが、若い美しい法師であった。彼の左手は生え、両眼はあいていた。彼は茫乎《ぼうこ》としてあたりの景観をながめまわし、ありありと恐怖の色を浮かべた。
「ここはどこじゃ?……これはどうしたことじゃ?」
「鴉丸、おまえはわしを知るまい」
と、果心は微笑していった。
「いや、いくらかんがえても、ここがどこか、どうしてここに来たのかも知るまい。そこにおるのは、一年前のおまえじゃからの。従って、説いてもわからぬ。ただ、女房、刈萱《かるかや》だけをつれてゆけ」
「おお、刈萱!」
鴉丸はさけんだ。いちばん大事なものをまず思い出したといった表情であった。果心がいった。
「刈萱はここにおる。……ここの女人の中におる」
鴉丸はとび出るような眼で、座敷に居ながれた女たちをながめやった。しかし、その表情にはなんの思いあたる衝動も浮かばなかった。
「鴉丸どの、わたしです」
さっき、立とうともしなかった刈萱がよろめき出した。細面の蒼白《あおじろ》い皮膚をした弱々しげな美しい女であった。
「これは、夢を見ているようじゃ。そこにいるのは、眼はあいているけれど、別れたときの鴉丸どのではないか。わたしです。わたしが刈萱です」
「――ちがう」
鴉丸はくびをふった。
「刈萱は、そんな顔をしていない。刈萱はどこにいる?」
突然、彼はもう蒼い残光をとどめているだけの空をふり仰ぎ、
「おお、刈萱は――北野だ。ふたりで、北野にいった!」
と、さけんだ。そして、
「刈萱よう。わしの女房の刈萱よう」
と、かなしげな声で呼びかけながら、ふらふらと庭の彼方《かなた》へ駈け出していった。……
七
「一息か二息つくまに、瓜《うり》の種子《たね》から蔓《つる》が生えて瓜をならすと同じわざ、と申した意味がおわかりか」
「…………」
「鴉丸の種子は、三つ数えるまに女子の子宮《こつぼ》で育ち、さらに二十四数えるまに女人の体内で、二十四歳の男に変ったのでござる。人の親はすべて子の肥《こや》しでござるから、いまの無惨ななれの果ては、親たるものの運命の相《すがた》でござりまする」
「…………」
「関白さまは、女人の胎内より子をひきずり出されましたゆえ、果心は即刻女人の胎内に子を吹きこませて御覧に入れたのでござりまする。ふしぎでござるか、関白さま。もしいまのわざをふしぎと思召《おぼしめ》すならば、九月《ここのつき》のあいだに精汁より子供を作る女人のわざの方がもっとふしぎ」
「……そのわざを、なぜ苧環《おだまき》というか」
「いにしえのしずのおだまきくりかえし昔を今になすよしもがな。――くりかえすからでござるよ。輪廻《りんね》の車を一瞬にまわし、鴉丸を転生《てんしよう》せしめただけのこと」
果心居士は永劫回帰《えいごうかいき》の思想をのべたのであるが、秀次にはもとよりわからない。せきこんできいた。
「眼があき、手が生えていたのはなぜだ」
「鴉丸は生まれたときは眼があき、手も生えており申した」
「女房の刈萱を見ても知らなんだのは?」
「きけば、七つのとき盲《めしい》となったとやら。女房の顔を知らぬはずでござる。そこな刈萱どのも、関白さまにさらわれるほどお美しゅうござるが、あの琵琶法師のつぶれた眼には、それよりもっと美しい、この世のものならぬ女人の姿が闇《やみ》にえがかれていたことでありましょう。……あれは、これから永遠にその幻の女房を求めてさまよい歩く。眼があいたのが、あの男にとってまことに倖《しあわ》せであったかどうか、これはまた疑わしゅうござるて」
果心のどじょうひげが、皮肉な笑いにゆれた。
「女房をとりもどして進ぜるとつれては来たが、或《ある》いはかようなことにもなろうかと思うておった。いや、果心のすることは、いつも無用無益のわざでござるよ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
梟《ふくろう》みたいに笑って、立ちかけた。
「では」
「待て」
秀次は呼びとめた。
「いまの琵琶法師は、一年前の琵琶法師。あれから一年のことは、きゃつにとって何もないも同然じゃな」
「いかにも」
秀次の眼は、何か深淵《しんえん》でものぞきこむように坐っていた。果心に視点をもどした。
「生まれ変らせるのは、一年前にかぎるか」
「生きて来た年までは、いつのときでも思うがままでござる」
「わしを生まれ変らせろ」
と、秀次はいった。木村|常陸介《ひたちのすけ》は、心中あっとさけんで秀次を見た。
秀次は、果心のひざに手をかけた。
「居士、たのむ。わしを苧環《おだまき》の術にかけてくれい」
果心は、しばし黙然《もくねん》として、蒼《あお》い関白の顔を凝視していたが、やがていった。
「生まれ変ると申されて、別人に変ることは成りませぬぞ。おなじ関白さまでござりまするぞ」
「別人ではいやだ。あくまでこの秀次だ。――ただし、以前の秀次にもどりたいのだ。果心、わしはもういちどやりなおしがしたいのだ」
「――いつごろの関白さまに」
「十年前――いや、あれは小牧長久手《こまきながくて》のころか」
秀次は身ぶるいをした。小牧長久手のいくさに大敗して、叔父《おじ》の秀吉の凄《すさま》じい折檻《せつかん》を受けたことを思い出したのだ。
「五年前――三年前――いや、二年前でよい」
それは彼が関白について得意満面のころであった。太閤《たいこう》には子がなく、期待を彼の一身にかけ、その未来はまぶしいばかりのひかりにみちていた。
果心はうす笑いした。
「関白さま、たとえ関白さまは二年前におもどり遊ばそうと、ほかの人間はもどりませぬ。……太閤さまもおなじでござるぞ。よろしいか」
「心得ておる」
秀次はうめいた。
「それでよい。わしが変りたいのだ。……わしが変れば、ほかも変る」
じぶん自身にいいきかせ、祈るようなつぶやきであった。果心のひざに手をかけたまま、彼はおのれの身分をも忘れたような、いや、少年のような必死の眼色になっていた。
「二年前――一年半ばかり前から、わしの運命は狂い出した。わしは、やりそこねた。太閤に逆らいすぎた。太閤を甘く見すぎておった。そのために、いまぬきさしならぬ事態におちてしまった……」
「その一年半のあいだになされた殺生関白としての御行状は、太閤殿下のお胸に刻まれて消えはしませぬぞ、よろしいか」
「それは、やむを得ぬ。おゆるしなくば、もともとだ。……しかし、やりようによっては、太閤はわしをゆるされるであろう。もともと、叔父上はわしを憎うは思召《おぼしめ》されてはおらぬ。憎んでおりなされば、はじめからわしを後継者にはなさらぬ。あのお方は、母君が八十歳にしてお亡くなり遊ばしたとき気絶なされたほど多感なおひとだ。肉親の者に対する情愛の濃厚さは、だれよりわしが身を以て知っておる。わしが叔父御にうとましいものと思われ出したのは、いうまでもなく拾君《ひろいぎみ》がお生まれなされたからだ。それは当然だ、といまにして思う。ところがわしは、それまでの叔父御のわしへの愛に眼がくらんで、人の心の計測を謬《あやま》った。ひとたびわしに関白を譲りながら、わが子が生まれたからとて、手のひらをかえすような御仕打ちは、人間として何事ぞ、と太閤を恨み、軽蔑し、抵抗し、狂乱した。そしていまや、その方も察しておるような破滅的な様相を招来したのだ。いまなら、拾君のお生まれなされたとき、恬淡《てんたん》に関白をなげうち、もと通りの太閤の甥《おい》としての一大名にもどるべきであったと思う。わしは、それにもどりたいのじゃ、果心」
「それほどまでにおかんがえならば、いま太閤のおひざにすがられて、いまのお心を素直にお訴え遊ばさばよろしゅうござりましょうが」
「それが、できぬ。人間というものは、そうはならぬのだ」
「なぜ?」
「この一、二年のあいだにつみ重なった怨恨《えんこん》、未練、執着、憎悪、誤解などのもろもろの悪念は、いまやわしに粘着し、内部から外部までこわばらせて、殺生関白と世に恐れられるほどの魔相の鎧《よろい》をつけさせておる。このまま、いっきょにそれをぬぎすてて、はだかになる、わしという人間はそう出来てはおらぬ」
「なるほど、そういうこともござろうな」
「悲劇のもとは、わしなのだ。そう承知しておっても、当人はどうにもならぬのだ。その呪わしい鎧を、苧環《おだまき》の幻法をかりてぬぎすてたい。人は、じぶんが変れば、相手も変るものだ。もともとわしを愛されておった太閤だ。わしが以前のわしにもどれば、あのお方ももどられる。そういう確信がある。いや、すべてを変えてみせる」
「なるほど、そういうこともござろうな」
「果心、それよりほかに、いまのわしを救う道はない。もし、手遅れになったとしても、それならあきらめがつく。しかし、いま、そちの大幻法をまざまざと見て、これを使わぬのは心残りじゃ。果心、願いじゃ、わしを二、三年前のわしにもどしてくれい。わしはすべてをやりなおす。……」
「――殿」
と、木村常陸介がひざをすすめた。最初、秀次の唐突な思いつきをきいたときは、何たる大《だい》それたことを、と驚愕《きようがく》し、狼狽《ろうばい》したが、このときようやく、主君の望みのもっとも千万なことを理解したのだ。しかし。――
「しかし、二、三年前の殿におもどりなされたことを、いかにして太閤さまがお信じなされましょうか? 殿の御乱心、或いはそらっとぼけの計略だとお疑いなされるのがおちではござりますまいか?」
「……治部《じぶ》を呼べ」
と、秀次はいった。治部とはいうまでもなく太閤の寵臣《ちようしん》石田治部|少輔三成《しようゆうみつなり》であった。
「治部にまざまざと果心の幻法|苧環《おだまき》を見せよ」
木村常陸介は、必死の眼で果心を見た。
「果心どの、おききとどけ下さろうか」
果心居士は、例の皮肉で、いたずらっぽい笑いを、ニヤリとどじょう髭《ひげ》にえがいた。
「御辺《ごへん》が果心を招かれたお心が、それではれますならば」
三日後、聚楽第《じゆらくだい》に呼ばれた石田三成は、果心居士にひき合わされ、秀次と木村常陸介からこもごも幻術「苧環《おだまき》」のことをきかされても、当然、容易にこれを信じなかった。
「まず、事実を見よ」
といって、秀次はみずから衣服をぬぎすてた。相手は寵妾《ちようしよう》のひとり薄雪《うすゆき》のおん方であった。ふたりはまぐわい、幻法「苧環《おだまき》」はまわりはじめた。秀次は薄雪の腹上で息絶え、腐り、液汁と化した。果心は、拳《こぶし》に指をゆるやかに二十六度ぬいてはさし入れた。秀次の年齢がことし二十八歳だからであった。
そして、薄雪のからだを割って、二十六歳の秀次が新生した。さしもの三成も、まるでうなされるような眼を凝然《ぎようぜん》と剥《む》き出して、この大怪異を見つめていた。
「殿。……」
木村常陸介がはせ寄った。かねての手はず通りに、
「殿、豊家《ほうけ》のためにおよろこび下され、淀《よど》のおん方に、御懐胎のおんしるしがあったとのお知らせでござりまするぞ。……」
と、いった。すると――喜色を浮かべるべき秀次の相貌《そうぼう》が、さっと恐怖と絶望と憎悪に蒼《あお》くくまどられた。
彼はきっと大坂の方をふりむいて、
「常陸介、刺客を送って淀のおん方を殺せ!」
と、さけんだ。
八
その年の末、竣工《しゆんこう》成ったばかりの伏見城の大手門に、忽然と鶯茶《うぐいすちや》の道服を着た、顔のながいひとりの老人があらわれて、
「石田治部少輔どのにお伝えを願いたい」
と、いった。
「お召しにより、南都の果心が参上仕りましたとな」
やがて、倉皇《そうこう》として出て来た三成にみちびかれて、果心居士は伏見城の奥ふかく入っていった。……この夏、聚楽第で――三成がはっとわれにかえったとき、果心の姿はすでに座になかったのである。ただ、庭の彼方《かなた》とも空ともつかぬあたりで、「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」という梟《ふくろう》のような笑い声がきこえてきたばかりであった。
爾来《じらい》、三成は果心居士を探し求めた。速急に彼を呼ぶ必要を彼はおぼえたのだ。死びとのようになった木村常陸介から、三成は奈良に於《お》ける果心の知人をきいて、そこに連絡した。しかし、果心居士は魔天のどこかへ飛び去ったかのように、姿を現わさなかった。
「いや、このお城がいちど拝見いたしとうてな」
三成に案内されながら、果心はいった。
黄金《きん》で瓦《かわら》をふいたこの巨大な城を、太閤はこの一年で築いた。人夫だけでも二十五万人を動員したといわれる。一方では、ここ三年、征韓《せいかん》の役をつづけながらである。
「……果心の幻術など、何ほどのことがあろうや」
歩きつつ、老幻術師はひくく嘆声をもらした。
果心は太閤のまえにまかり出て、くぼんだ眼窩《がんか》の奥から、眼をまるくして、ややしばらく太閤をながめた。わずかこの十年余のあいだに天下を一統し、大坂城を作り、聚楽第を建て、さらにこの伏見城を築き、はては海を越えて大明《だいみん》征服の大軍を追い出したこの破天荒の英雄は、実に醜陋《しゆうろう》なる一|老爺《ろうや》にすぎなかった。いや、秀吉が顔貌鼠《がんぼうねずみ》に似て体躯矮小《たいくわいしよう》であることは生来のものであるが、果心が凝視したのは、この小さな巨人が、あまりにもやつれはて、老いこんで、すでに死相をすらおびて見えたからであった。
「果心」
と、秀吉はいった。
「その方の幻術のこと、治部よりきいた。その苧環《おだまき》とやら申す術を、余にかけてくれい」
果心が黙然《もくねん》としていると、秀吉は笑っていった。
「そちにもわしの衰えは見えるであろう。が、わしはまだ死なれぬ。朝鮮でのいくさのこともある。幼い拾《ひろい》のこともある。それに……世は、このような女どもにみちみちておるというのに喃《のう》」
|蹉※[#「足+它」、unicode8dce]《さだ》として老いさらばえた太閤は、むせかえるように若く美しい女たちの花々にうずもれていた。――しかし果心は、この衰死とも見える老人の笑った眼が、それだけぎらぎらと熱っぽくかがやいているのを見て、やはりこの人物の異常な力を感得しはじめていた。
「もし、わしを若返らせてくれたならば、その方に聚楽第をつかわしてもよいほどに思うておるぞ」
果心はうすく笑った。三成がいざり出て、手をついて彼を見あげた。
「お願いでござる、果心どの、拙者がかねてより御辺《ごへん》を探し求めておったのは、ただこのことをお頼みいたさんがためじゃ。――どうぞ、ききとどけて下され」
「念のために承っておきたいが、いつごろの太閤さまをお望みでござろうか」
と、果心はやがていった。
「やっ、きいて下さるか」
「ただし――征明《せいみん》の兵をひきあげなさるならば。あれはたわけたいくさでござる」
秀吉はしばらく炯《けい》たる眼光を果心にそそいでいたが、ふいに、
「果心、その方は唐人《とうじん》ではないか?」
と、さけんだ。
果心は黙して答えなかった。
「兵は退《ひ》こう。退いてもよいぞ」
ややあって、秀吉はうめくようにいって、うなずいた。
「では、苧環《おだまき》の幻法にかけて、十年前のわしにかえせ」
「天正十二年、小牧長久手のころでござるな」
太閤の顔に、すうと不快の色があらわれた。
「いや待て、二十年前のわしじゃ」
「二十年前、殿下が江州《ごうしゆう》小谷を攻められ、淀《よど》のおん方の父君、浅井|長政《ながまさ》どのを殺されたころでござるな」
「待て」
太閤はくびをふって、しゃがれ声でいった。
「おなじことなら、まだ若いころの方がよい。三十年前。――」
「といえば、太閤殿下はまだ清洲《きよす》にあって、織田《おだ》どのの足軽長屋に住まわれていたころではありますまいか。――あいや、殿下、幻法苧環がめぐりもどすは、殿下のお年のみのこと、外界の相がふたたびもとにかえるということはござりませぬが」
「いや。――それにしても、そのころのわしにもどるのは」
太閤は、宙を見ていた。その眼に、はじめて見るといっていい恐怖と嫌悪の色がにじみ出しているのをはっきり見て、三成は衝動を受けた。一生栄光にみちたその生涯のうちでも、それはいまでも夜咄《よばなし》に、太閤みずから誇る天馬|空《くう》をゆく時代ではなかったか?
「四十年前」
と、秀吉はいった。
「殿下が、針の行商人として諸国御放浪のころ」
「果心!」
と、秀吉は叱咤《しつた》した。
「うぬはさるにても妖《あや》しき奴、秀吉を嘲弄《ちようろう》に来たか」
「嘲弄はいたしませぬ。事実でござる。思いかえして御不快になるは、殿下おひとりのお心のこと。……殿下、どうやら苧環《おだまき》をめぐりもどすはやめた方がよろしいようでござりまするな」
するすると坐ったまま果心居士が遠ざかるように見えて、秀吉は手をさしのばしてさけんだ。
「待て、果心」
「いかに栄光にみちた人の一生も、仔細《しさい》にふりかえれば、いずれのころも、悪念、裏切り、奸謀《かんぼう》、恥辱、慟哭《どうこく》、血と膿《うみ》と涙にまみれておる。――果心、おかげで人間の学問をいたした」
「治部、きゃつをとらえろ」
しかし、このとき、黄金の天井、壁の照り返しのうちに、果心居士の姿はふっと消え、ただ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、という梟《ふくろう》に似た笑い声のみがひびいた。
「人はすべて青春を恋う。おのれの人生をいまいちどと祈る。が、もし、人がおのれの人生をふたたびたどれといわれたら――これに戦慄《せんりつ》せぬ人間がござろうか。これ以上の地獄がござろうか。いにしえのしずのおだまきくりかえし昔を今になすよしもがな。――いや、いや、いや! めったなことで、苧環の幻法をお望みなさるな。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
[#改ページ]
忍法破倭兵状
一
「九月十六日。
賊船その数を知らず、ただちにわが船へむかうという。すなわち諸船をして碇《いかり》をあげて海に出でしむ。賊船三百三十余隻、めぐりてわが諸船を擁《よう》す。諸将みずから謀《はか》るに、衆寡《しゆうか》敵せずと、すなわち回避の計をなす。
余、従容《しようよう》これにさとしていわく、賊船千隻といえどもわれに敵するなし、切に心をうごかすなかれと。余、櫓《ろ》をうながして突撃し、銃筒を乱放すること風雷のごとし。かえりみて諸将の船を見れば観望して進まず、船を回《かえ》さんと欲す。余、船上に立ち叫んでいわく、なんじら軍法に生きんと欲するか。逃れていずれのところに生きんとするやと。
両軍ただちに鉾《ほこ》を交《まじ》う。降倭《こうわ》の俊沙《しゆんさ》なるものわが船上にあり、俯視《ふし》していわく、紅の錦衣《きんい》を着る者はすなわち賊将|馬多次《またじ》なりと。われ兵をして鉤《かぎ》を以て敵船に上らしめ、馬多次を寸斬《すんざん》せしむ。賊、気大いに挫《くじ》く。諸船一時に鼓噪《こそう》し、ひとしく進み、矢を射ること雨のごとく、声|河岳《かがく》にふるう。賊船三十隻|撞破《どうは》し、退き走り、さらにあえてわが師に近づかず。水勢極めて険なり。陣を唐笥島《とうしとう》に移す」
これは朝鮮水軍統制使|李舜臣《りしゆんしん》の「破倭兵状《はわへいじよう》」、すなわち日本軍を破った戦闘報告書の一つである。この報告書中にある賊将馬多次とは、日本水軍の将|来島《くるしま》出雲《いずもの》守通総《かみみちふさ》のことである。
倭暦《われき》にして慶長二年九月十六日、全羅《ぜんら》南道沖の珍島|鳴洋峡《めいようきよう》に於《おい》て日本水軍を撃破した朝鮮水軍は、凱歌《がいか》をあげて根拠地たる唐笥島に集結した。
勝利のあとである。どの船も酒歌の声が高かった。ひるまの海戦での疲労も甚《はなは》だしかった。――西の黄海の水平線を血色に染めた壮大な夕焼けもしだいに蒼《あお》みがかってきたころには、全船隊、ただ酔いつぶれたようにしずかにゆれている中に、ただ提督李舜臣の旗艦の上だけに、数人の兵が働いていた。
一見したところ、これを船と思う者はあるまい。海に浮かぶ巨大な亀である。船はいちめんに小山のごとく盛りあがった厚い板に覆われていた。李舜臣が創造した「亀甲船《きつこうせん》」とはこれであった。
彼自身が記している。
「船前に龍頭口《りゆうずぐち》を設け、大砲を放つ。背に鉄尖《てつせん》を立て、内よく外をうかがうも、外、内をうかがうあたわず、賊船数百の中といえども、以て突入して砲を放つべし」
その鉄甲にひとしい板の上で、兵たちは作業をしていた。ひるまの海戦で、日本の水軍はもとよりこの亀甲船を最大の目標とした。無謀にも船を乗りよせ、よじのぼろうとした日本兵もあった。その板にはりねずみのように植えならべられた刀錐《とうすい》に刺されて、彼らはみな死んだが、折れた刀が十数本ある。また彼らの血によごれてもいる。で――この船を、いまは聖器のごとくに愛する朝鮮水軍の兵たちは、日が沈んでもなおあとの修理や洗滌にはげんでいたのであった。
そのひとりが、ふと、すぐ下の海面に妙なものを見た。
一本の笛のような竹筒である。それが波に浮かばないで、垂直に――竹の切口を水からつき出している。
水兵は怪しんで、亀甲の上を這《は》って、それをのぞきこんだ。……その刹那《せつな》、海中の竹筒から銀のほそいひかりが飛来して、彼ののど笛につき刺さった一本のながい針となった。声もあげ得ず、彼は海へ水けむりをあげておちていった。
「……やっ?」
ちかくにいたひとりがそれを見て、むろんその理由を知らず、ただ同僚が足を踏みすべらしたものとみて、あわてて這い寄って来ようとした。
――と、その下の海面に、さっきのものとはちがう竹筒がつき出ていて、それからも銀光が噴出して彼の頸《くび》を横につらぬき、これまたうめきもあげず海へ転落した。
十分ばかりして、海から二本の縄が投げあげられた。その尖端《せんたん》には金具もついていなかったのに、それは音もなく舷《ふなばた》にピタと膠着《こうちやく》し、縄をつたって、二人の男がよじのぼって来た。膠着した位置に達すると、こんどは反対側の縄のはしを投げあげてまたこれを膠着させる。――こうして彼らは、亀甲船の上へ這いあがった。
先刻、海へおちた朝鮮水兵である。いや、服装はそっくりである。しかし、顔はちがっていた。おそらく海中で屍体《したい》の衣服ととりかえたのであろう。ひとりはやや中年にちかく眉《まゆ》のふとい、角《かく》ばった顔の男で、ひとりはまだうら若く、面長《おもなが》で、蒼白《あおじろ》い顔の男で、どちらも精悍《せいかん》きわまる雰囲気をもっていることでは共通していた。
朝鮮兵でこのようなまねをする者があろうとは思えないから、敵に相違ない。――いかにもこれは日本兵であった。
「狐《きつね》、よいな?」
中年の男の方が、むろん日本語でささやいた。船の亀甲板に植えられた刀に気をつけろといったのである。先輩らしい調子であった。若い方は、黙ってうなずいた。
だれが――あの海上で潰滅《かいめつ》した日本水軍から、凱歌をあげて帰還した朝鮮水軍を追って、その根拠地に潜入してくる者があると想像し得ようか。もとより、そんなことにぬかりのないはずの李舜臣提督は、哨戒《しようかい》の船を外洋に残しておいたのである。その哨戒船は、追尾してくる小舟の片影《へんえい》も見なかった。――
ふたりの日本兵は悠々《ゆうゆう》と亀甲船の内部に入った。
日本兵にして、この船の中に入ったのは、これがはじめてであったろう。――さすがのふたりも毛穴がしまるほど緊張し、そして驚愕《きようがく》していた。内部のからくりに対してである。
朝鮮側の記録にこうある。
「船上に板をしきて亀甲の状をなし、その背上に十字の細路を設け、戦士の通行をゆるし、その余は刀錐《とうすい》をつらね挿《さ》しはさむ。前に竜頭を作りて口を銃穴となし、後を亀尾《きび》となして尾下をまた銃穴となす。左右おのおの銃穴六個あり。戦士水夫みな船内にかくれ、四面砲を発し、進退縦横、捷速《しようそく》とぶがごとし。戦うとき茅《かや》の編みたるものを以て覆い、刀錐をして露《あらわ》れざらしめ、敵超登すればすなわち刀錐に陥る。包囲すればすなわち火銃ひとしく発す。敵船中に横行して、みずから損ずるところなくして、向うところみな披靡《ひび》す」
もとよりこの全貌をくまなく偵察したわけではないが、一歩一歩進むあいだにも、内部のからくりのもの恐ろしさは、五感にひしひしと映らざるを得ない。
彼らは一室ごとにのぞいて歩いた。ふしぎにだれにも気づかれなかった。通路で、向うに人影が見えると、彼らは床を蹴《け》って、二羽の蝙蝠《こうもり》みたいに天井に吸いついた。たとえ、目撃されたとしても、服装は朝鮮水軍のものであったし、また日本兵が潜入しているとは想像を絶していることだから、だれも不審とは見なかったであろう。
やがて彼らは一室に端坐している人を見た。年は四十なかばか、白衣を着て、一穂《いつすい》の灯のもとに机にむかって端坐している。横顔は蒼白く痩《や》せて、気品にみちて、提督というより学者といった方がふさわしい風貌《ふうぼう》である。彼が見ているのは、一枚の海図らしかった。
――李舜臣ではないか?
まだ一度もその人に逢ったことがないにもかかわらず、ふたりの日本兵はそう直感した。――その人物をこそ狙って刺客として潜入したのに、しばらくふたりは全身がふるえて、しばらく次の行動に出ることを忘れていた。
ほんの数刻まえ、あれほどの海戦をして来た人物とは思えない。いや、朝鮮|役《えき》はじまって以来足かけ六年、夢魔《むま》のごとく日本軍をおびやかしつづけて来た海将とは思えない。――
しかし、これはまぎれもなくその人であった。戦いに於ては阿修羅《あしゆら》のごとく、戦い終ればひたすら静寂と孤独と思索を好む李舜臣であった。
いま彼は、麾下《きか》全将兵のかちどきの歌と酔いをよそに、また新たな倭軍撃滅の場所をえらんで、海図に思いをひそめている。――とはいえ、さしもの李舜臣もこの夕《ゆうべ》ばかりは油断があった。
「…………」
中年の日本兵が、かすかにあけた扉のすきから離した物凄《ものすご》い眼で、もうひとりの男をふりかえった。相手が蒼白《そうはく》な顔でうなずくのを見ると、彼は例の竹筒をとり出して口にあてがった。
しゅっ……
かすかな音に、舜臣が顔をあげたとき、その左の胸に、三寸はある針がふかぶかとつき刺さった。それは一刻にして馬でも斃《たお》す毒液をぬった針であった。
のどを狙って来た二本目の針を、舜臣は机上の円扇でたたきおとしたが、そのままのけぞった。
「……やった!」
いちど歯をむき出し、三本目の吹針《ふきばり》を飛ばそうとした男は、ふいにそのまま扉の下に崩折《くずお》れた。彼のうなじには、べつの針がふかぶかとつき刺さっていた。
延髄《えんずい》を刺されながら、
「うぬ。……狐め、なにゆえ。――」
と、驚愕《きようがく》のうめきを発したが、そのまま彼は四肢をふるわせてうごかなくなった。
刺したのは、彼の同僚たる若い刺客であった。いちど彼は、立ったままグラリとよろめいたが、そのとき通路の彼方《かなた》から走ってくる跫音《あしおと》をきくと、そのからだが宙に舞い、ふっと消えてしまった。
通路の向うから駈けて来たのは配下の海兵であった。彼は扉の外に倒れている人影に気づき、ぎょっとして棒立ちになったが、服装からみて、まさか日本兵とは思わず、極端に孤独を好む提督の性格をはばかって、
「李舜臣さま!」
と、声をおさえて呼んだ。
「ただいま、弟御《おとうとご》の李竜将《りりゆうしよう》さま、御来船なされてござります」
返事がなく、そこにたおれている人間はもとより奇怪千万で、彼はたまりかねて扉をあけた。
絶叫して、彼は駈け寄った。
二
李舜臣。
家は代々、儒学《じゆがく》を業とした。
舜臣は幼時から英爽不羈《えいそうふき》、群児とたわむれるのに木を削って弓矢とし、意のごとくならざる者に逢えば、その眼を射ようとし、ために大人すらも彼を恐れた。
李家は舜臣にいたってはじめて武将を出した。その人に魅せられて、長官はおのれの娘を彼に配しようとしたが、彼はがえんじなかった。問う者に彼は答えた。
「われはじめて仕路に出づ、豈《あに》あえて身を権門に託して進むことを好まんや」と。
曾《かつ》て獄にあるとき、獄吏私語して、賄《まいない》あらばすなわち免るべしといった。舜臣は怒っていった。「死せばすなわち死せんのみ。なんぞ道に違《たが》いて生を求むべけんや」と。
人となり寡言《かげん》にして、容貌《ようぼう》高雅、修道の士のごとしという。
六年前――倭暦《われき》天正二十年四月十二日、日本軍が侵略を開始するや、疾風|枯葉《こよう》をまくがごとく、五月二日にはすでに京城《けいじよう》を占領した。これに対して第一の痛撃をあたえたのは、海に於《お》ける李舜臣であった。
彼は五月七日、巨済島《きよさいとう》東方海面で日本水軍を破り、五月二十九日から六月五日にわたり、唐浦《とうほ》に於て、日本水軍を全滅させた。
「賊船|奔遑措《ほんこうお》くなく退遁《たいとん》し、賊の半ばは水に投じて沈死す。その中|倭将《わしよう》三十四、五歳、容貌|健偉《けんい》にして服飾華麗なるもの、剣を杖《つえ》ついてひとり立ち、指揮抗戦してついに屈せず。ゆえに、みな力を極めて射てこれに中《あ》つること十余度、はじめて声を失して水に落つ」(唐浦破倭兵状)
この日本の海将は来島半《くるしまはん》右衛《え》門通之《もんみちゆき》である。のちに珍島鳴洋峡で戦死した来島|通総《みちふさ》の長兄である。すなわち、水軍として日本では名高い来島一族は、李舜臣のために兄弟ともに討たれたことになる。
さらに七月十日、閑山洋の海戦で日本船隊百十五隻をことごとく葬り去った。
「けだし倭賊《わぞく》もと水陸を合して進まんと欲す。この一戦によりてついに賊の一臂《いつぴ》を断つ」
と、李朝の重臣|劉成竜《りゆうせいりゆう》がいっているように、もともと水軍を黄海へ推進させ、鴨緑江《おうりよつこう》へ北上する陸兵に海から補給してゆこうとする日本軍の作戦を根本からくつがえしたのはこの海戦であった。
のみならず、この李朝のネルソンともいうべき提督は、爾来釜山《じらいふざん》と対馬《つしま》とのわずか三十|浬《かいり》の兵站《へいたん》線すらおびやかし、ために大陸に派遣した二十万の日本軍を立往生におちいらせ、太閤の征明征韓《せいみんせいかん》の野心にとどめを刺す最大の英雄――日本からみれば、大魔王となった。
海に日本軍と戦って曾て敗れたことのない李舜臣は、いちじ李朝政府内部の党争の犠牲となってその職をとかれた。さきに舜臣が、獄に投じられたといったのは、このときである。するとたちまち朝鮮の水軍は大敗した。彼はふたたび起用された。
果然、彼は敗余の舟師《しゆうし》をあつめて、この倭暦慶長二年九月十六日、鳴洋峡に於て日本水軍を撃破したのである。――数刻前の海戦がそれであった。
その名将李舜臣が殺された!
兵のさけびで、人々が殺到した。そして彼らはそこにあおむけに横たわった人の胸に凄《すさま》じい針がつき刺さり、その四肢も、はや冷たくなりつつあることを知って、李舜臣よりも心臓に激痛をおぼえ、四肢が冷たくなるのをおぼえた。
「何やつのしわざか?」
数瞬の放心状態ののち、だれかそううめいたとき、
「これは、日本兵じゃ!」
そうさけぶ者があった。かたことの朝鮮語であったが、それは降倭《こうわ》のひとりであった。彼は入口のところにたおれている例の刺客の上にかがみこんでいた。
みな猛然とその方へ殺到した。そういわれてみると、その不審な男は、朝鮮兵の姿こそしているが、まぎれもなく倭賊《わぞく》であった。
「やっ。……どうしてここに?」
それよりも人々は、その男のうなじにつき刺さっている異様な針が、李提督の胸に刺さっている針とおなじものであり、かつ完全にその男がこときれているのを知って、動顛《どうてん》した。
「医者を。――医者を。――」
だれか、悲鳴のような声をあげたとき、
「待て。わしが何とかして見よう」
と、しずかにいった者があった。みなその方をふりかえって、
「竜将さま、どうなさる?」
と、さけんだ。
それまで李舜臣のそばにひざまずいてうごかず、ただその胸からぬきとった針をじっと灯にかざしていた人物である。まだ二十五、六であろう、舜臣によく似た端麗な顔をしていた。ただし、兄を学者型というなら、これは詩人型ともいうべき、どこかやさしい、フンワリとした容貌であった。
「兄を甦《よみがえ》らせよう」
と、彼はいった。
これは李舜臣の弟の李竜将であった。
「鸚鵡《おうむ》、おいで」
彼は、さしまねいた。人々の中からしずかに進み出て来たのは、ひとりの若い女であった。蝋《ろう》で刻んだような美しい女である。
彼女を呼んで、李竜将は何をしたか。……人々は、眼を凝然《ぎようぜん》とみはって、提督の弟の展開したおどろくべき行為をながめた。
彼は鸚鵡と呼ばれた女をそこに横たえ、その裳《チマ》をかかげ、じぶんの左手の小指を以て、彼女の女陰《によいん》を擦《こす》りはじめたのである。やがて、灯にかざした指に、半透明の白い乳のようなものがひかっているのを人々は見た。次に彼は、兄の男根をあらわし、これを塗った。さらに、腰にさげていた瓢《ペカチ》から掌に何やらこぼした。十数粒の米であった。それを鸚鵡の口に入れ、かみくだかせると、鸚鵡は李舜臣に顔をかさね、口うつしに死者に食べさせ出したのであった。
そのあいだ、彼は、兵に水甕《みずがめ》を運ばせ、水の上に燈油を入れた皿をうかべ、これに鳥足心《ちようそくしん》という燈心を立てて灯を点じた。……口の中で何やら念じている。
「南無《なむ》大鬼|巫術《ふじゆつ》神……南無小鬼巫術神……南無日鬼巫術神……南無月鬼巫術神……南無青鬼巫術神……南無赤鬼巫術神……南無白帝巫術神……南無黒帝巫術神。……」
李舜臣の蒼《あお》ざめた唇《くちびる》がうごいた。
「倭賊はどうしたか?」
人々はどよめいた。
灯に祈る李竜将には、甦った兄の声も人々のどよめきもきこえないらしかった。その横顔は蒼白を通りこして、透きとおるように見えた。
「南無八難鬼巫術神……南無九厄鬼巫術神……南無死人百鬼巫術神……南無魂魄鬼巫術神。……」
「竜将、いつ来たか?」
舜臣はまた呼んだ。竜将はようやくふりむいた。微笑していった。
「兄上、六年ぶりでございますな」
舜臣はまだ事情がわからず、何よりもじぶんのそばに――この亀甲船《きつこうせん》に見知らぬ女が端坐しているのを見て不審に思ったらしい。じっと見まもっている顔をみて、竜将がいった。
「それは巫女《ムーダン》の鸚鵡《おうむ》と申しまする。……わたしの妻でござります」
――約一年後、日本軍が朝鮮役から総撤退するにあたり、「倭賊、一兵たりとも生かして帰すなかれ」と李舜臣はふるいたち、日本船隊中の島津軍を露梁津《ろりようしん》海峡に捕捉《ほそく》し、これを撃滅する最後の戦闘のさなか、ついに船上で壮絶な戦死をとげることになるのだが、これについて伝説が残っている。
「朝鮮|民譚集《みんたんしゆう》」にいう。日本軍の銃弾をあびた舜臣は、ふたたび起《た》つあたわざるを知ると、「われ死せば、両足の裏に土をつけ、口に餅《もち》をふくませよ」と命じて死んだ。このためなお朝鮮に残っていた鬼上官《きじようかん》加藤|清正《きよまさ》は、いかに占ってみても李舜臣が生きているとしか卦《け》が出ないので、海をわたるに恐怖し、戦慄《せんりつ》したという。
思うにこの伝説は、唐笥島《とうしとう》に於けるこのときの挿話《そうわ》が変形して語りつたえられたのではあるまいか。
三
李舜臣には一人の弟があった。李竜将といった。
年齢がひどくちがうので、舜臣はこの弟をじぶんの子供のように愛した。しかし、この弟は生来|蒲柳《ほりゆう》の質で性質もやさしかった。もともと、李家から舜臣のような武人が出たのが異色だったのである。
それでも舜臣はこの詩人肌で夢想的な弟を愛していた。しかし、この弟が李家に出入りしている巫女《ムーダン》の娘と恋愛しはじめたらしいのを知って眉《まゆ》をひそめた。巫女《ムーダン》は朝鮮で社会的にきわめてひくい、いやしむべき身分のものとされていたからである。
李家にこんな悩みが生まれかけていたとき――六年前、日本軍が来襲した。すべての朝鮮人は武器をとって起《た》った。
「竜将、海へゆけ、わしとともに戦うのだ」
と、まなじりを決して兄はいった。
弟はうなだれたまま、黙していた。兄は声をはげました。
「おまえは兵になることはいやか。この国難を知らないのか?」
弟は顔をあげていった。
「存じておりまする。しかし、わたしはわたしなりに倭賊《わぞく》を滅ぼす助けとなりたいと思います」
「おまえなりの?」
きいたが、答えなかった。答えても、理解してもらえないと思ったのであろう。
そして、李竜将は家から逐電《ちくでん》したのである。調べてみると、例の巫女《ムーダン》の母娘《おやこ》もおなじ徳水の町から消えていた。巫女《ムーダン》は白髪の老女であって、竜将と相愛におちいっていたのは、そのころまだ十六、七のその娘だったのである。きいてみると、その日の夜明前、神将竿《シンチヤンテエ》という呪法《じゆほう》の杖をついた老女を先頭に、三人が山の方へいそいで去る姿を見かけた者があるという。
朝鮮に於ける巫覡《ふげき》の歴史は古い。おそらく、新羅《しらぎ》、高麗《こうらい》――いや、それ以前の太古の時代から存在していたものであろう。これは悠久《ゆうきゆう》の昔から、ほとんど朝鮮文化の根幹をなしている。
巫とは巫女《みこ》のことであり、覡《げき》とは男のかんなぎのことである。朝鮮の言葉では巫《ムーダン》といい覡《パクス》という。圧倒的に女性が多くこれを職とした。彼女たちの行う神事は、祈祷《きとう》、悪魔ばらい、占い、呪殺《じゆさつ》、舞踏、軽業などである。中には、当然、附随的に売色のわざをするものもあった。
そもそも朝鮮では、古代から社会的な身分を、両班、中人、常民、賤民《せんみん》の四階級にわかち、その区別を厳守して結婚ならびに職業をほかの階級にわたって行うことを厳禁していた。そして巫覡《ふげき》はこの賤民階級に属した。
これになるには、大半が母が娘に伝えるという世襲のものが多かった。幼女のころから巫業を見習わせ、また諺文《オンモン》でかいた巫書をもととして、母が歌唄《かばい》体に教えたのである。従ってこれが一種のシャーマニズムにすぎないものであることはいうまでもないが、中には断食したり、山中に籠《こも》って苦行したりして神秘の力を得ようとし、また神秘の力を得たと衆人が認める者も少なくなかった。これを「定《じよう》に入る」とか「開眼《かいげん》する」とか称した。
すでに三国時代に鼻荊郎《びけいろう》なる者が鬼衆《きしゆう》を使役して鬼橋を架《か》け、またその鬼衆を任意に左右したという記録があり、また「李朝《りちよう》実録」には、この物語のわずか六十数年前、中宗王二十八年二月、妖巫《ようふ》の疫神使いがあり、ひとの死生は意のままであるというので、大さわぎになった記録がある。
「卜巫《ぼくふ》は古来の聖賢もまたみな行えり。これを知って可なり。しかれども癖《へき》をなし、妖人《ようじん》の称を得るなかれ。およそ人好んで巫覡《ふげき》の書を見、役鬼幻化《えききげんか》の術に及ぶ者は必ず終りよからず。多く禍《わざわい》を招く」
などいましめた書物もある。
それくらいだから、階級的には賤民視され、ときには恐れられながら、巫女《ムーダン》たちは絶えることがなかった。それどころか、彼女たちは世襲的にそれぞれ檀家《だんか》を持っていた。これを丹骨《タンゴル》家という。
彼女たちは呼ばれると、禁忌縄《クムキチユル》や神旗や呪符《じゆふ》や神将竿《シンチヤンテエ》や算木《さんぎ》や鈴などを持って丹骨家を訪問した。ぶつぶつと唄いながら。――
「伝えに来た、招《よ》ばれて来た。
児童万神、招ばれて来た。
閉めた門も、開けに来た。
開けた門も、閉めに来た。
日光月光、両日光。……」
児童万神とは、年若い巫女のことである。――李家にも、その巫女母娘はそう唄いながらやって来たのである。この丹骨《タンゴル》制は日本の檀家とおなじように世襲的な社会制度の一つであるから、李家も彼女たちを容《い》れていたのであるが、舜臣はもとより苦笑してながめていた。のちに亀甲船を創造するほどの舜臣が、かかる古怪な巫術を信ずるはずがない。
しかるに、李家の子弟が、この荒唐無稽《こうとうむけい》な賤民の娘と恋し合い、手に手をとってかけおちしようとは。
李舜臣はおどろきあきれ、かつ怒った。
しかし彼はながくおどろきあきれ、怒ってはいられなかった。彼は海へ赴《おもむ》き、日本侵攻軍と悪戦苦闘した。
それから六年目。――ゆくえを絶っていた弟の竜将が忽然と彼の船を訪れて、倭賊の刺客に斃《たお》された李舜臣の命を救ったのだ。
彼はあの若い巫女《ムーダン》、鸚鵡《おうむ》を同伴して、「わたしの妻だ」と紹介した。のみならずふたりの巫術によって、兄をよみがえらせたのである。
しかし、よみがえった舜臣がはじめて声を発したときであった。新しくまた通路の方から駈けて来たふたりの男があった。それが、船室内の様子を見、入口にたおれている刺客を見、すべてを察したらしく、
「しまった」
と、若い方がさけんだ。
その刺客のうなじにつき刺さっている針をぬきとったもうひとりが、はっとして頭上をあおいで、
「忍者だな」
と、うめいた。
きいた者には、意味もしれなかった。なぜなら、ふたりがいま口走ったのは、いずれも日本語であった。服装は双方ともに朝鮮軍のもので、とくに針をぬいた方は武将の姿をしていたのに。
「もはや、のがれられぬ、下りてこい」
と、彼はつづけて、何者かにさけんだ。
とたんに人々は、まるで蝙蝠《こうもり》のような影がひらひらと舞いこんでくるのを見た。それは天井を、外から内へ、船室に入るとこんどは蜘蛛《くも》のようにツ、ツ、ツーと滑って来たのである。
ぱっと李竜将が、まだあおむけに横たわったままの兄の上に身を伏せた。
「狙ってるのはこっちだ」
と、天井にやもりみたいに吸いついていた男がいった。彼は竹筒をくわえたまましゃべっている。その竹筒と物凄《ものすご》い眼は、ちょうど李舜臣から二|間《けん》ばかりはなれて、壁ぎわで身づくろいしていた鸚鵡ののどぶえにむけられていた。
「うごくな、うごくと毒の針が飛ぶ」
いったのは日本語だから、下の兵たちがどっとその方へ駈け寄ろうとしたのを、
「待ちなされ、危い」
と、針を持ったままの男がいった。これは韓語《かんご》であったが、すぐに天井に眼をむけて、
「見つかって、外へ逃げずに内へ逃げるとは不敵な奴。……日本の忍者だなあ」
と、これは日本語でうめいた。
「内へ逃げて、さておまえはどうするか」
「女だけを残して、みな外へ出ろ。そう言え。おれは壁に穴をあけて舷《げん》の外へ出る。そうすれば、女を殺すことだけはゆるしてやる」
「なるほど。……しかし、うぬは日本軍のどこの手の者だ」
「うぬこそ何だ、朝鮮人のくせに、日本語をしゃべるとは」
「沙也可《さやか》じゃ」
「なにっ?」
「沙也可という名はきいたことがあろう」
「沙也可――沙也可とはうぬか。……この唐虱《からじらみ》め!」
「しかし、うぬはなぜ仲間を殺した。ここに死んでおる男はおまえが殺した者であろうが」
天井の男は沈黙した。あきらかにその蒼白《あおじろ》い顔が苦悶《くもん》に痙攣《けいれん》するのが見えた。
日本語の問答をきいていた朝鮮兵たちが、いらだってきいた。
「金忠善《きんちゆうぜん》どの、何を話されておる?」
「しばらく」
と、沙也可と名乗り、或いは金忠善と呼ばれた韓将は制して、また天井にきいた。
「なぜ仲間を殺した?」
「李舜臣を殺したくなかったからよ。ふふん」
「しかし、李舜臣さまには針を吹いたではないか」
「それは、斑目《まだらめ》が――その男が吹いたんだ。一針吹いて、二針、三針、とどめを刺そうとしたやつを、おれがとめた。とめるには、殺すよりほかはない。三針めにとめたのは、それまでおれが迷っていたからだ」
「なぜ、とめた」
「李舜臣が死んだら、太閤がよろこぶだろうと思ったからよ。太閤をよろこばせたくないから、李舜臣を生かそうとした。――」
天井の日本の忍者は、竹筒を口にあてたまま、突如わめいた。
「うるさい、もうだまれ。おれはうぬのような唐虱《からじらみ》とちがって、朝鮮に降参した人間ではない。おれだけの太閤への恨みから、思わず仲間を殺しただけだ。はやく、ここを出ろ。それとも、女も殺されることを覚悟で、おれを殺すか、もともとそれを覚悟でこの亀甲《きつこう》船に乗りこんで来たおれだ。殺すなら、殺せ」
「……いや、殺すまい」
と沙也可という奇怪な名を持つ奇怪な韓将は短い思案ののちにいった。
「おまえのいのち、この沙也可の首にかけて助けたまわるよう、李舜臣さまに頼んでとらす。降りてこい、日本の忍者」
四
豊太閤《ほうたいこう》の朝鮮役に、「降倭《こうわ》」というものがあった。
これは朝鮮側や明《みん》の記録に出てくる呼称で「降服日本兵」の意味である。
「むかし加藤|主計頭《かずえのかみ》に仕えし阿蘇宮越後守《あそみやえちごのかみ》という者、仔細《しさい》ありて高麗に仕えけるが、このたび蔚山《ウルサン》城に八千騎の大将として来りけり。使いを以て城内にいいけるは、主計頭数日の勇戦比類なし、この上は城を開け渡し、身命を助かりたまえと云々」
などいう日本側の記録にもあるが、むろんその実態は明韓側に詳しい。
「倭賊《わぞく》、天兵(明軍)に投降する者百にいたる。賊将知るといえどもしかも禁ぜずという、賊謀測りがたしとなす。かの賊はわれに於ては万世必報の讐《あだ》たり。その下賤至微《げせんしび》の者といえども、われにありては、争うて肉《ししむら》を切らんと欲す。いわんやその投降する者、多きは百人にいたり、公然境を過ぎるをや。きわめて痛憤となす」(宣祖実録)
「降倭|来《きた》らんとするに拒《こば》めばすなわち策なきにちかく、これを受くるもまた処しがたし。その書辞をみれば、哀乞《あいきつ》の意あらず」(同上)
これは降倭のむれが、あらかじめ明韓軍に書状を投じて、堂々と百、二百の集団で来降してくることをいい、その書状も投降後の態度も傲然《ごうぜん》としたものでおよそ降服者らしいところがないことをいい、朝鮮側がその心事を疑い、かえって困惑していることの告白である。
「曾《かつ》て降倭ら、臣の座前に突進し、左右をしりぞけていっていわく、われらすでに日本にそむき、朝鮮に降る。死生また朝鮮にあり。われら賊魁《ぞつかい》にあたり、われらの志をいたさんと欲すと」(同上)
これは降倭たちが韓将のまえへ推参してじぶんたちの誠意をのべ、かつ賊魁加藤清正をみずから斃《たお》さんという意志をのべたものだ。
明韓軍の方でも、一応は彼らをたくみに利用しようとはした。
「降倭を殺すは甚《はなは》だ大失策なり、彼ら、わが国の土地|膏腴《こうゆ》にして衣食ゆたかに足り、日本の法令|刻惨《こくさん》なるに比してつねに相言《あいい》っていわく、朝鮮はまことに楽国なりと。――伏してねがわくは、今より以往、諸将に勅して、降倭のすでに来れるものはその衣食をゆたかにし、結ぶに恩信を以てせよ。また降倭らをしてひそかに倭陣に入らしめ、後来の者を招き出だせば、すなわち彼らの帰附《きふ》する者あげて日々数百たるべし。蛮夷《ばんい》を以て蛮夷を制するは上策なり」(看羊録)
しかし、結局は、明韓軍は降倭をあしらいかねた。――降倭のむれを満州に送って、胡人《こじん》すなわち満州族とたたかわせた記録がある。
「降倭の処置甚だ難《かた》し。いますなわち遼東《りようとう》に送る。十三の倭人、唐兵をひきいて夜襲す。倭人はすなわちただ三名傷死し、胡人はすなわち死亡者三百にあまるという。降倭ら、胡人とひとたび交戦すれば多く傷害をこうむる。しかもこれを督戦《とくせん》すれば、すなわち肘《ひじ》をはらって突入すという。真にいわゆる毒種たり」(宣祖実録)
その剽悍無比《ひようかんむひ》なのに呆《あき》れ返っているのである。……その恐怖心は、ときにせっかく投降して来た者に、むしろ憎悪を以て酬《むく》いるという事態をもひき起す。
「当日、降倭を柱にたてて結縛《けつぱく》す。諸将軍とともに座をゆるして酒を送り、これをして射的せしむ。まずそのうなじを射《い》、ついで臍下《せいか》を射る。諸将官また多く乱射す。その射るにあたり、まず降倭に問いていわく、なんじ恐るるか。その降倭答えていわく、われ恐れずという。五、六|箭《せん》にいたりてはじめて死す。死後庭に下りてその矢を抜き、嗅《か》ぎてみるに腥《なまぐさ》からず。夕にいたるもその倭を射てやまず」(宣祖実録)
これは、明韓将が酒興として、降倭のひとりを射的に使った例だ。
とにかくこれでいわゆる降倭がたんに戦意を喪失して投降したものではなく、日本の生活や法令があまりに刻急で、それからみれば明や朝鮮は極楽にちかいと、給与の豊富なのにつられた連中が大半で、すくなくとも降伏後、なお本来の精悍性《せいかんせい》を失ってはいなかったことがわかる。
日本軍はこれを、「唐虱《からじらみ》」と呼んだ。
中でも日本軍を悩ました「唐虱」の大将がふたりある。ひとりはもと加藤清正の侍大将《さむらいだいしよう》で阿蘇宮越後守という人物であったが、もうひとりは「沙也可」という男だ。
「沙也可」とは日本人としても朝鮮人としても実に妙な名だが、その正体はいまにいたるも日本軍にはわからない。
「おまえ、名は何という」
と、床に下りて来た日本の忍者に、先刻「沙也可」といっしょにやって来た男が日本語でいった。
彼もまた降倭のひとりであった。これは李舜臣の記録に「降倭の俊沙《しゆんさ》なるものわが船上にあり、俯視《ふし》していわく、紅の錦衣《きんい》を着る者はすなわち賊将|馬多次《またじ》なりと」とあるように、あの海戦で日本水軍の司令官|来島通総《くるしまみちふさ》をさししめして李舜臣に彼を討たせた男であった。
いつも舜臣とともにこの亀甲船にのっているが、先刻はからずもおなじ降倭の大将「沙也可」が陸から来船したというので、これを案内して来たものである。
日本の忍者はそれにはこたえず、ただ沙也可の姿をじっと見つめた。依然として不敵なまなざしであったが、しかしあきらかに闘志を失い、むしろ好奇心にみちた眼であった。
朝鮮本土に於ける野戦で、神出鬼没、日本軍を悩ますふしぎな部隊があった。
はじめただ朝鮮の部隊とみて、日本軍がこれをのんで襲うと、たくみにこれを必殺の地形に誘いこんで、突如として白衣をかなぐりすてる。兵装は、緋《ひ》の陣羽織あり、黒母衣《くろほろ》あり、鬼面のごとき面頬《めんぼお》あり、その兵装はまごうかたなき日本軍であった。それが反撃に移るや猛烈果敢、本来の日本軍が全滅をまぬかれるのが珍しいくらいであった。この部隊のことは日本軍でも容易ならぬ敵と一目《いちもく》おかれ、その指揮者が「沙也可」と名乗っていることまではわかったが、いまだに正体がわからなかった。
――これがその沙也可か?
年のころは四十四、五歳、長身であるがやせこけて、ひたいや頬《ほお》にふかい皺《しわ》があった。それでなくとも、彫りのふかい顔である。こともあろうに敵側に寝返って、あれほど日本軍を悩ます謎の巨魁《きよかい》とはみえず、まるで彫物《ほりもの》師か刀工の名人をみるようなおだやかな横顔であった。
横顔というのは、彼が前に仁王《におう》立ちにはなっているものの、李舜臣兄弟の方をながめていたからだ。
いちど、その眼をもどしてきいた。
「おまえ、太閤に恨みがあるとはどういうことじゃ」
ほそいやさしい眼なのに、日ぐれどきの雲の断裂のような、人を吸いこむ妖《あや》しいひかりがあった。
しかし、彼はまた李舜臣の方をふりかえった。李舜臣は何やら声をあらげ、それに対して李竜将がしずかに答えているようであったが、日本の忍者にはむろん内容はわからなかった。しかし、ふたりの問答がただならぬものであることは、沙也可のみならずそこにいた朝鮮兵たちが、下に降りて来た日本軍の刺客をさしおいて、みなそちらに気を奪われているらしい様子からもわかる。
李竜将が鸚鵡《おうむ》の方をむいて何かいった。
すると鸚鵡はうなずいて、彼女が持って来たひらたい包みを解き出した。あらわれたのは径一尺以上もある円い鏡であった。しかもそれが笠《かさ》のように鏡の面がふくれあがった凸面《とつめん》鏡なのである。
――これは巫術《ふじゆつ》につかう日月明図《イルオルミヨンド》と称する神鏡であった。裏の凹面《おうめん》には、日月と北斗七星が鋳出《いだ》してある。
日本の忍者は眼をみはった。鸚鵡はふたたび裳《チマ》をまくりあげ、口にくわえると、その鏡をピタリとじぶんの股間《こかん》にあてがったのである。
李舜臣はその鏡に向いあった。まるで魅入られたようなまなざしであった。
「あれは……忍者だな」
日本の忍者はいった。
「朝鮮の忍者か。……何を見せているんだ」
沙也可も俊沙も答えなかった。
「あの鏡には満足に顔もうつるまい。鏡をとりのけた方が観物《みもの》だろうが」
「しずかにしろ」
「いや、しかし、妙なものがうつっているのだな。ふうむ、朝鮮の忍法か。韓《から》に忍法があろうとは知らなんだ。先刻から見ておったぞ。あいつら、放っておけば死ぬ李舜臣を生き返らせた。――しかし、いまの勝負はおれが勝ったぞ。あの女を殺せば、きゃつらの忍法は成らぬとおれは見ぬいたのだ」
「うるさい、だまれ」
沙也可が、はじめて凄《すさま》じい殺気にみちた眼で彼をにらんだ。彼は沈黙した。
船室には冥府《めいふ》のような静寂が満ちた。厚い板壁の向うで重々しい海のうねりがきこえたが、それがかえって深淵《しんえん》の底を思わせた。
鸚鵡が白い裳《チマ》を雲のように下ろした。鏡はかくれた。
「……そうか」
と、李舜臣が夢からさめたようにつぶやくのを沙也可はきいた。
「わしのいのちはあと一年か。……そのようにして海で戦死するか」
彼は神秘な日月明図《イルオルミヨンド》の面《おもて》に何を見たのであろうか。……なお、彼らしくもない茫乎《ぼうこ》とした眼で――むしろ恐怖のただよった眼で六年ぶりに再会した弟を見て、
「竜将。……はじめて知った。巫術がここまで達しようとは。――たとえ、いまわしの見たものが幻であろうとも」
「幻ではありませぬ。運命がこのまま推移すれば、そうなりまする」
李竜将はかなしげなまなざしで、しかし断乎たる語気でこたえた。はじめて李舜臣の眼に生命のひかりがもどり、きっとして彼はいった。
「それでも、わしはたたかう! わしは死は恐れぬ」
「兄上が死なれましても、倭賊《わぞく》は朝鮮から去りませぬ。いや、兄上に死なれましては、倭賊はいっそう朝鮮から去りませぬ。なぜならば、彼らは、朝鮮から去ることをゆるされぬからです。或る恐ろしい一つの意志に縛られて」
「一つの意志」
「秀吉」
その言葉だけは、日本の忍者の耳にもはっきりときこえた。彼ははっとした。
「このたびのいくさは、ただその男の意志一つだけから起りました。そして日本兵たちもすでに勝利の自信はまったく失いながら、その恐ろしい意志に縛られて、絶望的なたたかいをつづけているだけなのです。彼らは最後の一兵となるまでたたかいましょう。しかし、彼らが最後の一兵となる以前に、朝鮮は完全に亡国となりましょう」
李舜臣の顔に苦悶《くもん》の翳《かげ》がゆれた。
「竜将、おまえはどうしようというのか?」
「秀吉を殺すより、このいくさをやめる法はありますまい」
「なに、秀吉を? それはもとより全朝鮮あげて悲願するところだ。しかし秀吉は日本におる。日本の伏見におる。その秀吉をいかにせば誅《ちゆう》せるのか?」
「わたしが殺します」
「おまえが!」
「鸚鵡も志をともにしております」
「おまえが――どうして、日本へ?」
「両人、ともに日本軍の虜《とりこ》となって、日本へ」
このとき、沙也可がしゃがれた声を出した。
「ことごとくは相知れませぬが、御様子はほぼここにて承っておりました。しかしながら竜将さま、日本軍の虜《とりこ》となられましても、果たして日本へ送られるか。また伏見城に入れるか。さらに朝鮮人の身を以て、そうやすやすと秀吉の身辺にちかづけるか、それは疑問でござりましょう」
李竜将はふりかえり、動揺の表情になった。
「それはわたしも悩んでおる。しかし、ことはいそぐ。そしてそのほかに法はない。――」
「まことに朝鮮の運命を憂《うれ》うる心は一つか。拙者もこのいくさを終熄《しゆうそく》せしめるにはただ秀吉の首をもらうにしかず、と思い至って、急ぎ李舜臣さまを訪れました。ただ、何びとを以て拙者の首を日本に運ばせるか――その点についてかんがえあぐねておったのでござりまする」
「何という。沙也可の首」
と、李舜臣はさけんだ。
「拙者の首を日本へ運んで、徳川|家康《いえやす》なるものに見せれば、家康おそらく意のままになりましょう。家康は秀吉につづく日本の大大名でござりまする。家康を自家薬籠中《じかやくろうちゆう》のものとすれば、秀吉にちかづく機会もつかみ得ましょう。……沙也可の首を以て、太閤の首をとる。これを日本では海老《えび》で鯛《たい》をつると申しまする」
沙也可はしずかに笑った。
「もとより通常の者を以てしては成りますまいが、李舜臣さまの弟御《おとうとご》ならば。……沙也可は、死神を日本へ送る手段を知れど、その人を知らず、竜将さまはみずから死神となって日本へ渡る決心をなされたれどその法を知りたまわず、しかるに両人、ただいまこの船にてめぐりあいましたは、あたかもその神鏡に日月のならんだようなものでござりましょう」
彼は、ちらと日本の忍者を見た。
「ただ。……」
と、くびをかしげて、
「はじめて日本へ渡られる李竜将さま、やはりなかだちが要りましょう」
彼は忍者にいった。
「おまえ、太閤に恨みがあると申したな?」
日本の忍者は、茫然《ぼうぜん》として韓語の問答をきいていたが、ふいにふたたび問いをじぶんにむけられて、ややめんくらった表情をした。
「太閤を殺したいほどに思うておるか?」
沙也可を凝視した忍者の眼が、しだいにひかり出した。しゃがれ声でいった。
「殺したい」
「では、殺させてやる」
「何を、ばかな。……そもそもおれが、日本へは帰れぬわ」
「日本兵は、朝鮮人の鼻を斬って三十集めれば、日本へ帰れるというではないか。ましてや、この沙也可の首を持てば。……」
「なんだと?」
「あれにおわすは朝鮮水軍統制使李舜臣さまのおん弟君の御夫妻だ。その御両人をも加えて手《て》土産《みやげ》とすれば、太閤にちかづく見込みもないではあるまいが」
「沙也可の首。李舜臣の弟」
日本の忍者は眼を宙にあげた。その眼は血いろに燃えてきた。
「なるほど。それならば太閤のまえに。――」
と、うめくように、
「あれはおゆうさまを殺した。……」
「おゆうさまとは?」
忍者は高熱の悪夢にうなされているようにつぶやいた。
「おれの……御主人の御息女だ。しかし。……」
五
「賊船海を覆《おお》いて来《きた》る」
と、朝鮮側の記録にあるように、二十余万の日本軍が釜山《ふざん》に上陸した天正二十年四月十二日からすでに六年半。
朝鮮の山河は荒れつくした。
最初の半年ばかりは、日本軍の鋭鋒《えいほう》はあたるべからざるものがあった。五月二日にはすでに京城《けいじよう》を落した。六月十五日には小西軍は平壌《へいじよう》を占領し、七月二十三日には加藤軍は満州国境にちかい会寧《かいねい》まで進出して、逃亡中の朝鮮の二王子を捕虜とした。
「賊軍野を覆うて来る。みな紅白の旗を負い黄金の傘を張り、鬼面獣形、粉粧《ふんしよう》はなはだ怪《あや》し」(再造藩邦志)
「江をへだてて賊を望むに十余騎、羊角島《ようかくとう》に向い江中《こうちゆう》に入る。水馬腹を没す。みな轡《くつわ》を按《あん》じて列立し、まさに江を渡らんとするの状を示す。その余江上を往来するもの、或いは一二、或いは三、四、大剣をにない、小刀をさしはさみ、日光下射、閃々《せんせん》として雷《いなずま》のごとし」(同上)
「賊歩兵を用い、刃《やいば》みな三、四尺精利比なし。これと突闘すれば左右|揮撃《きげき》、人馬みな靡《なび》き、あえてその鋒《ほう》にあたるものなし」(|懲※[#「比/必」、unicode6bd6]録《ちようひろく》)
「その兵を用うるやよく埋伏《まいふく》し、しばしばわが軍のうしろにめぐり出で、両面挟攻《りようめんきようこう》、つねに寡を以て衆に勝つ。そのいまだ戦わざるや、一人扇をふるえば伏者四面に起《た》つ。これを胡蝶陣《こちようじん》という。刀の長さ五尺、双刀を用う。すなわち丈余の地に及ぶ。また手舞六尺を加う。鋒《ほう》をひらけばおよそ一丈八尺。舞動《ぶどう》すればすなわち上下四傍ことごとく白くその人を見ず」(両朝平壌録)
これらの朝鮮側の記録は初期の日本軍の颯爽《さつそう》ともいうべき戦闘ぶりをいかんなく活写している。
しかるにその年十二月、突如として明軍が鴨緑江《おうりよつこう》をわたりこれに介入した。平壌にあった小西軍は大敗して退却した。爾来《じらい》、両軍は押しつ押されつの持久戦に入ることになる。そして日本軍は、制海権を失って補給が意にまかせないことと、全朝鮮に蜂起したゲリラのために次第に苦戦状態におちいっていった。
それは、この役《えき》から三百数十年を経たのちの或る戦争を想わせる。とくに日本軍が、三百数十年を経て、ほとんど何も学んでいなかったことに驚くのである。三つ児《ご》の魂百まで忘れずとはこのことか。
「若《も》し平心にして朝鮮役を通観せんか、わが日本国民はおそらくいまだかくのごとき痛絶《つうぜつ》、凱絶《がいぜつ》、緊絶《きんぜつ》の教訓に接するものなかるべし。この朝鮮役は、平和に於ても戦争に於ても、日本国民の性格を赤裸々に暴露している。とくに日本国民性の大なる欠陥を暴露している。朝鮮役は日本国民の頌徳表《しようとくひよう》というよりむしろ弾劾文《だんがいぶん》である」
と、大正時代に徳富|蘇峰《そほう》が喝破《かつぱ》しているが、その蘇峰自身がみずから喝破したほどの教訓をくみとり得なかったのである。
無名の師、無計画の開戦、竜頭蛇尾《りゆうとうだび》の戦闘経過、補給の苦悶《くもん》、制海権の喪失、民心|把握《はあく》の不成功。――まるで同じフィルムをまわしたようだ。
特に日本軍が辟易《へきえき》したのは、補給の難であった。
「兵糧《ひようろう》にはこと欠き申さず候《そうろう》。高麗《こうらい》の人々は飢えに及び候べく候。ただただ拝みまわり候を斬り叩《たた》き候。目もあてられぬことに候」
とは、開戦後まもなく毛利輝元《もうりてるもと》が朝鮮星州の陣から内地へ送った手紙の一節である。
最初から掠奪《りやくだつ》をあてにし、掠奪をほしいままにしていて、長期戦も民心把握もできるわけがない。――兵糧に不足なしどころか、やがて日本軍は深刻な飢餓に苦しむようになる。
これは李舜臣のために制海権を失ったせいもあるが、朝鮮人民の徹底的なゲリラ戦にもよった。彼らはいわゆる「清野《せいや》の計」――焦土作戦をとった。日本軍来るとみるや、あらんかぎりの糧食を持って山野に逃亡し、あとは焼きはらったのである。
必然、この戦法は朝鮮人民自身をも苦しめることになる。
「以て人々|相殺《あいころ》して食《くら》うにいたり、女子孤児は出でゆくを得ず。餓屍《がし》道路に相枕《あいまくら》し飢民争ってその肉をくらい、死骨を剥《は》ぎて汁をとり嚥下《えんか》するにいたる。人の肉をくらう者、かかとをめぐらさずしてみな死す。はじめ倭軍《わぐん》の焚蕩《ふんとう》を以てし、終りは盗賊の剥奪《はくだつ》を以てす。兵火のもと幾万人なるかを知らず、流亡《るぼう》の民あふれ、しかも救恤《きゆうじゆつ》に法なし」
「飢民白昼|屠戮相食《とりくあいは》む。重ぬるに疫病を以てし、道路死する者相枕し、水口門外|積屍《せきし》山のごとく、城よりたかきこと数丈」
「倭《わ》すなわち食に乏しく、意をほしいままにして掠奪す。地窟《ちくつ》に蔵するところの米穀、ことごとく掘取《くつしゆ》せらる。清正またその卒千余人を分遣し、出掠《しゆつりやく》やまず塚墳《ちようふん》またあばかる」
敵も味方も餓鬼地獄である。
秀吉は、一大違算をしていた。その目的は征明《せいみん》であって、ひとたび馬をすすめれば鶏林《けいりん》八道みななびいておのれに従うものとかんがえていたのである。それが、そうは問屋がおろさず、朝鮮に釘《くぎ》づけとなり、あまつさえゲリラと焦土による死物狂いの抵抗に直面すると、必然的に日本軍の反応も苛烈《かれつ》なものとなった。
「賊三道を蹂躙《じゆうりん》し、過ぐるところみな盧舎《ろしや》を焚焼《ふんしよう》し、人民を殺戮《さつりく》す。およそわが国人を得ればことごとくその鼻を割《さ》き以て威を示す」(懲※[#「比/必」、unicode6bd6]録)
「議して賊を殺す者あらば、たちまちその民の密告するところとなり、鐘楼前及び崇礼門外に焼殺し、その酷惨《こくさん》をきわめ以て威を示す。髑髏《どくろ》その下に積む」(燃黎室《ねんれいしつ》記述)
「城中の遺民、百に一も存せず。その存するものみな飢え疲れ、面色鬼のごとし」(懲※[#「比/必」、unicode6bd6]録)
「男女牛馬、南大門外に死骸《しがい》をさらすといえどもこれを収むるに人なし。しかも臭気天を覆い、地にふさがる」(是琢日記)
かくて。――
「この国の百姓《ひやくせい》ら日本に付き候ことは、石は浮き木の葉は沈むともあるまじく候。ただ気づかい仕るは、かようの大事になり候ても、日本の衆思い思いの存分に候ことに候」
と碧蹄《へきてい》館で明《みん》の大軍を潰走《かいそう》させた勇将|立花宗茂《たちばなむねしげ》の弟、高橋|主膳正《しゆぜんのしよう》がしたためているように、日本軍自身、天を仰いで嗟嘆《さたん》するようになる。
まる五年半にわたる朝鮮役はいちど中断された。和議が提起されたのである。が、明の使節が持参した講和条件が、おのれの予期と雲泥《うんでい》の差があると知って、秀吉は激怒してこれを追いかえした。
日本軍はふたたび鉄蹄《てつてい》を踏み出した。そしていちどはふたたび京城に迫ったが、例の焦土作戦にそれ以上の進出は不可能と知るや、撤退して朝鮮南岸に半永久的|橋頭堡《きようとうほ》をつらね、陰惨な陣地戦に入った。
それから、さらに一年。――
戦争に苦しみながら、飽きながら、日本軍は頑《がん》として朝鮮から去らなかった。
「ああ、千里|蕭然《しようぜん》」
船から陸へ――全羅《ぜんら》南道の右水営から東方へ順天へむかってあるきながら、李竜将はつぶやいた。
「天|愁《うれ》い、地|惨《さん》たり」
言葉はわからなかったが、意味は日本の忍者――狐法馬《きつねほうま》にもわかった。
もっとも、通訳はいる。船からついて来た降倭《こうわ》の俊沙である。一行は四人、つまりこの三人に鸚鵡《おうむ》がついていた。彼女は長衣《チヤンオ》という緑色の絹でつくった被衣《かつぎ》ようのものをあたまからかぶっていた。
「朝鮮の忍者と日本の忍者」
と、狐法馬はいった。
「力を合わせて太閤を討つ。面白いなあ」
味方となって、朝鮮の国土を見わたせば、実にひどいことをしたものだといまさらのように呆《あき》れる。――彼は剽悍《ひようかん》ではあるが、単純な男らしかった。ただ太閤という名がその唇《くちびる》にのぼるときだけ、別人のような凄絶《せいぜつ》の相貌《そうぼう》に変った。
狐法馬は、筒井伊賀守《つついいがのかみ》の手に属する伊賀の忍者であった。もっとも、その直臣ではない。伊賀|弾正《だんじよう》というものの家来である。弾正は伊賀山中の一豪族であった。この主人に一人の娘があって名はおゆうといった。主人の娘ではあったが、彼と相愛し、法馬が帰還したのちは祝言させるという約束があった。しかるに、はからずも、彼の出征後、おゆうが太閤の眼にとまる機会があって、その妾《しよう》にさし出せという命があった。父のためにおゆうはいちどは太閤の寝所に侍ったが、その朝、辞するとともに自害した。――この春に起った事件を彼は知らず、それを、昨夜、日本から到着した手紙ではじめて知ったのだ。
――太閤にとって夢魔のごとき存在たる李舜臣を刺せ。――その命を受けて亀甲《きつこう》船に潜入しながら、とどめを刺そうとした仲間の斑目民部《まだらめみんぶ》を突如として斃《たお》したのは、この手紙による彼の変心のためである。
いまや彼は、太閤そのものに復讐するためならば、その手段をとわない一個の悪鬼と変っていた。
「え、朝鮮の忍法とはどういうんだ。きいてくれ」
と、彼はしきりに俊沙をせっついた。
「いったい、どうやって修行するんだ」
しかし、李竜将は答えなかった。答えることをいとうというより、ただ満目|惨憺《さんたん》たる兵火の跡に魂をうばわれて、口もきけない風であった。彼と鸚鵡《おうむ》の眼には涙がうかんでいた。そのことは、狐法馬にもわかって、やがて彼も沈黙した。
「誓って秀吉を討たずにはおかぬ。……日本へはゆけるか?」
と、ややあって竜将はきいた。
「ゆけると思う」
と、俊沙を介して法馬は答え、かつ説明した。
日本軍には、実のところ厭戦《えんせん》気分が横溢《おういつ》している。いまは手段をつくして禁じられているが、去年あたりまで、高麗《こうらい》陣からひそかに脱走して日本へかえる兵も続出していたほどである。そこでこの春から太閤の命令があった。「人に鼻は一なり、よろしく朝鮮人の鼻を割《さ》いて斬首に代えよ。一卒三十鼻にして帰還をゆるさん」というのだ。日本軍が韓軍を攻めてその鼻を斬りとるのは、たんに残虐のためではなく、そういう目的があるからである。――いわんや、叛将《はんしよう》沙也可の首と李舜臣の弟夫婦をともない帰るに於《おい》てをやだ。――
俊沙の背には一個の壺《つぼ》が背負われていた。中には塩漬けにされた沙也可の首があった。
数日を経て、彼らは順天についた。順天は、加藤清正とともに朝鮮にとって万世必報の讐《あだ》たる小西|摂津守行長《せつつのかみゆきなが》の屯営《とんえい》するところである。
小西の布陣を見て、李竜将は、また、
「ああ!」
と、うめいた。焼けつくし、荒れはてた朝鮮の国を見たときとは反対の意味で、さらに痛切な長嘆であった。
このころの順天城を記録したものが朝鮮側にある。
「未《ひつじ》の時、行長の営《えい》に到泊す。営は海岸の一山を占め、山勢|甚《はなは》だ峻《しゆん》にして、めぐらすに石を以てし、城上に木柵《ぼくさく》をそなえ、周囲六、七里ばかり、山を切りて濠《ほり》となし、鱗《うろこ》のごとく屋《おく》を架《か》し、海を埋めて城を築き、星列《せいれつ》門をうがつ」
狐法馬《きつねほうま》からきいた、日本軍の厭戦気分どころではない。それは完全に日本式の城砦《じようさい》であって、秋の蒼空《そうくう》に無数の旌旗《せいき》がはためいている。
「賊勢をみるに、城基牢固《じようきろうこ》、大いに久住の計あり、痛憤に耐えず」
その城外遠く、降倭俊沙は、沙也可の首をいれた壺《つぼ》を狐法馬に託して駈け去った。
法馬はそれを背負い、李竜将夫妻を従えて城にちかづいた。そして哨戒《しようかい》の兵にいった。
「敵将李舜臣の弟李竜将とその妻鸚鵡なるもの、太閤殿下に哀訴《あいそ》のことあり、日本へ渡りたいと申す。異心なきあかしに唐虱《からじらみ》の大将沙也可なる者を討ち果たして、その首を持って小西どのの陣へ参りました」
六
順天の小西の砦《とりで》にとじこめられていた李竜将夫妻と狐法馬が日本へ送られたのはその翌年三月のことであった。
加藤清正が蔚山《ウルサン》城に籠城《ろうじよう》して死闘半月、ついに明韓《みんかん》軍を潰走《かいそう》させたのはこのあいだのことである。
李竜将たちは大いに気が焦《あせ》ったが、忍者――いや巫術師《ふじゆつし》といえども海を飛ぶことができない以上、どうすることもできなかった。沙也可の首だけはさきに日本に送られた。「これが沙也可にまぎれもなきことは、徳川家康どのに首実検を願い申す」という狐法馬の伝言を付札《つけふだ》として。――おそらくその検証や往復や、或いは朝鮮に於ける李竜将の素性の調査などにこれだけの時日を要したものであろう。
ただこの間、狐法馬が竜将夫妻の世話役を命じられ、徐々に――しかし常人より数倍の早さで韓語を解するようになったのがせめてものことであった。
慶長三年三月某日、ようやく順天を発した船はその翌日|対馬《つしま》にいたり、風雨のためとどまること三日、そこを出て暮に壱岐《いき》にいたり、またその翌日の夕刻に肥前《ひぜん》名護屋にいたった。
これは征韓軍の大本営で、その行営の大規模なのに、竜将たちはあらためて舌をまいたが、どことなく荒涼惨憺《こうりようさんたん》の気もあった。遠征軍の意気のすでに衰えていることをまざまざと映しているものと彼は見た。首魁《しゆかい》秀吉もすでに前年の九月伏見城へひきあげたままで、ここにはいなかった。それより彼は、ここに俘虜《ふりよ》となった数千人の朝鮮人が泣きむせびつつ使役されている光景を見て断腸《だんちよう》の思いがした。
なんのためか、彼らはそれから三か月ばかり、伊予の大津城に送られて、そこで監禁されていた。城主の藤堂高虎《とうどうたかとら》はやはり水軍の一将として朝鮮に出征していた。ここにも数百の朝鮮人の俘虜が奴隷とされていた。
「法馬、われわれはなんのためにこんなところで待たされているのか?」
焦躁《しようそう》して、竜将はきいた。
「おれにもわからぬ」
と、法馬も不安そうにいった。
「どうやら……太閤のからだの具合がわるいらしいのだ」
「なに、秀吉が?」
七月に入ってまもなく、彼らはようやく大坂へ送られ、さらに伏見城に入った。
伏見城の豪華絢爛《ごうかけんらん》はこの世のものとは思えなかった。秀吉は一方で征韓の役《えき》を起しながら、またべつに大坂城や聚楽第《じゆらくだい》をもちながら、ただ明の使者と外交談判をする場所として、二十五万の人夫を使役してわずか五か月でこれを築いたのである。しかしこの城は一昨年の秋の大地震によって大きな被害を受けた。李竜将たちの眼にはもはやその跡もみえなかったが、秀吉はこの地震でけちがついたと称して、べつにまた洛外木幡《らくがいこばた》に巨城築造の準備にかかっているという。京の聚楽第はそこに住んでいた関白|秀次《ひでつぐ》を殺したために不吉であると破却し、御所の東に秀頼《ひでより》のために新邸を造っている。――一城一館、まるでおもちゃのように造っては無造作《むぞうさ》に捨てている太閤秀吉であった。
しかし李竜将は太閤の天魔をも恐れない大らんちき騒ぎの下で、日本人もまた朝鮮人に劣らないほどな苦難にあえいでいるのを見た。
九州から伏見への旅の途中、しばしば彼は太閤朱印の高札を目撃した。
「各々|高麗《こうらい》にある奉公人、上下とも日本へ走り相越すに於ては、ききつけ次第|成敗《せいばい》つかまつるべく候事」
という布告である。また、
「高麗|長陣《ながじん》につき下々退屈せしめ逐電《ちくでん》のやからこれあるべく候。しかれば国々の浦、津、港、道、辻《つじ》に番所申しつけ、かたく相改め、みだりに帰国いたし候者、これあるに於てはからめとり、誅戮《ちゆうりく》を加えらるべく候」
とかいた高札もあった。沿道の野は荒れ、家貧しく、人に生色はなかった。千万の民は疲れ、二十万の兵は異郷に飢えて、しかも太閤はこの民を使って続々と巨城を築き、一兵たりとも帰ることをゆるさぬ。きけば短躯矮小《たんくわいしよう》、面色|漆黒《しつこく》、ねずみに似た一|老爺《ろうや》だという。実に恐るべき一個の意志力であった。
しかし、李竜将らはまだその秀吉に逢えなかった。伏見城にも十数人の朝鮮人の俘虜《ふりよ》がいた。みなもと武将であったり、貴人であったりした人々であった。
きくと、さきごろまでこの中に李嘩《りか》という貴族がいて、これは清正のために捕えられて送られて来た者だが、その巨躯《きよく》と美髯《びぜん》を秀吉がひどく気にいって、錦《にしき》の衣をつけさせ、しばしば呼び出し、その髯《ひげ》をぬいたり、背をたたいたり、みずからそのまわりをはねまわったりしてからかった。李嘩は退出してから「なんじの与うるところの錦繍《きんしゆう》何かせん」と憤りなげいていたが、ついにこの城から脱走を計った。しかしたちまち追手を受けて河畔に追いつめられ、みずから胸を刺して河中に投じた。敵はその屍《しかばね》をひきあげて京都にはこび、車裂きにして梟首《きようしゆ》したという。きくだに血が逆流するような哀話であった。
この話をしてくれたのは姜《きようこう》というもと軍人である。彼はひそかに「看羊録《かんようろく》」と題する日本の見聞録を諺文《オンモン》で書きつづけていた。いつの日か帰還したとき倭賊《わぞく》を討滅する助けとせんがためだという。
一読して、李竜将は彼の得た知識と見解に、教えられることが甚《はなは》だ多かった。
「敵魁《てきかい》秀吉、もっぱら術数を以てその群下を御《ぎよ》し、東国諸将を集めてしきりに新城を築かしめ、西国諸将をわが国に分送し、交代し出入せしめ以て乱をなすの志を銷磨《しようま》せしむ」
「家康という者あり。深沈|寡言《かげん》にして状貌《じようぼう》豊厚なり。されどひとたび反目すればすなわちかならずこれを死地において、而してのち止《や》む。ゆえに諸将はなはだこれを畏《おそ》る」
「家康ひそかにいわく、朝鮮は大国なり。東をつけば西を守り、左をうてば右に集まる。たとえ十年を期限となすとも終ることあたわじと。敵魁泣いていわく、公、われを以て老いたりとなすかと」
「大野|修理《しゆり》大夫なる者あり。寵《ちよう》を秀吉に得、つねに臥内《がない》に出入し、ひそかに秀吉の愛妾《あいしよう》に通ず。秀頼はその生めるところなりという」
「倭人《わじん》はその人ことごとく短小非力、わが国の男子、倭人と角力《すもう》すれば、倭人すなわち勝ち得ず。そのいわゆる生を軽んじ死を忘るるというものも、人みな然《しか》りという能《あた》わず。この七年、わが国に於て交戦し、殺傷はなはだ多く、督令点呼して出陣せしむれば哀泣《あいきゆう》して征《ゆ》き、まま家をすて逃亡して出戦をまぬがれんとする者あり。ああわが国士馬の精鋭、弓矢の長技を以てこの弱兵に屈し、死をいたして力戦せず、むしろ子女をあたえて生を盗む者あるに至りては罪万死にあたるなり」
「曾《かつ》て倭の一兵にきいていわく、生を好みて死をにくむは人みな心を同じゅうす。しかして倭人ひとり死をたのしみて生をにくむは何ぞやと。倭兵こたえていわく、日本の将官(大名)はまったく民の利を掌握《しようあく》しつくし、一毛一髪も民に私《わたくし》せしめず。ゆえにもし将官の家に寄口すれば、この身わが身にあらず。ひとたび胆気薄しと名づけられれば、至るところに容《い》れられず、佩刀精利《はいとうせいり》ならざれば人に齢《よわい》せられず、刀槍《とうそう》の痕《あと》耳後にあれば怯者《きようしや》となし擯斥《ひんせき》せらる。ゆえにその衣食なくして死せんよりは、敵に赴いて死を争うにしかず。ゆえに力戦は実に身のために謀《はか》るものにして、主のために計るにあらざるなりと」
「倭人の残忍にして好戦の心は、ただこれを天性に得るのみならず、その法令もまたしたがってこれを束縛し、賞罰もまたしたがってこれを駆使するなり。ゆえにその将大半|奴材《どざい》にしてみなよく人の死力を得、その卒大半|脆弱《ぜいじやく》にしてみなよく敵に向って死を争うなり。ひそかに思えらく、百万の韓兵は十万の倭兵に敵せずと」
三百数十年前の朝鮮俘虜の辛辣《しんらつ》な批評は、現代のわれわれにも思いあたるところがある。
秀吉に呼ばれてその玩弄物《がんろうぶつ》になったという俘虜もいるというのに、李竜将はいつまでも呼ばれなかった。
開戦以来七年目の夏が来たが、朝鮮ではなお執拗陰惨《しつよういんさん》な戦闘がつづいていた。
一大|牢獄《ろうごく》にひとしい雑居室の中で、俘虜たちは大半書き物をしていた。日本の僧にたのまれて経典などを写す内職をしているのであった。むっとする暑熱の中にしかし李竜将は何もせず、うつむいて思案をしていた。妻の鸚鵡《おうむ》は別室にひきはなされて暮していた。
鸚鵡といえば。――日本の僧が、
「鸚鵡とは、珍しい名じゃな」
といったことがある。これに対して李竜将は、
「韓では珍しい名ではございませぬ。李朝孝宗の三年、一|奸臣《かんしん》が妖巫《ようふ》鸚鵡なる一女人をつかって、死人の頭骨や棺《ひつぎ》の木片などを焚《た》き、王を呪殺《じゆさつ》しようとしたことがあります。婢《ひ》がかいま見てこれを密告したので、ついに一味は断罪せられましたが」
と、こたえた。
「なに、妖巫? 巫女《みこ》のことか。それではそなたの妻の鸚鵡も巫女か」
李竜将は、うすく笑っただけであった。
通訳の狐法馬《きつねほうま》が李竜将の暗雲からこぼれるうすら日のような笑いを見たのは、伏見に来てからこのときだけである。あとは、こぶしをひざにおしあてて、苦悶《くもん》にたえるかのごとく端坐していた。
竜将は八月の声をきくと、ふいに法馬を呼んだ。
「徳川家康のところへいってくれ。そこなら、おまえなら、ゆけるだろう」
「徳川どののところへいって……何をする」
「沙也可《さやか》は……じぶんの首を家康に見せれば、おそらく家康は意のままになるはずだといった。その首はさきに日本へ送られた。おそらく秀吉のみならず、家康も見たであろう。……しかし、いまだにそれに対する反応がない。沙也可のいうほど事は簡単に運ばなんだ。……で、おまえは家康のところへしのんでいって伝えるのだ」
「何と?」
「沙也可の正体をあきらかにすると」
「おまえ、知っているのか」
「わたしは知らぬ。家康にはただそういうだけでよい」
――三日のちに、狐法馬はこの用件だけは果たした。知り合いの家康の家臣|服部《はつとり》半蔵をわずらわしたのである。そのころ家康は伏見の徳川屋敷にずっと滞在していた。
しかし、そう伝えたとき家康――法馬もはじめて逢ったのだが、その感情を奥ふかくつつんだ豊厚な顔が――異常なばかりの衝撃と困惑につつまれたのである。
「……ともかくも、その李竜将夫婦をここへよこせ」
と、彼はいった。
「いや、伏見城には、半蔵をやって断《ことわ》らせよう」
降倭《こうわ》の大将沙也可の正体を暴露《ばくろ》するということが、なぜそれほど家康に衝撃と困惑を与えたのか、法馬にもわからなかった。あのふしぎな人物は、徳川家にとってふかい関係があったのではなかろうか、ということは想像したが、それは最初沙也可からきいたときにも想像したことで、それ以上は謎につつまれていることは同様であった。そして法馬はついに永遠にそれを知ることはできなかったのである。
――ついでにいえば日本の叛将《はんしよう》沙也可、韓名金忠善なる者は、役後なお生きて慶尚《けいしよう》北道|大邱《たいきゆう》を西南にへだたる五里の友鹿洞《ゆうろくどう》に居を定め、村民から尊崇《そんすう》せられ、老いて大往生をとげたが、子孫は繁昌《はんじよう》していまにいたっても沙姓《させい》を名乗る者が多い――という伝説が朝鮮に残っている。
李竜将とその妻鸚鵡が、徳川家康に逢ったのはそれから数日後のことであった。……いかなる問答があったのか、別室に待たされていた法馬は知らぬ。
やがて出て来たのは竜将だけであった。
「明朝、われら三人、太閤殿下に謁見《えつけん》をゆるされることになった。……おまえは、通訳じゃ」
と、竜将は眼をかがやかせていった。
「では」
と、狐法馬の眼も殺気に光ったが、すぐに、
「太閤が病気というのは嘘《うそ》か」
「嘘ではない。その病気をわれら両人、家康立ち会いにて、太閤のまえで祈祷《きとう》してなおすという名目じゃ」
「ふうむ、ところで、鸚鵡は?」
「あれは家康が一夜ここにとどめおけといった」
――鸚鵡だけを? とあの妖艶《ようえん》な姿をあたまにえがきながら、法馬はもういちど問い返そうとしたが、竜将はひどく明るい顔で、じぶんからさきにたって歩き出した。
「謁見は明日。われらは明日の夕刻もういちどこの屋敷にくるように、ということであった。……法馬、明日、八月十日、われらの使命は終るぞ」
七
慶長三年八月十日。
燃えるような夕焼けの下を、狐法馬と李竜将は徳川家康の屋敷をまた訪れた。
法馬はもとより例の毒針を吹く竹筒をひそかに携えていた。おゆう待て、きょうこそおまえのまだあえいでいる地獄へ、針をのどぶえに吹かれた秀吉を送りこんでやるぞ。
徳川の屋敷では、しばらく待たされた。庭では蝉《せみ》が鳴きしきっていた。
「きょうだな」
と、法馬は竜将に凄惨《せいさん》な笑みを投げてささやいた。
「太閤を殺すのは。……太閤を殺すのはおれだ。おれにやらせてくれ。おまえがいなければ、どうしたっておれは太閤にはちかづけなんだ。それだけで充分おまえは――ひいては沙也可の首は役に立ったわけだ。いいか、手を出すなよ。わかっているな?」
李竜将はうなずいた。
「しかし、おれがやらなければ、おまえがやるつもりだったのだろう。くたばりかかった老いぼれ猿《ざる》だ。どうひねってもいいようなものだが、おまえ、ただの方法で殺すつもりではなかったろう。苦しめて、苦しめて、この世ながらの地獄を味わわしてやらなければ、いまおれやおまえが手を下す意味がない。おれは毒の針を吹いて、ぬいて、きょうから十日ばかりのあいだ、きゃつが口もきけず、死にもせぬようにしてやるつもりだったが、おまえも朝鮮の忍法――あの巫術《ふじゆつ》とやらをつかうつもりだったのだろう。いったい、どんな術をつかうつもりだったんだ?」
「わたしは秀吉の病気がなおるように祈祷にゆくつもりであった」
「それはわかっている。それは口実だ。で、ほんとうのところは――」
「秀吉を甦《よみがえ》らすために」
と、李竜将はおちついてくりかえした。
「甦らす?」
「左様、きのう家康からきいた。秀吉の病気はすでに重く、悩乱《のうらん》してあらぬことを口走るまでになったゆえ、この七日以後はたとえ秀吉が何をしゃべろうと一切とり合わぬ約定《やくじよう》を、五大老五奉行でとりかわしたということじゃ」
「なに、もはやそこまで悪くなっているのか――」
法馬は狼狽《ろうばい》しながら、そのことをきのう竜将がだまっていたことを怪しみ、またいま竜将が口走った言葉を頭にはねかえらせてそれを怪しんだ。
「おい、また秀吉を甦らすといったな」
「左様」
「あの術か。いつかの――」
「法馬」
と、李竜将はしずかにいった。
「わたしが日本に来て最も苦しんだのは、秀吉が病んでおるときいてからであった。ひょっとしたら秀吉は死ぬのではないか、そう思うと、わたしは骨からあぶらをしぼるように苦しんだ。ばかな矛盾《むじゆん》だ。秀吉の死をこそねがい、彼を殺すために日本に渡りながら」
「思いは同じだ、李竜将。あいつにひとりで極楽往生させては何にもならない。だからその前におれが殺してやろうというんだ」
「しかし秀吉はすでに昏朦《こんもう》し、錯乱しておるという」
「…………」
「三国の民命を屠滅《とめつ》すること数十万。この大魔王をありきたりの老耄《ろうもう》のうちに死なせてよかろうか。法馬、おまえの復讐の方法はいまきいた。しかし、生きず死なず、口もきけぬ苦しみにおとすといったところで、すでにいまその状態にちかい人間に、それがどれほどの苦しみになるかは疑問だ。それくらいの苦しみではまだあき足りぬ」
「…………」
「わたしは方針を変えた。わたしはいまいちど秀吉を甦らす。そのためにきょうは伏見城にゆくつもりなのだ。法馬、おまえはだまって通訳の用を果たしてくれればよい」
「なに?」
ようやく、狐法馬はうめいた。
「わたしにまかせろ。秀吉を、およそこの地上の人間の味わったことのない大苦患《だいくげん》におとしてやる。おまえは手を出すな」
むしろやさしい顔だちにみえたこの「朝鮮の忍者」が、これほど恐ろしい炎に彩られてみえたことはなかった。あきれてこれをながめていた「日本の忍者」の眼に、このときそれに劣らぬ怒りの炎がもえあがった。
「だまってきいていれば、勝手なことをいうな。おまえはどういうきもちで太閤に仕返ししようとして日本へ来たのか知らないが、おれはおれだ。おれはおれなりの仕返しをしたいから日本へ帰って来たんだ。いままで苦労しておまえたちの世話をして来たのも、おまえたちがおれの仕返しの道具になると思ったからだ。おれが仕返ししないで、だれがおゆうさまの妄執《もうしゆう》をはらす者がある。きょうのがして、いつ秀吉をたおす日がある。おれにとって、きょうこそは千載一遇の好機だ。おまえのいう通りにはならぬ。おまえこそ手をひけ」
彼はニヤリと笑った。
「秀吉を甦らせてどんな苦しみをあたえたいのか知らないが、それほど生き返らせたいならおれが殺してからやれ、李竜将」
「おまえはそういうであろうと思っていた。……やむを得ぬなあ」
李竜将の眼に妖《あや》しいひかりがやどり、その眼で法馬のうしろのだれかにうなずいてみせたので、法馬はふりむいて、はっとした。
そこにいつのまにか鸚鵡が立っていた。手に例の神鏡をさげている。
電光のごとく狐法馬はどこからか例の吹針の筒をとり出し、口にあてていた。
「竜将、うごいてみろ、それより早く鸚鵡にむかって針がとぶ。おまえの忍法の手品のたねは、すべて、おまえの女房にあるとおれは見ぬいているぞ。その鸚鵡を殺されては、鸚鵡を生き返らせることもできまいが。……かなわぬと知ったら、降参しろ」
このとき鸚鵡はながれるような自然な動作で裳《チマ》をつまみあげて口にくわえ、日月明図《イルオルミヨンド》を前にあてた。
鏡面は一瞬青緑色にかがやいて法馬の眼を射《い》、それからすっともと通りのひかりにもどっていった。凸面《とつめん》鏡の面に何がうつるか。むかい合った法馬の姿がうつるはずだが、それはどんなかたちに浮きあがるか。……法馬の見たのは、彼自身ではなかった。
それは一個の女陰《によいん》であった。かぐろくふちどられ、しかもなまめかしく、かすかに波動している女陰であった。鏡ではなかったのか、それはその向うのものを透き通らせていたのであったか。――そう思ったのは一瞬のことで、彼は眼を吸われている。魂を吸われている。
その女陰が朱鷺《とき》いろに裂けた。ひろがった。人間よりもっと大きく――雲のようにふくれあがった。そして法馬はその方へ吸いよせられ、のみこまれた。全身が朱鷺《とき》いろの雲につつまれた。
その雲がはれ、しかもくびから下は柔らかい波動にしごかれながら、彼は何かを見た。日と月と北斗の星である。それはあの日月明図《イルオルミヨンド》の凹《くぼ》んだ背面に鋳《い》られていたものとおなじものであった。その日月星を透《とお》して彼は見た。――竹筒をくわえたまま、茫然《ぼうぜん》と、恍惚《こうこつ》と、眼をみはってこちらをながめているじぶん自身の姿を。
それは、一瞬間前のじぶんを、鏡の背面からのぞいているとしか見えない姿であった。その法馬自身のうしろから李竜将がちかづいてくるのが見えた。そして片腕をあげ、そこに棒立ちになっている法馬のくびにまわし、絞めあげた。
法馬は絶息し、天地晦冥《てんちかいめい》となり、意識を失った。
……手をはなすと同時にずるずると崩折《くずお》れた「日本の忍者」を「朝鮮の忍者」はものしずかな顔で見下ろした。
「法馬は女陰からのぞき、おのれの一瞬さきの未来を見た」
と、李竜将はつぶやいた。彼は、最初からそこに棒立ちになって鸚鵡の日月明図《イルオルミヨンド》をのぞきこんでいる狐法馬を、うしろから絞めあげただけであった。
あたかも人間が誕生するときのように、女陰から顔を出してじぶんの未来を見る。どこまでが幻想か、どこまでが実相か。法馬は一瞬さきのおのれの未来を見ただけだが、してみると竜将の兄の舜臣は、一年後のおのれの未来を見せられたのであろうか。竜将は被術者に、そういう未来図の飛翔《ひしよう》を自在にさせる巫術《ふじゆつ》の体得者なのであろうか。
「しかしこの男は、舌人として要る」
と、李竜将はいった。舌人とは通訳のことだ。
鸚鵡はうなずき、神鏡をおき、ちかづいて来た。そして彼ら夫妻は、そこにたおれている狐法馬に対し、曾《かつ》て李舜臣にこころみたのと同様の行為を加えはじめたのである。
すなわち彼は、妻から採取した愛液を法馬の男根にぬり、妻の口でかみくだいていた米を口うつしに法馬にたべさせ出したのだ。この性と食との刺戟はひとたび死界に入らんとした者をも呼びかえす反応を起すのであろうか。
一方で、李竜将は、床の間に置いてあった水盤に、どこからかとり出した小皿《こざら》をうかべ、それに燈心を立てて火をつけて祈りはじめた。
「南無《なむ》金鬼|巫術《ふじゆつ》神……南無木鬼巫術神……南無水鬼巫術神……南無火鬼巫術神……南無土鬼巫術神……」
李舜臣のときとちがっているのは、ただその祈りの呪文だけであった。
やがて、狐法馬は甦った。
「日本の術客。……いや、忍者というか?」
と、李竜将は笑った。術客といったのは、覡《げき》すなわち男の巫術師のことを朝鮮ではまたそう呼ぶからである。
「これからは、わたしのいうことに従え」
狐法馬は犬のように手をつかえているだけであった。
庭の日がかげって来た。ややあって、服部半蔵がやって来ていった。
「いざ参ろう、伏見城へ。――殿にももはや御支度なされておる」
終始一貫して、鸚鵡は一言もしゃべらなかった。
八
秀吉は五月五日、端午の節句の祝いをすませたのちに発病した。
はじめはたんなる痢病《りびよう》の一種かとみえたが、その病態はしだいに悪化した。六十三年の超人的な苦闘と荒淫《こういん》は、ひとたびたおれると内部からも彼の肉体を砂のようにうち崩したのである。
侍医の曲直瀬《まなせ》養安院はもとより、当時の名医|施薬院《せやくいん》、竹田法印、通仙院《つうせんいん》らが伏見へはせあつまって、治療につくし、寺々ではひそかに祈祷をたのみ、京の御所では神楽《かぐら》まであげて祈ったが、六月には秀吉の顔貌《がんぼう》まで変るほど衰えた。
七月に入ると彼は徳川家康と前田|利家《としいえ》を病床に呼んで、もはやふたたび起《た》つあたわざることを告げ、死去ののちはしばらくこれを秘し、浅野|弾正《だんじよう》、石田|三成《みつなり》のふたりを朝鮮に派遣し、征韓軍総撤退の処置を行うように依頼した。
秀吉がみずから追い出した異郷の将兵について思いをめぐらしたのは、このころまでであったろう。……爾後《じご》、彼の念頭に揺曳《ようえい》するのは、ただ六歳の愛児|秀頼《ひでより》のことだけであった。
七月十五日には、彼は、前田利家の屋敷で諸大名に起請文《きしようもん》をとりかわさせた。
「秀頼さまに対したてまつり御奉公の儀、太閤さま御同然、疎略に存ずべからざること。表裏別心、毛頭存ずまじきこと」
という誓約書である。
それにもかかわらず、八月に入るとなお不安が寄せかえってきたとみえて、家康ら四大老、石田ら五奉行のあいだに、また同文の起請文をかかせた。そしてみずからは彼らに、哀れな遺言状をかいた。
「秀頼こと成りたち候《そうろう》ように、これにかきつけ候衆を、しんにたのみ申し、何事もこのほかには思いのこすことなく候。かしく。
かえすがえす秀頼ことたのみ申し候。五人の衆たのみ申すべく候。五人の者に申しわたし候。なごりおしく候。以上」
七日になると彼はついに錯乱をひき起した。
「殿、ごめんなされ候え。……藤吉郎《とうきちろう》をごめんなされ候え」
灰色の顔にあぶら汗をしたたらせ、恐怖にみちた眼をみはってこうさけび出したのである。きく者も、太閤に劣らず蒼《あお》ざめた。太閤が殿と呼ぶものは、信長公のほかにない。その子たちを藤吉郎のためにほとんど葬り去られた信長が、いま魔天から彼を呼んでいるのだ。
徳川家康、前田利家、毛利|輝元《てるもと》、宇喜多秀家《うきたひでいえ》ら大老はいそぎ登城して鳩首《きゆうしゆ》協議した。そして或ることを決定し、誓文をかわした。
「上様、おわずらいにつき、自今以後の儀、いかようの儀を仰せ出され候とも、御本復の上たしかなる御諚《ごじよう》を得、それにしたがうべきの事」
というのである。つまり、これからはまったく秀吉のいうことを相手にしないという約束である。
曠世《こうせい》の大英雄も、この日以後は、政治的には完全に力を失った癈人《はいじん》と断定された。
八月十日の夕刻である。
内府家康がふたりの朝鮮人|俘虜《ふりよ》とひとりの通訳を伴って登城した。そしていった。
「この高麗《こうらい》人の夫婦《みようと》は、死病はなおせぬが、死ぬるまでを安らかに、清朗にすごさせる修法《ずほう》を存じておるとのことでござる。まことに成るか成らぬか、拙者もしかとは請合《うけあ》えぬが、溺《おぼ》れる者は藁《わら》をもつかむと申す。せめてものこと、上様が大往生あそばすよう、いちどためされては如何《いかが》であろう」
侍臣たちは騒然とした。
「高麗人につき、御懸念《ごけねん》の儀は、家康おそばについて見張っておる」
だれしもが秀吉なきあとの実力第一人者と目《もく》している家康の言葉であった。――しかも、篤実で、太閤に忠心毛頭表裏なしとみえる家康だ。その家康が、高麗人の陰陽師をともなってくるとはよくよくのことだ。
太閤さまはもはやだれの眼にも絶望的であった。あらゆる日本の寺々の祈りも甲斐《かい》なかった。しかもこの数日くりかえす苦悶《くもん》と失神は、侍医たちをいても立ってもいられなくしていた。
「おたのみ申しまする」
と、彼らはいっせいにいった。
高麗人の男が従容《しようよう》たる態度で何かいった。通訳の男がそれを伝えた。
「この高麗陰陽師の申すには、修法のあいだ半刻ばかりは、内府さまをのぞいてはどなたさまも他見なさるまじきこと、それから術後太閤さまは一見御平安、御清朗のていに見えましょうが――事実、太閤さまはぬぐうがごとく御平安御清朗と相なられまするが、ただし、仰せなさることは魔天のいわせるお言葉でござれば、かならずとり合われまじきこと、この二つをかたくお約束いただきたいと申しております」
人々はまた顔を見合わせた。しかし何といわれようと、いまはそれだけでも満足しなければならなかった。ただ太閤さまの平安と清朗を祈るばかりであった。
もはや、天守閣の黄金の甍《いらか》に星がうつりはじめた時刻であろう。
日がおちると、その外よりもこの伏見城の奥ふかく、秋がおとずれてきていることが心に感じられる。――
太閤秀吉はこんこんと眠っていた。豪奢《ごうしや》な夜具にうずもれているので、それはいっそう瀕死《ひんし》の鼠《ねずみ》のようにみじめな姿に思われた。しかし、昏睡《こんすい》におちいっているときはまだいい方で、それがさめると苦悶がはじまるのである。
看護《みとり》の御台《みだい》や愛妾《あいしよう》たちや医者たちは追いはらわれて、その病室には静寂がおちた。いや、四人の人間がそこに坐っていたが、すべて影のように沈黙していた。
家康はうなされたような眼で、狐法馬はうやうやしい眼で、高麗人夫婦のくりひろげた巫術《ふじゆつ》をながめた。
高麗人の男はしずかに太閤の夜具を剥《は》ぎ、寝衣を剥ぎ、その男根をつまみ出した。ひからびた唐がらしのように哀れな男根であった。
彼は妖艶《ようえん》な妻をよこたえ、その女陰を擦《こす》って愛液をにじませ、それを太閤にぬりつけた。妻は、おのれの摩擦されるときよりも太閤に塗抹《とまつ》するときにかすかなさけびをもらした。あきらかに苦痛にたえるうめきであった。しかし、法馬はきのう逢ってからはじめて彼女が声らしいものを発するのをきいた。
「鸚鵡《おうむ》」
いちど、夫は妻を叱《しか》った。火のようにかがやく眼であった。
鸚鵡ははっとしてうなずき、やがて夫から十数粒の米を受けとってかみくだき、美しい口を醜陋《しゆうろう》きわまる大魔王、怨敵《おんてき》秀吉の口にかさねて、それをうつしはじめるのであった。
このとき李竜将はすでに運ばせた水甕《みずがめ》に皿を浮かべ、鳥足心に炎をとぼし、ひくい声で祈りはじめている。
「南無牛頭巫術《なむごずふじゆつ》神……南無馬頭巫術神……南無餓鬼巫術神……南無|夜叉《やしや》巫術神……南無|羅刹《らせつ》巫術神。……」
――いつのまにか、秀吉は大きく眼をあけていた。灰色の皮膚に血色がもどり出していた。彼はつぶやいた。
「おう。……これはどうしたことじゃ」
寝室にいる異風の三人をけげんそうにながめた眼が、ふと家康にとまると、
「これは、内府!」
と、さけんだ。まったく健康な声であった。家康は何か返事をしようとして、からくもじぶんを制した。
ふたりのあいだを白い美しい影がさえぎった。それは一糸まとわぬ姿となった鸚鵡であった。彼女はじぶんの股間《こかん》に神鏡をあてて、秀吉の枕頭《ちんとう》に立った。何やら青緑のひかりが一閃《いつせん》したようであった。
「何がうつるか、秀吉」
と、李竜将がいった。この韓語を狐法馬が山彦《やまびこ》のように日本語でいった。
「何がうつるか、秀吉」
太閤のからだは、閨《ねや》の上でのびちぢみしていた。からだだけは快美にたえ得ないかのようなうごきをしめした。……
が、ひとたび血色をとりもどしたその皮膚はふたたび蒼白《そうはく》となり、いちど爛《らん》たる光芒《こうぼう》をはなった眼はいまは恐怖のために散大していた。
「何が見えるか、秀吉」
「何が見えるか、秀吉」
秀吉が絶叫した。
「家康っ」
韓語と日本語が穹窿《きゆうりゆう》にこだまするように相ついだ。
「それがうぬの分身たる秀頼の未来図じゃ」
「それがうぬの分身たる秀頼の未来図じゃ」
鸚鵡が日月明図《イルオルミヨンド》を盾《たて》としたまま、ながれるように横にうごいた。秀吉は一息、二息大きく胸を起伏させていたが、突如がばと閨の上に起きなおった。
「内府、……内府は秀頼を。……」
といって絶句し、なおあえいだ。
家康は座敷の隅《すみ》に坐っていた。ほんとうは恐怖のために金縛《かなしば》りになっていたのだが、ふとっているので、それは小山のようにどっしりとしぶといものに見えた。
「ただいま御覧になった通り」
と、彼はいった。
「あとの天下はわたしがとる」
舌がひとりでにうごくのだ。それは彼の欲しない言葉を発し、そして彼がべつの言葉を発しようとすれば、その刹那《せつな》にしびれてしまうのであった。
昨日からだ。昨日、「沙也可」の一件で脅されてやむなく逢ったふたりの高麗人のうち、女人の方に彼は魅入られた。彼は女を犯した。口を吸った。そのときから舌は彼自身のものではなくなっていた。
舌はいった。
「きけ、秀吉。やがて家康は秀頼を殺す。うぬが信長どのの息子を弑《しい》したごとく。そうしなくては徳川の天下は安泰ではないからだ。見たか? 秀頼が炎の中で焼け死ぬ姿を。――」
さしもの秀吉がこの不敵きわまる宣言に圧倒されて、しばらくかっと眼をむいて家康を見ていたが、やがてあえぎが喘鳴《ぜんめい》となり、そして悲鳴となった。
「やはり、そうであったか、内府。……」
身もだえして、
「天下は内府に移る。万指《ばんし》の指さすところだ。天命だ。……そう見てはいたが、わしは思い切れなんだ。わしは誤った。……いま、わしは思い切った。天下は内府にゆずる。しかし、秀頼の命だけは助けてやってくれい。……十万石、いや一万石でもよい、たとえ坊主にしようとも、あの子だけは生きながらえさせてくれい。……」
もはや、人間の声ではない。けものの――しかも、追いつめられたけものの哀哭《あいこく》だ。太閤秀吉はがばと閨《ねや》の上に這《は》いつくばってしまった。
無表情に、耳がないかのようにこの問答をきいていた李竜将が、このとき何かいった。鸚鵡がうなずいた。すると、家康がさけんだ。
「伽《とぎ》の衆、参られい。修法は終ってござるぞ!」
四人が退出したあとも太閤秀吉はなお失神したかのごとく閨にうつ伏せになり、駈けつけた人々を一瞬、いまの高麗の修法の効験はもとより、かえってそれがたたったのではないかと疑わせたが、たちまち秀吉はおどりあがって絶叫した。
「家康を殺せ!」
狂乱したように馳《は》せ出そうとするのを、若い剛力な小姓《こしよう》たちが羽がいじめにした。
「お鎮《しず》まり下され、上様! いかがなされました、上様! ああ、やはり御悩乱は去らぬか?」
秀吉はねじ伏せられた。ねじ伏せられた秀吉は、こんどはむせぶような声を発した。
「内府を呼べ。利家を呼べ。起請文を書きかえるのじゃ。天下は徳川にゆずるとな……」
あの高麗の陰陽師は、修法ののちは太閤が「平安清朗」になるといった。人々は太閤さまの肉体の病気は癒《い》えたように見たが、しかし心の錯乱はいよいよ甚《はなは》だしくなったことを認めざるを得なかった。
それから四日、秀吉は「家康を誅《ちゆう》せよ」という言葉と、「家康に天下をゆずる」という言葉を交互にくりかえし、はては声も嗄《か》れた。そしてついに沈黙した。
前田|大納言《だいなごん》利家と毛利中納言輝元は暗然としてうなずきあった。
「上様が、いかようの儀を仰せ出されなされても、おとりあげ申すまい、というあの誓紙はようござったな」
「さなくば内府はいくたび死に、いくたび生き返ってもまに合わぬわ」
四日間さけび、五日間沈黙して、太閤秀吉はついに虚脱したようにこの世を去った。慶長三年八月十八日のことである。
最後の五日間。彼はただ宙に眼をみはっていた。
人々には見えなかったが、彼は妖《あや》しい鏡にうつる恐ろしい幻影をまだ見つづけていたのであった。それはこの地上で人間が見得るもののうち最も苦悩にみちた戦慄《せんりつ》すべきものであったろう。
九
太閤秀吉に日月明図《イルオルミヨンド》の未来地獄を見せた夜のことだ。宇治川から霧がたちはじめていた。
伏見城を出て来た四人を、服部半蔵が迎えた。家康は黙々と歩いている。
半蔵はその前日から主君の言動が異様なことに気がついていたが、屋敷にちかづいたとき、
「では、ここにて」
と、高麗《こうらい》人の舌人となっている忍者|狐法馬《きつねほうま》がいうと、高麗の女が家康のまえにまわり、その口を吸ったのをみて、いよいよ胆《きも》をつぶした。
「おさらば」
と、狐法馬がいった。
女は家康から身を離した。そして夫の高麗人と狐法馬とならんで、まるで三つの幻影のように夜霧に消えていった。
「半蔵、追うな、捨ておけ」
と、家康は恐怖の眼で見送って、嗄《か》れた声でいった。
声は嗄れていたが、なぜか半蔵は主君がもとの家康にもどったことを直感した。……家康も、舌がじぶんのものになったことを感覚していた。
「法馬。兄上のところへいって告げよ」
と、闇《やみ》の中で李竜将がいった。
「賊魁《ぞくかい》秀吉は遠からず死にましょう。――いや、すでに死にましたとな」
「竜将は?」
呼びすてたが、しかし法馬の眼はうやうやしい。
「家康とても倭将《わしよう》のひとりだ。その倭将に犯されて、ふたたび高麗の土は踏まぬと鸚鵡がいう。いや、夫たるわたしがゆるさぬ。いっしょにこの敵国で死んでゆこう。……しかし、わたしたちは朝鮮の巫術《ふじゆつ》師として、たしかにその使命は果たしたのだ」
「この日月明図だけを朝鮮の土に埋めて」
と、鸚鵡《おうむ》がいった。
背に冷たい鏡をかけられ、茫乎《ぼうこ》として立つ狐法馬の眼から、ふたりの「朝鮮の忍者」は宇治川の方へ歩み去った。夜霧の中から声がひびいた。
「ゆけ、日本の忍者!」
憑《つ》かれたけもののように、日月明図を背負った狐法馬は駈け出した。
西へ十里飛んだとき、彼は背中で美しい朝鮮語の唄声《うたごえ》をきいたような気がした。
「日光月光、両日光……」
ふりかえった狐法馬は、東の空に二つのながれ星が、尾を曳《ひ》いておちてゆくのを見た。
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忍法相伝64
一
伊賀大馬《いがだいま》。
年齢二十九歳。身長一メートル六十五センチ。体重七〇キロ。容貌《ようぼう》、ワリにわるくはないが特徴なく、べつに目立たず。四、五年前までは、その眼だけ、ふつうの青年とはちがった光をはなち、それを美しいとも、凄味があるとも評する友人もないではなかったが、いまはその光を失い、むしろ曇天《どんてん》のごとくドンヨリとしている。おまけに、たいていのとき鼻毛を出し、ぶしょうひげをはやしている。
東京の某私立大学卒業。新聞記者を志したが、新聞社の入社試験におち、映画監督を夢みたが、これまた映画会社の試験にはねられ、とどのつまり、小さな運送会社につとめて四年目。月給手取り二万七千円。目下、練馬区《ねりまく》の畑の中のアパートに棲息《せいそく》。
住んでいるのは、ガスも水道も下水もない畑の中のアパートだが、このごろそんなアパートがこの沿線にタケノコみたいにふえて、毎日の通勤は、屠場にはこばれる牛をつめこんだ貨車のような景観《けいかん》だった。
まわりを見まわすと、どの人間もが彼と大同小異の青年だ。電車がゆれてモミクチャになると、足は他人の足のあいだに入り、手は他人の背中から生えたようになり、上半身と下半身は反対側をむき、どれがじぶんのからだやら、ひとのからだやらわからなくなり、はては自他のすべてが混沌《こんとん》としてくるのだった。
伊賀大馬は、東京に生きる何十万何百万かの青年の平均値だった。デパートのレディーメード売場にぶら下がっている安背広の一つと変らない存在だった。
客観的にはまさにそうだが、その何十万何百万かの青年の一人一人と同様、彼はむろんじぶんをそうだとは思っていない。特別製だと思っている。他人にはまねのできない何事かをなし得る能力のある人間だと思っている。それどころか、彼は、だれも知らないが、じぶんの血に或る物凄い潜在力《せんざいりよく》のあることを信じていた。
それは、おととし故郷の三重県阿山郡|鍔隠村《つばがくれむら》で死んだ母親が、小さいとき、よくいった、
「おまえは忍術使いの血をうけているんだからね……」
という言葉だった。
思い出すと、何かといえば、おふくろはそうささやいたような気がする。――といって、おぼえているのはそれだけだ。
父親は真珠湾《しんじゆわん》で戦死した航空兵だが、何しろ彼が四つか五つのころなのでなんの記憶もないし、母親が忍術を知っていたという形跡《けいせき》もない。だいいち、その母親も、大馬が中学に入ったころから、べつにそんなことは口にしなかったようだ。それも、本人が忘れてしまったようなふしがある。
ほんとうをいうと、大馬だって忘れていたのだ。どういうわけか、このごろになってよくそのことを思い出すようになったのだが、じぶんが忍者の子孫だなんてことを、大馬はひとにしゃべったことはない。なんだか、アナクロニズムで、恥ずかしい。
なぜこのごろになって、そんなあいまいな、怪《あや》しげな、突拍子《とつぴようし》もないことを思い出したかというと――じぶんでもよくわからないのだが、どうやら、じぶんの現状が八方ふさがりのせいらしい。
八方ふさがりといっても、あした勤め先をクビになるとか、借金だらけというわけではないが、とにかく、いくらかんがえても前途に希望がない。未来の未来まで、漠々たる灰色の雲がたちこめているような気がするし、また息もつまりそうな鉄の壁がじぶんをとりまいているような気もする。なんだか社会のしくみが、金持と貧乏人、支配者と被支配者、恵まれた者と恵まれない者、幸福な人間と不幸な人間――ことごとく、もう印度の階級制度《カースト》みたいにきまっているように思われる。
むろん、いまのじぶんは、そのうえの貧乏人、被支配者、恵まれない者、不幸な人間の代表者みたいなものだが、それはあり得べからざることで、本来そんなはずはない。おれは特別製で、何事かをなし得る能力があるんだ、とは心でさけぶのだが、じゃその能力は何だ、といわれると、じぶんでもわからない。忍者の子孫だ、などいう記憶がしばしばよみがえりはじめたのは、そんな八方ふさがりの密室意識のせいかもしれなかった。
それでも大馬は、まだ「あれ」を思い出さなかった。以上の悩みや絶望が、まだ鈍《にぶ》く漠然としたものだったからだ。
それが、急に鋭い痛みをまじえてきたのは、或る「失恋」がもとだった。いや彼はまだはっきりと「失恋」とみとめたくはないのだが、その可能性が生じてきたのだ。
おなじアパートに、母、娘、その弟という家族が住んでいた。母親は生命保険の外交員をやり、娘は池袋のバーに通い、弟はまだ中学生だった。
この娘が、美人なのだ。
どうも小説に出てくる娘というと、みんな美人で、魅力的で、作者も少なからず面映《おもは》ゆく、彼女がどんな風な美人で、いかに魅力的かという描写をするのもアキアキしたが、しかし作中の伊賀大馬にとっては、ほんとうに美人で、魅力的にみえるのだから、どうにもいたしかたがない。
名は芦谷美登《あしやみと》といった。
年は二十三というが、どうみてもはたち以上にはみえない。スンなりとしてういういしく、あどけなくさえみえる。この娘がバーづとめとは、想像もできない。
大馬はいちどもそのバーへいったことがない。おそらく小ぢんまりとした、上品なバーにちがいないと思うけれども、ゆくのがこわいのだ。いや、そこで働いている彼女の姿を想像するだけで、彼女をけがすような気がするのだ。
美登とは、日曜日に二、三度、豊島園《としまえん》にいった。ただし、いつも美登の弟といっしょである。弟のスケートをだしにつかっていったのだ。ふたりは恋愛めいた言葉はいちども交さなかった。しかし大馬は美登が好きになった。美登も大馬をきらいではないらしかった。
「大馬さん。あたしね、まもなくアパートからいなくなるかもしれないわ。……」
冬枯れの遊園地の釣堀りのそばで、そう美登が思いあまったように話しかけた或る日までは、大馬はしかし彼女に結婚をプロポーズしようなどという気はまったくなかった。結婚したところで、現状では、彼女の家族を養えそうもないことは、はっきりわかっていたからだ。
「ど、どこへ引っ越すの?」
ショックをあからさまにしめす頓狂《とんきよう》な声で彼はいった。
「引っ越しじゃないの。あたしだけ」
「お嫁にゆくの?」
「――お嫁にゆくのならいいけれど。……」
そして美登はさびしそうに笑った。それから、くびをふって、
「こんなお話、やめましょう。まだはっきりきまったわけじゃなし」
美登はそれ以上話したがらなかったが、そのとぎれとぎれの断片をつなぎ合わせて想像すると、バーにくる客で大変な金持があって、それが彼女を愛人として世話したいといい出したらしかった。そして、生活に疲れはてた母親や、まだ中学生の弟を思い、彼女はその運命に甘んじようと決心しかかっているらしいのだ。
これは恐ろしいことだった。はじめて大馬は、じぶんが美登を、かけがえのないものに思っていることを自覚した。
大馬は悶《もだ》えた。しかし、それ以上、どうすることもできなかった。――絶体絶命の窮地《きゆうち》に陥《おちい》ったことを意識しながら、この段階にいたって、彼はまだ「あれ」を思い出さなかった。
それを突然思い出したのは、暮ちかい或る夜、夕刊の記事で、某デパートで古書即売展のひらかれたのを読んだときだ。その古書展で、いわゆる古文書類に五十万円とか七十万とかはざらで、なかには三、四百万円の値さえついているものもあることを読んだときだ。
「――ひょっとしたら?」
大馬は、母親が死んだとき、故郷からもってきた古トランクを思い出した。いや、その中にギッシリとつまった古い帳面のようなものの束を思い出した。
好きこのんで持ってきたのではない。「あれだけは伊賀家重代つたわってきたものだから、決してなくさないようにしておくれ」という遺言にちかいおふくろの言葉で、やむを得ずもち出してきたものだ。いちどひらいてみたこともあるが、プーンと黴《かび》の匂いがしたし、帳面は虫くいだらけであったし、書いてある文字もさっぱり読めそうもなかったので、そのまま押入れに放りこんである。
「ひょっとしたら。……」
あの中に、古本屋へもってゆくと何十万円になるものがあるかもしれない。百に一つは、そんなものがないとはいえない。
美登が金持の二号になるというのも、かなしいが要するに金のためだろう。してみれば、もしそれがいくらかの金になるなら、美登のそんな運命《うんめい》を、まったく救えないまでも、しばらくとめることができないともかぎらない。
大馬は押入れから、そのトランクをひきずり出した。ふたをあけた。
すると、この前はよく見なかったが、ボロボロの帳面の束にまじって、一つの巻物があるのを発見した。
二
巻物? これが巻物といえるだろうか。
大馬は、芝居で仁木弾正《につきだんじよう》という忍術使いが、巻物を口にくわえて九字の印をむすんでいる絵だか、写真だか見たおぼえがある。しかし、そこにあるのは、仁木弾正があごでもはずさなければくわえられそうにない――それでも追っつきそうにない、直径十センチ以上もあるしろものだった。まるでトイレットペーパーの筒みたいだ。
しかし、かたちはまさに巻物だ。えたいのしれない、が、何か由緒《ゆいしよ》ありげな布で巻き、さらに紐で巻いてある。
大馬はそれを解《と》いて、ひらいた。すると、まっさきに五つの文字が眼にとびこんできた。
「忍法相伝書《にんぽうそうでんしよ》」
たしかに、そうみえた。――大馬の頭を、このとき例の「おまえは忍術使いの血をうけているんだよ。……」という母親の言葉が、あらためてひらめきすぎた。
「な、なんだ、こりゃ。……」
眼をパチクリさせて、次をみると、何やらゴチャゴチャと書いてある。むかしの人の恐ろしい達筆で、しかもあちこちと虫がくっている。それを何十分もかかって、やっと大馬は判読した。
「忍法|極意《ごくい》相伝|重々之次第条々之事《じゆうじゆうのしだいじようじようのこと》。
それがし幼少より忍道に志あるによって、その奥儀《おうぎ》をきわめ、白夜工夫|鍛練《たんれん》いたすによって、魔天の感応《かんのう》を蒙《こうむ》り、さまざま不可思議の忍法を体得す。しかれども、この忍法は人に傑たる人にあらずんば、かえって身を破り、国を乱す。古人|豈道《あにい》わずや、竜を誅するの剣白蛇に揮《ふる》わずと。よってここに相伝申し候といえども、この旨《むね》相違するに於ては、梵天帝釈《ぼんてんたいしやく》四大天王、日本六十余州大小|神祇《じんぎ》、別して八幡大菩薩、冥罰《みようばつ》をまかり蒙るべきものなり。
文久三年五月五日
[#地付き]伊賀|風忍斎《ふうにんさい》」
大馬はこの通り、正確に読めたわけではない。が、だいたいの意味は読みとって、このとき彼の頭を、ふたつの思いがながれた。
一つは、この風忍斎なる人物が、おれの先祖の一人らしい、という感慨であり、一つは、「これはいけない、この巻物はあんまり高くはないようだ」という失望であった。あの古書展で何百万円という値がついていたのは、たいてい平安朝以前、もっとも新しいもので安土《あづち》桃山時代までのものだったようだ。文久というと、明治のすぐ前の時代だというくらいの知識は彼にだってある。
しかし、この文句のものものしさ、仰々《ぎようぎよう》しさから、彼の好奇心は尾をひいた。それで、その先をひらいた。
「第一、水迦羅天現身秘法《すいからてんげんしんひほう》」
とある。
「形像《ぎようぞう》。白檀《びやくだん》香木の瑕《きず》なきものをとりて、長さ六指として童子|形《ぎよう》を作る。頂上に五|髻子《きつし》あり相好《そうこう》円満、瓔珞《ようらく》を以てその身を壮厳《しようごん》にし、荷葉《かよう》の上に於て脚を交え坐す。左手は掌を下げ外にむけて五指を垂《たれ》る。すなわち満願の印形《いんぎよう》なり。
現身秘法は、朱花をとり、花ごとに一|誦《しよう》して童子の身上になげうち、三千万遍にいたれば、その童子必ず来りて身を現じ、一切の願を成就《じようじゆ》す」
ここまでは何とか読んだが、あとはみみずののたくったような文字で、まったくのちんぷんかんぷんである。それから、――
「第二、愛染孔雀明王馬陰蔵法《あいぜんくじやくみようおうばいんぞうほう》」「第三、金剛夜叉降神法《こんごうやしやこうしんほう》」「第四、荼吉尼天《だきにてん》神変不可思議法」などと、わけのわからないものが、十数項目つづく。
たんに漢字、仮名だけではない。いたるところ梵字《ぼんじ》が入り、さらに字ばかりではなく、何やら祭壇らしい図、印をむすんだ拳《こぶし》の図、護符《ごふ》らしい図などが挿入《そうにゆう》されている。
そのうち、突然鉄砲や大砲の絵が出現しはじめて、「おや」とめんくらうと、「火術秘伝」云々という文字も眼についた。
それでは、ここは砲術についてのべたものか。なるほど鉄砲もむかしは忍術の重要なレパートリーの一つだったんだな、と思う。そういえば、そのなかに、「火縄《ひなわ》は不動の縛《ばく》の縄と心得べし」とか「|台〆《だいしめ》と前見当《まえみあて》のあいだ五寸のあいだに摩利支天《まりしてん》の梵字を置くべし」などいう文章がみえる。
と、こんどは「房中術」とか「玉房秘訣《ぎよくぼうひけつ》」などいう文字が散見《さんけん》し出した。
ことわっておくが、伊賀大馬はまだ童貞である。はじめ彼は、そんな文字の意味もわからなかった。だいいち、そのあたり、漢字だらけで、手のつけようがない。しかし、そのうち和文のところもあらわれ出して、「おや?」と思った。
「さりながら、さまざま手をつくすとも通用ならぬほどの大陽物あり。これ一個の病いなり」とか、「女おぼえず声をあげ、男を抱きしめてよろこぶ秘法なり」などいう文句があるのだから、いかに童貞の大馬といえども、眼を吸いつけられざるを得ない。
「第三十七。忍法|腎《じん》こぼれ。
えぞ松前《まつまえ》に膃肭臍《おつとせい》なるものあり、雄一匹に雌九匹をひきいて淫をなす。その精の強きこと無双《むそう》なり。
得がたきものなれども、この腎をとり、よく煎じて絹にて漉《こ》し、どろりと練りて蜜をすこし入れ、百八日ののち馬の糞を煎じてその汁にてかの薬を軟《やわら》かにときのばし、これを陽物にぬりつくるべし。いかほどあまたの女を御《ぎよ》するといえども虚《きよ》することなく、女よろこぶことかぎりなし」
などいう文章も読めた。
「これが忍法か」
あまりものを知らない大馬も、ちょっとあきれてきた。その前後すべて「女よろこぶことかぎりなし」というリフレインをくっつけた種々の薬の調合法が羅列《られつ》してある。いったい、これが効くものだろうか?
人蔘《にんじん》、にんにく、卵茎、乳、蜜、ふのり、昆布、はまぐり、蛸《たこ》のイボ。……材料はなるほどいまの栄養学でも通用しそうなものだが、その調理法ときたら、月経の血で溶いたり、がまの油を加えたり、黒焼きにしたり、さらにその使用法にいたっては、奇絶怪絶《きぜつかいぜつ》、言語に絶する。
しかし、これを見ているうち、大馬のあたまには、現代でも、一年毎にはやり、すたれてゆくさまざまの薬や若返り法や健康法のことが浮かんだ。牛の脳下垂体をお尻に埋めると若返るというのがはやったことがあった。ハウザー食というのがはやったことがあった。ミキサーやジューサーがはやったことがあった。ミネラルに乳酸菌にローヤルゼリーにクコ。……
ほんとうにこれらがうたい文句ほど効くなら、永遠にはやりそうなものだが、そうでもないところをみると、あれもこの「忍法」と似たようなものかもしれない。それをはやらせた連中がひと釜おこすための「忍法」……
ひと釜おこすといえば。――
大馬はわれにかえった。この忍法相伝の巻物が、いくらの金になるだろうか?
大馬はいよいよ渋面《じゆうめん》をつくらざるを得なかった。この巻物自体の古さに値うちがないとしても、せめてその内容にとりえがあればまだしもだろうが、これはどうみてもインチキだ。こんな忍法を宇宙に人工衛星が飛び、太平洋をミサイルがとぶいまの時代、ひとが受けつけるわけがない。
いったい、現代に「忍法」なるものが存在し、通用し得るだろうか。
一指をうごかしただけで、いかなる女をも吸い寄せ、どんな男をもはね飛ばし、雲を呼び、嵐を起すような術があり得るだろうか。
ある。
「……金だ」
当然、だれだって、そう思わざるを得ない。
大馬は苦笑いした。札束こそは、いつの世にもあらゆる奇蹟を生み出す大忍法の巻物にちがいないが、しかし、その金を生み出す忍法はこの世にない。
「おや?」
憮然《ぶぜん》としてその巻物をながめていた大馬は、はじめて気がついた。その項目の上のどれにも、朱筆でバッテンがつけてある。その朱の色もあせていたし、また本文の中の図解にも朱筆の個所があるので、いままでうっかりと見のがしていたのだ。
しばらく見ていて――どうやらこれは、だれかこの忍法をいちいち実験してみて、いやこれはだめだとあきらめてつけたしるしらしい、と判断した。つけたのは、祖父か、曾祖父《そそふ》か、だれだかわからない。
巻物を巻きかえしてみると、このしるしは第一番から軒なみに、ずーっとつけてある。そして六十三番でとまっている。
このインチキ忍法を、トイレットペーパーのひと巻きほどかいた伊賀風忍斎なる祖先の精力にもあきれたが、しかしそれをまた六十三番までいちいち実験してみた次の祖先の努力にも大馬は感服した。
六十三番までバッテンがしてあって、それ以後にそのしるしがないということは、あとはききめがあるということではなかろう。そこでさすがに降参して、あきらめてしまったものだろう。
それは、六十四番目につらねてある文章を一見しただけでも、ばかばかしいことがわかる。
「第六十四。忍法|墨消《すみけ》し。
これは味方の密書敵に盗まれたるとき、または敵の秘諜《ひちよう》のありかを探りあてたるとき、その文字を消し去るの法なり」
とあって、これはなるほどと思うが、次にその法として、
「わが鼻汁鼻糞をとり、茶碗一杯にいたれば火にあぶりて粉末となす。これに同量の炭粉を加え、酒にて溶き服用す。しかるのち仰臥し、足を三尺の高さにあげ、胸に刀印《とういん》をむすんで、墨痕消滅《ぼつこんしようめつ》、七難連滅《しちなんれんめつ》、七復連生秘《しちふくれんしようひ》、と七たび唱うれば、是れより黒煙を発し、おのれのまわり三間四方の墨痕ことごとく消え去るべし。息に酒気消ゆるとともにこの忍法も消ゆ」
とあるのは、どうかと思う。――
どうかと思うが、それは六十三番までことごとく同工異曲《どうこういきよく》で、いまさらのことではない。
それなのに、ふと大馬は、これを実験してみる気になった。それはこのナンバー64にバッテンがなかったせいではなく、そこに書かれた材料がみんな身のまわりにあったからにすぎない。
彼は、これを試みた。
材料はなんでもあるといったが、茶碗一杯の鼻糞には往生した。これはケシツブほどで御免をこうむった。酒もなかったから、トリスで代用した。――かくて、出来あがったえたいのしれないものを、眼をつぶって口にほうりこみ、ひっくりかえって足を机にほうりあげた。刀印というやつは、それまでの項目中に図解にあった。両手の指をくみ、中指と人さし指を立てて、刀で切りはらうような動作をし、「ボッコンショウメツ、シチナンレンメツ、シチフクレンショウヒ!」と七回となえた。――
ふっと、眼のまえに黒い霧がうごいたような気がした。
「――や?」
がばと、大馬は起きなおった。もういちど鼻から息を吹き出した。なんの異変もない。黒煙など出て来はしない。
しかし――大馬は机の上を見て、ぎょっとした。
机の上にひろげてあった新聞は真っ白であった。週刊誌の表紙も真っ白であった。あわててページをひろげてみたが、中はことごとくノートのように白かった!
伊賀大馬は茫然《ぼうぜん》とした。奇蹟が起った。いや、伊賀忍法はまさに発現したのだ。――彼の耳に、おどろおどろとあの世からの声のようなささやきがながれた。
「大馬。おまえは忍者の血を受けているんだよ。……」
三
「忍法墨消し」――
それはたんに墨でかいた文字を消すばかりではない。すべての印刷物を白紙にかえてしまうのだ。
仰天《ぎようてん》して、調べると、大馬の部屋のあらゆる書物、インキで書いたものはぜんぶ白紙にかえっていた。むろん、トランク一杯の例の古い帳面もその忍法からのがれるわけにはゆかなかった。
ところがただひとつ、例の巻物だけは健在だった。これはふしぎだと思ってのぞきこむと、
「第六十五。墨消し破幻《はげん》の法」
とあって、また例のごとき怪しき調剤法がかかれ、その調剤を塗ってこの巻物だけは永遠に忍法第六十四番の作用から免《まぬが》れるよう処理してあることが付加してあった。
そのとき、ドアをノックする者があった。あけてみると、美登の弟が立っている。
「伊賀さん、姉さんからお手紙」
「えっ、美登――さんから?」
「姉さん、もうおつとめに出かけたけど、出かけるまえに、伊賀さんがかえって来たら渡してくれってぼくに手紙をのこしていったの」
可愛らしい封筒を受けとり、封をひらいて大馬はぎょっとした。中は三枚の白紙が入っていた。
「あれ? おかしいな。それ何もかいてないじゃあないか」
と、弟は眼をまるくして口をとがらせた。
「しまった。いや、いいんだ。洋君」
と、大馬はあわてて白紙の手紙をかくし、しかし血ばしった眼をむけた。
「洋君、きみは姉さんから何もきかないか?」
「べつに何もきかないけど。……伊賀さん、知らないの? 姉さんは伊賀さんとどっかへ旅行へ出かけるんじゃあなかったの?」
「僕が――美登さんと?」
「姉さん、そういってたぜ。そういえば、きょう姉さんへんだったな。旅行の用意してさ、お母さんはいっぱい札束をもってさ、こんなにいただいたんだもの、やはりお供してあげなくちゃわるい、いまさらいやとはいえないよ、などいってたけど、姉さんは涙をこぼしてたよ。あのお金、伊賀さんがくれたんじゃなかったの?」
「……」
「姉さんが出かけるとき、ぼくに、洋ちょっと、というからアパートの入口までついていったらさ。その手紙をよこして、伊賀さんにわたしてちょうだい。中にくわしくかいてあるけど、とにかく今夜九時までに伊賀さんにバーに来てっておねがいしてね、とたのまれたんだよ。そして、きょう大馬さんお帰りおそいかしら? 九時までに来ていただけないと、あたし、もうだめだわ、と蒼《あお》い顔していってたよ」
「九時まで」
大馬は時計を見た。時計は八時をまわっていた。文字盤の文字は、ふつうの印刷インキではない塗料《とりよう》をつかってあるとみえて、これは大丈夫だった。
しかし、――
「ゆこう」
彼は立ちあがった。
「気にはかかってたけど、姉さんが、お母さんにはないしょで、というから、いままで来られなかったんだよ。姉さんどっかへ旅行するの? ってきいたら、え二、三日、伊賀さんとね、といってニコリとして、またお母さんにいっちゃだめ、とこわい顔していったよ」
「ゆこう!」
大馬は熱病やみのようにつぶやいて、そのままアパートをとび出した。
夢中で駅にかけつけて、定期券をみせて改札口を出ようとすると、「もしもし」と呼びとめられた。
「それは定期券じゃないじゃないですか」
「あ!」
大馬は真っ白な定期券を見、「まちがえました。それじゃ切符を買って来ます」とあわてて切符を売る窓口にかけもどったが、またうっと息をとめた。
切符を買っても、それは真っ白になる!
彼は駅の外にとび出して、足ずりしながらタクシーをひろった。
時計は八時二十分をまわっていた。
車にのってから、ふいに或ることに気がついて、ふるえる手でそっと財布を出してみた。
なかにあったはずの四、五枚の千円札もまた白紙に変っていた。
「ええい、池袋についたら、この運転手をなぐりたおしてもかまわない」
と、彼は心中につぶやいた。タクシー代どころのさわぎではない。
美登の手紙は何だったろう?
おそらく今夜、彼女は例の金持と温泉かどこかへいっしょにゆかなくてはならぬ破目に陥ったのだ。それで、進退|窮《きわ》まって、おれに助けにきてくれと救いを求めたのだ。
そして彼女は、すべてを捨ててじぶんといっしょに恋の逃避行をすることもいとわぬ決心をしたのだ。――そうにちがいない!
タクシーのラジオがしゃべっていた。浪曲家みたいなしゃがれ声だ。
「日本経済の成長過程では、或る程度物価のあがることはやむを得ません。それは人間の値打ちがあがることであります……」
しかし、彼女といっしょに逃げるといったって、おれには金がない。現在ただいま乗っているこのタクシーの金すらない。――
が、それは何とかする。そのうち墨消しの息は消えるだろう。池袋についたら、そこに住む友人に土下座をしても金をつくり、彼女の信頼にこたえなければ男がすたる。
いや、そのまえにもしその金持に逢ったら、そいつの持っている札束をみんな白紙にかえてやる。
墨消しの息よ、それまでつづいてくれ。……
八時四十分だった。池袋までは九時ギリギリだ。九時――その時刻、美登は出発するのだ!
ラジオがしゃべっていた、録音などもまじえた今年一年の社会問題の回顧らしかった。
「またニセ札犯人は当局必死の追及もむなしく、これも警察の黒星として年を越すことになりました。……」
白い紙を札にかえるのをニセ札犯罪という。
では、ほんものの札を白紙にかえるのはなんという犯罪だろう。……
なんだか、全然不経済な犯罪だが、しかしニセ札作りよりもっと恐ろしい、重大な犯罪のような気がする。――
待てよ、そうではないか。さっき破れ太鼓みたいなドラ声で、物価の値上りはやむを得ないといってた男があったぞ。あのおなじ声が「経済のことはわたしにおまかせ下さい」とえらそうにいってから、物価は毎年一割以上も急上昇しはじめたような気がする。ということは、札の値うちがみるみる消えてゆくということだ。
あれも忍法かもしれん。
そうだ、或る経済学者が「現在の物価上昇すなわち貨幣価値の低落《ていらく》は、高度成長を達成するために莫大《ばくだい》な借金をした大企業のために、その借金を減らすための計劃的《けいかくてき》な政策である」といっていた。してみると、あのドラ声の男は、やはり墨消しの術を心得た大忍法者、この道の達人かもしれん。それで総理大臣がつとまるとすると、これは犯罪ではない。……
そうだ、あの巻物にも「人に傑《けつ》たるの人にあらずんば」とあった。ドラ声の男はもとより人の傑である。従っておれも傑に相違ない。
たとえいまは無一文にしても、あの巻物さえ手中《しゆちゆう》にある以上、きっと彼女を幸福にしてみせる。こんどの例を以てしても、あの第六十四番だけが効くとは信じられない。……
「あっ、いけねえ、一斉検査だ」
運転手が舌うちをした。
八時五十五分だった。大馬は歯ぎしりしたい思いがした。もしおくれて美登をつかまえることができなかったら万事休すだ。
ゆくさきなどは手紙で知らせてくれたにちがいないが、それが白紙となった以上、どうすることもできない。
車がとまり、外套《がいとう》を着たお巡りが首をさし入れた。運転手は免許証を見せた。
「これはなんだ」
ふいに運転手はあわてふためき、あちこちさぐりはじめた。それよりも、大馬は焦《あせ》った。
「僕はいそぐ。僕はここで下りるよ」
「そうですか。……おかしいなあ?……それじゃお客さん、ここまでの金を払って下さい」
「か、金。――」
こんどは大馬が、突然思い出したように狼狽《ろうばい》した。
「金はない」
巡査がドアをあけて、こちらに首をさし入れてきた。
「君、無賃でタクシーにのったのかね? 下りたまえ」
「君、ほんとうの巡査かね? 警察手帳を見せたまえ」
苦しまぎれに大馬はさけんだが、これがわるかった。若い巡査は「何っ」とわめき、ぐいと手帳を出して、「あっ」と眼をむいた。
それから、判断に苦しむ顔を道路の方にふりむけて、
「おういっ、来てくれ。――怪事件だ! おかしなことが起ったぞ!」
と、さけんだ。
ドアのあいだから、手をぐいとにぎられた伊賀大馬の頭を、夜の寒風とともに、「この忍法は人に傑たるの人にあらずんば、かえって身を破り、国を乱《らん》す。……」という文字が黒い霧のようにながれた。
〈編集部付記〉
本書は、ちくま文庫のためのオリジナル編集である。
本書のなかには、人種・民族や風習・風俗、職業、また精神的・身体的障害などに関して、今日の人権意識に照らして不当・不適切な語句や表現がある。これらのことについては、著者が故人であること、また作品の時代的背景にかんがみ、そのままとした。
山田風太郎(やまだ・ふうたろう)
一九二二年、兵庫県養父郡の医家に生まれる。一九四九年「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ賞受賞。一九五八年、忍法帖の第一作「甲賀忍法長」の連載を開始。その後も数々の風太郎忍法≠生み出し、一九六三年から「山田風太郎忍法全集」を刊行、忍法帖ブームをまきおこす。一九七三年より『警視庁草紙』『明治波濤歌』『エドの舞踏会』など独特の手法による明治もの≠発表。『戦中派不戦日記』『戦中派虫けら日記』などの日記文学、『人間臨終図巻』『あと千回の晩餐』などの死を見つめた作品等著書多数。一九九七年第四五回菊池寛賞を受賞。二〇〇一年、尊敬する江戸川乱歩と同じ七月二八日逝去。
本作品は二〇〇四年六月、ちくま文庫の一冊として刊行された。