山田風太郎明治小説全集8
エドの舞踏会
目 次
エドの舞踏会
序曲・鹿鳴館への誘い
井上馨夫人
伊藤博文夫人
山県有朋夫人
黒田清隆夫人
森有礼夫人
大隈重信夫人
陸奥宗光夫人
ル・ジャンドル夫人
終曲・鹿鳴館の花
関連年表
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序曲・鹿鳴館への誘い
一
「行程一時間、この舞踏会への列車はエドに着く」
小説「お菊さん」で知られるフランスの作家ピエール・ロティは、明治十八年の新橋停車場の風景をこんな風にかく。彼は東京を故意にエドと呼んでいる。
「私たちはロンドンかメルボルンか、それともニューヨークにでも到着したのだろうか。停車場の周囲には、煉瓦作りの高楼が、アメリカ風の醜悪さでそびえている。ガス燈がならんでいるので、長いまっすぐな街路は遠方までずっと見通せる。冷たい大気の中には、電線がいちめんに張りめぐらされ、さまざまな方向へ、鉄道馬車が鈴や警笛の音をたてて出発する。
とかくするうちに、先刻から私たちを待ち受けていたらしい、全身黒衣の見なれぬ男の一群が、私たちを迎えに飛んで来る。それはジン・リキ・サンである」
当時、東京に電線がいちめんに張りめぐらされていたというのは、ロティの回顧による錯覚と思われるが、それはともかく、その明治十八年の、正確にいえば十一月五日の午後四時ごろ、ちょうど横浜から汽車が到着して、降りて来る人、これから乗ろうとする人、さらに右のごとく人力俥のむれが雑踏している新橋停車場前の広場に、一台の馬車がとまった。
四人乗りの、あきらかに大官用の箱馬車だ。
そこから一人の異人が下り立った。しゃれた口髭をはやし、粋《いき》な士官姿の――どうやら海軍将校らしい服装で――その異人は馬車に向って挙手の敬礼をし、これも地に下りた御者《ぎよしや》に、「メルシイ」と会釈《えしやく》して、停車場のほうへ大股《おおまた》に歩み去った。
御者が、馬車の扉をしめようとすると、
「待て」
と、中の人物が窓の外を見て大声をかけた。
「山本少佐じゃなかか?」
停車場のほうからやって来て、群衆とともにそばを通りかかろうとしていた、これは日本の海軍将校が顔をふりむけて、
「おう、西郷閣下でござりますか」
と、さけんで、敬礼した。
「どこへゆくか」
「うちへ帰りもす」
「帰る? 軍艦からか」
「いえ、軍艦が横須賀に帰りもしたで、ここ何日か、ちょっと帰宅させてもらっちょりますが」
「軍艦は何か」
「天城《あまぎ》ごわす」
「おはん、うちはどこじゃったかの」
「築地一丁目でごわす」
「そりゃよか。おいは南|茅場《かやば》町じゃ。そっちに廻ってやろう。乗ってゆけ」
「いや」
海軍将校は狼狽した。
「それは恐縮ごわす」
「かまわん」
「それに、連れもごわすで」
と、そばをかえりみた。
彼の背後に、すがりつくように立っている女性の姿があった。それが、身体を二つにせんばかりにお辞儀した。
「女房の登喜《とき》でごわす。おい、陸軍中将の西郷|従道《つぐみち》閣下じゃ」
「そんなら、いよいよ乗るがよか」
西郷中将は微笑して、前の座席にあごをしゃくった。
「それに、いま思いついた事《こつ》じゃが、おはんに頼みたか事《こつ》があるのでな」
「何でごわす」
「まず、乗れ」
山本少佐は、もういちどふりむいた。妻の登喜は当惑その極に達して、それだけは許してもらうように哀願の眼を夫にからみつかせ、
「あの、お馬車がけがれます。……」
と、小声で、あえぐようにいった。と、それをみなまでいわせず、山本のふとい眉がぐいとあがって、
「そいじゃ、乗せていただこう。乗るぞ!」
と、大喝にちかい声でいい、妻の手をとって、ひきずりあげるようにいっしょに乗りこんだ。
馬車は築地へむけて走り出した。
馬車の中は、二人ずつ向い合って坐るようになっている。山本少佐夫妻は、進行方向とは逆にならんで坐った。
西郷従道は四十半ば、兄の故南洲に似て堂々たる体格と風貌だが、山本少佐のほうも、背は一メートル七〇は越え、体重は八〇キロちかいだろう。それもかたくひきしまって、さらにみごとな口髭、頬からあごにかけての髯《ひげ》と、虎か豹《ひよう》を思わせる眼が、泣く子も黙るといった精悍《せいかん》な印象を与える。まさに偉丈夫だ。
ならんで坐ったその妻は、まだ二十半ばだろう。気品にみちた容貌で、頸《くび》ほそく、雪白の肌をした嫋々《じようじよう》たる美女で、大木にからみつく秋の花のように見えた。いや、その座にも居たえず、窓外をながれる夕暮のひかりに、いまにも消えいらんばかりの風情《ふぜい》であった。
それを、茫洋《ぼうよう》とした、そのくせぶしつけな眼で、見あげ、見おろし、
「よか、よか」
と、西郷従道はニタリとした。――このとき、やっと気がついたのだが、この人物は少々酔っているらしい。
「よか御内儀じゃな、権兵衛どん」
山本権兵衛、このとし、数えで三十四歳。
二
「閣下、御用っちゅうのは何ごわすか」
山本権兵衛は、やや憮然《ぶぜん》とした顔でいった。
西郷はわれに返ったようだが、それには答えず、
「それはそうと、おはんら、同伴で仲よくどこへいっちょったんじゃ」
と、訊《き》いた。
「いま、汽車から降りて来たようじゃが」
「は、女房に軍艦を見せに、横須賀にいって来もした」
と、山本は答えた。――横須賀が軍港となったのは明治十年のことで、鎮守府が置かれたのは去年のことであった、彼は「天城」の艦長であった。
「ほほう。……」
西郷はまた山本の妻のほうを見た。
「こげな、風にもえたえぬ美しか奥さんに軍艦を」
「それよりゃ、閣下は、どげんしてまた新橋停車場へ」
と、山本はふしんげな眼をむけた。妻のことから話題をそらすためもあったが、先刻からいだいていた疑問でもあった。
「さっきこの馬車から下りたのは、異人の軍人じゃごわせんかったか」
「ああ、ありゃフランスの海軍士官じゃ」
と、西郷はうなずいた。
「実はきょう、赤坂で観菊の御宴があってな」
微醺《びくん》をおびているのはそのせいらしい。宮城は明治六年五月に焼失して、このころに至ってもまだ天皇は赤坂離宮に住んでいた。
「それに招かれた外国人の中にあれがおった。それが、きょうはじめて会った男じゃなか。この三日、鹿鳴館で天長節の舞踏会があったとき知り合った男で、横浜に碇泊《ていはく》しとる軍艦から来たっちゅう。それで、おいどんが帰るついでに停車場まで送って来てやったんじゃ。たしか海軍大尉で、ジュリアン・ヴィオとかいった。――」
「閣下はフランス語がおわかりになるのでごわすか」
「知るものかよ。向うがカタコトで日本語をしゃべってくれたんじゃ。何でも、この夏ずっと長崎におって、そのあいだ陸《おか》に上って、日本の女をメカケにして暮しておったらしか。どうもフランス人っちゅうのは、そのほうは達者なもんじゃな」
と、感にたえたようにいったが、なに、この西郷閣下も女に眼のないことでは有名なものだ。
「おお、それそれ」
西郷中将は思い出したように、燕尾服のどこやらから一枚の紙片をとり出した。
「そのフランスの大尉が馬車から下りる際、鹿鳴館でお見かけした日本の貴婦人たちに、こんど逢ったらこれを披露してくれっちゅうて、こげなものを書いて渡してゆきおった」
受けとって、権兵衛はのぞきこんだ。
白い紙に三行ばかり、異国の文字がつらねてある。文字は流麗だが、むろん何が書いてあるのかわからない。
「山本にもフランス語は読めもさん」
「海軍の中にゃ読めるやつがおるじゃろ。それ、おはんに渡しとくから、だれかに読んでもらって、こんど逢うたときに教えてくれ」
と、西郷はいった。この人物らしい野放図さだ。
「こんどまた逢うたときに?」
「うん、逢うことになるらしか」
権兵衛はけげんな表情で、
「それで、御用とおっしゃったのはこの事《こつ》ごわすか」
と、その紙片を持ったまま、拍子ぬけしたようにいった。
三
「うんにゃ、ちがう」
西郷はふとい首をふった。
「その、おとといの鹿鳴館でな、井上伯からおいに、また舞踏会をやっちょくれ、と頼まれた。おいばかりじゃなか。ほかの大官にも同様じゃと思うが、とにかくもっと頻繁に舞踏会をひらかんけりゃ、せっかく鹿鳴館を作った甲斐《かい》がなか、と。――」
馬車は駈けつづけている。
「それに、どうも婦人の集まりが悪か。その天長節の舞踏会には無理して来てもらったが、それも天長節なればこそじゃ。もっと舞踏会を多く、もっと御婦人が多くならんけりゃならん。で、おいにも協力してくれといわれての。そしてきょうも、伊藤伯から同じ事《こつ》を頼まれた。結局、おいは来年の三月三日、桃の節句の舞踏会を割りあてられた」
「だいぶ先の事《こつ》ごわすな」
「なに、すぐに来るわ。とにかくそれは引受けんけりゃならん羽目になったが、その人集めが……特に御婦人を集めるのに自信がなか。そこへいま、ふとおはんの姿を見かけて思いついたんじゃ」
「何をでごわす」
「おはん、来てくれんか。内儀同伴でじゃ。こんど逢うといったのはその事《こつ》じゃ。いや、おはんたち二人ばかりじゃなか。枯木も山のにぎわい、といったら怒るじゃろうが、やるなら少しでも盛大になるようにやりたか。でな、仲間の海軍士官たちを誘って、なるべく沢山来てくれるようにすすめてくれんか。若い将校が沢山来りゃ、御婦人連の集まりもさぞよかろ。あはははは」
「とんでもなか事《こつ》ごわす!」
と、山本権兵衛は大きな眼玉をむいた。
「そげな事《こつ》頼めば、おいは袋だたきにあって、海に放りこまれもす。日本海軍の軍人は、鹿鳴館でダンスをするために日ごろ訓練しとるのじゃごわせん!」
「しかし、いまいったフランスの海軍士官は、ダンスに来たじゃなかか。むろん本国でも、そげな事《こつ》はふつうなんじゃろ」
そのフランス将校が、西郷がこんなことを思いついたヒントになったのにちがいない。
「海軍は海の外に出る。いまのフランス人同様、異国にもゆくじゃろ。あっちの人間とつき合わんけりゃならん事《こつ》も多いじゃろ。西洋舞踏くらい出来んでどげんするか」
「はばかりながら山本は、いままで二回、艦務研究のためヨーロッパやアメリカへいった事《こつ》がごわすが、ダンスなどする必要はいちどもごわさんかった」
山本権兵衛は吐き出すようにいった。
「だいたい、おいはあの鹿鳴館なるものが甚だ気にくわんのでごわすよ。あげな西洋の猿真似は、日本にとって百害あって一利なし、と考えとりもす」
「猿真似というなら、海軍も西洋の猿真似じゃなかか、権兵衛どん。――いや、陸軍とて同様じゃが」
と、西郷はケロリといった。
「猿真似も、お国のために必要とあらばやらんけりゃならん事《こつ》がある。おはんは百害あって一利なしというが、伊藤井上ほどのエラモンが、ただの酔狂に浮かれて鹿鳴館など作るはずがなか。めざすところは、幕末に結ばれた不平等な条約の改正を外国に認めさせるこっちゃ。そのために御一新以来いろいろと苦心|惨澹《さんたん》、万策つきて、どうかあそこで外国人と踊り、酒も飲み、美人も出せば、魚心あれば水心、あちらも日本を可愛《かわゆ》いと思って、条約改正に応じてくれるじゃろ、っちゅう、涙の出るような策じゃ。おいの見るところじゃ、この猿真似に四十害はあるが六十利はあると思う」
大西郷はあまりしゃべらない人であった。この小西郷のほうもそれに輪をかけた無口で有名な人物だが、今宵《こよい》珍しく多弁なのは、少々酔っているせいだろう、と権兵衛は思った。
「これで条約改正が出来りゃ、軍艦百隻にまさるとも劣らん国益となるぞ。どうじゃ、権兵衛、これもお国への御奉公と思うて、みなを誘って舞踏会へ出てくれんか」
「そげな理窟はこの山本には通じもさん」
権兵衛はにべもなく首をふった。西郷従道は、依然にこやかな顔を、こんどはその妻のほうへむけて、
「奥さん、あんたも協力して下され。悪か事《こつ》はいわん、御亭主の将来のためにもよかぞ」
と、いった。
「いいえ、いいえ……そんな……」
登喜は首をふり、夫にしがみつくようにした。その声は細い悲鳴に似ていた。
「なあ、いいからあんたも出てくれ」
「おことわりしもす!」
権兵衛は大喝した。
「閣下、馬車をとめて下され。ここで失礼しもそ」
西郷従道も妙なことを思いついたものだが、それに対する山本権兵衛とその妻の反応もただごとではないようだ。
両人の恐慌ぶりもゆえあるかな。――実は、山本権兵衛の妻登喜の出身は、品川遊廓のお女郎なのであった。
四
明治十一年の暮のことだ。
海軍少尉山本権兵衛は、同輩とともに品川遊廓に登楼してはじめて登喜を見た。
彼女は越後から売られて来て、見世《みせ》に出てまもない遊女であったが、そのあえかな美しさは、権兵衛にとってまさに「雪女郎」という言葉を彷彿《ほうふつ》させた。その容姿の哀艶さのみならず、彼女の持つ天性の利発さとふしぎな純潔さが、一夜にして権兵衛の心をわしづかみにしたのだ。登喜は彼より八つ下、そのとき数えで十九歳であった。
――この娘をこんなところには置けぬ!
と、彼は心にさけんだが、さて貧乏少尉にむろん身請けの金などはない。
工面《くめん》するにも何も、もう一晩でも捨ておけぬ気持であった。彼は急遽《きゆうきよ》作戦をたてた。そして、その翌日の夜に登喜を脱廓させた。――
むろん当時の遊廓は、容易に遊女が逃げ出せないしくみになっていた。吉原には四方に高い塀と堀《ほり》をめぐらし、大門にはたえず監視の眼がひかっていたが、品川も一方が海となっているほかは、これも三方見張られていたことはいうまでもない。
それを権兵衛は、海から救い出したのだ。弟の盛実《もりざね》を登楼させて、登喜を庭に連れ出してもらい、同時刻、築地の海軍兵学校から持ち出したカッターに、仲間の将校や水兵をのせて漕《こ》ぎ寄せて、まんまと彼女を遊廓から消失させたのであった。
登喜を盗み出したのみならず、権兵衛はそのまま彼女を妻とした。
しかもそのとき彼は、廓《くるわ》から来た花嫁に誓約書を与えたのだ。
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「一、夫婦はたがいに礼儀を守る事。
一、夫婦むつまじく生涯たがいに不和を生ぜざる事。
一、夫婦たるの義務を破るにあらざれば、いかなる事実あるも決して離縁を許すべからず。
一、一夫一婦は国法の定むる処《ところ》なれば、誓ってこれに背かざる事。……」
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等。――登喜にもよく読めるように、漢字にはみなフリガナをつけた誓約書であった。これを読みあげられて、登喜はただ嗚咽《おえつ》した。
それから七年。
権兵衛はその脱廓|幇助《ほうじよ》の行為を恥じてもいなければ、この結婚を悔いてもいない。――あれ以来、懸命に努めて、いまやだれが見ても海軍将校の妻として、一指もさすことが出来ない女性に成長した登喜を、いよいよ深く愛している。
が――全身全霊をあげて夫につくしながら、登喜は一切世間に出ようとしなかった。夫の友人が来ても、接待のために最小限姿を見せるけれど、叶《かな》うかぎり蔭に身をひそめようとした。
権兵衛としては、そもそも最初から同僚や水兵に脱廓の援助を求めたくらいだから、妻のこの遠慮は、いじらしいというよりむしろ心外であったが、かたくななまでの彼女の羞恥《しゆうち》にいつしかあきらめの心情になっていた。
が、その日――これではならぬとふと思い立って、横須賀に軍艦を見せにいったのだが――はからずも、郷党の大先輩西郷中将から、なんと鹿鳴館の誘いを受けようとは。
二人は、困惑その極に達した。豪胆な権兵衛が、その妻以上に狼狽した。
「おことわりしもす。馬車をとめて下され!」
と、彼はもういちどさけんで、立ちあがろうとした。
五
「待て待て」
と、西郷はあわてて手をふった。
「それほどいやか」
その手で、ツルリと顔をなでて、
「おはんが怒ると、こわか。――なにしろ、名だたるボッケモンじゃてな」
と、いった。ボッケモンとは薩摩で豪傑のことだ。
郷党の先輩ではあるが、相手は陸軍中将、こちらは海軍で、若いころから艦《ふね》に乗っていることが多かったから、それほどしばしば会ったことはないが、それでも権兵衛には忘れられない記憶がある。おそらくあのことをいっているにちがいない、と彼は思った。
明治十年一杯、権兵衛はヨーロッパを回航していて、帰国したのは西南の役《えき》が終ったあとであった。彼は何より先に西郷従道のところへおしかけて詰問した。なぜあなたは、南洲先生の弟でありながら、運命を共にしなかったのか、と。
権兵衛はその前、大西郷が征韓論に敗れて鹿児島に帰ったとき、彼を海軍にいれてくれた勝海舟に依頼されて、大西郷を東京に呼び戻しにいったことがあるのだ。そのとき大西郷は帰京を承知せず、そこで権兵衛が自分も私学校にいれてくれというと、馬鹿|言《ゆ》な、おはんのお国につくす道は海軍にあると叱りとばされて追い返されたのであった。彼はまだ兵学寮の生徒であった。
そういうことがあったので、小西郷を詰問にいったのだが、これに対して従道は、自分が政府側にとどまった心事を縷々《るる》弁明した。要するにそれは、兄と対立する大久保の見解のほうが将来の日本のためにいいようだ、と判断したのみならず、あの際兄弟そろって天皇のもとを去るのは不穏当だと考えた、という意見で、みずから鈍愚をもってし、ふだん何をいっているのか要領を得ないという評判に反して、権兵衛をも結局納得させたまじめな述懐であったが、とにかくあのときの権兵衛のけんまくは、相当従道を辟易《へきえき》させたらしい。
――それと同じころ、一方で例の脱廓の一挙をやってのけたのだから、山本権兵衛の青春もまたすこぶる多忙であったといわなければならないが。――
で、さっきから権兵衛の心を悩ましていたのは、
――はて、この人は、おいの女房の素性を御存知かどうか知らん?
ということであったが、それがまだわからない。
わからないけれど、それを知っているにせよ、知らないにせよ、この従道閣下が、ただの皮肉やいたずらで自分を苦しめるような小人物ではない、という信頼はあった。
信頼はあったが、困ることは困る。
「それじゃ、おはんら海軍士官に来てもらう事《こつ》はあきらめよう」
と、西郷中将は残念そうにいった。
権兵衛は、身体じゅうが虚脱するほどほっとした。
「鹿鳴館の舞踏会なんぞには、そりゃもっと上流の紳士方や貴婦人方が出られるべきでごわすよ」
と、彼は珍しく浮かれた声でいった。
「おはん、そう思うか」
「思いもす」
「その上流の……特に貴婦人方が敬遠するんで実は弱っとるのじゃが」
ほんとうに困ったようにつぶやいて黙りこんだ従道を、そんな当惑はおいどんの知った事《こつ》じゃなか、と心中につぶやきながら、権兵衛はにっとしてそばの登喜を見やった。
登喜は笑顔を見せる余裕もないらしく、依然日蔭の花のようにうなだれて坐っている。
と、さっき馬車に乗るとき、「お馬車がけがれます……」とあえぐようにいった妻の声が、冷たく哀しく権兵衛の背をまた這いのぼった。
権兵衛の胸に、いままで予想もしなかった別の動揺がゆらめいた。――おいのいまのあわてぶりはどげんした事《こつ》か。あれは自分より、この女房をそんなところに出す恐怖からではなかったか。してみると、おいもやっぱり女房の素性を恥じておるのか?
彼もまた黙りこんだ。
馬車は駈けつづけている。窓の外のガス燈の灯が次第にまばらになった。
六
権兵衛は、ともかくこれで、この難題はのがれたと思っていたが、そうは問屋がおろさなかった。――
翌月になって、驚くべき珍事が起った。西郷従道が海軍大臣になったのである。
実はそれまでの太政官《だじようかん》がはじめて内閣制度に変って、伊藤博文が首相となり、西郷が海相となったのだが、陸軍中将が海軍大臣になるとは――明治ならではの荒っぽさ、といいたいが、臨時の兼職は別としてこんな人事は明治でも絶後であった。
それもさることながら、権兵衛が驚いたのは、自分がその西郷の下で「伝令使」を命じられたことだ。のちの大臣秘書にあたる職務である。西郷自身の望みによるものであった。
年を越えて一月半ばのある昼下がり、赤坂|葵《あおい》町の海軍省で、権兵衛は書類を持って大臣室にはいり、大臣がそれを読んでいるあいだ、壁の棚においてあるガラスの箱を眺めていたが、
「閣下、こりゃ何でごわすな?」
と、ふり返った。ガラス箱の中には、白い半透明の塔のようなものが飾ってあった。
「それか。そりゃ台湾の樟脳《しようのう》の結晶じゃっちゅう。ある貿易商が暮においに大臣就任のお祝いにくれたもんじゃ」
書類から眼をあげて、西郷大臣はいった。
「ほう、台湾の樟脳。……美しかもんでごわすな」
そういいながら権兵衛は、たしか明治七年、この陸軍中将の従道が、政府の制止命令や外国公使の抗議を黙殺して、独断で船を出して台湾征討をやってのけたことを思い出している。その前年の兄の征韓論には反対派にまわっていた従道だから、支離滅裂の気味はあるが、それはそれとして、ずいぶん思い切ったこともやるお人だと思う。
「しかし、こげな飾りもんは大臣室におかれるより、雪隠《せつちん》におかれたほうがよか、と思いもすが」
西郷従道は苦笑した。
「そのほうがよかかも知れんな。おう、雪隠といや、おいは海軍に来て、おはんの面白か糞ばなし、聞いた事《こつ》があるぞ」
「糞ばなし?」
「それ、兵学寮のころ、教官どもをこらしめたっちゅう話じゃ」
「ああ、あの件ごわすか」
と、こんどは権兵衛のほうが苦笑した。
そのころ兵学寮で、教官たちが一夕宴会をひらいていて、たまたま権兵衛は水兵から、兵学寮の肥《こえ》の汲取り業者が代金をおいていったので、その代金で酒宴をやっているのだという事情を聞いた。
さて、飲めや歌えの席に、権兵衛が大きな土鍋と柄杓《ひしやく》をさげて、のっそりとはいっていった。ふたをとると、凄じい糞臭がたちのぼった。おどろき騒ぐ教官たちに権兵衛はいった。「ま、教官|方《がた》、たらふくお飲みなされ、お代りはうんとごわすで」
権兵衛はいま三十半ばの頬髯をなでた。
「どうも若気の至りで、野蛮な事《こつ》ごわした」
「おはん、いまでもそげな事《こつ》やりそうじゃぞ」
西郷従道は、剣呑《けんのん》なような、しかし好感にみちた眼で権兵衛を見た。
「おはんにはこれからいろいろと修行してもらわんといかん」
「そりゃ当然の事《こつ》ごわす」
「おはんは将来、日本海軍を背負って立ってもらわんけりゃならん男じゃてな。……おいはおはんに、ただの豪傑《ボツケモン》であって欲しくなか。同時に花も実もあるジェントルマンであって欲しか」
何やら妙な雲ゆきになって来たので、権兵衛は眼をパチクリさせた。
「貴公、大山どんの奥さんを知っちょるかの」
むろん、大山|巌《いわお》のことだろう。同じく薩摩出身で、西郷の海相とならんで旧臘《きゆうろう》陸軍大臣になったばかりだ。
「大山閣下は存じあげとりもすが、奥方のほうはまだ……それが、どげんいたしもしたか」
「アメリカ帰りの才媛《さいえん》じゃが」
西郷従道は葉巻に火をつけ、しばらくくゆらしたあと、また別のことをいい出した。
「いつぞやの、我輩主催の舞踏会の件な、あれがだんだん迫って来おったが」
権兵衛は、口をへの字にして相手を見まもっただけだ。
「おはん、鹿鳴館にゃ貴婦人連を集めりゃよか、といったが、どうもその女性《によしよう》たちがおいそれと来てくれそうもなか。――実はこの暮にも井上伯が、忘年会代りに開こうとして内々打診してみたんじゃが、あっちこっち、どこも夫人がさしさわりを申したてて、あまり色よい応答がなかったそうで、とうとうとりやめになった」
「………」
「訊いてみるといろいろある。ただの逃げ口上もあるが、実際のところ、要するにみなダンスが苦手で、それで尻込みするらしか。なに、ダンスなど、男と女が抱き合って、そこいらじゅう歩きまわっとりゃいいんじゃが――おいなど、そのつもりでやっとるが――御婦人としてはそうもゆかんらしか。武芸大会なら知らず、舞踏会っちゅうものは、御婦人方が出てくれんと成り立たんので困る」
この件については、君子あやうきに近よらず、と権兵衛は警戒していたが、あまり大臣が当惑した顔をしているので、ふと口をさしはさんだ。
「しかし、以前はみんなよく出られたのじゃごわせんか。はじめはどげんなさったのでごわす」
「さ、それじゃ、最初は、それ、いまいったアメリカ帰りの大山夫人にみな教えてもらった。ところが、大山夫人のところへ国粋派から脅迫状が殺到したそうでな。それどころか、二、三度、壮士とやらに馬車を襲われかけた事《こつ》もあるっちゅう。そげなわけで本人もいや気がさし、それより大山どんのほうがこわがって、ここのところとんと舞踏会に出られんようになった。それで指南番を失って、他の御夫人連もいよいよ逃げ腰になられたらしか」
「ははあ」
「そこでおいが考えたのは、もいちど大山夫人に御奮起願うこっちゃ。大山夫人から他の御夫人連に勧《すす》めてもらい、改めてダンスを教えてもらう」
「なるほど」
「で、この際大山夫人に再出馬を頼むよりほかはなかと思案したが、さて弱った」
「何がでごわす」
「鹿鳴館が開かれたころ、おいも手に手をとって大山夫人に教えてもらった事《こつ》がある。そのときおいが、つい夫人のお尻を撫でたもんじゃから、すぐダンスをやめておッそろしか眼でにらみつけられた事《こつ》がある。もすこしで張りとばされるところじゃったよ」
権兵衛は苦笑した。この人物ならやりかねない。
「おいからは頼めん」
「そいじゃ、大山閣下を通して頼まれたらいかがでごわす」
「その大山が――あげなガマ坊主みたよな顔をして、途方もなか恐妻家でな。とてもそげな用をとりついでくるるとは思われん」
あまり笑わない権兵衛が思わず破顔した。それに、大山陸軍大臣をガマ坊主といったが、この海軍大臣も海坊主然としている。――もっともこの御両人は、実は従兄弟《いとこ》にあたるはずだ。
「そこでじゃ」
西郷はこちらに眼をむけた。
「おはんがいって頼んでくれ」
権兵衛は、この前にもまして仰天した。
「おいが……大山閣下の奥方に……」
「左様」
西郷は自若《じじやく》としてうなずいた。
「そして、ダンスの練習にゃ男の相手が要《い》る。おはん、それを勤めろ。かつまた、もし大山夫人を脅《おど》すやつがあったら、おはんそれを守れ」
「その……最後の御用件は承知しもしたが……あとは……おいはその任じゃごわせん!」
「おはん、さっき舞踏会に上流の貴婦人が出るべきじゃといったじゃなかか」
「それはいいもしたが、おいがそげな使者に立つとは……」
「では、この前頼んだおはんら海軍将校、女房同伴で鹿鳴館に出てくるるか」
「いや、それは……」
「何もかも出来んとは、おはん、何のためにお国に御奉公しちょるか。いまダンスの件は任でなかといったが、伊藤、井上卿やおいどんじゃって、ダンスが自分の任じゃと思ってやっちょるわけじゃなかぞ。ただ、ひとえに、日本を文明国じゃと西洋人に認めてもらうために奮発してやっとるのじゃ」
従道は声張りあげた。大声になると、ふしぎに兄の声そっくりになる。権兵衛は大西郷の雷声を聞く思いがした。
「この前もいった。この件、この際、お国にとって、敵艦何隻かを撃沈するにまさる大功じゃ。海軍大臣としておはんに命ずる。辞退は許さんぞ!」
七
山本権兵衛少佐は、とんでもない任務を命じられた。
それから数日後のある午後、彼は悄然《しようぜん》として青山の大山巌邸を訪れた。一月でも特に寒い日であった。
大山邸は、煉瓦作りの、塔のような屋根がついて、洋館というより小さな西洋のお城のようだ。門には門番まで立っている。そこを通って玄関の呼び鈴《りん》の紐《ひも》をひいた。
扉をあけて、出て来た書生に西郷大臣からの紹介状を渡すと、
「閣下はまだ陸軍省からお帰りになりませんが」
と、書生がいった。
「いや、奥さまにお目にかかりたかなのでごわす」
「奥さまもいまお客がありますが。……」
書生はちょっと首をかしげたが、そのまま去って、しばらくしてまた出て来て、「それでは」と奥へ招じた。
案内されたのは、六帖ばかりの洋室で、テーブルと幾つかの椅子、火鉢がおいてあるだけで、人はいなかった。
「ここで、しばらくお待ち下さい」
どうやら、控え室になっているらしい。
噂は聞いていたが、想像以上にこの大山邸がハイカラ趣味に横溢《おういつ》しているのに権兵衛は驚いている。大山自身、もう何度か軍事研究のために欧米へいったことがあるのは承知しているけれど、この趣味はしかし、そればかりから来ているのじゃないだろう、と権兵衛は考えた。おそらくこれは、捨松《すてまつ》夫人の影響だ。
西郷大臣の「命令」にまけて、きょうとうとうここへ来ることになったのにつけて、権兵衛は大山捨松夫人のことについて、知る人からいろいろ聞いた。
捨松とは芸者のようだが、芸者どころではない。彼女は会津の家老の娘だ。女の子に男のような名をつけると丈夫に育つといういいつたえからつけられたものだろう。もとの名を山川捨松という。
それが明治四年、岩倉使節団の欧米視察に伴われてアメリカへ留学する五人の少女の一人に選ばれた。ときに捨松は十二歳であった。
やがてアメリカの大学に学んで、帰朝したのは明治十五年で、彼女は二十三歳になっていた。
そして、翌年のうちに、十八も年上の大山陸軍卿のところへ輿《こし》入れしたのだ。大山は二度目の妻を失って一年余であったが、当時、捨松はほとんど日本語を忘れていたにもかかわらず、特に大山に望まれてその後妻にはいったという。――
十分ばかりすると、反対のドアがひらいて、三人の男女が現われた。
いや、ドアをひらいてまず出て来たのは、女と一人の金髪の異人である。女は小間使いか女中らしい。異人は手に革のトランクをぶら下げている。若い――西洋人の年はよくわからないが、まだ廿歳《はたち》前だろう――異人にしても、それがあまり美少年であったので、権兵衛は眼を見張った。
その向うに見えたのは、これも西洋人だ。背の高い西洋人の中でもひときわ高く、堂々たる体格で、美しい口髭とあご鬚《ひげ》をはやした五十半ばの男で、これがだれかに話していた。
「どうかいちど、妻に逢って、話してやって下さい、奥さま」
どうやら、いままでしゃべっていたことのつづきらしい。英語であった。ドアのところに立ちどまって話している。
「妻は私と、もう十何年もいっしょに住んで、三人も子供を生みながら、まだ私をケダモノの一族と思う意識を捨てていないのです。そういえば日本人たちが、私たちを毛唐《ケトー》と呼んでいることも知っていますが」
チラリと権兵衛のほうを見たが、権兵衛が無表情のままなので、英語はわからないと思ったようだ。
「いまでは、まるで父親と娘の関係です。こんな夫婦があるでしょうか」
「それはあなたが外国人だからではないでしょう。日本人同士の夫婦でも、別々の世界に住んでいる夫婦は少なくないと思います」
女の声が答えた。これも英語だ。異人のうしろに、洋装だが美しい日本女性の姿が見えた。大山夫人にちがいない。
「私があなたの奥さまに、何を話したらいいでしょう? だいいち私にはそんな資格はありません。私たち夫婦だって、実は別世界に住んでいるのですもの。――」
彼女ははじめてそこに日本人の海軍士官が立っているのに気がついて、ちょっとあわてたようすであったが、すぐに会釈した。書生から紹介状は通じてあるはずだ。
「いや、それとはだいぶちがうようです。……そうだ、あれを舞踏会にでも出して、ほかの外国人とダンスをしている日本婦人の姿でも見せたら、少しは変って来るかも知れない」
と、異人はいった。
「奥さま、どうかこんどロクメイカンで舞踏会があったら、奥さまから、特に私の妻を名指しで誘ってやって下さい。あなたがそうして下さったら、きっと妻の心も動くでしょう」
「いえ、私は……」
と、大山夫人はいいかけたが、すぐに、
「ええ、もしその機会がありましたら」
と、いった。
大きな異人は毛むくじゃらの手をさしのばし、夫人と握手すると、若い異人をうながして、女中とともに廊下を出ていった。
――なるほどアメリカ帰りだけあって、訪れる客がちがう、と権兵衛は感心した。
「お待たせしました。ごめんなさい。どうぞ」
と、大山夫人は権兵衛を見て日本語でいい、先に部屋にはいった。権兵衛はあとにつづいた。
八
部屋は三十帖くらいあろうか。薄緑色の絨毯《じゆうたん》がしかれ、豪奢《ごうしや》なソファや大小のテーブルがあり、南と東はカーテンがひらかれたガラス窓がつらなり、一方の壁には両陛下の御真影と南洲の軸がかかげてあった。そしてもう一方には暖炉があって、あかあかと薪が燃えていた。
「西郷海軍大臣の伝令使山本権兵衛でござります」
と、権兵衛は改めて名乗った。
そして、自分が訪問した目的を述べた。
「それは……以前、私も、みなさま、お誘いし、ダンスのお手伝いしたこと、あるのですが……」
と、捨松は困惑した表情でいった。アクセントに少し変なところがある。日本に帰ってからもう三年以上になるはずだが、何しろそれまで十二年くらいアメリカにいたのだからむりもない。
「いろいろ、じゃま、ありまして……」
権兵衛は、いま日本に、外国人を招待する舞踏会がいかに必要であるかを説いた。西郷従道からの受け売りだが、まかりまちがうと、代りに自分たち夫婦がかり出されるおそれがあるから、彼も懸命であった。
「それ、承知していますが……何より、西郷サン、おやりになる舞踏会、それが私には、少し困るのです」
といって、捨松夫人はちょっと顔をあからめた。
見るからに理智的で、少女のころからあちらで成長したせいか、どこか西洋人めいた陰翳《いんえい》のある容貌だが、頬がかすかに染まると花のように美しい。この陸軍大臣夫人は、権兵衛より八つも年下の、まだ二十七歳の若さなのであった。
「あの件については、西郷閣下もえらく御恐縮でごわして、こんどお目にかかったときは土下座してあやまるつもりじゃと仰せでごわした」
と、権兵衛までが叩頭《こうとう》した。
「まあ、そんなことも、あなたに話しましたの?」
「この山本権兵衛、職にかけても二度とそげな真似はさせもさん。……職といえば西郷閣下から小官に、その御婦人方のダンスの練習台になれとの御命令がごわした」
「えっ、あなたが、ダンスのパートナーに……」
捨松は眼をまるくして、容貌|魁偉《かいい》、髯だらけの海軍将校を見上げ、見下ろした。
「御覧のごとく、武骨一点張りの男でござりまして、そげな事《こつ》は裸になるより恥ずかしゅうごわすが、それがお国のためになるとあらば、小官死すともその任務に服する覚悟でござります」
捨松は笑い出した。
しばらく押問答がつづいたのち、結局彼女がもういちど乗り出して諸顕の夫人たちを誘い、かつダンスを教えるという用件を承諾したのは、この豪快な海軍士官の哀願の、内容よりもその朴訥《ぼくとつ》さと迫力に打たれたせいにちがいない。
「それでは、これから毎日あちこちのお屋敷を回りましょう。そこで、あなた、そのときは、あなたもいっしょにいってくれますね?」
山本権兵衛は、うっとのどがつまったような顔をしたが、
「は、お供つかまつりもす!」
と、答えた。実に、やむを得なかった。
女中が紅茶を運んで来たのをしおに、権兵衛はふとさきほどからの疑問を口にした。
「つかぬ事《こつ》をおうかがいしもすが、先刻の西洋人はどげなお人でごわすか」
「あなた、御存知ないですか。あれはル・ジャンドルというアメリカ人で、日本政府の外交顧問してる人です」
「ル・ジャンドル……ああ、そういえば、どこかで聞いた事《こつ》もありもす」
権兵衛はうなずいて、また訊いた。
「何か、奥さんを、鹿鳴館のダンスに出しちょくれ、と頼んでおったようでごわすが」
「おや、あなた、英語、おわかりになるの?」
権兵衛は、へどもどした。
「は、ところどころ、な」
「ル・ジャンドル将軍は――あの方、アメリカの南北戦争で北軍に加わって、将官にまで、なられた人だそうです――もう一人、若い西洋人、いましたでしょ、あれは横浜でこんど店をひらいた洋服の仕立屋さんで、それ、紹介に来られたのですが」
権兵衛は、その若い異人がトランクをぶら下げていたのを思い出した。あれに生地《きじ》の見本か何かはいっていたのだろう。
「英語でお話出来る心のはずみからでしょう。つい私に、奥さまのことについて、愚痴、こぼされ出したのです」
「御夫人は、日本の方《かた》でごわすか」
「そうらしいです。……でも、ほかの御家庭の、とくに御夫婦仲のことなんて、他人、口出し出来ませんわねえ。よそのうちどころか、どこのうちだって、みんな、それぞれ、何かあるものでしょう」
権兵衛の耳に、さっき捨松夫人が英語で、「私たち夫婦だって、実は別世界に住んでいるのですもの――」とつぶやいた言葉がよみがえった。しかし、その意味を訊いている場合ではない。
「ところで、奥さまに御苦労願う事《こつ》について、大山閣下に御異論はなかのでごわしょうか」
気にかかることを尋ねた。
「もし何でごわしたら、この山本が閣下にもお願いしもすが」
「いえ、イワーオのほうは、かまいません」
とっさに、何の意味かわからなかった。数秒後、それは夫の名――巌《いわお》のことだと気がついた。
「イワーオには、私からいっておきます」
と、捨松はいった。別に威張っているのではなかった。アメリカで妻が夫を呼ぶように呼んだものにちがいない。
しかし権兵衛は、なぜか、このアメリカ帰りの若い美しい陸軍大臣夫人の表情に、何か空漠としたさびしさのようなものを感じた。
「ダンスのこと、承知しましたけれど」
権兵衛が辞去の挨拶をしたとき、夫人はつぶやいた。
「私、お国のために、アメリカ、ゆきました。でも、帰ってから日本で、そんなことをするために、向うの大学で勉強したのじゃなかったのですわ。……」
九
三月三日が来た。
いちどに春も来たような暖かい日であったが、空はうす曇っていた。が、午後六時になると、日比谷の鹿鳴館の内外にぱっとガス燈が点じられて、白堊《はくあ》の壁と窓々の灯が幻のように浮かびあがった。
八五三二坪にわたる敷地をかこむ海鼠《なまこ》塀の真正面に、以前ここが薩摩屋敷だったころの黒門でそのまま残されていたのが八文字にひらかれて、そこから続々と黒塗りの馬車がはいって来る。
アーチをつらねた煉瓦造りの、二階建ての、エキゾチックな鹿鳴館の玄関に、今宵の舞踏会の主催者西郷従道は、山本権兵衛といっしょに立って客を迎えていた。従道夫人の清子は、ほんのいましがた、世話役の大山捨松に呼ばれて、あたふたと奥の方へ急ぎ足でゆき、遠い階段を上って姿を消してしまった。
「三条公爵と御令室治子さまじゃ」
「は」
「前田公爵と御令室|朗子《さえこ》さまじゃ」
「は」
「鍋島侯爵と御令室栄子さまじゃ」
「は」
燕尾服にシルクハットを手にした従道が、数分おきに紹介してくれる。そのたびに権兵衛はいちいち挙手の敬礼をし、そのうち手もくたびれて来たが。――
「有栖川宮《ありすがわのみや》の御台薫子《みだいただこ》妃殿下であらせられる」
などいうのが現われては、また直立不動の姿勢にならざるを得ない。
中には、宮廷侍医のドイツ人、ドクトル・フォン・ベルツとその日本人妻|花《はな》、この鹿鳴館を建てたイギリス人の建築技師ジョサイア・コンドルとその日本人妻|久米《くめ》、外務次官青木周蔵とそのドイツ人妻エリザベットなどいう異色のカップルもあった。
むろん、公使その他の異人はきびすを接する。辮髪をたれた清《しん》国の大官もまじっている。
「閣下、御盛会の如《ごと》ごわすな」
「うん、おはんや大山夫人のおかげじゃ、かたじけなか」
と、ささやいている間に、ここ一ト月ばかり大山夫人に連れられて訪ねた貴婦人連も、その夫たちとともに相ついで姿を現わした。夫人たちはともかく顔見知りになったが、かえってその夫君のほうは、権兵衛もはじめて見る顔が少なくない。すなわち、
首相伊藤博文とその夫人。
内務大臣|山県有朋《やまがたありとも》とその夫人。
文部大臣|森有礼《もりありのり》とその夫人。
伯爵黒田清隆とその夫人、等。――
それに、元は政府の大官ながら、いま野《や》に下っている大隈《おおくま》重信とその夫人もやって来た。それどころか、従道に一礼して通り過ぎた一組の男女を、従道は、
「いまの人を知っちょるか。あれは三年ほど前まで監獄にはいっちょった男じゃが」
と、見送っていった。
「ほほう?」
「陸奥《むつ》宗光《むねみつ》っちゅう、謀叛《むほん》のかたまりみたいな男じゃ」
そんな人物まで平気で招くところ、この西郷従道はまったくつかまえどころのない海坊主といわなければなるまい。
招待客が一応とぎれた。
「はて、かんじんの、鹿鳴館の作り手がまだ来んが」
「どなたでごわす」
「井上外務大臣夫妻じゃ。……ま、とにかく準備のようすを見よう」
歩き出した西郷のあとに、権兵衛も従った。舞踏場は二階になっているが、招待客たちはまだ中央ホールに群れて、たがいに挨拶したり談笑したりしている。
二人は真正面の、三つに折れた大階段を上っていった。
十
ちょうどまんなかにあたる階段のところで、西郷はふと立ちどまって、彫刻のついた手すり越しに見下ろした。
天井からたれたシャンデリア形式のガス燈の下に葉巻の紫煙がかすみ、その中の燕尾服の男たち、色とりどりの服装の女たちの姿は、権兵衛には日本の風景とは思えなかった。女たちが色とりどりというのは、中には紋つき裾模様《すそもよう》の着物姿もあったが、大半は、スカートのふくらんだ西洋の夜会服を着て、それにブローチ、ネックレスなどをきらめかしていたからだ。
「ほ、いつのまにか男組と女組に分れてしもうたの」
と、従道がいった。
「しかも、その女組がまた二つの組に分れちょるわ。あっちがお公卿さまやお大名の御夫人方、これはほんものの貴族じゃな。こっちが、おととし伯爵や子爵になったばかりの奥さん方、つまり成り上り連じゃの」
と、面白そうに笑った。そんなことをいったが、西郷従道自身、同様になりたて組の伯爵なのである。
「しかもな、実に奇態な事《こつ》じゃが、この奥さん方の素性が、みんな芸者かそれに類するものじゃ。まっとうな出《で》のお方はほとんどおらん。――権兵衛どん」
ふいに全身を硬直させた山本権兵衛は、呼びかけられて、さらにぎょっとした。
「それがな――見るがよか、ほんもののほうがどこかシオタレて、ふしぎな事《こつ》に、にせものの貴婦人方のほうが、みな顔をあげて生き生きしちょる。そう思わんか?」
「………」
「や」
と、西郷は遠い入口のほうに眼をやった。
「やっと来たようじゃな、井上夫妻が」
そちらから急ぎ足にはいって来る燕尾服と夜会服の男女が見えた。
「権兵衛どん、おはん、鹿鳴館っちゅう名の由来を知っちょるか」
「そういえば、存じもさんな。シナから来た言葉ごわすか」
「うん、なんでも詩経っちゅう本にな、鹿鳴篇っちゅう詩があって――どげな詩か忘れた――官吏が出世して都にゆくときの酒盛りに必ずその詩を歌ったので、鹿鳴の宴っちゅう言葉が出来たげな」
「ははあ、むずかしか事《こつ》知っちょる人があったもんでごわすな」
「それが、それ、あの桜洲《おうしゆう》山人じゃよ」
「中井どんでごわすか」
中井桜洲は同じ薩摩人だから、権兵衛もその名は聞いている。
「豪傑で、学があって、そいつはよかが、羽目をはずした遊び人《にん》で、あの男ばかりはよくわからん」
学の点を除けば、その評価は自分にもあてはまりそうな従道が嗟嘆《さたん》した。
「ところでな、さっきいったように、この鹿鳴館っちゅうもんを作ることを思いつき、その建築一切にかかりあったのが井上伯じゃが」
西郷はまた階下を眼で追った。
「あの奥さんが、もと中井桜洲の奥さんじゃった人じゃ」
「へえ?」
「もと、っちゅうより、中井の奥さんじゃったものを、井上どんが盗《と》られたんじゃ」
うしろで、遠く、軍楽隊が稽古をはじめたワルツらしい音楽が聞えはじめた。西郷は笑った。
「つまり、この鹿鳴館は名も建物も、寝とられ男と間男《まおとこ》の合作に成るもんじゃ。いわば、あの武子夫人と同じようなもんじゃな、あはははは」
西郷にうながされて階段をまた上りながら、山本権兵衛は、先日訪ねた麻布鳥居坂の井上邸で、井上夫人とダンスの練習をさせられた感触を思い出し、髯の中で、ちょっと赤面した。
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井上馨夫人
一
このあいだ大山夫人と海軍士官の訪問は受けたけれど、それはただ西郷海相から頼まれて三月三日の夜会に夫人連をかり出す役目を仰せつかったからという挨拶のためで、井上夫人は他の夫人たちのように強《し》いてかり出される立場にはいない。
そもそもその夜会そのものが夫の井上の要請によるものだが、それというのも井上は、旧臘外務大臣という名になったが、それ以前明治十二年から継続して外務卿の地位にあり、鹿鳴館を作ったのも彼といっていいくらいだからだ。
それに、武子夫人自身が、大山|捨松《すてまつ》夫人を除けば、大官夫人中、一、二を争うハイカラであった。
彼女は、明治九年から十一年にかけて欧米の実業界視察のために洋行した夫といっしょに、まる二年あちらで暮した経験を持っている。そのあいだ、強引な洋化論者の夫に鼓舞されて、あちらのマナーを徹底的に学ばされた。
そして、帰国以来、ずっと外務卿夫人だ。
その結果。――鹿鳴館の夜会に出席したことのあるピエール・ロティによって彼女はこう描かれる。
「ついさっき、汽車の中で、私はこの夫人の身の上話を人々から聞いたのである。彼女はもとゲイシャだったが、大臣に出世する途中の一外交官に見そめられ、落籍されてその妻となり、いまでは外国公使たちの社交界で、エドの花形たる役割をになっているのだそうだ。
……いま、肩のあたりまで手袋をはめ、非のうちどころもなく髪をゆいあげた、秀でた聡明そうな顔だちをしたひとを前にして、私はびっくりして立ちどまる。
白粉《おしろい》に塗られてはっきりわからない年齢、森に咲く小さな花々の模様をあしらった、ごく淡い藤色の繻子《しゆす》の長いスカート、とりどりの真珠をちりばめた刺繍《ししゆう》で覆われている、ほっそりした鞘形《さやがた》の胴着、要するにパリにあっても通用しそうな服装で、それがこの驚嘆すべき玉の輿《こし》にのった女性によってみごとに着こなされている。
で、私は彼女に対して、まじめな礼儀正しいお辞儀をする。彼女は、私が気圧《けお》されるほど軽やかに、アメリカ婦人のように私に片手をさしのべる」
年が明けてことし、武子は数えで三十六歳になる。夫の馨《かおる》は五十二であった。
だから彼女は、捨松夫人の訪問を受けたとき、その労に感謝し、ついて来た髯武者の士官と、着物を着たままでちょっとダンスのまねごとなどをしたけれど――実は少なからず憂鬱《ゆううつ》な心理状態にあった。
「まあ、お庭、お作りですの?」
用件をすませたあと、捨松がいった。
窓ガラス越しに、広い庭に働くたくさんの庭師たちの姿が見えたからだ。武子はうなずいた。
「ええ、こんど奈良の東大寺の由緒ある茶室をそっくりいただくことになりましてね。それは秋のことですけれど、茶室を運んで来る前に、庭を変えなくちゃいけない。木を移すならいまのうちがいいそうで。……」
捨松は、手持無沙汰にしている権兵衛に、
「あなた、よかったら、庭に出て見物して来なさい」
と、いった。
権兵衛は庭作りなどに興味はないけれど、貴婦人同士の会話に同座しているよりはましだと思って、やれやれといった顔で、女中に案内されて出ていった。
「奥さま、あなた何か心配ありますか?」
と、捨松は尋ねた。
彼女は武子の屈託を見ぬいていたのである。それで権兵衛を遠ざけたのだ。
明治九年の井上夫妻の洋行の際、まずアメリカへいったとき、すでに留学生活五年、十七歳になっていた捨松らに迎えられ、ワシントンの町など案内してもらったことがある。そういう想い出もあって、二人は他の夫人たちとは一味ちがう親近感を持っていたのだ。
「そうなのです」
武子は肩を落していった。
美しいけれど、きりっとして、英語でいえばどこかボーイッシュな容貌をして、その顔の通りしっかり者で、むしろ意地っぱりなところもあると見ているこの人が、こんなに悄然《しようぜん》としたようすを見せたのは、捨松にははじめてだ。
「井上家の恥となるお話ですけれど、どうせ知られずにはいないことでしょう。……」
武子は話し出した。
二
去年の秋のことだ。彼女がある国の公使夫人を訪問した帰り、邸の門近くで馬車に駈け寄って来た者がある。三つばかりの女の子を抱いた老婆であった。
「お願いでござります。お願いでござります」
あわてて馬車をとめ、扉をあけると、老婆は地べたに坐ったまま、幼女をさし出した。
「井上の殿さまの奥方さまでござりましょうか」
涙でくしゃくしゃになった顔でいった。
「この孫をどうぞおたのみ申します。この子は殿さまのお子さまでござります」
老婆のいうことは混乱していたが、それを整理し、要約すると――彼女の娘、すなわちその子の母親は新橋の芸者だが、三年ばかり前、井上の子供を生んだ。そのとき井上から莫大な養育料をもらって、以来老婆が育てて来た。
ところが、娘にこのごろまた情人が出来て、みるみるその金をまきあげられてしまった。それどころか、放っておくとこの子に、なおよからぬ運命がやって来そうな予感がする。というのは、娘はいまも芸者をやっているけれど、どうやら肺病にかかったらしく、そう長く生きているとは思われないからである。思い悩んだ末、自分が育てたこの孫を手放すのは手足を切られるようにつらいけれど、この際、思い切って井上さまにひきとっていただいたほうが、かえってこの子のためになると考えて、きょうお馬車を待ち受けていた、というのであった。
武子は改めてその幼女の顔を見た。
そして、まるで四角な箱になめし皮を張ったような、それに太いどじょう髭をたらした夫とは、むろん似ても似つかぬ愛くるしさながら、その顔に一脈夫との相似を見いだした。――
彼女は一応二人を馬車に乗せ、邸に連れ帰って、なお詳しく訊《き》き、老婆の話にいよいよ真実味を認めた。そこで幼女だけはあずかり、老婆には金を与えてひきとらせた。
その夕方、外務省から帰って来た夫の前に、武子はその娘を連れて出ていった。
「この子を御存知でございますか」
馨は狐につままれたような表情をした。
「そりゃ何じゃ?」
「新橋の梅龍《うめりゆう》という芸者さんの、子供でございます」
右頬にえぐれたような刀痕のある馨の顔がぴりっと動いた。じいっとその子に見いり、
「ほほう。……女の子が生まれたとは聞いたが、こんなに育ったか」
と、いい、平然として、
「いったい、あんた、どうして知った。どうしたんじゃ?」
と、訊き返した。
女の子は懸命に武子にしがみついていたが、このとき突然わーっと泣き出した。「いえ、こわくはないのよ、お鳥ちゃん、これはあなたのお父さまなのよ」と、ひとしきりなだめすかしたあと、武子はその日の出来事を話した。
「いかん、返せ」
と、馨はにがり切って、言下にいった。
「あんたにはすまんことじゃったが、いかにもこの子はわしの子じゃ。――わしの子じゃろう――しかし、あの女とはもう三年も前に手を切った。過分な手切金もやってある。返せ」
武子はいった。
「いいえ、この子はひきとって、うちで育てます」
「そりゃ、いやがらせかね」
「ひとのいやがらせなどを痛がるあなたでしょうか」
馨は苦笑した。
「それに、話を聞きますと、その芸者さんの新しい男の人というのは……ただの悪党じゃなくって、自由党の壮士らしいのです」
「ふうん」
馨はまばたきして、
「妙な者に惚れたもんじゃな。……いや、あの女なら、あり得ることじゃて」
「あなたがおあげになった養育代とやらも、その男がまきあげたというより、梅龍さんのほうがのぼせて、自由党の軍資金としてさし出したらしいのです。そこへ、もし、このお鳥が外務大臣の落し胤《だね》と知ったら。……」
「まだ知らんのか」
「まだそれは――子供があることさえ、いってないようですけれど、そのうち知ったらどういうことになるか、それが心配でこの子をこちらに連れて来る気になった、と、そのお婆さんは申しておりました」
「知ったとしても、その母親が惚れた女なら、どうすることもあるまい」
ふだんでもみけんに三本|刻《きざ》まれているたて皺《じわ》が、ぐいと深くなった。雷《かみなり》オヤジというのが世間に出ても貼られている彼のレッテルであった。
「あっちに置いておけば芸者の子じゃ。芸者の子は芸者に育てさせろ」
「私も芸者でしたわ」
かんしゃくを起しかけていた馨は、ちょっと狼狽した。
「そりゃ、大昔のことじゃ」
「それに、その芸者さんは、いま肺病だそうです。……とにかく、この子は私が育てます。とうとうあなたの子が生めなかった私の子供として、いえ、あなたの子にふさわしい、立派な娘に育ててみせますわ」
三
「まあ、そういうことでしたの。……」
大山捨松は眉をひそめた。
「日本のトノガタは、どうして、みなさん、そんな。……」
話しおえた井上武子は、窓の外に放心したような眼をやっていた。
庭師たちが大きな松の木を動かそうとしているのを、山本権兵衛と、女中に連れられている女の子がいっしょに見物しているのが見えた。双方、何か話している。
いまの話の子供にちがいない。
「私、あの子が家に来たのを気にしているのじゃございませんのよ。あの子は可愛いのです。はじめは母親を恋しがって毎日泣いて困りましたけれど、そのうちだんだんなついてくれて、このごろは、ほんとの私の子のような気持がしているのです」
と、武子はいった。
「ただ、それとは別に……夫がそんなことをしていたのか、と、やっぱり心がふさいで……」
「………」
「ふだんはあの子の素性のことなんか忘れようと思い、忘れているのですけれど、鹿鳴館のお誘いなど受けると、その夫と二人で派手がましい西洋服を着てそんな場所へ出てゆくことがたまらなくなるんですの」
眼をもどしたが、空中を見つめていた。
「いえ、そりゃほかの方にくらべたら、それくらいのことが何だといわれるかも知れません。たとえ笑われようと、私は……夫の評判のよくないことは重々知っています。でも、その点だけは夫を買っていたのですわ。そのことだけを、女の生甲斐として夫につくして来たのですわ。……」
相手に訴えるというより、苦しみが吐息のようにもれ出す感じであった。
「尾去沢《おさりざわ》のとき……小野組の破産のとき……贋金《にせがね》騒ぎのとき……そして、鹿鳴館を作るとき……」
一語ずつ、一分間くらいの間隔をおいていった。
異様にまのびしたつぶやきであったが、しかし武子はこのとき、彼女にとっては全生涯ともいうべきこの十数年の過去を思い浮かべていたのだ。
それは夫井上馨がいまの元勲といっていい地位へ翔《か》けのぼって来た世界であり、同時に、妻の自分にとっては暴風の世界でもあった。
明治五年の尾去沢事件で、井上は死地に立たされた。大蔵|大輔《たゆう》(大蔵次官)であった井上が、元南部藩所有の尾去沢銅山を接収し、それを自分のものとして経営しはじめたので時の司法卿江藤新平に追及され、彼はとうとう下野《げや》のやむなきに至ったのである。
それどころか、翌年江藤が征韓論に敗れて叛乱を起さなかったら、井上はどうなったかわからないほどであった。
下野した井上は、三井と結んで物産会社を起した。そのころ三井のライヴァルに小野組という大財閥があって、三井とともに政府の為替《かわせ》方を承っていたが、明治七年突如として政府は、小野組の取扱っている為替に相当する現金を取立てる命令を出し、そのために小野組は崩壊に追いこまれた。一方の三井にも同様の命令が出されたのだが、こちらは事前にそのことを察知していてぬかりなく準備していたので生き残った。
そこでこれは、政府の情報に通じた井上が一枚かんで、三井のライヴァルを蹴落すための策謀ではなかったかという噂がたてられた。
明治十二年、こんどはおびただしい贋札が発見されて大騒ぎとなり、しかもその黒幕が井上馨だという風聞がながれ、時の警視庁大警視|川路利良《かわじとしよし》もその線で捜査を開始した。しかるに突如川路は、警察事情視察の名でフランスに飛ばされ、しかも帰国するやいなや死んでしまったのだが、これも井上の手が動いたのだと世にささやかれた。
そして、また政府に復帰して外務卿となった井上のやりはじめたのが、鹿鳴館なるものの建設だ。
これがあまりにあざとい欧化の猿芝居だと顰蹙《ひんしゆく》する声が高かった上に、西南戦争後のひどい財政難のなかに、巨費を投じてそんなものを作るのはきちがい沙汰だ、と非難のまととなった。
いまや世人の脳裡にある井上馨像の面上には、ぶきみな刀痕とともに、奸物《かんぶつ》、貪官《どんかん》の刻印が打たれている。――
それどころか、かつて大西郷が井上の名を耳にしたとき、「あの三井の番頭さんか」と笑ったという話や、彼が外務卿に推薦されたときも、天皇がそんな悪評を御存知で、その人事に難色を示されたという話も伝えられている。
妻の武子は、しかし、むろん悪人井上馨像は大誤解だと思っている。
尾去沢の件も、物産会社を起した件も、自分の金もうけのためではない。国益のために、自分が鉱山を経営してみたくなり、大がかりな実業をやってみたくなっただけだ。小野組がつぶれたのも彼のあずかり知らないことだし、贋金の件に至ってはまったくの濡衣《ぬれぎぬ》だ。鹿鳴館も、それがいまの日本に絶対必要だという信念による建設以外の何物でもない。
ただ、夫はやり過ぎるのだ。強引過ぎるのだ。そして何よりいけないのは、そんな世評を気にかけなさ過ぎることだ、と、武子は考えている。
ほんとうに奸物なら、そんな評判をたてられるわけがない。一方で雷オヤジなどという異名をつけられるような人間であるはずがない。
若いころ友人の伊藤博文とイギリスに密航していて、馬関戦争のニュースを聞くと一路日本に馳せ戻り、攘夷《じようい》にのぼせている長州を鎮めるのに必死に大奔走したり、あるいはその後の幕府の長州征伐に対し、当時無謀と思われた抗戦論を主張したりして、そのために刺客に襲われたなごりがあの頬の傷痕だが、そういう、思いこんだらいのちがけ、という烈しい気性がそのままつづいているに過ぎない。
しかし、現実に悪名一世に高い人間を夫として、武子はいうにいえない苦労をした。
追われた銅山の旧持主につながる人間たちが、亡霊のように門に現われたこともある。元小野組の関係者にゆすられたこともある。江藤新平の遺志をつぐと称する男に馬車を襲われたこともある。贋札事件、鹿鳴館の件に至っては、それぞれ脅迫状が殺到した。
ここ十数年、井上邸は祟《たた》りめいた妖煙にけぶっていたといってもいい。
それなのに井上は、てんでそんなことを意に介しなかった。彼はその時その時の目的に夢中になり、他人の思惑《おもわく》などとんと眼中になく、いつもセカセカし、カンシャクを起し、雷を落した。
彼のその態度は、武子に対しても同様であった。洋行中、あちらのマナーを学ばせるのに大いに尻をたたいたのもその例だ。
彼女はそれによく応《こた》えた。弱音《よわね》、愚痴は一切こぼさなかった。しかし――いま三十半ばを越え、正直いって、他人の心情に斟酌《しんしやく》のない夫の傍若無人ぶりに、骨が磨滅したような疲労をおぼえることもあった。
ただ一つ、何よりの慰藉は、井上が他の大官とちがって、ふしぎなことに女道楽に縁のなかったことだ。ふしぎに――とは、彼女は思わない。「文明開化」の推進者たる夫は、妻に文明国のマナーを学ばせると同時に、自分も文明国の夫としてのモラルを守るつもりでいるらしい、と見ていたからだ。
それより武子は、自分たちの世の常ならぬ結ばれ方から、夫の特別な愛情を信じていた。――
しかるに、その夫が、やっぱりほかの大官同様、芸者にかくし子を作って、いままで何くわぬ顔をしていたとは!
武子のショックは、他の例とは同日に論じられないものがあったのだ。
その日、馬車で麻布鳥居坂の井上邸を去りながら、山本権兵衛はふと訊いた。
「庭で、三つくらいの女の子と逢いもした。女中はお嬢さまと呼んでおりもしたが、ありゃ井上大臣の娘さんでごわすか? お孫さんでごわすか?」
慰める言葉もなく、武子夫人と別れた大山捨松は、黙々と考えこんでいたが、この問いにドギマギして、
「娘さん、らしいです」
と、変な答えをして、あとまた黙りこんだ。
四
それでも井上武子は、西郷主催の舞踏会に、夫といっしょに出るには出た。
事件が起ったのは、それから一ト月ばかりたった四月はじめのある日のお昼前のことだ。
その日は、朝から、大きな庭石を動かすとかで、庭師のほかに大勢の人夫たちがはいっていた。それを女中といっしょに見物していたお鳥が――その後鳥子と名を変えたが――女中がちょっと用事があって家の中にはいっているあいだに、姿が見えなくなっていた。
ひと騒ぎののち、新顔の人夫の一人が消えており、その男が連れていってしまったらしい、ということがわかったのは、三十分ほど後のことであった。
主人の馨はむろん外務省に出勤中の出来事であった。
武子の頭にあることがひらめいた。彼女は、信頼している女中の一人を呼び、いつかの老婆のところへ訊きにやらせた。老婆の住所はこの前聞いてあった。――その結果、次のようなことがわかった。
老婆のところに鳥子は帰っていない。しかし、思いあたることはある。去年の秋、鳥子が自分のところにいなくなったことから、あのあと芸者の娘に問いつめられ、しかたなく井上さまのお邸に預けたことはいっておいた。そのときは、聞いて怒ったものの、一応あきらめたように見えたけれど、そんな事件があったというなら、連れ出したのはやはり娘――おそらくは間夫《まぶ》の男にちがいない。その男は広見綱三郎といい、築地|新栄《しんさかえ》町の有一館という自由党の溜り場所にいるはずだ。――と、老婆はオロオロして教えたというのであった。
武子は、こんどは家扶《かふ》の一人を呼んで、築地に走らせた。
あとになってみると、そのとき「その広見という男がいて、そこに鳥子がいたなら、お金はどれほどでもあげるからどうぞ返して、といっておくれ」と、家扶にいいふくめたのがよくなかったかも知れない。
俥《くるま》で駈け出した家扶は、やがて顔色を変えて駈け戻って来た。
「大変でございます。お嬢さまはたしかにそこにおられました。その広見という男もおりました。芸者もおりました。それから、十何人かの壮士の連中もおりました。で、私がこちらの口上を伝えますと、向うは何やら相談しておりましたが、やがて――われわれは南洋へゆきたいと思っておるのだが、その費用に不足しとる。井上伯は大金持じゃ。それでは、その費用として千円出してもらおうか、といい出し、この条件不承知とあれば、無理してもともかくこの娘を南洋に連れてゆく。またもし警察などにとどけて面倒なことになるなら、事と次第ではこの娘を絞め殺し、一同、警察相手に一戦まじえて斬死するも辞せんつもりじゃ、と申しました。――」
「え、千円?」
いつぞや井上夫妻が、お供を三人連れて二年洋行した費用が千五百円という時代の千円だ。さすがの武子も、のどに何かつまったような表情になった。
その騒ぎの中に、偶然大山捨松が訪れた。
同伴者が一人あった。山本海軍少佐ではない。若い異人で、それは横浜に住む洋服の仕立屋で、それを武子に紹介するために連れて来たものであったが、それどころではない。――捨松は、すぐに俥で彼を帰した。
「いくら何でも千円は出せないわ。もともと井上はあの娘をひきとるのに反対だったのですもの。いえば、放《ほ》っとけ、かえって好都合だ、と、うそぶくにきまっています」
武子は両腕をねじり合わせていった。
「いえ、私はこのことを井上に、知らせたくさえないのです。井上も知らないうちに、私の力で鳥子をとり戻したいのです。向うは南洋へ連れてゆく、といってるそうです。鳥子が不幸になるのは眼に見えています。……私は井上に、自分の責任であの子を育てるといい切りました。それに私は、もう手放せないほどあの娘が可愛いのです。捨松さま、何とかうまい工夫はないでしょうか?」
大山捨松は当惑した表情で考えこみ、しばらくして顔をあげた。
「あの山本海軍少佐にお頼みしてみましょうか」
五
急報によって赤坂の海軍省から、山本権兵衛が俥でやって来た。
井上武子夫人と大山捨松夫人は、こもごもいままでのいきさつを話した。――権兵衛ははじめて、いつか庭で逢った幼女の素性を知った。ははあ、あの子は、この井上夫人のお子じゃなかったのか。
「それじゃ、おいにそのお嬢さんをとり戻して来いっちゅう事《こつ》ごわすか」
二人の夫人は、すがるような眼でうなずいた。
何だか自分には場ちがいの依頼のように思われるが、頼まれて知らない顔をするわけにはゆかない。二人の女性は、自分のこの髯面を見込んだのかも知れない。――それに剛胆な権兵衛は、そんな用件なら、と彼自身軽く考えた。
「よか、これからその有一館とやらへいってみましょう」
――去年まで海にいることの多かった権兵衛は、ここ数年荒れ狂った自由党の嵐をどこか霞《かすみ》をへだてた感じで見ていたけれど――相つぐ政府の弾圧に追いつめられ、「加波山《かばさん》事件」「大阪事件」その他一連の騒乱を起して自由党は自滅状態におちいっていたが、それでも旧本部たる築地の「有一館」には、その残存分子が集まって、自暴自棄といったありさまで棲息していたのであった。
道場のような殺風景なその建物の入口に立って、「井上家からの使いの者だ」と権兵衛は名乗り、すぐに通された。
井上の使者が海軍将校であったので、待っていた壮士たちはちょっとどよめいた。
聞いたとおり、なるほど、十五、六名はいたろうか。色のさめた黒紋付を着て、手に手に仕込杖を握っている。そのまんなかに、ひときわ精悍な二十七、八の壮士と、女の子を抱いた芸者風の女が坐っていた。少女はもとより、あの子であった。
「海軍か。……変なものを寄越《よこ》したな」
と、その壮士が立ちあがっていった。
「こけおどしのつもりか」
これが広見綱三郎という男にちがいない。女は梅龍という芸者だろう。肺病と聞いたが、なるほど美しいけれど、痩せて、透《す》きとおるような顔色をしていた。
「何でもいい。千円持って来たか」
「持って来ん。千円とは法外じゃ」
と、権兵衛はいった。
「高くはないっ」
「われわれが、みんな南洋へゆく費用じゃ!」
「金はいくらでも出す、とは、そっちのほうでいったことではないか!」
と、まわりの壮士たちが口々にわめいた。このころの南洋とは、東南アジアのことだ。
それを手で制して、
「待て待て。――せっかく海軍が来たのだから、こちらの道理を聞かせてやろう。おい、いっておくが、これは誘拐ではないぞ。ここにおるのは、この子の母親だ。母親が、自分の子をひきとっただけだ。こんどおれとこの梅龍が南洋へゆくにつけて、はじめて子供が井上邸におることをおれに打ち明け、是非一目逢いたいと訴えた。その心情を汲んでおれが連れて来てやったのよ」
と、広見綱三郎がいった。ただの芸者の間夫ではない。どうやらここにいる連中の首領株のようで、それらしい面《つら》だましいをしている。
「それに対して、先刻井上の家扶とやらが来て、金はいくらでも出すから子供を返してくれといった。――ふふ、井上のいいそうなせりふだ。――それで、おれの考えも変った。
貴公、いま法外といったな。法外なことをしておるのはだれだ。公権力を利してあくなき私欲にふけっておる井上馨ではないか。貴公もお国のために働く軍人なら、いま民衆がしぼりにしぼりあげられて、あちこち暴動騒ぎを起しておることは知っとるだろう。その陣頭に立った自由党は弾圧されて、いまやわれわれは日本におるにもおられぬ運命におちいった。おれの南洋ゆきもそのためだが、この際、ここにおる同志ぜんぶが行を共にすることを思い立った。その資金をすべて井上に出させる智慧《ちえ》が浮かんだからよ。
何が法外だ。いや、法外の搾取者が、法外の難に苦しむ志士に避難の費用を出す。これでこそ法外どころか、天意に叶う。はからずも井上のほうからそれをいい出したのが天意の証拠だ。わかったか、海軍」
「そげな屁理窟を聞けば、いよいよ金は出せん」
と、権兵衛はいった。
「理窟はともかく、要するに罪もなか子供をたねにしたゆすりじゃなかか。自由党の志士ともあろう者が、男らしくもなか卑怯なふるまいじゃぞ」
「なにっ」
広見綱三郎が血相を変えると同時に、ほかの壮士たちがいっせいに仕込杖を抜きつれた。
「ま、子供さんは返せ。話はそのあとで聞いちゃる」
権兵衛は平気で、子供のほうへ歩み寄る。彼はこんなことで自分を斬ることなど出来っこないと読んでいる。
すると、少女を抱いた芸者が、異様な動き方をした。
「来るなら、こうするよ。――」
権兵衛は、はじめて少女の細い頸に紐のようなものが巻きつけられて、その端が梅龍のこぶしに握りしめられているのを見た。
「可哀そうだが、井上さんの子供にゃ、自由党のために死んでもらう。どうせ、遠からずあたしも死ぬんだ」
その手がぐいと引かれようとするのを見て、
「あっ、待て!」
と、さすがの権兵衛も大声をあげて釘づけになった。
決してそれがおどしでないことを――その女の狂的な――すでに美しい死霊《しりよう》と化したような相貌から権兵衛は見てとったのだ。
「待った、待った」
と、彼はさけんだ。
しばらく考えこんでいたが、やがて、
「そんなら、しかたなか。帰ってもいちど相談しよう」
と、いった。
そして、くるりと背を見せてひき返していったが、それがあまり落着き払っているので、白刃をむけた壮士たちも気をのまれて、ぽかんと見送っているばかりであった。
からくも広見綱三郎がさけんだ。
「夜まで――六時まで待つ。わかったか?」
「わかった」
「巡査など向けると、子供のいのちはないぞ」
「わかった」
と、権兵衛は答えた。
六
「いやあ、降参しもした」
井上邸に帰って来た権兵衛は、正直に頭をかいた。談判のなりゆきを報告したあと、
「向うは、こりゃ誘拐じゃなか。母親が娘をひきとっただけじゃと申しましたが、それをふくめてあちらの言い分、泥棒にも三分の理はあると実は内心感心しもしたよ。――それにしても、それをおどしのたねに使う、いや、おどしじゃなか、本気で母親が実の娘を殺そうとするとは、何ちゅううす気味悪か話でごわしょう」
ほんとうに気味悪そうに頬髯をなでて、
「あの女、本気で男に惚れておりもすぞ。いちどは大臣の子を生んだ女が、自由党の壮士の色おんなになってそげなふるまいをする。女っちゅうもんは、そげなもんでごわすかな。――何から何まで、おいの想像も及ばん事件で、せっかくの御依頼を果せんで面目なか始末でごわすが、おいの力じゃどうにもなりもさんなあ」
と、弱音を吐いた。
「私たちと反対ですね」
と、大山捨松がぽつんといった。
数秒後、それが女の運命と心情の変りようをいったのだと権兵衛が気がついたとき、捨松夫人がまたいった。
「何にしても、それじゃ、あっちの言い分を聞いてやらなくてはならないでしょう。……」
井上武子夫人は苦悶の表情のまま、黙っていた。
「六時までといいましたね。大臣、いつお帰りですか」
イギリス製と見える柱時計は、四時半あたりをさしていた。
「あの人に知らせるのですか」
と、武子が尋ねた。捨松はうなずいた。
「千円という大金のこともありますし、お嬢さん、無事にとり戻すには、それよりほかに方法、ないでしょう。武子さん、御主人への意地、お捨てなさい」
「ふだん、何もなければ、帰って来るのは六時ごろですけれど、それじゃ間に合いません。それにきょうは夜大事な会合があるからといって出かけたのです。……私の意地はともかく、いま役所に使いをたててそんなことを伝えても、もともとあの子は母親に返せといっているあの人が、おいそれと腰をあげて帰って来てくれるとは思われませんわ。……」
武子は絶望的に首をふった。
三人は、こうしてはいられないという焦燥の中に、しかしなすべき方途が思い浮かばず、凝然と顔を見合わせているばかりであった。
そのとき、扉をノックする音が聞えた。ノックというより、拳骨でたたいたような大きな音だ。
三人は、はっとしてふり返った。返事もないのに、扉がひらいて、いかにも、飄然《ひようぜん》、といった感じで、一人の男がはいって来た。うしろにオロオロした女中の顔が見えたところを見ると、勝手にそこまでやって来たものらしい。
「やあ、また出て来もした。お世話になりもすぞ」
あけっぱなしの笑顔でいう。やはり薩摩弁だ。
年は四十代の後半であろうか。くたびれた羽織|袴《はかま》を着て――というより、何となくだらしない着方をして、手に筍《たけのこ》を二本、縄でくくったものをぶら下げている。髯のないせいもあるが、ひどく間のびした、だだっぴろい顔をしていた。
「お土産に、京都の筍を持って来もした」
土のついたままのやつを、ドサリとテーブルの上におく。
「すぐに茹《ゆ》でさせなさい。今夜、井上どんと一杯飲んだあと、筍飯を食わして下さい。――井上どんはまだ帰られんか」
といって、はじめてそこにいる三人のただならぬ気配《けはい》に気づいたらしく、
「や、奥さん、どげんされもした?」
と、けげんな表情をした。
「よくいらっしゃいました」
笑顔も見せず、かすれた声で武子夫人がいった。そして、
「これが夫の友人の中井弘さん。――いま滋賀県の知事をしていらっしゃいます。こちらは大山陸軍大臣夫人の捨松さまと海軍の山本少佐です」
と、紹介した。
山本権兵衛は、思わず眼をむいて相手を眺めた。
これがいつぞや西郷海相から聞いた中井|桜洲《おうしゆう》か? 同じ薩摩人だから、桜洲の本名が中井弘だということも聞いているが、逢うのははじめてだ。
それにしても西郷大臣は、たしか「中井の奥さんじゃったものを、井上どんが盗《と》られたんじゃ」といい、また「寝とられ男と間男《まおとこ》」という言葉を使ったようだが――その寝とられ男が、間男の家へやって来たというのか? それが事実なら、この井上夫人は、もと中井夫人であったはずだが、それにこうもコダワリのない、しゃあしゃあとした顔で話しかけられるものか?
「や、や」
中井は無造作《むぞうさ》に礼をして、
「何事《なにごつ》ごわす?」
と、また訊《き》いた。
「中井さん、助けて下さい」
突然、さけぶように武子がいった。
そして、きょうの出来事を手短かにしゃべった。当然、さらわれた娘の素性を打ち明けないわけにはゆかない。
「ほう、その子は、井上どんが芸者に生ませた子でごわすか」
聞きおえて、中井は武子の顔を見つめ、ニタリとして、
「そりゃ約束違反じゃな」
と、妙なことをいった。
それがこの災難話の間に、彼が見せた唯一の反応であった。
中井桜洲は大きくうなずいた。
「わかりもした。それじゃ、おいがこれからいって、その娘さんをとり戻して来てあげよう」
さっき自分が出かけたときと同じような態度だ、と権兵衛は不安になり、
「大丈夫ごわすか? こんども手ぶらでゆくと、ただではすみもさんぞ」
と、声をかけた。
「ま、何とかなるじゃろ」
中井は肩をゆすって一笑し、来たときと同様、飄然と部屋を出ていった。
権兵衛はあっけにとられてそれを見送り、
「あの御仁《ごじん》、刀も金も持たずにゆかれもしたが……それほど頼りになる人物ごわすか」
と、首をひねって武子夫人をふりむいた。
武子夫人は、椅子に崩折れるように坐って、テーブルに肘《ひじ》をのせ、手をひたいにあてていたが、ややあって、
「それが……頼りになるような……頼りにならないような人なのですけれど。……」
と、心細いことをつぶやいた。
武子は、中井桜洲という男について考えていたのだ。そして、その人に、いますがりつくように助けを求めた自分に、改めて愕然としていた。
七
これほど奇妙|奇天烈《きてれつ》な人物も、ちょっとあるまい。
いちどは夫婦となった仲だが、そのときもいまも、中井という男は武子の判断力の外にある。
そもそも最初彼女が、彼の女房にされたいきさつからして、人を馬鹿にしている。
それは明治二年夏のことで、武子は柳橋の芸者になって間もないころであった。もともとは小旗本《こはたもと》の娘で、おさだまりの御一新後の落魄《らくはく》でその運命に落ちたのだが、そのきりっとした美貌と気丈さで、そのときまだ十九歳であったのに蔦《つた》の家《や》の雪葉《ゆきは》といえば、もう姐《ねえ》さん株に一歩もひけはとらない芸者になっていた。
ある雨の日、茶屋から帰って来る途中、置屋の近くで、三十過ぎの一人の酔っぱらい男が千鳥《ちどり》足でやって来るのとすれちがい、反射的に心持ちそのほうへ伏せた傘がふれたと思うと、その男がそばの|どぶ《ヽヽ》に落ちた。あわてて傘を放り出し、もがいている男に手をさしのべて助けあげたが、これが意外の重傷であった。
「アイタタタ! アイタタタ!」
と、男はどじょうみたいになって、泥の中をのたうちまわる。どうやら足の一本が折れたようだ、と、うめいた。
雪葉は狼狽して、蔦の家に走って男衆を呼んで、その男を運んでもらった。
男は一週間も動けなかった。責任上、彼女がその世話をしなければならない。その一週間目あたりで、雪葉はその男に蒲団にひきずりこまれてしまったのである。そのときはもう男の足は、ピンピンと健在であった。
はじめから足は何でもなかったのだ。いや、そもそも、それ以前、酔っぱらって|どぶ《ヽヽ》に落ちたことからして、みんなお芝居であったのだ。
「蔦の家の雪葉といや、おいの朋輩《ほうばい》の間でも評判でな。朋輩っちゅうのは政府の役人じゃが」
と、その男は薩摩弁でいった。
「こないだ往来でおはんを見かけて、あれがその雪葉じゃと教えられ、たちまちどっと恋風をひきこんだが、ここのところ懐も北風で、おはんを茶屋に呼ぶ金さえなか。そこでやむなく編み出した本陣直撃のナポレオンの軍略じゃ。ゆるせ」
これが中井であった。
「どうじゃ、おいの女房になってくれんか」
と、手を握り、すぐに築地の邸にゆこう、承知してくれるなら邸から馬車を呼び寄せる、といった。
|どぶ《ヽヽ》に落ちて泥まみれにまでなって自分をものにした男が政府の役人で、邸と馬車を持っているとは――と、雪葉は狐につままれたような顔になり、
「でも、身請けして下さるには」
と、いいかけると、
「まあ、まかせておけ、悪かようにはせん」
と、中井は胸をたたいた。
これまでのなりゆきを、人を馬鹿にしている、とは思ったものの、この男の豪快な、可笑《おか》しみのある人柄にはすでにひかれており、それに雪葉は身を切られる思いで芸者になったのだから、もし相手の素性がたしかなら、ここから抜け出すのに彼女も異論はなかった。
雪葉の身請けの金はあとで邸にとりに来い、その前に築地本願寺隣りの邸から馬車を呼んで来てくれ、という中井の申し出に、蔦の家の女将《おかみ》も眼をパチクリさせながら男衆を走らせた。すると、ほんとうに――当時は稀《まれ》な馬車が迎えにやって来たのである。
二人はそれに乗っていってしまった。
邸はしかし中井のものではなく、大蔵大輔大隈重信という人の家だとわかったけれど、迎えの馬車を寄越すくらいだから何にせよまちがいはあるまい、と数日後女将が、正式に身請けの話にゆくと、玄関に十人くらいの髯だらけの荒武者が現われて、「御一新で天下が変ったというのに、昔同様商売がつづけておられるのはだれのおかげと思うか、この恩知らずめ!」と怒鳴りつけられて追い返されてしまった。
連れてゆかれた雪葉も、すぐにこれが大隈という大官の家だと知ったが、それと同時に、そこに中井と同じような荒くれ男が数十人もごろごろしているのに驚いた。
これは当時、「築地の梁山泊《りようざんぱく》」と呼ばれ、男たちはみんな大隈の居候《いそうろう》であった。
もとは戸川|播磨守《はりまのかみ》という五千石の大旗本の邸で、五千坪の敷地に長屋までめぐらした宏大《こうだい》なものだが、その長屋にはいりきらず、母屋《おもや》まであふれた連中が、日夜酒をくらって天下国家を論じている。
中井はその一人に過ぎなかったのだ。
彼は居候のくせに、そこへ新しい女房をかつぎこんだのである。
八
さて、その中井だが。――
はじめのころ、まともな人間は一人もいないと見えた食客たちの中でも、彼がひときわ風変りな人物であることはすぐにわかった。
まず彼は大変な学者であり、大変な豪傑であった。
年はこのとし三十三。それでいて学は和漢洋にわたっている。廿歳《はたち》前後に何年間かイギリスに留学していたこともあるそうだから新知識である。一方でこの大隈邸を「梁山泊」と名づけたのも中井だという。――のちに鹿鳴館などという相当な漢学者でなければ出て来ない命名をしたのも彼なのだが。――
彼は桜洲と名乗り、号をつけるのはこのころだれしもがやったことだが、ふだんから仲間に「桜洲桜洲」と呼ばれているのは彼だけだ。
洋行したのは旧幕のころだから、むろん密航だ。当時薩摩藩では、洋行はおろか藩から他領への出入りすら厳重な監視の下《もと》にあった。で、彼は、洋行するためにまず脱藩したのだが、その脱藩のやりかたも人を喰っている。
山の関所に大きな風呂敷包みをかかえてゆき、番人に、きょう京都から帰って来る知人を迎えに来たので、これは着換えの着物ごわす、といった。小半日もそこで番人と無駄話をしていて、いかにも遅いなあ、と大あくびして、ちょっとそこまで見て来もそ、と風呂敷包みをおいたまま、外へ出て、スタスタ山道を下りていった。
それまでの談笑と、風呂敷包みが残してあるので、番人はふと気を許したのだが、それっきり彼は帰らなかった。風呂敷の中には、|ぼろ《ヽヽ》と紙屑がはいっていた。
雪葉をさらい出したやりかたと通じる奇策で、これが十八のときの話というから、まさに栴檀《せんだん》は双葉よりかんばし、と、いわなければならない。
そして、薩摩どころか、彼は日本からも脱け出してしまった。
豪傑のほうでは、また彼はすばらしい履歴をもっていた。
明治元年二月一日、音に聞えたイギリス公使ハリー・パークスははじめて天皇に謁見するために、京都の御所に参内《さんだい》しようとした。真っ赤な制服に金モールの飾りをつけたイギリス騎兵隊の行列が、四条通り縄手へさしかかったとき、突如群衆の中から二人の浪人が躍り出してパークスを襲撃した。彼らは抜刀して、騎兵隊をあたるをさいわい薙《な》ぎ倒した。護衛の中に、外国公使接待係として、土佐の後藤象二郎とともに中井がいた。彼がイギリスから帰って十年以上もたっていた。
そのときの彼のめざましい働きを、現場にいたイギリス公使館書記官アーネスト・サトウはこう書きとどめている。
「中井はそれを見るや馬から飛び下り、列の右手の男と渡り合ったが、相手は相当手ごわく、斬り合ううちに、長いダブダブした袴が足にからんで仰向けに倒れた。敵は中井の首をたたき斬ろうとしたが、中井はわずかに頭皮にかすり傷を受けただけで危く太刀さきをかわし、同時に刀の切先《きつさき》を相手の胸に突き刺した。
これにひるんだその男が背を見せたとき、後藤が肩に一太刀浴びせたので、そのまま地上に倒れた。そこへ中井が飛び起きて来て、その首を打ち落した」
しかも、この騒ぎで参内を中止しようとしたパークスの前に、この生首をひっさげて現われた中井が、それをテーブルの上にごろんと置き、「もはや曲者《くせもの》はこの通りでごわすから、安心して参内してたもれ」と怒鳴りつけたので、パークスは予定通り参内したという。
この手柄で彼は、後藤とともにヴィクトリア女王から金装刀を拝受したが、すぐにこれを天皇に献上した。
こういう話ばかりだと、彼はまさに快傑だが、一方では――いや、雪葉の見るかぎり、彼は怪《ヽ》傑であった。
九
とにかく、酒乱だ。
ふだんは、ときに奇想天外な警句を吐いて人のおとがいを解かせることはあるものの、どんな相手にも自他の区別がないかのようにうちとけて、実に春風駘蕩《しゆんぷうたいとう》たる人物だが、酒がはいると別人のように大あばれする。
それもひと通りのあばれかたではない。徳利で友人の頭をなぐり、満座の中で料理に小便をひっかける。これはのちのことだが、宮中の御宴に連なったとき、天皇の前でなぐり合いをはじめたというのだから、その酒乱もケタがはずれている。
次に、目上の人を愚弄《ぐろう》する癖《へき》がある。
あるとき大隈邸で、有名な料理屋を呼んで大宴会をもよおしたことがある。そのとき女将《おかみ》が大隈を、「御前《ごぜん》、御前」と呼ぶのを聞いて、中井がダミ声をかけた。
「女将、おはんは大隈どんを呼んどるのか、奥さんを呼んどるのか」
「それは、大隈の御前のことで。――」
「ふうん、御前といや、昔、仏《ほとけ》御前とか静《しずか》御前とか、白拍子《しらびようし》、すなわち当時の遊女を呼んだもんじゃがの。おいはてっきり奥さんの事《こつ》かと思った」
神経のふとい大隈もにがり切った。夫人の綾子にいたっては、唇まで白くした。そのとき当の中井の妻の雪葉が――むろんこのころは武子という名に戻っていたが――その座にいなかったことは何よりの倖《さいわ》いであった。
また同じころ、彼は突然仲間たちに、
「おい、きょう大久保参議がここへ来られるっちゅう事《こつ》じゃが、大久保どんを御者《ぎよしや》にして、おいが馬車に乗って来たら、貴公ら一人ずつ五円くるるか」
と、いい出した。
大久保利通は、このころから沈重《ちんちよう》森厳の人物としてみなはばかる存在であった。まかりまちがっても、そんな馬鹿な真似をやりそうにない。
「よし、出来なかったらお前がみなに五円ずつ出すのだぞ」
「心得た」
やがて時刻が来ると、馬車が大隈邸に到着した。見ると、こはいかに大久保参議が厳粛無比な顔をして御者台で手綱をとり、馬車の中からそっくり返って中井が下りて来たので、一同は胆をつぶした。……
実は中井は大久保邸にゆき、きょうは御者に代って私が手綱をとりましょうと頼みこみ、さて馬車が大隈邸に近づいたとき、突如「アイタタタ!」と腹痛を訴えたために、やむなく大久保利通が代って御者台に乗って、馬車を動かさざるを得ない羽目になったのである。あとで、このいたずらを知って、大久保は実にしぶい顔をした。
さらに、武子にとっての気がかりは、いったいこの男に果して出世欲があるかどうか、疑問になったことであった。
右のような酒乱癖、愚弄癖から見ても、出世にさしさわりがないはずはないが、それ以上に彼は妙な達観をいだいているようだ。
おれはゆくゆく参議なぞになりたくない、せいぜい知事くらいでいい、と、のんきな顔をしていう。
なぜかと訊くと、世には参議になりたくてウズウズしているやつは掃いて捨てるほどおる。知事はどうかといわれると、器量が足りぬと見下げられたように思って不平|面《づら》するやつが多い。しかし百姓町人にとっていちばん大事な日常の政治は、知事くらいがやるもんじゃ。ほんとうのところは知事のほうがむずかしいんじゃ、という。
それから、声をひそめて、参議じゃ酒を飲んであばれる事《こつ》も出来ん、知事ならそれくらいは自由になるじゃろ、といってニヤニヤする。
それがどうやら本気らしい、と次第に武子は認めないわけにはゆかなかった。
――県知事といっても、そのころの県は三百近くあって、まあ郡長といってもいい時代の話なのである。
この邸には常時三、四十人の居候がいる。それがただの怠け者の居候ではない。政府の新しい制度がまだ完全にととのっていないので、だれをどこに使っていいのかわからず、それで人材がここに溜《たま》っているだけで、みんな自分にふさわしい地位を足ずりして待っている人々なのだ、ということに彼女も気がついた。そういう活気がみなぎっている雰囲気だから、中井の泰然ぶりがいっそう目立つ。
いったいこのひとは、どういう料簡《りようけん》でイギリスなどへいったんだろう? なんの目的もなく、ただフラフラといってみたかっただけなのかしら――。
それはとにかくいま珍しい貴重な洋行帰りで、飛ぶ鳥おとす薩摩閥の生まれで、前年にあんなめずらしい大手柄をたてて、大出世の条件はここでもとびぬけてそろっているのに、なんですって? 県知事くらいでいいって? 本人はそういうけれど、世の中は棒ほど望んで針ほど叶うという。これでは知事だって怪しいものだ。
武子には元来、ふつうの女性以上に強烈な上昇志向があった。一年たつかたたないうちに、彼女は中井に期待はずれの感じをいだきはじめた。
それに、もうひとつ、いちばん大きな不満がある。
彼といっしょにいるときは、それでもふしぎに春風に抱かれているような気持になるけれど、この春風はすぐにどこかへ吹いていってしまう。とにかく邸にいることが珍しいのだ。
べつに猟官のために奔走しているようでもなし、いったいどこへ何しにゆくのか。荒くれ男たちがひしめいている家に自分一人を置きざりにして、平気な顔をして外をほっつき歩いている。――ひょっとすると、自分が釣り出されたように、また|どぶ《ヽヽ》の中から往来の女を釣りあげているのかも知れない。
疑心暗鬼にとらえられた武子の前に、やがて別の男が現われた。
それが井上馨であった。
十
大隈重信自身、梁山泊についてこういっている。
「伊藤が、すぐ隣りの小さい屋敷に住んでいた。井上|聞多《もんた》(馨)は門を入ってから小さい長屋におって、居室三尺、膝をいるるに足れば可なり、と豪語していたんである」
面白いことに、この明治初年のころ、大隈が大蔵大輔なのにくらべ、伊藤博文は民部|少輔《しようゆう》、井上は造幣頭《ぞうへいのかみ》などやっていて、大隈のほうが一クラスえらかったのである。彼は毎日、それこそ白馬銀鞍《はくばぎんあん》で太政官に登庁していた。
その他、梁山泊にとぐろをまいて気勢をあげていた連中について、大隈は、のちにマリア・ルーズ号事件の立役者となった大江卓、明治十五年の京城事件のとき駐在朝鮮公使として活躍した花房|義賢《よしかた》、明治の政商として有名な五代友厚などをあげているが、ただ数カ月わらじをぬいだだけの人間もみんな自分の居候に加えてしまっている傾向もある。
それはともかく井上馨も、そのころから切れ者として知られており、げんに大阪で造幣のことに奮闘していたから完全な居候というわけではなかったが、それだけに東京にまだ家を持たず、上京したときはこの大隈邸に寝泊りするのを常としていた。
それが明治三年秋、上京して梁山泊に姿をあらわして、武子を一目見て、たちまち惚れこんだ。すぐにそれが中井という男の妻であることは知ったが、思いこんだらまっしぐら、という持ちまえの性癖は、そんなことに彼を盲にしてしまった。
幸か不幸か、そのころ中井はいなかった。例の風来坊癖で――というより、その数カ月前、「ちょっと国へ帰って来る」と、飄然と薩摩へいって留守だったのである。
井上に迫られて、武子はよろめいた。彼の熱情にまきこまれたせいもあるが、彼女の怜悧《れいり》な本能は、気まぐれで「底のない柄杓《ひしやく》」のような夫より、三つ年上だが、凄じい刀痕を面上に印し、俊敏有為、雲蒸竜変《うんじようりようへん》の迫力を持った井上に対し、「ああ、あたしが待っていたのはこのひとだわ!」と心にさけばせたのであった。
ついに二人は姦通した。
また、出来たことをかくすような井上ではない。
当然、梁山泊ではひと騒ぎになった。
武子は大隈邸で、食客たちの世話に忙殺されている綾子夫人のお手伝い役をしていたのだが、二人は同年で、その仲はきわめてうまくいっていた。それまで荒くれ男の集団の中にいて武子が無事であったのは、綾子夫人のゆだんのない目くばりがあったからだが、それがまんまと破られたのだ。
大隈はいう。
「サアたまらぬ。梁山泊は鼎《かなえ》のわくがごとき騒ぎである。井上というやつは実にけしからぬ、不埒《ふらち》な男だ、と憤慨する者と、マア、そんなことは放《ほ》っておけ、どっちも人間だから……という者と、いわゆる硬軟両派に分れたわけである。このときは我輩も、実にそのさばきに大きに閉口したんである」
結局、両人がそういう仲になったなら、いたしかたない、いっしょにしてやるよりほかはあるまい、ということになり、祝言をあげるだんどりにまでなった。
そこへ中井が飄然と帰って来た。――
「しかも偶然にこの席に帰って来たんだから驚かざるを得ない」と、大隈は苦笑する。山県|有朋《ありとも》もしょっちゅうここに出入りしていたが、「玄関か何かで中井にブツかって鉢合せをした山県の、このときのあわてかたといったらなかった。マア、マア、マア……というわけで、中井を一室《ひとま》の中に山県が押しこめてしまって、女を隠すやら何やらで大騒ぎ、妻《さい》などもだいぶ色を失ったんである」
そして伊藤博文が、沈痛きわまる顔色で中井の説得にとりかかった。まだ、重ねておいて四つにする、といってもおかしくない時代のことだ。
「はははあん」
さすがに中井もあっけにとられた顔をしていたが、しばらく思案したのち、
「了解しもした。そげな始末になったっちゅうなら、やむを得ん、あれは井上どんに譲りもそ」
と、拍子ぬけするほど恬淡《てんたん》にうなずいた。
ただそのあとで、彼は井上に証文を書いてもらおう、といい出した。それは伊藤山県に証人になってもらい、井上が武子一人に夫として生涯信義を守る、という誓約書であった。それを二通書かせて、一通は自分がもらい、一通は武子に渡してやってくれ、と、彼はいった。
「ズボラな中井としては奇特な至りであるが、みれんがましいことを少しもいわず、アアそうか、と飄々たる面《つら》をしていたところは、中井の中井たるところであるんである」
と、大隈重信も感心する。
西郷のいわゆる「寝とられ男と間男」の由来は、右のごとき顛末《てんまつ》であった。
十一
で、それっきり中井と縁が切れたかというと、そうでもない。
以後、井上は風雲の中を翔けのぼり、武子にとっては暴風の時代にはいる。一方、中井は、果せるかな「大議官」だの「工部大書記官」だの、えたいの知れない下っぱの職をウロウロしていたが、それでものほほんとした顔で井上邸へ――やがて麻布鳥居坂に獲得した豪邸へやって来る。
武子は当惑し、人目もある、と井上に訴えたが、なにしろ人目などまったく蛙の面に水の相手だから、出入りをことわるきっかけさえない。そのうちに井上も、あっちがああなら、こっちもかまわんじゃないか、と、かえって面白がってつき合うようになった。こちらも神経の強靭《きようじん》な男なのである。
そのあいだにも、中井の奇談はいろいろ伝えられた。
いっとき伊藤博文の下で書記官の役をしていたことがあったが、伊藤が、部下で昇給してやって然《しか》るべき者の名に赤丸をつけて出せ、と職員録をわたしたら、自分の名だけに赤丸をつけて提出したとか、征韓論のことで大西郷が辞職して帰郷した際、桐野らに呼び出されて同じ薩人として行を共にすることをすすめられると、「南洲は辞職されもしたが、湊川のとき楠公は辞職されもさんかったな」と、しゃれのめして桐野を怒らせたとか、いちばんひどいのは、かつて献上した例のヴィクトリア女王の宝刀を、ちょっと入用が出来たもんで、と宮内省にとり返しにいったとか。――
それでも、二、三年前、やっと滋賀県知事になった。
知事になっても、相変らずの中井であるらしい。彼は昔から長雪隠《ながせつちん》であったが、便所に入ると、部下を外に立たせて、戸をあけたまま報告を聞いたり、しゃがんだまま書類の決裁をしたりするという。だいたい大津の県庁にいるより、京都の祇園《ぎおん》のお茶屋にいることのほうが多く、やむなく部下がそこへゆくと、自分は酒を飲んでいて、芸者や舞妓《まいこ》にハンコをおさせるという。
それでいて、地元では、近来の名知事という評判もあるというのだからふしぎ千万である。
いつか、彼の部下で県警部長をしている片岡|直温《なおはる》という豪傑がやって来て、首をひねりながら井上にこんなことをいった。
「奇略縦横の風雲児か八方破れの風来坊か、憂国の志士か市井《しせい》の俗物か、お高くとまったお役人か多情多恨の詩人か、円転滑脱の苦労人か不羈《ふき》奔放のいたずら者か、諧謔家《かいぎやくか》か毒舌家か、粋人《すいじん》かただの酒乱か、うちの知事はさっぱりわけのわからんお人です」
「なるほど、我輩から見てもどっちかわからん男じゃて」
と、井上は笑ったが、武子から見ると、この評価のあとのほうばかりとしか思えない。
それなのに――ふしぎなことに――だいたい滋賀県知事になっても、鮒鮨《ふなずし》などを手《て》土産《みやげ》に、しょっちゅう中井は上京して来て、そのたびにわが家のごとく井上邸に滞在してゆくのだが、彼が来ると――以前の当惑はいつのまにか消えて、ほっとするような心の安らぎをおぼえるのであった。
――さて、いま。
危急に迫って、井上武子は彼にすがりつき「助けて下さい」といった。――
思えば、いまの夫井上馨の隠し子の難を、自分の意地にかけて夫に隠れて救おうと決心し、その助けを昔自分が捨てた男に求めるとは奇妙な話だが、その男が中井だと、そんなわけのわからない話がすべてわけのわかる話に一変するような気がする。
しかし、いくら中井だって、この依頼に応えてくれるだろうか?
時計はもう約束の六時を少し過ぎていた。
十二
「お帰りになりました!」
と、女中が駈けこんで来たのは、それから間もなくであった。
「お嬢さまを、無事お連れになって。――」
武子夫人をはじめ、大山夫人も山本権兵衛もいっせいに玄関に駈け出した。
俥から下り立った中井桜洲は、女の子を抱いたまま、悠然と玄関からはいって来た。
どこで散りかかったか、桜の花びらの幾片かがその肩にとまっている。少女はその首ったまにしがみついていたが、それはおびえのためというより、親近感のあらわれのように見えた。
「どげんして? どげんして?」
応接間に戻りながら、権兵衛はくりかえして訊いたが、
「なに、話をしたんじゃ」
と、桜洲の返事は簡単だ。
「人間、話してわからん人間はなか」
「しかし、あげなきちがいの理窟を述べるやつに――」
「ああ、きちがいみたいなやつを説得するのは、我輩のもっとも得意とするところでな。うんにゃ、そのほうが常人と話をするより、我輩にゃ合うようじゃて」
と、笑いながら子供をソファの上に下ろして、
「なあ、あっちのお母さんもええが、あげな怖かおじさんがたくさんおるところは怖か。こっちがええ。こっちのお母さんのほうがええ。すぐ、お菓子でもおもらい」
と、やさしくいった。
それから、ひとりごとのように、
「なんじゃな、西どなりの柿の実が、北どなりへ落ちたやつを拾ったような気がせんでもなかな」
と、つぶやいたのには、権兵衛も思わず笑い出さずにはいられなかった。
いったいどうしたのかわけがわからず、しかし鳥子嬢がつつがなく帰されて来たのは何よりのことで、それからしばらくして捨松夫人と権兵衛は井上邸から辞去した。
ただ、そのときもなお、腑《ふ》ぬけのように茫然と中井を眺めて立ちつくしている武子夫人の姿に、
――この奥さんも、ただ玉の輿に乗っちょるばかりじゃなく、いろいろ苦労しなさるなあ。
と、権兵衛は改めて思った。
大山夫人と山本少佐が去ったあとも、武子は中井を見つめていた。
桜洲は歩み寄って、
「奥さん、井上どんは約束を破られたようでごわすな」
と、さっき出てゆくときと同じことをもういちどいって、にやっとした。
――それが、十五、六年も昔、彼が井上に書かせた例の誓約書のことだということを、武子だけが知っていた。
「あなた……まだ、あれを持っていらっしゃるの?」
「あんたはどげんしました」
武子は答えなかった。実は遠い昔に捨てたのだ。それは自分たちの不倫の恋を忘れたかったからであった。
――それにしても、このズボラ男が、あの誓約書をまだ持っていたとは!
「でも、忘れてはいません」
「井上どんのほうは忘れられたようじゃな。……奥さんも苦労されもすのう」
と、桜洲はいった。
「そして、おそらく、これからもうんと苦労されもすぞ。この件についてじゃなく、森羅万象にわたって」
その通りだ、と武子は心につぶやいた。中井の言葉を大袈裟とは思わなかった。井上の、公私|混淆《こんこう》、国家と自分を同じレールに乗せたような大車輪の驀進《ばくしん》は、まちがいなくこれからもつづくだろう。しかも彼を誹謗《ひぼう》する声は高まりこそすれ、一生おさまることはないだろう。……
黙って桜洲を見ている武子の眼に涙が浮かんだ。いかに井上の雷が落ちても、決して泣いたことのない気丈な武子が、自分でもわからないのに溢れて来た涙であった。
「――逝く春や近江《おうみ》の人と逢いにけり」
と、肩にとまった花びらの一枚をはらい落して、中井は口ずさんだ。
「どうじゃね、近江へ来んかね?」
昔と同じものいいぶりであった。
「このままじゃ、さすがのあんたもスリ切れる。前々からそう見ておったよ」
武子は、涙の眼を見ひらいた。
「来い、とは?」
「井上どんは約束を破ったが、あれを持ち出す気はなか、ただ遊びに来るだけでもよかと思う。……が、近江はのどかごわすぞ。それに京もすぐそばでごわすぞ。いっそ、思い切っておいのところへ戻ってもよか」
武子は笑いも怒りもせず、まじめな顔で訊き返した。
「戻って来いとおっしゃって……あなた、奥さまは?」
桜洲は、あれから妻帯していた。しかし、彼はここに来ても、妻の話をしたことがいちどもなかったが。――彼はいった。
「おいはおんな運が悪か男でな。だいぶ前から独り身じゃて」
武子は数分うつむいていたが、やがてしみいるようにつぶやいた。
「今夜、井上に話してみます」
井上馨が帰宅したのは、予定より早く、それから一時間ばかりしてからであった。いつも眉間《みけん》にたて皺を刻んでいる人物が、この夜はどうしたのか、別人のように浮かれ切った顔をしていた。
「やあ中井か。よう来た、よう来た。うれしい時にはうれしい友が来る。今夜は飲もう」
と、もう酔っぱらったようにはしゃいで、抱きついた。
むろん彼は、きょうの出来事などは知らない。――武子は呆れて尋ねた。
「いったい、どうなすったのでございます?」
井上馨は顔をかがやかして答えた。
「天皇陛下を当家へもお呼びすることになったのじゃ」
「えっ、陛下を?」
「うむ、もっともきょうあすのことではない。来年春の話じゃがな。例の茶室びらきに何とぞ当家にも臨幸をたまわりたいと、先ごろから宮内省を通してお願いしておったところ、その儀が内々御聴許になったのじゃ」
そして、この雷オヤジはそこらあたりを跳ねまわり、はては踊り出した。
彼がこんな狂態を見せるのは珍しかったが、とにかくあれだけ奮闘して、しかも天皇のお覚えがあまりめでたからず、いままでほかの大官の邸にはすでに臨幸があったり、またその予定があるというのに、井上家にはまだその沙汰がなかったから、彼にとって、これはまさに歓天喜地の朗報であったにちがいない。
その髭をはやした子供の踊りのような姿をじいっと見つめていて、やがて武子は桜洲にささやいた。
「中井さん、やっぱり、だめですわ。……いいえ、天皇さまのお話のせいじゃありません。私、あの人が可哀そうでたまらなくなったんです。……」
二、三日して、山本権兵衛は新聞の片隅に、梅龍という芸者と壮士風の男の死体が築地川に浮かんだが、どうやら心中らしい、という記事を読んで、茫然と宙に眼をあげた。
その男女がそういうことになった理由については、しかし権兵衛にも何となくわかるような気がしたけれど、中井桜洲が子供をとり返した手際に至ってはついにわからなかった。
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伊藤博文夫人
一
西郷海相主催の夜会は終ったけれど、なお舞踏のレッスンはつづけてくれということで、以後も大山|捨松《すてまつ》夫人は、日どりと都合を打ち合わせて、大官夫人に来てもらったり、あるいは訪れたりしたが、高輪《たかなわ》伊皿子《いさらご》の伊藤首相邸を訪ねたのは、五月半ばのある土曜日の午後であった。
例によって、パートナー役兼ボディ・ガード役として山本がお供をしている。
その日、馬車で伊藤邸にはいってゆくと、玄関前に十台以上もの俥《くるま》がとまり、ちょうど、邸の中から、花か鳥かのように十何人かの少女たちがあふれ出して来たところであった。三、四人、中年老年の女性もいる。
みな着飾っているけれど、一見してそれが水商売の女たちだとわかった。――その中年、老年の女と話しているのは、明らかに首相夫人の伊藤梅子だ。
「……?」
二人が馬車から下りて近づいてゆくと、ちょうど主《あるじ》の博文も家の中から出て来た。胸にたくさんのあやめの花をかかえている。
「奴《やつこ》はどこにおる」
と、キョロキョロした。
少女たちの中から、一人が戻っていった。
「おう、奴、お前がさっき庭でこの花をほめておったから、切らせてやった。持って帰れ」
と、博文はニコニコして、その花を少女に押しつけた。少女はぱっと顔をあからめ、ドギマギしながらそれを受けとり、「ありがとうございます。……」とお辞儀をした。
まだ年は十五くらいだろう。初夏の光にゆれる紫の花の斑《ふ》が顔に映《うつ》り、そこにいる娘たちの中でもひときわ浮かびあがるような美少女であった。
「まあ、よく気のおつきなさる方《かた》」
と、梅子夫人が苦笑を浮かべた。それには知らない顔で、
「よう、大山さんの奥さん、ようこそおいで。……きょうはダンスかね」
と、博文はこちらに向き直った。
捨松と権兵衛が伊藤夫妻に挨拶しているあいだに、女たちは腰をかがめ、みな次々に俥に乗って門を去ってゆく。
「きょうは、閣下、お休み、ありますか」
邸の中へ案内されながら、捨松が訊く。博文は答えた。
「うむ、このごろ少し御用疲れでな」
「何をおっしゃってるの、新橋の雛妓《おしやく》の品定めをするというと、さっさと御用を休んで……」
と、梅子が横目でにらんだ。
「しかも、もうあの奴に眼をつけて……いやな方。あれは浜田家《はまだや》の秘蔵ッ妓《こ》ですよ。そりゃ先々たいした芸者になるでしょうけれど、芸者にするのももったいないような子です。さっき女将《おかみ》に、私、特別に頼まれたのです。また悪い癖をお出しになると、承知しませんよ」
「わかっとる、わかっとる」
と、博文はこめかみを一本の指でかいた。
彼らは応接間にはいった。井上邸ほどではないが、なかなか立派な大邸宅で、応接間は洋室になっている。
「新橋の雛妓《おしやく》の品定め、ですって? いったい、何のことですの?」
改めて、ふしぎそうに捨松が尋ねた。
「ええ、ほんとうに変な話なのでございますよ」
と、梅子がいい出した。
「この七月七日に、天皇さまがここへお成りあそばすことは御存知でございましょう?」
その話は、捨松も聞いていた。
――ここ十余年、天皇は維新以来参議などをやった功臣の邸に順次臨幸していた。三条、岩倉、木戸、大久保などは早くその殊恩《しゆおん》を得、また大隈重信、大木|喬任《たかとう》、寺島|宗則《むねのり》などもこの数年、その栄光に浴している。このたびの伊藤邸御臨幸は当然の順番というべきだ。――だから井上|馨《かおる》が来春の御予定の内示を受けて欣喜雀躍したのも、そのこと自体のうれしさもさることながら、自分がそれらの功臣と同格の一人として認められたことに対する満足のゆえであったろう。
「で、その日の御接待に、新橋の半玉を呼ぼうと、このひとがいい出したのです」
「えっ、陛下の前に、芸者を?」
さすがの捨松も眼を見ひらき、権兵衛も驚いた。
二
「いえ、まさか……陛下が還御《かんぎよ》あそばしてからあとの宴会ですけれど」
と、梅子は首をふった。
「それにしても、それはあんまりだ、と私はいうのですけれど、このひとは自分の思いつきを面白がって、これでこそ大久保、大隈も及ばん伊藤博文流の祝宴のやりかただ、といってきかないのですわ。……」
「半玉《はんぎよく》はまだ一本にならん連中じゃ。つまり清浄なる処女である」
と、博文は、少しだらしなくたれた髭をひねりながらいった。
「その保証つきで、新橋の女将連《おかみれん》がえりぬいた娘たちをきょう呼んだ。――呼べといったのはお前さんじゃないか」
「だって、そんなお役を勤める娘たちですもの、私も見なくっちゃあ。……まさか私が芸者屋へゆくわけにもゆかないし、ここに来てもらうよりしかたないじゃありませんか」
「ま、ええ。そこでさっき両人で鑑定したところなんじゃ。その結果、八人ほどえらんだが、わしが、これはええ、と家内のほうを見ると、家内もうなずく。さすが、昔とった杵柄《きねづか》で、その眼にまちがいはないで」
と、破顔した。
「あなた、私を馬鹿になさるのね」
「わしが馬鹿にするのは、馬鹿な女だけじゃよ。お公卿さまの奥方でも、馬鹿な女なら馬鹿にする。たとえ育ちは芸者でも、馬鹿でない女は馬鹿にはせん」
「よくそんなに馬鹿馬鹿とおっしゃること」
「賢い女は尊敬するさ。お前さんもほんとうに尊敬しとるよ、アハハ」
「そのアハハはよけいですわ」
博文は笑顔のまま、葉巻に火をつけた。
「さっきの奴という妓《こ》はよいな。あれは天皇さまにお酌に出してもええじゃないかとわしは思っとる」
と、ひとりごとのようにいい、
「だいたい、女にかぎらず、人間すべて、真の貴賤はその素質によるんじゃ。素性は関係ないわい」
と、葉巻の煙を悠然と吹いた。
権兵衛が、こんなに身近に伊藤博文という人物に接したのははじめてだが、こちらが海軍の軍人であることもまるで意識しないらしい洒々落々《しやしやらくらく》ぶりに感心した。しゃべっている内容もさることながら、その態度がである。おそらく、だれに対してもこうだろうと思われる。
とはいうものの、天皇御臨幸の日に、新橋の雛妓《おしやく》を宴席に招くとは――それは還御のあとだとはいうけれど、このぶんでは天皇の前にも出しかねない――いかに信任あつい総理大臣としても、それは放胆過ぎるのではあるまいか。
あまりの思いつきに、しかつめらしい意見を持ち出す勇気さえ失って、権兵衛はボンヤリとつっ立っている。
「お、ダンスの稽古じゃったの。わしも一つ御教授願いましょうか」
と、博文が捨松のほうを見やったとき、女中がはいって来て、
「横浜の野々沢万作さまがおいででございます」
と、伝えた。
と――それまで泰然自若としていた博文が、急に落ちつかない表情になった。
「在宅じゃといったか」
「はい。――」
博文は夫人にいった。
「お前さん、逢うてやってくれ」
「私はダンスのお稽古をしなくちゃなりません」
梅子はきっぱりといった。
「それに、あの件のお話でしょう。私が聞いても、どうしようもありませんわ」
博文は嘆息し、女中に、その客を別室に通すように命じて、しばらくしてから浮かぬ顔で出ていった。
三
「ホ、ホ、いい気味だこと」
と、あとを見送って、梅子がいった。
「お客は借金取りなのですよ」
「え、借金?」
捨松は眼をまるくした。
「あのねえ、お信じになるか知ら。この邸《うち》、借金の抵当《かた》にはいっているんですのよ」
梅子は笑った。
「いまおいでになったのは横浜で生糸の貿易をやっていらっしゃるお方で、その方からお金を借りているのですわ」
「いったい、どうしてまあ、そんなことに。――」
「みんな、主人の女道楽のせいなんです。少しはぎゅうぎゅうの目にあったほうがいいかも知れませんわ」
面白げにいう梅子を、二人は茫然と眺めた。
伊藤首相が四十六歳なのに対し、たしか梅子夫人は三十九だと聞いている。それでも、そのあだっぽさは充分匂っていた。もと馬関芸者だったという素性も知られている。馬関芸者といえば、船乗り相手で荒っぽいことで有名だということだが――細面の玲瓏《れいろう》たる美貌とスラリとした姿態には、以前の素性を思わせるより、日本最初の総理大臣の夫人として生まれついたような気品があった。
さっきから夫をからかうような口吻をもらしているけれど、決してヒステリックな調子ではなく、むしろこの女性の大気《たいき》と明朗さを感じさせる。
そもそも例の舞踏会への勧誘の件ではじめてこの首相夫人に逢ったときから、彼女の活発さに権兵衛は好感を持っていたのである。
鹿鳴館建設の推進者は井上伯だが、その最も積極的な共鳴者は伊藤であったことや、げんにいま首相の地位にあることを思うと、夫人が舞踏会にきわめて協力的なことは当然といえるが、そのとき彼女は、「もし引込思案《ひつこみじあん》の方があるなら、私もごいっしょにうかがって、私からもおすすめしましょうか」と、いってくれたくらいなのである。もっとも大山夫人はちょっと考えたあげく、「いえ、総理大臣夫人にまでお出まし願いますと、また世間の噂になりましょうから、いまのところは」と一応辞退したけれど。
それはともかく、その総理大臣が自邸を借金の抵当《かた》にとられているとは何たることだ。――
「女道楽って……そんなにお金がかかるものなんですの?」
むしろ無邪気に捨松が訊いた。
「え、お茶屋にもひとりじゃゆかず、いつもたくさんお供を連れて、出て来た芸者さんにはだれでも望みのままに着物なんか作ってやって……その尻ぬぐいは私がしなくちゃならないんです。たまりかねて私が苦情をいうと、いつも、ホンニお前は野暮なひと……なんてドドイツでごまかして、相手にならないんですわ」
権兵衛からすると、何だか総理大臣の話を聞いているようではない。
「それでも、足りないときは足りないんですもの、打出の小槌《こづち》を持ってるわけじゃなし、どうしようもありませんわねえ。そうすると、しかたがないから自分で工面《くめん》して来るんですけれど、それもあとで御奉公にさしさわりの出来そうなところは避けて、ほんとに個人と個人の関係で……ちゃんと抵当《かた》をおいて、お金を借りるんです。横浜の野々沢さんもそういう関係で、たいへんなお金持なので、いつか大困りに困ったとき、この邸を抵当に大金を拝借したんですの。ところが、昔、主人がイギリスへ密航したころからうしろ盾になって下すった当主の万兵衛さんがさきごろ中風におなりになって、息子さんの万作さんがあとをつがれたら、先日から、商売を立て直す必要があるので、どうかこの際御返金願いたいとおっしゃって……きょうもその御用事でしょう」
どうやら伊藤博文は、借金はするけれど、その金の素性はきれいなものであるように努めてはいるらしい。――しかし、だからといって、このていたらくをほめていいのかどうか、よくわからない。
「なにしろ、利子もいれてない始末なので……いま返せといわれても、それじゃこの邸をひきとってもらうよりほかはありませんわ」
「総理大臣が……御自分のおうちを」
捨松は不安げな表情になった。
「天皇さまが、ここへいらっしゃるというのに」
「そうなんですの。……御臨幸といえば、その御沙汰のあった一年ほど前から、伊藤は精進潔斎《しようじんけつさい》をしているのですけれど」
と、梅子夫人はいった。
聞いている二人はただその言葉通りに受けとったが、実は伊藤博文は、有名な芸者屋で秘蔵の半玉が一本になるとき、その水揚げをしてやるのが彼のプロフェッショナル的な役目になっていて、その世界では「箒《ほうき》の御前」という異名をたてまつられているほどであったが、そういうことをそれ以来みずから禁じているという意味であった。
「でも、前々からの罪業の酬《むく》いが追っかけて来るんじゃ、しかたがありませんわねえ。……いまごろはあちらで、野々沢さんに平身低頭していますよ」
と、彼女は笑った。
ほんとうは、梅子としても愚痴をこぼさざるを得ない心境にあったのだ。彼女が下関で志士伊藤|俊輔《しゆんすけ》の危機を救い、それで結ばれたのが維新前の慶応二年のことで、妻となってすでに二十年を越える。決してひとごとでも笑いごとでもないはずで、事実いまの金を返せという話は、これまでのやりくり、尻ぬぐいとは感触がちがい、正直のところ当惑し切っている。――その打ち明け話が陰々滅々たるものでなかったのは彼女の人柄だが、実は少なからず空《から》元気の気味もあったのだ。
そこまでは知らず、捨松はいった。
「そんなに道楽なすって……奥さまは、嫉妬、お感じになりませんの?」
「嫉妬……焼くことですか」
梅子はまた笑った。
「あのひとは、ほんとうに、煮ても焼いても食えない人で……まるで蛙のような人で、嫉妬なんかしても、それこそ蛙の面《つら》に水ですわ。いちど私も――私がいうと、可笑《おか》しいんですけれど――それほど芸者遊びが面白いんですか、と訊いたら、まじめな顔して、そりゃ、もう、言語に絶する、という返事なので、私、もう呆れてしまって。……」
なんだか、鹿鳴館のダンスのレッスンどころではない話になった。
四
――さて、そのころ、新橋の柳暗花明《りゆうあんかめい》の小路に、総理大臣とはいよいよ関係のなさそうな色ぼけ話がくりひろげられていた。
ここに浜田|家《や》という、上客によく知られた置屋《おきや》があって、お香《こう》という美しい芸者がいた。
話は十年ほど前にさかのぼる。
お香はまだ十八か十九であったが、当時、毎日彼女をお茶屋に呼んでくれる客があった。
横浜の野々沢という貿易商の御曹子で、四、五年洋行して帰ったばかりで、その帰朝祝いの宴会が、ある料亭でひらかれて、芸者たちが呼ばれた際、お香を見込んだらしい。それ以来、彼は商用で一週に少なくとも三回は東京に出て来るが、そのたびに彼女を茶屋に呼んで、昼飯を御馳走してくれる。
名は万作氏といい、年は二十六ということであったが、ヨーロッパから帰りたてのせいか、酒も飲まず、色っぽい話題もなく、甚だきまじめなハイカラ紳士であった。お香は、自分をひいきにしてくれるのはありがたいけれど、可笑しなお客さまだと思っていた。
すると、三カ月ばかりたってから、女将《おかみ》が思いがけない話を持ち出した。あの野々沢万作さんが、お前をひきとって、二、三年然るべき修業をさせたのち、是非ともお嫁にもらいたい、といって来た、というのだ。ここ三カ月ばかり、つらつら観察していたらしい。
それからまた女将は、ここのところちょっと御縁が切れているけれど、若旦那のお父さまの万兵衛さまは、私にこの浜田家を出させてくれた大恩人で、実にふとっぱらの立派なお方だ。ふつう、こんな話には眉に唾をつけるのだけれど、むろん若旦那はお父さまの御了解を得てのことだろうから、さきざき話がくいちがって来るような心配はまずないだろう、といった。
天からふって来たような、あまりに果報な話なので、お香はびっくりし、しばらく考えさせてくれ、といった。
三日ばかりのち、彼女はことわった。
決して自分を卑下するわけではないけれど、何といっても私はもはや染まった身体、いくら教育をして下すっても、もとの白には戻らない。たとえその色が多少薄らごうと、それだけ立派な御大家で、あれだけまじめなお方の御家庭では、やっぱりその色がどこか浮かびあがって来るだろう、さきざき、あちらさまだけではなく、自分が後悔しないためにも、このありがたいお話を御辞退したい。
こんなにうまくいえたわけではないが、彼女の理由に秩序をつけるとそんな意味であった。
「そうかも知れないねえ。それじゃ私からそう申しあげておこう」と、浜田家の女将はうなずいた。
これはお香もまじめに思案したあげくの返事であったが、しかしそれとは別に無意識のうちに、自分の性質と相手の人柄を見ぬいての辞退であったかも知れない。
野々沢万作は二度と彼女を呼ばなかった。
それからまもなく、野々沢が名の聞えた実業家の令嬢と結婚したという噂を、お香は耳にした。――
歳月が過ぎた。
そのあいだにお香は、沢村某という役者とはげしい恋におちた。男地獄と呼ばれるほど色の道では剛の者で、しかも吉次《きちじ》という恋敵の芸者があって、身を業火《ごうか》にあぶられるような苦しいたたかいののち、とうとう彼女は勝って沢村の女房になった。
それなのに、二年もたたないうちに沢村は、こんどはある富豪の夫人と浮気をはじめた。――ただのやきもちだけでなく、沢村といっしょになるまでのいきさつが、新橋で評判になっただけに、朋輩に対する恥ずかしさもある。彼女にとっては、それこそ地獄から地獄へ変転するような数年であったが、まあこの世界では珍しくもないお話だ。
ところが、沢村がその夫人と駈落ちして、大宮のある旅館で痴話狂っていたのを、たまたま同地附近に大泥棒が出没していたので、この二人の服装と身の周りの品の豪勢さを怪しまれて、ふいに警察の臨検を受け、やむなく素性を明かすほかはない始末になった。
これが東京の手近の警察なら、何とかもみ消しの手段にも出られたろうが、場所が埼玉県で、係りが田舎のお巡りと来ては助からない。貴婦人と役者の言語《ごんご》道断の情痴沙汰とは、泥棒よりもふとどき千万だと、遠慮会釈もなく新聞通信員控所にぶちまけたから、たちまち東京の新聞にも特別活字になって出てしまった。
しかも、当の両人は因果応報として、それにも劣らず面白可笑しく、かつての沢村とお香の恋のいきさつが書きたてられた。
これではもうお香は、沢村といっしょになってはいられない。この事件で二人はとうとう別れることになったが、お香にとっては、姦夫姦婦にまさるとも劣らぬ惨澹たる経験であった。
やがてお香は、もういちど浜田家から左褄《ひだりづま》をとって出ることになった。女将はあたたかく迎えてくれた。
人の噂も七十五日、それより時は彼女自身の心の傷をいやして、しかもいちど情怨の炎をあびた肌は、以前にまさる妖《あや》しいかがやきをおびて、たちまちその艶名は復活した。
五
話はこの明治十九年初夏のころに戻る。
半年ほど前、お香はお茶屋に呼ばれた。客の名は、二、三度呼んでくれたある実業家であったので、雛妓《おしやく》の奴《やつこ》を連れて何気なく出てゆくと、座敷にはそのお客ともう一人がいて、それがあの野々沢万作氏であったのには、さすがにはっとした。
のみならず、そこにはかつて彼女のライヴァルであった芸者吉次も呼ばれていることを知った。
あれから十年ばかりで、野々沢は三十半ばを越え、ゾロリとした着流しに金ぶち眼鏡をかけ、別人のように貫禄をつけていたが、一目見たとたん、
――ああ、いやな人になった。
という直感がひらめいたが、果せるかな、
「おう、お香さん、お久しぶりだが、あんたの消息は新聞で面白く拝見しましたよ。いろいろと結構なことでしたな」
鼻の先で笑ったが、眼は冷やかに嘲《あざけ》りの色を浮かべている。
お香が、かつてこの人からの縁談をことわったのは一種の誠意からのつもりであったが、それがその通りに受けとられず、相手は陰にこもった恨みつらみを抱いて来たらしい。
声をかけたのはそれっきりで、あとはよそよそしい冷淡な顔で――そのくせ、例の吉次を相手にわざとらしくいちゃついて見せた。
これが前のお香なら、泣き出すか、憤然と席を蹴って去るか、どちらかであったにちがいない。しかし、苦労のあげく再度のお勤めに出た彼女は、芸者の意地にかけて最後まで笑顔でもてなした。
が、事はこれで終らなかった。
五月末のある雨のふる午後、浜田家の女将が、沈んだ顔でいい出したのである。
「お香。――これはお前さん、たやすくうんとはいってくれまいけれどね」
「あら、何でしょう?」
「あの野々沢さんがねえ、どうしてもお前が忘れられないとおいいなさるんだ。花月さんを通してのお話なんだがね」
花月とは料亭の名であった。
「え? だって、いつか野々沢さんは……」
「それさ。お前にどうも相すまないことをした。その件については重々あやまる。あのときのお香の応対ぶり、芸者ぶりには改めて惚れこんだ。ついては、やっぱりお前に来てくれないか、という話で。――」
「お茶屋にですか」
「いえ、お前の身柄をそっくり横浜へ」
「だって、あの方には奥さまが。……」
「だから、はっきりいうと、お妾さんに、という意味だがね」
お香は、蛇にからみつかれたように背筋がぞうとした。彼女はこの前の仕打ちで、野々沢万作という人間を腸《はらわた》まで見すかしたように思い、軽蔑し切っていた。
「十年まえ、正式なお嫁さんにと望まれてもおことわりした。それをこんどはお妾にといわれるのはどうかと思うけれど……どうやらこの前とようすがちがうようだ。前にことわられたことを承知の上での申し込みだからね」
と、女将は苦しそうに、
「あの方のお父さまがさきごろ中気におなんなすって、いまじゃあの方が大将なのさ。御商売のほうも生糸ばかりじゃなく、いろいろと手をひろげなすって、それがみんなうまくいって、いまじゃ何でも出来ると意気ごんでいらっしゃるのさ、その上。……」
女将は口ごもったのち、
「それほどの方が、ま、それだけお前さんにぞっこん首ったけということだよ。芸者冥利、女冥利につきる、といえばいえる話だわね」
と、いった。
卒然としてお香は、この女将が野々沢さんのお父さまに大恩がある、といったことを思い出した。おかみさんは、その義理にも迫られているのだ。そして私はこのおかみさんに恩があり、義理がある。
が、そうかといって、この背に粟《あわ》立つ身ぶるいをどうしよう?
お香は蒼ざめて訊いた。
「そのお話、いつまでに御返事すればいいんですか?」
「あさっての晩、花月においでなさるそうだ」
この問答を、少し離れたところで、洋燈《ランプ》のホヤを掃除しながら、雛妓《おしやく》の奴《やつこ》が聞いていた。――
もう若くして亡くなったが、以前浜田家で売り出した奴という自慢の名妓があって、わざわざその名を与えただけに、まだ十五だが、その燦々《さんさん》たる明眸《めいぼう》といい、どこかエキゾチックな彫りの深い顔といい、たぐいまれなその美少女は、いつのまにかそこからふっと消え、やがて女将が用事を思い出して、「奴、奴」と呼びたてても姿を見せなかった。
そのころ、雨の中を、奴は俥で走っていた。
――高輪伊皿子の伊藤邸へ。
それこそは、この五月の半ば、女将さん連にえらばれた十数人の雛妓の一人として、彼女も伺候したゆくさきであった。
息はずませて駈けこんで来た雛妓を見て、その顔に記憶はあったが、伊藤梅子夫人は眼を見張った。
「助けて下さいまし、総理大臣さま!」
奴はさけんだ。
「お香姐さんを助けて下さい! 姐さんを助けて下さるのは、総理大臣さましかありません!」
「閣下はいまいませんけれど」
と、梅子はいった。
「いったい、どうしたの?」
奴は両腕をねじり合わせ、涙を浮かべながら訴えた。
彼女はこの前、お香が横浜の金持のお客に辱《はずか》しめられるのを見ていた。お香はさりげなくあしらったけれど、以前からお香姐さんが好きで、その過去の断片を耳にとめていた奴は、姐さんがいじめられたことを怜悧に見ぬいたのだ。そしていま、そのいやみな客が、金と義理でからめて、お姐さんを囲いものにしようとしている。
女将さんでさえどうすることも出来ないらしいこのなりゆきを救ってくれるのは、総理大臣しかいない。十五歳の奴はそう思いついたのだ。それに彼女の頭には、このあいだ自分にあやめの花をいっぱいくれた、度はずれに親切な伊藤閣下の笑顔が強く印象づけられていた。――
この思いがけない救援依頼にめんくらいながら、梅子は尋ねた。
「で、そのお客は何という人なの?」
「横浜の野々沢万作というお方なんです」
梅子は絶句した。しばらくののち、肩をすぼめて悄然とつぶやいた。
「その人なら、うちの閣下だってかなわないわ。……」
例の件は、ともかく七月七日の御臨幸が終るまで何とか待ってくれと、博文が髭ふるわせて懇願し、その先はお先まっくらというありさまであったのだ。
六
翌々日の夕方であった。
新橋の料亭「花月」で、芸者たちを侍《はべ》らせて飲んでいた野々沢万作は、ときどき金鎖の懐中時計をとり出してのぞき、いらいらしたようにつぶやいた。
「浜田家の女将はまだ来んか」
それがやって来た、と女中が告げたのは、約束の時間を三十分も過ぎてからであった。
襖《ふすま》がひらかれた。その向うに坐ってお辞儀をしていた三人の女が顔をあげた。
右にお香、左に奴という雛妓。――そして、まんなかの女の顔を見て、はじめ万作は首をかたむけ、数十秒して驚愕の眼になった。
「あっ、あ、あなたは――」
「浜田家の女将があいにく病気で臥《ふ》せっておりますので、私が名代《みようだい》として参りました」
と、その女がしずかにいった。
「元は馬関《ばかん》の潮《しお》で生まれ、その後江戸の水で洗った芸者のお梅というものでございます」
彼女は、スルスルと座敷の中にはいって来た。片手に持っていた一つの包みをそばにおいて、
「もし、野々沢さん」
と、呼びかけた。打って変った伝法《でんぽう》な調子だ。
「あなた、さきごろから、男の風上にもおけないような意地汚い真似をなさるじゃあございませんか。自分をふった女に、十年もたってからめめしい馬鹿らしい意趣返し、それもそれでとまるならまだしも、そのあとでやっぱりヨリを戻してくれとは、あなた、きんたまをお持ちでござんすか」
万作は眼を白黒させている。
「人の気も知らず芸者の哀しみも知らず、玉《ぎよく》と祝儀と茶屋の勘定さえはらえば、何をしてもいいとたかをくくっていなさんすか。それも自分のお力なら御勝手でござんしょうが、どうやら中気のおやじさんが昔|置屋《おきや》にかけた恩義をかさに、相手もあろうに妾になれたァ……お江戸新橋の名花といわれる浜田家のお香を何と思っていなさるのさ。薄汚いお前さんなんかにゃ、手も及ばない高嶺の花だよ、わかったか、このごうつくばりのひょうろくだま」
なみいる芸者たちは、この凄じい啖呵《たんか》にも胆をつぶしたが、同時に、わがままで疳性《かんしよう》でみんなこわがっているこのお客が、その悪態にただ口をパクパクさせているばかりなのに唖然《あぜん》とした。
いったい、この芸者はどこから来たのか。ついぞ新橋で見かけたことのない顔だ。――ああ、馬関芸者のお梅とかいったようだが、それにしてもこの水際立った芸者姿はどうだろう。
「だから、お申し込みの件は、キッパリおことわりしますよ」
「お、おくさま……おくがた……」
と、万作はやっと、ほかの芸者たちには意味不明なあえぎをもらした。
「例のお金でござんすか」
彼女は、そばの包みをひき寄せて、ぷつりと指で紐を切った。中から真新しい百円札の札束が幾つか積み重ねられて現われた。
「それもお返ししますよ。拝借したのは五万円、過分に利子をつけて十万円、耳をそろえてここにござんす。さあ、その金ぶち眼鏡で勘定して、まちがいなかったらトットと早くこの新橋から消えておしまい」
七
七月七日の伊藤邸臨幸は無事終った。
その日は、大山中将はいったが、夫人はいかなかった。
その代り、十日ばかりのちに伊藤邸を訪れた。その代り――ではない。同じ日、目白の山県|有朋《ありとも》邸を訪問する予定であったのだが、伊藤梅子夫人から、しばらくお別れの挨拶をしたいという使いの者が来たので、ちょうど大山邸に来ていた山本少佐とともに出かけたのである。
しばらくお別れ? 梅子夫人はどこへゆくのだ? いや、総理大臣はどこへゆくのだ?
二人の頭には、いつかの邸の追い立てを食っているという梅子夫人の言葉が浮かび、不安と好奇にかられながら、伊皿子へ馬車にゆられていった。東京の町はもう夏の光の下にあった。
「とうとう都落ちすることになりましたわ」
と、梅子夫人は笑っていった。
「いったい、どこへ?」
「まだ、どなたにも申しあげていないんですけれど、小田原へ」
「小田原?」
「あそこに以前、別荘を一つ作ってあったんですの。名は滄浪閣《そうろうかく》というごたいそうなものですけれど、ほんのちっぽけな建物で……でも、その名の通り海のほとりで、すぐ近くには箱根はあるし、ちょうど夏だから好都合だ、と、主人は澄ましてるんですけれど」
「そこから……御上京のときは汽車でごわすか」
と、山本権兵衛はいった。
「そうなるでしょうね」
「総理大臣が、毎日小田原から汽車で御通勤でごわすか。あそこから東京まで、片道三時間はかかりもすぞ」
「だって、東京に家がないんだからしかたないでしょう」
梅子夫人も澄ましたものだ。二人はしばらくその顔を眺めているばかりであった。ややあって、捨松が尋ねた。
「それで、このおうちは?」
「三菱に買ってもらいました」
彼女は、浜田家の雛妓《おしやく》から助けを求められるや、思案ののち、みずから三菱に出かけて、社長の岩崎弥之助に逢い、邸を抵当にして十万円を借りたのであった。――
そのとき弥之助は「奥さま、失礼だが、あのお邸に十万円の値打ちはありませんよ」といったが、結局貸してくれた。
三菱を創《つく》った兄の弥太郎は去年二月に死んでいるが、あとをついだ弟の弥之助も、タイプはちがうがなかなかの傑物であった。しかし、金は貸してくれたが、邸は容赦なくとりあげた。それで、これからあと、高輪の伊藤博文邸は三菱の所有となる。
「じゃあ、いつか借金取りとかおっしゃった方《かた》は?」
「ええ、あの人から三菱に抵当を肩代り――いえ、抵当をぬいてもらって三菱に売っちまったんです」
そういっただけで、梅子はあの夕《ゆうべ》の花月での、一世一代の修羅場《しゆらば》の景を口にしなかった。実はあのあと全身からからになったような感じで、いま思い出してもこんどは逆に身体じゅう汗ばむほど恥ずかしい。
「それでもおかげさまで、とにかく無事に天皇さまをお呼び出来ましたわ。……」
と、つぶやいて梅子は微笑した。
その笑顔が、この活発な女性には珍しく、寂しみのようなものを翳《かげ》らせていることを権兵衛は感じたが、ただそれは疲れのせいだろうと推測した。そんな内情のところへ行幸を仰いでは、夫人として疲労するのはあたりまえだろう。
八
しかし、梅子は、まだ隠してあることがあったのだ。
それは御臨幸の日――天皇は日が暮れてから還御《かんぎよ》したが、そのあとも宴《うたげ》はつづき、果ては飲めや歌えの無礼講となった。――そのあとのことである。
さすがに天皇の前には出さなかった例の雛妓《おしやく》たちはこの席に現われて、まるで嵐の中に舞う蝶のような可憐な姿で客たちをよろこばせたが、やがて客も十人去り、二十人去り、三十人去って、邸内は次第に嵐のあとの静けさに戻っていった。
いや、まだ酒の香に満ちた杯盤|狼藉《ろうぜき》のあとを、
「奴《やつこ》、奴はいないかえ?」
と、浜田家の女将が、心配そうな小声で呼んで探していた。――
ふと、妙な勘がはたらいて、梅子は寝室のほうへいって見た。そして、ちょうどそのとき、その部屋から顔を両手で覆って逃げ出して来る奴の姿を見たのである。
何事が起ったかは、すぐにわかった。梅子は部屋にはいった。
すでに夜具が敷かれていて、ふんぞり返って寝ていた夫の博文は、妻の姿にあわててはね起きて、あぐらをかいた。
「あれの水揚げをしてやってくれと、かねてから浜田家のおかみに頼まれておっての」
と、彼は酔眼をあげて、髯の中でモゴモゴとつぶやいた。
梅子はその前にピタリと坐った。
「あなた、このおめでたい夜になんですか!」
「いや、別にそんな気はなく、わしもくたびれて、ただ夜具を敷かせるだけのつもりじゃったんじゃが、ふいに、その、こんなめでたい夜じゃからこそ、あの子にとってもめでたい夜にしてやろうと。……」
「何を勝手な理窟をおっしゃってるの? あの姐《ねえ》さん芸者を救ってもらおうと駈けつけて来た可愛い雛妓《おしやく》を、逆にいけにえにして、それじゃ何のための援助だったか、私の面目はまるつぶれじゃありませんか! 私の立つ瀬がないじゃありませんか! えい!」
彼女は夫の頬げたを張りとばした。張りとばさずにはいられなかった。泣声になって、
「それに、天皇さまがおいで遊ばした夜というのに――何という不忠、何という不謹慎……」
「天皇さまには、わしは粉骨砕身しておつくし申しあげておる」
博文は頬に手をあてて、
「それ以外にわしは何もない。何の趣味もない。道楽もない。金もいらん、家もいらん。それはお前の知っとる通りじゃ。……ただ、この道だけが、たった一つ、伊藤博文の生甲斐なのじゃ!」
声涙ともに下る、といった調子でつぶやいてうなだれた。それはまるで無限の哀しみをもって、おのれの股間をのぞきこんでいるように見えた。
「ゆるせ、ゆるせ。斎戒沐浴《さいかいもくよく》は終ったと思え。……それに、どうせ落ちる星じゃ。怒るな、これくらいのことで怒るとは、ホンにお前は野暮なひと。……」
最後はドドイツになった。
七夕《たなばた》の夜に、可憐な星は落ちた。
まことに心配することはない。この奴こそ、後年マダム貞奴《さだやつこ》という明星となって明治の空に昇ることになるのだから。
そんなことは神のみぞ知る。それ以来一週間ばかり――いよいよ家を明け渡す日も迫って、梅子は夫に相談しなければならないこともあったのだが、ほとんど口もきかなかった。
ところが、二、三日前の深夜、親友の井上外相があわただしく訪ねて来た。夫がすでに就寝しているというと、それでも結構、といって、ずかずかと寝室にはいってゆき、蚊帳《かや》の中にはいって、何か話しはじめた。
イギリス公使……ドイツ公使……などいう声が聞えた。何やら外交上の報告らしかった。
しばらくして梅子が、お茶を持ってはいってゆくと、白い蚊帳の中で、この初老の二人の男は、たがいに手をとり合って落涙していた。
何の談合であったかわからない。井上がひどく気落ちしたような顔をしていたところから見ると、何か外交上うまくゆかないことがあって、その報告であったかも知れない。
が、その光景を見たとたん、彼女は夫のすべてを許す気になったのだ。
梅子は、そんな話も、むろん捨松と山本にしなかった。――ただ、それらのことを思い出して、陰翳のある微笑を浮かべただけである。
それでも。――
ただ総理大臣都落ちの話を聞いただけでも――帰りの馬車の中で、権兵衛は長嘆せずにはいられなかった。
「総理大臣が借金の抵当《かた》に邸をとられるとは、見方によってはあっぱれといえるでごわしょうが……あの奥さんは大変でごわすなあ。……」
「それにしても、伊藤サン、ほんとに小田原、ゆくのかしら?」
と、捨松は心配そうにいった。
さて、その後の話である。当分小田原へいったのは梅子夫人だけで、さすがに博文は鹿鳴館などで急場をしのいだが――鹿鳴館はホテルとして宿泊することも出来た――やはりこれは困るということになって、急ぎ山下町に首相官邸を設けることになった。のちにそれは永田町に移されたが、とにかく、それまでは無かった首相官邸なるものが作られたのは、この伊藤博文の追い立てを発端とする。
伊藤が滄浪閣を大磯に移したのは後年のことである。
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山県有朋夫人
一
「おはん、山県《やまがた》どんのおうちへいったかの」
海軍大臣室で、西郷|従道《つぐみち》がふと山本権兵衛に話しかけたのは、八月末のある日であった。
「はあ。……それでこの三月の閣下御主催の夜会にも、山県御夫妻に出ていただいたようなわけで」
と、権兵衛は答えた。
「ああ、そうか。そんとき山県に逢うたか」
「いや、奥さまだけでごわした。それが、何か?」
「なに、べつに大した話でもなかが……山県どんっちゅう人は怖かのう」
「何でごわす」
「三日ほど前じゃ。柳橋で黒田どんと飲んだ。少し内密の会合での。その話がすんで酒宴となったら、例の了介《りようすけ》どんの酒癖《しゆへき》が出ての。何やら芸者に怒り出し、刀をとり出して、その首ぶった斬る、とわめきたてる騒ぎになった」
黒田了介は清隆《きよたか》で、去年伊藤の代りに彼が最初の総理大臣になるという噂もあったくらいの人物だが、酒癖の悪いことでも有名であった。
「それが、本気に見えた。――あの仁《じん》、前科があるからの、あ、は、は――そこでおいが出ていって、芸者の代りにおいの首斬ってくれ、とその前に坐って首をつき出してやった」
「あぶなか事《こつ》ごわすな」
「そうしたら、了介どん、酔眼をすえて、じいっとおいを見下ろしておって、ああ、こりゃ吉之助どんの弟|御《ご》じゃったの、それじゃまあかんべんしてやろう、と刀をおさめてくれたが……」
と、西郷はふとい首をちぢめた。
「そげな騒ぎ、むろんかたく口止めしておいたが、きのうの閣議で、ふと山県どんがおいの名を呼んで、その身は私のものでない、公けの身体ゆえ、匹夫《ひつぷ》のような真似はせられんように、と説教しおった」
「ほう。……」
「柳橋の件をもう知っちょるんじゃ。あの仁、内務大臣になって以来、密偵などを使っちょるっちゅう話があるが、どうも、まことらしかな」
そんな話をしているところへ、大山家から使いの者が来た。明日正午過ぎ、山本に来てもらいたいという連絡で、山県夫人を訪問の予定だということであった。この用件ばかりは西郷大臣の、容認どころか依頼によるものだから、権兵衛はその場で承知の返事をしたあと、
「噂をすれば影でごわすな」
と、笑ったが、実は本来ならこの七月にも山県家を訪問する予定だった、と思い出した。そのあと、彼はふと、
「山県閣下の奥さんも芸者さんごわすか」
と、訊いた。
「なぜよ?」
「いや、いつぞや閣下が……その……成り上り連の奥さん方は、みんな芸者かそれに類するものじゃ、とか、いわれもしたで」
「ああ、その事《こつ》か。うんにゃ、山県どんの場合はちがうな」
西郷は首をゆらゆらとふり、
「山県はあん通りの堅物《かたぶつ》じゃからの。軍人勅諭なんちゅうもんを出してから、いよいよ道徳の権化《ごんげ》になりおった。あ、は、は。なに、それ以前は……若いころはあれで結構遊んだらしかが、しかし、感心に奥さんだけは、ちゃんとした出の人をもらっちょるようじゃ」
と、いった。
「あれは例の松下村塾で学んだ男じゃが、たしか同じ仲間の娘さんじゃとか聞いたおぼえがあるが。……」
「同輩の娘?」
「あ、妹じゃったか。何にせよ、あそこも亭主と奥さんの齢《とし》がだいぶちがう。奥さんのほうがよほど若かはずじゃ」
それはすでに権兵衛も知っていた。
二
あくる日、まず青山の大山邸にゆくと、夫人は一人の若い異人と話していた。
「これ、横浜の仕立屋さん、アントワーヌ・バランさんです」
と、夫人は改めて紹介したが、権兵衛にとって、はじめて見る顔ではない。この冬最初に大山邸を訪れたとき、ル・ジャンドル将軍と同行していた異人だ。
それに、あのときもル・ジャンドルがこの異人を紹介するためにやって来たと聞いたが、その後も何かのはずみで、大山夫人が彼を各名流夫人にひき合わせてまわっている、ということを、夫人の口から耳にしていた。
なるほど鹿鳴館にゆく淑女たち――のみならず紳士連も、バッスル・スタイルのドレスやら燕尾服やら、まさか横浜の古着屋にぶら下がっているものを買って来るわけにもゆかず、いままでどうしていたのか知らないが、とにかく西洋人の仕立屋が現われて、身体に合わせて仕立ててくれれば、それにまさる好都合はあるまい。
「きょうは、この人も山県サンの奥さんのところ、連れてゆきます」
と、捨松はいった。
「よろしく」
と、バランは日本語でいった。
三人は馬車で山県邸へ向った。
馬車の中で訊くと、アントワーヌ・バランは五つのころから十七くらいまで、横浜居留地で雑貨屋をひらいていた両親とともに暮し、ここ五年ばかりアメリカに帰って仕立屋を修業したのち、また日本にやって来たということで、フランス系のアメリカ人だということであったが、とにかく武骨な権兵衛でさえなぜか気になるほどの美しい青年であった。最初見たときは美少年とさえ見えたが、二十二になるという。
やがて馬車は目白の山県邸にはいっていった。
どこが入り口かわからない。知らない間に、道は深山幽谷ともいうべき一劃《いつかく》にはいっている。
この前訪れたときも驚いたものだが――大邸宅をかまえた大官は多いが、いかにへんぴな土地とはいえ、一万八千坪とは大変なものだ。
まさに満山|蝉《せみ》しぐれの中にある感があった。
と、あるところに、小さいけれど山門風の門があって、そこには「椿山荘《ちんざんそう》」と書いた額がかかげられていた。
三
山県有朋《やまがたありとも》が作り、名づけた「椿山荘」は、丘あり谷あり、森あり池ありという大景観だが、建物は、ところどころの亭《あずまや》などは別として、わりに小規模な洋館と日本家屋の二つだけで、山県夫人はその洋館のほうの応接間で彼らを迎えた。主《あるじ》の有朋はむろん出勤中だ。
壁面の一方には岩倉と大久保、また一面にはビスマルクとモルトケの写真が飾ってある。
西洋仕立屋アントワーヌ・バランを、夫人は好奇にみちた眼で見まもったが、ドレスを作ることはあまり気乗りしないようすであった。
そういえば、この前の舞踏会のときも、彼女だけは裾模様の着物を着て来たようだ。そして踊らなかった。
それにしてもこの女性の、何という寂しい印象だろう。
権兵衛はあれから改めて人に訊《き》いて、この山県友子夫人が、長州のある庄屋で松下村塾に学んだ石川良平という人の娘であることを知った。そのころ石川はもう三十過ぎで、山県より十以上も年長であったが、その娘の友子となると、逆に山県より十五歳年下となる。なんと慶応三年、三十歳の山県は十五歳の友子と結婚しているのである。
当時山県は長州奇兵隊の軍監で――といっても一揆《いつき》に毛のはえたようなものの目付役といった地位だが――馬関《ばかん》の遊女で深くいいかわした女もあったらしいが、たまたま十五歳の友子を見て、強引に妻にもらい受けた。
たぐいまれな美しさに、これは他人には渡せぬ、と武者ぶるいして申しこんだということだ。
――ひょっとしたら維新後山県が、有朋などいう名をみずからつけたのは、友子にちなんでのことであったかも知れない。
その美貌は、三十半ばに達した夫人にまぎれもなく残っているけれど、同時に彼女の細面《ほそおもて》の顔にはあきらかに病《やまい》の翳《かげ》があった。この前見たときもそれを感じたが、この半年の間に、それはいっそう彼女の肉体を殺《そ》いだように見える。
友子夫人が夜会服を仕立てる話に気乗りうすに見えたのは、実はほかに屈託することがあったせいだということはまもなくわかった。
「あの、実は、ちょっと、お話ししたいことがあるのですけれど。……」
と、とうとう彼女は、思いあぐねた表情でいい出した。
「大山さまと山本少佐だけに聞いていただきたいことなのでございます」
大山夫人はとまどいながら、バランにしばらくそこらの庭を拝見していてくれと頼み、やがてバランは女中に案内されて出て行った。
「まあ、何ということでしょう。大山さまはともかく、海軍の方《かた》にこんなお頼みをするとは……でも、どうしたわけか、この方はほんとうに御信頼出来る方のように思われまして」
と、友子夫人は沈んだ声でいい出した。捨松がけげんそうに訊いた。
「奥さま、どういうことなのでございます?」
「夫の行状を探索していただきたいのでございます」
「えっ?」
「山県閣下の御行状?」
と、二人は息をひいた。
「そうなのです」
友子夫人はうなずいた。
「このごろ――といっても、ことしにはいってからのことですけれど、主人の帰りがめだって遅くなり、不規則になって来たのでございます」
「そりゃ、奥さん。……」
権兵衛は拍子《ひようし》ぬけしていった。
「山県閣下は去年暮から治安をつかさどる内務大臣の要職につかれちょるのでごわすから、そげな事《こつ》くらいはあたりまえじゃごわせんか」
「でも、主人は、ああいう、だらしないことがひどくきらいなたちで、たとえば、朝五時に起き、庭で槍を三百回ふるうのをはじめとして、食事の時間、入浴、就寝の時間など、ずっと昔からの習慣はいまも崩さないのでございます。それは以前はよくお茶屋にも参ったようですけれど、どうも食事の中身が合わないと申し、ほとんど食べずに帰宅して、好みの夕食――白身の刺身など淡泊なものを食べて寝るのを習いとしておりました」
捨松夫人はうなずいた。実は彼女の夫の大山|巌《いわお》も、食事の好みは洋式だというちがいはあるが、茫洋としているくせに、夕食の時間にはなるべく正確に帰邸しようと努めている人物であった。
「それが、ことしになって、週に何回か、二、三時間も遅くなり、食事もすませて来たと申すようになりました。本人は、以前の参謀本部長から内務大臣に変ったせいで、お茶屋にゆかねばならんこともある、と申しておりますが」
「そりゃ、陸軍のお仕事をなされておったときとは、事情がちがって来たでごわしょう」
「でも……何か変なのでございます」
と、友子夫人は首をかしげた。捨松が訊き返す。
「何が?」
友子はしばらく答えなかった。
四
実は、どうも気になって、そのために友子は何度か細工をしたことがあるのだ。
夫は、羽織|袴《はかま》か、あるいは軍服をつけて登庁する。その袴の紐は彼女が結んでやるのを常とするが、それをちょっと特殊な結び方をしておくと、帰ってきたとき、ふつうの結び方になっている。軍服の場合、靴下の一方に小さな目じるしをつけておくと、これまた左右がちがっていることがある。――
夫は、登庁と退庁の間に、袴をとったり靴下をぬいだりすることがあるのだ!
しかし、そもそも彼女は何が気になってそんな詮索《せんさく》を試みたのか。
さすがに右のような詮索をしたことは口にせず、このときはただ、
「それは、二十年も夫婦として暮しておりますと……何か変ったことがございましたら、何となくわかることがあるのでございます」
と、友子夫人はおごそかにいった。
そういわれると、権兵衛はむろん、結婚してまだ三年くらいの捨松も、それ以上問い返すことは出来ない。
「閣下の御登庁は馬でごわすか、俥《くるま》でごわすか」
ややあって、権兵衛は尋ねた。夫人は答えた。
「馬車でございます」
「それなら、御者《ぎよしや》がおるはず。――それにお訊きになったらいかがでごわす」
「訊きました。うちの御者は、岩井忠六と申し、兵隊あがりの、正直で頑固な男でございますが、これになにげなく、主人は退庁後どこかへ寄るようなことがあるのか、それはどこに寄るのかと訊きました。すると忠六は……閣下の公けの御行動は、一切口に出来ないことになっております、と申すのでございます」
「ほほう?」
「いえ、山県はふだんから、公私のけじめに異常なほど厳格で、公事は家でまったく口にせず、私事はまた一切秘書などに命じたことはございません。そして特に公事については、許可なく口外することはかたく禁じております。ですから、忠六の返事はまあ当然といえば当然なのでございますけれど……それにもかかわらずその顔つきから、忠六が何か隠していることを私は感じたのでございます」
夫人は思いつめたまなざしをしていた。蒼白かった頬に、いつかぽっと赤味がさして、眼が異様な光をおびて来ていたが、それが昂奮とともに、彼女の病気をいよいよ浮かびあがらせたように見えた。
「御者ばかりではございません。考えてみますと、私の家の奉公人、出入りする軍人、内務省の役人――みんな、主人の意志に絶対服従する人々で、こういうことになりますと私の味方は一人もないのでございます」
なるほど、そういわれてみるとそんなことになるかも知れない、と山県の猛禽《もうきん》を思わせる風貌を思い出しながら、権兵衛は考えた。
「それどころか、私が妙な詮索をしていますと、主人に密告さえするでしょう。……私は、世間が主人をどう見ているか存じております。それは誤解だと思うことも多いのですけれど、こんどのことで、つくづくと山県は、やはりある意味で怖ろしい人だということがわかりましたわ。……」
友子は二人を見た。
「そこへ、きょうあなた方がおいでになりました。そのとたん、私は、ああ、この方たちに――いえ、この海軍さんにお願いしたらどうかしら? と思いついたのでございます。この方たちなら、主人の力の外にいらっしゃる上に、何がわかっても決して悪くはなさるまい、と考えたのでございます」
彼女はすがりつくようにいった。
「海軍少佐ともあろう方に、こんなお頼みごとをするのは申しわけありませんけれど、いま、どう考えても、ほかにお願いする方がないのでございます。どうかきいてやって下さいまし、大山さまの奥さま、あなたからもお願いして下さいまし。……」
「お言葉でごわすが」
しばらく重い表情で黙っていたのち、権兵衛がいった。
「山県閣下の御帰宅が、二、三時間遅くなる……そげな事《こつ》が何でごわしょう。それが国家に関する事《こつ》ならもとより、たとえ関係なか事《こつ》でも、それくらいな事《こつ》は奥さんががまんしておられたらそれですむ事《こつ》じゃごわせんか」
「そうかも知れません」
友子夫人はいった。美しいけれど寂しい顔だちに、ふしぎな微笑が浮かんだ。
「でも、私は遠からず死ぬのですわ。……」
「えっ」
「私は肺を病んでいるのです」
権兵衛は、とっさに言葉が出なかった。
「ですから、二十年、妻として生きて来た女として……夫がはじめて持ったらしい秘密を、知らないままに死んでゆきたくないのですわ。……」
五
なんともうっとうしい依頼であったが、大山夫人の口ぞえもあって、権兵衛は「内務大臣を密偵する」というとんでもない役目を果さなければならなくなった。
その翌々日、山県家の書生が、権兵衛が置き忘れていったシガレット・ケースをとどけに来た。
それは、夫人との連絡の必要からわざと置き忘れたもので、シガレット・ケースは封をした封筒に入れてあったが、その中には、同時に「昨夜の帰宅十時四十分」と夫人の書いた紙片がはいっていた。
権兵衛は永田町の内務省に出向き、そこの門番から、前日の山県内務相の退庁時間は五時であったことを聞き出した。海軍軍人の姿をしていたればこそ聞き出せたことだ。
永田町から目白台まで――大官にしては長い通勤距離の方だろうが、五時間四十分もかかるはずがない。馬車なら一時間もあれば充分だろう。
果然《かぜん》、前日が山県の異常に遅い帰邸の日にあたったわけだが、しかしそれが異常かどうかは実のところわからない。新橋か柳橋の料亭に寄ったのかも知れない。
あくる日の夕方、ちょうど小雨がふっていたので、幌《ほろ》をかけた俥で権兵衛は待ち、五時退庁した山県の馬車を追った。相手が馬車の上、雨のせいかかえってその速度が早く、権兵衛は俥で追うのに追い切れず、飯田橋から牛込にはいったあたりで、あきらめた。――永田町から椿山荘にゆくのに、牛込はコースにはなっている。
その翌日、この次の舞踏の練習日の連絡だといって山県家の書生がとどけてくれた夫人のメモによると、果せるかな山県はその日は平常通り帰邸したというから、追ってみても無駄であったわけだ。
一方で権兵衛は、西郷海相に打ち明けた。
山県夫人にひそかに依頼されたことを西郷に告げるのにはちょっとためらったが、西郷に訊いたほうが手っとり早い、いや西郷に訊かなければラチがあかないと思われる事項であったし、八方破れと見えて西郷従道がなかなか信頼出来る人物であることは承知していたし、それに権兵衛の考えでは、夫人の疑いは疑いとして、あれほど用心ぶかい堅物の山県が、それほど人にはばかる秘密を持つはずがない、という予想もあったのだ。
西郷に訊いたのは、山県が遅くなった日、彼がどこかの料亭にいったようすはあるか、ということであった。政府の大官のゆく料亭はまずたいていきまっていたからである。
「どうも、どこへもいっておらんようじゃな」
と、一日おいて、西郷はいった。彼は茶屋の消息については天眼通《てんげんつう》の人物だ。――権兵衛はその後、伊藤首相夫人が芸者に化けて、料亭花月で、あっというような啖呵《たんか》を切った話も、西郷から聞いている。
彼は、笑った。
「それにしても、密偵を使って大官の動静をつかんどる山県どんの動静を探るとは面白か、あはは、こりゃ、権兵衛どん、あくまで調べろ」
意外に、というべきか、あたりまえ、というべきか、その探索になかなか手がかかることを権兵衛は知った。――山県は、然《しか》るべき料亭にいっていない。しかしその日に彼の帰邸は異常に遅かったのである。彼は途中、どこへ寄ったのか?
依頼されたことが性格的に心に染まないこともあって、権兵衛はだんだんカンシャクを起しかけていた。
十日ばかり後の夕方の五時ごろ。
この前の俥で懲りたので、その日彼は馬でいった。――馬は海軍にはいる前にやったことがあるし、伝令使になってからまた稽古しはじめていた。
その馬を、内務省に近い路傍の立木につないでいると、ちょうど見おぼえのある山県の馬車が鉄門を出て来るのが見えた。属官らしい男が、三、四人見送っている。
山県はこのまま帰邸するのか、それとも途中どこかへ寄るのか。――それはきょうも不明だが、とにかくいつまでも遠くから闇の空中をなでまわしているようなことはもう御免だ。
馬車が濠《ほり》の方角へ消えたのを見すまして、権兵衛は意を決して歩き出した。
そして、内務省の門の中へ数歩ひき返そうとしていた役人たちを追っかけて呼びかけた。
「ちょっと……山県閣下にお逢いいたしたかもんでごわすが」
「閣下はいま御退庁なされましたが」
「ほう、そりゃ残念な事《こつ》ごわした。さて、困ったのう」
「あなたは?」
「西郷海軍大臣伝令使、海軍少佐山本権兵衛っちゅうもんでごわすが、火急御連絡したか事《こつ》があって参りもした」
一人の役人が立ち戻って来ていった。
「私、秘書官の秋山という者です。私が承っておきましょう」
「いや、どうあっても内務大臣にじかに申しあげなきゃならん秘密事項でごわして」
一息おいて、
「山県閣下は、たしか目白台でごわしたな。そこへゆけばよかのでごわすな」
「ただ、日によっては、途中、某所に寄られることがあるので、いますぐお邸へうかがっても御不在のことがあるかも知れん」
「きょうはどうなのでごわす」
「それは、わからない」
「某所とはどこでごわす」
「それも私ども、存じあげない」
山本権兵衛の眼がひかった。
「内務大臣といえば、一刻を争う報告を受けんけりゃならん事《こつ》があるでごわしょう。――いま小官が来たのもその一つでごわす。しかるに当の大臣の行方が不明の場合があるとは、こりゃ捨ておけん過怠でごわすぞ!」
権兵衛は大喝した。
「こげな時、どうなさる?」
「当直の者が連絡に参ることになっております」
「それじゃ、某所を知っとるはずじゃごわせんか」
秘書官は狼狽した表情で棒立ちになっていたが、やがて、不安そうにこちらを見ている同僚たちに手をふって、あちらへ去れと合図した。
そして、虎のような権兵衛の顔にあきらかに畏怖の色を見せつつ、
「海軍省伝令使の方と知って申しますが……実は、きょうは閣下が某所に寄られる日で、某所とは牛込の築土《つくど》八幡なのです」
「築土八幡?」
「いや、その裏手のある家で……一見、空家に見えますが」
「何でごわすな、そりゃ?」
「閣下がお使いになっとる政府密偵との連絡場所なのであります」
山本権兵衛は、さすがに意表をつかれた顔で相手を見まもった。
秘書官はいう。山県閣下は、自由党の対策など職務上、少なからぬ密偵をお使いになるが、それらの一見いかがわしい連中が内務省に出入りすることは、密偵の効果そのものを減ずるおそれがあるといわれて、御帰宅の途中、その築土八幡裏の家で密偵たちと逢われることになった。ただし、それもまた秘密のことである。――
そして、そこにいっている時間帯に、万一公務連絡の必要が生じたときは、築土八幡の境内に待たせてある馬車の御者に伝言させる。日によって当直の者がちがうだろうから、そのときは合言葉として、「奇兵隊からの報告」といえ、ということになっている。しかし、いままでのところ、そんな必要の生じたことはない。
「これは、西郷閣下の伝令使といわれるから、はじめて申しあげることですぞ」
と、秘書官はくいいるような眼つきでいい、
「それじゃ、ごいっしょに早速そこへゆきましょう。いま、支度して来ます」
といった。権兵衛は首をふった。
「火急の用でごわすから、小官だけで――小官が直接参りもそ」
「いや、それは」
「それに小官は馬に乗って来もした。それでゆきもす」
相手の返答を待たず、権兵衛はスタスタと門の外へ出て、もとの場所に戻って、馬に飛び乗った。
濠《ほり》沿いに出た。二十分ばかりたったあとなので、山県の馬車はもう見えない。
内容、表情からして、秘書官の話が嘘だとは思えない。政府密偵との会合だとは、はじめちょっと意外に思ったが、すぐにこれはあり得ることだと納得した。いかにも、権謀家あるいは隠蔽家《いんぺいか》という評もある山県どんらしい。万一の非常連絡の法もちゃんと講じてあるところ、その周到さはさすがだ。
何にせよ、そういう用件のために帰邸が遅れるなら、夫人の不審はまったくの疑心暗鬼で、まさしく小人婦女子の妄想というべきだ。こんなことだろう、と考えていた通りであったし、だからいわぬことじゃない、と、舌打ちしたい心もあった。
最初からこの役目を、少々馬鹿馬鹿しいと思っていたが、ここにおいて、先日からこのことで結構苦労している自分が滑稽にさえ感じられた。ただ――念のために、という気持で、権兵衛は牛込のほうへ馬を走らせていった。
六
夕方になっていよいよ暑苦しい太陽が、築土八幡神社の小さな森にさしこんで、その境内入口の横にとまっている馬車に、赤い縞目《しまめ》をふりそそいでいた。
鳥居に馬をつないだ権兵衛は、それに近づいて、
「奇兵隊からの報告!」
と、さけんだ。
御者台にぼんやり坐っていた兵隊姿の男は、あわててそこから飛び下りた。
権兵衛は、つづいていった。
「西郷海軍大臣からの特命至急連絡じゃ。山県内務大臣にとりついでもらいたか」
「あっ」
と、御者は奇声を発して駈け出した。
権兵衛はゆっくりとそのあとを追った。
裏門近くになって、御者は気づいて立ちどまり、遠くから、
「もとの場所に戻って下され、あそこで待っておって下され!」
と、眼をいからせてさけんだ。頬骨の張った、いかにも愚直そうな顔だ。あれがたしか岩井忠六という男だろう。
そして、しばらくこちらを見ていたが、権兵衛が素直にひき返しはじめると、また足早《あしばや》に裏門を出ていった。権兵衛はまたクルリと足を返して、平気でそのあとを追った。
神社の裏は路地になっていて、両側に二軒ずつ小さな|しもたや《ヽヽヽヽ》がならんでいる。路地を通りぬけると往来に出られるらしい。しかし岩井はそこまでゆかず、右側の手前の家にはいっていったようだ。
――あれが、山県どんが密偵を接見する家か?
五分ばかり、権兵衛はそこに立って見ていたが、ふいにまたもとのほうへひき返した。
すぐに裏門の方角から、二人の男が歩いて来た。一人は岩井であったが、もう一人、ヒョロリと丈《たけ》高い影は、たしかに山県にまちがいなかった。内務大臣だが、軍服をつけている。
「何か?」
と、数歩先から、この人物らしくもなく、息はずませて問いかけて来た。
何くわぬ顔で、馬車のそばに直立した権兵衛は、敬礼して名乗った。
「西郷さんからの急用とは何じゃ」
「は。……実は、西郷南洲翁が生存しとられるっちゅう事《こつ》で――」
「なにっ?」
さすがに大きな声を出した。
彼は城山で西郷隆盛を攻め殺した張本人である。
「西郷さんが、どこに生きていなさるんじゃ」
「ロシアで」
「ロシア?」
「いやなに、ペテルスブルグ駐在の海軍武官からの情報で、まだ確実ではござりもさんが、そげな噂があると、とにかく南洲翁の弟にあたられる従道閣下にお知らせするとの急便あり、それで従道閣下から、一刻も早く山県閣下に御報告しておけとの事《こつ》で参りもした」
むろん、まっかな嘘だ。
どうせ自分が山県のあとを追ったことはわかるのだから、いっそこの際逢っておいたほうがいい。そのときのさしあたっての口上として考えて来たしろものであった。この件についてむろんあとで山県から再照会があるだろうが、そのときは適当な挨拶をしてもらうように西郷海相に依頼するつもりである。
山県有朋は、黙ってじっとこちらを眺めている。細長く、鼻と頬骨高い顔で、八文字髭の下は相当な出ッ歯で、人間というより猛禽を思わせる。ただよいはじめた森の薄闇の中に、眼だけが柳の葉のように細長く銀色にひかっていた。やおら、
「ここに来たのは、貴公、秋山秘書官から聞いてのことかね」
と、別のことを訊いて来た。
「左様でござります。緊急やむを得ず。――」
「ふうん」
と、いってまた黙りこんだが、
「報告はそれだけか」
と、いった。
「は。――」
「貴公。……家内のところへ舞踏を教えに来てくれる人じゃな」
と、つぶやいた。
知っていたのである。――これまで、山県本人は留守中とはいえ、何度か大山夫人とともに山県邸を訪れているし、そしていま名乗ったのだから、そのことは異とするに足りないが、それにもかかわらず権兵衛は、このとき背中にちょっと冷たいものが流れる思いがした。
「よし、帰れ」
と、山県はいい、御者に向って、
「わしも目白に帰るぞ」
と、馬車のほうへ近づいていった。
いま告げた奇想天外な情報については、別に何の意見ももらさなかった。
――さて、その翌日。
権兵衛はまた椿山荘にいった。山県がいないことは承知の上とはいえ、やはりうすきみがよろしくないが、この報告にはゆかなくてはならない。
彼は友子夫人に逢って、前夜のことを告げ、
「奥さん、閣下の御帰宅の遅いのは、やはり公務のおためでごわした。御心配は御無用どころか、閣下のおつとめぶりに頭を下げなきゃなりもさん」
と、いった。
すると、友子夫人は、じっと宙を見つめて考えこんでいたが、やがて、
「でも……政府の探偵たちと逢うのに、袴をとったり、靴下をぬいだりする必要があるのでしょうか?」
と、いった。
「えっ、そりゃ何の事《こつ》ごわす?」
友子は、はじめて、夫にときどき右の事実があることを打ち明けた。権兵衛は狐につままれたような表情になった。
「そして昨晩も」
と、友子夫人はいった。
「靴下の一つがないのです。何か、濡れたから捨てたと申しておりましたけれど……片方、裸足《はだし》で帰って来たのですよ!」
七
権兵衛はまた出動しなければならなくなった。
山県内務大臣の怪奇はいよいよ深まりこそすれ、あの追跡で氷解したわけではなかったことが明らかになったからだ。
その翌日の午前、ちょうど雨の日であったが、彼は外套と頭巾に身をつつんで、また牛込築土八幡にいった。――こんどは裏通りのほうにまわった。そして例の路地の入口に立った。路地は神社の裏門に通じ、左右に二軒ずつの家がならんでいる。
昨日見た右側は、往来から見ると左側になる。――彼はしばらくのぞいていたが、雨の日のせいか、四軒ともひっそりとして、人の出て来る気配もない。
彼は近くで茶と海苔《のり》を売っている店に立ち寄ってお茶を買い、包んでもらっているあいだに尋ねた。
「ちょっと、この界隈で貸家を探しとるもんじゃが、あそこの八幡さまの裏手に四軒ばかりあるが、みな人が住んどるのかね」
「ええ、みんなふさがってますよ」
と、おかみはいいかけて、
「あ、左の奥の一軒、空き家じゃないけれど……ふだん、どなたも住んでらっしゃらないようですよ」
御者の岩井のはいっていった家――山県が政府の密偵と逢うことになっているという家だ。
「ふうん。それじゃ隣りにでもいって訊こうか。手前の家はどげな人が住んどられるのかな」
ふとったおかみは、くすっと笑った。
「およしなさいよ、お隣りはお妾さんですよ」
「ほう?」
「婆やさんと二人で住んでいなさるんですよ。ときどきそこを日傘などさしてゆきなさる姿をお見かけすると、おきれいなことは途方もなくおきれいだけれど、あんまりお若いんで――十六か、十七じゃないでしょうかねえ――そのくせ、どうも素人《しろうと》さんじゃないような匂いがするもんだから、いつかうちへ来た婆やさんにそういったら、婆やさんちょっと困った顔をして、それでも白状したところによると、何でも新橋の金春新道《こんぱるじんみち》の半玉さんだった方ですって」
おかみは茶をわたしながらいった。
「旦那はついぞおみかけしたことがないんですけれど、御用聞きにゆく酒屋の小僧さんなんかに聞くと、夜ときどき三味線で小唄なんか歌う声が聞えるそうで、どうやら五十年配の官員さんらしいって噂ですよ」
――何っ? と権兵衛はさけび出したいような気がした。
そのまた翌日、こんどは日が暮れてから、権兵衛は築土八幡の境内にまた馬車がとまっているのをたしかめてから、境内を通らずに裏手にまわって、例の路地にはいって見た。
左側の奥のほうの家は無人らしく、灯影《ほかげ》はなかったが、手前の風雅な|しもたや《ヽヽヽヽ》からは灯がもれて、そこから三味線の音《ね》とともに、たしかに歌う男のしぶい声が聞えて来た。
「春は梢《こずえ》に鶯《うぐいす》の、夏は高瀬に鳴く蛙《かわず》
秋は月夜に虫の音《ね》や、枕にかよう友|千鳥《ちどり》
雪のあしたのかん酒は
すこしぬるても大事ない。……」
それはまさしく内務大臣山県有朋閣下の声であった。
夜風の中に、山本権兵衛は頬髯をなでた。
いまや事はあきらかになった。友子夫人の猜疑《さいぎ》はむべなるかな。――
みずから一介の武弁と称することを好み、またしばしば皇国の柱石《ちゆうせき》と自負しているという山県内務大臣は、こんなところにお妾を囲っておられたのである。
それにしても、たとえだれから不審を持たれようと、それから隠蔽出来るように、隣りの家も一軒借りて、政府の密偵との会合だという偽装をめぐらしておこうとは。――
おそらく内務省の役人たちも、そのことを信じているに相違ない。ひょっとしたら、築土八幡の境内で待っている御者も――あの二軒が内部で通じているのか、あるいは合図だけで意志を伝えることになっているのか知らないが――岩井忠六も、すべてを知らないのではあるまいか。
とにかくその鉄壁の用心深さは驚くべきものがある。
が。――
やがて権兵衛は笑いがこみあげて来た。
それが用意周到であればあるほど可笑《おか》しい。その目的が目的だけに可笑しい。やった人が、武人の権化のような人だけにいよいよ可笑しい。
しかも、山県夫人の打ち明け話によると、袴の紐や靴下のとりちがえから事は発覚したらしいが、あの自分が呼び出しをかけた夜も、片足裸足で帰って来たという。お妾と、「少しぬるても大事ない……」とやっているところへ、ふいに「奇兵隊からの報告!」の声を聞いて、靴下を片方だけはいて飛び出して来たのだろうが、そのあわてぶりを想像し、そのあとの厳然たるもったいぶりを思い起すと、抱腹絶倒のほかはない。
二日ばかりのち、権兵衛はまた椿山荘へいった。
そして、以上のことを報告した。
依頼された調査事項そのものだから報告しないわけにはゆかなかったが、しかし権兵衛には次のような意見もあったから、あえて報告したのである。
「奥さん、これを聞かれて、果せるかなとお腹立ちのことと存じもすが、しかしよく考えてみりゃ、こりゃそれほど珍しか話じゃなかなのでごわすまいか。――ほかの閣下たちは、このほうじゃ、もっともっと盛大に発展されとるようじゃ。それにくらべりゃ、あの山県閣下が、これほど苦心|惨澹《さんたん》して事を隠蔽しようとなさる。その御苦労が、かえっていじらしくはごわせんか。もっともこの事《こつ》が世間に知られりゃ、何じゃ軍人勅諭の親玉が何をやっちょるか、という悪口が当然出て来るでごわしょう。それじゃ閣下のいまのお仕事にもさしさわりが出て来ましょう。閣下がお国のために日夜励精されちょる事《こつ》も、神かけてまちがいなか事《こつ》でごわすから、ここのところは何とか一つ、眼をつぶってがまんなされ」
友子夫人は、蒼白い頬に微笑をただよわせていった。
「わかりました。それだけがわかれば、私はよろしいのです。どうも、山本さん、ありがとう」
八
ゆきがかり上、山本権兵衛は事の次第を西郷海相に報告した。
「あはは、そうかそうか」
案の定、西郷は大笑した。
「山県どんは、おいにも苦手《にがて》での。閣議でいつも真正面からやりつけられて、それでもこっちは|ぐう《ヽヽ》の音《ね》も出ん始末じゃったが、これで|ぐう《ヽヽ》の音が出るようになった。いやなに、あっちの隠し事《ごつ》を口にする気はなかが、気持の上でな、顔を見ただけで怖気《おじけ》づく事《こつ》はなくなったわい。ははあ、あの仁も人間なみに妾を囲っておられたか。おいは山県どんが好きになったぞ」
数日後、西郷は笑いながら、権兵衛にふしぎな話をした。
「おい、山県どんの妾の正体がわかったぞ」
「妾の正体?」
「新橋の金春新道《こんぱるじんみち》の半玉じゃった女――とかいうたな。それだけわかれば調べもつく。なるほどことし早々に、あそこの吉田|家《や》っちゅう芸者屋から一人消えた雛妓《おしやく》がおる。雛妓に出るやいなや、あっちゅうまに山県どんが気にいってさらっていったとか。それでさすがのおいも知らなんだが、たぐいまれなる美しか娘じゃったそうじゃ」
「ほう」
「以前、あそこに老松《おいまつ》っちゅう芸者がおってな、そりゃおいも知っちょるが、その実の妹じゃそうな。その老松は三井の親玉益田|孝《たかし》の妾になった。あれの妹なら、そりゃ美しかろ。そのあとをつごうとして、半玉に出たところを山県どんに召しあげられたものらしか」
「芸者の名門っちゅうわけごわすな」
「名門っちってええか、どうか、おはん、歌吉《うたきち》心中っちゅう事件を知っちょるか」
「知りもさん」
「そりゃ知らんじゃろな。ずいぶん昔の話じゃからの。おいはおぼろげに聞いたおぼえがある。こんど改めて調べたんじゃが、明治初年のころ、日本橋に吉田屋安兵衛とかいう唐物《とうぶつ》屋があって、これが新橋の歌吉っちゅう芸者にいれあげて、やがて商売のほうもにっちもさっちもゆかんようになり、とうとう二人は心中した。当時歌吉心中といって評判になったげな」
――作者|曰《いわ》く、後年新派で何度か上演された川口松太郎原作「歌吉|行燈《あんどん》」は、この事件に材をとったものだ。
「で、当然吉田屋安兵衛の遺族はひどい事《こつ》になったと見るのがふつうじゃが、この安兵衛の女房がまた変った女傑での、幼い娘二人が天来の美形の素質があったのを頼りに、自分が吉田家っちゅう芸者屋を金春新道に出して、やがて時至ってこの娘たちを売り出した。後家の兵法まんまと図にあたって、姉のほうは三井の総帥《そうすい》の愛妾《あいしよう》となり、妹のほうは山県内務大臣の側室となる。姉のほうは大っぴらじゃが、妹のほうはないしょにされた。こりゃ山県どんの御意向じゃろ。そげな事《こつ》をおいも知らなんだのは、それがふつうの半玉じゃのうて、おかみの口どめのきく吉田家の内々の話ですまされたからよ」
「ははあ、そげな素性のお妾さんでごわしたか」
「ただでさえ、隠し事《ごつ》したがる山県どんじゃ。側室がともかく心中者の娘とあっては、そりゃ何とかして人には隠したかろ。あはは」
と、西郷は笑い、それからふと真顔になってつぶやいた。
「それはよかが、この十月一日、三島警視総監主催の夜会が鹿鳴館であるのじゃが、内務大臣として山県夫妻も招待に応ぜんわけにゃゆかんじゃろ。さて御夫婦、どげな顔で現われるもんかな」
九
――すぐ近い往来を通る軽やかな下駄の音からして、外はうららかな日和《ひより》だとわかるけれど、この部屋は築土八幡さまの林のかげになっていて、いつも日がささない。
冷え冷えとした障子の中で、お貞《てい》はしくしくと泣いていた。机に向ってお習字をやっている途中で、ふいにしゃくりあげはじめたのだ。
実はさっき、いま秋葉原で興行しているチャリネ曲馬団を見にゆきたいといったところ、婆やに叱られてお習字をはじめたのだが――泣いている背中は、どこかあどけなささえ波うって、とうてい「お妾」とは思えない。
台所で働いていた婆やのお粂《くめ》は、ふと戻って来て、これをのぞいて、
「まあまあ、お貞さま、まるで|ねんね《ヽヽヽ》みたいに」
と、笑いながらはいって来た。
「そんなにチャリネがごらんになりたいのですか」
と、背中に向っていい、溜息をついた。
「それじゃ、いっしょに参りましょうか」
お貞は顔に両手をあてたまま、イヤイヤをした。
「でもねえ、御前さまの仰せには、まだあまり出歩かないように、とのことでございますし、それに、お習字やら和歌《うた》やら琴やら踊りやら……お稽ごとに怠《おこた》りのないようにと、私もあれほどきびしく申しつかっておりまして……」
「それはいいの」
と、お貞はいった。
「でも……」
「何ですか」
「こんな毎日、つまらなくってよ」
「お稽古ごとがでございますか」
「いえ、あんな旦那さまにしばられてるってことが」
「何をおっしゃいます。あんな旦那さまなんて……もったいない。御前さまは伯爵さまで、中将さまで、大臣さま。それがあなたを見込まれて、こんなに御寵愛《ごちようあい》なさる。やれ歌、やれお習字とうるさくおっしゃいますのも、みんなあなたのためを思われてのことでございますよ」
お粂は、お貞の実家の吉田|家《や》で女中をしていた女だが、瓦解《がかい》前は旗本の家に奉公していた女でもあった。
「益田さまのところへおゆきになったお姉さまは、御商売や茶事のお客さまを、毎日何十人とみごとにとりさばいていらっしゃるというではございませんか。お貞さまも、どうかあのお姉さまにお負けにならないように……」
「お姉さまのような暮しならいいのよ。まるでお茶屋のようににぎやかで」
と、お貞はいった。いつのまにか、お粂のほうへ向き直っている。
「それにくらべて、私はここにとじこめられて……旦那さまのお留守中はお稽古、おいでになればお説教か、御一新のころの苦労話ばかり……旦那さまは四十九だけれど、婆や、私はまだ十七なのよ」
婆やはちょっと言葉を失った。
婆やはこのお貞が、その美しさにかけても利発さにかけても、姉の老松にまさるとも劣らないと思っている。ただチャリネの話とそのすね具合から、あんまり子供らしいので思わず意見しはじめたのだが、実はお貞は、彼女としてはもっと「深刻な」欲求不満が小爆発したのであった。
鴎外の「雁」によれば、この少し前、本郷無縁坂にお玉というやはり彼女と同じ年ごろのお妾さんがいて、いろいろと物想いにとざされる。「強《し》いて何物をか怨《うら》む意味があるとするなら、それは我身の運命を怨むのだとでも云おうか」人を怨まぬおとなしいお玉も、しかしやがて窓の外を通る学生の一人に恋をする。
「或る日自分の胸に何物かが芽ざして来ているらしく感じて、はっと驚いた。意識の閾《しきい》の下で胎を結んで、形が出来てから、突然躍り出したような想像の塊《かたまり》に驚かされたのである」
お玉の旦那がしがない高利貸なのにくらべて、お貞の旦那はいまをときめく大臣閣下であった。みな人が羨《うらや》むはずの身分だが、彼女はひかえめなお玉とちがって、まだ未発ながら、なみの女にまさる才気と気根の持主であった。――
お貞は、山県閣下が自分の存在を念入りに世間の目からかくそうとしていることを知っていた。それを理解し、あきらめてもいた。が、彼女の才気と気根は、ようやくそんな隠蔽を苦しがり出したのだ。彼女の羽根はもだえはじめていたのだ。
世の中へ出たい!
お姉さまのように。――
なぜ実業家に身請けされた姉が、毎日はなやかな宴《うたげ》で面白おかしい日々を送っているのに、大臣に身請けされた自分が、こんな日蔭の花のような暮しをしなければならないのか。
「旦那さまは四十九だけれど、このぶんじゃ八十、九十までお生きになりそうよ。そうすると、私も五十、六十になっちまうわ。それまで……若いときの私は、ただあのおじいちゃんばかり見て、ほかの何も見ちゃいけないっていうの? 婆や?」
「ま、そんな……」
と、お粂は困りはてた表情になったが、すぐに声をひそめて、
「お貞さま」
と、いった。
「なあに?」
「これは女将《おかみ》さんから承ったことで……あまり大きな声では申せないことでございますけれど……山県さまの奥さまは、あまりながくは生きていらっしゃらない、何でも肺病だそうで……もし万一のことがあったら、むろんお貞さまを正妻にお迎えなさるというお約束があったそうでございますよ。そうなれば、あなたさまもきっと日の目が見られるわけで……」
と、ささやいたとき、
「おや」
と、お貞が眼を動かせた。
あきらかに人力俥《じんりきしや》の鉄輪《かなわ》のひびきが路地にはいって来たのである。
「旦那さまかしら?」
旦那さまはいつも日暮に、築土八幡の森から隣りの空家伝いに、泥棒のごとくやって来るはずだ。
「こんなお昼に?」
俥の音がとまった。
婆やが、けげんな顔で立っていったが、しばらくして、顔色を変えて戻って来て、泡をふく金魚みたいな口つきをして、
「あの……山県の御前さまの奥さまがおいででございますよ」
十
「お初にお目にかかります。山県の家内友子でございます」
しずかに坐って、そう名乗られても、二人はその前につっ伏したきりであった。
「いつも主人がお世話になっております」
何と挨拶していいのかわからない。
いったいこれはどうしたことだろう。山県さまがここを教えられたのか、まさかそんなはずはないけれど――そもそも、奥さまが何の御用でここにいらしたのだろう?
友子夫人はしばらく家の中のありさまを見まわしている風であった。
ふいにお貞の心にまけじ魂がふるい起されて来た。私は何におびえているのだ? どうせこの奥さまは私を責めにおいでになったのだろうが、私のほうからすき好んで山県さまのオメカケになったわけじゃないわ。もし文句があるなら、私のほうだって言い分があるわ!
「私、あなたにちょっと御相談があって参りましたの」
と、友子夫人はいった。――そら来た!
「でも……私はあなたに何か苦情や怨みごとがあって来たのじゃございませんのよ」
まるでお貞の心を読んだように、友子夫人はいった。
お貞は顔をあげた。いぶかしみとともに、まだ疑いの残る眼にうつった友子夫人は、蒼白く、哀しげで、むしろいたいたしい印象でさえあった。
「私、あなたのお齢《とし》を聞いてびっくりしたのです。私でさえ夫とは十五もちがいますのに、あなたは三十以上もちがう。何てことを、と思いましたけれど、こうして拝見すると、いっそう夫のしたことが、ひどい、無惨な、としか思えませんわ。……こんなお若い方を、こんな風にとじこめて」
心の底からもれて来るような吐息とともに、夫人はしげしげとお貞を見まもった。
「信じて下さい。私はあなたを敵と思ってはおりませんのよ。どうか私を敵とは考えないで下さいね。……悪いのは、夫ですわ」
声がかすかにふるえ、その眼にはウッスラと涙さえにじんでいるように見えた。
お貞が次第に警戒心を解いて来たのに対し、それでも婆やはなお不審を捨てきれなかったらしい。
「奥さま」
と、顔をあげて、おずおずといった。
「御相談とは……どのようなお話でございましょうか」
「ああ」
と、夫人はうなずいた。
「聞いて下さるか下さらないか、もし聞いて下さらなくっちゃ、私がここに来た意味がないので、はじめからそのことを申しましょう。……あなた、鹿鳴館の舞踏会へいらっしゃらない?」
「ま、鹿鳴館?」
さすがにお貞は仰天した。
「そんな大それたところへ」
いかに世に出たい、という気持はあっても、これはあんまりだ。
「私、そんなところへ出られる身分じゃございません。いくら私でも、それくらいのことは存じておりますわ。……」
「いえ、私の妹として」
と、夫人はいった。
「長州の田舎から呼んだ妹として」
夫人は微笑した。
「私の妹としては美し過ぎるかしら」
「どうしてまあ、そんなことを」
と、婆やがまた声を出した。
「何のためにお貞さまが、鹿鳴館へお出になるのでございます?」
「遠くない将来、山県の妻として恥ずかしくない女の方になっていただくためですわ」
「えっ」
「私はねえ、もうそれほど長く生きてはいられないんですのよ。私は病気なのです」
お貞は、さっき婆やが、この奥さまは肺病だ、といったことを思い出した。
「ですから、私はあなたに嫉妬なんかしていません。嫉妬したところで、やがてまもなく私は死んでゆき、あなたが山県の妻におなりになる運命は、私にはどうすることも出来ないことを知っています。そこで私は、せめてあなたに、私のあとつぎにふさわしい方になっていただこうと思い立ったのですわ。……」
口もきけない二人に、友子夫人はつづける。
「こんなことを申しては何ですけれど、山県の妻ともなれば、何かと身分ある方々とおつき合いしなくちゃなりません。それも妻となったその日から、いやでもそうしなくちゃならないんです。そのときひとさまに笑われないためには、やはりその前々から、それらしい雰囲気に心と身体を馴《な》らしておかなくっちゃ。――鹿鳴館へゆくのは、その第一歩だと思いますわ」
「第一歩だとおっしゃっても、鹿鳴館なんて――」
お貞は悲鳴のようにいった。
「私、西洋の踊りなんか踊れませんわ!」
「踊りはちゃんと教えてくれる方がありますけれど――何も踊らなくったっていいのよ。ことにはじめのうちは、ただ出るだけでいいのよ。それが勉強になるんです」
「でも、奥さまの妹なんて、途方もない……いったい旦那さまは、こんなお話を御存知なのでしょうか?」
「それが、知らないの」
夫人は首をふった。
「私だけの思いつきなの」
「それじゃあ……」
婆やはかすれ声をあげた。
「そんなことを、あの御前さまがお許しになるはずがございません!」
「あのねえ、これはあの人へのいたずらなんですよ」
「いたずら?」
「シッペ返し、といってもいいかも知れないわ。いまねえ、私、あなたを教育するために鹿鳴館へいらっしゃるように申しました。それに嘘はないけれど、もう一つ、主人へのシッペ返しのつもりもあるんですよ。あなたに嫉妬は持たないけれど、私が主人に不満がないといったら嘘になりましょう。あなたは犠牲者ですが、私も犠牲者なのにまちがいはありません。その犠牲者の女二人が、突然手をとり合って鹿鳴館に現われたら、主人はどんなにあわてふためくでしょう」
夫人は、はじめて声をたてて笑った。寂し味のある顔が、ぱっとはなやかになった。
「ねえ、面白いとは思いません?」
「とんでもないことでございます」
婆やは手をふった。
「そんなことをしたら、御前さまからどんな雷が落ちますことか、いえ、雷どころじゃございません、何もかもおしまいでございますよ」
「何もかもおしまいになったっていいわ」
と、お貞がさけんだ。彼女は、ほんとうに「面白い」と思ったのだ。
「でも……奥さまと私がごいっしょに鹿鳴館に現われたら、旦那さまがびっくりなさるって……どういう手順になるのかしら?」
「その手はずは私にまかせておいてちょうだい」
と、友子夫人はいった。
「それにね、鹿鳴館にゆくには、やはり着物よりあちら風の夜会服のほうがいいんだけれど、それを作りませんか。私とおそろいで――その服を仕立ててくれる人を私は知っているんです」
「夜会服。……」
お貞の眼がかがやき出した。彼女は雛妓《おしやく》になったころ――いや、それ以前、何度か鹿鳴館の門の近くへ出かけて、次々に馬車から下り立って来る貴婦人や令嬢の夜会服姿に、夢の世界のように見とれたことがあったのだ。
「あの、蜜蜂が人間に化けたような洋服ですか、滅相もない……」
と、婆やがいいかけるのを、
「おだまり」
と、お貞は叱った。
十七歳の妾は、眼をかがやかせて、奇想天外な相談に来た本妻を眺めた。友子夫人は、哀しいほど美しい笑顔でいった。
「まあ、いちどいってごらんなさい。あなたのような年ごろのお嬢さんもたくさん来ていらっしゃいますよ。……それは、山県は一応怒るでしょう。けれど、貞子さんを私のあとつぎにするための修行だといったら、それ以上何かいうことがあるかしら?」
夫人はまた声を出して笑った。
「それに私とあなたが組んでそんなことをしたと知ったら、そのあとかえってほっとするんじゃないかしら? これまであなたのことを隠すのに、噴き出したくなるほど苦労したことを考えますとねえ。ホ、ホ、ホ。……何にしても、そんなことをさせたのは私だということは、むろんすぐにわかってよ」
「奥さま、お供させて下さい。たったいちどだけでもいいんです」
と、息はずませて、お貞はいった。
十一
大山夫人の護衛役あるいはダンス教授のパートナーとしての「任務」には服してはいるものの、舞踏会なるものへ出ることにはまだ相当の拒否感があって、出来ることなら敬遠している山本権兵衛であったが、十月一日の三島警視総監主催の夜会には、西郷夫妻にくっついていった。
西郷に誘われたこともあるが、彼自身、内務大臣として職制上もそこへ出席しないわけにはゆかない山県夫妻に対して、特別の興味を禁じ得なかったのだ。
権兵衛は、自分の報告以後に起ったことを知らない。
それでも、右のような好奇心があって同行したのだが、その夕《ゆうべ》、鹿鳴館の玄関附近での一景を見るに及んで、あっと驚いた。
馬車や俥は次々にはいって来る。やがて、その一台から、山県夫妻が下り立った。ならんで歩いて来る二人を眺めて、権兵衛は眼を見張った。
山県の、肋骨のついた軍服と髭をはねた厳然たる細長い顔はいつもの通りだが、友子夫人が――この前は裾模様の着物であったのに――今宵《こよい》はなんと、エレガントな洋装であったからだ。うす紫の洋服の、フリルのついたスカートにはスパンコールがきらめき、蜂のようにしめつけられた腰のうしろは大きくふくらんで、その上に蝶結びにされた布がゆれている。
――と、権兵衛はさらに眼をむいた。
少し離れたところにとまっていた俥の幌《ほろ》の中から、このとき一人の娘が現われて、山県夫妻のほうに近づいて来たのだが、年は十七、八と見えるのに、その衣裳が友子夫人とそっくり同じものであったからだ。
「きさまは!」
突然、山県有朋が途方もない大声をあげた。
片足を折ってお辞儀しかけた娘は、あきらかにドギマギした表情を見せたが、これに対して夫人はやさしくうなずいた。そして夫人は、落着きはらった笑顔で山県に何か説明しているようであった。
山県は、まわりの客たちがいまの大声にいっせいに立ちどまって、こちらに眼を集めているのに気がついたようだ。
やがて歩き出した顔は、仮面のようであったが、しかしそれは驚愕と当惑に硬直した仮面であった。
三人は玄関にやって来た。
権兵衛には眼もくれず、友子夫人は三島総監夫妻に挨拶し、
「これは長州から呼びました私の妹貞子でございます。どうぞよろしく」
と、紹介した。
美しい夫人であったが、今宵ほどあでやかな彼女を、権兵衛は見たことがなかった。山県は依然ニガ虫をかみつぶしたような表情で、そして娘は何だか夢の世界にでもいるような顔で奥へ消えていった。
――その娘は、俥でやって来て、門で、山県夫妻への舞踏会の招待状を示し、自分はこの山県の家内の妹だが、先にいって待っているようにと姉にいわれてやって来たといった。招待された当の人間ではなかったけれど、何しろ山県内務大臣閣下御夫妻への招待状を持っているので、門番はこれを通したのであった。
むろんそんな詮索をする余裕もなく、権兵衛は狐につままれたような顔で三人のほうを見送っていた。
「権兵衛どん」
西郷が近づいて、ささやいた。
「ありゃ、何者かの?」
「いまの令嬢でごわすか。山県閣下の奥さんの妹さんじゃっちゅう事《こつ》じゃごわせんか」
「ふうん」
西郷は、葉巻をくわえたまま奥へ歩き出した。権兵衛はあとに従う。
ホールに群れる客の中に、いまの三人はまぎれて、どこにいるのか、もう見えない。西郷は知り合いの顔に会釈《えしやく》しながら、その中を通って大階段を上った。
「ああそうか」
と、階段が折れたところで、西郷は立ちどまって頬髯をひねった。
「いまの令嬢、どこかで見た顔じゃと思ったが……あれは老松《おいまつ》の顔じゃ」
「えっ、老松?」
「いや、それによく似た――つまり、妹の顔じゃ」
それでも権兵衛は、まだ意味がよくわからなかった。
「権兵衛どん、おはん、山県どんの築土八幡のお妾さんの顔を見た事《こつ》があるか」
「いや、見た事《こつ》はありもさんが」
と、いって、はっと権兵衛は気がついた。
「いまのは――そのお妾さんごわすか!」
彼は眼をしばたたきながら、西郷を見た。
「山県どんは、お妾さんもこの舞踏会へ呼ばれたのでごわすか!」
「うんにゃ。……さっきのびっくりぶりを見ると、山県どんは知らんな。あそこではじめて逢うて、仰天したらしく見ゆる」
「そりゃ……どういうわけでごわすか」
「どうやら、こりゃ奥さんのはからいじゃなかか?」
「奥さんが?……奥さんが、どげなつもりで……お妾をこげな場所に呼ばれたのでごわすか。またあのお妾さんは、どげなつもりでここに現われたのでごわすか」
西郷従道は黙ってホールを見わたしていた。
紫煙のたなびく下に、山県夫妻たちが見えた。夫人はどうやら、黒田清隆夫妻に「妹」を紹介しているようであった。有朋はそばに憮然たる顔で棒のようにつっ立っている。
「お妾さんがどげなつもりでここに来たかは知らんが……奥さんのもくろみはこうじゃなかか」
ややあって、西郷はいった。
「たとえ妹といつわっても、ここへ出た以上、やがてそうじゃなか、山県どんのお妾さんじゃちゅう事《こつ》はわかる。知れずにはおれん。しかも、それが歌吉心中の男の娘じゃっちゅう事《こつ》も知れるじゃろ。あの可愛いお妾さんがいま顔を出さんけりゃ、のちにたとえあの人が山県どんの後添いになってもだれにもわからんじゃろが――雉子《きじ》も鳴かずば撃たれまいに、とはこの事《こつ》じゃて」
「………」
「しかも、いま評判になると……山県どんが鹿鳴館に、妻妾《さいしよう》相伴うて現われていたことが評判になると……たとえいまの夫人が亡くなられても、世間の手前、あのお妾さんは正妻に直ることはちとむずかしか」
「………」
「とくにあの山県どんの性格じゃなあ。……おいは鉄面の男じゃが、鉄心はなか。山県どんは鉄心の人じゃが、鉄面じゃなか。悪くいや、おていさい屋じゃからの」
「………」
「つまり、いま世間に現われる事《こつ》が、あとで世間から隠れんけりゃならん事《こつ》になるんじゃ。そりゃ、山県どんにとっても手痛いシッペ返しとなる。元陸軍参謀長、やられたのう」
権兵衛はわかったような、わからないような心情にあった。ただ、このふだん、酒好き女好き以外芸がないかに見える海軍大臣が、うすきみわるい海坊主のような気がして来た。
「ただこりゃ、将来起るじゃろう事《こつ》の予測から、逆にさかのぼった仕掛人の心の憶測じゃて。そりゃ承知しておいてくれ」
――数年後、山県友子はこの世を去り、吉田貞子は椿山荘の女主人となる。しかも「皇国の柱石」山県有朋公は、八十五歳の生涯を終えるまでの後半生|琴瑟《きんしつ》相和しながら、ついに彼女に正妻の名を与えなかった。
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黒田清隆夫人
一
はからずも時の権力者の邸に出入りし、その家庭をかいまみる機を得て、山本権兵衛は、それらの夫人や主《あるじ》に対し、これもやはり人間だと感じいると同時に、それ以上に首をひねらざるを得ない神秘感をいだくことが多かったが、中でも黒田清隆夫妻についてはひとしおその感が深かった。
いや、清隆には、逢う前から、ふしぎな人物だと思っていた。
清隆は同郷の大先輩だ。ただ、権兵衛がまだ十くらいのとき、青年清隆はすでに江戸に出て、以後維新の活躍期にはいっていったし、権兵衛が青年になったとき彼は海軍にはいってしまい、黒田のほうは北海道開拓長官として東京にも不在のことが多く、二、三度何かの薩摩人の会合のとき見かけたことはあるものの、どことなく雲上の人といった感じであった。
特に、西郷大久保なきあとは、その地位をつぐ者はこの人だと目されていたからなおさらのことだが、またそういう人物だから、さまざまな評判は聞いていた。
毀誉褒貶《きよほうへん》はだれにもあることだが、これほどそれが甚だしい人も珍しい。
いったい、英雄なのかデクノボーなのか、有能なのか無能なのか、狂暴なのか円満なのか、善人なのか悪人なのか、保守的なのかハイカラなのか、いろいろ聞いても、まったく輪廓がつかめない。
さてその後、例の舞踏練習の件で二度ばかり黒田邸を訪れて当人にも逢ったが、不可解はいよいよつのり、西郷|従道《つぐみち》に黒田評を求めたことがある。
「ありゃ凡人じゃ」
と、従道は即座にいった。
「そこはおいと御同様じゃが、同時に黒田どんは天才じゃて」
ますますわからない。
「天才? 黒田閣下のどこが天才なのでごわす」
「たとえば樺太《かばふと》を捨てて千島をとったこと。あれの非難はいまでもあるが、あのころの日本とロシアの力を見りゃ、放っておけば樺太も千島も失うところじゃった。ありゃ一文惜しみの百失いの愚をふせぐあっぱれな決断じゃった」
明治七年に、強引に台湾征討をやってのけた人間がこれをほめた。
「それからまた、岩倉卿らの欧米回覧の際、五人の少女を同伴してアメリカに留学させたこと。ありゃ森|有礼《ありのり》の発案じゃが、それを実現させたのは黒田どんじゃった。これもあの明治四年のころ、常人にゃなかなか本気でやれん壮挙じゃて」
西郷は笑った。
「そのおかげで大山どんの奥さんが、いまおはんを連れてダンスを教えてまわっちょる」
「あ。――」
「それから、あの酒乱ぶり。――」
「そこでごわすな、問題は」
思わず権兵衛は声をあげた。
「しかし、山本の拝見したところじゃ、とても噂のような酒狂の方とは見えもさんが」
この問答は、西郷が料亭で黒田清隆に首を斬られかけたという話をした、二、三日後のことであった。――西郷はいった。
「正気のときはまことに穏やかな人物じゃ。それが、酒がはいるときちがいになる。あれほどのみごとな酒乱ぶりは天才的じゃと思うが……いや、こりゃやっぱり、凡俗の行状のうちにはいるかな、あはは」
「黒田閣下の凡人たるところは、どげな事《こつ》ごわす」
と、権兵衛はなお訊《き》いた。
「それはじゃな。……大久保卿亡きあと、薩摩第一の人物、といわれながら、長州の伊藤どんにしてやられて、最初の総理大臣になりそこねた事《こつ》でもわかる」
「それが凡人の証拠でごわすか」
「少なくとも、あん人は政治家としちゃ素人《しろうと》じゃな。薩摩の出頭人でありながら、明治のはじめから中央をほとんど留守にして、北海道の開拓に精出して来た。しかも、あげくのはてが例の開拓使官有物払い下げ事件じゃ」
「………」
「明治十四年に開拓十年計画が終るので、北海道の工場、官舎、牧場、農場、森林、船舶をみな民間に払い下げる事《こつ》になった。それを開拓長官の黒田どんが同郷の五代才助どんに、たった三十八万円、それも無利子三十カ年の年賦っちゅう条件で払い下げようとして大騒ぎになった。なに、黒田どんとしちゃ、自分が手がけた事業がバラバラになるのが残念で、実業にかけちゃ信頼しとる五代どんに一切をゆだねよう、しかも当分北海道からたいした利益のあがる見込みはなか、こりゃ気の長か仕事じゃと考えてああいう事《こつ》にしたんじゃろが、しかし、薩摩閥の傍若無人の横暴と見られてもいたしかたなかなあ」
「………」
「なに、おいはひとの批判なんぞするガラじゃなかが、了介《りようすけ》どんについちゃ何か気の毒な気がしてならんので、いろいろ考える事《こつ》がある。ありゃ、実際は、だれよりも薩摩にこだわらんお人なんじゃ。……幕府方の榎本どんを、みなの反対をおし切って、あれほどひき立てようとした事《こつ》でもわかる」
ちらっと、権兵衛を笑った眼で見た。
「おはん、榎本どんににらまれた事《こつ》があるそうじゃな」
「いや、なに」
権兵衛は苦笑して、頬髯をひねった。
明治十四年、時の海軍卿榎本武揚が、料亭で市井《しせい》の博徒たちと酒宴をしたり、隅田川に海軍の蒸気艇を浮かべて芸者を乗せたりしたので、海軍部内から弾劾運動が起った。当時中尉であった権兵衛はその運動の首唱者であると榎本から見られて、いっとき「非職」――閉門を命じられた事件があったのだ。
「とにかくこの官有物払い下げ事件を見てもわかるように、黒田どんは政治家としちゃ、素人としかいえん。……考えると、この点、兄貴の南洲に似とるわ。ただ、よそ目にゃ、一方は無欲の権化と見られ、一方は私欲の化物と見られる結果になったのはおかしかが、ほんとうは了介どん自身は、ある意味で兄貴より欲のない人物なんじゃがの。つまり、そこが凡人なんじゃ」
少し、わかったような気がして来た。
「そげな事《こつ》で、あの人は初代総理大臣を棒にふった。もっとも、天子さまが、あげな酒乱はいかん、といわれたからっちゅう話もあるが、あはは。……もっともな、おいの見るところじゃ、了介どんの天才的な思いつきは、みな酔っぱらっちょるときに出て来たような気がする。あん人から酒をとったら、ただからっぽの大入道になりゃせんかな」
「黒田閣下が、酒乱のあまり……」
権兵衛は、以前からの疑問を口にした。
「前の奥さんを斬り殺されたっちゅう噂はまことごわすか」
「その話か」
西郷はちょっと当惑した顔になった。
「真偽はおいも知らんな。あまり評判になったんで、川路大警視があとで棺桶を掘り出して、別条はなか、と保証したっちゅう事《こつ》じゃが、その川路もまもなく死んでしもうたからのう。……」
しかし西郷は、黒田に首を斬られかけた話をしたとき、
「あの仁《じん》、前科があるからの」といったのである。この事件のことをさしていったのは明らかだ。
「あれは、旗本の息女でな。たしか明治二年ごろ、まだ十四、五だったものを、たまたま見かけた了介どんが、その稀代の美しさに惚れこんで無理にもらい受けた人じゃったが、とにかく二十のなかばにもなるやならずで早死されたのはむごか事《こつ》じゃった」
「いまの奥方は?」
「これは深川の芸者さんじゃて」
と、いって、西郷はあわてて、
「いやなに、深川木場の材木商の娘さんじゃっちゅう事《こつ》になっちょる。何しろ当時黒田どんは、参議、中将、開拓長官、その玉の輿《こし》に乗せるのじゃからね」
「ははあ」
と、いったが、権兵衛は、それとつながるべつのことで、これも前々からのもう一つの不思議について尋ねた。
「それにしても、政府のえらか人、みなさんそろって大美人ばかり奥さんにしとられもすなあ。……」
「そりゃみんな西国の田舎侍で、江戸に進駐して、江戸の女を見て魂が飛ぶ思いがしたんじゃろ。しかも占領軍として、よりどり見どりじゃからの。ま、征服者の掠奪、っちゅうやつじゃな。中にゃ、田舎にちゃんとした女房がおるのに、たちまち無情に放り出してしまったやつも少なくなか。ただの、大名や大旗本の息女を強奪したやつのなかった事《こつ》はせめてもの事《こつ》じゃが、こりゃおそらく、さすがにお歯に合わん事《こつ》を知っちょったせいじゃろ、あははは」
そういう西郷自身の夫人は、薩摩藩士の娘であった。もっともそれは、維新前、鹿児島城下切っての美人で、しかも西郷家よりはるかに上格の家柄であったものを三拝九拝して妻にもらい受けたのだから、右のような例とは同日にゆかない。――ただし、いま花街で女にだらしないことは、彼は伊藤博文とは双璧であった。
そして、ふっと真顔になってつぶやいた。
「了介どん、いまの奥さんにまた二の舞いをやりゃせんかと、それが心配じゃて」
問うに落ちず、語るに落ちたとはこのことだ。
さて、三田四国町にあるその黒田清隆の邸を権兵衛が訪れたのは、十月上旬のある午後であった。
二
むろん、例によって、大山夫人の馬車に乗せられてである。
珍しく、相手方から呼ばれてのことで、黒田清隆夫妻ともどもダンスの教習を受けたいからというのであった。
ところが、いってみると清隆は不在であった。
「まあ、申しわけございません。お昼前になって井上さまからお使いが参りまして、ちょっとお話があるからといって、麻布のほうへ出かけたんでございます」
と、瀧子夫人はわびた。
捨松《すてまつ》は黒田をおじさまと呼んでいた。明治四年、五人の少女がアメリカに留学したのは黒田の周旋で、銓衡《せんこう》したのも、あとの留学費を開拓使の予算から出したのも黒田である。渡米したとき捨松は数え歳でも十二歳で、その後成長して帰国してからも、その縁で季節ごとの挨拶に訪れ、いつしかそんな呼び方をするようになったらしい。
しかし、この夫人と黒田は、おじさまどころか、娘と父親のように見える。黒田が数え歳四十七歳なのに対し、瀧子は二十四歳と聞くからそれも無理はない。
彼女はもと深川の芸者だという。それを、妻の「怪死」後、紅燈の巷に沈淪《ちんりん》していた黒田が、眼がさめたように惚れて強引に妻とした。それが明治十三年というから、彼女はそのとき十八歳だったということになる。
それ以来、首相候補に擬せられた黒田清隆の妻として、いまは芸者のあともとどめない。――当時、イギリス公使のヒュー・フレイザーの妻メリーは、鹿鳴館の彼女を、「美しいダイヤをつけ、白いサテンを着て、黒髪に純白の羽根をさしてあらわれる。彼女は英語をすこし話し、ヨーロッパのことには万事理解がある。しかし私の想像するところでは、彼女は心の中で私たちを、身体ばかり大きくて、ぶきっちょで、大声を出す無作法な人間だと考えているようだ」と書いている。
それは、これほどハイカラに装《よそお》っても、争えぬ純日本的な繊細なしとやかさが、外国女性にそんなあらぬひがみを起させたゆえの表現らしい。
権兵衛には、彼女の深川出身という素性はわかっていても、なぜか名作の雛――それも京人形のように思われた。
|すず《ヽヽ》を張ったような眼、細くとおった鼻、赤い小さな唇、白蝋のような肌、みるからにきゃしゃな身体。――可憐というより、むしろいたいたしいほどの美人だ。特にこれがあの鍾馗《しようき》のような黒田清隆の妻だとは、この世に物理的にもあり得べからざることのように感じられた。
で、この春、最初に訪れたときも、帰りの馬車の中で、ふと権兵衛は、
「玉の輿に乗られたと、世じゃいうかも知れもさんが、おいは、鉄の輿に乗られたよな気がせんでもごわせんな」
と、感慨をもらしたことがある。
それに対して、捨松は小首をかしげながら、こんなことをいった。
「でも、あの奥さま、あれで大変情熱的な人だと思いますわ」
「えっ、あの奥さんが、……おいにゃ、ただ人形のようにおとなしか方に見えもすが……なぜでごわす?」
「なぜって、……ただ、なんとなく」
捨松はそう答えただけであった。
さて、その日、三人は、しばらく雑談した。瀧子夫人は、近くイギリス公使のパーティに招かれていることや、前に捨松から紹介された西洋仕立屋が先日やって来た話などした。あのアントワーヌ・バランはもう一人立ちになって、あちこち名流をまわっているらしい。――夜会服について、捨松にいろいろ相談する夫人の声は、小鳥のように愛らしかった。
一時間ほどして、清隆がまだ帰って来ないので、瀧子夫人だけがレッスンすることになり、権兵衛がお役目のパートナーになった。
これはなんどやらされても羞恥を禁じ得ないのだが、だからこわごわと瀧子夫人の背に武骨な手をまわしたとき、ふいに夫人が小さな悲鳴をあげた。
「お、どげんなされた?」
権兵衛は驚いて、反射的に夫人の襟足をのぞきこんだ。
「いえ、何でもありませんの」
夫人は首をふった。
「ただ、その手をちょっと下のほうへ……」
しかし権兵衛は、数十秒、妙な表情で棒立ちになっていた。
瀧子夫人は着物を着ていた。その襟足をはからずも真上からのぞいたのだが、――むろん、それ以上深くのぞくつもりはない。ただ驚いたはずみに、どういう眼の角度になったのか、一瞬彼は瀧子夫人の背中のあたりまで見たように思い、しかも同時に、そこに這うみみず脹《ば》れのようなすじを見たように思ったのであった。
そのとき、遠く玄関のほうに蹄《ひづめ》の音が聞え、
「お帰りーっ」
という声が流れて来た。
「あ、主人が帰って来ましたわ」
と、瀧子夫人がいった。が、動きもせず、何か気がかりなようすで、そちらに耳をすませている表情であった。
どす、どす、と跫音《あしおと》が近づいて来た。
「いけない、お酒をいただいて来たようですわ」
と、夫人がつぶやいた。
ドアがひらいて、黒田清隆が現われた。
果せるかな、朱を塗った張飛のような相貌だ。手にしているのは一本の鞭であった。馬で出かけていたらしい。
三
噂には聞いていたが、酔った黒田清隆を見るのは、権兵衛ははじめてだ。
それなのに、一瞬に、これはいかん、と直感した。
大きな眼が赤い炎のようなかがやきを発して、それは狂人どころか、魔人の眼そのものであった。
「こら、主人の留守に、よその男と舞踏をやっちょったな」
と、彼はわめいて、ずかずかとはいって来た。
権兵衛と夫人は、部屋のまんなかに、向い合って立ったままだったのである。夫人は、夫への不安と客への惑乱のため、とっさに口もきけない表情であった。
権兵衛は挨拶するのも忘れていった。
「閣下、きょうは舞踏練習のため、閣下のお招きで来たのでごわすぞ」
「山本、きさま何をしちょるか」
黒田はあらい息を吐いた。
「昔、きさま、榎本海軍卿が芸者を軍艦に乗せたっちゅうて、榎本排撃の陣頭に立ったそうじゃが、きさまは何じゃ、女相手の踊りのお相手をつとめるとは、支那の宦官《かんがん》同様じゃなかか」
この前来たとき、権兵衛の役目を聞いて、「そりゃ御苦労さんじゃのう。軍人として面白くなかろうが、ま、辛抱してやっちょくれ」と激励したばかりか、きょう本人も、夫人といっしょに練習するからといって、わざわざ呼びつけた人間がそんなことをいう。
呆れはてると同時に、実はいちばん痛いところをつかれたせいもあって、権兵衛は逆上した。もともと血の気の多い男なのである。
「何をぬかしくさるか、このヨッパライの大馬鹿もん!」
大怒号して、黒田の胸ぐらをひっつかみ、片手のゲンコツをふりあげたとき、
「待って下さい!」
裂帛《れつぱく》の声をあげて捨松が駈け寄って来た。
「酔った人、相手に何ですか、山本少佐、やめなさい!」
はっとわれに帰って、権兵衛が相手をはなすと、捨松はその間に――山本もいい体格だが、黒田清隆はさらに巨体だ――割ってはいった。
「おじさま、いくら何でもお言葉が過ぎますわよ、そんな大きな身体して、酒に飲まれて、恥ずかしいとは思いませんか!」
「おいを叱るつもりか、捨松」
清隆はぶきみな眼でにらみつけた。
「おはんも何じゃ、アメリカに十年以上も留学して、開拓使から大変な留学費を出さして、帰ってきたらダンスの先生か。こりゃまったくの国損、おいのめがねちがいじゃったわい」
「いいえ、私じゃなく、イワーオもふだんから、おじさまのお酒、心配しています」
「イワーオがそういったか。イワーオにいっとけ、この黒田清隆を説教する資格のある者は、今は亡き大西郷と大久保どんのほかにはなか――とな。大山ごときがなんじゃ、あげなふくれあがったアバタ面のガマ坊主が」
さしもの捨松も二の句がつげない。
「大山ばかりじゃなか、伊藤、井上、山県、大隈なんぞ、有象無象《うぞうむぞう》、ただ人の尻の毛をぬく事《こつ》ばかり考えちょる小才子か、あっちへベタリ、こっちへフラフラ、イソギンチャクか骨なしクラゲみたよなやつばっかりじゃ。なかでも奸物《かんぶつ》井上|馨《かおる》、あん外道《げどう》め、いずれそのうちこの清隆が、お国のためにぶった斬って、獄門首にしてくるるわ!」
彼は、びゅっと空中に鞭をふった。
「ええ、どいつもこいつも、この清隆を|こけ《ヽヽ》にしおる!」
あとで考えると、井上邸に招かれてどんな話があったのか、何かきわめて彼の気を悪くさせることがあったらしい。
よく落馬もせずに帰って来たものと思う。立っているのがやっとというありさまながら、
「こら、どけ」
と、山本と捨松にあごをしゃくった眼は、あきらかに殺気にさえ燃えていた。
「何をなさる」
「姦婦をこらしめるんじゃ」
「姦婦?」
「そこにおる女房よ、こいつがうちの馬丁《ばてい》と姦通しちょる事《こつ》は、知る人ぞ知るじゃ。おいがみなから馬鹿にされちょる原因は、実にそこにあるんじゃ。天下を正す前に、家庭を正す、その見本をいま見せてやる、どけ!」
また鞭をふりかざした。
八ツ当り、といおうか、当るをさいわい、といおうか。これはとうてい放《ほ》ってはおけない、手籠《てご》めにしてもしばらくおとなしくなってもらわんけりゃならん、と、権兵衛が|ほぞ《ヽヽ》をかためてまた近づこうとしたとき、部屋の入口に一人の男が現われた。
四
背はむしろ常人より低いが、まるで金剛力士だ。
下半身は股引をはいていたが、上半身裸であったから特にそう見えたのかも知れない。みごとに盛りあがった筋肉を持った、三十くらいの男であった。
「あれじゃ、その馬丁は」
と、清隆は指さした。
「女房と姦通しちょるのは、あの男じゃ!」
あっけにとられたのは、その男が、
「左様でござります。左様でござります。悪いのは私でござります」
と、さけび出して、駈けこんで来たことだ。
「悪いのは奥さまではござりません。この源八でござります。ぶつなら私をぶって下され!」
そういって、彼は清隆の前に立った。
「きさま……馬丁の分際をもって、主人の妻を……参議伯爵黒田清隆の妻と……こいつめが……こいつめが……」
鞭がうなって、その肩にぴしいっと肉の音が鳴った。
まさに、鬼神だ。もうわけのわからない怒号《どごう》をあげて、頭といわず肩といわず乱打する主人に、わずかに片腕をあげてはいるが、ことさら避《よ》けもせず、その馬丁は打たれるままにまかせている。
それが数分つづいて、倒れたのは清隆のほうであった。
ふり下ろした鞭が手から離れると同時に、彼は前へよろめいた。四つン這いになり、肩で大息をついていたが、芋虫みたいにゴロリと横になった。それからあおむけにひっくりかえると、大の字になって雷《らい》のようないびきをあげ出した。……
この間、権兵衛は茫然として立ちつくしたきりだ。捨松のごときは、途中で顔をおおい、次に肘かけ椅子を片手でつかんでズルズルと崩折《くずお》れてしまった。
「……終りました」
ひくい声で、瀧子夫人がいった。
「源八、御寝所にお運びして」
「は」
馬丁はうなずいて、主人の身体を抱きあげた。
筋肉はふしくれ立っているものの、自分よりはるかに大兵《だいひよう》の清隆を軽々と両腕にささげて、ノソノソと部屋を出ていった。――驚くべきことはそれだけでなく、面上裸身、鞭の痕《あと》はもとより血さえながれて、惨澹としかいいようのない姿なのに、その馬丁が、沈痛というより終始無表情なことであった。
「大変なところをお見せして……」
瀧子夫人がいった。
「でも、ああさせないと、悪酔いがいつまでもつづくものですから……あれで何とか早くおさまってくれるものですから……」
彼女は頭を下げた。
「ほんとうに、いいたい放題のにくまれ口をきいて、なんとおわびしていいか。……」
「あの男は」
と、権兵衛は嗄《か》れた声を出した。瀧子は答えた。
「うちの馬丁で、山代《やましろ》源八と申します」
「馬丁じゃっちゅう事《こつ》はわかっておりもすが」
権兵衛は言葉をのんだ。
――さっきからの悪夢のような光景を見つつ、彼が立ちすくんでいたのは、清隆の言語に絶する暴行もさることながら、その前に清隆が口走った暴言であった。
「ああ、主人の申したことでございますか」
瀧子夫人は、はじめてほのかに笑った。
「でたらめですわ」
「でたらめでごわすか」
「私があの馬丁と何とかと……もしそんなことがほんとうだったら、私が無事に黒田の妻として暮していられるわけがありません。それどころか、あの源八など、もう殺されていますわ。……」
「ああ」
権兵衛は肩を落した。
「そ、そうでごわしょうなあ」
「酔っぱらうと、根も葉もないことに根や葉をつけて、悪態のつき放題をやるのです。乱暴の仕放題をやるのです。その嵐が吹き過ぎないと、おさまりがつきません。あの馬丁もそれを承知しているものですから、あんなにがまんしてくれているのですわ。……」
「そ、そうでごわしたか」
「でも、私や馬丁にはともかく、まあ、あなた方にもあんなことをいって……みんな酒のいわせたことと、どうかかんにんしてやって下さいまし。……」
五
「驚きもしたな。……聞きしにまさる、とはこの事《こつ》で」
権兵衛は長嘆した。
帰りの馬車の中でだ。ダンスのレッスンなど、どこかへ吹き飛んでしまった。
「私、あんなおじさまを見たのははじめて」
捨松はまだ小刻みに身体をふるわせていた。
「ふだんは、あんなにおやさしい方なのに。……」
だから彼女も、おじさま、などと呼ぶようになったのだろう。権兵衛の知るところでも、平生の清隆は、幼児も|ひざ《ヽヽ》に這いあがるのではないか、と思われる。
「お酒の悪い噂、あれはオーバーだと考えていたんですけれど。……」
捨松はつぶやいた。
「先日、アメリカの友達が送ってくれた本の中に、スティーヴンスンという人の書いた『ジキル博士とハイド氏』という小説がありました。ことし出た本だそうですが……ジキル博士という穏やかな紳士が薬をのんで悪魔のような凶暴なハイドという男に変身する物語なのです。でも、それは、怖ろしいけれどフィクションだと思っていました。それが現実に……しかも、これほど親しい方が、その物語そっくり、だなんて……」
「いや、宦官とやられたのには腹が立ちもした」
と、権兵衛はにがり切った。
「このお役、もう返上いたしたか」
「私は国益にならない国損の女で、主人はふくれあがったアバタ面のガマ坊主といわれましたわ。……」
捨松は溜息をついた。そして、はじめて笑った。
権兵衛は、ふと中井桜洲のことを思い出した。中井の酒乱は、これも現実には見たことはないが、その物凄さは西郷従道から聞いたことがある。事実、「あの両人が酒を飲んで喧嘩したらアフリカの猛獣同士のよで面白かろが、しかし双方、同じ薩摩出身でありながら、ふしぎにそげな話を聞いた事《こつ》はなかな。どっちもおたがいに危険性を嗅ぎあてて、これまでうまくかわしていたのかも知れん」と、そのとき西郷は笑い、また、「桜洲の酒乱は陽性で、黒田どんは少々陰惨じゃな」とも評したが。――
陰惨も陰惨、まるでこの世の地獄だ。
「でも、私たちは悪口だけで、しかも、いっときのこと、ですけれど……奥さまは、大変ね、お若いのに、よくあれでがまんしていらっしゃること」
と、捨松はまた溜息をついた。
まことに同感せざるを得ない。――その上、権兵衛はふっと、先刻見た瀧子夫人の背中の悪夢を思い出した。
あれは何だ。夫人もまた鞭で打たれることがあるというのだろうか?
さらに、清隆が口走った、姦通云々、の言葉も、うす気味わるく頭によみがえった。夫人は一笑に付し、またそれが事実であったら、ほんとうにあの程度ですむ話ではないから、悪酔いの狂語にきまっているが。――
いずれも、口にするのも怖ろしく、また馬鹿馬鹿しく、そのくせへんに頭にからみつくものがあって、
「それにしても、あの馬丁も妙な男でごわすな」
と、権兵衛は一応別のことをいった。
「あの男、はじめから黒田どんに殴られるのを覚悟で、裸ではいって来たようでごわすが――たとえ酔っぱらいに逆らわぬつもりでおるとしても、あれほど殴られてもがまんしちょるとは、ただごとではなか」
捨松は答えなかった。彼女としても、判断力の圏外にあることにちがいない。
しばらく、黙って馬車のゆれに身をまかせていて、やがて彼女はいった。
「みんな酒のさせたことですわ。……でも、瀧子サンも辛抱していらっしゃいます。私もせいぜい国損にならないように勤めましょう。……山本サン、腹立つでしょうが、あなたももうしばらく、辛抱して下さいね」
逆に権兵衛は激励された。
六
馬で公用を足しはじめてから、山本権兵衛は築地の小さな自宅のそばに馬小屋を作って、赤坂の海軍省へも馬でかようことにした。
で、あくる日の朝、妻の登喜《とき》に見送られて、馬で路地を出ると、まだ人通りの少ない往来の向う側にとまっていた俥《くるま》の幌《ほろ》がひらいて、一人の男が下りて近づいて来た。
ちらっとそっちに眼をやって、権兵衛は驚いた。
山高帽に羽織|袴《はかま》を着た黒田清隆は、神妙な――神妙どころではない、餓鬼大将がべそをかいたような顔で、
「昨日は、まことにハヤ」
と、いって、帽子をとってひくくひくくお辞儀をした。
「酩酊《めいてい》して、何か失礼な事《こつ》を申したそうで……慙愧《ざんき》汗顔……この世から消えてしまいたか如《ごつ》ある」
薩摩第一の大先輩にそんなことをされて、さすがの権兵衛が口もきけず、あわてて馬から飛び下りようとした。
「ああいや、そのまま、そのまま」
清隆は手をあげて制し、
「どうか、許してくれい、権兵衛どん」
と、また頭を下げた。
「閣下……こげな事《こつ》のために、わざわざ、ここへ来られたのでごわすか」
「いやいや、千里の道をかよっても追いつかん事《こつ》じゃが」
清隆は張飛のような顔に、あり得るとは思えない哀れな眼をあげて、
「おはんにはあやまりに来たが……実は大山夫人のところにも参上せにゃならんのじゃが……足もすくみ、口もしびれる思いがする。どう身をもんでも、恥ずかしゅうて、あん人のおうちにゃゆけん。どうじゃ、おはんからあやまっておいてくれんじゃろか」
と、いった。
「まげて、きいてくれ、権兵衛どん」
「それは、お安か御用でごわすが……」
「お安か御用など、軽くいってもらっちゃ困る。……実に、一死に値する大罪で……どうか、清隆の謝罪を、熱誠こめて伝えてくれ」
「は」
「どうか、どうか頼みいる。いや、足をとめて申しわけなか。さ、いってくれ」
権兵衛が茫然として馬を歩ませて、町角をまわるときふりむくと、黒田清隆は朝寒の中に、まだ俥のそばに立って、深くお辞儀した。
――あん人は、よか人なんじゃ。
と、改めて権兵衛は考えた。
――それから、あれで弱気《よわき》な人なんじゃ。
いま、陳謝されて、見直したわけではないが。――
平生のしらふのときの清隆は、話のよくわかる穏やかな初老の紳士で、権兵衛など最初に逢ったとき、その腰のひくさにうす気味悪ささえ感じたほどだが、あれはポーズではなく彼の真実の姿であったのだ。
清隆は、出入りの職人をつれて市井《しせい》のそばやにはいり、彼らに天ぷらそばなど食べさせながら、自分はモリをとって話しこんだりすることがよくあるという。
それが、酒がはいると変身する。
維新時の北越戦争、箱館戦争の指揮をとり、西南の役《えき》には熊本城攻囲の敵を総退却におちいらせた衝背作戦の将となったかがやかしい軍歴を持ち、維新後は、みずから渡米して、ケプロン、クラークなどアメリカでも一流の偉材をひっぱって来て、北海道開拓のいしずえを築くという大功をたて、現存する薩摩人中第一の人物と目されながら、根まわしに巧みで万事ぬけめのない伊藤井上などにまんまと先を越されて、いまのところていよく中枢から押し出されたかたちなのは、一にも二にも酒のせいだといわれる。
それは当人も気にしていて、宴会でも徳利の三本目くらいになると、「これから了介充分頂戴いたしたいと存ずるので、みなさん、あとはどうぞお構いなく」など神妙に挨拶するのだが、あっというまに限界を越え、すでに逃げ出して不在の人間を罵倒しはじめ、まだ残っている人間には執拗にからみ、その言辞は痛絶をきわめる。それどころか、十度に一度くらいはピストルをひねくったり、刀を持ち出したりするという。
しかし。――
おかしいことをいうようだが、それは清隆のある種の人の好さと弱気のせいではなかろうか、と権兵衛は考えた。
その豪酒も、小人どもにしてやられて漁夫の利を奪われる彼のかんしゃくの爆発ではあるまいか。彼はどうやら、自分の大ざっぱさと気弱さを自覚して、そのことに大変なコンプレックスを感じていて、それがあの酒狂に変形するのではあるまいか。西郷従道が「了介どんは気の毒な人」といったのは、そのあたりのことをさしたのではあるまいか。……
あの、人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬るといった支離滅裂な悪態も、だれもが心中に持っている対人的な不満や猜疑や軽蔑や妄想の小さな萌芽が、酒で抑制を失って、しかも清隆の場合、外面豪快、実は意外に内気《シヤイ》な矛盾《むじゆん》体であるだけに、かえって化物みたいに異常化し、巨大化して発現して来るのだろう。
「かんべんしてやりもそ、黒田どん」
権兵衛は一応了解して、つぶやいたが、
「じゃがな」
と、ひとりごとをいった。
やっぱり、現実にあの酒はたえがたい。思い出しても不愉快のきわみだ。わざわざここまで来ての謝罪は恐縮の至りだが、二度とあの酒乱ぶりに接したいとは思わない。
その他、黒田家にまだ納得出来ないことはいろいろあるが。――
「ま、君子危きに近寄らず、じゃて」
と、一笑して、秋の朝風に髯をそよがせて、権兵衛は馬にゆられていった。
そのつもりであったのだが。――
七
数日後、権兵衛は、西郷海相から一つの用件を命じられた。
勝海舟から、幕末の兵庫の砲台の記録が欲しいのだが、その砲台を作った嘉納《かのう》次郎作という男が、維新後海軍の艦材担当の書記官として勤務していることがわかった。ひょっとしたらその資料を嘉納が持っているかも知れないから調べてくれという依頼があったというのだ。で、調べたところ、嘉納は数年前老齢のため退官していたが、住所は麹町富士見町一番地なので、そこへいって問い合わせてくれまいかという命令であった。
秋晴れの空の下を、権兵衛は馬で出かけた。
富士見町一番地は九段上だ。いってみて、しばらくわからなかった。酒屋に尋ねて、やっと、「嘉納さまといえば、あの柔術の先生のところじゃございませんか」という返事をもらった。そこへいってみると、なるほど大きな門柱に、「日本伝講道館柔道」と書いた看板がかけられ、そばに小さな「嘉納治五郎」という標札が打ってあった。あまり大邸宅なので、かえってわからなかったのだ。
「柔道?」
そういえば、その名は海軍士官のだれからか聞いたことがある。東京大学を卒業したばかりの若者が、日本古来のさまざまな柔術を総合して新しい体術の道場をひらいたということを聞いたことがある。
それにしても、それがこれほど宏大な道場だとは?
それに、自分の訪ねたのは嘉納次郎作で、治五郎ではないが。――
門をはいると玄関までの長さも、まるで大身の旗本屋敷だ。
門内の松に馬をつなぎ、玄関で訪《おとな》うと、書生らしい若者が出て来て、
「ああ、次郎作さまは、治五郎先生のお父さまで、昨年九月に亡くなられました」
と、いい、また、
「治五郎先生はきょうは三島総監に招かれて、警視庁へ出かけられ、お留守であります」
と、いった。
それではしかたがない。訪問の目的を述べ、さてまわりを見まわして、
「えらくりっぱなお邸でごわすな」
と、改めて感心すると、これは品川弥二郎子爵の邸で、治五郎先生とお知り合いの子爵がこの三月、ドイツへ公使として赴任されたあと、当分拝借することになったのだ、という答えであった。疑問は氷解した。
「で、道場もこの中に?」
と、訊くと、道場は裏手の庭に、新しく作ったという。――弟子はなぜか、ソワソワしているように見えた。
「資料があるとすれば、御当代に伝えられちょるかも知れもさんな。それじゃ改めて出直して来もそ。こげな用で海軍省から来たとだけ伝えて下され」
といって、権兵衛は玄関を出た。
門へ向って歩いてゆくと――ふいに、どこかで、ばりっと板の裂けるような音がした。
何の音かわからないが、たしか邸の裏手のあたりからひびいて来たようだ。
ふと、道場が裏の庭にあると聞いたことを思い出し、いまの音はそこから聞えて来たのではないかと考えた。
彼はそのほうへいって見る気になった。いまの音ばかりではなく、柔術ではない柔道なるものに好奇心を起したのである。
やがて、それを探しあてた。
雑木林さえある庭の一個所にある、木の香の匂う建物はたしかに道場にちがいなかったが。――
何か雰囲気がおかしい。決して無人ではない――どころか、そこから人間の熱気があふれて来る感じなのに、いやにしいんと静まりかえっている。
突然、吼《ほ》えるような声が聞えた。
「まだ腰が立たんか。そこにならんどるがん首どもは、それでもみんな男か!」
権兵衛は入口からのぞいた。
八
海軍将校の姿でのぞいたのに、そこに居並んだ男たちはふりむきもしなかった。少なくとも、ちらっと眼を走らせただけで、石みたいにおたがいに向いあっていた。
――あとで知ったところによると、この道場に出入りする海軍将校はいままでちょくちょくあって、ことさら珍しい姿ではなかったのだ。とはいえ、この場合、こちらに注意をむける余裕もなかったというのが事実だろう。
一方の側には、白い稽古着を着た十余人の男たちが坐っていて、これがおそらくこの道場の弟子と思われたが、もう一方には、黒い襦袢《じゆばん》に黒い袴をつけた五人が、これはみんな立っていて、その中から一人だけ前に出ていた男が、またわめいた。
「嘉納らは警視庁へいったと? まあ、それは嘘ではないとしよう。大学で学んだ巧弁をもって、柔道を売りこみにいったんじゃろ。しかし――武術は、弁口だけでは通らんぞ。武術の世界は、力じゃ。実力じゃ!」
黒衣の連中は、いずれも長い総髪であった。その総髪をふり、狼に似たその男はいった。
「勝つか、負けるか、じゃ。殺すか、死ぬかじゃ。……特に警視庁が採用する武術はそうでなければならん。ならば、この那覇弓弦《なはきゆうげん》を破ってからにせい。講道館は日本古来の柔術諸派を制覇したとかいうが、まだここに琉球拳法が残っておる。琉球の唐手は、日本の柔術とはわけがちがうぞ!」
足ぶみをした。
「それを見せてやるというのじゃ。相手に立て、講道館柔道の名にかけて、どいつか出て来い!」
「だからいっておるではないか、嘉納先生と高弟の諸君は警視庁へいってお留守だと」
と、反対側のむれの中で、いちばん年長と見える三十半ばの男が答えた。
「そして、先生のお許しなく他流の武芸と試合することは、かたく禁制になっておるのだ。いわんや、貴公らは、柔術ですらない、唐手など、異種の武芸ではないか」
「異種といっても、武器を持たぬ格闘技ということでは同じことだ」
と、那覇弓弦はいった。
「ただ四肢をもって戦う。それに勝ってこそ真の格闘技といえるのではないか」
権兵衛は、黒衣の連中のうしろの羽目板が、人間の背丈くらいの高さでパックリと穴をあけているのに気づき、さっきの音はその板が割れる音だったのだな、と推定した。
しかし、なぜ羽目板が割れたのか、見当もつかなかったが、それは黒衣の挑戦者たちの一人が、躍りあがって足で蹴破ってみせた示威運動の結果なのであった。
「どうしてもやらんか」
「やらん」
那覇弓弦は、いちど味方をふりかえり、きゅっと口をまげて笑った。
「それではしかたがない。この邸の門にかけてあった看板をもらって帰る」
「なに?」
「では、やるか」
講道館組が、動揺して顔見合わせたとき、一人の男がぬうと立ちあがった。背はやや低目だが、がっしりした体格で――鈍重で、何か土を彫ったようなその顔を見て、権兵衛は、あっと眼をむいた。
あれはたしか、黒田家の馬丁ではないか。
それが、柔道の稽古着をつけて、こんなところに坐っていたとは?
「戸張《とばり》さん、私にやらせて下さい」
と、彼はいった。
「お前が? お前は通《かよ》いの弟子ではないか。いよいよもって他流との試合はならん」
「しかし、放っておけば看板を持ってゆかれます」
「お前……勝てるつもりか」
黒田家の馬丁は、那覇弓弦のほうに向き直った。
「負けなかったら、看板はやめてくれますね」
「負けなかったら?」
「私が負けたといわないか、または気絶しなかったら、という意味です」
那覇弓弦は、じいっと見つめていたが、やがて、にやっと笑った。
「わかった。では、来い!」
そして、ズカズカと道場のまんなかへ出ていった。
黒田家の馬丁も出て来た。
二人は向い合った。――弓弦は左こぶしを腹の上におき、右こぶしを腰骨の上にかまえている。これに対して、馬丁は両腕をダラリと垂れたままだ。
「いやーっ」
鼓膜をつん裂くような気合とともに、那覇弓弦は走りかかった。
電光のごとくその左こぶしが突き出された。こぶしではない、それは親指をまげ、四本の指をそろえた貫手《ぬきて》という唐手のかまえであったが――それをもろに眉間《みけん》に受けて、馬丁は三メートルもうしろへのけぞっていった。
が、彼は倒れない。からくも踏みとどまって、立ち直った腹へ、躍りかかった弓弦の右足が蹴りあげられた。羽目板も破るほどの唐手の「蹴上げ」であった。
名状しがたい音がした。馬丁はこんどは身体を海老《えび》みたいにまろくした。
彼はつんのめった。おそらくそこで四つン這いになって悶絶するものと見たのだろう、わざと体をひらいた弓弦のそばを、馬丁は泳いでいって、しかし、くるっとまわって、また立ち直った。
さて、これから四、五分つづいたこの戦いほど凄惨で、異常なものはなかった。
戦いといっても、まったく一方的なのである。那覇弓弦は、打ち、突き、蹴った。馬丁は打たれ、突かれ、蹴られた。顔や、胸や、眼に見えるところでも、紫の痣《あざ》がふくれあがり、血潮さえにじんだ。それでも彼は倒れない。参ったともいわない。
観戦者たちの間に、次第に驚きのどよめきがあがっていった。むろん、権兵衛もあっけにとられている。しかし権兵衛は、先日見た、ただ主人に鞭打たれるままにまかせていた馬丁の姿を思い出した。
当の那覇弓弦の顔にも、不審と狼狽の波がひろがり出した。
「こやつ、こやつ、こやつめが!」
狼みたいに歯をむき出し、鴉《からす》みたいに躍り狂って相手に打撃を与えながら、次第に彼も、相手に劣らず息をあらくし、よろめき出した。
そして――ついに足をもつれさせて尻もちをついたのは彼のほうであった。
「こいつ――砂ぶくろみたいな――変なやつだ!」
肩で息をしながら、弓弦はいった。
凄惨無比の顔に、こんどは馬丁のほうが、にやっと白い歯を見せて、
「これで看板の件はお許し下さるでしょうな」
と、いった。
きょうのところは、それは許してやる。一週間ほどしたらまた出直して来る。こんどはこんな妙なやつではなく、嘉納治五郎か四天王でも出せ、その旨、かたく嘉納に伝えておけ、といって、琉球拳法のむれが道場を出ていったのは、十分ばかり後であった。みんな、白日夢でも見たような顔をしていた。
九
もう稽古する気もなくなったらしく、柔道の門弟たちは、三々五々、道場から出て来る。みんな、憂鬱な顔だ。
やがて、あの馬丁をとりかこむようにして――いや、両脇からかかえるようにして、四、五人の男たちが母家《おもや》のほうにゆきかけた。
「黒田家の馬丁」
うしろから、権兵衛は呼びかけた。
「先日、黒田閣下のところで、大山夫人といっしょに逢うたが」
「あ。――」
ふりかえった馬丁は眼をまろくした。
「手当てが必要か。……手当てがすんだら、ちと訊きたか事《こつ》があるが」
と、権兵衛はいった。
「あの翌朝、黒田閣下がわびごとに来られてな。大山夫人もいたく御心痛で、それについて訊きたか事《こつ》があるんじゃ」
馬丁の顔色がすっと曇った。
権兵衛はちょっとカマをかけたのである。黒田家には、君子危きに近よらず、と一応は考えたが、どうしてもこの男に訊きたいことがあったからだ。
黒田家の馬丁が、なぜ柔道を習いに来ていたのか。凶暴な道場破りに対して、なぜあんなに無抵抗な応対をしたのか。そういえば先日も主人の清隆に対し、これまたまったく無抵抗な応対をしたが――そのくせ、彼は倒れない。あれほどの目にあって耐えぬくということは、ただごとではない。むしろ一種の体術であるとさえいえる。にもかかわらず、抵抗のそぶりさえ見せないということは、この男は、ひとから殴られ、ぶたれ、蹴られて、ただ忍従するために武芸の修行をしているとしか思えない。
「では。……」
と、馬丁は、まわりの同門者にいった。
「さきにいって下され」
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
相弟子たちは、気づかわしげに彼を眺め、いぶかしげに権兵衛を眺め、それでもゾロゾロと立ち去った。
「あそこへゆこう」
権兵衛はすぐ近くの雑木林を指さして歩き出した。椋鳥《むくどり》と雀が、ぱっと飛び立った。馬丁はよろめきながら、ついて来た。
「ま、そこへ坐るがよか」
権兵衛は、そこにあった二つ三つの大きな切株の一つに相手を坐らせ、自分は立ったまま、腕をうしろにくんで、空を見あげた。樹々は黄ばみはじめ、その間からのぞく空の蒼《あお》は目ざめるばかりであった。
「御前《ごぜん》は何と申されました?」
と、馬丁のほうから不安げにいい出した。
「おはん、何ちゅう名じゃったかな」
「山代源八と申します」
「ああ、そうじゃったな。黒田夫人はたしかそういわれたな」
しばらくして、おずおずと源八はまた尋ねた。
「御前は……奥さまと私のことについて、何か申されてはおりませなんだか?」
「ああ、姦通の事《こつ》か」
と、権兵衛はズバリといった。
「やはり、申されましたか」
源八はさけんだ。
「そりゃまったく御前の邪推でござります。酩酊《めいてい》なさると、ときにそのようなたわけたことをお口になされますが、馬丁と、主家の奥さまが、そんな大それたことをするなんて……しかも、ぬけぬけと私がお勤めしておるなど……人間としてあり得ないことでござります。……」
「それじゃ、おはん、なぜ黙ってぶたれておったんじゃ?」
「私は、殴られるために黒田家に御奉公したものでござります」
「なんじゃと?」
十
「こんなことはどなたにもいうまいと存じておりましたが、大山閣下の奥さままでお気になさっているとあれば、申しあげずにはいられません」
と、山代源八はつづけた。
「御承知かどうか存じませんが、黒田さまの奥さまは、もと深川の芸者でいらっしゃいました。それを御前が見そめられて、是非妻にとお申し込みになりました。ところが御前さまには、怖ろしい噂がございました。御酒癖《ごしゆへき》が悪くて、その二年ほど前、前の奥さまを斬り殺しておしまいになったという話でございます。そのころの御酒《ごしゆ》のごようすから見ても、それはあらぬ噂ではないように思われたとかで……見こまれたお瀧ちゃんは」
ふっと言葉がとまり、あわてていい直した。
「いえ、芸者でいらした瀧子さまは、怖気《おじけ》をふるっておことわりなさいました。あたりまえのことでございます。それを聞かれたのが榎本の御前で……榎本さまは、その昔箱館の戦争でお仕置《しおき》をお受けになるところを、官軍の参謀とかをやっておられた黒田の御前が、頭を剃ってまで命乞いなすったために、あやうく命拾いなされました。それ以来、切っても切れぬお二人の仲なのでございます」
「………」
「榎本さまは瀧子さまにお逢いになり、黒田はお国のためにかけがえのないえらい男、それがいま、悩んで、苦しんで酒をあおり、捨ておけば自分で自分を葬ってしまう。どうか黒田を助けるために、ひいてはお国の役に立たせるために、人身御供《ひとみごくう》になったと思って黒田の女房になってやってくれと、両手をついてお頼みになったそうでございます」
「………」
「榎本さまは、あれほどおえらい方なのに、料理屋などではべらんめえでお通しになり、とくに深川、柳橋などでは江戸ッ子の大親分のようにあがめられていらっしゃるお方でございます。その方に両手をついて頼まれて、瀧子さまはとうとうおうなずきになりました」
「………」
「一方で、そうはいうものの榎本さまも、黒田さまの御酒癖には御心配だったのでございましょう。私を呼んで、右のようなお話をなすって、お前どうか黒田家の馬丁になってくれ、そして黒田の酒癖からお瀧を護ってやってくれとおっしゃいました。私はそのころ、榎本家の馬丁だった者でございます。私の家は、代々旗本榎本家に若党として仕え、死んだおやじは箱館までお供して、榎本の御前と生死《いきしに》を共にした人間でございました」
「………」
「それはいまから、左様《さよう》、六、七年前のことで、その年、瀧子さまは木場の材木屋の娘さんという名目で黒田家へお輿入れになったのでございます。私は、そういう役目でついて参ったのでございます」
「………」
「黒田家にはいって見ますと、思いのほかのことが二つございました。一つは、御前が噂にも似ず、お気の毒なほどおやさしい方だったということで、もう一つは、これは思いのほかではなく案の定《じよう》といったほうがいいかも知れませんが、やはりお酒が過ぎたときの怖ろしさでございました。これも黒田家にはいって知ったことですが、前の奥さまを斬り殺されたのはほんとうの話だってことです。その上運悪くちょうど例の北海道官有物払い下げ事件とかで、御前もいろいろとお悩みになった時期にあたり、その荒れようは人間とは思われないほどでございました」
ふと、権兵衛は、この間見た――瀧子夫人の背中の幻影を思い出して、おそるおそる訊いた。
「で、夫人をぶたるる事《こつ》もあるのか」
「ございます。……けんめいに、私がふせいでおりますけれど、なにぶん、あちらは奥向きのことであり、御夫婦でもあり、こちらは馬丁の身分でございますから、どうしても及ばぬこと、間にあわぬこともあり……とにかく、力の及ぶかぎり、私が駈けつけてぶたれました。私のぶたれることが奥さまをお助けすることになったからでございます」
「………」
「ここに来ておるのも、実はおもに受身の修行――投げつけられる修行をするためでございます」
ただ投げつけられるだけではなく、殴られ、蹴られ、鞭打たれても、不死身のように耐えぬく術は、大酒獣ともいうべき黒田清隆のもとで――いま聞けば六、七年間に及ぶ――悪夢のような日々に体得したものにちがいない。とはいえ、こんな「奴隷の武術」が世にあるだろうか。
「はじめから、そういうつもりで黒田家に御奉公に来た私が、なんで奥さまとどうこうというようなまねをいたしましょうか。それはよくある酔っぱらいのいいがかりで、特に御前は、こう申しあげては何でございますが、ふつうの酔っぱらいとはケタがはずれていらっしゃいます。そのことは、さめれば御前も御承知のことで、それどころか、あとになってみれば、かけねなく頭をかきむしってノタウチまわって後悔なさるのが常例なのに……何でございますと? あの翌日、御前がまだそんなことをあなたに申されておりましたと?」
万事了解した、と、あやうく権兵衛はうなずきかけるところであった。
が、一つ、ひっかかった言葉がある。彼の虎に似た眼がひかった。
「おはん……先刻、お瀧ちゃん、といったな」
殴られない源八が、殴られたような顔をした。
「昔の話じゃで、うっかり出たのじゃろが、芸者時代の黒田夫人を知っちょるのか」
「ちがいます、ちがいます!」
源八は手をふって、さけび出した。
「もう芸者になったときのお瀧ちゃんは、あっしなどの手のとどかねえひとでござんした」
言葉づかいまでも変った。しかも、そのことに彼は気がつかないらしい。
「あっしは芸者になる前のお瀧ちゃんを知ってたんでさあ。深川万年町……同じ町内の生まれでござんすからね」
「そのころ、惚れちょったんじゃなかか」
「あの娘《こ》は十五で芸者屋にゆきました。こっちが惚れるわけがねえ」
「――いまは?」
源八は、はっと正気に戻ったようだ。同時に、水をあびたような顔色になった。
彼は沈んだ声でいった。
「いまは主家の奥方さまでございます」
二枚、三枚、山代源八の頭上に落葉が舞った。
なぜか権兵衛の頭には、このとき京人形のように典雅な瀧子夫人の姿より、酒気の炎を吐く黒田清隆に鞭打たれる、白蛇《はくだ》のような夫人の裸身が幻のように明滅した。
十一
二日後、講道館から書生が来て、嘉納治五郎の返事を伝えた。
お尋ねの資料はたしかに父の遺品の中にあるようだ。しかし書きものの総量がかなりのもので、お求めの部分がどこからどこまでか、よくわからない。お渡しする前に、もういちど御来訪を願い、そちらで取捨選択していただければ幸甚、というのであった。
権兵衛は別に急ぐ公用があり、西郷の了承を得た上で、ふたたび富士見町の講道館を訪れたのは、さらに三日のちの午後であった。
彼は、はじめて嘉納治五郎に逢った。
明治十五年、東京大学卒業の文学士でありながら下谷|北《きた》稲荷《いなり》町の永昌寺という寺をかりて独創的な柔道場をひらいた嘉納治五郎は、その後、二、三度の転居を経るあいだにみるみる発展し、いまこの富士見町の宏大な品川弥二郎邸に道場をかまえるに至ったが、まだ数えでも二十七歳の青年であった。
しかし、荒武者たちの指導者たる風格が自然ににじみ出ているのを権兵衛も感得したが、それとは別に、応対する治五郎は、どこか心ここにないようであった。
「書庫として使わせていただいておる部屋がありまして、その資料もそこにあります。御案内しましょう」
と、縁側を歩き、とある部屋の前で、
「ここです。お入りになって右側の棚の、中段、いちばん左にある書類がそうです。御自由にお調べ下さい」
といい、ついで、
「実はただいま道場破りが推参しておりますので、私はそっちにゆかなくちゃなりません。失礼」
と、いった。
「なに、道場破り?」
権兵衛はさけんだ。
「そりゃ、ひょっとすると……琉球の唐手一党ではごわせんか」
「ほう、御存知ですか」
「左様、五日ほど前に参上した際、ちょうどその連中が」
「ああ、そのときおいででしたか」
権兵衛はいった。
「あれは剣呑《けんのん》な武術でごわすな。どげんなさる御所存か、嘉納どん」
「されば、好まぬことですが、ふりかかる火の粉は払わなくちゃならんでしょうな」
治五郎はきっぱりといった。権兵衛はちょっと思案したのち、申し出た。
「海軍の用件はさておき、おいにもこのなりゆき、拝見させて下さらんか」
「御覧なさい」
二人は母屋を出て、庭を通って、道場のほうへ急いだ。
十二
道場にはいった。
この前と同じことであった。一方に黒衣総髪の五人の男が立ち、一方に白い稽古着の柔道家たちが坐っている。ただ、その人数はこの前よりやや多い。
「先生!」
だれか呼ぶと、この一群から声にならないどよめきが波打って起った。
まんなかを通ってゆきながら、治五郎はちらっと道場破りの連中を見た。報告を受けただけで彼らを見るのははじめてだったのである。
その男たちも、ははあ、これが嘉納か、といった眼で――凄じい挑戦の眼で見返した。一語も発しないのに、冥府の鴉のように不吉な印象を放射しているむれであった。
権兵衛は入口に佇《たたず》んだ。
「先生、お待ちしておりました」
と、門弟の一人がいった。
「試合をはじめてよろしゅうございますか」
小柄ながら、実に精悍な顔をした廿歳《はたち》ばかりの若者で、これが講道館の天才といわれる西郷四郎であった。姓は西郷だが、会津の出身だ。
――後年彼を「姿三四郎」として描くことになる作家富田常雄の父、富田常次郎もそばにいた。彼らとともに講道館の四天王といわれる山下|義韶《よしあき》も横山作次郎もいた。彼らは先日、嘉納といっしょに警視庁にいっていて不在だったのである。
「最初はお前がやるかね」
と、嘉納が訊き、
「は」
と、西郷がうなずいて歩み出そうとしたとき、
「待って下され!」
という別の声がかかった。
権兵衛は、立ちあがった山代源八を見て、眼を大きく見ひらいた。
源八はいった。
「もういちど、私にやらせて下さい」
「馬鹿っ」
吼えたのは、那覇弓弦《なはきゆうげん》だ。
「そんな砂ぶくろみたいな、ただがんばるだけの男じゃ面白くない。そんなやつとまた試合したくて、再度推参したのではない! 四天王を出せ、いいや、嘉納、おまえ自身が出い!」
「その前に、おれとやれ、殺してもいい」
と、砂袋男はいった。
「急ぐなら、五人ぜんぶかかってもいいぜ」
「なにっ」
唐手組はいっせいに毛を逆立てて、彼をにらみつけた。頭分《かしらぶん》の弓弦がそれを制して、
「西郷、早く出て来い」
と、さけんだ。
西郷四郎は、じいっと源八を見つめていたが、
「よし、やってみろ」
と、いい、嘉納治五郎のほうをふりかえって、
「山代にやらせて下さい」
と、いった。治五郎はうなずいた。
山代源八は出て来た。
那覇弓弦の顔は、怒りの炎にのびちぢみし、恐ろしい声でいった。
「ええ、面倒だ。では、嘉納と四天王と、一対一の勝負はあとでやる。先にそっちの望み通り、その砂ぶくろを四人がかりで片づけてやるぞ」
四人が躍り出た。
「殺してもいいといった。やれ!」
唐手組は殺到した。
だれの手が飛び、だれの足が飛んだかわからない。凄じい襲撃のひびきの中に、山代源八は一個の肉塊となってひしゃげたように見えた。
三十秒ほどはそう見えた。この前と同様、彼はただ打たれ、蹴られるままであった。が、この前とは異なることが起った。彼は反撃に出たのである。
打たれ、蹴られるのはそのままながら、源八は一人の腕をたぐってひき倒し、一人の足に足をかけて転がした。そして、倒れた二人の胸を踏んづけ、脇腹を蹴った。一人のあばら骨が折れる音がし、一人の口からはがぼっと血があふれ出した。
その間、三人目の男の両手首をつかんで、ねじって、つき放し、ついで背後から手刀で乱打していた男の腕をつかんで一本背負いで投げ落した。投げ落された男は首を横にまげたまま悶絶し、つき放された男は、両掌を幽霊みたいにそよがせながらたたみの上を苦悶していた。
源八だけの動きを見れば、スローモーション映画のようにゆっくりしていた。彼だけが一方的にそうしたのではない。猛撃の嵐をあびながら、しかしそれには不死身で、彼は確実に自分のしたいことをやってのけたのである。
一人残った那覇弓弦は、かっと眼をむき出して立ちすくんだ。
「来やがれ」
と、源八がさけんだ。
弓弦は阿修羅《あしゆら》の形相《ぎようそう》となって突進した。その貫手《ぬきて》は逃げもかわしもならず、源八の眉間《みけん》を突いた。逃げもかわしもせずそれを受けながら、源八は左手で相手の袖をつかみ、右手で右襟をつかみ、右半身《みぎはんみ》の姿勢となった。
弓弦は突撃の勢いをなお失わず、源八にのしかかった。刹那《せつな》、払い腰と背負い投げの技を同時に食ったようにその身体が浮き、黒い袴は高く風を切って、弓弦は空中を一回転してたたきつけられた。
西郷四郎直伝の壮絶な「山嵐」であった。
弓弦ははね起きようとした。その手を、源八の足が蹴った。手首が変な方角へ曲って、彼はがくんとつっ伏して、それきり動かなくなった。
「あははははは!」
山代源八は笑った。権兵衛は、この男が笑ったのをはじめて見た。
彼の身体が無事であるわけはない。右眼はつぶれてとじたままになり、左腕はダラリとたれている。ひたいからも頬からも血がしたたり落ちている。足も雲を踏んでいるかのごとくよろめきながら、しかも彼は笑いつづけている。
それは、ただ五人の強敵を斃《たお》したという以上の――なにか、運命の呪縛《じゆばく》が解かれたような大哄笑《だいこうしよう》であった。
それから、源八は崩折れた。
駈けつける門人たちを眺めながら、権兵衛は首をふった。
――何がこの男に起ったのか?
十三
その夜のことである。
夕刻、外出先から馬車で帰って来た黒田清隆は、きわめて上機嫌で、
「今夜は少し飲もう。いや、飲み過ぎはせんから安心せい」
と、わざわざことわった。
黒田家も、食事は洋式の食堂であった。食卓についてから、彼は妻の瀧子に話した。
「実はきょう外務省でアメリカ公使館の書記官に逢うてな。あさってのアメリカ公使館の招宴で、公使から特に、おいに、よか話があるかも知れん、っちゅう事《こつ》じゃった。さきごろから、さるアメリカ人を介しておいが運動しておった事《こつ》がいよいよ実を結んだのかも知れん。うまくゆきゃ、井上の鼻をあかしてやれるぞ」
井上外務大臣のことだ。
おそらく条約改正についてのことだろう。黒田は北海道開拓のために多くのアメリカ人を招いたので、比較的そのルートに自信を持っていた。
「それからの、公使夫人がおはんを好きなそうで、是非おはんに出席してくれっちゅう、重ねての書記官の頼みじゃった」
瀧子夫人はなぜか、それまでお給仕をしていた三人の女中を退《さが》らせた。そして、清隆のほうに向きなおり、
「それが……」
と、沈んだ声でいった。
「私は参れませんの。……」
「なに?」
すでに、二、三本あけていた清隆は眼をむいた。
「アメリカ公使館の宴会にゆかんと? おはん、ゆくつもりで、先日あの西洋仕立屋に洋服を作ってもらったのじゃなかか。……そりゃ、どういうわけじゃ?」
「今夜、お別れいたしたいと存じておりますので」
「お別れ?」
清隆は、いよいよめんくらった顔をした。
「な、なんのこっちゃ?」
「お酒のお相手も今夜かぎりでございます。さ、お酌いたしましょう」
瀧子はより添って、白い手で徳利をさし出した。争えないもので、そういう姿態になると、やはり素人ではないなまめかしい線が出る。
受ける。さす。……受ける。さす。……受ける。さす。……
それが数分間くり返された。ようやく清隆も、妻が冗談をいっているのではない、と感じたようだ。黙りこんだまま、酌をくり返している二人の間には、異様な雰囲気がかもし出された。
「……なぜじゃ?」
やっと清隆はしゃがれ声を出した。
「このあいだ、あなたは、私と源八がどうこうしたとおっしゃいましたわね」
と、夫人はいった。
「あれは酒の上での事《こつ》じゃ」
「でも、あのとき、いちどだけではございません、前から、何度もです」
「それも……酒のせいじゃ」
清隆は間の悪そうな笑いを浮かべた。が、すでに酔いがまわりはじめて、それはゆがみ、しかもゆるんだ、ぶきみな笑顔となっていた。
「おはん、そげな事《こつ》を気にしておったのか。これは驚いた。……いまさら、そげな馬鹿馬鹿しか事《こつ》で離縁なんぞ許さんぞ。あははは」
「私には、お酒の上のお言葉とは思えないのでございます」
「おや、おはん、正気でからむのか」
清隆は、ぎらっとひかる眼で妻をにらみつけた。
彼は大酒家だ。しかし、酔いは早いのである。意外に早いうちに域を越え、越えたとたんに人間が一変する。それからが執拗で長いのだ。
「こら、きさま、だれに向ってものをいっとるのか、わかっちょるのか?」
どん、と左こぶしで卓をたたいた。皿が鳴り、コップが一つ倒れた。
それでも彼の眼には、まだ疑いの色があった。この妻が自分にそんな風な口をきいたのははじめてだが、これはどうしたことだ?
こんな場合、瀧子はおびえ切った眼になる。そして、源八を呼ぶ。――今夜は、どういう眼をしているのか、彼女の眼は、ぼうっとけぶっているようで、よく見えなかった。
十四
「あなたは、よくお見通しでございました。私と源八は好き合っていたのでございます」
瀧子はいった。おびえた声ではなかった。
「ば、ば、ば――」
清隆は意味不明の声をもらし、立ちあがった。
「ただ、信じて下さい。今の今まで、二人は姦通などしたことはございません。……源八が、私を好きだ――だんだん好きになって来たのだ、と打ち明けたのは、きょうはじめてのことなのでございます」
「きやつ。――」
「実はいつしか、私も源八を愛するようになっておりました。……けれど、それはただ心だけのことでございます。あなたはともかく、そんな心を知っているのは、ほかにだれ一人としていないはずだ、と思っておりました。それが、ほかの人に知られたのでございます。それはここへ来た山本海軍少佐でございます。もう知らない顔をしてはいられないと考えた、と源八は申しました。いや、もう生きてはいられないと覚悟した、と申しました。そして、はじめて私にそのことを打ち明けたのでございます」
「殺してやる」
と、清隆はいった。量はまだたいしたことはないはずだが、その眼は泥酔状態のときに近かった。
「打ち明けられて、私は身体じゅうが燃えあがるような気がしました」
「殺してやる」
「刀はここにございます」
といって、瀧子は食卓の下の床から、一本の刀を拾いあげた。
何たることか、彼女はそれを持って鞘《さや》をはらい、白刃のまま夫に渡したのである。
「私も源八を好きだ、と申しました。源八が死ぬなら、私も死のう、と申しました。今夜がお別れです、といったのはそのためでございます」
瀧子は昂然と頭をあげたままいった。
「そして、死ぬ前に、二人が愛している証《あか》しをたてよう、と私のほうから申しました。……ごらんあそばせ」
彼女は歩いていって、隣室との間の杉戸をあけた。
四枚の杉戸の向うは和室になっていた。そこに真紅《しんく》の蒲団がしかれ、枕もとに幽《かす》かに洋燈《ランプ》がともり、閨《ねや》の上に坐って、ひれ伏している山代源八の姿を清隆は見たのである。
瀧子は帯をといた。やがてそこに、長襦袢一枚になった凄艶な姿が立った。それはすでにこの世の美しさではなかった。
「伯爵黒田清隆の妻と、黒田家の馬丁は、これから姦通いたします」
そういって、彼女は閨の上に――懐紙をくわえて、源八のそばに坐った。
何とも形容しがたい声をあげて、黒田清隆はそのほうへ走り出ていた。
「源八っ、き、き、きさま。……」
彼は蒲団のそばで刀をふりかぶった。
かつて泥酔して一番目の妻を斬殺した清隆の刀だ。いま清隆は泥酔の域に達してはいまいが、泥酔以上の精神状態にあったことはもとよりである。
源八は顔をあげた。
この際にも清隆はまばたきした。源八の右眼はつぶれ、顔じゅう茶褐色の痣《あざ》だらけであったからだ。
その首に白い腕をまきつけて、瀧子はひたと唇を合わせた。頭上の白刃はおろか、世界が消えたような数瞬であった。
唇を離して、瀧子はいった。
「源八、寝よう」
「いいえ、奥さま」
源八は首をふった。
「もう私はこれで満足でございます。奥さまは生きて下さい」
「なにをいうの? いまさら、なにをいうの? 源八。……」
瀧子は愕然として、しがみついた。
「たとえ生きたとしても、それは忍従の妻としての生活です。死ぬことが、かえって瀧子が女として生きることだと、私がいったではありませんか」
「そう承りましたが、いま奥さまに死なれては、やはり私が榎本さまに合わせる顔がございませぬ。いま、二度目の奥さまも殺されなすっては……黒田の御前さまも、こんどは御破滅でございましょう。それでは私が、いままで御奉公して参った甲斐がありませぬ。御前はお国のためにかけがえのない大事なお方だと、榎本さまはくれぐれも仰せでございました。……お願いでございます、さしあたって、あさって、アメリカ公使館へ、つつがなくいらっしゃいまし」
彼は首をあげて清隆を見た。
「御前さま、源八だけをお斬り下さい。奥さまはお許しなさって下さいまし!」
「いいえ、いいえ、そんなことは私が許さない」
瀧子はもだえ、これも夫を見あげた。
「あなた、それじゃ、早く、いま二人を斬って!」
彼女のほうが狂乱しているのに、清隆は水を浴びたような顔色になっていた。乱酔がさめたあとのいつもの惨澹ぶりの、数十倍も惨澹たる表情であった。
「許す」
と、この豪快な男が、ふるえる声でいった。
「瀧子、許してやる。おいには、お前を殺せん」
彼は刀を投げ出した。それを拾いあげ、瀧子はさけんだ。
「あなたに許していただきたくはありません! なぜ、刀を捨てたのです?」
「刀を捨てたのは、二度目の罪を怖れるからじゃなか。おいには、可愛いお前を殺せんのじゃ。瀧、許せ、おいのほうを許してくれ!」
清隆は椅子に坐り、テーブルの上で頭をかかえた。そのとたん、椅子の足がみりっと音をたてて折れ、彼はころがり落ちて、盛大な尻もちをついた。
そのとき山代源八は、ふいに瀧子から刀を奪いとり、その身体をつき離した。そして、そばに落ちていた懐紙のたばをひっつかむと、右手だけで刀身をくるみ、それを握って、そのまま背まで通れと自分の腹につき通し、ひきまわした。
十五
その翌日、山本権兵衛は、黒田家の馬丁が自殺したということを西郷海相から聞き、虚をつかれて、眼を宙にすえた。
彼はもとより、馬丁の死にざまは知らない。彼の知っているのは、その前の嘉納道場における源八だけだ。
あのあと――権兵衛は治五郎に訊いた。
「あの男は、なぜあんなに強くなったのでごわす」
「私にもわからんのですよ」
と、治五郎は答えた。
「しかし、あれを試合に出されたではごわせんか」
「それは、門弟の西郷という男が、出せといったからです」
「なぜその人は、あの男をだせといったのでごわしょう?」
「山代源八が、いのちを捨てた、と見たから、と申しておりましたが」
そのときは、一応それで了解したつもりでいた。しかし、なぜ黒田家の馬丁がいのちを捨てる気になったのか、よく考えるとわからない。
実際に源八は、その夜のうちに死んでしまったのだが、そうと聞いても――あの林の中の源八との問答を思い出しても――ただ驚くばかりだ。権兵衛は「おはん、奥さんに惚れちょるのか。……いまは?」と訊いた自分の一言が、その破局を呼んだ――その直前の大あばれは、彼が忍従の奴隷の役割に訣別を告げる凄絶な通過儀礼であったのだ――とは、ついに想像も及ばなかった。
――黒田清隆は、それ以来、あまり酒を飲まなくなった。少なくとも、以前の酒乱は見られないようになった。
そのおかげかどうか、一年半後、彼は伊藤のあとをつぐことになる。「ジキルとハイド」は架空の人物だが、日本に実在したこの「ジキルとハイド」氏が総理大臣となり、その在任中にいわゆる明治憲法が発布されるのである。
しかし、彼自身はまったくのデクノボーであった。いみじくも西郷従道が予言したように、酒から抜けると、彼は清新なアイデアマンたる前半生の特性を失って、からっぽの大入道と化した観があった。彼はさらに明治三十三年までの余生を持つが、三宅雪嶺はその「同時代史」において喝破する。黒田の後半生は無用であったと。
彼が死去すると、そのときまだ三十代であった瀧子夫人は黒田家を出て、そのゆくえは杳《よう》として知れなくなったという。――これは後の話。
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森有礼夫人
一
十一月半ばのある日、例によって大山|捨松《すてまつ》夫人と山本権兵衛は、馬車で東京の町を走っていた。
ゆくては木挽《こびき》町の森家である。
主人の文部大臣|森有礼《もりありのり》は出勤しているだろうが、訪ねる相手は夫人であった。
というのは、十一月三日、鹿鳴館での天長節の夜会に彼女が姿を見せなかったからである。――森夫人は、この三月三日の西郷主催の舞踏会には、夫の有礼と打ちつれて姿を見せたが、それっきりばったりとそんな席に現われなくなっていたのであった。
「少佐、森サンの奥さまのこと、御存知?」
と捨松が訊《き》いた。
「森サンの奥さまには、あなたといっしょにこの三月、いちどお目にかかったはずですけれど、そのほかに」
「いや、あのときお願いにいった以外は」
と、権兵衛は答えた。
「だいたい、おいは森閣下もよく知らんのです」
「同じ薩摩なのに?」
「そうにちがいごわせんが、あん人は、薩摩人どころか、日本人でもなか、イギリス人のような気のするお人でごわしてな」
「ああ、うちのイワーオも、ありゃ日本産イギリス人だといいましたわ」
と、捨松はいった。
あなたは日本産アメリカ人ではなかろうか、というような揶揄《やゆ》は権兵衛の口から出なかった。最初のうちこそ、アメリカ産アメリカ人みたいな気がしたけれど、いまは、アクセントが依然少々おかしいにもかかわらず、なぜかふつうの日本女性より日本女性らしい感じをいだいている。
「でもね、私、あの方に、恩、ありますのよ」
「森閣下に、でごわすか」
「え、私、アメリカへいったのは、黒田サンのおえらびのおかげですけれど、そのもとは、黒田サンが北海道開拓のリーダーとして、アメリカ人、招きにアメリカへゆかれた際、ちょうど代理公使として駐在していらした森サンが、アメリカ人を呼ぶだけじゃなく、さらに日本からも留学生、よこすべきだ、その中には、是非、女の子、加えろ、と熱心に進言なすったのが、もとだと聞いていますわ。そして、私たち、アメリカへいったあとも、西、東、わからないワシントンで、大変、森サンのお世話になりました」
「ははあ、そうでごわすか。してみると、森閣下は、そんころから、教育っちゅうもんに関心があったっちゅう事《こつ》で、えらか人でごわすな」
森有礼は権兵衛より五つ年上だからことし四十歳のはずで、指おり数えてみると、そのアイデアが実行に移された明治四年でもまだ二十五歳のころだ。
ただし――えら物《もの》だ、ということは以前から聞いていたが、これまであまり近づきたい人ではなかった。
いまでも、クリスチャンで、日本の神仏を認めないとか、あるいは日本語を廃止して国語を英語に変えろ、とか、甚だしきは人種改良のため、日本人はすべて西洋人と混血させよ、といったとかいう評判を耳にしたせいか、どうにも違和感を禁じ得ず、そんな人物を外務大臣なら知らず、よくまあ文部大臣にしたものだとふしぎにたえないくらいだが、とにかく現実に文部大臣で、その夫人がちっとも鹿鳴館に来ないとあれば、これはようすを見にゆかなくてはならない。――出られるはずの貴婦人は一人でも多く来てもらわなければ、いつまた海軍士官がかり出されるか知れたものではない。
「でも、森サンの奥さま、ふしぎですね」
と、捨松は首をかしげた。
「あんなダンディな――ああ、日本語で、ハイカラ、というのでしたね――こんなこといっちゃ、叱られるでしょうけれど、井上サンの奥さまより、もっと、マジリケなしにハイカラな方が」
なぜ舞踏会に出て来ないのだろう、という捨松夫人のつぶやきの意味はわかっていたが、権兵衛は森夫人のハイカラぶりの鮮やかさが強く印象されていて、
「何しろ、大使夫人として、五、六年もイギリスにおられた方でごわすからな」
と、いった。
捨松はいう。
「あの方、それより前から……実は私の同級生≠ノあたるんですの」
「同級生? アメリカの……大学で?」
「いいえ、アメリカの大学にはおゆきにならなかったけれど……黒田サンは、あのころ、東京の芝にも開拓使女学校というもの、作られたそうです。将来は、北海道開拓の青年の花嫁となる女性を養成する目的で、十二歳から十六歳までの少女五十人をオランダ人女教師の下で教育なすったそうです。その中に、あの方もいらしたのです。私、アメリカから帰ってから、聞きました。アメリカと日本と、場所、ちがいますけれど、まあ、同級生ですわ。……」
「なるほど」
「それを、アメリカでの公使のお役目をつとめあげて帰国してまもない森サンが、やはり教育に関心、お持ちのせいでしょう、学校の参観に来られて、あの方を結婚のお相手にえらばれたとか、……しかも、明治八年とかに、日本で最初の西洋式結婚式をあげられて、そのころ大評判になったそうで――」
「うん、その話は聞いちょりもす」
権兵衛はうなずいた。
ひょっとしたら、彼が森有礼という人物に対して違和感を持った最初の印象はそれによるものであったかも知れない。
なんでも、西洋礼服をつけた新郎と、白いヴェールをかぶった花嫁は、西洋人の神父の下に宣誓し、結婚契約書なるものをかわすという結婚式をあげたが、その上このことをわざわざ新聞社に予告したので、いよいよ世に知られたのである。
そのころ権兵衛はまだ兵学寮にいたが、このことについてもっと詳しいことを知っている同郷の友人が、「おい、森っちゅうのは変な人じゃな。この式のお客にゃ、家族を除いて薩摩人は一人も呼ばなんだっちゅうぞ」と、息をはずませていったことをおぼえている。
思えば権兵衛が、兵学寮の教官に糞汁《くそじる》を御馳走しようとしたのはちょうどそのころの話なのだから、こちらの野蛮性にくらべてあちらのハイカラぶりは、いっそうめざましい。
「そのハイカラな奥さまが――ハズバンドの森サンも、日本を洋化するのに、日本人中第一番の方なのに――奥さまも、あんなパーティ、とっても大好きなたちの方とお見受けしたのに、ね」
権兵衛の印象でも、その森厳なること、故大久保卿に彷彿たる森有礼の妻として、あまりにもモダンで華麗な常子夫人であった。
ゆくてに宏壮な三階建ての西洋建築が見えて来た。采女《うねめ》町の西洋料理店の精養軒である。――青山の大山邸から馬車で出て来たが、実は権兵衛の家はそう遠くない。
そして森有礼邸も、その精養軒のすぐそばにあった。
二
森邸も、小さいながらに洋館だ。
玄関に出た女中は、「奥さまはお臥《ふ》せりでございますが」といったが、いちどひっこんで、すぐに出て来て、「どうぞ」と、いった。女中までが洋服を着ている。
権兵衛が訪問した大官の邸には、どこも西洋の匂いがあった。大山家などはそれが最も色濃いほうだが、この森邸は、外観のみならず、内部も完全な洋式であった。ただし、決して豪華ではない。むしろ、ちょっとした日本家屋よりも質朴な感じがした。
「奥さまは……御病気?」
と、西洋風の廊下を歩きながら、捨松は不審と不安のまじりあった表情で尋ねた。
「なんのお病気ですか」
「あの、おめでたなのでございます」
「オメデタ?」
「赤ん坊がお出来になったっちゅう事《こつ》ですな」
と、権兵衛がいって、笑い出した。なぜ森夫人が鹿鳴館に来ないか、という理由がいっぺんに腑におちて、それがあまりに意外であり同時にあまりに常識的な話であったから、思わず破顔したのである。
「まあ、そうでしたの。……」
と、捨松夫人も笑顔になった。
「それで、いつお生まれ?」
「あの、早ければ、もう十日くらいの御予定で……」
「え」
捨松は立ちどまり、権兵衛もうろたえた。
「おいどんたち……伺《うかが》って、よかですかな」
「それはかまわない。いえ、お逢いしたい、と奥さまはおっしゃいます。あの、それから、西洋人のお客が一人いらっしゃいまして、もうお帰りになるところだったのでございますけれど、その方もあなたさま方を御存知だそうで」
「ほう?」
「それなら、是非御挨拶したいといって、お待ちでございます」
女中がドアをひらいた。
二人はけげんな顔で部屋にはいり、捨松が、
「ああ、バランさん、だったの?」
と、さけんだ。
ただ花瓶に白菊の花と、板壁に聖母マリアの絵がかかっているほかは、これまた質素な洋室の片側に、常子夫人の寝ているベッドがあり、そのそばに置かれた椅子から立ちあがったのは、あの西洋仕立屋のアントワーヌ・バランであった。
もっともバランは、ようやく大官諸家に顧客《おとくい》を獲得したらしく、自分一人であちこちまわるようになり、いままでもどこかでその姿を見かけたり、その噂を聞いたりしていたから、彼がこの森家にいたとしてもべつにふしぎではない。
「お久しぶりですね」
と、捨松夫人はいった。
「お元気ですか」
「おかげさまで」
と、バランは頭を下げた。日本語だ。
「でも、あなた……奥さまは……」
妊娠中だというのに、ドレスの御用でもあるまい、と捨松はいいかけたのだが、それよりその妊婦のほうが気にかかって、バランはそのままにして、ベッドのほうに歩み寄った。
が、ベッドから数歩のところで、捨松は立ちどまった。
三
権兵衛も、ちょっと息をのんだ。
たしか常子夫人は、三十歳を越えたばかりだと聞いていた。しかし、その明るい豊頬の美貌は、捨松夫人よりまだ若い――二十代の半ばとも見えていたのに、いま見るその顔は、すき透《とお》るようで、鼻がとがり、頬は鉋《かんな》で削ったようにそぎ落されて、別人のようであった。
「ようこそ」
それでも常子夫人は微笑み、微笑むと以前のあでやかさが少しよみがえった。
「近いうちに、あかん坊が生まれるんですの」
上にかけた白い掛蒲団が通常でないふくらみ方をしているところを見ると、臨月に近いことはまちがいあるまい。しかし、このやつれ方はただごとではない、と権兵衛は眉をひそめた。
「まったく存じませんで。……」
と、やっと捨松がいった。
「ちっとも夜会へおいでにならないので、どうしていらっしゃるかと、ちょっとのぞきに来たんですのよ。そしたら、いまメイドさんから聞いて、びっくりしましたわ。……」
「すみません。……」
「すみません、なんて……おあやまりになること、ありませんわ。オメデタイことじゃありませんか」
「でも、私、ひょっとしたら……」
と、いいかけて、彼女は捨松を見た。すがりつくようなまなざしであった。
「あのねえ、大山さま、私、あなたにおねがいがあるんですの」
「なあに?」
常子は、こんどはバランを見やった。
「バラン、あっちのお部屋にいって……もう帰ってもよくってよ」
バランはゆきかけた。権兵衛も落着かない顔をした。
「おいも、どこかへいったほうがよくはごわせんか」
「いいえ、あなたにもお願いがあるんです」
バランは出ていった。権兵衛は、自分も出てゆきたい足を釘づけにした。
常子はいった。
「私ねえ、ひょっとしたら死ぬかも知れませんわ。……」
「あら……どうして? 御病気?」
「いえ、あかちゃんを生むときに」
「え、どうして?」
「ただ……なんとなく」
常子は弱々しくつぶやいて、また別のことを口にした。
「奥さま、あなたはたしか十二だかのときにアメリカへおゆきになったのですわね。ゆかれて、日本が恋しくはございませんでした?」
「それは、はじめ一年ほどはね。毎日、人のいないところでは、泣いて、泣いて……いくら泣いても、何だか空気が足りないような切ない思いでしたわ」
「それはそうでしょう。三十二になる私も、このごろ、日本が恋しくて、恋しくて……」
「まあ」
捨松はあっけにとられた。
「だって、ここは日本じゃありませんか」
「いいえ、イギリスです。家も、道具も、衣服も、食事も、しきたりも……言葉でさえ、私がもう少し英語が出来たら英語にしろと、主人はいうかも知れませんわ。……」
権兵衛は卒然として、「日本産イギリス人」という言葉を思い出した。
「いままで私は、主人の望み通りに暮して来ました。主人のいう通りだ、日本人は出来るだけヨーロッパ人のように暮すべきだ、と考えて、見本を見せるつもりで――それに生甲斐を感じて生きて来ました。……ところが、このごろ……むしょうに子供のころの日本の……江戸の暮しがなつかしくてなつかしくてたまらなくなったのです。神棚、行燈《あんどん》、屏風《びようぶ》、たたみ、お膳、長火鉢……それに江戸の歌声。……」
常子は眼を宙にすえたまま、つぶやいた。
「それはここにはありません。それらを思い出すと、私は身もだえしたくなるようで――ああ、奥さまはいま、空気が足りないような切なさ、とおっしゃいましたわね――ほんとうにその通りですわ。私はいま、そんなものの中に寝ていたら、このあえぐようなさびしさ、むなしさから逃げられるかも知れない、その思いでいっぱいなのでございます。……」
四
捨松はおずおずといった。
「御主人に、そのように――行燈やたたみや屏風をそろえて下さるように、お願いなさればいいじゃありませんの」
「主人は許しません、決して。――」
常子は首をふった。
「それどころか、私の看護に、あの西洋人のバランをつけたくらいなのです」
「えっ、あなたの看護?」
捨松は眼をまろくした。
「あれは、あなたのドレスを作る用件で来ているんじゃないんですか?」
「あなたの御紹介で、あの男がやって来た最初のうちはそうでした。それで夜会服も、二つ三つ作りました。けれど、そのあと……おなかが大きくなってからは、もうあの男に用はございません。ところが……主人はあの男に、出来るだけ頻繁《ひんぱん》にやって来て、常子のそばにいてやってくれと頼んだのです。来て、ただ顔を見せてやっていてくれればいい、というのでございます」
「なんのためですの?」
「あのバランのような顔をした美しい子供が生まれるようにと」
捨松と権兵衛は顔を見合わせた。いかにもアントワーヌ・バランは、金髪で碧《あお》い眼をした異人なのに、権兵衛が気になるほどの美青年だ。しかし。――
「主人は、胎教、というものがあると申しました。女が身籠《みごも》っているうちに、よい本を読めば賢い子供が生まれるものだ、美しいものを見れば美しい子供が生まれるものだ、というのでございます」
権兵衛には、何とも判断がつかない。
「それほど西洋人が好きな主人に、日本の神棚など持って来てくれと頼んでもきいてくれるわけがございません。ましてあのひとは――私もですが――クリスチャンなのでございます」
常子はゆがんだ微笑を浮かべた。
「そこで、先日から私が考えていたのは、せめて幼いころ聞いたある唄をもういちど聞きたいということでございました。いえ、せめて、ではございません。どういうわけか、いまはただその唄を聞きたいという望みだけで、一日一日を過していたのでございました」
「どんな唄ですか」
「それが、よくわからないのですわ」
「えっ?」
「いえ、おぼろげにはおぼえているのですけど……」
常子は神秘的な表情になって、細い声で口ずさんだ。
「ねんねんよう、おころりよ
水子《みずご》にならず生まれた子
でんでん太鼓をねだるなよ
蝶々とんぼも殺すなよ
芸者買うなよ芸者になるな
きらきら、さらさら、つんつるてん
ぼうやはいい子だねんねしな。……」
しみいるような声であり、哀切な節《ふし》まわしであった。
「子守唄ですね」
と、捨松がいった。
「それにしても、妙な文句の子守唄でごわすな。……芸者買うなよ芸者になるな、と聞えもしたが……」
と、権兵衛が首をひねった。
「私のおぼえているのはいま歌った通りですけれど、まちがっているかも知れません。いえ、まちがっているでしょう。なにしろ私が四つ五つのころまでに聞いた唄なんですもの……」
常子はいった。
「それに、唄はもっと長かったような気がします。かんざし、狐の子、なんて言葉もあったような気がしますし、ねんねんころいち、なんて言葉もあったような気もします。……だから、ほんとうの唄を聞きたいのでございます」
「その唄は……いま東京じゃ歌っておらんのでごわすか」
「歌っていないようです。私は大きくなってから、何度もひとに尋ねたのですけれど、だれも、さあ? といって首をかしげるばかりなのでございます」
「いったい、いつごろ、どこでお聞きになったものですの?」
「私のうちで……私が四つ五つのころまで、というと、私がことし三十二ですから、江戸が東京になる七、八年ほど前ということになります」
「私のうちで、とおっしゃると、おうちの方は御存知なのですか」
「私のうちは……実家はもうございません」
常子は首をふった。
「実家は広瀬という小さな旗本でございましたけれど、いまは絶えました」
「どなたからお聞きになったのですか」
「乳母《うば》から」
と、常子は答えた。
五
「私がその年ごろになるまで、一人の乳母がおりました。それが歌ってくれたのでございます」
「その乳母さんは?」
「私が五つのときにいなくなりました。どこへいったかわかりません。……私のおぼえているのは、私を抱いて、障子のうす明りの中にボンヤリ白く浮かんでいた顔と、その、お篠《しの》という乳母がいなくなったとき、泣いて、泣いて、のどもかれはてるほど泣いたことだけでございます」
その眼に涙が浮かんだ。
「いいえ、その後、間もないあるとき、私はお篠はどこへいったと訊きました。そのとき年寄りの女中が、あれはいやしい芸者ですからお呼びになってはいけません、とこわい顔をしていったのをおぼえております。私は、芸者とはどういう人か、それさえ存じませんでした。けれど、あまりこわい顔をしていわれたので、その芸者という言葉が頭に残り、それから……その乳母のことや唄の文句が、かえって記憶に残ったような気がします」
「………」
「その乳母が私のところに参りましたのは、私の母が私を生んで間もなく亡くなったからだと聞いておりました。私が五つのときに乳母はいなくなり、新しい母が来ました。物心《ものごころ》ついてから、私は、その乳母のことについて訊いたことはありません。子供心にも、何か訊いてはいけないように思っていたからでしょう。……ああ、いちど、どんな機会でしたか、とにかく大人同士の話で、その乳母が吉原の芸者だった、というような話をちらと聞いたことがございます」
「………」
「けれど、そのほかには何も存じません。十年ほど前、父が亡くなり、二番目の母も間もなく亡くなりました。広瀬家にいた人々も散ってしまいました。私は森有礼の妻として、御承知のような西洋の生活の中にひたって過して参りました。……それが、いまになって、こうしてあかん坊が生まれるというときになって、むしょうにその乳母の唄が聞きたくなったのでございます」
「………」
「でも、変だとお思いでしょうね? ああ、もう隠しておけません。実は……私は、いつのころからか、あの乳母が私の母だったのではないか、という気がしているのでございます」
「あ!」
と、二人はさけんだ。
「いえ、それはまちがいないと思っています。ほんとうは、その母に逢いたいのでございます。けれど……一方で、逢うのがこわい気もします。あれから何の音沙汰もないのは、死んだか、あるいは向うにも逢いたくないわけがあるからでしょう。だいいち、そんなものが訪ねて来ても、夫は追い返すでしょう。いえ、その前に、私が芸者の子だなどと知ったら、ひっくり返るでしょう。夫は私を、元幕臣のまっとうな血筋の娘だと信じております。ですから、せめて私は……その子守唄だけでも聞きたいのでございます」
話の中に、何度か嗚咽《おえつ》の声がもれた。
「ちょうどあなた方がお見えになったので、ふいにお願いする気になりました。こんなことは、この家のほかのだれにも頼めません。どうか、その唄を知っている人を探して、夫にないしょでその人を連れて来て下さいますまいか。その唄は、いくら考えても、母が……吉原の芸者だったお篠という人が自分で作ったものとは思えません。きっと、そのころ――御一新前十年前後に、そこで流行《はや》った――少なくともそこの芸者衆たちの間で歌われた唄にちがいないのです。ほかにも知っている人があるはずだと思います。その人を探して来ては下さいますまいか。……」
常子は、白い細い手を出して、捨松の手を求めた。
「そうでないと、私、このまま死んでしまいそう。……」
「わかりました」
と、その手を握り返して捨松はうなずいた。
「この山本サンといっしょに、急いで探してみましょう」
そして、またいった。
「奥さま、もういちど歌って下さい。山本少佐、手帖持ってますか。それを書きとって下さい」
六
「驚きもしたなあ、舞踏会の勧誘に来て、子守唄探しを頼まれるとは」
と、帰りの馬車の中で、権兵衛は眼をパチクリさせた。
「しかし、女は、出産時、子供のころ聞いた子守唄を聞きたくなるもんでごわしょうか」
「いえ、常子サンもおっしゃったではありませんか。あの方は、ほんとうはお母さまに逢いたいのです。不安で、心細くって……それならわかります。子守唄はその代用だと思います」
と、捨松は答えたものの、
「とはいえ、私にもわからないところがありますね」
と、首をかしげたが、またその首をふって、
「でも、あの方、本気ですわ。御主人の有礼サンにも隠していらした御自分の秘密、私たちに打ち明けられたのですもの……よほど、さしせまったお気持なのです」
「いや、あの訴え、わからんでもごわせん。あの西洋一点張りの家を見ちゃ」
と、いいかけて、権兵衛は大山家を思い出し、あわてて言葉を換えた。
「生まれて来る子の顔に影響があるように、西洋人のよか男の顔ばかり見せるとは……胎教、とか申しましたな。いくら森どんが教育の大家でも、そげな事《こつ》が成り立つもんでごわしょうか」
「さあ?」
捨松は返事のしようがないようだ。
かえって、疑問を呈した権兵衛のほうが、少女のころアメリカで暮したこの捨松夫人や、若いころイギリスに留学したことのある森有礼の風貌がどこか西洋人くさいことに気がついて、ひょっとしたらそんなこともあるかも知れない、と考えた。
そうは思ったが、
「しかし、ともかくも森閣下がそこまで徹底しとられるなら、奥さんが、屏風や行燈や、江戸の子守唄を恋しがられるようになったのも、無理はごわせんなあ」
と、同情の語気をもらした。
「でも、あのアントワーヌ・バランは、まるでアドニスのようですね」
と、捨松はつぶやいて、
「アドニスはギリシャ神話の美青年です」
と、説明し、しばらくして、
「私、ル・ジャンドル将軍に頼まれて、あの男、紹介したのですけれど、洋服の仕立てじゃなくて、そんな用を勤めるなんて、想像のほかでしたわ」
と、心外そうにいった。
実際、いくら外国人でもあんな美青年を妻のベッドのそばに坐らせて、森閣下は心配しないのだろうか、と権兵衛も首をひねらざるを得ない。もっとも、森夫人は妊娠中ではあるけれど。――
「よほど森閣下は奥さんを御信用なのでごわすな」
と、彼は笑った。
「とにかく、その子守唄を探さなくちゃなりませんわね」
と、捨松がいい出した。
「吉原の芸者とか、おっしゃいましたけれど。――」
「吉原に芸者なんちゅうもんがおるのでごわすかな。吉原といえば……」
遊廓、という言葉が出かけて、権兵衛はあわてて声をのみこんだ。
「私、会津生まれで、江戸のそんな知識、まったくありませんわ」
「おいも、薩摩で、江戸の子守唄なんか知りもさんな」
二人は、改めて嘆声を発した。
「でも、早く探さなくっちゃ。……あかちゃん、生まれるの、十日ばかりしかありません。そのまえに探してあげなくっちゃ」
と、捨松はいった。
「あのひとのやつれ方、ただごとじゃありませんわ。……」
権兵衛はポケットから手帖をとり出し、メモした子守唄をもういちど読んだ。
「水子にならず生まれた子、とは、きみわるか子守唄でごわすな」
「でも、何か、哀しい唄ですわね。……」
これはどうも、子供を生んだ芸者の子守唄らしい。水子にならず生まれた子――その一人が森夫人であることはまちがいない。
それがいま威光一世を圧する森文部大臣夫人となる。まことに女の運命というものは端倪《たんげい》すべからざるものだ、との感を禁じ得ないが、さらに、その運命の風に乗って以来、夫の欧化生活にみごとに染まって華麗な蝶々のように翔《と》んでいるかに見えたあの夫人が、そのうすきみ悪い子守唄を、いま息たえだえに恋しがるとは。――
七
翌日、山本権兵衛は、ふと森有礼の結婚式についての記憶をたしかめたくなり、海軍省の図書室へいって、保存してある古い新聞をとり出して調べて見た。
すると、果せるかな明治八年二月七日の「東京日日」にその記事が出ていた。
前日の二月六日、築地采女町の森家――いまと同じ家だ――に集まった百余人の客の前で、
「十一時を少し過ぎたる頃に、新夫は小礼服を着し、新婦は薄鼠色の西洋女服の上に、白紗《はくさ》を以て顔より覆い、新夫に手をひかれてこの座敷に出かけたり。証人は有名なる福沢諭吉先生にて、正面に位し婚式をなさしむ。このとき鹿児島の肥後某と称する老人は、夫婦のために一同の前にて左の約定書《やくじようしよ》を読み、夫婦ならびに証人としてみずから姓名を記させたり。
[#2字下げ] 婚姻契約
現今十九年八ヶ月ノ齢《よわい》ニ達シタル静岡県士族広瀬|阿常《おつね》、同二十七年八ヶ月鹿児島県士族森有礼、各《おのおの》ソノ親ノ許《ゆるし》ヲ得テ互イニ夫婦ノ約ヲナシ、今日スナワチ紀元二千五百三十五年二月六日、婚式ヲ行イ約ヲナシ、双方ノ親威朋友モ共ニコレヲ公認シテ、ココニ婚姻ノ約条ヲ定ムルコト左ノゴトシ。
第一条。自今以後、森有礼ハ広瀬阿常ヲソノ妻トシテ、広瀬阿常ハ森有礼ヲソノ夫トナス事。
第二条。双方存命ニシテコノ条約ヲ廃棄セザル間ハ、トモニ余念ナク相敬シ相愛シテ、夫妻ノ道ヲ守ル事。
第三条。有礼阿常夫妻ノ共有スベキ品ニツイテハ、双方同意ノ上ナラデハ他人ト貸借アルイハ売買ノ約ヲナサザル事。
右ニ掲《かか》グルトコロノ約条ヲナシ、一方犯スニオイテハ他ノ一方コレヲ官ニ訴エテ、相当ノ公裁ヲ願ウコトヲ得ベシ。
紀元二千五百三十五年二月六日
[#地付き]東京ニ於テ
[#地付き]森 有礼
[#地付き]広瀬阿常
[#地付き]証人 福沢諭吉」
西洋人の神父の下で宣誓をしたと記憶していたのはまちがいであったが、実態に変りはない。慶応義塾の福沢諭吉も欧化論者で有名な人物だから、このころから森有礼と意気投合していて、それで証人の役を買って出たものだろう。常子夫人の出身が「静岡県士族」とあるのは、旗本であったという広瀬家が、瓦解後将軍について駿府に移った名残《なご》りにちがいない。
――ふっと権兵衛は、かつて自分が妻に与えたあの誓約書はどうなったろう、と思い出した。あれ以来|登喜《とき》はいちどもそのことを口にしたこともないから、もうどこかへ紛失してしまったのかも知れない。
たとえどこからか出て来たとしても、あの文面の素朴さは、この森夫妻の誓約書のものものしさ、いかめしさにくらべて笑い出したいほどだ。
「いや、笑いたかは森どんのほうじゃて」
と、彼はつぶやいた。
常子夫人が、なぜか、いま必ずしも幸福ではなさそうなことを想い出したのである。
ともあれ、いまはほんものの芸者子守唄とその歌い手の発見に乗り出さなければならない。
彼は、吉原へいった。――まさか馬で乗りこむのも可笑《おか》しいから、俥《くるま》でいった。
まったくそのあたりの土地や歴史には不案内だし、そもそもが雲をつかむような話なので、どこへいってだれに訊いたらいいのか見当もつきかねるので、彼はとにかく遊廓へ乗りこんだ。
むろん、女郎屋に登楼したのではない。秋風がそよがせている見返り柳から大門をはいってすぐの、会所というところへ寄ったのである。
「さあ、こんな子守唄は聞いたことがございませんなあ」
「だいたい、子守唄などとはあまり縁のねえところで」
二、三人の男たちが額《ひたい》をあつめて、権兵衛のつき出した手帖の唄を読んで首をふった。
「ここにも芸者はおるのか」
と、権兵衛は訊いた。
「へえ、おります」
「そいつをだれか呼んでくれ」
「ここへですか」
「うん、少し訊問したか事《こつ》がある」
はじめ、髯だらけの海軍士官に、めんくらって応対していた連中が、このとき、みんな、くすっと笑った。
以下、珍問答の結果、権兵衛が知ったところによると。――
吉原は女郎ばかりで、芸者がいることを意外に思うのは無知もまた甚だしい。幕末期、江戸芸者といえばこの吉原の芸者だったのだそうな。ただし、遊女との職分をかたく守って、決して客に身を売らなかった。客をとったが最後、まるはだかにされてこの会所の前に晒《さら》し者になり、廓を永久追放になった。
もっとも吉原芸者の名を知らないのを田舎っぺえと笑えたのは、正直なところ十年ほど前までのことで、御一新後はそのけっぺきさがたたって、やすやすと身を売る新橋柳橋にしてやられ、いまではここに芸者は十数人に過ぎない。
そして、そのだれを考えても、二十年も三十年もまえの唄を――たとえ、それが流行ったとしても――そんな唄をおぼえていそうな芸者はひとりも思い浮かばない、というのであった。
「客に身を売らんといっても、げんに幕末に客の子供を生んだ芸者がおったんじゃが」
権兵衛はいった。
「お篠っちゅう名前の芸者じゃ」
みんな、首をふる。とにかく御一新をさかいにがらりと顔ぶれが変っちまったんで、という。
それ以上、どうしようもないので、権兵衛はスゴスゴ退去するのほかはなかった。自分のやっていることが、何だか非常に馬鹿馬鹿しい思いもあった。
八
ともかく彼は、青山の大山邸へいって、右の次第を報告した。
「そうですか。……それではしかた、ありませんね」
捨末夫人はうなずいたが、ややあって別のことをいい出した。
「森サンのところへゆきましょう」
「えっ、采女町のおうちでごわすか」
「いいえ、永田町の文部省へ」
権兵衛は意表をつかれた。
「何しにゆくのでごわす」
「いまの子守唄はねえ、すぐにはわからないでしょう、と思っていました。それより御主人の森サンに話したほうがいい、と私、考えたのです」
「その子守唄の件を、でごわすか」
「いえ、それは森サンの奥さまの秘密、打ち明けることになりますから、いえません。そうでなく、常子サンの身の廻り、もっと変えて下さるように」
「屏風と行燈ごわすか」
「それもありますけれど……私、常子サンの子守唄探しの望み、どうも変だと思うのです。異常です」
「そげな事《こつ》は……はじめからわかっておった事《こつ》じゃごわせんか」
「常子サンをそんなに異常にさせたのは、やっぱり森サンが異常だからです。あのバランのことでもわかるように」
捨松はいった。
「ですから、森サンに、バランを呼ぶことなどやめて、そしてもっと奥さまの身の廻り、日本風にしてあげるように、話しにゆきましょう。采女町のお邸では話しにくいので、文部省にゆきましょう。それも急ぐのです。いまゆきましょう」
もう午後もだいぶ遅い時刻であったが、権兵衛は捨松夫人とともにまた馬車で出かけた。
あぶないところであった。まだ退庁時間の五時には三十分ほどあったが、永田町の文部省の玄関先で、森有礼は馬車に乗ろうとするところであった。
「お、これは大山夫人」
と、彼は笑顔になった。
この人物が笑顔になることは、ほんとうに珍しい。――背丈《せたけ》といい、体格といい、針のような髯といい、炯々《けいけい》たる眼光といい、山本権兵衛に一歩もゆずらないどころか、むしろいっそう粗放な風貌だ。これがいまの内閣でいちばん若く、しかも頭脳はいちばん切れるといわれている人物とは思えないほどだ。
その笑顔は、捨松がいったように、彼女がアメリカに留学していたころ面倒を見た縁のゆえもあったろう。
「きのうは、家内をお見舞いに来ていただいたそうで、ありがとう」
と、いった。
「それについて、ちょっとお話がございますのです」
と、捨松はいった。
「それについて?」
森有礼はいぶかしげな表情になり、それから懐中時計を出して、
「実は、これから精養軒で会食の約束があるのでごわすが……」
と、いって、ふと思い出したように、
「その会合は、お歴々ばかりじゃが、あんた御存知ないか。大山さんは出なさらんのか」
と、尋ねた。
「イワーオですか。イワーオは、四、五日前から観音崎砲台を視察するために出張中でございます」
「ああ、そうですか」
と、うなずいて、また訊いた。
「ところで、どげな話かわからんが、いま聞かんと悪か話でごわすか」
「なるべくなら、きょう」
「それじゃ、馬車の中で聞きもそ。いっしょに乗って下され」
と、いって、門のところに待っているこちらの馬車に気がついて、権兵衛にいった。
「そっちにも馬車があるか。山本少佐、そっちの馬車も、精養軒までついて来るようにいって下さらんか」
日本語を英語にしろ、といったとかいわれる有礼だが、日本語でしゃべる場合、薩摩弁はどうにもいたしかたないと見える。
やがて三人は、文部大臣の馬車に乗って築地へ向った。
九
馬車に乗ると捨松は、常子夫人の「日本回帰」現象を話し、分娩《ぶんべん》まぢかな女性の異常心理かも知れないけれど、それはそれなりに切実なものだから、どうか身の廻りをもう少し日本風にし、特にあの仕立屋のアントワーヌ・バランなどいう異人は近づけないようにしてもらいたい、と有礼に請うた。
「そげな用件で、わざわざおいでごわしたか」
有礼は一笑した。
「あれがそれほど望むなら、そうしてやりもそ。そげな事《こつ》、おいには何も頼まんかったでごわすぞ。それをあんたに訴えるとは、おかしなやつごわすな」
「いっても、あなた、きいて下さらない、と思われたのでしょう」
と、捨松はいい、
「森サン、あなた、ほんとうに、身籠った婦人に、美しい異人見せたら、美しい子供、生まれて来ると、お信じですか」
と、訊いた。
「幾分はな」
と、有礼は笑いながら答えた。
「しかし、それよりゃ――おいはな、アメリカやヨーロッパへいった経験から、日本人もこれからの教育如何では、充分あっちと張り合えると自信を持ちもした。ただし、そりゃ脳|味噌《みそ》の事《こつ》ごわす。外見に至っては、ごらんのごとくでごわす」
「………」
「どう見ても、あっちは主人の顔で、こっちは下男の顔でごわすな。容貌なんぞどうでもええともいわれようが、しかしひろく地上を見るに、やっぱり支配者は支配者らしか顔を――奴隷は奴隷らしか顔しておりもすな。――あんたなら御存知ごわしょう、西洋じゃ、いたるところに銅像があるが、日本の男じゃちょっと銅像も立てられん。西洋じゃ聖母の思想があるが、日本の女じゃちょっと聖母は想像も出来ん」
「………」
「そこで将来、日本人が世界の一流国民じゃと認められ、世界の尊敬を受くるためにゃ、中身の教育はむろん大事ごわすが、何とぞ外見も改良せにゃならんっちゅうのが、おいの切実なる願望で――あの西洋仕立屋の件は、その実験のつもりじゃったのでごわすよ」
意外に真剣な表情になっていう。権兵衛は、世にこの人物を「|奇矯なる偏理家《エキセントリック・セオリスト》」と呼んだ評者があったのを思い出した。
「しかし、もうよかろ。あの西洋仕立屋には、早速お役御免を申しわたしもそ」
「どうか、ほんとうに、そのようにお願いいたします」
案ずるより、産むが易し。この件は拍子ぬけするほどあっさりと片づいたが、そのあとで有礼は、思いがけない勧誘を口にした。
「ところで、奥さん、これから精養軒の会合に出なさらんか」
「えっ?」
「権兵衛どん、おはんも出たらええ」
黙々としていた権兵衛はめんくらった。
「精養軒の会合? なんの会合ごわす?」
「実は大隈《おおくま》どんの激励会じゃ。伊藤どん、井上どん、山県《やまがた》どん、黒田どん、西郷どん……その他だれだれがおいでになるか、とにかくそげな顔ぶれがそろう事《こつ》になっちょる」
二の句もつげぬ権兵衛に代って、これも唖然《あぜん》としていた捨松夫人がわれに返っていった。
「そんな会合に、どうして私たちが出なければならないのでございます」
「いや、それが夫妻同伴っちゅう事《こつ》でね。……我輩はてっきり、大山御夫妻も御出席の事《こつ》と思うとった。それが、いま聞けば、大山どんは御出張中じゃっちゅう。我輩の家内はもちろん出られん。そこで我輩とあんた、一人ずつ、ちょうどここで逢うたがもっけのさいわい、二人で出席しようじゃごわせんか。さっき、そう考えてこの馬車に乗ってもらったのでごわすよ」
十
森有礼は悠然という。
「いや、我輩は料亭で芸者を呼んでの会合っちゅうやつが大きらいでごわしてな。そげな集まりは一切おことわりじゃが、今夜は精養軒で西洋式にやる。それも夫妻同伴で、っちゅう事《こつ》で、それは面白かと思うて、こっちは一人じゃが顔を出す気になった。だいいち精養軒は自宅のすぐそばなんじゃから、ことわるにもことわれん」
「森サン。……」
「夫婦同伴で、っちゅうのは、大隈どんの注文らしか。招いてくるるなら、妻《さい》もいっしょに、といい出したのがはじまりで、ここんところ大隈どんも久しく野《や》にあって奥さんにもだいぶ苦労をかけられたでごわしょうから、そげな事《こつ》を思いつかれたもんじゃろ」
「あの、森サン。……」
「大隈どんは例の十四年の政変で追い出された仁《じん》、それを今夜招いたのは、追い出した連中、いまさらヌケヌケと招くほうも招くほう、シャアシャアと招かれるほうも招かれるほうで、あの仁たちの心境はさっぱりおいにゃわかりかねるが、そりゃともかくとして、大隈どんは人物じゃとおいも思うちょる。だいいち、政府を放り出されたら早稲田に学校を作ったっちゅうところがえらか。――それもあって、おいは出席する事《こつ》にしたんじゃが」
「あなたのほうはわかりました」
と、捨松はやっと言葉をさしはさんだ。
「けれど、私は――」
「なに、本来なら、あんたも出るべき会じゃなかか」
「でも、私は何も聞いてはおりませんでしたし」
「実はな、我輩は今夜その会に出たら、一つ演説をしてやろうと思っちょる。意外にいままで、なかなかそげな機会が得られなんだ。それをやりたくてゆくんじゃ。そしてな、その演説を是非あんたにも聞いてもらいたか。――」
「……?」
「お、もう築地じゃ」
精養軒が見えて来た。
暮れるに早い晩秋で、もう東京の町には蛍のようにまばらに灯影がまたたきはじめていたが、その三階建ての洋風建築の灯は窓々からあふれるようで、暗い海に浮かぶ豪奢《ごうしや》な船のように見えた。
その前で、三人は馬車から下りた。権兵衛はもとより捨松も、そこで森有礼の勧誘をふり切って自分たちの馬車に乗りかえる――いや、権兵衛などはすぐその足で帰宅するつもりであったが、その望みは叶えられなかった。
ちょうどそのとき別の馬車がとまって、中から下り立ったのが西郷|従道《つぐみち》夫妻だったのである。
有礼が近づいて挨拶し、大山夫人と山本権兵衛のほうをかえりみて、二、三語話しかけるやいなや、
「よか、よか」
と、従道はうなずいて、笑いながらやって来た。
「みな、なじみの顔ぶれじゃ。大山の奥さん、出て下され。山本少佐、おはんも相伴《しようばん》せえ」
十一
精養軒は、明治六年に開業し、いまも東京で一、二を争う西洋料理店だ。
二階、三階はホテルになり、一階がレストランになっていたが、そのいちばん広い部屋の、白いテーブルクロスをかけ、洋燈《ランプ》をならべた長いテーブルの向うには、もう招待された大隈夫妻をはじめ、伊藤、井上、山県夫妻、それに逓信大臣榎本武揚夫妻などの顔が見えた。
――場所はレストランだが、みんな和服であった。
西郷夫妻と森有礼の一行がはいってゆくと、ちょっとどよめきがあった。
「お、珍しい人が現われたな」
と、井上|馨《かおる》が声をかけた。こういう席にはめったに出て来ない有礼のことだろう。
その有礼が、当惑した顔でつづく大山捨松と山本海軍少佐を、先刻偶然文部省を訪問されたのでいっしょに連れて来たむねをいうと、伊藤博文が、
「いや、そりゃ結構。実は大山さんには一週間ほど前、御出張の予定じゃと聞いたものじゃから、招待状を見合わせたのじゃ。大山夫人がおいでになったとあれば、それに越したことはない」
といい、居ならぶ夫人たちもいっせいに笑顔をむけた。
やがて、黒田清隆夫妻もやって来た。黒田夫妻と権兵衛の間にはあんないきさつがあり、そこの馬丁が自殺したことを聞いたのは――権兵衛はそれしか知らない――一ト月ばかり前のことであったが、何はともあれ御両人とも何くわぬ顔をして――夫人は例によって京人形のように端麗な姿を見せた。
さて、最初に伊藤の挨拶があった。維新以来の大隈の偉功をたたえ、近年あれこれの思わざる事情のために雌伏の立場にあられたが、その政治的大手腕はどうあってもお国のために野に捨てがたい、衷心《ちゆうしん》こいねがわくば近く復帰してわれわれ鈍物の苦労をお助けたまわらんことを期待する、という意味のことを述べた。
それから、宴会がはじまった。その一方で、客それぞれのテーブル・スピーチが行われることになり、まずいちばん若い森有礼が指名された。
有礼は立ちあがった。
「レディズ、アンド、ジェントルメン」
と、彼は呼びかけた。
あまり自信にみちた本格的な発音なので、キザを超越していた。しかし、そのあとは例の薩摩弁であった。
「こげな会の御挨拶は、人間のいのちと同様、長きをもって尊しとはせんと思いもすゆえ、簡単に申す。
ただいま伊藤総理の申された、大隈閣下が雌伏の立場にあられるに至った、あれこれの思わざる事情、など拙者はよく存じもさん。また閣下の政治的大手腕については、これからのほかの方々の御礼賛にゆだねたか。
ただ拙者の大隈閣下に対する最大の敬意は、閣下がその雌伏の時期に、早稲田に学校を作られた事《こつ》ごわす。拙者予言いたすが、維新以来の閣下の御勲功、またいずれ政界に復帰されてから予想される御功業、失礼ながらそのすべては百年のちには亡滅いたすかも知れもさん。しかしながら閣下の名は、慶応義塾を作った福沢どんの名とともにその学校によって長く伝えらるるでござりましょう。いや、たとえ名は忘れらるるとも、その学校で養成された青年によって、その人間の存在自体によって伝えらるるのでごわす」
どういうつもりで彼はこんなことをいい出したのか。――
この場合、自分のことを考えていたかどうかは不明だが、森文部大臣は、これから十五カ月ばかりのちに狂信的な神道者によって刺殺されることになるのだが、しかし彼の作りあげた小学校から大学に至る近代教育制度の体系によって、たとえその名は忘れられようと事実上、そこに並《なみ》いる大官のだれよりも、後世の日本人に深甚な影響を残すのである。
「しかも大隈閣下に拙者が感心いたしちょりもすのは、閣下の御人格の御清潔なる事《こつ》ごわす」
笑い声が起った。
「いや、閣下の御人格――御品行の事《こつ》なんぞ、拙者はよく存じもさん。しかし、ある人の評言によれば、でごわすな、女道楽をやりそうでやるのが伊藤、女道楽をやりそうもなくてやるのが山県、女道楽をやりそうもなくてやらんのが森、女道楽をやりそうでやらんのが大隈、じゃ、と。――」
笑いがとまった。
有礼は錆《さび》のある、重厚な声で、冷然とつづける。
「妾《めかけ》を持つのは男の甲斐性《かいしよう》、などといわれちょるわが日本において、この点清潔な事《こつ》は、それだけで教育者の一つの資格じゃと拙者は思いもす」
彼は、大隈夫妻から、ジロリと客一同を見まわした。
「これをよか機会に、一言申しのべたき愚見がごわす」
山県有朋はにがり切っていたし、井上、黒田は怒りのために赤い顔をしていた。ただ、森を文部大臣に起用した伊藤博文だけが、うす笑いの眼で見まもっている。
十二
彼らはいまやっと、森有礼がこの演説をするためにここに現われたことを知った。
しかし、それをとめようとする者はない。かつて森の兄は、明治初年、大官の腐敗に義憤の極、諌書《かんしよ》を残して割腹自殺したが、その血は充分この有礼にも伝えられていることをだれもが認めている。直情、剛直、痛烈、徹底、いい出したらとまらない、座がしらけることなど歯牙にもかけないことは、閣議の席でもいかんなく思い知らされていることだ。
とはいえ、いままで閣議の席で、有礼はこんな議論まで持ち出したことはなかったが。――
「人格はしかし、教育者にばかり必要の条件じゃなか。これからの政治家にも絶対必要な条件じゃと有礼は信じとりもす。
それは固陋《ころう》なる儒教なんぞにとらわれての説教じゃごわせん。政治の合理性、効率性からの思考ごわす。
昔、太閤秀吉なる大淫乱の英雄がごわした。あれを見て、有徳なる無能者より、不徳なる有能者のほうが大政治家じゃと思わるるかも知れもさん。げんに、ここにおらるる方々の中にも、秀吉をきめこんでおらるる方がありそうでごわす。が、いまは断じて文禄慶長の世ではなか。いまは明治でごわす。
無能者は、不徳であろうと有徳であろうと論外でごわす。問題は不徳なる有能者でごわす。
秀吉の眼中には、世界の中の国家、などいう概念はなかったでごわしょう。しかし、いまは、さらにこれからは、世界の中の日本国でごわしょう。そのために、国家のために、国民に犠牲を要求せんけりゃならん場合がごわしょう。げんに戦争とまではゆかずとも、平時においても兵役、徴税などの犠牲を求めんけりゃならん。
そのとき指導者たるものが、妾をたくわえ芸者買いなどしておれば、国民のだれが甘んじて犠牲を払うでごわしょう。秀吉時代は知らず、いまはそげな時代なのでごわす。ここにおいて、不品行なる政治家は、不合理であり、不効率であるっちゅうのでごわす。
これも拙者の予言でごわすが、たとえいまの政治家が、秀吉と同じ偉業をなしとげても、もしその人物が不品行ならば、秀吉とちがって後世から決して英雄とは認められんでごわしょう。それが時代の進歩っちゅうもんでごわす」
大隈歓迎の辞など、もうどこへやらだ。
「ああいや、繰返して申すが、何も若輩《じやくはい》の有礼が、先輩諸賢に対し、孔子のごとく道を説くのじゃごわせん。あくまでも合理と効率のための論でごわす。大隈どんじゃとて、実はかげで何をやっちょらるるか、拙者は知りもさん。が、少なくとも世間は、女色の点では意外に潔癖じゃ、と思うとりもす。ここが大事でごわす。
えげつなか事《こつ》を申せば、政治家たるもの、不品行はわからんようにやれ、いかに権力者であろうと、世間に対し、その点あまり傍若無人になるな、偽善もまた政治家の要諦《ようたい》じゃっちゅう事《こつ》ごわす」
この「奇矯なる偏理家」自身の眼は、しかし清教徒的な光をはなっていた。
「せっかく、いいにくか事《こつ》を申し出したついでに、いいにくか事《こつ》を――もちっと具体的な例を申そう。例の鹿鳴館の件についてでごわす。
実はこの春以来、拙者の妻はあれに出しておりもさん。それは妻がいま懐胎中っちゅう理由でごわすが、もひとつ、拙者自身に疑問があったゆえでごわした。それと申すは、世評のごとく、あれは西洋の猿真似じゃからというのじゃごわせん。猿真似結構ごわす。いまの日本にとっちゃひたすら猿真似のほかはごわせん。
そう思うて、拙者も協力して参ったが、ただひとつ、どげんしてものどにつかえるのは、あそこに来られる日本の貴婦人方でごわした。貴婦人方の素性でごわした。
外国じゃ、ああいう集まりに出られる方の家柄、素性っちゅうもんを案外に気にいたす。女性もその穿鑿《せんさく》をまぬがれん。それは日本人に対しても同様でごわしょう。それに対して、でごわすな、その日本の貴婦人が、あれは芸者、あれは妾、などいういかがわしかもんが――日本の芸者なんぞ、要するに売春婦の一種でごわすぞ――」
一座は氷結したようだ。
「いや、拙者、どなたがどうというわけではごわせん。また正直なところ、よくは知りもさん。じゃが、それが、一、二にとどまらん事《こつ》は承知いたしておる。
そもそもあの舞踏会なるものは外国人の共感を受けるための催《もよお》しでごわすが、さてそうなると、かんじんの外国人がいかが思うか、百の説法屁一つ、とはこの事《こつ》でごわすまいか。
外交はむろん政治の一つでごわしょう。ここにおいて、先刻申した、政治に不徳は不効率、っちゅう論が、これほど如実《によじつ》に現われた例はなか。――」
彼は大隈夫妻に眼を戻した。
「この点、大隈閣下はご心配ごわせん。閣下が芸者を買われたとか、妾を囲われたとかいうような風評はとんと聞いた事《こつ》はごわせん。さればによって、その政治的御手腕は効率上なんの障害もなく発揮さるるでごわしょう。閣下の御復帰を歓迎いたすゆえんでござります」
とってつけたような言葉を結んで椅子にどっかと坐ったが、しばしだれも声を出す者もない。こういう場合に、とぼけたことをいって、だれよりも座をとりなすのがうまい西郷従道も、即座には一語も出ないありさまだ。夫人たちの大半はまるで折れんばかりに首をたれたきりであった。
ほとんど、どうしようもないこの空気をまず破ったのは、主賓の大隈重信であった。ふいに彼が泰然たる声で、一種の節をつけて歌い出したのである。
「芸者買うなよ、芸者になるな。……かね」
「……あっ」
というさけびがあがった。
大山夫人と山本権兵衛の口からであった。
「閣下!」
権兵衛は立ちあがった。
「そ、その唄は、どこで……どこでおぼえられたもんでごわすか!」
大隈はキョトンと見返していたが、
「こりゃ妻《さい》からじゃが……それがどうかしたかね?」
と、いった。
十三
「妻《さい》?」
と、権兵衛はさけんだ。
「大隈閣下の奥さまがその唄を御存知なのでごわすか!」
大隈夫人は当惑した表情で、そばの重信を見た。
「私、そんな唄は……」
「なに、いつか我輩が病気で寝とるとき、お前が歌ってくれたじゃないか。ちょっと面白いので我輩はそこだけ聞きおぼえたんである」
と、大隈はいった。夫人はしかたなげに、
「ええ、うちにいた婆やから聞いたんですの。変った子守唄なので、私もおぼえましたのよ」
と、いった。
「うちの婆や?」
権兵衛が訊いた。
「その婆やはどこの人でごわす?」
「ええと、長崎生まれとかいってました。ねえ、あなたが肥前から連れていらした婆やだから、御存知ですわねえ」
「長崎生まれでごわすと?」
権兵衛は首をかしげた。
「その婆やはいまもおうちにおりもすか」
「いえ、もう亡くなりました。十年も前になるかしら」
西郷が遠くから声をかけた。
「山本少佐、どげんしたんじゃ」
「あ、いや……実は、ある子守唄を探しておったんでごわす」
権兵衛は自分をとり戻した。
吉原へいっても雲をつかむような結果に終った子守唄を、いま思いがけずこんな席で耳にしたので、びっくりのあまり思わず訊問口調になったのだが――この席には、子守唄探しを頼んだ森夫人の夫、森有礼もいる、ということに気がついたのだ。
もっとも、大演説をおえた当の有礼は、ほかのことにはわれ関せず焉《えん》とばかり――というより、いうべきことをいった、という満ち足りた顔で、悠然と椅子に凭《よ》っている。
「子守唄探しとは妙な話でごわすが……ある古い子守唄の完全なかたちのものを聞きたかと思って、それを探しておったんでごわす。その一節をいまはからずも大隈閣下が口ずさまれたので、驚きもした。……失礼しもした。あとでまたお尋ねしもす」
と、弁明して、権兵衛はどすんと坐った。
すると、大隈重信がいった。
「どうも、何だか、森さんの大獅子吼《ししく》にみな毒気をぬかれたようである。それはそれとして、ここはひとつ気を変えて、大いにやらんけりゃいかん。左様《さよう》、家内にいまの唄を歌ってもらおう。その前に、さ、諸君、まずビールを乾杯しよう」
と、だれが客だかわからない挨拶をして、ボーイにビールをつがせ、その大コップをとって立ちあがった。
「乾杯!」
一同乾杯のあとで、重信は夫人をかえりみてうながした。
「さ、歌ってくれ」
「困りますわ、こんなところで、あんな唄を」
「何でもいい、気分転換にゃ、唄がいちばんであるんである」
「だって、子守唄なんて、可笑しゅうございますわ」
「可笑しいところがいいんである。なに、ここにならんどるお歴々も、髯をとりゃみな幼児同然なんである。さ、歌え」
座の雰囲気と夫の意向を察したのだろう。それでは、と大隈夫人が、恥じらいながら歌い出した。
「ねんねんよう、おころりよ
水子《みずご》にならず生まれた子
いまは可愛さかぎりなし
江戸のお土産《みや》に何もろた
かんざし、葛《くず》の葉、小三味線《こじやみせん》
きらきら、さらさら、つんつるてん
ぼうやはいい子だ、ねんねしな。……」
権兵衛は手帖をとり出して、自分のメモした唄とくらべている。森夫人の唄とちがう。もっとも森夫人は「まちがっているかも知れません」とはいった。だからほんとうの唄を探してくれと頼んだのだ。
しかし、これが肥前長崎の子守唄だろうか? と権兵衛は首をひねった。
それにしても――可笑しいところがいいんである、と大隈重信はいったが、並いる明治政界の巨頭連が、神妙な顔をして子守唄を聞いているのは、客観的にみればたしかに滑稽な図であった。
神妙どころか、意味はわからないなりにその唄の切々たる哀調に、彼らはみんなホロリとした表情になっていた。気分転換どころではない。
十四
「ねんねんよう、おころりよ
あたしゃ信田《しのだ》にかえるぞえ
でんでん太鼓をねだるなよ
蝶々とんぼも殺すなよ
ねんねんころ市《いち》竹馬与一《たけうまよいち》
きらきら、さらさら、つんつるてん
ぼうやはいい子だ、ねんねしな。……」
部屋の中を歩きまわっている森有礼を、椅子に腰かけて山本権兵衛は眺めている。
采女町の森家である。さっき、特に呼んだ宮廷侍医のフォン・ベルツ博士が産室にはいった。妻常子の分娩の日だ。
あの築地精養軒での「大隈重信君激励の会」から十日ばかり後の午後であった。
歌声は、その産室からひびいて来る。
森有礼は、ようやくその子守唄は、妻の常子が求めていたものであったことを知った。常子が幼いころに聞いた乳母の唄だといい、記憶がおぼろげなので、正しい文句のものを探してくれと、大山夫人と山本少佐に頼んだという。
で、きょう常子が出産する予定なので、みずから大山夫人も来、それにくっついて山本も訪れていたのであった。
歌っているのは常子ではない。
大山夫人と――それから伊藤夫人、井上夫人、黒田夫人たちである。彼女たちは、あの日の二、三日あとから、代る代る見舞いにやって来て、常子の枕もとで、その子守唄を歌って聞かせてやっているのであった。
有礼は、彼女たちの訪れを拒否することが出来なかった。部屋を日本風に変えたにもかかわらず、常子のノイローゼ症状はいよいよひどくなり、そこにその子守唄を聞かせると、呪文のように安らかになるからである。
そして、いよいよきょうは、みんなそろってやって来た。――
しかし、どうも難産らしい。
「おはん……あたしゃ信田にかえるぞえ……とは、どげな意味か知っちょるか」
と、有礼は尋ねた。権兵衛は首をふった。
「存じもさんな」
彼は、何もひとの細君のお産などに立ち合いたくはないが、いままでのゆきがかりと、それから森有礼の異常な「胎教」の影響を見たいという好奇心もあって、大山夫人に誘われるままに来たのである。
「おいは調べたんじゃが、何でも信田妻っちゅう浄瑠璃《じようるり》があるげな。信田の森に棲む、葛の葉っちゅう名の狐が、人間の女に化けて人間の男の妻となり、子供を生んだが、ある日その子に正体を知られ、恋しくばたずねきてみよ和泉《いずみ》なる信田の森のうらみ葛の葉、っちゅう歌を障子に書き残して逃げていったっちゅう」
「ははあ。そいじゃ……ねんねんころ市竹馬与一とは何でごわす」
「そいつはわからん。どうせこげな唄は、ただ調子をつくるための無意味な文句が多いもんじゃからの」
しばらくして権兵衛は、この唄は狐「葛の葉」に託した芸者の子守唄らしい、どうやら、里に帰って子供を生んだ芸者が、子供を残してまた江戸に戻る唄らしい、と判断して、思わず、「そりゃ芸者の――」と口ばしりかけて、あぶないところで口をつぐんだ。
常子が分娩したのは、夕方であった。
うぶ声をあげて分娩されたのは女の子であった。
それをたしかめるより早く、大山夫人たちは一目見て息をひいた。ああ、それは金髪に碧《あお》い眼をした、世にも美しいあかん坊ではなかったか。……
「見せて」
と、やつれはてた常子がいった。
ふるえながら、伊藤夫人が、白い布につつんだあかん坊を抱いて見せてやった。
「ああ……やっぱり……」
と、常子はしずかにつぶやいた。
これを何と解釈していいのかわからない。――
「ドクトル」
三十分ばかりして、後産《あとざん》の始末をおえたドクトル・フォン・ベルツに、捨松がかすれた声で訊いた。
「アンティナータル・トレーニングということはあるのでしょうか?」
胎教、という意味だが、すべて英語であった。
ベルツ博士は、捨松よりへたな英語で、しかしきびしい表情で首をふった。
「私には何とも申しかねます」
「もういちど見せて」
と、また常子がいった。
そして、ふたたび顔のそばへさしよせられたあかん坊に見いって、常子は改めて納得したようにうなずいた。
「これで私はやっと森有礼の妻になれたわ。……」
と、つぶやいた。
「どうあろうと、決してこの子は残してゆかないわ。この子のいるかぎり、どこでも私は生きてゆくわ。……」
森有礼が産室に呼ばれたのは、さらに二十分ばかり後のことであった。権兵衛もこわごわついて来た。
すでにそのとき、五体健全の女の子であるということだけは知らされていたが、あかん坊を見て、さすがに有礼の顔に衝撃が走った。
「これは」
と、さけんで、彼は妻のほうを見た。
横たわったまま見返した常子の頬は、何カ月ぶりかに美しい血の色がさし、その眼は笑みをふくんではればれとかがやいていた。
「森さま」
と、伊藤梅子が呼びかけた。
「奥さまに胎教とかをなさいましたそうで、その甲斐がおありになっておめでとうございます。私たち一同、ほんとうにそう信じておりますわ」
井上武子夫人がいった。
「お祝いに、私たち、あの子守唄を歌います。しがない素性の私たちでございますけれど、女同士のはなむけと思って、あなたも聞いて下さいまし」
そして、大山夫人をのぞく女たちはしずかに歌いはじめた。
「ねんねんよう、おころりよ
狐の子じゃといわれぬように
はようおとなになっとくれ
おとなになったらなんになる
芸者買うなよ、芸者になるな
きらきら、さらさら、つんつるてん
ぼうやはいい子だ、ねんねしな。……」
森文部大臣は凍りついたように佇《たたず》んだままであった。
十五
帰りの馬車の中で、しばらく声がなかった。
「わからん。……おいにゃ、わからん」
ややあって、権兵衛は首をふった。
「胎教とは、あれほど効目《ききめ》があるもんでごわしょうか?」
数分、馬車の車輪の音ばかり聞いたのち、捨松がいった。
「常子サンの気持、やっとわかりましたわ。……」
「なんの気持?」
「出産が近づいて来て、あんなに異常な神経症にかかられたお気持が。……あの、日本風の暮しをしたいとか、子供のころ聞いた子守唄を聞きたいというのは、あれはお母さんを恋しがられる心の変形だと思いますけれど、そのお母さまを恋しがられる心は、出産に対する恐怖からだったと思うのです」
捨松は暗澹たる顔をしていた。
「生まれて来る子が、日本人の顔か、西洋人の顔か、常子サンにも予測出来なかったのでしょう。どうか日本人の顔をした子が生まれてほしい……その不安と希望が、どれほどむごいものであったかは、あのやつれ方を考えるとよくわかるわ。……」
「え。――と、すると?」
「アントワーヌ・バラン。……」
と、捨松はつぶやいた。
権兵衛は、驚きの声をあげなかった。悪夢のような想像だが、それは権兵衛の胸にもきざしていたことである。
「父親は、あいつでごわすか」
彼は指を折った。
「あの男が、洋服仕立屋として出入りしはじめてから、十月《とつき》以上は充分ごわすな。……」
「ああ、私があの人、紹介したのよ。私にも責任があるわ」
「いや、それは」
権兵衛の眼に恐怖の光が浮かんだのは、その次であった。
「森閣下は……それを御承知で、あの異人に夫人の看護をさせられたのでごわすか?」
「まさか。――森サンは、鉄の棒のようにまっすぐな正義の人です」
捨松夫人は首をふった。
「そんなまわりくどい、悪魔的なしっぺ返しなど、なさる人ではありません。森サンは何も御存知なく、大まじめに胎教のこと考えて、あんなこと、なすったのだと思います。それだけに、常子サンの苦しみも逃げ道がなかったのでしょう」
捨松は溜息をついた。
「しっぺ返しを受けたのは、森サンのほうかも知れないわ。……」
「あの夫人連の、芸者子守唄でごわすか」
「いえ、それより常子サンから」
捨松は眼を宙にすえてつぶやいた。
「あかん坊が生まれるまでは、あの人は苦しみの極にあったでしょう。けれど、生まれたあとは、かえってほっとしたようです。こんどのあの人の行為、日本産イギリス人とまでいわれる森サンに対する無意識の復讐《ふくしゆう》かも知れません。いえ、生んだあとでは、決して無意識ではなく、あの人、これでやっと森有礼の妻になれた、と、皮肉に、そして誇り高く笑いました。……」
権兵衛はしかし身ぶるいした。
「それで、これから、どうなるもんでごわしょう」
「たとえ離婚されても、常子サンは、あの碧い眼のあかん坊、抱いて、けんめいに生きてゆくでしょう、こんどは日本の女として」
捨松はいった。
「けれど、当面は、このこと秘密にしなくっちゃ。……伊藤サンや井上サンの奥さま方と、みんなで、そう約束したのです」
彼女たちは約束を守ったであろう。しかし、こういうことの秘密はいつまでも持続出来る性質のものではない。
内田|魯庵《ろあん》が「思い出す人々」の中で、鹿鳴館時代を回顧し、「終《つい》には某大臣の夫人が紅毛碧眼の子を生む怪事を生じた」と書いたのは、この事件をさす。
森常子とその子供の姿は、この明治十九年十一月以来、森家から消えた。
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大隈重信夫人
一
「おい、これを大隈どんにとどけてくれんか」
山本権兵衛が西郷海軍大臣に呼ばれて、一通の封筒を渡されたのは、翌明治二十年一月中旬の午前であった。
「金じゃ。一万円ある」
おそらく百円札であろうが、ちょっとした厚みであった。
このころの一万円がどれほどの値打ちがあったかというと――伊藤首相の月給が八百円だから、ほぼその年収にあたる。山本少佐の月給は百円であった。
――余談だが、同じころもりそば一人前は一銭であったから、権兵衛の月給はもりそば一万杯分である。現代とくらべ合わせてみると、当時の官吏や軍人の報酬は相当のものだったと見るべきだろう。
「いや、そのうち七千円は黒田どんの分じゃがの」
と、西郷はいった。
「先日、大隈どんが辻俥《つじぐるま》でどこかを通行しちょる姿を見た、と黒田どんに話した者があるそうじゃ。あの大隈どんが馬車を捨てられたとは、相当窮迫の態《てい》に見ゆる、と黒田どんが察しられて、おいに相談をもちかけられた。で、その御援助においも合力《ごうりき》する事《こつ》にしたが、黒田どんと大隈どんとは先年あげないきさつがあったから、大隈どんも素直にゃ受け取りにくかろ。そこで、おいの名前でさしあげる事《こつ》にした」
「は」
「それもな、大隈どんが作られた学校への寄付っちゅう名目じゃ。中に手紙もいれてあるが、おはんからもよろしくいってくれ」
こういうわけで、山本権兵衛は馬で赤坂の海軍省を出た。ゆくさきは早稲田だ。
いまにも何か落ちて来そうな曇天であった。
いま西郷が、「黒田どんと大隈どんとはあげないきさつがあったから」といったのは、六年ほど前のあの「北海道官有物払い下げ事件」のことだろう。
あのとき黒田を最も弾劾《だんがい》したのは大隈重信であった。少なくとも大隈一派の政治家や論客であった。そのため黒田は例のごとく大酒をあおって怒り狂い、あるいはピストルをひねくりまわし、あるいは大隈暗殺の刺客まで用意したなどという噂は、当時権兵衛も耳にしたことがある。
それが、どうしたわけか、いつのまにやら一転して、大隈支持に変ったらしい。
去年秋の「大隈重信君を激励する会」にも、けろっと出席した――どころか、名目の主催者は伊藤と井上だが、いい出したのは黒田だったとあとで聞いた。
なんといっても大隈は偉材じゃ、あれを野《や》におくのはお国のために大損じゃ、と彼はいったというのだが。――
「いま泣いたカラスがもう笑った、っちゅうのが了介《りようすけ》どんの了介どんたるゆえんじゃて」
と、従道《つぐみち》は笑って評したことがある。もっとも西郷自身も、それ以前に彼が主催した舞踏会に大隈夫妻を招待したのだから、蛟竜《こうりよう》ながく池中のものならず、の感をいだいているにはちがいない。
さらに、黒田は名をかくして、いま窮境にある大隈に資金援助をしようとしている。
それにしても、七年ほど前までは事実上日本の最高実力者であった大隈重信の凋落《ちようらく》ぶりには驚かざるを得ない。
「いや、政治家っちゅうもんも大変な事《こつ》じゃて」
と、権兵衛は嘆息した。
「ああ、一日も早く海へ帰りたか。――」
が――後年、だれも知っているように、山本権兵衛も「政治家」になるのである。そして、井上や山県や大隈らとも、きょう喧嘩してあす握手する、相身たがいの政治家の世界にはいってゆくことを余儀なくされるのである。いや、すでにいま、上司からの命令とはいえ、こんな用件のために使《つかい》するのが、そもそものはじまりの徴候であったのかも知れない。
が、いまはもとよりそんな未来は夢にも知らず、海軍大臣伝令使山本権兵衛は、外套《がいとう》に頭巾《ずきん》をかぶって、次第にまばらになる町並みを「都の西北」に向って、馬を駈けさせていった。途中、チラチラとついに雪が舞い出した。
二
明治十一年に山県|有朋《ありとも》が、目白に一万八千坪の土地を求めて椿山荘《ちんざんそう》を作ったとき、「おれにもう少し金があれば、早稲田一帯も買いしめてぜんぶ池にするんじゃが。――そうすると、完璧な庭が作れるじゃろう」と、いったという。
傍若無人なものだが、しかしまたそのころの早稲田は、いちめんの池にしてもさして痛痒《つうよう》を感じないような、ところどころ大|竹藪《たけやぶ》と雑木林があるものの、あとは「一望|際涯《さいがい》なく、広漠たる田野《でんや》なり」と「風俗画報」に書かれているような土地だったのである。
山県に池にされないうちに、大隈は、この早稲田にあった井伊家の下屋敷と、その隣りの旧高松藩松平|讃岐守《さぬきのかみ》の下屋敷を買い求めておいた。そして、明治十四年の政変で失脚したあと、井伊家のほうに東京専門学校(のちの早稲田大学)を作り、松平家のほうを自邸とした。
のちに大隈はいう。
「当時学校と我輩の家、それに我輩の小作人の藁家《わらや》一つのみで、道路はわずかに一間《いつけん》半、馬車も通ぜぬ寂寥《せきりよう》たる一寒村、蛍、摘草《つみくさ》の名所として、下町から来るお嬢さんたちの姿は、このへんの人々には珍しくて、まるで都人《みやこびと》を見るの感じがしたんである」
もとは大名の下屋敷だが、いまは古び切っているその大隈邸に、権兵衛は雪に真っ白になった姿でたどりついた。
彼は馬をつなぐ場所を探した。
前庭の横のほうに、風呂桶ほどの桶をのせた大八車があった。これにも薄く雪がつもっている。とりあえず、その梶棒《かじぼう》につなぎかけると、
「こらっ」
と、叱る声がした。
ふりかえると、家の横のほうから、笠をかぶり、髯のあるのとないのと、三十前後と見える二人の男が出て来た。それが、二人とも、両手に大きな沢庵《たくあん》を何本ずつかぶら下げている。
「その大八車は、これから運ぶんじゃ」
と、髯のあるほうがあごをしゃくった。
「ほ、左様でごわすか」
二人のうしろから、傘をさして一人の娘が現われた。
「馬をつなぐにはどこがよろしいか」
と、訊《き》くと、彼女はあたりを見まわして、ちょっと離れた場所にある細い立木を指さしたが、
「お客さまでございますか」
と、尋ね、
「おじさまなら、きょうはお出かけでございますが」
と、いった。
「ほう、お留守。……それじゃ、奥さんにお目にかかりもそ」
馬をつなぎながら、権兵衛はいった。その間に、二人の男は大八車の上の桶に沢庵を放りこみ、またスタスタと家の横を奥へはいっていった。娘もそれにつづいてひき返す。雪の中に、匂うような美しい娘であった。
大隈どんの学校の書生じゃろうか、それにしちゃ少し年をくい過ぎとるし、乱暴過ぎるようじゃて。――それに、いまの娘さん、大隈どんをおじさまと呼んだところをみると姪《めい》か知らん、などと権兵衛は考えながら、玄関に歩いていった。
さて、訪《おとな》うと、別の書生が現われた。彼は夫人に面会を求めて、応接室に通された。
三
和室だが、一応西洋風に作ってある。ここもそうだが、玄関、そこからの廊下にも、権兵衛はふしぎな感覚を与えられていた。すべて古びてはいるが、一点の塵《ちり》もとどめない清潔感があるのだ。古びているだけに、いっそうその磨《みが》きぬかれた感じが目立つのだ。
やがて綾子夫人が現われた。
「まあ、この雪の中を」
と、彼女は気の毒そうにいった。
「いや、途中で雪になったのでごわす」
と、権兵衛は答えた。
初対面ではない。去年春、鹿鳴館でも見かけているし、秋、築地精養軒でも逢っている。
「また鹿鳴館? あのときは何とかして参れましたけれど、もう鹿鳴館どころじゃありませんわ。……だいいち、馬車も処分したんですもの」
と、夫人は笑った。
大隈の場合、西郷主催の舞踏会に招待状は出したものの、特に勧誘には来なかったが、大山夫人と山本が狩り出し役になっているという話は、精養軒で披露されたから、大隈夫人も知っているのだ。
その大隈が馬車を処分した、ということが、こんどの黒田どんの援助金の話のはじまりだ、と考えながら、権兵衛はいい出した。
「いや、鹿鳴館の話じゃごわせん。きょううかがったのは、実は西郷海軍大臣からの御用でごわすが、大隈閣下の学校に御寄付なされたかとかで、それをあずかって参りもした」
封筒を出した。
「一万円あります。中にお手紙もはいっとるそうでごわすが、とにかくお渡しいたしもす」
「まあ、一万円」
さすがに驚きの色が走ったが、手は出さないで夫人は権兵衛の顔を見た。
「大隈への御喜捨《ごきしや》ですって?」
「いや、学校への寄付だそうでごわす」
「何にしても、それはいただけませんわ。……」
綾子夫人は、はげしく首をふった。
封筒は、テーブルのまんなかに置かれたままになった。
権兵衛はまごついた。
「それは困りもす。西郷大臣からの御下命で参った小官としては」
「その西郷さんが困るのよ」
「なぜでごわすか」
「あの方、薩摩の方でしょう。ですから。――」
といって、綾子夫人は声をのみ、それから顔色を改めていい出した。
「あなたも薩摩の人でしょう。でも、海軍少佐じゃ、何も御存知ないわね。……私、嘘をつくのはいやですから、それじゃ申しましょう。あの、六年ほど前、大隈が政府から追い出されたときの、薩摩の方々の仕打ちを思い出しますと――また、それ以来の意地悪を思い出しますと――」
声に涙がふくまれた。
――夫人がいっているのは、いわゆる明治十四年の政変のことだ、と権兵衛は察した。
大西郷、大久保亡きあと、参議首席として、事実上首相の地位にあった大隈重信は、そのとし突如その地位からひきずり落された。同じ佐賀人として第二の江藤新平視され、謀叛《むほん》罪の疑いで、いっときは生命さえあぶない状態におかれた。大隈はどうしてそんな事態になったのかわからず、彼としては珍しくあわてて、天皇の意志を聴こうとして参内しようとしたり、自分の無実を訴えんがために有栖川宮《ありすのがわみや》家に駈けつけたりしたが、いずれも門で追い返された。薩摩の手がまわっていたのである。
原因は、大隈派の、例の黒田攻撃にあった。薩摩の代表者黒田のみならず、薩摩人の大半が大隈の弾劾に恐慌をきたし、怒り狂って反撃に出たものであった。大隈は佐賀人だが、肥前閥はなきにひとしく、政界において彼は孤立独歩の人物であった。これに対して薩摩は、政府、軍部、警察に網の目のごとく閥をなしていた。これが総ぐるみで「大隈下ろし」にかかったのだ。その狂乱ぶりには、大隈と悪くなかった長州の伊藤や井上も手を出しかねて、傍観しているほかないありさまであった。
失脚した大隈は、早稲田に学校を作った。それに対して、大隈は謀叛人の養成学校を作ったという風評をたて、大隈に融資しようとする銀行に圧迫を加え、教授を依頼された学者にも有形無形のおどしをかけたのは薩摩閥であった。
そのころ山本権兵衛は海軍大尉として海にあった。だから、むろんこの騒ぎは関知していないが、漠然とその輪廓は承知している。
「この一、二年、何だかまた風向きが変って来たようですわね。……でも、その風向きはいつまた変るかもしれませんわ。……」
権兵衛は懸命に弁明した。
「しかし、西郷閣下はもとから大隈閣下を買われておった方ごわす。でごわすから、去年春の鹿鳴館にも、隔意なく御招待状をお出しになったのじゃごわせんか」
「私はあれに出るのも気がすすまなかったのですわ。大隈は痛い目をすぐ忘れるたちで、なに、せっかく招いて下さったんじゃから、と申して応じましたけれど……精養軒に参るのも、ほんとうは私はおことわりしたかったのですわ」
夫人はいった。
「私は、大隈に、二度と政治の世界に戻ってもらいたくないのでございます。あんな馬車馬《ばしやうま》のようなたちですから、何もなければこんなへんぴなところにじっとくすんでいることなど出来ないでしょうけれど、さいわい、学校というものがございます。正直、そのやりくりに苦しんでおりますけれど、とにかくこれからはただそれだけに力をいれて暮してもらいたいと、私はそう祈っておりますの」
「この金は、その学校のために、西郷閣下が……」
「いいえ、それでもいけません。西郷さんのお人柄はよく存じあげておりますわ。でも……私、嘘をつくのはいやだから、はっきり申しますと、薩摩の匂いのついたお金は、そばにおいておくのもいやなのでございます」
凜然《りんぜん》とした声のひびきであった。
「嘘をつくのはいやだから」と、夫人は先刻から二度いった。権兵衛は、この家に塵もとどめぬ清潔感があるのはこの夫人のせいであることを感じた。
実はその金の大部分は、おそらく夫人が最も敵意をいだいているであろう黒田清隆からまさしく出ているのだから、権兵衛も心中うなるばかりで、しばらく言葉もない。
そのとき、若い女が茶と菓子を持ってはいって来た。――さっき、外で見かけた娘だ。
二人の沈黙を話のとぎれたものと思ったらしく、夫人に尋ねた。
「あの、おばさま、来島《くるしま》さまが沢庵のお代金はいくらかとおっしゃってますけれど」
「ああ、それはいいわ。うちは漬物屋じゃないんだから。……それより、あの人に訊きたいことがあるわ」
と、夫人は娘の顔を見ながら答えた。なぜかこのとき、娘の頬がぱっとあからんだ。
「ちょっと話があるからといって、そう、あちらの客間にあがって待っていてもらって下さいな」
娘が退《さ》がっていったあと、権兵衛は訊いた。
「えらく美しか娘さんごわすが……姪御さんでごわすか」
「いえ、知り合いのお嬢さんを、うちでおあずかりしているんでございます」
と、答えて、大隈夫人は、「失礼いたします、それじゃ」と、椅子を立ちかけた。
四
「ま、ま、ま」
権兵衛はあわてた。
大隈夫人が金を辞退した理由はよくわかったが、さればとて、子供の使いではあるまいし、つき返された金を持って、あっけらかんとは帰れない。その金は、たとえ名はかくそうと黒田が大隈に手をさしのべたものだ、と推察されるだけに、夫人の薩摩拒否の心情を聞いては、いよいよ簡単に退却は出来ない。
が、とっさに相手をひきとめる言葉を失って、
「それはそれとして、奥さん、ちょっと別の話でおうかがいしたか事《こつ》がごわすが」
と、いい出した。
「何でございましょう」
「いつぞや、精養軒で承った子守唄でごわすな。――あれをあのとき、教えていただきもしたが」
「はあ?」
「奥さんは、ありゃ長崎の子守唄じゃといわれもしたが、そりゃほんとでごわすか?」
相手をひきとめるためもあったが、あれ以来権兵衛の胸にひっかかっていたことでもある。
これを突拍子もない質問とは思わず――精養軒で、「そ、その唄は、どこでおぼえられたもんでごわすか!」と、ただならぬ大声をあげた海軍将校を、綾子夫人は改めて見まもった。
あのとき彼は、「その唄の完全なかたちのものを探している人がある」といい、彼女は「それは自分のうちの婆やから聞いた」と答えたのであった。
綾子夫人は訊き返した。
「なぜ、そんなことをお尋ねになるのですか」
「どうも長崎の子守唄らしくなか。それに……その唄を歌っていたのは、御一新前、吉原で芸者をやっておった女じゃと聞いておりもしてな。実はその女を探しておるのでごわすよ」
森夫人の母親の消息はいまだにわからない。もうどうでもいいことだが、そのひとはどうしたか、という疑問がいまだに残っているのは事実だ。
「あなたがその唄を聞かれたこちらの婆やは、たしか十年ほど前に亡くなったっちゅう事《こつ》でごわしたな。……生きとられりゃ、訊きたか事《こつ》もごわすが、それじゃいたしかたなかが。……」
思いがけず、このとき大隈夫人の顔に異様な変化が起った。
いつか井上夫人が大山夫人に、私と同じ年の方は大隈夫人、と話していたのを聞いたことがある。してみると大隈夫人はたしかことし三十七のはずで――しかし、清潔で温雅な顔は、まだ三十半ばにも達しないように見える。やはり、たぐいまれな美人、と評していい範囲にはいるだろう。
その美しい顔が、ふいにわなないて、
「申しわけないことをいたしました」
と、夫人はいった。
「嘘をつかないことをなるべく誓いとして参りましたのに……あのとき、思わず嘘をついてしまいました。婆やから聞いたというのは、嘘でございます。そんな婆やは、うちにはおりませんわ」
「ほ?」
「あれは私が、吉原にいたころおぼえた唄でございます」
権兵衛は仰天した。
なに、この人が、吉原?
ほかの大官の夫人連に柳暗花明《りゆうあんかめい》の巷《ちまた》から来た人が少なくないことは、こんどの舞踏会への勧め以前から、ちらちら耳にしていた。西郷従道もそういった。
しかし、大隈どんの奥さんも、そうであったとは? これは驚くべき初耳だ。
いや、大隈夫人については、いつかだれからか聞いたことがある。
「奥さんはたしか、大身のお旗本の――」
「はい、私は、生まれは三枝《さえぐさ》という八百石の旗本の娘でございます」
「それが、吉原――いま、吉原と聞きもしたが」
「あの瓦解《がかい》のとき……中風の父をかかえて一家は駿府にゆかなければならない羽目になり、それまでに少なからぬ借銭もございました。それで私はすすんで吉原に身を沈めました。御一新の年の暮のことでございます」
「吉原の、芸者さん、ごわすか」
「いいえ、遊女でございます。あのとき、芸者ではお金になりませんでしたから」
夫人はひくく、しかしキッパリといった。
「あの唄は、そこでおぼえたのでございます。いまあなたは、それを歌っていたのは吉原の芸者だったとかおっしゃいましたけれど、私に聞かせてくれたのは、|やりて《ヽヽヽ》という廓の老婆でございました。だいぶ以前に吉原で歌われた唄らしゅうございましたけれど、あまり哀しい唄なので、つい耳にしみこんでしまったのでございましょう」
「………」
「年が明けて春、大隈が吉原に参りました。大隈は新政府の参与とか申すお役についておりましたが、見世《みせ》で私を見るやいなや、すぐに身請けして自分の家に……のちに築地の梁山泊《りようざんぱく》とかいわれた屋敷へ連れていったのでございます」
よほど気にいったと見える。そのころの彼女の美しさが思いやられる。
――その梁山泊で、中井桜洲が、大隈を御前と呼ぶ料理屋の女将《おかみ》に「御前とは遊女のこと、大隈どんの奥さんを呼んだのか」と悪謔を放ったのは、中井がどこまで事実を知っていたのかわからないけれど、それでは大隈も夫人も、癒《い》えかかった傷をひっかかれたような表情になったのも無理はない。
そんな挿話は、権兵衛は知らない。
彼は自分の苦しまぎれの質問が、はからずも夫人の秘密をひきずり出す結果になったことにただ驚いた。
秘密だろう。八百石という大身の旗本の息女から、元勲大隈重信夫人へ――その間に挿《さ》しはさまれたただ一枚の遊女の絵、それは彼女にとって一夜の悪夢のような履歴だろう。
しかし、それを夫人はなぜ告白したのか。――
権兵衛はしかし、感動の眼で綾子夫人を見つめた。彼はあやうく、「奥さん、恥じなさるな、実はおいの女房も同じでごわす!」と、うめきかけるところであった。――その声をのんで、
「こりゃ、妙な事《こつ》を詮索したばかりに、とんでもなか事《こつ》を承って、相すまん事《こつ》ごわした」
と、彼はいった。
「いえ、私があなたにこんなことを白状しましたのは」
と、夫人は首をふっていった。
「あのとき嘘をついたことが、自分でもどうにも不愉快でございましたので、いま白状して実はせいせいしているのでございますわ」
彼女は微笑さえしていた。
「ですから、いま西郷さまからのせっかくの御寄付をおことわりするなど……そんな大それたことの出来る資格もない私ですけれど……そんな素性の女だけに、かえって空威張《からいばり》したくなるのかもしれませんわねえ」
「いや、それは」
権兵衛は、また応答の言葉を失っている。
綾子夫人は、そんなことをいったけれど――のちに知る。いや、それまでも権兵衛が気づいていたことだが、平生彼女は清潔ということにきわめてデリケートで、家の内外の掃除、諸道具食器類の洗浄に入念であったのみならず、自邸の井戸の衛生にも注意を払い、よそに泊るときもその水を持参し、また当時にしては珍しく人工着色した食物を排斥したという。夫の大隈がそんなことはまったく念頭にないような豪放|磊落《らいらく》の人物であっただけに面白い。生まれつきの性格であったかも知れないが、ひょっとすると、若いときの汚れた自分の絵から反動的に生じた一種の神経症ではなかったか。――
「ま、しかし、奥さんのお気持はわかりもしたが、こりゃ大隈閣下へのお金でごわす。いちど閣下の御意向をうかがって下され。……」
と、権兵衛が哀願していると、先刻の娘がまた顔を出して、
「あの、来島さんが、雪があまりつもらないうちに帰りたい、ついては沢庵代を……ただというわけにはゆかない、早く代金をいってくれるようにとおっしゃっていますけれど」
と、いった。
五
綾子夫人はうなずいたものの、娘が去ってからもしばらく考えていたが、やがて、
「山本少佐……はじめてきょうおいでになった方にこんなことをお頼みするのも変でございますが、ちょっとお願いをきいて下さらないでしょうか」
と、おずおずといい出した。
権兵衛は、夫人の顔が若い娘のようにぽうとあからんでいるのを見た。
「何でごわすな」
「いまのお客のことですけれど……お客というのもおかしゅうございますね。去年の夏ごろから、うちに野菜を――いま、うちでは学生に手伝ってもらって、畑で野菜を作っておりますが――その野菜を買いに来る青年でございます。一人は中江|兆民《ちようみん》先生の仏学塾にいっている苦学生だそうですが、もう一人は何をやっているのかわかりません。……」
「苦学生? そういえばさっき、チラと玄関先で沢庵をぶら下げているのを見かけましたが、あれでごわすか。学生にしちゃ、少し年くっておりもすの」
「でも、そう申します。何でも牛込に住んでいるとかでこちらで野菜を買って、神楽坂あたりの大道で売って、苦学の助けにしておりますそうで……うちはよそのお百姓より安くわけてあげますのでよく来ましたが、冬になってから顔を見せなくなりました。それがさっき、久しぶりにやって来たのでございます。けれど、いまの季節、野菜がありませんので、沢庵を――それも大きな樽《たる》にいくつも漬けて納屋《なや》にあるのですが――それを一桶《ひとおけ》持ってゆかせることにしたのでございます」
その沢庵を何本か両手にぶらさげていたのは、桶が大き過ぎるので、何本ずつか沢庵をつかんで大八車に運んでいたのだろう、と権兵衛は推察した。
「その仏学塾にいっているほう――名は来島というのですが――その方を、いまの美也《みや》という娘が好きになったようなのでございます」
「ほ?」
「秋ごろから鬱々《うつうつ》と考えこんでいるので、大隈のほうが気がつきました。で、私から問いただしたところ、娘がやっと打ち明けました。来島さんが好きだと」
権兵衛は、さっき雪の中に匂うように上気していた娘の顔と、夫人が、その青年に訊きたいことがある、といったとき、ぱっとあからんだ娘の顔を思い出した。
「あの娘さんは?」
「実は三井の番頭さんのお一人にあたる方のお嬢さんで、どういうわけかうちを見込んで、行儀見習いにお預けになったものでございます。それが、将来結婚のことも、一切大隈にまかせる、とまでおっしゃっているのですけれど」
「そげな、金持のお嬢さんを」
「いえ、結婚に家柄などは二の次だ、と向うの親御さんはおっしゃって――もっとも、うちの学生か何かを考えられてのことでしょうが――大隈も、いまの政府のお歴々を見るがいい、大半もとは下郎の出じゃ、と申し――その上、いつか畑でその二人と立ち話をしたあと、何を話したのか、あれは近来まれなるたいしたやつらだ、うちの学生にもあれだけの男はおらん、と馬鹿に感心しておりました」
「ほほう。……」
さっき、ちょっと接触したかぎりでは、何ともぶっきらぼうな連中に感じられたが。……
「それにしても、まだ素性が不明過ぎます。なんべんも大根や人参や茗荷《みようが》を買いに来るくせに、二人とも恐ろしく口数の少ないたちで、いまのところ二人とも九州福岡の生まれらしい、一人は――来島という人が仏学塾に籍をおいている、ということくらいしかわかりません」
「そげな男に、あのお嬢さんを」
「いえいえ、まだそこまできめているわけではございません。何にしても、もう少し素性がわかりませんと……それを知りたいのでございます。だいいち、その人が独身かどうかさえわかりません。おそらく独身だろうと思っておりますけれど……前々から、こんど来たら尋ねてみよう、と考えておりました。それが、きょう久しぶりに参りましたので、とにかくいまお聞きのように座敷に通したのですけれど……」
夫人はやや困惑した表情で、
「いざとなると、正直なところ、何からどういう風に訊いていいやら……それに、少々気味悪いところもございます。当の来島という人はまだ服装もサッパリして、人柄も落着いて見えますけれど……もう一人のほうが、どこか乱暴で、怖い感じがございまして」
さっき自分をどなりつけた男だな、と権兵衛は考えた。
「ですから、それをあなたにお願いしたいと」
権兵衛はまごついた。
「おいが……何か訊くのでごわすか」
「海軍の軍人さんなら、ああいう荒武者を扱い馴れていらっしゃるでしょう。あちらもまともに応対してくれるでしょう。……」
「何を訊くのでごわす」
「素性やら、いまの生活やら、将来の望みやら――もし独身なら、結婚の意志があるかどうか、など――むろん、私も参ります。ただ、あなたから訊いていただきたい、それをお願いしたいのでございます」
縁談ばなしの仲介人、とはまた思いがけない役目を頼まれたものだ、と権兵衛はめんくらった。
そんなえたいの知れない相手に縁談を持ちかけるのも奇抜だし、それをまた、きょう突然訪ねて来た自分のような武骨な軍人に周旋を依頼するのも、いよいよ奇抜だと思う。
ただ、権兵衛は――彼はそんな世話役とはまるきり縁の遠い顔をしているのに、女性が何か依頼したくなるふしぎな個性を持っていることを自覚していなかった。
その用を果たしたら、この金を受けとってくれるかも知れん、と、ふいに彼は思いついた。先刻の告白による、この夫人への好感もあった。
「ようごわす。おいも逢ってみましょう」
と、彼はうなずいた。
六
――座敷には、大きな座卓があって、両側に火鉢が置いてあった。その向う側の火鉢をはさんで、二人の若者が坐っていた。
若者、といっても、二人とも三十前後――その若いほうはきちんと正座していたが、年上のほうはあぐらをかいて、卓上に出された芋をムシャムシャ食っているところであった。
大隈夫人といっしょにはいって来た海軍将校を見て、けげんそうな表情の二人の前に、権兵衛は坐って、
「大隈家の知人で、海軍少佐山本権兵衛っちゅうもんでごわす」
と、挨拶し、
「ちょっと、おはん方に――特に来島《くるしま》どんのほうにお尋ねしたか事《こつ》がごわしてな」
と、いった。若いほうの姓だけはさっき夫人から聞いた。
「何かいな」
「警察の訊問じゃなかが――よかったら、お名前と生国《しようごく》と年齢をおうかがいしたか」
「僕ね? 僕は来島|恒喜《つねき》、生まれは福岡、二十九歳」
と、来島は答えた。
権兵衛はもう一人を見た。
「おはんは?」
これは、半分かじったままの芋を離そうともせず、あぐらをかいたままだ。
「頭山満《とうやまみつる》」
と、彼は名乗った。
「おれも福岡、三十三」
来島が髭をきれいに剃って、質素ながら一応洗濯したらしい久留米絣《くるめがすり》の着物に袴《はかま》をつけているのに対し、これは着流しで、髯をはやして、そして怖ろしく汚い。
「来島どんは、いま何をやっておらるるのかな」
「中江兆民先生の塾に籍をおいとります」
「籍をおいとる? あまりゆかれんのか」
「そういうわけですたい」
「どげんして?」
「金がなかけん」
平然といって、来島は夫人を見た。
「奥さん、沢庵代はいくらかいな」
「あんなもの、いいのよ、さしあげますわ」
「そういうわけにゃゆかん。僕たちは乞食じゃなかけんねえ」
夫人は苦笑して、
「それじゃ……そうね……十銭でもいただいておきましょうか」
「一本かじってみたばってん、なかなかうまかあ」
と、頭山がいった。
芋を食いおえて、彼はあぐらをかいた着物の裾から手をいれて、しきりにどこやらかいている風であった。
「ありゃ、奥さんが漬けられたっちゃろう?」
「左様でございます。――学生に手伝ってもらって」
権兵衛は来島に質問をつづけた。
「塾にゆかんで、何しとらるるのかね」
「やることはいろいろありますけん」
「どげな事《こつ》を?」
来島は答えず、ただにっと笑って友人のほうをかえりみた。
頭山もニヤリとしたが、これも黙って、着物の裾にいれた手を出して、何やら妙なことをしている。――実は、卓をへだてているので、その動作は権兵衛によく見えなかったのだが、頭山が火鉢のふちに白い紐みたいなものを一本ずつ貼りつけているようなので、はじめて気がついたのだ。
何やら気にかかりながら、何であるかわからず、権兵衛はまたいった。
「おはん……学資をちゃんともらって勉強する気はなかか」
「そりゃ、ありがたかあ。学資ば出してくれる人がおるとですか」
「なかでもなか。――」
権兵衛は一息おいて、
「おはん、独身かね」
「むろん」
「お嫁さん、もらう気はなかか。――」
「ありまっせん」
「なぜ?」
「僕はあまり長生きせんと思っとりますけん」
権兵衛は例の虎の眼で相手を見すえた。やや面長《おもなが》の、彫りのふかい、りりしい容貌の青年の顔色は、まったく健康的だ。しかし、返答の声は、短いが重く、決してふざけた調子ではない。
「こりゃ、まじめな話じゃが」
と、権兵衛は少し声をはげました。
「実は、唐突じゃが、おはんの妻になりたかっちゅう、金持のお嬢さんがあるが。――」
「どこに?」
「こちらに預かっとられるお嬢さんで――おはんも知っとるじゃろ、さっきおはんらが沢庵を運んどるとき立ち会っとられた美しかお嬢さんじゃが」
来島は権兵衛の顔を見た。それから、突然、真っ白な歯をむいて、大声で笑い出した。
「何が可笑《おか》しか?」
そのとき権兵衛は、頭山という男が三十センチもある白い紐をつまんだ片手をさしあげて、ブラブラさせているのを見た。
「こりゃ長かあ」
と、自分で感心して眺めている。権兵衛は訊いた。
「何じゃ、それは?」
「さっきから、尻の穴がムズムズするけん、少しずつ引っぱり出しとるところですたい。ひっぱると切れるもんじゃけん、ここに貼りつけとったが、こりゃ長かあ」
「じゃから、何じゃ?」
「どうやらサナダ虫のようですたい」
大隈夫人がさけび声をたてて立ち上がり、口を手で覆って逃げ出していった。
権兵衛も、眼をむいたまま、絶句した。
来島は二銭銅貨を五枚卓上にならべると、立ちあがった。
「頭山さん、帰ろう」
頭山がはじめて頭を下げた。
「御馳走になりました。奥さんにあやまっといてくんしゃい」
七
しばらくして来島と頭山は、沢庵桶をのせた大八車を曳《ひ》いて帰っていったが、さすがに権兵衛はそれを見送る勇気はなかった。
綾子夫人は家人らに、例の火鉢そのものを壊して焼却することを命じた。その騒動が終ったあと、
「奥さん、縁談の件はだめでごわすな」
と、夫人にいいながら、しかし権兵衛は考えこんでいる。
いまの男たち、まことに人を喰ったやつらだが、といって故意にこちらを馬鹿にしたそぶりでもない。いや、彼らの行状とは別に、ただ対座しているだけで、ごろんと石のような重いもの、あるいは何か人間界を超越した世界に住んでいる自然児のような感じを与えたのである。
「ええ、もうコリゴリ、美也も身ぶるいしていますわ」
「ま、来島っちゅう男のほうは、サナダ虫とは無縁でごわすが」
「いえいえ、二人友達というだけで、もうたくさん」
「しかし……どげなわけでごわすかな。おいは大隈閣下が、あの両人を、近来まれなるたいしたやつじゃとおっしゃった事《こつ》を、なるほどと思い当るような気がしてならんのでごわすが」
「それはどういう意味でございましょう?」
ふしぎそうに夫人が訊き返し、
「いま、それを考えちょるところごわす」
と、権兵衛が答えたとき、玄関のほうでざわめく人声がして、すぐに美也が駈けこんで来た。
――ちょうど、来島らが去ってから三十分ばかりたってからだ。
「おばさま、おじさまがお帰りでございます」
「あ、そう」
「それが、あの大八車に乗せられて」
「え?」
「何でもおじさまが歩いてお帰りになる途中、足が痛んで立往生していらっしゃるところへ、来島さんらがゆき逢って、おじさまを車に乗せてまたひき返して来たものらしゅうございます」
「まあ!」
夫人と権兵衛は急ぎ足で玄関に出た。
雪はもう十センチくらいつもり、なおはげしくふりしきっている。その中に、外套に山高帽をかぶった大隈重信は、頭から雪まみれになって、下男にかかえられるようにして立っていたが、靴も靴下もぬいだ右足をあげて、裸足《はだし》の足を眺めていた。
「どうなすったのでございます?」
夫人が駈け寄って尋ねた。
「靴ずれじゃが、なるほどひどいことになっとる。痛んで歩けなかったわけじゃ」
と、大隈は顔をしかめた。
「ああ、そりゃいかんばい」
尻っからげ姿の頭山がのぞきこんでいった。
「おれたちの仲間に、靴をはいてうれしがって歩きまわっとるうちに、靴ずれがもとで脱疽《だつそ》になって死んだやつがおりますばい」
そういう頭山と来島は、素足《すあし》にわらじをはいている。
「ほう?」
大隈は不安そうな顔をした。
「そりゃ手遅れにならんうちに、早く足を切ったほうがよかですよ」
大まじめにいって、あははは、と笑い、
「それじゃ大事にしんしゃい」
と、大八車のうしろへ寄って、しげしげとその上に鎮座している沢庵桶を眺め、
「何だか火葬場《やきば》にゆくようじゃのう」
と、いった。
梶棒の中にいた来島は笑いながらふり返って、ちょっと目礼した。大隈や夫人にではなく、あきらかに美也に。――
来島が曳き、頭山が押して動き出した大八車に、大隈は声をかけた。
「いや、ありがとう」
遠ざかってゆくその桶の上には、重《おも》しの石がごろんと乗っている。大隈重信は、その沢庵桶といっしょに運搬されて来たらしい。
下男にかかえられて、大隈は一本足で玄関にはいって来て、式台に腰を下ろした。
その全身の雪を払いながら、
「あなた、歩いてお帰りになったんですか。なぜ俥《くるま》をお使いにならなかったのでございます」
と、夫人が呆れたように尋ねた。
「この雪で、どの俥も早稲田までは来てくれんのである」
と、大隈はいまいましそうにいった。
「やはり、馬車は必要なもんじゃな。……だいいち横浜の平沼がの、俥で乗りつけた我輩を見て、大隈さん、馬車なしの大隈さんなんて見ちゃおれん、ちゃんとした金貸しは、倹約して金を返す人間なんぞにゃ二度と貸さん、借金だらけになっても馬車でふんぞり返っとる人にゃ、また大金を貸すもんですよ、といったんである」
そういいながら、彼は支えられて、廊下を歩いてゆく。
彼はその日、横浜で有名な平沼専蔵という大高利貸しのところへ金を借りにいっていたのである。――はじめてではない。この日だけでもない。結局彼は、この平沼から十三万円という大借金をすることになる。大隈重信このとし五十歳。ここ数年が、彼の生涯において最大の苦難の時期であった。
応接間の前で、ふと彼は、自分を囲んでいる人々の中に、海軍少佐の姿をはじめて見て、不審な表情をした。
「ちょっと……山本少佐、大隈を支えてやって下さい」
綾子夫人がいった。そして、ほかの人間はそこで追い返した。
権兵衛が大隈をかかえて、応接間のソファに坐らせた。さっきの封筒は、卓上にそのままだ。
それをとりあげた夫人は、西郷さんからの寄付金のことと、自分がことわったことを報告した。
それをうわの空に聞きながら、大隈はその封筒をとりあげ、封を破って中の手紙を読んだ。
「ああ、そうか。御好意のほど、西郷さんによろしく礼をいうてくれ」
と、彼はいった。
なんの抵抗もなく、金はもらうつもりと見える。
綾子夫人は黙ったまま、権兵衛にちょっと頭を下げた。夫のあまりにも無造作《むぞうさ》な受領をわびたのか、先刻の自分の拒否をわびたのかわからない。ただそのやさしいけれど一つの意志を持った顔には、無限の哀しみがあった。
八
家政緊縮のためにいったんは馬車を処分したけれど、綾子夫人はふたたびそれを手にいれることを決心した。
高利貸しに、馬車を乗りまわすような男じゃないと金は貸せん、といわれたのを真《ま》に受けたわけではないが、あの雪の中を沢庵桶といっしょに運ばれて帰って来た夫の哀れな姿を思うと、やっぱり馬車は要《い》る、と考えないわけにはゆかない。
ほかの人間ならともかく、大隈重信が往来《おうらい》を徒歩で歩く姿はもとより、人力俥にゆられている姿さえ、何だかそぐわない。わが夫ながら、どうしても馬車に乗ってゆく人物だ、と思いなおしたのである。
とはいえ、西郷さんから一万円とどけられたけれど、その金で新しい馬車など買う状態にないことは、彼女自身知っている。
こう考えたとき、彼女は、去年の秋、精養軒での会で、井上|馨《かおる》がこんど新しく買いいれた二頭立てのイギリスの馬車についてしゃべっていたことを思い出した。それなら、ひょっとすると、古い馬車が井上家にあるのではないか。――
そこで武子夫人に手紙で問い合わせてみると、以前の馬車はある、御所望《ごしよもう》なら、いつでもとりにいらっしゃい、という返事であった。
それで、一月末のある午後、彼女は麻布鳥居坂の井上邸へ俥で出かけた。
客観的に見ると、潔癖な大隈綾子が、いろいろとかんばしからぬ風評のある井上のところへ馬車をもらいにゆくのはおかしいが、正直なところ政治の世界の内情についてはよくわからず、ただ夫を迫害している薩摩閥に反撥しているだけで、井上などはいまの重信に同情してくれていることは承知していたのである。
それに何より、あの梁山泊時代に、井上武子と姉妹《きようだい》のように暮した想い出もあった。
鳥居坂にいってみると、馨は不在で、その代り、十日ばかり前に逢った山本海軍少佐がいた。
実は権兵衛は井上から、いよいよこの四月に予定されている天皇の井上邸臨幸に招きたい紳士淑女の名簿のうち海軍関係の人間について相談したいことがあるから、と呼ばれて来たのである。
ところが、井上は、急な用件で馬車で出かけて、午後遅くでないと帰らない、というので、しかたなく待っているところであった。
綾子夫人の来訪の用件を聞いて、
「そりゃ、是非、大隈閣下に、馬車をあてがって下され。……」
と、権兵衛は笑った。あの日の大隈の姿を思い出したらしい。
ところが、その日、井上は古いほうの馬車で出かけたという。新しい馬車は買ったものの、少しきらびやか過ぎて、ゆくさきによっては気のひける場合もあり、いまもときに古馬車を使うことがあるという。
「それじゃ」
と、綾子夫人がしりごみすると、
「いいんですよ、二台も馬車は要りません。これを機会に一台にしてしまったほうがいいんです」
と、武子夫人がいった。
「馬や御者《ぎよしや》はおあんなさるのか」
という権兵衛の問いに、御者の男はいまも庭働きに使っているし、馬は処分したけれど、そこらの畑で働いている駄馬を買えばいいだろうと思う、と綾子夫人は答えた。
そんなことを話していると、当の井上馨が帰って来た。
「いや、すまぬ、すまぬ」
と、彼はあやまり、その用件は聞いていたらしく、
「一頭用の古馬車で相すまんが、ないよりゃましじゃろ。それに、いま奥さんが馬車を求められたのは、そりゃ虫が知らせたんじゃ。大隈さんは近いうち、どうあっても馬車が御入用になるんじゃから」
といった。
「と、おっしゃいますと?」
「近いうち、といっても、きょうあすのことじゃないが、とにかく遠からずいまの内閣は変ることになるはずでな。それでわしのあと、外務大臣は、どうしても大隈さんしかおらん、という説が有力なんじゃ。……従って、馬車は要る」
と、井上はいった。
そして、茫然としている綾子夫人をあとに、井上は権兵衛をうながして、用談のために別室へ去った。
夫人たちは、一時間ほど雑談した。武子夫人の足もとには、幼女鳥子がたわむれている。やがて、「それじゃ」と大隈夫人が辞去の意をもらしたとき、井上と権兵衛が出て来た。
さて、綾子夫人は、馬はむろん御者も連れて来ていない。それで、きょうのところは馬も御者もそっくり井上家のもののままで早稲田にいってもらい、あとで御者は馬に乗って帰るというだんどりにした。そんなことを話しているうち、綾子夫人がふとあることを思い出した。
「山本少佐、あなたもついでに早稲田にいっていただけません?」
「ほ? 何の用でごわすか」
「あのねえ、大隈が西郷さんに是非|洋蘭《ようらん》をお贈りしたいといってるんですの。井上さんのところへは、その御者に頼みますけれど、西郷さんへは、あなたがとどけて下さいませんか」
「いま、蘭があるのでごわすか」
「大隈の趣味といったら、洋蘭と瓢箪《ひようたん》集めくらいで……洋蘭は温室を作って、貧乏してもそれだけはやめないんですわ」
結局、権兵衛は、綾子夫人といっしょに馬車に乗って、また早稲田にゆくことになった。
九
すでに薄暮だ。
一丁ばかり走ったとき――事件が起った。
馬車が、ふいにとまったのである。
「どうしたんじゃ?」
権兵衛が扉をあけて前方をのぞくと、御者はすでに往来に下りて、そこに一人の男が、地面に倒れていたらしいもう一人の男を助け起そうとしているのを見ているところであった。
御者がにが虫をかみつぶしたような顔で戻って来ていった。
「何か、急病にかかったらしいんで……そこの飯倉片町《いいぐらかたまち》まで、病人だけ乗せていってやってくれないか、と申しますんですが」
飯倉片町はほんの一足だ。
そのあいだにも、男はもう一人をひっかつぐようにして、馬車のそばに来た。
「相すまんです、お願いします」
どちらも、髯だらけの壮士風の――もっとくたびれた、浮浪者風の男であったが、そう哀願して権兵衛を見た一人の身体に、びくんと驚きの波が走ったが、権兵衛は気がつかなかった。
綾子が声をかけた。
「山本さん、乗せてあげて下さいな」
二人は馬車に這いあがって来た。このとき男たちの眼にまた驚きの光が点じられたようだが――次の瞬間、
「かまわん、やれ!」
と、一人がさけぶと、いきなり懐から匕首《あいくち》を抜き出して、それぞれ、ピタリと権兵衛と綾子夫人の胸につきつけた。
「何じゃ!」
さすがの権兵衛も、驚愕して身をのけぞらせたが、狭い場所とて、それ以上どうすることも出来ない。
外に棒立ちになっている御者に、壮士がわめいた。
「築地|新栄《しんさかえ》町の有一館というところへゆけ。すぐに馬車を出せ。そこへゆけば、殺しはせん。いうことを聞かんと、このまま刺し殺すぞ!」
逆上して、ほんとにやりかねない形相《ぎようそう》を見て、権兵衛がいった。
「とにかく、馬車を出せ」
しばらくして、馬車は動き出した。
その中で、二人の壮士は、匕首を権兵衛と綾子夫人ののどスレスレにつきつけたまま、
「おい、海軍、妙なところでまためぐり逢ったな」
「忘れたか、いつか井上の子をさらったときにお前が来た。――自由党の者じゃ」
と、いった。
権兵衛は、はっとした。去年の春、井上の娘鳥子がさらわれたとき、彼は築地の有一館に乗りこんで誘拐者と談判した。あのとき相手は十数人いたから、一々顔はおぼえていないが、どうやらその中にいたやつらしい。――さっき権兵衛を見て、壮士が驚いたのは、あのときの海軍将校だということに気がついたからであった。
「実はな、狙ったのは井上か、井上の女房だったんじゃが」
「そこにいるのは井上の細君ではないな。だれだ?」
権兵衛は答えた。
「そうか、人ちがいか。それなら放《はな》せ、これは大隈重信どんの奥さんじゃ」
「なに、大隈の?」
しげしげと綾子を眺めいって、
「いや、やめられん。やりかけたことはやめられん」
と、一人がうめいた。
「きさまら、何をしようっちゅんじゃ?」
「有一館に連れてゆく。そして、使いを出して大隈家に、千円持って来いという」
「身代金《みのしろきん》か。それを受けとって、そのあとどうするんじゃ」
「有一館のそばにゃ海がある。そこにつないである舟の上で、金は受けとる。その舟に、きさまらも乗せてゆく。そして、適当なところで陸《おか》にあげてやる」
「大隈家は、いま貧乏で金はなか」
「金を持って来なけりゃ、やむを得ん、お命頂戴して、海へ放りこむ」
と、一人がいうと、もう一人が、
「何なら井上家でもいい。この前井上からもらいそこねた。井上の馬車に乗っているところを見ると、うぬら井上家と親しいんじゃろ。井上が金をよこさんはずはない!」
と、歯をむき出した。
あのときから餓狼《がろう》のような連中だったが、首領を失って、きゃつらはどうしたか。――それを念頭に浮かべたこともなかったが、要するにいよいよ窮迫して、またも誘拐による大金の強奪を計画したらしい。
その対象が――人ちがいにせよ、げんにつかまっているのが――幼児ならぬ大の大人《おとな》の自分たちだとは?
権兵衛は、むろん激怒していた。この凶漢のみならず、狭い空間と大隈夫人の危険のために身動きがつかない自分にも憤怒《ふんぬ》していた。
馬車は飯倉片町にはいっていた。人通りが少しふえた。
築地にゆくにしても早稲田にゆくにしても、ここは通らなければならないだろうが――御者はどう考えて馬を走らせているのか。助けを呼べば呼べるはずだが、通行人はまったく馬車の内部の変事に気づかず歩いているところを見ると、御者もその変事に縛られて手綱をあやつっていることはたしかだ。
権兵衛は、右側を巡邏《じゆんら》らしい巡査が三人、通り過ぎてゆくのを見た。
彼は、動きかけた。――それより早く、
「殺せ!」
と、大隈夫人に匕首をつきつけていた男がさけんだ。
「そやつはあぶない。人質はこの女一人で充分じゃ。そいつは殺してしまえ」
権兵衛ののどの先で、匕首がきらめいた刹那《せつな》――凄じいひびきとともに馬車の左側の窓ガラスが砕け、匕首を握っていた男が、突然海老のように身体を折りまげた。
それにはかまわず権兵衛は――何事が起ったかは知らず――綾子夫人に対していたもう一人の男に躍りかかっている。狭い空間の底に、三つの肉体がひしめき、もつれあう格闘であった。
馬車がきしみながらとまった。
いったんゆき過ぎた三人の巡査が駈け戻って来たとき、権兵衛はその男をねじ伏せて、凄じい勢いで鉄拳をふり下ろし、相手はすでに半失神状態であった。そして、もう一人の男は――血まみれになって死んでいた。
「どうしたんじゃ?」
巡査がさけんだ。
「何だかわからん」
権兵衛が答えた。窓ガラスが壊れて、一人の男が死んだことが、である。
「ピストルの音が聞えたぞ!」
巡査の一人が、われにかえってふりむいた。彼らは突然銃声を聞いて、そのあとで馬車の異変に気がついて駈けつけたのであった。うしろには、通行人たちが集まって、のぞきこんでいる。
その中で、
「しまった」
という声が聞えた。
巡査たちは、そこに髭をはやした一人の壮士風の男を見た。――とたんにその男は、ぱっと逃げ出した。巡査が二人、反射的にそれを追いかけた。
その巡査たちが、暮色の中に逃走者を見失ってひき返して来たときは、残った巡査が凶漢の一人を縛りあげていた。もう一人は屍体となって地面に転がされている。胸に横から貫通した銃弾の痕《あと》があった。
権兵衛が、自分と大隈夫人の姓名と身分を告げ、どうやら人ちがいによる災難らしい、と述べ、なお取調べの必要があれば明日でも海軍省に来てもらいたい、といって、馬車を出させたのは、それから三十分ほど後であった。
日は暮れはて、馬車は洋燈《ランプ》をつけて走っている。
片側の窓ガラスはこわれたままで、寒風が吹きこんで来るが、どうしようもない。
権兵衛は、いまの男たちが以前井上馨の子供を誘拐した自由党の残党で、井上の馬車と見て、まちがって自分たちを撃ったものにちがいない、と説明した。
「いま逃げた人は――あの頭山とかいう人でしたね」
と、蒼ざめた顔で大隈夫人がいった。
先日、サナダ虫を火鉢に貼りつけた男だ。――そのことは権兵衛も気づいていて、さっきから首をひねっていたのだが。――
「しまった、といって逃げもしたな。あの男がピストルを撃って、助けてくれたものでごわしょうか。しかし外から馬車の中の状態が見えたとも思えんし、しまった、といったのはどげな意味かわかりもさんが」
「いいえピストルを撃ったのはあのひとではありません」
と、大隈夫人は首をふった。
「窓ガラスがこわれたとき、私はそこから外を見ました。そして、あそこの家の一軒の、窓の格子の向うに、ピストルを握っている男のひとを、ちらっと見たのです」
「えっ、それは?」
夫人はいった。
「それは、あの来島という人でしたわ。……」
十
早稲田の大隈邸に着いたのは、夜もだいぶふけてからであった。
その日も外出していた重信は、綾子夫人が井上家へ馬車をもらいにいったことも知らず、夫人と山本権兵衛が馬車で帰って来たのに眼をまるくしたが、さてその馬車が途中自由党の壮士に襲われたこと、さらに別の二人によって結果的には救われたこと、などの話を聞いて、ほう、ほう、と驚きの声をたて、ついで、
「そのピストルを撃ったのが、あの来島恒喜、頭山満の二人で……」
と、権兵衛が語ったときには、鯨の潮吹きのような奇声を発した。
「いまにして考えると、それはおいどんたちを助けるのが目的じゃなく、井上どんの馬車を撃つつもりで撃ったのが、偶然その自由党に命中したものとしか思われんのでごわすが」
と、権兵衛は自分の解釈を述べた。
「あとで頭山が、しまった、とさけんだのは、その馬車に井上どんじゃなく、おいどんたちが乗っちょる事《こつ》を知って、あっちも驚いたものらしかごわす」
――さらにあとになってのことだが、権兵衛が思いあたったことがある。
頭山は、はじめから往来で井上の馬車が来るのを見張っていて、家の中の来島に合図する役で、また万一の際には狙撃の疑いを自分に向ける役もひき受けていたのではあるまいか。――しまった、とさけんだのは、ぜんぶがお芝居ではあるまいが、そのあとの逃げっぷりの鮮やかさからそう思われるのだ。
「そりゃ、井上さんの馬車をもらったのはありがたいが、匕首やピストルで襲われる目にあうとなると考えものじゃな」
別に恐怖の色はなく、眼は笑いを浮かべて、
「しかし、これでこれからその連中もよく気をつけるじゃろ」
と、大隈はいったが、すぐに憮然《ぶぜん》たる表情になって、
「ふうむ、それにしても、あの二人がのう。……」
と、嘆声を発した。
「やる事《こつ》はいろいろある、と来島が申しましたが、それが井上どんの暗殺とは」
権兵衛の顔も、改めて寒風に吹かれるようにそそけ立って、
「なんでまた井上どんを狙ったもんでごわしょう?」
「そりゃやはり、井上さんの条約改正が気にくわんからじゃろ」
と、大隈はいった。
「そうじゃ、思い出した。あの両人、福岡人とかいったそうじゃな。――福岡にゃ、だいぶ前に玄洋社っちゅう反政府の政治結社が出来たと聞いたことがある。ひょっとすると、あの二人、その社員ではないかの」
「………」
「そもそも、幕末に結ばれた条約が、裁判権とか関税とか、わが国にとって大不利なものじゃったから、それを平等なものにしようと、維新以来大努力をして来たが、こっちに不利なものはあっちに有利なものじゃから、なかなかいうことをきかんのはある意味で当然なんである」
「………」
「それに、向うがこっちのいうことをきかんのには、別に理窟があるんである。ほんのこの間まで罪人の首をスパリスパリと斬ったり、サラシ首にしたりしておったわが国の裁判に、不安をぬぐい得ん、というんじゃな。毛唐どもはわが国をまだ野蛮人の域からぬけ出しておらんと見ておるんじゃな。井上さんのはじめた鹿鳴館のダンスは、外国人の、その日本人へのイメージを転換してもらわんがための悲喜劇なんである」
「………」
「そうやってみても、一向にはかばかしい効果があがらん。そこで井上さんはやむを得ず漸進主義をとって、ともかく当面、たとえばわが国における外国人の犯罪の裁判は、その国の裁判官にまかせるっちゅうようなことにした。――それが気にくわんというて、猛烈に反対しとる向きは、むろん少なくないんである」
「閣下」
「なんじゃ」
「井上閣下が、さきほど――遠からず外務大臣は大隈閣下にゆずられるっちゅうような事《こつ》をいわれもしたが」
「ああ、そういったか」
重信は平然とうなずいた。
おそらく、そんな話は彼自身むろんキャッチしていたのだろう。――事実この一年後、彼は井上馨のあとをついで外務大臣に就任するのである。
黙って聞いている夫人の眉に、憂いの雲がかかった。彼女の不安は的中していた。二度と政治の世界に帰ってもらいたくない……と祈っていたのに、夫は当然事のごとくまたその世界へ帰ってゆこうとしている。
――その一年後の話になるが、大隈の外相就任はいいとして、総理大臣がなんと黒田清隆であったのには、権兵衛も驚いた。
「いま泣いたカラスがもう笑った、っちゅうのが了介どんじゃ」と西郷従道は評し、権兵衛も黒田を、よかれあしかれそういう単細胞的人物だと見ていたが、してみると黒田がひそかに大隈に金を贈ったりしたのは、その下心のためであったろうか。もしそうであったとしたら、黒田も意外に遠謀家だといわなければならないが、それにしても、恬然《てんぜん》とそれを引き受ける大隈も大隈だ。
ところで、いまこの時点において、権兵衛をとらえた不安は別のことであった。
「で、閣下が外務大臣におなんなさって……井上閣下とは別の案をお持ちでごわすか」
「ない。いまのところ、井上さんのやりかた以外に方法はない」
「してみると、閣下にも同じ非難がむけられるじゃごわせんか」
「ただな、政治とか外交にゃ、料理人の肌のちがいっちゅうもんがあってな。同じ材料の料理でも味がちごうて来ることがあるんである」
髭がないせいで、いよいよ大きく見える口が、自信満々たる笑いの息を吹いた。
「それに、たとえピストルで撃たれても、我輩にゃあたらん。あたっても死なん。心配は無用じゃ。我輩は百二十五まで生きるんであるんである」
権兵衛は二の句がつげず、しばらく黙って相手の顔を見ていたが、やがてまた尋ねた。
「ところで、あの二人の男について閣下は、近来まれなるたいしたやつだ、と評されたそうでごわすが、そりゃどこを見込んでおっしゃったのでごわすか」
大隈は答えた。
「うん、あの二人は、常住死ぬ覚悟をしとると、我輩は見たんである」
十一
二月にはいって間もないある午後、退庁まぢかい時刻、大隈重信が海軍省にやって来て、西郷と要談した。
話が終ったころ、権兵衛が大臣室に挨拶にはいってゆくと、大隈はふと、「山本さん、あんたにちょっと頼みごとがあるんじゃが」と、いった。
「何でごわすか」
「いま、あんたを見て思いついたんじゃが、実は、外の馬車に家内が待っとるんである」
「へえっ?」
これには西郷も権兵衛も眼をまるくした。
「家内には横浜にいってもらうことになっとる。ところが、我輩はこれから西郷さんといっしょに築地の水月楼《すいげつろう》っちゅう料理屋に会食にゆくことになっとるんで、横浜にゃゆけん。で、家内ひとりでいってもらうつもりじゃったが、先日のような物騒なことがあると、ちと心配じゃ、あんた、すまんが、同行してやって下さらんか」
「は。――」
「そして、帰途、水月楼に寄ってもらいたい。西郷さんに聞くまで、料亭の名がわからんかったので家内に待ってもらったんじゃが、とにかくそれで我輩は家内といっしょに早稲田に帰る。そういうだんどりにしたいが、どうじゃ、いってくれるかね」
「承知しもした」
と、権兵衛は答えた。
その日は、午後からまた雪になっていた。外に待っていた大隈の馬車は、むろんもと井上の馬車だったもので、それに、もううす白く雪がつもっていた。
権兵衛といっしょに出て来た大隈は、綾子夫人に右のいきさつを説明した。
「ほんとうにすみません、また変なお願いをして」
と、赤い大きな毛布《ケツト》を羽織った綾子はいった。
「でも、あなたがついていて下されば、ほんとに心丈夫ですわ。……」
暮れて来た町には、人影もまばらであった。もう、ふりしきる雪しか見えない馬車の中に、向い合って坐って、やがて権兵衛がいった。
「どうやら大隈閣下も、いよいよ活動を開始されたようでごわすなあ」
「私、もうあきらめましたの」
と、綾子夫人は微笑《ほほえ》んだ。
「あの人は、政治をやらないと生きてる甲斐がない人なんです」
笑顔のままで、
「でも、たいへん。私、これからゆくのは横浜の高利貸しのところなんですのよ」
「ほ?」
「平沼という高利貸しで、もうまじめに考えると息がとまるほど大借金してるんですの。でも、きょうのところはもう話がついてて、向うからきょうじゅうに来てくれ、という連絡があったんで、大隈か私か、判コを持ってゆかなくちゃならないことになったんですの」
夫人はさすがに溜息をついた。
「雪の中を走っていても、実はこれは火の車」
十二
――芝・田町あたりまで来たころ、権兵衛はふる雪を通して、往来に黒い影がみだれ動いているのに気がついた。つまり、それほど数が多いということで、みな巡査であった。
のみならず、間もなく馬車は停められた。
扉をあけると、外から頭巾をつけた警官がのぞいて、姓名を問いただした。
「これは元参議大隈重信夫人で、おいは海軍少佐山本権兵衛」
と、大声で名乗ると、向うは、
「ああ、山本どんごわすか」
と、髭の中から白い歯を見せた。同じ鹿児島人で、どこかで逢ったこともある一等警視園田|安賢《やすかた》であった。
「何か、捕物でごわすか」
「左様……。ピストルを所持して政府の大官を狙う凶漢二人を追いつめましてな。横浜へ逃がさんように警戒中で、三島総監もじきじき御出張でごわすよ。いや、失礼しもした」
扉はしまった。馬車は動き出した。
「ピストルを持って、大官を狙う。……二人?」
不安そうに大隈夫人がつぶやいた。
あの男たちではないか、という考えは権兵衛の頭にもひらめいた。いかなるなりゆきかは知らず、警視庁はあの二人の危険人物をかぎつけて、追跡しているのであろうか。
ここは海に沿う一本道で、左側の暗い海には、ただ雪がふりしきっている。
走っている馬車の左の扉がはげしくたたかれたのは、それから二十分ばかり後であった。
窓ガラス越しにのぞいて、権兵衛は、御者台にゆれる洋燈の光に、馬車とならんで走っている、雪の化物のような男の顔を見た。――それはまさしく、あの来島恒喜であった!
しかし、御者はまだ気がつかないらしい。
権兵衛はふりかえった。
「来島です」
さすがに大隈夫人の顔に衝動が走った。
「乗せておあげなさい」
一息おいて、彼女はいった。
「しかし。……」
「乗せてあげなさい!」
と、夫人は叱咤《しつた》にちかい声でいった。
権兵衛は御者に合図する紐をひいた。馬車がとまった。
ひらかれた扉から、雪まみれになり、肩で息をしながら、来島恒喜はころがりこんで来た。右手にピストルをつかんでいた。
権兵衛はまた紐をひいた。馬車は走り出した。
「頭山君はどげんしたか」
と、まず権兵衛は訊いた。
「警視庁は網を張っちょるぞ」
来島はあえぎながら答えた。
「頭山さんは、どこへ逃げたのか知らん。……とにかく、横浜までゆきたか」
「あなた、ここへお坐んなさい」
大隈夫人は、来島を自分のそばに――海側の座席に坐らせた。そして来島の手からピストルをとろうとした。
ピストルは指に凍りついていた。すると彼女は、いちど青年の指を自分の両の掌でつつんで、それから一本ずつ離していった。
次に――自分の羽織っていた赤い毛布《ケツト》をぬいで、彼の頭からスッポリかぶせた。そこに、眼口のない赤い雪だるまのようなものが現出した。
「来島君、この馬車の乗り手を知って助けを求めたのか」
と、しばらくして権兵衛は尋ねた。
「さっき、田町で、あんたの名乗る声ば遠くで聞いたもんじゃけん」
「それから、追っかけて来たのか。……よく見つからなんだもんじゃ」
おそらく来島が馬車を盾《たて》にして、海際《うみぎわ》を走って来たからだろう。――また訊いた。
「おはん、こないだ、おいたちを撃ったな」
「あとで頭山さんから聞いて驚いたっちゃが。てっきり井上と思ったったい。あやまる。そっちに弾があたらなくてよかったばい」
「貴公、まだ井上どんを狙っちょるのか」
「狙う。必ず殺しちゃる。いま不平等なまま条約改正をやろうとするやつは、必ず斃《たお》しちゃる」
赤|毛布《ゲツト》が、怒りにたえかねるように身ぶるいした。
「安政の条約が結ばれてから三十年、まだそれがどうにもならんやないか。いまその不平等を改めん新条約を結んでみてん、百年のちまでお国に害をなすことは明白ばい。それをあえてやろうとする者は、必ず斃《たお》しちゃる」
「だれでも?」
「むろん! そやけど、ピストルはいかんなあ、不確実や。……こんどは爆裂弾でやっつけちゃる」
十三
しばし、沈黙が落ちたまま、馬車は走った。
ふいにまた、馬車がとまった。権兵衛は、その前後を角燈を持ったおびただしい巡査のむれがふさいでいるのを見た。
「山本少佐、さっきお調べは受けたといいなさい」
と、大隈夫人がいった。
「しかし、奥さん……」
「はやく、そういいなさい」
夫人の言葉そのものは事実の通りだ。しかし、ほんとうは、官憲をあざむけ、嘘をつけ、といっているのと同様であった。
権兵衛は扉をあけた。
雪片と角燈の光の交錯する中に、彼は、巡査にかこまれて近づいて来る人物の顔を見た。それは警視総監三島通庸の――なんどか鹿鳴館で見たときとちがって、凄じい殺気にみちた顔であった。
「三島どん」
と、彼はさけんだ。
三島総監は、同郷人でも、あまり好きなほうではないが、この場合は権兵衛も精一杯親しげな顔を作って、
「山本権兵衛ごわす」
「おう」
と、三島は意外そうにこちらを見た。
「先刻、そこで園田警視の臨検を受けもした。こりゃ大隈重信夫人の馬車で、いま急用で横浜へゆくところでごわす」
三島総監は、じいっとこちらを眺めていたが、
「よか、ゆきなさい」
と、うなずき、巡査たちにあごをしゃくった。
「そこをあけろ」
馬車は走り出した。
――やがて馬車は、夜の横浜にはいった。
海岸通りで、来島恒喜は下りた。彼は――彼らしくもなく、低く低く礼をして立ち去った。
「本町二丁目」
高利貸し平沼専蔵の住所を綾子夫人が御者にいったあと、それまで茫然とした顔で坐っていた権兵衛が、われに返ったようにいった。
「奥さん、いまの男……ひょっとすると、将来、大隈どんを狙いもすぞ……」
「わかっております」
夫人はうなずいた。
「――そのときは、私は大隈といっしょに撃たれて死ぬつもりですわ。これから私は、いつ殺されるかわからないことを覚悟して鹿鳴館にゆくでしょう。でも……私はいま、ああせずにはいられなかったのでございます」
「なぜでごわす?」
夫人は答えず、黙って馬車にゆられていた。
窓の外に雪はふりつづいている。
数分後、夫人は自分の想い出に語りかけるように、また自身の胸にいいきかせるようにつぶやいた。
「御一新の年のことでした。……
私には、伊庭《いば》八郎という旗本の許婚者《いいなずけ》がございました。それが、祝言《しゆうげん》前に……そのひとは剣の名人で、東海道を攻めて来る官軍を迎え討ちにゆき、箱根で戦ってたくさんの敵を斬りましたが、自分も左腕を失って帰って参りました。一方、私はいつか申したようなわけで、廓に身を沈めなければならない運命に追いこまれてしまいました。
暮ちかいある雪の夜、私は、片腕になったもののやっと傷が癒《い》えた八郎さまと逢い、どうせ遊女になる身です、どうぞいま妻にして下さい、とすがりつきました。
ところが八郎さまは首をふって、おれはこれから箱館へ|死に直し《ヽヽヽヽ》にゆくのだ。せめて自分の記憶のうちには、清浄なままのあなたをこの世に残してゆこう、といって北海道へ出立してゆきました。……八郎さまは、五稜郭《ごりようかく》で戦死しました。
私はそれ以来、罪をおぼえながら生きて来ました。自分がけがれた女だという思いからのがれられないで暮して参りました。いいえ、遊女になったことをいうのではありません。新政府の大官の妻として生きていることが、でございます」
大隈夫人は権兵衛を見つめた。
「そして……あの来島恒喜という人が、その伊庭八郎さまにそっくりなのです。年ごろも顔だちも似かよっていますけれど、何よりも眼が、そして、どうやら心の持ち方が。……」
明治二十二年十月十八日午後四時過ぎ、霞ヶ関の外務省官邸に帰って来た外務大臣大隈重信の馬車をめがけ、疾風のごとく馳せ寄って爆裂弾を投げた者がある。
轟然たるひびきとともに馬車が爆煙につつまれるのを見るや、男はわがこと成れりと信じたか、あるいは殺到する護衛の巡査に対して永遠の沈黙を守るためか、その場に端座すると、白鞘《しらさや》の短刀をもってみずからののどを、一気にひき切って自決した。
その名は筑前玄洋社の壮士来島恒喜と後に知られた。
場所は鹿鳴館ではなかったから、このとき馬車に乗っていたのは大隈重信一人であった。
しかし大隈は生きていた。生きてはいたが右足が砕かれていて、駈けつけたフォン・ベルツたちの医師は、すぐに足そのものを切断しなければ生命にかかわると診断した。さすがにとっさにその是非の判断を失った親近者の中からまっさきにすすみ出て、それまで蒼白だった頬をさっと紅潮させると、
「切って下さい。そして重信を生かしてやって下さい!」
と申し出たのは、綾子夫人であった。夫と反対に出しゃばるのがきらいで、ひっそりしたたちに見えた夫人は、夫と同様の剛毅な決断力の持主でもあったのである。
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陸奥宗光夫人
一
山本権兵衛が、外交官の陸奥《むつ》宗光《むねみつ》を下谷《したや》根岸金杉村の自宅に訪れたのは、二月半ばの日曜の午後であった。
わざわざ日曜をえらんだのは、実は夫人にも逢う必要があったからであった。
去年三月三日の西郷|従道《つぐみち》主催の舞踏会に陸奥夫妻は来たが、べつに大山夫人や権兵衛の手をかりるまでもなく、西郷の招待状に応じてそれだけで来てくれたもので、その家を訪問するのははじめてだ。
人に訊《き》いて、やっと探しあてた。
「根岸の里の侘びずまい」といえば、その上に「季」をいれた五文字をのせると、それが歳時記のどういう言葉だろうとたちどころに俳句になってしまう、といわれる土地で、さすがに百姓家ではなく別荘風ではあるが、家はまばら、「雪の日や」「風花《かざはな》や」「冬籠《ふゆごもり》」「水洟《みずばな》や」など、冬の季題をつければいよいよその句にふさわしい蕭条《しようじよう》たる風景の中に――陸奥宗光の家は、権兵衛の借家《しやくや》よりもっと小さな「侘びずまい」であった。
近くの立木に馬をつないで訪《おとな》う。
出て来たのは、三十半ばの女性で、質素な身なりをしているのに、薄暗がりの中に、ほっかり薄紅梅が咲いたような印象であった。
もっとも陸奥夫人は、去年鹿鳴館でいちどだけ見かけたことがある。
「西郷海軍大臣からの使いの者でごわすが」
権兵衛は用件を述べた。
去年三月三日の舞踏会には出ていただいたが、ことしも三月三日、やはり西郷主催の夜会をひらくことになった。それで招待状をさしあげたはずだが、御返事がないので、改めてお勧《すす》めに参上した、というのであった。
「まあ、左様でございましたか。それはわざわざ……せっかくではございますが、ただいま陸奥は外に出ておりますので、御返事はいたしかねますけれど」
「御外出。……お帰りはおそいのでごわしょうか」
「いえ、昔、部下だった方がお二人おいでになり、お昼御飯を料理屋で食べるといって出かけましたので……いくら何でも、もう帰って来ると思いますけれど」
午後二時ごろだ。
「こげなところに料理屋がごわすか」
「ええ、数は少のうございますけれど、湯豆腐とかどじょう鍋とかとろろ汁とか……またそんなものを好んで町からおいでになる方も多いようで……」
そういえば、風流の土地でもある。
「いつぞや鹿鳴館でお見かけ申したが、奥さんでごわすな。あなた、もういちどいかがごわす」
「いえ、いえ、私は、とてもあんな……」
「しかし、この前は出て下さったじゃごわせんか」
「あれは、陸奥にむりにひっぱられていったもので……洋装も出来ませんし、西洋の舞踏も存じませんし……」
夫人は顔をあからめた。――そういえば、この前、陸奥は洋服を着ていたが、夫人は着物姿であったし、ダンスもただ見物していたようだ。
「いやなに、舞踏なんぞ、実によか先生がおられもすが」
権兵衛はちょっと考えて、
「とにかく陸奥どんにお逢いせんけりゃ御用が果たせんが、せっかく根岸まで来たもんで、それじゃしばらく外をまわって来もそ」
と、頭を下げかけた。
「外もお寒うございますし」
夫人はとめて、
「ちょっとお待ち下さいまし」
と、奥へはいっていった。しばらくして出て来て、
「実はさいぜんから、もう一人お客さまがお待ちなのでございます。あなたのことをいま申しましたところ、ごいっしょでかまわないとおっしゃいます。およろしかったら、むさくるしいところですけれど、どうぞ」
と、いった。
それで権兵衛も、上って待つことになった。
案内された座敷にはいってゆくと、火鉢のそばに坐っているのは、手入れもせずに長髪にした二十半ばの青年であった。痩せてはいるが、長身で精気みなぎった印象の若者だ。
権兵衛が名乗ると、彼も一礼して、
「私は、肥後から出て来たばかりで、ただいまのところ何の職もない徳富猪一郎《とくとみいいちろう》っちゅうもんでござるます」
と、いった。
「なに、徳富猪一郎?」
権兵衛は目を見ひらいた。
「それじゃ、いま評判の『将来之日本』っちゅう本は、おはんの書かれたものでごわすか」
「左様でござるます」
「いや、おいはまだ拝見しとらんが、いずれそのうち買って読もうと思うとったが、著者がおはんのような若か人とは思わんかった。いくつになられる?」
「二十五になるます」
と、徳富はいった。もっともその態度は、精気とは別に、三十近いといわれてもそう見える老成ぶった感じもある。
「実は去年肥後の故郷で書いて、東京で出版してもらったところ、さいわい世に迎えられたようで、それで勇気づいて十二月に上京して来たのでござるます。……ばってん、軍人さんにゃ気にいらんかもわかるまっせん」
「どげんして?」
「日本は強兵よりゃ富国をえらべ、強権より平民主義でゆけっちゅうことを論じた本でござるますけん」
夫人が茶を持って来て、去った。
明るいところで見るとどこか粋《いき》で、美しいけれど、やつれも目立つ夫人であった。
二
とにかく未読なのだから、このベストセラーの本について権兵衛は何ともいえない。
「それで、陸奥どんのところにおいでられたのは?」
「私は政治に――ひいては政治家っちゅうもんに深甚な興味がござるまして、めぼしい政治家は、かたっぱしから訪問して談話を聞かせてもらっとるのでござるます」
「みな、逢ってくれもすか」
「逢ってくるる人もあり、門前払いをくわさるることもあり――」
「陸奥どんは、めぼしい政治家の中の一人でごわすか」
実は権兵衛は、西郷従道がしきりに陸奥を呼びたがるのをふしぎに思っていた。
陸奥は外交官といっても、いま弁理公使という職名で、これは実は無任所で、外務省に出勤しているわけでもなければ、どこに駐在しているわけでもない。卑職――といっては悪いが、少なくとも大官とは縁が遠い。
薩人でもなければ長州人でもない。たしか紀州人のはずで、ほかに政府の要職についている紀州人があるかというと、だれも思い浮かばない。陸奥はただひとりだ。それどころか、謀叛人《むほんにん》として、数年前まで奥羽の牢屋に投げこまれていた人物である。
それなのに、西郷は陸奥とどこで触れ合う機会があったのか――あるいは、陸奥のその謀叛というのが西南の役《えき》で薩摩に呼応しようとしたという罪なのだから、その縁から興味を持ったのかも知れないが――こんどの用を命じたとき、こんなことをいった。
「先日、黒田どんが、井上に代る外務大臣といや大隈どんのほかにだれ一人としておらん、っちゅうような事《こつ》をいったから、おいは、陸奥宗光がおる、あれはカミソリのように切れる男じゃ、といった。すると黒田どんは少し考えて、あの男じゃ少し貫目が足らん、っちゅうから、人間は肉と骨の目方だけで計れるもんじゃなか、威風の事《こつ》なら、どげな男じゃって、二頭立ての馬車に乗せて七日ばかり東京じゅうを駈けまわらせりゃ、たちまち威風なんぞあたりを払うようになる、といってやった」
大なまくらの鉈《なた》みたいな西郷従道が、陸奥という男のカミソリぶりを買っているらしいのを可笑《おか》しく思ったが、要職にある西郷はともかく、こんな田舎出の青年までが、わざわざ根岸まで陸奥に会いに来るとは?
「いや、陸奥さんは、めぼしい政治家とはいえんまでも、なかなか興味あるお人と思います」
「どこが?」
「あの人は、ま、妖剣でござるますな」
そのとき、格子戸がまたひらく音がした。女中もいないらしく、夫人が出ていったようだ。だれか、男と話している。――宗光ではないらしい。
「えっ、この子が、主人の――」
夫人のさけぶような声がした。これに対して、男が何かいう。
小さな家だから声はよく聞えるのだが、男が何をいっているのかわからない。
「主人が山形で生ませた子供ですって? 主人は山形でずっと監獄にはいっていたはずです。女に子供なんか生ませるはずはないじゃありませんか。馬鹿なことをおいいでない」
男が、クドクドとまだ何かいっている。
夫人の声がした。
「とにかく、主人はいま留守なんです。……お客さま、すみません、ちょっと来て下さい」
呼ばれて、権兵衛と徳富猪一郎が出ていった。
三
玄関に立っているのは、豆しぼりの手拭《てぬぐ》いを吉原かぶりにして、紺の股引《ももひき》に尻っからげした三十半ばの男と、編笠をかぶり、ちりめんの帯をたすきにして背中で房を作った八つか九つくらいの女の子であった。ただし双方とも、相当にうすよごれている。
どうやら町を門付《かどづけ》して歩く法界《ほうかい》ぶしらしい、と権兵衛は見た。ふつう町で見るのは、大人の女もいるし、たいてい四、五人で、手に手に月琴や鼓弓や拍子木《ひようしぎ》など持って、「書生さん、月琴習って何にする、金がないとき門《かど》に立つ、ホーカイ」とか何とか歌っているのを聞いたことがあるが。――
「その子が、陸奥の子供だというんですよ」
と、夫人は肩をすぼめ、
「もいちど、この方たちに話して」
と、いった。
自堕落《じだらく》な感じのその男は、奥から屈強な男が二人も出て来たので怖れをなしたらしく、ちょっと逃げ腰になったが、すぐまた居直ったようにしゃべり出した。
「へえ、この小雪って娘はねえ、実はあっしの子じゃあなく、去年の一月に死んだ女房の連れ子なんです。三年ほど前、山形から出て来て芸者してたのをあっしの女房にしたんだが、そのときこの子はもう六つになっておりやした。いや、そのころはあっしもちゃんとした商売やってたんでゲスが、その後うまくねえことがあってとうとうこんな法界ぶしになっちまいましたが」
権兵衛と徳富は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔で聞いている。
「女房が死んだからって放り出すわけにもゆかねえから、この子も門付に連れて歩いておりやしたが、先日、仲間がこの家の前を通りかかって、たまたま陸奥宗光ってえ標札を見つけた。……そして、あっしに、小雪の父親の陸奥宗光ってえのはその人じゃあねえかい、と教えてくれやした。あんまりザラにゃねえむずかしい名だから、仲間もおぼえていたんでげしょう」
「………」
「というのは、死んだ女房が、子供の父親は陸奥宗光ってえ、えらい人だといってましたし、そもそも女房が山形くんだりから東京に出て来たのも、その人を探しにやって来たんだそうで……ところがどうやらその人は外国へいっちまったらしいとわかって、それじゃしょうがねえから、女房は東京の場末で芸者になり、あっしといっしょになって去年肺病で死んじまいやした」
「………」
「それが……いまになって陸奥宗光の標札が現われ出でたんで……この子をお返しにあがったんでゲス。ついでに、いままでの養育料をいくらかおねだりしたとしても、それがそれほどアコギなまねでござんしょうか?」
「主人が山形で生ませた子というのはほんとうなのですね?」
と、夫人はもういちど訊いた。
「へい、とにかくそっちのほうから連れて来た子にちげえねえんで……あっしといっしょになったとき、母子《おやこ》とも、きれいな顔してるくせにズーズー弁でゲシたよ」
「この子が九つというのは、まちがいないんですね?」
「へい、あっしのところへ来たとき、六つと聞いたのにまちがいなけりゃ」
「すると……明治十二年生まれということになるけれど、主人は明治十一年……八月から、十六年……一月まで、山形や宮城の監獄にいたんですよ」
と、夫人はいった。
「まさか、監獄にいて子供が作れるわけがないでしょう」
「そういわれても、あっしにはわからねえ」
権兵衛が大喝した。
「とんでもなかやつじゃ。そげなまぬけな天一坊があるか!」
「へっ?」
法界ぶしはべそをかいた顔になった。女の子は、両掌を顔にあててしゃくりあげはじめた。可愛らしいが、どこか異人めいた容貌の少女であった。
「天一坊ったって……」
と、男はまわりを見まわして、
「狙ったのが将軍さまじゃあるめえし、こんな貧乏ったらしい家に乗りこんだって……」
「帰れっ」
家鳴《やな》りするほどの権兵衛の大音声《だいおんじよう》に、法界ぶしはすっ飛んで逃げ出し、そのあとを少女もわっと泣きながら追っかけていった。
「と、いう事《こつ》にしもしたが」
と、権兵衛はいった。
「奥さん、これでようごわすかな?」
夫人は黙ってうなずいた。しかし彼女は、蝋《ろう》のような顔色になっていた。
四
「まったくすっとんきょうな天一坊でござるますな」
座にもどると、徳富がいった。
「法界坊の天一坊のくせに、将軍さまじゃあるまいし、こげな貧乏たらしか家へ乗りこんだって……と、ぬかしよった。そういや、その通りじゃな」
と、権兵衛はいった。
「それに、法界ぶしにしちゃ、あれなりに話の筋が通っとるじゃござるませんか」
と、徳富が声をひそめていう。
「女が陸奥さんを探しに上京したら、陸奥さんは外国へいっとられたと申しましたが、いかにも陸奥さんは、出獄の翌年から外遊に出られて、帰国されたのは去年の二月でござるますぞ」
「ううん」
「それどころか、あの少女の顔をごらんでしたか。眉の下がくぼんで、どこか西洋人みたいな感じが、陸奥さんの顔に似とりますぞ。私ゃ訪問ははじめてですが、何かの会合で陸奥さんを見かけたことはあるのでござるます。……奥さんが、いちどは私たちを呼ばれたものの、だんだん元気がなくなって来られたようなのも、そのことに気づかれたからじゃござるませんか」
実は権兵衛も、その怪事にはうすうす気がついている。
「しかし、陸奥どんの入獄の件はどげんする。いつからいつまでといったかな?」
「明治十一年八月から、十六年一月まで、とか。……こりゃ、ここへ来る前に、私も調べたから知っとるのです」
「まさか、出獄後のことなら、まだ五つのはずじゃから、そげな事《こつ》はあり得ん。入獄前――つまり明治十一年八月以前なら、女の子は十っちゅう事になるが……」
「いえ、孕《はら》んだのが八月なら、生まれたのは十二年にはなりますが……それなら母子《おやこ》とも山形とは無関係となるけん、ズーズー弁のはずはないが、あの男はそう申しましたな。そげな嘘はつく必要はないわけでござるますが」
「……っちゅうと、どげな事《こつ》になる」
「陸奥さんは、やっぱ、牢屋の中で子供を仕込まれたことになります」
「馬鹿な!」
「実際、常識じゃ考えられんことです。特にあのころの山形県令は、いまの警視総監三島通庸さんでござるますからな」
「あ、山形県令は――そうでごわしたか」
思わず、権兵衛はさけんだ。
「三島さんは、あのころから、警察、司獄にかけちゃ、秋霜烈日の鬼県令といわれた方でござるますからな」
と、徳富はいう。
「にもかかわらず、陸奥さんは山形の牢屋で子供を仕込まれたということが考えられるです」
「……なんのためにじゃ?」
と、権兵衛はうなるようにいった。
「牢屋の中で仕込んだか、本人が牢屋の外に出て仕込んだかは知らず、そげな事《こつ》がわかって見ろ、入牢《じゆろう》だけですんでいた事《こつ》が、それだけじゃすまなくなる。いかに陸奥どんが色きちがいにせよ、それ以外の事《こつ》にきちがいでなか以上、そげな馬鹿なまねをするはずはなか。……」
「ばってん、実際に、そのころに生まれたとしか思えん、陸奥さんによう似た子供がこの世におりますぞ」
「頭が混乱して来たのう」
入獄という事実から、時間的にも空間的にも心理的にも、こんりんざいあり得るはずがないのに、そこから発生したらしいべつの現実――子供が存在している。……二人は反世界にさまよいこんだような顔を見合わせた。
「まさに、妖人でござるますなあ」
徳富猪一郎は嗟嘆《さたん》した。
「おう、おはん、先刻……いまの話を知らん前から、陸奥どんを妖人といったな。そりゃどげなわけか」
と、権兵衛は訊きなおした。
五
「実は、私がきょう陸奥さんに逢いに来たのは、初対面じゃなく、御一新前にお逢いしたことがあるのでござるます。なに、私が、五つ六つのころでござるますけん陸奥さんも知るはずもなく、私もそのおぼえはないのでござるますが。……」
徳富はしゃべり出した。むろん、夫人には聞えないように低声《こごえ》だ。
「私の故郷は肥後の水俣《みなまた》で、私の家はそこで代々庄屋や代官をつとめた家でござるまして、そのころから学者とか絵師とか志士とかがよく来泊しました。その中に陸奥さんもおられたっちゅうわけでござるます。どうやら陸奥さんが坂本龍馬の海援隊におられたころ――指を折ってみると、二十三、四のころ――の話らしく、どういう事情で来られたか、とにかく四、五人の仲間といっしょにしばらく滞在しておられたそうで」
「ふうん」
「そのときの陸奥さんを知っとる者が、水俣にも何人かおりますが、それが……あんまりええ評判ではないのでござるますな。むろん、その後陸奥さんがいろいろな事件を起されてから、それをしおに聞いた話でござるますが」
「ははあ、評判がよくなかでごわすか」
「そのとき陸奥さんは、私の家に滞在しておりながら、近くの山野を歩きまわって野草を集め、長崎から持って来たオランダ渡りの薬と称し、医者に化けて近在の百姓から金をまきあげられたそうで……ころんでもただでは起きぬとはあいつのことじゃ、と仲間の人がニガ笑いし、それで話してくれたには、何でも海援隊にはいったとき、陸奥さんは自分の寝る蒲団もない始末じゃった。そこで、長崎の蒲団屋十何軒から、隊の蒲団何百枚か作るから見本を持って来いと蒲団を集め、一つずつから綿をぬきとって、まんまと自分の蒲団一式分をひねり出すと、見本はどうも気にいらんからとみな返したそうで」
「やるもんでごわすのう。……」
「ばってん御当人は、海援隊で、隊を離れても一人でやってゆけるのは、坂本隊長とおれくらいなものだ、と威張っちょったそうで……ま、そういう才覚の持ち主だから、遊ぶほうも隊中一番だったそうでござるますが、そのくせ長崎の丸山の遊廓じゃ、くれそでくれぬはむつのかね、という小唄か何かが流行《はや》ったっちゅうことでござるます」
「くれそでくれぬはむつのかね。……なるほど」
権兵衛は破顔した。
「また私の家におる際、父がうちの墓に詣《まい》りました。陸奥さんはそれにノコノコついて来て、同様に墓参してくれたのはまずええとして、ついでに父がそばの親戚の墓に詣ると、これにもくっついて来た。あなたはこっちは結構、と父がことわると、いや、私はいまは徳富家の親類同様に考えておりますけん、親類の親類は私の親類でもござるます、っちゅうて最敬礼した。――そんな話を想い出して、あんな歯の浮くような軽薄才子はおらん、と父は吐き出すように申しておりました。ま、陸奥さんも二十三、四のころの話でござるますが」
いつのまにか権兵衛は、相手が二十半ばの青年であることを忘れている。
「それが、陸奥どんの妖人、ちゅうゆえんでごわすかな」
「いや、そうじゃござるまっせん。あの仁《じん》の維新後の行跡を見てのことでござるます」
と、徳富は首をふった。
「海援隊当時も、あんまり同志を小馬鹿にしたふるまいが多いので、とうとうみんな怒り出し、一同から殺してしまえと追っかけられたこともあるそうでござるますが」
「ほう」
「明治初年のころ、陸奥さんがたしか大蔵|少輔《しようゆう》心得、っちゅう役につかれておったころ、国家財政に関して、大隈さんの楽観説を支持して井上大蔵|大輔《たゆう》をひっくりかえし、そこで大隈さんが大蔵大輔になられると、こんどは平気で悲観説を唱えて大隈さんをひっくり返す、などということをやってのけられた」
「ほう」
「次に例の征韓論のときでござるますな。あの人は西郷さんの論には大反対じゃったのでござるます。ところが西南の役が起ると、例の謀叛――大阪鎮台の政府軍が九州に出動したら、その留守を狙って大阪城を乗っとろう、などいう大それた陰謀に加担して、とうとう牢屋にいれられる羽目におなんなすった」
これは権兵衛も知っている。
「それで反政府、反権力の人かと見られて、やがて出獄して来た陸奥さんを、自由党などが旗をふって大歓迎におしかけたら、それはあと足で蹴とばして、ヌケヌケと政府の官職につかれた。たとえそれが、いまのような有名無実の職名にしても、です」
「………」
「よくいえば変通自在、悪くいえば変節の常習犯」
権兵衛は、西郷が陸奥を「謀叛のかたまり」と評したことを思い出した。しかし、ふしぎそうに相手を見やった。
「おはん……ところで、おはんは、きょう陸奥どんを悪口雑言《あつこうぞうごん》しに来られたのかね」
「いえいえ、そうではござるまっせん。そう聞えたとしたら、そりゃ大誤解でござるます。悪口のつもりなら、ここでこんなことは申しまっせん」
徳富は手をふった。
「さっき申したように、私は陸奥さんを、実に興味あるお人と思うとります。……だいいち、それほど機略縦横でありながら、御当人は一向に出世せられんで、あげくの果ては牢にいれられるっちゅう始末でござるます。それじゃ敗残沈没の底に消えるかというと、御承知のように、いつのまにやらともかくも浮かびあがられる」
「なるほど」
「いったい御当人は、自分をどう考えちょられるか、そのへんを承りたいと思ってやって来た次第でござるます」
そのとき、外にガラガラと俥《くるま》のとまる音がした。
一息おいて、
「こらっ」
と怒鳴る声がした。
「陸奥宗光が自分の家に帰って来たのじゃ。もう尾《つ》けて来る必要はなかろうが――警視庁の密偵《いぬ》め、帰れっ」
六
「なに、客が二人待っとる?」
玄関で訊き返す声に、夫人が何か答え、しばらくして陸奥宗光がその座敷にはいって来た。
先刻の法界ぶしの件については、夫人は話すひまもなく、それどころか、いまの夫の大喝について尋ねることも、なかったようだ。
客と料理屋へいったということであったが、客とはそこで別れたらしく、陸奥は一人であったが、いささか酩酊《めいてい》しているらしいようすで、
「いや、失礼、昔、県令をやっちょったころの部下が来たもんで」
と、いいながら、どっかと坐ったはずみに酒の匂いがした。
痩せこけて、口髭とあご鬚につつまれた顔は少し異人めいて、怖ろしくほそ長い。酔いをおびているせいかも知れないが、痩せているのにきわめて活気にみちた人物だということは、くぼんだ眼窩《がんか》の奥の眼の光だけでわかった。陸奥はこのとし数えで四十四である。
まず権兵衛が用件を述べた。
「ああ、御招待状は頂戴した。是非、参りたいが、ちょっと困ることがあってね。……三島警視総監も来るんじゃろ?」
と、陸奥はいった。
「は、来られると思いもす」
「それが困る。去年はあの仁が出席せられんということをたしかめてからいったんじゃ。……我輩がいったら、向うも鹿鳴館の居心地が悪かろ」
と、笑って、徳富猪一郎のほうをむいて、
「君は?」
と、訊いた。
徳富は、自分はいま世に出ている「将来之日本」の著者だが、これからも政治についての著述や出版をやりたいので、さきごろから著名な政治家たちをインターヴューしてまわっている。ついては先生の御高見――特に条約改正の見込みについて承りたいと思って参上した、と述べ、それから――もうお忘れかも知れませんが、と、ことわって、二十年ほど前の陸奥の徳富家来訪のことをつけ加えた。
「ああ、水俣の徳富さん。……」
陸奥は想い出したらしく、さすがに眼を大きくして、
「いや、あのときはえらくお世話になった。あんたは四つ五つじゃったと? ふうむ。そういえば、そんな年ごろの男の子がおったの。あんたのほうはおぼえてはおるまいなあ」
と、なつかしそうに猪一郎を見まもった。
猪一郎は、むろん自分はおぼえてはいないが、
「故郷の者も、よほど先生のことは印象に残ったらしく、いまでもことあればお噂しちょるようでござるます」
と、神妙に答えている。
さっき権兵衛に、周囲の者が陸奥に対してあまり「ええ評判」をしていないことを語った徳富だが、さすがに陸奥の前ではそんなことはオクビにも出さない。当然のこととはいえ、年にも似合わず如才ないところもある。
しかし、これで陸奥は、この青年が同座していることにも心をといたようであった。
「我輩の、政治外交についての意見はあとで述べる。――さしあたって鹿鳴館の件じゃが」
と、いいかけたとき、夫人が茶を替えにはいって来た。
「妻《さい》じゃ」
と、陸奥は改めて紹介して、権兵衛に向って、
「もとは播州龍野の藩士の娘じゃから、ま、鹿鳴館へいっても恥ずかしゅうない資格はあるんじゃが」
と、ことわった。それから、いう。
「三島は、西郷さんに何もいって来なんだかね」
「いや、何も聞いとりもさんが」
「あれはあちこち、我輩が危険人物じゃと説いて歩いとるらしい。西郷さんは招待状をくれたが、ほかからは来ん。三島の策動のせいじゃろ」
権兵衛は、ただの弁理公使の陸奥を鹿鳴館に呼ぶのは、西郷従道くらいなものだろう、あんたはまだ貫目が足りんのだ、と考えたが、それは口にせず、
「三島どんは、まだあなたを危険人物と思っちょるのでごわしょうか」
と、尋ねた。
「さっき、我輩が一喝したのを聞いたか」
と、陸奥はいった。
「警視庁の密偵は、いまもなお、我輩のあとを尾けて歩いとる」
「牢屋から出られて……もう四年もたつっちゅうのに?」
「なに、イヤガラセの気味もあるんじゃ。三島は我輩に遺恨をふくんどるからの」
「遺恨?」
そのとき、新しい茶をいれていた夫人がしずかにいった。
「あなた……警視総監閣下の悪口をあまりおっしゃっては……密偵が聞いているかも知れませんよ」
頬にかすかに浮かんだ笑いが、その言葉の後半はユーモアであることを示していた。権兵衛は、最初からの夫人の地味な印象とは別な一面を、ちらりと見たような気がして、おや、と思った。
「うん、あ」
と、陸奥は変な声を出して、長い首をちぢめた。
さっき徳富から聞いた、若い日の軽薄才子の面影はさすがにない。いまは俊敏無比の鷹《たか》を思わせるが、同時に常人を超えた胆力の持主だと、数分相対しただけで感覚していた権兵衛には、これも意外な宗光の一表情であった。
茶を飲みかけて、宗光は咳《せ》きこんだ。
七
最初はただ咽《む》せたらしいが、あと執拗につづく咳は、少し異常なものを思わせた。夫人がどこからか懐紙を出して卓の上におくと、宗光はそれをとって口をおさえた。
咳がやむと、
「遺恨とは、どんなことでござるます」
と、すかさず徳富がいった。
「うん、そのことか」
宗光はちらっと夫人をかえりみたが、
「ま、あの話ならよかろ」
と、しゃべり出した。
「我輩と三島が最初に逢ったのは、明治五年の廃娼令のときじゃ。例のマリア・ルーズ号事件で、ひょうたんから駒が出て、娼妓解放令となった。
あのころ我輩は神奈川県令で、マリア・ルーズ号事件は我輩の管轄《かんかつ》内の横浜で起ったのじゃが、条約も結んどらんペルーの船に、シナ人が何人奴隷になっとろうと、日本の関知するところではない、いまの日本はそんな無用の騒ぎを起すときではない、っちゅうのが我輩の見解じゃったが、ちょうど我輩の下で参事っちゅう職をやっとった大江卓っちゅう土佐っぽが馬鹿にりきんで、とうとう奴隷を解放したが、おかげで日本も廃娼令を出さんけりゃならん義理になった。――実は、いまいっしょに酒を飲んだのが、その大江卓たちなんじゃがね。
この世に男と女のおるかぎり、男に身を売る女、女を買う男のたねが尽きるときはない、突然気ヲツケをやって廃娼令なんぞを出してみたところで、そりゃいっときのおためごかしじゃ、と我輩はこれにも反対したんじゃが、勢いのおもむくところ、県令じゃどうにもならん。
さて、その明治五年の秋、我輩は吉原にいった。――」
夫人をまたちらっと見て、
「いや、遊びにいったわけじゃないぞ。娼妓解放令が出て数日後のことで――我輩はいまいったような心境じゃから、横浜の遊廓の始末なんぞは下僚にまかせっぱなしじゃったが、吉原のなりゆきばかりはどうなったかと、それも上京してたまたまその近くにゆく用があったから、ふと吉原をのぞいて見る気になったんじゃ。
すると、面白い出来事があった。
役人の一団が、若い女を縛って、一軒の女郎屋からひったててゆくところじゃったが、訊いてみると可笑しな話じゃ。
いや、あの廃娼令についちゃ珍談奇談がいろいろあったが、それもその一つで、その女はなんと娼妓解放令の三日前に女郎になったというんじゃな。事実はまだ一人の客もとっておらなんだそうじゃが、怖ろしく義理がたい女で、それじゃ身売り証文の手前相すまないと気をもんで、客を呼んどるところをつかまったというんじゃな。
聞いて、我輩は笑い、放してやれといった。
すると、役人の中から――あのころはまだ警視庁がなくて、東京府の役人じゃったが、その一人が出て来おった。そやつが、そんなことは出来ん、という。そやつが取締りの指図《さしず》をしておったらしく、いかにも権柄《けんぺい》ずくの顔をしたやつだ。いったん法令が出た以上、その法にそむいたやつは断じて許せん、と居丈高《いたけだか》にいう。その法令が何とも馬鹿馬鹿しい、こんなことは臨機応変、活殺自在にやることじゃ、と我輩がいう。とどのつまり、大口論となった。
名を訊くと、東京府参事三島通庸といった。――」
「おう」
と、二人は吐息をついた。
「我輩が神奈川県令陸奥宗光と名乗り、その女を横浜に連れていって飯炊きに使うっちゅうと、三島はあくまで妨害しようとする。そこで、参事は県令の下僚じゃ、下僚が上司に服従するはこれまた法じゃ、不満ならば我輩を縛れ、我輩を斬れといって、我輩はついにその女を連れ去った。……」
「なるほど」
「思えば我輩もあのころまだ二十代、若気のいたりもあったな。ま、そういう喧嘩があったっちゅう話じゃ。その後、我輩は謀叛人となり、三島は警視総監となる。そこで、きゃつ、手に唾《つば》して、釈放後の我輩にもイヤガラセをやっちょるんじゃ」
「それにしても、たったそれだけの話で、三島総監も少ししつこ過ぎるじゃござるませんか」
と、徳富が口を出した。
「三島はしつこい男じゃ」
と、宗光はいった。
「それに我輩と、先天的に合わんところがあるな」
「その、三島さんが警視総監になる前……先生が謀叛人として山形監獄におられたとき……山形県令は三島さんじゃござるませんかったか」
と、徳富はいった。
宗光は徳富を見た。相手がそんなことまで知っているのに、ちょっとめんくらったようだ。
「その通り」
「それは大変だったでござるまっしょう」
「うん」
ひとうなりして、
「牢を視察に来よったよ。我輩は牢の中できゃつをにらみすえて、スゴスゴ退散させてやったが。……」
そして宗光は、またはげしく咳きこみはじめた。
権兵衛は、夫人がこんどは介抱もせず、黙って宗光の横顔を見つめているのに気がついた。
さっきから、夫人はこの座を去らない。といって、あの話もしない。しないのがおかしい、途方もない話なのに。
むろん夫人は、一刻も早くその話をしたいにちがいない。従って、いらいらしながらわれわれの辞去を待っているにちがいない。
「お風邪をひかれたのじゃごわせんか」
と、権兵衛はいった。
「そろそろ、おいとましもそ。……それじゃ、鹿鳴館は出ていただけんのでごわすな」
陸奥は咳きこみながら返事をした。
「左様、相すまんが。……気が変ったら、連絡しよう」
と、いった。
「それじゃ、私も」
突然、徳富猪一郎もお辞儀した。彼も権兵衛と同じ配慮をしたに相違ない。
「おや、君も?」
陸奥は意外そうにそちらを見て、
「我輩の政見を聞かんのか」
「いえ、きょうのところは、御会見をいただいただけでありがとうござるます。……いや、ただ一つ、おうかがいしたいことがござるますが」
「何かね」
「いまのままで……鹿鳴館騒ぎなどやって……条約改正は出来ますか?」
「出来んな」
と、陸奥はズバリといった。
「では、どうしたら? いつになったら?」
「我輩が外務大臣になったときじゃね」
と、陸奥宗光はそっくり返って答えた。
八
「いや、逢いに来てようござるました。実物を見ると、それだけでだいぶ印象がちがって来ることがある。来るまではゆだんのならん妖人と思うとりましたが、やはり一個の人傑っちゅう感がござるますな」
と、徳富猪一郎はいった。
「同感じゃが、それにしても大変な自信家じゃな。我輩が外務大臣になるまでは条約改正は出来ん、と威張りもしたな」
山本権兵衛は、馬をひいて歩いている。
霜柱が溶けかかっているところへ、また風花が舞っていたが、権兵衛の長靴《ちようか》はいいとして、素足に高下駄をはいた徳富は、足が泥にまみれていても平気な顔で歩く。
「若いときゃ、それもホラと聞えたでしょうが、いま聞くと、そりゃほんとかも知れん、と相手に思わせるところがござるます」
徳富は首をひねった。
「それはそれとして、あの法界ぶしの子供の一件についちゃ、その謎を聞きとうござるましたが」
「おいも同じでごわすが、それを聞くわけにゃゆかん。こっちがおりゃ、奥さんがいい出さん」
権兵衛はいった。
「その件を考えると、陸奥どんはやっぱり妖人じゃな」
しばらくして、徳富がいった。
「それについて奥さんが何も話さんうちから……ばってん陸奥さんは、どこか奥さんをこわがっとるところがありますな」
「おはんもそう見とったか。あの一見しただけでも鼻っ柱の強そうな陸奥さんがのう。……」
と、権兵衛は微笑したが、ついで首をかしげた。
「あの奥さんは、ほんとうに播州の侍の娘さんかのう。突拍子もなく、陸奥どんはそげな事《こつ》をいったが」
「いや、よくは知りませんが、もとは芸者だと聞いたことがござるます」
――このことについて、徳富蘇峰はのちに書いている。
「……彼はなぜかこの夫人|亮子《りようこ》にはすこぶるはばかるところがあったようだ。彼の伝記の作者が、『君は常に夫人を恐る』と書いたのはおそらく事実であろう。彼は余に向って、訊《たず》ねもせぬのに、『余の妻は播州龍野の藩士の娘である』と語った。事実は知らぬが、煙花界より拾いあげたる婦人であるということだ」
煙花界とは花柳界のことである。
いま、歩きながら、精気と老獪《ろうかい》さにみちた若き政治評論家徳富猪一郎はいった。
「陸奥さんの叛骨、権謀ぶりの、よってきたるゆえんが、いまわかって来たような気がします。そりゃ天性もあるでしょうが、それより藩閥をバックに持たん一匹狼が、自分の才幹をいかんなくふるえる地位につくための苦闘だったのではござるますまいか。……いま、あの人の顔を見ていて、やっとわかりました。ありゃ、飢えた狼の顔でござるますな」
他人に対してはいかに洞察的な眼を持つ人間でも、人は自分の未来ばかりはわからない。
このとき陸奥に対して変節の常習犯と評した平民主義者徳富猪一郎が、後年大軍国主義者徳富蘇峰に変身し、「変節」の巨魁《きよかい》のごとく目されるに至ろうとは。
九
「あなた」
と、亮子夫人はいった。
「さっき、妙な男と娘がやって参りましたわ。……町の法界ぶしと、九つの女の子でございます」
九つ、と断定したのが異様であったが、宗光はむろんそのことに気がつかない。
「法界ぶしの男?」
彼は狐につままれたような顔を、妻のほうにむけた。
「それがどうしたのじゃ?」
夫人は話しはじめた。その男の言い分を語った。――そして、はじめはきちがいか、とんでもない言いがかりだと思ったけれど、だんだんほんとうの話ではないかと思われて来た、とくにその女の子の顔があなたの面影《おもかげ》をとどめているのを見ては、そう思わないわけにはゆかない……と、いった。
「あなた。……おぼえがございますか?」
と、夫人はいった。
宗光は、細長い顔を仮面のように硬直させて妻を見まもっていたが、やがて溜息をついた。
「ある」
と、いった。
「では、山形で?」
「うん」
「牢の中で?」
「うん」
夫人は茫然と夫を眺めていたが、やがて、
「あなたというお方は、何をおやりになるかわからない人だ、とは承知しておりましたけれど、まさか牢屋にはいっても子供をお作りになるとは。……」
と、悲鳴のような声をもらした。
「そのあいだ、私は東京で、二人の子供をかかえて……」
「すまん、すまん」
「しかも、山形へゆかれる前、私にあんな誓いをなさいましたのに、その口の乾かないうちから……」
「待ってくれ、これには、実にやむを得ん事情があるのじゃ」
宗光は手をふって、
「まず、とにかく、聞いてくれ。……」
と、しゃべり出した。
十
明治十一年六月十日、元老院議官陸奥宗光は警視庁に逮捕された。前年の西南の役に際し、土佐人の一派が、そのころ京都にあった行在所《あんざいしよ》に参集した要人たちを暗殺し、また大阪で挙兵して政府を顛覆《てんぷく》するという大陰謀に、宗光が通謀したという嫌疑によるものであった。
饒舌《じようぜつ》な彼が、後年このことについて、
「此《この》一事は、余が半生の一大厄難にして、自家の歴史上摩滅すべからざるの汚点なり。余は多言するを欲せず」
と、だけいって、沈黙をまもった。
事ここに至った理由は、しかし維新以来の自分の不遇に対する焦燥にあった。まことに徳富猪一郎が看破した通りだ。
新政府樹立直後、海援隊切っての俊才児だという評判を背負って、陸奥宗光は、伊藤博文や大隈重信らと同じ一線でスタートを切ったかに見えた。実際、当時は彼らにあてがわれた地位や職はほとんど同格であった。
しかるに、五年、七年とたつうちに、その差がみるみるひらいて来た。伊藤や大隈などが、はやくも政府の中枢部といっていい地位へ翔《か》けのぼってゆくのに対し、彼はいつまでたっても卑職属官の域からのがれられなかったのである。
むろん、才能において、宗光は、かつての同輩たちよりおれのほうが二段三段上だと自負している。
その自分の不遇は、薩長土肥という藩閥の壁によるものだ、と彼は考えないわけにはゆかなかった。
かくて宗光の当面の目的は、それらの閥の破壊に向けられた。カミソリ、妖刀にも譬《たと》えられる彼の権変《けんぺん》ぶりは、ただ自分の前途に立ちはだかる閥の網を切り裂かんがためであった。
にもかかわらず、その努力は徒労であった。陸奥という男はゆだんのならぬやつだ、というレッテルを貼られただけであった。――それでも、悪戦苦闘しながら、一方では怖ろしくげんきんで現実主義者でもある彼は、からくもある自制を保っていた。
そこへ、明治十年、西南戦争が起った。敵「藩閥」の二大分裂だ。
彼の炯眼《けいがん》は、西郷の敗北を予測した。むしろ期待した。が、そのあとはどうなる。
いまの政府はいよいよ強固な体制を築くだろう。そして、自分が突出することはますます困難になるだろう。機会はいまをおいてない!
そう判断した彼は、ふと自制心を失った。かくて彼は、彼自身無謀と見ていた土佐の民権論者一派の暴挙につい気脈を通じたのだ。「敵」の分裂を継続させ、拡大するためであった。
これはまんまと失敗した。陸奥がおのれの「汚点」としたのは、それによる逮捕より、自分のカミソリが狂ったことへの痛烈な恥の意識を意味するものであったろう。
さて、陰謀発覚して鍛冶橋監獄に拘留されていた陸奥は、八月二十一日、禁獄五年の判決を受けたが、その禁獄されるところが山形監獄と聞かされて、全身に冷たいものの走るのをおぼえた。
山形県令が三島通庸であることを知っていたからだ。三島は明治七年からその地にあり、大土木工事と、民権論などの反政府運動に鉄鞭をふるっているという評判が高かったからだ。「鬼県令」という名も伝わっていた。
牢の中の囚人に対して、司獄官が生殺与奪の力を持っていると見られていた時代だ。三島は県令だが、東京から送られて来た国事犯に無関心だとは思われない。それどころか、きゃつのことだ、いつぞやの吉原の「鞘当《さやあて》」を必ず記憶しているだろう。たとえ直接手を下さないにしろ、復讐の手段はいくらでもある。
大袈裟でなく、宗光は死を覚悟した。
このおそれを聞いて、妻の亮子は驚愕した。彼女は内務卿伊藤博文のところへ走って、夫のゆくえを山形監獄以外のところへ変更してもらえまいかと訴えた。宗光の若いころから、伊藤だけは親しかったからだ。しかし伊藤は、眼には同情の色が浮かんでいたが、「すでに法廷で下った判決はどうにもならん。国事犯は本来なら北海道の樺戸監獄にでも送られるべきところ、山形とはそれでもまだ配慮してくれたんじゃろ。ただ、しばらく時をおいて、そのうち宮城監獄にでも移してもらうよう、極力努めてみるという約束しか出来ん」と、いった。
陸奥宗光が東京を出て山形へ向ったのは、九月一日のことであった。俥《くるま》には乗せられたが、うしろ手に縛られている。護衛の巡査が五人ついていた。
と、南千住の橋を渡ったところにある掛茶屋の葭簀《よしず》のかげから、二人の少年の手をひいた女が現われた。
「おう」
宗光はさけんだ。
それは妻の亮子と、十二になる長男広吉と、七つになる次男潤吉であった。
「あなた……五年間……どんなことがあっても……」
とぎれとぎれに、亮子はいった。
広吉は歯をくいしばっていたが、涙は頬を洗い、潤吉は小さい腕を顔に横にしてすすり泣いている。
「死にはせんぞ」
さすがに、しぼり出すような声で宗光はいった。
「亮子、苦労をかける。これからの五年間、お前たちがどうして生きるか、それさえおれにはいえん。しかし、歯をくいしばって、何とかして生きていってくれ」
亮子の唇はわななくだけであった。
「頼む。おれが死んだという知らせを聞くまでは、どうかその二人の子供を頼む。……もしおれが死んだと聞いたら……子供は殺してくれてよい。……」
「あなた、何ということを!」
亮子はさけんだ。
「どんなことがあっても、私はこの子供たちを大きくして見せます。でも、どうかあなたも……」
亮子は、宗光の二度目の妻であった。前妻の米子も芸者であったが、亮子も、もと木挽《こびき》町で柏家《かしわや》の小兼《こかね》といい、有名な美妓であったのだ。それが六年ほど前、六つと一つという子供を残して米子が肺病で亡くなったあと、宗光から両手をついて頼まれて二度目の妻となり、しかもそれ以来あまり夫が家にいない家庭で、幼い兄弟を育てて来たのであった。
「お亮、いまさらここで、こんなことを誓うのは可笑しいが、もし生きて帰ったら、おれはもはやお前以外の女は断つ。生きて帰ったら……というのは、おれの夢だが」
生まれてはじめてといっていい感傷的な言葉を吐き、つぎに宗光は北のほうをにらんでいった。
「夢ではない。陸奥宗光、全智能をしぼって必ず生きぬいてみせる」
十一
徒手空拳、といってはまだ足りない。
獄中にあって、おのれに敵意を持つ――望めば闇中に葬り去る力を持つ絶対の支配者とたたかう。いかに権謀児陸奥宗光といえども、果してよくこれをなし得るやいなや? というところだ。
予感はあたっていた。予感以上であった。
宗光はいままでの経歴を卑職属官としていたが、とにかく県令もやり、元老院議官までやった人間は、無名の壮士たちが大半であった国事犯中の大物にはちがいない。山形監獄の迎えぶりはものものしく、即日特別に作ったらしい独房にいれられた。
その翌朝、果せるかな、監獄署長|葛巻義方《くずまきよしかた》に案内されて、一団の役人とともに、山形県令三島通庸が現われた。
「……よう、ここへ来たもんじゃ」
感心したようにいう。
陸奥がこのとし数えで三十五であったのに対し、三島は四十四であった。ややふとりかげんの長方形の顔は黒く、身体はただ大きいばかりではなく、鉄か銅かを思わせるどっしりとした迫力があった。
「前々から、法令なんぞいいかげんに扱えとか何とか、たわけた事《こつ》をぬかしくさって、天罰てきめん、とどのつまりは謀叛人になってそのざまじゃ」
ただの嘲罵ではない。煮えたぎるような憎悪のひびきがあった。
元来が、骨のずいまで権力の化身《けしん》ともいうべき男であった。反政府のやつばらは許せん、中でも反薩閥のやつは許せん、と考えている。その憎しみの具体像が、いまや自分の手中に投げこまれて来たのだ。さらにこの陸奥宗光というナマイキなやつは、あの鞘当そのものは小事にしろ、いまだに忘れられない――先天的に猛反撥をおぼえさせるものがある。
「やあ、おぼえておったか。しばらくぶりだな」
と、宗光はふとい格子の中で笑って、
「職務励精の甲斐あって、やっとのことで山形県令まで成りあがったか。まずは祝着《しゆうちやく》といいたいのう」
と、まけずにやり返した。
なんたる鼻ッ柱の強い男か。――呆れ返って、役人たちの間にどよめきが起った。
三島通庸の長方形の顔が激怒にのびちぢみした。
「何を――この、マナイタの上の鯉めが!」
「ははあ、殺すかね? これ、いっておくが、貴公の職務励精ぶりはちと度が過ぎて、人民|凌虐《りようぎやく》の域に達しとるという報告が、元老院の耳にもはいっておるぞ」
と、宗光はいった。
三島は牛のようなうなり声を発したのち、
「ま、ほざきたか事《こつ》をほざいておれ。そこで――五年間な」
と、いった。
「五年間、いのちがあればの話じゃが」
そして彼は、役人たちとともに牢の前を去った。
ぶきみな静寂に戻ったあと、牢の外で嘆声があがった。
「ムチャだ、そりゃムチャだ。……」
やがて宗光は、それが自分用につけられた牢番であることを知る。
その男に答えるつもりはなく、自分にいい聞かせるように宗光はつぶやいた。
「ムチャではない。これできゃつは、即座にはおれに手が出せんことになったのじゃ。いま一服盛っては、たちまち評判になるからのう。……」
――のちに彼が徳富猪一郎に「我輩は牢の中できゃつをにらみすえて、スゴスゴ退散させてやったよ」と威張ったのは、必ずしもホラではない。
これが陸奥宗光の、宗光らしい「死中に活をつかむ」権謀であった。
ただし、このハッタリに当座のききめはあったとしても、それが五年間もつづく保証はないことは彼も承知している。
入牢者の大半が「牢死」をとげた徳川時代ほどではないにしても、最低ギリギリの当時の牢獄生活に、ちょっと「手心」が加えられれば――あるいは加えられなければ――数カ月のうちにも、やはり同じ運命が見舞うことは明白であった。
果せるかな、待遇は酷烈をきわめた。
やがて秋風のたちはじめたみちのくの牢獄に、風は吹きいるまま、与えられるのは沢庵に握り飯だけという粗悪な食物であった。それでなくてさえ痩せていた宗光は、みるみるさらに痩せ衰えた。
負けてたまるか、おれはくたばらんぞ!
彼は自分にさけんだ。二人の子供のために、また、なさぬ仲でありながら辛苦してそれを養ってくれているであろう妻のために――そして、何より、これほどの才幹と野望をいだくおれ自身のために!
十二
――宗光は、その男がいなかったら、その冬のうちにも「牢死」していたかも知れない。
彼のためにつけられた牢番であった。
名は坂部清兵衛といった。年は三十くらいで、いかにも朴訥《ぼくとつ》かつ頑固な顔をしていて、怖ろしく無口な男であったが、宗光が来て十日ばかりたってから、どういうわけかこの牢番が、毎日必ず餅《もち》とか油揚げとか魚の干したものなどを、そっと牢内にいれてくれるようになった。
むろん、宗光はそのわけを訊いた。
清兵衛は、重い調子で答えた。
彼は庄内人で、もとは軽輩ながら侍であった。
庄内の酒井家は徳川の譜代大名で、そのため御一新前、江戸市中の取締りを命じられ、当時いわゆる「御用盗」を放《はな》って治安を乱す薩摩屋敷の焼打ちをやった。さて維新となって薩軍を迎える羽目となり、この前科のある庄内藩は恐慌をきたした。ところが、薩軍をひきいて来た西郷隆盛は、庄内藩に甚だ寛大であったのみか、藩主に対しても、どちらが勝利者かわからないほど礼をもって遇した。庄内の士民はあげて感泣した。
そのために、西南戦争が起ると、庄内から義勇兵としてはるばる薩軍に参加した者が少なくなかった。
清兵衛もその一人であった。が、家の始末に日をとられ、九州にたどりついたときはもはや退却をつづける薩軍に加わることなど出来ない状態にあった。
役《えき》後、戦死をまぬがれて捕虜となった庄内の参加者たちは、罪人としてこの監獄にいまも収容されている。せめて罪ほろぼしにその世話をしたいと――ただし、その目的は秘して――彼はこの牢番になった。
「しかるにこんど、政府のしかるべき地位にあるあなたさまが、西郷さまと相呼応して旗をあげようとなされ、事破れてここにつながれなされた。しかも県令さまのただならぬお憎しみのまとらしい。放《ほ》っておけば、いのちもあぶない。自分としては黙って見すごすわけにはゆかない」――と、いうのであった。
――神よ!
と、無神論者の宗光が思わずさけび出さざるを得なかった。
三島通庸という怖ろしい人物が支配している牢獄へ送られて来たのに、その牢番にこんな男が配されていたとは、まさに天われを見捨てたまわず、と叩頭《こうとう》せずにはいられない。
実は、その男はかんちがいをしている。
どうやら宗光を大西郷の盟友と考えたようだが、宗光ははじめから西郷の叛乱を愚行ときめつけている。その愚行につい悪乗りしようとした自分の行為は、それに輪をかけた大愚行だったと痛恨していたのだが、このときは何くわぬ顔をして、
「まことに、大西郷の心事を思えば悲涙のきわみ」
など、慨然としていった。――
さて、その数日後、宗光は坂部清兵衛に一つの相談をもちかけた。
「清兵衛、ここにお前がおってくれたとは、地獄に仏の思いがするが……しかし、お前、おれがここを生きて出られる日があると思うか?」
牢番は返事をしなかった。
「おれは出たい。おれ自身のいのちのためばかりではない。西郷の起《た》った心事を明らかにし、政府の蒙《もう》をひらくためにも、生きてここを出たい」
牢番はわずかにうなずいたが、しかし依然として黙っていた。
「ところで、お前、ここの署長をどう思うか?」
監獄署長葛巻義方のことだ。清兵衛はやっと答えた。
「謹直な方でござります」
「いかにも、真っ四角なやつだ。まさに監獄署長になるために生まれついたようなやつだ。じゃが……いつか三島県令を案内して来たときの、滑稽なほどシャチホコばっておったようすから見て、ありゃ弱きにゃ強いが、強きにゃ弱い。上からたたかれ、横からつつかれ、下からきんたまを握られると、意外にもろくヘナヘナになってしまう男とは思わんか」
牢番はまた答えなかった。
「もっとも、それだけに、上から一服盛れ、それもわからんようにやれと命ぜられたら、その通りにやるだろう。いくら親切なお前でも、それをふせぐことは出来んだろう」
「………」
「事と次第では、この冬もあぶないとおれは見ておる」
清兵衛は、歯のあいだからおし出すような声をもらした。
「破牢はいけませんぞ」
こんどは宗光が黙った。
「それは出来ませんぞ」
「まさか。そんな馬鹿なことはおれも考えてはおらん。たとえ破牢したところで、そのあとどうするのだ。せっかく入牢ですんでおったのが、みずから首になることを求めるようなものではないか」
と、宗光はかぶりをふった。
「おれはここにおって、しかも生命の安全を保ちたいのじゃ」
「………」
「そこで、相談がある。お前、知り合いの女はおらんか。素人《しろうと》じゃない、商売女じゃが」
「それを……どうなさる?」
「おれの破牢はいかんが、外から牢にはいってもらうならよかろう。いや、よくはないが、それしかおれの助かる道はない」
「と、申されると?」
「その女におれの子を仕込む」
清兵衛はうなり声をたてた。
「そして、国事犯の牢内で子供を作らせたという罪で――前代|未聞《みもん》の職務怠慢の罪で署長をおどす」
「そんなことを!」
「牢内におる無手のおれが、監獄署長を金縛りにするには、その法しかない」
「しかし……その女が牢内で孕《はら》んだということを、どう証明するのでござります?」
「おれの子供である以上、どこかおれに似て生まれて来るじゃろ」
「たとえ、それが牢内で孕んだことが明らかになったとしても……もし、その母子《おやこ》もろとも内々始末されたら?」
「つかまる前に、その母子は逃がす。証拠物件は、山形監獄の署長の手の及ばぬところへ隠す」
何という馬鹿馬鹿しい――しかし驚天動地の奇策であろうか。これが、九死に一生を得るために宗光のひねり出した獄中の権謀であった。
「もしおれが無事牢を出たら……むろん、その母子はひきとって安泰な生涯を過させてやる」
「しかし、それは……あまりのことでござる。それはかえって死を早めることになりかねませぬ。……」
「このまま過せば、おれは必ず殺される。……身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれじゃ」
宗光は相手を見た。
「しかし、その女の世話をお前に頼むのは無理かな? どうせ殺されるなら、早いほうがよい。お前、即刻、このことを署長に報告してよいぞ」
坂部清兵衛は、沈黙したまま、長いあいだ考えていた。
「心当りの女はござりますが。……」
と、やがていった。
「なに、ある?」
「この山形で芸者をしている女で……近いうち、私の女房になってくれる約束をした女でござりますが……」
「なんじゃと? 牢番のところへ、芸者が?」
「もとは、西南の役へ出かけて戦死した、私の友人の女房でござりました」
十三
「運が悪いようで、我輩には強運があるのじゃなあ」
――と、いま陸奥宗光は、妻の亮子にいった。
「清兵衛がその女を牢に連れて来たのは、それから何日か後のことじゃった。何でも清兵衛が病気持ちになって、医者の指示で妹に特別に作らせた弁当を持って来させるという名目で、その女を監獄の門から出入りさせたそうじゃが……その足で、清兵衛が牢に連れて来た。我輩の牢が、一つだけ、ほかの牢と離れたところにあったので、そういうことが出来たのじゃろう。
女は……五、六回来たと思う。五、六回、女と交わったからといって、必ず女が孕むとは限っておらんが、それが孕んだ。強運があるとは、何よりもこれがよい例じゃな。もっとも、我輩も必死、念力こめてこのことに従ったがの。……これ、そんな眼で見んでくれ。
女は、清兵衛にどう説明されたか、思いつめた顔をして……美人ではあったが、あまり利口なたちとは見えず、何やら我輩を、西郷に匹敵する大人物と思いこんで、そのおたねを頂戴に来たといった風であった。
しかし、女の話はどうでもよかろう。そのときの我輩にとっては、ただこれは子供という証拠物件を作り出す道具に過ぎなかったのじゃからの。
女が妊娠したらしい、と清兵衛から報告を受けたのは、冬のはじめじゃったろうか。
いや、その冬の監獄の寒さ辛さは言語に絶し、実際我輩は風邪をひき、肺炎を起し、高熱を出した。それでも医者を呼んでくれんのじゃ。それを何とか生きのびたのは、清兵衛の援助と、子供が出来た、いまに見ておれ、という執念のおかげ以外の何物でもない。
しかし、女は孕んだものの、何しろ苦しまぎれの奇計じゃから、よく考えると、まだよく詰めてないところもあった。早い話が、女が孕んでおるうちによそに逃がせば、監獄署長へのおどしにならん。おどしになるためには、生まれた子供を見せんけりゃならんが、そのあと逃亡出来る保証がない。
これが、うまくいった。ひとえに坂部清兵衛の働きじゃ。
翌年八月に女は子供を生んだ。女の子じゃったが、たしかに我輩の顔をとどめておったという。
清兵衛はその子を署長葛巻義方に見せて、これはある女に国事犯陸奥宗光の夜の伽《とぎ》をさせた結果じゃ、このことが明らかになれば、陸奥はもとより、自分、女も極刑になるじゃろうが、あなたもただではすみますまいぞ、と、おどした。
葛巻義方は驚愕し、数日間、馬鹿のようになった。その立往生のあいだに、清兵衛は女と子供を山形から逃がしたんじゃ。しかし証拠物件はこの世に存在する。
清兵衛は、この大不祥事を内密のままにしておきたければ、獄中の陸奥の生命を保証せよ、と迫った。むろん署長は承知した。
ここまで事が運べば、あとは我輩の出番となる。我輩はその子に小雪という名をつけてやったが、念のため葛巻から、明治十二年八月某日誕生したその子――小雪の父は獄中の陸奥宗光なることを証明するもの也《なり》、日付をいれて、山形監獄署長葛巻義方、という証文をとるように清兵衛に命じた。のがれようもなく、葛巻は書いた。それは清兵衛にあずかっておいてもらった。
さて、この一事がどこまで三島県令を牽制《けんせい》することになったか、実はその当時はよくわからんかった。しかし、もし葛巻が報告しておらんけりゃ、たとえ三島が我輩に魔手をのばそうとしても、葛巻は言を左右にしてその命令に従わなかったろうし、もし葛巻が報告しておったとすりゃ、出世以外、眼中にない三島にとって、これは無視出来ん拘束材料になったろう。
とにかく、これ以来我輩の待遇はよくなった。新聞、漢籍、英書も読めるようになった。もっともこれは八月以降のことで、それ以前は向うも知らなんだわけじゃが、それまで我輩の気力の支えとなり、かつ以後の生命を保証されたという安心の効果は甚だ大であった。
かくて我輩は、明治十二年十一月まで――一年数カ月の山形監獄期、ぶじにいのちを保ったのじゃ。
もっとも三島は、たとえ我輩の計略を知って地団駄踏んでおったとしても、とうていそのままひっこんでおる男ではあるまいが、まだ刑期は四年近くある、と、たかをくくっておったかも知れん。
しかるにその九月、山形監獄に火事があった。出火の原因は我輩のあずかり知らんところじゃ。とにかく囚人が十九人も焼け死ぬ騒ぎじゃったが、離れた独房にいれられておった我輩は無事であった。そのときに例の署長は、防火に狂乱して焼け死んだ。
しかし、東京の新聞には、陸奥もまた焼死したと出たそうじゃのう。その誤報のおかげで伊藤が我輩を思い出し、かつまた以前のお前の請願を思い出してくれて、もうよかろうと我輩を宮城監獄に移送するようとりはからってくれたんじゃ。
ついに我輩は死地をのがれた。
山形監獄を出るとき、坂部清兵衛は駈け寄って、例の署長の証文を渡してくれた。その証文は、実は我輩の手箱の中にあるが、今までお前に見せる勇気がなかった。
我輩が宮城監獄へ移ってまもないある日、ふと看守の一人から、坂部があのあとすぐに腹を切って死んだということを聞いた。
そもそも、坂部はどういうつもりで、あんなことをしてくれたのか。おそらく友人もたくさん死んだ西南の役に、参加することの出来なかった罪の意識からじゃろうと思うが、その自殺もふくめて、実は我輩にもよくわからん。
何にせよ、我輩をかんちがいしての義侠《ぎきよう》の行為じゃから、我輩としてもいささか忸怩《じくじ》たるものなきを得ん。
さて、その女と子供はその後どうしたか。――
右のような次第で、我輩は宮城監獄に移され、刑期も特赦によって一年短くされて、明治十六年一月早々に出獄したから、向うも我輩の動静を見失ったものじゃろう。
それが、その後我輩のあとを追って上京し、我輩の外遊中に女は死に、子供は法界ぶしに養われておるとは。――
我輩も、実は忘れておったんじゃ。いまお前からそのことを聞いて、お前も驚いたろうが、我輩も驚いた。
ともあれ、宗光が獄中で女に子供を生ませた顛末《てんまつ》は、以上のごとしじゃ。それでもお前は、約束違反というかのう?」
十四
陸奥宗光が妻に、この牢内子作りの段を話せなかったのも無理はない。
また、山本権兵衛や徳富猪一郎がその家を訪れて、ただ一瞥《いちべつ》の印象だが、どうも宗光が妻にはばかっているように感じたのも無理はない。
現在、たとえうだつがあがらない地位にあっても、かつて牢屋に放りこまれても、そっくり返っている宗光が、妻の亮子だけには頭のあがらない理由があった。
そもそも亮子が宗光の妻となったのは、明治六年――彼女がまだ廿歳《はたち》過ぎのころで、そのころから柏家の小兼といえば木挽町には惜しいといわれた美妓であったが、これが六つと一つの子もある陸奥の後妻となったについては、むろん周囲からいろいろな声が出た。
「金もないのに、えらそうなホラばかり吹いて」
「いつも威張ってるのに、小兼ちゃんに両手をついて女房になってくれと頼んだってんだけど、そりゃ子供の世話に音をあげたからさ」
「それならほかに、後妻むきに出来た女がいるだろうに――相手もあろうに小兼ちゃんとはねえ」
「まるで断食《だんじき》したカラス天狗のところへ人身御供《ひとみごくう》にゆくようなものじゃないか」
そんな声をとりまとめて、柏家の女将《おかみ》が意見をいうと、「陸奥さんは、いつか何かやる人だと思います」と、小兼はきっぱり答えたという。――それはあとで、宗光もひとから聞いた。
断食したカラス天狗には、苦笑した。痩せこけているくせに大言壮語している男の辛辣《しんらつ》な形容にちがいない。
それ以来、亮子と名を改めた彼女は、幼い兄弟を一人で育てあげた。陸奥のほうは、前に述べたように、薩長閥の網を切り裂くためにカミソリをふるってはねまわっていた。しかも、そのころ同じ茶屋で遊んだ薩長の仲間は、いまや妻を馬車に乗せて大路を駈けているのに、彼のほうはいつまでたっても鳴かず飛ばずで、いたずらに女房を世帯やつれさせるばかりであった。あげくの果てが例の牢屋入りだ。四年半に及ぶ彼の入獄中、二人の子供とともに東京にあった亮子の辛酸《しんさん》はいうもおろかなりだ。
そして、やっと釈放されたあと、また四年を経ても、彼がその間外遊したせいもあるが、いまだにこれといった地位を得ていないのであった。いまの弁理公使はただ名目的なものだ。
要するに彼は、亮子を妻として、まだいちどとして華やかな時代を見させてやったことがない。それどころか、一日としてらくな日を味わわせてやったことがない。
それに対して、彼女はついぞ、見込みちがいとか、あてはずれとかを意味する愚痴をこぼしたことがない。彼女は黙々として、ときにユーモアさえまじえてこの運命に従って来た。
何かのはずみで、ふっと小兼時代の粋《いき》な印象を瞬間的に見せることはあるけれど、亮子はいつしか中年の、むしろ貧しい家庭の主婦の姿に移っていた。
いま。――
宗光の告白を聞いて、亮子はしずかに夫を見つめた。
懸命にしゃべったものの、宗光は思わず眼を伏せた。いかなる弁明の理窟も、この妻の前には通らない、ということを自覚していたからだ。
「三島さんは、そのことを御存知でしょうか?」
と、亮子は尋ねた。
「今にして思えば、知っとるな。……釈放後、いまに至るまでのきゃつのいやがらせは、ただ古い喧嘩や牢でのやりとりの遺恨にしちゃ、しつこ過ぎる」
と、宗光は答えた。
「きゃつがいまも我輩につきまとうのは、向うとしても我輩に、してやられた、という怨念たちがたいものがあるからじゃろ。そりゃ、やっぱり、あのことじゃな」
「あなたは、なぜそのことをもういちど、武器になさらないのでございます?」
「えっ?」
宗光は眼を見張った。亮子のいまの言葉がよく理解出来なかったらしく、
「お前、そのことで我輩を責めんのか?」
「いいえ、責めるどころか、あなたがそうしてまで生きようと努められたことに感動しましたわ。よく生きて下さいました」
亮子の眼には、涙が浮かんでいた。
「あなたは、そのことを武器にして、山形監獄の署長を金縛りになさいました。なぜ、同じ武器を、三島総監にお使いにならないのでございます?」
「三島に?」
そういったきり、しばらく口もきけなかった宗光は、やがて手をふった。
「そりゃいかん、そりゃ危険じゃ。そんなことをしたら、我輩はこの前の失敗の二の舞を踏むことになる!」
――実は宗光は、出獄後また「変節」している。
牢を出てから宗光は、彼を叛骨人、反政府人として歓迎した人々を蹴飛ばして、名目的なものにせよともかくも政府の職についた。むろん、人々は唖然《あぜん》とした。
しかし彼は、薩長閥とこれ以上たたかうのは愚だ、それより、むしろ薩長閥の中にはいっておのれの手腕をふるったほうが賢明だ、と人生の方針を大転換したのであった。彼としては真の目的は自分の才幹を発揮することにあるのだから、それはただ手段の変更に過ぎない。
以来、彼の全エネルギーは、いかにして薩長閥にもぐりこむか、ということにそそがれている。
しかるにいま、薩閥の三島通庸という――黒田、西郷、大山、森などにくらべれば一段落ちるが、やはり相当な存在にちがいない――薩摩人と、正面切ってまた喧嘩しろというのか?
「そりゃ、三島はうるさいやつじゃ。あまり癪《しやく》にさわるから、我輩もここでこそ悪口はいうが、しかしいま、あれとたたかう――いわんやおどすなどは、甚だまずいな」
と、彼はいった。
「実はいま、我輩を近く駐米特命全権公使にするという話があっての。こりゃ将来の外務大臣への一歩じゃ。そこに、我輩に悪意を持つ政府の一実力者にまた喧嘩を吹っかけるとは、こりゃ毛を吹いて疵《きず》を求めるような愚行じゃと思う。愚行は二度と繰返さん、と我輩は自分に誓ったのじゃ。いまはただ隠忍こそ、何よりの得策じゃ」
「まあ……カミソリ陸奥はどこへいったのでしょう?」
亮子はほのかに笑った。
「あなたは、どんな立場に落ちても、そっくり返っている人でした。それがこのごろ、どうかなすっています。頭を下げた、ヘナヘナの陸奥宗光なんて、見たくもありませんわ」
宗光は、脳天をたたかれたような顔をして、口をあけたきりであった。自分を罵倒するこんな妻を見たのは、はじめてだ。
「アメリカ公使を、亡者《もうじや》が見つけた一本の命綱みたいに、それにしがみつこうとなさるなら、アメリカへいったって、ろくな公使になれるわけがありません。……三島さんにしても、いままでのやりようから見て、黙っていれば、あの人が政府に異見を出して、ぶっつぶしにかかるでしょう。むしろすすんで、こっちから総監の口をふさぎにかかったほうがうまくゆく、と私は思いますわ。その武器があなたのあの子供なのです」
亮子はいった。
「あなたが出来ないなら、私がしてあげます。あなた、すぐに西郷さんに、鹿鳴館へ夫婦ともどもゆくとお手紙を書いて下さい。……それにしても、あの法界ぶしの二人、もういちど来てくれないと困るけど。……」
十五
三月三日の舞踏会に、陸奥夫妻はやって来た。のみならず、一人の少女を連れていた。
ちょうど三島警視総監夫妻と、二、三語挨拶をかわしていた山本権兵衛は、それに気がついて、眼をむいた。
陸奥夫人とその少女は、そろいのバッスル・スタイルの洋服を着ている。その少女は、あの法界ぶしの少女であった。
それより権兵衛を驚かせたのは、陸奥夫人の美しさだ。あの日蔭の花のような、世帯やつれした三十女とこれは同一人物か。衣裳よりも、その眼、その鼻、その唇に生命力がかがやいて――彼女は少女の手をひいて、いちど立ちどまり、中央ホールの雑踏を見まわし、それから一直線に進んで来る。あとに、宗光が残され、デクノボーみたいに立ちつくしている。
――これはいったいどうしたことだ? 陸奥夫人は、どうしてあの子をこんなところへ連れて来たのだ?
最初権兵衛は、彼女が自分のところへ来るのかと思ったが、彼女は彼を無視して、三島総監の前に立って、ちょっと片ひざを折った。
「いつも御警護をいただいておりますので、御存知と思いますけれど、陸奥の家内でございます」
三島はとっさに対応の言葉を失っている。
「おかげさまで、宗光の子も、こうして鹿鳴館に来られるまでになりました」
その女の子の頭をなでたあと、亮子はどこからか紙片と万年筆をとり出した。
「年は九つ……つまり、これは、総監さまが山形県令でいらしたころ、山形監獄の中で宗光が生ませた子供なのでございます」
「鬼総監」はぎょっとしたように少女を眺め、それからまわりを見まわした。権兵衛と眼が合い、彼はいよいよ狼狽した表情になった。
「あの節、山形監獄署長に、その証明書を書いていただきました。それがこれでございます」
にこやかに、亮子夫人は脅喝した。
「あの……まことに申しかねますけれど、この子が鹿鳴館にはじめて参ったお祝いに、署長の名とならべて、当時の県令さまで、特別に御慈悲をたまわりました三島さまの御署名を、ここにいただけませんでございましょうか?」
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ル・ジャンドル夫人
一
「山本少佐、おはんにアメリカへいってもらおうと思う」
と、西郷海相がいい出したのは、三月半ばのことであった。
「いや、そりゃ秋になっての事《こつ》じゃと思うが、支度の事《こつ》もあるじゃろからいまいっておく。実は、アメリカのみならず、ついでにヨーロッパの海軍事情調査のため、樺山《かばやま》次官を差遣することが決ったんじゃが、その随行員としてじゃ」
「はあ」
「礼をいうのは早かが、いろいろ世話になったな」
「いや、なに、まことに無能でごわして」
「特に鹿鳴館へ女性《によしよう》かり出しの件にゃ苦労かけた。おはんにゃ合わん仕事じゃと思ったが、ようやってくれた」
権兵衛は、何とも形容出来ない顔をしている。うれしいのか、悲しいのか、ほっとしたのか、さびしいのか、実は自分でもわからない。
「そこで、最後に――来月の話になるが、こげな用件はこれが最後になるじゃろうと思う――またおはんへの頼みとなるが、もういちど聞いてもらいたか事《こつ》がある」
と、西郷は切り出した。
「来月、井上外務大臣の邸に御臨幸がある」
そのことは権兵衛も知っている。
「井上伯はそのため、いろいろと催しを用意しとられるらしか。何でも、歌舞伎の市川団十郎などを呼んで天覧に供されるっちゅうが」
「えっ、芝居を、天覧に?」
「まことに破天荒の事《こつ》じゃが、そのほか舞踏会をやるかやらんか、それは知らんが、少なくとも園遊会はある。それに是非出てもらいたか人があるんじゃ」
「どなたでごわす」
「外務省顧問ル・ジャンドル将軍の奥さんじゃがね」
「ああ!」
と、権兵衛は声をあげた。
「知っちょるか」
「は、ル・ジャンドル将軍なら、いちど大山閣下のお邸で、チラと見かけた事《こつ》がごわす」
権兵衛はけげんそうな眼をむけた。
「しかし、それなら井上閣下のほうから招待状を出されたらようごわしょうに」
「それが、そう簡単にゆかん話なんじゃ」
西郷はゆっくりと首をふった。
「そりゃ招待状はゆくじゃろ。――ただ、いままでも、あちこちから招待状はもらったんじゃが、出られん、妻をおいて舞踏会にゃ出られん、と、ル・ジャンドル将軍はいわれる。つまり、その奥さんがそげな席に出る事《こつ》を承知されんのじゃ」
「………」
「実はこの話は、ル・ジャンドル将軍から我輩に、じきじきに依頼されたものでな。何とか妻が舞踏会に出るように、西郷さんから説得してくれんか、っちゅうわけじゃ」
「………」
「ル・ジャンドル将軍は、我輩の台湾征討のあと始末をやってくれた人で――将軍の外交上の大功はこれにとどまらんが――その縁で、特に我輩とは親しか人でな。人柄は、日本人にゃちょっと見られんほどの大人物じゃが、奥さんだけは持て余しておるらしか。――」
ちょっと考えて、
「こげな事《こつ》をおいの口からいうのも可笑《おか》しかが、その寛大なる事《こつ》、おいの兄貴に似ちょるな。……じゃが、兄貴は、女にあれほど甘かなかったぞ」
と、微笑した。
「奥さんは、日本の方ごわすな」
「左様《さよう》。……しかもな、驚くな、幕末有名じゃった越前の松平春嶽侯の御落胤《ごらくいん》じゃ」
「そりゃ、ほんとでごわすか」
「ほんとの話じゃ。いま幕末有名じゃった、といったが、その春嶽侯はいまも御存生じゃから、そげな嘘は、つこうと思っても世に通るものじゃなか。――」
「どげんして……春嶽侯の御落胤ともあろう女性《によしよう》が、異人の……いかにえらか人じゃろうと、異人の奥さんに?」
と、権兵衛は訊《き》いた。
「それがな、春嶽侯が腰元に手をつけられたお子で、家臣の養女として育てられたが、瓦解《がかい》のあとその一家は東京へ出て、それから数年、落ちぶれ果てた末、その養い親の窮乏を見るに見かねて、十六で山谷堀《さんやぼり》の芸者に出た。……」
「お大名の姫君が芸者に? そげな事《こつ》を、よく春嶽侯が黙って見ておられもしたの」
「何しろ、腰元に生ませて家臣におしつけた子じゃからの。お大名じゃから、そげな子はあちこちあって、収拾がつかんかったんじゃろ。それに春嶽侯は維新以来、もはや自分は用なしとして、一切世俗から縁を断《た》ってひき籠られちょるお人じゃからの」
「………」
「一方、ル・ジャンドル将軍は、南北戦争にも加わった勇将じゃったっちゅうが、そのころ――明治五年の話じゃ――厦門《アモイ》駐在のアメリカ公使じゃった。それが任期終えて帰国の途中、横浜に立ち寄ったとき、当時の副島《そえじま》外務卿がどこでル・ジャンドル将軍の器量を知られたか、あれを何とか日本にとどめて外務省顧問になってもらいたか、とアメリカ公使館にかけ合った末、この事《こつ》は実現する運びになった」
「………」
「そのとき、独身の将軍に長く日本に滞在してもらうためにゃ、どうしてもその面倒を見る女人が要《い》るっちゅう事《こつ》になった。で、将軍にその話をしたところ、将軍は、それはありがたかが、その女性はほんとうの自分の妻にしたか。その場合、日本で有名なヨシワラの遊女など、根っからの売春婦はごめんこうむる、然るべき家柄のサムライの娘なら妻としてもらい受けたか、っちゅうてな。ところがさて、然るべき侍の娘で、異人の妻になろうっちゅう希望者などはなか」
「………」
「すると大隈《おおくま》どんが、これまたどこで知っちょられたか、山谷堀で、眼が大きいので|めだま《ヽヽヽ》という名で売り出したばかりの芸者が、実は松平春嶽侯の御落胤じゃっちゅう事《こつ》を御存知でな。芸者とはいえ年若くまだ身を売ってはおらん事《こつ》を保証する、とは大隈どんの太鼓判じゃったが、とにかく芸者じゃった事《こつ》も隠して、大名の娘としてル・ジャンドル将軍にあてがう事《こつ》になった。――」
「………」
「井上邸の園遊会に呼びたかは、その糸子夫人なんじゃ」
「………」
「そげな素性《すじよう》の人がともかく異人の妻となったんじゃから、どこか心の蝶つがいがふつうじゃなくなったんじゃろな、とにかく可笑しかなまでに誇り高く、紅毛の夷狄《いてき》相手の舞踏会など、耳にするのもけがらわしか、と鹿鳴館を拒否されるっちゅう事《こつ》じゃ。――鹿鳴館の事《こつ》はどうでもよか、実は夫たる自分も拒否するのが情けなか、と、ル・ジャンドル将軍は申される。その妻のかたくなな心をとくよすがとして、いちどでもよかから舞踏会へ出てもらいたか――と、将軍から頼まれたんじゃ」
「なるほど」
やっと、権兵衛はうなずいた。
「もし夫人にゆく気が出たなら、ダンスの件は旦那さんがアメリカ人じゃから、それに教えてもらやよかろ。問題は、ゆく気になってくれる事《こつ》じゃが、さて、これが難題、いままでのうち、いちばんの難物になるかも知れんぞ。……それにな、そもそもル・ジャンドル夫人は、日本の男とは一切逢われんらしか」
「ほう?」
「それを説得してくれとおはんに命ずるのも変な話じゃが、とにかく大山夫人と相談してくれ」
権兵衛は、去年一月、鹿鳴館への誘いのそもそものはじまりとして大山邸を訪れたときの、ル・ジャンドル将軍の堂々たる風貌と、大山夫人に哀願していた言葉を、記憶から呼び起した。
あのとき、将軍はたしか、こんなことをいっていた。
「――妻は私と、もう十何年もいっしょに住んで、三人も子供を生みながら、まだ私をケダモノの一族と思う意識を捨てていないのです。……いまでは、まるで父親と娘の関係です。こんな夫婦があるでしょうか。……
そうだ、あれを舞踏会にでも出して、ほかの外国人とダンスをしている日本婦人の姿でも見せたら、少しは変って来るかも知れない。……奥さま、どうかロクメイカンで舞踏会があったら、奥さまから、特に私の妻を名指しで誘ってやって下さい。……」
二
――数日後、権兵衛は、「椿御殿」の一室で、ル・ジャンドル将軍と逢っていた。
この小石川指ヶ谷《さしがや》町にある邸を、このあたりでは「椿御殿」と呼んでいることも、こんど知ったことである。昔は池田備前守という大名の邸だったとかで、邸内に椿の大樹があるので、旧幕のころから椿御殿の名はあったという。
これはあとになって権兵衛が思いあたったことだが、ル・ジャンドル夫人糸子を育てた松平春嶽の家来は池田といい、従ってその養女たる糸子も池田糸といったが、その名にちなんでわざわざル・ジャンドルが、そういう大名の屋敷を求めたのではあるまいか。池田糸は、もともとこの池田家の女主人であったのだぞ、と、自他ともに思いこませるために。
床の間にかかっている「善」と大書した掛軸が、天皇の御宸筆《ごしんぴつ》と聞いて、権兵衛は驚いてさっき最敬礼した。天皇が特に将軍のために賜わったものだそうだ。
座敷はむろん日本間だが、家具は洋風であった。その椅子の一つに坐って、彼は先刻から歩きまわっているル・ジャンドル将軍を眺めている。
さきほどここを大山夫人と訪れたとき――捨松《すてまつ》は、
「いつぞや、将軍から夫人に舞踏会へ出るよう勧《すす》めてくれと御依頼を受けましたので、あれから二度ばかりお手紙をさしあげたのですけれど御返事もいただけませんでしたので、そのままになっておりました」
といった。――捨松夫人も、放《ほう》っておいたわけではなかったのである。
ル・ジャンドル将軍はそのことについてわびたのち、
「私は、その上にも大山夫人に謝罪しなければならないことがあります。それは私が紹介した例のアントワーヌ・バランについてです。あの男が、あんな不始末を犯そうとは想像もしていませんでしたが、森大臣の奥さまには何とも申しわけないことをいたしました。すでに外務省を通じ、バランはアメリカに放逐《ほうちく》させましたが、改めて奥さまにおわびいたします」
と、いった。これはすべて英語の会話であった。
さて、しばらくののち、捨松だけがさらに別棟へ通された。この椿御殿は母屋《おもや》から渡り廊下でつながれて幾つかの離れがあり、夫と妻とは別々の棟に住んでいるということで、外部からの男性は夫人の棟にはいることを許されていないのであった。
ふだん、食事も別々とかで、それは日本食と洋食のちがいがあるから、まあいたしかたないとして、夫が妻に逢う必要があるときは一々女中にうかがいをたてさせてからゆく、というありさまであることを、大山夫人との会話で知って、「聞きしにまさる――」と、権兵衛は呆れ返った。
それじゃあ、なんのために夫婦になっちょるのか?
いや、そのことについてはル・ジャンドル将軍自身がこぼしているのだが、この南北戦争の勇将であり、いまは日本で総理大臣より月給が高いと聞く――首相の月給は八百円だが、外務省顧問のル・ジャンドルの月給は千円だそうだ――みるからに気品高く、威厳にみちたアメリカ人が、なぜ妻にそれほど遠慮しなければならないのか?
「あなたは奥さんを愛されとるのですか?」
と、いちど権兵衛は訊いた。
「もちろん、この上もなく」
と、ル・ジャンドルは答えた。
これは英語であったが――英語なればこそ、権兵衛が言えた質問だ――だいぶたってから、権兵衛はつぶやいた。
「日本じゃ、こりゃ去り状もんじゃな」
そして、ル・ジャンドル将軍が歩きながらこちらを見たので、こんどは日本語で説明した。
「日本じゃ、充分離婚の理由があるといったのでごわす」
「私、あの人に、罪、あるのです」
ル・ジャンドルは立ちどまって、これも日本語でいった。十五年も日本で暮しているのだから、アクセントはおかしいが、彼もまた日本語でしゃべろうとすればしゃべれるのであった。
「罪?」
「第一に――妻が私以外、住居にも男子禁制の生活、していることについてです」
「と、いわれると?」
「二人、結婚してまもなく、私、半年ばかり、清国《しんこく》ゆく御用、ありました。……そのとき、私、まだ妻の人格、知らないばかりに、失敗しました。私、いない間、妻が日本の男と悪いことしないか、不安、なったのです。そのこと、心配で、大隈サンに話しました。大隈サン、私の別当に命令して、私の留守中、その男、妻の寝室の床下、忍ばせました。妻はむろん、貞潔でした。……それが、あとで、妻にわかったのです。私、帰ってから、妻、いいました。そんな馬鹿な疑い、かけられるなら、以後一切、日本の男、近づけますまい、と。……それ以来、ずっと妻は別に住み、そこに、私以外の男、いれないのです。私、恥ずかしいこと、考えたのが、悪かったのです」
「………」
「第二に――それ以上、私、罪、犯しました」
声は沈痛であった。
「結婚して二年目、妻、妊娠しました。妻、まだ十七でした。そのとき、私、日本という国、少しわかったものですから、アメリカとちがい日本で、混血児の男の子、生まれたら、一生さぞ苦労するだろう、思いまして、ふと、出来るなら、女の子のほう、いい、と申しました。……妻があかん坊生んだ日、私、外務省いってて、帰ったら、妻、いいました。生まれたのは、男の子でした。いつかのお言葉ありますので、すぐに、知り合いの人に、お金あげて、子と永久の縁切り、条件に、ひきとってもらいました、と」
「………」
「それから四年目に、また子供生まれました。こんどは、さいわい、女の子でした。けれど、その子、すぐに亡くなりました。……それから、三年目に、また生まれました。こんども、女の子でした。その子は愛子といい、いま七つになって、母親と暮しています」
「………」
「けれど、最初の男の子、私の世界から、永遠に消えてしまいました。私の冗談、みたいなひとことのためです。……いえ、冗談でもなく、日本では、混血児、名誉ある職業につけないだろう、という私の考え、いまでも変りませんので、可哀そうですが、しかたありません。けれど、それとは別に、私、その子にも妻にも、やはり罪の意識、消えないのです」
「………」
「三人目の女の子、生まれたあと、とうとう私も、男子禁制の罰、受けるようになりました。……しかし、その罰、しかたないかも知れません」
私は妻に罪がある、と聞いたとき、異人らしい大袈裟な言葉だと思ったが、これはやはり罪かも知れない、と権兵衛は思わないわけにはゆかなかった。
彼は尋ねた。
「それで、奥さんは、その子供さんをどこへやったか、それも申されんのでごわすか」
「ああ、それは、下谷《したや》のある箔屋《はくや》にやったと、いってました」
「ハクヤ?」
「金箔や銀箔、作る店です。信頼出来る家だから、心配しないように、それ以上、あなた、御存知ないほう、いいでしょう、と妻いいました。……」
それにしても、何という夫人の烈《はげ》しい反応ぶりだろう、と、その異常性には唖然とせざるを得ない。
それならむしろ、いわゆる洋妾《ラシヤメン》ほうが深刻味がないのではないかと思われるほどだが、しかし、日本で異国人の大官の正式の妻となり、私は洋妾《ラシヤメン》ではない、という意識が過剰な場合、かえってこんな悲劇が起るのかも知れない、と、ついで権兵衛は暗然とした。
大山夫人が出て来た。
そして、権兵衛を見て、かすかに首を横にふった。
ル・ジャンドル夫人を、井上邸の園遊会へ誘う談判は失敗したらしい。
三
「あの方は、姿も心も高貴《ノーブル》です。ほんとうにお大名の姫君であり、サムライの娘でした。……」
馬車の中で、捨松は話し出した。
「ル・ジャンドル将軍のところへお輿入《こしい》れ、なさるときにはね、十二|単衣《ひとえ》に緋《ひ》のはかま、オスベラカシという、日本の古来の正装だったそうですわ。……」
「ほう」
「その前、お輿入れの話、持ち出されたとき……糸子さまとかけ合われたのは、大隈サンだったそうですけれど、はじめ異人の妻となるなんて何という途方もない話、と、けんもほろろだった糸子さまに、ル・ジャンドル将軍はいま皇国に絶対必要な方、それをひきとめるにはあなたの力をかりるほかはない、天子さまに一命捧げると思って、この御用きいてくれ、と大隈サン、涙こぼして、かきくどかれたそうです」
「ふうむ。……」
「また、いまうかがったのですけれど、あの方のお母さま、越前侯のお腰元だったそうですが、糸子さまお生みになったあと、奥方さまへのおわびといって、のど、突いて自害なすったんですって」
「ほ?」
「その血、あの方にも伝わっているのでしょう。大隈サンの説得に、とうとう糸子さま、承知なさいました。それでは、死んだ気になってその異人のところへお嫁に参りましょう、いつの日か、もう御用果たしたと思ったとき、大隈サン、あなたの前で、私ものど突いて死ぬこと許して下さい、とまで、おっしゃったそうですわ。……」
ややあって、権兵衛は訊いた。
「で、夫人は……いまも、死んだつもりで生きちょられるのでごわすか?」
「いいえ、いまでは、将軍の愛情も寛大さも、よく理解されています。けれど、これ以上、子供、生みたくない、とくに男の子、生みたくない。それで、申しわけないけれど、将軍とも離れて暮しているのです、と申されました」
「男の子を一人、どこかへ里子に出されたそうでごわすな」
「ああ、糸子さまのお作りになった歌がありました。自分の心境、説明するため、おっしゃったのです。糸子さまが、ちょっと座をはずされたとき、その歌、私、あわてて書きとめました」
捨松は手帖をとり出した。
「国のためけふこそ死出の旅の路 はれの車のきしりかなしき。――これはお輿入れのとき作られた歌だそうです」
「………」
「さらばとて太刀《たち》ぬきつゝもかたへなる いとしき吾子《あこ》に心ひかるゝ。――これはその男の子、生まれたときの歌だそうです」
捨松夫人は、溜息をついてつぶやいた。
「いま糸子さまも、その子供、どうしているか、御存知ないそうです。子供、やるとき永久の縁切り、条件だったし、忘れることにしているのだ、とおっしゃいました。……とにかく、こんな方が、どうしてその旦那さまと手をとって、舞踏会や園遊会に出られるでしょうか」
四
さらばとて太刀ぬきつゝもかたへなる
いとしき吾子に心ひかるゝ
ル・ジャンドル夫人糸子が、生まれたばかりのわが子を刺し殺そうと思って短刀をぬきはらったときの歌にちがいない。
捨松が書きとどめた糸子の歌はまだあった。
乳房ふくめいまぞ母子《おやこ》のわかれ路《じ》と
おもへばちゞに心みだるゝ
よき人の子となりて世にさかえかし
母は御国《みくに》につくす命ぞ
これは子供を殺すことをやめて、よそにやることをきめたときの歌であろう。
まことに怖ろしい母親だが――薩摩侍の出身である権兵衛には、ル・ジャンドル夫人の壮絶な覚悟がよく了解出来るのである。
思えば、そのとき彼女は十七歳であったという。その年で母となり、こんな歌を作る。――その心情を思いやれば、まことに涙なきを得ない。
いかにも、混血児を生んだためにこういう悲劇を経た女性が、異人を歓待するための舞踏会などに出るわけがない。――権兵衛は、「こりゃ、あきらめんけりゃならんかも知れんのう」と、いちどはつぶやいた。
しかし、結局権兵衛はあきらめなかった。それはこれが、鹿鳴館への貴婦人かり出しの最後の任務だ、と考えたのと、もう一つ、その混血児の男の子が、その後どうなったか、という好奇心からであった。
もっとも、その子供のゆくえをつきとめて、それが自分の任務にどんな効用をもたらすか、判然とした見込みがあったわけではない。
が、右の歌をなんどか口ずさんでいると、ル・ジャンドル夫人は決して母として鬼ではない、やはり捨てる子へのたちがたい哀しみの声がこだましている、と理解されて来た。夫人は、その子のゆくえを知らないという。そこでその子を探し出して教えてやったら、そんなことから夫人の心がとけて来るのではあるまいか、と考えたのであった。
それにしても、もうずいぶん古い話だ。ル・ジャンドルと糸子が結婚したのは、どうやら明治五年か六年のことで、それから二年目にその子供が生まれたといったから、明治七年か八年のことになる。指を折ってみると、数えで十三か十四になるはずだ。
それからまた権兵衛は、ル・ジャンドル将軍が、たしかその子は下谷の箔屋にやったと聞いている、ともらしたことを思い出した。将軍もその後は知らないらしい。
下谷といっても広いけれど、しかし箔屋などという商売の店が、そんなにたくさんあるとは思えない。その中で、十三、四年前、混血児《あいのこ》らしい男の子をもらった家はないか――と探せば、きっと見つかるだろう。
こう考えて、権兵衛は下谷に出かけた。
めざす家は、思いのほか簡単に、二日目の午前中にわかった。池《いけ》ノ端《はた》の和田屋という箔屋であった。
馬を曳いて訪れた、いかめしい海軍少佐に、ふとったおかみはおそれをなしたようすで、しかし当惑したようにいった。
「はい、おっしゃる通り、昔、ある御縁で、椿御殿からお子を頂戴しましたけれど……その子は、いまうちにはおりません」
「なに、おらん、どこへいったか」
「それは糸子奥さまとのかたいお約束で、ほかの方には何も申しあげられないことになっているんでございますよ」
おかみは、お直《なお》という名であった。
「その事《こつ》を、ル・ジャンドル夫人にもいっておらんのか」
「はい、その子のことは、一切聞かせないでおくれ、とのお言葉でございましたので」
「しかし、他家からもらった子が、どこにいったかわからんとは、少々無責任じゃないか」
「いえ、いった先は、うちじゃわかっているんでございます。ただ、ひとさまには、申しあげられないというだけで……それは、ちゃんとしたおうちでございます」
「実は、海軍省のほうで、築地のある地所を買いあげたかなのじゃが、その土地がル・ジャンドル名義になっちょる。ところが将軍は近く日本を去られるっちゅう事《こつ》で、その相続者が知りたかなのじゃ」
と、権兵衛はでたらめをいった。
「たとえ他家に養子に出された子供でも、あとで面倒な事になるといかん。是非、その子のゆくえを教えてくれ」
お直は、とうとう告げた。
「実は録太郎《ろくたろう》は――録太郎とはうちでつけた名前でございますが――いま、やはりこの下谷に住む役者の坂東家橘《ばんどうかきつ》さんの養子にやったんでございます。いまじゃ坂東竹松といって、舞台にも出ておりますようで」
「なに、役者?」
「はい、あれが五つになった年、知り合いの役者さんが、なんてえ美しい子だろう、是非これは役者にしたいといって、団十郎さんのところへ連れてゆきました。団十郎さんもお気にいられて、こいつァうちの子にもらいたい、とおっしゃったのでございますが、何日か泊まっております間に、一、二度おねしょをしたそうで、そこで団十郎さんが、寝小便するような子はかなわねえ、といって、坂東家橘さんに、おまえ、もらえ、と勧めなすったんでございます」
「しかし、その子は混血児《あいのこ》じゃろ。混血児が、日本の役者になれるもんかな」
「いえ、それはそれは美しい子でございますが、お父さまよりお母さま似と見えまして、ちょっと見たところじゃだれも混血児《あいのこ》とは思いません。けれど、とにかくざらにない容貌《きりよう》で、のちのち箔屋の職人などにするのはもったいない、と思ってたところへ、市川団十郎じきじきのお言葉ぞえもあり、思い切って家橘さんのところへやったんでございます」
「ふうん、そうか。……いま、坂東、何といったかな?」
「坂東竹松でございます」
「わかった。いや、かたじけなか」
権兵衛は、坂東家橘の住所を聞いて、そのほうにまわった。
それにしても、国籍はアメリカ人の――事実はフランス人の――将軍の息子が、日本の歌舞伎の役者の卵になっているとは驚かないわけにはゆかない。
ところで、さてその坂東竹松に逢ったところで、何を訊いていいかわからない。
近所の人から聞いて、坂東家橘の家を探しあてたものの、どうしていいか立往生の気味で、馬の手綱をとったまま路傍に立っていると、その役者の家から二人の女が出て来た。
若いのと、年増と、どちらも芸者らしい風態《ふうてい》だ。
権兵衛は、ともかく決心して――実はまだ迷いつつ――近寄って訊いた。
「坂東竹松さんをひいきにしちょるもんじゃが――竹松さんはおられるか」
二人の女はめんくらったようすで――年増のほうが返事をした。
「いえ、竹松さんはいません」
「あ、舞台に出ちょられるのか」
あまり、ひいきらしくない。
「いえ、今月、舞台はありません。――きょうは、踊りのお稽古にいったとかで」
「どこへ?」
二人は何やらささやきかわしたのち、若いほうが答えた。
「たしか、お茶の水の西紅梅町の西川扇蔵さんというお師匠さんのところでございますわ」
五
坂東竹松は、西紅梅町の踊りの師匠西川扇蔵の家から出た。
まだ十四だが、たもとの長い黄八丈の羽織を羽織って、高下駄をはいている。まだ冷たいが、そのたもとを吹く風は、やはりもう春の風であった。
路地を出て通りに出、すこし歩くと、町の名の通り紅梅がさしのぞいているある屋敷の塀のとぎれたところに、ちょっとした空地があった。ふだん稽古に来るいいところのお嬢さんたちの俥《くるま》が待っている場所だが、そこに空俥が一台残っていて、俥夫はいない。
その代り、原っぱの向うの、材木などが積んであるかげで、七、八人の少年が輪をつくって、手に手に竹杖を持って、大声をあげていた。
「やあい、やあい、あいのこ。――」
「あいのこでも、おへそがあるのか」
「かえるみたいに、まっしろでのっぺらぼうなんだろ」
「へそ出してみせろ、はだかになって、へそ見せろやあい」
その輪の中に、小さな女の子の姿を見ると、竹松はそのほうへ急ぎ足で歩いていった。近づいて、
「よさねえか、女をいじめて恥ずかしくねえか!」
と、彼はどなった。
女、といったが、その子は七つくらいで、大きな眼に涙をいっぱいためていた。助けに来てくれたのが、同じ師匠のところへ来る少年だと知って、夢中で少年たちをかきのけ、ぽっくり下駄をはねとばして走って来て、しがみついた。
「あ」
と、腕白の一人がさけんだ。
「こいつも、男のくせに、女みてえな長い袖のきもの着て、踊りなんか習いに来やがって、変なやつだ」
少年たちは十二、三の子が多かったが、二人ほど竹松より年上の――少なくとも図体だけは大きいのがいた。向きなおって近づいて来たのはその二人だ。
「こら、役者みてえな顔をしてやがって、あぶねえからひっこんでろ」
「おいらァ役者だ」
と、竹松は少女をかばいながらいった。
「こいつ、女のくさったような恰好をして――」
「女をいじめるようなやつこそ、女のくさったようなやつだ」
「なんだと? てめえ、あいのこの味方する気か」
「する気だ」
「このやろう!」
一人が、なぐりかかった。
その顔を、竹松は、いつのまにか拾いあげて背にまわしていた少女のぽっくりで打った。「わっ」とさけんだ餓鬼大将の鼻から、血が飛び散った。彼は両手で鼻をおさえて、しゃがみこんだ。
もう一人の餓鬼大将が、気がちがったように、
「やっちまえ!」
と、さけんだとき、すぐ近くで、
「馬鹿者っ」
と、破鐘《われがね》のような大喝が聞えた。
草っ原に、馬に乗った軍人がはいって来るのを見ると、少年たちは、「いけねえ!」とさけび、くもの子を散らすように逃げ去った。
鼻血を出していた餓鬼大将が、あわてて立ちあがって、これも逃げようとすると、
「待ちやがれ」
と、竹松はその前に立ちふさがり、
「動くと、しょうちしねえぞ」
と、いいながら、その頭にぽっくりをのせ、そばの材木に腰うちかけ、片方の足のゆびに一本の竹杖をはさんでぐっとあげ、朗々とやり出した。
「江戸紫の鉢巻に、髪は生《なま》じめ……大江戸八百八町にかくれのねえ、杏葉牡丹《ぎよようぼたん》の紋付《もんつき》も、桜ににおう仲の町《ちよう》、花川戸の助六とも、また揚巻《あげまき》の助六ともいう、若い者、間近く寄って、面像《めんぞう》おがみたてまつれえ」
そして、首をふって、|みえ《ヽヽ》を切った。
ぽっくりを頭にのせられた餓鬼大将は、あっけにとられてこれを見ていたが、軍人が馬から下りて近づいて来るのを見ると、ぽっくりをふり落し、ころがるように逃げていった。
六
実は山本権兵衛も、馬上で呆れてこれを見ていたのだが、馬から下りて歩き出したときには、むろん胸にピンと来るものがあった。
「おはん、坂東竹松……丈《じよう》じゃな」
「いや、丈、ってえほどでもねえが」
と、竹松は照れた。
「どうしたんじゃ?」
「いえ、おいらがそこまで来たら、あの洟《はな》ったれどもが、このお嬢ちゃんをあいのこっていじめてやがるんです。このお嬢ちゃんはあっしと同じ踊りの師匠の弟子だから、こいつァ助けてやらざあなるめえ、と……」
「なに、あいのこ?」
改めて、その少女を見て、権兵衛は思わず息をのんでいた。
その七つばかりの少女は、髪は唐人まげにゆいあげていたが、碧味《あおみ》がかった馬鹿に大きな眼、スッキリと通った細い鼻、そして雪白の肌の色――あきらかに混血の美少女であった。
「お嬢ちゃん」
権兵衛は声をかけた。
「どげんなさった?」
「お師匠さんのところから出て来たら、いつも待ってる与作がいないの。それでここに立ってたら、いまのおにいちゃんたちがやって来て、いじめたの。……」
「お嬢ちゃん……何ちゅうお名前かな?」
「池田愛子っていいます」
権兵衛の頭に、戦慄的なものが走った。
「おうちは?」
「小石川|指ヶ谷《さしがや》町よ」
「この兄さんを知っちょられるかな?」
「名は知ってるわ。坂東竹松。……」
少女は無邪気に答えた。
ふり返ると、坂東竹松はあけっぱなしの笑顔でこちらを眺めている。これも、無事この子を助けることが出来たというよろこび以外、他意はないらしい。
そこへ、往来のほうから、まんじゅう笠をかぶった俥夫が走って来た。
「すまねえ、すまねえ……お嬢さま、お待ちになりましたか。いや、急に腹が痛くなって、近所のお医者に駈けこんだのでございます。頓服《とんぷく》をもらって、ちょっと休んだら、どうやらなおったようです。相すみません、さあ帰りましょう」
唐人まげの小さなお嬢さんが俥でいったあと、坂東竹松は歩き出した。
「お、帰るのか」
「ああ」
「踊りの稽古はすんだのか」
「ああ」
竹松は、草っ原から往来に出ても、馬を曳いた髯だらけの海軍士官がついて来るので、ちらっ、ちらっと気味悪そうな横目をつかい出した。
権兵衛は、やっとル・ジャンドル将軍の子を見つけたわけだが、さてどう話を切り出していいのか見当もつかない。自分が何をしようとしているのかさえわからない。
「下谷からここまでかよって来るのは大変じゃな。……踊りは、好きかね」
「あんまり好きじゃあねえが……怠けると築地のおじさんに叱られるからさ」
「築地のおじさんとはだれじゃ」
「九代目団十郎さ」
胸を張って、竹松は答えた。
それからまた、この海軍は何者だろう、というような眼で見たが、相手があまりむずかしい顔をして歩いているので、逃げるわけにもゆかず、高下駄でカラコロ歩く。
「団十郎といや……来月、天皇さまに芝居を見せる事《こつ》になっちょるな」
権兵衛はいった。そもそも、その行事にル・ジャンドル夫人を出席させようというのが、ことのはじまりではなかったか。――
しかし、これがル・ジャンドル将軍の子じゃろうか? と、権兵衛は首をひねっている。
あの池田愛子という少女は、まさしく混血児にちがいない。先日ル・ジャンドルが、「その子は愛子といい、いま七つになって、母親と暮しています」といった少女に相違ない。
してみると、この竹松とは兄妹なのだ。そのことを当の二人は知らないらしいが、それも当然だ。だれが見ても兄妹とは見えないのである。そもそも、この竹松のほうが混血児とは見えないのである。これなら、あの箔屋の女房が、芝居の役者にしたほうがいい、と考えたのも無理はない。
しかし――権兵衛のほうでも、ちらっ、ちらっと見ているうちに、この竹松の水際立った美少年ぶりは、やはり土着の日本製のものではない、と思われ出した。愛子とは似ていないけれど、その秀麗な容貌のみならず、手足、動作ののびやかさが。――
そうだ、箔屋のおかみがいったではないか。「お父さまよりお母さま似と見えまして、ちょっと見たところじゃ、だれも混血児《あいのこ》とは思いません」
それをたしかめるためには、まずその母親のル・ジャンドル夫人を見なければならないが、彼女はおいそれと姿を見せてくれそうにない。
それにしても、もしこの竹松もル・ジャンドル将軍の子にまちがいなければ、知らずして兄は妹を救ったことになる――武骨な権兵衛も、ふと神秘的な眼つきになった。
「おまえ、あのお嬢ちゃん好きかね」
と、訊いた。
「ああ、可愛いねえ」
と、竹松はいった。
「踊りの稽古にくる女の子たちの中でも、ピカイチだよ。もうちょっと年端《としは》がいってりゃあ、何とかしてやるんだが……いや、あいつァいけねえ」
権兵衛は、この人をくったませかげんに苦笑しながら、
「何でいかんのじゃ?」
と、訊いた。
「ありゃ混血児《あいのこ》だろ? 混血児《あいのこ》の子は、やっぱり混血児《あいのこ》だろ? 混血児《あいのこ》なら芝居の役者にゃなれねえから、さきざき可哀そうだよ」
権兵衛は、このとき、とうとう二人が兄妹であることを教えてやろうと決心した。
竹松のせりふから、まさか「さきざき」のことまで取越苦労したわけではないが、しかし竹松の、知らないあまりのこんなせりふを聞くに忍びなくなったのだ。
「おまえ……おまえの父母を知っちょるか」
と、のぞきこんだ。
「坂東|家橘《かきつ》さ」
と、竹松は答え、
「うん、いまのおやじはほんとのおとっつぁんじゃあねえ。実は池ノ端の和田屋ってえ箔屋の子だってことも知ってるよ。そこのおばさんがよく来て、そういうからね」
「それが、ほんとうの母親じゃと思っちょるのか」
とうとう竹松は、むっとしたように見あげた。
「海軍さん、なぜおいらの親のことを、そんなにしつこくきくんだい。うるさいなあ」
「ゆるせ、ゆるせ、おいは、おまえのほんとうの父母を知っちょるからじゃよ」
「ほんとうの父母?」
竹松は笑った。あけっぱなしの笑顔だ。
「なんて、とぼけるのはよそう。あれもほんとうのおふくろじゃあねえことは知ってらあ。あんなでぶのおたふくから、おいらみてえないい男が生まれて来るわけがねえもんな」
権兵衛は二の句がつげないのを意識しながら、それでも、
「おまえ、ほんとうの父母に逢いとうはなかか」
と、切り出した。
この少年をル・ジャンドル夫人に逢わせて見くらべれば、それが母子《おやこ》であるかどうか、たちまち感得されるだろう。しかも、そのことこそ、自分が夫人に逢う唯一の手段だ。
現実に坂東竹松を見るまでは、はっきり意識していなかったが、自分がこの少年を探したのはこの目的のためであったのだ、といま権兵衛は納得した。
それに、見よ、この少年役者の闊達《かつたつ》さを。――これならル・ジャンドル夫妻に逢わせても悔いはない!
鳩が豆鉄砲をくらったような顔で、竹松は訊いた。
「だれだい?」
「驚くな、いまの女の子――池田愛子嬢の御両親じゃぞ」
「えっ」
「つまり、おまえは、あのお嬢ちゃんと兄妹なんじゃ」
竹松は眼をむいて、
「吹かせるない」
と、いった。――吹き出させるな、という芝居通語だ。
「嘘かまことか、とにかくいちどその御両親に逢う気はなかか」
「ごじょうだんでしょう」
「冗談ではなかのじゃ。その気がありゃ、おいが連れてってやるが」
竹松はふいに下駄をぬいだ。「はて?」と見ていると、
「海軍さん、まあ、それがほんとの話だとしてもね。おいらを捨てた親なんか、だれだろうと逢いたかあねえや。だいいち親なんざだれだって、当人にゃかかわりはねえよっ」
と、いうと、その下駄を両手にぶら下げ、きっと権兵衛を見あげて、
「おいらね、九代目の天覧……天覧芝居に、おいらも出ることになってるんだから、これからいそがしいんだよ。いま、そんなばか話にゃつきあっちゃいられねえ。悪いが、あばよっ」
そして竹松は、韋駄天《いだてん》みたいに砂ほこりをあげて走っていってしまった。
――こりゃいかん。
権兵衛は、口をぽかんとあけてそれを見送っていたが、ふいに背中をどやされたような顔になってつぶやいた。
「なんじゃと? 天覧芝居にあれも出る?」
七
さらに数日後、山本権兵衛は小石川指ヶ谷町の椿御殿をふたたび訪れて、夫人への面会を求めた。
女中が出て来て、失礼ですが奥さまはお逢いになれません、といった。権兵衛は、「いや、どうしてもお逢いせんけりゃならん用があるのでごわす」と、いい張った。
すると、ル・ジャンドル将軍が出て来て、ただならぬ憂色の浮かんだ顔で、
「実は、娘の愛子、昨夜から四十度、近い熱出したのです。ドクトル・ベルツ、往診願ったところ、肺炎、ひき起してるそうで……妻、つきっきりなのです」
と、いった。
権兵衛もびっくりした。それでも、
「例の井上邸での園遊会の件について、ひとつ御報告があって参上したのでごわすが」
と、いうと、将軍は手をふって、
「いやいや、それどころ、ありません」
と、いった。さきごろからの自分の依頼など天外へ飛んだような応対であったが、それも無理はない。
三日ばかりたって、権兵衛は三たび椿御殿を訪れた。
もう三月末で、町には桜もほころびはじめ、しかもそれをみないっぺんに散らしてしまうのではないかと思われるような、はげしい吹き降りの午後であったが、あえて権兵衛が出かけたのは、ル・ジャンドル令嬢の病気の心配と、そして彼自身どうしても夫人に逢わなければ責任の果たせないある事情が生じたからであった。
すると、思いがけない光景を見た。
ル・ジャンドル邸は、外見は旧大名屋敷のままだが、門は西洋風の鉄作りになっていた。その鉄柵《てつさく》の扉がとじられて、外から一人の少年がしがみついてさけんでいるのであった。
「逢わしてくれ、愛ちゃんに逢わしてくれえ!」
馬上で、権兵衛は息をひいた。
それはあの坂東竹松であった。足もとに、傘がころがっている。
「そんなことをいったって、死んじまうかも知れねえじゃあねえか。死んじまったら、どうするんだい。兄貴が、この世で、たった一人の妹にもう逢えなくなってしまうじゃあねえか!」
馬から下りて、権兵衛は近づいた。外套に頭巾をつけたその顔をのぞきこんで、
「あっ、海軍さん!」
と、竹松は抱きついて、
「海軍さん! やっぱり、そうだったよ!」
と、さけんだ。
「あれからおいら、気にかかるから箔屋のお直おばさんにききにいったんだ。そしたら、やっぱりほんとだった! それでもおいら、勝手にしやがれと思ってたんだが、きょう西紅梅町の師匠のところへいったら、あの子が病気で死にかかってるというじゃあねえか。おいら……たまらなくなって、駈けてきたんだ」
ふりあげた顔に、雨がしぶいた。
「そしたら、逢わしてくれねえ。もうなおったからいいという。あげくのはては追い出して、ここをしめちまいやがった。……おいらを捨てた親なんかにゃ逢いたかねえが、妹に罪はねえ。その妹が死んじまったらどうするんだ。おいら、おいら……」
「待て」
権兵衛は竹松を片手で抱いたまま、きっと門の奥のほうを見た。
玄関などはずっと遠くてここからは見えないが、椿の植込みにはさまれた砂利道の向うに、人影が見えたのだ。女中に傘をさしかけられた女性らしい。
――糸子夫人だ!
権兵衛は直感した。
おそらく門前であまり竹松が騒ぐので、やむを得ず出て来たものだろうが――そこに、外套に頭巾をかぶった別の男が立っているのを見てためらったと見える。四、五メートルの位置で、彼女は立ちどまった。
「奥さんごわすか。先日大山夫人のお供をして参った海軍少佐山本権兵衛でごわす」
と、権兵衛はいって敬礼した。
夫人は会釈《えしやく》して、
「夫はきょうは、外務省のほうに出かけておりますが」
と、いった。
雨は滝のようにふりつづけている。女中にさしかけられた傘にもしぶきが立ち、傘のまわりからは銀のすだれのように落ちている。夫人は――年はまだ三十過ぎと見えた。権兵衛には、まるで水の精のように見えた。
いや、雨にけぶるその玲瓏《れいろう》たる美しさに、権兵衛はたしかに竹松と似かよう面影を認めたのだ。
「おい、おまえのお母さまはあのひとじゃ」
と、彼はいい、門内に呼びかけた。
「こりゃあんたの生みなさった男の子ごわす。いちどよく見てやって下され。……」
夫人は答えた。
「私に、男の子はございません」
「奥さん!」
権兵衛は思わずさけんだ。
「どげな事情があろうと……そりゃ、あんまりむごかごわせんか!」
「私も、私の父母に捨てられました。人には、それぞれの運命というものがあるのです。そう思って生きてゆくほかはございますまい」
水の精は吐息のようにつぶやいて、背を見せた。傘がそれを追う。
「奥さん!」
権兵衛はさけんだ。
「それじゃ、ただいっておきもす。……来月の井上邸での天覧芝居にゃ、この子も出もすぞ。……天皇さまが、この子の芝居を御覧になるのでごわすぞ!」
――実は権兵衛は、そのことを市川団十郎にたしかめにいったのであった。天下に聞えた団十郎が自分と同じ築地に住んでいることをそれまで知らなかったほど、芝居には無縁であった権兵衛が――またそれだけに無遠慮に団十郎のところへ乗りこんで、坂東竹松の件をたしかめたのみならず、さらにそれ以上に、くれぐれもよろしくたのむ、と談じこんだのであった。
団十郎は「ようがす」と、莞爾《かんじ》としてうなずいたのみならず、「あの竹松はゆくすえ歌舞伎を背負って立つ役者になるでございましょう。いっそ私がもらっときゃよかったと悔いております」とまでいった。そういうことがあったので、権兵衛は、個人的にもその芝居の見物にル・ジャンドル夫妻に出てもらわないと困る立場になったのだ。
しかし、それもどうやらはかない望みであったらしい。――
竹松は、地面にあぐらをかいて坐っていた。――と、何思ったか、泥をなすって片頬に、ななめ十文字に傷みたいになすりつけ、両ひざ立てて手でかこむと、門の中を眺めて、奥までとどけとやりはじめた。
「しがねえ恋の情けがあだ。命の綱の切れたのを、どうとりとめてか木更津から、めぐる月日も三とせごし、江戸の親にゃァ勘当受け……慣れた時代の源氏店《げんじだな》、そのしらばけか黒塀に、格子造りの囲いもの、死んだと思ったお富たァ、お釈迦《しやか》さまでも気がつくめえ。ようまァ、おぬしァ達者でいたなあ。……」
八
葉桜のころ、一夕《いつせき》、山本権兵衛は青山の大山邸を訪れた。
「まあ、せっかくお招き、しましたのに、イワーオ、まだ帰って来ないんですよ。きょうは、おそくても、五時、帰る、申していましたのに」
みずから玄関まで迎えた捨松夫人は、例の西洋風の小さなお城みたいな邸の廊下を案内した。
――と、あるところで、いきなりドアがパタンとひらいて、洋服を着た二人の子供が――おそらく、どちらも六つか七つくらいの女の子が飛び出して来た。それを追って、こんどは十一か二の、これまた洋服の少女が出て来て、
「いけません、お部屋でお遊びなさい!」
と、叱ったが、廊下をやって来る夫人と客に気がついて、
「いらっしゃいまし」
と、馬鹿にしとやかにお辞儀した。
「よく見てやってね、信子さん」
と、夫人が笑顔でいう。
三人の少女は部屋に消え、ドアはしまったが、権兵衛は通り過ぎるとき、部屋の中に、まだ二人の幼児が、床に坐ったり、女中に抱かれたりしているのを、ちらっと見た。
いま、はじめて見る子供たちではない。別々にだが、大山中将の五人の子供たちはいままでも見る機会はあった。
たしか二人は捨松夫人の子だが、あとは前の奥さんの子だ。が。――
「大変でごわすな、奥さん」
思わず権兵衛は、そういわざるを得なかった。
「五人のうち、四人は女の子なんですよ。さきを考えると、頭いたくなります」
と、捨松は笑った。――が、彼女とて、いま姿を見せた前妻の長女信子が、のちに三島通庸の息子に嫁し、「不如帰《ほととぎす》」のヒロイン浪子になる運命を持とうとは、神ならぬ身の知る由もない。
大山中将が帰るまで、二人は食堂の隣りの部屋で話した。窓から見る庭は春たけなわなのに、権兵衛はふしぎな寂寥《せきりよう》をおぼえた。
「まことに奥さんには、御苦労をおかけしもした」
まず権兵衛はそういわずにはいられなかった。
「いえ、あなたこそ……あなたの御苦労、ねぎらうため、きょうお招き、したのではありませんか」
捨松は笑った。
権兵衛が西郷海相から「任務」を解かれて、この秋アメリカへゆくことになったむねを伝えた結果、今宵のお別れの小宴に招待されることになったのだ。
「これで、ともかく御用は終りもした。――やれやれといいたかが、何やら祭りが終ったあとのように寂しくもごわすな」
「祭りはまだつづいています。この二十日には首相官邸で仮装舞踏会《フアンシー・ボール》、ありますし、二十六日には井上サンのところで、御臨幸の園遊会、あります」
「さ、その井上邸の園遊会でごわすが、とうとうそこへ、ル・ジャンドル夫人をひき出すのにしくじりもした。これが最後のお勤めと思うちょっただけにいささか残念、気ぬけしたようなのはそのせいもごわすよ」
「あの方だけは、しかた、ありませんでしょう。……」
捨松は溜息をつき、しばらくの沈黙ののち、
「私も、実は、寂しいのです。それはね……あの鹿鳴館の騒ぎ、いまもつづいてますけれど、あれはいったい何だったのかしら、私はいったい何をしたのかしら、という疑い、日ごとに深くなりまして。……」
それは同じ思いでごわす、と権兵衛がいいかけたとき、捨松はしかし首をはげしくふった。
「いけません、いけません、こんなこと、いってはいけません。……まだ、やらないこと、あるのです。山本サン、実はねえ、うちでも舞踏会やらなくちゃ、ならなくなったんですの」
「えっ?」
「大山主催の舞踏会。――舞踏会、みなさま、まわりもち、やってらっしゃるでしょう。大山でも、是非いちどやれと、先日イワーオが井上サンに叱られて、とうとう、この五月五日、やる予定なのです。そのときは山本サン、御用は終った、なんていわないで、どうか元気出して、出席して下さいね。……」
そのとき、女中がはいって来て、御主人さまの帰邸を伝えた。――
大隈重信が、大山|巌《いわお》の一断片について、こんなことを語っている。
「――その日常生活は、すこぶるデリケートな文明的なもので、晩餐の折りには、コックが鐘を鳴らして食堂の用意が整ったことを知らせると、公は奥さんと一緒に食堂に赴き、夫婦仲むつまじく食卓に向われる。外出中も時計を見て、晩餐の時刻になれば、大急ぎで帰邸され、家庭の団欒《だんらん》をたのしまれる風であった」
のちに日露戦争で総司令官として、奉天会戦の朝、参謀総長に、「児玉どん、きょうもいくさがごわすか」と、訊いたという茫洋たる大山巌だが。――
その彼が十八歳年下の捨松夫人に、いかに気を使っていたかがわかる。
「すまん、すまん事《こつ》じゃった。実は今夜はおはんの招待客があるっちゅんで、一つディナーに音楽を聞かせちゃろうと、軍楽隊を連れて来たんじゃ。……」
と、彼は息を切りながら不透明な声でいい、権兵衛を見て、
「おう」
と、いったが、とっさに、かんじんのその招待客が何者であるか、思い出せない風であった。
やがて広い食堂で晩餐がはじまった。
食堂の隅で、「軍楽隊」が音楽を奏しはじめた。それは五人の兵隊で、楽器はぜんぶラッパであった。――後年知ったことだが、大山巌は死ぬときもラッパを吹かせながら死んだと伝えられたほどラッパが好きな人物であったそうだ――さすがに、この日は軍隊のラッパだけではなく、権兵衛はその名も知らないけれど、管のまがりくねった大きな楽器もあったようだが、音楽は、「われは官軍わが敵は」であった。
イワーオ将軍は、ガマ坊主然たる顔に満足げに眼をほそめ、ときどき「どうじゃ?」という風に夫人のほうをかえりみた。笑顔でうなずく捨松の顔には、しかし、どこか空漠たる哀愁があった。
権兵衛の耳に、捨松の英語の幻の声がよみがえった。
「私たち夫婦だって、実は別世界に住んでいるのですもの。――」
九
明治二十年四月二十日、永田町の首相官邸でひらかれた仮装舞踏会のらんちき騒ぎと、その夜伊藤博文首相が、絶世の美貌をうたわれた戸田伯爵夫人を居残らせて姦《かん》したという大スキャンダル事件は、史上あまりに有名なのと――それに権兵衛は、これに招待されるわけもなかったから省略する。
ついで二十六日、麻布鳥居坂の井上外相邸で行われた園遊会は、それを上まわる盛儀であった。なにしろ、天皇、皇后、皇太后そろっての行幸啓を迎えたのである。
名目は、井上邸の茶室びらきであった。
井上|馨《かおる》が奈良東大寺の、茶道の祖珠光が作ったといわれる茶室「八窓庵」をもらい受け、井上邸に移してひらいたのだが、それに行幸を仰ぐことがきまってから、もう一年以上も、庭の木や石を移したりしてその準備にかかっている。あるいは井上は、茶室をもらうときから、その下心があったのかも知れない。
しかし、呼びものは何といっても、その余興として催された天覧芝居であった。
九代目市川団十郎をはじめ、五代目尾上菊五郎、初代市川左団次、中村福助(五代目中村歌右衛門)ら、いずれも不世出の名優といわれているが、それでもいまなお河原乞食とも呼ばれる歌舞伎役者が、有史以来はじめて天覧のもとに演じるのだ。
これは井上馨の着想によるものであった。たとえ、いままで臨幸を仰いだ他家とは異なる趣向で天皇の御満足を得たいという懸命の願望から発したものであったとしても、彼が長い生涯でやった数々の行為のうち、後世に残る最大の美挙はこのイヴェントであったかも知れない。
午後一時半ごろ。井上邸に臨んだ天皇、皇后らは、八窓庵の茶室びらきの儀を終えたのち、広い庭にみちびかれた。
庭園には、檜皮《ひわだ》ぶきの屋根、緞子《どんす》の引幕、花道さえつけた間口七間の大舞台が作られ、正面の天覧席を中心に、数百の椅子の桟敷《さじき》席が作られて、すでにそこには、廷臣、女官、大官貴族夫妻、外国公使たちが満ちていた。
伊藤博文総理大臣も、この時点においてはまだ例のスキャンダルが世間に発覚しておらず、むろん出席している。――もっともこの人物は、たとえ発覚しても、平気で出席したかも知れない。
芝居は三時ごろからはじまった。
演目の第一は「勧進帳」、第二は「高時」、第三は「操三番叟《あやつりさんばそう》」。
団十郎ら役者たちは、この光栄の日にそなえて、十日も前から毎日|水行《みずぎよう》までして精進潔斎《しようじんけつさい》し、ほとんど決死の意気ごみで演じている。天皇、皇后をはじめ、観る者すべて、その迫力に圧倒され、その美しさに陶酔した。――
その桟敷席の右の端っこのほうに、山本権兵衛も坐っていた。大山夫人に頼んで、特に手配してもらったのだ。
彼も歌舞伎などを見るのははじめてで、むろん心中に大感心したが、しかしそれ以外になお驚倒していることがあった。
彼から見ると、左のほうのだいぶ離れた席になるが。――
そこにル・ジャンドル夫妻がいたのだ!
来たのだ。あのル・ジャンドル夫人が、白衿黒紋付の着物姿ではあったが、異国人の夫とともに、はじめて公けの場所に――しかも天皇皇后の親臨する席へ出て来たのだ。
いったいいかなる心境の変化で、彼女はここへ姿を現わす気になったのか。――遠見《とおみ》の眼では、その月輪《げつりん》のような横顔は、ほかの客と同じく、ただ舞台に魂を吸いつけられているとしか思えない。
いや、芝居の進行とともに、次第に馴れて来たか、昂奮のためか、この顕官の中にもなかなかの芝居通がいて、「成田屋!」「音羽屋!」などの掛声をかける者も出はじめたが、ゆれ動く波の中に、彼女ばかりは美しい石像のように動かない。
舞台では、三味線の合奏とともに、長唄の声が起っていた。
「そうれ牡丹《ぼたん》は百花の王にして、獅子《しし》は百獣の長とかや、桃李《とうり》にまさる牡丹花の、いまを盛りに咲きみちて、虎豹に劣らぬ連獅子《れんじし》の、たわむれ遊ぶ石の橋。……」
四番目の「連獅子」であった。
舞台では、床《ゆか》までたれる真っ白な獅子頭をつけた親獅子と、朱色の毛の子獅子が舞っている。
その親獅子を市川団十郎と見、ついで子獅子を坂東竹松と知って、権兵衛は張り裂けんばかりに眼をむいていた。
権兵衛が団十郎に聞いたところでは、竹松は、出るには出るが「元禄花見踊」という群舞の一人として出るに過ぎない、ということであったが。――
「神変不思議の石橋《しやつきよう》は、雨後に映ずる虹《にじ》に似て、虚空をわたるごとくなり。峰を仰げば千丈の、雲より落つる滝の末、谷を望めば千尋《ちひろ》なる、底はいずくと白波や、巌《いわお》にねむる荒獅子の猛《たけ》き心も牡丹花の、露を慕《しと》うて舞いあそぶ。……」
長唄は高潮し、三味線、笛、鼓、太鼓などの鳴物は交響する。
親獅子と子獅子は頭をふって、白い炎、朱の炎を宙に旋舞させている。
「蹴落す子獅子はころころころ、落つると見えしが身をひるがえし、爪を蹴たてて駈けのぼるを、また突き落し突き落され、爪は立てども嵐吹く。……」
そのとき、きぬを裂くような掛声がながれた。
「橘屋《たちばなや》!」
ル・ジャンドル夫人であった。
女の掛声は珍しい。しかも、この晴れの席で。――
観客のほとんどが、ふりむいてそのほうを見た。しかしル・ジャンドル夫人はそれをまったく意識しない顔で、顔じゅうを涙でぬらし、白いこぶしをにぎりしめて、また絶叫の尾をひびかせた。
「橘屋あ!」
坂東竹松は、のちの十五世市村|羽左衛門《うざえもん》である。
菊、吉とならぶ最大の名優――とくに、盛綱、富樫、助六、勘平、切られ与三《よさ》などの美男役において、その天空海闊《てんくうかいかつ》ぶり、水際立った粋《いき》さかげんで空前絶後の俳優といわれた羽左衛門は、一方ではズボ羽左と呼ばれたほどズボラであったにもかかわらず、生涯この出生の秘密をかくし通した。
が、里見※[#「弓+享」]の「羽左衛門伝説」は、この羽左衛門が、昭和二十年春、信州湯田中に疎開していたある日、林の中の切株を台にして、妹の愛子へ、天にも地にも二人きりの兄妹が、名乗ることを禁《と》められたとはいえ、なぜいつまでかくすことがある、戦争が終って、こんど東京に帰ったら、世間におおっぴらに話そうね、と書き送った、稚拙な文字の、しかも哀切きわまる手紙をあきらかにする。
そして、それから旬日後、国敗れんとする山里の花散る宿で羽左衛門は、眠るがごとく七十二歳の生涯をとじるのである。
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終曲・鹿鳴館の花
一
五月五日、大山陸軍大臣主催の舞踏会。
鹿鳴館の中央ホールを見下ろす大階段のまんなかに立っていた西郷|従道《つぐみち》は、玄関からはいって来る客の中に山本権兵衛の姿を見、それがバッスル・スタイルの女性を伴っているのに、「おや」という眼つきになり、ついでその眼を大きくむいた。
いちど見たことがある。――新橋停車場からの馬車の中で。――あれは権兵衛どんの女房どんじゃなかか!
うつむきがちに、薄紫のドレスの歩みもよろめきがちに歩いて来るその女性は、一介の海軍士官の同伴者であるにもかかわらず、まわりの貴夫人たちがみなふりかえり、眼で追ったほど、この世のものとは思われないういういしい美しさであった。
髯の中で、小声で、しかし厳然と権兵衛はいった。
「登喜《とき》、頭をあげよ」
ホールで権兵衛は立ちどまって見まわし、大階段の西郷を見いだすと、妻の手をとって上って来た。
「いつぞやお目通りいただきもした女房の登喜ごわす」
と、彼はいった。さすがにはにかみの色が浮かんでいる。
「いちどだけ鹿鳴館を見せちゃろう、これが最後の機会じゃと思いもして」
西郷は茫洋たる――いや、たしかにまぶしげな眼で権兵衛の背後を見やって、
「大山夫人に勧められたのかね」
と、訊いた。権兵衛は首をふって、
「いや、おいの発意ごわす。ここに来られる貴婦人方の中のある方々に、それにあやかるようにひき合わせてやろうと考えもした。……おいもそのすべてを知ったわけではごわせんが、知っただけでも、その方々は、ただの貴婦人じゃなか、実にえらか奥さん方でごわした!」
と、感嘆の声をあげた。
「そりゃよか。……そりゃ、よか!」
と、西郷はうなずいて、
「奥さん、おいで」
と、さしまねいた。
「ここから、あそこに群れちょる男や女を見てごらん」
と、この海坊主は、頬を染めている山本登喜の肩をやさしく抱いていった。
「生まれながらの貴族もおりゃ、氏素性《うじすじよう》のよく知れん者もおる。……おいはあれを見て、いつもふしぎに思うんじゃが、男はな、元の身分がいやしいと、いかに出世しても、その人相にそれが残る。ところが、女性はな、貴族になったら、みんなみごとに貴族になるな。いや、衣裳の事《こつ》じゃなか、心がじゃ。あっぱれ、女は変る。――」
稽古の奏楽が鳴りはじめた。
「お」
と、突然権兵衛が思い出したようにさけんだ。
「こりゃ大変な失敗を思い出しもした。いつぞや閣下からお預りしたフランスの海軍士官のメモでごわすな」
と、ポケットから一枚の紙片をとり出した。
「あれをフランス語知っちょる友人のところに届けさせたら、その翌日、そいつの乗っちょる艦《ふね》がヨーロッパへいってしまい、このごろやっと帰って来て、訳したものを返してくれたのでごわす」
渡された紙片を、西郷は見下ろした。
それには、こうあった。
「ああ、ほんとうにおみごとです。奥さま方、私はみなさまに心からお祝いを申しましょう。その物腰はいかにも愉しげで、その変身ぶりは大変お上手です。ああ、ほんとうにおみごとです、奥さま方。
[#地付き]――ピエール・ロティ――」
フランス海軍大尉ジュリアン・ヴィオすなわち作家ピエール・ロティは、その旅行記「秋の日本」中第二章「エドの舞踏会」で、このメモを再使用している。
二
四十六年後の昭和八年三月、すでにいくたびか総理大臣、海軍大臣などを勤めた八十二歳の山本権兵衛は前立腺ガンで病床にあったが、それまで看護にあたっていた妻の登喜子が姿を見せなくなったのを怪しみ、妻もまたガンでたおれて臥《ふ》していることを聞いた。自分の病名を知らされたときは顔色も変えなかった豪胆無比のこの老人が蒼白になった。
やがて彼は、椅子に坐ったまま運ばせて、病床の妻を見舞った。妻は涙をたたえながら、感謝の眼を枕頭《ちんとう》に移した。そこには、はるか明治の昔、夫が祝言《しゆうげん》の夜、自分に与えた例の「誓約書」が黄ばんで置かれてあった。
権兵衛は妻の長年の労苦をねぎらい、永別の敬礼をして去った。
登喜子は三月十日に死に、十二月八日に権兵衛もこの世を去った。
その日から八年後の同じ十二月八日、彼が心血をそそいで作りあげた日本海軍は滅亡の航海へ旅立つ。
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〈関連年表〉
年 [#10字下げ]出来事
明治四年(一八七一) 十一月、岩倉具視視察団の渡米
明治五年(一八七二) 六月、マリア・ルーズ号事件
十月、娼妓解放令
明治六年(一八七三) 築地に西洋料理店・精養軒開業
明治十年(一八七七) 西南戦争
明治十四年(一八八一) 十月、自由党結成
開拓使官有物払い下げ事件
参議・大隈重信が免官となる(明治十四年の政変)
明治十五年(一八八二) 岩倉具視視察団の帰朝
明治十六年(一八八三) 十一月、官営国際社交場・鹿鳴館開館式。舞踏会深夜に及ぶ
明治十九年(一八八六) 徳富蘇峰『将来之日本』
スティーブンスン『ジキル博士とハイド氏』
明治二十二年(一八八九)三月、明治憲法(大日本帝国憲法)の発布
十月、来島恒喜が大隈重信に爆裂弾を投擲し、自刃
明治三十一年(一八九八)徳富蘆花『不如帰』
明治三十七年(一九〇四)富田常雄『姿三四郎』
昭和十二年(一九三七) 川口松太郎『歌吉行燈』(初演)
[#地付き](作成・日下三蔵)
山田風太郎 (やまだ・ふうたろう)
一九二二(大正十一)年一月、兵庫県養父郡関宮町の医家に生れる。三六年中学に入学、その頃の仲間の渾名が雲太郎、雨太郎、雷太郎で、筆名・山田風太郎の契機となる。四九年、「眼中の悪魔」「虚像淫楽」で第二回探偵作家クラブ章を受賞。五〇年、東京医科大学を卒業するが、医師の道を進まず、作家として身を立てる決心をする。
『甲賀忍法帖』『くノ一忍法帖』を初めとする、風太郎忍法を生み出し、忍法ブームをまきおこす。さらに四八年より『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』『明治波濤歌』など、独自の手法による明治もの≠発表、ファンをうならせる。他に、『人間臨終図巻』『あと千回の晩歌』など死をみつめた作品もある。二〇〇一年、尊敬する江戸川乱歩と同じ、七月二十八日没。
本作品は一九九七年八月、ちくま文庫として刊行された。