叛旗兵
山田風太郎
[#表紙(表紙.jpg、横192×縦192)]
目 次
春雁吾《しゆんがんわれ》に似たるか
椒図志異《しゆくとしい》
流人婿《るにんむこ》
伽《きや》 羅《ら》
妖祝言《ようしゆうげん》
勝座《しようざ》と敗座《はいざ》
四人のシラノ
こくぞう院ヒョット斎
剣鬼と拝金宗《はいきんしゆう》と火のくるま
三宝寺勝蔵《さんぽうじしようぞう》事件
敵の守護兵
大|隠密《おんみつ》
松尾山の軍師
慶長トルコ風呂《ぶろ》
あてはずれ
返礼首《へんれいくび》
弱い豪傑たち
石引き・綱引き
佐助と呼ばれた男
しょうべん献上
笹の才蔵
駿府傾城町《すんぷけいせいまち》
鞘《さや》 当《あて》
大御所さま淋病《りんびよう》始末
宋版《そうはん》史記
蜂須賀乱波党《はちすからつぱとう》
修羅車《しゆらぐるま》
藪《やぶ》の中
雀剣一如《じやんけんいちによ》
そこで武蔵は考えた
剣難女難
そこで小次郎も考えた
新陰流《しんかげりゆう》対|巌流《がんりゆう》
いちゃもん試合
独眼龍《どくがんりゆう》
抜け穴の果て
上洛《じようらく》記
傀儡師《くぐつし》の辻《つじ》
清正公長雪隠《きよまさこうながせつちん》
虚空《こくう》の太閤
宇治の雲水
二条城松の廊下
鳥獣戯画
反世界の忠臣蔵
山城昼行燈《やましろひるあんどん》
九度山者《くどやまもの》
慶長おんな歌舞伎《かぶき》
花の蜘蛛《くも》の巣
駕籠《かご》は権謀の雲に乗って
闇《やみ》に笑う声
告知状
一乗寺下り松
大決戦
武蔵小次郎決闘由来
大いなる掌《て》の翳《かげ》
花に背いて洛陽《らくよう》を去る
[#改ページ]
登場人物紹介
上杉|景勝《かげかつ》[#「上杉|景勝《かげかつ》」はゴシック体] 謙信の甥。十九歳で上杉家を相続。関ケ原の戦いでの敗北のため、家康によって米沢三十万石へ移封された。
直江|山《やま》 城《しろの》 守兼続《かみかねつぐ》[#「直江|山《やま》 城《しろの》 守兼続《かみかねつぐ》」はゴシック体] 謙信時代から仕える上杉家の大家老。武勇もさることながら、その機略と豪胆さは抜群で、秀吉にまでも愛された。
伽羅《きやら》[#「伽羅《きやら》」はゴシック体] 山城守の養女。気品と気力を備えた白鷺の精のような美女。山城守に引き取られる前は、山城守の弟の養女として育てられていたが、その出生は謎である。
左兵衛[#「左兵衛」はゴシック体] 伽羅の夫。関ケ原での西軍の勇将・大谷刑部吉隆の忘れがたみ。敗戦後、八丈島に流されていたためか、美男ではあるが弱々しいヒョロヒョロ男である。
前田慶次郎|利太《とします》[#「前田慶次郎|利太《とします》」はゴシック体] 山城守の秘蔵の家来で、世にいう直江四天王の一人。こくぞう院ヒョット斎。朱柄《あかえ》の槍を携え、背に「大ふへん者」と書いた旗を立て、倒した敵に小便をひっかける奇癖をもつ。
上泉|主水泰綱《もんどやすつな》[#「上泉|主水泰綱《もんどやすつな》」はゴシック体] 直江四天王。驚くべき長剣を背負い、羽織には「天下一」と染めぬいている。女性恐怖症の剣鬼。
岡野左内|宗政《むねまさ》[#「岡野左内|宗政《むねまさ》」はゴシック体] 直江四天王。ケチでギャンブル狂のクリスチャン。さざえ型の兜をつけ、金糸で十字架をかがった袖無羽織を常用している。
車丹波|猛虎《たけとら》[#「車丹波|猛虎《たけとら》」はゴシック体] 直江四天王。無鉄砲で女好きな豪傑だがただ一人、女房の小波《さざなみ》[#「小波《さざなみ》」はゴシック体]だけは天敵に逢ったけものみたいに怖がる。その羽織の背中には火炎と車、つまり火の車がえがいてある。
三宝寺勝蔵[#「三宝寺勝蔵」はゴシック体] 伽羅の幼い頃からそばに仕える草履取り。伽羅は佐助≠ニ呼んでいる。
お弦[#「お弦」はゴシック体] 直江家の侍女。元は伊達領の娘だった濃艶な美女で、上泉主水を慕っている。
本多|佐渡守正信《さどのかみまさのぶ》[#「本多|佐渡守正信《さどのかみまさのぶ》」はゴシック体] 徳川家最深部の実力者。
本多長五郎正重[#「本多長五郎正重」はゴシック体] 佐渡守の次男。伽羅の婿として佐渡守が直江家に送り込もうとした人物。常に白頭巾に面をつつみ、直江四天王らの行動を見張っている。
佐々木小次郎・宮本武蔵[#「佐々木小次郎・宮本武蔵」はゴシック体] 本多家の守護兵。
[#改ページ]
春雁吾《しゆんがんわれ》に似たるか
関《せき》ケ原《はら》の役《えき》における上杉《うえすぎ》家の立場は、さきの世界大戦における日本の立場にちょっと似ていないこともない。
日本はまずアメリカに対して火ぶたを切り、アメリカを牽制《けんせい》している間にドイツがヨーロッパで勝利を得ることを期待したのだが、上杉も家康《いえやす》を自分の手にひきつけている間に石田三成《いしだみつなり》が上方《かみがた》で覇権《はけん》を握ることを期待してまず火ぶたを切った。
慶長《けいちよう》五年六月。――
会津《あいづ》の上杉|景勝《かげかつ》が公然|叛意《はんい》を示したというので、当時大坂にあった家康はこれを征討するために、その十六日大坂をたち、十七日|伏見《ふしみ》城に寄った。
このとき家康は、千畳敷きの大広間につっ立って、何がうれしいのか、一人でニコニコ笑っているのを、家来の鳥居彦《とりいひこ》右衛門《えもん》が見たという。――日本がついに先に手を出したと知ったとき、もしその第一撃がフィリピンかマレーであったら、おそらくルーズヴェルトもニンマリ笑ったにちがいない。ただこの場合はそれが真珠湾であったからルーズヴェルトの笑いがとまったに過ぎない。
日本がアメリカを大強国であると認めていたと同様に、上杉も家康を大強敵であると承知していた。
その家康に、上杉家からたたきつけた挑戦状が凄《すさ》まじい。
上杉が会津で武備をさかんにしているという報告があるが、もし叛意がなければただちに上洛《じようらく》して家康に誓書を出せ、という詰問状に対する答書だが、
「景勝は、一昨年も昨年も、ことし一月にも上洛した。そこへまた上洛せよとあっては、いったい国元の政治はいつやるというのか。武備をさかんにしているとのお叱《しか》りだが、槍《やり》、弓、鉄砲の支度《したく》は田舎武士《いなかぶし》の習いだ。茶碗《ちやわん》や瓢箪《ひようたん》を集めて恐悦している上方武士とはちがう。
誓書を奉れとの仰せだが、おととし以来、数々の起請文《きしようもん》はみな紙っきれになってしまったではないか。いまさら起請文などとは事おかしや」
おととし以来の起請文とは、死にゆく太閤《たいこう》へ、家康をはじめとする景勝ら五大老が出した秀頼《ひでより》への忠節を約束した誓書のことだ。
「こちらに逆心があって、太閤さまの掟《おきて》にそむき、あのときの起請文を踏みにじり、御幼少の秀頼さまに弓ひいて、たとい天下をとったとしても、それでは末代までも悪人の名をのがれぬことになる。そんな悪名受けては上杉家|累代《るいだい》の恥だから、逆心などいだくはずがない。御安心あって然《しか》るべし」
自分に託して、家康を罵《ののし》っているのである。原文には、「天下の主《あるじ》になられ候《そうろう》とも、悪人の名のがれず候」とある。
「このごろは、昨日まで叛逆を企てていた者も、それがはずれると知らぬ顔して上洛し、恥も外聞もなく土下座する両股膏薬《ふたまたごうやく》の大名が多いが、景勝はそんな当世風は大きらいだ。べつに逆心などいだいてはいないが、逆心ありといわれて、それをへえへえと陳謝しに上洛すれば、謙信《けんしん》以来の弓取りの名を汚す」
凜然《りんぜん》たるものだ。売られた喧嘩《けんか》を買うというより、こちらから喧嘩を吹っかけている返書である。そして、最後には――
「内府さま(家康)または中納言《ちゆうなごん》さま(秀忠)御下向の由、万端御下向次第につかまつるべく候。以上」
会津に攻めて来るというなら攻めて来い、相手になってやろう、というのだ。
太閤在世中から、家康は太閤にひけはとらぬ大実力者であった。それに対して、こんな身の毛もよだつほど痛快無比の挑戦状を送った者は、天下に一人もない。
これでは、いくら重々しい家康でも征伐に向わないわけにはゆかない。
七月二日江戸に帰った家康は、その月半ば七万の大軍をひきいて会津へ向った。それ以前から上杉は、徳川方の伊達《だて》、最上《もがみ》、蒲生《がもう》、堀《ほり》ら周辺の諸大名と小競合《こぜりあ》いを開始していたが、家康いよいよ来たると知って、手に唾《つば》して景勝みずから下野《しもつけ》へ駈《か》け向い、白河《しらかわ》南方の革籠原《かわごはら》で戦いを決しようとした。
これがこのまま実現していたら、天下分目のいくさは、西の関ケ原ではなく、北の革籠原で行われたことになる。
しかるに七月二十四日夜、小山《おやま》の大本営にあった家康のもとに、西方において石田三成が兵を挙げたという報告がはいった。
東の方《かた》、まず上杉をたたくべきか。
西の方、馬首をめぐらして石田討伐に向うべきか。
家康は、後者を選んだ。――このあたり、太平洋で日本と持久戦をやりながら、まずドイツ打倒を第一目標としたアメリカの作戦と似通うものがある。
日本がアメリカを強敵と認めていた以上にアメリカが大強敵であったように、上杉が徳川を強敵と認めていた以上に徳川は大強敵であった。家康はすでに上杉・石田の協同作戦を看破していた。彼は自分の天下制覇のじゃまになる石田をたたきつぶす機会を待っていた。上杉討伐に向う伏見城内での笑いは、やがて背後で石田が起《た》つことを予測しての会心の笑いであったのだ。
家康は兵の三分の一を次子の秀康《ひでやす》に託して上杉を牽制させ、反転西上を開始した。同時に会津四辺の伊達、蒲生、最上らにその全力をあげて上杉を攻め、おのれの西上を追尾する余力なからしめんことを命じた。
おそらく上杉は、背後をかえりみず家康に追いすがるべきであったろう。事実、上杉の総参謀《そうさんぼう》 長《ちよう》 直江山《なおえやま》 城《しろの》 守《かみ》は主君景勝に、長蛇《ちようだ》逸すべからずと進言したのである。しかし、さしも勇猛をもって聞えた景勝も長駆して会津を出て追うことはためらった。
「われらの家康おびきよせの目的は達した」
と、景勝はいった。
「この上は、石田の采配《さいはい》を見よう」
これだけ家康の時間とエネルギーを奪った以上、その間に三成が上方で不敗の態勢を作りあげ、西上した家康を迎えても、その兵力、準備ともに互角以上の戦いを期待してもいい、と彼は見たのである。
しかし、三成はその期待に応《こた》えることが出来なかった。田辺《たなべ》城、伏見城、大津《おおつ》城などの攻略に、あるいは失敗し、あるいは犠牲を払い過ぎ、しかも西軍諸将の掌握に成功しなかった。
いや、それでも九月十五日の関ケ原では、いちじ家康が顔色を変えて爪《つめ》をかんだといわれるくらいのいくさをやったのだから、それ以上は期待するのが無理であったといおうか。
――関ケ原において西軍敗る!
会津で最上、伊達連合軍とたたかっていた上杉景勝のもとへその凶報がとどいたのは、九月二十九日のことである。
――ああ、大事は去った!
さすがに天を仰いで長嘆する景勝に、直江山城守は破顔一笑した。
「殿、どうやらばくち[#「ばくち」に傍点]は負けたようでござるな」
家康に対して快絶の挑戦状を書いたのはその男であった。いや、そもそも早くから石田三成と組んで、日本戦史上あとにも先にもないこの壮大な東西|挟撃《きようげき》作戦を作りあげたのがその男であった。
直江山城守|兼続《かねつぐ》。
日本の軍神《マルス》ともいうべき謙信に愛され、謙信の征《ゆ》くところいつでもその傍《そば》に侍していた美童――山城は若いころ、越後切っての美男だといわれた。決して、女のような美少年ではない。清爽《せいそう》、青嵐《あおあらし》の匂《にお》うがごとき美童であった。
追い追いその人物像は紹介してゆくつもりだが、武勇もさることながら、その機略と豪胆さは抜群であった。謙信に愛されたのは当然だ。謙信どころか――秀吉にまでも。
天正《てんしよう》六年謙信が春日山《かすがやま》城に没したとき、彼はまだ十九歳であったが、謙信の死後、実子がなかったので北条《ほうじよう》家から養子として迎えた景虎《かげとら》と、甥《おい》の景勝と相争う破目になったとき、山城は、その勇武と血統の点から景勝擁立に力をつくし、その目的を達した。
天正十一年、秀吉は越前に柴田勝家《しばたかついえ》を滅ぼし、十三年越中に佐々成政《さつさなりまさ》を滅ぼした。そのとき秀吉はなに思ったか、大胆にも三十余人の護衛兵だけひきいて北陸の大豪上杉景勝に面会を申しこみ、両者は越水《おちみず》の城に相会した。このとき秀吉は名家上杉を討つ意志のないことを告げ、景勝もまた秀吉の胆力に心打たれて、信服を誓ったといわれる。
この会盟の席に侍《はべ》ったのは、秀吉側で石田三成一人、景勝側で直江山城一人であった。両者同年で二十六歳である。
慶長三年、景勝は越後から会津へ移封《いほう》を命じられ、百二十万石という、徳川、毛利《もうり》につぐ大禄《だいろく》の主《あるじ》となった。このとき太閤は、とくに景勝に談じて、直江山城に三十万石と米沢《よねざわ》城を与えさせた。ときに山城三十九歳。
主は百二十万石とはいえ、身はこれ一国老、一|陪臣《ばいしん》に過ぎない。その身分で三十万石とは、古今に例がない。大名の中でも三十万石を越える者はわずかに十人。豊臣家に大功あった加藤《かとう》、福島《ふくしま》、黒田《くろだ》、蜂須賀《はちすか》などはそれより下だ。――もって秀吉が、いかに直江山城を買っていたかがわかる。
そして上杉景勝という人も、山城より五歳の年長であったが、これはひたすら叔父《おじ》謙信を神将とあがめ、その信義潔白に倣《なら》うのを信条とする大まじめな性格で――どれくらいの大まじめであったかというと、景勝が一生に笑ったのは二度か三度であったといわれているほどだ――ただ黙々と山城という大才物に従うのみであった。彼が山城の進言に従わなかったのは、あの家康追撃のときくらいなものだ。
だから、関ケ原の役で東西|連動《れんどう》の大活劇の脚本を書いたのも山城、演出したのも山城で、主たる景勝はその一俳優に過ぎなかった。それどころか、石田三成さえも、山城の脚本と演出に踊らされた一人ではないかと見えるふしもある。
もっとも、三成はむろん、景勝も決してイヤイヤその役を勤めたわけではなかった。
天下を狙《ねら》う老獪《ろうかい》家康に一泡《ひとあわ》吹かせてくれる。
この大芝居を企《たくら》んだ直江の意図の三分の一は、あわよくばその天下をこちらにもらおう、という野心がたしかにあったであろう。しかし少なくとも景勝にはそれほどの積極性はなかったようだ。
直江の意図の三分の一は、武士道だ。太閤さまへの起請文への信義と、故謙信に恥じぬ侠《きよう》の伝統にかけて、やわか古狸《ふるだぬき》家康の襟《えり》に虱《しらみ》のごとくつくべきや――という気概だ。景勝が起《た》ったのは、主としてこの心情からであったろう。
しかし、山城の意図のあと三分の一は、これは景勝の完全にあずかり知らぬ心理であった。つまり、男と生まれ、武士として名をなした上は、乗るか、そるか、一発の大ばくちを打ってやろうという。――
その乾坤一擲《けんこんいつてき》のギャンブルに上杉家は敗れた。
「うふふ、兜《かぶと》をぬいだ、とは、このことじゃな」
と、直江山城は笑ったが、しかし、実際にはまだ兜はぬがなかった。
兜の前面にある飾りの立物《たてもの》は、ふつう鍬形《くわがた》であり、戦国時代以後、半月とか、鹿《しか》の角《つの》あるいは水牛の角とさまざまそのデザインを競《きそ》ったが、それにしても直江山城の兜の前立《まえだて》は珍しい。
「愛」
大きな愛という一文字を額《ひたい》に飾っているのである。
若いころ、女色を遠ざけた謙信の恋童《れんどう》ではなかったか、という噂《うわさ》もあった山城であったが、当時の語感として、おそらくそれはそういう意味の愛ではなかったろう。仏教的な匂いはするにしろ、もっと広いヒューマニズムの意味を持つ愛であったろう。
それにしても、愛の大文字を兜につけて戦場を往来するとは、皮肉なことをするものだ。かえってしゃれたエレガンスをすらおぼえさせる。
しかし、これがただ笑って兜をぬぐだけですむことか?――もっとも山城はまだぬがなかったが――いずれにしても彼は、ぬいだあとの首を心配しなければならぬ立場に立たされたのではなかったか?
いや、彼のいのちどころか、上杉家そのものの運命が首の座に。
――結果からいえば、上杉家は滅ぼされなかった。
西軍に名をつらねながら滅亡をまぬがれた大名は、ほかにも毛利、島津《しまづ》などがあるが、上杉家の場合はまったく事情がちがう。
毛利や島津が無理に石田三成に誘いこまれた観があるのに対し、上杉は最初から石田と協同して火ぶたを切った主犯といえる上に、さて関ケ原で天下のゆくえが決したあとからでも。――
ここがドイツ敗北後三か月で潰滅《かいめつ》した後代の日本とちがうところだが、上杉家は四面に敵を受けながら、なお勇戦死闘、頑《がん》として屈しないこと一年近くに及んだのである。
その翌年の七月に至って、根まけした家康のほうから、和すれば上杉の存続は保証するという約束をとりつけて、ようやく槍を横に伏せたのであった。景勝はついに謙信の武名を汚さなかった。
直江山城も、やっとここで兜をぬいだ。
「これで、もう二度とこの兜をつけることはあるまい喃《のう》」
と、彼は、秘蔵の愛臣、前田慶次郎《まえだけいじろう》、岡野左内《おかのさない》、車丹波《くるまたんば》、上泉主水《かみいずみもんど》をかえりみた。その顔が微笑しているのに対し、四人の武者の眼は熱涙に溢《あふ》れていた。
――しかし、のちに山城はもういちどその兜をつけなければならない時を迎えるのである。そしてそのとき彼の眼が涙を持っていたのである。
さて、上杉家は存続は保証されたが、むろん太閤時代の百二十万石など許されるはずがない。
一挙に三十万石へ――しかも、米沢へ移封を命じられた。なんと、それまで直江山城の禄、所領が上杉家にあてられたのだ。
それはまあいいとして、三成と組んで天下分目のいくさを企み、あの不敵な挑戦状を投げた直江山城、その「罪状」はいまや歴としてあきらかなのに、家康はこれにも手をつけなかった。主家は許すとしても、その主家を誤まった乱魁《らんかい》ともいうべき山城は、スケープ・ゴートとしても、三成と同様首の座にひき出すべきなのに、家康はふしぎに知らない顔をしていた。
――彼に、家康をすらそうさせたくなる名状しがたい魅力があったからだというしかない。
それは、上杉家をあわや滅亡の淵《ふち》にひきずり込もうとし、からくも四分の一の中大名に落したこの家老に、なんと景勝が三十万石のうち六万石を割《さ》いて与え、毛ほどの怨《うら》みも向けなかったことでもわかる。そしてその異例の待遇を、上杉家の侍すべてが当然視した。――もっとも山城は、そのうち五万五千石を同僚に分って、彼自身は五千石しか受けなかったが。――
ただし、見方によっては山城一人で、上杉すべてを背負い込まされたともいえるのだから、これは家康の陰険で皮肉なしっぺ返しといえるかも知れない。
……世は、ついに泰平に帰したかに見えた。
とくに上杉家は、すでに牙《きば》をもがれた虎《とら》であった。少なくとも餌《えさ》を四分の一に減らされた虎であった。吼《ほ》えればたちまち一鞭《ひとむち》を食《くら》い、もはや抵抗する力を失ったとだれからも思われた。上杉家の侍たちは、出るところへ出ても、みな眼を伏せ、跫音《あしおと》立てずに歩いた。
直江山城は米沢からほとんど出なかった。
しかし、彼の顔は昔と変らぬおだやかな微笑を浮かべ、その平和を愉《たの》しんでいるかのようであった。実際に彼は、戦国の武将には珍しい本格的な文才詩才があったのである。
「……春雁吾《しゆんがんわれ》に似たるか吾春雁に似たるか
洛陽城裏《らくようじようり》花に背《そむ》いて帰る」
いかんながら起承の二句は失われて伝わらないが、いまに残るこの二句だけでも、彼が「霜は軍営に満ちて秋気清し」と詠じた故謙信の衣鉢《いはつ》をよくついでいることがわかる。
「葉を重み夏は動かぬ柳かな」
などいう発句《ほつく》も、捨てがたいものがある。
その昔の神将謙信をめぐる戦いの風雲も夢と化し、あの凄《すさ》まじい家康への挑戦状も忘れ、直江山城はただ優雅に、古代ローマのペトロニウスのごとく、北国の小天地の春秋を愉しんでいるかに見えた。
かくて、関ケ原から十年。――
[#改ページ]
椒図志異《しゆくとしい》
芥《あくた》 川龍之介《がわりゆうのすけ》が、おそらくは高等学校から大学へかけてのころのものと思われるが、「椒図志異《しゆくとしい》」と題して、読書の中から拾い出した古今の妖異譚《よういたん》を筆写したものがある。
「椒図志異」とは難しい言葉だが、彼の説明によれば、
「かつて、椒図と云《い》う号をつけたことがある。椒図とは、八犬伝によると、『黙するを好む龍《りゆう》』だと云う。そこで、この号を得意になって、椒図|居士《こじ》とか何とかつけた」
と、ある。志異とは奇談集の意味である。おそらく彼の頭には、中国の有名な怪談集「聊斎《りようさい》志異」があって、ノートにこんな題をしるしたものであろう。
その「椒図志異」の中に、「上杉家の怪例」として、次のようなことを記している。
「上杉家の居城(米沢)にては、御家督定まるごとに、国君手づから配膳《はいぜん》を天主に供し給うことあり。この時は固く眼かくしして上《たてまつ》らるるを例とすれど、天主よりかえらるるを見るに、如何《いか》に勇邁《ゆうまい》の君にても、必ず面色青う冷汗したたりておわすとぞ。如何なる不思議あればにや」
芥川は、この話を、母から聞いたと記している。
だから、上杉家の当主が天守閣で何を見たか、何があったのかはわからない。
しかし、そこには軍神|不識庵《ふしきあん》謙信の霊が祭ってあり、家督相続のときのみならず、およそ進退に迷う上杉家の大事の際、当主がその霊前に護摩《ごま》を焚《た》いて祈り、謙信のお告げを聴くというかたちで断を決する習いのあったことは事実であった。
慶長十五年晩夏。――
その米沢城の天守閣から、直江山城《なおえやましろ》と一人の女が下りて来た。
夕暮だ。しずかな雨がふっていた。
「北越《ほくえつ》軍談」に、「山城守は背高くして肉厚く、弁舌|爽《さわ》やかにして、風俗上品の人物なり」とあり、「北越|耆談《きだん》」に、「大男にて勿体《もつたい》よく、天下の大老にしても然るべき見事なる侍なり」とある堂々たる風采《ふうさい》は変らないが、関ケ原当時より、少し痩《や》せたようだ。それだけ、いっそう容姿は優雅になったといえる。あれから十年を経て、彼は五十一になっていた。
椒図という言葉が「沈黙せる龍」という意味なら、いまの直江山城はまさにそれであろうが、それにしても、天守閣から下りて、腕組みして、何やら案じ顔に歩いてゆくその影には、たしかに憂いの翳《かげ》があった。
それにまた。――
天守閣へ――いわんや、謙信の祭ってある最上層へは家臣はめったに上ることは出来ないが、山城は別だとはいうものの、女までつれて上るとは、いったい何事が起ったのか?
彼女は、山城の娘であった。名を伽羅《きやら》という。年は十八。
父親が有名な美男であるにしても、まあ何という美しさだろう。真っ白なかいどりを羽織って、雨の回廊をわたってゆく姿はまるで白鷺《しらさぎ》の精のように見える。これもまたうなだれて歩を運んでいた。
「……殿」
ふいに足もとで呼ぶ声があった。
山城は歩みをとめた。
薄暗い回廊の片側に、四人の男がならんで坐っていた。
「お前らか」
と、山城はいった。彼の秘蔵の家来たちだ。世に呼んで直江四天王という。
年は若いほうの一人でも三十過ぎ、あとは四十歳前後と見えた。入道頭もある、総髪《そうはつ》にした頭もある、髯《ひげ》だらけの顔もある。――が、ただ坐っているだけでも、活気というより殺気にちかいものが、その一団からむっと匂って来るようだ。
前田慶次郎|利太《とします》。
岡野左内|宗政《むねまさ》。
車《くるま》丹波|猛虎《たけとら》。
上泉主水|泰綱《やすつな》。
――それが彼らの名であった。
「殿。……不識庵さまに何の御相談にあがられたのでござります?」
畏敬《いけい》すべき主人には、じろっと不敵な眼をあげたくせに、次にその娘にむけた眼には、この四十年輩の豪傑然とした男たちが、みんなまぶしいようなまたたきがあった。
一人が、別人みたいにおずおずと不安げな声を出した。
「……伽羅さまについて、途方もない御縁談の儀が起っておると耳にいたしましたが、そりゃまことでござりまするか?」
「……そのほうどもなら、聞かせてもよかろう」
しばし黙って佇《たたず》んでいた山城守は、やがてうなずいた。
「いや、そのほうどもには聞いてもらわねばならぬと思うておった。……来い」
そして彼は先に立って、四人を近くの一座敷にみちびき、伽羅に障子をしめさせた。家老でもある上に、もともとこの城は彼のものであった。
「どこから耳にしたか知らぬが、まさに伽羅には縁組みの話がある」
と山城は落着いた声で語り出した。
「本多佐渡《ほんださど》どのから――次男坊を、それも、直江家のほうへ婿入りさせたいとのお話があった」
「ばかな!」
と、車丹波がさけんだ。
「本多佐渡は、臆面《おくめん》もなく直江家を乗っ取るつもりでござるか。無礼なことを!」
それにつづけて、岡野左内が、
「もしそんな男が来たら、この米沢に無事で十日とおられますまい」
と、いえば、上泉主水が、
「拙者が斬《き》りましょう」
と、いとも明快にいい切った。
本多佐渡守|正信《まさのぶ》は、いうまでもなく大御所家康の懐《ふところ》 刀《がたな》といわれる徳川家最深部の実力者だ。
ふつうなら、その人物からこういう話があったら、たとえ大大名でも、もみ手どころか、やれありがたし、かたじけなしと藩をあげて歓呼するに相違ない。いわんや、直江家は陪臣《ばいしん》だ。
しかし、上杉家はちがう。少なくとも、この縁談が公けになれば、ぎらと猜疑《さいぎ》の眼をひからせるか、いま車丹波が吼《ほ》えたように、怒りの声をもらす分子がきわめて多いだろうと推量された。彼らは、関ケ原以来の逼塞《ひつそく》を謙信公に申しわけないとして、歯をくいしばって耐えて来たのだ。
ただ、本多が右のような存在であるだけに、この縁組みがほんとに実現した場合、岡野左内が予言したように、果してその花婿が十日と無事にいられないことになるかどうかは疑問だ。
しかし、少なくともこの四人の男に限っては、たしかに相手の安全を保証出来ないところがあった。
「直江家には、あとつぎがおる。まさか、乗っ取るつもりではあるまいが」
と、山城守はしずかにいった。
いかにも、直江家には、平八景明《へいはちかげあき》という十四歳の男の子がある。
それに、考えて見ると、伽羅は山城守の実子ではなかった。実は平八の姉にあたる娘が一人いたのだが、慶長七年に十歳で病死し、さすがの山城も傷心にたえなかったのであろう、ちょうどそのとき山城守の弟|大国大和守実頼《おおくにやまとのかみさねより》が養女としていた同年の娘があったので、それをゆずり受けて育てたものであった。
ここまでは四人も知っている。だれでも知っている。しかし、その大国大和守がどこから養女としてもらって来たのかは四人は知らない。だれも知らない。それは当の大和守がその後事情あって高野山《こうやさん》に上って僧となってしまったからでもある。
要するに伽羅は、さっき、父が有名な美男であるにしても、と書いたが、実は山城守の子ではなかったのだ。
しかし、四人の眼から見れば、彼女はまさに山城守の娘であった。その美しさ、その気力、山城の娘以外のなにものでもなかった。そして山城守も、あきらかに自分の娘として遇し、かつ愛していた。
「それにしても本多佐渡は、倅《せがれ》を直江家の婿として送り込んで来るつもりに相違はござりますまい?」
と、岡野左内がいった。山城がうなずく。
「それはそうじゃ」
「なんのためでござる?」
上泉主水がそれに答えた。
「上杉家監視のためじゃ!」
「いまさら?」
こんどは車丹波がつぶやいた。
「……このごろ、また西のほうの雲ゆきが怪しくなって来たからの。上杉家の向背《こうはい》は、大御所にとって気がかり以上のものがあろう」
西のほうの雲ゆきとは、むろん大坂城のことである。――岡野左内がいった。
「なるほど、さもあらん。なにしろ上杉家は関ケ原のときのことがあるからの。三十万石となったにしろ、やはり景勝さまはこわい」
「いや、それより直江山城はもっとこわい」
と、前田慶次郎はうす笑いした。これは大入道で、だいぶ前から彼はヒョット斎《さい》と名乗っているから、これからはその名で呼ぶことにしよう。
「それにしても、上杉家を見張るのに、隠密《おんみつ》などを使わんで頭からおのれの子を婿入りさせようとは、本多佐渡も鉄面皮な。――それとも直江山城が相手では、隠密ごときでは間に合わぬと見たか」
と、車丹波がいい、大きな目玉を山城にむけた。
「というようなことを承知で、殿、まさかおめおめ佐渡の縁談お受けいれではござるまいな?」
「ことわれば、直江家はともかく、上杉家がどうなると思うかな」
と、山城守はいって、みなを見まわした。
さっき、その押しかけ婿が来るなら、たちどころに斬るという声があったにもかかわらず、改めてこう聞かれて、四人ははたと沈黙した。
諸大名の生殺与奪は、本多佐渡守の手一つにある、とは天下のだれもが承知していることであったからだ。
「こちらがことわることを見越しての難題かも知れぬぞ」
と、山城はいった。
なるほど、そういう可能性もある。いや、本多佐渡守のいろいろなやり口からして、むしろそのほうの可能性が強い。
彼らはようやく、直江山城が天守閣に上って、謙信の霊に何やらうかがったらしい意味を知った。――受けるも難、しりぞけるもまた難。
――にもかかわらず、その謙信を思い出したとき、四人の顔はむらっと朱に染まった。いわゆる熱血というやつだ。
上泉主水がうめき出した。
「そこまで仰せなら、いっそう拒否なされねば相ならん。おどしに屈して本多の倅をおしいただくようなら、世の笑いものとなり、上杉の名は滅んだも同然、それならいっそはじめから、上杉を滅ぼす覚悟で拒否なされたほうが、上杉の武名を汚さぬというもの」
「お前らは元来上杉家の者でないからそんなことを申すが」
と、直江山城はいった。
四人は、うっとつまった。いかにも彼らは、あるいは元|加賀前田《かがまえだ》、あるいは元蒲生、元|佐竹《さたけ》らの侍で、いやそれより天下の牢人《ろうにん》で、ただその大変な腕っぷしを買われて、山城守の扶持《ふち》を受けることになった連中であったのだ。
「いや、それは筋ちがいの仰せです。上杉の武名、直江の侠名《きようめい》に惚《ほ》れてわざわざ外から推参したわれらなればこそ、その武名侠名をまたとないものに思うこと、御当家の譜代衆にまさりこそすれ、ゆめ劣らぬ。さればこそ――」
と、岡野左内がいって、次の言葉に苦しんだとき――前田ヒョット斎が、突然妙なことをいい出した。
「殿。……そもそも、その本多佐渡の次男とは何者でござる?」
大きな入道頭をかしげて、
「本多には、その権謀父親そっくりという上野介正純《こうずけのすけまさずみ》という一子のあることは承知しておりますが、それ以外に倅のあることなど、聞いたことがござりませぬが」
「調べて見ると、ある」
と、山城はいった。――「調べて見ると」という言葉はこの際|面妖《めんよう》であった。
「長五郎正重《ちようごろうまさしげ》という次男が――つまり、このたびの花婿どのじゃが――天正八年生まれというから、ことし三十歳、ということになるな」
「ほう、その次男が……いま何をやっておるのでござりますか。本多佐渡ほどの者の倅で、いかなる武功をたてたか、何の職についておるか、世の噂《うわさ》も耳にしたことがござらぬが」
これに対する山城の答えは、いまの問いの不審さに輪をかけたものであった。
「ゆえあって、本多家の中で、ひたすら修行させておったそうな」
「ゆえあって? 修行とは、何の修行?」
「一切わからぬ。調べて見ると、その長五郎どのの、十五、六歳ごろまでは外部の人間で見た者がある。が、それ以後、ふっつり、その姿を見た者がないという。病ではないか、という噂もあったそうな」
「えっ、病?」
「という噂もあったそうなが、それよりわしは、べつのことも考えておる」
「べつのこと、とは?」
「佐渡どのは、諜者《ちようじや》使いの名人として聞えた人じゃ。ひょっとしたら、その次男坊を、隠密に仕立てあげられたのではないか?」
「ああ!」
四人はさけんだ。すぐに、岡野左内がいう。
「病か、隠密か、いずれにせよ、左様に怪しげなる男を、名門直江家の婿にしようとは!」
「来れば、はじめて正体を現わすことになる。それもまた面白いではないか?」
と、山城は微笑した。
「と、いちじは思うたが」
「は?」
「やはり、この話、ことわることにした」
「――謙信公のおん霊《りよう》のお告げによって、でござりますか」
「いや、この伽羅がいやじゃと申すのでな」
と、山城はかたわらをかえり見た。
伽羅はしずかに坐っている。遠くで見れば、白鷺のようだが――近くで見てもその通りだが、黒くキラキラとかがやく瞳《ひとみ》、柔らかくとじられた愛くるしい唇。どこかまだあどけなさの残る一方で、ふしぎに妖艶《ようえん》無比といった感じの奇妙な美貌《びぼう》を持つ伽羅であった。雨の日の仄白《ほのじろ》い明り障子を背に、そこには透明な花が一輪浮かんでいるように見えた。
当然だ、この姫君が、そんな正体不明の化物《ばけもの》みたいな三十男を夫にするのはいやだというのは当然だ、と、四人は躊躇《ちゆうちよ》なく心にうなずいた。
「その、ことわる口実、じゃがの」
と、山城はいった。
「伽羅には、もう夫とすべき人間がきまっておる、と答えることにした」
「ほう。……左様な簡単な逃口上で事がすみますか」
「事実、きまっておるのじゃから、どうしようもないわさ」
四人の豪傑は顔見合わせた。おたがいに驚愕《きようがく》した眼つきであった。
車丹波が、牛みたいなひくいうなり声をたてた。
「それは、どなたさまで?――さぞ、上杉家の御一門のおかたでござりましょうが」
「そんな身近《みじか》な人間では、いかにもあわてて厄除《やくよ》けの藁《わら》人形を立てたようで、かえってまた難題を持ち込まれるおそれがある。あの本多佐渡ほどの人物を、あっといったきり二の句がつげぬ相手でなければならぬ」
「そ、そんなお相手が、どこに?」
「それは、八丈島におる」
[#改ページ]
流人婿《るにんむこ》
伽羅《きやら》さまの花婿が八丈島にいる?
八丈島といえば、流人島《るにんとう》ではないか。――
「八丈島には」
と、前田ヒョット斎がいった。
「たしか、宇喜多中納言《うきたちゆうなごん》どのがおられるはずで」
「左様、それにつながる人間じゃが」
と、直江山城はうなずいた。
宇喜多中納言|秀家《ひでいえ》。――豊臣家五大老の一人で、備前美作《びぜんみまさか》五十七万四千石の大守であったために、石田三成にかつがれて、関ケ原では西軍の名目上の総帥《そうすい》となった。その酬《むく》いで、役後いちどは薩摩《さつま》に逃れたが、慶長十一年八月以来、八丈島に流人となっている人物だ。八丈島流刑の第一号である。
「あのとき配流になった者、秀家どの、御子息の秀高《ひでたか》、秀継《ひでつぐ》どのらをふくめて一行十四人、その中の家来に、当家を牢人して宇喜多家に仕えた千坂兵左衛門《ちさかへいざえもん》がおる」
「おう、いかにも」
「それがこんど赦免《しやめん》されて帰ることになった」
千坂兵左衛門は、上杉家の現江戸家老千坂|対馬守《つしまのかみ》の叔父にあたる人物だ。これも世に聞えた豪傑であったが、性|狷介《けんかい》で主人の景勝と喧嘩《けんか》して飛び出し、宇喜多家に仕えた。そして、そういう再仕官にもかかわらず、秀家のあとを慕って、同じく八丈島へ流された。――
それは元上杉家の侍であったから、前田ヒョット斎らもよく知っている。
「ほ、それはめでたいお話で――しかし、まさか伽羅さまの花婿が、その千坂兵左衛門どのではござるまいな?」
「馬鹿を申せ、兵左衛門はもう六十を越えておるはずだ」
山城守は苦笑した。
「もう一人、帰って来る男がある。正木左兵衛《まさきさへえ》という男じゃ。これは三十くらいというから、伽羅の婿として、少々年はくってはおるが、まるで合わぬということはあるまい」
「正木左兵衛……そりゃ、何者でござりまする?」
「宇喜多家で一万石の扶持を受けておったという」
「えっ、一万石、――」
かつて上杉家で三十万石を受けていた直江山城は別格として、いかに当時五十七万四千石の宇喜多家とはいえ、一万石の家臣というのはざらにあるものではない。それくらいの値打ちのある人物なら、ヒョット斎らも評判を聞いたことがありそうなものだが、かつて正木左兵衛などという名を聞いたことがない。
「宇喜多以前は、大谷《おおたに》家に仕えておったというが」
「ほう」
四天王は顔見合わせた。
大谷家といえば、石田三成との友誼《ゆうぎ》に殉じ、関ケ原で勇戦して討死した大谷|刑部吉隆《ぎようぶよしたか》のことにきまっているが。――
「名も知らぬわけよ。考えても見よ、いま三十前後とすれば、関ケ原のころは二十歳《はたち》前後、大谷家におったのはそれ以前であろう。世に聞えるほどの手柄があるわけはない」
「そ、そのお人を、伽羅さまの花婿になさると仰せなさるのでござりますか」
車丹波が膝《ひざ》をにじり寄らせると、上泉主水も妙な眼つきを伽羅にむけていう。
「お話では、まだ見たこともないその仁《じん》を」
「伽羅は承知した」
と、山城は娘をかえり見た。
「わしが宇喜多の旧臣どもに手を廻して調べたところではの、どうやらその正木左兵衛という人物――大谷刑部の忘れがたみらしい」
「やあ?」
「ただし、左兵衛が宇喜多家に奉公したのは関ケ原以前のことであるし、大谷家にも家来として仕えておったというのじゃから、妾腹《しようふく》か何か仔細《しさい》あってのことであろう。ともあれ、それでなくては宇喜多がそんな若年者を一万石で召し抱えるわけがないではないか? それでこそ、一万石の意味が解けるではないか」
「なるほど」
四人は、うなった。
「大谷刑部の忘れがたみなら、伽羅の花婿としてむしろ過ぎたるものと思わぬか」
それは、そういえるかも知れない。四天王にとって、いまでも舌打ちしたい関ケ原西軍諸将の働きのうち、癩を病みつつ輿《こし》に乗って戦った大谷刑部は、悲壮な光芒《こうぼう》にふちどられた数少ない星の一つではある。
しかし、四人はなお首をかしげていた。岡野左内が訊《たず》ねた。
「その仁を直江家の婿に迎えるとして……本多佐渡はあきらめますか。大谷刑部どのの忘れがたみと知れば、いよいよ苦《にが》り切って難題を持ちこむおそれはありませぬか」
「いや、それでこそ本多は手をひくと思う。虚をつかれるからじゃ。佐渡ほどの古狸《ふるだぬき》が、あっといったきり二の句がつげぬ相手は、なみの家柄の者ではつとまらぬ。八丈帰りの大谷刑部の遺児しかない。もとより向うが苦汁《にがり》を飲んだようなつらになるのは覚悟の前じゃ。それだけ上杉また直江の面目の立てどころといえる。そうは思わぬか?」
山城はニコと笑った。
このとき、はじめて伽羅が口を切った。
「本多佐渡守さまの御子息よりはまだがまんが出来る、と伽羅は考えたのです」
「殿」
前田ヒョット斎が山城守のほうに向きなおった。
「そもそも、その話、相手の大谷刑部どのの忘れがたみが御承知なのでござるか」
「いや、知らぬじゃろう。島から帰るという話も、宇喜多の旧臣から聞いたばかりじゃ。……それで、こちらから出迎えて話をせねばならぬ」
山城守はいった。いよいよ海のものか山のものかわからない話となったが、落着きはらった顔色であった。
「八丈からの船は、十月半ばに着くそうな。……その未見の花婿どのを迎えるために、わしも伽羅も江戸へゆかずばなるまい。お前たちも、いっしょに来い」
山城守は立ちあがった。
そして、何と判断していいか、茫乎《ぼうこ》として坐ったままの四人の愛臣をあとに、伽羅を促して縁側に出た。
すると、一分もたたないうちに、山城守の「あれは何か」というさけび声が聞えた。四人は躍りあがって、そこへ走り出した。
直江山城は縁側の柱のところに立って、庭を指さし、伽羅は一|間《けん》ばかり向うへゆき過ぎてふりかえったところであった。
山城守の指さしているものをのぞきこんで、四人ははっとした。
縁からすぐ下の地上に、ちぎれて半分になった短冊《たんざく》が一枚落ちている。何か文字が書かれてある。糸のような雨が、その墨をにじませている。――
上泉主水が、ものもいわず、一間ばかりも高い回廊から飛び下りた。山城守に逢《あ》う前に、四人はそこを通ったはずだが、たしかそんな短冊など見えなかったようだ。もし何者かがその紙片をそこに置いたなら、曲者《くせもの》の影が広い庭のどこにも見えない以上、そやつは縁の下に逃げ込んだに相違ない、と判断したのだ。
が――たちまち、彼は、
「だれもおらんぞ!」
と、さけんだ。
縁側の下こそ空間だが、すぐ内側から隠密ふせぎの厚い板が張ってあって、曲者がそこから床下一面の闇《やみ》に出入することなど出来ないようになっている。そして、長い縁の下には、それらしい影は何も見えなかったのだ。
そして主水は、その短冊を拾って、縁のどこかに手をかけると、鳥みたいに上って来た。
「枕《まくら》に近き初雁《はつかり》の声……」
前田ヒョット斎は、短冊を受けとってのぞきこみ、
「もののふの鎧《よろい》の袖《そで》にかたしきて枕に近き初雁の声。……上のほうがちぎれておりますが、こりゃ不識庵さまのお歌の一節ではござらぬか!」
と、うめいた。有名な謙信の歌だ。
「しかし、短冊は新しい」
「が、墨がにじんで、手蹟《しゆせき》がわからぬ……」
と、主水と丹波が口々にいった。
「さっきは、こんなものは見えなんだ。……どこからか飛んで来たのか」
ヒョット斎が、けぶる庭を見わたすと、
「この雨の中を?」
と、岡野左内が首をかたむけて、
「それとも、だれかここを通った者があって、これを落していったものか?」
と、縁側の前後に眼をめぐらすと、
「不識庵さまのお歌をこのようにちぎってか?」
と、こんどはヒョット斎が首をかしげた。
「……それより、そのお歌、何やら気にかかるの」
と、山城守がつぶやいた。
「と、仰せられると?」
「われらの話を聴いた、という意味にとれぬこともないが……」
四人はぎょっとして主人の顔を見つめ、しばらく応答の声ももらさなかった。
それから十日ばかりたって、慶長十五年の九月半ば、直江山城は出府の途についた。
従う者は、娘の伽羅と四天王のほかは、合わせて十人ばかりの侍女と若党|中間《ちゆうげん》だけであった。
秋風吹く奥州街道を、山城守と伽羅の乗物をかこんでゆく四天王の顔には、たえず一種の哀感と武者ぶるいが交錯していた。
哀感は、これが伽羅さまの花婿を迎えにゆく旅であったからだ。
やがて彼らがいかなる来歴を持つ男たちであったかは追い追い述べるつもりだが、彼らの野袴《のばかま》に袖無羽織《そでなしばおり》という姿は、わらじを除けば平生の姿とちっとも変らない。
前田ヒョット斎は大入道で、豪快な鬚《ひげ》を頬《ほお》にはねあげているが、頭をつんつるてんに剃《そ》っているせいか、どこか人を喰った飄然《ひようぜん》とした印象があった。その羽織の背には「大ふへん者」と染め出してある。年は三十七、八だろう。
車丹波は、顔もからだも毛だらけといっていいような肥満漢で、その羽織の背には火炎と車――火の車がえがいてあるが、彼自身いまにも燃えあがりそうな感じの男であった。年は四十をちょっと超えたあたりか。
岡野左内は、この中でただ一人|月代《さかやき》を剃り、しゃれた細い口髭を生やしているが、いちばん尋常な――まあ、紳士といっていい円満な顔をしている。羽織の背には、十の字が――はっきりいえば十字架《クルス》が浮き出していた。これはヒョット斎と同じくらいの年配に見える。
上泉主水は、髪を総髪にして、まるで鷹《たか》みたいに精悍《せいかん》な容貌《ようぼう》で、旅のせいか長剣をななめに負《お》ったその背には「天下一」と書いてある。これはいちばん若くて、三十三、四か。
彼らはみんな伽羅さまを愛しているのであった。
ただし、いずれも右のごとき年配だから、十八の伽羅さまに単純な色恋の心をいだいているわけではない。だいいち彼らにとって主君の姫君である。
伽羅さまが直江家に来たのが――そう、あれは慶長七年のことであったから、まだ十であった。それ以前に、山城守の弟大国大和守のところで見たおぼえがあるから、さらに童女のころだ。
直江家にもらわれてからも、なんど彼らは、伽羅さまを抱いたり、その柔らかな頬に髯《ひげ》づらをこすりつけて痛がらせたことだろう。
だからその愛情は、父か兄かのそれに近いといいたいのだが――それが、このごろは、どうもそのあたり必ずしもそうともいえないものがある。では、やっぱり一種の恋情かというと、そうともいい切れない。とくに一人一人、それぞれ仔細があって――げんに、中にはもう妻帯している者もあった――この姫君に対する彼らの想いは、とにかく一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかないものがある。
何にせよ、四天王は、伽羅さまのことに関するかぎり、この旅は少々|憂鬱《ゆううつ》であった。
そして、ときどき彼らがわれに返ったように武者ぶるいするのは、これが直江山城の、関ケ原以来はじめての出府だからであった。
供廻りの人数を見てもわかるように、ほとんど密行にちかい旅だが、むろん山城出府のことは江戸に知れわたるだろう。だいいち婿取りの件につき、本多佐渡に報告する必要があるのだから。
直江山城来たる。十年前、関ケ原で大御所に無謀なたたかいを挑んで敗れ、今も生きながらえておる男、直江山城守江戸に来たる。
その事実が、江戸にどんな波紋をひろげるか。
いわんや、徳川家の懐刀本多佐渡の鼻をあかすにひとしい用をもっての出府においてをやだ。
四天王が武者ぶるいするのも無理はない。――江戸屋敷にいる上杉の侍は、甚《はなは》だ気勢が上らない、という話はすでに米沢で聞いているが、それで彼らは、いっそう戦気を全身の毛穴にそよがせている。
ひとり、直江山城は悠然《ゆうぜん》として、駕籠《かご》にゆられていた。
武家|法度《はつと》としての参覲交代《さんきんこうたい》の制が出されたのは後になるが、すでにこのころから主だった大名で江戸に屋敷を置き、ここに住んでいる者が少なくなかった。――とくに徳川家から見て疑わしいところのある大名には、本多佐渡から内示があってそうすることを強要されたのである。
で、上杉家の江戸屋敷も桜田にあり、主君の景勝は二年ばかり前から、そこにひっそりと住んでいる。
直江山城の一行は、やがてそこへ、これまたひっそりとはいった。
――江戸では、いたるところ火事が起っているようであった。
いわゆる火事騒ぎさながらの土木建築が無数にあるからでもあるが、それより、そこから関東特有の軽土が、あちこち火事の煙みたいに空に立ちのぼっているからだ。
家康がここに入府した天正十八年「その時代までは、東のかた平地の分はここもかしこも汐入《しおい》りの芦原《あしはら》にて、町屋侍屋敷を十町と割り付くべきようもなく、さてまた西南のかたは、ひょうひょうと萱原《かやはら》武蔵野《むさしの》へつづき、どこをしまりというべきようなし」と描写されたころから、まだ二十年しかたっていない。
はじめ、入国当初の江戸城を見て、本多佐渡が、
「これはあまりに見苦しき儀に候《そうろう》。他国よりの御使者への外聞もあり、せめて御玄関廻りなりと御普請《ごふしん》仰せつけられ然《しか》るべし」
と、進言したのに対して、家康が、
「そのほうらしくもなく立派だてを申す」
と笑ってとり合わなかったが、その家康が本格的な江戸城の築城にとりかかったのは、近々五、六年前。まだそれは完成というにはほど遠い。
まして、江戸そのものは、まだ草創期にあった。――城のすぐ南、日比谷あたりまで入江がはいりこんでいるという状態なのである。
ひるまはその入江へ、諸大名が伊豆から運ぶ石船が輻湊《ふくそう》しているが、その騒ぎが一応鎮まったある夕方、その入江に、幽界から来たような小さな帆船が一|艘《そう》、ひっそりとはいって来た。
それが、昼間石を下ろす場所とはちがう、沼みたいなところへ泊って、世をはばかるように二人の人間を吐き落した。
二人は足を水に洗わせながら、フラフラと歩いて来る。蓬々《ほうほう》と肩までのびた髪、あちこち裂けて、裾《すそ》のほうはボロボロになった灰色の衣服――まるで俊寛《しゆんかん》が鬼界《きかい》ケ島から帰ったならかくもあらんと思われる姿だ。
枯芦の中から、七、八人の男女が立ちあがって、呼びかけた。
「おう、左兵衛どの」
「千坂どの、長い間、御苦労でござった」
そのむれの中へ二人は倒れ込み、一団はもつれ合い、号泣の声が起った。
「殿は……中納言さまは、つつがなくお暮し遊ばされまするやっ」
その声に答える声は、何をいっているのかよくわからない。
これは八丈島から帰って来た人間を迎えに来た人々で――宇喜多家に血縁のつながる者、またその旧臣たちであろう。しかし、それはわずかにその人数に過ぎなかった。
ほとんど泣き声ばかりといった十数分が過ぎて、やがてその一団が岸を歩き出し、しばらくいって、ぎょっとしたように立ちどまった。
そこのまた一際《ひときわ》高いひとむらの枯芦のかたまりのそばに、五、六人の影が静かに立ってこれを迎えていたのである。
こちらで、だれかさけんだ。
「おう……直江山城どの!」
[#改ページ]
伽《きや》 羅《ら》
待っていたのは、直江山城守と四天王の男たちであった。
いや、もう一人いた。女人である。もう日も沈んで、蒼味《あおみ》をおびた宵闇《よいやみ》に、それは夜光虫のようにぼうっと浮かびあがって見えた。
山城の名を呼んだのは、帰って来た流人の一人、千坂兵左衛門だ。
呼んで、駈《か》けて来て、山城守の胸にしがみつき、また大声で泣き出した。その髪は、真っ白であった。もう六十を過ぎているのだから、それも当然といえばいえるが、痩《や》せ衰えた肉体、ボロにちかい衣服を見ては、それが八丈島の悲風惨雨に晒《さら》されたからとしか思われなかった。
だいいち、主君の景勝と喧嘩《けんか》して上杉家を飛び出し、宇喜多家に仕えて、敗戦後はみずから志願して流刑の供をしたというこの剛直な老武者が、声をあげて泣くなどということは、見ていても信じられない光景であった。
二人の流人を吐き落した帆船は、こんどはほんとの船《ふな》がかりの場所を求めてか、またどこかへ移ってゆく。
この時は、兵左衛門が何をいったのか、舌ももつれて不明であったが、のちに改めて八丈島の話を聞いて、四人が胸を打たれた話がある。
八丈島に流された宇喜多秀家が、ある日、島の代官のところへ招《よ》ばれて御馳走《ごちそう》になったが、余った御飯を二つのむすび[#「むすび」に傍点]にしてもらって、流人小屋に待っている一族の者へ、土産《みやげ》にもって帰ったという。
かつて征明《せいみん》の元帥、西軍の総帥、五十七万四千石の大守が。――
もって、八丈島の生活がいかなるものであったかを知るに足る。
号泣する兵左衛門の背を、直江山城守はやさしく撫《な》でていた。
「おお、よしよし、おお、よしよし」
くすっ、と、この場合に笑った声があった。
女の声だ。伽羅《きやら》であった。――あとで聞くと、父の山城が白髪の老人を、まるで子供をあやすようにしていたのが可笑《おか》しくて、がまんが出来なかったのだという。
それが耳にはいったと見え、兵左衛門が顔をあげ、はじめてそこに女の影が見えるのに気がついて、キョトンとしたとき、
「とにかく、上杉屋敷に来い。兵左……来てくれるな?」
と、山城守はいい、向うの――出迎えた宇喜多家に縁ある人々に呼びかけた。
「積る話は、上杉屋敷で承わることにいたしたい。みなの衆もおいでなさらぬか?」
直江山城という名を聞いて、知らない者はない。ただその人物がここに出迎えに来ていることは思いがけなかったらしいが、すぐに千坂が元上杉家の人間であったことを思い出したのだろう、みな、いっせいにお辞儀した。
「それから、正木左兵衛どの――じゃな?」
山城守はもう一人の影に呼びかけた。
その影もまた、蓬髪《ほうはつ》と襤褸《らんる》は兵左衛門と同様であったが、ふしぎに四天王は、そこに伽羅と同じような夜光虫みたいな印象を受けた。――いや、実は最初の一瞥《いちべつ》だけだが。
つまり、そんな哀れな姿であったにもかかわらず、その男はそれほど美男に見えたのだ。
「あなたも、上杉家へ来ていただきたい」
「は……いえ」
と、正木左兵衛は口ごもった。
「どこか、おゆきになるあてがおありか」
「は……いえ」
また、あいまいな答が返って来た。
遠慮ぶかいたちなのか、まだ頭がはっきりしないのか、よくわからない。
「いや、それは」
と、それまでキョトンとしていた千坂兵左衛門が、ふいにわれに返ったように口をさしはさんだ。
「あの仁は、つれていっても何の役にもたたぬ」
吐き出すような語調だ。遠い島の長い流刑からいっしょに帰って来たというのに、この老人は同伴者にあまりいい感じを持っていないらしい。
山城守が、首をかしげた。
「はて、何の役に?」
「徳川への報復じゃ!」
老人はうめいた。ふり乱した白髪の下で、眼が憑《つ》かれたもののようにひかった。
「喃《のう》、上杉家は雌伏《しふく》しておるのであろうが……山城どの、あなたは、その日を待っておられるのじゃろうが?」
いま泣いた鴉《からす》がもう笑った、という言葉がある。
笑うどころではない。いままで号泣していた流人が、突然こんな恐ろしいことをいい出したのには、豪快な四天王もはっとしてあたりを見まわしたくらいである。
千坂兵左衛門が主君の宇喜多中納言とともに八丈島に流されたのは、関ケ原から六年もたって慶長十一年になってからのことであったから、その間の時勢の変りようはよく承知しているはずであったろうに、いま関ケ原直後へ時間が逆流したようなうめきをもらしたのは、八丈島での惨苦がそういう回顧力を飛散させてしまったのか、それとも直江山城という人間を見て、反射的にそんな言葉が飛び出して来たのか。――
「そのような役には立たんでもよろしい」
と、山城守は片えくぼを彫った。四人の眼には、苦笑と見えた。
「しかし、正木左兵衛どのは、直江家の役にはたつ」
「はて、何の役に?」
こんどは千坂兵左衛門が問い返す番であった。
「実は、これはわしの一存では成らぬことじゃが」
と、山城はいった。
「左兵衛どの……この娘の婿になって下されぬか? 山城の娘、伽羅でござる」
「えっ」
眼をまんまるくして奇声を発したのは、兵左衛門だけではない。宇喜多家の人々も、あっけにとられたようにこちらを見た。そして、そのすべての眼が、伽羅の美しさに改めて見張られたようであった。
「その望みあって、お迎えに参った次第でござるが、いかがかな?」
「それはことわる!」
さけび出したのは、当人ではなく、また千坂兵左衛門であった。
「この仁が、直江家の婿など、とんでもない!」
「なぜ?」
「そもそもこんど、この左兵衛どのとこのわしだけが赦免《しやめん》になったのはどういうわけかと首をひねったものでござるが――」
「それは御両人とも、元来宇喜多家の人間ではない、ということからであろう」
「それにしても、二人、あまりにもちがい過ぎる」
「どう、ちがう」
「赦免になった理由は知らず、拙者がそれを受ける気になったのは、八丈島で宇喜多一族がなめておる地獄、その恨み、帰って霽《は》らさでおくべきや、という一念からでござった。で、この覚悟を左兵衛どのに打ち明けたところ、てっきり同心と思いきや――けっ」
老人は怪鳥みたいな舌打ちの音をたてた。
「島での苦労に、気くじけ、志おとろえ――いやいや、それどころか、御覧のごとく腑《ふ》ぬけ人間となり果てて、拙者、愛想もコソも尽き果てた。名門直江家の婿として、これ以上不向きな仁はないと、この兵左衛門が保証する!」
と、その影薄い影へあごをしゃくった。
以上の言動で、さっきからこの千坂兵左衛門はしきりに号泣していたけれど、それは絶海の孤島から帰って来た瞬間的な激情のせいであって、決してただの感涙ではなかったということは明らかになった。
同伴者が赦免になったのは不当みたいな口をきいたけれど、それがふしぎなのは当人のほうだといわなければならない。
その彼がシャシャリ出て、ひとが花婿になろうという話をブチこわそうとするのだが、聞いていて四天王は、まったく同感した。
それは先刻からジロジロその人物を観察していて、そのむさくるしさにもかかわらず、これはいい男だと感じたのは最初の一瞥だけで、よくよく眺めると、すこぶる迫力がない。流人暮しと船旅のために疲れ果てているにはちがいないが、そればかりではなく、たしかに兵左衛門が変な太鼓判を押した通り、まったく気力喪失した弱々しさが感じられる。――いや、彼らはそう感じたい。
いったい主人の山城守さまは、あんな男を直江家の婿にされるのか? そのつもりでここに迎えに来たには相違ないが、いま実物を見て、その気が変らないのか?
「伽羅」
と、山城守はかえり見た。
おお、そうだ、たおやかな姿にも似ず気丈なところがあって、ふだんからなにかのはずみでは自分たちをもあごで使いかねない伽羅さまが、あんなヒョロヒョロ男を夫にされるはずがない。――
伽羅はじっと正木左兵衛を見つめていた。
やがて、夕闇の中にも、伽羅の頬がぼうとあからんだ。――ふしぎに四人の眼にはそう見えて、背すじに何かがながれたような気がした。
そして伽羅は、小さな声で答えたのである。
「もし、あのかたが、御承知ならば……」
山城が、もういちど相手に声をかけた。
「承知して下さるかな、左兵衛どの?」
「いえ……は」
と、正木左兵衛はいった。
先刻からと同じあいまいな声だが、こんどは肯定のほうがあとにくっついたようだ。
その証拠に、――
「では、みなの衆ござれ」
と、直江山城がいって背を見せると、千坂兵左衛門も宇喜多家の旧臣も、狐《きつね》につままれたようにそれに従ったが、正木左兵衛もまた、フラフラとあとについて来たのである。
いちばんうしろから四天王は、これまた不得要領な顔で歩き出したが、ふと前田ヒョット斎が足もとを見て、
「やっ?」
と、さけんだ。
枯芦の中の水たまりに、ちぎれた紙片が浮かんでいるのを見いだしたのである。
拾いあげて、それに書かれた――水ににじんだ文字を読んで、四人は眼をむいていた。
「……遮莫遠島憶家郷」
|遮 莫《さもあらばあれ》家郷の遠征を憶《おも》うは。――
いうまでもなく、有名な謙信の「霜は軍営に満ちて秋気清し」にはじまる陣中詩の結句だ。
いや、そうではない。これは「遠島の家郷を憶うは」だ。謙信の詩をもじったものだ。
「殿……山城さま!」
彼らはあわてて呼ぶ一方で、まるで雷鳥みたいに毛を逆立て、首をのばして、一帯の枯芦の原を見まわしていた。
立ち戻って来た山城守は、それを見ると、さすがにやや顔色を動かしたようであった。
「米沢の短冊は、まぐれではなかったと見える」
と、つぶやいた。
江戸へ立つ前、米沢城の回廊に落ちていた半ちぎれの――「枕に近き初雁の声」という謙信の歌を書いた短冊のことだ。あのときは、そのことがどうしても腑に落ちぬまま、城侍のだれかが書いたものが偶然そこに落ちていたものだろう、ということになったのだが。――
「騒ぐな、みなが不安がる。……それに、きょうのことだれに知られてもべつに仔細《しさい》ないことじゃ。捨ておけ」
と、山城守はいって、その紙片を文字通り握りつぶし、すぐに何のこともない顔で、また背を見せた。
そう思って、四天王はいま、四方に飛び立ってあたりを捜索するのを自制したのだが。――
しかし、奇怪至極なことではある。まわりは枯芦のひろがる原っぱではあるけれど、さっきからそこにいて、彼らはあたりに人影はおろか、そんな気配も感じなかった。鳥の動き、または虫の声によって敵の埋伏《まいふく》の計を知る。彼らはそういう点では千軍万馬の古強者《ふるつわもの》であったのだ。
「ひょっとしたら?」
と、上泉主水が、ゆくてに遠ざかってゆく一行を見送って眼をひからせた。
「あの宇喜多家の中に?」
流人《るにん》を出迎えた宇喜多家の旧臣は、老女三人、老臣四人であったが。――
「しかし、さっきわれらが来たとき、そんなものは見えなんだぞ」
車丹波が首をひねる。
「いや、いま落していったのじゃ」
「なんのために?」
岡野左内が口を出した。
「遠島の家郷を憶うは、とは、いったい何のことじゃ。……とにかく、流人出迎えのことを見ておったぞ、千坂どのの放言を聞いておったぞ、ということじゃろうが、それなら何もあのようなもの、わざわざ残しておく必要はあるまいが」
「直江家へのおどしのためだろう」
と、上泉主水がいうと、前田ヒョット斎が訊《き》く。
「何やつが?」
しばらく顔を見合わせていたのち、車丹波が髯の中から牡丹《ぼたん》みたいに口をあけた。
「それが何やつであろうと、直江家がおどしに屈するか!」
岡野左内が、憮然《ぶぜん》としていった。
「直江家がおどしに屈しないとすれば――それはつまり、あのヒョロヒョロ男を伽羅さまの花婿に迎えるということになる喃《のう》……」
桜田の上杉藩邸は、二人の流人と宇喜多家の旧臣を迎えいれた。
その夜、八丈島での宇喜多中納言の流人生活について、聞くも涙語るも涙といったありさまで夜話がつづいたことはいうまでもない。
秀家とむすびの話を聞いたのはこの夜のことだ。八丈島では、芋とアシタバという野草が常食で、米など食うことはほとんどないという。――語るのは、ほとんど千坂兵左衛門一人であった。
覚悟していったはずの兵左衛門が、語りながら身をふるわせる地獄物語であった。そしてこの老人はまさに復讐《ふくしゆう》の鬼と化して帰って来た。正木左兵衛はうつろな眼つきをして坐っている。
翌日、左兵衛と兵左衛門を残し、宇喜多家の家来たちはうなだれて去った。――
あとで四天王は山城守に、おそるおそるきのうの紙片についての宇喜多家の家臣への疑いをもらしたら、
「そんなくだらぬいたずらをする面々ではない。また何のためにあの人々がそんな真似《まね》をするのじゃ?」
と、山城守は一笑した。
「そもそも、あの場であのような字を書くひまもなかったが、われわれのゆくことを、事前にあの人々が知っておるわけはないではないか」
――では、あの紙片は、だれが残していったのか? という問いに、山城守はしばし首をかたむけて、
「やはり、われらを見張っておる者が別にあったのであろうな」
と、つぶやいた。
そしてまたいった。
「あのとき何者がうかがっておったとしても、流人を伽羅の婿に迎えることは、どうせ公儀に届けねばならぬことじゃ。放っておけ」
四人はたちまち水をかけられた雪達磨《ゆきだるま》みたいになった。
……数日後、彼らは、伽羅さま自身が、盆に粥鍋《かゆなべ》をのせて廊下を歩いて来るのとゆき逢《あ》った。
それが、あれ以来、病臥《びようが》したままの正木左兵衛のところへだ、と直感すると、前田ヒョット斎が、
「しばらく」
と、たまりかねたような声を出して、呼びとめた。
「伽羅さま。……あなたさまは、ほんとうにあの正木どのを夫になさるおつもりでござるか。どうぞ、御本心をわれらにお打ち明け下されい……」
すると、伽羅はキラキラする黒い眼で四人の髯《ひげ》づらを眺めて、はっきりいった。
「ほんとうに、そのつもりでいます。……見ていて下さい。わたしがあのかたを、きっと勇将大谷刑部どのの御子息にふさわしいかたに戻して見せます!」
[#改ページ]
妖祝言《ようしゆうげん》
蒼《あお》く晴れた秋の空へ、風がないので、まっすぐに白い煙がたちのぼってゆく。
桜田にある上杉家の屋敷――もう大大名とはいえない。三十万石の中大名に過ぎないが、それでもやはりこの時代のことで、その敷地は七千四百余坪あったといわれ、中には森もあり、林もある。
林の中で落葉を焚《た》いているのは、直江四天王であった。
みな黙々として落葉をかき集め、火の中へ投げ込んでいたが、やがて四人、赤い炎を中に、つくねんと立って空へたちのぼる煙を見あげた。あるいは豪快、あるいは魁偉《かいい》、どれ一つとしてなみの人間の顔ではない顔に、みんな妙な哀愁の翳《かげ》があった。
「……しかし、あの伽羅《きやら》さまがなあ」
ぽつんと、前田ヒョット斎がつぶやいた。
突然、しかし、といったのは、さっきからずっと彼がそのことを考えていた証拠だ。
「……とはいえ、あの花婿どの、美男ではあるな」
と、岡野左内が嘆息をもらす。
「あの流人船から下りて来たときのむさくるしさ、あの垢《あか》と髯にうずまった中から、洗えばあれだけ美男が出て来ることを、ちゃんと見通していたのじゃから、さすがは女の眼力じゃ」
「なにが、女の眼力じゃ」
車丹波が髯をひっぱった。
「あんな腎虚《じんきよ》のような男を!」
と、いって、首をひねり、
「はてな、祝言をあげる前から腎虚のような男を夫になされて、伽羅さまはどうなさるおつもりかな?」
「……いっそ、ほんとに腎虚であってくれればよいが」
前田ヒョット斎がまじめな顔でいうのに、車丹波はうなった。
「いや、やっぱり男は強くなければならん! そのことを、伽羅さまはまだ御存知ないのじゃ!」
と、髯をしごく顔を見て、岡野左内がいった。
「おや、丹波、その頬《ほお》の傷はなんじゃ」
車丹波は、あわててそのあたりに掌《て》でふたをした。
「ははあ、また女房どのにひっかかれたな」
あと三人は妻帯していないが、車丹波には女房がある。さきに出府して来たときに、それは直江家の侍女たちにまじってついて来た。
そして、この鬼をもひしぐ面がまえの車丹波|猛虎《たけとら》を、だれよりも悩ましているのがその女房どのなのであった。
円満な岡野左内が、丹波よりも憮然たる顔をした。
「おぬしの女房どの、あれほどゼズス・キリストを信心しておりながら、亭主だけには凶暴をきわめるのが、わしにはよくわからん喃《のう》……」
「とにかく、女はこわい!」
と、上泉主水がうめいて歯をむき出した。
「そんな女なるものと、いっしょに寝たり起きたりするやつ、しようとするやつの気が知れんわい」
そして、ヒョイと向うを見て、
「やっ、来たっ」
と、うろたえた顔色になった。
林の向うから、小走りに一人の若い女が近づいて来た。――直江家の侍女の一人で、お弦《げん》という。これまたいっしょに米沢から出て来た女だ。
それを見て、上泉主水が反射的に狼狽《ろうばい》したのは、その女にふだん彼が追っかけられているからで――少なくとも追っかけられていると思いこみ、あるいはそう自称している女性だったからで――しかし、すぐに、ほかに仲間もいる、と気づいたらしく、
「なんだっ」
と、かみつくようにいったが、腰はなお逃げ腰であった。
総髪の下に剽悍《ひようかん》無比の顔貌《がんぼう》、背に「天下一」と染めた袖無《そでなし》羽織に長剣をななめに背負ったこの男、女性恐怖症のところがあったのである。
お弦はいった。
「御家老さまがお呼びです」
「山城守さまか」
「いえ、千坂さまで――」
呼ばれた座敷には、江戸家老千坂対馬守ばかりでなく、やはり直江山城守もいた。
千坂はこれまた上杉家代々の重臣だが、直江山城は国家老以上の別格的人物なので、上座はそちらに譲ってひかえている。
「ちょっとそなたらに依頼したいことがあっての」
と、彼はいい出した。
「来たる十月二十日、例の正木左兵衛どのと直江どの御息女が婚礼の式をあげられることになった」
ややあって、
「ほう、左様にきまりましたか」
「それは祝《しゆう》 着《ちやく》」
と、前田ヒョット斎と岡野左内が挨拶《あいさつ》した。
落葉焚きをかこんでの話はともかく、それは覚悟していたことだから、いまさら意外な声を出す者はない。
「その旨御公儀にお届けを出したところ――きのう本多佐渡守どのから、お呼び出しがあった。そこで、わしが出向いたところ」
はじめて千坂対馬守の顔色がただならぬものであることに気づいた。
「音に聞えた直江山城の娘の祝言、大御所さまおんみずから当家へお成りあって祝ってやろうとの御諚《ごじよう》があったそうな」
「なんでござると?」
さしもの四人も、いっせいに眼をむいた。
「もとより本多佐渡どのもお供なされるが、その他、浅野紀伊守《あさのきいのかみ》どの、加藤|肥後守《ひごのかみ》どの、福島少将どの、蜂須賀|阿波守《あわのかみ》どの、伊達|陸奥守《むつのかみ》どの、蒲生|飛騨守《ひだのかみ》どの、その他、二、三の大名衆も御|相伴《しようばん》下さるとのこと」
四人の中で、のどの奥からひくいうなり声をもらしたものがあったが、とみには声も出なかった。
大御所家康が、徳川の血縁ある家の場合は知らず、それ以外の大名の婚礼に出るなどという話は聞いたこともないが、その上これは一陪臣たる直江家のことだ。しかも大御所はいま駿府《すんぷ》にいるはずだが、そのためにわざわざ江戸へ出て来るというのか?
それほど直江家を重しとするといえばいえるが、むろんそう簡単によろこんではいられない。
その証拠に、相伴をするというその諸大名を見るがいい。ことごとく豊臣家に恩顧がありながら関ケ原では東軍に陣をならべた人々、また同時にくりひろげられた会津周辺のいくさでは、上杉とたたかったかつての敵ではないか?
それがただの善意の祝儀であるはずがない!
――こんどの祝言の前に、本多家から伽羅への婿入りの話があったことを四人は知っている。それをまんまとふせがれて、さぞ佐渡守は不愉快であったろう。しかし、これはあまりに大がかり過ぎるいやがらせではあるまいか?
「野郎ども」
と、うめいたのが、いちばん紳士的な顔をした岡野左内であったのが奇妙であった。
実は、この背中に十字架《クルス》を染めた男は、ばくちに目がなくて、ふだん中間《ちゆうげん》若党の他もっと下賤《げせん》な連中とつき合っているせいか、ときどきわれを忘れると、ヒョイとそっち用の言葉が出て来るのである。
「……いったい」
と、上泉主水が顔をあげた。
「そのかたがた、首をならべて当家へ来て……絶対安全、という自信があるのでござろうか?」
車丹波が口走った。
「こりゃ、上杉家をつぶしても、おつりが来るな」
その眼が、血いろの変な光をおびているようだ。みな殺しにすれば、という意味にきまっている。
「殿……」
と、前田ヒョット斎が、厚いひざをじりっとにじらせた。
「そこで拙者どもに依頼したいことと申されるのは」
「家中《かちゆう》の馬鹿者どもの出来心をふせいでもらおうと思うてな」
と、直江山城がはじめて静かに唇をひらいた。
「おまえらなら、口はともあれ、直江四天王と呼ばれておる男ども、まさかわしの首にかかわるような真似はすまいが――」
「殿、せっかくおだて下さっても、その点、自信がありませぬなあ」
「たわけ、窮鳥も懐《ふところ》にいれば猟師もこれを殺さず、と申すではないか。――かつて、自分の手に逃げ込んで来た石田を救われた大御所が相手じゃ」
「しかし、これはとうてい窮鳥などいう顔ぶれではござらぬ――」
「客である。直江の娘が花婿を迎える婚礼のお客である。それに愚かな真似をしかけるやつがあれば、直江はおろか、末代まで上杉の名をけがそう」
四人は黙りこんだ。
「と、いって聞かせれば、おまえらはわかってくれようが、ほかの侍や小者で、どんな頓狂《とんきよう》者が出ないとも限らぬ。とくに、例の千坂兵左衛門など危い。そこで――当日、十月二十日、当屋敷からは上杉家の侍ことごとく引払うことにした」
「えっ」
「残るは主君景勝さまと、われら二人と、花婿の左兵衛、男はそれだけにいたしたい」
「し、しかし、いかに祝言の儀なればとて、それほどのお客、女ばかりでは用を弁じますまい――」
「その分だけ、本多家から人を借りることにした。すなわち、当日客を出迎え接待いたすは、本多家の侍ばかり――」
四人は、あっけにとられた。
なんたる思い切った放胆、奇想天外なる客あしらい。
「そ、それで佐渡は承知いたしましたか。そんなことまでしてあくまで客に来ると申しましたか」
「されば、この旨改めて本多どのにお願いに参ったところ、佐渡守どのは、しばし口をあけて一語もなかったが」
と、千坂はいった。
「さすがは直江山城……と、やがてうなずかれ、では、そうさせてもらおうか、と申された。なにしろ大御所さまのお成りゆえ、佐渡どのも、ああは申し込んだものの、心中いささか心配であったのであろうな。まさか、祝言の家へ護衛の大軍をつれてゆくわけにも参らぬし喃《のう》、とあとで笑って申された」
「そこでじゃ、上杉家の男どもを預かってもらう場所じゃが、これは呉服橋にある高家《こうけ》の吉良《きら》家に頼むことにした」
と、直江山城はいった。
「おまえら当日、それを見張っておって、一人たりとも不心得者を出すな。依頼したいとはそのことじゃ。そのほうどもの力、信じるぞ」
柵《さく》にされた四匹の悍馬《かんば》は、口をあんぐりあけたままであった。
慶長十五年十月二十日、上杉家江戸屋敷で、直江山城の娘伽羅と八丈島流人正木左兵衛の祝言がとり行われた。
花嫁は、かつて大御所に一泡吹かせた侠勇《きようゆう》直江山城の息女、とはいうものの、たたかい敗れて十年、長らく奥羽米沢に閑居してその名も忘れかけられていた人物の娘。――花婿は、なんと八丈島から帰って来たばかりの流人《るにん》。
捨ておけば、それは上杉家以外のだれにも気づかれないほどひっそりした婚礼になるはずであった。
ところが、大変なことになった。その婚礼に大御所さま以下大大名の錚々《そうそう》たる人々が列席するとは。――
そこではじめて直江山城の重みが再評価され、ついで、ではその花婿はだれだ、ということになった。そしてそれが八丈島の流人であった人間であったことが知られると、みな顔を見合わせた。むろん、その素性は何だということになる。
そして、それが関ケ原の西軍の総帥《そうすい》宇喜多家で一万石をもらっていた人物だ、と伝えられると、みな、なるほど――と、改めてうなずき、それをいま自分の婿にする直江山城の不敵さに、ああ、根性は変らぬもの――と、だれしも舌をまかずにはいられなかった。
世人の認識は、まずこのあたりでとどまった。
――いずれにせよ、かんじんの祝言は、これほど重大化されたにもかかわらず、一方でまた影が薄くなってしまったといえなくもない。
その午後、桜田の上杉家には、大御所、重臣本多佐渡、それから加藤以下十人ばかりの大名がそれぞれ供をつれて続々到着し、七千四百余坪の屋敷はその人馬に埋めつくされんばかりになった。
もう、なみの婚礼などやってはいられない。
大広間の正面に坐っているのは大御所家康。その傍に侍している本多佐渡守。両側の一方には上杉景勝、直江山城、千坂対馬。反対の側には加藤|清正《きよまさ》ら十人ばかりの諸大名。
そして入口に、まるで烈日に照らされる春の淡雪《あわゆき》のような花婿花嫁。
――それにしてもこの一座に相会した人々の胸を去来するものは、それぞれ一巻の物語をなすほど複雑なものがあったろう。おそらく、かんじんの花婿花嫁のことなど考えている者は、たとえあったとしても、胸の想いの数分の一に過ぎなかったのではあるまいか。
まず、家康。このとし六十九歳。
江戸に将軍|秀忠《ひでただ》をおいて、みずからは駿府にあるが、決して隠居などしてはいない。この四年後に大魔王のごとき所業をやってのけたのは世の人の知る通り――いまもチョイチョイ江戸に出て来て、何かと口を出す。こんども、恒例の出府のついでと称してここへ来臨したわけだが、しかし公平に見て、こういう席に出るのにいちばんふさわしい、福々しい顔をしているのは彼であった。
次に、本多佐渡守|正信《まさのぶ》。七十三歳。
七十三どころか、灰色の皮膚、おちくぼんだ眼窩《がんか》、骨ばった手足――もう棺桶《かんおけ》に半身をひたしたような人間に見える。
戦国江戸初期を通じ、妖人《ようじん》ともいうべき人物を五人あげろといわれたら、この人物は充分その中にはいるだろう。
彼は若いころ、三河時代の家康を苦しめた一|向《こう》一|揆《き》に加わり、叛乱《はんらん》者として行方をくらました。そして消息を絶つこと二十年、本能寺の変前後に忽然《こつぜん》とふたたび家康のそばに姿を現わしている。その間、どこで何をしていたか、天下にだれも知る者はない。
しかも、この家康にとっての叛徒であった男は、再出現するや奇怪にもたちまち家康の軍師的存在となったのである。
いまでは知る人ぞ知る挿話《そうわ》だが、慶長三年、石田三成がここにいる加藤らいわゆる豊臣七将に追われて、伏見城にいる家康のところへ逃げ込んだことがある。
このとき佐渡は、真夜中ちかく伏見城へいそぎ上ったが、起きて来た家康に用を問われて、石田のこと、いかに思召《おぼしめ》す、といった。
「さればよ、いまそのことを思案しておる」
と、家康が答えると、彼は微笑して、
「さて安心つかまつった。もはや佐渡の申すことはござらぬ」
と、つぶやいて、さっさとひきあげていったという。
すでにそのころから、石田は反徳川の首魁《しゆかい》であった。だからそのまま七将にひき渡してしまえば簡単に片がつくものを、家康が将来もっと大きな道具に使うことを考えていると見ぬき、おのれの深謀と山彦《やまびこ》のごとくひびき合うことを知って彼は退出したのだ。
まるで妖琴《ようきん》の絃《いと》と撥《ばち》のような家康と佐渡であった。かくて彼らは関ケ原を作りあげ、勝った。――
この勝利の参謀長は、敗れたかつての敵の参謀長直江山城をどう見ているか。――そもそも何を考えて、みずからこんな「招かれざる客」を企《たくら》んだのか?
[#改ページ]
勝座《しようざ》と敗座《はいざ》
大御所、本多佐渡を正面に、右側にならんでいる客は、――
まず加藤肥後守清正。
その母が秀吉の母と従姉妹《いとこ》の縁にあり、虎之助《とらのすけ》といった少年時代から秀吉に仕えて、賤《しず》ケ岳《たけ》七本|槍《やり》で名をあげ、征韓の役《えき》では鬼上官《きじようかん》とうたわれたが、関ケ原当時は本国肥後にあり、西軍|小西行長《こにしゆきなが》の本領たるやはり肥後の宇土《うど》城を攻めて、その留守をまもっていた小西一族を滅ぼし、いまは太閤時代の倍の五十一万五千石、この年五十二歳だが、名物の長い髯《ひげ》にだいぶ白いものがまじっている。
次に、福島少将|正則《まさのり》。
これも秀吉の叔母《おば》の子にあたり、市松《いちまつ》といった幼少のころから秀吉に仕え、七本槍で勇名をとどろかしたことは同じだ。関ケ原では東軍として実際に宇喜多、島津らと戦い、その功によってこれまた太閤時代の倍の安芸備後《あきびんご》四十九万八千二百石。四十九歳。
それから、浅野紀伊守|幸長《よしなが》。
秀吉の姉婿、浅野|長政《ながまさ》の長子として生まれ、征韓の役では清正とともに蔚山籠城《ウルサンろうじよう》で苦闘したが、関ケ原では東軍の先鋒《せんぽう》を承わり、いまは紀伊三十九万五千石で三十五歳。
ついで、蒲生飛騨守|秀行《ひでゆき》。
有名な氏郷《うじさと》の子だ。氏郷の死後、所領の会津は上杉のものとなり、宇都宮へ移されたが、関ケ原のときには上杉とたたかい、戦後上杉が米沢に追われると、ふたたび会津六十万石を領して、まだ二十八歳。
それから、伊達陸奥守|政宗《まさむね》。
むろん、関ケ原のときは上杉といちばん猛烈にやり合った宿敵だ。独眼龍《どくがんりゆう》とうたわれた、ただ一つの右眼はいよいよ壮気をたたえて、このとし四十三歳。
また蜂須賀阿波守|家政《いえまさ》。
秀吉の日吉丸《ひよしまる》時代の例の野武士蜂須賀|小六《ころく》の子だ。小六はとっくに亡くなったが、関ケ原のときは東軍につき、いまは阿波十八万六千石、清正と同じく五十二歳。
それから、某、某、某と、三、四人、居ならぶ大名はいずれも東軍に属しためんめんであったが、中に景勝も知らない顔が一つあった。
あとでわかったことだが、平岡石見守頼勝《ひらおかいわみのかみよりかつ》といって、美濃《みの》の徳野というところで、一万石をもらっているという。もとは小早川家の家老だったのが、主人の中納言秀秋が死んで小早川家がつぶれたので、いまこの男が一万石の小大名にとりたてられているのだが、きょうやって来たほかの大名とは格が一けた落ちる。それが混っているのは、平岡がひどく本多佐渡にとりいっている人物だからであったらしい。
――いわば、これらは勝座《しようざ》のめんめんだ。
それに対して、左側はもとより敗者の座。
と、いっても、これは主人役の上杉景勝一人で、あとは家老の直江山城と千坂対馬だけだが。――
この景勝ほど敗者の座にいることがいたましい武将は珍しかろう。
もっとも、だれだってそんな座に居心地のいい者はないが、それでも、身をすくめ、神妙に控えているとか、自嘲《じちよう》的に苦笑して見せるとか、または豪快に笑い飛ばしてみなの眼を無視するとか、それぞれ、それらしい反応を見せるだろう。――何にしても、とにかくもあれから十年もたっているのだから、だれでもそれなりの適応力を示して、周囲に違和感を与えない存在になっているにちがいない。
ところが、この景勝だけは、いつまでたっても、その座にも、周囲にも馴《な》れないようだ。
もとより彼が、十年後のきょう、はじめて大御所や諸大名の前に姿を現わしたわけではない。世に出ることは珍しいが、それでも徳川と和を講じたあと上洛《じようらく》して家康に陳謝しているし、徳川の命ずるままにこうして江戸に住んで、どうしても出なければならない儀式には出る。
しかし、景勝は黙々としている。
それが、恥じているとか、すねているとか、そういう風には見えない。彼はその昔、豊臣家の五大老として家康と対等の立場にあったころから、同じように黙々としていたのである。
「景勝、小男なれども、何様にも顔、魂、何百人の中にも無類の大将なり。一代言葉少なく笑いたることなし」
と、「北越耆談《ほくえつきだん》」にある通りだ。上杉の将兵は、敵よりこの主君のほうを怖がったという。
――その沈鬱《ちんうつ》な性格はすでに承知と見えて、家康のほうからいろいろお愛想の言葉をかけるが、景勝はそれに対して、「は」とか、「いや」とか、重い返事をかえすだけで、ニコリともしない。
まるで山椒魚《さんしよううお》みたいで、知らない者から見ればぶきみでもあり、勝者のつもりの向きからは、小面《こづら》にくくも見えるかも知れない。
いや、本多佐渡が、きょうここへ、関ケ原の勝者ばかりをわざわざ狩り出してやって来た真意はよくわからないが、少なくともその一つは、この剛直無双の上杉景勝をむりやりにこの座にひきすえて、その当惑ぶりを見てやりたい――それどころか、景勝になお残っている誇りを徹底的にうち砕いてやりたい、という意地の悪い考えがあったに相違ない。
――しかし、佐渡の底意がどうあろうと、この石のような武将が相手では手のつけようもない。
とくに加藤以下元豊臣につながる大名たちの景勝に対する遠慮は、五大老のころにもまして、むしろ気おくれしているように見える。
しかし、これでは客を迎える家の主人として、あまりにも殺風景だ。
この接待に遺漏がなかったのは、ひとえに直江山城と千坂対馬のおかげだった。
とくに山城守が――客の前にならべられた饗膳《きようぜん》のもてなしをやったのは、むろん上杉家の女中、本多家から来た小姓などだが――それに混って山城がなんと酌をしてまわったのである。
むろん「花嫁の父」としても、直江山城、へそ[#「へそ」に傍点]の緒切って以来の最大のサービスであろうが、それにしても十年前、家康に身の毛もよだつほど痛快無比の挑戦状を送って、天下をあっといわせた男が、何くわぬ顔をして。
むろん大御所を迎えてから、彼の態度は恭敬をきわめている。それが、ちっとも不自然にも卑屈にも見えず、見ていて快感をおぼえるほど典雅であった。家康もまた、
「なつかしや、山城」
と、呼びかけ、それが決してお座なりの挨拶《あいさつ》とは見えなかった。
ましてや、ほかの大名連である。――あとになって気がついたことだが、酌をしてまわりながら山城は、陪臣のくせに、
「いざ、肥後どの」
とか、
「紀伊どの」
とか、呼び捨てにし、かえって清正や幸長のほうが、「これは山城守[#「守」に傍点]どの」と敬称で呼んで、反射的に恐縮の態を見せたくらいであった。
もっとも、すべての客がそうでなく、むろん彼に一言ありたげな人物もあったことはいうまでもない。
関ケ原当時、直接上杉家とたたかった伊達政宗とか蒲生秀行などがその代表だが、山城が銚子《ちようし》を持ってやって来たとき、ちょうど政宗は隣りの若い秀行に、一枚の小判を見せているところであった。
山城守が前にやって来たのを知りながら、わざと無視して、政宗は何やらとくとくとして秀行に説明していたが、山城が銚子をひざにいつまでも神妙に控えているので、やっとそっちに顔をむけて、
「おう、山城か」
と、わざと横柄《おうへい》にうなずいた。
「これはこんど、わしのところで鋳造した新貨じゃ。珍しかろう、見せてつかわす」
と、その小判をさし出した。
山城守は銚子をそばに置き、扇子《せんす》をとり出してひらき、その上にうやうやしくそれを受けた。
「これを見本に、上杉でも作らぬか。それとも百二十万石の昔なら知らず、いまはそれどころではあるまい喃《のう》」
そして、山城守が扇子の上の小判をしげしげと眺めているのを見て、
「これ、遠慮はいらぬぞ。手にとって見るがよい」
と、いった。
すると、山城守はおだやかな顔で、
「いや、この手はかつて謙信公に代って馬上青竹をふるったこともある手でござってな」
と、いった。謙信は葉のついたままの竹をもって指揮し、その葉が枯れる前に敵を打ち破ったという――その青竹のことだ。
「かかる汚《むさ》いものには、ちと触れかねまする」
いうや、扇子はひるがえって、小判はかろく政宗の脇《わき》へ飛んで落ちた。
「ようおいで下された。いかが?」
銚子をさし出されて、蒲生秀行が、吸いこまれるように盃《さかずき》を出した。
山城守は何事もなかったかのように次の蜂須賀のほうへ移っていったが、さて末席にひかえた平岡石見守のところへ来ると、ちらりとその顔を見ただけで、悠然《ゆうぜん》と背を見せかけた。
「待たれい」
あっけにとられてそのうしろ姿を見ていた石見守が、かっとしたように呼びかけた。
「山城守どの、なぜ拙者に酒をつがれぬ」
顔が朱に染まっている。
「好んで客に来たわけではないから、ましてや貴殿の酒など飲みたくないが、ほかの客人には酌をされて、拙者のみ黙殺されては釈然とせぬ。拙者の身上《しんじよう》が軽いゆえ軽蔑《けいべつ》なされたか」
祝いの席にそぐわない荒々しい言葉であったが、彼にしてみれば、相手の仕打ちが仕打ちだといいたかったろう。常識からみても、彼が腹を立てるのも尤《もつと》もである。
「いや、身上なら、山城は五千石で」
山城はふりむいていった。
「ただ、天に叛《そむ》かれたかたには、どうにもさしあげる酒がござらぬでな」
平岡石見守の赤い顔が、どす黒くなった。いまでは名高い関ケ原における小早川中納言秀秋の裏切り――それをやらせたのは、実に当時小早川家の家老の彼であったのだ。
ただ、口をモガモガさせているばかりでとっさに声も出ないのを、こちらから政宗が助け舟を出した。助け舟というより、さっきから山城守に一言ありたかったのを、いまその機会をつかんだかに見える。
「山城、いま天に叛いた者と申したな」
「左様」
「叛いた者はだれか。謀叛《むほん》人はおぬしではないか。おぬしが謀叛気を起したために、上杉家はただいまのような悲運を迎えたのではないか」
「叛き、には二種ござる。裏切りと、叛骨《はんこつ》によるものと」
「なに?」
「前者はおのれの利のためにあえて天の理に叛き、後者は天の理のためにあえておのれの利に叛くもの――」
山城守は笑顔でいったが、この人物には珍しく、哀《かな》しげに見える笑顔であった。
「御承知のように不識庵謙信公は、おのれの利に叛いてもあくまで天の理に従おうとなされた古今無双の大将でござった。ただ謙信公ほどの力なき者は、義をつらぬかんとすれば、どうしても力ある者への叛とならざるを得ない。――おわかりか」
「わからぬ、何を屁理窟《へりくつ》を」
独眼が嘲《ちよう》 笑《しよう》した。
「それなら、山城、なぜ十年前降伏した。いやさ、なぜきょうのごとく大御所さまに平伏する?」
「右の意味における叛は、拙者の生甲斐《いきがい》でござるが、死甲斐ではござらぬでな」
「なんじゃと?」
山城守はニッコリ笑った。
「必死の叛はやらない方針なのでござる」
――最後のほうの山城の論理は、政宗以外にも不可解な者があったが、とにかくかつて「大胆者にして、いいたきことをいいたる由」と評された面だましいが、ちらっとのぞいたようだ。
「これこれ」
向うから、本多佐渡が声をかけた。彼は最初から枯木の木像みたいに坐っているだけであったのだ。
「かようなめでたい日に口論|沙汰《ざた》はつつしみなされ。大御所さまの御前でござるぞ」
そして、彼はいった。
「それより、山城どの、もういちどとくと花婿花嫁を拝見したいものじゃが」
そういえば、かんじんの花婿と花嫁は、はじめ下座に姿を見せて大御所さまにはるかにお辞儀したきり、酒がまわり出したころふっと消えて、それっきりなのである。
「先刻は、綿帽子にかくされて、嫁御の顔も見れなんだ。せっかくお祝いに来たのじゃから、改めて、是非見たい」
と、佐渡はいった。
山城守はちょっと思案していたが、すぐに侍女を呼んで、二人にもういちど挨拶にまかり出るように命じた。
やがて、花婿と花嫁が、ふたたびおずおずとはいって来た。さっきと同じく、婿のほうは、裃《かみしも》、嫁のほうは綿帽子をかぶったまま、ナヨナヨと下座に坐ろうとするのを、
「あいや、そこでは遠過ぎる。もそっとこちらへ、大御所さまの御前へ」
と、佐渡がさしまねいた。
両人は、綺羅《きら》星のような豪傑大名連の注視の前を、雲を踏むような足どりで歩いていって、直江山城が坐っていたあたりへ坐った。
「嫁御、大御所さまに顔を見せられぬか」
佐渡守にうながされて、花嫁がなおためらっているのを、山城守が横からしずかに綿帽子をとりのぞいてやった。花嫁は消えもいりたげにさしうつむいた。
一座に、声とはいえない嘆声がながれた。
綿帽子をかぶっているときから、白いかいどりを透《とお》してぼうと何か光がさしているような感じがしていたのだが、改めて現われた顔を見て――そのあどけなさと妖艶《ようえん》さのふしぎに溶けあったこの世のものならぬ美貌《びぼう》に一同は感にたえたのである。
「さすがは直江どのの御息女……」
と、本多佐渡がうめいた。枯木みたいな老体でも、その美しさはわかったと見える。
「こりゃ、婿どのには過ぎた嫁女じゃな。……」
と、失礼なことをつぶやいたあとで、その花婿に声をかけた。
「正木左兵衛どの。……いや、きょうから直江左兵衛と申されるか」
「はあ」
と、花婿は答えた。
これもさっきから、おおこれは相当な美男であるな――と、みな眼を見張ってはいたのだが、その返事にひどく生気がないので、一同の顔に、これは、という表情の波がわたった。
「貴公、八丈島から帰られたそうな」
「恐れいってござりまする……」
「いや、赦免《しやめん》状を書いたのはこのわしじゃ。それは貴公が宇喜多中納言のもとからの御家来ではないことをふと知ったからじゃ」
「かたじけのうござりまする……」
「はじめに宇喜多中納言といっしょに流罪《るざい》になったのは、貴公が宇喜多家で一万石という大禄《だいろく》を受けておられたからであろう……」
「はあ……」
「そもそも貴公、なんの功あってそれほど高禄を受けておられたか喃? 年ばえからして、関ケ原以前は二十《はたち》以下と思われるが」
「なぜか、拙者にもわかりかねます。気がついたら、一万石を頂戴《ちようだい》しておりましたので」
みな、いっせいに笑い出した。
「とぼけられるな、大御所さまの御前でござるぞ!」
佐渡は叱咤《しつた》した。さっきと同じせりふだが、こんどはまるで半分死人みたいなこの老人から出たとは思われぬ凄味《すごみ》をおびた声であった。
「貴公、大谷|刑部《ぎようぶ》の忘れがたみであろうが? その縁で宇喜多家で貴公を一万石という高禄で召し抱えたのであろうが?」
果せるかな、佐渡はこの花婿の素性を知っていた。――が、そこまでは知らなかったほかの大名たちは、あっとばかりに眼をむいている。
「大谷刑部の倅《せがれ》どもは当時みな成敗《せいばい》されておる。おぬしは、だれも知らぬ妾腹《めかけばら》か、どうやら大谷家では家臣の一人として遇しておったようじゃが、それをどういうわけで宇喜多家が一万石で引きとったのか、そのあたりのことはまだこちらもつまびらかにせぬが、どうじゃ、貴公、叛将大谷刑部の忘れがたみであることにまちがいはあるまいがな?」
[#改ページ]
四人のシラノ
「……これは、何とも驚きいった――」
うめき出したのは、伊達政宗であった。
「直江が、八丈島に流された宇喜多の家臣を婿にするさえよい度胸と思うていたに。……それのみか、その婿の素性が大谷刑部の忘れがたみとは!」
居ならぶ大名も、きょうの婚礼にわざわざ大御所と本多佐渡が出て来たわけをはじめて知った。
実に、直江山城は何たる男か。
十年、米沢にひっこんで、沈香も焚《た》かず屁《へ》もひらずと見えていたのが、このたびいよいよ出府して来たと見るや、実に不敵といおうか、徳川の顔を逆《さか》なでするといおうか、まさに驚きいった縁組をやってのけたものではある。
本多佐渡守にすっぱぬかれて、花婿の左兵衛はべたと畳にひたいをつけたままで、とみにはなんの応答もなかった。
それを見ながら、直江山城の顔の筋肉は微動だにしない。いや、わずかに漂っているのは、微笑の翳《かげ》だ。かつまた上杉景勝も、石のように無表情に坐っているのは、彼もまたこの花婿の正体を承知していたからに相違ない。
そしてまた、大御所家康も、これははっきり笑みを浮かべて、一語の言葉もさしはさまなかった。
「叛人の子と叛人の娘の祝言か」
佐渡守が皮肉にいう。
「よい組合せじゃ」
ふだん顔にも声にも感情というものをまったく現わさない佐渡にして、珍しく憎悪のひびきがまじっているようなのを、ほかの大名たちは感じ、よほど腹にすえかねてのことにちがいない、と推量した。
彼らは、佐渡が、自分の息子をこの花嫁の婿にしろと直江家に申し込み、みごとにことわられたという事実をまだ知らなかったが。――
しかし、この陰気な大権力者の心の動きに敏感な伊達政宗は、
「これ、大谷刑部の倅、もういちど改めて顔を見せてくれ」
と、呼びかけた。
なお左兵衛がつっ伏したままなのに、蒲生秀行が叱咤した。
「面をあげい!」
左兵衛はあわてて顔をあげたが、居ならぶ人々の凄《すさ》まじい眼に、顔色を赤らめ、また蒼白《あおじろ》くなり、そして、さしうつむいた。
清正が、首をかしげた。
「刑部の倅にしては、いささか元気がないようじゃの」
「八丈のやつれがまだとれぬのであろう」
と、福島正則がつぶやくと、平岡石見守がかん高い声をあげた。
「まさか、おやじどのの病気が伝わっておるのではありますまいのう!」
大谷刑部が癩将《らいしよう》であったことは有名だ。
「いかにも直江の毒血にまぜ合わせるには恰好《かつこう》の毒血でござろう。あはははははは……」
さっき、山城守から痛烈な一撃をくらったしっぺ返しだろう。――ひきつったような大笑に吊《つ》られて、ほかの諸大名もどっと笑った。
ほんとうに可笑《おか》しいわけがないが、実は先刻から直江山城の、平岡のみならず伊達政宗に対する人もなげなるふるまいに、彼ら一同おだやかならぬものをおぼえており、しかも山城へはもとより、石像みたいな上杉景勝へも歯のたちかねる感があって、そのストレスが、いま、見るからに弱々しげな花婿に、いっきに嘲罵《ちようば》となって吐きかけられたもののようであった。
「お黙りなさい!」
裂帛《れつぱく》の声が流れた。
「あなたがたに、笑う資格がありますか?」
どよめく哄笑《こうしよう》は、銀をふるような女の声に、はたと断たれた。
「大谷刑部どのは、石田|治部少《じぶしよう》どのとの御友情に殉じ、負けるとわかった関ケ原のいくさに、病む身を輿《こし》にのせてたたかい、討死なされたかた、またわたしは、太閤さまへの起請文《きしようもん》を守って、主君とともに日本じゅうを敵にまわしてたたかった直江山城の娘です」
花嫁は顔をあげて、みなを見まわした。
髯《ひげ》だらけの豪傑たちは、みなあっけにとられた顔になり、次にその燃える花のような美しさに息をのんだ。
「その血がまじって、どんな子が生まれても」
花嫁に、一人一人しずかに見まわされて、加藤清正、福島正則、伊達政宗ら、天下に聞えた猛将たちが、理も非もなく眼をそらし、中には顔赤らめてうつむいた者もあった。
「太閤さまの御恩を忘れて、分《ぶ》のよいほうについた、どこやらの腰ぬけ大名衆のような男にはなりますまい」
しーんと一座は静まりかえり、一息、二息おいて何かが爆発する気が起りかけたとき、正面の大御所が声をかけた。
「山城。……よい娘を持たれた喃《のう》」
家康はニコニコしていた。
これに対して直江山城は眼を細め、これまた自若として答えた。
「さればでござりまする。まことに山城、可愛《かわゆ》うて可愛うてなりませぬ」
「おい、聞いたか」
落葉を焚いている三人のところへ、上泉主水が急ぎ足でやって来た。
「伽羅《きやら》さまの話か。いま、みんなでそのことをしゃべっておったところじゃ」
と、前田ヒョット斎がいう。
上杉屋敷の林の中。――あれから、五日ばかりのちの夕暮だ。
伽羅さまの婚礼のときの一幕について、上泉主水は本多家に流れていた噂《うわさ》話を、こちらの中間《ちゆうげん》が聞いて来たのを耳にしたという。前田ヒョット斎らも、人はちがうが、やはり本多家からのまた聞きで知ったという。
とにかくあの日、彼らをはじめ上杉家の侍はみな追い出され、残ったのは景勝、山城、それに千坂と花婿の四人だけで、屋敷の警護も接待もことごとく本多家の侍によって行われたのだから、五日目のきょうになって、はじめて知ったのだ。女は上杉家の侍女たちが残っていたが、あのあと千坂対馬守から厳重な箝口令《かんこうれい》がしかれたらしい。
「いや、さすがは伽羅さまじゃ」
「加藤、福島らを、忘恩の腰ぬけ大名とやっつけられたというぞ。言いも言ったり、伊達のめっかちの顔が見たかったの。――いや、痛快至極」
と、岡野左内と車丹波がうれしげに笑うと、
「それにしても本多佐渡め、佐渡にしては子供じみた意地悪をしかけたものじゃな。よほどあの件で、のぼせあがったものと見える。……おれたちが聞いておったら、あの皺首《しわくび》、無事には持って帰らせなんだものを」
と、上泉主水が背の長剣をゆすった。
彼らはあの日、吉良家へ移された上杉家の侍たちを監督する役目を与えられて、そこで一日身を持て余していたのだが、どこまで直江山城が予測していたかは不明として、その用心はたしかに当を得ていたといえる。
「が、伽羅さまのみごとなふるまいにくらべて、あの婿どのは、噂によれば、ただなぶられるままになっていたというではないか」
「ま、そんなことじゃろうとは見ておったが」
「しかし、伽羅さまの婿どのが嘲罵のまととなったと聞けば、癪《しやく》にさわるところが妙じゃ」
「いったいぜんたい、伽羅さまはどうしてあのような祝言を承知なされたのか喃。つくづくふしぎにたえんのはそのことじゃて」
焚火のまわりで、四人は長嘆した。
それから――ふっと、岡野左内が、
「ところで、祝言はあげられたわけじゃが……御両人は、どうじゃ?」
と、つぶやいて、妙な眼つきでみなの顔を見合わせた。
「どうも、おかしいとは思わぬか?」
「その点、わしにはよくわからんが」
と、前田ヒョット斎がいった。彼は三十七になるのに、まだ妻帯していない男であった。
「どうじゃ、丹波……」
と、車丹波をかえりみる。丹波も髯《ひげ》づらをぐるりとかたむけた。
「いや、左様に微妙なことはわしにも何ともいえんが、しかし、たしかに御両人、妙にヨソヨソしいように見えるが喃……」
四人は、あれ以来、眼の隅からただならぬ視線を若い新夫妻に投げて来たのだ。ただならぬ――という意味は実に複雑で、彼らにも自分たちの心境がよくわからないほどだが、その中にたしかに「心配」の要素があり、それが相当大きな割合を占めていたといっておこう。
「婚礼から五日目など、双方、はたから見てもとろけそうになっておるものじゃが」
「それが五年もたつと、顔じゅうひっかき傷だらけか」
と、ヒョット斎がいい、どっという哄笑が起った。
――と、そのとき、上泉主水がふと林の向うを見て、
「はてな?」
と、眼をまるくした。
あと三人もふりむいて、いっせいにぎょっと息をのんだ。
伽羅がやって来る。五、六歩離れて、正木――いや、直江左兵衛もついて来る。
それが両人とも、ふりしきる落葉に打たれ、まるで雨にぬれる人間みたいにうなだれて。――
この二人が――二人だけが、こんなところに現われるのも奇妙な上に、どう見ても新婚らしくない、どこか幽霊のように見えるのに、四人の豪傑は首をかしげ、とみには挨拶《あいさつ》の言葉も出なかったが、
やがて、
「これはこれは」
と、岡野左内がやっといった。
「御散策でござりまするか。さあ、おあたりなされ」
あの翌日、改めて上杉衆だけのためにひらかれた祝宴で、婚礼の祝いはすでに述べてある。――わざとさりげなく、にこやかにこう誘いかけるのに、
「いえ」
と、伽羅は答えただけで、一同を見まわしたが、すぐにまたうなだれた。直江左兵衛は、五、六歩向うに、これまた悄然《しようぜん》として立ちん坊になっている。
いま噂をしたばかりだが、この二人の雰囲気はヨソヨソしいどころではない。――
「何か……御用でござるかな?」
おずおずと、前田ヒョット斎が問いかけた。
「実は、おまえたちを男と見込んで、お願いがあるのです」
伽羅は顔をあげていい出した。
「この左兵衛どのを男に仕立ててもらいたいのじゃ」
「えっ、男に?」
四人は頓狂《とんきよう》なさけびをもらした。
「そう。……左兵衛どのは、男として、余りにお元気がなさ過ぎるようです……」
――伽羅は今さら何をいい出したのか。そんなことは最初からわかっていて、だからこそ四人が首をひねり、重々さしでがましいと知りながら、一度は伽羅の前に推参して再考を求めたほどではなかったか?
四人は、しかし、そうは考えなかった。彼らは伽羅の言葉に、危惧《きぐ》していたえたいの知れぬ化物《ばけもの》が、現実にニューッと出て来たような衝撃をおぼえた。
「改めて千坂兵左衛門に聞いたところ、八丈島暮しのはじめのころは、万石取りにふさわしいおかたであったそうな。……それが、このようになられたのは、まったく島の暮しの苦労のせいと思われます。中納言秀家さまでさえ、島人からむすびをおしいただかれるような乞食《こじき》同然の所業をなさるくらいであったといいますから、むりもないことかも知れません……」
伽羅の美しい眼に、何やらひかるものさえ見えたようだ。
四人は、ちらっと花婿のほうを見やった。伽羅のこんな声を聞きながら、五、六歩向うに直江左兵衛はつくねんと立っている。美男だが、すこし顔が長過ぎるようにも思う。それが、どこか茫然《ぼうぜん》として、島から帰ったときの夢遊的状態がまだぬけないようだ。
「わたしは、左兵衛どのを元の――大谷刑部どのの御遺児にふさわしいかたに返したいのです。ああ、いつかこのことはおまえたちにもいいましたね?」
「――は」
「その上、わたしは、あの祝言のとき、左兵衛どのを辱《はずか》しめた人々にも、そういい切りました。あなたがたのような腰ぬけの子供は決して生まないと」
伽羅の眼が燃えて来た。
「そこで、おまえたちに頼みたいのです。左兵衛どのを、もういちどりりしい侍に立ち返らせて下さい。こんな用を頼めるものは、おまえたちのほかにはありません」
「――へ?」
「これは神かけて、ほかの人には秘密だけれど、それが出来るまで、ほんとうの婚礼はお預けです」
四人の眼は、大きくひろがって来た。
「承われば、父上も当分御在府あそばすとのこと。わたしも、左兵衛どのがそういう男におなりになるまで、米沢には帰りません――」
四人は伽羅を眺め、左兵衛を眺め、しばし応答の言葉も失っていたが、やがて上泉主水がしゃがれ声でおそるおそるいい出した。
「左兵衛さまを侍らしい侍にしてくれと……それは、武芸の修行をおさせ申す、ということでござりましょうか?」
「それもあるでしょうが、それより魂のことです」
と、伽羅は凜然《りんぜん》といった。
「わたしは左兵衛どのを、戦場につれていくのが一番だと思うのですけれど」
「えっ、戦場へ? しかし――」
「いま、戦場はない。だから戦場にちかいものを作りあげるよりほかはない」
「――と、仰せられると?」
「死地を作る、ということです」
「死地!」
「わたしは、その法についていろいろ考えました。そして、思いついたことはこうです。祝言の席で、左兵衛どのを辱しめた大名衆、太閤さまの御恩を忘れ、いま徳川方の大名としてのうのうと威張っている男たち、あれに一泡《ひとあわ》吹かせたらどうだろうと」
さしもの四人も、これには胆《きも》を奪われた。――ヒョット斎が聞く。
「ど、どうやって一泡吹かせるのでござる?」
「それをおまえたちに考えてほしいのです。それに加えてもう一つ、ことわっておきたいことがある。それは、そのことで上杉家や父上に迷惑がかからないようにするということ。……ほんとうに難しいことだけど、おまえたちならやってくれるだろう。いえ、きっとやってくれる男たちだと、伽羅は思いついたのです」
「ううむ……」
四人はうなった。
「その危ない仕事に、この左兵衛どのをつれていって、しごいてもらう。……おまえたちが、左兵衛どのの師となって」
なんたることを依頼する花嫁か。
「左兵衛どの、あなたも頼んで下さい」
ふりかえられて、直江左兵衛は水母《くらげ》みたいにフワフワと近づいて、頭を下げた。
「みなの衆、よろしくお願いする――」
なんたることを嘆願する花婿か。
が、四人は数瞬の沈黙ののち、どんと胸をたたいて、いっせいに歯をむき出した。
「面白い! やって御覧にいれよう。そのお頼み、われらたしかに引受けてござる!」
――例のフランスの武芸者シラノ・ド・ベルジュラック、彼が有名になったのは、ずっと後年のエドモン・ロスタンの戯曲によってだが、実在のシラノは一六一九年生まれというのだから、この慶長十五年より八年後で、まあ同時代の人物といっていい。
この巨大な鼻を所有する剣士は、愛するロクサーヌ姫が美男クリスチャンを愛していることを知り、その愚かしきヘナヘナ男をひきたてひきたて、歌い、たたかい、その蔭の男として死んでゆく。――
むろん、そんな話を知る由もないが、四人の豪傑は、いま期せずしてほぼ同様の役割を引受けさせられたのであった。
[#改ページ]
こくぞう院ヒョット斎
「……万事、相談の上、やりようが決りましたら御連絡申しあげる」
四人のシラノはこういって、伽羅と左兵衛にひきとってもらったのち、二人が林の向うへ消えてしまってからも、しばしそのあとを見送って、奇々怪々な顔つきをしていた。
「ふうむ、やっぱりあの花婿どのは腎虚《じんきよ》であったか」
まず長嘆したのは前田ヒョット斎であった。
「御婚礼以後、どうもようすがおかしい、とは見ておったが、まさか、その、何じゃとは」
と、いったのは岡野左内だが、ヒョット斎は、まだうなり声の余韻をひいているだけだ。
あと二人も、笑うどころか、関ケ原敗戦の報を聞いたときみたいに深刻な表情であった。
「まさか、腎虚というわけでもあるまい」
「そうじゃ、じゃからそれを何とかしてくれと頼まれたのじゃろう」
と、車丹波と上泉主水が気をとり直したようにいった。
「つまり、あの花婿どのが男らしうなられたら、男らしうなられるという」
主水のこんがらがった言葉に、岡野左内が、
「もっとも、男らしいこと鬼神もはだし[#「はだし」に傍点]で逃げ出すようであっても、女にむかっては全然男らしうない男も、世にないではないがの」
と、つぶやいた。ヒョット斎が、咳《せき》ばらいしていう。
「余事はさておき、頼まれたことは果さねばならん。……それに、そもそも関ケ原で西軍につくべき立場にありながら東軍に尾をふって、大大名に成り上っためんめんに一泡吹かせるということは面白い」
「どうやるのじゃ?」
と、上泉主水が聞くのに、ヒョット斎は思案顔で、
「それをこれから考えねばならんのじゃが、とにかく先日客として来た顔ぶれ――あれをみな一度にやっつける、ということは難しいような気はするな。一件ずつ片づける、という手でゆくほかはあるまい」
「片づける、といっても、まさか、本多佐渡や加藤清正の首を討ちとる、というわけにはゆくまいし」
「それどころか、伽羅さまから、決して上杉家や山城どのに迷惑のかからぬように、との御制約があった」
と、左内と丹波がむずかしい顔をした。
が、ずいぶん勝手な注文だ、など口にする者は一人もない。考えている者もない。むずかしい顔はしたが、内心で、だからこそ面白い、という武者ぶるいを禁じ得なかったのだ。
「うむ、一人ずつ工夫せねばならんであろうな」
と、ヒョット斎がうなずくと、
「では、加藤、福島、伊達という具合に、分担して一人ずつやるということか」
と、車丹波が手を打った。
「そうなるか。……いや、そうしたほうがよかろう」
と、ヒョット斎がいった。
「その間、あのヘナチョコ婿どのをつれて、各自が各自なりにしごく、教育のしかたにもいろいろあるじゃろう」
「そこで花婿どのの腎虚が快癒《かいゆ》したら、その指導役の手柄ということになるのじゃな」
岡野左内がいうと――それから、数瞬、彼らのあいだに、また変な沈黙が落ちた。
彼らはいっせいに、さっきの伽羅の「それが出来るまでは、ほんとうの婚礼はお預けです」といった言葉を思い出したのだ。つまり、自分たちがうまくやるということは、すなわち左兵衛がめでたく伽羅を征服するということになる。――
「やあ、で、だれがだれをやる?」
と、ヒョット斎が入道頭をふり、快活にいった。
「それより、だれがいちばん先にやるかを決め、そいつがだれをやるか選んだらよかろう」
と、岡野左内がいい、
「まず、東南西北《トンナンシーペー》を決めるとしよう」
と、衣服のどこからか、変なものをとり出した。
二個のサイコロと、六枚の牌《パイ》――いまの麻雀《マージヤン》の牌である。
いまの、ではない。そのころから麻雀は麻雀だ。麻雀の起原は、古代中国、紀元前二千二、三百年といわれる皇帝「禹《う》」の時代、バーリンと称する遊びから発し、清《しん》朝の初期――つまりこの物語とほぼ同時代にいまの形態を完成したといわれるが、ほんとうのところはさだかでない。
とにかく、どこから手にいれたか、現実に岡野左内はその道具一式を所有し、サイコロと六枚の牌はつねに携帯していて、ひまさえあればそのサイをふり、かつ眼をつむってその牌を撫《な》でさすっている。彼はそのほかにもウンスン・カルタなるものもどこかに持っているはずだ。岡野左内は、まじめくさった顔をしていて、実は病膏肓《やまいこうこう》にいった賭博《とばく》狂なのであった。
さて、枯草の上に六枚の牌がならべられ、二個のサイがふられた。――それによって彼らは東西南北の四角に位置し、改めてまたサイがふられた。
あとの三人はべつに賭博に興味はないが、この間、好奇心以上のものものしい表情をして、サイの目を見守った。
まず、オヤが決まった。
「ヒョット斎じゃ」
と、左内がさけんだ。
ヒョット斎。――本名、前田慶次郎|利太《とします》。
彼は実に加賀|大納言《だいなごん》前田利家の甥《おい》であった。
若いころから、奇行をもって世に聞えた。
太閤在世のころ京にあったが、「松風」という名馬を飼い、別当に赤い烏帽子《えぼし》、赤い着物、赤い革袴《かわばかま》をつけさせ、毎日|鴨川《かもがわ》に水をやりに通わせた。ゆきかう人が、その異風に目を見張り、またその馬のみごとさに眼を吸われて、
「この馬のあるじはどなたでござる」
と、たずねると、その馬丁はオホンと咳ばらいして、赤い扇をバラリとひらき、
「赤いチョッカイ革袴
鳥のとさかに立烏帽子《たてえぼし》
前田慶次が馬にて候《そうろう》」
と、謡《うた》うのをつねとした。――主人利太の作詞作曲になるものである。むろん、人をくった彼のP・Rであった。
温厚篤実をもって知られた叔父の利家は、ふだんからこの奇矯《ききよう》な甥にしばしば訓戒をたれたが、慶次郎は鼻で笑ってとり合わなかった。それどころか――利家が、娘の麻阿《まあ》姫を秀吉の側妾《そばめ》として献ずることが決まったある冬の日。
彼は叔父の利家を自分の茶屋に招いた。そして茶のあと、風呂《ふろ》をすすめた。しかもわざわざ、自分で風呂に手をいれて、
「叔父上、ちょうどよい湯かげんでござる」
と、いった。
裸になった利家は一足をその中にいれ、
「あっ……」
と、さけんで、尻《しり》もちをついた。風呂の中は凍りつくような冷水であったのである。
「叔父上、娘までいけにえにして猿面《さるめん》の御機嫌をうかがいなさるか。それが当世風の武士の心得でござるか」
慶次郎の声はすでに浴室の外にあった。
「その水に頭までつかって、よっくお考えあれ。あははははは……」
そして、馬蹄《ばてい》のひびきが遠ざかっていった。
彼は、こうしてその一族でありながら、名門前田家を捨てたのである。
それから彼は、右の名馬松風を曳《ひ》き、例の赤|装束《しようぞく》の馬丁をつれ、あの歌を唄わせながら諸国を放浪した。
しかも、そんなP・Rをやりながら、あちこちの大名から招かれても、なかなかそれに応じようとはしなかった。
そして前田慶次郎がみずから選んで身を託したのが直江山城守であったのである。時あたかも慶長五年、上杉は徳川に対して戦備を整えつつあるさなかであった。
叔父が太閤に娘を献上することを罵《ののし》って国を捨てた彼が、太閤の遺命を守ると称する上杉家に身を投じたのは矛盾しているようだが、彼はただ叔父の卑屈な行為に腹をたてただけで、闊達《かつたつ》無比な太閤その人には好感を持っていたのである。いや、それより、強者にひたすら叩頭《こうとう》する者を嗤《わら》い、これに抵抗する者に味方したがる叛骨のなせるわざであったろう。
上杉家というより、慶次郎は直江山城に仕えたのである。仕えて、彼はたちまち山城に心酔した。山城守もまた彼に五千石という大禄を与えた。
時至って、関ケ原のとき、伊達と戦い、最上《もがみ》と戦う山城の下にあって、利太もまた転戦した。彼は朱柄《あかえ》の槍《やり》を携え、背に「大ふへん者」と書いた旗を立てて馬上疾駆した。
上杉家の武士たちは、この旗の文字に首をひねり、やっとだれかが、
「大武遍者」
と、読んで怒り出し、中でも武名高い連中が彼のところへいって抗議を申しこんだ。
謙信以来武勇をもって知られた上杉家にあって、わざわざ大武遍者という旗をかかげるとは、あまりに人もなげなるふるまいだ、というのである。
前田慶次郎はゲラゲラ笑った。
「おれはな、加賀からはるばるだれも知らぬ会津へ一人でやって来た男じゃ。その上いまだ妻もなければ子供もない」
と、彼はいった。
「諸事万端不便をかこっておるから、大不便者というのだ。わかったら、女房の世話でもしろ」
――この「大ふへん者」という変な文字は、のちになっても、この物語のころになっても、彼の袖無《そでなし》羽織の背に染められている。
それからまた彼の持つ朱柄の槍もはじめ問題になった。上杉家の家法では、謙信のころから武功絶倫の侍でなければ朱槍を持つことは出来ないという習いであったからだ。
ところが前田慶次郎は、会津にブラリとやって来た当初から、新米《しんまい》のくせにそれを持ってしゃあしゃあとして往来を闊歩《かつぽ》している。
みなの抗議を聞いた山城守が尤《もつと》もだと思い、慶次郎を呼んで説得したが、なんといってもとり合わない。ついに山城ももて余して、抗議に来た連中のうち、まだ朱柄の槍を持つことを許されない四人の侍にもそれを許可することで一応の決着をつけた。
さて、伊達政宗と福島で戦ったとき。――
両軍は相対した。大軍が野をはさんで雲のごとくおたがいに近づいたとき――ある一線で、双方は動かなくなってしまう。凄《すさ》まじい戦気のために、みな金縛《かなしば》りになってしまうのだ。このときまず進み出るのが野戦における一番槍で、ただいたずらに飛び出しても醜態をさらせば全軍の士気にかかわるから、めったな者は出られない。また出る勇気もない。
このとき上杉勢の中から、前田慶次郎が例の旗をひるがえして出ていった。――
伊達方からも、一人の武者が出て来た。――両者は次第に近づいた。
この一番槍がいかに至難な行動であるかということが、この一騎討ちのとき如実《によじつ》に現われた。出て来た伊達の武者もよほどの男であったろうに、次第に頭が下がり、地面を見て歩き、前田慶次郎の横をフラフラと通り過ぎていったのである。
慶次郎は立ちどまり、ふりかえって眺めていたが、やおらうしろから槍を一閃《いつせん》させてこの敵をなぐり倒した。そのようすに何ともいえないユーモラスなものがあって、味方はもとより敵までどっと笑い出した。
しかも、何たることか、慶次郎は、倒した敵の首をとろうとせず、おのれの鎧《よろい》の草摺《くさずり》をかきわけて、そのまま相手に小便をひっかけはじめたのである。――
彼は、いつの戦闘でも、首級をあげればあげられる場合に、倒した敵に小便をひっかけるだけですまして次の敵に向うのを常とした。そのため恥じて、あとで腹を切った敵がたくさんあったが、それは彼の知ったことではない。
また、関ケ原敗れて、上杉が孤立無援の難戦をつづけているとき、上杉方は長谷堂というところの戦いで最上軍の包囲を受けた。直江山城はみずから殿軍《しんがり》を買って出て味方の退却を助けたが、敵の猛追にいちじは彼自身自決の短刀をとりあげたほどであった。
このとき前田慶次郎は、
「心せわしき大将かな。いましばしわれらにおまかせ候え」
と、一笑してとって返し、阿修羅《あしゆら》のごとくあばれまわって、ついに山城守を逃したが、このとき彼と行動を共にしたのは、かつて慶次郎の朱槍に文句をつけ、強引に自分たちも朱槍をかちとった四人の武者たちであった。
とにかく前田慶次郎は、朱柄の槍にも「大ふへん者」の旗にもそむかなかったのである。
関ケ原以後、彼が元来上杉家の侍でないことを知っている諸大名から、降るように誘いがあった。中には、八千石、一万石をもって招きたいという口もあった。
しかし彼は、直江山城から離れなかった。山城守が三十万石から五千石の身分になると、彼も五千石から五百石に減らしてもらって、
「負けてから、おれはいよいよ上杉が好きになったよ」
と、涼しい顔で米沢に住んでいた。
そのころの彼の句がある。
「賤《しず》が植うる田歌の声も都かな」
涼しいといえば――敗戦後、彼は頭を剃《そ》って、「こくぞう院ヒョット斎」と名乗るようになった。こくぞう院とは、米食い虫たるこくぞう[#「こくぞう」に傍点]虫からとった名であろう。
そういう状態になっても、彼のいたずらと横紙破りはなおやまない。
米沢に林泉寺《りんせんじ》という名刹《めいさつ》がある。上杉家の帰依篤《きえあつ》い寺であった。
それだけにここの和尚《おしよう》はよくいえば豪邁《ごうまい》、わるくいえば倨傲《きよごう》の風があった。
一日ヒョット斎は寺を訪れ、碁の好きな和尚に碁を申し込んだが、そのとき、
「盤上のことにしろ、勝負するのに何か賭《か》けねば面白くない。と申して、物を賭けるのは卑しい。ひとつ勝ったほうが、相手をたたくということではいかが」
と、笑って子供みたいなことを持ちかけた。
「沙門《しやもん》が人を打つというわけには参らぬ」
と、和尚が辟易《へきえき》して手をふると、
「碁で負けるということは、上手下手《じようずへた》と申すより、その実心術に至らぬところがあるからでござる。これに対して、喝棒《かつぼう》一加、ということもまた禅の妙ではござるまいか」
と、ヒョット斎はいった。和尚はつり込まれて、「では」と笑って承諾した。
一局目は和尚が勝った。ためらう和尚に、
「いや、約束でござるから」
と、ヒョット斎は頭をつき出した。
和尚はやむを得ず、苦笑しながら、指でかろくはじいた。
二局目はヒョット斎が勝った。
和尚は頭をつき出した。
するとヒョット斎は、大喝一声、物凄《ものすご》い拳骨《げんこつ》をかためてこれを殴りつけた。和尚は鼻血まで出してひっくり返り、悶絶《もんぜつ》した。――彼はからからと笑いながら寺を出ていった。
またあるとき、絵師に自分の画像を書いてもらって、みずから賛をした。それに曰《いわ》く、
「寝たければ昼も寝《い》ね
起きたければ夜も起きる。
生きるまで生きたら、
死ぬるであろうと思う」
ところで、この奇侠児《ききようじ》こくぞう院ヒョット斎が、そのときも、それから十年たったいまでも独身である。その理由は、ほかでもない。
彼がまったく人間離れのした大男根の所有者であったからだ。
戦場では、だからその威風ぶりを敵味方に見せびらかしたのだが、現実の浮世では彼は「大不便者」の歎《なげ》きを味わうよりほかはなかったのである。実際に何度もためして見て、ついに不可能であることを彼は認めないわけにはゆかなかったのである。
で、彼は、すでにその点ではあきらめていて、右のごとく超俗の自賛をする心境になっていたのだが――そのくせ、伽羅さまの婚礼だけには、どこか哀愁の漂う眼を投げていたのだから可笑《おか》しい。
とにかく、このヒョット斎が、伽羅の花婿の第一番のしごき役となったのである。――
[#改ページ]
剣鬼と拝金宗《はいきんしゆう》と火のくるま
ここで、あと三人についても述べておこう。
まず、上泉主水|泰綱《やすつな》。――
その姓が物語るように、彼は剣聖上泉|伊勢守信綱《いせのかみのぶつな》の子であった。
人も知るように、上泉伊勢守はもと上野《こうずけ》の大胡《おうこ》城の城主の子であったが、父の代に滅んでから兵法修行の旅に出た。そして、ついに新陰《しんかげ》流という剣法の開祖となり、上洛《じようらく》して時の将軍|足利義昭《あしかがよしあき》から、
「上泉兵法、古今比類なし」
という感状を受けた。
この間、その刀術の精妙の評判を聞いた武田信玄《たけだしんげん》が厚く招聘《しようへい》しようとしたが、何を考えたか伊勢守はこれを辞し、「将来仕えるなら武田家に仕える」と約束したのみで、漂泊の大剣人としての生涯をつらぬいた。
彼がその生を終えたのは天正五年、愛弟子《まなでし》たる柳生石舟斎《やぎゆうせきしゆうさい》の城、柳生城においてであった。享年六十九歳と伝えられるが、正確なところははっきりしない。
この漂泊の剣聖にも、妻か、または愛する女人があったと見えて、少なくとも男の子が二人ある。
兄を常陸介秀胤《ひたちのすけひでたね》といい、小笠原《おがさわら》家に仕えて早く討死《うちじに》したが、弟は主水泰綱といい――すなわち本篇の主人公の一人である。
ただ、作者が首をかしげざるを得ないのは、主水泰綱はこの慶長十五年三十四歳で、してみると生まれは天正四年ということになり、父の伊勢守が六十九歳で死ぬ前年に生まれたということになるからだ。
にもかかわらず、彼、主水泰綱は、上泉伊勢守の遺児たることを信じて疑わなかった。
彼は物心ついたころ、京の花園妙心寺で愚堂《ぐどう》という禅僧に育てられていた。この和尚が、彼を伊勢守の子であるといい、事あるごとに自分と伊勢守との親交や、その剣禅|一如《いちによ》の剣聖ぶりを説いてやまなかったからだ。
のみならず、主水が十歳のとき――彼を大和《やまと》の柳生にやった。そして柳生城のあるじ石舟斎もまた、彼をまちがいなく恩師の遺児として遇したからである。してみると、上泉伊勢守くらいの剣聖になると、六十八歳で子を生むことも可能であったと考えるしかない。
上泉主水は、柳生で十三年ばかりを過《すご》した。
そこで彼は石舟斎から剣の指南を受けたことはいうまでもないが、成長とともに伊勢守の子たる本領をまざまざと示して来た。
恐るべき剣技はいうまでもないが、その奔放《ほんぽう》性がである。
石舟斎の子に、又《また》右衛門宗矩《えもんむねのり》があった。主水より六歳の年長で、事実上彼を教えたのは、すでに老いた石舟斎より、この宗矩であった。
宗矩は、よくいえば勤直、悪くいえば老獪《ろうかい》ともいえるところがあり、次第に主水はこの先輩とそりが合わないようになっていたが、関ケ原迫るや、石舟斎が家康の要求に応じて宗矩を徳川家剣法師範としてさし出すのを見て、その動機に不純なものありと評して柳生を去った。
これまで石舟斎の高名を聞き伝え、それを破って天下に剣名をあげようという野心をもって柳生に乗り込んでくる武芸者はあとをたたず、それを主水は十数人打ち殺したことがあり、柳生父子は、実はこの恩師の遺児を少々持て余してもいたのである。
剣は出世の道具として修行すべきではない。それは技術として純粋であるべきだ、というのが上泉主水の信念であった。彼自身に記憶はないはずだが、ついに生涯仕官しなかった父の血は、やはり脈々として伝わっていたというべきであろう。
そして、また妙心寺に戻って愚堂和尚の禅室で暮していたところを、当時まだ京にあり、愚堂のもとに参禅していた直江山城守に見込まれて、それに仕えたのである。禄《ろく》は三千石であった。
それは出世のためではなかった。上杉が徳川に向って蟷螂《とうろう》の斧《おの》をふるう雲ゆきはすでにきざしていたからである。
その証拠に、案の定起った会津周辺の戦いで、彼は鬼神のごとく敵を斬《き》って斬って斬りまくり、まるで剣の憑《つ》きものがしたようだ、と味方からさえ怖《おそ》れられたが――最上《もがみ》勢守る上之山《かみのやま》城攻撃に際し、彼は山城守に進言した。
この城は背後とつながっているだけに難戦となる。いま力攻して多数の犠牲者を出すより、上方《かみがた》における西軍東軍の勝敗を見定めてから行動に移っては如何《いかん》。
関ケ原の決戦が迫っていると見られるときであったが、彼には珍しい思慮であった。
これに対して山城守は、あちらはあちら、こちらではいまのうちに最上を破ることが絶対に必要であると叱咤《しつた》した。
ここにおいて上泉泰綱「おのれを怯《きよう》とすと憤怒《ふんぬ》し、心に悪戦を期し、敵に突入して数十人を斃《たお》し、部下二十余人とともに戦死せり。人これを惜しまざるなし」実にそれは、西において関ケ原の戦いが行われた二日後、九月十七日のことであったと、福本日南《ふくもとにちなん》「直江山城守」は伝える。
――ところが、彼は生きていた。
つまり、それほどの戦いを見せたということだが、こういう噂が世に伝えられたのは、瀕死《ひんし》の重傷が癒《い》えたのち、彼はそのまま会津を去ったからでもある。
敗戦の上杉を見捨てたのではない。彼は山城守の許しを得て、また剣法修行のため放浪の旅に出たのであった。
さて、ふたたび米沢に帰って来たのは三年ばかり前のことだが――総髪にした鷹《たか》みたいな顔はいよいよ凄絶《せいぜつ》の気を加え、驚くべき長剣を背負った袖無《そでなし》羽織には、
「天下一」
と、染めてあった。
いかにも父は、時の将軍から「古今比類なし」というお墨付をもらった剣聖だが、これはまた相当な心臓である。
彼の剣技の凄《すご》さはだれも認めたが、さすがに武勇を誇る上杉家だけあって、これを面《つら》にくく思った者もあり、
「主水どの、江戸の柳生|但馬守《たじまのかみ》どのとは立ち合われたことがおありかな」
と、皮肉に聞いたことがある。
剣そのものの技《わざ》においては柳生但馬守こそ天下一、というのはこのごろ世上の通説になっていたからである。
「あれはもう二十年も前に打ち据《す》えたことがある」
と、主水はこともなげに答えた。
柳生但馬守は、いうまでもなく彼を教えた又右衛門宗矩であった。
ただ、何かのはずみで、彼が仲のよい直江四天王の三人にもらしたことがある。
「いや、天下一とは吹いておるがな、おれが見た武芸者のうち、ひょっとしたらこっちが危ないな、と思うやつが、天下に二人ある」
「それはだれじゃ?」
「佐々木小次郎《ささきこじろう》という男、また宮本武蔵《みやもとむさし》という男」
「おう、武蔵という名は聞いた」
と、車丹波がいった。
「京は一乗寺下り松で吉岡《よしおか》一門を破ったという。――あれは慶長九年のことであったの」
「左様」
「その武蔵は、あれからどこへいったのかの?」
「それは知らぬ。……是非もういちど逢《あ》いたいと念じておるのじゃが」
岡野左内が笑いかけた。
「主水、こわいものがまだあるじゃろ」
「いや、それ以外にはない」
「女というものが」
いわれて、上泉主水の精悍《せいかん》きわまる顔にすっと朱が散った。
この剣鬼的人物が恐怖するもの――それはまさに女であったのだ。しかもその恐怖の理由が、世にはまことに美女というものが存在する。その美女が、あんな毛だらけのなめくじみたいな生殖器を持っているという、存在すべからざる存在であるから、というのであった。
次に、岡野左内。――
彼はもともと蒲生|氏郷《うじさと》に仕え、一万石という大禄を与えられて、猪苗代《いなわしろ》に一城を持っていた男であったが、氏郷|歿《ぼつ》してその子の秀行《ひでゆき》があとをつぐと、これと合わず蒲生家を去って、直江山城に身を託した。その禄四千二百石。この時代は、いまのアメリカ式に、おのれを買ってくれる者を選んで奉公先を変えるのは当然事とされていた。
血色のいい、つやつやした豊頬《ほうきよう》の中年男で、信長《のぶなが》みたいな細い口ひげをはやしているところは、刀さえとれば、侍よりは上方あたりの長者に見える。
それが、これほど複雑怪奇な人物は、武士の世界にちょっとあるまい。
第一に、いま長者に見えるといったが、実際に彼は金持ちなのである。
もともと一万石という城持ちではあったのだが、それは昔のことで、とくに主家が零落してからはいまはただ五百石をもらっているだけだが、それでも彼の家にゆけばその黄金に驚く。
また彼が、その黄金の小判を座敷じゅうにならべて、その中に坐り、ニヤニヤとひとり悦にいっているという甚《はなは》だ武士らしからぬ趣味の持主であった。
そして、眼をまるくしている客に、彼は金銭の尊さ、倹約の美徳について、こんこんと説教をはじめる。
それはそれとして相応に理窟《りくつ》は通っているのだが、彼がその年になってまだ妻帯しない理由を、女は浪費するから、と、こともなげに説明されては、みな唖然《あぜん》としないわけにはゆかない。実は左内は、猪苗代の城主であったころ奥方を持っていたのだが、右の理由のため離縁して、以後独身をつづけているというのだから、徹底している。
「浪費とは、ただ金を使うということではないぞ」
と、彼は厳粛な顔でいう。
「使う金が死金《しにがね》だ、ということじゃ。むしろ他に害を及ぼす使いかたをするやつさえ世に多い」
だから彼は、決して他人に金を貸さず、過分の心付けもやらなかった。つき合いはすべて割勘にした。それも少し費用がかかりそうだと見ると、さっさとその用件を辞退した。
まあ、これならこれで吝嗇《りんしよく》の論理として通るのだが、これが彼の第二、第三、第四の特性と矛盾するから奇怪なのである。
というのは、たとえば第二に、このケチンボがギャンブル狂という特性を持っていたからだ。
碁、将棋ならまだわかるが、サイコロをふる賭博《とばく》、それも相手選ばず、下郎《げろう》馬丁のたぐいと平気でやる。右せんか、左せんか、日常の生活で迷うときには、すぐに丁半《ちようはん》で占う。世のだれもまだほとんど知らない麻雀《マージヤン》、トランプまで一式そろえていることはすでに述べた。
それでなお金を残しているのは、べつにばくち[#「ばくち」に傍点]に特に強いわけではなく、また程度を見はからって愉《たの》しむという分別が働くとも見えず、負けるといよいよ倹約にはげむせいらしい。
第三の特性は、このケチンボのギャンブル狂が、なんとイエス・キリストを信じているということであった。
いうまでもなく、このころはまだ切支丹《キリシタン》禁制ではなく、左内の元の主君蒲生氏郷でさえ一時レオという教名を持っていたくらいだが、世にいう切支丹大名の流行がさめても、左内は敬虔《けいけん》な奉教人であった。
「契利斯督《キリスト》記」という書に、「会津にては、岡|越後《えちご》、切支丹ゆえ、家来おおかた宗門にいたし候。猪苗代と申すところ城地にて候。このところの百姓切支丹にて候よし」とあるが、この岡越後とは、まさに岡野左内のことである。彼はそのころ岡野越後守と名乗っていたのだ。
(岡野左内のことを岡左内と記した書もある)
そして、第四の特性は――これこそ彼が直江四天王の一人たるゆえんだが、この左内が実に武勇において抜群の豪傑であったことだ。
会津でいくさがはじまるや、彼はそれまでにためにためた金のすべてを戦費として上杉家に捧《ささ》げた。その額は永楽銭一万貫にのぼったという。
彼は伴天連《バテレン》から送られた南蛮鉄で作ったさざえ[#「さざえ」に傍点]型の兜《かぶと》をつけ、戦場を往来したが、とくに有名なのは、関ケ原の役後、上杉がなお一年抗戦を継続したとき――慶長六年四月、伊達の大軍と福島|梁川《やながわ》で決戦したときの武者ぶりだ。
左内は敵中に突撃して、敵の大将と血戦した。
両者馬を乗りまわして旋回しつつ白刃を交えるうち、彼は陣羽織の背中を二か所|斬《き》られたが、また敵の兜をなぐりつけ、錏《しころ》を斬り飛ばした。敵はたまらず、馬腹を蹴《け》って逃げた。
そのとき左内は気づかなかったが、この相手が実に独眼龍政宗であったのである。
彼はあとでそのことを知って、その敵をあくまで追わなかったことを痛恨した。
左内は、そのときの陣羽織をとり出し、斬り裂かれた痕《あと》を金糸でかがると、それはちょうど十字架のかたちになった。
彼はそれ以来これを袖無羽織として大事に常用した。
そしてまた、それまでの実名はなんといったか不明だが、このときから宗政《むねまさ》と名乗るようになった。政宗をひっくり返したのではない、政宗がおれの名をひっくり返したものだ、と彼はいい張った。
それから十年を経たが、彼のケチンボとばくち[#「ばくち」に傍点]好きとキリストへの信仰は変らない。――
おしまいに、車丹波。――
彼は元来、常陸《ひたち》水戸の名族|佐竹右《さたけう》 京《きようの》 大夫義宣《だいぶよしのぶ》の侍大将であった。やはり城を一つ、いまの高萩《たかはぎ》に持ち、車《くるま》城と呼ばれていた。
これが名の猛虎《たけとら》という文字通りの勇猛果敢な男で、戦場に出るとき白練《しろねり》の旗差物に火の車をえがき、佐竹氏が水戸八十万石という大大名となるまでには、この火の車の武功があずかって大きかったという。
さて、関ケ原の役に際し、会津の上杉に危険をおぼえた家康は、事前に佐竹を味方につけようと焦ったが、これがぶきみに沈黙したままであった。
実は佐竹はひそかに上杉に相応じ、家康が会津を攻めるなら、横から出撃して家康を袋の鼠《ねずみ》にしようという作戦計画がたてられていたのである。
この策をすすめたのが車丹波で、彼ははやくから直江山城の侠骨《きようこつ》に共鳴していたのだ。
ただ若い佐竹義宣にはまだ義重《よししげ》という隠居の老父があって、これが佐竹家の大をなした中興の人物だけあって、からくも事の発動をさしとめ、関ケ原・会津のいくさのなりゆきを見まもる結果に抑えた。
が、役後、このときの佐竹の態度はやはり許されないものとなり、義宣は水戸城を追われて秋田二十万石へ落されたのである。
が、車丹波はこの処置に服せず、同志を語らってなお水戸に残って潜伏していたが、慶長七年七月、佐竹の残党を糾合して水戸城を襲撃し、これを乗っ取ろうとした。
しかるにこの叛乱《はんらん》を起した直後、暴風雨となって那珂《なか》川が氾濫《はんらん》して侵入を阻止され、ついにこの計画は破綻《はたん》してしまったのだが、いったい水戸城を奪還してそのあとどうしようとしたのか、ムチャといえばムチャな話である。
で、このとき車丹波をはじめ首謀者らはみなつかまって磔《はりつけ》になった。
――と、家康はもとより世人はみなそう見ていたのだが、車丹波は生きていた。
実は丹波の家来で、彼そっくりの豪傑があって、これが身代りとなって処刑されたのである。
それから五、六年もたって、丹波は直江山城のもとに生存しているという噂《うわさ》が家康の耳にはいったが、家康はもう彼をさし出せと上杉家に命じなかった。すでに山城さえ許している以上、それより罪の軽い丹波をいまさら処罰することは出来ない、と見たのであろう。
――丹波守は、叛乱破れたのち妻子も捨て――正確にいえば叛乱前に縁を断って――米沢へひとり逃れたのだが、この子がのちに大坂の役後、江戸城まで潜入してなお大御所を狙《ねら》い、とらえられたが、その父が車丹波であることが明らかになると、家康はふかく惜しんでその命を助けた。
助けられたその若者は、助けられたことを恥じて、せめて人交わりの出来ない境涯で生かしてくれと請うた。すなわちこれが江戸|非人《ひにん》の頭・初代車|善七《ぜんしち》になるのだが、これはのちの話。
さて、車丹波はかくのごとき無鉄砲ともいえる豪勇の男であったが、その彼がこわいものが天下に一人ある。
それが女房の小波《さざなみ》で、前の妻が死んだとわかったあともらった二人目の妻だが、これは自分の身代りになって死んだ男の妻であった女だ。
一見したところ風にもたえぬ弱々しい女で、しかも岡野左内の布教にかぶれて熱心な切支丹なのだが、どういうわけか夫に対して凶暴をきわめ、それをまた全身毛だらけの大男車丹波守猛虎が、まるで天敵に逢ったけものみたいに怖がる。
丹波は、女そのものは大好きなのだが。――
[#改ページ]
三宝寺勝蔵《さんぽうじしようぞう》事件
「……本多にしたい」
と、前田ヒョット斎がいった。
伽羅から依頼された、一泡吹かせる相手の第一号だ。
「なるほど」
と、三人の豪傑はうなずいた。
直江左兵衛をいたぶった主役は本多佐渡守だったそうだから、ヒョット斎がそれを一番に選んだのは順当にちがいない。順当にちがいないが。――
「で、どうやって?」
と、車丹波が聞く。
しっぺ返しをするのはいいが、上杉家、直江家に傷がつかぬように、という伽羅の注文があるから難しい。その上、左兵衛を教育する、という仕事も加わっているのだから。
「いま、思案中である」
と、ヒョット斎は腕ぐみをした。
「本多ということはわかるがの、これがいちばん難しい相手じゃぞ」
と、岡野左内がいった。なにしろ大名の生殺与奪を握っている相手だから、左内がこういったのは当然だ。
さすがのヒョット斎も、ちょっと動揺したようだ。
「では、手はじめは別のやつにするか――」
と、いったとき――林の向うから、また女の駈《か》けて来る姿が見えた。
「あなたがた――早く来て下さい、大変でございます」
侍女のお弦であった。あえぎながらいう。
「伽羅さまのお草履《ぞうり》取り、三宝寺勝蔵《さんぽうじしようぞう》が本多家のお中間《ちゆうげん》を斬ったとかで、本多家からおしかけ、いま山城守さまがお会いになっておられます」
「な、なにっ」
四人は仰天して、林から駈け出した。
上杉屋敷の一郭《いつかく》にある山城用の居宅の庭は、殺気立った黒山のような人々にふちどられていた。その輪の中に、三人の鎌髯《かまひげ》の中間が仁王《におう》立ちになっていた。
それが本多家の男たちであった。
「あれこれの話は聞きたくねえ。いま逃げ込んだやつを渡してもらおう」
「それとも、そっちで首にして出すか」
「とにかく、謝り文句だけじゃあ帰られねえからそう思え」
彼らは逆上し切った声でわめいていた。
正面の縁側には、直江山城が端然として坐り、座敷にはさっき林から帰っていった伽羅と左兵衛がならんでいる姿が見えた。
人々をかきわけ、四人は山城のほうへ近づこうとしてふとこちらの中間《ちゆうげん》のむれの中に三宝寺勝蔵の顔を見つけて、
「どうしたのだ」
と、上泉主水が聞いた。
中間たちは、声をひそめて、早口に説明した。
先日、大御所さまがお成りになったとき、この屋敷から上杉家の男すべてが空《から》になり、あと本多家の者が詰めたのだが、あとで調べて見ると、中に紛失したものがチョイチョイあった。むろん士分のほうにそんなことはなかったが、若党中間下男のたぐいまで総入れ替えをやったので、こっちのほうで、脇差《わきざ》しとか茶碗《ちやわん》徳利のたぐいで、どうも持ってゆかれたとしか思えない品物があった。むろんとるに足りぬ安物ばかりで、かついわゆる下郎|匹夫《ひつぷ》のしわざだから、上杉家のほうでも苦笑してすませたのだが。――
中に、三宝寺勝蔵という草履取りの紛失物があった。
年は三十半ば、小柄で、どこかヒョットコに似た顔をして、いつもケラケラ笑ってばかりいる男だ。これは元来伽羅が以前養女にいっていた大国大和守の家から伽羅について来て、いまもその草履取りをしている男であった。この勝蔵の半被《はつぴ》がなくなった。
それがいつか伽羅からもらった着物を半被にしたもので、真っ赤な地に一文銭《いちもんせん》を大きく一つ染めてある。あまり変った柄《がら》なので、伽羅がくれてやったものだろうが、勝蔵が半被にして大事にしまっていたのが紛失していたのだ。
それを――先刻、勝蔵たちがはからずも濠端《ほりばた》で見つけた。
往来を、大手をふって歩いている四人の中間の一人がそいつをぬけぬけと着ていたのだ。
ゆき逢った直江家の中間たちは唖然としてそれを見送っていたが、その中から、三宝寺勝蔵が走り出して、それを追っかけた。
「もし」
と、彼は呼びかけた。
「その一文銭の半被はおらのものだ。返しておくんなさい」
ふりかえった四人の中間は、突然そっくり返ってゲラゲラ笑い出した。虚勢でもあったが、ヒョットコみたいな顔をした勝蔵が、どういうわけか――愛想笑いのつもりか――ニンマリと笑っていたせいもある。
「この阿呆《あほ》、何いってけつかる」
と、一文銭の半被を着た男がいった。
「どうぞ、お頼みいたしやす」
三宝寺勝蔵はニコニコしながら寄っていって、いきなり匕首《あいくち》でズブリと相手の胸を刺した。
倒れた男は、もうピクリともしなかった。心臓をつらぬかれた即死であった。勝蔵は匕首を口にくわえ、仰むけになった死人の腕をつかんで半被をぬがせ、屍体《したい》をひっくり返して半被をとりあげて、スタスタとひき返して来た。
「おい、逃げろ」
唖然としてこの鮮やかな奪還を眺めていた仲間《なかま》は、走り出した勝蔵につづいて、転がるように逃げ出した。――
あっけにとられているのは、殺された男の朋輩《ほうばい》たちも同様だ。
信じられないもののように、仲間の屍骸《しがい》を見下ろしていたが、相手が逃げ出したのではじめてわれに返って、黒つむじみたいになって追っかけて来た。
いったんは巻かれたが、半被の件からゆくさきは上杉屋敷だと判明している。
そして彼らは門でわめき出したのである。
「おれたちは本多佐渡守さまの奉公人だ。仲間を殺したやつを出せ!」
むろん、以上のいきさつをざっと聞いただけだが――四天王は、ちらっ、ちらっと三宝寺勝蔵を見やった。
その草履取りは、以前から四人にとってもちょっと気になる男ではあった。第一に、伽羅の幼いころからそのそばにくっついている男という点で、第二に、いつも笑っていて、まるでひょうたんなまずみたいにつかまえどころがない男という点で、そして第三は、それにもかかわらず、伽羅がひどく信頼しているらしい点だ。
四人の豪傑にとっては、奇妙にも感じるし、少々やきもちもおぼえていた草履取りであった。
しかし、伽羅とひき離してその男を見ていれば、まったく目立たない、平凡で、影薄い存在だ。――それが、なんと、そんな無造作《むぞうさ》で思い切った人殺しをやってのけようとは?
眼を見張っている四人に、勝蔵は――いま眼の前で自分をひき渡せと本多家の中間《ちゆうげん》たちがわめき、主人の山城守がじきじきに応対しているというのに――にやっと笑って、
「へ、へ、姫さまからの拝領物を盗《と》られちゃ、黙っていられませんでしたのでね」
と、小声でいった。
むろん、四人の豪傑も、もし自分たちが勝蔵であったら、同じ行動に出たにちがいない。――
はじめて、変な共鳴をおぼえて、彼らは地ひびきたてて山城守の前へ出ていった。――
「つまみ出しますか」
「成敗《せいばい》しますか」
と、車丹波と上泉主水がいって、じろっと本多の中間たちをにらみつけた。
たとえ朋輩が殺されたとはいえ、下手人を追ってここへ乗り込み、そのひき渡しを談判するとは、中間の身をもって相当に度胸のあるやつらに相違ない。むろん自分たちは天下の本多家の奉公人、相手は関ケ原で負けた上杉家だと思ったからだろうが、それにしても、である。
彼らは中間の風体ながら、いずれも戦場に出ればひとかどの働きはするにちがいない獰猛《どうもう》な面がまえをしていた。――が、いまここに現われた四人を見て、まさかその素性はまだ知らないはずだが、とにかくただものではない、ということは明らかに感得《かんとく》したと見えて、ぎょっとした表情になった。
「ひかえおれ」
山城守は珍しく語気|烈《はげ》しく叱《しか》った。
「うぬら、いらざる口を出すな」
そして彼は、本多家の中間のほうへ、おだやかな眼をむけて、
「さて、何度も申すように、当家の三宝寺勝蔵なるもの、当人はいのちより大切にしておった半被を人が着ておるのを見て逆上したと申し立て、そなたらは、何にしても、いきなり人を殺すという法があるか、という。いかにもそなたらの申す通りじゃ。その大罪の前には、勝蔵の申し立てごとき、いいわけにもならぬ」
と、いった。
「さればとて、いかにしても死んだ者は帰らず――そのために勝蔵のいのちとひきかえにするとの申し込みじゃが、それはただ言葉の上の勘定であって、事実はひきかえになるものではない。また右のごとき、愚かとも何とも申しようなき勝蔵のいのちを奪ったところで、虫ケラを殺したにもあたらぬ。されば――やはり、弔いの金で許してくれぬか?」
直江山城守は、頭を下げた。
「銀三十枚をもって」
三人の中間は顔見合わせた。
人のいのちの安かった当時として、それは驚くに足る額であった。彼らはまばたきして山城守を眺め、それから、縁側の下でこっちをにらんでいる四人の凄《すさ》まじい眼光を見やり、
「しかたがねえ、それで手を打つとしよう」
と、うなるようにいった。
ところが、それで事は終らなかったのである。
三日後、彼らはまた上杉家にやって来た。
帰って、死人の家族親類に金を渡したが、どうあっても承知しない。やはり殺したやつをひき渡してもらいたい、この前もらった金は返す、というのだ。
山城守はまた会った。そして、さらに銀三十枚を加えてひきとらせた。
すると、また三日たって、本多の中間はおしかけて来た。しかも、もはや金も下手人もいらぬ、ただ死んだ人間を生かして返せ、というのであった。
「殿!」
と、上泉主水たちの眼が、ぎらっとひかった。
「ヒョット斎、新しい高札があったら持って参れ」
と、直江山城守は落着いて、そんなことを命じた。
「高札?」
「主水、その下郎ども、首にせい」
と、山城は命じた。
あっとさけんで、上泉主水が駈け出していった。
そのあと、ヒョット斎が持って来た高札に、山城はスラスラ書き出した。
「いまだ貴意を得ず候えども一筆啓上せしめ候。本多佐渡守どの家来何某不慮の仕合せにて相果て候。親類ども歎き候て呼び返してくれ候えとさまざま申し候につき、すなわち三人迎えにつかわし候。なにとぞかの死人お返し下さるべく候。恐惶《きようこう》謹言。
慶長十五年十一月一日
[#地付き]直江山城守兼続。
閻魔《えんま》大王 冥官《みようかん》獄卒|御披露《ごひろう》」
それを、度胆《どぎも》をぬかれた顔のヒョット斎に持たせ、山城守は玄関へ出る。あとを、車丹波、岡野左内――それから、伽羅も左兵衛も追って出ていった。
玄関先には、三つの首が転がっていた。
本多家の威をかり、上杉家くみし易しとかさにかかって来たところ、こんなはずではなかった――というように、三人の中間の首はいずれも驚愕《きようがく》の相を刻んでいた。
もっとも、いまはもう背中の鞘《さや》におさまった上泉主水の長剣は――三人の中間に脇差を抜かせ、斬りかからせながら、きれいに首だけ順々にはねたそうだが、その鮮やかさに彼らもあっけにとられたのかも知れない。
「さて」
と、山城守はいい出した。
「先日来のこと、おそらく佐渡守どのは御承知ではあるまい。こやつらが勝手にやったことと思う。が、勝蔵の件はさておき、ここまでやってはもはや内聞にはすまされまい。本多家に挨拶《あいさつ》する必要があろう」
彼は直江四天王を見まわした。
「そのほうら、この首を持ってな、その高札とともに本多家に届けにいって、佐渡守どのに以上のいきさつを説明して来てくれい」
そして、スタスタと奥へひき返していった。
四人は一瞬、顔を見合わせた。これは、まかりまちがうと、いのちがけの用件だ。
「こりゃ、うまい具合じゃ」
と、ヒョット斎が手を打った。
「例の伽羅さまの御用命、だれにしようと迷い、まず本多に決め、あとでひっこめたが、やっぱり本多ということになった。天然自然に決着がついて重畳《ちようじよう》の至り」
「しかし」
と、岡野左内がいった。
「これで、伽羅さまの御用命に添うことになるか喃《のう》?」
四人は、伽羅と左兵衛をかえり見た。
伽羅の願いは、直江家に迷惑のかからぬように、また左兵衛を訓練するように、ということであったが。――
「何しろ殿の仰せじゃからの」
と、ヒョット斎がいった。直江家に迷惑のかかるもかからぬもない、という意味だ。
「これは番外」
はじめから番外というのはおかしいが、とかく伽羅の例の依頼とは別のハプニングと見るほかはない。
「では、参ろう」
ヒョット斎が高札をとり直し、あとの三人が三つの生首の髷《まげ》をつかんでぶら下げたとき、
「待って。――」
と、伽羅がいった。
「この左兵衛どのもつれていって!」
はて、この役目に左兵衛を同伴させてどうしようというのか? しかし、伽羅は左兵衛をかえり見て、きっぱりといった。
「とにかくあなたもいっしょにいって下さい。ゆきますね?」
直江左兵衛は、蒼《あお》い顔で、うつろな眼でうなずいた。
三年前に大天守閣は出来たが、まだ江戸城は拡張整備中で、そのため諸大名の出す人夫や牛馬がいたるところ蟻《あり》みたいに、車やもっこ[#「もっこ」に傍点]で石や土を運んでいた。
その中を、三つの生首をぶら下げ、高札をかかげてゆくのだから、それは驚愕の波をひろげずにはおかない。――四人が平気な顔で歩いてゆくうしろから、直江左兵衛が夢遊病者みたいに追ってゆく。
しかも、ゆくさきが大手門の中だ。本多佐渡守の屋敷は、阿部《あべ》、酒井《さかい》などの重臣同様、そこにあったのである。
が、本多屋敷は意外にも小さく、かつ質素であった。もっともこの徳川切っての大実力者の禄高はわずか二万二千石に過ぎない。
権力を持つ者には大禄を与えず、大禄を与える者は権力を持たせない――というのは大御所の方針だ、というより佐渡守自身の方針であった。
しかし、その黒ずんだ小さな門は、ほかの大大名の綺羅《きら》を飾った門より、何とも名状しがたい妖気《ようき》を放っていた。
そこに立って、上杉家直江山城守からの使者だ、佐渡守どのに御意《ぎよい》得たい、とヒョット斎は名乗った。
「――あっ、源助《げんすけ》だ!」
「平蔵《へいぞう》……伴五郎《ばんごろう》!」
生首を見て、たまぎるような声があがった。
すぐに、二、三人が転がるように奥へ走ってゆく。彼らは長槍《ながやり》の輪に囲まれていた。
やがて、一人の老臣が出て来て、
「ただいま大殿はお城に上られて御不在じゃが、ちょうど御子息の正重さまがおわして逢《お》うてやろうと仰せある。いざ参られい」
と、いった。
車丹波が頓狂《とんきよう》な声をあげた。
「なんじゃと? あの本多長五郎正重が――」
[#改ページ]
敵の守護兵
本多長五郎正重。――
いうまでもなく、父佐渡守が伽羅の花婿におしつけようとした本多家の次男だ。
「おう」
四人がいっせいにさけんで顔を見合わせたのは、それだけではなく、その人物が、いつかの山城守の話によれば――当年三十歳になるはずだが、十五、六のころまでは見た者があるが、以後何やら修行のためと称し、少なくとも外部の者に姿を見せたことがない――という怪人物であったからだ。
その本多長五郎が、いま自分たちに逢うという。――
「それはありがたい!」
「佐渡守どのにお会いするより重畳《ちようじよう》」
と、ヒョット斎と左内がうめいた。
「では、こちらへ」
と、老臣が先に立って歩き出した。
槍の環は解かれたが、しかし、なお、七、八本の槍は彼らのあとからついて来る。――数歩いって、
「や?」
と、上泉主水がまわりを見まわした。
「左兵衛さまの姿が見えんぞ!」
いかにも、それまで気づかなかったが、直江左兵衛の姿がない。さっき門をはいるときまではたしかにいたのだが、その直後どっと槍ぶすまに囲まれたとき、一目散に逃げ出したものと考えるしかない。
「……しようのない花婿どのじゃ!」
と、車丹波が舌打ちして、ヒョット斎に話しかけた。
「おい、あの人がいなけりゃ話にならんではないか」
「うむ。……伽羅さまの御依頼には添えんが」
前田ヒョット斎もにがり切ったが、すぐに、
「いまさら、やむを得ん。それに今回は、この首の始末をつけに来たのがそもそもの仕事じゃから……ともかく参ろう」
実際に彼らは、本多家の中間《ちゆうげん》の首三つをぶら下げて乗り込んで来たのだから、左兵衛がいないからといってひき返すわけにはゆかない。
諸大名にくらべて小邸だとはいうものの、何といっても徳川家第一の権臣の屋敷である。二千坪前後はあるだろう。――いくつかの潜《くぐ》り戸や垣根を通り過ぎて、老臣は導いてゆく。
そして、もう裏門にちかいあたりではないかと思われる一郭《いつかく》に出た。――畑がある。大根などが積まれてある。いかにも倹約家で知られた本多佐渡守の屋敷らしい。
その畑の中に、母屋《おもや》と離れて、黒ずんだ低い土塀に囲まれて、また一軒の藁《わら》屋根の家があった。
「いざ、中へ」
老臣は、その塀の小さな門をあけて、四人を促した。自分は、はいらない。そこまで送り狼《おおかみ》みたいに追って来た槍組とともに、門の外に控えて待っている気配であった。
四人は、はいった。
中は百姓家の庭みたいに、莚《むしろ》に豆が干され、井戸があり、晩秋の日ざしに臼《うす》や槌《つち》やその他農具が転がっている。向うの藁ぶきの家の障子は一|間《けん》ほどひらかれていたが、縁の両側に、二人の人間が寂然《じやくねん》と坐っていた。
一人は、年は二十七、八か。あかちゃけた髪をうしろにたばねたのみで、はねあがった太い眉《まゆ》の下の琥珀《こはく》色の眼、高い鼻と張り出した頬骨《ほおぼね》、着ているのは風雨に晒《さら》されぬいたような黒い衣服で、一見野の牢人《ろうにん》としか見えないが、名状しがたい凄惨《せいさん》の気を放っている男であった。
もう一人は、それより、三つ、四つ若く見える。たしかに美貌《びぼう》だが、それにしてもその年で、しかも見るからに長大な肉体をしているのにまだ前髪を立て、派手やかな小袖に緋《ひ》の胴羽織を着ているのは、美しいというより驕慢《きようまん》と妖気を感じさせた。
「……あ!」
のど[#「のど」に傍点]の奥で、妙な声をたて、まっさきに立ちどまったのは上泉主水であった。
その二匹の人間|唐獅子《からじし》みたいな異風の二人がただものではないことは、ヒョット斎らも直感したが、しかしそれより彼らは、ひらかれた障子の奥の影に眼を吸われた。――
その座敷に坐っているのは、真っ白な頭巾《ずきん》をかぶり、真っ白な衣服を着た人間であった。しかも、頭巾のあいだからのぞいている眼の部分がうす黒い。――しばらくののち気づいたのだが、どうやら、そこだけ黒い紗《うすぎぬ》で覆っているらしい。
「直江家の使者か」
と、前髪の男が呼びかけた。
「……久しや、あれは佐々木小次郎」
と、こちらで上泉主水が、かっと眼をむいたままうめいた。
「そして……もう一人は……新免《しんめん》武蔵」
「なに? あれが、武蔵」
と、車丹波がうなり、ヒョット斎も岡野左内も改めて縁側の二人に眼を戻した。
こちらのちょっとした動揺を見つつ――同時にもとより、持参した三つの生首を眺めつつ、縁側から立ちもせず、むしろ冷然とした調子で、佐々木小次郎はいった。
「本多長五郎さまである。……口上を申せ」
……上泉主水泰綱は、武蔵と小次郎を極めてよく知っていた。――好敵手としてである。
もう、七、八年も前のことになる。主水が米沢に帰ったのは三年ばかり前のことだから、彼がまだ孤剣を負って諸国を漂泊していたころのことだ。
周防《すおう》岩国を通りかかったとき、岩国川のほとりに休んでいると、彼はふしぎなものを見た。
遠い向う岸の柳のかげに、やはり一人の少年が腰かけているのが見えたのだが、それがときどき動くと、チカッ、チカッと白い光がきらめき、空中にぱっと赤いものが散って、スーッと河に落ちる。
どうやら、燕《つばめ》らしい、と、やっとわかった。ちょうど初夏のことで、無数の燕が河面《かわも》を高く低くながれ飛んでいたが、それが眼前に来たとき、少年の肘《ひじ》がはねると、燕は二つになって斬り落されるのである。
わざわざ主水は渡し舟で河を渡って――吉川《よしかわ》さんの「宮本武蔵」には、そのころから存在していたことになっているが、実は太鼓をつらねたような例の錦帯《きんたい》橋はまだなかった――その少年に近づき、四、五|間《けん》離れたところの草に腰を下ろした。
坐ると、背に負った長剣は地につかえ、つか[#「つか」に傍点]はほとんど横に出る。
それが鞘走《さやばし》ると、彼の前でもまた燕が二つになった。
少年がやって来た。顔はまさしく少年であったが、大人以上にスラリと伸びたみごとな体格であった。
それから始まった会話から、主水は、その少年が岩国の牢人の子で、名は佐々木小次郎といい、富田《とみた》流の小太刀を修行中の者であることを知った。
その天才としかいいようのない剣技には、主水も舌をまいたのだが――話して見ると、小次郎の自負はその技術に倍するものがある。少年のことではあり、かつ腕自慢は主水とて人後に落ちるほうではないからそれをとやかくいう資格はないが、話していて彼もいささか辟易《へきえき》するほどであった。
そして小次郎は、将来、その剣をもって出世したいという。――
実は、剣名を天下にあげるということは主水だってめざすところだが、どうも聞いていると小次郎の出世欲には、剣を出世の道具にするという意識があるようであった。
そこが主水とは、似ているようで微妙にちがう。主水はただ剣技の極致に達し、そのことで認められたいだけで、まあ碁や将棋の名人と同じことだ。そして、それに別の欲が附随するのに反発する。そのために彼は柳生|宗矩《むねのり》と合わず、柳生を飛び出したのだ。
彼がそのことを口にしても、小次郎にはよくわからないらしかった。のみならず、逆にくってかかった。小次郎の考えのほうに無理がないと思われるが、ただその口のききかたが甚だ才走っていて、嘲弄《ちようろう》的であった。
あげくのはてに、小次郎は、
「ではここで貴公と一つ真剣勝負をして見ようではありませんか」
と、いい出した。
「剣そのものを目的とするとかいう貴公の剣と、それは道具に過ぎないという拙者の剣と」
見たところ、十も年上の主水に向って、その少年は「貴公」と呼んだ。
――やるか!
あやうく主水は、そうさけんで肩から出た刀のつか[#「つか」に傍点]に手をかけかけたほどである。
それを自制させたのは、何といっても相手がまだ二十歳《はたち》に間のある少年で、この少年を討ち果たすのは不愍《ふびん》である――という配慮であった。むろん主水は自分が勝つことに明白な自信を持っていたのである。
彼にしては珍しい抑制だが、それ以外にも、その少年の人もなげなる自負を自分の性状から見ても笑えず、かつ同じ道をゆく先輩として、「惜しい」という同情が働いたせいもある。
「いや、今日はやめておこう」
と、主水は立ちあがった。
「かりにじゃな、腕がおぬしと互角にしても、見ろ、剣の長さがおれとおぬしでは一尺五寸以上もちがう。その点だけでもおれが勝つ」
と、彼はいった。
小次郎は意外にも沈黙した。出来るだけに、まさにその点で彼に一抹《いちまつ》のためらいはあったらしい。
「おれはこれから、左様、一、二年あちこち廻る予定があるが、その後京へ帰って、当分そこで暮すつもりだ。そのころ、おぬしもそちらへ出て来い。再会して、そのときまた試合のことを考えて見よう」
むろん、彼は自分の姓名を告げて、そして立ち去った。――
やがて上泉主水泰綱は京へ帰った。いや、その前に、自分の育った柳生の庄《しよう》にも寄った。宗矩はすでに江戸に出て、もういなかったが、すでに老衰した石舟斎はまだ城にいた。
そこで主水は一年前、播州《ばんしゆう》牢人宮本武蔵なるものが柳生に来て試合を申し込み、一門の老剣人たちをたたき伏せて去ったことを知ったのである。――
別名新免武蔵。
その男を、すでに主水は知っていた。
しかし、剣客としてよりも、参禅の相弟子としてだ。
上泉主水が、花園妙心寺の愚堂和尚に育てられ、成長してからもしばしばその禅堂に籠《こも》ることがあったのはすでに述べたが、昔からそこにはさまざまな人間が来た。
身分のある直江山城のような人もあったが、また一方、どこの何者とも知れぬ牢人などもやって来て、みな神妙にあぐらを組んでいた。
たしか、その中にいた――どこの何者とも知れぬ牢人の一人だ。
これもまた若く、そのころまだ二十歳になってはいなかったろう。ただ、主水がその男に気がついたのは、いちど何かのはずみで愚堂和尚が、
「あの武蔵という若者、ひょっとしたらものになるぞ」
と、つぶやいたのを聞いたことがあったからだ。
見たところ、蓬々《ほうほう》たるあかちゃけた髪、張り出した頬骨など、むっと土の匂《にお》いが吹きつけて来るような若者であったが、それで主水も近づいて話しかけたことがある。
あまり口をきかないたちらしかったが、それでも主水は、その若者が関ケ原では西軍の足軽として加わり、負傷までした経歴を持つ男だということを知った。しかも、どう考えても、何のめど[#「めど」に傍点]もないのに、この鈍重な若い牢人が、将来に虹《にじ》のような野心――出世欲をいだいていることを、その寡黙《かもく》な口から嗅《か》ぎとって、主水は苦笑して彼から離れた。
それが――数年、主水が西国にいっていたあいだに、京洛《けいらく》に知らない者はない人間にまで成り上っていたのである。
柳生のみならず、その男は、次の挑戦相手に吉岡家を選んでいた。
先代|憲法《けんぽう》が築きあげた京における剣法の名家吉岡道場。――その子、清十郎《せいじゆうろう》、伝七郎《でんしちろう》は父にはるかに及ばずという噂《うわさ》で、両人の六条柳町などでのだだら遊びの話を聞いて、主水などすでに剣の世界の対象とは見ていなかったが――惰性で、なるほど、なお数十人とも数百人ともいわれる弟子、孫弟子はある。
それに向って、あの田舎《いなか》剣士はたたかいを挑んでいたのだ。
皮肉に見れば、老いたる石舟斎の住む柳生を狙《ねら》ったこととならんで、実にうまい着眼で、右のような名門だけに、たしかに京一門の噂となるに充分であった。
すでにおたがいに高札まで出してのやり合いで、もうはたから手を出す余地はなかった。
そこで主水は、その武蔵が――以前、剣を志しているとも知らなかったほどの鈍重な若者が、吉岡の長男清十郎を倒し、次男伝七郎を討ち、はては一乗寺下り松で数十人の吉岡一門を撃破してゆくのを、口をあけて見守るほかなかったのである。
そのあいだに、むろん彼は武蔵にも個人的に逢《あ》った。武蔵は依然しばしば愚堂の禅堂に来ることがあったからだ。
見て、さしもの主水もただうなった。
無愛想なことは相変らずだ。それどころか、その田舎剣士は、実に豪宕凄絶《ごうとうせいぜつ》の、剣士ともいうべき男に変貌《へんぼう》していた。
「これは、いかん――」
一見しただけで、さしもの上泉主水泰綱が、名状しがたい威圧感と戦慄《せんりつ》を禁じ得なかったほどである。どこの何という師にも学ばなかったというが、いったいその若者の体内に何が起ったのか。――
むろん、主水は、それでしっぽを巻くような男ではない。
彼の興味はいよいよ熾烈《しれつ》なものになった。必ずその男といちど剣を交えて見たい。――
ただ、武蔵と吉岡一門の決闘が終熄《しゆうそく》するまでは待たなければならない。主水はこう考えた。
すると、そのころ、例の佐々木小次郎が岩国から京へ出て来た。
驚いたことに、彼は主水同様、陣太刀を仕立て直したものだといって、長大な剣を背に負っていた。「物干竿《ものほしざお》」と称するという。――
「こんどは、長さはあいこでござるぞ」
彼は主水に勝負を挑んだ。
小太刀からそんな長剣に変えるのは、刀法の点から見ても容易ならざるわざであったが、眼にもとまらずそれを抜きはなって見せた姿から、主水はこの天才児が難事をみごと克服したことを認めざるを得ず、
「ううむ、ひょっとするとこれは相討ちになるかも知れぬぞ」
と、心中にうなったほどであった。
が、もとよりそれで恐怖したわけではない。ただ主水はいまの京洛の噂のまと新免武蔵のことを語った。
すると小次郎は、その剣士にもただならぬ関心を示し、やがて、
「貴公との勝負はあとだ」
と、いい出し、そのうち武蔵と吉岡一門の決闘騒ぎの間に出没しはじめたようだ。
ところが、その武蔵が、一乗寺下り松で吉岡一門を撃破すると、さてそのあと、忽然《こつぜん》としていずこかへゆくえをくらましてしまったのである。――
なお爾後《じご》の吉岡方の復讐《ふくしゆう》を避け、東国へ逃げたという噂もあったが――それと前後して、佐々木小次郎もまたふっと京洛から姿を消してしまった。それっきりだ。
やがて、上泉主水は、米沢に帰った。
その武蔵と小次郎が、なんといま、本多佐渡守の屋敷の一郭に、竜虎《りゆうこ》のごとくひかえていようとは?
どこでこの両人がめぐり逢い、いかなるわけでここにならんで坐るようになったかは見当もつかない。そのかたち[#「かたち」に傍点]から見て、彼らは本多長五郎の守護役になったとしか思われない。
何にせよ、二人とも、こちらの中に旧知の上泉主水の姿を認めたはずなのに、まったくそ知らぬ顔をして。――
「口上を申されい」
と、佐々木小次郎はもういちどあごをしゃくった。
[#改ページ]
大|隠密《おんみつ》
「口上は」
と、ヒョット斎がいいかけたとき、
「待て」
と、車丹波が制した。
「その前に、あのかたに、頭巾をぬいでいただこう。顔がわからねば、本多長五郎正重どのかどうかわからぬ。えたいの知れぬ相手に、山城守さまからの口上を述べるわけにはゆくまい」
「何を。――」
佐々木小次郎の顔が、薄くれないに染まった。
「見れば、生首三つもぶら下げて推参したくせに、相手をたしかめねば挨拶出来ぬとは、何を勝手なことを申すか。こちらから招いた使者ではないぞ。……本多家にあって、この佐々木小次郎がお護《まも》りするお人が、佐渡守さまかその御子息以外にだれがあるか」
「なるほど。それも理窟《りくつ》じゃ」
首をひねって、岡野左内がつぶやいた。
「何はともあれ、ヒョット斎、口上だけは述べたがよかろう」
前田ヒョット斎はうなずいた。
そして、先般大御所さまお成りの際、上杉邸に紛失物があったこと、その中に直江家の草履《ぞうり》取りの半被《はつぴ》があったこと、その半被を本多家の中間《ちゆうげん》が着て歩いていたことから、右草履取りが逆上し匕首《あいくち》をふるってそれをとり返したこと、以後三人の本多家の中間がおしかけおしかけ、いかに謝罪しても死人を生かして返せと無理難題をいい張って承知しなかったこと――の、いきさつを手短かに述べ、
「ここにおいて、山城の口上は御覧のごとし」
と、例の閻魔大王|宛《あて》の手紙の高札を、そこの地上にズブリと立てた。乾いた地面に、それは軽々と五寸もメリ込んだ。
「さて、本多家の御返答、いかようなものか、承わって参れとのことでござる」
座敷向きに、突き立てられたその高札を、縁側の小次郎と武蔵は――そして、座敷の中の白頭巾の人は、しばし黙々と読んでいた。
ひくい笑いが起った。頭巾の中からの声であった。
「この使者、斬ってよろしいか」
と、武蔵が障子の中をのぞいて、これは笑いもせず、ぷつりといった。
反応は、訊《き》かれた人以外のほうに激烈に起った。
「斬るなら、おれじゃ」
いうなり、小次郎が、傍《そば》に置いていた長剣――例の「物干竿」を片手につかんでとんと立て、同時に庭の四人も、いっせいに羽根を逆立てた猛禽《もうきん》みたいになった。もともと彼らは、ある程度いのちがけでこの使者の役を引受けて来たのである。
「待て待て」
笑いをとめて、白頭巾の――本多長五郎はいった。
「直江どのの御口上、承わった。なるほどこれは当方の中間が悪い。他家のものを盗んだ罪さえあるに、その上ものの分際というものを知らぬ大馬鹿者、なるほどそれではつける薬もなく、首にするほかはあるまい。本多のほうで陳謝いたす――と、山城どのに伝えてくりゃれ」
ひくく、かすれてはいるが、どこか妙に底力のある声であった。意外にも、もののわかった返事ではある。
「首だけおいて、おひきとり願う。――それにしても、いかにも噂に聞いた山城どのらしい人を喰った御挨拶じゃな。ふ、ふ、ふ」
「殿。……では、このまま、こやつら無事に帰らせるおつもりでござるか!」
と、小次郎はいう。
「お前たちを、むざと殺したくないからよ」
「ば、馬鹿な!」
武蔵がうめいた。
が、白頭巾はゆっくりと横にふられる。
「お前たちの刀術は、長五郎よく承知しておる。さりながら、相手は四人、しかも、前田ヒョット斎、岡野左内、車丹波、上泉主水といえば万夫《ばんぷ》不当の豪傑じゃ」
さっき門前で一応姓名は名乗ったが、それがもうこっちに通じているのか。――それより、少なくともその名だけはとくに聞き及んでいる、ということを明らかにした言葉であった。
「ただの剣士と、戦場往来の大豪はちがうぞよ――」
「ちがうか、ちがわぬか、ただいまその眼で御覧願おう――」
小次郎が、立ちあがりかけた。
「僭上者《せんじようもの》、うぬらはだれに飼われておるのか」
叱りつけられて、これも身を起しかけていた新免武蔵も、ぴたと動かなくなった。
しかし、こんどはこっちの――特に勇猛無比の車丹波がおさまらない。髯《ひげ》の中から火炎を噴かんばかりになって、
「本多どの、捨ておかれい。そのえたいの知れぬ腕自慢の若僧二人、この車丹波|猛虎《たけとら》がそっ首ひき抜いて、下郎どもの首の横にならべてくれよう」
ずかずか、歩き出した。
「それに、よい機会じゃ。やはりその頭巾の中のお顔を拝見しておきたい」
そのうしろから、ふいに馳《は》せ寄って腕をとらえたのは、上泉主水であった。
「よせ、丹波」
「なんじゃ、主水、怯《おく》れたか――」
「いや。……あの両人と勝負するのはこのおれだと、昔からきまっておるのだ」
そこへまた、岡野左内が近づいて、ささやいた。
「主水。――まじめに聞くがな、ほんとにあの二人とやって勝てるのか」
あとで聞いたところによると、岡野左内はさっきから武蔵と小次郎を観察していて――まだこのときはこの両人についての知識がほとんどなかったにもかかわらず――これが実に容易ならざる相手であることをカンで体得して、ちょっと心配になったらしい。
むらっと満面に血をのぼした主水に、もういちどいう。
「いや、怒るな。ただ山城さまの――必死の叛《はん》はやらない方針――というお言葉を思え」
これは、いよいよ悪いが、意外にも上泉主水は小声で返事した。
「実は、二人いっしょならおれも自信はないのだ。やられたら、あとを頼もうと思っておった」
意外にも――といったが、「二人いっしょなら」とは、こちらも相当に強情である。
向うでは、本多長五郎が、なお、二、三語、小次郎と武蔵に何かいったのち、こちらに向って声をかけた。
「いや、かような姿で逢《お》うて申しわけない。ただわしは、きょうそなたらに逢うためにかような姿になったわけではない。少し心願の事あって、ふだんからひとに面体《めんてい》を見せぬことにしておるのでな。ゆるしてたもれ。……だいいち、この顔を見たとしても、わしが真実本多長五郎かどうか、おぬしらにはわかるまいが」
「なるほど、それもその通り。……ま、ここらがひきどきじゃろう」
と、前田ヒョット斎がつぶやいた。そして、まだ湯気をたてている車丹波に、
「丹波、おいとましよう。またいずれお逢いするときがあろうわい」
と、声をかけた。――むろん、座敷には聞える声である。
「では、これにて御免」
四人はぞろぞろと門のほうへ戻りかけたが、そのとき、ふとヒョット斎が空を仰いで、そこを渡ってゆく雁《かり》のむれを見ると、いきなり朗々と吟じ出した。
「もののふの鎧《よろい》の袖《そで》に片敷きて――」
一息おいて、向うから、笑みをふくんだ声が返って来た。
「枕《まくら》に近き初雁《はつかり》の声。……」
本多家を出て、大手門を出て、濠《ほり》に沿って桜田のほうへ歩く。
後世のように、このあたり、塵《ちり》もとどめぬ一郭ではない。すでに述べたように、お城工事のための人馬が往来し、それどころかさっき彼らが生首三つをぶら下げて歩いていても、結局とめる者もなかったような――一方では、またたちどころに警戒の槍ぶすまが出現して来るような、そんな殺伐な騒然たる世界だが、彼らはその中を歩いて、まったくその風景が眼にはいらないほどの驚きにとらえられていた。
――少なくとも、ヒョット斎を除いたあと三人は、である。
「あの人物であったか」
やっと、車丹波が息を吐いた。
「ヒョット斎、いつからそんなことを考えておったのじゃ?」
「いや、さっきよ。あの面体《めんてい》をかくした頭巾を見ておるうち、いつか山城守さまが――佐渡どのは、隠密《おんみつ》使いの名人として聞えた人じゃ。ひょっとしたら、その次男坊を、隠密に仕立てあげられたのではないか――と、洩《も》らされたのを、ヒョイと思い出したのじゃよ」
「しかし……徳川一の権臣が、おのれの息子を隠密に、とはなあ?」
「直江家に隠密がついておることは承知しておった。例の米沢城の短冊《たんざく》の怪、八丈島から流人《るにん》が帰って来たときの怪。……ただ、しかし、それがあの本多長五郎自身じゃったとは、夢にも思いがけなんだ!」
と、上泉主水も眼をギラギラさせていった。武蔵・小次郎の一件より、いまはこのことに昂奮《こうふん》しているようだ。
「思えば、父の佐渡その人が、前半生、謎《なぞ》につつまれておる。――いつか山城さまから承わったところによると、佐渡守どのは若いころ大御所さまに弓ひいて逐電《ちくてん》したということになっておるが、実は大御所さまも承知の上で、隠密として数十年廻国しておったのではないか――という疑いもあるほどの妖人《ようじん》じゃからの」
こんな「再認識」も、さっき明らかになったことが、あまりにも信じ難いことなので、みずからに納得《なつとく》させるためのものであった。
しかし、事実は事実だ。――あの本多長五郎が、十五、六のころから人前に顔を現わさなくなったという奇怪な事実はすでに耳にしていたことであったし、そもそも先刻、ヒョット斎が、「もののふの鎧の袖に片敷きて」と口ずさんだのに対し、あの男は「枕に近き初雁の声」と山彦《やまびこ》のごとくに応じたのが何よりの証拠だ。あれが、いつか雨の米沢城の回廊に落ちていた短冊の件につながるものでなくて何だろう?
「いや、まだわからん」
しかし、岡野左内は首をふった。
「おれにはまだ腑《ふ》に落ちん。それではあの仁《じん》が、あのとき米沢城に忍び込んでおったというのか?」
あれは、本多家から次男を伽羅《きやら》さまの婿に、という話があって、直江山城もその対策に悩み、天守閣の謙信の霊に祈ってそのお告げを聞き、拒否の断を下した直後であった。
そのとき、その花婿候補者自身が、江戸からはるばる米沢に来ていて、もう城の中にひそんでいたということになる。――
「いや、直接当人でなくとも、別の配下の忍びの者でも――」
と、ヒョット斎がいう。
「何者にせよ、あの場合、どこに、いかにしてひそんでおったか、その謎はまだ解けておらぬ。……それは、あの流人船が八丈から帰って来たとき、枯芦《かれあし》の中にやはり不識庵さまの詩が落ちていた件も同様――」
自分たちの耳目にまったくふれないで、そんなことをした――その怪事は、その後も彼らの頭にひっかかってはいたが、いかに首をひねっても謎が解けないままに、宙ぶらりんになっていたのだ。それにまた山城自身が、「伽羅の縁談は公儀に届けずみ、こちらに隠すべき秘密はない」と一笑したので、その後の追及を放棄していたのである。
もしそれがあの本多長五郎ないしその配下の者のしわざなら、彼は煙のように身を隠す術を心得ているとしかいいようがないが、そんな術が現実にあるものであろうか。
「さらにまた不可解なのは」
と、左内はいう。ケチンボのギャンブル狂とは見えぬ難しい表情で、
「もしあの本多長五郎がまさしくその隠密だとしたら、なぜさっきのヒョット斎の誘いに、ああも軽々と乗ったのか?」
「すると――」
ヒョット斎の顔も動揺して来たようだ。
「あのおれの詠んだ歌にあの仁が応《こた》えたのは、ただの鸚鵡《おうむ》返しであったというのか?」
「不識庵さまのあのお歌は、人口に膾炙《かいしや》した名歌じゃからの」
三人の混乱した顔を、左内は左右に見て、
「とはいうものの、あの人物は怪しい。大いに怪しい! ただ、あの頭巾の中の顔を見れば――」
と、いってまた首をかしげ、
「いや、たとえ見たとて別に役にたたぬかも知れぬが、しかし何とか見たいものじゃ喃《のう》。あのような付人《つけびと》までつけて、あれほど隠しておる顔を――」
と、うめいて、はたと手を打った。
「おい、伽羅さまの御依頼による本多佐渡への鼻明かし、きょうくらいのことではむろんおさまらぬ。あの倅《せがれ》の面《つら》をひン剥《む》いてやることが何よりではあるまいか?」
「そうじゃ。よし、そのうち何とぞして――」
と、上泉主水は、いまはもう遠い本多家のほうをふりかえるつもりでふりかえって、突然黙り込んだ。
人馬があげる砂塵《さじん》の中に、フラフラと直江左兵衛が近づいて来た。長い顔に、気弱げなてれ笑いを浮かべていう。
「やあ、みなの衆、無事であったか」
四人は、とみには声もなく、ただただ苦《にが》り切って、彼らが「しごき」を託された男を眺めた。――憮然《ぶぜん》として、ヒョット斎が訊《き》く。
「どこにいっておられたのじゃ」
「いや、あの本多家の門をはいる際――急に心ノ臓のあたりが苦しうなってな。ここで卒倒でもしたら直江の恥と思い、しばらく息を休めるために踏みとどまったのじゃ。すると、門がしまってしもうた。いや、こわがったわけではない――それは、正直申して、こわかったが――どうも、わしは、何か気が昂《たか》ぶることがあると、胸が絞めつけられるようになるのじゃ。八丈で苦労しておるうちに、そんな病気持ちになったらしい」
この人物にしては、珍しくよくしゃべる。
「実は、打ち明けると、伽羅と向い合っても、心ノ臓がそんな風になるのじゃが――」
すると、それまで怫然《ふつぜん》たる顔色をしていた車丹波が、突然、
「おう、それならおれにも思い当る。――おれも、女房を見ると、そのあたりがキュッと絞めつけられるようで――」
と、大きく同感の意を現わしたから、しまらないことおびただしい。
それにすがりつくように、直江左兵衛はいった。
「だから、わしも同行したと伽羅には申してくれ。逃げた、など、ゆめ、いってたもるなや。いや、わしがそのようすを報告せねば承知すまい。喃、どういう具合であった?」
ヒョット斎たちは、この男を八丈から帰したのは本多佐渡守だという話を思い出していた。そのために本多は、みすみす自分の次男坊を直江家の婿にしそこねたことになるのだから、その皮肉に笑い合ったものだが、しかしこれは山城守がみごとに佐渡の鼻をあかしたことになるのか。――直江家にとっても、とんだ皮肉をみずから招いたことになったのではないか――という、このごろの疑いをいよいよ濃厚にしないわけにはゆかない。
「頼むぞ。これ、伽羅のこと、よろしう頼みいるぞよ。……」
哀れな花婿は、両手さえ合わせて必死に口走っていた。
[#改ページ]
松尾山の軍師
江戸に銭湯というものはいつ現われたか。
寛永《かんえい》時代に出た「そぞろ物語」という書に、
「見しは昔、江戸の繁昌《はんじよう》のはじめ、天正十九年|卯年《うどし》の夏のころとかよ、銭瓶《ぜにかめ》橋のほとりに銭湯|風呂《ぶろ》一つ立つる。風呂銭は永楽一銭なり。みな人珍しきものかなとて入りたまいぬ」
と、ある。
むろん後年の江戸の湯屋のようなものではない。おそらく蒸風呂であったろうといわれている。湯をいれた浴槽ではなく、別に大釜《おおがま》で湯を沸《わ》かして、その蒸気をいかにしてか暗室に導いて、客はその中で汗を流すという、まあトルコ風呂――正真正銘のトルコ式風呂である――と同じ原理だが、詳細はよくわからない。ただ当初は決して豪華なものではなく、恐ろしく土くさい、素朴殺風景なものであったことだけはたしかだ。
慶長十五年というと、それから二十年ばかりたったことになるが、銭瓶橋にはまだその銭湯があった。建物はさすがに大きくなり、垢《あか》かき女などというものも置くようになったが、まだ爛熟《らんじゆく》の気はなく、かつまだそれほど同業者もない商売であった。
前田ヒョット斎は、ちょいちょいこの銭瓶橋の銭湯へ出かけた。
銭瓶橋は、呉服橋の北隣にかかっている橋だ。そこに濠《ほり》を掘っているとき、永楽銭をいれた瓶《かめ》が出て来たので、この名がついたという。
蒸風呂だから、やはり柘榴《ざくろ》口と称する板戸の下をくぐって出入りする。
出れば広い板の間になっていて、そこにならべられた桶《おけ》にズラリと腰かけて、垢かき女に背中をまかせる。後世の湯女《ゆな》だが、彼女たちは文字通り指の爪《つめ》で垢をかいてくれるのである。
だいたい、ひとに身体をかいてもらうのは、たださえ気持のいいものだ。それが、湯気に蒸されて酩酊《めいてい》状態になった肉体を、若い女のやさしい爪で撫《な》でるようにくまなくかいてもらうのだから、その快適さたるや名状しがたいものがある。
だから、元来の風呂好きに加え、ヒョット斎は三日に一度はここに出かけずにはいられない。だいいち、こんな設備は米沢になかったから、珍しくもあったのだ。
それなら、ヒョット斎ばかりでなく、あとの三人も来そうなものだが、それが、そうはゆかない。
上泉主水は女性恐怖症だし、岡野左内は湯銭を払うのがいやなケチンボだし、車丹波は、銭湯には垢かき女がいると知った女房がそれを許さないのである。
場所柄、客は侍ばかりである。
刀は入口近くの刀掛けに預け、みな褌《ふんどし》一つの裸体だが、豪勇前田慶次郎|利太《とします》がさして目立たないほど隆々たる筋骨の持主が多い。その肉体のいたるところ、刀傷を残している裸体が多い。そして、当然、その傷にからまる武功話の花が咲く。――
ところで、こんど江戸へ出て来てからまもなく、ヒョット斎はまた例のいたずらをやったことがある。
いまいったように、銭湯に来ると客はみな入口で刀を預け、衣服をぬぎ、蒸風呂なので下帯一つは残して、柘榴口をくぐっているのだが、どういうつもりか、ある日彼は、その褌に豪刀をぶちこんだまま、中にはいっていった。
「……はて?」
「きゃつ、何をする気だ?」
見ていた侍たちは首をひねった。まだこのころ、それがいたずらで名高い前田ヒョット斎だとはだれも知る者がない。
一人、うなずいて、刀掛けのところへひき返し、自分の刀をつかんで、これも下帯にさして来ると、あとの連中も、われもわれもとそれにならった。
「もしっ、何事が起ったのでござりまする?」
番台が驚いて訊《たず》ねたが、
「何事が起るかわからんから、刀を持ってはいるのじゃ!」
と、一喝《いつかつ》され、眼をまろくしてオロオロしているあいだに、客の侍たちはことごとく刀を押《お》っ取《と》って風呂にはいっていった。銭湯には、時ならぬ殺気がたちこめた。
やがて、大入道のヒョット斎が、何事もなく出て来た。
例のごとく、板の間の桶にどっかと腰を下ろす。
それから、下帯の豪刀の鞘《さや》から刀を抜きはなった。……すわ! と、みな中腰になって見まもると、彼はその刀で、さも気持よさそうに眼をつぶったまま、脚の垢をこすり、腕の垢をこすり出した。……刀は、竹箆《たけべら》だったのである。
――こんないたずらを、早速やってのけたことはあるが、その日はべつに何の変ったこともなく、油障子に初冬の午後の日ざしがうつるのを眺めながら、ヒョット斎は、紅だすきをかけた垢かき女に、大きな背中の垢をかかせていた。
もっとも、このごろは彼もここで有名になった。右の事件もさることながら、それより、下帯を膨張《ぼうちよう》させている――ときには、ダラリと頭をのぞかせている超大物によってである。――
さて、その日。
「前田慶次郎どのでござりますな」
と、突然話しかけて来た者がある。
ふりかえると、隣に坐った蟹《かに》みたいな顔をした中年の男だ。むろんこれも裸で、同様に女に垢をかかせている。
「なかなかお風呂好きのようで」
して見ると、向うは何度もここでヒョット斎を見かけているらしい。
「うん、風呂は大好物じゃ。それにこの垢かきの美人がたまらん」
ヒョット斎は、うっとりとまた眼をつぶる。
「ここもよろしいが、しかしもっと素敵な風呂がありますが、ひとついって御覧になる気はありませんか」
「ほう」
ヒョット斎は眼をあけた。
「ここはこれでも江戸一じゃと聞いたが、それ以上の銭湯がどこにあるというのか」
「いえ、市井《しせい》の銭湯ではござらん。――大久保石見守《おおくぼいわみのかみ》どの、御存知でしょうな」
「おう、山大名の大久保|長安《ながやす》どの――」
「そこのお屋敷の中にあるやつでござる」
「貴公、大久保家の人か」
「いや、そうではござらぬが、親しく出入りしている者で、草戸勘兵衛《くさどかんべえ》と申す。……いま石見守どのは佐渡の金山《かなやま》に御出張中で御不在ですが、御子息の藤十郎《とうじゆうろう》どのはおられます。これが、お父上にまさるとも劣らぬ豪奢《ごうしや》好みのお方で、わざわざ御屋敷に作られたお風呂のからくりは驚くばかり、それに、そこに侍《はべ》る垢かき女が、またヨダレのたれるような美人ぞろい、ここのお多福どもとは、てんで格がちがいます。――あっ、痛い!」
うしろの女に、どこか、つねられたらしい。
「いちど、そっちへお出かけになって見てはいかがでござる?」
「そっちへ出かける、といったって、おれのような人間がぶらりといって、すぐに風呂へいれてくれるのか」
「それです。……実はいまあなたをお見かけして、ふとこんなことを申しあげる気になったのは」
と、草戸勘兵衛はささやいた。
「あなたの御主人は、直江山城守どのでございましょう」
「左様」
「直江さまのところでは、こんど花婿をお迎えになった――」
「左様」
「それが、どうやら……大谷刑部どのの忘れがたみ、とかいう噂《うわさ》で」
ヒョット斎は、じろっと相手を見た。
そのことは、直江家が触れたおぼえはない。むしろないしょにしておきたい話だが、先日の大御所お成りの際の事件もあり、この件はもう世にひろまっているかも知れない。
「それを大久保藤十郎どのが聞かれ、先日、いつかその大谷刑部どのの忘れがたみに逢うて見たいもの――と仰せられておりました」
「ふうむ」
「そこで、その若殿を御案内する、と申せば、大久保家ではよろこんで、お風呂にでも何にでもお迎えなさるに相違ござらぬ。そのときあなたも相伴《しようばん》なされる、ということにいたされてはいかが?」
ヒョット斎はハミ出していた男根を褌の中へおさめて、
「それは面白いが……そういう話じゃと、若殿の御意向をうかがって見なくては、何とも返事が出来ぬ」
「いえ、それはこちらも改めて大久保家に聞いて来ねばなりませんが」
「それじゃあ……あさって、にでも、またここで逢うて話をすることにするか」
やがて二人は、打ち連れて銭湯を出た。
一礼して、橋の向うへ消えてゆく草戸勘兵衛を見送っていたヒョット斎は、ふいにそのあとを追って歩きかけたが、そのとき向うがふりかえってまた会釈するのを見ると足をとめ、ふとそこを通りかかった男を見ると、
「これは、勝蔵《しようぞう》」
と、呼びかけた。
伽羅さまの草履取り、三宝寺勝蔵が好都合にそこの往来を歩いていたのである。
「やあ、これは前田さま、またお風呂でございますか。よいお顔色で」
勝蔵は、ひょっとこみたいな顔で近づいて来た。
「おい、ちょっと頼みがある」
「何でごぜえます」
「それ、あそこをゆく男な。見ればわかるが、蟹《かに》みたいな顔をした男じゃが……あれのゆくさきをつきとめて、あとで教えてくれ。見つからぬようにじゃぞ」
一刻ばかりのち、三宝寺勝蔵が帰って来て報告した。
「あのお侍は、平岡石見守さまのお屋敷にはいりましたぜ」
「なに、平岡?」
平岡石見守|頼勝《よりかつ》。――
もと小早川中納言秀秋《こばやかわちゆうなごんひであき》の家老だ。関ケ原で中納言が有名な裏切りをやったのは、家老であったその平岡の計らいによるものと聞いている。
そして、いつぞやの直江家の祝言の日に上杉家に客に来て、直江山城に盃《さかずき》をさしてもらえず、それにむっとして抗議を申し込んだのに対し、山城守から、「天に叛《そむ》いた者にやる酒がない」と笑殺された話は、もうヒョット斎らも耳にしている。
いや、それよりその人物の名は、すでに例の伽羅の依頼による一撃の相手として次にあがっており、実はそれについて四天王の間で、ちょっともめている対象なのであった。
関ケ原は、いうまでもなく、歴史的な大決戦であった。
ところが、東西合わせて十五万の大軍が相搏《あいう》ったこの戦いで、ふしぎにこれぞ花形という印象をとどめた名将勇士がない。強《し》いていえば、むしろ敗者のほうの――癩《らい》を病み、盲目の身を輿《こし》にのせて指揮したという大谷刑部、敗れてのち、敵中を突破して前へ[#「前へ」に傍点]退却したという島津|義弘《よしひろ》入道くらいなものであろうか。
それより不滅の名をとどめたのは、松尾山に陣して両軍の形勢を観望し、突如味方に襲いかかった西軍の小早川中納言秀秋だ。裏切者の名がいちばん有名な戦いというのも珍しい。
彼は豊太閤《ほうたいこう》夫人の甥《おい》だから、当然西軍の総帥《そうすい》株の人物であった。実際にまたそれらしく行動し、西軍の伏見城攻撃にも加わった。
が、大谷刑部は早くからその心事を疑い、決戦前夜もわざわざ病躯《びようく》を松尾山に運んで釘《くぎ》をさした。これに対して秀秋は、神も照覧、異心などあるべきようなし、と誓った。
しかるに、関ケ原の戦い最高潮に達するや。――
すでに裏切りの約束をとりつけて、ひそかに小早川の陣に督促に来ていた黒田《くろだ》家の使者が焦燥して、
「秀秋の家老平岡頼勝のそばに近づき、草摺《くさずり》をむずととっていいけるは、いまだ裏切りの下知《げぢ》なきは不審なり、もしあざむき給うにおいては弓矢八幡《ゆみやはちまん》刺しちがえ申さんと脇差のつかに手をかくるに、頼勝さらに驚かず、裏切りの汐合《しおあい》はわれらにまかせおかるべし――」云々《うんぬん》。
と、「黒田家譜」にある。
かくて、時や至ると見た平岡頼勝の号令一下、小早川勢は魔軍のごとく松尾山を馳《は》せ下って、突如西軍に雪崩《なだ》れかかった。――
右の記録にもあるように、小早川の裏切りの責任者の一人が、家老の平岡頼勝なのである。
関ケ原当時、秀秋は満でいえば二十三歳、悪名は残したが、むしろその策謀の張本人は平岡であったといっていい。――彼は、早くから徳川方の軍師本多佐渡に息をかけられていたのである。
ただ、天罰てきめんというべきか。
この功により、小早川中納言は、西軍の総帥宇喜多家が滅んだあとの備前|美作《みまさか》二州五十万石の大禄を受けたが、わずか二年後の慶長七年、悶死《もんし》にちかい死をとげ、その家もまた滅亡してしまったのである。
嗣子《しし》がなかったから、という理由からだが、大御所にとってはもはや用済みだったからであろう。むしろ因果応報くらいに思っていた形跡があり、小早川家にとっては何のための東軍加担であったか、救いのない、わけのわからない悲喜劇となった。
だから、その家臣たちも離散のやむなきに至ったのだが、ただ裏切りの軍師平岡頼勝だけはしぶとくその命脈を保つことに成功した。
彼は本多佐渡にピッタリ吸いついて、とにかくも美濃《みの》の徳野で一万石、名も石見守と称して、曲りなりにも大名の地位を得た。佐渡守も関ケ原のことをいわれれば、無下《むげ》に捨てることは出来なかったのであろう。
――この平岡石見守頼勝が、しかしそれでいまもとにかく安泰か、というとそうではなかった。彼には彼なりの心配があったのである。
実はその不安を、みずから招いたふしもある。
彼はこのごろ自分のパトロンを、本多佐渡から大久保石見守長安に乗り換えようとしていたのである。
国守名は同じ石見守だ。まだこのころは天下が幕府に一統されたわけではなく、各自が勝手に朝廷から官名を買っていた戦国時代の名残りが消えず――げんに車|猛虎《たけとら》なども丹波守と名乗っているくらいで――こういう結果になったが、しかし大久保と平岡は、同じ石見守でも、月とスッポンほどちがう。
大久保石見守は、大御所の下にあって、本多佐渡と相|拮抗《きつこう》する大実力者であった。本多を国防相兼任の国務長官とするなら、大久保はそれ以外のあらゆる大臣をかねるといっていい。
表向きは車の両輪のごとく見えて、実際には両者の内部的抗争は凄《すさ》まじいものがある。
平岡石見守は江戸にあって、これを見ていた。一般の大大名よりこの陣笠《じんがさ》大名は、もっと鋭敏にこの形勢を注視していた。
そして彼は、長らく本多派に属していたが、いろいろ考えるところがあって、このごろひそかに大久保派に鞍《くら》替えしようと動き出していたのである。
で、このごろないしょで大久保家にも出入りしていたのだが、先日、ふと佐渡の長男|上野介《こうずけのすけ》から、
「平岡、貴公、また松尾山から下りて、どこにつく気じゃ」
と、笑いかけられた。
権謀、父に似て、さらに鋭利だといわれている本多上野介|正純《まさずみ》の、何もかも見通しているような皮肉であった。その一言は平岡頼勝の胸を刺し、以後夜も眠れぬほどの恐怖を与えた。
もう本多家はだめだ、思い切って大久保家に飛び込むよりほかはない――懊悩《おうのう》の末、彼はこう心に決めたが、さてそうしようにも大久保のほうは彼をまだ本多派の一員と見る眼を捨てていないのである。
そのためには、何ぞ大久保家に然《しか》るべき土産《みやげ》を持参せねばなるまい――平岡は、こう考えた。一陣笠が二大派閥を移るのは、なかなからくではない。
その土産をついに見つけ出した。
「……殿、何とか前田ヒョット斎という男にとりつきました」
家来の草戸勘兵衛の報告を受けて、
「よし、その入道をたねに、あの大谷刑部の倅《せがれ》を本だねにしよう」
と、平岡石見守は、策士らしく重々しくうなずいた。
[#改ページ]
慶長トルコ風呂《ぶろ》
「おい、大久保長安の風呂に誘われたがの」
前田ヒョット斎がそう告げたとき、岡野左内たちはけげんな顔をしたが、ヒョット斎がつづいて、
「それが……それを誘ったのが、平岡の家来らしい」
と、彼も首をひねりながら打ち明けたときに、「なに、平岡石見の?」と、三人はいっせいに色めきたった。
実は、その名は四人の間ですでにあがっていたのみならず、ちょっとしたもめごとを起していた――というのは、こういうわけだ。
先般、彼らは本多家に生首持参で使者にいった。――
それはすでに紹介した通りだが、さてそのあと二番手をどうするか、ということで、四人の間に異論が生じたのだ。
一番手はヒョット斎で、ヒョット斎が選んだ本多家はあれでひとまず片づけたのだから、二番手はヒョット斎を除く別の者が立つべきだ、というのがあと三人の論で、いや、あれは番外だ、事実出向いたのは自分だけではなく、しかもあれで本多に目にもの見せてくれたとはいい難い、だから改めて自分がやり直すか、少なくともサイコロの振り直しをやるのが当然、といい張ってきかないのがヒョット斎であった。
この悶着《もんちやく》が起ったのは、むろんあの一件の後で――直江山城守に報告したあとだ。
「ほう? 本多長五郎……どのに逢《お》うたと?」
さすがに山城守も顔色を改めた。
「それは、どのような人物であったか」
これに対して、四人はこもごも、本多家邸内での百姓家風の一軒で、本多長五郎及びその守護役らしい新免武蔵、佐々木小次郎とやり合ったいきさつを説明した。
「ふうむ、面体《めんてい》は見せなんだと喃《のう》……」
山城は首をかしげ、ふと左兵衛のほうを見て、
「お前も逢うたのか」
と、訊《き》いた。左兵衛は恐ろしくうろたえた。
「はっ」
と、答えて白い顔をすうと赤らめるのを、同座していた伽羅もじっと見つめていたが、
「左兵衛どの、その本多どのはどのようなお人でござりましたか」
と、もういちど問いかけた。
「それが、顔をスッポリと頭巾《ずきん》で覆い……」
「けれど、頭巾なら、眼はのぞいているでございましょう。大きな眼か、切れ上った眼か。下り眼か……」
「さ、さて、どんな眼をしておったか喃? ヒョット斎……」
左兵衛はすがりつくようにふりかえる。
実は左兵衛が逃げたあとのいきさつを、彼の哀願により詳しく話して聞かせて、こういう質問に対しての応答の打ち合せをしたのだが、そのくせいざとなるとこのていたらくにヒョット斎は心中舌打ちしつつ、
「いえ、それが眼の部分を、黒い紗《しや》のようなもので隠しておりまして、向うからこちらは見えるのでござろうが、こちらからは見えぬ、というしかけの頭巾で」
と、説明した。
「なるほど、用心深いの。……それにしても、噂通りいよいよ奇怪な本多の次男坊……」
と、山城守はいった。
なお、数語の問答を交わしたのち、山城守は座を立った。例の初雁の歌の件には、むずかしい顔をして考えこんだようであったが、それについては何の意見も述べず、武蔵と小次郎という名には、さして興味はなかったようだ。
さて、そのあと伽羅がいい出したのである。
「それで、お前たちは、とうとう覆面のままの長五郎どのと応対したわけですね?」
「左様で」
と、岡野左内がお辞儀する。
「何とぞして、それを脱がして見る工夫はつかなかったかえ?」
「は。それが、いま申しあげましたように意外にも甚《はなは》だ尋常な挨拶《あいさつ》で、かえってそのきっかけを失い、まことにもって面目もござらぬ」
と、前田ヒョット斎も頭を下げた。まったくその通りのなりゆきであったのだが、ほかの人間にとがめられたら、彼は猛然として張り飛ばすくらいのことはやったろう。
ヒョット斎のみならず、あと三人の豪傑も、この伽羅の前にはふしぎにグニャグニャになってしまうのである。それどころか、謝まりながらどこか恍惚《こうこつ》たる顔をしているのだから、この侠艶《きようえん》の姫君に対してだけ、直江四天王は変てこなマゾヒストの傾向を帯びるらしい。
そして。――
「お望みならばヒョット斎、ただちに本多家へもういちどひき返し――」
と、武者ぶるいしたところから、問題の悶着がはじまったのだ。
つまり、ヒョット斎の分担はひとまず終った、あとはほかの人間だ、と三人が主張し、これにヒョット斎が承服しない、という争いである。
そのいい争いを黙って聞いていた伽羅がつぶやいた。
「本多長五郎どのは、八丈島から左兵衛どのが帰っておいでになる前に、直江家に婿入りを求めて来たお方。――それがどういうお人か、あなたは見たいとは思われませぬか左兵衛どの?」
「はっ、いや」
と、それまでぽかんとしていた左兵衛は、ただヘドモドする。
伽羅の頬がいらだちのためにぼうと紅潮した。
「とはいえ、そのようないきさつであれば、さしあたって本多家に手を出しにくいであろう」
彼女はいった。
「で……こんどはだれがやることになろうと、次は平岡石見守にしてたもれ。平岡こそは大谷刑部さまを討死させた怨敵《おんてき》ゆえ――」
関ケ原で、平岡頼勝の采配《さいはい》の下、小早川勢が西軍に襲いかかった顛末《てんまつ》は前に述べたが。――
その前夜、秀秋に異心なしと誓わせた大谷刑部は、なお気にかかるものがあったか、東軍と戦いつつ、その兵の半ば六百を割《さ》いて、決死隊として松尾山にむけて備えさせていたが、果然小早川勢裏切りと知るや、さてこそ金吾《きんご》中納言士道に叛《そむ》いたりと怒髪天をついてその前面に立ちふさがり、秀秋八千の兵を追い返すこと五町に及んだ。
しかも小早川の裏切りに触発された西軍の脇坂《わきさか》、朽木《くちき》、小川《おがわ》、赤座《あかざ》等の諸軍また相ついで裏切るに至って、衆寡敵せず、ついに大谷勢は全滅するのやむなきに至ったのである。
伽羅がその名をあげたのは、
――その平岡石見が相手なら、あなたも血の動かぬはずはありますまいが。
というつもりであったにちがいないが、さてその名を聞いてもまだ狐《きつね》につままれたような顔をしている左兵衛に、車丹波がたまりかねて、
「承わった! たしかに平岡めに一大痛棒を下し申そう!」
と、毛だらけの胸をどんどんとたたいて吼《ほ》えた。
――そういうことがあったのだ。
結局、では平岡に一大痛棒を下す妙策を思いついたやつが申し出て、ほかのめんめんの承認を得ることにしよう、という談合でその場のおさまりをつけたのだが。――
それから半月ばかり。
はからずも、その平岡の家来らしい男が、向うからヒョット斎に妙な話を持ちかけて来た。
直江左兵衛をつれて、本多とともに徳川家の車の両輪といわれる大久保長安の屋敷の風呂にはいりにゆかないかと。
それを聞いて、あとの三人が色めきたったのは当然だ。
「そりゃ、ヒョット斎の風呂好きを知ってのただの物好きか?」
と、上泉主水がいった。
「それとも狙いは左兵衛さまか?」
「あとのほうだろう」
と岡野左内がいった。
「平岡からすれば、大谷刑部どのの忘れがたみは何とも気にかかる存在であろうからの」
この意見に、ヒョット斎も異論は唱えなかった。彼自身、草戸勘兵衛に誘われたときからキナ臭いものを感じて、三宝寺勝蔵にそのあとをつけさせたくらいだからだ。
「しかし、それが大久保家へ来い、とは?」
「たしか平岡は本多の腰巾着《こしぎんちやく》のような男じゃが」
「大久保と本多は、内々角つき合っておる仲と聞いておる」
「そこが、妙といえば妙じゃ喃?」
左内と丹波がこんな問答を交わしているあいだも、ヒョット斎は黙っていたが、ついで、
「何にしても、それでは相伴するのはヒョット斎でなくてもいい、だれでもいい、ということになる」
と、主水が喝破《かつぱ》するに及んで、これは聞き捨てならぬ、と眼をむいた。
「そんな馬鹿なことがあるか。おれが銭湯で拾って来た話じゃぞ」
「とにかく、こんどその男に逢うたとき、左兵衛さま以外はだれでもいいか、訊いて見るがいい。それが向うの狙いを探る一つの手段ともなる」
「……それはともかく、左兵衛さまは御承知なさるかの」
と、突然われに返ったように岡野左内がいった。車丹波が答えた。
「あれだけ伽羅さまに尻《しり》を叩《たた》かれては、ゆかぬと申されまい」
こういうわけで、二日目に銭瓶《ぜにかめ》橋の銭湯でまた草戸勘兵衛に逢ったとき、ヒョット斎は左兵衛が承諾した旨を伝え、それから――万一、自分にさしつかえがあってゆけないときは、余人をもって供をさせるが、それでも大久保家へ案内してくれるか、と訊いて見た。
「え、あなたがゆかれない? あなたが大の風呂好きと知っての話でござったが――」
「いや、むろんおれが参上するつもりじゃが、万一の際のために聞いておくのじゃ」
「大久保藤十郎どのが逢いたいと申されておったのは直江左兵衛どのですから、それはかまいますまいが、ただお供は余り大勢では困ります」
「なに、いずれにせよ供は一人じゃ」
「それならどなたでも結構でござる」
これで向うの目的は左兵衛であることが確認出来た。
むろん、念のためそうは尋ねたものの、前田ヒョット斎は自分が供をする気でいたのである。
ところが、このことを報告すると、それ見たことか、と、ほかの三人との間に例の悶着がまた再燃した。
そして、結局――岡野左内のサイコロで、四人全部がまた順番を決める、ということになったのである。
サイコロは転がった。左内がさけんだ。
「こんどは上泉主水じゃ!」
大久保石見守長安は、当時、山大名とも山将軍とも呼ばれた。日本じゅうの鉱山《かなやま》の支配者という見地からである。
表向きは武州八王子三万石だが、これは本多佐渡と同じく幕府の要人には大禄を与えないという家康の方針によるもので、その実彼の蔵する財宝は無限といわれた。しかも本多のほうは家康も制御が効いたが――というより家康と一心同体の感があったが――大久保長安のほうは、彼がどんな豪奢《ごうしや》な生活をしようと、どうすることも出来なかった。
その昔は甲州の一|猿楽師《さるがくし》、のち武田信玄に見出されて金山奉行となり、武田家が滅んだのち、また家康に仕えて鉱山の総支配人になった。まるで魔術師のように鉱山を発見し、甦《よみが》えらせ、おびただしい金銀を掘り出す才能は、信玄も家康も珍重せざるを得なかったからだ。
本多佐渡守にとっては、ただ対立する幕閣の実力者、というだけでなく、その処世観からしても見逃しがたい人物であったが、それでも長安が生きているあいだ、手も足も出なかった。――慶長十八年、やっと長安が死んで、はじめて大久保家そのものをとり潰《つぶ》すことが出来たのだが、これは三年後の話となる。
この大久保家の滅亡は、「これひとえに本多佐州と日ごろ快《こころよ》からざる故なり」と「慶長年録」にある。
その江戸屋敷へ、上泉主水は直江左兵衛とともに乗り込んだ。
ヒョット斎に代って、上泉主水が草戸勘兵衛と約束の場所で落ち合ったとき――勘兵衛はちょっと戸惑った表情をした。
実は勘兵衛は、前田利太の勇名だけは知っていて、その代人が来たというのでむしろほっとしたのだが、数語話して見て、この代人の殺気|横溢《おういつ》しているのに辟易《へきえき》したのである。袖無羽織の背を見れば、「天下一」とあるし――豪傑らしくはあっても、どこか飄然《ひようぜん》たるところのあるヒョット斎より扱いにくいようだ。
ただ、いっしょにやって来た直江左兵衛に眼を移したとき。――
「これが、あの……」
と、勘兵衛は、蟹《かに》みたいな顔に眼をパチクリさせた。
その白い、長い、無気力な人相を見て、これがあの大谷刑部の忘れがたみか、と意外に感じたらしい。
とにかく、三人は、大久保の江戸屋敷にいった。――
ただの風呂案内であるはずがないが、しかし、こやつ、何を企《たくら》んでいるのか?
何にしても、平岡が一枚かんでいる以上、ただごとですむわけがない。
その平岡は亡父刑部の怨敵だ、と思えば左兵衛たるもの、猛然と武者ぶるいして然るべきはずだが――依然、例によって屠所《としよ》に曳《ひ》かれる羊のようだ。
が、大久保屋敷にはいって、導かれてゆくあいだに、その無気力な左兵衛の眼も、しだいに驚嘆の色を浮かべて来た。
上泉主水も呆《あき》れている。――その豪華さにだ。ただ、宏壮《こうそう》で、贅《ぜい》を凝らしてあるばかりではない。――
「……これは、ふうむ、切支丹伴天連《キリシタンバテレン》の匂《にお》いがするぞ」
と、主水は鼻をピクつかせた。
大久保長安は伴天連ともつき合いがあり、その鉱山の採掘技術はそれから学んだのではないか、という噂《うわさ》を思い出したのではなく、その屋敷のいたるところに、どこか西洋の匂いがするのを嗅《か》ぎつけてのことであった。
その長安は佐渡へいっていて不在であったが、長男の藤十郎、以下、外記《げき》、権之助《ごんのすけ》、雲十郎《うんじゆうろう》、内膳《ないぜん》などの息子たちはいて、みな出迎えた。
彼らはまったく関ケ原の勇将大谷刑部の遺児で八丈島から帰って来たという男に神秘な好奇心を持って、草戸勘兵衛の紹介を受けいれたのだが。――
「これが、あの……」
と、みな、勘兵衛がはじめて左兵衛を見たときと同じような声をもらした。同様の感慨に打たれたからにちがいない。
なに、彼らだって、父長安の凄《すご》みなどあともとどめない凡庸《ぼんよう》な道楽息子ばかりなのだが、それでなおかつ拍子ぬけさせるものが左兵衛の容貌《ようぼう》挙動にあったらしい。
一応の挨拶は交わしたが、左兵衛はただ、「え、は」と、例の曖昧《あいまい》不透明な応答をするばかりだ。
何はともあれ、風呂にはいり、そのあとで改めて一盞《いつさん》、ということになった。
そして彼らは――左兵衛と主水と勘兵衛は浴場に案内された。――
それは広い庭の一郭に、別棟として建てられていた。なんと、その大きさは銭瓶橋の銭湯に匹敵する。しかも木口の贅沢さはその比ではない。
やはり板の間があり、柘榴《ざくろ》口がある。
それをくぐると、熱い雲にはいったような気がした。
壁も床《ゆか》も御影石《みかげいし》でたたんで、その石の床から濛々《もうもう》と立ち昇る湯気であった。いかなるからくりになっているのか――奇工を好む長安の工夫に相違ない。
しかも、この熱い雲を照らす幻妖《げんよう》の光は何であろう?
主水と左兵衛は頭上を見上げた。高い天井に五彩の光が霞《かす》んでいた。
「ギヤマンがはめてあるのでござるよ」
と勘兵衛がわがもの顔に鼻をうごめかした。
ただのギヤマンではない。それはいわゆるステンドグラスと称するものであった。
「それより、この長安《ちようあん》風呂――と、知る人々は申しております――の長安風呂たるゆえんは」
と、草戸勘兵衛が指さした方角を見て、二人は眼をかっとむいた。
湯けむりの中に六つの白い影が見えた。それが動き出して、近づいて来た。
それが、一糸まとわぬ六人の若い女と知って、上泉主水ののど[#「のど」に傍点]の奥から、「ぎゃっ……」というような悲鳴がもれた。
「どうなされた?」
と、草戸勘兵衛は、めんくらった表情でふりむいた。
全裸の女に垢《あか》かきをさせるのが、長安風呂の長安風呂たるゆえんだが、最初このもてなしに逢《あ》う人間は、だれでも驚くだろう。勘兵衛も、主人の平岡石見といっしょにこの饗応《きようおう》にあずかったときは、びっくり仰天したものだ。
しかし、それにしても上泉主水の悲鳴はちと異様であった。
この――彼が剣聖上泉伊勢守信綱の子だとはまだ勘兵衛は知らないが――背中に呆れるほどの長剣を背負い、見るからに剣気横溢した凄味をおびた男が、裸の女を見て悲鳴をあげるとは?
「これは、大変なことになったの」
直江左兵衛もふるえ声でささやいた。
「主水、大丈夫か?」
しかし彼は、主水の女性恐怖症は知らないはずだ。
「いや、湯気にむせただけでござる。何でもない!」
と、上泉主水はうめいた。
六人の女は近づいて、三人のまわりをとり囲んだ。いずれも若く、かつ豊満だ。そして勘兵衛がヒョット斎に宣伝したように、市井《しせい》の銭湯のそれとちがって、まさにヨダレのたれるような美女ぞろいであった。
「おいでなされませ」
いっせいに、艶然《えんぜん》と笑った。
「垢をおかきいたしましょう。さあ、あれへ、どうぞ」
指さされたほうをふりかえると、いままで湯気にけぶっていたのと、天井に嵌《は》めこまれたステンドグラスなどに眼を奪われていたので気がつかなかったのだが、すぐそばに籐《とう》で編まれた三台のしゃれた寝台がある。
「こうやるのでござる」
もう心得ている勘兵衛が、その一つに上りこんで、うつ伏せになった。
それに、進んで倣《なら》う、というより、左兵衛はただフラフラと、主水は裸の女を見る恐ろしさからのがれるために、勘兵衛同様の行動をとった。
三人の男に、二人ずつの女が、寝台の両側に立って、背中をかき出した。
やさしく微風のように爪《つめ》でかいては、指の腹でこする。ほうっと息をはきかけて垢を吹き落しては、また、かき、こすり、もみたてる。それを、首すじから、背中、脇腹、そしてお尻までくまなくやってくれるのだ。
「ああ、たまらん。ああ気持がええ」
右側の勘兵衛は間断なしにうなりたてている。
「うふう、うふう」
左側の左兵衛は意味不明なうめきをあげているが、これも決して不愉快な声ではない。
まんなかの上泉主水は、それどころではなかった。それは彼も、そのこと自体には快感を感じないでもないが、それより、これから仰向けになれといわれたらどうしよう? という恐怖のためだ。
彼は、波のようにいくたびか、ここから脱兎《だつと》のごとく逃走したいという衝動に襲われた。
しかし、逃げるわけにはゆかない。草戸勘兵衛はたしかに腹に一物《いちもつ》あって自分たちをこの大久保屋敷へつれて来たに相違ないのだから、何をやるか、それを見とどけなくては帰れない。だいいち、左兵衛をしごくために連れて来たのに、自分がまっさきに逐電《ちくてん》しては、たとえあとで腹を切ってもヒョット斎たちは笑うだろう。
「こんどは、仰向けにおなりになって」
そら来た!
予期はしていたが、その声は死刑の宣告のように主水の鼓膜にひびいた。
「どうぞ……」
「うむ……」
隣りから、すでに仰向けになった勘兵衛が笑いながら声をかけた。
「上泉どの、ここはどうなっても無礼講でござるよ。……まさか、恥ずかしがるお年ではござるまい」
「おれが恥ずかしがったりするか!」
かっとして、主水は身体をひっくり返した。
微笑《ほほえ》んでいる二人の女の顔がまず眼にはいった。いまの自分の昂奮《こうふん》ぶりを笑っているように思われたが、声はたてないので、怒るわけにもゆかない。
それから――下から見上げるかたちになるみごとな乳房と――さらに、見てはならないものに、眼が吸いつけられるように、首がジリジリと横へ。
――わっ!
飛び出しそうな声を抑えると、食道が痙攣《けいれん》した。毛だらけの怪物が、そこにいた!
顔をそむけると、反対側にもそれはいる。
二人の女は、両手をそろえ、胸から腹をかき、こすり出した。数分ごとに、ほっと息を吹きかける。甘酸っぱい匂いが鼻孔をつつむ。
そして、吐き気をもよおすほど怖いのに、主水の股間《こかん》の物は勇壮に屹立《きつりつ》しているのである。
「これは御立派!」
草戸勘兵衛は主水を見て感嘆の声をあげ、さらに首をもたげて、
「やあ、あれも、なかなか!」
と、さけんだ。
それで、左隣りへ首をねじむけて見ると、仰向けになった左兵衛の股間からも屹立しているものがある。
これはしたり、腎虚《じんきよ》的人間のはずだが。――
それに、屹立はいいが、顔と同様、何だかばかに細長いような気がして、もういちど眼を凝らそうとしたが、そちら側に立った例の怪物が視界をふさいで、それ以前に主水は眼をつぶってしまった。
女の四本の手が、四匹の白蛇《はくじや》のように、下半身にかかった。
実に彼女たちは、例の物に対してまで、爪でかき、息を吹きかけ、もみたて、こすったのである。その快美、恍惚《こうこつ》、主水にとって、卒倒しなかったのがふしぎなほどの怪|拷問《ごうもん》であった。
いや、事実彼は、全身の血液ことごとくその一か所に集まり、軽い脳貧血状態に陥ったほどであった。
「もし……お肌の垢かきはもう終りました」
その声も天界のかなたから、遠く遠く聞えて来たようであったが、それが耳の奥に落ちると、
――終った!
上泉主水は、いくたびかやった剣の死闘が終ったときのような解放感に打たれて、身をもたげ、寝台から下りようとして、がくと片ひざをついた。
顔ひきゆがめて、苦笑して見せる。
「いや、湯気に中《あた》ったようじゃ」
みんな湯気のせいにしてしまう。
ところが、苦難はまだ終らなかったのである。――
「上泉どの、もう一つお愉《たの》しみが待っておる。どうぞ、あれへ」
草戸勘兵衛が、何かすくうような手つきをした。
「えっ、まだ何かやるのか」
上泉主水は仰天した。
「垢かきは、もういい」
「いえ、御当家に参って、このお風呂にお呼ばれになったお方は、みな一応の課程を味わっていただくことになっております。それを経られたお方でないと、男として談ずるに足りぬと藤十郎どのたちが仰せなので」
「何が、男として談ずるに足りぬのじゃ。たかが、垢かきなど、課程とは大仰な」
「それがなんと、途中でへたばる御仁もござるのでな。戦場で何をした、かにをしたと大言壮語する男が、たかが風呂の垢かきくらいでヘトヘトになる、そんなやつはとうてい信じられんと仰せられる――」
それはほんとうであった。
大久保家の道楽息子たちは、戦場往来を誇る勇士たちを招いて、こういうテストをして参らせ、それを笑うことによって対等の感を起すという試みに耽《ふけ》っていたのである。
「いざ!」
促された方角を見ると――はじめて気がついたのだが、けぶる湯煙の中に、高さ二尺くらいの石でたたんだ別の一郭《いつかく》がある。その中からも、湯気は濛々とあがっている。
そこへ勘兵衛がはいっていったから、主水も左兵衛もやむなくそれに倣った。ああまでいわれては、いかんともしがたい。――
石に囲まれたその一郭は広さ二畳敷きくらいはあるだろうか。
すると、そこへ、例の六人の女も、ぞろぞろと石の枠《わく》をまたいではいって来たのである。
それから、その石に重ねてあった厚い数枚の板をとって、ふた[#「ふた」に傍点]をしはじめた。――
板にはあちこち半月型にくりこんだ部分があって、それを合わせると、まるい穴となる。その穴から首を出し、胴体以下はふたの下に封じこめられるというかたちになった。
「な、なにをするのじゃ?」
主水は、彼らしくもなく不安げな声を出した。
一坪ほどの広さの板の上に、彼ら三人と、女六人、合わせて九つの首がつき出している。――
「さっきのは身体の上《うわ》っ面《つら》の垢落しでござったが、こんどは内側の垢をかき出す風呂でござるよ」
と、女の首の向うで、勘兵衛がいった。
ふたをしたせいか、尻のほうから湧《わ》きあがる湯気がひどく熱く感じられて来た。外は春の靄《もや》のような湯煙なのだが、これはまるで蒸籠《せいろう》で蒸されているようだ。――
漱石《そうせき》の猫の中に、蛇飯《へびめし》を作る話がある。「不思議な事には、其鍋《そのなべ》の蓋《ふた》を見ると大小十個ばかりの穴があいて居《い》る。其穴から湯気がぷうぷう吹くから、旨《うま》い工夫をしたものだ。……すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首《かまくび》がひょいと一つ出ましたのには驚きましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からも亦《また》ひょいと顔を出した。又出たなと云《い》ううち、あちらからも出る、こちらからも出る、とうとう鍋中蛇の面だらけになって仕舞《しま》った」とあるが、まあそれと同じ案配である。
顔が、みるみる真っ赤になって来た。
反射的に、ふたをはねのけようとしたが、女が伏せたものなのに、どういうしかけになっているのか、びくともしない。
女たちもあえぎ出した。が。――
「いま、しばらくの御辛抱でございます」
「あと、ほんとうにさっぱりいたします」
と、薄くれないに染まった顔で笑いかける。
なにしろ一坪に九つの穴があいているのだから、顔と顔はスレスレといっていい。舌を出すと、相手の鼻の頭が舐《な》められそうだ。
そして、顔はともかく、ふたの下の身体同士は。――
とにかく男たちを女たちが包む配置をとったらしいが、あっちの胸がこっちの背中に触れ、こっちの尻があっちのふとももにくっつき、手や足はもつれ合って、どうなっているのかわからない。
「あっ、あっ……」
と、勘兵衛と左兵衛が奇声を発し出した。
同時に主水の身体をとりまく熱い柔かい肉が、うねり、うごめき、旋回しはじめた。彼はまるで幾万匹かのみみずにまといつかれた感じがした。むろん、蒸気はいよいよ濃密にたちこめているようすだが、それとともに汗がほとばしり、ぬらつき、そのうち何やら体内から汗以外のものが溢《あふ》れ出したようだ。
「ぎおっ……ぎおっ……」
主水もまた怪声をあげ出したが、苦鳴だか、快美の絶叫だか、自分でもわからない。
しかも、眼前すれすれの女の首が、いずれものけぞるようになり、口をあけてあえいでいるのだ。「ああ! ああ!」と、男の魂をかきむしるような声をもらしている女もある。
ふたの下の湯煙の中では、九つの胴体と三十六本の手足が、首とは無関係に、やりたい放題のことをやってもつれ合った。
……それが三十分近くつづいたろうか。
ふたがとり払われたとき、左兵衛、勘兵衛はもとより、主水もまるで男のぬけがらみたいになっていた。
「ああ、これは」
最も回復の早かった草戸勘兵衛は、ちょっと意外な表情をした。
この大久保長安邸の風呂にはいると、たいていの豪傑もヘトヘトになる。豪傑ならぬ勘兵衛など、最初は風呂から這《は》って出たくらいだ。
で、そのあと、宴《うたげ》となり、女芸人たちのかぶき踊りなどを見せて、客の回復をはかる一方、その参りかげんをひそかに笑って快《かい》をはらす――というのが、大久保藤十郎などの愉しみなのだ。愉しみどころか、実際上、これで骨ぬきになって、以後大久保家に犬馬の労をとる人間が多い。
平岡頼勝も、草戸勘兵衛もこの手でやられた。
ただし、こんど勘兵衛が直江左兵衛と上泉主水を連れて来たのは、たしかにこの両人を骨ぬきにするのが目的であったが、大久保家のほうへは、ただ関ケ原の勇将大谷刑部の遺児を紹介するという名目をもってである。
彼の狙《ねら》いは、直江左兵衛にあった。
ところが、その従者のほうの虚脱ぶりがひどかったので、彼は意外に思ったのだ。
それは、左兵衛のほうもヒョロヒョロしている。しかしこれは、何もしないうちからヒョロヒョロしているのだから、落差が案外目立たない。ところが、お供の、見るからに凄味《すごみ》を帯びた、世にも稀《まれ》なる大長剣の持主のほうは、眼も落ちくぼみ、腰もぬけたようになって、半死半生といったていたらくになってしまったから驚いた。
これは、浴後の一盞《いつさん》や踊り子たちを用意していた藤十郎たちもめんくらったようであった。客を風呂にいれる目的は右に述べた通りだが、これほど衰弱し果てた男ははじめてだ。
「これはひどいな……」
顔見合わせて、呆れ返ったようすの大久保の息子たちに、
「まことにもって意外の醜態、これではきょうはどうしようもござらぬ。本日のところは連れ帰りましょう」
と、草戸勘兵衛はすり寄ってささやき、
「このおわびに、近日中、平岡よりきっとよいお土産《みやげ》を持参いたしますれば……」
と、蟹みたいな顔に片目をつぶって見せた。
大久保家の連中には、何のことだかわからない。彼らはただ大谷刑部の子で、八丈島から帰って直江山城の婿になったという男に好奇心を持って呼んだだけだ。とはいえ、それを紹介した草戸勘兵衛が――というより、その主人の平岡石見守に何やら下心があるらしいことはうすうす感じている。少なくとも、このごろしきりに大久保家へとりいろうとしているらしい平岡のうごめきを。
駕籠《かご》を頼んで、直江左兵衛と上泉主水を乗せて、草戸勘兵衛は大久保屋敷を出た。
――何にしても、彼としては目的を達したのである。
大久保屋敷は、やはり大手門の内にあったが、しばらくいって勘兵衛は、ついと駕籠わきを離れた。
「殿」
主人の平岡石見守が立っていた。供を二人連れているが、頭巾《ずきん》をかぶり、密行の姿である。
「うまく参りました」
「では、あの駕籠の中に?」
「左様です。両人とも、フラフラになって腰も立たぬありさまでござる」
「なら、このまま本多家へ運び込んでも大丈夫じゃな」
二人は話し合って、駕籠わきに戻り、六尺に本多佐渡守の屋敷へゆくことを命じた。彼らの目的の第一段階は、直江左兵衛を合法的ないけどりにすることにあったのだ。
[#改ページ]
あてはずれ
――慮外《りよがい》ながら申しいれる。拙者平岡石見でござるが。
平岡石見守らは、本多屋敷の門に立って挨拶《あいさつ》した。
――往来中、突然、急病人が出来《しゆつたい》いたしたので、まことに申しかねるが暫時《ざんじ》休息の場をお貸し下さるまいか。
門番たちは、それがこの屋敷に何度も来たことのある平岡頼勝であることを認め、彼らのうしろに二つの駕籠がくっついていることも認めた。
――病人は、上杉家の直江山城守どのの婿左兵衛どのでござる。
草戸勘兵衛はものものしくつけ加えた。
しばらくして、こちらからも顔見知りの本多家の家老が出て来て、
「これはこれは平岡どの」
と、驚いた顔で、
「ただいま大殿は駿府《すんぷ》のほうへ参られて御不在じゃが、ちょうど御子息の正重《まさしげ》さまがおわして、直江山城の婿どのが何とかしたというのがまことなら一目見たいと仰せある。いざ参られい。――」
と、いった。
平岡石見と草戸勘兵衛は顔見合わせ、会心の笑いを抑えるのに苦労した。
実はこうあることを彼らは願望し、かつ想定していたのである。
石見守は、いつぞやの直江家の祝言で、本多佐渡の佐渡らしくもない花婿へのからみぶりを目撃し、あとで佐渡守が次男坊を直江家に婿入りさせようとして空《くう》を打たせられたらしい、という風評を聞き、さてこそ、と、それで腑《ふ》に落ちたような気がした。
そこへまた直江家の四人の侍が、本多家の中間《ちゆうげん》三人を斬《き》って、本多家へ乗り込んだという話も耳にした。どう考えても、あの悶着《もんちやく》に対するしっぺ返しとしか思われず、何とも身の毛のよだつ不敵さだが、それに向って、なんと本多家ではなんのこともなく引取らせたという。――これは噂だけで、直接見たわけではないから、事情ははっきりしない。
その直江家の乱暴者たちが、どうやら前田ヒョット斎たちらしいこともわかった。ただ石見守は、その中に直江左兵衛が混っていたかどうかつまびらかにしなかった。というより、まさか直江家の花婿がそんな行為に携わろうとは常識外であり、かつまた彼が見たあの無気力な若者の印象が、そんな想像を起させる余地を失わせたのである。
だから彼は、本多家のほうでは、その花婿を改めて検分したい、と思っているだろう、と考えたのだ。少なくとも、直江の娘にふられたかたちになった本多家の次男坊は、その花婿を連れて来たといえば逢わずにはいられないにちがいない、と見込みをつけたのだ。
ただ、それを連れてゆくのに一工夫を要する。
まさか直江家の花婿を公然かどわかすわけにはゆかない。
そこで――思いついたのが、長安風呂だ。あの女体ともつれ合う蒸風呂にいれて、あと酒でものませたら、自分の体験からしてもほぼフラフラになることは承合《うけあ》いだ。ましてあの弱々しげな花婿においてをやだ。そこで帰途、暫時休息という名目で本多家へ連れ込む手順をとるなら、十中八九はうまくゆくのではないか。
それが、予想以上にうまくいった。
お目あての左兵衛より、お護役《もりやく》のほうが参ってしまったのは思いの外であったが、それはどうだっていい。左兵衛を連れ込むという目的に支障はなかったからだ。
そして、受けいれるほうも、案ずるより生むが易しとはこのことだ。
暫時休息といっても、なにしろ音に聞えた直江山城の婿である。しかも、申し込んだのが、知り合いの、かりにも一万石のこの平岡石見守自身である。
本多佐渡か、それに準ずる人物が出て来ずにはいられまい。
ところでその佐渡守は、数日前から大御所のいる駿府にいっていることは承知の上だ。長子|上野介正純《こうずけのすけまさずみ》はいま上方《かみがた》にある。いるのは、次男長五郎正重だ。――
その男こそ、謎《なぞ》であった。
その次男はたしかに存在するが、十五、六歳以後ぷっつりと外部に姿を見せたことがないのみならず、人の噂にも上らなかったという。それが最近、どうやらちゃんと本多家にいることがわかった。――というより、右の婿入り志望の件で、その存在が明らかになったのだが、なお外部の者には逢わず、本多家の家人に対しても顔の見えない頭巾をかぶって相対するという。
こんな奇怪な存在は、大御所の帷幄《いあく》の中の妖人《ようじん》として知られている本多佐渡守の子息以外には認められないに相違ない。
ただ平岡自身はそのことをべつに大して心にもかけていなかったが、大久保長安邸に出入りすることになってから、長安がひどく気にしていることを知った。酒のあいだにも、何かのはずみにしばしば口にするのを聞いた。
――本多は何のために倅《せがれ》に左様な真似《まね》をさせておるのか?
――そも、いかなる面体《めんてい》のやつか、いちど見てやりたいものよ喃《のう》。……
同時に、平岡自身も気になりはじめた。大久保家に出入りしている自分にからめての不安からだ。
彼は長く本多佐渡をパトロンとしているつもりであったが、このごろその対象を本多のライヴァル大久保長安に乗り換えたのだ。いや、それを希望したのだ。
わけはいろいろある。本多佐渡にくっついていても、向うは案外冷淡で、あまりありがたみがなさそうなこと。本多の陰気で地味で面白味のないのにくらべて、大久保の陽気さと豪奢《ごうしや》ぶり。もう棺桶《かんおけ》に半身をひたしているような佐渡守にあまり将来性が感じられないのに、長安の財政的能力は徳川家にとって先々ますます欠くべからざるものになるだろうという見込み、等、等。
で、何とかして大久保に取りいりたいと望んで、このごろチョクチョク出入りし出したのだが、大久保のほうでは自分を本多家の人間と知っているから、うわべのあしらいはともあれ、「こやつ、何を考えて?」と心を許していないところがある。一方、本多の方ではその自分の動きに感づき出したらしい雲ゆきでもある。
事は、急を要する。いま踏み切らなければ、どっちからも見捨てられることになる、と平岡は判断した。それには、大久保家のよろこびそうな土産を作ることが絶対条件だ。
その土産が、本多の謎の次男坊の面体を見とどけることであった。
直江山城の婿を本多家に連れ込んだのは、この真の目的を達するためであったのだ。
そのために、そもそも最初草戸勘兵衛をして銭湯で前田ヒョット斎に接触させたのだから――さすがは関ケ原の松尾山で、東西両軍の形勢を観望し、ついに有名な裏切りをやってのけた男だけあって、やることにまことに手が込んでいるといわなければならない。
「ああ、いや御急病とあれば、駕籠のままで結構」
老臣にいわれて、直江左兵衛と上泉主水を乗せたままで駕籠ははいってゆく。
それにつづいて、平岡石見守、草戸勘兵衛、それに二人の供侍も導かれていった。
いつもの玄関のほうへではない。横の潜《くぐ》り戸《ど》や垣根を通り過ぎて、邸内の奥のほうへ。――これはいつか、ヒョット斎たちが案内されて歩いた径路だ。
上泉主水なら知っているはずだが、彼は駕籠の中でどうしているやら。――ひょっとしたら、本多屋敷へかつぎ込まれたことすら、まだ知らないかも知れない。
ふだんとちがうことを、平岡石見は怪しまない。
用向き、また逢う相手が相手だから、特別の扱いは当りまえだと考える。
とにかく、本多長五郎が逢うという。自分が立ち合い、直江山城の婿に逢うというのに、覆面のままということはあり得ない。――で、その顔を見る。むろん自分がはじめて見る顔かも知れないが、とにかくいかなる容貌《ようぼう》の男かということを知るだけでも、必ず大久保家への土産になる。
ところで。――
――こんなはずではなかった!
と、愕然《がくぜん》としたのは、やがて一行が、畑さえある一郭にまた低い土塀をめぐらした、黒ずんだ門の前へ出たときであった。
そこに二人の男が待っていた。一人はただ赤ちゃけた髪をたばね、色|褪《あ》せた黒紋付によれよれの袴《はかま》をはいた牢人《ろうにん》風の男、一人は緋《ひ》の袖無《そでなし》羽織に前髪つけた、そのくせ二十半ばの男だ。
「直江山城の婿どのはどっちだ」
と、前髪の男が、二つの駕籠に眼をやって――その一つの屋根に、大長剣が結《ゆわ》えつけてあるのを見ると、無造作《むぞうさ》にそれをむしり取った。
「あ、そっちではござらぬ。――」
狼狽《ろうばい》して、勘兵衛が手をさしのばした。そっちには、上泉主水が乗っている。長刀は駕籠にはいり切らないから外に結びつけておいたのだ。
「こっちか。では」
と、その男は、もう一人の男とうなずき合うと、
「若殿がお逢いなさる。われらがお連れしよう」
と、もう一方の駕籠の棒に、両人肩をいれると、スタスタと門をはいっていった。――佐々木小次郎と新免武蔵である。先棒の小次郎は、主水秘蔵の長剣を息棒代りに持っていってしまった。
あわててそれを追う勘兵衛の鼻先で、後棒の武蔵がうしろ手にしめたか、どんと黒い戸がしまる。
あっけにとられてこの意外事を見ていた平岡石見は、われに返ると勃然《ぼつぜん》として、
「こ、これはいったいどうしたことじゃ?」
と、老臣にかみつくように、ふりかえった。
「いかにも、病人の休息はお願いした。しかし、かようなあしらいを受けようとは思わなんだ!」
「かりにも、石見守さま御自身が送っておいでになった人間と申すに――」
草戸勘兵衛は泡を吹いてあえぐ。
「いや、なにぶんお人ぎらいの長五郎さまでな。――」
老臣は無表情に答える。
この非常識極まる応対のみならず、これではいままでの秘術を凝らした苦心|惨澹《さんたん》をなんのためにやったかわからない、と平岡石見と草戸勘兵衛はまったく頭に来た。
「これ、上泉主水どの、御主人がさらわれたぞ、何をしておる」
と、勘兵衛は地団駄《じだんだ》を踏み、駕籠を叩《たた》いた。
「ま、待て、待て待て」
中では、ガサガサともがく音が聞える。
上泉主水は、大久保屋敷を出たときは、大袈裟《おおげさ》にいえば半失神状態にあったのである。それでも、駕籠のはいった先がどうやら本多屋敷らしいということはわかって、
――はて、何を企んでおるか?
と、疑い、いましばしようすを見よう、と、鈍いながら眼をひからせていたのだ。
そこへいま、たしかに佐々木小次郎の声を聞いて、とにかく外へ出ようともがき出したのだが、依然腰から足へかけて筋肉の紐《ひも》が切れたようで思うように身体が動かない。――
やっとのことで、這《は》い出した。駕籠にすがりながら立ちあがって、その上を見る。
「刀は?」
ない?
平岡石見は、二人の供侍を叱咤《しつた》した。
「かようなあしらいを受けて、石見、ひっこんではおられぬぞ。わしも、長五郎どのに逢わずにはおかぬ。そこの戸をあけよ、力ずくでもあけよ!」
二人の供侍は、どんとぶつかっていってはね返され、二度目の体当りをしようとして――その戸が向うからあいたので、飛びずさろうとしてよろめいた。
その二人が、突如血けむりの中に四つの肉塊となって地上に散乱した。
「うるさいやつだ」
あいた戸のあいだに、武蔵と小次郎が立っていた。両人のひっさげた刀からは血の糸がしたたっている。
「この門は、断わりなしにはいれば二度と出られぬ門であることを知っておけ」
と、小次郎がいうと、武蔵もあごをしゃくった。
「それを承知なら、あとのやつもはいれ」
駕籠をかついで来た六尺たちは、みんな地面に坐っていた。腰がぬけたのである。
「……ち、ちいっ」
上泉主水が、名状しがたいうめきをもらした。
いま小次郎は、背中の物干竿《ものほしざお》で抜打ちに片手斬りをしたのだが、もう一方の手に自分の刀を鞘《さや》のままつかんでいるのを見たからだ。
それにしても、なんたるムチャなやつらか。――ムチャでは人後に落ちない主水も、いまの無造作な殺戮《さつりく》にはめんくらった。
「小次郎、刀は返してやれ」
と、武蔵がいう。
「上泉どの、やりたければ相手になるが、しかし長五郎さまにお逢いしてからでよかろう。はいりなさい」
それでも、京都のころの記憶はあったと見える。
小次郎の手から自分の長剣が鞘のまま飛んで来たのを受けとめたが、さすがの主水も毒気をぬかれて、とっさにそれを抜く意欲を失っている。
「うむ。……」
うなずいて、門の中へ歩き出すと、あと平岡石見と草戸勘兵衛も、放心したようについて来た。
主水でさえ度胆《どぎも》をぬかれたのだから、これはまったく心気虚脱の体であった。
はいると、いつぞや主水が見た通りの、藁《わら》ぶきの小さな百姓家と、庭と――その縁のすぐ前の地面に、左兵衛の駕籠が置かれていた。
「そこから動くな」
と、武蔵と小次郎が、庭のまんなかあたりで足をとめた。
「な、何を、勝手なことを」
主水は背に負った長刀のつかに、はじめて手をかけた。
平岡がなぜ自分たちをここへ運びこんだのか彼は知らない。その平岡がどうしてこんな無礼な――無礼どころか、いま家来たちを斬り殺された――待遇を受けるのか、見当もつかない。
すべて不可解だが、とにかくあそこへひきすえられた左兵衛さまを見逃しには出来ず、それより何より、自分という人間の存在を眼中に置かないかのような相手のやりかたに彼は憤怒《ふんぬ》して、夢中で刀のつかに手をかけたが――なお、両足の骨の髄がからっぽになっているような感覚をおぼえている。
「やるか!」
佐々木小次郎もふたたび背の長剣に手をかけた。
「しばらく待て」
向うで、声がした。
いつかのように座敷には、白衣白頭巾の男がひとり坐っていた。
平岡石見と草戸勘兵衛は最初からそれに気づいていて、停止を命じられる前から立ちすくんでいた。
あれが本多の次男、長五郎正重か。――
こちらを眺めながら、微動だもしないその白い姿は、噂に聞いていた以上にぶきみであった。それにしても、自分たちの真意や謀計を知るわけもないのに、いとも無造作に平岡家の供侍二人を斬って捨てるとは、そもここは狂人の巣か。
[#改ページ]
返礼首《へんれいくび》
白頭巾《しろずきん》が、眼下の駕籠《かご》をのぞきこんで、つぶやいた。
「ふうむ、これが大谷刑部の倅か。信じられぬような青瓢箪《あおびようたん》じゃ喃《のう》……」
平岡石見守は、われに返った。われに返れば、それでも、かつて手に汗にぎる関ケ原のいくさでその運命を動かしたほどの胆《きも》ふとい男だ。
「本多長五郎どの」
と、呼びかけた。
「平岡石見守|頼勝《よりかつ》でござる」
一万石の大名の名乗りを受けて、相手は平気でうなずいただけである。ふところ手さえしているらしい。
庭のまんなかに立った武蔵は、横をむいて小次郎に話しかけていた。
「小次郎、上泉はお前にゆずる。あとはおれにまかせろ。よいな?」
何の話かは知らず、平岡頼勝は怒りのために歯をカチカチ鳴らしていた。
「長五郎どの、これがこの石見守への御挨拶か」
白頭巾は笑うように答えた。
「平岡さん、本多か、大久保か、江戸の松尾山から、こんどはどっちへ下りられたな?」
平岡は驚愕《きようがく》のために蒼白《そうはく》になった。――いかにしてか、自分の深謀を、この人物は知っていた! すぐに彼は、また真っ赤な顔になった。
「ともあれ、何の話をするにせよ、その頭巾をとってもらおう。顔を見せられぬか」
「顔を見たとて、何にもならぬ」
平岡石見は、完全に逆上した。
「何になるか、ならぬか――こっちに見たい用があるのじゃ!」
つかつかと歩き出した平岡石見と、それに従う草戸勘兵衛の前に、武蔵がのっそりと立ちふさがった。
「抜け」
と、いう。
平岡主従は棒立ちになり、口をあけた。
たったいま、二人の家来を斬《き》られた。それさえあり得ないことと思われたのに――こやつ、このえたいの知らぬ薄汚い牢人者は、こちらもまた斬るというのか? そんじょそこらの足軽ではない、一万石ながら堂々たる大名を!
しかし、たちまち平岡石見守の背に、戦慄《せんりつ》が走った。
きょう自分がここに来たことは、いま生きている者としては、草戸勘兵衛以外にはだれも知らないのだ。まさか、かどわかした直江左兵衛を本多屋敷に連れこむために外出するとはいえないから、二人の家来だけ連れて密行したもので、その二人の家来はすでに斬られてしまい、万が一自分がここで消滅しても、天下にだれ一人知るものはないのだ。――もとより、ふつうなら、かりにも大名たるものがゆくえ不明となってそのままですむはずはないが、場所がここだ。実質的に徳川の宰相たる本多佐渡守の屋敷なのだ。すべてが闇《やみ》に葬られる可能性はないではない!
はじめて、平岡頼勝は、自分が直江左兵衛らを――ほんとうは本多家を自分の道具に使おうとして、実は自分がとんでもない罠《わな》に落ちたことを感じた。
だが、どうして? どうして自分の下心を知ったのか?
あの本多長五郎とは、いかなるやつだ?
その覆面をとりたいという願望と、この場を逃れねば、という恐怖に惑乱しつつ、
「勘兵衛、そやつを斬れ」
と、立ちふさがった牢人にあごをしゃくりながら、自分も抜刀した。
「おう!」
わめいて、斬りつける草戸勘兵衛の眼前に、閃光《せんこう》がはためいた。
その蟹《かに》みたいな首が宙に飛ぶのを、平岡石見守頼勝の首も宙から眺めていた。武蔵の二本の腕には、二本の剣が握られていた。彼はその小刀で草戸勘兵衛を、大刀でそのうしろの平岡石見を、ほとんど同時に首はねていたのである。
「……わしの顔を見ても、何にもならぬわけは、そういうわけじゃ」
と、座敷で白頭巾が独語した。うすら笑いでも浮かべているようなひびきがあった。
「おい、直江どの」
と、庭の駕籠にむかっていう。
「貴公の父御《ててご》、大谷刑部どのを殺した怨敵《おんてき》、関ケ原の裏切者の張本人をいま成敗《せいばい》したぞ。――そう馬鹿のような顔をしていないで、ちょっと一目見られたらどうじゃ」
――しかし、それにしても、思い切った殺戮《さつりく》をやってのけたものではある。れっきとした大名を、かくも無造作に討ち果たすとは! いったいこのあと始末をどうする気か。
これを見ながら、上泉主水は何をしているか。――
彼は先刻から、背中の大刀のつかに手をかけたまま、作りつけの人形みたいに立っている。
それと、一|間《けん》ばかりの距離をおいて、やはり背の長剣をつかんだまま、そっくり同じ姿勢で立っているのは佐々木小次郎であった。
視覚、聴覚のどこかにいまの惨劇をとどめつつ、上泉主水はどうすることも出来ない。
主水を金縛《かなしば》りにしているのは、ただ佐々木小次郎のみであった。小次郎と、面と向って剣をとって相|対峙《たいじ》したのははじめてだが、同時にこの相手が、かつて周防《すおう》の岩国川のほとりで見た少年時代とは格段の剣人となっていることもはじめて実感した。いや、それはその後京で再会したときから認めていたことではあったが、さらにそれ以上の。
――ただし、それでもなおかつ主水は、この相手に敗北するはずはない、と思っている。
思ってはいるが、刀のつかを握ったまま、その腕は動かない。――毛ほどの動きも自分の破綻《はたん》となる、という直感があった。
が、一方で、このまま時間が経過すれば自分の不利になる、という切迫感が彼の骨をけずっていた。身体が、ただごとでないのだ。そもそも駕籠を出たときから、彼はよろめいていたほどであった。いま、この強敵と相対して、反射的に一触即発の体勢はとったものの、消耗し切った血液、麻痺《まひ》した筋肉は、刻々とその面上を土気色に変えつつあった。
――いかん!
眼も霞《かす》んで来るのを感じ、主水が歯がみしたとき、
「小次郎、何をしておる?」
と、新免武蔵の呼ぶ声がした。
「おれが代ろうか」
――おそらく小次郎が、背の刀に手をかけたまま身動きもしなかったのは、彼もまた主水と同様、動けばかえって破綻となるという認識からであったろう。
思えば、さっきから――ほんとうは数分だろうが、当人たちにはほとんど永劫《えいごう》とも思われる時間、驕慢《きようまん》佐々木小次郎を金縛りにしていた上泉主水も、やはり大したものではある。
が――いまの武蔵の声を耳にして、
「ば、馬鹿っ」
大喝《だいかつ》とともに、小次郎の肘《ひじ》が弦《つる》を切ったように動こうとし――次の刹那《せつな》、なんらなすところなく梨割《なしわ》りに斬られることを主水が直感したとき、
「待てっ」
と、向うから声がかかった。
「その勝負待てっ」
「な、なぜでござるっ?」
美しい鬼神のように小次郎がふりむいた。
「見よ、上泉主水の体調はふつうでない。お前ほどのものがわからぬか。あきらかに主水は疲れはてておる。――それを相手にして、たとえ勝ったとてお前の誇りになるか」
と、本多長五郎はいった。
「互角の条件になってたたかうことこそ、お前の本望ではないか、喃《のう》、小次郎」
それを聞きつつ、上泉主水は、がくと自分の膝《ひざ》が地に崩れるのをいかんともしがたく、おまけにこのとき脳膜にぼうと霞《かすみ》がかかって来るのを感じた。
「いや、これはいかん、どうしたことか、こっちも気を失ったようじゃ」
と、また本多長五郎の声が聞えた。庭の駕籠をのぞきこんで、彼はあわてた風であった。
「よし。……わしに少々考えがある。とにかくその主水だけ、さきに外へ運び出せ。……その前に、武蔵、ちょっと参れ」
腑甲斐《ふがい》ないことに上泉主水は、それから武蔵と小次郎にまた駕籠へ投げこまれ、その一郭からかつぎ出されるのをどうすることも出来なかった。これはもう、長安風呂のせいというより、いまの動かぬ死闘の燃焼のためであったろう。
塀の外には、無表情な顔で、老臣が待っている。それから、大久保家から駕籠をかついで来た六尺たちが依然へたばっている。
「しばらく、門前で待っておれ」
武蔵にいわれて、六尺たちはふらつく腰で、主水の駕籠だけかついでまた本多家の門のほうへ出ていった。
上泉主水は、その間に半失神から醒《さ》めて、駕籠の中でもがき出した。
「待て、下ろせ。……左兵衛さまはどうなされた? 左兵衛さまをおいて、おれだけゆくわけにはゆかぬ、これ、駕籠を下ろせ」
駕籠から這い出したのは、本多家の門前である。
「いや、佐々木小次郎ともういちど立ち合わねばならぬ、そこどけ」
と、門に立っている老臣をおしのけようとしてもみ合っていると、つづいてもう一|挺《ちよう》の駕籠が出て来て、そこに置かれた。武蔵と小次郎の姿は見えない。
老臣が、駕籠の垂れをあげた。
のぞきこんで、主水は眼をむいた。
中に直江左兵衛が乗っていた。のけぞるようにして、一言の口もきかない。気を失ってはいないが、それに近い眼つきをしている。それも道理。――彼がひざの上に抱きかかえているのは、一人の人間の生首であった。
平岡石見守の首。
左兵衛のふところから、書状らしいものがのぞいている。ぬきとって、ひらいて見ると。――
「いまだ貴意を得ず候《そうら》えども一筆啓上せしめ候。これは関ケ原にて裏切者の名を高うしたる小早川中納言どのの家老平岡頼勝なる男にて候。さきに御当地に参りたる大谷刑部、もしお手許《てもと》にあらば定めて何かの挨拶《あいさつ》あらん、なにとぞおひき合せのほど願いあげ候。恐惶《きようこう》謹言。
慶長十五年十一月二十日
[#地付き]本多長五郎正重
閻魔《えんま》大王、冥官《みようかん》獄卒御披露」
――二十日《はつか》ばかり前、直江山城守が本多家にやった三つの生首にそえた、前代未聞の閻魔|宛《あて》書状の真似だ。
手紙のみならず、首の返礼。――しかも、この前のような下郎《げろう》の首ではない。ただ一つだが、平岡石見守という大名、しかもそれを抱かされている直江左兵衛の亡父のかたきの首だ。
駕籠の垂れが落ち、本多家の老臣の指示のまま、それが桜田の上杉家へ向って歩き出すのを、もはやとめもせず、上泉主水は茫然《ぼうぜん》たる顔でそのあとに従った。もう一挺の駕籠もついては来るが、さすがに乗らず、ともかくも二本の足で歩いてはいたが、まるで夢遊病者のようであった。
上杉家の門が見えて来たとき、彼はしかしやっと正気に戻った眼つきになり、急にあわてて身体をおりまげて、左兵衛の駕籠に顔を寄せた。
「若殿。……もし、若殿」
彼にしては珍しく、ひそひそ声で話しかける。
「さっきのこと、どこまで見ておわしたか。……いや、不覚、拙者ともあろう者が、剣をとって敵と向い合いながら膝をつくという失態をいたしたが、あれはまったく長安風呂のたたりで……しかし、余人には通ぜぬこと、本多家においてのことは、何とぞヒョット斎らには内聞にお願い申す。……これ、若殿! 聞いておられるか。……」
中から、細ぼそとした声がした。
「わしは何も見てはおらなんだ。ただ、この……ここに抱かされておる首が飛ぶときの恐ろしい音を聞いたばかりじゃ。それより、主水、この首、何とかならぬか?」
「他に見られてはならぬゆえ、い、いましばらくの御辛抱。そりゃあなたさまにとって、かたきの首でござるぞ。……はて、あの本多長五郎は、何を考えて平岡を成敗《せいばい》し、その首を持たせたか、その心事不可解。……」
主水は首をひねり、すぐにまた必死の声をふりしぼって、
「いや、そんなことまで心配しておる場合ではない、とにかく、その首は拙者が斬ったことにいたしたい。この手紙も、拙者が長五郎に書かせたことにいたす。どういう具合にして――というと、さあそれは……これから考える。何はともあれ、いらざることをおしゃべりにならんよう、どうぞお頼み申すぞ。……」
この前、左兵衛が主水に哀願していたのと、そっくり逆の立場になった。――
左兵衛と主水が、平岡石見守の首を持って帰ったのには、さすがの直江山城も驚倒したようであった。
これに対して、主水が説明するには、長安風呂の件、その帰途待ち受けた平岡のために本多屋敷の例の百姓家に連れこまれたいきさつ、ここまではまず事実通りであったが。――
どうやら平岡石見の意図は、いつぞやの祝言の席で山城守さまに一喝されたのを根に持って、左兵衛さまを本多長五郎の前にひきずり出し、辱《はずか》しめるためであったらしい、と、主水はいった。――苦しまぎれの推定であったが、これは当らずといえども遠からず、であった。
事実、そのような言動があったから――平岡は左兵衛のことを青瓢箪《あおびようたん》といった――たちどころに自分が斬って捨てた! と、主水はいった。
そして本多長五郎に向って、これはこの左兵衛さまのおん父のかたきを討ったものだが、責任はむろん斬った自分にある、しかればただちにこの場で腹かっさばくゆえ、その検使役になってたまわれ、と、おめきさけんだところ、相手はこちらの気魄《きはく》に打たれたか、
「その心情ようわかる。父にも左様に申しておこう。まずその首を持って帰り、追っての沙汰《さた》を待て」
と、いって、おまけにこんな書状まで書いてくれた、といった。――
「ほう、本多長五郎が喃?」
岡野左内が首をかしげる。みな、腑《ふ》に落ちぬ顔だ。
「左様、その通りでござりました喃、左兵衛さま」
と、顔を赤くして主水は左兵衛をふりかえる。
まだ悪夢から醒めないかのような左兵衛は、あわててうなずいた。
「そのとき左兵衛どのはどうなされておりました?」
伽羅がたずね、左兵衛がヘドモドしているのに代って、馬鹿に大声で主水がいった。
「左兵衛さまは、実に泰然自若として一部始終を御覧なされておりました」
「それで、その長五郎どのは、相変らず覆面をしたままかえ?」
「さ、左様」
「ぬがして見る工夫はつかなかったかえ? また本多家へいってその人に逢《あ》ったとすれば、望んでもない機会ではなかったかえ?」
「それが――いつぞや、みなも見た通り、実に落着き払って坐っており――かつは、このような書状まで書いてくれましたゆえ、それ以上、何とも手が出しがたく。――」
伽羅さまに嘘《うそ》をつくのは、主水も死ぬ思いだ。
「武蔵、小次郎はどうした?」
と、車丹波が問う。
「これは、拙者の勢いに呑《の》まれて、両人ただ見守るばかり――小次郎ごときは、おれがにらんでやっておるうち、それまで立っておったのが、がくんと膝をつきおった。――わははははは!」
[#改ページ]
弱い豪傑たち
狐《きつね》につままれたような話とはこのことだ。
左兵衛さまと上泉主水は、大久保屋敷の風呂からの帰り、平岡石見守に本多屋敷へ連れこまれ、そこで平岡が左兵衛さまを辱しめようとしたから、主水が斬《き》り捨てた。ところが、例の本多長五郎は、それを黙認するかのように、書状までつけて、二人にその首を持たせて帰した、という。
この主水の報告が嘘でない証拠に、げんに平岡石見の首と本多長五郎の書状がここにある。
にもかかわらず、一同はなんども眉《まゆ》に唾《つば》をつけて、その首と書状を眺めずにはいられなかった。
「これが、ほんとうに長五郎が書いたものか」
と、車丹波が、首をひねりつつ、またその書状をのぞきこむ。
「疑うのか、おれのいうことを、疑うのか!」
主水はさけんだ。その件に関する限りは、実際その通りなのだから、憤然としないわけにはゆかない。
「おお、左兵衛さまが八丈島からお帰りになったとき、船着場の芦原《あしはら》に落ちていた軍営の詩の紙片、あの文字とくらべてどうじゃ?」
と、岡野左内が記憶をまさぐるような眼つきをして、
「いかん、あれは水ににじんでおった。……」
と、舌打ちし、さらに、
「またその前に、米沢のお城で見た初雁《はつかり》の歌の短冊《たんざく》、あの文字とは?」
宙をにらんで、
「ああ、いかん、あれも雨に濡《ぬ》れておった!」
と、ふたたび舌打ちした。
「なに、たとえあの文字がはっきりしておったとしても、文字などはその心得さえあれば、どうにでも書けるものじゃ」
と、直江山城がいい出した。
そういえばこの山城は、先君謙信公の寵童《ちようどう》であったころ、主君に代って、謙信公そっくりの手紙を書いて諸大名に送ったというし、いまも景勝さまと寸分変らぬ文字でその代筆をやるという事実を、彼らはげんに見ている。
「それより、その本多の子息。……どうやらおやじどのより一筋縄《ひとすじなわ》ではゆかぬ人物に見える。……」
と、山城守は長嘆した。
「平岡を斬った……という主水を、無事に帰すとは?」
実に、信じられないのはそのことであった。
ただ、不可解にはちがいないが、ヒョット斎たちもそれに似た経験はある。先日、彼らが本多邸に乗りこんだとき、あの白|頭巾《ずきん》の男はやはり無事に彼らを帰したからだ。
父親の佐渡の言動から見ても、あの人物が直江家にいい感じを持っているはずがないと思っていたが――いったい、あの男は、どういうつもりなのか?
山城守がまた、つぶやいた。
「この件については、いましばらくようすを見るとしよう。当分、あの仁《じん》には手を出すな」
「しかし、平岡を成敗するとは……主水もやったものじゃ喃《のう》!」
改めて、また生首に眼をやって、前田ヒョット斎はうなり声を発した。
「うむ、関ケ原の裏切り軍師が、左兵衛さまを馬鹿にするような口をきくのを耳にするに及んで、われを忘れてかっとなり。……」
もういちど、早口にしゃべりながら、上泉主水は、そこにつくねんと坐っている左兵衛に、しきりに目くばせした。
頼む、頼みますぞ、ただ今回にかぎり、拙者の嘘を黙っていて下されよ。……
「それを、大谷刑部さまのお子たる左兵衛どのは、ただ泰然として見ておられたのかえ?」
と、伽羅《きやら》がまた訊《き》く。その語韻にやや辛辣《しんらつ》なものを感じて、主水は狼狽《ろうばい》し、必死に弁明する。
「さ、左様、た、泰然自若として――いや、それも長安風呂で饅頭《まんじゆう》になるほど蒸されたせいもござろうが」
「その長安風呂とはいかなるものじゃな」
ヒョット斎が改めて訊いた。
「さっき、ちょっと聞いたが、よくわからぬが。……」
「おお、それは、実に奇絶怪絶。……」
質問の内容が転じたので、ほっと胸|撫《な》で下ろし、主水は大いに意気込んで、長安風呂についてしゃべり出そうとしたが、伽羅さまがいるのに気づいて、ふいにまた眼を白黒させた。
「い、いや、その話は、またあとでするとしよう。……」
――さて、平岡頼勝横死事件についてだが、主水を除く四天王にして見れば、平岡を膺懲《ようちよう》することは、伽羅の依頼もあって願望の一つには相違なかったが、まさかその首まではねるとは、ヒョット斎が「主水もやるものじゃ喃!」と、茫然とするほどの意外事であった。
何にしても、一万石の大名が突如消滅したのだから、これが何のこともなくすむとは思われなかったが、それが思いがけず、何のこともなくすんだのである。
まもなく、平岡石見守の家は改易《かいえき》になった。それっきりだ。
本多佐渡の次男坊の保証したことはまちがいなかったのである。
さて、次に左兵衛を鍛えるのはだれで、またとっちめる相手はだれだということになる。
で、また岡野左内のサイコロにゆだねることになったのだが、ここでまた例の一|悶着《もんちやく》が起った。
「主水はもう一《イー》チャンやった」
と、岡野左内が麻雀《マージヤン》用語で宣告した。だからこんどは休めというのだ。主水はさすがにこんどはおとなしく承服したが、同じく休めといわれたヒョット斎がゴネた。
「おれはまだやってはおらんぞ」
「しかし、おぬしが選んだ本多は、いましばらく手を出すな、と、殿もいわれたのじゃから」
「だから、ほかのやつ相手に、おれもやらせろ」
と、いってきかないので、ともかくもサイコロで三人の中から選ぶことになった。
その結果、出た名は――車丹波対福島正則であった。
「ござんなれ!」
車丹波|猛虎《たけとら》は躍り上った。
「市松《いちまつ》なら、相手にとって不足はない!」
それは、そうだろう。あの日、左兵衛をなぶりものにした祝言の席にいならんだ諸大名のうち、かつての豊太閤の荒小姓福島市松いまは福島少将正則は、加藤清正に匹敵する大物にちがいなかったから。
「おお、福島正則と一騎打ち出来る日が来ようとは思わなんだ!」
「この馬鹿」
と、ヒョット斎が、早くも立ちあがりかけた丹波の袴《はかま》をつかんだ。
「お前、甲冑《かつちゆう》をつけ、馬にでも乗って福島屋敷に乗り込む気か。――伽羅さまの御下知《おげぢ》には、上杉、直江に迷惑がかからぬように、という条件がついておるのじゃぞ」
「あ?」
車丹波は棒立ちになった。
「その上、左兵衛さまをお連れせねばならぬということもある」
「ああ、そうであったな。……そうか。どうしよう」
「それをおぬしが工夫するのじゃ。おれは関係ない」
サイコロの目からはずれたヒョット斎は、よそよそしい口をきいて横をむいたが、ふと思い出したようにいった。
「いっておくが福島家には、笹《ささ》の才蔵《さいぞう》という名代の豪傑がおるぞ。よいか。……」
こうして、いちどは武者ぶるいした車丹波も立往生したまま、日は師走《しわす》にはいった。――
そして、はからずも福島のほうから彼らに接触して来ることになったのだ。
――こういうわけだ。
一応観戦ということになったヒョット斎は、あれから上泉主水に、大久保屋敷の長安風呂のことを熱心に質問した。本来なら、彼がゆくことになっていたのだから、無理もない。
それを考えると上泉主水も、改めて長安風呂の詳細についてしゃべらずにはいられなかった。
もうよかろう、左兵衛さまの口も大丈夫だろう、と判断したこともある。
ただし、むろん自分があのときどんな恐怖を味わったかはいわない。相手が知らないのをいいことに、いかに自分が悠然《ゆうぜん》としてその奇絶怪絶の風呂を愉《たの》しんだか、と力説したのだが。――
「なに? 女風呂?」
ヒョット斎はまじまじと主水の顔を見つめた。
「おぬし、ようそれに辛抱したの。えらい、えらい」
――すると、その数日後。
「おい、大久保屋敷へいって、おれも風呂へいれてもらうよう、話をつけて来たぞ」
と、ヒョット斎が坊主頭を喜色にひからせて帰って来て、こう報告したから、主水は愕然《がくぜん》とした。
「ぶらりといってな、おれは上杉家の前田ヒョット斎じゃが、先日|朋輩《ほうばい》の上泉主水と申す者が御当家のお風呂を頂戴《ちようだい》して、まるで極楽世界にいったようであったと申したが、拙者をふくめて四人、もういちど風呂の御馳走《ごちそう》をたまわるまいか、と申し込んだら、向うでは、おれの名を知っておってな、お安い御用、いつでもどうぞ、という挨拶であったから、この十日にゆくことに話をきめて来た。どうじゃ、みんな?」
「十日か」
と、岡野左内は、ちょっと困ったような顔をした。
「それは大いに心をそそられるが、十日は少々都合が悪いな」
「なぜだ」
「十日には麻雀の先約がある」
べつに十日には限らない。この切支丹《キリシタン》は、ひまさえあれば中間《ちゆうげん》若党たちと麻雀をやっている。
「そんなものはいつもやっておるではないか」
「それはそうだが……何しろこの前おれがハコテンにしてやった細川《ほそかわ》家のやつらで、のぼせあがって、是非十日にもういちどお手合せを、といって来ておるので」
「勝手にしろ」
上泉主水は、前田ヒョット斎が元来大変な風呂好きであったのを、うっかり忘れていたことを悔いた。それに、女たちといっしょにはいる、という話までしたのだからたまらない。
「おい、大久保家では……それ以外に何かしゃべらなかったか」
「いや、べつに。――どうしたのじゃ」
「なに、何でもないが」
しかし、ヒョット斎たちがゆくと、自分の衰弱ぶりが、きっと話に出るだろう。……
「おぬしも都合が悪いのか」
「いや、参る。……参って、是非あの快味を、もういちど味わいたい」
「丹波は?」
「ゆく、あれを聞いて、ゆかいでどうするか!」
車丹波は、髯《ひげ》の中で舌なめずりした。彼もヒョット斎から、主水の話をまた聞きしていたのだ。――もっとも、ふだん異臭さえ漂わせて、あまり風呂好きとは思えない丹波だから、この恐怖は、女と混浴するほうの感激からであったろう。
まるで、福島一件のことは忘れたような昂奮《こうふん》ぶりであったが、
「いや、福島へのとっかかり、案じぬいておったところであったが、その風呂にでもはいると神来の妙策が出て来るかも知れん」
と、つけ加えたところを見ると、そのことは胸にわだかまってはいたのだろう。
こうして、十二月十日、前田ヒョット斎、車丹波、上泉主水は大久保長安邸へ出かけたのだが――主水の足は、屠所《としよ》にひかれる羊のようであった。
「どうした、主水、顔色が悪いが」
と、車丹波が気がついて、のぞきこんだ。
「実は、風邪《かぜ》をひいておるのだ」
上泉主水は、妙な声で、つづけざまに咳《せき》をした。――そして、大久保家の門が見えて来たとき、ついに立ちどまった。
「やはり、風呂はやめておこう」
いかに意志をふるい起しても、やはりあの恐怖の風呂にはがまん出来そうになかった。
彼がここまでついて来たのは、大久保屋敷でどんな話が出るか、それが心配だったからだが。――
「ヒョット斎から話がつけてあるなら、おれがまたゆく必要はあるまい。きょうのところはまず二人だけでいってくれい」
「そうか、それは残念だな」
と、ヒョット斎がいった。眼がいたずらっぽく笑っているところを見ると、やはり自分の醜態をもう聞いているのかも知れない……と、頭がかっと熱くなったが、やはりあの風呂には何とも敵しがたい。
「では、話はあとで」
大久保屋敷に、ヒョット斎と丹波は意気揚々とはいっていった。――
立ち去るかに見えて、上泉主水はなお佇《たたず》み、遠くからその門を眺めている。――そうだ、たとえ自分の衰弱した話を聞いたとしても、その衰弱にもかかわらず、平岡石見をおれは斬ったのだ、と威張ることにしよう。
しばらくして、大久保屋敷の奥のあたりから冬の空へ、さかんな湯気が竜巻《たつまき》みたいにあがり出した。
それを悪寒《おかん》とともに仰ぎながら、背に長剣を背負ったまま、主水はまた考える。
いや、彼らだってあの魔の風呂にはいれば、人間のぬけがらみたいになってしまうに相違ない。男たるもの、あれでぬけがらにならずにいられるか。……
――とにかく、この剽悍《ひようかん》無比の剣鬼的人物が、最近これほど懊悩《おうのう》したことはないといってよかった。
前田ヒョット斎と車丹波が、大久保家から駕籠《かご》まで用意してもらって出て来たときは、もう日はとっぷり暮れていたから、上泉主水の姿はどこにも見えなかった。
両人とも、駕籠の中で、ウツラウツラしている。
たしかにだいぶ消耗しているようだが、しかしそれより彼らを蕩然《とうぜん》とさせているのは、酒と美食と女かぶきと――それから、例の女人風呂の陶酔のためであった。
両人とも、まことに満足したのである。
ところが。――
その夜、車丹波の住む侍長屋で、けたたましい悲鳴があがった。
「ちがう、ちがうっ、おれは何もせん!」
悲鳴は、丹波であった。
「何がちがうのでございます。よく自分で握ってごらんなされ、まるでなめくじがとろけたようではござりませぬか!」
裂帛《れつぱく》の声は、女房の小波《さざなみ》であった。
「そ、それは、ただ蒸風呂で蒸されたからで……女と、何したわけではない」
「大久保家の女風呂の話は、上泉どのから承わりました。まあ、いやらしい、女だらけの風呂にはいるなんて……」
「なに、主水がしゃべった? け、けしからんやつだ。しかし、それでわかったろう。その風呂にはいったから、ふやけて、こうなってしまったのじゃ、それだけじゃわい。……」
「ただ風呂にはいっただけで、こんなにフニャフニャになるわけがありませぬ。ええ、くやしい、こんな――」
「痛いっ、わっ、助けてくれ! だれか来てくれ……」
[#改ページ]
石引き・綱引き
車丹波は、決して女性恐怖症ではない、恐怖症どころか、大好物のほうだ。
一方でまた戦場に出ては火の車の旗差物《はたさしもの》をひるがえして鬼神のごとく馳駆《ちく》し、それどころか、だれの眼にも徳川の天下になっていると見えるのに、いちどは水戸城を乗っとろうとしたほどのムチャクチャな豪傑である。
――余談だが、山川菊栄《やまかわきくえ》女史がさきごろ岩波書店から出された「幕末の水戸藩」、これには幕末にかぎらず水戸藩史の大略が書かれているが、この中に「生瀬《なませ》の乱」として紹介されているのは、まさしく慶長七年、佐竹の遺臣車丹波らの起した叛乱《はんらん》のことに相違ない。
それ以前|常陸《ひたち》一帯は佐竹領であったのだが、関ケ原後、佐竹が秋田に追放され、家康の子万千代が代って乗りこんで来た。「幕末の水戸藩」によると、ハタハタという魚はそれまで鹿島灘《かしまなだ》にいたのだが、そのとき以来佐竹家にくっついて、秋田の海へいってしまったという伝説があるという。
車丹波が水戸城を襲う計画をたてたのは無謀に思われるが、魚でさえくっついていったくらいだから、領民の佐竹を慕うことふかく、彼らとしては常陸一帯の住民の蜂起《ほうき》を期待する充分な理由があったのだ。もっとも、丹波らも煽《あお》ったにはちがいない。
で、この一挙が破れたのち、反徳川の農民の巣窟《そうくつ》の一つと見られた生瀬という村が、徳川勢の討伐を受けたのだが。――同書によれば、
「――逃げまどう村民は追われ追われて、子をだいた母も、老いかがんだ 姑《しゆうとめ》 も、それをかばう若嫁も、みるみる槍《やり》ぶすまに包まれたと思うと、たちまち屍《しかばね》の山となった。そのとき首をひろい集めたのが首塚、胴を葬むったのが胴塚、多勢一つ所に追いつめられて手を合わせて命ごいした所が嘆願沢、最後に一人残らず斬りすてられた所が地獄沢と、惨劇のあとは今もその場所にそのまま名を残している」
一般の農民でさえみな殺しになったのだから、叛乱の主謀者車丹波らが磔《はりつけ》になったことはいうまでもない。
――と、思われていたのが、実は丹波は生きていた。前に述べたように、磔になったのは、彼とよく似た影武者であって、彼はどうにかして米沢へ逃亡し、直江山城の下にかくまわれたのである。
逃亡する丹波の一行の中に、その影武者の妻小波がいた。いっしょに死ぬという小波を影武者の夫が叱《しか》りつけ、丹波に託したのだ。
そして、米沢で暮しているうちに、丹波は小波を女房とすることになった。――彼のもとの妻は、叛乱前のさまざまな苦労の中ですでにこの世を去っており、一子の善七郎《ぜんしちろう》のゆくえもわからなくなっていた。
最初に丹波に、無限の想いのこもった眼を投げるようになったのは小波のほうであった。
女好きの丹波だ。ましてや小波は、細工物みたいに小さいが、美しい女であった。たちまちこれに手を出した。――死んだ家来の女房だ、という安易な気持もあった。
そんな関係になってから、小波はしばしばヒステリー状態におちいるようになった。……和合の最高潮に達したとき、突然身体を弓なりにし、四肢をつっぱらせ、
「ああ……私は罪ふかい女でござります!」
と、鬼女のような形相《ぎようそう》になってさけび出すのだ。
「夫を殺したおかたと……こんなことをして!」
車丹波はめんくらった。
実は彼は、自分の影武者を身代りとして死なせたことを、それほど大したこととは考えていなかった。それはありがたいと思い、ふびんなことをしたとも思うが、そのための家来であったのだから、罪悪などとはつゆ思ってはいなかった。そして、その女房に手をつけたとき、彼女の夫のことなどてんで頭に浮かべず、ただ女のほうで妙な眼つきをするので、これはこれはとばかり恐悦して抱きよせたに過ぎない。
小波が、無限の想いのこもった眼で主君の丹波を見ていた理由は、そんな単純なものではなかった。死んだ夫に余りにもよく似たお人へのなつかしさ、それゆえに夫が死なねばならなかったという恨めしさ。――
そういう心の葛藤《かつとう》が、丹波をほんとうに愛するようになってから、かえって強烈なヒステリー症状となって発現したものに相違ない。
はじめ丹波は、この異常反応に眼をぱちくりさせたが、やがて彼女の苦しみがわかった。やっとわかった。そして、これはおれも少々罪のふかいことをしたかも知れん、と頭をかいた。
小波を正式の妻としたのは、それからまもなくのことだ。詫《わ》びの心もあったが、この女をほんとうに可憐《かれん》に思い、最初の妻以上に愛しはじめたからであった。
が、そういう関係になればなるほど、彼女のヒステリーは昂進《こうしん》した。
「ああ、ゼズスさま!」
と、彼女は交合のとき身もだえてさけぶ。
「これは極楽《ハライソ》ではござりませぬ。――地獄《インヘルノ》でござります!」
小波は、いつのまにか丹波の親友岡野左内の切支丹にかぶれていたのである。――
これについては丹波も持て余して、左内に、
「おい、いたずらはよさんか」
と、苦情を申したてたことがある。すると左内は、
「奥方のほうからすがりついて来るのだ。あの女人の苦しみ、さこそと思われる。おぬし、それがわからんのは人間ではない。おぬしも切支丹になれ」
と、厳粛な調子でいわれて、黙ってしまった。
語調はおごそかであったが、左内の眼がどこか笑っていたところを見ると、この風変りな切支丹豪傑の心に、相当ないたずらッ気もあったことはたしかだ。
何にしても、車丹波が女性から、こんな悩まされかたをしたのは、へその緒切ってはじめてだ。――とはいえ、この勇猛無比の荒武者は、本質的に女に弱いところがあったのだが。――
はてはそのうち、彼自身、何だかほんとうに罪ある男みたいな気がし、小波がヒステリーを起すとただオロオロとなり、はては女房恐怖症になってしまった。
この毛だらけの豪傑が、世の中でいちばんこわいもの、それこそ彼の半分もないのではないかと見える小柄な女房小波なのである。
夫を死なせた男の妻とはなったが、彼女は貞婦であった。ただ貞婦ではあるが、怖《おそ》ろしく嫉妬《しつと》ぶかい。そして嫉妬すると、彼女は凶暴とさえいえる行動を起した。
そこで、大久保家の風呂から帰った丹波をつかまえてさんざんにしぼりあげ、丹波は熊《くま》のごとく四つン這《ば》いになって、平謝まりに謝まるという騒ぎになった。
それもどうやら、長安風呂がいかなるものか、経験者の上泉主水の「密告」がもとらしいが、はて主水はどういうつもりでこんないたずらをやったものやら。
十二月半ばのある日のことである。
直江左兵衛と伽羅は、日比谷の海に「石引《いしび》き」を見にいった。
石引きとは、江戸城を築くために、伊豆から運んで来た石を人夫たちが運搬することだ。
前に述べたように、家康が江戸に入国した天正十八年からことしで二十年になるが、その間、江戸の町作り、城作りは断続してつづいていた。それは関ケ原以後大っぴらになり、とくにここ五、六年は急ピッチになった。
江戸に多い丘や坂を崩し、沼や入江を埋めたてる。一方で、城の濠《ほり》を掘り、石垣を築く。
雨がふると、掘りあげた土が濠に崩れ落ちないように、夜中にも柵《さく》を作って土止めをしなければならず、たまった雨水は、釣瓶《つるべ》でこれまた昼夜兼行で汲《く》み出さなければならない。
指揮に当った本多佐渡など、いちじは毎朝午前四時には普請《ふしん》場所に現われたという。だから諸大名も、みな提灯《ちようちん》をつらねてその時刻に現場に待っていなければならなかった。
この工事を命じられたのは、むろん諸大名だ。なかんずく、豊臣家恩顧のめんめんであった。
当時、加藤清正や福島正則などが江戸に詰めていたのは、その工事のためでもあった。――家康は、この工事で彼らを一種の人質とし、同時に彼らの財力を殺《そ》ぐという、文字通り一石二鳥、三鳥の政策をとったのである。
諸大名ももとより大御所の意向を知っている。知ればこそ、いっそうこの奴隷的作業に励まずにはいられなかった。
諸国からおびただしい人足が集められたことはいうまでもないが、侍たちもいっしょに鍬《くわ》をとり、もっこ[#「もっこ」に傍点]をかついだ。西武蔵から青梅《おうめ》街道を何千頭という駄馬《だば》が、石垣のシックイに使う御用石灰を積んで、絡繹《らくえき》と毎日江戸へはいって来る。
彼らにとっては苦役だが――しかし、第三者から見れば一大壮観だ。
とくに、石船《いしふね》、石引きの光景は珍しい。
江戸城を築く巨石は、大半伊豆から運んで来たのだが。――
その石を船にのせるには、まず吃水《きつすい》に安全な深い海まで長い石の突堤を築き、そこから船へ太い柱を渡して橋を作り、修羅《しゆら》車と称する巨大な地車《じぐるま》に石をのせ、船の中はかぐらさん[#「かぐらさん」に傍点]と称する轆轤仕掛《ろくろじかけ》の捲車《まきぐるま》を組み立て、綱をひいて運びこむ。
石船に乗せる石は、一個か二個だ。それを大綱に結んでまた空船《からぶね》がとりかこみ、万一にそなえている。
三千|艘《そう》の石船が、月に二回の割で伊豆と往復して石を運んだというから、日に二百艘が江戸湾にはいって来たことになる。
陸に揚げるだんどり、またそれを運ぶ騒ぎも同様だ。
左兵衛と伽羅が見物に出かけたのはそれであった。
右の労役は、むろん上杉家も免れない。――で、ちょうど上杉家の石船が、江戸家老千坂対馬守宰領のもとに帰って来るというので、二人は見物にいったのだが、師走の月には珍しい暖かな日のせいもあった。
船は日比谷の海にはいって来る。家康入国当時のいちめんの入江は、ようやく大部分埋めたてられたが、なお一部に入江の地形は残している。
二月《ふたつき》半ほど前、八丈島から左兵衛が帰って来た場所とはむろんちがうけれど、いまはともかく夫婦《めおと》となって、同じ日比谷の入江に打ち連れてゆく二人の胸中には、どんな感慨があったろうか。
両人とも駕籠で、供は十人ばかりであった。
やがて現場についたが、船着場などにはとうてい近づけたものではない。
そこで、そこを見下ろす小高い場所へいって、二人は駕籠から出た。――
「おう、これは!」
左兵衛は珍しく感嘆のさけびをあげて、眼下の壮観――何千人とも知れぬ人足たちが、無数の太い綱を曳《ひ》いている光景を眺めわたした。
船着場の石船からは、いまや巨石が揚げられつつあり、沖には次から次への船影が霞《かす》んで見えるが、どれが上杉家の船かわからない。
「ほんとうに、これは大変!」
伽羅も、童女のように眼をかがやかせた。
で、二人は、背後からもう一つの行列が近づいて、やはり二挺の駕籠が下ろされたのを、しばし気がつかなかった。
それは三十人余りの行列であった。
そして二挺の駕籠から現われたのは、やはり大身《たいしん》らしい若い男女で、こちらとは十|間《けん》ばかり離れた場所で、同様に足もとのスペクタクルを眺めている。
が、そこに働いていた人足たちも、また逆に見あげて、いっせいに顔を交互に動かした。師走というのに、みんな裸虫だ。
がやがやという蜂《はち》のうなりみたいな声が起った。そのときは何をどよめいているのかわからなかったが、このよく似た二組の男女を見くらべて、どっちが鑑賞にたえるか、綱引きのあいまの物議を交わしていたらしい。
「ようよう御両人!」
だれだかわからない群衆の中の口をいいことに、そんなかん高い声が飛んで来た。
「見たとこ、同じようだが、よく見りゃ大ちがいだなあ」
「まるで、月とすっぽん!」
「こっちはまたえらいべっぴんだが、あっちは馬が姫君の衣裳《いしよう》を着たようだ」
「馬の姫君か。わははははは!」
笑い声の渦へ、遠くから監督の侍が、制止するため鞭《むち》をふりながら駈《か》けて来るのが見えた。
――人足たちが月といったのが伽羅であったことはいうまでもない。冬の蒼空《あおぞら》の下に浮かびあがった伽羅は、彼らの眼には月というより氷の太陽のように見えたにちがいない。
そのちょっと前から、伽羅も、もう一方の組に気がついている。
「……あれは、どなたさまじゃえ?」
と、彼女は、そばの草履《ぞうり》取りの勝蔵に聞いた。
「へえ、紋からすると福島で。……」
と、勝蔵は首をひねって、
「すると、あの殿さまは、年ばえからして福島家のあととり、刑部さまでござりますかなあ」
と、いい、さらに、
「こりゃ大変だ。あれが福島刑部さまだとすると、旦那《だんな》のほうよりあの姫君、いや奥方は、たしか大御所さまの姪御《めいご》さまでござりますぜ」
と、つぶやいた。
「ほう、大御所さまの」
「たしか、満天《まんてん》という、へんな名のかたで……してみると、福島家の石船も来たようでござりますな」
そのとき、石のように立っていたその福島刑部らしい男が、何かそばの老臣にいい、老臣がこちらに近づいてから、自分もつかつか歩き出した。
老臣がそばに来て、声をかけて来た。
「どこの御家中《ごかちゆう》か存ぜぬが、あそこにおわすは福島刑部|正之《まさゆき》さま御夫妻でござるが」
果せるかな、その通りであった。
「石船を御覧になるには、そこのほうが見よいようじゃ。その場所を譲って下されぬか?」
そこへ、福島刑部もやって来た。たくましい、が、いかにも癇癖《かんぺき》の強そうな若殿であった。
「上杉の直江と見たはひがめか」
と、横柄《おうへい》に呼びかけ、
「ほう、これが話に聞いた直江の娘と、大谷の倅《せがれ》か」
と、見くらべた眼に、こちらが、はてな、と思うほどの敵愾《てきがい》の色があった。吐き出すようにいった。
「ふうむ。……かつては大御所さまに弓ひいたやつらの倅、娘ども、それがいま大御所さまのおんために石を運び、それを臆面《おくめん》もなく見物に来おったか」
あまりの憎まれ口にあっけにとられ、一息しんとなった直江家のかたまりの中から、
「けっ」
と、鶏みたいな声があがった。
草履取りの三宝寺勝蔵であった。
「昔、太閤さまの御恩で、尾張の桶屋《おけや》の小倅から大名にまでとりたてられた福島が、いま大御所さまの石運び。……そっちのほうが、よっぽどみっともねえや! なあ、そうは思わねえか、みなの衆。……」
[#改ページ]
佐助と呼ばれた男
石引き見物に来ていた直江新夫妻を見て、福島刑部がいいがかりに近い雑言《ぞうごん》を吐いたのにはわけがある。
福島刑部正之。――福島正則のあととりであるが、実は実子ではなく、甥《おい》である。
正則にはべつに正勝《まさかつ》という実子がある。実子があるのになぜ甥をあととりとしたかというと、徳川の強引な閨閥《けいばつ》政策によるものだ。
家康は、およそ自分に血縁ある子女をことごとく重立った大名に結びつけたが、これもその一例である。とくに家康は、福島正則を危険視していた。
家康の異父弟に松《まつ》 平《だいら》 因幡守康元《いなばのかみやすもと》という人物があり、それに満天という娘があった。つまり家康にとっては姪にあたる。これを家康は自分の養女として、福島正則の甥の正之に輿入《こしい》れさせ、しかも正之を福島の相続者にすることを命じた。
実子の正勝はそのころまだ少年で、満天姫と結びつけることは不可能であったし、だいいちだれにしろ、徳川家の娘を正勝の妻とするということに、当時正則父子は迷惑顔をかくさなかった。彼らは豊臣恩顧の家という義理や面子《メンツ》にとらわれていたのである。
そこへ甥の正之が、自分から本多佐渡に運動して、満天姫を頂戴した。大御所の養女は、公式にはあくまで娘である。で、妻とした大御所の姫君を盾《たて》にして、正之は有無《うむ》をいわさず福島家のあととりという地位についてしまった。
福島家における彼の地位を守るのは、ただ妻の満天姫であった。――だから、彼は全然妻に頭があがらない。
そこへ、先だって父の正則が直江家の祝言に呼ばれて、さて帰邸していうには、
「いや、あのような美しい花嫁を見たことはない。いままで米沢におったというのでいたしかたはないが、江戸におれば正勝の嫁にもらいたいところじゃった。……花嫁にもいろいろあるが、あの婿どのは果報者じゃ」
ただ心からなる感嘆の土産《みやげ》話で、この場合、正則に他意はなかったのかも知れない。
しかし、たまたまそれを聞いた満天姫が、すっと立って、書院の外へ出ていった。突如、凄《すさ》まじい泣声が起り、それが鯨《くじら》の遠吠《とおぼ》えみたいに遠ざかってゆくのを、がばと立ちあがった正之が、あわててそれを追っかけていった。……
満天姫は、それを正則のあてこすり[#「あてこすり」に傍点]と受けとめたのである。
それも道理だ。――皮肉をいうどころではない。正則はかつて公然とこんな言葉を吐いたこともある。
「正之は、馬の威をかる狐じゃな」
彼女は、馬みたいに長くて大きな顔をしていたのである。
正則は、徳川の横ぐるまで、大御所の娘を妻とした甥を後継者にしたことが不平でたまらないのだ。しかし、それを拒否すれば、福島家そのものが保証されないことを彼はよく承知していた。
だから、歯をくいしばってその方針に従ったのだが、豪勇をもって天下に知られた男だけに、自分のその屈従がいきどおろしく、内攻のあげくしばしばそれが爆発する。
もともと大酒飲みではあったのだが、この婚姻のこと以来、酒乱の相をおびるようになり――のちに福島家が改易になったとき、「酒狂」という罪名をつけられるまでになった。
刑部正之のほうは、そんなことをやるくらいだから、甚《はなは》だ強剛な性格の男にちがいないが、伯父《おじ》の――いや、いまは父の正則の酒乱の原因が自分にあることをよく知っているから、日常必ずしも愉快ではなく、それでこれまた酒乱状態にあることが多い。――
彼の守り本尊は、ただ妻の満天姫だけだ。これあるかぎり、父の正則も、どうすることも出来ない。
その妻が、いま石引きの人足たちに辱《はずかし》められた。
いつぞや正則が、皮肉な比較をしたとしか思えないほどほめたたえた相手がげんにそこに来ている。あのとき満天が顔色変えて腹をたてた記憶はまだなまなましく残っているのに、いやしき人足どもが、
「まるで、月とすっぽん!」
「こっちはえらいべっぴんだが、あっちは馬の姫君のようだぞ」
じゃと?
その馬のような顔が土気色になったのを見て正之は、これは捨ててはおけぬと狼狽《ろうばい》し、怒りの捌《は》け口を直江の一行に向けて文句をつけに来たが、さらにその草履取りらしい男からまで、
「太閤さまの御恩で桶屋から成り上った福島が、いま大御所さまの石運びとは醜態もきわまる」
と、こんどは福島家自身にまで侮辱を受けた。
自分が先に浴びせた雑言のほうは棚にあげ、福島刑部は満面を朱に染めて、
「こやつ、下郎の分際で、ぶ、ぶ、無礼なっ」
絶叫すると、腰の刀を抜き討ちに、狂ったように勝蔵に斬りつけた。
そのからだが、つんのめっていった。勝蔵がこれをかわしたのである。危うく踏みとどまり、ふりむいた刑部の血相に、何やらグシャリと飛び散ったものがある。
「あっ、ぷっ」
夢中で片手でぬぐうのに、
「馬糞《まぐそ》だ」
と、勝蔵は口をほっぺたに移して笑った。
「お前さんの奥方もそんなやつをやるだろう」
福島家の人間より、直江家の供のほうが眼と耳を疑った。
この三宝寺勝蔵という伽羅の草履取り、ヒョットコみたいな顔をして、いつもニヤニヤして、もとからどこか変なところのある男ではあったが、こんな大《だい》それたことをやってのけるやつとまでは思わなかった。
いや、先日この勝蔵が本多家の中間《ちゆうげん》を一人刺し殺したという事件を起して、びっくり仰天はしたが、いままたこんな途方もないことを仕出《しで》かそうとは!
しかも、いま見せた妙技は何だろう?
直江家の供侍や中間たちは、その伽羅の草履取りがただものでないことを、はじめてその眼で見て思い知らされたが――しかし、いま、勝蔵のことなんか気にかけていられない。
「こやつ。――」
福島刑部は眼を血走らせて、なお二度、三度斬りつけたが、そのたびに、ヒョイ、ヒョイと身をかわされてキリキリ舞いし、突如、狂ったように味方にむけてこうさけんだ。
「うぬら、何をしておる。手伝わぬか。――いや、その直江の夫婦、ひっさらって屋敷へ運べ。供はみな斬り捨てて苦しゅうない!」
いままで、茫然《ぼうぜん》としてこの突発事を見まもっていた福島の侍たちは、われに返って、どっと殺到して来て伽羅と左兵衛をとりかこんだ。すでに抜刀したやつもある。
直江家の侍や中間は、左兵衛と伽羅をつつんで、いっせいに刀のつかに手をかけたが、こちらはせいぜい十人、福島勢は三十人を越えている。
「これ、手向うと、あの通りだ。動くな」
草履取りを持て余していた刑部は、歯をむき出した。いかにも、敏捷《びんしよう》な相手は、向うの光景を見て立ちすくんでいる。
「下郎、そこへ直れ」
「よし来た」
三宝寺勝蔵は変な返事をした。
そこへ神妙にうずくまるのかと思ったら、猛然と寄って来た。あわてて斬りつけた刀は、まるで風を切ったように流れ、利腕《ききうで》をとられたかと思うと、その刀もぐいともぎとられてしまった。
あっというまに、その刀を逆にピタリと頸筋《くびすじ》にあてて、
「やいっ」
と、三宝寺勝蔵は吼《ほ》えた。
「福島の雑魚《ざこ》ども、こっちを見ろ、めったなことをしやがると、うぬらの主人の命はねえぞ!」
「こ、これ、何をする?」
尻《しり》もちをついたのは、さっきやって来た福島の老臣だ。
すると、向うに残った満天姫のそばに立っていた一人の侍が、どす、どす、と地ひびきするような足どりで歩いて来た。巨漢だ。背は二メートルに近かろう。
身体の大きさも化物《ばけもの》じみているが、まるで金剛《こんごう》力士のような迫力が全身から放たれている。地ひびきするような足音に聞えたのは、その印象のせいかも知れない。年は五十半ばと見えたが、老いのかげはみじんもない。
それが近づいて来るのを見て、
「あっ……才蔵!」
と、刑部は絶叫した。
「助けてくれ、こやつを誅戮《ちゆうりく》してくれ!」
「やい、それ以上近づくな。この刀が見えねえか?」
ただものならずと見たか、三宝寺勝蔵もわめいた。
才蔵と呼ばれた男は、二|間《けん》ばかり離れたところで立ちどまった。
「これ、才蔵、怯《おく》れたか、福島の可児《かに》才蔵ともあろう者が。――」
さけぶ刑部に、
「あまりに愚かしいことをなされた罰《ばち》でござる」
と、可児才蔵は吐き出すようにいった。
これは福島家に笹《ささ》の才蔵ありと知られた大豪の士であった。
戦場で敵を討ちとるたびに、その首が多いのでいちいち首を取る手間を惜しみ、いつも笹を携えて、自分の斃《たお》した屍骸《しがい》の口の中に一枚ずつその葉をおしこんで証拠とした――というところから来た異名だ。
それから彼は、爛《らん》とした大きな眼を勝蔵へ向けて、
「先刻から見ておるのじゃが……はて、うぬは、どこかで見たような」
と、つぶやき、首をひねった。
「直江家ではない。たしか、よそで見た。……それが、どこであったか、どうにも思い出せぬが……これ、うぬの名は何という?」
「けっ」
三宝寺勝蔵は、また鶏みたいな声を出してさけんだ。
「こいつは返してやるから、落着いて考えやがれ!」
どんと刑部をつき離し、刑部が二間もよろめいていって、可児才蔵の腕の中へ倒れこむのを見すましもせず、勝蔵は脱兎《だつと》のごとく伽羅たちのほうへ駈け戻っていった。
殺気を孕《はら》んでとりかこんでいた福島勢も、あまり無造作《むぞうさ》にすっ飛んで来たその男に度胆《どぎも》をぬかれて、あわてて、四、五人飛びのいた間を、勝蔵は駈けこみ、いきなり伽羅を横抱きにした。
「若殿、おあとはよろしく願いますぜ!」
さけぶと、そのまま、また福島勢のすきを抜けて、トトトト……と、丘を駈け下っていった。
伽羅の背と、そんなにちがわない小男なのに、どこにそんな力があったのか、もしくは何かの術を心得ているのか、女体を一つ抱きかかえて、風のような疾《はや》さであった。――いや、まさにいまの行動は、一陣の魔風が吹き過ぎたとしか思えない。
彼は丘の下に駈け下りると、そこを馬子にひかれて歩いていた、四、五頭の駄馬の、その一頭の手綱をひったくった。と、見るや、伽羅もろともヒラリと打ち乗り、そのまま砂塵《さじん》をあげて走り去った。
これには当の馬子たちも、近くの人足らも唖然《あぜん》として見送るばかりであったから、丘の上の敵味方はいよいよあっけにとられて見下ろしている。……
「あっ、待ってくれ!」
かん高いさけびがあがったのは、その数十秒後であった。
「妻」にとり残された直江左兵衛だ。――彼はあわてて福島侍たちをかき分けて外へ出ようとしたが、こんどはそううまく問屋が下ろさず、このときやっとわれに返った相手方に、
「こっちまで逃げられては困る」
どんとつき返されて、あおむけにひっくり返った。
「あっ、殿!」
数人駈け寄り、また敵へ向って反撃を開始しようとする残りの供侍たちに、
「争うな、手向いするな、あやまれ」
地べたの上で、左兵衛はあわてて制止した。
「こんなことで騒動を起してはならぬ。双方、何もなかったこととして別れよう。それ、あやまれ、あやまれ。……」
金切声でいうと、彼はまっさきに両手をつき、米つきばったみたいに周囲にお辞儀しはじめた。
「まったくじゃ。これ以上、馬鹿げた騒動はすな」
近づいて来た可児才蔵が、苦虫《にがむし》をかみつぶしたように声をかけた。
「いざ、みな、ひきとれ。……」
すると、そのとき鋭い声がした。
「なりません!」
いままで一言の口もきかず、石のようにつっ立っていた満天姫であった。まるで鬼女さながらの形相《ぎようそう》だ――といいたいが、もともと馬面なのだから、いっそう恐ろしかった。
「大御所さまと血のつながる妾《わらわ》ともあろうものが、このような恥辱を受けて……黙ってひきとるわけにはゆかぬ。その直江の男、つかまえて愛宕《あたご》下の屋敷へつれて来やい!」
鞍《くら》もない裸の背に二人を乗せて、馬は駈けに駈ける。
「佐助」
と、伽羅は呼んだ。
彼女をしっかと片手で抱いているのは、三宝寺勝蔵だ。――はて、いま伽羅は何と呼んだ?
「わたしだけ逃げ帰るわけにはゆかぬ。ひき返せ」
伽羅は身もだえした。
「左兵衛どのも連れて来て!」
「いえ、ともかくも、あなたさまだけをお屋敷へお連れいたしましょう」
勝蔵は笑った。
「左兵衛さまはどうなさるか。左兵衛さまを男にする、よい機会ではござりませぬか?」
「それにしても、いっしょに難儀に遭《お》うて、夫だけ残して逃げることは伽羅の恥じゃ」
伽羅ははげしくイヤイヤをした。
「佐助、馬を返せ」
「いえ、どうやら私に向ってキナ臭い鼻をうごめかした豪傑が現われたので、こいつは険呑《けんのん》とあわてて逃げ出して参った次第で――お味方を呼んで来ましょう」
伽羅は黙りこんだ。
桜田の上杉屋敷の門が見えて来た。
「ああ」
と、ふいに伽羅がさけんだ。
「それにしても、こんなことで、上杉と福島の騒動になっては殿にすまぬ。……そうじゃ、佐助、あの四天王にだけ告げて! あの男たちなら、何とか左兵衛どのを救い出して来るでしょう」
「そういたしますか。心得てござりまする」
門前で、馬から下りると、三宝寺勝蔵だけが、侍長屋に走っていった。
まず飛び込んだのは、前田ヒョット斎のところだ。
――以上の一大事のなりゆきを、みなまで聞かずヒョット斎は長押《なげし》の槍《やり》をひっつかんだが、首をかしげて、
「左内と主水はおらんぞ。左内は麻雀、主水はたしか大川へ釣《つり》にいったはずじゃ。丹波はおるだろうが……しかし、あいつにはいうな。おれ一人でいい」
と、いった。
しかし、勝蔵は丹波の長屋へ走った。
「いけません!」
これまたみなまで聞かず、がばと身を起した丹波の前に立ちふさがったのは、女房の小波であった。
「おとといも前田どのが、お家の一大事だなどといってあなたを連れ出しに来て、結局、遊びにゆく誘いだったではありませんか。また嘘《うそ》にきまっています。あなたは、わたしがいいというまで、当分外に出ることは許しません!」
あれ以来、車丹波は謹慎を命じられていると見える。いちどヒョット斎を使って、小波をだまして出かけようとしたが、まんまとしくじったと見える。――
[#改ページ]
しょうべん献上
「ばかっ」
と、車丹波は吼《ほ》えた。
「左兵衛さまが危ういと聞いて、ここに立往生しておられるか!」
「あなたは、左兵衛さまより、伽羅さまのお頼みだからそんなにあわてるのでしょう……」
小波は、口をゆがめていう。
「あなたは、伽羅さまにかかわりのあることだと、眼の色が変りますね」
小波は、よく見ぬいている。これは、ほんとうだ。
「この場合に、何を変なやきもちをやいておるか。とくに相手が福島と聞いては、捨ててはおけぬ。福島は、おれの受持ちなのじゃ! その手を離せ、これ、女房っ」
丹波は、妙なことをいった。小波は彼の前に立っているだけだからだ。
入口で、三宝寺勝蔵は、このときはじめて車丹波の妻が、銀の糸みたいなものをつかんでいるのに気がついた。どうやら、細い鎖《くさり》らしい。一方は彼女の首にかかり、一方は丹波の腰のあたりに消えている。相当に長いその鎖の、ちょうどまんなかあたりを小波は握っているのであった。
「待て、勝蔵、いまゆくぞ!」
丹波は駈け出そうとして、突然、「ぎゃお!」と大化猫《おおばけねこ》みたいな声を出して、ひっくり返った。ひっくり返って、七転八倒した。
勝蔵は、眼をぱちくりさせた。何が起ったのか、わからない。
「私の許しを得ないで、お出かけになればこうじゃぞえ」
小波は、手の鎖をあやつる。そのたびに丹波は、また化猫的悲鳴を発してのたうちまわる。……銀の鎖の一端は、彼の腰に消えているが、それがさらにどこかにつながっているらしい。
さすが怪人三宝寺勝蔵も、思いもよらなかった。鎖は丹波の袴《はかま》にあけられた小さな穴を通して、彼の股間《こかん》へ――そして、何と、その睾丸《こうがん》のつけねを緊縛してあるのであった。
もう一方の端は、女房小波の首にかけられて、ネックレスとなっている。その胸もとには、小さな十字架がぶらさがっている。
常人の倍はある彼の睾丸は、かつていちども縮みあがったことがない。どんな場合でもダラリと垂れている。この豪傑たるの特性が、彼のために災《わざわい》をなしたのであった。
だから丹波は、文字通り唯々諾々《いいだくだく》として、女房のあとにくっついて歩くしかない。――夜も、昼も。
むろん、その鎖をひきちぎる気になれば、糸より易しい。しかし――彼女が岡野左内からもらった、その十字架のついた鎖をひきちぎったりなどすれば、そのあと、どういうことになるか、想像するだに身の毛もよだつ。
かくて、女風呂へいった罰と当分の監視をかねて、車丹波は哀れきんたまを女房に縛られている。
「ええ、わからんやつだ。これほどの大事を。……頼む、この鎖をはずしてくれい!」
ころがりまわっての哀願を、小波はヒステリカルにあざ笑い、それから勝蔵をにらんだ。
「丹波どのは、目下謹慎中です。お前の注進が嘘かほんとか知らないが、そう前田さまにお伝えなさい!」
何が何だかわけがわからず、ただめんくらって、三宝寺勝蔵は退却した。
とにかく伽羅さまのところへ報告にゆこうと駈けてゆくと、門へ、朱槍をかいこんだ前田ヒョット斎が地ひびきたてて駈け出してゆくのが見えた。
「前田さま。……車さまは、どうやらさしさわりがあるらしゅうて――」
「だからおれ一人でいいといったではないか。必ず左兵衛さまはとり返して参るゆえ、御安心あれと伽羅さまに申しておけっ」
ヒョット斎は砂塵を蹴立《けた》てて、門を走り出ていった。
はからずも、福島家のほうから接触して来た、といった理由は右のごとくだ。
ただし、それとやり合う矢面《やおもて》に立ったのは、左内のサイコロできまった車丹波でなく、こういうわけでヒョット斎となった。
彼としては、自分の役目が本多一件で完了したと判定されたのが甚《はなは》だ不満であったから、その欲求を満たすチャンスが到来したことに雀躍《じやくやく》して、元来ヒョット斎は、丹波ほど無鉄砲な人間ではないが、そのうれしさの余りに、三人の仲間の助勢も求めず、ただ一人で駈け出すということになった。
勝蔵に教えられた日比谷の船着場に駈けつけて見ると――いない! 福島家の侍たちも、直江家の侍たちも。――
近くの人足に聞くと、福島侍たちは直江一行をとり囲むようにして、先刻引揚げていったという。
前田ヒョット斎は、また韋駄天《いだてん》みたいに駈け出した。ゆくてはもとより愛宕下の福島屋敷だ。
先日、車丹波が、役割がきまって武者ぶるいしたのを「この馬鹿、甲冑《かつちゆう》をつけ、馬にでも乗って福島屋敷に乗り込む気か」と笑ったヒョット斎だが、その当人が、馬にも乗らず鎧《よろい》も着けず、ただ一人でそこへ乗り込むということになったのであった。
愛宕下の福島屋敷へ、直江家の供侍たちが連れられていってしまったのは、人数が三分の一だという弱味のせいではない。
騒げば、主人の左兵衛の身に危険が及びそうなのと、その左兵衛が、「手向いするな! あやまれ! あやまれ!」と金切声でさけびたててやまなかったからだ。
福島屋敷では、主人の正則は加藤家を訪問中で不在であった。それがまた悪い目に出たといえるかも知れない。
門をはいってすぐ右の奥に、廐《うまや》がならび、その前がちょっとした広場になっている。
そこに直江主従は、さらに新たに加わった福島侍たちの大群に包囲された。
「……なんじゃ?」
「何事が起ったのじゃ?」
槍をかかえて飛び出した者もいる。
屋敷にいた侍たちは、帰って来た連中から事情を聞いて、むろん大半は怒り出したが、少数ながら眉《まゆ》をひそめた者がある。中には、笑い出そうとした者もある。
笑いかけた者は、直江の下郎に若殿の刑部さまが馬糞《まぐそ》を顔にたたきつけられ、
「お前さんの奥方もそんなやつをやるだろう」とやられたという話に、心中、
「なるほど、うまいことをいう」と考えたからであり、眉をひそめた者は、それにしても直江家の婿どのをさらって来て、いったいどうする気だ? と心配になったからであった。
が、そんな連中も、向うに立った刑部正之とその奥方を見ては、水を浴びたような思いになった。
夫の刑部は、妻の満天に何やら話しかけている。満天のほうは、じっと直江一党のほうを眺めている。その馬のような顔が、可笑《おか》しいどころか、ぞっとするほど凄《すさ》まじく、しきりに話しかける刑部のほうが恐怖しているように見えた。
やがて彼は、つかつかと左兵衛たちの前へ歩いて来た。
「直江の者ども」
と、呼びかけた。
「だれでもよい、逃げた直江の娘と下郎を呼んで来い」
ひとかたまりになった直江の侍たちで、動く者はない。
「さっき下郎の申した雑言《ぞうごん》、おれへの所業を知らぬとはいわせぬ。直江左兵衛――と申すか、見るからにすッ頓狂《とんきよう》なへっぽこ婿、それがいくら謝まったところで腹が癒《い》えぬ。あの下郎を連れて参れ。またその下郎のみでは不承知じゃ。伽羅とやらも連れて来い」
と、歯ぎしりしながらいった。
「さもなくば、それ相応の恥を酬《むく》いてくれる。……左兵衛めを馬糞責めにしてくれるぞ」
それから、福島侍のほうに呼ばわった。
「これ、みな廐へいってな、あらんかぎりのかいば[#「かいば」に傍点]桶《おけ》に馬糞をいれて参れ」
みんな、ちょっとためらい、すぐに厩のほうへ駈けていった。
「おい、直江の者ども、これから左兵衛を馬糞だらけにしてくれるぞ。かりにも直江山城の婿がそんな目にあったと天下に知られてよいか。それを、あっけらかんと見のがしておったと知られてよいか。――いやだというなら、伽羅と下郎を呼んで来い!」
凄まじい凶相になって、
「それとも、手向いするなら、やれ。それ、一同、用意せい!」
下知《げぢ》したのは、むろん福島侍に向ってだ。直江主従を包囲した福島侍たちは、いっせいに抜刀し、槍を横にした。
「いけない、手向いするな!」
左兵衛は仰天して周囲を見まわし、また背後の家来たちに両手をふった。
「みな、坐れ、土下座してあやまれ……」
それから、ヒョロヒョロと刑部の前へ歩いて来た。
「甚だ申しわけござらぬが……お怒りはごもっともながら、妻は呼べませぬ。また下郎の罪は主人の罪、罪は拙者が受ける。いかようなりとも、どうか、拙者に――」
米つきばったのごとくお辞儀した。
「よしっ」
福島刑部は痙笑《けいしよう》を浮かべてうなずいて、身を離した。まわりに、かいば[#「かいば」に傍点]桶をかかえた何十人かの侍や足軽が戻って来たのを見てである。そして、さけんだ。
「それを、この男に投げろ。手づかみで投げて、糞まみれにしてやれ……」
「馬鹿なことはよせ!」
だれかいった。低いが、ずうんと腹までひびくような声であった。
いままで、黙って、腕ぐみをして立っていた可児才蔵であった。愛宕|権現《ごんげん》を信仰すること深く、その再来かともいわれる魁偉《かいい》な顔が、にがり切っている。
むろん侍たちを叱咤《しつた》したのだが、たまりかねたように刑部のほうへもむきなおって、
「もう、いいかげんになさらぬか。……」
と、いった。
すると、向うで、これまたいままで黙っていた満天姫が、しゃがれ声でいった。
「才蔵。……その昔、長久手で関白どのを見殺しにして太閤さまから追放され、やっとのことで福島に拾われたという笹の才蔵、こんどはまた福島の蒙《こうむ》った恥を見殺しにする気か。――」
可児才蔵は、山門の仁王《におう》みたいに赤くなり、動かなくなった。
「それ馬糞責めにしてやりゃい!」
と、この大御所さまの姫君は、あまり大御所さまの姫君らしからぬ言葉を口にした。もっとも、さっきからの刑部の指図は、彼女自身の意図から発していることは明らかだ。
「いえ、ただ糞を投げるだけではあき足りぬ。左兵衛に糞を喰わしてやりゃいの!」
と、馬みたいにいなないたとき、門のほうで、わっという声がした。
「名は知っておるだろう、音にも聞け」
悲鳴を圧する大音声《だいおんじよう》であった。
「前田慶次郎|利太《とします》推参」
名乗る前に、門番たちをいきなり朱槍で払いのけたのは、むろんすぐ右側の広場に雲集している人数を見たからだ。そこに主人の左兵衛さまたちがいるにちがいない。いや、げんに彼は、「左兵衛に糞を喰わしてやりゃいの!」というかん高い声を聞いた。
前田慶次郎。
本人が威張った通り、侍で、その勇名を知らない者はない。
あっとさけんで飛びのく者が多かったが、それでも、こちらも音に聞えた福島正則の家来たちが、一瞬ののち、
「前田は直江の家来だぞっ」
「そこ通らすなっ」
わめいて、猛然と馳《は》せ寄って来た者もある。
朱槍がひらめき、数人がもんどり打って、はね飛ばされた。突いたのではない。ヒョット斎は槍の柄でたたきなぐったのである。が、それだけで、骨でも折られたと見えて、倒れた者で立ちあがる者もなかった。
それと見て、周囲の福島侍たちは嵐《あらし》のような叫喚をあげ、すべてが豪刀を抜きつれた。
すでに百人を超えて見える。いかに前田ヒョット斎勇猛なりとはいえ、ただ一人で乗り込んで来て、この人数に包囲されてはいかんともしがたいのではないか――。
彼は、ちらっと左兵衛を見たようであった。また福島刑部と満天姫に眼をやったようであった。
が、このとき彼は立ちどまり、槍の石突きを地面につき立てた。そして、手ぶらになって、袴の一方の裾《すそ》をまくりあげた。
――はて、何をするのか?
この場合に――この場合だけに、みなの血相がいっせいにいぶかしみの表情に変った。
ヒョット斎は男根をつかみ出した。例の、彼をして女性を愛することをあきらめさせた大巨根を。
と、見るや、彼は足もとに打ち倒れている、二、三人に、ジャーッと小便をひっかけ出したのである。それは、とうてい小便とは思われない滝のような凄まじさであった。
それが突如、まるで栓でもしたようにぴたっととまった。
人の小便を、百何十人かの人間が、あっけにとられた顔をつき出して眺めいっている光景も馬鹿げているが、それが突然停止したので、さらに狐につままれたようにまばたきした。
そのまばたきがまだとまらないうちに、ヒョット斎は槍をひっつかみ、一|間《けん》ずつを飛んで、福島刑部の前に立った。まったく、あっというまの出来事であった。
夢から醒《さ》めたように愕然《がくぜん》として、身をひるがえそうとした刑部の胸もとに、槍の穂はずいとのびた。
「ちょいとお待ち」
と、ヒョット斎はいって、槍は右手につかんだまま、また左手で男根をつかみ出した。
「小便のつづき」
と、いうや否や、そこからまた滝のような液体が、こんどは宙天に向って――いや、福島刑部の顔をめがけて盛大に浴びせかけられた。
「前田慶次郎、恒例の献上物でござる」
小便がまた栓をしたようにとまった。が、刑部は顔を覆ったまま、あまりのことに、声も出ない。
「いや、戦場でな、討ち取った敵に小便をひっかけるのが拙者のきまりじゃが、一人にぜんぶやってはあとがつづかない。そこで、こんな芸を覚えた。まるで犬のようでござるがな。――あははははは!」
ヒョット斎は、うしろをふりむいて呼ばわった。
「さ、ゆかれい。――あとは、拙者にまかされい」
味方の直江衆に向ってである。――左兵衛たちが歩きかけると、われに返ったように福島方がどっと動いた。
「動くな! 動くと、この槍が刑部どのを串刺《くしざ》しにするぞ」
雷《らい》の一喝に、金縛りになった福島勢の前を、直江一党は引揚げてゆく。
「才蔵!」
満天姫が、ひきつったような声を出した。
「あれをのがす気か、可児才蔵、お前は福島家の家来ではないのか。――こういう日のために、正則どのがお前を召抱えられたのではないか、何をしておる、笹の才蔵!」
槍を刑部につきつけたまま、前田ヒョット斎は眼を移して、福島侍の前に仁王然とつっ立った可児才蔵の姿を見やった。
二人の眼は合った。
いずれも天下に、さる者ありと聞えた大豪の眼が。――斃《たお》した敵に、一方は小便をひっかけ、一方は屍体《したい》の口に笹をおしこむという猛者《もさ》同士の眼が。ただ、体格雄偉なヒョット斎が、才蔵と相対すると小さく見える。
[#改ページ]
笹の才蔵
「その昔、長久手で関白どのを見殺しにして太閤さまから追放され、やっとのことで福島家に拾われたという可児《かに》才蔵」
と、満天姫から罵《ののし》られた可児才蔵、それは次のような話だ。
秀吉と家康が戦った小牧《こまき》長久手の役《えき》、これは羽柴《はしば》方の猛将|池田勝《いけだしよう》 入斎《にゆうさい》が、ひそかに徳川軍の背後へぬけて一挙に敵の本拠三河を衝《つ》こうとしたが、炯眼《けいがん》な家康に探知され、逆に包囲されて全滅状態におちいった戦いであったが。――
このとき秀吉は、甥《おい》の秀次《ひでつぐ》を勝入斎につけていた。
ところが、その勝入斎でさえ討ちとられるほどの敗軍を喫して、若い秀次は狂乱状態におちいった。乱軍の中に彼は馬さえ失い、こけつまろびつ、さまよって、
「馬くれえ、馬くれえ」
と、血まなこでさけんだ。
すると、潰走《かいそう》する味方の中に、一騎だけ堂々と立ちどまって、じっと彼を見まもっていた武者がある。しかも、そばにもう一頭|空馬《からうま》を曳《ひ》いている。それをだれかと知って、秀次は、
「おおっ、才蔵か。その馬貸せ!」
と、駈《か》け寄った。それは先年召しかかえて、勇猛天下に聞えた可児才蔵その人であったからだ。
もう一頭の馬は、才蔵があまりの巨体であったため、すぐに乗馬がへたばるので、いつも予備としてつれて歩いている馬であった。
すると、相手は面頬《めんぽお》の中から、
「雨夜《あまよ》の傘《かさ》にて候」
と、吐き出すようにいったなり、その馬を曳いてそこを駈け去ってしまった。
この敗戦の中で、人に馬など貸せるものか、という意味だ。
これが、あとで問題になった。なにしろ秀次|麾下《きか》で第一の豪傑と目《もく》された男が、不用の馬も与えず秀次を放り出していってしまったというのだから当然だ。
秀吉がこの件でにがり切っている、と聞いた才蔵は、そのままみずから秀次のもとを去った。べつに追放されたわけではないが、実質的にはそれと同様の運命になったことになる。
ところが、福島正則がその剛勇ぶりを惜しんで、秀吉の顔色をかえりみず、高禄《こうろく》をもってこれを召しかかえた――といういきさつがあったのだ。
なぜ才蔵が、長久手でそんな所業をしたか、というと、あの場合自分が馬を持っていて防戦に従ったほうが有効である、と判断したこともあったが、それより、いかに敗れたにせよ、主将格たる秀次の醜態ぶりがにがにがしく、見ていてがまんがなりかねたからだ。忠不忠の倫理以前に、武士としての感覚の問題であった。
とはいえ、彼の立場としては、いかに他から非難されてもやむを得ないことはたしかであった。
福島家に拾われたのに感激したのか、あるいは右の汚名回復のためか、関ケ原の役《えき》では――むろん福島正則は東軍として参加した――なんと、十七人の敵を斃《たお》すという超人的な働きをして、家康を驚嘆させた。その屍骸《しがい》の口に笹《ささ》の葉をいれたことはいうまでもない。
その笹の才蔵が、いま、
「おい、笹をとって来てくれ」
と、そばの福島侍に命じ、その男が持っていた大身《おおみ》の槍《やり》をぐいとひったくった。そして、小山のゆるぎ出したように、のっし、のっしと歩いて来たが、その槍は立てたままで、
「いよう、これは若殿」
と、髯《ひげ》の中から大きな歯を見せた。
若殿と呼びかける相手は、この場合刑部正之しかいないはずだが、それにしては妙な挨拶《あいさつ》だ。
「やあ、久しいな才蔵。息災のようでめでたい」
答えたのは、なんと中年の入道前田ヒョット斎であった。
福島方は、刑部をもふくめて、大半、眼をぱちくりさせたが、中で、あっと気がついて眼をむいた者もある。すなわち、彼らは、はじめてこの可児才蔵が秀次に仕える以前に加賀の前田家の家臣であったことを思い出したのである。右の長久手の役でさえ、もう四半世紀の昔のことだから、そんな古い履歴を忘れていた者、知らなかった者が多かったのも無理はない。
……そもそも才蔵が、なぜ前田家を去ったかというと、例の賤《しず》ケ岳《たけ》のいくさ前後における主君前田利家の煮え切らぬふるまいがかん[#「かん」に傍点]にさわったからだ。そのとき前田は柴田勝家《しばたかついえ》の友軍であったはずなのだが、その勝家に対して首吊《くびつ》りの足をひっぱるような行動をした。
前田が柴田の友軍であったのは織田軍編制上のことに過ぎず、また利家も生き残るためのやむを得ない行為であったにはちがいないが、とにかく才蔵はそれが気にいらなかった。そこで、勝ちに乗る羽柴軍に一発鉄砲をくらわせ、愕然《がくぜん》とする利家をしりめに悠々《ゆうゆう》と退身した。
その才蔵が、こんどは秀吉の甥の秀次に仕えたのは矛盾しているようだが、当時戦国の世にあっては、さして珍しいことではない。忠臣二君にまみえず、などいう道徳は、終身雇用制の完成した徳川期にはいってからのことで、そのころは、気にくわなければ家来のほうから主君を見捨てる。そこでまったく裸の自分の値打ちで新しい奉公先を見つける、というのが一つの習いであったからだ。
――ヒョット斎がその通りだ。
彼もまた同様に、娘を秀吉の側妾《そばめ》に捧《ささ》げた伯父利家にむかっ腹をたてて、前田家を飛び出し、上杉家に仕えた男だ。
実は、ほんとうをいうと、彼は才蔵に学んだのである。
両者には十何歳かの差があり、才蔵が前田家を退身したとき、利太はまだ十代の少年であったが、そのころから利太は、戦場で敵を斃すと、首をとる手間を惜しんで笹をくわえさせて次なる敵に駈け向うというこの巨大な勇士を尊敬し、また才蔵も、当時から天衣無縫《てんいむほう》の大|腕白《わんぱく》であった利太を可愛がった。
――のちに利太が、斃した敵に小便をひっかけるということをやり出したのは、それもこの大先輩の笹の武勇伝を真似《まね》て、さらに徹底させたものであったのだ。
つまり笹の才蔵は、前田慶次郎にとって、さむらいとしてのすべての生き方において一つの典型だったのである。
百人を超える福島侍の包囲の中で、二人は悠然と話をしている。
「若殿。……いや、お名前を承わらねば、まるで別人、あの美少年が、これはまた大入道と相成られ――」
「驚いているのは、こっちのほうだ。おぬし、何十年たっても、ちっとも変らんではないか」
一方は、関ケ原で東軍に属する福島家の勇将として戦い、一方は徳川に敵対する直江山城麾下の猛者《もさ》として戦い、戦国の屍山血河《しざんけつか》をへだてること三十年にちかく。――
「しかし、あなたはよい御主人を持たれた」
「直江山城どののことか?」
ヒョット斎は胸を張った。
「おれも、そう思う」
「実にあのおかたは、大変な人物でござるな」
「いまさら、何をいうか」
「いや、これまでのことではござらん。これからも、あのかたは、途方もないことをやられるぞ」
ヒョット斎は、ちょっとまばたきした。
彼はたしかに山城に期待している。しかし、関ケ原で運命決して十年、あの人がこれから何をやるのか、まったく見当がつかない。それをこの笹の才蔵は、何を根拠にそんなことをいうのか?
「山城守さまが、何をやられるな?」
「それは、拙者にも相わからんが」
「では、なぜ、そんなことをいう?」
「途方もない人間を飼っておられるからでござるよ」
「はて、だれを?」
「若殿などがそのよい見本、聞くところによると、ほかにも岡野左内、車丹波守、上泉泰綱などを召しかかえておられるそうでござるな」
「それは、関ケ原以前からのことだ」
「それにもう一人。……先刻、船着場ではからずも見つけて驚きいった」
「えっ、だれのことじゃ」
「そのときは、どうしても思い出せず、あとになって膝《ひざ》をたたき、ウームと唸《うな》った次第じゃが」
「左兵衛さまのことか」
「いや、あのかたの素性は承わっておる。おや、してみると若殿は御承知ではないな?」
そのとき、左兵衛が突然呼びかけた。
「これ、ヒョット斎、おいとましようではないか――」
それまで左兵衛たちは、門に近づいていたのである。むろん門のあたりにも福島侍のむれは立ちはだかっていたが、可児才蔵と前田ヒョット斎の意外な交歓ぶりに、あっけにとられている風であったから、彼らがそこを突破しようと思えば出来たであろうに、それをやらず、彼らもまたそこにぽかんとかたまっていたのである。
それどころか、左兵衛にいたってはノコノコとひき返して来て、いまそんなのんきな声をかけて来た。――
われに返ったのは、だれよりも福島刑部だ。
「才蔵、何をしておるか、こ、この槍を」
と、右の問答の間も、ヒョット斎が片手につかんで、自分ののどぶえから離さぬ槍の穂に眼をやって、
「何とかしろっ」
と、絶叫した。
「まだ、笹が参らぬ」
可児才蔵は答えた。
敵を討つと、その口中に笹をいれるのを習いとする可児才蔵、その彼がこんなことをいったのは、その死の笹をこれからヒョット斎の口にいれるつもりであることの宣言だろうか。それとも、この男は、笹を見ないと戦う元気が出ないとでもいうのであろうか。
「ゆかれえ」
と、ヒョット斎が左兵衛にいった。さすがの彼も、この間のぬけた彼の若殿にはにがり切った表情だ。
「若殿、早くゆかれえ」
「若殿、あなたもゆかれえ」
と、才蔵はヒョット斎にいった。
ヒョット斎は、唖然《あぜん》として相手の顔を見た。
右のような問答を交わしながら、彼はここを無事に退散出来るとは毛ほども考えていなかったのである。百人を超える福島侍に包まれて、いくらヒョット斎でも、それほど楽天的ではない。彼はすでに決死の覚悟でいる。そして、同じ討たれるなら、この大先輩に首をやろう、と考えていたのだ。
「早く、ゆかれえ」
才蔵はくり返した。
それから、少年時代の慶次郎を眺めていた眼と同じいとしげなまなざしになって、
「あなたはよい主取りをなされた。わしは、下手《へた》でござった。あなたのほうが上手《うわて》でござったよ……」
と、いった。
その意味はよくわからないなりに、ヒョット斎は、かろく頭を下げた。
「とにかく後日、酒でも飲んで懐旧談をしようぞ。才蔵。……では」
と、はじめて刑部ののどから槍をひき、左兵衛をうながして歩き出した。それから数歩遅れて、可児才蔵も歩く。
「才蔵!」
満天姫がさけんだ。
才蔵とヒョット斎が旧知の縁であったことをはじめて知り、彼女も愕然としたのだが。――
「やっぱり、お前はそんなつもりであったのか。――関白どのを見捨てた才蔵、いままた、あのような――尿《いばり》までかけられるという前代未聞の恥をかかされた主人を見捨て、その曲者《くせもの》を逃す気か!」
彼女は地団駄《じだんだ》踏んだ。足もとから、蹄《ひづめ》の音があがりそうであった。
「ものども、直江一味を門から出しやるな! それ!」
みな、どっと動こうとするのを、
「軽々しゅう騒ぐな!」
才蔵は門の近くに立ちどまって、一喝《いつかつ》した。それは大気にひびがはいるような戦場の声であった。
「福島家の者が打物とって動くときは、この才蔵の采配《さいはい》のもとにせよ――とは、少将さまのかねてよりの御下知であるぞ!」
少将とは主君正則のことだ。その通りであった。正則は才蔵を、福島家には過ぎた大豪だとまたなく重用していたのである。
みな金縛りになっている間に、ヒョット斎も直江一行も、門から外へ出ていってしまった。
「やあ」
と、才蔵がいった。
「それをここへ持って来い」
やっと一|束《たば》の笹をかかえた侍が現われたのである。
しかし、笹の才蔵は、その笹をどうするつもりか?
「敵」が消えてしまった門に、笹の才蔵は一本の笹を横くわえにし、槍を閂《かんぬき》みたいに横たえて仁王《におう》立ちになっていた。それは丈八《じようはち》の蛇矛《だぼう》をもって曹操《そうそう》百万の大軍をにらみ返した長《ちよう》 板《はん》 橋《きよう》の張飛《ちようひ》さながらの姿であった。
怒りのために、満天姫は、実に奇怪なしぐさをした。両こぶしを肩まであげてはそり返るという動作をくり返したのである。それは馬が竿立《さおだ》ちをしているように見えた。
そのあげく、彼女はひっくり返った。ひきつけを起したのである。
小便だらけのまま立ちすくんでいた刑部は、しゃがみこんで、これもひきつけを起したような声をあげた。
そして、やっと妻が眼をひらいたとき、うしろに跫音《あしおと》を聞いた。
可児才蔵が、ノソノソとひき返して来た。すべては完了、といいたげな顔をして。
「才蔵!」
と発狂したように刑部はさけんだ。
「どうする気じゃ!」
「三度、主を見捨てた笹の才蔵」
と、才蔵はみずからいった。笹は右手につかんでいる。
「汚名を千載に残すため、まずはこの通り」
笹を持ったまま、両手で槍の柄をつかむと、びしっと二つに折った。その凄《すさ》まじい力に、みなぎょっとして眼を見張る。
穂のついたほうだけを右手につかむと、もう一方の手で、彼は笹を口に持ってゆき、歯で葉をむしりとり、口にいれ、それからどっかと大地に坐った。まるで大パンダだ。
「ただし――大殿御帰邸の節、申しあげて下され」
と、彼は笑顔でいった。
「才蔵は、きょうのことのみで死ぬのではござらぬ。……才蔵、年をとり、待っておっても何も起りそうになし……これ以上生きておっても、おそらく何の甲斐《かい》もなし、ここで諦《あきら》めて往生しよう、とは、ここ数年考えつづけておったことでござったとな。そこで、みもとに参る、愛宕大権現《あたごだいごんげん》!」
いうや、笹の才蔵は槍の穂を両手につかみ、いっきにのどに突き立てた。
口の中の笹は、彼自身の死首用のものであった。――がっぱと伏したこの大豪を前に、百余人の福島侍はもとより、刑部夫妻も瞳孔《どうこう》をひろげて見まもるばかりであった。
[#改ページ]
駿府傾城町《すんぷけいせいまち》
あまりの意外な結末に、福島家は惨として、あとの始末をどうつけていいか、動く者もない。
そこへ、主人の正則が加藤家から帰邸して、この椿事《ちんじ》を聞き、満面、炎に染まったようになった。笹の才蔵の屍骸《しがい》のそばに立ちつくしている義父のそばへ、刑部も身をふるわせながら寄っていって、
「父上、上杉家へ押しかけて、この恥きっと雪《そそ》ぎ申す!」
と、うめいた。
むろん、正則がその下知《げぢ》を発するものと考えて、家来たちはどっととき[#「とき」に傍点]の声をあげた。
「たわけっ」
正則はつん裂くような声をあげた。その血走った眼は、はたと正之をにらみすえていた。
「聞けば聞くほど、うぬの所業は沙汰《さた》の限り、うぬの蒙《こうむ》った恥辱は、自業自得《じごうじとく》じゃわ!」
歯がみの音さえ聞えた。
「自業自得ならばまだよい。うぬのたわけのおかげで、可児才蔵は死んだ。福島家が天下に誇る豪傑を、うぬは犬死させおった!」
そして彼は、向うにころがったかいば[#「かいば」に傍点]桶《おけ》や馬糞《まぐそ》を眺め、
「もとから馬面《うまづら》の好きなうぬじゃ。うぬこそ馬糞を食って死ね」
と、たたきつけるようにいって、屋敷の中へはいってしまった。
福島刑部は、棒立ちになったまま、やがて妻の満天のほうを見やった。
満天姫の馬面がねじれて、もう動物とも思えない奇怪な顔になった。
「あなた……お父上のお申しつけです。馬糞を食って死になさい」
と、彼女もいって、これまた屋敷へはいっていった。
福島刑部は、それ以来、一室にとじこもった。かいば[#「かいば」に傍点]桶に馬糞を山盛りにして、そこに置かせた。
父の命令通りにしたわけだが、べつにみずから責める心もあってそんなことをしたわけではない。父の――いや、ほんとうは伯父正則と妻へのあてつけ[#「あてつけ」に傍点]のためであった。
正則はむろん、満天も、いちどものぞきに来ない。老臣だけが、おびえた顔で現れた。
「若殿。……お食事をおとりなされねば、おいのちにかかわりまするぞ」
「捨ておけ。そのうち、父上や満天の申した通り、馬糞を食おう」
「何を仰せられる。殿に万一のことがおわしたら、福島家は……」
「そんなことは、父上も御承知の上での御下知であろう。えい、あっちへゆけ!」
正之は、ヤケッパチになっていたのだ。伯父正則の憎悪も彼は肌で感じていたが、妻の無情も骨まで知った。いまやこうして死ぬことが、最大のしっぺ返しであった。
そして、福島刑部正之は、それから十余日後、その年の暮に、ほんとうに餓死してしまったのである。――
それを知りつつ、正則はついに黙視し通した。もともと正之への憎しみがあった上に、勇士笹の才蔵の死は、彼をしておのれを忘れさせた。正之への叱咤《しつた》は、その逆上のためであったが、もうひっこみがつかなかった。福島家を存続させるためにあとつぎにした正之が、やけくそで死んでゆくのを見つつ、こうなると彼も意地になった。
それに正則は、笹の才蔵が最後にいったという――「才蔵、待っておっても、何も起りそうになし、これ以上生きておっても、何の甲斐なし」――という言葉に痛覚をおぼえていたのだ。それが豊臣恩顧の家でありながら、いま黙々と大御所に屈従している自分への鞭《むち》でなくて何であろう?
かくて福島四十九万八千二百石のあとつぎは、何ともいいようのない馬鹿馬鹿しい死にざまをとげてしまった。
世は、刑部正之の突然の死を怪しんだが、それ以上、表面的には何も起らなかった。満天姫は実家に帰ったものの、福島家は実子正勝を世子《せいし》に直して、そのまま安泰したかに見えた。
――しかし、実際はむろん安泰どころではなかったのである。
自分の娘を与えた正之を死なせたことを、家康は不快とした。「武野|燭談《しよくだん》」という書に、のちの本多|正信《まさのぶ》が正則の罪状としてあげたものの中に、
「嫡子八助(正之)を牢《ろう》に押籠《おしこ》め、穀《こく》を断ち湯水を禁じて飢渇に苦しませ、ついに殺したり。悪人なりと見て押籠むるならばそのままにこそあるべきに、餓死せしむるなど例なき悪人なり。これ罪の一つ」
という一節がある。罪しようとすれば、こういうことになる。
四年後、大坂の役が起ったとき、福島勢はむろん東軍として出動させられたのだが、それにもかかわらず、正則は江戸に禁足させられていた。
しかも正則は、大坂方の善戦を聞いて、公然、「さても大坂の若者どもがよく為《な》すことよ」と、心地よげに語ったという。彼と徳川家の仲は、もうそこまで破綻《はたん》していたのである。
大坂の役後、家康、佐渡は相ついで死んだから、彼の命脈はいっときのびた。が、結局、その後三年目に、正信の遺言を受けついだその子|上野介正純《こうずけのすけまさずみ》のために、福島家は改易《かいえき》させられるのである。
果然、正之の死は、福島家滅亡の第一歩となったのであった。
馬糞と小便の大騒動後、まもなく正之が死んだことを聞いて、
「さては?」
と、ヒョット斎は首をひねったが、その後福島家から何もしかけて来ず、かつ福島家にその上何の異常もないので、それっきりになってしまった。
大坂の役後の福島家の運命など、予測の限りではない。――それどころか、ヒョット斎は、そのころもうこの世の中にいなかったのである。
福島正則には正則としての苦悶《くもん》があったことさえも、彼はよく知らなかった。彼はただ豊臣家に背信したと見られる福島に一撃を与えたことに満足して、寒風につるりと入道頭を吹かせていた。
慶長十六年正月。
上杉景勝は、風邪《かぜ》といって臥《ふせ》った。――実は仮病《けびよう》であることを、直江山城だけが知っている。
正月だから、諸大名は続々と江戸城の将軍秀忠のもとへ拝賀する。その足でまた、駿府《すんぷ》の大御所のもとへ参賀する。
景勝は、それがきらいなのである。だから仮病を使ったのである。
一生に三度しか笑ったことがないという大まじめな景勝が、いよいよ大まじめな顔をして仮病を使って寝ているのを見て、直江山城は微笑した。
代理に、彼が江戸城に上った。
一見したところは、家老たる彼のほうが、小男の主君の景勝よりはるかに立派だ。――げんに諸大名たちのほうから彼のところへ挨拶に来る始末で、それに対して山城守が、ひざに手をおいてわずかにうなずくのを見て、「これじゃどっちが大名かわからない」と憮然《ぶぜん》としたものがあったが、そうこぼしながらも彼の前へ出ると、自然に礼をせずにはいられなかったという。もって彼の堂々たる風采《ふうさい》を思うべきである。
山城が城から帰ると、ちょうど上杉屋敷の前を猿廻《さるまわ》しが通りかかった。
なに思ったか、彼はその猿廻しを呼びとめて、屋敷へつれてはいった。
ちょうど景勝の「病室」の前に、侍たちが新年の挨拶をするため往来しきりであったが、やがてそこの床の間に坐ったのは、景勝の羽織を着、景勝の頭巾をかぶった一匹の猿であった。
その猿が、侍たちが礼をするたびに、頭巾をかぶっていちいちうなずくのを見て、景勝もニタリと笑った。――景勝が生涯に三度笑ったという「例」の中で、はっきりしているのはこのときだけである。
ちょうどそのとき、四天王がそこへ罷《まか》り出ていたが、このとき彼らは、景勝の笑うのを見てうれしくなったが、同時に、そこに端然とひかえている山城の眼から、涙がすうとしたたったのを見て、
――はてな?
と、顔見合わせた。
とにかく、主君の珍しい笑いを見ての、うれし涙らしいということはわかったが――このときの直江山城の涙の恐ろしい意味を、のちに彼らは、彼らの生命をもって思い知ることになる。
正月三日に、山城守は四天王をつれて、駿府へ出立した。
駿府の城へ上った山城は山城として、四天王は、安倍《あべ》川のほとりの二丁町へいった。――いや、正確にいえば四天王ではない。上泉主水は除く。彼は二丁町が傾城《けいせい》町だということを知っていたから、出かける前に急に腹が痛くなった。
当時、江戸に吉原はまだなかった。吉原は、のちにこの駿府の二丁町を模して作られたものである。江戸にも遊女町は、鎌倉|河岸《がし》とか道三《どうさん》河岸とかに散在していたが、まだそういう場所としては原始的なもので、それにくらべると駿府の二丁町のほうが、京好みの今川氏時代からの伝統をついで、はるかに優雅な格式を持っていた。
見世見世《みせみせ》の朱の格子《こうし》に、柿色《かきいろ》ののれん[#「のれん」に傍点]がはためいている。のれんの先には鈴が美しいひびきをたてている。安倍川から吹いて来る風は、ほんとうの春風のようだ。
「おう、これは江戸にも稀《まれ》なる美形《びけい》!」
大音声《だいおんじよう》をとどろかせて歩いているのは、車丹波であった。
クリスチャンの左内も、巨大不能のヒョット斎も、上機嫌で歩いている。
参賀のため駿府へ来た諸大名の家来たちのため、二丁町はふだんより雑踏している。それでも、たいていは深編笠《ふかあみがさ》で面《おもて》をかくしているが、この三人は顔を天日にさらしている。笠などかぶっていれば、かえって見物するのに邪魔になるといわんばかりだ。
「や、あれはどうじゃ? 左内、ヒョット斎――」
丹波は、傍若無人の声を張りあげる。……お正月で、例の女房のきんたま鎖からやっと解放された上に、彼にとっては生まれてはじめてといっていい本格的傾城町に来ることが出来たので、無我夢中の体《てい》となっている。
「おい、ここへ来て、ちょっと上らんという法はない。どこぞへ上ろう」
「どこがいい」
「どこでもいい」
丹波は眼をギラギラひからせ、舌なめずりした。どの見世をのぞきこんでも、ただ天女のようじゃ、と感にたえていた丹波だ。
「しかし、金を使って女と遊んでもつまらんな」
と、左内はいった。
「おれは、女と酒を飲むだけでもいいが」
と、ヒョット斎が、積極的か消極的か不明な発言をした。
彼は、遊女屋にあがっても、自分が不能であることを知っている。だから、丹波のように有頂天《うちようてん》にはしゃいでいる男を見ると、心中のわびしさは覆いがたい。とはいえ、女と酒を飲むのはむろん大好きで、それどころか、ひょっとしたらうまくゆく相手がおるかも知れんぞ、という夢は捨て切れないのであった。
「よし、三人分の遊興代はおれがぜんぶ持つ。おれにまかせい」
と、車丹波は武者ぶるいしていった。
「ほう、おぬし、たいした金持じゃな」
と、左内は眼をまるくする。
「うむ、実はこんどここへ出かける前、江戸へ来てはじめての駿府への殿のお供、見苦しいことのないようにと、女房が金をくれた。……いや、わが女房ながら、実にあっぱれな貞女じゃ」
「なに、そういえば、暮に小波《さざなみ》どのが、暮が越せないから、いつか頂戴《ちようだい》した銀の首飾りを買って下さるまいか、めったなお人に売ってはキリストさまに申しわけないから、やはりあなたさまにお願いしたいと、おれにそれを売りに来たが。……」
プレゼントされたものを売りに来た女房に、呆《あき》れる一方で不愍《ふびん》にも思い、それをまた買い戻してやったのだが、いま丹波がオゴろうといったのは、その金らしい。
その金で女郎屋をオゴられるのは馬鹿馬鹿しいようでもあり、ここでとり返さないと、いよいよ馬鹿馬鹿しいようでもあり。――
「何が何だかおれにはわからんが、それじゃとにかくどこかへ上るとしようか」
二、三度、頭をたたいて、左内がうなずいたとき、
「おい」
と、ヒョット斎が眼で合図した。
「あれは、蜂須賀ではないか」
――いま、三人が通り過ぎて来た大きな見世である。たしか、「西田屋《にしだや》」とかいった。
その見世先に立った五人の深編笠の武士のうち、ひとりどうしたはずみか紐《ひも》がとけて、結び直したときにちらっと見えた顔を、偶然ヒョット斎が見つけたのであった。
関東や奥羽のみに生を経て来た丹波や左内は、諸大名で知らない顔のほうが多いが、若いころ前田大納言利家の甥として、京大坂にも住んだことのあるヒョット斎だから、見おぼえがあったらしい。
「どれだ」
「まんなか」
「ふうむ、あれか、蜂須賀阿波守は」
丹波の眼が――いままで、女、女とあぶらびかりしていた眼が――別の光をはなち出した。
蜂須賀阿波守|家政《いえまさ》。――いうまでもなく豊臣家と一体なるべき家柄で、しかも伽羅さまの祝言の席に招かれた大名の一人である。あのとき蜂須賀が左兵衛を笑いものにしたかどうかはつまびらかではないが、むろん四天王のブラックリストに上っている名だ。
その上、暮に、この次はだれだ、と左内がサイコロをふった結果、左内対蜂須賀の組合せが出現し、はずれて地団駄踏む丹波に、考えこんでいた左内が、こんなことをいった。――つまり、いつか登場する独眼龍政宗を無条件に自分に譲ってくれるなら、この蜂須賀は丹波に譲ってやってもいい、と。――
いま、編笠をかぶり直したが、その風采からしても大名であることは明らかだ。たった供が四人しかいないところを見ると、忍びにはちがいないが、やはり蜂須賀阿波守も駿府参賀に来たついでに、江戸にも珍しいこの傾城町の見物に来たと見える。
車丹波が、猛然とそのほうへ歩き出そうとした。
「待て」
と、ヒョット斎がとめた。
「どうする気じゃ」
「喧嘩《けんか》を吹っかける」
左内が首をふった。
「ここには、左兵衛さまがおわさぬ。ここで蜂須賀に手を出しても、何にもならぬ――」
丹波が棒立ちになっていると――そのとき西田屋から亭主らしい男が飛び出して来て、二、三語、話を交わすと、蜂須賀主従はぞろっとその傾城屋にはいってしまった。
[#改ページ]
鞘《さや》 当《あて》
「これは面妖《めんよう》」
と、車丹波が首をひねった。
「おれは、あの亭主を知っておるぞ」
「えっ? 丹波が、あの遊女屋の亭主を?」
岡野左内が、けげんな顔をした。
「おぬし、駿府へ来たのははじめてじゃろうが」
「駿府へ来たのははじめてじゃが、あの男は、見たことがある。……そう、北条《ほうじよう》家の遺臣が女郎屋の亭主をやっておるとは驚いた」
「なに、北条家の遺臣?」
「左様。……北条家が滅んだあと、北条家の乱波《らつぱ》組|風摩小次郎《ふうまこじろう》なるものといっしょに、佐竹へ仕官の口を求めてやって来たことがある。売り込むのに、あんまりあの男の口がうまいので、おれが反対してその話をおじゃんにしたが、今から考えると、風摩のほうだけは惜しかったと思う」
丹波はいった。
「たしか、庄司甚内《しようじじんない》、とか申したぞ……」
「ふうむ」
ヒョット斎が、うなった。
「その見世へ、蜂須賀は上ったのか。……」
と、いって、そのことに、意味があるのかないのか、よくわからない。元武士で傾城屋をやる男があったとは驚いたが、牢人暮しの果てに強盗までやる人間もあるのだから、とがめだてすることもなかろう。気のせいか、その見世構えは、この廓《くるわ》の中でいちばん格式を持っているようだ。大名の遊女屋見物といっても、四天王たちが好奇心を抱いてやって来たくらいだから、べつに異とするにあたるまい。
その蜂須賀に一撃を加える、というプログラムは、左兵衛の訓練という条件に欠けているからひとまずおくとして、
――とにかく、あそこへ上って見よう。
と、いうことに、三人の意見は一致した。
で、ひき返して、「西田屋」の見世先に立つと、廓者らしい若い衆が、困った顔をして、いま少々都合が悪い、といった。大名の蜂須賀が来たので、あとの客は断わることにしたらしい。
車丹波がいった。
「旧知の佐竹の車丹波が来たと、亭主の庄司甚内へいってくれ」
廓者が、変な顔をしてひっこみ、やがて亭主が現れた。顔も身体もまるまるして、赤い頭巾《ずきん》をかぶっている。眼までまろくして、
「おう、これはまことに車丹波どの……」
「駿府に来たついでに、遊びに来てやったぞ。これは、名は知っておろう、上杉家の前田慶次郎、岡野左内――」
と、丹波が紹介すると、
「これはこれはお歴々、大豪傑連の御光来、まことにもってありがたき極みと申したいが……せっかくでござるが、いま少々とりこみ中で……」
と、愛嬌《あいきよう》と困惑のいりまじった表情をした。丹波がたたみかける。
「蜂須賀どのじゃろう」
「や、御存知か」
「上ったのは、たしか五人。まさか、それがこの見世じゅうの女を総上げにするわけでもあるまい。どこでもいいから、ちょっと酒を飲ませろ」
甚内はちょっと考えて、
「それでは、ふゆきとどきなことがござりましてもお許し下さりまするなら、どうぞ……」
と、うなずいた。この連中なら、断わり切れない、とあきらめたのかも知れない。――この甚内が、後年江戸へ進出して、吉原の開祖となった庄司|甚《じん》右衛門《えもん》である。
三人は、西田屋にはいった。
はいって、三人は眼をまろくした。彼らは、それぞれの都合から、江戸の傾城屋にもいったことはないが、江戸のそれが、これほど宏壮《こうそう》なものであるはずのないことは、一目でわかった。まるで、ちょっとした大名屋敷だ。ただし、金張りの襖《ふすま》や、朱塗りの勾欄《こうらん》や、それに、どこかで聞える三|絃《げん》の音《ね》や、濃厚に漂う脂粉《しふん》の香《か》など、まぎれもなく遊女屋にはちがいない。
やがて、一室に通された。
「丹波、おぬし、ここの亭主を知っているらしいから、いっておくがの」
ヒョット斎が注意した。
「こんな場所に来たら、女、女と、あまり意地汚く騒ぐでないぞ。まずのどやかに酒を飲み、風雅に遊興するのが廓の習いじゃ。こっちが上杉家の者と知られておるだけに、恥をかかんように教えておく」
ヒョット斎は、昔、京の六条や伏見の傾城屋で遊んだことがある。……ただし、酒を飲んで、遊興して――あとは、立往生ばかりしていたのだが。
さて、酒肴《しゆこう》が運ばれて来た。女たちも鼓や三絃を抱いて現れた。
「田舎《いなか》なれども
駿河《するが》は名所
田子《たご》にうち出《い》で
塩とるも
君を三島と
ふしおがむ」
唄声と嬌声につつまれて、もう大盃《たいはい》の満《まん》をひいた車丹波が、髯《ひげ》もとろけんばかりになって、
「これは、はあ、何たる極楽世界。……まるで天女に囲まれておるようじゃ」
と、また嘆賞の声をあげ出したのを、ヒョット斎と左内は眺めやり、憮然として顔見合わせた。
「どう思う、左内」
「うむ。……これは、ひどいな」
ここへ来た遊女たちの御面相のことである。
何が天女なものか、――壁みたいに厚化粧はしているが、土の匂いがむんむんするような田舎女の顔ばかりで、たとえこの中にヒョット斎の巨根を受けつける女があったとしても、さすがのヒョット斎も御免|蒙《こうむ》りたいほどだ。
「これほどの見世じゃ、まさか、みんながみんな、こうではあるまい?」
「わかった。めぼしいのは、ぜんぶあっち――蜂須賀のほうへいったに相違ない」
ヒョット斎がいった。
「左内、金があるか」
「何をする」
「傾城屋に来て、泥棒上りの蜂須賀に女郎のかすを食わされたとあっては、名門直江山城|家中《かちゆう》の名にかかわる。ちょっと甚内めの反省を促すとしよう」
「そうか、金はある」
岡野左内はふところをまさぐって、そこから小判をとり出した。
いや、小判ではない。なんと、世に慶長大判というやつだ。一枚に金が三十|匁《もんめ》はいっているというから、現在の金相場に換算してもいいが、相場は年々刻々変るし、また貨幣はただの金価格とは別だから、計算しても無意味だ。とにかく、大変な値打ちのものにちがいない。
これを、十枚、ケチンボの左内がゾロゾロとひき出して、
「これだけで、足りるかな」
といった。
一瞬に、唄も三絃もとまってしまった一座に、
「おい、表に天水|桶《おけ》があったな。あれをここへ運べ。それからな、熱湯をわかして、その湯と水を持って来い」
と、ヒョット斎は命じた。さしもの丹波も度胆《どぎも》をぬかれた顔で、
「な、何をするのじゃ」
「ここで風呂《ふろ》をたててはいる」
どうも風呂の好きな男だ。――とは知るよしもなく、あっけにとられている遊女たちに、
「少々座敷は濡《ぬ》れるが、これだけの金をやれば、あと始末するに不足はあるまい。さあ、やれ、やらぬとこの大判はひっこめるぞ!」
と、ヒョット斎は、大判を何枚かひとつかみにして、大判の上に落した。えもいわれぬ美しいひびきがした。
さっき、こんな場所に来たら、のどやかに、風雅に遊ぶのが習いだと説教した当人だが。――
こういう悪戯《いたずら》となると、ヒョット斎のアイデアはまさに天馬|空《くう》をゆく。
「あい、ようがす、面白うござんす!」
なお饗膳《きようぜん》を運んでいた若い衆がさけんで、駈け出していった。
やがて座敷のまんなかに、人間が充分はいれるほどの天水桶が、どっかとすえつけられた。手桶で湯が運ばれる。水が運ばれる。途中で、いちど庄司甚内が驚いてやって来たが、もうとめようにもとまらない騒ぎだ。
ふんどし一本、といいたいが、まるっきり裸になったヒョット斎が、
「おれがまず湯加減を見てやろう」
ざぶっと天水桶にはいると、湯はたたみの上に洪水のように溢《あふ》れ出る。
その乱暴のめざましさもさることながら、例の大巨根が女郎たちの心胆を奪った。――伝え聞いて、見世じゅうの遊女が、おすなおすなと押しかけて来る。
「丹波、長安《ちようあん》風呂を思い出さんか」
ヒョット斎に笑いかけられたが、丹波も唖然《あぜん》として見まもるばかりだ。
「残念じゃが、この桶ではどうにもならんな――そうだ」
ヒョット斎は、ざぶっと天水桶から飛び出した。
「丹波、左内、おぬしがはいる前に、女たちを先にいれてやろう。左内、お前はまだ知るまいが、若い女のあぶらのコッテリはいった風呂というものは――それ、温泉水なめらかにして凝脂《ぎようし》を洗う――といった、えもいわれぬ肌ざわりとなる」
彼は、仁王《におう》立ちになって、まわりを見まわした。
「と、いって、どんな女でもいいというわけにはいかん。楊貴妃《ようきひ》のような女でないといかん。――それ、お前、お前、お前……」
指さしたのは、最初からいた女ではない。この騒ぎを見物におしかけた遊女たちのうち、彼の審美眼にかなった美人ばかりであった。五人いた。
「あの風呂にはいれ」
女たちは、逃げかけた。
「待て。……こうすれば、どうじゃ?」
ヒョット斎は、岡野左内が掌の上に重ねていた慶長大判の一枚をとって、湯の中へ放り込んだ。
「あれをとったやつにやろう。早い者勝ちじゃ。拾って、持ってゆけ」
女たちの足がとまり、いっせいにふりかえった。
おたがいに顔を見合わせ、それからまた天水桶のほうを見つめた。一人が、さけんだ。
「ほんとうでござりますかえ?」
「武士に、二言はない!」
ふいに一人が帯をとき出すと、あとの四人も、われもわれもとそれにならう。
と、一人が、裸になるのも時遅しと、帯しろ裸で駈け出すと、まだ帯もとけない女たちも、わっとばかりに殺到した。
そこへ飛び込もうと、天水桶によじのぼる。片足をかける。もがいている女に、遅れた女が、上半身を鶯《うぐいす》みたいに逆さにして、頭と両腕を湯の中へつっ込んだ。それを見て、ほかの女たちも同じ姿勢をとる。
鶯と形容したが――たしかに、たったいままでは、鶯どころか極楽鳥みたいに美しい女たちであったのに、これは浅ましいというより、凄惨《せいさん》と形容していい景観がそこに花ひらいた。
いや、実際それは、五弁の白花と化したのである。
天水桶のふちに逆さになった五人の遊女のまわりを歩きながら、ヒョット斎が次々にその着物の裾《すそ》をまくって、まるいお尻《しり》をまる出しにしてしまったからだ。
「これは、いかん」
まくったあとで、いちいち下からのぞきこむ。
「これも落第」
どこがだめで、何が落第か、正気の沙汰《さた》とは思えないが、ヒョット斎は大まじめだ。その入道頭は、次第に沈痛の度さえ深めてゆく。
点検したあとで、ぺちゃんぺちゃんとお尻をたたいてゆくから、半狂乱で上半身湯にもぐった女たちもわかったと見えて、次々にあわてて、また半狂乱にもがきながら身を起して、そのまま桶の外へころがり落ちた。
「やあ、とったか」
と、岡野左内が感心したようにいった。
身体じゅう濡れねずみのようになり、口もきけず、ただあえいでいる一人の女の手に、まさに大判が一枚しっかと握られていたのである。
「次の組と交替。……それ、お前、お前、お前――」
ヒョット斎は、またべつの五人の美しい遊女を指定した。
そして、二枚目の大判を、天水桶へ放り込んだ。
すると――いまの途方もない光景を目撃したくせに――数瞬のためらいののち、その五人の遊女はまたわっと突進し、海ならぬ天水桶の海女《あま》と化したのである。
いやもう西田屋ぜんぶが家鳴《やなり》震動せんばかりの大騒動となった。
この物音を聞きつつ、先にはいった蜂須賀阿波守一行はどうしていたか。
離れになっている一棟に、万花のごとく遊女たちを侍《はべ》らせて酒を飲んでいた彼らは、突如起ったこの騒ぎのひびきにはっとなったが、
「客に来た三人の上杉衆が、座敷に風呂をたてるといい出してきかないのでござります」
という亭主の報告に、
「たわけたやつらもあったものよの」
と、阿波守が苦笑した。
家臣たちはささやき合った。
「そういえば、直江山城もこの駿府に参賀に来ておったの」
「左様。……上杉のやつら、長らくしおたれておったが、直江が出府して以来、急に元気を出して来たようじゃ」
「あまり図に乗るのも面《つら》にくい。ひとつ、こらしめてくれるか――」
甚内が、口を出した。
「あれは、御承知かどうか存じませぬが、前田慶次郎、車丹波、岡野左内と申すめんめんで」
「なに?」
蜂須賀の家来たちはぎょっとして眼を見合わせたが、すぐに一人が、
「前田や車や岡野が何じゃ!」
と、吐き出すようにいった。
ただの強がりではなく、四人とも、いずれも直江四天王にまさるとも劣らぬ面だましいで、むしろその野性は、人間以外の動物を思わせた。少なくとも、傾城屋に来る顔ではない。
そのうちに、直江衆が、遊女たちに湯の中の大判を拾わせているという知らせが来て、気がつくと、いままでそこにいた遊女たちも甚内もいなくなっている。
「殿。……かえって好都合でござる」
と、一人があごをしゃくった。
そこには、一人の美女が、これは起《た》ちもせず、雨にぬれた花のようにうなだれて坐っていた。
「甚内に話しても、らち[#「らち」に傍点]があくかどうかわからぬ……」
「それより、いまのあいだに、殿、お早く!」
せきたてられて、阿波守はぎらっと眼をひからせてその女を盗み見たが、
「あの、お許し下さりませ……」
おびえた夕顔みたいな面《おもて》をむけられて、ややひるんだようであった。
が、四人の家臣が四方に散って、見張りの陣形をとったのを見ると、意を決したらしく、ぐいとその女の手をつかんで、うわごとのような声をもらした。
「おちゃちゃどの。……よいではないか、これ、おちゃちゃどの。……」
[#改ページ]
大御所さま淋病《りんびよう》始末
おちゃちゃどの?
天下のだれもが、耳にしたことのある名だ。もっとも、おちゃちゃという名前は、その女性一人ではあるまい。が、蜂須賀阿波守ほどの大名が、どの[#「どの」に傍点]までつけて呼ぶ人が、そうざらにあろうとは思えない。
蜂須賀阿波守家政。――
例の矢作《やはぎ》川での日吉丸《ひよしまる》との邂逅《かいこう》という伝説で名高い父の小六正勝《ころくまさかつ》はとっくに亡くなって、その子の家政はことし五十三になる。さすがに大名らしい風格は具《そな》えているが、少年時代野武士の子として育っただけあって、その面貌《めんぼう》に、ほかの大名には見られない野性がたしかにある。
その彼が、いま駿府の傾城屋に上りこんだのは、しかしその野性のせいではない。ある女に恋着したからだが、それにはまた特別のわけがあった。
いま、阿波守がその手をとって、おちゃちゃさまと呼んだ女人、それを阿波守と同年輩で豊臣家とゆかりある人々が見たら、だれだって、あっとさけんで眼を見張り、時空の昏迷《こんめい》をおぼえるだろう。
そこには、まさに淀君《よどぎみ》がいたからである。
いや、淀君はいま大坂城にあって、たしかもう四十半ばのはずだから、四半世紀も前の、おちゃちゃさまが。――
実は、この西田屋の亭主庄司甚内の養女おちゅちゅなのだ。
阿波守は、べつにこの新年の参賀にかぎらず、事あるごとに駿府の大御所の御機嫌うかがいにやって来る。そして、半年ほど前、やはりこの傾城町見物に来て、はからずもそのおちゅちゅを見て、ただならぬ感動にとりつかれた。
その女が、二十数年前の淀の方そっくりの容貌の持主だということを知ったからである。
ほんとうをいうと、そのことは知る人ぞ知る人々の間ではとっくに噂《うわさ》のたねになっていたのだが、阿波守の衝動は人々に倍した。彼はその昔、織田家に属していたころ、おちゃちゃさまはそのあこがれのまとだったのだ。
年は八つ、阿波守――当時は、父の名をついで、やはり小六といったが――のほうが上だ。年齢より何より、なにしろ野武士上りの小六にとっては、信長公の妹君お市《いち》の方の姫君たるおちゃちゃさまは、夢幻のかなたにある存在であった。
なんぞ知らん、その天上の姫君が、やがて三十も年上の猿面冠者《さるめんかじや》の妾《めかけ》にされようとは。――
それは、蜂須賀にとって豊臣は運命的な主家であり、人間的には秀吉は大英雄だと尊敬している。しかし、この問題に関するかぎり、断然不当の感を禁じ得ない。
いや、禁じ得なかったが、どうしようもなかった。――すべては、過去のことだ。
その若かりしころのおちゃちゃさまが、いま駿府の傾城町にいる。――さすがに淀君ほどの気品はないが、その代り色っぽさはひとしおだ。
ただし、遊女ではない。亭主の甚内は養女として奥にとどめて、見世には出していない。将来どうするつもりかわからないが、とにかくおちゅちゅなどいう名をつけ、姫君風の衣裳《いしよう》までつけさせているのは、あきらかに甚内も彼女が淀の方――おちゃちゃさまそっくりなことを意識している証拠で、それにしても人を喰ったおやじではある。
そこで、家来をもって交渉させた。側妾《そばめ》の申し込みだ。それに対して、甚内はあまり気のすすまないような返事をした。阿波守は、いよいよ飢《かつ》えた。
で、こんど駿府に来たついでに、また打診させたところ、何だか脈がありそうな返事だったので、ついに本人みずからが乗り込んだというわけだ。
大名自身の訪れに、さすがに甚内も、見世じゅうの遊女の中のめぼしいところをぜんぶ出して接待させたのみならず、おちゅちゅもその宴席に侍《はべ》らせた。
そこへ、別室に上った上杉の侍たちの大乱痴気騒ぎがはじまったのである。
座にいた遊女たちはむろん、甚内までが胆《きも》をつぶしてそっちへ駈けつけた。
ヒョット斎らにしてみれば、蜂須賀一行に鞘当《さやあて》のつもりで騒ぎ出したのだが、蜂須賀のほうでは、蛙《かえる》の面《つら》に水であった。それどころか、いままで大勢の遊女が取持ちしていたのを、かえって甚内の当座しのぎのごまかしではないかと猜疑《さいぎ》して、焦《じ》れていたところ、突然、まわりが無人になって、おめあてのおちゅちゅだけが残ったことを、むしろ天来の好機と考えたのだから、この世のしくみは面白い。
「それ、殿!」
「早く、早く、殿!」
気合をいれた家臣たちは、これぞ蜂須賀|名代《なだい》の乱波《らつぱ》党だ。
そもそもきょうの甚内との談判がうまくゆかなければ、強引にさらってゆくまでだ、と、そこまで思いつめて、わざわざ選抜して連れて来た荒っぽい連中なのであった。
「では、失礼ながら、おちゃちゃどの!」
阿波守は、完全に錯乱している。
五十三という年で、いまは十八万六千石の大守というのに、その場で組みしいて、ひろげた裾のあいだに躍る二本の真っ白な足に、かつての野武士の野性の炎が燃えあがった。
そして彼は、四人の家来の見張りと介添《かいぞえ》のもとに、憧憬《どうけい》のまと、おちゃちゃさまを――いや、駿府傾城町第一番の西田屋の養女おちゅちゅを、無理無体に犯してしまったのである。
ただ、蜂須賀乱波党は、その一見姫君風の艶麗《えんれい》きわまる女人が、いつのまにか主君の太い腰に盛大に両足を巻きつけて、天上の妙音まであげているのに、口をぽかんとあけた。――
一月半ばのことであった。
江戸に帰っていた蜂須賀阿波守は、本多佐渡に呼びつけられた。
この人物に呼びつけられて、まず、ろくなことはない。――何事か? と、おそるおそる彼はその屋敷にまかり出たが、そこで予想もしていなかった大変なことを聞かされたのである。
「阿波どの」
沈痛きわまる顔色で、佐渡はいった。
「貴殿。……この正月、駿府へ参賀なされたとき、傾城町へ参られたそうな」
やはり、あのことであったか、と、阿波守は吐胸《とむね》をつかれた。
ところで、佐渡に呼びつけられたとき、阿波守がすぐにその件を思い浮かべたか、というと、ちがう。大名が遊女買いをして幕府からお咎《とが》めを受けたりしたのは、徳川も中期になってからのことである。このころは、こういう点については、上下ともに、甚《はなは》だ大ざっぱな時代であった。
もっとも、気にはかけていた。
一つは――あのあと、やがて座敷に帰って来た甚内が、そこに落花狼藉《らつかろうぜき》の姿で倒れているおちゅちゅを見て仰天したのに、
「とにかく、こういうことになった。あははははは! もう手遅れじゃ、甚内。――かねてよりの当方の頼み、これで聞いてくれるよりほかはあるまいが。江戸で吉報を待っておるぞ」
と、いい捨てて帰って来たのだが、それっきり甚内から何の連絡もないこと。
もう一つは――やはり、あれ以来、自分の肉体に起ったある異常現象だ。
「は、参ってござる」
とにかく、それは認めるしかない。
「あれほどの傾城屋、江戸にもなく、久しぶりに若返ってござる。あははははは!」
豪快に笑ってみせたが、佐渡はニコリともしない。
「相手は西田屋の、おちゅちゅという女だそうな」
「庄司甚内から、訴えがござったか」
「あった」
「はて、傾城屋の亭主が、本多佐渡どのに、何たる大仰な。――」
「それが、大仰なことではない。いや、大仰なことである」
「とは?」
「阿波どの、貴殿、妙な病気をお持ちでないか?」
阿波守は、愕然《がくぜん》としていた。
実は、帰府以来、彼を悩ませていた身体の異変とは、そのことなのだ。――つまり、排尿するたびに痛む。はては、膿《うみ》さえ漏らす。ここ数日は、歩くにもガニ股《また》で歩かなければならないほどであった。
「はっきり申せば、淋病《りんびよう》というやつじゃ」
佐渡は苦汁《にがり》をのんだような顔でいった。
「それを、貴殿……あの、おちゅちゅへ移されたな」
「いや、それは」
と、さけんだが、阿波守は、何をいっていいか混乱した。淋病という名は知っているが、罹《かか》ったのははじめてだ。いや、自分の異変がその病気だということを、彼はいまはじめて知ったのである。
「まことに困ったことになった」
佐渡はついで、実に驚倒すべきことをいい出した。
「あのおちゅちゅという女な、かねてから大御所さまが御執心《ごしゆうしん》で、正月明けにお城へ召された。……そのあげく、その病いに罹られ……御詮議《ごせんぎ》に相成ったところ、おちゅちゅが正月に貴殿に手籠《てご》めにあった、ということが判明したのじゃ」
蜂須賀阿波守の顔色といったらない。
なんたることを――あの、重々しい大御所さまが――いや、自分はなんたることをしたものか!
数分間、陸《おか》に上った魚みたいにあえいでいた阿波守は、やがてしぼり出すようにさけんだ。
「いや、もと[#「もと」に傍点]は拙者ではござらぬ! 拙者が、あの女から移されたのでござる!」
佐渡はしばらく返事もしなかったが、やがて苦々《にがにが》しげにいった。
「しかし、おちゅちゅを犯されたことは、まことでござろうが」
「そ、それは」
「あれは、いま申した通り、以前から大御所さまに召されることになっておった女、それゆえ、傾城屋には住みながら、特別に清浄に身を保たせてあったれば、ほかに思い当ることのあるべきようなし……と、甚内は申す」
もう、何といっていいかわからない。
佐渡ははじめて苦笑を浮かべたが、それは恐ろしい笑顔であった。
「蜂須賀どの、血は争えぬ喃《のう》。……貴殿は、大御所さまの女を盗まれた、ということになる」
五十三の蜂須賀阿波守が女を強姦《ごうかん》したことくらいで驚いてはいけないのかも知れない。
三田村鳶魚《みたむらえんぎよ》の「徳川一世の妻妾《さいしよう》」にあるように、家康は六十八歳以後にも、少なくとも「ろく」「なつ」「梅《うめ》」という妾を三人召し抱えたことが記録されている。それどころか、佐倉の儒者《じゆしや》、渋井太室《しぶいたいしつ》の「国史」という書に、大御所が駿府で女郎から淋病を移されたとあるのは、まさにこのときのことだ。
実は、蜂須賀阿波守は、庄司甚内の苦肉の策にみごとにひっかかったのであった。
淀の方に似た美女、それは甚内がある下心あって養女にしたものだ。それで大御所さまさえつかまえることが出来る、と彼は考えた。その代償に、彼は、廓《くるわ》の江戸進出の一手の権利者となろうとたくらんでいたのである。そこで去年、大御所が安倍川に遊楽に出たときに、河原に設けた茶屋にその女を出して、案の定、大御所さまの心をとらえた。
話は内々、年があけてから駿府城へ召し出す、ということに進んだ。
ところが、暮に、とんでもないことが明らかになった。おちゅちゅが淋病に罹っていることがわかったのである。相手は、廓によく出入りしている遊冶郎《ゆうやろう》であった。
――大御所さま用にとってあったのに、何たることを!
仰天したが、もう遅い。甚内は、七転八倒した。
そこへ、かねてからこれもおちゅちゅに執心の蜂須賀阿波守が、またふらふらと話を持って来た。これはこれは、と、甚内は愁眉《しゆうび》をひらいた。いや、蜂須賀を利用するより、この窮地を逃れる法はなかった、といえる。
そこでまんまと阿波守を呼び寄せて――あの日、たまたま上杉の頓狂《とんきよう》な乱暴侍どもが来て、あの騒ぎを起してみんな吸い寄せられ、あとに阿波守とおちゅちゅだけが残る、という破目になったが――べつにそんな事件が起らなくても、どっちにしても阿波守は、おちゅちゅの肉の罠《わな》に落ちることになっていたのである。
これで、何もかも阿波守におっつける。大御所さまに移るであろう淋病のもとは蜂須賀だ、ということにしてしまう。
哀れなるかな蜂須賀阿波守、まさにそういうことになった結果はいまわかったが、それでも事の背後にあったこんな甚内の苦策は、彼の想像も及ばない。何が何だかわからない、といったところだ。
何が何だかわからないが、とにかくこういうことになった結果をどうしよう?
「実に、わしも弱った」
と、佐渡は深刻に吐息をついたが、
「ただの……かかる馬鹿馬鹿しいことで、まさか蜂須賀家をとりつぶす、というわけにも参るまい。大御所さまも年甲斐《としがい》のないことを遊ばしたものじゃ。何はともあれ、これは天下に公表出来ぬ秘事である」
と、いった。
「とはいえ、何ぞ大御所さまのお心を解くこともがな、と、蜂須賀家のためにも、わしはつくづく思案したのじゃが。……」
「な、何をいたそう、拙者、このおわびに、どのようなことでもいたす」
と、阿波守は身をもんでうめいた。
「されば……泥棒をしていただきたい」
「ど、泥棒? 拙者が?」
「そのほうでは、音に聞えた蜂須賀小六どののお子ではござらぬか」
佐渡はきゅっと口を曲げて笑った。
「ある家から、盗み出してもらいたいものがござる。……かねてから大御所さまが御垂涎《ごすいせん》のもので、しかもあまりに天下無二の宝のため、その家に献上せよとはいいかねておる品」
「そ、それは、どこの、いかなる品で」
「上杉家の――正しく申せば、直江家にある宋版史記《そうはんしき》」
蜂須賀阿波守はキョトンとしている。
佐渡守は、この野武士大名の無教養を哀れむように見やって、しずかにいった。
「それを、蜂須賀名代の乱波の手練をもって盗み出して下されば……駿府の失態、この佐渡が責任をもって棒引きといたそう」
その蜂須賀乱波党だが。――
この日、阿波守が連れて来た供侍のうち、乱波党に属する者が、七、八人いたのだが――佐渡から右のような秘命を受けて、門を出ると、その乱波党の一人が、首をひねりながら駕籠《かご》のそばに寄って来た。
「殿……彦左《ひこざ》と弥三郎《やさぶろう》がいなくなりました」
「どうした?」
「実は……あれに控えております間、だれやらふと、本多家の中に妙な百姓家が一軒あるそうな、というかねてからの噂を口にいたし、そこでわれら、物好き半分の探索に奥庭のほうにはいり込みましたところ、果せるかな、思わざるところに噂《うわさ》通りの一郭《いつかく》あり、そこから出て来た本多家の御家来衆二人に、ここよりはいってはならぬ、ふたたび近づくと二度と無事では出られぬぞ、と、追い返され、一同|這々《ほうほう》の体でひき返して参りましたが。――」
「たわけ、なぜそのようないらざるまねをする」
「恐れいってござりまする。……ところが、そのあと彦左と弥三郎めが、いまの口上、口上よりも態度が気にくわぬ、かつまたその一郭に何とも不審な匂《にお》いがある、よし蜂須賀乱波党の面目にかけて、と、またのぞきにいったきり……帰って来ぬのでござります」
[#改ページ]
宋版《そうはん》史記
車丹波は、憮然《ぶぜん》たる顔で江戸に帰って来た。
せっかく駿府の遊女屋に上りながら、ヒョット斎らの馬鹿騒ぎにまぎれて、かんじんの女郎買いはどこかへ消し飛んでしまったし、またそのとき蜂須賀阿波守も同じ家に来ていると知りながら――右の騒ぎは、それに対するデモンストレーションにちがいなかったが――ただそれだけで、蜂須賀一行は何事もなく引揚げていったらしい。
実は、何事もなく、ではなかったのだが、むろん丹波らには、それはわからない。
もっとも、あのときは左兵衛が同行していなかったから、蜂須賀とゆき逢《あ》っても、どうしようもなかったとはいえる。
ところが、さて江戸に帰って来てからも、例の使命をどう遂行していいか、見当がつかない。心だけはやたけにはやるのだが、まさか左兵衛をつれて蜂須賀家に殴り込むわけにはゆかないし――それに、内々調べて見ると、帰府以来、阿波守はあまり外出しないようだ。
車丹波は思いあぐねて、左兵衛のところへゆく気になった。左兵衛自身の智慧《ちえ》を借りようと思ってのことだが――何しろ、元気がないからシゴいてくれと頼まれた当人に、大元気を発揮する法を教えてくれと頼みにゆこうというのだから、丹波も混乱している。
直江山城の住居は、藩邸の奥まった場所に別棟としてあり、左兵衛夫妻はその一郭に住んでいた。
そこを訪れて、丹波は眼をまろくした。
書院で、左兵衛と伽羅は、机を寄せて、何やらせっせと書きものをしているのであった。どうやら、二人で、書物を書き写しているらしい。清雅な明り障子に、墨の香が匂っている。
その書物が――一冊や二冊ではない。同じ体裁のものが、机の周囲や床の間に積んであるが、まず百冊はあろうと思われるおびただしい量だ。
「何か御用」
と、伽羅が聞く。
「いえ、大したことではござらぬが。……」
伽羅からいいつけられた用件だが、どうも相談しにくい。
「そりゃ、何でござる? 日本の本のようではござらぬ喃《のう》。……」
「史記」
と、伽羅は答えた。
「シキ?」
「支那《しな》の――二千年ほど前の漢の時代に、それまでの支那の歴史を書いた御本」
「ひえっ、その本が、それでござるか」
「いえ、そのころはまだ紙がなくて、竹や木に文字を彫ったものじゃそうなが――それを、あとで本にした。ここにあるのは、はじめて宋《そう》の時代に木版《もくはん》にして作られた本なのじゃ。それでも、かれこれ五百年もの昔。――」
「へへえ」
と、いったが、無教養なること蜂須賀に勝るとも劣らぬ車丹波は、何の意見もなく、ジロジロとその本の山を眺めている。
「これは日本にただ一組しかないという上杉家の宝じゃそうな。されば、万一、火事などに逢《お》うて失われることがあってはとり返しがつかぬゆえ、せめて別に写しておけと父から申しつけられてしているのじゃ」
この間、左兵衛は黙々として筆を動かしている。ヒョイとのぞいて見ると、案外字はうまいようだ。
黙ってはいるが、どこか愉《たの》しげに見えて、この人は武芸よりこんな仕事のほうがむいているのかも知れない、と丹波は思うと同時に、この若夫婦が、新婚当初のギクシャクした感じが薄れ、結構仲よくやっているような印象を受けた。――
ところで、いま伽羅はその本のことを説明したけれど、それがいかに途方もなく貴重なものか、彼女自身どれほど自覚していたか疑わしい。
後世になってみると、いよいよそれは貴重なものとなった。
史記はいうまでもなく司馬遷《しばせん》の著した中国最初の正史だが、それが木版になったのは、印刷技術の発達した南宋時代になってからのことといわれる。ところが、そのあと元《げん》の時代に変ったとき、あらゆる南宋文化とともに、その宋版史記も一冊残らず焼かれてしまった。――
それが、日本にある。日本だけにある。
その由来について、二説がある。
一説は――鎌倉時代に二組伝来したのだが、一組は応仁《おうにん》の乱で焼失し、残った一組が京の花園妙心寺に蔵されていたのを、当時の住持|南化和尚《なんげおしよう》が、信頼する直江山城に譲ったというものだ。
もう一説は――安井息軒《やすいそつけん》の「読書余適」によれば――征韓の役に従軍した山城が、他の出征諸将が朝鮮のありきたりの財宝ばかり戦利品として持ち帰るのに、彼だけは、「これ何の用いるところぞ、われまさに至宝を収めて以《もつ》て万世に幸いせんとす」といって、この宋版史記などの書を取って帰ったという。
明治四十三年に出された福本日南の「直江山城守」の中に、
「われまたかつて聞けり、兼続《かねつぐ》がもたらし帰りたる史記の上に、兼続、前田|利太《とします》の加えたる評語まま散見すと。宋版史記、二豪の評語、これふたつながら珍とすべし。いまだ知らずこの本いまなお上杉家に存するや否や」
と、ある。
たしかにそれは存した[#「存した」に傍点]のである。宋版史記は、世界にただ一組の書物として、現在国宝として残っている。
いずれにせよ、この事実は、直江山城が文化人としてもきわめて高度な人物であったことを証明するに充分であろう。
「あ……」
奥の唐紙《からかみ》がひらいて、はいって来た人物を見て、三人はお辞儀した。その直江山城であった。
「御苦労」
山城はにこやかに、
「そのまま、そのまま、仕事をつづけよ」
と、若夫婦にいい、また、
「おう、丹波も来ておったか。ヒョット斎はときどき手伝ってくれるが……お前も少し手伝ったらどうじゃ」
と、笑いかけた。
「いえ、ト、ト、ト……」
髯《ひげ》の中で、意味不明のうなり声をもらして、丹波は赤面した。彼がはにかんだりするのは、世の中でこんなことぐらいだろう。
山城は、しばらく左兵衛たちの写本ぶりを見ていたが、ふと、
「ところで、この三月、京へゆくぞ」
といい出した。
「へっ?」
丹波は、眼をまろくした。
「御遊楽で?」
「そんなのんきな話ではない。大御所さまのお供じゃ」
「大御所が、京へ。――」
「実は、大坂の秀頼さまと御対面の御用じゃ。従ってお供の人数も五万騎に上るそうな。いま江戸にある諸大名も何人かはお供することになる。上杉家にもその旨内示があったが、殿はそのころお病気にかかられることになっている」
山城は妙なことをいったが、三人は笑わない。
「そこで、わしが殿の御|名代《みようだい》として、上洛《じようらく》することになろう。……そのあと、当分、久しぶりに京に滞在すること、これは殿のお許しを得た。米沢からわしが連れて来た者ども、みな連れてゆくぞ。左兵衛も伽羅もな」
というと、四天王もゆくことになるが。――
「米沢から連れて来た者ども、と仰せられると、女どももお供することになりますか」
と、車丹波が聞いた。
「左様、身の廻りの世話をしてもらわねばならぬでな」
すると、丹波の女房、小波などもゆくことになる。小波はただ丹波の女房であるばかりでなく、直江家に侍女として奉公している身だからだ。
「大御所さまと秀頼卿の御対面、これは一騒ぎになるおそれもある。覚悟してゆけ」
その意味を聞くより、丹波はまた別のことに気をとられた。
「あの、蜂須賀阿波守も京へ参りますか」
「それは知らぬ。どの大名がいって、どの大名がゆかぬか、それはまだ知らぬが……蜂須賀が、どうしたのか」
「いや、何となく。……」
丹波は、あわてて口を押えた。例の件は山城にはないしょだからだ。
山城守は、しばらく司馬遷についての講義的雑談をしたのちに去った。
山城守によると、司馬遷という人は、皇帝の怒りを買って、「宮刑《きゆうけい》」――男根切断――という惨刑を受けながら、その驚くべき前人未踏の史書を完成したという。
これには丹波も、これはおれのきんたま鎖どころではない、と驚嘆したが、しかしそれより彼の心を奪ったことがあった。
三月に蜂須賀も京へゆくか、どうか、という問題である。
「失礼」
と、いって、彼はその棟を出た。
例の用件についてだが、ブラックリストに上った大名たち――蜂須賀、加藤、伊達、蒲生、浅野などは、まだ手つかずに残っている。その連中もこっちといっしょに上洛すればいいが、上洛しない者があるとすれば、いかがすべき。いずれまた帰府してからのことにしてもいいようだが、それでは何だか間のびがする。
いや、いや、いま御主君は、上洛したら当分京に滞在する、と仰せられたではないか?
平岡頼勝を首にしてしまった上泉主水、福島に一撃を加えた前田ヒョット斎は一応役目を果したとして、岡野左内も、これを聞けば同様にあわてるだろう。
――そうだ、このことは左内にも相談せねば!
丹波が侍長屋のほうへ、急ぎ足でゆくと、そちらから三宝寺勝蔵がぶらぶらやって来るのと逢った。
「岡野さまでございますか」
天眼通みたいにいう。
「そうだ、おるか」
「ほんのいまお出かけになりましたぜ。何でも細川家へゆくとかって」
「細川家?」
「といっても、中間《ちゆうげん》部屋でしょうが、それ、例の麻雀《マージヤン》」
勝蔵は笑いながら、いってしまった。
「ちえっ、しようのないやつだ」
舌打ちして、丹波はそれでも門のほうまで見たが、むろん、左内の影も見えない。
やむなく引返して、玄関のほうへ歩いて来ると、こんどは、さっき写本をやっていた左兵衛が出て来たのに、ばったり逢った。どうやら外出のようだが、供の姿は見えない。
「おや、どちらへ」
「例の宇喜多の集まりじゃが。……父上から、上洛の話を承ったゆえ、早速にもその旨連絡しておかねばならぬ」
左兵衛はそわそわと答えた。
左兵衛は、このごろときどき外出する。ときには、一夜帰って来ないこともある。そのわけを、丹波も聞いていた。そして、ほかのだれとも同様に、左兵衛の心事と行動を諒《りよう》とした。
「あ、左様で」
彼はうなずき、
「それはそうと、左兵衛さま」
と、改めてさっきの用件を思い出した。
「例の件。……拙者の分担は蜂須賀ということになっておりますがな。何とぞして、あなたといっしょに蜂須賀を相手に一あばれして見たいと念じておるが、さてどうしたら一泡吹かせられるか、まったくその工夫がつかぬ。あなたのほうに、何ぞうまいお智慧はござるまいか?」
「さ」
左兵衛は途方にくれたような返事をする。そんな工夫はない、というより、まるで無気力な顔だ。
「その件は……何ぞ思いついたら、そなたに知らせよう。では」
といって、心はここにないように、一人でトボトボと門を出ていった。
「勝蔵」
庭にはいって来た三宝寺勝蔵の姿を見て、縁側に立って、ほころびはじめた紅梅を眺めていた伽羅が呼んだ。
勝蔵は急ぎ足で近づいて来て、ひざまずく。
「いま、左兵衛どのが外出なされた。……例の宇喜多の者どものところへ」
と、彼女は何やら考え考えいった。――
左兵衛の一人での外出のことは、勝蔵も知っている。
その目的だが――左兵衛が大谷刑部吉隆の遺児であることはいまや公然の秘密だが、その血筋を買われてか、かつて宇喜多家で意外な大禄《だいろく》を与えられていた。そのすべてが災いをなして、彼は主君の宇喜多秀家とともに去年の秋まで八丈島の流人《るにん》であった。
赦《ゆる》されて、彼が帰って来たとき、小人数ながら宇喜多の旧臣たちが出迎えにいったが――それ以後も、左兵衛は彼らとつき合っているらしい。そのことは、左兵衛自身が山城に願い出た。
べつに大《だい》それたことをもくろんでいるわけではない、と彼はいったという。滅んだ家の落魄《らくはく》した遺臣たちの集まりへ出て、懐旧談をやりたいし、いくばくかの金銭的な助力もしてやりたいし、またせめて、ときどき八丈島へゆく船便の報があれば、まだそこにいる秀家|卿《きよう》へ何ぞおとどけものをしてさしあげたく、その品の調達を談合したりするだけだ。――
ただ、当然これは世に憚《はばか》ることだから、万一直江家や上杉家に迷惑がかかってはならぬゆえ、自分一人、内々そこへ出向くことをお許したまわりたい。――例の、自分といっしょに赦免《しやめん》になった千坂兵左衛門、あれはいまなお報復に燃えている気性の烈《はげ》しい老人ゆえ、これを同行すると、かえって危険を感ずる。だからあれにもないしょにいたしたい、と考えている会合だから、と、左兵衛はいったという。
山城はこれを許した。
この話は、うすうす周囲にも聞え、その左兵衛の外出を、だれもが同情の眼で見送っているだけであった。伽羅も同様であった。
いま、その伽羅が、勝蔵にいう。
「左兵衛どのを追ってたも」
「へ?」
「宇喜多の旧臣の会合だとは聞いているけれど、それはどこか、いかような集まりか……妻として、気にかかる。やはり、知っておきたいのじゃ。そっと尾《つ》けて、たしかめてたも。ただし、見つかっては相成らぬぞえ」
やはり、この夫婦は水くさい、というべきか。その水くさいのに、伽羅ががまんなりかねた、というべきか。
そんなことを考えたかどうかは不明だが、三宝寺勝蔵はそれだけ聞いて一礼し、風のように庭を出ていった。
この三宝寺勝蔵というひょっとこみたいな顔をした草履取り、これがただの草履取りではなく、伽羅が直江家に養女に来る以前からくっついている男だが、まさに以心伝心といった体《てい》に見えた。
[#改ページ]
蜂須賀乱波党《はちすからつぱとう》
桜田の上杉屋敷から出た直江左兵衛は、手にしていた編笠《あみがさ》をかぶると、日比谷のほうへ歩いてゆく。
それから、濠《ほり》に沿って、辰《たつ》の口の方角へ。
このあたり、右手一帯に、いたるところ大名屋敷が建てられ、また、建てられつつある。のちにいわゆる大名小路となる一郭だが、むろんこのころは後世のように整然としたものではない。宏壮《こうそう》にして絢爛《けんらん》たる建物がならんでいるあいだに、冬のことで枯草が蓬々《ほうほう》と生いしげっている原っぱがあるかと思うと、まだ千年の武蔵野《むさしの》をひとかたまりずつ残して、巨木が林立している場所もある。
そのいたるところ、大工や左官や人足が、材木をかついだり、土をこねたり、車を曳《ひ》く牛馬を追いたてたりしているのは、いつもの通りだ。
左兵衛は、これらの光景を見まわしたり、ときどき立ちどまったりして、ゆっくりと歩く。笠のために顔は見えないが、何だか面白がっているようだ。
――はて、宇喜多の残党が、どこに住んでいるやら?
三宝寺勝蔵はあとを尾けた。まわりに働く人々が多く、それにまぎれるので助かる。
が、そのうち彼は、妙な連中に気がついた。
前方を、三人の虚無僧《こむそう》が歩いてゆく。ただし、深い天蓋《てんがい》、黒漆《くろうるし》の駒下駄《こまげた》といった、しゃれたスタイルは江戸中期以後で、この当時は、鼠《ねずみ》色の衣服に尺八はさしているが、笠はふつうの編笠だし、わらじ[#「わらじ」に傍点]をはいて、うす汚なく、荒々しく、むしろ薦僧《こもそう》といったほうがいい風体であった。
それが、勝蔵の前をゆく。いや、左兵衛のうしろにくっついてゆく。
距離は――さあ、左兵衛のうしろ三十メートルばかり離れてその連中、それから七十メートルほど離れて、勝蔵、といったところか。
辰の口に近づいて、彼らが左兵衛を尾行していることが、やっと勝蔵にもわかった。左兵衛が立ちどまれば、さりげなく彼らも立ちどまるからである。
――あれが、宇喜多の者?
すると、大手門の前を通り過ぎてしばらくしてから、ふいに左兵衛がくるっとふり返り、スタスタとひき返して来た。
むろん、薦僧たちははっとしたようだ。
芸もなく立ちすくんでいる三人の――しかし、その横を通って、左兵衛がなおスタスタとこっちへ歩いて来るから、こんどは勝蔵のほうがぎょっとした。
「ああ、勝蔵」
果せるかな、左兵衛は呼びかけて来た。
「わしは、ちょっと人に知られては困るところへゆくのじゃがな。あの三人の薦僧がうしろにくっついて来て困っておる。すまんが、何とかあれをどこかへやってくれんか」
まったくわだかまりのない声でそういうと、彼はまたスタスタと――薦僧たちの横を通り過ぎて、前方へ歩いていった。
勝蔵は、あっけにとられた。
何のことはない、左兵衛は、はじめからこっちがあとを尾けていることを知っていたとしか思われない。
が、すぐに彼は――それをはじめから左兵衛が知っているわけはない、と思い直した。どう見てもあの若殿はそんな鋭いお人ではないし、それより彼は、自分の尾行にある自信を持っていたのである。
――きゃつらのせいだ!
と、勝蔵は考えた。あの薦僧たちである。
――あいつらが、ぶらぶらうしろにくっついているものだから、いくら左兵衛さまだって気がつく。それで、チョイチョイふり返り、そのあげくこっちにも気がついたにちがいない。
勝蔵は、腹を立てるとともに、その薦僧たちに改めて不審の念を起した。
――してみると、きゃつら、宇喜多の者ではないらしいが、はて何者だろう?
きっとして前方を見ると、はるか向うを左兵衛が歩いてゆくうしろ姿が見えるだけで、薦僧たちの姿は忽然《こつぜん》と消えている。
距離の関係から、いまの左兵衛の依頼が聞えたはずはないが、はじめて自分たちのあとをさらに尾けている者があったということを知って、あわてて姿をくらましたらしい。
勝蔵は、しばらくそこにぽかんと立っていた。が、眼を落し、足もとに一つ破れ笠が落ちているのを見ると、着ていた半被《はつぴ》をぬいで、くるっと裏返しにした。その半被は、むろんいつかの一文銭を染めたものではなく、ふつうの紺の半被であったが、裏返しにすると、鼠色のものになった。それを着て、破れ笠を拾って、かぶる。
そして、また左兵衛を追い出した。
左兵衛は、遠く、もう一ツ橋近くを歩いてゆく。
お城のすぐそばというのに、江戸はまだ草分けのころで、濠に沿って、こんなところにもちょっとした竹藪《たけやぶ》がある。おそらく濠の手前側でもあり、竹藪の根で石垣の代りにすると見て残したものであろう。
その下へたどりついて、勝蔵はキョトキョトした。
ほんのいままで見えていた左兵衛の姿が見えないのだ。
藪にはなっているが、山中ではない。道は広く、まっすぐで、見通しだ。にもかかわらず、相手は影もない。――
藪の下を駈《か》けぬけ、勝蔵はまわりを見まわし、すぐにまた引返して来た。
竹林は、すぐ向うに濠を透《す》かせている。人間が隠れられるような状態ではない。
ただ、そこに一つ地蔵堂があった。見たところ、これはもう太田道灌《おおたどうかん》のころからあったのではないかとさえ思われる古びた地蔵堂だ。城の魔除《まよ》けのためもあって、故意に取払わなかったものだろう。
勝蔵は、格子《こうし》のあいだから、中をのぞきこんだ。が、中には、朱色もあせた涎《よだれ》かけをかけた等身大の石のお地蔵さまが、堂一杯に鎮座して、ニンマリとした笑いを刻んでいるだけであった。
それ以外に、むろん人の気配などない。
蜂須賀家には、よほど御先祖の小六正勝の商売がたたる。
明治のころ、宮中でのある賜宴《しえん》後、陪食《ばいしよく》した蜂須賀|侯爵《こうしやく》が、記念のために、菊花の御紋章入りの銀の小皿をそっと持ち帰ろうとしたら、それを御覧になっていた明治天皇が、
「蜂須賀、家柄じゃのう?」
と、笑いかけられたので、蜂須賀侯爵は赤面して、身の置きどころもなかったという。
さて、二代目の阿波守も、先代のこの手腕に目をつけられて、本多佐渡守から、直江家の「宋版史記」という秘宝を盗めという難題を持ちかけられた。
いや、伝来の家柄のせいではなく、彼自身がまいた種だ。こともあろうに大御所さまに、淋病を移したとは。――実はまったく無実の罪なのだが、その申しひらきが立たない。右の下知《げぢ》を断わることは出来ない。
大御所さまが、老来とみに学問好きになった、ということは知っている。この正月、駿府へ参賀にいったときも、儒者|林羅山《はやしらざん》を呼んで読書始めの儀をやっていたが、一方で、傾城町の女も呼んで、淋病にかかったとは。――と、長嘆のほかはなく、しかも阿波守には笑う余裕などない。
上杉家の宋版史記の件も、おそらく羅山などから吹きこまれたものだろうが、とにかく、聞けばその数九十冊という。
ちょっと簡単に盗み出せるものではない。
強盗のむれを装って夜襲し、放火してそのすきに掠奪《りやくだつ》することも考えたが、音に聞えた上杉家の直江山城を相手に、そんなことがうまくゆくとは思われない。それどころか、万一その本も焼けてしまったら、とり返しがつかない。
蜂須賀阿波守は、困惑した。そのあげく。――
「殿」
庭さきで、ひそかに呼ぶ声を聞いて、阿波守は小姓に障子をあけさせた。
三人の薦僧が、ならんで坐っていた。編笠をぬいだ顔は、いずれも、まあ凶猛といっていい。
「直江左兵衛が、ときどき一人で外出することはまことでござる」
「どこへ、何しにゆくのか――ついでに探ってやろうと追跡したところ、邪魔がはいって、きょうはゆくえを失いましたが」
「しかし、きゃつが一人で外出することをたしかめたのは何より。――この次、あれが出たとき、これをつかまえて、直江をゆするよりほかに法はないと存じまする」
三人は、口々にいった。
彼らは、蜂須賀|乱波《らつぱ》党であった。
野武士上りの蜂須賀家――それは泥棒もやったろうが、本来は、乱波だ。戦国のころ、忍び、火つけ、流言、暗殺などのわざをもって敵を攪乱《かくらん》するのを業とする集団だ。尾張《おわり》の野にあったこの乱波の一族と結びついたのが、秀吉の出世のいとぐちになった。
そして秀吉が天下の覇者《はしや》となるにつれて、蜂須賀家も大名に成り上っていったが――まだ二代目、その家中《かちゆう》にはいまなおこの乱波党が厳存し、他家の類似の忍び組などの追随を許さないキャリアを誇っている。
「あれは、ほんのさきごろ直江家に来たばかりの婿じゃ。――祝言のとき、わしも見たが、まことに影の薄い男、しかも八丈帰り。――」
と、阿波守はいった。
「あんな婿とひきかえに、山城がその秘宝を渡すか」
「いや。――」
薦僧の一人が、ちょっと首をかしげて、
「念のため、もう一つ、細工が要ると存じまする」
と、うなずくと、あとの二人が、眼を笑わせていった。
「あれを囮《おとり》に、もう一人べつの人間を虜《とりこ》にする」
「それを人質に、おどしをかけたなら――いかな山城とて、こちらの要求のままになるよりほかはござるまい」
――その日は、左兵衛は、夜にはいる前、おとなしい息子みたいに帰って来たが、それから一週間ばかりたった昼過ぎ、
「また、ちょっと宇喜多の集まりへ」
と、いい出した。
伽羅が、ちょっと眼を庭へ動かせた。庭では勝蔵が、霜除《しもよ》けをした庭木の藁《わら》や縄《なわ》をつくろっていたが、それを左兵衛も見て、
「やあ、勝蔵、わしはこれから外出するが、きょうも途中まで送って来て、くっついて来る者があったら教えてくれぬか」
と、声をかけた。
「へ、へ、へ」
と、勝蔵は、この男には珍しく照れたように笑った。
彼はこの前、尾行を気づかれたので、面目を失ったような気がしている。きょうまた、そんなことをいわれても、向うが承知の尾行なら、尾行する意味がない。
伽羅が、そっと首を横にふった。――結局、勝蔵は、その日は左兵衛の尾行をあきらめたのである。
ところが、これが大事となった。――
半刻ばかりたって、門内に、一通の書状が投げ込まれてあるのが発見された。
「伽羅どのへ至急。左兵衛」
と、表書きにある。
それはすぐに伽羅へとどけられた。
伽羅は書状をひらいて読み、不安げに縁先にひざまずいている勝蔵へ、
「一ツ橋の近くの濠端《ほりばた》に竹藪があり、そこに地蔵堂があるかえ?」
と、聞いた。
勝蔵は、はっとした。
「藪の中の地蔵堂。……ござる。ござりますが、それが何となされました?」
「そこへ、わたしに来てくれと書いてある。まちがいなく、左兵衛どのの手じゃ」
「えっ? あなたさまに。――」
「しかも、供を連れず、だれにも告げず、わたし一人ですぐに来てたもれ、とある。いったい何事が起ったのか?」
伽羅は、もう立ちあがっていた。勝蔵はあわてた。
「なりませぬ、あなたさまお一人でお出かけになるなど――とんでもないこと!」
「夫に、一人で来いといわれたら、わたしは一人でゆかねばならぬ」
伽羅は凜然《りんぜん》といった。
「それに、直江家になんの恨みもないはずの宇喜多の旧臣が、江戸城のすぐそばで、まさかわたしに害もすまい」
「そ、それにしても」
「いえ、それどころか、この文言にそむいて、万一宇喜多の旧臣たちに迷惑がかかるようなことがあってはならぬ。だれにもいうなとあるが、お前だけにはいった。ほかのだれにも告げてはならぬぞえ」
彼女はきっぱりといった。
「佐助、お前もついて来てはならぬぞえ」
伽羅は勝蔵を、また妙な名で呼んだ。――しかし、それがどれほどの呪力《じゆりよく》を持っているのか、三宝寺勝蔵は、それっきり、口をぱくぱくさせて見送るばかりであった。
伽羅は、やがて、薄紅色の被衣《かつぎ》をかぶり、一人で上杉屋敷を出ていった。――
伽羅が、左兵衛から、一人で来いという書状を受けて、それに素直に服したのは、それでも夫に対する妻の義務と考えたせいであったか、それとも彼女自身の誇りからであったか。――どうやら、後者のほうであったように思われる。
いずれにしても、結果において、これはやはり軽はずみというしかなかった。少なくとも彼女は、左兵衛の手紙を宇喜多家にからまることだろうとかんちがいしていた。ひょっとしたら、宇喜多の旧臣の集《つど》いに自分も招いてくれることになったのかも知れないと考えたのである。
……やがて、伽羅は、指定された濠端の藪の下を通りかかった。
その入口ちかい路傍に、二人の山伏が坐って、煙管《きせる》をくわえていた。そばに金剛杖《こんごうづえ》と笈《おい》が置いてある。お城を見物がてら、一服している姿に見えたが、あとになって、これが、ここを通りかかる人間の見張りをしていたということが判明した。
伽羅は、竹林の下の道の濠側に、古びた地蔵堂があり、その縁側に左兵衛が腰かけているのを見た。――
「…………」
駈け寄らなかったのは、そこにいたのが左兵衛だけではない。その両側に二人ずつ、山伏が腰を下ろしていたからだ。
つまり、その地蔵堂に、五人ずらっとならんで坐っているわけで、前の道を通りかかる者はいささかぶきみでないことはないが、さればとて、いま江戸城の近くに見物に来たり休んだりしている連中はほかにもうんとあるのだから、ことさら異様な光景ともいえないだろう。
「伽羅、参りました」
伽羅は、左兵衛の前にしずかに近づいて、被衣をとった。
左兵衛は声もたてず眼をぱちぱちさせただけだが、ほかの山伏も、いっせいにまばたきした。――実は、伽羅の美しさに度胆をぬかれたのである。
「これは、わざわざ――」
と、山伏の一人が、変な挨拶《あいさつ》をした。それは、からかったのではなく、伽羅に気圧《けお》されて、思わず知らず出た言葉であったが、声のひびきはうす気味わるい。
「まず、ここへお坐りなされ」
と、端っこの別の一人が、そばの金剛杖を取って、身体をずらせて、縁に空間をあけた。
伽羅は、動かない。――左兵衛の両側の二人が、匕首《あいくち》のようなものを、ピタリと左兵衛の脇腹《わきばら》につきつけているのを見たからだ。
[#改ページ]
修羅車《しゆらぐるま》
これは宇喜多の旧臣ではない!
と、伽羅は、はじめて気がついた。
宇喜多家の家来たちなら、左兵衛が八丈島から帰って来たとき、船着場でちょっと見かけたことがある。それをいちいち憶《おぼ》えてはいないけれど、年老いた人々が多かったようだ。
が、いま見ると、その修験者《しゆげんじや》は、いずれも野性の剽悍《ひようかん》味に、獣めいた印象を持つ壮年の男たちであった。
「ま、坐ってくれ、伽羅。……」
と、左兵衛が、やっと、あえぐようにいった。彼の顔は恐怖のために、いよいよ間のびがして見えた。
伽羅は、山伏があけた、地蔵堂の縁に坐った。
その両側から、これまた匕首がピタリとつきつけられた。
「そなたらは、何者じゃ?」
伽羅は聞いた。声にふるえはない。
修験者は、これには答えなかったが、
「何のために、こんなことをする?」
と、いう次の問いに、
「父御《ててご》に手紙を書いてもらいたい」
と、いった。
べつの一人が、早速|矢立《やたて》と巻紙をとり出して、つきつけた。伽羅は手にもとらず、
「父へ? どんな手紙を?」
「こちらの申す通りにじゃ。事は急ぐ。いうことをきかぬとこうじゃぞ」
左兵衛の横の一人がいうと、その左兵衛が、「痛いっ」と悲鳴をあげた。どうやら匕首のさきで、胴ッ腹をつっつかれたような気配であった。
伽羅は、ともかくも紙と筆を受け取った。
「火急お頼み申しあげ候《そうろう》 事《こと》」
山伏がいい出した。
「宋版史記《そうはんしき》全巻、一ツ橋手前、濠端《ほりばた》地蔵堂へおとどけ下されたく候。……」
「それは、ならぬ!」
伽羅は筆をとめた。
「宋版史記は、上杉家にとって無二の秘宝。……それにしても、そなたらの素性を申しゃ」
「こちらの申すことだけを書けばよい」
向うで、また左兵衛が悲鳴をあげた。
「痛いっ。……伽羅、どうぞそちらのいう通りに書いてくれ。……」
「では、あなたがお書きになればいいでしょう。伽羅はいや」
「奥方に書いてもらわねばならぬ。奥方の手でなければ、山城どのはいうことをきくまい」
と、別の山伏が、左兵衛にとっては甚だ気の毒なことをいう。――そう判断したからこそ、左兵衛を囮《おとり》に伽羅をひき出して来たのである。
ふいに二人の修験者が、うつむいて、法螺貝《ほらがい》を口にあて、ひくく吹き出した。
ここは、濠側が竹林になっているとはいえ、濠端の道にはちがいないのだから、人は通る。いまも、四、五人、武士や職人がゾロゾロと前を通りかかった。
助けを求めようにも、往来からは見えないように脇腹に匕首があてられている。もし声をあげれば、即座にブスリと来て、このえたいの知れぬ山伏たちは、魔鳥のように飛び去るつもりだろう。――その危惧《きぐ》を充分感じさせる彼らの殺気であった。
通行人からは、山伏たちが地蔵堂に休んで、法螺貝の調子をためしているように見える。それでも、何やらうす気味悪くは感じたらしく、みな足早に通り過ぎてゆく。
伽羅は、声をあげなかった。かえって、その眼がふいにキラキラかがやいて来て、命じられた通り、筆を走らせると、
「ただ……宋版史記全巻といえば九十冊。とうてい一人では運べぬぞえ」
と、いった。
相手は、見当もつかないらしく、首をかしげて聞く。
「何人くらい要《い》る?」
「少なくとも、四人」
すると、彼らは顔見合わせ――ややあって、いっせいにニヤリとした。
「ははあ、直江四天王を呼ぶつもりか」
伽羅は、まばたきした。彼女の意図は看破された。向うはすべて知っているのだ。
山伏たちはいった。
「といって、きゃつらが来たとて、別にどうということはないがの」
「四天王とやらに、運ばせてもよいぞ」
すると、一人が、「待て」と、言葉をさし挟《はさ》んだ。
「とはいえ、きょうのところは、目的は宋版史記じゃ。要らざる騒ぎは起しとうない。……運び手が四人も要るとすれば、さて、どうするか」
「車で運んではどうでござろう?」
頓狂な声をかけて来たのは、なんと直江左兵衛だ。
「大八車に載せれば、一人で曳《ひ》いて来れると思うが。……」
この甚だしまりのない、情けない夫を、伽羅はきっとにらみつけずにはいられなかった。
「車か。なるほど、それならよかろう。では、つづき。――」
山伏の一人がうなずき、伽羅に口述した。
「ただし、車にて運搬の事。曳子《ひきこ》は無刀の一人たるべきこと」
歯をくいしばり、筆を動かさぬ伽羅に、向うで左兵衛がまた犬みたいにキャンキャンさけんだ。
「痛《い》たっ、伽羅、書いてくれ。本にいのちはかえられぬ。……たとえ、あの本、渡したとて、あとでどうにかしてわしが返してもらうほどに。……」
伽羅は、覚悟した。左兵衛はあてになどならないけれど、よし、ここはこのままこの男たちのいう通りにして、自分の手で彼らの正体をつきとめてやろう。――彼女は、ついて来るな、とは命じたけれど、三宝寺勝蔵があとを尾《つ》けて来ていることを知っていた。――勝蔵にあとをまかせよう。
この山伏たちの素性がわかれば、あと取り返す思案も立つというものだ。
山伏のいう通り、彼女はスラスラと書いた。
「右の次第、左兵衛どの伽羅のいのちをもってお願い申しあげ候。御違背あるときは、両人首となって帰り申すべく候。
父上様 伽羅」
そこまでの書状をちぎり、封に同じ宛名《あてな》署名をしるさせると、山伏の一人が風のように駈け出した。
上杉邸にまた投げ込まれた書状を拾ったのは、三宝寺勝蔵であった。
勝蔵は、それまで安閑と屋敷に待っていたわけではない。彼は、むろん伽羅のあとを尾けていた。――が、地蔵堂のある藪の手前でとめられた。
そこに坐って、煙管《きせる》をくわえていた山伏にである。ただし、べつに力でとめられたのではない。じろっと勝蔵に眼をそそぎ、ほかの通行人には知らない顔をしているのに、彼に注いだ眼はそのまま離れない。下手《へた》をすると、先にいった伽羅に危険が及びそうな予感があって、彼は何くわぬ顔でひき返したのだ。
が、むろん完全に退却したわけではない。少し離れた場所で逆に見張っていて――やがて、地蔵堂のほうから一人の山伏が駈けて来るのを見た。それを追って、その山伏が上杉邸にまた書状を投げ込むのを見て、山伏といれちがいにそれを拾いあげたのであった。
これを直江山城へとどけるとともに、これに至る顛末《てんまつ》を報告する。
読んで、聞いて、――
「これは」
と、さすがの直江山城も愕然《がくぜん》とした。
「ああ、伽羅さまがお出かけ遊ばすとき、どんなことがあってもおとめするのでござりました!」
と、頭をかかえる勝蔵に、
「いまさら、及ばぬ。――車丹波を呼んで参れ」
と、山城守が命じた。
すると、凄《すさ》まじい跫音《あしおと》がとどろいて来て、丹波のみならず、四天王ぜんぶがやって来た。勝蔵が呼びにいったとき、丹波は岡野左内と碁を打っており、前田ヒョット斎と上泉主水はそれを観戦していたのだ。
さて、山城は右の次第を物語り、伽羅の書状を見せて、
「丹波がゆけ」
と、いった。
あとの三人はキョトンとした。ヒョット斎が耳を疑うように、
「丹波だけでござるか」
「一人で来いと書いてある。車に宋版史記を載せ、丹波に曳いていってもらうのじゃ」
「ば、馬鹿なっ、このお手紙の通りに、オメオメと――伽羅さまほどのお方がかような御書状をお寄越しになるのは、よほどのわけ、いやその事情もわからぬに――」
「されば伽羅ほどの娘が、かような手紙を寄越したから、事態容易ならずと見てわしはいっておる。違背すれば、伽羅、左兵衛のいのちはない、と書いてあるではないか」
「そ、それなら」
と、上泉主水がさけび出した。
「一人なら、拙者が参る。拙者にゆかせて下され!」
「車にて運搬のこと、と書いてある」
「その車とは」
「むろん大八車のことじゃが、ひょっとしたら、車丹波に来てくれという伽羅の謎《なぞ》ではないか?」
この山城守の解釈は、牽強附会《けんきようふかい》、見当はずれに似て、必ずしもそうではなかったことがあとでわかる。
「丹波なら、きっと伽羅たちをみごと救って来るじゃろう」
「では、あの宋版史記をお渡しなさるのでござりますか」
と、ヒョット斎が眼をむく。
「いや、それを渡してなるものか。――丹波なら、本も渡さず、伽羅たちも救って来る。わしはそれを信じる」
車丹波は、けもののようなうめき声をあげた。涙を飛び散らせながら、たたみをたたき、
「殿、殿っ……丹波、必ず、必ず!」
と、絶叫した。この感激を如何《いかん》せん。
やさしくうなずいて、山城はいう。
「では、あとの三人も、車に急ぎ宋版史記を積み込むところまでは手伝ってやってくれ。――ただし、勝蔵によれば、指定の場所の手前に、どうやら見張りがあるそうな、妄動《もうどう》してとり返しのつかぬことになっては相成らぬゆえ、三人、くれぐれもあとを追うな。すべて、丹波に委《まか》せよ」
一人で運ぶのは手に余るだろうが、四人というのはちと大袈裟《おおげさ》だ。ましてや、車に載せるほどではないが、ともかくも九十冊を九個の桐箱《きりばこ》におさめて、車丹波はそれを載せた大八車を曳いていった。
これが、冬というのに下帯一本、ただし半被《はつぴ》は着ているが、頭は汚ない布で頬《ほお》かぶりといういでたちだ。
濠端の藪《やぶ》の手前の路傍に坐っていた二人の修験者が、近づいて来るこの車を見ると、金剛杖をとって立ちあがった。顔見合わせ、その一人が向うへ駈けていった。あとの一人は、大八車をやり過ごし、なおあとを見張るために残った。――
「おう、来たっ」
「例のものが来たぞっ」
地蔵堂の前で、山伏たちはどよめき立った。
最初の四人は、依然、左兵衛と伽羅を挟んで地蔵堂の縁に坐っているが、それにいま一人が加わったのみならず、まだあと五人ほど新しくふえ――さらに、七、八人の薦僧《こもそう》までが出現していた。
その薦僧の一人が、
「停《と》まれ」
と、丹波の車を停めさせ、
「これ、下手に動くと、あの両人のいのちはないぞ」
と、地蔵堂のほうにあごをしゃくってから、仲間とともに大八車に近づいて、桐箱の一つの紫の紐《ひも》を解いた。中から一冊とり出して、のぞきこむ。
「左兵衛に見させますか」
「いや。……これはまちがいなく支那の本じゃ」
そんな問答が交わされた。宋版史記は上杉家でも秘蔵の書物だから、外部のだれも知るわけはないが、一見してそれがほんものであることだけは感得《かんとく》されたのだろう。
「よし! では」
合図とともに、四、五人の山伏や薦僧が、九個の箱を両脇や片腕にかかえこみ、いっせいに向うへ駈け出した。――
宋版史記は、かくてまんまと奪われたのである。――
その刹那《せつな》――丹波の腕が、空《から》になった大八車のどこかにかかると、剛力恐るべし、それが宙にあがり、もう、三、四|間《けん》も向うを駈けてゆく群《むれ》をめがけて、凄まじい勢いで飛んでいった。
車は、彼らを薙《な》ぎ倒し、横倒しに道をふさいだ。
そのゆくえも見定めず、丹波は横に走って、伽羅の傍に坐っていた二人の山伏を蹴倒《けたお》し、一本の金剛杖をひったくった。その山伏たちは、匕首を伽羅につきつけていたので、杖はななめに縁に立てかけてあったのだ。匕首はつきつけていたのだが、いまの宙を飛ぶ大八車に胆を奪われて、それを行使するいとまがなかった。――
「車丹波|猛虎《たけとら》推参!」
彼は咆哮《ほうこう》すると、伽羅を横抱きにして、大八車のところへ突進し、そこに倒れてもがいている山伏や薦僧を、金剛杖で殴ってまわった。
血や脳漿《のうしよう》が飛び散った。
「左兵衛さまっ」
丹波はさけんだ。
「こちらはふさいだ。そっちへの逃げ道をおふさぎなされ! かねてお望みの御修行のとき、いま到来してござるぞ!」
左兵衛のそばの山伏も、丹波のほうへ羽ばたいて来たのを見ての指図だ。
左兵衛は、ウロウロと立ちあがった。この人物に、敵の挟み打ちなど出来るのか。――次の瞬間、彼は何と思ったのか、またガサガサと地蔵堂の縁側に這《は》いあがり、格子をあけ、中に逃げ込むと、ピシャンとその扉をしめてしまった。
これで、一方の道はあきっぱなしになったわけだが――むろん、山伏や薦僧でその方向へ逃げる者はない。
「ううぬ。……」
まだ十余人は健在だ。
それがいっせいに、ふいご[#「ふいご」に傍点]みたいな息を吐いた。
と、見るや、薦僧たちはいっせいに刀を抜きはなち、山伏たちは金剛杖をとり直した。しかも、そのうち三本ばかりは、一振りすると鞘《さや》のようなものが飛んで、その先端に槍《やり》の穂先が現われた。
丹波は、さすがに伽羅から片腕を離している。そのあと、伽羅はどうしたか。
彼女はこの危難に眼もくれず、せっせと地上に散乱した桐箱を集めたり、紫の紐をくくり直したりしていた。その品の貴重さを知る人間として当然な行為ではあろうが、しかしそれにしても度胸のいい女人ではある。
それをめがけて、二、三人の山伏が殺到した。
「くわっ」
丹波の棒がうなりをたてて、それを薙いだ。
山伏たちは、反転した。中には、鴉天狗《からすてんぐ》みたいに宙返りしたやつもある。さっき、背後から車をたたきつけられたあと、丹波の棒の血の洗礼を受けた連中は、あれは意外のあまりの失敗であったらしい。
車丹波は、半円に自分をとり囲んだ十余人の敵の一人一人が、実に人間離れした体術と気力の持主であることを知った。――
風が出て来たと見えて、頭上の藪がざわめき出した。
[#改ページ]
藪《やぶ》の中
「伽羅さまっ」
と、丹波はさけぶ。
「退散いたそう。しっかり、拙者についていなされよ――」
伽羅は、首をふった。
「宋版史記を残しては帰られぬ。それに、あそこには夫がいます。……お前、何しにここへ来たのじゃ?」
髯《ひげ》だらけでなかったら、丹波の顔がちょっとべそ[#「べそ」に傍点]をかいたのが見えたかも知れない。
彼としては、むろん宋版史記も伽羅夫妻もつつがなくとり返すつもりでやって来たのである。べつに、工夫はない。工夫している余裕もなかったが、ただ彼は、裸でやって来ても、敵が何者であろうと、その敵の武器を奪って、充分それくらいのことはやれるという自信があったのだ。
しかるに、その敵は、想像以上の異常な強敵であった。――
何よりも、おびただしい宋版史記と、それに膠着《こうちやく》した伽羅が妨げになった。――といっても、そもそもそれを守るためにやって来たのだから、文句はいえない。
文句をいうどころか、いまそのことで伽羅に叱《しか》られ、べそ[#「べそ」に傍点]をかきながら車丹波は、
「おおりゃっ」
と、また跳躍して来た数羽の鴉天狗を薙《な》ぎ払ったが、金剛杖がぽっきと折れた。彼は飛びずさり、片足で、むんずとばかり横倒しになっていた大八車を踏みつけた。
横倒し、というよりそれは、さっき投げつけられたときの勢いで、半分壊れて転がっていたのである。踏みつけられてそれが、べしべしっ、と、ひしゃげたのを、片手で車輪を一つひっつかむと、
「わっしょっ」
と、敵をめがけて放り投げた。
それは水平に、独楽《こま》みたいに廻りながら飛んでいって、走りかかろうとしていた二人の薦僧の頭部に命中した。一人は鼻孔から血を噴き、一人は頸椎《けいつい》でも折れたような首のかたちになって、車輪とともに崩折《くずお》れた。
その間に丹波は、もう一個の車輪と、車の枠《わく》を作っていた棒をひっぺがし、これを左右の手につかんだ。まるで盾《たて》と槍を持ったギリシャの戦士のようだ。その姿で、伽羅の前に立ちふさがり、全身の毛を逆立てて吼《ほ》えた。
「車丹波の火のくるまぶりを見たかっ」
困惑は、蜂須賀|乱波《らつぱ》党のほうに甚だしかったろう。もともと、音に聞えた直江四天王が、かりに全部やって来たとしても何かあらん、とまで自負していた彼らだ。車を曳いて来た男が、その中の一人、車丹波であったことを知っても、べつに驚く必要はないはずだったのだが――この勇猛さは、予想を越えた。
それに、丹波らは知らなかったが、彼らとしても宋版史記の安全保持についての心配は、丹波に勝るとも劣らなかった。その上、場所が場所だから、絶えず通行人はあるし、いつまでもここでやり合ってはいられない。
「玄馬《げんま》! 平六《へいろく》!」
乱波党の背後にいた薦僧の一人が、いらだった声で命じた。
「地蔵堂の両側に向え。そして、丹波とやらがなお刃向うなら――わしの合図とともに地蔵堂の中のやつを刺し殺せ!」
どうやら、その男が首領株らしい。
命じられた二人は、さっき金剛杖を槍に換えた山伏であった。彼らは走って、地蔵堂の両側に立って、その槍を構えた。
「丹波! 抵抗はやめろ」
薦僧はさけんだ。
「さもなくば、地蔵堂の中の人間のいのちはないぞ!」
その人間が伽羅だったら丹波もひるんだかも知れないが、何しろ自分のほうから地蔵堂に逃げ込んだ情けない左兵衛だ。いや、左兵衛ならどうなってもかまわないというのではないが、とにかく山伏たちは外におり、左兵衛は中にいる、と見て、
「うぬのほうが先に死ね!」
車輪を、その命令者のほうへ、また放った。――そやつが首領、と見たからだ。
片腕の投擲《とうてき》なのに、それは凄まじい勢いで宙を飛んで――もし、両側から二人の薦僧が身を挺《てい》してかばわなかったら、その男はもろに粉砕されたろう。
いや、かばい手二人が、血へどを吐きつつ車輪ともつれ合いつつ転がったのみならず、その命令者もどうと尻餅《しりもち》ついたくらいである。
「突け、中のやつ、突き殺せ!」
尻餅をついたまま、発狂したように首領は絶叫した。
その声の鞭《むち》に打たれて、地蔵堂の両側に槍を構えていた二人の山伏は、いきなり、がっという音をたてて、堂にその槍を突っ込んだ。
格子をあけるのも手ぬるし、といわんばかりのこの板越しの刺突《しとつ》は、その地蔵堂がせいぜい一坪ほどの大きさで、しかも中に大きな石の仏さまが鎮座しているのを知ればこそだ。だから空間はそんなにないし、手応《てごた》えがなければ、二度、三度、ズブリ、ズブリと突き直すつもりであった。
事実、両人、その槍を引こうとして――急に動かなくなった。槍そのものが動かなくなったのだ。
「や?」
異様な手応えに、二人の山伏の顔面が硬直したとたん、二人は同時に仰むけに転がった。槍を突き返されたのである。
地蔵堂の格子がひらいた。
二人の人間が、のっそりと下りて来た。
一人は、赤茶けた蓬髪《ほうはつ》、色あせた黒紋付によれよれの袴《はかま》をはいた牢人《ろうにん》風の男で、一人は対照的にばかに華美《はで》やかな緋《ひ》の胴羽織に前髪立、背に長剣を背負っている青年だ。
それから、もう一人。――
八文字にひらいた格子の向う、堂の中に、おぼろおぼろと白い影が見えた。どうやら白衣の着流しに、白い頭巾《ずきん》をつけているらしい。これは下りて来ない。
それにしても、これだけの人数の人間が、いつ地蔵堂にはいっていて、どこの空間に存在していたのか。――まるで放下僧《ほうかそう》の手品でも見ているようであったが、それより、
「おう、うぬらは!」
眼をむき出したのは、車丹波だ。
それはいつか本多屋敷で見た、本多長五郎と新免武蔵、佐々木小次郎ではなかったか。――
「な、何者だっ?」
さけんだのは、首領の薦僧だ。白頭巾は答えた。
「法性地蔵《ほつしようじぞう》の仏使《つかわしめ》。――」
「なに?」
「これ以上の殺生《せつしよう》はやめよ、と申しに来たのじゃ。……見よ、天狗《てんぐ》ども、半分はへたばっておるではないか。いまのうちなら、半分の生残りが背負って逃げれば、何とか始末がつく」
「ば、馬鹿なっ」
編笠の中から首領はかん走った声をほとばしらせた。
路上はまさに死屍《しし》累々といった惨状だ。それを指摘されて、彼はいよいよのぼせ上り、
「うぬら、何をしておる。何者かは知らず、そやつら、一人残らずみな殺しにせい!」
と、配下に号令した。
「もはや、宋版史記などどうでもよい!」
「ほんとうにどうなってもよいのか」
白衣の影はいった。
「それでは駿府《すんぷ》の淋病《りんびよう》の始末はどうなさるな?」
雷《らい》に打たれたように立ちすくんだ首領の足もとに、倒れていた山伏の一人がにじり寄り、あえぎながら何かいった。
舌がもつれていたので、ほかの人間には何をいったのかよく聞きとれなかったが、彼は――先日、本多家にいったとき屋敷の奥へはいって、そこで自分たちを追い払った人間が――いま、地蔵堂から現われた二人の男にまぎれもないことを告げたのであった。
――では、あれが……本多家の?
首領は編笠の中から、夢魔でも見るように眼を見張った。
彼は、蜂須賀阿波守であった。
きょうの宋版史記奪取作戦の首尾やいかに、と心配のあまり、この藪の近くで手勢をひきいて待機していたところ、先刻伽羅に手紙を書かせることにやっと成功したという報告を受けて、素破《すわ》こそ上杉家から、ほんとにめあての物を持って来るか。――と、ここに姿を現わして、ワクワクして待ち受けていたのが、何ぞはからんこういう始末になりはてたのだ。
あれが本多家の?――とはいうものの、さて本多家の何か、見当がつかない。だいいち本多家の人間なら、それが宋版史記を奪う邪魔をするのが、納得《なつとく》がゆかない。
が、何はともあれ、自分の正体を知られているらしいことに、蜂須賀阿波守はがっくり来た。実際、いっときもこれ以上ここにとどまってはいられないような恐怖に襲われた。
「屍骸《しがい》。――」
しゃっくりのような声でいった。
「手負《てお》い、みな背負って引揚げえ」
と、彼は配下に命じ、夢遊病者みたいに歩き出した。
ふつうなら、これでおさまるはずのない蜂須賀乱波党が、命《めい》のままに味方の死傷者を収容して、あわてふためいて引揚げていったのは、何より主君のようすのただならぬ急変に感ずるところがあったからに相違ない。
「では、両人」
と、堂の中の白い影はいった。
「極楽へ帰ろうぞ。――」
地蔵さまのお使い、といったから、そんなせりふを吐いたのだろうが、その両人――地蔵堂の外につっ立っていた二人は、一方の粛殺《しゆくさつ》たる牢人風の男はもとより、もう一方の袖無《そでなし》羽織の美青年も、みるからに剣気みなぎり、とうてい極楽へゆけそうな雰囲気はない。
白衣の影が、暗い地蔵堂の中で、すうと薄れかかったようであった。笑い声が残った。
「教えておくが、いまの山伏|薦僧《こもそう》ども、あれは蜂須賀阿波守と乱波の者どもであったぞ。――」
これは、車丹波にいった言葉であった。
一息おいて。――
「待てっ」
と、車丹波は吼《ほ》えた。
珍しく丹波は、それまで黙って立っていた。宋版史記を奪おうとした一味が、這々《ほうほう》の体《てい》で引揚げてゆくのも、放心状態で見送っていた。
彼としては、ただ驚き果てていたのである。その地蔵堂から、あの本多長五郎と武蔵・小次郎が現われ出《い》でたことに。――
出現した場所も意外なら、出現した人物も意外。
それが、どうやら、こっちの味方になって、「敵」を追い払ってくれたらしいことは大意外。
その上、いま大あばれした相手が、かねて念願の蜂須賀の者ども――しかも、その首領株と見えたのは、今にして思うと、なるほど駿府傾城町でチラと見た阿波守自身に相違ない――というに至っては、何といっていいかわからない。
そのショックで、彼はわれに返ったといっていいほどだ。
しかも、蜂須賀一党は引揚げてしまった。――そうと最初から知っておれば、阿波守にあれ以上の一撃をお見舞い申しあげるところであったのに、何とも残念至極。
と、無念がるより、彼の闘志は、まだそこに残っている奇怪な三人に向けられた。
「待て、うぬらにも聞かねばならぬことがある。うぬら、どうしてここに現われたか」
と、彼は棒――大八車の枠の一本――をとり直した。
「それより、その白頭巾の中の顔を見せい!」
走り寄ろうとした丹波の前に、ぱっと猛鳥が羽搏《はばた》くように佐々木小次郎が立ちふさがった。
「それ以上、来ることはならん!」
「何を、小癪《こしやく》なっ」
何の遠慮もない丹波の棒が、ななめに相手の頭上へふり下ろされるのと、その下をくぐって前のめりになりながら、小次郎の長剣の鍔《つば》が、その背で鳴るのと同時であった。
おそらく小次郎としては、丹波の棒が自分の身体を打撃する前に、自分の剣が相手を両断する方が速い、と考えたのであろう。通常の剣士が相手なら、その速度計算は至当であった。
ところが、丹波は常人ではなかった。剣士でもなかった。武芸も蜂《はち》の頭もない、その剛力無双の棒は、常識の速度を超えた凄《すさ》まじさで、小次郎の頭上に落下した。
しかも、双方の武器の長さは、小次郎のものが、長剣といい、物干竿《ものほしざお》と称しても、刃渡りは三尺だ。柄《つか》をいれても、丹波の棒の七尺以上あるのにははるかに及ばない。――
「きえーっ」
つん裂くような声とともに、横から躍って来た大刀が、その棒を一尺ばかりのところで切断しなかったら、小次郎はどうなったか。いや事実、切り離されながらその棒の断片は小次郎の頭部を打ち、「あっ」とさけんで小次郎は尻餅をついたほどである。
横から切ったのは、武蔵であった。
飛びずさった車丹波に、彼は、
「やめろっ。……殺生はさっきとめられたばかりじゃ」
と、さけんだ。
「やむを得なければ、この新免武蔵が相手になるぞ!」
「やるかっ」
「丹波」
と、うしろから、伽羅が呼んだ。
「それより、左兵衛どのはどうなされたか。その御安否を早うたしかめて!」
「それは請合う」
と、武蔵がいった。
「やはり、ここで果し合いはよそう。……それはわしどもが極楽へ帰ったあとにしてくれ。それより、そこに散らかっておる本や箱、早くまとめて持ち帰らねば、あとまだ何が起るかわからんぞ。……」
そして、歯がみしながら立ち上ろうとしている佐々木小次郎の片腕とってぐいとひき起し、そのままスタスタと地蔵堂のほうへ歩いていった。
「小次郎、負けたり!」
と、いう声が聞えた。笑いそうもない、凶猛といっても然《しか》るべき武蔵の顔が、この場合に何が可笑《おか》しいのか、ニンマリと笑っていた。
「ははあ、物干竿を破るには、なるほどもっと長い得物《えもの》をもってすればよいのじゃな。……」
そして、小次郎をかかえたまま、地蔵堂の中にはいりこみ――
「息を十したら、来てくれ。主人を渡す」
と、こちらにぶっきらぼうにいって、格子をとじた。
伽羅も丹波も、茫然《ぼうぜん》としてそれを見送り、結局息を十するほど立ちつくしていたのは、相手の言い分におとなしく従ったというより、余りの奇怪さにあっけにとられていたのだ。
奇怪事は、その後に丹波が駈け寄って、地蔵堂の格子をあけたときに、さらに倍加した。
その一坪ほどの地蔵堂の中には、大きな石のお地蔵さまの足もとに、眼をまわした左兵衛が横たわっている以外、武蔵と小次郎も、先刻そこにいた白い頭巾の男も、忽然《こつねん》と消えていたのである。
丹波はぐるりとそのお地蔵さまを廻ってそのことをたしかめ、かつお地蔵さまをゆさぶって見たが、それは、さしも怪力の彼の力でも微動だにせず、ニコと笑っているだけであった。
直江左兵衛を抱きあげて、ぽかんとした顔で外に出れば、地蔵堂の上では藪《やぶ》もまた笑うように鳴っているばかり。
[#改ページ]
雀剣一如《じやんけんいちによ》
……蜂須賀の宋版史記奪取はついに成らなかった。
阿波守自身乗り出して、とんだ痛い目を見たわけだが、彼はそのこと自体についての無念さよりも、本多佐渡守から依頼された宋版史記を奪いそこねたことに懊悩《おうのう》した。
しかも、当分成功のメドがつかない。
といって、腕こまぬいて無為で過せば、どんなお咎《とが》めが来るか?
彼はしばらくのあいだ夜も眠れないほどであったが、どういうわけか、その後本多佐渡からの督促はなく、結局なんの咎めもなかった。江戸城や駿府でまた顔を合わせる機会はむろんあったが、佐渡守は知らん顔をしている。あの一件に関しては、まったく忘れ果てたようだ。……
考えてみると、あわや宋版史記の奪取に成功しようとしたときに、じゃまにはいったのが本多家にいた妙な男たちだったというのがいぶかしい。いぶかしいが、佐渡に聞くわけにもゆかない。――結局この一件は、ただ「妖《よう》」の煙にとざされた、蜂須賀阿波守にとって甚だ落着きのわるいなりゆきとなってしまった。
で、この宋版史記は、無事に上杉家に残った。――
明治四十三年、福本日南が、「いまだ知らずこの本今なお上杉家に存するやいなや」と書いたことは紹介したが、その後の宋版史記の運命について、昭和四十九年七月二十五日の「毎日新聞」は、次のような記事を掲載している。
「殿ご乱心。
上杉家の国宝(宋版史記など)を、三億円で売るとおっしゃる。
米沢、旧家臣ら猛反対」
それによると、宋版史記など上杉家に伝わる国宝の書籍は、いまも十代上杉|鷹山《ようざん》公を祭る米沢の稽照殿《けいしようでん》に秘蔵されているが、上杉十六代目の現当主上杉|隆憲《たかのり》氏が、「お家の都合」で売却したいといい出し、旧家臣団が、殿さま個人のものではない、と猛烈に反対しているというのである。
その後、この経過がどうなったか、作者も「いまだ知らず」だ。
とにかく直江山城の亡霊がこれを知ったら、憮然《ぶぜん》とするだろう。――いや、彼のことだから、軽やかに一笑するかも知れない。
それはともかく、左兵衛夫妻と宋版史記をつつがなくとり返した四天王たちのよろこびはいうまでもない。
山城は丹波にまかせておけといったが、ヒョット斎たちにしてみればそうもならず、草履取りの勝蔵とともに地蔵堂に駈けつけ、その手前の山伏の監視にはばまれ、へたに押し通ると人質に危険の及ぶ可能性があるので歯がみしていたのだが、何事が起ったのか、その山伏が向うへ逃げ出していったので、それを追って地蔵堂の前で、散乱した宋版史記と伽羅、気絶した左兵衛を抱いた車丹波を見いだしたのであった。
さて、一同|凱歌《がいか》をあげて帰邸して来て、まず丹波の気炎の虹《にじ》がかかる。
なにしろ、身に寸鉄もおびず出かけていって、大八車で蜂須賀乱波党を粉砕したというのだから、いくら威張られてもしかたがないが、丹波の自慢がとめどもないので、三人はウンザリした顔で、それぞれケチをつけた。
ヒョット斎がいう。
「しかし、阿波守を、その笠《かさ》もとらずに逃したのは、少々物足りぬな」
「いってしまってから、あれが蜂須賀だといわれてわしも驚いたのじゃ」
と、丹波も無念げだ。しかし、宋版史記を狙《ねら》ったのが蜂須賀であったとは、ヒョット斎らも心中に驚いている。
上泉主水がいう。
「武蔵・小次郎が出現したとやら。――ああ、おれがいっておれば、そのままには消えさせなんだものを」
「わしも口惜《くや》しい。小次郎ごとき、あと一息でぶちのめしてくれるところじゃった。それより宋版史記を片づけろと白頭巾にいわれて、そっちのほうに気をとられたのじゃ」
岡野左内がいう。
「せっかく、おれのサイコロで合わせた蜂須賀をやっつけながら、左兵衛さま御修行の場とすることが出来なんだらしいの。九仞《きゆうじん》の功を一簣《いつき》に虧《か》くな」
「それは、とにかく左兵衛さまは、はじめから一目散に地蔵堂に逃げ込まれて……」
丹波は舌打ちして、ジロリとかえり見た。
その左兵衛は、さすがにもう気絶からは醒《さ》めたが、なおそのときの恐怖は醒めないらしく、ぐったりと床柱にもたれかかったままだ。で、伽羅だけが父の山城のところへ報告にいっている。――
「何と申しましても、何よりあの地蔵堂というやつが面妖でござりますな」
と、縁側に腰かけていた三宝寺勝蔵が口を出した。
そこからあの白頭巾や武蔵・小次郎が現れ、またそこへ消えてしまったことについては、四天王も首をひねり、あとで地蔵堂を調べて見たのだが、その謎《なぞ》を解く何の異常も見つけ出すことは出来なかったのだ。だいいち、あれが宏壮な建物とでもいうのなら、隠し戸ということもあるだろうが、濠端《ほりばた》の藪《やぶ》の中に建っている一坪くらいの地蔵堂から、どこへ消えたというのか?
左兵衛は、突如|脾腹《ひばら》に一撃を食って失神したので、白頭巾たちが出現したのも知らないという。――
その左兵衛が、ふいに気泡《きほう》が浮かんで来たようにぽつんといった。
「車で史記を運べといったのはわしじゃが……そうしたら、わしは必ず丹波が来るものと思うておった。……丹波が蜂須賀をやっつける法を教えてくれといったのに、はからずも応えたことになるはずじゃったが、そのわしが気を失ってしまったのは、何ともはや面目ない……」
「や、丹波御苦労」
伽羅といっしょに、山城守がはいって来た。山城は、丹波が使命を果して帰って来たことを、当り前のような顔をしていた。
その武蔵・小次郎と岡野左内が、はからずもつき合うようになったのは二月にはいってからであった。
左内は、麻雀《マージヤン》狂である。――というより、どこから手に入れたか、おそらく日本にただ一組しかない麻雀|牌《パイ》の唯一の所有者である。
で、その面白さをみなに説いてやまず、この遊戯の発明者は人類はじまって以来最高の頭脳の持主だと絶讃し――いちどは直江山城も卓を囲んだこともあるのだが、やがて、
「いや、左内、せっかくのお前の勧誘だが、これは亡国の遊びである」
と、しりぞけた。――
だから、仲のいい四天王たちも山城をはばかって、左内の誘いになかなか応じない。で、左内が相手にするのは、いつも若党|中間《ちゆうげん》のたぐいであった。それすら、上杉家では何となく大っぴらにはやりにくい。そこで彼は、中間仲間から縁をたぐって、しばしば他家の中間部屋へノコノコ出かけていって、その宣伝普及につとめている。
その中に、細川|越《えつ》 中《ちゆうの》 守《かみ》の屋敷があった。
二月のはじめ、そこへ出かけた左内は、その邸内で、ばったり佐々木小次郎に逢《あ》った。――
さすがの左内も、思いがけない人物を思いがけない場所で見て、ぎょっとしたが、すぐに、
「いよう」
と、声をかけたときは、持前の洒脱《しやだつ》な笑顔になっていた。
小次郎は、はじめだれだかわからなかったらしい。小次郎にして見れば、岡野左内には、直江四天王がいつぞや本多家の中間の首三つを持って現れたときにその一人として見たばかりだから、顔に記憶はあっても、場所が細川家だから、とっさに思い出せなかったようであったが、
「上杉家の岡野左内でござるよ」
と、いう挨拶を聞き、改めてその細い口髭《くちひげ》をはやした血色のいい円満な顔を見て、意外そうな表情になり、
「やあ」
と、いった。
左内はノコノコと近寄った。
「これは、意外なところでお目にかかったな」
「何か用か」
小次郎は、ぶっきらぼうだ。
「いや、べつに用はないが……せっかく珍しい人に逢ったのじゃから、そうですな、これを機会にお近づきになりたいもので」
「こっちにそんな必要はない。おれは多忙だ。では御免」
「まあ、そんな愛想のないことはいわないで……ちょっと、これを御覧なされ」
と、いって、岡野左内は片手にぶら下げていた麻雀のケースを、パチンとひらいて見せた。
「なんだ、それは?」
ズラリと詰め込まれた奇怪な牌を見て、小次郎は眼をまるくした。
「支那《しな》の兵棋で」
「兵棋?」
「三国志のころ、諸葛《しよかつ》 亮《りよう》 孔明《こうめい》がこれを兵の代りに動かし、卓上で陣を編んで謀事《はかりごと》を練ったという――一種の遊戯だが、これ、やって見ると、兵法の奥儀にもつながる」
左内はまじめくさっていった。
「これから、そこの中間部屋で細川家の中間衆とやって見るが、ひとつ御覧にならぬか」
小次郎はちょっと考えていたが、結局左内のあとについて来た。
見たこともない道具なので、さすがの彼も好奇心にかられたのと、それにいまの兵法の奥儀|云々《うんぬん》の左内のコマーシャルに吊《つ》り込まれたらしい。
で、左内は佐々木小次郎に麻雀を教えた。――卓は、左内が作らせて、細川家の中間部屋に用意してあった。
その一日で、小次郎は麻雀に夢中になってしまった。
中間連中とやるのだから、真似事でも金を賭《か》けねばならぬと左内にいわれて、はじめはちょっと眉《まゆ》をひそめたが、結局小次郎はいくばくかの豆板銀《まめいたぎん》をもらう結果になって、
「初陣にしては、筋がいい。ひょっとしたら、貴公、この道でも天才かも知れぬ」
と、左内にほめられて、まんざらでない顔をした。
たいていのおだてには乗らない疑い深い男も、ギャンブルに勝って讃辞を受ければ、これにはだらしなく顔の紐《ひも》をゆるめる。ましてや、ひどく自信家と見える佐々木小次郎だ。
「どうじゃ、明日もまたやらんか」
と、さっき多忙だといった男が、息はずませていう始末になった。
「本多家の例のお家に伺おうか」
と、岡野左内が聞く。
小次郎は、ちらっと左内の顔を見た。これまで左内は、いちども小次郎に何の問いも投げず、いつか首を持参したときのやりとりや、さらについ先だっての濠端の地蔵堂の一件、――それは車丹波らと同じ上杉家の者として、左内も知っているはずだが――についても、ひとことも聞こうとはしなかったのだ。
左内は、実に恬淡《てんたん》たる顔をしていた。小次郎は首をふった。
「いや、あそこは困る」
「それじゃ、上杉家に来るかな」
小次郎は上眼づかいに左内を見て、
「いや、そこも困る」
そして、相手になっていた中間たちを見まわして、
「ここはいかんか」
「かまわんだろう、ここでよければ」
と、左内は勝手に承諾した。
で、小次郎はそれから、ほとんど毎日といっていいほど細川家の中間部屋に通《かよ》って来はじめたのみならず、七日ほどたった一日、こんどは新免武蔵もつれて来た。
「おい、そんなむつかしい顔をしていないで、だまされたと思ってひとつやって見ろ」
数日のうちに、武蔵も麻雀に夢中になった。
「アア、こんなに面白いことは、生まれてはじめて知った! それ、チー!」
十日目くらいのある日、蓬髪垢面《ほうはつこうめん》の、剣人というより苦行者みたいに見える武蔵は長嘆した。
「身に愉《たの》しみをたくまず――とかいう、おぬしの信条には反するが、わかったろう、そら来た、ポン!」
と、佐々木小次郎はからかうように、またわが意を得たり、といった風に笑う。
それで武蔵は、ふとわれに返ったようだ。
「しかし、これが兵法の奥儀のどこにつながるのじゃ?」
左内がいった。
「例えば、ピンズのホンイチをやろうとする。そこにワンズやソーズがぽかぽかはいる。なのに、なおピンズにこだわっていてはとうてい勝てない。固執は敗北につながる、というようなところが――」
「なるほど」
武蔵はうなずいた。
「おれにとってはまさに頂門《ちようもん》の一針じゃ。では、これを捨てよう」
「ロン!」
と、左内は牌をたおした。
「ドラが二枚で、ウーファンじゃぞ!」
次の回がはじまる。十五巡目あたりで、左内が話し出した。
「それからの、例えばチートイツをやろうとしておる。そこに三枚目の牌が、一枚、二枚はいる。すると急に方針を変えて三アンコー、四アンコーなどを狙い出す。そういう風に、軽々しく方針を変えては、これまた敗北につながるところ。――」
「なるほど」
小次郎はうなずいた。
「それはたしかに兵法の参考になるな。では、方針堅持で、こっちを捨てる」
「ロン!」
と、左内は牌をひらいた。
「チンイチ、マンガンじゃぞ!――ちょっと注意しておくが、牌以外の口の伴奏もまた兵法の一つじゃ。ま、麻雀の三絃じゃな」
すなわち、現代の麻雀でいわゆる「三味線」と称するのは、岡野左内が言い出したことなのである。
また次の回がはじまる。同時に左内の講義もつづく。
「武蔵さん、あんた、ついとらんようじゃな。つかんときは、だれしも心乱れ、のぼせあがり、はてはやけくそになって危険牌をふるものだが、麻雀のつかないときの隠忍、これに耐えられんようでは、武道で不調のときのしのぎが出来ん。兵法どころか、つかないときの麻雀は、人生の達人への何よりの修行じゃと思いなされ」
「なあるほど!」
「ついておらんときにはの、焦《あせ》らんで、ひたすらがまんする。が、ただおりるばかりに努めることはあまりに芸がない。わざと乙にふり込んでやって甲をひきずり落してやったり、わざと食わせて、乙と丙を共喰いさせてやったりすることも出来る」
「いかにも――それは、兵法の至妙――ポン!」
「それからな、佐々木さん、あんたは天才的なところがあるが、チョイチョイ気がよそに散ることがあるようじゃ。勝負の場になったらの、卓上牌なく牌下に卓なし、といった夢想の境地にはいらなければならん」
「なあるほど!」
「ましてや、イヤこれは少々勝ち過ぎたか、など、敵に憐愍《れんびん》の情を毛ほども起したが最後、それがこっちの落ち目のはじまりとなる。勝つときは無情無慈悲、相手の骨までしゃぶってなお飽かぬ、ということにためらいがあってはならん!」
「いかにも――それは、兵法の真髄――チー!」
「それロン! 近くばよって眼にも見よ、これは大三元じゃぞ!」
[#改ページ]
そこで武蔵は考えた
習いはじめのころは飴《あめ》をねぶらせておいて、小次郎、武蔵が熱中して来たころを見はからい、岡野左内は、さんざんこの二人をやっつけた。
賭ける金は、次第次第に上っている。
「賭金は、今まで通りでよいかな? お望みにまかせるが」
と、左内が持ちかけたのに、昂奮《こうふん》してかさあげを主張したのは、武蔵、小次郎のほうであった。
で、二人は、あれよあれよというまに、借金だらけになってしまった。
武蔵と小次郎は、しかし自分がどれだけ借りたことになっているのか、よく知らなかった。はじめ、勝ったときは現金をもらったのだが、負けたとき、たしか武蔵が、
「きょうは、あいにくそれだけの金子《きんす》を持参しておらんが」
と、憮然としていったのに対し、岡野左内が軽《かろ》やかに、
「あ、よろしいよろしい、帳面につけておく」
と、うなずいてすませてくれたので、あと武蔵はもちろん小次郎も、同様に帳面上の借金を重ねて、直接の痛みを感じなかったのである。
それを、ある日――勝負が終ってから、突然左内が、
「ところで、何じゃ、きょうあたりで一つ清算して置くことにしようか」
と、いって、ふところから帳面をとり出した。
「あまりたまると、あとでかえって難儀じゃからの」
武蔵と小次郎は、キョトンとした。
左内は帳面をひらいて、裕福な大町人みたいな笑顔で、
「うむ、いままでのところ、立替分もふくめ、新免さんが三十四両、佐々木さんが七十五両――」
「そ、そんな金はないぞ!」
二人は狼狽《ろうばい》し、同時にさけび出した。
「ないですむ問題ではないが」
と、左内は落着き払っていう。
「貴公ら、勝ったときは持っていったではないか。勝てばもらう、負ければ払わぬという勝負があるものではない」
「しかし」
と、小次郎は頬に血をのぼしてさけんだ。
「おぬしが、帳面につけておくというから……」
「帳面につける、つけぬはともかく、勝負をする以上、払えといわれたらきれいに払えるだけの金は用意しておくのが武士のたしなみというものじゃ。心得のある武士なら、常に胴巻の中に、自分の葬《とむら》い代だけは巻き込んでおくもの――」
ニコニコしながら、左内はいう。小次郎は肩をそびやかした。
「たかが、賭博《とばく》にひとしい遊戯に、武士のたしなみなど大袈裟《おおげさ》なことを!」
「賭博の勝負は、見ようによっては真剣の勝負より厳粛ですぞ。それは、はじめから、強弱平等、善悪ぬきの約束事で成り立っておるからじゃ。いやしき下郎《げろう》の間でも、ばくちに負けたら女房を質に置いても払うという。貴公らは、ここにおる中間《ちゆうげん》衆に恥ずかしうはないか?」
と、左内は、観戦していた細川家の中間たちをかえりみた。
「あ……あいわかった」
武蔵は、がっくり肩を落して、
「この借金、三十四両であったな。わかった。わかったが、しばらく待ってくれ、左様、三月はじめ、上洛するまでには何とかしたい。ただ……」
と、歯切れ悪く何かいいかけるのに、左内は眼をまろくして、
「ほ? 貴公も、京へゆくのか?」
「されば、主人のお供をして」
「主人とは、本多長五郎……どのか?」
その問いに、武蔵は答えず、沈痛な顔で考え込んでいる風であった。
「武蔵、おぬし……金はあるのか」
と、小次郎のほうが意外な顔をした。
「ない」
武蔵は首をふった。
「どうするのじゃ?」
「そのことについて、実は左内どのに相談がある。金がないから、その代り、何か木彫りの置物でも作って、それで勘弁してもらうほかはないが――」
小次郎は、この相棒が自分と同様、剣ひとすじの人間に見えて、案外器用なところがあり、絵を書いたり木像を刻んだりする趣味のあることに思い当った。
「例によって、観音像でも刻むのか」
「そんなものはご免こうむる。おれは切支丹《キリシタン》じゃからの。そもそも金を賭けてやった麻雀じゃ。金以外のものはだめだ」
と、左内はにべ[#「にべ」に傍点]もなく断わった。麻雀をやっているときの――いや、ほんのいままでのにこやかさはどこへいったか、と思われる、こわい因業《いんごう》な顔を彼は作っていた。
「さ、相談というのはそこじゃが、おれはこの麻雀道具一式を作って進呈しようと思うが、それでいかんじゃろうか?」
「えっ、この牌と点棒をか?」
「左様」
「材料に、竹と……象牙《ぞうげ》が要るぞ。象牙など、手にはいる見込みがあるのかな?」
武蔵は考えて、従容《しようよう》といった。
「何とか」
左内は、眼をまろくして、
「そ、そんなものが出来れば、貴公の借金どころではない。おつりをやりたいほどじゃが……」
「では、そうしてもらおうか」
「ところで、佐々木さんのほうはどうかな?」
鉾先《ほこさき》を転じられて、佐々木小次郎は弱り果てた顔になり、しばらく口をモガモガさせていたが、やがて、
「武蔵。……こうなればやはり、かねておれがいっているように、この際本多家をやめて新しく仕官するよりほかはない」
と、いい出した。
「その支度金でこの借金を払う」
じろっと、ふりかえって、武蔵がいう。
「そんなことは出来ない」
小次郎は猛然と答えた。
「出来る」
「佐渡どのが許されまい」
「そんな権利は、佐渡どのにない。われわれは正式に本多家に召抱えられているわけではなく、ただいっときの番犬として飼われている野良犬に過ぎん。たかが中間《ちゆうげん》部屋のばくち[#「ばくち」に傍点]に負けて、たちどころに金を払うのに困るといったありさまが、われわれの立場を如実《によじつ》に物語っておるではないか」
「身分の点についてはいましばし待て、と仰せられる佐渡どののお言葉を信じよう」
「何を、あのしぶちんめが……あんな古狸《ふるだぬき》の約束、あてになるものか。このごろおれはつくづくと、あの爺《じじ》いに対して信頼感を失った」
小次郎は真っ赤な顔になって、憤懣《ふんまん》をもらした。
この二人が、こんな問答を交わすのを聞くのは、はじめてだ。どうやら二人の間ではいままで何度か交わされたやりとりらしいが、少なくとも他家の中間部屋でいい合うような内容ではない。麻雀で負けて、金を払えといわれて、その金がないので小次郎が頭に来ていることはたしかだが、一見重厚な新免武蔵も、やはり平常心を失っているらしい。
ただし、武蔵の言葉そのものは、小次郎という奔馬《ほんば》を制馭《せいぎよ》するほうには廻っている。
「しかし、われわれの受けておる任務からしても、われわれが軽々しく他家に奉公することを佐渡どのが認められまい」
「あの御仁は、そんな権利はないといっておるではないか! それに、かりにも巌流《がんりゆう》佐々木小次郎、いっていいことと、いってはならぬことはわきまえておる。他家に奉公したとて、なんで本多家の秘事を明かすものか。心配なら、おれに討手をかけろ、相手になってやるぞ……」
そして、武蔵を敵そのもののような眼でにらんだ。
「遠慮はいらん、おぬしが討手になってもよいぞ」
「しかし……われわれは、たがいに、幕府の中枢に仕官する、というのが望みで本多家に飼われたのではなかったか」
「そう思って、おれも辛抱して来たが、どう見ても正式採用の見込みはない。本多家の体質そのものが武芸など余り高くは買っておらぬようじゃ。それに、いまの借金の件、もう幕府の中枢とか何とか、そんなぜいたくなことはいっておれなくなった」
小次郎は、吐き出すようにいった。
「それより、外様《とざま》の大名でもおれを高く買ってくれる向きに、高く買ってもらおう」
「この細川家にか?」
「されば、越中守さまは、五百石なら即座に召抱えるが、と仰せられておる」
と、小次郎は濃い眉をあげた。
――してみると、彼はもともとそんなつもりでこの細川家へ出入りしていたと見える。いや、当主の越中守|忠興《ただおき》にも会って、すでに話はそこまで進んでいるらしい。
「五百石か。……しかし、おぬしほどの剣人を、五百石ではもったいないの」
「千石という声をかける向きもある」
「えっ、千石?」
「ただ、細川家なら九州の豊前《ぶぜん》、おれの故郷を通る便もあるが、そっちは反対のみちのくじゃから、おれもその点でまだ決めかねておる」
「みちのくの、何という大名だ」
「独眼龍政宗公」
――あっ、という小さな声が聞えた。岡野左内であった。
そもそも左内が、麻雀の蜘蛛《くも》の巣で小次郎たちをつかまえようとしたのは、それで金縛りにして、彼らの告白を聞こうという目的からであった。
彼らは、いつ、いかなる機縁で佐渡守に知られ、いま何のために本多家に傭《やと》われているのか。……というより、彼らが仕えている本多長五郎という人物の存在が余りに奇怪だから、その本多家の次男坊はふだん何をしているのか、なぜいつも頭巾で顔をかくしているのか、先日の地蔵堂の怪事のからくりはいかなる次第であったのか、等々の消息を探り出してやろうと思い立ったのである。
そのつもりで、まず絞めるのにかかったとたん、いち早く武蔵と小次郎がそれに触れる可能性のある問答をはじめて、しめしめとほくそ笑んでいたら、話は変な方向へ――小次郎の新しい働き口のほうへ飛び移ってしまった。
小次郎が、借金の解決法に選ぼうとしている新仕官の口の一つが、伊達家とは!
伊達政宗なら、例のブラックリストに上っている名であるばかりではない。そもそも岡野左内にとって、いちどは戦場で決戦し、長蛇《ちようだ》を逸した好敵手であったのだ。だからこそ左内は、蜂須賀を車丹波に譲って、その代り政宗はおれにまかせてくれといったくらいなのだ。
「ちょっと……お話中じゃが」
左内は、あわてていい出した。
「仕えるなら、貴公、上杉家にはどうじゃ?」
「上杉家? それはだめだ」
なぜか、二言と口をきかせず、小次郎は頭からはねのけた。
「そうだ、ただ千石という高禄のみならず、政宗公のおれへの御執心ぶりは、忠興さまよりはるかにまさる感触がある。……よし、いま、それに決めた」
佐々木小次郎は、自分にいい聞かせるように大きくうなずいた。そして、いったんあることを決心したら、てこでもひるがえさぬ、どこか偏執狂的な眼光で、はたとこちらを見すえた。
「武蔵、もうとめるな。おれは伊達家に仕える。……左内、その支度金をもらうまで、しばらく待て、この借金、たしかに返すぞ、ええと、たった七十五両であったな?」
岡野左内は、いよいよ狼狽《ろうばい》した。
「伊達か。あれはよくない。おぬしほどの天才的剣豪が、あたらみちのくの田舎《いなか》藩に朽《く》ちるなど、惜しいという言葉では足りぬ。伊達は感心せんな」
あまりケチをつけるものだから、小次郎のほうが気がついた。
「ははあ、なるほど伊達と上杉は、同じ奥羽で宿怨《しゆくえん》の仲じゃな」
と、いい出したのみならず、皮肉な眼で左内を見て、
「上泉主水という大剣客も、米沢上杉家に奉公しておるではないか。――いや、これは面白い。いまの身分のままでは上泉主水と果し合いするというわけにもゆかんだろうが、おれが伊達家の人間になると、その機会に早く恵まれるかも知れん。……その日を、愉しみに待っておれと、主水に伝えてくりゃれ」
と、挑戦的に肩をゆすった。
もういけない。麻雀が、鷹《たか》を敵の空へ追いやってしまった。追っかけリーチをかけられたような案配だ。
左内は、上杉家に帰り、頭をかきながらこのことを四天王に報告した。すると。――
「それは面白いではないか。――いや、面白い、と小次郎自身がいい出したとな?」
と、上泉主水は躍りあがらんばかりになり、
「いかにも小次郎の申す通り、きゃつが伊達家の人間になれば、きゃつとやり合う機会はたちまち出来《しゆつたい》するだろう。こっちも、やり易い」
と、武者ぶるいしたのみか、
「ほほう、おぬし、その小次郎と連日麻雀をやっておったと? なぜそのことをいままで黙っておった?」
と、左内をなじった。
車丹波も、ふいご[#「ふいご」に傍点]みたいな息を吐く。
「小次郎とやらに、勝手にさせろ。ひとまとめに伊達六十万石をたたきつぶしてくれる」
「いかにも、あれが伊達にくっつくと、一つ目入道に一泡吹かせるいとぐちを、向うから作ってくれるかも知れん」
一つ目入道とは、むろん政宗のことだ。
子供みたいないたずら[#「いたずら」に傍点]が好きなくせに、四人の中では左内とならんで、まあ大人の風格を持つヒョット斎までが、そんなことをいったが、さすがに、
「しかし、みるからにあの驕慢《きようまん》な若僧と、増上慢《ぞうじようまん》の独眼龍が組むとなると、こりゃ大事《おおごと》になるかも知れんな。それは少しまずいぞ――」
と、首をかしげた。丹波が聞く。
「何がまずい? 大事、結構ではないか」
「いや、上杉と伊達、正面切っての喧嘩《けんか》となるのは、いまの上杉の立場上、どうもまずい。そもそもわれわれの考えておる政宗退治は、山城さまにはないしょごとじゃからの」
と、腕組みをして、
「やはり、その小次郎の伊達仕官はふせいだほうがいい。両者は、切り離したほうがいい。何か手を打って、そのまえに、小次郎を始末する法はないか?」
と、つぶやいた。
「簡単なことだ。おれが小次郎を斬《き》ってくればすむ」
と、上泉主水がいい切った。ヒョット斎が聞く。
「どういう口実でな?」
「果し合いを申し込めばよかろう?」
「それではまた、こんどは本多家との悶着《もんちやく》のたねになる。きゃつはまだ本多家の奉公人じゃからの。果し合いするには、こっちにそれだけの理がなくてはなるまい」
「おお、そうだ!」
と、主水ははたとひざをたたいた。
「ある、ある! こっちにしかけのたねがある!」
[#改ページ]
剣難女難
佐々木小次郎を料理する、しかけのたねがあるという。――
「どうするというのだ?」
と、ヒョット斎が聞くのに、上泉主水は答えた。
「お弦《げん》を使おうと思う」
「ほ、お弦どのを?」
お弦は、直江家の侍女の一人だ。
「あれを、どういう風に使って?」
「あの女、おれにべた惚《ぼ》れじゃろ、じゃから、おれのいうことならたいてい聞いてくれると思うのだが……あれを何とかして小次郎のもとに走らせ、それをたねに小次郎に果し合いを申し込む」
「それを、たねに、とは?」
「おれの色おんなを盗《と》った、と、いってよ」
「お弦どのを小次郎のもとに走らせ、などいうが、どういって走らせるのじゃ?」
「だから、小次郎と果し合いの口実を作るため、というのじゃ。あの女はおれにべた惚れだから、おれが是非頼むといえば、きっと聞いてくれると思う」
「そんなこと聞いてくれるとも思えんが、かりにお弦どのが小次郎のもとへ走った、として、小次郎が相手にせなんだらどうするのじゃ?」
「そんなことはあるまい。お弦は見る通りの大美人じゃからの。……それに色仕掛を以《もつ》てさせる」
「なに、色仕掛。……お弦どのが、承知するか」
「あれはおれにべた惚れじゃからの、おれが頼めば……」
ヒョット斎たちは、まじまじと、上泉主水の顔を見つめた。
いや、この問答の一語一語の間、彼らは呆《あき》れつづけに呆れ果てていたのである。
ある男と決闘するために、自分に「べた惚れの大美人」を向うにやって、色仕掛で落して、自分の色おんなを盗ったという口実を作ろうという――その思いつきの突飛さたるや、常識外だ。
「おい、ほんとにお弦どのを小次郎にとられていいのか?」
と、車丹波が心配そうにいった。
「……ま、やむを得んじゃろ」
と、上泉主水は、ややきまり悪げに、あいまいにいった。
ややあって、岡野左内がふと思い出したようにいった。
「ところで、主水、伊達の江戸屋敷には、去年の秋……われわれと前後して、茂庭周防《もにわすおう》が出て来ておることを知っておるかな?」
主水はちょっと驚いたように、眼をまろくしていたが、
「ほう、周防が喃《のう》? それは知らなんだが、それがどうしたか?」
と、いった。
左内は細い口髭《くちひげ》をなでた。
「いや、どういうことになるか、わしも見当がつかんが」
直江家の侍女お弦のことは、前にちょっと述べたが。――
彼女は、もともと伊達領の娘なのであった。
関ケ原のばくち[#「ばくち」に傍点]に敗れた上杉は、会津百二十万石から北辺の米沢三十万石に縮められた。すなわち国老直江山城守の所領をあてられたのである。
この米沢領は、東の伊達郡をもって、伊達藩の刈田《かつた》郡と国境《くにざかい》を接する。
山また山といっていい土地だが、道の通ずるところ、口留《くちどめ》番所があって、そこを通る旅人や荷物を改め、取締る。――これはどこの藩でも同じことである。
おととしの五月のことだ。
みちのくの山々は、めざめるような新緑の波濤《はとう》であった。
上泉主水は、直江山城のいいつけで、そのあたりの番所を巡察して歩いたのだが、その一つ茂庭番所で、はからずも一人の女人のために、伊達家の侍数人を斬るという破目になった。
その日、彼は、その山の番所に立ち寄って、番人と話をしていて、偶然、向うの山道を、五人の男女が駈け下りて来るのを見た。
「あれは何だ」
と、眼を凝らすまもなく、伊達側の山番所のある山の上から、七、八人の侍が追って来た。みな抜刀し、何かさけんでいるらしい。
道は下り、それからこちらの山に上って来る。
逃げて来た男女は――女は、老婆と若い女と二人だけで、あと三人は郷士風《ごうしふう》の男たちであったが――こちら側の山道にかかろうとして、老婆が伏し転《まろ》んだ。
若い男がふりかえり、これを助けようとしているうちに、追って来た武士たちの刀がきらめき、血しぶきがあがった。
それよりさきに、上泉主水は番所から飛び出し、ただひとりで山道を駈け下りていった。
谷間では、娘を守りながら二人の男がこちらへ駈け上ろうとしていたが、老婆と若者が背後で斬り殺されたのを見て、二人の男はそちらにとって返した。発狂したような動作に見えたが、娘もそれに倣《なら》おうとしたのを、老いた人が叱りつけて追い返した。
これも抜刀して、追跡して来た武士たちに馳《は》せ向ったが、何しろ相手は、七、八人だ。二人の男は、相ついでその乱刃の下に膾《なます》になった。
そこに、上泉主水が駈け寄ったのだ。
失神したように崩折れていた娘をかばって、彼はその前に出た。武士たちは殺到して来た。
「上杉の者か、いらざる手を出すな」
と、彼らは怒号した。
「その女は伊達領の女だ」
「女を残して、早く帰れ」
これに対して、上泉主水は、このときは例の「天下一」の袖無《そでなし》羽織など着ておらず、笠だけかぶった、質素な山役人風のいでたちであったが、追手から見て、実に変てこな反応を見せた。
一語も答えず、ニタリと笑ったのである。
ただ、姿に異風な点はあった。刀を腰にささず、ななめに背に負っていたことだ。その肩から出たつか[#「つか」に傍点]に手をかけ、彼は仁王立ちになっている。
「こやつ――やるか?」
「き、斬れっ」
伊達侍たちは、炎の渦となった。
国境を接するくせに、上杉と伊達はもともと仲がよくない。
――そもそも太閤が、上杉景勝を越後から会津へ移し、百万石の大禄を与えたのは、関東の家康を背後から牽制《けんせい》させるためもあるが、また何を考えているかわからぬ奥羽の独眼龍に睨《にら》みをきかせるためもあった。そのとき秀吉は、伊達領の一部を割《さ》いて、景勝に与えた。いまこの山番所のある一帯も、実はかつて伊達領であった土地なのである。
だから、関ケ原の際、景勝が会津に兵をあげて家康をひきつけようとしたとき、家康に応じた伊達政宗は、時こそ至れとそのまた背後から上杉攻撃にとりかかり、国境一帯で死闘をつづけた。――
いわば、宿敵といっていい。
その上杉家の山侍と見える一人が、七、八人もの伊達方に向って、あきらかに挑戦的な姿勢を見せたから、たちどころに伊達侍たちが燃えあがったことはいうまでもない。
ただこの相手が、上泉伊勢守の忘れがたみ上泉主水泰綱であることを知る者が、一人もなかったのが、とり返しのつかぬ大不運であった。
炎の渦は、血の渦となった。
みちのくの山を吹く青嵐《あおあらし》が真っ赤になったかと思うと、あとには伊達方すべての屍骸《しがい》が横たわっていた。
あと、伊達の番所のほうから、さらに十人ほどの侍が追って来ようとしていたが、この凄《すさ》まじい殺戮《さつりく》を見て、信じられないもののように口あんぐりとあけ、それからまろぶように逃げ返っていった。
上泉主水は、うす笑いして、そこに斬り落されていた一本の片腕から袖だけ拾って長い刀身をぬぐい、背の鞘《さや》におさめて、ふり返った。
「まあ、見逃しておけんから、こういうことになったが」
と、彼はひとりごとのようにいった。
「これから、どうするかね?」
女にいったのだが、改めてその女を見て、彼の眼がちょっとひろがった。
それが、大変な美人であることに、はじめて気がついたのだ。彼女は草の上に坐ったまま、放心したように彼を見あげていた。
それがお弦であった。
お弦は、国境から伊達領にはいったところにある村の郷士の娘であった。
そのあたりは、伊達の家老格――いや、それ以上の「一族」と称される茂庭周防の所領であった。だから領主の周防はふだん仙台に住んでいるが、たまたま所領に帰って巡検中、このお弦を見る機会があり、たちまち気にいって、妾《めかけ》にさし出せ、ということになった。
ところが、この茂庭周防が、年は四十年輩で、まるで山椒魚《さんしよううお》みたいな怪物的|顔貌《がんぼう》の持主だ。そのくせ、かねてから淫乱《いんらん》の噂《うわさ》が高い。――お弦は、身ぶるいして、イヤといった。
そしてまたお弦の父が、これも土着の古さを誇ることにおいて領主に劣らぬ大郷士であったのだ。彼は娘の拒否をもっともだとし、妾の儀はひらに御容赦と申し出た。
それから、すったもんだのいきさつがあって、双方ともに意地になり、そのあげく、お弦と父母、兄二人、五人そろって上杉領へ脱走を計るのやむなきに至った。――上杉領といっても、その一帯は昔から伊達領であったり上杉領であったり――げんに、上杉側の番所も茂庭番所といっているくらいだ――侍同士は仲が悪かったにせよ、古来からの住民は、国境に対して、それほどきびしい観念は持っていなかったのである。
しかし、その結果はあの惨劇となった。追撃して来たのは、伊達方の山役人ではなく、茂庭周防の家来たちであった。
とにかく、こういう事情で、お弦は以後直江家に仕えることになった。
同時に、上泉主水の災難が始まった。
お弦が彼に恋し出したのである。
当然のことだ。彼女には彼しか頼る者がいない。だいいち、あの山の青嵐の中の鬼神のごとき武者ぶりを見て、魂を奪われない女のあるはずがない。
ところが、さて、上泉主水は女性恐怖症だ。
お弦の眼が妖《あや》しい光をおびて自分を追いはじめたのを知って、彼はぎょっとした。
はじめ、まことにふびんな娘だと同情していたのだが、そのうち、いやこれは思いのほかに積極的な性質らしい、と押され気味になった。
らしい、とか、押され気味、などというのも、まだ最初のうちの表現だが。――
「主水さま、わたし、あなたが好きです」
米沢城の廊下などで、ふと二人だけで歩く破目になったとき、とうとうお弦はそういい出して、肩で主水を押した。
主水はヨロけた。
「そ、そういわれても、おれはとにかくもう三十半ばという年じゃから」
「そんなことは、わたし、ちっともかまいません」
と、お弦は大らかにいった。
「せ、せっかくじゃが、実はおれは、何よりもまず剣の最高境地に達したいという望みがあって、そのために女人を近づけないようにしておるのだ」
「あれくらいお強ければ、もう結構ですわ」
と、お弦は太鼓判を押す。
「それに……御女中衆はみんな、主水さまは何だかこわい、と、いいますけれど、わたしは、そのあなたのこわいところが好きなのです。……いろいろ考えていると、胸がワクワクして来るのです」
何をいろいろ考えて胸がワクワクするのだか、主水には見当もつかない。
はじめは、彼のほうが恩恵を施したほうのはずであったのが、だんだん彼女のほうが恩着せがましくなったのは奇怪である。
お弦は、藩のだれから付文《つけぶみ》をもらったとか、家中《かちゆう》のだれに袖《そで》をひかれたとか、を、しきりに訴え、
「どうしたらいいでしょう?」
と、上眼づかいに彼を見る。そして、
「……でも、わたしの胸にあるのは、ただ一人のおかたでございますから」
と、脅迫的にいうのであった。
だれから艶書《えんしよ》をもらおうが、手を握られようが、おれの知ったことか、と主水は腹の底でつぶやいた。が、そのころは、もうそんなことは口に出来ないほど、主水は彼女がこわかった。
そんな誘惑が雨ほどあっても、おかしくないお弦ではあった。最初の一瞥《いちべつ》から、これは大美人だと主水も認めている。それも、豊艶《ほうえん》と形容していい美しさだ。それでも最初はどこか野の匂いがあったのに、米沢城で侍女として日を過しているうちに、みるみる濃艶になって――いや、野の匂いはまだある。それが彼女にただならぬ肉感的な迫力を与えている。
ところが、それだからこそ、いよいよ主水の恐怖はほんものになるのだ。
女がこわい、といっても彼のそれは少年のようにういういしいものではない。もっと毒々しい、女陰恐怖そのものだ。だから、女が美しければ美しいほど、その女陰へのおぞましさが異次元的なものになる。
その上泉主水が、伽羅さまだけには純潔無比の忠誠を捧《ささ》げるのはふしぎ千万だが――それは伽羅が、そんなけしからぬものとは連想を絶つ、別世界の天上的な美しさの持主であったからだろう。あるいは、そういう幻想を抱かせるものがあったせいだろう。それだからこそ、主水がいよいよ伽羅姫をこの世で崇《あが》める唯一の女人としたのかも知れない。
さて、このお弦が、彼と同じく出府してから事態はいよいよ急迫した。
広い米沢城とちがって、江戸屋敷の、しかも狭い直江山城の住む棟で、顔を合わせる機会がめっきりふえたのだ。
それで、お弦の恋はいよいよ生々《なまなま》しいものになったらしい。
彼女は、何かといえば彼に身をすり寄せ、時にはわけもなくさめざめと泣き、時には身もだえして怨《えん》ずる。
「わたしは、あの茂庭番所で、親兄弟といっしょに死ねばよかった。……主水さま、なぜわたしを助けたのです……」
それが、また時には、あたりはばからずヒステリックなさけびをあげたりする。
「主水さま! いっそわたしを殺して!」
彼は耳を覆って逃げる。
ひょっとしたら、父親が領主に娘をやらぬと抵抗した意地っ張りの血がそっくり娘に伝わって、こんどは逆のかたちで発現したのかも知れない。
女がこわい上に、女をこわがっていると相手に知られるのがいよいよこわい。また、ほかの人間に知られては、「天下一」の剣法も蜂《はち》の頭もあったものではない。
いつぞや、車丹波が勇んで大久保家の女風呂にはいりにいったのを、女房の小波に密告して、丹波を一大難儀に落したのは、彼のこのコンプレックスから発したいたずらだ。――が、そんなことでいっときの快《かい》を霽《は》らしても、彼自身の難儀が消滅したわけでは決してない。
で、ここのところ、お弦に追いつめられる圧迫感がいよいよたえがたいものになり、主水はほんとに神経衰弱になりかかっていたのであった。
[#改ページ]
そこで小次郎も考えた
いま上泉主水は、お弦を剣の好敵手佐々木小次郎に押しつけることを思いついた。
「おれにべた惚れの色おんなを盗ったという口実で、きゃつと決闘するのだ」
と、彼はそらうそぶいたけれど、なに、その女から逃れる天来の妙案を授かったというのが本音《ほんね》であった。いや、それより、神経衰弱のつむぎ出した異常発想といえるかも知れない。
それにしても、ヒドイことを考える男だ。
事実、車丹波などは、
「とんでもないことを考えたものじゃ喃《のう》……」
と、つぶやくことはつぶやいたが、しかしそれだけであった。
と、いうのは、彼らはみんな、知らない顔をしているけれど、上泉主水の女性恐怖症をよく知っているからだ。
主水の仕打ちは、まことに非情に思われるが、彼は元来それほど冷酷な男ではない。ときにそう見える超俗的なところがないでもないが、それより、女性に対する心理行状において、非情の枠《わく》などはずれた可笑《おか》しみがある。
お弦を遠ざけるといっても、べつにほかの女に惚れて、それでお弦を放り出すわけではない。お弦であろうがだれであろうが、とにかく自分に恋着する女人なら、是も非もなく、毛虫か芋虫みたいに払いのけようとするに過ぎない。
ほかの四天王にしても、そのかたちこそ異なれ、実は女性に対する反応がいずれもあまり正常なほうではないから、主水の着想にそれほどの拒否感も示さず、中で比較的に常識人? の左内でさえ、
「では、その手でゆくとして、どうしてお弦どのを小次郎に押しつける?」
と、次の段階に話を進めた。
主水の考えは単純だ。
つまり、細川家でまた左内に麻雀でもやってもらって、小次郎の帰途を待ち受け、自分がお弦を追っかけ、お弦から小次郎に助けを求めさせる。――
「あれは、わたしに横恋慕をしかける、イヤな男でござります! とか、何とかお弦にいってもらえばよかろう」
と、主水はいった。二年前、国の山番所でお弦を助けたケースを逆にゆく。
そこで自分はいったんその場から退却する。小次郎はお弦を連れて帰るだろう。翌日にでも、自分から「おれの女を盗《と》った」と小次郎に果し状を送る。――
「きゃつなら、必ず応じる。しかも、あいつのことだから、本多家に何もいわず、ひとりでこっちの指定場所に出向いて来ると思われるが、どうじゃ?」
「いや、その前に、どうしてお弦どのを小次郎に走らせるのかと聞いておるんじゃ」
「だから、果し合いの口実を作るために……」
二人とも、同じ問答を繰返している。
とにかく主水は、その点については実に簡単に考えていた。どんな要求でも、自分が頼めばお弦が聞いてくれないはずはない、と信じて疑わないのである。
みんな首をかしげているのを笑殺し、彼はその足でお弦に頼みにいった。
――佐々木小次郎という剣の上の宿命の敵と果し合いする口実を作るため、どうか小次郎のところへ逃げていってくれ、ことと次第では、色仕掛で、きゃつを。……
みなまで聞かず、お弦は顔色を変えた。
「色仕掛? わたしにそんなことが出来るとお思いなのですか!」
彼女はさけんだ。
「しかも、見も知らない男に!」
そのくいしばった唇からは、キリキリと歯のきしる音さえ聞えた。
「そんなことをして、わたしはそのあと、どうなるのでございます? どうなってもかまわない、と、あなたはおっしゃるのですか! ええ、あなたというお方は、鬼か蛇《じや》か――」
胸ぐらをつかまんばかりのお弦の美しい鬼女のような形相《ぎようそう》に、上泉主水は胆《きも》をつぶして逃げ出した。
「だから、いったじゃないか」
と、報告を聞いて、ヒョット斎がいった。
「自分に惚れておる女を、敵に押しつけようとは、だいたい非常識で、図々《ずうずう》し過ぎる。断わられたのはあたりまえじゃ」
と、あまり常識家のほうでない車丹波がいった。
ただ、岡野左内だけが、立往生している主水を、ニコニコしながら見ていたが、やがて口を切った。
「では、わしがお弦どのを殉教《マルチリ》させてやろうか」
「マルチリ?」
「お前さんのために、あえていけにえになることを承知させてやるのだよ」
「ど、どういう風に?」
「まあ、わしにまかせておけ。こういうことは年の功じゃ」
岡野左内はお弦のところへいって、じゅんじゅんと説いた。
彼は逆手を使った。
まず佐々木小次郎という天才的な剣客が、こんど伊達家に仕官することになった、といい、伊達と上杉はかねてからの宿敵、その伊達家にそんな大剣士がはいっては、さきざき上杉家のためにならぬ、こう判断したから、主水がいまのうちに小次郎を片づける、と、いい出した。――と、左内は述べた。
伊達は、お弦にとってもあまりいい記憶のある名ではない。それで、その件には彼女も反対はしないけれど。――
「でも、だからといって、その果し合いの口実に、私が……」
「いや、もっともだ。主水の要求はむちゃだ。主水に代って、わしから謝る。しかし、そなたの拒否は当然として、それには関せず、主水はここ、四、五日のうちにも佐々木小次郎と決闘することになっておる」
「もちろん、主水どのがお勝ちになるのでしょうね」
「それがあぶない」
「えっ」
「主水はああいう自信家だから、自分では勝つつもりでおるじゃろうが――いや、その主水が、いつであったか、小次郎に対しては、ひょっとするとおれもあぶないかも知れん、と、ふと洩《も》らしたことがあったぞ――わしがカルタ占いをして見たところ、やはり主水のほうに凶と出た。佐々木という剣士は、若いがそれほど恐ろしい使い手なのじゃ」
お弦は蒼白《そうはく》になった。
「まあ、それは大変! その果し合い、やめるわけにはゆかないのですか!」
「ゆかん。それはただいま申したような理由からばかりでなく、剣を人生の至上の目的とする男として、鉄のごとき宿命である」
岡野左内は、厳粛な顔でいった。
「やんぬるかな、上泉主水の生命はまさに風前の灯《ともしび》じゃ。それを知っておりながら、われわれはどうすることも出来ん。決闘の性質上、表立って助太刀《すけだち》するわけにはゆかんのじゃよ」
「そ、そんなにひとごとみたいに――何とか、法はないのですか、左内さま……」
「わしの考えでは、ただ一つある」
「えっ、それは?」
「果し合いの日、敵小次郎を何とかヒョロヒョロにしてしまうことじゃ」
「ヒョロヒョロにするとは?」
「いつぞやな。そなたは知るまいが、主水は大久保石見守どののおんな風呂というやつにはいってヒョロヒョロになり、そのあと佐々木小次郎とやり合う破目になって、すんでのことでやられかけたことがあるそうな」
「まっ」
「あれだけの剣客になると、そのときの毛ほどの体調の狂いも、とり返しのつかぬ重荷となるのじゃ、それゆえ、小次郎の体調を狂わせれば、主水も勝つ機会があるじゃろうが……さて、どうして小次郎をそういう体調にするか、われわれにはちょっと見当がつかん」
お弦は、じいっと左内の顔を見つめている。――
「で、主水に万一のことがあっても、もはや何ともいたしかたがない。実はこんな話をしてもせんかたないことじゃが、そなたは米沢以来、主水に縁のある女人じゃから、とりあえずこの件お伝えだけしておく」
と、左内は沈痛にいって、十字を切った。
「アーメン……」
――三日目の夕方であった。
直江家の廊下で、上泉主水はお弦に呼びとめられた。
「主水さま。……ちょっと」
彼女は、この三日の間にひどくやつれ、そのためいっそう凄艶《せいえん》さを増していた。
一室にはいると、いきなりお弦はしがみついて来た。
おまじないをかけておいたよ、と左内はいったが、あれっきりお弦はどこかへ閉じこもって姿は見せず、さればとてこちらから探すわけにもゆかず、主水はこの二、三日、中ぶらりんの気持で過して来たのだが。――
いま、いきなりしがみつかれて、彼は「わっ」と悲鳴をあげて逃げ出そうとした。
「主水さま、お弦はあなたのお言いつけ通りにいたします……」
と、彼女はいった。
「なに、では、小次郎のところへ?」
「はい……」
「それはそれは」
それはどういう心境の変化だ? 左内はどんなまじないをかけたのだ?
など、聞くはおろか、そんなことを考える以前に彼はしめしめと有頂天になった。生まれてはじめて彼は、自分のほうから女をかきいだいたくらいである。
「かたじけない、どんな礼をしてやったらいいか……」
黒い花のようなお弦の眼から、涙があふれ出した。
「ただ……主水さま……わたしはただ……」
あえぎながらいうと、彼女はのびあがって、主水の唇にひたと吸いついて来た。
熱い、柔らかなものが唇にふれたとたん、主水は脳天から火花が散ったような気がした。恐ろしい吸引力であった。彼は、ド、ド、ドと、血涙とともに体内のあらゆるものが吸い出されたような感覚を覚え、頭がからっぽになった。
彼は、地ひびきたてて倒れた。脳貧血を起したのである。
女と接吻《せつぷん》して、この剣豪は失神状態におちいったのである。
ひっくり返って、眼を白くむいたままの上泉主水を茫然《ぼうぜん》と見下ろし、お弦はつぶやいた。
「やっぱり、このひとは負ける……」
のちに大名小路となる一郭だが、むろんまだ草創期の江戸で、いたるところの空地に雑草が芽ぶき、濠《ほり》には筏《いかだ》が浮かんでいるといった状態だ。二月末といえば、いまの暦で三月の末、土にも水にも春が匂いはじめていた。
細川越中守の屋敷から程近い大路を、佐々木小次郎は一人歩いていた。
例の長剣|物干竿《ものほしざお》を背負い、緋《ひ》の胴羽織を着て、どんなときにも颯爽《さつそう》の気を引いている美青年だが、その日は、なぜかふさいだ顔をしていた。むしろ、不機嫌といっていい。
「……佐々木さまでございますか!」
ふいに、横の路地から、風鳥《ふうちよう》のようにはたはたと飛び出して来た女がある。
小次郎はふり返って、どこかの腰元風の美しい娘を見た。
「なんじゃ」
「果し合い、おやめになって下さいまし!」
「果し合い?」
「上杉家の上泉主水と果し合いをなさることになっておりましょう?」
女は、あえぎながら、ふり向いて、指さした。
いま彼女が駈け出して来た路地の中に、仁王立ちになっている男が、まぎれもなく上泉主水だと知って、佐々木小次郎ははっとなった。
遠目にも、それは恐ろしい殺気に髪を逆立てているようであった。
――と、見るや、何考えたか上泉主水は、これまた長剣を背負った肩をくるっと返し、向うへスタスタと歩いていってしまった。
「おれが、あの男と果し合いすることになっておると?」
小次郎は、眼をパチクリさせた。――そんな約束は、した憶《おぼ》えがない。
が、鸚鵡《おうむ》返しにそんなことを口走らなかったのは、彼がそれほど簡単な人間ではなかったせいもあるが、事実内心に、いつの日か上泉主水と剣を交えて見たいという望みがたしかにあったからだ。それに第一、この出来事は突飛過ぎる。――
「ふむ」
と、いって、小次郎は女に眼を戻した。
「それで、どうしたというのだ?」
「ですから、その果し合いをやめていただきたいのでござります!」
「なぜだ」
「あのひとを、死なせたくありませんから……」
――実は、上泉主水は、お弦が小次郎にこんなことをいうとは思っていなかった。
左内に説かれてどういうわけでお弦が承知したか知らないが、彼は、とにかく自分が追っかけ、お弦が逃げて小次郎の腕に飛び込み――あと、わざと自分の悪口をいって見せるだろうが――そこまでの段階でひとまず目的は達したと考えて、ひきあげていったのだ。
しかるに、意外、お弦は小次郎にそんなことをいった。――
岡野左内は、決闘をするためにではなく、逆に決闘をふせぐために、お弦に動いてくれるようにそそのかした。彼女は左内におどされて、ほんとうに主水の生命《いのち》が心配になったのである。だから、本気でその果し合いをやめてもらいたくて、小次郎にすがりついて来たのである。左内の思惑通りであった。
まるっきり狂言であったら、俊敏な小次郎は、この女に疑念をいだいたかも知れない。そもそも決闘の話など、なかったからだ。が、お弦は真剣であったから、それが小次郎をとらえて、なおつづけてともかくも話を聞く気にならせた。
「そなた、上泉主水の何だ」
「…………」
「恋人か」
「…………」
「そなた、上杉家の腰元か」
頬を染めていたお弦は、やっとうなずいた。それをジロジロ眺めながら、これは大した美人だ、と改めて小次郎は確認していた。
「ははあ、だから主水が心配で、駈けつけて来たのか」
「は、はい、それを主水どのがとめようとして、あそこまで……」
これは嘘《うそ》だが、しかしうぬぼれ屋の小次郎は――もし、何かのいきさつで、この女が果し合いがあるものと思っているなら――あり得ることだ、と了解した気になった。
「なるほど、主水がおれと勝負すれば、きゃつのいのちはない。心配するのも尤《もつと》もじゃ」
にやっと笑って、
「しかし、そのようなことを頼みに来た以上、代償がいるぞ」
「……え、果し合いをやめていただけますなら、どんなことでも」
「どんなことでも?」
穴のあくほど見つめられて、覚悟はして来たが、お弦はおののき出した。その手を、ぐいと小次郎はつかんだ。
「こんなところで、立ち話はしておられぬ。まず、来い」
と、二、三歩歩き出して、彼ははたと立ちどまった。
いま自分の住み家《か》としている場所に、こんな女人を連れて帰るわけにはゆかない――ということを思い出したのである。
すると、そのとき、蹄《ひづめ》の音とともに、
「おういっ」
と、呼ぶ声がした。
[#改ページ]
新陰流《しんかげりゆう》対|巌流《がんりゆう》
うしろから、小者《こもの》を、二、三人従えた騎馬の武士が駈けて来た。
「待て、佐々木……」
と、近づいて、小次郎が女を連れているのにけげんな眼をむけたが、突然、
「やっ? お前は!」
と、驚きの声をあげた。
小次郎もめんくらった顔をした。
「はて、この女人を御存知でござるか」
「御存知どころか……これは伊達領の郷士《ごうし》の娘じゃ!」
お弦は、急に逃げ出そうとした。
「あっ、つかまえろ」
騎馬の武士の下知《げぢ》に、小者たちが躍りかかって来て、彼女の腕をとらえた。
お弦の顔から、血の気がひいていた。武士は、まるで山椒魚《さんしよううお》みたいな容貌《ようぼう》で――それは伊達の「一族」茂庭周防にまぎれもなかった。
「佐々木、どうしてそなたはこの女といっしょにいるのじゃ?」
「いえ、いまはじめてここで逢《あ》ったばかりで――」
小次郎は馬上を見あげて、
「それより、茂庭さま、何か御用で?」
と、聞いた。
「うむ。……先刻の件、殿に申しあげたところ、ひどいお叱《しか》りを受けた。殿があれほどそなたに御執心とは、実は思っておらなんだ。で、わしの存念は一応撤回する。そのことを告げに追って来たのじゃ」
どもりどもりいう茂庭周防を、佐々木小次郎は薄笑いの顔で見守っていた。それ見たことか、という表情であった。
実は、佐々木小次郎は、細川家から出て来たのではなかった。その日は、伊達家から帰って来る途中なのであった。
こういうわけだ。
本多家に臨時|傭《やと》いされていた小次郎は、その身分にあき足らなくなって、ひそかにべつに仕官するために運動していた。誇りの高い男だから、五万石や十万石の大名は相手にしなかったが、その中で、彼がこれはと食指を動かしたのが、細川家と伊達家であった。
細川のほうは、彼に縁のある西国だが、五百石。
伊達のほうは、縁もゆかりもない奥羽だが、千石は出すという。
そこまで話を漕《こ》ぎつけたのだが、彼の迷いはともかく、伊達家のほうではべつの支障が起った。去年の秋に、国から出て来た宿老の一人、茂庭周防が口をさしはさんで来たのである。
一介の牢人風情《ろうにんふぜい》を、千石も出して召し抱えては、いかにも伊達に人材がないかのようであり、かつまた伊達古来の秩序を乱すというのだ。
ところが、ここ数日の間に、小次郎は急に大金を要する事態が生じた。
そこで、その日、彼は自分の仕官に異議を唱えているという茂庭周防に直接談判にいって、どうしても話はまとまらず、かくて仏頂面《ぶつちようづら》で退去して来たところなのであった。
「殿に、佐々木の件は断わった旨御報告申しあげたところ、佐々木は実に稀代《きだい》の剣客だと聞いておる、そのような人材を召し抱える機会があるというのに、それをこちらから捨てるとは何たるたわけ者、一個の人物に千石惜しんだといわれるほうが伊達の恥になることを知らぬか、と雷《らい》のような御一喝を受けた」
小次郎の片頬に、会心のえくぼが浮かんだ。
「問題は、俸禄《ほうろく》の秩序じゃ。新参者に千石は、やはり家臣すべてに納得させる必要がある。そこで佐々木、近いうち、何ぞそなたの腕を伊達の家来たちに見せる機会はないか?」
「おう」
小次郎は、ちらっとお弦を見た。
「上泉主水泰綱、御存知でござりましょうな」
「知らいでか、上杉で聞えた武遍者じゃ。あれには、伊達も悩まされた――」
「ひょっとしたら、あれとの真剣勝負をお見せ出来るかも知れませぬ」
「なに、上泉と? どういう次第で?」
「それが、この女に聞かねば、よくわかりませぬが――」
山椒魚みたいな茂庭周防の眼が、またぎらっとお弦に注がれた。
「とりあえず、もういちど屋敷に来ぬか?」
と、彼はいった。
小次郎はうなずいた。むろん、お弦も伊達屋敷に連行されることになった。
容易ならぬ覚悟で小次郎の腕の中へ飛び込んだお弦であったが、何ぞはからん、かつて逃れた怪魚山椒魚のえら[#「えら」に傍点]の中に吸い込まれることになろうとは。――
お弦は全身鳥肌になっていた。
さて、お弦を伊達屋敷に連れていって、いろいろ訊問《じんもん》したが、わかったようでわからない。
とにかく、上泉主水が今明日《こんみようにち》にも佐々木小次郎に果し状をつきつけるといっており、その佐々木小次郎が、ひとに聞くと世にも稀《まれ》なる名剣士だそうで、親しい人も、主水のほうがあぶないという。そこで自分が主水に、どうぞやめてくれといったが聞かず、思いあぐねたあげく、自分が小次郎に頼んで見ようと飛び出して来たのを、主水が追いかけ、かくてあの始末になったのだという。――
「ふうむ、主水が喃《のう》……」
小次郎は、首をひねった。
どういうわけで、突発的に上泉主水がそんなことをいい出したのか、見当もつかない。
お弦の「告白」に、腑《ふ》に落ちないものがあったのは当然だ。第一に彼女は、出来ればほんとうに果し合いをやめてもらいたかったが、それが叶《かな》えられなければ小次郎の体調を狂わせるために身体を投げ出してもいいという目算を秘めていた。すなわち、隠蔽《いんぺい》していることがあった。第二に、それが思いがけず伊達屋敷に連れて来られることになって、これから自分はどうなるのか、どうすればいいのか、彼女自身|動顛《どうてん》して、論旨がオロオロしたものになっていたからだ。
「何でもいい」
と、しかし小次郎は殺気に前髪をそよがせた。
「よし、その上泉主水の果し状を待とう」
主水の真意は知らず、あの男とはいつの日か、本格的に刃を交えて見たいとは、かねてから念願していたことだ。何が何だかわからないが、向うがやるというなら、待つや久しといいたいところだ。
しかも、今や早急に自分の剣技を見せなければならぬ時に当ってこのことあるは、まさに天来の機というべし。
「勝てるか」
と、茂庭周防が聞く。
「まず、御覧なされ。――いや、周防どのには、是非見ていただかねばならぬ」
と、小次郎は眉《まゆ》をあげた。
この茂庭周防が、自分の伊達仕官について唯一最大の障害であることを思い出したのだ。この人物に、自分の千石が決して高くないことを見てもらわなくてはならぬ。
それについては、上泉主水が大剣士であることも承知していてくれないと困るが、おう、周防は先刻、主水には伊達も痛い目に逢わされた、と、いった。それから、この主水の恋人らしい女、これがもと伊達領の女だともいった。――
「ところで、周防どのには、この女人を御存知らしゅうござりまするが――」
それには直接答えず、周防はまた怪魚さながらの眼をお弦に吸いつけて、
「佐々木、その女、わしにもらってよいか?」
と、いった。そして、
「それは、何も拙者の女ではござりませぬから……」
という返事を聞くと、茂庭周防はやっとそのわけを話し出した。
それは極めて潤色されたものであったが、それでも、二年ほど前、周防がこの伊達領に住んでいた娘を手に入れようとして逃げ出され、追跡させた家来たちを、国境《くにざかい》の番所で上杉家の上泉主水に撫《な》で斬《ぎ》りされたという事件の輪廓《りんかく》は判然とした。
――なるほど、それでこの女が主水の恋人になったのか。
と、小次郎は心中にうなずき、この美女と山椒魚然たる――しかも、いかにも好色らしい周防を見くらべて、笑い出したくなった。
特別好色というわけではないが、小次郎だってこの自分の俎《まないた》に乗った豊艶《ほうえん》の人魚には食欲をそそられる。しかもこれが上泉主水の恋人とあれば、いよいよ悪魔的な欲望をおぼえる。ましてや、いまそれを所望したのが山椒魚とあっては、心に反発の波が立たないわけにはゆかない。
が。――
彼は、さらに悪魔的ないたずら心にとらえられた。さらに、周防が自分の出世の鍵《かぎ》を握っている人間だということに想到した。
「そういう御事情なら、一件落着のあと、御自由になされてよろしかろう」
と、彼は薄笑いしていった。
上泉主水の果し状はすぐ手にはいった。
念のため、いちど本多屋敷にいってみたら、果せるかな、それはもう到来して、門番に託してあったのである。
その決闘状の中に、「わが妻たるべき女人を奪いたる悪逆、倶《とも》に天をいただかず」という意味の言葉があるのを見て、小次郎はまばたきし、それから、
「これが果し合いの口上か、ははあ、お弦の一件はそのためか」
と、やっと思い当った。
そんな要らざる手数は無用、ただ決闘を申し込んで来ただけで異議なく応じてやったものを、と嘲《ちよう》 笑《しよう》したが、しかし、最初主水が果し合いを望んでいると聞いたときは、はて? と心中首をかしげたくらいだから、向うとしても一応こういうお膳立《ぜんだ》ては作る必要があったかも知れない。――
日は明朝、日の出の刻。
場所は、五の蔵地。
当方、勝負検分役として、三、四人同伴するゆえ、そちらもその前後の人数伴い来《きた》りて可、ただし、もとより手出し無用の事。
小次郎は、伊達家に駈け戻って、周防に果し状を見せた。
「あちらは三、四人、立会人を連れて参るとのこと、当方も朋輩《ほうばい》新免武蔵なる者を伴ってゆくつもりでござるが、ほかに周防どのも是非どうぞ」
「おう……」
「これは、世にあまり見られぬ凄《すご》い試合となり申すぞ」
と、宣伝したが、佐々木小次郎の面上には凄絶な自信の色がある。
「それは見たいの。……ほかにまだ、二、三人の余分があるな。伊達家の豪傑のだれを連れてゆこうかの」
小次郎はしばし考えて、やがて自若としていった。
「そう仰せられるなら、拙者、所望がござる――」
五の蔵地というのは、そのころ北の内といって今はその地名もない江戸城東北方にある場所で、幕府がそこに蔵をたてる予定の空地であったが、まだ一面、草|蓬々《ぼうぼう》の荒野であった。
のちに濠《ほり》の一部にするつもりの古来からの大沼が茫々《ぼうぼう》とひかり、遠く近く大|竹藪《たけやぶ》がそよぎ、その中にまだチラホラと梅の残花が白く見える。薄く漂う霧は、もう完全に春のものであった。どこかで鶯《うぐいす》が鳴いていた。
朝霧の中を歩いていって、その空地の場についた五人のうち、一人が、
「や、敵はすでに来ておるぞ」
と、ひくくうめいた。車丹波だ。野の東側に、いくつかの人馬の影が見えたのだ。
「馬で来たのか」
「そこでとまってくれ」
と、上泉主水が仲間にいった。
彼は四人の立会人を連れて来ていた。丹波とヒョット斎と左内と、それから直江左兵衛と。
立会人のことをいい出したのは、彼の発意ではない。ほかの面々が、この勝負どうあっても見とどけなくてはならぬといい出したからだ。その上、ヒョット斎は、一思案ののち、左兵衛さまにもおいで願って、後学のために是非御覧になる必要がある、といった。
「向うの立会人はだれじゃ」
と、ヒョット斎が、地上に立ちまよう霧を透かして、
「おう、あれは新免武蔵――」
と、いった。岡野左内が首をかしげていう。
「ふむ、武蔵は来るじゃろうと思うておったが……あの馬に乗っておるのはだれじゃ?」
馬は四、五頭いる。そのうち空馬《からうま》は、すでに地上に立っている小次郎と武蔵のものだろうが、あと二頭の鞍上《あんじよう》にはまだ人影が見える。
「一人は白い頭巾《ずきん》をかぶっておるな。もう一騎は……はて、編笠《あみがさ》をかぶった二人がいっしょに乗っておるようじゃが、霧でそう見えるのか?」
左内の不審げなつぶやきにかぶせて、
「あの白頭巾が、本多長五郎ではないかな?」
と、直江左兵衛が、ふるえ声でささやいた。
彼らは、佐々木小次郎がもう伊達家にそんなに食いこんでいるとは、まだ知らないはずであった。
「それにしては、体格がいかついように見えるが……いや、何者にせよ、なにせ拙者ほどの男との試合とあれば、小次郎もそれ相応の立会人を連れて来たに相違ござらぬ」
と、上泉主水はむしろ満足気にいった。
「左兵衛さま、よろしゅうござるか、ほんものの刀術者の試合とはいかなるものか、よっく見ていなされよ――」
向うから、明らかに小次郎らしい長身の影が、一人近づいて来るのを見ると、彼も決然とそのほうへ歩き出した。
武蔵野としかいいようのない風景の、東の丘から顔を出した赤い太陽が、主水の姿をまっすぐに照らし出した。
――しまった?
と、彼は心中にさけんでいた。
決闘の時を日の出の刻としたのは、まあだれにも見られる心配のない時刻がいいだろうと思ったからだが、その太陽が昇る前、すでに向うが来て、野の東のほうへ位置していたとは知らなかった。――
黎明《れいめい》の光を背に浴びて、佐々木小次郎は歩いて来る。その足が次第に早くなった。
「上泉主水!」
呼びかけて、ひっ裂けるように笑った。
「うぬが果し合いを申し込んで来た真意は知らぬが――いや、それは大体は呑《の》み込めたが――何にせよ、小次郎、最大の満足をもって受けた」
その手はすでに、肩から出た物干竿にかかっている。
「いざ、上泉伊勢守相伝の新陰《しんかげ》流が勝つか、小次郎独創の巌流《がんりゆう》が勝つか、ここで直江四天王とやらと、伊達衆ならびにうぬの女の眼に、はっきりと見せてくれる!」
上泉主水の右手もまた背の刀のつか[#「つか」に傍点]にかかっていたが、左手は庇《ひさし》のごとく眉にあてられていた。まっすぐに眼を射る暁光をふせぐためだ。
毛ほどの体調の狂いも生死を分ける致命的な差となるこの長剣同士の勝負に、この不自然な姿勢が、なんらの影響を及ぼさないはずがない。――
それ以前に、主水はいま、「伊達衆とうぬの女」と聞いて、愕然《がくぜん》としていた。
[#改ページ]
いちゃもん試合
――勝った!
肩にあげた腕の弦《つる》を切ろうとする寸前、早くも圧倒的な自信に全身を燃えあがらせた佐々木小次郎の耳に、そのとき、
「――待てっ」
と、いう声が聞えて来た。
「佐々木――その勝負、しばらく待てっ」
小次郎の腕がとまったのは、それが茂庭周防の声だと知ったからではない。相手の上泉主水が、ぽかんと口をあけてそっちを眺め――次の瞬間、背の刀にかけた手さえ離して、ななめに駈《か》け出したからだ。
むろん、その姿勢はあけっぱなしになり、それを斬るのは大根を斬るよりたやすかった。――それだけに、小次郎の腕がとまったのだ。その勝負を見ている、ほかの眼がある。
「お弦! お弦!」
主水はさけびながら、小次郎の立っている場所の近くを駈けぬけた。
彼は先刻小次郎から、「この試合を伊達衆とうぬの女に見せてくれる」という言葉を聞いて、はっとしていたのだが、いま、野の向うから駈けて来る一頭の騎馬を見、その鞍《くら》に編笠をかぶった男のみならず、もう一人の女が乗せられているのを見、さらにその女がまぎれもなくお弦であることを見て、われを忘れたのであった。
その馬がとまると、女が、まろぶように下り立った。
「主水さま!」
すぐにお弦は駈けて来て、ひしと主水にしがみついた。
「周防どの、どうなされたのでござる?」
勝利の出鼻をくじかれた思いで、小次郎は勃然《ぼつぜん》として顔をそちらに向けた。
「その女が、相手と最後の別れを惜しみたいと申しておる」
と、馬上の編笠は答えた。
「武士の情けじゃ。別れを惜しませて、そのあとで勝負しても遅くはあるまい」
編笠の中だから顔は見えないが、眼に涙があるかのようなくぐもった声であった。――茂庭周防だ。
彼がいま駈け寄って来て、そんなことをいったのは、しかし決してそんな心情からではない。
彼は、二年ぶりにお弦を見て、もともとの美女がいよいよ大美女となっているのに瞠目《どうもく》した。欲望は二年前に倍加して燃えあがり、彼は小次郎に、その女を寄越せと申し込み、小次郎はそれを承知した。
ところが。――
そのあとで、お弦は小次郎にしがみついて離れないのだ。
「わたしがおすがり申しあげたのは、あなたさま、佐々木小次郎さまですっ。ほかの人は、関係ありません。佐々木さま! お願い、わたしを離さないで!」
お弦は、必死であった。
そもそも彼女は、小次郎に頼んで試合をやめてもらうことが最上の願いであったのだ。そのためには、身をまかしてもいい――かりに、それでもやめられないというなら、それでも身を投げ出して、彼の体調を狂わせる。――そこまでは覚悟していた。
それなのに、茂庭周防に譲り渡されては、何のために自分がこんな犠牲を払うのかわからないことになる。あんな山椒魚《さんしよううお》の手に落ちるくらいなら、小次郎のほうがまだましだ――どころではない、父や兄を殺した周防に身を汚されては、死んでも死に切れない。
かじりつかれて小次郎は――この女に何か下心があると察しつつも――まんざらでない顔をした。
「では、おれといっしょにゆくか」
と、いったから、山椒魚は、怒りと狼狽《ろうばい》に分厚い唇をパクパクさせた。
「な、何をいう。貴公、いまわしに譲るといったではないか。左様にすぐ約束を破るような男では、伊達家奉公のことも考え直さねば相ならぬぞ!」
それで、話はもとに戻ってしまった。
実は昨夜も、あまり泣き狂うので、伊達屋敷の一室で、とうとう縛りつけられてしまったお弦のところへ、茂庭周防は這《は》って来たのである。お弦は血走った眼でさけんだ。
「それ以上、近づくと、舌をかんで死にますぞえ……」
それが、ほんとうにやりかねない形相であったのと、また、とにかく手にはいった以上、そう事を急ぐに及ぶまいと思案したのとで、周防は一応退却した。
で、けさ。――
周防はお弦に向って、いよいよこれから上泉主水と佐々木小次郎の決闘が行われることを伝えた。
上泉主水は、かつて彼の家来を八人も斬った男である。茂庭家としても外聞が悪いので、どこにも届けず、上杉家にかけ合いもせず、あのまま葬り去った事件だ。だから、むろん主水が小次郎に斬られることを望むし、また小次郎の言動からそれを信じて疑わないが、何なら小次郎のほうが負けて殺されたっていい――と、いうような、ひどく虫のいい、昂奮《こうふん》した気持で、彼はお弦にそれを告げたのである。
するとお弦は、散大したような瞳《ひとみ》で周防を見つめていたが、ふいに、
「お願いでござります。その場へ、わたしも連れていって下さいまし!」
と、さけび出したのだ。
「これ、主水のほうが殺されるかも知れないのだぞ」
「承知しております。ですから、試合はやめて、とお願いに来たくらいで――ですから、主水どのに、最後のお別れを申したいのでござります……」
上泉主水の斬られるのを見たら、この女も諦《あきら》めて、観念するかも知れない、と周防は考えた。
実際に、お弦は周防にすがりついて、いった。
「このことさえ許して下さるなら、あとわたしはあなたさまのお心のままになりまする……」
いちばん茂庭周防を動かしたのは、この言葉であったかも知れない。この女がとうていおとなしく身をまかせそうにないことは、前夜の猛抵抗ぶりからわかっていたことだ。
こういうわけで、茂庭周防は、お弦を自分の鞍に乗せてつれて来て――そして、お弦の身もだえしての哀願についてうなずいて、この決闘の場へ駈けて来たものであった。
武士の情け、などといったが、決してそんなものではない。お弦に自分のいいところを見せてやろうという一心からで、声にくぐもったところがあったのは、ちょっと良心にじくじ[#「じくじ」に傍点]たるものがあったせいである。
それを見あげて、
「ううむ、あれが伊達の茂庭周防というやつか……」
と、上泉主水はうめいた。
そういえば、先日、岡野左内が「去年の秋、茂庭周防が出府して来ておることを知っておるか?」とかいったようだが――それが伊達家の宿老の一人であり、かつ、かつてお弦を追った男だということは知っているが、主水はまだその当人に逢ったことがない。
「お弦!」
と、彼はさけんだ。
「これはどうしたことじゃ。どうしてここへ、伊達家が出て来たのじゃ?」
「いろいろと手はずがちがって……」
「いや、予定通りにいった。小次郎はこの果し合いに出て来たではないか」
「それが……ちっともあなたを助けることにはならず……」
「おれを助けるとは何だ」
主水は鳩《はと》が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「これ、別れを惜しむのはそれくらいでもうよかろう。お弦、帰って来い」
と、向うで周防が呼ばわった。
「佐々木、やってよろしいぞ」
「主水さま」
お弦はあえいだ。
「あなたがお討たれになったあと、わたしも必ず死にまする……」
「馬鹿なことをいうな。おれが負けるはずはない」
主水は憤然とした。
「お前の役目はすんだよ。もうこっちへ帰って来てよろしい」
うっかりいったが、本心でもあった。べつにこの女人がきらいなわけではない、ただ、こわいだけだ。何はともあれ、どういうわけか、お弦にくっついて伊達の茂庭周防が出て来て、「帰って来い」などいうのを聞いては、話は別だ。
しかし、お弦はイヤイヤをした。彼女には、ここで主水が討たれるという絶対の確信があったのだ。それはただ佐々木小次郎が、相手だという理由ばかりではない。――
「わたしはあなたといっしょに死にます。そのことだけをわたしはいいにここへ来たのです」
お弦と向い合っていた主水が、ふいに猛鳥みたいに首を一方へふりむけて、
「いざ、来いっ」
と、絶叫して、ふたたび、肩から突き出した刀の柄にぱっと手をかけた。
そちらを歩いていた小次郎は、釘《くぎ》づけになった。――彼はさっき、主水が自分のそばを駈けぬけるのを、半ばびっくり、半ば意識的に見逃したが、むろんつづいて決闘はやるつもりだから、それに備えて、また有利な東側へ廻ろうと移動しかかったところであったのだ。
そこへ主水の一喝を浴びて、反射的に立ちどまり、これまた肩の刀に手をかけた。
いまや、春の朝の太陽は上泉主水の背後にあった。その黒い影をにらみつけようとして、小次郎は眼をつむった。赫耀《かくよう》たる金色の光にまっすぐに眼を射られたのだ。彼は左掌《ひだりて》をあげて、ひたいに当てた。
両者の間隔はまだ三|間《げん》もあったが、小次郎はその光を、主水の長剣そのものとして感覚した。
――このままでは、やられる!
「どけ」
主水が、なおとりすがっていたお弦にいって歩き出そうとした。
その瞬間、お弦はのびあがって、主水の唇に唇をおしつけた。感きわまって彼女は、主水に最後の挨拶《あいさつ》を送ったのである。
が、お弦が離れた刹那《せつな》、主水はフラリとヨロめいた。唇から脳髄へズーンと麻痺《まひ》感が走ったのだ。例の女性恐怖症を根源とする現象であった。
どうも、大剣士同士の果し合いは、それが始まる前から、一呼一吸、微妙を極めて、書いているほうもくたびれる。
三たび、決闘者の立場は逆転した。お弦は、知らずして主水の体調を狂わせた。
何で小次郎が、この一髪の機会を見逃すべき――両者の間隔は一瞬に二間となった。しかも、東西にではなく、ななめの方角に――小次郎が、そっちへ跳躍したのである。彼は太陽から逃れた。
物干竿が驟雨《しゆうう》の一すじのごとくほとばしった。
いや、半分ほとばしったところで、彼の鼓膜をある声がたたいた。
「おういっ、金を返さずに死ぬ気か! 佐々木小次郎!」
声ばかりではなく、跫音《あしおと》も駈けて来た。
「小次郎、金を返せ!」
ほかのさけびなら耳にもはいらなかったろうが、この外聞の悪い呼びかけばかりは、小次郎の声のみならず、一瞬腕さえも縛ってしまった。
彼はふりむいた。
うしろから、草を跳ねる鞠《まり》みたいにすっ飛んで来るのは、岡野左内であった。
「金を返せ! 借金を返せ! 佐々木小次郎――」
と、口を四角にしてわめきながら。――
小次郎は、ちらっと上泉主水を見た。ほんのいま、たしかにフラリとした主水も、そのまま放心状態の顔でそっちを見ている。
ともあれ、両者の位置がこれで対等になり、必ずしも自分が不利でないことをたしかめたあと、小次郎は口を裂いた。
「なんじゃ、いまごろ、くだらないことを!」
「くだらぬことではない。死ぬ前に借金を返しておいてくれなければ困る。いま、そのことを思い出したのじゃ」
と、岡野左内はすぐそばまで近づいて、はあはあと息を切りながらいった。大まじめな顔であった。
「そんなものは、この勝負が終ってから返してやるわい」
と、小次郎はにがり切った。
「だから、貴公が死んでしまっては困るといっておる」
「おれは死なない。おれは必ず勝つ」
「それはお前さんのひとり合点じゃ。この果し合いの帰趨《きすう》は神さま以外はわからん。金を貸した人間から見ると、気のせいかお前さんのほうの影が薄く見える」
と、岡野左内はいって、眼を向うへ投げた。
野の東側から、もう一つの影が野分《のわけ》みたいに飛んで来るのを見たからだ。
「立会人、手出し無用の約束だぞ!」
こっちから岡野左内が出ていったので、向うから駈けて来たらしい。新免武蔵であった。
「おう、武蔵さんか。いや、べつに手出しはしない。ただ例の借金を返してくれといっておるだけじゃ」
と、左内はいった。
「新免さん、あんたが来たから、ついでに聞くが、あんたのほうはその後どうなっておるかな?」
「そ、それは、あのとき約束した通りじゃ。それにしても、一代の剣人同士が生命をかけて厳粛な決闘をしようとしておる際に、そんな話を持ち出すとは、そりゃ兵法か……」
実は、試合前に早くこの五の蔵地へ来て東側に位置を占める、というアイデアを持ち出したのは武蔵なのである。
「いや、借金返済は、兵法以前のこの世の厳粛な用件じゃ。生命をかけて果し合いするなら、その前に、借金はきれいにしておくのが一代の剣人たる者の義務ではないかと思うが、どうじゃな、武蔵さん……」
向うから、馬を進ませて来た茂庭周防が、いらだった声を投げた。
「いったい、何をしておる? えい、小次郎、その妙な飛び入り者をまず叩《たた》っ斬《き》れ!」
すると、その近くでいままでぽかんと口をあけていた上泉主水が、
「やかましいっ、うぬこそ飛び入り者ではないか!」
と、吼《ほ》えて、そちらに駈け寄って、
「まず、死ぬのはうぬじゃ!」
と、躍りあがった。
この突然の昂奮ぶりは、たったいま自分が女に接吻されて昏迷《こんめい》状態に陥ったことを――彼自身はそれをみなに見られたように思い込んで――その照れかくしの分子が、たしかに混っていた。
その跳躍ぶりも超人的なら、例の長剣の威力も凄まじかった。実に上泉主水は、馬上の茂庭周防を、脳天から斬り下げたのである。
相手は鞍から血しぶきを天にあげ、逆に身体は二つにならんばかりになって地上に転がり落ちた。草の上に飛んだ編笠のあとに、まぎれもない伊達の重臣の山椒魚面《さんしよううおづら》が現れた。
野の向うで、名状しがたいどよめきがあがった。
そこに残っていたのは、やはり白頭巾をかぶったもう一人の騎馬侍と、二人の徒歩《かち》の武士だが、決してそれだけの人数の声ではない。
上泉主水と岡野左内は見た。――
野の向うに半ばつらなるひとむらの森の蔭から、その数、たしかに三十人は超えて見える大集団が現れて来たのを。
「はかったな? 小次郎っ」
それは、黒い奔流《ほんりゆう》みたいにこちらへ殺到して来た。
その前方に、まず真っ先に疾駆して来る騎馬の白頭巾を、眼をかっとむいて見ていた岡野左内が、突如さけんだ。
「おおっ――あれはたしかに、独眼龍政宗!」
[#改ページ]
独眼龍《どくがんりゆう》
――小次郎は、決して上泉主水を罠《わな》にかけたわけではない。
しかし、ここに伊達集団を現出させたについては、彼もたしかに責任がある。
茂庭周防に「立会人に伊達家の豪傑のだれを連れてゆこうか」と聞かれたとき、彼は、ズバリと政宗の名をあげたのである。彼は是非とも政宗公に、自分の武者ぶりを見て欲しかったのだ。
それは、いくら何でも――と、尻ごみした周防も、小次郎の強い要求に押されて、ともかくもこのことを主君にとりついだ。すると、政宗は、ひざ乗り出して快諾したのだ。
――その勝負、是非見たいと。
で、政宗が試合の見物に来るとなると――どうしてもある程度の護衛が必要となる。とくに相手側に、何をやるかわからない直江四天王が立会人として来ることがほぼ必定と見られる以上、万一のためにそうしなければならぬ――と、周防はいって聞かなかった。
これは小次郎にとって、むしろ不本意なことであった。
結局、この人数を森に隠しておくということで了解がついた。そんなものが姿を見せる以前に勝負はつくと、小次郎が思い直したからである。
伊達勢がさきに五の蔵地へ来ていたのは、ただ太陽の問題ばかりではなく、この人数を森に隠す必要もあったのだ。またお弦が、しょせん主水は必ず殺されると確信していたのは、このためもあったのだ。
が、いま。
その立会人の一人、宿老茂庭周防が馬上から斬り落されたのを目撃して、伊達側は仰天し、ついでどっと殺到して来た。
まっさきに馬に乗った白頭巾は、家来の手からひったくった大身《おおみ》の槍《やり》をかいこんでいる。
この白頭巾を遠望して、最初から、はて、あれはだれだろう? と、直江四天王のほうも首をひねっていたのだが、それが疾駆して来るのを見て、
――あれは独眼龍政宗!
と、岡野左内がさけんだ。
むろん、その集団を見て、後方で見守っていた前田ヒョット斎、車丹波も草を蹴《け》って馳《は》せ寄っている。
と、見るや、小次郎、武蔵も、ついに抜刀した。――いまや、江戸五の蔵地の草原は、単なる兵法者同士の決闘の場どころか、ちょっとした戦場と化そうとした。
「主水、待った!」
髪を逆立てて敵へ立ち向おうとする上泉主水に、岡野左内が声をかけた。
「伊達なら、おれの受け持ちの約束だぞ! 余人は手を出すなっ」
吼えながら、左内は自分の袖無羽織をぬぎ、くるっと裏返しにしてまた着た。
――と、それまでは何の変てつもない鼠《ねずみ》色の羽織が、鮮やかな朱色のものに変った。しかもその背に、金色の十字架が浮かびあがった。
そして彼は、そばをさまよっていた茂庭周防の馬に飛び乗り、敵味方の間へ――奔馳《ほんち》して来る白頭巾の前へ駈け出して、
「おうっ、そこに出て参られたは、頭巾で面《おもて》はお包みあれど、伊達政宗公とお見受け仕る!」
と、呼ばわった。
ふだん、春風|駘蕩《たいとう》として穏やかにものをいう左内の声が、この草原の隅々まで雷《らい》のごとくとどろきわたる。そののど[#「のど」に傍点]が改まると、
「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」
と、やり始めた。
「これは、さんぬる慶長五年、みちのくの戦場で政宗公と決戦し、その兜《かぶと》まで斬り落しながら、政宗公とは知らざるばかりに、まんまととり逃したる上杉の岡野左内宗政なるぞ!」
はっとしたらしく、白頭巾は手綱をひいた。馬は竿立ちになった。
「改めて、ここで雌雄《しゆう》を決しよう。有象無象《うぞうむぞう》のへっぽこ[#「へっぽこ」に傍点]めらは手を出すなっ」
むろん政宗は、あのときのような甲冑《かつちゆう》姿ではない。野羽織に頭巾といういでたちであったが、岡野佐内は、その長蛇を、流星光底、あわやというところで逸した無念さに、あとでその残像をかみしめかみしめ、いまその白頭巾の姿を、いちはやく政宗と気づいたのだ。
そしてまた政宗のほうも、あれほど自分の心胆を寒からしめた男は何者か、と調べて、それが岡野左内という武者であったことはすでに知っていたに相違ない。さらにその後、左内がそのときの陣羽織の傷痕《きずあと》を金糸でかがって、自慢して着用しているという話も耳にしていたかも知れない。
が、怖《おそ》れるよりも、彼は勃然としたようだ。――
かつて若い日、父|輝宗《てるむね》が、ほんのちょっとした油断から敵に誘拐《ゆうかい》されたのを、怒髪天をついて十里追撃し、輝宗を人質にして威嚇《いかく》する敵を雨のごとく銃撃して、父もろともにみな殺しにしてしまったほどの政宗だ。その猛々《たけだけ》しさは、まだ四十半ばの壮年の体躯《たいく》と気概に脈打っている。
「やあ、たかが上杉の家来直江山城の、そのまた家来という分際をもって、その口上|僭上《せんじよう》なり」
竿立ちになった馬を乗り鎮め、馬上で槍をかまえ直すと、政宗は真一文字に突撃して来た。
これは、大変なことになった、とこちら側のヒョット斎、丹波、主水さえ驚いたくらいだから、向うの伊達勢はもっと仰天したにちがいない。そもそも、こんなことのないようにと、あわを食って主君を追っかけて来た彼らだ。これを黙って見過すはずがない。――
と、思われたのに。
ふしぎなことに、その数分、彼らは停止し、息をのんでいた。あんまりびっくりし過ぎたのかも知れないが、それよりも、見恍《みと》れたのだ。それは、戦国の大武者同士の、史詩的な一騎打ちの景であった。だから、手を出すことを控えたのではない。何ともいえない迫力が、彼らを金縛りにしてしまったのである。
武蔵、小次郎さえ、瞳孔《どうこう》をひろげて、立ちすくんでいた。
岡野左内は馬首を立て直し、これまた疾駆しはじめた。
が、何たることか、槍をかまえた政宗に対し、彼はその刀さえ抜きはなっていない。
もっとも、いま改めて勝負を決する、とはいったが、かりにここで伊達政宗を討ちとれば、上杉家が無事にすむはずのないことは、左内も承知はしているだろうが、いったい彼はどうするつもりか。――
そのまま両者は、同じ線路を逆から走る機関車みたいに猛烈な速度で接近した。
政宗の槍はすでに相手の胸を狙《ねら》っている。――二頭の馬は衝突せんばかりになって、しかし駈けちがった。
避けたのは、岡野左内ではなかった。ただ彼は、その距離三|間《げん》ばかりに迫ったとき、右手だけを振った。
変な動きかたをしたのは、政宗のほうであった。その槍は動かず、馬もまたよろめいたようになって、ななめにそれて、あらぬかたへ駈け過ぎたのだ。
政宗は、片手で左眼を押えていた。それが一枚の慶長小判にピタリとふさがれているのを、だれが認めたろう?
投げたのは、左内であった。
それはヒラヒラと上下に回りながら飛んで来て、政宗のあいている左眼にピシャリと貼《は》りついたのだ。むしり取ろうとしても、小判は小判|鮫《ざめ》の吸盤みたいに離れない。――投げるのに何か秘術があったのか、それとも政宗があわてていたのか。
一方の腕に槍、一方の手に吸着した小判。これでは手綱が空《から》になるのは当り前だ。
しかも、独眼龍の独眼にふたをされてしまってはどうしようもない。
馬は、いずこへともなく狂奔していった。――いずこへともなく? ゆくてに茫々と拡《ひろ》がる沼のほうへ。
前にも述べたように、ここには、後に江戸城の外濠に組み込まれることになる大沼があった。
――そこへ、あ、あ、あっと、みながかっと眼をむいている間に、政宗は馬もろとも、凄まじいしぶきをあげながら駈け込んでいって、そこでまた一段と盛大な水煙をあげて、鞍から放り出された。
というより、馬そのものが首まで沈んでしまったのだ。
そこらあたり、意外に深いらしい。水の中の政宗は、それっきり姿を見せなかった。
あまりのことに息をのんで棒立ちになっていた伊達勢は、数秒ののち、「わああっ」と、人間のものとは思われぬ声を発して、その沼のほうへ駈け出した。
政宗が水面に現れた。
めちゃめちゃに腕一本をふりまわして、何かさけんでいる。ただごとでない形相だ――といいたいが、実は泥のお化けのようだ。沼は文字通り泥沼だったのである。
戦国の武将中の大武将たる独眼龍政宗は、泳ぎを知らなかったのか。それとも一本だけ腕をふりまわしているところを見ると、いま落馬したとき、何かのはずみでもう一本の腕がどうにかなってしまったのか。
さて、泥中でもがきまわる政宗公を見て、家来たちは仰天して殺到しようとしたのだが、その前に沼へ飛び込んでいった者がある。
驚いたことに、これが直江左兵衛であった。
「伊達どのを死なせては大変じゃ!」
という声を、ヒョット斎たちは聞いた。
これが実にみごとに抜手を切って、政宗のほうへ泳いでゆく。
それを見て、四天王は一瞬|唖然《あぜん》としていたが、たちまちこれまたどっと沼の中へ駈け込んで――ひざまで浸りながら、伊達勢の前にズラズラと横隊を作った。
「来るなっ、それ以上近づくと、主人のいのちはないぞ!」
「安心せい、あれは助けにいったのじゃ!」
と、前田ヒョット斎と車丹波が叱咤《しつた》した。
伊達の家来たちは、三十数人がそれ自身一つの爬虫《はちゆう》みたいにかたまって、水際でひしめいた。
向うに主君と、そばに泳いでいった男が、泥しぶきをあげてもつれ合っているのを見たからだ。彼らの髪は逆立った。きゃつ、政宗公を害するつもりか?
いや、どうやらそうではないらしい。――
「おういっ、助けてくれ!」
左兵衛がさけんだ。
「一人じゃ、手に負えん!」
いったん政宗を抱きあげて、その巨体にからみつかれ、両人とも、もろにまたぶっ倒れて沈んでしまった。
「左内、ゆけ。おまえの担当じゃ」
と、ヒョット斎があごをふる。いつのまにか馬から下りて水の中に立っていた岡野左内は、首をかしげた。
「この大事な胴羽織が、泥まみれになるのはちと困るな。それに、さっき政宗の眼に貼りついた小判が、どうやら、このへんに落ちたようじゃ」
「このケチンボめが!」
と、舌打ちして、車丹波が泳ぎ出していった。
すぐに左兵衛と双方から、政宗に肩をいれてひき返して来た。三人とも泥ンこになって、しかも酔っぱらいの行進のようだ。ただ丹波は、うしろに政宗の馬を曳《ひ》いている。
「これは左兵衛さま、見直しましたな」
と、これを途中で迎えて、ヒョット斎がいった。
「あんな泳ぎ手でおわそうとは」
彼らは、ほんとに、はじめて直江左兵衛に感心したのだ。
「八丈の海でおぼえたのはそれだけじゃ」
と、左兵衛は答えた。
ちっとも颯爽《さつそう》とはしていない。髪から鼻から泥がポタポタとしたたって、まるでどじょう[#「どじょう」に傍点]が人間に化けたようだ。
両側から肩をいれられて、水の中を歩いて来た伊達政宗が、泥まみれの頭巾がベッタリ貼りついて、これは鯰《なまず》のお化けみたいになっているのを見て、
「こっちの勝負はありましたな。……一敗|泥《どろ》にまみれるとはこのことで」
と、左内がニヤリとした。
「伊達どの、もう足は立ちますぞ」
と、車丹波がいって、政宗から肩をはずし、岸のほうへ腰を押した。
主君のあまりのひどい姿と、それが上杉方につかまっている恐怖とで、まだ息をとめていた伊達勢の中から、まずわれに返った武蔵と小次郎が、バシャバシャと沼の中へ足を入れて来た。
突然、小次郎が物干竿《ものほしざお》をふりかざして、
「勝負はまだだっ、上泉主水!」
と、絶叫した。
それに対する返事は、だれより先に政宗の大くしゃみであった。
はあっくしょい! という物凄《ものすご》い奇声とともに、泥の水滴が幾百滴となくその鼻口から噴き出した。そして彼は、胴ぶるいしながら、
「寒いっ」
と、家来たちにさけんだ。
「何をしておる。早く火を焚《た》けっ」
二月の末、といっても、いまの暦では三月末だが、それにしても桜もまだ咲かない季節だ。この時期に全身水につかってはたまらない。その寒気は、さしも剛強な政宗の闘志も奪ったと見える。
「寒いよっ」
「こっちも火を焚いてくれっ」
と、左兵衛も丹波も、歯をガチガチ鳴らしながら悲鳴をあげた。
「おたがいに検分役がこのざまでは、試合どころの騒ぎではない喃《のう》……」
と、岡野左内は苦笑の顔をまわし、
「それより、小次郎、勝負するなら、やはり借金を返してからもういちど改めて申し込んで来い!」
と、一喝して、左兵衛と丹波を押しやるようにして、ザ、ザ、ザと、こちら側の岸にひきあげて来た。
――結局、この五の蔵地の果し合いは、たんなる二人の兵法者の対決にとどまらず、伊達政宗みずから乗り出すという大仰なものに発展しながら、文字通り水をかけられてしまった。
濡《ぬ》れねずみの政宗を、みんなでとり囲んで、死物狂いに焚火であぶっている間に、直江四天王たちがお弦まで連れて、風のごとく立ち去ってしまったからだが――伊達家に残されたのは、茂庭周防の屍骸《しがい》と、独眼龍政宗の醜態だけということになった。
しかも、これをもって伊達家は上杉家にかけ合うこともしなかった。――
このいきさつが世に知られることを憚《はばか》ったこともあろうが、一つには、政宗に上洛《じようらく》の時が迫っていたからである。
上方の秀頼と対面するために、大御所が上洛する。そのお供をする諸大名の一人としてである。大御所が駿府を発するのが三月六日だから、江戸から向う人々は、二月の末には立たなくてはならない。
これは上杉家も同様だ。
ただし景勝は、寒中にひいた風邪《かぜ》が癒《なお》らぬと申し立て、その名代《みようだい》として国老直江山城がゆくことになった。
その上洛の支度に上杉家も騒然としている二月末日の午後。
伽羅の草履取り三宝寺勝蔵は、例の濠端《ほりばた》の地蔵堂の中にはいりこんで、首をひねって石のお地蔵さまを撫《な》でさすっていた。
[#改ページ]
抜け穴の果て
実は伽羅から頼まれたことなのである。
この地蔵堂のことではない。左兵衛の捜索をだ。
「……また、どこへゆかれたのかしら? 左兵衛どのは」
上杉家の混雑の中を、伽羅は眉をひそめて歩いていた。
「この忙しいのに――」
あまり支度の役に立つとは思えないが、左兵衛もまた上洛するのだから、やはりいないと困ることが出来《しゆつたい》したと見える。朝から左兵衛は、例の宇喜多の旧臣の集《つど》いにゆくために、またぶらりと出かけて姿が見えないのである。
「私が探して参りましょうか」
と、それを聞いた勝蔵がいい出した。
「お前、左兵衛どののゆくさきを知っているのかえ?」
「いえ、存じませぬが……ちょっと当って見たいところがござりまして」
と、いうわけで、彼がやって来たのがこの濠端の地蔵堂なのだ。
実をいうと三宝寺勝蔵は、あれから何度かここへやって来た。あれから、というのは、例の車丹波が宋版史記を奪還したとき、この地蔵堂の中から白頭巾と宮本武蔵、佐々木小次郎が現れ、また消えてから、という意味だ。もっとも、これは彼が実際に見たわけではなく、伽羅さまとその現場にいた車丹波に聞いた話だが、しかし、そういえばそれ以前に、彼は左兵衛を尾行し、そのあたりで姿を見失ったことがある。
宋版史記事件直後、四天王も狐《きつね》につままれたような顔をして、あとで一応も二応も調べたのだが、地蔵堂の中には、地蔵さまが鎮座しているという以外、何の変ったこともないので、首をひねりながら退散したのだ。決して納得出来る理由ではないが、そもそもあの本多の次男坊――ひいてはその護衛兵たる二人の剣士には、終始一貫して人外境の魔物めいた印象があった。
しかし、勝蔵だけは、あれからいくどかここにやって来て、地蔵堂の中をジロジロ見まわしたり、お地蔵さまを押したり、ひっぱったりした。――彼はやっぱり納得出来なかったのだ。しかし、結局、なんの異常も発見することは出来なかった。
で、その日。
左兵衛さまを探して来るといって出て来た勝蔵が、その足でここに来たのは、いつか左兵衛がこのあたりで消えた謎《なぞ》をやっぱり捨てかねたせいだが、そのほかにも、ここ両三日中にも上洛のお供をして江戸をあとにするにつけて、どうしてもここの怪異を明らかにしておきたいという望みにかりたてられたからでもあった。
はっきりいって勝蔵は、ある重大な疑惑を抱いていたのだが、それはのちに明らかになるだろう。
が、さて、いくら眼を皿《さら》のようにしても、依然、べつに変ったこともない。――
屋根はあるが、まわりは古びた板囲いと格子《こうし》、下は土の地蔵堂だ。ふつうの建物なら、地面と床《ゆか》の間に五寸なり一尺なりの空間があるのだが、何しろ中にいるのが重い石のお地蔵さまなので、床はなく、地上に平べったい大きな石をじかに置いて、その上に鎮座しているのだ。
――と、彼の手は、ほとんど偶然のように、地蔵の涎《よだれ》かけをめくった。朱《あか》い、というより色あせて茶色になった涎かけをである。
すると、お地蔵さまののどの下に、ポチリと小さな紐《ひも》の瘤《こぶ》がくっついているのに気がついた。
「や? これは何だ?」
眼をまろくして、その瘤をひっぱる。ふつうの力では動きもしなかったろう。が、力をこめて引くと、紐が出て来た。瘤はその紐のさきをまるめたものであった。
石地蔵ののど[#「のど」に傍点]から、紐が五寸ばかり出て来たとき――怪事が起った。お地蔵さまが動き出したのだ。正面の格子のほうを向いていた地蔵が、音もなく横へ廻りはじめたのだ。
彼は見た。――円形の大きな石の台座の両側に、ぽっかりと穴のあいたのを。そして、その穴に、縄梯子《なわばしご》のようなものがかかっているのを。
二つの穴は、いままでお地蔵さまがふさいでいたものであった。が、どちらも人がくぐりぬけられるほどのものであった。
底は暗くなって、どこまでつづいているか見当もつかない。
「ううむ……」
三宝寺勝蔵は、さすがに大きな息をした。
が、その息をついたあと、彼はその穴から身をいれた。いい度胸である。そもそもここへ一人で来て、これほど執念ぶかく調べぬくのがただものでない証拠だが。――
もぐりこむと、穴は一つになっている。
全身がはいると、彼は上を見あげた。横向きになったお地蔵さまの下側にあたる部分に、また瘤になった縄が出ている。それをひっぱると、地蔵さまはまた回転しはじめて、穴はぴったりふさがった。
闇黒《あんこく》だ。
その穴の中の縄梯子を伝って、彼は下りはじめた。
地底に、三宝寺勝蔵は立った。
縦穴はそこで尽きて、そこから一方に横なりの穴がつづいていることを彼は知った。
勝蔵がしばらくそこに立ったままでいたのは、考えていたのである。いままでの縦穴の深さと、横穴の方角を。
縦穴は、どう考えても濠の水面よりはるかに深い。濠の底よりまだ下にあるようだ。それから横穴は、どうやら城のほうへ続いているようだ。
そう見きわめた上で、勝蔵はまた歩き出した。横穴をである。――横穴もまた、人間が立って、二、三人はならんで歩けるくらいの空間があった。
ただし、これは常人の眼では見えない。すべては闇黒の中だからである。
そこを、勝蔵はヒタヒタと歩いてゆく。――
さすがに片手を土壁にあて、一歩、一歩踏みしめるように進んでゆくが、しかし決して闇黒の中のはじめての地底の道を歩いてゆく足どりではない。
まさに、怪人といっていい。――すでに読者は、いつかの石引きの場で福島勢の中から伽羅を救い出した離れわざで、このひょっとこみたいな顔をした伽羅の草履取りが常人でないことは御承知のはずだが、いったい彼は何者か。
しかし、この男の正体より、もっと怪しむべきは、むろんこの地底のトンネルであろう。
どうやら江戸城の廓《くるわ》の中と、濠の外の地蔵堂とつながっているらしいこの抜け穴は――実にそれは、濠のそのまた下を通っているように思われる。いつ、何のためにこんなものが作られたのか。
むろんこの城は、その昔太田道灌が築いたものがそのもととなっている。しかし濠などは、大御所が江戸に入府して以来掘ったものだし、だいいち、手にふれる土壁の感触が、ここ数年のものだ。こんな大規模な工事を、だれがやってのけたのか。
――しかし、勝蔵は、まったくべつのことをつぶやいた。
「米沢の城に、謙信公の歌に託して、直江山城の動静を見守っておるぞ、といわぬばかりの短冊《たんざく》が落ちていたのが、去年の秋九月。八丈島から流人《るにん》船が帰って来たのが十月。……これはまちがいない」
首をひねって、
「鳥も通わぬ八丈島と、流人船以外はそう往復出来るはずはない。……このことは、それとなく千坂兵左衛門に念を押してたしかめたが、流人すべてが島に閉じこめられていたことにまちがいはない」
と、ひとりごとをいった。
「何よりふしぎなのは、直江山城さまじゃ。あの御仁が、そうやすやすと人にあざむかれるようなお人か?」
ふっと、三宝寺勝蔵の足がとまった。
彼は、隧道《ずいどう》の地面や壁の下から突き出した変なものを見たのだ。うす白い、まるいもの、棒のようなもの、尖《とが》ったもの――それは無数で、さっき足の下で妙な音が聞えていたのは、そこまで散らばったそれらのものを踏む音であったのだ。
それは人骨であった!
眼をこらすと、土壁にめりこんで、顔だけ浮びあがったしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]さえ見えた。しかも、十や二十ではない。壁面に横になり、逆になり、はては、見上げれば、土の天井からも、おびただしいしゃりこうべ[#「しゃりこうべ」に傍点]が、じいっとこちらを見下ろしている。――
どう見てもただものでない三宝寺勝蔵が、ぶるっと身ぶるいした。
ただし、彼がこういうものをありありと見たのは、ただ常人ではない眼を持っているばかりではなく、前方からかすかな光がさしはじめているせいもあった。
出口が近いのだ。
勝蔵は歩き出した。人骨を踏んでゆくのに、もう彼の足は音をたてない。道は徐々に上り勾配《こうばい》になってゆく。
そして、三宝寺勝蔵は、その出口のそばに立った。
トンネルとは直角に、また縦穴がある。――眼の前には、ふとい綱が二本ぶら下がっている。穴から顔を出してのぞきこむと、下は水面になっていて、綱の先に桶《おけ》が一つ沈んでいる。空には綱をとりつけた屋根と、それから春の蒼空《あおぞら》が見える。
これは、井戸であった。
井戸の途中に、横穴がひらいているのだ。
そして、おそらく、眼前の綱は、ただのつるべ[#「つるべ」に傍点]縄ではなく、その太さから見て、人間が上り下りするための綱ではあるまいか。――
三宝寺勝蔵は、いちどその綱にのばしかけた手を急にひっこめ、穴から井戸の壁へ音もなく飛び移った。四角な井戸の石壁の直角になった部分に四肢をあてたのである。彼のからだはやもり[#「やもり」に傍点]みたいに吸着した。
そして勝蔵は、じりっ、じりっと上へ昇り出した。
上から妙な音が聞える。井戸のすぐ近くにだれかいるらしい。
やがて、彼は、まさしく井戸のふちから、眼だけをのぞかせた。――
向うに、藁《わら》屋根の家が見える。百姓家のようだ。江戸城の――少なくとも大手門の中に、こんな建物があろうとは?
ここは宛然《えんぜん》百姓家の庭であった。
そこにむしろ[#「むしろ」に傍点]を敷き、台のようなものを置いて、一人の男が向うむきになって、あぐらをかいて何かやっていた。垢《あか》じみた黒紋付に蓬髪《ほうはつ》をたばねたうしろ姿であったが――勝蔵はすぐにそれが何者であるかを認めた。
彼は知っていた。それは本多家の守護兵であるという新免武蔵であった。
――して見ると、ここは本多佐渡守の屋敷の一郭《いつかく》か。
と、思い至って、しかし勝蔵は改めて茫然《ぼうぜん》としないわけにはゆかなかった。あの抜け穴を作ったのは、江戸城の工事を指揮した本多佐渡守その人であったのだ。……すると、あのおびただしい人骨は、この秘密の抜け穴を掘るのに使役された人夫の始末されたものと考えるしかない。
それはともかく、眼をこらすと、武蔵の身のまわりには、その人骨と竹片がこれまたいっぱい散乱しているのだ。どうやら彼は、その一つを台上にのせ、鑿《のみ》やら小刀やらを使って、細工物に余念もないらしい。
「武蔵――」
どこかで、錆《さび》のある声がした。
勝蔵は、百姓家の縁側の障子が少しあいていて、その向うに白い頭巾をつけた影が寂然《じやくねん》と坐っているのにはじめて気がついた。
「井戸からだれか見ておるぞ」
ぱっと武蔵がふりむいた。
勝蔵はむろん狼狽《ろうばい》した。壁を這《は》って下りるのはもう遅い。つるべ縄を伝って逃げても間に合わぬ――と、一瞬に判断した。
一刀ひっつかんで武蔵が躍り上って来る寸前に、彼は井戸からはね出している。四肢の弾力を使っての驚くべき体術であった。しかも、井戸を隔てて武蔵とは反対側へ。
うなりをたてて薙《な》ぎつけられた新免武蔵の大刀は、ただ一本のつるべ[#「つるべ」に傍点]縄を切った。はるか下で、桶の落ちていった水音が聞えた。
いちど井戸の蔭に身を伏せた勝蔵は、すっくと身を起した。その両手に、奇妙な武器が握られていた。柳の葉のように両端尖った刃物で――|※[#「金+票」、unicode93e2]《びよう》と称する忍者道具だ。
井戸を中に、二人は相対した。
一方は大刀、一方は※[#「金+票」、unicode93e2]。――武蔵の眼に、おそらくどんな剣法者を相手にしても浮ばなかったろう驚異の光が浮び、勝蔵の眼に、これまたこの男がはじめて見せる戦慄《せんりつ》のさざなみが立った。
井戸の上で烈《はげ》しくまわっていた木の滑車が、凍りついたようにはたと静止した。
「これは、観物《みもの》じゃな」
いつのまにか、縁側に出て来た白頭巾がいった。白衣の着流しに、大刀を縁について、掌を重ねて柄《つか》の上にあてたまま、笑うように声をかけて来たのである。
「宮本武蔵と猿飛佐助《さるとびさすけ》の勝負とは」
愕然《がくぜん》としたのは、武蔵ではなく、三宝寺勝蔵のほうだ。
何でその一瞬の隙《すき》を見のがすべき、井戸の上へ躍って来る野の獣みたいなその影へ、二本の※[#「金+票」、unicode93e2]は投げつけられたが、それはむなしい銀光のすじをひいて、相手の袖と肩をかすめて空へ飛んだ。
新免武蔵の足はいちど井戸の手前のふちを踏み、次の瞬間、勝蔵の頭上をさえ越えて、その背後に立っていた。
大御所家康が駿府を発して、京へ向ったのは三月六日のことである。
二日には、上杉景勝|名代《みようだい》として、直江山城も江戸を立っている。お供の総勢五万という人数であったから、すでに二月末ごろには江戸を出立《しゆつたつ》する大名もあり、山城はその行列のしっぽあたりにくっつくことになった。
娘の伽羅とその夫左兵衛、それに直江四天王、米沢からついて来た侍女たちも同行している。
出立前、伽羅はうろたえていた。
「勝蔵は、どうしたのかしら?」
左兵衛も見まわした。いつも影のように伽羅により添っていたあの草履取りがいない。――聞くと、ここ数日姿を見せないという。
「どこへいったのじゃ?」
「あなたは御存知ないのですか?」
「どうして?」
左兵衛はキョトンとした顔をした。
それっきり、伽羅は重ねて聞かなかった。あなたを探しに出ていったきり帰らないのだ、と口まで出かかったのだが、どういうわけか左兵衛が、宇喜多の旧臣たちとの会合場所を打ち明けない以上、なお押して聞くことは彼女の自尊心が許さない。
――あの男なら大丈夫だ、きっとあとで追いかけて来るだろう、と伽羅は考えることにした。とにかく父の上洛のお供はしなければならなかったのである。
東海道は、もう春たけなわといってよかった。
こんどの大御所上洛については、大坂とのゆきがかり上さまざま不穏な流言さえ飛んで、それが京でどんな妖雲《よううん》を生み出すか、予想も出来ないとはいえ、直江四天王も武者ぶるいを禁じ得なかったのだが――駕籠《かご》にゆられてゆく直江山城守は、ひとり物見遊山《ものみゆさん》にでもゆくような快楽的な笑顔を、沿道に咲きつづく桜に向けていた。
[#改ページ]
上洛《じようらく》記
「このたびの大御所上洛、雨となるか、風となるか、どう思う?」
ヒョット斎が聞く。
「それは、大坂の出方次第じゃろう」
「上洛組のほうは、いざといえば大坂など一もみにもみつぶさんばかりの人数じゃが」
と、車丹波と岡野左内が答えると、
「大御所はそれを狙っていると見えるが――」
と、上泉主水がいった。
こんどの大御所上洛は、その総勢五万といわれる。発するのは江戸からが多く、それが駿府から出た大御所をつつんで、まるで東海道百二十五里を埋めつくさんばかりにして押し上ってゆくのだ。
そのしっぽにくっついて、直江山城一行がゆく。
主君景勝の名代ということで、べつに江戸家老千坂対馬守も同行しているが、あわせて百人余り、諸大名のうちでは少ないほうだろう。
大御所が上洛するのは、大坂城の秀頼と交歓するのが目的だとはだれも知っていた。秀頼と対面するのは、十九歳に成長した秀頼を、いかなる若者になったかと偵察するのが目的だとは、ある人々だけ知っていた。七十歳になった家康は、次第にその差に不安を禁じ得なくなったのだ。
久びさの交歓、とは徳川家からの申し入れの理由だが、それにしぶしぶ大坂は応じたものの、まだ実現に疑念がある。慶長十年秀忠が将軍に任ぜられたとき、京におけるその儀式に秀頼も参列するように申し込んだところ、たちどころに拒絶された前例があるのだ。挨拶したいなら大坂城へ来い、というのが、いまなお誇り高い豊家《ほうけ》の姿勢であった。それに秀頼が京都へ呼びつけられれば、どんな危険があるか計りがたい、という淀君《よどぎみ》の女らしい猜疑《さいぎ》心もあった。
それから六年を経て、ふたたび大御所は対面を要求した。もしこんども拒否するならもはやただではおかない、という覚悟を読んだ豊臣恩顧の諸将は――特に加藤肥後守清正などは、江戸、駿府、大坂の間を往復して、死物狂いに両家を斡旋《あつせん》し、ともかくもこの三月対面のことに漕ぎつけた。しかし、まだ事態はどう変るかわからない。
「大坂を踏みつぶす人数というが、しかしこの中には豊臣恩顧の大名もだいぶおる」
ヒョット斎がいった。
直江山城、直江左兵衛、千坂対馬、その他女性たちは駕籠だが、あとのお供は大半|徒歩《かち》だ。その中で、四天王だけ騎馬で、春風に吹かれながらの話であった。大井川を渡ったあたりだ。
「それも、天下の風向きは変ったぞ、という大坂方への示威のつもりで動員したのじゃろうが」
と、左内がいうのに、主水がつぶやいた。
「しかし、実際は徳川の味方とはかぎらんぞ」
「そもそも、上方《かみがた》で破綻《はたん》が生じたら、豊臣恩顧の連中はどう出るかの」
ヒョット斎が首をかしげた。
「特に、加藤、浅野など――」
「大坂に加担すれば、家があぶない。さればとて大坂を見捨てれば汚名を残す。加藤や浅野が、徳川と豊臣の和解に腐心するのは自己保全のためもあろうが……その苦労、察するに余りあるな」
と、左内が笑った。
「ひとのことではない。上杉家はどうするつもりじゃ」
ヒョット斎がいった。
「いやさ、山城さまは何と御思案なされておるのか喃《のう》?」
四人は、ちらっと、薄い砂塵《さじん》を通して彼方《かなた》の駕籠の影を眺めた。
上杉は、加藤、浅野のような太閤子飼いの家柄ではない。しかし、かつては石田三成と組んで家康に一泡吹かせた大名だ。げんに家康に向って、
「死にゆく太閤に対して、秀頼さまへの忠節を誓った言葉を忘れたか」
と、向うのいちばん痛いところをつく辛辣《しんらつ》な弾劾状《だんがいじよう》をたたきつけたのは、まさにその直江山城なのだ。
「あの御仁は、何を考えておられるのかわからんところがある」
と、車丹波は憮然《ぶぜん》としていった。
「女などを御同行なされて、まるで京の春を愉しみにゆかれるようじゃ」
「ははは、女房を連れて来られて困ったか」
と、左内が笑った。気のせいか、上泉主水も急にゲンナリしたように見える。
丹波の女房小波、主水の恋人? お弦も一行に加わっているのだ。
「いや、しかしあの山城さまが、腹に何の一物《いちもつ》もなくて大御所のお供をしておられるとは思われぬ」
と、ヒョット斎がかぶりをふった。
「それでは直江山城の存在意義がない」
「それどころか、山城さまはいまいちど天下分目の大騒ぎが起るのを待っておられるのではないか」
「その日のために山城さまは、今日まで生きて来られたのではないか」
と、丹波と主水が押し殺したような声でいうと、左内も決然とうなずいた。
「ま、その日のためにおれたちも直江山城さまに仕えて来たのじゃ」
丹波と主水は、眼をかがやかせて蒼空を見あげた。
「雨か、風か。……上方に何が起るか、愉しみじゃ喃」
「風雲児直江山城に期待しよう」
昂奮《こうふん》を抑えかねたように、前田ヒョット斎がかろく馬に鞭《むち》をあてた。
「少し、供のめんめん、どんな面《つら》で上方へ向っておるか見てやろう」
四人は行列に沿って前へ走り出した。
「ありゃ何だ」
駈け過ぎてから、上泉主水がヒョット斎に聞いた。
「いまのは加藤だったな」
加藤肥後守は駕籠に乗っていると見えて、それらしい姿は見えなかったが、「南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》」の旗が何本かひるがえっていたところからも、加藤家の行列だったにちがいない。
その行列のうしろのほうに、妙なものがくっついていた。
白木の小屋を、十余人の家来が輿《こし》みたいにかついでゆくのだが、それが人の住むには小さ過ぎ、だれかはいっているには大き過ぎる。なんだか、えたいの知れぬしろものだ。
「あれは雪隠《せつちん》ではないか」
と、うしろから来た車丹波がいうと、岡野左内が思い当ったように大きくうなずいた。
「それだ、それにちがいない」
「清正どのは、東海道、雪隠を運ばれるのか」
主水のけげんな表情に、左内が答える。
「されば、清正どのの長雪隠の話を聞いたことがあるぞ。何でも清正どのはひどい痔《じ》持ちじゃそうな。それで厠《かわや》にはえらい疳性《かんしよう》での。雪隠にはいるのに高下駄《たかげた》をはいてはいられるとかいうことじゃ」
「ほほう、鬼上官《きじようかん》が喃《のう》……」
「想像するに清正どのは、道中、ところを選ばず糞《くそ》をするわけにはゆかず、またありきたりの厠では困ることがあって、それでわざわざあんなものを運んでおるのじゃないか」
「なるほど」
馬をまたかろく走らせながら、ヒョット斎が独語した。
「清正どのの苦労もいろいろあるのじゃな。そこで、痔はイボ痔か、切れ痔か」
「そこまでは知らん」
すると、ふだんあまり洒落《しやれ》などいったことのない上泉主水が、
「トラタイ痔じゃろう」
と、いったので、みな爆笑した。
しばし、馬を駆《か》って。――
「おう」
ゆき過ぎかけて、四人はまた馬をとめた。
その声は、彼らのみならず、路傍からも発せられたものであった。
東海道は、大久保長安などの働きで、松並木が植えられ、一里塚が作られ、その他|宿場《しゆくば》、問屋場、伝馬《てんま》所、川会所の設備など、近年目立って街道としての面目を新たにしつつあった。
そういう風物も四人には珍しい。
それから、これだけの人数が毎日毎日通過してゆくので、それをあてこんで、路傍にいろいろな物売りが出ている。菓子売り、水売り、薬売り、わらじ売り、その他土地土地の名物売り――それに、小屋掛けの飯屋から飲屋まで。
それが、ちょっととぎれた、崖《がけ》っぷちに面した場所であった。
そこに一|挺《ちよう》の駕籠をかこんで一団の人数が休んでいたが、その中の一人の男が思わずあげた声らしかった。
「や、新免武蔵――」
と、ヒョット斎がさけんで、あと絶句した。
例の蓬髪《ほうはつ》に垢《あか》じみた牢人《ろうにん》姿の武蔵が、駕籠のそばに立っていた。それが、こちらを見て、
「これはよいところで逢《あ》った。用がある。……しかし、ちょっと待て」
と、いって、そばの従者にあごをしゃくった。
二人の従者は、いまの駕籠の戸をあけて、中から出て来る人間を待ち受けているところらしかった。
その人間は、現れた。
例の白衣に白|頭巾《ずきん》が、この白日の下にも妖々《ようよう》と。――
本多長五郎だ。相変らず、ふところ手をしている。しかも、高下駄をはいている。
四人は、眼をまろくした。
「…………?」
してみると、この奇怪な本多の次男坊もこんどの上洛にくっついてゆくと見える。むろん父の佐渡守も大御所のお供をして、数日前にこのあたりを通り過ぎていったにちがいないし、兄の上野介《こうずけのすけ》はすでに早くから京にいっているから、この人物がゆくのにふしぎはないが――いや、やっぱり怪事ではある。いったい本多長五郎が、なぜ京へゆくのか?
しかも、この人物は、実に妙なことをやった。
ちらっとこちらを見たようだが、頭巾の間の眼の部分が黒い紗《しや》で覆われているので、表情はわからない。それが、二人の従者を従えて向うへしずしずと歩いていって、高下駄をはいたまま、崖っぷちに立った。武蔵もそのあとについてゆく。
そして、二人の従者が左右から彼の白衣の裾《すそ》を両側にひらくと――彼は、小便しはじめた。本人は依然として、ふところ手のままだ。
こんな横着《おうちやく》な小便ははじめてだ。
やがて彼はしずしずと戻って来て、下駄をぬいで、一言の口もきかず、また駕籠の中にはいっていった。戸はしまった。――ちょっと、これほど人を食ったやつはあるまい。
この奇行をあえてした主人のあとについて、黙々と駕籠のそばにひき返した武蔵は、
「左内、待たせた」
と、いって、向うにいる別の小者を眼で呼んで、「あれを」と命じた。
その家来は、背に負っていた包みを下ろして、武蔵のところへ持って来た。包みをひらくと、小さな箱が出て来た。
「それをあの男のところへ持ってゆけ」
武蔵に指さされて、家来は左内の馬のところへ歩いて来て、その箱をさし出した。
「例の借金の代りに返す。約束のものじゃ」
と、武蔵はいった。
以上のいきさつを、四人は馬上からあっけにとられて眺めていたが、その箱を受け取った岡野左内は、鞍《くら》の上でそれをひらいて、眼をパチクリさせた。
中には麻雀牌《マージヤンパイ》がズラリと詰め込まれていた。サイコロに点棒までもそろっている。
ほんものにくらべてはだいぶ見劣りするが、しかし使えないことはない。むしろ象牙《ぞうげ》と竹の組合せ、また象牙に刻まれた模様や文字の精巧さなど、これがあの剽悍《ひようかん》かつ薄汚ない牢人の細工とは信じられないくらいだ。
もっとも、そういえば、いつか返金を督促したとき、
「近いうちに上洛するから、その前に麻雀牌で返す」
と、約束したことは約束したが。――
「しかし、よく象牙が手にはいったものじゃな……」
と、さしもの岡野左内が、感嘆してつぶやいた。
これで日本で二番目の麻雀牌が出現したことになる。
「百三十六個。借金はたしか三十四両であったから、四個で一両分、一個一|分《ぶ》ということになるが、それでよいかな? 点棒とサイコロは利子だと思ってくれ」
「よい、よい」
と、左内はがくがくと点頭した。
「では、これでもはや借りはない。……何なら佐々木の代りにいつでも相手になってやる」
と、武蔵はぶきみなことをいったが、すぐに、
「立て。……ゆこうぞ」
と、家来たちを促した。
駕籠はあがり、本多組はそのまま街道を西へゆく大行列に流れ込もうとする。
「待てっ。……佐々木小次郎はどうした?」
と、突然われに返ったように上泉主水が呼びかけた。いつも本多長五郎のそばに竜虎《りゆうこ》のごとく控えているもう一人の剣士の姿が見えないことに、先刻から彼は首をひねっていたものである。
武蔵の声が聞えた。
「知らぬ。――きゃつはもはや本多家とは関係ない!」
……四人は、ややめんくらった表情で、行列を逆にひき返した。とくに麻雀牌をかかえた岡野左内は変な顔をしている。
すると。――
「おや?」
上泉主水ひとりが、また手綱をひいた。
「何だ?」
「いますれちがった細川家の行列に――いや、人ちがいかも知れぬ。おれ一人、たしかめて来る」
主水は馬を返したが、すぐにまた追いついて来て、
「おいっ。……さっきは気がつかなんだが、あの細川家の行列の中に佐々木小次郎がおったぞ。越中守どのの駕籠わきに、例の長剣を背負って、歩いておった。おれを見て、いちどはにらみつけたが、どういうつもりか、片目をつぶって見せおった!」
と、息はずませてさけんだ。
岡野左内がいった。
「そういえば、思い出した。きゃつ、本多家を離れて、伊達か細川か、と奉公の両|天秤《てんびん》をかけておったが、さては伊達家のほうは結局うまくゆかなくなって、細川家に仕官したと見える。いや、思いのほかに手早いやつじゃ。……」
それから、またつぶやいた。
「あいつ、まだ借金を返してはおらんぞ。猫ババするつもりか……」
さて、最後尾の直江の小さな行列のところへ戻って来ると。――
「これ、前のほうに何ぞ面白いことがあったかの?」
と、左兵衛が例のキョトンとした顔を――いや、この男でも春の旅に浮かれているのか、珍しく好奇心にうすあからんだ表情を、駕籠の中からのぞかせた。
[#改ページ]
傀儡師《くぐつし》の辻《つじ》
「ふうむ、これは面白いな」
「江戸よりも面白いかも知れんぞ」
雑踏の中を、直江左兵衛と四天王は歩いていた。名古屋の町である。
いや、それはまだ町ではない。――名古屋が、水母《くらげ》のように漂っているときといおうか、葦牙《あしかび》のように萌《も》えているときといおうか。
名古屋城は、まだ築城中であった。もともと町などなかったこの尾張平野の一郭に、去年の春から突如巨大な城の建築が始まって、そのために何十万という人間が集まった。だから、まだ町作りどころではない。
恒久的な町ではないが、しかしこれだけの人数が集まって働いているのだ。当然、この曠野《こうや》の中の大集落には、市場も出来、飲屋、飯屋、菓子屋なども小屋を出し、それから、物売り、芸人、さらに怪しげな女たちも雲集している。
家康が江戸にはいってから二十年、それでもまだ江戸は城作り、町作りの荒々しい景観がつづいているが、ここはまだその始まり、いや、その二十年を一年にちぢめた無秩序な人間の大渦といっていい。――「江戸より面白い」と四天王たちが嘆声をあげたのももっともだ。
そこへ、さきごろから、上洛する大群がはいって来たのである。むろん、その手前の宮(熱田)から海を桑名へ渡る組もあるが、船の関係で、ここから美濃《みの》への道をとる組のほうが多い。そのまま通過してゆく連中もあるが、旅程の都合で、ここに一両日の足止めをくう一団もある。
直江山城の一行も、その口だ。東海道の先が詰まって、きのう名古屋に到着したものの、出発は明後日ということになり、一寺に泊まって休んでいる間に、彼らは見物に出て来たのであった。
天然自然に広場になっているある場所は、さながら大道芸人の辻《つじ》であった。
琵琶《びわ》法師、太平記読み、祭文《さいもん》語り、曲鞠《きよくまり》、獅子《しし》舞い、独楽《こま》廻し、等、等、等――それに、鉦《かね》や太鼓の反響、さけび合う声は、むろん尾張|訛《なま》りが濃い。
その光景に、あかあかと春の夕日がさし、湧《わ》きあがる砂塵《さじん》が薄い金色《こんじき》にけぶっている。
「いよう」
子供みたいに眼をかがやかせて、それを見てまわっていた五人の中で、ふいにヒョット斎がそんな声を出して、一人離れて歩み寄っていった。
老若二人の傀儡師《くぐつし》だ。
痩《や》せこけて、どじょうひげを垂らした老人のほうは、うす汚れた折頭巾《おれずきん》にたっつけ袴《ばかま》という姿で、胸に四角な箱を吊《つ》るして、その上に色あせた幾つかの小さな人形を動かしながら、おどけた奇声を発している。若いほうも同様の姿だが、これは太鼓や鉦を身体に結びつけて、お囃子《はやし》係りというところだ。
「こっちの子
向うの子
舞いの子もござれ
仲よしこよし
仲よく遊べ」
こんな人足ばかりの町にも、どういうわけか子供が多く、まわりにたかっているのは裸に近い子供ばかりだ。
ヒョット斎は、そばへ寄って、その二人の傀儡廻しと何か話し込んでいたが、やがてひき返して来た。
「おぬし、妙なものを知っておるな」
と、車丹波が眼をまろくした。
「いや、知らん」
「知らん? 見知らぬ傀儡師と何を話しておったんじゃ」
「どこから来た、と聞いただけじゃ」
「へえ?」
「尾張の愛知|郡《ごおり》、中村という村から来たそうじゃ」
「それが、どうした」
「あの人形、なかなか古雅なものじゃないか」
「それが……」
と、丹波がなお狐《きつね》につままれたような顔をしたとき、
「あ、あそこは何じゃ?」
左兵衛が頓狂《とんきよう》な声を出した。
広場の一隅に、横町がある。そこに十余人の女がたむろして、前をゆきかう男たちに呼びかけているのだ。むろん売女《ばいた》にちがいないが――その奥につづく小路にも、無数の女の影が動いて、酒と脂粉《しふん》の香《か》と、それから、何ともいえない猟奇的な匂《にお》いを吐き出している。
「これは面白い通りらしいぞ。……一見せずんばあるべからず、じゃ」
と、丹波は髯《ひげ》の中で舌なめずりし、もう傀儡師のことなど、頭から飛ばしてしまった気配である。
「左兵衛さま、あなたもゆかれるのでござるか」
と、聞いたのは、女性恐怖症の上泉主水だ。ややひるんでいた左兵衛は、何思ったか、急に胸を張って、
「ゆくぞ! いつものように、みながゆくところなら、どこへでも!」
と、あらい息を吐いていった。
広場には夕日がさしているのに、その小路は薄暗かった。
ちょうど西側にある城の天守閣が――まだ半分しか出来ていないのに――もうそこに巨大な影を投げているためであったが、またその小路に棲《す》み、出入する人間どもの醸《かも》し出す魔性《ましよう》の蒸気のせいでもあった。
泰平の建設工事ではない。いままで沼沢地が多くて、大きな城など作れないと思われていた場所に恐ろしいスピードで進められている築城である。何しろ、それが始まってから一年で、もう天守閣は三層まで出来上っているというのだから。
ただの建築物ではない。本丸だけでも一万数千坪、それに濠《ほり》をめぐらし、巨石を運んで石垣を作り、大木を運んで柱とする。これを西国諸大名に、首をかけた競争でやらせているのだ。労働は奴隷的なものにならざるを得ず、ただ工事のための災害のみならず、焦燥する監督者のために斬り殺される人夫が出ない日はない、というこの尾張の修羅《しゆら》の一天地であった。集められた人間は、殺伐にならざるを得ない。
その男たちを狙《ねら》って、また集まって来た女たちの住む一郭だ。ここは毒蝶《どくちよう》の巣であった。
「ちょいとちょいと、そこのお髯さん!」
「こっちを向いて!」
「そらっ、これが見えないかえ?」
こんな呼び声が、釜《かま》の中の蝉《せみ》みたいにこだましているが、それはまだやさしいほうで、あっちこっち、男の手取り足取り、ひきずり込んでゆく女群がある。それどころか、この魔窟《まくつ》の入口から外に溢《あふ》れて、広場を往来する男たちをつかまえようとひしめいているのは、さっき見た通りだ。
「いや、これは」
と、いちばん眼をひからせて乗り込んで来た車丹波も、いささか辟易《へきえき》したようだ。
「こりゃ、駿府の傾城《けいせい》町なんぞとはだいぶちがうな」
「アーメン!」
と、岡野左内が十字を切った。
両側にならんだ茅葺《かやぶ》きの小屋は、あっちこっちあけっぱなしになっていて、中で裸の女と裸の人足が獣みたいにからみ合っている光景がむき出しに見える。
「どけ……寄らば……」
斬るぞ! とはいわなかったが、それ以上の剣気をみなぎらせて、上泉主水は歩いている。
吊りあがった眼はまっすぐ前方を見つめ、決闘場に赴《おもむ》くときもこれほどではあるまいと思われる形相《ぎようそう》で、恐るべき女群がこの一行を見て、ふいに口をあけてあとずさりするのは、主としてこの男の凄《すご》い見幕《けんまく》に気をのまれたせいであった。
ただ、中で、比較的気楽な顔をしているのは直江左兵衛で――その、ノッペリした御面相に、面白気なうす笑いさえ浮かべているのを見て、ヒョット斎がふしぎそうな眼つきをした。
「左兵衛さま」
「なんじゃね」
「あなたをこんなところへお連れしたということを、伽羅さまが知られたら、どうでございましょうな」
「……ひゅっ」
突然、のど[#「のど」に傍点]の奥から、左兵衛は奇声を発した。
「そ、そんなことをしゃべってもらっては困る。これを知られたら、たちどころに追い出される、ではすまぬかも知れん」
紙風船が、いっぺんにちぢんだような案配であった。
「いや、それは申しませぬ。女性《によしよう》陣のほうにわかったら、あなたより先に、丹波のきんたまのほうが縛り首になります」
と、ヒョット斎はいったが、さらに首をひねって、
「ついででござるから、もうひとつお訊《たず》ねしますが」
と、歩きながら入道頭をつき出し、小声で聞いた。
「その……御夫婦仲はその後どうでござる」
「夫婦仲はいい」
それは認める。このごろ、たしかに二人で仲よく話しているのを、ヒョット斎たちもよく見ている。
「では!」
思わず声が高くなった。
――なんどか、修羅場へ連れ出した効目《ききめ》がやっと現れて、このうらなりのへちまみたいな花婿どのも、ついに「男」になられたのであろうか? げんに、ほんの先日、伊達政宗を沼から救い出したのも、実際はとうてい颯爽《さつそう》とはいえたものでなかったにしろ、ともかくも以前には、この人物に考えられないことであった。
われらの苦心、ようやく稔《みの》りの日を迎えたか?
ほかの三人も、この問答を聞きとがめて、いっせいに飛び出すような眼を左兵衛に集めた。……押し殺したように、ヒョット斎は聞いた。
「伽羅姫さまが……例の件、お許し下されたので?」
「いや、だめだ」
左兵衛は、がっくり首を垂れた。
「それは、まだ……」
二つに折れたその首が、何かの象徴のようであった。
「いかんでござるか……」
ふといふとい息をついて、ヒョット斎はいった。
みんな、同様に、哀然とした表情をしたが、ふしぎなことに、たったいま失った生色がよみがえったようだ。
しばらく、ここがどんな場所か忘れたような足どりで、五人はトボトボと歩いていったが――何気なく顔をあげたヒョット斎が、
「お」
と、また妙な声をもらして、立ちどまった。
ある小屋の前に、三、四人の女たちが立っていた。
むろん売女のむれだが、五人とも眼を吸われたのは、その中の一人だ。
彼らのうち、ほかの四人は、ただその女が夜光虫のように浮き出すばかり、ほかの女とは全然別格の美しさを持っているのに、はっと息をのんだのだが――ヒョット斎は、またつかつかと近づいて、
「はてな」
と、呼びかけた。
「おぬしは……駿府《すんぷ》の西田屋の……」
みなまで聞かず、その女は身をひるがえして小屋へ飛び込み、はたと戸をしめてしまった。
すると、ほかの女たちが、突然|猛禽《もうきん》のように毛を逆立てた。
「不粋《ぶすい》なやつ……ここへ来て、人の素性の詮議《せんぎ》なんかするんじゃないよ!」
「ここは、昔を捨てた女ばかりの国だよ!」
「そんなことも知らないで、ここへはいって来たのかよ、この大入道――」
ヒョット斎は、腰や腕をぶたれて、
「ゆるせ、ゆるせ、これはおれがいたらなかった」
と、逃げ出した。
ほかの豪傑連もめんくらって――ほんとに恐怖したような顔で、あわててあとを追う。
やっと、その奇怪な小路を出て。――
「どうしたのじゃ、ヒョット斎」
と、丹波が聞いた。
「いや、驚いたな、あの西田屋の女がこんなところにおるとは」
と、ヒョット斎はあとをふり返って、大息をついた。左内が聞く。
「西田屋の女?」
「それ、この正月、駿府の傾城町へいって、ひとあばれしたろう、あれはあのとき蜂須賀阿波守一行が同じ西田屋へ上って、めぼしい遊女どもを総あげにしておるので、こっちがイヤガラセをやってやったわけじゃが、実はあのあとでな」
と、ヒョット斎は話した。
「それにしても蜂須賀ほどの大名が、その身分をもって傾城屋の女に、どうしてまあ? と疑問を起しての、おれはあの翌日また探りにいった。すると、どうやら蜂須賀は、西田屋の養女おちゅちゅなる女に懸想《けそう》して通《かよ》って来たものとわかった。そして、蜂須賀が惚《ほ》れ込んだわけもわかった。――が、そのままわれわれは、殿のお供をして帰府したので、その後のことは知らん」
「その女が、あの女か」
「うむ。……何といってもゆいしょある、駿府傾城町第一の見世《みせ》の養女であった女、蜂須賀阿波守が惚れ込んだ女が、たった二タ月ほどたったいま、あんなところにおろうとは……」
「ほほう……」
と、岡野左内はもういちどふりむいて、その首をもとに戻し、
「ヒョット斎、いまおぬし、蜂須賀が懸想したわけがわかったと申したな。それはただ美人だからというだけの意味か」
「いや」
ヒョット斎はかぶりをふって、
「ところで、おぬしら、大坂の淀のお方を知っておるか?」
と、いい出した。
あとの三人は、顔見合わせただけであったが、左兵衛だけがやや恥ずかしげに、オズオズといった。
「わしは、宇喜多家に仕えておったころ、秀家|卿《きよう》のお供をしておって、遠くで拝見したことがあるが……」
「あの女、淀君さまに似ておるとお思いなさらんか?」
左兵衛のとぼけた眼が、さすがにまんまるくなった。
「やあ、そう申せば!」
「蜂須賀の恋着したわけは、そのためであったに相違ない、とおれは思う」
それから一息おいて、ヒョット斎はまたいった。
「貴公ら、では、太閤さまを見たことがあるか?」
[#改ページ]
清正公長雪隠《きよまさこうながせつちん》
太閤を見たことがあるか、という前田ヒョット斎の問いに、
「わしはあるが……」
と、答えたのは直江左兵衛だけで、あとの三人はちょっと苦《にが》い顔をした。
丹波も左内も主水も、いちども生前の太閤を見る機会に恵まれなかったのである。――ヒョット斎は、前田大納言の甥として、若いころ伏見の加賀屋敷に住んでいたくらいだから、それは何度も太閤や淀の方に相見《あいまみ》えたこともあったろうが。
「それが、どうしたというのじゃ?」
と、丹波が髯の中から口をとがらせた。
しかし、ヒョット斎の顔にべつに得意の色は見えない。またいま、突然そんなことを思い出して得意になることもないが、それにしてもさっきから彼は、何を考えているのだろう?
仲間のけげんな眼に答えず、ヒョット斎は眼をあげた。
すぐ眼前に、大天守閣があった。それは石垣の上に、壮大な幾何《きか》図形を描いていた。壁が出来ているのは三層までで、それより上の二層は、まだ柱だけだからである。もういくども見た造形だが、いまそれは真っ赤な落日を背にしているだけに、人間世界のものとは思えない、異次元の城のシルエットのように見えた。
しかし、眼をこらすと、人間どもは働いている。その屋根の上や、柱の途中や、石垣の下で、蝉《せみ》のごとく、虫ケラのごとくうごめいている。
「しかし、たいした石組みじゃな」
と、改めて岡野左内が嘆声を発した。天守閣の石垣に眼を移してである。
「肥後守どのの仕事と聞いたが」
車丹波も、うなるようにつぶやいた。
加藤清正のことだ。彼は、こんどの大御所と秀頼の会見のことについて駿府と大坂の間を奔走する一方で、去年、みずから名古屋で陣頭指揮して巨石群を運び、この城の石垣作りに精を出したが、その石引きの光景の壮観は、江戸まで評判のたねになったほどであった。
「肥後どのは、今夜この名古屋にお泊りじゃな」
と、ヒョット斎はいった。
彼らはさっき万松寺《ばんしようじ》という寺に、加藤家|名代《なだい》の南無妙法蓮華経を書いた日月《じつげつ》の旗がひるがえっているのを見て来たばかりであった。
「ひとつ、やるか?」
「何を?」
「例の御祝言の席に、肥後どのの顔もあった――」
左内たちは、顔見合わせた。
いかにも加藤肥後守清正は、左兵衛を辱《はずか》しめた例の席につらなってはいた。またかつては豊臣恩顧の――それも第一といっていい立場にありながら、いま見るごとく徳川の名古屋やまた江戸の築城に、最も懸命に汗を流した人物であった。
四天王の倫理《りんり》によれば、たしかに一棒をくらわせるに値する最大の武将に相違ない。
しかし、ふしぎに彼らは、清正を除外していた。それは清正という人間から――むろん彼らは親しくつき合ったわけではなく、世評からの判断だが――清正のそんな行為も、決して卑屈なものではなく、それも豊臣家のためと信じて働いていると思われたからであった。それでも大御所にとって、加藤肥後守は豊臣家の最大の盾《たて》であり、またその盾を大御所がうち砕くきっかけを与えないための清正の智略だ、と感心していたくらいである。
そういう苦労は、上杉家でも同様だ。直江山城の腐心しているところもこのあたりにある、と、さすがに彼らも全然赤ん坊みたいにわけがわからないわけではない。
「清正どのを喃《のう》?」
虚をつかれたような丹波に、
「いや、あの大がかりな石垣を見ていたら、肥後守とてやっぱり見逃してはおけぬ気になったよ」
と、ヒョット斎はいった。
彼らの固着|妄想《もうそう》の対象はそれにあって、左兵衛の訓練などは二の次といった傾向があったことは否《いな》めない。
深夜である。清正は厠《かわや》にはいっていた。
場所は、万松寺という寺だ。去年この名古屋で石引きの作業をやっていたとき、彼はここを自分の宿舎としていた。清正が名古屋を離れても、加藤家の家来の一部はなお築城工事に従事していたから、やはりここを本拠としている。
厠は、彼だけのための特別製のものだ。痔《じ》持ちのせいである。
清正の痔は、例の朝鮮|役《えき》で得たものであった。
満州国境まで朝鮮の王子を追いつめ、さらに平壌《へいじよう》で小西軍敗ると聞いて、北鮮の雪の中をまた長駆|馳《は》せ戻って来たときの難行軍、また、厳冬の蔚山《ウルサン》城で、敵の大軍に包囲されての凄惨《せいさん》無比の籠城《ろうじよう》戦――などやっているうちに罹《かか》ったものだ。
はいると、長い。……苦痛をしのび、しのび、やるからである。一回ごとに清正は、朝鮮役七年の苦しみを凝縮したような痛みを味わう。
彼は、下から吹きあげる寒い風を恐れた。また、この排泄《はいせつ》行為に伴う痔特有の手当が、どう見てもあまりきれいごとではないだけに、かえって厠に、病的なほどの清潔さを望んだ。
かくて、「雨窓閑話《うそうかんわ》」という書に、
「清正は元来痔疾をわずらいて長雪隠《ながせつちん》にてありければ」
とか、
「清正はいつも厠へはいるに不浄をにくみ、足の高さ一尺ばかりの足駄《あしだ》をはいてはいられける」
とかいう記述が出て来る始末となった。はねかえりを怖《おそ》れたのである。
長雪隠だから、冬なら火桶《ひおけ》がいる。冬でなくても、あと始末に温湯が欲しい。とくに旅行に出たときなど、道中不時に催したとき、常人のように簡単に事がすまないだけに、野糞《のぐそ》はおろか、めったな家の厠を借りかねるところから、以上、足駄、火桶、湯桶などを用意した雪隠を運搬させる、ということになった。
いま、宿泊している万松寺は、名古屋における加藤家の本拠となっているが、それでもかりの宿である。その雪隠は以前から気にいらなくて、そこで彼はこの夜、自分の寝所にあてている座敷の庭におかせたその特別製雪隠にはいって、ウンウンとうなっていたのである。
清正はこのとしまだ五十三歳であったが、名物の長いあごひげには、急速に白いものを加えていた。ここ数年のあいだに彼の頬《ほお》はそぎ落したようになり、異常なばかりの憔悴《しようすい》ぶりが人の眼をひいた。
それは肉体的というより、心の苦しみから来たものであった。彼にとって、関ケ原以後の泰平の十年は、それ以前の七年の朝鮮役より苦悩にみちたものであったろう。
――が、いま。
特製雪隠の中で一尺もの高下駄をはいてしゃがみ込み、ひたすらうなっている清正が、まさしくただ肉体的な苦痛のみに心を奪われていたことはたしかであった。
この雪隠の下部には、湯桶などを出し入れする小窓がある。
そこからふいに、さっと白いものが散り込んだ。それは桜の花びらであった。――
万松寺のこの庭には、桜の大樹があった。去年の春、石引きにかかったとき、石によっては、五、六千人もの人足に引かせ、清正みずからその石の上に、例の長い兜《かぶと》、片鎌槍《かたかまやり》という姿で仁王立ちになって音頭をとったのだが、その左右にいながれた小姓のむれのよそおいが、あまりに華麗であったので、
「及びなけれど万松寺の花を
折って、一枝《ひとえだ》欲しゅござる」
と、人々が歌ったその桜の樹《き》であった。
が、ただならぬ場所の時ならぬ一陣のこの吹雪に、清正ははっとそのほうへ眼をむけて、その障子作りになった小窓がいつのまにかひらいて、人間の眼がのぞいているのを見た。
「肥後守どの、つかぬところへ推参いたしたが」
と、ささやく声が流れ込んだ。
さすがの清正も仰天して、さけび声をたてようとした。
「あいや、異心あるものではござらぬ。豊臣恩顧の者でござる。――唐突でござるが、豊臣家のことについて是非|逢《あ》っていただきたいお方がござるゆえ、このままおいで下されい。――恐れられるな、そのまま糞をひられて結構」
同時に、その雪隠が、音もなく持ち上った。
もともと運搬出来るように、輿《こし》のかたちに作られてはいるか、とにかく厠だ。ふだんは十数人の侍によってかつがれている。しかも、いまは、背丈《せたけ》七尺に及ぶといわれた清正を乗せているのだ。
それを軽々とかつぎあげた人間はだれか。決して一人や二人のしわざとは思われないが、それがどこから湧き出したのか。
清正はあわてて起《た》とうとしたが、それも出来なかった。彼は脱肛《だつこう》していたのだ。
排便時に、直腸下端が肛門の外に飛び出す。この珍事の習慣あるがゆえの長雪隠であり、それを始末する必要あるがゆえの特製雪隠であった。
現在展開されているおのれの醜態は、さしも鶏林《けいりん》八道を震駭《しんがい》させた鬼上官《きじようかん》ののど[#「のど」に傍点]を封じ、その身体を、変な姿勢のまま金縛りにしてしまった。
――ううぬ、待て、待て。
歯がみしながら、はみ出したものを指でおし込もうとする。
その間にも、移動雪隠は、流れるように移動してゆく。――
座敷には、宿直《とのい》の小姓もいたのだが、きのうまで東海道を歩いて来た疲れもあって、春の夜のまどろみに首を垂れて、この主君消滅という大異変にはついに気がつかなかった。
町が形態をなしていないくらいだから、寺といってもまだ塀があるわけではなく、松林の中に建っているだけであったが、しかしどこかに何人かの番兵は立っていたろうに、この大がかりな誘拐《ゆうかい》がだれにも気づかれずに行われたのは、すべてが春の夜の魔魅《まみ》のしわざのゆえであったか。
少なくとも、あとで清正はそう思った。
戸をおけようとしたが、ひらかない。……雪隠は、飛んでゆく。
そうとしか考えられない迅《はや》さであった。
「待て、何をする、これ、待てっ」
やっと清正は、声に出して大喝した。ようやく何とかして、脱肛を始末し終えたのだ。同時に、自分の「乗物」が傾斜し、ただならぬ場所を上り出したのに気づいたからだ。
「うぬら、何者だ?」
返事はない。
跫音《あしおと》は聞える。しかし、それは土を踏む跫音ではない。木だ。
雪隠の弾力のあるゆれかたからも、それが斜めとなった板を上ってゆくのがわかる。雪隠の下部にはいつも砂がいれてある。だからふだん十何人かの侍でかつぐのだが、いま踏む跫音はとうていそんな大人数ではないようだ。
「どこへゆくのじゃ?」
返事はない。
乗物は稲妻形に上ってゆく。例の小窓から吹きいる風が、何やら冷たくなったような気がして来て、それをのぞいて清正はぎょっとした。――下界の一部が見えたのだ。
雪隠は天空へ上りつつあった!
それがやっと水平になって――やがて、停《とま》った。
「到着つかまつってござる」
「出られませい、肥後守どの――」
重々しい声が聞えた。
それから、ひらかなかった戸がひらいた。
加藤清正は、なお雪隠の中で、一尺の高下駄をはいたまま、茫然《ぼうぜん》と立っていた。
いまや、そこがどんな場所であるかがわかる。――広さは、百畳敷きくらいあるだろうか。たたみ[#「たたみ」に傍点]は敷いてない。至るところ、巨大な柱が林立している。そのあいだには、木片、かんな屑《くず》、瓦《かわら》などが干潮の浜辺のごとくに散乱している。そして、壁はなかった。四辺つつぬけの吹きさらしであった。風は高い空の風であった。
清正は、夢遊病のように雪隠の外へ出た。
「ここはどこじゃ?」
と、彼はうなされたようにつぶやいた。
「伏見|桃山《ももやま》城――」
返事は、やや離れた場所から聞えた。そばに人影はない。どうやら、そのあたりの太い柱のかげから答えたようだ。
ばかな! と、清正は頭の一部でうめいた。彼はここがどこか知っていた。
にもかかわらず、清正の脳裡《のうり》には、十五年前の伏見城の幻影が満ちた。――朝鮮役で大本営の指揮に不服従であるとの罪名で召喚され、そのまま伏見で閉門を命じられていたとき、たまたま大地震が起った。彼はみずからその閉門を破って伏見城に馳《は》せつけ、太閤の安否をうかがった。いまも世に伝えられる「地震加藤」の物語を生んだ一夜である。
そのときの惨とした伏見城の景観が、いま彼の頭に浮かんだのだ。
が、むろんここが伏見城などであるわけはない。……ここは名古屋城だ。さっき斜めに上って来たのは、あれは未完成の天守閣の工事のための足場であったのだ。
そして、ここは、まだ柱だけのその五層である。
甦《よみがえ》ろうとする清正の理性は、しかしたちまち幻妖《げんよう》の世界にひき戻される。
「肥後どの――」
厳《おごそ》かな声だけが流れた。
「あそこにおわすは、太閤殿下と淀《よど》のお方さまでござるぞ」
柱の陰から、白い影が五つ現れて、しずしずと遠くへ歩いていった。そして、やがて坐り、平伏した。
清正は、その向うの一段高いところにならんでいる、これまた白鷺《しらさぎ》に似た二つの影に気がついた。背後にまんまるい春の満月があった。
清正は、下駄をはいたまま、ガタガタとそのほうへ歩いた。それはいま耳にした奇怪な声を疑い、それをたしかめようとする行為ではなく、すでに何やら魅入《みい》られていて、おのれを失っていたからであった。
雷電のような声がはためいた。
「御前でござるぞ!」
清正は、下駄から転がり落ちた。
ただ、いまの叱咤《しつた》に驚いたのではない。――百畳ぶんの広さを、五十畳ぶんくらい来たあたりで、彼はそこに坐っている二人の顔をはっきり見たような気がしたのだ。
一人は、いわゆる衣冠束帯《いかんそくたい》の老人、一人は裲襠《かいどり》を羽織った女人で、ただその束帯や裲襠が真っ白であったが、それは月光のせいであったかも知れない。その月は、二人の背にあるのに、清正はありありと見た。
それはまぎれもなく、晩年の太閤秀吉と、そのころの淀の方であった!
「なつかしや。……於虎《おとら》」
と、その太閤が呼びかけた。
[#改ページ]
虚空《こくう》の太閤
「於虎《おとら》。……見れば、またいちだんとやつれたの」
太閤はいった。生前の? 太閤と同様、どこかたしかに尾張訛《おわりなま》りがある。
「痔が重いか」
「――へへっ」
と、いったまま清正は両手をつかえて、奇々怪々な表情で、遠い秀吉をふり仰いでいる。
そんな顔つきになるのも、当然だ。このときの清正の心理ほど奇々怪々なものはなかったろう。
最初はまさか、それをほんとうの太閤と淀の方と思ったわけではない。しかし、それは亡霊だと思った。いや、淀の方はいまも大坂城にいるはずだから、少なくとも自分は夢を見ていて、その夢の中の亡霊だと思った。……清正は、狂信にちかい日蓮《にちれん》宗信者で、同時にもともとちょっと迷信ぶかいところがあった。
とはいえ、太閤さまの亡霊にしても、妖《あや》かしだ。これは退治しなければならない――驚愕《きようがく》とともに、そんな意識はなかばあって、それで彼はそこまで下駄で駈けて来たのである。
しかし、眼前には巨大な深淵《しんえん》があった。
この五層には、壁はないが、床《ゆか》だけは張ってある。しかしそれはまだ全面ではなく、百畳あまりの広さの詰所には、四層、いや壁をつけた三層の床まで見下ろす穴があいていて、清正の前にあるのは、その奈落《ならく》であった。さっき五つの白い影が太閤の膝下《しつか》まで歩いていったのは、梁《はり》を渡っていったものと見える。
「それとも、心の病いか」
その声が、笑いをおびて、飄《ひよう》 々《ひよう》とながれて来たとき――清正の奇々怪々な表情が、まるで火炎に吹かれたような感じに変った。
それは彼の肺腑《はいふ》をつらぬいたのだ。彼は、それをいったものが亡霊であることを忘れた。
「な、なんの病い――?」
「申してやれ」
と、秀吉の亡霊がしずかにあごをしゃくった。
「豊家を裏切る心の病い」
これは、秀吉の下にうずくまった五つの白い影の一つから出た声であった。
清正はさけんだ。
「清正が、豊家を裏切る? 馬鹿な!」
「この城の石垣を築いた者はだれじゃ。この城作りに、いちばん汗を流した者はだれじゃ」
陰々《いんいん》と、白い影はいう。
「いまの時にあって、家康はなんのためにここにこんな大きな城を築こうとしておるのか。これはまったく大坂にそなえての城ではないか。万が一、大坂との間に事が起った際――万々が一、その大坂方が関東へ攻め下ることになった際――美濃路《みのじ》からの軍勢、また伊勢から海を渡って来る軍勢、それをふせぐのどもと[#「のどもと」に傍点]は、この名古屋しかない。そうと見ての家康のこの築城ではないか?」
背後の満月の照り返しを受けて、一段高い座を占めた太閤と淀君の顔はぶきみに蒼白《あおじろ》く見えるけれど、その下にある影は、ただおぼろに白いだけで、その顔はさだかではない。しかし、何という恐ろしい指摘をする声だろう。
「大坂とのいくさのためのこの名古屋城――その石垣を築いた者が、豊臣家への裏切者でのうて何か」
「あいや!」
清正は、床をたたいた。
「それを考えぬ清正か。――ただ、大御所の命《めい》、聞かずんば――大坂とはただちに手切れとなる。そう見込んだ上での清正の苦肉の働きでござるわ。……いまたたかえば、たとえこの城なくとも、南無三宝、大坂方に勝目《かちめ》はござらぬ!」
清正は、声をしぼった。よしや相手が何者であろうと、このことについてだけは、彼はおのれの心情を吐露せずにはいられなかった。
「大御所は、大坂に手を出す機《おり》を、いまかいまかと狙っておるのでござるぞ。その大御所の思う壺《つぼ》にはまっては相成らぬ。……ここ数年、江戸に、この名古屋に、清正がその大御所への犬馬の労、あれ見よ、太閤子飼いの虎之助《とらのすけ》が、いま徳川家のために這《は》いずりまわって汗を流しおる、と、世にとかくの評あることは百も承知」
血を吐くような声であった。
「さりながら、この清正の心は、神も御照覧、ただ大坂にござる。大坂に大御所の手を出させぬことにござる。太閤さまならば、清正が犬馬の労をとっておるのはまこと秀頼さまに対してのことじゃと、この苦心、お察し下さるでござろう」
「それは太閤殿下も御承知である」
と、太閤の代弁者はいった。
「が、江戸や名古屋を固めれば、家康が大坂へ手を出す機はいよいよ早まるとは思わぬか?」
一息おいて、清正は答えた。
「あと、十年、と、拙者は指おり数えておりまする」
「――とは」
「十年たたば、大御所は八十歳。いや、それまで生きておると考えるのが考え過ぎでござろう。あるいは、ここ五、六年のうちかも知れませぬ。大御所がこの世を去る、そのときのみを、歯をくいしばって清正は待っておるのでござる……」
「左様なこと、大御所も考えておるとは思わぬか?」
恐ろしい声はいった。
「あの、前を見、うしろを見る、用心ぶかいこと稀代《きだい》の大御所が、左様なことに思慮をめぐらさず、大坂を見過したまま、あっけらかんと死んでゆくと思うか? そもそもこのたびの京での対面、それを考えての物見《ものみ》じゃと思わぬか?」
清正は沈黙した。
それこそは、まさに彼の最も懊悩《おうのう》していたことであった。自分の反間苦肉の服従など、それを見通さぬ大御所ではない。……
それをまた承知で、しかし、とにもかくにも現在ただいま、大御所に手出しの機を与えぬためには、犬馬の労をつくすほかはない。彼の憔悴《しようすい》は、しかしその自分の行為に、みずから信じ切れないもののあることから発していたのだ。
「肥後どの。……おぬしは家康を計ったつもりで、家康に計られておるのではないか? 徳川が大坂を滅ぼすための城作りに、ただ骨を折っただけではないか?」
清正は、まるで心臓をわしづかみにされたような思いがし、息もとまり、血もとまった。
「太閤殿下がなお修羅《しゆら》の中有《ちゆうう》にお迷いなされて、ここに亡霊となっておぬしを召し出されたわけはそのことにある。……そして、肥後どののそのやつれぶりは、実にそれと同じ疑いを、おぬしも抱《いだ》かれておるからではないか?」
清正は、がばと床《ゆか》につっ伏《ぷ》していた。鶏林八道に鬼上官《きじようかん》と怖れられた男が、軽い脳貧血状態におちいったのだ。
数分後、彼は自分を呼ぶ声を聞いた。
「肥後どの、退出なされ」
清正は、かすんだ眼をあげた。
さっき、ありありと見えた太閤と淀君の姿は、そこから忽然《こつぜん》と消えていた。――彼は、茫乎《ぼうこ》としていった。
「で、殿下は?」
「あそこへ還御《かんぎよ》あそばされてござる」
白い影が指さした。そこには春の満月が、大|虚空《こくう》にゆらりと浮かんでいるばかりであった。
彼は、両脇《りようわき》からかかえられるようにして、もとの雪隠に運ばれた。一尺の高下駄もいれられて、それをならべて腰かけさせられた。
それから、また雪隠がかつぎあげられ、斜めに下降しはじめた。――
それも夢うつつに、清正の脳髄をゆさぶっているのは、けぶる月光の中のいまの太閤の亡霊と、それ以上に、さっき耳朶《じだ》を打ちつづけた恐ろしい声であった。代弁者の陰々たる声であったが、それは太閤その人の叱咤にひとしかった。
例の小窓から、また桜の花が雪のように吹き込んで、清正がわれに返り、はじめて雪隠がもとの庭にすえられていることに気がついて、彼はこれを運んだものが、わずか五人の白い影であったらしいことを思い出した。
いつも、十数人の家来にかつがれている雪隠である。それもふくめて、清正にとって、すべてが春の夜の妖かしであったとしか思えなかった。
松林をぬけて、地上にけぶる月光の中を、五人の男がゆく。
「いや、うまくいったな」
と、ヒョット斎がいう。
「しかし、ようも肥後どのが、あの間おとなしうしておってくれたな」
「よほど魂消《たまき》え、心|潰《つい》えたものじゃろう」
と、車丹波と上泉主水がいう。
「なにしろ、太閤と淀の方の出現じゃからの。わしもあそこで見ておって、ほんものに逢っているような妙な気になったよ。よくあれだけ似た人間がおったもの……」
と、このいたずらの発案者たるヒョット斎自身が、感心したように溜息《ためいき》をつく。
「あの傀儡師《くぐつし》はな、この尾張の愛知郡中村の出という。太閤の生まれた村じゃ。何でも太閤は、村の縁者はみんな大坂へ呼び寄せて然《しか》るべくとり立てられたが、あの爺《じじ》いにはなんの声もかからなんだという。本人も、べつに血のつながりはないといっておったが、しかし当人たちも知らぬ先々代かその前ごろ、やはり血のつながりがあったとしか思えん。田舎《いなか》の村では、よくあることじゃ」
むろん、あの太閤は、ひるま見た傀儡師に金を与えて傭《やと》ったものだ。
色もさめはて、糸ももつれたそれらしい衣裳《いしよう》は、すべてあの大道芸人の辻に出ていた古着屋、古道具屋から求めたものである。
売女の巣で見つけ出した「淀君」には、彼もそれ以上に驚いたが、あとでまたその小路へいって、その女に、これまた金を与えて聞き出した話にはいよいよ驚いた。
駿府一の傾城《けいせい》屋西田屋の養女であったおちゅちゅは、この正月、大御所さまに淋病《りんびよう》をうつし、亭主の庄司甚内は罪を蜂須賀阿波守に塗りつけたが、それでも彼女自身も無事ではすみそうにない怖れが生じて、自分に淋病をうつした情夫と手に手をとって逐電《ちくてん》したが、名古屋まで逃げて来たところ、その男も姿をくらましてしまい、やむなくあそこであんな商売をする破目になったという。――
「すると、あの淀君はいまでも淋病か」
そのことを思い出したらしく、丹波が長嘆した。どこか、残念そうなひびきがある。
「それより、大御所もまだそれが癒《なお》っておらぬ可能性があるぞ。……話には聞いたが、あれはちょっとやそっとで癒る病気じゃないらしい」
と、岡野左内がいった。
「狸《たぬき》おやじめ、淋病をかかえて、もっともらしい顔をして、秀頼卿と対面の儀を行うつもりと見える」
「あの太閤殿下、淀君さまを横目で見て、よだれを垂らさんばかりであったが、あれも金をもらって、今夜淋病に罹《かか》らねばいいが……」
と、ヒョット斎がいった。
「何にしても、あの御両人、思いのほかにようやってくれた」
「やり過ぎたのではないかな?」
と、直江左兵衛が口を出した。
「やり過ぎたとは、何を?」
「肥後どのによ」
と、左兵衛は心配そうにいった。
「あのまじめで評判の高い人に、いたずらが少し過ぎたような気がわしにはするのじゃが……だいじょうぶかな?」
ヒョット斎は、ちょっと困った顔つきをしたが、すぐに左兵衛の背中をどんとたたいた。
「逆情《さかなさ》けはおよしなされ。清正は、あなたのあの祝言の座にいならんでおった大名の一人ではござらぬか!」
三月十七日、大御所は京に到着し、二条城にはいった。
前後して、お供の諸大名も続々入洛した。
このときに至っても、淀君は占い師を呼び、その結果が大凶と出たので、なお秀頼の上洛に反対したのを、大坂に駈けつけた清正と浅野紀伊守|幸長《よしなが》が、それぞれいのちをもって秀頼を護《まも》ると保証し、やっと大御所との対面が実現することになった。
三月二十八日。――京の桜は散りつつあった。
この日の朝、秀頼は大坂から淀川を船で上り、鳥羽《とば》から乗物で二条城に向った。「当代記」によれば、この夜明方、大坂城の空には妖光《ようこう》の暈《かさ》がかかって、人々が怖れたという。
鳥羽から二条城までの道すじ、秀頼の駕籠を、加藤、浅野の家来で、しかも二千石三千石の大身《たいしん》ばかりが百人以上も槍を立ててとり巻いていたが、なお人々の眼を見張らせたのは、その駕籠の両側にぴったりくっついている二人の男の姿であった。
「浅野紀伊守、加藤肥後守両人は、秀頼さま御乗物の両脇に、菖蒲皮《しようぶがわ》の裁着袴《たつつけばかま》、青き大いなる竹杖《たけづえ》をつき、徒歩《かち》にて秀頼公の袖《そで》へあたり候ほど近くへ寄り候て、いずれも供をいたさる」
と、当時の実見記にある。浅野幸長は、太閤正夫人の甥《おい》にあたる武将だ。
両人の秀頼への必死の忠誠、またそのことの衆人への誇示が眼に見えるようだ。
「――それにしても」
と、見物客の中には、見て涙した者もあった。
「あの肥後守どののやつれぶりはどうじゃ。このたびのことについての清正どのの御心労察しいる」
そして、二条城の会見のときも。――
「お次の間、なんとなく大勢の音にて騒動す。両人の衆(加藤、浅野)あわやと目くばせするに、何の仔細《しさい》もなし。これは次の間に相詰めたる衆、物蔭より秀頼公を見たてまつれと立ち寄る足音なり」
と、ある。
そして、秀頼は無事に大坂に帰ったが、その夜もまた大坂の空に妖光の暈がかかったという。
家康の目的は、十九歳の若者に成長した秀頼の人物を見ることにあった。さてこの会見後の家康の感想|如何《いかん》。
バーナード・ショウが、ある美貌《びぼう》の女優に結婚を申し込まれて、
「あなたの脳と、わたしの肉体が溶け合ったら、どんなにいい子が生まれるでしょう」
と、うっとりとささやかれた。このときにショウは、
「いや、あなたの脳とわたしの肉体が溶け合ったら大変だ」
と、手をふってことわったという話がある。
世には、むしろこういうことになる例のほうが多い。英雄秀吉と美姫《びき》淀君の間も、こうなる可能性は充分あった。
しかし、「明良洪範《めいりようこうはん》」によれば、この対面後、家康は本多佐渡守にささやいたという。
「秀頼はあかん坊同然の馬鹿だと聞いたが、実物は案外ではないか」
翌日、二条城の塀の壁に落首《らくしゆ》した者があった。
「御所柿《ごしよがき》はひとり熟して落ちにけり木の下にいて拾う秀頼」
所司代|板倉伊賀守《いたくらいがのかみ》からこのことを聞いた家康は、
「余見て心得になることもあれば、そのままにせよ」
と、うなずいていたという。「参考になる」と、彼はいったのである。
[#改ページ]
宇治の雲水
こうして秀頼は、午後六時ごろ大坂へ帰ったのだが、話は、彼がまだ京にいた午後に返る。
二条城を出た秀頼は、そのまま清正と幸長に護られて、伏見へ引揚げた。――そして、大坂への船が出る前、清正の饗応《きようおう》を受けた。
慶長元年の大地震で大被害を受け、五年関ケ原の役のとき、西軍に攻められていちど炎上消失した伏見城は、その後ふたたび築城されて、西空にそびえている。そのまわりを、太閤時代以来の大名屋敷がとり巻いている。加藤屋敷もその中にあった。宇治川に面する屋敷であった。
「秀頼公大坂へ御帰城のとき、清正伏見の屋敷へ入御《にゆうぎよ》あることは遠慮ありとて、屋敷の前の川中にお船をかけ、船中にて御膳《ごぜん》上られ候なり。橋の上より川下へ三町、左右を竹にて虎落《とらおと》しを結《ゆ》い……」云々《うんぬん》。
と、「続撰清正記《ぞくせんきよまさき》」にある。
屋敷前に浮かべた船で饗応し、そこから三町、河の両側に竹矢来《たけやらい》を張ったというのである。その外側には、むろん点々と番兵が立って警戒している。
それでも、とにかく京大坂の耳目を集めた事件であったから、屋敷から少し離れた場所には、群集が集まって、矢来越しにこれを見物するのまでふせげなかった。
春の芦《あし》のそよぐ宇治《うじ》川は、ほのかに赤く染まりかかっている。太陽は西の伏見城の天守閣に近づいていた。
「……ああ、いかん」
見物の中で、だれかこうつぶやいた者がある。――編笠をかぶって、一団となった武士たちの一人だ。
それが、あまりにも深いひびきをおびていたので、そばの一人が、
「何がでござる?」
と、聞き返したが、しかし、その人はもう答えなかった。
それは、直江山城と四天王であった。――彼らも、むろん京へはいっていたのである。
やがて、秀頼を乗せた大船は、もやい[#「もやい」に傍点]を解いて河を下りはじめた。――いよいよ大坂へ帰るのである。清正、幸長が同行していたのはもとより、木村又蔵《きむらまたぞう》、飯田覚兵衛《いいだかくべえ》、森本儀太夫《もりもとぎだゆう》、正《しよう》 林隼人《ばやしはやと》など、加藤家|名代《なだい》の豪傑たちが、その御座所のまわりを鉄筒のごとくとり巻いて守護していたことはいうまでもない。
……清正が、ふところから短刀をとり出して秀頼に見せ、
「これはその昔、賤《しず》ケ岳《だけ》のいくさのあと、太閤殿下より褒美《ほうび》として頂戴《ちようだい》いたしたものでござる。きょうもし二条城において君に不慮のことあらば、この懐剣をもって働くべしと思いしに、君にもつつがなくおわしまし、太閤さまの御恩にいささか酬《むく》いることを得て、清正|冥加《みようが》至極に存じまする」
と、落涙したというのは、このときのことだ。
ただし、こんなことはむろん外部の人間にはわからず、だいいち直江四天王らは、二条城へ往来するときの清正の姿すら見ていない。
とはいえ、いま遠目《とおめ》ながら、清正の秀頼への忠勤ぶりはありありと見えて、四人は夜の名古屋城天守閣での清正への自分たちのいたずらを思い出し、
――あれは、ちと悪かったかな?
と、いささか寝覚めのわるい思いをいだいたが――これは、山城守へはないしょだ。
「いってしまいましたな」
と、見送ってつぶやいたのは、前田ヒョット斎だ。
「何の異変も起らなんだ――」
と、嘆息したのは車丹波であった。
二条城で行われた大御所と秀頼の対面には、山城守は立ち会うことが出来なかった。立ち会うにも何も――わざわざ五万という大軍をつれて来ながら、噂によれば、なにしろその座にいたのは、秀頼側に清正、幸長の二人だけ、家康側に本多佐渡、上野《こうずけ》の二人だけ、という、秘密会見に近いものであったという。
ところで上杉景勝は、豊臣家のいわゆる五大老の一人だったから、むろん上杉屋敷もこの伏見城下にある。彼らはそこにはいって、そしてせめてものことに、と、いま京を去る秀頼の姿をかいま見に出て来たものであった。
「丹波」
と、山城が歩き出しながら、ふり返った。笑いをおびた声で、
「無事にすんで、何やら物足りぬひびきじゃな」
「は」
車丹波はちょっと狼狽《ろうばい》したが、すぐに、
「殿はいかがでござる?」
と、眼をひからせて問い返した。
あと三人も、笠の中で、同様の顔をした。――彼らは、期待していたのだ。こんどの対面を大坂があくまで拒否するか、応じたとしても、徳川方が秀頼に何かしかけるか、それとも大坂方が家康に手を出すか。――そこまでゆかなくても、何か一悶着《ひともんちやく》の起ることを。
世のすべての人間が、それを怖れて兢《きよう》 々《きよう》としていたのだから、これは当然だ。それが、あっけらかんと何のこともなくすんでしまった。世間とちがって、彼らが拍子《ひようし》ぬけしたことは事実であった。ものものしく京へ上って来たのが、なんだか馬鹿馬鹿しいような気さえする。
そしてまた、直江山城守も同じ心境にあることを彼らは期待した。――笠にかくれて山城の表情は見えない。ただ腕をくんで土手を下りてゆくうしろ姿に、名状しがたい憂愁の翳《かげ》がある。
ヒョット斎は、先刻の山城のつぶやきを思い出した。
「殿……さっき、ああ、いかん……と仰せられたのは?」
「秀頼公を拝したのは、十何年ぶりになるか?」
と、山城は独語のようにいって、
「わしが前にお目にかかったのは、まだ御幼少のころであったが――当り前じゃが、大きゅうなられた」
「おう、それをいま御覧あそばして?」
いかなる御感想を持たれたか、と問おうとして、彼らはたちまちいまの山城の述懐と結びつけた。
「いけませんか」
「御落胆でござったか」
左内と丹波が聞いた。
「いや、思いのほかに御立派でおわした。遠目ながら、故太閤には似ても似つかぬ美丈夫――あれは、淀のお方、というより、伯父《おじ》君の信長公のおん血のつながりであろうな。それに清正からの盃《さかずき》を受けられるおん物腰、いかにも堂々として、あれでは大御所との御対面の際も、豊家の誇りを傷つけられるようなことは、毛ほどもなかったと想像される……」
「――なら?」
「なんで?」
ヒョット斎と主水の問いに、
「それで、いかんことになったのじゃ。それで、あぶないことになったのじゃ……」
と、山城は答えた。
「おう!」
彼らはすべて、了解した。
大御所の目的は、秀頼の人間の偵察にあった。そして、そういわれて見れば、その偵察の結果は、ほんとうの意味で凶と出たのである。対面について、大坂の淀君が占い師に占わせたところ大凶と出たという噂を耳にしたが、淀君がどこまで考えたかは不明として、まさにそれは的中したのである。
「そ、それで?」
「これから?」
丹波と左内が息はずませた。
それで、これからあなたはどうなさる御所存か、と聞こうとしたのである。
直江山城は答えない。黙って、土手の下から歩いてゆく。
ここらあたりは、昔、宇治川、木津《きづ》川、桂《かつら》川の三川が流れこむ一大沼沢地域であったものを、秀吉が人海戦術で埋立て、土手で分断し、街道を通した地帯だが、やはり、いたるところ池や沼や小川が残り、春の水の匂いが陽炎《かげろう》とともにたちのぼっていた。
山城の歩いてゆくのは、茶畑の中の細い道であった。ゆくてに小さな森が見える。
蒼空《あおぞら》に雲雀《ひばり》が鳴いていた。
「……はてな?」
このあたりの地理に暗い四天王も、その細い道は、伏見城下の屋敷へゆく方角とはちがうことに気がついた。
あれだけの見物人がいたのに、そんな茶畑の中の道をゆく人影は、ほかにあまりない。見まわすと、ゆくてに雲水《うんすい》が三人、ふりかえると、うしろから四人の武士が歩いて来るばかりだ。
「これ」
と、歩きながら、編笠の中で山城がいった。
「あの森の中へはいったらな」
「は?」
「うしろにつけて来る侍、みな討ち果せ」
これも編笠の中で、四天王は眼を見ひらいた。
彼らは、うしろの四人の侍が自分たちをつけているとは、思いもよらなかったのである。なぜなら、自分たちがあとをつけられる理由がないから。――秀頼公を見に来たといっても、べつに人に隠さなければならぬ行為ではない。
しかも、山城守が、討ち果せ、とは? この人は、むやみにそんなことをいうお人ではない。いつか、本多家の中間《ちゆうげん》三人を殺せと命じたが、あれは相手があまりかさ[#「かさ」に傍点]にかかって無理難題を吹っかけて来たからで、それでもあのとき四天王はびっくりしたくらいだ。
「あの侍ども、何者でござる?」
岡野左内が聞いた。山城は答えた。
「浅野家の者じゃ」
「えっ、浅野が?」
浅野紀伊守幸長は、たったいま清正とともに船で大坂に秀頼公を送ってゆくのを見たばかりである。――もっとも浅野家の家来はまだ大半残っているだろう。だいいち、父の弾《だん》 正《じよう》 少《しよう》 弼長政《ひつながまさ》も京にいるはずだ。しかし。――
「なぜ、浅野の家来が、われわれを?」
「つけておるのは、あの雲水じゃ」
彼らはいよいよめんくらって、もういちど前方を見た。墨染めの衣に網代笠《あじろがさ》の三つの影は、いま飄《ひよう》 々《ひよう》と森の中へ姿を消してゆこうとしている。
いまにして気がついた。山城守は最初から、あの雲水と浅野家の武士たちを見て、その間に割ってはいったのだ。
「あの僧を追う者は、浅野侍と見て、まずまちがいはない」
「あの雲水は何で?」
ヒョット斎が聞いたとき、背後から跫音《あしおと》が駈けて来た。
ふり返ると、四人の追跡者だ。こちらの問答が聞えたはずはないが、どうやら、たまりかねて追っかけて来たものと見える。
「おれに斬らせろ」
と、上泉主水がささやいた。
実は、あと三人は、まだ不可解な顔を見合わせていた。あの雲水が何者だかわからない。その雲水のために、なぜ追跡者を斬るのかわからない。そういえば山城守さまは、かつて京にあって、しきりに禅僧とつき合っていたというから、そのときの知り合いかも知れないが。――
もっとも浅野幸長は――彼もまたあの祝言の席にはいた。だから、かねてからブラックリストにのってはいたけれど、なにしろ、先刻、清正とともに秀頼に忠誠をつくすその姿を見ただけに、いまどうしてその浅野の家来を殺さなければならないのか、いかに山城の命令とはいいながら、とっさには腑《ふ》に落ちかねて、ためらわずにはいられなかったのだ。
「いいな? おれが斬るぞ。……な、な」
また主水が、嗄《か》れた声でいった。
いくらこの時代でも、合戦でもない以上、そうむやみに人を斬る機会があるものではない。だから、剣の職人たる主水が飢えているのはわかる。そこへ、主君の下知だ。彼が有頂天《うちようてん》になったのはわかる。――と、いうより、もう酔っぱらったようなその眼を見て、あとの三人もつい気圧《けお》された。
「よし、やれ」
そこは、森の入口であった。
駈けて来た四人の侍は、こちらの三人が道をひらいたのを見て、さもあらん、といった顔で通り過ぎようとして、あとの一人が残って、うっそりと前に立ちふさがったのに、眼をいからせた。
「どけ、うぬらに用はない!」
と、武士の一人がわめいた。主水はいった。
「こちらに用がある」
「な、なに、何の用?」
「斬る」
気がつくと、道をよけた三人は、うしろに廻っている。三人とも、腕組みをしているのが、かえって薄気味がわるい。
「さては……さっきから怪しきやつらと思っておったが」
「あの雲水の一味か」
「浅野|家中《かちゆう》と承知の上で手向うかっ」
「クド……サ……」
最後のやつは、何といったのかわからない。何かいいかけたその首が――ついでにその横の首も、いきなり横|薙《な》ぎにされたからだ。二つの首が落ちたあとで、刀を三寸ほど抜いたばかりのその胴体が崩折《くずお》れた。
いつ抜いたのか、眼にもとまらぬ上泉主水の長剣は、反転もせずにそのまま斜めに下降して三人目の肩から袈裟《けさ》がけに斬り下げ、次に四人目の胴から肩へ斬り上げていた。
「いろいろやって見た」
と、彼はいった。
ただ一太刀で、四人の武士は八つに分断されて、地上に転がっていた。飛び散った血が青葉に、無数の曼珠沙華《まんじゆしやげ》の花のように見えた。
そして彼は、鼻をかすかにうごめかして、主人のほうをふり返った。そこに山城の姿はなかった。
主水の剣鬼ぶりはとくと承知の上のあと三人も、この鮮やかさには呆れ果てて眼を見ひらいたままであったが、このときはじめて山城守が、森の奥でだれかと相対しているのを見た。
「浅野の者を帰しては悪かろうと思ってのお節介でござる」
山城の声が聞えた。
その向うに、三人の雲水が立っていた。どうやら、いったんいってから、またそこまで引返して来た風であった。
「おはからい、かたじけない」
まんなかの僧が、ちょっと網代笠を下げた。笠のためよくはわからないが、年のころは四十半ばか。あとの二人は、つつましやかにうしろにひかえているところから、どうやらその弟子筋に見える。
「久しぶりでござるな、直江どの……」
懐しげな声であった。こちらは編笠で面《おもて》をかくしているのに、それを見通したようだ。
「見つかっては、まずい。早くゆかれえ」
と、山城はいった。
僧は一礼し、背を見せ、スタスタとゆきかかった。弟子僧も、あとを追う。
このとき、山城守がまた声をかけた。
「あれも京に来ておりますぞ」
僧はふり返り、青く沈んだ葉翳《はかげ》の中に、にっと白い歯を見せたが、そのまま森の奥へ消えていった。
ヒョット斎が近づいて、オズオズとまた聞いた。
「あの沙門《しやもん》は、どなたで?」
「伝心月叟《でんしんげつそう》と申す――」
と、山城は答えた。
四人はしばらく考えて、ふいに愕然《がくぜん》としていた。
せきこんで、丹波が聞いた。
「あれも京に来ておる、とは、だれのことで?」
これには、山城は答えなかった。
[#改ページ]
二条城松の廊下
「吉良《きら》どの吉良どの」
しゃがれた声で、こう呼びかけた者がある。
大紋烏帽子《だいもんえぼし》の大名がゆきかう二条城松の廊下であった。
三月末の秀頼との会見後、家康はまだ二条城にいた。彼の上洛の目的はむろんそのことにあったのだが、もう一つ、ほかに用件があった。ついでといっては悪いが、四月十二日、新しい天皇の即位式が行われることになっており、それに立会うことだ。
第百七代|後陽成《ごようぜい》天皇は、家康秀頼対面の前日、三月二十七日に譲位された。もともとこの天皇は、有名な聚楽第《じゆらくだい》 行幸《ぎようこう》を見てもわかるように、大の秀吉ファンで、従ってアンチ家康であった。そこへもって来て、先年家康が、公卿《くげ》と女官の密通事件を大々的に摘発したりしたものだから、事の是非はともあれ、幕府の朝廷への越権行為であると立腹され、徳川家へのつらあてに譲位されたのである。
それに代って、第百八代の御位につかれる後水尾《ごみずのお》天皇は、まだ十六歳で、後陽成の第三皇子であったが、父君《ちちぎみ》の怒りを知っていられるだけに、これまた家康に決していい感じを持っておられない。とくに家康が、その孫娘|和子《かずこ》を新天皇の后《きさき》として入内《じゆだい》させようと考えているという噂《うわさ》に、早くも不快の情をあらわにしていられるという話だ。
旧天皇、新天皇が何を考えておられようと、家康はとんと感じない。彼は今後半永久的に、禁裡《きんり》を幕府の手綱のもとに置くことに決めている。
皇室に対して、「金は出すが口は出さない」秀吉に対して、これは「金は出さないが口を出す」人物であった。
だから、十二日の即位式にも、恬然《てんぜん》として参列するつもりでいる。
こういうわけで二条城に滞在している大御所のところへ、とりかえひきかえ諸大名が罷《まか》り出る。上洛のお供の御用はもうすんだとして帰国する者もあったが、また、やはり即位の大典を拝観するつもりで居残っている大名が多かった。
――とくに、この日、四月六日。
大典に参列する諸大名の装束《しようぞく》にまちがいはないか、事前に高家《こうけ》に点検してもらうことになり、かくて二条城に大紋烏帽子姿が充満した。――後年の元禄《げんろく》時代になっても、まだこういうことに不案内な大名が多くて、高家に頭があがらなかったくらいだから、ましてやそんな儀式に一度も参列したことのない諸大名だらけであったこのころには、これは当然の措置であった。
そもそも、長袴《ながばかま》をつけての歩きかたがむずかしい。足より長い袴をひきずって歩くのだから、ちょっと踏みまちがえると転んでしまう。で、事のついでに諸大名たちは、この日、松の廊下で、その練習のために、しきりにゆきつ戻りつしていたのである。
実際に、あちこちで、すべったり、転んだり、人の袴を踏んで、一方は四つン這いになり、一方は仰むけにひっくり返ったり、松の廊下は珍事の続出であった。
二条城にも、杉戸に松の絵を描いた、いわゆる松の廊下はあった。もっとも現代の二条城は、寛永《かんえい》期や天明《てんめい》期に大改築されたものだから、そんなものはないかも知れない。
このクラシックなファッションの時ならぬパレードの中で、
「吉良どのならば、しばらく」
と、低いが、どこか険悪な声をかけられて、ふとふりかえったのは、やはり大紋つけた二十五、六の貴公子であった。
その前に立って、
「そもじが、吉良どのか」
と、ジロジロ見あげ、見下ろしたのは、六十半ばの、いかにも意地悪げな老人だ。
「どちらさまでござろう?」
「浅野じゃ。浅野|弾《だん》 正《じよう》 少《しよう》 弼長政《ひつながまさ》」
「やあ、浅野どの――」
「若いの。それで高家が勤まるのか」
言葉に、とげがある。相手が自分を知らなかったので、いよいよむっとしたらしい。なに、自分だって、いま、そもじが吉良どのか、と相手をたしかめたくらいなのだが。――
しかし、おたがい、まだよく知らなかったのも無理はない。大御所が、落魄《らくはく》していた足利《あしかが》家の末裔《まつえい》を探し出して、朝廷との折衝役として高家なるものを創設したのは、三年前の慶長十三年のことであり、とくにこの吉良上野介|義弥《よしみつ》は京に詰めていることが多かったからだ。
吉良上野介義弥。――元禄の上野介|義央《よしなか》の祖父にあたるが、このとし二十六歳で、孫の義央などむろんまだこの世に発生していない。
そしていま、松の廊下で、何か用ありげに彼を呼びとめた浅野長政は、これまた後年の浅野|内匠頭長矩《たくみのかみながのり》の御先祖さまであった。
浅野弥兵衛長政は、太閤夫人おねねの妹婿だ。そして、例の二条城会見のとき、加藤清正とともに秀頼のお供をした浅野紀伊守幸長の父に当る。
幸長は長子だが、長晟《ながあき》という次男があって、この孫がのちの内匠頭の妻|瑤泉院《ようせんいん》となる。さらに長重《ながしげ》という三男があって、その曾孫《ひまご》が内匠頭となるのである。つまり、浅野内匠頭夫妻は、この浅野長政という一個体から血を分けた同じ末孫なのだ。
むろん、長政は、そんな未来は知らない。まして、いまつかまえた吉良上野介のこれまた孫が、自分の末孫とからみ合って、末代まで物語として残る事件を生み出そうとは、知る由もなかったが。――
「まことに吉良どのなら、談じたいことがある」
と、浅野長政はいった。
「例の御大典拝観の儀な」
「は」
「その席次の表を見たが、あれはそもじが作られたものじゃそうな」
「左様でござる」
「あれはいかん」
「どこが?」
「わしよりも、直江山城のほうが上になっておる」
「そうでしたか」
「そうでしたか、ではない!」
長政の顔が、赤っ面になった。
「そもじ、若輩で知らぬかも知れぬが、わしは故太閤と相婿で、かつては五|奉行《ぶぎよう》まで承わった者であるぞ。紀伊三十九万五千石、浅野紀伊守のおやじであるぞ……」
当人は知らないが、老来、長政の人相がひどく悪くなったという話だ。
自分でもいったように、彼は豊臣家の重鎮であった。かつて秀吉のことを、「あの狐《きつね》つき」と評したという。義弟にあたる彼なればこその言葉といえるが、この人物の土性ッ骨をあらわしてもいる。それでも太閤生前は、軽佻《けいちよう》ともいえる秀吉を補佐して重厚篤実の人といわれたのに、太閤死後、みるみる人相が悪くなった、という声があるのは、以上のような立場にありながら、いま徳川家の大大名として生きながらえている違和感から来たものか。
「それにくらべて、直江山城はわずか六万石の陪臣ではないか。その直江の下にわしを置いたわけを聞こう。吉良どの、申さっしゃれ!」
先刻述べたように、相当に騒々しい松の廊下であったから、はじめ気づく者もなかったが、ようやくただならぬ気配を感じて、近くに立ちどまって聴耳《ききみみ》そば立てた大名も数人ある。
「そのことなら」
と、吉良上野介義弥はいった。
「思い出してござる。それは、上杉どのは弾正大弼《だんじようだいひつ》、浅野どのは弾正少弼でおわすからで、禁裡《きんり》の席次などいうものは、そういうものです」
「な、なに?」
浅野は眼を白黒させたが、すぐに猛然として、
「上杉景勝どのならいざ知らず、いまわしが申しておるのは、その家来の直江山城であるぞ!」
「直江山城どのは、上杉家の御|名代《みようだい》でござる」
吉良上野介はいった。若くて美男で、いとももの静かではあるが、きっぱりとした口調であった。
「では、御免下さりましょう……」
背を見せる上野介の肩を、われを忘れて長政はつかんだ。
「待たっしゃれ!」
「これ以上、何御用」
「む……は……大弼やら少弼やら、もののはずみでつけた名目だけの官位、左様な古井戸のような些々《ささ》たる枠で人の高下を決めて、現世の身分をかえりみぬとは、これぞまさしく井戸の中の鮒《ふな》、ふむ、見ればおぬしの顔、鮒に似ておる」
「浅野どの、逆上なされたか」
「おお、そのりきんだ顔が、まさしく鮒だ。鮒だ鮒だ、鮒侍だ!」
かあっ、ぺっ、と浅野長政は吉良上野介の面上に痰《たん》を吐きかけた。
「おのれっ」
上野介の白い顔が朱に染まると、浅野弾正はのけぞった。血が、廊下に散った。――
まさか、この殿中で相手が斬るとは思わず――それどころか、左頸《さけい》部に灼熱《しやくねつ》の痛みをおぼえて、さすがの長政もまろぶように、一、二|間《けん》、うしろへ走った。
それを前から、いきなりぶん殴った者がある。たまらず長政はそこにまろんで、頸《くび》をおさえてのたうちまわった。
「放せ、これ、放してくりゃれ……」
背後から、べつのだれかに抱きとめられて、吉良上野介は身もだえしていた。
抱きとめた声はいう。
「吉良どの、それ以上は堪忍《かんにん》なされ。……何とぞ、何とぞ……」
「どなたか存ぜぬが、お放し下され、あまりといえば、言語道断《ごんごどうだん》の無礼……」
「吉良家に万一のことがあってはなりませぬ」
上野介の手の短刀はもぎとられた。
「吉良の名にはすでに傷がつけられ申した。武士の情け、その刀を――」
向うで、浅野弾正を殴り倒した男が――それは、ふつうの裃《かみしも》姿の老武士であったが――声をかけた。
「対馬守どの、それをこちらへ」
上野介が奪い返そうとする短刀は、そちらへ投げつけられた。
老武士はそれを拾い、もがいている浅野弾正のそばにどっかと坐ると、腹をくつろげながら、
「殿中のかたがた、お聞き候《そうら》え」
と、皺首《しわくび》さしのばして呼ばわった。
いまの突発事に、みないっせいに立ちどまり、ついで騒然としかけていた松の廊下は、さらにとんでもない変事が起るのを予感して、また金縛りになった。
「浅野弾正少弼どの、上杉家に対し、聞き捨てならぬ雑言《ぞうごん》を吐かれたり、主家の恥を雪《そそ》がんがため、上杉弾正大弼の家来千坂兵左衛門、ここに浅野どのに刃傷《にんじよう》をしかけ、その罪によって切腹いたす。後日のため、以上――」
いうや、その老武士は、廊下の上でいっきに腹をかっさばいた。
その場のゆきがかりの目撃者のみならず、当事者の吉良上野介さえ、かっと眼をむいてこれを眺めている以外、声も出なかった。
「対馬どの」
白髪《しらが》頭をふりたてて、千坂兵左衛門は血笑した。
「名門上杉家の誇りのために、兵左衛門いのちを捧《ささ》げ申したと、山城どのへお伝え下され。そして、山城どのも、上杉の名を辱《はずか》しめるような真似《まね》はきっとなさらぬこと、兵左衛門は信じて死んだとお伝え下され!」
そして兵左衛門は、腹を切った短刀を頸部にあてると、眼にもとまらず引き切って、がっぱと前につっ伏した。
吉良上野介をおさえた大紋烏帽子の千坂対馬守は、やっとその手を離したが、感動してこれも立ちすくんでいた。
彼は、「短刀をこちらへ」と呼びかけた兵左衛門に、反射的に応じたが、まさか兵左衛門がそこまでやるとは予想の外であったのである。
上杉家江戸家老千坂対馬守と千坂兵左衛門が、このとき二条城にいたのはこういうわけだ。
この日、高家による装束改めが行われたのだが、上杉景勝の名代たる直江山城守は、一笑しただけで出て来ない。そこで、いっしょに入洛していた対馬守のほうが気をもんで、代理に登城して、その服装の点検を受けたのだが、それについては、ほかの大名同様、衣裳を着たり脱いだりするときのための介添《かいぞえ》が要《い》る。そこで、故実にくわしい一族の兵左衛門老を、その役に同伴して来たのであった。
そして、先刻、この松の廊下を通りかかって、はからずも浅野弾正と吉良の問答を立ち聞く破目になった。――
ただの浅野対吉良の間の口論ではない。
その内容は、直江山城にからまり、さらに上杉家の名誉にかかわる。
その直感が、ついで起った刃傷に際して、千坂兵左衛門のいま見たような行動をとらせることになった。
もともと昂奮《こうふん》性で、去年の秋、八丈島から帰って来たあとも、なお徳川家とそれに尾を振る豊臣恩顧の諸大名たちへの敵意を失わなかったこの老《おい》武者は、いまのやりとりを耳にして、上杉家を立てた吉良上野介への感激のあまり、みずから罪を買って出たのである。
「刃傷でござる! 松のお廊下にて刃傷でござる!」
ようやく騒然と渦巻き出した廊下の向うへ、けたたましいさけびと跫音が走っていった。
浅野長政は、たたきつけられた蟇《がま》みたいに、まだヒクヒクとしているが、兵左衛門のほうは、もうぴくりとも動かない。――
「せ、拙者も、切腹いたす!」
やっと、吉良上野介が放心状態から醒《さ》めて、兵左衛門の手につかまれた短刀のほうへ歩き出そうとした。
「その必要はござらぬ」
と、千坂対馬は厳然として、
「この始末は、上杉家のほうでいたす。あなたは、お医者を呼んで来て下されい」
と、いって、上野介の背を押しやった。
フラフラと廊下の向うへ走ってゆくその青年高家のうしろ姿を見送りながら、しかし千坂対馬守は、上杉で引受けるといっても、この途方もない一大事だ、とうてい兵左衛門一人の死でおさまりそうにないが、と懊悩《おうのう》していた。
とにかく、直江山城どののお智恵をかりるほかはないが、と考え、次に、その山城が四天王を連れて、けさから気楽な顔で伏見の廓《くるわ》に出かけていることを思い出した。
また、かりに直江山城に相談したとて、この大凶変をひき起して、いったい上杉家はどうすればよいのか?
このとっさの懊悩に胸をふさがれて、それから先の上杉家の命運など思いやる余裕はない。いわんや、九十年後の未来をや。
――このとき、上杉景勝のまだ存在しない孫娘が、いま見た吉良上野介の、同様にまだ存在しない孫、義央《よしなか》と結婚することになり、その間に生まれた綱勝《つなかつ》が上杉家の当主になるという、上杉吉良両家の分ちがたい宿命をや。
つまり、例の有名な千坂|兵部高房《ひようぶたかふさ》は、この対馬守|景親《かげちか》のこれまた孫にあたるのだが、むろんこれもまだこの世に生まれていない。
もっとも、上杉と吉良は江戸屋敷同士何となくつきあいがあって、かつて上杉家に大御所たちを招待したとき、危険な上杉侍らを吉良家に預かってもらったというほどの縁はあったが、しかし、まあその程度にとどまっていた。
知らずして、元禄事件の御先祖さまたちは、ここ二条城松の廊下に、それ以上の宿縁の糸を結びつつあった。……
[#改ページ]
鳥獣戯画
直江山城から、伏見の廓へゆかないかと誘われて、四天王は――少なくとも上泉主水を除く三人は、眼をまろくして大恐悦し、たちどころにお供をして、撞木町《しゆもくまち》へ出かけた。
出かける前に、山城は、
「おるなら、左兵衛も連れていってやりたいのじゃが、昨晩から留守じゃそうな」
と、いった。
「何でも、上方《かみがた》におる宇喜多家の遺臣と連絡することがおわすそうな」
と、ヒョット斎がいうと、車丹波が憮然《ぶぜん》としてつぶやいた。
「どこへいっても、宇喜多の家来がおるな……」
実際、上洛以来、その用件で左兵衛は駈けずりまわっていて、先ごろ宇治川に秀頼公を見にいったときも、彼は同行しなかったくらいであった。
上杉屋敷は朝のうちに出たが、山城は、有名な墨染桜《すみぞめざくら》のある――花は散ったが――墨染寺《ぼくせんじ》や、深草《ふかくさ》の少将が住んでいた跡という欣浄寺《ごんじようじ》などを見てまわる。あとの愉しみを期待して、四天王もおとなしくついて来る。
やがて、昼近くなって、やっと山城の足は撞木町へ向った。
伏見撞木町の廓は、慶長元年ごろから始まったといわれる。――
直江山城は、それまで毎日遊びに来ていたような顔をして、「笹屋《ささや》」という見世《みせ》ののれん[#「のれん」に傍点]をくぐった。
桜は散ったとはいうものの、春はいよいよたけなわだ。ところは京である。その傾城町《けいせいまち》のたたずまいも、江戸や駿府のそれとはまたいちだんと優雅に見える。しかも、主人公許の――というより、いっしょの傾城遊びだ。歩いているときから、四人の顔はもう酩酊《めいてい》しているようであった。
ところが――さて。
春の庭を見わたす座敷に通され、酒は出されたが――直江山城は、笹屋の亭主と話し込み、遊女《おんな》は一人も出て来ない。
笹屋の亭主は、むろん山城守を迎えて驚き、よろこび、そして涙ばかりこぼしていた。
十何年ぶりかの邂逅《かいこう》らしいが、それにしても、そのころのつきあいが――つまり山城が京にいたころの遊びぶりが想像される。
山城守が、当時の風流人の消息をあれこれ聞き、亭主がそれに答えるついでに、この廓の遊びも、いわゆる桃山時代の豪奢《ごうしや》さを失った、など嘆く。――
同じ十余年前、加賀大納言の甥前田慶次郎として、ヒョット斎もこの廓はうろつきまわった憶えはあるので、彼だけはときどき右の会話にうなずいたり、笑ったりするけれど、あと三人は手持|無沙汰《ぶさた》で、だんだんつまらなそうな顔をしはじめた。
腑《ふ》に落ちないのは、岡野左内と上泉主水の心理で、前者はキリシタン、後者は女性恐怖症で、いざとなったらどうするつもりか。さらに奇々怪々なのは、例の超巨根を持て余しているヒョット斎で、昔この伏見で遊んだと称するが、実態はさていかなるものであったか、そのあたりがあいまいである。
何はともあれ、傾城屋に来て、しめやかに懐旧談ばかりやられているのはあてはずれで、かつ退屈至極らしい。
「ああーっ」
いちばん単純な車丹波は、ついに大あくびした。
「京の女郎遊びとは、こういうものでござるか、ははん」
山城がかえりみて、微笑した。
「まだ真昼ではないか、丹波」
「ですが、あっちでは馬鹿に愉しそうにやっておるやつもあります」
と、丹波はあごで庭の向うをさした。
なるほど庭をへだてた遠い座敷から、三|絃《げん》の音が流れて来る。それも最初のうちは一|挺《ちよう》か二挺で、いかにも風流に聞えたが、そのうち、どう聞いても十挺を越え、女たちが歌い、手拍子を打つという大合奏となり、このころは、きゃっきゃっという女の笑い声に、畳を踏み鳴らすひびきさえ混えた騒ぎになっていた。
「あれでございますな。あれは、なにしろ三日前から流連《いつづけ》の……」
と、亭主は頭をかいた。
「どうにも、おとめしかねるお馴染《なじみ》のお客さまで……もしお耳ざわりなら、こちらのお座敷をお移り下さりましょうか」
「京か大坂の町人衆かな」
と、山城がたずねた。
「いえ、浅野家の伏見屋敷のお留守居役さまで……」
四天王は顔見合わせた。
ややあって、平静に山城が念を押した。
「ほう? あの浅野紀伊守どのの――」
「左様でございます。これがまた、こんな商売をしている私どもも呆《あき》れるばかりの遊び好きなお方でござりまして、何と申しましょうか、トコトンまでの女好きで、とにかくここへおいでなされますと、もう夜も昼もなく、日のたつのもかいもくわからぬようになられるという……まるで浦島太郎みたいなお方で」
「なんという男かの?」
「ここでは浮《うき》さまとお呼び申しあげておりまするが、大石内蔵助《おおいしくらのすけ》さまとおっしゃります」
そのとき、向うの座敷から、わらわらと人影があふれ出た。
まるで花が咲いたように見えたが、むろん遊女たちだ。それが手拍子打って逃げるのを、一人の眼かくしされた男が、ヒョロヒョロと追っかけるのが、樹立《こだち》を通して見えた。
「浮さま、こちら、手の鳴るほうへ」
どうやら、浅野家伏見屋敷お留守居役、大石内蔵助は眼かくしし、遊女たちを追いかけまわしているらしい。
それにしても、それから逃げる女たちの騒ぎ、悲鳴、笑い声。――まるで、あけっぱなしで、子供のようで、聞いていて、にがにがしいより、微笑せずにはいられないほどであった。
「馬鹿に面白そうじゃな」
と、ヒョット斎がいった。
「ちょっと、見にゆきたいの」
と、車丹波も子供みたいな、ムズムズした顔をした。
「何でございましたら、いって仲間におはいりなされませ」
と、亭主が笑いかけるのに、岡野左内が眼をまろくして、
「いいのか」
「ええ、かまいませぬとも。――と、私がいうのも妙でございますが、いって御覧になればわかります。あれはまったく底ぬけの御仁でござりまして、遊び仲間をことわるなどということはなされませぬ」
「それではお前ら、みな遊んでもらって来るがよい」
と、直江山城が笑顔でいった。
ヒョット斎は、その山城の顔をじっと見つめていたが、ふいに大きくうなずいた。
上泉主水だけがちょっとためらったようであったが、あとの三人ががばと立ちあがり、駈け出したので、やむなく彼もそのあとを追った。
縁側から、回廊を渡ってゆく。
すると、ちょうど渡り切ったところへ、向うも駈けて来た。
遊女一人と、それを追う男である。
花|手拭《てぬぐ》いで眼かくしし、抜衣紋《ぬきえもん》で、着物はだらしなくゾロリとひきずらんばかりの小肥《こぶと》りの男は、そこでつんのめりかけて、そのおかげで、やっと遊女の帯をつかんだ。
「さあ、つかまえた。つかまえたで」
笑いながら、きゃあきゃあと悲鳴をあげる女を四つン這《ば》いにおさえつけ、その裾《すそ》を盛大にまくりあげたから、四天王は眼をむいた。
「それ、ええか、ええか。あばれるとお尻《しり》が真っ黒けになるやないか」
四人は、その男が片手にふりかざしているのが、太い筆であることに気がついた。
「何をする?」
上泉主水が左内にささやき、つまさき立ちになった。
「遊女相手とはいえ、あまりではないか。……」
男は委細かまわず、おさえつけた手の芋虫みたいな指でさぐりながら、そのまるい真っ白なお尻に、何やら書き出した。
――一眼見て、
「ぎおっ」
と、上泉主水はのけぞった。
筆は、お尻の穴のまわりに、墨くろぐろとわらじ[#「わらじ」に傍点]虫みたいな形を書いたのである。
それは主水の、この世でもっとも恐れるもののかたちであった。――そのまま彼は、まるで怖いものを見た子供が母親のもとへ逃げてゆくように、一目散に山城のいる座敷のほうへ逃走したが、彼のいまの声に、この途方もない遊客のほうも仰天したようだ。
「どなたか……そこにいなはるのか」
と、顔をあげた。
「ああ、いや、失礼。あちらに遊びに参った相客でござるが」
ともかくも、岡野左内が答えると、ヒョット斎がつづけた。
「これはまた痛快な遊びをやっておられる。……ほとほと感服いたしました。もし、およろしければ、こちらもお仲間にいれていただきたいもので」
「こら、これをはずしてえな」
うしろから駈けて来た女たちに、その浅野家のお留守居役はいった。
眼かくしの手拭いをはずされた顔は、眼の細い、唇の厚い、ダブダブとゆるみ切った中年男であった。
「へ?」
と、奇声を発して、そこにつっ立っている三人の、いずれもひとくせある顔の男たちを見あげたが――べつに、警戒の色は見せない。細い眼も、よだれだらけの口もなお笑っている。みるからに、好色そのものの御面相であった。
「ああ、さよか」
と、いった。
「それはどうぞどうぞ、御遠慮なく。――ここへ来た以上、男はみんな兄弟や」
「浅野家伏見屋敷のお留守居役でござるそうな」
と、岡野左内がいうのに、さすがにちょっと弱った顔をした。
「御承知でっか。ま、外の身分など、おいときなはれ」
浅野家は紀州和歌山だが、このお留守居役は変な大坂弁を使う。それはともかく、果して底ぬけの好人物らしい。――さっき亭主が保証した通りだ。
それより、いたずら好きのヒョット斎は、いまこのお留守居役がやっていた奇想天外な「遊び」にはすっかり感銘して、
「なに、われらも上杉家の者でござるよ」
と、敬意のひびきさえこめて名乗り、彼には珍しくもみ手せんばかりの調子で、
「ところで、このわらじ虫書き、拙者どもにもやらせてもらえまいかな」
「ああ、よろしかろ。……ただし、褒美《ほうび》はいりまっせ」
「褒美?」
「金賞が、小判一枚でおます。もっとも、あと順次、二等、三等……やった遊女の数だけ、何かやらんといけまへんが」
「金賞とは、どんな?」
「なに、あとで、これを書かれた女どもを一列にならべまして、そのお尻を見くらべまして、わらじ虫[#「わらじ虫」に傍点]のいちばん出来のええやつが――つまり、いちばんあんじょう[#「あんじょう」に傍点]書かせてくれたやつが金賞ですねん」
「それは面白い」
ヒョット斎がふりかえって、
「まさか、山城さまに借りるわけにはゆかんが、左内、貸してくれるか」
いつぞや駿府の傾城屋で、天水|桶《おけ》に女郎を潜《もぐ》らせて慶長大判を拾わせたヒョット斎だから、このわらじ[#「わらじ」に傍点]虫の展覧会にはいよいよ興味をそそられたが、あのときと同様、金の件になると、ケチンボの左内に頼るよりほかに手はない。
「金賞だけで小判一枚か」
左内は、むずかしい顔をした。
「それじゃあ四人で――おや、主水め、いなくなったな――三人で一匹ずつわらじ[#「わらじ」に傍点]虫を書くことにしよう。それだけでがまんしておけ」
「けっ」
と、突然、車丹波が、熊《くま》がしゃっくりしたような声を出した。
「貴公ら、いったい何じゃ。傾城屋に来て、ただ女郎の尻にわらじ[#「わらじ」に傍点]虫を書いて、それが何が面白い? そんなことをやりに廓に来たのか!」
彼は、当人はユーモラスなくせに、そんな自覚は全然なく、かつ、こんな遊びの妙味を全然解しない。
いまそこに、撩乱《りようらん》とそよぎたつ花々のような遊女たちを見、その脂粉の香につつまれて、彼は脳溢血《のういつけつ》でも起しそうな顔で大喝《だいかつ》した。
「それより、まず肝心かなめの用を果たさせろ」
「なるほど、そういわれてみれば道理でんな」
と、大石がニタニタ笑いながら、
「いや、武名天下に聞えた上杉家のかたがたとやら、こりゃそのほうでもさぞ大した武者ぶりでっしゃろな。実は、あてはもうくたびれはてましてん、あんたがたの武者ぶり見たら、また元気が出るかも知れへん。女郎衆もさぞよろこびまっしゃろ。よっしゃっ」
と、抜けあがった襟《えり》の中から出た首でうなずいた。
「揚代《あげだい》は、あてが持ちまひょ。ここにおる女郎衆のうち、お好きなのをいいようにえらびなはれ」
「そりゃまことか」
と、岡野左内がはずんだ声を出した。
揚代を向うが払うと聞いてふるい立ったらしいが、このクリスチャンはここでほんとに遊ぶつもりか。
「よき敵ござんなれ」
と、車丹波にぐるっとにらみまわされて、遊女たちはどよめいた。「ま、怖《こ》わ!」という声も聞えた。
「御配慮、かたじけない」
ヒョット斎は入道頭を下げたが、彼らしくもなく、しばしモジモジして、
「さはさりながら、拙者、ちょっとおうかがいしたいことがあるが……」
決然として、やおら袴の紐《ひも》をとき、仁王立ちになったまま、股間《こかん》から問題の一物《いちもつ》をつかみ出した。
「まず、かようなものじゃが、この見世に、相手がござろうか?」
大石内蔵助は眼をまんまるくして、しげしげと眺めいっていたが、
「いや、こりゃ凄《すご》い。こりゃ恐れいりましてん……」
と、感嘆した。
「あります。相手はあるで――」
「なに、これに叶《かな》う遊女はおるか」
「さよさよ。……あてがいつも、ここで遊んで、しめくくり[#「しめくくり」に傍点]に使うとる女が」
「しめくくり?」
「そや。いや、しめくくり[#「しめくくり」に傍点]にはならんか。ここに三日も四日も流連《いつづけ》しとるとやな、もう立ちも坐りもならん、身体じゅうグニャグニャというていたらくとなる。それでも、何とのうみれんは残る。……そのときな、ただ抱き合うとるだけで、いつのまにやら何となく埋没しとる、という、ま、ヌカルミみたいな女で……これ、よがる[#「よがる」に傍点]、おるかな、おるなら、見てみいや」
呼ばれて、出て来たのは――さすがに大女《おおおんな》だ。ずんぐりむっくりの大石より、首が一つ出るくらいある。それが、歩くと、ダブダブと肉が波打つくらいふとって、厚い唇が、アングリとあいている。ただし、それはそれなりに、なかなか肉感的な美女ではあった。
のぞきこんで、
「ようおすえ……」
と、にたっと笑った。
「よがる[#「よがる」に傍点]太夫《たゆう》という女や」
と、大石内蔵助がいった。
[#改ページ]
反世界の忠臣蔵
――実は、この浮大尽《うきだいじん》が浅野家のお留守居役だと聞いたときから、四天王たちは心中ぎょっとしたことがあった。
その浅野家の家来四人を、ここから遠くない森の中で斬ったのは、十日にもならぬこのあいだのことだからだ。
すぐに山城守が、「ほう? あの浅野紀伊守どのの――」とさりげなく応じてくれなかったら、彼らの表情に、笹屋の亭主が変に思うような波が、ありありと現れたかも知れない。
で、そのお留守居役のところへいって見たいというのは――そのあまりの浮かれぶりに吊られた、単細胞の車丹波だけは、どうであったかわからないが――少なくともあと三人は、心中に、
「よし、そのお留守居役に、あの件についてちょっと探りをいれてみよう」という気持もあった。
で、ヒョット斎などは座を立つ前、その心中を眼に現わして、ちらっと山城を見あげたのだが、それに対して山城守は、全然とり合わなかった。――この人は何を考えているのか、殉死もいとわないほど敬愛している主人であるにもかかわらず、さすがのヒョット斎にも、どうにも見当のつきかねる深淵《しんえん》のようなところがある。
それはともあれ、駈け出して、ぶつかって見ると、いきなりあのわらじ[#「わらじ」に傍点]虫書きだ。探りをいれるどころの騒ぎではない。
それでもヒョット斎が、「われらも上杉家の者だが」と名乗って見たが、相手には全然反応がない。
――やはり、この男は何も知らん。
――知っていたら、浅野家がこれまで当方に黙っておるわけがない。
――森の中でみな殺しにして、さっと立ちのいたのだから、だれも知っているはずがない。
こんな問答を、おたがいに眼でささやき合った、といったら嘘《うそ》になる。
それぞれ、きれぎれにこんな思いが彼らの胸をかすめたことは事実だが、あとはこの愉快な浅野家お留守居役の浮かれぶりに、みるみる乗せられてしまった。
前田ヒョット斎さえ――いや、そのヒョット斎がまっさきに、
「おう、これぞ千年の一花、優曇華《うどんげ》の――」
と、あまりにも待望の事態が到来したので、何もかも、魂《たましい》 天《てん》に飛ばせてしまった。
「どれでもいいのか、ほんとうにどの女でもいいか」
車丹波はまだ信じられないような顔をして念を押していたが、やがて血走った眼で、遊女たちをのぞいて練り歩き出した。
「女房とは反対の女がええ」
彼は、ふとそこに悠然《ゆうぜん》と立ったままの岡野左内に気がついて、
「左内、お前、女はいらんのか」
「わしは、どれでもいい」
と、左内は愛想のいい笑顔でいった。
「天は女の上に女を作らず、女の下に女を作らず……」
しばらくののち、三人は大石内蔵助の周旋で、三つならんだ部屋に、それぞれ女をかかえてたてこもった。
車丹波の選んだのは、遊女の中でいちばんのっぽの――つまり、女房の小波とは正反対の女であったが、これをつれて部屋にはいって、
「おう、気にいったぞ。ズンと気にいった! 女はこうでなければならん。女房とは、抱き合うても、チンチクリンで顔も見えん。――では、その変った味を一つ」
舌なめずりの音さえ交えてそんな声が隣にも聞えたが、それから二、三分もたたないうち、
「いや、これはいかん。ど、どうしたのじゃ、これはいかん!」
と、あわてふためいた声がし、さらに、二、三分後、ひとりで飛び出して来た。
そして、廊下じゅうに鳴りひびくように呼びたてる。
「大石どの、あの女はおれに向かん、もう一味《ひとあじ》ちがったのを頼み申す!」
こんどは、横幅の広いのを選び出した。それからまた、二、三分たつと、
「これも向かん、これ大石どの!」
という大音声《だいおんじよう》が鳴り出した。
「うるさいな、何をひとりで騒いでおるのか、あの男。――しようのないやつだ」
と、眉《まゆ》をひそめたのは隣室の岡野左内である。
蒲団《ふとん》の中から一本の腕がのびて、枕《まくら》もとに坐っている左内のひざのあたりを這いまわった。指が腸詰みたいにくびれた、ムチムチした腕であった。
「お客はん、もうええかげんに寝ておくれやす」
だれでもいい、と澄ましている左内の前に、自分のほうから現われた遊女だ。身体じゅうからポタポタと液汁がしたたりそうな、おそろしく官能的で、しかしそれだけどこか汚らしい感じの女であった。
左内は、その手を片手で撫《な》でさすりながら、さっきから眼の前にかかげている小さい書物を、声を出して読みつづけた。
「もう少し聞け、眼をつぶって聞いていいから。……百匹の羊をもてる人あらんに、もしその一匹迷わば、九十九匹を山に残しおき、ゆきて迷えるものを尋ねぬか」
その昔|天草《あまくさ》の切支丹大学《コレジヨ》で印刷されたバイブルの和訳本だ。
「何のことやらわからしまへん。それどこの阿呆陀羅経《あほだらきよう》どすえ?」
白い腕は、袴《はかま》の紐《ひも》をといていた。左内の片手は、それを抑えるどころか、黒い本に持ちそえて、両手で彼は小学生みたいに顔の前にかかげ、しかも眼にくっつけて読んだ。
「もしこれを見出《みいだ》さば、まことになんじらに告ぐ……」
くびれのはいった指は、何やらしっかりつかんで、ひっぱり出した。
「迷わぬ九十九匹にまさりて、この一匹をよろこばん……」
左内は、本を顔からそらし、自分の股間を見た。
「かくのごとく、この小さきものの一人の滅ぶるは……」
声はうわごとのようであり、彼は肩で息をした。
「天にましますなんじらの父の御意《みこころ》にあらずっ」
金切声でさけぶなり、岡野左内は蒲団の中に突入した。あとに袴が輪になって残った。
別室ではヒョット斎が、まっぱだかで四つン這いになって、入道頭だけ持ちあげて一方を眺めていた。
その方角には、真紅《しんく》の夜具の上に、遊女がこれまた一糸まとわぬ姿で、膝《ひざ》をひらいて立て、仰むけに横たわっている。
「なにしとるのどすえ?」
と、女がその姿勢で、首をもたげていった。よがる[#「よがる」に傍点]太夫である。
ヒョット斎はその足もとのほうにいるのだが、さっきから四つン這いになったまま、ガサガサと接近したかと思うと、またガサガサと後退する。そんな運動をくりかえしているのである。四つン這いとはいうが、手足が五本あるようにも見える。
「ま、待て、待て。……ううむ、これがヌカルミか」
彼は首をふって、恍惚《こうこつ》と口ずさんだ。
「どこまでつづくヌカルミぞ……」
「阿呆《あほ》な真似はやめて、早う来とくれやす」
「それがな、千年目のウドンゲの花と思えば、もったいなくてもったいなくて、ちょっとやそっとでは手がつけられん。いましばらく、食うまえの眼福《がんぷく》をたのしませてくれ……」
と、まだガサガサと蟹《かに》の化物《ばけもの》みたいに前進後退の運動をはじめた。……
さて、車丹波は、三人目の遊女を選び出して、やっと満悦のさけびをあげた。
「おう、これは大丈夫じゃ。はて、奇妙じゃの、お前が気にいったとは」
と、おのれの股間から相手の女に眼を移して、
「やあ、お前、おれの女房によう似ておるわ!」
と、驚きの声をあげた。
――やっと彼を可能ならしめた遊女は、小波と同様、小柄で繊細で、そしてたしかに顔までどこか似ていたのである。よう飼育されたものよな、などいう感慨は、しかし丹波の胸には浮かばない。
「何でもええ、とにかく女房とはちがう女にまちがいはないじゃろ。いざ、来い!」
ムンズとばかり、その女を抱きよせた。
――彼はもとより、ヒョット斎も岡野左内も、以上のような昂奮や感激やらで気がつかなかったが、その数分前に、この笹屋の入口に駕籠を乗りつけた武家の内儀風の女がある。彼女は鉢巻さえしめていた。
彼女の用件を聞いて、笹屋のおかみが出た。傾城屋にこんな女人が訪れたのも前代|未聞《みもん》のことであったが、それをすぐおかみが案内して先に立ったのは、よほどの緊急事であったに相違ない。
さて、三天王が騒いでいたのは、直江山城が亭主と座談している奥座敷より表側の位置にあった。しかも、そこの廊下が、奥への最短距離となっていた。
長い廊下を小走りに駈けて来たおかみと女人が――その女人が、突然はたと立ちどまった。
片側の唐紙《からかみ》の向うから、声が聞えたのだ。
「なんでもええ、とにかく女房とはちがう女にまちがいはないじゃろ。いざ、来い!」
いうまでもなく、車丹波の銅鑼《どら》声であった。
それに、女が何か答えるなまめかしい笑い声が聞えた。
女は、わたしが奥さまに似ているなら、奥さまに悪いような気はなさりませぬか、と笑っていったのである。車丹波は呵々《かか》大笑した。
「なんじゃ? 女房に悪い? そんなことはない! 全然悪くない!」
そのとき、唐紙がひらいて、そこに立ってのぞきこんだ影を見て、車丹波は眼をかっとむき、女を抱いたままの全身が運慶《うんけい》刻むところの木像みたいになった。
その間の数秒が、彼にとっては恐怖の凝縮した数分間に感じられた。
「だはっ」
と、彼は突然|物凄《ものすご》いさけびをあげ、女を天井まで放りあげて、立ちあがった。
幽霊を見ても、彼はこれほど驚かなかったろう。なんと車丹波は、まるはだかの上に女の裲襠《かいどり》を羽織っただけの姿で、二、三度キリキリ舞いをし、廊下とは反対側の窓から――朱格子があるのに、それをバリバリと破って庭へ飛び出したのである。
彼は、庭を突っ切って、直江山城のいる座敷のほうへ駈けた。――
本来なら、そっちへ逃げるべきではなかったのだが、さっきわらじ[#「わらじ」に傍点]虫を見て逃げた上泉主水と同様、恐怖のために錯乱状態になって、子が親のところへ逃げるように、本能的にそっちへ逃げたものらしい。
もとの座敷には、山城、亭主のほかにその上泉主水もひかえていた。
「と……殿っ、一大事でござる!」
と、彼は庭先にひざまずいた。山城は顔をむけた。
「丹波ではないか。どうしたのじゃ」
と、聞いたが、丹波は次の言葉が出ない。
が、そのとき回廊をまわって、おかみといっしょに駈けて来る女性の姿を見て、さすがの山城も顔色を動かせた。
「殿、一大事でござりまする!」
と、その女性はさけんだ。
「小波か。――だれの許しを受けてかようなところに参った」
「はい。……伽羅《きやら》姫さまの御下知により――」
「なに、伽羅の?」
「さればでござります。さきほど二条城の千坂対馬守さまよりお屋敷に御急使あり。伽羅さまの仰せには、急ぎ父上にお伝えせねばならぬが、そのゆくさきが廓とあっては、後の御外聞もいかがか。余人にはまかせられぬ、小波、お前が駈けつけてお知らせ申せ、と――」
彼女は、庭に大蝦蟇《おおがま》みたいにへたばっている夫など、見向きもしない。
鉢巻をしめ、縁に片ひざつき、片手をつかえて直江山城をふり仰いだ顔は薄くれないに染まって、まるで戦場の本営へ馳《は》せつけた若武者のようであったが、それを、ああ美しい、と見とれる余裕のある者はない。
また、いまの注進は、聞きようによっては相当の皮肉に聞えるが、伽羅も小波もこの場合、まさか山城守に皮肉をいう余裕は、これまたなかったろう。
「やあ、二条城で何か起ったか」
と、山城は、はっとしたようだ。
さっきの丹波の格子《こうし》を破る音響に胆《きも》をつぶして、ヒョット斎と左内も、あわやという惜しいところで飛び出して、すぐにこちらへ駈けて来たが、この場のようすに眼をむいて立ちすくんでいる。両人とも、丹波にまさるとも劣らぬひどい姿であった。
おまけに例の大石内蔵助までが、何事ならんと、二、三人の遊女とともに、びっくり顔を縁の向うに見せている。
「はい!」
小波はきっとして、
「お城からの御急使によれば、さきほど二条城松のお廊下にて、御即位の御儀式序列の件につき、浅野弾正少弼どの、席次が直江山城守さまより下にあることを不服となされ、高家《こうけ》吉良上野介どのにお申し入れあり、その際上杉家について聞き捨てならぬ無礼の雑言《ぞうごん》あったとして、千坂兵左衛門どの、浅野どのへ刃傷《にんじよう》に及ばれ――」
「なに?」
「浅野どのはおん深手《ふかで》、兵左衛門どのはその場にてみごとなる御切腹とのこと――」
あまりにも思いがけない知らせであったので、さすがの山城も、とっさに息をのんで、小波の顔を見まもっているだけだ。
――そのとき、突然、向うで大きな物音がした。
はっとして一同がふりかえると、それは大石内蔵助であった。彼は縁側にどうと尻餅《しりもち》をついたのである。
「ああ、しもうた!」
と、彼は奇声を発した。そして、遊女らを見あげて、
「こら、きょうは何日や?」
と、聞いた。
「きょうは四月六日どすえ」
「おう、やはり四月六日か。……四月六日といえば、たしか大殿の御装束改めの日、あてはその介添《かいぞえ》役を申しつけられておったちゅうに、忘れた、忘れた! これはえらいことをしてしもうた!」
この大石内蔵助の実名は良勝《よしかつ》という。良勝から、良欽《よしたか》――良昭《よしあき》――良雄《よしお》とつづく。つまりこれは大石内蔵助良雄の曾御祖父《ひいおじい》さまにあたる人物であった。
後年元禄の大石が、この伏見撞木町や祇園《ぎおん》で遊び呆《ほう》けたのは、必ずしも吉良や上杉の間者《かんじや》の眼をあざむくためではなく、当人がみずから好んで女色の世界に身を投げこんだと思われるふしがあるが、これは先祖からの遺伝であったに相違ない。
[#改ページ]
山城昼行燈《やましろひるあんどん》
で、その大石内蔵助良勝が、涙とよだれをダラダラながしながら、かきくどくところを聞くと。――
先月末、浅野の藩士が四人、この伏見の森の中で斬殺《ざんさつ》されたのだが、その下手人がわからない。浅野藩士といっても、本国の和歌山から来たばかりの侍なのだが、とにかく殺された場所がここだから、伏見屋敷お留守居役たる自分に心当りはないか、と御隠居の弾正少弼さまから火のつくように訊《き》かれ、まるきり見当がつかないといったその返答のしかたが悪かったか、ふだんの行状まで叱責《しつせき》され、ここ数日のうちにも下手人を探し出さねば責任をとらせる、という厳命まで受けた。
そう厳命を受けても、依然、見当がつかない。
そこで、苦しまぎれにこの馴染《なじみ》の笹屋へ来て、酒と女でごまかしているうちに、ついふだんの行状通りに暦日を忘れ、はてはきょう四月六日、御隠居の装束改めの介添役の御用を、それ以前から承わっていたことも失念してしまった。――
「ここまでしくじりの上塗りしては、もう切腹や! ああ、何ちゅうこっちゃ! 大石内蔵助が腹を切らねば追っつかないことになったんや!」
と、彼はベタリと坐ったまま、救いを求めるようにまわりの遊女たちを見まわし、ふとその眼がヒョット斎たちにとまると。――
「あ! あんたはんがた、上杉の人でおますな!」
と、やっと思い出したらしく、細い眼をまんまるくし、あごをガクガクさせて、
「それから……いまの使者のお女中、何をいいなはった? あてのとこの御隠居に御刃傷しなはったのは上杉の衆やとかいいはらしまへんでっか?」
と、いった。
四天王は黙っている。この浅野家のお留守居役の沈没ぶりが、自分たちの所業に因するものだとはじめて知ったが、いまそれについてことさらな感慨をいだいているひまがない。
彼らは、ただこの飛報に衝撃を受けたのだ。それを伝えた者が小波だということについての狼狽《ろうばい》さえ消し飛んでしまった。
「山城さま、いかが遊ばす?」
と、岡野左内がいうのにかぶせて、ヒョット斎が、
「ともあれ、一刻も早く二条城へ!」
と、いった。
――そのとき、遠く往来の向うから、エ、ホ、エ、ホ、という、ただならぬ掛声が近づいて来た。
「早駕籠《はやかご》じゃな」
と、山城守がつぶやいた。
この場合、それが何だ、と、いいたげな四天王に、
「これ、あの駕籠をとめろ」
と、山城守はいった。
「あれはおそらく、浅野の急使じゃ」
「えっ?」
「いま聞いた二条城の凶変を、和歌山に知らせにゆく駕籠に相違ない。……あれをとめろ」
四人は、めんくらった。それが浅野の早駕籠だと、いながらにして見ぬく眼力は持たなかったが、さて、そうであるとして。――
「とめて、どうするのでござる?」
「どうしてとめるのでござる?」
上泉主水と車丹波が、狐につままれたような顔をした。
「早くせい!」
山城はただ命じた。
「ただし、殺すでないぞ。……いや、丹波と主水はその用に及ばぬ。お前たちはこの大石どのをお連れしてゆけ」
と、つけ加えたのは、この両人は何をするかわからぬと気をまわしたものだろう。――この言葉を聞く前に、ヒョット斎と左内は、あっとさけんで駈け出していった。
「これ待て、衣服だけはつけてゆけ」
と、山城はあわてて注意を送った。
「おんな衆、こっちの熊男《くまおとこ》にも着物を持って来てやってくれ」
遊女の一人があわてて走って、車丹波の衣服を持って来て、着せてやろうとした。丹波は小波を見て、あわてて、「いや、おれが着る」と自分で衣服をつけ出したが、なぜか袴《はかま》に二本の足をいれるのさえ踏みまちがって、尻餅をつくていたらくだ。
それを小波は、片手を胸のクルスの首飾りにやり、片膝たてたままの姿で、冷然と眺めている。――
「小波」
山城は笑いながら呼んだ。
「は」
「丹波を怒るなよ、わしが連れて来たのじゃ。……お前も、御苦労であった。山城、立ち戻る。亭主、改めて出直すこととしよう。いまのこと、内証に頼むぞ」
彼は立ちあがった。さっき小波の口上を聞いたときはさすがに驚いた風であったが、もうふだん通りの悠然たる山城に返っている。
「これ、立て」
と、上泉主水がたたみを踏み鳴らしたが、大石は、依然、大福餅をたたきつけたようにへたばったままだ。ただ恐怖の眼をあげて、
「ど、どこへ?」
「どこへゆくのか、おれは知らん。とにかく立て!」
と、主水は叱りつけた。これは大石の世話にならなかったので、甚だ同情がない。
「丹波、かついでゆけ」
と、山城守に命じられ、車丹波は大石内蔵助の帯をつかむと、風呂敷《ふろしき》包みみたいにぶら下げて、山城守のあとを追った。つづいて、主水、まだ怒ったような顔をした小波がつづく。
大坂へ下る船の船着場は、すぐそこであった。
「エ、ホ」
「ヤ、サ」
と、北から一挺の駕籠が駈けて来た。それを、駕籠かきの風体をした男たちが、十数人とり巻いている。
まくりあげた垂れから見えるのは、鉢巻をしめた老武士で、駕籠の天井からぶら下がった紐を、両手で握りしめている。
――と、その前に、二人の男がフラフラと現れた。それを酔っぱらいと見て、
「あぶねえ、何してけつかるっ」
「どいた、どいた!」
と、駕籠かきたちはわめいた。
二人の男は、こちらを見て、よけるどころか、寄って来て、その先棒をつかんだ。
「ちょっと待て」
「つかぬことを聞くが、これは浅野家のお使者かな」
のぞきこまれて、駕籠の中の老武士は、金壺《かなつぼ》まなこを血走らせてさけんだ。
「いかにも、浅野の使者じゃ。急用にて和歌山に参る!」
それだけで驚いて退散するだろうと思ったら、二人は顔見合わせて、
「なるほど」
「天眼通《てんがんつう》じゃ喃《のう》」
と、感心したようにささやき合った。
それがいかにも人を食っているように見え、かつまたうす気味悪くもあり、さらに、文字通り急ぎの御用であるだけに、使者は怒った。
「そこどけ、どかぬか! これ、みなの者、何をしておる、こやつらを追い払え!」
その二人が、一方は大入道、一方もまたしゃれたひげ[#「ひげ」に傍点]をはやして、見るからに寛闊《かんかつ》な侍姿であるのに、めんくらって手を出しかねていた駕籠かきたちは、この叱責《しつせき》にわれに返って、
「おいっ、お侍、聞いたろう、これは浅野紀伊守さまのお早駕《はや》だぞ!」
「それをじゃましようとは、とんでもねえ野郎だ」
「どかねえと、ぶちのめすぜ」
「あれ、まだどきやがらねえ、それ、ぶちのめして通れ!」
わっと、息杖《いきづえ》ふりあげて、打ちかかった。
東海道こそ伝馬や問屋場がととのい出したものの、まだ全国的なものではなく、従って早駕籠といっても、最初から交代の人足を用意する必要があったのだろう。さすがに浅野家だけあって、十数人の駕籠かきを駆り集めて駈け出したと見える。
その人数に力を得て、殴りかかるのに、
「おい、これからこの駕籠をどうしろというのかな」
「わからん、困ったな」
ヒョット斎と岡野左内は、ヒョイ、ヒョイと棒をかわし、あるいは棒をつかんでつき返しながら話している。そのたびに人足たちは、おかしいほど簡単に転がるが、しかしむろん身体に棒のあたることもある。それがこの両人にはまったく痛そうにも見えなかったが、二人はほんとうに困惑した顔であった。
「や、助かった。見えたぞ!」
岡野左内が向うを見て、声をあげた。
撞木町の方面から、直江山城たちがやって来た。山城は編笠で面《おもて》をつつんでいた。車丹波は、大石内蔵助をぶら下げて歩いて来る。あとに上泉主水と小波もついている。
こちらを見て、だれより先に、ぶら下がったままの大石がキイキイ声でさけんだ。
「こら、大野《おおの》やないか。えらいことが起ったそうやな」
「おう、大石どの。――」
と、使者の老人も驚いて駕籠から首をつき出したが、相手のていたらくに絶句した。
彼は、浅野家伏見屋敷お留守居役の次席、大野|九郎兵衛《くろうべえ》なる者であった。この日、御隠居の弾正少弼長政が二条城にゆくのに、介添役の大石がゆくえ不明なので、代って彼がついていって、あの事件となった。
大野九郎兵衛は衣裳の着付など甚だ不得手で、そのために長政がいっそうかんしゃくを起して、それもあの事件の原因になったのかも知れない。――その騒ぎの前にも、彼はへまをやって叱り飛ばされて、松の廊下の現場に居合わせなかったくらいである。
ともあれ、長政が瀕死《ひんし》の傷を負ったというので、彼は急ぎの早駕籠を仕立てて、みずからこれから国元へ急行しようとしたところであったのだ。
大石は、亀《かめ》の子みたいに手足をバタバタさせながら、
「それで、あんた、和歌山へゆくのか。えらいすまん、すまん!」
「大石どの、貴殿はいったい何をしておられるのでござる?」
こんな場合にも、大野九郎兵衛は聞かずにはいられなかった。
「そして、その者どもは何者でござる? おう、こいつらも同じ一味じゃな? 何のためにこんなことをする?」
「どうしますか」
と、ヒョット斎が声をかけた。
「その使者、河へ放り込め」
と、直江山城が編笠の中からいった。
「えっ?」
「その代りに、その早駕籠に大石どのが乗ってゆくがいい」
「――あてが?」
内蔵助も、あっけにとられたようだ。
「これ駕籠かきども、これは同じ浅野家の、しかもお留守居役じゃ。急用の口上は、この御仁も知っておる。代りに和歌山へ運んでゆけ」
と、山城は駕籠かきたちにいい、さらに笑顔で大石に小声でささやいた。
「大石どの、それであなたの失態も帳消しになるであろう。帳消しとはゆかずとも、一応のごまかしにはなるであろう。……それは、あなたの口上次第じゃ、うまくやりなされ」
山城守はあごをしゃくった。
「やれ」
ヒョット斎たちは、はじめて山城の意向を了解した。
むろん大石に傾城屋で遊んでもらったお礼などではない。おそらく山城は、いつぞや浅野家の侍を斬ったわびのつもりであったろう。浅野家といえば、これまた四天王のブラックリストに上っている大名だが、それは山城守のあずかり知らぬところである。
あっけにとられている大野九郎兵衛を、ヒョット斎は駕籠からひきずり出した。そして、これまた亀の子みたいにぶら下げていって、向うの宇治川へ、水音高く放り込んだ。
代りに車丹波が、大石を駕籠に押し込んだ。
「ゆけ!」
駕籠かきたちは、昏迷《こんめい》した顔であったが、こんな所業をした連中の怖ろしさに胆をつぶして、フラフラと駕籠をかつぐと、風に吹かれるようにすっ飛んでいってしまった。
「エ、ホ」
「ア、フ……」
あと、見送って。――
「殿」
と、車丹波が呼びかけた。
彼もまた山城守のいまの所業の意味は了解したが、それでもなおわからないことがあった。――それに、自分をじっと見つめている小波の手前、何かものものしいことをいわずにはいられなかった。
「それにしても、殿中の凶変、これは容易ならぬことでござりまするぞ。浅野家の心配をするどころではござるまい。上杉家はいかが相成りまするか」
「これから、それを考える。……まず、屋敷に帰って思案するとしよう」
「そ、そんな――それより、まず二条城へ!」
「十二日には御即位のおん儀が行われる」
山城守は自若としていった。
「それまでは、御公儀も、刃傷騒ぎの沙汰《さた》どころではあるまいよ」
実際に、二条城松の廊下の事件について、公儀からなんのとがめもなかった。大御所は知らぬ顔をして、十二日の天皇御即位の式典に列した。
あとになれば、直江山城の判断もなるほどと思う。この祝典の前に不吉な処分などやりたくなかったに相違ない。
しかし、その不問が、その後もつづくか。――
実に浅野長政は、あの事件の翌日、四月七日、負傷がもとでついに死去したのである。
事実は、彼を傷つけたのは吉良上野介であった。それは幕府にもわかっているだろうが、とにかくそれを上杉の家来が、下手人は自分だと二条城に鳴りひびかんばかりに宣言して腹を切ったのだ。このまま無事にすむとは思われない。
「山城どの。……どうなさる?」
四天王のみならず、千坂対馬守も憂色に波立つ眼を山城にすがりつかせた。
「それでなくとも、上杉家はいまだ徳川の目のかたきの家でござるぞ……」
幕府が上杉家にとどめの一撃を下すには、願ってもない機会ではないか。――だれしも、そう考えた。
これに対して、直江山城はなお悠然としていた。
「まず、ようすを見よう」
「そんな、悠長な!」
と、千坂対馬守はいらだった。
「何かせねば……公儀に、何か当方から然るべき手を打たねば……」
「放っておけ」
山城守は、笑顔でいった。実際彼は、何にもしないのだ。
四天王たちは、この神算鬼謀をもって鳴った大軍師が駑馬《どば》に変ったか、と唖然《あぜん》となり、顔見合わせて長嘆した。
しかるに大御所は、吉良にも上杉にも、ついに何の沙汰も下さないまま、予定通りの四月十八日、京を離れ、駿府への帰路についたのであった。――
千坂対馬守や四天王にとっては、狐につままれたようであった。
紀州三十九万五千石の浅野家の隠居弥兵衛長政を、二条城で上杉の家来が刃傷《にんじよう》して死に到らしめた。――実は、それはひとの罪をひっかぶったものだが、それにしても大変だ。
とにかく、右のような実情だけに、上杉家のほうで幕府に「家来発狂」とか何とか手を打つ余地があろうし、また手を打たねばならないのに、直江山城は何もしない。ふところ手をしている。
それに呆れはてていたのに、大御所は、上杉に一言のとがめもなく、京を去ってしまった。これが、いよいよ怪事だが。――
「山城どの……あなたはこうなることをお見通しでござったか」
千坂対馬守が悪夢からさめたように聞くのに、四天王も同感の顔をむけた。
「なぜでござる? いや、大御所はなぜ知らない顔でいってしまったのでござる?」
「大御所は、上杉と浅野を、秤《はかり》にかけておったのじゃ」
と、山城はいった。千坂は息をのんだ。
「上杉と浅野? しかし、上杉家は関ケ原で徳川の敵にまわった家。――」
「しかし、浅野とて豊臣家と血縁ある家じゃからの。……どうやら大御所は、上杉に恩を売られる気になったらしい」
四天王は顔見合わせた。
千坂がなお首をひねりながらいった。
「山城どのは、それをはじめから……こうなるものと御承知でござったのか」
「わかるものかよ。大御所の胸三寸にあることじゃもの」
と、山城守は笑った。しかし、彼がこう予測していたことは明らかだ。とはいえ、あの落着きぶりは、実に大胆不敵というしかない。
さすがは直江山城――と、四天王が驚嘆の眼で見守ったかというと、そうではない。むろん眼にその光はあったが、一方に何やらひっかかる表情もあった。
「山城さま」
と、車丹波がいった。
「それで……上杉は、大御所に恩を売られて、あとどうするのでござる」
「どうしたら、よかろうの」
山城守は笑っている。ヒョット斎がいった。
「死んだ兵左衛門どのは、腹切る前に、山城どのは上杉の名を辱《はずか》しめるような真似はきっとなさらぬと信じて死ぬ、と申したそうでござるが。……」
「あのかんしゃく持ちめ」
と、山城は苦笑した。
「いらざる真似をして、えらい目に逢わせおったわ。……喃《のう》、丹波」
と、いわれて、車丹波は眼を白黒させた。急使として女房が傾城屋に乗り込んで来たために、自分が見せた大狼狽の醜態を思い出したのだ。
「小波には、例の何とか鎖はかんべんしてつかわせ、と申しておいたが」
丹波は頭をかかえた。
気勢をそがれて、一瞬ひるんだ四天王に、山城はいう。
「ところでな、公儀のほうはたとえ知らぬ顔をしてくれたとしても、浅野は別じゃ。とくに紀伊守の気持としては」
「おう」
と、だれかうめいた。
「じゃが、相手になってはならぬぞ。向うも、被害者だ。……とくに、さきごろの紀伊守の秀頼公への忠節ぶりは世の評判ではないか」
と、山城守はしずかにいった。
「上杉浅野が喧嘩《けんか》したら、それこそ大御所の思う壺《つぼ》にはまるものと思え」
[#改ページ]
九度山者《くどやまもの》
「――大隅《おおすみ》、あれ見や」
と、高台院《こうだいいん》はいった。
「狐火《きつねび》じゃ」
客の主従は、尼僧の指さすかたを見やった。
夏近い夜の四阿《あずまや》から見下ろす暗い真葛《まくず》ケ原《はら》に、七つ、八つ、青白い燐光《りんこう》が、めらっと燃えあがって消えた。
「暖《あたた》こうなると、よう燃える」
と、老尼僧はいった。
客のうちの主人、浅野紀伊守はにがい顔をした。
伯母の高台院が話しかけたのは、自分ではなく、家来の亀田大隅《かめだおおすみ》のほうだ。
この浅野家の家来亀田大隅は、若いころ溝口半之丞《みぞぐちはんのじよう》といったが、何かのはずみで女の幽霊から子供をしょって河を渡ることを頼まれ、渡っているうちだんだん重くなり、渡りおえたら、石であった。――それから俄然《がぜん》豪傑になった、という挿話《そうわ》の持主で、別名幽霊半之丞ともいわれ、だからこそ高台院が、ふと話の途中に、そんな声をかけたのだろうが。――
しかし、苦悩数十日、思いあぐねて大事の相談に来た紀伊守としては、話をはぐらかされたようで、むっとせざるを得なかった。
ここは京の高台寺である。
主人は、豊太閤正夫人のねね[#「ねね」に傍点]だ。秀吉|歿後《ぼつご》、大坂城は淀君にゆだね、自分は髪を下ろしてここに隠栖《いんせい》し、しずかに太閤の菩提《ぼだい》を弔《とむら》っている。――このとし、六十四歳。
とはいえ、まったく世を捨てることは、世のほうで許さない。この寺には、ことあるにつけて、豊臣恩顧の――いわゆる武将党のめんめんが集まって来る。のみならず、徳川方の要人も訪れて来る。
生前から、秀吉も一目おいた夫人であった。彼女の義弟浅野長政が狐つきと評したように、よくいえば超人的、悪くいえば非常識な秀吉よりはるかに人間が着実で、側近の者にはむしろ太閤より信頼された女性である。――尼となっても、なお豊臣家の命運を憂い、種々腐心するところがあった。
石田|治部少輔《じぶしようゆう》こそ豊臣家を滅ぼす危険人物である、として、清正ら武将党を徳川方につかせるようにとりまとめたのも彼女である。さきごろの家康秀頼の会見を斡旋《あつせん》したのも彼女である。
この夜、高台院を訪れた浅野紀伊守幸長は、彼女の妹婿長政の子で、つまり甥だ。このとし三十六歳。
この人物は、蔚山籠城《ウルサンろうじよう》戦で名高い。
慶長二年十二月、彼の部隊は明韓軍の奇襲を受け、蔚山城に撤退した。このとき、さはさせじと猛追する敵との乱戦で、彼も満身血まみれになり、家来の亀田大隅が敵将を斬って、敵がややひるんだすきにやっと蔚山城にはいることが出来たほどの苦闘であった。
しかも、籠城後も、敵の大軍に包囲され、途中救援に駈けつけた加藤清正とともに籠城は年を越え、この城がまだ半成のありさまで糧食の準備もまったくなかったので、壁の土まで食う凄惨《せいさん》な籠城戦となったが、ついに敵を撃退することが出来た。――まず、猛将の名に恥じない。
その彼もまた、関ケ原では、東軍に加わった。――それも、やはり豊臣家のためだと信じたからだ。
それでもやはり、豊臣の血縁者だけに関ケ原以後、豊臣家が落日のおもむきがある現実に照らして、この浅野の行動にとかくの蔭口がささやかれるのはふせげなかった。
癇《かん》の高い幸長は、そんな噂《うわさ》に敏感で、かつ激怒した。
彼が、さきの二条城会見で、豊臣の当主たる――同時に彼には、血のつながりこそなけれ従弟《いとこ》にあたる秀頼のために、清正とともにあれほど忠誠の姿を誇示したのは、そんな衆口に対するつらあてでもあった。
果然、その酬いは来た、と彼は思った。
こんどの父の長政の不慮の死について、大御所の見せた態度だ。
あの日――幸長は、和歌山にいた。秀頼守護の大任を果したあと、その気疲れのために、清正もそのまま大坂から熊本へ帰国してしまったが、彼もまた国元の紀州に帰っていたのである。そこへ、京からの急使を受けた。
伏見屋敷留守居役大石内蔵助の知らせは、どこか混乱しているところがあったが、むろん彼を驚駭《きようがい》させた。
詳細を聞くにいとまあらず、幸長は京に急行したが、それはすでに父が傷のために落命したあとであった。
彼はむろん、即刻幕府から下手人の処罰があるものと信じた。得べくんば浅野家へ、その下手人か責任者の引渡しを求めたいほどであった。
しかるに、なんの沙汰もない。
彼は、本多佐渡守に抗議にいった。すると。――
「いま御大典のことで、それどころではない」
という返事だ。
その天皇即位の儀式が終っても、幕府はそのことについて何の動きも見せない。たまりかねて、また詰問に出かけると、
「何しろ、下手人は上杉の家来ということになっておるが、実はほんとうは吉良らしゅうござるのでな。そのあたりを目下詳しく調査中でござる」
と、いう。
そのうちに、大御所は、驚いたことに、知らぬ顔をしたまま駿府に帰ってしまった。
吉良に何のとがめもないのか、といえば、とにかく下手人は上杉ということなので、という。では上杉をといえば、ほんとうの下手人は吉良らしいので、と、ヌラリクラリと鰻《うなぎ》のような返事だけが返る。
あまつさえ、本多佐渡は、
「どうやら紀伊守どの、御尊父のほうもちと無理な難題を吹っかけられたらしゅうござるぞ」
と、ジロリと幸長を上眼づかいに見て、
「ともあれ、駿府からなにぶんの御沙汰があるまでお待ちなされ。あまり浅野家のほうで騒がれてはかえっておためになりますまいぞ」
と、逆ねじをくわされた。
幸長は、ようやく浅野家に対する徳川の愚弄《ぐろう》と悪意を感じた。先日の二条城における自分に対するしっぺ返しだ。大御所は、父の横死を、むしろ快しとさえしているのではないか?
彼の憤怒《ふんぬ》は、刃傷の知らせを聞いた直後より、さらに昂《たか》まった。
紀伊守は、たとえ浅野家がどうなっても、吉良ないし上杉にこの遺恨を霽《は》らさずにはおかぬと決意した。とくに、上杉のほうに腹が立つ。吉良のほうは、佐渡がいったように父もまあ無理なことをいったらしいから、いくぶんこちらにひけめがないでもないが、上杉はなんだ。何のためにあんなお節介をやったのか。浅野家をなめるにもほどがある。
彼は、それでも梅雨《つゆ》が過ぎるころまでは輾転反側《てんてんはんそく》し、考えに考え、ついに上杉の伏見屋敷を襲うことを決心し――さて、そこで、自分の伯母が高台院であることに想い至ったのである。
浅野家はともあれ、伯母にまで迷惑をかけてはならぬ。――
さすがに紀伊守はそれを思い、またあの伯母に無断でこれをやるわけにゆくまい、と考えて、その日、とにかく高台寺に相談に来たのであった。
それを黙々と聞いていた伯母が、話の途中で、
「あそこに狐火が燃えておる」
など、あらぬことをいって、顔を横に向けたのだ。
高台寺には、小高い裏山がある。そこは、その山上にある、傘《からかさ》 亭《てい》という四阿《あずまや》であった。
ここへ上る道はただ一本で、その麓《ふもと》には数人の番人がいた。高台院は、謀議の内容が容易ならぬものであるときは、この四阿に客を伴うのを常とした。
――かつて、身近に仕える尼僧の中に、諜者《ちようじや》らしい者が発見されて以来のことだ。それは感づかれたと見るやすぐに姿をくらましてしまったので、関東方か大坂方か、それとも別の筋かついにわからなかったが、まだどんな人間が侍者の中にまぎれこんでいるか計りがたいという。とにかくこの太閤未亡人のまわりには、なおなまぐさい政治の匂いが漂っていたのである。
柱だけの四阿だから、東山の空に上った夏近い赤い月が、白い尼頭巾《あまずきん》と墨染めの衣に身をつつんだ高台院の姿を妖《あや》しく浮かびあがらせていた。ただし、亀田大隅が提灯《ちようちん》を一つかかげている。
「伯母|君《ぎみ》、幸長が申すこと聞かれたか」
と、紀伊守は声をはげました。
「さい喃《のう》……」
「ようござるか、たとえ浅野の家に何が起っても、伯母君は知らぬ顔をしておって下され」
「そなた、たかが上杉三十万石と刺しちがえるつもりか」
と、高台院はいった。やはり、聞いてはいたのだ。
「たかが?」
なるほど、向うはこちらより、いまのところ二十万石ほど少ないが。――
「音に聞えた上杉、相手にとって不足はござらぬ。そのつもりでござる」
「愚かや、幸長」
と、高台院は薄く笑った。
「かつては徳川に敵対した上杉、先ごろ徳川を尻目にかけたかに見えた浅野――そなたの秀頼|君《ぎみ》御守護ぶりのことじゃ――その両者の共喰いこそ、家康どのの思う壺であろうぞえ」
「――は!」
「家康どのは、それを狙《ねら》って、こんどの件、わざと知らぬ顔をしておられるのかも知れぬ」
期せずして、高台院は、上杉方の直江山城と同じことをいった。
が、この太閤未亡人は、つづいて甥の幸長が、はっとその顔を見たようなことをいい出したのである。
「それは、よすがよい、幸長。……たとえ、豊臣家は滅んでも、浅野家は滅んではならぬ」
「――えっ?」
「わたしの見るところでは、やがて豊臣家は滅ぶであろう。徳川の大軍が大坂城をとり包むことになろう」
高台院は、陰々《いんいん》といった。
「その軍勢の中に、浅野家も加わってもらわねばならぬ」
幸長は、言葉を失って、この太閤夫人の姿を見まもった。
高台院は、真葛ケ原とは反対の南のかたを遠く見やった。
「大坂城の燃える日、それをわたしは待っておるのじゃ。……わたしは、いまは豊臣家の人間とは思うておらぬ。浅野家の娘ねね[#「ねね」に傍点]と思うておる。それゆえに、その日まで、浅野家は滅んではならぬ……」
この尊敬すべき伯母は、年よってぼけたのか。それとも、突然いま狂ったのか。
「大坂城、あれはわたしと太閤殿下が造ったものであった。夫婦《めおと》五十年、血と汗の結晶であった。それは、いまわたしのものではない。……淀のものじゃ。燃えよ大坂城! ホ、ホ、ホ、ホ。それが燃える日、なおねね[#「ねね」に傍点]の浅野家は無事に残っておる。それこそねね[#「ねね」に傍点]の願いなのじゃ。わかるかえ、幸長。――」
見つめられて、この猛将幸長が戦慄《せんりつ》した。
「それゆえ、浅野家はなくなってはならぬ。浅野家と上杉家刺しちがえ、など軽々しく考えてもらっては困る。わかるかえ、幸長。――」
紀伊守は、伯母の背後にメラメラと狐火が燃えあがっているような気がした。
「もし、上杉に恨みを霽《は》らしたいというなら、討入りなどという乱暴なことはせずとも、ほかに何か手があろうが。上杉――いま京に来ておるのは直江山城じゃそうな。その山城の鼻をあかし、苦しめる法は別にあろうが」
幸長《よしなが》は、黙然《もくねん》として高台院の顔を凝視した。
彼は、この女人を尊敬していたのだ。だれもが眼をそむけるような太閤一代の漁色ぶりを、まるで母が子のだだッ子ぶりを見ているように悠然《ゆうぜん》と見守っているかに見えた北《きたの》 政《まん》 所《どころ》を。――
妙ないいかたになるが、実は女道楽という点では幸長も人後に落ちない。それだけに、逆にそれはわが伯母ながら、ますます畏敬《いけい》すべき「妻」の理想像のように思われた。
とくに、太閤死後、大坂城をサラリと淀君に譲り、自分はここ京の真葛ケ原にひそと住んで、亡き夫の冥福《めいふく》を祈っている晩年の姿を見ては。――
実は、そう閑寂な暮しでもなくて、幸長をはじめ豊臣恩顧の諸大名の相談に何かと乗ってやり、げんに幸長が関ケ原で東軍についたのも、石田、直江輩のイチかバチかの権謀にひき込まれることは、かえって豊臣家のためにならぬという、この伯母の指示によるものだ。
幸長のその行為及びその後の精神的支柱となったのは、たしかにこの高台院の存在であった。あの伯母が、豊臣家のためにならぬことを考えるはずがない。
しかるに、いま。
突如、この伯母がまるで能面でも落ちたように、淀君への嫉妬《しつと》に燃える修羅《しゆら》の形相《ぎようそう》をむき出しにしようとは!
高台院が生きている意味、いや自分や豊臣方諸将を動かして来た意味は、そんなことにあったのか?
それを、ゆったりとした温容に秘めて、だれしも偉大なる未亡人と崇拝して来たのに、この夜、突如として仮面をかなぐり捨てた理由が、なお幸長にはわからなかった。
――あとで考えると、高台院は、淀君への意地にかけて、自分の生家たる浅野家は残す、という執念に徹しているのに、相続者の幸長が、あまり軽々しく上杉と刺しちがえる、などと口走るものだから、「親の心子知らず、とはこのことか」と、思わず知らずかっとしたのではないかと思われる。
ただ幸長は、はじめて見るこの伯母の凄《すさ》まじい顔と恐るべき呪詛《じゆそ》の言葉に総身《そうしん》水を浴びたような思いに打たれ、しばし声を失った。
「幸長、上杉に仕返しせずにはおれぬというなら、やってもよかろう。ただ浅野家は表に出さずに仕返しをしやい」
高台院がまたいったとき、突然四阿の外側で、ただならぬ声があがった。
「あっ。……武蔵、殺すな!」
はっとしてふりむいた幸長の眼に、月光の空を大鴉《おおがらす》みたいに飛ぶ影が見え、その下から声とはいえぬ苦鳴があがった。
「曲者《くせもの》――」
仰天しつつ、亀田大隅が、四阿の柱に立てかけてあった樫《かし》の棒をひっつかんで飛び出した。
この山上の傘亭へ来る道は一本しかなく、その麓の門には番人が立っている。道以外の場所を上《のぼ》って上れぬことはあるまいが、樹々《きぎ》の音、草の動きでまずわかる。そもそもここで密談するということが、無意識のうちにも警戒を伴わずにはいないのだが、彼らはそれまで、そこに他人が潜んでいようとは、まったく感づかなかった。
しかも、それが、一人ではないのだ。
大鴉みたいに飛んだ影があり、その下であきらかな断末魔の声を発した者がある。その上。――
いまだれかを斬《き》った男に駈け寄った亀田大隅の背後から、
「ああ、斬ってしまったか。斬るなと申したに」
と、また別の声がした。
樹の下に、白い影が立っていた。背後に赤銅《しやくどう》色の月があった。よくこれまで、その存在に気がつかなかったものと思われる。それに白い頭巾に白衣の着流しという姿であった。
「斬らねば、こっちがやられるところでござった」
答えたのは、いま飛んだ大鴉で、笠はかぶっているが、これは黒衣の男だ。片手に刀身をひっさげていた。
「手に|※[#「金+票」、unicode93e2]《びよう》を握っております。いや、拙者のたもとにも、一本突き刺さっております」
それを抜いて、別の手に持った気配だ。
「不敵なやつが。――そこ動くな!」
わけがわからないなりに、亀田大隅が絶叫して躍りかかった。――後にこれは大坂役で、城方《しろかた》の勇将|塙団《ばんだん》右衛門《えもん》を討ち取ったといわれる豪傑である。
その棒が戛然《かつぜん》と鳴って、一尺ばかり切り飛ばされた。棒を切るには切ったが、そのまま戦車のごとく殺到する亀田大隅から、さすがに黒い影は大きくうしろへ飛びのいた。
「待て、お待ちなされ」
白い影は大隅にさけんだ。
「こんどは棒ではなく、首が飛ぶ」
「な、なにを。――」
「こちらは、高台院さまと紀伊守どのの御密談を聞いた忍びの者を退治してあげたのだ」
「うぬら、何者だ?」
浅野幸長も、四阿から出て来ていた。
いまの話を聞かれた以上、生かしては帰せぬ、と髪も逆立つばかりになりながら、しかし幸長は、この変に落着いた潜入者の正体を知りたい、という欲望により強くつきあげられた。
「お答えせねば、高台院さまに対して失礼でござろう」
白頭巾は、笑いをおびた声で答えた。
「拙者は、本多佐渡の倅《せがれ》、本多長五郎と申すもの。――」
一礼した。
浅野幸長は、真に驚倒した。四阿の中の高台院さえ、かすかなさけび声をたてた。
彼はしばらく声もなく、月光の中の白い影を見まもった。
――この驚くべき名乗りをただちに笑殺出来なかったのは、幸長も江戸にあったころ、本多佐渡守にたしか長五郎という次男坊がいて、平生人に顔を見せたことがない、という奇怪な噂《うわさ》を耳にしたことがあったからだ。
「いや、驚きましたな」
と、相手もいう。
「盗み聞きの相棒がほかにもあろうとは。……こちらはそんな者がいようとは知らず、聞耳立ててソロソロそっちに夜這《よば》いのごとく近づいたところ、向うもまたこちらを知らず、同じように近づいて、鉢合せしてお互いにびっくり仰天、というわけでござるよ。びっくり仰天しつつ、間髪《かんはつ》をいれずこっちに危険物を投げて来たところ、いやさ、それまでこちらにも気づかれなんだところ、あれはまさしく忍びの者、それも相当に手練《てだ》れの忍びの者でござるなあ」
そして、いった。
「何にしても、これからお気をおつけなされ。では、武蔵、今夜はこれでおいとましよう」
「ま、待て」
亀田大隅はさけんだ。
「ひとのことはともかく、うぬらは何でここに来たのじゃ」
「いや、よい。帰しや」
四阿の中で高台院が声をかけた。
「本多どの、殺された者は、してみると大坂方の忍びであろうか喃《のう》?」
その声は、平生の落着き払った高台院の声に戻っている。
幸長は、その白頭巾の正体についてなお半信半疑であったが、彼女はすでにそれが名乗った通りだ、と認めたようだ。
「それとも、ひょっとすると、九度山《くどやま》の者ではないかの?」
茫然《ぼうぜん》としていた幸長は、ここでまた驚愕《きようがく》した。九度山の者、とは、真田《さなだ》者ということではないか?
真田はいうまでもなく関ケ原で西軍に加担して、中山道《なかせんどう》を西上する徳川秀忠を信州上田でくいとめ、ついに秀忠軍を天下分目のいくさに間に合わせなかった真田|昌幸《まさゆき》・幸村《ゆきむら》父子だ。そのためこの父子は役後九度山に蟄居《ちつきよ》を命じられ、父の昌幸は三年ほど前に死んだが、子の幸村は僧形《そうぎよう》となり、伝心月叟《でんしんげつそう》と称していまもその地にあるはずだ。
その地にあるはずだ、どころか、九度山はいうまでもなく紀州|高野山《こうやさん》の登山口にあたり、浅野家の領内にあり、浅野は幸村の監視を徳川家から命じられているのだ。
「九度山の者の中には忍びの手練れが多いと聞く」
と、高台院はいった。
「どうであろう?」
「さあ?」
亀田大隅がその男の倒れているところへ近づいたが、突然、「わっ」と大声をあげた。
「いかがいたした?」
と、幸長がさけんだ。
亀田大隅は答えずのぞきこんでいたが、やがてこの男ほどの者が、恐怖にみちた声を送って来た。
「こやつ、まだ生きておりました。……その手の刃物で、顔を上から下へ撫《な》でました。そして顔が……眼も鼻も、口も無くなってしまったのでござる。……それっきり、こんどは動き申さぬ。……」
その男は、みずからの顔を削りとってしまったというのだ。
上って来たときはどこから上って来たか、こんどは山道のほうへゆきかかっていた本多長五郎は、ふとふりかえって、
「紀伊守どの」
と、いった。
「まだ世間のだれも知らぬはずでござるが……熊本へ帰られた加藤肥後守どのは、この六月二十四日、死去なされたそうで」
「――えっ?」
幸長はこれまた驚倒した。
「よほどこの春の御心労がたたったのでござろうなあ。加藤どのは、いわばあなたの御戦友、つつしんで哀悼の意をささげ申す」
さっきの高台院の問いには、「さあ?」といったきり、何の応答もしなかった本多長五郎は、聞かれもしないのにこんな情報を知らせると、
「では、おさらば」
四阿の内外《うちそと》で凝然と立ちつくしている高台院と浅野幸長、亀田大隅の前で、本多長五郎と編笠をかぶった男は、風のように山道を下りていった。その向うに狐火が燃えあがった。
「伯母御……」
幸長はわれに返り、のどのつまったような声でささやいた。
「あれを……あのまま、帰してよいのでござるか?」
「徳川方の者なら、まさか討つわけにもゆくまい」
と、高台院は首をふった。
「ですが、伯母御のあの大坂城滅ぶとも浅野家は潰《つぶ》すなとの仰せ、あれを聞かれたかも知れませぬぞ。……」
「本多どのの子息なら、あれを聞かれても大事ない」
それから高台院は、ジロリと幸長を見やった。
「あそこで死んだ男、あれほどの忍びの者は私の知るかぎりいまの大坂城にはおらぬ。……幸長、そなたの家来どもは九度山を、しかと見張っておるのかや?」
幸長はこのとき、眼を赤い月にむけて瞳孔《どうこう》を散大させていた。彼はこの春、伏見で四人の家来が殺された事件について、ひょっとしたら? と、はじめて胸に思い当るものがあったのだ。
[#改ページ]
慶長おんな歌舞伎《かぶき》
「あなた、きのうは、どこへいっておいででございましたか」
と、伽羅《きやら》がいった。
「うん、例の宇喜多の旧臣の集まりでな」
「では、九月二十五日の御外出は?」
左兵衛はキョトンとした。
「九月二十五日? さてね、いや、ほかにあてはないから、それもその会じゃったろう」
「では、その前の九月二十日は?」
「それも、その通り」
「嘘《うそ》をおっしゃい!」
伽羅はさけんだ。
「あなたのおゆきになったのは、四条河原の出雲《いずも》の阿国《おくに》一座でしょう」
「いや、それは。……」
「嘘をついてもだめです。あなたがそこにおはいりになるお姿、出ておいでになるお姿を、お弦《げん》や小波《さざなみ》が見ているのです。ねえ、小波。……」
ふりかえられて、
「その通りでございます」
と、侍女の小波はうなずいた。
「えっ、では……そなたら、わしを尾行しておったのか」
「はい。いえ、あなたさまばかりではございません」
と、小波はその行為を、恥じるどころか、怒ったように見える顔でいった。
「男というものは、外へ出ると、糸の切れた奴凧《やつこだこ》みたいなもので、どこへゆくかわかったものではありません。それに京には、いろいろと遊び場所も多うございますし」
いまは左兵衛も聞いている。この春、直江山城をはじめ四天王のめんめんが伏見撞木町へしけこんでいたのを、小波に乗り込まれたあの件をあてこすっているらしい。
――京には、初秋が訪れていた。江戸家老の千坂対馬はとっくの昔に帰ってしまったが、直江山城は、まだ京に滞在していた。
この春の上洛以来、もともと京にゆかりある大名連でまだ残っている者もぽつぽつあるが、べつにそれほど京に縁があるとは思えない上杉家の家老たる彼は、悠然として京に尻をすえている。もっとも山城自身はその昔、ここで風流をきわめつくした想い出が数々あるらしく、むし暑い京の夏も苦にせず、その間いかにも涼しげに、あちらの寺、こちらの名所を訪ね歩いていた。
「いや、それでは隠してもしかたがない」
左兵衛は頭をかいた。
「まさに、出雲の阿国一座のややこ[#「ややこ」に傍点]踊りを見にいったにちがいない。しかし、あれは遊女とはちがうぞ」
「いえ、世の噂によれば、あそこの踊り子には、遊女同様の所業をする女もあるとか聞いています」
と、お弦はいった。
「それは、そういう女もあるかも知れんが、わしはちがう。わしは長らく八丈島にいっておったので、この世にあんな踊りが出現しておろうとは、こんど京に来るまでは知らなんだ。女が男姿になって、何十人と乱舞する。実に勇壮活発で、見ておってもウットリするわい。なんなら、おぬしたちも見にいってみるがいい」
と、左兵衛は一生懸命にいった。
伽羅は、左兵衛の顔をじっと見つめていた。実は彼女は、夫の左兵衛の踊り見物が、ただそれだけで、それ以上のものではないことはちゃんと承知している。べつに彼女が命じて、左兵衛だけを尾行させたわけでもなく、小波やお弦がときどき四天王たちをつけて歩くついでに頼んだ結果の収穫に過ぎない。
そして、伽羅もまた、いま世に評判の出雲の阿国一座――夏が過ぎて、秋風とともにまた四条河原に小屋をかけているその女踊りを、是非一見したいという欲望がないでもなかった。
「どうじゃ。それではわたしたちも、いちどそれを見にゆこうではないかえ?」
と、彼女はいった。
「淀の川瀬の水ぐるま
たれを待つやら、くるくると」
あたりの物騒がしさの中に、耳を洗うような女声の合唱であった。それに鉦《かね》や鼓や笛や、新楽器の三味線が交響する。
暑い夏の間はさすがに客も少なく、休んでいる小屋も多かったのが、鴨《かも》の流れに秋の白雲が映りはじめるとともに、むしろ春よりもっと殷賑《いんしん》の景をとり戻したかに見える四条河原だ。
ここは当時の日本で、最大の興行街であった。河原で野天の見世物ではない。むろん大道芸人もいるが、小屋とはいうものの、相当に大がかりな屋根つきの舞台を作り、外囲いをめぐらし、木戸で入場料をとっているものが軒をならべている。人形|浄瑠璃《じようるり》、手品、軽業、熊や孔雀《くじやく》などの奇獣珍鳥の見世物。――
女の唄声や囃子《はやし》が流れて来るのは、その中でもいちばん大規模な小屋であった。何十本となく、白い風にはためく幟《のぼり》に「出雲の阿国一座」とある。――
出雲の阿国のややこ[#「ややこ」に傍点]踊りの名は、すでに京大坂のみならず、江戸にも聞えていた。
出雲大社の巫女《みこ》であったとかいうこの女性が、女たちを群舞させるというショーを独創して、京の庶民たちに見せはじめたのは、慶長のはじめごろからであったろうか。
最初のうちは、少女ばかりの踊りで、だから稚児《ややこ》踊りと呼んだのだが、そのうちに成熟した女の踊りとなり、衣裳《いしよう》も絢爛《けんらん》たるものをつけ、それに烏帽子《えぼし》、刀など、男装にちかい姿の大群舞をもって、当時の人の眼を驚かせた。ただ庶民相手の興行にとどまらず、諸大名にもこれをひいき[#「ひいき」に傍点]にする者が現れ、ときには大坂城や遠く江戸城にまで招かれることもあった。
家康の次男|結城秀康《ゆうきひでやす》が阿国を見て、
「天下に幾十万の女あれども、一人の女と天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一人の男となること叶わず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」
と、落涙し、さて自分が具足にかけていた珊瑚《さんご》の数珠《じゆず》をとって阿国に与えたという話もあるほどだ。
で、その日、四条河原で興行しているこの一座の見物の中にも、たしかに身分ある人々がチラホラ見えた。そんな客も少なくないので、特別の桟敷《さじき》席が左右に設けてあり、そこで編笠をかぶって顔を隠して見物しているのだが、その服装を見ても大身《たいしん》だとわかる。
その右側の桟敷の一つに坐っているのは、編笠の貴人と、緋《ひ》の胴羽織を着た若い武士であった。その武士がささやいた。
「若殿。……左側を御覧なされ」
ほかからは見えないが、編笠の中の口はぽかんとひらいている。そういわれても、その眼は中央の舞台にそそがれたままであった。
「いま来たところでござる。……笠をかぶっておりますが、あれはたしかに、浅野紀伊守どのと蒲生飛騨守どのでござりまするぞ」
さすがにそちらを見た。いかにも、左側の桟敷に、やはり編笠をつけた大身らしい二人の客と、それに従う四、五人の家来が見える。
「何をためらわれます。噂によれば、あの浅野どのは葛城太夫《かつらぎたゆう》のひいき[#「ひいき」に傍点]、ひいき[#「ひいき」に傍点]と申すより、ときどき呼ばれて夜の伽《とぎ》をさせられる由。この一座の女なら、大名衆が側室となされても恥ずかしゅうはござらぬ。それに、あの斑鳩《いかるが》太夫に、このごろ蒲生どのが御執心なそうでござります。……」
「え、それはまことか」
声が思わず高くなったが、まわりがふり返らなかったのは、そのとき舞台の鉦や笛や鼓の音《ね》が、ひときわ高潮したからであった。
舞台では、十数人の踊り子たちが乱舞している。みな紅《くれない》 摺《ず》りのくびり[#「くびり」に傍点]帽子をかぶり、濃い紅梅の小袖《こそで》に、箔絵《はくえ》の太帯《ふとおび》をむすび、金の扇をかざしながら踊っている。
「光明《こうみよう》 遍《へん》 照《じよう》、十万世界
念仏|衆生《しゆじよう》、摂取|不捨《ふしや》
なむあみだぶつ、なむあみだ」
その中央に、同じ紅梅の小袖に金欄《きんらん》の袖無《そでなし》羽織をつけ、いらだか[#「いらだか」に傍点]の数珠《じゆず》を首にかけ、白鮫鞘《しらさめざや》の刀をさして、大きな朱房を打ち振りながら踊っているのが、一座のスターの一人、斑鳩太夫であった。
「若殿、ウジウジしておられては、蒲生どのに先どりされまするぞ。……」
と、けしかけるようにいった緋の胴羽織の武士は、佐々木小次郎だ。
編笠の貴人は、細川|与一郎忠隆《よいちろうただたか》であった。――豊前《ぶぜん》三十九万九千石、細川越中守忠興の長子である。
小次郎は、いつのまにか、細川家の家来になりすませているらしい。前の主人本多長五郎が、よく許したものである。
ところが、この細川の若殿――といっても、この年三十二歳だが――与一郎忠隆は長男でありながら、細川家のあとつぎではなかった。牢人《ろうにん》といっていい境遇であった。それは、こういうわけだ。
細川与一郎は、例の有名なガラシャ夫人から生まれ、その妻は加賀大納言利家の七女であった。ところが、慶長五年、関ケ原前夜、石田方に攻められて大坂の屋敷でガラシャ夫人が自殺したとき、この嫁は無事に逃れた。これが 姑《しゆうとめ》 を見捨てたものとして舅《しゆうと》の忠興の不興を買い、離縁となって加賀に返されたのである。
この与一郎の若妻については、芥川龍之介の「糸女覚え書」にこうある。
「この奥様は御利発とは少々申し兼ね候えども、御器量は如何《いか》なる名作の雛《ひな》にも劣らぬほどに御座候」
名を千世《ちよ》という、この美しい妻を熱愛していた与一郎は、あきらめ切れなかった。そのために加賀まで追っかけてゆき、前田家からすげなく追い返され、その戦国武人にあるまじき醜態にさらに怒った父忠興は、この長男を追放し、三男|忠利《ただとし》をあとがまにするといい出した。――で、いま与一郎は、その若さで、隠居同然に京でぶらぶら暮している身分だ。
そこへ、細川家に仕えたという佐々木小次郎がさきごろから出入りをはじめて、この四条河原の阿国かぶきに案内した。
来て、見物して、与一郎はすぐに小次郎の意図を知った。
一座の花形斑鳩という太夫が、なんと別れた妻の千世姫にそっくりであったのだ。似ているどころか。――
「あれは、十年前の奥方さまと瓜《うり》二つ、とは思われませぬか。いま、加賀におわす奥方さまは、失礼ながら、だいぶ姥《うば》ざくらにおなり遊ばしました」
と、佐々木はいう。
この新参の家来が、十年前の千世を知っているような顔をするどころか、自分が逢《あ》おうとしても逢えないいまの千世を、加賀にいって見て来たようなせりふを吐くとは?
むろん、父のさしがねだ、と、与一郎はすぐに察した。
父は、自分が、いつまでも別れた妻にめんめんとして世捨人みたいに暮していることにいらだったか、それともふびんに思ったか、それより新しい女をあてがってやれ、とこの男に命じたのだ。そしてこの男は、千世そっくりの女を探し出したのだ。げんに佐々木は、お気にいったら斑鳩太夫に話をするが、という。
最初、しかし与一郎は飛びつかなかった。
切支丹《キリシタン》であった母の教えがどこか頭の一隅に残っており、また無理に別れさせられた妻への断ち切れないみれん、さらに父や佐々木のいかにも手軽な謀略に対する反感もあった。
しかし、妻にそっくりの女を見出したことはやはり驚きで、それからもチョイチョイ見に来ずにはいられなかった。そして、通うにつれてだんだんひかれて来たのは当然の心理で、あげくのはては、この日も、口をあけて、恍惚《こうこつ》と斑鳩太夫に見とれている始末とはなった。
「座頭《ざがしら》の名古屋山三郎《なごやさんさぶろう》に、斑鳩をくれるなら、金に糸目はつけぬぞ、と申し込んであるのでござるが」
と、小次郎はいう。――その金も父をあてにしているにちがいない。
「まだ御決心がつきませぬか」
「斑鳩は何と申しておるな?」
「斑鳩太夫にはまだめんと向って聞いてはおりませぬが、山三郎は、本人はいま、ただ踊り以外に心は散らぬ、と申しておりますので、とか何とかいっておりました。しかし、それはおそらく値を吊りあげるための口上で、もし若殿の御決心さえつくならば、拙者、刀にかけても――や?」
と、小次郎はふいにささやきをとめて、また左側の桟敷のほうを見やった。
その座頭の山三郎が、舞台の脇《わき》のほうから出て来て、そちらへ歩いてゆくのが見えたのだ。
年は四十くらいか、折頭巾《おれずきん》にたっつけ袴《ばかま》という、狂言のワキのように目立たぬ姿だが、しかし、それでもあたりを払う美丈夫であった。
ただ美男というだけではなく、小次郎は、この出雲の阿国の亭主が、女の踊りの演出などしているそうだが、なぜそんな渡世をしているのだろうと、首をひねらずにはいられない何かを持っているのを感じていた。――小次郎は、その男が武芸のほうでも相当以上の使い手だと見ている。
その名古屋山三郎が歩いていって、さては編笠の浅野、蒲生に挨拶《あいさつ》でもするのかと思うと、さすがに知っていてその席へ向って小腰をかがめたが、それだけで、彼はもっとうしろの桟敷のほうへいった。
そこには、やはり身分ありげな女性《によしよう》の一団がいた。いや、そう見えるのは、その中の一人だけで、きれいな被衣《かつぎ》を頭からかぶっている。あとは侍女らしい。――阿国一座の評判に吊られて見物に来る貴顕の奥方や姫君はたえずあり、それは別に珍しい風景ではない。
山三郎に何かいわれて、彼女たちは顔見合わせ、やがて立ちあがった。彼に案内されて、どうやら楽屋にでもゆくらしい。
それを遠くから見て、
「はて、あの女人たちは?」
と、小次郎は首をひねった。
伽羅は、阿国歌舞伎を見物に来たのが、それで四度目であった。
最初は左兵衛をおどして、連れて来てもらったのだが、現代の――いや、昔の田舎《いなか》の少女が宝塚歌劇をはじめて見たように、彼女はただただ魂を奪われてしまった。物心ついてからずっと山国の米沢に育ったのだから当然だ。それに伽羅は天性甚だ活溌《かつぱつ》な好奇心の持主でもあった。
それで、次には小波とお弦だけを連れてやって来た。
「……もしやしたら、直江山城さまの姫君ではござりませぬか?」
と、座頭の名古屋山三郎が桟敷に挨拶に来たのは三度目のことである。被衣をかぶって見物していたのに、どうしてわかったのか、伽羅は顔をあからめた。
そして山三郎は、謝意を述べたあと、何なら楽屋へおいで下されませぬか、といった。しかしこのときは、伽羅はさすがにためらい、きょうは舞台だけを愉《たの》しませていただきます、と断わった。
そしてその日、四度目の見物で、山三郎がまた誘いにやって来て、こんどはやむなく、というより、実は抑えていた好奇心がもう抑え切れなくなって、彼女たちは阿国一座の楽屋に導かれたのであった。
「まあ、美しい!」
そんな声が、伽羅の口からも、迎えた一座の女たちの口からもいっせいに出た。
そこには、出雲の阿国も、花形の葛城太夫もいた。それをとりまく板壁に、花のようにかかっている衣裳《いしよう》や笠や刀や鳥毛の槍《やり》や、そのほかの大道具、小道具、それに大きなギヤマンの鏡さえいくつかある。まるで妖異《ようい》の国へ来たようだ。
伽羅の口から出た声は、それらすべての印象に対してのものであったが、片方の女たちの声は、伽羅一人に向って出た。
むろん彼女は被衣をとっていた。
それに従っている二人の侍女、小波とお弦も美しい。またそこにいる女たちは、美女ぞろいということを売物にしている一座だけに、まるでこの楽屋は花畑のように見える。
にもかかわらず伽羅は、群星の中に玲瓏《れいろう》たる一輪のおぼろ月のようであった。
伽羅は、子供みたいに熱心に聞いた。
阿国歌舞伎の由来や、阿国の素性や、それから世に「かぶき」と呼ばれるわけや。――
これに、にこやかに答える阿国は、もう四十過ぎてはいたが、なお濃艶《のうえん》であった。「かぶき」の語源について答えたのは、山三郎だ。それによると、かぶく[#「かぶく」に傍点]とは傾くということで、また風変りなこと、ふざける、悪戯《わるさ》をする、という意味だそうだ。
「ま、馬鹿踊り、きちがい踊り、ということでござりましょうな」
と、山三郎は笑った。
「何しろ、女に男の姿をさせて踊らせるのですからな」
男姿とはいうものの、それはあまりに華麗だ。
「ああ、この姫君さまに、いちどあの衣裳をお着せして見たい!」
と、阿国がいったとき、踊り子の一人が駈けて来た。
「和尚《おしよう》さま、出番です」
だれのことかと思ったら、阿国のことらしいので、伽羅は笑い出した。この一座では座長を和尚と呼んでいたのである。
舞台から、いままで踊っていた斑鳩太夫が下がって来た。代って阿国が、もうその場できっと威儀を正し、スルスルと舞台のほうへ出ていった。笛、鼓の音《ね》が急霰《きゆうさん》のように昂《たか》まった。
「山三《さんざ》どの」
と、呼んだのは、葛城太夫だ。
この妖艶な太夫の名を、もう四回も見物に来た伽羅は知っているが、しかし彼女が浅野紀伊守という大名をパトロンとしていることまでは知らない。――「歌舞伎《かぶき》年表」には、「慶長十四年、浅野幸長、葛城という歌舞伎太夫を購《あがな》う」と、ある。
「いま、和尚さまが申されましたが、ほんとうにこの姫さまの歌舞伎姿を見たいとは思われませぬかえ?」
「たわけたことを!」
と、小波がつぶやき、お弦が伽羅の袖をひいた。
「伽羅さま、もうあちらへ参りましょう」
彼女たちは、歌舞伎見物はともかく、こんなところまでやって来たことを後悔している。これでは、四天王の女郎屋遊びも怒れない、とまで考えていた。
しかし伽羅は、ウットリと若衆姿の葛城太夫や斑鳩太夫に見とれた。決して軽佻《けいちよう》な性質ではないが、伽羅には、ちょっとそんな姿をして見たいといういたずらッ気がたしかにあった。
――なんぞ知らん、この妖異にして絢爛《けんらん》たる女ばかりの楽屋に、彼女を罠《わな》にかける陰謀の巣が張ってあったとは。
「左様さな」
たった一人の男、名古屋山三郎は笑顔で伽羅を見まもったが、そのきれながの眼の中に、一抹《いちまつ》の憂鬱《ゆううつ》の翳《かげ》があった。
[#改ページ]
花の蜘蛛《くも》の巣
――その日は、小波とお弦にとめられたのと、伽羅自身もまだ決心がつかなかったのとで、おんな歌舞伎の衣裳をつけることはあきらめたけれど、とうとう伽羅がそれをやって見たのは、それから数日後、彼女が五度目に阿国一座を見物に来たときであった。
その日の興行がはねたあと。――
「ねえ、お姫さま、いちどこれを着て御覧にならない?」
と、またいい出したのは斑鳩太夫であった。彼女は、踊りの衣裳をぬいだばかりのところであった。
「またおかしなことを勧める」
と、小波が、女芸人のなれなれしさに顔をしかめて舌打ちし、
「姫君にそんなものをお着せして、どうしようというのです? まさか舞台に出よというのではありますまいね」
「舞台はもう終りました。……いっそ、それを着て、お屋敷にお帰りあそばしたら?」
と、阿国がいった。
「そして、お父上さまにそのお姿を見せてあげて下さいましな。――」
「途方もないことを!」
と、お弦がさけんだ。
「あいや、それは面白い」
名古屋山三郎までが、笑いながらいい出した。
「直江山城さまなら、世に聞えた大風流人、決してお怒りなされますまい。必ずや手を打ってお笑いなされ、姫君のあで姿をめでたもうでござりましょう」
この阿国の亭主で、一座の演出家たる山三郎が、そんな立場の人間とは思えない考え深さと頼もしさを持った男であることは、小波やお弦も感得していた。どうやら元は武士であったらしいが、そう聞けばいかにもと思われるところがあった。
「何なら、私がお屋敷にお供いたしましょうぞ」
「では、ちょっとだけ着せて見て」
ついに、伽羅はそういった。
彼女もまた、あの父に見せてやったらきっと破顔一笑するだろう、と思ったのだ。
女たちは、わっとどよめいた。そして、それまで斑鳩の着ていた衣裳を、斑鳩はもとより、阿国、葛城太夫も手伝って、伽羅に着せつけた。
数十分過ぎて。――
「アア……」
それまで、このなりゆきをイライラ、かつオロオロと見守っていた小波とお弦も、そこにゆらりと立った別の伽羅を見て、何もかも忘れて感嘆のさけびをあげた。
紅梅の小袖《こそで》に金欄《きんらん》の袖無《そでなし》羽織をつけ、いらたか[#「いらたか」に傍点]の数珠《じゆず》を首にかけ、白鮫鞘《しらさめざや》の刀をさし、そして若衆髷《わかしゆうまげ》にゆいあげたその姿は、さっきまでそれを着ていた斑鳩太夫そっくり、というより、その斑鳩までが、これまた、「アア」と吐息をついて見とれるほか芸はないようであった。
そこにいたものすべてが、しばし恍惚《こうこつ》の眼になって――やがて、ガヤガヤと嘆賞の語を交わし、さて、山三郎が、
「では、お送りいたしましょう」
と、楽屋の裏口に立った。そのとき彼は、壁に立てかけてあった小道具の槍《やり》をとった。
出雲の阿国一座は、四条河原にちかい陀経寺という寺に宿泊していたのだが、そことの往来は、ふだん、むろん徒歩だ。が、彼は、きょうはほんとに伽羅を伏見の上杉屋敷へ送ってゆくつもりらしく、先刻|駕籠《かご》をそこへ呼ばせていたのである。
女たちに送られて、裏へ出る。
暮れるに早い秋は、すでに河原を黄昏《たそがれ》に染めて、ただ鴨川の流ればかりが、さざなみの光を砕いている。さっきまで蜂《はち》の巣みたいな喧騒《けんそう》にゆれていた一帯は、いつのまにか群衆が波のように去ったあと、小屋をしまう男衆たちがチラホラ見えるだけであった。
伽羅を乗せた駕籠と、その左右に従った山三郎と、小波、お弦は、灯のともり出した京の町に沿い、下っていった。
すると、やがて伏見の手前の松並木まで来たときだ。
「待て」
半月の上った薄闇《うすやみ》の前方に、三つの影が立った。
三人とも、黒い頭巾で顔をつつんでいたが、声を発したのは、まんなかの影らしい。背に長剣を背負っているその男が、つかつかと寄って来て、
「その駕籠を置いてゆけ」
と、押し殺したような声でいった。
「うぬら、何者だ?」
「聞いたとて、無用だ。みんなあの世へ送ってやる。見ろっ」
声とともに、こちらの駕籠の先棒が唐竹《からたけ》割りになり、駕籠は地ひびきたてて地に落ちた。この乱暴な襲撃者の、背からなぐり落した長剣が、しかしぱっと飛びずさって、改めて構え直された。
山三郎の槍が、ピタリとその胸につきつけられたからである。
名古屋山三郎が、伽羅を送るにあたってそんなものが要るようになろうとは、事前に予測していたか、どうか。――とにかく彼は、槍を持って来た。
とはいえ、それはまるで護送者として恰好《かつこう》をつけるためだけの支度としか思われなかった。槍といっても朱の房などついた、女が舞台で踊るときの小道具であったからだ。
もっとも、たしかにほんものの穂はある。――それを構えて、
「お……おぬしは細川家の佐々木小次郎どのではないか!」
と、山三郎はうめいた。
あっ……というさけびをうしろであげたのは、お弦であった。彼女は、江戸の五の蔵地でのあの決闘事件の際、佐々木小次郎を知る機会を持ったのだ。
もう一人の駕籠かきが、たまぎるような悲鳴をひいて、こけつまろびつ逃げていった。
「これ、そなたら、早くお屋敷へいって、人を呼んで来て下され」
と、山三郎がいった。小波たちに対してだ。
「そなたらがいても、何にもならぬ。それより、助《すけ》ッ人《と》を早く――それまで、わしが支えておる。こう見えておれは――槍仕《やりし》槍仕は多けれど、名古屋山三は一の槍、といわれた男じゃ!」
が、二人は動こうともしない。伽羅さまを捨てて、逃げられるものではない。二人は懐剣を握って、きっと立っている。
「馬鹿っ」
と、山三郎は、おんな歌舞伎の亭主にはあるまじき叱咤《しつた》を投げた。
ついに、お弦と小波は、そこから離れて駈け出した。佐々木小次郎がいかに恐るべき使い手か、ということを知っているのはお弦だけだが、とにかく二人は、一刻も早く屋敷から人を呼んで来るほかはない、と決意したのだ。
「待て」
小次郎の両脇の黒頭巾が二人、それを追おうとした。
「ええ、それより早く、その駕籠をさらえ!」
と、小次郎はさけんだ。そのためにつれて来た細川家の侍であった。
が、駕籠わきに立った名古屋山三郎の槍は、その男たちを釘《くぎ》づけにした。さしもの佐々木小次郎も、月光に銀蛇《ぎんだ》のようにひかる穂が、おのれの眼の中へ飛び込んで来るような気がした。
自分の正体は見ぬかれたようだ。それを上杉家に告げられてはちと困るが、しかしそれでもたいしたことはない、と彼は判断した。
小次郎は、駕籠の中の女を、てっきり斑鳩太夫だと思いこんでいたのだ。彼は、さっき、四条河原の出雲の阿国一座の楽屋の裏口から、たしかに斑鳩太夫がその駕籠の中にはいるのを、遠い小屋の蔭から目撃した。
彼は、いつぞや楽屋にゆく三人の女性を見て、その中の一人が顔見知りの直江家の侍女お弦であったことから、それが山城守の息女主従であることを知った。だから、ふつうなら、いま駕籠の中にいるのはその姫君のはずなのだが、しかし、てっきりそれは斑鳩太夫だと思い込んだ。姫君は阿国らとまだあとに残っているのだろうと考えた。
何しろ、直江山城守の息女が、華麗は華麗だが、身分いやしきおんな芸人の扮装《ふんそう》をしようとは想像を超えている。
それに彼には、きのうも楽屋におしかけて、山三郎と、斑鳩太夫をもらいたい、いやそれはお許しに相成りたいという押問答をくり返したという事実があったので、ひょっとしたら山三郎は、斑鳩太夫を上杉屋敷にかくすことを思いついたのではないか、と考えたのだ。直江山城という人物は、まかりまちがうとそんな依頼をひきうけかねないところが、たしかにあった。
佐々木小次郎は、どうしても斑鳩太夫を奪わなければならない事情があった。それは、ある向きから命じられた、彼にとって絶対的な任務であった。
ただ、細川家の若殿与一郎忠隆に、その女を与えるためだけではない。――
いや、たしかにその通りだが、与一郎に斑鳩をおしつけて、加賀にいる別れ妻を忘れさせるということに、別の重大な意味があったのだ。
与一郎の父、越中守忠興は、息子がなお前田家の千世姫へのみれん断ちがたいことを恐れた。
それは細川家と前田家という二つの大藩が結びつくことをきらう幕府へのおもんぱかりであった。
両家の婚姻はまだ太閤健在のころであったが、関ケ原以後、大御所がこのことを嫌悪《けんお》していることを、戦国を生きぬいて来た忠興は敏感に読んだ。
この慶長十年代のころにあっては、加賀の前田家はまだ徳川にとって、きわめて危険な存在と目されていたのである。
忠興が、息子から、その妻を強引に別れさせたのは、ガラシャ事件が原因ではなく、実は右の事情が理由なのであった。
にもかかわらず、愚かなる息子は、まだ加賀の恋妻のもとへ這《は》い寄ろうとしている。――
そこへ、本多家に仕えていたという佐々木小次郎なる者が現れた。
忠興は、たしかに佐々木の剣技をも認めたが、それより、彼が本多家に仕えていた人間であるということを見込んで召し抱えた。
この剣士が、ただ無意味に細川家に売り込んで来たわけがない。何か秘命をかかえている――と、見た忠興の眼に狂いはなかった。
探りをいれてみると、佐々木はどうやら細川家と前田家の完全分離、すなわち長子与一郎が千世姫に近づくことを断つべく、本多佐渡から命じられているらしい。それはまた忠興自身の望むところでもあった。
かくて、両者合体しての、千世姫の代用品としての斑鳩太夫奪取事件とはなったのだ。
この物語に登場するほかの大名の例でもわかるように、大御所と本多佐渡の疑い深い眼から、何とかしてそれぞれの家を守ろうとする大名たちの苦心|惨澹《さんたん》ぶりは、細川家もまた例外ではなかったのである。
とにかく、佐々木小次郎としては、誘拐《ゆうかい》するのがしょせんおんな歌舞伎の踊り子なのだから、あとで自分の正体がばれたところで大した問題になるはずがない、と、たかをくくってこの挙に出たのだが。――
いま、それを防ぐべく槍をもって立ち向って来た名古屋山三郎の構えを見て、はっとした。
この男が相当の使い手だということはすでに見抜いていたが、これほどとは思わなかった。それは明らかに何度も戦場を往来し、おびただしい敵を斃《たお》して来た槍であった。
「おぬし……出来るな!」
小次郎の眼が、しかし次第に異様な光を帯びて来た。
彼はそれまで、この名古屋山三郎なる男をどうしようという明確な決意を持っていなかったのだが、いまその槍を見て、はじめてこの敵斃さずんばやまずという純粋な剣の野心――快楽といっていい――に燃えあがって来たのであった。
妖剣物干竿《ようけんものほしざお》が、その眼とともに、月光にこれまた異様な光芒《こうぼう》をはなち出した。
名古屋山三郎は、しかしはじめから直江山城守の娘伽羅をさらわせるつもりであった。自分でも、実に感心しない行為だと承知している。
そう承知しながら、あえてそんな行為に出たのは――出ざるを得なかったのは、むろん深いわけがある。
日本の歌舞伎の創始者出雲の阿国の夫であり、かつその演出家であったという意味から、同じく創始者といっていい名古屋山三郎という男は、そもいかなる素性の者か。
天正十八年、蒲生氏郷が秀吉から会津百二十万石に封《ほう》ぜられたとき、その地で土豪の叛乱《はんらん》が起った。その中で最も烈《はげ》しい戦いは、敵のたてこもる名生城《めふじよう》の攻防戦であった。
幸田露伴《こうだろはん》の「蒲生氏郷」にいう。――
「――中にも氏郷が小小姓《こごしよう》名古屋山三郎、生年《しようねん》十五歳、天下に名を得た若者だったが、白綾《しろあや》に紅裏《もみうら》打ったる鎧下《よろいした》、色々《いろいろ》糸、縅《おど》しの鎧、小梨打《こなしう》ちの兜《かぶと》、猩《しよう》 々緋《じようひ》の陣羽織して、手槍さげ城内に駈け寄り、槍を合わせ、目ざましく働きてよき首を取ったのは、猛《たけ》きばかりがいのちの武者どもにも嘆賞の眼を見張らさせた。
当時この戦《いくさ》の功をたたえて、『槍仕槍仕は多けれど、名古屋山三は一の槍』と世に謡《うた》われたということだが、まさにこれ火裏《かり》の蓮華《れんげ》」
と、ある。
文禄《ぶんろく》四年、氏郷は病歿した。子の秀行《ひでゆき》がまだ十三歳であったので、蒲生家は百万石から十八万石に減らされて、会津から宇都宮へ移された。
そのあとに上杉景勝が封ぜられたのである。これを上杉の策動によるものと邪推して、蒲生は上杉に不快の感をいだき、その地の回復を悲願とした。
時至って慶長五年、上杉が敗れるや、徳川に協力した蒲生はまた会津の領主となって、いまに至っている。
しかるにこの蒲生飛騨守秀行は、長ずるに従って、父氏郷の勇武の気性が悪く遺伝して、その性残忍酷烈であった。家臣領民を罪するに、好んで火あぶり、釜《かま》ゆでの刑を用いた。
名古屋山三郎は、これと合わずして、蒲生家を去った。――面白いことに、本篇の主人公の一人岡野左内もやはりもとは蒲生家の家臣であったのだが、これまた秀行と合わず、これは関ケ原以前に離れている。
山三郎が蒲生家を去ったあと、いかにして出雲の阿国と相知ったか、いかにして二人で歌舞伎を作りあげたか、ということは別の物語となる。
さて、浅野紀伊守幸長は、京に近い和歌山の大名であったから、早くからよく見物に来て、ついに一座の花形葛城太夫のパトロンとなった。これはまあ、結構なことといえる。
ところが、この春、蒲生飛騨守も大御所とともに上洛して、そのまま滞在しているうちに、一日、浅野紀伊守に連れられて見物に来て、彼は斑鳩太夫に恋着してしまった。浅野に負けぬ気を起したのかも知れない。
山三郎は、こんどは当惑した。――
[#改ページ]
駕籠《かご》は権謀の雲に乗って
山三郎が当惑したのは、蒲生秀行の性格が、一種の凶暴味をおびていたからであった。
斑鳩《いかるが》の意向を打診してみると、蒲生の持物になってもいいようなことをいう。秀行の異常性をまだ身をもって知らないし、やはり大名の浅野をパトロンとしている葛城《かつらぎ》太夫に、これまたライバル意識を持っているらしい。――
ただし、和歌山を所領とする浅野とちがって、会津の蒲生では阿国《おくに》一座とまったく縁の切れるおそれがあり、その点気のすすまないところもある。とにかく親方のお気持にすべて従う、と、斑鳩はいった。
山三郎は、どうしても乗気になれなかった。浅野幸長の勇猛はまだ武将の特性のうちにはいるが、秀行はどうも異常だと思われるふしがあったからだ。
だから、この問題については、彼はただあいまいに受け流していた。
すると、この夏ごろから、突然、事はさし迫った。
細川越中守忠興の御曹子《おんぞうし》与一郎忠隆もまた斑鳩に懸想《けそう》し、是非申し受けたい、と、その家来佐々木小次郎なるものがいって来たのだ。
それで、逆に斑鳩太夫を、いよいよ蒲生にやらなければならないことになった。先約のある――しかも一座の葛城太夫のパトロン浅野と親交があるという縁もある――蒲生飛騨守を無視して、斑鳩を細川に渡すことなんか出来ないのだ。何よりも、ともかく元の主人というしがらみがある。
とはいえ、いざそうするとなると、こんどは細川家のほうで黙って手をひくとは思えない。細川と蒲生、いずれも室町《むろまち》のころからの名門だけに、特に対抗心がはげしいことは、蒲生に仕えていた山三郎は充分承知している。
だいいち、あの佐々木小次郎というのが、みるからに剣呑《けんのん》なやつだ。
さて? と、さすがの山三郎が苦慮しているとき、
「このごろ、上杉家の直江山城の娘が見物に来ておるぞ。――あれを斑鳩の代りに細川にさらわせろ」
という案が、浅野紀伊守から持ち出されて来た。葛城太夫を介してであった。
浅野は、むろん蒲生の斑鳩への執念を知っている。しかし、このことについて、それまで別に口添えなどして来なかったのに、突如、途中からそんなことをいい出したのである。
「そうすれば、斑鳩は蒲生のものとなる。――」
細川が別人をさらって、斑鳩太夫をあきらめるか、という疑問に対して、
「あきらめるも何も、そんなことをすれば、細川は上杉との喧嘩《けんか》で、もう斑鳩どころではあるまい」
というのが、浅野紀伊守の見解であった。
斑鳩太夫をめぐる蒲生、細川の争いを、直江山城の娘を斑鳩とスリ変えることによって、細川、上杉の争いに転化させようという、手品のような智慧《ちえ》で、果してそんなことがうまくゆくのか、という疑問以前に、どうして浅野がそんな突飛なことを思いついたのか、という意外さが先に立つ。
山三郎はすぐにその理由に思い当った。
この春の二条城における刃傷《にんじよう》事件だ。――浅野紀伊守は、あの事件を無念に思って、直江山城の娘をたね[#「たね」に傍点]に、上杉にしっぺ返しをしようとしているのだ!
――浅野幸長の動きは、まさに山三郎の推量通りであった。
二条城事件のあいまいな経過に、彼が激怒したのは前に述べた通りだ。その怒りは、当然であった。
ただ、その怒りを直接に上杉にぶつけようとして伯母高台院に水をかけられ、上杉と刺しちがえるような愚行は許さぬ、浅野家に傷がつかぬように復讐《ふくしゆう》せよ、と忠告されたときから、彼の怒りはねじれたものになった。
この世で一番尊敬していた伯母の陰火のごとき呪詛《じゆそ》を知って、彼は戦慄《せんりつ》した。吐き気すらおぼえた。しかも――それまでの行動のすべてがそうであったように、結局彼は伯母の指令に従ったのである。
かつての蔚山籠城《ウルサンろうじよう》の勇将は、陰謀家になった。そこに至るまでの彼の懊悩《おうのう》は――この物語のこの時点から二年もたたないうちに、彼は三十八の若さで死ぬのだが、それはこのときの心の痛みが遠因ではなかったか、と思われるほどであった。
浅野は暗闇《くらやみ》にかくれて、直江山城に仕返しをするにはどうすればよいか?
その策に腐心しているとき、果然、彼は、出雲の阿国一座を見物に来る山城の娘伽羅を見た。彼の眼は、餌《えさ》となる小兎《こうさぎ》を見た獣のような光をはなった。
かくて浅野幸長は、右のごとき罠《わな》の計略を、山三郎と阿国に持ちかけたのだ。
女をたねの謀略とは甚《はなは》だ男らしからず、さればこそ幸長が苦しんだのだが、しかし甲家が娘を不仲の乙家に嫁にやったり、丙家が仲のいい丁家の母親を人質にとったり、当時の大名で女をとりひきのたねにしていた者は少なくなかった――その大模範が大御所であったのだから、それほど幸長は悩む必要はなかったといっていいかも知れない。
ともあれ、その夕《ゆうべ》、伽羅は無邪気に斑鳩太夫の衣裳をつけて四条河原から連れ出されたけれど、事がそこまで進むには、浅野と蒲生、山三郎と阿国一座の女たち、すべて苦心の合作によるものなのであった。
その前日、佐々木小次郎は山三郎に、斑鳩太夫の件についてまた申し込み、こんどはとどめに近い拒絶を受け、刀をたたいて立ち去った。山三郎は、ここ一両日のうちにも小次郎が斑鳩太夫を奪う行動に出ることを予測した。予測というより、それを計算にいれた。
佐々木小次郎は小次郎で、まったく別の謀略から斑鳩太夫をさらうことを決心したのだが、その小次郎もまた名古屋山三郎の謀略に乗せられていたのだ。
こんな所業をやりながら、山三郎が憂鬱《ゆううつ》な顔をしていたのは、どうにも寝覚めの悪さからのがれられなかったからだが、しかしどう考えても、蒲生と細川の板ばさみをかわす法はほかにありそうにない。
ただ――こんな謀略が、ほんとうにうまくゆくのか。
伽羅を細川家にさらわせたところで、あとで人ちがいとわかって直江家に返されたらそれまでではないのか。それで斑鳩のほうは一件落着というわけにはゆかないではないか。
いや、だいいち、いま山三郎は、佐々木小次郎に襲われて、その魔剣を防げるのか?
――いちどは、山三郎の槍に射すくめられたかのように立ちすくんでいた小次郎が、やがて、にやっと笑ったときから、事態は一変した。
山三郎は槍を持っている。が、それは女が使う舞台用の手槍に過ぎない。しかも、手許《てもと》に余す部分をひけば、いま小次郎が徐々に八双に構え出した長剣と、そんなにちがわない。
が、そんなことより山三郎は、この相手が、いままで戦場で逢《あ》ったどんな強敵よりも恐ろしい敵であることを知った。それは以前から見ぬいていたつもりであったが、いざ剣を構えた姿はまた別であった。
しかも、この男は、明らかに自分を斬《き》る気になった! 刀を抜き、殺気に燃えた小次郎は、すでに人間外の何かに変った。
「そっちに廻ってくれ」
と、彼は左右の黒頭巾にいう。
「いや、その男のうしろではない。こやつは拙者一人で充分だ。その駕籠を早くかついでいってくれということだ」
笑みさえふくんであごをしゃくり、それに従って二人の男が駕籠の前後に廻るのを見て、もはや山三郎はどうすることも出来なかった。
「河原|乞食《こじき》には惜しい。おれの剣がわかったようじゃな。――わかっても、もう遅いっ」
八双に構えた長剣が、月光にキラとひかった刹那《せつな》、バサ! と、異様な音がした。
駕籠のうしろに廻りかけていた二人の男――細川家の侍――が、二人とものけぞり、その背に矢が突き刺さっているのが、小次郎の眼に見えた。
――やっ?
はっとして、ふり返る。
道の向うに、十数人の黒影が立ち、それが半弓らしいものをならべているのが、これまた月を浴びてはっきり見えた。
いつ、そんなものが現れたのか。方角は伏見の方角にあたるが、さっき直江家の侍女がそちらへ逃げていったけれど、上杉屋敷から救援に駈けつけて来たにしては早過ぎる。――
と、首をひねる前に、小次郎は猛然とそちらへ突進しようとした。
「危いっ」
またうなり過ぎる数条の矢風の中に、名古屋山三郎がさけんだ。
そして小次郎の足を封じたのは、矢よりも、その次の山三郎の声であった。
「射るなっ……直江山城どのの御息女は、まだこの駕籠に乗っておわすのだぞっ」
「な、なに?」
びっくり仰天したのは、半弓の射手より佐々木小次郎のほうだ。
「山三郎、そりゃまことか」
「なんで、私がそんな嘘《うそ》を」
「しかし、おれがさっき四条河原で見たのは、たしかに斑鳩太夫。――」
「いや、あれは歌舞伎の衣裳《いしよう》をつけた伽羅姫さまでござる。――御覧なされ!」
山三郎は、駕籠の垂れをひきあげた。
小次郎は、かっと眼をむいた。月光を浴びて人形みたいに坐っているのは、まさしく直江山城の娘、伽羅であった!
――と、また、彼らの頭上スレスレに、十数本の矢が凄《すさ》まじい音をたてて飛び過ぎた。
「こりゃいかん。……佐々木さま、逃げましょう!」
山三郎は、槍をかかえて、一目散に逃げ出した。弓鉄砲に槍がかなわないのは当然だが、ちと無責任でもある。
つり込まれて、さすがの小次郎もそのあとを追った。矢の雨には物干竿もいかんともしがたいことはこれまた同様だが、しかし小次郎を逃走させたのは、何より、自分のさらおうとしたのがとんだ人ちがいだったという驚愕《きようがく》と狼狽《ろうばい》のせいであった。
何が起ったかわけがわからず、伽羅がめんくらったのは当然である。
第一の襲撃者は、その正体も知らず、どうやら自分をさらおうとしたらしいが、その意図も不明であった。あとになって、斑鳩太夫とまちがえられたとわかったが。
第二の集団は――これは彼女はてっきり上杉屋敷から助けに来てくれたものと思っていたが――第一の襲撃者が逃げ去ったあと、この集団に駕籠ごとかつぎあげられて、どこかへ運ばれかかって、はじめて上杉の者ではないことに気がついた。
彼女がそれまでさけび声ひとつたてなかったのは、自分が女芸人という異装をしているから、それを恥じてのことだ。
伽羅ははじめて、自分が軽はずみにそんなまねをしたことを後悔した。こんな思いがけない危難にめぐり逢ったのは、自分の酔狂に、てきめんに罰《ばち》があたったのだ。
駕籠は北へ飛んでゆく。それをとりまく跫音《あしおと》から、誘拐者は数十人だとわかる。……伽羅はまだ京都の地理をよく知らないが、いわゆる東山に沿って駈けてゆくらしい。
……そして、やがて下ろされたのは、京の町中ではなく、もう山の中といっていい、大|竹藪《たけやぶ》を背にした山荘風の建物の前であった。
「……ここはどこじゃ」
「…………」
「お前たちは何者じゃ……」
「…………」
「何のために私をここへ連れて来たのじゃ?」
何を聞いても、答えない。
さすがに覆面はとっているが、なお仮面をつけたような無表情で、屈強な武士ばかりが影のようにまわりに動いている。やがて、伽羅の坐っている座敷に灯を運んで来た女も、まるで唖《おし》のようであった。
数十分ののち、四、五人の家来をつれて一人の大身《たいしん》らしい武士が姿を現した。……これは頭巾《ずきん》をつけて、眼ばかりのぞかせている。
「これが、直江の娘じゃな」
「御意《ぎよい》」
と、家来の一人が答えた。
「衣裳が変っておるので、見まちがえる。――」
刀を杖《つえ》つき、そのつかに両手を重ねて、立ったまま伽羅を見下ろした眼に、驚嘆の光があった。
「……これは、斑鳩より美しい」
と、思わず、恍惚《こうこつ》とつぶやいた。
これは、蒲生飛騨守秀行であった。
はじめから山三郎と打合わせて、いちど細川家の佐々木小次郎にさらわせたこの娘を、また蒲生家の手でさらうことに相談がきまっていたのである。
ここは、叡山道《えいざんどう》、一乗寺村の蒲生家の別邸であった。
いま会津領主たる蒲生の別邸が、京のこんなところにあることは、世のだれも知らないが、元来蒲生は近江《おうみ》の名族であって、昔から何かと京に縁があった。この一乗寺村の山荘も、氏郷時代に作ったものを、その後なかば捨ててあったのを、秀行が入洛《にゆうらく》したついでに修繕を加えて、また一応住めるようにしたものであった。
すぐ下に、下り松という巨大な松があり、また眼をめぐらせば、白河あたりの寺や森や屋並が見わたせる。――
突然、それまでじいっと見つめていた伽羅がさけんだ。
「……あなたは、蒲生飛騨守どのではありませぬか!」
「おう、存じておるか。――」
相手はさすがに狼狽したようだ。
伽羅は、一年前自分の婚礼に招かれてやって来て、夫を辱《はずか》しめた大名たちの中にこの人物がいたことを、たとえ覆面はしていても、炯眼《けいがん》にも見ぬいたのである。
「知られたとあれば。――」
秀行は、頭巾をとった。蒼白《あおじろ》い、あごのとがった、猛々《たけだけ》しいというより、むしろ凶相といっていい顔が現れた。
伽羅は、きっとしていった。
「蒲生どのともあろうおかたが、なぜこんなことをなさるのですか」
……実はこの娘を誘拐したのは、この娘そのものが目的ではなかったのだが、その解説は甚だいりくんでいるし、また弁明する気もない。
それより蒲生秀行は、別の思いに頭を奪われていた。彼が今宵《こよい》の誘拐に一役買ったのは、むろん斑鳩を手にいれるためだが、その方便としてさらったこの直江山城の娘が、かんじんの斑鳩よりもはるかに美しいとは!
むろん、彼はこの伽羅を、かつて江戸の上杉屋敷でいちど見て、それは承知していたのだが、こう間近く、しかも完全に自分の籠《かご》の中にいれたのを見ては、また格別であった。
「直江山城は、蒲生にとって宿敵じゃからの」
と、彼はぶきみにつぶやいた。
[#改ページ]
闇《やみ》に笑う声
「聞け、直江の娘。……わが父氏郷を毒殺したのは、そちの父直江山城であるぞ。……」
蒲生飛騨守秀行は、陰々《いんいん》といった。
「……ま!」
そんな声をもらしたきり、伽羅はしばらく声もなかった。
――そのような巷説《こうせつ》がささやかれたことはたしかにある。
蒲生氏郷は天正十八年、三十五歳で会津百万石に封ぜられたほどの俊傑だ。そこで同じく秀吉幕下で若き才物として認められていた石田三成と、東北に野心のあった上杉家の謀将直江山城が、蒲生は将来自分たちの邪魔になると予測して、共謀して氏郷に一服盛ったというのである。
――この怪説は後年まで残って、幸田露伴は、それは実にあり得ぬ、卑劣でいまいましい妄想《もうそう》だとし、おそらく氏郷の死はその症状からして腎臓《じんぞう》病だったろうと論証しているが、とにかく関ケ原以後、徳川に媚《こ》びて、三成と山城を悪人に仕立てあげようとする向きから、そんな噂《うわさ》が流されたのは事実だ。
秀行はそばにいたのだから、父の死が病死だということは知っていた。が、父の死後、会津をとった上杉家に対する不快の念は改まっていない。
だから、こんどの謀略のたね[#「たね」に傍点]に、その上杉の大家老直江山城の娘を誘拐《ゆうかい》するのを辞せず、かつ誘拐したその娘を悪意をもってのぞきに来たのだが、それが手品のたね[#「たね」に傍点]どころか、本願の斑鳩太夫など頭から飛び去るほど美しいのを見て、突如彼は変心した。
もともと、淫楽《いんらく》のほうでも凄まじい蒲生秀行だ。彼は伽羅に対して、邪念を起した。
で――いま。
「わが父を殺したのはお前の父」
などいい出したのは、相手の抵抗をねじ伏せるため、かつは自分の良心をごまかすための口実に過ぎない。
「その恨み、いま霽《は》らすぞよ。……」
それはすでに、酔っぱらった男のうわごとのようであった。
「そんな、無体な。……」
伽羅は、反射的に立ちあがり、帯の懐剣に手をかけようとして、それがないのに気がついた。いつも所持している懐剣だが、さっき斑鳩太夫の衣裳を着たとき、うっかりそれを置いて来たのである。
「お恥じなされませ、蒲生飛騨守さまともあろうおかたが。……」
伽羅は壁際に背をすりつけていった。
壁は斑《まだ》らで蜘蛛《くも》の巣がひろがっている。雪洞《ぼんぼり》に照らされて、それを背に立っている姿は、阿国《おくに》歌舞伎の太夫の衣裳をつけたままであった。その異様な対照が、凄惨《せいさん》美ともいうべき美を生んで、飛騨守の脳髄をいよいよ夢魔的な酔いにけぶらせた。
それに、そもそもこんどの誘拐は、斑鳩を手に入れるのが目的なのだから、その一件のめど[#「めど」に傍点]がついたら、この伽羅は返す――そのためには、伽羅自身、何者の手でどこにさらわれたのかわからせないようにするつもりであったのだが――思いのほかに、ズバリとこちらの正体を見ぬかれて、もはやただでは返すに返せない。毒|食《くら》わば皿《さら》まで、という、やぶれかぶれの決断も働いた。
「これ、みなの者さがれ」
と、秀行は、家来たちにとがったあごをしゃくったが、すぐに、
「いや、かまわぬ。みな来て、あの女の手足をとらえろ。……衣服をひきはいで、そこに大の字にひろげるのじゃ」
と、全身を荒れ狂い出した肉欲に、舌なめずりしながら命じた。
四、五人の家来たちが、もののけ[#「もののけ」に傍点]のように寄って来た。……
そのとき、タン! というような音がした。伽羅の右手のそばの壁に一本の短刀が突き刺さったのを見て、みんな、かっと眼をむいた。
伽羅はそれをひきぬき、手にとった。
飛騨守たちは、愕然《がくぜん》としてふりむいた。
庭むきの障子は、さっき縁伝いに飛騨守らがはいって来たときからあいていた。
建物には手を加えたものの、庭は長年放置されたままで、すぐ近くまで大竹藪がひろがって、それが月光にゆれていた。まるで水にぬれた紙に、無数の墨痕《ぼつこん》をにじませたようなのだ。
そこに朦朧《もうろう》と、黒白二つの影が浮かんでいるようであった。
「見たぞ、見たぞ。……蒲生飛騨守の悪行《あくこう》。……」
笑うような声がした。
しばし、蒲生主従は声も出なかった。伽羅をさらったときからこの一乗寺|山麓《さんろく》の古山荘に運び込むまで、余人はだれも知らず、まして尾《つ》けて来た者はだれもいないと信じ込んでいたからだ。
「な、何やつだ?」
秀行はさけんだ。
「本多佐渡の倅《せがれ》、長五郎と申すものでござるが」
数瞬、息をのんで棒立ちになったあと、数人の家来が、
「ば、馬鹿な!」
「聞いたこともない名を」
「たとえ、本多の息子としても、それが何だ?」
わめきながら、どっと駈け出そうとした。
「ま、待て。……手出しすな!」
あわてて、秀行は制した。――彼もまた、浅野幸長同様、その奇怪な本多の息子のことは江戸で聞いていたのだ。
秀行の背を、秋風がすうと流れた。彼を呪縛《じゆばく》したのは、忽然《こつぜん》とそんなところに現れた人物より、むろんいま耳にした本多佐渡守という名であった。あらゆる大名の生殺与奪を握っていると見られる、大御所の黒幕たるその名に、神魔のような恐怖をおぼえぬ者はない。
「これは……わけあってのことじゃ。わが父氏郷は、かつて直江山城の毒手に……」
と、いいかけると、
「あれは嘘です。そんなことは飛騨どのも御承知でござろうが」
と、かろくはねつけられた。
「まあ、そう言い張りたければ、好きなようにおやりなさい」
白い影は、冷笑して、かたえの黒い影をかえりみた。
「では、ゆこう」
伽羅は仰天した。
彼女は、その人物にこれで二度逢ったことになる。この前たしか、江戸城のお濠端《ほりばた》で、蜂須賀の手の者に上杉の重宝宋版史記を奪われかかったとき、この白頭巾が出現して、自分たちを助けてくれた。もっとも、その男は地蔵堂の中にいて、彼女にはしかとその姿は見えなかったが。――
あれが、彼女の大きらいな本多佐渡守の息子――いちどは自分の婿になろうとした男だという。それが自分たちを助けてくれたのは意外であったが――いま、その人物がふたたび現れて、こんどは、
「見たぞ、見たぞ」といっただけで、あとは「好きなようにおやりなさい」と立ち去ろうとしている。どうやらふところ手さえしているようだ。
「あっ、待って下さい!」
彼女はさけんだ。
「わたしも、連れていって!」
いかに怪しげな人物にしろ、ここにいるよりはましだ。
藪へ歩みいろうとしていた白頭巾は、ふりむいた。ちょっと考えている風であったが、
「まあ、やめておこう」
と、いった。
「直江山城ほどの人物の御息女が、まさか処置に窮されることはあるまい。しかも、気丈者との噂は承っておる。護身の短刀はただいまお渡しした。それをもって、みずから護《まも》られることを期待する」
笑いながら、藪の中へ、妖々と消えてゆこうとする。
そのとき、庭の向うから、四、五人の影が駈けて来た。――邸の内外で警備に当っていた侍が、何やら異様な気配をはじめて感じて、怪しんでやって来たらしい。
「何者じゃ?」
「く、曲者《くせもの》!」
さけんで、抜刀して、躍りかかった。
それにつられて、これも殺到しようとした座敷の近習《きんじゆ》たちは、次の瞬間、そこにあがった凄まじい音に、みな全身凍りついてしまった。
躍りかかった四、五人が、ほとんど同時に斬られた肉と骨の音であった。
斬った黒い影は、両手に双刀をぶらさげているように見えた。そして彼は、白い影を追って、月光にざわめく竹林の中へ、これまた黒い風のように溶け込んでいった。
「……追え!」
立ちすくんでいた家来たちの中からその声が起ったのは、数分後である。彼らは、はじめて抜刀して、転がるように駈け出した。
蒲生飛騨守は、肉体のみならず脳髄まで氷結したように動かなかった。
……やがて、ノロノロと首だけ動かして伽羅をふりかえった。
伽羅もまた石像のように立ちつくしていたが、秀行と眼が逢うと、きっとして短刀をとり直した。彼女の耳には、いま白頭巾の「護身の短刀はただいまお渡しした。それをもってみずから護られんことを期待する」という、無情かつ壮烈な声が鳴っていた。
「殿……殿っ、無念とり逃してござる!」
息せき切って、二人ばかり駈け戻って来た。
「何たる早いやつ、月明りながら、もう下り松のあたりを、いまの白い影黒い影が、飛ぶがごとく駈け下ってゆくのが見えました!」
それから、座敷にあがって来て、一人がいった。
「殿。……なんのためのおためらいでござる?」
髯《ひげ》だらけの、どこか思慮もありげに見える壮漢であったが、これが怒りに泡をかみ出していう。
「拙者、このたびのかどわかしには実は反対でござったが、あのようなおどしを受けてすくみあがったとあっては蒲生の恥、たとえあれがまこと本多の倅であろうと、それが何でござる。しかも、きゃつら、退散いたした。左馬助《さまのすけ》が見ており申す、その直江山城の娘、いまここで犯しておやりなされ!」
と、吼《ほ》えた。
これは蒲生家で名高い――先代氏郷と相撲《すもう》をとって何度も投げつけたという逸話を持つ、西村《にしむら》左馬助という豪傑であった。ふだんは秀行に諫言《かんげん》してはばからぬ剛毅《ごうき》な武士であったのに、よほどいまの突発事には腹を立てたと見える。
秀行の眼が、血光をはなって、伽羅のほうへ、一歩寄ろうとした。
と――どこかで、
「見ておるぞ。蒲生飛騨守の悪行、ここで見ておるぞ。……」
という声が流れて来た。
あっ、と、そこにいた者すべてが、耳鳴りではないかと疑うように耳に手をやっていた。
いまの声は何だ? 先刻の黒白《こくびやく》二人は、たしかに遠く山道を駈け下っていったのを見たのに。――
「蒲生の家を潰《つぶ》すつもりなら、好きなようにやれ」
虚空《こくう》に、笑うような声はひびく。
「屋根じゃ!」
秀行がさけび、みんな庭へ飛び出した。が、屋根の上には、ただ白い寒月が風に吹かれて浮かんでいるばかりであった。
「伽羅さま」
伽羅は、床下から聞えて来る声を聞いていた。
「私がお護りいたしております。当分ここにいて、蒲生をからかっておやりなされ。……」
「……佐助!」
伽羅はさけんだ。
声はひくかったが、その顔は、灯がともったように明るくなった。
ただ、この大難に守護神が現れたという歓喜ばかりではない。それは、江戸を立つ前、忽然と姿を消した、彼女の最も信頼している草履取り三宝寺勝蔵の声であったからだ。
あのとき伽羅は、勝蔵の消失について、当座は夜も眠れないほどであった。どうして彼がいなくなったのか、まったく不可解であった。しかし、伽羅は、あの男が死ぬはずはない、きっとまた姿を見せるにちがいないと信じ切っていた。
伽羅は、胸の鼓動を抑えて聞いた。
「佐助。……あの白頭巾は、お前であったのかえ。……」
「まさか。――」
床下の声は笑った。
「あれはまさしく、本多佐渡どのの御子息長五郎どのでござる」
「何でもよい、わたしを早くここから連れていっておくれ」
「それが出来ませぬ。本来なら殺さるべき命を助けられた長五郎さまのお許しあるまでは」
「えっ」
「何にしても、拙者がお護りいたしておりますれば、お心安らかにここに暮しておわしませ。それが、かかる馬鹿げたことをやった蒲生を、かえって苦しめることになるのでござります。さっき長五郎どのが、伽羅さまが処置に窮されることはあるまい、と申しましたが、あなたをさらって処置に窮するのは、蒲生飛騨守なのでござります。フ、フ、フ、フ」
秀行たちが、座敷に戻って来た。
「何を話しておる?」
と、伽羅をにらみながら近づいて来たが、西村左馬助が、突如、
「しやっ、曲者は床下におるぞ!」
と、絶叫した。
と、また、たしかに屋根の上から、
「見ておるぞ、見ておるぞ。……」
笑い声が、風に高鳴る。
「これ、そこにおる西村左馬助、故氏郷どのからあれほど不肖の息子のゆくえを頼まれながら、お前はここで蒲生家を滅ぼす気か」
西村左馬助は満面|蒼白《そうはく》になった。
「本多の眼がついておるということを嘘《うそ》だと思うなら、いまただちに伏見へ人をやって、本多の屋敷にいって見よ。その門のわきに、色紙が一枚|貼《は》りつけてあるはずじゃ。それには、氏郷公の辞世が書いてある。かぎりあれば、吹かねど花は散るものを、心みじかき春の山風《やまかぜ》。……」
秀行もふるえ出した。
「嘘でない証拠に、それは三日たっても四日たっても、本多家の手ではぎとられることはない。……追って沙汰《さた》するまで、せっかくさらって来た直江山城の息女を、ここで養え。鄭重《ていちよう》に扱うのだぞ。……」
「恋敵《こいがたき》」細川を上杉とかみ合わせ、そのすきに悠々と斑鳩太夫をおのれのものにしようと計った蒲生飛騨守の背中に、その手品の種としてさらったつもりの直江山城守の娘が、背負いつづけるわけにもゆかず、下ろすこともならず、磐石《ばんじやく》の重みとなってのしかかることになった。
しかし、その作戦に関するかぎり、それはみごとに図に当っていたのである。
その夜、小波とお弦の急報に、おっとり刀で上杉屋敷を飛び出した直江四天王は、伏見街道の路上に、斬り倒された駕籠かきやら、矢を射られて死んでいる素性不明の侍やらを見出したが、伽羅の乗っていたという駕籠がないのを知って、二度、三度、全員宙返りするほど仰天した。
――襲って来たのは、たしかにあの佐々木小次郎。
というお弦の証言に、彼らは嵐《あらし》のごとく細川屋敷へ駈けつけていった。――
[#改ページ]
告知状
主権者の所在地を冠《かん》して、「鎌倉幕府」とか「室町幕府」とかいうなら、太閤は晩年大坂城よりむしろ伏見城にいることのほうが多く、歿したのもその城だったくらいだから、短い期間だが、「伏見幕府」時代といっていい時期がたしかにあった。
そのときに、城をめぐって建てた諸大名の屋敷はいまもあり、大名たちが何かの用あって上方《かみがた》に上ったときは、多くこれを利用する。
細川屋敷もむろんその中にあったのだが、その門前で、時ならぬ大音声《だいおんじよう》がとどろき出した。
「佐々木小次郎、佐々木小次郎っ、なぜ直江山城どのの御息女をさらったか!」
「返せ! 一刻の猶予もまかりならん、早く返せ!」
「小次郎、出て来い。うぬが細川家の家来となっておることは承知しておるのだ」
「越中守どのはおわすか。おわすなら、ここに姿を見せられい!」
細川越中守はいた。彼もまたこの春上洛して、それ以来、息子の与一郎忠隆の問題の始来がつくまでは、と、そのまま在京していたのだ。
この夜ふけの大音声に、越中守はかっとなり、しかし押しかけて来たのは、音に聞えた直江四天王らしいと知り、さらに新参の佐々木小次郎が何かやったな、と思い当り、夜にはいっていたが、小姓たちを従えて、門まで出て来た。
「出て来ぬと、この屋敷もろとも踏みつぶすぞっ」
わめいているのは四人の男で、そのうしろに二人の女の姿も見えた。四人の男の形相《ぎようそう》もただごとではないが、女たちもまた、いまにもひきつけを起しそうな顔色をしていた。いうまでもなく小波とお弦で、彼女たちは、伽羅といっしょにおんな歌舞伎へいったばかりにきょうの災《わざわ》いを招き、しかも駕籠わきについていながら、みすみすさらわれてしまった責任感に、身も世もあらぬ苦悩にかりたてられているのであった。
「おう、越中守どの!」
小姓のかかげる短檠《たんけい》の中に浮かびあがった顔を見て、ヒョット斎はさけんだ。彼は、細川忠興の顔を見知っていたのである。
「前田慶次郎よな」
と、越中守は苦《にが》り切っていった。
「夜中何事じゃ、この騒ぎは?」
「何事じゃとは、何事でござる?」
ヒョット斎は猛然と吼え、それから、さきほど伏見街道で直江山城の息女伽羅姫が、当家の家来佐々木小次郎にさらわれた顛末《てんまつ》を説明し、その目撃者はちゃんとある、と、女たちにあごをしゃくった。
「な、なんのために細川家がかようなことをなされしや、そのわけを承ろう。いや、それよりも、佐々木小次郎なる者をここへお出しなされい!」
細川越中守の顔は、その内心の複雑な動揺をありありと見せていた。
越中守にとって、これはまったく寝耳に水の出来事であった。彼にしてみれば、ヒョット斎がねじこんだように、直江山城の娘を誘拐する理由もなければ、そんなことをさせたおぼえはない。だから、ここへ出て来るまで、頭から湯気の立つほど立腹していたくらいである。
しかし、一方で彼は、佐々木小次郎が、出雲の阿国一座の斑鳩太夫をどうにかして息子の与一郎に与えたいと努力していることは承知していた。それは忠興自身も切望し、焦燥していたことであった。
だから、いま直江四天王が推参したのは、決してあらぬいいがかりをつけに来たのではない。――何かあったのだ。例の件では佐々木が、「万事拙者におまかせなされ」と馬鹿に自信ありげに胸をたたいて承《う》け合ったものだから、すべてをまかしたが、その小次郎の手はずが何か狂ったのだ、と、やがて推察しないわけにはゆかなかった。
「余は、左様なことは知らぬ。――小次郎もここにはおらぬ」
と、忠興はついにいった。
「佐々木小次郎は――おそらく鳥辺野《とりべの》の、倅与一郎の浪宅におるのではないかと思う」
彼は、そういうよりほかはなかった。
「細川家が、直江どのに左様に無体な所業を働くいわれがない。これは何かのゆきちがいによることと思う。ただし、念のため、確かめたければそこへいってくれ」
大名中でも俊傑の評判高い細川忠興が、沈痛な表情でそういうのを聞いては、四天王も顔見合わせるほかはなかった。
「鳥辺野のどこでござる?」
「延仁寺《えんにんじ》裏じゃ」
四天王たちは、黒い颱風《たいふう》みたいに駈け去った。
「直江衆か」
天空から、声が降って来た。
地ひびきたてて駈けて来たヒョット斎らは、近所の者からあれだと聞いた、めざす家の屋根の上に、白い半月をうしろに長剣を背に負った胴羽織の姿が立っているのを見て、一息、二息ののち、
「やっ、佐々木小次郎!」
と、さけんだ。
「おう、例のめんめんじゃな。あるいは貴公らがこの鳥辺野に来るかも知れぬ――いや、きっと押しかけて来るだろうと思って、待っておった」
と、小次郎は空でいった。
「この屋敷には、だれもおらぬ。……直江どのの御息女もおられぬ」
彼には珍しく苦悶《くもん》にねじれる声であった。
「なに? 伽羅さまはおられぬと? では、どこにやった?」
「越中と同じようなことをいう。知らぬとはいわせぬぞ。こちらから何もいわぬうちに伽羅さまのことを口にしたのが、逃れぬ証拠じゃ!」
「うぬは何のために、あんな大《だい》それたことをやったのか」
「猫ではあるまいし、そんなところへ逃げのぼりおって――先ず、下りて来い!」
四人は、虎《とら》みたいに、自分たちもその屋根の上へ駈け上ろうと、焦《あせ》って門や小屋根に眼を這わせて、足ずりした。
「あれは、おれの手ちがいであったのじゃ。……」
小次郎は、しぼり出すようにうめいた。
驕慢《きようまん》な彼が、これほど弱ったことはない。
斑鳩太夫だと思ってさらおうとしたら、直江山城守の息女であったとは、びっくり仰天、そこへ半弓を持ったむれが現れたので、無我夢中で逃げた次第だが、いま思うと、自分は一杯はめられたような気がする。待ち伏せていた自分を、さらに待ち伏せていたのは、上杉か、ほかの手か。名古屋山三郎はどの程度にからんでいるのか。頭の中は混沌《こんとん》と熱い渦が巻いているようだ。
とりあえず、この細川与一郎の浪宅へ逃げ戻って、いや、あれは上杉の者ではない、ちがう向きだ、と考え、その姿もおぼろげに浮かんで来たが、いまそれをたしかめる余裕はない。
とにかく自分の顔を直江の侍女に見られた以上、必ずあの四天王のめんめんは細川家に押しかけるだろう、と思ったが、それについて越中守に何と説明していいのか、その言葉もない。ともあれ四天王は、ついでこっちに向って来るにちがいない、と考えて、一応与一郎や従者たちは緊急避難させ、彼はこうして屋根の上で待っていたのだが、この想定は当った。果然、直江四天王は来た。あれはやっぱり上杉の者ではなかったのだ。
剣のみならず才気の点でも自信があり、ひとにも誇って来たのが、こんな大へまをやるとは、みずからいきどおろしく、かつ細川家に面目を失ったのが恥辱のかぎりだ。
「なに、まちがい? いまさら、何を」
と、車丹波が叱咤するのにかぶせて、
「とにかく下りて来い。おれがこわいのか、佐々木小次郎」
罵《ののし》ったのは、上泉主水だ。さらに、岡野左内に至っては、
「小次郎、わしが貸した金はまだ返してもらっておらんぞ。うぬは借金を踏み倒す気か!」
鳥辺野の幾千の塚《つか》も動けとばかり、大音声をはりあげた。
屋根の上の影は、かっとしたように背の長剣に手をかけたが、しかしそれだけで動こうとはせず、
「とにかく、おれが直江家にいたずらをしかける理由がない。それだけは信じてくれ!」
と、悲痛な声をふりしぼった。自分を罠《わな》にかけたやつを明らかにするまでは、この連中とはやり合えない。
「嘘だと思うなら……左兵衛さまに聞いてくれ!」
抑えようとする激情のあまり、彼は口走った。
「なんじゃ? 左兵衛さま?」
四人は、あっけにとられた。あまり思いがけない名が出て来たからだ。
「そうだ、お前らの主人、直江左兵衛さまじゃ」
「左兵衛さまが、このことに何の関係がある?」
「それも左兵衛さまに聞いてくれ。おれが直江どのの御息女をかどわかすはずのないことは、左兵衛さまが御存知じゃ!」
苦しげにこういいはなつと、佐々木小次郎の影は、ふっと屋根の上から消えてしまった。
伽羅が誘拐されたと聞いたときは、直江山城もさすがに驚いたようであったが、四天王がむなしく帰って来て、鳥辺野の件を報告したときは、もう持前の自若たる温容に戻っていた。
「御苦労。……ま、あまり気にせずと待て」
と、彼らを叱《しか》るどころか、慰撫《いぶ》するがごとくいう。
「伽羅を信じよう。あれはわが娘ながら、いかなる運命におちいっても、必ず切りぬける才覚と気力を持っておる。やがて無事に帰って来ようよ」
あとで、ヒョット斎がささやいた。
「二条城刃傷事件の際といい、この事件といい、山城さまは、落着いておわすというより、このごろボケられたのではないかの?」
四人は、心痛のあまり、眼さえおちくぼませていた。お弦はひたすら泣き悶《もだ》え、小波はクルスを捧《ささ》げて、うわごとのように祈りつづけていた。
夜半に至って、左兵衛がブラリと帰って来た。彼は、その夜も例の宇喜多の旧臣のつどいにゆくといって出かけていたのである。
とにかく関ケ原後、西軍の大将連で島流しになったのは宇喜多秀家だけで、あとは上杉でも島津でも罪を許されて今日に至っている。それにつけても、何とか秀家|卿《きよう》も帰還が叶《かな》い、宇喜多家の再興の日を迎えるように運びたい、という望みをかけての集まりというのだから、その家来であった左兵衛の奔走をとめるわけにはゆかない。
四天王も左兵衛の心事を諒《りよう》としてはいたのだが、こういう事件が起ってみると、この直江家の花婿どのが、いつも何やらうわの空といった顔をしているのまでがカンにさわる。
彼らは、かみつくように伽羅の難を左兵衛に伝えた。
「ひえっ」
左兵衛はのけぞらんばかりに驚いた。
「伽羅がさらわれたと? なぜじゃ? 何者にじゃ?」
「それはあなたが御存知だそうで」
と、ヒョット斎がいった。
「えっ、わしが? わしがそんなことを知っておると、だれがいった?」
「佐々木小次郎が」
「佐々木小次郎――ああ、あの本多家の――いや、その後、伊達家に仕えたとかいう――」
「あれが、いま細川家の家来になっておるのでござるが、それが左様に申したので」
「どうして、その男がそんなことをいったのか、わしにはかいもく見当がつかぬ!」
と、左兵衛は眼をパチクリさせた。
そういわれても、四天王自身、佐々木小次郎がなぜあんなことをいったのか、狐《きつね》につままれたような気持であったから、返答が出来ない。ただ、あまりに突飛だから、かえって何か根拠があるのか、という気もして、とにかく引揚げて来たのだが。――
「伽羅さまは、阿国歌舞伎からの帰途、この難に逢《あ》われたとのことで……伽羅さまに阿国歌舞伎の見物を勧められたのはあなたさまとのこと、それで何ぞその向きにお心当りがあるのではないかとも存じ――」
と、ヒョット斎が苦悶にみちた眼を投げると、
「そんなこと、わしに心当りがあるものか!」
と、左兵衛は、めっそうもない、といった顔で手をふった。
しばし、重っ苦しい沈黙が落ちる。――そうはいったが、左兵衛も腕組みして宙を眺めている。例のぽかんとした、うつろな眼だが、それでも誘拐された妻のことを考えているのだろう、と思っていたら、やがて彼はこんなことをいい出した。
「ヒョット斎、わしを鍛えるという、その手段としての例の大名連へのしっぺ返しじゃがの」
「――は?」
「わしたちの祝言の座に来ためんめん――本多、平岡、福島、蜂須賀、伊達、加藤ら、あれらに一泡吹かせる場にわしを連れ出してくれ、ああいう修羅場《しゆらば》のおかげで、わしもだいぶ度胸がついて来たように思う。しかし、まだ浅野と蒲生が残っておるが、これはどうなった?」
「それは」
浅野については、山城守さまからとくに喧嘩するな、と釘を刺されたことがある、とヒョット斎はいおうとしたが、この場合、そんな説明をするゆとりがない。いったい、いま左兵衛さまは何を考えていたのか?
「みんな、もうくたびれたのか」
「馬鹿な!」
憤然として、車丹波はわめいた。
「そんなことより、左兵衛さま。――伽羅さまをどうなさる御所存でござる? いまのいまも、伽羅さまはどこで、どんな目に逢われておるか、われらは腸《はらわた》も九廻せんばかりでござるに、左様なあらぬことを気にかけておられるとは! こ、この――」
と、火を吹かんばかりに、
「ひょうろく玉!」
「わっ、そんなに怒らんでくれ!」
いまにもなぐられそうに、左兵衛は頭をかかえ、
「あれを、わしは信じておるのじゃ。わが女房ながら、伽羅はどんな運命に落ちても、必ず切りぬける才覚と気力とを持っておる。……」
期せずして、山城と同じことをいった。
「しかし、わしも心配しておるぞ。今夜は眠いが、明日からはわしも捜索に加わる。おぬしたちに協力は惜しまない。……」
と、まだひとごとのようなせりふを吐いた。
十日ばかりたった。空は秋晴れからみるみる冬雲に移っていた。日は師走《しわす》にはいった。
やはり伏見にある本多佐渡守の屋敷の門に、さきごろから、「かぎりあれば、吹かねど花は散るものを、心みじかき春の山風《やまかぜ》」という季節はずれの歌を書いた色紙が貼《は》られ、見る者の首をかしげさせていたが、それがある日、別の色紙に変った。
こんどは、歌ではなかった。それにはこう書いてあった。
「来る十二月七日|午《うま》の刻、叡山道一乗寺下り松に山城参上」
[#改ページ]
一乗寺下り松
本多佐渡守の伏見屋敷の門に貼り出された色紙の文句が変ったのは、十二月五日の夕刻のことであった。それを見た蒲生家の者は、一乗寺の蒲生家の山荘にすっ飛んで帰った。
本多長五郎と名乗る怪人物が、その名乗りにまちがいない証拠に、本多家の門に色紙を貼ってあるといい、かつ「追って沙汰するまで直江山城の娘をここで養え」と、ぶきみな嘲《ちよう》 笑《しよう》を投げて去ったあと、むろん、蒲生飛騨守は人をやって確かめさせ、さらにそのあと見張りをつづけさせていたのである。腹は煮えくり返るようだが、そうしないわけにはゆかなかったのだ。
蒲生飛騨守は、まだ山荘にいた。
誘拐した直江山城の娘を、もてあそぶこともならず、返すこともならず、それどころか、彼自身がこの山荘に金縛りになってしまったのだ。
「なに、あさって午《うま》の刻、この一乗寺村へ山城が来ると?」
その知らせを聞いて、彼は、はっとした。
山城とは直江山城のことにきまっている。それが来るとは、伽羅姫を救いに来るという意味にちがいない。
そして、何より彼の肺腑《はいふ》を刺したのは、その告知状が本多佐渡守の屋敷の門に貼り出してあったということであった。
「馬ひけ、浅野のところに参る。……いや、浅野紀伊にここに来るように申してやれ。ひそかにお呼びいたすのだぞ!」
と、彼は、色めき立っていった。
数刻ののち、浅野紀伊守がやって来た。
改めて、右のことを聞き、さらに蒲生秀行から、先日もこの山荘に現れて、以後もなお監視しているとしか思われない本多長五郎のことを聞いて、幸長も衝撃を受けたようであった。
「伽羅姫に近づくとな。……見ておるぞ、見ておるぞ……と、いう声が、どこからか聞えるのじゃ。……」
秀行の言葉に、幸長もぞっとしたように周囲を見廻した。
「わしも、その本多長五郎にはおぼえがある!」
幸長はうめいた。
彼は、いつぞや高台寺の傘《からかさ》 亭《てい》で、高台院と自分の密語を盗み聞きし、しかもからかうような笑い声を残して立ち去ったその人物を思い出したのである。
それがここにも現れたとすれば、あれはやはり妖《あや》かしではなかったのだ。そしてまた、そんな色紙が本多家の門に貼ってあったとすれば、もし本多家が知らないならすぐにひっぺがすはずだから、やはり本物なのだ。
むろん佐渡守や長子の上野介は、もう駿府や江戸に帰っている。しかし、本多家が知らぬとは思われない。いや、本多屋敷にいまいるのは、その謎《なぞ》の次男坊長五郎正重に相違ない。
彼は、何を企《たくら》んでいるのか。いったい自分たちに、何をしようとしているのか?
「しかも、山城参上、とある以上、山城が本多家と?」
「直江山城が本多としめし合わせているというのか?」
二人は、色のない唇でささやき合った。
信じられない。浅野、蒲生でさえ徳川に戦々《せんせん》 兢《きよう》 々《きよう》としているのに、関ケ原で徳川に叛《はん》した上杉が――その責任者たる直江山城が、本多佐渡守の屋敷に、そんな告知状をかかげるとは、この世にあり得べき話ではない。
しかし、それは現実にかかげられた。
いずれにしても、幸長と秀行は――とくに浅野幸長は、自分が闇中《あんちゆう》にひそんで企んだ権謀を、もう一つ別の眼が、笑いを浮かべてじいっと見守っていたことをはじめて知った。思えば、いつかの夜、高台寺傘亭の秘語も聞かれていたのだから、充分あり得ることである。
幸長は、自分の愚かしさに、頭が熱くなって来た。
「ともあれ、直江山城が来るというが、まさか山城一人ではあるまい」
「うむ、例の四天王というやつ。――おそらく、ほかにも手勢を連れて」
こんな語を交わしたあと、蒼白な幸長の顔は、まるで燃え上るように赤くなっていた。
「よしっ、こうなればやる。たとえ本多が浅野をどう思おうと。――」
いままで、彼らしくない陰謀に内心|忸怩《じくじ》たるものがあっただけに、猛勇浅野幸長は、ここでその反作用をひき起した。
彼は、高台院の戒《いまし》めも忘れた。いまの自分のうめきを聞いているかも知れない影のことも忘れた。いや、聞くならば聞け。――それは自暴自棄といってもいい怒りの炎であった。
「何者が来ようと、あの姫は渡してはならぬ。飛騨どの、そちらも蒲生の家を潰す覚悟でおやりなされ」
「いうにや及ぶ」
こちらはもとより少し思慮が足りないのではないか、といわれている蒲生秀行だ。
「七日の午《ひる》までに伏見屋敷の侍ことごとく駆り集めて、ここに来させよう。百人は揃《そろ》えられよう」
と、まなじりを決していう幸長に、飛騨守もさけんだ。
「おう、わしのほうも百人は。――それに、鉄砲隊も繰り出そうか?」
六日に、ヒョット斎たちも、本多家の門の色紙の噂《うわさ》は聞いた。
しかし、むろん、何のことかわからない。
山城とは、だれのことだ? やはり少々気にかかって、主人の山城守にこのことを伝えて見たが、「はて、何じゃな、それは?」と、山城守も首をかしげただけだ。
山城といったって、直江山城とは限らないし、そもそも直江山城の名が、馴《な》れ馴れしげに本多家の門に出る理由がない。一乗寺下り松といっても、はじめて聞く名で、それと伽羅姫を結びつけることは想像を超えている。
一方で、その伽羅を捜索するのに、彼らは死物狂いになっていたのだが。――
むろん出雲の阿国一座の名古屋山三郎にも当夜のことを聞き糺《ただ》しにいったのだが、とにかく佐々木小次郎に襲われ、ついで弓矢を持った黒頭巾のむれに襲われ、無我夢中で逃げ出したことをわびるばかりで、要領を得ない。
狂奔と焦燥の中に、七日が来た。曇りではないが、風が烈しく、墨色の、また銀灰色の雲が潮のように渦巻き流れる朝であった。
その朝早くから、どこかへ出かけていた直江左兵衛が、息せき切って、駈け戻って来たのが巳《み》の刻(午前十時ごろ)のことである。
「おいっ……た、大変なことを聞いたぞっ」
彼は両手をふりまわした。上泉主水が、不眠の血走った眼をむけた。
「何でござる」
「宇喜多の者どもがな。――」
「また宇喜多でござるか」
車丹波が、ウンザリした顔をした。
「うむ、その宇喜多の者どもがな。……三日ほど前、叡山道一乗寺村の八大神社の社家《しやけ》で集まりを開いたそうじゃ。わしはこんどの騒ぎでゆけなんだが――その神社から下のほうに、蒲生家の別荘が見える、という」
左兵衛は、委細かまわずいう。何だかのんきな話をしているようだが、口からは泡を吹いている。
「そこにここ数日、ふしぎなものが見える、と神主が話したので、見ておると――世にもまれなる美女が一人、その庭をゆきつ戻りつするのに、数人の荒武者が心配げに、あとをくっついて歩いておるというのじゃが――よいか、聞けよ、その女が、おんな歌舞伎そっくりの衣裳《いしよう》をつけておったという」
「なんでござると?」
四人は、躍りあがった。聞いていた小波、お弦ものけぞらんばかりになった。
いうまでもなく伽羅はあの夜、その姿で四条河原を出たまま行方不明になったのだ。
「蒲生の別荘?」
いちど、岡野左内が首をかしげたが、
「ええ、蒲生なら、当家に悪事をしかけても不思議はない。それは伽羅さまにきまっておる!」
と、ヒョット斎が吼えた。
「そこじゃ!」
「それゆけっ」
四人は大刀ひっつかみ、雪崩《なだれ》を打って駈け出した。小波、お弦も、まろぶようにあとを追う。
屋敷の外で、また岡野左内が立ちどまり、
「ちょっと待て、左兵衛さまが見えぬが――それに、山城さまにお知らせするのを忘れておった!」
と、さけんだが、
「えい、あんなひょうろく玉を待っておっては日が暮れる。そもそもあの御仁に来てもらってもかえって足手まといじゃ!」
「山城さまには、伽羅さまをお救い申しあげてから御報告すればよいわ!」
車丹波と上泉主水が髪|逆立《さかだ》てて絶叫するのに吹かれて、みんなまたつむじ風みたいに外へ駈けていった。
――実は岡野左内は、左兵衛がこの情報を伝えたとき、たまたま自分の居室に小判を並べるという例の悪趣味の法悦にひたっていたのだが、そのままの状態であとに残された。
直江山城|午《うま》の刻参上。
蒲生と浅野は、てっきりそう解釈している。そのために彼らは昨日のうちに、両者合わせて二百人余の手勢をここに集めた。中には、十余人の蒲生家鉄砲組さえある。
「……来ますっ、やって来ますっ」
最初の物見の侍が馳《は》せ帰って来たのが、巳の上刻であった。
「ただし、今のところ、例の四天王だけらしゅうござるが」
彼は伏見街道まで出張《でば》っていて、その姿を見ると、鉄砲玉みたいに駈け戻って来たのである。そこから北へ京の七条、五条、三条と何か所かに、早足の者のみを選んで物見を置いてあった。
「なに、直江山城は来ぬというのか?」
「ほかに、上杉勢は?」
見えぬ、という返事を聞くと、浅野紀伊守と蒲生飛騨守は案外な顔を見合わせたが、しかし、すぐに色めき立った。
直江四天王がやって来るところを見ても、あの告知状はでたらめではなかったのだ。そして、直江四天王だけでも容易ならぬ強敵であることにまちがいなかった。
「よし、三道の者にその旨伝えよ!」
この蒲生家山荘のすぐ下あたりに、向うの指定した大きな傘松《かさまつ》があり、そこから麓《ふもと》へ三方の道が下っている。逆にいえば――上加茂《かみかも》から花の木村を経て来る道、白河の上流から瓜生《うりゆう》の麓、薬師堂の近くを通って来る道、田中の里から太宮|大原《おおはら》道、修学院を通って来る道。そして三道は下り松のところで合して、雲母《きらら》越えから叡山《えいざん》に至る。
八瀬《やせ》のほうへいってしまう最後のものは論外として、常識的には最初の道筋をやって来ると見ていいだろう。しかし、念のため一応三道に侍を出してあった。
「上加茂にはいって来てござる!」
やがて、その伝令が来た。当然の道程だが、なお四人以外の人数は見られないという。
そして、ついにその四天王が一乗寺村へ近づいて来たという報告があったとき、幸長と秀行は、二百余人の侍たちをその一道に集め、自分たちも立ちあがった。
「これを、どうする?」
蒲生飛騨守は、座敷を見、庭を見た。
座敷には伽羅がいた。
この十余日、毅然《きぜん》として頭をあげていた伽羅も、いまは蒼《あお》ざめている。べつに説明を受けたわけではないが、どうやら四天王がついに自分の居場所を探しあててここへ急行しつつあり、かつ蒲生に浅野までが加わって、おびただしい侍を出して、これを迎え撃とうとしていることはわかる。
庭には一|挺《ちよう》の空駕籠《からかご》が置いてあり、陣笠《じんがさ》をかぶった十人ばかりの侍がそれをとり囲んでいた。
実は直江山城が来たら、その駕籠に伽羅を乗せて、下り松の下へ運ぶつもりであった。そして、これを盾《たて》にして、山城守を土下座させるつもりであった。
伽羅姫の胸に刀をつきつけて見せたら、江戸城で大大名にも頭を下げたことのない高慢な山城がどうするか、その光景を想像するだけで血も湧《わ》き立つ思いであったが。――
「山城は来ぬというが、さて」
と、浅野紀伊守も無念そうにいって、ちょっと考えこんだ。
「それは拙者どもにおまかせ下され」
「一応ここに置き、なりゆき次第で下り松に運ばせましょう」
と、庭の武士の中で、二人の編笠をかぶった侍がいった。
一人は浅野家の亀田大隅で、一人は蒲生家の西村左馬助だ。どちらも名代《なだい》の豪傑だが、両人とも、きょうのことには苦《にが》り切っている。亀田のほうは前田ヒョット斎を見知っており、西村左馬助のほうは岡野左内と相知の仲で、二人とも、それぞれ、ヒョット斎、左内に顔を見せるのも恥ずかしい、とさえいって、深い笠をかぶっていた。
いかに二人が諫言しても、幸長も秀行もきかない。
浅野幸長は、父長政を上杉家の者に殺された怒りに燃え、蒲生秀行は、いちどは上杉のために会津を追われた恨みを忘れがたく、この機会に直江山城をやっつけることが出来るならば、浅野家蒲生家などもうどうなってもいい、と、わめき出すまでに逆上していた。
こうまで思い込んだ主君には、家来としてどうしようもない。
「あっ……来たっ」
ほかの侍たちが、いっせいに立ちあがった。
下り松のずっと下の一道のあたりで、まるで下界から嵐《あらし》が巻き起って来たような叫喚が聞えて来たのだ。
「よしっ」
「参るぞ。――」
幸長と秀行は、刀をとって庭に出、下り松めがけて駈け出した。数人の近習が、それを追う。
一乗寺村とはいうが、そこに一乗寺という寺があるわけではない。いや、平安期のころその名の寺があったそうで、だからいまもそう呼ばれているのだが、別名|藪《やぶ》の郷《ごう》といわれているように、道の左右はただ大竹藪に埋められ、そのうしろはだんだん畑ばかりの土地であった。
その大竹藪が、怒濤《どとう》のように鳴っている。その向うの四明《しめい》ケ岳《だけ》には、凄壮《せいそう》な乱雲が吹きつけていた。
四天王は、砂塵《さじん》を蹴《け》ってその中の一道を駈け上って来て、前方の道をふさいだおびただしい侍たちを見た。ことごとく襷《たすき》、鉢巻、小具足わらじに身をかため、槍《やり》と刀は無限の銀の波かと見えた。
「やあ。……蒲生の者どもよな」
「なんの遺恨あって、伽羅姫さまをかどわかしたかは知らず――」
「上杉を敵にして、とり返しのつかぬ悔いはないか!」
いちど、さすがに立ちどまって、ヒョット斎、丹波、左内は口々にこうさけんだが、
「何が何だかわからないが、斬らしてくれるとはありがたやっ」
絶叫して、上泉主水が真っ先に疾駆していったのに、これまた血ぶるいして突進を開始した。
しかし、彼らは敵の人数を数えたのか。いかに壮絶無双の直江四天王とはいえ、これまた勇猛をもって鳴る蒲生また浅野の荒武者二百余人を相手に、これはあまりにムチャクチャではあるまいか。
[#改ページ]
大決戦
日は中天に近かった。決戦の幕はあがった。
これからその戦闘について述べるが、事態は相当に複雑である。
この一乗寺下り松に参上するという告知状は、ここがこんな決戦場になると予測していたのであろうか。予測していたとすれば、実にうまい地勢を選んだものだ。
多数とたたかう少数者にとってである。
――最初、やって来たのは四人、という情報が伝えられたとき、蒲生・浅野は意外に思い、ひょうしぬけし、いたるところ笑い声すらあがった。敵に対してのみならず、二百余人もの人数で待ち受けた味方が可笑《おか》しかったのだ。その上、大袈裟《おおげさ》に、鉄砲組までいる。
二百余人対四人。
平原の戦場なら、その笑いは至当であったろう。
しかし、これは一道の上のたたかいであった。しかも、三道に伏せてあった人数が、文字通りまんなかの一道へ、わっと集まったのである。そして、その一道はというと、両側、果ても見透《みす》かせぬ大竹藪で、武器を持てば、せいぜい二人、三人もならぶと、もう行動が不自由になる道幅しかなかった。
これは笑いごとではない! と、二百人のほうが気づくまでに、すでにそこには二十人余りの屍体《したい》が積まれていた。
四人のうち、前面に立っているのは、上泉主水と車丹波であった。
「くわっ、くわっ、くわっ、くわーっ」
笑っているのは、四人のほうだ。――いや、これは上泉主水の声であったが、まるで怪鳥の笑い声かと聞えた。血笑しつつふるう長剣は、まるで坂を転がって来る大根を曲斬りしているようだ。
「それ来た、わっしょっ」
車丹波のほうは、棒だ。ここへ来る途中の花ノ木村から拾って来た、柱になりそうな丸太ン棒を、麻幹《おがら》みたいに旋舞させるところ、頭は三つ四つひとかたまりになってたたきつぶされ、血と脳漿《のうしよう》が霧風《むふう》のごとくしぶく。
上泉主水の「天下一」の袖無《そでなし》羽織、車丹波の火のくるまの胴羽織、いずれもその霧風をあびて、もう真っ赤に染まっていた。
「いかん!」
「ひけ、ひけっ」
その蒲生・浅野方の絶叫は、大竹藪のうなりと、味方の喚声にかき消されて、背後まで伝わらない。
むろん、この退却を望む声は、ただ恐怖からの悲鳴ではなかった。事態を知った前面からの怒号であったが、うしろのほうにはわからない。
道はゆるい坂になっていて、本来なら、高い位置にいるほうが有利のはずなのだが、それもこの場合、みずから惨禍を招くもととなった。斃《たお》れた味方の屍骸《しがい》につまずき、つんのめり、しかもあとからあとから押しかける味方のために、みるみる人間の土塁《どるい》を作っていったのである。
それを軽々《かるがる》と躍り越える上泉主水と車丹波のうしろから、ヒョット斎と岡野左内が、もがく人間土塁を、ていねいに始末して進む。
「横へ廻れっ」
「うしろへゆけっ」
狂気のようなさけびをあげ、十数人が竹林の中に駈け込み、横からうしろへ廻った。が、これまた四天王という車の後輪となったヒョット斎と左内の、熟練した豪刀の錆《さび》となった。
「サンタ・マリア! この大|殺生《せつしよう》を許したまえ、アーメン!」
と、雄《お》たけぶ岡野左内の胴羽織は、むろんひっくり返されて、例の十字架のかがり[#「かがり」に傍点]を浮かせている。
「左内、こりゃ小便をするひまもない喃《のう》」
と、慨嘆するヒョット斎の袖無羽織の文字は、いうまでもなく「大ふへん者」だ。
「おい、交代しようか、丹波」
「待て待て、まだだっ」
前後、こんな声を交わしながら、四人は進む。それはまるで鉄の四輪を持つ戦車のようであった。坂となった一道は、ただの形容ではなく、屍《しかばね》の山、血の河と化した。
とはいえ、彼らにしても、やはり無機物の戦車ではない。
上泉主水の長剣はササラみたいになり、ついに彼はそれを放り出し、敵から奪った刀に変えていたし、車丹波は、二度、三度、尻《しり》もちをついた。ヒョット斎の羽織はズダズダになっていたし、岡野左内は敵の投げた槍に腿《もも》を突かれて、びっこをひいていた。
しかも、敵はなお怒濤のように道を埋めている。
その敵の頭上はるかに、傘松が見えた。その松のかなた、藪を越えて、山の中腹にちらっと屋根が見えた。あれが蒲生の山荘にちがいない。
「おおいっ、伽羅さま!」
「われらが来てござるぞっ」
「伽羅さま、御無事でおわすか!」
「御安心なされ、伽羅さまあっ」
返り血ばかりではなく血にまみれて、彼らは絶叫した。
もう三、四十人も斃《たお》したろうか。しかも、恐れるどころか、血に狂乱した敵の怒濤は、ようやく新しい戦法を探りあてて、藪の中に溢《あふ》れ出した。竹林の中から槍を投げるという智慧《ちえ》だ。林立する竹は、四輪の戦車からの盾《たて》となるだろう。
そう指揮する声を聞いて歯がみしながら、四天王はどうすることも出来なかった。
三本、四本、横から飛来する槍を、主水の剣と丹波の棒がからくもたたき落したとき、ふいに両側の藪の中のその敵が、どっと狼狽《ろうばい》の波を打ちはじめた。
十数人、いっせいに竹林の落葉を散らして転がったのだ。
その背には、いずれも矢がつき刺さっていた。
人は自在に通れぬほどの竹林の間から、糸をひくように飛んで来た矢であった。
「伏兵《ふくへい》がおるぞっ」
「敵は四天王だけではないぞっ」
はじめて、恐怖の声がつっ走り、こだました。
たった四人で推参するとはおかしい――と、はじめいっとき首をひねったが、なにしろ相手は直江山城だ。やはり、伏勢《ふせぜい》をこの藪の中へ潜入させていたのだ、と、彼らは思いあたった。
藪の奥は小暗《おぐら》いほどで、しかとは見えないが、舞いあがる落葉の中にうごく影は、片影だけでも五つや七つではない。しかもなお、ムクムクと起《た》って来る影もある。
「小癪《こしやく》なっ」
「あれ討て!」
そちらに駈け向おうとした蒲生・浅野侍もむろんあったが、その胸や腹にたちまち矢がつき刺さるのを見て、残りはまた先を争って路上に駈け戻った。
「おい、ありゃ何だ」
これを斬り散らしつつ、ヒョット斎が聞く。
「藪の向うに、変なものがおるぞ。あれは敵か、味方か」
「敵を矢で射るところを見ると、味方らしいな」
と、左内は一人斬り伏せて、首をひねる。
「そんな味方は思い当らんが」
車丹波が、敵をたたきつぶしながらうなると、
「そんなことを考えておるひまはないっ」
と、上泉主水は、当面の敵の首を、二つほど宙に飛ばした。
彼らは進撃をつづけた。
ゆくてにひしめく敵は、大混乱の極であった。進んで来る四天王、藪の中からの奇襲に狼狽したばかりではない。そのとき、背後からのかん高い声に乱れ立ったのである。
「退《の》けっ、退けっ、退けといっておるのにわからぬか!」
「伏せろ、伏せぬと、敵もろとも撃ち殺すぞっ」
それは蒲生飛騨守と浅野紀伊守の絶叫であった。
何百年を経たものか、二、三人では抱き切れないほど太く、いまは地名となったほどの下り松は、巨大な穹《きゆう》 窿《りゆう》と化した枝を武者ぶるいさせ、蒼《あお》い空を血の香をまじえて吹く風に、啾《しゆう》 々《しゆう》とうなりを立てていた。
その下に、二人の荒大名は仁王《におう》立ちになっていた。
背後の松のすぐ下に、一挺の駕籠があり、陣笠をかぶった一団の侍たちがそれを囲んでいる。時至れり、と見たか、たったいまそれを山荘から運ばせて来た浅野家の亀田大隅、蒲生家の西村左馬助の二大豪は、駕籠のうしろに、一|対《つい》の金剛力士みたいに立っている。
ここは下からの三道の合うところで、ちょっとした円形の空地になっている。だから、彼らの前方に、十人ばかりの鉄砲組が横になって布陣することが可能であった。彼らは、空地の中央あたりに一列横隊になっていたが、銃口はむろんことごとくまんなかの一道がこの広場へ出るところへ向けられていた。
その鉄砲組の左腕に輪になってかけられた火縄《ひなわ》は、すでにくすぶりはじめている。
直江四天王が来たという一道の前面の戦況はどうなっているか、ここからはわからない。味方がそこまでを埋めているからだ。が、その波のただならぬ逆巻《さかま》きかたはよく見てとれた。
推参した敵はたった四人、というのに、これは意外なことであった。紀伊守と飛騨守は切歯《せつし》し、床几《しようぎ》から立ちあがり、罵《ののし》った。
そこへいま、味方の混乱ぶりがいよいよ最高潮に達した、と見えた。実はこのとき、味方は藪の中から思いがけぬ矢の雨をあびていたのだが、矢は音をたてないから、それはわからない。
で、いまはこれまで、と決意した秀行と幸長は、ついに鉄砲の火縄を点火させたのであった。
伏せろ、退けっ――と命令されて、ふり返った侍たちは、下り松方面から自分たちめがけて向けられている銃口と、煙をあげている火縄を見て仰天した。
「あっ、伏せろ」
「退けっ」
この命令の伝達は迅《はや》かった。まず下り松に近いほうから夢中で転がり、その結果、手前の連中も同じものを見て、将棋倒しに腹這《はらば》ってゆく。
道を埋めていた敵が、みんな自分勝手にひっくり返ってしまったので、四天王はあっけにとられた。
「なんだなんだ」
「どうしたんだ?」
四人は吹き通しになった前方を見て、さすがにぎょっとして棒立ちになった。
彼らは、一本道のかなた、両側の大藪のとぎれるところ、一本松の下に折敷《おりしき》の構えでズラリとならんだ鉄砲の列を見たのである。
「伏せろっ」
と、ヒョット斎がさけんだ。
このとき、鉄砲組の向うにいる二人の大名がこちらを見て、これまた異様な声を発した。
「山城じゃ!」
「おおっ、直江山城!」
四人はふり返って、遠くうしろのほうに、まさしく主人の直江山城守が現れたのを見た。彼は馬に乗り、左右に小波とお弦を従えていた。
どうして山城がここに来たのかわからない。考えているひまもない。
四人は、同じ歓声をあげてそちらに駈け戻ろうとして――突然、くるっとまた反転した。
敵に背を見せることは出来ぬ、という武者魂と、それより、自分たちこそあの鉄砲の盾にならねばならぬ、という義務感に、同時に四人がとらえられたからであった。
「ゆくぞ!」
「おおっ、ゆこう!」
四天王は、道一杯に横にならび、まるで河岸《かし》の鮪《まぐろ》みたいに路上に転がっている敵の身体を踏みつけて、ふたたび猛進を開始した。
蒲生飛騨守がさけんだ。
「撃て!」
すでに火縄を鉄砲の火挟《ひばさ》みの竜頭《りゆうず》に挟んでいた鉄砲組は、命令とともにいっせいにひきがねを引こうとした。
そのとき、思いがけぬ異変が起った。
何者かが、真横から疾駆して来たのだ。それは鉄砲組のうしろを、端から端へ、飆風《ひようふう》のように走りぬけた。
あとに鉄砲組は、みな悲鳴と血しぶきをあげて転がっていた。二、三人、首さえ落ちた者もあった。むろん鉄砲はことごとく火を噴いたが、空か地か、すべてあらぬ方向へ向けてであった。
いかな鉄砲組にしろ、折敷の姿勢で横隊になっているところを横から襲われては、斬られるために整列して坐っていたと同然になるほかはない。
彼らの首を、まるで木琴でもたたくように一薙《ひとな》ぎにした男は、端まで走るとふり返り、血の糸をひく長剣をかざして、
「いかに、蒲生っ」
と、絶叫した。
前髪立ちの若者ながら、阿修羅《あしゆら》のような形相《ぎようそう》は、佐々木小次郎であった。
彼は、その数十分前――鳥辺野の細川与一郎の浪宅に投げ込まれた一通の投げ文を見たのである。それには、
「小次郎に告ぐ。
直江山城の息女をさらえるは蒲生飛騨の手なり。そは細川を上杉と相争わしめ、その際に斑鳩《いかるが》太夫を得んがためなり。嘘と思わば叡山道一乗寺下り松にゆきて見るべし。伽羅姫はそこに蒲生とともにあり。
[#地付き]本多長五郎」
と、書いてあった。
小次郎は、眼からうろこが落ちたような気がした。そういえば前に、名古屋山三郎から、蒲生が斑鳩を側妾《そばめ》に望んでいる、というような話を仄《ほの》めかされたこともあるのだ。
そうか、自分をあの窮地に落し、大恥をかかせたのは蒲生であったか!
小次郎は怒髪天をつき、物干竿《ものほしざお》を背負って、白河、瓜生|山麓《さんろく》、薬師堂――という、三道のうち一番東側のコースをひた走って、魔風のごとく飛んで来たのであった。
彼はその一乗寺下り松で何が起っているか知らない。大竹藪にへだてられ、いままで前面にくりひろげられていた大戦闘も見ない。
ただ、その下り松の下で怒号している蒲生飛騨守の姿を見、その前面に構えた鉄砲隊を見て、それをおのれに備えたものと考えて、一気にこれを殲滅《せんめつ》し去ったのであった。
彼は物干竿を天にあげて、
「おれを罠《わな》にかけたは、そちの手だな、飛騨守っ」
と、さけんだ。怒っているから無理もないが、大名相手にさすがにいい度胸だ。
「狼藉《ろうぜき》者!」
浅野幸長は眼をむいた。
「大隅、そやつを討ち果せ!」
亀田大隅は、駕籠のうしろに、眼をふさいで立ったきり、動かなかった。
「左馬助、何をしておる?」
蒲生秀行も地団駄《じだんだ》を踏んだが、西村左馬助も銅像のように、ただ立っているだけだ。
いったいこの二人は、どうしたのか? あとの陣笠の侍たちも動かない。――
遠くで、声がした。
「直江山城、たしかに午の刻参上。――」
小次郎も顔を動かせて、はじめてまんなかの道の異変を知って、眼をまんまるくして立ちすくんだ。
蒲生飛騨守は血走った眼をそちらに向け、
「山城っ、来い、そして、見よ!」
と、さけぶなり、いきなり佩刀《はいとう》をひきぬいて、そこに置かれた駕籠の中に一気に突っ込んだ。
[#改ページ]
武蔵小次郎決闘由来
蒲生秀行にしてみれば、伽羅|誘拐《ゆうかい》のことを直江山城守に知られ、山城自身ここへ推参するとあれば、もうヤブレカブレ、こうなっては山城を討ち果たすよりほかはない。あと蒲生家がどうなろうと、もはや天命にまかす、という覚悟だ。そして、浅野幸長も同様の理由で、同様の心情であった。
ただ、彼としては、その前に山城最愛の娘といわれる伽羅姫の死を見せつけ、山城の七転八倒ぶりを見て快《かい》を霽《は》らしたかったのだが――いま、はからずも味方が潰滅《かいめつ》状態におちいったのを見て、ついに錯乱した。
近づいて来る山城守はまだ距離があるのに、彼は伽羅の駕籠を刺しつらぬいたのである。むろん、そのあと伽羅をひきずり出し、血まみれの屍骸を山城に見せつけてやろうと考えて。――
しかるに、その刀はピタととまった。
どうしたのかわからない。まるで粘土に挟《はさ》まれたような感覚である。
引こうとしたが、刀は動かない。――
「や?」
眼をむいて、そり返って引いた蒲生飛騨守が、いきなり刀を持ったまま、仰むけに転がった。
駕籠の戸ははずれ、その中から、一人、ニューッと姿を現した人間を見て、駈け寄ろうとしていた浅野紀伊守も、異様な声をあげて立ちすくんだ。
それは、伽羅姫ではなかった。白頭巾に白衣の着流しという姿であった。
「本多長五郎でござる。……」
その男はいった。眼の部分は黒い紗《しや》に覆われて見えないが、声は笑いをおびている。
「――喝《かつ》、化物《ばけもの》っ」
そんな声をあげ、浅野幸長はこの白い姿をめがけて真っ向から斬りつけた。恐怖からの反射的行為であったが、蔚山《ウルサン》籠城で聞えた豪刀であった。
しかも、これまた空中でピタリと制止した。本多長五郎は、両手をあげて、それを拝《おが》み取りにしたのである。
つき離されて、幸長もまた転倒した。
「大隅っ」
「左馬助!」
はね起きて、二人の荒大名は叱咤《しつた》した。
「なぜ黙って見ておるか?」
空になった駕籠の向うに立っていた亀田大隅と西村左馬助は、このときやっと眼をあけた。
その間に控えていた陣笠の侍が、ちょっと身体を動かした。すると、その両手に抜身を持っていて、それを左右の亀田大隅と西村左馬助につきつけているのが見えた。――
「…………?」
亀田大隅、西村左馬助が山荘から駕籠を運んで来たとき、それを護る番卒たちは、むろん自分の手勢だと思っていたから、まったく注意を払わなかったが、蒲生秀行は、はじめてそれが見知らぬ男だと知った。
「これでは動き申せぬ。……」
「お許し下され。……」
大隅と左馬助が、苦しげにいった。
蒲生秀行と浅野幸長は、この両人が脅《おど》されて、伽羅姫といれ変った白頭巾を、山荘からここへ運んで来たことを、はじめて知った。
「た、たわけ、蒲生家の西村左馬助とあろう者が。――」
「浅野|名代《なだい》の亀田大隅、うぬはでくの坊と化したかっ」
二人は、満面を朱に染めて絶叫した。
「あいや、殿。……先君に対しても、やはりお家は潰せませぬ。本多長五郎どのより懇々と諭《さと》され、拙者、頭から水を浴びせられたような気がいたし……」
「殿。……高台院さまのお言葉もござる。それに、どう考えてもこちらに分《ぶ》がござらぬ。ここは本多どのの御慈悲におすがり申そう。……」
と、蒲生、浅野の両忠臣は、苦痛に顔をゆがませながらいった。
ただ、番卒に化けた男の刀に脅されたばかりではない。この両豪傑が、そんなものに金縛りになるはずがない。――彼らが、神出鬼没としかいいようのない本多佐渡守の息子の威嚇《いかく》に屈したことは明らかであった。
「きょうのことは、無いことにいたそう。父には、ないしょ、ないしょ」
と、本多長五郎がいった。
「もっとも、無いにしては、こりゃ、あり過ぎるが。……」
と、向うを見て笑ったのは、藪の中の道を埋める屍骸《しがい》の大群のことであったろうが、ついで、
「これは直江山城どの。大儀です」
と、挨拶《あいさつ》したのに、浅野幸長と蒲生秀行はまたそちらをふりむいた。
馬に乗った山城守は、藪の道から広場に現れていた。左右に四天王、それから二人の女が従っている。
いうまでもなく小波とお弦で、彼女たちは四天王を追っかけ、遅れ、その途中でまた背後から馬を飛ばして来た山城守といっしょにやって来たものであった。
その小波とお弦が、
「伽羅さま!」
「よく、御無事で――」
と、たまぎるような声をあげて駈け出した。
上の山荘のほうからの細道を、伽羅ともう一人の男が下りて来た。同じ狂喜のさけびをもらして飛び立とうとした四天王は、その男がだれかと知って、眼をむいて棒立ちになった。
「勝蔵!」
それは、江戸を立つ前、どういうわけかふっと姿を消した三宝寺勝蔵であった。昔の通り、半被《はつぴ》を着た草履《ぞうり》取りの姿をしている。ただ、その半被が真っ赤だ。
「父上」
そばに寄った伽羅に、にこやかにうなずき、
「これは、浅野どの、蒲生どの、娘がお世話になったそうで、まことに恐縮、心からお礼を申す」
と、直江山城守は声をかけた。
口をモガモガさせている二人に代って、本多長五郎がいう。
「いや、直江どの、これは浅野紀伊どのでも蒲生飛騨どのでもない。――」
「ほう?」
「血に浮かれ出した下り松の精でござるよ。いま、ドロンと消えます」
亀田大隅と西村左馬助がはじめて動き出して、それぞれの主人をひったてるように抱き起した。
ほんとうに何かの亡霊みたいな顔色をしていた浅野幸長と蒲生秀行は、反射的に抵抗の身動きをしたが、かつて幽霊石を背負ったという大隅と、氏郷を投げつけたという左馬助は、委細かまわず主人の腕を肩にかつぐようにして、スタスタ歩き出した。
「みな来い」
「仏の始末はあとじゃ」
これまた亡者の大群のような生残りの侍たちに声をかけると、彼らは山荘のほうへ上ってゆく。亡者のむれは、足のないもののように、そのあとを追った。
――ついでに述べると、この大|殺戮《さつりく》は、「無い」ものになった。ここに集まった者以外の世間は、ついにこの騒動を知らなかった。よほど亀田大隅と西村左馬助の事後の掃除が徹底していたのであろう。浅野と蒲生の家も無事であった。
と、いいたいが、浅野幸長が二年もたたぬうちに死亡したことはすでに述べたが、蒲生秀行に至っては、半年後の慶長十七年五月、三十歳の若さで死ぬことになる。この事件の打撃によるとしかいいようがない。
四天王は、三宝寺勝蔵の出現くらいに驚いてはいられない。
佐々木小次郎がここに現れたことも意外であったが、それより何より、あっけにとられたのは例の本多長五郎の出現で、さらにこの怪人が、直江山城と旧知の仲のごとく挨拶を交わしたことだ。
同じく、茫然《ぼうぜん》としていた佐々木小次郎が、彼らよりさきにわれに返った。
「直江どのの御息女をさらったのはおれではないことがわかったか」
ふいに、彼はいい出した。四天王にむけた眼は血走っていた。
彼は、先夜自分の受けた疑い、恥辱を思い出し、改めて怒りをよみがえらせたのだ。
「なお、その上、証拠を見せてやる。――長五郎さま!」
と、ふりむいて、呼びかけた。
「その頭巾を解いて、お顔を見せてやって下され!」
本多長五郎の頭巾が、ゆっくりと動いた。その場にある人々を――息をのんでいる人々を、一人ずつ見まわしたようだ。
それから、ひとりごとのようにつぶやいた。
「もったいぶることはない。わかる人には、はじめからわかっておる」
このつぶやきの意味は、だれにもわからなかった。
それから彼は、ゆるやかに頭巾をとりはじめた。眼を覆う黒い紗《しや》とともに。――
現れたその顔を見たとき、ふしぎに何のどよめきもあがらなかった。が、その人物の眼がもう一度動いて、伽羅にとまり、にたっと笑ったとき、どこかで地鳴りみたいなうめきが流れた。四天王であった。それに小波とお弦の悲鳴のような声が混っていた。
最初彼らが見たのは、むしろ凄味《すごみ》をおびた男の顔であった。それが――みるみる眉《まゆ》が下り眉となり、眼から生気がうすれ、口がぽかんとあき、あごがはずれたように顔そのものが長くなって――直江左兵衛の顔となった。
「ヒョット斎、うまい具合に、懸案の浅野、蒲生がやっと片づいたようじゃなあ。……」
声までが変った。さっきまでの本多長五郎の声は、錆《さ》びをおびた男性的な声であったのだ。――それが、いま、例の元気のない左兵衛の声で、
「伽羅。つもる話は、あとで喃《のう》。……」
と、いって、片眼をつむって見せた。
伽羅は、一語ももらさない。
文字通り変貌《へんぼう》して、はじめてそれとわかったわけではない。頭巾をぬいだときから、あっと思っていたのだが、四天王はあまりの驚きのため、かえって全身鈍麻して、ここに至って、やっとふいご[#「ふいご」に傍点]みたいな鼻嵐《はなあらし》を吹いた。
「こんな馬鹿な話はない!」
と、上泉主水が、金切声をあげた。
「これで、誘拐者はおれではないことがわかったか。本多長五郎さまはおれの前の主人じゃ。そのおれが、長五郎さまの奥方をさらうわけがない!」
と、佐々木小次郎がまたわめき出した。
「本多長五郎さまの奥方。……」
ヒョット斎がうわごとのごとくつぶやき、
「わかった。いや、伽羅さまを誘拐したのはおぬしではないことは最前からわかっておった。しかし、いまはおぬしなどにかかわってはいられない。話は、あとにしよう。――」
と、なお首をひねった。
「勝手なことを!」
小次郎は、血刃をまだぶらさげたままの左腕を、丁《ちよう》とたたいた。
「うぬら、ぶった斬ってやらねば腹が癒《い》えぬ。同じ直江左兵衛どのの身寄りでも、伽羅さまとうぬらは筋がちがう。まず、上泉主水、ここへ来い! どちらもこれだけの人斬りついで、ここで宿願の果し合いをしようぞ!」
「待て小次郎」
うしろから、声がかかった。
「その前に、こちらが申すことがある」
陣笠をはねのけて、駕籠の向うから出て来たのは、蓬髪《ほうはつ》に琥珀《こはく》色の眼を持った男であった。知る人ぞ知る、新免武蔵だ。
「うぬは、本多家|隠密《おんみつ》の掟《おきて》を破った!」
「なに?」
「うぬが本多家を去り、細川家に奉公することを許されるに当って、二つの下知《げぢ》を下されたはずじゃ。一つは、細川家の例の件」
「そ、それはいま鋭意努力中じゃ。こんどのまちがいも、そのために起ったといっていい」
「もう一つ、本多長五郎さまの秘密は、未来|永劫《えいごう》、何びとにも明かさぬこと。――」
小次郎は、前髪を棒でなぐられたような顔になった。
「いまのことではないぞ。先夜、鳥辺野の細川家浪宅の屋根の上のことだ」
武蔵はいい、刀に手をかけた。
「佐渡守さまの掟に背《そむ》いた者の命運は承知であろう。小次郎、そこに直れ!」
「ま、待った!」
佐々木小次郎は飛びのいた。
これほどの驕慢《きようまん》児が、別人のように恐怖と狼狽の相を見せて、武蔵を――ついで、本多長五郎を見やっていたが、
「そ、そ、その話は後日に聞こう。考えさせてくれ。――」
と、苦悶にみちた声を発した。そして、
「果し合いは、いずれ。――」
と、さけぶと、ぱっと身をひるがえし、風鳥《ふうちよう》のように、もと来た道を駈けていった。
追おうとする武蔵を、長五郎は呼びとめた。
「武蔵、待て、あれの始末はあとでよい。それより――」
と、藪の中の道のほうにあごをしゃくった。
中央の道に、忽然と、網代笠《あじろがさ》をかぶったおびただしい雲水のむれが現れていて、それが、算を乱して倒れている、浅野、蒲生の侍の屍体を踏んでこちらにやって来るのを四天王は見た。
……ここで、逃げ去ってしまった佐々木小次郎の後日のことを述べておく。
宮本武蔵と佐々木小次郎が、豊前赤間《ぶぜんあかま》ケ関《せき》の海峡の小島で決闘したのは、五か月後の慶長十七年四月のことである。細川家の藩士たる佐々木小次郎が、彼の物干竿より長い櫂《かい》によって、一介の牢人《ろうにん》たる武蔵に討たれたのに、細川家が武蔵を追うことがなかったのみならず逆にかえって後年武蔵を召し抱えたという事実のふしぎさに、世の人はみな首をかしげたが。――
そしてまた、ついでにいえば、この一乗寺の下り松という場所こそ、いうまでもなく七年前、そのころはまったく野の漂泊者であった武蔵が、七十余人の吉岡一門と血闘したゆかりの地であった。
雲水のむれは、広場にはいって来た。三十人もいたろうか。
四天王は、先刻藪の中から敵を射てくれた者のあったことは承知していたが、それをたしかめるべく、眼前に余り意外事が続出するので、つい忘れていたが――雲水たちは、みな半弓を持っていた。歩きながら、弦《つる》をはずしている者もあった。そして、まっすぐな竹となったその弓に、手持ちの矢を重ね、クルクルと弦で巻いて、一見して一本の杖《つえ》に戻す仕事をやっている者もあった。
「あなたがおいでになろうとは思わなんだ」
と、直江山城がいった。
「いや、本多長五郎どのの命により、猿飛《さるとび》が呼びに来てくれましてな」
と、雲水の一人が答えた。
山城は見わたした。
「よくこれだけの人数が、九度山をぬけられましたな」
「ふ、ふ、なに、いまの浅野家の見張り役が、この春ごろまで伏見屋敷の御留守居役をしておったとかいう男で、これが伏見の廓《くるわ》から女を呼んで遊んでばかりおる道楽者ゆえ、まるで笊《ざる》から水の出るごとく。――」
そう話している雲水が、いつか宇治で見た雲水の一人――伝心月叟《でんしんげつそう》という人物であることを知って、四天王は、はっとした。
「伽羅」
山城がいった。
「お前のまことの父御《ててご》じゃ。……真田|左衛門佐《さえもんのすけ》幸村どの」
[#改ページ]
大いなる掌《て》の翳《かげ》
「伽羅。……お前が伽羅か」
と、幸村はいった。
かつて関ケ原のとき、信州上田の孤城で徳川秀忠の大軍をくいとめ、翻弄《ほんろう》した武将とは思えない――学者のように静かな顔だちに、さすがに抑え切れぬ波があった。
「わしの知っておるのは、まだ十《とお》にもならぬお前であったがおとなになった喃《のう》。いや、美しゅうなった喃。わしの娘とも思われぬ。……」
「わたしはおぼえております。父上を」
と、歌舞伎姿のまま、伽羅は答えた。むしろ、彼女のほうが落着いている。
四天王は、口をぽかんとあけて、これを見、これを聞いていた。――
口はぽかんとあけてはいたが、まず彼らの脳裡《のうり》によみがえったのは、この春、宇治で逢った幸村に、山城が、「あれも京に来ておりますぞ」と、声をかけたことであった。
そうであったか。あれは伽羅さまのことであったのか。
おそらくあのとき幸村は、大御所と秀頼卿との会見によって巻き起るかも知れぬ風雲を偵察するために、ひそかに九度山を抜け出したものであったろう。
……今にして思えば、なるほど伽羅は山城のほんとうの娘ではない。弟の大国大和守《おおくにやまとのかみ》からもらった養女だ。しかもその大国大和も、どこからか引きとった幼女で、その大和はその後高野山にはいってしまったので、そもそもの伽羅の素性は誰も知らなかったのだ。
が、それからの山城の可愛がりかた、伽羅の気品と気力と美しさ、まったく山城の娘としか思われず、ついにそれ以外の関係など頭にも浮かばなかったのだが、これが音に聞えた真田左衛門佐幸村の娘であったと知ればなるほどと思う。
おそらく、関ケ原のとき、石田、小西なみに大御所の怒りを買い、いちじは同様に処刑されるかと見られた真田昌幸・幸村父子であったから、せめてその女児を、山城が――しかも山城自身危ないのだから、弟の養女として、ひそかにひきとったものと思われる。もって、山城と幸村の風月相知《ふうげつそうち》の仲を知るに足る。
そしていま、幸村と伽羅は、十余年ぶりに父と娘として相まみえたらしい。――
伽羅が真田幸村の娘だということはいままで知らなかったから、このことには驚いたが、しかし直江山城の娘ではなかったということには、以上のような知識がよみがえって来たので、四天王は、なるほど、と、うなずかざるを得なかった。
それより彼らの脳髄をひっかきまわしたのは、別のことだ。
さっき本多長五郎は、「わかる人にははじめからわかっておる」とか何とか、えたいの知れぬことをつぶやいたけれど、彼らは本多長五郎すなわち直江左兵衛という事実に、絶対承服出来ぬ数々の記憶があったのだ。
「伽羅さま……あなたは、左兵衛さまが本多長五郎だと御承知でござったのか」
ふいに岡野左内がさけび出した。
「そんなはずはない! そんなはずはない!」
と、わめいたのは上泉主水だ。
そんなはずはないといったって、げんにそれが同一人であることをまざまざと見せつけた本多長五郎のほうを、眼の玉の飛び出さんばかりに眺めて、
「おれがいつか、左兵衛さまと、江戸の長安風呂からの帰り、平岡石見らと本多屋敷にいったとき……おれたちは庭におり、白頭巾は座敷におった。庭の駕籠の中の左兵衛さまに、座敷の本多長五郎が話をした。――」
と、必死にそのときのことを思い出す顔になっていった。
「もう隠しても追いつくまい。――あのとき直江左兵衛の駕籠の中はからっぽであったのじゃよ。フ、フ、フ、おんな風呂で腰がぬけて、半死半生のおぬしにはそれがわからなかっただけじゃ」
長五郎は笑った。
「のちに、蜂須賀一党とやり合ったとき、地蔵堂に左兵衛が逃げこみ、長五郎が現れたからくりも、また同じ一人二役」
「な、なに、一人二役? しかし――待てよ」
と、車丹波が吼《ほ》えた。
「上洛の途中――東海道で、たしかに本多長五郎と逢った。小便しておるのを見た。――それから、行列に沿って馬でひき返すと、左兵衛さまはちゃんと駕籠に乗っておられたではないか。あれはまさか同一人ではあるまい?」
「いや、あの小便をしたのは――上洛中の長五郎さま役を相勤めたのは、実は私めで」
と、口を出したのは、三宝寺勝蔵だ。
四人は、あのときの、自分はふところ手をしたまま、二人の従者に左右から裾《すそ》をひらかせ、悠然と崖《がけ》から小便をした白頭巾の姿を思い描きながら、唖然《あぜん》とした。
「何じゃと? お前が? なぜ、そんな真似《まね》を?」
「あのとき私は、江戸で本多長五郎さまにつかまったあとで、駕籠に乗せられてはいるものの、着物の下では両腕縛られ、頭巾の中では猿《さる》ぐつわをはめられ、しかも小便をするうしろには、そこの新免武蔵どのがピッタリくっついておりました。……あなたがたに何か合図をすれば、ただ一討ちでござりましたろう」
「し、しかし、――せ、背もちがった!」
「私は高下駄《たかげた》をはかされておりました」
三宝寺勝蔵は、ニヤニヤして、頭をかいた。
いまになれば笑える、という笑いであったかも知れない。しかし、のちになって思うと、この三宝寺勝蔵はすでにそのころから、自発的な本多長五郎の協力者となっていたという可能性のほうが強い。
「ま、待て。……待て、待て」
ヒョット斎は、入道頭をかきむしるような手つきをした。
「そんな馬鹿げた目くらましより……本多長五郎と左兵衛さまが同一人だというのなら……そもそもの発端、米沢城中のあの初雁《はつかり》の短冊《たんざく》はどうしたというのじゃ? あれは左兵衛さまが八丈島から帰られる前のことではないか?」
「あれは、わしのしたことじゃ」
と、直江山城がいった。
賢明なる読者は知らず、四天王にとっては驚くべき右の問答を交わしているあいだ、彼らは、ちらっちらっと主人の山城のほうを見やっていた。
それは、神算鬼謀、一世に聞えた山城がそもそもこのことを知らなかったのか、という疑いであった。それを知っていた、というのも信じられないが――それにしても、いま何といった?
山城はつづける。
「左兵衛が八丈島から江戸に帰って来たとき、船着場に落ちていた謙信公の詩もまた同じ。――」
四天王は、雷《らい》に打たれたようであった。血もとまり、息もとまった。――これこそ、最大の意外事でなくて何であろう?
直江山城は悠然といった。
「じゃから、わしもまず共謀者といってよいな」
共謀者どころか、それでは主謀者ではないか。
数十秒後、あえぐようにヒョット斎がいった。
「――なんのために、左様なことをなされたのでござる?」
「八丈から帰って来た左兵衛――正木《まさき》左兵衛は、本多長五郎とは別人である、ということを、あとあとのため、いやが上にもお前たちに信じさせておきたいわしの細工よ」
山城の頬《ほお》には、苦笑にちかい翳《かげ》があった。
……まさに、そのために四天王は一杯食ったのだが、してみると、山城は、本多家から直江家への婿入りをふせぐために、八丈島からの流人《るにん》を婿とすると見せかけて、やっぱり本多家からの婿を迎えたということになる。
四天王は混乱した。
岡野左内が、悲鳴のようなうめきをあげた。
「な、なにゆえ――山城さまともあろうおかたが、それほど念入りに、われらや上杉家の者をあざむいて……」
「本多家からの婿を、上杉|家中《かちゆう》の者が安んじて迎えるか? いやさ、そのほうたちが、黙って見ておるか?」
四天王は頭をたたかれた思いがした。彼らは、本多家からの押しかけ婿の話を聞いたとき、自分たちがのぼせあがって刀をひねくりまわしたことを思い出した。
「しかし」
と、車丹波が、髯《ひげ》の中から歯をむき出した。
「それまでにして、本多家から婿を迎えねばならなんだのでござるか?」
「その通りだ」
と、山城はうなずいた。
「本多佐渡どのの御意見は、絶対であった。そのことについて、米沢でそのほうらと話したことを思い出して見よ。上杉の空気探索のためのこの婿を断われば……上杉家の命運はそのときに窮《きわ》まる」
「窮まって、それが何でござる?」
上泉主水がさけんだ。
「かつて、大御所に天下分目のいくさを挑んだ直江山城さまではござりませぬか?」
「そのいくさに敗れて、わしは考えを変えたのじゃ。よいか。……必死の叛《はん》は、もうやらぬと」
その顔には、たしかに哀感が浮かんでいた。
「思え、われらが主君、景勝さまを。――わしはあのいくさで、景勝さまを誤ったといっていい。上杉百二十万石は、三十万石となった。しかも、殿はそのことについて、一語もわしを責められぬ。一句の愚痴もこぼされぬ。――ただ黙々として、わしを許し、お信じなされておる。あの殿を、ふたたび死地に――こんどこそは上杉必滅の御運に落してよかろうか?」
かつて聞いたことのないほどの、沈痛な山城の声であった。
四天王はゆくりなくもこの正月、おのれの頭巾をかぶった猿を見て、はじめて笑った景勝と、それをまた見て涙を浮かべていた山城を、異様な感動をもって思い出した。
一見、大ばくちのあとの泰平を愉《たの》しんでいるかに見えた山城に、やはりこの苦悩があったのだ。
「かくて直江山城、不識庵さまの御霊に祈り、本多佐渡どのと共謀して、上杉探索のための隠密長五郎を、直江家の婿に受けいれることを決したのじゃ」
四天王は、石と化したように立っていた。
「しかし、そのことは上杉家中に秘さねばならなんだ。お前たちをあざむいておったことをわびる」
山城は頭を下げた。
「しかし、もうよかろう。上杉内部に叛意のないことは、長五郎どのはしかと認められたであろう」
四天王は、うつろな眼で、本多長五郎を眺めた。
白衣の長五郎は、このとき本多長五郎と直江左兵衛のいずれでもあり、いずれでもない。その混合としか見えないふしぎな印象で立っていたが、こちらにむけたその眼には、たしかにこれも陳謝の光があった。
「ありゃ……しかし、ほんものでござるか?」
突然、車丹波が頓狂《とんきよう》な声をあげた。
「ありゃ、ほんとうに本多佐渡の息子どのでござるか? 本多佐渡は、自分の息子を八丈島に……五年近くも流しておったと仰せなさるのでござるか?」
「あれは、大谷刑部どののわすれがたみで、それゆえ宇喜多家へ高禄《こうろく》で召し抱えられておったというではござらぬか?」
と、岡野左内もいった。
「それが、本多佐渡の子息とは、な、な、何が何やら。――」
山城は答えた。
「佐渡どのは、こんどと同じく、十余年前、まだ二十歳《はたち》前の自分の息子を密偵として、大谷刑部のところにいれられたのじゃ。それは大谷も承知のこと、密偵というより、刑部どのと佐渡どのの連絡役であった。――」
「な、なんでござると?」
四天王は、眼をむいた。
しかし彼らの頭に流れたのは、本多の次男坊が、たしかに十五、六歳のころまでは見た者があるが、それ以後、ふっつりと姿が消えたという奇怪な噂《うわさ》の記憶であった。
「大谷刑部は関ケ原で勇戦したが、しかし実はあのいくさに反対であったことは、みなも承知のことであろう。石田との友情に殉じて起《た》つ前――万事休すと知って、刑部はこんどは、その正木左兵衛を西軍の総帥《そうすい》宇喜多中納言のもとへ送った。宇喜多の将来の万一を考えてのことじゃ」
山城はいう。
「秀家どのも、すべて承知でこれを受けいれた。一万石という大禄は、本多の倅と知ってのことじゃが、家中には大谷刑部の倅といいつくろった。石田や小西が処刑されたのに、大将たる宇喜多中納言が、ただかつがれたものとして、ともかくも島流しですんだわけは、このとき蒔《ま》かれた種にある。ただし、そのゆきがかりで佐渡守どのは、自分の息子もまた八丈島に流し捨てにした。――それを、もうよかろう、と、こんどは上杉家への目付《めつけ》として呼び戻したのじゃ」
四人は、茫乎《ぼうこ》として、声もない。――
みずからの息子をそういう運命に落す非情、また、気も遠くなるほどの遠謀。――本多佐渡守という人間の物凄《ものすご》さは、実に肌に粟《あわ》を生ずるばかりだ。
その任に、あの本多長五郎は耐えたのか。――
「伽羅さま!」
夢魔を払うように入道頭をふりたて、ヒョット斎は声をしぼって、先刻左内が投げたと同じ問いを繰返した。
「あなたさまは……かようなこと、はじめから御承知だったのでござりまするか?」
「左兵衛どのが、大谷刑部の忘れがたみなどではない、ということは知っていました」
と、伽羅はいった。
「なぜなら、わたしの母は、大谷刑部の娘ですから」
そして伽羅は、ちらっと雲水姿の父のほうを見た。網代笠の下で、幸村が微笑した。四天王はこのとき、真田幸村の妻は、まさに大谷刑部の娘だと聞いたことを思い出した。
「ですから、もし左兵衛どのが、わたしの祖父大谷刑部のお子なら、わたしとは叔父《おじ》と姪《めい》ということになります」
「さあ、それじゃ」
本多長五郎が頭をたたいた。
「婿に来たときは、伽羅が真田の娘とは知らなんだ。それを知ったのは、だいぶあとになってのことで――いや、とんだ大失敗!」
また、頭をたたいた。それは直江左兵衛のおどけたしぐさであったが、眼にはおのれのへまを嘲《ちよう》 笑《しよう》する光がゆれていた。
伽羅はいう。
「けれど、それ以上のことは知りませんでした。いまの父が――直江の父が、なぜこんなことをなさるのか、と、ふしぎな思いで見ておりました。何か深い仔細《しさい》があるのだろう、と考え、自分の手で左兵衛どのの素性を探り出してやろう、と私は考えたのです」
伽羅が、花婿左兵衛との交わりを拒否した真の理由は、いまや明らかになった。
[#改ページ]
花に背いて洛陽《らくよう》を去る
「ああ。……」
と、ヒョット斎は息をのんだ。
「では、山城さまは、伽羅さまにさえ秘して、花婿を迎えられたのでござるか?」
「その通り。……伽羅に知らせれば、伽羅もわれらの陰謀に加担させることになるから喃《のう》」
みずから陰謀と呼んで、山城は平然としている。
「わしはそこまで伽羅を汚《けが》したくはなかった。……なに、語らずとも、伽羅が相手をえたいの知れぬ人間だと承知しておる以上、夫として迎えいれるわけがない」
「さて、伽羅よ」
と、本多長五郎兼直江左兵衛が呼びかけた。
「わしの素性はわかったはずじゃが……これでも好きになれぬかな?」
ニタニタしている笑顔を見て、伽羅は答えた。
「わたしは、前からあなたが好きでした」
「なに、それはほんとか」
彼は、声をはずませた。
「すまぬ、すまなんだ。……ありがとう、ありがとう。わしもお前が好きで、好きで、どうしようもないほど困ったぞ。それで、これからどうするか。改めて、祝言するか。――わしは強いぞ、強くなったぞ!」
「ほんとうにお強い。……なかでも、先日、あの山荘で、わたしに短刀だけ投げ与えて、あとは自分で身を護れ、といってお去りになったあなたを思うと、身がふるえるほど好きになります。……」
「や? それは皮肉か」
長五郎は、参った顔をした。
「しかし、あれはほんとうにお前を信じたのだ。……」
「わたしのいうこともほんとうです。左兵衛さま」
その頬は、ぼうと赤らんでいた。この言葉を聞いて、四天王は唖然とした。が、馬鹿にしおって――など怒り出す者はだれもいない。美しい伽羅が、こんなに美しく見えたことはない、と、四人はただ見とれた。
伽羅はしかし、哀《かな》しげにいった。
「でも、いま御素性を承っては、やはりあなたさまの妻にはなれませぬ。そして……」
こんどは山城のほうに向き直って、
「伽羅はもはや直江家にもいられませぬ。真田の娘を養っていたことが明らかになれば、それほど御苦心なされた上杉家の御安泰にもかかわりましょう。……」
と、いった。
言葉だけ聞けば、これまた痛烈な皮肉だが、そうは思わせない伽羅の超絶的な愛くるしさであった。
「――お前のことじゃ。ひょっとしたら、そういうことをいいはせぬかと思うておったが」
と、山城は深い声でいった。
動きかけたものを抑える意志的な表情になって、雲水のほうに眼をむけて、
「お受け取り下さるか、幸村どの」
と、いった。
「直江どのがお許し下さるならば」
と、幸村は答え、山城がうなずくのを見ると、
「いや、永い間、お世話になりました」
網代笠を伏せて、
「お礼はいずれ……大坂で」
と、妙なことをいった。
「申しわけござらぬが、永居《ながい》はしておれませぬ。では」
そして彼は歩き出した。さっき佐々木小次郎が逃げていった志賀《しが》山越えの道のほうへである。いままで粛然として影のように立っていた雲水たち――九度山衆がそのあとに従う。その中には、世にいわゆる真田十勇士と呼ばれためんめんも混っていたにちがいない。
伽羅は山城を見た。左兵衛を見た。それから四天王と小波、お弦を見た。
「さようなら」
涙がひとすじ頬につたわると、彼女は美しい鳥みたいに、真田衆を追って、小走りに駈け出した。
「殿さま、ありがとうございました」
べつに礼を述べた者がある。三宝寺勝蔵が、地面に坐っていた。
「本多長五郎さまが、必ずしも直江家の敵ではないことを知って、猿飛佐助、安心して九度山に帰れます」
伽羅が大国《おおくに》家に預けられた十余年前からそのそばについていて、ひそかにそれを護って来たこの真田の郎党は、坐ったままお辞儀して、それから起ちあがり、
「おさらば」
いい捨てて、これまた伽羅を追っていった。その朱色の半被《はつぴ》の背には、あざやかに一文銭が浮き出していた。
山にはただ大竹藪が、海のように鳴っているばかりであった。
あとにとり残された人々は、しばらくその音の海底にゆらめく藻《も》みたいに立っていた。
「では、帰るか。――」
と、馬上の山城が声をかけた。
このとき四天王は、顔を見合わせた。一語も交わさないのに、彼らはうなずき合った。
「殿!」
と、ヒョット斎がいった。
「拙者どもも、ここにてお別れ申したい」
「なに?」
動きかけていた直江山城は、手綱をひきしめた。
「拙者ども、これ以上山城さまのもとにおっても、何のお役にも立ちそうにござらぬ。――」
ヒョット斎の声にかぶせて、
「見そこなっておった、と申しても失礼ではござるまい」
と、上泉主水がうめいた。
「われらが上杉家に随身《ずいじん》いたしたのは、ただ無為《むい》にして屈する――無為どころではない、小心翼々としてみずからを護るのみの御方針に協力するためではないっ」
「叛《そむ》きには二種ある。裏切りと、叛骨によるものと――前者はおのれの利のためにあえて天の理に叛き、後者は天の理のためにあえておのれの利に叛くもの――という平生の御持論は承っておったが、山城さまのやりようは、まんまとその裏切りに当るものではござるまいか?」
と、いったのは、ふだんケチンボの論理に徹した岡野左内だ。
「あいや、もはや必死の叛は行わぬのだ、という御意向もそのわけも承った。その理窟《りくつ》、優雅過ぎて何やらくさいと思うておったが、いまやっぱりそのボロが出たように存ずる。必死の叛でない叛は、もはや叛ではない!」
「拙者どもの期待しておったのは、叛にいのちをかけた山城守さまでござる!」
車丹波が吼えた。
「かつて、侠《きよう》の一字のために徳川に一泡吹かせた風雲児、直江山城はどこへゆかれたか!」
その髯だらけの頬は、熱涙にぬれていた。いや、丹波だけでなく、まだ全身|朱《あけ》に染まった四天王の眼には、すべて憤涙があった。
「そこにおわす山城さまは、ほんものの直江山城どのでござるか。――けっ」
そして、突然彼はケタケタと笑い出した。
同時に、ほかの三人も笑い出した。それはまさに泣き笑いであった。大竹藪のざわめきをかき消すような四天王の大|哄笑《こうしよう》であった。
「山城さま!」
四人はさけんだ。
「では、これでお別れつかまつる!」
彼らは一礼し、伽羅の去った道を、ズタズタの袖無《そでなし》羽織をはためかしながら、砂塵《さじん》をあげて駈けていった。――
馬上の山城は、無表情のまま、微動もしなかったが、
「殿さま、わたしたちも参ります」
「伽羅さまのおんもとへ」
という声を聞いて、さすがに顔色を動かせた。小波とお弦がお辞儀をしていた。
彼は黙ってうなずいた。
二人の女はこれまた四天王のあとを追っていったが、その姿が藪のかなたへ消えたころ――そのあたりで、
「わっ」
「ぎゃっ」
というただならぬ声が、こちらにまでひびいて来た。
「あれは何でござる?」
新免武蔵が刀をとり直した。
「どうやら、車丹波と上泉主水らしい」
山城は、はじめて苦笑の翳《かげ》を片頬に刻んだ。
「女たちが追っかけて来るのに気がついて出した声じゃ」
武蔵には何のことかよくわからなかったらしいが、本多長五郎は笑っていた。
「みんな、いってしまいましたな」
と、その長五郎が笑いを消していった。
「ところで拙者も、もはや用済み。――だいいち、伽羅のいない直江家に帰ってもどうしようもござるまい。これにて御免|蒙《こうむ》ります」
「どこへゆかれるな?」
と、山城が聞く。
「いや、さきごろ駿府の父から新しい指令が参りましてな。どうにもまだ前田家が気にかかるそうで。――されば、これから加賀のほうへ、ようすをうかがいに参ろうと存ずる」
――彼が阿国歌舞伎に出入していたのは、そこにかよう細川の御曹子と、いまだ断ち切れぬ前田家との関係を監視するためであったとは、知る人ぞ知る。
そして、この大御所|帷幄《いあく》の謀臣本多佐渡守の子にして大隠密たる男は、
「おさらばです。――武蔵、参れ。――」
と、彼の護衛兵をうながして、これは北の八瀬へゆく道へ歩み出した。――新しい働き場所を求めて。
依然、うなりつづける下り松と大竹藪の中のまるい空地に、直江山城は、わずかに動いた中天の日に、おのれと馬の影を落して、ひとり黙然と立っていた。
――三年半後。
元和《げんな》元年五月七日の昼過ぎ。――大坂城は最後のときを迎えようとしていた。
「おお……真田丸から火があがった!」
「真田丸が燃えておるぞっ」
大坂城を包囲した二十万余の東軍はどよめいた。それは歓呼というより、溜息《ためいき》に近かった。大坂城の南東――平野口に、新月のかたちに作られたその砦《とりで》ほど彼らを悩ましたものはなかったからだ。
前年十月、浅野方の厳重な監視にもかかわらず、伽羅・大助《だいすけ》という子、その他一族郎党をつれて、煙のごとく九度山をぬけ出した幸村は、いわゆる「冬の陣」で、大坂城に真田ありという名を高くした。とくに十一月四日、真田丸に殺到した越前兵、加賀兵を殲滅《せんめつ》したいくさは、爾来《じらい》その六文銭の旗を恐怖の的《まと》とした。
そして――まやかしの和睦《わぼく》後、「夏の陣」の火ぶたが切って落とされた。裸城《はだかじろ》にされた大坂城はいっきょに破滅の運命を迎えた。
この前日の五月六日。
誉田《ほんだ》に布陣した真田兵に、伊達政宗みずから率いる八百余騎の騎兵集団が襲いかかった。これは同じ日、大坂方の猛将後藤|基次《もとつぐ》を斃《たお》した精鋭であった。黒雲のごとく疾駆して来る伊達軍に対し、真田兵は槍をならべて折敷《おりし》いたまま毛ほども動かず、かえって突撃して来た伊達軍が一瞬ひるんだすきに、突如真田兵はむらがり起《た》ってこれを撃滅し、さしもの独眼龍を敗走させ、以後再襲を進言されても、政宗は怖気《おじけ》をふるって首をたてにふらなかった。
まさに、大坂城のロンメルといっていい。
が、この日、五月七日、東軍の総攻撃についに城方は潰《つい》え、真田丸にも火があがったのである。
で、平野に陣した家康が、本多佐渡をかえりみて莞爾《かんじ》としたとき――前方から嵐《あらし》のような叫喚が吹いて来た。
「真田だ!」
「真田勢が来たぞっ」
真田家は、かつて武田信玄の宿将であったころから、その旗指物《はたさしもの》、軍装《ぐんそう》まですべて朱色で、世に真田の赤備《あかぞな》えと呼ばれた。その真紅《しんく》の一隊が、どこをどう通って来たのか、このとき家康の本陣に真一文字に突入して来た。
その猛撃に家康|麾下《きか》の旗本は潰乱《かいらん》し、家康は身をもって逃れた。
このときの危急ぶりについて、諸書にいろいろ話がある。将座に身代りとして本多上野介が残り、それを護って踏みとどまったのは大久保彦左衛門忠教《おおくぼひこざえもんただのり》ただ一人であったとか、逃走した家康の身辺にあったのは、政僧|金地院崇伝《こんちいんすうでん》と本多正重[#「本多正重」に傍点]の二人だけであったとか。家康もいちじは逃れられぬと観念して自殺を思い立ったとか。――
ともあれ、幸村は流星光底、長蛇を逸し、ようやく態勢を立て直した徳川方の大軍の包囲の中に全滅した。
「真田は五月七日の合戦にも、家康卿の御旗本さして一文字に打込む。家康卿おん馬印臥《うまじるしふ》さすること、異国は知らず日本にはためし少き勇士|也《なり》。ふしぎなる弓取《ゆみとり》也。真田備えおる侍を一人も残らず討死させる也」(山下秘録)
この前後だ。
平野川の一郭に陣していた上杉勢にも、混乱が起った。上杉勢は東軍としてこの戦いに参加していたのである。
「真田だ! 真田だ!」
「真田がこっちにも来たぞっ」
最初のこの恐怖は、襲撃して来たのがわずかに四人ということが明らかになっても収まらなかった。上杉勢の叫喚を圧する大音声《だいおんじよう》が渡って来た。
「真田四天王推参したりっ」
「直江山城はいずこにある」
「豊家を裏切った山城、そのしゃっ面《つら》をここに出せ」
「武士の魂あるならば、ここに見参《げんざん》せよ!」
平野川の河原の芦《あし》の中に、三、四十騎に護られて、上杉景勝と直江山城は馬をならべて立っていた。
激闘の渦の中に、四本の旗指物が見えた。ズタズタに裂けたその旗に、「大ふへん者」「天下一」の文字や、火のくるま、十字架などの模様が描かれていることを、直江山城だけが読みとった。
何百という上杉勢を蹴散《けち》らし、はね散らし、その四人の武者は突撃して来た。その爛々《らんらん》たる眼、ひっ裂けるようにあけた口まで見えた。それはまさに阿修羅であった。
直江山城は、前にならべた銃隊に命じた。
「撃て!」
凄《すさ》まじい銃声のかなたで、四人はもんどり打った。
硝煙と土けぶりの中に、どういうわけか「天下一」と火のくるまの旗だけ折れて地上につっ立ち、烈風にはためいていたが、四人の叛旗兵はことごとく伏して動かなかった。
「愛」という文字を前立《まえだて》にした兜《かぶと》の下で直江山城の眼に涙があった。
この直後、家康がそばを通って逃げていったが、そのときはまだこれが上杉勢だと見分ける余裕はなかった。翌日になって家康はこの光景を思い出して人に語った。
「前日の戦いに、みずから三十四、五騎を将《ひき》いて、芦洲《ろしゆう》の中に下り、粛然としてその地を動かず、戦闘を傍観するの状を為《な》したる者、直江山城ならざるなからんや」
――しかし、大坂落城後、兵を撤してみちのくへ去る上杉軍のうち、景勝、山城ともに、すでに死者の列にはいったかのようであった。
大名旗本諸家の系図と伝記を集めた「寛政重《かんせいちよう》 修《しゆう》 諸《しよ》 家譜《かふ》」は、本多佐渡守の次男正重が、徳川の大敵ないし大敵となる恐れのある家々をめぐっていった怪事を、次のような無味乾燥な文字で伝える。
「本多正重。――長五郎。
正木左兵衛と名のり、宇喜多秀家に属し、のち上杉景勝が家臣直江山城守|兼続《かねつぐ》が女婿《じよせい》となり、其《その》のち故《ゆえ》あって米沢を退き、前田利長に仕う」
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『叛旗兵』昭和59年7月25日初版発行