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修羅維新牢《しゆらいしんろう》
山田風太郎
目 次
江戸・明治元年
一人目・沼田万八《ぬまたまんぱち》
二人目・橋戸善兵衛《はしどぜんべえ》
三人目・寒河右京《さむかわうきよう》
四人目・曾我小四郎《そがこしろう》
五人目・大谷十郎左衛門《おおたにじゆうろうざえもん》
六人目・桑山軍次郎《くわやまぐんじろう》
七人目・早瀬半之丞《はやせはんのじよう》
八人目・鰻谷左内《うなぎだにさない》
九人目・久保寺民部《くぼでらみんぶ》
十人目・田代主水《たしろもんど》
牢の中・いのち十人
牢の外・いのち一人
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江戸・明治元年
だんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]と称するズボンに筒袖《つつそで》羽織を着た姿は可笑《おか》しいが、太い白|木綿《もめん》の帯で吊《つ》った大刀はことごとく太目《ふとめ》で恐ろしかった。とくに隊長格らしい、赤、黒、白の長い毛をなびかせたかつら[#「かつら」に傍点]は、まるで別世界からやって来た怪物そのもののようであった。赤熊《しやぐま》が土佐《とさ》兵、黒熊《こぐま》が薩摩《さつま》兵、白熊《はぐま》が長州《ちようしゆう》 兵ともいうし、あるいは官軍全体としての階級をあらわすともいう。ただそれらすべてが、筒袖に錦《にしき》の一片――いわゆるきんぎれ[#「きんぎれ」に傍点]を縫いつけているのは同じであった。
三月の半ばごろから、そんな異形《いぎよう》のむれが江戸に続々とはいり出し、以後、町々を横行|闊歩《かつぽ》しはじめた。――
これに対する幕臣や江戸市民の状態はどうであったか。このときのさまざまの記録を見ると、七十七年後の米軍の東京進駐当時の政府や軍人や市民の様相とあまりに似ているので驚く。
いや、驚くには当らないかも知れない。人間というものは、相似た外部的条件には相似た反応を示すのがあたりまえで、そもそも太平洋戦争で、日本が果して降伏するか、という懐疑を抱いたアメリカが、明治元年のこの歴史を調べて、その可能性のあることに確信を持ったといわれているほどである。
三月六日、東海道|鎮撫《ちんぶ》大総督参謀は通告した。
「江戸城を明け渡すこと。兵器軍艦一切相渡すこと。将軍の暴挙を助けた面々は厳重に取調べ、断罪すること。
玉石|倶《とも》に砕く意志はないが、もし抵抗する者があって手に余れば、力をもって断乎《だんこ》鎮圧する」
あたかもこれはポツダムからの連合国の左の意味の通告にひとしい。
「日本国内の諸地点は占領される。日本国軍隊は完全に武装を解除される。一切の戦争犯罪人に対しては厳重に処罰を加える。
日本国民を奴隷化しようという意図はないが、右以外の日本国の撰択は、迅速かつ完全な滅亡あるのみである」
これに対して幕臣有志は哀訴した。
「神祖の基地たる江戸城、皇国守衛の根本でもある兵器、関八州及び駿遠参の保持、この三か条のみは格外無比の恩典をもってお許し相成りたい」
これが、昭和二十年八月の陸軍少壮将校たちの阿南《あなみ》陸相に対する涙ながらの主張と何とまあ同じであることか。
「天皇制護持、国軍みずからによる武装解除、日本本土と朝鮮台湾の保持、この三条件が容認されないならば、ポツダム宣言を拒否されたい」
阿南といえば――官軍が進駐を開始した三月十五日、「ただ落涙のほかなし」と記して自決した幕末切っての名官吏|川路聖謨《かわじとしあきら》は、「いい遺すべき片言《かたこと》もなし」と詠んで、割腹した陸相阿南|惟幾《これちか》にあたるものといえようか。
また将軍江戸を去らんとして、「この際、主公の御心中、いうにたえず、見るに忍びず」と記した勝海舟《かつかいしゆう》の日記は、「陛下の白い手袋の指はしばしば頬《ほお》を撫《な》でられ、私たちは正視するに耐えなかった」と書いた下村海南《しもむらかいなん》の記録と照応する。
また、幕府主戦派の巨頭であって、執拗《しつよう》に箱根《はこね》決戦を主張し、そのために罷免《ひめん》された海軍奉行|小栗《おぐり》上野介《こうずけのすけ》は、隠退先の上州で逮捕され処刑されたが、死に至るまで、「国亡び身|斃《たお》るるまで公事に勉励するこそ真の武士なれ」と豪語したが、これは隠栖《いんせい》先で逮捕され、絞首刑になる直前まで、「大東亜戦争は日本にとって死中に活を求める戦争であって、その指揮をとったことを余は恥じない」と明言した東条《とうじよう》大将そっくりではないか。
ついでにいえば、下総流山《しもうさながれやま》で捕えられ、板橋《いたばし》に送られて、首穴の前で従容《しようよう》とひげを剃らせて斬首《ざんしゆ》された新選組隊長|近藤勇《こんどういさみ》は、フィリピンで捕えられ、ロス・パニヨスの刑場で、「なぜもう少し早く起してくれなかったか」と執行人にとぼけた苦情をのべて絞首刑になった山下《やました》将軍に彷彿《ほうふつ》としているといえないこともない。連合国から見たシンガポール攻略は、倒幕派における池田屋|斬込《きりこ》みのような凶行であった。
さらに、当時の江戸市内の騒擾《そうじよう》ぶりは、
「このごろの諸|藩邸《はんてい》、旗本よりして、市街の者ども、貨物を輸して近郊に運ぶ。日夜を分たず、これがために人夫数千、市街出火のごとく、令しきりに出づれどもさらに聞く者なし。たいてい旗本は知行所へ蟄居《ちつきよ》し、あるいは近郊に潜居す。ゆえに強盗これを知って四方に起り、貨物を掠奪《りやくだつ》し、婦女を犯す。また悲しむにたえたり」
と、「海舟日記」にあるが、これまた敗戦直後の軍人の所業や、米軍進駐と聞いて避難騒ぎを起した東京の婦人たちの姿を想起させる。――
このように、その経過の様相は悲しいほど似ているが、しかしむろんそっくり同じというわけではない。その最も顕著な相違は、明治元年の江戸では彰義《しようぎ》隊その他、占領軍に対する直接の抵抗があったが、太平洋戦争では徹底的に打ちのめされて、ついぞそのたぐいのことが起らなかったことであろう。
逆にいえば、明治元年の江戸では、焼野原にならなかっただけに、まだ事態の推移がよくのみこめず、進駐して来た官軍を見ても、なお現実が信じられないといった人々が少なくなかったということである。
それだけに、官軍の兵士たちは、どこへいっても白い眼か、そこまでゆかなくても面従腹背といった市民の態度に逢《あ》わなければならなかった。
「おいこら、上野《うえの》はどっちかあ」
神田筋違《かんだすじか》いあたりで、官軍にこう聞かれた若い衆が、
「へえ、あっちでさあ」
と、両国《りようごく》のほうを教えて、あとで腹をかかえて笑う。
吉原《よしわら》へ駕籠《かご》を走らせた官軍の隊長が、大音寺門前あたりでわざと横っ振《ぷ》りされていきなり振り落される。それでも、どかどかと廓《くるわ》へ上り込んだ赤熊《しやぐま》以下の一隊が、酒を飲んで鞭声粛《べんせいしゆく》 々《しゆく》と騒いだあと、さてという段になると女郎たちはみんなそっぽをむいている。
「うぬらあ、どうしたか」
と、吼《ほ》えると、花魁《おいらん》の一人が、
「ここは芸者屋じゃありませんのさ」
と朱羅宇《しゆらお》の長《なが》煙管《ぎせる》から横に煙を吹いていう。
官軍の兵士はみな肩にきんぎれ[#「きんぎれ」に傍点]をつけていたが、こればかりを狙《ねら》って掏《す》る巾着《きんちやく》切りがあって、官軍が血まなこになって追いまわし、やっと万世橋《まんせいばし》でつかまえたとき懐中にきんぎれ[#「きんぎれ」に傍点]を五十何枚か持っていて、胸のすくような啖呵《たんか》を切って首を斬られたという。
とくに、官軍が江戸城にはいるに及び、土足で城に上った兵士があるという噂《うわさ》が伝えられてから、市民の反抗はやや逆上気味になって、夜中往来する官軍に投石したり、酔っぱらってからかったりする者が続出し、これに対して官軍の反応も荒々しくなった。こんな乱暴者に対してはむろんのこと、何もしない市民までいいがかりをつけて斬りたたき、中には抜き身で追いかけられてやっとどこかの家へ飛びこんだものの、恐怖のあまりそこで心臓|麻痺《まひ》を起して死んでしまった例もあったという。
そして、ひとたびは西郷《さいごう》と勝との交渉によって無血進駐を迎えたかに見える江戸に、やはりこのまま無事にはすみそうにない暗雲が見え出していた。上野に集まる旗本や御家人《ごけにん》の集団である。
彼らが「彰義隊」という名までつけて血盟し、かつ同志をさらに募《つの》っているらしいことを探知して、官軍が神経をとがらせているときにあたり――三月末から四月にかけて、果然、占領軍を逆上させずにはおかない事件が相ついで起った。
官軍の、しかも隊長クラスの人間がつづけざまに殺されたのだ。夜中往来しているときに四人。白昼、しかもその一人は騎馬であったのに、これが三人。いずれも単独であったにせよ、すべてただ一太刀か二太刀で、凶行者が恐ろしく腕の冴《さ》えた人間であることは明らかであった。しかも、ことごとく鼻を削《そ》がれた、酸鼻《さんび》で滑稽《こつけい》な殺しかたであった。むろん徳川方の侍のしわざに相違ない。
同じ残忍な下手人によると思われる犠牲者が、四月半ばまでに二十数人に上った。
江戸じゅうのいたるところに制札が立ち、布告が貼《は》り出された。
「過日以来、しばしば官兵を暗殺し凶暴を逞《たくま》しうするの条、実に国家の乱賊たり。右の者見付け次第|誅戮《ちゆうりく》すべきはもとより、万一これを知りて扶助|隠匿《いんとく》いたし候者は、賊と同断、厳刑に処すべきもの也《なり》。
慶応四年四月十五日
[#地付き]大総督府参謀」
幕府小十人|頭《がしら》、千石取りの旗本の戸祭隼人《とまつりはやと》は、赤坂氷川《あかさかひかわ》の勝安房守《かつあわのかみ》を訪れた。
勝邸の門の内外は騒然としていた。雨の多い春で、その日は午後から珍しく日の光がさし、勝邸のすぐうしろにある氷川神社の森の緑がいよいよ鮮やかであったが、それに見とれる人はなかったろう。門までの道のひどいぬかるみも、ここへ往来する人間のおびただしさを思わせるが、はねあがる土を気にする人もなかったろう。
ゆく者、戻る者、大半は旗本や御家人で、沈鬱《ちんうつ》に腕ぐみして歩く者、虚脱したように佇《たたず》んでいる者もあったが、大部分はつりあがった眼を血走らせていた。いずれも降伏不満派であった。
「安房守どのはお留守である」
「お帰りはいつになるかわからん」
「たとえ御在宅であっても、いちいちこれだけの人数に会えるか」
「みな、ひきとらっしゃい!」
玄関の前に、一団の壮士が立ちふさがって、訪れた連中を追い返していた。
山岡《やまおか》一門だな、と隼人は見た。勝邸の守護に当っているのは明らかだが、なるほどこれでは用心棒が必要だろうし、あの連中なら大丈夫だろう。
隼人は遠くでそれを見ただけで、ひき返そうとした。
すると、門のほうでひときわ高い喚声が起って、馬に乗った勝がはいって来た。彼が他出中だというのはほんとうであったのだ。ぬかるみとざわめきのために、蹄《ひづめ》の音が聞えなかったものと見える。
それを見て、玄関先の用心棒たちが駈《か》けて来る前に、押しかけた侍たちにとり囲まれ、勝は苦笑いを浮かべつつ、しかし平気な顔で、馬を横へ歩ませてゆこうとしていた。
「お城はもう明け渡したんだ。負けるときは、負けっぷりをよくするもんだ」
下から何かいったやつに、勝は答えた。旗本たちは昂奮《こうふん》して、火の渦《うず》みたいになった。
「お城を明け渡されたのはあなたではないか、われわれに断わりもなく――」
「お前さんたちに相談して何になるかよ、旗本八万騎、それだけ頼り甲斐《がい》があれア、いままでに徳川はこんなざま[#「ざま」に傍点]になってやしねえ」
いま身分がどうなっているのかわからないが、ほんのこの間まで幕府の陸軍総裁、海軍奉行並であった人間とは思われない伝法な口調であった。
「いまごろになって、上野にたてこもって一騒ぎしようってえ馬鹿どもがいるそうだが、この中にそれに吊り込まれたおっちょこちょいがいるかえ?」
笑いながらいうと、紫の花の房の垂れた藤《ふじ》の木の下で、勝は馬から飛び下りた。そして、血相変えて駈けて来た用心棒たちに片手をあげ、あごをしゃくった。来るな、といったのだ。
用心棒たちを見て、やや鼻白みつつ、それでも悲憤の声をしぼった者があった。
「お手前には、武士の意気地というものがおわかりでないのか!」
「それを見せたきゃ、江戸から離れてやってくれ」
と、勝はいった。
「とにかくいま、江戸であばれられると、ますます徳川家に具合が悪くなる。なんとかして、おれは上様のおいのちだけはお助けしたいと苦心して来たんだが、お前さんたちゃ、徳川を滅ぼし、そのうえ上様を殺す気か」
そのときやっと追いついて来た馬丁に、勝は手綱を渡した。屋敷には用心棒がいるのに、どうやら勝は外出中、つれて歩いていたのはその馬丁だけであったようだ。その用心棒も、おそらく勝が望んで傭《やと》ったものではあるまい。
馬丁は、馬を厩《うまや》の方へ曳《ひ》いていった。
「いやさ、徳川や上様はともあれ、いたちの最後ッ屁《ぺ》みてえな武士の意気地で、罪もない江戸百万の町人を火で焼きつくすつもりか、この大べらぼうめ!」
勝は一|喝《かつ》した。
「まかりちがうと、江戸市民はおろか、日本一国が焼けつくすぞ。だいたい幕府と薩長との間に勝つも負けるもない。兄弟|喧嘩《げんか》みたいなもんだが、それにのぼせあがって異人につけ込まれて、支那《シナ》や印度《インド》の二の舞いを踏んでいいのか。いったん国が二つに割れてよその国のあと押しが始まると、あとあと大変なことになるってえことがわからないのか!」
用心棒たちが見張ってはいるが、それにしても十数人の殺気立った連中に包囲されて、全然恐怖というものを感じてはいないような勝安房だ。こわい顔で頭ごなしに叱《しか》りつけた。
「おれはいま大総督府に呼ばれてね、江戸市中の治安取締りを命じられて来た。このごろ馬鹿《ばか》に官軍を斬るきちがいが出て来たそうで、あちらさんも血相変えてこっちにねじ込んで来たわけだが、これでなお乱暴を働くやつがあって、それが徳川の侍であるかぎり、そいつをおれがひっくくらなけりゃならない責任が出来た。――まだ事の見さかいのつかないやつがあったら、泣いて馬謖《ばしよく》を斬るつもりで大総督府へ引き渡すぜ、いいかえ?」
勝はそういって、つかつかと歩き出した。本来なら、さらに聞き捨てならぬ宣言だが、その気迫に打たれて、旗本たちは思わず道をひらく。
勝はそのまま玄関のほうへゆきかけたが、ふと――そこからやや離れて一人立っている戸祭隼人を見た。
隼人は目礼した。勝は歩いて来た。
「隼人、お前も来ておったのか」
「いえ、私はただお別れの挨拶《あいさつ》です。一目《ひとめ》お会い出来ればそれで満足で」
隼人はかつて海舟の弟子であった。もう十年ほど前、彼がまだ十七歳のときになるが長崎《ながさき》海軍伝習所の生徒として。――またその後、四年ばかり前、神戸《こうべ》海軍操練所の学生として。
彼はむろんこんどの勝の江戸城明け渡しの鮮やかな手際を承服してはいない。しかし同時に、勝のものの考えかたもよくわかっていたのである。――あれはこの人の道、これはおれのゆく道、とかたく信じるところがあって、きょうは勝に文句があって来たのではなく、ただ訣別《けつべつ》の挨拶に来たのであった。
しかし、勝のくぼんだ眉《まゆ》の下の眼は、鷹《たか》のようにひかった。
「別れの挨拶に来たといったな」
隼人は少々あわてた。
「いえ、かかる大変事の時でござれば、おたがいに明日のことはわからず、もはや今までのようにめったにお会い出来ぬものと思われ――」
「ふん、お前、これからどうする」
「知人を頼って、ひとまず川越《かわごえ》に落ちるつもりでおります」
勝は黙って、この実に若々しく生命力に満ちた旗本を見上げ見下ろしていたが、ふいに小声でいい出した。
「戸祭。――ところで、榎本《えのもと》に逢ったらな」
「は――?」
「面白いから、もういちどやって見るがいいとおれがないしょでいったと伝えておけ。ただし、むろんそれまでに一騒ぎなければならず、おれも役目上、尤《もつと》もらしい顔でまたとめにゆくかも知れんが、それは公式上のことだ」
にこっと笑った。
「榎本はもちろん、お前もこんなことで殺すのはもったいない。とくにお前のような若い人間は殺したくないが……しかし、徳川海軍のそれこそ意気地の見せどころと思や、おれも眼をつぶる――いや、眼をあけて見てみたい気もあらあな。しっかりやんな」
ほんのいま武士の意気地とやらを笑殺したのに、こんどはそんなことをいう。自分でも可笑《おか》しくなったのだろう。声に出して笑いながら勝は背を見せ、あたりにむらがる侍たちなど眼中にないかのように、スタスタと玄関のほうへ歩いていった。
戸祭隼人は茫然《ぼうぜん》としてそのうしろ姿を見送った。勝は、自分が川越在へゆくといった言葉をまったく耳にいれてはいない。
隼人はまさに、江戸湾から蝦夷《えぞ》へ走ろうとする海軍副総裁榎本|武揚《たけあき》に従い、幕府艦隊に身を投じて、遠からず北へ脱走しようとしていたのであった。
日暮れがたに戸祭隼人は、番町《ばんちよう》の自分の屋敷に帰って来た。また雨がふり出していたが、勝邸のあと、二、三軒を訪ね、最後の家から傘《かさ》を借りたので、それをさして歩いている。
もう夕暮で、しかも雨がふっているというのに、いったいどこへ逃げようというのか、往来にはしきりに家財を積んだ馬や大八車が通る。人足はおろか、あきらかに侍姿のくせに、大きな荷を背負ってゆく者もある。
その中を闊歩してゆくのは、だんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]の官軍だ。たいてい、四、五人が一団となり、酔っぱらっているやつが多く、これがうしろからやって来て、ゆくての邪魔になると足をあげて通行人を蹴《け》る。蹴られて、泥の中に四つン這《ば》いになり、血相変えてふりむくが、相手が官軍だと見ると、急に卑屈な愛想笑いを浮かべる。
――虫けらどもだな。
隼人は切歯した。
どちらに向ってもだが、とくに江戸市民に対しての怒りのほうが烈《はげ》しかった。なるほどこれでは勝さんが見通したように、江戸で最後の抗戦をするなどということは夢物語であったにちがいない。
とはいえ、悲憤しながらも、隼人は官軍と見れば注意深く道をあけ、傘を伏せてやり過ごしている。江戸は頼むに足らず、と見たのは今になってのことではなく、だから彰義隊の誘いになどはじめから乗っていない。
――今に見ておれ、北のほうで徳川の侍の手並みを見せてやるぞ。
しかし、勝邸を訪れたときのむしろ昂然《こうぜん》たる眉宇《びう》は、家に近づくにつれ、次第に憂愁にかげっていった。
番町は旗本街といっていいが、もう死の町のようであった。ほとんど家人が、大あわてで、相州とか武州とか下総あたりへ逃げていってしまったからだ。
隼人の胸をかげらしたのは、今さらの市中の騒ぎぶりやこの屋敷町の静寂ではなく、やはり母のことであった。
母一人子一人の家で、彼はまだ自分が蝦夷へゆくことをその母へ打明けてはいない。ただ、さきに逃がした老|中間《ちゆうげん》の故郷の川越に避難場所を見つけ、母だけを先にやり、自分はいましばらく江戸のようすを見てからあとでゆくことにする、といってある。――しかし、母はいった。
「あなたがこのまま徳川家を見捨てて川越などへ逃げて来るはずがないではありませんか。あなたは彰義隊とやらへはいるつもりでしょう。わたしはあなたのゆくえを見とどけてから、江戸を離れます」
なんといっても承知しない、おそらく母は江戸で死ぬ覚悟だろう、と彼は信じた。
軍艦に乗って蝦夷へゆく、といったら、母は必ず品川《しながわ》まで見送りに来るだろう。しかし江戸湾脱走前後に必ず起ると見られる一連の騒動を思うと、それに母を巻き込むのはたえられないし、だいいち軍艦が海の果てに消えるとともに、やはり母は自害するにちがいない、と彼は考えた。
とにかく、この際は母を逃がすことだ、と彼は焦燥《しようそう》し、その説得に許婚者《いいなずけ》のお縫《ぬい》を頼んだのである。お縫はやはり番町の旗本の娘で、彼女だけには事実を打ち明け、ともに川越へ落ちるのみか、それからあとの母親もよろしく頼む、と依頼した。
その母への最後の説得に、彼女はきょうの午後も家へやって来てくれているはずだが。――
お縫のことを考えると、母に対すると同様に彼の胸はかきむしられる。
見たところは、やさしく美しい娘に過ぎないが、彼がそんなことを頼むだけあって、しんはしっかりして、心から信頼していいお縫であった。ほんとうなら去年のうちにも祝言をあげているはずなのだが、なにしろ幕府が倒れるという騒ぎでそれどころではなく、ついに許婚者の仲のままでこういう依頼をするのやむなきに至った。
そもそも彼女の父親は半月ほど前、将軍家が江戸を去った日、千住大橋《せんじゆおおはし》まで見送って帰って、すぐに切腹して死んでいたほどである。
自分が蝦夷へいったあと、彼女たちの運命がどうなるか、まったく想像を絶している。とくに十中八、九まで自分は死ぬであろうと思えばなおさらのことだ。
暗い雨の中を歩きながら、お縫の白い面輪《おもわ》と訴えるようなまなざしが浮かび、隼人の眼は哀切の思いにかげらずにはいられなかった。
が、あるところで、彼の眼はかがやきを帯びた。顔が赤らんだ。
お縫とは、そういう関係で過ぎて来た。そしてまたおそらくは永遠の別れと思えばこそ、いよいよきれいに、とみずから戒めて来たが、しかしそれが果して人間として正しいことであろうか? 明日《あした》の運命《さだめ》はいかにもあれ、こうまで深く愛し、信じ合った男と女なら、たとえ一夜なりともそのこころと身体を燃やしつくして何の恥じるところがあろう? いや、そうしないほうが、かえって恥ずべきことではあるまいか。
そうだ、今宵こそ!
そう思い、面《おもて》をかがやかせて、隼人が最後の塀《へい》の角《かど》を廻ったときだ。
「だれか――だれか来て下せえ!」
数間先の暗い往来へ、両手をあげて飛び出して来た者があった。それが自分の家の門からだと見、自分の家の中間《ちゆうげん》の影だと知って、はっとして隼人は駈け出した。
「与平《よへい》ではないか」
「あっ、殿さま。――」
与平はさけぶと、舞うようにして倒れた。肩さきから黒い水みたいに地にはねたものがあった。斬《き》られているのだ!
「たったいま、きんぎれ[#「きんぎれ」に傍点]が三人。――」
抱きあげようとして隼人ははねあがり、猛然と門から駈け込んでいった。
「隼人だ、帰って来たぞ!」
また、二、三人の下男下女が転がり出して来て、「あっ、殿さま、早く、早く――」と、すがりつかんばかりにするのをはねのけて、彼は物音の聞える奥座敷に走った。
その跫音《あしおと》を聞きつけたのであろう。ゆくてから縁側に、一人のだんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]が現われた。
「誰《だれ》じゃ、邪魔すッなといったのがわからんか?」
どん、ぎゃっ、というような音が、その声を断《た》った。どんは廊下を踏み鳴らしたひびきであり、ぎゃっはその男の断末魔の絶叫であった。
一刀のもとにその官兵を庭へ斬り落して、隼人は座敷にはいろうとした。
中から、あわててもう一人|髯面《ひげづら》が出て来た。すでに抜刀した白刃をふりかざして出ようとしたのが、鴨居《かもい》に斬り込んで棒立ちになったのを、ほとんど胴を両断せんばかりにし、その血しぶきを浴びつつ隼人は中にはいった。
隅《すみ》のほうに、老母がうつ伏せに倒れていた。壁ぎわにお縫が押しつめられていた。髪は乱れ、きものは裂けて、一方の乳房まであらわになりながら、片手に懐剣をにぎっていたが、帯はなかば解けて、前に立つ大男の腕にとられていた。――この凄艶《せいえん》な姿は、あとでわかったところによると、いったんねじ伏せられてから、必死にはね起きて、最後の抵抗をしようとしていた姿であったのだ。
大男はふりむいた。かつらの漆黒《しつこく》の毛が石《しやつ》 橋《きよう》の獅子《しし》のように廻った。しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶっていたところを見ると、隊長らしい。帯から手を離し、大刀をひきぬいた。むろん、仲間が胴斬りになって崩折れたのと同時のことだ。
「官軍に抵抗すッか!」
「けだもの!」
猛然と二人は相搏《あいう》った。実際に二つの肉体はぶつかり合ったのである。
戸祭隼人は一刀流の免許を受けていた。しかし、人を斬るのははじめてのことであった。おそらく人を斬った経験は、その官軍の隊長のほうにあったろう。勝負を決したのは、一刀流や経験ではなく、そのとき一方を燃えあがらせていた怒りと、他方を狼狽《ろうばい》させたひるみのせいであった。
二つの肉体は相重なったまま、お縫の立ちすくんでいた壁のすぐ横にどんとぶつかった。隊長はみぞおちをつらぬかれ、壁に縫いつけられた。
刀身のなかばまでめり込んだ相手のからだに足をかけてひきぬくと、白く眼をむいたしゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]は滝のような血潮の中に転がった。
「隼人さま!」
絶叫して、倒れながらすがりついて来た半裸のお縫を、朱《あけ》に染まった戸祭隼人は刀を投げ捨て、片ひざついていのちのかぎり、ひしと抱きしめた。が、それも一息。――
「母上!」
さけんで、彼は倒れている母のほうへ這い寄った。
老母は官軍につき飛ばされ、気を失っていただけであった。――あとで聞いたところによると、三人の官軍は、雨具を貸せとふいにはいって来たのだそうである。ちょうど雨が烈しくなったとき門前を通りかかって、灯影《ほかげ》が見える稀《まれ》な一軒が戸祭家であったからだろう。それを中間の与平が反抗的に断わったことから彼らはあばれ出し、その騒ぎに思わず奥から、訪れていたお縫が顔を見せて、その美貌《びぼう》が彼らの眼にとまったのが、この惨劇のはじまりであった。与平に重傷を与えて、彼らはずかずかと闖入《ちんにゆう》し、隼人の帰邸があと数分も遅れていたらどういうことになったかわからないという危機一髪の事態であったのだ。
「このけだものどもめが!」
誅戮《ちゆうりく》したあとでも、隼人の怒りはまだ醒《さ》めなかった。
与平を中間部屋に運ばせ、下女にどこか医者を探《さが》して来いと命じたあと、隼人は腕組みをして何やら考え込んでいたが、
「官軍の屯所《とんしよ》が、たしか小川《おがわ》町の講武所にあったな」
と、いった。
それからまたしばらくして彼は、桶《おけ》を三つと、木札一枚を用意することを下男に命じた。
その翌朝である。神田小川町の元講武所、いまは官軍の一屯所となっている門の向い側に、生首《なまくび》が三つ、その一つはしゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶったままで、雨の中にならべられ、そばの地面に番傘が刺し込まれ、その下に何やら書いた木札が立てられているのが発見されて、大騒ぎになった。
「薩賊入城以来、日夜民財を掠《かす》め、子女を姦し、暴虐いたらざるなし。錦旗はそも賊旗なりや。この醜骸もすなわち錦賊の一味にしてここに天剣を蒙《こうむ》らしむるもの、以後同様の所業を相働き候ものは、かくのごとく誅戮《ちゆうりく》せしむべきもの也《なり》」
おそらく夜の間に運んで来られたものだろうが、昨夜も雨がふっていて、番兵もまったく気がつかなかった。
三つの生首の鼻は、いずれもスッパリ削《そ》がれていた。
どこからどこへ逃げてゆくつもりなのか。
ここ芝《しば》三田三丁目の汐見《しおみ》坂にも、まだ朝は早いのに、そして雨がふっているのに、例によって家財道具を積んだ荷車がつづいていた。そして、坂がひどくぬかるんでいたので、一つの事故が起った。
坂を下って来た一台の大八車が、横にすべったかと思うと、そちら側の車輪がはずれて大きく倒れかかったのである。曳《ひ》いていた男も跳《は》ねあげられたが、運悪く、車と並んで歩いていた母親とその娘らしい幼女が、その下敷きになった。
いや、下敷きになろうとして、あやうくそれはとまった。ひざまずいたまま、とっさに母親がその全重量を受けて、両手をついてささえたのだ。
「お逃げ、美代《みよ》、はやくお逃げ!」
母親は死物狂いにさけんだ。娘は火のつくように泣きながら、逃げなかった。はずれた車輪に足をはさまれていたのだ。
「だれか、だれか助けて下さい!」
二、三人、駈け集って来て、娘をひきずり出そうとしたが、娘にかん高い苦痛のさけびをあげさせただけであった。車を立て直そうとしたが、何を積んでいるのか、恐ろしく重い上に、すでに重心が移動していると見えて、いっそう車を傾けさせる結果になった。
「ええ、じゃまだ、どけどけ」
「坂のまんなかで、何をマゴマゴしてやがるんだ」
すでにこの疎開行為そのものが保身の焦燥的発現である上に、まさにその通り坂の途中では、車をとめることも難しい。あとからあとからつづく大八車のむれは、事態もよくわからず、ただ遠くから怒声をあげるばかりであった。
母親の顔は紫色にふくれあがり、背骨がぶきみな音をたてた。あと数分で、その頸《くび》と腕の骨は折れたであろう。
そのとき、だれかが、猛然とその傍にはいった。
両腕を地につくと、凄《すご》いさけびとともにその首をあげた。かぶっている黒い長い毛が渦をまいたかと思うと、
「おおりゃっ」
恐ろしい力だ。高だかと積みあげた大八車は、ジリジリと押し返されていった。
「馬鹿! 汝《わい》たちゃ何故《なゆ》ボヤッとしちょッとか。はよ加勢《かせ》をせんか!」
茫然《ぼうぜん》と立っていた七、八人のだんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]たちが、あわてて駈け寄った。そして、車はもとにもどった。いましがた、坂の下から上って来た官軍の巡邏《じゆんら》隊であった。
母娘《おやこ》を助けた剛力無双の男は、頬《ほお》のあたりに何か金具でもふれたと見えて、ひとすじ血の糸をひいていたが、まだ真っ赤な顔にながれる汗とともに、部下のさし出すきれで無造作にふいて、土下座する母親に、
「よか、命あって、よか」
と、笑ってうなずいた。
三十一、二の男らしいというより剽悍《ひようかん》きわまる顔だが、その笑顔には、まさに泣く子も笑う無邪気さがあった。
「汝《わい》たちゃ、車《くいま》を直せッやッとよかが」
と、部下に命じたとき、坂の上から、大八車や人間を蹴散らして、一騎駈け下りて来たが、黒いしゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶったその隊長を見ると、馬から飛び下り、敬礼して、口早に何か報告した。
「なに、草牟田《そむた》が! 神田小川町の屯所前で? ほう」
隊長は驚きの声をあげると、いきなりその馬に飛び乗って、疾風《はやて》のように坂をのぼっていった。軍服に朱鞘《しゆざや》の大刀が、恐ろしく長かった。
薩摩屋敷が近いので、群衆の中に、その顔を見知っていた者がある。
「あれは東海道|先鋒《せんぽう》隊長だ」
「中村半次郎《なかむらはんじろう》という豪傑だ」
「薩摩第一の暴れん坊だというそうだが、案外やさしいところがあるじゃあないか」
「鬼の眼にも涙か。いや、あの涙のひとしずくでも、みんなきんぎれ[#「きんぎれ」に傍点]が持っててくれたら、こんな人泣かせはないはずだが」
中村半次郎はのちの桐野利秋《きりのとしあき》だ。彼は、さっきとは別人のようなきびしい表情で、四国町の薩摩屋敷の門前で馬から下りた。
薩摩屋敷は、旧臘《きゆうろう》いわゆる御用盗のむくいで幕府方の焼討ちを受けて、門も、あちこちの建物も立木も、あるいは焼け、あるいは焦《こ》げて惨澹《さんたん》たるものであったが、今日さすがに勝利の軍隊の本営ほどあって、右往左往する兵たちは活気に充ち満ちていた。東海道先鋒総督は芝|増上寺《ぞうじようじ》にはいっているが、西郷はここにあり、三月中旬の例の勝安房との江戸城明け渡しの談判もこの屋敷で行われたくらいで、真の官軍の本陣はここといってもよかった。
「草牟田が殺《や》られたっちゅは、ほんのこッか!」
奥庭に面する広座敷で、一枚の木札を中に何やら密議していた連中が顔をあげた。
「草牟田ばかりじゃなか。隊士二人も首を並べてじゃ」
「どこけ?」
「首は小川町の屯所前に置いてあったちゅが、殺《や》られたのはどッかわからん。首のそばにこげな文句を書《け》たものがあったと。首の鼻はみな削《そ》がれておったと」
中村半次郎は、木札の文章を読んで、激怒のために満面を朱に染めた。
「ひとを馬鹿《ばけ》にしちょッ。――例のやつじゃな!」
「じゃッどん、草牟田は荒武者じゃ。そいとあと二人も斬ッつは、ただもんじゃなか」
「旗本じゃな」
半次郎はうめいた。
「こいで、薩藩だけで、何人|殺《や》られたかのう」
「十一人……こいで十四人じゃ。下手人はわからんが、徳川の侍にきまッと!」
半次郎のからだが庭を向いた。かっと鍔《つば》が鳴ると、朱鞘から長刀がうなりを発して宙を一閃《いつせん》した。
「こん儘《まめ》な、しちゃおられんが。いったい親父《おや》ッどんがいかんとやッが。大腹中じゃなか。よか加減じゃッか。一番始《いツばんはツ》め、江戸へ入《へえ》ッ時《とツ》、幕軍に一大|鉄槌《てつつい》を加えんじゃッとが間違《まツげ》じゃった。そいばッかいじゃなか。江戸の鎮撫を勝安房なんぞ委《まか》すッちゅは何事《ないごツ》じゃ。いったい親父《おや》ッどんな、勝、信用しすぎッが」
「半次郎、親父《おや》ッどんの悪口《あツこ》を言《ゆ》な」
と、重厚な声でたしなめたのは、村田新八《むらたしんぱち》であった。しかし、沈痛な表情だ。親父《おやじ》とは、いうまでもなく西郷のことである。
「言《ゆ》う。俺《おや》、言《ゆ》が。そいなあ親父《おや》ッどんな、殺された十四人の命、責任ぬ取いやしか。こげんばかな死ン方をさせッ。俺《おい》たンもどんな面《つら》さげッ薩摩ン親どんたち挨拶出くいか!」
と、半次郎は咆《ほ》えた。まさに鬼神のごとき形相だ。
「こん儘《まめ》しちょッと、また一杯《いつぺ》犠牲者が出っど!」
そして、眼をすえていった。
「おいどんな、こゆ防《ふせ》ッ法《ほ》は、たった一ツあっち思《おも》が」
「どげんすッか」
「江戸で、誰《だい》でん彼《かい》でん、旗本んウロウロしちょッ奴《やち》ゆ掴《つか》めッ来ッな、薩摩ん者《もん》が一人《ひとい》でん殺されたなあ、十人斬ッとじゃが。そしてそん事《こちゆ》布告すッとじゃが」
みな、半次郎の顔を見た。さすがの荒武者たちも、皮膚が冷たくなるような、恐るべき徹底した着想であった。
薩摩兵が暗殺されたら、一人につき、罪なき江戸の旗本十人を斬る!
「そいもな、一番先、五人ぬ斬ッ。そいかあ下手人が名乗ッ出らんな、あとん五人も斬ッち布告すッとじゃが。よか具合《ふい》いけば、こいで下手人ぬ見っけ出《だ》ッが。そげんいかんでん、こいかあ先《さツ》、多勢《うぐツ》官兵を暗殺する奴《やち》ゃなか。いけんなじゃろ?」
「親父《おや》ッどんな、そげな事《こつ》、ゆるッしゃはんが」
「ゆるッしゃあんなあ、草牟田の命《いの》ッ返せちゅッやろかい」
中村半次郎は、長刀を鞘《さや》におさめて、仁王立ちになった。春の雨を背に、その姿は鉄の像のように黒く濡《ぬ》れたままで、それをふちどる雨滴は、冷たい炎のようであった。
「おいたちゃ官軍じゃ。江戸ん占領軍じゃ。官軍に向《むこ》ッ来ッ奴どんの蠢動《しゆんどう》を黙ッおいがないか。こいかあ上、官軍を犬死さすこッちゃ、錦旗に対して相すまんこッちゃ。江戸ん治安な、もう幕府方にまかせッおいがならん。こん儘《まめ》すりゃ官軍の士気にも影響すッが。またそゆ侮《あな》どッ、抵抗すうち思ちょッ幕臣がいよいよふゆッおそれがあッ。そげんなれば終《しめ》にゃ、敵も味方も死ん奴がふゆッばッかいじゃ。そげん道理のわからん親父《おや》ッどんじゃなかろが」
みんな、沈黙した。篤実をもって知られた村田新八も、重く強くうなずいただけであった。
反対の歯のたたぬ鉄血の論理だ。いや、彼ら自身、もとより入城以来ひんぴんたる官軍へのテロに憤怒していたのだ。
「一殺多生! 十殺多生!」
と、中村半次郎は峻烈《しゆんれつ》な叱咤《しつた》を発した。
「親父《おや》ッどんな、あとでおいが話すッ。構《かん》まん、先《まツ》、やれ! 一番《いツばん》さき、いっき、旗本を十匹ばッかい掴《つか》めッ来《け》!」
人の世は大いなる潮《うしお》である。
人のみならず、物も知識も思想も体制すらも浮かべたその潮は、全体としていずこへか汪洋《おうよう》とながれてゆきつつあるのだろうが、潮はあまりに大きく、人はあまりに小さくて、わずかにあげた眼からは周囲の大波小波しかわからない。しかもその潮が、逆流あり、急流あり、支流あり、ときに渦巻《うずまき》あり、淀《よど》みありと来てはなおさらのことである。
さらに、このすべての物は、おたがいにからまり合うのだ。抱き合う者あり、手を結ぶ者あり、足にぶら下がる者あり、はては敵意をもって襲いかかって来るものあり。――
この潮は、地上の水の流れとは異って、魔界の果てへ上りつつ流れる。だから、あとになれば、過ぎて来た流れを俯瞰《ふかん》して、それを悔いることは出来る。笑うことも出来る。しかし、悔い、笑いつつも、その時点において彼は、やはり混沌《こんとん》の渦の中を流されてゆきつつあるのである。
悔いて何になろうか。人を笑う資格があろうか。
いわんや、この人間の潮の中には、何の条理もない危険物とのぶつかり合いという現象があり得るにおいてをやだ。
以下は、天地逆転ともいうべき明治元年の波しぶきの中にもがきぬき、突如として魔の運命にとらえられた、滑稽《こつけい》にして、しかも笑うことの出来ない十人の人々の物語である。
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一人目・沼田万八《ぬまたまんぱち》
沼田万八は、ずんぐりむっくり肥《ふと》って、牡丹餅《ぼたもち》を踏みつぶしたような、血色のいい顔をしていたが、陽性で、実に活気にあふれた男であった。
頭の切れも悪くなくて、わりに早いうちから、確信あってのことではないが、「徳川の侍ももういけない」と感じていた。もっとも、剣術のほうはからっきし駄目で、本人に興味もないのである。その代り、内職のほうでは一番の儲《もう》けがしらであった。眼はし[#「はし」に傍点]は利くし、よく働くし、もう少しあとの明治にでも生まれていたら、実業のほうで成功したかも知れない。ユーモラスな容貌《ようぼう》までが、こちらの方面ならかえって倖《さいわ》いしたにちがいない。
ただ、しがない黒鍬《くろくわ》組の家に生まれついたのが、彼にとっての不幸であった。ただ貧乏だというばかりでなく、その貧乏からぬけ出すには黒鍬組をやめるよりほかはないが、むろんそんなことは許されない。
黒鍬組とは将軍出行の際の荷物運びなどやる役で、御家人《ごけにん》以下の身分の者である。現状も前途もあまり希望がないのに、彼は天与の楽天性を失わなかった。――
文久《ぶんきゆう》三年春のことであった。天下は内外ともに騒然として、世のゆくすえはどうなることかと思われる時勢であったが、江戸は――特に下級の武士や庶民は、存外ノホホンとしていた。正しくいえば、みんなその日その日の暮しに追われていたのだ。万八の内職もいよいよ発展していた。
黒鍬組の組屋敷は芝|三田《みた》にあったが、彼はすぐ近くの高輪《たかなわ》車町の茶箱製造業者と知り合った。四、五年前から横浜が開港され、茶は生糸《きいと》とともにいちばん大きな輸出品であったので、その茶をいれる茶箱の製造も大|繁昌《はんじよう》であった。その箱に、木版手刷の錦絵《にしきえ》を貼《は》ったらどうだろう、と彼は思いつき、浮世絵師を探《さが》してデザインさせたところ、横浜の異人には大好評であった。そこで茶箱屋の信用を得て、御家人町の内儀や娘を動員して、この茶箱絵――これも彼が命名した――を箱に貼る作業をやらせ、こっちからも泣かれんばかりにありがたがられた。
彼は大得意であったが、そんな一日、店で、昔から出入りしている伊皿子《いさらご》台町の大身の旗本に茶箱を納める支度をしているのを見て、
「いっそ茶箱絵を貼ったやつを納めたらどうじゃい。わしが運んでやるよ」
と、彼がいい出し、そういうことになった。
もともと気軽なたちであったが、沼田万八にはちょっとした別の望みもあったのである。それはゆくさきの扇橋内記《おうぎばしないき》という二千石の旗本の家に、伊皿子小町と呼ばれる息女があるのを知っていたので、あわよくば一目でも、という欲にヒョイととり憑《つ》かれたのだ。
むろん茶箱など台所から持ち込むもので、二千石の旗本のお嬢さまがそんなところをウロウロしているとは思われないから、これはまあ万一の僥倖《ぎようこう》をたのむしかない。
実際、その通りであった。彼が持ち込んだのは、ただの商標ではなく、箱全体に美人の錦絵を貼った、異人からの特別注文によるもので、彼はその旨説明し、珍しいので女中たちは騒いだが、ただそれだけのことで、彼はあっけらかんと退散するよりほかはなかった。――ところが、裏門の近くまで来ると、女中が追っかけて来て、殿さまがちょっと聞きたいことがあると仰せられるから、すぐに庭に回るように、と、ひき戻して、みずから案内してくれたのだ。
奥座敷の庭に通された。座敷には二人の武士と、一人の娘が坐《すわ》っていた。
「おまえが、茶箱屋か。あの箱について、この小栗《おぐり》どのが聞きたいことがおありなそうな」
と、あきらかに扇橋内記と見える人がいった。
「あの箱はなかなか面白い思いつきと思う。異人用とな」
と、客の武士が笑いかけて、ふと改めて万八を見た。
「はて、おまえは町人のようではないが」
沼田万八は恐縮した。万八は、この小栗と呼ばれた人物が勘定《かんじよう》 奉行《ぶぎよう》の小栗上野介さまであることをすぐに知った。彼は平伏し、顔をあげ、頭をかきながら、自分は黒鍬の者であること、しかしこの茶箱絵を発明したのは自分であること、などを述べた。
小栗はべつに叱《しか》りもせず、それどころか大いに褒《ほ》め、どれくらい手数のかかるものか、ほかに絵の種類はあるのか、どれほどそんな箱を作っているのか、などと聞いて、
「ああいうちょっとした工夫でも、異人はよろこぶ。それだけお国の役に立つというものだ」
と、いった。たしかこの勘定奉行は、三年ほど前アメリカへいった経験を持っている人物であった。
ただこれだけのことであったが、しかし沼田万八にとっては、これは運命の日となった。
まず第一に、彼はこの物好きな茶箱運びの目的をまんまと達したのである。万一の僥倖をたのんだあのことが、思いがけず叶《かな》えられたのである。つまり、そのとき座敷で、父と客を接待していた娘が伊皿子小町であったのだ。
そして、一目見たとたん、沼田万八は彼女に恋してしまったのである。
いつであったか、このお千賀《ちか》さまを遠くから眺めたことがある、また駕籠《かご》でゆくのを、ちらっとかいま見たことがある。しかし、こんなに近く、まざまざと相まみえたのははじめてだ。
――もともと、惚《ほ》れっぽい男であった。「万八は女と名がつきゃ、どんな女にだって惚れるのだろう」と、仲間から笑われたほどだ。貧乏なくせに、女だけはよく買いにいった。そして、存外そういう場所の女に好かれもしたのである、その陽気さと、その熱心さと、その可笑《おか》しさによって。
しかし、万八は、自分がはじめて恋をしたことを知った。
高貴な細面《ほそおもて》に名匠が描き、刻んだような眼、鼻、唇――それが、大事な客の前に出るために、精魂こめて化粧し、文金高島田という姿をしていたのだから、万八の眼には、いままで彼の知っている女とは比類を絶し、これは女ではない、天上の幻だ、しいていうなら天女だと見えたのは無理はない。――
さて、万八は自分がお千賀さまに恋したことは知ったが、それ以上どうにもならないことはいうまでもない。二千石の旗本と黒鍬者とは天地懸絶している上に、まかりまちがって万八が五千石の旗本であっても、その面相でおそらく話にならなかったろう。
それはよくわかっているのに、夢遊状態で伊皿子の坂を下りながら、彼はつぶやいた。
「……おれは、いつかあのお嬢さまをおれのものにして見せるぞ。……」
たしかに彼のふしぎな楽天性の吐かせたせりふにちがいないが、またそれほど万八に対するお千賀さまの印象が衝撃的であったともいえる。
とはいえ、現実には、沼田万八とお千賀さまの間に千里があった。
そのうちに、彼にとって甚《はなは》だ困った事態が生じた。彼ばかりではなく、幕臣の大半同じことだが、将軍が上洛《じようらく》し、ひょっとしたら長州征伐ということになるかも知れないという。むろん黒鍬組もお供をし、出動しなければならない可能性は大いにある。――戦争などということは、万八の性《しよう》に合わないことはいうまでもない。
性に合わないどころではない、戦死ということも当然考えられるのである。彼は蒼《あお》くなった。
ところが――実際に十二月になって、将軍は上洛したのだが、その前に万八は、なんと横浜の運上所《うんじようしよ》に勤務せよという命令を受けたのである。
運上所は、いまの税関だ。――黒鍬組でこの出張命令を受けたのは沼田万八ただ一人で、はじめ彼は眼をぱちくりとさせた。そんな知識は全然ないし、それより自分だけがそんな役を命じられたのが不安でたまらない。
「何しろ三年ほど前に出来た役所で、わからないことはだれも同じだとの仰せだ。どうやら勘定奉行の小栗さまのお名ざしらしいが、おまえ、どこで小栗上野介さまのお眼鏡に叶ったのだ?」
と、黒鍬組の頭《かしら》はけげんそうにいった。
そこで万八は、やっと自分のこの幸運が、いつぞやの扇橋家の茶箱に端を発したらしいと思いあたったのである。
さて、こういうわけで沼田万八は、新しい仕事に携わるようになったのだが、すぐに彼は、これが自分にとって実に適材適所であることを知った。輸入輸出の荷の検査や関税の計算などが、面白くてならないのである。少なくとも、黒鍬組の内職にまさること万々だ。やがて朋輩《ほうばい》の多くが、足軽然として京へ上っていったのを思えばなおさらのことである。
そして彼は、あのとき扇橋家へいったことが、自分にとって運命の日であったことを、徐々に感じて来る。――
横浜運上所で万八は、主として生糸の輸出の検査に当っていた。――このころ日本の輸出品といえば、生糸と茶くらいしかなかった。輸入品は工業製品、特に鉄砲などの武器だ。
こういう任務に就いてみて、万八は、貿易商人というものがいかにうまい汁《しる》を吸っているかを知った。日本の各地から一両で二百五十|匁《もんめ》くらいの生糸を買い込んで、外国商人にその三倍ないし五倍くらいの相場で売る。その上、売糸にペケ糸を混合し、貫目をごまかす。――
そういう検査をする役で、しかもいくら取締まっても蛙《かえる》のつらに水だ。とくに相場のことなど、どうしようもない。役人の半分は憤慨し、半分はうす笑いしていた。万八はただ驚異を感じた。あの哀れな下級の侍の生活を思うと、日本にもこういう世界があったのかと唖然《あぜん》とするほかはなかった。彼は、いろいろの取引でその商人が儲ける額を計算して、ただうなった。
万八がべつに怒りを感じなかったのは、どうも内部に共鳴するものがあったせいらしい。自分も儲けたい意欲もさることながら、それら商人の肌合《はだあ》いに対してだ。
彼らはことごとく商売と同程度に女が好きで、恐ろしく勘定高い一面、恐ろしく快楽的であった。役人や侍に、大げさに頭を下げるのをいとわないくせに、腹の中では笑っているのがよくわかった。それにもかかわらず、万八は彼らが好きであった。
そういう感じが、向うにもよく察しられたのであろう、商人たちも万八には好意を持っているらしく思われた。――中でも、ウマが合ったのは、大和屋という生糸商の手代|平八《へいはち》という男だ。
年は、万八より三つばかり年上だそうで、知り合ったころは三十くらいであった。生まれは信州|飯田《いいだ》の水呑《みずのみ》百姓の倅《せがれ》だが、二十歳《はたち》のころ国を飛び出し、横浜へやって来て、生糸の売込商|大和屋三郎兵衛《やまとやさぶろうべえ》に奉公して手代にまでなった。
偶然、万八と名も似ているが、陽性で活気のあるところ、肌合いも相通じる。ただし、百姓あがりのくせに、人品も平八のほうがはるかにいい。ひきしまって、実に精悍《せいかん》な容貌をしている。つき合って見て、万八のほうが押され気味に感じるほどであった。これはただものではない、と万八は舌を巻くことがしばしばであったが、あとになってみると、万八の眼力は誤ってはいなかったのである。
「旦那《だんな》、いっそ商人におなりになりませんか」
と、なんどか、笑いながら平八がいった。
「失礼ですが、旦那にゃ侍は合わない」
「まったくその通りだ」
と、万八も苦笑した。
「拝見していると、旦那がもし商売をおやりになりゃ、大変なかたにおなりになりますよ。口はばったいが、手前が承合《うけあ》います」
ふつうの商人のおべんちゃらとはちがううれしさを万八は感じたが、さればといって、さすがに侍を捨てる勇気はまだなかった。
「なにしろ御公儀のお役人だから、無理もないかも知れません。手前なんざ、田舎《いなか》 侍《ざむらい》だったから町人になるのになんのみれんもなかったが」
いちど、ふと平八がそうつぶやいたことがあったのを、万八は聞きとがめた。
「おまえ、武士であったと? たしか、百姓の倅だと聞いたが」
「いえ、その後、郷士の養子にもらわれたこともありますんで。――同じ信州の縁で、ほら、こないだ京都で殺された佐久間象山《さくましようざん》先生のお弟子になったこともあります」
「ほう、佐久間象山。――」
「実は、町人になったのも、象山先生のおすすめで」
そして彼は、滔々《とうとう》として、これからの時代は武士より商人が大事だ、という象山の論を述べた。
そのわりに平八は、自分の過去についてはあまりしゃべらなかった。信州を出たのが二十ごろだといえば、もうそれから十年くらいたっているはずで、横浜が港らしいかたちをととのえたのはここ、三、四年のことだから、それまで平八は何をやっていたのかよくわからない。
しかし、とにかくこれで万八はいよいよ平八に敬意をおぼえ、これからは町人の時代だという彼の説に心動くものを感じた。
ところが、慶応《けいおう》元年の春のことであった。
万八は重大な事実をつかんだ。――手先に、居留地のフランス人貿易商の倉庫を内偵《ないてい》させた万八は、そこに蚕《かいこ》の種紙が多量にかくされていることを探知したのである。
さきに述べたように、当時日本の輸出品で最重要なものは生糸であったから、幕府はその元資《もと》となる蚕の種紙が外へ大量に出て、外国でも大々的に生糸を生産されてはお手あげになるので、その出荷を厳に取締まった。その禁輸品が、いまや船積みされんばかりにして、フランス倉庫に積まれているのを発見したのだ。
万八は驚くとともに、大殊勲をたてる機会をつかんだことをよろこんだ。ところが――その倉庫に御禁制の蚕卵紙を運び込んだ商人が、だれかと知ってめんくらった。それは大和屋の平八であったのである。
そうと知っては、黙って検挙も出来ないので、とにかくひそかに平八を呼んで事情を聞いた。すると平八は笑い出した。
「旦那、ありゃ種紙じゃありませんよ、蚕の卵そっくりに見えますが、厚紙に菜種《なたね》を貼りつけたものでさあ」
「なに、菜種? そんなものを輸出してどうするのだ」
「むろん、蚕の種紙として売るんでさあ。……ふふ、洋銀の件を見てもわかるように、とにかく毛唐はあくどいからね、ときにはしっぺ返しをしてやらなくっちゃあ。これであいこ[#「あいこ」に傍点]でさあ」
洋銀の件とは、当時外国商人が、あちらの貨幣と日本の貨幣の本来の価値がちがうのに、幕府の役人の無智からいいかげんな換算率を決めたために、買うときは洋銀を支払い、売るときは日本の大判小判を受けとり、怖《おそ》ろしいまでに儲《もう》けたことをいうのだ。
その仕返しのために、蚕卵紙と称してインチキの品物を売るという。――万八は、呆《あき》れかえった。また平八の不敵さに舌を巻いた。
「その……フランスの商人は知らぬが仏なのか」
「いえ、何もかも承知の上でさあ。……なにしろ、ゆくさきはイタリヤって国だそうでございますからね、わたしも儲けますが、日本も儲かることになります。なに、いままでのお国の大損を少しでもとり返すだけのことでさあ。あ、は、は、は」
この平八――本名田中平八が、のちに「天下の糸平」と称された明治初年の豪商となる。糸平とは生糸の平八という意味からそう呼ばれたのである。
沼田万八は、平八をつかまえることをやめた。ただ――ずっとのちになって万八は、ふと思い出したのだが、このとき平八が菜種のインチキ品だなどといったのは嘘《うそ》っぱちで、あれはやっぱりほんものの蚕の種紙ではなかったか、という気がする。
そういうことがあって、万八が眼をつぶってくれたことについて礼をするつもりか、それとも今後のことを考えて手なずけておく必要を考えたのか、平八は彼を、そのフランス商会のグランテールという男に紹介してくれた。
グランテールは居留地の豪勢な洋館に住んで、妾《めかけ》――つまりラシャメンを一人持っていた。
万八はそこへ出入りするようになって、その住居や食事や、異人の生活すべてに改めて驚き、かつ陶酔した。おそらく先天的に肌が合ったのだろう、ふつうの日本人が嗅《か》いだだけでも吐気をもよおすチーズ、バターのたぐいも、最初から世にこんなうまいものがあるだろうかと飽食した。
グランテールは仁王さまみたいに赤い顔をした毛むくじゃらの大男で、貿易商というより海賊にふさわしいように見えた。実際に万八は、食後の座興に彼が庭の小鳥を撃ち落したのを見せられたが、ピストルの名手でもあった。しかし、話してみると、奸悪《かんあく》といっていいほど頭の回転はぬけめがなかった。
「いや、それは役人をしていたほうがよろしい」
何かのはずみで平八が、万八を商人にしたいものだ、といったら、グランテールは首をふった。通弁の男が同席していたが、この異人もかたことの日本語を話した。
「平和時代は別、いまの日本のような革命のときには、そのほうがもっと大きな金儲けが出来る機会があります。役人という地位を捨ててはいけません」
グランテールの言葉の意味を、そのとき万八は問い返しもしなかった。彼は漠然と、侍はもういけない、これからは町人の時代だ、と意識はしていたけれど、まだいまの身分を捨てる気にはなっていなかったからだ。いかに黒鍬組出身とはいえ、万八は直参《じきさん》だったのである。彼は現在の地位に満足していた。
それよりも、万八はこの当座、ひたすら異人館の肉やワインに悦楽し切っていたといっていい。彼のまんまるい顔はいよいよつやつやとあぶらぎった。……そのうち、役所の同僚のうち、三、四人が、グランテールの屋敷に出入りしはじめたのは、まったく万八の讃歌とその顔のつやにつり込まれたのである。
すると、翌年の春、その朋輩の二人が殺された。
居留地をめぐる掘割にかかる橋の上で、ズタズタに斬《き》られている屍骸《しがい》が、朝になって発見されたのだ。一人の懐《ふところ》に、いわゆる斬奸《ざんかん》状がさし込んであり、夷狄《いてき》を取締るべき役人の身をもって、その夷狄と親しく往来するとはふとどき千万であるからここに天誅《てんちゆう》を加える、同罪の役人どもの姓名もすでに調査済みであるから、首を洗って待っておれと書いてあった。
沼田万八は仰天した。実は当然彼も同行する約束だったのが、ちょうど下痢《げり》をしていて、その日だけグランテールの屋敷にゆかなかったのである。
エキゾチックな趣味に溺《おぼ》れ切ってうっかりしていたけれど、攘夷《じようい》の「黒い風」は、依然として日本を吹きめぐっていたのだ。
――同罪の役人どもの姓名もすでに調べ済みだと?
万八はふるえあがり、懊悩《おうのう》した。やはりグランテール屋敷に出入りしていて、難を免れたもう一人の役人など、恐怖のあまり半病人みたいになって役所を休んだくらいである。
……ところが、半月ほどたっても、何のこともない。
楽天的な万八は、次第に安心して来た。そこである夕方、ゆきつけの本牧《ほんもく》のチャブ屋に出かけた。牛肉料理も食わせるが、いかがわしい女も置いた店だ。異人館でおぼえた牛肉の味にやみつきになった万八は、ときどきそこへいって、たらふく肉食の快をむさぼることにしていた。さすがにまだグランテールのところへゆく勇気はなかったので、そのチャブ屋で久しぶりに渇をいやそうとしたのである。
すると、その店は大騒動であった。……ほんの先刻、そこへ上って女を買った男が、女の腹の上で嘔吐《おうと》と下痢をはじめ、その凄《すさま》じい症状からどうもコロリらしい、というので、奉行所から役人が急行して来て、検分の真っ最中だったのだ。
「へえ?」
その店を遠巻きにした群衆の中で、万八は首をかしげた。
実は、半月前彼が下痢をしたのも、考えてみるとこのチャブ屋で牛肉を食ったあとからなのだ。それは大したことでなくてすみ、かつその下痢のおかげで命びろいしたようなものだから、懲《こ》りるどころか、舌なめずりしながらまたノコノコとやって来たのだが。――
群衆の中に、逃げて来たその店の下女もいた。それが恐ろしげにしゃべっているのを聞くと、患者は、いつもよく来る浪人風の男だという。
――すると?
ふたたび万八はぎょっとした。
案外コロリの発源地はこの店かも知れない。いや、いま横浜でほかにコロリが発生したという話を聞いていないから、てっきりここにちがいない。つくづく眺めれば、いかにもコロリの発生しそうな汚《きた》ならしい店だ。――と考え、それから半月前の自分の下痢もその前兆の一つではなかったか、と思い至って、万八はぎょっとしたのだ。
店の中から、蒼《あお》い顔で傭人《ようにん》らしい男がまた逃げて来た。
「死んじまった! まったくコロリだ。――」
と、彼は息せき切っていったあとで、
「どうやら、死んだのは、半月前、運上所のお役人を殺した下手人らしいって。――懐から、明日殺すことになってるべつのお役人の斬奸状ってえやつが出て来たそうだ!」
と、報告した。万八は三度《みたび》ぎょっとして立ちすくんだ。
それはほんもののコレラであった。それから数日のあいだに、その店や周囲から十余人の患者が出て、その半分ばかりが死んだ。が、それ以上拡がらなかったのは、居留地から来た異人の医者が、当時として可能なかぎりの防疫の処置をしてくれたおかげであった。
その浪人がまさしく暗殺者であったかどうか、本人が死んでしまったので正確なところは不明というしかないが、沼田万八はほんとうだったろうと考えた。なぜなら、それっきり彼は黒い手を感じたこともなく、事実無事に生きて来たからである。
自分の身体《からだ》を軽く通過したコロリは、自分に対して死神であった男を――その翌日にも向けられようとしていた凶刃を、ふっと前夜に消してくれてしまったのだ。
――おれは、ついてる!
天を仰いで彼がこう溜息《ためいき》をついたのも無理はない。
彼はまたグランテール邸に出入りしはじめた。異国風の美食へのみれんばかりでなく、ラシャメンのお銀《ぎん》の顔を見たいという欲望にもたえきれなかったからだが、やはり天性の図々しさのなせるわざというしかない。
もっとも、お銀は、レスラーのようなグランテールが妾にするだけあって、実に肉感的な女ではあった。皮膚は異人みたいに真っ白で、胴がくびれていて、やや厚目の唇はいつも半びらきになっている。そのからだからは、うっとりするような西洋香水の匂《にお》いがたっていた。そもそも万八の同僚たちが異人館へしきりにゆきたがったのも、これは食物のせいではなく、その女にひかれてのことであったといっていい。
しかし万八は、まさかこの女を何とかしようという気はなかった。彼は大変な女好きではあったが、グランテールが怖《こわ》い男であることも充分心得ていた。お銀を見るのは、ただ眼の快楽だけのつもりであった。
ところが、その年の秋、彼を打ちのめす事実が起こった。
あの扇橋家のお千賀さまがとうとう花嫁になったということを耳にしたのである。輿入《こしい》れ先はやはり旗本で、三千石取りの石狩大七郎《いしかりだいしちろう》という人だという。――
その石狩大七郎なら、万八も知っていた。むろん話などしたことはないが、大袈裟《おおげさ》にいえば直参でその名を知らない者はないといってよかろう。水際立った颯爽《さつそう》たる美男である上に、伊庭《いば》道場で有名な剣客であったから。
お千賀さまがだれかの妻になることは当然の話だし、その相手が石狩大七郎とは、よくまあ、これほど似合いの男女が結ばれたものだ、と、だれでも感心しないわけにはいかない。
聞いて、万八も感心したが、ショックを受けたのも事実であった。彼は依然としてお千賀さまを忘れていなかったからだ。忘れていないどころか、ともすれば町人になってたんまり金を儲けたいという気はたしかにある彼を、武士の糸でつないでいたのはまさにその女人の存在であったからだ。
といって、横浜運上所の下ッぱ役人の身分で、それが叶えられるという見込みがあるはずもない。こうなるのが当然だ。お嫁にいったからといって、沼田万八がショックを受けたと聞いたら、お千賀さまは笑い出すだろう、というのも過ぎる。彼女は万八の存在すら知らなかったにちがいない。
ともあれ、万八がラシャメンお銀と密通する勇気を出したのは、この件がばね[#「ばね」に傍点]になったことは疑えない。
お銀のほうが、この牡丹餅《ぼたもち》を踏みつぶしたような顔をした男とどうして密通する気になったのか、はっきりしないが、おそらく異人とは、抱かれていてもやはりどこか違和感があって、そこで日本人で口直ししたくなったものと思われる。
むろん、グランテールのまだ帰宅しないとき、ワインを御馳走《ごちそう》になったあげく、ついそんな関係になったのだが、いちどそういうことになると、もともとが女好きな万八だから、たちまち夢中になった。そしてまた、はち切れそうな彼の液体過多の体質と、女をよろこばせることならどんな所業も辞せない彼の、しゃにむにの奮闘ぶりは、決してお愛想ではなくお銀を満足させたようだ。
しかし、最初の昂奮《こうふん》期が過ぎると、当然、万八はグランテールがこわくなった。
そのうち、グランテールが外に泊るとわかっている夜、お銀がそっと裏門をあけてくれるようになったけれど、たいていは異人が出かけているとき、早目にいって、その帰宅前にやるあわただしい交歓だ。屋敷には、ほかに傭人も少なからずいる。そこは何とかうまくやったつもりではあるけれど、とうてい手ばなしで安心はしていられない。
「……ねえ、あんた、しばらく来ないで」
ついに、お銀がいい出したのは、冬になってからのことであった。
「どうしてだ?」
「グランテールが少し変な顔し出したのよ」
「なに? し、知られたのか!」
「知られたら、無事でいられるわけがないわ。ただ、何となく妙な感じなの」
「だから、どういう風に。――」
「あたいにも、うまく口ではいえないわ。こっちのかんぐりかも知れない。だから、そんなに蒼くなることはないと思うけど、用心のため、当分ちょっとがまんして欲しいの」
万八はふるえあがった。恐れていたことがついにやって来たようだ。
ただラシャメンとの姦通《かんつう》が知られたという危惧《きぐ》ではなく、あの仁王のようなグランテールを思うと、それはただちに生命につながる恐怖につつまれずにはいられなかった。
彼はグランテール屋敷にゆくのを中止した。
ところが、一ト月もしないうちに、彼はまたウズウズしはじめた。あれっきり、ふっつりと絶《た》つには、ラシャメンお銀の肉体はなにしろ魅力があり過ぎた。それにいつの交歓も、食堂の長椅子《ながいす》の上などまだまともなほうで、実に不自然な、奇怪といっていい態勢が多かったのだが、それを記憶に甦《よみが》えらせると鼻血でも出そうな昂奮に襲われる。――とはいうものの、万八を動かしたのは、彼のどうしようもない楽天性だろう。
午後から雪がふり出したある夕方、勇をふるって万八はグランテール邸へ出かけた。ゆくとなれば、運上所に随時来る幕府の指令をたね[#「たね」に傍点]に、用件は何とでも出来たのである。
その日はただ偵察《ていさつ》だけのつもりであったが、グランテールは馬車の用意をさせているところであった。
久しぶりに訪れた沼田万八を、彼は愛嬌《あいきよう》よく迎え、どうして無沙汰《ぶさた》していたのだとなじり、その言動に彼を疑っているような気配はまったくないので、万八は安堵《あんど》するどころか、拍子抜けがした。グランテールは、自分はどうしてもあるクラブでの晩餐《ばんさん》会に出かけなければならない約束があるが、君はお銀と食事でもしてゆくがいいとまでいった。
で、グランテールが馬車で出ていったあと、万八はお銀とテーブルを一つにしてワインやコニャックなど飲んでいるうち――とうとうまた彼女と、ソファの上でも一つになるというなりゆきとなった。
二人が暖炉よりも真っ赤になって燃えあがっている最高潮に、突然グランテールが部屋にはいって来た。二人よりもまだ朱色に染まって、手にピストルをぶら下げている。
「…………」
何やらフランス語で、怪鳥のごとくさけんだ。
グランテールは馬車で出ていって、ひき返して来たのである。雪のためにその音が聞えなかったのだが、その部屋の前まで来る靴音もしなかったのは、あきらかに忍び足のせいであった。この巨大な異人は、やっぱり重大な疑惑をいだいていて、今夜こそはその現場をとらえてやろうととって返したものに相違なかった。
万八はソファから転がり落ちた。下半身|濡《ぬ》れそぼった裸で、両足ひろげて尻《しり》もちをついたままの姿であった。
その頭上を轟然《ごうぜん》たる音が走って、一発で心臓を撃ちとめられたお銀が、彼の上に崩れ落ちて来た。逃げようとして腰がたたず、ただ泥の中で手を振るような動作を繰返していた万八は、それで完全に半失神状態になった。
グランテールは歩いて来て、呪《のろ》いの言葉を吐きかけながら、万八のおでこに銃口をおしあてた。
そのとき、大鳴動が起こった。家鳴《やなり》震動し、床《ゆか》は波のように上下し、棚やテーブルから洋燈や花瓶が砕け落ちた。
いったい何が起こったのか、とっさにはわからなかった。滑稽《こつけい》なことは、万八の腰がそれで立ったことである。そしてなお滑稽なことは、ピストルを放り出し、何やら悲鳴をあげながら逃げ出したグランテールにつづいて、それどころかそれを突き飛ばさんばかりにして、万八もドアから逃げ出したことである。
まだ少しふりつづけている雪の中を、帯しろ裸の姿で、こけつまろびつ、沼田万八は逃げていった。
それはわりに大きな地震で、沼を理めたてた新開地の安|普請《ぶしん》の家だが、十数軒|倒潰《とうかい》したものもあったらしい。しかし、被害はその程度ですんだ。
万八は、この夜の事件については、だれにも語らなかった。語ることが出来なかったのだ。あのあと、どうなったのか、いずれ自分にもその筋から呼び出しが来るだろうと、十日ばかり飯ものど[#「のど」に傍点]に通らなかったが、ふしぎなことにそれっきり何のこともなかった。
あとで考えると、グランテールは、たとえ妾の姦通現場を押えたとはいえ、とにかく女一人を射殺しているので、秘密|裡《り》に処理したらしい。その殺人が暴露したらとおびえていたのは、ひょっとしたらグランテールのほうであったかも知れない。
――どうやら、無事らしい。
やっと、あのとき銃口を押しつけられたおでこを撫《な》でさする余裕が出来るとともに、自分が命びろいしたのは地震のおかげだと改めて思い出し、万八は自分を見舞う何度めかの奇蹟《きせき》について、しみじみと考えずにはいられなかった。禍《わざわ》い以外の何物でもない悪疫や天変地妖《てんぺんちよう》が、自分の守護神になろうとは!
――おれには、神さまがついているにちがいない。
沼田万八は、だんだん神がかりになって来た。
それから半年ばかりたって、つまり慶応三年の夏のことであった。彼は突然、江戸に召喚《しようかん》された。呼んだのは勘定奉行の小栗上野介である。
思い起こせば、そもそも自分が横浜運上所に勤務するようになったもとは小栗さまだから、一兵卒として長州へ出征することを免れさせてもらった点でも恩人にちがいない。
しかし、そのことはあれっきりの話で、小栗さまがまだ自分を憶《おぼ》えてくれているとは思われず、それより万八は不安で蒼《あお》くなった。彼は運上所の一つの実力者的存在になっていたけれど、いつかの不正な蚕卵紙に眼をつぶったり、異人の妾と密通したり、その他たたけば出るのは埃《ほこり》どころではないし、一方小栗上野介は、勘定奉行の上にいまは海軍奉行までかねて、その重職を切ってまわす実力と、無能役人に対する峻烈《しゆんれつ》さは、天下に鳴りひびいていたからだ。
駿河台にある小栗邸におそるおそるまかり出ると、
「おう、沼田、大儀じゃ。その後、過怠なく奉公しておるそうで重畳《ちようじよう》」
と、小栗上野介は迎えた。……この幕府切っての能吏は、三年前|一瞥《いちべつ》しただけの下級の侍をよく記憶していたのだ。
上野介は、その間、次第に崩れかかる幕府を支えるための渾身《こんしん》の苦労のためか、以前より痩《や》せて、顔が長くなり、それだけに剃刀《かみそり》のような凄味《すごみ》を加えていた。それが、突然、
「沼田、おまえを旗本にとり立ててやろう」
と、いい出した。
「ひえっ?」
「ただし、いま即刻とはいわぬ。石高もはっきり申せば嘘《うそ》になる。いまは未定だ。小栗上野介、承《う》け合って嘘をいったことはない。おまえを旗本にとり立てるということだけは、たしかに承け合う」
万八はかえって怯《おび》えた顔になった。
「むろん、おまえにある仕事をやってもらわなければならぬ。旗本はそのあとの褒美《ほうび》じゃ」
「な、なんでござりましょ?」
「いのちがけのことだ」
万八はいよいよ蒼くなった。血なまぐさい仕事をやるくらいなら、旗本は御免だ。
「考えようによっては何でもなく、考えようによっては難しい。とにかくおまえでなくては頼めぬことと思うて、おまえに来てもらったわけじゃ」
小栗のいい出した仕事は、次のようなことであった。
幕府の運命は今や巌頭《がんとう》にある。そこで彼は、大至急フランスから大量の武器を輸入することにした。その見返りとして、向うがのど[#「のど」に傍点]から手の出るほど欲しがっている禁輸品の蚕の種紙をあてることをすでに契約した。その契約した武器は、もうかれこれフランスを出て日本に向いつつあると思われる。ところが、蚕卵紙は輸出の取締まりの対象にはなっているけれども幕府の専売品ではないから、必要期限内にそれを集めることが至難であることが判明した。法令をもって百姓に厳命することは出来ない。その効果を云々《うんぬん》するまえに、そういうことが明らかになったら、薩長に肩入れしているイギリスが黙ってはいないからである。――
「そこでじゃ、おまえにそれを集荷してもらいたい。蚕卵紙五十万枚。――これが、依頼の第一」
小栗はいった。
「聞くところによると、おまえは横浜運上所で生糸商に顔の利《き》くこと随一の男になっておるそうな。わしの眼鏡《めがね》に狂いはなかったと満足に思うておる」
「…………」
「それからな、これは何か月か先のことになるが、フランスから武器の一部、といっても膨大なものじゃが、それをわしが下知するまで、横浜のどこかの倉庫《くら》にしまっておいてもらいたい。これが依頼の第二」
「…………」
「この二つの用件、首尾よういったあかつきは旗本、わし一人の今の判断じゃが、千石与えてもおかしうはないと思うておる、いや、それよりも万八、先祖代々三百年の御恩を返すはこのとき、このことにあると思え。この御用、おまえが承わらぬはずはないと信じるが」
「…………」
「もし、出来ぬといえば……かかること、聞かせた上は、無事にはすまぬこと、わかるであろうな」
これでは承わるも承わらぬもない。……恐ろしかったのは、その命令の内容よりも、小栗上野介の厳酷な、そのくせものに憑《つ》かれたような眼光であった。
仕事そのものは、生命にかかわることでないから、なるほど考えようによっては何でもないことだ。――いや、難しい。「種紙五十万枚とは、どうも」といいかけたら、たちまち「いのちがけとはそのことじゃ」と叱咤《しつた》された。
それから、期限、上野介との連絡、自分の行動に対して上司がいだくかも知れぬ不審への箝口《かんこう》令、などについて相談しているうちに、しかし万八はだんだん何とかなるような気がして来た。いやだというと生かしてはおかない、というのだから承知するほかはないが、それより彼の持ち前の例の楽天性のせいであった。
「……やって御覧にいれましょう」
と、ついに彼はいった。
それから三か月ばかりの間に、沼田万八はみごとに小栗上野介の要求に応《こた》えたのである。死物狂いの努力ではあったが、それでも彼でなくてはやれないことであった。彼にはたしかにこういう才能があった。
五十万枚の蚕卵紙はフランスから来た船に積み込まれ、代りにおびただしい武器がひそかに陸揚げされた。――万八が責任を持たされた倉庫だけでも、一千|挺《ちよう》のシャスポー銃が隠匿《いんとく》された。
それが秋のことで、むろん以上のことは小栗上野介に報告された。
ところが、その武器が、ただちに江戸へ運搬されることはなかった。それっきり、何の指令も来ないのである。
あとで考えると、主戦派の小栗上野介は、その武器を使うか使わないかという問題以前の、戦うか戦わないかというかんじんの点で、幕閣の弱気派と争うのに必死で東奔西走していたのだ。
旗本取立ての件もさることながら、文字通り爆裂弾をかかえているような落着かない気持でいる万八のところへ、ひょっこり顔を出した者がある。
生糸商人の田中平八だ。彼は一人浪人風の武士を連れていた。十二月半ば過ぎのある夜のことであった。
そして、田中平八は、のっけから大変なことをいい出した。
万八がひそかに管理しているフランス銃を、このお方に売らないか、というのだ。――万八はぎょっと息をのんで、平八と同伴者を眺めた。
「このお方とは……どこの、だれだ」
「薩摩《さつま》の益満休之助《ますみつきゆうのすけ》というお方でございますがね」
「な、なに、薩摩?」
万八の仰天などどこ吹く風と、田中平八は、この夏以来万八の蚕卵紙集荷を奇怪に思って注目していたことから、フランスの鉄砲の輸入と秘匿《ひとく》を探《さぐ》りあてた次第をしゃべった。
彼はもう大和屋から独立して、糸平と呼ばれるほど生糸の豪商となっていた。この糸平なら、嗅《か》ぎ出してもふしぎではない。
――が、
「たっ、たわけ!」
しばし言葉を失って、口をあぐあぐさせていた万八は、やっと声を出した。さすが気楽な彼も満面を朱に染めていた。
「痩《や》せても枯れても直参《じきさん》の沼田万八、公儀の命令を受けてお預りしておる武器を、相手もあろうに薩摩へ渡すことなど出来るか。な、なんたる途方もないことを――」
「この仁《じん》が、そういうのは当然じゃ」
と、益満休之助は平然と笑った。
「じゃから、はじめからこちらは、貴公をさらって江戸の薩摩屋敷へつれてゆくつもりでおる」
「薩摩屋敷?」
赤い万八の顔が、みるみる白くなった。この夏のころからしきりに江戸を荒しまわっているいわゆる御用盗、その巣窟《そうくつ》が江戸の薩摩屋敷だとは、彼も噂《うわさ》に聞いている。
事実御用盗の指揮者であった益満が、ぬうと立ちあがろうとするのを、糸平が眼でおしとどめた。
「沼田さま、この糸平はあまりよくねえこともいたしますが、好きなお方に申しあげることはほんとうのことで――あなたが、旗本お取立ての餌《えさ》につられてお働きになったことも存じておりますがね、旗本なんざ、あと一年もたたないうちに、この世から消え失せますよ」
「そ、それはどういう意味だ」
「世の中が、がらりと変るってことでさあ。変りますとね、旦那のようなお方には、かえって魚が水を得たような御時勢になります。こいつア、太鼓判を押していい。だから、はじめからあなたをぶッた斬ってとか何とかいうこの益満さまをなだめて、わざわざこうして御挨拶《ごあいさつ》にうかがったのも、あなたをもったいないと思うこの糸平の老婆心《ろうばしん》からで」
大刀をひねくりまわしている益満休之助を見て、万八はふるえあがった。
「といって、これだけのことをやるのに、旦那にこのまま運上所にいていただくわけにもゆきませんが、まあ薩摩屋敷だけはかんべんしておもらいなさいまし。その代り、私の家にでもおいでになりますかね。そこで、しばらくじっとしていただいているあいだに、世の中のほうが変るってことになります」
糸平の笑った眼がひかった。
「旦那、決して悪くはいたしません。それとも、益満さまのお世話におなりになりますかえ?」
何が悪くはしない、ものか。益満の世話になるとは、薩摩屋敷にゆくことか、それとも――?
「で、では、おまえのところに」
終りも果てず、益満休之助に襟首《えりくび》ひっつかまれんばかりにして、外へ出た。
はじめからちゃんと用意してあったと見えて、闇《やみ》の中に一挺《いつちよう》の駕籠《かご》と、四、五人の黒い影がそこに待っていた。
万八のつれてゆかれたのは、江戸の薩摩屋敷ではなく、誰《だれ》も知っている弁天《べんてん》通りの糸平の家であった。店もかねた大邸宅の奥座敷で、牢格子《ろうごうし》こそなかったが、えたいの知れない浪人風の眼がいくつか、いつも外をめぐっていた。
その後、倉庫のフランス銃がどうなったのか、糸平は言を左右にして教えなかったが、薩摩の手に移ったことはまちがいない。移ったというより強奪だが、自分の立場を考えると、万八は懊々《おうおう》として楽しまなかった。
「まあ、ああいうなりゆきですから、旦那のせいじゃございませんよ。地震でもあって焼けてなくなったと思って、気を楽にしていておくんなさいまし」
糸平は、万八の大好物のフランス料理などを手ずから運んで来て、笑いながら、ひとごとのようにいってなぐさめたが、当分の間、万八はのどに通るどころではなかった。
ああいう事情などといっても、そんな理由が通らないことは、役人として彼も承知している。自分が姿をくらましたことを、役所のほうでどう見ているか、叩《たた》けば充分|埃《ほこり》の出る勤めぶりであったし、いつの日か、ここの拘禁を解かれたときのことを思うと、身の毛もよだつ。何よりも、苛烈《かれつ》な小栗上野介の眼を思うと、悪魔にうなされるようだ。
糸平は、世の中は変ると天眼鏡にかけたようなことをいう。横浜に来て、漠然とこれからは町人の世だとは感じていたけれど、さればとて武士がなくなるとか、いわんや幕府が倒れるなど考えも及ばない。
――ああ、おれの人生はもう終りだ!
五十万枚の蚕卵紙集荷という難題をみごとにしとげ、旗本になるということは、幕府切っての実力者が保証していたことだから、すぐ眼前に太陽が昇るような期待があっただけに、打撃はひどかった。あの力闘の成果が、かえって自分を破滅させる罠《わな》になったことを思うと、自分の働きまでが呪《のろ》わしかった。
数日後――十二月二十五日のことであったが、万八は、その朝ついに幕兵が出動して江戸の薩摩屋敷を砲撃したという話を聞き、「それ見たことか」と、胸とどろかせた。
さすが不敵な商人、糸平もあわてていた。
「薩摩屋敷の生残りは、翔鳳《しようほう》丸ってえ薩摩船で逃げて、幕府の軍艦が追跡してるってえ噂ですがね、その薩摩船に、例のものが積んであるんでさあ。無事に逃げてくれりゃいいが、万一つかまると、手がこっちに回るかも知れない。そのときは覚悟していておくんなさい」
「今ごろ、何をいうか」
万八は怒りと恨みに両手をもみねじり、声をふりしぼった。
「わしが覚悟などするいわれはない。万一のことがあったら、平八、わしは化けて出るぞ!」
ところが、年が明けるとすぐに、幕軍が上方《かみがた》で薩長軍に大敗し、将軍は江戸に逃げ帰って来たという大逆転の報が伝えられた。
「さあ、私のいった世変りの時が来た。旦那、もう安心なすってよろしいようで」
と、糸平は笑って話しかけた。
「旦那、そうすくんでちゃ、旦那らしくない。私ゃ旦那に大変な借りがあるんだ。とりあえず港崎《みよざき》の遊廓《ゆうかく》へいらっして、女郎の総揚げでもやっておいでになりませんかね。横浜《はま》の紀文くらいな真似《まね》はなさってもかまいませんぜ」
糸平がそういったのは二月にはいってからのことであったが、万八はとうていそんな気になれなかった。官軍と称するものが東海道を下りつつあり、しかも江戸は混乱しているだけだと聞いても信じられなかった。その江戸のようすを見に出かけるなどという度胸はなかった。
彼はまだ小栗上野介の眼が、何よりこわかった。――
ところが、三月のある日、糸平が妙な知らせを持って来た。
「旦那、いつか旦那からうかがった話ですが、旦那が横浜《はま》の運上所へおいでになるきっかけが、何とかいう旗本のお嬢さまのお屋敷で小栗さまのお目にとまったことで、その後そのお嬢さまがお嫁にゆかれたのが石狩大七郎ってえ剣客だとかおっしゃいましたね」
「そんなことをおまえにしゃべったかな。よくおぼえているな」
「実は旦那がそのお嬢さまに惚《ほ》れていなすったんだってえことを、酔っぱらって泣きながら、何十ぺんもかきくどかれましたよ」
「そ、それがどうしたというのだ」
「暮に江戸から上方へ逃げた薩摩の衆で、鳥羽伏見《とばふしみ》のいくさに間にあった人がござんしてね。その人がもうこっちへ帰って来て――例のフランス銃で、旗本の中でも音に聞えた剣客石狩大七郎をただ一発で仕止めたという手柄話を聞かされたのでさあ」
「なにっ」
万八は、眼から火花が散ったような気がした。
「それはほんとうか」
「なんなら江戸へ人をやって、調べさしてあげましょうか」
眼から火花が散ったといっても、突然鉄砲を強奪するむね宣告されたときのような打撃感とはちがう。――眼の前に、かっと日光がさしたような思いであった。
彼は両こぶしを握ってさけんだ。
「是非、調べてくれ。……それからお千賀どのが――石狩家の奥方だ――それがいまどうなされておるかも」
数日後、糸平は、石狩大七郎は去年から将軍に従って上方へゆき、伏見で戦死したことに相違はないこと、そして石狩家そのものも四散して屋敷は無人になっていること、奥方の実家、伊皿子《いさらご》の扇橋家も、これは父親の内記が病死した不幸も重なって、これまた崩壊、とどのつまり、お千賀さまのゆくえは不明だという事実を告げた。
「頼む、そのゆくえを探してくれ」
万八は地団駄踏まんばかりにいった。
「糸平、おまえ、わしに借りがあるなら、返すならこのときだと思え。いや、拝む、土下座して頼む。……」
「何とかやってみましょう」
糸平は引受けてくれ、ニヤニヤしながらいった。
「旦那、変ったでしょう、世の中も、何もかも。――それにしても、三千石取りの旗本、すばらしい美男で名剣士、ふつうじゃ歯も立たない男が、ころっとくたばってしまうとは。――しかも、それが、旦那がお渡し下すったフランス銃の一発によるたア――糸平が悪くはしないといったのがほんとうだったでございましょう、と威張りてえが、それにしても旦那は、ついてるねえ!」
しかし、擾乱《じようらん》の江戸で、お千賀さまのゆくえはなかなか知れず、やっと彼女が三田《みた》の春林寺《しゆんりんじ》という寺のそばの裏長屋に、病んだ老母と屏息《へいそく》して暮していること、しかもこのごろ、高利貸しか女衒《ぜげん》風の男がそこへやって来て何やらわめいているということが判明したのは、四月も半ば過ぎてのことであった。
しかも、そのついでに糸平は、この四月六日、上州権田村の知行所へ避難していた小栗上野介が、官軍に探知されて烏川《からすがわ》の河原で斬られたという事実まで伝えたのである。
「江戸へゆく」
沼田万八は飛びあがった。
まるでそのまま駈《か》け出しそうな構えを見せたが、すぐに彼は踏みとどまった。
「糸平、金を貸してくれ」
「へえ、何になさいます」
「何につけても、先立つのは金だ。……とりあえず、三百両ばかり、何とかならぬか?」
糸平は笑い出した。
「それだけですか。ようござんす。旦那にゃ、その十倍でも――いや、さきざき旦那が何か商売でもおやりになるなら、いくらでもこの糸平が御用立てするつもりでいたんでさ。償いだけじゃなく、私ゃ旦那を買ってるんでね」
三百両を胴巻きにいれて、沼田万八は江戸へ走り出した。
そして彼は、はじめて「海舟日記」にあるような騒然たる江戸の光景を見たのである。横行する官軍や、逃亡する江戸市民や――しかし、それらの驚いて然《しか》るべき風景も、ほとんど彼の眼にははいらなかった。
彼の脳裡《のうり》は、ただ赫耀《かくよう》たる光と、一人の女人の幻だけに満たされていた。
たしかに、世界は一変したのだ!
自分を縛っていたもの、自分を恐怖させていたものは、みんな消えてしまった。信じられないことだが、ほんとうのことなのだ。そして、いまの自分の、天馬に乗って昇天するような心持もまた、江戸にはいる前には信じられなかったほど無限大のものであった。
恋する女は、落魄《らくはく》して苦しんでいる。そこへ、おれは三百両を抱いて――いや、その背に何千両とも知れぬ金を背負って、助けにゆくのだ!
「ついてる! おれはついてる! そういう運命に生まれついた男なのだ!」
彼は、すれちがう哀れな江戸市民たちに、大声でそうわめきたいほどであった。
沼田万八は、教えられた通り、三田三丁目にはいり、春林寺という寺を探した。探しあてた。その裏側に長屋があると聞いて、崩れた寺の塀《へい》をまわった。
すると、向うから歩いて来た三人のだんぶくろの官軍が道をふさいだ。
「待て、ぬしァ旗本か」
「旗本ではないが……直参だ」
腕っぷしでは臆病《おくびよう》な沼田万八であったが、この場合は珍しく昂揚《こうよう》した返答をしたのは、官軍にまだ馴《な》れなかったのと、それから何より先を急いでいたせいである。
「何でござる。……そこを通しなさい、急ぎの用があるのだ」
「地獄へか」
三人のだんぶくろは、閻魔《えんま》みたいに赤い口をあけて笑って、歩いて来て、鉄のような力で万八の両腕をとらえた。
「直参なら、よか。ちょっと、来《こ》う」
「な、何の用じゃ?」
「汝《わい》の首斬る用じゃ。大総督府からの命令じゃど!」
[#改ページ]
二人目・橋戸善兵衛《はしどぜんべえ》
三十半ばというのに、旗本橋戸善兵衛はあかい頬《ほお》をしていた。
むろん、少年のように初々《ういうい》しいあかさではない。四角に飛び出した頬骨のところだけ赤黒くてらてらとひかっているので、若禿《わかは》げの気味のあるおでこや、箒《ほうき》の穂《ほ》のような下り眉《まゆ》や、どんぐりみたいな眼とあわせて、一見したところではとても二百石の旗本とは思えない。悪口をいえば、野良着でも着て鍬《くわ》をかついでいたほうが似合う百姓面だといっていい。
それにもかかわらず、彼の印象にはいやしいところがちっともなかった。おそらくそれは、そのどんぐり眼《まなこ》にもっともよく現われている善良性と一種の熱情のせいであったろう。
橋戸善兵衛は、まことにその名の通りの男であった。――その上、血あり涙ある男であった。ただ少し、それが多過ぎた。借金の世話、もめごとの仲裁、内職の斡旋《あつせん》、結婚の仲介、と、毎日他人のために忙殺されつくして、当人はその年になるまでまだ独身という始末だ。
「ああ、どうしてこういう倅《せがれ》ができたのだろう? こんな風に育てたつもりはないが。――」
そのことについて知人にこぼした老母が、まるでどら息子への愚痴《ぐち》みたいな歎《なげ》きの可笑《おか》しさを笑われて、
「血でございましょうね。考えてみれば、なくなった父親があれとそっくりの性分《しようぶん》でございましたからね」
と、自分でも苦笑するのであった。
そういう母親も親切者であったから、息子の世話好きな性分に文句をつけることはないはずだが、それがときにこぼさずにはいられないのは、息子の結婚の件ばかりではなく、それ相応の理由がある。
母親ばかりではなく、直接彼の世話になった人々は別として意外にも善兵衛の親切ぶりについて悲鳴をあげる者が少なくなかった。それは右にいったように、彼の親切の度が過ぎたからだ。彼は困った人間にためらいなく用立ててやるのみならず、だれでもそうすることを当り前だと考えているようであった。だから、知友|朋輩《ほうばい》に遠慮なく寄附や援助を請《こ》うた。断わると、こんこんと説教してやまないから、しぶしぶとその要求に応じるけれど、人々はあとで嘆息をつかないわけにはゆかない。――彼の親切ぶりは、すべてこの傾向をおびる。
しかし、全般として、彼を憎む者のあろうはずがなかった。
「人の性は善である」
と、信じて疑わない男に悪意をもって対する人間はまあいないが、その上、その性向のおかげで彼自身が決してトクをしていないのを見てはなおさらのことだ。
あとさきのことを考えずに人に恵み、人のために奔走する男がトクをするわけがないが、そのわりに彼に恵み、彼のために奔走する人間はいなかった。好意は禁じ得ないけれど、例えば上司が何かの役職につけてやろうと考えても、あれではかえって彼の負担が増すだけだろうと取越苦労をしてしまうのだ。
この点、彼はむしろつかない男といえた。熱情的、楽天的なはずの彼の面上に、一抹《いちまつ》悲劇性が漂っていたのは、そのせいかも知れない。
にもかかわらず、橋戸善兵衛は、
「人に善意をもって対すれば、人間は必ず酬いられるものである」
という信念をもって、そう人にも説いてやまないのであった。ただし、それじゃあお前さんはどうだ、などとからかう者はいない。その前に、本人が、
「尤《もつと》も、そんなことを考えて善行をやるのは邪道じゃが」
と、断わり、その点についてもそう信じて疑わないらしいからだ。
ただ――実際問題として老母は、善兵衛に縁談のないのには困った。子孫がなければ家名はおろか禄まで失ってしまう当時の制度として、これは笑いごとではない。
いや、縁談は、いくつかあるにはあったのである。善兵衛をよく知る人は、「……あの気性じゃ、女房になったものがえらい苦労をするじゃろう」と見込んだが、よく知らない人が、何といっても二百石の旗本だから、それにつり合うような縁談を持ち込んだこともいくどかはあった。
しかし、いつも善兵衛は首をたてにふらなかった。
「……いや、その娘御は、わしよりほかの方のところへ嫁《かた》づかれるほうがお倖《しあわ》せになるだろうと、わしが保証します」
そんなことを保証されては、もう話は進められない。
そして、やきもきする母に対しても善兵衛は、
「私の女房たるべき女は、貧乏な暮しにたえられる女じゃないとだめです」
と、いい、
「ですから、私の願いは、私が助けてやれるような家の娘を妻にしたいということです」
と、いった。
老母には異論もあったが、そういう息子の顔が、土くさい、どこか可笑《おか》しみのある容貌《ようぼう》なのにもかかわらず、何だか聖者のように清朗で熱情的なのでただ理屈だけでは太刀打ち出来なかった。
その橋戸善兵衛に、やっと花嫁の候補者が出て来たのである。――文久三年の暮の話であった。
彼の屋敷は本所《ほんじよ》石原町にあったが、すぐ近い南割下水に住んでいるある御家人《ごけにん》の娘が、蔵前《くらまえ》の札差《ふださし》の妾《めかけ》になることをいやがって首を吊《つ》り、発見されて危く助かったという話を聞き込んだのだ。
善兵衛はショックを受けた。
かりにも直参《じきさん》の娘が、町人の妾となる。――公式にはあり得ないことだが、現実にはあり得る。つまるところ、金の力にはかなわないのだ。むしろそんな境遇になることを、武士の娘がよろこんでいる場合さえ少なくない幕末の社会相であった。
それは承知していたが、やはり善兵衛は見のがせない気持になった。それはその御家人の娘も、相手の札差も知っていたからだ。
札差は、板倉屋嘉兵衛《いたくらやかへえ》といった。――これがまるで草双紙に出て来る悪党がこの世にぬけ出したような面がまえをしている。豪奢《ごうしや》で鳴らした蔵前の札差も、幕府が苦しまぎれに繰り返し冥加金《みようがきん》をしぼりあげるのと、頻々《ひんぴん》とゆすりや強盗に目をつけられるのとで、昔日の面影はなくなっていたが、それでも江戸切っての富豪階級に相違なかった。板倉屋はその末席につらなるほうだが、それだけに見得《みえ》もなく、お上の冥加金にもっともしぶとく抵抗し、ゆすり強盗にそなえて腕ききの用心棒を数人|傭《やと》っているという噂《うわさ》のあるしたたか者であった。
一方、御家人のほうは――旗本御家人の窮乏ぶりは沼田万八の話でも述べたが、その吉坂卯之助《よしさかうのすけ》という御家人は、主人がこのごろ病気にかかって、しかも娘だけなので、ひときわ哀れな暮しをしていた。前から善兵衛がその家のことが気にかかっていたのは、その娘が飛び切りの美人だったからである。名はお波《なみ》といった。――
善兵衛は吉坂家を訪ね、悲劇のもとはやはり借金であることを知った。その金額は、ひとのために金を使うことをつゆ惜しまない彼でも、うーんと重っ苦しくうなったきり、とっさに声も出なかったくらいだから、まして御家人の身でよくも借りたものだ。いや、よくも貸したものだ、というより、はじめからその娘を狙《ねら》っての資本だったのだろう。
「いや、引受けた」
と、彼はやがて胸をたたいた。
「わたしにまかせておきなさい」
その家を立ち去る橋戸善兵衛の分厚い胸に浮かんでいるのは、しかしその金の算段についての思案ではなく、破れ襖《ぶすま》の前にうなだれていたかげろう[#「かげろう」に傍点]のように清麗なお波の姿であった。
そして、やがてその算段についての思案を浮かばせたのも、同じその姿であったのだ。思案というよりも、決心といったほうがよかろうか。
つまり橋戸善兵衛は、ひとり板倉屋へ乗り込んで、嘉兵衛と談判するということを決心したのである。
それが一筋|縄《なわ》でゆく相手でないことは、いかに人の善意を信じる彼でも承知している。談判は口論になるだろう。そこで向うから用心棒が出て来るだろう。――
――実をいうと善兵衛は、そんな世話好きの楽天家でありながら、なかなかの使い手であった。とくに伯耆《ほうき》流|居合《いあい》抜きはいちじ夢中で稽古《けいこ》したもので、彼としてはひそかに自信を持っていた。しかし、むろん人間を対象に真剣でやったことなんかないし、居合というやつは一対一ならともかく、相手が複数では効果が急速に弱まるし、またそういう事態になっては、かんじんの目的がおさきまっくらになってしまう。
しかし、橋戸善兵衛は意に介せず板倉屋に乗り込んだのである。
果せるかな、板倉屋はあぶらぎった顔に冷笑を浮かべて、善兵衛の懇願――吉坂の借金を三分の一に負けろという――に、とり合わなかった。善兵衛はひきさがらず、情けは人のためならず、ということをこんこんと説いた。板倉屋は持て余して、ついに用心棒を呼んだ。
それが善兵衛にはむしろ倖《さいわ》いした。出て来た、四、五人の用心棒たちは、いずれもささくれ立った人相の連中ばかりであったが、これがなんとみんな御家人であったのだ。――御家人が用心棒になるくらいだから、御家人の娘が妾になるのも当り前だともいえる。
八万騎というのは法螺《ほら》だが、旗本だけが五千二、三百人、御家人に至っては一万七千余人もいたといわれるから、おたがいがいちいち顔を知っているわけはなく、旗本の橋戸善兵衛は、吉坂こそ知っていたけれど、その用心棒たちにはおぼえがなかったが、彼らのほうでは善兵衛を知っていた。
どうやら、こういう用件に関しては、全然|物怯《ものお》じも疲労も感じない、もっとも始末におえない調停人として。
板倉屋に呼ばれて出て来たときから彼らはウンザリした顔をしていた。そして、その一人が、何やら嘉兵衛に耳打ちをした。
嘉兵衛の顔に、これは意外なことを聞くといった表情が浮かび、ふきげんな眼つきになり、やがて、しかたがない、という憮然《ぶぜん》たる顔色に変っていった。
「お旗本にそうまでおっしゃられては、板倉屋、眼をつぶりましょう」
と、やがて彼はいい出した。
「三分の一、おまけいたします。それだけでもお話にならない、大変なことでございます。何とぞそれで御勘弁を。――」
三分の一にしろという要求を、三分の一負けるという。――善兵衛はしばらく思案したのち、うなずいた。
「ありがとう。では、左様にお願いしたい。金子《きんす》は明日持参いたす」
そういってから、実に感動的な眼で板倉屋を眺めて、人間というものはだれでも話せばわかるものだ、悪心だけの人間はいないものだ、と、やりはじめた。
決して人を馬鹿にしている調子ではない。誠心誠意そう感じたらしいので、人間は本質的にはみな善人なのだ、とさけんだとき、板倉屋は大きくうなずいたくらいである。それどころか、彼は、橋戸さま、あれはやっぱり三分の一でようございます、と口走ったほどだが、さらに善兵衛が法悦境にひたって人間礼讃論をうたいつづけているうち、嘉兵衛の顔にありありと疲労の影がにじみ出し、ついに、彼は、
「えい、もう同じことだ。ぜんぶ棒引きにいたしますから、旦那、このままどうぞお引きとり下さいまし!」
と、悲鳴のようにうめき出した。
善兵衛は、板倉屋と握手をして別れた。
こうして彼は吉坂卯之助の娘が札差の妾になるという事態を救ったわけだが――さて、それで吉坂家の窮状がすべて救われたわけではないことはいうまでもない。貧乏は前と同じことだ。
そこでお波が彼の花嫁候補者として浮かび上って来たのである。
橋戸善兵衛は腕組みして考えこみ、やがて老母にいった。
「母上、どうやらわしの理想の妻が見つかったようです」
「え、どこのどなたじゃえ?」
「御家人ですが。――」
「御家人、それは」
旗本とは、身分がちがう。制度上、それは出来ないし、だいいち橋戸家の名にも。――
「かまいません。かまわないどころか、わしが助けてやれる娘、貧乏にたえられる女、それこそはわしが探《さが》していた女なのですから」
御家人の娘が札差の妾になってもおかしくないように、公式には別だが、身分ちがいの場合、まずどこかに養女にやるという手順さえ踏めば、旗本の妻となることもむろん簡単な話であった。
橋戸善兵衛はお波を妻とした。元治《げんじ》元年春のことであった。
初夜に泣いたのもいじらしく、それからの新妻が彼を見るとおどおどしているのも可憐《かれん》であった。
善兵衛は夢中でこの美しい妻を愛した。
何のことはない、彼ははじめからお波が好きだったのだ。大袈裟《おおげさ》にいえば彼を決死の覚悟にさせて、悪名高い札差の家へ乗り込ませた原動力はこれであった。彼は百姓面をしているくせに、いやそれだけに美人に憧憬《しようけい》すること深く、いままでの縁談が気にいらなかったのは、相手が美人でなかったからだ。
人の性はみな善だとなると、あとは顔で選ぶよりほかはなかったともいえる。
お波は美人であるばかりか、彼の好みにぴったりした、かげろう[#「かげろう」に傍点]のようにあえかな女であった。
といって、彼は偽善者ではない。厳密にいえば無意識的な偽善行為であったかも知れないが、少なくとも彼はそれを意識してはいない。美人を好んでだれが悪いというのだ。それだけ彼の恋は熱烈だったといっていい。
で、橋戸善兵衛は、全身全霊をあげて恋妻を愛撫《あいぶ》した。ひとが見て、うしろ指をさし、笑い、さらには露骨に呆《あき》れた顔をしてみせても、まったく気にしなかった。
ところが――それだけ愛しても、お波はちっとも橋戸家にも善兵衛にも馴《な》れないのだ。いつまでも何かもの哀しげなのだ。
――家格がちがって、窮屈なのか。
と、思い、孝心|篤《あつ》い彼にしては珍しく、母に、あまり嫁をきびしく仕込まないように注意を促したことがある。
――それとも、まだ妻となるのが早過ぎたのか。
とも考えたが、お波は十八だ。当時として決して早いほうではない。
彼女の実家のほうにも、充分とはいえまいが、とにかく暮しの立つように毎月仕送りはしてある。
彼は、こわれものを扱うように妻に気を使った。それでも彼女は、だんだん憂鬱《ゆううつ》の度を深めてゆくようであった。善兵衛もまたそれにつれて神経衰弱になりそうになりながら、一方で持ち前の楽天性を失わなかった。
なに、いまに陽気になるさ。わしの女房らしくなるさ。
ところが、半年ばかりたって、老母が妙なことをいい出した。――このごろ、ときどき、善兵衛のいない夕刻、嫁がそっと家をぬけ出してゆくというのだ。半刻《はんとき》ばかりで帰って来る。いちど尋ねたところ、実家のことが気にかかり、裏のお稲荷《いなり》さまを拝みにゆくのだと答えたが、どうもようすがおかしい。
善兵衛は首をひねった。
それから、ともかく妻を見張ることにした。帰宅するのは夜になるといい置いて出かけて、早目に帰り、門の外で――二、三軒隣りの天水桶《てんすいおけ》のかげにしゃがみ込んでその機会を待つことにしたのである。
これは案外らくでない労働で、ひとに見つかると恰好《かつこう》のわるい甚《はなは》だ旗本らしくない行為で、またそんなときに限ってお波がずっと家にいるので彼は往生したが、それでもやっと母のいうことが嘘《うそ》ではないことがわかる日が来た。
秋のある夕方、妻がそっと潜《くぐ》り戸をあけて往来に現われたのだ。彼女はまわりを見まわして、人通りのないことをたしかめると、小走りに塀《へい》をまわって、裏手にあるお稲荷さまのほうへ急いでいった。――
なるほどゆくてはお稲荷さまにちがいないが、たしかにようすがおかしい。
善兵衛はあとをつけた。
尾行は、いうは易《やす》く、なかなか難しかったが、結局彼はその稲荷の石垣《いしがき》の外からジリジリと芋虫《いもむし》みたいに這《は》っていって石垣のかげから大蛇《だいじや》みたいに首を持ちあげて――祠《ほこら》の裏で、若い男と口づけしている愛妻の姿を目撃したのである。
尾行の気配を気づかれてはならないから、そこまでゆくには相当の時間がかかったので二人がそういう状態をつづけているのも、それだけの時間であったにちがいない。
赤い夕日、赤い鳥居、赤い紅葉の中に、立ったままひしと抱き合って動かない若い二人――相手は貧しげでいかにも弱々しいが、実に美しい御家人風の若者であった――は、一幅の絵としか見えなかった、第三者の眼には、である。
善兵衛の眼には、夢魔のような恐ろしいシルエットであった。
「――きゆっ」
一目、見ただけで善兵衛はさけんだ、相手のほうではなく、彼の口から実際にそんな声が出たのである。
出たのみならず――彼は数秒か数分か、眩暈《めまい》を感じてふらりと石垣にとりすがっていた。のちに明らかになるように、彼はまだ三十半ばという年なのに、きわめて血圧の高い体質であったのである。
善兵衛が気がついたとき、男はもう逃げていた。――
さすがに逃げ出すわけにもゆかず、蝋《ろう》色の顔で立ちすくんでいるお波をつれて、彼は屋敷に戻った。途中で、お波が恐怖の声をあげた。
「……去り状を下さいまし」
彼もまた物凄《ものすご》い顔色になっていたが、そういわれたときから夢から醒《さ》めたように狼狽《ろうばい》の相を示した。
「追ってなんらかの処置をとるまで、このことを口にすることを許さんぞ」
と、彼はいった。
橋戸善兵衛に生まれてはじめてといっていい地獄がやって来た。頬骨《ほおぼね》の赤味が消え、彼は憔悴《しようすい》した。かげろう[#「かげろう」に傍点]みたいなお波がいよいよやつれたことはいうまでもない。母親が怪しんでわけを聞いたが、善兵衛は首を横にふるだけであった。
男は、お波の実家の近くの御家人で江国藤之丞《えぐにふじのじよう》といった――。そして、以前から、お波と恋仲であったという。彼女が札差の妾《めかけ》になろうとして首を吊りかけたのは、ただ妾になるのがいやだというばかりではなく、そういう恋人があったからだといい、また橋戸家にお嫁に来る話があったとき、もういちど首を吊りかけたのだが、二度も同じような騒ぎを起すのはあんまりだとも思い、かつはあなたの御恩にそむきかねて来るには来たけれど、どうしてもおたがいに忘れられず、あのようなあいびきをつづけていたのだと、お波は泣いて告白するのであった。
総身を油火であぶられるような長い苦悶《くもん》ののち、しかし善兵衛は彼女を許すことにした。
「去り状はやらない」
と、彼は妻にいった。
「本来なら、両人重ねて四つにするところだ」
「…………」
「成敗《せいばい》すればもとより去り状をやっても、わしがお前を愛していることはみなが知っているから、そんなことをすれば原因は何だということになり、お前の不心得が明らかになるじゃろう」
「…………」
「以前に、女房の密通を知りながら見逃したある旗本が、士道不覚悟という罪で切腹を命じられたことがある。切腹を命じられる前にいくらわしでも生きて世間に面《つら》はさらせない。そうなれば、お前も、その男もまた生きていられぬ破目になるじゃろう。生きたいと思っても、成敗しにゆくお節介者が出て来るかも知れぬ」
「…………」
「ここは何としても、お前がこのまま橋戸家の妻として生きてゆき、あのことは秘密として他人の耳目から伏せるよりほかはない。わかるか」
「…………」
「わかってくれ、お波。……わしを助けると思って、そういうことにしてくれ! な……な……な?」
最初はおどすようにいっていたつもりが、おしまいのほうでは、こっちが哀願するような調子になった。
しかし彼は、そんな理由でお波を離縁したり成敗したりするのをやめたのではなかった。ひたすらこの美しい妻にみれんがあるからであった。いま自分でも口にしたように熱烈に愛しているからであった。
「いや、考えてみれば、わしのほうが悪かったかも知れぬ。わしはお前に、あんな恋人がいるとは夢にも知らなんだのじゃ。お前もつらかったろう。お前にとってわしは、あの板倉屋と同じようなものであったろう。申しわけない。……しかし、お波、その後わしが調べたところによるとその江国の家、お前の家と同じ借金だらけじゃというではないか。それがいっしょになれば、たちまちにっちもさっちもゆかぬ破綻《はたん》に追い込まれることは火を見るよりも明らかであったといえる。これはお前にもわかるだろう……」
まるで子供でもさとすようにいった。しかしもう善兵衛は、最初のころの熱鉄をのむ思いとはちがって、彼のほうがはらはらと落涙せんばかりの甘美な自己陶酔におちいっていた。
「とにかく、もうあの男にも逢《あ》わないと約束してくれ。そして、忘れてくれ。わしも、あの男のことは忘れる。……そのうちに、たとえ思い出しても、笑い話になるじゃろ。わしという夫もまた悪くない、と思うようになるじゃろ。……」
このときは、彼はその空想にニタニタと笑っていたほどである。
お波は、うなだれたきり、返事もしなかった。
しかし、さすがにそれ以来、お波は昔の恋人とのあいびきをやめたようだ。老母に聞いても、嫁の不審な外出は見られない、ということであった。
善兵衛は胸|撫《な》で下ろした。むろんいかに楽天的な彼でも、それで万事解決とは思っていない。まるで玻璃《はり》細工を捧《ささ》げているような不安定な気持を一方では抱いているのだが、しかし一方では――やっぱり彼は楽天的であった。
――この状態が持続してゆけば、やがてお波はわしの思い通りの妻になるじゃろう。いまはただ、時のたつのを待つばかりじゃ。……いや、わしが真心で、きっとそういう日を到来させて見せる。
ところが、お波のあいびきを見てから半年ばかり後の翌年の春、さしも「善意の人」橋戸善兵衛の人間性をこっぱみじんに飛散させるような事件が起った。
けだるい晩春の夜であった。
善兵衛は熟睡していた。
結婚以来一年たっても、まだぎごちなさのとれない――というより、白い丸太みたいなお波と閨《ねや》をともにして、彼は全然不平は持たなかった。百姓面のおれがこれほど美しい肉体をわがものに出来るとは、と、神さまに感謝の心さえ捧げながら、彼はひとりで法悦境に達し、そして満ち足りた眠りにはいるのを常とした。
口をあけて寝ていた頬を、いきなり冷たいものがピタピタとたたいた。眼をあけて――けぶるような行燈《あんどん》の暗い光の中に――夜具の上に緋《ひ》の長襦袢《ながじゆばん》のまま坐《すわ》らせられている妻と、そばに仁王立ちになっている黒頭巾《くろずきん》の男を見ると、
「うひゃ!」
善兵衛ははね起きようとした。
「動くな、動くと、女房どのの命がないぞ」
野ぶとい声よりも、いま自分の頬をたたいた白刃がお波の首につきつけられているのを見て、善兵衛ののどは鉄丸がつまったようになってしまった。
「うつ伏せになってもらおうか」
と、曲者《くせもの》はいった。
反射的に見せようとした抵抗の意志も、
「もう一人、婆あのほうへいっておる。不心得なまねをすると、とんだ親不孝をやる破目になるぞ」
という言葉に蹂躙《じゆうりん》された。
――あとで知ったところによると、それは嘘《うそ》の皮で、闖入《ちんにゆう》した曲者はただ一人で、老母は何も知らずに眠っていたのであったが、痩《や》せてもかれても旗本の家、ほかに中間《ちゆうげん》も下男もいるのに、どうしてわが家のごとくそこに現われたか、驚愕《きようがく》と恐怖は、そのとき善兵衛のあらゆる思考力を麻痺《まひ》させていた。
うつ伏せになると、曲者は寄って来て、その背に足を踏みかけ、善兵衛の両腕をうしろにねじあげ、帯で縛りあげた。おまけに猿ぐつわまでかませると、柱に縛りつけた。
伯耆《ほうき》流抜刀術などものの役に立つどころか――いや、この間善兵衛はむろんただ丸太ン棒みたいにそうさせていたわけではないが、曲者がすぐそばの畳に刺してある白刃を、何かといえばひっつかみそうな気配があったので、結局何も出来なかったのだ。
湧《わ》きかえる脳髄に飛びかう断片は、こやつは何者で、何を望んで押し入ったものだろう? ということであった。
むろん、盗賊にちがいない。――ようやく江戸の治安は極めて不安定な世相にはいりつつあった。――しかし、それにしても、こんな貧乏旗本に?
そしてその曲者は覆面しているので顔はわからないが、錆《さび》をおびた声からして、年は少なくとも三十は越しているらしく、骨ばった長身に尻《しり》っからげはしているが、黒|羽二重《はぶたえ》の着流しといい、帯に落しこんだ鞘《さや》のきまりのよさといい、どう見ても武士ないし侍崩れの男のように思われた。
善兵衛の疑惑が溶け、それまでの不可抗的な無抵抗を痛恨の極にたたきこんだ事態はそれから起った。
それまで美しい亡霊みたいに坐っていたお波を、曲者は頭巾のあいだからじっと見まもると、いきなりしゃがみこんで、寝具の上におし倒したのだ。
――な、何をする!
善兵衛は驚愕のうめきをたてたが、猿ぐつわをかまされた口は、声はおろか息も出すことが出来なかった。ただ彼は芋虫《いもむし》みたいにもがきぬいた。
張り裂けるような眼の前で、やがて曲者は妻を犯し出したのである。――
はじめからなかば喪神したようなお波は、さすがに夢からさめたように抵抗しようとした。曲者はいった。
「旦那《だんな》を可愛いと思ったら、おとなしくしな」
――殺してくれ!
と、善兵衛はさけびたかった。いや、実際に、
――お波、なぜ逃げぬ、おれはどうなってもいいから、逃げろ、人を呼べ!
と、身もだえしてさけんだのだが、それは低いうなり声となって猿ぐつわに籠《こも》るだけであった。
しかし、ふだんから弱々しい妻に、それは無理な要求であった。善兵衛がいつも知っているように、お波は白い丸太みたいに曲者に手籠《てご》めにされたのだったが――彼にとっての意外事はそれからであった。
曲者は実に傍若無人に、ときどき善兵衛のほうへ顔をむけて、ぶきみな笑い声さえたてながらお波を犯したのだが、最初抵抗のようすを示し、次には失神状態におちいったかに見えたお波が、やがて善兵衛もはじめて見る異様な反応を見せ出したのだ。
いったい、どうしたのか。――いや、そのけしからぬ曲者は、善兵衛など思いもつかぬけしからぬさまざまなふるまいをやった。そして不敵にも、呆《あき》れるほど長い時間をかけた。――その結果、あの無反応な妻がしだいに声をあげ、はては両足を相手の腰に巻きつけるという痴態さえ見せはじめたのであった。
いまは緋の長襦袢は剥《む》かれて腰のあたりにまといつくだけとなり、その姿で夢中になって腰を浮動させている妻を――黒髪を乱して眼をけぶらせ、口をあけて舌までのぞかせてとろけるような声をたてている、そんな凄《すさま》じくも美しい妻の顔を、それまでいちども善兵衛は見たことがなかった。
はじめ身をもがいていた彼のほうが、まさにおとなしくなり、虚脱状態になった。
さんざん、やりたい放題のことをやった曲者が立ちあがり、身づくろいしたのは、どれほど時がたってからのことであろうか。
なお夜具の上に四肢《しし》を投げ出してあえいでいる女の姿を、曲者自身呆れた眼でしばらく見下ろしていたが、やがて、
「さて」
と、それまで畳に突き刺してあった抜身をひきぬいて、鞘におさめた。
「噂《うわさ》には聞いていたが、善兵衛さんには過ぎた女房だ」
と、笑いをおびた声でいった。
「この奥方は、お前さんの籠《かご》から空へ出してやるがいい――と、説教するまでもなく、これじゃ去り状を書くよりほかはあるまいが」
そして、
「いや、馳走《ちそう》でござった」
と、いって、曲者は縁側に出、どこからか庭へ下りたような跫音《あしおと》がしたが、すぐにぴたぴたと遠ざかっていった。
橋戸善兵衛にまた地獄が来た。こんどは前の妻のあいびきとはくらべものにならない恐ろしい地獄であった。
もう何といっていいかわからない。――神も仏もないとはこの悲劇である。
もとよりいちばん恨めしいのは当の曲者だ。きゃつはいったい何者だろう? いくら考えても、見当もつかない。目的はわかった。金には目もくれなかったから、お波を犯すことが目的だったのだ。
美しい妻に羨望《せんぼう》ないしやきもちの目をむける人間の多いことは、いかな善良の善兵衛でも感じており、こればかりは彼も内心得意であったが、しかしいくら何でも旗本の自分の家へ押し込んで、夫たる自分を縛りあげてまで大それた目的をとげようと考えるやつがあろうとは思えない。いや実際にあったのだが、疑わしいやつのだれそれを思い浮かべても、あの曲者には当らないようだ。
しかし、いつかは見つけてやる。探《さが》し出して誅戮《ちゆうりく》を加えずにはおかぬ!
さすがの善兵衛も、あの正体不明の曲者だけには、眼口から血でも噴き出しそうな怒りをおぼえたが、さてこの事件を公《おおや》けにするわけにはゆかない。――
とり返しのつかないことが起ってしまったあととなって見れば、不幸中の倖《さいわ》いは、事件の発生を、屋敷のだれも気づかなかったことであった。どうやら曲者は、屋敷の勝手をよく知っていて、感づかれそうなところはうまく避けてはいって来たらしい。
で、それは善兵衛とお波だけの秘密であったが、さてそのお波をどうするか。
むろん、ふつうなら自害もしくは離別のほかはない事態で、げんに曲者はお節介にも、「去り状を書くよりほかはあるまいが」と嘲笑《ちようしよう》して去ったが――そういわれれば、いっそう――いや、そんな勧告の如何《いかん》に拘らず、彼はお波を離縁出来なかった。
恐ろしい苦悶《くもん》ののち、善兵衛はまたもすべてを忘れることにした。
離別すべき理由は妻にない。お波に罪はない。あれは犠牲者だ。いまおれが見捨てたら、あれは死ぬよりほかはあるまいが、同じ理由で自害などは、とんでもないことだ!
彼はこう断定した。神も御照覧、この断定に嘘《うそ》はない。しかし、それだけではなかった。彼にとって、たとえ悪魔は忘れても、忘れることの出来ないのはあの夜の妻の姿であった。
すべてを忘れることにし、表面上は以前と変らない生活を繰り返し出してから、善兵衛はひそかにその再現を期待した。……思い余って、赤面しながら、
「……これ、あの曲者のときのようには相成らぬか?」
とか、甚だしきは、
「わしをあの晩の曲者と思え」
とか、ささやいたこともある。
ところが妻は、それこそ以前とまったく変らなかった。やっぱりもとの白い丸太のままなのである。
忘れようとしようが、しまいが、善兵衛にはあのことが一切夢かまぼろしではなかったか、と思われて来たほどであった。
しかし、それは夢まぼろしではなかった。――半年ほどして、お波が家出をしてしまったのだ。
ただし、ゆくさきは実家であった。父親が来て、申しわけなげにいった。
「……娘から何もかも聞きました。まことに驚きいったことで……それについて、思えば思うほど心苦しうて、お波は御当家におられぬと申しております。事情が事情ゆえ、死んでも帰れとは親として申しがたく……さればとて、いまどうしろという思案も出ませぬが、とにかく当分わが方へひきとってようすを見させていただきとうござる。……」
この口上には、善兵衛もどうするわけにもゆかなかった。
それどころか彼は、「そうか、それほどお波は苦しんでいたのか。……」と、いよいよ哀憐《あいれん》の思いを深くした。
善兵衛の腑《ふ》ぬけのような日々がはじまった。耳鳴りがしたり、頭痛がしたり、からだの調子もよくなかった。
そして、また半年。――彼は驚くべき知らせを聞いたのである。
お波が首を吊って死んだというのだ。それが、実家ではなく、下谷《したや》三味線堀の寒河右京《さむかわうきよう》という旗本の家であるという。
その事実もさることながら、知らせを聞いて橋戸善兵衛を三尺も飛び上らせたのは、
きゃつだ!
という、脳天に鉄槌《てつつい》を受けたような認識であった。
彼はあの夜の強姦《ごうかん》者がその寒河右京であることにはじめて思い当ったのだ。
五千何百人もいる旗本をいちいち知っている道理はないが、その男は知っていた。――
もう十何年前になるであろうか、善兵衛は一時居合に凝《こ》って、そのために熱心に道場通いまでしたことがある。いまでもひまさえあれば自宅の庭で運動をかねてその修行は欠かさないが。――
とにかく、そのころ道場でよくやり合った相手なのだ。そのわざに自信のあった彼といい勝負の――ほんとうをいうと向うが一段上の相手であった。それが思い出せなかったのは、つきあいといえばそのときだけで、以来十数年まったく無縁の人物であったからだ。
同じ道の修行仲間、という親近感を除けば、冷たくてどこか薄っ気味悪い、はっきりいえばいやな感じの男であった。ただ、そういう感じはともかく、どこか孤高性があって、当時の若さにもかかわらず女などには全然興味のないような顔をしていて、そんな人妻を強姦するというような行為をする人間とは思われなかったし――とくに、自分が狙《ねら》われるなんて、そんないわれはまったくない。
だから、その名を聞いて善兵衛は一瞬あっけにとられたのだが、しかし今にして思えば、覆面はしていたけれど、あの姿かたち、もののいいかたは、あの寒河右京にまぎれもなかった!
ところで善兵衛は、妻が実家に帰ったあと数か月の虚脱が過ぎると、また持病の世話焼きがはじまって、ある知人のもめごとのために駈《か》けまわっていて家にもおらず、右の仰天すべき事実を五日もたってから耳にしたのだが、それが妻の実家からではない。まったく別の方面からである。
しかも、どうやら当の寒河右京は、死にもせず、つかまりもせず、しゃあしゃあと暮しているらしい。――
お波が右京の家で自殺したというのもわけがわからないが、その右京になんの異常もないというに至っては、いよいよ何が何だかわからない。
知らせに驚倒し、押《お》っとり刀で善兵衛は飛び出したが、それでも一応南|割下水《わりげすい》の妻の実家――吉坂家へまわったのは、その点をまずたしかめるためであった。
「い、いや、まことにもって驚きいった。それにお上のお調べにとりまぎれ……」
父親の卯之助は、ウロウロしていった。連絡もないことを責めるより先に、善兵衛はその怪奇な事件について問いただした。
「娘が首を吊ったとき、寒河さまは釣《つり》にいっておられたということでござってな」
と、卯之助はいった。
「なぜお波が寒河さまのところへいって首を吊ったかというと……あれはこのごろ、しきりにそこへいっていたので……ただし寒河さまは、色きちがいの女が勝手に惚《ほ》れて勝手におしかけて来るのだからおれは迷惑しておった、首を吊ったのもあずかり知らん、とのことで……拙者《せつしや》にもまるでわけがわからぬ……」
みなまで聞かず、善兵衛は砂けむりたてて三味線堀《しやみせんぼり》へ駈《か》けていった。
寒河右京の屋敷はすぐに見つかった。――
たしか、同じ二百石のはずだが、善兵衛の屋敷よりまだひどい。――門は朽《く》ちて傾き、一歩はいると晩春の草が蓬々《ぼうぼう》と生いしげっている。
そこに、思いがけなく右京はいた。
玄関までゆく途中の右手の小さな空地《あきち》に、何をしているのかひとり庭石に腰打ちかけて、つくねんとしているうしろ姿が彼であった。――ふりかえった顔は、十何年ぶりでむろんそれだけ老《ふ》けたが、皮肉で虚無的な右京のそれにまぎれもなかった。
「やあ」
と、いって、驚くようすもなく、にやっと笑った。
「やはり、おいでになったな」
色あせた黒紋付の着流し姿で歩いて来た。
「まことにお気の毒なことになって、おくやみ申しあげる」
ひとごとみたいな挨拶《あいさつ》であった。
「いま、おれもここに坐って、あの桐《きり》の木を眺めていたところだ。奥方は、あれにぶら下がったのさ。釣《つり》から帰って、おれも胆《きも》をつぶした」
善兵衛はぎょっとしてその桐の木を見やった。高い枝からはうす紫の花がほろほろとこぼれ落ちていた。それが、そこにぶら下がったという妻の幻影のようで、あやうく彼はふらふらとその桐の木にしがみつきたい衝動にかりたてられた。
が、すぐに彼は、右京に血走った眼を戻して、あえぐようにいった。
「寒河――なぜ、なぜ、なぜ、おれを、おれの女房を」
「どの話だ?」
「去年の春、お、おれの家に押しいって――」
「あれを知ったか。ほう、いつ知った?」
「お波がここで死んだことを聞いてからじゃ!」
「ふ、ふ、正直な男だ。しかし、鈍《にぶ》いな」
と、右京はうす笑いした。
「あれはね、奥方の色男からふと話を聞いてね。あんまりその若い衆と奥方が気の毒になったからだよ。思いつ、思われつ、絵のように似合いの若い二人を裂いて、狒々《ひひ》みたいにさらったのがおぬしさ。――いや、そんなことは知らなんだとおぬしはいうだろう。しかし、昔から知っておるが、おぬしはだいたい善意の押し売りをやってかえって人を困らせる男だよ。人が困ってるのに鈍感《どんかん》だよ。お節介屋で、しかも、少々しつこい。――その悪い一面がおぬしの嫁とりさ」
笑いながらだが、ほんとうに嫌悪《けんお》を感じているような表情であった。
「おれは、そういうのが嫌いでね。なに、その色若衆に頼まれたわけじゃない。――お宅の間取りはそれとなくその御家人を介して御内儀から探《さぐ》り出したが、御両人とも理由は知らなんだはずだ。――みんなおれのいたずらッ気からだが、とにかくあの晩の始末になったのさ」
本人こそ、ずいぶん身勝手なことを、けろりとした顔でいう。
「あれまでやれば、離縁になるだろうと思ってねえ」
そして彼は、乾《かわ》いた笑い声をたてた。
「ところが、ならん。これはあてがはずれた、と思っていたら、それでも半年のちにやっと御内儀が逃げ出して来た。しかるに意外大意外、御内儀はもとの色男のほうへは眼もくれず、ふらふらとおれのところへやって来た。ありがたいといいたいが、これがまったく色きちがいでねえ、ほんとうにおれは持て余したよ」
赤くなったり蒼《あお》くなったりしている善兵衛を、まるで第三者が観察しているように眺めて、
「あげくの果てに、おれの留守にぶら下がっちまったのさ。――嘘じゃない。そのいきさつをみんな知っているから、お上も認めてくれたのだよ。……以前にも首を吊《つ》りかけたことがあったそうだが、よほど先天的に首吊りが好きだったらしいな」
いったい、これは人間だろうか、と善兵衛は相手を疑った。
「もっとも、あの晩のことはだれも知らんがね」
彼は眼の笑いを消して、能面みたいな顔をむけた。
「それとも、善兵衛さん。……恐れながらとあの晩のことを訴えて出るかね?」
むろんそんなことをすれば、寒河右京の破滅となるのみならず、善兵衛のほうもこの世間に存在できないことを承知していっているのだ。
橋戸善兵衛は、黙って腰の刀に手をかけた。
「おう、やるか」
右京は、二、三歩飛びずさったが、しかしそれ以上逃げなかった。
「以前、おぬしといちど真剣で抜刀術の腕くらべをやってみたいと考えたこともあるんだ。――といって、こんな曰《いわ》く因縁《いんねん》でやり合うのは、いくら何でも本意じゃないが――とにかく、やって見ることにするかね?」
にやっと笑って、これも腰の刀に手をかけた。
頬骨の部分だけが赤く、それもこのごろは褪《あ》せかげんであった橋戸善兵衛の満面は真っ赤であった。どんぐり眼《まなこ》も夕焼けに火のように光って見えた。彼はこれほど怒ったことはない。
昔、うすっ気味の悪い男だと感じていたが、これほど徹底して悪いやつだとは思わなかった。――いったい自分がこの男に何をしたというのだ? なぜこの男にあんな目にあわされることがあるというのだ? 百歩ゆずって、きゃつがいうようにおれを虫が好かぬとして、せめてお波に横恋慕しての凶行ならまだしも、どうやらお波にも何の恋情――人間としての感情さえ持っていなかったようだ。
万人性善説の、これだけは例外だ。いや、人間ですらない。異次元の怪物というしかない。
侍ではあったが、人を斬《き》るなど、善兵衛は考えたこともない行為であった。いや、この男を斬れるか、どうか、それさえわからない。――しかし、彼の頭からは、あらゆる哲学、あらゆる思慮がけし飛んだ。ただ全身を怒りがつむじ風のように吹きめぐった。
――み、見ておれ、お波、おまえが首を吊ったというこの桐の木の下で、いまおまえのかたき、悪鬼寒河右京を討ってやる。
両人は刀のつかに手をかけたまま、ジリジリとにじり寄った。
勝敗を一刹那《いつせつな》に決する伯耆《ほうき》流抜刀術。――むろん両人が古今に名の伝わる名人であるはずはないが、おたがいに同|技倆《ぎりよう》だと知っているだけに、これはこれで、すでに命を刻《きざ》んでいるような数瞬であった。
長身の右京の背が短くなり、いかつい善兵衛のからだが石みたいにかたまったと見えた一瞬――その善兵衛がふいにごろんと前に倒れた。
腰から刀を半分|鞘走《さやばし》らせたところで、あまりの意外事に寒河右京は、たたらを踏んでつんのめりそうになり、危く踏みとどまって電光のごとくふりむいた。
「どうしたってんだ、こいつあ。――」
右京は近づいて、草の上にころがった橋戸善兵衛が真っ赤な顔をして、大いびきをかいているのをのぞきこんで、あっけにとられた顔をした。
善兵衛が意識を回復したのは、その日の真夜中であった。――場所は本所石原町の自分の屋敷であった。
彼自身、何が起ったのかわからなかった。老母が狂喜したのち泣きくどいたので、事情がやや判明した。
「まあ、お前、いくら父上が中風でなくなられたとはいえ、四十にもならないのに同じ病気にかかるとは!」
その例があったので、老母はすぐにわかったらしい。
「お前、三味線堀の寒河どのとおっしゃるおかたのお屋敷で、お話をしているうちにひっくり返ったとのことで、あのかたが戸板で運ばせてくだすったのだよ。――」
そこではじめて善兵衛のまだどろんとけぶった脳裡《のうり》に、桐の花の下の寒河右京との果し合いの光景が――刀のつかに手をかけて、長いからだを這《は》うようにかがめてにじり寄って来る右京の姿が浮かんで来たのである。
そのときわしは、急に眼の前が真っ赤になり、それから真っ暗になって。――
「そのおかげか、こうしてすぐに気がついたところを見ると、お前は助かるにちがいない。なに、まだ三十半ばだもの、そんな年で中風で死んだ人間なんて聞いたことがない。――」
と、母は彼をゆさぶった。
「これ善兵衛、何かおいい!」
彼は何かいった。それは全然他人にはわからない言語であった。
実はそのことに彼自身気がついて愕然《がくぜん》として、何をいったのか自分でもわからなくなったくらいであった。一方にしまりなくゆるんだ口のはしから、よだれがだらだらと流れ落ちた。
善兵衛は自分が右半身不随になっていることを知った。
それからの二年間、病める橋戸善兵衛の心境は前期と後期の二つに分れる。
前期はまさに闇黒《あんこく》そのものであった。
幕府のよろめきかたは急速調になり、それに応じてあらゆる旗本たちが、それを支えようと必死に奔走したり、自己保全にあくせくしたりするようすはここにもありありと伝わって、まるでまわりをつつむ大火のひびきを聞いているような気持であったが、焦《あせ》ろうにも、もがこうにも、彼は半身不随で――ということは全身不随と同じことだ――一枚の夜具の上にひっくり返ったままなのである。
いや、それよりも、きゃつ寒河右京、どこへ木の葉みたいに吹き飛ばされていってしまうことか。動乱の嵐《あらし》の中にあちらこちら消息を絶つ旗本のだれかれの噂《うわさ》を聞くたびに、右京もどうなるかわからない、という怖《おそ》れはたしかにあった。
老母に聞くと、自分を運んで来た右京は、
「善兵衛どのとの話のつづきは、御平癒《ごへいゆ》後にいたしたい。御全快の節は、左様拙者にお申し越し下さらば、拙者ただちに出向いて承わるとお伝えおき下さい」
と、もっともらしい顔でいい置いて去ったという。
変なやつだ。きゃつが自分を一応助けてくれた心理は不可解だが、とにかく右京は決闘のつづきはいつでもやると約束したのだ。
もとよりこのままで水に流せる事柄《ことがら》ではない。断じて悪魔寒河右京は自分の手で討ち果さなければならなかった。
いや、あのとき自分が倒れなければ、まちがいなくお波のかたきを討ったのに。――善兵衛は、はじめて自分がつかない[#「つかない」に傍点]男であることを痛感せずにはいられなかった。
思えば、いったい何たる無惨な目に自分はあわされたことか。妻を犯され、失い、あげくのはてに自分はかかる難病にかかるとは。――
彼は右京のみならず、運命の神まで呪《のろ》わずにはいられなかった。これでもわしは、力の及ぶかぎり世のため人のためつくし、それを天分と心得て生きて来たつもりだ。そのわしに酬いた運命がこれか。――
もともと善兵衛は、ほんとうは淡泊な性分ではなかった。私欲を捨てた生活を本分としていたが、それは信条から来たもので、かえって常人以上に濃厚でしつこい性質の持主であった。
呪いの言葉をつぶやくと、声はよだれに溶けた。のたうちまわろうとしても、からだは半分腐った芋虫《いもむし》のようであった。
いちどなどは、オロオロと慰撫《いぶ》の手をさしのべた老母を、不随でない左足で蹴飛《けと》ばしてひっくり返し、その行為に対する苦悶がまた血を沸騰させて、いちじよくなりかけた不随がまた逆もどりしたくらいである。
その彼に生きる力を失わせなかったのは、ひとえに寒河右京への仇討ちの執念だけであったといっていい。――少なくとも前期は、である。
さて、病める橋戸善兵衛の後期にはいる。
何とか口がきけ、杖《つえ》をついてヨタヨタ歩ける状態になったころ、彼はふと横浜に住むアメリカ人の医者ドクトル・ヘボンのことを聞いた。ヘボンは、外科、内科、眼科、耳鼻科、皮膚科、万病について神のごとき名医であるという。――
そこで彼は、駕籠《かご》にのって横浜に出かけた。
ヘボン博士は彼を診断したのち、この病気は発作回復後の日常生活が長期にわたって何より大切だから、もし出来たら当分こちらの診療所にいたほうがよい、といってくれた。
そこで善兵衛は、居留地三十九番館のヘボンの施療所で療養しているうちに――病気のみならず、彼の魂に一大変化が起きた。
一言でいえば、医療を職としつつ、その実プロテスタント伝道の目的をもって来日していたドクトル・ヘボンの高潔な精神と誠実な行為に感化されたのだ。
善兵衛は、無欲とか奉仕とかを念とした自分の過去の生活が、このヘボンというアメリカ人の医者の無限ともいうべき情熱と実行力の前には、太陽の前の蝋燭《ろうそく》にひとしいものであったことを知った。――
彼は密々に、ヘボンの助手の助手として、禁制の聖書の翻訳の下書きや清書を手伝うようになった。――まだ、筆持つ右の手はどこか不自由なのに。
ヘボンの手にかかって癒《なお》された病人はおびただしい数に上り、また彼から医学、英語、数学、物理学など教えられた人間も少なくないのに、ここまでいった者はそれほどいないから、やはり善兵衛はこういう点で本質的に呼応するものを持っていたのだ。
善兵衛がひそかにヘボン博士立ち合いのもとで、三十九番館の礼拝堂で洗礼を受けたのは、慶応四年四月のことであった。
この年があとで明治元年と改元されるとはまだ知らなかったが、すでに幕府は倒れ、官軍が江戸に氾濫《はんらん》していることは善兵衛も承知している。そういうときに彼が洗礼を受けたのは、ちかくヘボン博士が満洲旅行をやるというので、その前に博士立ち合いのもとで洗礼を受けたいという善兵衛の切なる願いによるものであった。
キリシタンはなお禁制で、このころその烙印《らくいん》をみずからの面上に押すことは充分死の可能性を意味した。しかし、もはや善兵衛はそんなことを意に介しなかった。
そのとき、いかにしてか、すでに横浜にも現われていた官軍の数人が、酔っぱらってこの礼拝堂に闖入《ちんにゆう》したのである。何やら野鄙《やひ》な罵《ののし》り声をあげながら、祭壇の聖具をひっつかんで投げ出しはじめた兵士たちを、善兵衛は銀の燭台《しよくだい》をふるって、またたくまに打ち倒した。
「ゼンベー」
と、ヘボン博士が眼を見はってさけんだ。
「おまえ、病気、完全、癒った!」
善兵衛は、倒れただんぶくろの官兵と、自分の右手につかんだ燭台を眺め、あっけにとられた顔つきになり、それからがばとひざまずいて十字を切った。――
彼が、寒河右京のことを思い出したのはそのあとのことである。
それまで彼は、右京のことを忘れていた。江戸で倒れる幕府のことさえ念頭の外にあったのだから、それも無理はない。――
もはや仇討《あだう》ちなどという地上の卑小な行為は、生きるための目的に値しなかった。考えてみれば、寒河右京は自分をこういう運命にみちびいてくれた重大な恩恵者の一人であったといえないこともない。
「そうだ、病気が全快したのを機会に、あれに一言|挨拶《あいさつ》しよう」
善兵衛はそう思い立った。
彼はどうしているか。自分は病気のおかげではからずも幕府崩壊の嵐の外にとり残されることになったが、彼はその嵐の中の地獄の虫の一匹となっているのではあるまいか。
あれとて、全身、悪魔の冷血だけで満たされているわけではあるまい。げんに、決闘中、突然発作を起して倒れた自分を殺しもせず、わざわざ戸板にのせて運んでくれたところを見ると、変なやつにしろ、涙の一滴はあるに相違ない。――
善兵衛は、ちかく母に逢《あ》いに江戸に帰るのを機会に、是非寒河右京にも逢いたくなった。
「そして、許す、といってやるのだ」
そこで使いをやって、自分の病気が癒ったことを告げ、もし出来たら五日後の正午、下谷|和泉《いずみ》橋の上で逢いたい、委細はその節、と、しかし内心はあまり実現を期待もせずにいってやった。すると、意外にも、お申し越しの件承知した、という口頭での返事が来た。
その日、久しぶりに江戸に帰った橋戸善兵衛は、ゆったりと和泉橋に近づいていった。
動乱の江戸の景観は眼に映っていたが、彼の明るく澄んだ大きな眼は、そんな下界の修羅《しゆら》のかなたにあるものを見ているようであった。
濠《ほり》の南側に沿って、筋違《すじかい》橋のほうから和泉橋に歩いていった善兵衛は、北の佐久間《さくま》町のほうからやって来る丈高い見おぼえのある影を見つけて、足を早めた。
すると、何のためか橋のまんなかに一団となってかたまっていただんぶくろの官軍が急に二つに分れて、その一組がこちらに歩いて来た。
「おぬし、旗本かあ?」
と、いきなり聞いて来た。
何かの哨戒《しようかい》にひっかかったのか、と眉《まゆ》をひそめたが、すぐに橋戸善兵衛は楽天的な調子で答えた。
「左様です。ただし、目下は横浜の――」
ちょっと口ごもったのにのしかかるように髭面《ひげづら》が吠《ほ》えた。
「ちょっと屯所《とんしよ》へ来《こ》う」
「屯所? 何御用です」
「汝《わい》の首|斬《き》る用じゃ。わはははは」
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三人目・寒河右京《さむかわうきよう》
寒河右京は、おそろしく不精《ぶしよう》で、おそろしくお節介な男であった。
若いころは、そうでもなかった。むしろほかの怠惰な旗本より学問にはげみ、剣術にも精を出し、それらの仲間と論争はよくするけれど、それは政治とか道徳とか技術とかについての、いわば若者らしい空理空論であって、現実の問題には口を出さなかった。
それが二十代の半ばごろから、だんだん懐疑的な眼つきをして黙っていることが多くなり、同時に不精になったのはいいが、ときどき吐く言葉に、よくいって皮肉、わるくいって毒があるようになった。
世には、言いづらい真実というものがある。
それはある人間の悲しんでいること、悩んでいることで、しかも回復|矯正《きようせい》の不可能な状態であって、たとえば容貌《ようぼう》とか才能とか出身にみずから劣等感をいだいているような場合で、これを指摘することは本人の心を傷つけるだけだから、ふつうのデリカシーを持つ人は、見て見ないふりをすることが多い。
右京は、それを平気で口にする。
聞いていて、実に非情に思われることが多いから、言われた本人が立腹してやり返すこともあったし、また、見るに見かねて、傍人が忠告することもあった。
「なに、これでも考えているのだよ」
彼はうす笑いしていった。
「いってやったほうが、当人のためになる場合だけいっておるのだ」
「あんなことをいっても、当人にはどうにもならんことではないか」
と、忠告者がいう。
「それに、おそらく当人も苦にしておることだろうに」
「苦労のしかたが足らんようだ。それで将来、ヒョイと心得ちがいをしてうぬぼれを出したりすると、本人が大やけどする心配がありそうだから、今のうちに知らせておいてやるのだよ。……佐野次郎左衛門《さのじろうざえもん》にとっくりあばた[#「あばた」に傍点]の数を教えてやる者があったら、吉原《よしわら》百人斬りなんてやらなかったろう」
わかったようでわからないが、とにかく相手はそれで考えこんでしまう。
しかし、右京のお節介は、どう考えても常人の常識を超えたところがあった。
例えば――。
ある旗本の娘で、才色ともにいたくすぐれ、そのため降るように縁談がありながら、かたっぱしから断わるので評判の娘があった。ついには親も娘の気持がわからないと嘆息しているという噂《うわさ》を聞いて彼は出かけた。
右京は二百石だが、相手は三百五十石の旗本であった。それに対して、彼はものものしく大奥のさる老女の名をあげ、その内意を受けて御息女にちょっとおうかがいしたいことがある、と申し込んだのである。
右京が? そんな御老女と? どんな関係があるのか? と、旗本は首をひねったが、そういう口上ではことわるわけにもゆかず、彼を座敷に通した。
非常に内密な件だから、御息女だけとお話いたしたいと右京がいうので、親もしかたなくその座をはずした。
そういう身分の人からの話を聞くためか、娘は正装にひとすじの乱れも見せず、まるで名作の雛《ひな》のように端麗であった。
右京はなかなか切り出さない。いつまでも黙って娘の顔を眺めている。
娘はついにさしうつむいた。
「私がお嫁にもらいに来たわけじゃない。そう恥ずかしがるには及ばんですよ」
と、右京はいった。
娘は顔をふりあげた。きれながの眼が、きっとにらみすえた。
が、右京はさっきと同じ表情で、まじまじと娘の顔を見つめたきりだ。彼女は、自分をこんなに不遠慮に、かつ無感動に凝視《ぎようし》する男に逢《あ》ったことがない。たいていの男が、まぶしそうに眼をそらすか、あるいはそっと眼の隅《すみ》で盗み見るかするのに。――
こんな男に、だれが口をきいてやるものか、と勝気な娘は思った。――しばらくのあいだ、にらめっこがつづいた。
「御用件をおっしゃって下さい。御老女さまの御用を」
と、ついに娘のほうがたまりかねていった。
「それはですな」
右京はやっと口を切った。
「あなたは御自分を美人だと思っていらっしゃるか」
「…………?」
「そのことをうかがって来いとのことで。……どういうおつもりですかな、御老女のお気持はよくわからんが、それはともかくあなたは御自分を美人だと思っていらっしゃるでしょう。私はそう見た。そのお顔を見ればわかる」
「…………?」
「当然でござる。客観的にはたしかに美人の範囲内にはいる。しかし、私個人はそうは思わない。私の好みとしてはきらいなお顔です」
娘はさすがに怒った顔になった。
「あなたは、そんなことをおっしゃりにおいでになったのですか」
「それそれ、怒られると、ますます私のいやな顔になる。……美人にもいろいろ種類がありましてね。万人向きの美人もあるでしょうが、たいていは一言ありたい美人だ。いわんや、全然美人でないのに、自分では美人だと思っている女が多いにおいてをや、です。ところが、そういううぬぼれ美人が、世の中の男という男が自分を美人だと思っているような顔つきをする、しぐさを見せる、ヒョイ、ヒョイと、その高慢さが態度にあらわれる、それがちっとも美人じゃないと思っている眼から見ると、まことに道化《どうけ》じみて、滑稽《こつけい》千万なのでござる。――」
「わたしは自分を美人だなどと思っていたことはございません」
と、娘はさけんだ。が、すぐにその声を抑えて、切口上でいった。
「とにかく、帰って下さい」
寒河右京は、平気で笑いながら立ちあがった。そして、怒りに身をふるわせてにらんでいる娘のようすにめんくらいながら、ともかくも玄関まで送って出たその父親に、
「なに、御心配ござらぬ。それどころか、まあ見ていて下さい。お嬢さまは、こんど御縁談があったら、きっと御承知になるでしょう」
と、いって、澄ました顔で、悠然《ゆうぜん》と門を出ていった。――
また例えば、こんな話もあった。
これは七百石の旗本で、当主はそのころ幕府が湯島《ゆしま》に建てた大砲鋳造所の奉行《ぶぎよう》をいちじやっていたことがある。大砲鋳造所の所長になるとは、当時としては珍しい有能者の一人であったが、惜しいことに病身で、やがて職を辞し、いまは家で病いを養っていた。
さてこの旗本に一子があって、まだ十七歳の少年であったが、これが甚《はなは》だ出来がわるい。
当時にも一種の受験地獄はあって、その対象は昌平黌《しようへいこう》であった。低い身分の子弟は、ここを優秀な成績で出た者だけが幕府の然《しか》るべきポストにつける。幕末期にはとくにこの現象が顕著となっていたのだが、当然相当以上の秀才でなくては容易にここにはいれない。――この昌平黌がのちに東大に変身してゆくのだが、受験地獄もこのころから形をあらわして来ていたのであった。
その旗本は奥方もさる高名な学者の娘であって、これが夫以上に一生懸命に息子を鞭撻《べんたつ》する。いや、噂によると、父親は病気のせいか何もいわないが、この奥方が息子をまともにするために、寒中に水|垢離《ごり》をとったり茶断ち塩断ち、あらゆる願《がん》かけをしているということであった。
というのは、この息子が、勉強しないどころか、あろうことか御家人《ごけにん》の不良少年らといっしょになって遊びあるき、家にも帰らないというていたらくであったからだ。
しかも、この不良組の一人が、泥棒をやったあげくに人を傷つけたというのでつかまったのをきっかけに、ほとんど全員が検挙され、右の旗本の子息は身分上一応まぬがれはしたものの、以後|座敷牢《ざしきろう》にいれられ、その母たる人も絶食している――という噂であった。
聞くものは、みなその母の哀れさに涙した。
寒河右京はその旗本の家を訪れた。
「御子息の行状について仔細《しさい》に調査いたしたものですが、その結果、御将来に何か御参考にもなろうかと思われる意見がございますので」
と、いう。
逢ったこともない安旗本ではあったが、これには逢わずにはいられない。それどころか、当主が臥床《がしよう》しているというので、代りに出て来た奥方は、溺《おぼ》れるものが藁《わら》をつかむようなまなざしをしていた。子のために思い悩んで食を絶っているという話はまことであったとうなずけるやつれぶりであった。
これに向って、右京はいい出したのである。
「ありゃ、あきらめなさい」
のっけからこうきめつけられて、相手はとっさに声もなかった。
「御子息の無頼ぶりについて、中には、あれはおふくろさまがあまり昌平黌昌平黌と責めなさるものだから、かえって反抗したくなったので、ありゃ母親がよくない、あの年ごろにはそういうことはあるものだ、と、したり顔で説をなす者もありましてね。……」
「わたしもそうではなかったか、と、いまくやんでいるのじゃ」
と、奥方は身もだえした。
「いや、そういう例はあるかも知れませんが、そんな反抗は心の中だけのことで、それで不良になるというのは、たとえ尻《しり》をひっぱたかれても、しょせんだめな子なのでござる。逆に、ものになるやつは、ほうっといてもものになるものですがね。……」
「そ、それより、あの子をあきらめろ、とはえ?」
「それはですな、ただいま不良少年がだめなようなことを申したが、これはいちがいにそうとは申されぬ。いまの説とは一見矛盾するようでござりまするが、なまじおとなしく親のいうことをきく子より、もっとものになるやつが、いわゆる無頼の中に混っておることもたしかです。ところが御子息の行状は、私の調べたかぎりでは、まったくいけません。ただ御身分と金を買われてかつがれておるだけで、御当人は愚図《ぐず》で臆病《おくびよう》で、ただその一日|一刻《いつとき》が面白けりゃいいという、典型的な馬鹿殿の雛型《ひながた》で。……」
奥方は凄《すご》い眼でにらみつけたが、右京は恬然《てんぜん》として、
「ありゃ、どう手をかけて見ても、全然見込みがござらぬ。思うに、御主人が何も申されぬのは、さすがは男親で、ちゃんとそのあたりのことを見ぬいておられるからではありますまいか?」
「…………」
「この点、女、とくに母親は馬鹿なもので、なかなかそうは思い切れぬものではありましょうが、忌憚《きたん》なく申せば、いまのうちに御廃嫡《ごはいちやく》になり、御親戚《ごしんせき》の中からでも然るべき少年を御養子になされたほうが御当家のおためでござる。……」
「何をいいに来たかと思ったら――」
奥方は金切声でさけんだ。
「帰りや! お節介者!」
これでは、たいていいやがられるのも無理はない。
それが、何とか無事にすんだのは、彼はこんなお節介をやるとはいうものの、べつにしょっちゅうというわけではなく、たいていは万事を懶《ものう》げに見ているか、黙っているかということが多く、かつこんなお節介をやっても、あとはけろりとした顔をしているので、相手もまともに怒るのが馬鹿らしくなったのと、それから――右京自身に異様な凄味《すごみ》があるからであった。
そのけろりとしているのが凄味でもあるが、それ以外に、右京はまるで自分がどうなってもいいと考えている人間のように思われた。右のごとく言いたいことを言いながら、彼はべつに自分をえらい人間に見せようとはしていない。それは明らかに看取されて、それも彼を救った一原因だが、要するに右京は変にいのち知らずな人間に見えた。
実際に、寒河右京はいのち知らずであった。
そのころ彼は小十人《こじゆうにん》組として勤務していた。彼の扶持《ふち》二百石というのは、お目見《めみえ》以上の旗本として最低のものであったが、この小十人組も将軍家お成りのときの行列に従う最低の役である。全部で二百二十人の員数で、これでも無役の小普請《こぶしん》にまさること万々で、はじめは右京もわりに活気を持って勤務していた。
この小十人組に、魚津縫之介《うおつぬいのすけ》という若侍がいた。まず美男といっていい。性質もおとなしかった。
この魚津に縁談があって、組の中で評判になった。
相手は某|検校《けんぎよう》の娘であった。むろん養女という順序を踏んでやるので、公式には違法ではあるけれど、そんな例は多いから、ことさら異を唱えるにはあたらない。みなが話のたねにしたのは、その検校がいわゆるからす金――高利貸の大金持で、しかもそのお蓮《はす》という娘が、大輪の牡丹《ぼたん》のように恐ろしく華麗で肉感的な美人であったからであった。
これが安旗本のところへ嫁に来ることになったのは、魚津縫之介が弱々しいが相当な美男であったから、本人の娘から惚《ほ》れこんだのだという噂《うわさ》にまちがいはあるまいが、しかし、それと同時になんといっても座頭の家として、娘が武家に縁づくことを、親のほうも「玉の輿《こし》」と見たからであろう。
「そいつはどうかな。どうもその検校は時勢にも盲のような気がするが」
と、話を聞いて、右京はひとりごとをいった。
しかし、同僚たちは、彼が例によってケチをつけたらしいとは思ったが、何の意味かわからなかった。それより彼らは、魚津の縁談を羨《うらや》んだ。
それ以来、小十人組の連中は、城の番所で魚津をよくからかった。ただのからかいではなく、いうことや仕打ちに屈折した毒があるのを、通りすがりに見たり聞いたりして、右京はきみわるいうす笑いを浮かべた。
そこへ、事件が起ったのだ。
ちょうど春で、桜の盛りであった。魚津縫之介とお蓮は向島《むこうじま》へいった。あとでわかったことだが、その日はお蓮の亡母の三回忌で、その墓が向島にあったので、まだ祝言はあげていなかったが、いっしょに墓参に出かけたのである。ついでに花見にいって――おそらくこのほうが目的であったかも知れない――はからずも同じ花見の酔漢にからまれたのだ。
酔漢は、七、八人の侍で、どうやら薩摩《さつま》侍であったらしいという。――これが、たまたま通りかかった二人、お蓮のほうに眼をつけた。
それから起ったことの事実ははっきりしない。噂だけである。どんな噂であったかというと、十日ばかり後に城中の小十人組の番所で、魚津縫之介をとり囲んでの、十人ばかりの連中の吊《つる》しあげから推定していただきたい。
最初は一人が、
「魚津、どうも大変な目に逢《あ》ったな」
と、慰め顔で探《さぐ》りをいれたのに、魚津が、
「おかげで、何とか無事ですんだ」
と、答えただけでそそくさと座を立とうとしたので、もの足りない顔の一同の声が、その足を釘《くぎ》づけにした。
「無事にすんだ? ほんとうに無事にすんだのか?」
「噂によると、おぬしの同伴者は、酌《しやく》をしろとつれこまれ――」
「おぬしがあわてて、それは直参《じきさん》たるみどもの妻じゃ、といったばかりにかえって向うを挑発《ちようはつ》し、言語道断の狼藉《ろうぜき》を受けたというではないか」
「おれの聞いたところでは、その女人は、とうとうまる裸にされて酌をさせられたという。――」
魚津は顔を赤くしたり青くしたりした。ふるえ声でいった。
「そんなことはない。それはあんまりだ。――ただ、酌をさせられただけじゃ」
「酌をさせられただけ? おぬし、それを黙って見ていたのか」
「話では、黙って見ておるどころか、女を返してくれと哀願して泣き出したとか、お前も何かやれといわれて、どじょうすくいをやったとか。――」
魚津は悲鳴のようにさけんだ。
「そりゃ大仰だ。そこまで醜態をさらして、わしが生きておれるか。いや、お頭《かしら》が無事にすまされるか。――」
「しかし、はずかしめを受けたには相違あるまい?」
と、にくにくしげな声がそれをおっかぶせると、また別の声、声、声が、
「女はからす金の座頭の娘というから、裸で薩摩っぽうのおもちゃになるのも似合いじゃろうが」
「おぬしは、それを妻だといったという。――」
「ごていねいに、直参じゃと名乗ったという」
「いや、噂だけでも恥ずかしくて、われら顔をあげて町を歩けぬわい!」
魚津縫之介は蝋《ろう》のような顔色で、片腕をついて座ったまま、ただわなないているだけであった。
このとき寒河右京は、ひとり離れて、全然口出ししないで煙管《きせる》をくわえたまま、お城の空の春霞《はるがすみ》を舞う鳶《とび》を眺めていたが、数日たって、そのときの仲間の数人が集まったとき、こんなことをいい出した。
「妙な話になった。例の検校がおれのところへやって来てね。魚津の件、これ以上なにとぞ御勘弁を、といって、こんなものを寄越したよ」
と切餅《きりもち》を二つ見せ、
「おれはべつに魚津を責めたおぼえはないし、どうしておれのところへ話を持って来たのか腑《ふ》におちんが、ま、くれるものはありがたくもらっておいた」
と、いった。一同は、生まれてはじめて小判を見るような顔をして、声もない。――
「それで、魚津の件について推量すると、お頭が黙っているところを見ると、あっちにはちゃんと鼻薬がまわっていたにちがいない。ま、それはともかく、これをどう使おうかと考えたのだが」
「うむ?」
「ただ料理屋で酒をくらっても芸がない。花は昨日の雨で散ってしまったし、どうだ、せっかくまとまった金だから、少し早いが川遊びとゆかんか。あとで吉原《なか》に繰り込むこととして」
直参の名をけがした、というので腹を立てたのなら、これでいっそう腹を立てそうなものだが、こう相談されためんめんは、ただまばたきをした。先日の弾劾《だんがい》は、実は以前からのやきもちが火をふいただけのもので、しかもそのことをこの右京は、ちゃんと見ぬいていたかに見える。笑って、――のぞきこんでいるその眼がそんな風に見えた。
「もらってしまったものはしかたがないな」
「ほかの連中にも話してみるが……あのとき誰がいたっけのう?」
「みなが賛成なら、おぬし、船宿のほうの手配をしてくれんか」
と、彼らは舌なめずりした。
こういうわけで、春の非番の一日、彼らは柳橋《やなぎばし》の船宿から乗り出したのである。
大きな屋根船に同人数くらいの芸者、酒、盤台《ばんだい》を持ち込み、早速意地きたなくとりついて、船が出たときはもう御機嫌《ごきげん》になっているやつもあったくらいだ。やがて、春光にけぶる大川《おおかわ》のまんなかへ出た船の上で、どんちゃん騒ぎをくりひろげはじめた一同の顔には、この費用はどこから来たか、などという考えや、そもそもそのもとたる魚津縫之介の顔のかけらもないかのようであった。
すると、その水上の酒興たけなわなる真っ最中、突然、「……あっ」というさけびが聞えた。船頭の声であった。
なんのまちがいか、こっちの船がべつの屋根船へつっかかったかたちになり、あやうくとめたものの、それでもどしんという音響とともに、徳利や皿《さら》が盤台から落ち、中には芸者や三味線をかかえたまま、両足あげてひっくりかえったやつもあったくらいだから、ぶっつけられたほうはまたひどいものであったろう。
「やいやい、何しやがるんだ」
こちらの船がへさきをまわして、平行のかたちになったとき、果せるかな、向うの船に三人の男が血相変えて仁王立ちになった。
「うぬたちの眼はふし穴か、この広え大川で」
「何だ、侍《さむれえ》のくせに、まっぴるまから酒をくらいやがって。――」
「あやまれ、みんなそこへがん首ならべてあやまりやがれ」
と、吼《ほ》える男にしても、あきらかに酔っぱらった顔だ。そのうしろに、みるみる十何人かの凶悪な顔がならんだ。
いずれも獰猛《どうもう》な人相にはちがいないが、侍ではなかった。やくざ風の連中であった。
そうと見て、こちら側は居丈高《いたけだか》になった。
「なんじゃ? あやまれじゃと? げ、下郎どもの分際《ぶんざい》で」
「武士に向って、ぶ、無礼なやつだ」
「そっちこそ、こっちの船のじゃまをしたことをわびろ。土下座せぬと、手討ちにしてくれるぞ!」
すると、驚いたことに、向うはいっせいに肌ぬぎになった。ふんどしだけになったやつもある。刺青《いれずみ》をした者、背中に大きな傷痕《きずあと》のある者――それが手に手に、匕首《あいくち》はおろか、長脇差《ながわきざし》さえひっこぬいて、ならんだ船からどかどかこちらへ飛びこんで来た。
「やるか、さんぴんども!」
そして彼らは、こっちの船の屋根や障子を長脇差で切り飛ばし、そこらの盤台を蹴飛《けと》ばした。凄《すさま》じい勢いに、芸者たちはたまぎるような悲鳴をあげた。
芸者ばかりではない。踏んづけられて、旗本たちの中にも犬みたいに悲鳴をあげた者がある。真っ先に飛び込んで来た三人は、どれも力士崩れではないかと思われる大男であったが、それより何より、向うの言語に絶する無茶苦茶ぶりに度胆《どぎも》をぬかれたのだ。
「船をぶっつけてきたのァそっちだぞ」
「それで土下座しろとは何だ」
「やい、みんな土下座しやがれ。いやなら、抜け、さんぴん!」
きちがいじみた挑戦のわめき声の中に、旗本たちは土気色になって、身動きする者もなかった。
あとで考えるとふしぎ千万である。とにかくこっちは侍なのだ。もっとも実際にやり合ってはどういうことになるか、自信のない連中もあったことはたしかだが、それより何より、まずのっけから圧倒されて、それでみんな毒気をぬかれてしまったのであった。
「下郎を斬《き》ってもしかたがない」
と、一人がつぶやいた。すると、もう一人が、笑止な勘定を口にした。
「それでお咎《とが》めなど受けてはワリに合わない。……きょうのところはかんべんしてつかわす」
「なんだと? かんべんしてつかわす? かんべんなんかしてもらいたかあねえ、やい、侍《さむれえ》らしく抜かねえか!」
相手は吼《ほ》えまくった。かんべんしてやるといったやつは首ねっこまでつかまえられて、「あわわわ」と口から泡《あわ》をふいた。
そして――その結果、なんと旗本たちは、みんな坐《すわ》らせられて、頭を下げさせられてしまったのである。下郎以下のやくざどもの前に、土下座させられてしまったのである。
せっかくの川遊びは、もうさんざんなことになった。もう吉原どころではなく、彼らはほうほうのていでひきあげた。
当分のあいだはおたがいの顔を見るのもいやになり、この噂がほかにひろがっているのではないかと、神経衰弱になりそうな怯《おび》えぶりであったが、そのうちに――このみじめで陰気な雰囲気の中から、かび[#「かび」に傍点]みたいなささやきが交され出した。
「……もとはといえば、寒河右京の周旋のせいじゃ。あいつこそ、あの災難のもと」
と、いっているあいだは見当ちがいの逆恨みと見えたが、中でひとりが、ヒョイと妙なことを思い出したのがはじまりだ。
「はてな、あのとき、きゃつだけ、おれは別だ、というような顔をしていたぞ」
船の中で、自分たちがやくざに、米つきばったみたいにお辞儀させられているとき、右京だけ離れて、澄ました顔で眺めていたのを思い出したのである。そういう人を食ったところのある寒河右京ではあるが、しかしあの場合は?
さては、ということになった。
「きゃつ、あいつらとぐる[#「ぐる」に傍点]ではなかったか?」
ひとりが、うめき出した。
つまり、あのやくざたちと組んで、はじめからこっちをあんな目にあわせるための罠《わな》ではなかったか、というのだ。ひょっとすると船頭たちも腹を合わせて。
いや、そうにきまっている。――そうだとすると、何のために、ということになる。
そこで、右京が検校からもらったという金のことが一同の頭に浮かんだ。あんな大金を右京が持っているわけはないから、あれはやはりもらったのだ。もらって、検校の、娘の婿を辱《はずか》しめられたというしっぺ返しの手伝いをしたのだ。いまから思うと、あのやくざども、いくら何でも武士を相手にあまりにも大胆不敵なふるまいであったが、いざとなれば右京が止めにはいってくれると知っておれば、どんな空威張りも出来る。
――一同は、やっとそこまで推理をめぐらした。
で、あれが検校の復讐《ふくしゆう》であったとすると、それはそれでわかるが、それを手伝った、寒河右京の気持がわからない。金で買われたのか、というと、どう考えても右京にそんないやしさはない。何をやるかわからないところのある男だが、ふしぎにそんな疑惑を超越している感じのある右京であった。
「……きゃつの、例のくせ[#「くせ」に傍点]だ!」
ひとりが、ついにさけんだ。
例のくせ[#「くせ」に傍点]、というのは、皮肉ないたずらのことだ。つまり、このあいだ、一同が魚津の臆病《おくびよう》さを笑い、嘲罵《ちようば》した。それを見ていた右京が、嘲笑した連中を集めて、「……同じ状態になったら、お前さんたちも同じじゃないか」ということを証明しようとしたのだ。
彼らは勃然《ぼつぜん》とした。是非事をたしかめて、右京を問いつめ、しかるべき処置をとらねばならぬ、といきまいた。
右京がいのち知らず、というのはここのところだ。
考えて見ると、以上のようなことが判明する可能性は大いにあり、時間の問題ともいえる事柄だったからである。そのとき仲間から激怒の嵐《あらし》を向けられるのはむろん、成行次第ではいのちにもかかわりかねない。
しかも、彼はそれを怖《おそ》れてはいないらしい。一同の醜態をうす笑いして、横目で見ていた顔がそれを裏づける。――
小十人組のめんめんは、いちどは脳溢血《のういつけつ》を起しそうなほど立腹したが、思いここに至って、急速に元気を喪失した。
とにかくあの醜態をまざまざと目撃されたとあれば、どうにも意気があがらない。あのことをむし返すのは、自分のへど[#「へど」に傍点]をもういちどのみこむような気がする。――
寒河右京のいのち知らずが、こういう屈折したいたずらではなく、もっと直接的に現われた例もある。といっても、やっぱり右京らしいけれど。
慶応元年五月のことであった。将軍が征長のため上洛《じようらく》することになった。
むろん小十人組の大半もこれに従うことになったのだが、幸か不幸か、寒河右京はその選にもれた。
やはりもれた者の中に、鹿島銅兵衛《かしまどうべえ》という男がいた。この男がふだんから滑稽《こつけい》なほどけちんぼで、小金をためて仲間に貸していたのだが、それらの仲間が出征するにあたり、貸金を始末していってくれと督促に回って、これが問題となったのである。
借りていた連中のみならず、無関係の人々もこれを聞いて怒り出し、ついにある日、ある馬場に鹿島銅兵衛を呼び出して一大吊しあげの事態とはなった。金を借りていたのは十数人であったというのに、集まったのが、六、七十人という人数であったのを見ても、みなの憤慨ぶりがわかるというものだ。
「このたびの御用を免れながら、出征者に金を返せとは」
「血も涙もない強欲者」
「武士の風上にもおけぬやつ」
銅兵衛を馬場の真ん中にひきすえて、罵詈《ばり》の嵐を吹きつけているうち、昂奮《こうふん》のあまり、泣き出す者さえあり、それがさらに憤激を呼んで、ついには、
「かかる人非人には詰腹《つめばら》切らせい」
と、いう声が一場を覆った。蟹《かに》みたいな顔をした鹿島銅兵衛は、赤いどころか真っ青になって、土の上に這《は》いつくばっていた。
このとき、ふらりと寒河右京が出て来たのである。そして――
「これはやはり、借りた金は返していったほうがいいだろうと思う。借金を踏み倒して討死したとあっては、これもやっぱり侍らしくないじゃないか」
と、いい出したのだ。
「こんどの御用には、みなにお手当が出ているはずだ。それをあてればよかろうし、足りなきゃ、ここにこうして正義の弾劾《だんがい》というやつをやっておられる諸君が、協力して援助してやったらよかろう」
このへそ曲りぶりも、相手が数人ならともかく、この海みたいな人数では通らなかった。怒りは彼のほうに向けられた。みんな狂乱状態になり、その結果――寒河右京はついに大の字になって、馬場の真ん中にひっくり返り、
「殺したいというなら殺して見ろ」
と、わめく破目に立ち至った。
「おれを殺し、借金を踏み倒して、出征したいというなら、遠慮なくやれ、さあ殺せ」
そして、ついに彼のほうが勝ったのである。次第にみなが沈黙してしまったのは、べつに彼に理があると思ったからではなく、呆《あき》れ返って、興醒《きようざ》めしてしまったのであった。
だれも、右京が鹿島銅兵衛に同情しての行為だとは思わない。それでは何のために彼がこんなけたはずれのふるまいに出たかというと、だれにも不可解である。
「とにかく、根性のねじれぶりも人間離れしておる」
と、みな長嘆して、肩をすくめるだけであった。
寒河右京は、自分に度胸があると思っていなかった。
しかし、ときにちょいちょい、右に類したことをやるのだが、そんな元気が自分のどこから出るのだろう、と、われながらふしぎに思っていた。
そして、ひまなとき、その根源力をみずから分析して二つに分けた。いや、改めて分析するもへちまもない。自分の特徴、へんなものの感じかた考えかたは、彼自身にも以前からよくわかっていたのである。
一つは、何をやっても臨時作業という気がいつもしていることだ。おれの本来やるべきことはこんなことじゃない、ほんとうはほかにやることがあるのだ、という気がしょっちゅうしているのである。むろん、現在の安旗本という身分や小十人組という職務に満足していないことはたしかだが、この点はどうにもならないことは承知しているから、こういう問題で大それた望みをいだいているわけはない。もっと別の次元のことだが、さてその本来やるべきことが何かというと、自分でもわからない。
とにかくそういう気持だから、何をやっても本気になれないし、不精にもなる。いまやっていることはいっときの遊びだ、臨時作業だと、思っているから、何がどうなろうとたいしたことはない、と、たかをくくり、そこで変な度胸が出てくるに相違ない。
もう一つの異常事は、他人の「我《が》」が、強烈に気にくわないことだ。彼だって人間が「我」のかたまりであるくらいは承知しているから、全然それを認めないといったってはじまらないことはわかっているけれど、それが――「分際」を超えると、がまんできなくなる衝動にかりたてられるらしい。本人の「分際」以内の我ならいいのだ。
その「分際」とは何かというと、自分でもよくわからない。
ただ彼が認めなかった例をあげる――いつぞや、縁談をかたっぱしからはねつける美人に文句をつけにいったのも、その娘がてっきり分際以上に自分を美人だと過信しているものと判断したからだ。また不良少年に悩む母親に引導をわたしにいったのも、その母親が子供の分際以上に子供に期待し過ぎていると判断したからだ。
それからまた、卑怯《ひきよう》と見られた男を辱しめた連中を同様の立場に投げこんで辱しめたのも、彼らには彼らの分際を思い知らせてやったのであり、金貸し侍を吊しあげた連中につっかかったのも、このケースなど理も情も衆のほうにあるのだろうが、ただ衆が衆を頼んだというのが、正義の増幅という現象をもたらしていると感じ、それは彼ら個々の分際を超えていると見たのだ。
この変な特徴は自覚したけれど、この二つがどういうところから発しているのか、またその関係は不明である。ただこの二つが相合したときに、常人の眼からはきちがいじみているとしかいいようのない、いやがらせの行為となって現われるのであった。
理屈はこの通りだが、しかしだれもこんな心理を、それは尤《もつと》もだと認めてくれる者はない。また自分でもそんなことを期待していない。だいいち、その結果が異常ないやがらせでは、みなが辟易《へきえき》し、嫌悪《けんお》するのはあたりまえだ。そこで、それにまた彼が反応して、いよいよ奇矯《ききよう》な厭人《えんじん》的行為を示す。
かくて寒河右京は、だれが見ても虚無的でぶきみな人間となった。彼自身としても、実は荒涼たる心境であった。
嫁を世話する者もなく、そのうち小十人組も免ぜられて、小普請《こぶしん》にいれられてしまった。
前述の橋戸善兵衛の物語――すなわち橋戸善兵衛が貧しく美しい娘を善意から自分の妻としたのを、その娘の恋人であった色男の歎《なげ》きをふと耳にしたことから、事もあろうに橋戸家へ押しいって、その妻を犯したのも同じ心因からだ。彼は橋戸善兵衛がそんな美人を妻にしたのは、「分際」に過ぎていると考えたのだ。
これはいくら何でもあんまりな行為であったが、彼の「癖《へき》」は、そのころそこまで進行していたのである。
橋戸善兵衛もお節介な男であったが、これは彼の底ぬけの善意からと見てやることが出来たが、寒河右京のお節介は、まさに犯罪の名に値した。
もっとも、これほどの犯罪的行為は彼にしてもはじめてのことであったが、おかげで彼はその罰を受けることになった。
右京としては、あんなことをやれば、いくら何でも橋戸善兵衛の妻お波は離縁になり、実家に帰ることとなり、そこでかつての恋人江国藤之丞と結ばれる可能性も出て来るだろうと見ていたのだが――なるほど、半年ほどしてその女は実家に帰って来たけれど、昔の恋人には眼もくれないで、どうして嗅《か》ぎつけたか、三味線堀の右京の家へやって来たのだ。
むろん右京は、ふつうのいわゆる人格者には程遠い。名実ともに無頼無惨の旗本にちがいなかったから、遠慮なくこれを迎えいれた。
そして、何か憑《つ》きものがしたようなその美しい女と泥のような痴戯に耽《ふけ》った。
が、そのうちに彼は、この女を持て余すようになった。その女の正気とは思えない淫蕩《いんとう》さに飽きはて、さらには吐き気をもよおすようになった。女をそうさせたのは彼自身なのだから、実に勝手な話だが、彼はついにこの女を、「分際」を超えている、と判断するに至った。
右京はお波をじゃけんにつき離した。お波はかぼそい四肢《しし》を青白い炎みたいにからませて来た。彼は蹴飛ばした。――
そんな地獄のような暮しがつづいて――ある秋の一日、彼がお波を放り出して釣りにいった留守のあいだに、お波は邸内の桐《きり》の木に首を吊って死んでいたのである。
――おれはついに、やりたいことを見つけたぞ!
――これは臨時作業ではないぞ!
寒河右京が心にさけんだのは、慶応三年秋のことであった。
十一月末のある夕方、彼は旧知の藤沢志摩守《ふじさわしまのかみ》に呼ばれて、三田四国町のその屋敷に赴いた。
まったく「旧知」だ。なんでも寒河の家は、その昔、藤沢家の家来筋にあたったらしい。その縁で、右京の亡父などは生前何かといえば御機嫌うかがいにまかり出て、彼も二十《はたち》前にはいくどか父につれられて挨拶《あいさつ》にいったことがある。
とはいえ、向うは、大昔は五千石の大身だったそうだが、その後さまざまの事情で減知されてそのころは二千石、こちらは二百石とはいえやっぱり同じ旗本だ、何もそういつまでもぺこぺこしていることはないじゃないか、と右京は考えていたので、父の死後はさっぱり寄りつかなくなり、そう、二年ばかり前、あることで訪れて以来また無縁に打ち過ぎたのを、突然その日藤沢家から使いが来たのだ。折入って頼みたいことがある、急ぎ来てくれぬか、と。――
「……はて、何だろう?」
まったく心当りがなく、右京は首をひねった。
藤沢志摩守は、勝安房と相役で、しばらく軍艦奉行をやっていたことがある。それで二千石がまた五千石に回復し、実は志摩守などいう官名もそのとき以来のことだが、そのお役もたしかその年の一月でやめているはずだし、だいいち、小十人組さえクビになった自分に、まともな仕事の依頼があるはずないが。――
右京は、藤沢邸にいって、志摩守に逢った。
志摩守は五十年配で、もともと品のいい顔だちの人であったが、そういう役目を勤めた経験のせいか、細長い顔はめだって皺《しわ》が深まり、しかも貫禄《かんろく》がついて銅製の能面みたいな感じであった。
「突然、呼びたてて驚いたことと思う」
と、彼はいった。
「ゆるせ。……が、いろいろ思案しておるうち、ふとお前のことが頭に浮かび、やがてこの仕事をひき受けてくれるのはお前よりほかにない、と考えるに至ったのじゃ」
「へへえ。……何御用でござります?」
「お前、西潟鶏斎《にしがたけいさい》という名を聞いたことがあるか」
「西潟鶏斎? いや、耳にしたことはありませんが」
「いや、聞いたことはあるまい、会津《あいづ》の人間じゃから。……去年春ごろまで京の守護職に従っていて、あちらでいわゆる志士とやら称する凶徒どもを数多く斬《き》り、剣鬼という評判さえ立てられた人物じゃ」
志摩守は、こんな思いがけない名前から話し出した。
「それが、江戸へ参って、あることから当家に出入りするようになった。……」
会津は親藩《しんぱん》で、いま志摩守がいったように京都守護職の大任にあたっているくらいだから、その家臣がここへ出入りするのもふしぎではない。
「それで?」
「みるからに精悍《せいかん》重厚、会津侍の典型のような男で、わしもすっかり信用しておったのじゃが、それがこのごろまことに当惑すべき要求を持ち出したのじゃ」
「……と、仰せられますと?」
「どこで聞いたか、幕府がこのごろフランスから入手した数千|挺《ちよう》の鉄砲、それをひそかに会津に渡せ、という」
「ほう?」
「わしはいかにも軍艦奉行とやらを勤めたことはあるが、いまはお役御免となっており、左様な権限も力もない、と申したら、いや、あなたからお譲り願おうとは思っておらぬ、ただその鉄砲のある場所さえお教え下されば、当方で然《しか》るべく処置する、と申す。小栗上野介どのと親しく、ほんのこのあいだまで軍艦奉行をやっていたあなたが、その鉄砲の所在を存ぜられぬことはあるまい、と――」
「ふうむ。……」
「ただいまの政情から見て、西潟の気持わからぬではない。が、左様なことはもとより金輪際《こんりんざい》相成らぬ」
「では、拒絶に相成ればよろしかろうに」
「それが、そうはならぬのじゃ」
「なぜ?」
「西潟が、当家の死命をにぎっておるからじゃ」
「えっ、御当家の死命?」
藤沢志摩守の能面のような顔に、あきらかに苦渋の翳《かげ》が刻まれていた。彼はそこで沈黙し、しばらく考えていたが、やがて意を決したかのように、
「これよ」
と、手をたたいた。
「真砂《まさご》に参れと申せ」
ものに驚かぬ寒河右京が、はっとしていた。
ここを訪れたときから、その女人の名は漠然と彼の頭の一隅にあったのである。真砂さまは、藤沢家の息女であった。
右京がここへ来て真砂を見たのはもう十何年か前で、そのころは真砂はほんの幼女であったが、実にこの世のものとも思えないほど愛くるしい子であったのをおぼえている。――その真砂に、思いがけぬ、といっていいか、当然、といっていいか、とにかく運命の一大異変が起ったのは二年前のことだ。
彼女は、将軍さまの御|側妾《そばめ》にあげられたのである。――
将軍は、去年この世を去られた十四代さまであった。十四代さまには、御台所《みだいどころ》がある。いわゆる皇女|和宮《かずのみや》である。
――いったいに、将軍とか大名とかについて側近が心を使う最大のものは、何より先にまず世子を作るということであった。御当人よりもむしろそのほうを大事として見る傾きさえあったのは、個人よりも家の存続を重しとする日本の習いからだ。家というより、辛辣《しんらつ》に考えると家臣の存続のためだが、その意味では将軍や大名はただ子孫製造機に過ぎなかったといえる。
ただこの場合、御台所が和宮さまだから、側妾の儀などみな遠慮していたのだが、三年前、和宮に御流産のことがあってから雰囲気が変り、ともかく念のため、二、三人の御側妾をという老中や大奥の声におされて、ついに和宮もこれをお受入れになるの余儀なきに立ち至ったのである。
そのときの候補者は数十人に上った。これを和宮みずから御簾《ぎよれん》のかげからお選びになったということだが、その結果三人が合格し、その中にこの真砂がはいっていたのだ。
右京がおととし藤沢家に来たことがあるというのは、真砂が大奥にはいるというそのときのことで、何かお手伝いをという名目でやって来たのだが、内心は、あの美しい童女が大きくなって将軍家の御側妾に? なるほど、さもあらん、それにしても、どれほど今はお美しいことだろう、どれ、ひとつ拝見、といった物好きからであった。尤《もつと》も、いかにもそのとき藤沢家はまるで姫君の婚礼行列を送り出すような騒ぎであったが、事志に反して、彼は真砂さまを一目も見ることは出来なかったけれど。――
藤沢家が五千石となったのは、そのころのことであったから、ひょっとしたらそれは軍艦奉行になったせいではなく、文字通りこの息女の「玉の輿《こし》」につながることであったかも知れない。
さて、しかし、真砂さまはこうして大奥へはいったものの、それからすぐに将軍|家茂《いえもち》公は上洛《じようらく》し、そのまま上方《かみがた》にとどまって、去年の七月、大坂城で亡くなった。
将軍がこの世を去ると、その側妾はぜんぶ桜田《さくらだ》の御用屋敷というところにいれられて、一生そこで念仏を唱えて余生を過すのが幕府の習いだが、右のような事情であったゆえか、それとも幕府そのものがゆらいでいるあらわれであったか、真砂は実家に返されて、そのままここで暮している――という話は、右京も聞いていた。
「真砂はな、ついに十四代さまのお手はつかなんだそうな」
と、志摩守はかすれた声でいった。
「それに、いま申した西潟鶏斎が手をつけた。――」
「ひぇっ」
さしもの右京が眼をむいた。
「いつ、いかにして左様なことに相成ったか、西潟という男、信じ切っておっただけに、きゃつからそう打ち明けられたときは、わしも眼の先が闇黒《あんこく》になった思いであった。真砂を呼んで聞くと、まことじゃという。しかも、一度や二度ではない、のちには夜這《よば》いに来たのを、真砂のほうから戸をあけて迎えたという。――まさに、天魔に魅入られたというしかない」
志摩守の声はわなないていた。
「西潟は、銃砲のありかを教えてくれねば、この事実を公儀に訴えて出るという。虚言かまことかは、お上の御判断にまかせようとうそぶきおった。……真砂は、御用屋敷にこそはいらねど、心はそのつもりでおらねば故上様に申しわけなき身の上じゃ。いわんや会津の陪臣《ばいしん》づれ、京洛で人斬り鶏斎の異名をとどろかせた男と乳繰《ちちく》り合ったなどということが世に知れれば、藤沢家の者ども一人も生きてはおられぬこととなる。真砂もいまは深く悔いてはおれど、すでにせんなし」
嘆息した志摩守は、右京をじっと見つめた。
「懊悩《おうのう》その極に達したとき、ふとお前の話を聞いたのじゃ。お前の行状を。……いのち知らずの度胸の持主で、人の意表に出る凄《すご》いことをやるというお前のことを」
右京は苦笑する余裕も失っている。
「右京。……その西潟鶏斎を殺してくれぬか? 闇討《やみう》ちでも、何とでもして。――」
そのとき、唐紙《からかみ》がひらいて、一人の女人がひそかにはいって来た。
右京の、ふりかえった瞳孔《どうこう》がひろがった。――彼女は、まだ二十《はたち》くらいであろう、それが紫の被布《ひふ》に切髪という姿で、うなだれたまま、ひそと坐った。右京がその女人を見たのは、いまいったようにまだ童女のころであったが――まさしく、真砂さまに相違ない。
しかし、これはまあ、現実の女性なのか。――かげろうの精ではあるまいか。
志摩守はつづける。
「この役、果してくれる者は、お前のほかにない、と、わしは信じる」
右京は、夢かうつつか、といった状態でこの声を聞いていた。――いつか、某旗本の美人に難癖《なんくせ》をつけにいったことがあるけれど、これはいかなる眼をもってしても、一髪の毛ほどの文句もつけようがない、と、見とれずにはいられなかった。
「右京、ひきうけてくれるな? これ真砂、お前からも頼め」
女人は眼をあげて、右京を見た。その蝋《ろう》色の頬《ほお》にぼうと薄紅《うすべに》がさしたかと思うと、妙に遠い――夢みるような声が聞えた。
「どうぞ……頼みますぞえ。……」
いったいその人斬り鶏斎と呼ばれる男を自分が斬れるのか、というような疑問は天空のかなたへ飛び去って、この虚無的な男が、のぼせあがったような声をはなっていた。
「かしこまってござる!」
つまり彼は、ここでようやく、自分本来やるべき仕事、決して臨時作業ではない仕事を見つけ出したような気がしたのである。
はじめて寒河右京はまなじりを決して起《た》った。
――数日のうちに、彼は、和田倉門《わだくらもん》内の会津藩江戸屋敷を出入する人間のうち、問題の西潟鶏斎という男を知ることが出来た。
人斬り鶏斎、とは聞いたが、改めて右京は見て、これは、と吐胸《とむね》をつかれた。人はおろか、牛でも素手で殴り倒しそうに思われる。背は六尺を越え、筋肉は瘤《こぶ》のごとくふしくれだち、肌はあぶらを流したように黒びかりして、顔はというと、毛虫にまがう眉《まゆ》、燃えているような眼、ふいごみたいな息をもらしている巨大な鼻、それにぶきみなくらい厚い粘土色の唇――など、志摩守は、精悍《せいかん》重厚、といったけれど、それより獰悪《どうあく》凶猛と形容したほうがいい。
この男が、幕府が輸入して隠匿《いんとく》している大量の鉄砲を、いまのうちに会津に渡せと要求したという。不穏な薩長に対して、なぜかよろめいている幕府に向って、会津がそんなことを要求する気も右京にはわからないでもないが、しかし僭越《せんえつ》であり、無礼であると思う。「分際」を超えている。
しかも、あの獰猛な男が、あの真砂さまに手をつけたとは! あの夜着の袖《そで》みたいな唇が、かげろうの精をもてあそんだとは!
それは信じられない光景であり、しいてその悪夢のような光景を想像すると、想像しただけで右京は脳溢血《のういつけつ》を起すような気がした。「分際」知らずも、ここに極まって、もはや何と表現していいかわからない。
――ところが、さて。
右京は容易に依頼を果すことが出来なかった。見ただけでも腕が萎《な》えそうな相手である上に、たえず、少なくとも、四、五人の剣客らしい男たちをつれて歩いていた。彼らはどうやら、江戸の名だたる道場を見て廻っているらしかった。その帰り、なんどか町の居酒屋などで飲んでいるところまであとを尾《つ》けたが、そのときといえどもとうてい近づけたものではないのである。
半月ばかりたって、右京はまた藤沢志摩守に呼ばれた。
「まだ成らぬか?」
案の定、志摩守は焦燥《しようそう》の眼でそういい、ついで、
「昨日、西潟の使いが来ての、明日、例の件、おうかがいに参上する。近日会津へ帰るはずになっておるゆえ、お約束の期限は明日にいたしたい、と告げて来た」
と、いった。
右京は息をのんで、しばらく黙っていたが、やがてうなずいた。
「結構でござる。拙者《せつしや》も参りましょう」
「なに、そのほうも来る? 来て、何とする?」
「あの仁、ここ半月ばかり追跡して来ましたが、とうてい闇討ちなど出来ぬ相手と見ました。そこで拙者、明日、あの仁に堂々の果し合いを申し込み、そこで討ち果すことにいたしたいと存じまする」
「な、なんじゃと? お前が? 闇討ちも難しいというお前が、あれと、尋常の勝負をするというのか?」
「御心配下されますな。拙者、それなら一つ工夫があるのです。その工夫がなければ、かような大それたことは申しませぬ」
右京は、凄然《せいぜん》と微笑した。彼は耳の遠くで「どうぞ……頼みますぞえ。……」という哀切な天女の声を聴いていた。
翌日が来た。さて、彼はどうしたか。
工夫も何もない。まさに寒河右京は、堂々の真剣勝負に出たのである。
予告通り、西潟鶏斎は藤沢家へやって来た。道場廻りとちがって、ここへ来るときは彼は一人であった。鶏斎は、「約束」の話を持ち出そうとして、ふと志摩守から、知り合いの一旗本が剣で高名なおぬしに一番|稽古《けいこ》をつけてもらう機会を願って、たまたまきょうここへ来ておるが、一つ聞いてやってくれまいか、と切り出された。
「ほほう、何と申す仁で?」
「寒河右京という二百石の安旗本じゃが」
「……聞いたことがござらぬなあ」
と、首をひねったのは、江戸の剣人名簿を頭の中で繰《く》ってみた結果であったろう。志摩守は、いやも応もいわせない。
「呼んでみるか」
と、右京を呼んだ。
「見た顔でないな」
鶏斎がまた首をかしげたのは、すでに江戸の有名な道場で、目ぼしい剣客たちはたいてい見終った人間の言葉であった。
これに対して右京は、うす笑いを浮かべながら、せっかく人斬り鶏斎と呼ばれるおかたに教えていただくのだから、出来れば真剣でお願いしたいもので、と、いい出した。
鶏斎はまじまじと、この途方もないことを申し込んだ男の顔を眺めた。右京を知る人間なら誰《だれ》でも知っているように、それは実に人を小馬鹿にした顔であった。鶏斎は、じろっと志摩守のほうに眼を移した。志摩守は蒼《あお》い顔をしている。ははあ? と、鶏斎も感づいたようだ。
しかし彼は、にやりと厚い唇で笑った。いまの要求で、かえってその気になったらしい。
「よろしい。では、そこのお庭を拝借しよう」
と、彼はいって、悠々《ゆうゆう》と傍の大刀をつかんだ。
「志摩守さま、例のお約束の件、勝負の後、すぐにお願い申すぞ」
数分ののち、西潟鶏斎と寒河右京は、枯葉の残りが乱れ飛ぶ庭で相対した。
鶏斎はすでに刀を抜きはなっている。恐ろしく長くて太い刀身であった。おそらく何人かの血を吸った鋼《はがね》に相違ない。それを別に構えるでもなく、無造作にぶら下げているのは、いくたびも実戦の経験を持つ男の余裕以外の何物でもなかった。
「早く抜けえ」
と、犀《さい》みたいなあごをしゃくった。
右京は、左手で鞘《さや》を、鍔《つば》が胸のあたりに達するほどひきあげてつかみ、右手を柄《つか》にかけたまま、まるで射すくめられ、凍りついたようであった。応答の声も出ないかに見えた。
西潟鶏斎は、あごをしゃくると同時にぶんと大刀をふりあげ、容赦のない一撃を相手の頭上からふり下ろした。
その刹那《せつな》。――
右京の左手は鞘をうしろにひき下ろし、腰が左にひねられて半身《はんみ》となったと見るや、右手から抜き出された刀は、電光のごとく鶏斎の右の脇腹《わきばら》から右肩へ、ななめに斬りあげた。
鶏斎の大刀はまだ右京の頭上にあった。そのまま泳ぐように低く地を駈《か》けた右京とすれちがい、凄《すさま》じい血しぶきを落しつつ鶏斎はつんのめっていって、地ひびきたてて転がった。
転がって、大地に激突した人斬り鶏斎の顔は、驚愕《きようがく》の相をたちまち凝固《ぎようこ》させて動かなくなった。――見ていた志摩守もしばし声もない。
「……やりおった!」
ようやく色のない唇でつぶやき、
「……それほどの腕の持主とは思わなんだぞ。……」
と、右京のほうを見やった。寒河右京は一見|恍惚《こうこつ》とした顔で立っている。
伯耆《ほうき》流抜刀術のうち、逆《さか》流れの抜き討ち。――
と、いうと、まるでこの道の大名人のようだが、右京としてはその昔この居合抜きだけは熱心に修行したことはあるけれど、べつに人に知られた達人というほどではない。いま一見恍惚と見えたのは実は自失状態で、自分のやってのけたことが信じられないくらいであったのだ。
抜刀術は、勝負を一瞬に決する。腰の反動を利してやるので、なまじ頭上からふり下ろすより迅《はや》い。二人だけの立ち合いのときに限り、これは恐るべき刀術だ。――むろん、居合抜きのことは西潟鶏斎だって承知していなかったはずはないが、承知していてやはり大油断としかいいようがない。
いや、こちらの術より相手の油断より、何よりこの結果を呼んだのは、右京自身の捨身の度胸であったろう。
「……これでよろしいか」
と、右京は嗄《しやが》れた声でいった。われながら恰好《かつこう》はいいという自覚がきざしていた。
しかし、藤沢志摩守は、庭の死体に眼を移して、
「さて、この始末じゃが。――」
と、もう次の悩みに心を奪われている風であった。おまけに、やおら右京に眼を移して、
「ともかくも、お前はここにおらぬほうがよい。事の処理がついたら、また使いをやるゆえ、きょうのところはひとまず姿を消してくれい」
と、いった。
このげんきんさに加えて、いまの自分の恰好のよさを真砂さまが見ていてくれなかったことに、甚《はなは》だ物足りなさをおぼえつつも、右京は志摩守の指示に従わないわけにはゆかなかった。――
とはいえ、右京はむろん満足はしていたのである。それは何より真砂さまの悲劇を救うことが出来たという思いで、彼としては珍しく――いや、生まれてはじめてといっていい、曇りのない満足感であった。
藤沢家からの連絡は、なかなか来なかった。やっとそれがあったのは、十日ばかり後、正確にいえば師走《しわす》の二十四日の夜のことである。
訪れると、志摩守は上機嫌で迎え、例の死骸《しがい》のあと始末はうまくいったと述べた。
どうしたのかというと、あの夜あれを近くの薩摩《さつま》屋敷のそばに運んで捨てて来た。それはいいのだが、それを薩摩人がまず発見して屋敷に運び込み、内々に処理してしまったらしい。西潟鶏斎があの日藤沢家へやって来たことだけは会津屋敷のほうでもわかっていたので、何日か執拗《しつよう》な問い合せがあったが、そのうち会津のほうも、どうやら鶏斎は薩摩人にやられたようだ、として、やっと事がおさまったという。
「いちばん案じたのは、あの件について西潟がだれかにしゃべっておりはせなんだか、ということじゃったが、あまりに大それたことゆえ、ほかのだれにも語ってはおらなんだようだ。尤《もつと》も西潟そのものの口がきけぬ上は、たちの悪い妖譚《ようだん》として知らぬ顔が出来るつもりではあったが。……どうやら、こちらの見込み通り、これにて一件落着」
と志摩守は笑い、
「もとより、みなお前のおかげじゃ。……ともあれ祝いの膳《ぜん》を用意したゆえ、一杯飲んでいってくれ」
と、いった。
その席には、志摩守自身はもとより、家来五、六人もならび、それどころか、ほんのしばらくであったが、真砂も現われた。右京は快飲した。いくら飲んでもあまり醜態を見せない右京であったが、この夜ばかりはいささか過したようで、これでは駕籠《かご》に乗せても三味線堀までは帰れまい、泊ってゆくがいいという志摩守のすすめにありがたく従った。
……混沌《こんとん》たる眠りの世界で、遠い遠いところから、夢のような女の声が聞えた。
「どうぞ……頼みますぞえ……」
それにつづいて、横と足もとの襖《ふすま》が徐々にひらいてゆくのを右京は感覚した。――彼は、藤沢家の一室に寝かされていたことを思い出した。
朝の微光とともに、殺気が流れ込んだ。右京ははね起き、枕《まくら》もとの大刀をひっつかんだ。同時に十を越える刀と槍《やり》が雪崩《なだ》れ込んで来た。
ことわっておくが、寒河右京は、剣鬼人斬り鶏斎をあれほど鮮やかに仕止めたほどの使い手であるが、あれは自分でも奇蹟《きせき》だと見ていたくらいで、べつに超人的な剣豪ではない、おそらくそのまま経過すれば、数分のうちになます[#「なます」に傍点]のごとく惨殺されていたであろう。
右京を救ったのは、その格闘の真っ最中に突如|轟《とどろ》いた一大音響である。
藤沢家を震動させんばかりの砲声と大喚声がつづいた。――あとになってわかったことだが、それはこの秋ごろからいわゆる御用盗をはなって江戸の治安を攪乱《かくらん》していた三田四国町の薩摩屋敷に対し、ついに幕府が焼討ちをはじめたひびきであったのだ。
そこにいたるまではまったく内密の動きであったから、今は閑職にある藤沢家では何も知らなかったらしい。あまりの突発事であったから、天変地異が起ったものと考えて、襲撃者たちは仰天し、混乱した。
寒河右京は、血まみれになって逃れ出た。
寒河右京は江戸を逃れ出た。
一応は藤沢家からの追跡を避けるためであったが、それより、正直なところ、びっくり仰天して、自分でもわけがわからなくなったからであった。
無頼な右京であったが、あの件ばかりは本気で誠をつくした。真砂さまのために、である。
それも無意識は知らず、まったく純粋にである。彼としても、ああいうことをしてやったから、あとであの女人をどうとかするというような野心は爪《つめ》の垢《あか》ほども持っていなかった。まず無償で、彼は決死の働きをしたつもりなのである。
しかるに、藤沢家では、「秘密」を知った男として屠《ほふ》り去ろうとした!
冬から春へ――物情騒然たる野州から奥羽へ、あてどもなくさまよいながら、右京を戦慄《せんりつ》させていたのは、風の寒さではなく、鼓膜に残る「どうぞ……頼みますぞえ。……」という美しい死神の声であった。
ふうん、考えて見りゃ、あっちとしてもああ出るのもしかたがなかったろうな。
再度おれを呼ぶのに十日もかかったのは、その決心がなかなかつかなかったのだろう。
北国の野の残雪を吹く風に、のびた月代《さかやき》をなぶらせながら彼は苦笑したが、それで向うをすべて許す気にはなれなかったのはむろんである。
が、復讐《ふくしゆう》するほどの気力は彼になかった。
春雨とともに右京の心にしみいって来たのは「要するに人間というものは、すべて有害無益なものである」という結論であった。しかも、自分をもふくめて。
「いや、おれがいちばん有害無益かも知れねえ。……」
彼はやっと、これまで他人の「我」にかん[#「かん」に傍点]をたてていたのは、自分の「我」以外の何物でもなかったということに気がついた。
と、いって、そこで宗教的な世界へ踏み込んでゆくなどということは右京のガラではない。――
ただ蕭条《しようじよう》たる右京の心に、死へのあこがれが漂って来たことは事実である。「分際」を超えた自分の我にはほとほといや気がさし、それを消すには自分が死ぬよりほかはない、という考えが胸にきざし、だんだんそれが色濃くなって来たのだ。
突然の厭世《えんせい》ではない。――それこそ、自分が以前から願っていたことではないか? いつも自分が無意識的に願望していたのは、自分が死ぬことではなかったのか?
はじめて彼はそのことに思い当った。
彼は平気で冷たい河を渡り、雨の中に野宿した。それでも彼は病気にならなかった。旅の途中、いたるところで浪人たちややくざどもに喧嘩《けんか》を吹っかけて見たが、相手は尻《し》っぽをまいて逃げるだけであった。
そのうち四月になって、官軍が江戸にはいって来たことを聞いたのである。
さすがに、虚無の夢から醒《さ》めた思いがした。彼は江戸へひき返していった。一歩ごとに、幕府の運命を案ずるより、そうだ、そこへゆけばうまい死場所があるかも知れない、という変な期待が胸を占めた。
そして、荒れ果てた自分の家に帰って、茫然《ぼうぜん》と坐っているところへ、橋戸善兵衛からの使いが来たのであった。
「――自分の病気は全快した。ついては五日後の正午、下谷和泉橋で逢いたい。委細はその節」云々《うんぬん》。
寒河右京は頭をふり、やっとその男のことを思い出した。自分がその女房を犯し、自殺させ、あわや決闘の寸前、中風にかかって卒倒した橋戸善兵衛のことを。――そういえば、病気が癒《なお》ったら、いつでも相手になってやると向うに通告しておいたっけ。
右京の頭に、あの頬の赤い、百姓みたいな、善良で哀れな男の顔が浮かんだ。
そうだ、あの男に討たれてやるのが、せめてもの自分の始末のつけようかも知れない。いや、それこそ「臨時作業」ではない。本来の仕事だ! 彼は橋戸善兵衛の顔を仏さまみたいななつかしさで胸にえがいた。
その日、右京は、約束の刻限、約束の場所へ赴いた。
佐久間町のほうから歩いてゆくと、和泉橋へ、筋違《すじかい》橋のほうからやって来る、見おぼえのあるずんぐりむっくりした橋戸善兵衛の姿が見えた。
すると、何のためか橋のまんなかに一団となっていた官軍が急に二つに分れて、その一組がこちらに歩いて来て、
「おぬし、旗本かあ?」
と、聞いた。
けげんな顔で、その通りだ、と、うなずくと、官軍は吼《ほ》えた。
「では、ちょっと、屯所へ来《こ》う」
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四人目・曾我小四郎《そがこしろう》
五人目・大谷十郎左衛門《おおたにじゆうろうざえもん》
七百石の家督は相続したが、慶応二年、まだ十八の曾我小四郎は、尊敬する大谷十郎左衛門から、
「おぬし、まったく清浄な若者じゃのう」
という嘆賞を聞くたびに、以前とちがって顔をぼうとあからめた。
実は、その春に、こんなことがあったからだ。
千駄木《せんだぎ》町|団子《だんご》坂にある小四郎の家の近くに、菰野《こもの》という旗本の屋敷があった。亡父がそこの当主と親しかったせいもあって、彼はそこへ親戚《しんせき》同様によく出入りしたが、いつのころからか、その家の娘にある感情をいだくようになった。
いつのころからか――意識しはじめたのは、ここ、一、二年ばかりのことだ。一つ年下のそのお登和《とわ》が急に娘らしくなったことが理由だろう。ただ年ごろの美しさを具《そな》えはじめたばかりではない。小四郎の眼には、まるであけぼのの精のように見えた。幼いころからよく知っているはずなのだが、その黒い瞳《ひとみ》が夢みるように見え、赤い唇が幻の花のように見え、声までがこの世のものならぬ音楽のように聞えるようになったのだ。
急に色さえ白く変り出したあの肌の奥に、どういう変化が起きたのだろう? 小四郎は、神秘にたえなかった。
それで、しげしげとお登和を眺めたいのだが、急にそれが出来なくなった。だから、いっそうお登和が、ぼうっと光の靄《もや》につつまれているような感じがする。
春のある夕方、彼は、借りていたオランダ軍学の翻訳書を返すために菰野家にいって、お登和の母から、いまお登和が裏の畑に蓬《よもぎ》を摘《つ》みにいっているということを聞き、彼もそこへいってみる気になった。
裏の畑――といっても、菰野家のものではない。百姓地だ。おそらくそこへ、餅《もち》にする蓬でも摘みにいったのだろう。菰野家も同じ七百石であったが、幕末の旗本として、御同様に決して裕福ではなかったし、娘がそんなことをしても別におかしくはなかったが、それよりお登和は、春の精に誘われて、そんなことをしにいったのだと彼には思われた。
実際、うるわしい春の一日であった。
裏木戸を通ると、すぐに畑がひろがっていた。空ではしきりに雲雀《ひばり》がさえずっている。遠くに芽ぶき出した根津権現《ねづごんげん》の森が霞《かす》んで見えた。
「おうい、お登和どのー」
と、小四郎は呼んだ。
呼ぶまでもなく、その姿はすぐ向うに見えた。表のほうが団子坂という坂になっているように、そこも麦畑の斜面になっている。その畦《あぜ》に、姉さまかぶり、紅だすきという姿でお登和はふりかえり、白い歯が見えた。
「手伝いに来た」
と、彼はいって、そのほうへ急いで歩いていった。
お登和がかかえた竹籠《たけかご》には、もう半分以上も芹《せり》や蓬がはいっていた。
「餅にするのかな」
「え、雛祭《ひなまつ》りのお供えに」
「これは、あとで御馳走《ごちそう》になりに来なければならんな」
このごろ妙に気軽に話が出来なくなっている小四郎であったが、その日は珍しくこだわるところがなかったのも、こんな愉《たの》しい「行事」のせいであったろう。――二人は、おたがいの家族の話などしながら、蓬を摘んだ。
小四郎は、籠がいつまでも一杯にならないように祈ったが、皮肉なことに彼自身のおかげで、それは四半刻《しはんとき》もたたないうちに一杯になった。
「もう一つ籠をとって来ようか」
「だって、もうお日さまが――」
お登和は西に沈む夕日をふりかえった。
「でも、もう少しあそこで休んでゆきましょう」
と、彼女は桃《もも》の樹が、二、三本生えている斜面を指した。二人はそこへいって、ならんで坐《すわ》った。桃の花はいま盛りだった。
小四郎にとって、痛恨すべきことはそこで起った。
花の下に坐って、二人は黙って夕日を眺めていた。このごろ二人のあいだによく落ちる変な沈黙ではない。お登和のほうは知らず、小四郎は酔い痴《し》れていたのだ。あまりにも甘美なこのひとときに。……ああ、なんとこの世は美しく、なんとこのいのちは愉しいものだろう。
ふっと、彼は甘い香りを嗅《か》いだ。
「花の匂《にお》いかな?」
「え?」
お登和は小四郎のほうをふりむき、それから仰のいた。
「わかった! これは、あなたの匂いだ!」
と、小四郎はさけんだ。
眼を小四郎に戻して、お登和の顔が怖《おそ》れに満ちた。小四郎の眼は酔っぱらったような一種の光をおびていた。実際に彼は血が湧《わ》きたち、頭がくらくらしていた。
「どこから、この匂いが出るんだ。どこから?」
小四郎は、夢中でお登和を抱き寄せた。
眼の前に桃の花がひらいた。びっくりしたお登和の口だった。彼はその匂いを吸いつくすように、その唇に吸いついた。
めくるめく一瞬が過ぎて。――
「イヤ!」
彼はつき放された。こんな柔かい肉体にどうしてこんな力があったのかと、仰天するほどの烈《はげ》しさであった。
お登和は立ちあがり、駈《か》け出そうとし、そこに置いてあった籠につまずいて転んだ。斜面であったので、大きくめくられた裾《すそ》から一方の足が、ふとももまでのぞいたが、すぐに飛び立って、そのまままだ青く短い麦畑の中を、顔を覆ったまま、菰野家の裏木戸のほうへ逃げていった。
どきっとするような真っ白なふとももの残像から、無惨にこぼれた芹や蓬に眼を移し、ながいあいだ茫然《ぼうぜん》と立ちつくしていた小四郎は、突然正気に返った表情になり、同時にくしゃくしゃっと顔を痙攣《けいれん》させると、どうと草の上にへたりこみ、
「ああ、ああ、おれはとんでもないことをしてしまった!」
と、頭をかきむしった。
それから半年になるが、それっきり彼は菰野家にゆかない。――ゆけないのだ。
この日のことを思い出すだけで、いまでも小四郎は身も世もあらぬ羞《はずか》しさに身内がかっと熱くなる。あれきり逢わないお登和のことを考えると、うっと息も詰まる思いだ。
だから大谷十郎左衛門に、「おぬしのような純粋な若者はいない」などと称揚されると、赤面せずにはいられないのだ。――告白すれば十郎左衛門は呵々《かか》大笑したにちがいないが、しかし十八歳の小四郎としては、口が裂けても白状できない人生の痛恨事なのであった。
とはいえ、客観的には、いくら十八でも曾我小四郎は、そのころでも珍しいまじめな若者にちがいなかった。家族も、いまは母とまだ十三の妹だけだが、父から伝えられた古風な厳格さを失わず、少ない友人も硬派の青年ばかりであったが、それにしても彼は極めてストイックな若者であった。
ふだん彼は、武士とはいかにあるべきか、ということばかり考え、さらには、おれはいかなる死に方をすべきか、ということに思いをめぐらしている青年であったのだ。
そして今のところ、そういう小四郎の師は大谷十郎左衛門であった。
大谷十郎左衛門は八百石取りだが、もうどうしようもないほど安逸|惰弱《だじやく》の極に達した当時の旗本の中では、これこそ稀有《けう》な武者ぶりの男であった。
体格も大きくたくましく、風貌《ふうぼう》も、ふとい眉《まゆ》、炯々《けいけい》たる眼、よく張った頬骨《ほおぼね》から強いあごにかけて関羽髯《かんうひげ》をはやし、これに鎧《よろい》かぶとでもつけさせたらどんなにみごとだろうと思われたが――実際に彼は、鎧こそつけなかったけれど、戦陣に出て、勇名をとどろかせた男なのである。
しかし、それより小四郎をひきつけたのは、大谷十郎左衛門の日常のふるまいであり、またその主義であった。
八百石の旗本だというのに、浪人みたいに月代《さかやき》をのばし、朱鞘《しゆざや》の豪刀を落し差しにし、ただし袴《はかま》だけはつけているが、これがよれよれで、かつ、つんつるてんで、毛脛《けずね》をむき出しにして歩いている。
そういう豪快な人物だから、主義といってもべつに学者のような論理があるわけではない。簡単にいえば、
「侍は、侍らしく死ねばよい」
と、いうことだ。
しかし、これからさまざまの教えがみちびき出されてくる。侍らしく死ぬ、ということから、死を怖れるな、とか、生きているときの日常も、たえずこのことを念頭においてふるまう、とか。――
教えをみちびき出したのは、むしろ弟子のほうであった。やはり曾我小四郎のように硬派の旗本があって、いつのまにか十郎左衛門を指導者として集まるようになっていたのだ。腰ぬけ侍ばかりの旗本の中にも、いくらかはその風潮をにくみ、幕府の衰弱に悲涙する連中もあったのである。大半が若かったが、もっとも十郎左衛門を尊敬していたのはおそらく小四郎であった。
彼らは、いさぎよく死ねという十郎左衛門の主義を奉じて、みずから「桜花《おうか》組」と名づけた。そして、小石川伝通院《こいしかわでんつういん》裏の大谷家に集まって、よく論じた。
むろん、酒をあおり、ときには慷慨《こうがい》のあまり、おたがいにとっくみあいをやったりしながらである。
ところで大谷十郎左衛門は、決して寡黙《かもく》のほうではない。むしろ大言壮語型だ。ただ道徳的説教や空理空論ではなく、実際戦争をやった人間の手柄話なので、聞いていて面白く、かつ人を納得させた。
彼はおととしの水戸《みと》の天狗《てんぐ》党騒ぎの際、幕軍が討伐に向ったとき、出動を命じられないのにわざわざ志願して参加し、この戦闘を体験して来たのである。ただ体験して来ただけでなく、そこで徳川旗本に大谷十郎左衛門ありと勇名を鳴りひびかせたので、むしろこのことが小四郎ら若い心酔者を集めるもととなったといっていい。
討伐に出動したものの、へっぴり腰の幕軍はしばしば天狗党の反撃を受けて潰乱《かいらん》した。それを見てとった十郎左衛門は、幕軍総督|田沼玄蕃頭《たぬまげんばのかみ》に談判して、そんなみっともない敗走をやった幕軍の指揮官のみならず、あきらかに戦意のない隊長数名を切腹させた。――
そして彼はみずから一隊の指揮をまかされたが、これがいつも進んで決死隊ともいうべき役割をひき受けた。中でも彼の面目躍如としているのは那珂湊《なかみなと》ちかくの「人首《ひとくび》橋」の焼落しであった。
ほかに目撃者もあるから、法螺《ほら》ではない。
このときの戦闘で味方が負け、算を乱して退くのを敵が猛追して来た。それを人首橋という橋でくいとめなければ、あとにもう一つ渡し船しかない河があり、そのときの様相では全滅のほかはなかった。
味方は、ともかく人首橋を渡り切った。あとその橋を斧《おの》や鋸《のこぎり》で切り落す余裕はなかった。
十郎左衛門はその敗軍の中にあったが、渡ったばかりの橋のたもとに油屋があるのに気づいた。むろん一帯の住民はみな逃げ去っていた。橋に油をまいて焼き払うことを考えたが、風向きの関係で、油をまきながらもういちど向うへ戻り、そちらから火をつけなければならないことがわかった。しかも、一人や二人ではできる仕事ではないことはあきらかであった。
そこで彼は配下の十人余りにその作業を命じたのである。彼らは即座に応じ、これをやってのけた。
しかし、やった配下のすべてはみずから退路を絶つことになり、殺到する敵軍にみな殺しになったのである。
「……おれはいった。みんなに、いのちをおれにくれと。――すると、一同はニッコと笑い」
この話をするとき、十郎左衛門はいつもふとい腕を眼にあてて泣いた。すると、これを聞くいまの「配下」たちは、盃《さかずき》をとめてみなもらい泣きするのであった。
酒を飲まない小四郎は、十郎左衛門の話がいつも同じなのに、正直にいってウンザリしないこともなかったが、この人首橋の決死隊の話は、なんど聞いても血が沸きたち、眼に涙が浮かぶのを禁じ得ない。
そして小四郎をさらに感動させるのは、決死隊もさることながら、彼らをして唯々諾々《いいだくだく》と死に赴かせた大谷十郎左衛門という人間の力であった。
聞くところによると十郎左衛門は、凱旋《がいせん》してからも金があれば、「おれにいのちをくれたやつら」の遺族に、それを持っていってやっているという。聞くところによると、ではない、小四郎もそれを十郎左衛門の口から聞いたことがある。
「しかし、こう酒を飲んでちゃ、そんな金はなさそうだな」
と、仲間の一人がまわりを見まわしてつぶやいたので、みな笑った。
実際、大谷家は大袈裟《おおげさ》にいえば赤貧洗うがごとくで、そのとき大谷夫婦は座にいなかったが、小四郎は、はじめてふっと十郎左衛門の妻お北《きた》の――豪快無比の夫の蔭《かげ》で、かげろうみたいに黙っている、美しいけれど病身らしい妻女の姿を頭に浮かべ、
――ここの奥さんもお気の毒だな。
と、いささか同情をもよおした。もっともこういう思いやりは、彼ばかりではなく若い連中にはふだんほとんどない。
さて、かくも若者たちの心をとらえた大谷十郎左衛門だが、それはいま述べたような武勇|譚《だん》のせいばかりでもなければ、ましてや彼の人格のためではない。
常識的な意味での人格という点では、あるいは彼は常人以下だ。もっとも当時の旗本の風潮からして、これは常人なみといえるかも知れないが。――
十郎左衛門は深川《ふかがわ》にひいきの芸者を持っていた。ひいきといっても、そんな金があるかどうかは疑問だが、それだけに、はっきりいえば、まあ情婦《いろ》といっていい仲であったろう。
それもまた彼を尊敬する小四郎には、恐ろしく潔癖なくせに、かえって彼という豪傑の人間味を感じさせて、近づき易《やす》い気持にさせたのだからふしぎである。
一方の十郎左衛門のほうも、また、
「小四郎、おぬしはまだ童貞か」
と、聞き、小四郎が顔をあからめてうなずくと、
「そうじゃろ。まったくおぬしは身も心も清浄に見える。……こういう若者が、旗本の中に千人もおってくれたらのう!」
と、惚《ほ》れ惚《ぼ》れと見あげて、見下ろすくせに、
「しかし、女は知っておいたほうがいいぞ」
などと、まじめな顔でいうのだから矛盾している。
もっとも、人間はだれだって、あらゆることにただ一色ということはあり得ない。たいていのことに矛盾した意見を持ち、矛盾した反応を示すものだが――しかし、その十郎左衛門が、突然、
「小四郎、おまえに女を知らせてやろう」
と、いい出そうとは思いもよらなかった。
慶応三年春のことであった。
いったいどういうつもりで大谷十郎左衛門はそんなことを思いついたものか。
「侍はいつ死なねばならぬかわからん」
と、彼はいった。
「そのとき、女を知らずに死なせては、あまりにふびんだからよ」
と述べた理由が、本気であったのか、あるいはあまりにも清爽《せいそう》な童貞曾我小四郎をそういう目に逢わせるということに、いたずらッ気を起したのか、または愛するあまりの老婆心《ろうばしん》であったのか、そのへんはよくわからない。
これに対して小四郎はむろん仰天し、口を真一文字に結んで十郎左衛門を見つめていたが、
「どうじゃ?」
と、のぞきこんだ十郎左衛門の大きな眼の中に笑いを認めると、
「わかりました!」
と、さけんだものだ。
これではあまり潔癖でもないようだが、しかし小四郎は、去年の春の事件を羞恥《しゆうち》の念をもって想い出すとともに、あれはおれが女を知らないあまりの醜態だ、と、それも慚愧《ざんき》の感の中にはいっていたのである。女を知りたい、という好奇心をも混えた欲望は烈しいものがあった。そしてまた、二十歳《はたち》前の青年として、先輩の笑った眼に対する負けぬ気もあった。
承知|仕《つかまつ》った、と答えたときの曾我小四郎の顔は、まるで水戸のいくさで人首橋の焼落しを命じられた決死隊のような趣きがあった。
大谷十郎左衛門は正気でそのお膳立《ぜんだて》をしてくれた。
ただ町人みたいに吉原《よしわら》につれてゆく、というようなお膳立ではない。深川の扇橋町に彼の取巻きの一人の宇谷孫八《うたにまごはち》という御家人《ごけにん》の家があって、そこへ芸者を呼んでやるというのだ。しかも、十郎左衛門のひいきにしている芸者および宇谷のなじみの芸者も呼んで、両先輩が親しく見本を示すというのだ。
「おぬしの筆下ろしのために選んだやつは、まだ十七で、おぬしには似合いの、実にういういしい妓《こ》じゃ」
と、彼はいった。
まじめな小四郎であったが、こういう初体験を、べつに堕落とも異常とも考えなかったのは、大谷十郎左衛門を敬愛すればこそだ。彼はまるで初陣にいでたつ若武者みたいに武者ぶるいして、
「は!」
と、かしこまって答えた。
絹糸のような春雨がふっていたが、約束なのでその日小四郎はまず小石川の大谷家へゆき、十郎左衛門とつれ立って深川へ出かけたが、このときおそらく何も知らないらしい十郎左衛門の妻女が、
「いっておいでなされませ」
と、玄関に細々とした指をつかえて送り出したのには、心中いささかじくじ[#「じくじ」に傍点]たるものがあった。
新大橋を渡り、春雨けぶる小名木《おなぎ》川に沿って辻駕籠《つじかご》をいそがせ、扇橋に近づくと、――向うから、傘《かさ》もささず転がるように駈《か》けて来た者がある。
「大谷さまっ」
絶叫したのは、待っているはずの御家人の宇谷孫八であった。
「た、大変でござる!」
「なんだ」
「強盗が押しいりました!」
「なに、お前の家にか」
「さ、三人も――」
「いつ?」
「たったいま」
むろん二人は仰天して辻駕籠を出た。ただ小四郎は、宇谷孫八にどんな家族があるかは知らないが、とにかくきょうは無人にして、支度して待っているということであったが、それにしても強盗にはいられたといって、孫八だけが駈けて来るというのはおかしいと感じたが、そのわけはすぐにわかった。
「その押し込みがあの中地伝兵衛《なかちでんべえ》の倅《せがれ》伝十郎なのでござる。あと二人は見知らぬ浪人でござるが。――」
「なに?」
改めて十郎左衛門は愕然《がくぜん》としたようであった。
「そ、それで、女は――」
「人質《ひとじち》にしております。そして、やがて大谷が来るだろうから、女たちのいのちは大谷の出よう次第だ、と申しております。どうやら、どこかで聞いたか、きゃつら、きょうのことを知った上で押し込んで来たようで――」
「ううむ」
さすが豪胆な大谷十郎左衛門も顔色を変えていた。小四郎は聞いた。
「中地――何とかとは何者です」
「天狗党退治のときに腹切らせたやつの倅よ」
小四郎は、十郎左衛門が、幕軍の中の敗戦責任者や戦意不振の隊長を何人か切腹させたという話を思い出した。
むろんそれらの男たちの家は改易《かいえき》となり、家族は離散したろう。あとつぎがあれば、浪人の運命におちいったに相違ない。――その一人が、いま強盗におしいったというのだ。
ただの強盗ではない。十郎左衛門に恨みをふくんで、おそらく復讐《ふくしゆう》の機会を狙《ねら》っていて、大谷をめぐる旗本御家人のだれかからきょうの話を聞いて、それでこんな行動に出たものにちがいない。
「外道《げどう》の逆恨みめ!」
と、十郎左衛門はうめいた。
「斬《き》りましょう」
と、小四郎はさけんだ。
十郎左衛門にこのことを知らせるためにわざと解放されたらしいその御家人とともに、二人は扇橋のほうへ駈け出した。
その家は、前に小名木川、横を路地、裏は材木置場となっている一角にあった。
路地の雨の下に出ていた一人の浪人者が、三人を見ると歯をむき出して、
「来たか、十郎左」
と、さけんだ。それが中地某にちがいなかった。二十半ばだが、肺《はい》でも病んでいるように痩《や》せて、しかも狼《おおかみ》みたいな凶暴な面がまえをしていた。
「来るなら、十郎左だけ来い。ほかのやつはだめだ」
「卑怯《ひきよう》者め、女を放せ、女を放したら挨拶《あいさつ》してやる」
と、十郎左衛門は満面を朱に染めて怒号した。
「おうい、大谷が来たぞ」
と、浪人はふりかえってさけんだ。
すると、家の中で、「助けて!」という女の声につづいて、何とも名状しがたい悲鳴がもつれ合って流れて来た。小四郎はわれを忘れて、二、三歩駈け出した。
「ほかのやつが来たら、女のいのちはねえぞ。大谷だけはいって来い」
冷笑した浪人の顔が、小四郎の足を封じた。
「それとも役人を呼んで、天狗党退治の勇将の醜聞を天下にさらすか」
そして彼は、痩せた肩をゆすって、家の中へ姿を消した。
雨の中に、大谷十郎左衛門は棒立ちになっていた。――御家人の家に芸者三人を呼んで、若い旗本の筆下ろしを指導する。仲間同士なら大笑いの話のたねになることだが、こういう事件をひき起して真っ向からとりあげられると、ただ恥をさらすだけではすまないかも知れない。
そこまで考えない小四郎は、大地に釘《くぎ》づけになった十郎左衛門をじれったがって、地団駄を踏んだ。
「大谷さん、ゆきましょう、私が先に斬り込みます」
何をされているのか、また女たちのさけびと男たちの笑い声が聞えた。
小四郎はその女たちをまだ見たことがないから、個人的な感情はないが、しかしあの悲鳴を耳にして、じっとしてはいられない。人間としての怒りが全身の血を煮《に》えくりかえして、彼は生命の危険さえ忘れていた。
「……今は死ぬべきときではない」
と、大谷十郎左衛門はしかしつぶやいた。
そして次に彼は――豪快ではあるが、それだけものの考え方に荒っぽいところがあるかに見えた彼にしては、さすがに実戦で鍛えただけのことはあると思われる作戦を命じたのである。いや、それも彼らしい、実に思い切った、猛烈果敢な兵法といえるかも知れないが。――
「孫八、近くに油屋はないか」
と、彼は聞いた。
「あります、すぐそこに」
「急いで油樽《あぶらだる》を三つ四つ、柄杓《ひしやく》と大|蝋燭《ろうそく》を買って来い」
「へ? 何をなさる?」
「火をつける」
「えっ」
「隣りは空家《あきや》だったな。雨がふっておるから火はひろがるまいが、隣りくらいは焼けるかも知れん。注文したものは油屋に持って来させて、その足であと鳶《とび》の者十人くらい、桶《おけ》を持たせて集めてきてくれ、すぐにだぞ!」
宇谷孫八はかっと眼をむき出したが、そのままうろたえた足どりで駈け出した。
小四郎も度胆《どぎも》をぬかれて、茫然《ぼうぜん》と十郎左衛門を眺めている。この人はあの家に火をつけるといったが、むろんそんなことをすれば凶漢どもは逃げ出して来るだろうが、人質はどうなるのか?
中ではまた悲鳴と笑い声が聞えた。男たちはおのれの兵法に十郎左衛門が完全に縛られたと思い、対策に窮して多少の時間立往生するのはあたりまえで、結局要求通り十郎左衛門一人がやって来るだろうと見込んでいるらしい。
十分もたたないうちに、四個の油樽と、十人余りの鳶の者がやって来た。十郎左衛門は、押込み強盗が女を人質にしていることを告げ、その家に火をつけて追い出すと宣告し、大火にならぬように川から水を運べと命じた。
「小四郎、樽二つを持たせて裏に廻り、柄杓で裏口いちめんに油をぶちまけて火をつけろ」
と、蝋燭《ろうそく》を渡した。
「そして中から逃げ出すやつを斬れ。人をたしかめるな、出すと、うるさい。入口に現われたやつをそのままたたッ斬れ」
小四郎は髪の毛を逆立てた。
「大谷さん、人質は――」
「女どもには、死んでもらうことにしよう」
それではこうまでして曲者《くせもの》を追い出す目的の大半は消滅してしまうようだが、そういう差引勘定を飛躍させるような、すでにその髯《ひげ》の中から火炎を吐かんばかりの大谷十郎左衛門の形相《ぎようそう》であった。
「人首橋のたたかいの再現じゃ。ゆけ!」
叱咤《しつた》されて小四郎は、油を運んできた油屋の男たちに樽を抱えさせて、裏口にまわった。
むろん表側でも十郎左衛門が、同じ行動に移ったのだろう。そちらで、ざあっという音につづいて、パチパチと火のはぜる音がしはじめたのを聞くと、小四郎も頭に火がついたようになって、油屋に、裏の入口に油をかけるように命じた。
火打石で、蝋燭に火を点じた。霧雨の下にかばいながら火をつける。たちまち炎が、いちめんに這《は》い出した。
「――何だ?」
中で、ぎょっとしたような声に重なって、
「火をつけおった!」
という驚愕《きようがく》の絶叫がつっ走った。
それから、凄《すさま》じい女の悲鳴があがった。小四郎の全身の毛穴はそそけ立った。
つづいて、狼狽《ろうばい》した跫音《あしおと》とともに、だれか裏口から躍り出して来た。
「えやあ!」
待ち伏せていた小四郎は、そいつに力まかせに刀を薙《な》ぎつけた。恐ろしい悲鳴をあげて雨の中に転がり出した浪人めがけて、夢中でなお刀をぶちこんで、あとのことを考えなかったのは、はじめて人間を斬った若者としてやむを得ない逆上のせいであったが、
「や、野郎っ」
狂ったような声とともに第二の影が飛びかかって来たのを、ぬかるみに転んで逃げ、ばね[#「ばね」に傍点]のようにはね起きるや、つんのめっていった影に、
「卑怯《ひきよう》者っ」
怖《おそ》れ気もなく突撃していったのも、同じ若さと、そして満身の怒りの血ゆえであった。
二人目の浪人は、背から腹へ刀身の半ばまで刺されてのけぞり返り、ついで海老《えび》みたいにからだをまるくした。そのおかげで刀がぬけて、その刀で小四郎は、まだのた打ちまわっている最初の男に、血みどろのきちがい踊りみたいに斬りつけた。
「火を消せ! 火を消せ!」
表のほうから大谷十郎左衛門が吼《ほ》えながら走って来た。
彼もまた表口から飛び出した男――中地伝十郎を待ち伏せて斬って、同じことを鳶《とび》の者に命じて駈けて来たのだ。
「もういい、小四郎。おう、こっちに二人出てきたか」
十郎左衛門は眼をむいた。
「よくやった!」
放心したように立っていた小四郎は、火が家をつつんだのを見てわれに返り、
「人質は!」
と、さけんだ。
人質の女たちはだれ一人として出て来なかった。が、もうとっさには飛び込めない炎のひろがりであった。――とはいえ、鳶の者の働きによって、それは家の半分ほどを焼いただけでおさまった。
なお煙のただよう家の中に、十郎左衛門と小四郎ははいった。
戸障子はむろん、壁も真っ黒に焼けた中に、三人の芸者は折り重なっていた。しかし彼女たちは焼け死んだのではなく、それ以前に斬殺されたことは一見して明らかであった。二人は上半身裸にされていたが、斬られたときの悶《もだ》えのためにしてはやや異常であったから、それはその前にそんな姿にされてさいなまれていたものであったろう。
はじめて見るが、実に豊満な女二人と、まだ美少女といっていいうら若い芸者の真っ白な肌を染めた血潮に、小四郎は自分が斬られたような痛苦をおぼえ、彼女たちをこういう運命に追い込んだ人物を、責めるようにふりかえってにらみつけた。
「可哀そうなことをしたが、やむを得ん」
大谷十郎左衛門は沈鬱《ちんうつ》な表情で、しかし落着いた声でつぶやいた。
「公《おおや》けになると、こっちが無事にはすまぬところじゃった。死んでくれれば、あと何とかなろう。……武士三人を救ったことになったとすれば、こいつらも成仏できるというものじゃ」
庶民の眼にも、江戸が急速に騒がしくなってきたのは、その年の秋ごろからのことである。
群盗がしきりに横行して治安が不穏になってきたこともあるが、幕臣もまた浮足だっているのがだれの眼にも見えた。
上方にいっている将軍|慶喜《よしのぶ》が薩長や公卿《くげ》の策謀に追いつめられて、ついに大政奉還の意を決したという情報が伝えられるに至って、江戸城の閣老連中はもとより、御家人に至るまで煮えくり返るような騒ぎになったのもやむを得ない。
薩長に対する怒りとともに、
――幕府をこうまで弱体化させたのはだれか?
という指弾の声も高まり、中に、
――それは幕臣でありながら、ふだんから薩長の人間と交際していたやつらだ。彼らはかねてから小利口にもこうなる日を見越し、媚《こび》を売っていたのだ。
という、ひときわ憎悪にみちたさけびが湧《わ》きあがった。
「裏切者に天誅《てんちゆう》を下せ」
怒号の中心の一つは、大谷十郎左衛門の「桜花組」であった。もとから目立った硬派の一団だけに当然のことである。
彼らは血まなこになって、そんな嫌疑《けんぎ》のある幕臣の名簿を作り、かたっぱしからこれを襲撃して討ち果たすことを主張した。
「何もわたしたちが直接手を下すことはない」
と、十郎左衛門はみなにいった。
「勝手にきゃつらに腹切らせろ」
――考えてみると、これもかつて彼が水戸の戦争で敗戦責任者たちに自殺させた処置と同じ発想であった。
それから十郎左衛門とその一党は、名簿を片手に嫌疑者の家々を廻り出した。
「それは無根の疑いだ。拙者《せつしや》、薩長人と交際したおぼえはない」
と、否定する者には、何年何月何日ごろ、どこの料亭《りようてい》で薩長江戸屋敷の某々と同席した、など、調べあげた事実をつきつける。
「一、二度会談したおぼえはあるが、それは政治向きの話ではない」
と、逃げる者には、「それでは何のためか。薩長人とただいんぎん[#「いんぎん」に傍点]を通じる必要があなたにはあるのか」と、やりかえす。
「あくまでも徳川家の将来を思っての情報|蒐《しゆう》 集《しゆう》のためであった」
と、弁ずる者には「その薩長はいま徳川をかくまで追い込んだではないか。あなたの情報はどんな役に立ったのか。もし見込みちがいというなら、その責任をおとりなさい」と追いつめる。
これを一対一の会談ではなく、そのまわりに群がり立った若者たちが、さらに激越な言辞を浴びせかけて吊《つる》しあげるのだ。相手は恐怖して、ついには黙り込まざるを得ない。涙まじりの絶叫の声のひときわ高かったのは曾我小四郎であった。
多くの場合、それまで真正面に坐りながら腕組みしていた大谷十郎左衛門が、やおら堂々たる声を発する。
「あなたは、武士か」
「むろん……武士だ」
「しかし、裏切者の疑いを受けておる。それを霽《は》らしたいとは思われんか?」
「思う。いかにしたらこのような馬鹿げた疑いを霽らせるかと苦慮しているのだ」
「それなら、死になさい」
絶句する相手に、彼は雷のごとく一喝《いつかつ》する。
「武士の証《あか》しをたてること、いさぎよい死にまさるものはない。いさぎよくお死になれば、あなたが武士であったという証しが立つとともに、あらゆるあなたへの疑いは消える。さ、ここで腹をお切りなされい! 大谷十郎左、拝見いたす!」
飛躍した論理に反論を許さない、雪崩《なだ》れかかるような迫力のある引導であった。
こうして詰腹《つめばら》切らされた旗本は、十人前後にのぼったろう。
恐慌をひき起して逃げ出す者が出たのは当然である。これに対して「桜花組」は、「逃げ出すやつは通敵行為を自認したやつだ」と、さけんでまわった。
しかし、そのおどしも無効であった。なぜなら、年が変って鳥羽伏見の敗戦が伝えられるとともに、これとは関係なく江戸を逃げ出す旗本が続出してきたからだ。もともと「桜花組」の制裁も、崩れゆく幕府の中の苦悶《くもん》にみちたあがきに過ぎなかったといえる。
そして、二月になると、彰義《しようぎ》隊結成の動きがはじまった。大谷一党がこれに加わったことはいうまでもない。
こういう抗戦派の狂奔と比例して、江戸逃亡の旗本たちもふえてゆく。――
曾我小四郎たちは隊を組み、群を分ち、若い者のいる旗本の門をたたいて、臣節を説き、旗本八万騎の意気地を説いた。昂奮《こうふん》して参加を申し出る連中はむろん少なくなかった。
それでもなお、逃亡者がふえこそすれ、減らないのに彼らは悲憤した。とくに女子供の多い家が甚《はなは》だしかった。
「そんな家は残っても役には立たんが、しかし周囲に悪影響を与える。何とか止《と》める妙策はないか」
と、だれか歯ぎしりしていい出したとき、大谷十郎左衛門が一案を出した。
「若い娘がある家なら――たいてい一人か二人はおるじゃろう――それをくどいたらどうじゃろう?」
「娘をくどく?」
こんな危急のときに、とあっけにとられる一同に十郎左衛門はいった。決して不謹慎な提案ではなく、大まじめな発想であった。
「娘だけに、血は若い。女とて戦うべき時がある。男の若いやつと力を協《あわ》せて戦えと演説せよ。女をひきとめることで、一家の逃亡をふせぐのじゃ」
その日から、「桜花組」の若者たちは、娘のいる旗本の家の門前に立って呼びかけはじめた。
「何々どのう!」
と、娘の名をあげ、
「何々どのに申しいれる。いまや西より薩長軍が進みつつあり、徳川は死生の関頭にある。しかしながらわれら桜花組の若者は、いかなる事態となっても江戸を死守せんとするものだ。なにとぞ何々どのの御助力を得たい」
「女子《おなご》とて戦う法はある。武器をとっての戦いまで要求はしない。腹がへってはいくさは出来ぬと申す通り、炊《た》き出しも要る、傷ついた者の手当も要る。男はそんなことはしていられないのだ。もし忠魂あり義心があるならば、何々どのう、桜花組の若武者に助太刀して下されえ」
口々に呼ばわる声は悲壮であった。
「いますぐに来てくれというのではない。時いたれば馳《は》せ集まってもらいたい。そのとき、場所を知らせに来る。その日まで、どうぞ江戸にとどまって、ここで待機しておって下されえ」
そして彼らは次の家へ駈け去るのであった。
実にこの法は効果を発揮した。旗本の逃亡がめだって減ったのである。どこの家でも娘が逃げぬといい出し、それに一家が縛られてしまったことは明白であった。
利敵行為者の処刑と、逃亡者の食い止め策と――「桜花組」の「悪戦苦闘」の陣頭に立ったのは曾我小四郎であったが、その彼の眼前にこの二つの課題が突然身近なものとして現われたのは、三月半ば過ぎのことであった。
「菰野|主膳《しゆぜんの》 正《しよう》を斬れ」
大谷十郎左衛門がそういい出したのであった。
菰野主膳正はお登和の父であった。
菰野主膳正は、べつに江戸を逃げる気配はなかった。
十郎左衛門がブラック・リストにのせた理由はそれではない。
彼がそういい出したのは、主膳正がいくどか薩長屋敷に往来した事実を思い出したからであった。なぜいままでこれを考慮の外においていたかというと、それは主膳正個人の恣意《しい》による行動ではなかったからだ。
菰野主膳正はどういうわけかひどく勝安房から信頼されている人物で、よくその使者ないし代理人として用命を果した。が、いくら大谷十郎左衛門でも、公用によって薩長と折衝した者を通敵者として槍玉《やりだま》にあげるわけにはゆかない。
だから、ほんの最近まで勝安房その人も非難の対象にはしなかった。勝には勝なりの妙策があるだろうと全幅の信頼を置いていたのだ。ほんとうをいうと、疑心暗鬼ながら、信頼を置こうとしていたのだ。……が、その勝がこの三月半ば、官軍を芸もなく江戸へ進駐させるように奔走したことが明らかとなってみると、事態はいささか変って来る。
勝こそ徳川家を売った元凶である。――こう見たのは何も大谷十郎左衛門一党だけではなく、抗戦派の幕臣すべてで、実際に刺客を志した者はおびただしく続出したのである。
……ところが、妙なことに、これを実行に移す者がなかった。この江戸城明渡しという大芝居で勝の示した堂々たる面がまえに、みな食われてしまったのである。このふしぎな現象は大谷一党にも起った。
彼ら自身にも不可解な、何となく勝には手を出しにくいという違和感、欲求不満が、ここでふと思い出した菰野主膳正に向けられた。……なんどか勝の代理人として薩摩人と交渉したという実績が、いま江戸を横行|闊歩《かつぽ》するこぐま[#「こぐま」に傍点]の薩摩兵が血走った眼にうつるにつれ、にがい記憶によみがえるとともに、
「菰野を斬れ」
という大谷十郎左衛門の発言になったのであった。
曾我小四郎は驚いた。
「待って下さい」
と、彼はさけんだ。
「菰野は私の家の近くで、よく知っているのです」
「ほう?」
大谷十郎左衛門はちょっと首をかたむけて、
「なるほど、どちらも千駄木の団子坂じゃな。……しかし小四郎、そんな私情は通らんぞ」
と、厳然といった。
「勝の代理人としても、この際、きゃつの首は申し受けなければ気がすまぬ。見方によっては、いままで詰腹切らせた連中より罪状は重い」
「わかりました」
小四郎は顔色を変えていた。
「しかし、この件は……菰野さんを斬るか、死んでもらうか、どっちにせよ私にやらせて下さい」
「それならおぬしにまかせるが、小四郎、まさか菰野一家に逃亡をすすめにゆくなどということはすまいな」
「そんなことはしません」
しかし、小四郎はそれをやった。そうせずにはいられなかった。
彼はあれ以来、菰野家にいっていない。「桜花組」とのつき合いがひんぱんになったせいもあるが、どうにも足が向けられなかったのだ。
それでも、まさか永遠にお登和とあいまみえることはなかろうとまでは思わなかった。それどころか、きっと逢うだろう。逢わなければならない、と心に誓っていた。そして、こんど来るときは、何か――それが何かわからないけれど――菰野家にもお登和にも必ず晴れて訪れるだけの用件を携えて訪れることを夢みていた。
それが、何たることか、意外も意外、死の使者として訪れることになろうとは!
もっとも彼は、そんな気にはなれない。どうしてもなれない。――主膳正に面会を申し込むと、主膳正はめんくらった顔で、しかし何のわだかまりもない笑みをもって迎えた。勝安房に似て洒脱《しやだつ》な人であった。
「やあ、久しぶりだな。いったいどうしたのかと思っておったぞ」
「は、何かと忙しうて」
小四郎は赤面した。
「忙しい? ふむ、そなたが妙な連中といっしょに騒いでおることは聞いておる。いや、大変な世の中になったのう。そなたらの気持わからんでもないが、しかし小四郎、こういうときはなるべく逆上した血を下げて、とくに若い者は、新しい世に備えて地道な勉強が大切じゃ。……」
「実は、それについて容易ならぬ話があるのです」
小四郎は、ふるえ声で、「桜花組」で主膳正に天誅《てんちゆう》を加えるという論があることを告げた。自分がその刺客をまかされたとは口に出来なかったが、とにかく危険千万だから、今日明日にも江戸からどこかへ落ちていただきたいといった。
「改まってやって来たと思ったら、そんな用か」
主膳正は全然驚いたようすもなかった。顔は苦笑を浮かべていた。
「きちがい犬が現われたら、わしからよく話して聞かせよう。そういう話を聞くと、いよいよ江戸から離れられんな。こっちからその大谷十郎左衛門のほうへ出向いてゆこうか?」
自分がそのきちがい犬なのだ! とっさに返事のしようがなく、狼狽《ろうばい》している小四郎の耳に、そのとき遠くで、
「え、小四郎さんがいらした?」
という忘れられない声が聞えた。小四郎の頭に血がのぼった。軽やかな跫音《あしおと》が近づいて来る。――
「はてな、小四郎、そなたがわしの刺客を命じられたのではないのか?」
と、主膳正がいったが、小四郎はその声もうわの空だ。
「ふ、ふ、ふ、何にしろ、そなたが困るともなれば、しばらく江戸から姿を消してよいぞ。狂犬には用心したほうがいいかも知れぬ」
唐紙《からかみ》があいた。
「小四郎さん!」
小四郎はふりかえり、息をのんだ。
あれから二年、なんとまあお登和の美しくなったことだろう。いや、あのころもきれいだった。そして、その清純さはいまも変らない。が、まるで露をしたたらせつついま咲き切った花のように鮮やかな印象なのだ。
「ながいあいだ見えなくて……どうして……どうして?」
小四郎は泣き笑いみたいに口をわななかせているばかりであった。
「小四郎はわたしに江戸から逃げろと忠告に来てくれたのだ」
と、主膳正がいった。
「わしを殺すというやつがあるらしい」
「まあ、何をばかなことをおっしゃるの、お父さま」
お登和はとり合わなかった。身近に父を知る娘として、かえってそれに凶念を向ける者があろうなどとは想像外であったらしい。――彼女は、きちんと坐っていた。
「わたしは逃げません」
小四郎は、ただまじまじとお登和を眺めている。
「小四郎さん、いまあなたたちが旗本の娘に、江戸から逃げないように呼びかけてまわっていらっしゃるそうですね。知っています。なぜ、うちにもそういいに来て下さらなかったの? お登和も旗本の娘なのですよ。ああ、そんなことを呼びかけに来なくても、お登和は逃げないとあなたは知っていて下さるからですね。ただ、女たちが役に立つときはお登和も呼んで下さい。みんな集まるときは、決して忘れないでお登和を呼びに来て下さいね、ね、ね、小四郎さん。――」
小四郎は、思考力を失っていた。
しかし、幸か不幸か、この菰野主膳正処罰の話は、うやむやになってしまった。
いちど十郎左衛門が何かのはずみに、
「菰野の件はどうした?」
と、聞き、小四郎がうろたえた顔で、
「いちど出向いて見ましたが、留守なのです。いえ、逃げる気配はまったくありません」
と、答えたことがあったが、それっきり十郎左衛門はそのことについて尋ねなかった。いっとき発作的に思いついただけで、それほど深刻な執念の対象でもなかったからだろうが、それより十郎左衛門が彰義隊のことで、それどころではなくなってしまったかららしい。
小四郎もまた、そのことで胸|撫《な》で下ろす余裕などなかった。彼も彰義隊へ旗本をつのる檄《げき》、軍資金の調達などを孕《はら》んだ車輪の歯ぐるまの一つとして飛び歩き、主膳正のことなど思い出すひまもなかった。
彰義隊への参加者はいちじ二千人を越え、その指導者争いやら、官軍に対する方針のくいちがいやら、もう官軍と争闘をやったむれやら脱走者やら、まだ火ぶたも切らないのにまるで火事場のような騒ぎであった。
四月の末であった。幹部格としてずっと上野《うえの》に詰めていた大谷十郎左衛門は、十余人の元桜花組をつれて小石川伝通院裏の家に帰って来た。――妻のお北が、懐剣でのどをついて死んだという知らせを受けたからである。
奉公人も逃げ去って、このごろほとんど無人と化した屋敷に、一人ひっそりと住んでいた妻女が、なぜ突然自殺したのか、まったくその存在も忘れていただけに、小四郎たちはむろん衝撃を受けた。両ひざをしごきで縛り、作法通りのみごとな自決であったが、遺書はなかった。
「おれの死出の道案内じゃな」
屍骸《しがい》を見下ろして、十郎左衛門はつぶやいた。
そのひとがまるでかげろうのように影薄い存在であったことが改めて思い出され、その哀れさに小四郎たちは涙をそそいだ。
十郎左衛門は一滴の涙も見せなかった。もとから「死」を見て動ずるところのない人物であったが、その剛毅《ごうき》さは妻の死に逢っても変らなかった。
「どうせ、おれもすぐに死ぬのじゃ!」
若者十余人だけが棺につきそって、あわただしい、葬儀ともいえない葬儀を終えたのち、大谷家ではまた酒となった。
この席で十郎左衛門はまた妙なことをいい出したのである。
「ここにおる連中で、まだ女を知らない者があるか?」
偶然、この変事のあと始末に集まった者が二十歳《はたち》前後の若者ばかりなことに気がついて、そんなことをいい出したものか。――それにしてもこんな夜に持ち出す話ではなかったが、それも彼の悲哀、寂寥《せきりよう》の感をみずからたたきつぶすための発想であったろうか。
七、八人が、顔をあからめて、まだだ、と答えると、十郎左衛門はいった。
「それでは、女たちを狩り集めろ」
「女たち? どこから?」
「それ、先般来、いったん緩急があれば義勇公に奉じよと女たちに触れてまわったろうが。あれは旗本どもの足どめ策でもあったが、それでけなげに残っておる娘も多いと聞く。ところが、どうやら戦場となるのは東叡山寛永寺《とうえいざんかんえいじ》一帯、何としても女はいれにくい。また、いれたとしても、しょせんものの役にはたたんじゃろう。そこで別の使い道をいま思いついた」
「ど、どう――?」
「その娘たちを――なるべく美人がよいな――ここに召集して、女を知らないお前たちに抱かせてやろうと思う」
「へっ?」
みんな眼をまるくして、しばらく声をもらす者もなかった。
――卒然として小四郎は、いつぞや十郎左衛門が自分に対して同様の世話を試みようとしたことを思い出した。あれは途方もない椿事《ちんじ》のためにあれっきりになってしまったが――十郎左衛門は、よほどこういうことに固着観念を持っているように思われる。
「お前たちも近いうち、みな死ぬのじゃ」
しかし十郎左衛門は厳粛に、若い顔、顔、顔を見まわした。
「そのことを知らんで死なせるのは、あまりにふびん。……かつはその娘たちにとって、これにまさる御奉公はない。必ずよろこんで、徳川家のために死にゆく若武者にそれぞれの女のはじめての花を献じてくれるに相違ない」
彼は一座の中に、一人だけ年をくった御家人宇谷孫八の顔を見つけた。
「孫八、おれは忙しいので、すぐに上野に戻らねばならん。お前、指図して、三日のうちに、適当に女を狩り集めろ。三日後の――左様、昼過ぎにはおれももういちどこっちに来て、見てやるようにしたい。いいか?」
三日目の午後、大谷の家に二十余人の娘が集まって、荒れ果てた屋敷に花が咲いたようになった。
「――その時がきた。戦うべき時は来た。忠魂義胆の勇少女よ集まれ」
それに時と場所をつけ加えた号令に応じてやって来たもので、みな刀や薙刀《なぎなた》などをかいこみ、鉢巻《はちまき》をしめた娘もあったが、宇谷孫八が名簿中から選んだだけあって、いずれも水準以上の美しい娘ばかりであった。
これに対して、待機している若者たちも同人数、先日のグループ以外にまた「桜花組」の中から募ったもので、みな童貞ないし童貞と称するめんめんである。
なんとなくみな殺気立った雰囲気に、娘たちはいよいよ昂奮《こうふん》した。
「ここで戦うのでござりますか?」
「上野へゆくのではありませんか?」
宇谷孫八は弱った。――大谷十郎左衛門が来ないのである。
一人の若者に馬を走らせて上野にようすを見にゆかせると、上野は幹部の中に軟派が生じ、大谷十郎左衛門はこれと激論の最中で、その若者から連絡を受けると、
「方針通り、孫八にやれといえ!」
と、大喝《だいかつ》したきり、また軟派に立ちむかい、とうていそっちから来れる状態ではないということであった。
宇谷孫八はついに意を決し、若者たち娘たち全員を集めて演説をはじめた。
要するに、三日前大谷十郎左衛門が述べた論の受け売りだが、むろん演説ははるかに下手《へた》だ。ただそれだけ聞いていると、噴飯せずにはいられないような言辞と形容を混えていう。
しかし、だれも笑うものはなかった。娘たちの中に驚愕《きようがく》した顔もあったが、自分たちをじいっと見ている若者たちの思いつめた、凄《すご》い形相《ぎようそう》に圧倒され、それから一堂にむらむらと立ちのぼりはじめた異様な熱気に理性をつつまれてしまった。
やがて孫八は、脳天から出るような声でいった。
「みなはじめてのことゆえ、勝手がわからぬであろうから、先輩としてわしが見本をお目にかける」
そして彼は、手近の――美人ではあるが、やや肥満体の――娘を招いて、数十の燃えるような眼の環の中で見本を示したのである。娘が本能的に抵抗の動作を見せるのを、
「出陣の花むけの儀式じゃぞ!」
と、彼は叱咤《しつた》して、ついにやってのけた。――
「さあ、それぞれの相手を選びなされ」
命じられて、彼ら彼女らは、あるいは真一文字に、あるいは夢遊状態でおたがいのところへ歩み寄り、にじり寄った。人数はあらかじめ揃《そろ》えてあったし、どれも一応美人であったので、二、三もめた組もあったが、結局彼らと彼女らはそれぞれしっかと抱き合った。
三つの座敷の間の襖《ふすま》をとり払った大広間であった。百花|繚乱《りようらん》というより、むしろ凄壮《せいそう》の気さえ漂うこの光景を、曾我小四郎は茫然《ぼうぜん》と眺めていた。――
彼はむろんこのことについて、強い好奇心を持っていた。だからいちどは大谷につれられて宇谷の家へ赴いたくらいだ。しかし、きょうは――戦いに加わるつもりで集まった娘たちにこういうことをさせるのは――と、何としてもひるみ[#「ひるみ」に傍点]を覚えないわけにはゆかなかったのだ。あるいは、ほかの仲間よりやや強いストイシズムにやはり縛られていたのかも知れない。
「どうしましたかな、曾我さん」
宇谷孫八が近づいてきた。
さっき見本を見せたときはさすがにあがり気味であったが、いまは落着きをとり戻して、一帯の壮観を見わたしている眼は、酔っぱらったような笑いにひかっている。
「お。……私には、相手がいない」
「あれは?」
孫八が指さしたのは、最初に彼が見本にした娘で、彼女は壁にもたれ、やはり眼前に波打つ光景を見ていたが、口をあけ、白痴みたいにべったりとへたり込んでいた。
「あれではいけませんか。私の唾《つば》をつけたのは。――」
その言葉に、名状しがたい不潔さをおぼえ、顔をそむけて縁側に出た小四郎は、そのとき庭にすうとはいってきた女の影を見て立ちすくんだ。
「やあ、また一人来た」
と、孫八がさけんだ。
駕籠《かご》で来たのだろうが、もう鉢巻にたすき[#「たすき」に傍点]までかけ、男みたいに袴《はかま》をはいて一刀をぶら下げたお登和であった。彼は、菰野家に呼びにいったおぼえはないが。――
「聞きました。とうとういくさが始まるのですってね、小四郎さん」
お登和は生き生きと呼びかけた。
「お登和もお手伝いに来ました!」
そして彼女は、黙って棒みたいにつっ立っている小四郎をふしぎそうに眺め、それから座敷の中を怪しむようにのぞきこんで、
「――まっ」
と、さけんだ。
数秒間|佇立《ちよりつ》して、ふいにお登和は身を翻《ひるが》えそうとした。
「待った!」
孫八は庭に飛び出していって、その肩をつかまえた。
「お待ちなされ。……ただで帰られては困る」
そうさけんでとめたときには、おそらく彼は、その娘の「誤解」を解かなければと思い、つづいて例の説を述べて、きょう参集した娘たちの義務を果せ、と説くつもりであったろうが、ふりかえりざまお登和から反射的な繊手《せんしゆ》の一撃を頬げたに受けると、
「このままには帰せねえ」
と、自然にごろつきみたいな口調になり、ぐいと彼女を自分のほうにねじむけた。
「助けて! 小四郎さん!」
と、お登和はさけんだ。
小四郎は無我夢中で飛び下り、駈《か》け寄り、孫八をつかんで地面にたたきつけた。孫八は地面から、恐ろしい顔を二人へあげて、
「ははあ、これは菰野さんの娘御だな。……曾我さん、いつか大将から言いつかった用をすっぽかしたようだが、やはり何か曰《いわ》くいんねんがあるのか。何にしても一党の盟約から自分勝手な逸脱は許されねえぞ。こうなったら、腕ずくでもこのお嬢さんにはなむけをしてもらおう。……このおれにだ!」
と、醜怪きわまる手つき腰つきで立ちあがって来た。
まるで魔物に襲いかかられるような恐怖と嫌悪に打たれ、小四郎は一刀をひきぬき、夢中でそれを斬りつけた。
そして。――
「逃げるんだ、お登和どの――」
と、さけびながら、お登和の手をひき、大谷家の庭から駈け出した。
――道草を食いながらも、ただひとすじ「侍らしい死に方」をめざして生きて来た二十歳《はたち》の曾我小四郎は、最後のゴールを眼前に、突如まったく自分でも思いがけなかった進退両難の窮地に落ちた。
ともかくもお登和を菰野家にとどけ、事態を説明すると、いまだかつて怒った顔を見せたことのない主膳正の満面が朱に染まって、
「たわけたやつ!」
と、吐き出すようにいった。
「いや、おぬしのことではない。前からきちがい犬ではないかと思っていたが、それでもきちがいにはきちがいなりの筋があって、その筋が通った考え方もあろうと見ておったが、しかしこれでまったく筋の通らない馬鹿どもの集まりじゃということが明らかになった。小四郎、ここへおれ。上野へは、いってはならぬぞ」
「いえ。――」
うなだれていた小四郎は顔をあげた。
「やはり、私は参ります」
「きちがい犬どもの集団にか? ゆけば、おぬし無事にはすまぬのではないか」
「いえ、あのなりゆきは、話せばわかってくれるでしょう。大谷十郎左衛門どのは、やはりあれなりに尊敬すべきお人と思います。すでにあの方の御妻女は覚悟の自害をなされ、十郎左衛門どのも最後の武士の死花を咲かせようと余念もありません。私はそれに殉じなければ、いままで生きてきた甲斐《かい》がありません」
「そなたの母御や妹はどうするのか」
「相談したこともありませんが、私が武士らしく死ぬことを母も望んでいるにちがいありません。むしろ私は、その母や妹を守るために……これから誇り高く生きていってもらうために死のうと思っているのです」
「ああ」
主膳正は嘆息した。
「やんぬるかな。……おぬしにそのような死神をとり憑《つ》かせたやつがわしにはにくい」
主膳正さえも匙《さじ》を投げたこの死神に憑かれた若者を、しかしぐいとひきとめたのはお登和であった。そばに坐って、じっと小四郎を見つめていたお登和がいい出したのだ。
「おゆきなさい、小四郎さん」
彼はお登和のほうへ顔をむけた。
「でも、必ず生きて帰ってきて下さい」
昔、お登和はこんなもののいいかたをしたろうか? あれから二年たって、彼女のこのきっぱりした表情はどうだろう?
すぐに小四郎は、お登和が二年たって変ったのではなく、いま何やら思いつめ、父の前をもはばからず、言わずにはおれない気持であることを見てとった。
「そして、田舎《いなか》へ逃げましょう。あなたが帰ってきたらすぐ逃げられるように、あなたのお母さまや妹さまもいっしょに、こちらも支度して待っています。秩父《ちちぶ》の父の知行地には桃の樹もいっぱいあります」
小四郎は、はっとした。お登和はその桃の花のようにぼうと頬をあからめ、夢みるようにいうのであった。
「小四郎さん、お登和はあなたが好きでした。……」
「帰って来る!」
小四郎はさけび出していた。
「お登和どの、私は帰って来る。……ただ、大谷さんに逢って、わびて来なければ気がすまぬゆえ、これから上野へいって来るけれど、小四郎は必ずここへ帰って来る!」
間もなく曾我小四郎は、上野へ向ってひた走っていた。走りながらも、彼の顔もまた夢みる表情を失っていなかった。彼の眼には、黒い夕雲のかかったゆくての上野の空はなく、雲雀《ひばり》が鳴き、蝶《ちよう》が舞い、桃の花の咲いた麦の野があった。
根津宮永町まできたときだ。ゆくての町角をまわって、一団の官軍が現われた。
巡邏《じゆんら》の一隊が、と見て、この場合にも軒先に寄って走りぬけようとすると、
「待てえ」
と、呼びとめられた。
「ぬしゃあ、旗本か、どこへゆく?」
上野へ、とはいいかねて、絶句すると、いきなりとり囲まれた。
「ちょっと聞きたか事がある。来《こ》う!」
宇谷孫八が斬殺《ざんさつ》され、菰野の娘をつれて曾我小四郎が逃げ、あとは混乱状態におちている――という急報を受けて、大谷十郎左衛門は躍りあがった。
「きゃつ……あれほど目をかけておったのに、何たることを!」
そして、彼付きになっている別当を呼んだ。
「団子坂の菰野家へ逃げたにきまっとる。告げ口次第では、主膳正めが何を申すかわからぬ。いや、命令違反者は処罰せねばいくさは出来ん! 馬ひけ!」
彼は馬に跳《は》ねあがって、夕暮の町へ飛び出した。かつて常陸《ひたち》の戦野を馳駆《ちく》したのを彷彿《ほうふつ》させる鬼神のような武者ぶりであった。
山内を飛び出し、片側につづく松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》の屋敷の長い練塀《ねりべい》に沿って馬を走らせてゆくと、その土塀の向う側から一群の官兵が現われた。それが、立ちどまってこちらをじっと眺めていたが、たちまち砂煙をあげて駈けて来て、
「止まれえ」
と、吼《ほ》えた。
そのまま、前方に四、五人並んで、スナイドル銃をあげてこちらに向けた。
「馬から下りて、ちょっと屯所《とんしよ》へ来《こ》う!」
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六人目・桑山軍次郎《くわやまぐんじろう》
七人目・早瀬半之丞《はやせはんのじよう》
八人目・鰻谷左内《うなぎだにさない》
桑山軍次郎が青雲の志をいだいて江戸へ出て来たのは、安政《あんせい》四年四月はじめのことだ。
いや、そのころは桑山軍次郎とはいわなかった。ただ、軍次と呼ばれていた。彼は甲州山梨|郡《ごおり》萩原村桑山の百姓であった。
一人ではない、同じ萩原村十郎原の大吉夫婦といっしょで、彼はそのとき大吉と同じ二十八であった。
彼らが故郷を捨てたのは、むろん百姓の辛《つら》さ、みじめさ、さきざきの望みのなさに愛想をつかしたからだが、百姓という百姓がみんなそんなことをするわけではないから、やはり彼らだけの根性のせいだといわなければなるまい。
とくに大吉夫婦は――いや、正式にはまだ夫婦ではなかったが――水呑《みずのみ》百姓の軍次とちがってまず中農で、女房にあたる女はおなかに赤ん坊をかかえていたから、それで村を捨てたのはよくよくのことだ。その妊娠が女の親の許さぬところで、それが出奔のきっかけになったのだが、大吉は、そのきりっとひきしまった顔を見てもわかるように、子供のころから村の寺子屋でもいちばんの利口者であったから、もともと百姓がきらいだったのである。
軍次のほうは、大吉につりこまれたので、前からうま[#「うま」に傍点]の合った大吉が江戸へ出るという話をひそかに聞いて「それじゃあ、おらもつれてってくれ。おまえに迷惑はかけねえから」と頼んだのだ。
その軍次にも、暮しのためにまだ夫婦になれないが、相愛のおつみ[#「おつみ」に傍点]という娘があったのだから、それを捨ててゆくには彼にも彼なりの決心があった。頭のまわりはとうてい大吉に及ばないことは自覚していたけれど、しかし百姓ではないひとかどの人間になりたいという意志は、その牛のように鈍重に見える顔に、大吉以上に強く刻まれていた。
さて彼ら三人は、御坂峠《みさかとうげ》を越え、川口《かわぐち》、吉田《よしだ》を過ぎ、須走《すばしり》から小田原《おだわら》へぬけ、七日ばかりで江戸に着いた。
そして、大吉夫婦はその足で、九段《くだん》坂下の蕃書調所《ばんしよしらべじよ》の役宅に真下専之丞《ましたせんのじよう》という人を訪ねていった。
蕃書調所|調役《しらべやく》というと大変な学識がありそうだが、なに、ただの事務員であろう。それにしてもこの真下という人物は、これまた甲州の同じ萩原村の百姓出身で、やはり若いころ志を立てて江戸に出て、中間《ちゆうげん》奉公をしながら金をためて、ついに侍の株を買ったという成功者なのであった。大吉の老父と仲がよかったそうで、こういう人物、こういう例を知っているから大吉が江戸へ出て来たのである。
真下専之丞は驚いた。はっきりいえば、迷惑顔をした。が、すぐに自分と親しかった大吉の父のことが頭をかすめたのであろう。
「とにかく、腹の大きな女をかかえておるのでは、また甲州へ帰れともいえんな」
と、つぶやき、
「親と相知ということもある。では、おぬしだけは当分ここの下男にでも使うてもらうように頼んでやろう」
と、いってから、軍次のほうを見た。
「これは、どこの男じゃ?」
と、きいて、桑山村落の勘次《かんじ》の息子だと大吉が答えると、
「ああ、あの勘次の倅《せがれ》か」
と、軽蔑《けいべつ》した顔になった。専之丞はそれでも中農であったが、軍次の家は最下級の貧農であったからだ。
「そこまでは、こっちの手がまわらんな。……だいたい百姓が田畑を捨てて故郷《くに》を逃げ、江戸へ出て来るということはよろしくない。けしからぬ沙汰《さた》といってよかろう。お前は甲州に帰れ」
自分も百姓を捨てて来た人間のくせに、そんなことをいう。それどころか、捨てて来た百姓の世界の目糞《めくそ》が鼻糞《はなくそ》を笑うような階級意識にまだこだわっているらしい。
「へえ」
軍次は頭をひくく下げた。そして、トボトボと町へ出ていった。
大吉夫婦があわてて追って来た。
「軍次、すまねえ。が、おいらたちにゃ、どうすることも出来ねえ」
「うんにゃ、おら、なんでもねえよ。はじめから迷惑はかけねえって約束したんだから、心配しねえでくんな。……ただ、ついて来ただけなんだ。苦労は覚悟してるよ」
「じゃ、やっぱり江戸にいるつもりか」
「あたりまえだよ。どうしていまさら故郷《くに》へ帰れるもんかね」
大吉の女房のあやめ[#「あやめ」に傍点]が涙ぐんで、財布をさし出した。
「軍次さん、おまえさん三百文しか持ってないね。これ、あたしの分だけど、これを加えて、何とか当分しのいで、どこかいい働き口を見つけておくれ」
軍次はいちど押し戻しかけて、結局おしいただいた。それから大吉にいった。
「大吉どん、侍になったら、また逢《あ》おう」
「えっ、お前が、侍?」
大吉は、眼をむいた。
――実は、彼自身もほんとうの望みはそれであった。甲州にいたころ、その法について軍次に話したこともある。そのとき軍次は口をあんぐりあけて聞いていたが、その軍次がいま同じ野望を吐いたのにはやや度胆《どぎも》をぬかれた。
「うん、そうか」
と、大吉はしかしすぐにうなずいた。
「おらもなる。おたがいに侍として、こんどは馬にでも乗って逢おう。はははは。がんばってくれ、軍次。――」
激励はしたけれど、大吉は、まさかこの牛みたいな友人が侍になれるとは思っていなかった。それは、不可抗力とはいえこの友人を捨てなければならないことになった間の悪さから来たお愛想であった。
こうして百姓軍次は大吉と別れて、江戸でたったひとりになった。
軍次は百姓の中でも頑丈《がんじよう》なからだをしていた。どんな労働にでも耐えられるから、江戸へ出ても当分食うだけには困るまいと思っていた。だから、大吉と別れることになっても、それほど失望もしなかったのである。
それが、最低の食扶持《くいぶち》もかせぐことが出来ないのが江戸だと知って、彼は狼狽《ろうばい》した。
どこの家、どんな商売のところへいっても、知り合いでなければ、口入《くちいれ》屋以外から人を傭《やと》ってくれないのだ。そこで口入屋に働き口の世話を頼みにゆくと、これも身許《みもと》引受人がなくては相手になってくれないのだ。
知り合い、身許引受人というと、いまのところ大吉しかいないが、江戸へ出て来たばかりの大吉がそんなものになれるだろうか? いや、それよりも、
「侍になったらまた逢おう」
と、高言した手前、大吉のところへはゆきたくなかった。軍次は変にいこじ[#「いこじ」に傍点]なところがあった。
もらった金もいれての所持金はたちまち使い尽してしまい、軍次は空腹で倒れそうになり、とうとう窮したあまり、牛込《うしごめ》のある寺の門前にへたりこんで、通行人に土下座するほかはない始末になった。
ところが、それから一刻もたたないうちに、頭上からふってきたのは、銭ではなくて凄《すさま》じい罵声《ばせい》であった。
「やいやい、この野郎」
「見たことのねえ面《つら》だが、だれさまのお許しを得てこんなところでお貰《もら》いしていやがる?」
顔をあげると――乞食《こじき》のむれだ。ボロボロの着物を着た髯《ひげ》づらが、七、八人もぐるっととり巻いている。役人を見たよりも、軍次は胆《きも》をつぶした。
「はあ、こりゃ……どなたさまのお許しがいりますんで?」
「車善七《くるまぜんしち》さまよ!」
「くるま……?」
「江戸の非人のおん大将よ!」
そこではじめて軍次は、江戸の乞食はことごとく非人頭《ひにんがしら》車善七という者の支配下にあって、その仲間にはいらなければ勝手に乞食も出来ないということを知ったのである。
それから、殴《なぐ》られ、蹴飛《けと》ばされ、いかに頑丈《がんじよう》な軍次も、恐怖と空腹のために無抵抗にへたばったところを、
「こら、よさねえか、乞食野郎ども」
と、寺のほうからやって来て声をかけてくれた人間がいなかったら、どうなったかわからない。
それは半纏股引《はんてんももひき》姿の六十年輩の棟梁《とうりよう》風の老人で、同じ風態《ふうてい》の職人たち、四、五人といっしょであった。道具箱をかついでいる者もあったところを見ると、その牛込の行願寺という寺の仕事にいった帰りだったのかも知れない。
「あまり人の目を恐れねえ乱暴をしやがると、この界隈《かいわい》から追っ払うぞ」
乞食たちは逃げていってしまった。
この棟梁は源六《げんろく》といい、仏という異名を持つ老人で、軍次の身上話を聞いて、肴《さかな》町の自分の長屋へつれていってくれた。
「そういうわけなら、当分、うちにいて手伝いでもしねえ」
と、いって、――
――のちに軍次が、おれのいのちはもう終りか、という大|苦悶《くもん》の運命におちいったとき、ここで暮した二年ばかりを、生まれてからいちばん愉《たの》しかった、身もふるえるほどのなつかしい記憶として甦《よみが》えらせるのだが、はじめてつれてゆかれたときには驚いた。
彼の甲州の家も恐ろしいあばら家《や》であったが、それでも土間もあり、三つ四つの部屋もあり、そしてまわりは広い畑であった。ところがこの江戸の長屋たるや――三尺の通路をはさんで、両側に間口《まぐち》九尺、奥ゆき二間《にけん》の小屋がズラリとならんでいる。
通路のまんなかは溝《みぞ》になり、その上にドブ板は張られているが、両側から流れ込む汚水はむっとするような悪臭をたてている。いわゆる九尺二間の長屋の一軒分は、それだけなら六帖《ろくじよう》分にあたるが、これだって台所と押入は要るから、正味は四帖半分くらいしかない。便所は路地の奥に共同のものが一つあるだけだ。
そこに子沢山な、いわゆる長屋人種が――ふだん男はふんどし一本、女は腰巻一枚で、ウジャウジャとドブの中のぼうふら[#「ぼうふら」に傍点]みたいに暮しているのであった。ぬか味噌《みそ》の匂《にお》い、安魚を焼く匂い、小便の匂い、泣く声、笑う声、喧嘩《けんか》する声、その他もろもろの怪しき声も、みんなつつぬけだ。
源六棟梁はその一軒に、十四の孫娘と二人で暮していた。
「ゆくところがなきゃ、ここにいて働きな。からだだけは丈夫そうだからめっけもの[#「めっけもの」に傍点]だ」
と、彼はいった。そのとき軍次は七杯目の麦飯にかぶりついていて、自分のあごの音で棟梁の声もよく聞えなかった。孫娘の小鍋《こなべ》が、お櫃《ひつ》とこの百姓を心配そうに見くらべていたが、とうとう笑い出したほどである。
棟梁にもピンからキリまであるが、源六はキリのほうであった。一軒の家を建てるなどという仕事にはめったにありつけず、屋根直しや門のつくろいや家屋のとりこわしや家財の運搬などをやるのがせいぜいで、それでも手下が、七、八人同じ長屋に住んでいる。
ほかに日傭《ひよう》取りや、鋳《い》掛け、下駄の歯入れ、大道芸人、浪人、夜鷹《よたか》のたぐいがここの住人だ。
その一員となった軍次は、ここに笑いの絶えないのがふしぎであった。手にはいったわずかな銭を、その日のうちに酒にしてみなで飲んでしまう暮しがふしぎであった。
黙々として働きに出、帰っても陰気に黙りこんでいる彼に、源六が心配そうに、
「軍次、甲州の山奥で木の根ッこばかりを相手にしていたおめえにゃめんくらうことも多いだろうが、みんな騒々しい野郎ばかりだが、腹に毒はねえ。安心して、もっと笑って暮しな」
と、話しかけたことがある。
「どうしてみんなああとめどもなく笑うんですかね、おらにゃ腑《ふ》に落ちねえでがす」
と、軍次は首をかしげた。
「お櫃《ひつ》にあしたの朝の米もねえちゅうのに」
「あはは、あしたにゃあしたの風が吹かあ」
源六はこれまた笑って、ふとふしぎそうに軍次の顔を見た。
「おめえ、毎日、あしたのことを考えているのかい?」
「へえ」
「おめえ、いったい先々どうしようってえつもりだえ?」
「おれは、はあ、侍になるつもりでがす」
老棟梁はあっけにとられたようにまじまじと眺めていたが、ふいにひっくり返って笑い出した。
さてそれからこの話が、長屋じゅうの評判になった。軍次と侍、と結びつけようとしても、それは牛が馬に変るより奇抜なことに思われた。みんな何かといえばこのことを口にして軍次をからかったが、軍次は大まじめであった。反感を買わなかったのがまだしものことである。それというのも彼のその大まじめさが、かえって滑稽《こつけい》感をそそったからであろう。
ところが、この山出しの百姓のとんでもない発想が、現実のいとぐちにとりつく姿を見せはじめたのである。――
二年ばかり後であった。世の中はいわゆる大獄とやらで騒々しかったが、一般人の眼にはいよいよお上の権威の健在を示す出来事としか思われなかった。
軍次は源六棟梁につれられて、仲間といっしょに、薬王寺前町のある旗本の家の土塀《どべい》の崩れをつくろいにいった。
当主は早瀬半之丞《はやせはんのじよう》といって、かれこれ三十前の凄《すご》いほどいい男であったが、これがその年で、その風采《ふうさい》で、まだ妻帯していない。禄は五百石だ。
結局その仕事には十日ばかり通《かよ》ったのだが、旗本の屋敷などにはいるのははじめてだけれど、軍次はおかしな家だと思った。職人たちもそう話していた。
家には病身な老母と老|中間《ちゆうげん》と下女一人ずつがいるばかりで、なんとなく寂寥《せきりよう》の気が漂っている。土塀の修繕もその中間の才覚らしく、主人は無関心らしい。
面妖《おか》しな、というのはその主人が、ほとんど毎日、一人の訪客と打ち連れて、駕籠《かご》を呼んでどこかへ出かけてゆくことで、そのときの姿を軍次たちは見るだけで、向うもちらっとこちらを眺めるだけだ。
――文字通り可笑《おか》しいのは、その訪客のほうだったかも知れない。
まだ二十歳《はたち》越したか越えないか、といった年ごろで、身なりからして大身の若者らしい。それが供もつれず、ふらふらとやって来るのだが、
「……ありゃ、ちっとこれじゃあねえか?」
と、職人の一人が指を頭のてっぺんでくるくるまわして見せた。
いかにも間のびがし過ぎた顔なのである。白い長い顔に、赤い唇がぽかんとあけられて、何だかいまにもよだれが落ちて来そうだ。眼はふしぎにいつも酔ったようなとろんとしたかがやきを帯びている。
いちど、二人が出かけてゆくのを門まで送ってひき返して来た老中間の浅蔵《あさぞう》が、
「困った色きちがいだ。……」
と、陰気につぶやいたのを聞いたことがある。なるほどそう聞くと、まさにその若殿? は色きちがいそのものの御面相であった。
では、その色きちがいといっしょに出かけてゆくこちらの主人はどうかというと、これはまともだ。自堕落な感じはあるが、右にいったように、むしろ端麗な、どこか思慮深い顔をしていて、年も十くらい上だし、これが――色きちがいというと、どうやら柳暗花明の巷《ちまた》へ遊びにゆくとも思われるが――いっしょにつれだってゆくのが、かえっておかしいといえるかも知れない。
さて、仕事も終りに近づいたある夕方、椿事《ちんじ》が起った。
いつものように、駕籠を待たせた門の外へ二人の旗本が歩いていったとき、その門からずかずかとはいって来た三人の浪人風の男がある。
「待たれえ」
と、その一人の髯《ひげ》がさけんだ。
「なんだ、お前たちは?」
早瀬半之丞はぎょっとしたように立ちどまった。
「あなたが早瀬さんですか」
別の一人が無礼な調子で聞き、早瀬が黙ってにらみつけているのに平気で近づいて来て、
「ちょっとおうかがいしたいことがある。そこまで来ていただきたい」
と、いった。
「どこへ?」
「来て下さればわかる」
「何の用だ?」
「ゆけば、わかる」
「うぬら、何者だ?」
浪人のうち二人が、返事はせず、両側から早瀬の両腕をかかえこんだ。あとの一人は、ぽかんと口をあけたままの若殿のほうを見て、
「あなたはおとなしくお屋敷にお帰りなさい。三方弥八郎《みかたやはちろう》どのが待っておられます」
と、いった。
「では、うぬら三方とやらから頼まれたのじゃな。無礼者、旗本をかどわかすつもりか、そこ離せ」
早瀬半之丞はもがいた。
「鰻谷《うなぎだに》をつぶす悪魔め、来い!」
浪人たちは、三人がかりで早瀬をひきずってゆこうとした。動きを封じられた半之丞はこちらを――職人たちのほうをふりかえって、
「こやつらを追い払ってくれ、助けてくれ!」
と、さけんだ。
職人たちは、しかしこの突発事に胆《きも》をつぶして、ひとかたまりになって眺めているだけであった。事情もよくわからないし、お侍同士のことだ。
すると、一息の後、そこから駈《か》け出した者がある。腕ほどの丸太ン棒をかかえた軍次であった。
「こら、ここの殿さまに何さらすっ」
「下郎、じゃまするか!」
一人が早瀬から離れて、あわてて刀を抜いて立ち向って来た。
その刀が、軍次の棒でたたき飛ばされ、よろめいたところを、頭からぐゎんとくらわされてひっくり返るという意外事に、ほかの二人はうろたえた。
いや、うろたえる余裕もない。
「こん畜生! こん畜生!」
まるで狂乱したように太い棒を振りまわす牛みたいな職人を、二人は打って変ったぶざまな姿で避け、いま殴りたおされた仲間が夢中で起き上り、頭から血を流しながら逃げ出すと、それを追って門のほうへ逃げていった。
だれかに頼まれたにしろ、いやしくも旗本を連行に来た男が三人もいて、職人一人にあまりな醜態であったが、よほど彼らもびっくり仰天したのだろう。もっとも侍といっても、実態はただなまくら刀を差しているだけの目刺し侍が多い時代であったから、ただ強面《こわもて》だけでやろうとして、あてがちがったのかも知れない。
軍次はたしかに戦車みたいに頑丈な肉体をしていた。しかし、むろん武芸などは知らなかった。知らなかったからこその猪突《ちよとつ》ぶりであったろう。
「やった、やった!」
「凄《すげ》えなあ、軍次!」
「恐れいった。見直したぜ、甲州!」
職人たちが駈け寄ったとき、彼はぺたんと尻《しり》をついて、口もきけずに大息をついているばかりであった。
早瀬半之丞はやや蒼《あお》い顔で佇《たたず》んでいたが、やがて近づいて来て、
「お前、中間《ちゆうげん》に使ってやる」
と、いった。
そして、うしろに依然口あんぐりとあけて、でくのぼう[#「でくのぼう」に傍点]みたいにつっ立っている若侍をふりかえって、
「左内《さない》どの、それじゃそろそろ出かけますか」
と、あごをしゃくって、何事もなかったかのように門のほうへ歩き出した。
いま暴漢に連行されようとして、本人も助けを求めたほどなのに、やはり予定通り遊びに出かけるつもりと見える。見かけに似ず不敵なところのあるお旗本だ、と職人たちはあっけにとられて、その粋《いき》な黒紋付着流しのうしろ姿を見送ったが、やがて口々に軍次に話しかけた。
「おい、中間に使ってやる、だってよ」
「こういっちゃ何だが、有難迷惑だよなあ」
「中間なんかになったって、しょうがねえや」
「しかも、大きな声じゃいえないが、こんな小旗本によ」
「軍次、ほんとうのところ、あの長屋のほうがどれだけ住みいいか、知らねえことはねえだろうなあ」
まだ肩で息をしていた軍次は、しかしこのとき首をふった。
「うんにゃ、おらここの中間にしてもらう」
――彼は無計算にいまのふるまいに出たのではなかった。なんと彼は、万一こうなることを僥倖《ぎようこう》して、いまの蛮勇をふるい起したのであった。
中間というと武家奉公のうち最低のものだ。
足軽ならまだ雑兵のうちにはいるが、これは武士ですらない。苗字《みようじ》もなければ刀も与えられない。紺看板《こんかんばん》に梵天帯《ぼんてんおび》、それに木刀を差しているだけだ。給金は一年に二両二分、長屋の日傭《ひよう》取りだってその倍くらいの稼ぎはあるだろう。
「おい、軍次。……そういや、おめえ、侍になるとァいってたが、中間は侍じゃねえんだぜ」
と、棟梁《とうりよう》源六は呆《あき》れ返った。
しかし、軍次は、例の牛みたいな顔に頑固な笑いを浮かべているだけであった。
「これァとんだ木下藤吉郎だ。……が、太閤さまのころとァ時代がちがう。お大名でさえ世帯のやりくりにぴいぴいしている世の中に、たとえまかりまちがって侍になったってどうだってんだ」
何といっても軍次は自分の目的に迷いを生じたようすはなかった。
彼はともかく侍への道程の第一歩を踏み出したつもりなのである。
おびただしい浪人が世に溢《あふ》れているのに、中間が侍になる法があるか。――ある。決してだれもかれもやれることではないが、まったく不可能ではない。それは金で侍の株を買う法である。真下専之丞がその見本だ。
それ以外にも、軍次はその例を、二、三見た。むろん軍次の知った例ではないが、この物語の冒頭に登場した勝安房守さえも、もとはその祖父だか曾祖父《そうそふ》だかの男谷検校《おだにけんぎよう》という人が高利貸をやって儲《もう》けた金で、子に御家人《ごけにん》の株を買ってやったのがもとであったのだ。
しかし、それなら何も中間になる必要はなく、高利貸しとまではゆかなくても、ほかに金を儲ける道に専心したほうが早道であったろう。それなのにまず武家奉公の道を選んだのは、やはり軍次が百姓出であったせいといえるし、また彼に多分に愚直なところがあったからともいえる。
軍次にしてみれば、たとえ将来侍の株を買っても、侍とはどんなものかまったく知らなければ困るから、その知識を得るためにもまず武家奉公をしなければならないという至極筋の通った考えがあったのである。
軍次は中間になると、それまでわざと音信不通にしていた大吉に連絡した。
なんと大吉は樋口八十之進《ひぐちやそのしん》という名前までもらって、蕃書調所の下男から、神田《かんだ》佐久間町の勘定組頭|菊地大助《きくちだいすけ》という旗本に奉公先を変えて、その秘書みたいな役をやっているということであった。先輩真下のひき[#「ひき」に傍点]もあった上に、本人が利口なせいもあったからにちがいない。
そして彼らは再会したが、そのときの話では直参の最下級――いわゆる御家人のいちばん安い株でも、いまの相場は二百五十両はするということであった。樋口八十之進も同じことを考えていたのである。
樋口の給料は年に四両一人扶持だという。江戸へ出るとき女房の腹にあった子供はあれからすぐ生まれたが、それは里子《さとご》に出して、女房のあやめは湯島《ゆしま》の某旗本へ乳母に奉公に上っているという。夫婦共稼ぎで、少しでもたくさんの収入を得ようとしているらしかった。
ましてや二両二分の給金の軍次には、気の遠くなるような話であった。それだけにとどまるなら、百年以上はかかる見込みだ。
しかし軍次は絶望しなかった。
彼は一心不乱に金をためるのにかかった。
とにかく早瀬家にいれば、飯だけは食わせてもらえるから、給金は一分《いちぶ》も使わない。ひまさえあれば、内職にせいを出す。傘《かさ》張り、提灯《ちようちん》張り、竹細工、わらじ作り、古釘《ふるくぎ》拾い、紙屑《かみくず》拾い、蝋燭《ろうそく》の流れ買い――近所の屋敷の雑用足し、吉凶の手伝いはいうまでもない。
彼のことなどだれも注目してはいなかったが、つらつら観察していると恐ろしいような暮しであった。
稀《まれ》に接触して茫然《ぼうぜん》たる目にあわされた者もある。
中間になってから一年目、つまり江戸へ出てから三年目に、故郷《くに》からいいなずけのおつみ[#「おつみ」に傍点]が出て来た。父親が死んでひとりぼっちになり、頼るのは軍次だけと思いつめて出て来たもので、見ちがえるほど女らしくなっていた。
それを軍次は追い返したのである。
「おれはまだ世帯を持てねえ」
と、口をへの字にして門に立ちふさがり、一歩も動かなかった。
情《じよう》がないわけではない。実際いまの身分で女房など持ったら、例の野望などお先真っ暗だと考えるよりほかないからで、あとで彼は歯をくいしばって涙をこぼしたくらいである。
泣き泣き去っていったおつみ[#「おつみ」に傍点]が、それからどこへいってどうなってしまったか、彼は知らない。
それからまた一年ほどたって、牛込|肴《さかな》町の長屋の男が、二、三人血まなこで駈け込んで来た。
挨拶《あいさつ》ぬきでいう。
「軍次、助けてくれ」
「なんだ」
「三十両なんとかならねえか」
「な、なにするんだ」
「おめえ、去年の秋から源六親方が病気にかかって寝たきりだってことを知ってるだろうな」
「いや、知らねえ」
しかし軍次はそのことを風の便りに聞いていた。
「小便が出にくいってえ変な病気なんだ。そいつが癒《なお》るってえ蘭方《らんぽう》があるんだが、先立つものは金だ。ところが知ってるように棟梁んところはむろん、長屋ぜんぶひっくりけえしたってそんな金はねえ。そこで小鍋ちゃんが岡場所へ身を売るってえ話を、自分でつけてよ。――」
軍次はまだ少女であった小鍋の可愛い顔を思い浮かべた。ほう、もうそんなことを思いつく年になったのか。――
「金を作って蘭方にかけた。そのききめはまだわからねえが、小鍋ちゃんはいよいよ身を売らなきゃならねえ。その期限があさってだってんだ」
「噂《うわさ》じゃあ、おめえ、このごろだいぶためたってな。――」
「ひとつ、それで小鍋ちゃんを助けてやってくれねえか。病気の親方をおいて、あの娘さんを岡場所にやらせるわけにゃゆかねえ」
「軍次、恩げえしするのァこのときだぜ。どうかひとつ助けてやってくんねえ」
「これこの通り、みな頭を下げる。手を合わせて拝む。――」
軍次は厚い唇をかすかにふるわせながら、つっ立っていた。
「金はねえ」
と、彼はうなるようにいった。しかし彼はこの当時、超人的な労働と倹約のおかげで、なんと五十両ちかい金をためていたのである。
「恩も無《ね》え。……そりゃあ、はじめはたしかに棟梁のお世話にゃなったが、その分だけは働いて返したと思ってるよ。三十両なんてとんでもねえ話だ」
彼は頑然といった。
「帰《けえ》ってくれ。ここは武家屋敷だ。用もねえ職人にウロウロしていられちゃ困る」
軍次は自分が忘恩の徒だとも薄情だとも思わなかった。まったく無茶な要求にもほどがあると、あとで思い出して、悔いるどころかそのときよりも腹をたてたくらいである。
こうして、時は万延《まんえん》、文久《ぶんきゆう》、元治《げんじ》と過ぎて慶応にはいった。ゆれ動く時勢も軍次の目にはいらず、彼の目にはただ侍への一路のみがあった。
樋口八十之進は、彼が奉公した菊地という旗本が大目付まで昇進したのと同時に、その本人に見込まれて公用人という地位にまで成り上っていた。
「ああ、この世はやっぱりここかなあ。……」
軍次は分厚い自分の頭をうちたたいた。
それでも樋口はなお幕臣というわけにはゆかなかったのだから、彼の前途はいよいよ遼遠《りようえん》というしかなかった。
さすがの彼も、ようやくくたびれかげんになって来たとき、突然その前に大変な機会が訪れて来たのである。
慶応三年暮――軍次が早瀬家の中間となってから六年目であった。
彼は主人の半之丞から人をひとり殺すことを頼まれたのである。その代り、その仕事をやってくれれば、必ず武士にとりたててやるというのであった。
六年間も仕えていて、早瀬半之丞は、軍次にとってまったく不可解な主人であった。
いったいこの人は、何を愉《たの》しみに生きているのだろう、と思う。まだ若いし、そして芝居の役者のようにいい男なのに、である。
禄は五百石であったから決してらくではないはずで、事実豊かでないが、しかし同クラスの旗本にくらべて何となく余裕があった。弟妹がない上に、先代が利殖がうまくて多少残したせいだろうという話であったが、おそらくそれにまちがいはあるまい。
それだからこそ、いっそうふしぎだ。あれから六年たっているのに、まだ妻帯もしないとは。
その六年の間に、老母はこの世を去り、前からいた中間も老いぼれた。
なんの役にもついていない小普請《こぶしん》支配だから、べつに何もすることはない。ときどき例の馬鹿殿がやって来て、二人でどこかへ遊びにゆくだけだ。
それでは早瀬半之丞も馬鹿かというと、どう見てもそうは思えない。軍次の眼から見ても、普通の人間以上に聡明《そうめい》な人に見えた。
要するに不可解な人物だが、しかし軍次はこの主人が好きであった。はじめは、自分を傭《やと》ってくれたもののほとんど無関心なのがありがたかったが――内職が思うように出来るので――そのうちに、もの静かで憂愁に満ちたその人柄が、軍次なりに好ましいものに思われて来た。
その別世界にいた早瀬半之丞が、突然軍次を呼んで、思いがけないことを依頼して来たのだ。
「軍次。……鰻谷家を存じておろうの」
「へ、あの左内さまの――?」
「左様」
これまた自分の目的以外のことには盲目の軍次も、もうその旗本のことは知っている。
市ヶ谷|浄瑠璃《じようるり》坂の旗本で、五千石という大身だ。よくこの早瀬家へやって来て、半之丞といっしょに遊びにゆく――以前ほどではないが、いまも月に二、三度は来る――左内がそこの当主なのだ。知行は十倍もちがうのに、左内はこの半之丞に兄事しているらしい。
「あれは気の毒な家だ」
と、半之丞は話し出した。
「お前にもわかっているだろうが、あの左内どのはあまりお利口なほうではない。はっきりいうと、白痴数歩前、というところじゃ。ただし、それだけに愛すべき好人物で、少しは先代に頼まれた縁もあり、あの仁《じん》をこれでもわしなりに保護しておるつもりでおる。……ところで、あの家には先代の未亡人とその幼いお子がある。これは後添《のちぞ》いで、ことしまだ二十八じゃ。いまの当主の左内どのよりわずかに一つ年上という若さじゃ」
そういう話も、いつかぼんやり聞いたことがある。しかし半之丞は、どうしてこんなことを自分に語って聞かせるのか。――軍次は大きな膝小僧《ひざこぞう》をそろえて、耳をすました。
「表向きは五千石の大身でも、内は半白痴の当主、若い継母とその幼童……まったく不安な機微を蔵した家なのじゃが、気の毒というのはあの家が、そんな事情のため、べつの三人の男に実権を握られておるということだ」
「へえ?」
「二人は、鰻谷家代々の家老職をつぐ梅《うめ》ノ戸達《とたつ》右衛門《えもん》とその息子の主税《ちから》。達右衛門は先代の立派だったことばかりを口にして左内どのを叱《しか》りつけるものじゃから、可哀そうに左内どのはヘトヘトになり、達右衛門を恐怖し、それで息ぬきにわしのところへ逃げて来るのだ。わしがいっしょに遊んでやらなかったら、あの仁はほんとに変になっていたかも知れん」
「…………」
「もう一人は先代が用人にとりたてなされた三方弥八郎《みかたやはちろう》という男。それだけにこれはよく頭のまわる男じゃが……わしの調べたところでは、これは未亡人のお綾《あや》さまに、よこしまな思いをかけておるらしい。きゃつがお綾さまを鰻谷家に周旋した男なのじゃが」
「へへえ。――」
三方弥八郎? どこかで聞いたような名だ。――
「加うるに当主の左内どのが、ことし二十七になられるというのに、まだ妻帯されん。梅ノ戸達右衛門がいかに口を酸《す》っぱくして勧めても、首をたてにふらぬ」
たしかこの半之丞も三十を半ば過ぎているのにまだ独身なのだが、自分のことは棚にあげていう。――もっとも、軍次だって女を断ってはいるのだが、これは理由がある。
「あれはな、女がきらいなのだ」
「えっ、しかし、あのお方は、殿さまとごいっしょに、よく――」
「ゆくのは、女のところへではない。湯島の蔭間《かげま》のところへだ」
蔭間は江戸時代のゲイボーイだ。それくらいの知識は軍次にもある。では、半之丞と左内が打ち連れて出かけた先はそんな場所であったのか。
軍次は、左内のあののっぺりとした白い顔といつもあけている赤い唇を頭にえがき、また老中間の浅蔵が「困った色きちがいだ……」と、つぶやいたことを思い出し、いっそう薄気味悪くなるとともに、この憂愁に満ちた主人にも突然異様な妖気《ようき》を感じ出した。
「蔭間だけは好きなのだ。左内どのが、だよ。あの仁の憂悶《ゆうもん》をはらすよすがとしてわしがつれてゆき、一人ではゆけないというから、あともしかたなくつき合っておるが、わしには本来その趣味はない」
半之丞は苦笑していた。
「しかしそのおかげで、わしは左内どのを毒する悪友として、いま申した鰻谷家の三人に狙《ねら》われた。……いちどお前に助けてもらったことがあったな。実はよそでもあれに類したことが、あのあとでも何度かあった。何とか無事にしのいでは来たが」
「へへえ。……」
「わしとしては、そういう気ばらしの法でも講じてやらねば、あの左内どのはまったく廃人となってしまったろうと思われるが、右三人の憎しみもまたわからぬではない。それに、そもそも鰻谷家がこれまでにともかくも安泰であったのは、その三人のおかげ――その真意は知らず鰻谷家のために腐心する三人のおかげであったともいえる。三方弥八郎は、お家に専権をふるわんとする梅ノ戸父子を監視し、梅ノ戸父子は、未亡人に色目をつかう三方弥八郎を監視する、そのおたがいの牽制《けんせい》も、結果的には役に立ったかも知れん」
半之丞はここでやや調子を改めた。
「しかるに最近、鰻谷家に破綻《はたん》が切迫しておる徴候が現われた。――と申すは、用人の三方弥八郎の未亡人に対する邪念がついに堰《せき》を切って、いつ行動に移るかわからない雲ゆきになって来たという。一方、梅ノ戸父子は未亡人に対して決して好感を持っておらぬが、そのくせ三方が先代の御後室さまに対してけしからぬふるまいに出ることは決して許さぬ、と、とくに倅《せがれ》の主税《ちから》のほうがりきんでおるという」
「…………」
「こういう騒ぎが実際に起って、事が公《おおや》けになって見よ、家事取締りふゆきとどきの罪をもって、鰻谷家そのものがお取りつぶしの危険がある」
「…………」
「そこで、わしは鰻谷家のためにいろいろ考えた。――」
半之丞はつづける。
「さればとて、三方、梅ノ戸から猜疑《さいぎ》の眼をもって見られておるこのわしが口出しすることもならず、三方弥八郎の行動、梅ノ戸主税の反撥《はんぱつ》をこちらからどうするわけにもゆかぬ。いろいろ考えた末、やはりこれは、膿《うみ》を出しつくさせるよりほかに事のおさまる道はないという結論に達した」
どういう意味か、軍次にはわからない。
「つまり、三方に行動を起させ、梅ノ戸に反撥させるのじゃ。放っておいてもそうなることだが、ただそれをこちらの考え通りに事を運ぶという点で、大いに結果がちがって来る。それならこちらの手で始末して、鰻谷家を安泰のままにしておくことが出来る――」
軍次には、まだわからない。
「それには、どうするか。それには、人間一人を殺さねばならん」
「――ひえっ」
「しかし、わしは人を殺すのはいやだ。それに、わしははじめから疑われる立場にあるから、それは出来ん。出来るかぎり鰻谷家を救ってやりたいとは思うが、自分を罪に落してまでやるほどの気はない」
軍次は全身をじわんと冷たいものがつつむのを感じた。ある予感のせいもあるが、また、こういう恐ろしいことを、依然憂愁に満ちた顔でもの静かに告げる主人半之丞に、いい知れぬ恐怖をおぼえたからであった。
「お前、それをやってくれぬか」
半之丞は、ついにいった。
「あれこれと考えをめぐらせて、お前ならやってくれそうだ、と思いついた。それどころか、お前こそ一番の適任者であると判断した。お前がいやだというなら、やめる」
彼は軍次の眼をのぞきこんでいた。
「承知してくれるなら、給金をいまの倍の五両にしてやろう。いや。……お前、武士になりたいとな?」
「え……は」
いつそんなことを知ったものか。――軍次はうろたえた。
「その願い、叶《かな》えてやろう。わしの知っておるある御家人の株、三百五十両と聞いたが、それを買えるよう、わしがすべての面倒を見てやろう」
「し、しかし、人を殺して……侍の株が買えるものでごぜえますか」
「あ、いい忘れておった。むろん、お前が殺したとは、だれにもわからぬ工夫がある。もしお前がつかまって白状すれば、わしの苦心も水の泡《あわ》どころの騒ぎでなくなるのじゃから、その点はまちがいない」
「…………」
「どうじゃ、いやか」
軍次の頭には、この夏、あの樋口八十之進がついに八丁堀《はつちようぼり》同心の株を買い、樋口為之助とまた名を改め、ついに直参《じきさん》の列に加わるという偉業をなしとげたことが浮かんだ。
それにくらべていまの自分は、まるで兎《うさぎ》と亀《かめ》のちがいどころではない。このままにしていれば、故郷《くに》を出てからの望みはいつ叶えられるかわからない。
「そ、それは、どういう風に?」
「やってくれるなら、教える」
浄瑠璃坂の旗本鰻谷家では、先代御後室お綾とその子で十歳になる一之丞《いちのじよう》は、宏壮な屋敷の母屋《おもや》とは別の一棟《ひとむね》に住んでいた。
ところが、最近、夜ふけてその棟から何とも妖《あや》しい声が流れて来るのに気づいた者があった。妖しいというのは、それが女の切なげなむせび泣きの声だったからである。
「あれは何だ?」
聞いた者は、また別の夜、その建物近くまで忍び寄って耳をそばだてた。
それは、どう聞いても、男の胸をかきむしるような悩ましげな女の法悦のあえぎ声であった。
ところでその建物には、夜、御後室さま母子と、実家からついて来た老女と年若い下女しかいないはずなのである。そしてその声のなまめかしさは、老女はむろん、岩みたいな下女ののど[#「のど」に傍点]からとうてい出そうにないものであった。
家老の梅ノ戸達右衛門が老女を呼んで訊《たず》ねたことはいうまでもない。
「あの声を聞かれたか」
「聞きました」
と、老女は答えた。達右衛門は耳に口をよせてささやいた。
「ぶしつけなことを聞くが……御後室さまのところへ、男が忍んでおるということはないか」
「滅相な」
老女は首をふった。
「御後室さまがただお一人で御寝なされておりますることにまちがいはござりませぬ」
「さ、そのお一人ということが怪しい。聞くところによると御後室さまは、最近まで一之丞さまとごいっしょにお眠りなされていたのを、このごろになってお子にはそなたがお添寝することになったという。――」
「それは一之丞さまが十におなりになられたので、いつまでも母といっしょでは先々のため悪《あ》しかろうと考えられて、そういうことになったのでござります」
「しかし、御後室さまのお部屋の行燈《あんどん》がふっと消えて真っ暗になる。それから、あのたえなる声が、てんめんと洩《も》れはじめる。――」
「それはきっと何かのお夢にうなされてのことでござりましょう。……いちど、朝になって、私もおたずねしたことがござりますが、小首をかしげられて、まったく憶《おぼ》えがないとのことで。――」
と、老女は答えて、六十に近い、土をこねて乾《ほ》したような頑固な顔をしている達右衛門を見返した。
「達右衛門どの、あなたさまは毎晩、御後室さまの御寝所をうかがって立ち聴きしておいでなさりますのかえ?」
「ああいや、そういうわけでもないが――」
と、達右衛門は狼狽《ろうばい》した。
とにかく彼は、先代が晩年に及んで気が変になってもらったのではないかと思われるほど若い後妻に――とくにそれが子供を産んで御後室さまとなってから――妙な猜疑《さいぎ》心を起して、あまりいい感じを持っていない。そのことを、この実家からついて来た老女も承知しているだろうから、彼女のいいわけは信用出来ない。
そこで、こんどは下女をつかまえて問い糺《ただ》したが、返事は同じだ。――威嚇《いかく》的訊問に嘘《うそ》をつく下女とは思われなかった。
「しかし、どうしてもあれは夢を見て出る声ではない」
と、いう父子《おやこ》の意見は一致した。
「あれは男のために夢中にされておる女の声じゃ」
と、達右衛門はいい、ふだんこういうことについて語り合ったことのない父子だけに、まじまじと自分の顔を眺めている息子の眼に、あっとばかり土偶みたいな顔を赤面させたほどである。
しかし、息子の主税も、父を笑うほど冷静ではなかった。あんな声を出す御後室さまの姿を頭にえがいただけで、全身の血が波音をたてて脳天にのぼるのを感じていた。
先代が六十という年でもらった当時十七の花嫁である。そのときから、ただ美しいだけでなく妖しいばかりに肉感的で、一年たつかたたないうちに一之丞という子が生まれ、また一年もたたないうちに先代は世を去ったが、そのいのちをちぢめたとしか思われないのも無理はない。
それがいまや二十八という年になり、爛熟《らんじゆく》美の極に達し、清楚《せいそ》な切髪がかえって悩殺的だ。――
ただし、どんなに悩殺されようと、主税にはどうすることも出来ない。先代さまの御後室ということは絶対的なタブーだからである。その上、その存在を、暗愚ではあるが嫡男である左内さまのために危険視する父の達右衛門の眼がある。
彼が離れの御後室さま母子に対して、ふだんから必要以上に厳然としているのは、左内さまへの忠節、父への服従、それもたしかにあるが、またこの永遠に叶《かな》えられない「あこがれ」の反動であった。俗にいう「可愛さあまって憎さが百倍」というやつだ。
そこにこんどの妖声《ようせい》である。
どう考えても、あれは男と交合している女の声だ。
梅ノ戸主税の頭にまず浮かんだのは、用人の三方弥八郎の顔であった。
三方弥八郎にとっても、御後室さまはこちらと同じタブー的存在であるはずだが、それを無視することに踏み切った人間があったとすればどうしようもない。
そもそも十年ばかり前、借金に苦しんでいたある旗本の娘に一人の美少女があることに眼をつけ、主君の後妻に周旋したのは彼である。眼をつけただけあって、弥八郎にとっても好みの女人であったろうし――あのお綾さまを好ましく思わない男は世にあるまいが――先代死後年を経て、あってはならないことだが、そのタブー観が鈍麻《どんま》して来たということは充分に考えられる。
いや、それよりもかねてから御後室さまの側に立って、こちらと対抗する構えを見せていた弥八郎めが、ついにそれ以上大それたことを考えて、御後室さまに完全に「密着」する挙に出たのかも知れない。――
で、その声が聞えた夜、弥八郎がどこにどうしていたかと調べて見たが、よくわからない。たとえたしかに自分の部屋に寝ていたという証明があっても、それにはどういう細工があるか、知れたものではない。
三方弥八郎は、顔は蟇《がま》に似ていたが、ごつごつした大兵の男であった。それがあのたおやかな御後室さまにあんな声を出させている光景を想像すると、主税は全身の毛穴から血が噴き出しそうな気がした。
主税は、父と相談の上、離れの下女を呼んで、こわい顔で命じた。
お家の大事にかかわることで、自分はこれから当分、ひそかに離れの納戸《なんど》に忍んで過すことにするが、このことは御後室さまや老女はもとより、他のなんぴとにも他言はならぬぞ。このことを聞かぬか、しゃべったりすれば、うぬのいのちはないものと思え。――
……下女は、実に奇怪な顔をして、ただがくがくとうなずいた。
あまりな申し込みに驚き、かつ恐怖したものと見えたが、実は下女は、これと同じ申し込みを他の人間から受けたばかりのところであったからだ。
だれから?
三方弥八郎から。
ただし、これはもっと図々しく、あるいはもっと錯乱状態になって、下女自身の部屋にひそませろ、と要求したのであった。他言すれば無事にはおかぬというのだから、下女はこのことを主税に打ち明けるわけにはゆかなかった。
弥八郎もまた、必ずその幻の男をひっとらえてくれんと血ぶるいせんばかりになったのだ。
ただし、弥八郎が頭に浮かべたのは、梅ノ戸主税の顔ではない。弥八郎はたしかに御後室さまを思慕していたから、同じ感情を持つ男に敏感であったが、その彼が、「――ひょっとしたら?」と思い描いたのは、もう一人、べつの男であった。
師走《しわす》も半ばとなって、一夜、雪となった。怪異はその夜に起った。
雪がふりはじめたのは、夕刻からであった。
それほどつもるとは見えなかったが、雪の夜は静寂だという言葉通りに、常より物音の絶えた夜ふけ――真夜中を少しまわった時刻であったろうか。……「あの声」が流れはじめたのである。やさしいあえぎ声から、しだいに人の心をかきむしるようなふるえ声に移り、枕《まくら》をかむむせび泣きに変り、さらに、何をいっているのか、舌のもつれるような叫び声が。――
三日間ばかりの納戸暮し――これは、実際問題として、決してらくではなかった、食餌《しよくじ》、排泄《はいせつ》のこともあるし、何よりつらかったのは、寒いので納戸の薄闇《うすやみ》の中に蓑虫《みのむし》みたいに蒲団《ふとん》にくるまってじっとしているよりほかはないのだが、天然自然に眠くなってくるのに、夜中《よじゆう》眼をさましていなければならない。――で、ヘトヘトになっていた梅ノ戸主税は、待ちに待っていたその声が聞えてきたとき、不覚にも半睡半醒《はんすいはんせい》の境にあった。
だから、その声を、おかしいことに、甘美な天上の音楽みたいに聞いていた。そこへ、突如、凄《すさま》じいひびきが起った。どたばたととっ組み合い、家鳴震動させてくんずほぐれつする物音であった。
主税はがばとはね起きた。
蓑虫《みのむし》の巣から出ると、おっとり刀で駈《か》け出した。
閉じられた雨戸の中の真っ暗な縁側を走り、いちど曲り角で曲らないで、つき当りの戸袋にぶつかってひっくり返り、それでも御後室さまの寝所の前に駈けつけ、夢中でそこの襖《ふすま》をひらいた。物音はそこから出ているにちがいなかったからである。
ふしぎなことに、たったいままで聞えていた物音は消え、中ではただ細いあえぎ声だけが聞えた。
「そ、そこにいるのはだれ?」
恐怖にみちた御後室さまの声であった。
「梅ノ戸主税でござります」
自分がここに現われたことの不審をかえりみるいとまもなく、主税は答えた。
「何事でござる、いまの騒ぎは?」
「わからない。……何が起ったのか。わたしにはわからない……」
そこへ、まろぶように、何かさけびながら老女と下女が駈けつけて来た。老女は手燭《てしよく》をかかげていた。
その手燭の光が部屋を照らし出して――「きゃあ」と、下女がたまぎるような悲鳴をあげた。
部屋のまんなかに、あおむけに倒れ、白い眼をむいているのは、まぎれもなく三方弥八郎の巨体であった。――敷かれた寝具の向う、部屋の片隅《かたすみ》にすくんで、凝然《ぎようぜん》と眼下を見張っているのは御後室さまだ。
「こ、これはどうしたことでござります?」
と、老女がいった。
「わからない。……私が眠っていたら、真っ暗な中で突然恐ろしい物音が起ったのじゃ。……だれか、男が二人、組み打ちしているようなひびきであったけれど、見えないので、わたしにはわからない。……」
御後室さまは、さっきと同じ意味のことを答えた。
主税は、倒れている三方弥八郎のそばにうずくまり、抱きあげて、鼻口に手をあてて、
「死んでおる!」
と、さけんだが、そのとき彼は、弥八郎の右腕のぐにゃりとした感触に、それが手首のところでへし折られていることを知った。
「そ、その相手は?」
老女のおののく手燭の光が、ぐるぐると部屋を廻った。屏風《びようぶ》の陰、衣桁《いこう》の陰、箪笥《たんす》の陰。……どこにも怪しい人間の姿は見えない。
ふっと御後室の恐怖にみちた眼が自分にそそがれているのに気がつくと、梅ノ戸主税は愕然《がくぜん》とした。反射的にはね上って、
「逃げたのじゃ!」
と、あてもなくまた縁側を駈け出した。
真っ暗な中を、離れにはいる入口に駈けつけて、戸をあけようとしたが、中から栓《せん》が落ちていることに気がつき、昏迷《こんめい》状態になってつっ立っていると、うしろからまた手燭の光とともに老女が近づいて来た。
「逃げたのは、ここからではないようでござる」
と、ふりむく主税を、手燭がくまなく照らし出して、
「それより、主税どの、おまえさまはどうしてここへ?」
と、老女が聞いた。
主税は絶句した。悪いことに、例の蓑虫《みのむし》暮しで、髪は乱れ、髯《ひげ》はのび、袴《はかま》さえもつけていないしどけない姿で、見方によっては、いま大あばれしたあととも見えないこともなかった。
「いや、それは……とにかく、拙者《せつしや》が駈けつけたのは、いまの騒ぎが収《おさ》まった直後じゃ。それは御後室さまが御存知のはず。……」
「それが……まさか三方どのを殺害したのは梅ノ戸どのではござりますまいね、と御後室さまにお訊《たず》ねしたところ、とにかく闇《やみ》の中で突然起った物音なので、何もわからない、と繰り返されるばかり――そもそも、主税どの、おまえさまが今夜ここにおられたわけを承わりましょう」
「拙者をお疑いか。ば、ばかな!」
主税は、自分がとんでもない立場に追い込まれていることを知って狼狽《ろうばい》し、老女の手燭をひったくって、さて離れの建物の中を駈けまわり出した。べつの部屋、雪隠《せつちん》、押入、物の陰を、狂気のごとく探《さが》して歩いた。
そしてどこにも曲者《くせもの》の姿のないことをたしかめて、茫然《ぼうぜん》と立ちすくんだとき、またべつの手燭をかかげて老女がやって来た。
「中にはおらぬ。……外へ逃げたのじゃ!」
主税はさけんだ。いままでそのことを頭に浮かべなかったのは、あのとき雨戸などのあく音がしなかったからだが、家の中のどこにもいないとなると、そう考えるよりほかはない。
「それが、雨戸はいずれも桟《さん》が落ちている上に」
と、老女はいった。
「いま私は外をいちど見てまわりましたが……主税どの、外は雪がふっています。まだ一寸ほどですが、いちめんにつもっております。そこに人間の足跡はおろか、犬猫の逃げた跡もありませぬ!」
梅ノ戸主税はぎょっとして老女の顔を見まもるばかりであった。
老女はいった。
「三方どのの死骸《しがい》を改めたら、あのふとい頸《くび》に恐ろしい指の跡がくいこんで紫色に残っておりました。絞め殺されたに相違ありません。それに、右腕も折られているようでござりますし、まさか、あのかよわい御後室さまやわたしや下女にそんな所業が出来たとはおまえさまもお考えではございますまいね?」
梅ノ戸主税は、自分が途方もない窮地に落ちてしまったことを知った。
自分がこの離れにひそんでいたのは、幻の男をとらえるためで、それは下女も知っているはずだといい、また、同時に三方弥八郎が同じようなことをいってひそんでいたことを下女から聞いたが、その三方弥八郎の殺されたいきさつについて、そんなことは弁明にならないのである。
「ともかく、父を呼んでいただきたい」
と、哀願し、さて梅ノ戸達右衛門がやって来て、事の次第を聞いて唖然《あぜん》となり、さて父子《おやこ》で狂乱したように歩きまわり、うなり合ったが、事態は調べるほど主税にとって不利であった。
だいいち、下手人がどこに消えたか、という点について、何の解答も出し得ないのだ。
「ひょっとしたら。……」
と達右衛門が暗灰色の顔色でうめき、
「きゃつかも。……」
と、主税が血ばしった眼を宙にそそいでひざをつかんだが、
「いつまでもこうしてはおれぬ。一刻も早う大目付さまにお届けせねば」
と、老女がいい出したのには、あわてて、
「あいや、そのことについては、いましばらく。……めったに公《おおや》けにしては、鰻谷家の存廃にもかかわる大事となりますれば、しばらくこのこと御内聞に――なにとぞ、なにとぞ」
と、平蜘蛛《ひらぐも》のごとくひれ伏して、切願するよりほかはなかった。
三方弥八郎の屍体《したい》は、その夜のうちに、主税が雪と泥にまみれて、ともかく近くの地中に埋めた。
そして梅ノ戸父子は、二人が「ひょっとしたら……」「きゃつかも……」とうめき合ったその人間を調べるのにかかった。達右衛門の疑った相手は常識的にはまったく根拠のないものであって、それは当夜この屋敷にいなかったことははじめからわかっていた。なんと、当主の左内なのである。主税が疑った相手は、やや根拠があって、それは薬王寺前町の旗本早瀬半之丞という男であった。
しかるに、調べた結果は、当夜二人は打ち連れて湯島の蔭間《かげま》茶屋にしけ込んでいて、一夜そこから離れなかったという事実が判明したのである。
その左内は、翌朝、例のごとく口をぽかんとあけて帰って来て、
「弥八郎を呼べ」
と、いった。
「金が少し足らなんだ。湯島にいそぎ届けてもらわねばならぬ。弥八郎はどこにおる?」
これをなだめるのに、二人は大童《おおわらわ》になった。一方では、御後室さま付きの老女が、あれをあのままにしておくわけには参りますまいと責めたてる。……梅ノ戸父子は、絶体絶命の窮地に落ちた。
早瀬半之丞が乗り込んで来たのは、数日後のことであった。
「大変なことが起ったそうですな」
と、いう。
「御老女から承わり、驚愕《きようがく》いたした。あなたがたではらち[#「らち」に傍点]があかぬと御相談をうけ、拙者つらつら思案したのでござるが。……」
応対の言葉もない梅ノ戸父子に、半之丞はおもむろにいい出した。
「かかる凶変を出来《しゆつたい》させられたのも、甚《はなは》だ申しにくいことではあるが、もとはといえばやはり左内さまのお人柄にあるといわざるを得ない。あれでは家事取締りふゆきとどきと相成るのも無理はない」
何かさけび出そうとする達右衛門を左手で制して、
「あいや、待たれい。御異見がありそうだから、単刀直入に申す。この際左内さまは御隠居に相成り、一之丞さまに家督相続仰せつけられるより鰻谷家の安泰を保つ法はない。公儀においても、左内さまのことは御承知でござるから、あなたがたのほうからお届けになれば、事情やむを得ぬとただちにお許し下さるでしょう」
と、いい、さらに、いとももの静かに、
「かような案を持ち出したとて、拙者、左内さまの敵ではござらぬ。それどころか、御存知のようにあのおかたの最大の親友のつもりでおります。いや、御異論はあろうが、拙者はあのおかたにとって、あれよりこの世に生きるお愉《たの》しみはないと信じて、つき合って来たつもりです。で、この案を申したところ、左内さまにはたちどころに御承知。以後弟一之丞の後見はそなたにまかせる、と申された。むろん御隠居後は、いよいよ晴れて思うがままのお暮しが出来るわけで、それこそ左内さまにとって真の御幸福と相成ろう。……」
と、いった。
「それとも、何もかも白日のもとにさらされ、あなたがたはいたしかたないとして、鰻谷家そのものを滅亡させられるか。いざ御意見があれば承わろう」
達右衛門は口をぱくぱくさせたが、一語も声にならなかった。
例の一夜、左内さまとともに蔭間茶屋にしけ込んでいたというこやつの行状からしても、決してみずから後見を買って出るような資格はないはずだが、何としても、のっぴきならぬこちらの弱味――人殺しの嫌疑《けんぎ》――にくらべれば物の数ではない。
その嫌疑を解くべく、あの夜の三方弥八郎を殺したやつの消息は、いまだに謎《なぞ》だ。
「このたびの惨劇、公けになればまことに鰻谷家五千石の運命にかかわる凶事ですが、しかし一方では、内心、拙者、鰻谷家のためにまずは祝着《しゆうちやく》であったと、下手人にお礼を申したい」
早瀬半之丞は、ちょっと主税に頭を下げた。――おれではない! と、主税はさけびたかったが、どうすることも出来ない。
「なぜなら、御老女の申されるところによれば、あの三方弥八郎なる男、このごろ御後室さまに対し、何ともけしからぬ思いを寄せておるようすを、あらわに見せておった由でござれば」
「は、早瀬どの」
たまりかねて主税はさけんだ。
「あ、あの一之丞さまは、もしかしたら、貴公の」
「なんですか」
「このごろ、あの一之丞さまのお顔が、だんだんと貴公の顔に似て来られるようで――」
早瀬半之丞の端正な唇が、耳まで裂けたようであった。
「世には他人の空似と申すことが、まま[#「まま」に傍点]ござるでな。では、これからちょっと離れのほうにいって、拙者に似ておられるとかいう御当家の新しい御当主の御機嫌をうかがって参るといたそう。あはははははは!」
――まるで草双紙だな。
と、早瀬半之丞は、自嘲《じちよう》的な笑いをもらさないわけにはゆかなかった。
鰻谷家の乗っとりが、である。むろん名目として彼がその当主になったわけではないが、実質的には完全な横領といっていいだろう。なにしろ自分の後見する新当主は彼の血を伝える少年であり、その母は彼の愛人だったのだから。
むろん、まさかはじめから鰻谷家の乗っ取りを企んだわけではない。
十年ばかり前、相愛のお綾が、家の都合で大身の老旗本の後妻にゆかねばならないということになったとき、彼は大地をたたいて悲憤の涙にむせんだ。当人のお綾が、それ以上に苦悩したことはいうまでもない。婚礼の前夜、お綾がみずから進んで彼に処女を捧《ささ》げたのも嫁《ゆ》くさきが六十男であって見れば客観的にも無理からぬ行為であったといえる。
一年ばかりたって半之丞は、お綾の実家からついていった老女を介して――神かけて絶対の秘密ではあるが、さきに鰻谷家に生まれたやや[#「やや」に傍点]は、どうやらあなたさまのお子らしい、ということを聞いた。お綾からの伝言だというのであった。
老女も蒼《あお》い顔をしていたが、それを耳にしたとき半之丞は愕然《がくぜん》とし、むしろ恐怖に打たれた。それが事実で、かつ曝露《ばくろ》したらどうしよう、という恐怖で、とうてい乗っ取りなど思い立つどころではなかった。
また一年ほどしてその老当主が急死した。
あとをついだのは、御後室となったお綾より一つ若いだけの鰻谷左内である。
さりげなく半之丞は、左内に近づいた。そして彼に――色気だけはある半白痴の左内に蔭間買いの快楽を教え込んだ。そのため、お綾を鰻谷家に周旋したその用人三方弥八郎や、「忠臣」梅ノ戸父子から、疑惑や憎しみを受けて、なんどか危い目にあった。とくに弥八郎はお綾に半之丞という相愛の男がいたことを知っていたのである。
しかし半之丞は、決して弥八郎の疑ったような目的で、左内の馬鹿ぶりに拍車をかけたのではなかった。
それは例の老女から、左内がお綾に妙なそぶりを見せ、まともでないだけに、いつどんなことが起るかわからないという不安を訴えられ、うなされるほど恐怖したからであった。――家老の梅ノ戸達右衛門が、例の事件のとき左内を疑ったのもゆえなきことではなかったのである。
しかも自分は、そばにいてお綾を守ってやることが出来ない。――そこでしぼり出した、苦しまぎれの遠隔防衛策であった。
衆道《しゆどう》の快を知らせ、女性に興味をなくさせようとする――この奇抜な着想が、被実験者が常人でないだけにうまくゆくかも知れぬと思いついての、絶体絶命の策であったが、半之丞の必死の願《がん》が天に通じたか、それは予想以上にうまくいった。
そして半之丞は、ただ鰻谷左内を「あやす」だけの無為の十年を過した。――無為とはいうが、しかし左内の嗜好《しこう》を継続させておかねば一大事という怖《おそ》れがあったのだ。
とはいえ、そのあいだ彼が妻帯もしなかったのは、何か期するところがあったのであろうか。
半之丞にいわせれば、ない、と、いいたい。少なくとも、そのころはなかった、といいたい。
あるとすれば、鰻谷家に育ちつつある自分の子の正体が曝露されたときの恐怖だけであった。
ふしぎに彼は、鰻谷左内に敵意をおぼえなかった。自分の隠し子がこの人物の弟になっている、という隠微な心の痛みこそあれ、このあまりにも無邪気で無警戒な半白痴の男に憎しみは感じなかった。
それだけでもおれは悪人ではない、とひそかに彼は思っていた。
こういう心情と行為を秘めて、早瀬半之丞は、外見無為な憂愁の人であった。
それがついに破綻《はたん》の時が来た。怖れていた事態がとうとう到来した。――老女から、このごろ三方弥八郎や梅ノ戸父子がしげしげと一之丞さまのお顔をのぞきこんでは、首をかしげたりうなずき合ったりしていることがある、という知らせを受けたのである。
受動的に、しかし事前に、半之丞は加害者の行動に移った。
危険な三人を一挙に封ずる法を工夫したのである。
お綾の声によって疑心暗鬼を起させ、三方弥八郎と梅ノ戸主税を離れに呼び――結局弥八郎を殺し、主税を下手人に擬《ぎ》して梅ノ戸父子を沈黙させるというなりゆきになったが、もし主税を殺すことになった場合は、弥八郎を下手人に擬し、彼を脅してその手で達右衛門を沈黙させるという策をとったであろう。当夜の雪が画竜点睛《がりようてんせい》の効を発揮してくれたが、たとえ雪がふらなくても、結果は同じことになったであろう。
さて半之丞は、ここで突然お家乗っ取りの「色悪《いろあく》」に変貌《へんぼう》したのだ。
いつのまにか三十半ばを過ぎた彼の年輪が、こうまでやる以上は五千石を乗っ取らなければ間尺《ましやく》に合わない、という算盤《そろばん》をはじかせたのだ。
はじめの彼は自分の心境の変化に気づいて驚いたほどであったが、あとになって「……いやおれは、やっぱりこういうことになると、この日を待っていたのかも知れないぞ」と自覚するに至った。そうでなければ、十年妻帯せずにいたことが自分でも不可解なのである。
すると自分は、五千石を乗っ取るために、十年、深沈たる陰謀を秘めて、時節到来を待っていた大悪人ということになる。――
「これは、とんだ草双紙だ」
と、彼が自嘲的に苦笑したゆえんだ。
それは完全にうまくいった。鰻谷家は彼の子一之丞が嗣《つ》ぎ、彼は後見人としてそこへ出入するのは自由となった。
十年ぶりに彼がお綾を抱いたことはいうまでもない。――
しかるに、その結果は意外であった。まさしくお綾は燃えた。その燃えかたが彼にとって意外だったのである。
一言でいえば、それは飢え切った人間が、外聞もはばからずかぶりつき、歯を鳴らし、舌なめずりしてなお足りないといったありさまであった。そうなることをこちらも望んでいたはずなのだが、それは半之丞に一種のショックを与えた。鼓膜もふるえんばかり、三十近い女のあげる恥知らずな嬌声《きようせい》は獣に似て、これがあの男どもを吸い寄せた声なのかと、彼は幻滅感をおぼえた。その奇策を授けたのは自分だったくせに。
はじめその策を考えたとき、あの女人がそんなことをやるかとみずから心もとなかったくらいなのだが、意外にわかりよく、それを試みることを承知したのも、今から思うとお綾もまた変貌したことの証《あか》しであったのだ。ともあれ十歳の子まであり、三十ちかくなった女が、十八歳のとき処女を捧げた哀艶《あいえん》悲痛の姿をとどめているはずはないが、それでもその姿は半之丞に夢幻的な残像を消してはいなかったのである。
「……しかし、それにしてもお前も、相当な悪女だなあ」
と、彼が思わず悪所で使う伝法口調で嘆声を発したのは、女の声の淫《みだ》らさについ錯覚を起したからであったが、それに対して、
「みんな、おまえさまのさせたことじゃぞえ。……ほ、ほ、ほ」
という、甚だ五千石の御後室さまらしからぬ、妖婦《ようふ》然たる笑い声が返って来たのには、半之丞は改めてぎょっとなり、もういちど、「これァ草双紙だ。……」と心中にさけんだほどであった。
しかるに、その違和感のある快楽も、十数日とつづかなかった。
その間に年を越え、慶応四年正月早々の鳥羽伏見のいくさとともに幕府は音たてて崩れはじめたのである。
五千石はたちまち砂上の城と化した。――
軍次は三十俵二人|扶持《ぶち》の御家人となった。
あの人殺しとひきかえに、早瀬半之丞からその株を買ってもらったのである。
三方弥八郎を殺したのは軍次であった。彼は御後室さまの押入れに隠れて待ち、駈けつけて来た男を暗闇の中で絞め殺したのだ。頑丈な肉体の持主である軍次であったが、待っていたほうが彼でなかったらどうなったかわからない格闘であった。
相手を絞め殺すと軍次は、また押入れの床《ゆか》から床下にもぐりこんだ。そして、一夜一日、また一夜、そこにじっくりひそんでいた。食い物はかねてからそこに用意してあった。そして地上の雪が消えた翌晩の夜明け方、塀《へい》を越えて逃げ去ったのであった。
ともかくも人を一人殺した、と彼が惨澹《さんたん》たる顔で報告すると、
「大変な苦労をかけた。まず戦場の一番首をあげたと思ってくれ」
と、半之丞はねぎらい、かねての約束通り、彼を御家人にする手続きをとってくれたのである。
三十俵二人扶持でも、れっきとした幕臣であった。「おれは直参になったのだ! 三十俵二人扶持といえば樋口と同じだ!」あれほどひき離されていた樋口為之助に、自分はいっぺんに追いついたのだ。人殺しとは恐ろしいことであったが、しかしこうなるためにはあれくらいのことをやらなければならなかったのだ。軍次は半之丞の「戦場の一番首」という言葉を繰り返してつぶやき、武士として当然の厳しい義務を果した気持になろうとした。
即刻彼は主人に相談し、名を軍次郎と変え、故郷の集落の名の桑山を姓とした。
「桑山軍次郎。……」
と自分で呼んで、にたっと笑った顔を――この男にはじめて見たといっていい、牛が笑ったようなその顔を見て、すべてを命じた半之丞がぞっとしたくらいである。
しかし時勢の変転は、同様に軍次郎をも襲った。彼は自分の故郷を出てから十年目、あれほどの努力と犠牲をあえてしてやっと手にいれた「侍」が、たちまち掌上の淡雪《あわゆき》にひとしいものになったとは知らなかった。
これは愚直な軍次郎だけの悲劇ではない。もっと利口な樋口為之助にしても同様な運命といえた。ここでいっておくと、けなげにも哀れなこの樋口為之助夫婦から、数年後樋口一葉が生まれて来るのである。――ほかにも同じような悲喜劇を味わった人々は少なくなかったことと思われる。
そして同じたぐいの例は、現代でもあるだろう。その最も端的な例は――軍次郎や樋口は侍の株を買ったが――いわゆる「株」の世界であろう。
慶応四年春。――官軍が江戸にはいって来ても、軍次郎にはまだ事態が確実につかめていなかった。徳川御直参がそんなにもろくこの世から消滅してしまうなど、夢にも信じられなかった。
官軍よりも、彼には心配なことが一つあった。
それは去年の暮――軍次が鰻谷家から逃げ出した夜明前のことだ。前夜は雪がふったというのに、その夜は雲間からときどき寒月がのぞく空の下であった。塀を乗り越えて、首尾よく外へ出た彼は、十数歩歩いて、そこの往来に何かが立っているのに気がついた。
それがはじめ、人間とも感じられなかったからふしぎである。しかし、はっとして見守ると、それは黒い布で頬《ほお》かぶりした人間であった。しかも風態《ふうてい》は黒紋付に羽織袴《はおりはかま》という、いかにも大身の武士らしい身なりなのである。
その男はじっと軍次を見ていたが、ふいに妙にしまりのない、あけっぴろげな声をかけて来た。
「ははあ、弥八郎を殺したのはおまえかな」
軍次は一尺も飛び上り、夢中で背をみせ、いま来たのとは反対の方向へ、こけつまろびつつ逃げていった。……
それが、あとで思うと、鰻谷左内だったのだ。
そのことは、半之丞にも報告した。さすがに半之丞も愕然《がくぜん》とした眼になった。すぐに、それはたしかめよう、といった。
しかし、数日後、半之丞は首をかしげながらも、片えくぼを彫った顔でいった。
「いかにもあれは左内どのであったらしい。前日、弥八郎を探《さが》してもいないので、金を梅ノ戸達右衛門に請求し、ふだんならそんなことは聞く耳持たぬ達右衛門じゃが、何しろあんな事件の直後なので、動顛《どうてん》の余り左内どのの請求以上の金を渡したらしい。すると大将よろこんで、また湯島へ出かけたらしい。前夜わしといっしょだったので、あれでも遠慮して珍しく一人でいって、大へまをやって蔭間に追い出されたという。その大へまの話はともかく、それであの時刻ふらふら帰っていって、そこでおまえにぶつかったという次第ではないか?」
「え、それが、私めに、弥八郎を殺したのはおまえか、とおっしゃったのは?」
「さ、それがわからぬ。弥八郎が殺されたとは、あのときの関係者以外だれもまだ知らず、いまでは弥八郎は何か企むところがあって金でも盗んで鰻谷家を逐電《ちくでん》したのではないか、ということになっておるくらいじゃからの。……」
「そ、それなのに、あのかたが――」
「つまり、馬鹿のひらめきじゃ。弥八郎がどこにもいない、そこで簡単にあれは殺されたと思う。そこへ塀を乗り越えて出て来たおまえを見てそんな声をかけたものだろう。理由も何もない」
「しかし、たとえ馬鹿のひらめきでも」
「あれから何度かおれは左内どのに逢うた。そしてそのことをたしかめて見たが、なんの反応もない。いやお芝居などやれる御仁《ごじん》ではない。きれいさっぱり、弥八郎もお前のことも忘れ果てているようで、そのことを余人に語った形跡もない」
「へへえ。……」
「思い出すと、それに似たことはほかにもちょいちょいあった。切れている何かが、ヒョイとくっついてまた離れたようなものじゃ。また、今になって何をいい出そうと、おれが然《しか》るべく始末する。心配するな」
なるほど、その件は、それきりになってしまった。
ところが、軍次郎は――粘液質な彼は、あとになって日を経るとともに、だんだんとまた心配になって来たのである。三方弥八郎を殺したのはお前か、といった以上、早瀬家で中間として何度も逢ったことのある自分を認めての言葉にきまっている。切れていた何かがいつまたヒョイとつながらないでもない。
彼はそのことを考えると、御家人桑山軍次郎として大たぶさに変えた頭を、おちおち枕にのせて安眠してはいられない不安に襲われた。これから先の出世ということもある。……
思いつめて、それは次第に恐ろしい固着|妄想《もうそう》になった。
そのあげく軍次郎はまた早瀬半之丞に相談した。
彼にしてみれば、鰻谷家のために奸臣《かんしん》を一人殺したのは一番首といえるにしても、次にその鰻谷家のあるじを二番首にするのはどうも理屈のつじつまが合わないような感じがして、やはり、これは半之丞さまに相談の上でなくては、と決心したのだが、これは彼の愚直というより、すでに相当に錯乱していたあらわれであろう。
「それで左内どのをどうしろってんだ?」
軍次郎から夢魔的な不安を訴えられて、半之丞は、この人物には珍しくいらだった声でいった。
実際彼はいらだっていたのだ。五千石は空に帰したことを利口な彼ははっきりと知っていたが、五千石にくっついている人間は、なお彼にくっついて離れなかった。お綾が、子供の一之丞をはじめ、老女下女その他、鰻谷家の十数人の人間をつれ、おびただしい家財道具とともに知行地の上野《こうずけ》の某村に落ちることを持ち出し、その宰領《さいりよう》を彼に依頼したのである。
その煩《わずら》わしさに加えて、その後の生活の空白を想うと彼はウンザリしたが、さらに話を聞いた「隠居」の左内が、むろん自分もついてゆく気で遊山《ゆさん》でもするようにはねまわり、それを苦々《にがにが》しげに見たお綾が、何とか左内を捨ててゆく工夫をも彼に依頼したのであった。
「へえ。もし私がつかまりますと、殿さまにも御迷惑がかかりますんで。……」
と、軍次郎は陰気な声でいった。
ふっと半之丞の眼が、軍次郎の面上にとまった。
「殺せってえのかい?」
彼は、この百姓から侍になり上ったばかりの男に、その侍が煙と化したことをそっくり教えてやりたいという残酷な思いに襲われた。
が、ずばりとそういわれて、さすがに狼狽の相になりながら、異様な執念の光をたたえている愚かしいその眼を見ると、それを説明する面倒さより、もっと残酷な一方の解決のほうを選ぶ気になった。
「それなら、殺すがいい。……そのほうが、あの人にとっても倖《しあわ》せかも知れぬ」
と、彼はいった。
「明日、昼過ぎ、鰻谷家に来い。おれが手伝ってやる」
いとも簡単に承知してくれた早瀬半之丞の気持を疑うはおろか、拍子《ひようし》ぬけする余裕さえ軍次郎にはなかった。
翌日、昼前に桑山軍次郎は出かけた。すでに髷《まげ》も衣服も侍姿になり、大小さえも腰にさした彼が、もう凶々《まがまが》しい殺気の風をひいて、薬王寺前町から加賀《かが》屋敷通りを地ひびきたてて歩いてゆくと――中根坂のほうから、四、五人の官軍が下りて来て、彼の姿を見ると、いきなり走って来てとり囲んだ。
「ぬしゃあ……旗本か?」
「おれは……直参だ!」
と、侍姿の桑山軍次郎は、そっくり返って答えた。
「では、ちょっと屯所《とんしよ》へ来《こ》う!」
――浄瑠璃坂の鰻谷家では、まるで暴風が吹き過ぎたようながらんとした家の中で、早瀬半之丞と鰻谷左内が、旅姿のまま茶を飲んでいた。
家財道具を積んだ車をかこんだ一行は、すでに昼前に上野《こうずけ》へむけて出立した。左内はむろんそれにくっついてゆくつもりなのだが、それをなんとかやめさせるからと半之丞はお綾にいい、左内には江戸を去るにあたって最後に一目逢わせたい人間がいまここに来るはずだからといって、二人だけ残ったものであった。
逢わせたいのは、桑山軍次郎だ。その人間が自分を殺しに来るとも知らず――落去の悲しみさえも知らぬげに、鰻谷左内はまるで遠足にゆく中学生みたいにはしゃいで、落着いて茶などろくに飲んではいない。
この半白痴を理非もなく殺す非情さは、むろん痛いほどわかっているが、しかし早瀬半之丞は一方で、この馬鹿も五千石あっての夢の浮世で、それが消滅してしまった現在また将来では、ここで当人も消滅してしまったほうが、結局慈悲になるだろうと考えている。
桑山軍次郎は来なかった。昼が過ぎ、半刻《はんとき》たっても現われなかった。
「ゆこう、早瀬、ゆこう」
と、左内はせきたてた。彼は、死神が途中で、それ以上に恐ろしい死神にさらわれていったことを知らない。
一刻《いつとき》過ぎたとき、ついに半之丞も立ちあがった。待ちかねた、というより、ここで血みどろの惨劇を見るのも億劫《おつくう》になったのである。よし、この男は、途中で何とかまいて捨ててゆくことにしよう。
二人は屋敷を出て、先にいった一行を追って、市ヶ谷御門のある濠《ほり》沿いの道へ出た。
すると、その市ヶ谷御門のほうからどやどやとやって来た十人あまりの官軍の一団が、
「こら、待て」
と、さけんで駈けて来て、吼《ほ》えた。
「ぬしたちゃあ、旗本か?」
凄《すさま》じい眼が二人の姿を見あげ、見下ろして、
「間違いなか。なら、ちょっと来《こ》う!」
と、さけんだ。
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九人目・久保寺民部《くぼでらみんぶ》
十人目・田代主水《たしろもんど》
「殺人鬼」久保寺民部を作りあげたのは、やはり安政《あんせい》の大地震かも知れない。
安政の大地震とは、安政元年六月の南海から十一月の東海、翌年十月の江戸にわたる一連の大地震の総称で、中で東海沖のものが一番大きく、六十九年後の関東大震災のマグニチュード七・九を上まわる八・四のものであったが、規模としては最も小さい江戸のものが、震源地がその直下であったために、死者一万以上と推定される最も惨事の大きいものとなった。
下谷《したや》車坂で二百三十石の旗本、久保寺民部が逢《あ》ったのは、むろん安政二年の江戸直下地震である。彼はそのとき二十五であった。
地震は、夜の十時過ぎに起った。彼はその夕方から吉原《よしわら》で遊んで、泊らずに引き揚げたのだが、その夜の吉原の惨状を、『武江年表』はほぼ次のように伝える。
「――いまだ夜ふけるにあらざれば、各|見世《みせ》、酒宴、歌舞の最中|俄《にわ》かに家鳴震動して、梁《うつばり》くじけ、柱折れ、その物音は雷よりも凄《すさま》じく、魂天に飛び、周章して二階を下りんとすれば、階段跳《はしごおど》りて下りることならず。狼狽《ろうばい》して転げ落ちれば、巨材その上に落ち重なりて五体をくじき、あるいはその間に挟《はさ》まれて自在を得ず。叫べど助ける人なく、呼べど応《いら》うる人なし。
瞬目の間に火起りて、炎勢その身に迫る。あやうく逃れ出でたるも、煙にむせびて道路に倒れ、息絶えたる者もあり。この火五街にひろがりて、廓中残る家なし」
さいわい民部は、その時刻、ほろ酔いきげんで駕籠《かご》に乗って、帰路についていた。
ちょうど坂本町であった。突如|震撼《しんかん》しはじめた大地に、駕籠かきの悲鳴とともに彼はほうり出された。
それから民部の目撃した惨状は、右の吉原と同様だ。いや、江戸じゅうが同じであった。
それにショックを受けたことはいうまでもないが、中でも彼にとって、のちにまで影響を及ぼした事件が起った。
このとき民部の頭に、すぐに自分の屋敷のこと、また病気で寝ている老父のことが浮かんだのはいうまでもないが、それより強く彼をとらえたのは、この坂本町にある或《あ》る医者のことであった。
その医者というのは、椿沢蘭朴《つばきざわらんぼく》という長崎から来た五十年輩の医者で、おもに外科をやっていた。
実は民部は、生来荒っぽいたちで、しばしば喧嘩《けんか》をしたが、一年ばかり前、酔っぱらって町の無頼とやり合って、数人を半殺しにしたが、自分も何かにぶつかって左手首を折るという怪我《けが》をして、そこに飛び込んで数日世話を受けたことがある。
蘭朴は、その当時として珍しい病院風の医家であって、「天愛舎」と名づけ、たんに外来ばかりでなく、数十人の患者を受けいれていた。
のみならず、そこには十余人の女たちが働いていた。――それも出島のオランダ人からでも教えられたのだろう、蘭朴は、後の「看護婦」というものを採用していたのである。
ただし彼女たちは、おそらく蘭朴のやりかた、人柄に感銘してみずから志願して来たものと思われるが、大半が旗本や御家人の娘たちであった。蘭朴のやりかたというのは、どんな貧しい人間でもまず治療して、報酬はそのあとだという態度のことであり、人柄というのは、まるでお相撲さんみたいにふとって、そばに来られただけで、だれでも明るくなり、力強くなるというふしぎな魅力のことであった。
数日そこに「入院」しているあいだに、民部もそれらのことを知ったのだが、それより彼をとらえたのは、その「看護婦」の一人、お康という娘であった。
二百石の旗本の娘であったが、これが実に物語にでも出て来るような清らかな娘であった。美しくて、明るくて、やさしい。いちばん人を打ったのは、そのすべての動作が他人への奉仕という心でつらぬかれていたことだ。乱暴な民部はもとより、入院していた貧しい男女も――彼らは言葉を知らなかったが――たしかに切支丹《キリシタン》の「愛」という思想を感じた。
実は民部は、この娘の存在を知ったために、そのころ病床にあった父からヤイノヤイノといわれていたある縁談に、急に気がすすまなくなって返事を濁したくらいだ。
と、いって、その「天愛舎」のお康をお嫁にもらおうと努めたわけでもない。家の格からは相応であったかも知れないが、そんな気を起す余地のないお康であったからだ。彼女がいまの仕事に全身全霊をあげていて、結婚などいうことは頭の隅に塵《ちり》ほどもないことは、彼にも痛いほど見てとれたからだ。
……さて、そのとき駕籠からほうり出され、突如として天変地異の起ったことを知った久保寺民部は、はね起きかけては波打つ大地にまろび、二、三度これを繰り返したのち、やっと立ち上った。
「地震だ! 大地震だ!」
と、彼はさけんだ。酔いはおろか、血の気もいっぺんにさめはてていた。
「立て、駕籠屋!」
二人の駕籠かきは、まだ地面を這《は》いまわっていた。
民部は駕籠をあきらめ、雪駄《せつた》をはくのも忘れ、はだし[#「はだし」に傍点]のまま本能的に自分の家のある車坂のほうへ走り出したが、このとき突然、この間の「天愛舎」のことが頭にひらめいたのである。
一瞬に変貌《へんぼう》した町の景観は、たちまちいたるところから上った火炎の赤い光の中に、さらに凄惨《せいさん》な変貌をとげつつあった。
彼は、ほんの少し走っただけでも、柱の下敷きになり、家の中から火のついたまま駈《か》け出し、虫ケラか火ねずみみたいに死んでゆく人間を十何人か見た。
天愛舎のまわりは、もう火の海といってよかった。
「助けて下さい!」
「早く、助けて。――」
わめきながら、何人かの男女が、こけつまろびつ駈けて来た。そして、民部を見ても、なお同じさけびをあげながら、すれちがって走っていった。
あとで考えると、彼らは天愛舎にいた病人で、助けてくれといったのは自分たちのことではなく、あとに残った人々のことであったのだ。
天愛舎の西隣りの家にはもう火がついていた。
その門内は二十坪ほどの広場になっていたが、そこに横たわっている影が四つ五つ見えた。患者だ。それが運び出された証拠には、民部が駈けつけたとき、なお五、六人の娘が総がかりで二人ほどの患者をかつぎ出して来るところであった。例の「看護婦」たちだ。彼女らは交替でそこに泊り込んでいて、この地震にめぐりあったのである。
その中に、お康がいた。
彼女はすぐに身をひるがえそうとした。
「もうだめよ!」
ほかの娘たちがさけんだ。お康は首をふった。
「まだ人がいるわ!」
「隣りが燃えている!」
お康は、ちらと隣りを見た。火はすでに隣りから天愛舎に吹きつけていた。火の粉と煙に、その光景はすでにこの世のものでなかった。
「先生がいらっしゃるわ! そのひとたち、連れて逃げて!」
鈴をふるような声だけを残し、お康は家の中に消えた。また凄まじい煙がそのあとを覆った。
民部は全身|麻痺《まひ》したように立ちつくしていた。娘たちが煙にむせびながら、前庭まで運び出した患者に肩を与えて、這《は》うようにそこから逃げてゆくのを、茫然《ぼうぜん》と眺めていた。
突然、彼は躍りあがった。
天愛舎が炎上しはじめたのに、まだお康が出て来ないのだ。
民部は玄関へ突進して、その手前でたたらを踏み、顔を覆って逃げ出した。煙と熱気に吹きもどされたのだ。そのあたりは、もうバリバリという音をたてて燃えはじめていた。
彼はまだ火のかかっていない家の横にまわった。壁の中に、ふとい格子を打ちつけた大きな窓があったが、もちろんそこから出られるはずがない。
民部は裏手に走った。そっちに出口はあったが、そこは玄関と同じく、片側からの炎にあぶられていた。
――いかん!
皮膚も狐色《きつねいろ》になるような熱風を浴びながら、彼は全身が冷たくなった。
――どうすればいいのだ?
地上のすべてが叫喚しているような音響の中に、たしかに家の中で悲鳴が聞えた。一人ではない。数人の声であった。
民部は、さっきの格子窓を思い出した。飛び出すような眼で見まわし、裏通りに折れたふとい柱が一本転がっているのを見出し、そこへまろび寄った。
それをかかえあげたが、ひきずってゆくのがやっとという重さであり、長さであった。
「おういっ」
まだその裏通りに、十何人かの人影が荷物を背負って駈けまわっているのを見ると、彼はのども裂けるような声をあげた。
「だれか来てくれ、天愛舎でまだ閉じこめられておる人がある。先生がいる!」
たしかにこちらを見たいくつかの顔があった。が、燃える建物を見て、彼らは近づいて来ようともしなかった。
「この柱をみなでかかえて、あちらの窓の格子をつき破るのだ。――手伝ってくれ!」
彼がさけび、地団駄を踏み、首ねっこをつかんでもとそちらへ走りかかると、彼らは一目散に逃げていった。
民部は一人で柱をひきずり、数間歩き、ついにあきらめて、すりむけて血まみれの素手でまた横手の窓のところへ駈け戻った。すると、その窓には、さっき見えなかった首がいくつかならんでいた。
七つ、八つ――十、それはみるみるふえた。
大部分は鬚《ひげ》づらの男や老婆の――おそらく患者の顔であったようだ。たしかに蘭朴先生の顔も見えたような気がした。しかし、民部の網膜に残ったのは、その中のお康の白い顔であった。その髪はとけ、ひたいからは血さえ流れていた。
彼女はたしかに燃える家の中へとって返したが、しかしまさか死ぬとまでは考えていなかったにちがいない。それが火というものの恐ろしさであった。
「あっ、お康どの……お康どのっ」
民部は絶叫して駈け寄った。
しかし、これまた押し戻された。その窓から吹きつけて来る熱気と煙のために。――
ましてや内部にいる人間の苦悶《くもん》はいかばかりか、その向うに火炎が見えはじめ、みなの顔がかえってどす黒くなった。格子のあいだから、細い手が二本出た。お康の腕であった。間隔のかげんで、彼女の手しか出なかったらしい。
突然、その顔がのけぞって消えた。背後から髪でもつかんで、ひきずり倒されたらしい。が、一本の腕はなお格子をつかまえ、もう一本が虚空をつかむように指をおりまげた残像が、民部の眼に焼きつけられた。
次の瞬間、そのあたりはどっと一塊の溶鉱炉と化し、民部は尻《し》っ尾《ぽ》に火のついた犬みたいにそこから逃げ出していた。
――こういう体験があった。
彼はこの大地震で、おびただしい人間が虫ケラみたいに死んでゆくのを見た。いい人間、尊敬すべき人間、美しい人間が、この世の地獄の中にのたうちまわって死ぬのをまざまざと見た。
人間は、その値打ちとは全然無関係な死にかたをするものだ。
と、彼は考えた。
それどころか、気のせいか、悪いやつ、ろくでもないやつ、醜悪なやつばかりがつつがなく生き残ったような気がする。
椿沢蘭朴先生と奉仕の娘たちは、病人ばかりでなく、たしか近所一帯の尊敬のまとであった。それがあのとき、だれも手伝いに来ないばかりか、必死に呼びかけても、みんな雲を霞《かすみ》と逃げ去ってしまった。――
もっとも、結果的には久保寺民部だってその通りだったのだから、あまり大きな口はきけない。
要するに、あれだけの大天災にぶつかっては、たとえかたちは万人万様にしろ、こんな衝撃はだれも受ける破目になったろうし、またあとになって、だれでも彼と大同小異の感慨は持ったにちがいない。
それなのに、久保寺民部が、人間を虫ケラみたいに殺すことに快をおぼえはじめたのは、やはり彼だけの持つ特異性のせいとはいえるかも知れない。
……そもそも人間の性格や能力を作りあげるのは、遺伝と環境と教育の三角形だといわれるけれど、その実、七、八割までは先天的なものではないかと思われるところがある。その遺伝も、むろんただ父母二人のみのわざではない。そこに至る数万年数千代の血と時間の織り成せる結果だが。――
たしかに久保寺民部は、もとから風変りな男であった。一言でいえば、いつも陰鬱凄愴《いんうつせいそう》な殺気をはらんでいて、だれもあまり近づかなかった。だいたい人間は、だれかに嫌われるときは、それに比例して相手を嫌っていることが多い。彼の場合も、実はだれも好きではなかったのだ。この世の中に、好きな人間がだれもいなかったのだ。ただ一人の父親でさえも。――
いや、女だけは例外だ。もっとも、男ほど嫌いではないというだけで、ふつうの男にくらべては、やはり女嫌いのほうであったかも知れないが、それでもまあ好きといえるものが――そう、二人はあった。一人は、幼いときなくなった母で、二人目があのお康だ。
そのお康とて、さきに述べたように、彼から手を握るはおろか自分の心さえ打ち明けたことはなかったが、とにかくあの恐ろしい一夜、彼女を救おうとして民部があれだけあがきぬいたところを見ると、彼が頭のてっぺんから足のつまさきまで冷血の異常人ではなかったといえるかも知れない。……
同時に、あの夜の民部の恐ろしいもがきは、彼の一生にとって、ただ一つの美しい行為に相違なかった。ただ、そのことをだれも知らない。
それでも、ともかくも三十をだいぶ過ぎるまで、小普請《こぶしん》ながら旗本として何とか暮して来た彼が、人を殺すことを唯一《ゆいいつ》の生甲斐《いきがい》とする人間に変身したのには、やはりもう一つのきっかけがあった。
妻の姦通《かんつう》だ。
あの地震から一年半ばかり後、彼は老父の死床からの願いにまけて、それ以前から勧められていた例の娘――お汲《くみ》を妻に迎えたのである。やはり旗本の娘であった。
やはり民部にも彼なりの好みがあると見えて、お汲はあのお康に似ていた。むろんお康の天上的な透明のかがやきの前では影薄く、それどころか彼にいわせれば月とスッポンであったけれど、細面《ほそおもて》のいわゆる清純型という点では共通していたのみならず、顔だちもどこか似たところがあった。
それを妻としたのは、お康の死のショックがようやく醒《さ》めたせいか、やはりあの娘へのみれんのせいか、よくわからない。
それなのに、妻としてから、二、三年ばかりたつうち、お汲はみるみる変ってきた。民部からすると、彼女のかぶっていた皮がはじけて、中からニューッとお化けが出てきたように見えた。ただ肉体的に肥満してきたばかりでなく、性格が。――
お汲は恐ろしくわがままになった。嫉妬《しつと》ぶかい性質をあらわに出した。そして、どうしようもないほど愚かしいことをいったり、したりした。
民部は、妻が別の女になったような気がした。
もっとも、それでもなおかつお康に似ているといった男があった。
お汲がそんな風に変ってから傭《やと》いいれた渡り中間《ちゆうげん》の八十次《やそじ》という男である。年は二十七、八の、へんににやけたやつなので、物の役に立つとも思われなかったが、ろくに給金もやれない状態にあったので、それがいるままにまかせたのだが――ふと、あるとき、
「ここの奥さまは、おれの知ってたあるひとに似ていらっしゃるなあ」
と、庭で下女に話していたのを、通りかかった民部が聞きとがめたのだ。
「おや、だれにさ?」
「気の毒に、あの地震で亡くなっちまったが、坂本町にあった天愛舎ってお医者のところで働いてたお嬢さまにさ」
民部は近づいて、驚いてヘドモドしている八十次に改めて訊《たず》ねた。
そして、彼のいっているのがまさしくお康のことであり、しかも八十次はあの前夜喧嘩をして殴り倒され、気絶してあそこへかつぎ込まれてあの地震にあったことを知ったのである。しかも、両足を棒でたたきのめされて歩くこともならず、どうやら天愛舎が焼ける直前に運び出された一人は彼らしかった。――
「お前をなあ」
民部は憮然《ぶぜん》とした。
べつにこの男を救うためにあの娘が焼け死んだわけではないだろう。あの場合、お康は何が何でもまた火と煙の中へとって返したろう、とは思うけれど、こんなへなちょこの下司《げす》が助かってあの娘が死んだということは、彼に運命の不当さをえぐるように感じさせずにはいなかった。
さて、お汲がこの中間八十次と密通していたのである。
文久二年春の一日のことであった。
民部は、彼にしては珍しい友人の、やはり旗本の田代主水といっしょに魚釣りに出かけようとして、途中で持って来た針がちがったのに気がついて、主水をさきにやって家にひき返した。
急いでいたので、中間や下女にも声もかけず、勝手に裏の物置のほうへ廻ろうとして、ふと妻の部屋で男のふくみ笑いを聞いたような気がして、
「お汲」
と、声をかけた。
すると、中で、どどっと物音がして、裸に半纏《はんてん》をひっかけた中間の八十次が縁側へ現われて、庭へ飛び下り、そこに立っている民部を見て、あっと眼と口を大きくひらいた。彼はいまの声がどこから聞えて来たか、よくわからなかったと見える。
「旦那《だんな》さま、御勘弁を――」
のっぺりした顔を恐怖にゆがませて、横っ飛びに逃げようとするのを、民部は躍りかかり、これを棒のように倒した。
この場合、峰打《みねう》ちにしたのは、すでに彼に一撃のもとに成敗するだけではあき足らぬ心があったからだが、それだけ彼の腕に余裕があったともいえる。久保寺民部は、平生粗暴なだけあって、このほうの手並だけは旗本仲間でも抜群であった。
そのまま彼は縁側から躍りあがって、妻の部屋の入口に立った。
部屋には夜具が敷かれていた。その上に、やはり半裸のお汲がしゃがみ込んでいた。逃げようとして、恐怖のために凍りついてしまった姿であった。
民部は、その白い、ムチムチふとった、浅ましい肉塊を穴のあくほど眺めていたが、黙って庭へひき返し、気絶したままの八十次を刀の下緒《さげお》でうしろ手にくくりあげて、その座敷へひきずりあげて来た。
「そのままで待っておるのだぞ」
彼はしゃがれた声で妻にいい、それから下女のところへいった。
下女は何も知らず、井戸端で洗濯《せんたく》していた。外出したはずの主人がふいに現われたので、びっくりして立ちあがったのに、彼は小刀を渡し、本所《ほんじよ》のある刀とぎへ持っていって、きょうじゅうにといでもらって来るように命じた。下女が帰ってくるのには、夕方までかかると思われた。
民部は片手に一枚の戸板をかかえ、片手に手桶《ておけ》を下げてもとの座敷に戻ってきて、そこに転がったままの八十次に柄杓《ひしやく》で水をぶっかけてから、
「さて」
と、お汲を見て、うす笑いした。
彼は、しかしむろん平静ではない。妻に姦通されて、しかも相手が下郎とあっては、怒らない男はなかろう。ましてやもともと荒っぽい民部である。――それが、へんに沈んだ水のような顔色をしているのには、もう覚悟していたお汲でさえ、身の毛もよだてずにはいられなかった。
ほんとうをいうと、こんなことになったのも、民部にまったく責任がないわけでもない。彼は妻を扱うのに甚《はなは》だ粗暴で、かつ自分勝手であった。実は彼は、妻と交わるとき一種の嫌悪《けんお》を感じていたのである。それというのも、彼女がなまじあの天女のようなお康に似ているために、それが浅ましい――といっても、閨房《けいぼう》の妻としてはあたりまえだが――姿をさらすのに、奇怪な違和感を禁じ得なかったのだ。そんな異常心理を知りようもないお汲が、これまた自分でもわけのわからない不満の吐け口を、女たらし然たる八十次に向けたのも、ある意味では無理からぬ自然であったといえる。
ただし、民部にそんな反省のあるわけはない。
またこの場合に、そんな反省をする夫も珍しかろうが、それにしてもこれから民部のやってのけた成敗は、あまりほかに例のないものであった。
重ねておいて四つにするというが、文字通り――彼はその戸板の大《おお》 俎《まないた》の上で、まっぱだかにしたお汲と、息を吹き返した八十次を、ときどき水で刀を洗いながら、一寸だめし五分だめしになぶり殺しにしたのである。
指を一本ずつ落し、耳をそぎ、鼻をけずり、舌を切る。
「善人だに往生す、いわんや悪人をや。……善人でさえ、焦熱地獄、叫喚地獄に落されて死ぬことがあるのだ。いわんや、姦夫姦婦をや」
乳房をえぐり、男根を断ち、腹を裂く。
彼は血に酔っぱらい、悲鳴に酔っぱらい、肉の痙攣《けいれん》に酔っぱらった。
そして久保寺民部は、この斬殺《ざんさつ》の中に、怒りとは別に、名状しがたい恍惚《こうこつ》――生まれてはじめての心からなるエクスタシーをおぼえたほどの――新しい世界を発見したのである。
……さて、これから彼の「殺人狂時代」がはじまる。
民部は、公式には、中間《ちゆうげん》の八十次が妻を斬殺して物を盗って逃げようとしたので、これを成敗した、と届けを出してこれを始末したが、これからあとの人殺しは、まったく理由のないものであり、むろんないしょのものであった。
いや、彼にしてみれば、理由のない人殺しではない。
つらつらこの世の人間どもを見るのに、どうにも気にくわないやつばかりといってよかった。自分が感心しないばかりではない。どう客観的に見たつもりでも、どいつもこいつも生きていても何の役にもたたない、むしろ有害なだけの存在に思われた。
たくましくて、能力のある人間は、それだけ世のため人のため尽すかというと、なるほど大いにやるけれど、それ以上に自分のために尽す。そうでなければ、勝手に火をつけておいて勝手に水をかけるような、結果的にははじめから何もやらないほうがましであったようなことをやって、威張ることだけは能力の三倍くらい威張る。
おとなしくて無能力な人間は、何もやらないのはいいが、その代りひとの働きにぶら下がって厄介な重荷になり、そのくせそれを当りまえと考えている。それどころか、あっちへいってはおべんちゃら、こっちへいっては人の蔭口《かげぐち》、弱者なりの武器を使って、こそこそかすり[#「かすり」に傍点]を取るのに余念がない。
強食のほうも臆面《おくめん》もないが、弱肉のほうもなかなかしたたかだ。
正義はやきもちの仮面をかぶったものであり、秩序は権力者側の弾圧のからくりであり、慈悲は特権意識の変形したものであり、平和と安穏は結局だれかの犠牲の上の白い城であった。儒教も武士道も、よくよく考えると支配者のための奴隷の道徳としか思われなかった。
男女の恋も、ただ肉欲だけならまだ可愛いところがあるほうで、大半は双方ともなかなか勘定高いところがあり、母の笑顔は他人の子には夜叉《やしや》となり、男の友情と称して酒をのみかわして抱き合ったりしても、その友人が頓死《とんし》でもすればべつの友人とゲラゲラ笑い合っているなどという手合が多い。
お澄まし顔の女が、閨《ねや》ではどんなあられもない姿態をするか、と想像すれば失笑のほかはなく、逆に得意顔で好色談をする男のそのときの顔や恰好《かつこう》を想像すると、吐気がした。
子沢山で飢えているというから金をやれば、いよいよ図に乗って子を産み、苦労して若い者に学問させてやれば、空理空論をおぼえ青くさいへらず口をたたく。
ひどい目に逢ったというから調べてみると、結構当人も他人をひどい目にあわせており、そっちに恐ろしく鈍感《どんかん》で、ただ自分の被害ばかりは金切声で怒鳴りたてる。
平等でないと不満をいい、平等だとまた不平をいう。
要するに人間というやつは、まず例外なく他人にとっては有害無益な存在なのだ。女は、たたけばわめき、甘やかせばつけ上り、殺せば化けて出る、というけれど、それは女にかぎらず、人間一般がそういうやつなのだ。
せめて子供と美人だけはこの世に存在してもいいような気もするが、その子供が大きくなればまた有害無益な大人になり、その美人が年をとれば見るのも不愉快な老婆《ろうば》になってしまうのだから同じことである。これも早目に片づけておいたほうがいいかも知れない。
久保寺民部は、気にくわないやつを片っぱしから殺してみよう、という志をたてた。
そして、辻斬《つじぎ》りをやりはじめた。
――そのころから彼は、ある道場にいって、腕自慢の男とわざと木剣試合をこころみ、左腕を折られたように見せかけて、それからはいつも左腕をぶらぶらさせていることにした。
なかなかの使い手でも、実際問題として、右腕一本でそう人間が斬れるものではない。――これは相当長期にわたると見られる計画であったから、それくらいの準備は整えておく必要がある。
これは成功した、と民部はひそかに自讃したが、長いあいだ彼が疑われなかったのは、そんなことよりその殺人の動機がだれにも不可解だからであったろう。
何しろ気にくわないやつは、みんな斬る、というのだから。――
彼は、さすがに自分の知人はなるべく避けるようにしたが、これは嫌疑《けんぎ》を避けるためであったけれど、それより、知人でなくても斬りたいやつはゴマンとあったから、材料に不足はしない。
たいていのやつが気にくわないが、たとえ人格円満に見えても、ちょっとでも気にくわないところがあれば斬る。面《つら》から声まで、気にくわない感じがあれば斬るというのだから、材料に不足のあるわけがない。
居酒屋、盛り場、いや、往来の十間も歩けば、獲物はたちどころに見つけることができた。
何度か追跡調査をやって見た。獲物を追跡するばかりでなく、そいつを殺したあとから、その周囲のさまざまの反応を調べて見たのである。
その結果、むろんその人間の周囲で泣声はあがる。しかしそれに比例して、どこかでヤレヤレとうす笑いしているやつがきっとあることを知った。比例して、どころではない。一つの悲しみがあれば、十の悦《よろこ》びがある、といっていいくらいであった。
あたりまえだ、と彼は考えた。地上にうごめく人間どもは、だれかが死ねばその分だけ自分の生きる空間がひろがるのだから。
一殺多生、という言葉がある。これは特別の場合ではなく、いかなる人間のいかなる死でも適用される真理である、と彼は感銘するところがあった。
だから、無意味な殺人というものはない、と、彼は自信を持った。
自信をもって、だれか殺されて悦んでいるやつらをこれまた斬った。
そんなにむやみやたらに人殺しをして、悪夢を見るとか、罪の意識におびえることがなかったか、というと、それが全然ない。何もやらないころのほうが、もっと悪夢にうなされたり罪の意識をおぼえたことが多かったと思う。
だいたい、殺人者が自分の犯した罪におののいているなどいうことは、人を殺すなど思いもよらない人間の得手勝手な想像だろう。またどんな奸智《かんち》にたけた殺人者でも、どこかに不手際を残していていつかつかまるものだというが、それはそんな不手際を残してつかまった殺人者にあてはまるだけの話で、この世にはつかまらない人殺しはウジャウジャといる。――げんにおれなど不手際を残すどころか、ゆきあたりばったりに殺しているが、全然つかまる気配もない、と、民部は考えた。
良心の痛みを感じるどころか、彼は快感をおぼえ、はては病みつきのマニアになった。
実をいうと、右のような理論で、そう人が殺せるものではない。
彼を殺人狂たらしめた真の原動力は、やはり妻と中間を成敗したときのあの酩酊《めいてい》的快感であったかも知れない。そして、あのときそんな快感をおぼえたということは、やはり彼に先天的にそういう「芸術的感性」があって、俄然《がぜん》、天来の機を得てそれがあふれ出したともいえる。
肉に斬り込む刀身の手応《てごた》え、苦悶《くもん》にのたうつ痙攣《けいれん》のひびき、血という熱い粘液のしたたり、恐怖にわななく犠牲者の眼、口、声。――
それはいかなる美女の法悦よりも彼に絶頂感を与えた。
……唯一の救いは、彼が必ずしも卑劣な人間ではなかったということであったろう。
ふだん左腕をぶらぶらさせて、辻斬りなど思いもよらないといった顔をしていたのは、嫌疑を逃れるという策略よりも、むしろこの趣味をできるだけ長くつづけたいという「前向き」の意欲から発したもので、殺す相手はでたらめのようであっても、天然自然に、いかにも強そうなやつ、威張っているやつ、憎態《にくてい》なやつが多いという結果になったのを見ても、民部が卑怯《ひきよう》な男でなかったことがわかる。
こうして何年かが過ぎて、江戸は官軍入城を迎えた。
そして、頻々《ひんぴん》と官兵暗殺の事件が起った。――この物語の冒頭にしるした事件のことをここに再録して見よう。
「……官軍の、しかも隊長クラスの人間がつづけざまに殺されたのだ。夜中往来しているときに四人。白昼、しかもその一人は騎馬であったのに、これが三人。いずれも単独であったにせよ、すべてただ一太刀か二太刀で、凶行者が恐ろしく腕の冴《さ》えた人間であることは明らかであった。しかも、ことごとく鼻を削《そ》がれた、酸鼻《さんび》で滑稽《こつけい》な殺しかたであった。むろん徳川方の侍のしわざに相違ない。
同じ残忍な下手人によると思われる犠牲者が、四月半ばまでに二十数人に上った。――」
この下手人は、まさに辻斬りの熟練工と化した久保寺民部であった。
久保寺民部の朋輩《ほうばい》に、田代主水という男がいた。
ほとんど友人というものを持たない民部の、珍しい友人である。しかも、わりにウマが合う。
田代主水は、見たところ尋常な、ないしは平凡な容貌《ようぼう》をして、性格も明るいようだし、これが久保寺民部のような陰鬱凄壮《いんうつせいそう》な感じの男と、どうしてウマが合うのか、だれでもふしぎに思った。
実をいうと、久保寺民部にもそのわけがわからない。主水のほうから実に馴《な》れ馴れしく近づいて来たので、民部はだれにも余り好かれないことを自分で承知していたから、内心うす気味わるく感じていたくらいである。
そして、ほんとうのところ、田代主水にもその理由がわからないままに、彼は民部にひかれるところがあって、ふだん親しくつき合っていたのだ。
田代主水は、一見明るい顔をしていたが、つらつら観察していると、どこかに無気力なところがあった。――いや、どこかに、ではない。無気力こそ彼の本質であったのだ。
どうしてそんな性質になったのかは不明である。亡くなった両親も首をかしげて、心配そうにささやくことがしばしばであった。
どれくらい無気力かというと。――
彼は小普請《こぶしん》組であった。小普請といっても、何もどこかの普請をするわけではない。無役組ということである。
百石というと、ただ百石の扶持《ふち》だけだ。それならそれでいいではないか、といわれるかも知れないが、現代でいえばまず歩合制の人間の固定給だけと同じことで、食うや食わずの生活ということになる。三百石でも五百石でも、それなりの家の格式、つき合い、奉公人の数などという問題があって、事情は同じことだ。これに何かの役がついて、はじめて息がつけ、暮しにうるおいが生じ、人並みの顔が出来ることになる。
だから、小普請にはいると、一種の失業者にちかいものになり、そこから脱却しようと、みな必死になって組支配のところへ足を運んで、何とか役につけてもらうように運動する。
それなのに、田代主水は何もしない。
そのころまだ生きていた老母が心配して、支配のところへいって頼みこみ、それで支配が憐《あわ》れんで役を世話しようとすると、――
「いや、やはり御辞退しましょう」
と、彼はニコニコしていうから、あっけにとられないわけにはゆかない。
「ど、どうしてじゃ?」
「どうも私に勤まりそうにありませんから」
「なに、勤まらぬ? のっけからそういう怠け根性ではどうしようもないではないか」
「いえ、ほんとうに私は、そういうお勤めには無能力なのです。お役に立たないことはわかっておりますので、どうぞ御勘弁下さい」
「御勘弁?……なにもわしのほうから頼んで役についてくれといったわけではない」
上役は苦《にが》り切ったが、しかし主水の顔がむしろ誠実にさえ見えるので、それ以上怒るわけにもゆかなかった。
主水はほんとうにそう信じていたのだ。努力して仕事に精出す自信もなかったし、かりに精励を認められて出世してもたかが知れたものだし、だいいち出世すればするほどいろいろ厄介な苦労もふえるだろう。おえら方を見ていて、つくづく羨《うらや》ましいとは思えなかった。
縁談もあった。が、同じことだ。だれかが嫁を世話しようとすると、――
「いや、やっぱり御辞退しましょう」
「ど、どうしてじゃ?」
「どうも私に勤まりそうにありませんから」
「なに、勤まらぬ? 女房を持つのが勤まらぬ、とはどういうわけじゃ」
「いえ、妻帯の件については私もちょっと考えたことがあるのですが、どう考えても妻を幸福にさせてやる自信がないので、どうぞ御勘弁下さい」
この時代、こういうせりふを吐く男は珍しいが、主水の顔はむしろ哀《かな》しげでさえあった。
主水はほんとうにそう信じていたのだ。まだ結婚もしていないのに、彼は女性に対して幻想をいだいてはいなかった。べつに軽蔑《けいべつ》しているわけではない。男たる自分と同様、女だって屁《へ》もひるだろうし、いやな性質もどこかにあるだろう。何もかもきれいごとでゆくわけがない、と思っていただけだ。
それも、若いうちならともかく、中年になり、老婆になるまで、どなり合ったり、ひっかき合ったりして暮さなければならないとは。――どんな夫婦を見ていても、つくづく羨ましいとは思えなかった。
そんなことをいっていたら、人生、み[#「み」に傍点]もふた[#「ふた」に傍点]もないが、事実、田代主水にとって、人生はみ[#「み」に傍点]もふた[#「ふた」に傍点]もなかった。彼はいつも人生に空《くう》という地獄を見ていた。
いつからこんな考えが彼の胸に巣を張りはじめたのか、自分でもわからない。
――久保寺民部の殺人狂の場合は、強いていえば安政の大地震がきっかけになったのではないかとこじつけることも出来たが、主水の場合は、ほんとに何もない。生まれつき持って出て来た胚子《はいし》というしかない。
主水から見ると、人間、みななぜ生きることにああアクセクしているのだろうと奇怪であった。むろん生きていることは彼も生きているのだから、そのことに文句をつける気はないが、なぜあんなに金や女や地位を得ることに血ばしった眼をして、あぶらと泥をこねくりかえすような人生を送るのだろう、と、それがふしぎなのである。
それを得たところで、どう見ても、ちっとも永続する幸福など得られないのではないか。
人間は、決して無理に何かを得ようともがくことはなく、ただ自然に与えられるものだけを吸って、植物みたいにつくねんと生きていて、時が来れば自然に枯れてゆけばいいじゃないか。――彼はこう考えていた。
そう生きているのがいやなら、遠慮なくさっさと首でも吊《つ》ったらよかろう、と思われるのだが――実際彼は、うまく死ねたら、いつ死んでもいいという気であったのだ。それどころか、若いころから何度か、何とか死ぬように努力さえしたのだ。
それが、なかなかうまくゆかない。
田代主水が久保寺民部に異様な親近感をおぼえて近づいたのは、このわけもなく死にたがっている男が死神に吸引されたのであった。むろん主水は、民部の殺人鬼としての行状をまったく知らなかったのだが。――
植物みたいに生きていて、たえず死ぬことを考えている人間――というと、まことに脱俗的人物に思われる。実際そういう感じもないではないが、しかし現実の田代主水は当然それほど出来上った男ではなかった。
実際の彼の生き方は、かなりぶざまであった。
だいいち、ひとの世話してくれる縁談をしりぞけたのはいいが、彼も生身《なまみ》の人間で、ふつうの肉体は持っているのだから、あるときつい下女に手を出したのである。
これが美人でも何でもない。それどころか、ふとっちょのオタフクの大女《おおおんな》である。
ほんのもののはずみであったが、これが大変な災難のもととなった。
おくらというその下女が、夜も昼も彼のところへおしかけ、彼を押し倒さんばかりにして攻撃するのはいいとして、家事においても奥さま然と威権をふるい出したのだ。彼女は夜も昼も鼻息のあらい女であった。……そのころ、主水の老父母はもう亡くなっていた。
これがふつうの旗本なら、たとえ二百三十石にしろ、下女に手をつけたくらいでどうというわけはなく、気にくわなければ追い出して事がすむのだが、そこが主水だ。
手を出したのは彼のほうだが、いっぺんで懲《こ》りた。懲りてやめたのならいいが、それが相手の鼻息に押されて、ついまた妙なことになってしまう。しかも、その対応力が甚《はなは》だ微弱である。
すっかりおくらになめられてしまって、どうにも動きがつかない。とうてい追い出すような気力はない。
彼女がさんざんさいなんで去ったあと、彼はいつも胃ぶくろがうら返しになったような吐気を感じた。
また彼女の汗がからだじゅうにネバネバ粘りついているようで――ある夜など、井戸端に走って、ざあざあと頭から水をかぶったこともある。――
そのとき彼は、ふっと例の死への衝動にとり憑《つ》かれたのだ。
それはちょうど初冬の夜明け方であった。夢中になって、三、四杯かぶったが、たちまち骨まで氷になり、もうたまらんと桶《おけ》を投げ出しかけたとたん、
――いや、待て、これは風邪《かぜ》をひいて死ぬかも知れんぞ。
という考えが頭にひらめき、そして主水はさらに水を浴び出したのだ。
恐ろしい寒気にうなり声をたて、つるべをたぐっては頭から水をかぶる。このきちがい踊りをやっている姿を、どこかであっけにとられたように見ていたおくらが、
「ええ、くやしい。そんなにわたしが汚《きたな》いのですか、いやなのでございますか!」
と、これまたきちがいじみたさけびをあげて駈《か》け出して来て、むんずと彼をひっかかえ、また寝床へさらっていった。
そして、熱火のごとく激怒する肉体へまた主水を埋没させてしまったから、肺炎《はいえん》になるどころかこの猛烈な刺激《しげき》療法で肉体が賦活《ふかつ》されたと見えて、あとしばらくかえって身体の調子がよくなったほどであった。
しかし、田代主水の死に対する欲求はそれからも散発的につづいた。
町で刃物をふるってやくざどもが喧嘩《けんか》している中へ、フラフラとはいっていったことがある。
それどころか、おくらへの嫌悪がきわまりつくしたとき、例の天狗《てんぐ》党退治で討伐軍出動のことがあって、彼は旗本の大谷十郎左衛門などといっしょにみずから志願して、水戸の戦場へ出かけたことさえあるのだ。
しかも、敵の弾の飛んで来るところを、ノソノソ歩きまわってみなの胆《きも》を奪ったこともあるのだが、そのわりに――大谷十郎左衛門ほど勇名をとどろかせなかった。
それもあたりまえで、どう見ても主水は、終始一貫して勇敢な男には見えなかったからだ。
なんのために戦争に来たのかわからないほど、ふだんうつろな眼つきで坐《すわ》っているし、ときどき発作的に弾の中を歩きまわるといっても、真《ま》っ蒼《さお》な、ものに憑《つ》かれたような顔をしているし、だいいちそんな行為がなんの役にもたたない場合が多かった。
彼は、自分の暮しや人生がいやでいやでたまらず、たしかに死のうと思って努力してはいるのだが、まだ不徹底な気味があるのは否めなかった。
可笑《おか》しいことに、家名とか家の存続などいうことにとらわれるところがあって、首吊りなど出来なかったし、また死ぬのはいいが、あまり痛かったり、苦しかったりするのは困る、など考えることもあった。彼は自分の欲望にコンプレックスをいだいていて、だれにもこのことをもらさなかった。ほんものではある証拠だ。
そんな迷いや夾雑《きようざつ》物を混えつつ、しかし彼が死にたがって、それなりに努力したことに疑問の余地はなかった。
にもかかわらず、彼がなかなか死ねなかったのも事実であった。
……さて、この田代主水が久保寺民部に、いうにいわれぬ親近感をおぼえたのは、以上のような死への欲望の無意識になせるわざであったが、これとつき合いながら――殺人鬼久保寺民部のほうが心中うす気味悪く思っていたのは妙である。
自分の殺人を感づかれそうだから、という懸念《けねん》があってうす気味悪かったのではない。彼は主水の欲望を知らなかった。ただ、ばかに無気力な男だとは感じ、彼のほうの殺人欲をそそられなかっただけである。――むろん、いくぶんの友情もないではなかった。
双方、魚釣りが好きで、よくいっしょに大川へゆく。
人を殺すことを趣味にしている男と、何とか早く死にたいものだと熱望している男が、それぞれの秘密は知らないで、仲よくならんで糸を垂れている光景ほど、神さまないし悪魔から見ればふしぎな図はなかったろう。
……ともあれ、田代主水は久保寺民部に近づいた甲斐《かい》があった。
彼はある日、とうとう民部の殺人現場を見たのである。
慶応三年の晩春であった。
実に幕府の倒壊は翌年早々に迫っていたのだが、江戸市民はおろか、旗本の大半が、そんな運命が来ようとはまったく予測していない。少々世間が騒がしいな、と思いつつ――それもここ十余年来のことで、あっけらかんと、まあ泰平の日を送っていた。
その日、主水は、雨だというのに釣りにいった。民部は身体の調子がよくないからといって同行しなかった。
夜になって主水は、獲物を魚籠《びく》にいれたまま、久保寺家へ寄った。――いや、寄ろうとして、下谷《したや》車坂にちかいある辻《つじ》に来かかったときだ。
ひるまの雨は夜にはいって嵐《あらし》模様となり、ときどき雷鳴さえ聞え出した。蓑笠《みのかさ》をつけていなかったら、とうてい彼もそんな手数をかける気にはなれなかったろうと思われる吹き降りの中であった。
突然、向うでただならぬ雷鳴が聞えた。
主水は棒立ちになっていた。
その一瞬――稲妻がひらめいたのだ。そして青白の光の中に、辻に倒れている男とそばに立つ男を、彼は見たのだ。
立っている男は、雨の中で着流し姿で、白刃を垂れていた。忠臣蔵の定九郎のようであった。その陶酔したような顔は、久保寺民部にまぎれもなかった!
視界はすぐに雨と風にとざされた。ピチャピチャと跫音《あしおと》が遠ざかってゆく。――
しかし、数分間、主水はそこに凍りついたように立っていた。まったく判断を絶したことだが、彼は久保寺民部が人を殺す光景をたしかに目撃したのである。
……そのあと主水は、おそるおそる辻に近づいた。当然、民部の姿はもうなかった。しゃがみこんだとき、また稲妻がひらめいて、浪人らしい老人の顔を浮かびあがらせた。老人は完全にこときれた顔であった。
――田代主水は、そのまま自分の家に逃げ帰った。もう久保寺民部のところへ魚を持っていってやるどころではなかった。
いったいあれはどうしたことだろう? 民部は何のためにあんな人殺しをやったのだろう?
あくる日、町はこの人殺しの噂《うわさ》で持ち切っているようであったが、その中に「また例のやつだ」という恐怖のささやきがあった。
――例のやつ?
主水は、ここ数年、江戸で頻々と起っている辻斬り――まったく動機のない殺人の数々を思い出し、改めてぎょっとしていた。
あの下手人は久保寺民部であったのか?
民部なら、やりそうな気がした。――しかし、その動機に至っては、依然見当もつかない。
ただ、民部はだいぶまえから道場で手首を打ったといって左手が不自由に見せているが――いや、そういえば釣りのとき、彼がその不自由な左手を、ヒョイ、ヒョイと使っているのを、何度か見たことがある。
三日目に、主水は、下男部屋に来て話し込んでいる岡っ引の勘七《かんしち》を見つけた。勘七はおくらの兄で、ちょいちょいやって来ては酒など飲んでゆく。
おくらも持て余す存在であったが、このもくぞう[#「もくぞう」に傍点]蟹《がに》みたいな顔をした兄は、主水はさらに気にくわなかった。が、その日は彼のほうから声をかけて、座敷に呼び、例の事件について聞きだした。
「先夜の辻斬りな、あれは下手人はまだわからぬか?」
「へえ、まるっきり。実に凄《すご》い斬り口でね。それから例の人殺し野郎のしわざらしいってえことまではわかっているんですが、その野郎が何年もまだつかまらねえんですから。……」
「殺された老人はどこの何者だ」
「なんでも深川《ふかがわ》松井町の横手宗左衛門《よこてそうざえもん》ってえ浪人だそうで、あの近くに金を借りに来てその帰りにやられたらしうございます」
「で、金は?」
「それが、金は懐《ふところ》にはいったままで――だから、例のやつだってことになるんでさあ。あいつァただ人を斬るのだけを目的で人を斬るやつでござんすからね。いや、何ともおっかねえきちげえが世の中にゃいるもんだ」
「ふうむ。……」
主水はしばらく考えていたが、
「その老人の家はどこにあるって?」
と、聞き直した。
「へえ、深川松井町の松井橋そばの長屋だそうです」
勘七はけげんそうな表情で、主水を上眼づかいに見た。商売柄か、彼はよくそんな目つきをする。
「旦那《だんな》、何かご存じでござんすかい?」
「いや。……もうよい、退ってよろしい」
勘七を追っぱらってから、主水は腕ぐみをして考えこんだ。
むろん、最初に頭を領したのは、これは久保寺民部を訴えて出なければなるまい、ということであった。あの男が、ここ数年江戸をふるえあがらせている殺人鬼だとすれば、いくら友人だといっても捨ててはおけない。
しかし、それよりなお強く彼をとらえたのは――はてな、これを利用すれば、おれが何とかうまく死ねる機会をつかめるのではないか? という思いつきであった。
自分が死ぬには、どうするか。
久保寺民部のところへゆく。そして、彼の犯行を指摘する。すると、きゃつ、わしを殺すだろう。
が、また、そうは問屋が下ろさず、あいつは万事休すと知って、いきなり腹を切るかも知れない。
一案だが、ちょっと確実性のない一案だ、と主水は考え、それから立ちあがって、ともかく深川の被害者横手宗左衛門の浪宅をのぞきにいって見ることにした。
田代主水が深川松井町、六間堀《ろつけんぼり》にかかる松井橋のそばにある長屋に出かけていったのは、やはり虫が知らせたのだろう。
その長屋の横手宗左衛門の浪宅には、二人の遺児がいた。――偶然、ちょうどそこから貧しい葬式が出るところであった。
主水はむろんそれに加わったわけではなく、ただ通りがかりの人間のように見送っただけだが、その二人の遺児を――娘のお文《ふみ》、弟の新三郎《しんざぶろう》だと教えられて、心中にはたとうなずくところがあった。
涙にぬれた娘のお文は、こんな長屋に住んでいるのが信じられないほど美しく、またそれでも侍の娘らしい気品があり、弟の新三郎は、まだ十七、八の、弱々しい、それだけに何かの精のような美少年であった。
それを見て、主水のうなずいた着想というのは、実に途方もないことで、自分が宗左衛門を殺した男だと名乗り出て、二人に敵討《かたきう》ちをやらせて死ぬということであった。
あの二人になら、殺されてもいい。――少なくとも、久保寺民部に殺されるよりは、よっぽどましだ――と、思いたくなるように美しい姉弟であった。
しかし、思案しいしい家に帰るまでに、主水の考えはまた変った。
二人が敵討ちをやってくれればいいが、ただ訴え出られたら、その望みは叶《かな》えられない。そしてよくよく考えると、敵討ちであろうと、奉行所につかまろうと、いずれにせよ田代家の断絶はまぬがれない。
自分が死ねば家の断絶もへちまもないはずだが、前にいったように主水は、それでもまだ家名のことにこだわっていたのである。彼は、自分が死ぬときは、親戚《しんせき》から養子でももらってからだ、と考えていた。自分個人よりも、ものの考え方が家に粘りついていた当時の人間としてはふしぎではなかった。
さて、どうするか。――
さらに三日ほど思案して、主水が思いついたのは、いよいよ奇々怪々な着想であった。人間、うまく死ぬのもらくではないといえるし、死ぬことばかり考えている人間の頭だけがこねくり出した奇想といってもいい。
彼は、どうしたか。――
主水は、横手の遺族の住んでいる長屋の家主を介して、息子の新三郎を田代家の養子に迎えたいと申し込んだ。
むろん相手はめんくらったようであったが、主水とも、直接に会って、主水が一見したところ明るくおだやかな人柄に見えること、田代家に子がないこと――主水がまだ三十半ばなのに妻帯していないことがふしぎであったが――さらに、何より二人の姉弟が明日の暮しにも途方にくれていたことが、主水の望みを叶えさせた。
横手の家は、死んだ宗左衛門が近くのある大きな学塾に漢学の出張講師をやって生計をたてていたのである。
姉弟が車坂の屋敷に移って来たのは、もう秋のはじめのことであった。
主水はおくらに申しわたした。
「今日、この新三郎を田代家の養子にすることにした。家事はお文どのにやってもらう。だから、家事のほうでは、おまえはもう要らない。下女としておるならおってもいいが、気にくわなければ出ていってもさしつかえない」
おくらは口をアングリとあけ、何かわめき出しそうな顔をしたが、そこにうなだれている、まるで撫子《なでしこ》の花みたいなお文を見て、ひくいうなり声をもらしただけであった。
だいいち、こんなにきっぱりとした口をきいた主水を、いままで見たことがない。
実際、彼は張り切っていた。横手姉弟を家につれて来るまで、さらに新三郎を養子にするまでの面倒な手数、手続きを、無気力な彼が、生まれてはじめて労をいとわずにやったのだ。
それどころか――彼をよく知らない人間は、さてこそ、とうなずいたかも知れないが――つづいて、彼にしては前代|未聞《みもん》のことをやってのけたのである。
家につれて来てから十日目に、主水はお文を犯したのだ。
弟を養子にもらってくれたのはいいとして、彼女自身はどうしてこの家にいるのか、みずから身のおきどころに迷っていたようなお文であったが、ここまでは予測もしていなかったと見えて、お文は驚き、抵抗した。が、その抵抗は、彼女の心の不安定さを現わしていて、弱々しかった。
まだ美少女といっていいその娘を犯したとき――皮肉なことに主水は、突如として激烈な生甲斐《いきがい》をおぼえ、この世に生まれて来たよろこびを痛感した。
その作業は、十日ばかりつづいた。そのあいだに、下女のおくらが家を出ていって、いなくなった。この事実を知って――あるいは、のぞき見くらいしたかも知れない――さすがにいたたまれなくなったのであろう。
あんなでぶ[#「でぶ」に傍点]の下女のことなど、考えてはいられない。――いや、主水はもう、自分の生甲斐などということも考えてはいけないのだ。
そのうちに、お文の抵抗はまったく消失し、彼を迎える眼に、一種のうるおいが生じ出した。
「おまえ、おれが好きかえ?」
と、主水は、お文の紅貝《べにがい》みたいな耳にささやいた。
彼がこんなせりふを吐いたのははじめてだが、われながら実に甘ったるく発音出来た。――もし、ただ女といちゃつくつもりなら、こんなにうまくいえなかったろう、と、彼は考えた。
「ええ、好き……好き」
お文は主水にしがみついた。この娘が、十日ばかりでこうなるとは――ふうむ、女とはこういうものかな、と彼は感心したが、しかし可憐《かれん》の念にたえなかったことも事実であった。
「でも、弟が……なんというでしょう?」
彼女は不安そうにいった。貧しい家の子によくある例で、この姉弟はほんとうに仲がよかった。
「新三郎には、わしからよくいって聞かせよう」
「どういう風に?」
「まあ、わたしにまかせておけ」
それから三日目に、主水はお文といっしょにいる場へ――彼女が命じられた通り鍋物《なべもの》と酒を運んで来たところへ新三郎を呼んで、通告した。
まず自分がお文と夫婦同様の仲になったことを告白し、顔を真っ赤にしている姉を茫然《ぼうぜん》と見つめている新三郎に、――
「それからもう一つ、白状しなければならないことがある。実はそなたの父御《ててご》宗左衛門どのを殺《あや》めたのはこのわしじゃ」
と、いった。
二人は、口をぽかんとあけた。
主水はそういったきり、しばらく黙りこんだが、顔色がしだいに変っていった。――無理もない、彼はとうとう死への第一歩に踏み切ったのだ。
姉弟が顔色を失ったことはいうまでもない。さっき赤く染まっていたお文の頬《ほお》は白蝋《はくろう》と化していた。
――田代主水が二人を家に迎えたい、と申し込んだとき、それがあまりに唐突《とうとつ》な話なので、ひょっとしたら? と、ある疑いを二人にもらした人間もあった。しかし現実に主水という人間に逢《あ》っているうち、これはとうてい人殺しなど出来る人ではない、と二人はわけもなく信じたのだが。
しかし、いま主水のただならぬ顔色を見ていると、これは決して冗談ではない、という感じが二人をとらえた。
「それは……ほんとうの話でございますか!」
お文がさけんだ。主水は答えた。
「どうして、こんな嘘《うそ》をつく必要がある?」
妙にうつろで、しかも恐ろしい真実味のある声であった。新三郎はワナワナとふるえ出し、血走った眼でさけんだ。
「な、なんのために、父を……」
「雨の夜、ゆきずりにぶつかっての、思いがけぬ争いの果てだ」
「か、敵《かたき》を討つ!」
新三郎は細腕に刀をひっつかみ、絶叫して立ちあがった。
お文も狂的な眼になって主水をにらみつけていたが、
「待って! わたしには信じられない。……それじゃあ、どうしてわたしたちをこんなことに――」
と、身もだえした。新三郎がうめき出した。
「そうか! それで敵討ちを逃れようと思って、わたしたちを呼んだのですか。虜《とりこ》にしようとしたのですか。……ずるい! ずるい! そんな手にはかからない!」
「わしがずるいなら、はじめから知らない顔をしているさ」
と、主水はいった。
「これは罪滅ぼしのつもりなのだ」
「罪滅ぼし?」
「せめてこの田代の家を、つぐないにおまえたちに進呈しようと思ってね。敵討ちは受けるつもりだ。二人に討たれてやりたいと思えばこそ、こんな白状をしたのだよ。ただ、敵討ちをすると……まさか、この家はつげまい?」
「こんな家など、つぎたくない!」
「そういう気持はわかる。が、まあ、わしの考えを聞いてくれ」
と、彼はいって、眼の前にぐつぐつ煮えている鍋と、さっきお文が運んで来た皿《さら》の上の魚の切身に眼をやった。
「その皿の上のものは、きのうわしが釣って来た河豚《ふぐ》だ。河豚は、おまえたちも知っているように、むやみに食えば、まず百発百中死ぬ。その臓物は猛毒のかたまりだが、そこにあるのはそれだ。……それを、これからわしは食おうと思う」
二人は、ぎょっとして皿を眺めた。
「いや、それを二人の箸《はし》で食わせてくれ。それで敵討ちをすると思ってくれ。……」
「そんなことをいって、だまそうと思っても。――」
「明日までに死ななかったら、はじめてふつうの敵討ちをしたらいいではないか」
「河豚で死ぬなんて、そんなばかばかしい――」
「実は、わしだって武士として情けない。もっと勇ましい死に方をしたいのはやまやまだ。しかし、万般、考えつくしたあげく、これがいちばんいい方法だという結論に達したのだ。わしに対しての恨み、怒りがはらしたければ、河豚で死んだわしの屍骸《しがい》に、唾《つば》を吐きかけるなり、蹴飛ばすなり、好きなようにするがいい」
主水は、もう半分河豚を食ったように、うっとりしていた。
「ただあたりまえの敵討ちをしては、おまえたちはこの家をつげない。それではわしの罪滅ぼしが出来ない。それどころか、むやみに敵討ちをしたといっても、公儀は受けつけない。敵討ちには、それなりの手続きがいるのだ。その手順を踏まなければ、おまえたちのほうが処罰される。……これなら、実質上、敵討ちをしたことになって、しかもおまえたちはこの家をつげる」
彼は皿の河豚を鍋にいれ出した。
「なぜ、なぜ、なぜ――」
お文が悲鳴をあげた。
「それなら、なぜわたしをあんな目に。――」
「まことに申しわけない。まったくあやまる言葉もない。しかし、おまえとああいうことにならなければ、きょうわしがこんなことをいい出したとき、素直に聞きいれてくれまいと思ってね。どうじゃ、お文、心静かにわしに引導をわたしてくれぬか?」
主水は、姉弟にただ訴えて出られては困ると考えたのだ。
家を存続し、自分がうまく死ぬために、ひとの人殺しの罪を引受け、その遺児たちを虜《とりこ》にする――これこそは、田代主水が考えに考えぬいた思案の結果だが、こんな手数をかけるほどなら、はじめからひとりで河豚を食ったほうがましだろうと思うのは、死を欲しつつなかなか死ねない男とは別世界の人のことだ。
外国のある推理小説では、不治の病にかかった男が、病気による死の苦痛をのがれるために、自殺しようと望んで果さず、他人を殺して死刑を受けようと計ってこれまたうまくゆかず、ついに架空のもう一人の自分を作りあげてこれを殺したと見せかけ、その罪で死刑になろうという、途方もないまわりくどい計画を立てる物語がある。
それにくらべれば、主水の場合はまだ単純だといえる。
「どうやら煮えて来たようだ。食わしてくれ」
と、彼は箸をとり、河豚の卵巣らしい一片をつまみあげ、その箸を二人のほうにつき出した。
「さあ、やってくれ」
押しつけられて、新三郎が、もう彼のほうが呪縛《じゆばく》されたようにその箸をとった。
田代主水は大きく口をあけた。――
そのとき、向うから数人の跫音《あしおと》が近づき、襖《ふすま》がひらいて、おくらが現われた。
「まあ、人殺しと、殺された人の子供が、仲よさそうに何てことを。――」
と、彼女はにくにくしげにさけんだ。
そのうしろから兄の勘七と、数人の手先――さらにその背後から、同心らしい男まではいって来た。
「なんだ?」
と、主水はとがめた。
「横手宗左衛門殺害の下手人としてつかまえに来たんだ」
「なに? おれが――何を証拠に――」
主水は狼狽《ろうばい》しながら、しかしいまの姉弟への話を聞かれたわけはない、と思い直してひらき直った。
「旦那《だんな》、白ばくれねえでおくんなさい。旦那がこの御姉弟をお家にひきとりなすったのを、何とも腑《ふ》におちねえとあっしゃ考えてたんだ。それで思い出すと、あの宗左衛門が殺された事件のあと、旦那は妙にそのことについてあっしにお聞きなすった」
と、勘七はいった。
「おかしいな、と思って、もういちどあの事件を調べ直したら、あんとき死んだ宗左衛門のそばに魚が二、三匹落ちていて――その日、旦那が釣《つり》にいって釣って来なすった魚とそれが同じものだったってえことが、やっとわかったんでござんすよ」
「証拠は逃れぬ、田代主水、神妙に縛につけ!」
と、同心が十手《じつて》をかまえて叱咤《しつた》した。
田代主水は、伝馬町の牢《ろう》の揚屋《あがりや》にいれられた。――
――ちがうっ、ちがうっ、おれは下手人じゃない!
と、彼が曳《ひ》いてゆかれながらわめいたことはいうまでもない。
が、牢屋敷に到着する前に、彼の心境は変化した。これもまたいいじゃないか、と観念しはじめたのだ。田代の家が潰《つぶ》れることは残念だが、よく考えてみると、どうせ死ぬなら同じことだ、と、いまはじめて当然なあきらめに到達した。あの七面倒な苦労が水の泡《あわ》に帰したことを、むしろあれは愚行だった、頭がどうかしていたんだ、と、苦笑とともにふりかえった。
それから、一、二度、白洲にお呼び出しがあったが、彼は久保寺民部の名を持ち出すことをやめた。
彼は打首の日を待った。いっとき彼を襲ったあの奇怪な死への情熱は、憑《つ》き物が落ちたように去った。が、むろん生きる欲望が生じたわけではない。ただ平静に――もっと正確にいえば、もと通りの無気力な主水に戻っただけである。
ときどき、気泡《きほう》のように、車坂の家はどうなったろう? あの姉弟はどうしたろう? と思うこともあったが、すぐに、どうでもいい、という気になった。牢番に調べてもらう手もあったが、彼はそれもしなかった。
そして、ただひたすらに死ぬ日を待った。
ところが――なかなかその日が来なかった。牢屋敷の中は、何か、囚獄以外のことで浮き足立っているようであった。世の中のことにあまり興味のない彼も、出入する囚人の話から、幕府が危いという話を聞いて驚いているうちに――とうとう幕府がひっくり返った、と聞いて、茫然《ぼうぜん》としないわけにはゆかなかった。
翌年の春のことだ。
なんと彼は――ほかの揚屋の囚人の大半とともに、牢屋敷から解放されてしまったのである。
考えて見ると、せっかく死のうとしているところを突然牢屋敷に放り込まれて助かったようなものだが、瓦解《がかい》の騒動でたくさんの幕臣がいのちを失ったのに、彼は牢にはいっていて難を免れ、そしてまた当然|斬罪《ざんざい》になるところを、こんどはわけもわからず放り出されてしまったことになる。
しかし田代主水は、むしろ助かったとも、難を免れたとも思わない。
彼は夢遊病者みたいに――しかも外見変に明るい顔をして、フラフラ車坂の自分の家へ帰っていった。
「……そうだ、どこにもゆくところのない姉弟はまだいるかも知れない」
彼の眼は鈍《にぶ》くかがやいた。
「いまなら、改めて討たれてやろう」
半年ぶりの江戸の町には、もうだんぶくろの官軍が、いたるところに横行していた。
「おい」
屋敷近くで、ふいに背後から呼びかけられた。
「どうした?」
久保寺民部であった。彼は以前と同じように――いや、いよいよ陰惨な外貌《がいぼう》になって、ただこのときは、さすがにあっけにとられたように、しげしげと主水を見あげ、見下ろした。
「牢から出て来たのか」
さすがに、あのことは知っていたらしい。
「うむ。……これから帰る」
うすぼんやりと主水は答えた。この男を今さらどうとも思わない。
「おぬし……辻斬《つじぎ》りの件で入牢したそうだが……あれは……」
と、民部はいいかけて、言葉をのんだ。しかし、珍しくその眼に、ちらっと陳謝とも感謝ともつかぬ光がかすめたようだ。が、それも主水にとって、どうということもない。
フラフラと自分の屋敷の門からはいってゆく主水を、民部もノソノソと追って来た。
急に主水は、背に異様な酔いを感じ出した。殺人鬼が、自分を追って来る。こいつおれを斬るかな、そうだ、どうか遠慮なく斬ってくれ。――
春の草が蓬々《ぼうぼう》と生いしげった屋敷の中を、死神に憑《つ》かれた男のように、主水は歩いた。いや、いまや彼自身が生きている幽霊であった。
そして彼は、いかな彼でも茫然とするような光景にめぐり逢ったのである。
ある部屋で、もくぞう[#「もくぞう」に傍点]蟹《がに》みたいな勘七ともつれ合っている半裸のお文と、また別の部屋で、まっぱだかのおくらに組みしかれてあえいでいる新三郎と。――
どうやら、あれ以来この屋敷は、勘七とおくらにわがもの顔に占領され、二人の美しい姉弟はその捕虜となり――と、いいたいが、いまの狂態ぶりから見ると、実は双方、みずから異様な快楽の虜《とりこ》となり、江戸崩壊の終末的やけっぱちのせいもあって、夜、昼、ぶっ通しにそんな爛《ただ》れた生活をつづけていたらしい。
さすがに庭に、主水と民部の姿を見て彼らは仰天し、それぞれ起き上って、しどけない姿のまま釘《くぎ》づけになった。
「どうする」
と、久保寺民部がゆっくりとあごをふる。
「斬るか」
そういう前から、家の中の四人を金縛りにしていたのは、この男から放射される魔のような殺気であった。
そして、田代主水が草の上にぺたんと坐って何の返事もしないのに、久保寺民部は妖々《ようよう》と座敷へ上っていって、四人の男女を一太刀ずつで斬った。
それから、お文のきものの裾《すそ》を腹までまくりあげて刀の血をぬぐい、庭に下りて来て、しばらくじっと主水を眺めていたが、急にうす笑いして「返り討ちにしてやったぞ。もう心配は要らない」といって、門のほうへ出ていった。
それを数分間、真昼の悪夢でも見ているようにぼんやりと見送っていた田代主水は、ふいに嗄《か》れた声をしぼり出した。
「おい、民部……こういうことになったのも、もとはおれの責任だ。いや、ついでだから……おれも殺していってくれ!」
返事はなかった。
主水は泳ぐように門のほうへ追っていった。
すると、往来に真っ黒な渦《うず》が巻き、その中に久保寺民部のめんくらった顔が見えた。だんぶくろの官兵に囲まれて、彼はどこかへ曳《ひ》かれてゆこうとしているところであった。
「おれは同罪だ」
と、主水はかんちがいして、そのほうへ駈け出した。
「おれもいっしょにつかまえてくれ!」
「飛んで火にいる夏の虫か。……よし、来《こ》う!」
と、しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]の官兵が歯をむき出して、主水の腕をとらえた。
[#改ページ]
牢の中・いのち十人
――この物語の翌年、函館五稜郭《はこだてごりようかく》で官軍に抵抗し、降伏して東京に護送され、伝馬町の揚屋牢《あがりやろう》にいれられた幕臣|大鳥圭介《おおとりけいすけ》が書いている。
「揚屋の戸口に至り、錠をひらき、内にはいりみれば、揚屋は幾局にもわかち、多くの人数群居せり。われらは最奥なる一番室にはいりたり。
牢内にはいるとき、小吏どもことごとく所持の物を改めしにより、是非なく用意の金子《きんす》、小刀、矢立《やたて》等を渡せり。
室内にはいりみれば、四方は四ツ谷|丸太《まるた》の二重格子をもってこれを囲《かこ》い、六畳敷きなれども囲いの中に|※[#「くにがまえ<」、unicode570a]《かわや》と流しの箱とあれば、畳は四畳半なり。この中に七人いれられたり。
飯時には竹の皮に飯をつつみ、沢庵《たくあん》の切りかけたる一片をそえ、小使持ち来れり。四方窓暗く、残熱も甚《はなは》だしきゆえ、いずれも少しばかり食して箸《はし》を投ぜり。
夜にはいりそのまま臥《ふ》せしに、蚤《のみ》は肌を刺し、蚊《か》は耳にひびき安眠する能《あた》わず。
牢中の|※[#「くにがまえ<」、unicode570a]《かわや》一か所にて甚だ小なり。人数多きゆえ、大小便をもって汚す。毎日臭気にたえず」
ともかくも士分の者をいれる揚屋《あがりや》にして、かつ一応戦争は終った明治二年にして、この始末だったのである。
ふいに官軍に捕えられた十人の旗本ないし御家人《ごけにん》たちは、次々にここへ放り込まれた。
――もっとも彼らのいれられたのは、十二、三畳ある三番部屋であったが、狭くて暗くて臭《くさ》い牢格子の中であることに変りはない。
「なんだ!」
「どうしたんだ?」
「おれたちが何をしたというのだ?」
「上司を呼び、わけをいえ!」
「こんな目に合ういわれがない!」
彼らが格子にとりつき、ゆさぶり、わめきたてたことはいうまでもない。
伝馬町の牢は、官軍進駐以来、すでにその手に移っている。いや、彰義隊《しようぎたい》の存在をはじめ江戸の治安はまだ混乱中で、本格的な接収はまだしていないが、牢屋敷のいたるところに黒いだんぶくろの影があった。以前の通り幕府の牢役人はいるが、完全にその頤使《いし》の下に動いているようだ。
牢役人たちは、彼らのさけびにとり合わない、というより、牢役人自身何が何だかわからない、という態《てい》であったが、やがて、十人が揃《そろ》ってから、二、三日後、数人の官軍がやって来た。
しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶったその一人が、高札をぶら下げていて、それを格子の前で読んだ。
「過日以来、しばしば官兵を暗殺し、凶暴を逞《たくま》しうするの条、実に国家の乱賊たり。右の者見付け次第|誅戮《ちゆうりく》すべきはもとより、萬一これを知りて扶助|隠匿《いんとく》いたし候者は、賊と同断、厳刑に処すべきもの也。
慶応四年四月十五日
[#地付き]大総督府参謀」
その高札なら、彼らの中にも読んだ者がある。
しかし。――
「にもかかわらず、過日、またも官兵を三人も殺害し、神田小川町の屯所《とんしよ》の前にさらしたやつがある。そん手練から見て、旗本のしわざにきまっちょる!」
と、官軍は吼《ほ》えた。
「そん鼻をそいだ無惨の手口は、同じ下手人に相違なか!」
「実に、何ちゅうか、言語道断の痴《し》れ者。……」
「そやつが自訴して出るまで、そやつん代いうぬら旗本を斬ッ」
「明日から一人ずつ牢屋敷前にひき出して、たたッ斬ッ。泣け、わめけ、吼《ほ》えろ。ただし恨むなら、官軍殺害の下手人を恨むがよか!」
彼らは、憎悪に燃える炎みたいな笑いのどよめきをあげて立ち去った。――
あと、十人の男たちは、沼のように沈黙して坐《すわ》ったままであった。二、三の例外をのぞき、脳髄が氷のかたまりになってしまった。
「そんな、馬鹿な!」
地の底から軋《きし》り出るようにだれかがうめいた。
「見も知らぬ下手人の身代りに、わしたちを殺すとは!」
何人かが、どどっと立ちあがり、格子にからだをぶっつけていった。が、ふとい格子は鉄みたいに彼らをはね返した。
尻《しり》もちをついた一群の中から、ふいに号泣の声が起った。
そもそも、ふいに路上で官軍につかまったときから、まだその事態を信じられない者が多かった。そしていまや、それどころではない不条理な死の宣告を下されて、しかもそれを信じないわけにはゆかない状態にあることを彼らは知った。――
十人の男たちは、虫ケラではなかった。それぞれの人生があった。
ユーモラスで、活気に満ち、女も金も好きで、さまざまな危難を天寵《てんちよう》のごとく逃がれ、大金が自由になる身となって、惚《ほ》れぬいた女を救いにゆこうとしていた沼田万八。
人に善意をもって対すれば必ず酬いられる、いや、酬いられなくても善意を失ってはならぬという信念に満ち、姦通《かんつう》した妻も許し、はてはドクトル・ヘボンの伝道の使徒となり、妻を犯した男さえ許そうとしていた橋戸善兵衛。
いやがらせの仕放題で、その酬いで人には何度も裏切られ、しかも何をやっても臨時作業をしている気持で、はては虚無の漂泊の果て、自分が犯した女の夫に討たれてやるつもりで江戸に帰ったばかりの寒河右京。
死を怖《おそ》れぬ純情清潔の美少年で、いちどは彰義隊に加わることを決意しながら、恋人のために生きようと思い直し、しかもそのことを律儀《りちぎ》に、尊敬する大谷十郎左衛門に断わりにゆこうとしていた曾我小四郎。
死の哲学を説き、逃亡する旗本に詰腹《つめばら》を切らせ、裏切ったとなると愛する曾我小四郎さえも成敗することを辞せぬ、戦国時代の武者のごとき勇猛果敢の大谷十郎左衛門。
草双紙風のお家騒動をやって、何とか五千石を乗っ取った早瀬半之丞。
甲州の百姓から艱難《かんなん》辛苦、人殺しまでしてやっと侍のはしくれにかじりついた桑山軍次郎。
人がいい、というより半白痴で、蔭間《かげま》買いだけに興味を持つ鰻谷左内。
無気力で、当人も死にたくて死にたくてしようがないのに、運命のいたずらでなかなか死ねなくて、それに苦労していた田代|主水《もんど》。
人間ぎらいの殺人鬼――そして、これこそ官兵殺傷の張本人たる――久保寺民部。
文字通り十人十色、千差万別ながら、それぞれの涙と汗と――血にさえまみれた、重いいのちであった。
そのいのちが描き出した人生は、二、三の例外をのぞき、それが完結したと思っている者は一人もいない。
まだやりたいことがある。描き出したい未来がある。――
それが、突如として、まったく理不尽な切断を受けようとしているのだ。
号泣の底から、だれかまたさけんだ。
「こ、こんな馬鹿なことがあってたまるか!」
しかし、その馬鹿げたことが、ほんとうにその翌日から現実のものとなったのである。
その翌日のまひるごろ。
「一同、出い!」
官軍たちが、こんどは、二、三十人も、真っ黒になるほどやって来て怒号した。
水を浴びたような顔色で、一人一人|牢《ろう》から出るのを、たちまちうしろ手にくくりあげる。まわりを、ぐるっとスナイドル銃がとりまいて、抵抗はおろか、声を出すことさえ許されない鉄の包囲であった。
十人は、夢遊病者みたいに曳《ひ》かれて牢屋敷の門を出た。
門前の往来は、黒山のような人だかりであった。外は明るい初夏の日ざしなのに、彼らにはなぜか、軽い脳貧血を起したときのように薄明の世界に思われた。
門のすぐ外に、ひとかたまりに坐らせられた彼らは、そこに大きな高札が立てられているのを見た。
さきに官兵二十余人を殺害せる凶賊あり。あまつさえ近日また不敵にも三人の官兵を虐殺して、神田小川町屯所前に晒《さら》すの大逆をあえてせり。その下手人いまだ不明なりといえども、ただその手並よりして旗本の一類たることは明白なり。
ここにおいて大総督府、右下手人の身代りとしてここに旗本十人を馘《くびき》らんとす。この者ども罪あるにあらず、ただ右凶徒を罪して爾後《じご》の累悪を防がんがためなり。
よってこれより一日一殺の刑を万衆に曝《さら》し、下手人名乗り出づればすなわちやむ。
下手人、ひそかに見て、その惨に己の罪を悔ゆれば名乗り出よ。また下手人を知る者あらばただちに届け出づべし。以上。
大総督府参謀 中村半次郎」
さてこそ、群衆は、この高札を見て集まって来たのだ。
「おいこら」
と、官軍の隊長らしい、しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶった髯《ひげ》だらけの男が吼《ほ》えた。中村半次郎ではなかった。
「町人ども、こん中に知っちょる面《つら》はなかか? こいから、こいつら一人ずつ斬ッ。官兵を殺害した酬《むくい》じゃど! よっく見て、こん話、江戸じゅうに伝えろ。まッこと下手人が出るまで、毎日一人ずつ斬ッ。よく見ちょれ、毎日、見物に来るがよか!」
そして、そばの台にある大徳利から口づけに酒をいっきにあおると、白木綿《しろもめん》の帯に吊《つ》るした朱鞘《しゆざや》から、凄《すさま》じいだんびらを抜きはなった。
「だいでもよか、一人ひき出せ。それ、そいつじゃ!」
と、ほんとうにゆきあたりばったりに、一人を刀のきっさきで指《さ》した。
早瀬半之丞であった。
彼は指されても、ピクリともせず、白蝋《はくろう》のようにかたまって、坐っていた。それから、顔をあげて、だれにともなくつぶやいた。
「なるほど、うまくつじつま[#「つじつま」に傍点]が合う」
何の意味か、聞いたものはだれもわからなかった。彼はうす笑いを浮かべていた。
半之丞のそばへ官兵が寄り、ひき立てた。そして、隊長の足もとに敷いた莚《むしろ》の上に坐らせた。うしろ手にくくったままである。
「いまさら、見苦しい真似《まね》はしない。縄だけは解いていただきたい」
と、彼はいい、隊長の黙認を得て、手が自由になると、衣服をただしながら、
「もう一つお願いがある。聞いていただけるかどうかは存ぜぬが、あそこにおる鰻谷左内という仁《じん》、あれは世にいう半白痴《うすばか》でござるから、かかるみせしめに捧《ささ》げるには無用でしょう。……いざ!」
と、首をさしのべた。
「おおりゃあっ」
大喝《だいかつ》とともに、豪刀は一閃《いつせん》して、その首が飛び、血しぶきたててその上半身はうつ伏せになった。
――あとになって見ると、この第一番に斬《き》られた旗本早瀬半之丞の死にぎわは、スタイリストたる面目をとどめて、まずきれいなほうの代表であった。おそらく、この十年の歳月をかけて五千石の家を乗っ取った「色悪《いろあく》」は、実質以上に自分を悪人視していたのであろう。あるいは、そうして手にいれた家と女の虚《むな》しさに苦笑して、すでにすべてをあきらめていたのかも知れない。
第一日目はこれで終った。
九人は、もとの牢につれ帰られた。大半の者はまるで宙を踏むような足どりで、とくに桑山軍次郎などは人一倍頑丈なからだをしているのに、半失神状態で、両側から抱きかかえられて歩いていたくらいである。
牢格子の中に追い込まれると、ふいにわれに返ったような絶叫がわき上がった。
「おいっ、おれは官軍の人を知ってるんだ!」
かん高い声は、沼田万八のものであった。
「フランスの鉄砲を一千|挺《ちよう》も売ってやった人がある。たしか益満休之助とかいった。薩摩《さつま》屋敷のえらい人だ。その人を呼んでくれ。横浜運上所の沼田万八が、何かのまちがいでここにつかまっておると伝えてくれ! 急いでだ。急いでだぞ!」
大谷十郎左衛門も、桑山軍次郎も何かわめいていた。
しかし、わわあんという反響は、彼らの声だけであった。彼ら以外、伝馬町の揚屋牢《あがりやろう》にほとんど囚人はいないらしい。警戒に当っている数人のだんぶくろは、微動もせず、銃をついて棒みたいに向うにつっ立っているきりであったが、ふいにその一人がたまりかねたように、
「やかましいっ」
と、吼《ほ》えた。
「あまり騒ぎたてるやつは、またひきずり出して即刻たたッ斬るぞ!」
そこで、あえぎ声だけが渦巻き、やむを得ぬ沈黙の淵《ふち》となった。
やがて、その中で、ぽつんと独語したものがある。
「さっき殺《や》られたのは、たしか薬王寺前町の早瀬さんってひとだったな。これでつじつま[#「つじつま」に傍点]が合うとか何とかいったようだが。……」
寒河右京であった。
「あのひとが、どういうつもりでそんなことをいったのかわからねえが、おれなりの感想はあるな。人間、……死ぬときに、つじつま[#「つじつま」に傍点]が合ったと思って死ぬやつが、どれくらいあるかなあ? ここにいるみんな、いま、こんなことで殺されちゃつじつま[#「つじつま」に傍点]が合わねえと思ってるだろうが。……」
不精《ぶしよう》ひげをつまぐりながらいう。
「しかし、よく考えて見ると、死ぬとき、人間、どんな死にかたをしようと、たいてい本人は、つじつま[#「つじつま」に傍点]が合わねえ、こんなことになるはずがねえ、と首をかしげてるのかも知れねえぜ。たとえ、病死だとしてもよ。……」
いやがらせばかりしたり、いったりして来た男の、妙に――どこか、まだ冷嘲《れいちよう》の気味がないでもないが――しみじみした述懐の声であった。
「よくあることよ。これが人生というものさ」
「何を、悟ったようなことを!」
大谷十郎左衛門が吼えた。
「いくらそんなことをいっても、おれはこんな馬鹿げたことで首は斬られん!」
「ところがおれは、いつもこれはおれの人生じゃない、こいつは臨時作業だという気がして来た男だが……そんなおれに、つじつま[#「つじつま」に傍点]の合った死にかたが出来るとは少し不公平な気がする」
右京は、大谷十郎左衛門にはとり合わず、だれにもわからないことをいった。
「いや、官軍に首を斬られることじゃないぜ」
右京は橋戸善兵衛を見た。
「善兵衛さん、おれを殺してくれねえかね?」
「え?」
「おれはお前さんの女房を強姦《ごうかん》して、その味が忘れられねえで追っかけて来たお波さんを無慈悲にほうり出して、首を吊《つ》らしてしまった男だよ。だいたいね、官軍につかまったあの日、おれはお前さんに殺してもらおうと思って出かけていったのさ。だから、ここでお前さんに殺してもらうとつじつま[#「つじつま」に傍点]が合うってわけなんだ」
彼は、善兵衛の手をつかんだ。
「刀が無《ね》え。その両手で絞めてくれ」
善兵衛の、口をぽかんとあけた首は、グラグラしているだけであった。つかまれた両手首は、宙でブラブラしているだけであった。
「おい、善兵衛さん、お前の恨みをいまはらせ、さあ」
「ここで、そんなことは出来ない。……そんなことをすると、私は処罰される」
「何もしなくったって殺されることになってるんじゃあねえか」
「……とにかく、ここを出てからの話にしてくれ」
「馬鹿な! ここを出られると思ってるのか。だいいち、明日《あした》になりゃ、おれの首がすッ飛んでしまうかも知れねえんだぜ。……」
「お前はともかく、わしは無事にここを出る。こんなことを、イエス・キリストがお認めになるはずがない。……」
と、橋戸善兵衛はあえぐようにいい、けがらわしいもののように右京の手をふり払って、狂気のごとく十字を切り出した。
「おい。……おれが殺してやろうか?」
というひくい声がした。久保寺民部であった。
右京はふりかえり、うす笑いした。
「いや、ほかの人間じゃ、つじつま[#「つじつま」に傍点]が合わねえから御免こうむる」
もがく九匹の虫ケラみたいな九人を夜がつつみ、夜が明けて二日目が来た。
二日目。――
「まだ下手人は名乗り出んぞ!」
隊長の吼えるだんびらが指さしたのは、その橋戸善兵衛であった。
首の座にひき出されて、この善意の肉塊《にくかい》ともいうべきクリスチャンは、まだ自分の運命が信じられないもののように、ぽかんと蒼《あお》い空にうつろな眼をあげていたが、傍に隊長が仁王立ちになって刀をふりあげたとき、
「主よ!」
と、満面たたきつぶされたような醜い形相《ぎようそう》になり、次にはげしく首をふった。
「そんなものはいない!」
ひき裂かれた口から恐ろしいさけびが出た。
「神も仏もないとはこのことか!」
次の瞬間、その首は、どぼっという血しぶきとともに落ちた。
八人はまた牢に帰された。
桑山軍次郎が、号泣のような声をあげた。
「おらは侍じゃあねえ! おら、百姓だ。おら甲州の百姓だ! そいつを……あなた……若旦那、殿様! 官軍に証《あか》しをしておくんなさい!」
とりすがっている相手は、鰻谷左内であった。
「ああ、侍になるなんて、とんでもねえことをした! けんど、おら、旗本なんかじゃねえ、たった三十俵二人扶持……それも、なったばかりだ。まだ一合の米ももらっちゃいねえんだ。ほんとに侍なんかじゃねえことを、殿さま、官軍にいって下せえ、お願い、お願いでごぜえます。……」
ゆすぶられて、鰻谷左内の首は、まるで今にも抜け落ちそうに見えた。ツルリ、ノッペリとした顔は、赤ん坊みたいにその動揺が可笑《おか》しくなったと見えて、ニタリと笑った。
――かつて桑山軍次郎は、侍になるために、すんでのことでこの白痴の殿様を殺そうとしたのだが、まさか左内はそのことを知っていて笑ったわけではあるまい。
三日目の夜があけた。おとといの朝以来、世界が変ったような凄壮《せいそう》な夜明けの光であったが、その日はいよいよ暗い雨がふっていた。
隊長がわめいた。
「下手人はまだ自訴して来ん!」
雨の中に、処刑は続行された。いけにえは、なんと桑山軍次郎であった。
もう全身ぬけがらみたいになった軍次郎は、牛に似た眼を往来にむけていたが、突然、
「おつみ!」
と、絶叫した。その声も牛そっくりであった。
雨がふっているのに、往来の向うには、おととい、きのうに倍する群衆が集まって見ていたのである。蒼《あお》い顔もあったが、好奇心に眼をギラギラさせている顔が多かった。その中から、ケラケラという――正気とは思えない女の笑い声があがった。
同時に、この悪戦苦闘の結果侍になったばかりの男の猪首《いくび》が怪音を発して、変に黒味をおびた血が、雨とともに、凄《すさま》じい勢いで、地上を転がってゆくおのれの首にふりそそいでいった。
また闇黒《あんこく》の夜が来た。
「明日はだれかな」
寒河右京の声がながれた。
「おれは臨時作業から早く醒《さ》めたいものだが。……」
「わしではない。……わしは死なない」
うめいたのは、沼田万八であった。
「わしはついて[#「ついて」に傍点]おるんだ。わしには、いつも神さまがついておるんだ。……」
夜ふけて、ひくくうなりながら、なお泥の底の七匹の爬虫《はちゆう》のようにうごめいている群の中から、突然、鋭いさけびが起った。
「たわけ、何をいたすっ?」
つづいて、犬みたいな悲鳴があがった。
叱《しか》りつけたのは曾我小四郎で、悲鳴は鰻谷左内であった。
「きさま、何だ?」
少し離れたところで、寒河右京の籠《こも》った笑い声がした。
「ふ、ふ、ふ、鰻谷左内どのは湯島の蔭間《かげま》買いで有名なお人でござるよ、曾我さん、あなたがちょっとした美少年だから、思わず知らずふだんの癖が出たのでさあね」
「殺してやる!」
と、小四郎はさけび、また左内の悲鳴があがったが、すぐに、
「ええ、手をかけるのもけがらわしい。あっちへゆけ」
と、つき飛ばす音、ころがる肉の音がそれにつづいた。
そこでまた別のうめき声が聞えた。大谷十郎左衛門だ。
たしかに方角から見て、十郎左衛門の上に左内が倒れかかったに相違なく――勇猛無比の十郎左衛門がそれをただで置くはずはないと思われたのに、彼はただうめいているばかりであった。
だいたい、大谷十郎左衛門はおかしい。さっきからひとりでうなっていたのも彼だ。彼の苦悶《くもん》は、自分の身体に色情狂の男がぶつかって来ても、それを意識しないほどのものらしかった。
そのことに小四郎も気づいていたようだ。
「大谷さん」
ややあって、たまりかねたように彼は呼びかけた。
「どうなされたのです?」
「おれは死んではならんのだ。……」
と、十郎左衛門は答えた。
「おれは上野へゆかねばならん。ここで、こんなことで死んではならん。……」
「それは、わかります……」
小四郎はさけんだ。
「しかし、こうなっては、もうどうしようもありません。私は覚悟しました。……はじめ馬鹿馬鹿しいと思いましたが、今はそう思わなくなりました。……とにかく、暴虐な官軍を制裁した者がある。その身代りとなって死ぬのだ、と思えば、幕臣としてまた本望だと」
大谷十郎左衛門はまたうめいた。全然、小四郎の声など耳にはいっていないようであった。
「おれは死んではならん。……」
「死を怖《おそ》れるな、とは、あなたのお教えではありませんか!」
小四郎は、床《ゆか》をたたいた。
「侍は侍らしく死ね、と教えられたあなたが……もう、お黙んなさい!」
四日目。――
「まだ下手人は名乗り出ん! 恨むなら、その下手人を恨め!」
酔っぱらった隊長の刀は、曾我小四郎を指さした。
小四郎の最期は、実にみごとであった。ただ、その直前、眼を蒼空にあげて、「さようなら、お登和どの。幸福に」と、つぶやいたが、端然と坐った身体は、首が離れるまで微動だにしなかった。
その夕方、大谷十郎左衛門がさけび出した。
「このままでは、みな殺しじゃ!……この中から、だれか、一人、下手人だと名乗って出るよりほかはない。だれでもよい、一人出れば、向うの気ははれるのじゃ。……だれか、出てくれ!」
「あんたが出ればいいだろう」
と、いったのは久保寺民部であった。
「おれは死んではならんのだ」
十郎左衛門はまたやりはじめた。
「おれは、何としてでも彰義隊のもとへゆかねばならん。おれがいなければ、彰義隊が動かんのじゃ。いのちの重さがちがう。おれを助けることは、徳川三百年の恩顧に酬いる道といっていい。だれか、人柱に出てくれ。……」
寒河右京が笑い出した。身をよじり、ウヒ、ウヒ、というような声が混《まじ》った。十郎左衛門は血走った眼でにらんだ。
「おぬし、何やら、死んでもいいといっておったな、どうじゃ?」
「おれはいやだよ」
右京は笑いをとめ、そっぽをむいた。
「死ぬのはいいが、あんたの身代りで死ぬのはまっぴらだ」
「しかし、ほうっておけば、どうせみんな殺されてしまうではないか。それは犬死以外の何ものでもない。……」
「犬のように死にたい、というのがおれの夢だったのさ。それより、旗本八万騎の中でも勇士として聞えた大谷十郎左衛門どの、あんたのあっぱれな死にざまを犬の目で拝見してから死にたいね」
五日目。――
しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]の大刀が指したのは、大谷十郎左衛門であった。
彼の死にざまは凄《すさま》じかった。毎日、牢《ろう》から出るたびに縛られる縄を解けといっても、その巨体と面がまえと挙動から危険性をおぼえたと見えて解いてくれず、うしろ手に縛られたまま斬られたのだが、その大きな肉体をごろごろと地に投げ出し、ころがりまわったのである。
「助けてくれ! 許してくれ!」
それは、小伝馬町一帯をつん裂くような号泣であった。
「おれは官軍を――官軍さまを斬ったやつを恨む、呪《のろ》う――だから、どうかかんべんして下され!」
いさぎよい死こそ武士の生きる目的と壮語し、戦いの中では部下をあえて死地に突入させることに何のためらいも見せなかった、この戦国時代の武将のような男が。――
隊長は持て余し、呆《あき》れたように見下ろし、ついに舌打ちして配下に命じて、この大きな芋虫《いもむし》を地上に押えつけさせた。
「この未練もん!」
そして、のしかかって、俎《まないた》の上の鯉《こい》みたいにねじ切りに斬り離した。それに至るまでの、大谷十郎左衛門の絶叫といったらない。
あとで、牢に帰ってから、沼田万八が急に妙な声を出して嘔吐《おうと》しはじめたくらいである。
「人さまざまだなあ」
乾《かわ》いた声で、寒河右京が独語した。
「何とかを見なけりゃ、人間ってわからねえもんだとよくいう。その何とかはいろいろあるだろうが、首を斬られるときのざま、というのが一番|鑑定《めがね》になるかも知れねえ。……明日は、だれかなあ?」
沼田万八はキョトンと顔をあげた。胃袋まで吐いたような表情であったが、ふいに、
「わしではない!」
と、さけび、それから、ものに憑《つ》かれたようにいい出した。
「わしにはわかる。みなの衆、いま、わしに霊感があった! わしには神仏がついておるから、まちがいない。……明日《あした》、ひき出される前に、必ず下手人が名乗って出る!」
向うの羽目板に、虚脱したように両足投げ出していた田代主水が、隣りの久保寺民部につぶやいた。
「下手人は、出ないよなあ、久保寺。……」
「どうして?」
「下手人は、お前さんだもの。……」
ほかのだれにも聞えない声であったが、久保寺民部はぎくっとひかる眼をすえた。
「おぬし、知っておったのか。……」
手が、無意識に腰をさぐり、そこに何もないのに気づくと、指が鉤《かぎ》みたいに曲った。
「殺してくれ、おれは死にたいんだ」
と、田代主水は、うつろだが、変に明るい顔をむけた。
民部は嗄《か》れた声でささやいた。
「それを知っていて、なぜいままで黙っていたんだ」
「いや、いろいろと考えたんだがね。……それを訴えて、おぬしだけが処刑されると、こちらが死ねなくなるおそれがあるからね。……おれは半分こわがり、半分たのしみで、首を斬られるときを待っているのだよ。こんどは大丈夫だろう。……」
彼は、実は出て来たばかりの牢へ、またいれられたのである。この前、てっきり首になると思って安心していたのに、あてがはずれて釈放されたので、だいぶ疑いぶかくなっていたらしい。
向うでは、寒河右京が話しかけていた。
「おれの人生は臨時作業みたいなもんで……それが、首を斬られたとたん、ぱっと眼がさめて、おれのほんとうの人生が始まるような気がしてならないんだが、鰻谷家の若殿、どうですかね?」
聞かれた鰻谷左内は、赤い唇をニヤリとさせただけであった。その口のはしから、よだれが落ちた。右京は苦笑した。
「いや、この人は、斬られたとたん、正気にもどった首になるかも知れねえ。……」
六日目。――
犠牲者は、人生について[#「ついて」に傍点]いるはずの沼田万八であった。斬り離されても活気に満ちた彼のまんまるい首は、びっくり仰天したような顔をしていた。
あと、残るは、四人。
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牢の外・いのち一人
見物の群衆の中に、戸祭隼人《とまつりはやと》がいた。
彼は三日目から、その恐ろしい処刑を見たのである。
あの日以後、戸祭隼人は品川《しながわ》へ往来して寧日《ねいじつ》もなかった。品川の沖には、榎本武揚にひきいられる八隻の幕府艦隊が碇泊《ていはく》して、江戸と徳川家のなりゆきをぶきみに注視していた。江戸に進駐した官軍も海上のこの艦隊には手を出せなかったが、船のほうではバッテイラを下ろしてひそかに陸上と連絡している。隼人はそのために品川に往来していたのだ。
そのうち彼は、ふと噂《うわさ》を聞いた。――官軍の処刑の話を。さきごろからの頻々《ひんぴん》たる官兵殺傷事件にごう[#「ごう」に傍点]を煮《に》やした官軍当局が、その報復と防止をかねて、罪なき旗本を十人とらえ、牢屋敷《ろうやしき》門前で、一日に一人ずつ斬《き》ってゆくことにしたらしい、という巷説《こうせつ》を。
それで隼人は、雨の日だったというのに伝馬町に走って、それを見たのだ。噂は事実で、その処刑は大道で公開されていた。すでに前々日と前日に一人ずつやられたという。――
だから隼人は、三人目の桑山軍次郎の斬刑から目撃したわけだ。
一万数千に上る旗本御家人をいちいち隼人が知るわけはない。――まして千石取りの彼が、御家人のその男を知るはずはなかった。そもそも、その男は、どうやら御家人の株を買ったばかりの男であったようだ。
それだけに、その悲惨な光景は隼人に衝撃を与えた。
官軍がこの暴挙を思いついたのは、以前からの二十余人に上る官兵殺傷によるものだが、それに踏み切ったのは、先日の神田小川町の屯所《とんしよ》に晒《さら》した隊長をふくむ三人の殺害であることは、そこに立てられた高札から明らかであった。
進駐以来の殺傷は知るところではない。しかし小川町屯所前の晒し首はまさに自分の所業だ。
――そのために、あの男は無実の罪で殺されようとしているのだ!
事実、その牛のような男の首は斬られた。
戸祭隼人はその光景に眼を覆ったが、しかし、さればとて自分が名乗り出る気にはなれなかった。
自分の行為はやむを得ない。なんといわれようと、あれはいたしかたのないことであった。夜にはいって自分の家に乱入し、母を卒倒させ、恋人に暴行を働こうとしていた光景を見ては、血も逆流してこれをたたッ斬らずにはいられなかった。――
そのあと、それら官兵の首を、官軍屯所前に鼻まで削《そ》いで晒したのは、あとになって冷静になって考えれば少々ゆきすぎではあったが、あのときの憤怒は、それでもなおあき足りぬくらいであったし、また進駐以来、江戸市民に加えられる官軍の暴虐に天誅《てんちゆう》を下し、彼らを畏怖《いふ》させるという目的もあったのだ。
だから、いまもその行為に悔いはなく、自首するなどいう気は露ほどもなかったが、しかし自分の身代りに別の人間が殺され、それをまざまざと見たということは、隼人の胸に鉄塊のようなものを残した。
しかも、彼は、無目的に――まるで、見てはいけない恐ろしい火にひきずり寄せられる虫のように、またその翌日、伝馬町にゆかずにはいられなかった。
その日、斬られたのは、まだ少年の面影を残したりりしい曾我小四郎であった。
その最期があまりいさぎよかっただけに、隼人の打撃は前日に数倍した。小四郎が首の座にひきずり出され、その頭上に大刀がふりあげられたとき――隼人は、われを忘れて人々をかきわけ、
――やめろ、その若者を殺すな!
という声が、のどの奥からほとばしりかけたほどである。
――下手人はおれだ!
さすがに彼はそのさけびをのみ、踏みとどまり、ただ張り裂けるような眼で、その若者の清爽《せいそう》な首が地に落ちるのを見まもった。
隼人は蒼《あお》い顔で、よろめくようにそこを立ち去った。
おれは名乗り出るべきであろうか、という考えがちらっときざしたのは、その日がはじめてであった。
しかし、すぐに彼の頭に、母と恋人の姿が浮かんだ。
もとより隼人は、その母や恋人と、これから暮そうと思ってはいない。こんな事件が起らなくても、事態はそんなことを許さない。彼は、やがて、十中八、九まで江戸湾を脱走する幕艦に乗って蝦夷《えぞ》へゆくつもりだ。
そして隼人の怖《おそ》れていたのは、そのことをちゃんと母が見ぬいていて、自分の脱走とともに自殺するのではないかということであった。だから、それを防ぐために恋人のお縫によく世話を頼んで、母とともに川越へ落ちてもらおうと考えていたのだ。
自分から見ても、あっぱれな母であり、頼み甲斐《がい》のあるお縫という娘であった。
その二人が、まだそばにいるというのに――彰義隊にでもはいってはなばなしく戦うというならまだしも、伝馬牢に自首し、あのように乱暴至極な官軍に、大根のように斬られるとは? それを知ったら、あの二人は発狂するだろう。
そんな愚行は、断じて出来ぬ!
しかし、戸祭隼人は、その翌日、憑《つ》かれた人のように、またそこへいった。――
そして、大谷十郎左衛門の死を見た。大谷は旗本の中でも有名な男であったから、隼人も知っていた。勇者として聞えていたその男が、縛られたまま地面を転がりまわり、押えつけられて悲鳴をあげながら首を切断されるという、無惨とも酸鼻《さんび》ともいいようのない光景を目撃させられたのである。
隼人はそれに軽蔑《けいべつ》を感じるどころではなかった。
当然なことだが、人間が死ぬとは大変なことだな、と、こみあげる嘔吐《おうと》感とともに嘆声をあげずにはいられなかった。
伝馬町を立ち去りながら、戸祭隼人は、自分の足が、いつのまにか屋敷のある番町にではなく、赤坂氷川のほうへむいていることに気づき、勝安房守の姿が頭に浮かんでいることを知った。
――勝さんに打ち明けよう。
彼は、燃えるような頭でうなずいた。
――そして、自分はどうすべきか、お教えを乞おう。
やがて隼人は、赤坂の溜池《ためいけ》橋を渡っていった。
現代は地名のみをとどめている溜池は、その昔より徐々に埋め立てられてはいるが、このころまだ茫々《ぼうぼう》といっていい沼のような水面をひろげていた。そのほとりに、小屋ともいえない小屋がならんでいるのは、非人の住居であった。橋の下にもそれがある。
そして、橋の上にも、十数人の乞食《こじき》がならんで、剥《は》げ椀《わん》を前にひたいを地面にくっつけていた。その中には、髪を蓬々《ぼうぼう》とさせた女乞食や、裸にちかい子供まで見えた。
それが、人が通りかかると、いっせいに悲しげな声を張りあげる。
「右や左の旦那《だんな》さま、哀れな乞食に、どうぞお恵みを。――」
官軍が江戸にはいって以来、市中騒然と殺気立っていて、施しをするなどという余裕が市民からなくなっていたので、彼らも必死なのであった。
むろん、これと大同小異の光景は昔からあったことだから、戸祭隼人の眼の中にもはいらない。
橋の中央あたりまで来たとき、背後でただならぬ地ひびきが聞えた。
はっとしてふりかえると、しゃぐま[#「しゃぐま」に傍点]をかぶった隊長を乗せた一頭の馬と、それを囲むだんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]の官兵のむれだ。本能的に隼人は刀のつかに手をかけて、橋の、乞食の行列とは反対の側に飛びのいた。
しかし、それは隼人などを目的としたものではなかったらしい。彼のほうには眼もくれず、魔風のように橋を駈《か》け過ぎていったのだが――その刹那《せつな》、
「きゃあ!」
という、たまぎるようなさけびがあがった。
その寸前、いったい何を昂奮《こうふん》したのか、三つ四つの河童《かつぱ》みたいな子供が橋のまんなかに飛び出し、それを追って泳ぎ出した女乞食があった。その女乞食が馬蹄《ばてい》の下になってあげた悲鳴であった。
数間、橋をゆき過ぎて、騎馬はとまった。
隊長は馬上からふりかえった。鬚《ひげ》をはやした壮美な男であった。
女乞食の顔は、朱を浴びたようであった。頭を鉄蹄で蹴《け》られたらしい。手足は真っ黒なのに、ひっくりかえってむき出しになった腹は、そこだけつやつやと白く初夏の日にひかって、なんと臨月の腹にまぎれもなかった。
「汝《わい》! 見てやッとよかが!」
隊長は、一人の部下にあごをしゃくった。
そして、そのだんぶくろ[#「だんぶくろ」に傍点]が橋へ駈け戻るのを見ると、びしっと鞭《むち》をくれ、また猛然と駈け出した。あとを官兵たちが、砂けむりをあげて追ってゆく。
これは、戸祭隼人は知らなかったが、官軍参謀中村半次郎であった。
彼らは先刻、この先の町で数人の官軍が町の無頼の集団にとりかこまれて殴打されているという急報を受け、そこへ真っ黒になって駈けつける途中の出来事であったのだ。
あやうく蹄《ひづめ》にかけられそうになった子供は、火のつくように泣いていた。
あとの手当を命じられた官兵は、女乞食のそばに寄り、顔をしかめながら抱きあげようとしたが、ふいに、
「うひゃ!」
と、いうような奇声を発した。
気絶したのか、それとも死んだのか――ひっくり返ったまま、ピクリとも動かなかった女乞食の足のほうへ、変な音とともに、パシャパシャと血まじりの液体があふれて流れ出したからだ。
乞食たちも駈け寄った。
「あっ……餓鬼《がき》が産まれる!」
と、乞食婆あがさけんだ。
官兵は飛び下がり、名状しがたい表情で、それからの騒ぎを眺めていたが、やがて舌打ちし、もう自分の手におえないといった顔で、いま仲間が消えていった方向へ駈け出した。
「こら、おかつ!」
「死んだのか。……わりゃあ、死んで子を産むつもりか」
「いや、息はある。とにかく顔を水で洗ってやれ!」
乞食たちは、わけのわからない状態になったその乞食をかついで、一団となって橋の下へ下りてゆき、池近い一軒の蓆《むしろ》小屋へ運び込んだ。
やがて婆あ乞食が手桶《ておけ》をかかえて、水を汲《く》みに駈けてゆく姿が見えた。
戸祭隼人は、橋の欄干《らんかん》からそれを眺めていた。
ふだんなら、それなりに好奇心を向けるべき椿事《ちんじ》であったが、実はいま彼の頭を占めていたのは、まったく別のことであった。
蝦夷《えぞ》へいったあとの自分のことだ。
さっき、ちらっと頭を掠《かす》めたことにはちがいないが――この場合、そんなことを考え出したのは、あるいはいま、この橋の上から、江戸の腫物《できもの》、虫ケラの巣のような非人小屋の集落を俯瞰《ふかん》して、逆に壮大な未来が描き出されて来たのかも知れない。
彼は、榎本武揚に心酔していた。隼人自身、十年ばかり前、勝の弟子として長崎海軍伝習所で訓練を受けたことがあるのだが、オランダ帰りの榎本は、その道にかけても、まさに将たる器《うつわ》の人であった。のみならず、機械、冶金《やきん》、鉱物、化学、植物、地理、気象、ゆくとして可ならざるなき大知識人でもあった。
蝦夷へいったら、海軍をもって官軍を防ぎつつ、その地に一独立国ともいうべき国を建設したい、というような夢を、一度ならず榎本はもらしたことがある。
おれは、何もかも榎本さんから吸収したい。そして、その夢の実現に協力したい。――さらに、逆にあの野蛮な薩長の田舎武士どもを慴状《しようふく》させ、やがて新しい日本を創《つく》り出すのだ!
いうまでもなく蝦夷は氷雪の地だが、初夏になれば果ても知れぬ緑の大地に万花がいっせいに咲き乱れるという。いまがその季節だ、と榎本さんはいった……。やがて、おれはそこへ、母とお縫を呼んでやろう。
戸祭隼人は欄干から身を離し、ふと橋の上に一人とり残されて泣いている乞食の子を眺めた。
「これ、いまかつがれていった女は、おまえの母《かか》か?」
と、彼は聞いた。子供は泣くのをやめ、キョトンと彼を見あげて、うなずいた。
「そうか。ではこれを母のところへ持ってゆけ」
彼は小粒を紙にひねって子供に渡すと、橋から歩き出した。
勝安房の住む氷川のほうではなかった。自分の家のある番町の方角であった。
しかし、彼は、六日目もまた伝馬町へいった。
甘美な大きな夢を描いて帰ったのに、彼はその夜安眠が出来なかったのである。まことの夜の夢に現われたのは、恐怖にむき出された牛のような眼球や、血しぶきをあげる美少年の首や、耳を覆いたいような断末魔の苦鳴であった。
そしてその日、彼は、ふとって愉快そうな顔をした――ただし、よく見れば、人間の風船玉みたいになった沼田万八の――打首の刑を見た。
明日《あした》もやられる。
あさっても、また斬られる。
それから、次の日も、次の日も。――まったく罪のない人々が。
戸祭隼人の足は、逃げるように、また吸い寄せられるように赤坂氷川へ向っていた。
自首すべきか、黙視すべきか。
自首した場合、自分に訪れる運命は明白だが、黙視した場合。――その先に、何が待っているか。
隼人は、自分の胸に描かれていたあの壮大な夢が、きのうの曙色《しよしよく》を失って、この数日に見た生首や血や悲鳴に彩られた悪夢のような曼陀羅《まんだら》図となっているのを感じた。
彼が氷川の勝安房守の屋敷についたのは、もう昼をだいぶまわった時刻であった。その日は珍しくその門のあたりに人影は見えなかったが、聞くと、勝は、大総督府に呼びつけられて、朝から芝増上寺へ出かけて留守だという。――
やむなく、辞去しようとすると、その勝が蹄《ひづめ》の音とともに帰って来た。いつかのように馬丁一人だけをつけた軽やかさであったが、ふだんとちがって恐ろしく難しい顔をしていた。
「勝先生」
隼人は呼んだ。
「おう、お前か」
勝は、馬上から見下ろして、
「お前、まだウロウロしているのか」
と、いって、馬から下り、馬丁に手綱をわたしながら、
「隼人、お前。……官軍を斬ってまわっておる旗本を知らねえだろうなあ?」
と、聞いて来た。隼人は、はっとして、とっさに口もきけなかった。
「いや、まったく馬鹿なやつがいるもんだ。おめえなんか、知らねえだろうなあ。……また大総督府に呼びつけられて、例のきちがいがまだつかまらねえ、江戸市中の治安取締りを命じたはずだが、どうしたって、さんざん中村ってえ参謀に油をしぼられて来たから、つい聞いただけなのさ」
勝はほとほと困惑し切って、ただ溺《おぼ》れる者は藁《わら》をもつかむ態《てい》で、隼人に質問しただけらしかった。
「下手人は、旗本にちげえねえ、と中村参謀はいう。おれもそう思う。……それに、せんだって、また三人を斬って官軍の小川町|屯所《とんしよ》の前に鼻まで削《そ》いで晒《さら》し首にしたやつがあったってねえ。その中に薩摩の隊長格がいたそうで、参謀はかんかんになってるのさ」
勝は重い足どりで玄関のほうへ歩きながらいった。
「それで、五、六日前から、手当り次第につかまえた旗本を、一日一人ずつみせしめに斬ってるそうだな。その話はおれも聞いて、ひでえことをしやがると呆《あき》れてたんだよ。下手人が出ねえからしょうがねえって中村参謀はいうんだがね。これ以上官軍の犠牲者を出さねえためにも、一殺多生、とか何とかいってたが、そいつが、一殺、どころの騒ぎじゃねえ」
勝は唇をかんだ。この人には珍しい、苦悶《くもん》にちかい表情であった。
「多殺多生もやむを得ん、というんだ」
と、息を吐いていった。
「さしあたり、往来を歩いてた旗本を十人つかまえて――きょうまで六人斬らせたが、まだ下手人が出ねえ、という。出ねえのァ当り前だと思うんだが、向うはすっかりのぼせあがっておる。出るまで斬る。下手人は雲がくれしていたって、知ってるやつはほかにもあるはずだってんだ。それが訴えて出るまで、十人ですまなきゃ、また新しくつかまえて、百人でも二百人でも斬るってんだ。あの参謀なら、やるかも知れねえ」
隼人は顔から血の気がひいて、それをどうすることも出来なかった。
「それがいやなら、勝、お前のほうで探《さが》し出してつかまえろっていうんだが、弱ったねえ。下手人のほうも、親の心子知らずってのァこのことさ。こっちがこれだけ、人の命を無駄にしめえと心を砕いてるのに、しようのねえ馬鹿がいるものさね。――とにかく、おれから、罪のねえ人を殺さねえために、下手人に早く自首して出てくれろってえ布告を出すよりほかはねえが。……」
「勝先生」
心の苦しみにたえかねて、隼人は叫んだ。
「その下手人のほうにも、それだけの理由があったのではありませんか?」
「人を斬り、またそのために人が斬られる、なんて騒ぎをひき起す理由など、まあないよ」
「……そんなに、人の命が重いものですか」
勝はふりむいた。隼人は眼をそらし、空を見ていった。
「人の命より、もっと重いものがある。……」
「本人にとっちゃ、自分の命より重いものはないさ」
と、勝はいった。
「武士の意気地とか何とかいうが、お前も、そんなものが命より重いというのかえ? そう思うなら、思うやつだけ武士の意気地のために死ぬがいい。ひとさままで巻きこむことァねえ。だいたい、そんなことをふりまわすやつに限って、奇妙に人の命はゴミ扱いにして、自分の命だけは意気地以上に大事にするやつさ。そんな手合《てあい》ばかりだから、徳川家がこういう始末になったんだ。おれから見ると、そんな意気地のあるやつは、旗本八万騎なんかより、もっと下っぱのやつ、あるいは町人百姓の中に多いね」
「…………」
「ここ数年、異人とやり合い、薩長とやり合う矢面《やおもて》に立った、川路さんにしろおれにしろ、三十年も昔なら侍のうちにもはいらねえゴミの出だったんだよ。威張るわけじゃあねえ、どこにどんな人間がいるか、長い目で見なけりゃわからねえってことをいいたいだけなのさ」
「…………」
「まして、侍なんぞとは縁もゆかりもねえ人で、もっとえらい人間は雲のごとくいらあな。何が大事か、何に値打ちがあるか、人の物差《ものさし》はさまざまだからな。しかも世の中は変って、物差はいよいよふえたよ。……こんなことを含めて、江戸市民百万を火で焼くようなことがあっちゃ、お国のために申しわけねえとおれは渾身《こんしん》の働きをして来たんだ」
「…………」
「武士の意気地とか、痩《や》せがまんとか、そんな一つの物差で、人間を殺すことはいけねえ。一人だって死なせることは出来ねえ。……隼人」
「――は?」
隼人は、足はよろめかなかったが、心の中では、そう呼ばれただけで倒れそうな打撃を感じていた。
「まさかお前が、あんなことをやるほど馬鹿だとは思わねえが、ひょっとしたら、お前下手人を知っているんじゃねえかえ? もし知ってたら、そいつにいってやってくれ」
勝のくぼんだ眼が、隼人を見すえていた。
「名乗り出ねえのは、自分の命を重いと感じてるからだろう。その通り、ほかのだれだって、それぞれの命は重いんだ。そう思って、名乗り出てくれとな」
「…………」
「ところで、お前、何の用で来た?」
「それは」
隼人は狼狽《ろうばい》し、苦悶にみちた顔で口走った。
「少々考えるところあり、のちほどまた参上いたします」
「そうか? じゃ、また」
勝はふりかえりもせず、スタスタ玄関のほうへ歩いていった。
どんな場合でも、ものに鈍重にこだわらぬ人である。いちいちこだわっているほど、ひまではないのかも知れない。――いま下手人を隼人が知っているのではないかといったが、どこまで看破してそんなことをいったのか、見当もつかなかった。
戸祭隼人は、夢遊病者のように勝の屋敷を出た。
勝の言葉は彼を打ちのめした。しかし、まだ彼を決心させたわけではない。――
「……とのさん、とのさん」
ふと、うしろで可愛らしい声が聞えた。
ふいに手をつかまれた感触をおぼえ、彼はそこに小さな乞食の子を見出し、そこが夕日さす溜池橋の上であることに気がついた。
「とのさん、おあし、ちょうだいな」
乞食の子は、まわらぬ舌でいった。
「こ、これ、この餓鬼!」
「お武家さまに、何さらすっ」
あっけにとられていた橋の上の乞食たちが、あわてて手を出した。
隼人は、それがきのうの乞食の子であることを思い出し、反射的に笑顔を作った。子供は、自分をおぼえていて、駈けつけて来たらしい。
「これ、母《かか》はどうした?」
「あかちゃん、うまれたよ」
「ほう? あれが?」
隼人は、馬に蹴られて顔じゅう血だらけになり、ひっくり返ってピクリとも動かなかった女の姿を思い出し、さすがに驚きをおぼえた。
「無事に赤ん坊を産んだか?……それは、よかった」
「きて、みて、みて」
と、子供は手をひっぱった。
隼人はうろたえ、かつ、そんなことをしていられる場合ではない、と思って叱《しか》りつけようとした。が、乞食の子の信頼し切った眼を見ると、思わず知らず、その力にひかれて橋の袂《たもと》のほうへ歩き出した。
乞食たちは、騒ぎ出した。「こりゃ、また何てことを」と口走りながら、追っかけて来た者も、七、八人ある。
橋の袂から、急な道を、隼人は、なおためらいをおぼえながら下りていった。
さきに子供は駈《か》けていって、一軒の非人小屋に飛び込んだ。何かさけぶ声がして、中からあわてて、一人の老婆がころがり出て来て、土下座した。
もう、見てやるよりほかはない。
隼人はつかつかと小屋に近づいた。
そして、入口に垂れ下った蓆《むしろ》をひらいて、のぞきこんで、まばたきした。
小屋の中に、赤い夕日がさしこんだ。その奥に、きのうの女は何か木箱みたいなものにもたれていた。が、その首はがくりと横になったきり、動かない。眼をとじた顔は、血こそ洗われているが、その代り白蝋《はくろう》のようだ。
両側から、二人の乞食女がささえている。のみならず、その一人は裸の赤ん坊を抱いて、「母親」の胸におしつけている。――赤ん坊は、大きな乳房に吸いついていた。
「おい……生きているのか?」
女の一人が、首を横にふった。隼人は、ぎょっとした。
「死んでおるのか?」
もう一人の女が、首を横にふった。隼人は、女の乳房のあいだからしたたり落ちる液体を見た。
それはたしかに乳汁《ちち》であった!
「おかつは、もう冷たくなっております。赤ん坊を産んで、まもなく息をひきとりやした。……」
足もとの老婆が土下座したままいった。
「それでも乳汁《ちち》が出るんでごぜえます。……うんにゃ、やや[#「やや」に傍点]が吸い出しちまったんで。……」
老婆は顔をあげて、つぶやいた。
「人間、生きようってえ力は、凄《すげ》えもんでごぜえますなあ!」
乞食姿にふさわしくない哲学的な感嘆詞であった。
しかし、老婆はそういうよりほかはなかったろう。それが老婆の心からなる感動の言葉であったろう。
死せる母から流れ出る乳汁《ちち》、それを必死に吸い出している嬰児《みどりご》。……戸祭隼人は、茫然《ぼうぜん》として夕焼けの乞食小屋の前に立ちすくんでいるばかりであった。
その夜、戸祭隼人は、許婚者《いいなずけ》のお縫を呼び、母と二人に、はじめて自分が明朝早く家を出て、品川にゆき、そこに碇泊している軍艦に乗り込むつもりだと告げた。船が出る予定はまだ決まってはいないが、都合上、自分はそのまま、もはや江戸の土を踏むことはないだろう、といった。
「それは、覚悟していました」
と、母は落着いていった。
ここ数日、隼人の挙動が異様なのを不安そうに眺めていた母であったが、いまの隼人の言葉に、かえって腑《ふ》におちた表情をした。――母はかんちがいをしたのである。
お縫には、以前幕艦脱走のことはいってあったのだが、それにしてもこう急に隼人と別れることになろうとは思いがけなかったらしい。――彼女の隼人を見る眼は、みるみるうるんだ。
隼人は、蝦夷の話をした。
花とアイヌと新しい国と。――自分が夢みていたよりも、十倍も美しく。
そして、必ず迎えの使者をよこす、と彼はいった。二人が津軽《つがる》まで来たら、軍艦で迎えにゆく、とまでいった。
「ついては」
と、彼はお縫にいった。
二人がこのまま江戸に残っていても、江戸はどうなるかわからない。彰義隊のこともあり、江戸じゅう焼野原になるかも知れない。だから、その前に、二人で老|中間《ちゆうげん》の実家のある川越に落ちてもらいたい。二人を送り出したら、自分も安心して船に乗って走ることが出来る。――
「わかりました!」
はじめて明るい眼になって、お縫はうなずいた。
戸祭家はひと騒ぎになった。小者や下男下女を動員して、夜を通して、川越へ落ちる支度にとりかかったのである。
まっさきに働きながら隼人は、これも甲斐甲斐《かいがい》しく働いている姉さまかぶりの母とお縫を無限の想いのこもる眼で眺めやった。
とくに、お縫には。――
ついにあの許婚者《いいなずけ》を抱く機会はなかった。いちどは、別れるまえにしっかりと身体で誓っておこうと考えたこともあったのだが――もはや、そのいとまはない。
……それもまた、よかろう。
……しかし、この二人は、これからどうなるのか?
……神よ、母とあの娘を護り給え!
きれぎれに明滅する想念の中に、切支丹《キリシタン》を知らぬ隼人も、最後はそんなさけびをあげずにはいられなかった。
やがて、初夏の早い夜明が来た。
彼らは新しい旅装束を着、別れの盃《さかずき》を口にあてた。――水盃ではなかった。
一台の荷馬車、二台の大八車、それに二挺《にちよう》の駕籠《かご》――母とお縫と、供の男女が北へ走ってゆくのを、明けたばかりの光の中に見送ると。――
「さて」
と、隼人は蒼《あお》い空を見あげた。
それから、深呼吸して――生まれたときから見馴《みな》れて来たまわりの風景を見わたした。
「みんな、生きろ。……」
彼はふとい声でつぶやき、その太陽へ向って歩き出した。一歩ずつ、だれが見ても、やがて軍艦に乗って新しい世界へ向う男としか見えぬ、堂々たる足どりであった。
しかし、彼の向うさきは、品川ならぬ伝馬町であった。
戸祭隼人の姿を吸いこんだ牢屋敷の黒い門がまたひらかれたのは、それから半刻《はんとき》のちであった。
吐き出されたのは、四人の男だ。
この世になんの希望も持たない寒河右京。
死にたくて死にたくてたまらない田代主水。
殺人狂久保寺民部。
半白痴の鰻谷左内。
彼らの身体に、縄はかかっていなかった。――彼らは、わけもわからず釈放をいい渡され、そこを追い出されたのである。
「やっぱり臨時作業のような気がしておったよ」
と、寒河右京がつぶやいた。
「しかし、これからまた次の臨時作業がはじまると思うと憂鬱《ゆううつ》だな。……」
「どうしておれはこう死ねないのかな?」
と、田代主水がうつろな声で話しかけた。
「おれに聞いてもわかるものか」
と、久保寺民部が憮然《ぶぜん》といって、そっぽをむいた。
六人の人間の血のしみこんだ場所に立って、鰻谷左内は黙って蒼い空を見あげていたが、やがてその赤い唇にタラリとよだれをこぼすと、
「おッそろしく、きれいな朝だ。……」
と、白痴らしくない感想をもらした。
四人は歩き出した。……口ではともかく、いや、心ではともかく、四人の眼にはいずれも肉体の歌い出す生のかがやきがあった。
生きている人々にはありふれた太陽が、そして死にゆく人には最後の、美しい、恐ろしい太陽は、天空に待つ「その時」へ向ってしずかに動きつつあった。……
本書には今日の人権意識に照らして不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品執筆時の時代背景や作品が取り扱っている内容などを考慮しそのままとしました。作品自体には差別などを助長する意図がないことをご理解いただきますようお願い申し上げます。
[#地付き](角川書店編集部)
角川文庫『修羅維新牢』昭和60年2月10日初版発行