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忍法破倭兵状《にんぽうはわへいじよう》
山田風太郎
目 次
忍法|破倭兵状《はわへいじよう》
甲賀南蛮寺領《こうがなんばんじりよう》
忍法おだまき
忍法ガラシヤの棺《ひつぎ》
忍法|天草灘《あまくさなだ》
ガリヴァー忍法島
お庭番地球を回る
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へうと飛びゆく雲は冬
鶴に身をかる幻術師
白秋「海豹と雲」
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忍法|破倭兵状《はわへいじよう》
一
「九月十六日。
賊船その数を知らず、ただちにわが船へむかうという。すなわち諸船をして碇《いかり》をあげて海に出でしむ。賊船三百三十余隻、めぐりてわが諸船を擁《よう》す。諸将みずから謀《はか》るに、衆寡敵《しゆうかてき》せずと、すなわち回避の計をなす。
余、従容《しようよう》これにさとしていわく、賊船千隻といえどもわれに敵するなし、切に心をうごかすなかれと。余、櫓《ろ》をうながして突撃し、銃筒を乱放すること風雷のごとし。かえりみて諸将の船を見れば観望して進まず、船を回《かえ》さんと欲す。余、船上に立ち叫んでいわく、なんじら軍法に生きんと欲するか。逃れていずれのところに生きんとするやと。
両軍ただちに鉾《ほこ》を交《まじ》う。降倭《こうわ》の俊沙《しゆんさ》なるものわが船上にあり、俯視《ふし》していわく、紅の錦衣《きんい》を着る者はすなわち賊将|馬多次《またじ》なりと。われ兵をして鉤《かぎ》を以て敵船に上らしめ、馬多次を寸斬《すんざん》せしむ。賊、気大いに挫《くじ》く。諸船一時に鼓噪《こそう》し、ひとしく進み、矢を射ること雨のごとく、声|河岳《かがく》にふるう。賊船三十隻|撞破《どうは》し、退き走り、さらにあえてわが師に近づかず。水勢極めて険なり。陣を唐笥島《とうしとう》に移す」
これは朝鮮水軍統制使|李舜臣《りしゆんしん》の「破倭兵状《はわへいじよう》」、すなわち日本軍を破った戦闘報告書の一つである。この報告書中にある賊将馬多次とは、日本水軍の将|来島出雲守通総《くるしまいずものかみみちふさ》のことである。
倭暦《われき》にして慶長二年九月十六日、全羅《ぜんら》南道沖の珍島|鳴洋峡《めいようきよう》に於《おい》て日本水軍を撃破した朝鮮水軍は、凱歌《がいか》をあげて根拠地たる唐笥島に集結した。
勝利のあとである。どの船も酒歌の声が高かった。ひるまの海戦での疲労も甚《はなは》だしかった。――西の黄海の水平線を血色に染めた壮大な夕焼けもしだいに蒼《あお》みがかってきたころには、全船隊、ただ酔いつぶれたようにしずかにゆれている中に、ただ提督李舜臣の旗艦の上だけに、数人の兵が働いていた。
一見したところ、これを船と思う者はあるまい。海に浮かぶ巨大な亀《かめ》である。船はいちめんに小山のごとく盛りあがった厚い板に覆われていた。李舜臣が創造した「亀甲船《きつこうせん》」とはこれであった。
彼自身が記している。
「船前に竜頭口《りゆうずぐち》を設け、大砲を放つ。背に鉄尖《てつせん》を立て、内よく外をうかがうも、外、内をうかがうあたわず、賊船数百の中といえども、以て突入して砲を放つべし」
その鉄甲にひとしい板の上で、兵たちは作業をしていた。ひるまの海戦で、日本の水軍はもとよりこの亀甲船を最大の目標とした。無謀にも船を乗りよせ、よじのぼろうとした日本兵もあった。その板にはりねずみのように植えならべられた刀錐《とうすい》に刺されて、彼らはみな死んだが、折れた刀が十数本ある。また彼らの血によごれてもいる。で――この船を、いまは聖器のごとくに愛する朝鮮水軍の兵たちは、日が沈んでもなおあとの修理や洗滌《せんじよう》にはげんでいたのであった。
そのひとりが、ふと、すぐ下の海面に妙なものを見た。
一本の笛のような竹筒である。それが波に浮かばないで、垂直に――竹の切口を水からつき出している。
水兵は怪しんで、亀甲の上を這《は》って、それをのぞきこんだ。……その刹那《せつな》、海中の竹筒から銀のほそいひかりが飛来して、彼ののど笛につき刺さった一本のながい針となった。声もあげ得ず、彼は海へ水けむりをあげておちていった。
「……やっ?」
ちかくにいたひとりがそれを見て、むろんその理由を知らず、ただ同僚が足を踏みすべらしたものとみて、あわてて這い寄って来ようとした。
――と、その下の海面に、さっきのものとはちがう竹筒がつき出ていて、それからも銀光が噴出して彼の頸《くび》を横につらぬき、これまたうめきもあげず海へ転落した。
十分ばかりして、海から二本の縄《なわ》が投げあげられた。その尖端《せんたん》には金具もついていなかったのに、それは音もなく舷《ふなばた》にピタと膠着《こうちやく》し、縄をつたって、二人の男がよじのぼって来た。膠着した位置に達すると、こんどは反対側の縄のはしを投げあげてまたこれを膠着させる。――こうして彼らは、亀甲船の上へ這いあがった。
先刻、海へおちた朝鮮水兵である。いや、服装はそっくりである。しかし、顔はちがっていた。おそらく海中で屍体《したい》の衣服ととりかえたのであろう。ひとりはやや中年にちかく眉《まゆ》のふとい、角《かく》ばった顔の男で、ひとりはまだうら若く、面長《おもなが》で、蒼白《あおじろ》い顔の男で、どちらも精悍《せいかん》きわまる雰囲気《ふんいき》をもっていることでは共通していた。
朝鮮兵でこのようなまねをする者があろうとは思えないから、敵に相違ない。――いかにもこれは日本兵であった。
「狐《きつね》、よいな?」
中年の男の方が、むろん日本語でささやいた。船の亀甲板に植えられた刀に気をつけろといったのである。先輩らしい調子であった。若い方は、黙ってうなずいた。
だれが――あの海上で潰滅《かいめつ》した日本水軍から、凱歌をあげて帰還した朝鮮水軍を追って、その根拠地に潜入してくる者があると想像し得ようか。もとより、そんなことにぬかりのないはずの李舜臣提督は、哨戒《しようかい》の船を外洋に残しておいたのである。その哨戒船は、追尾してくる小舟の片影《へんえい》も見なかった。――
ふたりの日本兵は悠々《ゆうゆう》と亀甲船の内部に入った。
日本兵にして、この船の中に入ったのは、これがはじめてであったろう。――さすがのふたりも毛穴がしまるほど緊張し、そして驚愕《きようがく》していた。内部のからくりに対してである。
朝鮮側の記録にこうある。
「船上に板をしきて亀甲の状をなし、その背上に十字の細路を設け、戦士の通行をゆるし、その余は刀錐《とうすい》をつらね挿《さ》しはさむ。前に竜頭を作りて口を銃穴となし、後を亀尾《きび》となして尾下をまた銃穴となす。左右おのおの銃穴六個あり。戦士水夫みな船内にかくれ、四面砲を発し、進退縦横、捷速《しようそく》とぶがごとし。戦うとき茅《かや》の編みたるものを以て覆い、刀錐をして露《あらわ》れざらしめ、敵超登すればすなわち刀錐に陥る。包囲すればすなわち火銃ひとしく発す。敵船中に横行して、みずから損ずるところなくして、向うところみな披靡《ひび》す」
もとよりこの全貌《ぜんぼう》をくまなく偵察《ていさつ》したわけではないが、一歩一歩進むあいだにも、内部のからくりのもの恐ろしさは、五感にひしひしと映らざるを得ない。
彼らは一室ごとにのぞいて歩いた。ふしぎにだれにも気づかれなかった。通路で、向うに人影が見えると、彼らは床を蹴《け》って、二羽の蝙蝠《こうもり》みたいに天井に吸いついた。たとえ、目撃されたとしても、服装は朝鮮水軍のものであったし、また日本兵が潜入しているとは想像を絶していることだから、だれも不審とは見なかったであろう。
やがて彼らは一室に端坐している人を見た。年は四十なかばか、白衣を着て、一穂《いつすい》の灯のもとに机にむかって端坐している。横顔は蒼白く痩《や》せて、気品にみちて、提督というより学者といった方がふさわしい風貌《ふうぼう》である。彼が見ているのは、一枚の海図らしかった。
――李舜臣ではないか?
まだ一度もその人に逢《あ》ったことがないにもかかわらず、ふたりの日本兵はそう直感した。――その人物をこそ狙《ねら》って刺客として潜入したのに、しばらくふたりは全身がふるえて、しばらく次の行動に出ることを忘れていた。
ほんの数刻まえ、あれほどの海戦をして来た人物とは思えない。いや、朝鮮|役《えき》はじまって以来足かけ六年、夢魔《むま》のごとく日本軍をおびやかしつづけて来た海将とは思えない。――
しかし、これはまぎれもなくその人であった。戦いに於ては阿修羅《あしゆら》のごとく、戦い終ればひたすら静寂と孤独と思索を好む李舜臣であった。
いま彼は、麾下《きか》全将兵のかちどきの歌と酔いをよそに、また新たな倭軍《わぐん》撃滅の場所をえらんで、海図に思いをひそめている。――とはいえ、さしもの李舜臣もこの夕《ゆうべ》ばかりは油断があった。
「…………」
中年の日本兵が、かすかにあけた扉《とびら》のすきから離した物凄《ものすご》い眼で、もうひとりの男をふりかえった。相手が蒼白《そうはく》な顔でうなずくのを見ると、彼は例の竹筒をとり出して口にあてがった。
しゅっ……
かすかな音に、舜臣が顔をあげたとき、その左の胸に、三寸はある針がふかぶかとつき刺さった。それは一刻にして馬でも斃《たお》す毒液をぬった針であった。
のどを狙って来た二本目の針を、舜臣は机上の円扇でたたきおとしたが、そのままのけぞった。
「……やった!」
いちど歯をむき出し、三本目の吹針《ふきばり》を飛ばそうとした男は、ふいにそのまま扉の下に崩折《くずお》れた。彼のうなじには、べつの針がふかぶかとつき刺さっていた。
延髄《えんずい》を刺されながら、
「うぬ。……狐《きつね》め、なにゆえ。――」
と、驚愕《きようがく》のうめきを発したが、そのまま彼は四肢《しし》をふるわせてうごかなくなった。
刺したのは、彼の同僚たる若い刺客であった。いちど彼は、立ったままグラリとよろめいたが、そのとき通路の彼方《かなた》から走ってくる跫音《あしおと》をきくと、そのからだが宙に舞い、ふっと消えてしまった。
通路の向うから駈《か》けて来たのは配下の海兵であった。彼は扉の外に倒れている人影に気づき、ぎょっとして棒立ちになったが、服装からみて、まさか日本兵とは思わず、極端に孤独を好む提督の性格をはばかって、
「李舜臣さま!」
と、声をおさえて呼んだ。
「ただいま、弟御《おとうとご》の李竜《りりゆう》 将《しよう》さま、御来船なされてござります」
返事がなく、そこにたおれている人間はもとより奇怪千万で、彼はたまりかねて扉をあけた。
絶叫して、彼は駈け寄った。
二
李舜臣。
家は代々、儒学《じゆがく》を業とした。
舜臣は幼時から英爽不覊《えいそうふき》、群児とたわむれるのに木を削って弓矢とし、意のごとくならざる者に逢《あ》えば、その眼を射ようとし、ために大人すらも彼を恐れた。
李家は舜臣にいたってはじめて武将を出した。その人に魅せられて、長官はおのれの娘を彼に配しようとしたが、彼はがえんじなかった。問う者に彼は答えた。
「われはじめて仕路に出づ、豈《あに》あえて身を権門に託して進むことを好まんや」と。
曾《かつ》て獄にあるとき、獄吏私語して、賄《まいない》あらばすなわち免るべしといった。舜臣は怒っていった。「死せばすなわち死せんのみ。なんぞ道に違《たが》いて生を求むべけんや」と。
人となり寡言《かげん》にして、容貌《ようぼう》高雅、修道の士のごとしという。
六年前――倭暦《われき》天正二十年四月十二日、日本軍が侵略を開始するや、疾風|枯葉《こよう》をまくがごとく、五月二日にはすでに京城《けいじよう》を占領した。これに対して第一の痛撃をあたえたのは、海に於《お》ける李舜臣であった。
彼は五月七日、巨済島《きよさいとう》東方海面で日本水軍を破り、五月二十九日から六月五日にわたり、唐浦《とうほ》に於て、日本水軍を全滅させた。
「賊船|奔遑措《ほんこうお》くなく退遁《たいとん》し、賊の半ばは水に投じて沈死す。その中|倭将《わしよう》三十四、五歳、容貌|健偉《けんい》にして服飾華麗なるもの、剣を杖《つえ》ついてひとり立ち、指揮抗戦してついに屈せず。ゆえに、みな力を極めて射てこれに中《あ》つること十余度、はじめて声を失して水に落つ」(唐浦破倭兵状)
この日本の海将は来島半《くるしまはん》右衛門通之《えもんみちゆき》である。のちに珍島鳴洋峡で戦死した来島|通総《みちふさ》の長兄である。すなわち、水軍として日本では名高い来島一族は、李舜臣のために兄弟ともに討たれたことになる。
さらに七月十日、閑山洋の海戦で日本船隊百十五隻をことごとく葬り去った。
「けだし倭賊《わぞく》もと水陸を合して進まんと欲す。この一戦によりてついに賊の一臂《いつぴ》を断つ」
と、李朝の重臣 劉《りゆう》 成《せい》 竜《りゆう》がいっているように、もともと水軍を黄海へ推進させ、鴨緑江《おうりよつこう》へ北上する陸兵に海から補給してゆこうとする日本軍の作戦を根本からくつがえしたのはこの海戦であった。
のみならず、この李朝のネルソンともいうべき提督は、爾来釜山《じらいふざん》と対馬《つしま》とのわずか三十|浬《かいり》の兵站《へいたん》線すらおびやかし、ために大陸に派遣した二十万の日本軍を立往生におちいらせ、太閤《たいこう》の征明征韓《せいみんせいかん》の野心にとどめを刺す最大の英雄――日本からみれば、大魔王となった。
海に日本軍と戦って曾て敗れたことのない李舜臣は、いちじ李朝政府内部の党争の犠牲となってその職をとかれた。さきに舜臣が、獄に投じられたといったのは、このときである。するとたちまち朝鮮の水軍は大敗した。彼はふたたび起用された。
果然、彼は敗余の舟師《しゆうし》をあつめて、この倭暦慶長二年九月十六日、鳴洋峡に於て日本水軍を撃破したのである。――数刻前の海戦がそれであった。
その名将李舜臣が殺された!
兵のさけびで、人々が殺到した。そして彼らはそこにあおむけに横たわった人の胸に凄《すさま》じい針がつき刺さり、その四肢も、はや冷たくなりつつあることを知って、李舜臣よりも心臓に激痛をおぼえ、四肢が冷たくなるのをおぼえた。
「何やつのしわざか?」
数瞬《すうしゆん》の放心状態ののち、だれかそううめいたとき、
「これは、日本兵じゃ!」
そうさけぶ者があった。かたことの朝鮮語であったが、それは降倭《こうわ》のひとりであった。彼は入口のところにたおれている例の刺客の上にかがみこんでいた。
みな猛然とその方へ殺到した。そういわれてみると、その不審な男は、朝鮮兵の姿こそしているが、まぎれもなく倭賊《わぞく》であった。
「やっ。……どうしてここに?」
それよりも人々は、その男のうなじにつき刺さっている異様な針が、李提督の胸に刺さっている針とおなじものであり、かつ完全にその男がこときれているのを知って、動顛《どうてん》した。
「医者を。――医者を。――」
だれか、悲鳴のような声をあげたとき、
「待て。わしが何とかして見よう」
と、しずかにいった者があった。みなその方をふりかえって、
「竜将さま、どうなさる?」
と、さけんだ。
それまで李舜臣のそばにひざまずいてうごかず、ただその胸からぬきとった針をじっと灯にかざしていた人物である。まだ二十五、六であろう、舜臣によく似た端麗な顔をしていた。ただし、兄を学者型というなら、これは詩人型ともいうべき、どこかやさしい、フンワリとした容貌であった。
「兄を甦《よみがえ》らせよう」
と、彼はいった。
これは李舜臣の弟の李竜将であった。
「鸚鵡《おうむ》、おいで」
彼は、さしまねいた。人々の中からしずかに進み出て来たのは、ひとりの若い女であった。蝋《ろう》で刻んだような美しい女である。
彼女を呼んで、李竜将は何をしたか。……人々は、眼を凝然《ぎようぜん》とみはって、提督の弟の展開したおどろくべき行為をながめた。
彼は鸚鵡と呼ばれた女をそこに横たえ、その裳《チマ》をかかげ、じぶんの左手の小指を以て、彼女の女陰《によいん》を擦《こす》りはじめたのである。やがて、灯にかざした指に、半透明の白い乳のようなものがひかっているのを人々は見た。次に彼は、兄の男根をあらわし、これを塗った。さらに、腰にさげていた瓢《ペカチ》から掌に何やらこぼした。十数粒の米であった。それを鸚鵡の口に入れ、かみくだかせると、鸚鵡は李舜臣に顔をかさね、口うつしに死者に食べさせ出したのであった。
そのあいだ、彼は、兵に水甕《みずがめ》を運ばせ、水の上に燈油を入れた皿《さら》をうかべ、これに鳥足心《ちようそくしん》という燈心を立てて灯を点じた。……口の中で何やら念じている。
「南無《なむ》大鬼|巫術《ふじゆつ》神……南無小鬼巫術神……南無日鬼巫術神……南無月鬼巫術神……南無青鬼巫術神……南無赤鬼巫術神……南無白帝巫術神……南無黒帝巫術神。……」
李舜臣の蒼《あお》ざめた唇《くちびる》がうごいた。
「倭賊はどうしたか?」
人々はどよめいた。
灯に祈る李竜将には、甦《よみがえ》った兄の声も人々のどよめきもきこえないらしかった。その横顔は蒼白《そうはく》を通りこして、透《す》きとおるように見えた。
「南無八難鬼巫術神……南無九厄鬼巫術神……南無死人百鬼巫術神……南無魂魄鬼巫術神。……」
「竜将、いつ来たか?」
舜臣はまた呼んだ。竜将はようやくふりむいた。微笑していった。
「兄上、六年ぶりでございますな」
舜臣はまだ事情がわからず、何よりもじぶんのそばに――この亀甲船《きつこうせん》に見知らぬ女が端坐しているのを見て不審に思ったらしい。じっと見まもっている顔をみて、竜将がいった。
「それは巫女《ムーダン》の鸚鵡《おうむ》と申しまする。……わたしの妻でござります」
――約一年後、日本軍が朝鮮役から総撤退するにあたり、「倭賊、一兵たりとも生かして帰すなかれ」と李舜臣はふるいたち、日本船隊中の島津軍を露梁津《ろりようしん》海峡に捕捉《ほそく》し、これを撃滅する最後の戦闘のさなか、ついに船上で壮絶な戦死をとげることになるのだが、これについて伝説が残っている。
「朝鮮|民譚集《みんたんしゆう》」にいう。日本軍の銃弾をあびた舜臣は、ふたたび起《た》つあたわざるを知ると、
「われ死せば、両足の裏に土をつけ、口に餅《もち》をふくませよ」と命じて死んだ。このためなお朝鮮に残っていた鬼上官《きじようかん》加藤|清正《きよまさ》は、いかに占《うらな》ってみても李舜臣が生きているとしか卦《け》が出ないので、海をわたるに恐怖し、戦慄《せんりつ》したという。
思うにこの伝説は、唐笥島《とうしとう》に於けるこのときの挿話《そうわ》が変形して語りつたえられたのではあるまいか。
三
李舜臣には一人の弟があった。李竜将といった。
年齢がひどくちがうので、舜臣はこの弟をじぶんの子供のように愛した。しかし、この弟は生来|蒲柳《ほりゆう》の質で性質もやさしかった。もともと、李家から舜臣のような武人が出たのが異色だったのである。
それでも舜臣はこの詩人|肌《はだ》で夢想的な弟を愛していた。しかし、この弟が李家に出入りしている巫女《ムーダン》の娘と恋愛しはじめたらしいのを知って眉《まゆ》をひそめた。巫女《ムーダン》は朝鮮で社会的にきわめてひくい、いやしむべき身分のものとされていたからである。
李家にこんな悩みが生まれかけていたとき――六年前、日本軍が来襲した。すべての朝鮮人は武器をとって起《た》った。
「竜将、海へゆけ、わしとともに戦うのだ」
と、まなじりを決して兄はいった。
弟はうなだれたまま、黙していた。兄は声をはげました。
「おまえは兵になることはいやか。この国難を知らないのか?」
弟は顔をあげていった。
「存じておりまする。しかし、わたしはわたしなりに倭賊《わぞく》を滅ぼす助けとなりたいと思います」
「おまえなりの?」
きいたが、答えなかった。答えても、理解してもらえないと思ったのであろう。
そして、李竜将は家から逐電《ちくてん》したのである。調べてみると、例の巫女《ムーダン》の母娘《おやこ》もおなじ徳水の町から消えていた。巫女《ムーダン》は白髪の老女であって、竜将と相愛におちいっていたのは、そのころまだ十六、七のその娘だったのである。きいてみると、その日の夜明前、神将竿《シンチヤンテエ》という呪法《じゆほう》の杖をついた老女を先頭に、三人が山の方へいそいで去る姿を見かけた者があるという。
朝鮮に於ける巫覡《ふげき》の歴史は古い。おそらく、新羅《しらぎ》、高麗《こうらい》――いや、それ以前の太古の時代から存在していたものであろう。これは悠久《ゆうきゆう》の昔から、ほとんど朝鮮文化の根幹をなしている。
巫とは巫女《みこ》のことであり、覡《げき》とは男のかんなぎのことである。朝鮮の言葉では巫《ムーダン》といい覡《パクス》という。圧倒的に女性が多くこれを職とした。彼女たちの行う神事は、祈祷《きとう》、悪魔ばらい、占い、呪殺《じゆさつ》、舞踏、軽業などである。中には、当然、附随的に売色のわざをするものもあった。
そもそも朝鮮では、古代から社会的な身分を、両班、中人、常民、賤民《せんみん》の四階級にわかち、その区別を厳守して結婚ならびに職業をほかの階級にわたって行うことを厳禁していた。そして巫覡《ふげき》はこの賤民階級に属した。
これになるには、大半が母が娘に伝えるという世襲のものが多かった。幼女のころから巫業を見習わせ、また諺文《オンモン》でかいた巫書をもととして、母が歌唄《かばい》体に教えたのである。従ってこれが一種のシャーマニズムにすぎないものであることはいうまでもないが、中には断食したり、山中に籠《こも》って苦行《くぎよう》したりして神秘の力を得ようとし、また神秘の力を得たと衆人が認める者も少なくなかった。これを「定《じよう》に入る」とか「開眼《かいげん》する」とか称した。
すでに三国時代に鼻荊郎《びけいろう》なる者が鬼衆《きしゆう》を使役して鬼橋を架《か》け、またその鬼衆を任意に左右したという記録があり、また「李朝《りちよう》実録」には、この物語のわずか六十数年前、中宗王二十八年二月、妖巫《ようふ》の疫神使いがあり、ひとの死生は意のままであるというので、大さわぎになった記録がある,
「卜巫《ぼくふ》は古来の聖賢もまたみな行えり。これを知って可なり。しかれども癖《へき》をなし、妖人《ようじん》の称を得るなかれ。およそ人好んで巫覡《ふげき》の書を見、役鬼幻化《えききげんか》の術に及ぶ者は必ず終りよからず。多く禍《わざわい》を招く」
などいましめた書物もある。
それくらいだから、階級的には賤民視され、ときには恐れられながら、巫女《ムーダン》たちは絶えることがなかった。それどころか、彼女たちは世襲的にそれぞれ檀家《だんか》を持っていた。これを丹骨《タンゴル》家という。
彼女たちは呼ばれると、禁忌縄《クムキチユル》や神旗や呪符《じゆふ》や神将竿《シンチヤンテエ》や算木《さんぎ》や鈴などを持って丹骨家を訪問した。ぶつぶつと唄《うた》いながら。――
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「伝えに来た、招《よ》ばれて来た。
児童万神、招《よ》ばれて来た。
閉めた門も、開けに来た。
開けた門も、閉めに来た。
日光月光、両日光。……」
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児童万神とは、年若い巫女のことである。――李家にも、その巫女母娘はそう唄いながらやって来たのである。この丹骨《タンゴル》制は日本の檀家とおなじように世襲的な社会制度の一つであるから、李家も彼女たちを容《い》れていたのであるが、舜臣はもとより苦笑してながめていた。のちに亀甲船を創造するほどの舜臣が、かかる古怪な巫術を信ずるはずがない。
しかるに、李家の子弟が、この荒唐無稽《こうとうむけい》な賤民の娘と恋し合い、手に手をとってかけおちしようとは。
李舜臣はおどろきあきれ、かつ怒った。
しかし彼はながくおどろきあきれ、怒ってはいられなかった。彼は海へ赴《おもむ》き、日本侵攻軍と悪戦苦闘した。
それから六年目。――ゆくえを絶っていた弟の竜将が忽然《こつぜん》と彼の船を訪れて、倭賊の刺客に斃《たお》された李舜臣の命を救ったのだ。
彼はあの若い巫女《ムーダン》、鸚鵡《おうむ》を同伴して、「わたしの妻だ」と紹介した。のみならずふたりの巫術によって、兄をよみがえらせたのである。
しかし、よみがえった舜臣がはじめて声を発したときであった。新しくまた通路の方から駈《か》けて来たふたりの男があった。それが、船室内の様子を見、入口にたおれている刺客を見、すべてを察したらしく、
「しまった」
と、若い方がさけんだ。
その刺客のうなじにつき刺さっている針をぬきとったもうひとりが、はっとして頭上をあおいで、
「忍者だな」
と、うめいた。
きいた者には、意味もしれなかった。なぜなら、ふたりがいま口走ったのは、いずれも日本語であった。服装は双方ともに朝鮮軍のもので、とくに針をぬいた方は武将の姿をしていたのに。
「もはや、のがれられぬ、下りてこい」
と、彼はつづけて、何者かにさけんだ。
とたんに人々は、まるで蝙蝠《こうもり》のような影がひらひらと舞いこんでくるのを見た。それは天井を、外から内へ、船室に入るとこんどは蜘蛛《くも》のようにツ、ツ、ツーと滑って来たのである。
ぱっと李竜将が、まだあおむけに横たわったままの兄の上に身を伏せた。
「狙《ねら》ってるのはこっちだ」
と、天井にやもりみたいに吸いついていた男がいった。彼は竹筒をくわえたまましゃべっている。その竹筒と物凄《ものすご》い眼は、ちょうど李舜臣から二|間《けん》ばかりはなれて、壁ぎわで身づくろいしていた鸚鵡ののどぶえにむけられていた。
「うごくな、うごくと毒の針が飛ぶ」
いったのは日本語だから、下の兵たちがどっとその方へ駈け寄ろうとしたのを、
「待ちなされ、危い」
と、針を持ったままの男がいった。これは韓語《かんご》であったが、すぐに天井に眼をむけて、
「見つかって、外へ逃げずに内へ逃げるとは不敵な奴。……日本の忍者だなあ」
と、これは日本語でうめいた。
「内へ逃げて、さておまえはどうするか」
「女だけを残して、みな外へ出ろ。そう言え。おれは壁に穴をあけて舷《げん》の外へ出る。そうすれば、女を殺すことだけはゆるしてやる」
「なるほど。……しかし、うぬは日本軍のどこの手の者だ」
「うぬこそ何だ、朝鮮人のくせに、日本語をしゃべるとは」
「沙也可《さやか》じゃ」
「なにっ?」
「沙也可という名はきいたことがあろう」
「沙也可――沙也可とはうぬか。……この唐虱《からじらみ》め!」
「しかし、うぬはなぜ仲間を殺した。ここに死んでおる男はおまえが殺した者であろうが」
天井の男は沈黙した。あきらかにその蒼白《あおじろ》い顔が苦悶《くもん》に痙攣《けいれん》するのが見えた。
日本語の問答をきいていた朝鮮兵たちが、いらだってきいた。
「金忠善《きんちゆうぜん》どの、何を話されておる?」
「しばらく」
と、沙也可と名乗り、或《ある》いは金忠善と呼ばれた韓将は制して、また天井にきいた。
「なぜ仲間を殺した?」
「李舜臣を殺したくなかったからよ。ふふん」
「しかし、李舜臣さまには針を吹いたではないか」
「それは、斑目《まだらめ》が――その男が吹いたんだ。一針吹いて、二針、三針、とどめを刺そうとしたやつを、おれがとめた。とめるには、殺すよりほかはない。三針めにとめたのは、それまでおれが迷っていたからだ」
「なぜ、とめた」
「李舜臣が死んだら、太閤《たいこう》がよろこぶだろうと思ったからよ。太閤をよろこばせたくないから、李舜臣を生かそうとした。――」
天井の日本の忍者は、竹筒を口にあてたまま、突如わめいた。
「うるさい、もうだまれ。おれはうぬのような唐虱《からじらみ》とちがって、朝鮮に降参した人間ではない。おれだけの太閤への恨みから、思わず仲間を殺しただけだ。はやく、ここを出ろ。それとも、女も殺されることを覚悟で、おれを殺すか、もともとそれを覚悟でこの亀甲《きつこう》船に乗りこんで来たおれだ。殺すなら、殺せ」
「……いや、殺すまい」
と沙也可という奇怪な名を持つ奇怪な韓将は短い思案ののちにいった。
「おまえのいのち、この沙也可の首にかけて助けたまわるよう、李舜臣さまに頼んでとらす。降りてこい、日本の忍者」
四
豊太閤《ほうたいこう》の朝鮮役に、「降倭《こうわ》」というものがあった。
これは朝鮮側や明《ミン》の記録に出てくる呼称で「降服日本兵」の意味である。
「むかし加藤|主計頭《かずえのかみ》に仕えし阿蘇宮越後守《あそみやえちごのかみ》という者、仔細《しさい》ありて高麗に仕えけるが、このたび蔚山《ウルサン》城に八千騎の大将として来りけり。使いを以て城内にいいけるは、主計頭数日の勇戦比類なし、この上は城を開け渡し、身命を助かりたまえと云々」
などいう日本側の記録にもあるが、むろんその実態は明韓側に詳しい。
「倭賊《わぞく》、天兵(明軍)に投降する者百にいたる。賊将知るといえどもしかも禁ぜずという、賊謀測りがたしとなす。かの賊はわれに於ては万世必報の讐《あだ》たり。その下賤至微《げせんしび》の者といえども、われにありては、争うて肉《ししむら》を切らんと欲す。いわんやその投降する者、多きは百人にいたり、公然境を過ぎるをや。きわめて痛憤となす」(宣祖実録)
「降倭|来《きた》らんとするに拒《こば》めばすなわち策なきにちかく、これを受くるもまた処しがたし。その書辞をみれば、哀乞《あいきつ》の意あらず」(同上)
これは降倭のむれが、あらかじめ明韓軍に書状を投じて、堂々と百、二百の集団で来降してくることをいい、その書状も投降後の態度も傲然《ごうぜん》としたものでおよそ降服者らしいところがないことをいい、朝鮮側がその心事を疑い、かえって困惑していることの告白である。
「曾《かつ》て降倭ら、臣の座前に突進し、左右をしりぞけていっていわく、われらすでに日本にそむき、朝鮮に降る。死生また朝鮮にあり。われら賊魁《ぞつかい》にあたり、われらの志をいたさんと欲すと」(同上)
これは降倭たちが韓将のまえへ推参《すいさん》してじぶんたちの誠意をのべ、かつ賊魁加藤清正をみずから斃《たお》さんという意志をのべたものだ。
明韓軍の方でも、一応は彼らをたくみに利用しようとはした。
「降倭を殺すは甚《はなは》だ大失策なり、彼ら、わが国の土地|膏腴《こうゆ》にして衣食ゆたかに足り、日本の法令|刻惨《こくさん》なるに比してつねに相言《あいい》っていわく、朝鮮はまことに楽国なりと。――伏してねがわくは、今より以往、諸将に勅して、降倭のすでに来れるものはその衣食をゆたかにし、結ぶに恩信を以てせよ。また降倭らをしてひそかに倭陣に入らしめ、後来の者を招き出だせば、すなわち彼らの帰附《きふ》する者あげて日々数百たるべし。蛮夷《ばんい》を以て蛮夷を制するは上策なり」(看羊録)
しかし、結局は、明韓軍は降倭をあしらいかねた。――降倭のむれを満州に送って、胡人《こじん》すなわち満州族とたたかわせた記録がある。
「降倭の処置甚だ難《かた》し。いますなわち遼東《りようとう》に送る。十三の倭人、唐兵をひきいて夜襲す。倭人はすなわちただ三名傷死し、胡人はすなわち死亡者三百にあまるという。降倭ら、胡人とひとたび交戦すれば多く傷害をこうむる。しかもこれを督戦《とくせん》すれば、すなわち肘《ひじ》をはらって突入すという。真にいわゆる毒種たり」(宣祖実録)
その剽悍無比《ひようかんむひ》なのに呆《あき》れ返っているのである。……その恐怖心は、ときにせっかく投降して来た者に、むしろ憎悪を以て酬《むく》いるという事態をもひき起す。
「当日、降倭を柱にたてて結縛《けつぱく》す。諸将軍とともに座をゆるして酒を送り、これをして射的せしむ。まずそのうなじを射《い》、ついで臍下《せいか》を射る。諸将官また多く乱射す。その射るにあたり、まず降倭に問いていわく、なんじ恐るるか。その降倭答えていわく、われ恐れずという。五、六|箭《せん》にいたりてはじめて死す。死後庭に下りてその矢を抜き、嗅《か》ぎてみるに腥《なまぐさ》からず。夕にいたるもその倭を射てやまず」(宣祖実録)
これは、明韓将が酒興として、降倭のひとりを射的に使った例だ。
とにかくこれでいわゆる降倭がたんに戦意を喪失して投降したものではなく、日本の生活や法令があまりに刻急で、それからみれば明や朝鮮は極楽にちかいと、給与の豊富なのにつられた連中が大半で、すくなくとも降伏後、なお本来の精悍性《せいかんせい》を失ってはいなかったことがわかる。
日本軍はこれを、「唐虱《からじらみ》」と呼んだ。
中でも日本軍を悩ました「唐虱」の大将がふたりある。ひとりはもと加藤清正の侍《さむらい》 大将《だいしよう》で阿蘇宮越後守という人物であったが、もうひとりは「沙也可」という男だ。
「沙也可」とは日本人としても朝鮮人としても実に妙な名だが、その正体はいまにいたるも日本軍にはわからない。
「おまえ、名は何という」
と、床に下りて来た日本の忍者に、先刻「沙也可」といっしょにやって来た男が日本語でいった。
彼もまた降倭のひとりであった。これは李舜臣の記録に「降倭の俊沙《しゆんさ》なるものわが船上にあり、俯視《ふし》していわく、紅の錦衣《きんい》を着る者はすなわち賊将|馬多次《またじ》なりと」とあるように、あの海戦で日本水軍の司令官|来島通総《くるしまみちふさ》をさししめして李舜臣に彼を討たせた男であった。
いつも舜臣とともにこの亀甲船にのっているが、先刻はからずもおなじ降倭の大将「沙也可」が陸から来船したというので、これを案内して来たものである。
日本の忍者はそれにはこたえず、ただ沙也可の姿をじっと見つめた。依然として不敵なまなざしであったが、しかしあきらかに闘志を失い、むしろ好奇心にみちた眼であった。
朝鮮本土に於ける野戦で、神出鬼没、日本軍を悩ますふしぎな部隊があった。
はじめただ朝鮮の部隊とみて、日本軍がこれをのんで襲うと、たくみにこれを必殺の地形に誘いこんで、突如として白衣をかなぐりすてる。兵装は、緋《ひ》の陣羽織あり、黒母衣《くろほろ》あり、鬼面のごとき面頬《めんぼお》あり、その兵装はまごうかたなき日本軍であった。それが反撃に移るや猛烈果敢、本来の日本軍が全滅をまぬかれるのが珍しいくらいであった。この部隊のことは日本軍でも容易ならぬ敵と一目《いちもく》おかれ、その指揮者が「沙也可」と名乗っていることまではわかったが、いまだに正体がわからなかった。
――これがその沙也可か?
年のころは四十四、五歳、長身であるがやせこけて、ひたいや頬《ほお》にふかい皺《しわ》があった。それでなくとも、彫りのふかい顔である。こともあろうに敵側に寝返って、あれほど日本軍を悩ます謎《なぞ》の巨魁《きよかい》とはみえず、まるで彫物《ほりもの》師か刀工の名人をみるようなおだやかな横顔であった。
横顔というのは、彼が前に仁王《におう》立ちにはなっているものの、李舜臣兄弟の方をながめていたからだ。
いちど、その眼をもどしてきいた。
「おまえ、太閤に恨みがあるとはどういうことじゃ」
ほそいやさしい眼なのに、日ぐれどきの雲の断裂《だんれつ》のような、人を吸いこむ妖《あや》しいひかりがあった。
しかし、彼はまた李舜臣の方をふりかえった。李舜臣は何やら声をあらげ、それに対して李竜将がしずかに答えているようであったが、日本の忍者にはむろん内容はわからなかった。しかし、ふたりの問答がただならぬものであることは、沙也可のみならずそこにいた朝鮮兵たちが、下に降りて来た日本軍の刺客をさしおいて、みなそちらに気を奪われているらしい様子からもわかる。
李竜将が鸚鵡《おうむ》の方をむいて何かいった。
すると鸚鵡はうなずいて、彼女が持って来たひらたい包みを解き出した。あらわれたのは径一尺以上もある円い鏡であった。しかもそれが笠《かさ》のように鏡の面がふくれあがった凸面《とつめん》鏡なのである。
――これは巫術《ふじゆつ》につかう日月明図《イルオルミヨンド》と称する神鏡であった。裏の凹面《おうめん》には、日月と北斗七星が鋳出《いだ》してある。
日本の忍者は眼をみはった。鸚鵡はふたたび裳《チマ》をまくりあげ、口にくわえると、その鏡をピタリとじぶんの股間《こかん》にあてがったのである。
李舜臣はその鏡に向いあった。まるで魅入《みい》られたようなまなざしであった。
「あれは……忍者だな」
日本の忍者はいった。
「朝鮮の忍者か。……何を見せているんだ」
沙也可も俊沙も答えなかった。
「あの鏡には満足に顔もうつるまい。鏡をとりのけた方が観物《みもの》だろうが」
「しずかにしろ」
「いや、しかし、妙なものがうつっているのだな。ふうむ、朝鮮の忍法か。韓《から》に忍法があろうとは知らなんだ。先刻から見ておったぞ。あいつら、放っておけば死ぬ李舜臣を生き返らせた。――しかし、いまの勝負はおれが勝ったぞ。あの女を殺せば、きゃつらの忍法は成らぬとおれは見ぬいたのだ」
「うるさい、だまれ」
沙也可が、はじめて凄《すさま》じい殺気にみちた眼で彼をにらんだ。彼は沈黙した。
船室には冥府《めいふ》のような静寂が満ちた。厚い板壁の向うで重々しい海のうねりがきこえたが、それがかえって深淵《しんえん》の底を思わせた。
鸚鵡が白い裳《チマ》を雲のように下ろした。鏡はかくれた。
「……そうか」
と、李舜臣が夢からさめたようにつぶやくのを沙也可はきいた。
「わしのいのちはあと一年か。……そのようにして海で戦死するか」
彼は神秘な日月明図《イルオルミヨンド》の面《おもて》に何を見たのであろうか。……なお、彼らしくもない茫乎《ぼうこ》とした眼で――むしろ恐怖のただよった眼で六年ぶりに再会した弟を見て、
「竜将。……はじめて知った。巫術がここまで達しようとは。――たとえ、いまわしの見たものが幻であろうとも」
「幻ではありませぬ。運命がこのまま推移すれば、そうなりまする」
李竜将はかなしげなまなざしで、しかし断乎たる語気でこたえた。はじめて李舜臣の眼に生命のひかりがもどり、きっとして彼はいった。
「それでも、わしはたたかう! わしは死は恐れぬ」
「兄上が死なれましても、倭賊《わぞく》は朝鮮から去りませぬ。いや、兄上に死なれましては、倭賊はいっそう朝鮮から去りませぬ。なぜならば、彼らは、朝鮮から去ることをゆるされぬからです。或《あ》る恐ろしい一つの意志に縛られて」
「一つの意志」
「秀吉《ひでよし》」
その言葉だけは、日本の忍者の耳にもはっきりときこえた。彼ははっとした。
「このたびのいくさは、ただその男の意志一つだけから起りました。そして日本兵たちもすでに勝利の自信はまったく失いながら、その恐ろしい意志に縛られて、絶望的なたたかいをつづけているだけなのです。彼らは最後の一兵となるまでたたかいましょう。しかし、彼らが最後の一兵となる以前に、朝鮮は完全に亡国となりましょう」
李舜臣の顔に苦悶《くもん》の翳《かげ》がゆれた。
「竜将、おまえはどうしようというのか?」
「秀吉を殺すより、このいくさをやめる法はありますまい」
「なに、秀吉を? それはもとより全朝鮮あげて悲願するところだ。しかし秀吉は日本におる。日本の伏見におる。その秀吉をいかにせば誅《ちゆう》せるのか?」
「わたしが殺します」
「おまえが!」
「鸚鵡も志をともにしております」
「おまえが――どうして、日本へ?」
「両人、ともに日本軍の虜《とりこ》となって、日本へ」
このとき、沙也可がしゃがれた声を出した。
「ことごとくは相知れませぬが、御様子はほぼここにて 承《うけたまわ》 っておりました。しかしながら竜将さま、日本軍の虜《とりこ》となられましても、果たして日本へ送られるか。また伏見城に入れるか。さらに朝鮮人の身を以て、そうやすやすと秀吉の身辺にちかづけるか、それは疑問でござりましょう」
李竜将はふりかえり、動揺の表情になった。
「それはわたしも悩んでおる。しかし、ことはいそぐ。そしてそのほかに法はない。――」
「まことに朝鮮の運命を憂《うれ》うる心は一つか。拙者もこのいくさを終熄《しゆうそく》せしめるにはただ秀吉の首をもらうにしかず、と思い至って、急ぎ李舜臣さまを訪れました。ただ、何びとを以て拙者の首を日本に運ばせるか――その点についてかんがえあぐねておったのでござりまする」
「何という。沙也可の首」
と、李舜臣はさけんだ。
「拙者の首を日本へ運んで、徳川|家康《いえやす》なるものに見せれば、家康おそらく意のままになりましょう。家康は秀吉につづく日本の大大名でござりまする。家康を自家薬籠中《じかやくろうちゆう》のものとすれば、秀吉にちかづく機会もつかみ得ましょう。……沙也可の首を以て、太閤の首をとる。これを日本では海老《えび》で鯛《たい》をつると申しまする」
沙也可はしずかに笑った。
「もとより通常の者を以てしては成りますまいが、李舜臣さまの弟御《おとうとご》ならば。……沙也可は、死神を日本へ送る手段を知れど、その人を知らず、竜将さまはみずから死神となって日本へ渡る決心をなされたれどその法を知りたまわず、しかるに両人、ただいまこの船にてめぐりあいましたは、あたかもその神鏡に日月のならんだようなものでござりましょう」
彼は、ちらと日本の忍者を見た。
「ただ。……」
と、くびをかしげて、
「はじめて日本へ渡られる李竜将さま、やはりなかだちが要《い》りましょう」
彼は忍者にいった。
「おまえ、太閤に恨みがあると申したな?」
日本の忍者は、茫然《ぼうぜん》として韓語の問答をきいていたが、ふいにふたたび問いをじぶんにむけられて、ややめんくらった表情をした。
「太閤を殺したいほどに思うておるか?」
沙也可を凝視した忍者の眼が、しだいにひかり出した。しゃがれ声でいった。
「殺したい」
「では、殺させてやる」
「何を、ばかな。……そもそもおれが、日本へは帰れぬわ」
「日本兵は、朝鮮人の鼻を斬《き》って三十集めれば、日本へ帰れるというではないか。ましてや、この沙也可の首を持てば。……」
「なんだと?」
「あれにおわすは朝鮮水軍統制使李舜臣さまのおん弟君の御夫妻だ。その御両人をも加えて手《て》土産《みやげ》とすれば、太閤にちかづく見込みもないではあるまいが」
「沙也可の首。李舜臣の弟」
日本の忍者は眼を宙にあげた。その眼は血いろに燃えてきた。
「なるほど。それならば太閤のまえに。――」
と、うめくように、
「あれはおゆうさまを殺した。……」
「おゆうさまとは?」
忍者は高熱の悪夢にうなされているようにつぶやいた。
「おれの……御主人の御息女だ。しかし。……」
五
「賊船海を覆《おお》いて来《きた》る」
と、朝鮮側の記録にあるように、二十余万の日本軍が釜山《ふざん》に上陸した天正二十年四月十二日からすでに六年半。
朝鮮の山河は荒れつくした。
最初の半年ばかりは、日本軍の鋭鋒《えいほう》はあたるべからざるものがあった。五月二日にはすでに京城《けいじよう》を落した。六月十五日には小西軍は平壌《へいじよう》を占領し、七月二十三日には加藤軍は満州国境にちかい会寧《かいねい》まで進出して、逃亡中の朝鮮の二王子を捕虜とした。
「賊軍野を覆うて来る。みな紅白の旗を負い黄金の傘《かさ》を張り、鬼面獣形、粉粧《ふんしよう》はなはだ怪《あや》し」(再造藩邦志)
「江をへだてて賊を望むに十余騎、羊角島《ようかくとう》に向い江中《こうちゆう》に入る。水馬腹を没す。みな轡《くつわ》を按《あん》じて列立し、まさに江を渡らんとするの状を示す。その余江上を往来するもの、或《ある》いは一二、或いは三四、大剣をにない、小刀をさしはさみ、日光下射、閃々《せんせん》として雷《いなずま》のごとし」(同上)
「賊歩兵を用い、刃《やいば》みな三、四尺精利比なし。これと突闘すれば左右|揮撃《きげき》、人馬みな靡《なび》き、あえてその鋒《ほう》にあたるものなし」(懲《ちよう》|※[#「比/必」、unicode6bd6]録《ひろく》)
「その兵を用うるやよく埋伏《まいふく》し、しばしばわが軍のうしろにめぐり出で、両《りよう》 面《めん》 挟《きよう》 攻《こう》、つねに寡を以て衆に勝つ。そのいまだ戦わざるや、一人扇をふるえば伏者四面に起《た》つ。これを胡蝶陣《こちようじん》という。刀の長さ五尺、双刀を用う。すなわち丈余の地に及ぶ。また手舞六尺を加う。鋒《ほう》をひらけばおよそ一丈八尺。舞動《ぶどう》すればすなわち上下四傍ことごとく白くその人を見ず」(両朝平壌録)
これらの朝鮮側の記録は初期の日本軍の颯爽《さつそう》ともいうべき戦闘ぶりをいかんなく活写している。
しかるにその年十二月、突如として明軍が鴨緑江《おうりよつこう》をわたりこれに介入した。平壌にあった小西軍は大敗して退却した。爾来《じらい》、両軍は押しつ押されつの持久戦に入ることになる。そして日本軍は、制海権を失って補給が意にまかせないことと、全朝鮮に蜂起《ほうき》したゲリラのために次第に苦戦状態におちいっていった。
それは、この役《えき》から三百数十年を経たのちの或る戦争を想わせる。とくに日本軍が、三百数十年を経て、ほとんど何も学んでいなかったことに驚くのである。三つ児《ご》の魂百まで忘れずとはこのことか。
「若《も》し平心にして朝鮮役を通観せんか、わが日本国民はおそらくいまだかくのごとき痛絶《つうぜつ》、凱絶《がいぜつ》、緊絶《きんぜつ》の教訓に接するものなかるべし。この朝鮮役は、平和に於ても戦争に於ても、日本国民の性格を赤裸々に暴露《ばくろ》している。とくに日本国民性の大なる欠陥を暴露している。朝鮮役は日本国民の頌《しよう》 徳《とく》 表《ひよう》というよりむしろ弾劾文《だんがいぶん》である」
と、大正時代に徳富|蘇峰《そほう》が喝破《かつぱ》しているが、その蘇峰自身がみずから喝破したほどの教訓をくみとり得なかったのである。
無名の師、無計画の開戦、竜頭蛇尾《りゆうとうだび》の戦闘経過、補給の苦悶《くもん》、制海権の喪失、民心|把握《はあく》の不成功。――まるで同じフィルムをまわしたようだ。
特に日本軍が辟易《へきえき》したのは、補給の難であった。
「兵糧《ひようろう》にはこと欠き申さず候《そうろう》。高麗《こうらい》の人々は飢えに及び候べく候。ただただ拝みまわり候を斬り叩《たた》き候。目もあてられぬことに候」
とは、開戦後まもなく毛利輝元《もうりてるもと》が朝鮮星州の陣から内地へ送った手紙の一節である。
最初から掠奪《りやくだつ》をあてにし、掠奪をほしいままにしていて、長期戦も民心把握もできるわけがない。――兵糧に不足なしどころか、やがて日本軍は深刻な飢餓に苦しむようになる。
これは李舜臣のために制海権を失ったせいもあるが、朝鮮人民の徹底的なゲリラ戦にもよった。彼らはいわゆる「清野《せいや》の計」――焦土作戦をとった。日本軍来るとみるや、あらんかぎりの糧食を持って山野に逃亡し、あとは焼きはらったのである。
必然、この戦法は朝鮮人民自身をも苦しめることになる。
「以て人々|相殺《あいころ》して食《くら》うにいたり、女子孤児は出でゆくを得ず。餓屍《がし》道路に相枕《あいまくら》し飢民争ってその肉をくらい、死骨を剥《は》ぎて汁をとり嚥下《えんか》するにいたる。人の肉をくらう者、かかとをめぐらさずしてみな死す。はじめ倭軍《わぐん》の焚蕩《ふんとう》を以てし、終りは盗賊の剥奪《はくだつ》を以てす。兵火のもと幾万人なるかを知らず、流亡《るぼう》の民あふれ、しかも救恤《きゆうじゆつ》に法なし」
「飢民白昼|屠戮相食《とりくあいは》む。重ぬるに疫病を以てし、道路死する者相枕し、水口門外|積屍山《せきしやま》のごとく、城よりたかきこと数丈」
「倭《わ》すなわち食に乏しく、意をほしいままにして掠奪す。地窟《ちくつ》に蔵するところの米穀、ことごとく掘取《くつしゆ》せらる。清正またその卒千余人を分遣し、出掠《しゆつりやく》やまず塚墳《ちようふん》またあばかる」
敵も味方も餓鬼地獄である。
秀吉は、一大違算をしていた。その目的は征明《せいみん》であって、ひとたび馬をすすめれば鶏林《けいりん》八道みななびいておのれに従うものとかんがえていたのである。それが、そうは問屋がおろさず、朝鮮に釘《くぎ》づけとなり、あまつさえゲリラと焦土による死物狂いの抵抗に直面すると、必然的に日本軍の反応も苛烈《かれつ》なものとなった。
「賊三道を蹂躪《じゆうりん》し、過ぐるところみな盧舎《ろしや》を焚焼《ふんしよう》し、人民を殺戮《さつりく》す。およそわが国人を得ればことごとくその鼻を割《さ》き以て威《い》を示す」(懲※[#「比/必」、unicode6bd6]録)
「議して賊を殺す者あらば、たちまちその民の密告するところとなり、鐘楼前及び崇礼門外に焼殺し、その酷惨《こくさん》をきわめ以て威を示す。髑髏《どくろ》その下に積む」(燃黎室《ねんれいしつ》記述)
「城中の遺民、百に一も存せず。その存するものみな飢え疲れ、面色鬼のごとし」(懲※[#「比/必」、unicode6bd6]録)
「男女牛馬、南大門外に死骸《しがい》をさらすといえどもこれを収むるに人なし。しかも臭気天を覆い、地にふさがる」(是琢日記)
かくて。――
「この国の百姓《ひやくせい》ら日本に付《つ》き候ことは、石は浮き木の葉は沈むともあるまじく候。ただ気づかい仕るは、かようの大事になり候ても、日本の衆思い思いの存分に候ことに候」
と碧蹄《へきてい》館で明《みん》の大軍を潰走《かいそう》させた勇将|立花宗茂《たちばなむねしげ》の弟、高橋|主《しゆ》 膳《ぜんの》 正《しよう》がしたためているように、日本軍自身、天を仰いで嗟嘆《さたん》するようになる。
まる五年半にわたる朝鮮役はいちど中断された。和議が提起されたのである。が、明の使節が持参した講和条件が、おのれの予期と雲泥《うんでい》の差があると知って、秀吉は激怒してこれを追いかえした。
日本軍はふたたび鉄蹄《てつてい》を踏み出した。そしていちどはふたたび京城に迫ったが、例の焦土作戦にそれ以上の進出は不可能と知るや、撤退して朝鮮南岸に半永久的|橋頭堡《きようとうほ》をつらね、陰惨な陣地戦に入った。
それから、さらに一年。――
戦争に苦しみながら、飽きながら、日本軍は頑《がん》として朝鮮から去らなかった。
「ああ、千里|蕭然《しようぜん》」
船から陸へ――全羅《ぜんら》南道の右水営から東方へ順天へむかってあるきながら、李竜将はつぶやいた。
「天|愁《うれ》い、地|惨《さん》たり」
言葉はわからなかったが、意味は日本の忍者――狐法馬《きつねほうま》にもわかった。
もっとも、通訳はいる。船からついて来た降倭《こうわ》の俊沙である。一行は四人、つまりこの三人に鸚鵡《おうむ》がついていた。彼女は長衣《チヤンオ》という緑色の絹でつくった被衣《かつぎ》ようのものをあたまからかぶっていた。
「朝鮮の忍者と日本の忍者」
と、狐法馬はいった。
「力を合わせて太閤を討つ。面白いなあ」
味方となって、朝鮮の国土を見わたせば、実にひどいことをしたものだといまさらのように呆《あき》れる。――彼は剽悍《ひようかん》ではあるが、単純な男らしかった。ただ太閤という名がその唇《くちびる》にのぼるときだけ、別人のような凄絶《せいぜつ》の相貌《そうぼう》に変った。
狐法馬は、筒井伊賀守《つついいがのかみ》の手に属する伊賀の忍者であった。もっとも、その直臣ではない。伊賀|弾正《だんじよう》というものの家来である。弾正は伊賀山中の一豪族であった。この主人に一人の娘があって名はおゆうといった。主人の娘ではあったが、彼と相愛し、法馬が帰還したのちは祝言させるという約束があった。しかるに、はからずも、彼の出征後、おゆうが太閤の眼にとまる機会があって、その妾《しよう》にさし出せという命があった。父のためにおゆうはいちどは太閤の寝所に侍《はべ》ったが、その朝、辞するとともに自害した。――この春に起った事件を彼は知らず、それを、昨夜、日本から到着した手紙ではじめて知ったのだ。
――太閤にとって夢魔のごとき存在たる李舜臣を刺せ。――その命を受けて亀甲《きつこう》船に潜入しながら、とどめを刺そうとした仲間の斑目民部《まだらめみんぶ》を突如として斃《たお》したのは、この手紙による彼の変心のためである。
いまや彼は、太閤そのものに復讐《ふくしゆう》するためならば、その手段をとわない一個の悪鬼と変っていた。
「え、朝鮮の忍法とはどういうんだ。きいてくれ」
と、彼はしきりに俊沙をせっついた。
「いったい、どうやって修行するんだ」
しかし、李竜将は答えなかった。答えることをいとうというより、ただ満目|惨憺《さんたん》たる兵火の跡に魂をうばわれて、口もきけない風であった。彼と鸚鵡《おうむ》の眼には涙がうかんでいた。そのことは、狐法馬にもわかって、やがて彼も沈黙した。
「誓って秀吉を討たずにはおかぬ。……日本へはゆけるか?」
と、ややあって竜将はきいた。
「ゆけると思う」
と、俊沙を介して法馬は答え、かつ説明した。
日本軍には、実のところ厭戦《えんせん》気分が横溢《おういつ》している。いまは手段をつくして禁じられているが、去年あたりまで、高麗《こうらい》陣からひそかに脱走して日本へかえる兵も続出していたほどである。そこでこの春から太閤の命令があった。「人に鼻は一なり、よろしく朝鮮人の鼻を割《さ》いて斬首《ざんしゆ》に代えよ。一卒三十鼻にして帰還をゆるさん」というのだ。日本軍が韓軍を攻めてその鼻を斬《き》りとるのは、たんに残虐のためではなく、そういう目的があるからである。――いわんや、叛将《はんしよう》沙也可の首と李舜臣の弟夫婦をともない帰るに於《おい》てをやだ。――
俊沙の背には一個の壺《つぼ》が背負われていた。中には塩漬《しおづ》けにされた沙也可の首があった。
数日を経て、彼らは順天についた。順天は、加藤清正とともに朝鮮にとって万世必報の讐《あだ》たる小西|摂津守行長《せつつのかみゆきなが》の屯営《とんえい》するところである。
小西の布陣を見て、李竜将は、また、
「ああ!」
と、うめいた。焼けつくし、荒れはてた朝鮮の国を見たときとは反対の意味で、さらに痛切な長嘆であった。
このころの順天城を記録したものが朝鮮側にある。
「未《ひつじ》の時、行長の営《えい》に到泊す。営は海岸の一山を占め、山勢|甚《はなは》だ峻《しゆん》にして、めぐらすに石を以てし、城上に木柵《ぼくさく》をそなえ、周囲六、七里ばかり、山を切りて濠《ほり》となし、鱗《うろこ》のごとく屋《おく》を架《か》し、海を埋めて城を築き、星列《せいれつ》門をうがつ」
狐法馬《きつねほうま》からきいた、日本軍の厭戦気分どころではない。それは完全に日本式の城砦《じようさい》であって、秋の蒼空《そうくう》に無数の旌旗《せいき》がはためいている。
「賊勢をみるに、城基牢固《じようきろうこ》、大いに久住の計あり、痛憤に耐えず」
その城外遠く、降倭俊沙は、沙也可の首をいれた壺《つぼ》を狐法馬に託して駈け去った。
法馬はそれを背負い、李竜将夫妻を従えて城にちかづいた。そして哨戒《しようかい》の兵にいった。
「敵将李舜臣の弟李竜将とその妻鸚鵡なるもの、太閤殿下に哀訴《あいそ》のことあり、日本へ渡りたいと申す。異心なきあかしに唐虱《からじらみ》の大将沙也可なる者を討ち果たして、その首を持って小西どのの陣へ参りました」
六
順天の小西の砦《とりで》にとじこめられていた李竜将夫妻と狐法馬が日本へ送られたのはその翌年三月のことであった。
加藤清正が蔚山《ウルサン》城に籠城《ろうじよう》して死闘半月、ついに明韓《みんかん》軍を潰走《かいそう》させたのはこのあいだのことである。
李竜将たちは大いに気が焦《あせ》ったが、忍者――いや巫術師《ふじゆつし》といえども海を飛ぶことができない以上、どうすることもできなかった。沙也可の首だけはさきに日本に送られた。「これが沙也可にまぎれもなきことは、徳川家康どのに首実検を願い申す」という狐法馬の伝言を付札《つけふだ》として。――おそらくその検証や往復や、或《ある》いは朝鮮に於ける李竜将の素性の調査などにこれだけの時日を要したものであろう。
ただこの間、狐法馬が竜将夫妻の世話役を命じられ、徐々に――しかし常人より数倍の早さで韓語を解するようになったのがせめてものことであった。
慶長三年三月某日、ようやく順天を発した船はその翌日|対馬《つしま》にいたり、風雨のためとどまること三日、そこを出て暮に壱岐《いき》にいたり、またその翌日の夕刻に肥前《ひぜん》名護屋にいたった。
これは征韓軍の大本営で、その行営の大規模なのに、竜将たちはあらためて舌をまいたが、どことなく荒涼惨憺《こうりようさんたん》の気もあった。遠征軍の意気のすでに衰えていることをまざまざと映しているものと彼は見た。首魁《しゆかい》秀吉もすでに前年の九月伏見城へひきあげたままで、ここにはいなかった。それより彼は、ここに俘虜《ふりよ》となった数千人の朝鮮人が泣きむせびつつ使役されている光景を見て断腸《だんちよう》の思いがした。
なんのためか、彼らはそれから三ヵ月ばかり、伊予の大津城に送られて、そこで監禁されていた。城主の藤堂高虎《とうどうたかとら》はやはり水軍の一将として朝鮮に出征していた。ここにも数百の朝鮮人の俘虜が奴隷とされていた。
「法馬、われわれはなんのためにこんなところで待たされているのか?」
焦躁《しようそう》して、竜将はきいた。
「おれにもわからぬ」
と、法馬も不安そうにいった。
「どうやら……太閤のからだの具合がわるいらしいのだ」
「なに、秀吉が?」
七月に入ってまもなく、彼らはようやく大坂へ送られ、さらに伏見城に入った。
伏見城の豪華絢爛《ごうかけんらん》はこの世のものとは思えなかった。秀吉は一方で征韓の役《えき》を起しながら、またべつに大坂城や聚楽第《じゆらくだい》をもちながら、ただ明の使者と外交談判をする場所として、二十五万の人夫を使役してわずか五ヵ月でこれを築いたのである。しかしこの城は一昨年の秋の大地震によって大きな被害を受けた。李竜将たちの眼にはもはやその跡もみえなかったが、秀吉はこの地震でけちがついたと称して、べつにまた洛外木幡《らくがいこばた》に巨城築造の準備にかかっているという。京の聚楽第はそこに住んでいた関白|秀次《ひでつぐ》を殺したために不吉であると破却し、御所の東に秀頼《ひでより》のために新邸を造っている。――一城一館、まるでおもちゃのように造っては無造作《むぞうさ》に捨てている太閤秀吉であった。
しかし李竜将は太閤の天魔をも恐れない大らんちき騒ぎの下で、日本人もまた朝鮮人に劣らないほどな苦難にあえいでいるのを見た。
九州から伏見への旅の途中、しばしば彼は太閤朱印の高札を目撃した。
「各々|高麗《こうらい》にある奉公人、上下とも日本へ走り相越すに於ては、ききつけ次第|成敗《せいばい》つかまつるべく候事」
という布告である。また、
「高麗|長陣《ながじん》につき下々退屈せしめ逐電《ちくてん》のやからこれあるべく候。しかれば国々の浦、津、港、道、辻《つじ》に番所申しつけ、かたく相改め、みだりに帰国いたし候者、これあるに於てはからめとり、誅戮《ちゆうりく》を加えらるべく候」
とかいた高札もあった。沿道の野は荒れ、家貧しく、人に生色はなかった。千万の民は疲れ、二十万の兵は異郷に飢えて、しかも太閤はこの民を使って続々と巨城を築き、一兵たりとも帰ることをゆるさぬ。きけば短躯矮小《たんくわいしよう》、面色|漆黒《しつこく》、ねずみに似た一|老爺《ろうや》だという。実に恐るべき一個の意志力であった。
しかし、李竜将らはまだその秀吉に逢《あ》えなかった。伏見城にも十数人の朝鮮人の俘虜《ふりよ》がいた。みなもと武将であったり、貴人であったりした人々であった。
きくと、さきごろまでこの中に李嘩《りか》という貴族がいて、これは清正のために捕えられて送られて来た者だが、その巨躯《きよく》と美髯《びぜん》を秀吉がひどく気にいって、錦《にしき》の衣をつけさせ、しばしば呼び出し、その髯《ひげ》をぬいたり、背をたたいたり、みずからそのまわりをはねまわったりしてからかった。李嘩は退出してから「なんじの与うるところの錦繍《きんしゆう》何かせん」と憤りなげいていたが、ついにこの城から脱走を計った。しかしたちまち追手を受けて河畔に追いつめられ、みずから胸を刺して河中に投じた。敵はその屍《しかばね》をひきあげて京都にはこび、車裂きにして梟首《きようしゆ》したという。きくだに血が逆流するような哀話であった。
この話をしてくれたのは姜《きようこう》というもと軍人である。彼はひそかに「看羊録《かんようろく》」と題する日本の見聞録を諺文《オンモン》で書きつづけていた。いつの日か帰還したとき倭賊《わぞく》を討滅する助けとせんがためだという。
一読して、李竜将は彼の得た知識と見解に、教えられることが甚《はなは》だ多かった。
「敵魁《てきかい》秀吉、もっぱら術数を以てその群下を御《ぎよ》し、東国諸将を集めてしきりに新城を築かしめ、西国諸将をわが国に分送し、交代し出入せしめ以て乱をなすの志を銷磨《しようま》せしむ」
「家康という者あり。深沈|寡言《かげん》にして状貌《じようぼう》豊厚なり。されどひとたび反目すればすなわちかならずこれを死地において、而してのち止《や》む。ゆえに諸将はなはだこれを畏《おそ》る」
「家康ひそかにいわく、朝鮮は大国なり。東をつけば西を守り、左をうてば右に集まる。たとえ十年を期限となすとも終ることあたわじと。敵魁泣いていわく、公、われを以て老いたりとなすかと」
「大野|修理太夫《しゆりだいぶ》なる者あり。寵《ちよう》を秀吉に得、つねに臥内《がない》に出入し、ひそかに秀吉の愛妾《あいしよう》に通ず。秀頼はその生めるところなりという」
「倭人《わじん》はその人ことごとく短小非力、わが国の男子、倭人と角力《すもう》すれば、倭人すなわち勝ち得ず。そのいわゆる生を軽んじ死を忘るるというものも、人みな然《しか》りという能《あた》わず。この七年、わが国に於て交戦し、殺傷はなはだ多く、督令点呼して出陣せしむれば哀泣《あいきゆう》して征《ゆ》き、まま家をすて逃亡して出戦をまぬがれんとする者あり。ああわが国士馬の精鋭、弓矢の長技を以てこの弱兵に屈し、死をいたして力戦せず、むしろ子女をあたえて生を盗む者あるに至りては罪万死にあたるなり」
「曾《かつ》て倭の一兵にきいていわく、生を好みて死をにくむは人みな心を同じゅうす。しかして倭人ひとり死をたのしみて生をにくむは何ぞやと。倭兵こたえていわく、日本の将官(大名)はまったく民の利を掌握《しようあく》しつくし、一毛一髪も民に私《わたくし》せしめず。ゆえにもし将官の家に寄口すれば、この身わが身にあらず。ひとたび胆気薄しと名づけられれば、至るところに容《い》れられず、佩刀精利《はいとうせいり》ならざれば人に齢《よわい》せられず、刀槍《とうそう》の痕《あと》耳後にあれば怯者《きようしや》となし擯斥《ひんせき》せらる。ゆえにその衣食なくして死せんよりは、敵に赴いて死を争うにしかず。ゆえに力戦は実に身のために謀《はか》るものにして、主のために計るにあらざるなりと」
「倭人の残忍にして好戦の心は、ただこれを天性に得るのみならず、その法令もまたしたがってこれを束縛し、賞罰もまたしたがってこれを駆使するなり。ゆえにその将大半|奴材《どざい》にしてみなよく人の死力を得、その卒大半|脆弱《ぜいじやく》にしてみなよく敵に向って死を争うなり。ひそかに思えらく、百万の韓兵は十万の倭兵に敵せずと」
三百数十年前の朝鮮俘虜の辛辣《しんらつ》な批評は、現代のわれわれにも思いあたるところがある。
秀吉に呼ばれてその玩弄物《がんろうぶつ》になったという俘虜もいるというのに、李竜将はいつまでも呼ばれなかった。
開戦以来七年目の夏が来たが、朝鮮ではなお執拗陰惨《しつよういんさん》な戦闘がつづいていた。
一大|牢獄《ろうごく》にひとしい雑居室の中で、俘虜たちは大半書き物をしていた。日本の僧にたのまれて経典などを写す内職をしているのであった。むっとする暑熱の中にしかし李竜将は何もせず、うつむいて思案をしていた。妻の鸚鵡《おうむ》は別室にひきはなされて暮していた。
鸚鵡といえば。――日本の僧が、
「鸚鵡とは、珍しい名じゃな」
といったことがある。これに対して李竜将は、
「韓では珍しい名ではございませぬ。李朝孝宗の三年、一|奸臣《かんしん》が妖巫《ようふ》鸚鵡なる一女人をつかって、死人の頭骨や棺《ひつぎ》の木片などを焚《た》き、王を呪殺《じゆさつ》しようとしたことがあります。婢《ひ》がかいま見てこれを密告したので、ついに一味は断罪せられましたが」
と、こたえた。
「なに、妖巫? 巫女《みこ》のことか。それではそなたの妻の鸚鵡も巫女か」
李竜将は、うすく笑っただけであった。
通訳の狐法馬《きつねほうま》が李竜将の暗雲からこぼれるうすら日のような笑いを見たのは、伏見に来てからこのときだけである。あとは、こぶしをひざにおしあてて、苦悶《くもん》にたえるかのごとく端坐していた。
竜将は八月の声をきくと、ふいに法馬を呼んだ。
「徳川家康のところへいってくれ。そこなら、おまえなら、ゆけるだろう」
「徳川どののところへいって……何をする」
「沙也可《さやか》は……じぶんの首を家康に見せれば、おそらく家康は意のままになるはずだといった。その首はさきに日本へ送られた。おそらく秀吉のみならず、家康も見たであろう。……しかし、いまだにそれに対する反応がない。沙也可のいうほど事は簡単に運ばなんだ。……で、おまえは家康のところへしのんでいって伝えるのだ」
「何と?」
「沙也可の正体をあきらかにすると」
「おまえ、知っているのか」
「わたしは知らぬ。家康にはただそういうだけでよい」
――三日のちに、狐法馬はこの用件だけは果たした。知り合いの家康の家臣|服部《はつとり》半蔵をわずらわしたのである。そのころ家康は伏見の徳川屋敷にずっと滞在していた。
しかし、そう伝えたとき家康――法馬もはじめて逢《あ》ったのだが、その感情を奥ふかくつつんだ豊厚な顔が――異常なばかりの衝撃と困惑につつまれたのである。
「……ともかくも、その李竜将夫婦をここへよこせ」
と、彼はいった。
「いや、伏見城には、半蔵をやって断《ことわ》らせよう」
降倭《こうわ》の大将沙也可の正体を暴露《ばくろ》するということが、なぜそれほど家康に衝撃と困惑を与えたのか、法馬にもわからなかった。あのふしぎな人物は、徳川家にとってふかい関係があったのではなかろうか、ということは想像したが、それは最初沙也可からきいたときにも想像したことで、それ以上は謎《なぞ》につつまれていることは同様であった。そして法馬はついに永遠にそれを知ることはできなかったのである。
――ついでにいえば日本の叛将《はんしよう》沙也可、韓名金忠善なる者は、役後なお生きて慶尚《けいしよう》北道|大邱《たいきゆう》を西南にへだたる五里の友鹿洞《ゆうろくどう》に居を定め、村民から尊崇《そんすう》せられ、老いて大往生をとげたが、子孫は繁昌《はんじよう》していまにいたっても沙姓《させい》を名乗る者が多い――という伝説が朝鮮に残っている。
李竜将とその妻鸚鵡が、徳川家康に逢ったのはそれから数日後のことであった。……いかなる問答があったのか、別室に待たされていた法馬は知らぬ。
やがて出て来たのは竜将だけであった。
「明朝、われら三人、太閤殿下に謁見《えつけん》をゆるされることになった。……おまえは、通訳じゃ」
と、竜将は眼をかがやかせていった。
「では」
と、狐法馬の眼も殺気に光ったが、すぐに、
「太閤が病気というのは嘘《うそ》か」
「嘘ではない。その病気をわれら両人、家康立ち会いにて、太閤のまえで祈祷《きとう》してなおすという名目じゃ」
「ふうむ、ところで、鸚鵡は?」
「あれは家康が一夜ここにとどめおけといった」
――鸚鵡だけを? とあの妖艶《ようえん》な姿をあたまにえがきながら、法馬はもういちど問い返そうとしたが、竜将はひどく明るい顔で、じぶんからさきにたって歩き出した。
「謁見は明日。われらは明日の夕刻もういちどこの屋敷にくるように、ということであった。……法馬、明日、八月十日、われらの使命は終るぞ」
七
慶長三年八月十日。
燃えるような夕焼けの下を、狐法馬と李竜将は徳川家康の屋敷をまた訪れた。
法馬はもとより例の毒針を吹く竹筒をひそかに携えていた。おゆう待て、きょうこそおまえのまだあえいでいる地獄へ、針をのどぶえに吹かれた秀吉を送りこんでやるぞ。
徳川の屋敷では、しばらく待たされた。庭では蝉《せみ》が鳴きしきっていた。
「きょうだな」
と、法馬は竜将に凄惨《せいさん》な笑みを投げてささやいた。
「太閤を殺すのは。……太閤を殺すのはおれだ。おれにやらせてくれ。おまえがいなければ、どうしたっておれは太閤にはちかづけなんだ。それだけで充分おまえは――ひいては沙也可の首は役に立ったわけだ。いいか、手を出すなよ。わかっているな?」
李竜将はうなずいた。
「しかし、おれがやらなければ、おまえがやるつもりだったのだろう。くたばりかかった老いぼれ猿《ざる》だ。どうひねってもいいようなものだが、おまえ、ただの方法で殺すつもりではなかったろう。苦しめて、苦しめて、この世ながらの地獄を味わわしてやらなければ、いまおれやおまえが手を下す意味がない。おれは毒の針を吹いて、ぬいて、きょうから十日ばかりのあいだ、きゃつが口もきけず、死にもせぬようにしてやるつもりだったが、おまえも朝鮮の忍法――あの巫術《ふじゆつ》とやらをつかうつもりだったのだろう。いったい、どんな術をつかうつもりだったんだ?」
「わたしは秀吉の病気がなおるように祈祷にゆくつもりであった」
「それはわかっている。それは口実だ。で、ほんとうのところは――」
「秀吉を甦《よみがえ》らすために」
と、李竜将はおちついてくりかえした。
「甦らす?」
「左様、きのう家康からきいた。秀吉の病気はすでに重く、悩乱《のうらん》してあらぬことを口走るまでになったゆえ、この七日以後はたとえ秀吉が何をしゃべろうと一切とり合わぬ約定《やくじよう》を、五大老五|奉行《ぶぎよう》でとりかわしたということじゃ」
「なに、もはやそこまで悪くなっているのか――」
法馬は狼狽《ろうばい》しながら、そのことをきのう竜将がだまっていたことを怪しみ、またいま竜将が口走った言葉を頭にはねかえらせてそれを怪しんだ。
「おい、また秀吉を甦らすといったな」
「左様」
「あの術か。いつかの――」
「法馬」
と、李竜将はしずかにいった。
「わたしが日本に来て最も苦しんだのは、秀吉が病んでおるときいてからであった。ひょっとしたら秀吉は死ぬのではないか、そう思うと、わたしは骨からあぶらをしぼるように苦しんだ。ばかな矛盾《むじゆん》だ。秀吉の死をこそねがい、彼を殺すために日本に渡りながら」
「思いは同じだ、李竜将。あいつにひとりで極楽往生させては何にもならない。だからその前におれが殺してやろうというんだ」
「しかし秀吉はすでに昏朦《こんもう》し、錯乱しておるという」
「…………」
「三国の民命を屠滅《とめつ》すること数十万。この大魔王をありきたりの老耄《ろうもう》のうちに死なせてよかろうか。法馬、おまえの復讐《ふくしゆう》の方法はいまきいた。しかし、生きず死なず、口もきけぬ苦しみにおとすといったところで、すでにいまその状態にちかい人間に、それがどれほどの苦しみになるかは疑問だ。それくらいの苦しみではまだあき足りぬ」
「…………」
「わたしは方針を変えた。わたしはいまいちど秀吉を甦らす。そのためにきょうは伏見城にゆくつもりなのだ。法馬、おまえはだまって通訳の用を果たしてくれればよい」
「なに?」
ようやく、狐法馬はうめいた。
「わたしにまかせろ。秀吉を、およそこの地上の人間の味わったことのない大苦患《だいくげん》におとしてやる。おまえは手を出すな」
むしろやさしい顔だちにみえたこの「朝鮮の忍者」が、これほど恐ろしい炎に彩られてみえたことはなかった。あきれてこれをながめていた「日本の忍者」の眼に、このときそれに劣らぬ怒りの炎がもえあがった。
「だまってきいていれば、勝手なことをいうな。おまえはどういうきもちで太閤に仕返ししようとして日本へ来たのか知らないが、おれはおれだ。おれはおれなりの仕返しをしたいから日本へ帰って来たんだ。いままで苦労しておまえたちの世話をして来たのも、おまえたちがおれの仕返しの道具になると思ったからだ。おれが仕返ししないで、だれがおゆうさまの妄執《もうしゆう》をはらす者がある。きょうのがして、いつ秀吉をたおす日がある。おれにとって、きょうこそは千載一遇の好機だ。おまえのいう通りにはならぬ。おまえこそ手をひけ」
彼はニヤリと笑った。
「秀吉を甦《よみがえ》らせてどんな苦しみをあたえたいのか知らないが、それほど生き返らせたいならおれが殺してからやれ、李竜将」
「おまえはそういうであろうと思っていた。……やむを得ぬなあ」
李竜将の眼に妖《あや》しいひかりがやどり、その眼で法馬のうしろのだれかにうなずいてみせたので、法馬はふりむいて、はっとした。
そこにいつのまにか鸚鵡が立っていた。手に例の神鏡をさげている。
電光のごとく狐法馬はどこからか例の吹針の筒をとり出し、口にあてていた。
「竜将、うごいてみろ、それより早く鸚鵡にむかって針がとぶ。おまえの忍法の手品のたねは、すべて、おまえの女房にあるとおれは見ぬいているぞ。その鸚鵡を殺されては、鸚鵡を生き返らせることもできまいが。……かなわぬと知ったら、降参しろ」
このとき鸚鵡はながれるような自然な動作で裳《チマ》をつまみあげて口にくわえ、日月明図《イルオルミヨンド》を前にあてた。
鏡面は一瞬青緑色にかがやいて法馬の眼を射《い》、それからすっともと通りのひかりにもどっていった。凸面《とつめん》鏡の面に何がうつるか。むかい合った法馬の姿がうつるはずだが、それはどんなかたちに浮きあがるか。……法馬の見たのは、彼自身ではなかった。
それは一個の女陰《によいん》であった。かぐろくふちどられ、しかもなまめかしく、かすかに波動している女陰であった。鏡ではなかったのか、それはその向うのものを透き通らせていたのであったか。――そう思ったのは一瞬のことで、彼は眼を吸われている。魂を吸われている。
その女陰が朱鷺《とき》いろに裂けた。ひろがった。人間よりもっと大きく――雲のようにふくれあがった。そして法馬はその方へ吸いよせられ、のみこまれた。全身が朱鷺《とき》いろの雲につつまれた。
その雲がはれ、しかもくびから下は柔らかい波動にしごかれながら、彼は何かを見た。日と月と北斗の星である。それはあの日月明図《イルオルミヨンド》の凹《くぼ》んだ背面に鋳《い》られていたものとおなじものであった。その日月星を透《とお》して彼は見た。――竹筒をくわえたまま、茫然《ぼうぜん》と、恍惚《こうこつ》と、眼をみはってこちらをながめているじぶん自身の姿を。
それは、一瞬間前のじぶんを、鏡の背面からのぞいているとしか見えない姿であった。その法馬自身のうしろから李竜将がちかづいてくるのが見えた。そして片腕をあげ、そこに棒立ちになっている法馬のくびにまわし、絞めあげた。
法馬は絶息し、天地晦冥《てんちかいめい》となり、意識を失った。
……手をはなすと同時にずるずると崩折《くずお》れた「日本の忍者」を「朝鮮の忍者」はものしずかな顔で見下ろした。
「法馬は女陰からのぞき、おのれの一瞬さきの未来を見た」
と、李竜将はつぶやいた。彼は、最初からそこに棒立ちになって鸚鵡の日月明図《イルオルミヨンド》をのぞきこんでいる狐法馬を、うしろから絞めあげただけであった。
あたかも人間が誕生するときのように、女陰から顔を出してじぶんの未来を見る。どこまでが幻想か、どこまでが実相か。法馬は一瞬さきのおのれの未来を見ただけだが、してみると竜将の兄の舜臣は、一年後のおのれの未来を見せられたのであろうか。竜将は被術者に、そういう未来図の飛翔《ひしよう》を自在にさせる巫術《ふじゆつ》の体得者なのであろうか。
「しかしこの男は、舌人として要《い》る」
と、李竜将はいった。舌人とは通訳のことだ。
鸚鵡はうなずき、神鏡をおき、ちかづいて来た。そして彼ら夫妻は、そこにたおれている狐法馬に対し、曾《かつ》て李舜臣にこころみたのと同様の行為を加えはじめたのである。
すなわち彼は、妻から採取した愛液を法馬の男根にぬり、妻の口でかみくだいていた米を口うつしに法馬にたべさせ出したのだ。この性と食との刺戟《しげき》はひとたび死界に入らんとした者をも呼びかえす反応を起すのであろうか。
一方で、李竜将は、床の間に置いてあった水盤に、どこからかとり出した小皿《こざら》をうかべ、それに燈心を立てて火をつけて祈りはじめた。
「南無《なむ》金鬼|巫術《ふじゆつ》神……南無木鬼巫術神……南無水鬼巫術神……南無火鬼巫術神……南無土鬼巫術神……」
李舜臣のときとちがっているのは、ただその祈りの呪文《じゆもん》だけであった。
やがて、狐法馬は甦《よみがえ》った。
「日本の術客。……いや、忍者というか?」
と、李竜将は笑った。術客といったのは、覡《げき》すなわち男の巫術師のことを朝鮮ではまたそう呼ぶからである。
「これからは、わたしのいうことに従え」
狐法馬は犬のように手をつかえているだけであった。
庭の日がかげって来た。ややあって、服部半蔵がやって来ていった。
「いざ参ろう、伏見城へ。――殿にももはや御支度なされておる」
終始一貫して、鸚鵡は一言もしゃべらなかった。
八
秀吉は五月五日、端午の節句の祝いをすませたのちに発病した。
はじめはたんなる痢病《りびよう》の一種かとみえたが、その病態はしだいに悪化した。六十三年の超人的な苦闘と荒淫《こういん》は、ひとたびたおれると内部からも彼の肉体を砂のようにうち崩したのである。
侍医の曲直瀬《まなせ》養安院はもとより、当時の名医|施薬院《せやくいん》、竹田法印、通仙院《つうせんいん》らが伏見へはせあつまって、治療につくし、寺々ではひそかに祈祷をたのみ、京の御所では神楽《かぐら》まであげて祈ったが、六月には秀吉の顔貌《がんぼう》まで変るほど衰えた。
七月に入ると彼は徳川家康と前田|利家《としいえ》を病床に呼んで、もはやふたたび起《た》つあたわざることを告げ、死去ののちはしばらくこれを秘し、浅野|弾正《だんじよう》、石田|三成《みつなり》のふたりを朝鮮に派遣し、征韓軍総撤退の処置を行うように依頼した。
秀吉がみずから追い出した異郷の将兵について思いをめぐらしたのは、このころまでであったろう。……爾後《じご》、彼の念頭に揺曳《ようえい》するのは、ただ六歳の愛児|秀頼《ひでより》のことだけであった。
七月十五日には、彼は、前田利家の屋敷で諸大名に起請文《きしようもん》をとりかわさせた。
「秀頼さまに対したてまつり御奉公の儀、太閤さま御同然、疎略に存ずべからざること。表裏別心、毛頭存ずまじきこと」
という誓約書である。
それにもかかわらず、八月に入るとなお不安が寄せかえってきたとみえて、家康ら四大老、石田ら五奉行のあいだに、また同文の起請文をかかせた。そしてみずからは彼らに、哀れな遺言状をかいた。
「秀頼こと成りたち候《そうろう》ように、これにかきつけ候衆を、しんにたのみ申し、何事もこのほかには思いのこすことなく候。かしく。
かえすがえす秀頼ことたのみ申し候。五人の衆たのみ申すべく候。五人の者に申しわたし候。なごりおしく候。以上」
七日になると彼はついに錯乱をひき起した。
「殿、ごめんなされ候え。……藤吉郎《とうきちろう》をごめんなされ候え」
灰色の顔にあぶら汗をしたたらせ、恐怖にみちた眼をみはってこうさけび出したのである。きく者も、太閤に劣らず蒼《あお》ざめた。太閤が殿と呼ぶものは、信長公のほかにない。その子たちを藤吉郎のためにほとんど葬り去られた信長が、いま魔天から彼を呼んでいるのだ。
徳川家康、前田利家、毛利|輝元《てるもと》、宇喜多秀家《うきたひでいえ》ら大老はいそぎ登城して鳩首《きゆうしゆ》協議した。そして或《あ》ることを決定し、誓文をかわした。
「上様、おわずらいにつき、自今以後の儀、いかようの儀を仰せ出され候とも、御本復の上たしかなる御諚《ごじよう》を得、それにしたがうべきの事」
というのである。つまり、これからはまったく秀吉のいうことを相手にしないという約束である。
曠世《こうせい》の大英雄も、この日以後は、政治的には完全に力を失った癈人《はいじん》と断定された。
八月十日の夕刻である。
内府家康がふたりの朝鮮人|俘虜《ふりよ》とひとりの通訳を伴って登城した。そしていった。
「この高麗《こうらい》人の夫婦《みようと》は、死病はなおせぬが、死ぬるまでを安らかに、清朗にすごさせる修法《ずほう》を存じておるとのことでござる。まことに成るか成らぬか、拙者もしかとは請合《うけあ》えぬが、溺《おぼ》れる者は藁《わら》をもつかむと申す。せめてものこと、上様が大往生あそばすよう、いちどためされては如何《いかが》であろう」
侍臣たちは騒然とした。
「高麗人につき、御懸念《ごけねん》の儀は、家康おそばについて見張っておる」
だれしもが秀吉なきあとの実力第一人者と目《もく》している家康の言葉であった。――しかも、篤実で、太閤に忠心毛頭表裏なしとみえる家康だ。その家康が、高麗人の陰陽師をともなってくるとはよくよくのことだ。
太閤さまはもはやだれの眼にも絶望的であった。あらゆる日本の寺々の祈りも甲斐《かい》なかった。しかもこの数日くりかえす苦悶《くもん》と失神は、侍臣たちをいても立ってもいられなくしていた。
「おたのみ申しまする」
と、彼らはいっせいにいった。
高麗人の男が従容《しようよう》たる態度で何かいった。通訳の男がそれを伝えた。
「この高麗陰陽師の申すには、修法のあいだ半刻ばかりは、内府さまをのぞいてはどなたさまも他見なさるまじきこと、それから術後太閤さまは一見御平安、御清朗のていに見えましょうが――事実、太閤さまはぬぐうがごとく御平安御清朗と相なられまするが、ただし、仰せなさることは魔天のいわせるお言葉でござれば、かならずとり合われまじきこと、この二つをかたくお約束いただきたいと申しております」
人々はまた顔を見合わせた。しかし何といわれようと、いまはそれだけでも満足しなければならなかった。ただ太閤さまの平安と清朗を祈るばかりであった。
もはや、天守閣の黄金の甍《いらか》に星がうつりはじめた時刻であろう。
日がおちると、その外よりもこの伏見城の奥ふかく、秋がおとずれてきていることが心に感じられる。――
太閤秀吉はこんこんと眠っていた。豪奢《ごうしや》な夜具にうずもれているので、それはいっそう瀕死《ひんし》の鼠《ねずみ》のようにみじめな姿に思われた。しかし、昏睡《こんすい》におちいっているときはまだいい方で、それがさめると苦悶がはじまるのである。
看護《みとり》の御台《みだい》や愛妾《あいしよう》たちや医者たちは追いはらわれて、その病室には静寂がおちた。いや、四人の人間がそこに坐っていたが、すべて影のように沈黙していた。
家康はうなされたような眼で、狐法馬はうやうやしい眼で、高麗人夫婦のくりひろげた巫術《ふじゆつ》をながめた。
高麗人の男はしずかに太閤の夜具を剥《は》ぎ、寝衣を剥ぎ、その男根をつまみ出した。ひからびた唐がらしのように哀れな男根であった。
彼は妖艶《ようえん》な妻をよこたえ、その女陰を擦《こす》って愛液をにじませ、それを太閤にぬりつけた。妻は、おのれの摩擦されるときよりも太閤に塗抹《とまつ》するときにかすかなさけびをもらした。あきらかに苦痛にたえるうめきであった。しかし、法馬はきのう逢《あ》ってからはじめて彼女が声らしいものを発するのをきいた。
「鸚鵡《おうむ》」
いちど、夫は妻を叱《しか》った。火のようにかがやく眼であった。
鸚鵡ははっとしてうなずき、やがて夫から十数粒の米を受けとってかみくださ、美しい口を醜陋《しゆうろう》きわまる大魔王、怨敵《おんてき》秀吉の口にかさねて、それをうつしはじめるのであった。
このとき李竜将はすでに運ばせた水甕《みずがめ》に皿《さら》を浮かべ、鳥足心に炎をとぼし、ひくい声で祈りはじめている。
「南無牛頭巫術《なむごずふじゆつ》神……南無馬頭巫術神……南無餓鬼巫術神……南無|夜叉《やしや》巫術神……南無|羅刹《らせつ》巫術神。……」
――いつのまにか、秀吉は大きく眼をあけていた。灰色の皮膚に血色がもどり出していた。彼はつぶやいた。
「おう。……これはどうしたことじゃ」
寝室にいる異風の三人をけげんそうにながめた眼が、ふと家康にとまると、
「これは、内府!」
と、さけんだ。まったく健康な声であった。家康は何か返事をしようとして、からくもじぶんを制した。
ふたりのあいだを白い美しい影がさえぎった。それは一糸まとわぬ姿となった鸚鵡であった。彼女はじぶんの股間《こかん》に神鏡をあてて、秀吉の枕頭《ちんとう》に立った。何やら青緑のひかりが一閃《いつせん》したようであった。
「何がうつるか、秀吉」
と、李竜将がいった。この韓語を狐法馬が山彦《やまびこ》のように日本語でいった。
「何がうつるか、秀吉」
太閤のからだは、閨《ねや》の上でのびちぢみしていた。からだだけは快美にたえ得ないかのようなうごきをしめした。……
が、ひとたび血色をとりもどしたその皮膚はふたたび蒼白《そうはく》となり、いちど爛《らん》たる光芒《こうぼう》をはなった眼はいまは恐怖のために散大していた。
「何が見えるか、秀吉」
「何が見えるか、秀吉」
秀吉が絶叫した。
「家康っ」
韓語と日本語が穹窿《きゆうりゆう》にこだまするように相ついだ。
「それがうぬの分身たる秀頼の未来図じゃ」
「それがうぬの分身たる秀頼の未来図じゃ」
鸚鵡が日月明図《イルオルミヨンド》を盾《たて》としたまま、ながれるように横にうごいた。秀吉は一息、二息大きく胸を起伏させていたが、突如がばと閨の上に起きなおった。
「内府、……内府は秀頼を。……」
といって絶句し、なおあえいだ。
家康は座敷の隅《すみ》に坐っていた。ほんとうは恐怖のために金縛《かなしば》りになっていたのだが、ふとっているので、それは小山のようにどっしりとしぶといものに見えた。
「ただいま御覧になった通り」
と、彼はいった。
「あとの天下はわたしがとる」
舌がひとりでにうごくのだ。それは彼の欲しない言葉を発し、そして彼がべつの言葉を発しようとすれば、その刹那《せつな》にしびれてしまうのであった。
昨日からだ。昨日、「沙也可」の一件で脅されてやむなく逢ったふたりの高麗人のうち、女人の方に彼は魅入《みい》られた。彼は女を犯した。口を吸った。そのときから舌は彼自身のものではなくなっていた。
舌はいった。
「きけ、秀吉。やがて家康は秀頼を殺す。うぬが信長どのの息子を弑《しい》したごとく。そうしなくては徳川の天下は安泰ではないからだ。見たか? 秀頼が炎の中で焼け死ぬ姿を。――」
さしもの秀吉がこの不敵きわまる宣言に圧倒されて、しばらくかっと眼をむいて家康を見ていたが、やがてあえぎが喘鳴《ぜんめい》となり、そして悲鳴となった。
「やはり、そうであったか、内府。……」
身もだえして、
「天下は内府に移る。万指《ばんし》の指さすところだ。天命だ。……そう見てはいたが、わしは思い切れなんだ。わしは誤った。……いま、わしは思い切った。天下は内府にゆずる。しかし、秀頼の命だけは助けてやってくれい。……十万石、いや一万石でもよい、たとえ坊主にしようとも、あの子だけは生きながらえさせてくれい。……」
もはや、人間の声ではない。けものの――しかも、追いつめられたけものの哀哭《あいこく》だ。太閤秀吉はがばと閨《ねや》の上に這《は》いつくばってしまった。
無表情に、耳がないかのようにこの問答をきいていた李竜将が、このとき何かいった。鸚鵡がうなずいた。すると、家康がさけんだ。
「伽《とぎ》の衆、参られい。修法は終ってござるぞ!」
四人が退出したあとも太閤秀吉はなお失神したかのごとく閨にうつ伏せになり、駈けつけた人々を一瞬、いまの高麗の修法の効験はもとより、かえってそれがたたったのではないかと疑わせたが、たちまち秀吉はおどりあがって絶叫した。
「家康を殺せ!」
狂乱したように馳《は》せ出そうとするのを、若い剛力な小姓《こしよう》たちが羽がいじめにした。
「お鎮《しず》まり下され、上様! いかがなされました、上様! ああ、やはり御悩乱は去らぬか?」
秀吉はねじ伏せられた。ねじ伏せられた秀吉は、こんどはむせぶような声を発した。
「内府を呼べ。利家を呼べ。起請文を書きかえるのじゃ。天下は徳川にゆずるとな……」
あの高麗の陰陽師は、修法ののちは太閤が「平安清朗」になるといった。人々は太閤さまの肉体の病気は癒《い》えたように見たが、しかし心の錯乱はいよいよ甚《はなは》だしくなったことを認めざるを得なかった。
それから四日、秀吉は「家康を誅《ちゆう》せよ」という言葉と、「家康に天下をゆずる」という言葉を交互にくりかえし、はては声も嗄《か》れた。そしてついに沈黙した。
前田|大納言《だいなごん》利家と毛利中納言輝元は暗然としてうなずきあった。
「上様が、いかようの儀を仰せ出されなされても、おとりあげ申すまい、というあの誓紙はようござったな」
「さなくば内府はいくたび死に、いくたび生き返ってもまに合わぬわ」
四日間さけび、五日間沈黙して、太閤秀吉はついに虚脱したようにこの世を去った。慶長三年八月十八日のことである。
最後の五日間。彼はただ宙に眼をみはっていた。
人々には見えなかったが、彼は妖《あや》しい鏡にうつる恐ろしい幻影をまだ見つづけていたのであった。それはこの地上で人間が見得るもののうち最も苦悩にみちた戦慄《せんりつ》すべきものであったろう。
九
太閤秀吉に日月明図《イルオルミヨンド》の未来地獄を見せた夜のことだ。宇治川から霧がたちはじめていた。
伏見城を出て来た四人を、服部半蔵が迎えた。家康は黙々と歩いている。
半蔵はその前日から主君の言動が異様なことに気がついていたが、屋敷にちかづいたとき、
「では、ここにて」
と、高麗《こうらい》人の舌人となっている忍者|狐《きつね》法馬がいうと、高麗の女が家康のまえにまわり、その口を吸ったのをみて、いよいよ胆《きも》をつぶした。
「おさらば」
と、狐法馬がいった。
女は家康から身を離した。そして夫の高麗人と狐法馬とならんで、まるで三つの幻影のように夜霧に消えていった。
「半蔵、追うな、捨ておけ」
と、家康は恐怖の眼で見送って、嗄《か》れた声でいった。
声は嗄れていたが、なぜか半蔵は主君がもとの家康にもどったことを直感した。……家康も、舌がじぶんのものになったことを感覚していた。
「法馬。兄上のところへいって告げよ」
と、闇《やみ》の中で李竜将がいった。
「賊魁《ぞくかい》秀吉は遠からず死にましょう。――いや、すでに死にましたとな」
「竜将は?」
呼びすてたが、しかし法馬の眼はうやうやしい。
「家康とても倭将《わしよう》のひとりだ。その倭将に犯されて、ふたたび高麗の土は踏まぬと鸚鵡がいう。いや、夫たるわたしがゆるさぬ。いっしょにこの敵国で死んでゆこう。……しかし、わたしたちは朝鮮の巫術《ふじゆつ》師として、たしかにその使命は果たしたのだ」
「この日月明図だけを朝鮮の土に埋めて」
と、鸚鵡《おうむ》がいった。
背に冷たい鏡をかけられ、茫乎《ぼうこ》として立つ狐法馬の眼から、ふたりの「朝鮮の忍者」は宇治川の方へ歩み去った。夜霧の中から声がひびいた。
「ゆけ、日本の忍者!」
憑《つ》かれたけもののように、日月明図を背負った狐法馬は駈け出した。
西へ十里飛んだとき、彼は背中で美しい朝鮮語の唄声《うたごえ》をきいたような気がした。
「日光月光、両日光……」
ふりかえった狐法馬は、東の空に二つのながれ星が、尾を曳《ひ》いておちてゆくのを見た。
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甲賀南蛮寺領《こうがなんばんじりよう》
一
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烏爾干伴天連来《ウルガンバテレンきた》り謁《えつ》し、その教えを弘《ひろ》めんと請う。すなわち四条坊門において方四町の地を与う。ここにおいて一寺を創建して南蛮寺と呼ぶ。信長これに近江《おうみ》甲賀郡五百貫の地を寄附す。
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[#地付き]――「南蛮寺興廃記」――
烏爾干伴天連すなわち、神父オルガンチーノが、信長から下京《しもぎよう》四条坊門|姥柳《うばやなぎ》町に土地を与えられて、三階建ての「被昇天の聖母」教会、日本名昇天寺、俗にいわゆる南蛮寺を建立し、それが完成したのは天正五年のことであった。しかし、当時京の切支丹《キリシタン》は千五百人くらいで、教会の工事には献身の汗を流したものの、そこで息が切れて、以後万事|不如意《ふによい》らしいのを見て、切支丹のパトロンを以《もつ》てみずから任じていた信長は、さらに右のような優遇措置をとった。天正七年秋のことである。五百貫とはのちの五千石にあたる。
信長の命《めい》を伝えられて、近江甲賀郡は驚いた。
「山谷《さんこく》広遠」といわれる甲賀郡だが、その谷の一つ卍谷《まんじだに》に、五十人を越える郷士《ごうし》が参会したのはそれから間もない或《あ》る夕暮のことであった。
世に甲賀五十三家という。つまり谷の多い甲賀の谷々に住む小豪族たちだが、これだけの人数がこうして一つところに集まるのは珍しい。集まった卍谷は、その総支配者ともいうべき甲賀家の支配するところであったが。――
「……五十一」
その甲賀家の奥深い座敷の正面で、居流れた人数を数えてうなずいたのは、年のころ三十半ば――というのは知っている者が知っているだけで、一見したところでは四十くらいにも見える総髪の男であった。
「わしを加えて五十二、甲賀|宗家《そうけ》をいれれば五十三家。すなわち五十三家すべてが参集したわけで、そのことに関するかぎりは重畳《ちようじよう》」
四十くらいにも見えるというのは、老《ふ》けているという意味ではない。一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかない面《つら》だましいという意味で、くぼんだ眉《まゆ》の下にひかる眼や、なめし革みたいなつやを帯びた浅黒い皮膚は、むしろ年齢よりは若い精悍味《せいかんみ》を帯びている。荒晒野雄太夫《あざれのゆうだゆう》という、やはり甲賀五十三家の一人だが、この甲賀宗家の家老格でもある男であった。
で、その甲賀宗家はどこにいるかというと、これは雄太夫のうしろに一段高く悠然《ゆうぜん》とひかえているふっくらとした貴公子で、名は甲賀|織部《おりべ》という。
「回文の通り、大事が起った」
雄太夫はいった。
「どうじゃ、承知か、みなの衆?」
「滅相もない!」
と、複数の――たしかに十以上の声が返って来た。
「南蛮寺の寺領になるなどとは!」
これはほとんど全員のどよめきであった。
荒晒野雄太夫は重々しくまたうなずいた。――期待していた通りだ、という表情であった。それでなくては甲賀の宗徒《むねと》のめんめんが一人残らず卍谷に集まって来るわけがない。ここの甲賀家は――というのは、ほかの五十二家の中にも甲賀を姓とする家もあるので――南北朝のころから宗家としての格を伝えているけれど、さればとて他の家と主従というほど強い手綱を持っているわけではなく、事実上はそれぞれ小独立国といった方が正確な五十三家であった。
だから、おたがいに喧嘩《けんか》をすることもあるのだが、そのくせどこかこの甲賀宗家を中心につながっているところもある。――このよくいえば柔軟な、悪くいえばあいまいな、妖蛇《ようじや》ヒドラみたいな実態をつづけて来たことが、長い戦国興亡の世にあって、この甲賀を一国としてひとまとめに征服する者がなかったゆえんになるのだが。――
ただ、近来、この伝統がいささか変って来たようだ。例えばここ十数年急速に勃興《ぼつこう》して、いまや天下の覇者《はしや》たらんとしている織田信長《おだのぶなが》だけには、面従せよ、抵抗するな――という指令が出て、それに甲賀全部が服したことで、その指令の出どころはこの甲賀宗家であった。すなわち宗家はいささか威光を回復したのである。
で、こんどみながここに集まったというのも、突如ふりかかった「国難」のほかに、一つにはそういうこともあるのだが、
「みなの衆の意見、ようわかった。ただ、しかし、申しておく。命じられたのがほかならぬ信長どのであるぞ。やすやすとはねつけて、事が片づくものではないことは覚悟か」
と、荒晒野《あざれの》雄太夫が沈痛に見まわしたのを見るに及んで、みないっせいに猛然と食ってかかった。
「荒晒野どの。織田だけはいままでの大将とはちとちがう、あれには刃向うな、頭を下げて様子を見よう、とみなに申されたのはおぬしではないか」
「その結果がこれじゃ。しかも、けがらわしき異国の邪宗門の寺領になれとは。――」
「もとはと申せば、すべておぬしの軍師ぶった采配《さいはい》のせいでござるぞ!」
口々に罵《ののし》るのに、
「まことに申しわけない。かかることが日本国に起ろうとは、わしも思い及ばなんだ」
と、雄太夫は珍しく深々と頭を下げた。
「みなの衆のいう通り、信長どのならばともかく――南蛮寺の寺領たることは甲賀が夷狄《いてき》の奴隷国となるにほかならぬ。わしたちが我慢ならぬ以上に、甲賀三郎|兼家《かねいえ》以来の甲賀の祖神たちに対して申しひらきが立たぬ。このことだけは、甲賀の命運かけても抵抗せねばならぬ」
と、彼はいった。
実は近年、宗家を中心に甲賀が組織化されはじめたのもこの荒晒野雄太夫の力があずかって大きいということは、みな知っている。その辣腕《らつわん》とおしつけがましいやりかたに反感をおぼえている向きも、きょうの、今の彼の言葉にはまったく同感であった。いや、なお言い足りぬくらいであった。
「ただ――甲賀の命運かけると申しても――甲賀が滅んでしまっては元も子もない」
果たせるかな、雄太夫は彼らしいふくみを持ったせりふを吐き出した。
「まともに織田家に向って刃向えば、これは卵を鉄壁に投げるにひとしい」
「荒晒野どの、逃口上か」
と、だれかその逃口上をふさぐように鋭い声でさけんだ。
「いなとよ」
雄太夫は重々しく首をふって、
「わしは逃げぬ。わしと、甲賀宗家は逃げぬ。このたびの抵抗の責任者としてわしらだけが起《た》つ」
と、いった。この男らしくもない、決然たる宣言に、みな気押《けお》されるものを感じつつ、
「と、いうと?」
と、一人が聞いた。
「この織部さまとわしはやがて姿をくらまそう。おぬしたちは織田家の代官が来たら、おとなしゅう年貢《ねんぐ》をそろえて出せ。それをわしたちが奪って、京にも安土《あづち》にもやらぬ」
「――ほう」
「むろん、甲賀家、荒晒野家の者どもを使うのじゃが、頭《かしら》たるわれらの居どころは不明とする。罪はすべてわれらがひっかぶる。ただし、以上のこと、すべてみなの衆にふくんでおってもらいたいのじゃ。いわば抵抗組と恭順派|馴《な》れ合いの狂言じゃがの、――改めて申しておく。裏切りは許さぬぞ!」
「勿論《もちろん》!」
みな、粛然《しゆくぜん》とした。
これほどこの男が自己犠牲的な行動に出るとは思わなかった――と、改めて驚く者、さすがは、と心中にひざをたたく者、さまざまであったが、ふだん老獪《ろうかい》とさえ見えるその風貌《ふうぼう》がかえって頼もしいものに見えたのは不思議である。
ただ――ついで、みながこのとき反射的にあいまいな眼を移したのは、荒晒野雄太夫の背後に坐っている宗家の甲賀織部で、いま雄太夫が繰返し「織部さまとともに」という意味のことをいったが、「はて、このひとにそんな勇ましいことが?」という疑問が卒然として湧《わ》いたからであった。
この問答のあいだ織部は一言の口もきかない。黙ってニコニコして眺《なが》めているだけである。
いったいこの宗家の当主がどういう素質の人か、ここにいる郷士たちはよく知らない。さっきもいったように、以前は五十三の谷々ばらばらでおたがいによく知らない組も少なくなかったが、全体の割合いからいうと、この甲賀織部がいちばんわからない。年は二十三歳というが。――
その原因は主として、この卍谷《まんじだに》に最もちかい荒晒野という土地を支配し、かつ甲賀家の家老格たる雄太夫が、なんのためか早くから織部のまわりにカーテンを張って、自分一人で切り回していることにあった。
まったくの馬鹿ではないか、という噂《うわさ》から、いや内々雄太夫があらんかぎりの兵法忍法を仕込み、真の「土忍《どにん》」たるべく訓育したものだ、という説までいろいろある。事実としていちばんたしからしいのは大変女性が好きだということで――これにも、いや女性の方から好かれるのだという評もあるが、――現に見てたしかなのは、この評も当然、男でさえ「ああ」と嘆賞せざるを得ない美男ぶりであった。
ただ美男というだけではない。何ともいいがたいお公卿《くげ》さまみたいな気品とやさしさが漂っていて、ほんとうのところをいうと近来この甲賀家の王政が復古の傾向にあるのも、雄太夫の働きのゆえばかりではなく、この宗主を見る五十一家の郷士たちが、「あれなら」と精神的に――正確にいえば、感覚的に容認するのをみずから拒否出来なかったということもある。
いずれにしても、少くとも現状に関するかぎりは織部が雄太夫の操り人形にひとしいことに相違はなく、いま雄太夫の決意を聞いて、さていっせいに織部を見たのは、
――ほんとうにあなたもおやりになるつもりか。
――あなたにそんなことが出来まするのか。
という不安の問いを眼に現わしたものであった。
五十一人の眼を受けて、甲賀織部は答えない。答える意志も見せなかったが、何より先に雄太夫が答えた。
「いや、かかる談合成った上は、わしに委《まか》せておかれえ。そのような直接的な――いわば知恵《ちえ》のない荒っぽい抗戦のほかに、わしにはいろいろ策があるわ」
「それは?」
「その一つは、伴天連《バテレン》に手を打つことじゃ」
みな、虚をつかれたような感じがした。伴天連に手を打つ、とはどんなことかわからないが、わからないなりに――なるほどと、みなうなずいた。
「では――事は決《きま》った」
雄太夫はふりかえり、甲賀織部がおっとりとうなずくのに対し、ほかの甲賀衆から見ると大袈裟《おおげさ》なばかりにひれ伏した。
「仰せのごとくはからいまする。あなたさまとともに、必ずこのたびの国難を打ち斥《しりぞ》けますることを、みなの衆の前で、ここにお誓い申しあげまする!」
二
「信長さまの御下知《ごげじ》にはいかなることでも従いまするが、甲賀が南蛮寺の寺領たることだけは何とぞおゆるし願いたく。――」
という嘆願の使者が、安土にいくども馳《は》せつけたことはいうまでもない。信長はすべてこれをはねつけた。五度目には斬《き》られた。
そして、天正八年の秋には、南蛮寺に代り、年貢収納のために織田家の代官が足軽をつれて甲賀に乗り込んで来た。
そして、集落集落から米俵を運び去る。監督するのは足軽たちだが、かつぐのはむろん百姓たちだ。それが甲賀郡を離れて東海道を野洲郡《やすごおり》へ入ろうとすると――いや、甲賀郡のうち、まだ東海道へ出ないうちに、必ず土賊に襲われてその米を掠奪《りやくだつ》される。
はじめはそれは土賊だと思われていた。百姓が変身した賊である。彼らはいずれも百姓とも地侍《じざむらい》ともつかぬ土の匂《にお》いのする風態《ふうてい》で、竹槍《たけやり》を持ち、笠《かさ》の下は必ず汚《きた》ない布《きれ》で顔を覆って眼ばかり出していた。――
土寇《どこう》は当時珍しい現象ではない。これより二、三年あとの例の本能寺の変の際、堺《さかい》にいた家康《いえやす》が甲賀を通って、伊勢へ逃れるのにこの土賊に苦しみ、同行者の穴山梅雪ごときは元武田の大将であったのに、ついにそのために命を落したくらいである。そしてまた本能寺の変を起した明智光秀《あけちみつひで》もここから近い山城の小栗栖《おぐるす》で、これまた土賊の竹槍で片づけられてしまった。
いったいにこのあたりは昔から京をめぐる戦乱の落武者が多く、甲賀の住民そのものが落武者の子孫か、ないしは落武者を掠奪することで生計をたてていたのではないかと思われるふしがある。つまり、土賊専門の地帯といっていいほどだ。
足軽はむろん、土地の百姓の中にも斬られた者があったし、これが甲賀中枢の抵抗運動だとははじめ織田方も思わなかった。思わなかったが、いずれにせよ対策は同じことである。
信長は激怒した。彼は年貢護送隊の人員と武装を強化した。
が、襲撃者は怖《おそ》れない。彼らとしては米が欲しいのでなく、米をやってはならないのである。それは甲賀が異教の植民地となることだからだ。だから、どんなことをしてもそれを掠奪しようとし、かつ掠奪した。
甲賀の「南蛮寺領反対運動」の火ぶたは切って落されたのだ。
その襲撃の巧妙さと徹底ぶりに、やがてこれはただの土賊ではないと気づき、次に、「うむ、いかにもあそこは甲賀。――」と、改めて信長は膝《ひざ》をたたくところがあった。あるいはさしも剛腹な信長も、
――しまった。うっかりしておったが、うるさいところを南蛮寺領に選んだ。
と、臍《ほぞ》をかんだかも知れない。
やがて、その指揮をとっているのが甲賀織部と荒晒野雄太夫らしいということも明らかになって、特別に一部隊を派遣して逮捕《たいほ》に向わせたが、両人はもとより、それぞれの本拠たる卍谷《まんじだに》と荒晒野の住民の大半が離散して、あとはからっぽであった。
「ううぬ、きゃつら。――」
と、信長は安土から甲賀の方向の空をにらんだが、まだこの時点において、大軍を向けて甲賀全土を蹂躪《じゆうりん》する必要までは認めなかった。だいいち甲賀郷士の大半はおとなしく慴伏《しようふく》している。
それより、この天正八年当時、信長にとってなお征服すべき大敵は、西に毛利あり、東に武田あり、さらにそれらの彼方《かなた》に長曾我部《ちようそかべ》、島津、上杉、北条《ほうじよう》、伊達《だて》らあり――足もとの甲賀からちょっとした抵抗者が出たことくらい、土賊の叛乱《はんらん》にひとしい小火《ぼや》に過ぎない。
ただ、年貢の奪還などは断じて見逃すことは相成らぬ。――
信長の鉄石の意志は、年貢護送隊に数十|挺《ちよう》の鉄砲まで賦与《ふよ》したことに現わされた。
これに対して、甲賀|一揆《いつき》は――やはりこれは一揆といってよかろう――依然、怖《おそ》れなかった。もう竹槍《たけやり》ではない、刀、槍、弓その他|網《あみ》、綱《つな》、鎖、それに石落しとか放火とか落し穴とか、他の地域では見られない風変りな方法で襲撃して来る。
当然、酸鼻な死闘が展開された。
もう織田方は、むなしく年貢を奪われない。若干《じやつかん》の犠牲者は出しつつも、米はたしかに運び去った。その原動力は鉄砲であったが、当時の鉄砲はいうまでもなく火縄《ひなわ》を使う。雨がふれば火縄は燃えず、そうでなくても極めて手数のかかるしろものだ。その鉄砲を実にみごとに使いこなしたのは、鉄砲を扱う足軽ではなくて、その背後にあって指揮する数人の伴天連や修道士《イルマン》であった。
頭顱《とうろ》を剃《そ》り、黒衣に念珠《コンタス》を下げた異教の神父、これがあえて血なまぐさい戦闘の指揮をとったのだ。
このころ近畿《きんき》における布教の実質上の指導者ニェッキ・オルガンチーノは、信長からはじめて切支丹《キリシタン》のための日本の領土をもらい、狂喜して安土にさらに神学校《セミナリオ》を建設しようとしていた。そのコーガの土地こそ天帝《デウス》に捧《ささ》げられた聖なる基地であらねばならぬ。
「聖徒」たちも必死であったのだ。
覇王《はおう》信長の鉄石の意志と武器、伴天連の不退転の野望とその武器をあやつる知識。――これに対して、なお甲賀一揆の抵抗する法|如何《いかん》。
三
天下の覇者《はしや》に刃向うのは、まさに竜車《りゆうしや》に対する蟷螂《とうろう》の斧《おの》。
それについての覚悟はすでに一揆の指導者荒晒野雄太夫のもらした通りだが、やがて彼らは、信長よりもその伴天連の方が難敵であることを知るようになる。
例えば。――
山峡を通るとき、山の上で年貢護送隊の通るのを待っていると、まず伴天連が出て、次に銃隊を指図して路上に配置する。――石を落しても、決して当らない死角の位置に。そして下から狙撃《そげき》させるのだが、これがほとんど百発百中に近かった。その間、伴天連たちは遠眼鏡を目にあてて仰いでいて、何やら怪鳥《けちよう》のごとき声をあげて号令していた。
あるいは森の中を通るときは、まず筒のようなものを持った数人の男が走りぬける。そのあとには濃い煙が尾をひいていて、あたり一帯を煙の濃霧でつつんでしまう。その中を通過してゆく集団の跫音《あしおと》をきいても、襲撃者たちが――忍びの術を心得ているにもかかわらず――まともに森の中を往来出来ぬありさまになりはてる。
また野原の中を通るときは、鉄砲隊で二重の円陣を作り、外側の鉄砲は火縄《ひなわ》に火をつけたまま、内側のやつは火縄をはさんだままで行軍する。周囲の草むらから待ち伏せの襲撃を受けても、二段構えの銃撃が出来るようにである。
伴天連の軍配の周到ぶり、徹底ぶりは、すべてこのたぐいであった。
こうして天正九年は過ぎた。一揆《いつき》の奇襲が成功したのは前半三分の一くらいで、あとは襲撃組の損害が加速度的にふえて来た。
そんな騒ぎが一息いれた冬の一日。――
「荒晒野《あざれの》どの」
荒晒野にちかい或《あ》る山中の洞穴《ほらあな》の中で、甲賀五十三家の中の、宮島|掃部介《かもんのすけ》、鳥居平内、多羅尾四郎兵衛《たらおしろべえ》という三人の郷士《ごうし》が思いつめた表情で呼びかけた。
「そもそも、どうする御所存か」
彼らなればこそ通されたのだが、それでもここに来るのにはずいぶん苦労した。まず荒晒野雄太夫たちの所在が甲賀の郷士たちにもよくわからない。手数をかけて、やっと連絡をつけたが、この山中の洞穴の前面には厖大《ぼうだい》な森林がひろがり、その中を辿《たど》ってここに到着するには、何人かの案内の手を借りなければならない。
それでも、こんなところでさぞ苦労しているであろう、と改めて同情しつつ、粉雪の舞う寒風の中をみちびかれて来たのだが――ここは、驚くほど大きな洞窟《どうくつ》で、それもあきらかに人工の手を加えた土の部屋の内部には、囲炉裏《いろり》から、高い天井には煙ぬきの穴まで掘ってあり、聞くと、崖《がけ》の上――軽割山《かるわりやま》という丘の上――には小屋があって、そこに木樵《きこ》りの老夫婦が住んでいることになっており、煙はその小屋の囲炉裏の煙とまじり合って大空へぬける仕組みになっているという。それではだれが煙のもとを探しあてても、小屋のまた下の地中に住んでいる者があるとは気がつくまい。それはさすがだとひざをたたくにしても、さてここの囲炉裏の前に熊《くま》の皮など敷き、火に獣肉をあぶりつつ酒をのんでいる雄太夫の、以前よりもあぶら切った皮膚のつやを見ては、訪ねて来た三人も拍子ぬけがするとともに――いささかむっとして聞かずにはいられなかった。
――いったい、今の一揆のなりゆきをどう見ているのか、と。
「さればよ、それでいたく苦慮しておる」
と、荒晒野雄太夫は酒をおしやって、沈痛にうめいた。
「われわれの知っておるだけでも、すでに二百十五人の死びとや怪我《けが》人が出ておる」
と、宮島掃部介がいえば、鳥居平内もいう。
「それでは卍谷、荒晒野の者どもは死に絶えてしまうではござらぬか?」
「うむ。……それと申すも伴天連《バテレン》のおかげじゃが、思うておった以上に恐るべきやつ、いかに紅毛の宗門とはいえ、宗門である以上慈悲の心を持っておると考えておったが……やはり、邪宗門じゃ!」
ぶつぶつと、雄太夫は愚痴をこぼした。
少しこの人物を買いかぶっていたかも知れぬ――と、落胆すると同時に、多羅尾四郎兵衛がいよいよ不安の眼でまわりを見まわした。
「われらが様子をうかがいに来たのは、右の心配もあるが、また甲賀|織部《おりべ》さまのこと。――織部さまは何をしておられる?」
「おう、それは御健在じゃ」
と、急に勢いづいて雄太夫は大きくうなずいた。
「お引合せしようか」
「や、ここにおられるのか」
「勿論《もちろん》だ。……われら、いかに苦労するとも、織部さまだけは御安泰でおわすようにと、それだけは努めておる。その証拠に……おう、ほかの甲賀衆にも安堵《あんど》を願うために、いま見せよう」
そして雄太夫は、傍《そば》の配下に何やら命じた。
すると、二人の男が立っていって、奥の――土壁みたいな色をしている戸をおしあけた。いかにも厚そうな重いひびきがして、その戸が一|間《けん》ばかりひらくと、その向うに変なものが見えた。
どこから射《さ》す光かわからない。油を燃やす光の色ではなく、蒼白《あおじろ》いような感じであったが、そこにうねうねと白い蛇《へび》が這《は》っていた。――と見えたのは、少くとも四、五人の裸の女であった。その裸の女の渦《うず》の中から、戸があいたので驚いて身を起した甲賀織部のキョトンとした顔が見えた。
「閉《し》めい」
と、雄太夫は命じ、戸は閉じられた。
「見られたか」
まるでこの世のものならぬ物を見たような印象で、閉じられた戸の方を眺《なが》めて、まだ信じられない。――
「以前からお好きな道に、御不自由をかけてはおらぬ」
と、雄太夫は昂然《こうぜん》と眉《まゆ》をあげて笑った。――三人の顔には曾《かつ》ての甲賀織部についての噂《うわさ》がさっと甦《よみがえ》ったが、なんと応答していいかわからない。その顔色をどう読んだか、雄太夫はちょっと気にかかったように、
「織部さまの御行状、われらの立場としてけしからぬと思われるかな。その咎《とが》めはわしが受ける。すべてはわしの責任じゃ」
と、いって、それから持前の重々しい口調に戻《もど》った。
「あれでただでたらめに女色を愉《たの》しんでおわすだけでない。あれもまたこんどの抵抗のための調練――いや、武器の製造といってよかろうか」
「――へ?」
三人は、けげんな表情をした。
「実はの、織部さまは――いまはじめて正直に打明けるが、ほかのことではいささか御凡庸《ごぼんよう》であるとしか申しあげるよりほかはないが……ふしぎに女あしらいだけは天才的にお上手じゃ。たんに女が織部さまに恋着《れんちやく》したり、よろこんだりするのみならず、その女が別人のように甘美なからだの持主となり、かつ織部さまのためならばどんなことでも――死を以《もつ》てしても御奉公しようという心になる」
「ほ?」
「根本となる術は、憚《はばか》りながらこのわしが御伝授申しあげた。さりながら師たるわしにも到底実現出来ぬことを、あの方は実際におやりなされる。世の芸とか技《わざ》とかの道には、しばしばかかる例があるが……そこがやはり、天才というものであろうな」
「そ、それはいかなることで?」
「それは秘中の秘であるし、また言葉を以て申したところで何にもならぬ」
雄太夫の囲炉裏の火にそそいだ眼が、ふと笑いの炎を赤くゆらめかした。
「おぬしらがなりゆきを案じてのぞきに来てくれたように……われらの一揆《いつき》的反抗は残念ながら現状|甚《はなは》だ暗く、将来もまた暗いと申さねばならぬ。そこで……というより、最初よりかかることもあらんかと、実は手を打ってある。直接に、伴天連《バテレン》にじゃな」
いつか最初の集会のときに、雄太夫がそんな意味のことをいったのを、甲賀衆は思い出した。
「伴天連が強敵であるゆえんは、きゃつらが信長どのと結びついておるところにある。それは信長どのが、奇怪なほど伴天連をお信じなされておるところにある。日本の坊主の行いすました説教|面《づら》には唾棄《だき》される信長どのが、伴天連の聖者ぶりばかりはばかに御信用になっておるところにある。……そのきゃつらの偽善者ぶりをひっぺがすのじゃ。いや、きゃつらもまたなまぐさい偽善者であったという事実を、こちらで作りあげるのじゃ!」
地鳴りのごとく、彼はいう。――
「きゃつらが、女色の道においてはけだものであることを、信長どののおん目にかける」
ささやくように、彼はつづけた。
「そのために、織部さまの御|薫陶《くんとう》を受けた女たちを、信者としてすでに伴天連の身辺に送りとどけてある。しかも主敵はあのウルガンと申す伴天連じゃ。きゃつさえ落せば、あちらは根もとから崩れると思うが……さすがに清浄を売物にするきゃつ、なかなか思う通りに事は運ばぬらしい。しかし、いずれは必ず目的を達する時が来る。いや、そろそろその日が近づいたものと、わしは吉報を待っておるのじゃ。……」
雄太夫は甲賀衆に燃えるような眼を戻した。
「ウルガン伴天連を中心に、伴天連といわず日本人の奉教人といわず、片っぱしからおんな地獄に堕《おと》してやろうと思って、いまも続々と織部さまのお手でその意味の刺客を訓練中じゃが、しかしそれには及ぶまい。ウルガンが崩れたという知らせは、遠からぬ日にきっと来る。それで、日本から切支丹《キリシタン》は追い払われ、従って甲賀南蛮寺領などいう、けがらわしくもばかげたことは一挙に消滅する」
そして、彼は自信に満ちた笑いを分厚い唇《くちびる》に滲《にじ》ませた。
「みなの衆、御心配であろうと、いろいろと手の内うち明けたが、われらのやっておること、また先の見込みは以上のごとしじゃ。……南蛮寺領たることを防ぐという、甲賀宗家とわしの責任は誓って果たす。例の約定《やくじよう》は忘れてはおらぬと、帰られてからみなの衆にお伝え願う」
それから彼はしつこいくらい、以上の秘策が外部に漏れることのないよう、漏らせばそれは甲賀の裏切り者となるということを念を押した。
「いうにゃ及ぶ、心得てござる」
宮島、鳥居、多羅尾はむしろ憤然としてうなずいた。
――やがて三人は、森の中を歩いていた。粉雪は吹雪《ふぶき》となった。三人の甲賀衆のからだにまだ火が燃えているような感じがしたのは、洞窟《どうくつ》の囲炉裏の焚火《たきび》のせいではなく、いまの荒晒野雄太夫の熱が伝染して残っていたためだ。
「……さすがは荒晒野じゃ」
と、宮島掃部介がうめけば、
「やはり、恐るべき御仁じゃな」
と、鳥居平内がうなずく。
が、しばらく歩いてから多羅尾四郎兵衛が不安げにつぶやいた。
「それはよいが、おれは何だか織部さまが雄太夫どのの残酷な道具になって、そのうちとり殺されておしまいになるような気がしてならぬ。……」
三人はふりむいたが、吹雪につつまれた森は、もうその彼方《かなた》にあんな洞窟があるなどとは、幻としか思わせなかった。
四
伴天連《バテレン》ニェッキ・オルガンチーノはイタリアに生まれ、二十三歳でイエズス会に入った。早くから東洋伝道の意を持っていたが、一五六七年(永禄《えいろく》十年)リスボンを出発して印度ゴアにつき、しばらくそこのパウロ学院の院長を勤めた。ついで、マラッカ、マカオの巡察師を歴任し、一五七〇年(元亀《げんき》元年)五月、九州|天草《あまくさ》に来朝した。それから京に上って、近畿《きんき》一円の布教に従った。
爾来《じらい》約十年の彼の苦心はいうまでもない。特にその間の近畿一円は、覇権《はけん》をめざす群雄の角逐《かくちく》は最高潮に達し、戦乱の劫火《ごうか》吹きすさぶまッただ中にあったからだ。
それだけに、ようやく京に南蛮寺を、安土《あづち》に神学校《セミナリオ》を建設する運びになった彼の歓喜ぶりは察するにあまりある。そしてまたそれらを維持発展させてゆく経済的基盤として、時の独裁者から与えられた甲賀領は、彼にとってまさに神から下された恩寵《おんちよう》の土地であった。
これを妨げようとする者は悪魔《サタン》である。
当時、普通人としての常凡《じようぼん》の幸福をすべておしげもなくヨーロッパの故郷に捨て、万里の波を越えて東洋に伝道に来た宣教師たちに、右の頬《ほお》を打たれたら左の頬をさし出すようなたちの人間はひとりもいなかった。十人の信仰者を得るためならば、千人の異教徒《ゼンチヨ》を殺すのもいとわない――いや、殺すのが神の意志であると信じて疑わぬ壮烈な魂の持主ばかりであった。……後年、秀吉《ひでよし》や徳川初代の将軍たちが切支丹を危険視したのも、当時としてはそれなりの理由があったのである。
ましてや京にあって、実質上布教の中心人物たるオルガンチーノは、この天正十年五十歳になっていたが、到底そうは見えぬ精気に満ちて――金髪、碧眼《へきがん》、そして気味悪いほど赤い唇など、日本人の眼から見ると年のほども見当もつかないが――長い苦難のために痩《や》せてはいるけれど、それがむしろ精悍《せいかん》の感を与えた。
南蛮寺における切支丹《キリシタン》の教義や殉教者の行伝《ぎようでん》やキリストの一代記などの説教も、むろん厳粛であったが、それ以上に悽愴《せいそう》の気を漂わせていた。
日本に来てから十二年くらいになるので、ややアクセントは奇妙ながら、日本語は使える。
南蛮寺の中の広い一室には、一ヵ所だけ高いところに、ステンドグラスの小さな窓がつけてあった。そこから落ちる早春の日の光が紅や藍《あい》に染まって、聖書を読むオルガンチーノや聴きいる二、三十人の奉教人たちの頭上にふりそそいでいた。
「……ここに十二弟子の一人イスカリオテのユダという者、祭司長らの許《もと》にゆきて言う『なんじらに彼を渡さば、何ほど我に与えんとするか』彼ら銀三十を量《はか》り出《いだ》せり。ユダこのときよりイエスを渡さんとよき機会《おり》をうかがう。……」
聖書はローマ字で書いた日本語のものであった。
読むにつれ、しずかに頁《ページ》をめくっていったオルガンチーノは、ふとそれがひらかなくなったので、指で聖書を撫《な》でまわして、十数頁が一本の茨《いばら》のとげ[#「とげ」に傍点]で縫いとめられているのに気がついた。いや、それがちらっと右手の中指を刺したので、はじめて茨のとげ[#「とげ」に傍点]を発見したのである。はて、いつのまにこんなものがまぎれこんだのだろう?
しかし、オルガンチーノはすぐにとげ[#「とげ」に傍点]をとり出して捨てて、また読みつづけていった。
「……夜明けになりてすべての祭司長、民の長老ら、イエスを殺さんと相議《あいはか》り、ついにこれを縛り、曳《ひ》きゆきて総督ピラトに渡せり。ここにイエスを売りしユダ、その死に定められ給いしを見て悔い、祭司長、長老らにかの三十の銀をかえして言う『われ罪なきの血を売りて罪を犯したり』……」
オルガンチーノは指さきに痛みをおぼえた。血が聖書をよごしたのを見た。
「彼ら言う『われら何ぞあずからん、汝《なんじ》みずから当るべし』ユダその銀を聖所に投げすてて去り、ゆきてみずから縊《くび》れたり。……」
血が床《ゆか》にしたたり出したのを見て、オルガンチーノは怪しみ、その日の朗読と説教を中止することにした。
信者たちが礼拝して去ったあと、彼は聖書をテーブルに置き、指をのぞきこんだ。眼にも見えない小さな傷だが、血がとまらないのが不思議である。
ふと、神父は眼をあげた。
ちょうどそこだけ藍色の光の落ちる中に、ひとりヴェールをかぶった女が立っていた。みんな立ち去ったあと、その女だけ残ってこちらを心配そうに見ているのに、いままで気がつかなかった。
「マグダレーナ!」
と、彼はさけんだ。一年ほど前、京のやはり信仰|篤《あつ》い商家の内儀《おかみ》につれられて来て入信したマグダレーナお雪という娘であった。
この娘はオルガンチーノにとって、ほかの信者よりも印象が強い。それはその娘の、オルガンチーノさえ眼を伏せがちになるほどの肉感的な美しさと、奉教人になってから半年ほどたってから見せはじめた不思議な能力であった。
そのころ、南蛮寺のちかくで路傍に乞食《こじき》の男女が集まって騒いでいた。たまたま奉教人たちといっしょに通りかかったオルガンチーノが、あれは何だとききとがめた。一人が走っていってのぞきこみ、ややあって妙な表情で報告した。
十四、五の乞食の少女が出血して――どうやら、初経であったらしい――その血がどうしてもとまらず、色|蒼《あお》ざめ、恐怖のためか息絶え絶えであるという。
オルガンチーノもどうしてよいかわからず、さればとて知らぬ顔をして立ち去りがたく、困惑のおもいで、その方を眺《なが》めているばかりであった。すると、奉教人の中から、彼の前に進み出た女があった。
「師父《バーデレ》さま、イエスさまは血のとまらぬ女をお救いになりましたね?」
「おお、聖なるおん奇蹟《きせき》の一つとして。――」
「わたしにも出来ますでしょうか? イエスさまをお信じ申しあげれば」
「?」
返答につまり、やおら無意味にうなずいた神父の前から女は駈《か》け去った。オルガンチーノの頭には、「馬太《マタイ》伝第九章」の挿話《そうわ》がながれた。「……十二年|血漏《けつろう》を患いたる女、イエスの後《うしろ》に来りて御衣《みころも》の総《ふさ》にさわる。それは御衣ただに触《さわ》らば救われんと心の中にいえるなり。イエスふりかえり、女を見て言いたもう『娘よ、心安かれ、汝の信仰なんじを救えり』女この時より救われたり。……」
しかし、しかし、しかし。――
やがて女は帰って来た。白い布で口をふいた。布には花のように血がついた。女はいった。
「血はとまったようでございます」
「何じゃと? いかにして?」
「イエスさまを深くお祈り申しあげながら、血の出るところに口をあてて、吸いとってやったのでございます。……」
それが、マグダレーナお雪であった。
また三ヵ月ばかりして、南蛮寺にころがり込んで来た一人の武士があった。ちかくで喧嘩《けんか》して斬《き》られたといい、右の手首から先がなかった。オルガンチーノは応急の手当をし、布で腕をかたく縛ってやったが、流血はとまらなかった。
彼は、まわりをとり囲んでいる奉教人たちの中に例の娘の姿を見出し、思わずいった。
「マグダレーナ、この人を救ってやれぬか?」
マグダレーナは進み出て、十字を切って、武士の手首の切断面に唇《くちびる》をあてた。――数分にして血はとまった。
オルガンチーノは、われ知らず、これまた十字を切った。
どうしてその娘にかぎりそんな現象が起ったのか、正直なところ、オルガンチーノにもよくわからない。……考えられるのは、ただ信仰の力であった。彼にさえ不可能な信仰の奇蹟であった。
――いま、その娘が自分の指を見つめているのを見て、オルガンチーノは反射的に眼でさしまねいた。
「この血をとめておくれ、マグダレーナ」
娘は近づいて来た。
そして、さし出された神父の指の血を見ると、どうしたのですかともきかず、ひざまずいて、その指を自分の口にふくんだ。
それから数分のうちに妖《あや》かしがオルガンチーノにとり憑《つ》いた。自分の指を柔かく巻いて吸う女の舌、それが彼にとってまるで全身|濡《ぬ》れて、芳潤《ほうじゆん》な粘液にまつわられているような快感にとらえられたのだ。――いや、全身ではない、神父はその快感の根源を知った。彼はあやうく射精しかけた。吸われているのは指だというのに。――
妖かしはこの女のせいではない、と、ステンドグラスの赤い光に染まった女の顔を見下ろして神父はうめいた。眼をふさととじ、金色の毛の生えたふとい自分の指をいっしんに吸っている女の顔は神々《こうごう》しいばかりであった。妖かしは、自分の魂であった!
そうと知った刹那《せつな》、オルガンチーノは左手でテーブルの上の紙きりナイフをつかんだ。そして、死物狂いに自分の指を女の口からひきぬいた。
マグダレーナお雪は、眼をあけて、ナイフをつかんだ神父を見て、恐怖の表情になった。
しかしオルガンチーノは、自分のその指をテーブルに置くと、ナイフをあてて、根もとからぷつりと断ち切ってしまった。
「師父《バーデレ》さま、どうなされたのですか?」
「何でもない」
オルガンチーノは肩で息をし、くるっと反対の方を向いて、祭壇のキリストの磔《はりつけ》 像《ぞう》をふり仰ぎながら、うめくようにいった。
「ありがとう。帰ってよい。マグダレーナ」
彼はこのとき、嵐《あらし》のように心に叫びつづけていたのだ。「……われ汝《なんじ》らに告ぐ。すべて色情を懐《いだ》きて女を見るものは、すでに心のうち姦淫《かんいん》したるなり。もし右の眼なんじを躓《つまず》かせば、抉《くじ》り出して棄《す》てよ。もし右の手なんじを躓《つまず》かせば、切り棄てよ。……」
五
――その翌日、彼は安土《あづち》へひきあげた。ほんとうは、自分を不可解な魔境に誘いかけたマグダレーナという女のいる京から逃げ出したのだ。
ちょうど信長は、甲州陣へ出向いて留守であった。その動静をちゃんと知ってか、甲賀の方の抵抗がまたいちだんと小うるさくなったというので、席を暖めるひまもなく彼もその方へ「出征」した。その戦闘の指揮ぶりは鬼神にも似て、京や安土における神父オルガンチーノとは別人のようであった。彼は「神の祝福されたる領土」におけるけしからぬ叛逆《はんぎやく》の土民を何十人か仮借《かしやく》なく殺した。そして、四月末、信長の凱旋《がいせん》と前後して彼も改めてまた安土に帰った。
そのころオルガンチーノは、マグダレーナがあれ以来京から姿を消したという知らせをきいた。彼は考えこんだ。
安土神学校はすでに建設され、こちらにも入学志望の者が続々あった。とはいえ、まだ宣伝のためもあって、当初は女子も希望すれば迎えいれていたが、オルガンチーノは突然男子の志望者が多いからという理由で、女性は当分神学校で聴講することを遠慮してもらいたいといい出した。
彼がそんな発表をして、二、三日たった或《あ》る夜のことだ。
神学校の一|画《かく》にある一室の寝台に眠っていたオルガンチーノは顔を充血させ、口を大きくあけてあえいでいた。琵琶《びわ》湖の水のぬるみがよどんでいるような春の夜である。彼は悪夢を夢みていた。
彼にとっての恐ろしい夢で、それは夢の中でさえ恐ろしい妄想《もうそう》の世界であった。女奉教人の或る一人と――彼も記憶のある神学校の女生徒と――全裸になってもつれ合っている夢であった。いかに彼が心で抵抗しても、重なったその女人が腰を波打たせるたびに、彼の腰も上下した。甘美の極に達して彼は射精した。
びっしょりと汗に濡《ぬ》れつくして、オルガンチーノは醒《さ》め、いまの夢を想い出し、しばらく放心状態になっていたが、ふいにがばと寝台の上に起きなおり、枕頭《ちんとう》の聖書をひらいて、ひらかれた頁《ページ》を読み出した。
「……ここに総督の兵卒ども、イエスを官邸につれゆき、全隊を御許《みもと》に集め、その衣《ころも》をはぎて緋色《ひいろ》の上衣を着せ、茨《いばら》の冠を編みてその首《こうべ》にかむらせ、葦《あし》を右の手にもたせ、かつその前に跪《ひざま》ずき、嘲弄《ちようろう》して言う。『ユダヤの王、安かれ』またこれに唾《つばき》して、かの葦をとりて、その首を叩《たた》く。かく嘲弄してのち、上衣を剥《は》ぎてもとの衣を着せ、十字架につけんと曳《ひ》きゆく。その出づる時、シモンというクレネ人《びと》にあいしかば、強《し》いてこれにイエスの十字架を負わしむ。かくてゴルゴダという処《ところ》、すなわち髑髏《されこうべ》の地に至る。……」
彼は、「アーメン!」とつぶやいて、十字を切った。
やや心が静謐《せいひつ》にもどって、彼は聖書を伏せて眠りについた。
するとオルガンチーノはまた夢みた。――先刻と同じ女と同じ行為の夢であった。女が彼になまめかしく舌さえふくませたとたん、彼はまた射精して、がばとはね起きた。
そして、ふたたび聖書をとって、声ふるわせて読み出した。
「……昼の十二時より地の上あまねく暗くなりて、三時に及ぶ。三時ごろイエス大声に叫びで、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言い給う。わが神、わが神、なんぞ我を見棄《みす》て給いしとの意なり。……ただちにその中の一人走りゆきて海綿《うみわた》をとり、酸《す》き葡萄《ぶどう》酒を含ませ、葦につけてイエスに飲ましむ。……イエスふたたび大声に呼ばわりて息絶えたまう。……」
オルガンチーノは三たび眠り、こんどは女人からさらに恥ずかしい行為を受け、快美にもだえて寝台からころがり落ちた。……そして彼は、寝台の下にあおむけになって、腰を波打たせつつ、唇をすぼめてあえいでいる女を発見したのである。
それも悪夢の中の出来事のように思いつつ、女をひきずり出して、彼はさけんだ。
「モニカお花!」
それは神学校の女生徒で、安土近くの郷士の娘と称する女であった。郷士の娘らしくもなく、透明なまでに清麗な容貌《ようぼう》に、どこかふしぎな妖艶《ようえん》さをからませた娘だ。しかし、それが――どうして?
「ああ、神父さま、神父さま。……」
ひきずり出されても、彼女はなお夢みるように眼をとじて、あえいでいた。
「わたしはあなたが好きでございます。どうぞ神学校から追い出さないで下さいまし。おそばに置いて下さいまし。……」
おそらく、以前の――京のマグダレーナのことがなかったら――オルガンチーノはこの娘が、夢遊病者だと思ったにちがいない。信仰に憑《つ》かれたあまりの行為だと考えたにちがいない。それが彼のいまの夢の中の女と一致することを知っても、ただその怪異に驚くのみで、それ以上の判断力は働かなかったに相違ない。
しかし、碧《あお》い眼をぎらと燃やして、オルガンチーノはさけんだ。
「モニカお花。……おまえは甲賀の娘ではないか!」
彼は、自分の領土となった甲賀という国に、日本古来の――彼にはまだ信じられないが――妖術師《ようじゆつし》のような一族が棲《す》んでいて、それが自分たちに抵抗しているのだ、ということを最近知ったのだ。
彼は寝台の傍《そば》の小卓のナイフをつかんだ。モニカお花は眼をひらき、恐怖にその表情が美しい陶器みたいに硬直した。
が。――
オルガンチーノは、むき出しになったままの、妖《あや》しく濡《ぬ》れているおのれの性器を眺《なが》め、二度、三度、大きな息をしたかと思うと、ぶさとそれを根もとから切り落してしまった。
「あっ。……神父さま!」
モニカお花は、はじめて正気のけたたましい絶叫をあげた。
股間《こかん》から血を吐き落しつつ、オルガンチーノは仁王《におう》立ちになったまま、
「主よ、わが弱志をあわれみ給え!」
と、十字を切り、それからモニカお花を見すえてうめいた。
「悪魔《サタン》よ、しりぞけ。……いや、女、この聖なるセミナリオでは赦《ゆる》してあげる。甲賀へ帰りなさい」
――荒晒野雄太夫《あざれのゆうだゆう》は、甲賀に帰ったお花から報告をきいた。彼女は泣きながらいった。
「織部《おりべ》さまのおんためと思い、恥ずかしい術を使いましたなれど……もうわたしはだめでございます。もしお許しいただけるなら、どうぞもういちど、安土に帰して下さいまし。……」
雄太夫のそばには、先に帰ったお雪が、これまたうなずいた。ひざにおいた聖書に涙をおとしながら彼女もいった。
「わたしも。――ただし、甲賀の刺客としてではなくただ切支丹《キリシタン》の女として!」
雄太夫は答えず洞窟《どうくつ》の暗い土天井をにらみつけていたが、やがて腸《はらわた》の底からしぼり出すような声をもらした。
「万事|休《きゆう》す」
彼がとっておきの手段として放《はな》った「女刺客」は、いずれも敗れて帰って来たのである。敗れたとは、目的に失敗したというだけでなく、彼女たちがほんとうの切支丹になってしまったことであった。それに怨敵伴天連《おんてきバテレン》はみずから妄念《もうねん》の根源を断ち切ってしまったという。それでは、もはやこれから打つ手はないではないか?
まことに甲賀|一揆《いつき》の対策は尽きた。――
六
甲賀の抵抗が万策尽きたというのに、敵は本格的に怒って起《た》った。
信長にオルガンチーノがどういう話をしたか。――五月下旬、信長自身は中国陣を指揮するため身の回りの侍臣だけつれて軽がるとまず京へ立つというのに、甲賀にはわざわざ数千の兵を向け、オルガンチーノその他の伴天連もこれに参加したのだ。信長がそんな気になったのは、彼が甲州へいっているあいだの甲賀の蠢動《しゆんどう》ぶりに腹をたてたためであろうと思われる。
甲賀の谷々も埋《う》まるばかりに、織田の軍兵は雪崩《なだ》れこんだ。彼らは口々に合言葉のようにさけんでいた。
「出合え、甲賀織部」
「荒晒野雄太夫はどこにおる?」
――その荒晒野雄太夫が、お雪、お花という二人の女に導かれて、オルガンチーノの野営にやって来たのはちょうど六月に入って最初の日の雨の夜であった。
相手が変幻ただならぬ甲賀一族だから、夜の哨戒《しようかい》線も二重三重に張ってあったはずだが、それをどうしてくぐりぬけて来たのか、――オルガンチーノをはじめとして、数人の伴天連や修道士《イルマン》だけがいる幕屋《ばくや》に忽然《こつねん》として現われた三つの蓑笠《みのかさ》の姿が、その蓑笠をぬいだとき、
「おう、モニカ……マグダレーナ!」
と、それだけでも驚いたのに、その二人の女に、そばの大男を甲賀一揆の実質上の指導者荒晒野雄太夫だと紹介されて、オルガンチーノたちはぎょっとして立ちすくんでいた。
しかし、雄太夫に、あきらかに敵意はなかった。
「伴天連どの。……甲賀はついに負けてござる!」
と、彼はいい、この上の抵抗はもはや無益な破滅を来《きた》すばかりだと観念したと述べ、さらに。――
「かく相成っては、首領甲賀織部のいのちを捧《ささ》げて、ほかの甲賀の民のいのちに代えることをお許したまわるまいか?」
と、いい出したのである。
「なに?」
と、みな、まじまじと雄太夫の顔を見まもり、
「甲賀織部のいのち……ただ、それだけ?」
と、なじるようにいいかけた者があったのを、オルガンチーノは制した。
「それは、どうするのか?」
雄太夫は、自分が織部を捕えて、織田方に引渡すことにしたいといった。つまり、彼は主人の織部を売ろうというのだ。
のちに甲賀衆の手で、荒晒野雄太夫は進退きわまって織部さまを裏切ったのではない。彼は気が狂っていたにちがいないが、それなりに最初から宗家をかかる窮地に追いこみ、これを消し、あと自分が宗家の地位にとって代ろうという奸計《かんけい》をめぐらしたのだ、という説が起り、みな同意したが――そこまで思いをめぐらさずとも、オルガンチーノは、この雨にぬれててらてらひかる叛乱《はんらん》の副首領の顔に、唾《つば》をひっかけたいような奸悪《かんあく》の相を認めた。
と、いうのは、ただ主人を売るばかりでなく、黙っている伴天連たちに雄太夫の方から、何やら思い直した風で、さらに媚《こ》びるがごとく、次のような提案が出されたからである。
つまり、織田方の手で甲賀織部を処刑すれば彼は甲賀の人柱視され、あと南蛮寺領となっても決して穏便に収まるまい。だからこの際、いっそ自分が何もかも責任をとって、自分の手で織部を処刑したい――とまでいい出したのだ。
この旨、伴天連どのから織田方によろしくおとりなし下さるまいか、と彼はいい、さらに奇怪なばかり醜悪な笑顔になって、
「ただ、かかる思い切ったことをやってのける以上、拙者もあとあとのため相当な支度が要《い》る。そのために、何とぞ黄金三十枚たまわるまいか?」
と、要求した。――
長い沈黙ののち、身ぶりで同僚をとめておいて、オルガンチーノはうなずいた。
「よろしい。この交渉には応じよう」
この裏切者に対して吐気のような軽蔑《けいべつ》を感じてはいたが、しかしあとのことを考えれば、まったくこの男のいう通りだと思われた。神もあまりの不愉快にしかめ面《つら》をなさるかも知れないが、南蛮寺将来の安泰のためには、この悪魔《サタン》に悪魔《サタン》をとも食いさせることが、いちばん賢明だとオルガンチーノは思量せずにはいられなかった。
「で、いつ?」
「明日。――左様、ひるごろ」
そして雄太夫は、このことになまじ織田方が手を出されては、反射的に自分の配下にも非理性的な騒ぎをひき起す者が出るおそれがあるから、遠くから監視されるだけで絶対に手を出されぬようにと嘆願の念を押した。オルガンチーノはそれも承知した。
さて、その翌日、六月二日のまひる。
荒晒野――という名の通り、――晒《さら》されたように荒れはてた野のまわりを織田の軍兵はとり囲んで、遠望していた。野の中にひとつの丘があった。それでも名は軽割《かるわり》山というそうで、向う側の崖《がけ》の下に、一揆《いつき》の司令部たる洞窟《どうくつ》があり、そのさらに向うは森になってそれを隠していたことがあとでわかったが、こちら側から見る限りは赤茶けた荒涼たる丘に過ぎなかった。
そこに一群の人影が上っていった。じいっと眺《なが》めているうちに、オルガンチーノたちの眼は次第に張り裂けるほどひらいて来た。
先頭によろめいてゆくのは、髯《ひげ》にうずまってはいるが、遠目にも気品にみちたやさしい顔だちの男で、それが緋色《ひいろ》の長い合羽《かつぱ》のようなものを着せられ、足は裸足《はだし》で、頭には茨《いばら》の冠《かんむり》をのせられていた。そのうしろについた兵士風の男が、しきりに長い葦《あし》でそのからだを叩《たた》いた。牛か馬のよに叩かれている罪人は、べつに二人いた。二人は磔《はりつけ》 柱《ばしら》を背負わされていたが、おそらく先頭の男のためのものであろう、一人の百姓が、大きな磔柱を背負わされて、よろめきよろめき丘をのぼっていった。……
丘の上には二人の女が立って、涙をながしながらこの一隊を迎えた。
しかし、彼女たちはすぐに遠ざけられ、兵士風の男たちは三つの磔柱を丘の上に立て出した。夜の雨がやんで、朝から美しく晴れていた空は、このころから丘の上にぶきみな雲を垂れはじめていた。……
その雲の下に、三人を縛りつけた磔柱が立てられたとき。――
「やめてくれ。……やめて下され!」
修道士《イルマン》の一人がのどの奥から恐ろしいさけび声をあげて駈《か》け出すと、ほかの伴天連《バテレン》たちもころがるようにそのあとを追った。
真《ま》っ蒼《さお》になって眼をむいていたオルガンチーノは、それまで自分のうしろに立っていたはずの荒晒野雄太夫を、怒りに燃えてふりかえり、その姿がそこになく、少し離れた一本の木にだらんと首を吊《つ》ってぶら下がっているのを見た。……その下に、三十枚の黄金を散らしたまま。
「やめてくれ、南蛮寺領は返す! 甲賀を南蛮寺領とはしない!」
オルガンチーノは跳《は》ねあがり、恐怖のさけびを夢中であげながら、そこから駈け出した。それは、向うの、ゴルゴダの丘の処刑の、日本における「復活」を制止するためか、この恐るべき裏切者の、祖国甲賀への「殉教」の姿から逃れるためか。――彼の魂はただ黒い煙に吹きくるまれているようであった。
同じ時刻、まだ京の空に残っている黒煙の下に本能寺はなく、切支丹の庇護《ひご》者信長もすでになかったことを、オルガンチーノはのちに知った。
甲賀者雄太夫の最後の抵抗は果たして役に立ったのか、あるいはまったく無益の苦計であったのかはよくわからない。いずれにせよ、吊り下がった彼の大きな首がニンマリと笑っていたことに間違いはない。
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忍法おだまき
一
蒼《あお》い油絵具をぬったような京の空に、やや赤みがさしかけたころ、聚楽第《じゆらくだい》の巨大な門の前に、忽然《こつねん》と立った二つの影があった。
第(邸)とはいうものの、これは城である。場所は大内裏《だいだいり》の旧趾《きゆうし》にあたり、東は大谷、西は浄福寺、北は一条、南は下長者町にわたり、濠《ほり》をめぐらし、天守閣さえ築き、その四面には諸侯の屋敷も布置されているし、容易に庶民のちかづけるところではない。
その二人は、実に忽然とそこに現われた。
ひとりは、鶯《うぐいす》 茶《ちや》の道服をまとった老人だ。鶴《つる》のように痩《や》せて、顔は恐ろしくながい。その口の両はしに、どじょうみたいな髭《ひげ》が二本タラリと垂れている。相当な老齢だということはわかるが、髪は漆黒《しつこく》だし、いったい幾歳くらいの人物なのか、見当がつかない。
もうひとりは、琵琶《びわ》法師だ。琵琶法師だが、背に負うた琵琶の絃《いと》は切れ、胴は裂けて、ものの役に立つとは思われない。顔色は病人、というより死びとのようで、垢《あか》だらけで、これまた年のほどはわからない。いや、よく見ればまだ極めて若い法師らしいが、一見したところでは老人みたいに見えた。むろん盲人で、しかも左腕がなかった。
この両人が、朱と金に彩《いろど》られた華麗な唐破風《からはふ》の門の下に立ったとき、門番はおどろくよりも、眼を疑った。
「木村|常陸介《ひたちのすけ》どのにお伝えを願いたい」
恬然《てんぜん》として、道服の老人がいった。
「お召しにより南都の果心《かしん》が参上仕りましたとな」
「――果心?」
まじまじとこの異様な二人の訪問者を見ていた武士たちのうち、
「あっ、では、あの果心|居士《こじ》!」
と、はじめて驚きの声をあげた者がある。その武士のみならず、ほかの誰《だれ》もがその名を知っていて、かえって声が出なかったのであったが、ややあって、ひとりが、
「もうひとりの、それは?」
と、琵琶法師に眼をむけた。
「これは、それがしの弟子」
と、果心と名乗る老人はこたえて、それからうすく笑った。
「むさくるしいが、これも関白家には縁あるもの。――関白さま御寵愛《ごちようあい》の御女臈《ごじよろう》のうち、刈萱《かるかや》のおん方と申すお方がござるげな。これは刈萱の方のもとの亭主《ていしゆ》でござるわ」
数人の武士が、顔色をかえて奥へ走っていった。
やがて、関白の重臣木村常陸介が出て来た。
「果心どの、お待ちしていた、と申したいが」
常陸介の声は重く沈んで、それっきりしばらく黙っていたが、やがてしぼり出すようにいった。
「果心どの、どうぞ殿を地獄からお救い下されい」
「地獄から?」
「御覧になれば、おわかりでござろう」
二
かねてから手をつくして招いていた客で、しかもほとんど来訪を期待できないものとあきらめていた客が来た。それなのに木村常陸介は、いまこの人物を主君に逢《あ》わせたくなかった。
しかし、門番の知らせで、一応主君にその旨を伝えると、関白は、
「なに、果心が来た?」
と、あわてて立とうとした。常陸介は小声でそれを制した。
「殿、居士はひとりの琵琶法師を供として参ったとのことで」
「琵琶法師、それがどうしたのか」
「それが、どうやらいつぞや北野で逢《お》うた法師らしゅうござる」
そういわれても、まだ関白はわからなかったようであったが、常陸介の眼が、左右にいながれた二十数人の侍妾《じしよう》のうち、刈萱にちらとそそがれたのを見ると、はっと何やら思い出したようであった。
「あの法師」
と、さけんだ。
「きゃつを、果心がつれて来て、何とするつもりか」
「それがしにもわかりませぬ」
関白は眼をひからせて、じっと常陸介の顔を見ていたが、
「よし、ここへ呼べ」
と、にやりと笑った。
「え、ここへ?」
「かまわぬ。ここで果心とその法師に逢《お》うてやろう」
常陸介は、じぶんの遅疑が、この主君に対して逆効果となったことを知ったが、同時に、いや、主君の言葉の通り、彼らをここへ呼んだ方がよいかもしれぬ、と思いなおした。気まぐれな果心居士が聚楽第へやって来たのは、その法師のおかげかもしれないし、それに主君を自己破滅の地獄から救うためには、現に見る通りの主君の行状を果心にも見せた方がいいかもしれない。おそらく果心は、ありきたりの悪意を以《もつ》てその法師をつれてきたのではなかろうから、主君のおいのちに別状はあるまい。
常陸介はお辞儀して去り、やがてその奇妙な来訪者をみちびいて来た。
廻廊《かいろう》から廻って来て、果心はふいに供の法師を制し、じぶんも立ちどまった。庭上の言語を絶する光景を見たからである。
広い庭の白洲《しらす》は、朱色に染まっていた。それは夕焼けの色ばかりでなく、血のせいであった。
七つの巨大な俎《まないた》 様《よう》の板が置かれ、そこに一糸まとわぬ女があおむけに大の字になっていた。四肢《しし》は朱の紐《ひも》で、板にゆわえつけてあった。そのうち四人が、のどぶえから下腹部まで切り裂かれて、真っ赤な腹腔《ふつこう》をひらいていた。あとの三人はまだ五体完全であったが、しかし二人は、すでに死んだようにうごかなかったし、もうひとりはたしかに正気を失った虚《うつ》ろな眼を、赤い夕焼けに見ひらいていた。
凄惨《せいさん》なる壮観である。
果心は、ちらと供の法師を見た。法師は盲目である。果心はすぐに何事もなかったかのような顔で、すたすたと廻廊を歩いて来た。
「果心よな」
常陸介の紹介もまたず、老人の挨拶《あいさつ》もないうちから、若い関白は声をかけた。
「名は久しゅうきいておった。是非|逢《あ》いたいと思うておったぞ」
「ありがたき倖《しあわ》せ」
と、老人はいった。そして、お辞儀もしないで、供の琵琶法師の両耳に口をあてて、ぷっ、ぷっ、と何か吹きこんだ。
「果心さま、耳がきこえなくなりました」
法師は嗄《か》れた声でいった。
「そこにおわすは関白|秀次《ひでつぐ》さまではござりませぬか」
老人はこたえず――こたえても、もう琵琶法師にはきこえなかったろうが――肩に手をあてて、法師を坐らせ、じぶんも坐った。
「はじめて御意《ぎよい》を得まする。殺生関白《せつしようかんぱく》さま」
そう呼ばれて、関白秀次のひたいにさっと青い炎のようなものが走ったが、すぐに唇《くちびる》をひきつらせて笑い、庭をあごでさした。
「女の腹の中のやや[#「やや」に傍点]を見とうてな」
果心居士は、もういちど庭を見た。
腹を裂かれた四人の女の俎《まないた》のまわりには、血と臓物《ぞうもつ》がぶちまけられていたが、その中に、たしかに胎児らしいかたちが見えた。そういえば、ほかの三人の女の腹部は、むっちりと盛りあがっている。
――おそらく、合図のあるまで制せられているのであろう。その向うには、この屠殺《とさつ》を行うのに、大袈裟《おおげさ》というべきか、当然というべきか、具足をつけた武士が二人、血まみれの陣刀をたてたまま、黒い死神のごとくひかえていた。
「果心、きくところによると、その方はみずからのからだをばらばらに手刃し、あとでみずからつなぎ合わせてよみがえるという。あの女ども、子供をまた腹に入れて生き返らせることができるか」
「屠人戮馬《とじんりくば》の術でござりまするか」
果心はしずかにくびをふった。
「それは、拙者みずからのみのこと、余人には成りませぬ」
三
果心居士。――生国も知れぬ、生年も不明である。本名をなんというのか、誰《だれ》も知らない。
ただ、南都の住人ということで、しかしどこに住んでいるのかわからない。ときどき、元興寺《がんごうじ》の五重の塔の頂上に腰うちかけ、扇をつかいながら四方を眺望《ちようぼう》している姿を見ることがあるので、奈良の住人らしいといわれるだけである。
戦国時代から安土《あづち》桃山時代にかけて、人々に異様な噂《うわさ》をつたえられている幻術師であった。
曾《かつ》て松永|弾正《だんじよう》が信貴山城に彼を召して、わしはこの世に恐ろしいもののあることを知らぬ、御辺《ごへん》、わしを恐れさすことができるか、ときいた。このとき居士はうなずいて、広縁《ひろえん》の方へ歩み出した。すると、庭の月明がみるみる昏《くら》くなり、小雨がそぼ降りはじめ、その縁にぼんやり坐っている女の影が浮かびあがった。それが以前に死んだはずの妻であることを知ると、さしもの梟雄《きようゆう》松永弾正も思わず蒼然《そうぜん》として、果心居士|止《や》めよ、とさけんだ。――と、庭の雨がしだいに消え、月光がさしてきて、そこに寂然《じやくねん》と坐って笑《え》んでいる果心居士の姿が現われたという。――その松永弾正が死んだのが天正五年だから、少くともそれは二十年以前の話であろう。
また、これは数年前のことだが、奈良の某家で酒宴をひらいているとき、客の中に居士と懇意の者があって、今宵《こよい》居士はこのちかくに来ているはずだから、ここへ呼んで居士の幻術を御見《ぎよけん》に入れようといった。やがて果心がやって来た。そして客の中で、なお居士の幻術に疑いを懐《いだ》くひとりの男にむかい、世に神変のことあるを疑いたもうな、といいながら、楊枝《ようじ》でその男の歯を右から左へ撫《な》でた。するとたちまちその歯はふらふらと浮き出して、いまにもぬけおちんばかりになった。男が仰天して悲鳴をあげると、居士は、これでおわかりか、といって、ふたたび楊枝でその歯を左から右へ撫でた。すると、浮いていた歯はひしひしとかたまって、もとのようになった。――
その一夜の客の中に、木村常陸介がいた。彼は実際にその怪異を目撃したのである。
が、飄然《ひようぜん》として去った果心居士を、噂《うわさ》にまさる老幻術師、と舌をまきながら、彼はそれを追おうとはしなかった。当時彼は、太閤《たいこう》の甥《おい》として、いや唯一の後継者として関白職についたばかりの秀次を主君にもって、得意絶頂のときにあり、そんな怪力乱神をなんら必要とはしなかったし、その老人に、何やらいたずらめいた、悪魔的な翳《かげ》を看取したからである。むしろ、世に害をなす人間、とそのとき彼はかんがえた。しかし果心という幻術師は、いったい何を目的として生きているのか、どこの大名にも仕えたという話をきかず、ときどき風のように諸所に現われて、気まぐれに奇怪な術を披露《ひろう》して人々をおどろかせるだけで、べつに大した害もしないようであった。
ところが――事態は変った。常陸介の方で変ったのだ。正確にいえば、彼の主君の立場に急変が生じたのだ。
三年前、愛児|鶴松《つるまつ》を失った秀吉《ひでよし》は、五十九歳という年から、もはや血肉の子をあきらめて、甥の秀次を後継者にえらび、関白を譲った。同時に秀次に譲られた聚楽第《じゆらくだい》には、人々が雲集した。しかるに去年、あきらめていた太閤に、また一子|拾君《ひろいぎみ》が生まれたのである。
ほとんど露骨ともいうべき変化が太閤に現われたのを、秀次も常陸介も肌《はだ》で知った。彼らが不安と不快をおぼえたのは当然である。秀次は、不安や不快を超えて、苦悶《くもん》をすら感じはじめたらしい。世間に、彼の乱行が、戦慄《せんりつ》とともにささやかれ出した。一年もたたぬうちに、太閤対関白の関係は、いまやだれが見てもぬきさしならぬ破局的様相をおびてきていた。
木村常陸介は秀次をいさめた。無益であった。太閤へのとりなしも働きかけた。無効であった。関白|帷幄《いあく》の謀臣といわれた常陸介が、いかなる努力も権謀もほとんど歯が立たぬ運命の圧迫をおぼえた。そして、突然彼は奈良で見た大幻術師果心居士のことを思い出したのである。
常陸介は果心居士を必要とした。居士をおいて、関白を救う者はないとまでかんがえるようになった。すでに魔界にいるといっていいこのごろの秀次を助け出すには、この幻怪の魔人果心居士のほかにない。――
しかし、常陸介は、果心という人間をよく知らないのだ。むしろ、皮肉で、いたずら好きな老悪魔という第一印象を持っているのだ。常陸介は果心が、世の常の徳目を以《もつ》て秀次に説くことを期待したのではない。ただ、魔道には魔道を以て、とかんがえたにすぎない。しかし、彼自身も意識せぬ心の底には、果心に対してもっと恐るべき談合の成立を期待していたかもしれなかった。
ところで、果心という人間は、ふだんどこにいるのか、誰も知らない。溺《おぼ》れる者は藁《わら》をもつかむ心で、常陸介は奈良で果心を知っているという例の知人に、もし居士と逢うようなことがあれば、是非京の聚楽第を訪れてくれるように依頼しておいた。半年前のことだ。
心中必死に願いつつ、しかもなかばあきらめていたその果心がやって来た。
四
「ところで、関白さま、そもいかなるお心で、かようなものを御覧あそばしますか」
と、果心は、庭にくりひろげられた妊婦の解剖風景に眼を投げたままきいた。
「ただ、腹の中のやや[#「やや」に傍点]が見とうてか」
「それもある。が、そればかりではない」
秀次は血に酔いすぎて、むしろ醒《さ》めたような蒼白《そうはく》な顔でこたえた。
「果心、わしのこの世に生きておるのは、もう長うはない」
果心はその意味を問いかえしもせず、秀次に眼をもどしている。秀次は地にしみいるようにつぶやいた。
「ふたたびとは来ぬ人生に、わしは人間というものの極限、ぎりぎりの魔相を見ておきたいのだ」
そして笑った。
「その方の破天の幻法も、よもやこれほどの地獄相は見せられまいが」
「仰せの通りでござりまする」
果心はこたえた。澄ました顔で、それっきり何もいわないので、秀次はかえって果心に不審の眼をむけた。
「果心、そちはわしに何を見せに来たのか」
幻術師果心を呼んだ、とは愛臣木村常陸介からきいてはいたが、もとより秀次は常陸介の真の意図を知らない。ただ果心の幻術を座興として見せるために呼んだものとかんがえている。
ふいに、琵琶法師に眼を移していった。
「その男を見せに来たのか」
「左様」
「わしに恨みをいうためか。……いわせて見ろ。きいてやろう」
秀次の眼には、冷笑とも虚無ともつかないものがあった。それから、顔を横にむけて、
「刈萱《かるかや》、ここへ参れ」
と、いった。
この座敷には、関白だけがいたのではない。最初から十数人の愛妾《あいしよう》らしい美しい女性や侍女や小姓たちも侍《はべ》っていたのである。ただ彼女たちは、庭に大の字になって、まだ生きてはいるが死んだような妊婦と同様な虚《うつ》ろな眼になって、寂《せき》として坐っていたのであった。
「来いと申すに。そなたの亭主《ていしゆ》が来たというではないか」
秀次はもういちどさけんだ。
これがほとんど魔王の命令にひとしいことは、そこにいた侍妾たちが微風に吹かれたように動揺したことでわかった。しかし、だれひとりとして立つ女がいない。それでも果心には、刈萱という女がどれかわかった。侍妾のそよぎの中に、ただひとり蝋《ろう》みたいにうごかぬ女があったからだ。
「果心さま」
と、琵琶《びわ》法師がささやいた。
「殺生関白はまだここへお出になりませぬか? 関白どのはそこにおわしませぬか」
つんぼにされた盲《めくら》法師は、それらしく痴呆《ちほう》的な顔を、ゆらゆらと左右にゆりうごかした。つんぼでも盲でも、次第に異様な雰囲気《ふんいき》を感じはじめたようだ。
蒼《あお》ざめて、木村常陸介がいった。
「果心どの、その男をいつから御存じか」
「けさのことで」
果心居士はけろりとこたえた。
「片腕の琵琶法師とは珍しいと思うて、つかまえて、その由来をきいた次第でござる」
――一年ばかり前のことだ。関白秀次は北野天神へいって、そのときこの琵琶法師にゆき逢《あ》った。たった一年前のことだが、別の人間のように若く美しい盲法師であった。一人ではなかった。女をつれていた。その女のあまりな美しさに、秀次はそれを聚楽第《じゆらくだい》につれてくることを家来に命じた。狂乱したように追って来た法師の腕を、秀次みずからうち落したのだ。さらって来た女刈萱から、彼女がその法師|鴉丸《からすまる》といっしょになって間もない妻であったことを知った。……
「御覧のごとく琵琶は背負っておれど、片腕で琵琶のひける道理がなく、乞食《こつじき》物ごい同然、当人が申すには、ただいつの日か妻をとりもどさんがために、その望みだけに生きて、日毎《ひごと》夜毎、この聚楽第のまわりを遠くめぐりつづけておったということでござるわ」
果心がいったとき、法師の鼻がひくひくとうごいた。
「果心さま、そこらに女房がいるのではござりませぬか? 刈萱がいるのではござりませぬか?」
「返しておやりなされ」
と、果心が微笑して秀次を見た。
「女房をこの男に返しておやり下さるならば、拙者、お礼に面白い幻術を御見《ぎよけん》に入れ申そう」
「なに、幻術を?」
と、秀次は眼をひからせた。
「果心、いかなる幻術を」
「苧環《おだまき》」
五
果心はかえりみて、
「いつぞや奈良で、生花《せいか》の幻法をお見せいたさなんだかの、常陸介どの」
「生花の幻法? いや、拙者の拝見したのは、楊枝《ようじ》を以て人の歯をおとす術でした」
「左様か」
果心はうなずいて、
「生花の幻法と申すは、瓜《うり》の種子《たね》をまいて、一息か二息つくあいだに蔓《つる》をのばし、花を咲かせ、瓜をならす術でござるが、苧環《おだまき》の幻法は、これを人間で見せるものでござる」
そういわれても一同は、判断を絶したこの老幻術師を見まもっているばかりだ。
「刈萱さまとやらを、まことにお返し下さりましょうか、関白さま」
「返す、……いや、あの女もう要《い》らぬ」
「では」
果心は、琵琶法師鴉丸の両耳に指を入れた。
「法師、おんまえにあるは、関白さまであるぞ」
そうきくまえに、法師の耳のきこえ出したことは、その表情でわかった。かえって、そうきいて、彼は愕然《がくぜん》とうごかなくなったのである。
果心はいった。
「関白さまに逢《お》うたら、かなわぬまでもそののどぶえにかみつき参らせん――と、その方は申したな。しかし、それはよすがよい。関白さまは、前非を悔いなされて、女房を返してやろうと仰せられる」
「刈萱を!」
と、法師はさけんだ。
「刈萱を返して下さるものならば、どんな恨みをも捨てまする。どのようなことでもいたしまする。果心さま、か、刈萱はどこにおるのでござりまする?」
「鴉丸、女房が返るならば、どのようなことでもすると申したな」
果心居士のしずかな声にこもるぶきみさに、何かぎょっとしたとみえて、法師はしばらく口をあけたままであったが、すぐに、そのひざにすがりついた。
「はい、どのようなことでもいたしまする。早く、早く、刈萱をこれに」
「いや、おまえにとって悪いことではない」
と、果心はやさしくいった。
「第一に、おまえの斬《き》られた腕を生やしてやろう。……第二に、おまえの盲となった眼をあけてやろう。……おまえは、まだ恋女房の顔を見たことがないといったな。見たかろう。それをおまえに見せてやるのじゃ」
「…………」
「一年前のおまえにかえしてやる。しかも、眼のみえる鴉丸にじゃ」
「…………」
「ただし、そのためには、ここで女人《によにん》とまぐわいをせねばならぬ」
あっけにとられたのは、法師ばかりではなく、そこにいた人すべてであった。果心は秀次を見た。
「おゆるし下さりましょうか、関白さま」
「……ゆるす、ゆるす」
眼を見張っていた秀次の顔に、強烈な好奇の色がひろがって来て、
「それが、果心、苧環《おだまき》とやらいう幻法につながるのか」
「その通りでござりまする」
「……まぐわいをする女人とは、刈萱か」
「いや、ちがう女人でござります。どなたかおひとり、御不要の女人をお貸し下さりませ」
「不要の女人?……そこにまだ生きておる孕《はら》み女では成らぬか」
「相つとまりませぬ。孕み女ゆえ、もはや孕むことができませぬゆえ」
「その法師にまぐわいさせて、女を孕ませると申すか」
「左様にござります」
「孕まして……どうする」
「あとは、苧環を御覧なされ」
秀次はしばらく沈黙して、ただ眼をひからせていたが、やがてその眼を左右に移して、
「小車《おぐるま》、出い」
といい、さらに声をはげました。
「出ぬか、伴作《ばんさく》、小車をひきずり出せ」
小姓のひとりが立ちかけた。ひとりの女が、突風に吹かれたようによろめき立ち、ふらふらと歩み出して来た。
果心はながいあごをしゃくった。
「では、そこの庭の俎《まないた》の上にでも寝ていただこうか。左様、そこの女人の骸《むくろ》をひとつとりのけて――骸とそっくりに寝ていただけば好都合でござるな」
六
茜雲《あかねぐも》というより、もう紫色になった空の下で、一糸まとわぬ姿となった女人に、おなじ姿となった男が重なった。そのしとねとなった俎の血も紫色に変っていた。
すでにふたりは、魔界の人間にあやつられている人形であった。愛妾《あいしよう》小車は殺生関白に、盲法師鴉丸は果心居士に。
果心居士は、秀次とならんで縁側に出て、端坐した。
「鴉丸は二十五歳と申したな」
秀次は果心がつぶやくのをきいた。
「それでは、二十四」
そして果心が、ひざの上ににぎった左手のこぶしに、ゆるやかに右手の人さし指をさし入れてはこれをぬき、それをくりかえしはじめたのを秀次は見た。
同時に俎の上で、琵琶法師は、彼の愛妾を犯しはじめたのである。恐ろしいほど――通常の人間にはたえきれぬほど緩慢な速度で――秀次は、それが果心の手の動きとまったく調子を合わせているのを見た。
紫色の血俎《ちまないた》の上に横たわった白蝋《はくろう》のような女身、それに重なった垢《あか》だらけの痩《や》せこけた法師、それを両側から、死んだ眼で見ている腹を裂かれた孕み女。――すでにこの世にあり得る光景ではない。しかし、法師と愛妾はうごいた。うごくともみえぬほどのゆるやかさであったが、法師はたしかに愛妾を犯しつつあった。果心の指がこぶしに十回入るのに半刻を要するほどの速度であった。
十度、指と拳《こぶし》が相ふれたとき、琵琶法師のからだが徐々に鉛色に変りつつあるのに秀次は気がついた。
十五度目に、小車の腹が異様にふくらんで来ているのを見た。重なっているのでよく見えないはずなのだが、法師のからだが半円形に曲がって来たので、それがわかったのである。
「鴉丸《からすまる》は、すでに死んでござる」
と、果心がいった。
「なに、法師は死んだ?」
しかし、琵琶法師はまぎれもなく、春の潮のごとく腰をうねらせていた。果心は平然と手をうごかしつつつぶやく。
「鴉丸の子は、女人の胎中にあり、すでに十七歳。……」
「鴉丸の子……十七歳の子が、小車の腹中におると申すか」
「子というより、新しい鴉丸といった方がよろしかろうか」
二十度にいたって、琵琶法師のからだは黒ずみ、しかもその輪郭があいまいになった。全身が液体化して来たような感じであった。しかも、その奇怪な物体はなおゆっくりと波うちつづける。
「二十二歳」
法師のからだは、もはや人間の原形をとどめてはいなかった。それは黒い水のようにしたたり出し、俎をながれ、地にしみはじめた。
「二十四歳」
果心の声ばかりだ。ものみなすべて、寂寞《じやくまく》としていた。
すでに鴉丸の姿はなかった。それは黒い粘液と化して、小車の方にまぶれついているだけであった。――いや、あれは小車の方《かた》であるか? いつのまにやら腹部の膨満《ぼうまん》は消えていたが、代りにからだぜんたいが、ぼやっと大きくなったようであり――黒い粘液にまみれているため、顔はもとより、肌《はだ》の色さえさだかではなかったが、それは女ではなく――どこやら朦朧《もうろう》と、男の姿を現わし出しているようであった。
「鴉丸、世に出でよ」
果心居士はさけんだ。
同時に、小車の方《かた》は、ニューッと立ちあがった。
立ちあがるとともに、その髪は腐ったようにぬけおちた。からだにまぶれついていた黒い液体は地におちた。それはしたたるというよりも、乾いた薄片と化して散ったという感じであった。液体のみならず、全身の皮膚そのものが蛇《へび》のぬけがらみたいな薄い皮となり、卵のようにひび[#「ひび」に傍点]が入り、それがすべて剥《は》げおちた。
そこに立っているのは、はだかではあるが、若い美しい法師であった。彼の左手は生え、両眼はあいていた。彼は茫乎《ぼうこ》としてあたりの景観をながめまわし、ありありと恐怖の色を浮かべた。
「ここはどこじゃ?……これはどうしたことじゃ?」
「鴉丸、おまえはわしを知るまい」
と、果心は微笑していった。
「いや、いくらかんがえても、ここがどこか、どうしてここに来たのかも知るまい。そこにおるのは、一年前のおまえじゃからの。従って、説いてもわからぬ。ただ、女房、刈萱《かるかや》だけをつれてゆけ」
「おお、刈萱!」
鴉丸はさけんだ。いちばん大事なものをまず思い出したといった表情であった。果心がいった。
「刈萱はここにおる。……ここの女人の中におる」
鴉丸はとび出るような眼で、座敷に居ながれた女たちをながめやった。しかし、その表情にはなんの思いあたる衝動も浮かばなかった。
「鴉丸どの、わたしです」
さっき、立とうともしなかった刈萱がよろめき出した。細面の蒼白《あおじろ》い皮膚をした弱々しげな美しい女であった。
「これは、夢を見ているようじゃ。そこにいるのは、眼はあいているけれど、別れたときの鴉丸どのではないか。わたしです。わたしが刈萱です」
「――ちがう」
鴉丸はくびをふった。
「刈萱は、そんな顔をしていない。刈萱はどこにいる?」
突然、彼はもう蒼い残光をとどめているだけの空をふり仰ぎ、
「おお、刈萱は――北野だ。ふたりで、北野にいった!」
と、さけんだ。そして、
「刈萱よう。わしの女房の刈萱よう」
と、かなしげな声で呼びかけながら、ふらふらと庭の彼方《かなた》へ駈け出していった。……
七
「一息か二息つくまに、瓜《うり》の種子《たね》から蔓《つる》が生えて瓜をならすと同じわざ、と申した意味がおわかりか」
「…………」
「鴉丸の種子《たね》は、三つ数えるまに女子の子宮《こつぼ》で育ち、さらに二十四数えるまに女人の体内で、二十四歳の男に変ったのでござる。人の親はすべて子の肥《こや》しでござるから、いまの無惨ななれの果ては、親たるものの運命の相《すがた》でござりまする」
「…………」
「関白さまは、女人の胎内より子をひきずり出されましたゆえ、果心は即刻女人の胎内に子を吹きこませて御覧に入れたのでござりまする。ふしぎでござるか、関白さま。もしいまのわざをふしぎと思召《おぼしめ》すならば、九月《ここのつき》のあいだに精汁より子供を作る女人のわざの方がもっとふしぎ」
「……そのわざを、なぜ苧環《おだまき》というか」
「いにしえのしずのおだまきくりかえし昔を今になすよしもがな。――くりかえすからでござるよ。輪廻《りんね》の車を一瞬にまわし、鴉丸を転生《てんしよう》せしめただけのこと」
果心居士は永劫回帰《えいごうかいき》の思想をのべたのであるが、秀次にはもとよりわからない。せきこんできいた。
「眼があき、手が生えていたのはなぜだ」
「鴉丸は生まれたときは眼があき、手も生えており申した」
「女房の刈萱を見ても知らなんだのは?」
「きけば、七つのとき盲《めしい》となったとやら。女房の顔を知らぬはずでござる。そこな刈萱どのも、関白さまにさらわれるほどお美しゅうござるが、あの琵琶法師のつぶれた眼には、それよりもっと美しい、この世のものならぬ女人の姿が闇《やみ》にえがかれていたことでありましょう。……あれは、これから永遠にその幻の女房を求めてさまよい歩く。眼があいたのが、あの男にとってまことに倖《しあわ》せであったかどうか、これはまた疑わしゅうござるて」
果心のどじょうひげが、皮肉な笑いにゆれた。
「女房をとりもどして進ぜるとつれては来たが、或《ある》いはかようなことにもなろうかと思うておった。いや、果心のすることは、いつも無用無益のわざでござるよ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
梟《ふくろう》みたいに笑って、立ちかけた。
「では」
「待て」
秀次は呼びとめた。
「いまの琵琶法師は、一年前の琵琶法師。あれから一年のことは、きゃつにとって何もないも同然じゃな」
「いかにも」
秀次の眼は、何か深淵《しんえん》でものぞきこむように坐っていた。果心に視点をもどした。
「生まれ変らせるのは、一年前にかぎるか」
「生きて来た年までは、いつのときでも思うがままでござる」
「わしを生まれ変らせろ」
と、秀次はいった。木村|常陸介《ひたちのすけ》は、心中あっとさけんで秀次を見た。
秀次は、果心のひざに手をかけた。
「居士、たのむ。わしを苧環《おだまき》の術にかけてくれい」
果心は、しばし黙然《もくねん》として、蒼《あお》い関白の顔を凝視していたが、やがていった。
「生まれ変ると申されて、別人に変ることは成りませぬぞ。おなじ関白さまでござりまするぞ」
「別人ではいやだ。あくまでこの秀次だ。――ただし、以前の秀次にもどりたいのだ。果心、わしはもういちどやりなおしがしたいのだ」
「――いつごろの関白さまに」
「十年前――いや、あれは小牧長久手《こまきながくて》のころか」
秀次は身ぶるいをした。小牧長久手のいくさに大敗して、叔父《おじ》の秀吉の凄《すさま》じい折檻《せつかん》を受けたことを思い出したのだ。
「五年前――三年前――いや、二年前でよい」
それは彼が関白について得意満面のころであった。太閤《たいこう》には子がなく、期待を彼の一身にかけ、その未来はまぶしいばかりのひかりにみちていた。
果心はうす笑いした。
「関白さま、たとえ関白さまは二年前におもどり遊ばそうと、ほかの人間はもどりませぬ。……太閤さまもおなじでござるぞ。よろしいか」
「心得ておる」
秀次はうめいた。
「それでよい。わしが変りたいのだ。……わしが変れば、ほかも変る」
じぶん自身にいいきかせ、祈るようなつぶやきであった。果心のひざに手をかけたまま、彼はおのれの身分をも忘れたような、いや、少年のような必死の眼色になっていた。
「二年前――一年半ばかり前から、わしの運命は狂い出した。わしは、やりそこねた。太閤に逆らいすぎた。太閤を甘く見すぎておった。そのために、いまぬきさしならぬ事態におちてしまった……」
「その一年半のあいだになされた殺生関白としての御行状は、太閤殿下のお胸に刻まれて消えはしませぬぞ、よろしいか」
「それは、やむを得ぬ。おゆるしなくば、もともとだ。……しかし、やりようによっては、太閤はわしをゆるされるであろう。もともと、叔父上はわしを憎うは思召《おぼしめ》されてはおらぬ。憎んでおりなされば、はじめからわしを後継者にはなさらぬ。あのお方は、母君が八十歳にしてお亡くなり遊ばしたとき気絶なされたほど多感なおひとだ。肉親の者に対する情愛の濃厚さは、だれよりわしが身を以《もつ》て知っておる。わしが叔父御にうとましいものと思われ出したのは、いうまでもなく拾君《ひろいぎみ》がお生まれなされたからだ。それは当然だ、といまにして思う。ところがわしは、それまでの叔父御のわしへの愛に眼がくらんで、人の心の計測を謬《あやま》った。ひとたびわしに関白を譲りながら、わが子が生まれたからとて、手のひらをかえすような御仕打ちは、人間として何事ぞ、と太閤を恨み、軽蔑《けいべつ》し、抵抗し、狂乱した。そしていまや、その方も察しておるような破滅的な様相を招来したのだ。いまなら、拾君のお生まれなされたとき、恬淡《てんたん》に関白をなげうち、もと通りの太閤の甥《おい》としての一大名にもどるべきであったと思う。わしは、それにもどりたいのじゃ、果心」
「それほどまでにおかんがえならば、いま太閤のおひざにすがられて、いまのお心を素直にお訴え遊ばさばよろしゅうござりましょうが」
「それが、できぬ。人間というものは、そうはならぬのだ」
「なぜ?」
「この一、二年のあいだにつみ重なった怨恨《えんこん》、未練、執着、憎悪、誤解などのもろもろの悪念は、いまやわしに粘着し、内部から外部までこわばらせて、殺生関白と世に恐れられるほどの魔相の鎧《よろい》をつけさせておる。このまま、いっきょにそれをぬぎすてて、はだかになる、わしという人間はそう出来てはおらぬ」
「なるほど、そういうこともござろうな」
「悲劇のもとは、わしなのだ。そう承知しておっても、当人はどうにもならぬのだ。その呪《のろ》わしい鎧を、苧環《おだまき》の幻法をかりてぬぎすてたい。人は、じぶんが変れば、相手も変るものだ。もともとわしを愛されておった太閤だ。わしが以前のわしにもどれば、あのお方ももどられる。そういう確信がある。いや、すべてを変えてみせる」
「なるほど、そういうこともござろうな」
「果心、それよりほかに、いまのわしを救う道はない。もし、手遅れになったとしても、それならあきらめがつく。しかし、いま、そちの大幻法をまざまざと見て、これを使わぬのは心残りじゃ。果心、願いじゃ、わしを二、三年前のわしにもどしてくれい。わしはすべてをやりなおす。……」
「――殿」
と、木村常陸介がひざをすすめた。最初、秀次の唐突な思いつきをきいたときは、何たる大《だい》それたことを、と驚愕《きようがく》し、狼狽《ろうばい》したが、このときようやく、主君の望みのもっとも千万なことを理解したのだ。しかし。――
「しかし、二、三年前の殿におもどりなされたことを、いかにして太閤さまがお信じなされましょうか? 殿の御乱心、或《ある》いはそらっとぼけの計略だとお疑いなされるのがおちではござりますまいか?」
「……治部《じぶ》を呼べ」
と、秀次はいった。治部とはいうまでもなく太閤の寵臣《ちようしん》石田治部|少輔三成《しようゆうみつなり》であった。
「治部にまざまざと果心の幻法|苧環《おだまき》を見せよ」
木村常陸介は、必死の眼で果心を見た。
「果心どの、おききとどけ下さろうか」
果心居士は、例の皮肉で、いたずらっぽい笑いを、ニヤリとどじょう髭《ひげ》にえがいた。
「御辺《ごへん》が果心を招かれたお心が、それではれますならば」
三日後、聚楽第《じゆらくだい》に呼ばれた石田三成は、果心居士にひき合わされ、秀次と木村常陸介からこもごも幻術「苧環《おだまき》」のことをきかされても、当然、容易にこれを信じなかった。
「まず、事実を見よ」
といって、秀次はみずから衣服をぬぎすてた。相手は寵妾《ちようしよう》のひとり薄雪《うすゆき》のおん方であった。ふたりはまぐわい、幻法「苧環《おだまき》」はまわりはじめた。秀次は薄雪の腹上で息絶え、腐り、液汁と化した。果心は、拳《こぶし》に指をゆるやかに二十六度ぬいてはさし入れた。秀次の年齢がことし二十八歳だからであった。
そして、薄雪のからだを割って、二十六歳の秀次が新生した。さしもの三成も、まるでうなされるような眼を凝然《ぎようぜん》と剥《む》き出して、この大怪異を見つめていた。
「殿。……」
木村常陸介がはせ寄った。かねての手はず通りに、
「殿、豊家《ほうけ》のためにおよろこび下され、淀《よど》のおん方に、御懐胎のおんしるしがあったとのお知らせでござりまするぞ。……」
と、いった。すると――喜色を浮かべるべき秀次の相貌《そうぼう》が、さっと恐怖と絶望と憎悪に蒼《あお》くくまどられた。
彼はきっと大坂の方をふりむいて、
「常陸介、刺客を送って淀のおん方を殺せ!」
と、さけんだ。
八
その年の末、竣工《しゆんこう》成ったばかりの伏見城の大手門に、忽然《こつねん》と鶯《うぐいす》 茶《ちや》の道服を着た、顔のながいひとりの老人があらわれて、
「石田治部少輔どのにお伝えを願いたい」
と、いった。
「お召しにより、南都の果心が参上仕りましたとな」
やがて、倉皇《そうこう》として出て来た三成にみちびかれて、果心居士は伏見城の奥ふかく入っていった。……この夏、聚楽第で――三成がはっとわれにかえったとき、果心の姿はすでに座になかったのである。ただ、庭の彼方《かなた》とも空ともつかぬあたりで、「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」という梟《ふくろう》のような笑い声がきこえてきたばかりであった。
爾来《じらい》、三成は果心居士を探し求めた。速急に彼を呼ぶ必要を彼はおぼえたのだ。死びとのようになった木村常陸介から、三成は奈良に於《お》ける果心の知人をきいて、そこに連絡した。しかし、果心居士は魔天のどこかへ飛び去ったかのように、姿を現わさなかった。
「いや、このお城がいちど拝見いたしとうてな」
三成に案内されながら、果心はいった。
黄金《きん》で瓦《かわら》をふいたこの巨大な城を、太閤はこの一年で築いた。人夫だけでも二十五万人を動員したといわれる。一方では、ここ三年、征韓《せいかん》の役をつづけながらである。
「……果心の幻術など、何ほどのことがあろうや」
歩きつつ、老幻術師はひくく嘆声をもらした。
果心は太閤のまえにまかり出て、くぼんだ眼窩《がんか》の奥から、眼をまるくして、ややしばらく太閤をながめた。わずかこの十年余のあいだに天下を一統し、大坂城を作り、聚楽第を建て、さらにこの伏見城を築き、はては海を越えて大明《だいみん》征服の大軍を追い出したこの破天荒《はてんこう》の英雄は、実に醜陋《しゆうろう》なる一|老爺《ろうや》にすぎなかった。いや、秀吉が顔貌鼠《がんぼうねずみ》に似て体躯矮小《たいくわいしよう》であることは生来のものであるが、果心が凝視したのは、この小さな巨人が、あまりにもやつれはて、老いこんで、すでに死相をすらおびて見えたからであった。
「果心」
と、秀吉はいった。
「その方の幻術のこと、治部よりきいた。その苧環《おだまき》とやら申す術を、余にかけてくれい」
果心が黙然《もくねん》としていると、秀吉は笑っていった。
「そちにもわしの衰えは見えるであろう。が、わしはまだ死なれぬ。朝鮮でのいくさのこともある。幼い拾《ひろい》のこともある。それに……世は、このような女どもにみちみちておるというのに喃《のう》」
蹉《さ》|※[#「足+它」、unicode8dce]《だ》として老いさらばえた太閤は、むせかえるように若く美しい女たちの花々にうずもれていた。――しかし果心は、この衰死とも見える老人の笑った眼が、それだけぎらぎらと熱っぽくかがやいているのを見て、やはりこの人物の異常な力を感得しはじめていた。
「もし、わしを若返らせてくれたならば、その方に聚楽第をつかわしてもよいほどに思うておるぞ」
果心はうすく笑った。三成がいざり出て、手をついて彼を見あげた。
「お願いでござる、果心どの、拙者がかねてより御辺《ごへん》を探し求めておったのは、ただこのことをお頼みいたさんがためじゃ。――どうぞ、ききとどけて下され」
「念のために承っておきたいが、いつごろの太閤さまをお望みでござろうか」
と、果心はやがていった。
「やっ、きいて下さるか」
「ただし――征明《せいみん》の兵をひきあげなさるならば。あれはたわけたいくさでござる」
秀吉はしばらく炯《けい》たる眼光を果心にそそいでいたが、ふいに、
「果心、その方は唐人《とうじん》ではないか?」
と、さけんだ。
果心は黙して答えなかった。
「兵は退《ひ》こう。退いてもよいぞ」
ややあって、秀吉はうめくようにいって、うなずいた。
「では、苧環《おだまき》の幻法にかけて、十年前のわしにかえせ」
「天正十二年、小牧長久手のころでござるな」
太閤の顔に、すうと不快の色があらわれた。
「いや待て、二十年前のわしじゃ」
「二十年前、殿下が江州《ごうしゆう》小谷を攻められ、淀《よど》のおん方の父君、浅井|長政《ながまさ》どのを殺されたころでござるな」
「待て」
太閤はくびをふって、しゃがれ声でいった。
「おなじことなら、まだ若いころの方がよい。三十年前。――」
「といえば、太閤殿下はまだ清洲《きよす》にあって、織田《おだ》どのの足軽長屋に住まわれていたころではありますまいか。――あいや、殿下、幻法苧環がめぐりもどすは、殿下のお年のみのこと、外界の相《そう》がふたたびもとにかえるということはござりませぬが」
「いや。――それにしても、そのころのわしにもどるのは」
太閤は、宙を見ていた。その眼に、はじめて見るといっていい恐怖と嫌悪《けんお》の色がにじみ出しているのをはっきり見て、三成は衝動を受けた。一生栄光にみちたその生涯《しようがい》のうちでも、それはいまでも夜咄《よばなし》に、太閤みずから誇る天馬|空《くう》をゆく時代ではなかったか?
「四十年前」
と、秀吉はいった。
「殿下が、針の行商人として諸国御放浪のころ」
「果心!」
と、秀吉は叱咤《しつた》した。
「うぬはさるにても妖《あや》しき奴《やつ》、秀吉を嘲弄《ちようろう》に来たか」
「嘲弄はいたしませぬ。事実でござる。思いかえして御不快になるは、殿下おひとりのお心のこと。……殿下、どうやら苧環《おだまき》をめぐりもどすはやめた方がよろしいようでござりまするな」
するすると坐ったまま果心居士が遠ざかるように見えて、秀吉は手をさしのばしてさけんだ。
「待て、果心」
「いかに栄光にみちた人の一生も、仔細《しさい》にふりかえれば、いずれのころも、悪念、裏切り、奸謀《かんぼう》、恥辱、慟哭《どうこく》、血と膿《うみ》と涙にまみれておる。――果心、おかげで人間の学問をいたした」
「治部、きゃつをとらえろ」
しかし、このとき、黄金の天井、壁の照り返しのうちに、果心居士の姿はふっと消え、ただ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、という梟《ふくろう》に似た笑い声のみがひびいた。
「人はすべて青春を恋う。おのれの人生をいまいちどと祈る。が、もし、人がおのれの人生をふたたびたどれといわれたら――これに戦慄《せんりつ》せぬ人間がござろうか。これ以上の地獄がござろうか。いにしえのしずのおだまきくりかえし昔を今になすよしもがな。――いや、いや、いや! めったなことで、苧環の幻法をお望みなさるな。ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」
[#改ページ]
忍法ガラシヤの棺《ひつぎ》
一
――もしもあのとき?
過去をふりかえるとき、人はしばしばこんな興味にかられるが、しかしすぐに苦笑とともにそれを捨ててしまう。すんだことは、選択がきかないからだ。しかし宣教師たちはガラシヤを見るとき、よくこの「もしもあのとき」といった想念に執拗《しつよう》にとり憑《つ》かれ、しかもひどく悩ましいような思いにかられるのであった。
もしもあのときというのは、十五年前の本能寺の変のことで、さらにこれを劇的に考えると、あのとき、明智《あけち》の密使が無事に毛利側に到着していたらということになる。毛利側が信長《のぶなが》の死を先に知ったら、まさかあのようにやすやすと秀吉《ひでよし》の戦線離脱を許すまいし、たとえ何とかして秀吉が反転したとしても、時機を失してあれほど迅速《じんそく》に明智を撃破することは不可能であったろうと思われるのだ。ひょっとすると、秀吉の方が敗れて、明智時代が日本の地上に出現していたかも知れない。――
そうであったらよかったと考えるわけではない。明智の叛乱《はんらん》で打倒された信長は、伴天連《バテレン》たちにとってまたとない庇護《ひご》者であったからだ。しかしまたガラシヤ夫人を見ていると――明智の娘で、いまは大侯《たいこう》細川|忠興《ただおき》の妻であるガラシヤの信仰ぶりを見ていると、どうしても、もし明智時代が出現していたら? という叶《かな》わぬ夢を描かずにはいられない。そこで伴天連たちは、悩ましい、昏迷《こんめい》した感情にとらえられずにはいられないということになる。
彼女の信仰は、だれが見てもほんものであった。いっとき南蛮《なんばん》趣味が流行《はや》ったころ、大名や貴婦人たちがただエキゾチックな好奇心にかられて切支丹《キリシタン》に近づいて、また去ったが、それらとは類を異にすることは、ときたまひそかに教会に来て聖母子像をひたと仰いでいるときの彼女の眼を見ているだけでもわかる。その哀《かな》しいまでに美しい横顔は、日本の女人《によにん》というより、ふと伴天連たちに、彼らにも伝説的な古いヨーロッパの殉教史上の聖女のだれかれを連想させるのであった。
伝説的といえば、彼女が彼セスペデス神父から洗礼を受けたとき――ちょうど秀吉が切支丹に大弾圧を下したころで、夫の忠興もひどく恐れて、彼女のそういう行為をきびしく警戒していたのだが、彼女が棺《ひつぎ》を作らせて、それに潜《ひそ》んで大坂の屋敷から出て教会に密行し、洗礼を受け、ガラシヤという教名を授けられたいきさつも、伴天連たちには伝説的な追憶となっている。
しかもひとたび奉教人《ほうきようにん》として踏み切ったそのあとは、ガラシヤは大胆であり、勇敢であった。日本西教史に「夫人の戒律は謹厳であって、断食の時間は精確にその式を守り、あらゆる苦行《くぎよう》を励行した。かつ数多《あまた》の捨子《すてご》を邸内に収容して撫育《ぶいく》し、みずから子供たちの衣服をつけ、沐浴《もくよく》させてやった。そしてその領地内に法教を拡《ひろ》めるべく六人の教会士を寄食させた。彼等の最も望むところは天堂再生のことを神父とともに語り合うことであった。彼女はフレール・ワンサン師父より贈られた文典によって、ヨーロッパ人と異ることなくラテン或《ある》いはポルトガル語をつづることが出来た」とある通りである。
丹後侯《たんごこう》夫人細川ガラシヤは、その地位といい、その信仰のたしかさといい、日本の女性切支丹中、最高の偶像であり、伴天連たちにとって最も頼もしい美しき柱であった。
だから「もしも――?」と、例のむなしき仮定を持ち出して、もし明智時代というものが来ていたとしたら、当然一個の女王的存在となり得たであろう彼女を空想したくなるのだが、しかし伴天連たちを悩ましくさせる何かべつのものが、たしかにガラシヤにあった。
ガラシヤは弱いのか強いのか。
彼女は暗いのか明るいのか。
そしてまた彼女は敬愛すべき女性なのか、恐ろしい女性なのか。
たんに、見方によって弱くも強くも見える、とか、暗い場合もあれば明るい場合もある、とかいう程度を超えて、ガラシヤにはこの点|伴天連《バテレン》たちをひどくいらいらさせ、混乱させるものがあった。とくに最後の「恐ろしい女性」などいう観念は、どう考えても彼女の印象や行状と結びつくはずがないのに、この疑惑が実にしばしば伴天連たちの脳裡《のうり》を暗雲のようにかすめ過ぎるのであった。
そしてこの疑いが必ずしもゆえなきものではなかった例証を――少なくとも、その片鱗《へんりん》を、或《あ》るとき伴天連の一人、ヴィンセンシオ神父がみずからの眼で見ることが出来たのである。
それは慶長五年晩春の或る霧雨《きりさめ》のけぶる夕方のことであった。ヴィンセンシオ神父は、教会の基金のことで早急に夫人と会う必要に迫られて、玉造《たまつくり》の細川屋敷を訪れた。
いってみると、夫の丹後侯――忠興も在宅しているという。忠興が当時|在坂《ざいはん》していることは承知の上であり、かつこのことはガラシヤの奉教も半公認の状態となってはいたのだが、それでも一応は彼がその時刻大坂城へいっていることをたしかめて訪問したのだが、何のまちがいか在宅しているというので、ヴィンセンシオはちょっと当惑した。
のみならず。――
「こちらへお通り下され」
見知り越しの老臣|小笠原少斎《おがさわらしようさい》にふきげんな顔で案内された書院には、当のガラシヤばかりでなく忠興も坐っていたのだ。
ヴィンセンシオの挨拶《あいさつ》に、彼は笑顔も見せず、
「用件はここで話すがよい」
と、いった。
障子をあけはなし、美しい銀鼠色《ぎんねずいろ》の春雨《はるさめ》のけぶる庭園が見えていたが、この夫妻のあいだに春の匂《にお》いはなかった。何となく陰鬱《いんうつ》なものがたちこめていた。ヴィンセンシオはやむなくおずおずと訪問の目的を述べながら、心中で「……この殿の年齢は幾つであろうか?」と考えていた。
忠興は、もと足利《あしかが》家の重臣であるのみならず十二代将軍|義晴《よしはる》の落胤《らくいん》であるとさえいわれた父|幽斎《ゆうさい》の血を伝えた貴族的な顔だちに、この戦国の世にも屈指《くつし》の剛将と評されたたけだけしさが加わって――或《ある》いは、激しい気性に端倪《たんげい》すべからざる老獪《ろうかい》性がからまりついているようで、ちょっと年の見当がつかない印象であった。事実はガラシヤと同じ三十八歳であったのだが。――
忠興の方も同じことを考えて紅《あか》い毛にふちどられた神父を眺《なが》めていたのか、用談の最中に、ふと唐突に、
「伴天連《バテレン》、おぬしの年は幾つじゃ」
と、きいて来た。
偶然にも、ヴィンセンシオも同年であった。そのことを告げると、「ほ、存外、若いの。――南蛮人はけだものと同様、まったく年の見当がつかぬ」と、頗《すこぶ》る失礼な言辞を吐いた。それから、「それで、伴天連。……おまえは女を知らぬのか?」
と、いよいよ失礼な問いを投げた。さすがにヴィンセンシオもきっとして、
「むろん。――」
と、いいかけたとき、突如、高いところでただならぬ音響がした。何者かが雨にぬれた屋根の瓦《かわら》を滑る音が聞えたかと思うと、たちまち庭に一個の物体が転がり落ちて来た。
猛然と刀をつかんで忠興は起《た》っていた。そのまま庭へ躍り出すと、その物体――蛙《かえる》みたいにへたばっているが、あきらかに人間のその首を、
「無礼者め」
閃《ひらめ》く一刀とともに断《た》ってしまった。
雨の庭にひろがってゆく血潮の中に、身首を異にしたその人間は、風態《ふうてい》から見るとどうやら屋根|葺《ふ》きの職人のようであった。
ただ、たんに不意の落下に驚いて斬《き》ったのか、或いは瓦職人と承知していても、その迂闊《うかつ》な失態を成敗《せいばい》したのか。――いずれにしても惨烈極まる行為であり、ヴィンセンシオ神父は反射的に起《た》ちあがったきり、蒼白《そうはく》になってしばし声もなかった。
しかし、それ以上に恐怖すべきことはなお次に起った。
忠興は、切断したその首を、髪ごとつかんで座敷に上って来るや、ガラシヤの前にごろりと投げ出したのである。そして――さらに驚くべきことは、それに対する夫人の反応であった。つまり、彼女は無反応であったのだ。
「おまえは蛇《じや》の化身《けしん》か」
と、忠興はいった。
夫人は神色自若《しんしよくじじやく》として答えた。
「夜叉《やしや》の妻には蛇がふさわしいでありましょう」
――すなわちこれが、ヴィンセンシオ神父が見たガラシヤが恐ろしい女性だという具体的な挿話《そうわ》だが、それにしても、いったいどういうつもりで忠興がそんな行為をしたのか、またどうしてガラシヤがそんな態度を見せたのか、さらにこの有名な大名の夫と妻のあいだに何があるのか、ヴィンセンシオにはまったくの謎《なぞ》であった。
二
ヴィンセンシオ神父が玉造の細川屋敷をまた訪れたのは、それから二た月ばかりたった七月初めのことであった。こんどはガラシヤの方から招いたのだ。用件はわからないながら、ヴィンセンシオの胸は不安とよろこびにときめいた。
不安は、その二た月ばかりのあいだに、世情が急に騒然として来たことにもよる。おととし、太閤《たいこう》が他界したあと上方《かみがた》にあって、豊臣《とよとみ》家の後見《こうけん》をしていた徳川|家康《いえやす》が、会津《あいづ》で上杉《うえすぎ》が家康打倒の旗をあげたというので、その鎮圧のために大坂を発したのが六月半ばだが、これに従軍する大名あり、形勢を観望して動かぬ大名あり、何やら別にあいまい不穏な動きを示す大名あり、それにまた太閤時代の制度の名残りとしてそれら大名の妻子でそれぞれ大坂屋敷に住んでいるものが多いので、さまざまの流言のみならず、右往左往する物のひびきもただごとではなかったのだ。ガラシヤ夫人の招きもおそらくそれに原因することではあるまいか、と神父は推測した。
げんに細川忠興も家康に従って東下している。つまり、細川屋敷に、あるじは留守だ。それもさることながら、べつにヴィンセンシオの胸を浮き立たせるものがあった。それが何によるものであるか、彼自身にもよくわからない。いや、おぼろげながら――もとから敬愛していた夫人が、この前「恐ろしい女性」でもあることを目撃してから、いよいよ神秘な魅惑《みわく》を増したことは彼にもわかるのだが、なぜそういう風に感じられ出したのか、ヴィンセンシオにも不可解なのだ。自分の心理が不可解なのだ。
ともあれ、彼は細川屋敷にいった。指定された時刻がこの前よりももっと遅く、玄関に出迎えた女中が手燭《てしよく》をかかげていたほどであった。
やがて通された一室には、こんどはガラシヤ夫人だけが雪洞《ぼんぼり》にけぶるように坐っていた。
「霜《しも》、合図するまで退《さが》ってよい」
と、夫人はいった。
ここは何に使用していた部屋であろう。潜《くぐ》り戸ともいうべき入口を除いては、四面板壁の部屋である。そこに、夫人とただ二人残されて――それまでどきどきしていたヴィンセンシオ神父の胸は、こんどは重っ苦しい緊張に鎖《とざ》された。こんなことははじめてである。この屋敷を訪れたときはもとより、相手が教会にやって来たときもきっと何人かの侍女を従えているから、二人だけになるということもはじめてだが、女性と二人だけで懺悔《ざんげ》を聴くなどいうことはしばしばあるのに、これほど心臓もかたくなるのは最初の経験であった。
――夫人は懺悔をするのではないか?
こう直感したとき、それまで沈思していたガラシヤはしずかに言い出した。
「神父さま、大事が迫っております」
そして彼女は或《あ》る方面から耳にした情報だといって、かねてから噂《うわさ》のあった石田|治部少輔《じぶしようゆう》が上杉と相呼応《あいこおう》してこちらでも兵を挙げ、ついては大御所に従って東征した諸大名の妻子を人質として大坂城にとりこめる計画であるらしいと告げた。またすでに大坂周辺には、それを逃れようとする者のために見張りの兵を置き、加藤家とか池田家などでは、さらにその網を破るために人間が底に隠れることの出来る特別製の水桶《みずおけ》などを作りつつあるそうな、とも話した。
「で、あなたさまはどうなさる?」
「それについて相談のためにおいでを願ったのです。ガラシヤは逃げるべきか、逃げざるべきか。――」
「大坂をお落ちなされるとすれば丹後《たんご》へか」
「そういうことになりましょうが、いま申したように石田|治部少《じぶしよう》ともあろう者が、やわかやすやすと見逃そうとは思われませぬ。たとえ水桶などに潜《ひそ》もうと、見つかったらいよいよ恥です。敵に殺されるより、みずから死なねばならぬ羽目《はめ》になりましょう」
「では、人質として大坂城へ?」
「それも、出征した武将の妻として、おめおめ敵側の虜《とりこ》となって夫の鎖となるということは――それより何より、まずわたしの誇りが許しませぬ」
きいて、改めて神父は当惑した。
ガラシヤはいった。
「ただ一つ方法があります。いろいろ考えてわたしにはそれよりほかに法がありませぬ」
「とは?」
「死ぬことです」
「自殺、と仰せられる?」
ヴィンセンシオ神父はぎょっとして息をのみ、われを忘れてさけんでいた。
「それはいけない。断じていけません。奉教人《ほうきようにん》に自殺は許されぬ!」
しかし、自分の言葉が宗門の戒律のためばかりではないことを神父は意識した。雪洞《ぼんぼり》に浮んだガラシヤの姿に、今宵《こよい》神父ははじめて聖女ではない生《なま》なましい人間の女としての苦悶《くもん》の息づきを感じとった。
「もちろん、出来ればわたしは死にたくはありません。……出来るならば、丹後へではなく、わたしは神父さまたちと何処《どこ》かへ――ルソンへでも、ジャガタラへでもゆきたいのです」
「ゆきましょう。いや、逃げましょう。私が何とかします。何とか工夫してみます」
夢中でヴィンセンシオはいった。――いつかの陰鬱《いんうつ》なガラシヤと夫との雰囲気《ふんいき》、それどころか殺戮《さつりく》をさし挟《はさ》んだ凄惨《せいさん》な光景が瞼《まぶた》をかすめた。いや、それ以前からのこの夫人が信仰に入る前後の夫の迫害ぶりも脳裡《のうり》をながれ過ぎた。
しかし、ガラシヤは哀《かな》しげに首をふった。
「けれど、よくかんがえると、逃げてよいか、悪いか。――」
「まだ、そんなことを申される」
「いいえ、その方法に苦慮したり人の批判を気にして迷っているのではありません。わたし自身の心から迷いが立ちのぼっているのです。……わたしは迷いの多い女です。わたしは罪の深い女です。……」
その言葉よりも、心の底から溢《あふ》れ出て来るような語韻《ごいん》の迫力に打たれて、ヴィンセンシオ神父はふと黙りこんで相手を見まもった。
「そもそも、わたしは天下の謀叛《むほん》人の娘でした」
と、ガラシヤはいった。
「逆賊の典型明智|光秀《みつひで》の娘、ということがわたしのすべてを決めました」
「むろん、そのことはよく承知しております。それが、あなたさまが信仰の道に入られた最も大きな理由であることも」
神父は熱心にいい出した。
「しかし、その苦悩はすなわちあなたさまが宏大《こうだい》無辺の慈悲を垂れ給うゼズス・キリストをお知りなされた機縁となったということで、むしろゼズスの御恩寵《ごおんちよう》というべきではないでしょうか。いま、あなたさまが仰せられた、迷いの多い女、罪深い女、ということも、たとえそれが事実であったとしても同じこと、ゼズスは申されました。倖《さいわ》いなるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり。倖いなるかな、悲しむ者、その人は慰められん。……」
「夫は切支丹《キリシタン》を好みませぬ」
と、夫人はいった。
「しかし、夫はわたしを護《まも》ってくれました。……父が討たれたのが、夫もわたしも二十歳《はたち》のとき、あの当時、わたしを護るのにどれほど勇気が要《い》ったか、想像に余りあるでしょう。わたしの兄弟、姉や妹たち、みんなあのとき殺されるか、自殺しました。その中で夫は、わたしのいのちはおろか、妻という位置さえ護りぬいてくれたのです」
「…………」
「それ以来、父を滅ぼした豊臣《とよとみ》家が支配する天下で――わたしを逆臣の娘として見るすべての眼の中で、夫だけが、わたしを自分の妻として遇してくれました。これほど勇気のある、ありがたい夫がまたとあるでしょうか」
「…………」
「わたしは夫を裏切ってはなりません。夫の名、細川家の名を汚《けが》すようなことがあってはなりません」
これに対して、ヴィンセンシオ神父の胸に、不審と反発の念が起るまでには数分間を要した。こういったときのガラシヤの姿は哀切を極め、危うく神父の眼に感動の涙をにじませかけたほどであった。
しかし、すぐに彼は、いつかのあの夫婦像を思い浮べた。教会に来て祈るときの夫人が、熱烈ではあってもふしぎに暗い感じなのを思い出した。それから、いったいなんのために彼女はきょう自分を呼んだのであろう、という疑問も湧《わ》いた。
「さて、これまでは珠子《たまこ》の一人としての申し分でございます」
夫人はいった。
ヴィンセンシオははっとした。珠子とは、夫人の本名だ。しかし彼女は神父たちに対するときはつねにおのれをガラシヤと呼ぶ。それに、「珠子の一人」とは? しかし神父をぎょっとさせたのは、そういったときの彼女の全身の変化であった。
三
「わたしのからだの中には、もう一人の珠子がいるのです。……その珠子はつぶやいています。このたびの大事を機会に、どうしたら夫忠興にいちばんひどい復讐《ふくしゆう》をしてやることになるだろうかと」
「――えっ」
「もう一人の珠子は――いいえ、わたしと申します。わたしは、わたしが謀叛人の娘という烙印《らくいん》を押された日以来、ずっと夫をにくみ、軽蔑《けいべつ》し、呪詛《じゆそ》しつづけて来たのでございます」
「そ、それは」
一つの疑惑は抱いていたが、神父は驚きのあまり舌をもつれさせずにはいられなかった。
「な、なぜでござる?」
「忠興どのの世渡りが、あまりに人間離れしておりますゆえ。――」
身動きもせず、ガラシヤは言いはじめた。
「父が本能寺の変をひき起しました直後、父はまっさきに丹後にあった細川家へ、このたびの大事よんどころなき儀をわび、爾後《じご》の力添えを頼んで参りました。羽柴《はしば》が中国陣からひき返して来ることがわかってからは、その頼みは、必死の願いといっていいほどでした。けれど、幽斎《ゆうさい》どのと夫は容易に動こうともしなかったのでございます」
「あの話ですか。しかし、それは。――」
「いいえ、わたしはそのことで幽斎どのや夫を逆恨《さかうら》みしているのではありません。ただあのことが世にいわれているように、義のために細川が動かなかったのではないといいたいのです。主家に対する義理というなら、細川家のほんとうの主家は足利《あしかが》家ではありませんか。けれど細川は、その足利を滅ぼした織田家に、いつのまにやら重用されていたのです。細川が動かなかったのは、明智と羽柴の争いのなりゆきを観望するためでした」
「…………」
「本能寺以後、わたしは細川家の手によりただちに丹波《たんば》の山中、三戸野《みとの》の山伏寺に幽閉されました。二年間、わたしはそこで山牢《さんろう》の囚人のように過しました。それからやっと細川家へ帰って来たのは、何かのはずみでふとわたしのことを聞かれた太閤《たいこう》さまのお声がかりの結果で、そういうことがなければ永遠にわたしは丹波の山波《やまなみ》の中へ捨てられていたに相違ありません。太閤さまも、二年たってみれば、明智の娘を臣下の妻として見てやろうくらいのお気になられたものでございましょう」
それは、この夫人の有名な美貌《びぼう》のせいもあったであろう、と神父は考えた。
「臣下の妻――そうでございます。足利から織田《おだ》へ移った細川は、こんどはみごとに豊臣の家来になり終《おわ》せたのでございます。そして――いま御存知のように忠興どのは、徳川の大御所さまに従って出征しております。しかも、念のため、一方では長男の与一郎と次男の与五郎を大坂城に残して」
「それは、しかし、ガラシヤどの、このような戦国の世には或《あ》る程度しかたのないことではありますまいか」
この夫人の夫には決して好意の持てないヴィンセンシオであったが、言わずにはいられなかった。
「戦国の武将として、その処世の御苦心には、むしろ讃嘆《さんたん》を捧《ささ》げるべきで――」
「武将としてではありません。公卿《くげ》としての知恵でございます。細川はもともと武家というより、足利|公方《くぼう》に仕えて公卿めいた家風も伝えておりました。強い者を選んで泳ぐという術には異常にたけております。そうでなくてはここまで変幻して生きながらえて来られたはずがございません。或《ある》いは、一度、二度、主家を替えた大名はありましょう。けれど、足利、織田、豊臣、徳川と四代まで――もし織田に取入るために明智と結び、明智もまた三日の天下を取ったとすれば、五代の支配者の下に健在して、しかもそのたびに封禄《ほうろく》をふやしていったという例は、戦国ひろしといえども決して他にはなかろうと存じます」
さげすみをあらわにし、吐き出すようなガラシヤの口調であった。
「それから見れば、一生にただ一人、信長さまを主君とし、それと合わずに悩乱して弓引いた父光秀など、思えば一本調子の男でございました」
では、夫人の不満は、夫のそんな政治性にあるのか。それとも、やはり本能寺のときのことが深怨《しんえん》のもととなっているのか。――
ガラシヤの表現はいよいよ痛烈であった。
「天下が変るたびに、薄闇《うすやみ》の中で顔つき合わせてひそひそと語り合う梟《ふくろう》と狐《きつね》のような幽斎どのと忠興どのの姿を、わたしは幾度見たことか。――」
「けれど、あなたさまは仰せられた。――その変転の中で、忠興さまはあなたさまだけを奥方として護《まも》って来られたと」
ヴィンセンシオがそういったのは、忠興をかばうためではなく、ガラシヤのいうことに不審と矛盾《むじゆん》の情を払拭《ふつしよく》しかねたからであった。
「それがつまり、公卿的な細川の知恵でございます」
「とは?」
「これほど主人を替えても、世間の評判では、細川はずるいとも骨なしとも申しません。それはわたしという天下から指弾《しだん》された逆臣の娘を、妻として替えないという一つの事実があるからでございます。実際に、豊臣や徳川などよりはるかに誇り高い名門である細川にとって、わたしという女を妻として立てているということは、次々に変る主君に対する――たいして危険性のない――ただ一つの抵抗のあかし、叛骨《はんこつ》の象徴、屈辱感を消すよりどころとなっているのでございますが、支配者の方でも、かえって忠興を買う大きな理由の一つとなっているようでございます」
なんという辛辣《しんらつ》無双な見方だろう。――たんに切支丹《キリシタン》であるばかりでなく、何となく敬意を払って来た女性ではあるが、しかしその清らかな唇《くちびる》から吐かれるこの見解には、神父は瞠若《どうじやく》とした。
「しかし」
また、しかし、といういいかたをヴィンセンシオはしなければならなかった。
「それにしても、忠興さまがあなたさまを妻として替えられなかったということは、あなたさまをお愛しになっていたからではありませぬか?」
「――あの日までは、おそらく」
と、ガラシヤはつぶやいた。神父はあの日が本能寺の日であることを察した。
「しかし、お子様を何人か――あのときののちも」
「長子の与一郎と次男の与五郎は本能寺以前に生れるか、身籠《みごも》っていた子です。けれど三男の内記忠利《ないきただとし》以後は、わたしの子となっている子もありますけれど、わたしが生んだ子ではありません。……」
「えっ?」
「そして忠興どのは、忠利を江戸方に質《しち》とし、与一郎、与五郎は、大坂方に質としております。おそらく忠興どののあの並みはずれた鋭い秤《はかり》によれば、天下は徳川のものとなり、細川家は忠利が嗣《つ》ぐことになりましょう。そのために忠利も名目上正妻たるわたしの子としたのです」
はじめてきく細川家の秘密であった。神父は息をのんだ。
「三戸野から呼び返されたとき、幽斎どのと忠興どのはわたしに冷たく申し渡しました。名誉ある細川の家に逆賊の血を伝えることはまかりならぬ。このことよく承知しておけと」
「…………」
「それ以来――二十歳《はたち》の年から十八年、わたしは夫としとねを共にしたことはございません」
「…………」
ヴィンセンシオはのどのおくでうめきのような声をもらしただけであった。夫人の告白の内容の恐ろしさもさることながら、その表情の変化に圧倒されたのである。
身動きもしなかったが、「もう一人の珠子」と口にしたときから、清麗きわまるガラシヤの顔に――肉眼ではひとすじの変りもないのに――ぶきみな変貌《へんぼう》が生まれていた。それはまさに、世をにくみ、人を軽蔑《けいべつ》し、運命を呪詛《じゆそ》する悪女そのものの相貌《そうぼう》であった。しかも、依然として美しい。それは奇怪な肉感さえ加えていた。
「わたしはあの夫に復讐《ふくしゆう》をしたい! この細川家に泥を塗ってやりたい!」
彼女はヴィンセンシオを凝視《ぎようし》した。神父は恐怖のため、これまた金縛《かなしば》りになっていた。
「わたしは、男に抱かれたい。……」
――あとで、この言葉はききちがいではなかったかと思われたほど、ふいに声を沈め、尾を曳《ひ》くようにこうつぶやいた夫人は、しかし次に身をふるわせて、じっと神父を見つめた。
「こういう珠子も、もう一人いるのです。わたしのからだには、二人の珠子が住んでいるのです。神父さま……わたしはどうしたらいいのでございましょう?」
ガラシヤは動き出した。いざり寄って来た。それが蛇身《じやしん》の魔女のように見えて、神父はすんでのところで逃げかけて、危うく膝《ひざ》を釘《くぎ》づけにした。こんどは貞潔と哀艶《あいえん》の精《せい》のような姿が彼をひきとめたのだ。
「ああ、わたしはこんな悪念のわたしを捨てて、ゼズスさまの御教《みおし》えと日本の婦道に叶《かな》うわたしだけになりたい。……」
ヴィンセンシオは悲鳴のようにいった。
「お、おなりなされ、そのような女人《によにん》に――私の知っているガラシヤに」
「それでは、自殺せよと仰せられますか。それとも、あなたさまと切支丹の国へ逃げよと仰せられますか」
神父は黙った。
彼はようやく自分が呼ばれたわけを知った。これはあきらかに告解であった。そして、この哀れな悪女、恐るべき貞女は自分に救いを求めているのであった。――しかし神父はどう答えてよいか知らなかった。
ガラシヤはまた、ひくい、しかし身の毛もよだつ声をあげて、神父のひざに手をかけた。
「ああ、わたしは死にたくない。逃げとうもない。ここで悪念のままに思いをはらして、夫と細川家に祟《たた》りたい。……」
――神よ、助け給え、ヴィンセンシオ神父がそうさけんで、ついに起《た》ちあがろうとしたとき、どこかで妙な声がした。
「……ふ、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」
それが人間のふくみ笑いであると知ったときの二人の驚きはいかばかりか。――たしかにほかに何びともいるはずのないこの板壁の一室に、だれかほかの人間がいた。
「困ったなあ。……」
その声の聞えて来る方角を、二人は張り裂けるような眼で眺《なが》めた。
雪洞《ぼんぼり》の灯にぼんやりと照らされて、板壁に一つの影が浮んでいた。たしかに影であった。しかしその前に人の姿はなかった。その代りに、影が次第に濃くなって、ついに黒い頭巾《ずきん》と黒|装束《しようぞく》の男がそこに現われた。
「伴天連《バテレン》どの」
と、その男はいった。
「日本の忍者なるものでござる」
四
「――おしずかに」
きっと身を立て直して声をあげようとしたガラシヤ夫人を、その男は制した。
「たとえ、人を呼ばれて拙者を成敗《せいばい》なされたとしても、あちらが逃げ去りまする」
と、うしろをふりかえって指さした。
その男は、壁からぬけ出して来たとしか思われないのに、そこには依然として影が残っていた。雪洞と男の位置からして決してそこに影のうつるはずがない。にもかかわらず、その影は影のごとく――男と同時に、同じように腕をあげて指さした。
「御身分高き御|女性《によしよう》のおんまえに見参《けんざん》して、名乗らぬは無礼でござろう。――鴫留盃堂《しぎるはいどう》と申しまする。あちらも、同姓同名で」
また背後にあごをしゃくって、えたいの知れぬ名乗りをあげた。
「ただ、大坂方か江戸方か、その筋だけは御免下されい」
彼は近づいて来て、ひざまずいた。
「かようなことを探るつもりで忍んでおったわけでは毛頭ござりませぬが、はからずも承る羽目となり、本来の御用を忘れるほど……奥方さまに御同情申しあげてござる」
と、いって、
「さて、困りましたなあ。いかがすればよろしからん」
と、首をかしげた。
ほとんどのぞいているのは眼ばかりなので、容貌《ようぼう》はおろか年のほどさえわからない。声はしぶくしゃがれて中年男みたいだが、眼はひどく若々しく、妙にいたずらっぽい光がある。そして、首をかしげたその動きにもどこかユーモラスなものがあった。
さしものガラシヤも、いまにも全身の血の気がひいて倒れんばかりになった。実に、何という恐ろしい告白を、神父以外の――しかも、文字通り曲者《くせもの》としか言いようのない人間に聴かれたものだろう。いま彼を成敗《せいばい》しても、もう一人があそこにいると釘《くぎ》を刺されたけれど――そして、壁の影も、その曲者と同様にひざまずいたのをますます奇怪に思うけれど――それより何より、彼女を気死《きし》させんばかりにしたのは、この男の出現そのものであった。
「伴天連どの、どうお考えで?」
男はなれなれしくいう。
「奥方さまのことでござるよ」
「ガラシヤさまは、私が救う」
反射的にヴィンセンシオは答えた。
彼はその男が何者か知らなかった。忍者何とかと名乗ったが、その意味もよくわからなかった。ただ怪しき男とは認めた。同時に、異国の神父なればこその夾雑物《きようざつぶつ》のない直感だが、この曲者が自分たちに敵意を持っていないことを感じた。
それよりも、先刻から彼の胸にひしめいていた――この迷える羊を一刻も早く救わねばならぬ、という火のような焦燥にかられて、
「私、ガラシヤさまをつれてここを出る」
と、曲者に対してというよりは、ガラシヤその人を対象にしてうわごとのようにつぶやいていた。
「いや、それは危ない」
曲者は首をふった。
「すでにこのお屋敷は監視の眼につつまれております。いま奥方さまが外にお出かけになれば、飛んで火に入る夏の虫にひとしい」
と、それまでの、何だか曲者らしくない柔らかい調子から一変して、ひどく断乎《だんこ》としていったが、
「いえ、それは何とかなりまするが、それより、このお屋敷を出てから奥方さまをどうお救いになるかということでござります」
と、妙なことをいった。
「どう救う、とは?」
「奥方さまのおん魂を」
「ああ、そのことか!」
と、ヴィンセンシオはさけんだ。その問いは彼の胸に待っていたといわんばかりの美しいひびきを発し、彼は相手がえたいの知れぬ曲者であることも忘れた。
「それは、ゼズスのお力によって、ガラシヤさまのおからだから、一切の邪念悪心を追い払う」
「悪い珠子《たまこ》さま、でござるか」
鴫留盃堂《しぎるはいどう》という妙な名の男は首をひねった。
「それからあとの奥方さまはどうなります」
「それからあとのガラシヤさま?」
「もう一人の奥方さまを追い払われた奥方さまは、もう奥方さまではないのではござるまいか。それは奥方さまのぬけがらではござるまいか?」
「私はその問いの意味がわからぬ」
「伴天連《バテレン》どの、あなたは――いわゆるガラシヤさまと、もう一人の悪い珠子さまと、どちらがお好きです」
「それは、むろん。――」
「ガラシヤさまですか。……拙者は、もう一人の珠子さまの方が好きだ。聴いていて、好きで好きでたまらなくなったから、本来の用を忘れて、ふらふらと迷い出て来たほどで」
ガラシヤは怒りをおぼえるとともに、われに返った。
「だれかある。――」
と、声高く呼んだ。
男はあわてもせず、
「では、おまえは逃げろ。おれはもう少しここに残る」
と、また背後に手を振った。すると――例の壁の影がすうと薄れていった。男は顔をもとに戻《もど》した。
「よろしゅうござるか? よくないでござろう。いや、それではおまえも残れ」
影が、また濃くなった。ガラシヤと神父は声もない。――
「いったい、伴天連どの、人間はきれいさっぱり善人になったり悪人になったり、そううまく分離出来るものでござろうかな?」
男は平然としてまたこんなことを尋ねた。
神父はきっとして答えた。
「人間は善と化する。少なくとも悪に堕《お》ちるのを防ぐことが出来る。それを信ずればこそ、私は万里の波濤《はとう》を越えて、はるばる異郷の日本へ来たのです」
「おまえさまは、女のからだをお知りかな」
突忽《とつこつ》として、男はまた妙な質問を投げた。
神父は眼をぱちくりさせた。そして、いつかこの屋敷のあるじが同じことをきいたのを思い出し、日本人というものは、どうしてこんな無礼な質問ばかり好むのだろう、と、むっとしていった。
「私は生まれながら、すべてをゼズスに捧《ささ》げておる」
「嘘《うそ》でござるな」
と、曲者《くせもの》はいった。眼が笑っていた。
「その眼、その口、そのからだつき――女を知らぬ男のものではない。それどころか。――」
ヴィンセンシオ神父は狼狽《ろうばい》した。――その通りであったのだ。彼は若いころ人一倍情欲に苦しみ、そのために友人を危うく殺害するほどの罪を犯して、それがイエズス会に入るきっかけとなったのであった。
しかし――少くとも、それ以来は彼はみずから厳しい戒律を課して童貞を守っている。
「まあ、よろしい。拙者、甚《はなは》だ固陋《ころう》で、紅毛の伴天連が日本人の魂を天国へ持ってゆく――と称しておるのを業腹《ごうはら》に思っておるのです。いや、ほかのやつは知らず、この奥方さまの魂をそんなところへ持ってゆかれてはたまらん――と、思う」
彼は、舐《な》めるような眼でガラシヤを眺《なが》めた。
「しかし、奥方さまをこのままにしておくと、大変なことにあいなるしなあ。……」
思案|投首《なげくび》といった態《てい》の首を、ふいにきっとふりあげた。
「伴天連どの、一人の人間を二つに分離することなら、日本の忍法にも可能でござるぞ」
「――えっ?」
「あの影が、すなわち拙者の分身、忍法|陰陽《おんみよう》分身と申す」
と、彼はうしろを指さし、
「信じていただくために、一つ奥方さまを分けて御覧に入れようか」
と、いった。
そして、二人が唖然《あぜん》としているあいだに、雪洞《ぼんぼり》を取って自分の傍《そば》に置いた。それから、その前に胡坐《あぐら》し、首を垂れた。口の中で、ぶつぶつとつぶやいた。と、雪洞からひとすじの細い煙が、糸のように立ちのぼり出した。……眼を吸われているうちに、神父とガラシヤの脳髄から、ふっと時間と空間の感覚が失われた。ただ、その煙が二すじに分れたのを見たばかりである。
「奥方さま、お立ち下され」
遠い遠いところで、声が聞えた。
ガラシヤはふらふらと立った。神父は、そのガラシヤの影が壁にうつったのを見た。――それが、雪洞の位置からは決してうつるはずのない場所に。
「影の口をお吸いなされ」
声はいった。
ガラシヤは宙を踏むような足どりで壁の影に近づいた。そして、この誇り高き夫人は、立ったまま板壁に接吻《せつぷん》した。――彼女の影としか思われぬ影の口に。
と――神父のむき出された眼球は、ガラシヤの姿が透《す》き通って来た感じなのを見た。むろん衣服はつけているからそのからだが見えたわけではないが、たしかにそのうしろ姿がギヤマンのように透明な光をはなち出したように思われたのである。同時に、壁の影が濃くなって――すうと色彩を帯びて来た。人間の皮膚の色と衣服の色もそのままに。
「こちらをお向きなされ」
ガラシヤは向き直って、立った。
壁に浮んだもう一人のガラシヤとならんで、ガラシヤがそこに二人いた!
それがまったく同じと見えたのは数瞬のことである。ヴィンセンシオ神父はうなされたような眼で、壁のこちらのガラシヤが透明な微光をはなちつつ、なぜか哀《かな》しげなのを見、次に壁のガラシヤを見て、これまたなぜかは知らず、ぞーっと悪寒《おかん》を催した。それはそっくり同じ美貌《びぼう》でありながら、邪悪の化身《けしん》そのものであった。
その恐ろしいガラシヤ夫人が、自分を見て、にいっと妖艶《ようえん》な笑いを投げ、こちらに歩き出した――事実、神父ははっきりと、その足が一歩壁の外へ踏み出すのを見たとたん、彼は絶叫していた。
「やめてくれ! やめてくれ!」
壁の女人はあとずさった。
二すじの煙がもつれて渦《うず》まき、みるみる一本となった。壁のガラシヤの色がすうとあせて、濃い影となった。そして、煙が薄れるとともに影も薄くなり、煙が消えると同時にその影も消えた。
あとに現実のガラシヤだけが放心したように立っていた。
「まず、この通り」
雪洞の前の盃堂《はいどう》は顔をあげた。
「いかがでござる?」
ヴィンセンシオは声もない。――
「奥方がお二人になられたら、さて伴天連《バテレン》どの、どちらをつれてゆかれるな?」
彼は急にふりむいた。向うの壁にいる彼の影法師が――先刻まで影と見えていたのに、手をあげてさしまねいていた。
「そうか、ゆかねばならぬか」
と、盃堂は急にそそくさとうなずいて立ちあがった。
「いずれにせよ、ただいま奥方さま陰陽分身をなさるお気もござるまいし、また分身なされたとて、ともかくもここを出られることは危《あぶ》のうござる。――しかし、いずれ、何とかせねばならぬときが参る。そのときは、このお部屋に来られて、拙者をお呼び下されい。鴫留《しぎる》よ来い、盃堂よ現われ出でよと。――」
五、六歩、壁の方へ歩いてふりかえり、
「あ、いまちょっと思いついたことですが、万一の際お潜《ひそ》みなされるように、棺桶《かんおけ》と青竹一本、用意しておかれた方がよろしゅうござるな」
いい捨てると、壁の影の前に立ち、すっとそれと重なった。と見るまに、その黒衣の姿は影となり、壁面に薄れ、みるみる消えてしまった。
茫乎《ぼうこ》として二人はそれを眺めているばかりであった。
――さて、正気に戻ったらしいガラシヤと神父の話はむろんいまの怪異の男が何者であろうということであった。江戸方か大坂方かは言えぬ、と本人もいったけれど「――そう申せば、いつぞや忠興どのが屋根から転がり落ちた男を斬《き》り殺したのは、わたしへの癇癪《かんしやく》の八つ当りと思っていたけれど、あのとき忠興どのは何かを感じて、おびえていたのではありますまいか?」とガラシヤはいって、ふっと眼を宙にすえた。いまの曲者が忠興自身の残していった忍者かも知れない、とぎょっとしたのである。
要するに、その正体もわからず、その男の行為も心理も不可解であった。そして、かんじんの彼女はこれからどうすればよいかという訴えすらも崩壊してしまった。
五
――その日はついにやって来た。
七月十六日、石田の手の者数百人が細川屋敷を包囲し、襲いかかって来たのである。
家康に従軍した諸大名を牽制《けんせい》するための人質として、大坂にいるそれら大名の妻子を大坂城に収容しようという狙《ねら》いで、その手はじめとしてまずこの細川家が人身御供《ひとみごくう》にあげられたのであった。
二、三日前から、石田の使者と細川家の老臣小笠原少斎の間に険悪な押問答が繰返されているときいたので、不安にたえず、ヴィンセンシオ神父は細川家へやって来ていたが、まさかその夜破局が来ようとは思いがけなかった。
「武士も武士によるべし。日本に名を得たる越《えつ》 中《ちゆうの》 守《かみ》が妻、敵のために虜《とりこ》にならんや」
夫人の意向もきかず、夫人に代ってこう宣言した少斎の言葉とともに、襲撃隊は万事|休《きゆう》すと行動に移った。強引《ごういん》に夫人を城中へさらってゆかんがためである。夜に入って間もない時刻であった。
ヴィンセンシオはうろたえつつ、夫人にきいた。
「ガラシヤさま。……棺《ひつぎ》は御用意なされましたか」
夫人の死を覚悟してそう問いかけたのではなかった。突然、いつぞやの忍者とやらの言葉をこのとき思い出したのは、忍者の意向はいまだ知らず、その昔、ガラシヤが棺にひそんで屋敷を忍び出て洗礼を受けたということが電光のごとく頭にひらめいたからであった。
――した。
と、夫人は答えた。
ガラシヤは忍者の勧告に従っていたのである。それは生きるためか、死ぬためか、などと問い返すいとまはなかった。神父はむろんそれを生きるため、逃れるための道具と考えて、すぐにまたそれが不可能であることを知った。たとえ棺に潜もうと、やすやすこの屋敷を逃れ出ることが出来るものではない。あの恐ろしい叫喚の渦巻《うずまき》をきくがいい。――
「奥方さま。……奥方さまっ、いずこにおわす?」
小笠原少斎の血声が聞えていた。
神父は庭に走り出して、数人の小者を呼び、庭に大きな穴を掘ることを命じ、また駆け戻った。そして、ガラシヤの手を取った。
「あの忍者とやらをお呼びなされ」
「…………?」
「そして、あなたさまを二人作り出すのです」
「…………?」
「悪い奥方を地上に残して死んでいただきましょう。そして、よい奥方さまは――ガラシヤさまは地中の棺に潜んで、この夜を過《すご》される。明日になって掘り出してもらって逃れるのです。たったいま、私がゼズスから受けた啓示でござる!」
そして、昏迷《こんめい》のままのガラシヤを引きずるようにして、例の部屋の方へつれていった。遠くからまた少斎の絶叫が流れて来た。
「奥方さま……最後のおんときが近づいてござるぞ。お覚悟あそばせ!」
ヴィンセンシオは潜《くぐ》り戸の前で足踏みした。
「私はほかに用がある。あなたさまだけ入られて、あの忍者に二人にしてもらいなされ。……清らかなガラシヤさまだけになって……いそいで庭に出ておいでなされ。待っておりますぞ!」
奥方を潜り戸から押し込み、戸を閉じると、神父はまた庭へ駆け出して、穴を掘っている小者たちをせきたてた。それから一方で、棺を持って来させた。
彼の指示する通りに、穴はその棺を入れる大きさ、そして六尺ばかりの深さになった。彼はさらに青竹を切って来させ、その節《ふし》をぬいて、棺のふたの隅《すみ》にあけた孔《あな》に立てた。
「ガラシヤさまは?」
不安げに母屋《おもや》の方をふりかえったとき、ヴィンセンシオは見た。――その方からやって来るガラシヤを。闇《やみ》にも夜光虫のように仄《ほの》かな微光にふちどられた半透明なその姿を。
「おお!」
と、彼は叫んで、駆け寄り、その手を取った。
「これぞ、私の聖女ガラシヤ!」
そして穴の傍《そば》につれて来て、棺を指さした。
「入られますか」
「ゼズスのみこころにまかせます」
と、ガラシヤは歌うように答えたが、すぐにその美しい眼をヴィンセンシオにそそいで、
「神父さまもお入りになって」
と、いった。
「えっ? 私も?」
「わたし一人では恐ろしゅうてなりませぬ。それに神父さまも外においでになればおいのちも危ない。――棺は二人は入《はい》れます。どうぞ、地の底で、ガラシヤを護《まも》って下さいませ!」
数秒の惑乱ののち、神父はその通りにした。ガラシヤとともに棺に入ったのである。そして小者に、明夜に来て掘り出すように命じて、棺を吊《つ》り下ろさせた。土は数本の鍬《くわ》でかき落され、一本だけ立った青竹を残して棺は埋められていった。……
数尺の土は、地上の修羅《しゆら》の叫喚を断《た》った。
闇黒《あんこく》の中でヴィンセンシオは、女体の熱さと柔らかさをまず意識しはじめた。二人|入《はい》れるといっても、棺はもとより一人の死者のためのものである。大きなヴィンセンシオは坐ったままなお背を折りまげ、夫人はそのひざに腰を下ろして、両足を彼の胴に巻きつけるようにしていた。おのれの胸に密着した乳房の喘《あえ》ぎを感覚すると、ヴィンセンシオは嗄《か》れた声でいった。
「もう一人の奥方、あれはどうなされたか?」
「明智珠子はここにおります」
「――な、なんでござると?」
神父はのけぞろうとして、頭を棺のふたにぶっつけ、にげることが不可能なことを知った。彼は身をよじりながら、先刻のあの精霊のようなガラシヤの姿を頭に甦《よみがえ》らせた。
「悪戯《いたずら》、この際、悪戯はおやめなされ、ガラシヤさま、さっき見たのは――」
「邪悪の化身《けしん》たる珠子が、もう一人のガラシヤに化《ば》けるほどの知恵や策略をめぐらさないとお考えでございますか、神父さま? わたしは死にませぬ。生きずにはおきませぬ。しかも、十八年、真昼の炎のようにむなしく燃えていた邪念を、ありったけ、闇《やみ》で燃やすために。――」
熱い、甘い、酒のような吐息とともに神父の髯《ひげ》をなまめかしく唇《くちびる》が這《は》いまわった。
「まず、手はじめにこの闇の中で、さあ、神父さま、この珠子を抱いて!」
六
――炎は外でも燃えていた。屋敷が炎上しはじめたのだ。
その火光に照らされて、庭にうずくまった一人の女の姿が浮びあがった。それはもう一人のガラシヤであった。彼女は病む人の杖《つえ》のように、地上に出た青竹にとりすがっていた。やがて、何か妙な音を聞いたように、彼女はその青竹に耳をあてた。
長い間――といっても、事実は十数分であったが――地獄の永劫《えいごう》を思わせる動かぬ姿勢で、彼女はそのままでいた。が、やがてその清らかな、はかなげな顔が徐々にねじれ、わななき、名状しがたい悪相に変って来ると、彼女は土をつかんでその青竹に詰めはじめた。……
「奥方さま……奥方さまっ」
ひっ裂けるような声がすると、血まみれの薙刀《なぎなた》をつかんだ小笠原少斎《おがさわらしようさい》の姿が向うに現われ、
「やっ、そんなところにおわすか! 何をなされておる?」
と、悪鬼のごとく駆けて来た。
うずくまっていたガラシヤは逃げ出した。その姿を見るや、少斎は、「しゃあっ、そのようなお心でいままで逃げかくれしておわしたか。御未練でござる。お家のおん名をお汚《けが》しあそばすか、奥方さまっ」と、狂乱したように追って来た。
燃える劫火《ごうか》の赤光《しやつこう》を浴びつつ、袖《そで》を切られ、帯を切られて、大悲鳴をあげつつ逃げまどうガラシヤ夫人を、忠臣小笠原少斎の薙刀が追いまわし――のちに「――お胸のところをくわっとおん押しひらきなされ候《そうろう》を、少斎薙刀にておん胸元を突通《つきとお》したてまつり候」とものの本に書かれた結末まで、それがつづいたのち、少斎は奥方の生首ひっさげ、涙をながしながら炎の中へ駆け込んでいった。その炎の中で、また例の大音声《だいおんじよう》がひびいた。
「武士も武士によるべし。日本に名を得たる細川越中守が妻、敵の虜《とりこ》にならんや。近くば寄って眼にも見よ。――」
黒けぶりの吹き流れる竹林の中に、二つの影が立っていた。そっくり同じ、寸分変らぬ黒|装束《しようぞく》であった。
「はてな、鴫留《しぎる》。しまったことをしたぞ、上におったのが悪女の方であったか」
「いや、まちがってはおらぬ。上におったのはたしかに聖女ガラシヤさまだ」
「それが、どうしたのだ、あれは?」
「聖女が悪女に変ったのだ。棺の中の悦楽の声を聞いて。――ひょっとしたら棺の中の悪女は、聖女に変ったかも知れぬ」
影の一つは溜息《ためいき》をついた。
「われらの忍法陰陽分身さえ叶《かな》わぬ。いわんや切支丹《キリシタン》伴天連をや。――なあ、盃堂《はいどう》。……」
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忍法|天草灘《あまくさなだ》
一
行列は舟津町の聖ジョアン・バウチスタ寺を出た。
先頭に、柄《え》のついた大きな杉板《すぎいた》を男たちが数人がかりでかついでゆく。杉板には「天の門をひらき給うたすかりのいけにえ、敵軍はわれらを責めるがゆえにおん力をそえ給え。三位まします御一体のおんあるじ、何とぞ天国においてわれらに終りなき命を与え給え。あめん」という文字がかいてある。
その次に、黄金の鍍金《メツキ》をした銅製の十字架が進んで来る。これまた二、三人がかりの大きなものである。
つづいて少年少女の聖歌隊が来る。その数、五十人あまり、ヴィオラやラベイカをかき鳴らし、天使のような声をはりあげて連祷《ラダイニヤ》を歌っている。実際彼らは花に身を飾って小天使の服装をしていた。
そのあとにアブラハムがイサクを犠牲《ぎせい》にしようとする絵をかいた紫の絹の大聖旗が来る。さらに真昼というのに灯をともした燭台《しよくだい》がつづく。
次に八本の棒で支えられた美しい天蓋《てんがい》をさしかけられ、黄金の函《はこ》をのせた台が、紅毛|碧眼《へきがん》の八人の伴天連《バテレン》に捧《ささ》げられて来る。函には聖体が安置してある。
それから……いや、いちいち述べていてはきりがない。あとから、あとから行進して来る人間のなんというおびただしさだろう。そしてその人々の何という異形《いぎよう》ぶりだろう。
行列は立山のサンタ・マリア寺にゆき、次に炉粕《ろかす》町のサンタ・クルス寺にいった。それから勝山町のサンタ・ドミンゴ寺、桜町のサン・フランシスコ寺へ回る。さらに本博多町のミゼリコルディア、つまり慈善院へ。――
人々は、みなはだし[#「はだし」に傍点]で、手には十字架や蝋燭《ろうそく》や数珠《じゆず》を持っていた。白いかたびらを着ている者が多かった。女たちは黒いヴェールを頭からかぶっていた。
それはいいのだが、そのほかに、茨《いばら》の冠をつけている者、頭から灰をかぶり、首枷《くびかせ》をはめている者、鎖を全身に巻きつけている者、からだを俵に入れてその外側からさらに縄《なわ》をかけている者、両腕を背にくくりあげ、上半身裸の者。――男も女も、老いも若きも、ほとんど例外がない。なかでもひどいのは、大石を背負い、首にも石をぶら下げている人間に、裸の背中をうしろから鞭《むち》で連打されながら歩いている人間であった。
行列のあとに、花びらと血潮が点々とつづく。その路上の所々には、緋《ひ》の毛氈《もうせん》が敷きつめてある場所もある。
彼らはみな恍惚《こうこつ》としていた。恍惚として祈祷《オラシヨ》を合唱していた。路《みち》の両側には見物の人々がどよめいていたが、いつしかこれも祈祷《オラシヨ》の合唱に変っていた。そして、この人々の顔もみな恍惚としていた。
長崎に建つ十一の教会《エケレシア》をめぐる、いわゆる切支丹《キリシタン》行列。
切支丹暦の祝祭日に宗教的行列を行うのは西欧の行事だが、この年の初夏からはじまった長崎の切支丹行列ほど、頻繁《ひんぱん》に、かつ熱烈に行われたものはない。記録によると五月九日から二十日までの十二日間に九回行われている。
それは天のかなたにぶきみな形相《ぎようそう》で雲が湧《わ》き出したのを見て、それが雨となるか風となるかは知らず、本能的に人々が酔い痴《し》れようとした最後の祭典であったのかも知れない。
それにしても、何という行列の長さだろう。いつ果てるともなく、中にまじっている神父たちでも、少なくとも四、五十人はいるのではないかと思われる。長崎の空は、聖歌と祈祷の交響にゆれ、蒼《あお》い透明な波となってうねっているようであった。
「見られたか」
本博多町の奉行《ぶぎよう》所の門から、屋敷の方へ石だたみの道を戻《もど》りながら、奉行はにがい顔をしていった。
「大御所《おおごしよ》さまに、わしが御注進申しあげた内容が、決して誇大でないこと相《あい》わかったであろうが、半蔵どの」
あとにつづいていた十数人の男女のむれのうち、旅装の者が三人あった。その中で、みるからに重厚な、きびしい容貌《ようぼう》をもった武士がうなずいた。
「拙者、数えましたところ、いままでに三千七百人ばかり」
「ほ、貴公、人数まで勘定しておられたのか」
奉行はちょっと眼をまるくした。
「気のふれておるのは、あの行列のやつらばかりではない。沿道の町民どもことごとく正気ではないといっていい。行列の道すじに毛氈《もうせん》など敷いたのも町民どもじゃ」
「ほんとうに長崎の町衆、みんな気がちがっているのではありませぬか」
女の声がした。これもいま長い旅ののちたどりついたといった装束《しようぞく》で、まだ若い美しい女であった。
「まあ、あんなに自分のからだを打ったり叩《たた》いたりして苦しめて、あれではそのうち死びとも出ましょうに」
「あれで、この行列が終れば、けろりとして生業にはげみおる」
と、奉行はいったが、自分でもふしぎそうにくびをひねった。すると、その女とならんで歩いていたもう一人の旅姿の若い侍《さむらい》が、これも不可解にたえない表情をあげてきいた。
「いったい、あの狂態は何のためでござりまする。伴天連《バテレン》たちがああせよと申しつけたのでござりまするか」
「何でもジシビリナ――鞭《むち》の勤行《ごんぎよう》とか申し、切支丹《キリシタン》の開祖が磔《はりつけ》になったときの苦しみにあやかり、またあのようにおのれを責めることでおのれの罪が消えるという狂信を抱いておるそうな。――伴天連どもは、ああまでせずともと、むしろ止めておるとは申すが、左様に教えるものがのうて、だれがあのたわけた苦行《くぎよう》をするものかは」
奉行は吐き出すようにいった。
「伴天連どもがそそのかしておるにきまっておる。この長崎、火の海にせよと伴天連が命じたなら、あの信者ども、ためらいもなく火をつけるであろう。要するにいまの長崎は伴天連の支配する町じゃ。――と、大御所さまにも御報告申し上げたつもりじゃが、やはりあれ見ぬお方には、まだ事態の容易ならぬことがしかとおわかりにならぬのかも知れぬ。――その対策としてただ伊賀《いが》者三人のみを寄越されるとは」
奉行、長谷川左兵衛《はせがわさへえ》は立ちどまり、まるでけさ来たばかりの三人が危険人物であるかのようににらみつけた。
「いま見た通りじゃ、服部《はつとり》どの、あの狂信者ども――いやこの長崎の町をいかがなさるおつもりか」
二
レオン・パジエスの「日本切支丹宗門史」に、腐敗した血を持った不徳漢、ときめつけられているこの第三代長崎奉行長谷川左兵衛|藤広《ふじひろ》が、大御所|家康《いえやす》に具陳《ぐちん》した意見は、同書によれば、次のようなものであったらしい。
「異国人が、日本の諸神の像を顛覆《てんぷく》し、尊ぶべき古人の遺産である国家的宗教を禁止する権力を持って然《しか》るべきでありましょうか。ヨーロッパの宗教に改宗した日本人が、いまやその財産、名誉、生命さえも異国の主のために盲目的に犠牲にすることを敢《あえ》て辞さない状態になっているのは明らかであります。曾《かつ》て仏徒ですら宗教的|叛乱《はんらん》を起し、太閤《たいこう》や信長《のぶなが》公をも大いに苦しめました。まして日本の制度に対して敬意もなく、伝統も知らない異国人の支配下では、長崎にふたたびそんなことの起る可能性は大いにあるのではございますまいか」
この意見に対して江戸から送られて来たのが、行政的責任のある高官なら知らず、たった三人の伊賀者とは。――
「それでござる」
伊賀組の頭領服部半蔵は重々しく答えた。
「大御所さまの仰せには、左兵衛の憂慮もわかるが、いましばし様子を見よう。――」
「それだけの返事を伝えに、おぬし、長崎へ来られたのか」
長谷川左兵衛は不満げにいった。
「わしが大御所さまに御注進申しあげたのは、よくよくのことじゃ。そのこと、おぬしもいまの切支丹行列を見て得心なされたであろうが」
「いや、まことにききしにまさる。――」
と、半蔵はうなずいた。
「長崎の町、まさに集団発狂の状態にあると申しても過言ではござらぬな。――さりながら、あの大御所さまが、いま徳川家の大事をひかえ、この地に波瀾《はらん》を起しとうない――とおぼしめさるわけも、長谷川どのなら、御推量下さるでござろうな」
左兵衛は黙りこんだ。――すぐその意味を了解した。
いま徳川家の大事をひかえ、云々《うんぬん》と半蔵がいったのは、思うに大坂のことだ。京の方広寺の鐘が鋳《い》られたのは、実にこの四月のことである。その鐘から何が起るかは、徳川家の帷幄《いあく》にある者はみな予測している。
その方の幕がいま上ろうとするときにあたって、この九州の地に要《い》らざる騒擾《そうじよう》を起したくない。――ただ、そればかりではない、やがて起るであろう一大事件に、得べくんば切支丹につながる異国の武器や科学をわが陣営にひきとめておきたい。――大御所の思案を、左兵衛はそこまで忖度《そんたく》した。
長崎が完全に徳川の天領になったのは、大坂|役後《えきご》のことである。この慶長十九年の時点に於《おい》ては、徳川家からの奉行が派遣されてはいるものの、名目上はまだ豊臣《とよとみ》家の御料所に相違ない土地なのであった。――しかも、南蛮船との交易《こうえき》地という特殊性から、太閤のころからさえ、実質上は町民の自治にゆだねられて来た歴史を持つ港町なのだ。
「おわかりか」
半蔵はしずかにいった。
たかが伊賀者――と、最初はちらっと長谷川左兵衛はそう思ったが、なかなかそれどころではない。卒然として左兵衛は、この服部党は――先代のころから、徳川家の枢要《すうよう》な政務には必ず影のごとく出没しているという事実を思い出した。
「とはいえ、このままでは放置しがたいという御見解には、半蔵もとくと同感でござる。よろしい、一つ手を打って見ましょう」
「手を打つ?」
「されば。――この町民どもの先頭に立っておるのはだれでござる」
「この長崎はの、貴公も知られぬはずはないと思うが、よそとちがって町年寄《まちどしより》というものが実際上の市政をつかさどっておるのじゃ。その数は、昔から九人。――」
「いや、市政ではなく、あの狂信者どもの。――過去の一向|一揆《いつき》、本願寺一揆などに徴しても、その規模はたとえ何万人であろうと、それらをひきいる指導者はせいぜい数人にとどまるもの。そのような人間はござらぬか。その連中の名を御存じでないか」
「あ、それか。――」
左兵衛はひざをたたいて、ふりかえった。
「それは調べてある。これよ、邪宗風聞書《じやしゆうふうもんしよ》を持っておるか」
「は」
与力《よりき》らしい男が、懐中から一つの帳面をとり出して手渡した。左兵衛はそれをめくって、
「この朱墨《しゆずみ》で十字のしるしをつけたやつらじゃな?」
「は」
「ふむ」
と、左兵衛は半蔵の方にむきなおって、
「いや、町年寄もござる。船坂貞蔵と申す男、次に天川《あまかわ》屋銀七という更紗《さらさ》問屋、それから道円という坊主。……」
「ほ、坊主が切支丹《キリシタン》。……」
「以前は、ということでござるが。それに山国瀬兵衛という牢人《ろうにん》者、もう一人|仏頂寺《ぶつちようじ》孫助と申す御朱印船の船頭。……以上、五人の男と、べつに女が。――」
「女もおりますか」
「玻璃《はり》細工師の女房お浜、町医の娘にてお市《いち》という女、最後に漢南《かんなみ》屋という店のお弦《つる》と申す後家。――合わせて八人に十字の朱じるしがついておる。すなわちこの八人が、長崎の切支丹きちがいの中の火だねと申してよいやつらで。――」
半蔵はふりむいて、
「憶《おぼ》えておけ」
と、いった。
若い男女の伊賀者はうなずいた。
「――で、どうしようといわれるのか、服部どの?」
と、長谷川左兵衛はまたいった。眼はその二人にそそがれている。
――けさ、この服部一行が奉行所に到着したときから、半蔵よりも左兵衛の眼をひいていた二人であった。左兵衛のみならず、側近の者たちもみな同様であったが、それはこの二人があまりに美しかったからだ。男は水もたれるほど凄艶《せいえん》で、女は春の日光のように豊麗《ほうれい》で。
まさかこれが忍びの一族ではあるまい、おそらく半蔵個人の召使いであろうと思っていた。で、さっき、この二人が切支丹行列を見て、おのれにかかわりあるごとく意見をのべたのも、むしろ意外に感じたくらいである。――それをいま、半蔵はこの両人に何やら期待するものあるがごとくかえりみた。
その眼を奉行にもどして、半蔵はいう。
「ここにおられる面々は、めったなことは口外なさるまいな?」
「腹心の者どもでござる」
「では、改めておひき合わせしよう。拙者、秘蔵の忍者、斑鳩《いかるが》と鶯《うぐいす》です」
「斑鳩と鶯。――」
「妙な名と思われようが、まず左様にお覚え下さればよい。――この両人を働かせましょう」
「いまの八人を殺害させるおつもりかな」
左兵衛は蔑《さげす》むような表情を作った。
「まだ貴公にも切支丹というものがよくおわかりでないと見える。きゃつら、宗門のために殺されることを殉教《マルチリ》と称し、むしろ歓《よろこ》びとも誇りともいたしおる。またほかの宗徒どもも、それ見ればますます血ぶるいして、その八つの屍骸《しがい》を花で飾り、また行列作ってねり歩きかねぬ。――そのことも大御所さまに申しあげておいたはずじゃが」
「さればこそ大御所さまがわれらをお送りなされたのでござる」
「――え?」
「斑鳩、鶯」
呼ばれて、若衆と女は歩み出た。――奉行の近臣の方へ。
十人ばかりの側近のうち、腰元風の女性が三人いた。自然と侍たちとわかれてかたまっていたが、斑鳩と名乗る若侍はその前に立ったのである。
三
最初から、まあ何という色若衆だろうとは見ていた。それで、いま門のところで切支丹《キリシタン》行列を見物しているあいだも、その行列をもう何日も見飽きていることもあって、交響にまぎれ、三人の侍女たちは、たわむれにその品定めをささやき合ったほどなのである。
「女も恥ずかしいような美少年。――」
とはひとしく認め、
「いったいあれが伊賀者であろうか?」
「何者であろう?」
と疑い、つらつら眺《なが》めているうち、向うも気がついたとみえて、ちらっちらっとこちらを見る。容姿はまさに女みたいにたおやかなのに、それが全然|愛嬌《あいきよう》のない眼だが、ふしぎに彼女たちの脳髄をふらりとさせる。やっとわれに帰り、この奇妙な若者に対してのみならず、自分たちの混迷にも腹を立てて、
「しかし、男としてはあまりになよなよして、頼りなげな。――」
と、一人がつぶやき、あとの二人も強《し》いて意志をふるい起して、「ほんにその通り」とうなずいたばかりなのであった。
さて、斑鳩は三人の侍女の前に立った。眼までが、水もしたたるような愛嬌をたたえている。まるで人が変ったようであった。
人が変ったよう。――まさに、彼は人が変った。繊《ほそ》い、白い右手をあげて、その顔を上から下へ撫《な》でると――なんと、その顔が別人になったのである。彼女たちは、たしかにこの若者の皮膚が膜みたいに剥《む》かれて、その内部から別の顔がすうと現われるのを見た。
女たちは息をのんだ。それは、苦味《にがみ》走った、りりしい男の顔であった。それがこちらを見て、にっといたずらっぽい片えくぼを彫ると、彼女たちの胸に不可抗的な熱い波が立った。その肉体までが、ぬうと背丈がのびて、たくましい筋肉を具《そな》えたように思われた。
微笑したまま、彼は右手の指さきにつまんだ薄い膜みたいなものをまるめて左手に移すと、また顔を撫でた。すると、また一枚皮膚が剥かれて、第三の顔が現われた。
これは、鼻の高い、頬《ほお》のこけた、青銅色の――しかも「男」というものを骨で造形したような凄味《すごみ》のある顔であった。氷みたいな眼で凝視されたとたんに、女たちはしびれてしまった。決して恐怖ではなく、名状しがたい男の迫力に、からだじゅうが呪縛《じゆばく》された。
「わたしといっしょにゆかれるか」
男の唇《くちびる》が、動くともなく動いた。笑うように。――
「わたしは日に変る。夜に変る。――どの男が好きでござったかな? どの男に可愛がってもらいとうござるかな? お気に召さねば、お気のすむまで、無数の男の顔に変って御覧に入れるが」
侍女たちは惑乱していた。それがこの男の万華鏡《まんげきよう》的|変貌《へんぼう》のせいばかりではなかったことを彼女たちは知らない。
彼女たちは、斑鳩《いかるが》がささやくようにしゃべるたびに吹きつけられて来る男の香りを、強烈な精臭だと判別することは出来なかった。
まるで幾重にもつつんだ包装紙を剥《む》くようにちがうデザインの顔を現わす。――斑鳩のやっていることは、うしろの長谷川左兵衛には見えなかったし、ささやきも聞えなかったかも知れないが、傍《そば》にかたまっていた奉行《ぶぎよう》所の役人たちには充分見聞き出来るはずであったのに、彼らもまた別の方角に魂を奪われていた。
役人たちの前に立った鶯《うぐいす》という女だ。
彼女がやって来たとき、何をするのか? という疑いよりも、その豊艶《ほうえん》な美貌《びぼう》に侍《さむらい》たちはまず見とれてしまったのだが、たちまち、見るというより、その眼に吸われてしまった。はじめそれは、ふしぎに碧《あお》い湖みたいに見えた。やがてすうと日が翳《かげ》ったようになった。それが彼女のそり返ったまつげが――まつげだけが伏さって瞳《ひとみ》にふたをしたのだとまで見きわめた男が何人あったか、同時に彼らは、ただ自分たちの視界も雲がかかったように暗くなったのを感覚しただけである。しかも第三者から見ると、彼らはいっせいに、まるで眩《まぶ》しいものでも見るように眼を細めているか、または馬のごとく立眠《たちねむ》りしているように見えた。
侍たちは、前に立った女の裸身を見ていたのであった。きものが濡《ぬ》れたようにぴったりと吸いつくと同時に、女のくびれた胴や、豊かな腰が浮きあがり、それから――ふっとその衣服が溶けたように透明になって、むっちりと隆起した乳房から神秘にけぶるくぼみのあたりまでが、まざまざと見えて来たのだ。
そんなはずはない――などと疑う正常な判断力を彼らは失っている。たんなる女体《によたい》ではない、それは男の脳髄にとろけかかった、白い、かぐわしい粘液のような裸形《らぎよう》であった。
「わたしのゆくところへおいでかえ?」
女の唇が、動くともなく動いた。
「たとえ、わたしが切支丹だとしても?」
「……参りまする! 参りまする! どこへでも!」
いっせいにさけび出したのは、女たちだ。彼女たちは酔っぱらったような眼つきで、肩で息をしながら斑鳩《いかるが》を眺めていた。そちらでも同様の問いを投げかけられたと見える。
同時に、
「……参る! 参る! 切支丹の国へでも!」
と、侍たちが、灼《や》けつくような眼で鶯《うぐいす》を見ながらうめき出した。
「かような伊賀者でござる」
服部半蔵が長谷川左兵衛をふりむいて、にんまりしたのはこのときだ。
長い時間ではない、半蔵が若い二人の配下にあごをしゃくってから、ほんの二、三分のことである。その二人の背を見ていた左兵衛には、何が起ったのかまったくわからなかった。ただ、厳格な奉行所に勤仕する連中が、あっというまに酔い痴《し》れた獣のようになったことを確認したばかりである。しかもいったいあり得べきことか、切支丹|云々《うんぬん》とさえ口走ったようだ。
「伊賀の国|鍔隠《つばがく》れ谷《だに》から、五年の修行を経て帰参したばかりのあの斑鳩《いかるが》」
と、半蔵はつぶやいた。
「また同じく甲賀の国|卍谷《まんじだに》より、五年の修行を終えて帰って来たあの鶯《うぐいす》。――いかなる男女でも、あの両人にかかって破戒の地獄へ堕《お》ちぬ人間はござるまい。――」
「――や? し、しからば」
「いかにも御推量のように、あの二人を長崎に潜入させ、いま承った八人の狂信者に近づかせ、その堕天《だてん》ぶりを生きながらほかの切支丹どもに見せる。――長谷川どのの御心痛の事態を解決するのに、これ以上の法はないと存ずるがいかが?」
「い、いかにも。――」
「斑鳩、鶯、もうよかろう」
と、半蔵は顔をもとに戻《もど》して呼んで、ふっと息をとめた。斑鳩と鶯は、いつのまにかおたがいに向き合っていたのである。
斑鳩は、もうもとの顔にかえっていた。どうしたかというと、侍女たちは白日夢でも見るような思いがしたのだが、左手に握った皮膚の一塊を顔におしあて、すうと撫《な》であげると、第二次の苦味《にがみ》走った男の顔になり、さらにもう一塊を撫でつけると、最初の通りの美少年に戻っていたのである。ただ、例の精臭だけは鶯に吹きつけていた。そして鶯はというと、これはまつげを伏せたままの眼を、じいっと斑鳩に向けている。――
二人のあいだに交流している奇妙な風を、肉欲と敵愾《てきがい》の混合だと看破したのは、ただ服部半蔵一人であったろう。
「よせ、味方同士ではないか」
ややあわてた顔で彼は叫んだ。
斑鳩のからだから異臭が消え、鶯はぱっちりと眼をあけた。
斑鳩が美しい顔に苦笑を浮かべて半蔵の方に向きなおった。
「お頭《かしら》、御意向のほどはよくわかりましたが、拙者の担当はだれで?」
「担当。――左様さな、切支丹《キリシタン》きちがいのうち、女は三人であったな」
「すると、甲賀の方は五人」
「いかにも、男が五人。それに女の鶯が向うことになる。その方が順当であろう」
「それで、みな堕《おと》せば、拙者の負けということになりませぬか」
「左様さな、しかし、必ずしも数のみが問題ではあるまい。必ず相手によって難易がある。また破戒させたとしても、その破戒ぶりに程度があろう。その切支丹の張本《ちようほん》ども、転んだあげく公儀の犬にでもなればそれ以上のことはないが……とにかく、結果はわしが見て、判定しよう。必ず両者のあいだに優劣をつける」
この斑鳩と半蔵の問答と、いまの斑鳩と鶯のようすから、左兵衛はくびかしげつつ、口を出した。
「服部どの。……その両人、競争でござるか」
「されば、まことに奇妙な競争で」
と、半蔵も苦笑した。
「斑鳩が勝てば鶯が斑鳩のところへ嫁に来る。鶯が勝てば斑鳩が鶯のところへ婿にゆくという争いで。――」
「争い? よくわからぬが、同じことではござらぬか」
「それが、そうではない。困ったことに、伊賀と甲賀の名にかかわる必死の争いでもある」
服部半蔵は、むしろ暗然といっていい表情で、若い二人を眺《なが》めやった。
「それにしても、つくづくとうぬら可笑《おか》しな恋仲同士ではある喃《のう》。……しかし、この争い、やらねば決着つくまい。決着つけなければ、両人いつまでも祝言《しゆうげん》出来ぬことになる。うぬら一日一刻も早うおたがいに抱き合いたかろうが」
むしろ厳粛といっていい眼になっていう。
「そのためもあって、わしは二人をここへつれて来たのじゃ。それは承知の上のことであろう」
脳中ただこれ切支丹のことのみであった長谷川左兵衛も、ようやくこの二人の若者にただならぬ好奇心をそそられて、なお何か尋ねようとしたが、このとき、ふとまわりのようすに気がついて、
「あ、これ、おまえら何をしておる?」
と、かん高い声をたてた。
石だたみの上の白い五月の陽炎《かげろう》の中に、侍女と家臣たちはあえぎつつ相寄り、女の中には異様な鼻声をもらし、男の中にはその肩に手をまわしている者さえあるのを見たのである。
ふりかえりもせず、服部半蔵はいった。
「やって見い」
斑鳩《いかるが》と鶯《うぐいす》はうなずいた。
「かしこまってござりまする」
四
長崎の貿易商人たちは「憑六《ひようろく》しゃん」と呼んでいるが、当時名の知られた明人《みんじん》の通辞である。その憑六しゃんが、さきごろ上方《かみがた》へ上った帰り、泉州《せんしゆう》の堺《さかい》から同伴して来たお砂という娘があった。
堺の唐桟《とうざん》屋の遠縁の娘で、そこで養われていたが、どうしても長崎の織物問屋に奉公したいという望みでつれて来たという。――その娘が、花島町の天川屋に来たとき、店ではちょっとしたどよめきが起った。
お砂があまりに美しかったからだ。むろん、長崎には稀《まれ》な美人というわけではないが、とにかく華麗だ。抜けるような色の白い、ちょっと碧《あお》いような瞳《ひとみ》、やや大きめの唇《くちびる》――という容貌《ようぼう》もさることながら、その表情動作、声の嬌媚《きようび》さが、人々をうっとりさせた。長崎に特別の誇りを持つ人々が、「さすがは堺の娘――」と、異国相手では先輩格のその町に改めて敬意をおぼえたほどである。中には、あれは混血児《あいのこ》ではないか、とささやく者さえあった。
むろん、お砂は鶯《うぐいす》だ。
唐通辞へは奉行所から手を回してもらったのだが、彼女はいかなる地方のいかなる家業の女にでも化《ば》ける。そして――驚くべきことには、彼女は奉行所で見せた顔とはべつの女のようだ。奇妙な同志の斑鳩《いかるが》は顔の皮膚をぬいだりきたりしたが、鶯も同様の術を心得ているのか。それとて甲賀独特の化粧のゆえか。
ともあれ、天川屋で働きつつ、また人々を悩殺しつつ、鶯は観察した。――その若い主人の天川屋銀七を。
天川屋は長崎でも一、二を争う輸入織物の問屋であった。商品の多寡《たか》から南蛮|更紗《さらさ》屋と呼ばれているが、むろんそのほかにもポルトガルのカッパや羅紗《ラシヤ》やカルサンや、イスパニアのメリヤスや、支那《しな》の繻子緞子《しゆすどんす》、印度の桟留縞《サントメじま》なども扱っている。青い潮の香《か》のする店には、それよりももっと強い染料の色彩と匂《にお》いがあふれ、何十人かの奉公人の立ち働く姿に活気があった。
その中で、いちばん忙しいのは主人の銀七だ。
これがまことに美男である。しかも「油壺《あぶらつぼ》から出たような」という形容にふさわしいいい男である。やさしいというより弱々しげに、それが髪ふりみだして働くさまはむしろいたいたしかった。
――これが長崎の切支丹《キリシタン》八元凶の一人だとは?
はじめ鶯は、奉行所の情報のまちがいではないかと疑ったくらいである。
その上、彼はこの天川屋の入婿であることもすぐに知った。道理で――と、その働きぶりに改めて同情をおぼえたほどである。
しかし、荒い声ひとつたてず、高麗鼠《こまねずみ》みたいに働くこの弱々しい婿は、存外奉公人たちから敬愛されていた。その勤勉なこと、やさしいこと、美しいこと――これは奉公人の中の女たちに特に効用があると見えたが――またその婿という立場への同情、などがその敬愛のもとになっているらしかったが、なかんずく、それはやはり信仰に由来することが最も大きいと思われた。
天川屋銀七が熱烈な切支丹であることに相違はなかった。十字を切る回数は算盤《そろばん》をはじく回数に劣らぬほどだし、例の切支丹行列には欠かさず参加するし、ときどきズニガという伴天連《バテレン》がやって来るのだが、そのときはまるで罪人のごとく地にひれ伏して迎える。そして彼はセバスチャンという洗礼名までもらっていた。
――けれど?
陽気に働きながら、鶯は心中にくびをかしげた。
――あの甲斐甲斐《かいがい》しさはほんものだろうか? あの信心も?
美男ではあるが、あまりに柔弱薄手なその容貌《ようぼう》が、何としてもそぐわないのだ。それに。――
天川屋の老母と内儀《おかみ》の存在がある。老母は恐ろしい気丈者であった。内儀はもとより家つき娘で、これが銀七を見染めて、そのころまだ生きていた先代に頼んで、強引《ごういん》に婿にしたという話だが、これも勝気《かちき》で、そして醜くかった。そのくせ二人とも、きちがいじみた切支丹の信者なのだ。いうまでもなく天川屋の奉公人ぜんぶが切支丹であった。
――みんな、そのせいだ。銀七はあの二人のあやつり人形だ。
そう見ぬいて、鶯は銀七の誘惑にとりかかった。
南国の花のような眼で、じいっと銀七を眺《なが》める。すれちがうとき、その手や腕にふれる。――数日のうちに、銀七はそれに気がついたらしい。なんとこの主人は、おどおどと眼をそらし、頬《ほお》をぼうと赤く染めるようになったのだ。
銀七にかぎらず、およそ鶯が投げかける蠱惑《こわく》の糸にかからない男はいない。彼女は、見えない女郎|蜘蛛《ぐも》の糸にからまれてもがきぬく蝶《ちよう》のような銀七の姿を見た。長崎の町を彩る明るい樟《くす》若葉が濃い碧緑《あおみどり》に変るより早く、そのはかない抵抗が完全に弱まったと彼女は認めた。
「旦那《だんな》さまを、わたし好き」
土蔵のかげで鶯《うぐいす》はついに大胆にこんなことをいった。それどころか、その細いくびすじに、蛇《へび》のように手さえからみつかせた。
「旦那さまのように美しい男は、堺はおろか、京大坂にもありませぬ。……」
大袈裟《おおげさ》な甘言が、その鮮麗な唇から出ると、ちっとも大袈裟に聞えない。天川屋銀七は、鬢《びん》のほつれも悩ましげに、とろんとした眼つきになった。
「お可哀そうな旦那さま、どんなにあのお内儀《かみ》さまに苦しめられていらっしゃるか、わたし、よく知っています。旦那さまほど美しい方が、ほんとうにお気の毒だと、わたし見ていて涙が出るよう。……」
「女房のことはいってくれるな」
きっとしてたしなめたのかと思ったら、これが涙ぐんでいるような声だ。――鶯は身もだえして、濡《ぬ》れた熱い芳香を放つ唇《くちびる》をすれすれに寄せた。
「旦那さま、わたし旦那さまといっしょに堺へゆきたい。……」
銀七の表情が動揺した。気弱のせいというより、あきらかに酩酊《めいてい》したような顔色に、鶯はあと一息と思った。
そのとき、とろけかかっていた銀七のからだが狼狽《ろうばい》した。彼は鶯をふり払おうとした。それが母屋《おもや》の方から近づいて来る数人の跫音《あしおと》のせいだということを鶯は知った。そうと知れば、いっそう強くからみつくつもりであった鶯が、ふいにぱっと土蔵の土戸の前へ離れたのは、話し声の中に一つ気にかかるアクセントの声をききつけたからだ。
「旦那さま、どうぞ」
土戸をあけながら、ふりかえった彼女の動作は、奉公人としての勤め以外のどんな気配も感じられない、呆《あき》れるほど落着いたものであった。
建物の向うから四つ五つの影が現われた。
「いくら呼んでもいないと思っていたら、おまえさまはこんなところにいたのですか」
まず声をかけたのは、内儀であった。出目金みたいな眼が、じろっとこちらに注がれている。銀七は赤くなり、また青くなった。
「いえ、蔵置きのモールを調べようと思うてな。……あ、伴天連《バーデレ》さま!」
「伴天連さまは、あさっての聖体《サクラメント》の祝い日の行事についておまえさまにいっておきたいことがおありなそうです。すぐにサンタ・ドミンゴ寺へおゆきなされねばならぬとのこと、お急ぎのおいでなのに」
いいかたが、いつもよりにくにくしく、眼のひかりがただごとでないところを見ると、さすがは女房ほどあって、このごろ或《あ》る疑いを持っていたのかも知れない。
それをみなまできかず、銀七はその方へ駈《か》け寄った。四、五人の男たちの中に、ひときわ背の高い、紅毛の、おちくぼんだ眼窩《がんか》の中に碧《あお》い眼のある伴天連がいた。ズニガという神父であった。
足もとにひれ伏した銀七の上に腰をかがめ、おだやかに彼は二、三語話しかけていたが、ふいに顔をあげて鶯の方を見た。さすがの鶯が、心臓も冷たくなったような凝視であった。
「サタン」
伴天連はつぶやいた。それから、しばらく考えこんでからいった。
「今夜――夜になってから、あの女、サンタ・ドミンゴ寺、つれて来て下さい」
そして彼は背を見せた。
内儀はそのうしろ姿を見送り、また鶯をにらみつけていたが、まわりの男たちに、
「逃げるといけない。縛って、夜まであの蔵の中に入れてお置き」
と、命じた。
――その日、暮れて間もなくであった。夕刻から雨になった。縛られて南蛮|更紗《さらさ》の中に埋もれていた鶯は、蔵の土戸がそろそろとあいて来たのに顔をあげ、そこに浮かんだ影を見て、闇《やみ》の中に、にいっと笑った。
「お砂。……」
這《は》い寄って来たのは銀七であった。雨に、びしょぬれだ。
「苦しかったろう。縄《なわ》を切ってやる。逃げておくれ」
「旦那さま、わたしはどうしてこんな目に会わされたのでしょう」
「わからない。けれど、何にしてもあのズニガさまの前へひき出されたら、恐ろしいことになるような気がしてならない。お咎《とが》めはわたしが受ける。とにかく、逃げておくれ」
「旦那さまといっしょに?」
庖丁《ほうちよう》で縄を一本切っただけで、銀七の手がとまった。――が、一息ののち聞えて来たのは、鶯《うぐいす》にとって実に思いがけないふるえ声であった。
「わたしは……女房を裏切るわけにはゆかない。……」
「そ、それでは、旦那さまは何のためにわたしを助けに来てくれたのです?」
「それは、ただおまえを助けるためだけだ。……」
「ほんとうにそれだけ?」
そういいながら、鶯は眼をとじた。――まつげだけで、眼にふたをした。
闇《やみ》に女の顔だけ、ほの白く浮かんでいたが、銀七にはまさか相手のそんな奇妙な「瞑目《めいもく》」までは見えぬ。
またそれが見えたとしても、このときその闇の中に、みるみる女の姿が白日《はくじつ》のごとくまざまざと浮かびあがって来たことを、女の「眼術」のせいだとは、どうして銀七に理解できたろうか。
白日のごとく、とは形容したけれど、浮かびあがったのは、女のからだだけであった。たしか、きものは着ているはずなのに、一糸まとわぬ裸身が蝋《ろう》みたいにひかって、しかも乳房にも腹にも幾重にも縄《なわ》がくびれこんでいた。それが息づき、くねり、あえいでいるのは、まるで蛇淫《じやいん》の精のようであった。
それを奇怪だと見る能力をすでに銀七が失っていることは、彼もまた鶯と同様、まつげだけで半眼をふさいでいるのでわかる。――たんに視覚の蠱惑《こわく》を超えて、このとき男の脳髄が魔界の媚酒《びしゆ》に酔い痴《し》れていることを鶯は知っていた。
「ゆきましょう。旦那さま、堺へ」
鶯は立ちあがった。一本切られた縄は、するすると解け落ちた。
「堺で、わたしを可愛がって!」
彼女は、肉欲に歯をカチカチ鳴らしているこの色男のかぼそい手をひいて、土蔵の入口へ出ていった。
母屋の方から跫音《あしおと》が聞えて来た。自分を切支丹寺へつれてゆく連中であることはあきらかだ。
「早く」
先へ出て、さすがに鶯はあわててふりかえり、銀七をうながした。その眼の前に土戸が閉じられてゆくのが見えた。
「ありがとう、お砂、しかし。……」
狭《せば》まってゆく暗がりから、泣くような声が流れて来た。
「わたしは第六番の 掟《マンダメント》 にそむくことは出来ない。――」
そして、内側からかけがねをかける音がした。
長崎に入って来る異国の船が目印にするというサンタ・マリア教会は高台にあるので、「山のサンタ・マリア」と呼ばれる。その尖塔《せんとう》を燃やすようにかがやいていた夕日が西の海へ沈んでも、港の中は湖のように、いつまでも紫紺《しこん》の夕光にけぶっていた。
港には二隻の南蛮船、三隻の明船《みんせん》、一隻の御朱印船、それにおびただしい和船に支那《しな》ジャンクまで、しずかに浮かんでいた。南蛮船や明船のまわりには、木の葉みたいに小舟が寄って、叫び声や笑い声や唄声《うたごえ》を投げかけている。船の異国人を対象にした物売りや芸人の小舟であった。
「あ、あいつ、渡海丸の方へゆくぞ」
「渡海丸の衆は、みんな陸《おか》に上ってることを知らねえのか」
「はてな? 乗ってるのは女一人じゃねえか?」
「もぐりの船饅頭《ふなまんじゆう》だ!」
船饅頭とは下等の売女《ばいた》のことだ。
こんな話声ののち、その方へいっさんに舟を漕《こ》ぎ出したのは、港の地回《じまわ》り――この場合、異国船相手の物売りたちからショバ代を取上げている五、六人のならず者たちであった。
ただ一|艘《そう》、離れて浮かんでいる御朱印船の方へ近づいてゆく小舟には、その通り女が一人|櫂《かい》をあやつっているが、桶《おけ》や樽《たる》や瓜《うり》なども積んでいるところから見て、水売りないし果物売りとも思われるが、またばかにきらびやかな服装をしているところからすると、港の売女であるかも知れない。
「船饅頭にしては美しか?」
「なぐさんでやれ」
女の小舟は、帆を下ろした三本|檣《マスト》の朱《あか》い御朱印船の高い艫《とも》のすぐ下まで近づいていたが、追って来る舟に気がついて、櫂《かい》を休めてふりむいた。
とたんに、海面をびょうびょうと犬の吠《ほ》え声が渡り出した。
「あっ、犬を舟に乗せていやがる」
「二匹も。――」
ならず者たちは眼をまるくして、ひるんだ。が、すぐに。――
「犬をつれて来るたあ、いよいよへんな小女郎だ」
「犬がこわくて、しっぽを巻いたとあっちゃあ、人間さまの名折れだぞ」
「やれ」
彼らは猛然と舟をつきかけて来た。おどしのためか、刀をひっこぬいているやつさえあった。――すると、高い空から声がふって来た。
「おい、よすがいいぞ。女一人を相手に」
ふり仰ぐと、渡海丸の艫《とも》の手すりに頬杖《ほおづえ》ついて、大きな夕空を背に笑っている顔があった。三十四、五の、ひげの剃《そ》りあとも蒼《あお》い、いかにも男らしい顔だ。
ならず者たちはまたひるんだが、二つの小舟が接触したこともあって、
「いや、こいつあ、港のもぐりでござんす!」
一人が仰《あお》のいてさけぶあいだに、どやどやと二、三人、女の小舟に乗り移っている。
「待て、もぐりといっても、おれが承知すればよかろう。渡海丸の按針仏頂寺《あんじんぶつちようじ》孫助がいうことだ。……おい、女、売りたいのは、水か瓜《うり》か?」
「あ! 仏頂寺さま!」
のぼせあがっていたならず者たちの中で、はじめてその声のぬしを知ったらしく、棒立ちになった者もあった。
按針とは航海士のことで、船長につぐ大役だ。当時御朱印船にしても、按針は紅毛人、少くとも支那人を傭《やと》っていることが多く、日本人は珍しかったが、この渡海丸の按針仏頂寺孫助は、小西家の遺臣とかいうことで、それよりもその颯爽《さつそう》として闊達《かつたつ》な性行と、ヨハネ孫助と呼ばれる熱心な切支丹《キリシタン》であることで知られていた。ほんのきのうも、例の切支丹行列の先頭に立って大々的に大十字架をかついで歩いているのを見たのに、きょうは何の用か、碇泊《ていはく》中の船に帰っていたと見える。――
そうと知っても、地回りたちはもう騎虎《きこ》の勢いであった。それに、近ぢかと見た小舟の女の美しさが彼らに火をつけていた。
「いいや、だれが何といったって、もぐりを見逃しちゃ、しめしがつかねえ!」
舟のはしに、二頭の犬の頭を両わきにかかえてうずくまっている女の方へ殺到しようとして、なお狂ったように吠えつづける犬に、二足三足、たたらを踏んだ男たちの鼻さきを、鉄と潮の匂《にお》いがぷんとかすめた。
「わっ」
飛びのいたはずみに、水けむりをあげて一人海に落ちた。
錨《いかり》だ。渡海丸の控えのものであろうが、小さいながら、ともかくも物凄《ものすご》いかたちをした錨が、長いマニラ麻の綱にくくられて、ならず者たちの顔の前を振られて過ぎたのだ。
「な、なんだ!」
文字通り仰天した彼らの眼に、なおゆれてぶら下がる綱をつたい、スルスルと海面へ滑り下りて来る男の姿がうつった。と見るや、錨を足場に、その姿は波の上を二、三メートルも跳躍《ちようやく》して、こちらの舟に飛び移って来たのである。
「いけねえ!」
この離れわざに胆《きも》をつぶして、ならず者たちはまたもその舟へ逃げ戻る。その混乱のさなかに、また一人海へ落ちた。
「帰れ」
と、仏頂寺孫助はそちらに爽《さわ》やかな白い歯を見せたが、すぐに女の方へ向き直った。
「いいところを見せたくて、こんなまねをしたわけではない。おまえに用があって下りて来たのさ」
なお犬をかかえたまま、女は孫助を見あげて――にいっと笑った。夕の海風に髪吹きみだし、まるで夜光虫みたいな濃艶《のうえん》な顔に、たしかにそれは妖《あや》しいまでの媚笑《びしよう》であった。
「だめだ。女は買わん。おれはこれでも切支丹だからな」
孫助はくびをふった。
「それより、おまえ、先刻から見ているとつくづく妙な女だな。ただの船饅頭ではないな。ちょいと正体を知りたくなって、下りて見る気になったのだが」
そういって、彼は女の方へちかづいた。
そのとき女の手にきらっとひかったものを見て、さすがの仏頂寺孫助ふと立ちどまったが、彼をさらにぎょっとさせたことはその次に起った。
女が、いきなり一方の犬のくびにその匕首《あいくち》をあてたのである。恐ろしい切れ味であった。きえーん、と一声、牙《きば》をむき出したままの犬の首が斬《き》り落されると、その切り口からビューッと血の噴水が孫助に――孫助のみならず、その背後に河童《かつぱ》みたいにもみ合っていたならず者たちにも吹きかけられた。
あまりのことに男たちは、血の霧に染まったまま立ちすくみ、舟幽霊のごとくただ舟に揺られていたが、たちまち、
「な、何をする」
孫助が躍りかかろうとした。
その前に、女はもう一頭の犬を海へつき落し、仰むけに横たわった。もすそをかきひらき、両脚立てて、描写し得ない淫《みだ》らな姿態で。
――と、仏頂寺孫助はかっきと踏みとどまった。彼は眼を天にあげ、十字を切った。
が、たちまち眼は、海にひらいた妖花《ようか》に吸いもどされ、全身の骨も鳴るばかりにふるえ出した。背後の舟では、地回りたちが猿《さる》みたいにわめき出し、またもやこちらの舟になだれ込んで来ようとしている。
「主よ、第六番の掟《おきて》を守らしめ給え!」
と、孫助はさけんだ。瀕死《ひんし》の獣のおたけびにも似た悲壮な声であった。
獣――いかにも彼らは獣になったのだ。船饅頭は、鶯《うぐいす》であった。首を斬った犬は牡犬《おすいぬ》だ。海へ落した犬は牝犬《めすいぬ》だ。牝犬はさかりの最中であった。それに発情して、狂乱状態になっている牡犬の血を浴びせることによって、人間の男をその犬同様の状態におとす。彼らの持つ生涯《しようがい》分の肉欲がこの一瞬に圧縮されてほとばしり出ようとするのだ。それを抑圧し得る男はないはずであった。
しかし、仏頂寺孫助は、逆に地回りの舟へ飛び移った。放り出されていた櫂《かい》をひっつかむと、その舟はもとより女の舟でおし合っているならず者たちを、ただ一|薙《な》ぎでみな海へ薙ぎ落した。
そして、自分は櫂を放り出し、また波の上を飛んで、もとの錨《いかり》にぶら下がった。
「女、帰れ! 帰ってくれ!」
と、カチカチと歯を鳴らしつつ彼は絶叫し、脇差《わきざし》をぬくと、錨のすぐ上の綱にあてた。
「ゆかぬと、おれはこの錨を抱いたまま海へ沈まねばならぬ!」
長い夕凪《ゆうなぎ》の時刻が過ぎて、やっと涼風の立ちはじめた石だたみのどろどろ坂を、船坂貞蔵はひとり下りて来た。
どろどろ坂とは、長崎言葉で、ゆるやかな坂道をいう。両側の石垣《いしがき》を覆う青深いいたびかずら[#「いたびかずら」に傍点]や、赤や白の夾竹桃《きようちくとう》のしげみももう闇《やみ》に沈んでいたが、たとえ真昼でも貞蔵の眼に入らなかったかも知れない。
船坂貞蔵は町年寄《まちどしより》の一人であった。町年寄とは役の名であって、べつに老人のことではない。長崎はその昔から市民の特別自治制であった。その首長が九人の町年寄であって、後年あれほど幕府の威権が確立しても、「御老中《ごろうじゆう》でも手が出せないは、大奥・長崎・金銀座」と俗謡に唄《うた》われたくらいである。貞蔵もまだ四十を一つ二つ越えたばかりだが、ゆったりと肥《ふと》って、温厚な容貌《ようぼう》とからだつきは、いかにもそれらしい風格と貫禄《かんろく》をそなえていた。
貞蔵の眼には、今夜、サンタ・クルス寺でズニガ神父から見せられた聖画がまだ浮かんでいた。また耳には、ズニガの厳《おごそ》かな声が聞えていた。
「……見よ、十二年|血漏《ちろう》を患いたる女、イエスのうしろに来《きた》りて御衣の総《ふさ》にさわる。そは御衣にだにさわらば救われんと心の中に言えるなり。イエスふりかえり、女を見ていいたもう、娘よ、心安かれ、汝《なんじ》の信仰なんじを救えり」
絵は、このときのキリストと女を描いた油絵であった。この町の切支丹学校《コレジオ》に学ぶ日本人の学生が最近描いたものだという。――船坂貞蔵はたんに町年寄であるばかりでなく、ミカエルという教名を持つ信徒の重鎮でもあった。
ミカエル貞蔵は、夢見心地で、坂を下り、やがて円い石橋にかかった。
――と、橋の欄干《らんかん》に腰を下ろしている一人の女の影を見て、貞蔵は足をとどめ、くびをひねった。
空に細い三日月《みかづき》があったが、それよりも水明りに浮かんでいる女のようすがどうもおかしい。背に垂れるべき長い黒髪を肩から乳房の前へ二つに分けて、寂然《じやくねん》とうなだれている。そして口の中で、何やら小さく、ぶつぶつとつぶやいているのであった。
――狂女か?
と、疑いつつ、貞蔵は近づいた。
「もし、どうなされた?」
女は顔をあげた。水の精かと思った。長崎の町の人間みな知っているといっていい貞蔵が、はじめて見る顔だ。
「冷たい。……冷たい」
女はそうつぶやいたようだ。細面のためいっそう大きな、うつろな眼は、貞蔵を見ているとも思えなかった。――その言葉のせいばかりでなく、おちついた男だったが、さすがにぞっとした。
「これ、どこから来た娘御じゃ?」
「天草《あまくさ》から」
溜息《ためいき》のようにそう答えたかと思うと、次にきいた。
「あの、慈悲屋はどこ?」
慈悲屋また慈悲院ともいう。ポルトガル語のミゼリコルディアのことで、救貧、救癩《きゆうらい》、医療、貧死者の埋葬などを仕事としている切支丹《キリシタン》の施設だ。
「ミゼリコルディアなら本博多町じゃが……おまえさん、病気かな」
「冷たい。……冷たい」
娘はまたつぶやいた。狂人ではないらしい、と思いながら、貞蔵はなおぶきみさを禁じ得なかった。
「寒いのか?」
「いいえ、手だけが冷たいの」
「手だけが?」
貞蔵は思わず娘の左手をとって、はっと自分の手をひっこめた。
まさに冷たい。――死人のような冷たさ、どころではない。まるで氷のようだ。しかも、ぬらっと濡《ぬ》れている感じであった。たしかにただごとではないが、こんな病気はきいたこともない。娘はワナワナとふるえていた。
「手が、いまにも切れて落ちそう。……助けて下さい。暖めて下さい」
「暖める? ゆこう、火のあるところへ」
「いいえ、火ではだめなの。人肌《ひとはだ》でなくては。……あの、足のあいだに挟《はさ》んで下さい」
「足のあいだに。――」
「腿《もも》のあいだに。――すると、一息はつけるのです。どうぞ、御慈悲を。――」
市民のどんな訴えでもおだやかにきいてやって、また適切な処置を下す有徳有能の人物であったが、この願いには貞蔵も戸惑った。
が、すぐに彼の頭によみがえって来たのは、血漏の女を触れさせて微笑しているイエスの画像であった。またいつかズニガ神父からきいた、癩人《らいじん》にすら口づけさせたというキリストの話であった。
「よかろう。それでその苦しみが休まるものならば、さあ」
裾《すそ》をひろげ、欄干に坐った娘の前に立ったこの町年寄は、彼を敬愛する町の人々には想像もつかぬ奇態な姿勢であったが、貞蔵自身はこの時はもう慈悲の炎に燃え立っていた。
「こ、こうかえ?」
貞蔵は、娘の両掌《りようて》をぴったりと腿《もも》ではさんだ。やはり、氷のように冷たい、ぬらっと濡れている掌であった。
「少しはあったまったかえ?」
「は、はい、ありがとうございます。……」
言葉が尋常になったと思ったら、娘の冷たい手が、腿にはさまれたまま上へうごめき出した。貞蔵は狼狽《ろうばい》して、いちど絞めつけかけたが、掌が異様なぬめりを以《もつ》てゆるやかに滑るのをふせぐことは出来なかった。
触れられた自分の皮膚が冷たくなったので移動するのであろうと思い、また娘の表情があまりと真剣で、かつこころよげなので、抵抗をやめ、そのなすがままにまかせていた貞蔵は、ふいに彼もまた思いがけぬ快感に、ずうんと脳がしびれるのを感じた。
貞蔵はひたと握りしめられたのであった。
冷たい掌はさざなみのような痙攣《けいれん》を送った。
「……あっ」
突如としてわれにかえり、ミカエル貞蔵は飛びのいた。飛びのいて、何ともいえない眼で娘を見た。娘はなお欄干《らんかん》に腰を下ろして、足をぶらぶらさせている。そして、にんまりと笑った。
「こういう天国《ハライソ》を御存じ? 町年寄さま」
貞蔵は、腰をうねらせた。離れているのに、何かに握りしめられた感触は消えないのだ。それがさざなみのような痙攣《けいれん》を送りつづけて来るのだ。
「まだ? ハライソはまだ?」
ミカエル貞蔵は体内に溢《あふ》れるものが波打って来るのをおぼえた。ならぬ、ならぬ、この快美に魂《アニマ》をまかせてはならぬ。――
彼はその快美の根源を見下ろした。すると三日月に、それがまるで蝸牛《かたつむり》の這《は》ったあとのように銀色の皮膜につつまれているのを見た。その皮膜が、さざなみのようにうごめきつづけているのだ!
「おまえは、何者じゃ!」
貞蔵は声をしぼった。笑い声が返った。
「天使《アンジヨ》。――地獄《インヘルノ》の」
このとき貞蔵が身もだえしつつ脇差《わきざし》をぬいたのを見ても、女は欄干から下り立とうともしない。――鶯《うぐいす》であった。彼女は、自分の術にかけた男が――精を流しつつ斬《き》りかかる、などということは不可能なことを知っていた。
「ゆきましょう、船坂貞蔵さま、わたしといっしょにインヘルノのハライソに」
この有徳の町年寄は、数分前とは別人のような凄惨《せいさん》な面貌《めんぼう》で刀を握ったまま立ちすくんでいたが、
「ミカエルよ。――第六番、なんじ姦淫《かんいん》するなかれ!」
と、うめくと、その脇差を横にして、すぱっと邪念の根源を切り落し、しかもみずからのけぞっていって、反対側の欄干から川の中へ落ちていった。
五
長崎の町家は、路地の奥がたいてい石だたみのちょっとした広場になっていて、そのまんなかに共同井戸がある。女房たちが集まっておしゃべりしたり、子供たちが遊んだりする庶民の社交場だ。
黄昏《たそがれ》。――それもちょっと過ぎたころ、玻璃《はり》細工師の女房お浜は、手桶《ておけ》を持って、そんな井戸へ来た。
さっきまでこのあたりでしていた子供の唄声《うたごえ》はもう聞えない。そのわらべ唄も、長崎では讃美歌《さんびか》であった。ちょうど夕餉《ゆうげ》の時刻であろうか、あるいはいま「アンジェラスの時間」なので、ひまのある人々は近くの教会《エケレシア》へいって祈りをささげているのであろうか。
その子供たちの唄声を思い出したのか、それとも教会へゆけなかったわびの心からか、お浜は柳の枝の向うにひかる星に眼をあげて、小さく口ずさんだ。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
「アヴェ、海の星
デウスの聖《たつと》きおん母
かついつも童貞《ビルゼン》
果報いみじき天の門」
[#ここで字下げ終わり]
お浜はいまの自分を不倖《ふしあわ》せとは思ってはいなかったが、しかしこのマリアへの讃歌を口ずさむと、夕闇《ゆうやみ》の中にも胸に星がともるような気がした。彼女が自分を不倖せと思っているかいないかはべつとして、その頬《ほお》はやつれ、身なりは貧しかった。しかし、いかにも貞潔な顔をしていた。
もともとお浜は大きな玻璃《はり》細工屋の一人娘なのである。それが職人の頼助と恋をした。そして、親戚《しんせき》一統の反対にあって、とうとう伯父《おじ》がそのあとをひき受けることになって、彼女は家を出て頼助といっしょになったのだ。夫は腕はよかったが、からだの弱い男であった。すぐに病気になって、いまではこの路地の奥で寝たり起きたりしながら、ビードロで笄《こうがい》や簪《かんざし》をほそぼそと作っている。――
しかし、これはお浜の愚かさというより、彼女の意志の強さを物語る話かも知れない。顔かたちのやさしさに似ず、いまお浜がこの町内で最も熱烈な奉教人であることも、不倖せのためというより、その熱情的な天性のためであったかも知れない。彼女はマグダレナお浜と呼ばれていた。
「あ、……」
つるべに手をかけて、お浜はふとふりかえった。
何者かの気配を眼や耳に感じたのではなく、ふしぎな匂《にお》いにはじめて気がついたのだ。
「もうし。――」
声がした。男の声だ。柳の下の暗がりに、たしかに何者かが横たわっていた。
「水を。……」
お浜はおそるおそる近づいた。すると何かにつまずいて、石だたみにピイインときれいな絃《いと》の音がひびいた。琵琶《びわ》であった。
横たわっているのは、頭巾《ずきん》をかぶっているが、たしかに琵琶法師らしい。しかも、若い。――のぞきこんで、彼女は息をとめた。眼はとじているものの、それがあまりにもあえかな、美しい若者であることを知ったからだ。
「まあ、こんなところに。……」
お浜は手をさしのばした。
「病気なの? 井戸はそこにあるのに、つるべを汲《く》む力もないの? どこが悪いの?」
そしてまた彼女は息をとめた。若者の体からまきちらされる異様な匂いのためであった。
いったいこれはどういう病気なのであろう。芳香とはいえないが、決して不快な匂いではない。お浜はどこかでおぼえがあるが、どうしてもそれがわからなかった。ただ栗《くり》の花の花粉にうずもれたような感覚におちいり、頭がくらくらした。
「水? そう、水を。――」
お浜は頭をふり、同時に昏迷《こんめい》の霧をふりはらって立ちあがり、井戸のところへ戻った。
が、まだ霧につつまれたような思いで、つるべをひきあげたとき、その手がとまった。いまの匂いが何か、やっと気がついたのだ。彼女にしてみれば、遠い弱々しい思い出の匂い、といってもいいほどであったが、それはたしかに男の精臭であった!
お浜の頬《ほお》が赤くなった。想念のせいではなく、生理的反応であった。このとき、彼女をつつむ匂いの霧がむっと濃くなったのだ。
「水。……水」
精臭を放つ声が頬をなでると、ふいにうしろから抱きしめられた。
琵琶法師が、いつのまにか這《は》い寄って、立ちあがって、しがみついて来たのだ。――はっとして、反射的にふりほどこうとしたが、それはしがみつくとはいえない、蔓《つる》みたいに強靭《きようじん》な抱擁であった。
「おかみさま。……諸国を旅して来ましたが、あなたのように美しいおひとを見たのははじめてでござります。……」
このささやきを異常だと思い、無礼だと怒る力は、すでに精臭の霧にひたされた女にはないはずだ。――いつか奉行《ぶぎよう》所の侍女たちに見たように。
法師は、斑鳩《いかるが》であった。彼は唇《くちびる》をお浜の頬にすべらせ、むせかえるような魔香《まこう》を吐きかけながら笑い声でささやいた。
「まず、水をのませて下され。おかみさまの美しい口移しに。……それで、わたしの病気もてきめんになおる。なおってから、わたしの御恩返しを受けて下さるか、それはまず水をのませてもらってから。……」
斑鳩にしてみれば、金輪際《こんりんざい》あり得ないことで、ほとんど超人的な反応であったが、このときお浜が星空に白いくびをあげ、あえぐようにつぶやいた。
「かなしみのおん母、第六の掟《おきて》を守らせ給え!」
「え?」
思わずゆるんだ手をふりはなし、お浜は井戸の上に泳ぎ出した。あっ――と、斑鳩が棒立ちになったとたん、女の姿は幻花のように眼前から消え、はるか底で水の音がした。
それは、この妖《あやか》しの琵琶法師からのがれるためというより、みずからの心を燃やしかけた或《あ》る情念を恐怖しての行動だったかも知れない。それほどそれは突発的な行為であった。
「なんじゃ?」
背後で声がした。石だたみの向うで手桶《ておけ》を抱えた女の影が二つ、怪しむようにこちらをうかがっていた。――斑鳩の眼はむろんひらかれていて、きゅっと苦笑を浮かべた。
「殺しては、使命が達せぬ。出直しじゃ。……おうい、つるべ縄《なわ》を下ろすゆえ、それにつかまってお待ちなされ。いま人が助けに来るほどに」
そして彼は石だたみの上の琵琶をひろいあげ、闇《やみ》を舞う白い妖蛾《ようが》のごとく駈《か》け去った。
壁から離れ、たたみ一|畳《じよう》分の間隔をおいて、どっかと坐り、
「ふうむ」
と、筆をひざにななめにすえて、みずから感にたえたようにうめいた。黒|頭巾《ずきん》、黒|装束《しようぞく》に身をかためているが、斑鳩であった。
眺《なが》めているのは、白い壁である。
ほかには、だれもいない。六畳ほどの広さだが、銀の十字架、イスパニア風の置時計、ポルトガル風の燭台《しよくだい》、支那簾《しなすだれ》、など異風な調度が見える。しかし長崎の家庭としてはそれほど珍しいものでもなく、どちらかといえば簡素で清潔な部屋であった。ただ皮表紙に錆《さ》びた金箔《きんぱく》の西洋文字を押した書物が、経机《きようづくえ》に二、三冊重ねてあるのだけは、たしかに異彩であった。それに、どことなく優雅な女の匂いがしていた。
さて、その壁の一面である。そこだけは何もない白壁をためつすがめつして見て、斑鳩《いかるが》は、
「……われながら、よう書けた」
と、つぶやいて、にやりとした。
「おれはともかく、鶯《うぐいす》が」
そして、腕をのばして、前に置いてあった小さな壺《つぼ》をとり、筆の滴《しずく》を切った。筆の先からは白い乳のようなものが壺の中に落ちた。彼は何やら壁にも書いたらしいが、常人の眼にはただの白壁である。筆を矢立にしまう。壺にふたをして、紐《ひも》でしばって腰にぶらさげる。立ちあがると彼は、風のようにその部屋を出ていった。夕凪《ゆうなぎ》の宵《よい》である。
これは長崎島原町の町医者|生月玄甫《いけづきげんぽ》の家、その娘のお市の部屋であった。このところ玄甫は毎日午後からは本博多町のミゼリコルディアに患者を治療にゆき、父のみならずお市もそれを手伝いに通っていた。
夜になって、いつものように玄甫とお市は帰って来た。お市はじぶんの部屋にひきとって、燭台《しよくだい》に灯を入れた。彼女は何も気がつかない。――
灯の下で、お市は本を読みはじめた。本は机の上にあったもので、使徒や聖女の殉教《マルチリ》の物語であった。各|頁《ページ》、左面にローマ字で、右面はラテン文で印刷されたもので、彼女はその左面を日本文同様に読むことが出来た。
「……そのとき童貞《ビルゼン》アナスタジアいいたまいしは、わが大切に存ずるおん夫《つま》はすなわちおんあるじゼズスなり。このおんまえにては、金銀珠玉も灰ほこりのごとし。ただひとえにこの君ばかりを望みたてまつるなり。……」
ふっとお市は、自分をだれか見ているような気がした。ふりかえったが、むろんだれの姿もない。
「われを美麗なりとの言もみな以《もつ》てお迷いなり。花をあざむき月をねたむ粧《よそお》いとても、あだなる夢の浮世ぞかし。……」
彼女はじぶんの心がみだれているのを感じた。なぜみだれているのかわからない。なんの理由もない。
「……、帝王これをききて大いに怒りをなし、裸になって恥をさせよと下知《げじ》をなす。アナスタジアききたまいて、いまわれを裸になさるることさらに恥辱にあらず。これ罪科のけがれをぬぎすて殉教《マルチリ》の清き衣をきせられたればなりとのたもう。……」
読むたびにいつも透明な炎のような歓喜に満たされる心に、この夜|妄想《もうそう》が浮かんでいるのをお市は感じた。何のおぼえもないのに、甘美で恐ろしい妄想が。――
「帝王、腹をすえかねて、おん衣裳《いしよう》をぬがせたてまつり、牛の皮肉のあいだよりぬき出して乾《ほ》しかためたる筋を集めて、それにて、打《ちよう》 擲《ちやく》させらるれば、おん色身《しきしん》を血にて洗いたてまつるなり。……」
この文章とはまったくかかわりもなく、このとき彼女の頭にくねっていたのは、なんと男女交合の秘図であった。
洗礼名をクララと呼ばれ、その清浄な美貌《びぼう》と熱烈な奉仕生活から、「ミゼリコルディアの聖女」といわれるお市の頭に。――
この夜から、彼女の苦しみがはじまった。
お市の脳髄に煩悩《ぼんのう》が渦巻《うずま》き出したのだが、なぜそんなことになったのか、彼女にはわからなかった。夜を重ね、日を経るにつれて、その秘戯図は鮮やかになって来た。見たことのない男と女の顔までが。
男は骨で造形されたように凄味《すごみ》のある顔をしていた。そのくせ、鋼鉄の機械のような「男」の迫力があった。女は春の花のように豊麗《ほうれい》であった。それが男におしひしがれ、手足をねじまげられ、およそ奇怪とも淫靡《いんび》のきわみとも形容しがたい姿態でからみ合っている。あえいでいる口の中からのぞいている舌、わななく乳房、痙攣《けいれん》する指から濡《ぬ》れそぼつ体毛のひとすじひとすじまでまざまざと見えた。
お市はこのことを父に訴えることさえ出来なかった。ただ、日とともにやつれて来た。
夏の終り、灯もともさずに自分の部屋に坐って歯をくいしばっていたクララお市の耳に、思いがけず男の声がささやいた。
「……その通り、して見とうはござらぬかな?」
だれもいないはずの影のかなたに、そんな男の声が聞えたのを、驚きもせず、当然と感じたほど、彼女の心はしびれていた。声は笑いをおびていた。
「あの女になり代りとうはござらぬかな?」
突然、お市は経机の上にあった懐剣をつかんだ。抜きはらうなり、おのれの乳房の下をつき刺そうとしたのは、恐怖ではなく、自分の妄想《もうそう》を何者かに見通されていたと知った恥のためであった。その何者かがたとえ変化妖怪《へんげようかい》であろうとも。
「待った! 死なれてはこまる」
その懐剣に何かがぶつかり、懐剣は落ちた。
「思いつめるにはまだ早い。いや、こちらの顔を出すのがちと早すぎたか。――いましばし、そちらが耐えかねるときを待とう!」
闇の中で、斑鳩《いかるが》は、壺《つぼ》に筆をひたして、壁いちめんに塗りたくっていた。いや、塗りつぶしていた。白壁におのれの精汁を以てえがいた彼自身と鶯《うぐいす》の春宮図《しゆんぐうず》を。
不知火《しらぬい》の海を渡って来る風は、もう秋風といってよかった。実際、海の果てにながれる鰯雲《いわしぐも》は毎年の秋の知らせであった。
その浜辺に白くひかって立っているものがある。遠くから見ても巨大な十字架であった。
伴天連《バテレン》ルイス・フロイスなどの報告書によると、これは手洗鉢《ちようずばち》のようにくぼみのある巨石の上に立てられ、高さ三ブラサ、腕木が一ブラサ半、木の太さ一パルモ半、すなわち高さ六メートル、腕木が三メートル、太さ三十三センチという大十字架で、これが長崎の町々、丘陵に無数につらなり、口ノ津や横瀬浦、そのほかの島々では、出入する船の遠くからの目標になったといわれる。
大黒町の螺鈿《らでん》細工で知られた漢南《かんなみ》屋の後家お弦《つる》は、朝の砂浜をひとりぶらぶらと歩いていった。ちかくにある十字架に祈りを捧《ささ》げにゆくのは、彼女の毎朝の日課であった。
後家といっても、まだ三十代だ。はたちのころは傾城《けいせい》屋で暮し、いちじは南蛮人の妾《めかけ》までなったという女で、その美貌を買われて螺鈿屋の後妻にもらわれたのだが、それも数年、いまは富商の未亡人らしく、昔の面影もない。その代り、たっぷりしたものごしには鷹揚《おうよう》な気品すらある。それにしても、彼女がいまはフランチェスカと呼ばれ、長崎の女人|切支丹《キリシタン》の指導者とまで目《もく》されるほどの信仰をいだいたのには、どんな機縁があったのであろう。
十字架近くまでいって、ふとお弦は足をとめた。海際にひとかたまり、たしかに大小と男の衣服がぬぎすててあったのだ。それはなかば潮にひたっていた。
彼女は眼を海へ向けた。すると、もう初秋といっていい海を、浜へ向って泳いで来る者があった。みるみるその男は、みごとな抜手を切って近づき、ザ、ザ、ザ、と銀のしぶきをまきちらしつつ渚《なぎさ》にあがってきた。お弦のすぐ前方にである。
彼はぬぎすてた衣服をとりあげたが、それが濡《ぬ》れているのに気がついたらしく、当惑したようにお弦を見て、それからにっと白い歯を見せた。
「お早うござります、漢南屋のお弦さま」
なれなれしく挨拶《あいさつ》をしたが、お弦はこの男を見たことがない。
どうやら牢人《ろうにん》者らしい――と判断しても、しばらく彼女が黙って見ていたのは、その男の裸身のすばらしさであった。色は浅黒いが、スラリとしているのに筋肉の瘤《こぶ》が盛りあがり、全身ぬれひかって、まるで青銅の彫刻のようだ。
黙って眺めているお弦に、かえって男の方が急に恥じらったように眼をそらした。
「どなたでござりましょう」
と、やっとお弦はきいた。
「は、高麗《こうらい》町の長屋に住む牢人の馬ノ目鉄心と申すもので」
「どうしてわたしを知っているのです」
「は、高麗町のとある傾城《けいせい》屋の亭主《ていしゆ》に、高麗町はじまって以来の傾城の権化《ごんげ》ともいうべき女人《によにん》は、ただ一人、いまは町家の後家になっておる女人であったらしい――という話をきいて以来、よそながら、それとなく」
こんどは、お弦が眼をそらした。この牢人のいった言葉の意味はよくわかった。彼女は若いとき高麗町の遊女であった。
「なぜ、海で泳いでいたのです。水は冷たかろうに」
彼女は話をそらした。牢人馬ノ目鉄心の顔に、ふと苦悶《くもん》にちかい翳《かげ》が浮かんだ。
「それが、煩悩《ぼんのう》消滅のためにと」
「煩悩?」
「さればです。何せ住んでおるところが傾城屋のある町、煩悩の起るはあたりまえにて、また起ったところで苦しむことは万々ないのでござるが、右の話をきき、またときに往来、その女人のお姿をかいま見るにつけ、煩悩と女人が合体し。――」
思いがけないことを耳にする。――ひょっとしたらこの牢人者は、ここで自分を待ち受けていたのではあるまいか?
お弦は黙って十字架の方へ歩き出した。すると、馬ノ目鉄心も、大小ときものを小脇《こわき》にかかえたまま、下帯一つの姿でトボトボとついて来た。そして、いう。――
「ここに拙者の苦しみがまたふえてござる。このごろパオロ瀬兵衛と申すお方よりすすめられ、切支丹の教えを耳にいたし、信心のこころ湧《わ》きましたれど」
十字架に十字を切ってから、
「え?」
と、お弦はふりかえった。
「右の煩悩が壁となり、いかにしても宗門に入れませぬ」
首をたれていた鉄心は、眼をあげてお弦を凝視した。苦味《にがみ》走った顔に似合わぬ、哀れな、すがりつくような、それだけに年増の女から見ると抱きしめてやりたいような男の眼であった。
「その女人があなたさまでござる」
鉄心はついにいった。それから、あえぐように、
「お弦さま、あの……まことに恐れ入った儀ではござるが……いちど拙者を抱いて下さるまいか? それにて拙者、煩悩の霧うちはらい、涼しき心頭にて奉教人になりまするが……いちど、たったいちどだけ!」
「そ、それはなりませぬ」
あわててお弦はくびをふり、しいておちつきを取戻《とりもど》そうとして、十字架を立てた巨石のふちに腰を下ろした。
「おまえさまのお心はありがたく思いますけれど……そんなことをしては、わたしにとって第六番のおん掟《おきて》にそむくことになります」
「第六番のおん掟?」
お弦は眼をとじた。濡れたようなまつげが、朝の光に、豊麗な頬《ほお》に翳《かげ》をおとした。彼女はふるえ声で誦《しよう》しはじめた。
「おんあるじは申されました。……姦淫《かんいん》するなかれ、といえることあるを汝《なんじ》らきけり。されどわれ汝らに告ぐ。すべて色情をいだきて女を見る者は、すでに心のうちに姦淫したるなり。もしなんじをつまずかせば、右の目|抉《くじ》り出して棄《す》てよ。……」
お弦は眼をあけた。
「これからは、わたしを見ないで下さい!」
馬ノ目鉄心は首も折れるほどうなだれて立っていたが、その下帯を盛りあがらせているのは、ぎょっとするほど大きな、たくましいかたまりであった。お弦の眼は吸いつけられて、離れられなくなった。白い浜辺の白い風が、乳のようによどんだ感じであった。それは栗《くり》の花みたいな濃い匂いに満たされた。時のわからない魔睡《ますい》のような時が過ぎた。
「おん母、フランチェスカの罪をゆるし給え!」
ふいにお弦はそんなさけびをあげると、立ちあがり、駈《か》け出した。
突然のことで、馬ノ目鉄心は茫然《ぼうぜん》として、こけつまろびつ、砂をちらして逃げてゆく美しい後家の姿を見送っているばかりであったが、ふと眼を戻し、お弦が坐っていた石の下の砂が小さく濡れているのに気がついた。
鉄心は――いや、斑鳩《いかるが》は舌打ちした。
「もう一息であったのに――惜しい!」
六
長崎|奉行《ぶぎよう》、長谷川左兵衛と伊賀の服部半蔵は、前にならんで坐った斑鳩《いかるが》と鶯《うぐいす》を見つめていた。左兵衛がいった。
「大御所さまより御下知《ごげじ》があった」
しばし、思案して、苦い顔で、
「秋になった。八人の切支丹の張本《ちようほん》ども、健在にていよいよ伝道にのぼせておるが」
「みずから転ばせるを最上といたすゆえ、手をやいておるのでござる」
と、半蔵はとりなしたが、これもむずかしい表情であった。
「……まことにしたたかなやつら」
「……恐ろしい宗門でござりまする」
と、斑鳩と鶯は長嘆した。おのれのわざを信じる者の、それがこと志に反した事実への、心からなる嘆声であった。
「大御所さまの御諚《ごじよう》には」
と、長谷川左兵衛は面を改めていった。
「長崎のありさま、もはや何としても捨ておけぬ。いよいよこの十月を以て、切支丹寺を破却し、その元凶どもを仕置《しおき》にかけいとのことじゃ」
声を沈めて半蔵がいう。
「さりながら、そのような荒療治は、かえって切支丹どもに逆効果を起しかねぬ。またこの五月より長崎にあって、なお所期の目的を達し得ぬわれらの面目にもかかわる。――」
「いや、あくまでもきゃつら、転ばせてごらんに入れまする」
斑鳩と鶯は声をそろえ、昂然《こうぜん》としていった。その二人を半蔵はつくづくと眺めやり、
「いまさらのことではないが、両人、奇妙な恋仲同士じゃ喃《のう》」
と、またいった。
実にこの二人は、五年前――まだ少年少女といっていい年ごろから、人の目につく純愛の仲なのであった。それが服部組の掟《おきて》によって、五年間、それぞれの故郷伊賀|鍔隠《つばがく》れ谷《だに》と甲賀谷へいって修行して帰ったのち、まさに奇妙な恋人と変った。伊賀へ嫁にくるか、甲賀へ婿にゆくか、同じようなものだが、決して同じではない、伊賀甲賀の面目にかかわる争いがからんで来たのだ。その試験台はこの長崎に於《お》ける切支丹の処理であるという。そして、それぞれ妖艶《ようえん》の秘技を修行して来ながら、おたがいにそれを交《かわ》すことは許されぬという。――このたびの試験が終るまでは。
「うぬら、一日も早う、はれて交合したかろうが」
半蔵はいま伊賀者らしい明晰《めいせき》さでこういい、さらにきびしい調子で、
「それに、右の大御所さまの御下知である。八人の元凶のうち、すでに試みた六人はひとまず置いて、ともかくも残った二人に手をつけて見い。一穴ひらけば、壁はすべて崩れるもの。――その二人は、パオロ瀬兵衛、アウグスチノ道円と申す。いずれも男であるが」
と、ひざをすすめた。
「斑鳩、鶯。――二人にてその二人、それぞれ転ばせい」
「――は!」
「いずれか、早う転ばせた方を勝ちとする。彼らを殉教させるに於ては、われらの負けじゃ。事は迫っておるぞ」
「――はいっ」
斑鳩と鶯は、眼と眼を見交《みかわ》した。燃えるような肉欲と敵愾《てきがい》の眼を。
七
落日に稲の穂波が黄金《きん》色に染まっていた。その向うに、「山のサンタ・マリア」教会の尖塔《せんとう》のシルエットが浮かんでいる。まるで南蛮渡りの極彩色幻燈絵《フアンタス・マゴリヤ》のような風景であった。
そこから、夕《ゆうべ》の鐘の音が鳴りわたりはじめた。すると、野に働く農夫たちも、いたるところで十字を切ったり、両掌《りようて》をくんで首を垂れたりして祈祷《オラシヨ》をとなえるのであった。
そんな風景を、山国瀬兵衛は重厚な、が、あたたかい微笑の眼で見まわしながら、坂道を上ってゆく。ときどき、百姓たちとよろこばしげな声で夕の挨拶《あいさつ》をかわす。
こういうときには、彼が曾《かつ》ては豊後《ぶんご》の大友家でも聞えた豪傑であったという来歴や、いまでも敵ならば千万人でも立ちむかうといいきるときの面《つら》だましいとは別人のようだ。
パオロ瀬兵衛が突然奇怪な魔に襲われたのは、しかしこの平和で美しい秋の夕のことであった。
坂に向って、畑のない、ただ両側に薄《すすき》の穂のなびいている道をちょっといったところで、ふいに何やら眼にひかるものを覚え、ヒョイと路傍の樟《くす》の木の方を見た。すると、彼の背ほどの高さの枝に、手鏡が一つひかっているのが見えた。
「はて、何の呪《まじな》いか?」
近寄って、見上げたとたん――その鏡が赤くぎらっと眼を射た。
それが西日の照り返しだと気がついたのはあとになってからのことである。いや、何者かが、西日をべつの鏡で受けて、その赤い光をその鏡に投射したのだと知ったのものちのことだ。それよりも、その刹那《せつな》、燃える赤い炎の中に、彼は実に思いがけないものを見た。――
男女合歓の光景である。黄ばんだ草をしとねに、もつれ合い、からみ合っている若い二つの裸身である。
一瞬、その世界は消えた。きらめき飛ぶ光の破片とともに。
路上に散った鏡の中に、ねじくれた釘《くぎ》の一塊を見て、山国瀬兵衛はふりむき、坂道を横の山へ逃げこむ女の影を見た。
「待て」
猛然と地を蹴《け》った瀬兵衛の凄《すさま》じさは、さすがに彼の過去を思わせた。
「なにやつだ。何のためのいたずらか」
いま見た奇怪な秘戯の光景も、どこからか鏡で投影されたものではなかったか、と気がついたのはそのときである。そういうことが可能であるかどうか、疑うよりさきに、まずそんないたずらをした人間への疑惑に、彼の足は砂ぼこりを巻いた。
女だ。しかも、遠目ながら若い。――それが、まるで女獣のような早さで山の稜線《りようせん》を駈《か》けてゆく。
それを十数メートルの近くまで追いつめたのは、山国瀬兵衛なればこそであったろう。が、さすがの彼も息を切らして、走りながら大刀の小柄《こづか》をぬいた。殺す気はない。足でも打って、捕えるつもりであった。それだけのわざの主であった。
しかるに。――
「……おう!」
彼は惑乱した声をあげた。
山の稜線を逃げてゆく女の影は見える。しかし、見えない。――その女の影の手前に、もう一つ何やらの影があるのだ。影というより、光のかたまりが。
はじめて気づいたことではない。駈けながらも、それがチラチラと見えていて、心中怪しんでいたのだが、いま燃え立つ赤い夕雲を背に、彼はそれが何であるかを見た。
それは男女合歓の光景であった。もつれ合い、からみ合う若い二つの裸身であった。
「あ、あれは?」
まるで遠い幻影でも見るようにさけんだが、瀬兵衛はおのれの眼をおさえ、こすりたてた。その光の描線とかたまりが、残像のごとき自覚もあったからである。
「こ、これは?」
もはや小柄を投げるどころではない。女の姿も山へ消えてしまった。――穂すすきの中にどっかと坐って、パオロ瀬兵衛は抉《えぐ》り出しそうに眼をかきむしっていた。
彼は先刻、赤光の中の秘戯を見たとたん、それがピシリとおのれの眼球に灼《や》きつけられて、いまも――いや、永劫《えいごう》にとれぬことを知った。
ちょうど山国瀬兵衛がその鏡をのぞいたのと同じ時刻である。
修道士《イルマン》道円は、「山のサンタ・マリア」から坂道を下りてきた。
イルマンとは次席の司祭ともいうべき地位にあるが、彼はほかの司祭やイルマンのごとく顱頂部《ろちようぶ》だけを剃《そ》らないで、日本の僧のように丸坊主にしていた。事実彼は以前に薩摩《さつま》の禅僧であったのだが、切支丹《キリシタン》になっても、どういうわけかこの全|剃髪《ていはつ》の慣習だけはやめなかった。それは仏教へのみれんではなく、彼の頑固《がんこ》な精神の象徴であった。
禅僧であったころ、伴天連《バテレン》ズニガは彼と問答を交したことがある。
石像のごとく坐禅を組んでいる彼を見て、ズニガはきいた。
「あなたは何をしているのか」
「女と悦楽のことを考えておる」
と、道円は答えた。やがて、青年と老年はいずれが幸福かという問答になった。道円はいった。
「そりゃ、若いに越したことはござらぬ。若いときは、何を欲しようと、自由にとげられますから喃《のう》」
「しかし、大海の真っただ中にある船と、静かな港に近づいた船と。――」
道円は手をふった。
「いや、あなたのおっしゃろうとすることはよくわかっております、伴天連どの」
――が、これほどズニガに手をやかせた禅僧道円も、いまはアウグスチノと呼ばれ、十字架を胸にかけ、念珠《ロザリオ》を腰に垂れ、ズニガの最も信頼するイルマンであった。そしてまたズニガの信じるところによれば、彼は禅僧のころから、女や悦楽のことを考えたこともない、青春のよろこびに酔ったこともいちどもあるまいと思われる厳格な男であった。
その道円が、稲の穂波のあいだの道から、山桜の木一本だけが立っているちょっとした草原の傍《そば》へ出たとき、彼はそこに思いがけないものを見たのである。
草の中で交合している若い男女であった。
道円はそれが見知り越しの百姓の若者と娘であることを認めた。二人がいいなずけであることも知っていた。が、それにしても秋の夕方、こんなところで全裸でたわむれ合うとは。――
「これ、風邪《かぜ》をひくぞ」
道円は、しかし、それだけいった。
獣のように交わり合った二人には、道円の声も聞えないらしかった。それに、風邪をひくどころか、落日をあびて、二人はまるで赤光の中に燃えあがっているように見えた。
道円はそのまま通り過ぎた。彼は自分が心を動かされたとは思わなかった。彼は何物をも見なかったような無表情な顔で山道を下っていった。
しかるに。――
この夕以来、彼の眼に妖《あや》しい現象が生じたのである。
何たることか。――教会《エケレシア》で、十字架を背景とする聖像や聖画を見るたびに、それが男女の組合せであるかぎり、像や絵が動き出し、交合する幻覚に襲われ出したのだ。もろもろの聖徒の行伝《ぎようでん》、聖女の殉教を描いた絵や、清らかな天使の像、最後の審判に於《お》ける男女の群像はもとより、恐ろしいことに、死せるキリストを抱く慈母マリアのいわゆるピエタの図までが。――
「おう!」
アウグスチノ道円は、おのれの両眼をこすり、かきむしった。
彼はいつぞやの農夫農婦の合歓のしとねとなった草に、伊賀の忍者|斑鳩《いかるが》が精汁を以てあらかじめ巨大な十字架を描いておいたことをもとより知らなかった。――その光景を、頭上の山桜の枝のしげみにかけた鏡でとらえて、遠くの山国瀬兵衛に見せたのは甲賀の鶯《うぐいす》である。そもそも若い農民を獣に堕《おと》したのが、両人のわざの合体であった。
伊賀、甲賀、いずれが勝つか。
パオロ瀬兵衛とアウグスチノ道円のいずれが早く邪淫《じやいん》の地獄に堕《お》ちるか。
――九月の末、パオロとアウグスチノは「山のサンタ・マリア」の二つの入口から、よろめきながら入って来た。二人はおたがいの姿にも気がつかないようであった。
パオロ瀬兵衛は進んで、ステンドグラスを通す暗紫紅色のひかりの中の大十字架の前に立った。アウグスチノ道円は歩いて、金の星をちりばめた祭壇の上の聖母とキリストの像を仰いだ。
しばらくして、パオロ瀬兵衛は小柄《こづか》をぬき、アウグスチノ道円は針を出して、おのれの両眼をぷつりと刺した。
――闇《やみ》の中のどこかで、べつの四つの眼が、絶望的にとじられた。
八
切支丹《キリシタン》にコンヒサンということがある。すなわち懺悔《ざんげ》である。
「……さてまた寺の模様を伝え承わるに、秘密の間《ま》≠ニて、デウスの姿を物すさまじげに、作り、磔《はりつけ》にかけたるところを見する。その奥の間は対面の間≠ニて、サンタ・マリアという女房、デウスを生み出して、二歳ばかりの子を抱きたる姿を見する。
その奥の間は、懺悔《ざんげ》の間≠ニ申して、伴天連《バテレン》、イルマン、宗門の者ども車座に坐って、その真ん中にて、おのれの犯せし悪事の懺悔をなし、わびごとをして、したたかに恥じしめられてのち、ペンテイシャと申して、蠅《はえ》打ちのようなる物に赤銅《しやくどう》の針を植えたるを、伴天連手ずから打ちて血を垂らす。
かようの行《ぎよう》を勤むれば、デウス守護したもうあいだ、身命は露塵《つゆちり》ほども惜しむべからず。真に仏になるぞと思い定めて、火炙《ひあぶ》りになるも、牛裂き、車裂き、逆《さか》さ磔、かようの難に遭《あ》うが、望みのかなう成仏《じようぶつ》と心得て、命をいとい、悲しむ者なきと見えたり」――(吉利支丹《キリシタン》物語)
十月のはじめ、長崎五万の切支丹の中で最も信仰の篤《あつ》い者として知られた八人の男女が、「山のサンタ・マリア」で、伴天連ズニガを中心に坐った。その中の一人、町年寄のミカエル貞蔵を通して、奉行所から或《あ》る内示があったからである。
「悲しや、十一の教会《エケレシア》みんなうち砕かれるとは」
三人の女は泣いていた。
「それどころか、長崎の切支丹ことごとく、いやそれのみか伴天連どのたちまでみな殺しにすると申される。――」
と、貞蔵は沈んだ声でいった。
「ただ、われら八人が磔《はりつけ》にかかるならば、ほかの奉教人は助けてつかわそうとのことじゃ。いわんや、伴天連どのたちはどんなことがあってもお助け申さねばならぬ。長崎に御教えの火を絶やさぬために。――」
「望むところでござりまする!」
と、ヨハネ孫助とセバスチャン銀七がうれしげにさけんだ。
沈黙して、涙をながしつつ彼らを見ている伴天連ズニガの方へ、きっと顔をむけて、パオロ瀬兵衛とアウグスチノ道円が深い声でいった。彼らの眼はつぶれていた。
「では、殉教《マルチリ》の前に懺悔《コンヒサン》を。――」
このときの八人の奉教人の告白が、寛永九年(一六三二年)、ローマで法王庁許可の印のもとで刊行された。「懺悔録」という。全文ローマ字とラテン文を併記してあるが、このローマ字が、――現在のわれわれでさえ知ることが難しい当時の日本の口語をそのままに表わしており、かつ驚倒すべき内容をふくんでいるので、稀有《けう》の文献として知られている。まことにショッキングな表現ではあるが、これも偽りのない人間図の一つとして、ここにあえてこれをほぼ原文通りに紹介することにする。
セバスチャン天川屋銀七の告白。
「……わたし、女に叶《かの》うた男と見知らるるために、念をかけた女の前で、一夜に七、八度ずつと身が強さを高言し、誘いまらした。
また、だまして女房にとろうと甘言して靡《なび》きまらして、ついに犯してから、いいかえて捨てまらした。
また、或《あ》るとき、にわかに人のないところで一人の女につき合うて、地上に倒れ伏し、その着るものをはぎとり、犯そうとしたれども、なろうずるところにわめかれたるによって犯しまらし得《え》いで、そのまえのきわのほとりに漏らしまらした。なれども、いろいろの約束を以てたばかって、ついに落しまらしてから、何も約束をとげまらせなんだ。空誓文《からぜいもん》をいたし、同心させて捨てた女の数はおぼえまらせぬ。……」
ヨハネ仏頂寺孫助の告白。
「……われは若いころより、畜生のように色道に迷いたれども、女に望みがござらぬ。生得《しようとく》、女はきらいでござるによって、妄念《もうねん》に犯さるるときは、いつも手ずから身を揉《も》み扱うて淫《いん》を流しまらした。
また美しい男とたがいにはじ[#「はじ」に傍点](性器)を持たせて漏らしまらすること日毎《ひごと》にござった。……」
ミカエル船坂貞蔵の告白。
「……それがし、女房を持ちながら、夫ある女に近づきまらした。夫ある女を犯しまらするほどのよろこびはおざらぬ。
女のおびえ、いやがるをなだめ、また同心せずんばその夫の商売《あきない》をとむるとおどし、しだいにその五体に手をかけ、口を吸い、さら[#「さら」に傍点](性器)を探って、ついに思うままにしまらする。
もはやさしおけといくたびも心定めたれど、このたのしみに弱いものなれば、重ね重ね落ちまらした。
或《あ》る女房は、その夫長らく留守でござるによって、もし懐妊すれば夫帰ってより殺されようと気づかいして、とかく子だねが内に入り止まらぬようからくりをいたしまらした。
また、わたし夫婦のちぎりの時分にも、女房のことは思わで、ひとの女房に念をかけて、その顔思い出して淫《いん》を漏らしまらすること平生のことでござった。……」
マグダレナお浜の告白。
「……わたし、男よりみめかたちのよい美しい女と褒《ほ》めらるるときはいさみよろこび、また気に合い、美《よ》い男とつき合うときは、真実から寝たかったこともたびたびでござった。
そのうえ、わたしが夏の暑さで夜着をかぶりかねて身の上に何もなく寝ておるところへ、人がそろそろと近づいて、夜中の時分にその寝所が暗うござれども、かねてからその覚悟で忍んで来たとみえ、にわかにわが胸に手をかけて探り、何もいわずに上に乗られたれば、とり外《はず》そうと働いたれども、騒《ぞぞ》めいたら打殺《うちころ》そうとおどされまらした。なれど、なかば怖《おそ》れ、なかば叱《しか》って、ついにはその男を口でかみ、手でさしあげ、自由にはさせまらせいで、否《いな》しえまらした。これはいまの夫ではござらぬ。
その後まいちど、同じ者が来て抱きすくめられたれば、はじめは身が気に合わずあったれど、みめかたちを褒《ほ》められ、口など吸われておるうち心が自然傾き寄って、ついにはゆるしまらした。……」
クララお市の告白。
「……わたし不犯《ふぼん》の願いのものでござるをみなの衆に知られ、縁談の沙汰《さた》もござらいで、邪淫《よこしま》の念あまりに強《きつ》う犯されるときには、防ぎ得《え》いで身をかきさぐり、あの方に指をさし入れ、男と寝ておるふりをいたして、四、五、六度、その淫楽《いんらく》をとげ果すように身を動きまらした。
またわが願いを知りたる男、せめて肌《はだ》を見しょうとて久しくすすめられたれば、はじめはよもよもと申して否《いな》みたれども、都合いいつめられて、それにまかせまらした。そのとき男、わたしの肌を見て、とりかかって倒されたれば、肌と肌を合わせたところで、もはや火が燃えて何事なりと仕果《しはた》そうと思いたれども、さら[#「さら」に傍点]打ち割ったらば身籠《みごも》って、外聞を失おうと存じて、ほんにはいたさせいでござった。
とにかくさら[#「さら」に傍点]はうち割らいで、ただ少し損じて残ったが、それよりほかは両人のほしいままにいたしまらした。……」
フランチェスカお弦の告白。
「……わたしが童女《わらべ》でふた親を失うて孤児になりまらした。そうあったれば世を過《すご》すようがござらいで、十七の年より南蛮人よりその伽《とぎ》にとられて、一年のあいだ女房のようにおりまらした。それから色の道おぼえて、そのまま傾城《けいせい》になって女郎町にまかりいて、わが身を好む男に売りものとして、ここに七年間おりまらした。
そのうちに、きれいさのためと、また子のわずらいに遭《あ》わぬために、男と寝まらしたあとは、くっと内まで拭《のご》いさらい、また尿《いばり》などして、とかく腹中に男のものが何も残らぬようにいたしまらした。
そのうえ、夫死にたるあと、若い男を忍ばせて、こちらから臀《しり》よりすれば身籠《みごも》る気づかいがないとすすめて、若道《にやくどう》のようにたびたび寝まらしてござる。……」
パオロ山国瀬兵衛の告白。
「……それがし、生得、女のまえ、怖《おそ》ろしゅうござれば、いつも臀《しり》よりいたしまらせた。その数七、八十度はござろうまで。
いちどは、あまりにいやがったれども、あまりすすめたによって身をまかせたれども、つかまつるところに引き動かされたによって、臀のうち裂けまらした。
また女の美しい臀を思うたびに、その名残り惜しさで泣き、手ずから漏らすことたびたびでござる。……」
アウグスチノ道円の告白。
「……われ僧体のころ、年端《としは》もゆかぬ若僧に淫道《いんどう》を教うること、世にないたのしみでござった。
また、はばかりながら獣と三度深い罪《とが》に堕《お》ちまらした。また若僧どもと獣どもと交わらせ、それをおたがいに見まらする。それも平生のことでござった。
三、四、五度、在家《ざいけ》の女房と通じたれど、子をもうけぬために、身持ちになってから腹を捻《ひね》ってその子を堕《おと》しまらした。いちどは産のまえに踏み殺して、腹中から死んで生まれたと申しまらしてござる。……」
そして彼らは神々の前へひれ伏した。恍惚《こうこつ》としていっせいにいった。
「われらは大悪人でござるによって、さだめて見知らぬ、身におぼえぬ罪《とが》は多うござろうずれど、もっとも恥とする分を申し顕《あらわ》いだまででござる。デウスの御名代、これらの罪の償い、おんゆるし、いざペンテイシャを!」
闇《やみ》の中のどこかで、べつの四つの眼が、恐怖にひらいて見交《みかわ》されていた。――やがて、深い感動のためにとじられた。
九
慶長十九年十月五日、長崎の西坂に八本の磔《はりつけ》 柱《ばしら》が立った。
海の落ちる血のような夕焼けが、それぞれの殉教者を染め、泣きむせぶ大群衆が刑吏に追われて山を下ったあと、薄闇《うすやみ》のただよい出した八本の十字架の下へ歩いていった服部半蔵は、そこに死んでいる斑鳩《いかるが》と鶯《うぐいす》を見て驚愕《きようがく》の眼をひらいた。
奇怪にたえなかったのは、いかなる法で死んだかは知らず、二人は八本の柱の両端の下に伏し、それぞれ切支丹《キリシタン》の鞭《むち》を握りしめ、その鞭でみずからを打ったらしい血まみれの痕《あと》に覆われていたことである。
「……未熟者、不首尾の責めをとったか。伊賀、甲賀なら、さもあるべきこと。――」
近づいて来た奉行《ぶぎよう》に、半蔵は苦汁《くじゆう》をのんだような顔で話しかけたが、眼はいつまでも、二人の若い配下のふしぎな死微笑に吸いつけられていた。
[#改ページ]
ガリヴァー忍法島
一
鳥の羽根をさした鍔広《つばびろ》の帽子、華麗な襟《えり》のついた衣服、細いズボンに靴《くつ》。――さらに、珍しげにあたりを見まわす眼は碧《あお》い。帽子の下からのぞく髪の毛は紅《あか》い。
一人ではない。十人ちかくいる。駕籠《かご》に乗っている者もあれば、馬に乗っている者もある。歩いている者もある。
「やあ、おらんだだ」
「かぴたんだ」
沿道の子供たちが走る。
しかしその行列の前後についた数十人の役人たちが、「寄るな寄るな」「邪魔だ、あっちへゆけ」と、棒でへだてて追っ払う。
珍しいといえば珍しい行列にちがいないが、子供たちのさけび声をきいてもわかるように、いままで日本に見られなかった行列ではない。毎年の早春、長崎から江戸への長い長い街道に、恒例のように見られる風景である。
長崎出身のオランダ甲比丹《かぴたん》一行の江戸参府。
毎年一月半ば――陽暦では二月半ば――に出島《でじま》の蘭館《らんかん》を発し、二月末に江戸城で将軍に挨拶《あいさつ》するのが習いだ。――ことしも同様で、これは商館長フォン・ブーテンハイム、医師ケムプエル、その他の商館員らを中心とする一行であった。時に、元禄《げんろく》十年。
しかし、ともかくも沿道の人々が物珍しげにこれを見送ることを許された道程は、数えるほどしかなかった。というのは、ちょうどそれと前後してゆくもう一つの大行列があったからだ。
「下にーっ、下にーっ」
先触れの声とともに、庶民は一応道をあけ、ひざまずかなければならない。――ただし、これは大坂からのことで、瀬戸内海を船で来たオランダ人一行は、それ以後この行列とあとになりさきになりして東へ向うことになったのだ。
播州《ばんしゆう》赤穂《あこう》五万石浅野|内匠頭《たくみのかみ》が江戸へ参覲《さんきん》するところであった。
おたがいに好奇心に燃えた眼を見交わしつつ、さればとてむろん双方が交歓するということもなかったのだが――それが最初に接触したのは、京に泊った一夜で、しかも甚《はなは》だおかしな場所であった。
伏見の廓《くるわ》なのである。
こういう道中では珍しいことだが――京には浅野藩の京屋敷もあってなじみが深いし、また世にも聞えた京おんなに接するのは、こんな機会でも利用しなければ、そうめったにはあり得ないせいもあったろう。
深夜。――京屋敷に、酔った跫音《あしおと》とともに、いくつかの昂奮《こうふん》した声が、もつれ合いつつ戻《もど》って来た。
「いや、おどろいた」
「あれでも人間か。二本足のけだものではないか」
「紅毛人は女の血をすするときいたが、まんざら嘘《うそ》とも思えぬな」
むろん、参覲《さんきん》の同勢ことごとくが京屋敷に泊れるわけはなく、ここに泊っているのは藩士中でも一通りの身分の者のはずだが、それがあたりをはばかる余裕もなく、声高《こわだか》にいい交わしつつ門から入って来る。
「これ、おぬしら、静かにせぬか」
「御役目ある道中、夜遊びに出るさえふとどき千万なのに、何だその騒ぎようは」
玄関にのそりと立って出迎えた大小二つの影が叱《しか》りつけた。帰って来た五人の侍《さむらい》は、さすがにぎょっとしたように声をのみ、首をすくめた。
「これは、小野寺どの。――」
「堀部《ほりべ》、まだ起きておったのか」
やっと、二人ばかり、恐縮したようにいう。そこに待っていたのは、京屋敷お留守居役の小野寺十内と、やはり江戸への御道中のお供をしている馬廻役の堀部安兵衛であった。
「どこへいっておったのだ」
「は、その、伏見で。なにぶん御内聞に」
「案の定じゃ。……ま、明日のこともある。今夜はおとなしゅう寝ろ」
と、小野寺十内が苦り切っていったとき、堀部安兵衛が口を出した。
「おぬしら、いま、二本足のけだものとか紅毛人がどうかしたといっておったが、何を見たのだ」
「それじゃ」
帰って来た一人が、いま叱られたのを忘れたかのように、またかん高い声を出した。
「伏見の廓《くるわ》で、あのオランダの紅毛人に逢《あ》ったのじゃ。それが何とも、大変なやつらで。――」
「なに、あのオランダ人がみな伏見へいっておったのか」
「みなではない。左様、五人ばかりじゃが。――ほかに通辞が二人と」
「それにしても参府の途中、廓遊びをする異人など、いままできいたことがないぞ。不敵な毛唐《けとう》だな。それで通辞は唯々諾々《いいだくだく》と女郎買いの手引をしておったのか」
「いや、通辞も持て余しておる風であった。というより、戦々兢《せんせんきよう》 々《きよう》として、ひどくおびえているようであった。――それも、むりではない――」
「どうしたのだ」
「とにかく、その五人の毛唐が――いや、一人だけ、何もせず黙って見物しておるやつがあったが――あと四人、それが一人で三人ずつの遊女をかかえこんでもてあそんだ。しかもお互い同士見物するはおろか、廊下でほかの遊客がおしくらまんじゅうで見ておるのも委細かまわずにじゃ」
「ふうむ。……」
「それをまた遊女どもがじゃ、はじめはいやがって、かんにんしとくれやすと泣きさけんでおったのが、どういうはずみかの、そのうちだんだんのぼせあがり、夢中になってあられもない狂態を示し出し、ひいひいと自分から腰を振り、次々に眼をつりあげて気を失うというていたらくになりはてた。それも当然、金毛《きんもう》につつまれて、まず通常の日本人の倍はあろうか、しかも四人のうち三人までが皮かむりであったのがかえって何やらもの恐ろしく、とんと一匹ずつの、それこそ金毛|九尾《きゆうび》の狐《きつね》を見るようであったぞ。……」
「ほほう。……」
「やがて夜更《よふ》けとともに、連中、宿へひきあげていったがの、廓の入口で、棒や竹杖《ちくじよう》持った四、五人の男が立ちふさがった。地回《じまわ》りのやつらだが、ま、右にいったような次第だから腹にすえかねて、ひとつ懲《こ》らしめてやれと思ったのだろう。するとな、まず竹で殴《なぐ》りかかったやつが、いきなりひょいとそれをひったくられた。とにかく七尺ほどはある毛唐ばかりだから、それはふしぎではないが、その一人がな、その竹杖をぎゅうとしごいた。すると――その物干竿《ものほしざお》ほどある竹がだ。麦稈《むぎわら》みたいにぺちゃんこになってしまったぞ」
ちがった侍《さむらい》が、声ふるわせていう。
「一人な、腰に小さな鉄砲をぶら下げておるやつがおった。それが、そいつを手にとったからぎょっとすると、そやつ、傾城《けいせい》屋の屋根をふり仰いだ。そして屋根の上の鬼瓦《おにがわら》を指さし、自分の耳をひっぱって見せた。それから屋根に鉄砲をむけて恐ろしい音とともに撃ったが、なんと春の月の下で、その鬼瓦の角《つの》にあたるところが一つ、もののみごとに吹っ飛ぶのが見えたぞや」
またべつの侍がいう。
「腰をぬかした一同の前で、その紅毛人ども、いっせいにそっくり返ってげらげらと笑い、大股《おおまた》でいってしまった。……」
小野寺十内がいった。
「おぬしたちも腰をぬかした方か」
「あ、いや。――」
「毛唐のそんな傍若無人《ぼうじやくぶじん》のふるまいを見つつ、口をぽかんとあけて見ておって、それで侍か。しかも、貴公ら――そういえば浅野藩でも、武芸自慢で聞えためんめんではないか」
五十半ばで、京留守居らしく歌道にもたしなみふかい小野寺十内だが、剛直で一徹な老人でもあった。
五人の侍は鼻白んだが、すぐに跡部《あとべ》条七郎という男が、
「これは十内どののお言葉とも思われぬ。かりにも参府するオランダ甲比丹一行の者を、廓《くるわ》で浅野家の藩士が斬《き》って、お家に傷はつかぬのか」
「浅野一藩よりも、日本の侍の名誉のためじゃ。あとの始末はわしがする。――」
十内はよほど腹をたてたらしい。ぶるる、と唇《くちびる》をふるわせてまたいった。
「そもそも、そのような毛唐人、参府させてよいかどうか、きけばきくほど奇態な一行ではある」
「おぬしたちに斬れるかな、あやつらを」
いままで黙って腕組みをしていた堀部安兵衛がぼそりとつぶやいた。
五人の侍は勃然《ぼつぜん》とした――赤谷弁之助と梅寺太郎という二人に至っては、丁《ちよう》と刀の柄《つか》をたたいた。
「ばかなことを。そりゃ、その気になれば」
「いや、斬れぬ。……おれでも危ない」
と、安兵衛は宙を見ていった。浅野藩切っての使い手として聞えているのみならず、曾《かつ》て若いころ江戸で、真剣の果たし合いをして十何人か斬ったという実績のある男がいう。
「京へ来るまでに、道中、おれもあやつらを見ておったがな。四人ばかり、ただものでないやつらがおった。おそらくそれが、いまの話の連中だろう。鉄砲はもとよりだが、きゃつら、人間を殺すことなど虫けらほどにも思わぬ恐ろしいやつらだ」
腕ぐみを解いていった。
「見ていたところ、あの四、五人を、ほかのオランダ人たちもはばかっておるようだ。しかも、同じ異人でありながら、ときどき言葉が通じないらしく、その中の一人が通辞をしておる気配であった。きゃつら、ほんとにオランダ人か?」
「なに?」
と、小野寺十内はけげんそうな声を出した。
安兵衛はいった。
「それが、なぜ甲比丹《かぴたん》一行にまじっておるのか。また何のために江戸へゆこうとしておるのか。……これから江戸まで、道中を共にするなら、きゃつら、しかと見張っておる必要があるぞ。十内どの」
十内もこんどの主君の出府には、所用あって同行することになっていた。
二
偶然には違いないが、妙な縁だ。京から桑名へ、浅野家の行列と、オランダ甲比丹の行列は、依然としてあとになりさきになりして下ってゆく。
さて、ここに当時、このオランダ甲比丹一行の一員であった医師ケンプエルの「江戸参府紀行」なるものがある。このころの日本の町々のようすをまざまざと知るのに甚《はなは》だ好都合である。
「大津は近江国《おうみのくに》の最大の町であって、肘《ひじ》のように折れた中央ひとすじの長い道が通り、これより数条の分岐した小路がある。戸数はぜんぶで千はあるであろう。数戸の旅館があるが、この国の風習として、いずれも娼婦《しようふ》を備えている。
市は一大湖のほとりにあり、湖は遠く北方にのびて、加賀国《かがのくに》に達している。加賀から京都へ送られるすべての貨物は、大津までは水路で運ばれる」
「土曜、日の出前に出発、大津より十三里、土山の村へ向う。大津の町は通過するのに半時間を要したが、わが一行が通る前に、将軍から宮廷への使節が通行したためだといって、この間、家々にはことごとく四角な紙張り燈籠《とうろう》が出され、灯がともされていた」
などという描写があるが、これを日本の「柳営《りゆうえい》日記」などと参照してみると、この将軍からの使いが、高家吉良《こうけきら》上野介義央《こうずけのすけよしなか》であったということも、何となく面白い。
「膳所《ぜぜ》の町筋は東南へ向ってまっすぐにのび、家並は白く塗られている。城は北側にあってなかばは湖水に囲まれ、なかばは市街にめぐらされて、宏大《こうだい》壮麗である。この国の習いで、数層の高い方形の屋根と櫓《やぐら》で飾られている。
この地から江戸までは、街道の両側に松の木をつらね、一里一里を正しく測量して、高い人の背丈ほどの円い塚《つか》を築き、その中央に一本ずつの木を植えて、旅人に、その距離と旅程を知らせるようにしてある」
「水口村では、割《さ》いた籐《とう》で、精巧な笠《かさ》や籠《かご》や簑《みの》を作って売っている。ここで種々の乞食《こじき》に逢《あ》った。みな伊勢へ参宮のゆきもどりする巡礼者であって、われらに対して小遣い銭を強要して大いに悩ます。彼らはその姓名、出生地、巡礼地を記した日笠をかぶっている」
こういう旅のあいだ、堀部安兵衛は、それとなく機会をつかんで、彼ら甲比丹一行の行状を観察していた。
そして、それまで漠然《ばくぜん》と感じていた疑惑を次第に深めてきた。
ちがう。十人あまりの異人のうちで、五人はたしかにちがう。紅毛金髪など、その点はいずれもまさに毛唐人に相違はないが、ちょうど半数ずつ、それぞれ群を作って、ふだんあまり話をしないし、ときには例の五人組の中の三十くらいの男が、おたがいのあいだの通辞をしていることがある。その男をのぞき、あとの四人は――これが京の伏見の廓《くるわ》へいった連中だが、体格までが別の人種のように巨大だ。
のみならず。――
彼らはふだん全身を覆う黒い絹の長衣をつけているが、その下には赤|繻子《じゆす》のぴったりした襦袢様《じゆばんよう》のものをつけ、毒々しいほど色鮮やかな絹の帯をしめている。帯には小さな、しかし精巧な短銃や剣をぶら下げ、そのうえ、金色の毛の生えた腕や背に、錨《いかり》やしゃれこうべの刺青《いれずみ》をしたやつさえあるようだ。
伊勢に入って関の宿に泊った或《あ》る朝。――
ケンプエルの紀行にはこうある。
「ここにはおよそ四百軒の人家があって、たいていはみな菅《すげ》、竹皮などを割《さ》き削った多量の火縄《ひなわ》、履物《はきもの》、笠などを売り、子供を街道に出して旅人に買うことをねだり、悩ますこと一通りでない」
前夜の雨のため、この宿へどちらの行列の大半も泊ったが、朝とともに雨があがった。山の樹々《きぎ》の若芽がいっせいに萌《も》え出したような美しい春の朝であった。
出立《しゆつたつ》前に堀部安兵衛は村へ出て、例の四人組が店の火縄を手にとって何やら話し合っているのを見た。一人が低い、しかしよく透《とお》るいい声で鼻唄《はなうた》を歌っている。むろん、奇怪としか聞えない節回《ふしまわ》しだ。じろじろとあたりの町並を見回している碧《あお》い眼は、いずれも甚《はなは》だ軽蔑《けいべつ》的であった。
安兵衛が外に出たのは、どうにも彼らの素性への疑惑が抑えがたくなり、彼らをこのまま江戸へゆかせると、とんでもない一大事が勃発《ぼつぱつ》しそうな予感があって、
「――よし、通辞に」
刀でおどしても、と決心したからであった。この通辞は、むろん一行についている出島の役人である。
彼は、四人の毛唐人のうしろを通って、甲比丹《かぴたん》一行の泊っている脇本陣《わきほんじん》の方へゆき、門から中をのぞきこんだ。
すると、低い唄声が聞えた。いま火縄を売っている店の前で、例の四人の中のだれかが口ずさんでいたのと同じ節回しであった。それが、こちらは日本語なのだ。怪しげな。――
その方を見ると、門内の庭の横に池があって、そのふちの二つの石に、一人の紅毛人と一人の日本の侍が腰を下ろし、その異人の方が歌っているのであった。
この紅毛人は例の五人組の中で、一人、まったく変りだねのばかにおとなしいやつだ。彼だけが甲比丹の一群と親しく語り合い、またいま、あきらかに日本の通辞と話し合っている。それが、南蛮語とかたことの日本語を混えつつ話し、そして二人で相談のあげく、ともかくもこんな唄を歌っているのであった。
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「おれはウィリアム・ムーアを殺《や》った、
船路《ふなじ》の中で、船路の中でよ、
おれはウィリアム・ムーアを殺った、
船路の中でよ。
おれはウィリアム・ムーアを殺って、
血糊《ちのり》に埋めた、
岸遠からぬ船路の中で、船路の中で、
岸遠からぬ船路の中でよ」
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この通りに聞えたとしても、堀部安兵衛には何の意味やら見当もつきかねたに相違ない。ましてや、これが極めて怪しげな発音であったから、いよいよ彼にはちんぷんかんであったが、それにもかかわらず、そのぶきみで悲壮な節調は耳にしみ、かつふしぎなことに、なぜか海鳴りの音が聞えてくるような感じであった。
「……やっ、だれじゃ?」
出島の役人はふいに立ちあがった。門からのぞいている安兵衛に気がついたのだ。腹をすえた安兵衛がそこにうっそりと立っていると、彼はこちらにつかつかと歩いて来て、
「どなたでござる」
さすがに武士と見て、言葉を改めていう。
「浅野家の藩士、堀部安兵衛と申すものじゃが」
と、安兵衛はいった。
「出島の御通辞じゃな」
「左様」
「ならば、ちょっとうかがいたいことがある」
「何でござる」
「このたび御参府の御一行、オランダの衆ばかりかな?」
かまをかけた気味があるが、通辞は予想以上の衝動を示した。
「な、なぜそんなことをきかれる」
「それが、万一、そうでないと、御大法にそむき、大変なことになるでな」
「き、貴公、……あちらのお言葉がおわかりか」
「いやなに、ちょっと」
ヨーロッパ語を解する堀部安兵衛など想像のしようもないが、何より出島役人は異常な恐怖に襲われたらしく、判断力を失った眼でこちらを見ていたが、たちまち居丈高《いたけだか》になってわめいた。
「あちらは、日本人とちがう。オランダとイギリス、イスパニアとポルトガルなど、数々の国々のあいだには血が混り合い、いちがいに何処《どこ》の国の人間とはきめつけられぬ場合がある」
「そのひと、ダイミョー、のケライ?」
うしろで、渋味のある声がして、いまの紅毛人が歩いて来た。
「わたし、いちどダイミョーに逢《あ》いたい。仲よくしましょう」
相手は笑った眼で、安兵衛を見下ろしていた。安兵衛は何と挨拶《あいさつ》してよいかわからない。異人はいった。
「わたし、日本、好き」
「に、日本のどこが?」
「一番め、小人《こびと》の国」
「小人の国?」
「それでも、ちゃんと城があったり、祭りをしたり、恋をしたり、何でも一人前にやっているところ」
安兵衛はあっけにとられた。
「二番め。その人間より、犬や馬の方がいばっているところ。この国の将軍は、地球の上でいちばん賢明な君主です」
どうやら、生類憐《しようるいあわ》れみの令のことをいっているらしいが、この異人の言葉全体は――とにかく日本語のかたちをなしているにもかかわらず、安兵衛には不可解であった。が、どうやら小馬鹿にされているようで、むっとしてにらみつけようとしたが、安兵衛はふいに眼をそらした。
はじめて知ったことだ。どういうわけか僧侶《そうりよ》みたいな感じのするこの紅毛人の眼――笑《え》みを浮かべた、ものしずかな眼が、先刻の四人の大男たちの碧《あお》い火のような眼よりも、なぜか、ぞっとするような恐ろしいものであったことを。
「こ、この御仁は」
わけもわからず、安兵衛はいった。
「名は何と申される」
「わたし?」
と、異人はくびをかしげ、ちょっと笑っていった。
「わたしの名は、そう、レミュエル・ガリヴァー」
三
四日市に到着する前に、彼らはまた吉良上野介に逢《あ》っている。こんどは京から江戸へいそいでひき返す吉良を実際に見たもので、ケンプエルは、
「彼の容貌《ようぼう》は立派であって、その随行員は、二つの乗物、あまたの槍持《やりもち》、一頭の飾り馬、七人の騎士及び徒歩の隊士たちであった」
と、記している。
「日本では、将軍と天皇と、どちらがえらいのか?」
というのが、その将軍から天皇への使者を見送ってのレミュエル・ガリヴァー氏の堀部安兵衛への質問であった。安兵衛は数分考えて、
「それは、天皇さまでござる」
と、答えた。
彼らは、関の宿以来、妙に気が合って、それぞれの行列から離れて、彼らだけで歩いているときがあったのだ。もっとも通辞の本木《もとき》太郎左衛門をあいだにおいてのことだが。
気が合って――正確にいえば、少なくとも安兵衛の方にはべつに親近感はない。ガリヴァーなる異人の方でそんな機会を作って来るのを、彼の方で好奇心ないし探索心を以《もつ》て受入《うけい》れただけである。
が、依然として、例の四人の紅毛人の正体はわからない。そもそも安兵衛は何となくかん[#「かん」に傍点]で、その連中に禍々《まがまが》しい印象をおぼえているだけで、出島のオランダ人そのものについてもべつに詳細な知識を持っているわけではないのだから、正直なところ探索の筋道さえたたないのだ。
それに質問してもガリヴァーは、あきらかに安兵衛の疑心をそらそうとしているところがあったし、だいいち、はじめは五人組かと思っていたが、よく知って見ると、ガリヴァー一人、また別といった感じもあった。
といって、やはり例の四人と一組であることは事実であり、ただ安兵衛が意外に思ったのは、このガリヴァー氏が、四人とはまったく体質のちがう、学者風ないし僧侶風の肌合《はだあ》いなのに、その四人が、どういうわけか彼に頭があがらない風なのだ。何かのはずみで、頬《ほお》に刀傷のあるその一人を叱《しか》りつけていることがあったが、深い低声《こごえ》なのに、相手は言葉の打撃に耐えかねるかのごとく、眼をとじて、青くなったり赤くなったりしていたほどであった。
安兵衛があっけにとられて見ていると、ガリヴァー氏はふりむいて、
「肉は、魂の奴隷」
といって、ニヤリと笑った。
巨大なからだを持った人間も、一個の精神には及ばない――というような意味だろう、とは安兵衛も漠《ばく》と理解したが、さればとてガリヴァー氏は、べつに厳《おごそ》かな真理を語った風でもなく、その笑いは何やら皮肉で自嘲《じちよう》的ですらあった。
さして日も経《た》たないうちに、そしてまたそれほど接触もしないのに、堀部安兵衛はこのガリヴァー氏に対して、ほかの四人にもまして――四人の男の影も薄くなるほど、惹《ひ》かれるのをおぼえた。
言語もほとんど通じないのだから、なぜ惹かれるのかまったく自分でもわからない。決してやさしい人柄でもなければ面白味のある人物とも見えない。むしろ乾いて、冷やかで、苛酷《かこく》な性格らしいのに、それにもかかわらずこの異人は、ならんで歩いているだけで、いつのまにかどんな相手でも異妖《いよう》な雰囲気《ふんいき》にひきずりこむ一つの深淵《しんえん》であった。
ただ、世の中の何が面白いか、といった顔をしているくせに、好奇心だけは人一倍強いらしく、いまも――
「天皇とは何か?」
と、安兵衛にききはじめ、ついに安兵衛は怪しげな知識を動員して、三種の神器まで持ち出す羽目《はめ》に立ち至った。
「剣《つるぎ》? 鏡? 首飾り? それ、日本で、一番の宝?」
「まあ、左様で」
と、あいまいにうなずくと、それはいつごろからの宝物で、いかなるもので、どこにあるか、というようなことを、微《び》に入《い》り細《さい》をうがって尋ねる。安兵衛には返答のしようがない。彼自身、ほとんど知らないからだ。
ふいにガリヴァーがけらけらと笑って、向うの言葉で何かしゃべったので、通辞の本木太郎左衛門の袖《そで》をひいてききだすと、
「皇帝最大の宝にして、そのしるし[#「しるし」に傍点]たる宝が、いかなるものかよく知らない。ふしぎな日本人!」
と、いったそうであった。さらに、通辞はいう。――
「しかし、いちばん尊いものが何であるかを知らぬのは、人類全体がそうであるともいえる」
みなまできかず、彼の笑いにひどく軽蔑《けいべつ》的なものを感じて、
「見たければ、これからまもなくゆく宮で見たらよろしかろう」
と、安兵衛はむっとしていった。
「そこに熱田《あつた》神宮というものがある。それがあるから港の名も宮というくらいで、その神社に、神器の一つたる剣が祭られておるはず。――」
「あの巫女《みこ》も、そこの神社の巫女か?」
と、ガリヴァーがきいた。
四日市に近づくにつれて、あたりの街道を少なからぬ熊野比丘尼《くまのびくに》が歩いていて、それが日本の神に仕える巫女たちであるということは、ガリヴァーはすでに知っていたらしい。
この熊野比丘尼については、ケンプエルも記している。
「私たちはまた数人の比丘尼、すなわち一種の乞食《こじき》尼僧を見た。彼女たちは旅人の心を愉《たの》しませるために、奇異にして粗野な調子の唄を歌いながら、旅人に近づいて、それなりの金銭を得ようとし、わずかの銭を得れば、旅人の欲するままに、いつまでも旅人と行を共にする。
彼女たちは多く山伏の娘であって、この尊い乞食階級の姉妹として神聖視されている。彼女たちの服装は清らかで美しく、頭には黒い絹の頭巾《ずきん》をかぶり、顔を日光に晒《さら》さないためにその上に笠《かさ》をつけている。
その挙止、運動は大胆ではあるが放縦ではなく、従順ではあるが卑《いや》しくはなく、どんな点から見ても、しとやかな中に自由の趣きを保っている。彼女たちの行状を見るに、貧者が銭を乞《こ》うの光景というより、むしろ逸戯《いつぎ》遊楽の目的から出ているかのようである。
その容姿に至っては、この国に於《おい》て見ることの出来るもののうち、最も美しいものの一つである。その愛嬌《あいきよう》と美貌《びぼう》は、旅人をしてそれ以上の喜捨《きしや》をなすべく余儀なくさせ、彼女たちもちゃんとそのことを心得ているかのようである。彼女たちは熊野比丘尼と呼ばれ、つねに必ず二人以上相伴って歩く。
彼女たちはこうして乞うて得た収入のうちから、年々多額のものを伊勢に於けるその宮に奉献することになっているという」
要するに、当時の漂泊の売春婦だ。
「……いや、ちがう。あれは熱田神宮の巫女《みこ》ではない」
と、安兵衛がくびをふったことから、では熊野の祭神はだれかということになり、それは天皇の祖先の一族の神ではないかと追及され、さて安兵衛はいくらまた笑われても、これまたあいまい模糊《もこ》たる知識を、汗とともに披露《ひろう》せねばならぬことになった。
しかし、ガリヴァー氏の質問は急にやんだ。
「ああ、私は日本に住みたい」
と、彼はつぶやいた。
「日本に? 日本には住んでおられるではないか」
「いや、出島の小天地にではなく、外に――永遠に、しかも、あの女性たちとともに」
彼は珍しく、夢みるような碧《あお》い眼で、熊野比丘尼のむれをながめやった。
「ジプシーとはまたちがう。神に仕え、漂泊する売春婦の団体、こんなロマンチックな存在が世界にまたとあろうか。私は生まれてからはじめて愛すべき女たちを見た」
これはむろんあちらの言葉で述懐したので、安兵衛は道を歩きながら、本木太郎左衛門の通訳によって知ったのだ。いうまでもなく通訳は粗雑なものであったが、大体の意味をきいて、安兵衛はふしぎに思った。
なぜなら、これまでの道中に、このガリヴァー氏が女性に対する興味を示したことはほとんどなく、むしろ日本の女を見るたびに嫌悪《けんお》のまなざしを見せ、いつか京の廓《くるわ》へほかの四人といったのも、たんなる異国的好奇心以外の何ものでもなかったらしいことを、改めて想起していたからだ。というのも、この人物がこんなウットリした眼を日本の女性に投げたのがはじめての現象だからである。
それにしても、この紅毛人は、どうやらえらい人物のようだが、熊野比丘尼については少々かんちがいをしておる。
と、安兵衛がはじめてガリヴァー氏にちょっとした滑稽《こつけい》と優越感をおぼえて、改めてその背をながめると、そのとき彼は立ちどまって、黒い長い筒を片眼にあてていた。
それが遠《とお》眼鏡《めがね》であることを、安兵衛はもう知っている。これまで何度かそれを見せられたからだ。
四日市から桑名への海沿いの街道であった。ガリヴァーは、伊勢湾の南の方を見ていた。
「ミスター・ホリベ」
と、彼は笑顔でふりむいた。
「のぞいて見なさい」
安兵衛はけげんな表情で近づいて、その遠眼鏡を受けとり、眼にあてた。
日毎《ひごと》に春光をまぶしくして来る大空の下に、海はまんまんと蒼《あお》い潮をふくれあがらせている。その水平線に、遠眼鏡でも小さく、奇妙な影が幻のように浮かびあがり、遠ざかってゆくのが見えた。
「やっ。……船だ」
と、彼はさけんだ。
船だ。しかし日本の船ではない。――安兵衛は長崎にいったことがないから、まだオランダ船を見たことはないが、たしかにそれは異国の船であった。三本の帆柱に無数の帆をふくらませ、しかも安兵衛は気のせいか、まんなかの帆柱の上に、赤地に白いしゃれこうべと骨を染めて出した旗さえ見えるような気がしたのだ。
「あれは……あれは?」
彼はふりむいた。
ガリヴァー氏はくびをふった。それには答えず、いたずらっぽい眼で、いつかのときのより少し上手な日本語で唄を口ずさんでいた。
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「おれの名前はウィリアム・キッド
船路《ふなじ》の中で、船路の中でよ、
おれの名前はウィリアム・キッド
船路の中でよ、
おれの名前はウィリアム・キッド
神のおきてを邪魔にして、
悪事の数々してのけた、
船路の中でよ」
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堀部安兵衛は春の蜃気楼《しんきろう》を見た思いで、もういちど遠眼鏡を眼にあてたが、いまの妖《あや》しい船影は、もう海原のかなたに消え失《う》せていた。
四
桑名から宮へ、海上七里の渡しをわたる。
船の都合で、オランダ甲比丹《かぴたん》一行の方が先にわたったあと、はげしい風雨となって海が荒れ、浅野家の行列がそのあとを追ったのは、一日おいてのことであった。
さて、夕刻、宮へ着いて――そこで、実に驚倒すべき事件をきくことになったのだ。
宮の本陣に到着した小野寺十内のところへ、ひそかに、しかしあわただしく訪れた客がある。熱田神宮の権宮司《ごんのぐうじ》田島|丹波《たんば》であった。
浅野家の京留守居役の小野寺十内はかねてから田島丹波と親交があって、このたびの出府の途次、熱田へお参りすることも連絡してあったらしいのだが、それを待たずに丹波の方から十内を訪れた。
ややあって十内は堀部安兵衛を呼んだ。
「堀部、驚天の大事が出来《しゆつたい》した」
そういった小野寺十内の顔色は人間の生色を失っていた。
「神剣が奪われた」
「――やっ?」
安兵衛ものけぞり返った。
やがてそばに幽霊のように坐った老人を熱田の宮の権宮司田島丹波と紹介され、さて丹波は語り出したが、その声もわななき、発音すら定かでないほどであった。
昨夜、風雨の中に、熱田の宮に凶盗の一団が押し入った。真夜中、鉄砲のような音が聞え、数人の神官が神剣をおさめた八剣宮へ駈《か》けつけたところ、毎夜|宿直《とのい》をしている八人の番人、八人の巫女《みこ》がことごとく殺戮《さつりく》されているのを発見したのだ。
番人の大半は斬殺《ざんさつ》または刺殺されていたが、八人の巫女は驚くべきことに一人も残らず、かくしどころからおびただしい出血をしている以外、傷はなかった。しかし、ことごとく絶命していることにまちがいはなかった。
「その恐ろしさもさることながら、神剣のお姿がない!」
むろん、口にするだに畏《かしこ》き神剣を、大宮司すら眼に見たことはない。それは神殿の奥深く螺鈿蒔絵《らでんまきえ》のおん筥《はこ》におさめられ、祭られているのだが、それが消え失せていたというのだ。
「な、なんと!」
さしもの堀部安兵衛も髪も逆立ち、全身の毛穴から血を吹く思いがした。
天津日嗣《あまつひつぎ》の象徴《しるし》たる天《あめの》 叢《むら》 雲《くもの》 剣《つるぎ》を盗んで逃げる大凶賊が、この国土の国民《くにたみ》の中に一人でもあろうとは。――
「さ、さ、左様な大凶変、いまだかつて耳にしたこともござらぬ」
「ないことはない。天智《てんじ》天皇のころ。――」
ふるえ声で、田島丹波の語るところによれば、熱田の宮から神剣を盗んで逃げた者がかつてあることはあったという。新羅《しらぎ》の法師|道行《どうぎよう》なるものが、神殿に忍び入って御剣《ぎよけん》を盗み、難波《なにわ》に走って新羅へ逃げようと計った。このことは「日本書紀」二十七巻天智天皇の条に、
「是歳《このとし》、法師道行、草薙《くさなぎの》 剣《つるぎ》を盗みて新羅へ逃げ向《ゆ》く。而《しこう》して中路に風雨にあいて荒迷《まど》いて帰る」
と、あるという。
道行は海に迷い、神剣の祟《たた》りであることを知ってついにこれを海に捨てようとしたが、剣はそのたびに飛び帰って、そのからだから離れないので、恐怖のあまり船を返して自首して出た。
それ以来、御剣《みつるぎ》は天皇のおそばにあったが、天皇また病みたまい、これまた御剣の祟りであることを知られて、これをもとの熱田に返されたという。――
しかし、これはやはり異国人《とつくにびと》の所業だ。日本人のしわざではない。
「が、鉄砲を持った凶賊でござると?」
「それがじゃ」
と、田島丹波がまたうなされたような眼でいう。――昨夜熱田の森の外の一廃寺に、三人の熊野比丘尼《くまのびくに》が雨宿りしていた。それが、その時刻、宮の方から出て来る影を見たが、稲妻に照らされて、その影は四つ、しかも長い合羽《かつぱ》みたいなものを着て、人間とも思われぬ大男のように見えたという。――
「きゃつらだ!」
と、安兵衛はさけんで、がばと大刀をひっつかんだ。
「それきいて、わしも思い当った」
十内がいった。
「堀部、おぬし、あの者どもよう知っておったな?」
「は。――さるにても不敵な痴《し》れ者《もの》、何かただではすまぬやつらとは見ておりましたが、まさかこれほどの大事をやってのけようとは!」
「甲比丹一行は、けさ宮を立って、江戸へ向ったという。――」
「ぬけぬけと。――」
安兵衛は立とうとした。十内が手をあげた。
「わしもゆこう。しかし、安兵衛、待て」
「は?」
「このこと、まことに以《もつ》て天下を衝動させる大事件じゃが――天下を衝動させては相成らぬ。つまり、あくまでも何ぴとにも知られぬうちに神剣をとり戻《もど》さねばならぬ」
十内は深刻な眼でいった。
「おぬしも知るように、江戸の将軍家には朝廷のおんことについてはきわめてお志の篤《あつ》いお方、さればこそ熱田の宮も、太閤《たいこう》さま以来百年ぶりに、御当代さまに至って大々的に御重修あそばされた。そこに、かかる前代未聞の失態が明るみに出てみよ。少なくとも大宮司以下神官一同腹切っても追いつかぬ」
「おお」
「それらのことはいかにもあれ、何としてもこの大凶事は秘事として始末したい。おぬしを呼んで、その助力を請うたのはそのためじゃ。堀部ならば、これを隠密《おんみつ》のうちにとり戻してくれるだろうと思案してのことじゃ」
「相《あい》わかってござる!」
安兵衛はさけんだ。
「お、お願いでござる。われら神官のいのちは知らず、ただ御剣のみは御安泰に。――」
権宮司田島丹波はがっぱとひれ伏した。
ただ主君の内匠頭《たくみのかみ》だけにはひそかにこの変事を告げ、許しを受けて、小野寺十内と堀部安兵衛は、先に出立《しゆつたつ》したというオランダ人一行を急追した。
甲比丹一行は岡崎《おかざき》の宿に泊っていた。
二人がその宿の戸をたたいたのは、もう夜明けに近いころであった。そして、出て来た通辞本木太郎左衛門からまたも思いがけないことを耳にしたのだ。
例の四人は、宮についた直後から別れてしまったという。いや、彼らは姿を消してしまったという。――
熱田神宮の凶事をきいて、しかし本木も驚倒し、甲比丹たちをも呼んで来た。オランダ人たちも色を失った。はじめてあの四人の男たちの素性をきいたのである。
彼らはオランダ人ではなかった。イギリス人であった。
しかも、ここ数年前から世界の海を荒らし回っている大海賊キッドなる者とその一味であるという。
その名はウィリアム・キッド。ヨーロッパの暦で一六四五年ごろの生まれというから、一六九七年にあたるこの元禄《げんろく》十年には、五十二、三歳になる。もとはスコットランドの牧師の子だが、のちにアメリカに渡って密貿易に従い、忽然《こつぜん》として海賊に変った。しかもイギリス政府お墨付きの海賊である。
はじめは主として大西洋で、イスパニア、ポルトガル、フランスなどの商船を狙《ねら》ったが、去年ごろインド洋から太平洋へ乗り出して来て、熱帯の海風に酔っぱらったか、相手えらばず、手段えらばず、船といわず陸といわず、掠奪《りやくだつ》、放火、強姦《ごうかん》、殺戮《さつりく》、まさに天魔のごとき海賊船の首領に変貌《へんぼう》した。配下は一騎当千の凶漢ばかりで、これに襲われたら、ほとんどなすすべもない。
そして、ついに彼は東南アジアでオランダ船をも狙いはじめたのだ。バタヴィア総督オートホルンは震駭《しんがい》し、そのうちいかにしてかキッドと交渉して、ついに一つの取引きをした。それはキッドが日本という国を見物したいという望みを抱いていることを知って、日本と貿易することを許されている唯一の西欧国オランダの基地長崎出島に、キッドを入れてやる代り、以後オランダ船には手を出さないという約束を結んだのだ。
かくてキッドは数人の手下とともに出島に入って、たまたま商館長フォン・ブーテンハイムが恒例により参府するという機会にめぐり逢《あ》うや、その随員に加わることを強請した。
その行状についてはよくよく訓戒しておいたにもかかわらず、ともすればそれが傍若無人《ぼうじやくぶじん》であったのは、素性が素性であったからだ。しかも、甲比丹《かぴたん》たちはそれを扱いかねた。バタヴィア総督からの内示のゆえのみならず、彼ら自身の凶暴さのせいである。
首領キッドの恐ろしさはいうまでもない。頬《ほお》に傷あとのある黒髯《くろひげ》のティーチは強力無双であり、燃えるような赤毛のデーヴィスはフェンシングの達人であり、義眼のシルヴァーは片眼のくせに、船では大砲、陸に上れば短銃の名手である。そして、何よりも、じかにつき合って見れば、どの男にも、抵抗出来ない凄《すさま》じい迫力があった。
が、ともかくもこの旅行ばかりはおとなしく日本を見物するという約束であったのに――なんぞはからん、ついにかかる大事を仕出《しで》かそうとは!
「道中、この国のすべては貧乏くさく、欲しいものはとんとない、と大|軽蔑《けいべつ》のていでござったが、ついに奪うべきものを見つけ出したのでござろうか」
ワナワナとおののきつつ、通辞本木太郎左衛門はいう。――
「しかし、このこと明らかとなれば、われらのいのちはもとより、この甲比丹御一行、いやいや出島そのものの運命もいかが相成るか、絶望のほかはござらぬ。ああ、何たることをしてくれたものか。必ず、必ずわれらの手で捕えて御剣返させますれば、それまでなにぶんとも御内聞に!」
「そちらが騒いで、内聞ですむかよ」
小野寺十内は沈痛にいった。
「そちらの困惑はともあれ、こちらにも公けとなってはこまることがあるのじゃ。よし、こうなっては、われらの手で始末してやる。……たとえ、いかなる凶賊であろうと、ここは海の中の日本国、しょせん外へ逃げられるはずはないが」
ふっと、安兵衛の頭に、数日前に伊勢の海の果てに見たあの怪船の帆影が浮かんだ。同時にまたあのふしぎな異人ガリヴァーのことも浮かんだ。
「ちょっときくが、あのガリヴァー氏《うじ》もやはり海賊の一味か」
「いや、あれはそうではないようで。――あの御仁の正体はこちらにもよくわかり申さぬが」
と、太郎左衛門はくびをかしげた。
「どうやら牧師――もとは伴天連《バテレン》であったらしゅうござるが、オランダ語に通じておるゆえ、キッドめがいっしょにつれて来たようでござる。それにしても海賊とは縁遠い人柄のようじゃが、どこでキッドの船に乗り込みなされたか、とにかくえたいの知れぬ御仁で。――一昨夜まではわれらといっしょにおったゆえ、熱田の宮の凶行に加わっておらぬことはたしかじゃが、朝になって見ると、これまた姿を消しておったところを見ると」
「やはり、一味だな」
「堀部、追え。きゃつら、東へ逃げたと見るほかはない」
と、小野寺十内はせかせかといった。
「わしはいそぎ宮の本陣に立ち帰り、応援の剣士をえらんでいそぎそなたを追わせよう。相手は五人、いかな安兵衛とて一人では心もとなかろう」
「応援の剣士?」
「されば、梅寺太郎、赤谷弁之助、跡部条七郎――それに仲間の奈良坂百助と麹《こうじ》銀之進を」
いずれも、いつぞやの伏見の騒ぎのめんめんであった。
「わしは、宮の惨事の善後策を講じねばならぬ。堀部、頼んだぞよ」
「かしこまった!」
五
岡崎から東へ、藤川、赤坂、御油《ごゆ》、吉田の宿《しゆく》。
そこへ、押っ取り刀で、小野寺十内に動員された五人の剣客が追いついた。
「大事をきいた。――京で十内どのに叱咤《しつた》されたときはむっとしたが、いまにして思い当る。あのとき、きゃつら成敗《せいばい》すべきであった」
地団駄《じだんだ》踏まんばかりにして、梅寺太郎がいう。それもあるが、また、
「死すともこの役目、日本のために果たせよとの殿の御諚《ごじよう》じゃ。もし時を経てなお神剣奪還のこと成らずんば、浅野藩あげて乗り出すほかはない、とのお言葉」
「しかし、そうなれば、すべてが白日《はくじつ》の下《もと》にさらされる」
「それよりも、特にこの秘命受けたわれらの恥辱じゃ」
まなじりを決して、赤谷弁之助、跡部条七郎、奈良坂百助なども口々にいう。そして。――
「見つかったか、堀部、その紅毛の逆賊たちは?」
麹銀之進にかみつくようにきかれて、安兵衛は焦燥した眼で首を横にふった。
とにかく、日本である。ひとすじの東海道である。あの異相|異形《いぎよう》の五人が、人の目にふれぬはずはない――と思っていたのだが、ここまで来るあいだに、彼は捕捉《ほそく》することが出来なかった。
もう夜の明けた街道を、ちらほらと旅人はやって来る。赤坂の宿《しゆく》で、こういう者どもに逢《あ》いはせなんだかときいても、
「いえ、そんな。……」
と、けげんそうにみな首をふる。
ところが、さらに東へ、御油の宿の手前まで来ると、向うからころぶように駈《か》けて来る数人の旅人があり、さては、とこれをつかまえて問いただすと、果たせるかな、
「見ました! 化物《ばけもの》みたいな大きな紅毛人が、げらげらと笑いながら、東へ。――」
と、うなされたような眼つきでいう。
――きゃつら、ひょっとすると、話にきいた切支丹伴天連《キリシタンバテレン》の妖術《ようじゆつ》でも使うのではないか? と安兵衛は考えたほどであった。
安兵衛からそんな怪異をきかされて、半信半疑の表情をした五人の剣士も、浜名湖の手前|新居《あらい》の関所を越えてから、改めて狼狽《ろうばい》しないわけにはゆかなかった。ここは、天下の関所だ。東海道を往来する者は、だれでも役人の眼にふれずにはいられない。その役人が、そんな異人など見たこともないという。――しかるに、そこからいわゆる今切《いまぎれ》の渡し、一里の湖を舟で渡って舞坂《まいさか》の宿につくと、なんとその五人の妖影《ようえい》が東へ歩いてゆくのを見た者があるというのだ。
「今切の渡しをどうしたのじゃ?」
と、梅寺太郎がうめいた。
「きゃつら、海賊といったな」
安兵衛はいった。
「ならば、一里の湖など泳いで渡るに何のふしぎもあるまい?」
海賊キッド! 海賊キッド! 後世にいたるまで、スティーヴンソンの「宝島」や、ポーの「黄金虫《こがねむし》」にその名をとどめる伝説的にして、しかも実在した大海賊キャプテン・キッド。
これが元禄十年春、忽然《こつねん》として日本に現われたという大怪事を、実は堀部安兵衛や浅野藩五人の剣客は、それほど荒唐無稽《こうとうむけい》とは感じない。荒唐無稽と判断するだけの知識がないのだ。
念頭を灼《や》くのは、ただ夷狄《いてき》の賊に、神国天朝の象徴天《しるしあめの》 叢《むら》 雲《くもの》 剣《つるぎ》を盗まれた、という事実だけである。しかも堀部安兵衛は、ほかの五人に倍して焦燥していた。
それが日本最大の宝だということを、彼らに――あのガリヴァーに解説したのは自分だという悔恨《かいこん》の思いがあるからだ。いまにしてふりかえれば、ガリヴァーが口ずさんだあの怪しげな唄《うた》の中にもたしかキッドという名があったように思う。あのときはキッドが何者か知るよしもなかったが、あれは自分をからかっていたのだと思う。
ともあれ、いかに破天荒《はてんこう》の凶賊とはいえ、わずかに五人、四面海の日本からついには逃れ得べくもない――と思い、彼らの心事を疑っていたが、しかし次第に安兵衛はその見込みがゆらいで来るのをおぼえた。
例の怪船のことである。きゃつら、どこかの岸にあの船をつけて、海の外へ逃げるつもりでこのたびの大《だい》それたことを企《たくら》んだのではないか?
それに、もう一つ、さらに恐ろしい疑いもあった。万一進退|谷《きわ》まれば、彼らは神剣を条件として、江戸幕府に何か強《こわ》談判をしかけるつもりではないか? 一|毫《ごう》の傷さえつけてはならぬ不磨《ふま》の御剣《ぎよけん》である。それを以て脅迫されれば、きゃつらの願いがいかに夢想的なものであっても、およそ成らぬことは一つもない!
いや、何よりもまず、彼らがまだ捕捉《ほそく》出来ないことこそ怪事。
いかに東海道とて、道程には山あり、河あり、北へ南へ分れる脇道《わきみち》もある。
「……三つに分れよう」
変幻出没、五彩の逃げ水のごとき曲者《くせもの》の影に翻弄《ほんろう》され、音《ね》をあげた赤谷弁之助かついにいい出した。
「そして、網を曳《ひ》くように、三段で捜索してゆくのだ」
堀部安兵衛は一息思案して、しかしついにその法を認めぬわけにはゆかなかった。
思案したのは、この相手の容易ならぬものであることを想起したからであった。こんどのような大事が出来《しゆつたい》する以前から、彼は紅毛人たちが超人的な力を持つ男たちであることを、肌《はだ》で感じている。こちらが分れるのは、それだけ危険だ。――とは思えど、やはりこの際、何はともあれ彼らを発見することこそ焦眉《しようび》の急。
「……よし、では」
ともかくも、天竜川《てんりゆうがわ》を渡って、見付《みつけ》の宿《しゆく》で三つに分れた。ここより遠江《とうとうみ》。
堀部安兵衛と梅寺太郎。赤谷弁之助と跡部条七郎、奈良坂百助と麹《こうじ》銀之進の三組だ。
これがまちがいのもとであったことは、数日中に明らかとなった。
掛川《かけがわ》の宿で。――
「もしっ」
そこから北へ、いわゆる秋葉山《あきはさん》へゆく豊川《とよかわ》道に入って消息をたしかめ、またひき返して来た安兵衛と梅寺太郎は、三人の熊野比丘尼《くまのびくに》に呼びとめられた。
「二瀬橋の下で死んでいなさるのは、あなたさま方のお仲間ではござりませぬか?」
ケンプエルやガリヴァーは、この漂泊の売春婦をことごとくロマンチックな天使のごとくに描いているが、なに、むろん実態はそんなものではない。――しかし、彼らにこう声をかけた三人は、まだ若く、初々《ういうい》しく、そしてほんとうに天使のように美しかった。
が、むろんこの場合、彼女たちの美貌《びぼう》に眼をとめているいとまはない。
「なんだと?」
「お二人、むごたらしい仏になって」
安兵衛と太郎は、掛川の西を流れる二瀬川のほとりにとって返した。そして、その橋の下に、果たせるかな、赤谷弁之助と跡部条七郎を発見したのである。
むごたらしい死骸《しがい》と熊野比丘尼は報告したが、ききしにまさるとはこのことだ。
両人ともたんなる腕自慢ではなく、安兵衛にしても三本に一本はとられる剣客であったのに、赤谷の方は脳天から、跡部の方は袈裟《けさ》がけに、あばらのすべてを断ち割られ、二つにならんばかりの死骸となっていたのである。
「ただの刀ではない。――」
と、安兵衛は戦慄《せんりつ》してつぶやいた。
「まるで大きな鉈《なた》で切ったようじゃな」
こんな凄《すさま》じい殺傷を与えるものが、日本人にあろうか。――きゃつらだ! きゃつらがやはりこのあたりに出没しているのだ!
事態は悠長《ゆうちよう》ではなかった。惨劇は相《あい》ついで起った。
日坂《につさか》から小夜《さよ》の中山をあえぎあえぎ上ってゆくと。――
「もしっ」
また、呼ばれた。上から下りて来た三人の熊野比丘尼であった。
「お仲間の衆がお二人、そこの山中で殺されていなされまする」
愕然《がくぜん》となりながら、堀部安兵衛は、はじめてその三人の女に眼を釘《くぎ》づけにした。同じ女だ。
それにしても、なぜ彼女たちはこちらのことを知っているのか?――しかし、それをきく余裕すらない場合であった。二人は狂乱したように坂を駈《か》け上っていった。
「そこの夜泣きの松から右へ、半町ばかり入ったところ。――」
熊野比丘尼はついて来ていた。安兵衛たちの足を追って、驚くべきことに、息も切らせていない。――
そのことのふしぎをかえりみるいとまあらず、二人はいわれた通り、松と熊笹《くまざさ》の中をかきわけていって、そこに奈良坂百助と麹銀之進の死骸を発見した。
烈《はげ》しい決闘を行なったと見えて、熊笹は踏みしだかれ、杉の枝は折れちらばっている。が、二つの死骸はあまり血を流してはいなかった。ただ両人とも、左眼から出血して死んでいた。
「刀で刺されたのじゃ。しかも――眼からうなじへつきぬけておる!」
安兵衛はうめいた。
「日本の刀ではない。が、みごとな、恐るべき手練じゃ!」
二人は、杉林の中で、青い冷たい雨にでも打たれたように、全身に粟《あわ》を浮かべてこのぶきみな恐ろしい死骸を見下ろしていた。
「……もしっ」
そのひそやかな声がかかったとき、二人はそれまでに倍してぎょっとした。熊笹の中に、先刻の三人の比丘尼がならんでひざまずいていた。
鉦《かね》をたたいて、「血盆経《けつぼんきよう》」を唄い、熊野|牛王《ごおう》の札を売り、その実、男たちに春を売って諸国を歩く熊野比丘尼――色を売るくらいだから、毒々しいばかりの化粧をした者も多い中に、これはまた精霊のようにあきらかに美しい三つの顔を、二人はこの場合、悪夢を見る思いで見た。
「お願いがござりまする」
「なんだ」
安兵衛がわれに返って、かみつくようにいった。
「うぬら、怪しき唄比丘尼だ。われらのことをなぜ知っておる?」
「あなたさま方のことというより、御剣《みつるぎ》のことを」
と、一人がいった。
「それを奪った盗人のことを」
「なに? それを、いかにして?」
「熱田の宮の森の外で、その男たちが逃げるのを見ていたのはわたしたちでございます」
卒然として安兵衛は、熱田神宮の権宮司田島丹波がそんな話をしていたことを思い出した。あれが、この女たちであったか。――それにしても。――
「それから、殺《あや》められた八人の巫女《みこ》さまは、わたしたちにほんとうにやさしくして下さいました」
と、三人目の女がいった。
これで事情は少し判明したが、まだわからないところがある。――安兵衛はいった。
「いま、願いがあると申したな。それは何だ」
「わたしたちが御剣をとり返してはいけないでしょうか?」
堀部安兵衛はあっけにとられた。
「おまえたちが――ば、ばかな!」
「……そう仰せられるであろうと思っておりました」
熊野の売春尼たちは顔見合わせて、かなしげにいった。
「わたしたちは御存じのようにいやしき者、それが、事もあろうに御剣をとりもどすなどいう大それたことをいたしましては、ほんとに罰《ばち》あたりな」
「そんなことではない!」
と、安兵衛はさけんだ。
「願いとは、そんなことか。ばかなことを――出来るなら、やって見ろ。いままで討たれた四人の侍《さむらい》、わが朋輩《ほうばい》ながら、世にざらにない使い手ばかりだぞ。それをかくもやすやすと、芋か大根かのように殺した怪物どもを、女の――しかも、熊野比丘尼が――」
「おゆるし下さいますなら、お礼を申しあげまする」
三人の比丘尼はお辞儀をした。そして低い声でいった。
「わたしたちは、甲賀に生まれた女でございます」
六
「――いました! 異人たちが」
いったん姿を消していた三人の熊野比丘尼が、安兵衛たちの前にまた現われたのは、その日の夕方であった。大井川を渡って、島田の宿《しゆく》へ河原を駈けて来たのだ。
「やっ、どこへ?」
「藤枝《ふじえだ》の宿から南へ――焼津《やいづ》の方へ」
五人は駈けた。島田から二里八丁の藤枝へ。
そこから東海道をそれて海の方へ分れる街道がある。その方へ、五人の紅毛|碧眼《へきがん》の海賊たちは、まるで巨大な妖鳥《ようちよう》のごとくひらひらと翔《か》け去ったという――。
藤枝からまた一里以上も走りつづける。あたりは茫々《ぼうぼう》たる春の草原となり、その果てから潮の匂《にお》いがして来た。日は暮れかかって、仄白《ほのじろ》い、しかし大きな月がのっと上って来ていた。
焼津。――その昔、日本《やまと》 武《たけるの》 尊《みこと》が賊に襲われ、四面から火をつけられて危急の際、剣がひとりでに飛びめぐって、あたりの草を薙《な》ぎ払ったという故事から発した地名。おお、そのときの草薙剣こそ、いま奪われた神剣ではないか。――
しかし、安兵衛たちは、そんな因縁を回顧する頭脳を持たなかった。なんとこの場合自分たちが追っている五人の大賊のことすら念頭から消し飛んでしまったのだ。
「あっ……あれは何だ?」
五人は棒立ちになった。
草の向うに海が見えていた。その海に一隻の船が浮かんでいた。船は三本の檣《ほばしら》に無数の帆をふくらませた異国の船であった。それは幻のごとく妖々《ようよう》と近づいて来た。まるで草の向うから湧《わ》いて来るように、徐々に徐々に大きく。
あたりに人影はなかった。音もなくそよぐ草原、南風に吹かれる白いまるい月、鉛色にけぶる海、そしてこの妖異《ようい》なる船――その檣には、これだけくっきりと、大腿骨《だいたいこつ》のぶっちがいに骸骨《がいこつ》を白く染めぬいた真っ赤な旗がはためいて――彼らは、ここが日本ではないような気がした。
いや、ここはまるで現実のものではない幻想の世界のようであった。
すると、そのときどこかで音がした。実際人間の声ではない、怪鳥のさえずりのように聞えたが、あきらかにそれは怪しげな日本語の唄声《うたごえ》であった。
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「おれはこの手に聖書を持ってた
船路《ふなじ》の中で、船路の中でよ、
おれはこの手に聖書を持ってた
船路の中でよ、
おれはこの手に聖書を持ってた
おやじのきつい命令で、
なれどそいつを砂ン中に埋めた
船路の中でよ」
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うなされたように堀部安兵衛はさけんだ。
「あいつだ!」
彼はあのガリヴァーの唄を思い出したのだ。しかし、節調は同じでも、それは数人の男たちの酔っぱらったような濁《だ》みた唄声であった。
「や……あそこにおる!」
梅寺太郎が指さした。
いままで、どうして見つからなかったのであろう――おそらく船に眼を奪われていたせいにちがいない――はす向うの小さな砂丘のかげから、自然と五つの影が湧《わ》き出した。
「おお、船から小舟が下ろされるぞ。あれに乗せて逃げるのじゃ、堀部!」
太郎のさけびが聞えたのであろう。砂浜の五人がふりむき、顔見合わせ、そのうち一人を残して、四人がゆっくりとこちらへ歩いて来た。
「やはり、来たか。――」
先頭に立っているのはガリヴァーであった。
「待ちなさい、ミスター・ホリベ」
彼だけ表へ合羽様《かつぱよう》のものを裾《すそ》まで羽織り、あとの三人はそれを投げ捨てて、代りに赤や青の三角帽子をかぶり、胴のしまった赤繻子《あかじゆす》のチョッキから麻のひだ飾りをのぞかせ、色鮮やかな帯を巻いていた。そのうち一人は膝《ひざ》に短銃をぶら下げ、あとの二人はそれぞれ長い剣と彎曲《わんきよく》した剣をきらめかしつつ吊《つ》っている。
「そこから来るな」
ガリヴァーはいって、自分たちも立ちどまった。
「来れば、死ぬだけ」
「神剣を返せ」
安兵衛はさけんだ。ガリヴァーはくびをかしげた。
「アメノムラクモノツルギ?」
「おお、その御剣《みつるぎ》を返せ」
「返す代り、話ある。――」
「なんだ?」
「わたし、まだ日本にいたい。わたし、日本に置いてくれるなら」
「厚顔なことを!」
安兵衛は吐き出すようにいって、しかし近づいて来る小舟を眺《なが》め、神剣のゆくえを思って、声をしぼった。
「まず、神剣を返せ。さもなければ――」
「わたし、知らない」
おそらく不自由な日本語のせいであったろうが、人を小馬鹿にしたようなこの言葉に、いままで焦《じ》れていた梅寺太郎が、安兵衛の横から猛然と走り出した。一刀抜きはらい、うしろにひっさげて。
それと見て、いままで理解出来ない日本語の応酬を、これまたいらいらしたようにきいていた三人の海賊が、ガリヴァーのうしろから大股《おおまた》に歩き出して来た。安兵衛もまたこれに駈け向う。
「ああ!」
追おうとして、ガリヴァーは絶望したような声をあげて立ちすくんだ。
白いまるい月を背に、日本の二人の剣士とイギリスの三人の海賊は、草原の中に相対峙《あいたいじ》した。すでにこのとき、二人の海賊は腰の刀を抜いている。しかし、安兵衛と梅寺太郎をつつむ一種異様な、寂寞《じやくまく》たる――必死の剣気にのまれたか、二人もぴたと動かなくなった。
堀部安兵衛に相対《あいたい》したのは、真っ黒なひげに顎《あご》を覆われ、頬《ほお》に傷あとのある、雲つくような巨漢であった。全身筋肉の瘤《こぶ》のかたまりのようで、それが物凄《ものすご》い彎刀《カトラス》をぶら下げている。それで打ってかかられればもとよりのこと、安兵衛の方でそのからだに斬《き》りつけてもぴいんと筋肉ではね返されるかと思われた。
掛川で、赤谷弁之助と跡部条七郎を虐殺したのはこやつにちがいない。――
梅寺太郎と向い合ったのは、燃えるように赤い髪を持った、これまた物干竿《ものほしざお》みたいに背が高いが、見るからにしなやかなからだを持つ海賊であった。これが左半身に構え、左手をうしろにのばし、右手にまるい大きな鍔《つば》のついたまっすぐな長い剣をビューッと前へつき出していた。
小夜の中山で、奈良坂百助と麹銀之進を惨殺したのはこやつにちがいない。――
もう一人の男は、やや離れて、両手を腰にあてて、仁王《におう》立ちになって見物の態《てい》であった。唇《くちびる》はにんまりと笑い、片眼が銀のような無気味なひかりを放っている。
凝縮した鉛色の大気の中で、この男がへんな抑揚で歌い出した。
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「おれの獲物《えもの》は黄金《きん》の延棒九十本
船路《ふなじ》の中で、船路の中でよ
おれの獲物は黄金の延棒九十本
船路の中でよ
おれの獲物は黄金の延棒九十本
そのうえ色とりどりの貨幣まで
無限の富を手に入れた
船路の中でよ」
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おそらく逃走の途中、ガリヴァーからこの日本の歌を教えられて、面白がっておぼえたものだろう。――しかし、ガリヴァーよりもさらにへたくそで、それだけにいっそうぶきみな唄声であった。
「寄るなっ」
安兵衛がさけんだ。うしろからひらひらと漂って来るような三つの影――三人の熊野比丘尼の姿を感じたからだ。
その絶叫をどうきいたか。――
前面の黒髯《くろひげ》の彎刀《カトラス》がぶんとあがった。まるで真っ黒な旋風のごとく、それが天空から安兵衛のからだに襲いかかった。
黒旋風のふちを、安兵衛は駈《か》けぬけた。
「オーオ!」
野獣のような咆哮《ほうこう》とともに、彎刀は夕空に舞いあがっている。そのさきに、毛だらけの腕を一本くっつけて。
その彎刀を一髪の差でかわし、駈けながら一瞬に、堀部安兵衛の抜き打ちの一閃《いつせん》が相手の右腕を肩のつけねから切断したのだ。
七、八歩走って、安兵衛はくるっとふりむいた。――いまの咆哮にまじって、きいっというようなちがう悲鳴がながれたような気がしたからだ。
梅寺太郎はのけぞっていた。その片眼から後頭部にかけて、赤髪の海賊の長剣がつらぬいていた。その長い足があがって、どうと太郎の胸を蹴《け》りあげた。まっすぐな刀は抜け、太郎は一|間《けん》もすっ飛んでころがった。
「梅寺!」
絶叫とともにその方へ躍りかかろうとした堀部安兵衛は、すぐ横に立って見物していた男の動作にただならぬものをおぼえて、またぱっと飛びずさり、棒立ちになった。
義眼の海賊――シルヴァーは腰の短銃をぬきあげて、ぴたりとこちらへ向けていた。
同時に赤髪のデーヴィスは長剣をむけたままこちらに歩み寄り、うしろに両膝《りようひざ》ついて苦悶《くもん》していた黒髯のティーチも丸太みたいな左腕に、ふたたび大彎刀を拾いあげて立ちあがろうとしている。
七
三方からの殺気の交錯するところ、堀部安兵衛はまさに必殺の地にあった。
なかでも、シルヴァーの短銃のひきがねにかけられた指は、いとも無造作《むぞうさ》にあわや曲がらんとした。――それを一瞬止めたのは、
「ウエイト!」
と、いうようなガリヴァーのさけび声である。
彼はもういちど三人の仲間を見やり、十字を切ってまた何かいった。これに対して片膝だけついてふりかえった黒髯《くろひげ》のティーチが猛然と吼《ほ》え返した。ガリヴァーが猶予《ゆうよ》を請うたのを、憤怒《ふんぬ》を以《もつ》て拒否したらしい。
しかし、一瞬待ったがために、ほかからの異変が生じた。
「オーオ!」
シルヴァーがまたさけんだ。
両眼ともに義眼と化したかのような顔のむけられた方角を、あとの二人も見た。ガリヴァーも見た。堀部安兵衛も見た。
なかんずく、いちばん大きく眼をむき出したのは安兵衛であったかも知れない。彼らはそこに、きものをかなぐり捨てて全裸になった三人の熊野比丘尼《くまのびくに》を見たのであった。
驚きが一息。海にのぼった春の満月をあびて、しかも一帯銀灰色の蒸気につつまれて、その中に浮かぶ三個の女体《によたい》を、人魚のように美しいと見たのもまた一息である。三つと息をつかないうちに、安兵衛は鈴をふるような声をきいた。
「忍法|女陰成仏《によいんじようぶつ》!」
三匹の人魚の真っ白な腹部に縦ひとすじの切れ目が走った。と、それがみるみるくびれこみ、両側に柔らかな陰翳《いんえい》を持つふっくらとした肉が盛りあがった。このとき三人の女人は、その顔までが消滅して、ただ黒髪のみが残り、それが嫋《じよう》 々《じよう》と吹きなびいて、その全体をふちどった。
見る者には永劫《えいごう》のながさを思わせる時間であったが、そこにはしとどに濡《ぬ》れ、うすもも色に息づき、むせ返るような芳香を発する――三個の、しかも女身大の女陰があった!
それを怪《かい》と見る意識は、安兵衛の脳髄から失われている。足の方から熱い血がぎゅーっと頭に上ると、彼は棒立ちになり、硬直してしまった。
「忍法男根成仏!」
そんな声をまた遠くきいたが、それはまるであの白い満月から降って来た声のようであった。
全身火のように熱し、ズッキズッキ脈打ち、脳天からいまにも血潮か何かがほとばしりそうだ。
そして、彼は見た。草原の中に立つ四本の大男根を。
いや、それらはいずれももとのままの衣服をまとっているが、なぜか安兵衛にはそれが男根に見えたのだ。だいいち、にゅっとつきさした首が一大肉塊となって、亀頭《きとう》そっくりだ。――なんと、立とうとして地にもがいていた彎刀《カトラス》の男さえも、両足そろえて直立している。
「言え!」
第一の女陰の奥から声がながれた。
「御剣《みつるぎ》のありかを!」
赤い陰毛をそよがせたひょろ長い男根は、どうやら長剣で梅寺太郎を刺し殺した男らしかったが、それが脳天の先から何やらいったようだ。
しかし、それは異国語であったから、何の意味やらわからない。――
このとき、港の方には小舟がつき、どやどやと新しい異人の水夫が飛び下り、そこに残っている見るからに豪壮な海賊の一人と声高《こわだか》に話しながら、こちらを指さしていた。「キャプテン」「キャプテン」という声がひときわ高くひびいた。
やや焦《あせ》ったように、女陰の一つが、デーヴィスらしい男根に二、三歩近寄ると、その赤い陰毛に覆われた大肉筒は、いきなりその方へななめに傾き、春の夜空にビューッと白濁した液体を奔騰《ほんとう》させて、どうと前へ倒れ、動かなくなった。
浜の方から、海賊たちが駈けて来た。
「早く言え!」
第二の女陰が、一点妙な銀光を発する第二の男根シルヴァーらしい肉筒に近づくと、これまたえたいの知れぬ声とともに、おびただしい白濁液を噴出させて転倒する。
駈けて来た海賊たちが立ちどまった。この怪異にぎょっとしたらしい。
「言わぬか!」
第三の女陰が、黒毛の男根に迫ると、怪声一番、やはり白汁をほとばしらせつつころがる。これは黒髯のティーチらしい。
海賊たちが何やらわめくと、彼らはもと来た港の方へ逃げ出した。三つの女陰はその方へ流れるように移動した。途中でみるみる裸身の比丘尼に復原しつつ。――
「ど、どうしたのじゃ?」
安兵衛はうめいた。これは自分に問いかけたのだ。
忽然《こつねん》として彼もまたもとのからだに戻《もど》るのを自覚していた。ただし、まだ頭がしびれているようだ。彼は草の上に眼を落し、これまたもとの姿に返った三人の海賊が、口から仄《ほの》かな月光にも白くひかるものを大量に吐いて倒れているのを見た。たしかめるまでもなく、あきらかに彼らは絶命していた。
「グッドバイ、キャプテン・キッド」
うしろでつぶやく声がした。
復原したガリヴァーがそこに呆《ほう》けたように立って、浜の方を眺《なが》めやっていた。小舟に飛び乗ったもう一人の雄偉な海賊と水夫たちは、狂ったように海の上の帆船の方へ逃げてゆく。
三人の女が砂浜に達したときは、もう一人一人顔さえはっきりしない距離に遠ざかっていて、ふいにうす暗い潮煙の中から、豆を煎《い》るような数発の銃声が聞え、三人の女が砂上に身を伏せるのが見えた。
「逃がしたか!」
安兵衛はわれに返り、身ぶるいし、夢中で走り出そうとした。
「しまった! ついに神剣を奪われた!」
「剣、日本にある」
安兵衛は立ちどまった。ガリヴァーはいった。
「キッドは捨てた」
「なに?」
「キッド、隠した」
安兵衛は躍りあがった。
「キッドが、神剣を隠したというのか。どこへ?」
「知らない。わたしに教えない」
例によって、とぼけた返事である。――しかし、彼は白ばくれているというより、心から悲しそうな顔をして、何か物想《ものおも》いにふけっていたようであった。
これだけの大罪を犯して、たった一人とり残されて、しかもべつに恐怖も悲嘆も絶望も感じていないらしいこの人物に、安兵衛はややあっけにとられた。
「剣、どこかにあるはず。わたし、日本に残って探す」
「き、気楽なことを申すな。生きて日本に残るつもりか」
「わたし、死ねば、剣、わからなくなる」
ついに安兵衛は、ガリヴァーの手をつかんでさけび出した。
「いったい、どうしたというのだ?」
そこへ、三人の熊野比丘尼がよろめくように駈け戻って来た。そして、自分たちの未熟のために、かんじんの盗賊の首領を神剣もろともとり逃がしてしまったことを、身もだえしてわびた。
この比丘尼たちの先刻の、言語を絶する妖法《ようほう》への疑惑もさることながら――この場合、それよりも安兵衛はガリヴァーのいまの妙な言葉にひっとらえられていた。
ガリヴァーはもとの地点から離れて立って、海の方を眺めていた。月明と潮煙の中を、怪船は妖々《ようよう》と遠ざかってゆく。
「グッドバイ」
と、彼はまたつぶやいた。
八
「ガ、ガリヴァー氏《うじ》」
安兵衛はその前に向って必死にきいた。
「いま申されたこと、もういちど申して下されい」
これに対してガリヴァーは改めて説明しはじめた。恐ろしく怪しげな日本語で、しかも通辞がいないので、きいているうち安兵衛は自分の頭がどうかなるのではないか、と髪をかきむしりたくなったほどであったが、長い時間を費して、ともかくもきき出したことは、実に意外な事実であった。
――熱田《あつた》の神剣を盗み出したのは、自分の言葉が暗示となったかも知れないが、決して自分がすすめたものではない。そんな罪を犯すことなく、自分はもう少し日本に滞在してエドなどを見物したかった。
――とにかく、しかし彼らは、日本最大の秘宝という誘惑に抵抗しがたく、血まみれの大罪を犯して、神剣を強奪して逃げた。自分もいっしょに日本にやって来た同国人だから、どうしても彼らと行をともにしないわけにはゆかなかった。
すると、逃走の途中から、キッドは耳鳴りみたいに一つの声をきくようになった。
「首を吊《つ》られる、罪の酬《むく》いで、可哀そうなキッド、千日のうちに」
これが絶えず聞えるのだ。
「そ、それは日本語で?」
と、安兵衛は妙な顔をしてきいた。
「いや、キャプテン・キッド、日本語、わからない。イギリス語で――しかも、女の声で」
「おお、それは天《あま》 照《てらす》 大《おお》 神《みかみ》じゃ」
と、安兵衛はさけんだ。天照大神が英語をおしゃべりなされるとは、無学にしてまだきいたことがないが、しかしそうとしか考えられない。
「それに」
と、ガリヴァー氏は首をかしげていった。
「キッド、失望したらしい」
「し、神剣にか」
「黄金もなければ、宝石もない」
「あ、あたりまえじゃ! 御剣《みつるぎ》の尊さはそんなことにはない。し、しかし、あの金髪の曲者《くせもの》めが、なんと御剣を拝観したのでござるか!」
腸《はらわた》もちぎれるように安兵衛はさけんだ。
「よ、ようもその眼がつぶれなんだもの。――」
「いや、それ以来、たしかに眼も耳も霞《かす》んで来たようじゃ。とにかくキッドは、急に気力衰え、剣に対する執着を喪失した」
と、いうような意味のことをガリヴァーはいい、さて、つづけるのだ。
――そこに私が、彼を非難し、かつ剣を返して日本人に謝罪するようにしつこくすすめるものだから、ついにキッドも半ばそれを受け入れる気持になり、半ば私に悪意を抱いて、
「では、剣は置いてゆく」
と、いい出した。船が来ることになっている焼津《やいづ》への道に入ったころからだ。
「しかし、それはガリヴァー、おまえさんが探せ」
と、いって、配下に私を眼かくしさせた。
「おまえさんが探し出して、日本人と取引き出来るなら、勝手にしたらよかろう」
そして、あの浜辺についたときは、もうキッドたちの身のまわりに神剣を入れた筥《はこ》はなかった。――
「キッド、盗んだ宝、みなイギリスに持って帰らず、世界の島々に埋めておく癖、あるのです。もしイギリスで具合悪くなったとき、逃げ出して、また掘り出すためでしょう」
「そ、それでは、御剣はこの焼津のあたりにあるのでござるか?」
「そう思う。シルヴァーがどこかへ消えていたから」
「では、このあたりを掘れば。――」
といったが、安兵衛は急に困惑した眼でうしろをふり返った。
「焼津に来る道に入ってからといわれたな」
「イエス」
藤枝《ふじえだ》からここまでは一里半以上もある。その間、森あり、野あり、河ある一帯から、埋められたただ一本の剣を探し出す。それが容易なことであろうとは思われない。――しかし、はじめてガリヴァーが「神剣のゆくえを知らない」といったことや、「私を殺せば、神剣のありかがわからなくなる」といった意味があきらかになった。
「そ、それがどこに埋めてあるか、どうしてもわからないのでござるか」
「見つけたら、私のエド見物、ゆるすか」
安兵衛はガリヴァーをにらみつけた。
どうやら彼は、はじめからあの船に乗る気はなく、まだ日本にいるつもりであったらしい。図々《ずうずう》しいといおうか、気楽といおうか、安兵衛の常識を超えているが――しかし、この際、彼は、
「よろしかろう」
と、いわざるを得なかった。いかなる条件でも、一刻も早く神剣を手に入れるという大事にはかえられぬ。
「では」
と、ガリヴァーが歩き出したとき、いままでやや離れたところで、不安そうにこちらの問答をきいていた三人の熊野比丘尼《くまのびくに》が、たまりかねたようにこちらに歩いて来た。
すると、ガリヴァーは、
「うひゃ……」
というような奇声を発した。
「あっちへ、あっちへ!」
泳ぐように手をふる。その眼には途方もない恐怖のひかりがあった。
いままでばかに落着いていたのが、この突然の狼狽《ろうばい》ぶりを見せたのは、はじめわけがわからなかったが、卒然として安兵衛は先刻のこの三人の女の怪術を思い出した。ガリヴァーは、よほどあれに懲《こ》りたと見える。
「わたし、日本に残って、あの女性たちといっしょ、旅したかった! しかし、もう、それやめた。あの女性たち、恐ろしい。地上の女、みなきらいにさせたほど、恐ろしい女たち!」
とぎれとぎれに、ガリヴァーはそんなことをさけんだ。
彼の恐慌《きようこう》は安兵衛にも理解出来ないでもなかった。それどころか、思い出すと彼自身、さけび声をあげたくなるほどだ。
「相すまぬが」
と、彼は女たちに一礼して、悲鳴のようにいった。
「しばらくあちらでひかえておれ」
女たちはおとなしく立ちどまった。
ガリヴァーはそれを眼の隅《すみ》で見て、やおら海賊シルヴァーの死骸《しがい》のそばに近づいた。しゃがみこんで、その服のあちこちを探っているようだ。それから、首をかしげて考えこんだ。
ふいに彼は手を打って、見ていた安兵衛があっとさけんだようなことをやった。うつろにあけたままのシルヴァーの片眼に指をつっこむと、いきなりそれをほじくり出したのだ。それは義眼であった。
「あった!」
その奥から、ガリヴァーは何やらつまみ出して、それをひろげた。一枚の紙であった。
「おお、しかし、これは!」
彼のさけび声がただごとでない絶望的なひびきをおびていたので、安兵衛は近づいて月光にのぞきこんだ。
紙片にはいちめんにわけのわからない文字がかきつらねてあった。
(画像省略)
「これは、ガリヴァー氏《うじ》の国の文字でござるか?」
と、安兵衛は狐《きつね》につままれたような顔をした。
「ああ、そうであったら、どれほどよかったろう。――これはイギリスの言葉ではない!」
ガリヴァー氏は頭をかきむしった。この人物がこんな苦悶《くもん》の身ぶりを見せたのは珍しいことであった。
「これはキッド仲間の暗号にちがいない!」
安兵衛には英語であっても同様だ。彼は不安そうに問いかけた。
「で、結局、神剣の埋蔵場所はわからぬのか?」
九
堀部安兵衛とガリヴァーは江戸へいった。
いっしょに――ではない。安兵衛は、やがて追って来た浅野家の行列に加わり、ガリヴァーは、やはりそれと前後してやって来たオランダ甲比丹《かぴたん》の行列に入って、べつべつに江戸へいったのである。
ガリヴァーをふたたび甲比丹一行に加えさせたのは、安兵衛の周旋であった。そのほかに法はなかったのだ。
ガリヴァーは、あの紙片の符牒《ふちよう》を、これは海賊キッドたちが神剣を埋めた場所を表わした記号であるといった。暗号である以上、きっと法則がある。法則がある以上、必ず解ける。――ただ、それには若干《じやつかん》の時間が必要である。乞《こ》う、藉《か》すにしばしの時を以《もつ》てせよ――と、彼はいうのであった。
この際、彼に頼るしかない。安兵衛自身は完全にお手あげだ。
が、ついに大海賊の首領キッドはとり逃し、五人の朋輩《ほうばい》は殺され、神剣のゆくえは不明となってしまった以上、彼の心は憂悶《ゆうもん》にとざされざるを得ない。彼は二つの行列のはるかうしろを、トボトボと歩いて来る三人の熊野比丘尼の姿など、眼中にも脳中にもなかった。
二月十四日――陽暦にして三月三十一日――江戸へついて以来、安兵衛が鉄砲洲《てつぽうず》の浅野屋敷から、連日のごとく本石《ほんごく》町のオランダ甲比丹定宿《かぴたんじようやど》の長崎屋へ通《かよ》って、火のつくようにガリヴァー氏を督促《とくそく》したことはいうまでもない。
「いましばらく、いましばらく」
ガリヴァーは恐れ入り、しかし思考の袋小路を脱するためだといって、安兵衛に江戸の市中見物の案内をさせた。
で、ガリヴァー氏は、こうして元禄《げんろく》の江戸を心ゆくまで探険したのである。
サクラの江戸を、カブキの江戸を、ヨシワラの江戸を、そしてまたお犬さまの江戸を。
ちょうど生類憐《しようるいあわ》れみの令が最高潮に施行された時代であった。
お犬医者というものがあって、六人肩の駕籠《かご》に乗り、若党、草履取《ぞうりとり》、薬箱持ちなどをつれて、そっくり返ってねり歩く。中野にある野犬収容所は十六万坪にわたり、一頭ずつ節なし総檜《そうひのき》の小屋におさまり、中には厚綿の蒲団《ふとん》がしいてある。これをつかさどるものはお犬総|奉行《ぶぎよう》六千石という高禄《こうろく》で、下に犬小屋お奉行、お犬同心数十人とその職制は壮観をきわめる。
犬ばかりではない。二人が見て回った市中でも、過重の荷を馬につませたといって、往来で役人に鞭打《むちう》たれている男があった。溝《みぞ》の水を往来にまいたのは、ぼうふらを殺すことだといって、役人に眼の玉の飛び出るほど叱《しか》りつけられている女があった。
ガリヴァー氏はそんな風景を見て、抱腹絶倒《ほうふくぜつとう》した。
「いや、江戸に来た甲斐《かい》があった。こんな面白い国を作る人民があろうとは、私の空想も及ばぬ」
以前、恐ろしく気むずかしい人間のように見えていたが、これが江戸に来てから、とめどもなく笑うのだ。
「一つの国の物語としては、材料が豊富過ぎる。三つ、四つの国家に分けて書くことが出来るな」
安兵衛はガリヴァー氏のつぶやきの意味もわからなかった。ただ、彼は焦燥した。熱田の宮から神剣が紛失したことは、いつまでも秘事として保たれるはずがない。――
彼は、このガリヴァー氏が、江戸見物の愉《たの》しみをいつまでも味わうために、故意にあの暗号文が解けないという策略を弄《ろう》しているのではないかとさえ疑った。
オランダ甲比丹が江戸へ到着してからもう二十日以上も過ぎる或《あ》る日、堀部安兵衛は鉄砲洲の江戸屋敷を出て、偶然、往来で三人の熊野比丘尼を見出した。
「あ……そなたらは」
と、駈け寄った。
三人は、ていねいにお辞儀をした。頬をういういしくあからめて、どうみても巷《ちまた》の春婦《しゆんぷ》とは思われない。
その中の一人が、小声で、神器のゆくえをきいた。安兵衛が首を横にふると、彼女たちは顔見合わせ、涙さえ浮かべた。
「やはり、気にかかるか」
「それは、日本の女でございますもの。――」
当然とはいえ、つくづくとふしぎな女たちだとも思う。しかし、それよりも、このとき、
「そうだ」
と、安兵衛は手を打った。或《あ》ることを思いついたのだ。
「おぬしたち、本石町の甲比丹定宿長崎屋へいって、二、三日或る異人の給仕をしてくれぬか?」
「え、わたしたちが?」
「例のキッドの仲間だ。仲間であって、仲間でない、変な異人じゃが、あの御仁が、そこでいま、神剣のゆくえをしるしてあるらしい符牒《ふちよう》を研究しておるが、なかなか思うように参らぬようす。それをおまえたちが傍《そば》から責めはたいてやってくれ」
彼はもう三人の女の手をとらんばかりにしていった。
「いや、そなたらがそばにおるだけで、何よりの鞭《むち》となる。あの御仁は、奇妙な女|嫌《ぎら》いらしい。何なら、その女嫌いめに例の――男根|成仏《じようぶつ》とやらをもういちど喰わせてやってもよいぞ。長崎屋にはおれから話す。さあ、ゆこう」
堀部安兵衛につれられて現われた三人の比丘尼《びくに》を見て、案の定ガリヴァーは一大恐慌のていを示した。
安兵衛の見込んだ通りであった。
三日とたたないうちに、ガリヴァーはキッドの暗号を解いたのである。憮然《ぶぜん》として彼はつぶやいた。
「インスピレーション最大の源泉は苦痛にある」
さて、例のわけのわからない符牒はことごとくイギリス文字の変形であって、それを通辞の助けをかりて日本語に直すと、こういう文句になるというのであった。
「焼津《やいづ》の野赤き地蔵の堂にてよき眼鏡四十一度十三分南東微北本幹第七|枝松《えだまつ》の洞《ほら》より射る樹《き》より弾を通じて五十フィート外方に直距線」
堀部安兵衛は唖然《あぜん》とした。
「――な、なんのことやら、ちっともわからぬ」
「それは、わたし、そこにいって説明しよう。二、三日のうちにも、甲比丹《かぴたん》、長崎へ向って立つ。そのついで、ないしょでまた焼津にゆこう」
そして彼は、遠《とお》眼鏡《めがね》をとり出した。
「よい眼鏡とは、この眼鏡のこと。船乗りには、眼鏡とはこれ以外にない。――きっと、うまくゆく。それでわたし、心地よく長崎へ帰れることになる」
「長崎へいって――ガリヴァー氏《うじ》、まだ当分御滞在でござるかな?」
「ああ、あそこ、物語の構想練るに、至極ふさわしいところ。これだけ手柄をたてれば、長崎奉行も、甲比丹も、わたし、あそこに置いてくれるだろう」
そしてガリヴァー氏は、うすきみの悪い笑いを浮かべた。
「首を吊《つ》られる、罪の酬《むく》いで、可哀そうなキッド、千日のうちに。――と、アマテラスオーミカミが予言、なされたとか。千日たってから、わたし、イギリスに帰ることにしよう」
十
元禄十年三月十二日――陽暦にして四月二十七日――オランダ甲比丹の一行は江戸を離れて長崎へ向った。これに、ひそかに堀部安兵衛と小野寺十内が加わった。
藤枝から、ガリヴァーと通辞だけがオランダ人一行から分れて、十内、安兵衛といっしょに焼津に向った。
彼らが、その昔|日本《やまと》 武《たけるの》 尊《みこと》が火の草を薙《な》がれたという野の一|画《かく》から神剣の筥《はこ》を探し出した経過については割愛する。それを拾って、慟哭《どうこく》一刻、やがて十内が勇躍して熱田へ向う早|駕籠《かご》に打ち乗ったことはいうまでもない。
「グッドバイ、ミスター・ホリベ・ヤスベ」
と、ガリヴァー氏は、はじめてなつかしげに安兵衛にいった。彼と通辞は、さきにいった甲比丹一行にふたたび加わるのだ。
安兵衛の手を握ってから、ガリヴァー氏はふと思いついたように、紙片に何か書いて渡した。
「何年かのち、オランダ語に訳されたこんな物語が、もし出島《でじま》に来たら、このタローザエモンにきかせてもらいなさい。きっと、日本のこと、出て来るはず」
安兵衛はその紙片に眼を落した。
「Travels into Several Nations of the world by Lemuel Gulliver or Jonathan Swift」
彼にとっては、先日の奇怪な符牒《ふちよう》と同じことであった。
あっけにとられている安兵衛に、オランダ風の発音で、本木太郎左衛門がどもりながら読んだ。
「レミュエル・ガリヴァー諸国遍歴記……ガリヴァー、或《ある》いは、ジョナサン・スゥイフト」
二人の乗った駕籠《かご》が山陰《やまかげ》に消えたあと、草の葉ずれの音に、安兵衛はふりむいた。青い草の上に、三人の熊野比丘尼が微笑《ほほえ》んでいた。さっきからそこにひっそりと坐っていたらしい。
「奇態な異人じゃ」
めんくらった顔にみずから照れて、にがにがしげに安兵衛はいった。
「あの御仁……悪人とは思えぬが、長崎に腰をすえられると、日本国のためにならぬような気がしてならぬ……一刻も早く、追い出した方がよいように思う。神剣のことなど、得意気にしゃべりちらされてもこまる」
彼は眼をあげていった。
「そなたたち、長崎へいって、あの異人を追い出してくれぬか?」
「それが日本のためと仰せられますなら」
と、彼女たちはいった。
そして、一礼して、草原を飛ぶ者の精霊のように、北の山陰の方へ駈け去った。――そのうしろ姿が消えてから、安兵衛は愕然《がくぜん》と夢から醒《さ》めたように、
――はて、あの女ども、いったい何者であったろう?
と、改めて考えこんでいたのである。
はじめて堀部安兵衛は、あの漂泊の野の巫女《みこ》たちに対して仄《ほの》かないとおしさをおぼえた。彼は二、三歩追い、ふと気がついたように手の紙片を投げすてた。
スゥイフト作「ガリヴァー旅行記」の予告は、蒼《あお》い海の方へヒラヒラと飛んでいった。
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(本編中キッド・バラッドの訳は別枝達夫氏の「キャプテン・キッド」によります)
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お庭番地球を回る
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むかし世上にて申したことだそうでございますが、村垣《むらがき》と申す家名の者がお庭番を長く勤めて、殊に御用に立った者で、四代目|位《くらい》になりますが、淡路守範正《あわじのかみのりまさ》がお庭番に出まして、後にアメリカへ初めてお使いにゆくとき、新見豊前守《しんみぶぜんのかみ》と一緒に参りました。
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[#地付き]――「旧事諮問録《きゆうじしもんろく》」――
一
安政六年九月十三日、外国|奉行《ぶぎよう》新見豊前守|正興《まさおき》、同じく村垣淡路守範正、お目付|小栗豊後守忠順《おぐりぶんごのかみただまさ》は、平生のごとく登城したところ、にわかに麻の裃《かみしも》をつけて芙蓉《ふよう》の間《ま》へ出頭することを命じられ、じきじき井伊大老《いいたいろう》から渡米することを命じられた。用件は前年神奈川で調印された日米通商条約交換のためである。
これに伴って、村垣淡路守ほど変な「特命」を受けた外交使節はまたとあるまい。――
遣米使節の目的、規模、旅程などについて説明のあったのち、大老は特に淡路守をひとり残し、やおら声をひそめて、
「村垣、おぬし忍びの術を覚えておるか?」
と、きいたのである。
それ以前に、アメリカへゆけと命ぜられたときから、淡路守は、脳|味噌《みそ》が真っ白になるほど仰天している。往古の遣唐使は知らず、支那《しな》どころか、二千三百里になんなんとするアメリカへ、使節として自分がゆくとは。――
いかにも自分は新見豊前守とともに、ここ一、二年外国奉行をやっているに相違ない。またそれ以前|箱館《はこだて》奉行も勤めていたには相違ない。しかし特に異人が好きなわけではなく、外国についての知識が深いわけではない。それどころか。――
人は、ここ数年の自分を見て、異例の出世だという。なるほどもとは軽輩のお庭番である。それがともかく外国奉行とやらになったのだから自分でも驚いているのだが、それというのも元来の職責から蝦夷《えぞ》地の探索御用など勤め、それがもとで、ほかに異人相手の交渉に馴《な》れた大名も旗本も皆無《かいむ》に近いところから箱館奉行などいうものになり、あとは大老の命ずるまま、わけもわからず無我夢中にその方面で御奉公して来たに過ぎない。
本音《ほんね》からいうと、攘夷《じようい》攘夷とさけびまわっている浪士などより、もっと異人に拒否反応を覚えている。何のために開国するのか、まだ心から納得《なつとく》出来ていない「外国奉行」なのだ。
そしてまた外国奉行なるものが、自分にとっては大出世にはちがいないが、それが新設されてからわずか二年ほどのあいだに、もうかれこれ十人近く、手当り次第、猫《ねこ》の目みたいに交代しているという職なのだ。
「御大老、仰せの趣きは承りましたが。……」
淡路守は、改めて井伊大老がいま自分に何やらいったことも、まだ意識の外にある状態であった。
「このお役目、ほかに適当なお方があるのではござりますまいか。前任の方々もあまたおわすことでもありまするし……まだお若い新見どの小栗どのはよろしいとして、拙者、なにぶん四十七歳という年でもござりまするし。……」
彼は蝦夷《えぞ》地での風雪にさらされた前半生のせいか、顔は黒ずみ、びん[#「びん」に傍点]にも白いものがまじり、歯はあちこちと抜けおちて、年よりもっと老《ふ》けて見えた。
「おぬし、お庭番を相勤めておるころ、忍びの修行はいたさなんだか?」
と、大老はくり返した。
「――は?」
はじめて淡路守はキョトンとした。
「もしその方の心得があれば、それを役立ててもらいたい」
淡路守は、かんちがいした。大老が自分一人を残したのは、その後思い直して、自分だけをこのたびの役目から免除して、もとの仕事に返してくれるものと考えたのである。
「おう、その儀ならば、拙者自信がござりまするが。――」
と、眼をかがやかしていった。大老は満足げにうなずいた。
「さもあらん。それなればこそ、おぬしを選んだ甲斐《かい》がある」
「――えっ?」
「このたびのお役目はな、条約の批准《ひじゆん》書を手渡すだけで、面倒な折衝などは何もない。ただメリケンと和親の実をあげてくればよいのじゃ。ただしあちらに、未開の国から来た使者だと見くびられては皇国のおためにならぬ。さればによって正使たる豊前、副使たるおぬし、いずれも十万石の大名の格式を以《もつ》て送り出す。そのために供廻《ともまわ》りの者どもも、いまのところ二百数十名を予定しておる。――」
淡路守は歯のぬけた口を半分あけたままであった。彼は自分の役目が解かれたわけではなかったことを知ったのである。
「よいか、二百数十人の日本人が海を越えて、碧眼《へきがん》紅毛の国へ使いするは開闢《かいびやく》以来のことであるぞ。かの地においての評判は皇国二千年の名誉にかかわり、かつまた未来の国威にかかわる。――小栗を目付として加えたのはそのためもあるのじゃ」
と、大老は厳然としていった。
「が、それではまだ心もとない。何しろ二百数十人じゃ。また異国でのことじゃ。とうてい小栗一人では眼のとどくすべもない。さればによって、村垣、もとお庭番たるおぬしの昔取った杵柄《きねづか》を借りたい」
「あいや。――」
淡路守は狼狽《ろうばい》した。
「もはや、異《い》を申すな。わしとても、何もかもはじめてのことばかりを、鉄心を以て行うておる。すべては皇国のためじゃ」
言葉の内容よりも、淡路守は大老の形相《ぎようそう》に圧倒された。去年、おのれの外交方針に異を唱えた公卿《くげ》大名浪士数十人を一網打尽《いちもうだじん》に断罪したばかりの、まさに鉄血の宰相の面《つら》だましいである。
「よいか、村垣。――使節の供の者のうち、恥をさらすもの、あるいはメリケンに恥を受くる者一人もなからしめよ。四方に使いして君命を辱《はずか》しめず、とはこのことじゃ。それはかかっておぬしの肩にあると思え」
「――はっ」
「お庭番の任たるや、いわば監察御使《かんさつぎよし》、おそらくお庭の制始まって以来、これほど重く、かつこれほど大いなる役目はなかったであろう。――日本国のために頼みいるぞよ」
「――へへっ」
一瞬、あらゆる理性を失って、淡路守はがばとひれ伏した。
井伊|直弼《なおすけ》は、はじめて肩の荷を下ろしたようにおだやかな声でいった。
「村垣、大役をすませて帰朝ののち、ゆるりとメリケン道中の話を聴きたい喃《のう》。いや、柄《がら》にもなき大役はおたがいさまじゃ。わしも、一日も早う御役御免となって閑日《かんじつ》の茶のみばなしを愉《たの》しみたいわい。このごろ、しきりにそう思う」
笑ったその顔をふり仰いで、村垣淡路守は、はじめてこの偉大なる大老を、涙ぐむほどなつかしいものと見た。――その首が、それから半年もたたないうち桜田門外で胴体から離れることになろうとは、夢にも知らないで。
日本の使節を運ぶために派遣されたアメリカの軍艦ポーハタン号が品川沖をいよいよ出航したのは、翌安政七年一月二十二日、陽暦にして二月九日の夕刻であった。
もともと三百十二人の乗組員を乗せている二千五百トン足らずのフリゲート艦である。これにさらに二百数十人の一行が乗り込んで来るというのでアメリカ側では胆《きも》をつぶした。正式の使節は正使、副使、お目付の三人で、これに多少の随員がつくとしても二百数十人とはどういうわけかときいてみると、何しろ三人が十万石のダイミョーの格式だからという。とにかくそれでは船が沈没してしまうと折衝のあげく、日本側は総勢七十七人までへらすことに譲歩して、それでギリギリ一杯だといった。
人数は削減されたものの、おびただしい刀、槍《やり》、陣笠《じんがさ》、衣服、夜具から、七十七人が何ヵ月か食うに足りる米、餅《もち》、蕎麦《そば》粉、味噌《みそ》、醤油《しようゆ》、茶、沢庵《たくあん》、梅干、かつおぶし、それに提燈《ちようちん》から草鞋《わらじ》まで――黙って見ていると全員の鎧《よろい》、兜《かぶと》までかつぎ込んで来そうな雲ゆきなので、それには及ぶまいと願い下げにしてもらったが――出航早々は、甲板《かんぱん》に山のごとく積みあげられた日本の日用品が海へこぼれおちんばかりであった。
ともあれポーハタン号は、知事《ガバナー》同格と見て日本使節を迎えいれる十七発の礼砲をとどろかせたのち、吃水《きつすい》線も重げに江戸湾を出ていった。
二
自分の手によって開国させたアジアの一島国の使節団を、太平洋を越えてはじめて自国へ案内する軍艦として、好意と責任感と好奇心に満ちていたのは、ポーハタン号のタナットル提督、ピアソン艦長以下すべての乗組員同様であったが、ダグラス・ショック大尉はその感情のもっとも旺盛《おうせい》な一人であった。
使節団を後部上甲板に迎えて、タナットル提督が、
「小官は、偉大なる日本を代表する貴卿《きけい》らをわがアメリカ合衆国にお迎えすることを深く光栄とするものであります。軍艦のことでありますから何かと御不自由のことも多いかと存じますが、せいぜいおくつろぎになって愉快な航海をなされんことを祈ります」
と挨拶《あいさつ》し、日本人通辞の長崎|出島《でじま》出身の名村八五郎がこれを訳して伝えているあいだに、ショック大尉はメイン・マストにひるがえっていた星条旗を下ろし、日の丸の旗をかかげさせたほどであった。
使節団の上位の役人たちには士官室を与えたが、七十七人のすべてを収容する余地のあるはずもなく、甲板の大砲をはずして小屋を立て、そこに入ってもらったのだが、彼らはそこに畳を敷き、火鉢《ひばち》を置き、柱や梁《はり》のあいだに虫干しみたいに綱を張り、そこに笠《かさ》や合羽《かつぱ》やさまざまな道具をぶらさげ、たちまち居心地のよさそうな巣を作りあげてしまった。
江戸湾から太平洋へ出ても、なお海のかなたに雪をかぶって浮かんでいる富士を、日本人たちは甲板に総出になって眺《なが》めていた。どの顔にも共通した哀感があった。
しかし、それが消えると、いつまでもめそめそせず、彼らは彼らの新しい生活にきっぱりと船出した。ショック大尉はここ数年東南アジアで測量作業に従い、またポーハタン号とともに去年の暮から日本に来て、いろいろ観察しているのだが、改めてこの国民は他のアジア民族とはだいぶちがう、という感を新たにせずにはいられなかった。
その最も大きな特徴は、甚《はなは》だ好奇心にとみ、能動的なことである。
一面、へんに遠慮ぶかいところもあり、持ち込んだ火鉢のまわりにかたまって、煙草《たばこ》を吸ったり茶をのんだり――この日本人の煙草の、一吸い吸ったらたちまちなくなる煙管《キセル》というものも可笑《おか》しく、かつ彼らがむやみやたらに坐りこんで茶をのむのも奇妙な習慣であったが――気の毒なくらいおとなしく坐っている連中の多いことも事実であったが、しかしそれよりも非常に活溌《かつぱつ》な一面の方が目についた。
彼らは、はじめ艦内規則をよく守り、夜十時になると自発的に夜警の当番を回らせた。最初例の小田原|提燈《ぢようちん》を持ち出し、あわててそれは危険だからとやめてもらったのだが、与えられた角燈をぶら下げ、拍子木《ひようしぎ》を打ち、下駄《げた》をはいて仲間の居住地区をねり歩いた。
「四ツでござる。お静まり下され」
と、間歇《かんけつ》的に奇声を発しつつ。――
そして三日とたたないうちに、彼らは艦内規則を無視して、それぞれグループを作って、勝手に士官室や火薬庫や武器庫の見学に押しかけ出した。むろん、何人か乗っている通辞を先頭に立てて来るのだが、それ以外の連中も懐中から紙を出し、墨つきの筆をかまえていろいろと質問し、わかったのかわからないのか、それもまたわからないのだが、奇妙な文字で一生懸命に何やら書きつけるのだ。それどころか、だんだん図々《ずうずう》しくなって、無遠慮に士官や水兵をつっついて、
「ネーム、ネーム」
と名前をきき、それを日本字で書きとどめ、以後どこで逢《あ》っても決してその名を忘れないで、人なつこく変な発音で呼びかけて来た。
それくらいならまだいいが、船尾の甲板の舵輪《だりん》のそばにやって来てしつこく質問し、はては制止しても平気な顔で機械に手を出そうとしたりする。あるいは調理室にはいり込んで――肉やバターやミルクには決して手を出さなかったが、酒と甘い菓子には目がなくて、御愛想に与えるときりがなく、酒のごとき、放っておけば歌をうたい出すまで酔っぱらってしまう。その日本の歌たるや、水兵の一人が「落胆のセレナーデ」と両手をひろげたほど哀れな調子であったが。――
しかし、これらについて文句をいう者があるたびに、ショック大尉はたしなめた。
「われわれが世界へはじめてひっぱり出した民族じゃないか。われわれにはその面倒を見る責任があるんだ。それに、これほど教育のし甲斐《がい》のある素質を持った優秀な生徒はちょっとなさそうだぜ」
彼は、水兵たちが悲鳴をあげて、あれだけは海へ投げ込むことを許してくれと哀願した漬物樽《つけものだる》を「日本のピックルス」と呼んで彼自身鼻をつまみながらもかばい通し、また、いちど何かのはずみで一水兵が日本人を、「マストにぶら下げてやろうか」とおどしたのをききとがめ、「そんなことをいうお前こそ帆桁《ほげた》にぶら下げてやるぞ」と顔を真っ赤にしてどなりつけたほどであった。
そのショック大尉も、どうにも眉《まゆ》をひそめずにはいられない日本人の一習慣があった。それは上司に対し、あまりにも卑屈の度が過ぎることだ。彼らは上役の前に出るときは蟹《かに》みたいに這《は》い、命令をきくときも報告するときも頭は下げたままで決して相手の眼を見ることがない。それどころか、艦中で上司とゆき逢ったときのお辞儀たるや、未熟のマルメロを食べて急性胃|痙攣《けいれん》を起したとしか思われない。
そのうちに大尉は、日本人たちがいちばん怖《おそ》れているのは、どうも副使の人物らしいと気がついた。何となくそう感じて、注意して見ると、いかにも正使たる新見豊前守《しんみぶぜんのかみ》よりも、村垣淡路守《むらがきあわじのかみ》の方をはばかっていることはたしかであった。
もっとも容貌《ようぼう》も、色白で上品な新見|卿《きよう》よりも、色黒く、馬みたいに長い顔をし、歯の欠けた村垣卿の方がこわいことは事実だ。忌憚《きたん》のないところをいうと、日本人に好意を持とうと努めているショック大尉も、これだけはいただけない悪相であることを認めざるを得ない村垣淡路守であった。しかも彼は、ほかの日本人のように無意味な笑顔は絶対に見せない。アメリカ人を見るときは、ふだんこわい顔がいっそうこわいものになる。のみならず――大尉は二度か三度、夜中、角燈も持たずたった一人で、影のように日本人居住区を忍び足にそっと歩いているのさえ見たのである。それ以外のときは、正使以上に威張っているかに見える彼とは思われないような挙動だ。
「あれはどういう人物か?」
彼は改めて通辞の名村にきいた。
通辞は、村垣淡路守は現在外国奉行で、それ以前は箱館奉行であったといった。そんなことはきかなくても知っている。――ショック大尉にはもう一つ、あまり感心しない日本人の癖があった。それは日本人がこちらのことは根掘り葉掘りきくくせに、自分たちのこと、特に上官の人柄や経歴については、言を左右にしてはっきりものを言うことを避けようとすることであった。
しかし大尉はまもなく士官用の食堂で、酒好きな別の通辞の立石得十郎に、マディラ酒を餌《えさ》に村垣の素性をきいた。
「……左様、淡路守さまは以前お庭番の御出身であったとか承っております」
「オニワーヴァン?」
それが将軍の個人的|密偵《みつてい》であることを知って、大尉の興味は急速に昂《たか》まった。通辞はまた幕府の諜報《ちようほう》組織として伊賀《いが》組甲賀組というものがあり、このごろはあまりきかないけれど、それらスパイには超人的な技術者が多かったという伝説を口にした。
「その超人的技術とはどんなものですか」
「それは、驚くべきものです。例えば。――」
立石は酩酊《めいてい》した眼を異様にかがやかせたが、すぐにまたあいまいな表情になって、
「まあ、魔法使いのような。――」
と、いった。
「だから、例えばどういうことですか」
「いえ、申しあげてもお信じにならないでしょう。……実は私もそんなわざを実際に見たことはないのでよく知らないのです」
それが事実なのか、あるいは日本人の例の自己|韜晦《とうかい》なのか、大尉は判断しかねた。
「それで村垣卿もそんなわざの持主だというのですか」
「いえ、淡路守さまがお庭番をなされたのはずっとお若いころのことだときいていますし、それに私のいまいった魔法は主として伊賀組にかかわることですし。――」
「伊賀組とお庭番とは全然関係がないのですか」
「アイドウナットノウ!」
と、ふいに立石はさけんだ。ぎょっとするほどかん高い声で、眼が恐怖に見ひらかれていた。
大尉はふりむいて、食堂の入口にじっと立っている村垣淡路守の姿を見出した。
三
オニワーヴァン? 将軍のスパイ? イガーグミイ? 驚くべき魔法使い?
ショック大尉の探究心は、しかし以上の最初の知識だけで中断された。村垣の出現で立石がグラスを放り出して逃げていったばかりでなく、その夜からポーハタン号は大変な嵐《あらし》に襲われ出したからである。
それはタナットル提督もピアソン艦長もまだ経験したことのないほどの、吹雪《ふぶき》さえまじえた大暴風であった。艦の傾斜は四十度に及び、救命ボートの鎖はひきちぎれ、水兵の数人はマストからはね飛ばされて重傷を負うという騒ぎである。それでなくてさえ船酔いの少なくなかった日本人たちは完全にグロッキーになった。
ついでにいえばポーハタン号の三日前に日本を出港した例の咸臨《かんりん》丸が、やはり前方でこの嵐にぶつかっている。咸臨丸の目的は、ポーハタンの使節団一行がつつがなくアメリカに到着するかどうか見とどけて、先に日本に帰って報告するという役目であったが、もう一つ艦長|勝麟太郎《かつりんたろう》の壮図《そうと》として、日本人だけで操艦してポーハタン号の日本人よりも先に太平洋を横断して見せるということがあった。ところがこの嵐以来――「勝という人は至極船に弱い人で、航海中は癈人《はいじん》同様、自分の部屋の外に出ることも出来なかった」と、同乗していた福沢諭吉に笑われたようなていたらくになってしまった。これはべつに勝艦長だけの醜態ではない。それがともかく無事に太平洋を渡り切ったのは、幕府が万一のためにと乗艦させていたアメリカのブルック大尉以下十人の水兵の必死の働きのためであった。
ポーハタン号の日本人も、同様の惨状であった。甲板の上の臨時居住区などは怒濤《どとう》に洗われておし流され、そこにいた全員下の船室や廊下へ逃げ下りて来たが、まともに立っている者はほとんどなく、累々と横たわり、這《は》いずりまわり、そして足の踏み場もないほど吐物《とぶつ》を撒《ま》きちらしていた。
アメリカ側の士官と水兵はここでも日本人から見ると超人的に働いた。ショック大尉はむろん日本人に手伝ってもらう意志はまったくなかったが、ただところかまわずはいり込んで、至るところ転がりまわり、嘔吐《おうと》しているのにはウンザリした。目ざわりでもあり、邪魔でもあった。
それにもかかわらず彼らの上司が、嵐《あらし》がはじまって以来一昼夜を経ても、自分の個室に閉じこもったきり、部下を統制するために姿を現わすということが全然ないのには、さすがに不満をおぼえた。だから偶然、村垣淡路守の部屋の前を走り過ぎるとき、ドアの前にうずくまっている通辞の立石を見て、
「村垣卿に伝えてくれ」
と、どなりつけた。
「日本人のへど[#「へど」に傍点]でアメリカの軍艦を沈める気かと」
それから三十分ばかりたって、大尉はまた偶然同じところを反対側に走り過ぎようとして、そのあたりの光景が一変しているのに気がついた。廊下のへど[#「へど」に傍点]は消え失《う》せていた。両側には日本人がみな直立していた。まるで魔法のようであった。
そして廊下を曲ったところで、彼は村垣淡路守を発見したのである。彼は真《ま》っ蒼《さお》な顔をして、眼もおちくぼみ、立つというより首吊人《くびつりにん》みたいにふらふらゆれて、いま怪鳥《けちよう》のような声をあげたところであった。
同時に、彼の足もと一帯にひざまずいた日本人たちが、手に手に小桶《こおけ》を捧《ささ》げて、いっせいにその桶に馬みたいに首をつっこむのを見たのである。大尉はのぞいて、その桶の中にあるのが彼らの吐いたへど[#「へど」に傍点]であることを知った。
日本人たちは、それを食った! 村垣淡路守はそれを命じたものに違いない。――
「死するともアメリカの船を汚《けが》すな。日本国の誇りにかけて!」
――事実、淡路守がそう叫んだということを、二日つづいた荒天が去ったあと、大尉は通辞立石からきいた。
「まるで魔法を使ったのかと思ったよ」
と、大尉はいった。
「なるほど船酔いをさます法、そのあと始末の法として、自分の吐いたものを食わせるということは、ずばぬけた法かも知れないが。――」
と、うなってから、ふと気がついて、通辞の顔を見た。
「ミスター・タテイシ、あれがオニワーヴァンの術の一つですか?」
まだ病人のようにふらふらしている通辞立石は、
「……そうでもござるまいが……」
と、世にも頼りなげな、あいまいな声でいった。
四
このへど[#「へど」に傍点]食いを日本の魔法とはまさかショック大尉も思わなかったが、村垣淡路守《むらがきあわじのかみ》に対する印象がやや変ったのは事実である。大尉は彼にいささかの敬意をおぼえ出した。
アメリカの士官にひそかなる敬意を抱く者が出来たことを、知るや知らずや村垣淡路守は、依然として沈鬱《ちんうつ》な、こわい顔をしている。敬意の有無は別として、この副使がいちばん難物であることを、アメリカ側のだれもが認めはじめたことはたしかであった。とにかく頑固《がんこ》である。
タナットル提督は、礼儀のためと、それから内心ひそかに日本使節に洋食の嗜好《しこう》とマナーを教えるために、三使節を毎日|晩餐《ばんさん》に招く。最初のうち困惑した顔をしていたのは三人とも同様であったが、そのうち新見《しんみ》、小栗《おぐり》は次第に馴《な》れて来たように見えるのに、村垣だけはいつまでたってもパンに砂糖をつけて、水ばかり飲んでむっつりしている。
仔豚《こぶた》の丸焼きがはじめて出たとき、三人は驚愕《きようがく》した眼つきになり、それでもほかの二人は、タナットル提督みずからナイフで切り分けてすすめられるに及んで口に運び、小栗のごときは案外|美味《うま》いと思ったらしい表情で村垣に何やらいった。そのときショック大尉も相伴《しようばん》していたのだが、
「アダチガハラではござるまいし!」
と、淡路守がにがにがしげにいって、そっぽをむいたのを見聞した。
このころ思うところあって、ショック大尉は出来るだけ日本語を覚えようと努めていたので、何となく彼の語韻《ごいん》に侮蔑《ぶべつ》のひびきのあるのを感じ、あとでアダチガハラと聞えた言葉の意味を通辞にきいて、それが奥州安達《おうしゆうあだち》ケ原《はら》の鬼婆《おにばば》という日本の食人種の古伝説であることを知った。
そして淡路守は、あとで必ず自分の部屋に、日本人の料理人による日本の食事を――例の異臭を発する大根のピックルスをはじめとする、どうしてあれで栄養がとれるのかとふしぎに思われる食事を運ばせているらしい。
ハワイへついたのは、日本を出てから二十三日目、陽暦三月五日のことであった。
ハワイはこのころまだ王様のいる独立国であったが、実質上はむろんアメリカの保護下にある。ポーハタン号はわがもの顔にホノルルの港へ入っていった。そしてカメハメハ四世とエムマ王妃が特に日本使節に謁見《えつけん》を賜うということになったのだが、さてこれに最も頑強《がんきよう》に抵抗したのが村垣淡路守であった。
「われらははじめて国交を結ぶためにメリケンに参る国使でござる。そのメリケンに参る前に、国交なき土人国の王と交わりを結ぶのは御上意に反することではござるまいか。ともかくこの島に一歩を印することすらさしひかえたいと拙者は存ずる」
というのだ。
寄港地の国王に招待されてそれを拒否するのは礼儀にそむくとショック大尉らに説得されて、やっと彼は上陸を承知した。何しろ乗員の休養、船の修理、それに水、石炭を積み込むためにここに二週間|碇泊《ていはく》するというのだからしかたがない。
いざ謁見ということになっても彼は、たかが大海中の小島の酋長《しゆうちよう》に会うのに仰々《ぎようぎよう》しく礼装しては皇国の威光にかかわるといい出し、ふだん着のままゆくことを主張して、これはみなを承服させた。――しかし、やがて上陸して、王宮への馬車に乗せられてから、淡路守の顔に、「これは」という動揺の色が浮かんでいるのをショック大尉は発見した。
重だった者と通辞だけ七人、四台の美しい馬車に乗ってゆくのを、島の人々が沿道にならんで、「アロハ、アロハ」と歓呼する。白堊《はくあ》の王宮に到着すると、儀仗《ぎじよう》隊と音楽隊が迎える。あっけにとられたような顔で、やがて謁見室に入ると、王様と王妃が正装して現われた。これに鳥の羽根や宝石を飾った護衛兵や侍女が従う。――とうてい土人国の酋長などいうものではない。
カメハメハ四世はねんごろに会釈《えしやく》を賜い、「碇泊中種々の御不満があれば遠慮なく申しつけられて、愉快に滞在してくれるように」
と、笑顔でいった。王様は金の飾帯をつけ、王妃はあらわにした両肩に純白のヴェールをまとい、堂々たる正装であった。これに対して日本使節団はただ黙礼しただけであった。
茫然《ぼうぜん》としてフレンチ・ホテルという宿舎に戻《もど》り、夕方になるとこんどは王室医師から使者があり、特に日本使節のために舞踏会をひらくから是非おいで下さるようにとの案内である。
「日本では然《しか》るべき者は夜遊びに出ぬ習いでござる。とくにアメリカへの大任の道すがら、途中で踊って遊ぶなどかたく御遠慮申しあげる」
と、淡路守がまたいったので、この舞踏会へ出かけたのは下役の連中だけであったが、しかし断わる淡路守の顔に、はじめていかにも申し訳ないといった表情が漂っているのをショック大尉は認めて、この人物も人間の感情を持っていないわけではないと感じた。
この夜、淡路守は日記にしるした。
「御亭主《ごていしゆ》はたすきがけなり奥さんは大肌《おおはだ》ぬぎで珍客に会う」
ハワイの王様と王妃のことだ。同じ夜、ダンス・パーティにいった若い従者たちは、生まれてはじめてガス燈の下で男女手をつらねてフォーク・ダンスを踊る光景を見て、その一人は、「羨《うらや》ましき限り」と嘆じた。
ハワイ滞在中、一行のホテル代は一八二四ドル、日本金にして一三六八両であった。村垣淡路守はこれを支払うことを主張したが、ハワイ側はどうしても受け取らない。押問答のあげく、
「しからば帰国後、改めて日本より御返礼いたすでござろう」
ということでケリがついた。
実はこの件のため日本側は、それならば条約未締結国のお宿にただで御厄介《ごやつかい》になっておるわけには参らぬといい出し、二週間の碇泊中後半の一週は船にひきあげてしまったほどである。日本使節団のかちんかちんの義理固さには手こずりつつ、しかしアメリカ人たちは好感のこもった微苦笑を禁じ得なかった。
「つまり、サムライだ」
と、ショック大尉は仲間にいった。
三月十八日、ホノルルを出航するとき、王妃は侍女を従えてわざわざポーハタン艦上まで見送りに来た。パンチボールの砲台では十七発の礼砲を撃った。
五
ショック大尉が、出来るだけ日本語を学ぼうと思ったのは、日本人がだんだん好きになって来たせいでもあるが、もう一つ、ふと聞いた例の日本のスパイ組織――お庭番とか伊賀組などに少なからぬ好奇心を持ったからでもある。
そのことを改めて質問しようとしても、例の通辞立石をはじめ、どの日本人も言を左右にして質問をそらしてしまう。中には、通辞でないのに、向うから英語をおぼえて、
「ザットナットマイビジネス」――それは私には関係ないことです。
とか、
「トイズサーテンリーナットユアーズ」――あなたにも関係ないことです。
などいって、日本人特有のえたいの知れぬうす笑いを浮かべるやつもある。大尉はいよいよ日本のスパイへの神秘的興味がつのった。
そこで日本語と英語の交換授業をたねにして、ほかの日本の歴史や習慣に対する知識にまぜてこれを探究することにしたのである。最もよくしゃべってくれたのは通辞立石得十郎の甥《おい》で立石|斧次郎《おのじろう》という十七歳の通辞見習いであった。活溌《かつぱつ》というよりオッチョコチョイに近く、それだけいちばん愛すべき少年であったが、しかし大尉の最もききたいかんじんのお庭番については最も知らないのだ。彼のみならず、ほかの日本人もそれについて――決してごまかしているわけではなく、実際何も知らないらしいことを、まもなく大尉は見ぬいた。しかも、その構成、技術、功績など何も知らないのに、それを怖《おそ》れること一通りではない。その恐怖ぶりにはただならぬ迫真性があって、大尉の心にいよいよそれについての秘密の奥深さを感じさせた。
しかも一方では伊賀組に対しては、これは憧憬《どうけい》に近い信頼を抱いているらしい。彼らはそれを忍者――ニンジアと呼んだ。大尉は通辞立石から超人的技術とか魔法使いとかいう説明をきき、それ以後きいてみると、二本の足で水を渡るとか、空中を走るとか、煙とともに消え失《う》せるとか、全然非合理な、他愛もない空想的な話で、事実彼らのだれ一人もそれを見たことはないらしいのに、それに対する信頼は絶対的なものがある。特に立石斧次郎など、信仰にちかい眼つきをする。
そして、お庭番と忍者とは、関係があるようでもあり、ないようでもあり、そこのところがあいまいである。――いったい村垣淡路守は、ニンジアであるのか、そうではないのか?
いちどまた、妙なことをきいたことがある。
「淡路守さまがたとえ忍者であるとしても、いわば上忍、めったなことで軽々しゅう正体を現わされることはござるまいな」
きいてみると、忍者には上中下の三階級があって、飛んだり跳《は》ねたりするのは下忍といい、これを直接指揮する者を中忍といい、かつ更にその背後にある上忍は、ふつうだれも忍者とは知らない存在であるという。――これは世界のスパイ組織に共通する分類かも知れない、と大尉は首肯《しゆこう》した。
最高クラスの大スパイ村垣淡路守。――それを日本政府が、このたびの遣米使節の副使として送り出したのはいかなる意図あってのことか?
――アメリカの国家機密を探るため?
太平洋戦争直前のことならショック大尉もそう考えたかも知れないが、この当時、八十年後、日本がアメリカに戦争をしかけて来ようとは、月へ飛ぶよりもっと空想を絶していた。アメリカは朝野をあげて、この東洋の小島国の使者に自分の国のあらゆる制度、文化、そして軍事力さえも見せてやるつもりだったからだ。だいいちショック大尉には、かりにアメリカに盗まれては困る国家機密があったとしても、どう考えても日本の使節にそれを盗む力が――理解力があろうとは思われなかった。
だから、沈鬱《ちんうつ》な村垣淡路守の存在が、いよいよ以てショック大尉には不可解な、神秘的なものに見えて来るのだ。
ポーハタン号がサンフランシスコに辿《たど》りついたのは、ホノルル出航後十一日目、日本出航以来四十九日目の陽暦三月二十九日のことであった。
金門湾に入ると、そこにいた軍艦船舶のむれはもとより、砲台からも二十一発の皇礼砲を撃ち、ために港もかすむばかりであった。その十三日前にやっとのことで先着していた咸臨《かんりん》丸も、兄を見た弟のごとくポーハタンを迎えた。
咸臨丸に乗って来た福沢諭吉は書いている。
「サアどうもあちらの人の歓迎というものは、それは到れり尽せり、この上はしようがないというほどの歓迎で、アメリカの身になってみれば、自分らが日本の鎖国を開いてペルリの日本行きから八年目に、その日本人が自分の国に航海して来たというわけであるから、ちょうど自分の学校から生徒が就職して遊びに来たといった気持に違いない。不自由をさせぬようにと気を使っていた。
サンフランシスコに上陸するやいなや、馬車で迎えに来て取りあえず市中のホテルで休息という。そのホテルに市中の重だった人が山のように集っての大|御馳走《ごちそう》。船は航海中だいぶ破損したからとてドックに入れて修繕してくれる。かねてから日本人は魚が好きだということを知っているので、毎日毎日魚を持って来てくれたり、また日本人は風呂《ふろ》に入るのが好きだというので毎日風呂を立ててくれる」云々。
連絡用の咸臨丸でさえこの騒ぎだから、ほんものの使節団の到着とあってはもう何といっていいかわからない。
ちょうど時を同じゅうして、アメリカでは東部と西部を八日間でつなぐ「大陸横断騎馬郵便《ポニー・エクスプレス》」が生まれていた。途中インデアンの襲撃にそなえて、ピストルを腰にした郵便騎馬だが、その第一報が、この日本使節団アメリカに来たるというニュースであった。
「ポーハタン号の士官たちは、日本人でなければ七十七人もの余分の人間を運んで来ることは出来なかったろうといっている。それほど日本人たちは紳士的だったのである。彼らは常に礼儀正しく、自分たちが客であることを忘れることがなかった。
われわれ記者団が、入港して来たポーハタン号を訪問すると、この軍艦は全く日本使節団一行に占領されたような印象を受けた。それはポーハタン号の方で、日本使節たちが航海中あらゆる点で愉快な航海を続けられるように気を使っているからであり、この変った訪問者たちによい印象を与えたいという配慮からであった。
彼らは床の上に坐って、みな上|機嫌《きげん》である。彼らの一人は仲間の髪を結《ゆ》っていた。結ってもらっている当人は両足を組んで幸福そうに仲間のするままにまかせていた。彼らは二本の研《と》ぎあげられた刀を差していて、頭髪はポマードの費用などお構いなくいっぱいに使って入念に結んである」
上陸すると、早速サンフランシスコ市長の歓迎大|晩餐《ばんさん》会がひらかれる。そこへ赴く途中の町々で一行の馬車を市民は日の丸の旗を振って迎え、晩餐会には市の役人たち百五十人ほどがつらなった。
シャンペンの乾杯を、村垣は「砲声のごとし」と書いている。このときは列席していなかったが、福沢諭吉もシャンペンについて、「徳利の口をあけると恐ろしい音がして、変なことだと思ったのはコップの中に何か浮かんでいる。三月四月の暖かい陽気に氷があろうとは思われない。コップに浮いているものを口の中に入れて胆《きも》をつぶして吹き出す者もあれば、ガリガリ噛《か》む者があるというようなことで、やっと氷だということがわかった」と書いている。
しかし、果てしない乾杯に村垣淡路守は次第に難しい顔になり、一時間もたたないうち、
「キリがないから、そろそろ失礼しないか」
というような意味のことを通辞にいったのを、ショック大尉はきいた。
市長はあっけにとられたような顔をしていたが、しかしすぐに礼儀正しく閉会を伝え、音楽を奏して一行を送り出し、市長みずから波止場《はとば》まで送って来た。
この晩餐会について村垣は、「まず江戸の居酒屋で鳶《とび》や人足が酒盛りをしているようなものだ」と評している。またピアノに合わせて女性歌手が歌ったのを「夜更《よふ》けに犬が吠《ほ》えるようなものだ」といっている。ポーハタンの水兵が日本人の歌を「落胆の音楽」と評したのと好一対《こういつつい》である。
このサンフランシスコで、村垣淡路守はむろんしるしてはいないが、はじめて変な術を使った。
六
それには、わけがある。やはり七十七人もの同勢であると、いろいろなやつがまじる。大老が案じた通りのことが起ったのだ。
サンフランシスコ寄留中は原則としてみなポーハタン号に泊るということになっていたのだが、すでに渡米目的を終った咸臨丸の乗組員の方は船の修理の終了までホテルをあてがってもらっているし、そこを訪ねて、一夜二夜、艦に戻《もど》らないやつも出て来た。それを禁止しようにも――船中ではショック大尉が不愉快に感じたほど上司に卑屈に服従していた日本人だが――はじめての異国のこととて、もう上司の方が勝手がわからなくなり、かつ言葉を覚えるのは若い連中の方が早く、自由に出歩いて取締りがきかなくなったのだ。
このころ、一行中にばかげた歌を作った者がある。
「キースしたさに人目を忍び廊下回れば腹がへる」
かくてサンフランシスコの公園で、散歩中の二人のアメリカ婦人に日本の春画を売りつけようとした三人の日本人が出て来た。どういう了見で、最初の太平洋横断にそんなものを日本から持って来たのかその気持が知れないが、とにかく警察の方から使節団にやんわりと抗議が申し込まれた。
この春画を当時のサンフランシスコ・デイリー・イヴニング・ブレティン紙は、「下等な春画であって、拙劣な版画で、優雅な感じとは程遠いもの」といっている。
事件のことを知って、村垣淡路守の面色は暗灰色に変った。彼は即刻三人を呼び出した。
その三人のうち、二人は咸臨丸の水夫で、源之助、富蔵という者であり、一人がポーハタン号乗組みの半次郎という男であった。しかも驚くべきことにこの三人は、サンフランシスコで売春婦を買い、もういちど買うための揚代《あげだい》十五ドルないし二十ドルを捻出《ねんしゆつ》しようとして右の愚行に及んだことを白状したのである。
「うぬら武士ではないが、日本の名誉を汚《けが》しおった。せめてもの償いに切腹をさしゆるす」
三人は真《ま》っ蒼《さお》になった。――ポーハタンへ呼び出されて、これも恐縮していた勝《かつ》艦長がやっと止めた。
「いや、お言葉だが、ハロカルだけはよした方がよござんすねえ」
「ハロカル?」
「毛唐《けとう》がね、切腹《ハラキリ》のことをそう呼んでるようですがね。どうもあまり感心せんで、人食い人種の首狩りと五十歩百歩の蛮習と思ってるようです。とにかくアメリカへはじめてお使いに来て、そこで仲間を処刑したとあっては影響がよろしくない」
押問答はあったが、結局、淡路守は自分の意志を撤回しないわけにはゆかなかった。
「……しかし、このままでは捨ておけぬ。これからのこともある。さればによって、わしがまじないをかける」
と、彼は三人をにらみつけていった。
「わしの部屋に来い。……いや、殺しはせぬから安心せい」
――三十分ばかりのち、不安な顔で待っていた勝《かつ》の前に現われた三人の水夫は、うなされたような表情をしていた。「何をされたのだ」ときいても、幽霊のように首をふる。
このとき村垣淡路守が試みたのは、村垣家相伝の「亀頭《きとう》相続」という忍法であった。
淡路守はそれでも幾つかの手持ちの「特殊技術」があったが、これだけは試みたのもはじめてだ。決して自信があったわけではない。
この術を、実は彼は若いころ父に実物教育でやられた。謹厳なること木の瘤《こぶ》みたいな顔をした彼も、かつては芸者にうつつをぬかしたことがあった。そのとき父は彼を呼んでこの忍法を施行した。それは父子対面して男根と男根を接し――むろん操作によって双方直立させて――父の方が或《あ》る呪文《じゆもん》を唱えつつ、おのれから子の亀頭《きとう》へ射精するという恐るべき儀式であった。
「爾今《じこん》しばらく、わしの意にそむく交合をして見よ」
と、父はいった。
「うぬの男根の亀頭は父の顔と変ずるぞよ」
――その通りであった! 二、三日後、その芸者のことを思い出し、ふと勃起《ぼつき》したおのれの男根にありありと父の――いまの自分そっくりの、ただし入道然とした顔を認めたのだ。淡路守はそれっきり二度とその芸者のところへ足を運ばなかった。
彼はそのとき覚えた呪文を唱え、この儀式を三人の水夫に試みたのであった。自信はないが、日本国の名誉にかけてと念力《ねんりき》こめて。
作者が思うのに、別に村垣家相伝の奇怪な呪文など唱えなくても、父ないし最もこわい長上にこのようなグロテスクな儀式を試みられては、だれでも或《あ》る程度この暗示は成功するのではないかと思われる。――
それどころか、数日後、三人の水夫はうつろな眼つきをしてあらぬことを口走りはじめ、咸臨丸の二人の方は飯も食わなくなって病院へかつぎこまれるといった始末になった。ポーハタン号がパナマへむけて出航してから咸臨丸が日本へむけて帰航の途につくまで、なお艦の修理のため一と月ばかりの期間があったのだが、結局そのあいだに源之助と富蔵は火の消えるように死んでしまい、ポーハタンの半次郎も頭がおかしいというのであとに残され、これもサンフランシスコから送り返されるということになったのである。
だから、これ以後のポーハタン号の日本人は一人へって総勢七十六人という記録になる。
噂《うわさ》はひろがった。
「アメリカで女買いすると、淡路守さまが一物《いちもつ》に現われてにらみなさるぞ。――」
勝《かつ》は首をひねって、死んだ富蔵や源之助や気のちがった半次郎のそれを、あとで点検してみたが、別に異状はなかった。もっともあれ以来アメリカで女買いはしていないが、それでは三人ともおかしくなってしまったのはどういうわけだろう?
ひそかな噂は、四月七日、サンフランシスコを出航したポーハタンの艦中で、ショック大尉もきいた。それで艦内での入浴時、日本人たちの男根をそれとなく偵察《ていさつ》して見たが――日本の男はそれを人前にあらわすことに平気である。日本の春画と大いに軒輊《けんち》して甚《はなは》だ卑小であるにもかかわらず――何の異変もない。
――もっとも、どうやらその怪異はアメリカ女性とどうとかするときに限るらしいが、しかしそれにしてもそんなばかな!
と、彼は肩をすくめたが、たしかにこの話に関して、日本人たちの恐慌《きようこう》ぶりは一通りでないものがある。
「やはり、村垣卿《むらがききよう》はニンジアか?」
ショック大尉は、日本政府がこの怪人物を副使としたのは、どうやら日本人たちの品行を監視するためであるらしいことをやっと知った。
――そして、のちにこの種の問題に関して一行の滞米中、充分そのチャンスの可能性があったにもかかわらず、ついにスキャンダルめいたことが起らなかったことについて、大尉はこのときの奇怪な噂《うわさ》を幾度か想起しないわけにはゆかなかったのである。
七
寄留したサンフランシスコを出航したポーハタン号は、カリフォルニア沖を南下して、四月二十五日、パナマに着いた。このころ運河はまだ開鑿《かいさく》されていなかったから、ポーハタン号とはここで別れて、大西洋岸まで汽車でゆくことになる。
ポーハタンのタナットル提督たちは涙を浮かべて握手して見送ったが、ショック大尉だけはなお送り役として日本使節団と行を共にした。
日本人が汽車に乗った事始《ことはじめ》である。彼らは交替で機関車に乗せてもらうことをよろこび、車室に戻ることをすすめられても、「ノー、ベリグッド、モア」と変な英語で拒否するほどであったが、村垣淡路守は車室から動かず、「汽車とは殺風景なものだ」と手帖《てちよう》に書き入れた。ただ途中で氷と砂糖を入れたオレンジ・ジュースを出されて、
「アメリカでの御馳走《ごちそう》の第一でござる」
と、いった。皮肉ではなく、実際にそう感じたらしい。
パナマ地峡を横断して大西洋岸に達すると、アメリカの第二の使節団用の軍艦ロアノーク号が待っていた。電信もない時代で、いつ日本の使節団が来るのかはっきりせず、この軍艦は十ヵ月も前からここでじっと待っていたのである。気候が悪い土地なので、十八人の士官と水兵が病気になって寝ていた。
ワシントンまでの半月ばかりの航海中、ロアノーク艦上での海兵《マリン》の剣を持っての格闘訓練を見学した。
「騒々しいのは大変なものじゃが」
と、淡路守は小栗豊後守《おぐりぶんごのかみ》にささやいた。
「実戦となったら、日本の剣法には到底及ばぬなあ。まるで日雇い人足の棒振り同然。そうではござるまいか、のう小栗どの?」
同日、日本人たちは東照|大権現《だいごんげん》の御供米というものを持ち出して、甲板に出した三方《さんぼう》に供え、正使から順々にそれを戴《いただ》いては東方を九拝した。
この儀式を眺《なが》めながらショック大尉は、ひょいと、
「――日本は反対側ではありませんか?」
といいかけて、中止した。地球はまるいのだから、どっちをむいて拝んでも、彼らの誠意は日本の武神に達するだろうと思い直したのである。
五月十三日、ハンプトン・ローズに到着した日本使節団は、出迎えの第三のアメリカ艦フィラデルフィアに移乗してポトマック河を遡行《そこう》し、十四日、ワシントンに到着した。
ワシントン・イヴニング・スター紙はこのことを伝えて、十五日の記事にこう書いた。
「日本人はおそらく世界で最も上品な礼儀正しい人種であり、アメリカではとるに足らぬようなことでも彼らに対して礼を失し、彼らの威厳を傷つけるようなことがあれば、彼らの来訪によって期待されるアメリカの利益を多かれ少なかれ傷つけることになる。われわれは全力を尽してこの遠来の珍客に好印象を与えるように努めなければならない」
日本のサムライ使節団は、アメリカ側のこの買いかぶりを裏切らなかった!
ワシントンをゆく四頭立ての馬車の行列に、音楽隊と騎兵隊が従い、両側の高い石造りの建物からは花束の雨がふった。やがて案内されたのはワシントン最大のウィラード・ホテルであったが、群衆はこれをとり巻いて歓呼した。
「お賽銭《さいせん》でも投げてやれ」
と、村垣淡路守が苦笑いしていった。
それで高い窓から天保《てんぽう》銭を投げてやると、四角な穴のあいた銭を子供ばかりではなく大人までがよろこんで「ギブ・ミー・マネー」と叫び合い、奪い合った。
――作者の脳裡《のうり》には、昭和二十年秋、アメリカ兵のジープのまわりで、「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んでいた日本の子供たちの姿が浮かぶ。しかし安政のサムライたちは、ワシントンで銭を投げて、それを拾うアメリカ人たちを厳然と見下ろしていたのだ。
五月十七日、使節団はブキャナン大統領に謁見《えつけん》した。
この日、彼らのいでたちいかにと見てあれば、正使新見豊前守|正興《まさおき》は狩衣《かりぎぬ》に鞘巻《さやま》きの太刀《たち》、副使村垣淡路守|範正《のりまさ》は狩衣に毛抜き形の太刀、目付小栗豊後守|忠順《ただまさ》は同じく狩衣に鞘巻きの太刀を佩《は》き、烏帽子《えぼし》は萌黄《もえぎ》の紐掛《ひもか》け、糸鞋《いとぐつ》を履《は》き、以下、布衣《ほい》、素袍《すおう》、麻《あさ》 裃《がみしも》の随員、これに槍《やり》、挟箱《はさみばこ》、草履取《ぞうりと》りという堂々たる正統ぶりであった。
これにアメリカ側の鼓笛隊や騎馬隊がつづく。沿道を埋めつくす大群衆は、烏帽子を見て「ハンド・バッグ」とさけび、挟箱を見て「犬小屋《ケンネル》」とさけんだが、それは親愛と歓喜にいっぱいな声であった。
「かかる胡国《ここく》に皇国の光かがやかす心地して誇り顔にゆく」
と、村垣淡路守はしるしている。彼らは数万の群衆に目もくれることなく、毅然《きぜん》として前方のみをにらみつけて行進した。
やがて一行はホワイト・ハウスに到着して、ブキャナン大統領に国書を捧呈《ほうてい》した。国書は金蒔絵《きんまきえ》をした鳥之子《とりのこ》紙であった。
「うやうやしく亜墨利加《アメリカ》合衆国の大統領のみもとに申《まを》す。さきに下田|奉行信《ぶぎようしな》 濃《のの》 守《かみ》 源《みなもと》 ノ清直、目付|肥後守《ひごのかみ》藤原ノ忠震《ただなり》らに仰せて、その国の欽差《きんさ》全権|巴児利斯《ハルリス》とはかり、睦《むつ》びの典《のり》を定めて物売り買ふべき契《ちぎ》りのしるしの文《ふみ》を与へ、江戸の司《つかさ》にゆきかひせしむ。……」
日本人は目上の人に挨拶《あいさつ》するときはその顔を見ないのが習いだが、このとき使節団はブキャナン大統領の顔を直視していた。むろんブキャナン大統領には弁慶の勧進《かんじん》帳以上にわからない。
国書を捧呈して控室に戻ると、使節団歓迎委員長デュポン大佐がはいって来て、
「日本の儀式は終りましたか」
と、間のぬけた顔をしてきいた。
終った、というと、それではもういちどどうぞ、とまた謁見室にみちびかれて、改めて大統領から懇篤な挨拶があった。
やがてまた歓呼の中を威風堂々とホテルに帰ったが、村垣淡路守は憮然《ぶぜん》としていった。
「大統領と申せばこの国の王であろうに、商人同様、刀も差しておらぬ。あろうことか、儀式の席に女もおった。外国の使節を迎えるというのに茶も出さぬ。かかる蛮国に礼を尽して狩衣《かりぎぬ》を着ることはなかったわい、のう小栗どの?」
そしてまた帳面に歌をしるした。
「夷《えみし》らも仰ぎてぞ見よ東なるわが日本の国の光を」
しかし淡路守の不平は見当ちがいであった。
ワシントンに滞在していた二十六日間、アメリカ政府は連日のように招待し、また議会、造船所、天文台、博物館、劇場、学校、孤児院、刑務所などの諸施設をくまなく見学させた。
議会に対して淡路守は、日本橋の魚|河岸《がし》のごとしと評している。しかし一般に日本人は、美術芸能よりも制度や工場の機構の方に強い興味を抱くようであった。
それよりも、向うからおしかける市民の歓迎の方が大変であった。一日に何千人と手に手にプレゼントをかかえて訪れ、握手を求め、サインを求めるのだ。その中には何百キロもの遠方から汽車でやって来た人々も多かった。
「まるで遊行《ゆぎよう》 上《しよう》 人《にん》が回国して善男善女《ぜんなんぜんによ》に十念《じゆうねん》を授けるようなものでござるな」
と、淡路守は苦笑した。
町に出れば、市民が争って花束をおしつけ、女たちはキスを投げ、母親は子供を抱かせに群集する。店に入れば、一般客を放り出して、店員総出で接待するという騒ぎである。そして、みな争って自分の家へつれていって御馳走しようとし、それに成功した者は羨望《せんぼう》のまとになった。それどころか。――
「上流社会の貴婦人たちは、使節団中の最も美貌《びぼう》の二人の日本武士に夢中になっている。ホテルのメイドたちもほかの客はそっちのけであらゆる熱情を捧《ささ》げている。顔の色はどうあろうと、彼女たちの愛情を日本の紳士たちが受け入れたとしても、それは当然の結果であろう」
とさえ新聞に報ぜられるに至った。
彼らを案内して歩きながら、ショック大尉は次第に気をもみ出した。
大尉としては、自分の教育した生徒が世間に途方もなくもてはやされているのを見て一喜一憂する先生のような気持であった。喜びの方は、アメリカ人に毫《ごう》も卑屈なところを見せず立派にやってのけている日本人に対する誇りだが、憂いの方は、それにつれて日本人の中に次第にいい気になって驕慢《きようまん》の態度を見せるものが現われて来たことであり、またアメリカ人の中に時として反抗的に彼らを侮辱しようとするひねくれもの、ないし変り者が出て来たことであった。
八
六月八日、一行はボルチモアにむかった。使節の大任は終ったわけだが、出来るだけたくさんアメリカの都市を訪問してもらいたいという大統領の意向からである。
お別れの晩餐《ばんさん》会に招いたとき、日本の風習を気にしたブキャナン大統領は、
「お国の礼儀とちがい、婦人も相伴《しようばん》いたしますが、お気になされぬように」
と、特にことわった。
「御丁寧《ごていねい》なる御挨拶《ごあいさつ》で痛みいる」
と、村垣淡路守は答えた。それどころか、彼には珍しく愛嬌《あいきよう》をふりまいた。すなわち、晩餐会の席上、大統領の姪《めい》で美人のほまれ高いハリエット・レーン嬢が、
「日本の女性とアメリカ女性はどちらが美しゅうございますか」
と笑いながら話しかけたのに対して、淡路守はニヤリとして、
「お肌《はだ》の白いだけに、アメリカの御女性《ごによしよう》の方がよろしゅうござる」
と答えたのである。レーンはうれしそうに笑った。
末席できいていたショック大尉も、安堵《あんど》の微笑を浮かべた。――しかし彼は、その夜の日記に淡路守が、「アメリカ女は愚直なものだ」としるしたことは知らない。
ボルチモアでも、使節団の泊っているギルモア・ホテル前のモニュメント広場《スクエア》に二万人を超える群衆がつめかけ、日本人は三階のバルコニーに出て、日の丸の扇子《せんす》をひらいて応《こた》えたり、銭を投げたりした。
やがてそのホテルを対象に、ボルチモアはじまって以来の、全市のポンプ車総出動の消防演習が開始された。使節に見せるためである。蒸気ポンプ群から高い窓めがけて放水される壮観に、日本人たちはさすがに昂奮《こうふん》してざわめいているようであった。
事実、新見豊前守は小栗豊後守にささやいた。
「これが江戸にあったら喃《のう》……」
つづいて、消防夫の一隊が長い梯子《はしご》をたてかけ、熟練した敏捷《びんしよう》さでバルコニーに駈《か》け上って来た。このときにショック大尉の心配していたことが起った。
おそらくおびただしい見物人に有頂天《うちようてん》になったのであろう。梯子を駈け上って来た消防夫の一人が、水のしたたる自分の帽子を、たまたまそこに立っていた村垣淡路守の頭にピシャリとかぶせたのである。見物人はよろこんで万雷の拍手を浴びせた。消防夫はそのまままた梯子を駈け下りていった。
濡《ぬ》れた帽子を眼までかぶったまま棒立ちになっている淡路守を眺《なが》めたまま、大尉も棒立ちになっていた。この気難しい、自尊心の高い副使は、これをユーモアとは解しないに相違ない。
――梯子がはずされようとしてバルコニーから離れ、まっすぐに立った。そのとき村垣淡路守の姿が蝙蝠《こうもり》のように飛んで、梯子の頂上に乗り移った。そして、直立した梯子をボルチモアの消防夫の二倍の速力で駈け下りて、帽子をとって、そこに茫然《ぼうぜん》と立っていたいたずら消防夫の頭にピシャリとかぶせ、こんどは三倍の速力で駈け上って、頂上で何のためか片足をあげて見せたが、あっというまにまたバルコニーへ飛び帰った。
そして、今見た光景を信じられないように沈黙してしまった大群衆の頭上で、村垣淡路守はむっつりとして、懐紙《かいし》で自分の髪や頬《ほお》を拭《ふ》いていた。
――これだ、日本のニンジアは!
眼を見張っている大尉の前で、スワン市長が淡路守のそばに寄っておずおずと何かいい、これに対して淡路守が答えるのが聞えた。
「いや、トビと申す日本の火消しにとっては、かようなことはブレーキハスト前でござる。……」
誤解や懸念《けねん》のおそれは、そのあとの花火大会で吹き飛ばされた。アメリカ切っての花火師ウィリアム・ボンドのデザインによる仕掛花火の大|饗宴《きようえん》――なかんずく、最後にボルチモアの夜空を彩った巨大な火の車、その中に WELCOME JAPANESE とクルクル回っている大文字は、日本人たちの魂を奪ったようであった。
翌日はフィラデルフィアを訪れた。
そこへゆく汽車の中で、またショック大尉を二重の意味で嘆息させるような事件が起ったのである。
それを実は大尉は目撃してはいなかった。途中サスケハンナ河を渡るとき、ここは車輛《しやりよう》渡船になっていて、汽車をのせたまま河を渡る。それに驚嘆してその大仕掛を見ようとする日本人を甲板に案内して説明しているあいだに起ったことである。
そのときも村垣淡路守の乗った客車に、アメリカ人たちがおしかけてサインをねだっていた。無限につづく名刺書きに、死物狂いに矢立をふるっていた医者の村山伯元が、ついに小さな手帳をとり出して、そこにメモされていた言葉の中から自分のいいたい英語を探し出してさけんだ。
「タイアド」――疲れた!
そしてお辞儀をするばかりで、あとはとり合わなかった。するとその次に待っていた二、三人の田舎《いなか》紳士らしい連中のうち、毛むくじゃらの指三本に金の指環《ゆびわ》をはめた大男がいきなりナイフをとり出した。そして伯元のつるつるに剃《そ》った頭をそれで撫《な》で出した。
あとで大尉がきいたところによると、彼はサインを中止されたのにも不服であったが、それより日本人の医師の頭がフラスコみたいなので、ふいにそれでナイフを研《と》いでみたいという誘惑にとり憑《つ》かれたのだそうであった。
そのときその客車に残っている日本人は、村垣淡路守とその従者だけであった。彼は白い米のボールを食べていた。そのライス・ボールの中から出て来るのは、まるで腐ったキャベツの赤漬《あかづ》けの中に何ヵ月か放り込んでおいたピンクの吸取紙の玉みたいなしろものであった。この奇怪な食い物を淡路守は従者に食わせてもらっていたのである。日本人が日本から持参した食糧はだんだん残り少なになり、とくに洋食を拒否する淡路守はそれを惜しがって、守銭奴のように仲間の眼を盗んで食うことを大尉は知っている。そして、何となく消耗した感のある淡路守が、どう考えてもスタミナのつきそうもないそんな食い物を食ったあと、目立って英気|颯爽《さつそう》として来ることも知っていた。しかし、その事件のときは、彼は部下の医師に加えられている侮辱を、そのニギリメシを食いながら黙々と見ていたそうである。
それから、煙管《キセル》を出して、火打石で火をつけた。やおら、彼は立ちあがって、坊主頭でナイフを研いでいる田舎紳士のところへゆっくりとやって来た。しかし別に何もいわないで、ただ黙って雁首《がんくび》の火の玉を自分の左の掌にこぼし、新しく煙草をつめて、その火の玉でまた火をつけた。
田舎紳士はかっと眼をむいてそれを眺めていた。それから、ナイフをしまい、あとずさりし、客車の外へ出ていった。あとできくと彼は、この日本貴族の掌の皮の厚さに驚倒したのみならず――使節団に随行しているアメリカ人たちは以前からこの日本人の不可思議なる喫煙の習慣を知っていたが、彼にとってははじめて見る光景だったのである――この歯のぬけた貴族の態度に名状しがたい物凄《ものすご》さを感じたのだそうである。
ショック大尉がこのことを知ったのは、汽車がフィラデルフィアにつく直前であった。そのとき珍しく村垣淡路守の方から呼びかけて、「これをこの持主に返してあげるように」といって、自分の三本の指にはめた金の指環をつき出したのである。
何のことかわからず、ともかくも言われた通りその田舎紳士を探し出し、指環を紛失して狼狽《ろうばい》していたその男からはじめて話をきいて、大尉はうなった。その紳士も狐《きつね》につままれたような顔をしていたが、いつのまにか彼の三つの指環が淡路守の指に移動していたことはあきらかであった。
――うーん、まさに日本のニンジアだ!
フィラデルフィアで案内された劇場では、舞台で女優が日の丸の旗と星条旗を振って踊り、また紋付を着てチョンマゲのかつらをかぶった俳優が何やら芝居をやったが、使節団は拍手もせず不可解な顔をして眺めていた。また別の夜には「大日本」とか「仁義礼智信」とか、まちがった漢字で書いた大きな幟《のぼり》をおし立てて、一万五千人ばかりの大パレードが街頭をねり歩いた。
ここでまたショック大尉は眼をまるくしたことがある。フィラデルフィアの造幣局で、日本の小判その他の貨幣を分析してその為替《かわせ》価値を決める大事な仕事があったのだが、これに立ち合った日本使節の中の、村垣淡路守が妙な道具を懐中からとり出した。五つずつのボタンが十五列に並んでいる計算器で、このボタンを操作して彼は、アメリカ人よりももっと迅《はや》く、もっと正確に、複雑な計算をやってのけたのである。アメリカの大蔵省の役人たちもみな驚倒した。
――これもニンジアの道具か?
九
六月十七日、一行はフィラデルフィアを立って、船でニューヨークに向った。
ニューヨーク・ヘラルドによれば、「星からの使者を送るためにニュー・ジャージー州の全人口が集まった」とある。子供たちは、「グッドバイ・ジャパニーズ」とか「|また来て下さい《カム・アンド・シーアス・アゲン》」とすすり泣いた。
船上の日本人たちの中にはチョンマゲにハイ・ハットをかぶり、キッドの靴《くつ》をはき、葉巻をふかしている者もあった。彼らはサインの代りにアメリカ人たちからもらったおびただしい名刺を無造作《むぞうさ》に「アタラの海」(|大 西 洋《アトランテイツク・オーシヤン》)へ投げ込んだ。
ニューヨークの歓迎大パレードも前代未聞であった。竜騎兵、騎馬軍楽隊、騎馬警官隊などがあとからあとからとつづき、建物からは紙の花|吹雪《ふぶき》が降りそそいだ。遠く近くから「日本人万歳」「大君《たいくん》万歳」の歓呼がこだました。
当時ニューヨークに住んで、四年前詩集「草の葉」を出した四十一歳のホイットマンは、この群衆の中にいて歌った。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
「西の海を越えて日本から
礼儀正しき浅黒き双刀の使節たち
四輪馬車にうち凭《もた》れ
帽子もかぶらず悠然《ゆうぜん》と
きょうマンハッタンを乗ってゆく」
[#ここで字下げ終わり]
「礼儀正しき」使節団の中には、もう歓迎に食傷して、馬車の中にふんぞり返って煙草《たばこ》をくわえていたり、疲れはててこの大騒ぎの中に居眠りしている者さえあった。
六月二十五日のニューヨーク市主催のメトロポリタン・ホテルにおける日本使節団歓迎大舞踏会も、市はじまって以来空前のものであった。入場券は一枚十ドルで一万枚売り出されたが、四倍五倍のプレミアムがついたといわれる。しかしちょっと顔を出した村垣淡路守は、このダンスが朝までつづくときいて辟易《へきえき》した顔になり、
「何じゃ、婆《ばば》あまで踊っておるではないか。正気の沙汰《さた》ではない」
と、吐き出すようにいって、早々に自分の部屋にひきあげてしまった。
しかし、淡路守はともかく、日本使節団はよく飲んだ。十四日間の滞在中、一行だけで一日平均百五十本のシャンペンを飲み、ニューヨーク市がその滞在費として支出した総額は十二万五千ドル、今の金にして数億円に上ったといわれる。
約半月のあいだ、ショック大尉ははらはらのし通しであった。もうアメリカの都市に馴《な》れきったつもりの日本人たちが自由行動をとって歩きまわり、あちこちで酒をふるまわれて酔っぱらい、中には市民と喧嘩《けんか》する者さえ出て来たからである。
実際にショック大尉は、数人の日本人をつれて市内見物に出かけたとき、群衆の中から近づいてきた酔いどれに、「おい肩章《エポレツト》をつけたの、お前のひっぱって歩いているのは黄色い猿《さる》かい」と呼びかけられ、日本人の中でその言葉のわかった者があって、刀に手をかける光景を見たのである。
「待ってくれ」
と、大尉はさけび、次の瞬間、その酔漢の首が日本刀の一閃《いつせん》に飛ぶ錯覚にとらえられたが、その殺気に打たれたか、酔漢はすぐに逃げていってその場は無事にすんだ。
また日本使節団の持物が、日本貨幣から煙草、筆、印籠《いんろう》など大変な珍物とされているため、ゆくさきざきで浮浪児などがつきまとってせびり、はては凶悪な強盗がこれを狙《ねら》っているという噂《うわさ》さえあるのを耳にした。
当時のアメリカ新聞は書いている。
「われわれアメリカ人の中に、日本人のことをまるで野蛮人ででもあるかのように話す者があることは残念である。しかし日本の使節がいままで品位と知性に欠け、紳士としての資格に欠けているという証拠は何一つ見いだすことは出来ない。野蛮人行為があったとすれば、それはまったくわれわれアメリカ人側にある。われわれは日本使節団が、そのような下等な文明国に来たことを悔いて帰国することを憂える。……」
――やはりこの使節団にはもうそろそろ日本に帰ってもらった方がいいかも知れない、とショック大尉は思いはじめた。それにはほかに理由もあった。実は彼自身、使節団とともにもういちど日本へゆきたいという望みを抱き出していたからである。
ニューヨーク滞在の予定が終る六月末近く、憂慮していた大尉をもういちど恐怖させた事件が起った。
予定外の行事で、急にペルリ提督の未亡人を訪問することになり、村垣と四、五人の従者という小さい団体でそこへいった。淡路守は、彼にしては大出来の「提督が生きておられて、われら日本使節団を御覧になればそのおよろこびはいかばかりか」などいう感謝の言葉をかけ、ペルリ未亡人を涙ぐませたが、そのあと彼も気疲れしたようで、帰途美しい公園に立ち寄って一休みした。
淡路守は疲れたといってベンチに腰かけて動かないので、ショック大尉は残りの隊員をつれてあちこちを案内した。二、三十分たってもとの場所のあたりに銃声が聞えたので、はっとして駈け戻ると、意外な光景が展開されていた。
ベンチに同じ姿勢で淡路守は腰を下ろしていたが、その前に一人の男が仁王《におう》立ちになっている。そして、そのまわりに三人の無頼漢らしい男が倒れているのが見えた。
「きさま、何者だ」
大尉は転がるように駈けていって、その男にさけんだ。
「いや、この連中とは別です」
と、その男はふり返って、短く刈り込んだ美しい口髭《くちひげ》の下から白い歯を見せた。
彼は紳士としてはあまりにも逞《たくま》し過ぎる肉体を持っているどころか、浅黒く日灼《ひや》けした顔や大胆な光をはなつ黒い眼やどこか皮肉な唇《くちびる》に自堕落《じだらく》な匂《にお》いさえ漂わせていたが、しかしその粋《いき》な服装は、そこに倒れている野獣めいた三人の男とはたしかに別世界の人間のものであった。
「今しがたそこを通りかかったらこのやくざどもが、黄色い大使にわるさをしようとしているのを見かけたものだから、ちょっとなだめてやったというわけです。警察へ運んでいってやれば顔を見ただけですぐに分る連中でしょうな」
と、自分のこぶしを鼻さきへ持っていった。どうやらその拳骨《げんこつ》で三人をなだめたらしい。
「今のピストルの音は」
「そいつが少し不思議だ」
と男はくびをかしげた。
「大使をとり囲んでいた野郎どもが私の方をむいていっせいにピストルを抜こうとしたが、いったいどうしたのかみんな痛《いて》てと顔をしかめ、やっと一人だけ撃つには撃ったが、弾はあの向うの杉の木のてっぺんの鳥の方へ飛んでいってしまったので。――」
と、あらぬかたへあごをしゃくった。村垣淡路守を見ると、言葉はわからないなりに、眼でその男のいうことをうなずいている。
ショック大尉は、その男の手を握った。
「ありがとう。君はアメリカの名誉を救ってくれた。君の名を教えてくれ」
「私はキャプテン、レッド・バトラー」
と、彼はいった。そしてニヤリとして、
「|大 尉《リユーテナント》殿、アメリカ人も日本の方もあまりボロを出さんうちに、それからわれわれの国に思わぬ大騒ぎが起らんうちに、遠来の客にお帰り願った方が、おたがいの身のためでしょうな」
といって、恰好《かつこう》のいいお辞儀をして、風とともに去っていった。
――実に日本使節団がアメリカを訪れたのは、南北戦争のはじまる前年のことであったのだ。
しかし大尉はその風来坊のような男が最後に吐いた捨てぜりふより、その前にいった「三人の無頼漢がピストルを抜こうとしたとき、みんな苦痛のさけびをあげた」という妙な言葉を思い出して、はっとしていた。――倒れている三人の男の手くびの内側に、いずれもまるで剃刀《かみそり》で切られたような細い切傷があるのを発見したときにである。
「?」
十
善意にあふれたブキャナン大統領は、日本使節にアメリカ中の都市という都市をみな見物してゆくようにといった。どの町ももう歓迎の準備を整えて待っているのだといった。しかし日本使節団は困惑をありありと態度に見せた。使者の大任を果たした上は、ボルチモアやフィラデルフィアやニューヨークさえも回るのが本音《ほんね》は迷惑で、これで精一杯つき合ったつもりなのである。彼らはだだッ子みたいに、もう帰る、一日も早く日本へ帰してもらいたいといい張った。
やむなくアメリカは、ニューヨークから軍艦ナイヤガラを一行専用に仕立て、アフリカ回りで日本へ送ることにした。五千八百トン、当時アメリカ第一の巨艦である。
帰国に際して、日本使節団は滞在中の費用はもとより往復の船賃は全部支払うと主張し、積み込んで来た千両箱を持ち出した。アメリカ側はそんな御心配は御無用とおし返した。ハワイのときと同様、日本側は泣かんばかりに頼みこみ、とどのつまり、ではともかくもお世話になったホテルの下男下女[#「下男下女」に傍点]、護衛の兵隊巡査の酒代[#「酒代」に傍点]にせめて二万ドル分だけでも受け取ってくれと、千両箱を放り出して、逃げるようにナイヤガラに乗り込んだ。
六月三十日のことである。
しかしニューヨークを離れてゆく艦の甲板で、遠ざかる石造りの町の影を見ている日本使節団七十六人の中でも、村垣淡路守《むらがきあわじのかみ》の顔にひとしお哀感が深いのをショック大尉は見た。のみならず彼は淡路守が変な発音でこうつぶやくのさえ聞いた。
「メリカ・ピープル、グッド・ナイス」
この最も頑固《がんこ》で、最も気難しくて、そして最もこわい顔をしたお庭番副使が、実は一行中の風紀を正すために派遣されたものであったことを、今は大尉も知っている。――日本のサムライの名誉のために!
彼はその任務を完遂した。
おお、ニンジア・オニワーヴァン!
大尉はまたこの「意地悪|爺《じい》さん」――村垣淡路守は実際の年齢より十も老《ふ》けて見えた――が、その実べつに意地悪い、こわい人間ではない、案外の好人物のように思いはじめている。
大尉はナイヤガラに同乗して日本へゆき、ハリス公使の下で働くことを願い出て、許可された。彼がいちばん日本使節団の面倒をよく見て、日本語さえ少なからず解し出したのを見て、特別にこの請願が許されたのだ。その実彼の目的は、日本へいって、この村垣淡路守の弟子となって、ニンジア・オニワーヴァンの技術を習得することにあった。少なくとも研究することにあった。
すでに彼は、淡路守のニンジア・オニワーヴァンたる片鱗《へんりん》をいくつか見ている。
ポーハタン号でのへど[#「へど」に傍点]食い、サンフランシスコでの女封じ、ボルチモアでの梯子《はしご》乗りの妙技、フィラデルフィアでの指環ぬき、ニューヨークでの奇怪な手首|斬《き》り――等。
しかし――片鱗だ。いちいち驚くべきことといえばいえるが、大尉にしてみればまだ物足りない。
いつか日本人たちがいった。空を飛ぶとか、海を渡るとか、透明人間になるとか、そんな、もっと驚天動地のことを、もしやる気になれば淡路守はやってのけそうな気がする。そうだ、上忍だ、最高クラスの忍者である村垣淡路守は、その時が至れば、さらに驚倒すべき大忍術を自分に見せてくれるにちがいない。――
そんな期待に胸をわくわくさせていると、大西洋から印度洋への船旅も苦にならず、また待ち遠しさに印度洋から南|支那《しな》海への航海が耐えがたいほどの長さに思われるのであった。しかし、太平洋横断をはるかに超える大航海であることにまちがいなかった。ニューヨークを出航したのが六月三十日、日本へ着いたのが十一月九日、実に四ヵ月半かかったのである。そのあいだにはさまざまなことがあった。文字通り、嵐《あらし》も飢えもあった。
大西洋ではまた嵐に逢《あ》って――ポーハタン号の時ほどではなかったが――それでも同乗している牧師が乗員を集めて、神の思《おぼ》し召《め》しを伝えて祈った事態もあった。そのとき日本人たちも甲板《かんぱん》に出てこれを見ていたが、牧師が空を指さすたびに、そこに何かいるのかといちいちマストのてっぺんを眺《なが》めて、ふしぎそうにチョンマゲ頭をふった。
印度洋では艦に水が不足して、日本人には一日半ガロンしか与えられなかった。身のまわりはごみだらけにしても平気なくせに、神経質なほど自分の身体だけは洗うことを好む日本人はこれに抗議を申し込んだ。ウィリアム・マッキーン艦長はコップを取り出していった。
「われわれアメリカの将兵は、一日にこれだけです」
事実、その後アメリカの海兵が、日本人の手を洗った水を飲む光景さえ村垣淡路守は書きしるしている。
ついでにいえば大西洋上の小群島ケープ・デ・ベルデに寄港したとき、そこの土人にいきなり「スケベ」と呼びかけられて仰天し、つかまえて問いただしたところその土人は船員としていちど日本へいったことがあり、日本でその言葉だけ覚えて来たといったことも淡路守は記録している。――スケベ帝国の大老がゆくさきを案じて淡路守に秘命を授けたのもむりはない。
またこの途中の船上で、淡路守が妙なものを食っているところをショック大尉はのぞいた。従者の料理人に食わせてもらっていたのだが、それが米に何やらかけたもので、食いながら淡路守は涙をこぼしているのである。
「最後の日本食でござるよ」
と、大尉に気づいた淡路守はいった。幾分気恥かしそうでもあったが、それよりも飢えていたものにありついた満足感が珍しくその顔を柔らげていた。
「そんなものを……まだ取っておかれたのですか?」
と、大尉は呆《あき》れた。きいてみるとライスに干魚の剥片《はくへん》と日本ソースをかけたもので、日本でオカカメシという食い物だそうだ。そばに転がった小さな瓶《びん》に、そのショーユ・ソースはもう一滴も残ってはいなかった。それにしても日本出発以来半歳を超え、なおこんなものを持ち歩いていた執念には驚かないわけにはゆかない。
「いや、これぞ忍者のたしなみ」
うっかりと淡路守はいった。
ショック大尉は眼をかがやかせた。部屋に入りこみ、両腕をねじり合わせていった。
「村垣卿、お願いです。日本へ帰られたら、私にも忍法を教えてくれませんか?」
彼がそのことについていい出したのはこれがはじめてであった。彼はこの機会を与えてくれたオカカ・ライスに感謝した。
淡路守はじろっと鷲《わし》みたいな眼で大尉を見た。息をつめて大尉はいった。
「私はあなたがもとオニワーヴァンであることを知っているのです」
鷲のような眼が梟《ふくろう》みたいになった。その眼で淡路守はしばらく彼を眺めていたが、やがて誠実にみちた声でいい出した。
「いや、あなたにはいかいお世話になった喃《のう》。筆舌につくしがたい御苦労をかけた。そのお礼には何をしたらよいやらわからぬほどじゃが、江戸へついたら、いたるところ御案内を申そう。ただし汽車も馬車もないので二本の足で歩いていただくよりほかはないが、しかし江戸の町人どもの御馳走《ごちそう》攻めは、決してお国の衆には負けぬでな。……」
内容はあきらかにこちらの願いに対して返答を避けてはいるが、いままで聞いたこともない、切々《せつせつ》たるやさしい調子であった。恐るべきお庭番大使の眼は鳩《はと》の眼になっていた。
十一月九日、ナイヤガラ号はついに浦賀水道から江戸へ向った。日本では使節団が出発してから二ヵ月後に改元して万延《まんえん》と変っている。すなわち万延元年九月二十八日。
ナイヤガラは十七発の祝砲を撃ちながら築地の操練所沖に碇泊《ていはく》した。甲板で音楽隊が別れの曲を奏楽し、日本使節団は小舟に乗り移った。七十六人は涙を流してさけびながら陸上へ遠ざかっていった。――
「グッドバイ、グッドバイ!」
「サンキュー・ヴェリマッチ!」
それっきりである。
彼らは消えてしまった。永遠にショック大尉たちの眼から。――いや、日本の歴史から。
地球を一周して日本の使節団を送り返して来たことを告げるナイヤガラの祝砲に対して、品川台場から返されるべき感謝の応砲はついになかった。やがて役人たちは何人か応対にやっては来たが、たとえ移民船が来たとしてもこれ以上の歓迎はするだろうと思われるほどの冷淡ぶりであった。
――使節団を送り出した大老は暗殺され、日本の政情は一変していたのである。
ナイヤガラに贈られて来たのは、鶏四羽、魚二十三尾、大根二十七本と少しばかりの豆と菜ッ葉だけであった。そして十日以内に出てゆくようにとの婉曲《えんきよく》な通告が伝えられた。
――甲板にならべられたそれら世にもわびしいお返しの品を茫然《ぼうぜん》と眺めているショック大尉の霞《かす》んだ眼に、幻影のように……太平洋を難航するポーハタン、サンフランシスコの大|晩餐《ばんさん》会、ワシントンでの大統領の笑顔、ボルチモアの大花火、フィラデルフィアの劇場のシャンデリア、ニューヨークの大パレード……そしてアメリカ人すべてが雲集したのではないかと思われるほどの日の丸の旗の波が浮かんだ。――あれは、何であったのか?
「やられた!」
と、ショック大尉は江戸の天を仰いでさけんだ。
「ついに私は見た、日本のニンジア・オニワーヴァンの地球的大忍法を!……日本の忍法とは、これだったのだ!」
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『忍法破倭兵状』昭和55年7月15日初版発行