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忍法|女郎屋戦争《じよろやせんそう》
山田風太郎
目 次
忍法|女郎屋戦争《じよろやせんそう》
忍者|服部半蔵《はつとりはんぞう》
忍法|瞳録《どうろく》
忍法|肉太鼓《にくだいこ》
忍法|阿呆宮《あほうきゆう》
忍法|花盗人《はなぬすびと》
妻の忍法帖
[#改ページ]
忍法|女郎屋戦争《じよろやせんそう》
「香助《こうすけ》?」
田沼山城守意知《たぬまやましろのかみおきとも》はこう呼びかけて、首をかしげた。春の朝靄《あさもや》の中で向うむきになって庭を掃《は》いている頬《ほお》かぶりの男が、どうも香助ではないらしいと気がついたからだ。
「山城守さま」
男はふりむいた。果せるかな、ちがっていた。何となく皮膚《ひふ》がスルメみたいに乾燥した感じの、厳しくて沈鬱《ちんうつ》な四十男の顔であった。
「おう、そちは伊賀組の――服部《はつとり》――」
と、山城守はさけんだ。彼は、それが伊賀組の頭《かしら》であり、従って鵜坂《うさか》香助の頭にあたる服部|億蔵《おくぞう》であることを認めたのである。
服部億蔵は頬かぶりの手拭《てぬぐい》をとり、霧の這《は》う地面に膝《ひざ》をついた。
「鵜坂香助の御役は、もはや御免|蒙《こうむ》らせて下されませ。そのおことわりを申しあぐべく、私、ここに参上いたしてござりまする」
「なに?」
田沼山城守はけげんな表情で見下ろした。
鵜坂香助は、彼の「お庭番」であった。
人も知るように、公儀には「お庭番」という密偵組織がある。伊賀組とよく混同されるが――事実また伊賀者にしてお庭番となる者もないではないが――本来、そのなりたちが異る。伊賀組は徳川幕府の初期からあったものであるし、お庭番は先々代の吉宗公《よしむねこう》が創設したものだ。紀州から入った人なので、昔ながらの伊賀者は使いにくかったのであろう。そのために、それ以前から何となく影の薄かった伊賀組はいっそううらぶれた存在になった。
ところで若年寄《わかどしより》の田沼山城守は、数年前、どういうつもりからか自分個人用のお庭番を作ることを思い立って、何の機縁からか伊賀組の鵜坂香助に目をつけたのである。これはいかにも抜け目のない田沼らしい着眼であったといえる。「これは密々のことであるが」という前提で、はじめに服部億蔵にことわりはあったのだが、そういう勝手なことが出来たのも山城守が若年寄であるのみならず、その父が今や威権一世を覆《おお》う老中田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》であったればこそだ。薄禄の伊賀組に否やなど唱《とな》えられるものではない。
「いかなる御用を承っておったか、香助も申しませず、私も聞きもせず、ついきゃつの行状に目がとどきませなんだが。――」
「服部、おまえは組の者が田沼の用を足すのが気にいらぬか」
山城守はむらっと怒った眼になった。
それまでは香助の代りに億蔵が現われたことにただめんくらっていたのだが、やや落着くと、相手の口上のみならず、億蔵がいつも香助がしているように庭男そっくりの姿をして――それが江戸城のほんもののお庭番の平生《へいぜい》の姿でもあるが――この田沼の屋敷に、しかもほかに侍臣もない早朝のそぞろ歩きをしている自分の前に、忽然《こつぜん》と出て来たことも無礼なやつだと思う。
「滅相な」
服部億蔵はあわてて手を振った。
「山城守さま。……ここ半年ばかり、江戸で辻斬《つじぎ》りがあって、三人ほど斬り殺されたという噂《うわさ》はお聞き及びでござりましょうなあ」
「辻斬りの話、おう、いかにも耳にしたことがある。それがどうしたか」
「その下手人《げしゆにん》が、鵜坂香助でござりました」
「なんじゃと?」
「或《あ》るきっかけより、私だけがそのことをつきとめ、昨夜、内密に香助めに屠腹《とふく》いたさせました。そのために私が御報告に参ったのでござりまする」
山城守はびっくり仰天のあまり言葉を失った。
「きゃつが……きゃつが、そんなことを……そりゃまことか」
彼はやっといった。
「何のために、そのような大それたことを。――」
「それが、まことにたわけたことが目的で――吉原《よしわら》へ女買いにゆく費《つい》えが欲しいゆえと白状いたしました」
「吉原へ? 左様なことのために人殺しをしたと申したのか」
「あわれ、はじめからあんな味を知りませねば何のこともないものを、いったんこの世のものならぬ美酒の味を知ったとなると眼昏《まなこくら》んだものと見えまする。当人も、そのように泣いて申しておりました」
暗然と服部億蔵はいう。
そんな馬鹿《ばか》げたことがあり得るか、といいかけた山城守も、この相手が決して嘘《うそ》いつわりをいっているのではない、ということをその厳粛な顔色から認めないわけにはゆかなかった。
そんなはずはない、それくらいの金は恵んであるはず――といおうとしてやめたのは、なるほど今まで或る大藩の重役の弱味をつかむために、香助になんどか吉原に尾行内偵させ、むろんその費用は出してやったおぼえはあるけれど、それ以外に特に機密費など与えたことはない、と思い当ったためであり――山城守は、主観的には、虫ケラにひとしい伊賀者など田沼家に使われるだけでも光栄ではないかと考えており、客観的には、欲張りのしぶちんであった――かつ、その若い伊賀者の狼《おおかみ》みたいな顔を思い出すと、あれならひょっとしたら辻斬りくらいやりかねない、と肯《うなず》かざるを得ないところもあったからであった。
「ふうむ」
山城守はうめいた。
「そ、それ以外に鵜坂は何ぞ白状いたしたか」
「いえ、一切。――先刻申しあげましたるごとく、それ以外に私、聞き糺《ただ》したことはござりませぬ」
御安心下されませ、というように服部億蔵はかすかに笑った。
「まことに何ともいいようなきたわけ者、かかる不埒《ふらち》な人間を出したことは伊賀者の名折れでござりまする。そのおわびをかねて、以上のこと御報告いたしまするため、かくのごとく御屋敷に勝手に推参いたしましたる無礼のほど、何とぞおゆるし下さりまするよう。……」
伊賀者の頭領は、冷たい大地にスルメ[#「スルメ」に傍点]みたいにひれ伏した。山城守がなお判断力を失って茫然《ぼうぜん》としているあいだに、億蔵はそのままの姿勢でスルスルと朝霧の中へ消えてゆく。
「あ、待て」
と、山城守はあわてて呼びかけた。彼は先刻からこの伊賀組首領の表情に――いま、かすかに笑《え》んだ顔にすら――何やらただならぬ厳粛さと哀感の満ちていたことに気がついたのである。
「服部、死ぬなよ」
と、彼はいった。世上、あまり利口ではないという評判もある田沼山城守だが、そんな注意をするくらいの思慮はあった。
「おまえが責めをとって死ぬことはないぞ。香助のこと、明らかとなればわしも困る。……後命あるまで、めったなふるまいせず、おとなしゅう控えておれよ」
女を買うために辻斬りをする。
その男のことばかり考えているうちに、田沼山城守の脳髄に突如霊感のごとくひらめいた或るアイデアがある。
公儀で遊廓をひらいたらどうだろう。
いったいに田沼時代は、上に汚職横行し、下に淫風《いんぷう》吹きすさび――といわれているけれど、一面では「近代」の幕をあげた時代でもあった。その立役者たる田沼意次は、卑賤《ひせん》の小吏からただ財務にたけた能力だけを以《もつ》て老中にまで成りあがっただけに、彼自身はもとより幕府のためにも、儲《もう》けることには甚《はなは》だ進歩的であった。そのために彼が出した新機軸はいろいろあるが、とくに目立ったのはさまざまの産業の官営である。
諸国の金、銀、銅、硫黄《いおう》などの鉱山の国営、油や、人参《にんじん》や竜脳《りゆうのう》や明礬《みようばん》や石灰《せつかい》などの専売化など。――
その推進者はむろん意次だが、そのあとつぎでこのとし三十五になる山城守意知も、世上ではひそかに馬鹿扱いにされていたが、実はこの方面では父に、「こやつ、なかなかやりおる」と内心ニタリとさせるような才覚があった。筋はちがうが、落魄《らくはく》の伊賀者を自分個人用のお庭番に使うなどいう思いつきを出したところなど、決して馬鹿には出来ない。
さて、その伊賀者が女郎買いのために殺人の罪を犯した。――
自分が使っていた男だから、本来ならそれに対してそれらしい感慨があるべきところだが、彼の頭は常識外の方向へ転回した。
人間というものは、人を殺してまで女を欲しがるものじゃな、と感心したのである。
もっとも、いくら何でもいま改めてそんなことに気づいたわけではない。実は彼自身、十人近い愛妾《あいしよう》を持っていて、夜々それをめぐるのを何よりのたのしみとしている男だ。それどころか、途中で気が変ったり、はしごをしたくなったりしたとき、夏の夜など別々の部屋の蚊帳《かや》をまくったり下ろしたりしていると蚊《か》にくわれるというので、長い部屋に長い蚊帳を作って、そこに浜の大漁のごとく妾《めかけ》をみんな並べ、自分は適当なところに埋まって寝たという。――そんなことをするから馬鹿だといわれたのだが――とにかく、そのくらい好きな道である。あの愉《たの》しみが思うままに叶《かな》えられなかったら、それはたまらんだろうと思う。
事実、江戸には吉原というものがあって殷賑《いんしん》をきわめているが、それでも足りないで、いわゆる岡場所《おかばしよ》なるものが、あっちこっちに毒茸《どくきのこ》のようにふえる。春をひさぐ市場は吉原だけという開府以来の方針で、それ以外の密淫売はなんどもなんども取締り、甚だしきはそれを犯した業者を磔《はりつけ》にまでかけたことがあるのだが、それでもなおかつ根絶出来ず、このごろは公儀の方でもあきらめて放任しているのが現状だ。……
思考ここに至って――山城守ははたとひざをたたいたのである。
おう、いっそもう一つ、しかも官営で遊廓を作ったら?
山城守は父の意次のところへいって、意気揚々と自分の新企業のアイデアを披露《ひろう》した。
「なに、国営遊廓を作ると?」
大官僚というより経営者じみた肌合《はだあ》いを持つ意次も眼をまるくした。
「吉原をつぶすのは大変じゃぞ。あそこには、権現《ごんげん》さまが吉原の開祖|庄司甚《しようじじん》右衛門《えもん》に下された御印可状も伝わっておるとかいう。――」
「いえ、吉原の代りに、と申しているのではありませぬ。別にもう一つ、といっているのです。父上、いま吉原の太夫と遊ぼうと思えば、いくらかかるか御存知でござりまするか」
「うむ、銀百二十|匁《もんめ》ときいておる。……」
さすがに、よく知っている。
「すなわち、二両。二両あれば米が――飢饉《ききん》にて諸国には餓死者さえ出、米価の暴騰《ぼうとう》にほとほと悩んでおるこの江戸でも、一石ちかく買えるのでござりまするぞ。町の人足ども、日当が銀二匁と申すゆえ、飲まず食わずに働いて二タ月分、それが太夫一夜の揚代《あげだい》でござる。……」
こちらも、相当なものだ。
「ま、吉原の遊女にもぴんからきりまでござるから、人足が太夫を買うのは身の程知らずと申せまするが、一般論としても高過ぎる。庶民がそう数多く足を運ぶわけには参らぬのが現状でござる」
げんに、吉原の女買いのために辻斬りまでした男がある、といいかけて、それは自分が親しく使っていた伊賀者であるということがわかると面倒《めんどう》なので、これはやめた。
「身の程知らずと申せば、さきごろ耳にした話では、吉原の松葉屋の瀬川なる太夫、越後屋《えちごや》の手代になんと千五百両で身請《みう》けされたとか。――」
なに、彼の愛妾のうちにも上方《かみがた》の豪商から京人形として箱入り仕立で贈られた京の遊女があるはずだが、それは棚《たな》にあげて、無念の歯ぎしりさえたてんばかりに、
「これほど儲かる商売を、町人、どころかいやしき廓者《くるわもの》にゆだねっぱなしという話はござらぬ」
と、いった。
「これは、父上、人参や石灰や明礬などの会所《かいしよ》を作るよりはるかに分《ぶ》のよい企業でござりまするぞ。……」
「ふうむ」
意次は思案していた。ほかの幕閣の重臣なら、一笑に付するどころか、あのここな大たわけめと叱《しか》りつけるところだが、さすがに意次だ。息子《むすこ》の珍提案に少なからず興味を動かされたらしい。
「で、それをどこに作る?」
と、きいた。
「さ、それについて私、いろいろ思案しましたが――そもそも岡場所なるものがかくも跋扈《ばつこ》いたしておりまする理由の一つは、吉原が浅草《あさくさ》のはずれというへんぴな場所にあるゆえもあるようでござる。されば、その庶民のわずらいを除くために、もう一つあらたに廓を設けるとすれば、その岡場所の一つ、ずばり江戸のまんなか、赤坂《あかさか》の氷川明神《ひかわみようじん》の社地を以てあてたら如何《いかが》、と存じておりますがいかがでござりましょう」
「氷川神社の裏|喃《のう》。いかにもあの界隈《かいわい》にいかがわしき場所などがあるのは、けしからぬことじゃと、わしも……いや、待て、そこにおまえは、密淫売の女を集めて国営遊廓を作ろうというのか」
「いえ、拙者の案では、ただいまの岡場所をとり払い、そこに吉原にならって新しい遊廓を設備投資し、女もまたまったく新しい資源を投入したい」
「その女たちは?」
「侍の娘」
「なに」
「むろん、浪人の娘を主といたしますが、またお目見《めみえ》以下の貧乏侍などの娘もみずから志願いたすなら結構。何かといえばお上の煩《わずら》いとなる彼らの暮しの救済とも相成りましょう。げんに、いまでも吉原に身を売る武士の娘はたんとあります」
「侍の娘に限るのか」
「今のところは。――そしてまた客も原則として武士に限る。いわば侍用の遊廓で。――それならば公儀が経営してもべつに変てこではござるまい」
まず公務員用レクリエーション設備というところか。山城守はつづける。こういうことにはこんこんと智慧《ちえ》が出て来ると見えて、なかば酔ったような顔色でいう。
「それどころか、いまの吉原では、武士は茶屋で編笠《あみがさ》を買って往来するのが慣《なら》いと申すほど町人の天下、そこに武士専用の廓を作り、町人の方が編笠をかぶって入ることにしたら、それでこそ政道の公平を期すると申すものではござるまいか。あたかも干天の慈雨、侍どもの喝采《かつさい》を受けることはまちがいないと存ずる」
「これ待て、武士専用の廓に町人も入るのか」
「さ、そこは儲けねばなりませぬから。――町人は特別に高くする。それでも武士の娘出身の遊女ばかりとなると、町人でも有頂天《うちようてん》になって買いに来るのではござりますまいか。いかが思召《おぼしめ》す、父上?」
「ふうむ」
意次はまたうなった。息子の案にはいろいろ矛盾もあるが、とにかく相当の企業意欲を刺戟《しげき》されたらしいことは明らかであった。
「じゃがの、意知」
と、いい出した。
「廓というものは、遊女ばかりで成り立つものではない。吉原には四郎兵衛《しろべえ》番所などというものがあって廓内を取締っており、そのほか雑用をつとめるいわゆる女郎屋者なども要《い》る。それに何しろ百六、七十年にも及ぶさまざまの慣習もある。それはいかがいたす。吉原から事に馴《な》れたやつを借りて来るのか」
「その点については大いに考えてござる。――吉原の力を借りては結果が面白うない」
意知は会心の笑みを浮かべた。
「それに伊賀者を使ったらいかが。――」
「なに、伊賀者?」
「遊女も武士の娘なら、それを取締る者も武士であることが望ましい。といってまさか書院番や御番衆などにやらせるわけにも参るまい。これはごくごく軽輩の者に限る。――そこで伊賀者を思い出したのでござる。御承知のように、彼らは相当以前より、本業は忍びの者であるか、傘張《かさは》り、凧張《たこは》り、提灯張《ちようちんは》りの職人かわからぬような生活にあえいでおります。これを使って、まず吉原でその慣例などをひそかに見習わせる。そしていよいよ廓開設ののちは、伊賀者頭領服部億蔵をして取締らせる。あれなら、まさか汚職はいたしますまい。儲けはまちがいなく当方に――いや、公儀に入るということになります」
「おう、あの服部か。――あれなら、その点はまちがいあるまいが」
意次はいった。むろん、顔のみならず人物も知っているのだ。
「しかし、きゃつが――あのような固物《かたぶつ》が、そのような役目を承知いたすか。あれが承知いたすなら、おまえのその案、一つ試みるのも面白いと思うが。……」
「いや、服部億蔵、必ず承引させて御覧にいれまする」
服部億蔵は陰鬱《いんうつ》な顔で、四谷《よつや》伊賀町の自分の屋敷に帰って来て、妻のお鷹《たか》に、田沼山城守さまからの御用申しつけのことを伝えた。
彼は日常自分の行動のすべてを妻に告げることになっていた。その昔の伊賀者のごとく隠密《おんみつ》の御用でもあればべつだろうが、億蔵の代になってからはついぞそんなこともないので、結局行状のすべてを報告することになる。
「え、お上が遊廓をお作りになる?」
お鷹はさけんだ。名の通り、鷹みたいな眼と鼻をした女であった。
「その取締りをあなたがなさる?――それをあなたはお引受けになったのですか」
億蔵はおびえた眼になった。ふだんスルメみたいに無表情なこの伊賀組首領が、妻の前だけではそんな目つきになる。
「よんどころない儀で承引のほかはなくなった。――それ、例の鵜坂香助の件よ」
と、彼は沈痛にいった。
「あのことが明らかになれば、わしはともかく伊賀組そのものが天日のもとに面《つら》をさらせぬこととなる。それを闇《やみ》にしてやる代り、この役曲げて引受けてくれいと。――」
「ま、押しのふとい。――香助があんな悪事をしたのも、もとはといえば田沼さまのために酒や女の味をおぼえたからではありませんか。それに、あれが世間に知れたら、困るのは伊賀組よりも田沼さまの方でしょう」
お鷹はいった。鵜坂香助の犯罪を夫から告げられたとき、厳然として香助が即刻みずから処するように夫に進言したのは彼女であった。
それから、穴のあくほど夫の顔を見つめていたが、
「それにしても――ああ、服部の頭領が傾城屋《けいせいや》の総元締めとは!」
と、吐き出すような声でさけんだ。
「祖先は八千石、その禄よりも徳川家の内秘にかかわる御相談にもかかわった半蔵|正成《まさなり》どの。その屋敷があったゆえに、いまも江戸城に半蔵門の名を残したほどの服部家のあるじが――まあ、女郎の親玉とは!」
眼のひかりも痛烈をきわめて、
「そうそう、以前に誰やらから聞いたことがある。女郎屋の亭主を世では忘八とも呼ぶそうな。なんでそんな奇妙な異名《いみよう》がついたかというと、仁義礼智信忠孝|悌《てい》の心を忘れ果てねばやれぬ商売ゆえとか……」
「そ、その、何じゃ」
服部億蔵は眼をうろつかせ、腰を浮かせた。
「山城守さまにおことわりして参る。まったくわしも同感ではあったのじゃが、こんどの御奉公首尾よう勤めれば、その手柄に免じて、服部を目付に、また伊賀組ことごとくお目見以上の身分に相成るようにとりはからってやろうとの仰せに、つい組のためにもなろうかとお引受けいたしたのじゃ。……しかし、そちがそれほどまでに申すならば――そして、その怒り、まったく正しいとあれば。……」
「ま、待って下さい」
こんどはお鷹の方があわてた。
「その話はほんとうですか」
返事も待たず、お鷹はまた眼を夫の顔にすえて、
「けれど、あなたに遊女町の取締りなど出来ますか」
と、つぶやいた。
億蔵はどう返事していいかわからないので、用心して黙っていた。
「考えようによっては、これは伊賀組にも服部家にも回天の日を迎える天来の好機ともいえますが。……」
女らしくない漢語を使ったが、雲ゆきの変ったことは明らかであった。
「いったいあなたはいままで廓などへ足を運ばれたことがあるのですか」
「ない、ただのいちどもない。それは、誓って――」
「それでは、こんどのお役に立つ法もありますまいが」
「それは……これから勉強しようと思っておったのだ。むろん、あくまで御奉公のための修業であるが。……」
「これから、勉強?――あなたが、吉原で、御勉強?」
お鷹はまた夫を凝視《ぎようし》し、うすい唇《くちびる》をひんまげて、にやっと笑った。
「その顔で。――」
「わしはこれでも」
と、億蔵も笑った。反撥《はんぱつ》の笑いではない。彼はただ、めったに笑わない妻がともかくも笑ってくれたので、それでうれしくなって笑ったのである。
「敵国に忍び入る術は名人であったぞよ。ここ十何年かいちどもそのような機会がなかったので、昔のようにうまくゆくかどうか、実はおぼつかないがの。は、は、は」
彼は吉原を、剣林ひしめく戦国時代の敵国のごとく心得ているらしい。――彼は実のところ、若いころその忍びの術のゆえに先代に見込まれて、組から服部家に婿に入った男なのであった。
まったく江戸っ子は胆《きも》をつぶした。文字通り開府以来の珍事が起こったのである。
赤坂氷川明神の裏一帯に巣食っていた岡場所の魔窟《まくつ》はもとより、その周辺の町家まで立退かせ、打ちこわし、ここに新しい町並みが作られはじめたのである。それが新しい遊廓であると知って――しかも、武士専用のものであると知って、巷説《こうせつ》は百花|斉放《せいほう》といった状態になった。
江戸に廓は吉原ただ一つ、それは権現さまの定められた掟《おきて》である。堺《さかい》町にあったその元吉原を明暦《めいれき》のころへんぴな浅草|田圃《たんぼ》に移転させられたのも然《しか》るべき理由あってのことである。
それが、もう一つできるという。しかも江戸のまんなかに。
権現さま以来の掟を、ともすれば無視して新しいことをはじめたがる田沼政治だが――だからこそ後年その近代性を云々《うんぬん》される――廓を、しかも聞くところによれば国営の遊廓を作るとあっては、みな驚かないわけにはいかない。
そこからあがる収益はすべて国庫に入るという。
「そんなことがあてになるものか。入るのは田沼の懐だろう」
と、冷笑する者はむろんおり、また、
「天下の君、売女《ばいじよ》より運上《うんじよう》(税)を取りたてたまうか」
と慨然として痛嘆する者もあったが――一般に評判は悪くなかった。
田沼のやったいままでの新政策の中で、最も好評のものといっていいほどであった。いつの世にもある、しかつめらしい、もったいぶった説教屋はべつとして、こういうことでうれしくならない民衆はいない。「武士専用」ときいても、武士はもちろん、町人でさえその新趣向に眼をかがやかした。
吉原は二万七百六十七坪あるが、やはり市中ではそんなわけにもゆかなかったが、それでも一万坪くらいはある。そこに見返り柳を植え、編笠茶屋を置き、大門を建て、さて廓内は仲の町と呼ぶ大通りをまんなかに、京町、角町、伏見町、揚屋町など名づけた妓楼街《ぎろうがい》を作る。――そっくり吉原の真似《まね》である。
ただ変っているのは大門を入ってすぐ右側に、吉原では客の出入りを見張りまた廓内のもめごとを処理するいわゆる四郎兵衛番所のあるところに、「御上納会所」という札をつけた番所があることであった。いまでいえば、税金徴収所だ。
設備は、約六ヵ月ののち――その年の秋に完成した。
同時に、そこにたしかに千人は越える遊女と、そしていなせな女郎屋者――妓夫太郎《ぎゆうたろう》、床回《とこまわ》し、油つぎ、料理人など――までがそろっていたのには、人々は、その町作りよりもびっくりした。
遊女たちは、すべて武士の娘であった。内々の募集であったが、意外なほどの応募者があったのである。むろん大半は浪人の娘だが、中には安御家人の娘もあった。遅かれ早かれ吉原に身を売らなければならないような娘たちが、「客は武士に限る」という話に、それなら、せめて、と、わっとばかり集ったのであった。
さて遊女はこの通りそろったとして、あの女郎屋者は? と吉原の方でも首をかしげた。吉原の方で引抜かれた該当者はなかったのである。それなのに、玄人《くろうと》はだしのあの連中は? と、いくら考えてもわからないも道理、これぞ半年間ひそかに吉原を徘徊《はいかい》しつつ修業した伊賀者たちとは誰が知ろう?
赤坂遊廓は幕をあげた。
客は来た。――まず雲霞《うんか》のごとく、と形容してもオーバーではない。旗本八万騎が全軍おし寄せたのではないかとさえ思われた。勤番侍はそれに倍する。
そもそも武士は、吉原で決して持てる客ではなかった。なかでもふつう浅黄裏《あさぎうら》の羽織を着た田舎《いなか》 侍《ざむらい》は滑稽化《こつけいか》された。当時の川柳《せんりゆう》にいう。
まず、大門を入ると。――
「吉原へ初めて伺候《しこう》つかまつり」
「へめぐって来ずやと誘う浅黄裏」
こうからかわれるのをいやがって、わざとはじめから大小を捨てて来る武士もある。すると、
「丸腰はいいが貴公でぶっこわし」
「人は武士なぜ町人になって来る」
遊女屋にあがっても、門限のことが気にかかる。
「侍は坐るとすぐに時を聞き」
さて女郎と喋《ちよう》 々《ちよう》 喃々《なんなん》の場になっても。――
「素人《しろうと》にいうようなことを浅黄|云《い》い」
「いやな男も来ようのと浅黄云い」
「打割っていってたもれと浅黄裏」
「孝行娘にそれがしむせかえり」
「まだあとにこりゃと四五両浅黄見せ」
これくらいならまだいいが、それ以上に虐待されることが多い。
「てこずるという傾城《けいせい》を浅黄買い」
「武士たるものを背中にてあいしらい」
かくて。――
「身が武士はすたったわやい若い者」
「眼中血ばしりいや身供《みども》帰るじゃて」
「振られると武勇をふるう浅黄裏」
と、いうことになる。が、頭から湯気をたてて怒っても、
「おどれめといえば禿《かむろ》は笑い出し」
「二本差《りやんこ》には恐れんすうと舌を出し」
と、まったく手のつけようがない。とどのつまりは、
「吉原でほとんど武士がいやになり」
「人は武士なぜ傾城にいやがられ」
「士太夫よりも持てるのは庶人なり」
「四民のいっち上にいて持てぬなり」
という嘆声のほかはなくなる――というていたらくであった。吉原では、である。
そこに、武士による、武士のための、武士の廓が出現したのである。まさに渇望《かつぼう》のホーム・グラウンドが出現したといっていい。
よろこんだのは武士だけではない。町人たちも昂奮《こうふん》した。はじめおずおずと――そのうち、町人にも機会均等であることがたしかめられると、少くとも一度は味わって見ないと「町人の名折れ」だといわぬばかりにおしかけた。
正確にいうと、機会均等ではない。大門内の「御上納会所」で一応点検を受けて編笠をもらう。帰りにはまた同所で、買った遊女のクラスによるが、大体武士の五割増しから三倍の御上納金をとられる――などという負い目は屁《へ》でもない。いままで吉原で、武士もそれと大同小異の目にあって来たのだから、これは、あいこ[#「あいこ」に傍点]だ。
むろんそういう目にあってもなおおしかける心理には、侍の娘を遊女としてその客となるという光栄に法悦《ほうえつ》するばかりではない。好奇、スリルもあったであろう。しかしそれ以上に、武家の娘を女郎として犯すという屈折した愉楽があったにちがいない。その心理からすれば、武士たちの白い眼などはいっそう愉《たの》しみを深くするだけであった。
いずれにせよ、赤坂遊廓は大成功であった。
秋から冬にかけて、その一廓は傾城町というより戦場のような賑《にぎ》わいを呈した。
――はじめもう一つの遊廓が出来るときいて驚き、不安になり、次にはそれが侍経営のものであると知って愁眉《しゆうび》をひらき、はてはせせら笑っていた吉原は、次第に、これは笑いごとではないと恐慌を来たした。実際、その中の少なからぬ見世《みせ》は、いちじは格子《こうし》に雀羅《じやくら》を張って、見世じまいまで覚悟したほどである。このころ上方から来たという或るお大尽《だいじん》が、意地のようにそんな見世を回って大盤ぶるまいをしてくれなかったら持ちこたえられないところも出たかもしれない。
「――いかがでござる、父上」
あたかもよし、一日、例によって途方もない上納金を届けて来た「赤坂遊廓上納会所会頭」服部億蔵をつれて、田沼意次の前に出て、意知は鼻うごめかした。
億蔵の同時に持参した会計の帳簿を点検するよりも、まずそのおびただしい金に眼をまるくして眺めていた意次は、次に感嘆のまなざしをこの伊賀者頭領に向けた。
「億蔵、見そこなっておった。――といえば、相すまぬ。おまえが、このようなことに、これほどの手腕を持っておったとは夢にも思わなんだぞ」
意知は笑いながらいった。
「これで、浮かれ男めらが雑踏する大門の内で、この男は可笑《かか》しくも悲しくもない、難しい顔をして坐っておるそうにござりまする」
「なあに、吉原がつぶれるものかいな。吉原がつぶれる前に、侍遊廓どころか侍の天下の方がつぶれるで。くよくよせんと気イ大きゅう持って、ゆったり待つこっちゃな」
上方の大尽がいうのである。名は淀屋《よどや》文左衛門という。
「こういっちゃ悪いがな、江戸ッ子なんて坂東武者《ばんどうむしや》を十日間|干乾《ひぼ》しにしたようなもので、どこか貧乏くそうて荒っぽい。上方のほうが何でも上等や思うてたが、この吉原だけはべつやな。ようこれだけ豪勢なものを江戸ッ子が作ったもんや」
初冬のころから吉原に現われた男だ。商用で江戸に来たついでの吉原見物だといって、はじめ一人でぶらりとやって来たが、よほど気にいったと見えて、それからは三日にあげずにやって来る。
はじめはぜいろく[#「ぜいろく」に傍点]と思って馬鹿にしていたが、登楼して見ると、その遊びっぷりのきれいなことといったら、花魁《おいらん》や女郎屋者が、なるほどこちとらは坂東武者の末孫だと赤くなったほどであった。
年は四十くらいだろうか、垢《あか》ぬけした色白の肌はつやつやしていて、いつもニコニコしているくせに、欲にきりのない忘八があっと眼をまるくするくらい金ばなれがいい。たちまちこちらで取巻きが出来た。
ふつうこちらの大通《だいつう》なら、そうめったに馴染《なじ》みの見世を変えないものだが、これは上方からの吉原見物と称しているだけに、次から次へとちがう見世の太夫を味わって歩く。むろん、取巻きに囲まれてである。そして遊びは洗練されているのに、床入りとなると恐ろしく濃厚なそうで、百戦|練磨《れんま》の花魁たちが熱を病んだように自分のところへまた回って来るのを待ちかねるほどであった。
このお大尽が、廓の忘八や取巻きにいうのである。
「しからば一本参る、なんて、侍《さむらい》 廓《ぐるわ》が何がおもろいのや。考えただけで噴き出しそうやおまへんか。そのうちにみな阿呆《あほ》らしゅうなって、みんなこっちに戻《もど》って来るわ。吉原はあわてることないで、これまでとおんなじ吉原で待っとればいいのや。――いや――ほんまいうとな、吉原も悪うはないが、京の遊女はもっとようおまっせ。京女郎の客のあしらいよう、わてが少し伝授しておきまひょか」
いかにも春風駘蕩《しゆんぷうたいとう》としているくせに、赤坂遊廓にのぼせあがって吉原を見捨てた蔵前《くらまえ》の札差しなどのふらふらぶりは辛辣《しんらつ》に批判する。
「あれが江戸の大通かいな。大口屋暁雨《おおぐちやぎようう》が泣きまっせ。上方の商人《あきんど》はもっと根性があるがな」
きくと「朱」の問屋だったそうだ。商用とはいうが、こんど新しく専売となった朱の始末の談合に出府しているのだから、吉原で遊んでいるのはないしょにしてくれ、実は淀屋文左衛門という名もでたらめだと本人は笑った。
淀屋といい文左衛門といい、元禄のころの上方の大豪商で、その名があんまり人をくっているのではじめからおかしいと思っていた者もおり、それにしても金の使いっぷりがその昔のお大尽を偲《しの》ばせるほどなので、だれかいちど帰りの駕籠《かご》のあとをつけたら、ほんとに神田《かんだ》の朱座に入っていったので、そのことが遊興の席で話題になったとき、はじめて彼が白状したのだ。
とにかく、この上方の商人がそのとき現われてくれなかったら――たんに金の問題ではなくて、その町人としての意地で支えてくれなかったら、吉原は大門を閉じてしまったのではないかと思われるほどの官営遊廓の勢いであった。
が、ブームは槿花《きんか》のように早かった。淀屋文左衛門の見通しは当ったのだ。
やはり、何だかおかしい。しっくりしない。野暮《やぼ》ったいのが多い。――しからば、一本参る、と淀屋が笑った図が決して空想的なものでなく、それと大同小異の光景が連日くりひろげられた。
吉原では見世を張っている遊女が、ほおずきをかんだり、朱羅宇の長《なが》煙管《ぎせる》をくゆらしたりしながら、客と冗談をかわしたり、格子の間から手を出していたずらしたりして、絃歌嬌声《げんかきようせい》、知らず知らず遊びの世界へひきずりこまれるのだが、ここではみな格子からずっと離れた奥の壁際に、姿かたちは花魁に相違はないが、陶器の人形みたいに端然と坐ったきり、動きもしなければ笑いもしない。
それでも、何とか、その一人を選んで呼ぶと。――
「町人の廓では、床入りの前に酒食の儀を行い、三味線《しやみせん》などで興をそえまするとか。――」
「は?」
さすがに、ありんす言葉の訓練まではしていないらしい。しとやかに、気品高く、
「わたくし、三味線の代りにふつつかながら琴を以てお慰めいたしとう存じまする」
気がつくと、なるほどあっちこっちでコロリンシャンと琴の音が聞える。
「うむ、これは侍用の廓らしゅう、また典雅《てんが》でよきものじゃな。いや、心のふるさとへ帰ったような気がする」
など、はじめはお愛想でなく感心して聞いているが、嫋《じよう》 々《じよう》として琴をつまびいている女の姿に、「さて」と切り出すきっかけを失い、そのうちすっかり戦意を喪失してしまったりする。
「いや、久しぶりに風流ないっときを過させてもらってかたじけない。……がさつなる一儀のことは、また参上いたしたる際にいたすといたそう」
などと、浮かぬ顔で退散するのはまだましな方で、中には、
「亭主! か、か、かかる清純の乙女を、な、なぜかような賤業に従わせるか!」
と、しぼり出すように吼《ほ》え出す若侍がある。しかもそのくせ、いつまでもおっとりと琴をかき鳴らしている女に憎悪《ぞうお》の眼をはったとそそいでいるのである。
また、それよりもっと若い武士で、いざ、ということになったとき、いきなり、
「あなたは今宵《こよい》ここにおいでになると、母上さまのお許しを得て来ましたか」
と、問い糺《ただ》されて、ゲンナリとしょげてしまった者もあった。
それどころか、四書五経を講義されたという話もあったが、これは女郎が何かのはずみに漢語を一、二使ったのが大袈裟《おおげさ》に伝えられたものらしい。それにしても口舌《くぜつ》に漢語がまじっては、飯に小石が入っているような気分にならないわけにはゆくまい。
漢語の口舌どころか、これはただ一人であったが、交合しつつ、
「えい! えい! えい! えい!」
と、道場で薙刀《なぎなた》の素振りでもくれているようなかけ声をあげる女がたしかに存在した。
こういう例はまだいい方で、一般に遊女はぶっきらぼうであった。不馴《ふな》れのせいもあるだろうが、半ば意識して頭《ず》を高くしているところもあった。現代で「みなさまの国鉄」の職員が何となく横柄で、だからいくらストをやっても民衆の同情を買わないようなものだ。
頭が高いどころか――
「無礼な!」
という帛《きぬ》を裂くような叫びが、一日に一度は、きっとどこかの妓楼で張りあげられる。
「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ覚悟はしておれど、いかに遊女とて、それはあまりなお求めではござりませぬか! ここはお上のなさる御遊廓[#「御遊廓」に傍点]でござりまするぞ。御旗本として恥じなされ!」
そして、びっくり仰天したか、投げつけられたか、ずでんどうと階段からころがり落ちて目をまわす、などいう事件が、二、三ならず起ったことも事実であった。
武士でさえこの始末だから、町人など目もあてられない。それもはじめは一種の興味を誘われたのだが、やがては廓から出て、べそをかいたような顔を見合わせることが多くなる。
「早うしや、と来た」
「妙な声を出さないでたもれ、と来た」
「おいらは、あとで勘定《かんじよう》して見たら、三十六ぺんお辞儀させられたぜ。――」
「それで侍の倍、金をふんだくられるんだから、おれを生んだ親の顔が見てえや」
刃物がひらめくことも稀《まれ》ではなかった。吉原には吉原独特のムードがあって、武士が刀を抜くようなことはほとんどないばかりか、武士の方が忍耐し、小さくなっているのだが、ここは同類の武士だらけの世界だけに、かえって、
「それではわが身の面目が立たぬ」
「刀にかけても、あの女郎は。――」
と、血相変えて張り合う機会が多くなったのだ。
そんなときいちはやくかけつける忘八や女郎屋者は、修練したそれらしい身振りをかなぐり捨てて、猛烈敏速にその刀をとりあげ、ときにはあっというまに縛りあげて、どこかへ連行していった。――いつしか客たちは、彼らの正体が伊賀者であることを知った。
まあ、こんな遊廓が、長つづきするわけがない。――
秋にひらいたときにはあれほど大変な人気を呼んだ赤坂遊廓は、その年の暮にはもう閑古鳥が鳴く始末になった。
「どうしたのじゃ。これは?」
田沼山城守はてのひらを返したように難しい顔をしていった。前に服部億蔵がスルメのごとくひれ伏している。
「まるで、潮《うしお》のひくごとくさびれてゆくではないか」
「まことに、何ともはや。……」
「そのわけは何じゃ」
「おそらく遊女も武士客も、いわゆる初心《しよしん》、また物珍しさが過ぎて、どちらもだんだんと地金が出て来たゆえの惨状と存じまする。とはいえ、もとより責任は、すべてにわたってふゆきとどきのこの億蔵にあり、その罪は万死に値すると存じまする。……」
服部億蔵の頬がげっそりとやつれているのは、彼の苦悩を物語っていた。
「客は――侍までも――またぞろぞろと吉原へ戻ってゆきつつあると申すではないか」
会計の帳簿をひざに置いたまま、意次もにがい表情でいった。
「赤坂遊廓もいっときはめざましかったが、このまま衰弱すれば、まだまだ収支相償わぬといってよい」
「なんぞ巻き返しの法はないか」
山城守はいらいらといった。億蔵はひれ伏したままくびをかしげて、
「それについて拙者もいろいろと苦慮いたしましたが、例えば町人より割増しをつけて運上を取るなどということをとりやめるのも一法かと存じまする」
「そんなことでは足るまい」
山城守はいった。それから父の方を見て、
「ともあれ、それに加えて――武士の女郎買いは官営に限る。民間の吉原にゆくことはまかりならんとの下知《げぢ》を下したらいかが?」
「左様さな、さしあたって、そのようにいたすよりほかはあるまいな」
「服部」
と、山城守はかん高い声でいった。
「さっきおまえは罪万死に値すると申したが、来年の春ごろまで様子を見て、なお赤坂遊廓の経営回復出来ぬとあれば、責任を取ってもらうよりほかはないぞ」
服部億蔵の乾いたひたいは、この日はあぶら汗にぬれていた。
年が明けて、そういうことになった。武士の買うのは官営の遊女にかぎる、と。――が、
「これ、あまり大きなつらをいたすな。おまえに惚《ほ》れて通って来たと思うなよ。――武士は吉原にいってはならんというお達しじゃから、よんどころなくこっちに来たのじゃ。これは、義務である。おれが御奉公の義務を果たす以上、おまえも御奉公の義務を果たせ」
そこで、義務を果たすと、
「どうも、ギムギム――いや、ギスギスするな。ふしぎじゃの、女の道具にそう変りはないはずじゃが。――いや、ふしぎはないか。実は先夜、町人に化けてちょっと吉原にいって見たが、いや、あそこの女郎はさすがじゃと、改めて感嘆これ久しゅうした。二百年の伝統のわざに加えて、この赤坂遊廓が出来て以来、負けてなるかと必死の熱がある。あれでは、鬼神の魔羅もとろける」
思い出して、よだれをたらさんばかりの表情になる。
義務的女郎買いなど、面白いはずがない。――それまでは、むろん赤坂遊廓でも客と遊女とのあいだに、決して商売ではない交情が成立しかかっていた組もあったのだが、この命令以来、天《あま》の雀《じやく》本能から客の方はよその花が急に赤く見え、女の方は客の心を邪推するという具合に、かえって変なことになって、いよいよこちらは閑散をきわめるようになった。
田沼山城守は腹を立てた。
官営遊廓の不振よりも、民間の吉原がそれを横目で見つつ、せっせと商売に精を出しているのが、業腹《ごうはら》であった。噂にきくと、吉原のこのごろのサービスぶりの濃厚なことは、以前に倍するものがあるという。何くわぬ顔をしているけれど、内々こちらに抵抗を志し、こちらのうまくゆかないことを心中に手を打ってあざ笑っていることは明らかだ。
「ううぬ、いやしき生業《なりわい》を以て僭上《せんじよう》なり」
彼は町奉行《まちぶぎよう》の方に手を回して、吉原における取締りを厳しくさせた。
しかし、そんな意地悪くらいでは、むろん吉原はへこたれない。もともと官憲の干渉などは馴れ切って、蛙《かえる》のつらに水といった伝統がある。
ついに山城守は、ふだん田沼家に親しく出入りしている若い旗本数人をひそかに呼んだ。そして彼らがなお徒党を集めて、連日吉原へ繰込み、いいがかりをつけて暴れることを依頼した。
「吉原での敵役《かたきやく》でござるな」
山城守のいいつけには何でも唯々諾々《いいだくだく》と従う彼らも、これにはしょっぱい顔をした。
「これは映《は》えぬ役でござりますな」
「その昔、旗本奴《はたもとやつこ》というものがあったろう。それになってもらいたいのだ」
そして彼は、赤坂遊廓の窮境を訴え、せっかくはじめた国家的企業が民間のものに敗れては武士の名折れだと説き、公僕のためにその昔の旗本奴のごとく侠《きよう》の精神に生きてもらいたい――と、旗本奴なるものの歴史的事実に無知なことをいって煽動《せんどう》した。
「ふうむ、旗本奴――という趣向は面白うござるな」
これまた無知な旗本はこれにひっかかって、ついに承知した。山城守の手からそのための運動費が積まれたことはいうまでもない。
果然、それから半月あまり、吉原は荒れた。
とにかくもともと武士を鼻であしらう吉原である。とくに赤坂遊廓の敗色を見て、このごろ意気あがっていた吉原である。いいがかりをつけて暴れ出すきっかけはいくらでもあった。
遊女の尻《しり》をまくる。女郎屋者の頭を瘤《こぶ》だらけにする。――そんな程度ではない。
これは十余軒に上る被害であったが、酒宴の最中にみな酒乱となって、膳部《ぜんぶ》は踏みつぶす。飯も菜《さい》もたたみにぶちまける。手あぶりの赤い炭を放り出す。襖《ふすま》は蹴破《けやぶ》り、床の間の掛軸はひきちぎり、出てきた亭主の頭に味噌汁《みそしる》をあびせかけ、はてはお櫃《ひつ》に放尿《ほうによう》し、火鉢《ひばち》の灰に脱糞《だつぷん》するというむちゃくちゃぶりであった。
それが、突然|終熄《しゆうそく》した。
春のはじめ服部億蔵は山城守に呼びつけられた。
官営遊廓の方の成績は依然かんばしからず、彼はいよいよ憔悴《しようすい》して、よくいえば苦悩の権化《ごんげ》、ふつうの眼では木乃伊然《ミイラぜん》とした相貌《そうぼう》になっていた。
その顔に眼をむけながら、何かほかのことを考えていたような山城守は、ふと億蔵がかすかにふるえているのを見ると、「こやつ、切腹を命ぜられると思うておるな」と心中苦笑した。が、すぐにこれは笑いごとではない。と、顔面の筋肉をひきしめて、
「億蔵、ふしぎなことがある」
と、いった。
「へ?」
山城守は、旗本奴出動のいきさつを述べて。――
「それがな、吉原にも町奴《まちやつこ》というものが出来て、一日、その旗本奴をとりおさえ、遊女屋に放り込んだ」
「町奴が、その旗本衆を?」
「実はそのようすが腑《ふ》に落ちぬのじゃが、何でもきゃつら旗本どもをつかまえて押えつけ、手や足の骨、指一本ずつの蝶《ちよう》つがいまでみな外してしまったらしい。そこで旗本奴ども、みんな水母《くらげ》のように骨なしのグニャグニャになり果てた。――それを荷物みたいにひっかかえて、赤蔦屋《あかつたや》とか申す廓で指折りの妓楼に入り、それっきり旗本奴ども出て来ぬのじゃ」
「ど、どうしたのでござりまする?」
「わけがわからぬゆえ、奉行所の手先をやって赤蔦屋に見にゆかせた。するとな、その旗本連は花魁たちのあいだに沈没して酒をのんでおった。そのときは骨はもと通りに戻っていた案配であったというが、こんどはからだじゅうの肉もとろけんばかりになって、われらのことは仔細《しさい》ない、心ゆくまで遊んで帰るゆえ、騒がずに控えおれと家に伝えろ、といったそうな」
「ほほう」
「いや、吉原の花魁のわざ、承知しておると承知しておったが、いままで実は全然承知しておらなんだことをはじめて承知いたした。もはやこのまま討死するとも悔いはない――など申しておったやつもあったそうじゃから、赤蔦屋にかつぎ込まれてから、とことんまで花魁どもの手管《てくだ》にかけられたらしい。――いや、だらしのないやつらで、見そこなっておったといいたいが、きゃつらならそれくらいのことはあり得る」
山城守は吐き出すようにいった。
「そこでその手先が――討死しても悔いはない、など、そんなことをきけばいよいよこのままでは引き取りかねる、すぐここを出てお帰りなさるように、と申し、いや帰らぬ、死すとも離れぬ、などだだッ子のように押問答しておるところへ、その旗本どものうしろから、色白のふとった町人がのっそりと現われて、このなりゆき、どうしてもつれ帰ると仰せられるならまた骨を外してお返しするよりほかはあるまいが、そもそもかような話、江戸へ広くひろがったらこのお旗本衆のお命もお家も決して無事ではすみますまいと思うがいかが? という意味のことを、上方弁で笑いながらいったという。――」
「上方弁で?」
「そこで手先も、手の出しようがなく引き取ったというが――問題はその上方の商人風の男じゃ。去年の秋ごろより現われて、その遊びっぷりの豪勢さで、吉原では知らぬ者もなかったということじゃが、こちらは赤坂の方に夢中になっておって迂闊《うかつ》にも知らなんだ。おまえ、知っておるか」
「いえ。――赤坂遊廓をひらくまでは、組の者ども修業のため吉原へ入れましたが、それ以後はわれらも赤坂の方にかじりついておって、そんな吉原の消息は知りませず。――」
「当人は、大坂の朱問屋で、こんど神田の朱座に所用あって出府したと申しておるという。名は淀屋文左衛門というそうな。――もっともこれは仮の名じゃと自分でもいっておるそうだが、朱座の方を調べてみても、そんな名の男はおろか、上方から来た商人など誰もきいた者がない」
「はて?」
「それでじゃ、いちどまた手先にそやつを尾行させた。ところが浅草までいったとき、雑踏の中で駕籠《かご》かきがふいにあわて出した。なんと、その男、知らぬまに駕籠ぬけをしていたのじゃ。尾《つ》けられているのを知って姿をくらましたらしいが、そのくせ翌日はまたけろりと吉原に現われて遊んでおる。――」
「な、な、なんたる奇怪なやつ。――」
「奇怪なのはそやつばかりではない。――旗本奴に対抗して現われた町奴、町奴らしきもの、おそらく吉原の地回りであろうと思っておったが、――事実、知らずして彼らに加勢したならず者もたしかにあったが――よくよく調べると、該当者がない。考えて見ると、いかに懦弱《だじやく》なる旗本どもとはいえ、あのようにとりひしぐ腕のあるやつが、地回りなどにめったにあろうとも思われぬ」
「ふうむ。……」
「億蔵」
「は」
「その淀屋文左衛門の一味を――わしは、一味と見る――ひそかにひっ捕えろ。何やら気にかかるふしあり、奉行所にはまかせられぬ。これをなすものは伊賀組よりほかはない」
億蔵は首をかしげた。
「伊賀者どもは、いま赤坂の廓《くるわ》に詰めて御奉公いたしておりまするが。――」
と、いいかけて、うなずいた。
「いや、夜組と昼組とに分けておりまするゆえ、いずれか一方は使えるでござりましょう。心得てござりまする」
「大丈夫か。内々にだぞ」
「たしかに奇態なやつら――左様なお望みならばいろいろと探りを入れてからのことにいたしとうござりますので、いささか時はかかりましょうが」
「いや、そういつまでも待ってはおれぬ。きょうは何日であったかな、二月末日か、よし、一ト月待つ。それまでに埒《らち》をあけぬと、億蔵、こんどこそはたしかに責任をとってもらうぞよ」
「へへっ」
またひたいにあぶら汗を浮かして、服部億蔵は平伏した。
――それから二十日ばかりたってからのことである。田沼山城守は江戸城で町奉行の曲淵甲斐守《まがりぶちかいのかみ》から妙な話をきいた。
「山城守さま、例の淀屋文左衛門の事件を御存知でござりまするかな」
「いや、知らぬ。何かあったのか」
「あれがまた赤蔦屋に取巻きをつれて現われました。それが数十人の――ふだんとはちがう取巻きをつれて登楼して、ひるまから大乱痴気騒ぎをやっておったと申すことで」
奉行の話をききながら、山城守はにがり切った。――この六十を越した老町奉行が、山城守はあまり好きでない。世には一応名奉行ともいわれている人物なのでやめさせられないのだが、田沼のいちばん怖れている白河《しらかわ》の松平定信《まつだいらさだのぶ》の息がかかっているような気がして、ふだんから警戒しているのだ。
その淀屋なる怪商人のことを町奉行の筋を通して探らせかけて、急に伊賀組に変えたのもそんな関係もあるのだ。が、曲淵の方でもさすがに眼を離してはいなかったらしい。
――要らざることはよせ、といいかけてそうもならず、かつあれっきり服部億蔵から何の報告もないので、きゃつ何をしているのだ? とジリジリしていたこともあり、山城守はあとを聞かずにはいられなかった。
「ふむ、それで?」
と、さりげなく聞く。
「夕方になって、大門に黒装束の一隊が駈《か》けつけて、われらは伊賀組じゃ、田沼さまより特別の秘命を受けて淀屋なる者を探索しておるもの、すぐに大門を閉じよ、と申したという。――」
不謹慎なことをべらべら口にしたものだと舌打ちせざるを得ないが、まあそれよりほかに法はなかろうとも思う。
「で、この黒装束の一隊が赤蔦屋に踏み込んだ。淀屋をはじめ取巻きどもはあわてて逃げる。そこで廓内追いつ追われつの騒ぎとなったが――さて、一刻以上も捜索して、結局一人もつかまえられなかったと申すことでござる。それが面妖《めんよう》、とにかく、大門を閉じ、それより外に逃げ出した者は一人もないのに、天に消えたか地に消えたか。――」
「はて?」
「やがて伊賀組は、悄然《しようぜん》としてみなひきあげたそうにござりまするが。――」
曲淵甲斐守は難しい表情をした。
「田沼さまよりの御下知とはまことでござりまするか」
「いや。――」
「拙者もおそらく伊賀衆の口実と存ずるが、そのよって来たる仔細は知れず、ともかく廓の捕物に町奉行以外のものが関係して騒ぎたてるのは、公務の筋目として不埒至極《ふらちしごく》と存ずる。そのうち伊賀組を呼び出されて、若年寄よりきっと御糺明《ごきゆうめい》下されい」
甚だ耳が痛い。この老人はあきらかに厭味《いやみ》をいっている。しかし何かいうと藪蛇《やぶへび》になりそうなので、山城守はむっとふくれあがったまま奉行と別れた。
服部億蔵は、例の命令に対して、あがくことはあがいているらしい。しかし、それにしても何たるぶざまさか。それではこちらに報告も出来なかったのもむりはない。それはともかく、その事件の――淀屋なる商人の奇怪さはいよいよ以て何としたことであろう?
まだ期限の一ト月には満たなかったが、山城守は勃然《ぼつぜん》として服部億蔵を呼びつけた。
天明四年三月二十三日の夕刻である。
「億蔵、うぬはそれでも伊賀者頭領か」
田沼山城守は例のかん高い声で叱りつけた。実際彼は、曲淵甲斐守にあてこすられたせいもあって、恐ろしく腹を立てていた。
「赤坂遊廓の方も倒産にひとしきていたらく、一方で伊賀者本来の御用を命ずれば、聞くだに腹立たしき大まぬけ――しかも、そのことをわしに即刻報告にも参らぬとは何としたことじゃ」
億蔵はまたスルメ然としてひれ伏していた。
「いつのころよりか伊賀者が無用のものとして公儀より捨てられかかっておった理由が、わしにもようやくのみこめた。もはやうぬにものは頼まぬ。その代り、父と談合して、ただちに伊賀組を放逐してくれる」
「あいや」
と、服部億蔵はふるえながら、かすれた声でいった。
「淀屋文左衛門なる者捕えましても、でござりまするか?」
「なんじゃと? 淀屋文左衛門を――いつ、どこで捕えた?」
「いま、ここで、でござりまする」
田沼山城守はキョロキョロとまわりを見まわし、服部億蔵が座敷の隅《すみ》の金屏風《きんびようぶ》のかげにじっと眼をむけているのに気がついた。いつもそこにある屏風なのに、突然まったく知らない世界が生じて、そこから一陣の妖風《ようふう》が吹いて来るような恐怖を山城守は感じた。
思わず彼は首をすくめ、低い声できいた。
「そこに……誰かおるのか?」
服部億蔵はぶつぶつとつぶやいた。
「ああ、いずれの日か、きょうの大詰は来ると覚悟つかまつっておりました。拙者は深く覚悟しておりましたが、しかし、もし叶いますならば、淀屋文左衛門を捕えたという手柄に免じ、伊賀組お取潰《とりつぶ》しの儀はお許し下されませ。……」
哀感をふくんだ声でいうと、億蔵は立っていって、その屏風の蔭《かげ》に歩みいった。
二、三分たった。
「服部」
と、山城守は呼んだ。
「ただいま」
屏風の端から手だけが出て、屏風がそろそろと折りたたまれていって、傍の壁にはたりと凭《もた》れかかった。あとに一人の男が、寂然《じやくねん》と坐っていた。スルメのような服部億蔵ではない。ふっくらと肥った、色白の、春風の漂っているような男だ。
ぎょっとして眼を見張っていた山城守は、尻であとずさりしていった。
「うぬは……うぬはだれじゃ」
まったくちがう声で、
「お騒がせした淀屋文左衛門でござります」
「なに?……お、億蔵はどこへ消えた?」
「伊賀組頭領、服部億蔵の秘伝十三面相のわざを御覧にいれております」
あっといったきり、もはや口も利《き》けなくなってしまった田沼山城守の前に、淀屋文左衛門は神妙に手をつかえた。それっきり、いつまでも黙っている。
「うぬが……うぬが……」
山城守は眼をむいたまま、あえいだ。怒りよりも、恐怖のために。いや、それよりも昏迷《こんめい》のために。
「な、なにゆえ……なんのために。――」
それから、悲鳴のようにさけんだ。
「うぬは、田沼をからかうのか。わしの考えた武士の廓の邪魔しようといたしたのか!」
「滅相もない!」
声は、もと通り服部億蔵のものであった。
「ただ、かような真似《まね》をいたさずにはおれなかったので……つまり、女郎買いをせずにはおれませなんだので……」
「うぬが、女郎買い。――」
「さればでござりまする。例の廓づくりの御下知承って以来、拙者はじめて吉原に足を踏みいれ、そこで女郎買いの面白さをはじめて味わったのでござりまする。この年になって、とお笑いでござりましょうが、この年、あの女房を持った男でなくてはわからぬ天国でござりました。あの女房、と申してもおわかりになりますまいが、拙者も、吉原を知ってはじめて思い知ったことでござりまする。毎日、その女房の凶猛なる顔を見、うるさきこと言語を絶する叱言《こごと》を聞くたびに、拙者、砂漠《さばく》に渇《かつ》する者が泉を欲するがごとく、淀屋文左衛門なる架空の男に化けても、吉原へ逃避せずにはおれなかったのでござりまする。……」
その声は、哀音切々《あいいんせつせつ》として、聞く者にはそれが魂の底からのうめきであることをいやでも感得させた。
「これは、いつまでもつづくことではない。いつかはみずから大破局を呼ぶ。それは重々承知の上の愚行にて、それを承知すればこそいよいよ吉原の快楽《けらく》は五臓六腑にしみわたるようで、魔に憑《つ》かれたごとくそれを愉しみぬかずにはいられなかったのでござりまする。……」
「それは、億蔵」
ふと頭をかすめるものがあって、山城守は眼をひからせてさけんだ。
「いつぞや、うぬが成敗《せいばい》した伊賀者鵜坂香助とそっくり同じ所業ではないか。色に溺《おぼ》れて眼《まなこ》くらみ……」
「されば、同じことでござりまする。拙者もまた、人こそ殺しませねど、赤坂の廓よりあがる御上納金を拝借してその遊び代といたしましたれば。……」
「なんじゃと? では、あの会計は。――」
「帳面を詳しくお調べ下されば、たちどころに判明することでござりまするが。あれほど御信用下されたものを、まことに何ともはや、恐れいったる大汚職。……」
淀屋文左衛門は平蜘蛛《ひらぐも》のごとく這《は》いつくばった。山城守は呆《あき》れ返ってまた絶句したが、ようやく怒りの炎がよみがえって、うめき出すようにいった。
「では……いつぞやの町奴、また最後に伊賀組と――八百長《やおちよう》の捕物騒ぎを起したかに見える取巻きどもは、みなうぬの配下の伊賀者じゃな」
「へへっ、まったく苦しまぎれの所業でござりまする。拙者ども、やはり黒装束に身を包んで、捕えに来た伊賀者どもといっしょに吉原より退散つかまつりました。それと申すも、とにかく何かせずにはおれぬなりゆきと相なりましたからで。――また」
文左衛門は――いや服部億蔵は、恐縮し切って、あぶら汗をしたたらせていう。
「彼らにも最後にいちどはよい目を見せてやりたく存じ、赤坂遊廓にて夜組、昼組の勤めの別あるを利用して遊ばせてやった次第でござりまする。……ただし、きゃつら、拙者の命には決して背叛《はいはん》つかまつらぬものでござりますれば、罪はもとよりこの億蔵一人にあり、何とぞ組の方には御寛仁のほどを願いあげたてまつりまする。……」
「たっ、たわけ!」
山城守は破《や》れ紙みたいな声でさけんだ。
「官営遊廓のいわば長官、またその下僚が、相手もあろうに民営遊廓に官金をつぎこんで溺れようとは……よくぞこの意知をそこまで嘲斎坊《ちようさいぼう》にいたした。そのくせ、組の者は助けろ、などとは身勝手といおうか、図々《ずうずう》しいといおうか、虫がよいといおうか、いや何とも言おうようなき痴《し》れ者どもめ、うぬが腹切るなどは当り前、火あぶり磔《はりつけ》にしてやってもあき足りぬ。伊賀組総獄門の罪もまぬがれることではないわ。……」
そして、あえぎながら、怪鳥《けちよう》のような声でさけんだ。
「だれかある。来て、この化物に縄《なわ》をかけい!」
――ただちに処刑するのも恐ろしいような大罪である。伊賀組頭領服部億蔵は蓑虫《みのむし》のごとく縛りあげられて監禁された。
しかし、伊賀組はもとより彼の命にさえ異変は起らなかった。なんとなれば、その翌日、すなわち天明四年三月二十四日、田沼山城守意知は殿中で旗本佐野善左衛門の刃傷《にんじよう》を受けて殺されたからである。
田沼家あげての騒ぎのうちに、億蔵は放り出され、伊賀組への追及などもうウヤムヤになってしまった。
赤坂遊廓が消滅してしまったことはいうまでもない。江戸時代たった一度、怪腫物《かいしゆもつ》のごとく生じてたちまち膿《う》み潰《つぶ》れてしまった滑稽なる官営遊廓の顛末《てんまつ》は以上である。
しかし、助かったことが服部億蔵にとって、幸福であったかどうかわからない。
「――なんですって? 人生に疲れた? 疲れたからお勤めに出ないなんて、どの面下げて――あなたが赤坂の御廓《おくるわ》をうまくやって下されば、いまごろは天下のお目付として、毎日お駕籠でお出かけになれたのです。それがそう出来ないのは、能なしのあなたの自業自得《じごうじとく》。――ああ、それにしても忍びの術で八千石を頂戴した服部半蔵の家をつぐ者が、女郎屋の大将とは、受けて恥、それをのめのめ受けて、まんまとしくじったのは天の配剤、いい面の皮というべきでありましょう。……」
知らぬが仏の妻のお鷹の、仏らしからぬ罵声《ばせい》とともに、服部億蔵は四谷伊賀町の家を毎日立ち出でる。
ゆくさきはいまはない赤坂の御廓でなく、わびしいお城の門番であった。やがて江戸には梅雨《つゆ》が来るだろう。もう陰鬱《いんうつ》な曇天の下を、さっぱり湿気とは縁のないスルメのようにひからび果てた伊賀組頭領は、ちらっと哀《かな》しげな眼を北の吉原の方へ投げ、それからトボトボと南のお城の方へ歩いてゆくのであった。
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忍者|服部半蔵《はつとりはんぞう》
座敷に一つ燭台《しよくだい》がもえているが、油煙をあげる灯《ひ》は暗く、庭は墨《すみ》にぬりつぶされたようであった。
ただ、そこに畳大の白木の板が置かれて、ふたりの人間がならんで坐《すわ》っていた。男と女だ。生きているとも思われないほど身うごきもしなかったが、そのふたりが、墨のような庭一面に、さらに数十人の人間がいて、じぶんたちをじっと凝視《ぎようし》していることを知っている。梅雨《つゆ》の季節で、雨こそふっていなかったが、もう夏のようにむし暑く、風のない夜であった。
燭台からまっすぐに立ちのぼっていた油煙の糸がかすかにゆらいで、座敷にひとりの男があらわれて、庭にむかって坐った。
「五条《ごじよう》 周馬《しゆうま》」
やおら錆《さび》をおびた声で呼んだ。庭の男は、若い顔をあげた。
「お香《こう》」
と、つづけて呼ぶ。女はわずかに身じろぎしたが、うなだれたままだ。
「服部党《はつとりとう》の掟《おきて》に従い、これよりその方らを糺《ただ》す。掟に叛《そむ》いたことが分明《ぶんみよう》なる場合、または偽りを申しのべた場合は、両人ともに成敗を受けるものと心得よ」
荘重《そうちよう》で厳粛な声であった。若い男は蒼《あお》ざめたが、しかしきっと首をたてたままだ。まだ二十前後であろう、美少年といっていいやさしい顔だちに、死物狂いの緊迫感《きんぱくかん》があふれた。
「周馬は、さきごろこの世を去った五条船之進の弟。またお香は船之進の妻。その両人が密通しておるということはまことか」
「何しに以《もつ》て!」
と、五条周馬はさけんだ。
「われわれがなんで左様な人倫に――いや、掟に叛いたことをいたしましょうや。それはあらぬ噂《うわさ》、濡衣《ぬれぎぬ》でござります」
「お香は?」
女は、はじめて顔をあげた。年は二十七、八であろう。紅梅のように凜《りん》としたなかに熟《う》れきったなまめかしさをたたえた女であったが、これまた必死の眼をあげて、
「周馬どののいう通りでござります。くやしいお疑いでござります」
さけぶと、がばと身を伏せてしまった。
「左様か」
座敷の男は、さほど動じた様子はない。仮面《かめん》に似た無表情で、
「しかし、一党中にそのような風評があるうえは、その方らのそれだけの弁明でゆるすわけには参らぬと思え。しからば、半蔵みずから墨検断《すみけんだん》をいたす」
あごをしゃくった。すると、そこに人ありとは見えなかった暗い縁のかげから、二つの影がつと湧《わ》き出して、五条周馬とお香の方へ歩いて来た。
座敷の服部半蔵も立ちあがった。彼は服部党の頭領であった。
伊賀から出て家康《いえやす》に仕えた服部半蔵|正成《まさなり》は、いわゆる伊賀同心を支配して、伊賀の忍者を徳川家|名代《なだい》の乱波《らつぱ》部隊、隠密組《おんみつぐみ》として組織した功績者であった。彼はそれによって八千石の知行《ちぎよう》を受けたが、十八年前の慶長元年、五十五歳にして歿《ぼつ》した。長男の源左衛門|正就《まさなり》があとをついだが、慶長九年、ゆえあって家康の勘気を受けて逐電《ちくてん》した。このとき服部家は禄を削《けず》られて三千石となり、次子の正重《まさしげ》に伝えられた。
いま、みずから半蔵と名乗ったのは、この正重である。伊賀組の支配者はすべて半蔵の名をつぐことになっており、彼はその三代目にあたる。このとし、慶長十八年、彼は四十二歳の壮年であった。
特殊任務に服する一党として、その訓練や規律は、苛烈《かれつ》厳格をきわめていることはいうまでもない。とくにその掟は、源平時代から伊賀の豪族であった服部家の家憲を原型として、むしろ怪奇的な錆《さび》さえつけていた。とくに首領服部半蔵の権威は絶対である。
絶対的な支配者として、三代目半蔵、それにふさわしい相貌《そうぼう》をしている。いつもほとんど無表情だが、彫刻的な顔だちや、つよく張った青いあごや、あぶらをぬったような皮膚は、常人でない凄味《すごみ》と精力と意志をあらわしていた。
さて、ここに、その支配下にある一党の中に、死んだ伊賀者の後家《ごけ》と、その義弟とが密通しているという報告があった。一般の武家でさえ、金輪際《こんりんざい》ゆるされぬ関係である。ましてや、鉄の掟をもつ服部組だ。噂のふたりは召喚された。
たんに、少々ききたいことがある、という口上で、べつべつに呼び出されたふたりであったが、この庭でおたがいの顔を見合わせたとたん、もとより審問《しんもん》の目的を思い知らされた。しかも、もはやあきらかにふつうの審問ではない。周囲の闇《やみ》を埋めて凝視しているのは、たしかに一党の幹部たちであり、ふたりがひきすえられたのは、白木の大《おお》 俎《まないた》であった。
服部半蔵は、みずから燭台をとって、庭に下りて来た。
さきに、被告の前にちかづいた二つの影は、周馬とお香の前に一枚ずつ紙を置いた。何のへんてつもない白紙であった。ひとりは、持って来た硯箱《すずりばこ》のふたをひらいて、墨をすり出した――
――墨検断?
俎の上のふたりは、そういう言葉を思い出そうとした。しかし、いままでにきいたことがなかった。おなじ服部党の一員でも、服部につたわる秘法のすべてを知っているわけではない。それがまたこの一党の特徴でもある。
服部半蔵はじぶんのまえに燭台をおいて、ピタと黒い土に坐った。
「周馬、お香。おれの眼を見ろ」
と、半蔵はいった。ふたりは首領を見た。
五条周馬の眼にも、お香の眼にも、半蔵が双面をもっていてじっとじぶんをにらんでいるように見えた。と、その前の灯が、依然まっすぐにほそい煙をあげていたのに、それがぼうっと光の糸となり、環《わ》をえがき出した。灯の環の中に、首領の眼だけが深沈たるひかりをはなって、じぶんを凝視している。――その瞳光《どうこう》に吸いこまれそうな感覚と、それに抵抗しようとする努力のために、ふたりのひたいからあぶら汗がながれはじめた。
「両人、紙をとれ」
と、しみ入るような声がきこえた。
「両手で紙のはしをおさえるのだ。そして、まことの存念を書くのだ。ただし、紙から両手をはなしてはならぬ」
ふたりのまえの紙の上に、筆をもった腕がぬうと出て来た。
半蔵は一本ずつの筆をにぎった両腕をつき出している。墨をふくんだ筆は紙すれすれに、しかもその腕は微動だもしない。……と、その筆の先から、ぽとっと墨がおちた。同時に、紙にするすると文字が書かれはじめた。半蔵が書いているのではない。彼のこぶしは依然静止している。
周馬とお香が、おさえた紙をうごかし、それによって字が書かれてゆくのであった。
周馬の紙には、
「それがし、お香どのと交合いたしとうて、まこと密通つかまつり候」
お香の紙には、
「わたくし、周馬どのと交合いたしとうて、まこと密通いたし候」
筆が紙からはなれた。半蔵がうしろに投げすてたのだ。
「墨検断、かくのごとし。うぬら、おれを偽ったな」
ふたりは、水をあびせられて夢からさめたように眼前の文字を見て、蒼白《そうはく》になった。――一息おいて、周馬が狂ったようにさけび出した。
「おゆるし下されい、お頭《かしら》。偽ったのは悪うござります。さりながら、偽ったのは、拙者成敗されるのが恐ろしゅうてのことではござらぬ。お香どのを殺しとうなかったゆえでござります。まこと拙者、兄を失ってさびしげに見える嫂上《あねうえ》をお気の毒に見ておるうちに、恋慕《れんぼ》の心つのり、ついに手籠《てごめ》同然にして犯したのがことのはじまりでござります。嫂上に罪はござらぬ。拙者はいかなるお裁きをも受けまする。お頭、お香どのだけは助けてあげて下されい」
「不義の罪、偽りの罪、いずれも両人同罪」
と、服部半蔵はいった。沈んだ声音《こわね》だが、周馬のさけびを断ちきる鉄槌《てつつい》のような重いひびきがあった。それっきり、沈黙がおちた。
「さりながら」
ややあって半蔵はつぶやいた。仮面に似た無表情にかすかに迷いの翳《かげ》がにじみ出した。
「五条周馬、いかにもうぬは、伊賀者のうちでも珍しいほど忍者の素質をもった奴《やつ》、殺すに惜しい気がせぬでもない。事と次第では、とくにゆるしてお香と祝言《しゆうげん》させ、五条の家をつぐようにとりはからってやりたいとも思う。……一党のものどもを立ち会わせたは、そのためじゃ」
彼はふりむいた。
「一同、いかに思う?」
すると、闇の中で、数十人とも一人ともつかぬ声が風のようにながれた。
「われら、お頭のお心次第でござる」
燭台の灯に、みるみる血色をかがやかせた五条周馬の顔を、半蔵は見下ろしていた。
「ただし、うぬのわざによる。百度|詣《まい》りのわざによる」
「百度詣り。――」
服部一党の忍者はそれぞれ独特の個人技を持っているが、それはすべての者が修練し、体得しなければならぬ忍法の一つであった。女人を御《ぎよ》する法の一つであって、接して洩《も》らさぬこと、常人には数倍する耐忍力を要求されるものだ。
「それを、ここにてお香を相手に見せい」
服部半蔵は淡々といった。
若い周馬の顔から血の気がひいた。あきらかに苦悶《くもん》の表情となった。しかし、首領の命令は絶対である。のみならず、これはじぶんの――いや、お香の命が助かるか、否かの瀬戸際の試練であった。
「お香どの、忍法修行の一つと思われよ。――」
と、彼は嗄《か》れた声でいった。
もともと、こういうことに忍者は羞恥心《しゆうちしん》はない。とくにこの百度詣りは、服部組の忍者必修の課目として、先輩の鞭《むち》のもとに鍛えぬかれる技術であった。
五条周馬の姿には、むしろ厳粛なものがあらわれた。彼は袴《はかま》をとき、嫂《あによめ》のそばにすべり寄り、抱き、横たえ、もすそをひらき、折り重なった。この動作にもはやためらいはなく、機械のような流動感があった。――そして、寂《じやく》と見まもる首領と数十人の幹部の注視の中で、一本の燭台の下で、白木の大俎の上で、嫂を犯しはじめたのである。
忍法百度詣り。――それは女人を御する法にはちがいないが、それ自身が目的ではない。女人を完全におのれの薬籠中《やくろうちゆう》のものとして、或《ある》いは味方の密偵《みつてい》とし、或いは敵を裏切らせるのが目的だ。それだけに、そのわざは精妙をきわめ、この場にあって、お香はついにおのれを失ったような声をたてはじめ、白い二本の雌《め》しべのような足を、義弟の腰に巻きつけた。
突然、周馬がうめき声をもらし、お香の肩に顔を伏せた。
「五十度詣りか」
あざけるような半蔵の声がきこえた。
「お香の忍法|小夜砧《さよぎぬた》に及ばざること遠いの」
服部党では、忍者の妻もまた忍法の修行を課せられていた。逆に肉欲の奴隷《どれい》となって敵の密偵となり、味方を裏切ることのないように、これは当然の防衛術であったが、そうでなくとも夫の百度詣りに耐えるため、自然とそのわざは磨《みが》かれざるを得ない。しかし、この場合、お香はべつに忍法小夜砧をつかったわけではない。――さすがに若い周馬は、死をかけたこの試験に、極度の緊張のため、思わざる早漏《そうろう》現象を起したのである。
「未熟者め、起《た》て」
と、半蔵はさけんだ。声は勁烈《けいれつ》なものに変っていた。
「左様な弱腰で不義密通をしようとは笑止千万、所詮《しよせん》、服部組にあっても役にはたたぬ奴、やはりここで成敗してくれる」
五条周馬はすでに死相と変った顔をわずかにあげかけて、ふいにがばと起きなおった。
「お頭、それは不当でござる。拙者が服部党の掟に叛いたことはまことでござるが」
ことここに至って、なおこのように未練がましい抗議をした者は、服部組に曾《かつ》てない。半蔵は眼を見ひらいた。
「周馬、狂ったか」
「狂いはいたしませぬ。以前からかんがえていたことです。拙者は忍者だ。しかも、先刻お頭もみとめられたように、これでも同輩中では、誰にもひけはとらぬほど修行に刻苦した人間です。にもかかわらず 忍者であるがゆえに、拙者は御成敗を受けねばならぬ。――」
「掟だ」
「では、あの仁《じん》は?」
周馬は指さした。半蔵はふりかえって、眼をむいた。
さっきまで彼がいた座敷に、べつの人間がつくねんと坐っている。それを弟の京八郎とみて、彼は怒りの声を投げた。
「京八郎、うぬのくるところではない。ゆけ」
「それでござる。いま、お頭は、うぬのくるところではない、と仰せられた」
と、周馬はさけんだ。
「なぜ、お頭は、京八郎どのを除外なさる。おなじ服部の一族、しかもお頭の弟《おとうと》 御《ご》でありながら、忍法の修行もせず、ただ自堕落《じだらく》に好き勝手なことをなされておる京八郎どのを、なぜおゆるしなされておられるのか」
「ゆるしておるわけではない。見すてておるのだ。きゃつには、忍者としての素質も意欲もない。――京八郎、ゆけ、ゆかぬか!」
半蔵の叱咤《しつた》に、座敷の影はあわてて腰を浮かし、フラフラと消え去った。半蔵は舌うちしてむきなおった。
「周馬、服部一党に籍をもち、忍者として殺されるのは誇りと思え」
「いや、誇りとは思いませぬ。忍者として素質のない人間は、はじめから掟からまぬがれる。なまじ、忍者として修行したために、掟にふれて殺される。これは不当でござる。拙者はともかく、お香どのまで――」
人間とは思われぬ五条周馬の絶叫《ぜつきよう》は、そこでぷつんときれた。
お香をひきずりあげるように片手に抱いて立っていた周馬は、それっきり硬直した。その足もとに墨汁のようなものが飛び散った。周馬とお香ののどぶえに、キラとひかるものが突き出している。背後から闇を裂いて飛び来った二本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》が、うなじからのどぶえへ突きぬけたのである。
ややあって、この掟に叛いたふたりの不義者は、白木の大俎の上に、折り重なって崩折《くずお》れた。
服部半蔵は、弟の京八郎を何とかせねばならぬと決心した。
いまはじめて思い立ったことではない。――この数年、彼の心をいちばん悩ませてきた問題だ。彼からみれば実に不肖《ふしよう》の弟であった。名を、京八郎正広という。父の晩年の子でことしまだ二十三にしかならない。
服部一党に生まれた者は、男女をとわず、幼少時代から忍者としての手ほどきを受ける。そのテストは、年齢とともに高度のものになってゆく。――宗家たる服部の血をひいた京八郎に、この義務が課せられないわけがない。事実、京八郎も、幼いころから余人にましてきびしい教育を受けたのである。それが、いつのころからか、逸脱してしまった。
思いかえすと、それは長兄の源左衛門が罪を受けて、服部家が八千石から三千石へ削られた事件の前後からではなかったか。京八郎が十四、五歳のころである。
服部一党に生を受け、いかに修行をつんでも、だれもが忍者となれるとはかぎらない。極力、忍者としての能力の育成につとめ、またうまくしたもので、それぞれ適応力を発揮しはじめるが、なかには先天的に、どうしてもだめな奴がいることはいうまでもない。そういう奴は、結局、忍者党としての名を傷つけるから、追い追い排除されていって、伊賀者の表向きの職分たる江戸城大奥の守衛役だけにとどめられる。これは服部一党に籍をおく者としては恥ずべきことであって、実際このグループに入れられた者は、忍者組のエリートたちには生涯《しようがい》あたまがあがらない。
服部京八郎は脱落した。それなのに、この落第生は、恬然《てんぜん》としていた。他のだれよりも恥じ入ってしかるべきなのに、服部家の三男坊に生まれたのをいいことにして、とくにここ二、三年は、ろくに家にもいないで、外を遊びあるいているようであった。
それをにがい眼で見ながら、兄の半蔵がこのごろ訓戒することもなくなっていたのは、弟の忍者としての才能に、とっくにあきらめをつけていたことのほかに理由があった。
まず第一に、父が晩年に生んで、眼に入れてもいたくないほど愛した子であったということで、兄の彼からみても、父子ほど年がちがう。私情を圧殺せねばならぬ忍者宗家の家長として、断じてあってはならぬことだが、半蔵の心の内部に、父が子をみるような、したがって不肖な子ほど可愛いといった感情がうごいていたことはいなめなかった。
第二に、その反面に、彼はこの弟がどうもうす気味がわるい。自堕落で、野放図で、軽薄なところすらあるこの柔《にゆう》 弱者《じやくもの》が、逆にまったく異質な存在として、手においかねる気がするのだ。落第生のくせに、京八郎は、服部一党の忍者としての酷烈《こくれつ》な任務、悲壮味をおびた修行ぶりを、皮肉な、からかいの眼で見ているように思われる。
実際に、京八郎は、半蔵のまえでぬけぬけと批判したこともある。
服部組の忍者たちは、それぞれ個性に合った忍技を体得していたが、そこにいたるまでに、独特のアイデアを考案したり、修行の方法について工夫したりする義務があった。
その中に、「水蜘蛛《みずぐも》」というものを着想した奴がある。下駄《げた》のまわりに円形の木のウキをとりつけたもので、これを履《は》いて水上を歩こうという器具である。この器具の材質や、寸法など、何十種類、何十回となく実験し、心血をそそいでいる忍者を見て、京八郎は笑った。そんなものを履くより、泳ぎを練習した方が早いというのだ。
また、「毒鉄砲」というものを考案した奴がある。口に毒液をふくみ、決闘の際、相手の口に吹きつける。むろん毒であるから、口にふくむ方は、ふつうならまずじぶんの方が命がないが、それに対する耐域量《トレランツ》をたかめるために、はじめ稀薄《きはく》なものから徐々に濃度を加えてゆくというのだ。しかし、この修行の過程で、生体実験を受けた忍者数名が死んだ。京八郎はまた、そんなことより、決闘に至るまえに、相手に毒をのませる算段をした方が利口だとさかしら口をきいた。
また、跫音《あしおと》をたてぬ歩行法を工夫した奴がある。そのために、四つン[#小さな「ン」]這《ば》いになって、まず右手を出してそれに右足をのせ、次に左手を出してそれに左足をのせ、交互にこれをくりかえしてゆくというのだが、この奇怪な歩行法になれると、これを水でぬらした襖《ふすま》の上で試みる。しかも、襖の内部にみじかい釘《くぎ》を一面に植えてあるのだ。いくども失敗し、血まみれになっている忍者をみて、京八郎は、ばかばかしい曲芸だ、大道でやったら犬や猫《ねこ》が銭をはらって見物するだろうといって、腹をかかえて笑った。
また、飢渇丸《きかつがん》ともいうべき丸薬の製造に精根をかたむけた奴がある。人参《にんじん》やら蕎麦粉《そばこ》やら梅干やら山芋やら鶏卵やら鰹節《かつおぶし》やらをこね合わせるのだが、さらにこれに犬の血とか猫の生胆《いきぎも》などを加えるのだ。これまたその生体実験で、数人の忍者が激烈な下痢《げり》症状を起して悶死《もんし》したり、或いはこればかり食べているうちに、ほんとうに餓死してしまった。京八郎はこれに対しても、そんなもので人間みんなが食ってゆけるなら、この世にいくさの起るわけがない、と評して、それから半蔵がぎょっとするような見解をつけ加えた。つまり、いくさがないなら、忍者の必要もなく、従って服部一族は扶持《ふち》ばなれになるほかはあるまいといったのである。
本来なら、斬って捨てるべきところだ。それを半蔵がそうしなかったのは、やはり骨肉の愛と、そんなことをケロリといってのける京八郎の顔がいかにもいけしゃあしゃあとして、怒り出すきっかけを妙にそらしてしまうところがあるからであった。それで、せめて彼を、服部一党の忍法修行の場にちかづくことを禁じただけで、いままでは終った。
しかし、やはり捨ててはおけぬ。服部半蔵はついに決意した。
掟に叛き、成敗された五条周馬の断末魔の抗議から思い立ったことだ。彼の不服はともあれ、ほかのものへのみせしめのためにも、この際、弟に何らかの処置をとらねばならぬ。
半蔵が、京八郎を呼び出したのは、その翌日の夜のことであった。
「京八郎、うぬはおれの制禁にもかかわらず、なぜ昨夜あのようなところへ迷い出た」
「いや、周馬の裁きに、なりゆき次第では、百度詣りという忍法を試みさせられる、とふと耳にしたものですから」
と、京八郎はあたまをかいた。
背はたかいが、きゃしゃである。色白で、面長《おもなが》で、うすっぺらな愛嬌《あいきよう》にみちた美貌《びぼう》は、浮世の女からはちやほやされるかもしれないが、どうみても忍者には縁の遠い顔である。
「五条周馬は同年輩、それにあいつは、忍者にしてはまず話せる方の男でした。それが、あとで、やはり成敗を受けましたとか。――可哀そうなことをしましたな」
重厚な兄が、しばらく黙っていると、またペラペラとしゃべり出した。
「あのとき、周馬が死物狂いに不服の叫びをあげておりましたな。忍者の掟に。――まったく同感です。好き合った男と女、しかもおなじ一党中の男と女なのですから、そう掟だの法度《はつと》だのかた苦しくしゃちほこばらんで、いっしょにしておやりになればよかった。そもそも、お香の亡夫、五条船之進が、例の飢渇丸で餓《う》え死《じに》した男ではありませんか。まあ、一種の討死で――私からみればばかげた殉《じゆん》 職《しよく》だが――ともかく犠牲者です。したがって、お香もきのどくな犠牲者で、せいぜい大目にみてやるのが人間の――」
「だまれ、京八郎、うぬに服部の掟についての批判はゆるさぬ」
「いや、そのつもりでしたが、友人の周馬まで殺されたとあっては、豈《あに》一言なかるべけんやです。だいたい私は、服部党の掟のみならず、忍者の修行、その存在するゆえんまで疑問がある」
「何を。――」
「あの修行ぶりは、理屈に合わない。人間には、からだの出来具合から出来ることと出来ないことがある。それなのに、見ていると、金輪際《こんりんざい》出来っこないことを、敢《あえ》てしてのけようとのたうちまわっているようで、自然に背理《はいり》すれば犠牲者の出ることはあたりまえですな。愚劣のきわみで」
「こやつ。――」
「それに、たとえさまざまな奇怪な術の神技に達したところで、それが何です。何の役に立つのです。兄上は、いくさのため、徳川家のためとおっしゃりたいのでしょうが、私はいくさのために、忍者がそれほど貢献《こうけん》するものとも思えない。一軍の将で忍者たるものは、一人もないではありませんか。忍者はただ闇の中をコソコソと這いまわり、闇の中で人しれず死んでゆくばかり。――」
「それが忍者の宿命だ。それが忍者の光栄だ」
「と、本人だけが思っているから、悲惨をすぎて滑稽《こつけい》ですらある。そのように身命はもとより、名すら捧げる相手はというと、何か当方にちょっとしたしくじりがあれば、たちまち遠慮|会釈《えしやく》もなく八千石を三千石に切り下げるほど非情ではありませんか」
半蔵はまた黙りこんだ。
納得《なつとく》したからではない。怒りの熱度が過ぎて、かえって水のようにしずまりかえり、弟のいうことが長兄源左衛門の事件をさすことや、あの事件が当時少年であった京八郎に想像以上に深い衝撃《しようげき》をあたえたことを、憐愍《れんびん》の情を以《もつ》て了解するだけの余裕が生まれていた。
彼は重々しくいった。
「さればよ、それほどの失態《しつたい》を犯した服部家じゃ。われわれとしては、その罪をあがなわんがためにも、ますます忍法に苦練してお役に立たねばならぬ。なお三千石を下し賜わったは、お上の御慈悲と思え。――のみならず、大御所さまが、当代の権家《けんか》大久保と縁組みをゆるされたは、いかに服部を大切なものと思われておるかということよ」
徳川家の重臣に、大久保|石見守《いわみのかみ》長安という人物がある。金山奉行《かなやまぶぎよう》として、山将軍という異名《いみよう》があるほどで、まず大御所第一の寵臣《ちようしん》といっていい。半蔵の妻は、その大久保長安の娘であった。それをいったのである。
このとき、京八郎はふと白い歯を見せた。この兄が、大久保石見守の娘を妻にもらうために、なみなみならぬ奔走《ほんそう》をしたことを思い出したのだ。惚《ほ》れたからではあるまい。そんな可愛気《かわいげ》のある兄ではない。つまり、兄のいう通り、服部の家名回復のための手段だろうが、それよりこの兄は、娑婆《しやば》から超絶して闇中《あんちゆう》に活躍するのを本分とする神秘的な人間のようにみえて、これで存外なかなか俗界に野心的なところもあるのだ、とかんがえて可笑《おか》しくなったのである。
不謹慎な弟の笑いに、半蔵はまたかっとなった。
「つべこべ申さず、京八郎、まいちど忍法を修行せよ」
と、さけんだ。
「一党のものどもへの手前もある。思うところあって、兄が最後の勧告だ」
「――いやだといったら?」
「討ち果す」
京八郎は半蔵の顔を見た。ちと、やりすぎたか、とあわてたが、それでも、
「百度詣りの忍法なら、修行してもよろしいが」
と、へらず口をたたいたのは、いままでなんども説教されたときの経験から、まだこの兄をなめているところがあったせいだが、ついでに、
「しかし、あんなものは無駄《むだ》です。私の知っている女どもなら、服部一党の忍者たち、百度詣りはおろか、三十度詣りくらいで降参させますな」
と口走ったのは、彼らしい軽率《けいそつ》であった。
「うぬの知っている女ども? それは何だ」
「いや、あわわ」
舌をもつれさせて、京八郎は手をふった。たんに返答につまったからではなく、兄の眼に恐ろしい殺気をみとめたからだ。半蔵の手が傍においた刀にかかったのをみて、はじめて彼は、これはいままでとちがう、事態容易ならず、と感得した。
「兄上」
「ふびんじゃが、一党にうぬの首を見せる」
「忍法、習います」
「なに」
半蔵は、刀をつかんだ拳《こぶし》をたたみに置いた。
「やるか」
「やります」
一息おいて、兄の顔色をうかがい、
「それには、条件があります。それをきいて下さるなら」
「――なんだ」
「私に妻をもらって下さるなら」
「うぬに妻を?」
「それが、服部一党の女ではありませんが、そこを何とか」
「いかなる女だ」
「市井《しせい》の女です。……しかし、これをききとどけていただけるなら、京八郎、心を入れかえて忍者修行をいたします」
半蔵は弟を凝視した。京八郎はあかくなり、あおくなり、しかしこれまたはじめて真剣な表情で、唇《くちびる》をふるわせていた。
「よし、きいてやろう」
と、半蔵はいった。
「えっ、きいて下さるか。それなら、もっとはやくこのことをいえばよかった」
「しかし、それにはこちらも条件がある」
「何です」
「うぬの妻になるなら、すなわち忍者の妻だ。忍者の妻なら、小夜砧《さよぎぬた》の忍法を体得せねばならぬ」
「……小夜砧、それは大丈夫です。いや、私が教えます」
「その忍法が体得できるか、できぬか、それをおれがまずたしかめる」
「兄上が、たしかめられる、とは?」
「その女と、おれが交合するのだ」
京八郎は息をのんで、兄を見まもっていたが、やがて悲鳴のようにさけんだ。
「それはいけません。いくら、何でも」
「京八郎、うぬはいま忍者となると申したではないか。忍者たらんとするならば、まず常人の心を捨てねばならぬ。……それに、服部一党の女ならばともかく、たんなる市井の女ならば、果して将来忍者の妻たり得るか、どうか、頭領のおれがためさねばならぬ」
さしたることでもないように、淡々というこの兄が、はじめて京八郎に、世にも恐怖すべきものに見えた。――いかつい巌《いわお》のような半蔵の顔が、ふいににっと崩れた。
「京八郎、しかしうぬのいうごとく、いかにもこれはうぬに耐えがたいことであろう。では、もう一つ、うぬの方に条件をあたえてやろう。おれと立ち合え」
「えっ、兄上と」
「うぬと通常の立ち合いをする気はない。うぬは刀を持て。おれは武器を持たぬ。それで立ち合って、もしおれのからだにかすり傷でもつけることが出来たら、うぬにその妻もらってやろう」
唖然《あぜん》として兄の顔を見ていた京八郎の眼に、次第に殺気にちかいものが仄《ほの》びかってきた。
「兄上に――かすり傷でもつけたなら」
「しかし、それすらかなわいで、うぬが負けたら、その女、おれが犯すぞ。しかもなお、小夜砧のできる女とみとめたら、はじめてうぬの女房としてやる」
京八郎は承知した。
実は彼は、このことは以前から苦慮していたことだ。彼の愛している女は、兄には市井の女といったけれど、遊女なのであった。
庄司甚右衛門なる者が、江戸に吉原を作り出したのは元和《げんな》三、四年ごろのことだが、そのゆるしを甚右衛門が幕府に願い出たのは慶長十七年のことで、傾城町《けいせいまち》はそれ以前から江戸に散在していた。京八郎の女は、その一つ柳町《やなぎまち》で指折りの美しさをうたわれた夕波《ゆうなみ》という遊女である。
道楽者の京八郎も、この女だけには惚れた。そして、夕波も、決して遊女の手練手管《てれんてくだ》ではなく、しんそこ彼をいとしいものに思っている風であった。
しかし、この結婚は、とうてい成立しない。いちじはふたり、大まじめに心中を相談したほどである。
とはいえ、京八郎にそれほどの勇気がなく、このごろは少々やけ気味でただ夕波と愛欲にふけっていたところであった。むやみに兄に反抗の姿勢をみせていた理由の一つは、この絶望的な恋からも来ている。
ぞろっぺいのくせに、ばかにぬけめのない一面もあって、きわどいところで京八郎は兄にじぶんの切《せつ》ない望みを訴えた。どうあっても忍法を修行させたいらしい兄に、交換条件としてこの女の問題を切り出したのだ。兄の警告をきかなければ、ほんとに成敗されそうな恐怖もさることながら、もし夕波を妻にもらってくれるなら、当分忍法修行に精を出してもいいと決心したのは真実であった。
あろうことか、兄は、その女が小夜砧の忍法を修得し得る素質があるかどうか、じぶんでためしてみるという。いかに遊女とはいえ、兄に恋人をためされるということは、京八郎とて辟易《へきえき》せざるを得ない。冗談ではない、といいたいが、冗談などは薬にしたくもないといった顔をしている兄だから、大まじめに考えているのだ。
さすがの京八郎も、熱風が頭を吹きめぐるような感じで思案した。そして、あの服部党の掟のきびしさをかんがえると、やはりこれくらいの試練は当然かもしれぬ、と観念した。
いや、観念するまえに、兄は実に人をくった妥協条件をつけてくれた。おれに武器をもたせ、じぶんは徒手空拳《としゆくうけん》で立ち合って、もし兄にかすり傷でもつけることができたら、こちらのいうことをきいてくれるという。――ばかにするのもいいかげんにするがいい。いかにおれでも、いちじは剣法に身を入れたことがある。いや、忍法をすらまったく修行しなかったわけではない。よし、弟が女房にしたいと望んでいる女を、いちどじぶんにためさせろなど、そんなたわけたことをいう兄、必ず眼にものみせてくれるぞ。
思案ここに至って、京八郎はかえってふるい立ったが、さて夕波にこのことを告げて、同意を求めるには往生《おうじよう》した。
はたして、夕波はこのことをきいて、新月のような眉《まゆ》をひそめた。きっぱりと、いやだといった。
「では、どうする」
「…………」
「はれて、ふたりが夫婦となるには、これ以外に法はないぞ」
「…………」
「おまえに服部の家まで来てもらうについては、兄の口上を伝えねばならぬからいったまでだ。いま申したように、ただで兄に抱かれろというのではない。そのまえに、兄は素手でおれの刀と立ち合って、兄にかすり傷でもつけたらゆるすといっている。それすらできぬと、そこまでおまえはおれを見くびっているわけではあるまい」
「…………」
「万が一――おれが負けたときの条件がいやだとおまえはいいたいのだろう。しかし、忍法小夜砧、何も忍法を知らなくっても、おまえはもうその達人だよ。おれでさえ、七十も砧をうったらもうだめだ。あのお澄ましやの、くそ面白くもなさそうな女房を持っている兄貴など、おまえ相手なら三十度くらいで落城するかもしれん」
みるみる夕波の瞳《ひとみ》に涙が浮かんできたので、京八郎は狼狽《ろうばい》し、なおつづけていおうとのどまで出かかっていた言葉をのんだ。兄貴というのがちとこまるが、もともとおまえは千人の者に手枕《てまくら》させる遊女じゃないか、それほどもったいぶることもなかろう、つかって減るものじゃあるまいし――と、いおうと思ったのだ。その代り、こんなことをいった。
「いや、夕波、つらかろう。しかし、こんなことをおまえにたのむおれの方がもっとつらいと察してくれ。まさに、恋女房を狒々《ひひ》に人身御供《ひとみごくう》にあげる思いだ。そのおれのつらさをくんでくれて、これくらいの犠牲は我慢してくれる気はないか?」
「承知してござります」
と、夕波は涙の眼でうなずいた。
「でも、そんなことを承知して、あなたはわたしをお捨てになりませぬか?」
「ばかな! おれがたのんだことではないか。第一、いまもいう通り、兄におまえを捧《ささ》げることなど万が一にもあり得ないことなのだ」
京八郎は夕波を抱きしめてささやいた。彼はこのときほどこの恋人を、けなげに、いとしいものに思ったことはなかった。
彼は夕波を一日借りて、服部屋敷につれて来た。場所は、数日前、五条周馬とお香の血で染められた庭であった。
どんよりと曇って、やはりむし暑い夕《ゆうべ》のことである。忍法修行の道場として、灰色の土塀《どべい》にかこまれているだけで、一本の木もない庭は、冥府《めいふ》の一景のように荒涼としていた。その一隅《いちぐう》に、例の白木の大《おお》 俎《まないた》が置かれ、そこに夕波は坐らせられた。
座敷から下りて来た服部半蔵は、じろっと夕波を見て、
「……これか」
と、うなずいて、うすく笑った。笑いとも見えぬ笑いであったが、夕波はぞっとした。何か恐ろしい予感にうたれたのである。
半蔵は、弟が最初に女のことをいい出したときから、それが遊女のたぐいであることを見ぬいていた。それは、ゆるされない。しかし、ただゆるさぬとあたまから拒否しないで、わざと面倒な条件をつけたのは、その過程を通じて、軽佻浮薄《けいちようふはく》な忍法批判者たる弟に、伊賀忍法の恐るべきことを心根《しんこん》に徹して思い知らせ、その覚醒《かくせい》をうながすためだ。――女はもとよりそのあとで、百度詣りで悶死《もんし》させるつもりでいる。
「では」
と、半蔵は京八郎の方にむきなおった。ダラリと下げた彼の両腕は素手であった。
兄が夕波を見て浮かべたうす笑いに、何とはしれず吐気《はきけ》のするような悪寒《おかん》をおぼえ、京八郎は殺気にみちた眼で兄をにらんで、腰の一刀に手をかけた。
「兄上、約定《やくじよう》によって」
と、さけんだ。
「よろしいな」
「よい」
半蔵は両腕を前につき出した。十本の指がひらいた。
京八郎は、この兄が人間ではないもののような人間に変ったときをおぼえている。幼いときに知っていた兄は、重々しいが、平凡な、やさしい男であった。それが長兄源左衛門の事件のころから――つまり、服部家を相続したころから、みるみる人が変ってきた。責任感もあったろう。威厳をつくるためもあったろう。それにしても、京八郎から兄をみると、あんまりものものしくて、大時代的で、呪文《じゆもん》をとなえ九字の印でも切りそうで、かえって滑稽な感じがしていた。
その兄が、ただ素手をじぶんのまえにつき出してひらいている。――と見えたのは一瞬である。京八郎の眼に、その掌がぐうっと大きくなって、二つの車輪のようにみえてきた。
「おれを斬るつもりで斬れ」
声がきこえたとき、その車輪の向うにちらっと兄の笑顔が見えた。蒼白《あおじろ》い顔に、口がニンマリと耳まで裂けて――それに大時代的な滑稽感をおぼえるどころか、この世のものならぬ妖怪《ようかい》をみるような恐怖感をおぼえ、京八郎は夢中で抜刀した。その刹那《せつな》、兄の顔は手の向うに消えた。ただ銀灰色の靄《もや》の中に、十本の指だけが巨大な車輪のように廻《まわ》った。
「ええいっ」
のどをつん裂くさけびをあげて、京八郎は斬りつけた。
ぴしいっと鞭打《むちう》つような音がして、その刃《やいば》が空中でとまった。まるで粘土《ねんど》に斬りこんだような感覚で、しかもそれは腕もしびれる強烈な手応《てごた》えを以て静止したのである。
「忍法|網代木《あじろぎ》」
兄の声がきこえた。京八郎はじぶんの刀身が、兄の右掌《みぎて》の人差指と中指のあいだに挟《はさ》みとめられているのを見た。
「指の股《また》までとどけば、いかなるわしでも斬られる。指のあいだに刀が入ってきた瞬間に、指をとじて挟みつけてしまうのだが、修行だな、見ろ」
いうと同時に、その刀身はピーンとへし折られて、半蔵の指のあいだに残った。
「ふつうならば、間髪を入れず、このまま投げ返して、相手の息の根をとめる」
京八郎は鉛色《なまりいろ》の顔で棒立ちになったままだ。理屈は理屈として、兄の超絶的な神技に胆《きも》をひしがれてしまったのだ。
「では、もう一つの約定通り、うぬの女をためすぞ」
指を口にもっていって、折れた刃を口にくわえ、半蔵はスルスルと袴《はかま》をとった。京八郎は、はじめて兄の男根を見た。それは息をのむばかり巨大で、瘤々《こぶこぶ》して、黒びかりしていた。
それをあらわしたまま、兄は夕波の方へちかづいてゆく。何かさけぼうとしたが、京八郎は声も出ない。
白木の大俎に坐った夕波は、魔に魅入《みい》られたように眼を見ひらいたまま、身うごきもしなかった。
夕波の前に立った半蔵は、口にくわえた刃をまた指間に挟みなおし、夕波の帯をすっと薙《な》いだ。帯がハラリとふたつに切れておちた。
そのとき、庭の一隅の潜《くぐ》り戸にあわただしい跫音《あしおと》が起って、まろぶようにだれか駈《か》けてきてさけんだ。
「お頭! 今朝《けさ》、駿府《すんぷ》の大久保石見守さま御逝去《ごせいきよ》に相成ったそうにござりますぞ!」
服部半蔵は、雷《らい》にうたれたようであった。
駿府の大御所第一の寵臣として権勢をふるった大久保石見守長安が死んだのは、慶長十八年四月二十五日のことである。
彼の死は、それだけにとどまらず、死後容易ならざる私曲があばかれたために、その一族ことごとく誅戮《ちゆうりく》されるという事件となった。長安一族のみならず、宗家にあたる徳川家きっての功臣大久保|相模守忠隣《さがみのかみただちか》まで失脚するという波紋までえがき出したのである。
長安の娘を妻としている服部半蔵には、まだ直接なんのとがめもなかったが、彼はみずから門をとじて恐懼謹慎《きようくきんしん》の意を表した。突如として霹靂《へきれき》のごとく服部家にふりかかった、思いがけぬ不幸であった。
夏に入った一日、駿府から服部家に使者が来た。半蔵にではなく、弟の京八郎にいそぎ出頭するようにという、大御所の上意であった。さすがの京八郎も動顛《どうてん》し、とるものもとりあえず、倉皇《そうこう》として駿府へ急行した。
京八郎は大御所に会った。
元服したとき、将軍|秀忠《ひでただ》にお目見《めみえ》をしたことはあるが、それ以前に駿府に隠退してしまった大御所に、じかに目通りをゆるされたことは、京八郎にもそれがはじめてであった。
もう深更であったが、相かまわぬ、いそぎ参れということで、彼は駿府城に上り、奥深く通された。そもいかなる凶運が服部家を見舞うのか、とさしもの京八郎も心臓をしめつけられる思いでみちびかれていった。
その一室に通されたとき、京八郎は平蜘蛛《ひらぐも》のように伏したまま、しばらく頭もあげられなかった。
「服部京八郎、面《おもて》をあげよ」
荘重な声がきこえた。
わずかに顔をあげると、大御所がじっとこちらを見すえている。はじめて相対する大御所であったが、一瞬に彼はその皺《しわ》の中から発する神秘的な瞳光に射すくめられてしまった。
「ほう」
と、家康はいった。思いのほかにおだやかな声であった。
「若いころの、初代半蔵によう似ておる。よい忍法者になるであろう。……なつかしいぞや」
ふしぎなことに、京八郎の体内に異様な感動がみちひろがり、つきあげてきて、涙となってあふれ出しそうで、それをおさえるのに、彼はワナワナとふるえ出した。
「京八郎、今日ただいまより」
と、先刻、面《おもて》をあげよ、といったのとおなじ声がいった。大御所の右手に坐っている人物で、これは京八郎も知っている大御所|帷幄《いあく》の重臣本多|上野介《こうずけのすけ》であった。
右手をみると、ひとりの老僧が寂《じやく》として坐っている。「黒衣の宰相」といわれる天海|僧正《そうじよう》である。刀をささげた小姓のほかに、その座敷にいるのはそれだけであった。
「ゆえあって服部半蔵においとまつかわされ、代ってなんじ京八郎正広に服部家の家督《かとく》相続仰せつけらる」
――あ、と思ったきり声も出ず、彼はまたがばと這《は》いつくばってしまった。
「なお、今日より、なんじの名をあらためて服部半蔵正広と名乗れ」
それから、座敷には、妙に凍りつくような静寂のときがながれた。
「半蔵」
ややあって、本多上野介がいった。
「これで、兄半蔵は浪々の身となる。ただの旗本ならば、それにてかまいはないが、あれは伊賀者頭領たる忍法者だ。ところで、これは大秘事じゃが、関東と大坂の手切れはここ一両年のあいだに迫っておる。このときにあたって、兄半蔵ほどの忍者を、ただで手放すことはならぬ。……半蔵、兄半蔵を討ってとれ」
背骨をひとすじの冷刃で、じーんと刺し通されたようであった。
「出来るか」
天海が笑みをふくんだ声でいった。
「なんじの父、半蔵|正成《まさなり》は、大御所さまのお申しつけとあれば、おのれを捨てた。人間も捨てた。御嫡男《ごちやくなん》三郎|信康君《のぶやすぎみ》をすら失いまいらせた。いかなる破天のわざでもしてのけた男であった。なんじはその血を受けた子じゃ。出来る喃《のう》」
全身|空洞《くうどう》と化した京八郎の体内に、ふたたび何かがみちあふれ、刻々に細胞を染めかえてゆくような感覚が起った。
「半蔵、近う寄れ」
と、大御所がいった。見えない糸にひかれるように、スルスルと京八郎は這い寄った。
眼と眼が逢《あ》った。最初、射すくめられるように感じた大御所の眼は、春の海にも似たふかいやさしさで彼をつつんだ。
「家康は、服部一党を、余の片腕とも思っておるぞよ」
服部京八郎は嗚咽《おえつ》しながらうめいた。
「御諚《ごじよう》、かしこまってござりまする」
灼《や》けつくような庭に、服部一党の幹部数十人がひれ伏していた。そのまえに、ひとり服部半蔵が坐っていた。
「御上意」
と、服部京八郎はいった。
彼のみが、座敷にいた。大御所の上意というのだから、兄の半蔵といえども土下座せざるを得ない。そも京八郎は、駿府からどのような下知《げぢ》を服部家にもたらしてきたのか。――さすがの半蔵も、緊張に全身の毛穴がしまる思いであった。
「大御所さま仰せには、今日、服部半蔵にながのいとまを申しつける。さるによって、服部家の家督はこの京八郎が相続し、京八郎を四代目服部半蔵と改めよとのことじゃ」
四代目半蔵は重々しくいって、唇をへの字にむすんだ。
三代目半蔵はぽかんと口をあけて、それを仰いでいた。――弟の様子が変っていると感じたのは、彼が江戸に帰府したときからのことだ。しかし、それは大御所さまの上意を受けてきたのだから、そのせいだろうと思っていた。が、いまマジマジと見まもれば、ただそれだけではない。たしかに弟の人間は一変し、荘重厳然、呪文をとなえて九字の印でも切りそうな妖気《ようき》すらはなっている。――
と、みたのは一瞬である。三代目半蔵は、弟の顔に、依然、天性の軽佻《けいちよう》な稚《おさな》さを看破した思いで、
「――ば、ばかな!」
と、さけんで、肩をゆすって笑った。
「うぬが服部家をつぐと? 京八郎、暑さで逆上したのではないか」
「御朱印状はここにある。半蔵正重、無礼であろうぞ」
たかだかとかかげた朱印状に、三代目半蔵はぎょっと身をひきかけたが、たちまち猛然と地を蹴《け》って立った。
「よしそれがまことの朱印状であろうと、半蔵はお受けせぬ。いや、家督にみれんがあるのではない。半蔵浪々の身となろうと、だれを恨みにも思わぬが、うぬに服部家をまかすことは承服できぬ。ただの旗本ではない。忍者の宗家たる服部家を、うぬごとき未熟の青二才にゆだねるなどとは――服部家のみならず、徳川家のおんためにならぬのだ。おれがそう思うばかりではない。一党のだれしもそう思う。一同、同感であろう?」
彼はふりむいた。
配下の忍者たちはひれ伏したまま、こたえなかった。真っ白な庭に、墨汁がひろがったように沈黙しているきりであった。――三代目半蔵は焦《いらだ》って、歯ぎしりした。
「なぜこたえぬ? 服部一党の頭領たり得るものはだれか。一同の見るところ、はっきりとこやつにきかせてやれ」
「――われら、大御所さま。御下知次第でござる」
という声がかえってきた。数十人ともきこえ、一人ともきこえる陰々たる声であった。
三代目服部半蔵は立ちすくみ、蒼白になり、ひたいからあぶら汗をしたたらせた。
「京八郎」
嗄《か》れた声でいった。
「うぬがこの半蔵に代り得るか、代り得ぬか。――ふびんながら、忍法のわざを以て一同に見せてやるぞ。いや、うぬの首を駿府に持参して、大御所さまの御見《ぎよけん》に入れよう」
「大御所さま御諚には」
と、四代目半蔵はいった。
「この半蔵に、逆臣大久保石見の婿《むこ》たる三代目半蔵を討ち果せとのことじゃ」
刀をとって、すっと立ち、シトシトと彼は庭へ下りてきた。ぱっと三代目半蔵はとびすさった。――彼のいた位置に、四代目半蔵が立った。何か酔ったように全身をユラユラさせて、じいっと兄を見すえている。
なぜともしれず、三代目半蔵の背すじに悪寒《おかん》が走った。こやつ、憑《つ》きものがしておる――と感じた刹那、彼のからだじゅうの毛穴から、何かがけむりのごとく発散してゆくような気がした。代りに、名状しがたい脱力感と恐怖が体内にひろがって来た。
白日の下に、服部兄弟は、しばし凝然《ぎようぜん》とむかい合っていた。
同時にふたりは抜刀し、まんなかの中天めがけて躍《おど》りあがった。
ぴしいっ、という音が空中で鳴った。
「忍法|網代木《あじろぎ》!」
どちらが絶叫したのかわからない。おそらく、どちらも同時に発した叫びであったろう。
血しぶきが白光《びやつこう》の中に奔騰《ほんとう》した。三代目半蔵は左手を以て四代目半蔵の刀を挟もうとし、その指の股から手指まで断ちわられたのみか、脳天からあごまで切りさげられ――そして、四代目半蔵は、三代目半蔵の刀を、左手の二本の指でピタと挟みとめていた。
大地を血に染めて伏した兄の屍骸《しがい》を見下ろしもせず、四代目半蔵は庭をじろりと見わたして、
「爾今《じこん》、服部一党の指揮はこの半蔵正広がとる」
と、厳然といって、懐紙で刀身の血をぬぐい、鞘《さや》におさめて、スタスタと座敷に上っていったが、ふと立ちどまり、向うむきのまま、乾いた声でいった。
「それからの、柳町の遊女夕波なるもの、服部一党の秘事を知るものゆえ、生かしておいてはならぬ。だれぞいって、ひそかに討ち果たせ」
[#改ページ]
忍法|瞳録《どうろく》
服部半蔵《はつとりはんぞう》報告書第二千七百十五番。
志摩《しま》藩|瞳録《どうろく》の術の一件についての顛末《てんまつ》御報告申しあげます。
そもそもこの件についてわが忍び組が探知したいきさつにつきましては、事は五、六年前にさかのぼり、かつ故|佐渡守《さどのかみ》さまのみに御報告申しあげた個条もありますので、上野介《こうずけのすけ》さまに一応改めて申し述べます。
まず最初の異変に気がつきましたのは、五、六年前の駿府《すんぷ》城に忍び込んで発見された曲者《くせもの》が成敗《せいばい》に逢《あ》ったときでありました。当時はなお大坂なるものが存在し、そのたぐいの曲者はままなきにしもあらず、ただ手負いになったそやつが白状せぬために拷問《ごうもん》が過ぎて落命させ、ついに素性を知ることが出来なかったのを残念がりはしましたが、屍骸《しがい》は安倍《あべ》川のほとりにとり捨てさせたのであります。しかるにその夜屍骸を掘り返し、その首を持っていった者がありました。
そのときはこの曲者の異常をまだ気にかけなかったのでありますが、その後一ト月ばかりのあいだに服部党の者三人が、闇夜《あんや》往来中|手裏剣《しゆりけん》によって文字通り暗殺されました。それを右の曲者と結びつけたのは、その三人が右の曲者を手にかけた者どもであったからであります。しかもそれ以上に不審であったのは、暗殺者がどうしてその三人を知っていたかということでありました。なぜなら、曲者を誅戮《ちゆうりく》した者の名と顔を知っているのは、大御所《おおごしよ》さま佐渡守さまとわが服部忍び組以外にないことはたしかであったからであります。
さらに数ヵ月たって、またも怪事が起りました。駿府城で大御所さま佐渡守さま御用談なされたあと、あとかたづけに入った侍臣が天井よりしたたり落ちる血に気づき、急ぎ天井裏を捜索したところ、そこに死んで間もない曲者を一人発見したのでありますが、奇怪なことにその両眼がえぐりとられていたのであります。そもそも左様《さよう》な場所に曲者を潜入させたことが服部組として重ね重ねの不覚でありますが、さらに加えて念入りにもう一つの失敗をやったと申しますのは、その騒ぎに動顛《どうてん》して、どうやらもう一人いた曲者をとり逃がしたことであります。
それはその直後、何びとも出入不可能なと見られていた乾門《いぬいもん》横の三丈もある石垣《いしがき》を猿《ましら》のごとく駈《か》け下りていった一つの影を目撃した者があったのでわかったのであります。
さて、天井裏に残っていた屍骸は、両眼はえぐりとられ、また心ノ臓を刺され、その手には血まみれの匕首《あいくち》を握ってこと切れておりました。そのようなことをしたのが、この男自身の所業なのか、または逃げた者のしわざなのかは知らず。――
疑問にたえなかったのは、なぜ彼らが忍び込んだ天井裏でみずからこんな凶行をしてのけたのか、特に、ただ眼をつぶすのみならず、なぜ眼球までえぐりとってそれを持ち去ったのか――現場にその眼球がなかったのでそのように解釈するほかはなかったのでありますが――そのことだったのであります。
これは容易ならざることだ、ただの刺客|密偵《みつてい》ではない、とはじめて私は愕然《がくぜん》としたのであります。断じてこれら曲者の正体をつきとめねばならぬ、これは服部忍び組として当然の務めであるのみならず、もとより佐渡守さまの御厳命でありました。
ところで死んだ曲者はいかに調べてもその屍骸から何の証跡も出ず、またもう一方の曲者はすでに逃走していたのでありますが、ただ或《あ》る証拠を城に残してゆきました。それは右申しあげた乾門横の石垣に刺し込まれた数本の錐《きり》で、すなわち曲者はこれを梯子《はしご》としてそこから出入したものに相違なく、逃げるにあたってさすがに完全に始末してゆけなかったものと思われます。
この数本の錐の作りより、さらにその鉄の素性まで調べあげ、それが志摩藩に関係することをつきとめたのは――その間に大坂の御陣の事もありまして――それから五年ばかり後のことでありました。
その探索の経過につきましては省略するといたしまして、要するに志摩藩にも十鬼《とき》一党という忍びの一族があり、その所業であったことが判明したわけであります。
すでにこのときは大坂の事も終り、志摩家は結局大坂に加担せず、おかげでただいまも残喘《ざんぜん》を保っておりますが、当時としては大坂のために種々働いたこともあったのでありましょう。いや、事実は右に申しあげた通りであります。
ただし、志摩家はすでに領地半減され、またかかることをいまさらほじくり出せば西国諸藩の罪状は際限のないことになりますので、本来ならもはや黙過してもよいことではありましたが、ただ例の眼の一件、どうにも気にかかり、恐れながら半蔵独断を以《もつ》て、一年前より四人の配下を志摩につかわしておりました。
その結果、謎《なぞ》はほぼ明らかとなったのであります。志摩家の忍びに、「瞳録《どうろく》の術」なるものあり、その片鱗《へんりん》の現われたのがあの駿府城の一件であったということが確認されたのであります。
すなわち、眼にうつったものをそのままピシャリと眼球に録し、その眼球の腐るまで残すという。――その残像を第三者が吟味することによって、眼の持主が最後に見たものをまざまざと見ることが出来るという。――
かかる術がいかなる役に立つか。
例えばその者が殺害されたとき、下手人を見て死ねば、下手人がいかなるやつであるか知ることが出来ます。つまり、ここではじめてさんぬる年、安倍川に埋めた曲者の首が持ち去られ、そやつを殺した三人が適確に復讐《ふくしゆう》を受けた謎がやっと合点出来たわけであります。実は例の第一の曲者と第二の曲者がつながりがあったということが得心《とくしん》出来たのは、このときであったのであります。
また、人間は眼にうつったものすべてを知るというわけには参りません。たとえ見ていてもあまりに微細なものは見逃しておりますし、対象が動いたり消えたりすれば、その像とともに記憶も消えます。少くとも不完全になります。しかるに一瞬の視覚をそのまま録し、その眼球を詮議《せんぎ》することが出来れば、その利たるや絶大なものになります。例えばあの駿府城に於《お》ける第二の事件、あのとき大御所さまと佐渡守さまは、畳にそのころ成ったばかりの名古屋のお城の縄張《なわば》りの図をひろげて御覧になっておったことがあとで判明いたしましたが、曲者は天井からあれを見ていたに相違ありません。とはいえ、いかに曲者が炯眼《けいがん》を持っておりましても、その図の精細をいちどに記憶することは不可能であります。そこで、見た直後にそれを眼に録し、この眼球をあとで糾明《きゆうめい》しようと計ったものに相違ありません。
また、かくて目撃したものの、本人が脱出することが不可能な場合、その眼球だけを運び去ることによって目的を果たすことが出来ます。思うに駿府城の一件、両人潜入したものの、わが忍び組の動静によりとうてい両人脱出不可能と見てこの挙に出で、しかも故意に騒ぎを起させてそのすきに一人のみ逃走を計ったものと思われます。
いずれにせよ、恐るべき術、遺憾ながら服部組にはかかる術は存在いたしません。
徳川家にとって黙視すべからざるもの、いわんや曾《かつ》ての大罪もあり――と、一度は思い、また再考して、いや、この術さらに探究して服部組の薬籠《やくろう》中に加えねばならぬ、と決心したのは、それが徳川家のおんためになると判断したからであります。それにまだ不明な点も数々ありました。
さて、このころまでに志摩の十鬼《とき》組の「瞳録の術」の根源は十鬼|春蔵《はるぞう》という男であることがわかっておりました。
これが一見したところ、武士としても物柔らかく、むしろ学者のような男でありました。年は三十になったかならないかというところで、四、五年ばかり前すでに駿府であの事件があったことを想《おも》いますと、いかにこの春蔵が天才であるかがわかります。ただしこの男が駿府で首や眼球を持って逃げた曲者かどうかは不明で、私の見たところでは、おそらくそれはほかの十鬼党でありましょう。しかし彼らに術を伝授したのはまさしく彼であります。
それが、いかにしてそういう眼球になるか。容易なことではわかりません。
また、その後彼はさらに研鑽《けんさん》をかさね、たんに一瞬の像が録されるのみならず、それが動いているありさまも録する域に達しているか、或《ある》いは達しかかっていることもわかりました。そしてまたすべて当人よりきかねばその実体はつかめない、ということが確実となったのであります。
しかし、この十鬼春蔵なる男は、一見温厚に似て実は鉄石の意志の所有者であって、これを捕えて白状させるなどいうことは、わが服部組の者どもとひとしく金輪際《こんりんざい》不可能なことも判明しました。
かくて私は特別の下知《げぢ》を下したのであります。さきに申しあげたごとく志摩に派遣してひそかに右の事実を探索したのは服部組四人の者でありましたが、その中のただ一人に任務を託しました。干潟甲兵衛《ひがたこうべえ》なる者であります。
甲兵衛は外郎《ういろう》売りに化《ば》けました。突然化けたのではなく、かかることもあらんかと一年前よりその姿にて志摩一円の町や村を徘徊《はいかい》させ次第次第に十鬼に近づかせたのであります。十鬼春蔵というよりも、その妻の千賀《ちが》なる女に。
この干潟甲兵衛は、服部一党中でも女殺しの異名を持つ男でありました。ここにかようなことを記《しる》しますのははばかりがありますが、甲兵衛は生まれつき輪型の数条の肉箍《にくたが》を持つ男根を有し、ひとたびこれと交合した女は快美のあまり狂乱状態となります。これは先天的なものでありましたが、甲兵衛はこれに工夫を加えておのれの武器といたしました。女人に対しての武器であります。のみならず、このような男根を持ちながら、外見は風にもえたえぬみやびやかな、服部一党切っての美男でありました。
さて、この報告書二千七百十五番は服部忍び組の不面目な報告書であります。すなわち、干潟甲兵衛はついに目的をとげることが出来なかったのであります。任務をこのとき以来甲兵衛にまかせたので、以下は甲兵衛の報告でありますが。
十鬼春蔵はふつうの侍《さむらい》屋敷に住んでおりました。どの藩の忍び組もそうであるように、出入りの商人も直接女房と話をかわす、むしろ下級の侍屋敷であります。そこで甲兵衛もいつしか十鬼の妻にさりげなく近づきました。
彼としましては、最初この千賀という妻を誘惑し、それを通して春蔵の術を探るつもりであったと申しますが、それがうまくゆかなかったのであります。妻はもとより甲兵衛の素性に気づかなかったようですが、さすがに春蔵の方が何かのはずみで、そのころ家に出入りしはじめた外郎売りに疑問の眼を投げるようになったのを、甲兵衛もまた敏感に看取しました。そこでこれ以上手間暇かけては危険であると判断し、ついに強引《ごういん》な手段に出たと申しますが、これは服部組らしくないぶざまな方法でありました。
すなわち、今より十日前の一夜、甲兵衛は故意に春蔵の近くで、春蔵の妻と子をとらえ、これを人質として春蔵を脅迫したのであります。
十鬼春蔵の妻千賀はまだ廿歳《はたち》なかば、紅梅のように凜《りん》としてういういしく、そのときはまだ生まれて三月《みつき》ばかりの女児がありました。これに添寝しているところへ忍びこんで、まずその子を奪いとり、ついで千賀を捕えたと申します。乳飲児のけたたましい泣声に、隣室にあって深夜も何やら仕事をしていた春蔵が駈け込んで来たときは、甲兵衛は千賀の上に馬乗りになり、子供ののどぶえにぴたりと匕首《あいくち》をつきつけておりました。
「やはり、そうであったか」
春蔵はうめきました。
「公儀のものか」
「瞳録《どうろく》の術について教えてくれ」
甲兵衛は申しました。
「教えねばこの子を刺し殺すぞ」
「子供だけは助けてやって下さいまし。私たちはどうなりましょうと」
と、千賀はさけびました。
「卑怯《ひきよう》であろう!」
春蔵の声も嗄《か》れておりました。甲兵衛は答えました。
「忍法に卑怯ということはあり得ない。――瞳録の術、うぬはどうやってそのような眼を作り出すのだ」
「まず子供を渡せ、渡さねば申せぬ」
「渡せばいうか」
さすがに甲兵衛も、乳飲児を人質にして相手の秘密をきき出すことは心とがめるものあり、かつは両腕がふさがれているために、おのれのからだの下で必死にあがきつづける千賀をもてあまし、「では、子は渡す。よいか。――」とさけぶなり、その子を春蔵の胸に放り投げました。
「さ、申せ」
「口で申してもわからぬ。その眼球を以て説明した方が早いと思うが」
と、春蔵は子供を抱いたまま、思案顔でつぶやきました。その眼はなお甲兵衛の膝下《ひざした》にある妻に注がれています。
「その眼球がない。いま、わしは、あれはやめておる。――動く眼球は、屍骸《しがい》はもとより、濁りある大人の眼では不可能であるということがわかったのでな」
甲兵衛には、春蔵の言葉の意味がよくわかりません。ただ、春蔵が逃口上をいい出したという疑いと怒りにかりたてられました。
「はぐらかすな、十鬼、ただの相手ではないぞ。――子は返したが、見ろ、乳飲児とはいえ、あの子の眼にこれからすることを見せてよいか」
甲兵衛はなお匕首を握ったまま、もう一方の腕で千賀のきものをひるがえしました。
「ま、待て」
春蔵は狼狽《ろうばい》しました。
「だから、教えておるではないか」
「何を」
「動く瞳録の術は無心の童《わらべ》の眼に限る。最近ようやくわしはそのことを思いついた。ただ、意志力のない幼児の心に、いかにすれば瞳録の術に必要な衝撃を与えることが出来るか、それが問題じゃ。――かねて考えておったことをいま見せる」
「や?」
甲兵衛が驚きましたのは、春蔵がうしろに手をのばすと同時に、甲兵衛の頭上でめらっと炎があがったことでありました。褥《しとね》の上に天井から風車が糸で吊《つ》られていたのは知っていましたが、その風車が突如燃え出し、炎が火縄《ひなわ》のように糸を伝って天井に走り上ったのです。
「とうてい逃がしてくれる敵ではない。千賀死んでくれ、わしも死ぬ」
と、春蔵は呼びかけました。
「しかし、御公儀の隠密《おんみつ》どの、この子はやはりおぬしに預ける」
そしてまた乳飲児は甲兵衛に投げ返されたのであります。危くこれを抱きとめ、頭上から落ちかかる火の粉の中に甲兵衛は立ちあがっていました。いや、火の粉よりも甲兵衛は、このとき膝下の女房が異様な痙攣《けいれん》とともに口から血を吐いたのを見て、反射的に躍りあがったと申します。
「ただ子供の命ばかりは助けてくれとは申さぬ。――その子の眼に、いま瞳録の術を施した。風車が燃えるという衝撃を童心に与えることによって。……おそらくうまくゆくはずだ」
もう天井を流れる炎の下で、十鬼春蔵もまた――これは妻が舌をかみ切ったのに対して、長い釘《くぎ》をおのれの胸に刺しこんでいました。
「おぬしも忍者ならばその子の眼を以て瞳録の術を究《きわ》めろ」
春蔵は火と血の中でにやりと笑ったと申します。
「一つ暗示を与える。その子に――千也《ちや》という――涙を浮かばせて見い。ふふふふ」
干潟甲兵衛は、その童女を抱いたまま、火と煙の中から逃れ出ました。
すなわち、以上、志摩藩忍び組の瞳録の術探索不首尾の顛末《てんまつ》であります。いかにして左様な術が成立するか、ついにわかりません。
なお右十鬼の童女は江戸へつれ帰り、以来服部屋敷にて養育いたしておりますが、その眼を精査いたしましても何の残像も発見いたしません。ひょっとしたら、右の十鬼春蔵の口上は、娘を生存させるための苦肉の計ではないかと思ったこともありますが、ただふしぎなことはその童女、眼はあいているのに何も見えぬようで、かつ泣きはいたしますが一滴も涙を流しません。
右の失態、恥を忍んで御報告申しあげます。干潟甲兵衛の失態はすなわち私の罪であります。私に対するお咎《とが》めは甘んじてお受けいたしますが、ただ、右のごとき妖異《ようい》の者をなお召し抱《かか》えている志摩藩なるものも、徳川家にとってやはり極めて好ましからずと愚考いたすものであります。
元和《げんな》四年十月十日
[#地付き]服 部 半 蔵
本多《ほんだ》上野介《こうずけのすけ》様
服部半蔵報告書第二千九百一番。
かねて信州《しんしゆう》へ御用のため出張いたしておりました服部忍び組の干潟甲兵衛、帰参すべき時期に至るも帰らず不審に思っておりましたところ、去る十七日、甲州《こうしゆう》街道|小仏《こぼとけ》 峠《とうげ》にて斬殺《ざんさつ》されていることが判明いたしました。その屍骸《しがい》の握りしめた左こぶしを開かせたところ、掌に「十鬼」と血書しあり、右手の人さし指また血に染まっているところより見て、落命するにあたりみずからの血を以て書いたものと思われます。すなわち甲兵衛はこのたびの御用のために相果てたものではなく、先年お取潰《とりつぶ》しに相成りました志摩藩の忍び組残党のために討たれたものと判断いたします。
干潟甲兵衛には当年八歳に相成る甲之介《こうのすけ》と申す一子あり、干潟の家督はつつがなく甲之介に相続仰せつけられますように伏してお願い申しあげます。
元和九年十二月二十三日
[#地付き]服 部 半 蔵
土井大炊頭《どいおおいのかみ》様
……干潟甲之介はあぶら汗を流した。
いかになまめかしい指でもてあそばれても、また濡《ぬ》れた唇《くちびる》で愛撫《あいぶ》されても、さらにそれ以上のものに触れて来られても、彼は萎靡《いび》したままなのである。無感覚かというと、そうではない。無感覚であるはずがない。――
「甲之介、うぬは廿歳《はたち》の男ではないか」
と、先刻、服部半蔵に叱咤《しつた》された若い甲之介であった。
いつもこの密室にはいるたびに、入口で彼のからだじゅうは鳥肌《とりはだ》立ち、すべてがすくんでしまう。……そこには、五、六人の女が待っているからだ。服部屋敷の女たちであった。
ふだん見ている女たちがここへはいると、甲之介の眼にはまったく別人に見えるように、女たちから見ても、わなないている廿歳の甲之介は別世界の愛玩物《あいがんぶつ》のように魅力的であった。十二年前に死んだ父親の甲兵衛の血を受けついだ美貌《びぼう》である。いや、みな父親よりも美しいという。そしてまた、このあえかな美青年が、父親そっくりの男根を持っているのだ。輪型の数条の肉箍《にくたが》をはめたような男根を。
その対照の妙に、女たちは身ぶるいした。肉欲の身ぶるいであった。しかも、この美青年に色道を教育し、訓練することはあるじの半蔵から指令されているのだ。それはこの屋敷に於《お》ける他の忍者に対する他の術の場合と同様に至上命令ですらあった。その半蔵はいまも入口に立って、厳然と見下ろしている。
「それで父の衣鉢《いはつ》がつげると思うか」
舌打ちというより、苦渋《くじゆう》にみちた声で半蔵がいう。
「世の色ごとと思うなよ。これは服部組の使命じゃ。うぬはその使命に応《こた》えねばならぬ義務があるのじゃ」
甲之介はあぶら汗を流す。教官たる女たちも、もはやたんなる肉欲を超えて、その使命達成のためにこれまたあぶら汗を流す。
――にもかかわらず、甲之介の萎靡はいかんともしがたい。そのものの外形は父に似て、しかも実体はまったく非なるものであった。
「剣、剣を以《もつ》て立たせて下さい」
と、甲之介は悲鳴のようにあえぐ。それこそは彼の深く興味の持てる対象であった。
「私にはその方が合っているのです」
「刀術はほかに受持つ者がある。この道はうぬを除いてほかにない。ああ、何たるやつか、そのような道具を持ちながら、宝の持ちぐされとはまさにこのこと。――うぬにとって立つべきものは剣ではない。――女ども、何をしておるか?」
霹靂神《はたたがみ》のように叱咤されて、女たちは甲之介にからみついた。甲之介には何千匹かの、ぬるぬるした真っ白な大蛇《だいじや》にまといつかれたような思いがした。彼にとって、これは地獄であった。
……数刻ののち、庭によろめき出して、甲之介は腰を下ろして深い息を吐いていた。この訓練のあとはいつも――いまは春だが――夏の大気でさえも涼しいように思う。しかし、あのあさましい、いとわしい、恐ろしい触感が完全にとれるには相当な時間を要する。
カラ、カラ、カラ、……ふと、ひそやかな、軽やかな音が聞える。甲之介は顔をあげる。庭の奥の林がとぎれて、風通しのいい小径《こみち》に、風車を持った一人の娘が立っている。雨のふる日はべつとして、彼の訓練のある日はいつもそこに。
甲之介は立ちあがり、その方へ歩いていった。
「千也《ちや》、唄《うと》うてくれ」
すると、その娘は、風車の音を伴奏に、澄んだ、細い声で唄い出すのであった。
「……五条わたりを
車が通る
たそと夕顔
花ぐるま」
というような小唄やら、
「ねんねん、ころ市天満《いちてんま》の市よ
大根そろえて舟につむ
舟につんだらどこまでゆきゃる
木津《きづ》や難波《なにわ》の橋の下」
というような小守唄などを。
服部組の密偵《みつてい》が諸国で仕入れて来て、この屋敷の女たちが唄うのをおぼえたものだが、この娘の唄声ほど哀切なひびきを持ったものはほかになかったろう。しかし彼女は無表情であった。眼は青く澄んでいるのに、彼女は盲目であった。
お千也は、この服部屋敷で、服部一党の血とは無関係なただ一人の人間であった。
干潟甲之介は彼女の素性を知っている。少なくとも、知っていると思っている。
いまはなき志摩藩に、亡父が隠密御用に潜入した際、父が討ち果たした志摩の忍びの夫婦の遺児だ。まだ生まれて数ヵ月のみどり児《ご》であったので、父がふびんに思って江戸のこの屋敷までつれて来た子である。そのとき自分もまだ三つであった。それ以来、ほとんどいっしょに育って来たから、この娘のすべては知っている。
しかし、よく考えるとまだわからないところがある。
眼はひらき、しかもあんなに美しい瞳《ひとみ》をしていて、なぜお千也はものが見えないのか。そして彼女はどんなに哀《かな》しいときでもなぜ涙を流さないのか。決して白痴《はくち》ではなく、賢くてやさしいたちだということはわかっているのに、なぜ彼女は無表情なのか。そしてまた主人の半蔵はどうしてときどき何かを探るように、彼女のうつろな青い眼をのぞきこんでは首をひねるのか。また彼女は――いつも風車を持ち、壊れると盲のくせにまたそれを手作りするが、どうしてそんなに風車に固執するのか。
きいても、お千也は答えない。たよりなげに首をふる。彼女にもわからないのだ。――そしていま、よく考えると、といったが、実際はこういうことについて、甲之介はよく考えたこともなかった。
彼にとって、いまあるがままのお千也がそれなりに、なくてはならぬ存在であった。お千也は、ここがふつうの環境、世の常の人々の中ならだれにも愛されたろう。しかしこれは掟《おきて》に縛られた特別の世界であった。彼女は哀れがられたが、また異物視された。ただ甲之介だけが近づいた。
女性に対する男性として彼女に近づいたのかというと、ちがう。
甲之介は男性意識に恐怖感を抱いていた。あのあさましい、いとわしい、恐ろしい「女」なるものにうなされていた。
もう一つ、彼からその異性としての意識を断絶していた理由がある。それは自分の父がお千也の両親を討ち果たしたということであった。またその後、この娘の一族が、どうして知ったか、自分の父を殺害して復讐《ふくしゆう》したということであった。いうなれば、敵《かたき》同士だ。
この意識はあったが、それでは彼が悶《もだ》えたかというと、いまはお千也に対してそんな烈《はげ》しい感想は持っていない。ただ甘くて暗い空気が二人を一つにして包んでいるのを感じるだけであった。
「おたがいに忍びの者の悲劇の犠牲《ぎせい》者だなあ」
しみじみとお千也の前でこう甲之介はつぶやいたことがある。お千也の眼にも、哀しみがいっぱいに満ちた。それでも彼女は涙を流さなかった。
では、どういうわけで彼がお千也に近づいたのかというと、ふしぎなことに「母」としてだ。そうとは明確に意識しなかったが、彼はたしかにこの三つ年下の盲目の女人に「母性」を求め、そしてそれを感覚していたのである。
あさましい、いとわしい、恐ろしい「女」にうなされたその反動であろうか、或《ある》いは彼もまた、彼を生んでまもなく死んだという母親を憧憬《どうけい》したせいであろうか。甲之介は服部屋敷を生ける精霊のように徘徊《はいかい》している少女に、母性の幻を認めた。
「千也、おまえのお母さまも、おまえのような顔をしていられたのだろうなあ」
彼は、先日、そうささやいたことがある。――さすがに甲之介も、このごろこの娘にようやくそれだけの成熟は感じていたのだ。
「いや、きっとそうにちがいない。……」
「…………」
「それをわしの父が殺してしまった」
「…………」
「お頭《かしら》からきいたことだが、そのときおまえのお母さまは勇ましくわしの父に手向い、最後にはおまえのいのちさえ助かるならばと、自分のいのちを捨てられたという」
「…………」
「ああ、いやだいやだ、そんなお母さまを殺さねばならなかった忍者というものは」
「…………」
「ゆるしてくれ、千也。父はそのために罰を受けた」
泣くのは甲之介の方であった。そんなとき、つっ伏した彼の背を千也はやさしく撫《な》でた。甲之介はそっと首を持ちあげて、無表情な美しい少女の顔に、永遠の母を見る思いがした。
いまも、二人は春の林のかげにひっそりと肩をならべて坐っているだけである。お千也は小声で唄っていた。
「ねんねん、ころ市天満の市よ
大根そろえて舟につむ。……」
いつまでも明るいように思われた春の太陽も、すっかり沈んでしまった。林の中から光が消え、身のまわりも暗く冷え冷えとして来たが、干潟甲之介はまだ立つ気になれなかった。このままの構図で二人が花氷《はなごおり》になってしまえばいいと思った。
「かようなものが来た」
と、服部半蔵が一通の書状を甲之介に見せたのは、その翌々日のことであった。
「これに関《かか》わりある者以外には見せるつもりはなかったが、おまえはこやつらに殺された甲兵衛の子じゃから、一応知らせておく」
甲之介はその書状をとりあげて、それが左封じであることに気がついてはっとした。果たし状である。中をあけた。
「このたび、その昔志摩藩をとり潰す禍因となった服部組、そのうちの一人干潟甲兵衛なる者はさんぬる年討ち果たしたが、あと三人の者の名をつきとめた。ついては来たる六日、酉《とり》の刻、その三名を甲州街道|日野《ひの》河原に寄越せ。これを無視するか、または多数を以て押しかけて来るときは、服部全党に天誅《てんちゆう》を下すであろう。ただし、もう一つ、志摩の十鬼春蔵の遺児が焼死せず、生きて服部組に養われておることもこのたび判明した。もしその娘を返すならば、眼をつぶって、復讐の事は撤回する。これをしも拒否するならば、服部組全滅は必定《ひつじよう》のものと知れ。われに確算あり」
というような意味のことが書かれ、最後に「十鬼組」としるしてあった。
「恐ろしく間《ま》のびしたやつらじゃな。今まで何を調べておったのやら」
と、半蔵は苦笑した。
「曾我《そが》兄弟ではあるまいし、甲兵衛のことがあってから十八年にもなるぞ」
「それで、どうなさるおつもりで?」
「指名された三人はみな老いぼれてしもうた。それで、思案の末、千也をやろうと思う」
「――えっ、では、この威嚇《いかく》におそれをなして?」
「おそれはせぬよ。それどころか、ちょこざいなやつら、みんな引っ捕えてやろう。そのために千也をやるのじゃ。千也を渡して、あとで手引をさせる。そのことを、おまえ、千也にいいふくめろ。その思案もあって、おまえを呼んだ」
「千也をやって、どうなります?」
「そんなことは、わしは知らぬ。――引っ捕えることが出来たなら、この屋敷の庭にひきすえて、おまえに斬《き》らせてやる。おまえの父親の敵《かたき》となるやつらじゃ」
「…………」
「わしのおまえに命じることはそれだけじゃ。千也をやれ。おお、かたく申しておくが、おまえはそこへいってはならぬぞ」
そして半蔵は無造作《むぞうさ》にその手紙を破り捨てた。
服部屋敷の掟《おきて》はきびしかった。五日にも甲之介に対して例の訓練が行われた。半蔵はこれを例のごとく叱咤《しつた》し、果たし状の件については一語もいわなかった。……夕、甲之介は庭の雑木林へまた逃れ出した。
カラ、カラ、カラ……その音が聞えて来ても、彼はしばし立とうともしなかった。懊悩《おうのう》のためである。
甲之介はまだ例の果たし状のことをお千也に告げてはいなかった。指定された日が明日だから、半蔵の命令を伝えるならばきょうのうちだが、彼はまだ迷っている。迷うべからざる掟の前に、迷っている。お千也を、彼女も知らぬ前世の魔の同族のもとへやったらどうなるか。彼女はこちらのいう通り手引をするか、それとも永遠に帰って来ないのではあるまいか?
ついに甲之介は決心した。いずれにせよ、薄倖《はつこう》なお千也をゆかせてはならぬ。何にしても無抵抗なお千也を修羅《しゆら》の世界に追い返してはならぬ。
おれがゆこう。今夜のうちに立ち、日野の河原で、「出て来い、十鬼組」とさけんでいよう。そして十鬼組とやらが現われたら、お千也をどうするつもりかきいてやろう。いや、お千也は返せぬといってやろう。……きかなかったら、どうするか?
おれが果たし合いするのだ! おれときゃつらはもともと敵同士ではないか?
そうだ、おれは刀術の方にはいささか自信がある。おれの手できゃつらを討ち果たさねばならぬ。――しかし、何人おるかわからぬ十鬼組に対して、果たしておれは勝てるであろうか?
カラ、カラ、カラ。……ひそやかな、軽やかな音が頭上で聞えた。彼は顔をあげた。風車を持ったお千也がすぐ前に立っていた。
甲之介はしばらく黙ってそれを見上げていた。この女のために、或いはおれは死ぬかも知れないのだ、という意識から流れ出した冷たい甘い血が、次第に全身に充《み》ち満ちて来るのを感じた。すると――突然、はじめて彼はお千也に対して男性としての力強い愛が湧《わ》きあがって来るのをおぼえた。
「お千也、おれは明日のうちにも死ぬかも知れない」
彼は立ちあがった。
「お別れに、いちど抱いていいかえ、おまえを。――」
抱いた。――すると、お千也は無表情なのに、そのからだが反応した。風車が手から落ちた。
なぜ甲之介がそんなことをいい出したのか、ききもせず、従って彼女にはわかるはずもないのに、そんな心の疑問より、まず肉体が反射的に作用を起したという感じであった。
最初抱いたときには陸《おか》に上った人魚みたいに冷たく乾いた肌《はだ》であったのに、一瞬、全身の細胞がうるおって、うごめき出したような感覚であった。
その微妙甘美な反応に、突然さらに彼の方も第二次反応を起している。肉箍《にくたが》をはめたものが硬直したのを感じ、愕然《がくぜん》としたのもしばし、彼は眼前にお千也の唇《くちびる》が花のようにひらき、
「好きでした。あなたが。――」
と、あえぐのをきいたとたん、この娘のためなら死んでもいい、どころか、すべてを――死のことすら忘却してしまった。
夢中でその唇を吸っていたのである。だれにも――或《あ》る意味では甲之介にさえかえりみられなかったこの娘が、どうしてこんなことを知っていたのであろう。お千也はその柔らかい舌を彼の口の中に這《は》わせさえしたのである。
芳潤《ほうじゆん》な霧の中に、二人は顔を重ねていた。どれほどの時が経過したか、とにかく忘我の時の中に、ふっと彼は自分の眼が濡《ぬ》れているのを感じた。
――涙だ!
と、彼は知った。
――涙を流さなかったお千也が、いま涙を流しているのだ!
顔を離そうとしたが、離れなかった。唇のみならず、両眼までが――まるで透明な糊《のり》で貼《は》り合わされたように。
そして、次の瞬間、干潟甲之介はそれを離そうとする意志を失ってしまった。涙のレンズを通して、彼は見たのである。お千也の網膜《もうまく》を。
いや、それがお千也の網膜などと知る余裕はない。彼はそこに一つの動く世界を見たのである。燃える風車を、その下にもつれ動く二つの肉塊を。
あれはだれだ。
あれは――このおれとお千也ではないか。ちがう。おれもお千也もあんなに年をとってはいない。おれそっくりの男はどう見ても三十以上だし、お千也そっくりの女は二十《はたち》なかばだ。
――あれはおれの父干潟甲兵衛と、お千也の母お千賀ではないか?
その二人が何をしている。二人は争っている。争ってはいるが、逃れようとしているのは上の男であり、それを捕えようとしているのは下の女であった。げんに女の白い手は、男の肉箍をはめたものをしっかと握り、はげしく腰をうねらせていた。そして、ふりかかる火の粉の中に、半裸の女はこちらを向いて、世にも美しい恐ろしい顔でさけびながらまっすぐに指さした。
――あのひとをころして下さい!
聞えるはずはない。それは眼球の中の世界であった。しかし聞えるはずがないということすら甲之介にはわからない。その口のかたちはたしかにこうさけんでいた。
――あの人を殺して下さい!
甲之介はその声まで聞いたのだ。お千也そっくりの声を。――そのとたん、肉箍の男の手から何かが飛び、女の頸《くび》に真っ赤な血の花が咲いた。
「見える! 見える!」
たしかにお千也の声が耳をつん裂いた。干潟甲之介は現実世界にひき戻《もど》された。夢中で顔をひき離した。まぶたが剥《は》がれるような痛覚があった。
なお眼をけぶらせるものをおしぬぐった。頬《ほお》はぬれつくし、何やらなお音をたてて春の地上の枯葉の上にしたたり落ちんばかりであった。なんぞ知らん、童女の網膜に刻んだ志摩忍法「瞳録の術」はいま十八年目にあらわれ、涙とともに地に流れ落ちたことを。
「見える、わたしは地が見える、空が見える」
お千也はさけんだ。そのむなしく青味を帯びていた眼に、まさしく黒い光が戻っていた。しかし彼女は甲之介を見ていない。
彼女は西空にかすかに残る妖《あや》しい残光を仰いでいたが、ふいにけたたましい笑い声をあげながら、風鳥のようにその方へ飛び立っていった。門の方へ。――
――お千也!
呼ぼうとして、声よりも吐気のようなものが干潟甲之介ののどにこみあげ、彼はしゃがみこんだ。
それから数分、甲之介もまた泳ぐように服部屋敷を出ていった。もののけに襲われたような恐怖と、人生に逃げ道のない惨澹《さんたん》たる幻滅にくまどられた顔で。
服部半蔵報告書第四千四百四十四番。
去る七日、服部忍び組干潟甲之介、武州《ぶしゆう》日野河原にて屍骸《しがい》となって発見されましたが、右は服部組にてかたく禁制しております私闘によって相果てたものと推定されますので、干潟家はこのまま断絶のほど願わしゅう存じます。
寛永《かんえい》十三年三月十三日
[#地付き]服 部 半 蔵
松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》様
[#改ページ]
忍法|肉太鼓《にくだいこ》
「六波羅《ろくはら》」
と、声をかけたが、返事がない。
表で呼んで、奥まで声のとどかないような家ではない。長屋にひとしい四谷伊賀《よつやいが》町の組屋敷である。
伊賀者の原助《はらすけ》太夫《だゆう》と古坂《ふるさか》内匠《たくみ》と菅沼主馬《すがぬましゆめ》はちょっと顔を見合わせたが、すぐに戸をあけて中に入っていった。べつに会釈《えしやく》の要《い》る仲ではない。
座敷にあがり、唐紙《からかみ》をあけて、三人は立ちすくんだ。彼らはそこに、見るべからざるものを見たのだ。
真正面に、女がひとり、大きな盥《たらい》の中に坐っていた。坐っているというより、うしろの葛籠《つづら》にもたれかかっているのだが、彼女は一糸まとわぬ裸で、あぐらをかいて、眼をとじて――そして、その足をひたす盥の液体は鮮麗な血であった。
煤《すす》けた障子を透《とお》す光まで、春の日とは思われぬほど幻怪味をおびて見えた。女は葛籠にのけぞるような姿勢で、盛りあがったふたつの乳房が、上は蒼《あお》くぼうっとひかり、下は盥の血を映《うつ》してうす赤く見えた。六波羅|十蔵《じゆうぞう》の妻のお路《みち》であった。
「御内儀」
と、呼び、すぐに彼女が失神していることに気がついて、
「十蔵」
と、三人はさけんだ。
座敷の隅《すみ》に立てまわした、うすよごれた屏風《びようぶ》があった。三人はそこへ駈《か》け寄った。
その中に、六波羅十蔵は端然と坐り、ふかぶかと首をたれていた。
「六波羅、何をしておる」
十蔵は顔をあげた。ふりむいて、
「――お、おぬしたち」
と、いった。まるで居眠りから醒《さ》めたようであった。
「十蔵、どうしたのだ。御内儀はどうしたのだ」
六波羅十蔵は黙って立ちあがり、屏風のかげから出て来た。座敷のお路をちらとながめたが、べつにおどろいた様子ではない。しずかにそばに寄って、まず盥の中に手を入れた。血の中をかきまわして、何やら探しているようであったが、
「ふむ」
うなずいた声に、会心の笑《え》みがあった。それからふりむいて、
「おぬしら、何か用か」
「話があって来たが、それより御内儀を」
「わかっておる。すぐに手当をしよう。……おぬしら、となりでちょっと待っていてくれ。いまゆく」
と、彼はおちつきはらっていった。
――十分ばかりして、六波羅十蔵は、三人の待っている座敷にあらわれた。
「お待たせした」
「御内儀は?」
「いま、休ませてある。茶も出せんで、恐縮だが。……」
「茶などはどうでもよいが、十蔵、いまのありさまはありゃなんだ」
と、年輩の原助太夫がじっと十蔵の顔を見て、
「おぬし、御内儀をまないたにのせて、何か忍法《にんぽう》の工夫《くふう》をしていたのではないか」
十蔵は黙っていた。まじめな表情である。ややあって、
「助太夫老。お話というのは何でござろうか」
と、きいた。
「実は、伊奈《いな》家の断絶がきまった」
「ほう。……では、甚八郎《じんぱちろう》は死にましたか」
「それがたしかとなったと見える」
四人は憮然《ぶぜん》たる眼つきで、しばし沈黙した。
彼らの会話はこういうわけだ。やはりこの組屋敷に住む伊賀者伊奈甚八郎が、三年前からふっと姿を消した。べつにさわぐ者はいない。それに甚八郎が、隠密御用《おんみつごよう》で出立《しゆつたつ》したことは、だれにもわかっていたからだ。ここに住む伊賀者は、不時に、ひそかに、江戸城の奥ふかく庭で将軍みずからの命により、或《ある》いは大老《たいろう》の御用部屋に呼びつけられて、隠密の任務を与えられる。彼はそのまま、自宅へもどることなく、どんな遠国へでも飛び立ってゆく。――甚八郎もそれにきまっているから、だれも話題にする者もなかったのだが、しかしだれいうともなく、彼のいった先は上《じよう》 州《しゆう》 館《たて》 林《ばやし》であることを、みなが知っていた。領主は館林|中納言《ちゆうなごん》、二十五万石の城下町である。
それっきり、彼は帰らない。――そしていま、伊奈甚八郎の家は断絶ときまったというのだ。それは彼の死が確実となったことを意味する。
「――で?」
「甚八郎のことはやむを得ぬとして、伊奈の家がつぶれたのは」
と、菅沼主馬がいった。
「伊奈の家に甚八郎以外に男がなく、甚八郎にも子がなかったからだ」
「――で?」
「おぬしにも子がない」
十蔵はまたしばらく黙っていたが、やがていった。
「そればかりは、どうにもいたしかたがない」
「ほんとうにしかたのないことか?」
と、古坂内匠がいった。
「どんな女でもおれに惚《ほ》れさせてみせる、というのが、おぬしの豪語ではなかったか」
「惚れる、惚れないと、子供ができる、できないとはべつの話だ」
「はじめ、おぬしが豪語したときはわれわれも笑った。しかし、おぬしがあのお路どのをわがものとしてからは、おぬしを見なおした。お路どのはこの組屋敷でも当時第一の美女、狙《ねら》っておる者もうんといたし、だいいちよそから是非嫁にという口も、ふるほどあったはずだ。それなのに、お路どのはおぬしのところへ嫁に来た。掟《おきて》によって、おれたちはおたがいの忍法を知らぬが、しかし、さては十蔵、やったな、とはじめて思いあたって、舌をまいたものだ。それから、七年たつ。見たところ、仲はわるくない。それどころか、この組屋敷でも、仲のいいことでは随一の夫婦に見える。――」
「仲はいいよ。しかし」
「待て、それで、伊奈家断絶のことをきいて、三人話をしておるうちに、おぬしの話が出た」
と、菅沼主馬がいった。
「そういえば、六波羅十蔵のところにも子供がない。できないのではない。ひょっとしたら、十蔵のことだから、あまり忍法の工夫に精を出しすぎて、子を生むことを忘れているのではないか、とこの助太夫老が心配なされ出したのだ」
「で、子供だけはせめて一人でも作っておけいよ、といいにやって来てみれば」
と、助太夫がいった。
「十蔵、おぬし、御内儀を道具にして、忍法の工夫をしておるな。道理で。――」
といって、次に言葉をのんだのは、お路が十蔵のところへ嫁にきていよいよ美しくなったが、その美しさがどこか病的に凄艶《せいえん》なものであったことを思い出し、そもそも十蔵がどんな実験を試みているかは知らないが、そんな材料につかわれては、子供のできるわけがない、といおうとしたのだ。
「いったい、十蔵、何をしておった」
「いや、拙者のためのお気づかい、かたじけない」
と、十蔵は顔をあげた。
忍者《にんじや》というより、学者のようにものしずかで、まじめで、荘重《そうちよう》な容貌《ようぼう》である。さっき古坂内匠が、お路を妻にすると十蔵が豪語したといったが、豪語するようなタイプではない。ただ自信と見込みを冷静に述べただけのことであったろう。ただ、ここ数年、彼は学者タイプから――何やら芸術家めいた翳《かげ》をおびて来た。しかも、どこやら狂気じみた芸術家の相貌《そうぼう》である。現代でも、じぶんの研究とか製作とかに熱中して、妻子のことには放心的な学者や技術者や芸術家があるが、三人の先輩や朋輩《ほうばい》も、それに似た危惧《きぐ》を抱いて忠告にやって来たのである。
「実は、子供を堕《おろ》したのだ」
「なに?」
「さっき、拙者が盥からすくいあげたのは、三月目《みつきめ》の胎児や胎盤であった」
「六波羅、それはまことか」
「……あれと祝言《しゆうげん》してから七年、お路が孕《はら》んだのはもう二十何回かに上ろうか。それを、おれはすべて水にした」
「そ、そりゃ、なんのためだ」
「水にするために、水にした」
堕胎そのものが目的で堕胎した、という意味である。
唖然《あぜん》として十蔵を見まもっていた菅沼主馬が、ややあってきいた。
「左様《さよう》な忍法を、何につかう」
「何につかうか、おれにもわからぬ」
十蔵は厳粛な眼で三人を見やった。
「それを判断なさるのは、上様《うえさま》か、御大老だけだ」
三人は沈黙した。
公儀伊賀組の忍者は、鉄の掟《おきて》でおたがいの忍法を秘すことになっている。しかし、彼らを使用する将軍と大老は、むろんそれを知っている。江戸城の奥ふかく、それは一覧表としてそなえられているはずであった。それはたとえその将軍が隠居し、大老が罷免《ひめん》されようと、それを他にあかしてはならない。これも柳営《りゆうえい》の鉄の掟であった。いまの大臣が職務上知った国家の機密と同様である。
「子を生めとすすめにきてくれたから、これだけはいった」
六波羅十蔵は笑った。別人のようにやさしい、人のいい、哀愁味すらある笑顔になった。
「左様さ、それではおれも、そろそろひとりくらい男の子を生んでおこうかい」
六波羅十蔵が、大老の酒井《さかい》雅楽頭忠清《うたのかみただきよ》に呼ばれたのは、それから十日ばかりたった深夜のことである。
これは実に、将軍の居間から二間《ふたま》をへだてた次の間《ま》で、三十|石《こく》三人|扶持《ぶち》の六波羅十蔵は、そこへみちびかれてゆくにつれて、ふだんおちついた人間であったのに、しだいに足からわなないて来たほどであった。
この深更、いかに大老とはいえ、御用部屋に居残っているのも異例のことである。容易ならぬ密命が下されることはあきらかだ。
彼を案内して来た小姓《こしよう》は去って、御用部屋にあるのは、一|穂《すい》の灯と、大老酒井雅楽頭だけであった。
「伊賀者六波羅十蔵と申すか」
と、雅楽頭はいった。十蔵は平蜘蛛《ひらぐも》のごとくひれ伏した。
「近う寄れ」
雅楽頭はうなずいたが、平伏した十蔵はしばらく身うごきもできなかった。
当然である。病弱な将軍|家綱《いえつな》のもとにあってすでに十八年大老の職にあり、威権一世を圧し、その屋敷が江戸《えど》城大手門|下馬《げば》先にあったので、「下馬将軍」とさえ称せられている人物であった。このとし五十七歳、堂々たる相貌には、一目見ただけで圧倒されるような威厳がある。
曾《かつ》て「伊達《だて》騒動」「越後《えちご》騒動」を裁決したのはこの大老である。ただ「伊達騒動」では奸臣《かんしん》側と目《もく》された伊達|兵部《ひようぶ》、原田甲斐《はらだかい》の方をひいきにし、「越後騒動」でも同じく奸物の噂《うわさ》のある小栗美作《おぐりみまさか》に味方したといわれ、かげではとかくの批評もあるが、それだけに一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかない妖気《ようき》が、そのゆたかな風姿にまつわりついていた。
この二つの御家騒動に際しても、雅楽頭の手から、おびただしい伊賀組隠密が奥州《おうしゆう》や越後へ派せられたはずだが、六波羅十蔵がこの大老に直接呼びつけられたのはこの夜がはじめてであった。
「十蔵、近う寄れ」
雅楽頭はもういちど、こんどは強くいったが、眼は机の上の書類にそそがれたままであった。
眼をあげた。大老がいままで見ていたのは、伊賀組の名簿らしかった。
「内密の御用を申しつける」
「はっ」
「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」
「心得ております」
「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」
「覚悟の上でござりまする」
ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな感激はあったが、外見は彼らしく従容《しようよう》たる態度を見せていた。
「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」
「遠国ではない」
と、大老はいった。
「大奥じゃ」
「――は?」
「そちは、大奥へ忍び込めるか?」
さすがの六波羅十蔵も息をのんだまま、声もなかった。大奥、いかにもそれは遠国ではない。この江戸城のおなじ郭《くるわ》の中にあるが、将軍家をのぞいては、大老ですら一歩も入ることはゆるされない男子禁制の秘境であることはいうまでもない。しかし十蔵は、その目的の場所の名より、そこへ御用を申しつけるという大老の心事を疑った。正直なところ、この御大老は狂気なされているのではないかと思ったのである。
しゃっくりのようにいった。
「大奥へ……いかなる御用で」
「そちの忍法|届出《とどけいで》には、どのような女人にても催情《さいじよう》せしめ、且《かつ》、まちがいなく身籠《みごも》らせるとある」
「いかにも左様に届けてござります。しかし雅楽頭さま、まさか……その忍法を大奥の女人に使えと仰せなさるのでは」
「上様にはただいまお手付の御中臈《ごちゆうろう》が七人おわす」
大老はいった。
「その七人のおん方を御懐妊のおん身となし参らせたいのじゃ」
両腕をつき、雅楽頭を見あげたまま、六波羅十蔵は満面|蒼白《そうはく》になっていた。まさに天魔の命令としか譬《たと》えようがない。その驚愕《きようがく》すべき命令の意味を、
「きけ、十蔵」
と、大老は息もみださず、じゅんじゅんと説くがごとくいう。――
「そちも知るように、上様はお若きときより御病身にて、当年四十一にておわすが、いまだ御世子《ごせいし》がおわさぬ。これまで二、三度、御中臈御懐胎のこともあったが、いずれも水におなりなされた。しかも、ことしに入って、いよいよ御気分すぐれず……ここのところ一見つつがのう見え奉るが、奥医師どものおん見立てによれば、御病症内部にていよいよすすみ、御寿命はながくてあと半年――と申すことじゃ」
「…………」
「しかも、いまも申す通り、御世継ぎがない」
「…………」
「しからば上様御他界のとき、いずれさまが五代さまにおなりあそばすか」
「…………」
「御連枝《ごれんし》としては、ただおひとりの弟君、館林中納言|綱吉《つなよし》さまがおわす」
「…………」
「本来のおん血脈《けつみやく》としては、中納言さまが五代さまにおなりなさるべきであろう。さりながら、忠清が見るに、中納言さまはその御性行、喜怒哀楽つねなく、一事に熱中されるやそれをお押えなさるところなく、執拗《しつよう》徹底、しかも明日はケロリとお忘れなさるという――まことに以《もつ》て、常人の手に負いかねる大|天狗《てんぐ》じゃ。かかるおん方を将軍家に迎え奉れば、かならず民は塗炭《とたん》の苦しみにおちいることは……不肖忠清、十八年大老の職にあったものとして、鏡にかけて見るがごとしじゃ」
率然として六波羅十蔵は、三年前館林に潜行し、行方を絶った伊奈甚八郎のことを思い出した。甚八郎がこの大老からいかなる秘命を受けたか、それははっきりとはわからないが、朧《おぼろ》げながらも身の毛がよだつ思いがする。一方は下馬将軍とうたわれる酒井雅楽頭、一方は館林の大天狗と呼ばれる中納言綱吉|卿《きよう》、ふたりのあいだにはすでにそのころからひそかなる暗闘が開始されていたのだと、いまにして思う。
「しかも、綱吉さまには、当上様の御余命遠からざることを御承知にて、以前より水戸中納言|光圀《みつくに》卿をはじめ、尾張《おわり》、紀伊《きい》、また稲葉《いなば》、堀田《ほつた》などの老中《ろうじゆう》に、はげしく運動なされておる。……いま、上様御他界あそばさば、綱吉さまが五代さまとおなりあそばすよりほかはない」
「…………」
「時が欲しい。いましばらく、この忠清に策をめぐらす時日が欲しい」
「…………」
「そのためには……上様|御寵愛《ごちようあい》の御中臈御懐妊という事態を、どうあっても必要とするのじゃ。その事態となれば、たとえ上様が御他界あそばしても、御出生のことあるまでは、綱吉さまは足どめとなる。況《いわ》んや若君御誕生あそばさば、綱吉さま御相続のことなどまったくけし飛ぶであろう」
――大老のいうことはわかったが、わかればいよいよ全身に震慄《しんりつ》を禁じ得ないたくらみであった。
「十蔵、そちの忍法は必ず女人を身籠らせるという。相違ないであろうな」
「……相違なく、とは申しあげませぬ。十中六、七までは」
「それは男か。男と女を生みわけることはできぬか」
「あいや、こればかりは、拙者の思い通りにはなりませぬ」
「さもあろう。……さればによって、御寵愛の七人の御中臈すべてを御懐胎なしまいらせよ」
酒井雅楽頭は、あきらかに確率の現象をあてにしていた。――しかし、十蔵の頭はしびれ、混乱し、返答はしているが、何を返答しているかわからないほどであった。
恐怖に蒼《あお》ざめ、ひたいにあぶら汗をにじませて、やっと彼はいった。
「御大老、しかし、もし……もし若君御出生あそばさば」
と、いって、息せききって唇《くちびる》をわななかせた。それはこの三十石三人扶持の六波羅十蔵の血をひくものではないか、といいかけて絶句したのである。
「それは上様のおん胤《たね》かもしれぬ」
と、雅楽頭は、むしろ沈痛味をおびた声でいって、
「上様はおん病《やまい》の日毎《ひごと》にすすみつつあるを知り給わで、夜毎大奥へお通いじゃ。御中臈のお身籠りなされたおん胤がどこから来たかは神のみぞ知る。……」
きっとして、十蔵を見て、のしかかるように、
「天下のためだ!」
と、大老はいった。
後宮《こうきゆう》の美女三千人と称する江戸城大奥。
それは大別して、御殿向《ごてんむき》、御広敷《おひろしき》、長局《ながつぼね》の三つに分かれる。御殿向は将軍夫妻の私邸ともいうべきもので、これだけでも百余|間《ま》はある。これに大奥の庶務一切をあつかう御広敷、女中宿舎たる長局を合わせたものが御殿向に倍し、この大建築物はきわめて不規則に紆余《うよ》曲折し、さながら一大迷宮の観があるが、これと幕府政庁たる表《おもて》とは、ただ上《かみ》と下《しも》、二本の廊下でつながっているばかりである。
「上のお錠口」は将軍の通路で、黒塗縁《くろぬりぶち》の杉戸を立て、その外に銅板張りの大戸を立て、ここに「是《これ》より男入るべからず」と書いた紙札がかかげてあった。戸は朝八時から夕方六時まで半扉《はんぴ》をあけてあるが、あとは締める。その外部には、たえず数人の伊賀者が詰めていて、重々しくこの男子禁制の扉《とびら》を守っている。「下《しも》のお錠口」は非常口であって、ここはたえず締めきりで、ふだんは使わない。
奥女中の外部への通路は、べつに七ツ口というものがあって、ここにも伊賀者の詰所があり、女中の出入りを監視し、また御用達《ごようたし》商人を受け付けるが、それも七ツ(午後四時)には締めきってしまう。しかも彼ら自身はあくまで番人であって、それより奥向きにはまったく進入をゆるされない。
そして大奥をめぐる築地《ついじ》や塀《へい》には諸所に門や木戸があるが、門の通行には切手を要し、木戸はその外側を伊賀者が守り、錠を下ろし、錠は上司の判をおした美濃《みの》紙で封印し、掃除その他の用事のためにこれをひらいたときは一々切った封印の点検を受け、また濠《ほり》や池にかかる橋は桔橋《はねばし》であった。
三千人の柔媚《じゆうび》な肉をつつんで、これはまさに鉄の壁であった。
長い思案ののち、六波羅十蔵は、北桔橋から大奥に潜入するのがいちばん成功率が高いとかんがえた。
第一には、それ以外の場所には幾重《いくえ》もの濠や門があり、且首尾よく大奥に入ったとしても、大奥のまた奥にある長局まで達することは容易でない。内部のお錠口を通るなどということは、絶対に不可能である。その長局は江戸城のいちばん北部にあるのだが、その背面は濠になっている。外部から長局までの最短距離である。
第二には、その北桔橋は、その名の通り北側の濠にかかる唯一の橋であるが、これは葬式のときに下ろすだけで、ふだんは釣《つ》りあげたままになっていて、釣ってある鎖も錆《さ》びついているほどである。従って、ここがいちばん警戒が手薄で、桔橋のたもとの番所には、夜は二人の番人がつめているだけである。
六波羅十蔵は、大奥へ忍び入るにはここよりほかはないと決めた。
が、北桔橋、とつぶやいて、それから心中に嘆息をもらした。そこを守る番人はもとより伊賀者だが、それはじぶんと組屋敷ではもっとも親しい古坂内匠、菅沼主馬、原助太夫の三人であることに気がついたのだ。
十蔵自身はふだん内桜田《うちさくらだ》御門の警衛が役目であったが、その三人は北桔橋御門と西桔橋御門の番人をかねていて、ほかにも同役の者はいるが、少なくとも三人のうちの一人は、かならず毎夜北桔橋の番所にいることに想到したのである。
六波羅十蔵は、伊賀者の組屋敷でもいささか変り者と目されていた。それは忍者の繁昌《はんじよう》した戦国の世から百年内外も経て、たんに城門の番人たるに甘んじている者の多い伊賀者の中で、とくべつ斯道《しどう》の研鑽《けんさん》にはげんでいるのが、かえって異質の人間に思われていたせいであったが、その中で、古坂内匠、菅沼主馬、原助太夫とだけはどこか肌《はだ》が合ったというのは、この三人が忍法にかけては、それぞれ自負するものがあったからだ。
彼らの眼、耳、嗅覚《きゆうかく》。――それに、その忍法は掟《おきて》によって知らないが、これがなみなみならぬものであることは、平生のつきあいから本能的にわかる。
しかも彼らは、いずれも先輩としてまた朋輩《ほうばい》として、ふだん親愛の情《じよう》を見せ、或《ある》いは適切な忠告をしてくれた人々であった。
しかし、彼らは討ち果たさねばならぬ、もしじぶんの使命の障害になるならば。
特殊任務に服するとき、その秘密を守り、且《かつ》唯一の命令者たる大老に絶対服従することは、伊賀者の厳たる宿命である。おそらく、人を変えて彼ら三人のうちに同じ命令が下ったとすれば、彼らも同じ決意を以て、同じ行動に出るであろう。
いちど、もっとも手ごわいと思われるこの三人を、組屋敷かそのほか外部のどこかで始末することをかんがえたが、すぐにこの思案は撤回した。それはかえって不審と騒ぎをひろげるもとだ。江戸城で服務中に斃《たお》せば、何事も秘密のうちに葬り去られると判断したのである。
鋭いが短い苦悶《くもん》ののち、六波羅十蔵は男らしく決意した。
夜だ。
濠をひそかに泳ぎわたって、江戸城北桔橋の下の石垣《いしがき》にたどりついた六波羅十蔵は、水面からわずかに口をのぞかせて、五寸ほどの竹筒を吹いた。
いや、吹いたのではない。なんの音も発しない。――竹の内部には、うすい紙様の膜がついている。彼の持っている一|節《ふし》の竹は、その節をぬいて、この膜を張ったものであった。彼はその膜を、息でかすかにふるわせたのだ。
ふつうの人間には音波としてはきこえぬこの空気の振動が、桔橋御門の番所にいたふたりの伊賀者の鼓膜に微妙な振動を起した。共鳴現象というべきであろうか。
それは、あたたかい大地の底ふかくから、また星のまたたく春の夜空からきこえてくるような――いや、おのれ自身の耳の内部からわき出してくるような女の声であった。ふつうの声ではない。かすかに、かすかに、しかし、あきらかに性のよろこびに陶酔し、むせび泣く声で、男の脳髄をしびれさせる法悦の旋律《せんりつ》であった。
番所にいた古坂内匠ともうひとりの番人は、はじめそれを聴覚とも意識しなかった。いつとはしれず、奇怪な妄想《もうそう》に沈んでいたのだ。この旋律は、眼に白い肌のうねりを、鼻にかぐわしいあえぎを、皮膚にやわらかい肉のうごめきの幻覚すらを呼んで、ふたりはあらい息さえついていた。
「――はてな」
さすがに古坂内匠は、からくもおのれをとりもどした。
「おい、きいておるか」
「……何を」
「耳に奇妙な音がきこえぬか」
「……おお、そういえば」
古坂内匠は番所の外へ飛び出して、大地にピタリと耳をつけた。
「桔橋の下の石垣だ。声はそこからきこえてくる」
もうひとりの番人は、槍《やり》をかかえてそこに走った。しかし、さすがにこれも伊賀者だ。不用意にはのぞかず、これまた土に耳をつけ、そこから徐々に石垣から首をのぞかせていった。
彼は暗い水面からつたわってくる微妙な音波をきいて、槍をとりなおした。しかし音の発する場所に何者の影も見えなかった。それで首をぜんぶつき出してキョロキョロした。――そのとき、思いがけぬ方角から一本の|※[#「金+票」、unicode93e2]《ひよう》がななめに飛来して、彼の頸部《けいぶ》をつらぬいていた。うめきもあげず彼は即死し、石垣から半身をダラリと垂れた。
桔橋の直下の石垣に竹筒をつき挿《さ》し、六波羅十蔵はそこから二|間《けん》もはなれた水面で、もう一本の竹筒を吹いていた。その音波の振動は、石垣の竹筒に共鳴を起し、番人の耳にはなおそこが音源であるかのごとく錯覚させたのだ。それは二本の竹筒の角度が作り出した幻覚であった。
そのまま彼は石垣を、守宮《やもり》のごとく垂直に、いっきに這《は》いあがった。なお口に竹筒をくわえている。
その個所の空間へ――石垣からあがる音波めがけて、古坂内匠の手裏剣《しゆりけん》が走った。しかし、石垣の上端からまだ一間の間隔をおいて、六波羅十蔵のからだはこれまたななめに塀にとびつき、そのいらかに指がかかると、一回転して内部に降り立っていた。
絶叫しようとする古坂内匠の機先を制して、十蔵はささやくようにいった。
「内匠。六波羅だ」
「――十蔵。これは何としたことだ」
「わけはいえぬ。いわぬ以上、死なねばここを通すまい。内匠、死んでくれ」
ふたたび次の手裏剣をにぎった古坂内匠の前で、黒頭巾黒装束《くろずきんくろしようぞく》の六波羅十蔵は、忍者刀《にんじやとう》に手をかけず、なお竹筒を持っていた。
その竹筒をぬうと内匠の前につき出し、右手をそれに持ちそえたのだ。
何とは知らず、それが恐るべき武器であり、恐るべき姿勢であるような予感にうたれ、内匠は十蔵の行動の不審さを再考するいとまもなく、夢中でこぶしの手裏剣を投げた。
あまりに距離がちかすぎて、かえって手もとが狂い、それは十蔵の顔をかすめすぎた。火の糸が頬《ほお》をながれるのをおぼえつつ――十蔵は竹筒の節に張った膜を、一方の人差指ですっとつらぬいた。
古坂内匠は悲鳴をあげた。ふたつの耳に奇妙な音と激痛をおぼえたのだ。それっきり、彼は聾《つんぼ》になった。一瞬、天地が真空の寂寞《じやくまく》と化したのを感じながら、彼は狂気のごとく第三の手裏剣を投げつけた。手裏剣はあらぬ空《くう》にそれ、彼は千鳥《ちどり》足になってよろめいた。
はじめて六波羅十蔵は竹筒を捨て、忍者刀をぬきはらって内匠におどりかかっている。
「ゆるせ、古坂」
胴を横薙《よこな》ぎにされて、古坂内匠は地に這《は》った。
その刹那《せつな》になっても、彼はじぶんの耳がどうなったかわからなかったろう。六波羅十蔵が竹筒に張った薄膜をつき破ると同時に、古坂内匠の鼓膜も破れ、その衝動は内耳《ないじ》にある三半規管をも破壊してしまったのだ。人間の平衡《へいこう》感覚をつかさどる三半規管を破壊されて、内匠はよろめいたのだが、しかしそれはただ共鳴現象という空気の震動によるといわれても、さらに判断ができなかったであろう。
「つらいなあ」
と、十蔵はつぶやいた。彼の頬には、手裏剣がかすめたあとの血が糸をひいていた。
しかし、古坂内匠のからだからは、血はながれてはいなかった。この場合に、十蔵は内匠を峰打ちにしたのである。それはただ血のあとを残さないためだけであった。
やがて彼は失神した内匠ともうひとりの伊賀者を抱き合わせて縛りつけ、石をつけて濠《ほり》に沈めた。
そして、漂うように夜の底をあるきはじめた。長局の方へ。――
長局は、大奥御殿向の北方につらなる五|棟《むね》から成る大建築で、一棟の廊下の長さが五十余|間《けん》、さらにこれと直角に各棟をつなぎ将軍のいる御殿向へわたる出仕廊下があるが、これが全長七十余間あったという。
各棟には、その東西両側に表廊下と縁側がついているが、表廊下の向こうには各部屋ごとに廁《かわや》と湯殿が設けられている。つまり、バス、トイレつきというわけだ。各部屋の入口の柱には、奉書を切って、そこに住む女性の名札がかかげてあった。
この東西の表廊下五十余間と南北の出仕廊下七十余間という数字から概算するのに、この一|画《かく》だけでも三千五百坪から四千坪ある勘定で、ここに住むのは、もとより女人ばかりだ。
これはずっと後年の幕末の話になるが、御中臈《ごちゆうろう》をつとめた大岡《おおおか》ませ子|刀自《とじ》の談話によると、「――長廊下を夜あるくのは淋《さび》しゅうございました。ところどころに金網燈籠《かなあみどうろう》がぼんやり明るいだけなのです。煌々《こうこう》と明るいところはなく、どこも薄暗い中を通るのでした」とある。以てその妖気《ようき》を察するに足るであろう。
その女人国に、忍者六波羅十蔵は入った。
しかも、その一室――お瑠璃《るり》の方《かた》の部屋に入った。――彼は、隅《すみ》に絢爛《けんらん》たる裲襠《かいどり》のかけられた屏風《びようぶ》のかげに坐っていた。
春ふかい深夜である。雪洞《ぼんぼり》には、どこから散りこんだか、二、三片の花びらさえ蛾《が》のようにとまっていた。――その下に、お瑠璃の方は、スヤスヤと眠っていた。むろん将軍の閨《ねや》に侍《はべ》るときは出仕廊下をわたって御殿向へゆくので、ここに眠るときはただひとりである。
屏風のかげに坐った十蔵の顔に、しかし好奇や好色の翳《かげ》はなかった。眼をとじて、端然として、むしろ厳粛な、凄《すご》いような無表情であった。
無表情に――しかし、唇《くちびる》がかすかにうごいている。二枚の唇を横にしずかにすり合わせるようにうごかせているのだ。
数分――十数分――その唇のはしに、粘《ねば》っこい唾《つば》がにじみ出し、唇がぬれてきた。ようやく彼の顔に、快感に似た表情がひろがりはじめた。
そして、眠っているお瑠璃の方は、いつか春夢を夢みていたのである。下半身をかすかにかすかに摩擦され、白い汗がにじみ出し、びっしょりとぬれつくし、はては波濤《はとう》のようなうねりが眠るお瑠璃の方を蕩揺《とうよう》した。
「――ああ……」
じぶんの小さな声に、彼女は目ざめた。そして頭上に覆いかぶさるようにした何者かから、栗《くり》の花のような匂《にお》いのする体臭が吹きつけてくるのを知った。雪洞は消えていた。
しかし彼女は、こんどはさけび声をたてなかった。彼女はじぶんが目ざめたとも意識しなかった。
ただ混沌《こんとん》たる陶酔の中に、身を灼《や》く白い炎にあぶられて、そこにいる「男」に両腕をさしのばし、ぬれつくした二本の雌《め》しべのような両足の中にそれをのみこもうと、かすかに歯ぎしりの音さえもらしていたのである。
――一刻ののち、六波羅十蔵は、蝙蝠《こうもり》みたいに夜の長廊下を歩いていた。一刻のあいだに、頬は削《そ》いだようになっていた。おそらくそれは、たんなる合歓の疲労のゆえばかりでなく、さらに、女人に蒔《ま》いたたねを、かならず芽生えさせてみせるという忍法のための消耗《しようもう》であったろう。
――それでも彼は歩いてゆく。二人目のお敬《けい》の方《かた》の部屋へ。
――三人めのお国《くに》の方《かた》の部屋から出て、夜明前の長局から北桔橋の方へ逃げてゆく六波羅十蔵の足どりは、彼自身の三半規管が破壊されたようであった。
十日目の夜、ふたたび六波羅十蔵は北桔橋から江戸城大奥の区画に入った。
彼はまず、ひとりの伊賀者を音もなく背後から襲って、これを絞め殺し、その気配を感づいて、一丈もの距離をひと飛びで飛びすさった菅沼主馬と相対した。
「……六波羅ではないか」
星影もない、どんよりとした雨雲の下で、菅沼主馬はそういった。さすがに愕然《がくぜん》とした声であった。
「十蔵、かようなところにあらわれるとは、気でも狂ったか」
「気は狂わぬ」
闇《やみ》の中で、沈痛に十蔵は答えた。
「内密の御用によって、ここを罷《まか》り通る」
「内密の御用? 十蔵を通せという指示は、おれは受けておらぬ。いかに親友でも、こればかりはゆるせぬ」
「そうであろうな」
「十蔵、御用とはなんだ」
「それは申せぬ」
歎《なげ》くがごとく十蔵はいった。いいながら、彼は胸のまえで両掌《りようて》を組んだ。
「やはり、おぬしにも死んでもらわねばなるまいなあ。……古坂内匠と同様に」
「なに、内匠を――おぬしが――」
菅沼主馬は息をひいた。
古坂内匠が十日前、江戸城の勤番にいってから四谷の伊賀町に帰ってこないことは主馬も知っていた。しかし、これは伊賀者として珍しいことではない。突然の秘命によって、そのまま遠国へ飛ぶことは、伊賀者の通例であるからだ。
しばらく黙りこんで、凄《すさま》じい眼で十蔵を見すえていた菅沼主馬はやがてうめいた。
「いかなる内密の御用か知らぬが、おれが何もきいておらぬ上は、ここを守るのがおれの役目だ。十蔵、覚悟はよいか?」
六波羅十蔵は寂然《じやくねん》として、両掌の指を組んでいた。
それはまるで――昔の物語の忍者が九字の印でもむすんでいるような古怪な姿に見えた。さすがの主馬も、左掌の人差指をにぎりしめた十蔵の右掌が、小刻みにそれを上下にすり合わせているのを知らなかった。また見たとしても、それが何を意味するのかわからなかった。
菅沼主馬の腕から、一丈もあるひとすじの鎖がたばしって、相手の影を薙《な》いだ。十蔵はからくもそれをかわした。うなりすぎた鎖は、おどろくべきことに彎曲《わんきよく》しつつ空中で静止し、次の瞬間まるで巨大なぜんまいのようにはねかえって、また十蔵を襲った。十蔵は一|間《けん》ちかくも宙におどりあがった。
地上に舞い下りる影をめがけて、夜目にも蒼白《あおじろ》い閃光《せんこう》がはしった。菅沼主馬の鎖はなお手もとにあまっていた。彼は反対側の鎌《かま》を投げつけたのである。
が、十蔵の影三尺手前で、突如鎌は小波《さざなみ》のごとく刃影《じんえい》をみだして地におちた。――その刹那、菅沼主馬はふいにじぶんの下腹部に、異様な触感と温感をおぼえたのだ。
それは彼の男根をにぎりしめる指そのものの感覚であった。
死闘の中のこの荒唐無稽《こうとうむけい》な現象に彼は狼狽《ろうばい》し、狼狽しつつ、狂気のように鎖を薙ぎまわした。
鎌と分銅《ふんどう》は、機《はた》のように交互にくり出された。本来なら、ただ一撃だ。たとえ敵に心得があって一方からのがれても、のがれた位置に正確に一方が飛び、狂いなくそこに血しぶきがあがるはずであった。
そのはずなのに、六波羅十蔵は蝙蝠《こうもり》みたいに舞って逃げた。相手の体術よりも、主馬はじぶんの眼と腕がみだれているのを意識した。それは下腹部から波のごとくひろがってくる或《あ》る快感のゆえであった。
一語ももらさず、十蔵は分銅と鎌に眼を走らせて身をかわしながら、なお指を指でにぎりしめている。それをすり合わせている。その摩擦はいよいよはげしくなっている。――
「――うむ!」
はじめて、十蔵はうめいた。彼自身の快美のうめきであった。この刹那《せつな》、鎌は彼の左肩の肉を一片切りとばした。
しかし、菅沼主馬は棒立ちになった。全身にぶるっと痙攣《けいれん》がはしった。彼は射精し、一瞬の忘我におちた。
六波羅十蔵は組んだ両掌を解いた。疾風のように駈《か》け寄った。そして立ちすくみ、眼をつりあげている菅沼主馬のみぞおちを拳《こぶし》でついた。
主馬は口からタラリと黒い血を吐き、身を釘《くぎ》なりにかがめて大地に崩折れた。
やがて十蔵は、絶命した主馬ともうひとりの伊賀者に石をつけて濠《ほり》に沈め、妖々《ようよう》として長局の方へあるき出した。
この夜の目標は、お溶《よう》の方《かた》とお梶《かじ》の方《かた》であった。
闇の中に、ぼうと絖《ぬめ》のような女の腹がひかっている。
そこに二本の指がのびて、しずかに這《は》いまわった。徐々に這いながら、十本の指は、時々は釦《ボタン》を押すように、時には鍵盤《けんばん》をかるくたたくように、時には絃《いと》を爪《つま》びくようにうごめいた。その指の叩打《こうだ》と吸着と摩擦は、ほとんど人間のわざとは思われぬほど微妙で且《かつ》深刻であった。
全身の血液はそこにあつまってうすべに色に染まり、また波のように散って蒼白《そうはく》となった。
女がからだをうねらせぬいたのは数十分前のことである。女があえぎ、すすり泣いたのは十数分前のことである。女が数度くりかえして、ゆるやかに痙攣したのは数分前のことである。
女の内部で何かが充血し、何かが肥厚し、何かが海綿《かいめん》状になり、何かが粘液にあふれた。そこにあるのはただ精妙きわまる物理的な刺激に反応する筋肉と血液と分泌腺《ぶんぴつせん》のかたまりだけであった。
「……忍法、肉太鼓……」
恍惚《こうこつ》たるつぶやきが、なまあたたかい夜気に沈んだ。
闇の中に坐り、女のからだを鞣《なめ》し、醗酵《はつこう》させる六波羅十蔵の顔は、実験に熱中する技術者か、製作に没頭する芸術家のように厳粛であった。
また十日目の夜、みたび六波羅十蔵は、北桔橋から大奥に入った。
夜空に黒ぐろとはねあげられた橋の上まで濠の側から、よじのぼった十蔵は、その下を番人の伊賀者が槍《やり》を抱いて通りかかったとき、上から投縄《なげなわ》を投げて頸《くび》にかけ、キリキリと吊《つ》るしあげた。なるべく血をながしたくない配慮からであった。
ほとんど物音をたてないはずであったのに、遠くにいた原助太夫は黒い風みたいに駈けてきた。
「助太夫老」
高い夜空で、ささやくように六波羅十蔵は呼んだ。
「六波羅でござる」
例によって、すすんで名乗ったのは、助太夫に高い声を出させ遠くの木戸や番所からほかの者を呼ばせないためだ。
いうまでもなく、原助太夫は驚愕《きようがく》した。
「十蔵。……そこにおるのは、死霊《しりよう》か、生霊《いきりよう》か」
思わずそうさけんだのは、たんにそこに現わるべからざる人間が現われたというばかりではない。半月あまりのあいだに、六波羅十蔵が奇怪なほどやつれて、ここ七日ばかりは寝こんでいるときいて、前日助太夫が十蔵を病床に見舞ったばかりだったからだ。
「そのいずれでもござろうか。……」
と、桔橋の上の声はいった。
「生霊か、死霊か。助太夫老、ちかくに寄って、よく御覧なされ」
原助太夫は五、六歩あゆみ寄って、そこで足をとめた。
高く吊りあげられた橋の上で、六波羅十蔵は仁王《におう》立ちになっている。両手を股《また》のあたりにあて、一見何も持っていない様子だ。いや――彼は何かを持っている。春の夜の闇《やみ》に、助太夫はそれが彼の男根であるのをみとめた。それはまるで放尿でもしそうな姿であった。
「やはり、気が狂っておるのか、十蔵」
また二、三歩寄って、助太夫はピタと立ちどまった。橋までなお三|間《げん》以上もの距離があったが、空から吹きつけてくるそくそくたる殺気を彼は感じたのだ。
「……きこえた」
と、空の声がつぶやいた。何がきこえたのか?
いまだ曾《かつ》て恐怖というものをおぼえたことのない老練の伊賀者原助太夫であったのに、このとき彼は何とも形容のできない恐怖をおぼえた。ふしぎなことに、それは六波羅十蔵に対してではなく、じぶんのからだの内部からくる不安であった。
助太夫はそれまで経験したことはないが、それは発作性心臓|急搏《きゆうはく》にかかった病人に似ていた。それは苦痛というより名状しがたい不安の感覚だ――その不安を、もとより助太夫は空の六波羅十蔵への敵意に染めかえた。
「怪しき奴《やつ》、十蔵。――ひっとらえてくれる」
手が口にあがると、その口から、銀の雨のようなものが大空に噴出した。扇状にたばしりひろがったのは、麻薬をぬった無数の吹針であった。
それは充分助太夫の射程内にあったのに、からくも十蔵の足に四、五本つき刺さったばかりで、あとはむなしく地上にふりそそいだ。
原助太夫は、不意に異様なうめきをあげ、胸をおさえた。彼は心臓がふくれあがり、次にぎゅっとしめつけられ、ひき裂けたような苦痛にうたれたのである。次の瞬間、彼は地ひびきをたてて顛倒《てんとう》していた。
橋の上から銀の雨はふりそそいでいる。
――ただし、ひとすじの。
六波羅十蔵は、高だかと放尿していた。
いったい何が起ったのか。――十蔵は、三間以上もの距離をおいて、原助太夫の心臓をとめたのである。
彼が、きこえた、といったのは、助太夫の鼓動の音であった。それをきくや、彼はおのれの鼓動を合わせはじめた。じぶんの心臓とではない。膀胱《ぼうこう》とである。六波羅十蔵は体内の不随意筋をも、随意筋のごとくうごかすことのできる術を体得した。それでじぶんの膀胱を鼓動させた。その鼓動によって、原助太夫の心臓に一種の共鳴現象をひき起したのである。助太夫をとらえたのは、それからひき起された不整脈、或《ある》いは心臓急搏の不安感であった。そして十蔵が膀胱をしぼって放尿すると同時に、助太夫の心臓も眼に見えぬ何者かの手に鷲《わし》づかみにされたように挟扼《きようやく》され、彼は即死したのだ。
しかし、十蔵は、放尿をおえると橋からまろびおちた。足につき刺さった吹針の麻薬にからだをしびれさせられたのである。
さすがに猫《ねこ》のごとく回転して大地に降り立とうとしたが、麻痺《まひ》のために姿勢がくずれて、彼は地上にころがった。
数分後、十蔵は立ちあがったが、かすかにちんばをひいていた。
ちんばをひきつつ、彼は歩き出した。長局の奥ふかく、お泰《やす》の方《かた》と、お宮《みや》の方《かた》の部屋へ。
忍法肉太鼓。
音叉《おんさ》を二本置き、一方だけを振動させると、他の一方も、一指をも触れないのにやがて振動してかすかに鳴りはじめる。――
六波羅十蔵の編み出した忍法は、音波にはかぎらないが、一種の共鳴現象にもとづくものといえた。彼はそれを原型として、さまざまの変法を工夫《くふう》した。人間には電流もながれているから、知らずしてそれを利用していたかも知れない。或いは心理的に催眠術にひとしい域に達しているものもあったかも知れない。
彼が女体に対して、蒔《ま》いた種は十中六、七までは芽ぶかせて見せると確信したのもその一つで、彼は女性の子宮やそれに附属する器官を、最も妊娠しやすい状態に変化させるのだ。
女は月経によって、子宮粘膜の大部分を剥離《はくり》排出させる。五、六日にして、その損傷した組織は再生現象をつづけ修復が完成される。それから半月ばかりのあいだに、しだいに粘膜は肥厚し、充血し、腺管《せんかん》は多量の粘液脂肪にみたされ、この充血と分泌がきわまってふたたび次の月経をひき起すのだが、妊卵がいちばん着《ちやく》 牀《しよう》しやすいのは、このあいだの或る期間――正確にいえば、予定月経前第十二|乃至《ないし》十九日までの八日間がもっとも適当であるという。
六波羅十蔵は、女身の腹部を叩打《こうだ》し、鞣《なめ》すことによって、内部の子宮や卵巣を、その期間の状態に変えるのであった。
――それから一《ひ》ト月を経て、ふたたび深夜の御用部屋に呼び出された六波羅十蔵は、大老酒井雅楽頭から、上様|御愛妾《ごあいしよう》のうち、お瑠璃の方、お国の方、お梶の方、お宮の方の四人が懐胎なされたようであると知らされた。
「……まことに以《もつ》てめでたきことじゃ」
と、雅楽頭は、やせおとろえた十蔵を、じっと見すえていった。
「さすがは権現《ごんげん》さまのおん血をひきたまう上様の御気力、御病体とはいえ、常人では思いも及ばぬ」
延宝《えんぽう》八年五月八日午後六時、四代将軍家綱はこの世を去った。
そして、改めて徳川家の相続問題が重大化した。
大老酒井雅楽頭の意見はこうであった。上様のおん胤《たね》は目下四人の御愛妾の御胎内におわす。もしこの中に御男子あって御出生あそばせば、当然このお方が五代さまたるべきである。ただ御出産までにはまだ若干《じやつかん》の時がある。このあいだ将軍家がおわさぬということは一大事であるから、暫定的手段として、京から有栖川宮《ありすがわのみや》幸仁親王を仰いで五代さまとしたい。しかるのち、若君御出生相成り次第、天下を譲《ゆず》らせ給えば御家御安泰と存ずるがいかに、というのであった。
下馬将軍といわれる大老の言葉である。稲葉|美濃守《みののかみ》、大久保|加賀守《かがのかみ》、土井|能登守《のとのかみ》ら老中はみなこれに服した。酒井雅楽頭としては、これは計算ずみのことであり、すべてこれで決着するものとかんがえていたであろう。
ところがここに、敢然と異論をとなえた者がある。やはり老中のひとりで、春日局《かすがのつぼね》の孫で剛直無比ときこえた堀田筑前守正俊《ほつたちくぜんのかみまさとし》であった。
「お言葉ではござるが、徳川家には正しき御血脈がござる。厳有院《げんゆういん》さま(家綱)には、館林中納言さまと申される弟君がござる。これほどれっきとしたお世継ぎがおわすに、なんの必要があってわざわざ京から無縁のお方をお呼び奉るのか。拙者、断じて承服はなりませぬ」
この抵抗は、雅楽頭の面《おもて》をそむけさせるほど猛烈で、且頑強《かつがんきよう》なものであった。大老はついに沈黙し、にがりきって退出した。
酒井雅楽頭としては、一応これをききながし、あらためて懐柔策に出るつもりであったのであろうが、彼が退出したあと、堀田筑前守の運動は疾風|迅雷《じんらい》、一夜のうちに他の閣僚を説服し、水戸光圀《みとみつくに》にわたりをつけ、ついに館林中納言を五代将軍たらしめるという事実を作りあげることに成功してしまったのだ。
酒井雅楽頭にとっては瞳《ひとみ》をぬかれたような大意外事で、一朝明けて愕然《がくぜん》としたときはもう遅かった。
待つや久し、とばかり、在府していた綱吉はその夜のうちに江戸城二の丸に入り、いったん下城したが、翌日にはまったく新将軍たる威厳を以て本丸に乗り込んだ。
――すべては、事志とちがった。
酒井雅楽頭が大老を免ぜられたのは、その年の十二月である。彼は下馬先の上屋敷をひきはらい、無紋の行列で巣鴨《すがも》の下屋敷へひきこもったが、それから半年後に死んだ。自殺したという説もある。
綱吉は、大目付彦坂九兵衛《おおめつけひこさかきゆうべえ》、御目付|北条新蔵《ほうじようしんぞう》に、いそぎ酒井の屋敷におもむき検死してこいと命じた。自殺ならば、酒井家断絶である。このとき雅楽頭の婿である藤堂高久《とうどうたかひさ》が検死役に応接し、忠清は病死に相違はござらぬ、屍骸《しがい》の検分には及ばない。一切の責任は拙者がとるでござろうといった。その決死の形相《ぎようそう》におされて、彦坂と北条はそのままひきとって、綱吉に報告した。綱吉は顔色を変じ、なんじらはなんのために検死に参ったのか、是非とも死骸を見とどけてこいと声をはげました。そこで両人はふたたび巣鴨へ走ったが、そのときは葬送の柩《ひつぎ》がすでに門を出るところであった。やむなく帰城してその旨を復命すると、綱吉は、しからばその墓にゆき、死骸を掘り出し、踏みくだいてこいと命じた。両人が三たび馬を駆《か》って寺に走ると、すでに火葬に附したあとであったから、嘆息して帰ったという。
以て綱吉の雅楽頭に対するにくしみを察するに足る。
綱吉が雅楽頭をにくんだのは、京より傀儡《かいらい》の将軍を迎え、また将来生まれるべき幼君を擁《よう》しておのれの野心をほしいままにしようとしたという名目であったが、その名目もさることながら、それにいたるまでの雅楽頭のじぶんに対する仕打ちに腹がすえかねたのだ。
で、雅楽頭が大老をやめたのはその年の十二月であったが、両者の衝突は、綱吉が江戸城に入るや否や開始されたことはいうまでもない。
雅楽頭が登城して挨拶《あいさつ》しても、綱吉は何の言葉もかけず、ややあっていきなり、肩衣《かたぎぬ》をとれ、と叱咤《しつた》したことがあるという。
これに対して雅楽頭も、それに相当した反応を見せた。酒井の家には、権現さまの仰せおかれた御軍法その他の御書付があるというが、それを見せいと綱吉がいった。そのとき雅楽頭は、右の御書付は何びとにも見せるなという権現さまの御禁制がござりますから、たとえ上意でござりましょうと、さしあげることはなりませぬ、と答えた。それは余人のことだ。天下の主《あるじ》たる余には苦しゅうはあるまい、と綱吉はいったが、雅楽頭はにべもなく断った。そして一子を呼んで、右の書付をわたし、何びとが参っても渡すことは相ならぬ、その咎《とが》により切腹を命ぜられるならば、右の御書付を燃やし、灰をのんで腹中に納めてから切腹せよ、といった。――こうなると、売言葉に買言葉というより、自暴自棄である。
そもそも、綱吉が城に入ってまもなく――それまでは、盃《さかずき》をとらせるにもまず雅楽頭が筆頭という先規であったのに、たちまち堀田、稲葉、大久保、土井、そして酒井という順序に変えられて、大老の面目いずこにありや、と怫然《ふつぜん》とした雅楽頭は、ほとんど登城しなくなってしまったのである。
御用部屋には、代りの人間が入った。堀田筑前守正俊であった。
堀田正俊が正式に大老の職についたのは、翌|天和《てんな》元年十一月のことであるが、しかし実質的には、将軍交替と同時に大老も交替したといっていい。
六波羅十蔵が御用部屋に呼ばれたのは、六月末の或る深夜のことであった。
「伊賀者六波羅十蔵と申すか」
と、堀田筑前守はいった。十蔵は平蜘蛛《ひらぐも》のごとくひれ伏した。
「近う寄れ」
筑前守はうなずいたが、平伏した十蔵はしばらく身うごきもできなかった。
当然である。この堀田正俊はおのれの出世のために酒井忠清を葬り去ったのではない。酒井に邪心があり、じぶんこそ正論の士だと信じて、あの一種のクーデターを敢行したので、綱吉が主となってからも、おのれの功にほこることはなかったが、また阿諛《あゆ》もしなかった。酒井に対したごとく堂々と綱吉に諫言《かんげん》し、ついには大|天狗《てんぐ》たる綱吉に煙《けむ》たがられるほどになった人物であった。このとし四十七歳、その男ざかりの剛直な相貌《そうぼう》には、一目見ただけで圧倒されるような精悍《せいかん》さすらある。
曾《かつ》て彼は「勧忠書《かんちゆうしよ》」なる一書をかいたことがある。中に曰《いわ》く、
「およそ君に仕える者は、みな禄《ろく》を重んじ、恩に感じて奉公以て勤《つと》むる者多し。真忠というべからず。このゆえに或《ある》いは命《めい》に違《たが》い、怒りを犯し、しりぞけられ、うとんぜらるればすなわち恨みを生ず。豈《あに》忠を致すの誠といわんや。ただ純一君を愛するの心を以て、而《しか》してこれに勤めて可なり」
以て、その忠臣ぶりを知るべきである。
「十蔵、近う寄れ」
筑前守はもういちど、こんどは強くいったが、眼は机の上の書類にそそがれたままであった。
眼をあげた。筑前がいままで見ていたのは、伊賀者の名簿らしかった。
「内密の御用を申しつける」
「はっ」
「いうまでもないが、十蔵、これは大秘事じゃ」
「心得ております」
「また御用を承った上は、いかようなことがあっても辞退はならぬ」
「覚悟のうえでござりまする」
ようやく十蔵はおのれをとりもどした。ひそかな恐怖はあったが、外見は彼らしく従容《しようよう》たる態度を見せていた。
「拙者、いのちをかけて、どのような遠国へでも」
「遠国ではない」
と、筑前はいった。
「比丘尼《びくに》屋敷じゃ」
「――は?」
「そちは、桜田の御用屋敷に忍び込めるか?」
さすがの六波羅十蔵も、息をのんだまま、言葉も出なかった。比丘尼屋敷、いかにもそれは遠国ではない。この江戸城桜田門の前にあるが、これはふつうの人間の立ち入るべき場所ではないことはいうまでもない。前将軍の御愛妾《ごあいしよう》のおすまいである。しかし十蔵は、その目的の場所の名より、そこへ御用を申しつけるという筑前守の心事を疑った。正直なところ、この御老中は狂気なされたのではないかと思ったのである。
しゃっくりのようにいった。
「桜田の御用屋敷へ……いかなる御用で」
「そちの忍法|届出《とどけいで》には、およそ身籠《みごも》りたる女人は、まちがいなくその懐胎を水にするとある」
「いかにも左様《さよう》に届けてござります。しかし御老中さま、ま、まさか……その忍法を御用屋敷に使えと仰せなさるのでは」
「御用屋敷には、ただいま御懐妊の前|御中臈《ごちゆうろう》が四人おわす」
筑前はいった。
「その四人のお方の御懐胎を水になし参らせたいのじゃ」
両腕をつき、筑前守を見あげたまま、六波羅十蔵は満面|蒼白《そうはく》になっていた。まさに天魔の命令としか、譬《たと》えようがない。その驚倒すべき命令の意味を、
「きけ、十蔵」
と、筑前は息もみださず、じゅんじゅんと説くがごとくにいう。
「そちも知るように、上様にはすでに徳松《とくまつ》さまと申す若君がおわす。しかるにここに御先代厳有院さまの若君がおひとり、おふたり……事によっては四人も御出生あそばして見よ、六代さまはどなたさまであるべきか。そのことを酒井大老も仰せられたのじゃが、大老の申さるることにも一理はある。また左様なことにはかならず一言ある水戸光圀卿と申すお方もある。当上様は、もとより徳松|君《ぎみ》がお世継ぎとおなりあそばすことを望んでおわそう。……かくて諸議諸説ふんぷんとして、或いは将来天下大乱のもとと相成らぬとは断じがたい」
「…………」
「もったいなきことながら、御用屋敷におわす四人のおん方のおん胤《たね》は、いまひそかに水となし参らせた方が、徳川家のためじゃ」
――堀田筑前守のいうことはわかったが、わかればいよいよ全身に震慄《しんりつ》を禁じ得ないたくらみであった。
そして、筑前守のたくらみとはべつに、或る感情から、十蔵の頭はしびれ、混乱し、ひたいからはあぶら汗がしたたった。
桜田の御用屋敷に暮す四人の御愛妾がもし御出産なされたら、それは十中八、九までじぶんの子である。それについての恐怖はあれ以来夢魔のように彼をおびやかしていたが、いざそれを流せといわれると、彼の全身には何とも名状しがたい虚《むな》しさがひろがった。それは精魂《せいこん》をこめて作りあげたものを、みずからの手でまた無にかえしてしまうという悲哀感であった。
蒼《あお》ざめている十蔵をきっと見て、のしかかるように、
「天下のためだ!」
と、筑前守はいった。
将軍が死ぬと、その側室たちは、それぞれ御位牌《おいはい》を頂戴《ちようだい》し、桜田の御用屋敷に入れられる。
むろん、終世|上臈《じようろう》年寄格の地位と御遺金《おのこしがね》を賜わるのだが、決して実家《さと》にかえるとか、いわんや再婚するとかなどということはゆるされず、まるで黄金の格子《こうし》にかこまれた鳥のような一生を終えなければならぬ。世人呼んで、比丘尼屋敷というのもむべなるかなである。
その黄金の格子を通りぬけて、忍者六波羅十蔵は忍びこんだ。お瑠璃の方の部屋であった。
彼は、隅《すみ》の絢爛《けんらん》たる裲襠《かいどり》のかけられた屏風《びようぶ》のかげに坐った。
しとしとと雨のふる六月の深夜である。――雪洞《ぼんぼり》も雨にけぶっているような灯の中に、お瑠璃の方はスヤスヤと眠っていた。
屏風のかげに坐った十蔵は眼をとじて、端然として――しかし、どこか悲哀の翳《かげ》があった。それは二、三ヵ月前の悪戦苦闘の疲労がまだぬけきれないせいでもあった。実際彼は、あの大事をなしとげて以来、ずっと床についていて、妻のお路といちども合歓のことを行う気力をすら喪《うしな》っていたのである。
彼は腹をふくらませた。またくぼませた。胃はしだいに西洋|梨《なし》みたいな――子宮のかたちに変った。それを律動《りつどう》させることにより、懐胎した女人の子宮に陣痛を起し、一指もふれずに流産させるのが、彼の編み出した忍法「肉太鼓」の一つであった。
「……来ましたね」
声がきこえた。
「見なくてもわかります。匂《にお》いでわかります。比丘尼屋敷に男がひとりでも入ってきたらわかります。いいえ、匂いがなくてもわかります。あのときの男ですね」
お瑠璃の方は眼をとじていった。――十蔵は息をのみ、肉太鼓を打つのを忘れてしまった。
「あれ以来、わたしはおまえを忘れはせぬ。生まれてはじめて知ったあの法悦を忘れてなろうか。……おまえはきっとくる、もういちどきっとわたしのところへやってくる。わたしはそう信じていままで待っていたのです」
お瑠璃の方は夢みるようにいった。
「なぜなら、ここにおまえの子供が生きていますもの。おいで、来て、わたしのおなかにさわって見ておくれ」
彼女は白い腕をのばしてさしまねいた。
さしまねかれたゆえではなく、十蔵は判断力を失い、見えない糸にひかれるように這《は》い出した。うめくようにいった。
「御存じでござりましたか」
「おまえがだれか、わたしは知らぬ。おぼろげながら、その素性も目的もわからないでもないが、わかりとうはない。知らずともよい。ただわたしは、おまえという男が来てくれさえすればよい」
お瑠璃の方は、はじめて眼を見ひらいた。これも雨にけぶるような眼であった。
六波羅十蔵はがばとひれ伏した。
「恐れ入ってござりまする」
それから、悲痛な声でいった。
「ふたたび拙者参上仕りましたは……よんどころなき儀にて、おん胤《たね》を水になし参らせんがためでござる」
「よんどころない儀とはえ?」
「天下のためでござる!」
お瑠璃の方の唇に、淡い微笑が浮かんだ。そしてつぶやいた。
「いやです。わたしはおまえの子供を生みたい」
十蔵は愕然《がくぜん》として顔をあげた。しばらく口をあけて、重病人みたいに息をはいていたが、
「それはなりませぬ。もし若君御出生あそばさば……かえって、若君のおんためにも、あなたさまのおんためにも、おんわずらいのもとに相成りましょう」
うわごとのようにくりかえした。
「徳川家のためでござる。……徳川家のためでござる。……」
「わかりました」
と、お瑠璃の方はうなずいた。
「おまえのいうことをききましょう。けれど、いまはいや、今夜はいやなのです」
「――では、いつ?」
「わたしが、いいという日まで」
白い手がのびて、十蔵の袖《そで》をつかんでいるのを知らず、しずかにひかれただけなのに、放心状態の彼は、がくんと前にのめった。おちてきた彼の顔を、女の顔が受けた。
「おまえ、いつかのような目に合わせておくれ。そうでないと、わたしはいつまでも、おまえのいうことはきかぬぞえ、喃《のう》、忍者」
十蔵は完全にうちのめされた。
十蔵は蛇《へび》のような女体に巻かれてしまった。
いつかのように受身のお瑠璃の方とは別の女人のようであった。彼は下半身を摩擦され、汗がにじみ出し、びっしょりとぬれつくし、はては波濤《はとう》のようなうねりの中に蕩揺《とうよう》した。彼の内部で何かが充血し、何かが肥厚し、何かが海綿状になり、何かが粘液にあふれた。そこにあるのはただ精妙きわまる物理的な刺戟《しげき》に反応する筋肉と粘膜と血液の分泌腺《ぶんぴつせん》があるだけであった。
――一刻ののち、六波羅十蔵は、蝙蝠《こうもり》みたいに夜の長廊下を歩いていた。一刻のあいだに、彼は糸のようにおとろえはてていた。
それでも彼は歩いてゆく。二人目のお国の方の部屋へ。
そっくり同じ運命が、そこで彼を待っていた。
三人目のお梶の方、四人目のお宮の方の部屋を訪れ、ようやく解放されて、夜明前の桜田の御用屋敷を逃げてゆく六波羅十蔵は、三半規管どころか、全身の神経系統が破壊されたようであった。
それでも彼は、その翌夜、また御用屋敷にやって来た。じぶんの願いをきいてもらうためには、彼女たちの願いをきいてやらなければならなかった。
三日目も、四日目も。――いや、十日目も、十五日目も。
伊賀者の受けた御用の秘命は、死すとも果たさねばならぬ。
歯をくいしばってうめきつつ、夜の比丘尼屋敷を這いまわる忍者六波羅十蔵の姿は、すでに生きながら亡者《もうじや》であった。
四人の御愛妾がようやく流産してくれたのは、一《ひ》ト月ののちである。
三日後に、六波羅十蔵も死んだ。四谷の組屋敷でいつのまにか冷たくなって、枯葉《かれは》のように死んでいるのを、朝になって女房のお路が発見したのである。
子がなかったので、六波羅家は断絶となった。
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忍法|阿呆宮《あほうきゆう》
――雨の中に篝火《かがりび》がぱちぱちと燃えている。
そのしぶきと火光を受けて、三人の坊主が大地に釘《くぎ》づけになっていた。べつに衣を着ているわけでなく、道服のようなものを着て、どうやら医者らしい姿であった。
それが三人とも、この雨の中に朱にひたったようだ。一人は歯がなく、その歯はばらばらに顔のそばに落ちているし、一人は鼻を削《そ》がれているし、もう一人の片方の眼球は飛び出しているし。――
「やい、まだ白状せぬか」
「かかる目に逢《あ》って、一言の口もきかぬということが、うぬらの素性のただものではないことを白状しているようなものではないか」
まわりをとりかこんだ七つ八つの影が口々にいった。これだけの責め問いをして、しかもいずれの声もきわめて冷静なのがかえって恐ろしかった。
「不敵といおうか無謀といおうか、京の典薬頭《てんやくのかみ》の供に化《ば》けてこの名古屋城に入りこみ、殿の御病状をうかがおうとするとは。――」
「それほどわが殿の御安否が気にかかる向き、うぬらが白状せずとも見当はついておるわ」
三人が近づいて、坊主の三つの顔を土足で踏みにじった。坊主はうめき声すら立てない。気絶しているのではない。その証拠に、苦悶《くもん》のあまり反射的に胴がうねる。――しかし、それ以上にからだは動かない。大の字になった四肢《しし》の手くびは、三十センチもある錐《きり》で大地へ刺しとめられているのだ。
金《きん》の鯱《しやち》の闇天《あんてん》にそびえる名古屋城の奥庭の一|劃《かく》。ここに先ごろから病|篤《あつ》しと伝えられる尾張大納言吉道《おわりだいなごんよしみち》――奥医師の匙《さじ》も及ばずと、急ぎ京から典薬頭|半井大仙院《なからいだいせんいん》を呼んだ。ここ数日、大仙院はその枕頭《ちんとう》につきっきりだが、供待《ともまち》部屋に待っているこの三人の弟子医者をただものでないと見破ったこの尾張藩の武士たちもただものではない。
あとになって調べて見ると、ほんものの弟子は毒殺され、裸にされて天井裏に放り込まれていたが、その衣服はもとより、驚くべきことに顔かたちまでそっくりに化けたこの偽《にせ》医者たちを怪しいと看破したのは何ゆえか、ときかれても、この侍《さむらい》たちはうす笑いして答えなかったが、知る人ぞ知る、これは尾張藩秘蔵の忍び組たるお土居下《どいした》組のめんめんであった。
この名古屋城には城主と彼らしか知らない、一つの抜け穴がある。万一落城の際、城の裏の秘密階段から空濠《からぼり》の下をくぐって、北方の沼沢池をわたって木曾路《きそじ》へ落ちてゆく。――その秘密通路を守るべく、慶長《けいちよう》年代の築城の際から特別に編成されたのがお土居下組で、その末孫が尾張藩の忍び組に変貌《へんぼう》したのだ。
さて。――いま。
「白状せずともわかってはおるが、うぬらの素性推量がつくだけに、どうしてもその口から白状させたい」
お土居下組の一人がまた大地に磔《はりつけ》にされた偽医者たちに近づいた。
雨と篝火がなかったら見えなかったかも知れない。それが濡《ぬ》れて、赤くかがやいたから見えたのだが、彼が持っているのは細い長い一本の針であった。
「睾丸《こうがん》を出してくれ」
と同僚にいう。
いま頭を踏みにじった三人が、偽医者の衣服を切り裂き、その陰嚢《いんのう》をつかみ出した。
針を持った男は、しゃがみこんで一人の偽医者の陰嚢をまさぐり、その睾丸を片手でさぐりあてると、長い細い針を刺していった。徐々に、徐々に。――
「き、きいっ」
というような声を、その犠牲《ぎせい》者は発した。
「いう。は、白状つかまつる!」
「では、申せ」
「それは――」
と、その男が喘《あえ》ぎ出しかけたとき、お土居下組の眼前に真っ赤に灼《や》けたひかりがきらめき、白状しかけた男の首が胴から離れ、血しぶきが水平に奔騰《ほんとう》した。
赤い閃光《せんこう》は、そのまま走って、他の二人の偽医者の首をも切断し、宙天に弧をえがいて消えた。
「鎌《かま》だ!」
「鎖鎌だ!」
さしものお土居下組も混乱した。彼らの眼なればこそそれが鎖のついた鎌だということを見ぬいたが、しかしふつうの武術としての鎖鎌ではない。たしかに七、八メートルはあると見えた長い鎖だ。
その長い鎖の先につけた鎌で一挙に三人の人間の首をかき切るとは、そもいかなる手練のわざか。
「杉だ!」
「杉の梢《こずえ》にべつのやつが潜んでおるぞ!」
お土居下組はその杉の下へ殺到した。一人の肩の上に一人が躍りあがり、その下枝に飛びつくと、刃をくわえたまま、そのまた上の枝に舞いあがる。
が、そのときはじめて高い杉の木の上で、魔風のような音が起っていた。それは隣の杉の木へ移った。と見るまに、ざ、ざ、ざあっと波のひくように音は濠の方へ遠ざかっていった。
――正徳《しようとく》元年の夏の話。
水戸城大奥に奉公する腰元の如月《きさらぎ》という娘がつかまった。
いや、だれしも美しい娘だと思っていたのに、城下で刀|鍛冶《かじ》をしている兄のところへ宿下りして、その兄と口づけしているところを偶然他人に見られたことから怪しまれ、両人ともに逮捕《たいほ》されたのである。
刀鍛冶|宗友《むねとも》と称するその男は、
「……かくしごとして恐れ入りまするが、実は夫婦でござる」
といっただけで、「しからば女房を奥向きに奉公させた理由はいかに」ときかれても、口をつぐんで返答しなかった。
まことに迂闊《うかつ》なことだが、宗友を出入りさせていたのは国家老《くにがろう》の中山備後守《なかやまびんごのかみ》で、まんまと妹であるという宗友の言葉を信じ切って奥女中に推挙しただけに憤怒《ふんぬ》した。いまさら思いあたったことだが、この刀鍛冶宗友は水戸の人間ではなく、二年ばかり前からどこからともなくやって来た人間であった。
「生国はどこじゃ」
「そも何しに水戸へ来たか」
「女房を城へあげたのも、すべて計略の上であろう。何の異図《いと》あって左様《さよう》に大《だい》それたことをした?」
水戸侍たちが鞭《むち》をふるって訊問《じんもん》しても、両人とも眼をふさいだまま、死を決した表情であった。
それが水戸侍たちに、かえってただでは成敗《せいばい》出来ぬほどの恐怖心を与えた。
「よし」
水戸城大奥の総監督|松《まつ》ケ枝《え》という老女がいった。
「このものの素性も見破れず召使うておったわたしたちにも責任がある。どのようなことがあっても白状させてやろう」
そして松ケ枝がほかの老女と相談して考え出した拷問《ごうもん》は、世にも怪奇で、そして身の毛もよだつものであった。
城内の一室で、侍や侍女たち環視のうちに、この夫婦を全裸体にして、眼かくしして、座敷じゅうばらまいた豆を拾わせる。一定時間にたくさん拾った方を勝ちとし、少ない方はその数だけ、宗友ならば女と、如月ならば男と、眼前で交合させるというのだ。
「どうじゃ?」
二人は、ふるえながら黙っていた。
それがいっそうみなのにくしみを買い、この恐るべきアイデアは実行された。
負けた方が殺されるというのなら、ふつうならば両者が狂気のごとく豆拾いを競い、或《ある》いは相手の命を助けるために、自分の豆拾いを故意に制限するだろう。しかしこの場合、負ければ凌《りよう》 辱《じよく》される姿を相手に見せなければならず、勝てば凌辱される相手の姿を見なければならぬのだ。
多くの豆を拾うべきか、少なく拾うべきか。――ただ殺されるとか、ただ凌辱されるとかいうよりも、この秤《はかり》そのものが二人にとって凄《すさま》じい拷問であった。
そもそも、それ以前に、衆人環視の中でまるはだかになって、眼かくしされて豆を拾う姿というものが大拷問である。
「拾え」
と松ケ枝がいった。
「それ、如月は三粒拾うたぞ、宗友、女房の前で、ほかの女と交合するかや? お、宗友は五粒拾った。如月、おまえ夫の前でほかの男に犯されるのを見せたいかや?」
「も、申しあげます!」
と、如月はとうとう這《は》いつくばってしまった。宗友もどうと坐って両手をつき、
「わ、われわれの素性は。――」
と、しぼり出すようにいった。
「おお、何じゃ?」
「それは。――」
といったとき、二人の男女は名状しがたい絶叫をあげて立ちあがろうとして立てず、倒れようとして倒れず、実に奇怪きわまる姿態をうねらせたが、そのままぶるぶると身をふるわせて死相に変っていった。
しかし、二人は、鮮血の散ったたたみに倒れない。
侍たちは抜刀して駈《か》け寄った。二人のからだを――屍体《したい》をひきずり立てると、あとに恐ろしいものが残った。這いつくばった宗友と如月と――そのからだの方向に沿って、床の下から二条の刀身がななめにつき出していたのである。内腔《ないこう》をつらぬき、充分心臓にとどくばかりに。
――正徳元年秋の話。
「尾張の件。
浅利達《あさりたつ》右衛門《えもん》
北田猪七郎《きただいしちろう》
奈良坂周助《ならさかしゆうすけ》
水戸の件。
牧谷京馬《まきやけいま》
如月」
こう書いた紙片に、変色した斑点《はんてん》がしみついている。何だか血しぶきのように見える。これを眺《なが》めている中年の武士のくびすじに匂《にお》やかな息がかかった。
「父上さま」
「お、伽羅《きやら》か」
「源三郎《げんざぶろう》が、またそれだけ殺して来たのですか」
「しいっ、黙れ」
「源三郎はどこ?」
武士は、あごを隣りの唐紙《からかみ》にしゃくった。
いまその座敷に入って来た伽羅は気がつかなかったが、隣りからは人間のあえぎのような声がもれていた。一人ではない、数人の。
黙れといわれたときには意にも介した風でなかった娘も、この声には息をつめた。そのあえぎがむせぶ笛みたいになまめかしさを加えてくると、次第に頬《ほお》が紅潮して来た。
「何しに来た。ゆかぬか」
と、叱《しか》りつけられて、こんどは物をいわなかったが、伽羅は動かない。
江戸麹町《えどこうじまち》の宏壮《こうそう》な紀州《きしゆう》藩上屋敷の一劃。――お庭番首領|藪田助八《やぶたすけはち》の居所として与えられた建物の一室である。
「帰って来てすぐあんなことを!」
と、伽羅は眉《まゆ》をひそめてつぶやいた。
「怒るな。おまえが、来てはならぬといってあるところへ来たのじゃ。源三郎にとって、あれは渇《かわ》いたものが、渇き死《じに》しかけて水を飲むようなものだそうな」
「存じております。――それにしても」
「ゆけと申すに!」
伽羅は歯をくいしばっているが、立とうとはしない。隣りのもつれ合う声――あきらかに数人の女の声は次第に獣めいたものに変っていた。
伽羅はついに耳を両掌《りようて》でふさいでさけんだ。
「あれは人間ではありません。じぶんの朋輩《ほうばい》をたくさん殺して来て、帰って来てすぐ女と――」
「人間だから、あんなことをせずにはいられないのだ。常人にはやれぬことをやって来た男だ。大目に見てやれ」
「父上が源三郎をあんな恐ろしい男にお作りあげになったのです」
藪田助八は苦笑した。
もう五十にちかい、謹厳な、実直な側用人《そばようにん》みたいな顔をした男であった。だれが、これが後年満天下を戦慄《せんりつ》させた公儀お庭番の開祖と思うだろう。
「達右衛門、猪七郎、周助、京馬。……みんなよく知っているひとたちを!」
伽羅は眼をとじていった。
「如月。……なつかしや、どこへいったのだろうと思っていたら水戸へいっていたのですか。それがまあ、ふびんや味方の扇谷《おうぎや》源三郎に殺されて。――」
もつれ合う女の嬌声《きようせい》に、こんどははっきりと「うふう!」というような男の快美のうめきがふとく通ったのをきくと、われを忘れたように伽羅は立ちあがっていた。
「これ待て、伽羅、どこへゆく?」
あわてて藪田助八が手をさしのばしたが、伽羅はつかつかと歩いていって隣りの唐紙をひきあけた。
そこだけは雨戸をとじてあってうす暗い。その中に、しかし白い靄《もや》みたいにからまりあっていた一《ひと》| 塊《かたまり》がある。それが一人の男と五人の女の全裸の姿だと見てとり、しかも。――
「うふう!」
という例の男のうめきをまたきくと、伽羅はたまらず声をかけた。
「源三郎!」
唐紙をあけられてもまだ気がつかず、このときばたりと四|肢《し》を投げ出してうつ伏せになった男は、遠い呼び声をきいたもののごとく、ぼんやりとくびをうしろへねじむけて――そして、がばと起き直った。
いちど、ぐらりとゆらいだが、危く手をつかえて、
「お、伽羅さま、これはとんだところを」
と、いった。
「源三郎、そんなことをして心が休まるの?」
「は。――恥ずかしながら、これ以外には」
「朋輩を殺して来て。――」
「さればこそ。――」
しかし、恐縮し切った姿である。乱髪、やや頬がこけているが精悍《せいかん》無比の容貌《ようぼう》の持主である。背も高いようだが、まるで鋼鉄から出来ているような肉体であった。
「おまえに苦楽の感覚があるのがふしぎです」
と、伽羅はいった。そして、うしろから止めに来る父を見ると、
「そんな苦楽の感覚を断ち切ったら、もっと朋輩殺しという仕事がはかどるでしょうに!」
と、痛烈無比の皮肉を投げつけて、父のからだからすりぬけるようにして座敷を出ていった。
藪田助八の前に、よろよろと衣服をひきずりながら扇谷源三郎が現われた。
「いや、やられ申した」
と、悄然《しようぜん》として着物を着る。
「ゆるせ、源三郎。……伽羅め、わが娘でありながら、紀州藩の機密に携わるこの助八、及びお庭番のめんめんの苦労を知らぬ」
「あの方のお言葉は、何より拙者にはこたえます。……ほんとうにこの忍者目付役、もう交替いたしとうござる」
「待て、待ってくれ。そういわれてもこまる。あと一両年は勤めてくれ。おまえ以外にこの苦しい仕事をぶじやってのけるやつはおらぬ。気にすな。源三郎。おまえに殺された浅利らは、苦痛にまけて危く白状しかけた口を封じてくれたおまえに、必ず感謝して死んでいったに相違ない。――」
忍者目付役。――扇谷源三郎なるお庭番の仕事はそれであった。
紀州藩の密偵《みつてい》組織お庭番。――その活躍は近年目立っていちじるしい。しかも、なんのためか藪田助八は、同じ御三家たる尾張や水戸にまで配下を潜入させている。
それぞれに探索の目的があるのは当然として、そのお庭番をさらに見張り、督戦し、しかも万が一彼らが逃れられぬ運命におちいって、その素性を白状しかけたとき、その口を封ずるのが扇谷源三郎の任務なのであった。昔、映画などで、そんな場合、どこからか飛来した手裏剣《しゆりけん》でとどめを刺す、そんな場面がよくあったが、その殺し屋の役目が彼のものなのである。
ある期間を終えると源三郎は助八のもとへ報告に帰って来る。同時に「渇いた者が水をのむ」がごとく女体をむさぼる。それ以外に心の安らぎを得る法はないというのだ。助八は彼のために、そういう女をいつも数人用意していた。そして源三郎の異常なばかりの肉欲の強さに呆《あき》れながら、逆に――これほどのやつなら、なるほど、これのみを心の慰安とし、からだの休養とするのも当然かもしれない――と思いやった。
「源三郎、一両年ののち」
と、助八はささやいた。
「お前の役は御免としてやる。そのときは……伽羅をおまえにくれてやるぞ」
これは、いま弱音《よわね》をあげかけた源三郎を籠絡《ろうらく》するための巧辞ではなかった。助八は本心そのつもりでいる。扇谷源三郎以外に未来のお庭番組織を統《す》べる人間はいないと見込んでいる。
助八を見上げた源三郎の眼はかがやいた。その眼のひかりが感動にしても異様すぎると見ていると。――
「お頭《かしら》。――」
と、いった。
「いまの伽羅さまのお言葉」
「うむ。気にすな。気にしてくれるな」
「いえ苦楽の感を絶《た》ったら、さらに役目がはかどるだろうと。――あれは拙者の胸に矢のごとく立ちました。いや、痛みもさることながら、わざの上の暗示として」
「おお。――」
「まことに、朋輩を殺すたびにのた打ちまわって苦しむようでは、いまだ修行はるかに至りませぬ。またその朋輩どもが危く白状しかかったのも、からだと心の痛み、苦しみに負けたからでござる。苦楽を絶つ――忍者にとって、これ以上の名薬はないのではありますまいか?」
扇谷源三郎の眼は、新しい技術上の発見に歓喜して、ぎらぎらと妖《あや》しくひかった。
「拙者、これよりしてわが苦楽の感を断つ修行に心血をしぼり申す!」
その秋、扇谷源三郎は藪田助八に従って紀州に帰った。助八が、当時在国中であった主君|中納言吉宗《ちゆうなごんよしむね》に呼ばれたからである。娘の伽羅《きやら》もむろんいっしょであった。
助八としては、いささか神経衰弱気味の源三郎をしばらく休養させる気持もあり、また先日の伽羅と源三郎のやりとりから、将来のことをおもんぱかって両人を近づける意図もあっての同行《どうぎよう》三人旅であったのだが、こんなことははじめてだけに源三郎のうれしがりようはひとしおであった。
ふだんむっつりとして、精悍というより凄惨《せいさん》の相貌《そうぼう》を持っている源三郎で、伽羅などはべつに気がつかなかったようだが、幼いころからの源三郎をよく知っている助八には、彼のただならぬ歓喜ぶりがよくわかるのである。この男は、これほどまでに伽羅を好いているのか、と心中驚くほどで、源三郎を将来伽羅の婿にしようというのはまったくべつの見地からだが、何かのはずみでもしほかの男を対象にしていたならば、伽羅もこのわしも無事にはすまなかったかも知れぬ、と改めて助八はぞっとしたくらいである。
それとは知らず、伽羅は道中、べつのことで源三郎の変った行状に眼を見張った。宿屋、茶屋などで食事をするたびに彼が必ず酢《す》を求めて飯にも汁《しる》にもかけて食うのだ。
「おまえ、そんな変なくせ、前からあったの?」
と、最初にきいたとき、彼は大いに狼狽《ろうばい》して、
「いえ、このごろばかに酢が好きになったので」
「まさか、あかん坊が出来たのではないでしょうね」
伽羅には珍らしい冗談をいう。
これに対して源三郎は笑いもせず、「へっ」と、いかにも恥ずかしげに、少年みたいに頬《ほお》をあからめた。五人の女を相手に獅子奮迅《ししふんじん》の働きをしていた男とは思われない。
そのときは何もいわなかった助八は、あとになって源三郎にきいた。
「源三郎、あの酢は修行に関係のあることか」
「は」
源三郎は粛然《しゆくぜん》として答えた。
「食《しよく》の快《かい》を消さんがためでござりまする」
「――おまえ、本気であれをやろうと思っているのか」
源三郎は、まさに本気であった。
道中、伽羅がそばにいないとき、見えないところで源三郎の――「うふう」という妙なうめき声がときどき聞えるのを助八はいぶかしんでいたが、伊勢《いせ》から紀州へ入る川俣《かわまた》街道で、やっとその奇声の正体を目撃した。
彼はおのれの男根を荒縄《あらなわ》で擦っていたのである。
「ばか、何をしておる」
「あ。――」
源三郎は驚いて顔をあげ、しかしこのときは赤面もせずに答えた。
「色の快を減らさんがためにやっております」
「痛うはないか」
「このごろようやく血が出ぬようになりました」
源三郎はささくれ立ったようなおのれの巨大なものを見下ろして、
「いずれ、足の裏の皮と同様になるでござろう。……この道、あまりにその快耐えがとうござれば、いささかにても鈍麻《どんま》いたさせんと」
と、いった。助八は呆れ顔で、
「将来、おまえの女房になる女は」
と、つぶやいたが、それっきり黙ってしまった。この男の女房になるのは自分の娘のはずだ、ということを思い出したのである。
紀州に帰ってからも源三郎は苦楽|遮断《しやだん》、或《ある》いは苦楽鈍麻の修行をつづけているらしかった。
釜《かま》ゆでになるのではないかと思われるほど釜の湯に長いあいだ入っていたり、雪中、一夜坐っていたり――忍者の修行としても度を超えている。
「きゃつ。――」
と、それとなく見ていて、助八は苦笑した。
「わしが言い出したら、あれほど熱中したか喃《のう》?」
いちど源三郎がやって来て、ひどくまじめな顔で質問したことがある。
「例の苦楽の件ですが、手当り次第ばらばらに楽を断つ修行、苦を断つ修行をしていても、どうも一つ筋金が入りませぬ。何か根本的な原理が欲しいのですが、そもそも人間にとって、苦楽とは何でござろう?」
つい、つりこまれて、お庭番の首領も哲学的な思案顔をした。
「ふうむ。それはじゃな、要するに楽とはおのれの愛するものを得ることであり、苦とはおのれの愛するものを奪われることではないかな」
「へへえ?」
「たとえば、腹がへって何かを食うのは快楽じゃ。それはその食い物が胃袋にとって愛すべきものだからじゃよ。男女の交わりは快楽じゃ。それはおのれの愛する子を得んがための行為だからじゃ」
藪田助八の哲学は何だかあやしい。
「おのれの愛するもの、おのれ自身にしくはない。だからおのれのいのち、おのれの値打ちを奪われる傾向のあるものは苦じゃ。斬《き》られて痛いのもそのため、扶持《ふち》を減らされてくやしいのもそのため。女のやきもちさえも、自分の値打ちが相手の女よりも低く値踏みされたという苦痛から発しておる。……」
「ははあ、おのれの愛するものを奪われることが苦」
扇谷源三郎は大まじめであった。いささか感服したていでもある。
「おれの愛しているものが、ござるかな?」
と、首をひねる。ややあって、
「兵六《ひようろく》かな」
と、つぶやいた。
兵六は、和歌山に住んでいる彼の姉の一人息子で、ことし七つになる。――こんど久しぶりに逢《あ》った源三郎は、一見|凄《すさま》じい面《つら》だましいにも似ず、ひどくこの少年を愛して、ひまさえあれば兵六とつきあっていた。
そのつきあいのあいだも、例の修行は忘れぬと見えて、彼がこの少年に木剣を持たせ、自分は無抵抗で、めった打ちに打たせているという噂《うわさ》を助八はきいたことがある。
「では、なるべくおのれの愛するものを断つように努め、おのれの愛するものを奪われることをいとわぬように努めましょう」
と、彼はうなずき、しかしわかったようなわからないような顔で帰っていった。
まもなくこの兵六に関して一大悲劇が惹起《じやつき》した。
いや、もう一人の「彼の愛するもの」伽羅こそその原因であったのだが。――
年が過ぎて、翌正徳二年春のことだが、藪田助八の一族で藪田|助《すけ》右衛門《えもん》という男が白浜《しらはま》に住んでいた。そこに伽羅が兵六をつれて遊びにいっているうちに、突如この助右衛門が伽羅を監禁したのである。
監禁というより、一室に伽羅がとじこもってしまったのだ。騒動のもとは助右衛門が彼女を手籠《てご》めにしようとしたことで、遠縁のこの男のこのような欲望をまったく知らなかった伽羅は驚き、猛烈に抵抗し、一室に籠《こも》って、和歌山に帰さぬ以上はここを出ぬ、もし助右衛門が近づけば舌をかんで死ぬといい張った。これに対して助右衛門はこうなっては伽羅の父助八と喧嘩《けんか》をしても、伽羅がいうことをきかぬうちは一歩も出さぬと宣言した。
ここで問題になったのは、いちど病んだのを機会に、いまこそお庭番をやめてはいるが、藪田助右衛門は先年まで紀州お庭番中屈指の剣客であって、実はお庭番目付――源三郎の先輩にあたる役を勤めていたほどの人間だということであった。
「……そうまで助右衛門が想《おも》いをかけているならば?」
と、一族中にもとりなし顔で進言する者が出て来た。
藪田助八は厳然と顔を横にふった。そして扇谷源三郎を呼んだ。
「源三郎、ゆけ」
「その御下知《おんげぢ》、待ちかねており申した!」
と、源三郎はいった。騒動以来、彼はなお頬がこけて、やつれていた。彼がそれまで足踏みしていたのは、相手が首領の一族であるということと、へたに動けば伽羅のいのちにかかわるという懸念《けねん》以外の何物でもなかった。
「源三郎、助右衛門に勝てるか」
「わかりませぬ」
と、源三郎は率直にいった。
「しかし、伽羅さまだけはお救いいたす」
彼は白浜に急行した。
藪田助右衛門の屋敷につくと、彼は「甥《おい》の兵六をつれに来た」といった。騒動以来、八つの兵六はみんなから捨て子みたいになって、毎日泣きわめいていたのである。
「勝手につれてゆけ」
という返答に、彼は兵六を受取り、さてまたいった。
「兵六に、伽羅さまへお別れの挨拶《あいさつ》をいたさせたい」
そして、向うの家人が相談しているあいだに、彼は兵六を抱いて、伽羅が籠っているという離れの方へ庭づたいに入っていった。
離れの前には藪田助右衛門が仁王《におう》立ちになっていた。
「うぬか」
と、助右衛門はいった。
「ただで帰るやつではないと見ておったが――これ、近づくな、近づけば斬るぞ。近来何かと腕をあげたそうだが、若僧、まだこの助右衛門に刃《は》の立つ道理がない。そこでお辞儀をして帰れ」
扇谷源三郎はなぜか涙をながしながら、しかし平気で近づいた。狂的な助右衛門の眼が赤く燃えた。
「死ぬか、源三郎!」
その魔剣がひらめくのと、源三郎が相手に向って兵六をたたきつけるのが同時であった。少年のからだは二つになって地に落ちた。
その血しぶきの中を、扇谷源三郎は鴉《からす》のごとく飛んでいた。その一刀は、真っ向から藪田助右衛門を唐竹割《からたけわ》りにしてしまった。
源三郎を追ってそこまで来ていた家人たちも、源三郎のあまりに法外なこの兵法と、思いがけない勝負の結果に唖然《あぜん》となり、やがて伽羅を助け出してひきあげてゆく源三郎を制止する者もなかった。
この事件はこういうかたちで落着《らくちやく》した。
とにかくおのれの甥を犠牲《ぎせい》にして首領の娘を助けたことだから、表面的には、
「……凄《すご》いやつだ、あの源三郎は」
「忍者としてはかくあるべきこと。――」
と、讃嘆《さんたん》する声も聞えないではなかったが、裏面では、やはり、
「忍者は非情なるべし、といっても限度がある。あれは、人間ではない」
と、非難する者の方が多かった。とくに、事件後、源三郎が得意顔をしないのはいいとして、べつに煩悶《はんもん》するようすもなく、何だか鈍感な顔をしているのが人々のにくしみをさそった。
藪田助八だけが彼に対して、心からなる遺憾の意を表した。
「源三郎、すまぬ。申しわけない」
「いえ。……」
源三郎はあいまいな表情をしている。助八だけに看取されたのだが、その瞳孔《どうこう》の中心に一点|烈《はげ》しい哀《かな》しみの光があった。針でつっ突くと、ビューッと涙がほとばしりそうな。――
「兵六を……ふびんなことをしたの」
そういった助八のひざに、突然、源三郎は、つっ伏さんばかりにして慟哭《どうこく》しはじめた。それは獣のような号叫《ごうきよう》であった。助八は彼の泣きやむのを待った。
「おまえ、伽羅を救うためでのうても、兵六をいけにえとしたか」
「――は?」
すると、源三郎はきょとんとした眼つきをした。
「いえ、あれは修行のつもりで」
「なんの修行」
「愛するものを失うという――苦に耐える修行。その好機だと存じ。――」
助八は、はじめてぞっとした。
「そしていま、人々から非難の眼をそそがれる苦にも耐えております」
しかし、扇谷源三郎の顔に、はじめて動揺の波がわたりはじめた。彼はつぶやいた。
「さ、そう申されると……対象が伽羅さまでなかったら、拙者どういたしたかなあ?」
伽羅を救うために、甥の兵六を犠牲にするということは、源三郎の最初からの計算ではない。はじめ彼は、伽羅を救うために、ひたすら真一文字に藪田助右衛門に馳《は》せ向うつもりであった。ただ兵六を見たとたん、これは敵を油断させるに恰好《かつこう》の道具になるな、とちらっと考え、本来なら、いやそれはあまりに無惨《むざん》だ、と反省して思い捨てるべき着想が、次に、
――これぞ例の修行の好機!
という観念のどよめきに吹き飛ばされてしまったのだ。
あの場合、じぶんの行為は、救うべき対象が伽羅さまであろうとなかろうとそれに関しない、と思っていたが――しかし、そういわれて、よく考えて見ると、あれはやはり対象が伽羅であったればこそではないか? ほかの人間であったら、果してじぶんがあんなことをしたろうか?
して見ると、じぶんは愛するものを奪われる苦痛に耐えられぬために、愛するものを失う苦痛を忍《しの》んだことになる。――
源三郎の心に深刻な煩悶が起り出した。伽羅は彼にとって愛するもの以上の存在であった。しかしそれを失わないために、べつのものを失うことを辞さなかったのなら、これは修行にならんのではないか?
こんな源三郎の煩悶は知らず――兵六の母、すなわち源三郎の姉なる人が、以後源三郎の出入りを禁じたという話をきくに及んで、藪田助八はこれ以上源三郎を和歌山においてはおけぬと感じた。たまたま主君の吉宗が江戸へ参勤することになったのは倖《さいわ》いであった。
その春、彼らは主君に従ってまた江戸へ旅立った。伽羅もいっしょだ。
伽羅もまた苦しんでいるようであった。自分が救われるために、いたいけな幼童を犠牲にした。伽羅は源三郎に感謝すべきか否か、途方にくれているようであった。あれ以来、彼女は源三郎にひとことの言葉もかけなかった。何といっていいか、じぶんでもわからないように見えた。
江戸への道中も、伽羅は源三郎にそっぽをむいていた。よそよそしい彼女にとりつくしまもなく、遠くから見る扇谷源三郎の眼は、哀れな犬のように見えた。
「……はて、これは困ったことになったわい」
藪田助八も新しい困惑をおぼえた。源三郎へ義理は出来たし、伽羅の心情もわかるし、さて両人、未来どうしたらよいのだ。
「それにしても、源三郎め、妙な修行をやり出したものじゃなあ。……」
伽羅《きやら》の身の上について、思いがけない変化が起って、ことは妙な解決をもたらした。
その夏、将軍|家宣《いえのぶ》の麹町の紀州邸へのお成りがあって、たまたま給仕に出た伽羅に、将軍の眼がとまったのである。伽羅は、可笑《おか》しくも悲しくもない顔をした父の娘にも似合わず、抜群の美貌《びぼう》の持主であった。
まもなく城から「伽羅なる娘を大奥へさし出すように」という内示があった。
六代将軍家宣は、徳川十五代中切っての文化人的将軍であるが、同時に甚《はなは》だ女好きであった。
「……また旗本の妻お城へ上りしをおとどめ、おん手をつけさせ給う。この男自害して死にたり。いま一人の者の妻もまたかくのごとし」
と、「文廟外記」という書にあるほどである。
拒否はゆるされなかった。吉宗は、助八に右の内示を伝えた。
助八からこのことをきいた伽羅は、じっと考えていたが、やがて助八にいった。
「源三郎を呼んで下さい」
助八は不安な表情をした。伽羅はしずかにいった。
「あのひとにいっておきたいことがあるのです」
源三郎が来た。まず助八から右の将軍の命令を伝えられて、むろん源三郎は雷《らい》に打たれたような顔をした。
それから、その全身にみなぎり出した殺気のようなものに、助八がはっとしたとき。――
「源三郎」
と、臆《おく》したふうもなく――万感にみちた眼を投げて、伽羅がいった。
「わたしはおまえのために大奥へゆきます」
「え?」
「ほんとうはいやです。むろん、おことわりなどすれば殿さまに御迷惑をおかけすることになりますけれど……ほんとうは伽羅は死んでしまいたいほど。けれど、万一それがゆるされて、わたしがこのまま残っているとすれば、わたしはいつかおまえの妻にならなければならないでしょう……」
彼女はちらっと父親の方を見た。
「それがいやだったのです。いえ、おまえがいやだというのではありません。ほんとうは、伽羅はおまえが好きでした。好きだからこそ、おまえがほかの女とどうかしたり、朋輩を殺したりすることがつらかったのです。けれど、それはしかたのないことだとしましょう。ただ、この春の事件――甥の兵六を殺してわたしを助けてくれた事件以来、わたしはおまえに身ぶるいするようになりました。わたしが助けてもらったのだから、そんなことをいえた義理ではないけれど、子供まで殺してじぶんを助けてくれた男の妻になる、ということが、どうしてもわたしには耐えられないのです。おまえもつらいのではありませんか?」
助八は、源三郎の眼に、つらい、というより憎悪の光を見た。
「そこへ、この御命令です。出世しようという気はありません。ただわたしは、おまえから逃れるために……おまえとの運命を逃れるために大奥へ上ろうと思います。源三郎、伽羅は天へいったと思って下さい。わたしのいいたいことはそれだけです」
そして、気丈なこの娘は、途中から涙をながしながら、顔を覆って座敷を出ていった。
源三郎はそこに、木彫りの人形みたいにいつまでも坐っていた。助八は去りかねた。
「源三郎、いつぞやの約束、水になり、すまぬ上にも相すまぬことになったが、ほかならぬあたりよりの御上意、余儀なき次第とあきらめてくれい」
源三郎は、依然として折れんばかりに首を垂れたままであった。
「さぞや、腹立つであろうが。……」
「お頭《かしら》」
源三郎は顔をあげた。その眼には灰色の雲がかかっているようであった。
「おれは苦に耐える修行、ようやくものになり出したようでござる。……」
「さ、そういわれると、わしはいよいよつらい。――実はまた忍者目付の旅に出てもらおうと思っておったが、それはとりやめる。当分、江戸におって、いかなるうさばらしでもして暮しておってくれい」
「いや、その御用ならば参ります」
と、源三郎はうめくようにいった。
「そのお役目果たさずして、何のための修行でござろうぞ!」
それ以来の扇谷源三郎の忍者目付の働きは、藪田助八も戦慄《せんりつ》するほどであった。それぞれ然《しか》るべき理由があって、とがめる筋はないのだが、苦楽を断った源三郎にとって、味方の忍者を殺す快《かい》だけは残存しているように見えた。
その証拠に、以前のように、帰還しても女体によって荒廃した心をいやすということを、あまり彼は要求しないようになった。朋輩を殺すことに、あまり苦痛を感じなくなったようである。
伽羅が将軍お手付の御中臈《ごちゆうろう》になったと伝えられたのは、彼女が大奥に上ってまもなくのことであった。
思いがけない大変事のまた起ったのは、その秋のことだ。
こんどは伽羅が大奥へ召されるというような個人的な変事ではない。――将軍家宣が突然他界したのである。もっとも彼は、多淫《たいん》のくせに多病でもあった。
「三王外記」にいう。――
「惜しいかな、身、閨房《けいぼう》を遠ざけず、精元を削喪《さくそう》してたちまち天年《てんねん》を損《そこな》う。漢の成帝《せいてい》に似たるあり」
正徳二年十月十四日のことである。五十一歳。
その子|家継《いえつぐ》が七代将軍をついだ。わずかに四歳である。
側用人《そばようにん》がそれを補佐する、というたてまえになったが、補佐するにも何にも、なにしろ四歳の将軍である。
だれの眼にも天下がこのままつづくものとは見えなかった。
家継が将軍の地位にあったのは――つまりこの世にあったのは、わずかに満三年半。すなわち正徳六年四月、八歳にして彼は死ぬのだが、そのあいだにも世の乱れを思わせる事件は続出している。
もっとも世人を聳動《しようどう》させた事件は、江戸城の外からよりも内から発した。いわゆる絵島生島《えじまいくしま》の騒動である。
すなわち正徳四年大奥の老女――といってもこれは役名で、実際は三十を過ぎたばかりの美女であったという――絵島なるものが、市井《しせい》の役者生島|新五郎《しんごろう》と密通し、あげくの果ては新五郎を長持にかくして大奥へ運びこんだという事件だ。
将軍補佐役の側用人|間部越前守詮房《まなべえちぜんのかみあきふさ》が家継の生母|月光院《げつこういん》と通じていたという噂《うわさ》さえあり、真偽は不明として、この期間の大奥の乱脈は想像するに足りる。
「源三郎」
藪田助八が扇谷源三郎を呼んだのは、正徳六年の早春の日の暮れ方であった。
「御用がある」
どんな重大事でも、淡々として無表情に命じる助八だが、この夕《ゆうべ》ばかりは曾《かつ》て見られなかったほどの凄壮《せいそう》な顔色であった。――これに対して、お辞儀してあげた源三郎の顔は依然として――というよりも、いよいよ鈍重の霧をふかくまつわらせたものであった。
「大奥へ忍び入ってくれ」
と、助八はささやいた。
「大奥へ?」
さすがに源三郎の表情も動いたようだ。
「何をしに?」
「そこの女性《によしよう》たちを犯しに」
「――えっ」
ついに源三郎はこのごろ珍らしい――ただならぬ声を発した。
「大奥の女性を犯して何にいたす?」
「身籠《みごも》らせるのじゃ」
「――何のために?」
「その時が来た。その時が近づいた――と殿は仰せられる。その時のための準備じゃ」
と、助八はつぶやいた。
源三郎にはわからない。いや、助八のいう――或《ある》いは主君の仰せられる「その時」の意味はわかる。ただ「その時」のための準備という意味がわからないのだ。
主君や助八のいう「その時」とは、吉宗が将軍にたつ時のことであった。
実に彼らお庭番は、ここ数年、その時のために働いてきた。六代将軍家宣在世のころから、その多病と荒淫《こういん》と、そしてまだ世子《せいし》が幼いために、将軍の地位に大変動が起るのは遠からざる将来だということはだれにも予測されていた。
はっきりいえば、ポスト家宣さらにはポスト家継の政局である。
幼将軍家継をなんぴとが後見して政治するか。
たとえいちじは側用人などがこれを勤めるにしても、とうてい天下が長くこれを認めるものとは思われない。だいいちその家継そのものがしょっちゅう病気ばかりしていて、だれが見てもぶじに成長しそうには思われない。
当然乗り出すのは御三家である。尾張、紀伊、水戸――この三家のうちのいずれかが、事態を収拾しなければならない時が、必ず来る。
しかし、そのうちのどの家が立つか。
格からいえば第一は尾州《びしゆう》である。御三家の祖のうち、尾州がいちばん兄であったからだ。が、血統からいえば紀伊吉宗がいちばん御神君に近い。吉宗は家康《いえやす》の曾孫《そうそん》にあたるが、他家の主はさらに代をかえているからだ。そして現在の主の年齢からいえば水戸がいちばんの年配者である。
当然、闇中《あんちゆう》の政争があった。御三家のみならず、それに対する諸大名の動向も気にかかる。
そしてもっとも強烈な野心家は紀伊吉宗であった。
彼は紀州藩お庭番を諸国に放《はな》って、その動向をさぐり、また紀伊に有利なように世論を誘導しようとはかった。――後年お庭番なるものは幕府専用の隠密《おんみつ》のごとき存在になったが、その創設者はこの八代将軍吉宗であって、彼は紀州藩時代の組織をもちこんだのだが、そもそも紀伊にそれを作ったのは、この政権抗争の目的からであった。
いま幼君家継があり、それを補佐するものが側用人間部越前となったということは、何よりも御三家の相互|牽制《けんせい》の結果であって、さらにはっきりいえば吉宗の濃厚な野心にみながあてられて警戒したせいであったといっていい。
が、いまや、「その時が近づいた」と吉宗がいったという。
してみると、機微は知らず、天性虚弱でまたこの冬|風邪《かぜ》をひいてからまだ寝ついたままの家継の余命いくばくもなしと見る徴候があったのか。そしてまたそのあとのことにつき、尾張、水戸、また幕府重職や諸藩の重だったものとのあいだに、すでに根まわしを終えたのか。
「――ただ、大奥のみが問題じゃ」
と、助八はいった。
「乱倫《らんりん》華美に狎《な》れた大奥のおんな衆は、わが殿が八代さまにおなりなされるをひどく恐れておいでなされる。この力が、ばかにならぬ」
彼は苦笑した。
しかし、眼は真剣である。
「恐れなさるのもあたりまえじゃ。わが殿は、八代さまにおなりなされればまず第一番に大奥を粛清しようとかたい御決意じゃもの。――」
「――で?」
と、源三郎が、ややせきこんだ調子でいう。
「さればこのときにあたって、いま八歳の御幼君しかおわさぬ大奥に、その女人が懐胎なされたという事実を作って見よ。――以後、大奥はもはや政権などのことについて口出しをする力を失う。また、将来殿が江戸城のおんあるじになられた際、大いなる粛清の理由ともなるであろうが」
「――や?」
はじめて腑《ふ》に落ちた。――しかし何たる恐るべき着想か。
「一見、はなはだたち[#「たち」に傍点]のよくない謀計のごとくに思われる。が、もともと大奥の乱倫は有名な事実じゃ。これは天誅《てんちゆう》のための手段、いや、天誅そのものと申してもよい」
「…………」
「しかも、決して事を大奥だけにて内密に処理など出来ぬ程度に――手当り次第に犯しまくり、孕《はら》ましまくれ」
「…………」
「じゃが、このこと紀州の意から出た、などいうことはゆめ人に知らせてならぬことはいうまでもない――事、判明すれば何もかもぶちこわし、どころか身の毛もよだつ破局となる」
「…………」
「この大役、同時に難役、相勤め得る者はわがお庭番多しといえども、おまえをおいて一人もない」
「…………」
「やるか、源三郎」
「は。――」
「いや、相談しておるのではない。やれ、源三郎。これは紀州藩の既定方針である」
「や――やりまする」
曾《かつ》ていかなる至難の任務でも拒否したことのない扇谷源三郎は、いつもと同様、大地に槌《つち》を落すような重い調子でうなずいた。
――が、ふっと首をかしげ、
「お頭」
と、妙な眼つきをした。
「江戸城大奥には」
「うむ」
「伽羅のお方さまがおわすが――」
「うむ、西の丸におるはずじゃ」
第三者から見ると、源三郎以上に妙な――妖《あや》しい、ともいえる眼つきを藪田助八はした。
「そのことよ――源三郎、伽羅も犯せ」
「……は?」
「一つには、天下のためになすわが罪のつぐないでもある。一つにはまた――おまえに対する罪のつぐないでもある」
非情の鉄人ともいえるこのお庭番首領の眼に、はじめて涙のようなものが浮かんだ。
「褒美《ほうび》とはいわぬ。罪のつぐないとして――源三郎、伽羅を思いのままに犯せ」
――本来ならば大奥は、将軍をのぞいては、いうまでもなく原則として男子禁制だ。原則として、というのは、諸所の門番とか、庭の掃除など、どうしても男がやらねばならぬ役があるからである。
しかし三千といわれる女ばかりの住む、文字通り「女の城」の中。それが、このころまでにすでに百年以上もの伝統を持っている。いかに妖異《ようい》な風習が醸《かも》し出され、いかに怪奇な事件が起ったか、考えようによっては或いは当然といえる。
将軍がお手付のお中臈《ちゆうろう》と同衾《どうきん》するとき、必ずほかの非番のお中臈もお添寝して、終夜の痴態喃語《ちたいなんご》を耳目に入れて、あとで一部始終を老女に報告するなどいう風習も、庶民の常識では想像もつかない。
女同士、独特の嫉妬《しつと》や寵《ちよう》 争《あらそ》いや或いは同性愛、私刑などあったにしろ、しかし将軍が存在しているころは、まだ規律があった。
いまその将軍が失《う》せて数年、大奥は完全にたるんだ。八歳の幼将軍は男性の範囲に入らない。
絵島事件でいちどしゅんとはしたものの、のどもと過ぎれば熱さを忘れる。いやその熱さにこそ女たちは渇《かわ》いている。――
「相身《あいみ》互いとは長局《ながつぼね》の言葉」
「羅切《らせつ》してまた下になる長局」
などの当時の川柳《せんりゆう》は同性愛をいったものだが、
「長局|牛角《うしづの》の勝負ばかりする」
「牛若《うしわか》と名づけて局《つぼね》秘蔵する」
などいう川柳は、張形《はりがた》使用の意味だ。張形の高級なものは牛の角《つの》の細工だったからである。
またこのころ、節分の豆まきの年男が――これも以前は、特別に老中《ろうじゆう》が参入して、古式通りにまじめくさって豆まき役を相勤めたものだが、そのうち奥女中たちが狎《な》れて、長袴《ながばかま》の裾《すそ》をひっぱって転がしたり、からだにさわったりしはじめたので、いつのころからか老中の家のお留守居役などに代行させるならわしになった。それでもむろん五十年輩の男だが、その年男が大奥で豆をまいているうち、どこか行方不明になって、永遠に消えてしまったという事件があった。永遠に消滅したとは、つまり死んだとしか思えないが、しかし三千の女群の中で死ぬ男というものを想像すると、それはいかなる合戦の討死よりも身の毛のよだつ光景であったろう。
しかし、この家継時代に入って、男子禁制のタブーはきわめてルーズにはなった。幼将軍が大奥で寝たっきりなので、後見役の間部詮房がしょっちゅうそこに出入することになり、従ってその近臣とか医師などもそのお供をして大奥に入り、はてはそちらに宿直《とのい》するなどという事例がふえて来たのだ。
「三王外記」に、
「――宮門、禁ゆるみ、男女別なし。近臣侍医、宿直するところ、朝、小臣|洒掃《さいそう》するに、或《ある》いは遺《のこ》せる簪珥《さんじ》あるを見る」
とある。朝、小者《こもの》が男の宿直室を掃除すると、そこにあるべからざる女の装飾品が落ちているのを発見することがあったというのだ。
――それだから、扇谷源三郎が一応禁男の大奥へ潜入できたといえるかも知れないが、またそれだからいっそう危険であったともいえる。
しかし潜入して、女を犯し、その秘密を保たせることの出来たのは、まさに源三郎ならではのわざであった。
彼は一夜十人|斬《ぎ》りの悲願をたてた。
ふかぶかと眠っている女たち――それが幾人あろうと、暗い部屋の一|隅《ぐう》から、ふうっと眼に見えぬ一道の妖風《ようふう》が吹きつけられる。それは源三郎の息であったが、その息に何がまじっているのか、彼女たちはいっせいに春夢を夢みはじめる。
水のたれるような美少年。
清爽《せいそう》な若《わか》 侍《ざむらい》。
胸毛をはやしたたくましい武士。
あぶらぎった坊主。
野卑をきわめる下郎《げろう》。……
その姿はそれぞれ千姿万態だが、彼らは幻のように彼女のそばにすべりこんで、いつのまにか彼女たちのまとっているものを溶かし、愛撫《あいぶ》しはじめる。或いは春風のようにやさしく、或いは蜜《みつ》のようにねっとりと、或いは炎のようにはげしく。――はじめ女たちは夢の中で、美しい蒼空《あおぞら》に大きな白い花がゆれ、じぶんがその花と一体化したような官能に身をゆだねているのだが、その花がふうっと消えるとともに、じぶんのからだもどろどろした熱い液体の中へ沈みこんで、骨の髄《ずい》までとろけ失せてしまうような感覚に襲われた。
しかも、痛い。――やがて、痛覚が来る。皮もちぎれ、肉も引裂かれるような痛みが、しかしたまらない快感なのだ。
女たちは髪ふりみだし、息絶え絶えになり、無意識的に声をあげている。何人いても、その声が同時なので、彼女たちはほかの女の声に気がつかなかった。
どこまでが夢であったのか。――すべてを夢の中の世界の出来事だと思うものが大半であったが、しかしその快美の幻想が夜空の花火のように消えてゆくとき、ふと自分にまつわりついている何者かの実体がすうと離れてゆくのを感覚して、思わず手をさしのばしたり、声をたてようとする女もあった。
「……また、来る」
と、同時にその何者かは男の声で彼女の耳にささやく。
「だれにもいうな。いうと、来ぬぞ。――」
女たちは恐怖のさけびをあげなかった。その低い、野ぶとい声が、じぶんのからだからながれ出して、ねっとりとひきのばされて、ぷつんと切れる蜜の糸の余韻《よいん》のように聞えた。――たとえそれが悪魔だとしても、彼女たちは絶対に口外しなかったであろう。
夜毎《よごと》、夜毎、扇谷源三郎は大奥の女たちを犯してゆく。
女たちに事前に春夢を見させておく時間が長い――いや、実際は息の一吹き二吹き、ほんの数分間なのだが、時空を超越した夢の中の世界なので、女たちには一夜の恍惚《こうこつ》を味わせ、それだけでほとんど絶頂に達しているので、彼が事実上ふれるのは、まるでその息の一吹きよりも短いくらいだ。
それはいいのだが――彼は思いがけないことに気がついた。いや、それは去年あたりから意識していたのだが。――
何も感じないのである。足の裏を藁《わら》でかいているような――それほどのくすぐったささえも感じないのである。
可笑《おか》しくも悲しくもない。従って、放出しない。
――一夜に十人を犯す、と彼は決心した。
しかし放出するのは、やっと十人目なのだ。あまり一人の女に実体を触れさせておくと、夢から現実に目醒《めざ》める可能性が強いので、そのギリギリの時間にべつの女に移るのだが、その連続技によって、やっと十人目に放出できるコンディションに達するのだ。
してみると、一夜に十人としても、三千人を犯すには三百日かかるという計算はたてたのだが、この分でゆくと、やっぱり三千日かかる。
常人ならば、考えただけでげんなりとする。しかし彼は絶望しなかった。
事の難易は問わずただ命令のままに従うことが忍者の聖なる義務である。それにまた、むろん三千人ことごとく孕《はら》ませるには及ばない。三十人でも、懐胎した女が大奥から出れば、それで充分目的は達せられる。
快感を感じないことに、彼はあまり心を使わなかった。この女どもを相手に、快感など感じたくはなかった。
ただ感じたいのは一人である。伽羅《きやら》である。
灼《や》くがごとくそう思いながら、彼はそこへ近づくのが恐ろしかった。それがなぜだか、自分でもわからなかった。
その父から犯せと命じられているのだ。そう命じられなくとも――ふしぎなことに扇谷源三郎は、まさかこういうかたちとはむろん予想もせず、といってどんな具体的なかたちをも想像し得なかったが――必ず伽羅との再会を信じていた。
あれほど自分が想いをかけた女が、あれっきり自分と永遠に無縁の人となるとは信じられない。人間、真に念ずれば、そのことは必ず実現する――というのが忍者としての修行から来た源三郎の信念であった。
果せるかな、その時が来た。
と、思いつつも、彼女との再会にためらい、まるで彼女のまわりを遠くから渦《うず》のように巻いて歩いて――しかし、ついにその時を迎えたのは、春も深い一夜であった。
その夜、彼は西の丸の大奥に妖々《ようよう》と潜入して、何気なく豪奢《ごうしや》な局《つぼね》の一室に入りこんで、そこに深ぶかと眠っている伽羅の寝顔を見出したのである。
……いや、伽羅の方《かた》だ。彼女はもう処女ではない。
故六代さまのお手がついてからおそらくわずか半年、しかも多病であった将軍からいくばくの愛を受けたか、ほんの数えるほどしかあるまいに、女はかくも変るものか。りりしく美しかった伽羅は、けぶる雪洞《ぼんぼり》あかりの中にまるで牡丹《ぼたん》のように豊艶《ほうえん》な伽羅の方に変貌《へんぼう》していた。
長いあいだ、部屋の隅《すみ》に立ってその寝顔を眺《なが》めていて――やがて源三郎の口から、ふーっと一道の妖風が吹き出した。
文字通り精魂こめた彼の忍法「春夢風」であった。
夢みよ、伽羅よ夢みよ。
春夢を夢みよ。――この扇谷源三郎の春夢を。
……伽羅を覆う夜具の胸のあたりが大きく起伏しはじめた。白いのどが、こくりと動く。耳たぶが紅貝《あかがい》みたいに赤くなり、頬《ほお》も紅《べに》を刷《は》き、きれいな小鼻がふくらみ――そして彼女の唇《くちびる》が半びらきになった。真珠のような歯が見え、そのあいだから舌が出て、彼女は唇をなめた。唇がぬめぬめとひかり出した……。
――伽羅はおれの夢を見ているのだ!
吸い寄せられるように近づきかけて、源三郎はふっと足をとめた。或《あ》る不安がすうと胸をよぎったのである。――十人目に伽羅にかかるのがよいのではないか?
「……いや」
と、彼はくびをふった。
今宵《こよい》、沐浴《もくよく》して来たばかりのおれのからだを、伽羅の前に九人もの女でけがしてなるものか。……
彼は爆発しそうなおのれの肉体を感じていた。そして伽羅もまた絶頂に達しかかっていることはあきらかであった。
彼は伽羅を抱いた。
その重みは幻のごとく、女はまだ春夢の中の彼とたわむれているはずである。――たとえ、実体と相交わろうとも。
源三郎の口がひらいた。
何も感じないのである。――いままでの藁《わら》のような女と同様に!
いや、いささかは感じる。薄い、ぬれた紙につつまれたような感じはある。しかし、それだけだ。べつに可笑《おか》しくも悲しくもない。――なんの快感もなかった。
そのとき、伽羅がむせぶようにあえいだ。
「ああ、上様《うえさま》。……」
源三郎の眼にちょっと驚きと憎悪の光がともりかけて、すぐに鈍く消えた。消したのではない。天然自然、自動的に消えてしまったのだ。
快感も感じない代りに、彼は何の苦痛も感じなかった。
翌朝の朝早く、紀州藩邸のお庭番屋敷の軒下に、扇谷源三郎がぶら下がって死んでいるのを藪田助八が発見した。
彼は逆吊《さかづ》りになっていた。軒から鎖が垂れて、鎖は彼の男根に巻きついていた。首吊りではなく、彼のからだはこれによって宙に支えられていたのである。それはわずかにくびれただけでちぎれもせず、それも当然と見えるほど頑丈《がんじよう》なものであったが、しかしかかる自殺をやってのけた人間の苦患《くげん》はどれほどのものであったろう。
扇谷源三郎は、楽も苦もない顔で死んでいた。
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忍法|花盗人《はなぬすびと》
会津藩江戸家老|簗瀬《やなせ》三左衛門は、奥方さまのお口から、お輿入《こしい》れ以来九ヵ月以上にもなるのに、殿様とのあいだにまだいちどとして合歓のおんことがないときいておどろいた。
むろん、奥方さまがすすんで、古びた羅漢みたいな老家老にそんなことを訴えたのではない。ちかく殿様が一年の御在府を終えられて御帰国あそばすについては、お国元に「御国御前」さまというものが必要であるということを説明にまかり出て、そして奥方さまからそのおどろくべき事実をはじめてきかされたのである。
「肥後守《ひごのかみ》どのには、左様なものは要《い》るまい」
と、奥方さまはいった。
「あいや。――」
困惑は覚悟していたが、それを説くためにお目通りを願い出たのだから、三左衛門が勇気をふるい起して一席弁ずるために唇《くちびる》をなめると、奥方さまはうす気味わるい冷笑を浮かべて、
「肥後守どののあれは、しなびたきりで、ものの用には立たぬわいの」
といった。
簗瀬三左衛門は唖然《あぜん》として奥方さまの白粉《おしろい》がまだらで頬骨《ほおぼね》のたかい顔を見あげた。
江戸家老が「御国御前」の件について、殿様よりもさきに奥方さまに御諒解《ごりようかい》を求めにまかり出たのは、事柄の性質もあるが、それより奥方さまが、考えようによっては殿さまよりもっと御身分がたかい――すなわち将軍家の息女であったからだ。
九ヵ月前、すなわち去年、文政四年夏、会津二十三万石の当主松平肥後守に輿入れしてきた元姫は、将軍|家斉《いえなり》の子女のうち二十四番目にあたる姫君であった。
人も知るように、十一代将軍家斉は一生のうちに五十四人の子を作った。当人にとってはまことに家門|繁昌《はんじよう》、めでたいかぎりだが、さてこの生んだ五十四人の始末ということになると、かならずしもめでたいと恐悦ばかりしていられない事態となった。何しろ将軍家の子女だからめったなところへは片づけられない。どうしても相手は大名ということになり、事実、大名の養子|或《ある》いは奥方としておしつけたのだが、おしつけられた方は文字通りありがた迷惑である。いまも残る東大の赤門は、その第三十四号溶姫を頂戴した加賀侯がそのために作った新御殿の名残《なご》りであり、その第三十号盛姫を拝領した佐賀侯は、婚礼費用のため藩費を蕩尽《とうじん》し、ために参勤《さんきん》もできなくなってしまったほどだといわれる。またその三十一号五郎|斉衆《なりひろ》を降臨させられた鳥取藩は、本来の世子はおしのけられて日陰者とされてしまい、第四十八号千三郎斉善は福井侯の養子として天下《あまくだ》ったが、この人物は盲だったといわれる。世にこれを騒動婿に厄介嫁と呼んだのもむりはない。
しかし、むろん内証はどうだろうと、この押付婿押付嫁を表立って拒否するものはだれもない。……会津の松平家でも、うやうやしく二十四号の姫君を頂戴した。
頂戴してみて、会津藩の家臣たちはあっと息をのみ、顔見合わせた。
殿様がまだ二十一の若さなのにこの花嫁が二十五歳にもなっているということは承知していたが、容貌《ようぼう》までは事前に知らなかったからである。
元姫さまのおん母君《ははぎみ》は、おやちの方と申される方である。むろん、会津藩でそのお顔を見た者はだれもないが、将軍家の御寵《ごちよう》 妾《しよう》となるくらいの女性だから、絶世の美貌であることは想像にかたくない。ところが……遺伝というものは実に面白い、というより奇々怪々なもので、両親のみならず先祖代々水準以上の美しい女性を妻として迎えてきたことがあきらかな名門の家に、かならずしも美男美女が生まれるとはかぎらず、どこの馬の骨ともしれぬ男女の野合から気品にみちた好男子や珠《たま》のごとき美少女が創造されたりする例が多い。遺伝因子の万華鏡《まんげきよう》に似た魔術である。
で、この元姫さまだが……背は花婿の肥後守より二寸は高く、筋肉りゅうりゅうとして色あくまで黒く、頬骨張って鼻ひくく、眼は金つぼまなこで口はこぶしが入るくらい大きい。……ということは、お輿入れになってはじめて知ったことだが、むろんいまさらどうすることもできない。いや、あらかじめわかっていたとしても、とうてい御辞退などできなかったであろう。
とはいえ、何といっても御夫婦のおんなかだ。このたびの御婚礼のことは、二、三年前から内交渉があって、肥後守にほかに愛妾のごときものは設けぬようにというお達しであったし、家来の知るところでは、殿様はたしかにまだ童貞であった。結婚後もべつに主君がそのようなものを要求したことはなかったし、おそらく琴瑟《きんしつ》相和しておいであそばすものと……家来たちはかんがえていた。
しかるに、殿と奥方さまのおんなかには、まだ合歓のおんことがいちどもないという。――
そういわれてみれば、思いあたることがないでもない。ここ数ヵ月のあいだに、肥後守は小柄なくせにだぶだぶふとってくる一方で、顔色のみならず肌《はだ》の色まで蒼《あお》ざめてきて、ときどき放心状態にあることがあるし、奥方さまは、もともと武芸が御趣味ということだが、柳営《りゆうえい》から従えてきた女中たちを相手に日夜その御修業に余念もない風景が、いまにして按《あん》ずればむしろ凶暴の気をおびていたように思われる。――
とはいえ、ただのいちども御夫婦《おんみようと》の契りをむすばれたことがないとは――これはいくらなんでもあんまりだ。おそらく、花嫁さまの御出身が御出身だから、老女も御首尾をきくのをはばかったせいであろうが――実に容易ならざることといわねばならぬ。
「殿は、御陰萎《ごいんい》にて」
ややあって、簗瀬三左衛門は蒼白《そうはく》になってつぶやいた。
「ものの用にはお立ちあそばされぬ、と仰せられる」
しばし、判断を絶する表情で、ぽかんと宙を見ていたが、
「しばらく、しばらく、――この件については、二、三日お待ち下さりましょう」
といって、早々にこの羅漢のごとき江戸家老はひき下がっていった。
簗瀬三左衛門は、重役の内藤助右衛門、田口土佐、老女の梅《うめ》ケ枝《え》を呼んで鳩首《きゆうしゆ》協議をした。
会談の用語はもってまわって重々しいものであったが、本音《ほんね》の結論は簡単であった。それは、いよいよ以《もつ》て御国御前は必要であるということであった。
「殿に御世子がお生まれあそばさぬなどいうことがあれば、お家大事じゃ」
と、内藤助右衛門がいうと、みな憂悶《ゆうもん》にみちた顔でうなずいた。
彼らは意識はしていないが、お家の大事はすなわち家臣たちの大事である。
世子がなければ家名の断絶は幕府の御定法《ごじようほう》であり、たとえ親族から養子などをもらって立てるとしても、藩の勢力関係に一大|波瀾《はらん》をまき起すことだから、それは極力避けたいことである。いったい大名が数多くの寵妾をもったということも、たんに個人的な色好みばかりではなく、家存続のための生殖機械たる義務があったからだ。
「いそぎ西郷《さいごう》へ早打ちをたてて、然《しか》るべき美女数名をえらび、殿の御帰国をお待ち受けさせねば」
と、田口土佐もいった。西郷とは、国家老の西郷|頼母《たのも》のことであった。
御国御前とは、大名の在国中の妻、すなわち妾《めかけ》のことだ。参勤交代の制により、大名は一年ごとに在府と在国をくりかえすが、正妻は江戸におくのが厳たる慣《なら》いだから、国元にあるあいだは、べつの女性が必要となる。輿入れされたばかりの将軍家の姫君にはばかって江戸にこそほかに愛妾のたぐいを置かなかったが、このたび御帰国とある上は当然なくてはかなうまい、とほんの常識的な考えから、ともかくほかならぬやんごとなき奥方さまの御諒解を得ておくつもりで三左衛門はお目通り願ったのだが、いまやこのことは、たんなる慣習以上の重大性をおびた問題となった。
もう談合ももどかしげに立つ田口土佐に、
「美女をな。……世にもまれなる美女をな」
と、あえぐように老女の梅ケ枝もいう。
もし主君の肥後守が完全な陰萎であったら、美女も何も、それこそものの用に立たぬはずだが、四人ともそんな危惧《きぐ》はさらさら念頭にないかに見えたのは、これもだれも口には出してはいわないが、あの奥方さまなら、殿さまに左様な異変が生ずることは或いは充分あり得ることだと、以心伝心、いまさらのように、いっせいに思いあたったためだ。
翌《あく》る日、簗瀬三左衛門はふたたび奥方さまのまえに罷《まか》り出た。すると奥方は、見なれない三人の若い女を従えてあらわれた。
「三左、国元の妾のことでまた参ったか」
「御意」
「どうあっても、妾が要ると申すか」
「さ、さればにござりまする」
三左衛門は、禿《は》げあがったひたいに汗をにじませた。
「奥方さまより承り、実に驚愕《きようがく》いたしてござりまするが、もし殿のおん病いがまことでござりますれば、寛永の聖人とうたわれましたる藩祖|保科正之《ほしなまさゆき》公以来二百年になんなんとする御当家の命脈がここに絶たれることに相成りまする」
奥方さまは、例の金つぼまなこで、はたとにらみすえている。それだけでも身がすくむようなのに、おなじように怖れげもなくじぶんを凝視している三人の女が、何となくうす気味わるい。
いったいにお輿入れとともに柳営からついてきた女中たちは、会津藩はえぬきの女中にむかってはいうまでもなく、侍たちに対しても権がたかい。家来のみならず、殿様をすら小馬鹿《こばか》にしているところがある。三左衛門は、彼女たちが日常の会話に殿様のことを、肥後守肥後守と呼びすてにしていることを知っている。それくらいだから三左衛門は、奥方さまお身の廻りの侍女たちは甚《はなは》だ苦手なのだが、それにしてもこの三人の女にはぞっとするような妖気《ようき》がある。はて、ふだん奥方さまの御身辺には見かけたことのない女だが何者であろう?
「されば、このたびの御帰国をよい機会に、何とぞして殿の御病気をなおしまいらせ、御世子御誕生の望みを――」
「肥後守どのが、わたしから離れれば御病気がなおると申すか」
「あ、あいや、左様なわけではござりませぬ。ただ――」
「ほかに妾をもち給えば、あのしなびた殿のものが用をなすと申すか」
「あ、あいや、そうともかぎりませぬが、われら家臣の娘のうちより最も忠節なるものをえらび、熱誠以て相勤めますれば、神仏も感応ましまさんかと――」
三左衛門のひたいから、ついに汗がしたたり出した。
奥方さまは、大きな口をぐいと皮肉にひんまげた。
「まず、そのようなことを申すであろうと思うておりました」
「はっ。……」
「ゆるします。肥後守どのに妾をもたせるがよい」
「へへっ。……」
「ただし、条件がある」
三左衛門はたたみから上目づかいをした。
容貌の出来不出来はともかく、この奥方さまは、お輿入れになった当時は、いかにも公方《くぼう》様の姫君にふさわしい大らかさ、豪快さがあったのに、いま見る奥方さまの顔には実に陰惨|凄絶《せいぜつ》、この世の人とも思われぬ妖気が蒼白く明滅しているのに気がついて、三左衛門の背にすうと冷たいものがながれた。
「肥後守どの御在国中の妾というは、三左、あくまでも殿のおん持物をものの役に立たせる道具であろうが」
「仰せの通りでござりまする」
「されば、条件の第一、その間、万が一その妾にお子が出来たる場合は、お子だけをとりあげ、妾はただちに放逐すること」
「……はっ」
「条件の第二、肥後守とその妾と御同衾《ごどうきん》の際、ここにおる三人の女を交替にて、たえずお添寝せしめること」
「……はっ」
と、いって、簗瀬三左衛門は、あらためて例の三人の女に不審の眼をむけた。
「それは、どちらさまでござりましょう」
「伊賀者の女じゃ」
「伊賀者。――」
「そちは知らぬか。柳営には権現さま以来召し使われ、徳川家のためには身命をささげて悔いぬ忍び組がある。これはその中でも特に手練《てだれ》の家の娘、お綱、お谷、お弓と申す女たちじゃ、見知りおけ」
文政五年の四月である。北へ移る春を追うて、会津二十三万石松平肥後守交代の行列はあゆみ、江戸から六十五里、若松へ帰りついた。
国元の家臣たちは、結婚以来はじめての主君を見たわけだが、むろん内情は知らないにせよ、目立って肥後守が不健康になっているのに気がついて顔見合わせた。やつれているわけではない。かえってふとっているのだが、二十をすこし出たばかりなのに、このふとり方は異常である。体内に何かがたまっているようにふくれあがって、歩き方もヨチヨチとけだるげである。まるで水死人みたいな肌の色だ。
江戸からの急使を受けて、まさかと思っていた国家老の西郷頼母も実物を見て、これはただごとでないとはじめて胸に釘《くぎ》を打たれた思いになった。いろいろと、国元の仕置のことを報告しても、肥後守は放心状態である。もともと、あまり頭脳明敏な方ではなかったが、気のせいか、いっそう暗愚になったような気がする。
結婚してから九ヵ月になるというのに、まだ御夫婦の契りがないということは、どうかんがえても異常である。江戸からの報告によると、殿には、あろうことか、御陰萎であらせられるという。しかし、ひいき目に見るわけではないが、先天的に殿にそんな御奇病があろうとは断じて思えない、先天的といえば、御先祖代々――聖人といわれた藩祖正之公ですら生涯《しようがい》に十四人の子女を作られたくらい、その方面ではなかなかのお方であったと承っているくらいである。
殿の御陰萎の原因は、やはりあの奥方さまだ。御婚礼のときは、頼母もわざわざ出府してその御盛宴につらなったのだが、あのおんかんばせには頼母も少なからず衝撃を受けた。いわんやお若い殿様に於《おい》てをやである。しかもその上、その奥方が公方さまの姫君であるという威圧感がのしかかって、殿様をおしひしいでしまったのであろう。
「こりゃ、なるほどこちらで眉目《みめ》うるわしい女どもを以て殿を御寛解、御慰労いたさねばならんわ」
江戸の重役たちの意図に、西郷頼母は完全に同意した。
領内の政情についての報告もそこそこに、頼母が三人の女をつれて御前にまかり出たのは、御帰国後十日も経ないうちであった。
「頼母、この女どもは?」
「これより一年、御在国のあいだ、殿のお身廻りのことどもをお世話申しあげるために、頼母がとくに選び出したる女人でござりまする」
「余の身の廻り?」
「その他、殿のお気のはれますことならば何なりと、お望みのまま」
「余の気分のはれることなら?」
「下世話に申せば、煮て食おうと焼いて食おうと、御意《ぎよい》次第」
相当あたまのかたい西郷頼母だが、主君の察しのわるいのにはじりじりとした。――やっと肥後守がいった。
「頼母。……この女ども、余が抱いてもよいのかや?」
「抱かれてよろしいどころではござりませぬ。この女ども、そのために御奉公をお願い出た次第にござりまする」
「江戸の……奥がよいと申したかや?」
肥後守はあごをつき出し、不安そうな小声でいった。頼母は、果せるかな、と思うとともに、眼がしらがじわんとぬれるのをおぼえた。
「御安心下されませ。奥方さまはおゆるしでござりまする。ただし、お添寝の女をつけられてござりまするが」
「なに、お添寝の女を奥がつけた?」
頼母は声をはげました。
「殿、御国御前はどこの御大名も持ち給うが御定法、お添寝の女がつくも貴人にはおんならいでござりまする。お心安らかに、この女ども御寵愛下さりませ。――もしお気に召しましたならば」
そして彼はふりむいて、
「おえん、御挨拶《ごあいさつ》申せ」
「お旗|奉行《ぶぎよう》石堂彦兵衛の娘、おえんでござりまする」
一人目の女が顔をあげた。きれながの眼、象牙を刻んだような鼻、会津の田舎《いなか》にもこれほど凄艶《せいえん》な女がいたか――と眼をみはったほど美貌の女であった。
「次は郡代《ぐんだい》岡谷平内の娘でござる」
「お優と申しまする」
二人目の女が顔をあげた。これはたっぷりと肉がついて、しかも雪のように皮膚がまっしろで、眼も唇も濡《ぬ》れひかっているように肉感的な女であった。
「次はお鷹匠《たかしよう》杉江玄左衛門の娘」
三人目の娘は顔を伏せたままである。お辞儀しているというより、うなだれているという感じであった。いつまでも、何もいわないので、
「真柄《まがら》と申しまする。真柄、面をあげい」
と、西郷頼母がいった。
そういわれて、ようやく三人目の娘が顔をあげた。ほかの二人が濃い化粧をしているのに、この娘ばかりは白粉ひとつつけず、まるでいま水で洗ったように清純で、いたいたしいほど可憐な顔だちで、しかも見ようによってはこの娘がいちばん美しいかもしれなかった。
「頼母、こ、この女ども」
肥後守はどもった。口のはしから泡《あわ》がもれた。
「余が自由にいたしても、この女ども腹をたてぬかや」
「何を仰せられまするや。この三人の女、いかにすれば殿を御悦喜なしまいらせるか、かねてより肝胆をくだいてお待ち申しあげていた女どもでござりまするぞ」
頼母は落涙した。じぶんに眼をつけられ、因果《いんが》をふくめられたときの三人の女の心を思いやってふびんに思ったのではない。彼はまったく彼女たちの忠節を信じ、期待し、一点の疑惑も抱いてはいない。彼はほんとうに、かくまで女人に対しておびえている若い主君が、ひたすらいたましくて落涙したのである。
涙をながしながら、この国家老は、三人の美女をながめている主君の眼が生気をとりもどしたようにぎらぎらとひかっているのを見て、「御陰萎など、あろうことかわ」と心中にうなずいた。
第一夜であった。
「その方は何者だ」
寝所に入って、肥後守はきいた。
パンヤを芯《しん》にしてまわりを真綿でつつんだおじょう[#「おじょう」に傍点]畳をしき、その上にお納戸縮緬《なんどちりめん》の夜具がしいてある。それほど豪奢《ごうしや》ではないが、それとならんでもう一組の夜具がしかれ、そこに見知らぬ女がひとり横たわっているのだ。
「江戸表の奥方さまよりつかわされましたるお綱と申しまする」
その女は能面のような無表情でこたえた。
「わたくし、今宵お添寝のお役を相つとめまする」
「あれか」
肥後守はげんなりとした。
お添寝という奇怪な風習がいつごろからはじまったのか、よくわからない。一説に五代将軍のころお側衆柳沢吉保が妾を献じて、その喃語《なんご》のあいだに百万石のお墨付をとろうとはかったことから、そういうおそれを防ぐために考案されたものともいわれるが、とにかくこの異様な習慣は江戸城大奥からはじまって諸大名にひろがった。
それを将軍家姫君たる肥後守の奥方が命じたというのは当然のならいに従ったまでだといえるかもしれないが、やはり寵姫《ちようき》の魅力の際限のない流露をふせぐという妬心《としん》が生んだ智慧《ちえ》であったろう。或いは、もし懦夫《だふ》肥後守を立たしめるものがあればその秘訣をよく伊賀の女に見とどけさせたいという切ない願いもあったかもしれない。
しかし、あの奥方の辛辣《しんらつ》な性格から推察するのに、じぶん以外のいかなる女人によっても、ついに懦夫が立たなかったことが明白となれば、それを嘲笑して復讐《ふくしゆう》の快を味わえるわけで、或いは九分九厘まで、そういう事態を彼女が期待していたと見るのが最も深刻で正確な解釈であったろう。
ところが、肥後守はふるい立った。彼は、江戸の奥方の真意についてあれこれとおしはかるよりも、ただ眼前の美女にひかれた。
お納戸縮緬の中には、すでにおえんが横たわって、雪洞《ぼんぼり》の灯《ほ》かげに凄艶なまつげをとじている。それを見るや、肥後守はお添寝お綱の存在すら忘却したほどであった。
おのれの体内にいまだ曾《かつ》て経験したことのない炎を意識すると、あとは二十三万石の大名らしい大まかさで、彼は夜具を剥《は》ぎおえんを剥いだ。
「これが女じゃ、これが女というものじゃ。……これ、このような美しい顔をして、からだのどこもが奥とは異っておろうな」
しげしげとのぞきこんで――そのとたん、肥後守は急速にしなびてしまった。
「これは、同じではないか!」
悲痛な声であった。それきり、彼はふたたび立つ能《あた》わなかった。
第二夜であった。
「わたくし今宵お添寝のお役を相つとめまするお谷でござりまする」
そういう伊賀の女をかえり見ることなく、肥後守の眼は、そこに横たわる豊麗なお優に吸われた。
彼はかちかちとかすかに歯の音すらたてながら、この官能のかたまりのような美女を剥ぎとった。見ることを怖《おそ》れつつ、しかし彼は事前に見ずにはいられなかった。
「これは、このように美しい顔をして……奥よりもまだ凄《すさ》まじい。……」
恐怖にみちた声であった。肥後守の脳裏には、九ヵ月前の初夜、はじめて奥方と相対したときの妖怪味《ようかいみ》をおびた光景がまざまざとひろがり、その夢魔がここに再現したかと思われた。
第三夜であった。
「お添寝のお弓でござりまする」
その声を遠くにきき、肥後守は足もとの美少女真柄を見下ろした。見下ろしたその眼には、すでに名状しがたい悲愁の翳《かげ》があった。
今宵かすかに歯の音をたてているのは真柄だ。彼女は恐怖のために死人のようになっていて、生きているとわかるのは、ふるえるその歯の音だけであった。
しかし、肥後守の面上に哀《かな》しみの色が刷《は》かれていたのは、もとより彼女を犠牲者としてあわれんだゆえではない。彼はこの清純な娘を犠牲者ともかんがえていない。
肥後守は真柄を剥いだ。
「……そちも、また!」
うつろな、絶望のさけびであった。
――いつの夜も、三人の女忍者は、能面のように無表情に、この無惨な喜劇をながめていた。
一ト月ばかり後、この事実を知って、西郷頼母は「ああ!」と長嘆した。
長嘆したきり、あと何の判断も浮かばない。――殿様が、女色に溺《おぼ》れあそばすというのなら、死を覚悟して諫言《かんげん》もしよう。が、美女のさざなみに投げこんでも、ただ土左衛門のごとく浮かんでいるだけというのでは、いったいどうしたらいいのか、お手あげである。
しかし、事態は重大である。西郷頼母は、江戸で簗瀬三左衛門が奥方さまから事実をきいて驚愕したよりも、もっと事態の重大性を認識した。
一夜|懊悩《おうのう》した頼母にふっと或る人間たちの影が浮かびあがった。
「蘆名玄伯《あしなげんぱく》を呼べ」
呼ばれて家老屋敷に来たのは、腰が釘みたいに折れまがった、貧しげな風態《ふうてい》の老人であった。年のころはわからないが、とにかくあまりの老齢に、髪も髯《ひげ》も白いのを通りこして、黄色くなっている。五十をこえた頼母が、かんがえてみると少年のころから、この蘆名玄伯という老人はおなじような老人であったような気がする。
他言を禁じ、右の事実を打ちあけたのち、頼母はいった。
「いかに思案しても、通常のことを以てして殿のおん奇病を癒《いや》したてまつることができようとは思われぬ。それを癒す最善の治療法と信じたことが失敗したのだ。そこで、おぬしらを思い出したのだ。会津に古くよりつたわる蘆名流の忍法。――もとより蘆名の忍法は、武術の一つであって、かようなことを頼むのは、その方には不本意であろう、が、このたびのことは、或いは軍国のことにまさる、御当家の存続にかかわる大事じゃ、蘆名忍法には、常人の想像も及ばぬ数々の秘法があるときく。玄伯何とぞして松平家を救ってくれい」
会津松平家に蘆名衆と呼ばれる一党があった。
古い――正保《しようほう》元年、徳川家光の弟保科正之がこの会津に任ぜられたときより、この一党がこの地に棲息《せいそく》していた方がさらに古い。会津はそれ以前、戦国時代から徳川初期にかけて、伊達《だて》、蒲生《がもう》、上杉、加藤と主《あるじ》を変えたが、蘆名という名がこの国にあったのは、それよりももっと古い。蘆名氏は南北朝時代から数百年にわたり、実にこの会津の覇王《はおう》として君臨して来た家柄なのであった。
支配者としての蘆名氏は戦国の興亡のうちに滅び去ったが、しかしその一族はなお連綿として会津に残っている。他の諸大名が、豊臣家や徳川家から任命された領主であったのに対し、これは土着だ。その強さとともに、代々の諸家の家臣団はすでにあとかたもないのに、この一党がいまにいたっても残存しているのは、彼らが蘆名流忍法者という心性と特技をつたえて来たからであったろう。
もっとも――この一族も衰えた。蘆名氏以後の領主に、ときには何かのはずみで重用された記録がないでもないが、滅亡以来すでに二百三十余年、そのあいだに古木の枯れるがごとく一族は痩《や》せほそり――いまはただ十数家にすぎない。しかもその家も足軽級の下層に属する。そして、泰平とともに当然忍法などの需要はうすれ――いまは、国家老の西郷頼母なども稀《まれ》に彼らの怪しげな修行ぶり、土俗的な呪術《じゆじゆつ》についての風聞をきくばかりで、ふだんほとんど念頭になかった。
その頼母が、彼らの宗家ともいうべき蘆名玄伯をわざわざ自邸に呼んだのも、以前の記憶にはないほど久しいことであり、ましてこれほど辞をひくくして切願したのははじめてのことであった。
「殿さまのおん摩羅《まら》がお立ちなされぬ」
と、蘆名玄伯はうなずいた。
「心得ましてござる」
うやうやしげな態度は崩さなかったが、あまりひきうけかたが簡単で、且《かつ》老人の声がさりげないので、西郷頼母は拍子《ひようし》ぬけすると同時に不安にもなった。
「玄伯、大丈夫か、蘆名の忍法のうちにこのお役に立つものがあるか」
老人は指を折り、歯のない口で何やらつぶやいていた。どうやら、一族のものどもの名を反芻《はんすう》しているらしかった。
「左様。玄伯は御覧のごとき老衰の身、もはや術に精気がござらねばまだ血気の三人を使いましょう」
すぐに、その三人の男が呼ばれた。
「阿武隈法馬《あぶくまほうま》と申しまする」
紹介されて、名乗ったのは三十あまりの男であった。ふだん城に出仕する用もないのか、それにいそいで呼ばれたために髪を剃《そ》るひまもなかったとみえて、月代《さかやき》をのばした、顔色の蒼白《あおじろ》い、みるからに凄絶の相をした男であった。
「蘆名兵蔵でござる」
二人目は、背はあまり高くないが、金剛力士みたいな筋肉をした、四十年輩の剛直という言葉の化身《けしん》のような男であった。
「信夫《しのぶ》銀三郎でござりまする」
三人目は、これも忍法者かと頼母が不審の眼をむけたくらい頬にどこか少年の匂《にお》いがあり、背もスラリとした若者であった。
「われら蘆名一族が松平家の御恩恵を受けて生き長らえること二百三十余年」
と、老玄伯は風のような声でいった。
「ほそぼそと忍法の灯をまもりつづけて来たは、きょうの日のためと思え。――わかっておるな?」
三人の忍者はたたみに這《は》いつくばった。
頼母はおちつかぬ表情できいた。
「ところで――いかなる忍法をつかう?」
三人の男は、ひれ伏したままである。
「殿には……毎夜、お添寝の女がおるぞ。江戸の奥方さまからつけられた女じゃ。おそらく殿の御寵愛があまりにふかく他の女に移らるるを気になされたものか。まさか、会津に、その方らがおると御承知なされてのことではあるまいが、とにかく……江戸の柳営、伊賀組の女だという。――」
三人の頭がちょっともちあがりかけたが、すぐにまたたたみにピタとくっついてしまった。
伊賀組の女、お弓は義眼みたいにうごかない眼でながめていた。
無表情な眼だが、いじわるなよろこびが、けむりのように漂っている。江戸で将軍様御息女たる会津の奥方さまから、お添寝の御用を受けたとき、べつに殿さまが御愛妾を御寵愛なさるのを妨害せよと命令されたわけではないが、一皮むいた奥方さまの御期待をだれよりも明確に――鏡にうつすように感得《かんとく》したのはこのお弓であったろう。あるいは、奥方さま以上の悪意を彼女はおぼえたかもしれない。お弓は、不感性の女であった。
閨《ねや》に坐って、肥後守はうなだれている。まるで、裁きの廷《にわ》に出た罪人のように哀れな姿であった。
お鷹匠杉江玄左衛門の娘真柄はすでに横たわって、眼をとじていたが、これまた断罪されている娘のように蒼白い顔色をしていた。彼女はこれで、この会津城大奥の寝所に横たわること四度めだが、なおからだのふるえるのを禁じ得ない。彼女はまだ処女であった。
これまで三度も、殿様はおなじことであった。いや、第一夜だけ、真柄にとって死んでしまいたいような恥ずかしい、恐ろしいふるまいに出られたが、それがふいにばたりと嵐《あらし》がとまったように発作《ほつさ》が過ぎると、あとは――二夜目、三夜目と同様であった。
つまり、殿様は雨の日のてるてる坊主みたいに悄然《しようぜん》として、一|刻《とき》も二刻もうごかず、そして真柄が寝こむのを見すますように、そうっと閨にもぐりこむ。
何とはしれず、真柄は殿様を気の毒に思うようになった。世にこれほど哀れなお方はないと思うようになった。
が――いま眼をそっとあけて見れば――やはり全身が寒毛《そうけ》立たずにはいられない。言葉をかけてさしあげる気にはいよいよなれない。ただこの永劫《えいごう》の夜の車とも思われる暗いぶきみな夜々がすぎて、いつの日か、じぶんが御家老さまから、もはやひきとってよろしいといわれるのを祈るばかりであった。
「また、来たか。……」
肥後守はいった。風のような声であった。それは夜のことであった。
「はい。――御家老さまに」
と、殿さまのうつろな眼と眼が逢ったので、真柄はこたえた。肥後守はいった。
「わしもいわれた。いや、叱りつけられた。頼母に。――しかし」
そういったとき、殿さまの月代《さかやき》にぽたっと何か白いものがしたたって、しぶいたような気がした。
それは錯覚ではなかったか?――殿様はそれに気がつかない風で、じっと真柄を見つめている。が、真柄の眼はすわった。また一滴、何やら白いものが、肥後守の頭上に散った。錯覚ではない。音もなくお添寝のお弓も起きなおっている。
三滴目がおちた。しぶいた白い霧は、肥後守の顔からからだをぼうとつつみはじめた。……その霧の中から、肥後守の眼がひかっている。それはしだいに別人のようにつよいひかりをはなち出した。別人のように――そこに坐っているのは、肥後守ではなかった。だれかわからない。ただ別の生気にみちただれかだ。
「真柄」
と、肥後守はいった。声はまぎれもなく殿様で、はっと眼を凝《こ》らせば、姿はやはり殿様だ。が、声の余韻は清爽《せいそう》であった。
「いとしい奴《やつ》、心ゆくまで愛《め》でてくれるぞ」
肥後守をつつむ妖《あや》しい霧が栗《くり》の花のような匂いを吹きつけて、真柄はあたまがふらっとしびれた。
肥後守は、真柄を剥いだ。このまえのような恐怖のさけびはあげなかった。それどころか、彼は実にやさしく、たくましく真柄の処女を奪った。
そして真柄もまた恐怖のさけびをあげなかったのだ。彼女は栗の花の匂いに酔い、天上にはこばれた。力強く抱きしめられ、唇を吸われながら、恍惚《こうこつ》たる中に、真柄はしかしじぶんを抱きしめ、唇を吸っているのが、肥後守ではない、べつの清爽な誰かだと感じていた。
この光景を、お弓は義眼みたいにうごかない眼でながめていた。
無表情な眼だが、禁じ得ないおどろきがひかり、彼女は口をあけていた。――これはいったいどうしたのだ? というように。
真柄に重なった肥後守のくびすじにまた白いものがしたたった。はじめてお弓は、天井に視線をうつした。そしてそこに常人では見えない錐《きり》があけたほどの小さい穴を見た。
「…………?」
いちどくびをかしげ、ふいにお弓の眼がきらりとひかると、彼女はこぶしを口にあてて何やらふくんだ。――と、その口がすぼまると、唇からひとすじの銀の糸が天井へむかって走った。
おそらくあまりにつよく吹いて、肥後守たちにきかれることをはばかったのであろう、そのためか、数本バラバラとたたみの上におちて来たのを見れば、細かい針であった。――吹針だ。
そしてまた、そのことをお弓はおそれたと見える。彼女は吹針を天井の穴にむかって吹かず、そこから三尺あまりずらせて吹いた。
針は天井に音もなくつき刺さった。
「――痛《いた》っ」
という小さいさけびがあがった。
何やら手応えを感じたらしく、飛び立とうとするかにみえたお弓は、はっとしてふりかえった。悲鳴をあげたのは、肥後守であった。彼は真柄に重なったまま、右足を折りまげてその足くびをつかんでいた。
「殿さま」
われにかえり、真柄がさけんだ。
肥後守もわれにかえった。――と、みえた瞬間、彼は萎《な》えた。あらゆるものが萎えた。じぶんからずりおち、だらんと無気力な四肢《しし》を投げ出して、しなびた瓜《うり》みたいな顔にぽかんと口をあけているのを見ると、真柄はぞっとした。
「……しまった」
お弓がかすかにさけんだ。
もとより断定はできぬ。しかし彼女は先刻天井裏に何者かがひそんでいることを感覚したのである。それで吹針を吹いた。が、思いがけぬ肥後守の悲鳴で、われしらずはっとそちらに注意をむけているあいだに、天井裏の何者かはすでに消えていることを知ったのである。
投げ出された肥後守のむくんだ足くびのあたりには、むろん針の影もみえなかった。落ちて来た針に刺されたのではない。
伊賀組の女、お谷は憎悪《ぞうお》に赤くひかる眼でながめていた。
将軍様の御息女の御命令だから、いたしかたなくこんどの御用を引受けたが、お添寝という役割には、彼女は身をやかれるような苦痛をおぼえている。彼女が天性潔癖であったせいではない――おそらくはその正反対であったろう――それが或る事情から、男女のことにはげしい制動《ブレーキ》をかけられて、もともと執拗《しつよう》な、濃厚な性格であっただけに、以来――いまは犬のつるむのをみても打ち殺してやりたいほどの嫌悪《けんお》を抱くようになった。
閨に坐って、肥後守はあたまをかかえてもだえている。まるで気がちがったかと思われる姿であった。
お旗奉行石堂彦兵衛の娘おえんはすでに横たわって、いかにも不安げに肥後守を見つめていた。殿さまの挙動が心配なのではない。彼女は、じぶんが殿さまのお気にいらなかったのではないかと、そればかり気にかかっていたのだ。
家中《かちゆう》の娘のうちでも冷たいばかりの美貌《びぼう》をうたわれたおえんである。ともかくもお旗奉行の娘である。良縁がなかったわけではない。そのすべてをしりぞけてきたのは彼女の自負以外の何物でもなかった。べつにどこへ嫁《とつ》がなければ承知できないというたしかなあてがあったわけではないが、ともかくいままでは、どの口にも満足できなかったのだ。ただ彼女は漠《ばく》とはしているがまぶしいばかりの未来の雲を見つづけていたのであった。
そこへ、突然、家老の西郷頼母から、いまの話をもってきた。狼狽して辞退しようとした父を制して、みずからこの祭壇にのぼることを承諾したのはおえんの方であった。
彼女は主君の愛妾たることを恥じなかった。たとえ殿様がほかに幾人の女を御寵愛あそばそうと、かならずじぶんがその、第一人者、すなわち御国御前となることを信じて疑わなかった。なりゆき次第では、御世子の母公たることも決して夢ではない。いや、きっとじぶんがそうなってみせる。――彼女のまぶしい雲は、いまかたちをととのえた。
それなのに、なんたることか、殿様は、これで幾夜か、閨に横たわるじぶんを見ながら第一夜、奇妙なあらあらしさを見せかけたあとは、ただあたまをかかえて、おいであそばすだけなのだ。ときどき、上目づかいにじぶんを御覧なさる眼には、何ともいえないにくしみの色さえある。
「殿。……」
たまりかねて、おえんは身を起し、肥後守にすがりついた。ぴくっとして筋肉をこわばらせる肥後守の腕をとらえ、わざと唇をよせて、
「おえんがおきらいでございますか。……」
と、熱く匂う息を吐きかけた。
どこかでのどの鳴る音がした。お添寝の女だ。江戸から来たというお添寝の女が憎悪にみちた眼でこちらをながめているのをおえんは知っている。はじめ、ぶきみに思い、その監視に腹をたてたが、やがて、いまに見ているがいい、御国御前になったら、きっと江戸に追い返してやると勝気なおえんは負けずににらみかえした。そしていま彼女は焦りのあまり、そんな女の存在も、じぶんの羞恥心《しゆうちしん》も忘れてしまった。
「口、口を吸って下さいませ、殿。……」
そういっておえんは、肥後守に抱きついたまま、蛇《へび》のように柔軟にうなじをそらし、口を半びらきにしてはげしくあえいで見せた。
肥後守はとろんとうすびかる眼で、おえんの口を見た。ぬれた唇とひかる歯とほのめく貝のような舌を見た。……ついに彼は、その蠱惑《こわく》にとらえられた。
彼はおえんの口にかぶりついた。おえんは身をふるわせ、舌を肥後守の舌にからみつかせた。教わったことではないが、野心にみちた女の本能的な、全機能をあげる媚態《びたい》であった。
「女の口というものは美しい……えもいわれぬほどこころよいものじゃな」
肥後守は、おえんの口を果物《くだもの》みたいにしゃぶりながらいった。彼ははじめて肉欲の持続をおぼえたのである。
「殿。……」
おえんは肥後守を抱いたまま、徐々にたおれてゆこうとした。
「ま、待て」
肥後守はかすれた声でさけんだ。
「おえん、わしは」
身もだえして、嘔吐《おうと》するようにいった。
「わしは、女と交ることができぬのだ」
「えっ?」
眼をまるくした女の顔を見ているうちに、いちど起りかけた昂奮《こうふん》が、またナヨナヨとしぼんでゆくのを肥後守は感覚した。――ふしぎなことに彼は真柄という娘と堂々と交ったのに、本人はまったくその記憶がないのである。
「しかし」
いま、必死にあげた眼をおえんの唇に吸いつけて、肥後守はいった。
「口」
「え」
「口ならば……おえん、おまえの口ならば、死んだわしを甦《よみがえ》らせてくれるかもしれぬ。……」
おえんはじっと主君のわななく顔を見つめたままであった。……が、やがて彼女はかわいた唇をなめ、白いのどをこくりとさせて、眼でうなずいたのである。その眼には異様な欲情とともに目的のためには手段をえらばぬ強烈な野心があった。
お谷はひきつった顔でながめた。もはや怒りがすぎて息もつまりそうであった。彼女は、じぶんにこんどの御用を命じた元姫さまを憎悪した。
死物狂いに眼をそらす。……その眼に、ふと妙なものが映った。
床の間の花瓶《かびん》に牡丹《ぼたん》の花が投げ入れられている。その花がゆれているのに気がついたのだ。いちばん大きな大輪《だいりん》の牡丹に、一匹のとかげがとまっていた。そのとかげがあたまをしきりに花の中に出入させる運動をつづけているのだ。
「……あれは?」
お谷の眼がひかった。彼女はお弓から先夜の怪異をきいていたのだ。
お弓は天井から何やら白いものがふってきて、みるみる肥後守の様子が変ったといった。だから、天井にはよく気をつけていたのだが、それは異常なく――いま、妖しいとかげが花の中に頭を出没させて――おお、それは肥後守とおえんと合奏しているようではないか?
同時にお谷は、このときじぶんが実に奇怪な感覚にとらえられていることに気がついた。その床の間は、肥後守の閨をへだてて東側にあった。いまも依然として肥後守の閨をへだててはいるが、なぜか西側にあるような気がして来たのである。それがなぜだかわからない。外部は一切見えぬ部屋の中だから、たとえ部屋が廻転してもわからない知覚のはずだが、どうしてかそんな気がしてならないのだ。
――しかし、人はしばしば深夜お谷と同様の錯覚におちいることがある。寝ている方角がどうしても逆転しているようで、不安にたえかね、灯をつけてみた経験のない人があろうか? 昔の人はこの異様な心理作用を「枕返《まくらがえ》し」という妖怪《ようかい》のせいであるとした。この妖怪はいかにふせごうとしてからだをむすびつけていても、一夜のうちに東西首の位置を異にさせると「大鏡《おおかがみ》」にもある。――いまお谷はこの「枕返し」に襲われたようなふしぎな幻覚にとらえられたのだ。
お谷の手から、ひとすじの白光が牡丹の花に走った。それは吹針よりもっとながい、三寸ばかりの細い毒針であった。それは狙《ねら》いあやまたず、とかげの頭部をプスリとつらぬいた。とかげはキリキリと廻転した。とみるまに、その頭部と胸が切れて、胴だけがスルスルと花のかげにかくれてしまった。床の間にポタリと頭がおちた。……
お谷はかっと眼をむいた。おちたのは、尾であった。尾には針がつき刺さったままであった。――たしかに針は頭にうちこんだはずなのに!
「おお、えもいわれぬほどここちよいものじゃな」
恍惚《こうこつ》たるうめきにお谷はふりむいた。
女陰恐怖症にとらえられていた肥後守は、いつのまにかおえんと交っていた。正常位だ。彼はまた快美のさけびをもらした。
「女の口というものは!」
南風が細い三日月《みかづき》を吹いている大屋根の上に、じっと鴟尾《しび》のようにうごかぬ黒い影があった。ふたつの掌を組み合わせ、ひとつの祈りに魂を没入させているその顔が――金剛力士に似た蘆名兵蔵であることを、三日月だけが知っている。
精神凝集の一方法としていわゆる九字の印をむすぶのは物語の忍者で知られていることだが、この古怪な儀式を蘆名兵蔵は踏んでいるのか。ただ彼のふたつの掌は、胸の前にあらずして背中にひしと組まれていた。
阿武隈法馬がひとりの女をつれて国家老西郷頼母の前にまかり出たのは、頼母から例の依頼をされてから十日のちのことであった。
「女房のお志乃《しの》でござりまする」
と、紹介されても、頼母には法馬の意図がわからず、不審な眼で彼の妻を見やった。
「十日間、語り合い、ようやく決心させてござりまする」
「何を?」
「女房を殿のお伽《とぎ》をさせるおんな衆にお加え願えませぬか?」
「法馬。……そのおんな衆は、わしがえらんだ。ひとの女房はちとこまる。そこまでの必要はない。それともそなたは。……」
じっと思いつめたようにじぶんを凝視している阿武隈法馬に眼をもどして、頼母は絶句した。それともそなたは、途方もない望みを抱いてでもおるのか、といいかけて、彼の凄絶《せいぜつ》とも悲痛とも形容しがたい相貌《そうぼう》に打たれたのである。
「ただ、一夜でござります」
と、法馬はいった。
「銀三郎、兵蔵の忍法を以てしても、あるいは御家老さまのお頼みに応《こた》えられましょう。しかし、おそらくはただいっときのわざでござろう。かくては会津二十三万石のおんあるじのおん悩みの果てさせ給う日はござりませぬ。拙者は殿を永遠に男にしてさしあげとうござる。そのためには、この女房の力をかりねばならんのでござります」
「そなたの女房は?」
「まず、これを御覧下さりましょう」
阿武隈法馬は懐中から一冊の本をとり出した。本には「今昔物語集」とあった。
「今昔物語ならば、むかし一読したことがあるが」
「この章をお憶《おぼ》えでござろうか」
ひらかれたところを頼母は読んだ。「陽成院《ようぜいいん》の御代《みよ》に、滝口《たきぐち》、金《きん》の使いに行きたること第十」とあった。
「――今は昔、陽成院の天皇の御代に、滝口を以て黄金《こがね》の使いに陸奥《むつ》の国につかわしけるに、道範という滝口、宣旨《せんじ》を承りて下りけるに、信濃国《しなののくに》のさるところに宿りぬ。この郡《こおり》の司《つかさ》の家に宿りしたれば、郡の司待ちうけて、いたわることかぎりなし、食物などのことみな果てぬれば、あるじの司、郎党など相具して家を出でて去りぬ」
この話には頼母は記憶がなかった。
「道範、旅の宿にして寝られざりければ、やわら起きて見あるくに、妻《め》のある方をのぞけば、屏風几帳《びようぶきちよう》など立て並《な》めたり。たたみなど清げにしきて厨子《ずし》の二階など目安くしつらいたり。そらたきものにやあらむ、いと香ばしく匂わせたり。田舎などにもかくあるを心にくく思いてよくのぞけば、年は二十歳《はたち》あまりばかりの女、頭《かしら》つき姿細やかにて、額《ひたい》つきよく、ありさまここはつたなしと見ゆるところなし。めでたく臥《ふ》したり。道範これを見るに見すぐべき心地《ここち》なくて思うに、あたりに人もなければ、うちとけて寄るとも咎《とが》むべき人もなければ、やわら遣戸《やりど》をひきあけて入りぬ。『誰ぞ』という人もなし。灯《あかり》を几帳のうしろに立てたればいと明《あか》し。きわめてねんごろにあたりつる郡司の妻《め》を、うしろめたき心を仕《つか》わむがいとおしけれど、女のありさまをみるに思いしのびがたくて寄るなりけり」
頼母は興味にとらえられた。
「女のそばに寄りてそい臥すに、気悪《けあ》しくも驚かず、口覆いして臥したる顔いわむ方なく近まさりして、いよいよめでたし。道範うれしく思うことかぎりなし。九月の十日のころおいなれば、衣も多く着ず、紫苑色の綾《あや》の衣|一重《ひとえ》、濃き袴《はかま》をぞ着たりける。香こうばしきこと、あたりの物にさえ匂いたり。道範わが衣をばぬぎすてて女の懐に入る。しばらくは引きせぐようにすれども、気悪しくも拒《いな》ぶことなければ懐に入りぬ。そのほどに、男の摩羅の痒《かゆ》がるようにすれば、かきさぐりたるに毛ばかりありて摩羅失せにたり。驚き怪しくて、あながちにさぐるといえどもすべて頭の髪をさぐるがごとくにして、露、あとだになし。大いに驚きて、女のめでたかりつることも忘れぬ。女、男のかくさぐり惑《まど》いて怪しびたる気色《けしき》を見て、少し頬笑《ほほえ》みたり」
頼母は唖然《あぜん》とした。
「男いよいよ心得ず、怪しく思ゆれば、やわら起きてもとの寝所にかえりて、またさぐるになお無し。あさましく思ゆれば、親しく仕う郎党どもを呼びて、しかじかとはいわずして『かしこにめでたき女なむある。われもゆきたりつるを何事かあらむ、汝《なんじ》もゆけ』といえば、郎党よろこびながらまたゆきぬ。しばしばかりありて、この郎党かえり来たりたり。いみじくあさましき気色したれば『これもしかあるなめり』と思いて、またほかの郎党を呼びて、すすめてやりたるに、それどもまたかえり来て、空を仰ぎて、いみじく心得ぬ気色なり。かくのごとくして七、八人の郎党をやりたるにみなかえりつつ、その気色ただ同じように見ゆ」
頼母は、彼もまた心得ぬ顔で読みつづけた。
「かえすがえすあさましく思うほどに、夜明けぬれば、道範、心の中に、夜前に家のあるじ、いみじくいたわりつるを嬉《うれ》しと思いつれども、このこときわめて心得ず怪しきに、よろず忘れて、夜明くるまでに急ぎて立ちぬ。七、八町ばかりゆくほどに、しりえに呼ばう声あり。見れば馬を馳《は》せて来たる者あり。馳せつきたる見れば、ありつるところに物取りて食わせつる郎党なり。白き紙につつみたる物をささげて来たりたり。道範馬をひかえて、『それは何ぞ』と問えば、郎党のいう『これは郡司の、奉れ、と候いつるものなり。かかる物をばいかに捨てておわしましぬるぞ。かたのごとくけさの御儲《おんもう》けなど営みて候いつれども、急がせ給いけるほどに、これをさえ落させ給いてけり。しかれば拾い集めて奉るなりといいて取らすれば『何ぞ』と思いて開きて見れば松茸《まつたけ》をつつみあつめたるごとくにして、男の摩羅九つあり。……」
頼母は顔をあげた。
「これは、どうしたことじゃ」
「拙者の妻お志乃は、この信濃の郡司とその妻の末裔《まつえい》でござる」
と、阿武隈法馬はこたえた。
「――と、申すと?」
「この忍法を以て、まず拙者の摩羅をとり、次に殿のおん摩羅をとり奉って、両者を入れ替えさせまする」
「なに?」
法馬の凄味《すごみ》のある顔は、別人のようにかなしげに微笑した。
「それにて殿のこれからの夜々は、女人と羽化登仙《うかとうせん》なされましょう」
もういちど、頼母は阿武隈法馬の妻を見た。
それまで影のように見えた法馬の妻は――ほそぼそとして、透きとおるような肌の色をして、しかも、おそらくはこの十日ばかりのあいだの悶《もだ》えのゆえと思われるやつれを見せながら――ふいに、この世の女ではないような妖しい美しさにけぶってみえた。
伊賀の女、お綱は好奇にもえる眼でながめた。
彼女は処女であった。彼女の処女は江戸の伊賀組に管理されていた。ゆえなくそれを破ることはゆるされなかった。
しかし、男女のことについては、お綱は異常なばかりの興味と探究心をもっていた。とくに、二十三万石の大名が、どんな風に女を寵愛《ちようあい》するものか、その光景をしかとみて、精細に江戸の奥方さまに報告しようと、ギラギラと眼をみはっていた。
が、彼女の見たのは、ただ子供のように泣きじゃくる肥後守の姿だけであった。
お綱がお添寝するのは、お優という女の場合と分担がきめられたのだが、お綱が見てさえ一種の肉欲をおぼえるほど豊艶《ほうえん》なお優をまえに、肥後守は泣くばかりなのだ。はて、お大名というものは、新しい女と閨《ねや》をともにするとき、幾夜かはこう泣くものであろうか?
そのうちに彼女は、朋輩のお弓お谷から、肥後守がほかの女と寝たときの怪異についてきいた。しかし、いかに眼を凝《こ》らし、耳をすましても、彼女の場合には何の異変も起らない。
すると或る夜、思いがけないことが起った。お優ではない。べつの女が肥後守の寝所に侍《はべ》ったのだ。それはほそぼそとして、透きとおるような肌をして、この世のものではない――幽界から来たような女であった。
それが、肥後守といっしょに寝た。しかし、お綱の見たところでは、何事も起らなかった。
「そちは。……」
肥後守は弱々しく眼をみはった。
「やはり頼母にいいつけられたか?」
「…………」
「誰の娘で、名は何という?」
「…………」
何かこたえたようだが、お綱にはきこえなかった。肥後守にもきこえなかったろう。彼女はただ水のように寂しげに微笑《ほほえ》んだばかりに見えた。
そしてその女は、ただ母親のようにやさしく肥後守を撫《な》でながら、しずかに閨の中により添うて横たわったのである。ふしぎなことに、その一夜だけ、肥後守は悶えもせず、泣きもせず、疲れはてた人間がはじめてやすらぎの夜を迎えたようにこんこんと眠った。
あまりのしずけさと物足りなさに、監視役のお綱も、不覚にも眠ってしまった。お綱が目ざめたとき、肥後守はまだ眠っていたが、もうその女の姿はなかった。
これを陰《いん》の異変とするならば、陽《よう》の異変は、次に肥後守がお優と寝た夜に起った。
はじめて肥後守は、お優を愛撫《あいぶ》したのである。それは、愛撫というより獣戯ともいうべき光景であった。
もともと白い肌からはあぶらがしたたるようなお優である。その官能のかたまりのような女が、あえぎというより、獣みたいなうめきをあげてころがりまわった。それを追う肥後守は――お綱ははじめてみたのだが、肥後守のゆえんたるものは、といいたいくらい、ふとく、たくましく、遠目でみてもお綱を気絶させんばかりであった。
「おう、おう、わしは――」
わけのわからぬ歓喜のさけびをあげながら、肥後守はお優を完全に蹂躙《じゆうりん》しつくした。あまりのもの凄《すさ》まじい光景に、お優のみならず、見ていたお綱さえ悶絶《もんぜつ》した。
のちにきけば、この一夜以来、お優のみならず、真柄《まがら》、おえんの夜にも、肥後守は一変したという。――
ただ、いちどだけあらわれたあの影のような女は、二度と肥後守の寝所にあらわれなかった。
あのはじめての肥後守の寝所に侍《はべ》った夜のあくる日、お志乃が自害したことだけを、夫の阿武隈法馬と家老の西郷頼母だけが知っていた。
松平肥後守は甦《よみがえ》った。
肥後守様には、三人の御女性《ごによしよう》をふかく御寵愛である。三人の伊賀組の女はやむなく江戸の奥方にこう報告の使いを出した。それにいたるまでに三人が見た怪異については、何もいわなかった。三人自身にとってもまだわけのわからないことについて、とうてい説明することができなかったのである。
夏になって、三人の御愛妾はいずれも御懐胎なされた、と三人の伊賀組の女は報告した。
翌年の春、お優の方、おえんの方、真柄の方は順に、ほとんど十日ずつの間隔をおいて、男、女、男のお子様が御誕生あそばされたと、これは国家老の西郷頼母から江戸表によろこびの使者を走らせた。
それに対して奥方から返事があった。
「かねての約定《やくじよう》の通り、お子だけをとりあげ、その三人の妾は放逐せよ。もしなお御国御前とやらが必要ならば勝手に召しかかえ、もしそれがまたお子を生んだならば、同様の扱いをするように」
というのである。
本来なら、あるべき処置ではないが、何しろふつうの奥方さまではない。公方様《くぼうさま》の御息女である。それに――西郷頼母にとっても、殿様の御愛妾はたんに子供を生む機械にすぎないのだから、これに抵抗も異論もなかった。
肥後守にもまた異論も抵抗もなかった。はじめ、ちょっとみれんげな表情をみせたが、代りにならべられた妾の見本を見ると、たちまちよだれをたらさんばかりになって、「よきにはからえ」といった。彼は夜毎《よごと》に無限の女の車をまわすおのれの道具を験《ため》したくて、意気|昂揚《こうよう》していたのである。
本来ならばあるべき処置ではないといったが、しかしこのようなことは会津藩には例のないことではない。
将軍家というものは御妾《おめかけ》を臣下に与えるということは絶対にない。大名になると、ときにこれがある。しかしお腹さまとなると、縁談の沙汰《さた》はないのが通例である。ところが、会津藩では、子供のないのは勿論《もちろん》だが、お腹さまでも片づけてしまう前例がある。
会津藩三世の松平|正容《まさかた》は、愛妾おもんが世子|正邦《まさくに》を生んだのにもかかわらずお使番神尾八兵衛にあたえている。正徳《しようとく》年間のことである。またおなじく愛妾お市の方を、一人|容貞《かたさだ》を生んだのにもかかわらず物頭笹原《ものがしらささはら》与五右衛門にあたえている。享保《きようほう》年間のことである。
その他、おきちの方を堀半右衛門に、おれつの方を山崎左助に、というようにまるでつかいふるしの道具のように家臣に下賜している。
西郷頼母は三人の愛妾の処理法について思案した。とにかく殿さまのお子を生んだ女人たちだから、めったなところへは片づけられない。――頼母のあたまに或る男たちの影が浮かんだ。
真柄の方を、信夫銀三郎に。
おえんの方を、蘆名兵蔵に。
お優の方を、阿武隈法馬に。
信夫銀三郎はまだひとり身であるし、蘆名兵蔵は数年前に妻を失っている。阿武隈法馬の悲劇にいたっては、いまさらいうまでもない。
頼母は、彼ら三人の蘆名の忍者に、それまでの何人|扶持《ぶち》かの薄禄から一挙に五百石ずつを与えることにし、且、三人の御愛妾を下賜することを決心した。
彼は三人を呼び出し、威儀を正し、
「褒美《ほうび》といえば辞退するものもあろう。真柄の方さま、おえんの方さま、お優の方さまはいずれも殿のお子さまのおん母君でおわす、めったなところへは片づけられぬ。よって熟考の末、その方らをおいて安心してあずけるものはないと決めた。つつしんで拝領いたせ」
と、命じた。拒否をゆるさぬ命令のかたちであったが、しかし頼母は心の中で、この処置も、この形式も、武士の情け、と自画自讃していた。
忍者蘆名兵蔵はおえんの方を拝領した。
そして、一ト月もたたないうちに困惑その極に達した。
おえんの方は、このたびの処置がまことに意外であり、心外であった。ついに殿様をじぶんの魅力の虜《とりこ》とし、みごとにお子さままで生んだのに――それが女子であって、真柄というお鷹匠風情の娘が男子を生んだのは、天の皮肉であり、彼女にとっては不本意であったが――何ぞや、えたいのしれぬ男の妻に下されるとは。
光彩にみちた雲は消えた。のみならず、じぶんはひとに顔むけならぬほどの侮辱《ぶじよく》をこうむったのだ。
おえんは血ばしる眼できっとお城を仰いだきり兵蔵がどうなだめても、返事もしなかった。城を仰ぐことをやめると、彼女はたけり狂った。実際に、兵蔵めがけて器物を投げつけたのである。妖艶《ようえん》無比の女の狂乱ぶりは、それゆえにいっそう恐ろしかった。
あらゆる慰撫《いぶ》も説得もききめがなかった。腕力は――いやしくも藩主の姫君のおん母君に対して腕力をふるうことはゆるされなかったが、たとえそれをふるったとしても、このおえんには藪蛇《やぶへび》であったろう。幻怪きわまる彼の忍法、「枕返し」すらもまったくほどこすすべがなかった!
一ト月ののち、蘆名兵蔵は悄然《しようぜん》として、ひそかに家老邸をおとずれて、おえんの方さま御返上のことを申し出た。
「たわけ、ひとたび家来の女房となった女をふたたび御主君のおそばにあげられるか。頭を冷やしてよく考えて見よ」
と、西郷頼母は叱咤《しつた》した。くろい隈《くま》の中で、兵蔵の眼はしばたたいた。
「御家老さま、なれどおえんは……まったくそれがしが不服で、憎《にく》うて、たえかねる風情でござります。どこぞ、ひとりで暮しのたちゆくように御勘考下されませぬか?」
「ひとり? 姫さまのおん母君を、まさか幽閉はならぬ。またひとりで暮させて万一、思わざるまちがいがあれば何とする?」
頼母は声をひそめて、彼に笑《え》みかけた。
「とはいえ、おえんの暴状、わしもきかぬではない。その方の困却はよくわかる。しかし、女だ。おまえは夫であるぞ。しかも、あれほど破天《はてん》の忍法者ではないか。たかが女一匹、とり鎮《しず》められんで何とする。いっときのことだ。いっときの辛抱じゃ。よし、それが三年、五年つづこうと、おまえら一族、数百年にわたり御当家のおかげで生きながらえた御恩を報ずるはこのときにあると思え。兵蔵、死んだと思って拝領女房のお守りをせよ」
しかし、それからさらに一ト月たって、忍者蘆名兵蔵はひとり物置で縊死《いし》をした。
曾《かつ》ての金剛力士のような肉体は糸のごとくやせ細って、その肌のあちこちに、ぶたれたり投げつけられたりした痣《あざ》が残っていた。
忍者阿武隈法馬は、お優の方を拝領した。
そして、一ト月もたたないうちに苦悩その極に達した。
お優は官能のかたまりであった。天性そんな肉体の持主であったのが、肥後守の獣戯ともいうべき愛撫を受けたのだ。燃えあがり、燃えしきる肉欲の炎は、とどまるところをしらず法馬ひとりに襲いかかった。そして、それを受けとめるべき法馬は――しなびた肥後守そのものにほかならなかった。
最初のうち阿武隈法馬は、力の足りないところを技術で補った。それは忍者なればこそのわざであった。しかし、それもついにもちこたえられなくなった。お優は容赦なかった。彼女は法馬におおいかぶさり、またぎ、ゆさぶり、しめつけ、そしてころがり廻った。
「助けてくれ!」
あの凄絶無比な忍者の面影はどこへいったのか? 法馬は犬のような悲鳴をあげた。
「助けてくれ、志乃!」
彼が救いを求めたのは死んだ妻であった。ふだん影のようにひっそりとじぶんによりそい、そして彼がたのめば、火の中へでも飛びこんでいった妻――その志乃を殺したのは、まさに彼自身であった。
法馬をふたたび法馬たらしめるものが、もしあるとすれば、それは志乃だ。しかし志乃はもういない。あの人倫にそむいた忍法を主君のために使うことを、夫に両腕ついてたのまれた志乃は、はじめ拒否し、つぎに苦悩し、最後に承諾して、その苦行《くぎよう》の約を果すとひっそりと自害していったのだ。
法馬は憔悴《しようすい》し、あえぎ、のたうちまわった。それでもお優は彼を逃がさなかった。ゆるさなかった。肉欲のために彼女はわれを失い、見さかいがつかず、凄惨《せいさん》華麗なけだものと変っていた。いらいらした、ひきつるような、きちがいじみた笑いをあげ、彼女はぶるぶるふるえながら、法馬をがつがつと吸い、かじり、かみついた。
「助けてくれ、助けてくれ!」
法馬はお優を恐怖した。いや女そのものを恐怖した。彼は曾ての肥後守と同じになっていた。
それは肉と骨との、交りではなくて、死闘であった。
頭が灼《や》け、からだも灼け、焼けおちてがらん洞《どう》になった体内にお優の笑い声が反響し、黒焦げになった皮膚にお優がどろどろした白い熱い液体となってまといつくような日と夜がすぎた。
そして三ヵ月めに、忍者阿武隈法馬は幽鬼のような狂人となった。
忍者信夫銀三郎は、真柄の方を拝領した。
ふたりは夫婦雛《みようとびな》のようであった。半年たってもふたりは膠着《こうちやく》したようにむつまじかった。
真柄はひとりの子を生んだ女とは思われぬほど清純で、ういういしかった。銀三郎は、いかにお家の大事とはいいながら、この女に――手淫《しゆいん》によって放出した精液にのりうつり、あびせかけた相手に憑《つ》くいう蘆名相伝の忍法をふるったことを内心に恥じた。
真柄は、この頬に少年の面影をとどめた新しい夫をはじめて見たときに、それがはじめてではないという気がしてならなかった。抱かれてみて、いよいよその奇怪な感覚にとらえられた。しかし、いつ、いかにしてそんな感覚をもつにいたったか、ということを夫に告白することはできなかった。じぶんでも思い出したくなかった。いや、あの悪夢のような一夜より、真柄は前世からこのひとと結ばれるのが運命であったような気がした。
甘美な、夢幻的な半年がすぎた。城を出るとき真柄の胸をいたませた子供のことすら、彼女はいつしか忘れていたほどであった。
しかるに、半年目、信夫銀三郎は家老西郷頼母に呼び出された。
「信夫、まことに申しにくいことじゃが」
と、頼母はいった。
「そなたの女房となった真柄を、お城へ返上してくれまいか」
「なんと仰せられます」
銀三郎は唖然として相手の顔を見た。頼母は沈痛な声でいう。――
「おまえも知っておるように、去る日、お優のお方さまよりお生まれあそばした若君が疫痢《えきり》のためお失《う》せなされた。もし江戸表の奥方さまにお子さまがお生まれあそばさなければ、会津の御世子さまたるべきお方じゃ。それがお失せなされたとすれば、次のおえんのお方さまよりお生まれあそばしたおん方は女子、従って真柄さまのお生みなされた若君が御世子となる。御世子のおん母公を、藩士の妻としておくわけにはゆかぬ。――」
「御家老」
愕然《がくぜん》となり、蒼白《そうはく》になって銀三郎はさけんだ。
彼はたしかにお優の方から御誕生になった若君が急死なされたことはきいていたが、夢見心地のうちに、そんなことはあまり念頭においていなかった。蘆名兵蔵が縊死したことも、阿武隈法馬が発狂したことも、遠い世界の出来事のようにきいていただけである。
「いまさら左様なことを――さ、左様なことは、最初からわかっていたことではござりませぬか。そもそも第一の若君をお生みなされたお優のお方さまを、阿武隈法馬に賜ったではありませぬか?」
「それよ」
頼母はうなずいた。
「その第一の若君がお失せなされたので、こんどの儀がもちあがったのじゃ。もしおん母君がおそばにおわしたら、かような不幸はなかったのではないかとな。子供にとっては母親こそは命のもと――そのことがはじめてわかって、重臣会議でも一同うなずき、さるにても御大切な若君をふたたび御不幸な目にあわせ奉ってはならぬと、いそぎ江戸表へ使者を出したのじゃ。若君御哺育のため、是非とも真柄のおん方さまをお城へおひきとり申したいとな。――江戸表の奥方さまからは、藩のためとあらばやむを得まい、ゆるすとの御返答があった」
信夫銀三郎は息をのんだ。頼母は手をついた。
「そもそも、そなたに頼んだことが、殿を救うため、藩を救うためであったのじゃ。ききとどけにくかろうが、信夫、ききとどけてくれい。いや、そなたら蘆名一族、禄を食《は》むこと数百年。……」
銀三郎はふいにがばとひれ伏して、背を波うたせたまま、いつまでも一語ももらさなかった。
数日ののち、死びとのような真柄をのせた駕籠《かご》が信夫家を出た。美々しい行列が、冷たい透きとおるような秋の日ざしの下を城へうごいていった。
あとには、割腹した忍者信夫銀三郎のかばねだけがとり残された。
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妻の忍法帖
伊賀者|服部《はつとり》紋三郎|浮気《うわき》の顛末《てんまつ》。
動機は、ありふれた男の、ありふれた浮気と同様の動機にすぎない。色情と妻への倦怠《けんたい》と自分の人生への懐疑。
骨組みはその通りだが、これもありふれた感情だが、彼はこれをちっともありふれたものとは思わず、自分の場合は特別だと信じた。
「おれほど不幸な男はまたとあるまい」
と痛嘆し、
「ああ、おれは人生を誤まった。――」
と、ほぞ[#「ほぞ」に傍点]をかむ。
しかし彼の場合、外界的事情が特別だというのは一理ないでもない。彼は公儀忍び組の伊賀組の一員であり、しかもその一員として生まれたものではなく、外部から入った者であったからだ。
服部紋三郎はもともと葉山紋三郎といい、通常の御家人《ごけにん》に過ぎなかった。それが、ふと或《あ》る機会から、伊賀者の一人娘と恋愛し、婿《むこ》に来た男なのである。珍らしいことで、当然この縁には大きなさしさわりがあったのだが、その悶着《もんちやく》の最中、娘の父親が死病にかかり、娘は紋三郎以外の男を夫にする意志はないといい、放っておけばその家は断絶するほかはないので、やっとこの縁組が成立したのである。三年前のことだ。
そのとき、娘の――いや、いまは妻となったお半は、組頭の服部万蔵の前に出て言った。
「きっと紋三郎を、伊賀組の掟《おきて》に従わせることはいうまでもなく、わたしが必ず一人前の忍者に仕立て、御用に立つ男としてごらんにいれます」
そのときは、ばかにえらそうなことをいう女だ、などとは、これっぽちも思わなかった。彼自身、ほんとうにその気でいた。
こんどの結婚についてなみなみならぬ障害があっただけに、恋の炎はいよいよ煽《あお》られていたし、それが成立した感謝感激は有頂天《うちようてん》のものがあったし、それに、それまでのあまりにも無為にしてかつ望みのない御家人の生活にあいそがつきはてて、「――こんなことでおれの一生が終わってしまってはかなわない。何とかして、ちがった人生をつかみたい」と熱願していただけに、いかなる艱難《かんなん》辛苦があろうとも、この妻の期待に応《こた》えずにはおくものか、と感奮するどころか、そのような烈《はげ》しい生活こそおれの望むところだ、と身ぶるいして、ハッスルした。
そのときの決意にいつわりはなかったが。――
熱情は、実力を伴わなくては長続きしない。伊賀組に入ってはじめて彼は、伊賀者たちの体得しているわざがききしにまさるものであることを知ったが、しかしそこに至る道程もまた超人的な修行を必要とするものであることを知った。しかも、一見して超人とわかる修行以前に、外から見ても自分でやっても、なんの変てつも面白味もない基礎訓練が、いつ果てるともなく続くのである。
組に入ったのが右のような事情だから、紋三郎としてもなみの伊賀者以上に努力はしたつもりなのである。女房のお半も気をもんで激励したし、組頭からも「いいセンをいっている。その調子、その調子」といった意味の鼓舞をきくこともあったが、しかしだんだんくたびれた。
激励も鼓舞も、たんなるおだてとしか聞えないようになり、先輩の伊賀の精鋭の超人的技術をかいま見ているだけに、しかもなおその全貌《ぜんぼう》もつかみかねるほど神秘の雲に包まれていることを知るにつけて、かえって絶望的な挫折感《ざせつかん》にとらえられ、
「――しょせんは、この道は先天的な血を受けた者でなくては歩めないものかも知れない」
と、膝《ひざ》を折り、あごを出してしまった。一年前のことだ。
本来の伊賀者とて、むろんすべてが忍法の体得者とはかぎらない。どうしても素質的にだめな奴《やつ》もある。こういう連中は、いわゆる伊賀者公式の職制による江戸城の大奥や諸門の警衛にあてられる。
結局、服部紋三郎もそうなった。――
以前の御家人と同じことである。いや、六尺棒をかかえての門番など、前の安旗本よりもっと悪い。挫折感があるだけに、自分の人生に対する幻滅感はさらに深い。
かくて。――
「ああ、おれは人生を誤まった!」
という悔いと、
「おれほど不幸な男はまたとあるまい」
という嗟嘆《さたん》が紋三郎の胸をひたすのである。
といって、伊賀組からまた逃げ出すなどということはできるものではない。そんなことはいくら紋三郎でも知っている。常識的にもできないが、心理的にも――伊賀組がこわいのだ。いままで伊賀組から離脱した人間はないそうだから、そんな場合の制裁がこうだという明らかな例は知らないが、とにかく離脱の可能性などまともには考えられないほどのこわさが、彼の胸にじわんととり憑《つ》いているのだ。
出口なし、の閉塞《へいそく》状態。
しかも、内心にうごめく蒸発の欲望。
彼の浮気はここからきざしたのかも知れない。彼が浮気の対象としたのは、伊賀組以外の、つまりもとの外部の世界の女であったから。
これを代償の心理とみるなら、服部紋三郎の浮気はやっぱり特別のものであったといっていいかも知れない。――
紋三郎が浮気を起した相手は、もとの御家人町の女、二人であった。対象が同時に二人出現したとは、こういう点でも彼の浮気そのものは、或る意味でいかに純粋性を欠いていたかがわかる。――二、三度、飯田町《いいだまち》の「実家」へ法事その他の用件で帰ったときに話をつけたのだ。
で、そのうちの一人との約束通り、次の非番の日、また出かけようとすると、妻が呼びとめた。
「あの、どこへお出かけ?」
「飯田町だ」
と、紋三郎はドギマギしながら答えた。実は中洲《なかす》の船宿へゆくことに、あちらの女と打合わせてある。
心中を顔色に現わさない、などいうことは忍者修行の初歩以前のことだが――と思い出すと同時に、彼は自分のドギマギぶりに自分で腹をたてた。いたけだかに、
「この前の甥《おい》の縁談の一件、兄貴とまだ相談しなければならぬ、といってあるではないか」
「それが。――」
お半はいいにくそうにいった。
「このごろあなたさまが、何度か飯田町へお出かけのこと、何の用であれ、伊賀に籍を置く者があまり外と往来することは好ましゅうない、とお頭さまからのお達しで。――」
「なに、お頭から?」
紋三郎は顔色を変えた。こんどは反省する余裕もなかった。
「そ、そんなことを、いままでなぜ黙っておったか」
「申しあげよう、申しあげようと思いながら、申せばあなたが御機嫌《ごきげん》をお悪くなさるだろうと、ついつい言いそびれておりました。おゆるしなされて下さりませ」
「それにしても、わしのような者が飯田町へ出かけたことまでお頭は御存じなのか。おまえが報告したのか」
「めっそうな。お頭さまは、組のかたがた、すべてお見通しでございます」
紋三郎の顔は何といっていいかわからない色になった。まさか――お頭は、おれとお組とのあいびきの相談まで知るまいな? まさか?
ひょっとすると――こいつ、お頭でなくて、こいつのほうが何やら感づいて、お頭をだし[#「だし」に傍点]に使っているのかも知れぬて。
「そんなはずはない。おれなど、伊賀組にとって何の役にも立たぬ陣笠《じんがさ》だ。お頭がおれに眼をつけておられるはずがない」
「決してそんなことはありませぬ」
お半はしずかにくびをふった。
「あれは見どころがある。いまの休息が一応終ったら、改めて伊賀組としての修行をさせ、大事な御用も申しつけたい――と仰せでした」
「えっ? 改めて修行? 大事な御用?」
紋三郎は仰天した。
「大事な御用とは、あの、隠密《おんみつ》御用のことでもあるのか」
それ以外には考えられない。隠密御用、その使命に憧《あこが》れたこともあった。以前にはだ。それを命じられるのはむろん伊賀組の精鋭だが、どこかへ出立《しゆつたつ》していった彼らのうち、三人に一人は帰って来ない。――永遠に。
自分がまったく伊賀組とは合わない人間だ、ということを自覚して以来、彼はそれらの人々に羨望《せんぼう》や敬意を感じるはおろか、ひたすら恐怖をおぼえ、いまは自分がとうていそんなものになる可能性のないことに、内心ほっと胸をなで下ろしていたのだ。
「お、おまえはそんなことをお頭に承《う》け合ったのか」
「わたしは」
と、お半は微笑していった。
「あなたをきっと一人前の忍者として御用に立つ男とすると、お頭さまにお約束申しあげました」
紋三郎は、もはやただただ呆《あき》れはて、口をポカンとあけているだけであった。
そういわれれば、お半が頭領にそんなことを誓ったようだ。ひとごとのようだが、彼は、お半がそんなことをいまも憶《おぼ》えていようとは全然意外であった。
「とにかく、もし出来ますなら、当分お出かけになることをおやめ下さって、お頭さまの御沙汰《ごさた》をお待ちいただけたら、と思うのでございます」
それが事実とするなら、もはやあいびきどころではない。紋三郎はものをいう元気も失ってしまった。
中洲の船宿に待つ女はすっぽかす結果になったが、紋三郎はその日一日、女のことも忘れていた。その代り、いままであまり存在を意識していなかった女房が、突然うす気味悪く眼前に立ちふさがってくるのを感じた。
ところで紋三郎は、この妻を決してきらいになったわけではなかった。最初のあの猛烈な恋心は、思い出すとふしぎ千万にたえないものがあるけれども、よく考えてみると、いまも――浮気心が蠢動《しゆんどう》しているいまも、この女房自身にはちっとも不満はないのだ。
実におとなしく、愛らしく、貞節で、ほんとうのところをいうと、彼がいま浮気したがっている女たちより、もっとノーマルな女であった。浮気というものは、女房に不服があって起すのが常態だが、しかし女房に不服がなさすぎて起すこともそれに劣らない。彼の場合これにあたるといっていいかも知れないほどであった。
げんにお半は、紋三郎の挫折ぶりをそばで見ていて、べつに何もいわなかったのである。
女房は完全にあきらめていると思っていたし、最初の頭領への誓いを思い出すと、あれは夢の世界の出来事ではなかったかという感じさえしていた。
それが。――
何たることだ、いまも憶《おぼ》えているとは。――憶えているどころか、最初から糸のごとくあの誓いをしっかとにぎりしめていて、それを当然のもののような顔をしているとは。――
こいつ、やっぱり伊賀者だった! 妻をもふくめ、伊賀組そのものに対するぶきみさが、改めて紋三郎を冷たい霧のように包んでしまった。
で、――その首領の命令とやらを、おっかなびっくりで待ったが、しかし何のこともない。
「来ぬではないか」
「そうですね、どうしたのでございましょうね」
お半はおっとりと首をかしげた。
非番の日を二回ほどむなしく見送って、紋三郎は眉《まゆ》に唾《つば》をつけ出した。うまくしてやられたな、と思うと同時に、女房の小細工《こざいく》に勃然《ぼつぜん》と怒りを発した。ようし、見ておれ、こうなったら意地でも浮気をせずにおくものか。
彼は酒屋の小僧を買収して、もう一人の女と連絡をつけた。次の非番の日、不忍池《しのばずのいけ》の出合茶屋で。
幸運にも、というと語弊《ごへい》があるが、ちょうどその前夜、お半が大恩受けた或る老女が危篤《きとく》におちいって、彼女は四、五軒離れたその家へ、泊りづめでいっていた。朝になって様子をうかがったが、彼女が帰宅できるような状態ではないことがたしかとなった。紋三郎は組屋敷をぬけ出した。
いささか不都合なのは雨がふっていることであったが、しかし考えようによっては、傘《かさ》で身をかくすのは、密会に好都合といえなくもない。
傘をさして紋三郎は不忍池のほうを歩いていた。時間が少しおくれ、出合茶屋で待っている女はジリジリしているだろうと心がせいた。
と、五、六歩さきを、やはり傘をさして歩いてゆく男がある。武士である。何気なくそのあとを歩いていて、ふとその傘に何か変な模様が書いてあるのに気がついた。模様ではない。大きな文字だ。
――「掟」
紋三郎はぎょっとして、足が釘《くぎ》づけになってしまった。
傘をさした武士は、悠々《ゆうゆう》として歩いてゆく。その下半身に何だか記憶があるようだ。――あれは、お頭ではないか?
秋の雨が霧となってけぶった。眼をこすると、掟と見えた文字はたんなる妙な模様に変っている。下半身も、服部万蔵とはすこし違うようだ。――二、三歩追うと、また傘の模様は掟という文字に変り、武士の下半身は服部万蔵となった。
紋三郎は、追いすがり前に回ってそれをたしかめる勇気を失った。それどころか、恐怖に両足がガクガクして、雨の中に立っているのがやっとのことであった。
あいびきどころの騒ぎではない。
服部紋三郎は頭をかかえてしまった。――恐怖のためだ。
自分など伊賀組の員数外の人間だと思っていたのに、伊賀組のほうでは決してそうとは認めず、じいっと眼を離さなかったのかと思うと驚かざるを得ない。とくに首領の服部万蔵自身が――あのときたしかめたわけではないが、あとで思えば思うほど、あれはお頭にちがいないということが彼の固定観念となってしまった――その首領が出馬して、自分の動静を監視しているという事実は恐ろしいことであった。
そして、改めて自分に修行させ、然《しか》るべき任務につかせると?
紋三郎は戦慄《せんりつ》した。さきゆきを思うと、あぶら汗が全身ににじみ出るようであった。
……しかし、依然として、首領からは何の特別命令も来ない。外見的には、いままでと同じ、無為な閑日月《かんじつげつ》がつづいているだけである。そして、冬になった。
「何も御下知《おげぢ》がないではないか」
「そうですね、どうしたのでございましょうね」
お半はくびをかしげた。そらっとぼけているとは思われない、ほんとうにふしぎにたえないといった表情であった。
「あの、お頭さまにおたずねして来ましょうか?」
「ば、ばかをいえ」
紋三郎はあわてふためいた。
「要《い》らざることをするな、何もお頭に申しあげる必要はないぞ」
一見、平凡平和な生活、どうみてもおとなしくて、やさしい女房。――しかも、そのまわりをめぐっている妖《あや》しい霧。このギャップが紋三郎を、とうとうノイローゼにおとしてしまった。
白昼でも、ボンヤリとうつろな眼をひらいて坐っている。彼は蟻地獄《ありじごく》におちた一匹の虫みたいな自分の姿を眺《なが》めている。
同時に、その外界の、のびやかな天地、普通人の生活を見ている。どうしてまあ、あの御家人の生活を絶望的に考えたりしたものか? 望みがない、ということだけで絶望的になるなんて、ぜいたくの限りだ!
その世界にいる二人の女の姿もまざまざと眼に浮かんだ。
例の浮気の相手であった。いや浮気の相手になりかかった女であった。一人は――これが中洲の船宿での密会を約束した女であったが――お組という御家人町の後家《ごけ》であった。顔はどこか狆《ちん》に似ていて、ぽてぽてふとって、あごや手くびにもくびれが見えるほどだったが、まぶしいばかり真っ白な肌《はだ》をしていた。もう一人は――これが不忍池の出合茶屋であいびきを約束した女であったが――やはり御家人町のおしゅんという出戻《でもど》り女であった。美しい女だが、能面みたいな感じがあって、実はそのころまだ嫁入り前の彼女のほうから彼に色眼をつかったこともあるのだが、彼のほうで敬遠したいきさつもあった。
それが、先日、ふと再会して、両人とも以前には知らなかった魅力の持主に見え、たちまち密会の約束を交わしたのだが、むろん、彼は遊びのつもりであった。例の蒸発欲の代償に過ぎなかった。
ところが、いまや、その蒸発も絶対不可能な蟻地獄におちたという自覚の底から彼女たちを思うと、彼女たちの魅力がまた一段と――という程度ではない、まるでかがやかしいうすものをまとって飛翔《ひしよう》する天女のように感じられた。
お組のぼってりした赤い唇《くちびる》、何かのはずみで見えた柔かい舌、ふとっているくせに、抱くと腕がくびれこみそうな腰。
おしゅんのぬめぬめとした蝋色《ろいろ》の肌、そのくせいかにも多毛を思わせる黒髪、十本の指がべつべつの爬虫《はちゆう》を思わせる細い長い指。
あえぐようにそれらを思った。想像はそれらの一つ一つが自分の肉体と密着したときの具体的ななまなましいイメージとなって、紋三郎の脳髄を波打たせた。
それが現実にはもはや手のとどかぬ天上のものだ。外界すべてがいまは天上だ。――そう思うと、紋三郎は泣かずにはいられなかった。精神もへんになって、実際大の男がさめざめと泣いたのである。
「お組。……おしゅん。……」
われを忘れて、彼はつぶやいた。雪のふる日の夕ぐれであった。
不安そうに夫のようすを眺めていたお半が呼びかけた。
「あなた。……どうなされました?」
紋三郎はいまの自分のうわごとを妻にきかれたことを知ったが、狼狽《ろうばい》しなかった。
「おれの昔|惚《ほ》れていた女だ」
彼は顔をゆがめ、にくにくしげに歯をむき出した。
「いや、いまもおれの惚れている女だ。飯田町のな。――お頭は御承知のはずだ。おれがいつか、その女と逢《あ》いに出かけたら、お頭が現われて。――」
「えっ?」
お半は眼をまるくした。――この女がそれも承知の上だ、とはどうしても思われないが、しかしもうどうなったっていい。紋三郎はこの女房と、だいぶ長いあいだしとねを共にしていなかった。
「ああ、寝たい。おしゅんと寝たい。お組後家と寝たい。……あの女たちと寝ることさえできたら、おれは……」
怒りよりも恐怖の眼で、お半は夫を見つめた。このとき紋三郎は完全な精神|錯乱《さくらん》の状態であった。彼はほんとうに、あの女たちと寝ることができたら、この蟻地獄から救われるかも知れないと思った。論理には合わないのだが、錯乱した頭では、その行為が離脱そのものと一致した。
「あなたの悩んでいらしたのは」
と、お半は吐息をついていった。
「そのようなことだったのですか?」
お半はかんちがいしている、と思ったとたんに、紋三郎はやや覚醒《かくせい》した。――ばか、たんなる浮気、色情ではない、もっと心理的に深刻な――伊賀組離脱の――意味をふくんでいるんだ、といいたかったが、これは口にはできないことであった。
お半は襟《えり》に手をさし入れて考えこんでいた。
「いまのようなありさまのところに、もしお頭からお呼びがかかったら。……」
と、つぶやいて、顔をあげた。
「あなた。……その女のひとたちと逢わせてあげましょう」
「えっ?」
紋三郎はびっくり仰天した。
「な、なんといった?」
「さきごろからのあなたの御様子はただごとではないと、半は心配で心配でなりませんでしたが、お悩みのもとはそんなことでしたか。……そんなことでお悩みなされて、そこへお頭さまから御下知がありましたら、お頭は――」
――おれをかんべんしてくれるか、といおうとしたとき、
「御成敗《ごせいばい》は必定《ひつじよう》でございます」
と、お半はいった。確信にみちた声が、紋三郎を凍結させてしまった。
「また左様なことになりましては、伊賀者服部紋三郎の女房の名折れです。……よろしゅうございます。わたし、その女のかたがたにお逢いさせてあげましょう。そして、悩みも憑《つ》きものもサッパリと洗い落して、さわやかな男の顔でお頭さまをお迎え下さいまし」
紋三郎はまじまじと妻を見まもった。
冗談をいっているのではない。少くともこんな冗談をいう妻ではなかった。――で、いままでの燃えかたからすると狂喜すべき提案にはちがいないが、ふしぎなことに、一瞬彼はキョトンとして、いったい自分が何を欲して狂乱していたのか、そのもとを忘れたほどであった。
次に、二人の女を思い出した。思い出したが、紋三郎の心をかすめたのは、よろこびではなくて途方もない計算であった。つまり、自分がよその女に色きちがいぶりを発揮しているのを首領に見られたら、首領も呆れて、サジを投げて、自分を放り出してくれるかも知れないという考えだ。
ノイローゼにしては小賢《こざか》しい計算だが、そこがノイローゼたるゆえんで、ノイローゼは狂人とはちがうのである。しかし、そういう計算がいまさら成り立つなら、はじめから女のところへ走ってゆけばいいわけで、このあたりがやはりおかしい。
「それを、お頭に知られてもよいのかや?」
「いえ、めっそうな」
お半は、彼女自身ありありと恐怖の眼色になってかぶりをふった。
「知られたら御成敗、といま申したではありませんか」
甘い考えに水をかけられて、紋三郎はこんどはうろたえて、
「では、おまえが、そっと密通の手引きをしてくれるのか」
と、女房に対して非常識きわまる問いを発した。が、お半はうなずいた。
紋三郎はごっくりと生唾《なまつば》をのみ、
「どうして、おれが出たらよい?」
「あなたは外へお出になってはなりませぬ」
「では、女を呼んでくれるか」
「とんでもない」
紋三郎は狐《きつね》につままれたような顔をした。
「両人、逢わずに……それじゃ密通できんではないか」
「できるんです」
「どうして?」
「忍法で」
「忍法?」
こんどは紋三郎のほうが女房の正気を疑った。
「こ、これ、おれはそんなものは知らぬ。知らない……それができんためにこれほど悩んでおることは、おまえが知っているはずではないか」
「わたしが手伝います」
「――へ? おまえ、忍法を知っているのか?」
「……けれど、女のかたとあいびきなさるのはあなたなのですから、あなたも必死になっていただかねばなりません」
「必死に……何を、どうやるのだ?」
何を思いついたのか、お半は、彼女自身が必死の眼色になっていた。
「そうです。これを成功させないと、あなたの御運命は絶望的です。このことがうまくゆくか、だめかが服部紋三郎の生死の分かれ目です。……」
女房|介添《かいぞ》えの密通などというものが世にあり得るか。
論理的にも成立しないと思うが、ともかくも一切合切《いつさいがつさい》、服部紋三郎は五里霧中であった。ただこの奇妙なあいびきが成立しないといのちにかかわるというお半の言葉だけが耳に灼《や》きついている。
そこの関係がよくわからないのだが、現状のままでは大変なことになるという予感は以前からあって、さればこそノイローゼになったくらいで、しかもお半のさけびにはただごとでない急迫のひびきがあった。紋三郎は完全に呑《の》みこまれた。
あの女たちとあいびきすれば、難はのがれられるという。運命が打開できるという。……もともと色情をもやした女たちである。それとあいびきするのに異存のあろうはずがない。
それはさておき、なんだって? 相手の女と逢わずに密会できると?
紋三郎には、お半のいっている意味さえわからなかった。
「で、どうするのじゃ。え、どうするのじゃ?」
「ほんとうに、おやりになりますか?」
「やる、やるぞ。必死に、わしは密通してみせる」
紋三郎はりきんだ。
「では。――今夜」
「えっ、今夜?」
「はい。――みな、寝しずまってから」
その夜、紋三郎は依然として狐につままれたような顔で、寝所に入った。雪の夜であった。
たしかに今夜ときいたおぼえがあり、心はおちつかないが、人が寝しずまってからというのだから、ともかくもそこへ入るより法がない。いや、人よりもだれよりも、女房のお半自身が、さきにそこへ入りこんでしまったようである。
いったい、どうするつもりだ?
いささかむっとして寝所に入って、彼は眼を見ひらいた。彼の夜具にはお半が横たわっていたのである。北向きの足もとにまるい小さな明り障子があって、煤《すす》けているはずなのに、雪のせいかそれがぼうっと白かった。
前にもいったように、彼は妻と同衾《どうきん》せざること久しい。小さな家で、夫婦だから寝所は一つにするほかはないが、夜具は別々にとってあり、彼は毎夜、妻に背をむけ、頭をかかえて眠ってしまう。呼ばないのに、おしかけてくるような妻ではなかった。
ましてや、彼の夜のものに、先に入って待っているとは。――
「お入りなされませ」
と、お半はまじめな顔でいった。
「今夜、たしかに、お組さまとかのところへお連れいたします」
「へ?」
夜具に入った。ともかくも。――
しかし、まったく久しぶりである。夜具に入るとき――ひょっとしたら、こいつ、ヤキモチやいて、おれを誘惑する奸策《かんさく》としてこんな手を使ったのではないか――という疑いが心をかすめたほどであったが、お半はきちんとして身動きもしない。
……紋三郎がふいに妙な気を起したのは、夫婦として当然なのか。この場合、やはりおかしいか。
「いけません」
お半は眼をつぶったまま、しずかに、しかしきいたことのないほど冷たい声でいった。
「そのようなことで、どうして今夜|想《おも》う女のかたのところへゆけましょうか。ただ、そのかただけを想うて、しばらくお眠りなさいませ」
「けっ?」
ようし、あの女のことばかり考えていてやるぞ、と紋三郎は業腹《ごうはら》になって、口をへの字に結び、大の字になって眼をつぶっているうちに、ほんとうに眠ってしまった。
どれほどの時がたったか? ふっと彼は眠りの中に異様な感じをおぼえた。自分が、寝た方向とは正反対に寝ている感じである。これは彼も何度か経験している。異常感覚だが、だれにもよくあることで、古来これを「枕返《まくらがえ》し」という妖怪《ようかい》のせいであるとした。眼をひらこうとしたが、まつげが濃い蜜《みつ》にたゆたゆとひたされているような感じでふしぎになかなかあけられなかった。
やっとあけた。ふっと頭上に白い明り障子を見て、彼は眼をパチクリさせた。はてな、北向きの障子を頭にして寝たおぼえはないが。――
いまの変な感覚は、錯覚ではない。おれはいつのまにか、寝返りし、寝返りも極まるというべきだが、とにかく寝ているうちに逆になってしまったらしい。
それにしては、枕までしているのは奇怪だ、と首をかしげつつ、ヒョイと隣りを見て、彼はぎょっとした。すぐ眼前に女の裸身があったからだ。裸身も裸身、ちょうど胴と二本の足との接続部分が。
まっ白な三つのまるい丘陵にかこまれて、淡くけぶる翳《かげ》、その中に、ヒクヒクと息づいているめしべまでが、まざまざと雪明かりに――。
それが、ぐうっとさらに迫ると、蜜のような匂《にお》いのする濃厚な霧が彼の眼も鼻口もくるんでしまった。それと、彼の顔が、もつれ合っているあいだに、彼は十回ほど酸素吸入のように喘《あえ》いだ。それから――がばと起き直りやっと本来の枕の方へ顔をのがれさせた。
「……あっ」
と、紋三郎は声に出してさけんだ。そこに横たわっているのは、妻ではなく後家のお組であった!
「こ、こ、こりゃ。……」
彼はひざをつねった。たしかに痛かった!
「夢とお思いなの?」
お組は、椿《つばき》の花弁みたいな唇で婉然《えんぜん》と笑った。
「い、いつおいでなされた?」
「さあ、いつでござんしょう」
「お、お半はどこへ?」
「さあ、どこでござんしょう」
お組は、ただ笑っていた。それにいらだつどころか、紋三郎は自分が質問した内容さえ忘れてしまった。なぜなら、掛夜具は横へおしやられたあとに、仰むけにころがっているお組後家は、なんと一糸まとわぬまる裸であったからだ。想像以上にまるまるとふとって、無数の鞠《まり》が雪明かりに白いひかりを放っているような肉塊であった。
クラクラする脳髄に、紋三郎は必死に理性を呼び戻そうとした。
「いったい、これはどうしたのでござる!」
「夢だったら、醒《さ》めますよ、そんなにムキになると――」
お組は笑った唇をなめて、むっちりした両腕をさしのばした。
「夢でもいいとお思いにならない? 夢か、どうか、さあ――」
ねばねばとぬれた食虫花に落ちる蛾《が》みたいに紋三郎は落ちた。
実際彼は、全身、熱い、柔かい泥《どろ》の中へ没してしまった感じがした。白い泥は、しかし彼の胸から尻《しり》まで、流れ、まつわり、波打った。しかも、これは声を発した。けものじみた、しかも男をもけものに変えずにはおかない叫声であった。
「ああ、はじめて知った!」
こう彼もさけんだつもりだが、声にはならない。女の厚ぼったい唇が、灼けるように彼の唇に貼《は》りついていたからだ。女の唇をくっつけたまま、彼は喘いだ。
「いままで、わしは女房と何をしていたのだろう。……いや、あれは女なんてものじゃない。人形だ。伊賀の操り人形じゃ。これが……これこそ、女じゃ!」
彼は痙攣《けいれん》し、のびた。のびては、また痙攣した。痙攣しては、またのびた。まさに、こんなことははじめてだ。
彼はからだじゅうが空洞《くうどう》になるような恐怖をおぼえた。が、それでも彼は女体から離れることができない。唇と同じことだ。お組後家が唇をひらくと彼も唇をひらき、お組後家が唇をとじると彼も唇をとじずにはいられないように、彼の硬直と放出は、無限に強制された。
「助けてくれ。……もういい」
と、ついに彼は悲鳴をあげた。悲鳴をあげつつ、なお風に吹かれる波のようにからだを上げ下げしていた。操り人形とはだれのことだかわからない。
「どうぞ! あっ、もう死ぬう!」
「どうぞ! あれ、もう……」
と、お組の唇が同じように動いて、同じような声を発した。
同じ声。――ふいに紋三郎はぎょっとした。いまさけんだのは、お半の声のようであったが。――
彼は改めて相手の顔を見ようとした。が、いつのまにか、またまつげが濃い蜜にたゆたゆとひたされたようで、どうにもそれがあけられなかった。下半身は波のように動きつづけているのに、脳はまた混沌《こんとん》たる睡魔に襲われて来た。……
それからまた、どれほどの時がたったか。
「あなた、あなた」
遠くから呼ぶ声が近くなり、紋三郎は眼をあけた。
そして彼は、枕頭《ちんとう》に坐っている女房のお半と、その背後に白くまぶしく光っている朝の窓を見たのである。
「……昨夜の首尾はいかがでございました」
と、お半はしずかにいった。
紋三郎はうつろな眼でそれを見た。何のことだ? とは問い返さなかった。記憶はまざまざと甦《よみがえ》っていたからである。しかし、彼の心はむろん――あれは夢であったか――という感慨にとらえられていた。
たちまち彼は愕然《がくぜん》とした。
「お組さまにお逢いなされたでございましょう」
「……逢った。あ、逢った!」
思わずいった。あれは夢ではない、あの記憶の生《なま》なましさ、このからだのひどい消耗感、あれは断じて夢ではない! その衝動《しようどう》から、われ知らず彼は白状のさけびを発せざるを得なかったのだ。
「あの女、来たのか?」
お半は、首を横にふった。
「おれが、いったのか?」
また首を横にふった。
「離れて、お逢いになったのです」
「……ば、ばかな! そんなことが……」
「それでは、外に出て、家のまわりを一まわりしてごらんなさいまし。雪は夜のうちに止みました。家のまわりに足跡は一つもないことがわかるでしょう」
がばと夜具から出ようとして、紋三郎はヘナヘナとつんのめった。腰のあたりの骨が軽石になったみたいな感じがした。
お半の言葉をたしかめる前に、ようやく彼は、お半が忍法|云々《うんぬん》といったことを思い出した。
「おまえ……忍法とやらを使ったのか」
「わたしだけではありません。あなたもお使いになったのです」
「お、おれが忍法?」
「そう、それでなくては――御本人がその気にならなければ――あんな夢を見ることはできません」
「夢? あれが夢?」
「夢といっても、お組さまもきのうは同じ夢をごらんになったはずです。ほんとうにお逢いになったのも同じことではありませんか?」
厳粛にいうお半の頬《ほお》に、はじめてにっと淡い片えくぼが彫られた。
「夢の中で逢う。逢って、話をすることも、慰めることも、苦しめることもできる。それがほんとうにあることと同じだとすると、遠い敵を悩ますことも、また離れた味方と連絡することも自由自在ではありませんか? それをおやりになったのは、あなたなんです。あなたにそのわざをする素質があったからなんです。そのうち、修行次第で、あなたはおひとりでこのわざがお出来になるようになるでしょう。……」
夢?
夢ではないかとひざをつねった記憶さえまざまざとあるが、やっぱり夢としか考えようがない。それ以外には考えられない。
しかし――と、紋三郎はくびをひねる。
あの覚醒後のひどい消耗感は、文字通り、醒めてからの感覚だ。自分はたしかに放出した。放出して、放出して、放出しまくった。となると、何か現場にその証拠が残っているはずだが――しかし、いわゆる夢精のなごりなど、露ほどもなかった。
してみると、ひょっとしたら、それを受納したのは女房ではあるまいか? ひょっとすると、どころではない、いくら考えてもそうとしか考えようはないが、すると、あのときに自分の鼻口を制圧した胴と二本の足の接続部は、あれは夢であったのか、現実のものであったのか。またいずれにせよ、あれは女房であったのか、それともお組後家であったのか?
両人のふとりかげんからわからないはずはないのだが、あんまり接近しすぎて、いま考えてもよくわからない。
それをお半にたしかめようにも、たしかめようのないほどお半はまじめな顔をしていた。あれ以来、実は紋三郎はすっかりそのほうに関する意欲を回復して、二、三度女房にちょっかいをかけて見たのだが、
「いま、あなたは修行中でございます」
と、むしろこわい顔をして彼女はいう。修行中だから、精進潔斎《しようじんけつさい》しなければならない、というのであるらしい。実際お半は、あれから、以前には見せなかったような、きびしい、思いつめた表情をしていた。放出した相手は女房にちがいない、と思う一方で、そんなお半を見ていると、あれは女房ではあり得ない、という考えも彼の胸にゆれ返した。あんなすばらしい、無際限の快楽の世界は、まだこの女房を相手に味わったことがない。
それにしても、いまが修行中だと?
お半はたしかにそういった。あれも忍法の修行だったそうだが、自分では能動的に修行したおぼえはないが、ともかくも夢の中にせよ体液をしぼりつくしたのだから一種の修行として、それ以来――何の変ったこともない。
実は、ひとりでまた念力こめてお組後家のことを妄想《もうそう》しつつ寝についたこともあるのだが、二度とあのような大法悦の夢幻境に昇天したことがない。どうやら独力ではあの忍法を実現する力はないらしい、と自己診断を下して、
「……これ、いつぞやの修行の復習、そのきっかけをつかませてくれぬか?」
と、お半にささやいたこともあるのだが、
「いえ、あれはもうよろしゅうございます」
と、彼女はにべもなくしりぞけた。
何かお半は待っているらしい。――
ということは感じた。えたいの知れぬ恐怖が、また紋三郎の心に這《は》い寄って来たが、それっきり何のこともない。依然として首領から何の呼び出しもない。――例によって例のごとく、日常は冬から春へ、江戸城の門番としてのたいくつな勤務をくり返してゆくだけであった。
が、外見平凡な生活の中で、紋三郎は熱鉄の苦しみにあえいでいた。
曾《かつ》ての苦しみとは、似ていてややちがうところがある。とくに熱度に大差がある。要するに性欲の昂進《こうしん》だが、それが炎にあぶられるほどなのだ。
或《あ》る日、突然、性の開眼《かいげん》をした人妻に似た現象であった。転機はむろんあの夜だが、さてそれっきり、妻はくびを横にふり、あれ以来どこかうすきみわるい伊賀組の影を背に負うて見える妻だけに手が出せず、それだけに彼の苦しみは激烈であった。
彼はまた高熱を病んでいるような眼を、ぼうと白い早春の日ざしにそそいでいることが多くなった。顔はボンヤリしているようだが、実に数日間にわたって昂奮のしつづけで、彼は肉体の一部がどうにかなりはしないかと、そのことばかりに気をとられていたのだ。
例の二人の女からは、ときどき手紙が来た。そっと配達してくれるのは酒屋の小僧であった。
お組後家からの手紙で、あの一夜、お組もまた同じ性夢を夢みたことを彼は知った。「おかしな夢を見ました」と彼女もいって来たのだが、そのうちあれはまことあったことだと次第に本人が錯覚してくるのが、その後の手紙でよく見てとれた。
それをまたどういう風の吹きまわしときっかけからか、お組が出戻りのおしゅんにしゃべってきかせたらしい。おしゅんの手紙には、お組の淫《みだ》らなおしゃべりを、それに輪をかけたとしか思えない淫らな筆致で報告してあり、あのような淫らな女と密会なさるとは、この世に道徳というものがあることを御存じないか、とつじつまの合わないことが書いてあった。
次第に二人の女の手紙は色情狂の様相をおびて来た。
しかも、それを読んで紋三郎は苦笑するどころか、一々共鳴するのだ。実際、彼の肉体の一部はブルンブルンと共鳴りを発したくらいであった。
或る早春の非番の日、おしゅんからの猛烈な呼び出し状を見るに及んで、紋三郎の共鳴り現象は絶頂に達した。彼はフラフラと出かけようとした。
「あの、どこへお出かけ?」
うしろから、声がかかった。お半が立っていた。紋三郎が血走った眼で、声ふるわせて何かいうより早く、
「あなた……実は、今夜、お頭さまが紋三郎をつれて参れと仰せられたのでございます」
と、お半がいった。
「な、なに?」
「けれど……いまのようなありさまでは、お頭さまに召されても御成敗は必定でございます」
「お、おどかすな」
「わたしがあなたをおどして、どうなりましょう。……よろしゅうございます。わたし、その女のかたに逢わせてさしあげましょう。そして、悩みも憑《つ》きものもサッパリと洗い落して、さわやかな男の顔でお頭さまにお会いになって下さいまし」
「……また、女と逢わずにか?」
お半はうなずいた。
「……例の夢をまた見させてくれるというのか?」
お半は首を横にふった。
「じゃ、どうして?」
何やら雲ゆきのただならぬことを察し、酒屋の小僧がすたこら逐電《ちくてん》しようとするのを、
「お待ち!」
と、お半は呼びとめた。この温雅な奥さまの口から出たとは思われない裂帛《れつぱく》の声に、小僧の足はぴたと釘づけになってしまった。
「おあがり」
そして彼女は、酒屋の小僧に驚くべきことを命じた。座敷で、尿《いばり》するときと同様の姿勢をとらせたのである。
小僧は赤くなり蒼《あお》くなったが、抵抗をゆるさぬ凄《すさま》じい気迫がこの奥さまの全身から発していた。小僧は十六、七であったろうか。まだ筋骨かたまらぬひよわなものは、みみずのごとくだらんとたれて、ブルブルと哀れにふるえていた。
「……お半、き、気でも狂ったか」
「あなたも同じことをしていただきます」
お半は厳然としていった。
「このことの成るか成らぬかは、おいのちにもかかわる大事でございますぞ」
紋三郎が抵抗できなかったのは、酒屋の小僧と同様であった。まるで白痴《こけ》同然の所業だ、という自覚は充分ありながら、催眠術にでもかけられたように、紋三郎も同じ姿勢をとって立った。
「両人、三歩前へ」
お半は命じた。
両人はすれすれに向い合った。
「あなた、あなたの方はすこし膝をまげて、腰を前へつき出して。――」
お半は紋三郎の腰をうしろから押してフォームを修整してから、横へ回って、二人の傍に立った。そして手に唾して、口の中で何やらぶつぶつとつぶやいた。
と、思うと、いきなり彼女は紋三郎をつかみ、小僧をつかみ、両者の尖端《せんたん》を接触させると、次に紋三郎のほうから小僧のほうへシューッとしごいたのである。
すると――何たる怪事、両者はピタと接着してしまった。あわてて身を離そうとすると、皮膚が剥離《はくり》しそうな疼痛《とうつう》が走った。
それから彼女はまた紋三郎の背後にまわりひざをついたようであった。それから彼女がどういう姿勢をとったか、紋三郎にはわからない。
たちまち紋三郎は、尻のあたりから一陣の冷風が吹きこまれて前方へ吹きすぎるのを感覚した。それが、刻一刻、暖か味をおびてくると、十《と》吹き目くらいには、熱風ともいうべき熱さになったことを知った。が、熱い、などという余裕を彼は失っている。彼は眼下に起った一大|椿事《ちんじ》に魂を奪われている。
接合して一本の棒となったもののうち、彼本来のものに属する部分は、小僧の部分よりむろん直径が大きかった。まず倍はあった。それがつながって、ボーリングのピンと野球のバットとの中間くらいの形状を呈していたといってよろしい。それが――一吹きごとに、瘤《こぶ》のようなものが紋三郎のほうから小僧のほうへ移動していって――あれよあれよというあいだに、その太さと細さが逆転してしまったのだ。
お半は横に戻って、それを点検した。
それから小指を一本出して、爪《つめ》でその中央部にクルリと筋を入れた。接合していたものは、もとの通り二つに分かたれた。
もとの通りに?――ちがう。両者は入れ替っていた。
小僧には紋三郎のものがとりつけられ、紋三郎には小僧のものがとりつけられていた。
「おゆき」
と、口あんぐりとあけている小僧に、お半はいった。
「飯田町のおしゅんさまとやらのところへ。――服部紋三郎が参りましたと」
それから、茫然《ぼうぜん》としている紋三郎の前に、彼女は坐り、両手をつかえていった。
「これならば、たとえあなたのおからだが外へお出かけなさっても、だれにも見とがめられることはありますまい。同様にして、手でも足でも入れ替わることができるわけでございます。もしあなたの腕をかよわい女の腕と入れ替えますれば、その女人はあなたの心得ておいでになる武芸をふるうことができるのでございます。……いいえ、わたしの忍法ではありません。あなたにその素質がおありになるからです。どうぞ御自信をお持ちあそばして!」
夢の中で現実そのもののごとく女と交合するが、事実は妻と交合している。
たしかに、自分の肉体の一部は向うの女と交合しているが、自分の本体はこちらに残っている。
世の男どもを最も腐心させている安全な浮気の法はここに実現されたわけだが、そもそもこれが密会といえるであろうか?
紋三郎はそんな疑問をいだく余裕もなかった。やがて、われに返り、彼は狼狽その極に達し、声をふりしぼった。
「あれを返せ」
「あの、もうすこし経過を見てからにして下さいまし」
と、お半はおちつきはらっていった。
数刻ののち、紋三郎の満身をふくらまして悩ましていた鬱塊《うつかい》はさあっと霽《は》れた。霽れたが、それで心身|爽快《そうかい》になったというより、何だかプシューと空気がどこからか自分でもわからぬところから抜けたようなあっけなさであった。
「あっ、やったな! 小僧。……」
と、彼はさけんだ。虚脱したような彼の顔を、じっと観察していて、お半はうなずいた。
「そうらしゅうございますね」
「おいっ、あれを返せ。返してくれ。……やっ、また何かが抜ける! ふう。……」
「そのことは、お頭さまからの御下知を承わってからのことにいたしましょう。では、そろそろ、お頭さまのお屋敷へ。……」
伊賀組首領服部万蔵の前へ、紋三郎をつれてまかり出たお半は、はればれと澄んでかがやくような顔色でいった。
「お頭さま、どうぞほめてやって下さいまし。かねてのお約束通り、紋三郎はとうとう一人前の忍者としての足を踏み出しました。例の忍法|夢刺客《ゆめしかく》、忍法|逆徳利《さかどつくり》の秘術をついに会得《えとく》したようでございます」
服部万蔵は、そこにペタンと坐っている紋三郎をつらつらと凝視していたが、やがて莞爾《かんじ》としていった。
「例の薩摩《さつま》の件、七人やったが、いまだ事成らぬのみか、七人とも帰っては来ぬ。それでは、わしが一もみ二もみして仕上げたのち、近い将来、紋三郎にいってもらおうか」
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『忍法女郎屋戦争』昭和56年6月10日初版発行