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パズル
山田悠介
CONTENTS
ゲームT 号砲前
ゲームU 前半戦
ゲームV 後半戦
ゲームW ロスタイム
ゲームX プレイオフ
あとがき
[#改ページ]
ゲームT 号砲前
1
五月十日。土曜日。
午後、五時四十分。
特別クラスである三年A組では、英語の授業が行われていた。教壇で英文を読む担任の安田|寛《ひろし》以外、口を開く者は誰一人としていない。まるで獲物を狙うライオンのような目をした十五人は熱心に黒板の文字をノートに写しながら、残りの五分間で、より高い学力を身につけようと必死だった。勉強にこんなにもハングリーな生徒たちを、ごく普通の学校に通う生徒が見たら、本当に自分と同じ高校生なのかと心の底から驚くであろう。でも、そう思うのが当たり前なのだ。彼らは、特別な人間たちなのだから。
「いいかお前ら!」
突然、安田が黒板を強く叩《たた》いた。その音に十五人はビクリと反応し、背筋を真っ直ぐにのばす。
「何度も何度も言うが、世の中に出れば、毎日が戦争だ! 他人との競争だ! 実力のある者だけが生き残る! お前たちは絶対に負け組にはなるな!」
「はい!」
まるで軍隊のように、生徒たちの威勢の良い返事は、綺麗《きれい》に重なった。
「自分の隣の人間を見ろ!」
湯浅|茂央《しげお》は渋々と、右に座っている生徒に目をやった。
「いいか! 今、自分の目に映っている奴を蹴落《けお》とせ! どんな手を使ってでも倒せ! そしてトップになるまで勝ち残れ!」
「はい!」
さらに大きく、重なる声。茂央だけが小さく、返事した。
湯浅茂央が通う、私立徳明館高等学校は、極めて厳しい選抜試験をくぐり抜けてきた秀才だけが全国から集まるエリート校である。四階建ての真っ白い校舎の屋上には、紋章の入った旗が堂々と翻っている。この旗を見上げるために毎年数多くの人間が受験してくるのだが、並大抵の努力で入れる学校ではない。故に、ここを卒業していく生徒たちが日本の将来を動かすと言っても過言ではないのだ。土曜日の今日も午前授業では終わらない……勉強づけの毎日を彼らは過ごしていた。
特に、茂央の在籍する三年A組は、全三百人の入学者の中から特に学力の高い者だけを集めたクラスであり、理数系に関しては、既に有名私立の大学で行うレベルの授業を受けている程だ。そのため、成績の悪い者はどんどんとやめていくことになる。一年生の頃に二十六人いたA組の生徒も、今や十五人だけとなってしまった。
普通は、これまで厳しい道のりをずっと一緒に歩んできた仲間だと、結束も固くなるものだが、この中にいる誰一人として、お互いのことを友達とは見ていない。A組、つまりはこの学校でトップに立ってやろうと異常なまでの執念を燃やしている彼らにとって、クラスメートは敵でしかない。誰もが自分よりも点数の良い者を蹴落とそうとしているのである。
だからこの約二年間、同じ教室で机を並べていたとはいえ、茂央はクラスの生徒と会話を交わしたことがほとんどない。エリートを作るのが第一のこの学校には、部活動も、運動会や学園祭といった行事も存在しないのだ。ここはいわば、知らない者同士が集う、苛烈《かれつ》な進学塾のようなものだった。
長い英文を読み終えた安田は教科書から目を離し、監視カメラのようにゆっくりと十五人の顔を見てから、いつものように指さした。
「じゃあ、湯浅。私がいま読んだ長文を、訳してもらおうか」
指名された途端、冷めた視線が十四人から注がれた。クラスでトップの成績を誇り、安田のお気に入りでもある茂央が、みんな気にくわないのだ。
「はい」
立ち上がると、全員の視線を感じる。癖のついたセミロングの髪をいじりながら、茂央は冷静に訳してみせた。ずっと黒板の文字をノートに写してはいたが、安田の英文を耳は自然に聞き取っており、日本語にするのは容易だった。もっとも、英語を流暢《りゆうちよう》に使いこなせる茂央にとって、それは当たり前だったが。
「よし、完璧《かんぺき》だ。座っていいぞ」
「はい。ありがとうございます」
席につくと、この日の最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ今日はここまでだ。これから家に帰って、すぐに勉強をするように。寝るのがもったいないと思えよ。いいな? 誰にも負けないぞという気持ちを常に持て! 分かったな?」
「はい!」
全員が返事をする中、茂央だけは、これじゃあまるで教師に操られているロボットだなと、深く考え込んでしまった。
「おい湯浅。ちょっといいか?」
一人二人と生徒が教室から出ていく中、なぜか茂央だけが、安田に呼び止められた。
「なんでしょう?」
少し警戒しながら廊下に出ると、肩をポンポンと軽く叩かれた。
「やっぱりお前は優秀な生徒だな。先生は鼻が高いぞ。でも今の成績に満足せず、もっともっと高いレベルを目指せよ? いいな?」
今年で三十五歳になる安田寛は、ジェルでテカテカしたオールバックの髪と輝きを失ったような濁った瞳《ひとみ》が特徴的で、近寄りがたい存在だ。ただ校内では優秀な教師として、校長の覚えもよかった。けれど、成績の良い生徒にはこうして優しい言葉をかけるのだが、逆に成績の悪い生徒に対しては、冷たい態度をとる癖があった。その理由は誰が考えても明らかだ。自分の受け持つクラスの成績が良ければ、校長の印象もよくなるし、出世もできる。だから上と下の人間を、常に区別しているのだ。
「はい! 分かりました!」
「よし! じゃあ、気をつけて帰れよ」
安田はそう言うと、階段を下りていった。茂央は作っていた笑みを消し、その後ろ姿をしばらくの間、見据えていた。
2
茂央は夕暮れの帰り道を、トボトボと歩いていた。この日は特に、家に帰りたくない気分だった。
自動販売機の横にふと目をやると、ボロボロになった小さな段ボールの中に茶色い子猫が捨てられているのが見えた。見て見ぬ振りをして通り過ぎようとすると、まるでこちらに話しかけているように、子猫は小さく鳴いた。その声に立ち止まり、振り返ってみると、潤んだ瞳は、何かを訴えていた。
「どうした?」
子猫に歩み寄り、優しい声をかけてやると、もう一度、ニャンと鳴いた。
「何だよお前……捨てられちゃったのか」
返ってくるはずのない言葉をかけながら小さく屈《かが》んだ茂央は、抱きかかえようとした両手を、条件反射でスッと引っ込めた。小さい頃から母親に、動物に触ってはいけません、ましてや捨てられている動物に触ると汚くなるから、と厳しく言われていたことを、思い出したのだ。
「そんなこと……ないよな」
子猫にそう話しかけながら、茂央は引いていた両手を伸ばし、抱いてやる。
「本当にちっこいな、お前」
何を言っても、ニャンと鳴くだけ。当たり前だが自分の悩みを相談したところで解決するはずもないと、愚痴るのは止めた。
「そろそろ、帰らないと。本当は飼ってあげたいけど、家は駄目だから」
通じるはずもない言い訳をしながら、茂央は子猫を段ボールの中に戻し、立ち上がった。
「じゃあな」
別れを告げて、背を向けた。何度も何度も鳴き声が耳に届いたが、振り向くことはしなかった。
少し、寄り道をした。いつもは真っ直ぐ家に帰るのだが、一人になりたかった茂央はあえて遠回りをして、めったに通らない商店街を歩いた。小さいながらも活気に満ちた店が並ぶ通りは、右を向いても左を向いても威勢の良い店のおじさんやおばさんばかりだ。自分が今いる環境とは、まるで正反対だった。店先で汗を流しながらトウモロコシを焼いていたり、ゴム手袋をして真っ赤なキムチをビニール袋に詰めていたりする。見下しているわけではないが、こうやって人生を送っている人もいるんだなと、茂央はまた、この先の人生を考えさせられた。
確かにこの十七年間、勉強だけしか能がなかった。いや、勉強だけしかやらせてもらえなかった。幼稚園の頃から塾や英会話教室に通わされ、それだけでは両親は満足しなかったのか、ピアノやバイオリンまで教え込まれた。幼稚園から私立に通い、エスカレーター式で小学、中学に上がった。そして、周囲の期待通り、この徳明館高等学校に入学した。今の成績で卒業すれば、間違いなく一番レベルの高い大学に入れるだろう。さらに順調に道を進めば、両親の希望する政府の官僚にもなれるだろうし、欲しい物だって簡単に手に入れることができる――人生は安泰だ。けれど、それ以上にもっと大事なものがあるのではないかと、茂央は最近、思い始めていた。
具体的にそれは何なのかと問い詰められても答えられない。が、今のままだと、自分も同級生を敵としか見られないクラスメートや、生徒を成績でしか評価しない教師たちのように冷たい心を持つ人間になってしまうのではないか。だから、窮屈で息苦しい日常から抜け出したいと頭の中では思うのだ。もちろんそんな勇気はないし、どうしたらいいのかという答えも見つからない。故にこうして、大人に操られた生活を送っているのだ。
「てゆ〜かさあ! 三人じゃやっぱりつまんなくない?」
前方から若い女の子の声が聞こえる。高校生くらいの三人組の女子が、楽しそうにこちらにやって来た。
全員の髪が茶色く、化粧がやたらと濃い。こんなに目の周りをキラキラさせるのが、今の流行《はや》りなのだろうか。それにしても、眉毛《まゆげ》が細すぎないか? 耳には派手なピアスをつけている。そのうちの一人は、唇にまで穴を開けている。肌の露出は多く、おへそを見せている子もいる。茂央が見てもわかるブランド物のバッグを三人とも肩からぶら下げているが、自分のお小遣いで買ったのだろうか?
「じゃあ、瞳《ひとみ》にする? 瞳だったら暇してるでしょマジで」
「そうだね。瞳にしよう。私、かけてみるね」
茂央はついつい、仲間と楽しそうにお喋《しやべ》りをする三人組に見とれてしまっていた。
そういえば俺、友達と遊ぶことさえ、許されなかったな。
毎日が勉強、習い事だった。彼女らのように、友達と好き勝手をして遊んだ記憶が茂央にはない。だから、羨《うらや》ましかったのだ。
ぼーっと突っ立っていると、すれ違う際に三人組の一人に変な目で見られた。肩に掛けているバッグから、ガリ勉が通う徳明館の生徒だと気づいたのだろう。互いの耳元でヒソヒソと何かを言っているのがわかった。
その時、茂央は捨てられていた子猫を思い出した。独りぼっちだというところは、自分と変わらないな――。
帰ろう。
ボソッとそう呟《つぶや》いて、茂央は賑《にぎ》やかな商店街を後にした。
夕日も沈みだし、ブルーな気分に浸っていた茂央は、道端に落ちていたジュースの缶を軽く蹴《け》りながら家との距離を少しずつ縮めていた。
こら! そんなことして遊ばないの。
またしても小さい頃に言われた母の言葉を思い出し、それに反発するように思い切り蹴ると缶は前方に大きく転がっていく。寂しい思いをしていた茂央に神様が同情してくれたのだろうか。缶は肩を落としながらこちらにやってくる、まだ記憶に新しい人物の前でピタリと止まった。
「あ」
百七十五センチはあるだろう身長に、釣り合わないほど痩《や》せ細ったガリガリの体。まるで疲れ切ったサラリーマンのように、魂の抜けた歩き方――思わず茂央は声を上げた。
すると、前方からやってくる彼も、こちらに気がつき、ハッとなった。
「三留《みとめ》君……だよね?」
恐る恐る確認しながら歩み寄る。
「や、やあ……」
フケをちらほらと載せたボサボサ頭の三留|直弥《なおや》は小さく手を上げて返事をすると、何だか気まずそうに、下を向いて顔を隠してしまった。その反応を見て、仕方のないことなんだろうなと、茂央は思った。
三留直弥は、つい三カ月前まで同じA組のクラスメートで、ずっと机が隣だった。
今いるA組の生徒にだって親しい人間はいないので、三留も仲が良かったわけではないが、一番多く、会話を交わしたのではないだろうか。と言っても、もちろん友人同士の会話とかではなく、消しゴムを拾ってくれたときに、ありがとうという言葉や、シャーペンの芯がなくなってしまったときに、一本くれる? といったごくわずかな会話を交わしたくらいだが、それだけでも、茂央にとっては、印象の深いクラスメートだった。
話しぶりも穏やかで優しい顔をした三留に、もし普通の学校で会っていたら、友達になっていただろう。けれど、出会った場所が悪かった。とうとう彼も、成績が伸びずに学校をやめていく一人となってしまったのだ。
「偶然……だね」
すぐに別れてしまうのも不自然だったので、頭の中にパッと浮かんだ言葉を、茂央は口に出した。
「う、うん」
「何、してたの?」
「ちょっと」
「そっか」
彼も小さな頃から勉強ばかりやらされていたのだろう。茂央同様、人間関係が上手《うま》くないのも当たり前だが、想像していた以上に短い会話だ。
「そういえば、三留君からシャーペンの芯を、何度かもらったよね」
どうでもいいことが口から出てしまい、茂央はハハハと笑ってごまかした。
「そ、そんなのあったっけ?」
「う、うん……まあ」
三留はあまり憶《おぼ》えていないらしく、空気は重くなっていくばかりだった。
次は、次は、何を話そう。
こんなこと、訊《き》いてもいいものだろうか。
「あの……その、学校をやめてから、どうしてたの?」
「ずっと……勉強してた」
顔にも、ことばにも表情のない三留を見ていたら、哀れで仕方なかった。彼だって他の学校なら間違いなくトップの成績を取れるはずだ。いや、一度負けてしまった人間は、こうなってしまうのであろうか。
「そう……そうだったんだ。じゃあ、元気で」
何を訊いても、冷めた言葉が返ってくるだけだろうと悟った茂央は、別れを告げて、歩みを再開させた。するとその直後、三留の方から、声をかけてきた。
「湯浅君。月曜日に会えなければ、君に会うのも今日が最後かもしれないね」
三留の言っている意味が分からず、茂央は聞き返した。
「どういうこと?」
「実は、新しい学校が決まったんだ。だから前の学校で手続きをしなければならないらしくて、月曜日にそっちへ行く予定になってるんだ」
「そう。それは良かったね」
あえて、どこの学校に行くことになったのかを訊きはしなかった。
「うん。ありがとう。それじゃあ」
少し表情を和らげて、別れの言葉を告げた三留は歩いていった。その後ろ姿を見守り、茂央も三留に背を向けた。
会えるのは月曜で最後になるかもしれないねという台詞《せりふ》が、妙に心に響いていた。
3
閑静な高級住宅街の一角にそびえ立つ四階建ての家が、茂央の自宅だった。茶色で統一された四角い洋風の建物は、マンションとして使われているのではないかと思わせるほど大きい。兄弟がいないので、父と母の三人で暮らすには、十分すぎる面積だった。住み込みで働いている家政婦の部屋を除いても、六畳以上の部屋が、他に十四もあるのだ。父と母もここまで大きい家は必要ないとは思っているのかもしれないが、どうしても他人の目が気になるようで、近隣の住人に見栄をはっているのだ。
ローマ字で「YUASA」と書かれた表札の横のインターホンを押すと、家政婦の声が聞こえてきたので、茂央は、僕です、と告げた。すると、鉄格子の門が開かれ、玄関から出てきた家政婦に出迎えられた。
「おぼっちゃま、お帰りなさい。今日はいつもより少し遅かったんですね」
「うん。ちょっとね」
「お鞄《かばん》、お持ちします」
差し出された手に、茂央は学校の鞄を渡した。
「奥様がお待ちかねですよ」
「ああ、そう」
母には特に用があるわけではない。いつもいつも、学校から帰ってくるのを待ちわびているのだ。
玄関に到着すると、いきなり家政婦が大声を上げた。
「奥様! 奥様! おぼっちゃまがお帰りですよ」
そのうるささに顔を顰《しか》めながら靴を脱いでいると、母は足早にこちらへとやって来た。
「お帰りなさい茂央さん。ちょっと帰りが遅かったんじゃないかしら。何かあったの?」
母は、学校へ行く時間や帰ってくる時間、さらには、風呂に入る時間までも把握している。茂央にしてみれば、すべてを監視されているようで、毎日が窮屈でしかたなかった。
「まさか、寄り道でもしてたんじゃないでしょうね」
しつこく訊いてくる母に対し、茂央は否定した。
「寄り道なんて、していませんよ。ただ、学校をやめていった友達に会ったものですから。今、どうしているのかと……」
「そう。それで少し遅くなったのね? 分かったわ。けれど、そんな人間とはもう二度と話さないことね」
「どうしてです?」
「学校をやめていったんでしょ? 要するに、負け組ね。だったらそんな人間を相手にする必要はないわ。だって、あなたの格が下がっちゃうでしょ? 茂央さんは勝ち組なのよ。その辺、もっと自覚してもらわないと」
その言葉に、何も返す気力が起こらない。分かりましたと素直に頷《うなず》き、母を安心させてやった。
「分かってくれればいいの。それなら早速、部屋でお勉強してらっしゃい」
最後は結局、勉強か。
「はい……分かりました」
小さく返事をして、自分の部屋に向かうために、茂央は三階まで階段を上がっていった。
勉強をするか、寝るためだけに使っている九畳ほどある広い部屋。プラモデルやゲーム、漫画本など一切ない。見渡す限り、教科書や参考書で埋め尽くされていた。
息抜きをするものといえば、かろうじて置いてもらった二十インチのテレビのみ。ただそれも、音がすればすぐに母は消しなさいと言ってくるので、あまり役目を果たしてはいなかった。だから自分の部屋といっても、ただ閉じこめられているだけなのだ。
机の前に座った茂央は問題集を広げて、早速勉強にとりかかった。母に言われるまでもなく、負け組になるのは嫌だった。が、久しぶりに会った三留の顔が頭から離れず、シャーペンの動きは止まりがちだった。
二時間後、扉の向こうから家政婦の声が聞こえてきた。
「おぼっちゃま。夕食の支度が出来ました。下りて来てください」
もうそんな時間かと、茂央は問題集を閉じて息苦しい部屋から一階に下りた。
二十畳もあるダイニングルームの木製の丸い大きなテーブルには、家政婦の作ったフランス料理が並べられており、天井に吊《つ》られているシャンデリアの光が、料理を華やかに映していた。
「茂央さん、座って。早速、いただきましょう」
既に席についていた母にそう促され、テーブルの前に座った茂央は、真っ白いナプキンを太股《ふともも》のあたりに軽く載せた。
「では、いただきます」
父のいない夕食が、静かに始まった。無論、テレビをつけて食事をするなど、許されたことはない。
茂央はナイフとフォークを手に取り、前菜を口に運んだ。
「いかがでしょうか?」
家政婦にそう尋ねられ、母が答えた。
「とってもおいしいわ」
「ありがとうございます。それと……旦那《だんな》様は今日もお帰りが遅いのでしょうかねえ」
家政婦がそう言った途端、茂央の表情は沈んだ。
父は外務省の高官だ。帰ってくるのがいつも遅いので、夕食時に三人が揃うことはまずなかった。仕事が忙しいといつも父は言っているが、本当はそうじゃない。母は気がついているのだろうか。父に他の女性がいるということを。
この頃、急に服装に気をつかうようになり、休日にも外出が多くなった。もちろん証拠を掴《つか》んだわけではないのだが、子供の勘、ってやつが働くのだ。もし本当に父が浮気しているとなると、この家族は崩壊だ。なぜなら、母にも父以外の男がいるような気がするからだ。ここ最近、化粧が厚くなりだしたし、香水の匂いもきつくなった。そして何より、常に上機嫌なのだ。これは男がいる証拠ではないのか? それとも、世間知らずの僕が考えすぎているのだろうか。
「ええ、そうね。毎日が忙しい人ですからね。それがどうかした?」
「いえ。旦那様の分も作ってしまったので、どうしようかと……」
「あらそう。だったら、耐子《たえこ》さんが頂いたらいいわ。もったいないでしょう」
「そうですかねえ。じゃあ、もう少し様子を見て、もし本当にお帰りが遅いようでしたら、私がいただきます」
「そうしたらいいわ」
それを最後に二人のやり取りは途切れ、しばらくの間、静かな時が進んだ。
「で、茂央さん? 今日の学校はどうだったの? しっかり勉強できた?」
その質問にナイフとフォークを止めて、茂央は丁寧な口調で答えた。
「ええ。今日はいつも以上に、集中できました」
「あらそう。良かったわね。あなたは将来、日本を動かす人物になるんだから、もっともっと頑張らないとね」
「はい、そうですね」
それから、母の質問は容赦なく続いた。
担任の安田先生はこの頃どうなの? 次のテストはいつなの? もちろんすべての教科で満点を取る自信はあるんでしょ? まるで息子本人には興味がないような質問ばかりが繰り返された。さすがに嫌気がさし、食事を終えた茂央はすぐに立ち上がった。
「あら茂央さん? デザートがまだ残ってるわよ?」
「いえ、結構です」
「どうして? もうお腹いっぱい?」
そこで頷いても良かったが、嫌みたらしくこう言った。
「まだ解いていない問題集が、残っているので」
「そう。だったら仕方ないわね。頑張って」
「はい、お母様」
感情を込めずにそう言って、茂央は階段を上がっていった。
自分の部屋に戻り、ドアを閉めた途端、ため息が洩《も》れた。当然、勉強などやる気もおきない。
ベッドに沈んだ茂央は、リモコンを右手に持ち、テレビのスイッチをつけた。
『……オープンを迎えた今日、子供を連れた家族やカップルで賑《にぎ》わっております。
さて、次です。昨日の午後三時四十分頃、神奈川県|海老名《えびな》市|柏《かしわ》ケ谷《や》四丁目のマンション一階の高田|伸吾《しんご》さんの自宅でガス爆発が起こり、室内約二十平方メートルを全焼しました。この火事で高田さんの友人の滝田真理さんの娘の絵里子ちゃんが煙を吸い込んで意識不明の重体です。海老名署では爆発の原因を調べています。
さて……只今《ただいま》はいってきたニュースです。今日の夕方五時三十分頃、東京都|渋谷《しぶや》区千駄ケ谷の路上で、パトロールに出ていた警察官が覆面を被《かぶ》った四人組に後ろから襲われ、拳銃《けんじゆう》を奪われるという事件が発生しました。尚《なお》、その四人組は現在も逃走しており、警察は住民に注意を呼びかけております。襲われた警察官は鈍器のような物で顔や頭を強く殴られており、現在、病院で治療を受けておりますが、命に別状はないそうです。
さて次は、動物の赤ちゃんのニュースです……』
まったく物騒な世の中だなと呟《つぶや》き、ニュースから歌番組にチャンネルを替える。部屋から音が洩れるとまた面倒なことになると分かっていたので、音量を下げた。このタレント……。
「これ、誰だっけ?」
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ゲームU 前半戦
1
五月十二日。月曜日。
この日の朝は、湿気を感じない気持ちの良い五月晴れとなった。爽《さわ》やかな空気を、思い切り吸い込みたくなるような気分だ。が、三年A組の教室に入った途端、そんな思いは一瞬にして、消し去られた。水をうったように静まり返った教室では、週の始まりだというのに、お互い挨拶《あいさつ》を交わす者はいない。授業が始まっているわけでもないのに、全員がシャーペンを片手に、教科書の予習や問題集を黙々とこなしているのだ。結局は茂央もその一人に加わるのだが、何となく、寂しかった。普通の学校なら当たり前なのだろうが、授業が始まる直前まで、友達とお喋《しやべ》りをしながら、一度は騒いでみたかったのだ。
いつだったか、テレビをつけてみると、たまたま学園もののドラマが放送されていた。その時のシーンが、授業が始まる前の教室というもので、生徒たちは友人とお喋りしたり、はしゃいだりと、本当に楽しそうだった。自分もこんな学園生活を送りたいと、心の底から思った。自分の教室と照らし合わせていたのだろう。無意識のうちに、拳《こぶし》を強く握りしめている自分に、しばらく気がつかなかったほどだ。胸に熱いものを、感じていた。もちろん、あのとき見たものはドラマのワンシーンだってことくらいは分かっている。だが、あれ以来、茂央はずっと理想の教室風景を夢見ていた。
それなのに、現実は。
朝のホームルームを告げるチャイムが校内に鳴り響くと、担任の安田が出席簿を片手に、教室にやって来た。挨拶など必要としていない安田は、早速、出欠を取り始めた。
「飯川龍一《いいかわりゆういち》」
「はい」
「井桁《いげた》健一」
「はい」
出欠を取る作業は、スムーズに進んでいく。名前を呼ばれた生徒は皆、ロボットのように感情のない返事を繰り返していく。
こんな枠にはめられた生活が、一体あとどれだけ続くのだろう。自分から殻を破らなければ、いけないのではないか?
「湯浅茂央」
自分の名前が呼ばれ、茂央はしばらく間を置いてから、小さく返事した。
「はい」
全員の名前を呼び上げた安田は、一時限目が自分の受け持つ英語なので、授業の開始を告げるチャイムが鳴る前に、教科書を出すよう全員に促した。それに対し茂央を含めた十五人は、一つの文句も言わない。なぜなら、既に全員が教科書を出し、黒板に注目していたからだ。
「じゃあ、授業を始める。早速だが、いつものようにこのプリントからやってもらう。簡単だ。馬鹿でもできるぞ。すべて正解して当たり前と思えよ」
機嫌が悪そうな口調の安田は、列の先頭にプリントを配り、それを受け取った生徒は、後ろの席に渡していった。
「それでは始め。こんな問題、一問も間違うなよ。ずっとA組にいたかったらな」
安田は生徒たちを脅すと、自分の席について腕組みをし、教室中をまるで監視カメラのように、ゆっくりと見渡す。いつも通りだ。プリントを終わらせてから初めて、教科書を開かせるのだ。
「おい井桁! 何ソワソワしている。まさかカンニングじゃあるまいな」
突然そう指摘された井桁健一は背中を針でさされたかのようにビクッと姿勢を正し、
「い、いえ。カンニングなんてしていません。ただ、消しゴムを忘れてしまったようで」
と、必死に説明した。
「なに? 消しゴムを忘れただと? 馬鹿かお前は! もしこれが試験だとしたらどうするんだ! え?」
クラスの人間が怒鳴られても、他の生徒は自分には関係ないと、プリントの問題を解いていく。茂央も、その中の一人だった。
「す、すみません」
「まあ、困るのはお前なんだ。私には関係ない」
「は、はい……」
「で? この惨めな井桁君に消しゴムを貸そうって奴はいるのかな?」
いくら待っても、手を挙げる者はいなかった。これにはさすがに耐えられなかった茂央は無言で立ち上がり、井桁の元に歩み寄り、消しゴムを、机に置いた。
「あ、ありがとう」
そして、自分の席に戻ろうと振り返ると、他の人間の冷たい目が、こちらに注がれていた。
「さすが湯浅だな。先生……感動したよ」
思ってもないことを、と内心で吐き捨てた茂央は、安田をほんの少しだけ、睨《にら》みつけた。
こんな環境もう嫌だ。いつも誰かが怒鳴られて、助けようとする者は一人もいない。
とはいえ、自分がどうにかできるわけでもない。
ずっとこのまま、変わらぬ生活が続くのだろう。そして今日だって、その一日に過ぎないのだと、茂央は思った。
二時限目の数Vも、冷めた空気のまま授業は進んでいった。談笑などは一切なく、教科担任の小澤《おざわ》にあてられた生徒は、難なく問題を解いていく。茂央もなんとか授業に集中し、黙々とノートにペンを走らせていた。がしかし、約二十分が経過した頃であろうか、突然、校内に異変が起こった。
「じゃあ、飯川。この問題を解いてみろ」
飯川にしてみれば難しい問題でも何でもないのだろう、黒板に向かってチョークを持ち、スラスラと数字を書いていく。そして、できました、と小澤に告げた、その時だった。教室のスピーカーから雑音が聞こえ、何事かと顔を上げると、男性の、ドスの利いた声が、こう言った。
『徳明館高等学校の生徒諸君。聞こえているか? 私は今、大勢の仲間を引き連れ、職員室を占拠した。教師を一人、人質にとっている』
教室内がざわつき始める。どうやら隣のクラスも混乱しているようで、ザワザワとした声が、聞こえてきた。
『人質を殺されたくなければ、私の指示通り、動いてもらいたい。いいかな?』
スピーカーを見上げていた茂央は、ただならぬ予感を感じ、小澤に視線を向けた。
「先生……これは」
「いいから座っていろ! ただのイタズラだ! こんなんで時間をとられたらもったいない」
本当にそうか? と疑問を抱いたが、言われた通り、茂央はじっとしていた。
「まったく……授業がだいなしじゃないか」
こんな状況の中、窓側の一番後ろの席に座る丹野|哲哉《てつや》が、そう呟《つぶや》いた。
「先生! 一体、何なんですかこれは? 迷惑にも程があるわよ」
廊下側の一番前に座る内田|清美《きよみ》が、苛立《いらだ》った口調でそう言った。
そんなことを言っている場合ではないだろうと、茂央は次の放送に集中した。
『では、最初の命令だ。三年A組の諸君。君たちは速やかにコンピュータールームに向かいたまえ。そして、それ以外の教師や生徒は全員、外へ出ろ。教師が各クラスの生徒たちを誘導するんだ。いいな?』
教室は、静まり返った。
『もう一度だけ言う。三年A組の諸君はコンピュータールームに向かえ。それ以外の教師と生徒は外へ出ろ。命令に従わなかったり、不審な動きをしたら、ただちに人質の教師は殺す』
殺す、という台詞《せりふ》に、茂央は唾《つば》をゴクリと飲んだ。この男は本気でそう言っているのだと、思ったからだ。
「どういうこと? どうして私たちなの?」
大平陽子がそう言うと、植村|恵美《えみ》が後に続いた。
「そうですよ。何なんですかこれは。先生、調べてきてくださいよ」
放心状態だった小澤はその言葉で我に返り、こう言った。
「お前たちはじっとしていろ! 私が今、調べてくる」
そして、教室から出ようとしたその時、隣のクラスの担任で英語を教えている今野聖子がA組に駆けつけてきた。
「た、大変です、小澤先生!」
息を切らしながら慌てる今野に、小澤は尋ねた。
「じゃあ、これはやはり」
「ええ。突然、職員室に覆面を被《かぶ》った男たちが怒鳴り声を上げながら入り込んできたんです! 動くな、騒いだら殺す、俺たちの命令を聞けって」
「それで?」
「その時に職員室にいた私たちは、何が何だか分からず混乱してしまって……。そしたら、犯人たちが側にいた安田先生を人質にとって、頭に銃を突きつけて」
小澤は飛び上がるように、
「銃?」
と驚きの声を発した。
「で、犯人たちはなんと?」
「こいつの受け持つクラスはどこだって、そう訊《き》かれました。疑問を抱く前に、私も慌てていたので、正直に三年A組ですと答えたら、じゃあそのクラスだけを学校に残せと言うんです。もちろん、それはできない、残れと言うなら私たちが残ると先生方で説得したんですが、命令を聞けないようなら学校にいる生徒たちを無差別に殺すと言って、天井に一発、発砲したんです。その時、銃が本物だって分かって……ええっと、ええっと」
「落ち着きなさい!」
「え、ええ。だから……だから仕方なく……」
「そうですか……なら一刻も早く私たちも外に出た方がいいですね」
それが教師の吐く台詞か? と茂央は小澤に憤りを感じた。
「とにかく、みんな! 急いでコンピュータールームに行きなさい。私と小澤先生は、他の生徒たちを外に誘導するわ」
あまりのことに状況を把握できない生徒たちはかえって冷静だった。今野がただ一人、取り乱している状態だった。
「あの……それで、どうして私たちなんですか?」
梅崎|美保《みほ》の言葉を振り払うように、今野は強く言った。
「分からないわ。理由を訊いても、答えないし。とにかく危険なの! だから早くコンピュータールームに向かいなさい!」
叱咤《しつた》されても、立ち上がる者はいなかった。
「さあ急いで!」
その一言で、全員の金縛りは解けた。まず初めに立ち上がったのは茂央だった。そして、勇気をふり絞って、他の十四人に呼びかけた。
「みんな、行こう。さあ早く」
その言葉をきっかけに、一人、二人と生徒は立ち上がり、十五人はコンピュータールームに移動した。中には、未《ま》だ信じられないといった様子の男子や、露骨に不満そうな表情を浮かべた女子もいた。既に泣いている生徒もいた。ソワソワと落ち着かない者もいた。先頭を歩いていた茂央も、このまま自分たちはどうなってしまうのだろうと、不安を隠せなかった。
A組の十五人が四階にあるコンピュータールームに移動しているその間、犯人の男とバトンタッチした教頭の声が、スピーカーから聞こえてきた。それは、彼らの命令通り、教師はA組以外の生徒たちを外へと誘導し、速やかに校舎から出るよう促す放送だった。教頭自身、相当|怯《おび》えているのが声で分かった。
その指示をうけて、他の教師もようやく、慌てふためく生徒たちを防災訓練の時のようにグラウンドに移動させた。自分も被害に遭うのではないかと勝手に逃げ出す者や、恐怖で泣き出す者で校舎は一時、騒然となった。廊下の消火器は倒れ、生徒たちが押し合いになったのか、三年C組のドアは外れてしまった。
そして校舎に残るのは茂央たちと、人質に取られている安田と、犯人グループだけとなった。
これから一体、何が始まるのだろう。学校の中は、妙に静まり返っていた。
コンピュータールームの扉を開けて中に入った茂央は、明かりをつけてから十四人に体を向けた。
「さあ、みんな。入ろう」
そう言って全員を促すと、その態度が気に入らなかったのか、大平陽子が嫌みたらしくこう吐き捨てた。
「どうしてあなたが仕切っているわけ? リーダーにでもなったつもり?」
この緊急事態にもかかわらず、まだそんなことにこだわっているのか。茂央は大平の神経を疑った。返す言葉を探していると、教室では左隣の席に座っている中村|梓《あずさ》が、この時だけはさすがにフォローしてくれた。
「大平さん。今は、そんなことを言っている場合じゃないでしょう」
その言葉に大平は何も反論せず、渋々、部屋の中に入った。
茂央たちのいるコンピュータールームは、一つひとつ机が置かれた一般の教室とは違って、一段一段に横に長い机があり、各机の前に、映画館のように、座面を倒して座るイスがズラリと並べられた、大学の講義室のような造りだった。ただ、講義室と違うのは、その机の上にデスクトップのパソコンが置かれていることと、教壇の隣に、大きなプロジェクターが完備されていることだった。
何か仕掛けでもあるのではないかと、十五人は真っ白いリノリウムの床を慎重に歩いた。どうして犯人はコンピュータールームを指定したのだろうと思っていると、教壇の机の上に載っている、アルミで作られた物が目に入った。
それは、絵を展示する際に使用する額縁によく似ていた。
何だ、これは?
どうしてこんなものが?
その時、今野が目を泳がせながら部屋の中に入ってきた。
「先生」
茂央が口を開くと、大丈夫というように今野は頷《うなず》き、みんなにこう言った。
「あなたたち以外、すべての教師と生徒は校舎から出たわ。後は私だけ。それで、湯浅君じゃなくてもいいけど、携帯電話は持っているわよね?」
その質問に茂央が「はい」と答えると、今野は小さな紙を手渡してきた。
「それじゃあ、この紙に書かれた番号に、状況を知らせてちょうだい。あなたの番号も訊いておくわ」
「はい。分かりました」
茂央はそう返事をして、気になったことを尋ねた。
「あの、先生。警察には?」
「ええ。すぐ通報しているわ。けれど犯人は、不審な動きをしたら安田先生を殺すと言っているから、安易に動けないと思う」
「そうですか」
「それじゃあ、私も外に出るわ。これから犯人たちがどうするのかは分からないけど、あなたたちを残したっていうことは、安田先生を助けられるのはあなたたちだけだと思うの」
茂央は、頷くしかなかった。
「わかってます」
「私には何もしてあげられないけど……あなたたちも気をつけて」
そう言って、今野は逃げるように出ていった。頼れる大人が、本当にこれで誰一人としていなくなった。
「私たちも、人質ということなんですよね? 一体これから、どうなってしまうの?」
そう言ってへたり込んでしまった滝川敬子に対し、茂央は励ましの言葉をかけてやることができなかった。コンピュータールームは、しばらくの間、静寂に包まれた。
閉じこめられた十五人が放心したまま、十分が経過した。コンピュータールームからはグラウンドの状況が把握できないので、外が今どうなっているのかが、茂央はずっと気になっていた。もしかしたら犯人は今、校舎に毒ガスでも仕掛けていて、自分たちをこのまま殺す気ではないだろうかと、いらぬ妄想を働かせてしまう。
何もできない空白の時間が過ぎ去っていく状況に対し苛立《いらだ》ちを感じ始めていた、その時だった。最初の命令をしてから何も動きを見せなかった先程の男の声が、スピーカーから聞こえてきたのだ。
『三年A組の諸君。全員そろっているかな?
私は今、再び放送室から君たちに声を送っている。ただ、現在も私の仲間たちが職員室で一人の教師を人質にとっていることだけはしっかり頭の中に入れておいてくれたまえ。もし、妙な動きを見せた時には、教師は殺す。いいね?』
男はそこまで一気に喋《しやべ》り、こう続けた。
『それではこれから君たちに、ある命令をする。だが、それだけでは面白みに欠けるとは思わないか? 私たちも君たちとコミュニケーションを取りたい。だからコンピュータールームに移動するよう命令したわけだ』
そこでようやく茂央は、犯人がコンピュータールームに自分たちを閉じこめた意味が理解できた。
『誰でもいい。その部屋にあるプロジェクターのスイッチとマイクのスイッチを入れろ。これで職員室に立てこもる私たちと、コンタクトが取れるはずだ』
この学校では、職員室とコンピュータールームで映像と音声のやり取りが可能になっている。普段は授業で使うプロジェクターの上には、カメラと小型マイクが設置されているので、こちらの様子や声が職員室に届く仕組みになっているのだ。逆に、職員室の同様の装置にも同じようにカメラとマイクが設置されているので、コンピュータールームにも、職員室の様子や声が届くようになっているのである。
「それじゃあ私、スイッチ入れてきます」
率先して手を挙げた中村梓が、部屋の隅のパネルにあるスイッチを入れた。すると、大きなプロジェクターは光を放ち、やがて、職員室の様子が映し出された。全員の目が、画面に釘付《くぎづ》けになる。
「先生……」
まるで、ドラマのような非現実的な光景に、茂央は言葉を詰まらせた。
五人の犯人たちは全員が同じ迷彩服をまとい、覆面を被《かぶ》っていた。こちらによく見えるように中央にソファが置かれ、その上に、体を縛られ、口にはガムテープを貼られた安田が転がされている。何より、生徒たちを恐怖に陥れたのが、犯人たち全員が持つ拳銃《けんじゆう》だった。連射銃を肩にぶらさげている者もいた。
「何なんだよ……こいつら」
大高|雅規《まさのり》が声を洩《も》らす。
「かなりヤバそうだね」
と、飯川龍一が他人事《ひとごと》のように言う。
緊張が高まる中、職員室にもう一人、同じ恰好《かつこう》をした男が現れた。同じく拳銃を手にしている。恐らくはこの男が、放送室から指示を出していたのだろう。とすると、この男が犯行グループのリーダーなのだろうか。
その男は、カメラに向かってこう言った。
「こちらの様子は見えているかな? 三年A組の諸君。こちらにも君たちの姿がよく映っているよ」
そんなのどうでもいいと、茂央は内心でそう吐き捨てた。
「一体、あなたたちの目的はなんなんですか。どうしてこんなことを?」
代表して茂央がそう尋ねると、男は言った。
「まあそう急ぐな。まずは私たちの自己紹介からしようか。といっても、別にグループ名なんてあるわけではないがね。ただこの場で今すぐつけろと言うのなら――そうだな、私たちの名は、パズル、とでも言っておこうか」
「パズル……」
茂央はそう復唱して、机の上に置いてある額縁に視線を向けた。
男は続けた。
「どうしてこんなことをするのか? 君の質問に答えよう。私たちはつまらない誘拐犯のように、金がほしいわけではない。ただちょっと、この学校の生徒と遊びたくなったのさ。優秀と言われている君たちを試してみたいんだ」
茂央は、リーダーの手に握られている拳銃に目をやった。
「そうそう、言っておくが、これは本物だ。さっき先生たちの前で一発撃ってあげたから、分かっているね? だから何度も言うように、妙な動きはしないように。銃と素手じゃ、勝負は明らかだ。ここに集まった私たちには、親も兄弟もいない。失う物が何もないから、何でもできる……そう、人殺しもね」
「あなたたちは、僕たちにどうしろと?」
茂央がそう尋ねると、男は嬉《うれ》しそうにこう言った。
「よく訊《き》いてくれた! それでは本題に入ろう。君たちには、私たちとちょっとしたゲームをしてもらおうかと思っている。簡単に言えば、この教師を救えるかどうか、勝負しようというわけだ」
「勝負?」
茂央が聞き返す。
「そうだ。これから君たちには四十八時間――要は二日間、動いてもらう」
「ど、どういうことです?」
「簡単だ。これから私たちは、この校舎の様々な所に、二千ピースのパズルを隠していく」
その数字に、井桁健一が過剰反応を示した。
「に、二千! そんなに! 半端な数じゃないですよ、二千ピースって。普通、そんなパズルやろうとも思いませんよ!」
「それをすべて君たちに探し出してもらう。その上で、コンピュータールームの机の上に置いてある枠にはめてパズルの絵を完成させてほしい。ただそれだけだ。どうだい? 面白いとは思わないか?」
男のその問いに、大高雅規が口を開いた。
「無茶だ! 探し出せるはずがない!」
明らかにこちらの方が不利な立場にあるのに、反抗するのは危険だ。茂央は小声で「大高君!」と制した。すると大高は、茂央を鋭く睨《にら》みつけた。隣に立っている飯川龍一は、他人事《ひとごと》のように「面倒なことになったな……」と呟《つぶや》いている。
「もちろん、ゲームをやるやらないは自由だ。今すぐに家に帰ってもいい。だが四十八時間経ってもパズルを完成させられなかった場合、この教師の頭をぶち抜く。タイムリミット前に不審な動きをしても、即ゲームオーバーだ」
ここでようやく、十五人がお互いに顔を見合わせた。
「どうだ、やるか? それとも自分たちの担任を見捨てて、このスリリングなゲームへの参加権を放棄するか? その場合、内申書とか君たちの評判に悪影響が出ることは避けがたいし、エリートとしての輝かしい人生に長く汚点を残すことになるだろうな……私たちはどちらでも構わないよ」
男に選択を迫られたその時、後ろにいた丹野哲哉が前に出てきてこう言った。
「あなたたちは僕たちをからかっているだけなんでしょう? 最初から安田先生を殺すつもりなんてないんだ。僕たちはその手には乗りませんよ!」
丹野の強気の発言に、男は短くこう返した。
「嘘じゃないさ」
「どうだか」
その一言が、予測もしていなかった事態を招いた。茂央は男を挑発する丹野を止めようとしたが、遅かった。
「じゃあ証明してみせよう。この教師をまだ殺すわけにはいかないから、足にでも弾を一発ぶち込むというのはどうかな? そうでもしなければ、君たちは動かないんだろ?」
「やめてください!」
茂央が大声を上げて引き留めたが、男は聞く耳を持たず、ガクガクと震える安田の足に銃口を向けた。そして――
「先生。少し痛いだろうけど、我慢してくださいね?」
男が引き金を引く、その時だった。
ガタン、と微《かす》かに物音が聞こえてきた。
「何だぁ? 誰かいんのか?」
その音に反応した仲間の一人が、荒々しい声を上げて、周囲を確認しだした。
「調べろ」
安田の足に銃口を向けたままリーダーがそう言うと、犯行グループのメンバーたちは画面から姿を消した。乱暴な言葉を吐きながら、職員室のありとあらゆる場所をチェックしているようだ。茂央たちにはどうなっているのか分からず、固唾《かたず》を呑《の》んで犯人の声を聞いていた。すると、プロジェクターから犯人たちの声だけが聞こえてきた。
「いたぞ! こいつ、机の下にずっと隠れていやがった! 俺たちの行動を盗み見してやがったんだ!」
こいつ?
誰だ?
教師か?
「連れてこい!」
リーダーが命令すると、その犯人は隠れていた人間の体を羽交い締めにし、カメラの前に連れ出した。
その瞬間、茂央の中で衝撃が走った。そしてそれは、驚きの声へと変わった。
「み、三留君……」
その名前に、他の十四人からちらほらと声が上がった。
「え?」
「ほ、本当だ」
「三留って……誰だっけ?」
どうして職員室に学校をやめたはずの彼がいるのだ――不思議に思っていると、頭の中に三留の言葉が蘇《よみがえ》ってきた。
「そう言えば、今日……」
どうしてあの放送がかかった時、逃げなかったんだ! 茂央は心の中で強く叫んだ。
怖くて、足が動かなくて、ずっと机の下に隠れていたのか。
「すみません! すみません!」
ただひたすらに、三留は謝る。
「誰だ、お前は? ここの生徒じゃないようだな」
リーダーにそう訊かれ、体を押さえつけられていた三留は怯《おび》えながら「はい」と頷《うなず》いた。
「ここで何をしていた。関係のない者は外へ出ろと言っただろう」
二人のやりとりに、茂央が割って入った。
「彼は関係ないんです! 怖くて、逃げられなかったんだと思います。だから逃がしてあげてください。お願いします」
画面越しでそう頼み込んでも、リーダーは何も聞こえていないふりをし、三留に向かってこう言った。
「こいつ、私たちの顔を見たかもしれないな。となると逃がすわけにはいかない……そうだ。見せしめのために、ここでお前を殺すとしよう。今からこの教師をいたぶってしまうのは、つまらなすぎるからな」
予測もしていなかった男のことばに、コンピュータールームは凍りついた。
「ちょっと待ってください! 彼は関係ないでしょう!」
「いや、君たちをやる気にさせるには、彼に犠牲になってもらうのが一番いい方法だと思いついてしまったものでね。もう遅いよ」
このままでは本当に殺されてしまうと恐怖する三留は、激しくもがき、暴れ出した。
「た、た、助けて!」
次の瞬間、かろうじて犯人の手をふりほどいた三留は必死で逃げだそうとした。だが、すぐにまた捕まってしまい、体を押さえつけられてしまう。
「こらこら、暴れるな」
無邪気な子供に注意するような口調でリーダーは言うと、安田の足から、銃口を三留に向けた。
「やめてください!」
茂央はもう一度、懇願する。女子生徒は画面から顔をそむける。
「お願いです! あなたたちの命令をききますから!」
「助けて! 助けて! お願いだから!」
三留は狂乱する。
今すぐにでも職員室に飛び込んで彼を助けなければならないと頭では分かっているのだが、茂央は何もできなかった。そして――
「やめろ!」
大きな銃声と、茂央の叫び声が重なった。三留は右足を手でおさえ、バタリと激しく倒れ込む。水から出された魚のように、バタバタと暴れた。
「ふははははは」
その様子を見て、リーダーは声を出して笑っている。
「やっぱり殺すのは可哀想だよな? 見せしめのためなら、足を撃つくらいでいいだろう」
三留との思い出はあまりないが、茂央の脳裏には、土曜日に見せた微かな笑顔が蘇った。
「きゃあああああああ!」
「三留君!」
茂央は画面に張りつき、「ううう」と呻《うめ》き声を洩《も》らす三留の名を呼んだが、三留自身、それどころではない。狂ったように暴れて痛みを堪《こら》えている。真っ赤な血が、ジワジワと床に流れ出している。早く病院に連れていかなければならない。
ポケットの中の携帯電話が振動していたが、当然、出られるはずがなかった。
「どうしてだ……どうしてだ!」
何の躊躇《ためら》いもなく撃ったリーダーに、茂央は怒りをぶつけた。こんなにも、キレた、という感情をあらわにしたのは、生まれて初めてだった。
「どうしても何も、悪いのは君たちだ。こうでもしないと、本気でゲームをしないんだろ?」
「でも……でも彼は、ただ」
成績が伸びず、学校をやめていった三留。やっと新たな人生のスタートラインに立ったばかりだった。それなのに奴は、彼にまた地獄を見せるというのか!
画面の前にへたり込み、茂央が涙を流していると、後ろに立つ長野|邦子《くにこ》が怯えた声で叫んだ。
「私は関係ない! もうこんなの嫌よ! このままじゃ私たちだってどうなるか分からないわよ!」
だが長野が部屋から出ようとした途端、リーダーの怒声が飛んできた。
「動くな! まだ動くな! その部屋からはまだ一歩も出るな。私は君たちに危害を加えるつもりはない。だが、今はまだ出るな。命令を破ればこいつみたいに痛い目に遭うぞ? いいな?」
実際、人を撃っている男の命令は絶対的な力を持っていた。そう指示された長野は、一歩も動こうとはしなかった。
画面の向こうではまだ、三留のわめき声が響いている。必死に痛みを堪えているのか。
「それよりも、彼を病院に連れていってあげてください! これから救急車を呼びます。いいですね?」
リーダーは茂央の言葉を遮った。
「余計なことはするな。こいつも人質だ。それにいい加減、私たちも君たちとのゲームを始めたいと思っているんだ」
大変な事態になったと、茂央はガックリと肩を落とした。
「それではここで、改めて君たちに訊《き》こう。ゲームをやるか? それとも放棄するか?」
選択を迫られ、茂央は一歩前に出た。
「やるもやらないも、やらなければ先生も三留君も殺されてしまうのなら、仕方がないでしょう。もうこれ以上、犠牲者は出したくない」
「では――やるんだな?」
夢中で、茂央は頷いた。
「ハハハ! ようやくやる気になってくれたか。でも恨むなら、人質になったこの教師を恨むべきだな。そのせいで、君たちのクラスが選ばれたんだから」
もうそれも、どうでもよかった。茂央の頭は、三留の怪我の心配で一杯だった。足から血が止まらないようだが、大丈夫なのだろうか。
「それでは、これから私の仲間が二千ピースのパズルを校舎中に隠していく。その間、君たちはコンピュータールームで待機していろ。まあ作戦会議でも開くべきだろうな。合図を出すまで部屋からは絶対に出るな。いいな。ルールを破ればゲームオーバーだ。では、準備が出来たらまた会おう」
そう言い終えると、職員室のカメラは切られ、プロジェクターは真っ暗になった。同時に、三留の叫び声もプツリと途絶えた。
どうやらゲームが開始されるまで、もうしばらく時間がかかりそうだ。その間に十五人で話し合わなければならないと茂央は思ったが、何人かの女子は泣きやまない。当たり前だが、人が撃たれたことで全員がパニックになっていたのだ。とても作戦会議どころではない。コンピュータールームには、鉛のように重苦しい空気が漂っていた。
「で?」
沈黙を破り全員の視線を集めたのは、イスに座り、足組みをして髪の毛をいじっている、意地悪そうな目つきが印象的な大平陽子だった。どうしてこんな状況で大きく構えていられるんだろうと、茂央には不思議だった。
「本当に、こんなゲームに参加するの?」
意味深なその台詞《せりふ》に、床で体育座りをしていた茂央はことばを返した。
「どういう意味です?」
「時間の無駄じゃない? 二千のパズルなんて見つかりっこないわ」
「それはやってみないと分からないでしょう。それに、先生と三留君の命がかかっているんです。見捨てるっていうんですか?」
「安田と三留……だったっけ。あいつらの命が何だっていうのよ。別に関係ないじゃない」
人の心を持っているとは思えない大平の発言に、茂央は説得する気力を失った。
「よくそんなことが言えるね君は!」
「金で解決すればいいのよ」
茂央の言葉を遮るようにして、大平は言った。
「お金……ですか?」
教壇の辺りをうろうろしていた舛谷《ますたに》健介が足をピタリと止め、訊き返した。この女は何を言っているんだと、茂央には言葉がなかった。
「そうよ。いくらかしらないけど金さえ払えば、安田だって解放してもらえるでしょ。この学校だったらそれくらいの金はあるはずだし」
「ちょっと待ってよ」
そこで口を挟んだのは、中村梓だった。
「なによ」
「お金じゃ解決できないと思う。犯人の一人が、そう言ってたでしょ」
それに対し、大平は中村を見下すように言い返す。
「馬鹿ね。どんな人間でも、目の前に大金を積まれれば気持ちは揺らぐのよ。安田のことなんてどうだってよくなるわ」
「いや」
今度は茂央が割り込んだ。
「そう簡単にはいかないと思う」
「どうしてそんなことがわかるのよ」
「だってお金が目的なら、最初からそう言っているよ。ましてや僕たちに二千ものパズルをわざわざ探させるわけがない。金だけが目的なら、それこそ時間の無駄だよ」
茂央にねじ伏せられた大平は、負け惜しみを吐き捨てた。
「ふん、何もかもお見通しって感じじゃないの」
「そ、そんな……僕は」
「それは言い過ぎよ、大平さん」
すかさずフォローしてくれた中村に、茂央は小さく頭を下げた。
「それよりもさ」
イスに腰掛けてぼんやりとしていた塚越大輔《つかごしだいすけ》が突然、口を開いた。
「どうしたの? 塚越君」
と神谷健太郎が尋ねる。
「本当に、パズルなんて隠しているのかな」
「どうして、そう思うの?」
床でアヒル座りしていた梅崎美保が、塚越に問う。
「ハメられている可能性ってないのかな」
「ハメられている? 例えば?」
茂央がそう訊くと、塚越はただ何となくそう思っただけらしく、次のことばに困っている様子だった。
「パズルではなく、時限爆弾を仕掛けている……とか」
黒板の方に体を向けていた飯川龍一が、冗談っぽく言った。
「じ、時限爆弾?」
先程からずっと怯《おび》えていた長野邦子が大げさに驚いたのに対し、飯川は不気味な笑みを浮かべて、
「嘘だよ」
と言った。
「こんな時にふざけるのはやめよう」
茂央がそう注意すると、飯川は反省の色などまったく見せず、「はいはいすみませんでした」といい加減に謝ってきた。
「逃げるってのはどうだい?」
突然、そう提案したのは、教師用のイスに座っていた大高雅規だった。
「逃げる?」
と植村恵美が声を上げる。
「そう。全員で脱出すればすべて解決だろ?」
「ぼ、僕も大高君の意見に賛成ですね」
弱々しく、神谷健太郎が小さく手を挙げた。
「じゃあ、安田先生はどうなるんだよ? それに、三留君だってあんな状態なんだ。僕たちが全員逃げたら、足くらいじゃすまされないよ!」
茂央が反論すると、大高は煙たそうな表情を浮かべた。
「三留と先生を助けたうえで逃げればいいと言っているんだよ、僕は」
「でもどうやって? 犯人たちは銃を持っているんだよ? 三留君は怪我もしている。そう簡単には逃げられないだろう」
「それをどうするか、考えればいいだろ」
茂央は食い下がる。
「いや、それは危険だ。奴らは平気で人を撃てるんだ。下手すれば、出さなくてもいい犠牲者まで出すことになる」
「僕も湯浅君に賛成です。先生たちを救出して全員で脱出するというのは、リスクが大きすぎますよ」
どちらかといえば、逃げる方に手を挙げる側だと思っていた井桁健一がそう言ったのが、茂央には意外だった。
大高もそれは分かっているのだろう。チッと舌打ちをして、頬杖《ほおづえ》をついて黙りこんでしまった。
「じゃあ……様子を見に行ってみますか? ちょっとだけ」
梅崎美保のその提案も、茂央は否定した。
「それも、あまり賛成できない。今は絶対に部屋から出るなって命令されているわけだし、もしそれを破りでもしたら……」
「意気地のない男ね……まったく。それにさっきから何様のつもりなのかしら」
横から大平陽子に嫌みを言われた茂央は、それを無視した。
「とにかく今は……待とう。それに、全員で力を合わせれば、必ずパズルは見つかるよ」
「そうかしら」
今度は何だ、と茂央は、カーテンの側で外の様子を眺めている内田清美に視線を移した。
「何が言いたいんだ?」
「たとえパズルを探しても、足を引っ張る人間がいるんじゃ……」
語尾を伸ばしながら内田は、滝川敬子に体を向けた。
「ねえ、滝川さん?」
「な、何よ」
「別に」
「ちょっと内田さん。今は揉《も》めてる場合じゃないでしょ」
険悪なムードに割って入ったのは、再び中村だった。
「まあ二千のパズルくらい……」
飯川龍一の次の台詞《せりふ》に、茂央は呆《あき》れてしまった。
「簡単に見つけられるよ。大丈夫だって」
こんなバラバラで本当に大丈夫なんだろうか。茂央は心配でたまらなかった。
2
犯人たちとの通信が途絶え、一時間が経過しようとしていた。恐らく今頃、校舎中には二千ピースのパズルが奴らによって隠されているのであろう。が、コンピュータールームに閉じこめられている十五人の頭の中は、それどころではなかった。三留が撃たれ、血を流して倒れ込んだ時の映像が脳裏に染みつき、離れないのだ。特に、リーダー格の男を挑発し、三留が撃たれる原因を作ってしまった丹野哲哉は、表情には見せないが、酷《ひど》く罪悪感を感じている様子だった。
「丹野君。君のせいじゃないよ」
イスに座っていた丹野に歩み寄り、茂央は声をかけた。すると、
「べ、別に……」
と言って、顔を背けてしまった。本当はもっと違う慰め方があったのであろうが、今はそれくらいしか言ってやれない。もうそれ以上は声を投げかけはしなかった。気持ちを落ち着かせるために茂央も席についた。
その時だった。
時計の針が十二時ちょうどを指すと、プロジェクターに映像が映った。
「諸君、待たせたな。今、すべての準備が整った」
十五人の視線が画面に集中する。茂央はイスから立ち上がり、銃を手に持つリーダーの目の前に出た。人質になっている安田は依然、銃を手にした犯人たちに囲まれている。ソファの上で体を縛られ、口にガムテープを貼られたままだ。今のところ、何の危害も加えられていない様子だが、三留のほうは生き地獄だった。さっきまでは画面の中央で倒れていたのだが、今は職員室の右隅にどかされて、静かに呼吸を繰り返している。こちらに背中を向けているが、明らかに衰弱しているようだった。茂央は再び激しい怒りを感じた。
「それではこれより、ゲームを開始する。改めてルールを説明しよう。まず、タイムリミットは今から四十八時間後、明後日の水曜日の十二時までだ。もし、時間内にすべてのパズルを探し出し、絵を完成させられなかった場合はこの教師を殺す。せっかくだからこのガキも殺そう。その前に弱って死んでしまうかもしれないがね。くどいようだが、妙な動きをしても、二人の命はないと思ってくれたまえ。
もちろん参加、不参加は自由だ。帰りたい生徒がいれば、この時点で帰ってもらってもいい。だが私たちの本心を言えば、全員で力を合わせ、勝負に挑んでほしいね」
男はそこでことばを区切ると大きく息を吸い込み、こう続けた。
「パズルのピースは、君たちがいるコンピュータールームと、私たちがいる職員室以外のどこかに隠されている。体育館や校舎の外には隠していない。さらに、比較的簡単な場所に隠されているので、四十八時間でも十分に探し出せるはずだ。完成図の見本はないので、枠にはめていく作業が手こずるかもしれない。だが、何せ君たちは徳明館の生徒たちだ。そんなものは簡単にクリアするだろう。
……ああ、そうだ。ゲームの準備を整えている間に思いついたんだが、ゲーム中に私たちにも多少の快楽があっていいはずだな? で、こうすることにした。十二時間毎に、この教師に痛い目に遭ってもらう。それを見せられれば、君たちだって、嫌でももっと急ごうって気になるだろう」
どうせ何を言っても、ルールとやらを変更する気はないんだろう? 茂央は何も口出しはせず、とにかく二千ピースのパズルをすべて探し出す覚悟を決めた。
「それでは準備はいいかな? では、これよりスタートだ。夜の七時に食料を配布する。その時に、また会おう」
「ちょっと待ってください!」
主犯の姿が消える直前に、茂央は叫んだ。
「なんだ」
「こっちの映像は、あなたたちにずっと見られているんですか」
「まあ、そうだな」
「それじゃあこっちが集中できない。この中には女子もいる。こちらのカメラも切らせてもらいますよ?」
そう言うと、主犯はしばらく考える様子を見せた後、フッと鼻で笑った。
「勝手にしろ」
再び画面は真っ暗になり、音声も途切れた。時計の針は、容赦なく秒を刻んでいた。
犯人たちの言うゲームが開始され、五分が経過しようとしていた。本当ならもう既に、十五人で力を合わせてパズルのピースを探し始めていなければならない。にもかかわらず、コンピュータールームは未《いま》だ静寂の中にあり、生徒たちに何の動きもなかった。さすがにこのままではいけないと感じた茂央は、十四人に呼びかけた。
「さあみんな。パズルを探そう。とにかくやるしかないよ。もうこれ以上の犠牲者を出さないためには、僕たちが動くしかないんだ」
静かな口調でそう言うと、まず初めに、いかにも頼りない細い体つきをした舛谷健介が床から立ち上がった。
「そ、そうですよね。僕たちが先生を救わなければならないんですよね」
その時、茂央は舛谷の言動に意外さを感じていた。おかっぱ頭で、垂れ下がった太い眉と、自信のない目をした彼は、普段の学校生活ではいつも引っ込み思案で、大人しい性格だからだ。例えば教師が、この問題を解ける人間はいるかと挙手を求めた時、彼は正解が分かっているにもかかわらず、手を挙げたりはしない人間だった。それに問題を当てられた時などは、小さな声で質問に答える。それには教師も苛《いら》ついた表情を見せる時もあった。恐らく、普通の学校に通っていたらイジメに遭うタイプだろう。だから茂央は舛谷はあまり頼りにならない人間だと思っていた。何かの作業を任せれば嫌な顔を見せずに働きはするだろうが、人をまとめるタイプではないと。が、いざこういう時になると率先して立ち上がって、協力してくれる。それが、茂央には意外だったのだ。
その言葉につられるようにして、中村梓も立ち上がった。
「そうね。やってみましょう、みんなで」
舛谷の次に参加の意を示した中村と目を合わせ、ありがとうの気持ちを込めて茂央は頷《うなず》いた。
中村梓も、舛谷と同様、普段は大人しく、目立つ感じの生徒ではなかった。髪型も、真ん中で分けているだけで、女子にしては地味だし、顔だって、可愛くもなければ不細工でもない。動物に喩《たと》えると、タヌキのようなのんびりとした顔だ。彼女もまた自分から率先して前に出るタイプではない。ただ、正義感は強いらしい。なぜそう思うのかというと、過去、実験を行うために実験室に移動する際、茂央が落としたノートを中村が拾ってくれて、はい、と渡してくれた時があったのだ。そんなエピソードだけで彼女は正義感が強いと決めるのはどうかと思うが、あの時、少なくとも他の者は素通りだった。落ちたノートに一瞥《いちべつ》もくれず、教室を出ていった。そんな中、彼女だけは気にとめてくれた。だからこんな危機に陥った時は、多少は頼りにできるはずだ。
茂央は、落ち込んでいる様子の丹野哲哉にも呼びかけた。
「さあ、丹野君」
すぐに反応は示さなかったが、イスに腰掛けていた丹野は何も言わずに深く頷いた。
「ね? みんなも」
茂央の説得に、一人、また一人と床から立ち上がり、無言ではあるが、パズルを探す意志を見せてくれた。少しずつではあるが、全員の気持ちは一つに固まろうとしていた。が、その時だった。大平陽子がすっと立ち上がった。
「私は、帰らせてもらうわ。どうしてこんなゲームをしなくちゃならないの? 時間の無駄よ。だったら家で勉強をしていた方がましだわ」
耳を疑うようなその発言に、茂央は呆《あき》れてしまった。そういう人間だと、内心では思っていたのだが。
大平陽子の父親は有名な政治家で、テレビにもちょくちょく出てくる。言うまでもなく大金持ちの娘であった。小さな頃から甘やかされて育ってきたらしく、女王様かお姫様と勘違いしているのか知らないが、自分の意見と少しでも違えば、絶対に動かないようなタイプだった。つり上がった目が印象的で、いかにも冷徹そうな印象を受ける。教師も、大平の父親が有名な政治家だと知っていて、校長からの指示なのかどうか、大平に遠慮しているのは明らかだった。他の生徒と接する時とは違い、大平には口調も優しく、丁寧で、どっちが生徒だ、と疑うくらいだ。もちろん大平個人というより取り巻く環境が悪いにしても、自分中心で、冷たい心の持ち主だとここで証明されたわけだ。
「そんなことを言っている場合じゃないでしょう。先生と三留君が殺されてしまうかもしれないんだ」
「あの男は、帰りたい者がいれば帰っていいと言った。だから、ここで別に引き留められる理由はないわ」
「だからって……」
茂央が言いよどんでいると、大平はハッキリとこう言い放った。
「別に先生が殺されようが、私には関係ない。自分の将来の方が、私にとっては大事なのよ!」
人の命より、自分の将来の方が大事だと?
「じゃあ大平さんは、三留君が撃たれた時、何も思わなかったのかよ!」
そう問い詰めると、さすがに大平も黙り込んでしまったが、引き留めることはできなかった。
「そんなに言うなら、あなたたちがせいぜい頑張って助けてあげればいいんじゃないの?」
捨て台詞《ぜりふ》を吐いて、コンピュータールームから出て行く。
「大平さん!」
茂央も急いで廊下に出たが、大平は一度も振り返らず、階段を下りていった。
「なんでだよ……」
確かに安田は成績だけで人を判断する人間で、とてもいい先生とは言い難い。でも、安田だって三留だって一人の人間だ。人の命がかかっているのに、どうしてあんなにも無関心でいられるんだ? 激しい憤りを感じながら部屋に戻ると、今度は井桁健一が立ち上がり、弱々しくこう言った。
「僕も帰ります。塾だってあるし、帰らないとお母様も心配するから……それに危険な目には遭いたくないし」
そのことばに、茂央は呆然《ぼうぜん》とした。
「さっきと言っていることが違うじゃないか! パズルを探して、先生と三留君を助け出すんじゃなかったのか?」
「いや……でも、僕は……僕は……あまり三留君のことを知らないし」
「知っているとか知らないとか、そういう問題じゃないだろう!」
その情けない姿を見て、茂央は深いため息を吐いた。
井桁健一は、天然パーマを強引に真ん中で分けた髪型が特徴的な生徒だ。長細い顔に愛想のないブスッとした表情、そしておまけに野暮ったいメガネをかけた、いかにもガリ勉タイプ。見るからに臆病《おくびよう》だが、現に授業中に発言しても、モジモジとして、ハッキリとしない性格だった。自分一人では何事も判断できないらしく、母親を理由にして逃げることが多かった。授業の時間が足りなくて追加授業を行う際も、お母様に今日は早く帰ってこいと言われたので帰りますと、足早に教室を出ていってしまったほどだ。恐らくあのときも、塾に遅れるとは言いにくくて、親のせいにしたのだろう。要するに、母親から離れられない、重度のマザコンだ。もちろん茂央も人のことは言えないが……。
だから先ほど大高の意見に反対だと声を上げたとき、意外だと、感心すらしていたのだ。
それが、結局はこれか。
「じゃあ」
と、頭をかきながら申し訳なさそうに部屋から出ていく井桁を、茂央はもう引き留めなかった。何を言っても無駄だと思ったからだ。それよりも、帰っていった二人と同じ気持ちの者がいるのではないかと、心配だった。
「長野さん。まさかあなたまで、帰るなんて言わないですよね?」
三留が撃たれた時、真っ先に部屋から飛び出そうとした長野邦子に、念を押すようにそう問うと、長野は俯《うつむ》いたまま小さくこう言った。
「私は……探します」
茂央はそれを聞いて、ホッとした。もう誰にも、帰るなんて言ってもらいたくはなかったのだ。が、それは甘かった。このクラスは、そう簡単に動く人間ばかりではなかった。
「でもさ、やっぱり大平と井桁の意見が正解だと思うけどね、僕は」
背中に嫌みをぶつけられ、振り向くと、声の主が大高だと分かった。
「どういうことだよ」
薄情な二人に怒りを感じていた茂央の口調も、知らずに強くなる。
「誰だって自分が大事だろ? 帰るのは当たり前さ。帰っていいって言われているんだからな。わざわざ二千ものパズルを探す必要はない」
「だから?」
強気な態度に出た茂央に、大高も軽いノリで返す。
「僕も帰るよ」
そしてそのまま、有無を言わさずドアの方に向かっていく。
「大高君!」
「え、そ、それなら私も帰るわ。怪我なんてさせられたら、たまったもんじゃないし」
内田も立ち上がり、大高に続く。
「じゃあ……僕も。こんな怖い所に、いつまでもいられないよ」
どさくさに紛れて、神谷まで逃げようとする。
「ちょっと三人とも!」
呼び止めても、三人の気持ちは変わらない。残っている生徒の方に視線を戻すと、残るか、帰るか、迷っている者もいる。
これじゃあ絶望的だ……。
その時、中村が言った。
「本当に帰っても大丈夫なのかしら?」
その言い方に、三人の足が止まった。大高の顔が、微《かす》かにひきつる。
「何が言いたい?」
「もしここで帰ってしまえば、あなたたちをマスコミはどう報じるかしら」
と返した。
マスコミ、という単語に、三人はギクリとなり黙ってしまった。
「同じクラスだった生徒を、そして担任の教師を見捨てて帰っていった者たち、と書かれるんじゃないかしら」
そうか。その手があったかと、茂央もその意見に便乗する。これなら帰る者を引き留められるかもしれない。
「た、確かにそうだね。ここで帰ったら、後の人生に傷が付くかもしれない。あの事件で、仲間を見殺しにした奴だってね」
普段、茂央はこんな意地悪を言わないし、言えない。だが今は仕方がないのだ。帰ってしまった大平と井桁はもう諦《あきら》めるとしても、せめてこの三人には残ってもらわないと、助けられる命も助からなくなってしまう。
「それでも帰るって言うなら、僕はもう止めはしないよ。薄情者と思われてもいいなら、出ていけばいいさ」
その言葉がとどめとなった。しばらく考え込んだあげく、現時点で逃げるのは得策ではないという結論にいたったのだろう。大高も、内田も、神谷も、クラスメートの輪に戻った。が、負けを認めたくなかったのか、どうしても何か言いたかったのか。代表して大高が嫌みたっぷりに負け惜しみを吐いた。
「上手《うま》いことを言って僕たちを引き留めたな。褒めてやるよ」
茂央にしてみれば、負け惜しみにしか聞こえなかった。三人の気持ちがどうであれ、残ってくれただけで、ありがたい。
「湯浅君。二人が帰っちゃったのは仕方ないわ。とにかくこの十三人で、パズルを探しましょう」
中村梓にそう言われ、茂央も帰った二人のことは忘れて気持ちを入れ替えようとした。
「そうだね。時間だってどんどん過ぎていくわけだし、十三人で力を合わせるしかない」
「けど、全員で校舎中を闇雲に探したって効率が悪い。役割分担をした方がいいでしょう」
神谷健太郎の意見に、茂央はもちろん、と言葉を返した。
「じゃあ、どうする」
大高雅規にそう尋ねられ、茂央は黒板に向かいチョークを手に取った。
「まず、同じ場所を探さなくてもいいように、指令役を一人ここに残した方がいいと思う。指令役に電話して、どこどこにパズルがあったとやりとりして、その情報を皆で共有すれば、いちいちここに戻ってくる必要もない。指令役にはパソコンで、簡単なものでいいから校内の見取り図を作成してほしいんだ。その図にパズルのあった場所を順次記録しておけば、全員が把握できるから」
「そうね。確かにここに一人は必要ね」
中村梓が納得するように頷《うなず》いた。
「後は、誰が何階を探すかを決めましょう。今は各階に均等に人数を振り分けた方がいいと思う。校内の部屋の数は、トイレなどまで入れると、五十以上はある。それ以外にも、下駄《げた》箱や非常階段といったスペースがあるので、しっかりと担当部分を決めなければ混乱してしまうはずだ」
茂央が記憶を頼りに校舎の内部を描きながら丁寧にそう言うと、丹野哲哉や中村梓が積極的に手を挙げてくれるなど、役割分担はスムーズに進んだ。茂央と丹野と梅崎美保が一階担当に、神谷健太郎、飯川龍一、中村梓が二階を、大高雅規、内田清美、植村恵美が三階、長野邦子、滝川敬子、塚越大輔が四階に決まった。その中で探すスペースをどうするかは、各階メンバーに任せた。重要な指令役は、機械をいじるのは得意なので、その分野は僕に任せてくださいと挙手した舛谷健介に決まった。
「ちょっと待ってくれよ」
何か文句でもあるのだろうか。大高が、口を開いた。
「どうしたの? 大高君」
舛谷が尋ねると、大高は、露骨に不機嫌な態度をとる。
「どうして僕が汚いトイレから探さなければならないんだ。不公平じゃないか」
こんな時に子供のようなことを言うのはやめてくれ。
「仕方ないじゃないか。決まってしまったんだ。それに、何もトイレだけをやってくれというわけじゃない。他にも探してもらわないといけないんだから」
「君は一階の下駄箱からだろう? だからそんなことが言えるんだ。いきなりトイレから始まる人間の気持ちなんて分からないだろう」
こいつと討論しても時間の無駄だ。
「とにかく、決められた場所からやってください。以上」
と、強引に会話を終わらせた。
「何だよまったく……」
大高はまだブツブツと文句をたれている。が、それ以上は何も言ってこなかった。
茂央は、次の作業に移った。
「じゃあ、みんな。自分の携帯電話の番号を、黒板に書いてくれるかな? その方が登録するのも早いだろうし」
そう言うと、みんなはチョークを片手に自分の番号を書き、クラスメートの番号を自らの携帯に登録していった。これで、みんなと連絡が自由にとれる。
ようやく、十三人の準備は整った。
「それと舛谷君。コンピュータールームのマイクとカメラを切ってもらえますか? さっきも言ったように、こちらの音声と画像が職員室に伝わるのは精神的に辛《つら》いので……」
茂央がそう頼むと、舛谷は、分かりましたと頷いた。
「あ! そうだ」
まだやり残していることに気がつき、茂央は両手をパンと合わせた。
「どうしました?」
と舛谷に尋ねられ、茂央は、
「一度、A組に戻ろう。僕らの鞄《かばん》の中に隠されているかもしれないからね。そこだけは、自分で確かめたいだろ? 他人に中を覗《のぞ》かれるのは嫌だろうから」
「それはそうね。この中に信用できる人間なんて一人もいないんだから」
内田清美の言葉に、茂央は苦笑を浮かべた。
「まったくだ。大事な物を盗まれたりでもしたら、たまらないからな」
と、相変わらず感じの悪い大高である。だが、その険悪なムードを舛谷が紛らわせてくれた。
「と、とにかく行きましょう」
茂央は頷く。
こうして十三人は、コンピュータールームから三年A組に戻った。
教室の扉を開けると、中の風景は出ていった時と微妙に変化していた。放送が流れた時、みんな混乱していたので、机やイスは通常の位置からずれていたはずだ。それが今は、綺麗《きれい》に並べられている。もちろん犯人たちの仕業だろう。
この中にも、パズルが隠されているわけだ……。
茂央は、教室全体を見渡したが、すぐ止めた。教室の方はこの階の担当に任せて、今は自分の鞄をチェックしなくては。
もう既に各自、鞄の中身を調べている。茂央もみなに少し遅れて、自分の机に歩を進めた。
鞄を手に取り、開けてみる。普通の高校生のように、ウォークマンやミニゲーム機などが入っているわけでもなく、ノートや教科書類だけという、およそ面白くもない中身だ。どこをどう探しても、パズルは隠されていないようだ。
「おい、みんな」
茂央が机に鞄をかけていると、大高が全員の注目を集めた。
「このメガネを見てくれ」
何事かと思えば、ケースにはいったメガネをかかげている。
「これは僕がコンタクトを無くした時のような非常時に使っている高級なメガネだ。もしこれが無くなったりでもしたら、僕は真っ先に君たちを疑うからな」
そんな物、誰も盗まないよ。茂央は呆《あき》れた。
「私のこの香水を見て!」
今度は長野邦子が声を上げた。
「これはママから買ってもらった超高級品なの。絶対に盗らないでね」
「私のこの手帳もそうよ。ブランド品なんだからね」
最後は内田清美だった。この三人はただ持ち物を見せびらかしたいだけなんじゃないか。
この十三人で本当に大丈夫なんだろうか。
飯川龍一は、鞄の中に入れていたのであろうスナック菓子を食べているし、植村恵美は手鏡で髪をいじっている。神谷健太郎に至っては携帯電話の画面を何やら真剣に見つめている……みんな好き放題だ。
「それで……パズルはなかったんだよね?」
確認しても返事はない。誰の鞄にも隠されていないようだった。
「じゃあ、ここで分かれよう。犯人たちは僕らに危害を加える気はないと言っていたけど、本当かどうかは誰にも分からない。みんなも気をつけて」
茂央は全員にそう注意して、それじゃあ行こう、と口火をきった。それが号令となり、十三人は校舎中に散らばった。
とうとう、犯人たちとのゲームが幕を開けたのだった。
一方その頃、三年A組がコンピュータールームから出たと、偵察を命じていた仲間から知らせを受けたリーダーの男は、人質に取っている安田の元に歩み寄った。
「先生。良かったですね。あなたの受け持つ生徒たちが今、あなたのために動き出したそうですよ」
安田はもがきながらモゴモゴと何かを言っている。
「何です? 助けてほしいですか? もちろんそれは、あなたの生徒たち次第ですよ。彼らが私たちとの勝負に勝てば、あなたは助かる。ですがもし、四十八時間以内にパズルの絵を完成させられなかった場合は――」
そこで主犯は言葉を切って、血まみれになって苦しそうに息をしている三留を指さした。
「あの子より、もっと辛い目に遭う羽目になりますね」
安田は恐る恐る三留に視線を移すと、ガタガタと震えだした。
「嫌でしょう? ですがとにかく自分の生徒たちを信じて、待つしかない。運命に任せるのです。四十八時間後が本当に楽しみですね、先生」
男はそう言うと、安田の額にいきなり銃口を突きつけた。
次の瞬間、ニヤリと微笑む。
「ジョークですよ」
3
茂央は三年A組の教室に戻った際、校庭の様子を確認していた。警察は既に学校に到着しており、事件の対策を練っている様子だった。外に追い出された生徒たちは自宅に帰されたようで、グラウンドに残っているのは、大勢の警官と背広を着た少数の刑事らしき男たち、さらに教師だった。当然、帰っていった大平陽子と井桁健一からは中の様子を訊《き》いているだろう。今は打つ手を探っている、というところか。自分たちを心配している風を装い、何だかんだと言って逃げていった今野聖子に、茂央は一応、携帯電話で連絡をいれた。
「もしもし? 今野先生ですか?」
静かな声でそう確認すると、誰もいない教室に、今野の声が洩《も》れた。
「湯浅君! みんなは無事なの?」
今野の一つひとつの言葉が、疑わしく思えてしまう。あの時、僕たち全員を置いて逃げたではないかと。
「僕たちは大丈夫です。それよりも」
「大平さんと井桁君に大体は聞いたわ。三留君が……撃たれてしまったこともね」
茂央はあの時の映像を思い出し、深く目を閉じた。
「彼には何の罪もなかったんです。それなのに奴らは」
あの時、自分たちが素直に犯人の指示通り動いていれば、三留は撃たれずに済んだのではないか。茂央は改めて責任を感じた。
「僕たちがいけないんです。もっとうまく対処していれば、三留君は」
「湯浅君。そんなことを今悩んでいても始まらないわ」
そんなこと? それはどういう意味だ。
「確かに三留君のことは悔しいけれど、安田先生を救えるのはあなたたちしかいない。分かるでしょ? 安田先生は優秀な先生なのよ。この学校には絶対に必要な教師なの。これ以上、犠牲者をださないためにも、お願いだから犯人の言うとおりに動いてちょうだい」
茂央は今野の言葉を遮り、
「分かってます。とにかく今は犯人たちの言うとおり、僕たちは動きます」
と、強くそう言った。
「ええ。お願いね」
「だから、先生」
「何?」
「もう警察の人たちが来ているようですが、絶対に動かないよう言ってください。奴らは安田先生と三留君をずっと監視しているし、しっかり武装もしています。近づいたら本当に危ない。奴らは平気で人を撃ったりできるんだ。無茶な動きをすれば、人質が殺されてしまう。必ず僕たちがこの二日間で安田先生と三留君を救います。それを信じて、待っていてください」
茂央の言葉に今野は少々の間を置いて、わかったわ、と言った。
「それじゃあ」
窓から校庭の様子を確認しながら電話を切り、茂央は持ち場の一階に急いだ。
三階の男子トイレを任され、現場に到着した大高雅規は、こみ上げてくる苛立《いらだ》ちを抑えられず、目の前にあったプラスティックの小さなゴミ箱を思いきり蹴飛《けと》ばした。
カランコロンと音を立て、ゴミ箱は床を転がる。
「くそ!」
大高は拳《こぶし》を握りしめ、悔しさをあらわにした。
「ちくしょう……」
どうしてあいつが全員の前でリーダー面するのだ。みんなもみんなだ。どうして湯浅が仕切っていることに何も言わないのだ。本当なら、この僕が先頭に立つべきなのだ。それなのに、それなのに!
まん丸とした腫《は》れぼったい顔に、点のような小さな目と、大きな鼻。まるでコアラのような顔をした大高雅規は、物事をすぐに諦《あきら》めるところがあった。逆に言えば、無駄な時間と能力を使うのが嫌いな、合理性を何よりも重んじる性格だった。この頃、少し太ってきているのを気にして、自分なりにダイエットをしてみたのだが、効果がすぐには出ず、やはり諦めてしまったように。
小さな頃から運動は苦手だったが、勉強に関しては誰よりも優れていた。だから徳明館に入るまではずっとクラス委員長を務めていたし、生徒会長でもあった。体育祭や文化祭といった学校行事ではクラスの先頭になってみんなをまとめてきたのだ。担任だって、毎日のようにお前は偉いと褒めてくれていたし、教師たちの評価も高かった。だから自分はみんなに頼りにされているし、特別な存在なんだと思い込んで生きてきた。
だが、徳明館に入ってから、その注目度は薄れた。目の前に、湯浅茂央が立ちはだかったからだ。彼は自分より成績が良くて、担任の安田にもちやほやされていた。それが堪《たま》らなく悔しかった。だから絶対に追い抜いてやろうと思った。彼を見下したかった。そうすれば、全員の視線が自分に集中するはずだった。しかし、何度やっても、結果は同じだった。あらゆるテストで、彼に勝てないのだ。その度に自分の部屋に閉じこもり、次は必ずと復讐《ふくしゆう》を誓うのだが、どうしてもあと一歩およばない。だからこそ湯浅がこうしてリーダー面するのが、いっそう許せなかった。
あいつには、絶対に負けない。
と言っても、今のままでは、全員の視線はこちらには向かないだろう。それならばせめて、湯浅より多くのパズルを見つけだしてやろう。そうだ、湯浅より早く、最初の一ピースを発見するんだ。
そうだ。それで満足できる。安田や三留の命より、僕にとっては湯浅に勝つ方が大事なんだ。それに、このゲームに参加すれば、世間はどう見るだろう? 人質を救った生徒の一人だと持てはやされ、自分のポイントがアップする。そうすれば僕にも箔《はく》がつく。
あの時、帰らなくてよかった。ここでパズルを探すのは、案外、悪くない。少なくとも損はないだろう。まったく大平と井桁は馬鹿なんだよ。後のことを考えれば、ここにいた方が得なんだ。
よし。やるぞ。
そう意気込んだ大高は、トイレの中を探し始めた。
まずは転がったゴミ箱の中を覗《のぞ》いてみたが、それらしき物体は、ない。
次に手洗い場の辺りをくまなく探してみたが、見つからない。
「あああ……もう!」
大高は焦る。
これじゃあ、湯浅に先を越されてしまう。
それ以前に、どうして僕が汚いトイレなんかを担当しなければならないんだ。馬鹿にするにも程がある。何が、狭い所から探していくのも効果的なのでは? だ。あの湯浅のくそ野郎。他の奴らは保健室や音楽室といった広い部屋から始めているじゃないか。
あいつ、絶対僕に恨みがあるんだ。
「次……次は……」
狭い空間でクルリと回った大高は、ゼリー状の芳香剤に目をつけた。
あるわけ、ないか。
まあとりあえずは調べてみようという気持ちで、大高は芳香剤の蓋《ふた》をパカッと開けてみた。すると、どうだ。とうとうパズルの一部が姿を現したのだ。
「よし……よし! やったぞ! 見つけたぞ見つけてやったぞ!」
興奮していた大高は、まずは報告だと、ポケットの中から携帯電話を取りだし、コンピュータールームで待機している舛谷に急いで連絡を入れた。
ツーコール目で、舛谷の声が受話器から聞こえてきた。
「もしもし? 舛谷君?」
「大高君ですね? こんなに早く、どうしたんです? 何かありました? まさか、もう見つけたんですか?」
驚きを隠さない口調で訊《き》いてくる舛谷に、大高はまず、こう尋ねた。
「僕が一番かな?」
さすがにいやらしいかも、と思ったが、そう訊かずにはいられなかったのだ。
「もちろんそうですよ!」
「じゃあ……湯浅君からも何の連絡もないんだね?」
「そうですね。まだです」
その答えが返ってきた途端、大高は小さくガッツポーズを取った。
よし。僕の勝ちだ。
「大高君?」
満足感に浸っていた大高は、舛谷の声で我に返った。
「ああ、ごめんごめん」
「で、どうしたんです?」
改めてそう訊かれ、大高は誇らしげにこう言った。
「初めの一ピースを見つけたものでね。急いで連絡をいれたんだ」
「そうでしたか。でも連絡するのは、その場所から次に移動する時でよかったのに。そうじゃないと大変でしょ」
「そ、そうだけど……最初のピースだけは、とりあえずって思ったんだ」
苦しい嘘をついている自分に、少し情けなくなった。
「それはそうですね。皆も元気づくはずです」
「じゃあ、また連絡を入れる。舛谷君も頑張って」
上機嫌の大高は、偉そうな口調で舛谷にそう告げると電話を切った。そして湯浅より多くのパズルを見つけだすべく、トイレ内を精力的に動き回った。
そうだ。あの中には結構ありそうだな。
掃除用具入れに目を付けた大高は、扉を開けて中を調べた。モップの毛の所に一ピースがポトリと落とされているのがすぐに視界に入り、大急ぎでそれを拾い上げる。
よし。順調に見つけている。
これなら湯浅に、勝てそうだ。
密《ひそ》かに大高からライバル視されているなど知る由もなく、茂央は生徒たちが使う一階の下駄《げた》箱に向かった。その途中で職員室の前を通らなければならないのだが、見張り役が一人、銃を片手に、扉の前に立っている。もし誰もいなければ、中の様子をなんとか覗いて確認したかったが、そうもいかない。素通りするしかなかった。
見張りと目を合わさず、そそくさと茂央は下駄箱に向かった。
大きなマンションの集合ポストのように、生徒たちの使っている下駄箱は整然と並んでいた。こんな分かりやすい場所に、犯人たちがわざわざパズルを隠しているだろうか?
首を捻《ひね》りながらも、茂央は一つ目の下駄箱を開けた。すると。
「え、ええ、嘘? これって……」
驚いたことに早くも一ピースを見つけたのだ。上履きの中にちょこんと置かれていたパズルを摘《つま》み、確認してみた。
何の絵なのかはさっぱり分からない。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。茂央は次々と下駄箱の蓋を開けていく。
これで、本当に奴らがパズルを隠しているのがわかった。
「ここにもあった!」
犯人たちの言うとおり、パズルは宝探しの宝のように難しい場所ではなく、しかもあっさりと隠されている。五つくらい開けていくごとに、一ピースの割合で発見できたのだ。
「まただ! ここにも」
一年生の下駄箱だけで、既に二十ピース近くがポケットの中にしまい込まれた。
考えてみれば、当たり前だ。犯人たちだって、あの短い時間内に二千ピースものパズルをいちいち分かりにくい所に隠すのは不可能だった。だから適当に、簡単な場所に隠していったのだろう。
隠し方がこの程度なら……みんなも、既にたくさんのパズルを見つけているはずだ。
茂央は次々と下駄箱を開けていく。残りの二年生と三年生のスペースで、二十ピース余りを追加した。
もしかしたら、いま自分が踏んでいる簀《す》の子の下にもあるかも。茂央はすべての簀の子を両手で順番に持ち上げてみた。
案の定、そこには五つのピースがあった。
茂央はそれを無言で拾い上げていく。
勢いにのった茂央は、下駄箱の横にある小さなゴミ箱の中も覗いてみた。が、一階の掃除係が集めたのであろう大量の埃《ほこり》ばかりで、パズルは隠されていなかった。
「次は……」
下駄箱周辺を見渡すと、生徒用の傘立てが飛び込んできた。
あるかもしれない。
ずっと以前に忘れ去られた、何本もの傘を抜き取ってみた。が、傘立ての底には一ピースも隠されてはいなかった。
それならばと、今度は重い傘立てを両手で持ち上げてみる。すると予想通り、三ピースも下に隠されていた。
「あったあった!」
それをポケットにしまい、さらに隠されていそうなところを探す。が、下駄箱の周りで目立つ所はもうなかった。
「よし。とりあえず、次の場所へ行こう」
まだこの下駄箱で見落としている可能性はある。だが、指令役の舛谷に発見箇所を詳しくインプットさせれば、次はもっと範囲を狭めて探しにこれる。今はより多くのパズルを見つけるのが先決だ。まずは、分かりやすい場所からどんどん潰《つぶ》していくしかない。
茂央はポケットから携帯電話を取りだし、コンピュータールームに残っている舛谷に電話をかけた。
「はい。舛谷です」
「湯浅です。どう? もう誰かから連絡は来てる?」
「ええ。四階にいる塚越君が音楽室で、三十三ピースを見つけたそうです。彼は今も音楽室にいるそうです。後は同じく四階にいる滝川さんが、女子トイレで二十五ピースを見つけたそうです。それと、三階にいる植村さんですね。途中経過ですが、実験室で五十ピース以上探し出したと報告が来てます。ああ後、意外な所にも隠されてるから気をつけるようにって、飯川君から連絡がありました」
「意外な所?」
「彼は、消火器の取っ手で一ピースだけ発見したそうです。だから気をつけた方がいいと」
「わかった。でも、舛谷君ただ一人で、発見場所の管理は大丈夫かい? 大変じゃないかな」
「それなら任せてください。細かい場所まで、ちゃんとインプットします」
「そうか。頼むよ」
「湯浅君はどうでしたか? まずは下駄箱でしたよね?」
「ああ。四十ピースくらいを見つけられたよ」
「そうですか。それで、詳しい場所は」
「一年生から三年生のすべての下駄箱は確認した。それと簀の子の下、ゴミ箱、傘立て周辺だね」
「以上ですか?」
「うん。次は、職員用トイレにでも向かってみようと思う」
「分かりました。それではまた連絡をください」
通話を切った茂央は、携帯電話をポケットに戻し、歩みを再開させた。
職員室の隣にある職員用トイレの扉を開けると、同じく一階を担当している丹野哲哉とバッタリ会った。
ハリネズミのように、ツンツンと立たせた短い髪の毛。凍り付いたような目に、薄い唇。まるで殺し屋のような顔つきと、がっちりとした体形……彼は普段、渋い二枚目俳優が演じている人のように見えた。クールな性格で、頭も切れるため、むしろ近寄りがたいほどだ。だから茂央は今まで、丹野を、つき合いの難しそうな人間だと決めつけていた。心の中もクールなのだと。だが、それは違った。相当、三留のことで罪悪感があるようで、丹野は狭いスペースで一生懸命、パズルのピースを探していた。
「丹野君……」
普段はクラスの全員を敵として見ているように思っていた彼がこうやって協力してくれているのが、茂央にとっては嬉《うれ》しかった。
「どう? いくつか見つけられた?」
そう訊《き》くと、丹野は握りしめていた右手を開き、何も言わずに中を見せてきた。
「すごいじゃない! 十ピース以上はあるよね」
茂央がそう言うと、ずっと黙っていた丹野は、ボソッと言った。
「でも、まだ探し始めたばかりだから……もっと見つかると思う」
「そっか」
「ここは僕がやるから。君は違う場所を頼む」
モゴモゴとした口調でそう指示され、茂央は了解した。
「じゃあ、僕は一年A組の教室を探しに行くよ。ここを頼むね」
そう告げると、丹野は返事をせず、こちらに背中を向けて探す作業を再開した。態度は無愛想でも、それが彼なりの返事だってことぐらいは茂央も分かっていた。
さあ、次の場所へ行こう。
職員用トイレから出た茂央は、一年A組に移動した。その途中の流し台で、偶然にもたわしの上に一ピースがちょこんと置かれているのが目に留まり、茂央はポケットの中に大事にそれをしまったのだった。
一方、一階の保健室を任された梅崎美保は、必死になってパズルを探していた。少しでも手を休めると、三留の惨劇の映像が、蘇《よみがえ》ってくるのだ。
凶悪犯に体をおさえられ、ばたつく三留。そして、銃口を向けられ……。
血が、飛び散る。
「いや……」
思い出したくないと頭の中では拒否しているのだが、無意識のうちに悲惨な場面を蘇らせてしまう。美保は、頭を激しく横に振り、作業を再開させた。
そうだ、違うことを思い浮かべようと自分に言い聞かせる。すると今度は母の言葉が、頭に響いてきた。
『勉強しなさい勉強を! 人生なんてのは学歴で決まるのよ!』
美保は、教育熱心だった母に幼い頃から英語や数学を叩《たた》き込まれた時の苦痛を思い出していた。
『どうしてこんな問題もできないの、アナタは!』
一問でも間違えると、母は右手を思い切りはたく。そのたびに美保は鉛筆を落とした。
『ほら! しっかりと鉛筆を握るの! 何度言っても分からない子ね!』
母が怖くて、美保は必死になって問題を解いた。でもまた少しでも間違えると、今度は母からのビンタが……。
身を震わせ、美保は我に返った。
梅崎美保は責任感が強く、言われたことや任されたことはとりあえずしっかりとこなすタイプだ。
生まれつき体が小さくて、クラスメートによくいじめられた。反論できず、ずっと我慢をしていたせいか、それとも母の異常ともいえるほどの躾《しつけ》のせいか、美保の表情は、いかにも強情そうなものになっていった。長い髪を後ろで一本に結ぶ髪型は、ずっと変わらない。それは、母の強制だった。ゴムで髪の毛を束ねなければ、勉強の邪魔になると。だから美保はいつも、予備の髪留めを手につけている。
小学校に上がった頃から、両親には勉強、勉強と厳しく命令されていたので、勉強は好きでもなかったが、忠実にこなしてきた。そしていつの間にか徳明館に入っていた、とそんな感じだった。ただ、気の利かないところが多々あり、他人に迷惑がられがちなのだ。例えば、言わなくてもいいことばを最悪のタイミングで言ってしまっていたりとか。両親が不在で、弟が部活から帰ってくるのが遅いとき、弟が毎週楽しみにしている番組を、いつもは頼まれていたからビデオに録っていたのだが、その日は言われていないのでビデオに録っていなかったりとか、という具合だ。もう少し気を利かせろ、と昔からよく言われている。
が、今は気を利かせる、とかそんな場面ではない。とにかく、作業を進める、それでいい。いやそれ以前に、三留が撃たれた映像を、忘れていたい。パズルでも探していないと、気が紛れない。
「忘れよう……忘れよう」
具合の悪くなった生徒が休むベッドの下には、三ピースものパズルが隠されていた。その周辺をくまなく見ていけば、まだありそうだ。
「そっか。枕の下」
そう呟《つぶや》いた美保は、枕をヒョイと持ち上げた。すると予測通り、小さいパズルが一つ隠されていた。それをブレザーの中にしまう。
毛布の中はどうだろう。ベッドから毛布をバサッとはいだ。が、そこには真っ白いシーツが敷かれているだけだった。
それなら、シーツもはがしてみよう。
早速、皺《しわ》もなく綺麗《きれい》に敷かれているシーツをはぐ。が、結果は同じだった。
ベッドに執着するのはやめよう。
もっと視野を広げようと思った美保は、救急箱に目をつけた。
あの箱の中になら、いくつかありそうだ。
美保は三段に分けられている救急箱の一つ目の段を調べた。だが、絆創膏《ばんそうこう》や包帯ばかりで、パズルの破片らしきものは見当たらない。
二段目。
「あった!」
湿布が占拠している二段目を開けた途端、一ピースがいかにも適当に隠されていた。最後の三段目。ピンセットやハサミと一緒に、そこにも一ピースが入っていた。合計で二ピースの収穫を得られた。
「次は……」
冷蔵庫か。
さすがに無いだろうか。いや、どうせ探すのなら全部調べよう。
まず上段の冷凍庫の扉を開けた。ヒンヤリとした冷気が顔にかかり、美保は目を細めた。アイスノンをどかしながら、パズルが隠れていないかを調べる。
ない。
じゃあ冷蔵庫の方はどうだろう。美保は下段の扉を開いた。
やはり、ない。
と思った矢先、ずらりと丸いへこみが並んだ、卵を入れる部分になんと一ピースが隠されていた。これには美保も驚いた。
こんな所にも隠されているのか。
なら、冷蔵庫の下はどうだろう。美保はよつんばいになり、冷蔵庫の下を覗《のぞ》いてみた。
暗くて、あまりよく奥が見えない。それに、すごく埃《ほこり》っぽい。ここにはなさそうだ。
ため息を吐き、立ち上がろうとした瞬間――冷蔵庫からウィーンというモーター音が鳴り出した。美保はハッとなり、思わず尻餅《しりもち》をついてしまった。
「痛い!」
顔を顰《しか》めながら立ち上がり、スカートをはたいていると、偶然、座高測定器が視界に入った。なんとその座る部分に、パズルがあからさまに置いてあるのだ。
どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。もっと頭を柔らかくした方が良さそうだ。
意外な場所にもパズルが隠されていることを知った美保は、それ以降、テーブルの上に置いてあるプリントの下から、また台所に置いてあった空の薬缶《やかん》の中から見つけたりと、気がつけばブレザーのポケットはパズルで一杯になっていた。
これでほとんどの箇所は調べたはずだ。次の場所に移動してみようか。
そう決意した美保は、携帯電話を手にとって、やめた。
別にいま連絡する必要もないだろう。みんなが集まった時に報告したって遅くはない。軽い気持ちで、美保は保健室の扉を開けたのだった。
4
ゲームが開始されてから、早くも一時間が経過していた。こうして時計を確認している間も、秒針は一定のリズムで時を刻んでいく。
後、四十七時間。
まったく、いつまでこうして暇を潰《つぶ》していればいいのだろう。時間なんて早く経っちゃえばいいのに。
四階の補習室を担当していた長野邦子は、机に頬杖《ほおづえ》をつきながら、死んだ魚のような目で時計をじっと見つめていた。
普通の教室と何ら変わりない補習室に入ってから、邦子はまだ一つのパズルも見つけていなかった。それも当然だ。イスに座ったまま、まったく動いていないのだから。
どうして私がこんな地味な作業を手伝わなきゃいけないの? そればかりを心の中でぼやいていた。
『はい、邦子ちゃん。これプレゼントよ。前から欲しいって言っていたでしょう』
こんな時だから、幸せな記憶を思い浮かべてしまうのだろうか。
「ママ……」
あれは確か幼稚園の頃だったと思う。母からもらったプレゼントを開けてみると、可愛らしいお人形が入っていた。それを見た邦子は母の胸に飛び込み、ニヤリと微笑んだ。これまでの人生、すべての人間が邦子の言いなりだった。多少のわがままを言っても、誰もがその通りに動いてくれた。強引に命令すれば、それこそどんな無理難題でも一発で片がついた。
『今からディズニーランドに行きたい! 連れていってパパ!』
『そんな急に言われてもな……』
『今日行きたいの! 絶対よ!』
予定もたてず、当日突然そう言っても、両親は必ず従うのだ。
なぜなら私は王女様だから。
それなのにどうして、私が他人の命令を聞かなきゃならないのよ!
「あ〜イライラする!」
ムシャクシャしていた邦子は、机を強く叩《たた》いて時計を睨《にら》んだ。
全然進んでない! あの時計、壊れているんじゃないの?
長野邦子は、大平陽子ほど大金持ちの家で育ったわけではない。だが、一人っ子の邦子は、両親に欲しい物をすべて与えられて育ってきた。その結果、常に自分が一番だと思い込んで生きてきたのだ。そのせいで喋《しやべ》り方は高飛車だし、普段着だってブランド物でないと気が済まない。幼い頃から水泳をやっていたせいか、髪の毛はうっすらと茶色く、スタイルも良いので、自分でも美人だと思っている。だが、細くつり上がった目と、とんがった口が、わがままな性格を隠し切れていなかった。人を見下すのが小さな頃からの癖で、もちろん、友達などいない。いつも独りぼっちだった。けれど寂しいと思ったことはなかった。むしろ、知能の低い人間が周りから散ってくれてせいせいすると思っていたくらいだ。なのにこんな理不尽なゲームに参加させるなんて、私を誰だと思っているの? と怒りに満ちあふれていた。
確かに三留が撃たれたときは、自分も撃たれてしまうのではないかと恐慌に陥り、逃げだそうとした。けれど今はもう全然怖くないし、三留に対しても何も思わない。
犯人たちは自分たちに危害を加える気は本当にないみたいだし、もちろん安田にだって特別な感情はない。むしろ、嫌いだ。どうなったって興味はない。恐らく、他のみんながなんとかして安田を助けるだろう。だから私は、こうしてじっとしているだけでいい。邦子には茂央たちに協力する気など、まったくなかった。
やっぱり、私も一緒に帰っていれば良かったわ。
だが、大平たちと一緒に帰って、他の人間から顰蹙《ひんしゆく》を買うのは癪《しやく》だった。だからこうして表向きでは仲間のふりをして、パズル探しに参加しているのだ。
けれど……何もせず、この補習室にいるのも限界があった。
暇つぶしに、パズルを探してみようか。
邦子はイスから立ち上がり、補習室内を適当にぶらつきながら、それらしい物はないかと目を配ってみた。実際、床にあるのか? さすがにパズルは落ちてはいない。じゃあ次は、生徒が使う机の上? じゃあ次は……と完全にやる気のない探し方で、邦子は広くもない補習室を彷徨《さまよ》った。だが、これじゃあいくらなんでもつまらないと思った邦子は、今度は机の中を調べてみることにした。一番左の列から順番に見ていく。
ない。ない。ない。
最初の一列をすべて調べたが、パズルのピースらしきものは隠されていなかった。
あああ、いまいましい!
パズルなんて本当にあるの?
もし私を騙《だま》しているんだったら、ただじゃ済まさないから。
邦子はそうぼやきながら、二列目の先頭の机の中を調べてみた。
するとその奥にある、パズルのピースらしき物体が目に入った。
「ん? これかな……?」
あまり視力のよくない邦子は、目を細めながら席に近づいた。中に手を突っ込んでみると、でこぼこで固い感触がある。人差し指と親指で摘《つま》んで取りだしてみると、思った通り、それはパズルの一部だった。
「これね、あいつらが探しているのは」
他人事のように呟《つぶや》く。だが切り離されているパズルの絵をしげしげと見た邦子は、思わず声を上げた。
「え? これ……人間の足じゃないの?」
何がどうなっているのだ? 他のパズルも探してみようと、補習室を動き回った。
このピースにくっつく、足の部分を見つけだせばいい。
そう思った邦子は、補習室のありとあらゆる場所を探しあさった。教卓の中、掃除用具入れ、個人ロッカーの中……気がついた場所はすべて探したつもりだった。その短時間でいくつかのパズルは見つけたのだが、初めに見つけた足の、もう半分を発見することは出来なかった。
何なのよまったく! もうイライラする。
イスにどっかりと腰を下ろし、尊大に足を組んだ邦子は、眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せてイラついた口調で洩《も》らした。
「疲れたわよ、もう……」
一方その頃、二階の教材室にいた飯川龍一は、自分でも意外なくらい、真剣にパズル探しを行っていた。運動能力の高い龍一は、台を使わずにジャンプして、本棚のてっぺんを確認した。が、パズルらしき物は、発見できなかった。だからといって落胆するわけでもない。別に、次の場所を探せばいいのだから。
三人兄弟の末っ子として育てられてきた龍一だが、身長は百八十センチと、家族の中で一番背が高い。顔立ちも整っている。アイドル事務所のオーディションを受けに行っても恐らく合格するであろう、さわやか系だ。
ただ、幼い頃からどこか冷めた部分があった。幼稚園の時には誰もが好むヒーローものにも興味がなかったし、両親にどこかへ連れていってとねだったりしたこともない。何事にも一生懸命になったり、燃えられない性格だったのだ。そのくせ、勉強にしろ運動にしろ努力しているつもりもないのにすべてが上手《うま》くいってしまう。他人からすれば、嫌みな奴と言われても仕方ないタイプだった。中学の時の中間テストでは、まったく試験勉強をしなくても五教科パーフェクトだったし、中学二年の体育祭の時の百メートル走では、陸上部の人間を破って一位になった経験もある。だから自分が本気で努力すれば、クラストップの湯浅よりもずっと優れていると自負している。
だから今回も、ゲームには参加するが、適当な気持ちでやるつもりだった。
が、いざパズル探しを行ってみると、いつの間にやら熱くなっていた。こんなのは生まれて初めてだ。自分でも理由は分からない。もしかしてこれが、人を助けたいという正義感のなせるわざなのだろうか。それともこの、人の命を賭《か》けてゲームをするというスリルに酔っているのか? とにかく、これまでに無いほどマジになっていた。
いや、クラスの人間を意識しているのか?
そうだとしても、無論、自分は誰よりも多くのパズルを探し出せるだろう。その確信は、ゲームが始まる前と変わらない。
「次は、次は……」
龍一は鼻歌を歌いながら、教科書のページの間や、自分の背よりも高い物置の上といった細かい所にまで目を配った。その予測が見事的中し、バラバラにされたパズルをどんどん見つけだしていく。ゲームが開始されてまだ一時間を回ったばかりだというにもかかわらず、教材室だけで六十ピース以上も発見できたのだ。
教材室をぐるりと見渡した龍一が次に目を付けたのは、教師が授業の時に使う大きなコンパスセットの箱の中だった。それを見つけた時点で、必ず何ピースかは隠されていると自信があった。
大きな箱を開けてみる。
「ほら」
思った通りだった。木で作られた大きなコンパスの上に、一ピースが置かれている。
「次は……」
リズムに乗った龍一は、今度は新品のチョークの箱の中を調べてみた。
「あったあった」
まるで、龍一の手の平で逆に犯人たちが踊らされているようだった。予測すればするだけ、パズルが顔を出すのだ。
「次は……」
龍一は三百六十度に目を光らせた。が、教材室のありとあらゆる場所を確認したつもりなので、これ以上はどこにあるか見当がつかなかったし、また隠されているとも思えなかった。
次の場所を探してみよう。
龍一は、教材室を出た。
その前にコンピュータールームにいる舛谷に連絡をしなければならない。ポケットの中から携帯電話を取りだす。
その時だった。
一階から、階段を上るコツコツという靴音が聞こえてきたのだ。
龍一は携帯電話を握りしめながら、階段から目を離せなかった。A組の誰かだろうか――。だが二階に上がってきたのは、まったく予測もしていなかった人物だった。
それは、犯人グループの一人だったのだ。
画面に映っていた時と同じく、迷彩服を身にまとい、顔には覆面を被《かぶ》っている。何より龍一を臆《おく》させたのは、男の右手に握られている拳銃《けんじゆう》だった。
一体、何をしに来たのだ。
少しの間、犯人と睨《にら》めっこが続く。すると犯人の方から一階に引き返していく。だがなぜかそこで龍一は後を追い、まだ踊り場にいる犯人にことばをかけてしまった。
「ちょっと待ってください!」
その声に反応し、犯人は振り返った。
「訊《き》いてもいいですか?」
犯人は何も返さない。
「どうしてこんなことをしたんです。いや、どうして僕たちにこんなゲームをさせるんです?」
必死の問いかけにも、犯人は沈黙したままだった。
結局何も答えぬまま、犯人は踵《きびす》を返し、一階におりて行ってしまった。
見回りに来たのだろうか?
龍一は首を傾げ、舛谷に電話を入れた。
「もしもし、飯川です」
同じ頃、一階の職員トイレを担当していた丹野哲哉は、既に二十六ピースを発見し、さすがにもうこのスペースにパズルはないだろうと次の場所に移動しようとしていた。廊下に出て、舛谷に連絡を入れようとポケットに手を突っ込んだ、その時だ。ふと、職員室の方に目をやった途端、頭の中に銃声が響いた。三留が撃たれた時の光景が鮮明に蘇《よみがえ》る。
あの時、自分が犯人たちを煽《あお》らなければ、あんな事態にならなかったのではないか。三留とはほとんど口を利いた覚えがないし、そもそもクラスをやめさせられるような奴は眼中になかった。けれど彼をあそこまで追いやったのは、自分だ。申し訳ないと思っている。
あれから丹野はずっと、そればかりを気にしていた。みんなの前では努めてどうってことないような顔をしているが、内心はそうではない。いくら他人に興味がない性分とはいえ、今回ばかりはさすがに考えなければならないだろう。もう取り返しがつかないとしたら、パズル探しを真剣にやらなければならない。
「いや……」
自分が事件を解決するくらいの働きをしなければならない。だが、どうやって……。
まずは職員室の中を調べておく必要があるだろう。だが扉の前には監視役が立っている。
丹野はトイレからこっそりと顔を出し、様子を確認した。すると、先程までいた監視役が、なぜかいなくなっているのに気がついた。
行くなら今しかないのではないか?
よし……近づくか。
そう決意した丹野は、ポケットの中でぎゅっと握りしめていた携帯電話を放し、周りを気にしながら、こっそりと職員室に歩み寄る。ドアに耳を近づけた。
すると、犯人たちの声が微《かす》かに聞こえてきた。が、何を言っているのかが分からない。あと一歩が届かないもどかしさに、丹野は苛立《いらだ》つ。
もう少し大きな声で喋《しやべ》れ!
そう願うが、奴らにテレパシーは届かない。
だったら覗《のぞ》き見てやれ。
丹野はゴクリと唾《つば》を飲み込み、そーっとドアに手をかけた。そして、ほんのわずかな力を手に込める。
もう少し……もう少しだ。
指先に、汗を感じる。奴らに聞こえてしまうのではないかと怖くなるくらい、心臓の鼓動は速さを増した。
よし、見えた!
と思った、その時だった。
背中に尖《とが》ったものが、ちょこんと触れた。
その瞬間、ビクッと体を反応させた丹野は、どっと流れた冷や汗で身震いを起こした。
背後に誰かいる。背中に感じるのは、なんだ――
振り向こうとすると、背後からくぐもった声がした。
「なにしてる」
機械のように感情のないその口調に、丹野は男に背中を向けたまま、うまく答えることができなかった。
「いや……ちょっと」
「ふざけた真似はするな。さっさと作業に戻れ!」
丹野はワイシャツの襟を掴《つか》まれ、強い力で投げられた。よろけた拍子に、ようやく男の姿を見ることができた。
やはり犯人グループの一人だ。
拳銃を手にした男はこちらに一瞥《いちべつ》もくれず、職員室の中に入っていった。
くそ。見回りか。
何事もなくて良かった。が、これで職員室には近づけなくなってしまった。
やはり大人しく、パズルを探すしかないのか。いや、自分がどうにかして、事件を解決しなければ……そうは考えるものの、ともかく今は引き下がった方が良さそうだ。
丹野は次の場所に移動した。
午後二時を回った段階で、茂央は印刷室に移動し、パズルを見つけだそうと必死になって動いていた。
これまでの状況からすると、みな順調にパズルを発見できているようだ。だが、こんなにも時間の流れが速く感じられるのは、生まれて初めてだった。アッという間に、二時間が過ぎ去っている。まだ四十六時間の猶予があるといっても、気を抜くことはできない。
「よし。見つけたぞ」
コピー用紙がしまってある棚の所に注意を向けると、一ピースがあからさまにポツンと置かれていた。茂央は親指と人差し指で摘《つま》んでポケットの中にいれる。そして、コピー機のてっぺんの大きな蓋《ふた》を開けようと手を伸ばした、その時だ。携帯電話の着信音が印刷室に響いた。液晶画面を確認すると、母の顔が浮かんできた。
「……お母様」
そう呟《つぶや》いて、茂央は携帯電話を耳にあてた。
「はい。もしもし」
暗い声で応答すると、母のヒステリックな声が耳にキーンと響いた。
「茂央さん? 大丈夫なの? 怪我はない?」
母にそう迫られ、茂央は静かに頷《うなず》いた。
「ええ。僕は大丈夫です。そうですか。もうお母様の耳にも」
「ごめんなさいね。連絡するのが遅くなっちゃって。お友達とお昼ご飯を食べに出かけていたのよ。家についたら先生から電話がかかってきて……どうして茂央さんがこんな目に遭わなければならないの?」
と、母は今にも泣きそうな声でそう言った。
友達とお昼ご飯を食べに行っていた?
本当なのか?
「仕方ありません。こういう事態になってしまったのですから」
「いいえ、あなたがこんな目に遭ういわれはないの! ねえ、茂央さんだけ解放してはもらえないのかしら? 茂央さんに万が一のことでもあったら……」
母の信じられないようなそのことばに、茂央はかつてない憤りを感じた。三留が重傷を負ってしまったというのに、どうしてこの人は――
「それはできません。僕だけ、特別扱いをされるわけにはいきません」
このゲームを放棄するのは自由だ。だが、絶対にそれはできない。
「でも、あなたは他の子とは違うのよ! 上手《うま》く外に出られないのかしら……」
「お母様。僕を困らせないでください。僕には、やらなければならないことがあります。では」
茂央はそう言って、母との通話を生まれて初めて強引に切った。一旦、携帯電話の電源をオフにし、興奮を抑えるために深呼吸した。
いくら母とはいえ、人の命を二の次として考えるのは許せない。それとも、そんな風に思う自分が、このゲームのせいで少しおかしくなっているのか?
いや、くよくよしても仕方ない。今は、とにかくパズルを探すしかない。
そう自分に言い聞かせた茂央は、さっき調べようとしていたコピー機のてっぺんの大きな蓋を開いた。すると四角い枠のど真ん中に、もう一ピースを発見できた。
「よし!」
5
ゲームが開始されてから、既に六時間半が経っていた。いつの間にか外はもう真っ暗になっている。コンピュータールームで指令役として全員の報告を受けつつ、可能なかぎりの指示をあたえていた舛谷は、窓のカーテンをすべて閉めた。そして、パソコンの前に再び腰掛け、現在の状況を改めて確認した。
一階で見つかったピースの数は約二百五十枚。二階では約二百十枚。三階では約二百枚。四階では約百五十枚。
計八百枚ほど。
全体の、およそ四十パーセントが見つかったわけだ。
こうして数だけを聞くと、一階から四階まで、今のところ順調にパズルを見つけだせている。だが、まだ手をつけていない教室やスペースがたくさんある。それに当然のことだが、発見したパズルの数が増えていけばいくほど、残っているパズルは探しにくくなる。
さらに厳しいのは、探してしまえば終わり、とはいかないということだ。集めた二千ものピースを、パズルの完成見本もないのにはめていかなければならないのだから。バラバラにされているパズルを完成させたら、一体どんな絵になっているのだろうか。
残り約四十一時間で、すべてをクリアすることが果たして可能なのだろうか。舛谷はひどく不安だった。
それにしても、と、舛谷は自分の行動に、意外さを感じていた。凶悪犯の人質となった時点で、逃げ出したいという恐怖心ばかりだった。それなのに、湯浅茂央がみんなに決断を迫った時、先頭をきって、立ち上がっていた。体は、震えていたのだが。
小さい頃から犬が大嫌いで、ワンと吠《ほ》えられただけでも縮こまっていた。猫に近寄られただけで、走り出していた。夜のトイレはお化けが出るのではないかと、いつも怯《おび》えていた……というのに、どうしてあの時は。
もしかしたら僕には、伝説の勇者の血が流れているとか?
「バカバカしい……」
とはいっても、自分の予想外の勇気が嬉《うれ》しかった。周りはひ弱な人間だと思っているだろうが、これで少しだけ、自信がついた。少なくとも湯浅にだけは信頼されている。その期待にはこたえなければならない。
突然、コンピュータールームの扉が開いた。まったく警戒していなかった舛谷はビクッと立ち上がった。
「な、なんだ……長野さんか。ビックリした」
部屋に入ってきたのは長野邦子だった。両手をブラブラとさせ、酷《ひど》く疲れている様子だった。
「どうしたの?」
舛谷がそう訊《き》くと、長野はいかにも機嫌が悪そうな目をジロリと向け、
「疲れてるの。休憩」
と言った。
考えてみればそうだ。みんな、パズル探しが始まってから、まったく休憩もしないで動き回っているのだ。自分は何て質問をしてしまったのだろうと、舛谷は深く後悔した。
「そ、そうだよね。休憩しないとね」
長野の機嫌を損ねないよう、おずおずと尋ねる。
「それで、パズルは見つかった?」
イスに腰掛けた長野のブレザーの右ポケットから、二十ピースほどが出てきた。
「す、すごいね。こんなに見つけたんだ。本当にすごいや」
大げさに褒めながら、机の上に広がったパズルの破片を一つひとつ確認していくが、あまりに細かすぎて、わけがわからない。これを組み立てるのは容易ではないなと、舛谷はがっくりと肩を落とした。
「長野さん……これは、簡単には完成させられそうにないですね」
と、目を瞑《つむ》って休憩している長野にパズルの破片を見せた。すると突然、部屋のスピーカーから犯人の男の声が聞こえてきた。
「コンピュータールームにいる誰でもいい。プロジェクターのスイッチとマイクのスイッチを入れろ」
乱暴な口調でそう指示され、動いたのはもちろん、舛谷だった。スイッチを入れ、画面の前に戻ると六人の犯人たちが再び姿を現していた。安田は依然、自由のきかない状態だった。三留は倒れたまま体を縮ませて、小刻みに震えている。
「そちらには二人しかいないのか? となると、他の諸君はパズルを熱心に探しているわけだな。ハハハ、感心感心」
心底ゲームを楽しんでいるように見えるリーダーに、長野は無反応だった。
「で、何ですか?」
舛谷がそう尋ねると、リーダーは右腕につけている腕時計をこちらに見せて、こう言った。
「ゲームが開始されてから、もう少しで七時間が経とうとしている。君たちも少し疲れただろう。約束どおり、食料を配布する。職員室まで来てもらおうか」
舛谷は長野を一瞥《いちべつ》し、男に小さく手を挙げた。
「じゃあ、僕が行きます」
犯人たちのところに行くのは怖かったが、今は部屋に二人しかいない。まさか女の長野に頼むわけにもいかなかったので、こうして挙手したのだ。
「来るのはお前じゃない。そこに座っている女だ。いいな?」
男の意外な命令に、舛谷は恐る恐る後ろを振り返った。すると、ブスッとした顔の長野に、凄《すご》い目で睨《にら》まれた。
「なんで私なのよ! 嫌よ」
しかし、あっさりと却下された。
「いいからお前が来い。五分以内だ。分かったな!」
男は長野に反論する間をあたえずに、強引に会話を終わらせてしまった。再びプツリと、映像と音声が途切れたのだ。
コンピュータールームには気まずい空気だけが残り、怒りの矛先は舛谷に向けられた。
「ふざけないでよ! どうして私なのよ」
長野にそう責められ、舛谷は首を傾げて遠慮がちに言った。
「僕にそう言われても……」
「私は疲れてるの! どうしてちっとも動いていないあなたが行かないわけ?」
犯人の命令だから仕方がないとは、口が裂けても言えなかった。
「あの……」
「何よ」
「五分以内に行かなければ、まずいんじゃないでしょうか……」
舛谷が弱々しくそう指摘すると、長野は立ち上がり、
「行けばいいんでしょ! 行けば!」
と声を張り上げてコンピュータールームから出ていく。そんな長野を、舛谷は見送るしかなかった。
一階に下りた長野邦子は、いかにも納得のいかない表情を浮かべながら、職員室のドアを叩《たた》いた。内心では、危険な目に遭わされないかと心配でたまらなかったのだが。
「入れ」
中から聞こえた男の声に、長野はビクッとし、怖々と扉を開けた。
真っ先に目がいったのは、頭に銃を突きつけられ、こちらにモゴモゴと何かを言っている安田の姿だった。次にリーダーの男。そして、見てはいけないと思っていたにもかかわらず、血まみれで倒れている三留に目を向けてしまう。
室内には、一瞬たりとも気の抜けない、緊迫した空気が漂っていた。犯人たちは職員の机を好き勝手に移動させて、中心に大きなスペースを作っている。警察が大勢で入ってこれないよう入り口付近に机を集め、バリケードがわりにしていた。窓にもあらかじめ用意していたらしい木の板を打ちつけて、そこからの突入を防いでいる。
「おい! 扉を閉めろ」
あまりに悲惨な、虫の息の三留の姿を目にし、リーダーからの命令に、とっさに反応できなかった。
「聞こえてるのか! 扉を閉めろ!」
怒声を放たれ、長野はようやく我に返った。
「は、はい!」
扉が閉まる。長野の中で恐怖心が膨らんでいく。
私は、まだ死にたくない。
「そんなに怯える必要はない。君に危害を加えるつもりはないからね」
リーダーは長野に歩み寄りながら、そう言った。
「それで、どうだい? パズルの方は順調かな?」
その質問に、長野はどう答えたらいいのか分からなかった。なにせ現在の状況をほとんど把握していないのだ。
「た、多分」
「そうか。それは良かった。それなら先生もそこの彼も、なんとか殺されずに済むかな」
二人の命なんてどうでもいい。早く私をここから出して!
「もちろん銃なんて見たのは初めてだろう?」
わけが分からず、長野は適当に頷《うなず》く。
「え、ええ」
「そしてこの鉄壁のバリケード。警察になど易々と突入はさせない。君たちも彼らに助けてもらえるなんてよもや期待しないことだ」
リーダーは両手を広げ、高らかに笑った。妙な動きはするなと釘をさしているのだろう。
そんなのどうでもいいから、早くここから出して! 長野は心の中で何度も何度もそう唱える。
「どうした? そんな怖そうな顔をして。そんなにここから出たいか? まあいい。無駄話はここまでにして、食料を渡そう」
長野の心を見透かしたように男はそう言って、仲間に合図を出した。するとその仲間は小さく返事をし、右手に持っていた茶色い布袋を長野に差し出した。
「二人のお仲間が帰ったようだが、十五人分の食料がその中に入っている。パンと牛乳だ。せいぜい味わって食べろ」
長野は何も返事をせず、逃げるようにして職員室を出ると階段を駆け上った。
再びコンピュータールームに戻ると、舛谷は一人でパソコンをいじっていた。
「長野さん! 大丈夫でしたか?」
舛谷の気遣いも、今は白々しく聞こえた。
「別に」
と強がって、長野はイスに崩れるように腰掛けた。
「もう七時になりますね。一旦、みんなを呼び集めましょう」
舛谷はそう言うと、携帯電話を取りだした。
それを見ていた長野は、ドッと息を吐き出した。
「もう……いや!」
6
午後七時十五分。
一番最後にコンピュータールームに戻ってきたのは茂央だった。既に他のみんなは休憩に入っており、犯人たちから支給された食料を口にしていた。中には、食べ物が喉《のど》を通らないのか、それともパンと牛乳などという貧相な食事は上流階級のプライドが許さないのか、まったく手をつけていない者もいた。
早速、茂央も自分の食料を茶色い布袋から取りだし、重たい体を背もたれに預けた。安田と三留の危機を救わなければならないといっても、さすがに疲れ切っていた。普段は脳だけしか働かせていないのだ。くたくたになるのも無理はなかった。だが、それはみんなも同じだ。弱音を吐いてはならない。
『茂央さんだけ解放してはもらえないのかしら? 茂央さんに万が一のことでもあったら……』
精神的にまいってしまっているのか、ふと、母との会話を思い出してしまった。
あの時はつい、きつい言い方をしてしまった。生まれて初めて母を裏切った気がする。だから今、母の悲しい顔が浮かんでくるのだろうか。
「それで、湯浅君」
ボーッとしながらパンをかじっていると、舛谷に声をかけられ、茂央は視線だけを向けた。そうだ。今は落ち込んでいる場合じゃない。
「悪いけど、これまでに見つけたパズルをこっちまで持ってきてくれないかな」
そう言われ、茂央は初めて、舛谷の机の上のパズルの枠にこの七時間で見つかったすべてのパズルが集められているのを知った。
まるで将棋崩しのように山盛りになっている。一体、どれだけの数になっているのだろう。
「分かった」
茂央はイスから立ち上がった。
「それと……梅崎さん」
何かあったのだろうか。舛谷は梅崎の方に体を向けた。
「なにか?」
「あの……悪いけど、次からはちゃんと見つかった数とかを連絡してくださいね。こっちもデータ化しなきゃいけないから」
申し訳なさそうに言うと、梅崎はごめんなさいと頭を下げた。
舛谷の机の前で茂央はポケットからすべてのパズルを取りだし、山に追加した。
「結構、集まりましたよね」
「大体、これでどれくらいの数になっているの?」
舛谷にそう尋ねると、既におおよその合計を計算していたようで、すぐに答えが返された。
「湯浅君は約百五十ピースでしたよね? だから恐らく、もう半分くらいにはなっているでしょう」
「半分か……」
「はい。でも、この先が大変ですね。まだ手をつけていない部屋もいくつかありますが、これまでのように簡単に見つけだすのは難しいはずです」
舛谷の意見に、茂央は納得するように頷いた。
「うん、それはそうだね」
二人の後ろで、丹野哲哉がこう言った。
「どうだろう。ここら辺で、今あるパズルをつなぎ合わせてみないか?」
茂央は、しばらく考えて答えた。
「いや、中途半端にやらない方がいいと思う。今日はとりあえずパズル探しに専念して、つなぎ合わせていく作業は明日の方がいいと思うんだけど」
「そうか?」
「うん。ある程度パズルのピースが揃ってからやっていったほうが効率もいいでしょう?」
茂央の考えに、中村梓が賛成した。
「そうね。今日は、探せるだけ探した方がいいかもしれないわね」
「丹野君。それでいいですか?」
茂央が確認すると、丹野は別にどっちでも構わないという風に、了解した。
「それじゃあ、もう少し休憩した後、またみんなで探しましょう」
無理に元気を出して、茂央はみんなにそう呼びかけた。だが、その明るさはどう見ても空回りしており、返事はなかった。
それでも茂央はみんなになんとかやる気を出させるために、声をかけていった。
「植村さんは、どう? まだまだ見つけられそう?」
まず初めに目についたのが、植村だった。低い身長に似合わず、太っている彼女がとても辛《つら》そうに見えたのだ。顔もふっくらとしていて、細くて小さな目が印象的な彼女が、茂央には最も疲れているように思えた。
そう質問された植村恵美は、俯《うつむ》きながらコクリと頷いた。
「滝川さんはどう?」
「私も……まあ」
「そっか。じゃあ、頼むね」
それと気になるのは……。
「長野さん?」
と呼びかけると、グッタリした状態のまま、気怠《けだる》そうに長野は返事した。
「はい?」
「疲れているようだけど、大丈夫?」
「全然大丈夫じゃないんだけど。できることなら、今日はもうずっと休んでいたいもんだわね」
こんなことを言われては、全員の士気に関わる。むしろ聞かなければ良かったと茂央は後悔した。だが、これは人の命がかかった問題だ。どうにか協力してもらわなければ困る。
「あと、少しだけ、頑張ってください。ね? 長野さん。お願いします」
腰を低くしてそう頼むと、長野は仕方ないというように、
「はいはい、わかりました」
といい加減に頷《うなず》いた。一瞬、顔がにやついたように見えたのは、気のせいだろうか。
「大高君はどう?」
「は?」
自分の名前が呼ばれ、大高はなぜか不愉快そうだった。
僕に話しかけるな。
いや違う。どちらかといえば、何か用か? と言いたげな声色だった。
「いや……だから、体力的に、どうかなって」
遠慮しながらそう訊《き》くと、大高は鼻でフッと笑い、こう言ってきた。
「僕をなめているのかい? こんな程度で疲れたとでも? 笑わせないでくれよ。まだ動けるに決まっているじゃないか」
何をムキになっているんだ? 内心でそう思ったが、もちろん口には出さなかった。大高の機嫌を損なわぬよう、ことばを続ける。
「頼もしいな。引き続きお願いします」
「君にお願いされる理由は、どこにもないけどね」
「そういう言い方はよくないと思うわ」
大高のあまりの態度に、横で聞いていた中村梓が注意した。
「はいはいすみません。どうせ僕は悪者ですからね」
「まあまあ、今は仲間割れしている場合じゃないでしょう」
そうは言うが、飯川龍一も面白がってこちらを見ていたではないか。
「そうだね。揉《も》めたって仕方ない」
茂央はあくまで冷静に対処した。
「あの……湯浅君」
突然、舛谷に声をかけられる。
「なに?」
「これからは、僕も探すよ」
「え? でもそれじゃあ、指令役の意味がなくなっちゃうよ」
「だから、誰かと交代してもらって……」
「いや、もう交代しない方がいいと思う。今の状況を把握している人に引き続き指示してもらった方が、みんなも動きやすいだろうし」
「そうかな……」
みんなが疲労にもかかわらずパズル探しに動いている中で、一人だけ指示役となっている自分に引け目を感じているのだろう。舛谷に茂央は微笑みかけてやり、
「そうだよ」
と、肩を軽く叩《たた》いた。そして時計を確認すると立ち上がる。
「さあ、そろそろ行こう。僕たちにはもう時間がない」
時計は、七時四十五分を示していた。
明日までにはなんとか、あと五百ピースは探しだしたい。茂央はそう考えていた。
7
短い休憩を終わらせ、再び作業についた茂央は少しも休まず、一階の講師室でパズル探しに没頭していた。外は警察が包囲しているが、まだ動きはない。マスコミや野次馬は敷地内から完全にしめだされている。今頃、世間はこの事件一色のはずだ。だが、今はそんなことを気にしても意味はない。明日につなげるためにも、一ピースでも多く探さなければならないのだ。時間が経つのは恐ろしく速く、時計はもうじき午前零時を回ろうとしていた。
「ここは……」
語尾を伸ばしながら、茂央は講師の座る座布団の下を、
「どうだ」
と、めくってみた。すると予想通り、一ピースが隠されていた。
「よし! あった」
それをポケットの中にしまった茂央は、次に喫煙スペースの机の上に置いてある、煙草の空箱の中を調べてみた。が、さすがにその中には入っていなかった。
「次だ、次」
気持ちを切り替え、今度は、何に使うのかはわからないが、梶山《かじやま》講師の机の足置きの所に置いてある、空っぽのおみやげ袋の中を調べてみた。すると、袋の大きさとまったく合っていない小さな小さな一ピースを発見した。
「あった……」
あそこにもありそうだ。
棚に並べられた講師たちの湯飲み茶碗《ぢやわん》に目をつけた茂央は、茶碗を一つひとつひっくり返していく。案の定だった。誰の茶碗かは知らないが、ポトリと一ピースが落ちたのだ。
「よし」
残り、三十六時間。
今は順調に進んでいる……そう考えよう。この時点で、半分以上が見つかっているのだから。
「大丈夫。大丈夫だ」
自分とみんなを信じろ。
そう自らに言い聞かせ、疲れのあまり無意識に止めていた足を動かす。講師室の机の中や、ティッシュ箱の中まで注意して見ていくうち、頭の中は完全に集中していた。だから開始から十二時間が経過しようとしていても、茂央は何も思い出さなかった。みんなもきっと、忘れていたはずだ……犯行グループのリーダーが言った、あのことばを――
時計の長針と短針が十二で重なったと同時に、スピーカーから主犯の声が流れてきた。そこでようやく、茂央は気がついた。
しまった! そうだった!
『パズルを探しているA組の諸君。至急、コンピュータールームに戻りたまえ。ちょっとしたショウを行う』
ゲームを開始する直前。十二時間毎に安田には痛い目に遭ってもらうと、男はそう言っていた。それが今、行われようとしている。
また人が、傷つけられるのか。
『全員が集まるまでショウは始めない。残りの時間が大切だと思うなら、急いでコンピュータールームに来ることだ』
男はそう言って、放送を終わらせた。
「くそ……」
そんな場面など見たくはないが、とにかく戻るしかないようだ。茂央は講師室を出て、急いで四階まで階段を上がっていった。
コンピュータールームには、舛谷はもちろん、飯川龍一や塚越大輔や滝川敬子が不安を隠せない様子で戻ってきていた。他のメンバーも続く。
既にプロジェクターはお馴染《なじ》みの職員室を映しだしている。だが画面中央のソファに座らされている安田は、上半身を裸にされていた。
「A組の諸君。こんな夜中までご苦労さま。だが既に十二時間が経過した。約束通り、この教師には痛い目に遭ってもらう。君たちにとっても、目が覚めていいだろう」
ふざけるな、と茂央は内心でそう叫んだが、口に出すことはしなかった。たとえ男に止めてくれと訴えても、何も変わらない。奴は平気で、人を傷つけられるのだから。
「全員そろったかな? それでは、ショウを始めよう」
男はそう言って、仲間に合図する。ガムテープで塞《ふさ》がれた口でモゴモゴと呻《うめ》き声を上げる安田は六人に、蹴《け》る殴るの袋叩きにあった。
「ううう! ううううううう!」
痛みにもがき苦しむ安田のその姿に耐えきれず、コンピュータールームにいるほとんどの者が、目をそむけた。茂央もその中の一人だった。
「おらおらおら!」
六人は容赦なく、安田を痛めつける。
「うううううううう! うううううう!」
その叫び声を聞きながら、茂央は拳《こぶし》を力強く握りしめ、怒りと苦しみに耐えた。
奴らは狂ってる。
しばらくして、気を失ったのか、安田の呻き声が聞こえなくなると男は言った。
「諸君。これで一回目のショウは終わりだ。どうだい? 楽しんでもらえたかな? 次の二回目からは、こちらで勝手にやらせてもらう。興味がある者だけ見てくれれば結構だ。まあ明日の正午で残りは二十四時間を切るわけだから、君たちもショウ見物に時間を費やす訳にはいかないだろうしね」
何がショウだと茂央は顔を上げた。安田の頭からは血が流れ、痛々しい姿でグッタリとなってしまっている。
「早くパズルを完成させてあげないと、先生がこうやって痛い目に遭う。最終的にはそこで倒れている彼とともに殺されてしまうわけだ。その辺を再度、頭に叩き込んで気を引き締めてくれたまえ。君たちの頑張り、楽しみにしているよ」
そこで、映像と音声が途切れた。部屋に残された十三人は、重苦しい空気からなかなか抜け出せなかった。
「……行こうよ、みんな」
長い沈黙を破ったのは滝川敬子だった。
「一刻も早くパズルをすべて見つけだそうよ」
「そうだね」
茂央も頷《うなず》いた。
「よしみんな、行こう。もう少しだけ、頑張ろう」
茂央のその一声で全員は再び校舎中に散らばっていく。部屋を出るのが最後となった茂央は、改めて気合いを入れ直した。
8
「よし。これで……三十三ピース目だ」
講師室から移動し、一年C組の教室でパズルを探していた茂央は、次々と収穫を得ていた。さすがに、机の中にある教科書には挟まれていないだろうと思いつつ調べてみると発見できたり、チョーク入れの中で白い粉を被《かぶ》っていたりと、まさかと思う場所にも隠されてあった。
当初はごく簡単な所にしか隠されていないという犯人たちの言う通りだと思っていたが、意外と発見困難な所にも置かれているようだ。もちろん見逃している箇所もあるだろうが、見逃しが少ないにこしたことはない。だからこそ、予測もしていない場所にまで注意しなければならない。最終的に全ピースがそろわなければ、パズルは完成しないのだ。
力を込めながら、本棚に三冊並んでいる大きな辞書をすべてどけてみる。が、そこには一ピースも隠されてはいなかった。
駄目か。
「ここはどうだろう……」
自信なさそうに呟《つぶや》きながら、誰の机なのかはもちろん知る由もないが、その中に置き去られた筆箱の中を調べてみた。その途端、茂央の目が光った。
「おお! あった」
まさかの収穫を得た茂央は、時間を忘れて引き続き作業にうちこんだ。
突然、静まり返った教室に携帯電話の着信音が流れ、茂央はビクッとなった。
なんだ、自分のかと気がつき液晶を確認する。コンピュータールームで指令役を務めている舛谷からだった。
「もしもし、舛谷君? どうかした?」
そう尋ねると、舛谷はヒソヒソ声でこう言った。
「湯浅君ですか? 今、一年C組の教室ですよね」
「そうだけど?」
「もう、今日は切り上げませんか。夜中の三時ですよ?」
ずっと夢中になって探していたので、もうそんな時間になるのかと初めて気がついた。そういえば、職員室からも何も聞こえてこない。妙に静かだ。ひっそりとした真夜中の校舎。今は明かりがついているからいいが、もしそれらが全部消されたとしたら、一瞬にしてパニックに陥るだろう。あまりの恐怖に、叫び声を上げてしまうかもしれない。
「みんなは?」
「もうこっちに帰ってきてます。湯浅君だって相当、疲れてるでしょう? 少しは体を休めないと倒れちゃいますよ」
確かにそうだ。少しは眠らなければならないだろう。頭の回転が悪くなっている気がする。体も、ぐったりと重い。まるで小さな子供を背負っている気分だ。
「わかった。じゃあ、僕もコンピュータールームに戻るよ」
「ええ。待ってます」
茂央は通話を切って、今日はもう諦《あきら》めようと、教室の明かりを消した。そして、よろよろになりながら、コンピュータールームに向かう。思った以上に疲れているようだ。
部屋に戻ると、明かりはすべて消されていた。パズルを探していたクラスメートたちは、床にあぐらをかいて何かを考えていたり、机を枕がわりに寝ていたりと様々だ。驚いたのは、飯川が既に小さないびきをかいていたことだ。逆に、寝ようと思っても眠れないらしい大高や長野や内田は、飯川のいびきにブツブツと文句を言っていた。不安なのであろう中村は、窓の側に立ち、夜空をじっと眺めていた。
そんな静まり返った部屋で、舛谷は相変わらずパソコンをカチャカチャといじっていた。部屋が真っ暗なので、パソコンのモニターの光だけが舛谷の顔を照らしている。
「あ、おかえりなさい」
茂央に気がついた舛谷は立ち上がる。眠っている飯川に気を遣ったのか、声をひそめている。
「舛谷君も、こんな時間までご苦労様。疲れたでしょう」
「いえ、僕はみんなと違って動いていないですから」
舛谷がそう言うと、横から大高が、割り込んできた。
「だよねぇ〜君は全然疲れていないだろうね。僕たちはもうへとへとだけど」
「大高君!」
と茂央が注意すると、大高は茂央にも絡んでくる。
「なんだい? また偽善者ぶるのかい?」
「そういうわけじゃないよ」
「僕は疲れているんだ。いちいち口を出すのはやめてくれないか」
つっかかってきたのは君だろう? さすがの茂央も憤りを感じた。
「湯浅君。こんな作業、明日もやらないといけないのかな。僕は降りたっていいんだよ。君の態度次第だけどね」
どうしたらこんなにも嫌な性格になれるのだろうと、茂央は逆に呆《あき》れてしまった。
「わかった。すまなかった。明日も頑張ってほしい」
仕方なく謝ると、大高は満足そうに、
「それでいいんだよ」
と、そっぽを向いた。一応、騒動はこれで終わったと安心していた矢先、今のやりとりを見ていた丹野がイスから立ち上がり、大高の元に無言で歩み寄った。
「な、なんだい」
体格の良い丹野に大高は臆《おく》する。丹野は、小さな口を、ブツブツと動かした。
「いい加減、和を乱すのはやめろ」
それだけ言って、丹野は元の場所に戻っていく。
「な、何なんだよまったく! 僕が何をしたっていうんだよ」
相当びびっている様子の大高に、茂央の気持ちはスッキリとした。心の中で丹野に礼を言うと、ポカンと口を開けている舛谷に優しく声をかけた。
「あまり気にする必要ないよ。で、どう? あれから、どれだけ見つかった?」
「ええ……七時の段階で半分くらいでしたよね。あれから、四百ちょっとが追加されました」
四百なら、上出来か。
「そう。じゃああと、六百くらいか」
「まだ時間はかなり残されてますが、ここからが難関ですね」
「そうだね。見落としている箇所だってかなりあると思うし」
「ここから先は僕のデータが少し役に立つはずです。見つかった場所を各フロア毎に細かくインプットしているので、探していない可能性がある箇所はパソコンで出せます。それでも駄目だった場合、かなり厳しくはなると思いますが……」
「大丈夫。みんなで力を合わせればきっと見つけられるよ」
「ええ。そうですね」
二人が会話を終えると、床に座っていた滝川敬子が、ふとこう洩《も》らした。
「どうして……こんなことになったのかしら」
茂央も、その質問には答えられなかった。
「そう言えば私たちがこうやって話し合うのって……初めてよね」
滝川の隣に座っていた植村が、しみじみと言う。
確かにそうだ。二年以上も顔をつきあわせているのに……と茂央は思う。
「別に、あなたたちと話し合う必要なんてないんだけどね」
脇から内田清美が水をさす。
「そうそう。意味ないわよ」
と、内田に続いた長野がイスから立ち上がった。そして、これまでに集まった山盛りのパズルに歩み寄った。黙ってその様子を見ていた茂央は、あっ、と声を上げていた。長野はバラバラのパズルを鷲掴《わしづか》みにすると、これまでの鬱憤《うつぷん》をはらすかのように、床に投げ捨てたのだ。
「こんなゲームをやることもね!」
「ちょ、ちょ、ちょっと何をするんですか長野さん!」
慌てて舛谷が駆け寄り、散らばったパズルを拾い上げて元に戻す。そんな舛谷を見下ろしながら、長野は鼻をならして言った。
「無理よ無理! 二千ものパズルを見本なしで完成させられると思う?」
「思わないね。はっきし言って」
大高が割り込んでくる。茂央はすかさず反論する。
「でも完成させなきゃ、二人が……」
その言葉に、長野は嘲笑《ちようしよう》を浮かべる。
「二言目にはそれね? いい加減、いい人ぶるのやめてよ。むかつくんだけど」
「いい人とか、そういう問題じゃないだろう。正直に言えば、僕だって安田先生は嫌いだ。だけど三留君には何の罪もない。僕たちしかいないんだよ、二人を助けられるのは」
「今は喧嘩《けんか》している場合じゃないんじゃないかしら」
窓際に立っていた中村が、注意する。
「そうだよ! もうよそうよ。こういう時くらいは、みんなで力を合わせようよ」
舛谷が、勇気を振り絞って言ってくれた。
「いや、僕には先が見えるね。必死に探しても見つけられない君たちが。結局は諦めてしまうんだろう」
大高の嫌みに、茂央は意地になって言い返した。
「諦めはしない。それに、パズルは絶対に完成させる」
「へ〜、強気だね」
挑発されても、茂央はそれ以上、相手にはしなかった。いい加減、体を休めたい。本当はみんなで輪になって、明日のための作戦会議でも開きたかったが、それどころではない。
「舛谷君」
長野に投げ捨てられたパズルをすべて拾い上げた舛谷は立ち上がり、振り向く。
「はい?」
「明日、僕はどう動いたらいいか、指示してくれないか?」
舛谷は、疲れを感じさせない満面の笑みを浮かべた。
「わかりました」
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
大高の小さな声が聞こえたが、無視した。舛谷はパソコンの前に座り、校舎の見取り図の一階部分にマウスを持っていく。
「探していない場所から潰《つぶ》していった方がいいですよね?」
「うん。そうだね」
気がつけば、丹野と中村と塚越と梅崎も、パソコンの前に集まっていた。大高たちのような人間ばかりじゃない。まだ頑張れる。
「二階は……」
結局、話し合いが終わったのは朝の四時過ぎだった。行動開始は七時からとする。
「さあ寝よう。みんなも、体を休めておかないと」
少しでも眠っておこうと茂央は床に横になったが、なかなか眠れなかった。必死に探しても見つけられない君たちが見える、という大高のことばが、ずっと耳から離れなかった。
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ゲームV 後半戦
1
五月十三日。火曜日。
午前七時十五分。
残り、約二十九時間。
空は、何事もないように穏やかに晴れていた。
コンピュータールームで一夜を明かした茂央たち十三人は、これまで見つかったパズルを中心に置いて円を描き、改めて作戦会議を行っていた。
進行役は、茂央だった。
「ここまでそろったところで、いよいよパズルを作成してみたいんだ。だけど全員が残っても意味がない。何の絵柄なのかまったくわからない以上、相当大変なはずだから……指令役の舛谷君にも手伝ってもらうとして、もう三人か四人くらいが必要だと思うんだけど、どうだろう」
「まあ、そんなところじゃないでしょうか」
言ったのは梅崎美保だった。
「それと、みんなにお願いしたいんだけど、これまで集まった分のパズルの作成は、僕も加わりたいんだ」
申し訳なさそうに茂央がそう頼むと、飯川龍一が怪訝《けげん》そうに訊《き》いてきた。
「どうして? 何か、考えがあるの?」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、こういう細かい作業は得意なんだよ」
隣の舛谷が、話を進めてくれた。
「なら、仕方ないんじゃないでしょうか。もちろんこれは交代制です。まずは湯浅君が最初の一人ということで」
「ありがとう舛谷君。それじゃあ、あと二人はどうやって決めようか。残りたい人がいるなら、手あげてもらえる?」
その時、挙手したのは神谷健太郎と大高雅規、内田清美と長野邦子の四人だった。さすがに多すぎるので、ジャンケンで二人が抜けることにする。勝ったのは大高雅規と長野邦子だった。
「それじゃあ、パズルの作成は僕たちに任せてください。ある程度できあがった段階で、みんなに連絡を入れます。それまでどうか一ピースでも多く、見つけだしてください。お願いします」
作戦会議が終わると、円になっていた十三人は立ち上がり、それぞれの持ち場に移動していった。コンピュータールームに残った茂央と舛谷、大高、長野の四人は、山盛りになったパズルを適当に摘《つま》んで、パズルの枠と見比べる。
「では、やって行こう」
茂央の合図で、四人はまず明らかに枠と接すると思われる端のパズルを探して手にとり、徐々に枠の中に置いていった。この時だけはさすがに、大高も長野も集中していた。
静まり返ったコンピュータールームに、時計の針の音が、カチカチと一定のリズムを刻む。
パズルの作成は、茂央の思った以上に、困難を極めた。端だけはピースの形で何とかはめられたのだが、それ以外の部分は、ほとんど手つかずの状態だった。何といっても完成見本がないのがネックだった。約千四百のピースは、百もはめられてはいない……作業を開始してから、二時間半が経過しているにもかかわらず。
コンピュータールームの空気が、段々と険悪になる。
「ああああ、もう! イライラするな! 何なんだよこれ!」
とうとう、大高が爆発した。両手で髪の毛を鷲掴みにして、立ち上がる。
「私も駄目よ。ギブアップ。こんなのやってたら頭がおかしくなっちゃうわ」
長野も文句を言う。右手に握られていたいくつかのパズルをほったらかして、廊下に出ていってしまった。
「ちょっと長野さん!」
茂央が呼び止めると、
「水よ! 水」
と言って、コンピュータールームから姿を消した。確かに休憩も必要だろう。茂央も一旦立ち上がり、大きく伸びをした。その間に長野は戻ってきたものの、疲れた表情を露骨に出している。いかにも何か言いたげだったが、先に口を開いたのは大高の方だった。
「で? どうするんだ、湯浅君」
「どうするって?」
「これじゃあ埒《らち》があかないよ。実際、まったく進んでいないじゃないか」
大高の言うとおりだった。これでは二千ピースをすべて見つけたとしても、時間内に完成させられない。
「確かにそうだけど……やらないと仕方ないじゃないか」
「私はもう御免よ」
「長野さん……」
床に座ったままの舛谷が振り返り、情けない声を出す。
「こんなイライラする作業やってられないわ。残り何ピースあると思ってるの? 勝手にやってって感じ」
長野はそう言って、そっぽを向いてしまった。
「僕もハッキリ言って限界だね。無理にも程がある。いっそのこと……降参しちゃった方がいいんじゃないの?」
大高と長野の気持ちも分かる。二千ピースもの細かいパズルを見本もなく作成させようというのだから、ムシャクシャもする。
だが、これでは余計、作業は進まない。何かいい方法はないだろうか。
そうだ。パズルの絵柄のヒントは何かないのか。もちろんあの犯人たちが誰なのかを最初に突きとめれば、ヒントにつながるはず……このパズルの絵柄に意味があれば、だが。
そう思った茂央は、頭を整理してみた。
犯人たちは、最初からこの学校を狙った。動機は分からないにしても、それだけは確かだ。ということは、この学校に恨みを持った人間たち?
「となると……」
難しい。エリートの集まるこの学校に嫉妬《しつと》している人間は一杯いる気がする。それとも、過去になにかあったか?
茂央は記憶を巡らせる。
思えば、こんな出来事があった。前年度の教師が一気に十人も辞めさせられたのだ。それはもちろん、理事長の命令なのだが、その理由というのが、なんとも理不尽なものだった。
君たちが生徒に教えても、学力が上がらない。だから今年度いっぱいで辞めてもらうと。
職員の間でも相当問題になったらしいのだが、ワンマン経営者である理事長の命令は絶対だ。結局、十人の教師はこの学校を去っていった。
そういえば、あの先生たちは今頃、どうしているだろうか。新しい職場を見つけられたのだろうか。それとも、まだ――
だとしたら、この学校を恨んでいるに違いない。人生を狂わされたと。
どうだろうか。考えられなくはない。だが他にも――
「誰だ……」
考えれば考えるほど、混乱してくる。
「湯浅君。どうかしましたか?」
舛谷にそう尋ねられ、茂央は曖昧《あいまい》に返事をした。
「い、いや……なんでもない」
誰か調べてくれる人がいれば……だが何せクラスにすら友達が一人もいない茂央だ。協力してくれる人間が外部にいるはずがない。
犯人が分かれば……パズル作成が進むはずなのだが。
いや、今はパズル探しと、作成に集中する方が先なのではないか。あれこれ考える暇はない。だけど……。
「もうやってられないね」
大高と長野はもちろん、舛谷の手も止まってしまっていた。
「舛谷君」
後ろから声をかけると、舛谷は振り向く。
「はい」
「一度みんなを集めよう。確かに、このままでは無理だ」
「そうですね。わかりました」
舛谷は立ち上がり、ポケットから携帯電話を取りだした。
「もしもし? 舛谷です」
大高は床に寝そべったまま。長野は山盛りのパズルをすくっては、パラパラと落としている。
2
現段階で集められた千四百五十三ピースではどうにもならない。茂央と舛谷が他の九人に連絡すると、コンピュータールームにすぐに全員が集まった。十三人は陰鬱《いんうつ》な表情で未完成のパズルを囲んだ。
「全然だめか……ま、仕方ないね〜」
飯川龍一が無理に明るい口調でそう言うと、植村恵美が後に続いた。
「やっぱり見本がない状態だと、厳しいかもしれないわね」
「どうしたらいいの……」
と、中村梓がそう呟《つぶや》いた。
残り、約二十六時間。
こうしている間も、時は刻まれている。
「さあみんな! 今はあれこれ考えていても仕方がない。パズルを作成するメンバーを入れ替えて、他は探しに出よう。もう少しピースを集めれば、きっとなんとかなるよ!」
茂央はそう言って、扉の方に体を向けた。すると、大高雅規に呼び止められた。
「ちょっと待って」
茂央は大高に向き直る。
「どうか、した?」
そう尋ねると、大高は不満そうに言った。
「やっぱり、無理だよ」
「どういう意味?」
「だから、すべてのパズルを見つけだすのは無理だっていうんだよ。それに、パズルだって全然できていないだろ」
分かっている。だけどそれを言っていてもどうしようもないじゃないか!
「無理じゃない。というより、探し出さなければならないんだ」
大高は納得しなかった。
「そんなの分かっているよ。でも、この二時間半で、百ピースくらいしか見つからなかったんだよ? 明らかにペースが落ちている。それにすべてを見つけたって、パズルが完成しないんじゃ無意味だろ」
それは大高の言うとおりだ。確かにこの二時間半で百ピースしか集まっていない。だが、それは最初から分かっていた。始まった当初に比べ、見つけるのが困難なのは当たり前だ。
「……でも、僕もそれはずっと思っていたんだよね」
茂央が反論しようとすると、今度は神谷健太郎まで弱気なことを言いだした。これでは全員が諦《あきら》めの空気に流されてしまう。
「パズルを探すのも完成させるのも大変だってことは、最初から分かりきっていたじゃないか。まだ時間はある。ここで諦めちゃ駄目だよ」
茂央はむしろ自分に言い聞かせるように言った。このままだと、大平と井桁のように二人も帰りかねない。が、大高は意外にもこう言った。
「別に、諦めるなんて言ってはいないよ。考えがあるんだ」
「考えって?」
茂央はそう訊《き》き返す。
「僕だって、自分たちのせいで先生や三留が殺されたなんて思われたくないし、思いたくもないからね」
「というと……」
「ここはやっぱり、警察の力を頼った方がいいと思うんだ」
大高の提案を、茂央はすぐに否定した。
「それは駄目だよ」
「どうして」
「だって犯人が言ったじゃないか。妙な動きをすれば、先生と三留君を殺すって。奴らは本気なんだよ」
「でも万が一パズルが見つからなかったらどうする。手遅れになってからじゃ駄目なんだよ。その方法がみんなにとって一番安全だと僕は思う」
そうだろうか。とても安全とは思えない。
危険すぎる。
「僕も、そう思う」
大高の意見に、神谷が遠慮がちに小さく手を挙げた。
「いや、でも……」
その方法は絶対に取りたくない。だが、どうやって二人を説得したらいいのだろうと考えていると、舛谷が助け船を出してくれた。
「僕は、その方法には反対です。やっぱりそれは危険ですよ」
「舛谷君……」
中村梓も後に続いてくれた。
「私も、そう思う。それはまだ早すぎるよ。犯人たちは、どこから見ているかわからない。もし不審な行動がばれたら、それこそ取り返しがつかないわ」
舛谷と中村の意見で二人は引き下がった。が、到底、納得している表情ではなかった。
「とにかく大高君、神谷君、まだ時間はある。自分たちでやれるところまでやってみようよ」
茂央がそう言うと、二人は一応、頷《うなず》いてくれた。
「さあみんな。残り五百ピースを全力で探そう」
みんなに呼びかけている時、大高と神谷がお互いの目を見て何かを伝えているのに、茂央は気づかなかった。
3
残り、二十六時間を切り、再びばらけた十二人は必死になって隠されたパズルを探していた。三階の二年D組に移動した大高雅規は、ぼやきながら掃除用具入れの中を調べていた。
「まったく……あと五百も無理に決まっているじゃないか。それに、あのパズルを組み立てるのがどれだけ難しいか!」
そう文句を吐きながらも、折りたたまれた雑巾《ぞうきん》を広げてみたり、バケツを持ち上げてみたりと、細かい場所にもしっかりと注意を配る。しかし、パズルは一向に発見できなかった。なぜなら、この教室は昨夜に一度、調べているのだ。昨日よりも細かい所を集中して見たが、やはりパズルは出てこない。
それでも一応、探してはみる。
最後には、天井にいくつもある蛍光灯の上まで調べてみた。が、さすがにそこまで凝った隠し方はされていないようだった。他に隠されていそうな場所を考えてみる。しかし、広い教室といっても、無限に広いわけではない。ありそうな所はすべて確認したのだ。それでも探し続けるのは、時間の無駄である。
――そう。絶対に警察に頼るべきなのだ。
さっきは湯浅たちにうまく丸め込まれたが、改めてそう思った大高は、ポケットの中から携帯電話を取りだした。そして、ゲームが開始される前に登録した全員の電話番号の中から、神谷健太郎を検索する。廊下に誰もいないのを確認してから、通話ボタンを押した。
神谷は小心者でいわゆる金魚の糞《ふん》タイプだ。とにかく人の意見に流されやすい性格というのが、このゲームを通じてハッキリと分かった。いや、思えば、そういう場面はこれまでにいくつもあった。安田に問題を当てられ、間違えたときに、もっと勉強しろ、と多少強く言われただけなのに、その日はずっとシュンとしていたこともあった。そういう人間は簡単に服従させられる。まずは奴を仲間に入れておくべきだ。いざとなれば、利用もできる。
こっちにだって、考えはある。
警察の力を頼った方がいいと思っている人間は、絶対に他にもいるはずなのだ。
「はい、もしもし……大高君? どうかした?」
静かな教室に、神谷の声が携帯から洩《も》れる。
「今、どこで探してる?」
そう尋ねると、神谷は不思議そうにこう答えた。
「え、どうして? 二階の男子トイレだけど?」
それを聞き、大高は今しかないと思った。
「今からそっちへ行くから、絶対に動かないでくれる? 僕に、いい考えがあるんだ」
大高は通話を切り、二年D組の教室から慎重に抜け出した。
三階の女子トイレに入ろうとしていた植村恵美の目をかいくぐり、大高は二階の男子トイレで待つ神谷健太郎との密会に成功した。
首のあたりまで伸びた髪の毛を、まるで女のようにジリジリといじりながら、神谷はもう探すような場所はないというようにうろうろしていた。なにやらブツブツと呟《つぶや》いている。何を言っているのかは聞き取れなかったが、表情からすると恐らく、疲れたとか、もう嫌だとかを繰り返しているようだった。大高にしてみれば、いっそ好都合だった。
「神谷君?」
それでも彼にとっては探しているつもりなのだろうか、意味もなく小便器の方に目線を向けていた神谷にそっと顔を見せると、右手を口に当てて、大げさとしか思えないような驚きでこちらを振り向いた。その仕草を見た瞬間、こいつはオカマではないかという疑いを、大高は抱いた。
「大高君……ビックリさせないでよ。誰かにばれるんじゃないかって、ビクビクしながら待っていたんだから」
まずい。喋《しやべ》り方も、それっぽく聞こえだしてきた。
「ごめんごめん。別に驚かすつもりじゃなかったんだけど」
よく見ると、顔も妙に女っぽい。トロンとした目といい、やけに小さい鼻と口といい……。
こいつ、まさか本当に。
「君も人が悪いなぁ本当に」
友達のように馴《な》れ馴れしく話すな、と大高は内心で毒を吐く。
「で、どう? あれからいくつか見つけられた?」
大高が小声でそう訊くと、神谷はポケットをまさぐり、目の前で右手を広げた。
「一応、これだけ」
神谷の手の平にのっていたのは、わずか三ピースだけだった。大高はため息を吐き、こう言った。
「そうか。それだけか。僕はね、あれからはまだ、一つも見つけられていないよ」
「そう……やっぱり、厳しいね」
大高はコクリと頷いた。
「それで、いい考えというのは何なんですか?」
よくぞ訊《き》いてくれたと言わんばかりに、大高は言った。
「湯浅君たちのように、僕たちの意見に反対する人間がいるのは仕方ないと思う。でも、このままじゃ先は見えている。だったら思い切って、賭《か》けに出た方がいいと思うんだ」
神谷はゴクリと唾《つば》を飲み込んだ。
「ど、どうするんです?」
「やはり、警察の力に任せよう」
「でもそれじゃあ、さっきと同じじゃないですか。どうせ反対されます」
「違うよ。まず僕たちが警察に嘘の情報を流す。犯人のうちの三人が今、校舎の見回りをしている……職員室には三人しかいないから、突入なら今だと」
「ええ! そ、それはまずいんじゃない?」
「いや、それくらいしないと警察は動かない。犯人の奴らは重武装だし。そして、頃合いをはかって僕たちが合図を送り、警察に突入させるんだ。大丈夫、犯人の見張りは実際、何度も何度も交代している。僕はその様子を昨日こっそり見たんだから。この作戦がうまくいけば、先生は助かるし、三留だって命までは落とさずに済むだろ。僕らだって明日までこんなことをしなくたっていいんだし、一石三鳥だ」
何かあっても、警察の責任になるしな……とは口に出さずにおいた。
神谷はかなり迷っている様子だった。
「うまく……本当にうまくいくでしょうか」
「大丈夫! やってみよう。いや、やるしかないんだ」
その説得に、おずおずと神谷は頷いた。
「わ、わかりました」
「よし、それじゃあ、見張りの様子を窺《うかが》い、僕が警察に連絡を入れる。あとは合図をどうするかだけだ……」
大高は携帯電話を手に取り、一階に向かった。
コンピュータールームで十二人と別れ、この日はじめての現場についた茂央は、一階の保護者応接室で隠されたパズルを回収していた。
あれから既に四十五分が経過。時計の針は十一時を示そうとしていた。タイムリミットは明日の正午。二十四時間を切ったあたりから、みんなの焦りも増してくるだろう。だがそれ以上に焦っているのが、大高と神谷だ。彼らは半分、諦《あきら》めの気持ちに入ってしまっている。あの場は何とか説得できたものの、パズル探しに集中してくれているだろうか。
茂央は二人のことを頭から追い出し、作業を続けた。
「考え過ぎもよくない」
そう呟きながら造花の花瓶の中を調べてみると、一ピースを発見できた。
「あった」
茂央は淡々と花瓶の中からパズルを取りだすと、今度は黒いソファをズルズルとどけてみた。するとなんと、五ピースも隠されていた。さすがに驚きの声を洩らす。
「おお、こんなに!」
それらをすべて拾い上げた茂央は、机の脚にも一ピースが踏まれているのに気がつき、それももちろん、ポケットにしまった。
「もしかして……」
狭い部屋だから目についたのかもしれない。
内線用電話だ。
そう閃《ひらめ》いた茂央は、電話の前に立ち、受話器を左手であげてみた。するとなんと、二つある窪《くぼ》みに一ピースずつ隠されてあった。
ここが狭い一室でなかったら、絶対に気がついていなかっただろう。逆に犯人たちも、目に入らなかっただろうが。
それなら、と思いながら、今度はカーテンの金具を調べてみた。すると、そこにも二ピースが器用に挟まれているのを発見した。
「これは大発見だな」
自分を褒めながら右のポケットにパズルをしまう。予想外の大収穫に、次は次は、と口ずさみながら反対側のカーテンも調べてみようとした、その時だった。
突然、ジリリリリリというけたたましい音が、校舎中に鳴り響いた。その音に茂央はビクッと反応し、足を止めた。
何だ? 何が起こったんだ。
茂央はすぐさま携帯電話を取りだし、コンピュータールームにいる舛谷に連絡を入れた。
「舛谷君? この非常ベルはなんなんだ。そっちは異常ないかい?」
舛谷も慌てた口調を隠せない。
「こっちは異常なしですが……何が起こったんでしょう」
「……まさか!」
舛谷との電話を切ることも忘れ、茂央は急いで応接室を出た。
次の瞬間、生徒用の玄関から、警察の機動隊、十五人ほどが静かに校舎内に突入してきた。
まずい!
機動隊は、犯人たちの立てこもる職員室に気配を消しながら忍び寄る。
やめろ!
大声を出せない茂央は、機動隊を止めようと、応接室から職員室まで全力でダッシュした。が、遅かった。機動隊の一人が、勢い良く扉を開けてしまったのだ。
ルールを破れば、先生と三留君は殺されてしまう。
少し遅れて、茂央は職員室に駆けつけた。
入り口のバリケードに、機動隊は中に突入することが出来ず、金縛り状態になっていた。そこで初めて、茂央は職員室の中の様子を目の当たりにした。体を縛られた安田は、犯人たちに囲まれ、主犯に銃口を向けられて怯《おび》えていた。三留は壁に寄りかかり、グッタリとしてしまっている。その他の犯人は、機動隊に向け銃を構えている。
ジリジリとしたにらみ合いが続く。
「無駄な抵抗はよせ! 銃をおろして人質を放せ!」
機動隊の一人が犯人たちにそう怒鳴った。
板が打ち付けられた窓の向こうでも、大勢の警官が突入のタイミングを待っているはずだ。それにもかかわらず、リーダーは慌てていない。
「この人質がどうなってもいいのか? 一歩でも動けば撃つ。これは脅しじゃない。私は既に、一人の人間を撃っている。この教師の脳天を撃ち抜くことなど、どうってことはない。あなたたちを殺すのもね。ごらんの通り、こっちは対等に戦えるんだ」
その台詞《せりふ》が、警察の動きを封じ込めていた。
「こんなことをして何になる? 生徒たちを苦しめてそんなに楽しいか。人質を解放して、おとなしく出てきなさい! せめて怪我人を……」
警察の必死の説得を無視して、リーダーは茂央に言った。
「おいそこのお前。人質を殺されたくなければ、この邪魔者たちをすぐ外に追い出せ。できなければ、こいつらは殺す。お前にも弾が飛ぶことになるぞ」
そう命令されても、と茂央は迷う。
どうしたらいいのか分からない。
緊迫したにらみ合いは続く。
茂央が呆然《ぼうぜん》としていると、主犯の銃口がこちらに向いた。
「出て行け!」
主犯は突然そう叫び、引き金を引いた。バンという鼓膜がちぎれてしまうほどの音に驚き、茂央は小さく屈《かが》んだ。機動隊も盾で防御して一歩下がる。するとこれ以上は危険だと判断したのか、指揮官らしき男が、全員を退出させて職員室の扉を閉めた。
「今は下がるしかないようだ。でもいいかい? 君たちは警察に任せればいい。時機を見計らい、奴らは必ず私たちが捕まえる。それまで、時間をできるだけ稼いでくれ。いいね?」
もう危険な真似はよしてくださいと言いたかったが、その場は素直に返事をするしかなかった。
「はい。分かりました」
頷《うなず》くと、警察は校舎の中から一旦、外へと撤退した。
その様子が中からでも分かったのか、主犯の声が聞こえてきた。
「おい! 聞こえているか!」
どうやらこの場はおさまったと安堵《あんど》していた茂央はハッとなる。
「は、はい!」
「コンピュータールームに全員を集めろ! 今すぐにだ! いいな!」
「わ、わかりました」
コンピュータールームに戻ろうと階段の方に体を向けると、十二人が陰からこちらを覗《のぞ》いていた。特に、大高と神谷の気まずそうな顔が印象的だった。やはり、この二人が!
「みんな、急いでコンピュータールームに戻って! 犯人の指示だよ」
「先生と三留君は大丈夫なんですか?」
舛谷にそう訊かれ、茂央は深く頷いた。
「大丈夫。でも奴らは怒ってる。とにかくコンピュータールームに戻ろう」
茂央がそう言うと、十二人は階段を上がり始めた。
舛谷がプロジェクターとマイクのスイッチをオンにすると、職員室の風景が徐々に映り始めた。
画面の中心にはリーダーが立ち、その後ろには他の五人に囲まれた安田の姿があった。そして脇には、グッタリとなった三留が……。
「どうして呼び出されたかは、もう分かっているな」
主犯の言葉に、誰も返せない。
「まったく、なめた真似をしてくれる。君たちはゲームのルールをきちんと憶《おぼ》えていないようだ」
何を言われても仕方がない。黙っているしかなかった。
「言い訳も出てこないか? ルールを破ったと認めるんだな? ならば、人質の教師は今この場で殺す」
茂央はとっさに顔を上げ、ちょっと待ってくださいと叫んでしまう。
だが、主犯はなぜか妙に軽い調子で続けた。
「……と言いたいところだが、せっかくやる気を出してくれた君たちに、ここでゲームオーバーを告げるのはもったいない。私たちだってもっと君たちとゲームを楽しみたいしな。ただ……ルールを破ったのは確かだ。罰を与えねばなるまい」
「罰?」
茂央がそう訊《き》き返すと、主犯は壁に寄り掛かっている憔悴《しようすい》しきった三留の方に、銃口を向けた。その瞬間、茂央は身震いする。コンピュータールームに、緊張が走る。
「こいつを殺せば君たちに危機感が生まれるし、ゲームもまだ続行できる。だろ?」
「待ってください!」
焦る茂央は画面に近づく。
「もう一度だけチャンスを!」
「黙れ! 君たちに発言する権利はない。ルールを無視したのは君たちだ」
「でも! 彼は!」
「そう。こいつも私の言うことをきかなかったのが悪い。死んでもらうよ」
あまりに緊迫した状況に、他のクラスメートは口を開くことさえできない。
足をおさえながら苦しそうに顔を上げた三留は、涙声で訴えた。
「た、た、助けてください……お願いします……」
「お願いします! 撃たないで!」
クラスのメンバーたちと茂央は叫ぶ。
「やだ……死にたくない」
直後、銃声が響いた。三留は胸のあたりをおさえ、倒れ込んだ。
「三留君!」
「きゃああああああああああああ!」
茂央は画面に駆け寄り、ヒーヒーと苦しそうに息をする三留の名を何度も呼んだ。が、すぐにその呼びかけにもピクリとも反応しなくなった。洋服が、ジワジワと真っ赤に染まっていく。
「三留君! 三留君!」
駄目だ。まったく意識が……今から病院に運んだとしても助かるかどうか。
「三留君を病院に!」
主犯にそう訴える茂央の後ろで、パニックに陥った大高が叫んだ。
「ふ、ふ、ふざけるな! もうつき合ってられるか! 僕はもう帰らせてもらう!」
「私もよ!」
内田も後に続く。だが二人がコンピュータールームから出ようとした時――
「動くな! 今さら逃げられるとでも思っているのか? これ以降、もし一歩でも校舎から外に出ようとすれば、こいつみたいに殺す! いいな!」
突然のルール変更に、十三人は愕然《がくぜん》となった。内田は膝《ひざ》からガクリと落ちる。
「そ、そんな……」
茂央も呆然《ぼうぜん》としていた。人が死んだのだ。三留を撃った主犯に、沸々と怒りがこみ上げてくる。脳裏に三留の顔が浮かんでは、消えていった。
「これが最後の通告だ。もしさっきみたいに不審な行動に出た場合、この教師はもちろん、お前たちも全員殺す」
「僕たちも……」
舛谷が悲痛な声を洩《も》らす。
「では、せいぜい頑張ってくれたまえ。残り時間は少ない」
と一方的に言って、仲間に画面のスイッチを切るよう指示する。職員室の映像は途切れ、音声も消えた。
リーダーとの通信が終わると、コンピュータールームにはしばらく音も無かった。
「嘘……でしょ? 死んじゃったの?」
信じられないといった様子の梅崎美保が、呟《つぶや》く。
「嫌! どうして!」
滝川敬子が泣きながら屈む。
「私たちだって……このままじゃ」
表情を失った植村恵美が呟く。
現実と向き合っていたのは、かろうじて中村梓だけだった。
「これで……分かったでしょう。もう、自分たちで解決するしかないのよ。酷《ひど》い言い方かもしれないけど、彼は」
警察と連絡を取ったのは、大高と神谷だということくらい見当はついていた。二人を責めても仕方がないのも分かっていた。だが、それでは茂央の気持ちがおさまらなかった。
「どうしてだ! どうして警察に連絡したんだよ! 君たちが余計なことをしなければ三留君は!」
二人は下を向いたまま、何の反応もなかった。
「君たちに言っているんだ! 大高雅規! 神谷健太郎!」
名指しで怒声をぶつけると、大高は狼狽《うろた》えながら、
「ぼ、僕が?」
としらをきる。
「そうだ! 君たちが連絡したんだろう警察に!」
普段の大高だったら、最後まで否定していたはずだ。が、多少なりとも罪悪感があったのだろうか。それ以上、言葉はなかった。逆に、罪を認めなかったのは神谷の方だった。
「ぼ、ぼ、僕は……大高君に」
言い逃れようとする神谷を、大高が睨《にら》む。
「そんなのどうでもいい! 考えなしに勝手な真似を!」
「す、すみません……」
「謝ったってもう遅いよ!」
こんなにも他人を責めたてるのは、生まれて初めてだった。こういう時こそ冷静にならなければならないと分かっているのに、茂央は、自分を抑えられなかった。今ならわかる。この狂ったゲームに参加してしまったことで、自分は変わってしまったのだ。
「まったく……いらないことをしてくれたわよね」
内田清美が、二人に文句を言う。
「あんたたちのせいで、私たちまでここから出られなくなっちゃったじゃない。この責任はどうとってくれんのよ!」
「そうよそうよ。もし殺されでもしたら、全部あんたたちのせいだからね!」
長野邦子が追い打ちをかけた。茂央からしてみれば、内田と長野だっておかしいと思う。
「そういうことじゃないだろ、今は。人が殺されたんだ。三カ月前まで一緒に勉強をしていたクラスメートが殺されたんだぞ? 確かに僕たちはお互いをよく知らない。だからって他人の命がどうだっていいってのはないだろ!」
「だって……」
内田はふてくされる。長野は、目をそらす。
「でもさぁ」
険悪ムードの中、飯川龍一の気の抜けた声がした。
「あれこれ討論してても仕方なくない? どんなに言い合ったって、過去にはいけないんだからさぁ」
「飯川君……そういう言い方は」
舛谷が注意する。
「でも、飯川君の言うとおりだと思うわ。今は落ち込んでいる場合じゃない。これ以上、犠牲者を増やさないためにも、パズルを完成させなければいけない」
確かに、飯川と中村の意見が正しかった。大高と神谷を責めてもゲームは終わらない。胸は痛むが、パズル探しを再開しなければならない。
「湯浅君」
舛谷が茂央に歩み寄る。
「絶対にパズルを完成させよう」
舛谷にそう励まされて、茂央は力無く頷《うなず》いた。
「ああ」
「さあ。頑張りましょう」
舛谷が、みんなにそう言った。だが、誰一人として、返事をする者はいない。
「大高君。神谷君」
二人にこれだけは言っておきたかった。
「三留君が殺されたのは君たちのせいだ。でも、これ以上責めたってしょうがない。もし少しでも罪悪感があるのなら、最後までパズル探しを止めないことだ」
二人からの返答はなかった。それぞれ、深く考え込んでいる様子だった。
「行こう、みんな」
茂央は小さくそう言った。全員は重い足取りで再び動き出した。
とうとう、最悪の事態が起こってしまった。
それは、残り二十四時間を切ってからだった。
4
奴らに、もう小細工は利かない。探すしか、なかった。
午後三時を回り、残り二十一時間とタイムリミットも迫っていた。
もう三時間前になるだろうか、先程の騒動で二人の安否が心配だと、外で待機している教師の今野聖子から連絡があり、茂央は、三留直弥が犠牲になったと告げた。すると今野は、三留などはどうでもいいと言うように、安田先生は安田先生はとしつこく訊いてくる。腹を立てた茂央は、それ以上何も答えずに電話を切った。
その後には舛谷からも連絡があり、この三時間でさらに二百ピース程が追加されたとのことだった。明日の正午までに残り三百ピース。だが、問題は既にほとんどの場所を十二人は調べ尽くしている点だった。例えば一階を担当している茂央は、応接室から職員用の玄関を任されたのだが、一階でまだ手をつけていないのはここが最後だ。要するに、確認済みと思われた各場所には、まだ約二百強が隠されており、それらをすべて見逃していたというわけだ。
それを二十一時間ですべて見つけなければならない。茂央も本心からすれば、不安になっていた。前半戦だけで三分の二以上のパズルを見つけたとはいえ、そのほとんどが簡単な場所に隠されていた。つまり残りの二百強は、ただ目を配るだけでは絶対に見つからない所にあるはずだ。これからはより頭を使い、集中して探さなければならない。だが、十三人の体力は落ちている。大高や神谷のように既に諦《あきら》めかけている人間もいる。あの二人にはもっと頑張ってもらいたいのだが、こればかりはどうにもできない。三留の死の責任を感じて、変わってくれればいいのだが……。もう人間だけの力では、限界なのかもしれない。となると、頼りにせざるをえないのは、舛谷のデータであろう。これからは、彼の力がさらに要求される。
だが何より、三留が殺されたことのダメージは大きかった。あれからずっと、茂央は三留のことを考えている。罪のない彼がこんなゲームのために……。
傷を負った足を両手でおさえながら命乞《いのちご》いをする三留が撃たれる。胸から血が溢《あふ》れ出す。
思い出したくない映像を無意識のうちに蘇《よみがえ》らせてしまっていた茂央は、ハッとなる。
今は犯人たちへの怒りで、一杯だった。
このままでは、終わらせない。
茂央はまず、教師たちの下駄《げた》箱を一つひとつ調べていった。生徒たちが使う下駄箱の中にも多くのパズルが隠されていたので、期待はあった。
「やっぱり……」
早速、一つ目を発見した茂央は、次々と下駄箱の中を調べていく。縦に順番に進んでいき、九番目である物理担当の酒井の下駄箱を開くと、さらにもう一ピース見つけることに成功した。
「お、ここにも」
教師の下駄箱が六十あるのに対し、見つかったパズルは十五ピースだった。だがまだ、簀《す》の子の下や細かい部分は確かめていないので、恐らくもう少しは見つけられるだろう。
そうだ。マットの下も調べてみよう。
ゲームを始めてから二十時間以上パズル探しに頭を使っているので、思い立ったらすぐに手が動く。茂央は玄関の赤いマットを両手でバサッと上げてみた。案の定、そこにもパズルが隠されていた。しかも、三ピースもの収穫だ。
来賓専用のスリッパの中はどうだろうか。いかにもありそうだが……。
簀の子の上にいくつも並べられた緑のスリッパのつま先あたりまで茂央は念入りに調べた。が、期待とは裏腹に、スリッパの中には一ピースも隠されてはいなかった。
「あとは……」
職員玄関周辺をぐるりと見渡した茂央の目に、職員が学校の敷地内で使う透明のビニール傘が飛び込んできた。生徒たちが持っていかないよう、大きく校名がマジックで書かれているやつだ。閉じられた傘の中に、ポイと捨てられたように、一ピースが入っていた。
茂央は早速、それを摘《つま》み上げ、ポケットにしまった。
「他には……」
隠されていそうな場所を目で追うが、さすがに探す所が、もうない。
最後に、順番に簀の子の下を調べようか。
そう思った矢先だった。
「湯浅君」
突然、後ろで声をかけられ、茂央はビクッと反応した。
「梅崎さん」
廊下に立っていたのは、同じ一階を担当する梅崎美保だった。
「どうか、した?」
茂央がそう尋ねると、梅崎にこう訊《き》き返された。
「湯浅君はどう? いくつか見つけられた?」
「ええ。今のところは一応、これだけ」
そう言って、ポケットの中にあるパズルを見せた。
「そう。私はこれしか」
梅崎の手の平にのっかっていたのは、わずか十ピース程だった。
「いや、それだけ見つけられれば十分だよ」
「そうだね。じゃあ私は、次の場所を探すから」
そう言い残して、梅崎はいなくなった。次の場所といっていたが、どこを調べるのかを訊くことさえ忘れていた。茂央は再び、足を動かした。
ゲーム開始から半分以上の時間が経過し、四階を担当していた滝川敬子は、昨日、調べた女子トイレを再び探すこととなった。だが、一度探した場所で発見するのは容易ではない。気がつけば三留が撃たれてから、まったく成果を挙げられないでいた。
「もう……どこにあるのよ。本当にまだここに残っているの?」
ため息混じりにそう呟《つぶや》いて、敬子は壁にもたれかかった。
『勉強マニア〜そんなに勉強してて楽しいか? え? このガリベン女〜』
暗闇の中に一人|佇《たたず》む敬子は、後ろを振り返った。すると大勢いた友達が、一人、また一人と消えていき、最後には誰もいなくなってしまった。
思えば、この徳明館に入るために、イジメに耐えながらかなりの努力をしてきた。
父は普通のサラリーマン。母もスーパーでパートをしているくらいなので、滝川家は特別な金持ちではない。敬子は身長百五十三センチ、体重四十三キロと中肉中背。昔から変わらないやぼったいマッシュルームカットの下の顔も、一重の目に、高くもなく低くもない鼻に、少し厚めの唇と、特徴のある部分がない。言ってみれば、本当に地味な女の子だ。
小さな頃から勉強が好きで、あこがれの徳明館に入ろうと、小学五年生の時からそう決めていた。そのために、死にものぐるいで勉学に励んだ。もともとそう勉強が出来るわけではなかったので、人の三倍は努力したはずだ。安い塾へも無理を言って通わせてもらった。が、設備の整った高い塾に通っているお金持ちの子に、点数では勝てなかった。敬子はそれならと、一日にする勉強の量を倍に増やした。すると少しずつ、成果もあらわれ、いつしか敬子は学校で一番の成績を取るようになっていた。
が、気がつけば、周りに友達はいなくなっていた。いい点を取ればとるほど、イジメは酷《ひど》くなる。最終的には、誰も口を利いてくれなくなった。けれど、そんなことで負ける敬子ではなかった。中学でもトップの成績を持続し、念願の徳明館の特別クラスに入れたのだ。もちろん、そこで満足などしていない。今も毎日の努力は怠っていない。小学生の時に抱いた気持ちを忘れず、このまま突っ走るだけだ……。
どうしてこんなことを思い出していたのだろうと、敬子は我に返った。
そうだ。パズルが見つからなくて、ただボーッとしていたんだ。
「さ、探さないと」
自分に活を入れ、足を動かした、その時だった。
なぜか内田清美が、トイレにやってきたのだ。その瞬間、敬子は露骨に嫌な表情を浮かべた。
何よ、この女。
どうしてわざわざ私が探しているトイレにやって来るわけ?
「あら滝川さん。どう? 調子は」
嫌みたらしい口調でそう訊かれ、敬子は愛想笑いを浮かべて、適当に頷《うなず》いた。
「ええ。まあ」
「私はね、ちょっとトイレに」
そう言って、内田は真ん中の扉を開けて、中に入った。狭い空間が、妙に静かになる。この女が今どこを担当しているのかは知らないが、このトイレに来る必要はないのに。まったくどういうつもりよ。敬子は内心で思い切りののしった。真ん中の個室からは、ペーパーをクルクルと回す音が聞こえだした。
滝川敬子と内田清美は隣の席だ。いわばライバルであり、テストの度に、点数を競い合っていた。内田はいかにもお嬢様育ちらしく、高飛車で嫌らしい性格だと敬子は思う。カールのかかった長い髪と意地の悪そうな目つき、さらには女子の割には高い百七十一センチという背丈が印象的な内田は、隣にいる敬子に嫌みな行動ばかりしてくるのだ。例えば、テストの点が敬子より高い時、内田はわざと敬子の視野に入るようにして用紙を机に置いたり、敬子が教師に問題を当てられて間違えた時、わざと聞こえるようにクスクスと笑っていたり。
だから今回も、何か言ってくるはずだ。敬子は警戒していた。
水を流す音が聞こえたと思うと、真ん中の扉が開いた。
「ごめんなさいね。探している途中なのに邪魔なんかして」
高飛車な口調は相変わらずだ。
そうか。邪魔するのが目的か、この女。
それだけなら別にいいやと、敬子は内心でホッとした。だがさらに内田はこう訊いてきた。
「ところで滝川さん?」
「はい?」
「どれだけのパズル……見つけられました?」
まずい。まずいまずい。
「いえ……全然」
渋々そう答えると、内田は満足そうに、こう言った。
「あらそう。大変ね。まあ、トイレじゃしょうがないかしらね」
そして、敬子に見せつけるようにして、内田はブレザーの中から大量のパズルを取りだし、前に差し出してきた。
「私はこれだけ。結構、苦労したのよ」
それがどうした。早く出て行け!
敬子は悔しさを腹におしとどめた。
「まあ滝川さんも、頑張ってね」
と言い残して、内田は振り返り、ゆっくりとトイレの中から出ていった。その途中、わざとらしく内田が一ピースを落としたので、敬子は歩み寄って、その一ピースを拾い上げた。
「何よあの女! 私が全然見つけていないからって、同情のつもり?」
絶対、わざと落としていったんだ。
内田に文句を言ってやりたかったが、切羽詰まったこの状況でも子供じみた嫌がらせをしてくる内田は馬鹿だ。私は大人なんだと敬子は自分に言い聞かせ、煮えくり返る怒りをおさえる。それにこんなことで争うなんて、人が一人死んでいるのに不謹慎だ。今は見栄を張っている場合じゃない……。敬子は半分、そんな自分に呆《あき》れてもいたのだが。
行事のプリント書類がしまってある引き出しの中を、塚越大輔は調べてみた。
「……あった」
貴重な一ピースを発見したというのに、大輔の声に力はなかった。
次に大輔は、ガラスのテーブルの上に敷かれてあるレースをめくってみた。すると、そこにはなんと、二ピースも隠されており、大きな収穫となった。それなのに、大輔の顔は浮かなかった。先程から、ずっと違うことばかりを考えている。
ここは四階の生徒会室。坊主に近い短い髪の毛を、整髪料も何も使わずにペタリと寝かせた大輔の顔は、猿以外に喩《たと》えようがない。まん丸とした目と、ほんのりと赤い頬が、そう見せる。小さな背と猫背がまた、猿の体形にそっくりだ。小学生の時のあだ名も、モンキーだった。あの頃はそう言われても笑顔を見せられたのに、今は違う。心が凍ってしまっている。
「僕は……」
舛谷が言うには、まだ調べていない部屋は全体でそこが最後ということだったので、比較的パズルを見つけられていた。
が、タイムリミットが刻一刻と迫る中、塚越の憂鬱《ゆううつ》の種は別にあった。正直、三留の死にも心が乱されることはなかったほどだ。
「もう、三時半か……」
狭い一室にへたり込み、そう呟《つぶや》いて、ブレザーの中から携帯電話を取りだした。
着信、なし。
塚越は深いため息を吐き、みんなの前では隠していた寂しげな表情を浮かべた。
ゲームが開始され、約二十八時間が経過している。この事件のニュースは、既に全国に広まっているはずだ。事件に自分の子供が巻き込まれているのを知ったそれぞれの家族は、息子や娘を心配している。それが当たり前だ。その証拠に、全員の携帯電話に家族から頻繁に電話がかかってきていた。それなのに、塚越の両親からは、未《いま》だに一本の電話も入っていない。さすがに今日だけは……期待していた。だが、その期待は裏切られ、今はやはりそうだったのかという気持ちの方が、勝っている。
塚越には、二つ年上の兄と、四つ年上の姉がいた。小さい頃から両親は優秀な姉と兄だけをかわいがり、塚越には、いつも冷たかった。ほったらかしというわけではなかった。幼稚園の頃から塾に通わされ、ピアノやバイオリンや英会話を叩《たた》き込まれた。けれどそれは本当に愛しているのではなく、ただ世間の目を気にしているだけだ。姉や兄より劣ってもなんとかエリート一家の体裁を整えたいだけなのだ。まるで、感情のない優秀なロボットを作るかのように。
だから塚越は、両親に心から愛されたいがために、一生懸命、勉強した。学校にいる時間を合わせて、一日に十五時間は机に向かった。とにかく、褒められたかった。けれど、それ以上に頭のよかった姉や兄と対等には見てくれなかった。徳明館の特別クラスに入ったのに、まったく認めてはくれなかった。というのも、姉と兄はこの学校の特別クラスのトップの成績を取っていたからだ。それ以下の大輔は、息子として見られていないのだろうか。姉と兄さえいればいいのだ。だからこんな緊急事態にもかかわらず、連絡も何もしてこないのだろう。
「お父様……お母様……やはりそうだったのですね。僕のことなんて、眼中にもなかったのでしょう。この事件で、それがよく分かりました。誕生日に僕にはケーキだけで、一度もプレゼントをくれなかったのは、僕へのメッセージだったんでしょう。それでも僕は気に入られようと頑張った。なのに……馬鹿みたいだ」
まったく、何て親だ。
この十七年間の自分は、何だったのだろう。
一体、誰のために生きてきたのだろう。
そう考えれば考えるほど、段々と怒りがこみ上げてきた。
「もう……どうでもいい」
そして塚越は、こう思った。
このゲームが終わり、無事に帰れたとしても、父と母の指図は、もう受けない、と。
5
午後、七時三十分。
タイムリミットまで、あと十六時間半。
残されたパズルの数、約百八十ピース。
A組の十三人は追いつめられていた。六時五十分に、一日に一度の食料を犯人グループから受け取り、コンピュータールームで十五分間の休息をとった十三人は、これまでに集められたパズルを中心に円となり、あらためて作戦会議を開いた。既に校舎全体は調べ尽くしており、見逃している箇所からパズルを見つけだすのは、困難を極めていた。前半戦であれほど順調に数を減らしていたにもかかわらず、ペースは一気に停滞していた。
「とにかく、パズルを探し出すのも大事だけど、まずはこれをはめこんでいかなきゃどうにもならないね」
端っこの方だけしか出来上がっていないパズルに、茂央は腕を組んだ。
「そうですね。もうそろそろなんとかしていかないと……あと十六時間半しかない」
舛谷はしきりに時計を気にする。
「もう絶望なんじゃないの? こんな短い時間で残りのパズルを探し出して完成させるなんて」
諦《あきら》めかけている内田清美に、構っている暇などなかった。
「そんなことより、パズルを作成するチームを早く決めた方がいいんじゃないか?」
丹野哲哉が静かに言った。
「そうだね。まずはそこからだね。で、やりたい人はいる?」
茂央が挙手を求めると、長野邦子の声が飛んできた。
「私はもう御免だわ。あんなイライラする作業、二度とやりたくない」
もちろん君にやらせるつもりはない。茂央は長野を放っておいた。
「じゃあ、私やってみます」
まず最初に手を挙げたのは、梅崎美保だった。
「わかりました。お願いするね。あと、舛谷君を入れて、二人くらいはほしいところだけど」
作成していく辛《つら》さをみんなは知っている。だからすぐには決まらない。
「植村さん、どう?」
突然、茂央に名前を呼ばれて驚いた植村は、
「私? いいわよ私は。そういうのあまり得意じゃないし」
と断った。
「塚越君は?」
「僕も、遠慮しておきます」
「そう……」
「私、やるわ」
次に立候補したのは、滝川敬子だった。
「あまり自信ないけど」
「いや大丈夫だよ。頼むね。あと一人は……」
と、語尾を伸ばしていると、やれやれ、といった様子の飯川が、ダラリと手を挙げた。
「しょうがないな。僕がやろうか」
「ありがとう飯川君。頼んだよ」
「ちょろいちょろい」
その自信がどこから出てくるのかが、茂央には不思議だった。
「じゃあ、作成の方はこの四人に任せて、僕たちは早速、探しに行こう」
作成チームの四人を残し、茂央たち九人はすぐにパズル探しを再開した。
コンピュータールームに残った四人は、山盛りのパズルを囲み、はめこみ作業にかかっていた。とは言っても、手に取ったピースを眺めてもそれが何処にはまるのかなど分かるはずもない。結局は元の山に戻し、新たなピースを手に取り眺めるの繰り返しで、作業は一向に進まなかった。第一次作成チームの大高や長野より根気のある四人でも、集中力を保つのは困難だった。
「結構きついわね」
出来上がっている端っこの部分とバラバラのパズルを見比べながら、滝川敬子が弱音を吐く。
「どうしたらいいんだろう……」
猫背の梅崎が、頭をかかえる。
「見本さえあればって……ずっと思ってますよ僕は」
「そうよね……」
滝川は腕を組み、首を捻《ひね》った。
「あ〜面倒くせ〜 疲れた〜」
だらけた声を出しながら、飯川は床に横になり、バラバラのパズルを右手ですくっては落として遊びだした。が、それを止める者はいなかった。みんな、やる気を失ってしまっていた。
「どうしよう。みんなが頑張って探してくれてるのに、こっちがこれじゃあ悪いよ」
飯川の方をチラチラと見ながら、舛谷が言う。
「そんなこと言ったって……」
「ねえ」
滝川と梅崎が顔を見合わす。
「どうしたらいい?」
舛谷はうなだれる。
三人が会話を交わす中、ただ一人、手に持ったパズルを凝視していたのは飯川龍一だった。
「どうしたの? 飯川君」
舛谷が声をかけると、飯川は、
「う、うん……」
と曖昧《あいまい》に頷《うなず》くだけだった。一向に、パズルから目を離そうとしない。
「さあ、とにかくやっていかないと」
滝川の言葉で気を取り直した三人は、端っこに合うパズルを見つけだそうと山をかき分けた。すると突然、飯川が思いがけない台詞《せりふ》を洩《も》らした。
「あのさ……これって……誰かに似てないか?」
「え? どれどれ」
飯川の持つパズルに、三人は顔を寄せ合う。
「半分以上切れてて、目のあたりしか映ってないから分かりにくいけどさ」
じっくりその一ピースと睨《にら》めっこする四人。突然、滝川が大きな声を上げた。
「あ!」
「びっくりした! 何よ」
梅崎が訊《き》くと、滝川は言った。
「これ……井桁君じゃない?」
みんなを裏切り、帰っていってしまったクラスメートの名前に、三人は驚く。
「そうだ……あいつだ!」
納得するように、飯川が呟《つぶや》いた。
「確かに」
舛谷も。そして梅崎も。
「でもどうして、井桁の顔がここに……」
発見者である飯川は、自らその先を続ける。
「もしかしてこれって……何かの写真なんじゃないのか?」
「え? どういうことです?」
その発言に、舛谷は山盛りのパズルを凝視する。
「これが井桁の顔だとしたら、パズル全体も何かの写真でしかありえねえよ」
「た、確かに」
「そうよね」
滝川と梅崎も、言葉を返す。
「どうしましょう」
舛谷が三人に意見を求めると、飯川が言った。
「一旦《いつたん》、みんなを集めよう。その方がいい」
「分かりました。すぐにみんなを集めます」
希望の光が見えたかのように、舛谷は表情を生き返らせて立ち上がった。
舛谷からの連絡を受けて、再びコンピュータールームに集合した十三人は、問題の一ピースを、回して見ていった。
「これが何だか分かるかい?」
飯川は得意げに全員に尋ねた。
「さあ……何だろう」
塚越大輔が首を傾げる。
「で、何なんだよ?」
大高が偉そうに訊くと、飯川は満足そうな笑みを浮かべて言った。
「それは――井桁健一の顔だよ」
その名前が出た瞬間、コンピュータールームがざわついた。
「え、嘘でしょ? あいつの顔?」
机にポツリと置かれたその一ピースに、長野邦子が改めて顔を近づける。
「嘘じゃないさ。よく見てみたらいい」
茂央も、じっくりと見つめてみた。
「……確かに……そうかもしれない」
井桁に似ている。いや、絶対そうだ。
でもどうして、井桁の顔がこのパズルに?
「飯川君、これは大発見だよ! でかしたよ!」
あれこれ考えるよりもまず、飯川を褒めるのが先だった。
「だから言っただろ? ちょろいって」
相変わらず口は減らないが、確かにやるときはやる男だ。
飯川はみんなに向かって言った。
「井桁の顔が写っているということは、この絵柄は何かの写真だ。間違いない」
「……写真ねえ」
と、植村恵美が呟く。
「でもまだ、何の写真かというのが分からない」
コンピュータールームに、しばらくの沈黙が訪れた。茂央の頭の中では、どうして井桁の顔が? という疑問が、グルグルと回っていた。
「ねえ、一つひとつのパズルを、じっくりと確認していけば? もしかしたら、それで分かってくるかもしれない」
中村梓がそう提案すると、大高、内田、長野以外の九人は、約千八百ピースを一つひとつ表にして、手掛かりになる絵柄を必死になって探した。
「わけが分からない物ばっかりですね」
だがこれが何の写真か分かれば、大きな収穫だ。神谷のその言葉が聞こえないくらい、茂央たちは集中していた。
「これ……足だよね?」
と、梅崎美保がみんなに見せる。
「うん。すねの辺りだね」
だがそれだけでは、写真の正体は判明しない。
「ねえねえこれ……」
今度は中村が注目を集めた。
「このツンツンとした頭……丹野君じゃないの?」
思わず丹野が声を上げる。
「ええ?」
「どれどれ」
と、茂央は中村からそれを受け取った。
「うん……そうっぽいね」
「見せて」
丹野に手渡すと、じっくりと眺めた後、
「間違いない」
と頷いた。
「ねえ、なんで? どうして井桁君と丹野君が?」
滝川の疑問は、みんなも抱いていることだった。
「どうなってるんだ……」
茂央がそう洩らすと、舛谷が言った。
「あ! これ……徳明館の制服ですよね? 胴体しか分かりませんけど」
舛谷の持つその一ピースを、全員は食い入るように見た。
「確かにそうだ。この制服だ」
茂央は自分の着ている制服を確認する。
グレーのブレザーに赤いネクタイ。まったく同じである。
「てゆうか、これ私の顔じゃない!」
植村恵美は驚きのあまり叫び声を上げ、それをみんなに見せた。
「本当だ! 植村さんまで」
茂央は、これまでに出てきた問題のピースを見つめながら頭を働かせた。
「もしかして……僕たち全員が、写っているんじゃないか?」
みんな、もう驚きはしなかった。同じクラスの人間が三人も出てきているのだ。むしろそう考えるのが自然である。
「でもさ……これは、誰?」
塚越が手に持っているパズルに写っている顔半分のそれが誰かは、茂央にも分からなかった。が、どこかで見た顔だ。それは明らかなのだが、名前がどうしても出てこない。
「誰だっけな……」
茂央は記憶を巻き戻し、思い出す。もう少しで答えが分かるのに、喉《のど》の辺りで止まってしまっている。
「そうだ!」
やっと分かった。
「内山君だ。内山……将史《まさし》だったっけかな」
やっと思い出した。彼は元A組の生徒だった。一年生の初めの頃に、成績があまり伸びずに、やめていったのではなかったか。
「ああ……そういえば」
舛谷が納得する一方で、
「いたっけ?」
と首を傾げる者の方が多かった。
「じゃあ……これは?」
神谷に一ピースを手渡された茂央は、すぐに答えた。
「これは高橋君だよ。二年生まで一緒にいたじゃないか」
「え? そうだっけ?」
まったく憶《おぼ》えていない表情を見せる神谷。
脇から、内田清美が嫌みたらしくこう言った。
「やめていった人間なんていちいち憶えていないでしょ、普通」
茂央は、その台詞《せりふ》にショックを受けた。名前は憶えていないにしても、顔くらいは。
いくら一人ひとりが敵とはいえ、そう簡単に存在を消せるのかと。いや初めから、他人のことなど、どうでもいいのだ。そして、もし自分が学校をやめたとしても、誰一人の記憶にも残らないのではないか。僕自身、冷たい人間の一人なのだから。思えばこの二年以上で、十一人もの生徒がA組からいなくなっているのだ。
ただ、写真の正体は見えてきた。
今いるクラスメートの顔。一年生の初めの頃にやめていった人間の顔。そして、制服。
もう、これしか考えられない。
この全員で写真を撮ったのは、たった一度だけだった。それは……。
「入学式に撮った、集合写真だ――」
茂央が洩《も》らすと、全員、頷《うなず》いた。
「そうでしょうね。でも……どうして集合写真がパズルに?」
中村のその質問には、茂央も答えられなかった。犯人はどうして……。
残された謎は多いが、ただこれだけは確信できる。この写真をパズルにした犯人たちは、最初から三年A組を狙っていたのだと。どのクラスでもいいというわけではなかったのだ。
「どうしよう、湯浅君」
舛谷にすがられた茂央は、
「今は、とにかくパズルの完成を一番に考えなきゃ。他に手はない」
「そうだね。何の写真かも分かった。多少は楽になるしね」
「でも見本はあった方がいいだろ? 今すぐ取り寄せるよ」
茂央は携帯電話を取りだし、一瞬|躊躇《ためら》ったが、自宅に電話をかけた。母ではなく、家政婦が出てくれることを祈る。
「どこにかけるの?」
中村に訊《き》かれ、茂央は、
「うん……ちょっとね」
と曖昧《あいまい》に返事した。
「もしもし?」
電話に出た相手は、何とも意外な人物だった。
「し、茂央か!」
その声に、茂央は心底驚いた。
「ど、どうしてお父様が……」
仕事は? 女は? 家庭なんてどうでもいいくせに、どうしてこんな時間に?
「茂央! 大丈夫なのか? 怪我はないのか」
「僕は……大丈夫です。でもどうしてお父様が家に」
「お前が心配だからに決まっているだろう。仕事なんてしている場合か!」
ここしばらく、両親のことばはすべて信用できなかった。それなのに、茂央は胸が一杯になってしまった。
「どうしたんだ。何かあったのか?」
「い、いえ……ちょっと」
「いいから何でも言いなさい。力になる」
こんなにも自分に積極的になってくれたのは、何年ぶりだろう。茂央はこの時、父に任せてみようと思った。
「実は、撮ってほしい物があるんです」
「撮ってほしい物って……写真か?」
「はい、そうです。僕の部屋に行ってください。机の一番下の引き出しに、高校の入学式の集合写真があるはずです。それをデジカメで何枚か撮ってほしいんです。送ってほしいアドレスを、これからお父様の携帯に送信しますので」
「まあ、それは大丈夫だと思うが……どうしてだ」
「それは後で話します。今は時間がないんです。お願いします」
「分かった。今すぐやる」
「ありがとうございます」
思えば、父とこんなに長く会話をしたのは、久しぶりだった。いつからだったろう、家族が崩壊し始めたのは。
「それよりも……」
「はい」
「本当に、無事なんだな?」
「心配いりません」
茂央は通話を切って、みんなに体を向けた。
「これで、そのパソコンに見本が届くはずだ」
「さすが湯浅君」
舛谷の言葉に、茂央は頷く。
「すぐに届くと思う。もうちょっと待って」
それから十分後、父から入学式の写真が送られてきた。
「よし……OKです!」
「じゃあそれを見本にして、引き続き舛谷君、飯川君、梅崎さん、滝川さんで作成を」
「はい」
舛谷は頷く。
「僕たちは早速、残りのパズルを探しに行こう」
茂央の合図で、作業は再開された。が、パズルの絵が入学式の時の集合写真だというあまりに意外な事実が判明した今、みなの頭の中は、かえって混乱状態に陥っていた。
パズルの絵柄が、入学式の時の写真?
一体、どういうわけ?
三階の植村恵美は苦戦していた。ゲームが開始されて最初に担当した実験室を再び調べることになったのだが、二十分以上が経った今も、まだ一ピースも発見できない。正直、もう見つけられる自信がなくなっていた。それに、パズルに自分たちが写っているという予想外の事実で頭が一杯で、探すのに集中できなくなっていた。
透明のビーカーの中を調べても意味はないし、生徒たちが実験を行う台の上を適当に探してみたところで、結果はしれている。本当にまだこの実験室にいくつかのパズルが隠されているのだろうか。仮にあるとしても、それがどこにあるのか、まったく頭に浮かんでこない。どうしよう。
そこで植村は、コンピュータールームにいる舛谷に連絡を入れることにした。指令役の彼はパソコンに細かくデータをインプットしている。少しは役に立ってもらわなければ。
「いや待って……駄目よ。頼れるのは自分の力だけよ。今までもそうだったじゃない」
携帯を取りだした植村は、即座にそれを引っ込めた。
人の力なんて借りるもんか。
植村恵美には、近くに住む一つ年下の従妹がいる。お盆や正月になると、決まって顔を合わせるのだが、そこで必ず、二人は比べられていた。別に彼女より劣っているわけではない。むしろ優れている。が、小さな頃からそれが続いていたせいで、恵美は人よりも負けん気の強い女の子になっていた。何より他人に手を貸してもらうのが嫌いで、すべて自分の力でやらないと気が済まない。特に、テストの点には敏感だった。同じラインにいる生徒には一点だって負けたくないし、勝つために徹底的に努力をした。その結果、この徳明館にだって入れたのだ。しかも、特別クラスだ。次は、クラスのトップを取ってみせる。
そんな私が、他人の手を借りられるか?
植村は自分にそう問いかけ、深く考え込んだ。
確かに人に助けてもらいたくはない。だが今は、わけが違うのではないだろうか。
でも……。
どうする……。
「……よし」
今まではライバルとして見てきた人間に頼るのは躊躇《ためら》われたが、もうそれしか方法がない。
植村は、携帯電話で舛谷に連絡を入れた。
「もしもし。植村ですけど」
「あ、植村さん、どうしました? いくつか、見つけられました?」
いきなり手を貸してほしいというのはプライドが許さない。植村はまず探りをいれた。
「みんなは、どう? いくつか報告はあった?」
舛谷は重い口調で応《こた》えた。
「いや、あまり見つけだせてないみたいです。僕も各部屋のデータを見て、まだ探していない細かい箇所をピックアップしては連絡をしていってるんですが……思い通りにはいきません。でもパズル作成の方は、飯川君と梅崎さんと滝川さんがいいペースではめこんでいってくれています。パズルの絵柄が分かったので、ずいぶん楽になりました」
今しかない。植村は切り出した。
「それで、実験室はどう? ありそうな所、ある?」
自然を装って尋ねると、舛谷は実験室、実験室とそう呟《つぶや》きながら、データを参照している様子だった。キーボードをカタカタと叩《たた》く音が微《かす》かに聞こえてくる。
「ちょっと待ってください……う〜ん、このデータからすると、もうほとんどの箇所を探してますよねえ」
「でも、まだあるんじゃないかしら。見落としている可能性は確かにあると思うし」
「そうだな……部屋にテレビがありますよね?」
そう言われ、植村は黒い台の上に載っている二十インチのテレビに目をやった。
テレビのあたりだって、探しているわよ。
「ええ。まあ、あるけど?」
「まさかとは思いますが、テレビのリモコンの電池を入れる所はどうです?」
まさに、まさかの発想だったが、調べていないのも確かだった。
でも、そんな所に?
そう疑問を抱きながらも、言われたとおり、植村はリモコンの電池を入れる蓋《ふた》を開けてみた。すると、やはり結果は予想通りだった。
「ないわよ」
そう冷たく言い放つと、舛谷はすぐに他を考え始めた。
「それじゃあ……人体模型の、脳の部分はどうでしょう。確か、開くようになってますよね?」
植村は気味の悪い人体模型の脳の部分をパカッと開けてみた。するとなんと、今までずっと苦戦していたのが嘘だったかのように、いとも簡単に一ピースを見つけだすことが出来たのだ。
これは絵柄は……男子の足の部分?
「あ、あった……」
思わず驚きの声を洩《も》らすと、舛谷は嬉《うれ》しそうに声を上げた。
「そうですか。よかった。それじゃあ、次は……これは一年B組の例なんですが、黒板クリーナーがあるでしょう? 粉まみれで、嫌だとは思いますが、粉が溜《た》まっている部分を見てみてください。もしかしたら、あるかもしれません」
確かに、そこも調べてはいなかった。初めから頭になかったのだろう。
「ありました?」
まだ動いていないにもかかわらず急《せ》かしてくる舛谷に、いま調べてみる、と少し強く言って、植村はクリーナーの粉を溜める部分を確認した。本音からすれば、こんな汚いところに犯人が隠すわけがないと思っていた。が、舛谷の言うとおり、そこにも一ピースが粉に埋もれていたのだ。
「……あ、あったわ」
残り少なくなったパズルが見つかり、本来なら喜ぶべきところなのだ。なのになぜか無性に悔しかった。
「よかった! では、次ですけど……」
これでは、何だか舛谷に命令されているようで癪《しやく》だ。
「う〜ん……そうだな、実験の時に使う、マッチ棒の小さい箱が、となりの実験準備室にいくつかありますよね? その中とかは?」
植村は不機嫌そうに頷《うなず》き、準備室の棚の中にあるいくつもの小さいマッチ箱の中を一つずつ調べていった。するとやはり、二十箱のうちの一つに、一ピースが隠されていた。
パソコンのデータだけで、どうしてこんなに的中するのよ。あんた適当に言っているだけじゃない!
「どうです? ありました?」
あれだけ色々と探したのになぜ、と腹を立てていた植村は舛谷の声でハッとなり、渋々と負けを認めた。
「あったわよ」
「え? よく聞こえませんが」
何なのよこいつ!
「あったわよ!」
と声を張り上げると、舛谷の穏やかな声が返ってきた。
「ありました? それはさすがに意外だったですね。それでは、次の場所ですが……」
これ以上、舛谷に指図されるのが許せなかった植村は、すぐに口を挟んだ。
「もういいわ」
「え?」
「あとは自分で探すわよ」
そう言うと、舛谷は不満そうに、
「大丈夫ですか?」
と訊《き》いてきた。
「当たり前でしょ」
間髪入れずに強く言い返すと、舛谷は弱々しく了解した。
「わかりました。では、いくつか見つけたら、電話ください」
植村は何も返事をせずに、舛谷との通話を切った。
「何なのよまったく……少しくらい予想が当たったからって」
今は意地を張っている場合ではないと分かっているにもかかわらず、大人になれなかった。
「私だって……」
悔しさをバネに、パズル探しに意気込んだ植村は、まだ調べていない、誰も予測はしないだろうと思う箇所を、徹底して探してみた。が、結果は一人の時と同じだった。一ピースも収穫を得られなかった。
「もう……」
苛立《いらだ》ちをあらわにし、植村は床にへたり込み、ため息を吐いた。
もう見つからないわよ。一体あと、校舎にはいくつ隠されているの? そして、この実験室には。
時計を見ると、針は容赦なく時を刻んでいく。
「明日の十二時まで、あと……」
残りの時間を計算していたその時、安田が三留のように銃で撃たれる映像が頭の中をよぎり、植村はそれをすぐに消去した。そして立ち上がり、これ以上あるかどうかも分からない実験室でパズルの破片を、必死に探し続けた。
6
午後十一時五十五分。
あと五分で日付が変わろうとしていたその時、職員室では、安田に三度目の罰が与えられようとしていた。
リーダーは銃を右手に持ち、上半身裸の安田に近づき、こう言った。
「先生。これが、最後の罰となります。これまでよく辛抱してくれました。あとは、十二時間後の運命の時を待つだけです。生きるか、死ぬか……もうじき、その審判もくだされます」
安田は男に追いつめられた獣のような目を向けた。
「そんな目で見ないでください。その怒りは、自分の生徒たちにむけるべきでしょう。彼らがパズルを早く完成させていれば、先生も痛い目に遭わずに済んだのですから」
当然、安田は何も言い返せない。
「ですが、彼らは本当に偉いですよ。そう思いませんか? 他人の命を、それもあなたのようなひどい教師を助けるために、必死になって動いている。いい生徒たちをもった先生が羨《うらや》ましいくらいだ」
安田は何かを言いたそうに、口をモゴモゴと動かしている。
「大丈夫、彼らはコツコツとパズルの数を減らしていってるみたいですよ。まあ一度はルールを破ってしまいましたが、むしろその頑張りを褒めてあげるべきです」
安田はそれを否定するように、首を激しく横に振った。
「生徒たちの今の状況を知りたいんじゃないんですか? じゃあ、何が言いたいんです」
何も喋《しやべ》れない安田にそう質問し、男は時計をちらりと確認すると、にやっと不気味に微笑んだ。
「そろそろ時間です。ほんの少し、我慢してくださいね」
そう告げると、それが合図のように、三人の仲間が安田の体をしっかりと押さえつけた。
「先生の言いたいことは、分かってます。そう――さっきも言ったように、私たちは最初からA組が目的だったのですから」
そう言って、男が安田にさらに近づくと、職員室には、ゲーム開始以来三度目の、くぐもった叫び声が響き渡った。
それから二時間後……午前二時。
コンピュータールームで指揮をとっていた舛谷は、時計の針と、飯川、梅崎、滝川の手で作られていく未完成のパズルを見比べながら、落ち着かずあっちへ行ったり戻ったりを繰り返していた。タイムリミットが刻一刻と迫っているのに、未発見のパズルの数が一向に減らないのだ。
七時半の段階で残りが百八十ピースまで詰め寄っていたので、このまま頑張れば明日の正午までには何とかすべてを見つけだし、パズルを完成させられるかもしれないと期待していた。が、あれから約七時間が経ったのに、約八十ピースしか減らせていない。しかも、ペースは悪くなる一方だ。残り十時間で百ピースはかなり厳しいのではないか、というのが正直なところだった。入学式の写真を見本に作成の方をスムーズに進めているのに、最終的にパズルがすべて見つからなければ何の意味もない。
何かいい方法はないだろうか。
いっそ、僕も探しに出ようか。
「いや……駄目だ」
今は誰からも連絡はないが、必ずデータを参考にしたいと電話をしてくる者がいる。その時にコンピュータールームにいなければ意味はない。それに、ピースが見つかる数が減っているので、パズルを枠にはめこむ作業も任されている。
となると、やはりじっと待っているしかないのか?
指令役が重要な任務だとは分かっているが、じっとしているのが堪《たま》らなかった。みんなにどう思われているのだろうと考えると、怖かった。かと言って闇雲に探しに出る勇気もなく、こうして心配することしかできない。
「ねえ舛谷君」
後ろから梅崎に声をかけられ、舛谷は振り向く。
「そんな所でボーッと立ってないで、早く手伝ってよ」
注意された舛谷は苦笑を浮かべた。
「は、はい。分かりました」
枠の中を見ると、見本の効果は抜群だった。かなりのペースで、入学式の写真は完成していっている。とにかく頭だけは優秀な生徒たちの手によって作られているのだ。それも当然だった。
これなら作成の方は、僕一人でも大丈夫かもしれない。飯川や梅崎や滝川に現場に戻ってもらった方が、効率的だろう。
「みんなはパズルを探してきてください。ここまでくれば、もう大丈夫。僕一人でできますよ」
そのことばに、飯川が意外そうな顔を見せた。
「本当に大丈夫か?」
「ええ。残っているのは、三百くらいです。これなら一人で」
滝川と梅崎は顔を見合わせる。
「じゃあ、任せよっか」
「そうね」
三人は立ち上がり、コンピュータールームから出ていった。
「お願いしますね!」
と声をかけたが、疲れ切った三人から声は返ってこなかった。
「よし」
未完成のパズルと向き合う。舛谷は意気込んでバラバラのピースを手にとり、一つひとつ枠にはめ込んでいく。
携帯に電話がかかってこないのが気になる。みんな、見つけだせているのだろうか?
舛谷は、時計を確認してから、弱々しくこう呟《つぶや》いた。
「あと十時間で……本当に大丈夫かなぁ」
7
「分かった。言われたところを、すべて探してみるよ。他のみんなの事も頼んだよ」
茂央は舛谷との通話を切ると、深いため息を吐いた。
ふと気がつけば、時計の針は午前五時を回っている。鳥の鳴き声が、微《かす》かに聞こえていた。
「もう、朝か」
とうとう、残り七時間を切ってしまった。
もうじきこのゲームのタイムリミットがきてしまう。そして、すべての幕が下りる。安田を助けられるのだろうか。それに僕たちはどうなるのだろう? だが全員無事に事件が解決したとしても……悔やまれるのは、三留のことだ。何の罪もないまま殺されたのだから。
茂央は今、自分の担当した講師室を再び調べていた。思い通りにパズルを見つけられず、舛谷に電話をしたのだ。まだ八十ピースも残っているらしく、このままじゃ本当にまずい、と舛谷も焦りの言葉を洩《も》らしていた。
確かにまずい。二千ピースあったパズルも、父が画像を送ってくれたおかげで、ほぼ完成していた。A組の入学式の集合写真はもうじき出来上がる段階までやってきたのだ。しかしもう一歩のところで、なかなか前に進めない。それに、昨日からろくに寝ていない十三人の疲労も、限界に達していた。特に、他の十二人に比べて休息の短かった茂央は、もう今にも倒れそうだった。それでも足をふらつかせながら、必死になって、残りのパズルを探していたのだ。
「まずは……えんぴつ削りのカスの中」
舛谷の指示を頭の中で整理して、そう呟きながら、講師が使うえんぴつ削りの削りカス容器の中を調べた。
「……ない」
期待とは裏腹に、モジャモジャとしたえんぴつの削りカスがたまっているだけだった。
落ち込んでいる余裕はない。茂央は足を動かす。
「次は……CDラジカセのカセットを挿入する部分」
いちいち声を出して確認しなければ、脳と体が機能してくれなかった。
頼むから、見つかってくれ。
そう願いを込めて、茂央はラジカセの蓋《ふた》を開けるボタンを押した。が、結果は同じだった。
「……ないよ」
不意に、眩暈《めまい》に襲われた茂央は、その場でガクンとかがみ込んで、目頭を押さえる。
生まれて一度も、こんな過酷な試練を味わったことなどなかった。スパルタ教育の中で育ったとはいえ、何不自由ない生活を送ってきた。体と頭を同時に動かすのがこんなにきついなんて……。勉強づけで名誉ある徳明館高等学校に入り、特別クラスでトップにもなった。だが、誰もが面白みのないガリ勉と白い目で見られていた。だから、友達がほしくて……。
いや、何も考えるな。今はパズル探しに集中するのだ。
「次は……」
舛谷のアドバイス通りに調べていく。
「非常用懐中電灯の電池を入れるところ」
が、しかし。
ない。
次。
ない。
ない。
「どうして……」
希望の光が一つ失われるごとに、茂央が受けるダメージは大きかった。
「次……」
力無くそう洩らし、重たい体を動かそうとしたその時だった。目の端に、中村梓の姿が映った。
「中村さん……」
廊下に立っていた中村は講師室の中に入り、こちらにやって来た。
「どうか……した?」
「どう? パズルあった?」
と訊《き》かれ、茂央は残念そうに首を横に振った。
「全然、見つからない。どこを探してもないんだ。この中にまだ残っているのかも分からないし……正直、まいったよ。中村さんはどう? あれから見つかった?」
中村の答えも、同じだった。
「駄目。どこをどう探しても、まったく見つからない。考えていた以上に、パズルを完成させるのは難しいわ」
みんなの前では弱音を吐かなかった中村がとうとう、諦《あきら》めの言葉を口にした。だが、残り時間とパズルの数を考えれば、それも仕方がない。男の茂央ですら体力が限界なのだ。
「確かに、今のままじゃ完成させるのは難しいかもしれない。でも、ここで止めたら……」
それ以上は、言葉にならなかった。が、中村はそういう意味じゃないという風に、違う、と小さく呟いた。
「え? じゃあ……」
その先を言おうとすると、中村はハッキリとこう言った。
「頑張っても、完成させられない気がする」
「どういうこと?」
「こんな時にこんなことを言うのはあれかもしれないけれど、さっきね、思ったんだけど……これは、犯人たちの罠《わな》なんじゃないかしら」
「罠? 罠って?」
「だから、最初からパズルは完成できないようになっているんじゃないかしら。例えば、隠したといっても、絶対に見つけられないような所にパズルを置いていたりとか」
確かに、考えられないわけではない。もしそうだったとしたら、この時点で既にゲームオーバーだ。が、そんなことをして、何の意味がある? 犯人たちはこんなゲームなどせず、最初から安田を殺してもいいのだ。
「どうしてそう思う?」
「ううん。理由があるってわけじゃないんだけど、これだけ探しても見つからないっていうのは……そうなんじゃないかなって、ふと思っただけ」
「考えすぎじゃないかな……第一、奴らにとってまったく意味がない」
「だったら……いいんだけど」
その時、茂央の携帯電話が鳴った。
「もしもし?」
かけてきたのは舛谷だった。
「もしもし、湯浅君?」
「どうか、した?」
そう訊くと、舛谷は明るくこう言った。
「今、丹野君と飯川君と滝川さんから連絡がありました。三人合わせて十五ピースも見つけられたそうです」
「それは良かった。こっちも頑張らないと」
そう言って、茂央は中村と目を合わせ、強く頷《うなず》いた。
「ええ。あと六十五くらいですから、もう少し頑張れば、なんとか」
「分かった。それじゃあ、また何か分かったら、連絡をください」
茂央は通話を切った。
「丹野君と飯川君と滝川さんから連絡があったらしくて、合計で十五ピースを減らせたそうです」
それを聞くと中村の表情も、少しだけ和らいだ。
「そう。よかった」
「あともう少しです。頑張りましょう」
「そうだね。じゃあ私、もう行くね。こんなことをしている余裕、ないもんね」
中村の後ろ姿を見守りながら、茂央は思った。そうだ、探すしかない。
「もう少し……もう少しだ」
まもなく、夜が明けようとしていた。
8
『……死亡者が一人いるとの情報もあります。繰り返します。事件が起きてから、既に四十時間以上が経過した今も、人質にされている教師と、校舎の中にいる十三人の生徒たちは未《いま》だ解放されてはおりません。犯人グループは警察の説得にも一切応じようとせず、ただ、今日の正午にすべてが終わる、とだけ言っているそうです』
カメラに向かって興奮気味に喋《しやべ》るリポーターの姿を、リモコンで消した。
今、みんなはどんな状況なんだろうか?
ゲームの開始と同時に逃げ出した井桁健一は、十五畳もある自分の部屋のベッドの上にいた。
僕は、何て弱虫なんだ。
朝の八時を回り、タイムリミットまで、あと四時間を切った。死んだというのは三留なのだろうか。確かに足からの出血はひどかった……。もし正午までにパズルを完成させられなければ、三留のように、安田も殺されるのか。ひょっとしたら、みんなも……。
それでいいのか?
自分のせいでもあるんだぞ。
校舎から逃げ出した井桁は、大平と共に警察にすべての事情を話した。帰宅するよう指示が出されて家に帰ったものの、ずっと己の中では葛藤《かつとう》していた。やはり戻るべきではないのか? 一緒にクラスメートたちを見捨てた大平は、今ごろどう考えているのだろう。
だが万が一、三留のように犠牲になったらどうするのだ?
と考えると、結局、勇気の一歩を踏み出せなかった。人の命がかかっているにもかかわらず、母の命令で予定通り塾へ行った。両親と外食でおいしい物を食べ、満面の笑みを浮かべた。が、十七にもなって親の言いなりになっている自分が嫌で嫌でたまらなくなった。
「僕は……」
そう呟《つぶや》いて、改めて時計を確認する。
今なら、まだ間に合うのではないか?
ここで動かなければ、自分は一生、変われない。両親の大事なぬいぐるみのままだ。それでいいのか? だったら動け。いや、でも……。
肝心なところで一歩、足が出ない。出せない。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
「健一さん? 入ってもいいかしら」
出ろ。この部屋を、家を飛び出せ。
「ど、どうぞ」
部屋の中に入ってきた母は、こう言った。
「朝食が出来たわよ。パジャマから着替えて、早く下へおりてらっしゃい。今日はこのあと臨時で家庭教師の先生にも来てもらう予定になっているんだから、ゆっくりなんてしていられないのよ」
家庭教師? こんな時にまだ勉強か?
もう、言いなりは嫌だ。
「今のうちに、クラスのみんなとの差を広げないとね? 健一さん?」
今のうちに、差を広げる……?
みんながあのゲームをさせられている時に?
井桁は何も言わず、パジャマから洋服に急いで着替え始めた。
「そう。テキパキとね。じゃないと社会に出ても、後れをとってしまうわよ。じゃあ健一さん、下で待っていますからね」
そう告げて部屋から出ていく母の背中に向かって、井桁はこう呟いた。
「行きませんよ」
「え? 何か言った?」
「下へは、行きません」
突然の変化に、母は顔を引きつらせている。
「ど、どういうこと?」
「だから、下へは行きません。朝食なんかとっている場合じゃないんだ」
「な、何を言っているの?」
そこで井桁は、勇気を振り絞って、ハッキリとこう言った。
「僕は、学校へ戻ります」
「……え?」
「僕は、変わらなきゃいけない。大人になるために。一人になっても生きていけるようにならなければならないんです。ごめんなさい。行ってきます」
洋服に着替え終えた井桁は、母に頭を下げて、部屋を出た。
「ま、ま、待ちなさい!」
階段を下りているとようやく我に返った母の怒声が飛んできた。井桁は急いで靴を履く。
「あなたが危険な目に遭う必要はないの! お願いだからいかないで! ね? お願い! 健一さん!」
それが母の最後の手段だった。そう頼み込めば、息子は自分の手元に戻ってくると思っているのだろうか。が、井桁にはもう迷いはなかった。
「ごめんなさい」
ただそれだけを言って家を飛び出した。玄関からは、母の泣き叫ぶ声が聞こえていた。
9
茂央は、かつてない焦りを感じていた。つい五、六時間前までは、完成させるのが厳しいと思っていても、心のどこかでは必ずクリアできるという気持ちが微《かす》かにあった。だから他人を慰めたり、説得する余裕もあったのだ。だが、九時半を回り、残りが二時間半を切っても、まだ見つかっていないパズルが三十五ピースもある。心の底からの危機感は、むしろ恐怖に近かった。
これじゃあ、無理だ。
もう心も体も限界に達していた。立っていることすら辛《つら》かった。頭もぼんやりしている。
だからって、本当に探すのを止めてしまうのか? こんなところでギブアップするのか?
すると、怒りと悔しさがこみ上げてくる。
負けたくはない。勉強しか出来ない人間だとは思われたくない。それに、思い出せ。安田を必ず救ってみせるんじゃなかったのか。三留のためにも、このゲームを終わらせるんだ。自分が一番、みんなに諦《あきら》めるなと言っていたのではないのか。
さあ、動け。
「……よし!」
自分に活を入れた茂央は、一年C組の教室を、半ばがむしゃらになって探した。
ない。
ここも、ない。
見つからない。
諦めるな。探し続けるんだ。
「次!」
茂央は、授業で使う教材ビデオに目を留めて、テープをケースから抜き取った。だが、ケースの中にパズルは隠されてはいなかった。
くそ!
手を休めず、次に茂央は、教卓のイスにかかっている白衣のポケットを調べた。が、パズルの感触はない。
駄目だ。こんな簡単な所にはもうパズルはないんだ。もっともっと頭を捻《ひね》らなければ、犯人たちには勝てない。
時計の針が、一秒、また一秒と時を刻んでいく。
見つけなきゃ。見つけなきゃ。
何かに取り憑《つ》かれたように探し続ける。
その執念が、貴重な一ピースにつながった。誰の作品かは知る由もないが、山が描かれた絵の額縁を取り外すと、作品の裏に貼りつけられてあったのだ。
「見つけた……見つけたぞ!」
これであと……。
「何ピースだ?」
と呟いた、その時だった。茂央の耳に、慌ただしい声が聞こえてきた。
外か?
窓から外を確認すると、大勢の警官が誰かを囲み、何やら揉《も》めている様子だった。
「一体……なにが?」
と、大勢の警官たちの中から、思いがけない人物が飛び出してきた。
「井桁君!」
どうして彼がここに?
そうか……帰ってきてくれたのだ! 協力してくれる気になったのだ!
井桁は、追いすがる警官たちを振り切って、校舎の方に走り出した。茂央は急いで携帯電話で舛谷に連絡を入れた。
パズルの探し手が一人増えるだけでも、とにかくありがたい。
いける! いけるぞ!
「もしもし舛谷君? 今すぐ全員を集めてもらえるかな。井桁君が帰ってきてくれたんだ!」
10
井桁が帰ってきたという舛谷の連絡で、全員がコンピュータールームに集まった。あんなに苦労したパズルも、発見された分は一つ残らず枠にはめられている。入学式の写真完成は、もう間近だった。井桁もここへ戻ってくる。希望は、まだある……。
「井桁が戻ってくるって本当なの? 何よ今頃!」
疲れ果てた表情の内田清美が、舛谷に言った。横から茂央が答えた。
「まあそう言わずに。帰ってきたら、快く迎えてあげましょう。彼も相当、迷ったはずです」
「ふん、別に……」
そういう反応も仕方ないと茂央は思った。みんな今まで、辛い思いをしてきたのだから。でも井桁が加われば、確実にプラスになる。この状況を逆転だってできるはずだ。
「今もらった六ピース、はめこみ終わりました。あと、二十九ピースですね」
そう言いながら、舛谷も輪に加わった。
「うん。あと二時間で、その数は厳しいかもしれないけど、でも……」
茂央が、その先を言おうとすると、横から長野邦子が突然、割って入ってきた。
「といっても、あと二時間で約三十ピースは無理でしょう。今の六ピースだって、どれだけ時間がかかったと思っているの?」
十三人もいれば、こういう意見を持つ人間がいるのは仕方ない。が今は、今だけは諦めかかったことばを言ってもらいたくはなかった。
「でも、長野さん」
他の者の気持ちが流されないよう、茂央は必死になって説得しようとする。が、長野は引かなかった。
「いや、別にあなたのせいじゃないわ。二千ピースを十三人で完成させるなんて条件、最初から無理だったのよ」
「それを言ったらおしまいだよ。じゃあ、先生はどうなる?」
そう言うと、長野は黙り込んでしまった。
今は討論などしている場合じゃないことくらいは分かっていた。
ここにみんなを集めたのは、井桁が戻ってくるからだ。それによって、みんなが一つになればいいと思って……。
「井桁君!」
突然、舛谷が扉の方に向かって声を上げた。十二人の目が、一斉に井桁に集中した。
「おかえり! 井桁君。待ってたよ」
茂央がそう言うと、井桁は申し訳なさそうにコクリと頷《うなず》いた。
だが帰ってきた理由など訊《き》いていられなかった。
「さあ、入って。もう時間がないんだ。君にもパズルを探してもらうよ」
なかなか部屋に入ろうとしない井桁の腕をとり、茂央はみんなの前に連れていった。
「みんな! 井桁君が帰ってきてくれたよ。あと二時間を十四人で探そう。ね!」
明るくそう呼びかけたが、当然、今さらなに帰ってきてんだよ、という表情を浮かべる者がいるのも無理はなかった。
「さあ! ラストスパートだ。行こう」
改めてそう呼びかけると、一人、二人と床から立ち上がった。しかし、大高や神谷や長野や内田はふてくされた表情を浮かべて立ち上がろうとしない。すると、ずっと黙っていた井桁が、ようやく口を開いた。
「みなさん、ごめんなさい。怖くて、一度はここから逃げました。けれど、何をやっていても、ずっとみんなの様子が気になっていて、このままじゃ自分自身にも絶対によくないって、家から飛び出してきました。家族にも警察にも止められたけど……。今さらって思われるのは仕方ないけど、パズルを一緒に探させてください。協力させてください。お願いします」
茂央は井桁の肩を軽く叩《たた》いた。
「大丈夫。みんなも分かってくれるよ。逃げ出したいと思うのも、無理のないことなんだから」
そして、まだ立ち上がらない四人に向かって説得を試みる。
「井桁君だってこうして謝っているんだから、立ち上がろうよ。さあ!」
だが、四人のうち一人として立ち上がろうとする者はいない。
この四人はほっておいて、探しに行った方がいいのか? そうしなければ、もう時間が……。
ところが、その時だった。約束の十二時にはまだ時間はあるはずなのに、再びスピーカーからリーダーの男の声が聞こえてきたのだ。
『A組の粘り強く、優秀な諸君。コンピュータールームに集まり、プロジェクターとマイクのスイッチを今すぐに入れろ』
その命令に、十四人は怪訝《けげん》な表情を浮かべた。
「ぼ、僕、行ってきます」
そう言って、舛谷は急いで、スイッチを入れた。
タイムリミットが迫っているこの時に、一体、何だ?
茂央はそう疑問を抱きながら、プロジェクターに目をやった。
「これはこれは。既に全員が集まっているようだな」
久々に姿を現した主犯の後ろには、五人の仲間たちと、憔悴《しようすい》しきっている安田の姿があった。血まみれの三留はもう、画面の脇に邪険にずらされている。
「こんな時に、なんです?」
恐る恐る茂央がそう訊くと、男はクックックと笑った。
「どうやらあまり雰囲気がよくないようだな。どうした? ここへきて、仲間割れかね?」
「冷やかすだけなら、僕たちはもうパズルを探しに行きますよ」
いきり立つ茂央に、男は宥《なだ》めるように言った。
「別に冷やかすために、わざわざ集めたわけじゃない」
「じゃあ、なんです」
「今、何時か分かっているかな? 念のために時間を確認してあげよう。あと二時間でゲームが終了する。パズルはどれだけ残っているかな? まさかまだ二十も三十も残ってるなんてことはないだろうね。時間内にパズルを完成させられなければ、君たちの先生は即、殺す。まあその時は、自分たちが負けたんだと素直に受け入れるんだな。ではさらばだ。
……と言いたいところだが、君たちの仲間が一人、戻ってきただろう。外が妙に慌ただしいと思って確認したら、そこの彼が校舎に入っていくのが分かってね」
茂央は井桁と目を合わせた。
「だから、何が言いたいんです?」
「まあそう焦るな。私たちは、君たちにラストチャンスを与えてやろうというんだ」
茂央は思わず、
「ラストチャンス?」
と繰り返してしまった。
「そうだ。君たちには願ってもないチャンスだ。これで見事に先生を助けられるかもしれないぞ。さあ、あと何ピース残っているか教えてもらおうか?」
茂央は正直に答えた。
「二十九ピースです。でも、どうして……」
「ま、言ってみれば、そこの彼が戻ってきたご褒美、かな。私は今、感動しているんだよ。一度逃げた者が帰ってくるというのは、かなりの勇気が必要だ。むしろ拍手を送りたいくらいだ」
「ご褒美?」
何のつもりだ、と茂央は思う。
「実は、君たちには申し訳ないが、いくつかのパズルを特別に、絶対に見つけられないだろうという箇所に隠していた。そうしないとスリルがないだろ? 簡単に見つかる場所ばかりに隠したら、探す方だってつまらないだろうしね」
ふざけるな! つまる、つまらないの問題ではない。
「で、どんなチャンスを与えてくれるんです?」
十時十分。もう時間はない。
「その特別な場所を、これから教えてやろうと思ってね。もちろんそれ以外の所は、残りの時間でしっかりと探してもらうことになるが」
何だか馬鹿にされているようで悔しいが、そんなことを言っている場合ではなかった。向こうから隠し場所を教えてくれると言うのなら、拒む理由はどこにもない。
「だけどそれが本当なのかどうか、分からないわよ」
またも、横から長野が口を挟んできた。
「信じるか信じないかは、君たちの勝手だ。しかし、まともに探していたんでは、完成させるのはもう無理なんじゃないのかな?」
確かにそうだ。このままでは、どうやってもゲームをクリアするのは困難だ。
「わ、分かりました。それで、絶対に見つからない場所というのは、どこなんです?」
あと残っているパズルは、二十九ピース。
男が一つでも多く、その場所を教えてくれれば、そして、その箇所とデータが一致すれば、一時間五十分を切った今でも、全員が希望を持てるのだが。
「それでは、一箇所一箇所、ゆっくりと言っていく。ただし一度しか言わない。聞き逃すことのないように」
男はそう言って、仲間から一枚のメモ用紙を受け取った。それを見て、茂央がすぐさま舛谷に合図すると、
「OKです」
と、既にパソコンの前で準備を整えている。
「まず、一階の保健室」
男がそう言うと、舛谷はカタカタとキーボードを叩いた。
「保健室には、特別に隠したのが二カ所あるそうだ。まず一つは、茶色の氷枕の中。もう一つは、ハハハ……これはひっかけかな。身長計の柱のてっぺんに置いてあるそうだ」
そこがまだ見つかっていない場所であるよう、茂央は祈った。
「では、次。一年C組」
自分がずっと探していた場所だ!
「これも難しかったかな。掃除用具入れの上の天井部分に、セロハンテープで貼ってある」
掃除用具入れの上の天井にセロハンテープ?
あんな暗い場所に、しかもセロハンテープで貼られたりしたら見つからないのも当然だ。
そこには確実にパズルは残っている。
「では、次。職員用女子トイレ」
そんな狭い場所にも……。
「これもかなり頭を捻《ひね》らなければ見つけられないだろう。入って三つ目の洋式トイレの、まだ紙に包まれた新品のトイレットペーパーの筒の中にある」
それを聞いて、茂央はため息を吐いた。四十八時間で二千ピースを探さなければならないのに、そんな難しい所に隠されてはお手上げだ。
「次は講師室」
また自分の担当場所か。茂央は己を責めた。
「ここにはノートパソコンが置いてある机が二つあるが、黒いパソコンの方、CDを入れる場所に、入れてある」
その答えには、もう呆《あき》れるしかなかった。
誰がそんな所を思いつく?
「次は三階の実験室」
男がそう発表すると、私だ、と植村恵美がそう呟いた。
「ここのゴミ箱に、グチャグチャに丸められた紙がある。その紙の中に、隠されている」
男は、一定のテンポを保ち、まるでテストの答え合わせをしていくかのように、淡々と隠し場所を言っていった。
次。
次。
次。
「ラストは四階の音楽室にあるアコースティックギターの一本だ。どこに、と思うだろうが、ギターには丸い穴があいているだろ? その中にある」
と男はそう言って、メモ用紙からこちらに顔を向けた。
「それが特別に隠してあった、すべての場所なんですね?」
長い発表が終わり、茂央がそう念を押すと、男は、そうだ、と言って続けた。
「いま私が言った隠し場所のうち、君たちがいくつ発見できているかは知らない。だが、恐らくほとんどの箇所を見逃しているんじゃないか? もしそうだとしたら、それらを追加すれば、君たちにも十分、勝利の可能性はある。諦《あきら》めるのは容易だ。でも、優秀かつ頑張り屋の君たちのことだ。そう簡単にギブアップはしないはずだな? 最後の最後まで私たちを楽しませてくれ。期待しているよ。あと二時間を切っている。まずは私が言った場所を探し、残りの時間で残りのパズルを見つけるべきだろう。では、健闘を祈る。十二時ちょうどに、また会おう」
男はプロジェクターから姿を消した。時計の針は、十時二十五分を示していた。茂央はすぐに、舛谷に駆け寄った。
「どう? 全部でいくつ?」
そう尋ねると、舛谷はパソコンを見ながら、こう言った。
「三十四カ所です。そのうち、見つかっていないのは……二十五カ所ですね」
「と、いうことは……」
それを追加すれば、あと、四ピース。
「湯浅君。急ぎましょう!」
舛谷にそう言われ、茂央は強く頷《うなず》いた。これで本当に残りが四ピースになれば、ゴールはもうすぐだ。みんなの気持ちも、一つになれるかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
動き出そうとしていたその時、神谷健太郎が小さく手を挙げた。
「何?」
「犯人がいま言ったこと……信じるんですか?」
「神谷君。僕たちにはもう時間もないし、探すあてもない。どっちにしたって、奴の言った所を調べてみるしかないよ」
反論する者は一人もいなかった。みんなもそれくらい、分かっているのだ。
「それじゃあ探しに行こう。分担は、自分が担当していた場所だ。ちなみに、奴が言った中で、自分が担当している場所が一つもなかった人は、いる?」
茂央がそう確認すると、誰からも手は挙がらなかった。
「湯浅君……僕は」
隣にいる井桁にそう訊《き》かれ、茂央はどうしようかと考えた。
「それじゃあ井桁君は、講師室の黒いノートパソコンを調べてください。その中に、残りの一つが入っているはずです」
「わかりました」
これで、動き出せる。
「よし行こう! 見つけたら、すぐにここへ戻ってくること!」
それが合図となり、舛谷を除いた十三人は、校舎中に散らばった。
一年C組に着いた茂央は、急いで掃除用具入れの真上を確認した。すると、奴が言ったとおり、セロハンテープで貼られた一ピースを発見できた。
こんなに簡単に見つけられるとは。
「……あった」
そう呟《つぶや》いて、慎重にテープをはがし、茂央はそのパズルをじっくりと見た。
「これは……スーツだから先生の足だな」
パズルの完成している部分の絵柄からしても、間違いなかった。
「湯浅君!」
同じ一階の講師室を任せた井桁が、教室にやって来た。
「どう? あった?」
そう尋ねると、井桁はコクリと頷き、こちらにそのパズルを見せてきた。
「よし! それじゃあ、コンピュータールームに戻ろうか」
「それより……湯浅君」
神妙な顔つきの井桁に、茂央は、
「ん? どうしたの?」
と返事した。だが、井桁は下を向いたまま、口を開こうとはしない。
「どうしたんだよ」
改めてそう聞き返すと、井桁は気まずそうに、ごめんなさい、と呟いた。
「え? 何が」
「いや……だから、今さらノコノコと帰ってきたりして」
茂央は優しく微笑み、肩に軽く手を置いた。
「そんなことないよ。僕は、君が帰ってきてくれて本当に嬉《うれ》しかった。これからは一緒に、パズルを完成させよう」
茂央がそう励ますと、井桁はコクリと頷いた。
「そうですね」
「さあ、戻ろう」
「わかりました」
二人は、四階まで階段を駆け上った。
コンピュータールームに戻ってみると、既にほとんどの者が、リーダーに言われた場所からパズルを見つけだし、帰ってきていた。
時計を確認すると、あれから十分しか経っていない。
「おかえりなさい、湯浅君、井桁君。どうです? ありました?」
茂央は、発見したパズルをポケットから取りだし、
「あったよ」
と言って、舛谷に手渡した。そしてそれを受け取った舛谷は、一つ、二つと枠にはめていった。
もう、完成まですぐそこだ。
「飯川君は?」
唯一まだ帰ってきていない飯川に気がつき、茂央がそう舛谷に尋ねると、後ろで、あったよ、という声が聞こえたので、振り返ってみると、最後の一人である飯川が扉のところに立っていた。
「犯人の言ったとおりだった」
そう言って、飯川は手にしていた一ピースを舛谷に渡した。そして、それも未完成のパズルにはめこまれた。
「これで……あと四ピースだね。とうとう、ここまで来たんだ」
四カ所だけポツポツポツポツと穴の開いたパズルを見つめながら、中村がそう呟いた。
その欠けている部分は、こんな偶然があるのだろうか、あの三留の顔だった。残りの三つは、植村恵美の足、滝川敬子の胴体、そして背景に映る校舎の一部だった。
「私の胴体……か。なんか不吉で嫌ね」
滝川敬子が困ったように、頭をかきながらそう呟いた。
「それよりも、よりによって、三留君の顔が最後だなんて……」
舛谷がそう言うと、全員の脳裏に三留が撃たれた時の映像が蘇《よみがえ》った。
「でもどうして、犯人たちは特別に隠した場所をわざわざ教えたんだろう。てっきり僕はからかわれていると思ったのに……。本当に、ゲームを最後まで楽しむためだけなんだろうか」
重い沈黙を破り、そう呟いたのは大高だった。
確かに、大高の言うとおりだ。
本当に、理由はそれだけなのか?
いや、今さら考えても仕方ない。二十五ピースは見つかり、残るはあと四つだけ。
「とにかくみんな。あと一時間と二十五分しかない。最後の四つを、探しに行こう。それだけなら絶対に大丈夫だよ。先生を助けられる」
茂央がそう呼びかけるが、梅崎美保が全員の動きを止める。
「でも、最後の四ピースって言ったって、ある場所が分かっているわけじゃない。闇雲に探したって……見つかるかな」
そんなことは分かっている。だがしかし、今は探すしか方法はないのだ。あるかどうかも分からない場所で、最後の四ピースを見つけるしかない。
「確かに、残り四ピースというのが最大の難関だ。けど、今はもうあれこれ考えてはいられない。時間がないんだ。もう自分たちの勘に賭《か》けて動くしかないよ」
茂央がそう言うと、
「そうだよ。あと四ピースなんだから。僕だって最後くらいは探しに出る」
と、舛谷が続いてくれた。
「うん。ここまできたんだ、もう少しだよ。頑張ろう!」
植村も立ち上がった。
「そうだね。あと四つだけなら、もしかしたらなんとかなるかも」
そう洩《も》らしたのは、意外にも大高だった。
その言葉に押され、一人、また一人と表情に力が戻ってきた。弱気な発言をする者はいなくなった。
残り四ピースという希望が、みんなの気持ちを奮い立たせたのだろう。大高や神谷ですら、全員と同じ気持ちになってくれたのだ。
「さあ急ごう! 絶対に見つけだすんだ!」
茂央の声を合図に、残りの四ピースを見つけだすため、全員がコンピュータールームを後にした。そして、茂央も未完成のパズルをしばらく見つめた後、みんなに続いたのだった。
11
塚越大輔がまず向かったのは、四階の流し場だった。湯浅が一階の流し場で一ピース見つけたという話から、見落としやすい場所をもっと念入りに探せば、発見できるのではないかと思ったからだ。
「どこだどこだどこだ!」
どこにあるかも分からない、残り四ピースを探し出すのは、簡単なものではなかった。流し台の上はもちろん、セロハンテープで貼られている可能性を意識して、あらゆる所に目を配った。それでも、貴重な一ピースは姿を現さなかった。
「くそっ」
残り時間が、ほとんどない。その前にパズルを完成させなければならない。
塚越の頭の中から、もう両親の姿は消えていた。あんな親、こっちから捨ててやる。これからは自分の思った通りに行動すればいい。誰の言いなりにもならない。自分一人で、生きていく。
このゲームが、新しい僕にとっての最初の試練だ。
「ない……ここは諦《あきら》めよう。次へ行かなきゃ」
自分にそう言い聞かせ、塚越は廊下を走った。
丹野哲哉は、校舎内の非常階段を一段一段、目で追っていた。まさかここまであけすけな場所にあるとも思えないが、一度ここを担当した梅崎美保が凡ミスしている可能性がないとは言えない。なぜかここが気になり、念のためやってきたのだ。
「やはりないか……」
三階まで上ってきたが、さすがに残り四つのうち一つが、いかにも目立つ非常階段にあるわけがなかった。だが、無駄ではない。ゲーム終了後に、ここにあったと分かるよりましである。
奴らにはもう、好き勝手はさせない。
三階の踊り場に到着した丹野は、この時もう既に、次の探し場所を考えていた。非常階段の次は、一階に戻ろうと。そして一段、また一段と歩を進めていき、四段目に体重をのせた。
その時だった。
「ん?」
壁に立てかけられてある小さな物体を発見した丹野は、思わず声を上げていた。
「あああ! あった!」
裏にして立てかけられていた一ピースを拾い上げ、表にしてみる。
それは滝川敬子の胴体だった。
「よし! これで、ラスト三ピース!」
恐らく梅崎は、壁の色に似ているパズルの裏面に気づかず、素通りしていたのだろう。
よし、とにかく連絡だ!
興奮していた丹野はポケットから携帯電話を取りだし、急いで舛谷に連絡した。
「あった! あったんだ!」
三階の一番奥にある、女子生徒がお茶を習うための茶室で悪戦苦闘していた大高雅規は、舛谷との通話を切って、携帯電話をブレザーのポケットにしまった。
丹野が一ピースを発見した。
その事実を知った大高は、闘志をさらに燃やした。
残り三つは、僕が探し出す。
そして犯人たちに、負けを認めさせてやる。
今回は、湯浅との勝負はお預けだ。その前に、奴らに勝たなければならない。
あいつら、自ら答えを言ってきやがった。コケにされているんだ。僕をなめるな。たとえ湯浅と共闘する羽目になるとしても、必ずこのゲームに勝利しなければならない。見下されるのだけは、我慢ならない。
それに、三留の死のきっかけを作ってしまったのは……僕なのだから。
「一ピースでもいい! 出てこい! どこだ!」
返事があるはずもない残り三つにそう叫び、大高は壺《つぼ》の中や生け花の周りをくまなく探した。さらに、台所や茶碗《ちやわん》の一つひとつを確認していく。だが、大高の熱意も虚《むな》しく、獲物を見つけだすことができない。
「くっそ!」
落ち着け。冷静になって考えろ。
自分にそう言い聞かすのだが、時間ばかりが気になって、頭が回らない。
そして、どうすることもできない怒りに震えた大高は、右手に持っていた茶碗を、壁に思い切り投げつけた。
丹野が一ピースを発見したという知らせを受けた時、植村恵美は自分のクラスである三年A組にいた。ただ、もうお手上げ状態だった。隠されているだろうという所はすべて確認したので、どこをどう探したらいいのか、分からなくなってしまっていたのだ。
時間だけが過ぎていく。
また誰かの力を借りるのか?
別にもう、そんなことにこだわってはいない。ただ、みんな自分の場所で精一杯だ。一つの教室に二人がかりでは意味がない。
「場所を移動しよう」
ここに残りの三ピースのうちの一ピースがあるとは思えない。だが乾燥していて、どうも目がシパシパする。
もうここには戻ってこられないだろうから、教室を出る前にコンタクトを潤しておこう。
鞄《かばん》を開けて、目薬の感触を得た植村は、ギクッと背筋を伸ばした。
「あれ?」
今のは、何?
一瞬だけ触れたそれを見失ってしまった植村は、鞄を逆さにして、中にある物をすべて床に落とした。すると、教科書やノートや目薬と一緒に、探していたパズル一ピースが落ちてきたのだ。
「あ、あ、あった!」
驚きのあまり、もう目の乾きなど忘れていた。とにかく本物かどうかを確かめる。
写真の背景に映る校舎だ。
探し求めていた物だ。
それにしても、どうして私の鞄の中にあるのだろう? 一日目に一度、探したはずなのに。
そうか。あの時は、そんなに念入りに確かめなかった。だからだ。
まったくもう! 時間を無駄に使っちゃったじゃない!
「とにかく電話、電話」
植村は慌てて舛谷に連絡を入れた。
一階の事務室に駆け込んだ井桁健一は、コンピュータールームのデータをあえて確かめることはせず、ありそうな場所を、端から探していった。むしろ、頭が空っぽの方が、動きやすいと判断したからだ。とは言っても、考えているほどパズル探しは甘くない。やってみて、よく分かった。この大きな校舎にあと二つしかないのだ。ただ、井桁はみんなに後れをとっている。その分、見つけてやるという熱意は誰よりも強かった。今までは母親のせいにして、逃げてきた。でもそれじゃいけない。これからはどんな難関が目の前に立ちふさがっても、思い切ってぶつかっていかなければならない。そういう時が、きたのだ。
が、現実はそう恰好《かつこう》良くはいかなかった。
事務員の机の中やゴミ箱やコピー機や冷蔵庫や、他にありとあらゆる場所をいくら探しても、パズルは出てこない。
「はあ〜、僕はやっぱりこんなものなのかな」
と床に尻《しり》をつき、理想とのギャップに落胆しながら天井を見上げた井桁は、本棚の上にある(プリント類)とマジックで書かれた段ボールに、目をつけた。
期待を胸に秘め、井桁は早速立ち上がり、本棚の上にある段ボールに手を伸ばした。
「と、届かない」
背伸びしても、指が触れるだけで、中を確認できない。
だったら仕方ない。井桁は近くにあったキャスターのついたイスを本棚の近くに置くと、その上に乗って段ボールを手にとった。がその瞬間、キャスターがあっちへいったりこっちへいったりと暴れだし、井桁は背中から床に叩《たた》きつけられてしまった。
「いててててて!」
背中をおさえながら起きあがると、辺り一面がプリントだらけになってしまっている。やれやれと、段ボールに一枚一枚、戻していった。そして、ようやく片づけ終わり、段ボールを元の場所に置こうと、再びイスに上がろうとしたその時……。
「ここ、これは!」
床にポツリと落ちているのは、探し求めていた、パズルではないか。恐らく段ボールの中にあり、落っこちた時に出てきたのだ。
井桁はすぐにその一ピースを拾い上げ、確認した。それは、女子生徒の足の部分だった。
「植村さんのだ……」
やった、やったぞ!
残り四つのうちの一つを、僕が見つけたのだ。
あまりの嬉《うれ》しさに、井桁はすぐに報告できなかった。二分くらいは、飛び跳ねていただろう。
「そ、そうだ、連絡しないと」
気持ちを抑え、携帯電話を手にとった井桁は、舛谷ではなく、湯浅の電話にコールした。自分に優しくしてくれた湯浅にまず知らせたかったのだ。
「も、もしもし? 湯浅君? 僕、やったよ! 見つけたんだ! パズルを見つけたんだよ!」
「そうか、分かった! よくやってくれたよ! こっちも必死になって探すから! じゃあ!」
井桁との通話を切った茂央は、思わずガッツポーズをとっていた。
最後の行動に出てから、早くも四十分が経過し、残り、四十五分を切っていた。
舛谷から、ついさっき連絡が来た。
これで、あと一ピース。
とうとう、ここまできたのだ。
三留の顔が写ったパズルが見つかったという知らせは、まだこない。せっかくここまで来てもその一つを見つけなければ、意味がない。ただただタイムリミットが迫るばかりで、焦りと不安が、入り交じる。
茂央は、リーダーの答えに入っていなかった一階の一年A組を探していたのだが、最後の一ピースのありかに、頭を悩ませていた。
一体、どこにある? 見当もつかない。
「くそ……」
みんなの前で、ああは言ったが、簡単には見つけられないことくらいは分かっていた。せめて、どこの教室や部屋にあるのか。いや、何階にあるかが分かっていれば、そこに集中できるのだが。
「どうする……」
誰からも連絡がこないということは、まだ見つかってはいないのだろう。
「あと……四十分」
こうなると、あとは運に任せるしかないのか?
茂央は心の中でそう呟《つぶや》いて、教卓の中にあるチョーク入れの蓋《ふた》を、パカッと開いた。
「こんな所に、あるわけないよな……」
情けない声を洩《も》らし、天井を見上げていると、丹野哲哉が一年A組を通り過ぎていくのが分かり、ハッとなった茂央は、
「丹野君!」
と呼び止めた。
すると丹野は、A組の教室に入りながらこう言った。
「駄目だ、ない。トイレにはもうなさそうだから、他の所を探す」
「そう……そっか。僕も、他の所を探しに行った方がいいのかな。でも、もしかしたらこの教室にあるかもしれないし……やはりここは賭けに出て、違う場所を探した方がいいかも」
「それは……難しいところだね……」
そうだ。迷ってなんかいられない。
「次の場所を探します。絶対に見つけよう!」
「ああ!」
こうして二人は、一年A組の教室を出て、他の場所に移った。この判断が正しかったのかどうかは、誰にも分からないのだ。
一方その頃、警官でごった返すグラウンドの脇で、ひっそりと他の教師たちと待機していた今野聖子は、腕時計と校舎をひっきりなしに見比べていた。一度は中に突入した警察も、犯人たちの覚悟が本物だということと、一人の犠牲者を出している事実に、あれからずっと、金縛り状態となっていた。
「あと……三十分か」
正確には、あと二十九分だ。
「ねえ先生」
冷たい表情の今野は、隣の小澤の肩を揺らした。
「あの子たち……どうでしょうかね」
小澤はにやつく。
「さあ、どうだろうね」
「あと三十分ですね」
「分かってるよ、そんなの」
「……安田が死ねば……」
思わず、そう洩らしてしまった今野は小澤を気にする。
「何か言いました?」
「いいえ、別に何でも」
そう言って、今野は上唇を浮かした。
生徒たちの前ではいい教師面をしていたが、本音はそうではない。今野は、安田が死ねばいいと思っていた。いや、今野だけじゃない。隣にいる小澤だってそれを願っているはずだ。
理事長や校長の評価が高い安田が死ねば、A組の担任を任されるかもしれない。せめて副担任でもいい! とにかく自分の評価が上がればそれで……。
「あんたたち、余計なことはしなくていいのよ」
と、A組の生徒に伝わるよう、今野は念じた。
タイムリミットは、もうすぐそこまで来ていた。
12
どうしても最後の一ピースを発見できない十四人は、まさにぎりぎりの崖《がけ》っぷちに立たされていた。
もう時間がなかった。
まるでビデオの早送りのように時は速く進んでいく。残り、十五分。
「まずい……」
一年A組を捨てた茂央は、最後の最後に自分のクラスに戻っていた。今まで通り担当の一階を探すはずだったのだが、それは無視した。勘だけに頼り、三年A組の教室に、すべてを賭《か》けたのだ。が、思い通りにはいかない。そもそもここにパズルがあるのか無いのかさえ分からないのだ。頭の中はパニック状態に陥っていた。
ない。
ない。
ここにも、ない。
「どこだよ……」
誰でもいい、誰か、見つけてはいないのか。
残り、十三分。
一秒が刻まれる毎に、地響きのような衝撃が、茂央を襲う。
「ない……ないよ」
残り、十一分。
「次は……」
焦っていた茂央は、一人ひとりの机の中、という誰もが思いつくような箇所に時間を費やしてしまっていた。もちろん、今さらそんな所にパズルが隠されているはずもない。それでも間を置くことなく、隅から隅まで調べていく。
そうだ。見落としがちな高い部分――天井近くにはないだろうか。
茂央は、重い教卓を両手で運び、その上に上履きのままのって、エアコンの上を調べてみた。が、パズルは見つからなかった。
どうしよう。どうしたらいい。
もうあと、六分しか時間がない。
こうして、がむしゃらに探し続けていても見つからないのではないか? 最後の勝負に出るしかないのか。
そう思った茂央は、呼吸を整え、冷静になって、考えた。
こうなったら、頭脳と勘に頼り、一つの箇所に賭けるしかない。
そう決断した茂央は、四階のコンピュータールームに、急いだ。
同じ頃、一階の図書室に賭けていた舛谷は、どこをどう探したらいいのか、混乱してしまっていた。というのも、頭の中はコンピューターのデータばかりで、図書室のありとあらゆる所は、確認済みと表示されているのだ。すべての本の中身は調べているし、その他の目につく所だって、手はつけている。それ故、奇抜な発想が浮かんでこない。浮かんだとしても、結局そこは調べていて、動くだけ無意味だった。
あと、五分。
「……まずい、まずい」
ただ時間が過ぎていくばかりで、動くことすらできない。
僕はまったくの役立たずだ。
舛谷は自分で自分が嫌になり、幼い頃からコンピューターばかりいじっていたことを、初めて後悔した。
小学校に上がったお祝いとして両親にパソコンを買ってもらったのが、失敗だったのかもしれない。それからというもの、パソコンが無ければ過ごせない生活になってしまった。パソコンだけが友達だった。だから考えるという能力が、発達しないまま成長してしまったようだ。
機械は操れるが、自分自身を動かせない。マニュアル通りに行動はできるが、いざこういう場面になると、パニックになってしまって、どうしたらいいのか、分からなくなる。本当に僕は駄目な人間だ。
あと、四分。
もうあれこれ考えている場合ではない。
探せ。探すのだ。
「って言っても……」
舛谷は迷う。これではラストの一ピースは見つからない。どうする。どうすればいい。
そうだ。そうなんだ。
僕が頼れるのは、やっぱりコンピューターなんだ。特技をいかして、何が悪い。コンピューターを使って最後の賭けに出るんだ。
舛谷は半分開き直った気持ちで、コンピュータールームに戻ることに決めた。
茂央が階段を駆け上っていたその頃、職員室では、カウントダウンが始まっていた。
「あと……四分」
仲間のその言葉を聞き、男は安田の顔に銃口を軽くこすりつけた。
「先生。待ちわびましたよ、この時を。もうじき約束の四十八時間です」
二日にわたって、拘束されたままずっと眠っていなかった安田は、既にグッタリとして何も反応を示さない。
「ゲームの終わりがどうなるにせよ、もう少しで楽になれます。先生もよく頑張ってくれました」
男がそう言うと、安田は顔を上げ口元を動かした。
「まあ今、何を言っても聞こえませんがね。あの子たち、残りのパズルを探しだせていればいいんですが。せっかく特別な場所を教えてあげたんですから」
「おい、あと……三分だ」
「ふふふ。聞きましたか? あと三分です。もしこの時点でまだ見つけていないようなら……」
男は語尾を伸ばしながら安田の耳元に近寄り、囁《ささや》いた。
「ジ・エンドですね」
急げ急げ急げ!
コンピュータールームに戻ってきた茂央は、舛谷が使っていたパソコンの前に座り、最後の一箇所に賭けるため、全データを調べていた。
カタカタカタと、キーボードを叩《たた》く音が室内を支配する。
「音楽室……違う。補習室……いや、違う」
悩んでいるその間も、時計の針はカチカチと進んでいく。
「あと……三分」
どうする。どうする。
その時だった。
「湯浅君!」
扉の方から声が聞こえ、画面に釘付《くぎづ》けになっていた茂央は手を止めた。
「舛谷君! どうしたの?」
「いえ、僕も、パソコンのデータを見に」
「そっか」
「でも、もう時間がないですよ?」
「分かってる。分かってるんだけど……」
あと二分三十秒。
どこだ! どこにある!
「早くしないと!」
舛谷に急《せ》かされる。
分かっている。だけど今は黙っていてくれ。
あと、二分十五秒。
落ち着け。落ち着いて頭の中を整理しろ。
そして、考えろ。
奴らは、なぜこんなことをする?
三年A組を狙い、入学式の写真を組み上げさせる。犯人たちの目的はなんだ? いやそもそも、どうして奴らがこの学校の入学式の写真を持っているのだ?
奴らは、誰なんだ。
「……そうか。もしかしたら……あそこに」
「え? 何か、わかったんですか?」
舛谷にそう訊《き》かれたが、茂央の耳には何も入っていなかった。
残り、二分。
茂央は、目にもとまらぬ速さでキーボードを打ち、三階の倉庫をクリックした。
「……この中では見つかっていない……ここだ!」
そう言って立ち上がり、
「ゆ、湯浅君!」
舛谷の声を振り切り、茂央は三階へと全力疾走した。時計の針は、残り一分四十秒を切っていた。
倉庫の扉を乱暴に開けはなった茂央は、もの凄《すご》い勢いで、整然としまいこまれたいくつもの机を調べていった。
「どこだ……どこだ」
ここには、やめていった生徒の机とイスが補充用として保管されている。
「どこにある……」
隣に座っていたのだから、確かに憶《おぼ》えている。彼の机には、右上のあたりに大きな傷が付いていたはずなのだが……。
残り、一分。
違うと思った机を、茂央は乱暴にかき分けていく。
「違う。違う。違う違う違う!」
目の端に入ったその机の表面を確認した茂央は……。
「これだ……」
この傷。彼が使っていた机は――間違いない、これだ。
残り、三十秒。
「頼む!」
茂央は祈るような思いで、三留直弥の机の中を、確かめた。
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ゲームW ロスタイム
1
五月の暖かい風が、外の木々を揺らし、通り過ぎていった。
時計の針が十二時を回ると、慌ただしかった校舎も、騒然としていたグラウンドも、異様な静けさに包まれた。
この世界がすべて滅びて、ただこの校舎だけがポツンと残されているようだ。
四十八時間が経過した。
放送で指示を受けた茂央たち十四人は、コンピュータールームに集まった。プロジェクターの画面には既に、犯行グループのリーダーの姿があった。
「粘り強く優秀な三年A組の諸君――ついにタイムアップだ。この二日間、本当にご苦労だった。待ちわびた運命の時が、とうとうやってきた」
男は晴れやかな口調でそう言った。
「ゲームは終わった。どうだ? 楽しんでもらえたかな?」
その質問に対し、十四人の中で答える者はいなかった。
「まあいい。ゲームの感想をゆっくり訊いている暇はないだろう。外には大勢の警官が待機している。約束の時間が来たということで、すぐに動いてくるはずだ。その前に、すべてを終わらせようじゃないか」
すべてを終わらせる。
その言葉が出てもまだ、茂央は動かなかった。
「では、結果を聞こう……いや、その前に、承知しているとは思うが、約束を確認しておく。今さら、あらためて言う必要もないかもしれないがね。もしパズルが完成していなかった場合、この教師を殺す。完成していれば、こいつも君たちも解放する。以上だ」
茂央は、画面に映る男からパズルに視線を移した。
「では訊こう」
改まった言い方で男が口を開く。
「君たちは」
男は、こう続けた。
「パズルを完成……できたのか?」
死のような沈黙があった。数秒の後、代表して答えたのは茂央だった。
「完成……」
茂央はパズルを一瞥《いちべつ》し、力無く言った。
「しませんでした」
ラスト三十秒。三留直弥の机の中に賭《か》けたが、最後の一ピースは、なかった。
その結論を聞いた男は、クックックッと不気味に笑い出した。その笑い声は次第に大きくなっていき、男の笑い声はコンピュータールームに渦巻いた。
「そうか、それは残念だ。では、ゲームは私たちの勝ち、ということになるな」
そして一転し、真剣な口調で告げる。
「では約束通り、この教師を殺そう」
有無を言わさず、安田の額に銃口を突きつけた。
その瞬間、コンピュータールームは一気に緊迫した。が、その時だった。茂央が口を開く。
「ちょっと待て!」
全員が画面から顔を背ける中、ただ一人声を上げた茂央に、男は手を止めて言った。
「なんだ?」
「もういい加減……正体を現したらどうなんです? どちらにせよあなたたちは捕まる。それにどうしてこんな真似をしたのか……」
思いがけないその問いに、飯川も続く。
「そ、そうだよ。お前ら一体、誰なんだ!」
「僕はパズルの絵がA組の入学式の写真で出来ていると分かってから、ずっと疑問に思っていた。どうして犯人たちは、わざわざこの写真を選んだのかと。でも最初から僕たちを狙った犯行だとしたら……」
舛谷が犯人に迫る。茂央も、同意見だった。
犯人たちの言うとおり、徳明館の生徒ならどのクラスでも良かったのだと思っていた。が、パズルの絵柄がA組の入学式の写真だと分かり、おかしいと思い始めたのだ。最初から自分たちは狙われていたのだ。
なら目的はなんだ? 安田を殺すのが目的ではない。だとしたらこんなことをせずにあっさり殺しているはずだ。本当はただ、パズル探しというゲームをさせること自体が目的なのではないか。だから途中で隠されている所も教えた。A組の生徒に諦《あきら》めさせず、死力を尽くさせるために。わざわざA組の写真を使ったのだから、犯人たちは絶対に自分たちに関係している。
そう。初めから人を殺すための計画ではないのだ。
だとしたら犯人は、元A組の関係者――さらにはA組の生徒そのものなのではないか。
だとしたら、三留がそこにいたのは偶然か?
だからこそ茂央は、三留が使っていた机の中を調べに行った。だが、予想は見事に外れた。
自分の推理は間違っていたのだろうか。ならば犯人たちは一体、誰だ?
「フフ。フフフ。フハハハハ……」
突然、主犯が大声で笑い出した。
「舛谷君の言うとおりだよ。私たちは最初から君たちのクラスを狙った。優秀な君たちなら、ゲーム中にでも私たちの正体を暴けると思ったんだが」
個人名を出したのは、これが初めてだった。いや、それも当然だ。彼らならクラス全員の名前を知っているはずなのだから。
「誰だ? 誰なんだ!」
苛立《いらだ》つ茂央に、主犯は不気味に笑った。
「仕方ない。そこまで言うなら、覆面を取ってやるよ」
全員が息をのみ、画面に視線が釘付《くぎづ》けとなる。
主犯が他の五人に合図すると、六人は一斉に覆面を外す。
コンピュータールームが、どよめいた。
モニターに映る顔と、パズルを見比べる。
やはり。
「き、君たちは……」
姿を現したのは、大西|邦卓《くにあき》、佐々木健太郎、立花|義寛《よしひろ》、神田|仁美《ひとみ》、高橋|泰之《やすゆき》、内山将史。
どれも、見覚えのある顔だった。
考えていたとおりだった。安田を人質に取り、A組にパズル探しをやらせていたのは、元A組の生徒たちだったのだ。
ということは。
「どうだい? 驚いたかい?」
驚きのあまり、みんな声も無かった。最初にかろうじて冷静さを取り戻したのは、茂央だった。
鋭く叫ぶ。
「三留直弥……君もだろ?」
その名前に、コンピュータールームは水を打ったように静まり返った。
「そう……そういうことに……なるわよね」
滝川敬子が呟《つぶや》く。
「君は撃たれてなんかいなかったんだ。あれは僕たちを騙《だま》すシナリオの一部だったんだろ。犯人がこの学校をやめていった人間たちだって簡単にばれないように……。確かに、僕たちはまんまと騙された。けれど、パズルの絵が入学式の時の写真で出来ているって分かった時から、なにかおかしいとは思っていたんだ」
茂央は続けた。
「リーダー役をしていたのは、内山君だったんだね。君はこの学校に入ってからわずか一カ月半でやめている。君の声なんて、誰も覚えてないはずだ。だからリーダー役を任されたんだ。彼以外に喋《しやべ》らせなかったのは、君たちの正体がばれるのを恐れたからだね? そうなんだろ、三留君? 先週の土曜日に君とバッタリ会ったのも、シナリオの一部だったんだろ?」
職員室の端で血まみれになって倒れている三留に向け、ことばをさらに投げつける。
画面の奥で倒れている三留はピクリとも動かなかった。
が、次の瞬間、まるで生き返ったかのように、死んだはずの三留直弥がゆっくりと立ち上がったのだ。
「そのとおりだよ……湯浅君」
内山から拳銃《けんじゆう》を受け取った三留は、言葉を続けた。
「どうだい? 僕の演技もなかなかのものだっただろ? 君たちを騙すには、そうそうわざとらしい演技なんてできないからね。わざわざ血のりまで用意してたんだぜ? 映像が繋《つな》がっている間は、ピクリとも動かず倒れていなければならなかったんだから、本当に苦労したよ。佐々木君たちも迫真の演技だった。なんせ僕が今持っている銃以外は、全部モデルガンだからね。高校生がそう簡単に、本物の拳銃を何丁も仕入れられるわけがない。警官を一人襲うくらいが、精一杯だったということさ。でもモデルガンをいくつも用意していたおかげで、あの時、機動隊も突入してこられなかった。作戦成功ってわけだ」
土曜日の弱々しい三留とは、別人のようだった。茂央の瞳《ひとみ》には、三留とリーダーの影が、重なって見えた。
「それにしても惜しかったな。あと一ピースだったんだろ? せっかくここまで探したんだから、完成させたかったよね。でも……ガッカリするかもしれないけど、君たちは別にパズルを探す必要なんてなかったんだよ」
「ど、どういうことよ!」
間髪入れずに、内田清美がそう迫ると、三留はいとも簡単に答えた。
「この計画は、湯浅君が言ったように、シナリオ通りに事を進めている。だから最初から、安田は僕の手で殺される予定だったんだよ」
「じゃあ……」
丹野の次のことばを奪い取り、三留は続けた。
「そう。初めから君たちはこのゲームで僕たちに負ける運命だったのさ。この四十八時間は、無駄な努力だったってわけだ!」
その事実を知らされたみんなは、混乱の極みにいた。犯人を見破った茂央でさえ、それだけは絶対にないと確信していたのだから。もしそうだとすれば、初めから安田を殺せばいい。こんな面倒なゲームをさせる必要などどこにもない。わざわざパズルを探させるには、何か深い意味が込められているのだと思っていた。
だが。
初めから自分たちは負けるように仕組まれていた? そして予定通り、安田を殺す?
いや、ちょっと待て。ではなぜ、彼らは特別に隠していた場所を教えたのだ。完成できないようになっているのなら、答えをばらす必要はないだろう。
ただゲームを盛り上げるためという考えは、当たっているのか?
「じゃ、じゃあ、最後の一ピースはどこに?」
茂央が考え事に没頭していると、横で井桁が三留に訊《き》いた。
すると三留はポケットの中に手を突っ込む。もったいぶった薄ら笑いを浮かべながら、親指と人差し指で、小さい物体をつまんでこちらに見せる。
「君たちが探していた最後の一ピースは、これだろ? 僕の顔が写った……このパズル」
それを見せられた途端、大高雅規と神谷健太郎は、何だよ、とため息を吐きながら床にへたり込んでしまった。他の者も、ただただ呆然《ぼうぜん》と画面を見つめているだけだった。怒りをぶつけたのは、茂央だった。
「そうか。そういうことか。このゲームをやらせた意味が、ようやく分かった。完成しないパズルを必死に探させる。最後の一ピースにまでもっていって期待させ、そして最後に残酷な事実を告げる。君たちはただ、僕たちをコケにして楽しんでいただけなんだ。ただそれだけだったんだ。深い意味なんて、これっぽっちもなかった。そうなんだろ!」
興奮する茂央とは対照的に、三留は冷笑を浮かべる。
「そうだよ。僕たちはこの学校でエリート面する君たちが嫌いなんだ。だから負かしてやりたかった。恥をかかせてやりたかった。今までに感じたことのない苦痛を、このパズル探しで味わわせてやりたかった。ただそれだけだよ。でもくれぐれも勘違いしないでくれ。職員室にパズルが無い、というのは嘘じゃないよ。必ず見張りのメンバーが持って部屋の外にいたんだからさ」
そんな理屈、どうでもいい。
三留の冷徹な種明かしに、茂央は拳《こぶし》を強く握りしめた。
「卑怯《ひきよう》だ……」
「卑怯? 何が卑怯なんだ。初めからこれは罠《わな》なんだと気がついていれば、君たちは無駄な力を使わなくて済んだんだよ? それに僕はね……」
「それに?」
「湯浅君。君にはこのゲーム自体が罠なんだというヒントを、与えたつもりなんだけどな」
「ヒント……」
「そもそも、どうして僕たちが残り一ピースだって君たちから訊く前に知っているのか、謎だとは思わないかい? 君はまだ重要な点に気がついていないんだよ。周りを見てみればいい。様子がおかしな人間がいないか?」
その瞬間、茂央の中で、稲妻のような衝撃が走った。
まさか。
もしや、あの時。
『頑張っても、完成させられない気がする』
あれは講師室。タイムリミットが迫る中、彼女は突然、現れた。
そして、こう言った。
『これは、犯人たちの罠なんじゃないかしら』
あまりに唐突に思えたその考えを、あの時は否定した。
すると彼女は、そうだねと納得して、部屋から出ていった。だから、疑うことなんてまったくなかったし、怪しいとも思わなかった。だが、あれは犯人たちからのヒントだったんだ。
中村梓が、ヒントを告げに来たのだ。
「あなたも、グルだったんですか?……中村さん」
茂央が呆然《ぼうぜん》と言うと、全員の目が一気に中村に集まった。
「ええ? そんな、まさか」
口に手を当て、植村恵美が驚きの声を発した。
「ねえ、どういうこと?」
滝川敬子に肩を揺らされても、中村は黙ったままだ。
その様子を見ていた三留が、こう言った。
「驚いただろ? そういうわけさ。彼女も、僕たちの仲間だ」
ただ下を向いて何も喋ろうとしない中村梓を、茂央はじっと見つめた。
ゲームが行われている間、意見が割れる時もあった。そんな時、中村は茂央をずっとフォローしてくれていた。だが、それは、みんなをやる気にさせるために、煽《あお》っていただけだったんだ。
「僕たちは、彼女と密《ひそ》かに連絡を取り合っていた。だから君たちの様子や、パズルの状況を把握できた。本当に彼女の活躍は大きかったよ」
誰も、三留の言葉など聞いていなかった。仲間の、いや、せっかく仲間になれたはずの中村の裏切りを、今は信じたくなかった。
「それに、最後の四ピースのうちの三ピースは、彼女が持っていたものなんだよ」
「えっ?」
その事実に、舛谷が大げさに声を上げた。
「そっか……だからか」
「どうしたの? 舛谷君」
神谷がそう尋ねると、舛谷はこう言った。
「おかしいとは思ったんだ。残り四ピースになって、そのうちの三ピースが、データには既に確認済みとなっていた場所から出てきたから」
舛谷のその発言を聞いて、一つの絵を思い浮かべた茂央は、中村にこう言った。
「あなたは僕たちの目を盗んで、こっそりとパズルを隠していたんですね?」
茂央に迫られた中村は、ただ一点を見つめるだけで、反応を示さなかった。
今回のゲームでスパイ役として動いていた中村梓は三留に、君もパズルを持ち歩いてくれと指示されていた。三ピースを、ポケットの中に忍ばせていたのだ。そして、ゲームが終盤を迎えた頃、まず植村の足の部分を事務室に隠し、茂央には、結果は最初から決まっているのだとヒントを告げに行った。残り二つは、内山が答えを言った後、みんなでパズルを探しに出たあの一瞬のスキを見計らって、植村の鞄《かばん》の中と非常階段に隠したのだ。もちろんそれらを探し出せるかどうかは運次第だった。
「どうして……なんです?」
恐る恐る舛谷がそう尋ねても、依然、中村は黙っていた。代わりに三留が、
「よりゲームを面白くするためさ」
と、答える。
「ずっと私たちを騙《だま》していたのね」
長野にそう責められると、中村は冷たく言った。
「いいじゃない、別に。あなたたちに理由を話す必要なんてないわよ」
そして、画面の向こうに立つ三留に投げやりに告げる。
「ねえ。早く終わらせちゃってよ」
それは安田を殺せ、という意味なのか?
まるで人の心を失ったようなその言葉が、茂央にはショックだった。
「そうだね。もう時間だ。最後は僕の手で、幕を閉じるよ」
そう言って三留は、恐怖にモゴモゴと呻《うめ》く安田に銃口を突きつけ、引き金を引こうとする。
「待って三留君!」
自分たちに苦痛や恥を与えるためだけにこのゲームを実行したのなら、安田を殺す必要はない。それなのにまだ安田に執着するのは、本当は安田を殺すことを目的とした計画だったからなのか?
このままでは、本当の犠牲者が出てしまう。
彼らは――いや彼は、本気だ。
「お願いだから、待ってくれ」
三留の人差し指は、引き金から外れた。
その時、三留の表情がほんのわずかに安堵《あんど》したように見えたのは、気のせいだろうか。
「何だ?」
少しの猶予が与えられたらしい。茂央は、こう訊《き》いた。
「君たちはどうして……こんな計画を立てたんだ」
その質問に、三留は鼻でふんと笑ってこう答えた。
「だから言っただろう。エリート面する君たちが憎くて、苦痛を味わわせてやりたかったって」
「それは……違うよ。本当の理由は、そうじゃないはずだ」
「なにが言いたい」
「だってそうだろ? もしそれだけが理由なら、先生を殺す必要なんてないじゃないか。君たちは安田先生に、恨みがあるんだ。そうなんだろ?」
三留は、静かに口を開いた。
「そうさ。僕たちは、こいつが憎い。だから、殺してやろうと思ったのさ」
「どうして……」
「君たちはクラスの中で一番下の成績を取った経験なんてないんだろ。僕たちだってそうだった。でも、優秀な人間が集まれば、その中の一番下を取る人間は必ずいる。そして、一番下の成績の者に、こいつが陰でどんなことをしていたのか、君たちは知らない」
棘《とげ》を含んだ鋭い口調でそう突き刺された茂央は、中村梓を一瞥《いちべつ》した。
中村は、辛《つら》そうに顔を背けた。
茂央は、次のことばを発せられないでいた。
「こいつは、自分の評価が下がるような生徒に対して、一番下の者に、陰で毎日のように、学校をやめろとか、クズは必要ないとか言い続けた。それでも通じないとみると、露骨に評価を下げたり、家族にプレッシャーをかけたり……自分にとって邪魔な生徒を、順番に切り捨てていたんだ。その被害者が、ここにいる僕たちや中村さんなんだよ。中村さんがやめれば、次は君たちのうちの誰かがその標的になったはずだ」
「まさか……そんな」
茂央は中村に歩み寄った。
「中村さん……そうなのかい?」
中村は小さく頷《うなず》く。
「三留君が二月にやめると、安田の標的は、私になった。三留がいなくなって、クラスのビリはお前になった。お前は俺の生徒には相応《ふさわ》しくない。クラスには必要ない。だからこの学校をやめてくれ、と毎日毎日、言われてた」
「そんな……」
中村がこの三カ月間、味わっていた苦しみを聞いた茂央は、思わず声を洩《も》らした。
確かに、安田は良い教師ではなかった。成績でしか人を判断しないところがあった。だが、いくら何でも自分の評価が下がるからと、生徒に陰湿な嫌がらせまでしているとは……。
そのせいで彼らは学校をやめていき、こんな計画を立てたのか。
茂央は、何ともやるせない気持ちになった。
もしかしたら、自分がこの犯人グループの中にいたかもしれない。
「僕はこいつが許せなかった」
俯《うつむ》いていた茂央は、三留の声に顔を上げた。
「最初はどんなことを言われても平気だった。でも気づかぬうちに、ひどいダメージを受けていたんだ。それがどんどん大きくなっていった。最終的には、やめなかったらどうなるのか分かっているのかと親まで脅されたり、進路を閉ざしてやるって怒鳴られたり……僕は学校に行くのが嫌になって、結局は……。みんなだってそうさ」
茂央は、三留の話を黙って聞いていた。
「僕たちは、こいつに人生を狂わされた。他の学校に行くことすら嫌になって、家に閉じこもった。近所には変な噂だって流れた。もう僕はそれが耐えられなかった。これから先の自分の人生が怖かった。そしてこうなったのはすべて安田のせいだと、恨み続けた」
ふと、安田の姿に目をやった。
安田も少しは反省しているのか、ただ下を向いていた。
「そんなある日のことだった。珍しく外に出ると、偶然、中村さんの姿を見かけたんだ。もちろん気まずくて、声をかける気にはならなかった。でも、彼女の様子がおかしいのは明らかだった。もしかして、同様に安田の被害に遭っているのではないかと思った僕は、声をかけたんだ。案の定だった」
「そこで君は彼女の痛みを知り、先生を殺す計画にふみきった」
茂央がそう言うと、三留は思い返すように二、三度頷いた。
「まあ、きっかけはそうだったのかな。考えれば皮肉だよ。それで生きる目標ができたんだから。安田を殺す計画を立てて、みんなに連絡をした。今日のためにわざわざ新しい学校の試験まで受けたんだ。殺《や》るのはあくまで僕だって言ったら、こうしてみんな協力してくれた。でも、僕は安田を殺すだけじゃ気が済まなかった。僕は君たちも痛めつけてやりたかった。恥をかかせてやりたかった。だから、このゲームを思いついたんだ。そうすれば、一石二鳥だろ?」
無口であまり人と接しようとしなかった三留をここまで狂わせたのだ。彼もとてつもなく苦しい思いをしたのだろう。
「他にやめていった四人はどうしたんだ?」
やめていった十一人の中に含まれている彼らもまた、安田の被害に遭ったはずだ。
「もちろん、その四人にも協力してくれるよう頼んださ。でも、そこまではできないと怖《お》じ気《け》づいてしまってね。本当に事件が起きたので、ビックリしているんじゃないのかな。まあ自分にはまったく関係ないと、知らん振りなんだろうけど。僕たちが学校をやめる時、君たちが何もしてくれなかったと同じように、ね」
淡々と答えて、三留はこうまとめた。
「とにかく分かっただろう。すべての原因はこいつにある。こいつがいなければ、僕たちは学校をやめずにすんだし、人生だって狂わなかった。君たちだってこいつがいなければ、こんな事件に巻き込まれなくてすんだんだよ」
確かに、安田が三留たちにしてきた行為は許されるものではない。教師どころか人間失格だ。だが、すべては安田のせいなのか。
「三留君。それは、違うよ」
これだけは言わなければならなかった。
「何が違う」
「確かに安田先生は悪い。君たちを限界まで追いつめたのも事実だろう。でも、学校をやめさせられたせいでその後の人生が狂ったなんて言うのは、甘ったれているだけなんじゃないか」
その発言に、三留の眉《まゆ》がピクリと反応した。
「何」
「だってそうだろう? 悪い成績をとってしまったのは自分のせいだし、安田先生の仕打ちに負けて学校をやめる判断をしたのも自分なんだから」
「君に何が分かる。常にトップから僕たちを見下していた君に何が分かるんだよ」
「いや、何も分からないよ。君たちがどれほど辛かったかなんて、まったく分からない。でも安田先生や僕たちをこんな目に遭わせたからって、何が解決する?」
「そんなこと、君たちには関係ない」
さらに茂央は、あえてきつい一言をぶつけた。
「逃げてるだけなんだよ」
「逃げてる?」
「そう。学校をやめた、いや、やめさせられたとしても、どうしてもう一度、頑張ろう、努力しようって気になれないんだ。どうしてマイナスの方向にしか考えられないんだ」
「それは綺麗《きれい》ごとだよ。君が僕たちの立場だったら、そう思えるかどうか……それ程に僕たちは傷つけられたんだ!」
「だから逃げているって言うんだ。少なくとも僕は努力している。ここにいるみんなだってそうだ。確かに僕は親の言いなりだよ。本当は、反抗だってしてみたい。けれどできなくて、葛藤《かつとう》してた。それでも、自分なりに生きていこうとしているんだ。毎日が必死なんだよ。クラスのみんなだって、結束してこのゲームをやりぬいたじゃないか」
三留は思い悩むように俯き、黙ってしまった。
「三留君……まだ遅くない。これからまた、やり直せばいいじゃないか。君たちなら、絶対に大丈夫だよ。必ず這《は》い上がってこられる。だから……」
だが、長い間を置いていた三留は、首を横に小さく振った。
「無理だよ」
「え?」
「もう手遅れだよ。僕は……僕たちは、取り返しのつかないことをしてしまったのだから」
今になって三留は後悔しているようだ。その他の六人や、中村もそう感じているのではないか。少なくとも茂央にはそう見えた。
「いや、そんなはずはない。確かに君たちは悪いことをした。けれど罪を償えば、もう一度、やり直せる。全然、遅くなんかない!」
「でもね、僕はこのままでは終わらせられないよ」
「どういう……意味だい」
「最後くらいは……僕にも恰好《かつこう》つけさせてよ」
三留の言っていることが、茂央にはよく理解できなかった。
「馬鹿な真似はよせ!」
茂央は叫んだ。
下を向いていた中村が、敏感に反応した。
コンピュータールームの空気が、また一気に張りつめた。
三留の銃が、安田に向けられたのだ。
「ルールはルールだろ? 僕は嘘つきには、なりたくないからね」
そんなことどうでもいい!
ここへきて何を言っているんだ!
「やめるんだ! 本当に取り返しがつかなくなる。君の人生、終わりだぞ!」
「そうだね……そうかもしれない。でもやっぱり、こんな終わり方、恰好悪すぎる」
気味の悪いくらいに穏やかに三留は言った。
「確かに、君の言うとおり、僕たちは逃げていただけなのかもしれない。甘えていただけなのかもしれない。でも、君にそうやって強く言ってもらえて、なんだか嬉《うれ》しかった。本当に僕のことを思って言ってくれているのかもしれないって思った。学校をやめてから、僕は両親にも見捨てられてしまったからね。だから余計に嬉しかったのかもしれないな」
そして、続ける。
「僕は、君たちが憎いんじゃなくて、君たちに負けたことを認めるのが悔しかったんだろうか。みんなには本当に迷惑をかけたね。でも、少し羨《うらや》ましくもあったよ。今さら言うのはおかしいかもしれないけど、僕のこのピースも、枠の中に入れてやりたかったな」
三留は寂しげに言った。
しばらくの間が置かれ、コンピュータールームに乾いた銃声が響いた。
2
三留の銃が発砲された瞬間、コンピュータールームは、完全に静まり返った。その直後、女子生徒たちの悲鳴が室内を支配した。
「きゃあああああああああ!」
プロジェクターに映る職員室の映像は、あまりにリアルだった。三留の放った弾を腹のあたりに喰《く》らった安田は、ソファの上から転げ落ちてグッタリとしている。
「先生!」
画面越しに茂央は叫んだ。
だがその声に安田は反応せず、ピクリとも動かない。
「なんてことを……」
本当に、撃つなんて……。
引き金を引いた三留は銃を床に落とし、膝《ひざ》から崩れ落ちた。他の六人もズルズルと後ずさり、床にへたり込む。
次の瞬間、機動隊が職員室に突入する映像が、プロジェクターに映った……。
職員室は警官たちで一杯になっていた。
とにかく安田をなんとかしないと。
なんとか。
その時、舛谷に肩を激しく揺らされ、ようやく我に返った。
「湯浅君!」
「あ、ああ……」
顔を引きつらせながら小刻みに頷《うなず》き、安田の名前を叫んだ。
「先生! 先生!」
機動隊ばかりで、安田の姿が見えない。三留も他の六人も、確認できない。彼等もある意味、被害者なのだ。あまり乱暴されていなければいいのだが……。
「三留君! みんな!」
とにかく、先生を助けなきゃ。
「舛谷君!」
「はい!」
「みんな!」
茂央の叫び声に、ハッとする者も何人かはいたが、女子はもうほとんど役に立ちそうにはなかった。中村も三留のように、グッタリと床にへたり込んでしまっていた。
「職員室に行こう! 早く!」
そうだ。行ける者だけでも。
「わ、わかりました」
コンピュータールームを急いで飛び出したのは、茂央、舛谷、丹野、飯川、塚越の五人だった。床に置いてあった完成間近のパズルは、中村が崩れ落ちたとき、バラバラに散らばってしまっていた。
警官たちともみ合いになりながら四階から一階へと階段を下りた五人は、職員室に駆けつけた。その時にはもう、三留や他の六人は警官に外に連れ出されており、中では救急隊員が安田に声をかけていた。
「……先生」
息を切らしながらそう洩《も》らした茂央は、安田の元に駆け寄った。その後に、丹野、飯川、塚越、舛谷が続いた。
「先生! 先生!」
血に染まった安田は微《かす》かに目を開き、わずかに反応を見せた。
「……先生」
自分の声はまだ耳に届いていると茂央は安堵《あんど》した。が、腹部からの出血が酷《ひど》く、顔色も真っ青になってしまっている。
安田は救急隊員の手によって、そっと担架に乗せられた。
「さあどいて!」
「お願いします!」
茂央が頼むと、一人の隊員は強く頷いた。
「大丈夫! 後は任せて!」
そう言うと四人は担架を持ち上げて、職員室から出ていった。救急車は職員玄関に停車しており、安田はすぐに中に運ばれる。その様子を、茂央と舛谷は心配そうに見つめた。
けたたましいサイレンを鳴らしながら、救急車は走り去っていく。
「……先生」
安田は助かるだろうか……。
「信じて、待ちましょう」
舛谷にそう勇気づけられ、茂央は、うん、と頷いた。
機動隊突入直後の嵐のような混乱が過ぎ去ると、グラウンドは妙に静まり返っていた。上履きで外に出ていたことに気がついたのも、その頃だった。この四十八時間、必死にパズルを探していたのも、忘れていた。
グラウンドには、大勢の警官。上空には、ヘリコプターまで飛んでいる。恐らく、人質に取られていた生徒のようです、とでも報道しているのだろう。改めて事件の大きさを実感した。
「三留君……」
警官におさえられながら下を向いて歩く三留を発見した茂央は、思わず呟いた。事情を知らない警察にとって、彼らはただの凶悪犯か……。
茂央は、三留の元へ走り出していた。
「三留君!」
声をかけると、三留はゆっくりと振り返った。表情に力はないが、どうやら自分を取り戻したようだ。
「三留君……」
茂央がことばに迷っているのを察したのだろうか。三留は何も言わずに静かに頷き、背中を向けて行ってしまった。
三留の姿が、小さくなっていく。
結局、最後は何も言ってやれなかった。
せめて、あのパズルを完成させてやりたかった。そして、君は決して、一人じゃないって、言ってやりたかったのに。
三留たちを乗せたパトカーは、赤色灯を回しながら、校庭を出ていく。
茂央は、まだ敷地内には入れてもらえない取材陣のカメラのフラッシュをパシャパシャと浴びながら、遠ざかっていくパトカーを見つめていた。
「何でもうち明けられるような友達が一人でもいれば、こんな事件は起きなかったのかもしれない」
『あ! 今、残りの生徒が警察に保護され、校舎から出てきたようです!』
大げさに騒ぎ立てるリポーターの声に反応した茂央は、後ろを振り返った。そこには、この四十八時間、一緒に戦い抜いた仲間たちの姿があった。みんな、疲れ切った表情を浮かべながら、パトカーに乗せられていく。あんなに突っ張っていた大高も、今はまるで無気力状態だ。
「湯浅君」
その大高が、茂央の目の前で立ち止まった。
「君との勝負はお預けだ」
「勝負?」
と訊《き》き返すと、大高は鼻でフッと笑った。
「まあ、いいか。三留にはまんまと騙《だま》されたね……僕はとにかく疲れたよ」
大高はそう言い残し、去っていった。茂央は首を傾げて、後ろ姿を見つめていた。
「まったく時間の無駄だったわよ。何なのって感じ」
すれ違いざまに捨て台詞《ぜりふ》を吐いていったのは、内田清美だった。茂央に言い返す間を与えることなく、内田は行ってしまう。
本当に困った人だな。
今度は飯川龍一の姿が目に映った。
「おつかれさ〜ん」
気の抜けた言い方に、茂央は拍子抜けしてしまった。こいつ、安田が撃たれたのを認識しているのだろうか。だけど、彼にはずいぶんと助けられた。
「湯浅君」
その声には、安心できた。飯川の後ろ姿から振り返ると、舛谷がいた。
「舛谷君……」
十四人の中で一番の働きをしたのは、彼ではないだろうか。舛谷とは、友人になれた気がする。
「安田先生が……心配ですね」
「ああ。でも大丈夫だと思う。きっと」
「そうですね……」
それ以上のことばが見つからなかったのか、舛谷は行ってしまった。
「君が安田の心配をする必要はない」
体を前方に向け直すと、丹野がいた。
「安田は恨まれるだけのことをしてきたんだ。自業自得さ」
冷たい言葉を残して、丹野は行ってしまった。確かに、丹野の言うとおりなのかもしれない。自分の評価が下がるからと、成績の悪い者を脅し、やめさせていたのだから。
安田のことが頭から消えたのは、最後に警官に囲まれ、校舎から出てきた中村梓を認めてからだった。
「中村さん……」
優しく声をかけると、中村は大丈夫よ、というように頷いた。ただひどく窶《やつ》れていた。
「ごめんなさい……私たちのせいで」
茂央は、首を横に振る。
「あなたが謝ることじゃない」
「同情……してくれるのね」
そう言われ、茂央は言葉に詰まった。
「いや……同情っていうか」
「心配しないで。私、もう大丈夫。自分が犯してしまった罪を償って、私は一から……」
中村は、最後にこう言った。
「歩いていくわ」
中村の後ろ姿を見つめながら、茂央は思った。安田の命もそうだが、罪を犯してしまった八人も、心配だった。この先、しっかりと生きていけるだろうか。
いや、大丈夫だ。僕たちだってこの残酷なゲームをやりぬいた。彼らもきっと――。
どうしても伝えずにはいられなかった自分の思いは、必ず三留たちの胸に届いているはずだ。また一からやり直せばいいじゃないかと。
「さあ。君も一緒に」
若い警察官に声をかけられ、茂央は、はいと答えた。
茂央は肩を抱かれながら、それでもしっかりと自分の足で、歩を進めた。でも疲労は限界に達していたのだろう。パトカーに乗せられて、終わったんだ、と力無く呟《つぶや》くと、深い眠りに吸い込まれてしまった。
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ゲームX プレイオフ
世間を騒がせたあの事件から、どれくらいの日数が経過しただろうか。あれほど学校にまとわりついていたマスコミも、いつしか消えていった。
季節も梅雨に入り、あの春の暖かい風が、今ではもう懐かしい。あの出来事はまだ、ついこのあいだのような、気がするのに。
茂央は、以前と変わらない生活を送っていた。母の声で目を覚まし、一緒に朝食をとり、玄関まで見送られ、学校に向かう。相変わらず、父は不在がちだ。ただ、微妙に変わったと言えば、クラスのみんなと、挨拶《あいさつ》を交わすようになったくらいだろうか。それ以外の会話は、以前と変わらず、ほとんどない。パズル探しで気持ちが一つになったのが嘘のように、全員がぎらついた目を黒板に向けて、シャーペンをノートにカリカリと走らせる毎日だ。無論、中村梓の姿は、教室にはない。
「じゃあ、湯浅。この問題を解いてみろ」
この日最後の授業である数学の教師にあてられ、茂央はイスから立ち上がった。そして黒板に向かい、問題を解きながら、その後のことを、思い出した。
三留に腹部を撃たれ、急いで救急車で病院に運ばれた安田は、言うまでもなく重体だった。医者も、半分は諦《あきら》めていたようで、事実、何日も生死のあいだを彷徨《さまよ》い続けた。A組のみんなも、駄目かもしれないと思っていた。が、どうにか安田は一命をとりとめ、今は順調に回復しているようだ。退院しても恐らくは学校を辞めさせられるであろう。が、とにかく犠牲者が出なくて本当に良かったと、茂央は安堵《あんど》した。
犯行を実行した八人は、今も少年審判のまっただ中だ。あれだけの事件を起こしてしまったのだから、軽い処分では済まされないだろう。ただ、彼らの辛《つら》さを知っているだけに、少しでも処分が軽くなればよいと思うのが、本音である。
そして、もう一度、新たな道を進んでもらいたい。
「よし。正解だ。席に戻ってよろしい」
教師にそう言われ、茂央は自分の席についた。同時に、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「今日はここまで。明日までにさっき渡したプリントをやってくるように。いいな」
教師はそう言い残して、出ていった。
今日もただ平凡な一日が終わってしまった。茂央は教科書を鞄《かばん》にしまって席から立ち上がり、教室を後にしようとした。
「湯浅君!」
後ろで声をかけられ、振り返ると、舛谷が立っていた。
「どうしたの?」
茂央がそう尋ねると、舛谷は恥ずかしそうな仕草を見せながら、
「途中まで、一緒に帰りませんか」
と言ってきた。
断る理由はどこにもなかった。
「うん。いいよ」
茂央は明るく微笑んだ。そして二人は校舎を後にし、肩を並べて歩いた。
こうして誰かと下校するのは、高校に入って初めてだった。まるで初デートをするカップルのように、茂央はなぜか緊張していた。
「湯浅君」
しばらく歩いてから、先に口を開いたのは舛谷の方だった。
「うん?」
短く返事をすると、舛谷は思い悩むような表情を浮かべて、こう言った。
「あれから、八人について何か聞いていますか?」
そう尋ねられ、茂央は首を横に振った。
「ううん。何も。どうして?」
「いや……心配なんです。三留君が」
「……そうだね」
「他の七人も共犯とはいえ、警官に暴行して銃を奪った凶悪な犯行グループと断罪されています。三留君に至っては、安田先生を……。だから、どんな審判が下されるのかと」
茂央も舛谷と同じ心配をしていた。が、今の自分たちにできることはない。
「大丈夫。彼らならきっと立ち直るよ」
「そうだと……いいんですが」
それ以後、二人の会話はなくなった。お互い、三留たちのことを深く考えていた。そしてとうとう分かれ道まで無言のままその状態は続いた。重い空気のまま、茂央と舛谷は別れた。
「じゃあ、また明日」
舛谷が小さく手を上げながら、そう言った。
「うん。じゃあ」
と、茂央はあまり元気のない声で言葉を返し、舛谷に背中を向けて、そのまま真っ直ぐ家に帰った。その間も、茂央の頭の中からは、三留の顔が離れなかった。
インターホンを押し、家政婦に声を聞かせると、すぐに扉が開いた。
「お帰りなさいませ。奥様がお待ちですよ」
毎日のように聞かされるその台詞《せりふ》に、茂央はため息を吐いた。
「奥様! 奥様! おぼっちゃまがお帰りになられましたよ」
家政婦が奥にそう叫ぶと、母は玄関にやって来た。
「あら、お帰りなさい。どうでした? 学校は」
そう訊《き》かれ、茂央は湯浅家のマニュアル通りに答えた。
「はいお母様。今日もしっかりと勉強してきました」
「あらそう。それは良かったわ。それじゃあ二階に上がって、勉強してらっしゃい」
母のそのことばにも嫌な表情を浮かべず、茂央は頷《うなず》いた。
「はい。わかりました」
「あ、そういえば茂央さん」
と声をかけられ、自分の部屋に向かおうとしていた茂央は振り向く。
「何でしょうか」
「今日、茂央さん宛に、手紙が届いていたわよ。机の上に置いておきましたからね」
手紙?
一体、誰からだろう。
今まで手紙をもらった経験など殆《ほとん》どなかった茂央には、差出人の心当たりがなかった。
「分かりました。ありがとうございます」
茂央は足早に階段を上がっていった。
部屋の扉を開くと、机の上に置いてある一通の茶色い封筒に目が留まった。
これか。
「誰からだ……」
そう小さく呟《つぶや》きながら差出人を確認した茂央は、驚きの声を洩《も》らした。
「……三留君!」
まさか三留から。早速、封を切って、中身を確認した。すると、一枚の白い便箋《びんせん》が、折りたたまれて、入っていた。
茂央は逸《はや》る気持ちを抑え、一文字一文字を、丁寧に追っていった。
[#ここから2字下げ]
湯浅君、元気かい?
迷惑をかけてすまない。
みんなの頑張りには、本当に感動したよ。
相変わらずみんな勉強勉強なんだろうけど、これまでに無かった絆《きずな》のようなものが、クラスに生まれたと信じるよ。
[#ここで字下げ終わり]
「三留君……」
[#ここから2字下げ]
ただ……
[#ここで字下げ終わり]
ただ?
[#ここから2字下げ]
ただ、今度の事件がなかったらどうだろう?
クラス一優秀な君がどんなことをしても、彼らの心は動かせなかっただろうね。
[#ここで字下げ終わり]
何だ? 三留は何が言いたいのだ?
[#ここから2字下げ]
そう、その点で、僕は君に完全に勝利したのさ。
すべては、そのためにやったことだ。
一人の教師と、僕と僕の仲間たちの人生を破滅させてね。
協力してくれた仲間たちは、ただ単に安田に復讐《ふくしゆう》したかっただけなんだ。
だけど僕は、どうしても君に勝ちたかった。
だからあんな手のこんだ真似をしたのさ。
このことを君だけには、伝えておきたかった。
さよなら。
[#ここで字下げ終わり]
読み終えた茂央は、両手に力を込めていた。
なんてことだ……。
彼には、僕の思いは通じていなかった。
彼は最後まで、演技をしていたのだ。
僕は、彼の手の平でずっと踊らされていた。
[#ここから2字下げ]
追伸 これは君が記念に持っていてくれ。
[#ここで字下げ終わり]
「……ん?」
これ、とは何だろう。茂央は、封筒の中身を改めて確認した。
「これは……」
そう、それはゲームの終わりまで三留が持っていた、最後の一ピースだった。
入学直後の、まだ希望に満ちた三留の顔が、ハッキリとおさまっている。
「どうしてこれを僕に……」
この一ピースを枠にはめて、パズルを完成させてくれ、というメッセージだろうか?
いや、違う。四十八時間かけて必死にかき集めたパズルは、警察が証拠品として押収してしまった。彼だってそれくらいは分かっているはずだ。
「……そうか」
何となく、答えが見えた。
三留は、自分の存在を僕に忘れさせない気だ。記憶の中から、消させないつもりなんだ。
違うかい?
――だとしたら。
「分かったよ」
茂央は三留の顔を、鋭く見つめる。
僕は君を忘れない。
「この先……ずっと」
茂央は小さく呟き、最後の一ピースを封筒に入れて、机の中に丁寧にしまった。
[#地付き][パズル]完成
[#改ページ]
あとがき
この『パズル』は僕の五冊目の単行本です。執筆したのは二〇〇三年の秋から、二〇〇四年の初春にかけて。まだ二十二歳でした。角川書店で仕事をするのは初めてで、ずいぶん緊張しながら作品の打合せをしたことを覚えています。
いくつかのアイディアを出したのですが、僕のこれまでの作品に共通するゲーム的な要素とホラー的な要素のうち、ゲーム的な部分に絞って、特に超自然的なものは扱わないということは最初に確認しました。
広大な校舎の中で、少人数の生徒たちがパズルのピースを必死で探す。そしてパズルを集めると何らかの絵が浮かび上がるということは、最初から決めていました。どこからそんなアイディアを思いついたのか、何度か聞かれたのですが、今にして思うと、当時住んでいた家の玄関にパズルが飾られていたんですね。トイレから出てくると、必ず目に入るような配置になっていたのですが、何らかのタイミングでそのパズルを見た瞬間に、湧いたものだと思います。『パズル』に限らず、作品のアイディアがやってくるのはそういうなんて事無い状況がほとんどです。
実際の執筆については、僕は一日何枚と決めて、こつこつ書いていくやり方をとっているので、特に大きく詰まったり、苦しんだりということはありませんでした。ただ、これまでの作品と違って、とにかく登場人物が多かったので、彼らのそれぞれの動きを頭で整理しながら書いていくのが大変でした。それと、学校内でパズルのピースを隠せる場所が実際にどれだけあるんだろうというのが、書きながら悩んだところですね。元旦から、担当編集者と携帯メールで、もっともらしくて、なおかつ意外性のある隠し場所の候補を出し合うやり取りをしたことを思い出します。
実際に原稿が本になってみると、期せずして僕のイメージ通りのデザインになっていた。うまく「パズル」という作中の小道具を生かしてもらって、嬉《うれ》しかったですね。かなり変なというか、捻《ひね》ったデザインだと思いますけれど、たくさんの方に読んでもらえたのは、デザインのインパクトも大きいと思います。
その後、コミック(月刊「少年エース」誌上で連載中)TVドラマ(二〇〇七年一月〜二月、TV朝日系)といった他のメディアでもそれぞれの『パズル』を展開してもらえて、とても感謝しています。ひとつの作品、ひとつのアイディアを生かすやり方にもいろいろあるんだなという勉強にもなりましたし。ただ、その度に聞かれるのですが「『パズル』の続編はあるんですか?」という質問には、現時点では考えてませんと答えるようにしています。むしろ、新しいアイディアを一から組み立てていったほうがやりやすい。
この文庫化を機会にあらためて読み返してみると、作品を書いた時点の、自分の若さというか、青さを感じます。登場人物の設定とか話の展開のさせ方とか……三年しかたっていないのに、自分がいま書いているものとは大きな違いがある。無茶してたな、よくこんな強引なアイディアを使って一作書き上げちゃったなあと。
これは『ブレーキ』(角川書店)に収録されている作品にも感じるんですけど、昔書いた作品と比べるとそういう意味でのベクトルが変わってきている。ホラー系の作品については実感してないので、ゲーム系の作品について、ということのようです。ただ、仕込んでいる書き下ろしの長編は確かにそうなんだけど、アイディアを思いついたばかりの短編は逆にすごく突飛な設定なので、自分自身でもいろいろと揺れながらこれから書いていくことになりそうです。
この『パズル』は僕の作品の中でも凄《すご》く無茶な、今となっては書こうと思ってもなかなかできないようなアイディアに基づいて書かれた作品です。その「無茶な」二十二歳の山田悠介を含めて楽しんでいただければと思います。
二〇〇七年春
[#地付き]山 田 悠 介
角川文庫『パズル』平成19年6月25日初版発行
平成19年10月20日4版発行