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山口 瞳
草競馬流浪記
目 次
1 笠松《かさまつ》のおぼこい乗《の》り役《やく》たち
懐しい草競馬 笠松競馬場案内
馬券はロマンで買え
錬金術師たち
おぼこい安藤勝己
2 水沢競馬《みずさわけいば》、北国《きたぐに》の春《はる》はまだ
タイム・トンネル 水沢競馬場案内
公営競馬では日本一
僕の馬券戦術
偉人の故郷
一関のわんこソバ
3 姫路《ひめじ》、紀三井寺《きみいでら》は玄《くろ》い客《きやく》ばかり
神様の言ったこと 姫路競馬場案内
大いなる出遅れ 紀三井寺競馬場案内
手が痛くなる
明石屋の蛸に喰われて
もう競馬はやめや
4 道営横断三百哩《どうえいおうだんさんびやくマイル》
痔になる競馬 北見競馬場案内
あまりにも牧歌的 旭川競馬場案内
バナナがうまい
山下の再騎乗
5 東京《とうきよう》ギャンブル大環状線《だいかんじようせん》
如何わしきは罰せず 川崎競馬場案内
川崎競馬場 難関その一 船橋競馬場案内
予想屋信ずべし 大井競馬場案内
船橋競馬場 難関その二 浦和競馬場案内
大井競馬場 難関その三
浦和競馬場 難関その四
6 園田競馬場《そのだけいばじよう》に秋風《あきかぜ》が吹《ふ》く
再会 園田競馬場案内
中洲の秋
ノミ屋逮捕さる
大逆転
7 萩《はぎ》すすき、上山《かみのやま》子守歌《ララバイ》
オデンにかぎる 上山競馬場案内
生きて帰れるか
上山の子守歌
泣きっ面に蜂
公営競馬の馬券戦術
8 福山皐月賞《ふくやまさつきしよう》、都鳥君奮戦記《みやこどりくんふんせんき》
逢うて嬉しき 福山競馬場案内
大歓迎
都鳥君、奮迅の活躍
都鳥君は狂人か
9 佐賀競馬場《さがけいばじよう》のゲッテンツウたち
月に吠える 佐賀競馬場案内
だんじゃなか!
死ぬことと見つけたり
山口組の大逆襲
10 盛岡競馬《もりおかけいば》、東北新幹線試乗記《とうほくしんかんせんしじようき》
大宮の夜 盛岡競馬場案内
新幹線、大宮駅
襟を正すも
言うことなし
11 益田競馬場《ますだけいばじよう》、夏《なつ》時雨《しぐれ》
ちかごろ公営競馬事情 益田競馬場案内
夏の終り
あんたも好きだね
親分あらわる
12 名古屋土古《なごやどんこ》の砂嵐《すなあらし》
紺色で統一 名古屋競馬場案内
Come to Donco !
公営競馬を暴力団の手に
逃げ馬買うべし
13 大歩危小歩危《おおぼけこぼけ》、満月旅行《フルムーン》
道中なんの話もなく 高知競馬場案内
僕等もフルムーン
鯔の跳ね飛ぶ
沢木耕太郎の運勢
土佐の満月
14 冬木立《ふゆこだち》、宇都宮競馬場《うつのみやけいばじよう》
江戸の仇を討つのみや 宇都宮競馬場案内
高級麻雀クラブ
暗闇で鰐
ああ、一番枠
明鏡止水
15 近《ちか》くて遠《とお》きは足利競馬《あしかがけいば》
金髪嬢の旅 足利競馬場案内
名手福田三郎
足利に蓮岱館あり
必勝社の意見
夢、去りぬ
16 寒風有明海《かんぷうありあけかい》、御見舞旅行《おみまいりよこう》
暮の椿事 荒尾競馬場案内
眠れぬ個室寝台
烈風、雲仙おろし
夢物語デメロン
17 高崎競馬《たかさきけいば》、サクラチル
父さん温泉、僕競馬 高崎競馬場案内
白木蓮咲く
山は霧しぐれ
意外な展開
18 金沢競馬《かなざわけいば》、アカシヤの雨《あめ》
金沢片町倫敦屋 金沢競馬場案内
都鳥君、久々の快挙
アカシヤの雨
倫敦屋の執念
19 中津競馬《なかつけいば》、恩讐《おんしゆう》の彼方《かなた》
中津はむずかしい? 中津競馬場案内
福沢諭吉も逃げだす
後味が悪い
大惨敗
20 燕三条見得談義《つばめさんじようけんとくだんぎ》
見得とは何ぞや? 三条競馬場案内
一日で落馬三回
また、落馬事故
公営ギャンブルの存在理由
21 旅《たび》の終《おわ》りの帯広《おびひろ》、岩見沢《いわみざわ》
最悪の夏 帯広競馬場案内
大勝利 岩見沢競馬場案内
僕の終戦記念日
淋しい盆踊り
函館番外地
特別附録
座談会 たかが競馬、されど競馬
結 論 競馬必勝十カ条
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[#小見出し]1 笠松《かさまつ》のおぼこい乗《の》り役《やく》たち
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いかがわしいという感じが好きだ。それから、何事によらず一所懸命というのが好きだ。むろん祭りが好きだ。
この競馬場、それが渾然《こんぜん》一体となって充満している。
僕《ぼく》は有頂天になり、ほとんど狂喜した。
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[#地から2字上げ]―――――¥懐《なつか》しい草競馬[#「懐《なつか》しい草競馬」はゴシック体]
全国の草競馬を見て廻《まわ》ることになった。馬券を買うのと、競馬場のある町を訪ねるのとの両方である。正しく言おうとすれば草競馬という言葉はない。公営競馬または地方競馬だろう。草競馬というのは、農家の人たちが農耕馬を供出して競わせるレースのことだろうが、いまや、農耕馬は、ほとんどいなくなった。
僕が公営競馬のことを、あえて草競馬と呼ぶのは、決してこれを軽蔑《けいべつ》しているためではない。むしろ、草競馬という言葉につきまとうところの、一種の懐しさ、解放感によるものだと思ってもらいたい。
昭和二十一年だったと思うが(二十年の秋かもしれない)、戸塚競馬場が再開されたとき、僕は、まっさきに、喜びいさんで出かけていった。そうして、このときほど、平和というものを強く感じたことはなかった。青空の下で、大勢の人が集まって、天下晴れて公認の博奕《ばくち》を打つ。こんなにいいものはないと思った。防空壕《ぼうくうごう》のなかで、懐中電燈でもって花札を引くのとはわけが違う。これが平和というものだと思った。
二年前の夏、ちょうどその近くを取材旅行中ということもあって、船橋競馬場へ行った。前日の夜、馴染《なじ》みになっていた寿司屋《すしや》へ寄って、その話をすると、
「研究したって駄目《だめ》だよ。@Eが好きなら@E、彼女の名前がミヨ子ならBC、そういう買い方をしなきゃ取れないよ」
と、職人が言った。暗に、じゃない、明らかに、彼は八百長《やおちよう》が行われていることを示唆《しさ》したのだった。
しかし、僕はそれを信じなかった。僕は、競馬には八百長がないと思っている。やろうと思ったってやれるもんじゃない、というのが僕の考え方である。昔、戦前の、だから大昔、中央競馬でも八百長が行われていた。三人か四人の騎手で談合する。少頭数であれば全員で談合する。組む。一番人気、二番人気の頭を引っぱってしまう。弱い馬の単勝式馬券を買いにやらせる。こうやって、成功するのは七回か八回に一度のことであったという。割にあわない商売である。なぜならば、強い馬を引っぱって、引っぱりきれるものではないそうだ。この話を、引退したベテラン・ジョッキーに聞いた。僕は、中央競馬会のお偉方の、決して不正はありませんという談話よりも、ジョッキーの体験談のほうを信ずるという質《たち》の男である。そうであるならば、草競馬でも八百長は行われない、やれるはずがない、と思っている。
げんに、僕は、そのときの船橋競馬でも、儲《もう》かりはしなかったが、大いに楽しんだものである。ただし、ノミ屋には悩まされた。
船橋競馬へは慎重社のパラオ君と一緒に行った。パラオ君は馬券のほうの名人であり天才である。夏のことで、僕は、Tシャツにジーパン、ゴム草履という扮装《いでたち》だった。しかるに、パラオ君は、スリーピースの背広できめているし、ネクタイを着用している。これが糞叮嚀《くそていねい》な男であって、僕に向って最上級の敬語を使うし、何かにつけて頭をさげてから物を言うのである。船橋競馬のノミ屋の兄ちゃんは、僕のことを、とんでもない金満家と見てとったようだ。モト華族の旦那《だんな》が家令を連れて歩いているといったような。
そうじゃないといくら言っても離れない。ただし、千円二千円という程度にしか買わない僕を見て、次第に遠ざかっていってくれた。
僕が、こんど、こういう企画でもって、全国の草競馬を廻るのだと言ったら、競馬好きの友人たちが、
「俺《おれ》も連れていけよ」
「私も御一緒させてください。迷惑はかけませんから」
と、口々に言うのである。
これはどういう按配《あんばい》のものであろうか。実に不思議である。むろん、慎重社のパラオ君もその一人であることは言うまでもない。
[#地から2字上げ]―――――¥馬券はロマンで買え[#「馬券はロマンで買え」はゴシック体]
岐阜《ぎふ》県の笠松競馬場へ行くことになった。それは、この企画の発案者であり、かつ、相棒になってくれることになったスバル君が、なにしろ、内馬場は田圃《たんぼ》なんですからと言ったことに起因している。彼が笠松へ行ったとき、チビクロという馬が走っていたそうだ。
「なに? チビクロ? それだ、それだ。第一回目は笠松に決めた」
僕は、こういうことを大いに喜ぶという質《たち》の男でもある。スバル君は僕と同じ中学校の卒業生で、ほぼ二十年の後輩に当る。こういうことは非常に有難《ありがた》く、かつ、便利である。いざというときに先輩風を吹かせることができるからである。
三月十五日、東京駅十七番ホームのベンチに坐《すわ》っていると、スバル君がやってきた。革ジャン(合成皮革であるようだ)を着ている。デンスケのような大きなアルミニュームの箱を抱えている。これはカメラであるそうだ。
十時二十四分発の、ひかり135号広島行が発車する寸前にパラオ君が乗りこんできた。
「やあ、やあ……」
僕が二人を紹介し、スバル君とパラオ君が名刺を交換した。
「中京の地方競馬招待レースで、笠松の馬が中央の馬を叩《たた》きのめしたことがあるんです」
と、パラオ君が言った。
「ああ、そうそう。そんなことがあったね。不良馬場でね。あの馬は強かった。あれは笠松の馬か」
「そうですよ。だから、私、行く気になったんですよ」
十五日は日曜日である。パラオ君は会社をサボっているのではない。
「何という馬だったっけね」
「ダイタクチカラですよ。勝ったのはリュウアラナスですけれど」
パラオ君が馬券の名人であるのは、このように記憶力が勝《すぐ》れているからである。
「そうだった。二着になった馬が強かった」
「そうなんです。中央のバンブトンコートとかリキアイオーというのは一流馬ですからね。リキアイオーとダイタクチカラでびっしりと競《せ》りあいましてね。ダイタクチカラが競り潰《つぶ》して楽勝かと思われたときに、大外からリュウアラナスが突っこんできましてね。一着はこの馬でした。おっしゃるようにダイタクの強さが目立ったレースでしたね」
「俺もテレビで見ていた。万馬券になったんだ」
「いや、違います。八千いくらかでした」
万馬券にならなかったということで、笠松の程度の高さがわかり、僕の期待は、いっそう高くなる。
僕が競馬をやると、文壇での評判が悪くなる。特に純文学系統の人に叱《しか》られるのである。僕は、二度、ちょっと来いと言われて、酒場の隅《すみ》で怒られた。競馬をやるのはいいと言う。それを原稿にするのはよくない。原稿を書くのはまだいいとして、鳥打帽をかぶり双眼鏡を構えた写真が雑誌や週刊誌に掲載されるのは非常によろしくないと言う。二人の人に意見されるということは、少くとも二、三十人の人がそう思っているということである。意見をしてくれるのは、僕に好意を持っていてくれるということで、二度とも、有難く拝聴した。
僕は、こう思う。|飲む《ヽヽ》・|打つ《ヽヽ》・|買う《ヽヽ》というのは人間の本能である。これをおさえると結果はよくないし、第一、そんなことは不可能である。しかし、飲む・打つ・買うの三つを同時に行うと人間は破滅するとも思っている。
それならば、なぜ原稿を書くかというと、このへんが僕のオセッカイなのであるが、僕は若いときは鉄火場にも出入りしていて、博奕に関しては免疫体《めんえきたい》になっていると思うし、そういう意味での免疫性を他人にも伝えたいという気持があるからである。
名古屋での女子大生|誘拐《ゆうかい》殺人事件の犯人は、名古屋競馬だか中京競馬だかで三千万円の借金をつくったという。僕には、どうしてそういう馬鹿《ばか》なことをしたのか、いったい、どういう馬券を買ったのかを知りたいという気持があった。笠松を選んだのは、少しはそのことも関係していた。
「競馬はロマンで見よ。馬券は金で買え」という言葉がある。これは、たとえば血統を調べるなどして、馬に自分の夢を托《たく》し、馬券を買うときは、大事なお宝であるのだから、慎重のうえにも慎重、警戒のうえにも警戒して買えという意味だと思われるが、僕の考えは似ているようで少し違う。
むしろ、競馬はギャンブルであるのだから、「馬券はロマンで買え」と言いたい。
僕のような小心で用心深い男は、こうくれば一万五千円儲かるというような買い方をしてしまう。これは間違っていると考えるようになってきた。
「こうくれば百万円になる。五十万円になる」
という買い方をすべきだと考えるようになってきた。僕は小額投資のほうであるが、すくなくとも、こうくれば十万円になる、二十万円になるという買い方をすべきだと考えている。そうなれば、取られても納得がゆくのである。ちかごろの評論家は、六点予想、七点予想というのが多く、ひどいのは、どれがきても儲からないということにもなってくる。
『話の特集』という雑誌の社主であり編集長であり、参議院議員中山千夏の秘書である矢崎泰久さんは、あなたは平均して、競馬ではどのくらい儲かっていますか、あるいは損をしていますかと質問されて激怒した。
「競馬というものは平均するもんじゃない」
矢崎さんはそう言ったが、してみると、平均すれば損をしていると白状したようなものだ。
この矢崎さんが、四百万円ばかり儲けたのを目撃した人がいる。
「目の前でやられちゃった」
と、その人は言った。
僕の考えは矢崎さんにちかい。いや、最近、そうなってきたのだ。四百万円あれば、高級スポーツカーが買えるだろうし、ロールスロイスの頭金にはなるはずである。すなわち、馬券はロマンで買えと言うのは、このことである。
しかし、四十倍の配当の穴馬券を十万円買わなければ四百万円にはならないわけで、僕にその度胸はない。矢崎さんの大勝を目撃した人が、あるとき、僕に言った。
「きみ、うんと儲けて、上野のキャバレーでドンチャン騒ぎをしようっていう気持を失っちゃ駄目だよ」
矢崎さんに較《くら》べるとスケールはちいさいが、僕の言うのも、金額で言うと、この程度のことである。その程度のロマンを抱け! ドンチャン騒ぎをせよ!
これから、どのくらい続くかわからないが、全国公営競馬場全踏破を目指しているので、目的達成までは流離《さすらい》のギャンブラーを気取らなくてはならない。本当のギャンブラーであるならば、碁《ご》の藤沢秀行先生、作家ならば色川武大、丸元淑生さんにお願いしなければならないところである。
それに、何の予備知識もない草競馬では、いくらなんでも大勝負することはできない。その点が気楽と言えば気楽である。いま思うのだけれど、友人たちが同行したがったのは、この気楽という点にあったのではなかろうか。そうして、地方へ行けば、そこにロマンがあるという錯覚も生じていたのではないか。
あるとき、スバル君が、競馬の穴馬券を的中させて三十万円ばかり儲けた。やれやれと思ったか、これで良しと思ったか知らないが、机の抽出《ひきだ》しに入れておいたハズレ馬券を取りだして計算しはじめた。そのうちに気分が悪くなってきたという。ハズレ馬券の合計は、どうしてどうして、三十万円なんてもんじゃなかったそうだ。自分でも信じ難いことだが、その額は百万円を越え二百万円を越えた。競馬とはそれくらいオッカナイものである。
これと同じ話を知っている。競馬のほうの専門家である知人が、何を思ったか、ある年、一年間のハズレ馬券を取っておいた。大《おお》晦日《みそか》になって、そのハズレ券を数えはじめた。
「……五百万円、七百万円。……おいおい、冗談じゃないぜ」
彼の細君は薬剤師であって薬局を経営していたので、金に困るようなことはなかったが、急に気分が悪くなり、嘔吐《おうと》を催してきて、計算を途中でやめたという。
みんな似たようなものだと思った。
さて、僕はどうかというと、ポケットのなかの小銭を猫《ねこ》の貯金箱にいれておく。だいたい一年間で七、八万円になる。これが翌年の競馬資金になる。儲かれば多摩信用金庫に貯金する。競馬場へ行くときはキャッシュ・カードでおろす。いま、その残高を見ると、十一万円になっているので、今年にかぎってみれば、まだ損をしていない。その程度のギャンブラーである。
[#地から2字上げ]―――――¥錬金術師たち[#「錬金術師たち」はゴシック体]
内田|百閨sひやつけん》先生は錬金術の大家であったという。これは借金のほうである。
僕は、錬金術を求めるのも人間の本能だと考えている。人が競馬場へ行くのも錬金術を探し求めているためではなかろうか。
実際、競馬場へ行って、よく耳にするのは、この馬の調子がどうだとか、血統がどうだとかいう話ではない。今日は@の目がよく出る、Cは死に目だ、今開催でまだGの目がからんでいない、といった話ばかりだ。あるいは、Bの××厩舎《きゆうしや》の馬は今日はヤリ(勝負気配濃厚)ですよといった情報である。
研究も何もあったもんじゃない。ほとんどの人が、空中から金を掴《つか》み取ろうとする法則はないものかと考え続けているのである。
そうでなくても、乗ったタクシーの番号だとか、指定券の座席番号だとか、自分の年齢だとかを、買わないまでも、ずいぶん気にする人が多い。いや、それが全員だと考えてもいい。僕などは、なるべく美人のオバサンの窓口で買おうとする。当れば、次もそこの列にならぶ。
そういうのが、ナンセンスであるのだけれど、僕には面白《おもしろ》い。
名古屋駅で『中日スポーツ』を買い、こだまに乗り換えた。どうやら午後一時五十分発走の第六レースにまにあいそうだ。岐阜羽島駅まで二十分ばかり勉強した。羽島駅で『競馬エース』という新聞を買った。僕は一番売れている競馬新聞を買う主義でいる。東京では昔からの馴染みで『ダービー・ニュース』を買うけれど。
関西の競馬新聞は、全部横組である。これには往生した。目が疲れる。それに、記載の仕方が違っていて馴れるのに苦労する。
羽島駅からタクシー。約二十五分で競馬場へ着いた。笠松競馬場は、僕を有頂天にした。僕は、ほとんど狂喜したのである。
何がそんなに嬉《うれ》しいのか、うまく言えないが、一口で言うならば、そこに昔の浅草があったということになろうか。京都や名古屋を歩いていて、昔の東京に出あうことがある。祭りの日などがそうだ。笠松は浅草であり、いや、もっと場末の祭りの情景に似ていた。
オデン屋、ヤキトリ、ソース焼きソバ、まむし(鰻《うなぎ》)などの屋台店がびっしりと立ちならび、物の匂《にお》いがたちこめている。屋台店と書いたが、のぞきこむとテーブル、椅子《いす》の土間があり、その奥に小座敷があり、瀬戸物の火鉢《ひばち》が置いてあったりする。その脇《わき》で、うらぶれたような中年男が、赤ん坊の襁褓《おしめ》を取りかえている。
「これだ、これだ」
と思った。中山で競馬が行われ、阪神で桜花賞トライアルがあるときに、わざわざ笠松くんだりまで出かけてゆくというのは、吉原を通り越して千住《せんじゆ》か尾久《おぐ》に女郎買いに行くようなもんだなあと新幹線のなかで言い言いしていたのである。やっと何かが酬《むく》いられたような気がしてスバル君に感謝した。
府中競馬場でもそうなのであるが、馴れないと、どこに何があるかわからないようになっている。巨大な迷惑という感じがある。改装前の府中では、ラジオ関東の放送室は、屋上に掘っ立て小舎《ごや》を建てたようなものであった。これではわからないし、そこへ登るのは危険でもあった。
わが笠松は、狭いところへ諸設備がひしめきあっていて、細い通路、細い階段の上り下り、大人でもたちまち迷《ま》い児《ご》になる。階段の脇の通路と思われたのが喫茶店であったり、人が立ってウドンを食べているので、ウドン屋かと思ったら、そこが単複の売場であったりする。
僕は如何《いかが》わしいという感じが好きだ。それから、何事によらず一所懸命というのが好きだ。むろん祭りが好きだ。笠松競馬場は、この如何わしいのと一所懸命と祭りとが渾然一体となっている。そいつが充満している。そうして、それだけでなく、そこで大好きな競馬が行われていて、金の匂いがぷんぷんしている。
僕たちは、最初に事務室へ行った。そこに例の地方競馬招待レースのゴール前の大きな写真が掲げられていて、事務局長の山本正恭さんが、
「この二頭がうちの馬です。あとの、こっちのほうの馬が中央の馬です」
と言い、指さして説明してくれた。中央競馬の馬は、およそ五馬身ばかり引き離され、一団となっている。この快挙の喜びが直かに伝わってくるような気がする。
企画広報課主任の大澤泰弘さんは、熱心で親切な青年だった。淳朴《じゆんぼく》なところがある。僕は地方競馬の従業員は、横柄《おうへい》で突慳貪《つつけんどん》で不親切だとばかり思いこんでいたが、まるで逆だった。言いにくいけれど、中央競馬会の職員は、総じて威張っているものである。
大澤さんが、二階スタンド正面の特別室に案内してくれた。そこには、すでに特別来賓室という貼紙《はりがみ》があった。女性事務員の優しいこと、当りの柔らかいこと。
「これで情婦《スケ》でも連れてきていたら、ヤクザの親分だな」
暖い部屋で、僕はすぐに悪乗りしていた。
笠松競馬場では、ゴール前の内馬場が曳馬所《パドツク》になっている。これはオーストラリアふうだそうだ。坐《すわ》ったままで出走前の馬の状態が見られるのである。
その笠松の馬であるが、中央の馬と較べると、何かノソノソとしている。足がふとい。
レースを調教がわりに使うことがあるようで、いくぶん太目につくってあるためである。公営競馬で、もっとも注意すべき点がこれだ。従って連闘馬が多い。
競走用のサラブレッドというのは、いかにも繊細優美であって、特に巨体を支えるところの足がまことに細く、壊れものを見る感じがする。動物ではない動物だと、いつでも思う。
笠松の馬は、これはもう、まごうかたなき動物である。レースが終ると、三コーナーと四コーナーとの中間にある馬房から、次のレースに走る馬たちが、馬手に曳《ひ》かれて、のっそりのっそりと歩いてくる。いかにも動物だという感じがする。たとえば、動物園へ行って縞馬《しまうま》を見るとき、この縞馬の駈《か》けるところを見てみたいと思うことがないだろうか。キリンでも象でも僕はそんなことを思う。それに近いと言ったら感じがわかってもらえるだろうか。
『公営競馬入門』(野町祥太郎著、三恵書房刊)によれば、笠松競馬は常に二千円以上の馬券を追うこと、出目は一|枠《わく》から流せ、八枠が注意枠となっているので、第六レース、@G本線で流したが、結果AGで、連複の配当は三百三十円。こういうこともあるようだ。というより、公営だから荒れると考えるのは間違いだろう。
驚いたことに、スバル君の戦法は、万馬券だけを狙《ねら》うというものであった。僕の経験によれば、こういう戦法であると、「お金が面白いように減ってゆく」ことになる。
向う正面の奥の土堤は木曽川《きそがわ》であり、右に名鉄、左に国鉄の鉄橋がかかっている。内馬場は田圃と畠《はたけ》であり、墓もある。墓のそばの囲いのなかに二頭の羊がいる。
「秋になって稲架《はさ》に稲をかけると見えなくなるで……。お客さんから文句が出て、五段がけを三段にしてもらったことがあるで……」
大澤さんが言った。彼は、次々と諸資料を持ってきてくれる。
レース中にコースを横断して墓参りに行く人があるそうだ。岐阜羽島駅は田圃のなかにあると承知していたが、それがここまで延長してきて、田圃を柵《さく》で囲って、そこを馬が走っているのである。そうして、一万四千二百七十六人の観客が、酒を飲みながらお祭り騒ぎをしている。
名鉄のずんぐりした赤い車輛《しやりよう》には特徴がある。国鉄のほうは、長い長い貨車が鉄橋を渡ってゆく。その眺《なが》めは、まさに牧歌的である。
「こっちは天引でお金をいただいとるで……。いくら儲けなさってもかまわんで……」
大澤さんが、いくらか間のびした口調で言った。僕は、この淳朴な青年が好きになってしまっていて、すっかり甘えている。
すぐ目の下を走るのだから、その迫力は、中央競馬以上と言っても御世辞にはならない。
第七レースが荒れて六千二百九十円の配当。これを二十万円買った客がいて、そういうニュースはすぐに伝わってくる。おそらく、千二百万円という金が払戻《はらいもどし》場になくて本部に連絡があったのだろう。
第八レース。僕は一番人気のCD一点。人気もそうだが、馬を見て、勝てると思った。締切|間際《まぎわ》に腰を浮かしたパラオ君に馬券を買ってきてもらった。果たしてCD二頭でぶっちぎり。このマルカダイジンに騎乗した伊藤強一君は、目下のリーディング・ジョッキーであり人気騎手である。ペース判断がいいようだ。
「おめでとうございます」
と、パラオ君が言った。僕は三千円買って三百四十円の配当。すなわち一万とちょっと。それでも気分のいいものである。
「へっへっへ。わたくしも乗っけてもらいましてCD二万円。へっへっへ。おかげさまで、やっぱり一点で。モノが違いますよ、はい。うっへっへ」
だから、東大法学部出身というのは厭《いや》なのだ。六万八千円か。しかし、彼は、それを、そっくり、次の本日の呼物、マーチカップに投入して敗れた。
その第九レースに、公営日本一というブレーブボーイが出走した。名古屋で十一勝、当地でも五勝という八歳馬である。鞍上《あんじよう》は、笠松の福永洋一と称される二十一歳の安藤勝己。昨年度は、なんと百十二勝している。
「……たぶん、廻ってくるだけだで」
場内放送をしている下川博さんが、ふらりと入ってきて言った。この公営日本一の黒鹿毛は、すでに売りきれている、燃えつきているという意味である。
ここで注目すべきことは、本日が大観衆になったのはブレーブボーイが出走するためだということである。さかんに声援が飛ぶ。この、燃えつきている馬が人気になっている。『競馬エース』の見出しは「ブレーブファン大集合!! 待ちに待った再出発の時が来た。千両役者の走りっぷりに注目!」となっている。
公営競馬の良さはここにあるのではないか。俺《お》らが日本一の馬を見にきて、負けるとわかっている馬券を買うのである。公営ファン気質《かたぎ》というのがこれである。
セコイ博奕を打つところの僕も、場内の熱気につられて、この馬を買った。結果は九頭立ての七着。なるほど、中央で言えばイシノタイカンといったところで、売りきれている。翌日の成績表で見ると、単複ともに一番人気。そんなことが僕には嬉しいのである。
[#地から2字上げ]―――――¥おぼこい安藤勝己[#「おぼこい安藤勝己」はゴシック体]
大澤さんと下川さんを誘って、う越鉄《をてつ》へ行く。長良川《ながらがわ》沿いの川魚の老舗《しにせ》である。そのツキダシ(関西ではアテと言う)のイカダバエ(ハヤの稚魚)がうまい。アマゴが良い。僕《ぼく》は鮎《あゆ》よりも好きだ。
お目当の三千盛《みちさかり》がない。どうも、この三千盛という酒は、東京で人気があって、岐阜ではあまり知られていないようだ。
この下川さんというのが不思議な人で、場内放送のアナウンサー(とても上手だ)であるが、笠松競馬の職員ではない。タレントでもない。名刺によれば広告代理店の社員である。彼は、競輪があるときは、そっちのほうの場内放送をやるという。誰《だれ》にでもできるという仕事ではない。
大澤さんと下川さんとで、公営競馬の良さについて、こもごも語ってくれた。何事についても一所懸命ということが好きだというのがこれである。
「いま、老人が、二千円で朝から晩まで遊べる所はないで……。適当に昂奮《こうふん》して、面白くって」
事件は、やっぱり、昭和四十八年と五十年との二度にわたってあったそうであるが、すっかり粛正されて、いま、笠松競馬の騎手は若くなり、三十二歳というのが最年長であるという。
「なんでも言ってください。どこへでも案内します。安藤勝己に会いたいと思いませんか。検量室へでも厩舎へでも案内しますよ」
「安藤勝己というのは、うまいかね」
「上手ですが、いま、ちょっと、勝ちに行きすぎるようなところがありますね」
「そういう騎手が好きだ」
「意識しているところがあるんじゃないですか。だけど、中央へ行ったら、凄《すご》い人気になるでしょうね。なにしろ、おぼこいで……」
「おぼこい?」
「可愛《かわい》い顔をしてるんですよ」
「ああ、僕はそれにヨワイんですよ。可愛い少年というのは、ちょっと困るんだ」
安藤には会わないことにした。惚《ほ》れてしまって帰れなくなったら大変だ。大澤さんは、安藤を見ていると怖い感じがするという。天才型の美少年にはそういうところがある。事故を起こさなければいいが……と、しみじみした口調で言った。
笠松競馬の騎手たちは非常に若い。安藤にかぎらず美男子ぞろいであることを双眼鏡で確かめてある。職員も、熱意があって、がいして言えば若い。燃えているという感じを僕は受けとった。汚名|挽回《ばんかい》ということだろうか。騎手の教育については、厳正が保たれているようである。「公営競馬・この良きもの」を大澤さんも下川さんも強調するのである。それが、僕には、こころよい。
「馬券を一千万円買う人がいると、二十分遅れになるで……」
「そんなに買う人がいるんですか」
「はあ。利益べらしだで」
あたかも、三月は税金の季節だった。ハズレ馬券を見せると、税務署で考慮してくれるという。信じ難い話であるが、当り馬券が雑収入として税の対象になるとすると、ハズレ馬券のほうも考えてもらいたいと僕もかねがね思っていたのである。
笠松競馬場は、郡上八幡《ぐじようはちまん》の盆踊りのときには、メインスタンドの前に櫓《やぐら》を組んで、|かわさき《ヽヽヽヽ》を踊るのだという。僕が、これは祭りだと直観したのは正しかったようだ。
僕は、若いときから、岐阜は怖い所だと思っていた。その第一は、周囲を強国にかこまれていて、いつ攻めこまれるかわからないという感じがあった。岐阜城は、震えあがって金華山山頂に建っていると、いつでも思っていた。第二は、伊勢湾台風のような海からの脅威。木曽川、長良川の氾濫《はんらん》である。第三に、岐阜の繁華街は暴力団が支配しているという感じがある。以上のことは僕の偏見であろうか。また、岐阜は奥が深いという感じがあって、そこに絶大な魅力もあるのであるが。
僕の競馬必勝法の第一は、「朝食をシッカリ食べること」である。そのためには、前の晩に多く眠らなければならない。研究などは、たいていは無駄《むだ》になる。
だから、大澤さん、下川さん、スバル君の三人は、夜の町(柳《やな》ヶ瀬《せ》)へ出ていったが、僕は宿舎のグランドホテルへ直行した。
ところが、その日は第三日曜日であって、この日は、「家庭の日」となっていて、酒場のほとんどが休みになっていたという。
タクシーに乗ったら、いきなり、運転手に、
「今日はトルコはやっていないよ」
と言われたという。顔を見て物を言うということがあるようだ。
地方都市を歩いていて、駅前広場に「暴力追放宣言都市」という大看板があると、僕は怖気《おじけ》をふるってしまう。これは、暴力がアリマスと宣言しているようなものだ。岐阜における「家庭の日」もその類《たぐい》のことではあるまいか。
翌日の三月十六日、月曜日。第一レースから最終レースまで遊んで、五時過ぎのこだまに乗って帰った。僕は約五万円のマイナスである。その二割五分を地方自治体に寄付したわけだ。
新横浜駅で降りて、関内で遅くまで遊んだ。
「さあ、ここからは、仕事を離れて先輩と後輩だ。こっちの奢《おご》りにしてください」
「そうしてもらわざるをえない状態です。しかし、いつかは、あっと言わせてみますから」
スバル君の顔に元気がない。三月十六日にも万馬券は出なかった。固くおさまれば、スバル君の活躍の余地がないのである。
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[#小見出し]2 水沢競馬《みずさわけいば》、北国《きたぐに》の春《はる》はまだ
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四月半ば、この時期の東北への旅は楽しい。
なぜなら、東京では散っていた桜が
だんだんに咲いてくるからである。
偉人の故郷で、僕《ぼく》の本紙予想≠ヘ面白《おもしろ》いように的中したのだが……。
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[#地から2字上げ]―――――¥タイム・トンネル[#「タイム・トンネル」はゴシック体]
水沢へ行くことになった。水沢は馬の集散地、育成地として古くから知られている。
四月十八日、土曜日、午前九時三十三分上野駅発特急やまびこ3号。これに乗車するようにスバル君に言われた。僕は例によって一時間前に上野駅に到着。従って、列車がホームに入ると同時に、これに乗りこんでいた。
発車十分前、
「ワッ」
と言ってスバル君が入ってきた。びっくりするじゃないか。今日は革ジャンではない。といって背広でもない。
五分前、
「ヌッ」
という感じで新平君があらわれた。新平君は水沢市の生まれである。だから一緒に行きたいと言ってはいたが、来るのか来ないのか、僕は半信半疑でいた。この草競馬というやつ、東京に住む人にはよほど魅力があるようだ。特に生き馬の目を抜くというマスコミの世界で働く人において。
新平君は顔あくまでも白く眉毛《まゆげ》が太い。その太い眉の下に濃い影が生じている。東北の憂愁《ゆうしゆう》を一身に背負ったような感じだ。あるときの新平君の眉はつながっているようにも見えた。これを東北地方では馬先棒というのだそうだ。馬を繋留《けいりゆう》する太い棒のことである。以後、僕は、競馬に関しては、新平君のことを馬先坊と称するようになった。
向田邦子《むこうだくにこ》女史は、新平君が女性に人気があるのは、長い睫《まつげ》のためだと言った。僕は色白の顔面に赤い唇《くちびる》も捨て難《がた》い。それに凜々《りり》しい眉毛。つまり個々は非常に勝《すぐ》れているのだがと言いかけたとき、野坂|昭如《あきゆき》が、
「それじゃ福笑いじゃありませんか」
と言った。口の悪い人だ。憂愁の東北人が指定席を確保したとき、場内アナウンスがあった。
「九時三十三分《くずさんずうさんぷん》発、特急やまびこ。まもなく発車でございます。指定席《すていせき》は〇号車から〇号車まで。自由席《ずゆうせき》は〇号車より前方。お間違《まつが》いのないようにお願いいたすます」
いったい、東北人は、この東北|訛《なま》りをどう聞くのだろうか。古里《ふるさと》の訛り懐《なつか》しであるのか、そうでないのか。新平君は、東北本線下り列車というものが鬱陶《うつとう》しいと言う。どこまでも思いが沈んでゆくそうだ。そういう感じは僕には理解できなくて、発車前のアナウンスがすでに東北訛りであることが嬉《うれ》しくてたまらない。
僕は、この時期の東北本線に乗るのが好きだ。なぜならば、散っている桜が、だんだんに咲いてくるからである。タイム・トンネルを潜《くぐ》るような思いがする。なんだか得をしたような気がする。はたして、水沢に北国の春らんまんということになるだろうか。
僕の友人の細君が中学の教師をしている。その中学の生徒で馬券を買う子供がいるという噂《うわさ》が立った。調べてみると、細君の担任の子供であったという。その子供の父親が競馬狂で、息子に小遣いを月に五百円しか渡さない。これで馬券を買えと言うのだそうだ。だから、息子は、あるときは大変にリッチで、またある月は無一文の小遣いなしになるという。その子供は成績は悪いが、競馬に関しては非常に精《くわ》しく、馬券の買い方は巧者であるそうだ。それはそうだろう。
僕は、これだと思った。馬券戦術の要諦《ようてい》はこれに尽きるのである。つまりは切実な思いである。それと勉強だ。かの武者小路実篤《むしやのこうじさねあつ》先生も「勉強、勉強、勉強。勉強のみよく奇蹟《きせき》を生む」と言っておられるではないか。競馬必勝法がこれである。ただし、わかってはいるけれど、僕には出来ない。バカバカシイという思いがどこかにある。しょせん馬ではないかと思ってしまう。
競馬好きの人に、よく、きみは本命党か穴党かと訊《き》かれることがある。実にくだらない質問である。固いレースは本命サイドで、穴になりそうなレースは人気薄から買うというのが本道なのではなかろうか。また、配当が五百円以下の馬券は買わないと言う人もいる。同様にしてナンセンスである。強い馬を探しだすのが競馬の醍醐味《だいごみ》であって、配当はその結果であるにすぎない。
しかしながら、本命党と穴党と、どっちが儲《もう》かるか、どっちが有効であるかと問われるならば、本命党であると答えないわけにはいかない。
この理窟《りくつ》は簡単であって、十万円の配当を得ようとするとき、千円の投資ならば万馬券を狙《ねら》わなければならない。一日に一度の万馬券が出ないときがある。一開催で万馬券なしというときもある。狙って取れるというものではない。しかし、十倍の配当というのは屡々《しばしば》出る。これを取るのは容易だといってもいい。現に今年の桜花賞は、ブロケード、テンモンという本命サイドで決まって、しかも配当は千五十円、十・五倍だった。一万円の投資で十万円になる。競馬を金儲けだと考える人は本命党にならざるをえない。しかし、ここにも陥穽《かんせい》があるのであって、この考えをおしすすめてゆくと怖いことになる。だから、穴党の人は、むしろ要慎深い人であって、本命党のほうが攻撃的なのである。馬券の名人であるパラオ君が本命党であることはすでに書いた。
あるとき、競馬の名人であるという人にあい、ダービーで何を買いましたかと訊くと、ハイセイコーの複勝であるという。僕は、びっくりしたのであるが、ハイセイコーの複勝を百万円買ったと知って、また驚いた。ハイセイコーは複勝よりも単勝のほうが売れるという人気馬だった。よく考えてみると、実に巧妙な買い方である。現実にハイセイコーは、タケホープ、イチフジイサミに敗れて三着になっている。昭和四十八年のことである。その人は、いわゆる馬券師だった。
彼は、一年中、競馬があるときは馬場へ出かけてゆく。地方へも行く。一レースから最終レースまで、すべて見てメモを取る。しかし馬券は買わない。馬券を買うのは一年に五度か六度であるという。百万単位で買う。複勝式しか買わない。競馬新聞を熟読する。すなわち、勉強、勉強である。その彼が、こんなことを言った。
「たまらなく肉体労働をしたくなるときがあるんです。それから、普通の本を読みたくなることがあるんです」
まだ二十代であるのに会社をやめて、その退職金を資金にして、この商売をはじめた。収入は勤めているときとほぼ変らないという。ただし、三回に一度はずすと、とりかえすのに苦労するという。上役に頭をさげないですむということはあろうが、どっちの人生を選ぶかは大問題である。
そんなことを考えているうちに大宮を過ぎた。桜はまだ咲かない。快晴である。
「東北の空は、こんなに明るくありません」
と、新平君が言った。彼は東北に恨みでもあるかのような言い方をするが、本心は決してそうではないだろう。それだけ思いが深いのだろうと僕は見ている。
郡山《こおりやま》で、やっと桜が満開になった。
つい先日まで、競輪をやるために、伊東へ行った、前橋まで追いかけたという人に会うと、やれやれ困ったものだ、馬鹿《ばか》な奴《やつ》だと思っていたのに、その僕が、水沢まで競馬をやりにゆくのである。なんだか不思議な気がする。
白石川の桜は五分咲き程度だった。
福島駅には桜まつりの看板が出ていた。その福島の桜の蕾《つぼみ》が、まだ固い。
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[#地から2字上げ]―――――¥公営競馬では日本一[#「公営競馬では日本一」はゴシック体]
三時十五分、列車は定刻に水沢駅に到着した。最終レースにまにあう。
「@Dだ。@Dを買います」
スバル君が騒いでいるのは、15時15分着だからという意味である。
競馬場で新聞を買うと、三時三十分発走の第九レース、サラ系B1級の締切寸前だった。これに中央のメイジアトラス、ウエリントンシチーが出ている。いきなり馬券を買って取られてしまうことを飛込自殺と言うけれど、ずいぶん遠い所から飛びこみにきたものだと思った。穴場へ近寄るとベルが鳴り、締切られてしまった。
僕たちはスタンド横の階段へあがって見物した。さすがに、そこでは風が冷い。
そのレース、ウエリントンシチーが先行し、メイジアトラスは中団につけていたが行きっぷりが悪く、向う正面で鞭《むち》が入り、ああ買わないでよかったと思っていたのに、直線、そのメイジアトラスが猛然と追いこんで優勝、ウエリントンシチーが二着。大差というのではないが、他馬とはモノが違うことを感じさせた。ちなみに、その連複の配当は二百円だった。
続いて最終の第十レース。僕は二|枠《わく》のタマモスズランから流して買った。単に馬がよく見えたからであった。結果は無印のイセテンリュウ、タチフウと入着したので、僕はもとよりスバル君も新平君も駄目《だめ》。イセテンリュウは五番人気、タチフウは六番人気であるのに、連複の配当は四千百四十円である。八枠がフルゲートであるので代用品があるわけではない。これには驚いた。中央なら間違いなく万馬券となるところである。
それから企画室長の藤原正紀さん、主事の作山篤さんにお目にかかった。不躾《ぶしつ》けとは思ったが、いきなり、最終レースの配当についての疑問を提出した。
「話をすると長くなりますので……」
二人とも、そんなふうに答えた。
さらに、もっと驚いたことは、水沢では、翌日の競馬新聞が発売されない。水沢がそうなら同じ岩手県競馬組合の盛岡《もりおか》でもそうなっているはずである。どうやら、これは、ノミ行為防止のためであるらしい。そのかわりに、ガリ版刷りの出馬予定表というのが午後二時に配布される。これを前夜版と称するのである。そうして競馬新聞は、当日の午前六時に水沢駅その他で発売される。第一レースの出走は午前十一時半であるから、朝のうちに勉強せよということらしい。従って水沢では夕方というのは深夜であるのかもしれない。しかし、遠来の客に対して、これは不親切というものだろう。
水沢の競馬場は実に美しい。馬場の向う側を北上川が流れている。右に束稲《たばしね》山、左に早池峰《はやちね》山、その奥が遠野方面であるようだ。今朝は雪が降っていたそうで、そのせいか新緑が綺麗《きれい》だ。笠松《かさまつ》の木曽川《きそがわ》、府中の多摩川と、その風景は似たようなものであるかもしれないが、スタンドが整備されていることは驚くばかり。聞くところによると、その美しさは日本一であるという。喫茶店や食堂は、町中《まちなか》のそれよりも立派であり清潔である。
馬場内には野球場、四面のテニスコート、遊園地、アドベンチャートリム、ポニーランド、サッカー場、馬術馬場が完備している。驚いてばかりいるようだけれど、あらためて競馬場の広さというものにびっくりする。これで一周が千二百メートルなのだから、府中の東京競馬場などは実に広大なものである。
これだけ完備すると、いわゆる草競馬の懐しい匂《にお》いというものが薄れてしまう。笠松にはインチメイト(親密)なものがあった。水沢競馬場は、それに較《くら》べると、万事につけて官僚的な感じがしないでもない。それだけに、事件の心配がないとも言える。
好天で、しきりにツバメが舞っている。まことに、競馬場のスタンドの巨大な廂《ひさし》は恰好《かつこう》のツバメの巣となる。そのことを言うと、
「いや、ツバメの糞《ふん》には悩まされます。お客さんから文句が出ます。頭の上から降ってきますので」
藤原さんが苦笑していた。
訓練中の馬が畠《はたけ》へ飛びこんでしまうこともあるようだ。いまのところ、水沢における競馬公害は、その程度のものであるらしい。
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[#地から2字上げ]―――――¥僕の馬券戦術[#「僕の馬券戦術」はゴシック体]
宿舎である朝陽閣の御主人も競馬好きであるようだ。典型的東北美人であるところのお内儀《かみ》さんの話によると、帰ってくると最初は儲けた話になり、だんだんに損をした話に変ってゆくという。
タラの芽の酢味噌《すみそ》あえが出る。大好物である。時期的にはまだ早く、町の八百屋にならぶのは、もっと後のことになるそうだ。酒が甘いので辛口の地酒にかえてもらった。岩手おろし宝峰という酒で、僕の口には新政《あらまさ》よりも合うようだった。
その御主人が挨拶《あいさつ》に来られたので、水沢戦法を教えてもらうことにした。出馬表をお目にかけて、強い馬を知っていたら御教授ねがいたいと言った。
「さあ、わがんねえな。馬を見なくては」
御主人は、それだけしか言わなかった。僕は、その日の競馬場で、パドックの客が熱心に馬を見ていたことを思い出す。馬の育成地であるところの水沢の客は、馬を見る目がこえているのである。
「馬を見て、返し馬を見て、それからでなくちゃ教えらんねえな」
ここにおいて、僕は思い当ることがあるのである。つまり、彼|等《ら》は競馬新聞を信用していないのである。無印であろうが何であろうが、良いと思ったものは良い。だから、五番人気と六番人気が一、二着しても万馬券にはならないのである。藤原さんと作山さんが、話せば長いことになるといったのは、そのことだった。立場上で、競馬新聞に対する悪口と聞かれそうなことは言いたくない。まあ、そういうことではあるまいか。
まして、水沢競馬は、今年になってまだ二回目である。さらに、去年から今年にかけてのあの大雪である。調教が充分には出来ていない。本当に勝負する人は、まだ手が出せない。三十キロ増の馬が勝つ。その馬が、いわゆる二走ボケで次に惨敗《ざんぱい》する。そういった具合なのだろう。
それでも、まったく勉強しないというわけにはいかない。さいわい、競馬新聞の『勝馬ニュース』には、翌日の出走予定馬成績表というのが掲載されている。これと前夜版の出馬表とをつきあわせれば、かなりのところまではわかる。僕は自分でシルシをつけ、これを本紙予想と称することにした。
僕は決して血統論者を否定する者ではないが、彼等は書物と新聞と電話で競馬をやればいいのだ。僕は彼等とは流儀が違う。
僕は「競馬は持時計」という考えの持主である。千六百メートルでの持時計(最高タイム)を重視する。馬は自己の持時計の範囲でしか走れない。成績不振の馬でも、持時計の範囲で走る可能性を秘めている。いま、クラシックレースで穴党に人気のあるホクトオウショウは、千六百メートルのレースで一分三十七秒を切ったことがない。だから、まだ評価できないと言った競馬評論家がいる。僕はその考え方に賛成する者である。僕はカツラノハイセイコを評価し、いま一番強い馬だと思うのは、長距離に強く、勝負強いということだけでなく、千六百メートルでも早い時計を持っているからである。スタミナと瞬発力と勝負強さ、これが名馬の条件であると思っている。カツラノハイセイコはハイセイコーの産駒《さんく》である。従って血統的に優秀だとは言い難い。それでいいのだ。すなわち僕は血統論者ではない。去年の有馬記念では、ホウヨウボーイにハナ差で敗れたが、あれは、ハイセイコの勝っていたレースだと思っている。負けたのは、ちょっとした不利があったからだ。ホウヨウボーイとカツラノハイセイコの一、二着で千九百円の配当をつけてしまうのは、何かがおかしいのである。競馬は強い馬が勝つ。そう思っている。血統だ、展開だ、格だ、調子だ、右|廻《まわ》りだ左廻りだと言うのは、ちょっとおかしいと僕は思っている。むろんそれもあるのだけれど、それは二の次、三の次である。
だから、出走予定馬成績表のタイムでもってシルシをつけることにした。この活字が小さいのである。僕の目では見えない。スバル君が朝陽閣のお嬢さんの虫眼鏡を借りてきてくれた。いや、その目の疲れること。
僕が選びだしたのは、第一レースから、コクサイキング、エサシエンゼル、マンデンチカラ(いかにも力がありそうな名前)、タイロンバワー、イサミハーデット、ボトムレス(これをノーパン喫茶と称することにした)、イエスマン(スバル君は、唯々諾々《いいだくだく》みたいで厭《いや》だと言った。そういう男っていますよ、とも言った)、アテルイ、ヤナイエース、ダイニバラッケーの十頭だった。
朝陽閣は競馬関係者の常宿になっていて、そのなかの一人で、コンピューターを扱っている山屋さんが私の予想を見て、
「ヤナイエースですか。さすがですねえ。まず負けないでしょう」
と言ってくれた。ただし、言ったのはそれだけのことである。ヤナイエースは、大井、福山、水沢と転厩してきて、水沢では一勝馬のアラブであるが、よほど前走の勝ちっぷりがよかったのだろう。
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[#地から2字上げ]―――――¥偉人の故郷[#「偉人の故郷」はゴシック体]
その翌日も快晴だった。旅に出ると常にそうなのであるが、五時半には目がさめてしまった。御主人が新聞を買ってきてくれたが、自分の本紙予想を変更する気にはなれない。
九時には出発して、町を見物した。御主人も一緒だった。水沢は、高野長英、後藤新平、斎藤実、郷古潔《ごうこきよし》などが輩出して偉人の故郷として知られていて、町内の各所に屋敷跡やら記念碑やらが建っているが、残念ながら、新平君(後藤ではない)の名は見られなかった。その新平君は、水沢で生まれて、二歳か三歳までは水沢にいたそうだが、町を歩いても、まったく記憶に残る景色がないという。
「おぶってもらった兄さんの背中で小便をしたそうだけれど、このへんと違うかね」
と言っても首をふるばかりである。
この日、日曜日で、競馬場には、指定席券を買う行列が延々と続いている。この公営競馬めぐりで有難いのは、来賓席に通されることだ。おそらく、みちのく大賞典とかの大レースのあるときは招待客で一杯になるのだろうが、いまは僕たちだけで楽しむことができる。
水沢を二回目に選んだのは、テンメイに会いたいからだった。天皇賞馬のテンメイが草競馬で走ることには異論があるようだが、僕はそれでいいと思っている。彼は人事を尽して天命を待ったのである。
そのテンメイ、去年は四連勝のあと平場でヒロワイルドに敗れ、水沢のファン投票レースである桐花《とうか》賞ではスリーパレードに敗れ、道中にまったく平坦《へいたん》部分のない山坂ばかりの盛岡コース二千五百メートルの北上川大賞典でもスリーパレードの逃げ切りを許し、二着にブルーハンサム、それから六馬身はなされた三着であったという。
テンメイは今年で九歳になる。今年かぎりで引退となるわけだが、種牡馬《しゆぼば》になれるのか、それとも上山《かみのやま》あたりで走らされるのか、それはわからないが、見るだけは見たいと思ってやってきたのに、第一回に出走して楽勝(二着はマーブルペンタス)して、第二回開催には出てこない。九歳馬だから当然だとしても残念だった。
水沢には、九歳馬だけの、いわば引退記念レースがあり、藤原さんが、これを寿《ことぶき》賞と命名した。しゃれたレース名である。なお、この秋には、アメリカから女性騎手を招待して、女性だけのレースが行われるという。なかなかにアイディアマンがそろっている。
第一レース。私が◎をうったコクサイキングは、牡《おす》の七歳であるが、実は半陰陽《ふたなり》であるという。そうと聞けば哀れで買わないわけにはいかない。見ると、トモのあたりがふっくらとしている。このコクサイキングが、どん尻《じり》に敗れたのを初めとして、エサシエンゼルが一着、マンデンチカラが二着したのに相手を間違え、惨敗続き。
第四レース。狙いのタイロンバワー(これがタイロンパワーなら買わない)が圧勝したのはいいのだけれど、四百キロを割って見るからに貧弱なスモールフラッシュを軽視したのが失敗で、これが四千三百八十円の、この日一番の好配当。この馬、追込んで、ゴール前、ひょいと首をだしやがった。短評によると、人気薄の際に好走とあり、感じの悪い馬だ。
ポニーランドの撮影に行ったスバル君が、そこでVサインを出すのが見えた。こっちは双眼鏡だから見えるのである。当然僕が取ったと思ったのだろう。僕は、あわてて両手で×印をつくったのだが、向うからは見えるはずがない。タイロンバワーの単勝は千六百円もついた。ローカル競馬では、競輪と同じように、単複の売場が遠くてわかりにくいところにあり、窓口の数が少いことに腹を立てる。競馬は一着の馬を当てるものだと思っているのだが、いつ頃《ごろ》からか、そこが狂ってしまっている。
その後、僕の本紙予想は面白《おもしろ》いように的中したのであるが、馬券のほうは駄目。これは予想配当《オツズ》を見て、太く太くと買った僕の失敗。しかし、本命にしたイエスマンは七着に惨敗。スバル君の言うように唯々諾々たる人間は駄目だ。
この日のサラ系のアテルイ、アラブのヤナイエースは、二頭とも実に強い勝ち方をした。この二頭は、中央へ出ても充分に活躍できるだろう。
不思議なのは、逃げっきりのレースがなかったことである。ダートが深いので先行有利と思ったが、案外にそういうものでもないらしい。また「馬場が渋れば時計詰って有利」というあたりが、いかにもローカル調で面白かった。
この日、朝陽閣の御主人も同行したのであるが、レースを見るだけで馬券を買わない。すなわち、これが競馬通のやり方であって、水沢競馬の本格的シーズンはこれからだということだろう。
旅館に帰って、僕のハズレ馬券をスバル君に示した。僕は計算が苦手なのである。地方都市の町中の旅館でハズレ馬券を数えるのはワビシイものだ。
「七万とび五百円です」
スバル君が悲しそうな顔で言った。彼は何度も的中させていたが、配分を誤って、あまり儲からなかったようだ。新平君は、第七レースまでで帰ったが、これも芳《かんば》しい成績ではなかったらしい。
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[#地から2字上げ]―――――¥一関のわんこソバ[#「一関のわんこソバ」はゴシック体]
その夜から雨になり、明け方には、軒を叩《たた》く雨の音がやかましいくらいの豪雨になった。
馬場へ行ってみると、その雨が霙《みぞれ》に変っている。風も強い。遊園地のベンチが飛び、サッカー場のゴールも倒れている。
いま、撮ってきた写真を見ると、馬場は一面の銀色である。つまり光っている。田圃《たんぼ》のような馬場状態という形容があるが、これは川である。インコースなど、水が流れるのがわかる。前日は、ツバメが濃く鋭い影を落としていたのに。
この日は、僕の、言うところの本紙予想がメチャメチャにはずれた。
前日のことから、自分の予想を過信したのがいけない。さらに、この馬場状態なら先行有利だと思ったのに、そうではなくて、ほとんどが追込み同士で決まるのである。それに気づいたときは遅かった。僕はジリ脚の馬が嫌《きら》いだ。逃げても追込んでも鋭い脚質の馬が好きだ。ところが、この馬場で、ジリ脚の力馬が勝ってしまう。
かくして、僕は、またしても、岩手県および水沢市の災害土木復旧事業、学校施設、教育関係、社会福祉、公共事業等に多大の貢献をして帰京する結果となった。
雨が霙になり、午後三時には晴れてきた。全天候型の日だった。最終日であるのに、中央とは違って蛍《ほたる》の光が流れることはなかったが、そのかわりに、おそろしいくらいに烏《からす》の群が馬場に散っていた。
僕たちは、一関市北上書房の間室|胖《ゆたか》さんに会うことにしていた。間室さんは梶山季之《かじやまとしゆき》の親友で文芸評論家である。間室さんが、一関のひとつ手前の山《やま》ノ目《め》駅で待っているという。
一関へ行くのは、ひとつには直利|庵《あん》のソバが食べたいからだった。僕は梶山季之と一度、関保寿先生と一度、直利庵のソバを間室さんに御馳走《ごちそう》になっている。
僕はソバ好きの男ではないのだけれど、直利庵のソバだけは忘れられない。夢に見ることさえあった。東北新幹線が出来たら日帰りで食べに行きたいと思っているのである。
もうひとつは、一関の駅のそばの尾張屋で箪笥《たんす》を買いたいと思っていた。それは競馬で儲かったらという話になる。尾張屋は土産物店兼|骨董《こつとう》屋で、僕はその主人が好きなのだ。
山ノ目まで、中尊寺の前を通って自動車で行った。そこにも骨董屋があった。なかなか上等の店で何|棹《さお》もの箪笥があった。恨めしい思いで眺《なが》めるだけである。その日の最終レースなどは、こうくれば四十万円か五十万円の箪笥が買えるという馬券の買い方をしていた。
女房《にようぼう》のために、インドあたりらしい首飾りを買った。一万五千円。喜ばれるか叱《しか》られるか、それも賭《かけ》にちかいと思った。
尾張屋の主人は元気だった。そのことが嬉しかった。来年になるかもしれないが、盛岡競馬の帰りには、きっと勝って箪笥を買うぞと心に誓った。スバル君は、北海道の帰りもありますよと言った。尾張屋では、くり抜き盆を五枚買った。二万円ばかり。箪笥とは大違いだ。
直利庵の古いほうの店へ行った。こっちには座敷がある。間室さん御夫妻とあわせて四人。
僕は、前回も前々回も十五杯食べた。八杯でザルソバ一杯の計算だというから、約二杯分ということになる。それもやっとのことで、あとで苦しい思いをした。わんこソバというのは、食べるのを急がされるので、ゆっくりと食べたいと思っていた。それが念願だった。
スバル君は、子供のとき、盛岡でわんこソバを食べたことがあるという。そのとき、ツキダシというか口取りというのか、刺身や筋子などを食べるものではないと言われたそうだ。ところが大人たちはそれを食べてしまったという。だから、絶対に口取りも食べるぞと言った。これも喰《く》いものの恨みの一種だろう。
僕は、スバル君に、三十五杯食べたら千円という賭をしようと申しいれた。どうして三十五杯ということになったのか、よくわからない。三十五というのはスバル君の年齢であったのかもしれない。いま考えると、もしスバル君が三十五杯食べられなかったらどうするかという条件がなかったのがオカシイのである。僕は、自分が十五杯でふうふう言った経験から、とても三十五杯は食べられないだろうと思っていた。また、千円という賭は失礼だという気がしてきて、四十杯食べたら一万円差しあげると申しいれた。スバル君が、ようしと言って坐《すわ》り直した。僕はそのとき、スバル君が無類のソバ好きであることを知らなかったのである。
わんこソバが運ばれてきた。食べた数をマッチの棒で計算する。スバル君の前にマッチの山がある。
「これ何本」
と訊くと、
「二十本です」
と、スバル君が答えた。僕は、四十杯を目標にしているので、マッチの山を二十本ずつにわけたのだと思った。
ところが、そうではなかった。スバル君は、すでに二十杯を食べ終っていたのだった。彼は薬味を使わず、ソバも呑《の》みこむだけだった。もっぱらスピードでいきますと言った。そのとき、僕は、やっと一杯を食べ終ったばかりだった。
「これからが辛《つら》いんだぜ」
僕はそう言ったのだけれど、スバル君は少しも衰えることなく、悠々《ゆうゆう》と四十杯を通過した。僕がスバル君を偉いと思ったのは、そのまま食べ続けて、ついに五十二杯まで達したことである。これ以後、僕はスバル君のことを|食べ役《ヽヽヽ》と呼ぶようになった。厩舎関係の人はジョッキーのことを|乗り役《ヽヽヽ》と言う。好きな言葉だ。パラオ君は|飲み役《ヽヽヽ》である。僕は、完全に参ったと思い、テーブルの下で、間室夫妻にわからないように、彼に一万円札を渡した。もはや財布にはいくばくも残っていない。(直利庵での最高記録は百七十三杯で、その人は食べたあと動けなくなったそうだ)
その日の水沢競馬の最終レースにトキワキタリという馬が出ていた。トキワは新平君の苗字《みようじ》である。新平君が生まれ故郷へ帰って来たのである。そのトキワキタリが圧勝した。単勝は八百何十円かだった。もし新平君がいたら、無理にでも単勝の馬券を買わせたはずである。最終だから、僕も一万円は乗っかったと思う。そうすれば、こんなミジメな思いをしないですんだはずである。この一万円札は本当は八万円なんだぞと思った。
僕たちは間室さんの自宅へよばれ、ウイスキイを飲み、十二時ちかい夜行寝台で帰ってきたのである。
午前六時、上野駅に着いたが、その時刻では何もすることができない。早朝トルコというのがあるそうだが、まさか……。
僕はスバル君に、この近くに翁庵《おきなあん》といううまいソバ屋があると言ったが、彼は、競馬場で見たよりももっと悲しそうな顔になり、いやいやをするように首を振って言った。
「じょうだんじゃないですよ。……実は、まだ苦しいんです」
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[#小見出し]3 姫路《ひめじ》、紀三井寺《きみいでら》は玄《くろ》い客《きやく》ばかり
[#ここから8字下げ]
姫路から紀三井寺へと
さすらいのギャンブラーの哀愁が、身に沁《し》むかに思われた。
この競馬場もある町≠ナは、みんなが寄りそうようにして
小さな小さな競馬を楽しんでいる。
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[#地から2字上げ]―――――¥神様の言ったこと[#「神様の言ったこと」はゴシック体]
知人の一人が府中競馬場のそばに住むことになり、嫌《きら》いじゃないから競馬場通いがはじまった。この人は、当年とって七十歳であるから大変な晩学である。いっこうに儲《もう》からない。ふとしたことで競馬の神様と言われる評論家と知りあいになった。
「競馬の必勝法を教えてください」
「うん、いつか教えてあげよう」
そう言うだけで、いっこうに馬券戦術を教えてくれない。半年、一年と経過した。知人の小遣いはすべて馬券に消えた。あるとき、知人は、神様に迫ったのである。
「私も、もう、この年齢ですから、そんなに長くやっているわけにはいきません。どうか教えてください。神様の必勝法を……」
「よろしい。教えてあげましょう。競馬の必勝法は……」
神様は息をのみ、知人の顔を直視した。
「馬券を買わないことです」
「へっ?」
「いっさい馬券を買わないことです」
「お言葉ですが、それは必勝法とは言えないんじゃないですか」
「それはそうだ。しかし、いつかは、きみも私の言葉の意味がわかるようになると思うんだがね。だが、せっかく来てくれたんだから、私の戦法の根本的なところを伝授しよう」
「ぜひ、ぜひ」
「まず第一に、絶対に午前中のレースに手を出してはいけない。よいかな」
「はい、はい」
「馬券を買うのは午後のレースだけ。それも三レース以内にすること。その三レースも古馬のレースに限ること。すなわち、自分のよく知っている馬だけに賭《か》けることじゃ」
「そうしますと、午前中に競馬場へ行ってはいけないということですか」
「そうじゃない。反対だ。朝から競馬場へ行って、じっくりと全レースを見ることが肝腎《かんじん》だ。そうして、注意深く熱心にメモを取ることじゃ。レース展開を見て、すべての馬の特徴を掴《つか》むこと。そうでなくては、その馬が古馬になったときの様子がわからないではないか」
「おっしゃる通りです」
「それで、馬券の買い方だが、さっき言った古馬のレースだがね、これと思った馬をドーンと、まとめて買う。おさえ馬券というのは、ほんの少しでいい。どっちが来ても儲かるというような買い方をしてはいけないよ。おさえ馬券というのは、あくまでも、おさえ馬券だ。おさえ馬券のほうが当れば損害軽微というふうに考えてもらいたい。近頃《ちかごろ》の予想屋は六点も七点も連勝の目を取るようだが、それでは、いつまでやっても儲からない。第一に、そんなもんは競馬じゃない」
「なるほど、なるほど」
「今年のオークスで言えば、一番強いのはテンモンだ。テンモンの単勝でドーンと勝負する。もしテンモンを負かすとすればカバリエリエースしかいない。能力から言っても実績から言ってもそうなる。ただし、カバリエリエースは、外枠《そとわく》を引いたうえに気性が悪くて出遅れ癖《ぐせ》がある。だから、おさえ馬券として、EFを千円も買っておけばいい。おわかりかな」
僕《ぼく》は、この神様の言はまったく正しいと思っている。ただし、知人が儲かるようになったかどうかを知らない。ここで僕の考えを付け加えると、競馬は儲かるものではない(むかし、森安弘明は、馬券で儲かるものならば俺《おれ》なんかとっくに蔵が建っているよと言った)し、金を儲けるものではないということだ。競馬は当てるものであって、自分の小遣いの範囲でもって、ときに思いがけぬ大金を手にすることができるものだと思っている。それも、自分の推理が的中した場合でなければ面白《おもしろ》くない。損をするという考え方はおかしいのであって、失費は見物料金であり、お遊び代金である。
先日、その七十歳になる知人に会ったら、金曜日の昼過ぎになるとワクワクしてくると言っていた。それで充分なのではなかろうか。ひとつの娯楽として――。
わが友であり、かつ、競馬の名人であるところのパラオ君の馬券の買い方は、神様の言と、ほぼ合致している。いよいよ尊敬しないわけにはいかない。そのパラオ君が言う。
「競馬で損をする人っていうのがわかりませんね。理解に苦しみます。また、儲けようと思ってもいけないんですね。競馬なんかで儲けちゃいけない。この金は捨ててやれ。そう思えば儲かるんです」
憎ったらしいったらないじゃないですか。だから東大法学部というのは嫌いだ。
僕とパラオ君との違いを言うならば、僕のほうは、専門家が無印にしている馬から穴馬券を探ろうとする傾向がある。それが的中するのを無上の楽しみとする。パラオ君には、それがない。素直といえば素直であり、もっぱら実利主義を採っているし、ある意味では、彼のほうがシビヤーである。そのパラオ君と二人でダービーへ行く約束をしているが、結果は次回に報告することにする。
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[#地から2字上げ]―――――¥大いなる出遅れ[#「大いなる出遅れ」はゴシック体]
五月十八日、月曜日、午前七時半に家を出た。姫路と紀三井寺の競馬場へ行くことになっている。東京駅発、八時四十八分のひかりに乗車する予定だ。
僕は、自動車で東京駅へ行くとき、混雑分を考えて、二時間前に出発するのを常としている。だから、午前九時発ならば七時に家を出ることになる。それは、もう間違いがない。従って、いつでも、発車の一時間前には到着してしまうことになる。遅くても三十分前には着いていてホームでうろうろしている。しかるに、発車が八時四十八分であったがために、七時半に家を出ることになったのである。このへんの事情を余人に説明するのは極めて困難である。
僕は、学生時代、会社員時代を通じて、うんと早く着いてしまうか遅刻するかのどちらかであって、ちょうどいいということがなかった。事故があって電車が遅れた場合に、遅延証明書が発行されるのを知ったのは、サラリーマンをやめる寸前のときであったのだから、自分でも驚く。
中央線に乗っても、国立《くにたち》駅から東京駅まで一時間十分ばかりを要するのである。電車でも、ギリギリまにあうかどうかという時刻に家を出たことになる。それに気がついたのは、自動車が中央高速道路にあがってからのことであった。
だいたい、その時刻、つまりはラッシュ・アワーの混雑ぶりについては、すっかり疎《うと》くなってしまっている。
「それに、月曜日だからね」
と、運転手が言った。そのように、永福町のインターチェンジにいたるまで、延々と自動車が渋滞していて、いっこうに進まない。尻《しり》のあたりがもぞもぞする。
僕が東京駅新幹線のホームに到着したのは午前九時だった。
「汽車は出て行く煙は残る。残る煙が癪《しやく》のタネ」
そんなことを思ったが、煙はなくて、すでに次の電車がホームに入っている。
改札口にスバル君が立っている。僕の荷物をひったくるようにして階段を駈《か》けあがった。そこに臥煙《がえん》君が立っていた。
「そんなことだろうと思っていました」
僕の弁明をまたずに、二人とも、ニコニコ笑っていて、そう言った。まことに心強い。
姫路まで、グリーン券をいれて、たしか、一万七千六百円であったかと思う。僕の責任だから、三人分、弁償しなければならない。
「サブロク十八、サンシチ二十一、二あがって、ええと、だいたい五万円以上か。資金が無くなるな。ええと、待てよ。乗車券は有効なのかな」
頭のなかで計算していると、スバル君が言った。
「まかしてください。なんとかなりますよ」
とまっていた電車に飛び乗り、スバル君は三人の切符を持って車掌室へ行った。地獄で仏という気がした。いかなる術を用いしや、スバル君は、晴れ晴れとした顔で戻《もど》ってきた。
「まあ、ここへ坐《すわ》ってください。……ゲートインに失敗したわけですね」
後のことになるが、僕は、オークスで、神様が、テンモンを負かすとすればカバリエリエースだと言った、そのカバリダナーの娘の単勝で勝負した。カバリエリエースは、スタートで出遅れるどころか、ゲートを出て横を向いてしまい、しばらくウロウロしてから、やっと気がついたように他馬の尻を追いかける形になった。二十四頭立ての二十三着。思えば、僕の不運は、姫路行きあたりから胚胎《はいたい》していたのである。気性の悪い女に心を許してはいけない。
臥煙君は、パラオ君の同僚である。みっちりと指導を受けてきたという。迷ったら一番人気から三番人気へ、ということであったらしい。◎▲の組みあわせというのは巧者な買い方である。
臥煙君は姫路に近い竜野《たつの》の産である。彼は慎重社における僕の出版物の担当者であって、面白半分社でやっていた日本腰巻文学大賞の第一回受賞者である。腰巻というのは書物の帯広告のことであるが、臥煙君の名が時の人として朝日新聞その他に写真入りで出たとき、竜野の人たちは、腰巻の意味がわからず、なにか如何《いかが》わしい方面のデザイナーとして大成したのではないかと思ったという。
彼には竜野に住む母親を東京へ連れてくるという用事があった。そのついでに姫路へ寄るという。競馬に誘ったのは僕である。彼は馬券を買ったことがない。悪の道にひっぱりこんではいけないと注意されたが、それは他人様のことだ。そもそも臥煙君は、そんなことに溺《おぼ》れるような人柄《ひとがら》ではない。僕が初心者を誘うのは、ビギナーズ・ラックを信じてのことである。あやかりたいという気持が、ないことはない。
僕は、この読み物に「競馬場のある町」という副題をつけたいと思っていた。「競馬場のある町」というのと「この町には競馬場もある」というのとでは、ずいぶん違う。たとえば福島などは「競馬場のある町」である。シーズン中は熱気でムンムンしている。タクシーの運転手、寿司屋《すしや》の職人はもとより、旅館の内儀《おかみ》なども馬券を買う。競馬の話をすると目つきが変ってくる。水沢にも、ちょっとそんなところがあった。ダービーだか菊花賞だか忘れたが、福島の場外馬券売場で、払戻《はらいもど》しの金が足りなくなってしまうことがあった。それくらいに馬券の買い方が巧《うま》いのである。それに較《くら》べると、姫路は後者であって、すなわち「この町には競馬場もある」という町だった。案外にツメタイのである。
姫路とか郡山《こおりやま》とかにはヤクザ者が多いという。それは支線の乗換え駅になっているからだそうだ。街道筋をおさえるということなのだろう。それを臥煙君が教えてくれた。気をつけないといけない。
姫路は「城のある町」である。その城が見えているのに、三人とも、駅で買った競馬新聞ばかり見ている。悪い旅行者だ。ここでは『キンキ』という新聞が売れているそうだけれど、横組を敬遠して『馬』を買った。
姫路公園競馬場の正面は広峰山である。ここには農業の神様が祀《まつ》ってあって、臥煙君の少年時代、両親に連れられて、毎年登山したという。その右手が増位山。馬場の向う正面の奥が、自衛隊の駐屯所《ちゆうとんしよ》であって、その昔の第三十九連隊である。旧軍隊の木造兵営がそのまま残っていて、懐《なつか》しいというよりは気色が悪い。ここは、もと軍隊の馬の訓練所であったようだ。馬場の柵《さく》のぎりぎりのところまで住宅が迫っている。馬場内は児童公園になっていて、自衛隊、住宅街、児童公園というのが、チグハグな感じがする。そもそも、姫路公園競馬場という命名が、すでにして何かに遠慮しているように見受けられる。
「去年の八月に八百長《やおちよう》事件がありまして、騎手十六名が逮捕されました。その後には事件がありません」
所長の藤井良輝さんも副所長の岡野弘明さんも、あっさりと言ってのける。そういう土地|柄《がら》なのだろう。
僕たちは来賓席に通されたのだけれど、その隣の特別席は無人で廃墟《はいきよ》のようになっている。
「ここまで目が届きませんので廃止しました」
暴力団の巣になる怖《おそ》れがあるということだろうか。
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[#地から2字上げ]―――――¥手が痛くなる[#「手が痛くなる」はゴシック体]
二時十分発走の第七レースにまにあった。金山小次郎《カネヤマコジロウ》、福無双《フクムソウ》と来て千九十円が的中。
「さすがですね」
と、臥煙君。
「いや、なかなか」
地方競馬の馬券戦術のひとつは、軸馬を決めて、あとは良く見えた馬をからませることだ。僕には金山小次郎の気合が良く見えた。もうひとつは、良馬場の時計と不良馬場の時計とが極端に違うことに注意しなければならない。千五百メートルで二秒ぐらい違う。むろんと言うべきか、意外にもと言うべきかわからないが、不良馬場のほうが早いのである。第三に、狙《ねら》った馬の単勝と複勝を必ず買うこと。ちなみに、この第七レース、四番人気の金山小次郎の単は千六十円である。それはいいとして、小次郎の複は三百七十円であるのに、二番人気の福無双の複は四百十円である。変な売れ方をする。これは、単複の売場の前に、百円玉を握りしめた老人連が屯《たむろ》していて、売れ方を見ながら一攫《いつかく》千金を狙って馬券を買うためではなかろうか。ちなみに、姫路ではオッズが出ないのである。この百円がバカにならずに、本命サイドで意外な好配当になるのではないか。しかとそうとは言いきれないが、いまはそういうことにしておく。ただし、単複で勝負すれば、たちまち配当がさがるから御注意!
そういうわけなので、必ずパドックを見に行った。第九レース、この日のメインの金魚草特別、僕には八番枠の平野《ヒラノ》淑女《レデイ》がとても良く見えたので、声に出して言った。スバル君の意見も同じだった。二連勝中だが人気薄である。同枠の朝日杯《アサヒカツプ》は実力馬。
このレース、平野淑女が逃げて朝日杯が差すという絵に描いたような決まり方。直線を廻《まわ》ったところで、僕はもう手を叩《たた》いていた。こわいところがなかった。スバル君も臥煙君もGの馬券を持っていることを知っている。三人で握手。
「感激!」
と臥煙君が叫んだ。サヨナラヒットを打った中畑のような顔になっている。
「面白いもんですね、競馬は」
「いや、なかなか、こうはならないもんなんだよ。これがビギナーズ・ラックというやつでね」
「私は指が痛くなりました」
「どうして? あんまり手を叩いたから?」
「そうじゃないんです。馬券が風で飛ばされたら大変だと思って、強く握っていたもんですから」
姫路競馬場の馬券は、昔のような点線で数字を打った軟券である。穴場も番号札の前にならぶ。@AからGまでの移動は大変なことになるが、口で言うのと違って、総イレ歯であるところの僕には間違いが生じないのが有難《ありがた》い。穴場に手を突っこむ。その金をひったくるようにして、次にクシャクシャになった馬券を、こっちの手のなかに押しこんでくる。その感じが懐しい。
十五年ぐらい前に、同じ穴場にならんでしまう男に近親憎悪を感ずることをテーマにした小説を書いたことがある。コンピューター化された中央の複合馬券ではそういうことは起らない。
水沢で痛い目にあったので、控え目に買ったのが裏目となった。このGも千円券一枚しか買っていない。連複で千八百十円の配当。ちなみに、追込んで勝った一番人気の朝日杯の単勝が二百二十円。複勝が三百九十円。このへんに謎《なぞ》がありそうだ。ただし、僕が、この複勝式を一万円買ったとすると、配当は、たちまち百六、七十円になってしまう。単複は売上げが少いのである。
「いまのG、取ったったんか」
放送席の世話をやいているおばさんが、あきれたような顔で言った。
「ええ、三人とも」
「へええ、そうかぇ……」
東京から三人のギャンブラーが乗り込んできたと思ったようだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥明石屋《あかしや》の蛸《たこ》に喰《く》われて[#「明石屋の蛸に喰われて」はゴシック体]
その日は、臥煙君の推薦する書写|山麓《さんろく》、塩田温泉の知新荘に泊った。どうということはないが、温泉であることが有難い。
「明石屋の蛸がうまかった」
明石の蛸は有名である。馬場内に明石屋という店が出ていた。歯の悪い僕には食べられない。串《くし》に刺したのをスバル君は三本も食べた。臥煙君は、そのほかにアジだのチクワだのも食べていた。
「いやあ凄《すご》い迫力ですね。面白かった。感激です。※[#歌記号、unicode303d]明石屋の蛸に喰われて、このまま死んでしまいたい」
この程度のことで死なれては困る。しかし、三人ともにプラスというのは、一応は大勝利と言うべきではあるまいか。その夜、臥煙君は自室で『キンキ』を参考に学習に努めたようだ。
姫路競馬の変ったところは、誘導馬員が若い女性であることだ。僕はスバル君に、できるだけ近くへ寄って写真を撮ってくれるように頼んだ。
中杉ユリ子さんも楠戸《くすど》昌子さんも、非常なる美人である。中杉さんは関西大学卒業でラジオ大阪の競馬番組にも出演しているフリーのアナウンサーである。
「馬に乗ると、とってもいい気持」
と言うのであるが、テレビドラマの女主人公に使いたいような気がしてきた。なんとも粋《いき》な職業ではあるまいか。兵庫県競馬組合に所属していて、してみると園田競馬にも出場しているわけだから、園田へ行ったときは、パドックで、
「ナカースギサアアン」
と宝塚調の声を掛けるつもりで、その日が楽しみになってくる。ミナミのタコ梅(オデン屋)ぐらい奢《おご》ります。
姫路で、もうひとつ変っているのは、第一レースの発走前に、レース実況を担当する吉田勝彦さんと評論家でもって、その日のレース展望が場内テレビを通じて行われることだ。この吉田さんのレース実況放送は、落ちついていてとても上手だが、レース展望の聞き役も、テキパキとしていて過不足がなく、まことにいい感じだった。この日の相手は、『キンキ』のチーフトラックマンだった。
吉田勝彦さんの話し方は、浜村淳の映画説明に似ているが、若いときは演劇青年であったという。吉田さんは、笠松《かさまつ》の下川博さんと同じ立場であって、こういう人に会うと、野に遺賢ありと思い、嬉《うれ》しくなってしまう。
僕たちが姫路へ行った前日の五月十七日、生野秀行という十九歳の人気ジョッキーが落馬していて、この日も意識不明のままであるということだった。
笠松の広報課主任の大澤泰弘さんが、安藤勝己というジョッキーが、天才型の美少年であって、事故を起こさなければいいけれどと心配していたことを思いだす。しかし、馬券を買う身になると、事故を怖れぬ積極果敢な乗り方をする騎手に声援を送りたくなるのも事実である。中央で言えば、小島太、嶋田功、大崎昭一などがそうだ。
だから、僕は、どのレースも、ヒヤヒヤしながら見ていた。魔の一コーナーというのは、ゴールの上で見ている僕たちの席のすぐそばなのだ。心なしか、どの騎手も、要慎して、他馬に接触しないように乗っているように見えた。
この日、いきなり、第一レースの黄金理沙《ゴールデンリサ》、主砲氏《ミスターシユホー》という馬券が的中した。連複で三千六百四十円、この日一番の好配当である。『キンキ』のトラックマンが驚いていたのだから、主砲氏は、見捨てられていた馬だったのだろう。三万円余の資金が出来たのに、そのあとがいけない。
この日、出島騎手のお父さんが応援に来ていたという。その出島騎手の乗った人気薄の芦毛《あしげ》の馬が第七レースで逃げ切った。有力馬が追いかけないように見えたのが不思議だった。
「おかしいですねえ。こんなことは、めったにはありません。一年に一度あるかなしのレースです」
『キンキ』のトラックマンが言った。僕は、草競馬には、その程度のことがあってもいいとさえ考えている。それも面白いじゃないか。
第一レースで稼《かせ》いだ三万円がなくなり、最終レース、面白半分で買った出島騎手の同じく芦毛の雪他我身《スノータガミ》が二着に好走して連複二千二百四十円。昨日と同程度のプラス。
臥煙君が怖い顔で、計算している。
「どうしました」
「昨日とあわせて、五百六十円のプラスになりました」
ずいぶんキッチリと計算したものだ。
「すばらしい!」
とスバル君が言った。臥煙君は不満そうであったが、いずれ、スバル君の言葉の意味を理解するときがくるだろう。競馬で損をしないというのは、たいしたことなんだ。
「そうですか。じゃあ、威張ってパラオ氏に報告します」
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[#地から2字上げ]―――――¥もう競馬はやめや[#「もう競馬はやめや」はゴシック体]
僕たちは新大阪駅で臥煙君と別れた。彼は母親と二人で東京へ戻《もど》るのである。
新大阪から天王寺まで地下鉄。天王寺駅から紀勢本線に乗って約一時間で和歌山着。ようやくにして流浪《さすらい》のギャンブラーの哀愁が身に沁《し》むかに思われた。
新和歌浦の岡徳楼。ここは有吉佐和子嬢の御城下である。ここに、桃千代という、若くて美貌《びぼう》で行儀のいい芸妓《げいぎ》がいたのを知ったのは、深夜になってからのことである。なぜならば、それを教えてくれたのはマッサージ嬢であったからだ。
「よし、明日はピンク(八番枠)でいこう」
紀三井寺は西国三十三所第二番の札所なので二番枠中心と言っていたのに、スバル君はすぐに変ってしまう。
紀三井寺競馬場は、客の入りの悪い、赤字の競馬場である。一開催(六日間)での売上げが四億八千万平均であって、これはマシなほうだそうだ。もっとも悪いのが島根県の益田《ますだ》競馬場であって、五十四年度の一日当り入場人員が約千五百人。紀三井寺は二千五百人弱である。
五月二十日、水曜日。と書くと変に思われる人が多いと思う。水曜日というのは、全国的にギャンブル・ホリデーであるからだ。水曜開催に踏みきったのは、なんとかして入場者をふやそうとする事務所員の願いに発したものである。
「第一レースに十万円買ったお客さんがいたんです。第二レースに十五万円。第三レースに二十万円。どれも当らないで、そのお客さん、帰ってしまったんです。こういう人が当ってくれるといいんですが。……また来てくれますから」
所長の片山勝己さんが、そう言って歎《なげ》いた。聞いていて、せつなくなってくる。一レースに一点で十万円以上の馬券を買った人がいると、事務所に連絡が来るのである。不正防止のためだ。
中央から紀三井寺に馬をおろすのは、ここで勝ち癖《ぐせ》をつけて、名古屋とか高知とか水沢とかへ馬を持ってゆくためである。つまりは調教がわりである。それで、いまでは、最低六カ月以上はいてもらうという条件をつけているそうだ。
この競馬場の特色は、他の競馬場とのローテーションを組んでいなくて、単独であることだ。従って頭数も少く、騎手も僕が行った日は十六人が登録されていただけだった。また乗り役たちは、どのレースでも同じ勝負服を着ている。一ト目で川野なら川野とわかるのである。馬場が狭いこともあるが、双眼鏡を必要としない。公営競馬は、どこでも同じであって、馬主の指定する勝負服を着ないことを後になって知った。ここには来賓席もなければ特別席もなかった。指定席をこしらえて高い入場料を取ればいいと思うのは素人《しろうと》考えであって、そうすると管理のために赤字が増すという。
「春木が廃止になったので、こっちの客がふえると思って期待したんですが、逆でした。やっぱり、両方でやっていないと駄目なんですね」
紀三井寺の客は、嘘《うそ》ではなくて老人ばかりである。競馬は、華やかな中央競馬ばかり見ているとわからないが、斜陽のギャンブルでありスポーツであるのだ。若い人は、ゴルフやドライブのほうへ行ってしまう。
そのかわり、紀三井寺の客は、馬も乗り役も熟知している。すべてがセミ・プロ級であるという。玄《くろ》いのだ。これは姫路でも似たようなことが言える。みんなが寄りそうようにして、小さな小さな競馬を楽しんでいる。
新聞は『競馬綜合』というのを買った。どうやら、何紙かが出ているが、内容はほとんど同じであるらしい。
便所の落書に、
「春木競馬場!! モウ一度ヤレ!!」
というのがあった。それで吉田勝彦さんの話を思いだした。彼はそれを映画説明の調子で喋《しやべ》った。浜村淳でなくてもいいから、どうか、関西弁のイントネーションで読んでいただきたい。
昭和三十年の暮のことです。暮と言っても大《おお》晦日《みそか》に近い日だったんですねえ。この日、春木競馬場で十四万九千八百六十円という大穴が出たんです。ゴール前の柵《さく》のところで腰を抜かしていたおっさんがいたんです。幼い坊やを連れていて、ヨレヨレ、ボロボロの服を着ているんです。私もそれを見たんですねえ。このおっさんが、その大穴を当てたんですよ。
このおっさんは大変な競馬狂で、家の中にはお金がないんです。それで、このおっさん、奥さんが畳の下にかくしていたお金をみつけたんです。それも八百円。百円玉が八枚です。それを持って春木へ来たんですって。その八百円の最後の百円で買ったのが大穴になったんです。おっさん、涙をぼろぼろ流しまして、これで、もう、思い残すことはない。これでフンギリがつきましたと言うんです。もう競馬はやめます。金輪際《こんりんざい》やりません。思い残すことはひとつもありません。
泣きながらそう言うんです。まわりにいた人たちも私もモライ泣きをしましてねえ。
「おっさん、もう競馬はやめや」
「うん、やめた」
「その子供に餅買《もちこ》うたれや」
「買うたる、買うたる」
「肌着《はだぎ》買うたれや」
「買うたる、買うたる」
「おかんに正月の晴着買うたれや」
「おう、買うたる買うたる」
みんな涙ながらに声援したんです。おっさん、有難い言うて、手を合わせとるんですわ。もう競馬はやめや、言うて……。ところが、これに後日談があるんです。
年があけて、正月の春木競馬の初日のことです。第一レースの前、三十分ぐらい、こっちは商売ですから、正月でもなんでも出かけるんです。ふと見ると、乳呑児《ちのみご》を背負って、幼い坊やの手を引いた三十なんぼかのおかみさんが歩いてくるんです。その前に立って歩いてくるのが、なんと、あの大穴馬券のおっさんやったんですねえ。
どうも、この、競馬ってものは……。
そう言って吉田さんは息を呑《の》むようにして黙ってしまった。
和歌山県公営競技事務所の主事である辻亨さんに、たしか、場立ちと言ったと思うけれど、場内に立っている予想屋のうち、どの人が上手であるかを聞いてみた。どういうわけか、初めてそんな気になったのであるが、まるで見当がつかないというのも事実だった。
「あの紺色のジャムパーを着ている人が、当るかどうか知りませんが、真面目《まじめ》な人だと聞いています」
辻さんが指さした予想屋は、三人のうち、入口に近いほうに立っていた。本当に馬を見ているのかどうかわからないが、パドックに馬が出て一周するまでは予想を売らないというのが良心的であるかに思われた。
さて、最終レース、ものはためしというのに近い考えが働いて、紺色ジャムパーの予想を買ってみた。百円。名刺大の紙に、@C、@Eというゴム印が押してあった。偶然だったのだろうけれど、それはスバル君と僕の予想とも一致していた。@は断然の実力馬。Cも、かつて実績のあった八歳馬のインディアンヒカリで、人気薄だが気合乗りがよかった。僕は@C、@Eを四千円ずつ。他に@FとEFをおさえた。スバル君は@Cを一万円、他に少しずつ。
結果は@Cで大楽勝。スバル君は五百円つけばモトですと言っていたが、意外にも九百九十円という好配当。従って、約五万円のプラスか。僕も三万円ほどの浮きになった。
せめて千円の御祝儀《ごしゆうぎ》をと思って探したのだが、紺色のジャムパーは、すでに姿を消していた。地方競馬では場立ちの予想屋を信用せよと言いたい。精《くわ》しいことは、いずれ書く。
事務所で頼んでもらったタクシーが、なかなかこない。
坊主《ぼうず》頭に手拭《てぬぐ》いを巻いた、労働者ふうの男が近づいてきた。ひどく酔っている。
「おっさん、最終、取ったか」
こいつは危《やば》いと思ったが仕方がない。
「ああ、取ったよ」
「俺も取った。かあちゃんから十五万円|貰《もろ》てでてきたんやけど、ほら、これ」
その男が札束を見せた。たしかに三十万円ちかくはあったのだろうけれど、驚くような大金には見えなかった。
「有難い、有難い。嬉しい、嬉しい」
その男は、踊るような足どりで、自動車の警笛のなかを蹌踉《そうろう》と去っていった。僕には、なぜか、その男が、吉田さんに聞いた春木競馬のおっさんの姿とダブって見えた。
[#改ページ]
[#小見出し]4 道営横断三百哩《どうえいおうだんさんびやくマイル》
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輓曳《ばんえい》競馬は、馬のスピードや呼吸が
客と一緒になるところに妙味がある。しかし、痔《じ》にも心臓にも悪い。
それだけ力が入るのだろうが
この清潔すぎる風景の中では、博奕《ばくち》をやる気分になってこないのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥痔になる競馬[#「痔になる競馬」はゴシック体]
パラオ君と二人で、東京優駿《ダービー》競走へ行った。信用してもらえないかもしれないが、以下に書くのは本当のことである。
僕《ぼく》はカツトップエースが勝つと思っていた。第一の根拠は、馬がすっかり変っていて成長しているということ。第二は、NHK杯(二着)で見られたように、好位から差すという味のある競馬ができるようになったこと。第三は、皐月《さつき》賞で一番|枠《わく》、ダービーで三番枠という逃げ馬として願ってもない枠を引きあてたという幸運。
二着はサンエイソロン。僕は、そもそも、今年の四歳馬は、皐月賞で連勝の八番枠になった三頭、ステイード、トドロキヒホウ、サンエイソロン(病気取消)が強いと思っていたのである。ステイードは出走せず、トドロキヒホウは明らかな不調で枠順も外側。従って連勝複式は@Eの一点。自分でそう思い、人に訊《き》かれれば誰《だれ》にも@Eだと言っていた。
ところが、@Eという馬券を僕は買わなかったのである。僕が買ったのは、マーブルトウショウという関西から来た唯《ただ》一頭の牝馬《ひんば》の単勝一万円。前日午前十一時までの売上げによるとオッズは一万円以上。すなわち、勝てば百万円になる。府中の帰りには、必ず若松という小料理屋へ寄るのであるが、勝ったら居合わせた客全員の勘定を持つと広言していた。
マーブルトウショウの根拠は、第一に馬体の良さであって、実に惚《ほ》れ惚《ぼ》れとするような、ふっくらとして力強い好馬体であること。第二に、僕は持時計論者なのであるが、マーブルトウショウの千六百メートルの時計は一分三十六秒であって、今年は程度が低いが、これはスズフタバに次ぐものである。第三に、こんなのは根拠にならないが、女上位の時代であって、牝馬が勝つような気がしてしまったこと。第四に配当の良さ。結局は四千五百円ぐらいに減ってしまったが。
ご承知のように、カツトップエースが勝ち、サンエイソロンがハナ差二着。競馬なんかでクヨクヨするのはやめようと思っているのであるが、その夜は、なかなか眠れなかった。
そういう馬券であるので、
「エッエッエッ。まあ、あんまり儲《もう》かりはしませんでしたが、取りましたよ」
名人パラオ君は、そう言って笑ったのである。
北海道へ行くことになった。羽田空港から女満別《めまんべつ》へ飛び、そこでレンタカーを借りて能取湖《のとろこ》へ行って一泊。翌朝出発して、北見で輓曳競馬。その夜は温根湯《おんねゆ》泊り。翌日は朝早く出て旭川競馬。これは道営の平地である。その日は富良野《ふらの》プリンスホテルに泊る。翌日も旭川で競馬をやって、列車で小樽《おたる》へ行き海陽|亭《てい》に泊る。その翌日に千歳《ちとせ》空港からジャンボ機に乗って帰る、という予定になっていた。
気候もよく、まことに豪華な旅となる。飛行機が無事に飛び、スバル君の運転に失敗がなければという条件つきではあるが――。ただし、地図で見ると、気の遠くなるような距離である。スバル君が計算すると、北海道だけで、ざっと三百|哩《マイル》。千六百メートルの距離を三百回走らなければならない。
六月十九日、金曜日。羽田空港発YS11機は、午後三時、墜落することなしに女満別空港に着陸した。
がいして言うならば、女性は飛行機を怖がらない。出発前夜、酒場の某女が言った。
「あたしたちね、AならAというところへ飛ぶとするでしょう。Aへ行くという目的が大事であって、その間のプロセスはどうでもいいのよ。だから怖くないの。子供を産むという目的があれば、手段とか行為とかプロセスなんかは問題じゃないの。女ってそういうものなのよ」
そうか、あれはプロセスであったのか。これは想像力の貧困ではあるまいか。僕は、飛行機に乗れば、自分の通夜から葬式の場面、来てくれるであろうところのパラオ君の表情、香奠《こうでん》袋の中身までが見えてきてしまう。いや、香奠は会社で一括、もしくは連名かな。
「ウッウッウッ、エヘン。あんなに飛行機を怖がる人も珍しかったですね。怖がる人がかえって落ちるんですね。ほら、飛行機が落ちますとね、ナニナニ遺族会とか、農協のナントカ・ツアーとか、一生に一度乗ったような人の名前が出るでしょう。たまさか乗るからいけない。平素、仕事で乗っている人は落ちないんですよ。エッエッエッ。良い方でしたが馬券の買い方は下手でしたね」
いけないよ、パラオ君はもう酔っている。女房《にようぼう》に言って早く引き取ってもらおう。黒|焦《こ》げ死体になっている僕が指図したりしている。
現実には、私は万死に一生を得て女満別の大地を踏みしめているのである。北海道には梅雨がない。日射しは強く、木蔭《こかげ》はひんやりとして、夏の軽井沢と同じだ。
「ああ、そこのスバル」
レンタカーの事務員が叫んだので、僕もスバル君も驚いた。
「いや間違えました。ニッサン・ローレルです。赤いほうです。旭川満タン返しです。気をつけてどうぞ!」
一難去ってまた一難であるが、スバル君は運転には絶対の自信があるという。こういうのが危い。
網走《あばしり》刑務所を右に見て、能取湖の能取湖荘に到着したのが四時過ぎ。三年半ほど前に来たときに内儀《おかみ》の照子さんは嫁にきたばかりだった。その照子さんに、ヤスコ、キョウスケ、二人の子供がいる。
「三年半に二人だと毎回安打ですね」
照子さんが赤くなった。いったいに北海道の女性は色白である。
「女の子に男の子。種付けは大成功ですね。いや、お手柄《てがら》でした」
朝から何も食べていない。冷蔵庫の缶《かん》ビールを飲んでいたら、照子さんが北海シマエビの塩茹《しおゆ》でを山盛りで持ってきてくれた。その赤が鮮やかである。
「いやあ、感激。甲殻類《こうかくるい》は大好物です」
食べ役であるところのスバル君は、頭から食べた。食べるのが早いこと、早いこと。歯のない僕は、殻《から》を手でむしってしゃぶるだけ。自然の塩味が、とてもいい。海の味がする。
出来次第ということにしてもらって、すぐに夕食になった。ホタテ貝、ヒラメの刺身、毛蟹《けがに》、ウニ。海草類。
「うわっ、感激。貝類と蟹には目がないんです」
本当に目の色が変った。こういう客は板前が喜ぶと言うが、僕も気持がいい。
夜、網走駅で競馬新聞を買った。スポニチ杯|知床《しれとこ》賞がある。それから繁華街のスナック英《ひで》へ行った。僕のボトルがあるはずである。そのとき、巨人軍の二軍の投手であった横山と、相撲の武隈《たけくま》親方(モト北の洋)のボトルがあった。いずれも当地出身であり、これに原生花園の近くの小清水の馬具屋の伜《せがれ》である小島太騎手を加えれば、当地出身スポーツマンの三人男になろうか。
英はあるにはあったが代が替っていた。当然ボトルはない。スバル君に良い恰好《かつこう》を見せたかったが駄目《だめ》だった。スバル君が連れてゆくと言っていた小料理屋の橘《たちばな》も店じまいしているという。三日見ぬまの桜かな。
英の店内は明るく綺麗《きれい》になっていて、大柄で仇《あだ》っぽいマダムと三人の娘さん(ということにしておく)がいた。
輓曳競馬を見ていると痔になるという。心臓にもよくないそうだ。それだけ力が入るのだろう。
そのあとコーヒーを二杯飲んで能取湖荘に帰った。スバル君はすぐに自分の部屋に戻《もど》ったが、僕はウイスキイを生《き》で飲んでいた。飛行機が無事に到着したのを祝う気持と、能取湖の夜を味わいたい気持とがあった。実際に何度も窓をあけて深呼吸をした。この空気も宿泊費のうちだと思った。
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[#地から2字上げ]―――――¥あまりにも牧歌的[#「あまりにも牧歌的」はゴシック体]
北海道にはタンポポとカラスとハエが多いと思った。
六月二十日の朝、スバル君運転のニッサン・ローレルは能取湖を離れた。僕は、ほとんど眠れなかった。頭がぼんやりしている。スバル君も眠れなかったそうだ。
「あのブルーマウンテン二杯がきいたね」
競馬にかぎらず、ギャンブルというものは、変に頭が冴《さ》えてきて、シンとして物音が聞こえなくなり、目《ヽ》が見えてくるときがある。これがギャンブルの醍醐味《だいごみ》だと思っている。寝不足や体の不調とは無関係であるが、気力が充実していたほうがいい。必勝法は朝食をシッカリ食べることと言うのはそのためである。
網走から北見へ抜ける林道が良い。豊かな感じがする。
「どこを向いても網走。西も東も網走。なぜか網走。ああ、網走の朝」
シートベルトはしっかりと着用している。スバル君はそれをしない。
「運転している人間は、反射的に自分をかばいますから死なないんです」
北海道の自動車事故というのは、きまって人身事故であり、多くは即死になる。しかも事故発生率は全国一である。従って、取締りがきびしい。
「ああ、いけない、いけない。こりゃ駄目だ」
「どうして?」
「あまりにもロマンチックすぎますね、この風景は。博奕をやる気分になってこない」
「少しはデスペレートしないとね」
「そうです。頽廃的《たいはいてき》というか、ヤケクソのココロですね。ここは清潔すぎる」
本当に、牛乳を飲んで、ジャガイモを喰《く》って草原で寝たほうがいいという気分になってしまう。
こんなところに競馬場があるのか、あっていいのか、と思われるような清潔で晴々とするような岡の上に北見競馬場があった。
輓曳というのは、北見市主催の市営になっている。もっとも、北見は輓曳だけであるが――。だんだんにわかってきたことであるが、北海道では輓曳のほうが人気があり売上げも多いのだそうだ。それは、輓曳の馬は、冬は、林業や農耕に利用され、雪の山道でも大活躍するので、それだけ生活に密着して親しみがあるということだろうか。
スバル君は輓曳競馬でも怖《おそ》るべき天才ぶりを発揮した。十レース中七レース的中。以後、彼のことを天才と呼ぶことにしよう。
ここで輓曳について少し説明しよう。
距離は二百メートル。二箇所の坂がある。
五百キロから七百七十キロぐらいまでの鉛を橇《そり》に乗せて引っぱる。馬体重も七百キロ台から千キロを越すものまで。騎手にも重量制限があるのであって、七十五キロまでである。
馬場状態は、良、重、不良で示されるのではなくて、水分である。カル馬場、オモ馬場で表示される。六月二十日の砂の水分は、午前十時で一・六パーセント、十二時で一パーセントに変った。これは非常なるオモ馬場である。もちろん、水分の多いほうが早く走れるのである。知床賞を制覇《せいは》したヤマサラッキー号は、水分二パーセント以上では五十八秒の持時計があるが、一・九パーセント以下のオモになると一分二十一秒六を要することになる。それくらいの差があるのであって、五月十七日の水分一・三パーセントというときは、なんと四分三十八秒八かかっている。
僕は原則として出目では買わないが、輓曳では、これが重要になってくる。ゲンをかつぐということではない。
「ボウリングのレーンと同じことです。よく滑るコースというものがあるはずです」
これを、いちはやく見抜いたのが天才スバル君の卓抜なところであった。
「コースによって同じ橇を使うんです。だから、橇の調子もあるんじゃないですか」
この日は外側の八枠の調子が良いようだった。
輓曳に人気があるのは配当が良いからである。だいたい千円前後の配当になる。つまりは専門紙の予想が当らないのである。不確定要素が多すぎるからではないか。
そうだとすれば、馬体を見て買うよりほかにない。輓曳の馬は、僕が思っていたよりずっと大きい。これは象だ。僕にはわからない。ところが、スバル君は、馬体良し、気合良しとか言って、ずばずばと的中させるのである。力の強そうな感じ、スピードのありそうな感じ、というそれはわかる。しかし、その取捨となると頭をひねらざるをえない。
平地の競馬で馬券がはずれると、すぱっと鋭利な刃物で切られた感じになるが、輓曳では鋸《のこぎり》でゴシゴシと切断された感じになる。
僕は知床賞のドラゴンダッシュで勝負に出た。専門紙の『旭』のコメントは「テンに置かれる不利あるも登坂力抜群だけに」となっている。
この馬、二番目の坂を先頭で通過した。貰《もら》ったと思ったら、そこで止まってしまった。輓曳の場合は、本当に一歩も動かなくなってしまうのである。ゴール前五十センチで止まることもあるそうだ。痔に悪い、心臓に良くないというのはこのことだ。ドラゴンダッシュは、馬名の通り竜頭蛇尾《りゆうとうだび》に終った。
輓曳の客は、馬と一緒になって走るのである。ぼんやり突っ立っていると、突きとばされてしまう。馬のスピード、馬の呼吸が客と一緒になるところに妙味がある。
北見競馬場は、右にスキー場、左に、フラワー・パラダイス(個人経営の花の公園)が見えている。まったくのんびりとしていて、女性と子供の入場者が三十パーセントを越えるという。芝生席で宴会がはじまる。これもお祭りなのである。
この日の入場者は約二千人、売上げは約一億六千万円であった。
スバル君大勝利で僕は惨敗《ざんぱい》。地方都市の福祉と教育に貢献することについては、僕は笹川良一に次ぐ存在なのではあるまいか。
売店で買った茹で卵がうまかった。近くの農家が店を出しているためである。黄味がネットリとしている。総じて北海道は食べものがうまい。
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[#地から2字上げ]―――――¥バナナがうまい[#「バナナがうまい」はゴシック体]
競馬の取材に出かけるときは気が楽な面がある。近くの府中競馬場へ出かけるときと同じ服装、同じ荷物で良い。双眼鏡と下着の換えだけを持っていけばいい。ジーパンに、北海道だから長袖《ながそで》のシャツ。いや、そうじゃない。僕の場合は、総イレ歯安定剤の強力ポリグリップSが必要になる。忘れたら大変。
スバル君の運転が軽快だった。彼は輓曳の鬼である。温根湯花水荘に六時に到着した。
部屋は立派だが、ここは主に団体客の泊るホテルである。宴会料理というものは、仰山な皿数《さらかず》になるが、いざ見廻《みまわ》すと、これといって食べるものがない。スバル君は、しきりに済まながるが、そのかわり温泉がよかった。いかにも北海道らしく湯が豊富である。
七階の部屋から見渡すと、街衢《がいく》整然。この整然たる歓楽境というのが滑稽《こつけい》であり、これも北海道だ。
六月二十一日は、午前八時に、朝食を断《ことわ》ってホテルを出た。このへんのスバル君の判断というか読みは実に的確だ。僕も、朝食は喫茶店で牛乳とパンで済ませたいという心境になっていたのである。
石北峠、層雲峡を経て旭川の街へ。僕は風景としては能取湖やサロマ湖のあたりのほうが好きだ。
「ああ、比布《ぴつぷ》だ。とうとうここまで来た。肩こりにピップエレキバン! 感激! 輓曳をやったし、層雲峡も見たし、銀河の滝も見たし、ああ良かった。ヨカッタ」
そう言っていたら交通取締りにひっかかってしまった。スピード違反。制限速度四十キロのところを十八キロ・オーバー。
「昨日、当りすぎると思ったら、ネズミトリにも当っちゃった」
八千円とられたスバル君が滾《こぼ》すこと。
それでも第二レースにまにあった。この日の僕は馬が見えていた。
「これ、ハクホウダンデイとターキーグレイスしかありません。いくら乗る。二千円? 三千円?」
スバル君はレンタカーの始末があるので、僕が一万円持って駈《か》けだした。思った通りの両馬で決まって三百十円。こういうのを馬鹿《ばか》にしちゃいけない。
旭川競馬場の向う正面は上川平野で、遥《はる》かに大雪連峰の旭岳、黒岳。右に十勝岳。競馬場というものは、向う正面の先きが河川であったり海であったりするものであるが、こんなに広い景色はここだけだろう。まことに雄大、しかも快晴。
北海道競馬事務所所長の近藤邦廣さん、次長の高橋壽美さん、河村年昭さん。いずれも温厚な紳士で、いろいろと気を使ってくださる。この高橋さんは、芥川《あくたがわ》賞作家の高橋揆一郎さんの弟さんである。
頂戴《ちようだい》したメロンがうまい。
「感激! ぼく、瓜《うり》気違いなんです」
と、スバル君が叫んだ。
甲殻類が好き、貝類が好き、瓜気違い。そう言えば、一関ではソバ気違いだと言っていた。要するに何でもいいんじゃないかという気がしてくる。
第三レース。豊健長《トヨケンロング》という『オール読物』の編集長みたいな名前の馬を買って失敗。
最終の第十一レース。スバル君と二人でパドックまで歩く途中、
「このレース、@ABの馬で何もいらない」
と囁《ささや》く。馬を見て、さらに意を強くした。
「Cからあとはいないと思えばいい」
「その通りです」
オッズは、@B二十九倍、AB二十八倍を示している。すなわちBのダーネルコートから勝負。結果は、A@BDCの順にゴール板を通過した。ショック! @Aの配当は一千二十円である。パラオ君なら必ず@Aを買ったと思うが、どうしても三角買いが出来ない。
「解説者としては優秀なのだが……」
と言ったのは負け惜しみ。ただし、どういうわけか、今回の公営競馬場めぐりでは馬券が荒れないというのも事実である。万馬券にお目にかかれない。笠松《かさまつ》での六千円余が最高だった。
僕たちは委員長室で観戦させてもらったのであるが、係の女性もとても親切だった。ひっきりなしでお茶を注《つ》いでくださる。コーヒーを淹《い》れてくれる。イチゴ、バナナ、サクランボ。そのバナナがうまい。
「バナナがうまい? 待てよ。北海道でバナナが採れるだろうか」
ここにおいて、僕は、北海道の空気の良さを実感するのである。空気が澄んでいるから何でもうまいのである。あるいは農協がしっかりしていて仕入れが上手なのではあるまいか。この僕の解説、優秀であるかどうか。
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[#地から2字上げ]―――――¥山下の再騎乗[#「山下の再騎乗」はゴシック体]
富良野プリンスホテルで、スバル君はステーキを食べた。健康な人が健康な歯でもって肉を喰うのを見るのは楽しい。ステーキには目がないそうだ。十勝ワイン。プリンス系のホテルは、従業員が若くてイキイキしているところが好きだ。
倉本|聰《そう》さんが来てくれる。彼には「ばんえい」というテレビドラマの名作がある。京都一澤帆布店の手提鞄《てさげかばん》と浅草の手焼|煎餅《せんべい》がお土産。倉本さんは鞄気違いであるという。良かった! 歓談数刻。北海道入植者であるところの倉本さんは過労のためか元気がない。そのため、彼の飼犬であるところの山口に会えなかったのが残念である。
翌朝も早く出て、旭川でレンタカーを返した。思えば遠くへ来たもんだ。僕は九死に一生を得たことになる。
車中で、僕はスバル君に、
「今日は四レースのC番で勝負だよ」
と囁いた。スバル君は黙って彼の競馬新聞を見せた。C番のシンエーモンブランに「特注。単!」と赤で書かれている。
持ってきた十万円が北見で七万円になり、昨日の旭川で四万円になるというのは心細いものだ。なんとかしないといけない。
前回、紀三井寺のとき、僕は、場立ちの予想屋を重視せよと書いた。彼|等《ら》はそれが商売であって、当たらなければ売れなくなる。特にその単複馬券に妙味があると書いたが、旭川では場立ちが出ていなくて、単複の配当も中央と似たような売れ方をしていた。
それでも、正門前に出ている予想屋の予想紙を買ってみた。あまり人が集《たか》っていなかったが、彼は勢いを得たようで、
「ほら、京都から買いにくるお客さんまでいるんだよ」
と叫んだのがおかしかった。僕の持っている一澤の鞄のマークを見たのである。このガリ版刷の予想紙はまるで役に立たなかった。
第一、第二、第三レースともに失敗。いよいよ心細くなる。
第四レースのシンエーモンブラン。前走勝利、その時計が良い。専門紙のコメントは「中間の上昇度に大きいものがある。まだまだ良くなりそう」となっており、しかも人気薄。僕はトラックマンのコメントを重視する質《たち》である。何事によらず、専門家を信用しようとする気持が強い。三歳牝馬ながら、馬体も気合も良い。
僕は総流しはやらないことにしているが、相手馬についての知識がないので、まず五百円ずつ総流しする。それから、四十八倍の@C、二十七倍のCD、六十九倍のCE、百四十一倍のCGに千円ずつ買い足す。単複を二千円ずつ。こういうのは総流しではないだろう。総流しというのは敗北思想だと思っている。
四番手につけていたシンエーモンブランは、三コーナーで進出してきた。思わず、立ちあがって、
「ハエハエ、カカカ、キンチョール」
と呪文《じゆもん》を唱えたときイレ歯が落ちそうになった。驚くべし、四コーナーを廻って先頭に躍り出た。脚勢から見て、もう負けはない。
「よろしいんじゃないでしょうか」
とスバル君も言った。六枠両頭が追込んできて、しめた六十九倍、やったと思ったが、流石《さすが》に人気のD番ニットウブロウニーが差してきて二着。結果は二十七倍のオッズが一千七百二十円に変っていた。単勝一千二百十円、複勝が四百五十円。人気薄の単勝と連勝式というのが僕の競馬である。もっとも配当の悪い馬を連れてきてしまったのにはガッカリしたが、それでも自分の競馬をやれたのが嬉《うれ》しい。北見と昨日の負けを一気に取りかえした。
第五レース。アローペガサスの山下騎手が、スタート直後、目の前で落馬した。彼は、しがみついていたが落ちてしまった。その山下が飛びつくようにして、ついに再騎乗に成功した。結果は、大差ドン尻《じり》であったが、見ていて、闘志あふれる気持のいい光景に拍手。第六レースのキタノエルシド、第七レースのタイヨウグロリー、いずれも、その山下騎手が制覇して、さかんな拍手を浴びていた。
第八レースは、昨日とまったく同じ失敗。どうしても三角買いができない。このレース、マウントブックの馬主が山本さんであるのがおかしかった。
第九レースのゴールドトロフィーは、アラブ三歳のオープンである。時計を見ても成績を見ても馬を見ても、アイアンガール、イチヤマオーカンという中村|厩舎《きゆうしや》の二頭でどうにもならない。オッズ一・〇倍が一・六倍に変ったところで少し買った。近頃《ちかごろ》、こういう買い方もするようになった。日高吉行《ヒダカヨシユキ》という終戦直後の同人雑誌のメムバーみたいな馬がいた。喘息《ぜんそく》気味じゃないかとも思って止《や》めたのは正解だった。
最終の第十レースもコトノアサブキが断然強く、中央から来たサクラブルーの二着で仕方がないと思われた。ところが、このサクラブルーに走る気配がなく終始後方のままであったのには驚いた。しかるに、意外にも、この馬券をスバル君が的中させていたのである。列車の出発時刻が迫っているので、スバル君は払戻《はらいもどし》場に向って走った。そうして、またまた驚いたことに、その配当はサクラブルーが着外であるのに二百九十円だった。どうも、草競馬には、ときどき、こういうことがあるようだ。この間をきりぬけてゆくのだから大変だ。
「あんたは豪《えら》い」
私たちは旭川から小樽へ向う列車のなかでビールを飲んでいた。
「実に豪いね。ああいう馬券が取れるんだから」
ゆるゆるとビールを飲む。こういうときの酒はうまい。わざとゆっくり飲む。アスパラガスにオデン。
小樽駅に海陽亭の八重子さんが迎えにきてくれていた。海陽亭は、僕のもっとも好きな旅館だ。料亭としての本店が札幌《さつぽろ》にあり、東京築地に支店がある。小樽はその発祥の地であり、伊藤博文が愛用した店であり、岡田|嘉子《よしこ》が越境する前の一週間をここで過したと言えば察しがつくだろうか。なにしろ、二階に百畳と七十畳の宴会場があり、岡の上の城のような旅館であるのに、宿泊客は僕たち二人だけというのが、豪勢きわまりない。
「感激!」
広い廊下を歩いたときに、スバル君はすでに叫んでいた。
「感激! 何も言われなくたってわかりますよ。この廊下を見ただけで」
似たり貝の塩蒸しにはじまって、イカ、アマエビ、ウニ寄せ、毛蟹、最後がキンキの煮付け。同じようなものがでてきても、材料が違う、板前の腕が違う。
社長の宮松重雄さんも札幌から来てくれる。八重子さんの姉の千枝子さんが来る。隣座敷の宴会に出ていた芸者の豆太郎が来る。どの人も、三、四十年前に逢《あ》いたかったと思われるような美人である。
「よし。この公営競馬めぐりの最終はここに決めました。打ちあげは海陽亭だ。もう決めましたよ」
「それじゃあ、この港から船で西舞鶴に出て、天橋立《あまのはしだて》の文珠荘新館に泊って、バスで祇園《ぎおん》に出てドンチャン騒ぎというのはどうだ?」
「さあ、そこまでは」
面倒見きれないという顔でスバル君が僕を見た。
「紅葉のときに来てください。北海道で育った私がゾッとして腰を抜かすぐらいに綺麗《きれい》ですから」
宮松さんが言った。
「じゃあ、来年の十月半ば頃かな」
競馬場は帯広と岩見沢が残っている。
「落葉のときに来てちょうだい」
と、千枝子さん。
「雪のときがいいわ。雪|掻《か》き雪おろし。こちら、力がありそうだから」
八重子さんが頼もしそうにスバル君を見た。こういうのは、もてているのか、そうでないのか。
「山口さんは、日当三千円に酒二合。この人は日当五千円に酒五合かな」
宮松さんは、ちょっと間を置くような喋《しやべ》り方をする。その感じがまことに上品だ。
小樽の繁華街へ行った。まず、ベラ。どの店も看板が高い所に出ているのに気づく。二年前の冬に来たときはそんなことはなかった。僕はそのときの積雪二メートルを思いだした。そうなれば看板はちょうど良い高さになる。
「ボトルがあります」
ベラのママが、僕の名入りの瓶《びん》を持ってきた。ほんのちょっぴりしか残っていない。
「あのとき、こんなに飲んだかな」
「ああ、いいえ。なんとかっていう、まるい体つきの先生が来て飲んでいらしたんです」
「まるまっちい人?」
「ええ、声の大きい人。小説家で声の大きい人が三人いるって……」
「ああ、丸谷才一さんだ。丸谷、開高、井上か。丸谷さんが僕のボトルで飲んだの。それは嬉しいな」
もう一軒で、眠くなってきた。三百|哩《マイル》も移動したんだからー。海陽亭の茶の間で、千枝子さん、八重子さんを相手に少し飲む。
朝の七時まで、ぐっすり眠ってしまった。まるで家へ帰ったみたいだった。
「お風呂《ふろ》をお召しになってください。その間に、私、朝市へ行ってイカを買ってきますから」
八重子さんが言った。その八重子さんが、買ってきたイカを部屋へ見せにきた。背のところが黒光りしている。
「感激! このイカゾーメン」
スバル君が凄《すご》い勢いで食べはじめた。こういうものを見ては、僕は飲まないわけにはいかない。朝酒のやや熱燗《あつかん》であること嬉し。
運河など市内見物。宮松さんの買ってくださる土産物は、いつでも、豆腐屋でアツアゲとアブラアゲ、菓子屋で大福ときまっている。程のよいところが有難《ありがた》い。実際、毛蟹なんかを戴《いただ》くと始末に困る。重荷になるとはこのことではあるまいか。
全日空のジャンボ機は無事に羽田空港に着陸した。またしても万死に一生を得たのである。次回は南関東である。これは見物旅行でなく勝負の旅になる。スバル君とは空港で別れた。
いい旅しちゃったな、と思った。
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[#小見出し]5 東京《とうきよう》ギャンブル大環状線《だいかんじようせん》
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南関四場、それはシビヤーな旅だ。
勝負あるのみ、遊びのココロは許されぬ。生きて帰れるだろうか。
東京の外周を一|廻《まわ》り。無事大団円を迎えると
南極探険に匹敵する壮挙を果したような気になった。
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[#地から2字上げ]―――――¥如何《いかが》わしきは罰せず[#「如何わしきは罰せず」はゴシック体]
七月九日、木曜日。川崎競馬場へ行くことになった。川崎、船橋、大井、浦和。これを南関東四競馬場、略して南関四場《なんかんよんじよう》と称す。
「いよいよだね」
とスバル君に言った。
「そうです。いよいよです」
実は、いつ南関四場を廻るかというのが、ひとつの課題になっていた。これは、北海道や九州へ行くのとは大いに違う。言ってみれば遊びの要素がない。勝負あるのみ。
この南関四場を最後にして、ギャンブル好きの友人を集め、大勝負をしようというのが当初のプランであった。しかし、このへんで一丁、というのがスバル君の狙《ねら》いであったようだ。暑い最中に苛烈《かれつ》な競馬に挑《いど》む。これも悪くない。南関四場という音は、私の耳には、難関四場と響くのであった。
ところで、これも正直に書くのだけれど、公営競馬場に出かけるというとき、なぜか僕《ぼく》の胸は高鳴るのである。ワクワクする。前夜は眠れない。終ると次回が待ち遠しくなる。いったい、これはどういうことだろうか。東京競馬場の近くに住んでいるので、府中の開催日には、まず出かけることになる。この、日本最大の、もっとも整備された、東京優駿《ダービー》競走の行われる、乗り役にも調教師にも評論家にも友人の多い競馬場へ出かけるときは、こんなことはない。これは、おかしいじゃないか。なぜだろう。僕は、しばしば考えこむことになる。しかも、これは僕一人だけのことではない。誘えば、友人たちは、待ってましたとばかり参加してくれるのである。
@知らない土地、知らない競馬場を見る楽しみ。この考えは有力だ。
A知らない馬ばかりが出てくる。出走馬についての知識がない。馬券を買うのが一種の冒険になる。
B競馬場がちいさいので、馬が目の前を走る。向う正面を走っていても、双眼鏡なしでレース展開がわかる。従って、迫力がある。これはスバル君の意見である。
Cしかし、僕は、こう思う。公営競馬の最大の魅力は、インチメイト(親密)なところにあるのではなかろうか。公営の馬を買うとすると、相乗り(共同馬主)ならば、どうしても手が届かないという金額ではない。あれは誰某《たれぼう》の持馬であるという親近感。そこまでいかなくても、小学校で同級だったナニちゃんが嫁に行って、場内で売店を出している、あるいは、払戻《はらいもどし》場に勤務していて、そこへ行くとニッコリ笑ってくれるという親しみ。
つまり、村芝居を見る安気と楽しさ。小《こ》博奕《ばくち》を打つ面白《おもしろ》さ。これではなかろうか。
いまのところ、僕はそう考えている。
前に、僕は、如何わしいものが好きだと書いた。これに、さらに、こうつけくわえたい。如何わしいものが許されている社会が好きだ。如何わしいものが許されている日本という国の、その状況を守らねばならぬ。
戦争末期に、女性がスカートを着用するのは如何わしいこととされて禁止されたという事実を忘れてもらっては困る。みんなモンペをはかされたのだ。
如何わしいものは、如何わしいものなるが故《ゆえ》に、国家もしくは地方自治体という権力によって管理されている。競馬、競輪、競艇しかり。酒類の販売(莫大《ばくだい》な酒税)、煙草《たばこ》の専売がそうだ。従って、僕としては、どうか、しっかりと守ってくださいとお願いする気持が強いのである。
どうやってそれを守るか。自分でそこへ出かけていって売上げに協力するしか方法がない。劇場へ出かけないで歌舞伎《かぶき》の衰退を歎《なげ》く評論家がいるが、そういう男は大嫌《だいきら》いだ。野球も相撲もそうだが競馬だって同じことだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥川崎競馬場[#「川崎競馬場」はゴシック体] 難関その一
七月九日、木曜日。朝十時。スバル君が元気に僕の家の門を叩《たた》いた。僕たちは、南武線|谷保《やほ》駅に向った。南武線は、一名ギャンブル線と呼ばれている。川崎(競馬場、競輪場あり)に発し、立川(競輪場あり)に終るからであり、途中に府中競馬場があり、多摩川競艇場がある。
川崎駅前には、競馬場行タクシー乗場があり、切符を買ってタクシー(五人乗り)に乗車するのである。(よく管理されていますね)
川崎競馬場!
これを何と表現したらいいだろうか。
「いやあ、シビヤーだ」
とスバル君が叫んだ。情緒的なるもの、牧歌的なるものの一《ひと》欠片《かけら》だになし。北海道旭川競馬場と較《くら》べて、何という径庭《けいてい》のあることか。
正面スタンドから見て、右奥に野球場が見える。これは客が来ないので有名なロッテの球場である。中央に競輪場。その左に、川崎トキコの大工場を中心とする工場街。だいたい、競馬場というのは、ロケーション(見てくれ、外観)が良くできているものであるが、ここでは、そういうものが見事に切り捨てられている。
スタンドには、馬主以外に椅子《いす》がない。立って見るか、コンクリートの床に新聞紙を敷いて腰をおろすかのどちらかである。
「これは良い。俺《おれ》、こういうのが好きだな。闘志が湧《わ》いてくる。旭川よりずっと好きだ。いやあ、シビヤーだ」
盛夏というのは、ヤクザ者の目立つ季節ではあるまいか。彼等は多くは白いものを着ている。甚平がいる。黒眼鏡がいる。髪を黄色に染めた大柄《おおがら》な女(近くで見たらオカマだった)がいる。そのオカマを囲む女たち。それが気のせいか、僕にはトルコ嬢に見えた。
いやに昂奮《こうふん》しているスバル君は、こうも言った。
「こんな奴等《やつら》に負けてたまるか」
実際、旭川や水沢を遊園地とするならば、ここは明らかに鉄火場である。かつて全共闘の闘士であったスバル君には、国家権力を相手に博奕を打つという思いがあったのではなかろうか。それは半可《はんか》なヤクザ者を薙《な》ぎ倒すことにも通じていた。
こんなふうで事件が起きませんかという僕の問いに、係の人は、
「|最近は大きなの《ヽヽヽヽヽヽヽ》はありませんね」
と答えたが、僕は、逆に、小さな不祥事はチョイチョイあると受け取った。僕は、釣銭《つりせん》のことで従業員女性と激しく言い争っている客を見たし、スバル君は、客同士の血まみれの殴りあいを見ている。
シビヤーだと言うのは、高級だと言い直してもいい。遊びの要素が少い。たとえば福島競馬場へ行けば、増沢騎手の乗る馬の単複を買っていれば、あるいは御当地馬(馬主が福島の人)を狙えば、まず損はないし、時には大|儲《もう》けになるというルールみたいなものがあるが、ここでは、それがない。いや、寸毫《すんごう》も遊びのココロは許されないのである。
これは何かに似ていると思った。遠く、小学校時代にさかのぼることにする。
昭和十二、三年|頃《ごろ》のことになるが、当時も受験戦争は激烈だった。青山会館などで模擬試験なるものが行われ、行ってみて、右を見ても左を見ても、
「や、できるな」
という感じの眼鏡使用の神経質そうな少年ばかりで圧迫感があった。しまいには、あれは青南小学校、あれは誠之、あれは桃園第一、あれは白金とわかるようにさえなった。そんなふうな圧迫感があった。
だから、川崎競馬場での僕の馬券については書かないことにする。マゾヒスティックな快感があったと言えばいいだろうか。スバル君は、十レース中の三、四回を的中させていて、明日の資金は出来たと語っていた。もう一度|挑戦《ちようせん》したいと言っていたから、よほど川崎が気にいったのだろう。それから、さすがに佐々木竹見騎手(日本一のジョッキーだと言う人がいる)が正確にソツなく乗っていたことを強調しておく。
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[#地から2字上げ]―――――¥予想屋信ずべし[#「予想屋信ずべし」はゴシック体]
公営競馬では、場立ちの予想屋を重視すべしと書いた。紀三井寺では、最終レースで、僕たちの予想と予想屋の意見とが一致したので、これで勝負して大勝し帰りに京都で遊んだ。
暮の中山にモチツキ競馬というのがある。これは、景気のよくない小さな厩舎《きゆうしや》を救済するために、多少の手心が加えられることだと解釈している。僕は競馬には八百長《やおちよう》はないと信じているが、より一層インチメイトであるところの公営競馬の関係者の間に、ある種の遊びのココロがあっても不思議はないとも考えている。
中央競馬でも、調教訓練が、午前五時とか六時という、冬ならば暗いときに行われるのは、ちょっとおかしいという説がある。これは好調な馬をかくしたがるという厩舎筋の思惑が、慣習的にひきつがれているためだというのである。
ここから、いわゆる「情報信ずべし、信ずべからず」と言われているところの情報《ヽヽ》が生じてくる。それは、この馬が勝つというより、この馬は|消し《ヽヽ》だという情報のほうが重要である。われわれは、特に公営競馬では情報皆無である。だから、場立ちの予想屋に頼るというか、彼等の意見を参考にしたいという気持が強くなってくる。自分の考えではなく、予想屋の意見に従って、つまりは|いい加減《ヽヽヽヽ》に買うというのも、公営競場の楽しさ、アテモノの面白さではなかろうか。中央では場立ちの予想屋は許可されていないのである。
いや、本当は、そんなことではない。スバル君も僕も、予想屋という職業に憧《あこが》れているというところがある。一回ごとの予想であって、結果はすぐにわかるし、彼等は、マジック・インクで大書して、これを公表するのである。もちろん、当れば赤で囲って大威張りする。弁解は許されないし、彼等は決して弁解しない。当っている予想屋には人集《ひとだか》りがするからすぐにわかるし、当らなければ、調子が悪いから、このレースは休みますなんてことをハッキリと言う。しまいには、店をたたまなければならない(実際にそういう場面を見た)。不調が続けば廃業になる。
「こんなに男らしい商売はない」
とスバル君は言うし、僕も同感する。
彼等は、パドックを見ないうちは予想紙を売らないから、馬を見たら発汗がひどかったからとか、良の予想が重になったので、という種類の弁解はできないのである。気の毒だと思う面もあるけれど、中央競馬の評論家ぐらい言訳の上手な人たちはいない。乗り役が下手だったからとか、他馬にカットされたとか、ひどい人は、中央競馬会の開催日程が不備だからとか、当らなければ何でも他人のセイにするのである。予想|屋《ヽ》という屋《ヽ》のほうの商売は、評論|家《ヽ》という家《ヽ》のつく職業よりも上等だと思わないわけにはいかない。
そこで、僕たちは、川崎競馬の広報の人に、信用できる人柄の良い予想屋を教えてもらうことにした。
「古くからやっているのは、第一通信の徳永さんです。新進で人気のあるのは佐々木さんです」
ということだったが、僕たちが場内を見廻《みまわ》ったところ、もっとも当っているのは、穴馬報知社の牛木さんだった。大学教授風紳士とチョビ髭《ひげ》二人のかけあいで、親子だと思ったのが師弟であるという。弁舌も立つ。
川崎競馬場へ行って驚いたのは、この場立ちの予想屋が、ずらっと並んでいることだった。その数は四、五十と見受けられ、壮観というほかはない。そのほかに、ほぼ同数の、店を持っていない予想屋(第二組合)がいるというし、コーチ屋もうろうろしている。
また、この場立ちの予想屋の予想が当らないことを僕は次第に知るようになるのである。不思議なくらい当らない。それは中央の専門紙の予想が当らないのと同じことだ。
第三レースが終ったとき、工場街のサイレンがひびきわたった。
「やあ、労働者諸君。頑張《がんば》っているね」
これは、寅さん映画の車寅次郎のおさだまりの台詞《せりふ》であるが、僕は、不意に、寅次郎の胸の痛みを実感することとなった。そうして、またしても、如何わしいものが許されている社会を守らねばならぬという思いがこみあげてくるのである。
競馬の実戦記を書くのは、情痴小説を書くのに似ている。馬券が的中した(女に惚《ほ》れられた)と書けば、イイ気ナモンダと思われるし、馬券がはずれた(女に振られた)と書けばザマミロと言われるのがオチである。如何わしいことをやっているのだから、これは甘受しなければならない。
工場街のサイレンが鳴ったとき、なんだか、女の家にいて、一家を支えている長男に迎えにこられたような気分になった。
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[#地から2字上げ]―――――¥船橋競馬場[#「船橋競馬場」はゴシック体] 難関その二
川崎競馬場を出て自動車に乗り、浦安まで行ってくださいと言った。
川崎から千葉にいたる湾岸道路は、最近での気持のいい道路のひとつである。東京湾の新しい光景が展開する。どうやら梅雨が明けたようで、積乱雲が湧きでて真夏の陽光がカッと照りつける。
数日前、都内で絵を描《か》いていて、疲れてしまったので、タクシーに乗って家へ帰った。ラッシュ・アワーになる前の長距離だから、運転手の機嫌《きげん》がいい。
「今日はついているなあ。朝、船橋までってのがあったんですよ」
「何時ごろ?」
「十時です」
「へええ。船橋って何だろう?」
「競馬ですよ。三人で乗ってきたんだけれど、一人が大きな鞄《かばん》を持ってましてね。これで勝負だって札束見せるんですよ。ああいうのは、おおかた、ヤクザだんべえ」
「ああ、そうだよ。そういうやつはスッカラカンになるんだ」
スバル君も僕も人相の良いほうではない。湾岸道路を走る運転手も、僕たちをヤクザ者だと思っているだろう。
浦安では、いつも浦安温泉旅館に泊る。正面には、浦安草津温泉という大きな看板が出ている。僕は、草津からパイプでもって温泉を引きこんでいると信ずることにしている。あたかも競馬に八百長なしと言うが如《ごと》くに。
浦安温泉旅館の主人を、僕はトッカピンと呼んでいる。むかし流行《はや》った精力剤のキャラクターに似ているからである。ミッチー渡辺大蔵大臣が八字髭を生やした顔だと思ってもらいたい。
そのトッカピンが、上半身裸でフロントの前に立っていた。
「威勢がいいじゃないの」
「ああ、いつも、こんな恰好《かつこう》だ」
「奥さんは?」
「入院してるの」
「えっ?」
「今朝、子供が生まれたんだ」
「やっぱり、あんたはトッカピンだ。精力剤そのものだ」
温泉に入ってから秀|寿司《ずし》へ行った。さいわいなことに蟹《かに》があった。色紙を出された。
「せんせい、懐《なつか》しいなあ。何年ぶりだんべ。二年ぶりか」
一昨年の夏、ここに長逗留《ながとうりゆう》した。秀寿司で蟹を喰《く》ったる薄暑かな≠ニ色紙に書いた。
「せんせい、こりゃしでえや」
「秀寿司」が「禿《はげ》寿司」になっていた。
「ああ、悪い悪い」
「せんせいは、浦安の浜幸だ」
と客の一人が言った。土地の人で漁師であるらしい。
「浜幸はひでえんじゃないの」
「誰《だれ》が浜幸なんて言った? 浜幸は富津《ふつつ》なんでねえの。せんせいは浦安の|なあ公《ヽヽヽ》だって言ったんだよ」
「|なあ公《ヽヽヽ》?」
「『青べか物語』にあるでねえの。浦安のおにいさんっていう意味だよ」
いくらか気をよくした。
「せんせい、蟹好きか」
「ああ、大好物だ」
「じゃ、トルコ風呂《ぶろ》へ行くべ」
「その趣味ないんだ。トルコは駄目《だめ》だ」
「誰がトルコなんて言った。獲《と》る所へ行くべって言ったんだよ。土曜日に網仕掛けて、日曜に獲るのよ」
「獲れるのかね、本当に」
「七匹や八匹は獲れるだよ。スイってこともあるけどね」
「スイって何だ」
「なんも獲れねえことだよ」
「釣《つり》で言う坊主《ぼうず》か」
厭《いや》な予感がした。
「ところで、せんせい、何しに来ただ」
「競馬へ行こうと思ってね。船橋競馬だ」
「ああ、嘘《うそ》つき村へ行くだかね。よしねえ、よしねえ。明後日《あさつて》が土曜日だ、網仕掛けに行くべ。日曜日に獲れたばっかりのやつを何杯でも喰わせっから」
またしても工場街のサイレンが鳴ったように思ったが、そういうわけにもいかない。
翌日も快晴だった。病院へ行くトッカピンの自動車に乗せてもらった。
真夏日が照りつける。六階の来賓席から見おろすと、まったく人影がない。客は日蔭《ひかげ》にかくれているのである。白いコンクリートの地面と、濃い影とが、苛烈《かれつ》な一日の始まりを示しているかに見えた。
来賓席の下の五階席がノミ屋の溜《たま》りになっていた。いや、彼等に占領されているのである。五階席は、すべて指定席である。
ここからは、僕の推測になる。指定席をノミ屋連中が買い占めているのではないか。三千円の指定席券を一万円で売る。かりに、三百席あるとして、一日ざっと二百万円の収入になる。そうして、一万円で買った客は金があるわけだから、ノミ屋がつきまとうのである。姫路で、紀三井寺で、川崎で、指定席が廃止されている事情が見えてきた。
如何わしいものが好きだと僕は書いてきた。ノミ屋の一人一人は、愛すべき愚かな奴だと僕は思っている。しかし、彼等が、その数五十人、その五十人でもって、指定席券を買い占め、五階のロビーを占領している光景は許せない。断じて僕は許さない。これは、安寧秩序に反するものである。
公営競馬には、ちょっと如何わしいところがある(と僕は思っている)。その如何わしいものが許されているという社会状況を守りたい。断乎《だんこ》として守りたい。しかし、ここまでノミ屋(ヤクザ者)が跋扈《ばつこ》するということは、僕の愛してやまない如何わしきものを破滅に導くことになる。如何わしいものが如何わしいものの手でもって、ぶちこわされることを許さない。
極論かもしれないが、ここに千葉県の体質があるのではなかろうか。こういう体質が、浜幸その他、もろもろの怪しい人物を育ててしまうのではなかろうか。諸君! 如何わしいものを守ろうではないか。如何わしいものを破滅させようとする如何わしい奴等を斬《き》ろうではないか。
第三レースが終ったとき、名人パラオ君が来賓席にあらわれた。第四レースは買わず、第五レース、DE七百円というのを、
「へっへっへ。一万円買いました」
と言った。
最終の第十レース。一番人気の四百九十円というのを、やはり一万円買っていた。不思議な男だ。
パラオ君は、慎重社における僕の担当編集者である。だから、僕に会いにくるのは仕事であって社内でも容認されている。彼は帰社して部長に、こう言ったそうだ。
「へっへっへ。おかげさまで、儲《もう》けさせてもらいました」
「お前、そのへっへっへって笑うのをやめろ。山口さんはどうした?」
「へっへっへ。惨敗《ざんぱい》でした」
これで僕の成績がわかるだろうけれど、決してスイだったわけではない。それから、読者サービスとして、下総旋風《シモフサセンプウ》という馬が南関のどこかで大穴をあけることを予言しておく。(筆者後記 シモフサセンプウはその後活躍しませんでした)
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[#地から2字上げ]―――――¥大井競馬場[#「大井競馬場」はゴシック体] 難関その三
品川のホテルに新平君があらわれて、スバル君と三人でモノレールに乗って大井競馬場へ行った。大井競馬場は高速道路からよく見ているが、行くのは初めてである。むかし、大相撲名古屋場所は本場所ではなく準場所と言われていたが、大井はそんな感じがする。
東京競馬場で、さんざんな目にあった人が、行くところがなくて川崎へ行くという感じがあるが、それほどヒドイめにはあっていなくて平日も競馬をやりたいという連中(主に自由業者)が出かけるのが大井だという気がする。大井には文化人クラブというのがあって、会長は北島三郎であるが、どんなことをやっているのか知らない。
正面スタンドから見て、右手に「世界一家・人類兄弟」の競艇場がある。正面は流通センター、左に東京湾。眺《なが》めは悪くない。羽田空港に着陸するジェット機が飛び、その下をモノレールが走り、そのまた下を競走馬が走るという三位《さんみ》一体の眺めとなることは、めったにはないそうだ。
この日の穴馬報知社、佐々木の予想には冴《さ》えたところがなかった。メインのワード賞では両紙とも六歳馬のホクトキンザンを推奨していたが四着。
ワード賞というのは、アラブ四歳以上のオープン・ハンデ戦であり、六月三十日に行われたダービーでは、カツラギセンプーが優勝、チカツピューマがハナ差二着。ダービーでは五十七キロを背負ったカツラギセンプーが、ここでは五十六キロ。チカツピューマは五十三キロ。前回ハナ差であるならば、この三キロ差でもって勝てると思った。チカツピューマは先行型であり、鞍上《あんじよう》も佐々木竹見。僕は、この単勝。天才スバル君は、熟考のすえ、カツラギセンプーの単勝。ちょっと面白いことになった。
結果は、ゴール前二百メートルで両馬がならび力に勝るカツラギセンプーが抜けだした。出遅れたチカツピューマが追込むという逆の展開。ここに、スバル君と僕の考え方の違いがあったようだ。
「馬を見たら、カツラギセンプーが断然。斤量差は無視することにしました」
競馬は強い馬が勝つ。スバル君の考え方のほうが正しい。どうやら、僕と同じように考えた客が多かったようで、チカツピューマが一番人気になっていたようだ。その証拠に、カツラギセンプーの単勝配当は五百円。
前走のハナ差勝利というのは、とても無理だと思われる後方から抜けだしたものであって、着差以上に評価すべきだという話を後で聞いた。しかし、僕のほうからすれば、出遅れなければというウラミがあり、競馬というのは玄妙不可思議であり、どっちが良いとは決めかねる。ただし、馬を見て勝てると思った、というのは馬券術の基本である。
「いや、山口先生に単複の面白さを教えてもらいました。いままで、めったに単勝を買ったことはなかったんです」
勝ったスバル君は、あくまでも謙虚である。
競馬は射倖心《しやこうしん》をあおるからいけないという世論がある。主催者側もそう考えているようで、連勝単式馬券を廃止してしまった。それなら、なぜ単複の売場をふやさないかと、いつでも考える。単複の売場は数が少いうえに、たいていの競馬場では、どこにあるのかわからないような遠く離れた場所になっている。競馬というのは、一着になる馬を当てるギャンブルである。また、乗り役は、一着にならないならドン尻《じり》も同じと考えているのである。連複馬券の隆盛というのは、どこかが間違っているのではなかろうか。
公営競馬の難しさは、D1級とかC3級というように、能力差によって細かく級がわかれているために、どの馬が勝つかの判断がつきにくくなっていることである。番組編成委員が、自分たちが予想をたてても三割も当らないという。難しさも面白さも、そこにある。
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[#地から2字上げ]―――――¥浦和競馬場[#「浦和競馬場」はゴシック体] 難関その四
銀座で飲み、タクシーで浦和にむかった。約四十分走ったところで、運転手が、ここじゃないですかと言い、僕たちは宿舎であるところのプラザホテル浦和に到着した。なぜか知らないが、埼玉は、西も東も、右も左も埼玉であって迷うのを覚悟していたのである。そのあたりに沼のある公園があり、高級住宅街であったようだ。
翌朝、早くに競馬場へ行って驚いた。船橋で見たチンピラヤクザふうのノミ屋が入場券売場付近に屯《たむろ》しているからである。
船橋のスタンドや特別室は、まだしも完備されていたと言っていい。おそらく、観客席のもっとも汚い競馬場がここなのではあるまいか。笠松《かさまつ》も汚かったが、情緒があったし、ヤクザが屯するようなことはなかった。
夏だというのに、売店でスイトンを売っている。それでいて、煙草売場には外国煙草がある。その感じがヤクザっぽいのである。
僕は二百円券売場で馬券を買った。千円券のほうは、オッカナイ。
僕たちが案内された特別室にも、なにやら得体の知れぬ人物がいる。警備員は、だいじょうぶですよ、親分格連中の二、三人に話は通してありますからと言ってくれるのであるが。
第一レースで、固い固い本命馬券を買ったが、圧倒的人気のツキクモヒメがまったく走らない。
第二レースの始まる前、空が急に暗くなり、雷鳴がとどろき、豪雨になった。三|枠《わく》の馬が雷鳴に驚いて転倒する騒ぎ。
「生きて帰れるだろうか」
とスバル君が言ったが、本当にそんな感じがした。
「危《ヤバ》インデナイノ?」
僕に北海道|訛《なま》りが残っている。
雨がやんだので、一階へおりると、
「せんせーい!」
と、声を掛けられた。見ると、穴馬報知社チョビ髭の若土さんである。場立ちの予想屋に声を掛けられるのが、良いことなのかどうなのか。
「あなた、大井の予想は冴えなかったね」
「ええ、もう、ぜんぜん駄目」
けろっとしている。記念写真を撮った。汗が染《し》みこんでいるという体つきである。もう予想屋を頼らないことにした。
第四レース。前夜の検討でシャービーテンプルの単と決めていたが、乗り役の土屋が女性だと知ってがっかりする。それでも千円だけ買った。ところが土屋|薫《かおる》騎手、ポンと出て、すぐにおさえ、向う正面三番手から少しずつ差をつめて、直線で先頭に立つという見事な騎乗ぶりで勝利。無理がなかった。
単勝八百円。浦和ではケツのケバまで抜かれると覚悟していたので、ちょっと息をつく。
この日、僕は、第七レースのケープタウンという九歳馬に狙《ねら》いをつけていた。七月十日の船橋で、六頭立ての六着ながら、馬っぷり、レースっぷりに見所があった。
昔、僕がまだラジオ関東の競馬中継にゲスト出演していた頃、新潟《にいがた》の重賞レースで怪奇王《カイキオー》という九歳馬を一番手にあげ、これが万馬券になるということがあった。
それ以来、夏は老人にかぎると思っているのである。爺《じい》さんが、縁側で、甚平を着て、ソーメンやトマトを肴《さかな》にしてナオシなんか飲んでいる姿は涼しそうで良い。また、お婆《ばあ》さんが茶筅髪《ちやせんがみ》で、上布《じようふ》に白献上をキリリとしめているなんかも涼しげだ。総じて、夏の過ごし方は老人のほうが上手だと思っている。専門紙のコメントによればケープタウンの調子は良いらしい。
すなわち単複五千円ずつ。
このレース、ケープタウンは三コーナーで先頭に躍り出て、楽勝かと思われたのに、直線でボールドオーモリ、センターサークの両馬にはさまれて後退。
「浦和では、神も仏もないものか。でも三着はあるだろう。複勝をおさえておいて良かった」
と思ったが、最後の手段、
「エロイム・エッサイム。オンアビラウンケンソワカ。オンタタギャタハナマンノォキャロミ」
と呪文《じゆもん》を唱えると、ケープタウンは、ボールド、センター両馬の間を割るようにして差し返してゴールイン。九歳馬のどこにそんな力が残っていたのか、自分でも信じられないような出来事だった。けだし、夏競馬は、夏負けしていない好調馬を買えというのが鉄則である。
南浦和駅から武蔵野《むさしの》線に乗って帰った。この武蔵野線は、船橋、浦和、府中をつなぐギャンブル環状線と言われている。
西国分寺で乗り換えて、中央線|国立《くにたち》駅で下車した。駅の近くで強《したた》かに飲み、最後に南武線谷保駅裏の文蔵というモツヤキ屋で飲んだ。
南武線の谷保駅にはじまり、川崎、湾岸道路を経て船橋。次に、品川から浜松町へ行きモノレールに乗って大井、そこから浦和へ出て、ぐるっと廻って、また谷保に到着した。その状況は地図で見ていただきたい。大団円というのがこれだ。なんだか、南極探険に匹敵する壮挙を果たしたような気になった。
無事に帰宅して、近くの呑《の》み屋で酒が飲めるのも、ケープタウンという九歳馬のおかげである。
[#改ページ]
[#小見出し]6 園田競馬場《そのだけいばじよう》に秋風《あきかぜ》が吹《ふ》く
[#ここから8字下げ]
勝とうと思っては駄目《だめ》だ、その局面で、正しいと思った手を指せ。
将棋の勝負師、芹沢《せりざわ》八段の名言に従って勝負に出た。
夢ではないか、初手からいきなり、七万円のプラスとは。
続けてシメタ! キタのクラブどころか、宗右衛門町に……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥再 会[#「再 会」はゴシック体]
将棋の芹沢博文八段が言った。
「将棋を指すときは、どうやって勝とうかと考えながら指すのは間違いです。この局面ではどう指すのが正しいか。そう思って指すものです」
これは名言ではあるまいか。僕《ぼく》たちに勇気をあたえてくれるという意味で――。このように、将棋界には勝《すぐ》れた哲学者がいるのである。哲学という言葉は古めかしくなってしまったが、どうやって生きるかを考えるということではあるまいか。
野球でもそうだ。打席に立ったとき、どうやってヒットを打つかと考えてはいけない。どうやって球をバットの芯《しん》で把《とら》えるかを考えるのである。勝れた打者は、ボテボテの内野安打で出塁しても嬉《うれ》しそうな顔をしない。一塁塁上で舌を出したり頭を掻《か》いたりして、恥ずかしそうな顔をしている。これに反して、球を真芯に当ててセンター・ライナーを放ち、中堅手に好捕されたとき、打者は帽子を地面に叩《たた》きつけて口惜《くや》しがったりするが、内心は嬉しいのである。結果というのは運・不運である。結果は問うまい。
下世話で言うならば夫婦|喧嘩《げんか》などもそうだ。どうやって相手(妻)に勝とうかと考えてはいけない。勝つだけなら相手を張り倒せばいい。この局面では、どういう態度に出るのが正しいか。それが男らしさに通ずるのではあるまいか。
同じく将棋の米長邦雄九段が言った。
「将棋というのは、よほどヒドイ手を指さないかぎり、大きな差にはならないものです」
つまり、いつでも誰《だれ》にでも勝つチャンスがある。怖《おそ》れることはない――。これも人生に希望をあたえてくれる名言だと思っている。
野球で言えば、四球の連発、連続エラーなどがないかぎり、勝つチャンスが常に残されているということになる。
今回の僕の競馬、これでいこうと思った。
八月十五日(土)締切の文芸雑誌の小説を書かなければならない。ところが、園田競馬がチラチラして構想がまとまらないのである。それに、今回は、ついでに甲子園球場へ寄って高校野球を見物することにしていた。ワクワクする。八月二十日、準決勝、早稲田実業か横浜高校が残るはずだと思って、スバル君に切符の手配を頼んであった。ワクワクするのは、あくまでも、久しぶりの小説を書きあげたうえでの……という条件つきであった。そうなれば怖いものはない。その解放感は絶大なものがある。そう思うから、余計にワクワクする。思えばスバル君は罪な企画を考えついたものである。
八月十六日が徹夜になった。変なものだが三十枚の小説を書くことは書いた。朝から飲みだした。眠くならない。僕の魂胆は、そうやって少しずつ飲み続ければ、いくらなんでも夕刻には眠くなる。翌朝までずっと眠れるのではないか。そうなれば身心|爽快《そうかい》、天下晴れて博奕《ばくち》が打てる。こんなに楽しいことはない。
ところが何時になっても眠れる状態にならない。八月十八日午前三時という時計の文字盤を見た。四時は知らない。六時に飛び起きた。前々々回のひどい出遅れがある。七時になるのを待たずに家を出た。従って九時発の新幹線に乗るのに八時前に東京駅へ着いてしまった。
必勝法は朝食をシッカリ食べることだと書いた。ただちに食堂車へ。ギネスとビーフシチュー。歯がないので、情ないかな、パンをビーフシチューに浸して食べるのである。
昼過ぎに新大阪駅へ着き、タクシーに乗って園田競馬場と言った。競馬新聞は馬場へ行かなければ売っていないという。
「酒井さんに逢《あ》える」
「酒井さんって?」
「ほら、姫路競馬場で、将棋の初手に6六歩と突くって言った人ですよ」
「ああ、ああ」
そういうことは不思議に記憶している。6六歩と突いても、次に7六歩と指せば咎《とが》められることはない。下手《へた》と見せかける有力な戦法だと答えておいた。相手は、まず、意地でも8四歩とくるだろうから、振飛車に誘導できる。それにしても関西だなあと思ったものである。ただし、酒井さんは温厚な人物で、世話好きで、なんと言うか、人情味のある方である。
「中杉さんにも逢えますよ。楠戸《くすど》さんにも。それから吉田勝彦さんにも……」
「そうだ、そうだ」
園田は姫路とローテーションを組んでいる。馬もそうだが構成人員も同じことになる。にわかに胸の中が明るくなってくる。
僕の馬券戦術は、「読書百遍意|自《おのずか》ら通ず」というあたりにある。公営競馬では手懸りがない。あるのは競馬新聞だけだ。だから、これを精読する。実際は百遍ではなくて、二度か三度であるが、暗記するぐらいに読む。すると、行間から立ちあがってくるものがあるのである。これを大事にする。特にトラックマンのコメントを重要視する。どの場合でも、専門家の意見を尊重したいと思っている。それも、家や会社でふんぞりかえっている評論家の考えは重く見ない。早朝に馬場へ行って馬を自分の目で見ているトラックマンでないと駄目だ。そうやって、行間から立ちのぼってくるものと、パドックで見た馬の状態との結合を馬券戦術の芯にする。
僕の資金は十万円である。二日間であるとすると、多過ぎもしないし少な過ぎることもない。それで、僕が勝負というときは、一レースに一万円から三万円を投ずる場合である。笑われると思うけれど、そんなものだと思っているし、これは僕の競馬観にも通じている。名人パラオ君、天才スバル君は、一レースに五万円から十万円、あるいはそれ以上を投ずるときに勝負と言っているようだ。そのへんがちょっと違っている。僕の心の底には、競馬における抜きがたい不信感がある。
一例をあげるならば、ダービーでラッキールーラが勝ったということである。この後、しばらく競馬を離れていた。ラッキールーラは五百キロを越す巨体の持主であった。逃げ馬であって、ダービーでは外枠《そとわく》をひきあてた。乗り役は、超一流とは言えない伊藤正徳だった。これに勝たれたとき、こんなものを研究したって無駄だと思うようになった。そのことを森安弘明調教師に言った。
「なあ、テキよ、そう思わないか」
「んだ。先生の言う通りだ」
彼も、歌うような東北弁で力強く同調したが、さすがに淋《さび》しそうな顔になった。
僕は動物好きではない。犬も猫《ねこ》も嫌《きら》いだ。しかし馬だけが例外になる。優美と力強さ。繊細と豪放。あの英国のロイヤル・ウェディングのとき、
「エリザベス女王の馬車の左側の先頭の馬が良い」
と叫んで女房《にようぼう》に笑われた。僕は馬ばかり見ていた。それに、馬糞《ばふん》もいい。丸くって温かくって肥料になる。牛の糞も肥料になるが、べちゃっとしていて見た目が悪い。あんな出来損いのハヤシライスみたいなものは厭《いや》だ。馬糞には上等なミソ饅頭《まんじゆう》という趣きがあるではないか。
馬が好き。それに大きな声では言えないが、博奕が好き。しかし、レースとか馬券とかいうことになると、良く言えば玄妙不可思議、悪く言えば、まるっきりアテにならないと考えている。
あるとき、二着でゴールインした小島太が、ゴールを過ぎてから、思いっきり鞭《むち》をいれた。そのわけを問うと、彼は次のように答えた。
「あれっ。先生よく見ているなあ。だって馬だもん、引っぱたいて教えてやんなきゃわからない」
だって馬だもん、というところに僕は同感する。僕が一レースに一万円、せいぜい奮発しても三万円までしか投資しないのはこのためである。
姫路で吉田勝彦さんに、どのくらい勝ったときに儲《もう》かったと思いますかと質問された。
「僕の場合、洋服一着分と考えています。ですから、二十万円から三十万円ということになりますね。だってねえ、五万円持って銀座の和光へ行ったとすると、買えるのは、せいぜいパジャマ一着ですよ。スリッパなら三足。これでは大勝利とは言えない。大阪のキタの高級酒場へ行ったとすると、二人でケチケチ飲んでも十万円。十万円あっても愉快に飲めない。二十万円なら、まあまあ安心。そんなところが目安です。しかし、吉田さん、たとえ五百円でも千円でも儲かれば、それも勝利だと考えています。さらに、五万円スッタとしても納得のいく馬券であれば、それでもいいんです」
僕の考えが正しいかどうかわからない。また、吉田さん自身がどう考えているかは聞き損った。諸君はなんと心得るや。
そんなことを考えているうちにタクシーが園田に到着した。酒井さんと吉田さんが抱きかかえるようにして迎えてくれた。管理事務所長の山本隆司さんも、温顔にして豪毅《ごうき》一徹の人柄《ひとがら》と見受けられた。
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[#地から2字上げ]―――――¥中洲《なかす》の秋[#「中洲の秋」はゴシック体]
第五競走。一時十五分発馬。アラブの四歳平地競走(賞金獲得額百七十四万円から百八十五万円まで。ずいぶん細かく区切ったものだ)。八枠のチキリダイコク(一番人気)で勝てそうだ。馬を見ると同枠のトキノシゲタカが良い。前三走がオール八着で人気薄だが、「体に柔らか味が出て、ようやく走れる状態。転きゅうして三走目、そろそろ」というトラックマンのコメントがある。ゾロ目は大好きだから、Gを二千円買った。
ここで、またまた恥を書くのだけれど、園田は大阪だと思っていたのである。尼崎市は大阪のはずれと思っていたが、なんぞはからん兵庫県だった。
Gの馬券をポケットにいれて便所へ行った。朝食をシッカリ食べること、しかる後、充分に排泄《はいせつ》することというのが必勝法である。便所の落書に、
「ボスが死んだ。再建に頑張《がんば》ろう。山口組」
というのがあった。なるほど兵庫県だ。手をよく洗った。伝染病が怖いから――。タオルは鞄《かばん》のなかにある。そのままの手で座席にもどると、第五競走がスタートした。
我|等《ら》の目に誤りがなく、トキノシゲタカが猛烈なダッシュで逃げまくった。乗り役の当間進は、中央で言えば中野渡精一であって、ガンガン行くほうのタイプである。これをチキリダイコクがマークして、ピンクピンクで飛びこんできた。配当三千七百二十円。夢ではないか。いきなり、二人とも七万円余のプラスになったのである。十万円の資金で七万円を失うとガックリくるが、七万円を得るときの心境は、はなはだリッチである。
スバル君が握手を求めてきた。べちゃっという握手。僕の手はびっしょり濡《ぬ》れたままだった。それを言う間もあらばこその出来事だった。熱く、かつヌラヌラの固き固き握手《シエイキハンド》だった。
三万円を両替してスポーツシャツの胸のポケットに収め、それを今日の資金と考えていたが、七万円は財布に仕舞った。セコイなあ。
第六レース。アラブ三歳特別。これに勢いを得て、六番人気の芦屋《アシヤ》武蔵《ムサシ》から荏原旋風《エバラセンプー》(断然の一番人気)で勝負。返し馬を見ると四百キロに満たない牝馬《ひんば》であるが、複利王《フクリオー》が良い。そのBDを買い足しに行こうと思ったが、
「勝とうと思っては駄目だ。その局面での正しいと思った手を指そう」
という芹沢八段の言葉がちらつくのである。
「いままで買い足して結果が良かったことがあるか。だいたい、複利王なんて定期預金みたいな名前の馬が買えるか。陰嚢王《フグリオー》ならいざ知らず」
そのレース、複利王が逃げ芦屋武蔵が追走、荏原旋風が迫る。しめた、もらった。十七倍で十七万円。今夜はキタで遊べる。と思ったのに、そのまま複利王がぎりぎり逃げ残ってしまう。配当は実に二万二千百二十円。この公営競馬めぐりで初めて万馬券が出たのである。それも単なるマンシュウではない。二千円買うつもりだったから、四十四万円。キタどころじゃない、宗右衛門町だった。
切歯扼腕《せつしやくわん》するが、内心、後悔はしていない。芦屋武蔵から荏原旋風の二、三着は納得のゆく馬券である(ト泣ク)。
そこへ、臥煙《がえん》君が来た。彼は甲子園球場へ行って早稲田実業と報徳学園の試合を見てきたのである。甲子園と園田は、ほんネキにある。
「どうだった?」
「まだ零々です。六回の裏まで見てきました。好試合でねえ。席を立つのにしのびないという感じでした」
「大輔は?」
「絶好調です」
「よし!」
守の早実、打の報徳だから、早実ペースの進行である。よしと言ったが、臥煙君は前に書いたように兵庫の人で、むろん報徳ビイキである。
園田競馬場の向うに見えるのが猪名川で、背後が藻川《もがわ》、すなわち中洲にあるのである。正面、猪名川の奥が伊丹《いたみ》で、大阪国際空港があり、ひっきりなしに大型機が離着陸する。見ていると、大型ジェット機というのは怪物である。風向きによって馬が影響を受けることがあるという。
「しかし、落ちないもんだねえ」
その四日後に台湾で大惨事があって唯《ただ》一人の女友達を失うことになろうとは知る由《よし》もなかった。
まだまだ暑い。
「でも、秋はもうそこまで来ていますねえ。そこはかとなく、しのび寄る秋を感じます」
と、臥煙君。映画説明か演歌の司会者かという口調で言った。
ここで、臥煙という渾名《あだな》の由来を説明すると、正確には辞書を引いてもらいたいが、火事があったとき、取りあえず何も持たずに真先に駈《か》けつける役目の江戸時代の火消しのことである。多くは勘当された不良少年で、色男で、なんともイキな感じがする。落語の火事息子というのは臥煙の話であり、僕は、自分でつけたこの渾名が気に入っている。この臥煙君は歌い役であって、風貌《ふうぼう》はフリオ・イグレシアスに似ている。
「そうです。積乱雲に力がない」
と、スバル君が言う。
「そうかな。これで今年の夏は終ってしまうのかな。……やあ臥煙|氏《うじ》、惜しいことをしたよ。第五レースのG、貴公がいれば絶対に取らせたのに」
この三人、姫路のGで大勝したことも前に書いた。
「いや、それより、宗右衛門町があったんですよ。この先生、芦屋から入って……」
「それを言うな」
そのとき、早実が四点をいれたという噂《うわさ》が流れた。パドックへ行くと、報徳が負けたという声が流れた。
席へ戻《もど》ると、隣の記者席から大歓声。同点延長になったという。そっちにはテレビがある。負けたと思った。こうなると東京人は弱いのである。
「えっ? 芳賀で?」
「いや、大輔続投です」
「それじゃ駄目だ。和田監督は何やってんだ」
そうは言っても、エースと心中しようとする監督の気持もわかるのである。
第九レース。摂津|盃《はい》。これはアラブの代表馬が集結した重賞レースである。コマツタイムは十二戦して十一勝、二着一回。ただし五十七キロのハンデ頭。連勝中のオシマセンプーを嫌い、コマツから六歳の除雪緑《ジヨセツグリン》と七歳の飯岡王《イイオカキング》へ二点。
「よし。コマツと心中だ」
隣室から、またしてもどっとあがる歓声。早実の敗北がそれでわかった。
スバル君は当間騎乗、十一番人気のマルノイチバンで勝負。
マルノイチバンが逃げまくり、追走のコマツタイムは直線で力尽きて四着。むろん、マルノイチバンもばてて九着。好位進出の除雪緑が一着、飯岡王が二着。負けるときはこんなもんだ。
「あれ、本当に中杉ユリ子かね」
「そうですよ」
「もっとポチャポチャッとしてたと思ったけれど」
ええ恰好《かつこう》で乗っとる、と後の席の老人が卑猥《ひわい》な感じで笑った。
「中杉さああん!」
誘導馬に声を掛ける客は、めったにはいないだろう。
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[#地から2字上げ]―――――¥ノミ屋逮捕さる[#「ノミ屋逮捕さる」はゴシック体]
「どうでしたか」
と、所長の山本隆司さんが言った。
「いきなり七万円取ったので、まずまずです。園田は怖いと思っていましたが、そうでもありませんね。南関東のほうが怖いです。特に船橋はいけない」
「今日、一人、ノミ屋を掴《つか》まえました。現行犯で、五百(五万円)いれてたそうです」
「客も?」
「客もショッピキました」
ノミ屋(暴力団)のほうの言いぶんは、一人も派遣しないとシマを失ったことになるので、一人二人があらわれるのは大目に見てもらいたいということらしい。これは理解できる。土地の親分が、もっと偉い人に叱《しか》られるのだろう。ところが、派遣された男は、それも商売だから、ついつい、客の袖《そで》を引く。
「一人や二人は可愛《かわい》いくらいのもんじゃないですか。南関東では、暴力団が指定席を買い占めてヤミ値で売るんです」
「うちは、指定が二千円だから大丈夫です」
これがよくわからない。関西の客は、二千円の指定席券を買うのはバカラシイと考えるようだ。まして関東のような、それを一万円で買うような客はいない。
「二千円。高いでしょう。高くしたのが成功でした」
この、二千円の指定席券と、指定席の冷暖房が園田の自慢であるらしい。
「一人や二人って言いますけれどね、ノミ屋を掴まえるっていうことは、そのまま売上げがあがるっていうことです」
「なるほど。お手柄でしたね」
ガンガン摘発してもらいたい。公営競馬は一般庶民のものである。
臥煙君の案内で土佐堀のスッポン料理の店へ行った。そこへ吉田勝彦さん、誘導馬ジョッキーの中杉ユリ子さん、楠戸昌子さんがあらわれた。
「やあ、本当に中杉さんだ。しかし、あなた痩《や》せましたね。スマートになった」
「五キロ痩せたんです」
「黒鹿毛《くろかげ》の五キロ減か」
「馬場は暑いんです。陽《ひ》に焼けるんです」
「パドックで?」
「いいえ。本馬場です。ダートの照り返しが凄《すご》いんです」
「姫路では芦毛《あしげ》だったのに」
スッポンの生き血で乾盃《かんぱい》。睡眠不足と空腹と美人が前にいるせいか、すぐに全身がカッとなる。普通はたじろぐスッポンの血を、すぐさまグッと飲むのは、中杉、楠戸の両人、やはりスポーツウーマンであるためだろう。
スバル君、臥煙君、吉田さんが冷酒、楠戸さんと私が燗酒《かんざけ》、中杉さんが水割り。
「冷酒本線で、お燗したのが対抗、ウイスキイを薄目におさえ馬券程度」
と、仲居に注文する。
「薄目? とんでもありません。濃い目で勝負です」
と言ったのは吉田さんである。
「今日ねえ、中杉さんの騎乗ぶりが良いって褒《ほ》めていた客がいましたよ。乗馬クラブでは上下動ですからね」
そう言ったら、中杉さん楠戸さんが笑いだした。楠戸さんの乗る馬は、ズブいところがあって動きが悪い。そこで前後動になる。
「もっと腰を使えや」
といったような野次が飛ぶらしい。中杉さんは美人だと思っていたが、楠戸さんの横顔が美しいのを発見した。奈良県人らしく、目鼻|唇《くちびる》が大きめで、長く垂らした髪がそれを引き立てる。だから、横顔がいい。
「そのままずっと横を向いていてください。吉田さんのほうを見ながら、そうそう……」
楠戸さんは、髪を垂らして帽子をかぶるが、中杉さんは、乗馬帽子のなかに髪をまるめてしまう。楠戸さんが上下動のたびに髪が揺れるのがとても可愛らしい。
「しかし、中杉さんもいいんです。耳が出るでしょう。彼女、金のイヤリングをしているんです。それがピカッと光りましてね。実に美しい。どうしても、放送のとき、それを言ってしまうんです」
例によって吉田さんが、浜村淳の映画説明の調子で言う。
「嬉《うれ》しいわ」
女性を褒めるのは、こんなふうにするものらしい。吉田さん一点獲得。
「今日の摂津盃のコマツタイム、気にいらないねえ。先行馬で五十七キロですから、いったんは先頭に立って見せ場を造らなけりゃ駄目だ」
ちょっと吉田さんにからんでみた。
「そうじゃないんです。この馬、十一勝して二着が一回、その二着のときは先手が取れずに負けたんですが、今日もマルノイチバンに先行されたでしょう。ですから放送のとき言ったでしょう。これでどうか、コマツは後手を踏んで勝てるかどうかって」
「そうかもしれないが、二周目の三コーナーで、先頭に立つようでなければ勝てない」
「そこが人気馬の辛《つら》さなんですねえ。石川昇騎手、こう考えたんです。人気を背負っているから、せめて二着を確保しよう。それがファンに応《こた》える道だ。ここは辛いが我慢しよう。石川騎手の辛い気持、察してやってください」
あくまでも、吉田さん、映画説明である。しかし、そうやって園田の乗り役を庇《かば》うという気持が僕には嬉しい。公営競馬の関係者はこうであってほしい。すっかり良い気持になってキタの酒場で大酒を飲むことになった。
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[#地から2字上げ]―――――¥大 逆 転[#「大 逆 転」はゴシック体]
その翌朝、新阪急ホテルのロビーに都鳥《みやこどり》君がやってきた。都鳥君は、パラオ君、臥煙君と同じく慎重社の人間である。彼は長唄《ながうた》の名手で、一時都鳥ばかり歌っていた。
「どうです、この勘の冴《さ》え。馬体を見る目」
初体面であるスバル君が最初に都鳥君を発見した。
「パドック診断、まかせた」
この日、第二レースで、連複二千二十円が的中。四万円のプラス。快調な滑り出し。場内に流れる音楽はマイ・フェア・レディであるが、※[#歌記号、unicode303d]運が良けりゃ、運が良けりゃ、と私は歌いっぱなしだった。
第四レースが終ったところで、スバル君が銭勘定をしている。
「おい、どうしたんだ。そんなに儲かったのか」
「そうじゃないんです。やられっぱなしで、帰りの新幹線の金だけは別にしておこうと思って」
「スッテンテン、か?」
「それに近い状態です」
ところが、スバル君は、第五レースのスーパーマーサー、アラブフジ(六百四十円)、第六レースのホクトテンザン、ミユキアロー(二千四百六十円)、第七レースのヤマノラインヒメ、グレートタロー(六百十円)、第八レースのホクトコウタロー、ミエタリヤート(四百八十円)、第九レースのタイセイサニー、トーエイダービー(二千三百五十円)をすべて的中させて天才ぶりを遺憾《いかん》なく発揮することとなった。このうちの半分ぐらいを臥煙君も取ったようで、
「ええ、もう、報徳は勝つわ、お銭《あし》は頂戴《ちようだい》するわで、こんな良いことはありません」
床にへたりこんで涙ぐんでいる。
「どのくらい儲けたの?」
「ええ、もう、わかんないんです」
火焔太鼓《かえんだいこ》みたいになっちゃっている。都鳥君一人、私は初心者ですからと平然としている。もっとも、臥煙君は姫路で五百六十円儲けて感動した男だから、どの程度の勝利であるのか。
「かあちゃんに何と報告したらいいか」
「泣くことはないじゃないか」
「優しく抱いて、良い気持にさせて、一緒にイカせる。競馬はこれです」
「なんだ、そりゃ」
「昨夜《ゆうべ》、吉田さんが言ってたじゃないですか。上手なジョッキーの心得です」
最終レースの馬が本馬場へ出てきた。
「な、な、な、中杉さあーん!」
「おい、落ちつけ、落ちつけ」
第二レース以後の僕は取られっぱなし。昨日の万馬券がチラチラしたのがいけない。それでも昨日の七万円、今日の四万円があるから損はない。
その日の僕は三段構えだった。第六レースのタケシバマサル。これはタケシバオーの娘でイナリトウザイとも親戚《しんせき》筋(結果は着外)。もうひとつは、第九レースのキヨヘリオス、唯一頭の逃げ馬。牡《おす》の七歳(結果は三着)。そうして、最終のマルトサンセイ。
このマルトサンセイ。まだ絞りきれずに三キロ増だが気配は悪くない。すなわち、単勝五千円。人気のチュウキュウホクトへ連複一万円。
マルトサンセイに騎乗する屋敷は減量騎手で、ベスト20にも名が出ていないのが悪材料だが、馬に惚《ほ》れた。
マルトサンセイが果敢に逃げたのが意外。チュウキュウホクトが逃げてマルトが差すという読みだった。逃げるマルトにアンタレスが執拗《しつよう》にからむ。スバル君は、アンタレスからチュウキュウへの大勝負。
マルトが頑張り、チュウキュウが差してくる。
「屋敷、我慢!」
ついに叫んでしまった。一万五千円ばかりで、はしたない。やったと思ったとき、スバル君が僕の馬券を引ったくって払戻《はらいもどし》場に向って駈《か》けていった。最終レースの払戻しは混雑するのである。
僕たちは、管理事務所で待っていた。
「どうでしたか?」
と、所長さん。
「充分に儲けさせていただきました。申しわけありません」
と、臥煙君が言う。僕が十万円、スバル君が二十万円。臥煙君の収得金額はわからないが、これは大勝利である。
「私ども、天引きで差しひいてありますから、関係ありません。あやまることはないんです」
「ああ、そうなんですか。園田に損をさせたと思って」
時雨《しぐ》るるや中洲に残る競馬場。色紙にそう書いて所長に献呈した。季節は違うが、僕の俳句は、時雨るるや、しかないのだから仕方がない。
スバル君が戻ってきた。サイダーで乾盃。
「報徳学園おめでとうございます」
「スバル君、臥煙君、大勝利、おめでとう」
都鳥七兵衛一人|憮然《ぶぜん》たる面持《おもも》ちだが、元来そういう顔なのかもしれない。
そこへ、中杉ユリ子さん、楠戸昌子さんが乗馬服でやってきた。
「どうかね、たこ梅を奢《おご》るけれど」
二人は顔を見あわせて、声をそろえて言った。
「ご遠慮させていただきまーす」
ピンクレディーみたいだった。
吉田アナウンサーが来た。
「大勝利ですって?」
「スバル君が高級オーダー洋服一着分。僕はズボンのみ」
「私たち、もう、これで逢《あ》えないんでしょうか」
「ねえ、吉田さん、いい加減にその映画説明みたいな喋《しやべ》り方、やめてくれませんか」
「でもねえ、夢のような二日間でした。昨夜、山口先生と肩をならべて、小ぬか雨降る御堂筋を歩いていたとき、本当に夢じゃないかと思いました。こんなことがあっていいのだろうか。こんな仕合わせが……」
「シラケルねえ。臥煙君は、このまま東京へ帰ります。都鳥君は、明日の朝早く雷鳥でもって富山へ行きます。スバル君と僕は、明日、甲子園で準決勝を見ます」
どういうわけか、塩辛トンボが一匹入ってきた。このトンボが競馬場いっぱいに群れ飛ぶとき園田に秋が来るのだろう。
「そうですか。ばらばらになる。泣いちゃあいけないんだ。笑って別れましょう。別れ別れになる門出なんですから」
吉田勝彦さん、演劇青年だと言っていたが、案外、剣劇のほうの出身であるのかもしれない。
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[#小見出し]7 萩《はぎ》すすき、上山《かみのやま》子守歌《ララバイ》
[#ここから8字下げ]
はるか前方に山形市。右には蔵王《ざおう》の連山が。
なかなか美しい競馬場だ。だが、どうも東北は苦手である。
将棋で五連敗。競馬で十二連敗。そのうえ火傷《やけど》まで……。
なるほど、勝つことはエラいことだと、しみじみ思う。
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[#地から2字上げ]―――――¥オデンにかぎる[#「オデンにかぎる」はゴシック体]
将棋の塚田正夫九段は、色紙を頼まれると、こう書いた。
「勝つことは偉いことだ」
この|偉い《ヽヽ》とは、偉大とか尊敬すべきことというのであるのか、それとも、関西弁のエライコッチャナア、つまり、大変だ、苦労がいる、並大抵ではないといった意味あいのいずれであるかを質《たず》ねたことがある。塚田九段は、
「それは、きみ、その両方だよ」
と答えた。勝負事をする人は、一見平凡なこの言葉の深い意味をよく理解することができると思う。
木村義雄、大山康晴、中原誠の三名人に、健康法を訊《き》いたことがある。この三名人は、すこしのためらいもなく、言下に同じ言葉で答えた。
「それは、勝つことです」
勝てば気分がよくなる。疲れない。この気分を維持したいがために勉強する。体調に気をつける。従って、また勝つ。ナルホドなあと僕《ぼく》は思った。このとき、同席していた大内延介八段がウウムと唸《うな》った。それからちょっと腐るなあ≠ニいう顔つきになった。
塚田正夫九段は、時に、こうも書いた。
「自信を持て!」
たとえば、ファッション・モデルはなぜ美しいかといえば、彼女たちは自分の容姿に自信を持っているからである。彼女たちは背筋をピンと伸ばす。顔をあげる。笑顔をたやさない。これは自信と誇りからきている。誇りを持て!
塚田先生は競馬ファンとしても有名だった。だから、勝つことは偉いことだ、というのは、競馬からもきているような気がする。
九月十八日、金曜日、午前十時。僕は上野駅十四番ホームに立っていた。そこへ、スバル君が、例によって、息せききってという感じで駈《か》け寄ってきた。これが、旅をするときの喜びのひとつである。同行者と、無事に待ちあわせ場所で会えるということは――。
今回は上山競馬へ行く。
むかし、福島競馬場へは何度も行った。そのとき、中央競馬のジョッキーたちが、休日(つまり月曜日)に上山へ行って温泉で休養し、かつ競馬場で馬券を楽しんでいることを知った。彼|等《ら》の馬券戦術は実に単純だ。予想紙の第一予想に一万円を投ずる。負ければ次のレースに二万円、それも取られれば、その次のレースに四万円。すなわち倍々戦術である。ルーレットの赤黒、丁半と似たような張り方をする。これも競馬というものがアテにならないことの証明になるだろう。専門家はそう思っているのである。むろん、馬がわかるから、パドックで見て調子のよさそうな馬の単勝で勝負することもやっていたらしいが――。
将棋の大内延介八段が一緒に行く。スバル君と僕との三人で、これを芋欽《イモキン》トリオと称することにした。もちろん、僕が山口良夫の良夫。僕は彼のファンである。よく見ると、歌っているときでも細かく演技している。そこが好きだ。将棋界随一の好人物であるところの大内八段が普通夫。大内さんは、勝負師には見えないような柔和な顔つきをしている。ただし、盤にむかえば別人の顔になる。原田泰夫八段言うところの怒濤流《どとうりゆう》。
その大内八段とスバル君はインド旅行を試みて親友の間柄《あいだがら》になった。あるとき、その大内八段が言った。
「スバルさんというのは、ちょっと見ると何だけれど、つきあってみると実に真面目《まじめ》な男なんですね」
僕もそう思う。天才スバル君には鋭い感じがある。従って、今回は悪夫。
大内八段の主催する将棋の大内会の最高幹部の一人が、上山温泉葉山館の社長である五十嵐航一さんである。大内会は年一回、この葉山館で総会を開き、将棋を指し、蔵王に登る。大内八段が、上山なら一緒に行こうと言いだしたのは、そういうことがあったからである。
九月十九日(土)、二十日(日)、二十一日(月)と三日間、ゆっくりと温泉に漬《つ》かり、競馬を楽しみ、夜は将棋の指導を受けるというのが当初のプランであった。しかし、二十一日が向田邦子さんの葬儀になった。僕は友人代表として弔辞を読まなければならない。そこで一日繰りあげることになった。すなわち、九月十八日に出発。この日、大内八段には王座戦準決勝という大事な対局があった。
天候のくずれやすい九月の半ばであったが、嬉《うれ》しいことに快晴。
「珍しく顔色がいいですね。健康そうです」
とスバル君が言った。三日間の旅行となると、僕のような売れない作家でも、前日はほとんど徹夜仕事になる。今回は、それがなかった。ただし、向田ショックが続いていて、アルコール漬けになってはいたのだが――。
食欲の秋というのは確かにその通りであって、体に力が漲《みなぎ》るのを感ずる。清涼の気配があって、トンボが群れ飛び、彼岸花が咲いている。萩と薄《すすき》。僕はアメリカやヨーロッパと日本の風景を分けるのは薄だと思っている。この薄に穂が出るときが、日本の風景のもっとも美しいシーズンではないか。そうして駅々にサルビアの赤。
食堂車で飲む。東北線はオデンにかぎると思っている。ビーフシチューは似あわない。もう少し経《た》てばカキフライも悪くない。仙台のカキは小粒だが上等だ。はたして日本食堂が仙台から仕入れているかどうかを知らないが――。上野駅十時集合だから、朝食は認《したた》めていない。すなわちカレーライス。
席に戻《もど》って、磁石の将棋盤でもってスバル君と戦う。第一戦、楽勝。私は主に窓外の秋を見ていた。いや、その第一戦は食堂車で戦ったのだった。ボーイが、あの人は将棋の先生なんですかとスバル君に言ったという。大いに気をよくする。
しかるに、第二、第三、第四戦と三連敗。スバル君の将棋は、思いっきりが良いのである。飛車でも角でも、どんどん切ってくる。戦前の花田長太郎の棋書を愛読していて、これは、万事につけてシャープなスバル君の性格に合っていると思われる。少し頭が痛くなった。彼は容赦せずに攻めこんでくる。悪夫だなあと思った。ただし、こういう人は進歩が早い。
上山は寒いところだと思っていた。福島の人は上山に避暑に行くのである。スバル君もチョッキを着こみ、自慢の革ジャンを携行している。それが少しも寒くない。それに、もっともっと田舎っぽいというか、山深いところだとも思っていた。車窓から見た瀟洒《しようしや》にして宏壮な、超一流ホテルのような建物が上山南小学校だと聞いて驚く。おそらく、小学校の設備としては日本一だろう。それは上山市で競馬を開催しているためだと思われる。
駅に五十嵐さんが迎えにきてくれていた。葉山館に着き、玄関で、五十嵐夫人がすぐにわかった。聞いてはいたが、大層な山形美人である。五十嵐さんが結婚して、夫人を大内会で紹介するとき、全員が、
「嘘《うそ》だろう」
と叫んだという。以後、これは何かの間違いだという考えが大内会で定着したそうだ。夫人に訊いてみると、私の知らないうちに話がどんどん進んでしまって……ということだった。僕も、何かの間違いだったと思いたい。
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[#地から2字上げ]―――――¥生きて帰れるか[#「生きて帰れるか」はゴシック体]
風呂《ふろ》に入り、疲れているので、酒を強《したた》かに飲んだ。東光という酒を頼んだ。以前に米沢で飲み、悪くないことを承知していたからである。五十嵐さんのお父様が地酒の寿《ことぶき》醸造元の御主人であることを後で知って恥をかいた。
夕食では芋煮《いもに》がよかった。東北地方で、この季節に川原で盛んに行われる芋煮会の芋煮である。いよいよ芋欽トリオだなと思った。
夕食の直前に、京都の陶芸家である竹中浩さんが来たのには驚いた。もっとも、これは大内八段が僕を驚かせようと思って仕組んだことであった。こういうときは、素直に驚いてあげないといけない。
その竹中浩作の白磁の盃《さかずき》でぐいぐい飲む。勢いがつく。五十嵐さんが、別室に対局の用意ができていると言った。
第一局、五十嵐さんが居飛車|穴熊《あなぐま》、通称イビアナ。序盤で僕に見落しがあり、手も足もでない。三十手ばかり指し、あとは、どこで投げようかということばかり考えていた。
五十嵐さんは、中央大学将棋部の全盛時代の部員であったという。大内八段は当時の同級生である。大内さんは部員になるわけにはいかないが、彼の指導があったはずだから強いわけだ。五十嵐さんは、強豪ぞろいの大内会で度々優勝しているという。それが初めにわかっていれば指すんじゃなかった。将棋必勝法は、自分より弱い相手を選ぶことである。
「もう一番ぐらい、いいでしょう」
五十嵐さんは、すでに駒《こま》を並べ終っている。こっちにも、いくらかは意地がある。袖《そで》飛車の奇襲戦法に出たが、これも通じない。大差で連敗。どうも、五十嵐さんは山形県代表ぐらいの実力の持主であるらしい。酷《ひど》い目にあった。
マッサージを頼んだ。色白で力のありそうな若い女性である。
「早く来すぎて、ごめん」
「…………」
「でも、私《わだす》、ちゃんと待っていたでしょう。将棋、どっちが勝った?」
「俺《おれ》の負けだ」
「(約束の時間より)早く来すぎても、ちゃんと待っていたでしょう。偉いでしょう」
「えらい、えらい」
「気持《つもつ》いいでしょう。これくらいの強さでいい?」
「ああ、ちょうどいい。いい気持だ」
「ほんとに気持いい?」
「ああ、ほんとに気持いい」
「気持いいと思うわ」
「あなた、幾歳《いくつ》?」
「昭和三十年生まれ」
「じゃあ、二十五、六歳というところか」
「二十六歳」
「旦那《だんな》さんがいるんだろう」
「あらいやだ。わだす、まン[#小さな「ン」]だ、処女《しよんじよ》ですよ」
あとは笑ってばかりいてオシマイ。
それからあと、どうにも眠れない。疲れている。酒を飲みすぎている。将棋で頭を使いすぎている。こういうとき、意外に眠れないことがある。ちょうど、小説を徹夜で書き、朝になって酒を飲み、これでよしと思って床に就いて眠れないことがあるのと同じである。頭に血がのぼってしまっているのである。えらいところへ来たと思った。浦和競馬へ行ったときみたいに、生きて帰れるかどうかと思った。ひとつには将棋を指すと水やお茶をがぶがぶ飲むのがいけない。五分おきぐらいに便所へ行く。四時になった。次に時計を見ると五時である。なんだか腹が立ってきて、大浴場へ行き、そのまま起きていることにした。出かけるときは絶好調であったのに。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥上山の子守歌[#「上山の子守歌」はゴシック体]
九月十九日、土曜日。上山競馬場。なかなかに美しい競馬場である。遥《はる》か前方に山形市。右に蔵王の連山。まだ雪になっていない。
五十嵐夫妻に竹中浩さんにスバル君に僕。
第一レースの一番人気、連複の二百五十円を取っただけで、あとは取られっぱなし。第二レースに二千六百九十円、第四レース五千三百五十円、第五レース六千二百七十円という僕好みの荒れ方をしているのに、まるでサワラない。それも逃げっきりばかりである。
水沢競馬を思いだした。どうも東北は苦手だなと思った。水沢のとき、気持が荒れてきて、万馬券ばかり狙《ねら》って大敗を喫した。そんな具合に、オッズと睨《にら》めっこが続いて、六百倍、七百倍というような大穴馬券ばかり買う。これは悪い傾向である。
結局、第一レース的中だけで九連敗。ただし、投資額は控え目にしたので、四万円程度のマイナスか。
内馬場に貸自転車があり、それを追いかけるようにしてトンボが群れ飛んでいる。トンボのやつ、空中で交合しながら飛翔《ひしよう》する。器用なもんだ。竹中浩さんは、途中から、夫人の案内で葡萄《ぶどう》園へ行った。
旅館に戻ると、すでに大内八段が到着していて、ひと風呂浴び、宵寝《よいね》をすませたとかで晴れ晴れしい顔つきになっていた。王座戦は得意の中飛車で快勝したという。
みんなで、もう一度入浴して夕食。
アケビの味噌煮《みそに》。アケビのなかに味噌やキノコ類を詰めこんでフライパンでいためたものらしい。これは皮を食べるものらしいが、僕は中身だけを食べてしまった。
「アケビの中に詰めるのはマツタケが一番です」
と五十嵐さんが言った。上山はマツタケの産地でもあるのだが、アケビとマツタケが合うというのは洒落《しやれ》でもあったようだ。
米沢《よねざわ》牛のステーキ。僕は松阪牛に較《くら》べて米沢のそれを軽く見ていたが、この夜の牛は味がよかった。スバル君が、帰りの土産を夫人に注文している。スバル君の二人の男の子は、肉が大好きであるという。
「固い馬券を百万円とか二百万円買うのはどうでしょうか」
と、五十嵐さんが物騒《ぶつそう》なことを言う。
「そういう思想は感心しません。上山でも、失敗して夜逃げした人がいると思いますが、そうなってくると危い」
「でも、単勝とか複勝なら……」
「上山で、単複で百万とか二百万とか買うと配当が零になりますよ」
五十嵐さんは固いことを言っていても、本質は、なかなかの勝負師であるようだ。
別室で将棋。五十嵐さんが櫓《やぐら》で大内八段に勝つ(角落)。強い、強い。スバル君が、その五十嵐さんを負かす(ただし二枚落)。僕は、もっぱら翌日のレース検討。将棋を指したいのはヤマヤマであるが、また眠れなくなったら大変だ。
「勝つことは偉いことだ」
勉強勉強と自分に言いきかせる。今回の忘れもの、天眼鏡。競馬は目に悪いということをご存じか。距離や走破時計の数字は、まことに小さい活字で組みこまれている。上山では千二百五十メートル、千三百三十メートル、千五百二十メートルという半端な距離があり、僕の視力では識別が困難になっている。そうして、馬場へ行けば、うんと遠くのほうを眺《なが》めなければならない。
九月二十日の競馬を、僕は三レースに絞った。第四レースの権太《ゴンタ》聖母《マリア》、逃げ一頭で展開有利、前走を逃げきっているが、能力試験で七頭立ての四着というのは悪い材料。
第七レースの勝春桜《カツハルザクラ》。ここは逃げ馬四頭で、追込み馬が展開有利というのがスバル君の読みであったが、僕はそうは思わない。勝春桜も逃げ馬であるが、持時計からして、この馬で先手が取れると思った。
これは相撲の場合であるが、同じ押し相撲であれば上位者が勝つと考えている。黒姫山と琴風が相撲を取れば、かなりの確率でもって琴風が勝つ。しかし、出羽花、蔵間、鷲羽山《わしうやま》ということになると、琴風が上位であっても、ちょっと怖いところがあると考える。
追込み馬のサンエイソロン、ホクトオウショウ、トドロキヒホウではサンエイソロンが勝つが逃げ馬のカツトップエースに負かされる場合がある。脚質が同じであれば、持時計、枠順《わくじゆん》などの有利な馬が勝つ率が多い。逃げ馬は先手が取れなければモロイ。従って、勝春桜が逃げられれば、他の逃げ馬のことは考えなくても良いという考え方をしている。
第九レース、月岡特別(千八百メートル)の英剛《ヒデツヨシ》。ここも、ワイルドモアの仔《こ》の野性力《ワイルドパワー》、セントクレスピンの仔の長旋風《ロングセンプウ》などの先行馬がいるが、好調の英剛で逃げられると見た。アラナスの仔だから距離が伸びたほうがいい。
第四レースの権太聖母、第七レースの勝春桜の単複で勝負。第九レースの英剛の場合は幻想的《フアンタステイツク》というバカ強い馬がいるので、連複のBE一点。これで勝負と思い、検討を終えた。九月十九日はスバル君の誕生日である。三十六歳。BEで祝ってやろうと思った。
大内八段が地下の酒場で待っているという。元気なんだ。「無法松」なんかを歌う。芸者らしい女が出てきて唱和する。モテルというのは、大内八段の発散する勢いのようなもののせいではあるまいか。竹中浩さんも歌う。こっちは、ちょっと女形《おやま》っぽい歌い方。僕は早々に退散する。スバル君は午前一時まで、大内さん竹中さんは三時まで飲んだり歌ったりしたようだ。
部屋に昨夜のマッサージが待っている。
「気持《つもつ》いいでしょう」
「ああ、気持がいい」
「夕方のお客さんねえ、下手なアンマにかかって、かえって凝《こ》っつまったんだって。それで、わだす、揉《も》みなおしに行ったの」
「…………」
「気持いい?」
「ああ、いい気持だ」
「本当?」
「ああ……」
「嬉しい。これで、どう?」
「ああ、痛い、痛い」
「気持いいはずなんだけんどなあ」
「ツモツいいよ」
マッサージの言葉を子守歌として、良夫は早く寝たのである。
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[#地から2字上げ]―――――¥泣きっ面《つら》に蜂《はち》[#「泣きっ面に蜂」はゴシック体]
九月二十日も快晴だった。竹中浩さんは一人で蔵王へ行った。五十嵐夫妻は幼稚園の運動会。
第一レースから第三レースまで取られっぱなし。これで昨日から十二連敗。
将棋で五連敗。競馬で十二連敗。そのうえ、部屋に備えつけの魔法瓶《まほうびん》で火傷《やけど》する。押すだけでいいというのを、傾けたら、左手に熱湯を浴びてしまった。そこへ蜂が入ってきた。なんとかという牛をもたおすという凄《すご》い蜂だそうだ。このうえ蜂に刺されたら泣きっ面に蜂だ。懸命に追い払う。酷いところへ来てしまった。もう東北はゴメンだと思った。
大内八段は、もっぱら馬体を見て単勝式で勝負。第二レースのプリンボーイの千三十円的中が特に見事だった。
昨日と違って、逃げ馬は、みな潰《つぶ》れている。昨日のことで騎手が無理な先行争いをするからいけないというのが、スバル君の見解。
上山競馬の入場人員は、多いときで七千人。少いと四千人。平均五千人というところか。例の女性騎手ばかりのレディス・カップでは一万一千人の入場だというから、これは新記録だろう。
内馬場に、コンクールに出品された案山子《かかし》が展示されている。のんびりしたものだ。
第四レースは権太聖母が快勝。これ、買っていない。馬が淋《さび》しく見えたからである。こういうとき、目をつぶって検討通りに買うものか、自分の目を信ずべきか、いまだによくわからない。ともかく、単複の千円ずつでも投資すべきであったと後悔する。
第五レース、第六レース。単勝で買った馬が二着。連複が一着三着、二着三着というレースが続いた。こういうときは、なんだか当っているような気分になるものである。
「半ヅキなのがいけない」
どうやら、スバル君もそんな調子であったようだ。
十四連敗。
第七レース。狙いの勝春桜が、やはり淋しく見える。遠目の利《き》くスバル君に馬体重を読んでもらうと、はたして十三キロ減。前走から二週間しか経《た》っていないのに十三キロ減とはどういうことか。前々走は五キロ減である。僕は逃げ馬の場合の体重減は嫌《きら》ってみたいタチである。そのかわり十キロ増ぐらいなら好材料と見る。この十三キロ減は夏負けの疲労だと読んだ。こうなると、乗り役の中鉢という減量騎手も悪材料に見えてくる。
腐ってしまい闘志を失った。そこで勝春桜から一枠のアラナスタイセン、二枠のアタックドウター、三枠のサクラギンオーへ、@E、AE、BEと千円ずつ。昨夜は、勝春桜の単勝一万円、もしくは単複五千円ずつというつもりであったのに。
結果は、同じ逃げ馬のオシマナオキを先きへやらしておいて、二番手から差してくるという中鉢の落ちついた好騎乗で楽勝。そこへサクラギンオーが追込んで、BEで二千五百八十円という、まずまずの好配当。
単勝八百五十円、複勝四百七十円と発表されて切歯扼腕《せつしやくわん》する。連複でもって、今日のぶんはプラスになったが、こういうのは、あまり嬉しくない。好配当になったのは、僕と同じように大幅の体重減を嫌った人が多かったせいだろう。
頂戴《ちようだい》した弁当を食べることにする。昨日と同じように、米沢牛の牛丼《ぎゆうどん》が美味《うま》い。食べているうちに第八レースが発走した。すなわち、立って喰《く》いながら観戦する。
僕が単勝を買ったビンゴザック(五枠)が二着、ロングバード(四枠)が一着。ドウカングリム(一枠)が三着。これまた@C、@Dと買っていたのだから、よくよくツキが悪い。
僕の頬《ほお》に飯粒が飛んできた。
「ようし!」
と大内八段が、牛丼を食べながら叫んだためである。彼はCDと買っていたのだ。
「@Cなら、ふとかったのに」
それは僕も同じ思いだった。
いよいよ、メインの月岡特別。ここは、もう、英剛《ヒデツヨシ》から幻想的《フアンタステイツク》のBE一点と決めてあった。連複一万円。
長旋風《ロングセンプウ》、野性力《ワイルドパワー》、|YM大関《ワイエムオオゼキ》、英剛《ヒデツヨシ》が先行する。それを、三コーナーで、幻想的《フアンタステイツク》が立木を薙《な》ぎ倒すようにして抜き去る。
「強いなあ」
競馬ファンなら、ご承知だろう。これらは、すべて中央から降りてきた馬である。それにしても、中央で一勝しただけの幻想的《フアンタステイツク》はこんなに強い馬だったろうか。(中央から来た馬は、強弱と無関係に、どこか垢《あか》抜けて見えるから不思議だ)
英剛《ヒデツヨシ》は余裕のある逃げだと思っていたのに、伸びてこない。やっぱり九歳馬は駄目《だめ》かと、あきらめる。
むろん、余裕たっぷりで幻想的《フアンタステイツク》が目の前のゴール板を通過した。二番手は長旋風《ロングセンプウ》、このEFで決まったかと思われたとき、粘《ねば》っこく追走していた英剛がちょいと鼻だけ突っこんできたように見えた。
長い長い写真判定。英剛がハナ差で長旋風を退けたのは奇蹟《きせき》としか言いようがない。
「バンザイ!」
と叫んだが、スバル君がEFを買っているのを知っているから、気持は晴れない。
「山口さんの終盤の寄せは鋭いですね」
「有難《ありがと》う。怒濤流です」
そうは言っても、権太《ゴンタ》聖母《マリア》と勝春桜《カツハルザクラ》の単を逃がしたのが心残りである。
「勝つことは偉いことだ」
と、しみじみと思う。
「いや、競馬では、損をしないことは偉いことだ。そう思うことにしよう」
自分を慰める。そうなのだ。あそこで英剛《ヒデツヨシ》がちょいと鼻を出したのは奇蹟なのだ。それでヨシとすべきなのである。
大内八段は最終レースも的中させてニコニコ笑っている。スバル君は大内さんの馬券を持って払戻《はらいもどし》場へ駈《か》けてゆく。
骨董《こつとう》屋へ寄ってもらって、千円の片口《かたくち》を買う。旅館へ戻ると、五十嵐夫人が、申しわけなさそうな顔でスバル君に言った。
「日曜日なので肉屋さんがお休みなんです。気がつかなくて、すみません」
「いや、いいんです。実は、肉を買う金が無いんです」
スバル君はさばさばとしている。浦和以来の大敗であったという。
「ああそうだ。肉は米沢で買おう。あっちのほうが本場だ。私が走って買ってくるよ。少し儲かったから」
大内八段は優しい人である。
「だけどねえ、大内さん。一分とか二分の停車で肉屋まで行けますかね」
「ああ、そうか」
みんな、言うこと為《す》ることがチグハグである。
「じゃあ、私が銀座を奢《おご》ります。上野駅十時半着でしょう。まだやっていますよ。まにあいます。月岡特別はラッキーだったんだから、そのぶん、はきだします」
大内さんが、僕の顔を哀れむようにしてみた。
「今日は日曜日ですよ。銀座の酒場、やっていますかね」
「…………(ギャフン!)」
竹中浩さんは上山駅で待っていた。
「どうでした、蔵王は」
「いやあ、寒くて寒くて……。競馬場のほうはどうでした?」
「あったかかったですよ」
「だけど、みんな寒そうな顔をしているじゃないですか」
「わけがあるんですよ」
勧進元のスバル君がからっけつでは意気あがらない。
「よろしい。食堂車で大宴会をやろう。オデンで……」
なんだか、ヤケクソみたいだった。
「ねえ、スバルさん。交通公社の職員というのは食堂車のツケがきかないもんかね」
「さあ、やってやれないことはないと思いますが……」
「冗談、冗談。そのくらいの金はある。しかし、いっぺんやってみたいもんだねえ。食堂車でさあ、まとめて暮に払うからって言ったら良い気分だろうねえ」
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[#地から2字上げ]―――――¥公営競馬の馬券戦術[#「公営競馬の馬券戦術」はゴシック体]
今回で七回目、競馬場にして、十二箇所である。中間報告の意味で、公営競馬の馬券戦術についての僕の考えを整理してみよう。
この程度のキャリアで馬券戦術だ何だというのは、おこがましいかもしれない。しかし、僕が、この日はコレで勝負だと言うときは、ほぼ七十パーセントの確率で的中しているはずである。このことはスバル君が証明してくれると思う。
必勝法とは言わない。もともと、そんなものは無いのだ。公営競馬の楽しみ方というように受け取ってもらいたい。
@馬を見て買う[#「@馬を見て買う」はゴシック体]
よく、俺たち素人《しろうと》には馬の良し悪《あ》しなんかわかるはずがない、だから馬なんか見たって仕方がない、と言う人がいる。それはその通りである。しかし、それなら、そういう人たちに、なぜ競馬をやるのかと反問したい。ルーレットでもトランプでも麻雀《マージヤン》でもいいじゃないか。血統だ展開だ出目だと言う人は、場外馬券を買い、電話で馬券を申しこめばいい。ただし、僕は、そういうものは競馬ではないと思っている。僕が、北海道や九州の果てまで出かけてゆこうとしているのは、このためである。自分の目で馬を見るのでなければ競馬ではない。だから、近頃《ちかごろ》流行の会員制による電話予想で馬券を買うやり方は、僕は競馬ではないと思っている。金儲《かねもう》けだけなら、別のことをやったほうがいい。
公営競馬はランクが細かく分れているので、実力差が接近している。どの馬にも勝つチャンスがある。従って、予想紙はアテにならない。馬を見て買う、これが正しいのである。
では、馬のどこを見て買うのか。何に注目するのか。偉そうなことを言ってしまったが、僕には何もわかっていない。また、人それぞれ、見方が違うと思う。
僕は、さあ、何と言うか、充実感と言ったらいいだろうか、馬全体に漲《みなぎ》るところの張りとか緊張度といったものに注目する。そういう感じは、素人にもわかるはずだと思っている。
返し馬より、パドックを重視したい。騎手が乗ると、どの馬もよく見えてしまうという傾向がある。充実感は、裸馬のほうが、よく感じとれるものである。返し馬では、キビキビした感じを大切にする。ノッソリと走っている馬は、まず駄目だ。
実力差が接近していると書いたが、公営では、どうにもならない馬が出走してくる場合が多い。これに騙《だま》されてはいけない。
好不調の波を掴《つか》むこと。公営競馬のトラックマンなんて好《い》い加減なもんだろうと思ってはいけない。断じてそんなことはない。だから、予想紙でのトラックマンのコメントを重視する。
A先行有利[#「A先行有利」はゴシック体]
公営競馬は、すべて小|廻《まわ》りの馬場で行われる。逃げ馬買うべしと断言してもいい。
中央でも、小廻りで直線の短い福島競馬で増沢騎手が好成績をあげるのは有名だが、増沢は、三コーナーで仕掛けて、直線に入る前に先頭に立つか、悪くとも二、三番手につけるという騎乗法で成功している。それがやれる馬でなければ勝てない。
追込み馬は軽視するか、初めから嫌ってしまったほうがいい。
ただし、調子のいい馬は先行できると思ったほうがいい。乗り役も同じことで、強気でガンガン行くタイプの騎手に狙いをつけるべきである。言うまでもないことだが、先行馬のほうがマギレが少く、アクシデントに見舞われる率が少いということもある。
B穴っぽく買うこと[#「B穴っぽく買うこと」はゴシック体]
すでにして実力差がわずかなのであるから、配当の良いほうを買わなくては損だ。公営では、一番人気と二番人気の馬で一、二着して、連複一番人気、配当で二百五十円から三百円というレースは、一日のうちに一回か、せいぜい二回までと思って間違いがない。この点で、思いっきりが肝腎《かんじん》だということが言えると思う。
C必ず単複を買う[#「C必ず単複を買う」はゴシック体]
穴っぽく狙った馬は、必ず単複の馬券も買うこと。連複だから、二着までに入着すればいいと思って、バラバラ流して買うのは得策ではない。単複というのは、ムダな馬券を買わないですむということにも通ずる。公営では単複の売上げが少いので、かたよったりして意外な好配当になることがある。九月二十日に、僕が狙った勝春桜《カツハルザクラ》は、単勝八百五十円、複勝四百七十円の配当になった。連複で四百七十円の馬券を取るのに苦労するぐらいなら、この馬の複勝式は、非常に楽に取れるはずだった。
だから、狙った馬がいたら、連複の売場へ並ぶ前に、たとえ千円ずつでも、単複を買ってしまうべきだ。もしかしたら、これは必勝法になると言ってもいいかもしれないと思っている。第一に、連複で馬券を取るよりも、単複で取ったほうが気持がいいのである。
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[#小見出し]8 福山皐月賞《ふくやまさつきしよう》、都鳥君奮戦記《みやこどりくんふんせんき》
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人気薄ノ逃ゲ馬買ウベシ、情報信ズベシ信ズベカラズ。
新幹線の車中は、初心者都鳥君への講義|篇《へん》。
鞆《とも》へも行かず、城も見ず、馬場へ直行の実戦篇。
その成果たるや、アレヨ、アレヨと……。
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[#地から2字上げ]―――――¥逢《お》うて嬉《うれ》しき[#「逢うて嬉しき」はゴシック体]
四月二十四日、土曜日、仏滅。午前七時三十分。
僕《ぼく》は東京駅新幹線十五番線ホームに立っていた。これから、八時二十四分発ひかり131号に乗車して福山に行こうとしているのである。
発車まで、まだ一時間ばかりある。僕が人と待ちあわせるとき、早く着きすぎるか遅れるかのどっちかであって、丁度良いということがない。この日、一時間前に到着したのは上出来のほうであって、どうかすると二時間も前に着いてしまう。
僕が待っているのは都鳥君とスバル君である。五年前、都鳥君と旅をしたとき、金沢東の廓《くるわ》、京都|祇園《ぎおん》町で彼が長唄《ながうた》(吉住流)の「都鳥」を歌って大好評を博した。もっとも、歌えるのは「都鳥」だけだったらしい。それで、本名は別にあるのだが、都鳥君になった。
僕は、十五番線のホームに立って、都鳥君とスバル君の首が見えるのをイマカイマカと思って、エスカレーターのほうを凝視しているのである。
毎日新聞連載中の渡辺淳一「ひとひらの雪」で、伊織が霞《かすみ》を待っている気持はこんなものかと思った。伊織には妻子があり霞は人妻なのだから、そんなことをしちゃいけない。僕のほうは清純そのものである。
新幹線のエスカレーターというのは、とても長い。ホームが高いところにある。そこから昇ってくる人は、やや緊張ぎみで突っ張っている。たいていは新調のレインコートなんか着て、コートのほうも突っぱらかっている。両手に荷物の人など直立不動の姿勢で、わずかに横揺れしながら、首、胸、腹、足という順にあらわれる。まるで運ばれている菊人形かマネキンのようだ。
糖尿病の頻尿《ひんによう》だから、一時間はとても保《も》たない。便所は階下にある。そこで用を済ませてから僕もまた菊人形になった。さも、いま着きましたという顔つきでエスカレーターに乗ったのだが、都鳥君もスバル君も、まだ来ていない。
そのうちに、ひかり131号がホームに進入してきた。これは有難《ありがた》い。車中のほうが暖いし椅子《いす》も楽だ。
「ヤッ」
と言って都鳥君が隣の座席に坐《すわ》った。背後の扉《とびら》から入ってきたようだ。
その都鳥君が、十分後に ※[#歌記号、unicode303d]逢うて嬉しきあれ見やしゃんせ と歌った。そっちを見ると、窓の向うにスバル君の顔がある。体を斜めにして、「ニッ」と笑った。こんなふうに伊織が霞に逢えたら、さぞ嬉しかろう。都鳥君とスバル君は、二人とも三十六歳。僕より二十歳も若い。僕はこの二人を愛しちゃったらしい。どうも僕には隠れた素質があるようだ。
「朝、起きたら七時半なんです」
と、スバル君。大胆なものだ。僕なんか五時起きして出掛けてきたというのに。
その時刻、家から駅までの道に人がいなかった。時折、自転車に乗った少年が追い越していったりする。あたりの空気はミルク色であって、アーリー・モーニングだなあと思ったものである。
我|等《ら》三名は、福山競馬場へ行こうとしているのである。みんなニコニコしている。どうして公営競馬場へ行くのがそんなに嬉しいのか。これは未《いま》だに解けぬ謎《なぞ》である。僕は府中競馬場が開催しているときは土曜日曜とも出掛けてゆくのであるが、こんなふうにワクワクして嬉々《きき》として家を出ることはない。ダービー当日でも、かなり憂鬱《ゆううつ》な気分で出掛けることになる。また、それが南関東のような近い所でも、誰《だれ》を誘っても、喜んで来てくれる。公営の競馬場へ行くときは、不思議に罪悪感がない。川崎へ行くのはいいけれど、府中や中山へ行くのは駄目《だめ》だという細君もいるそうだ。なぜだろうか。
「旅に出るからでしょう」
と言う人もいる。それだけじゃない。僕は鬱陶しい思いで旅行することがある。
「解放感があるからでしょう」
それはあるかもしれない。
僕は公営競馬にはインチメイトな感じがあるからだと思っている。中央競馬会の人たちは、役人あがりが多く、それこそ突っ張らかっている。かなり威張っている。そこへゆくと、わが公営競馬は、同じように県庁や市役所の出向社員が多いのに、ようこそいらっしゃいましたという感じで迎えてくれる。
いま、公営競馬は(中央もそうだが)落ち目なのである。入場人員も売上げも、前年比二割減、三割減というのが続いている。歓迎されるのはそのためでもある。特に若い人たちは、ゴルフだディスコだドライブだで、競馬には見向きもしない。
それと、もうひとつ、僕にとっては目の前で返し馬をやってくれるのが有難い。だいたい、頸《くび》をぐっと下げてヒタムキに走っている馬はレースになっても好走する。そこへゆくと中央競馬では、向う正面の見えないところで返し馬をする。騎手同士で樹《き》の陰で話しあったりしている。とても感じが悪い。どうも僕は公営競馬のほうも愛しはじめちゃったらしい。好きです! 愛しています!
都鳥君は初心者である。言い忘れたが、担当者がスバル君から都鳥君に変ったのである。園田競馬で馬券を買ったことがあるが、ビギナーだと言ってもいい。今回、スバル君が同行したのはそのためである。車中および宿舎で、ゆっくりと講義することになっている。福山を選んだのもそのためだ。東京駅から新幹線で一本。余分なことに神経を使わずに、勉強に専念してもらいたいという配慮があった。
僕等は食堂車へ行った。僕は禁酒している。食餌《しよくじ》療法も続けていて、理研の無塩|醤油《しようゆ》なんかも携行している。すなわち、騎手のことを乗り役と称する|※[#「口+頻」、unicode56ac]《ひそ》みに傚《なら》うならば、都鳥君は飲み役であり、スバル君は食べ役である。
「競馬というのは強い馬が勝つんです」
と、僕が言った。都鳥君は当り前じゃないですかという顔をした。
「強い馬が勝つ。これが鉄則です。競馬というギャンブルは強い馬を探すことなんです。……ところが、強い馬でも負けることがあります。それが競馬です。いま中央競馬で一番強い馬はモンテプリンスです。しかし、モンテプリンスは、皐月賞、ダービー、菊花賞と、大きいところは勝てなかったんです」
「人気薄の逃げ馬買うべし。穴になります」
いきなり高級なことを言ったのはスバル君である。都鳥君はメモ用紙に、人気薄ノ逃ゲ馬買ウベシ、と書いた。
「なぜならば、実力的に劣る馬が逃げると、いつかは潰《つぶ》れると思って誰も追いかけないんです。アレヨアレヨと思っているうちにゴールです。大穴をあけるのは、いつでも逃げ馬です。それに、逃げ馬は、砂をかぶるとか、挟《はさ》まれるとかのアクシデントに遇《あ》わないですみます」
都鳥君が、アレヨアレヨ、と書いた。
僕「競馬は強い馬が勝つ。それと、競馬は持時計です。千六百メートルの最高時計が基準になります。公営では千四百メートル、もしくは千二百五十メートルでしょう。これがその馬のスピードであり、瞬発力です。馬は自分の能力以上には走れないんです。しかし、どんなに調子が悪くても、自分の能力の範囲で走ることがあります。いかに長距離血統であっても、千六百メートルの持時計が優秀でない馬は駄目です。千六で一分三十五秒台、悪くても三十六秒台の時計がなければ勝てません。モンテプリンスしかり、カツラノハイセイコしかり。つまり、スピードがあり、内臓が丈夫で長距離に耐え、勝負根性がある馬、この三点が揃《そろ》っているのが強い馬です」
都鳥君は、競馬ハ持時計、と書いた。
僕「プロ野球の名監督三原|脩《おさむ》にそう言ったとき、彼は、それじゃ競馬はツマラナイネと言いました。百メートルを九秒で走る選手と十秒で走る選手とが競走したら、九秒で走る選手が勝つにきまっている。どうしてそんなものが面白《おもしろ》いんですかって、こうなんです。ところが、サラブレッドには調子の波があります。サラブレッドの管理は難しいんです。それに展開があります。騎手の駆け引きですね。さらに重《おも》の巧拙。重が下手《へた》と言ったって、雨が一滴でも体にかかったら走らないという馬もいるんです。だから面白い」
都鳥君「その調子を見極めるにはどうすればいいんですか」
スバル君「パドックで馬を見ればわかります。気合のいい馬、毛艶《けづや》のいい馬。これは買いです。汗ビッショリで、塩のかたまりで白くなっている馬、馬体重減で腹のまきあがっている馬、焦《い》れこんで暴れている馬、これは駄目です。特に胸前と尻《しり》ですね。これが立派なのがいい」
都「尻《ケツ》を見るのは得意です」
僕「穴人気買うべからず」
ス「情報信ずべし信ずべからず」
僕「無事|是《これ》名馬。いずれも菊池寛先生の名言です」
都鳥君は混乱してきたようだ。元気がなくなり、どうでもいいやという顔付きになった。ただし、酒だけはグイグイ飲む。
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[#地から2字上げ]―――――¥大 歓 迎[#「大 歓 迎」はゴシック体]
僕は福山には縁がある。僕の家のお向いのイマちゃん(今城国忠先生。日本|彫塑《ちようそ》会の重鎮)は、福山市に近い府中市の出身である。そういう関係で、僕が福山へ行くのは、これで四度目になる。
あるとき、福山競馬場へ遊びにいった。そのときアラブの(福山競馬はアラブばかりであるが)奥方《マダム》勝利《シヨウリ》という牝馬《ひんば》の単勝を買った。この競馬場は四コーナーが見にくいという難があるが、直線で、どこから来たのか奥方勝利が猛然とインを突き砂を蹴立《けた》てて差しきったときの愉快といったらなかった。
「奥方ってのは怖いね。どこでも」
同行したドスト氏が言って、僕等は家に帰るのが厭《いや》になったという思い出がある。
福山駅。瀬戸内海新聞(月一回発行)社主の佐藤正文氏が出迎えにきておられる。この方、赤尾敏とスマイリー小原を足して二で割ったような容貌《ようぼう》で、凄味《すごみ》があり、こういう人と一緒なら安心だ。挨拶《あいさつ》もそこそこに売店で競馬新聞を買う。『福山エース』。
駅前に、福山市競馬事務局長、橋本孝一氏の配慮でワゴン車が迎えにきてくれている。すぐに新聞を見る。姫路へ行ったとき、誰も目の前の姫路城を見ようとはしなかった。格言にいわく「鹿《しか》を逐《お》う猟師は山を見ず。馬を追う馬券師は城を見ず」。福山も城下町であるが、僕はお城へ行ったことがない。
最初に競馬新聞を見るのは、試験のとき、勉強しないで教室へ行って答案用紙をひろげたようなものである。何がなんだかわからない。ゾーッとする感じもある。
「このね、トラックマンのコメントが大事です。よく地方競馬のトラックマンを軽蔑《けいべつ》する人がいますが、そんなもんじゃありませんよ。彼等も真剣です。命がけです」
スバル君が言った。僕も、まったく同感である。
「競馬は強い馬が勝つ。だから、この馬で勝てると思ったら、必ず単勝を買ってください。穴っぽいところから入るときは単複を買うこと」
くどいようだけれど念を押した。
「そうですね。単勝を買うっていうことは無駄な馬券を買わないですむってことですからね」
都鳥君、だいぶわかってきた。
警備員の人、とても親切。
「遠い所から、よくいらっしゃいました」
「景気はどうですか」
「日本鋼管がね、どうも、あんな調子ですから」
このへんが中央競馬とは違う。中央では、まず疑いの目で見る。それに、大学の柔道部崩れといったような屈強な男が多い。この日の入場人員五千七百四十八人。売上げ二億二千四百十三万九千七百円。前年比で千七、八百人は少いという。ただし、このごろの福山市民は、なんでも日本鋼管のセイにする傾向がある。盛り場に人が出ないのは鋼管が悪い。競馬へ来ても、川崎で鍛えているから当り馬券を皆持ってっちまう。鋼管が悪い。広島カープが弱いのも鋼管のセイだ。
事務局長の橋本孝一氏。とても感じのいい人。当りのやわらかい好人物。
第六レース。三人とも飛込自殺。第七レース、全員即死。
第八レース。
「六番の馬は痔《じ》が悪いよ。痔の悪い馬なんて買っちゃ駄目だよ」
と叫んでいる人がいる。煮染《にし》めたような手拭《てぬぐ》いで鉢巻《はちまき》。小柄《こがら》で鳶職《とびしよく》スタイル。酔っているようだが、ふだんでもこんな感じの人かもしれない。六番の馬、七キロ減の大輪力《ダイリンチカラ》。名前からしても、いかにも痔が悪そうだ。
「痔の悪いの好きです。尻《ケツ》の形は悪くない」
この馬が二着になったが、都鳥君は相手を間違えたようだ。スバル君も浮かない顔。
「情報信ずべし、信ずべからず、か」
「しでえところへ来ちゃったな」
「まあ、そう言うな」
三人とも坊主だった。
グランドホテルで休んでいると、教育委員会文化課の小林実氏が迎えにきてくれる。イマちゃんの夫人の従弟《いとこ》である。松永のタカノリも一緒。タカノリはイマちゃんの弟子である。
五人で府中のコバヤシ(料亭)へ行った。このコバヤシはイマちゃんの従弟であって、小林氏とは関係がない。
「おい、必ず鯛《たい》が出るよ」
「はい」
「その鯛を美味《うま》いと言っちゃいけない。福山へ来て鯛を褒《ほ》めちゃいけない」
「…………」
「なぜかというと、東京の人間は、こんな程度の鯛で喜んでやがらって言う。僕等が帰ってから必ず言う。そういう土地柄なんだ」
福山には、河豚《ふぐ》か牡蠣《かき》のシーズンに来る予定だったが、日程の都合でそうはいかなくなった。
コバヤシで、やっぱり鯛の刺身と骨蒸し。僕は猪口《ちよこ》で一杯だけ飲んだ。この猪口が大ぶりで、ちょっと酔った。
二次会は諏訪《すわ》という酒場。マダムのおタカさんは出雲美人。スキーで転んで松葉杖《まつばづえ》。
「良馬は躓《つまず》かず、良妻は不平を鳴らさず、か」
佐藤正文氏、弟の白バラ製菓社長佐藤靖雄氏、税理士の岡田康先生、今井画廊専務の今井宏誌氏などが待っている。その他の人は名前がわからない。主にイマちゃんの後援会のメムバーである。そこへ僕等五人が加わった。
「せっかく山口先生が東京からお出《い》でて、二泊三日もするのに、鞆《とも》へも行かず城も見ず、明王院へ行かず松永の下駄をも見ず、怪シカラン!」
演説を打《ぶ》つ人がいる。がいして広島県人は声が大きい。
「まあまあ、まあ」
「一時半にお着きになるのに、私以外は誰もお出迎えに来ん。怪シカラン!」
芸術論を打つ人もいる。
「この陶芸家はだね、桃山文化の造型を否定して……」
「競馬は夢とロマンじゃ。有馬記念で勝ったトウメイが天皇賞のテンメイを産む。これ、夢とロマンなり」
「まあまあ……」
「槌《つち》ツァ」と「九郎治ツァン」は喧嘩《けんか》して僕は用語について煩悶《はんもん》すること、という状態になった。とにかく喧《やかま》しくって仕方がない。井伏鱒二《いぶせますじ》先生は、福山市民は人間の出来が甘いと言われるそうだ。
「山口先生は、酒を飲まず何も食べず話をせず、じっと我慢しておられる。しかるにお前等はなんだ。怪シカラン!」
「あなたが一番うるさい」
スバル君が近づいてきた。
「ダサイなあ」
「…………」
「しでえ所へ来ちゃった。私、明日、自信がない」
「まあ、そう言うな。ところで、さっきの鯛、美味かったなあ」
「ああ、あれおいしかった。でも、私には蝦蛄《しやこ》のほうが美味かった」
瀬戸内は蝦蛄の季節になっている。
「そう。でっぷりとしていて、身が緊《しま》っていて、やわらかい」
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[#地から2字上げ]―――――¥都鳥君、奮迅《ふんじん》の活躍[#「都鳥君、奮迅の活躍」はゴシック体]
ホテルへ帰って僕は勉強。都鳥君とスバル君も勉強。もっとも、この二人は、自動販売機のビールやウイスキイを飲みながら研究したらしい。
東京から福山へ向う途中、福山に近づくに従って薄紫のミツバツツジと蓮華草《れんげそう》が多くなった。紫色の花は何月に多いか。僕は菫《すみれ》とか藤《ふじ》のことを考えて、五月に多いと思っていた。ところが、それは間違いで、八月に紫色の花が多いのだそうだ。花は、桃色から、夏になるに従って紫色になるという。やがては土留《どどめ》色になってゆく。人間の女だって同じことだ。
鯉幟《こいのぼり》もそうだった。広島に近づくにつれて多くなる。梶山季之と二人で旅行したとき、僕は、藁葺《わらぶき》屋根とか中国地方の瓦《かわら》に鯉幟がよく似あうと思って眺《なが》めていた。しばらくして梶山が言った。
「ヒトミちゃん、あの瓦、一枚なんぼぐらいするやろ」
さすがに社会派の作家は、目のつけどころが違うと思った。
その夜は、田のなかの蓮華草を思いながら眠った。
四月二十五日、日曜日。
都鳥君が素晴らしい当りを示した。
第一レース。ミスライトエースの単、的中(配当百九十円)。連複@A、的中(配当四百二十円)。
第二レース。セフトライトの単、的中(配当二百四十円)。
第三レース。連複AE、的中(配当千五百三十円)。これはスバル君も一万円投入している。すなわち十五万三千円。
「おい、十万円だけ蔵《しま》っちまいなさいよ」
「はい、そうします」
第四レース。連複BG、的中(配当千九百六十円)。
第五レース。ハイフリーレンの単、的中(配当百七十円)。連複EF、的中(配当五百七十円)。
第六レース。アジヤダイドウの単、的中(配当百七十円)。連複BD、的中(配当四百六十円)。
つまり、第一レースから第六レースまで、すべて的中したのである。
「競馬って面白《おもしろ》いだろう」
「でも忙しいです。パドックを見て、返し馬を見て、レースを見て、払戻《はらいもど》しでしょう。単勝の払戻しのおばさんに睨《にら》まれました。また来たの? って。単勝は人数が少いですから目立つんです」
さすがに、第七、第八レースははずした。その第八レースが僕の狙《ねら》いだった。誉栄乱《ホマレエイラン》でまず勝てる。相手は桃色《ピンク》心理学者《フロイド》の息子の精神分析《フロイド》武蔵《ムサシ》。これは朝のコーヒーパーラーで僕が強調した馬だ。稽古《けいこ》がいい。『福山エース』の新谷トラックマンの「力量は上位で狙い目十分」というコメントがある。この『福山エース』という新聞が良い。『キンキ』『競馬界』など四紙のなかでは穴狙いなのだそうだが、よく当っていた。
思ったように綺麗《きれい》に決まって、連複千六百五十円。ところが、僕、これを二千円しか買っていない。このへんが僕の駄目《だめ》なところだ。セコイのである。それでも三万三千円の収入で、これで損はない。
いよいよ、メインの第九レース。「桜花賞トライアル特別―A1」である。桜花賞トライアルとなっているが、なぜか九歳の牡《おす》が二頭も出ている。八歳が四頭。
このレース、無印(八番人気)の藤良政《フジヨシマサ》が逃げ、実力馬の勝利《ウイン》希望《ホープ》(三番人気)が追走する。人気の白馬《ハクバ》英雄《ヒーロー》(一番人気)が迫るが届きそうにない。ゴール前、やっと、勝利希望が差しきった。向う正面、藤良政が楽に逃げ、あれよあれよという感じになり、第三コーナーで、どうやら@Eの馬券は決定したように見えた。
直線に出て、
「こりゃ駄目だ。@Eできまったようだ」
僕は白馬英雄からのBEで勝負している。スバル君もそうだったと思う。
「@Eなら、ぼく、持ってます」
都鳥君が言った。
「えっ!?」
僕とスバル君が同時に叫んだ。
「万馬券だぜ」
「いや、単なるマンシュウじゃないかもしれない」
都鳥君は、わかっているのかわかっていないのか平然としている。案外、人間としても奥が深いのかもしれない。――あとで少し震えていましたと語ったのであるが。
六番一番の順でゴールインした。白馬英雄は二馬身差三着。二頭で圧勝だった。僕は@Eのほうを応援した。僕とスバル君とで公営競馬を何箇場も歩き、万馬券を獲《と》ることを念願にしていた。それを、ビギナーの都鳥君が、いとも易々《やすやす》と為し遂げたのである。
@Eの配当は一万八百三十円だった。
「単勝も持っています」
その配当は五百円である。
「ねえ、都鳥さん、@Eの根拠は?」
スバル君の顔が引き攣《つ》っていて、掠《かす》れ声になっちまっている。
「競馬は強い馬が勝ちます」
都鳥君が重々しい声で言った。
「勝利希望は二十戦して十七勝、二着が三回。強い馬です。しかも五歳の牡です。返し馬もツル頸《くび》で悪くない。では、なぜ人気がないかというと、六十一キロを背負っているからです。それに五カ月の休み明け。中間の稽古量も少く、動きも悪い。しかし、強い馬は強い。レースになったら走ります。強い馬は斤量なんか克服します。それに背負っているから先行するという馬券的妙味あり」
「それはわかっています。僕等も勝利希望から勝負しているんだ。問題は藤良政だよ。その根拠を聞かせてください」
「それはですね……」
都鳥君は落ちつき払っている。
「それは乗り役の小嶺です。ケツを見ろと言ったじゃないですか」
「あなた、乗り役の尻を見ていたんですか」
「良い尻をしていました。それに顔が可愛らしい。趣味と実益です」
「…………」
「それは冗談ですが、小嶺は昨年度のリーディング・ジョッキーです。新幹線岡山駅で買ったスポーツ新聞に出ていました。顔も良い。二十三歳です」
「そこで涎《よだれ》を垂らすなよ」
「ご両人は昨日の朝、何と言いましたか。競馬は強い馬が勝つ。それから、人気薄の逃げ馬買うべしって言ったじゃないですか。アレヨアレヨです。だから、小嶺君の尻を見て、|あれ《ヽヽ》よと思いました。@Eはやさしい馬券です」
都鳥君、図太くて奥が深いようであるが、意外に素直な一面があるようだ。姫路の競馬で五百六十円|儲《もう》けて涙ぐんでいた臥煙《がえん》君なら、どうなるだろう。
「腰が抜けるな。坐《すわ》り小便だ」
「しかしねえ、藤良政は前走八頭立ての八着、前々走七着、前々々走十頭立ての十着ですよ」
スバル君、まだ口惜《くや》しがっている。
公営競馬場は、たいていは河川敷にある。福山競馬場の向うは芦田《あしだ》川。その芦田川堤も背後の彦山も緑が濃くなろうとしている。僕は芦田川が好きだ。ゆったりとしている。井伏先生は、山口《ヤアチ》君、芦田川を遡《さかのぼ》るととても良いよと仰言《おつしや》ったことがある。なんだか競馬なんかやっていて申し訳ないような気分になる。
※[#歌記号、unicode303d]幾代かここに芦田川(隅田川《すみだがわ》)
都鳥君が呂《りよ》のきいた声で歌った。吉住流はいいなあ。
「おいおい。こりゃ駄目だ。住みつく気だよ」
「それより、ねえ、都鳥さん、教《おせ》えて。ねえ教えてよ」
スバル君が情ない声を出した。第十レースの馬が出てきた。都鳥君は、その第十レースも的中させた。アキノレックスの単勝(配当百八十円)。実に十レース中の万馬券を含むところの八レースが的中。
「競馬ってとっても良いもんですね。福山ってとっても良い所ですね」
「勝手にしろ」
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[#地から2字上げ]―――――¥都鳥君は狂人か[#「都鳥君は狂人か」はゴシック体]
その夜は、福島という小料理屋に全員集合、昨夜のメムバーに、松永承天寺の住職、小林実氏の夫人、今井画廊社長の今井正氏、産婦人科医院長の鍋島光雄先生、なんとかという活花《いけばな》の女の先生が加わった。橋本事務局長も来られた。
食べ役であるところのスバル君は蝦蛄を三十匹以上は食べたはずである。
「なにしろ、万馬券を特券で買いなさるんだから、東京の人は」
「的中率八割です」
「やあ、打ちよった打ちよった、水谷が打ちよった」
広島カープの熱烈なファンがいて、そうでなくても喧《かしま》しいのに、ラジオをがんがん鳴らす。
「水谷が打ちよった。一点リードじゃ」
これを一人一人の耳もとで呶鳴《どな》るのである。
「桃山時代の窯変《ようへん》と造型は……」
「こんどはガードナーが打ちよった。二対|零《ゼロ》じゃ」
「山口先生を出迎えに出るのが一人もおらん。怪シカラン」
「達川のホームランじゃ。三対零じゃ」
「わかりましたよ。静かにしてください」
「わしは広島に勝たせたいんじゃない。ここで広島が負けたら、セ・リーグが面白うのうなる。あ、山本浩二が打ちよった。四対零じゃ」
「ラジオはこっちにも聞こえていますよ」
「また水谷が打ちよった。二本目じゃ、スリーランじゃ。七対零。もう勝った。ばんざい」
「うるさいなあ」
「こらえてつかぁさい」
そこへ色紙が運ばれてきた。これは有難《ありがた》かった。僕は、それに専念した。
十一時にホテルへ帰る。勉強。都鳥君とスバル君は夜の町へ出掛けた。夜の十レースをやったというのだから大変だ。二十年の齢《とし》の差を感じないではいられない。
四月二十六日、月曜日、朝。スバル君を福山駅へ送りに行った。早く帰さないといけない。
「やりてえなあ」
スバル君は、心残りであったようだ。後姿でそれがわかる。その前に、
「都鳥さん。競馬って、いつも儲かるもんじゃないですよ。そのうちスッテンテンになりますから」
という捨て科白《ぜりふ》を残していた。
午前十一時、橋本事務局長は、もう来ていた。毎日八時半には出勤するという。
「桜花賞というのは、いつあるんです」
「五月九日です。桜も何も散っちまって恥ずかしいんです」
「今日は、いよいよ皐月《さつき》賞ですね」
「こっちのほうは四月でね、ファンの方に文句を言われるんです」
ここで『福山エース』を見て吃驚《びつくり》仰天した。厩舎《きゆうしや》情報欄に僕の名前が出ている。
「作家山口|瞳《ひとみ》さんが福山競馬を取材のため来福中である(中略)小説新潮に『公営競馬シリーズ』連載の第一回目として、福山が登場の予定だが、凋落《ちようらく》の一途もまた止《や》むを得ない有り様なのか或《ある》いは又、身近かな人にはキャッチできなかった福山特有の面白さがあるものなのか、粋人の目に、心に映った『福山競馬』の有りようを、今から楽しみにしている次第。そしてこの遠来の客に、東京までの長い長いオケラ街道だけは歩かせてはならないと、切に念じているんですが……。
さて、デイリースポーツ社から四年連続してリーディング・トレイナー賞を受ける東森実師『(皐月賞の)マツノタケか? 万全と言っておこうか。特に長丁場は死角がないし、東京の偉い先生にも、この馬の強さをシッカリと観《み》ていただけて光栄だよ』と外交辞令も忘れないあたり、余裕のなせるワザだろう。
宮岡騎手は『公営シリーズ≠フ第一回目の取材にぶつかったのも何かの縁かも知れませんね。福山の騎手は下手だ≠ネんて書かれないよう、冷静に勝ってみせます』と頼もしく胸を張る」
こう書かれちゃ買わないわけにはいかないじゃないですか。
第一レース。冷酷《フリント》歓喜《ジヨイ》から高友光《タカトモヒカリ》へ。的中(配当四千四百五十円)。この高友光は無印。馬を見て変更したもの。公営競馬では賞金獲得額によって細かく分類されているので能力差がない。だから、馬を見て良しと思ったら買い足すのが必勝法と言えるのではないか。都鳥君は冷酷歓喜の単勝(配当二百八十円)。すなわち、共に咲く喜び。熱き握手《シエーキハンド》。
「祇園《ぎおん》はまかせてくれ」
僕たちは京都に一泊する予定。
「都鳥君。あなたは駈《か》けずり廻《まわ》るのが大脳生理学上よろしいのではないか。第二レースの馬券を買いに行ってくれないか。ついでに馬体重も見てきてください。しかし、昨夜の今日だから疲れているんじゃないか。そうだったら、いつでも言ってください。交替しますから」
「大丈夫です」
都鳥君の目が輝いている。若さだなあ。
第二レース。マリマスチカラはプラス十キロですが二人|曳《び》きですなんていう報告が入ってくる。都鳥君、だいぶわかってきた。
美男《ビナン》希望《ホープ》から北斗勇《ホクトイサム》へ。的中(配当四百六十円)。都鳥君も的中。彼は単勝も(配当百三十円)。
「そうだ、そうだ。百三十円でも単勝を取るのは立派なんだよ」
ここまでは快調だった。福山名士の一人がお見えになった。酒場でだけでなく、昼間っから声の大きい人だ。
「警備員にいちいち咎《とが》められて、うるさい所ですね。昔はスッと入れた」
「そりゃそうですよ。億以上の金を扱っているところなんですから」
「あの1250という数字は何ですか。時間ですか。いま、十二時十分だ。間違っとる。怪シカラン」
「あれは千二百五十メートル競走という距離を示しているんです」
「ああ、そうか。その右の数字は何ですか。なんかゴチャゴチャした」
「配当です。オッズと言います。@Aなら八十五倍になります。千円で八万五千円です」
「なんですか、もうわかっているんですか、売上げが」
「いま売れているんです。ですから刻々と数字が変るでしょう」
「なるほど」
「場内アナウンスがあるときは黙っていてくれませんか。いま騎手変更の知らせがあったんです。ああ、わからなくなっちゃった」
「やあ、失敬」
この温厚篤実《おんこうとくじつ》の福山名士に対して失礼かと思ったが、こっちは商売だ。
第三レース。都鳥君も僕も失敗。
第四レース。
都鳥君の才能が遺憾《いかん》なく発揮されたのは、この時だった。
青年《ギヤルソン》赤坊《ベビー》から荒鷲《イーグル》巨人《タイタン》へ。この連複の配当が九千二百八十円。
「だって、荒鷲巨人は半年休養後の二戦目で、マイナス八キロは好材料だっておっしゃったじゃないですか。お稽古《けいこ》を熱心にやった証拠だって」
「それは言ったけれど、青年赤坊は? 四カ月の休養あけでマイナス十八キロだぜ」
「八キロ減が好材料なら十八キロ減はもっと良いでしょう。それと先行馬の荒鷲巨人から追込みで薄目の青年赤坊へと逆に洒落《しやれ》てみたんです。ギャルソンときたら逃がしません」
「こっちはギャフンだ」
「それに、A―x、B―y方式というのを教えてもらったでしょう」
わからないときはA(人気馬)からxyz(人気薄)へ流せと言ったのだ。
「しかし、惜しかったな、万馬券にならなくて。九千二百八十円だ」
「だけど、単勝も持っているんです」
「えっ!?」
福山名士はお帰りになっていて、今井画廊の今井宏誌氏、そこで個展を開いている備前の陶芸家の石野泰造氏が来ている。僕とあわせて三人が大声をあげた。
「青年赤坊の単勝は千三百十円だ。あわせて一万五百九十円か。ううん、こりゃ万馬券だ」
いったい、どういう男なんだ、都鳥君は。僕は、払戻場で十万円を受取るときの感触を心のなかで味わっていた。あれは良い気分のものだ。都鳥君は、三百円とか五百円という半端な買い方をしない。いつでも千円券一枚ずつ。
「その十万円は財布にいれてください」
「はい」
僕はスバル君に言ったのと同じことを言った。僕の顔も引き攣《つ》っていたと思う。
「両先生のおかげです」
スバル君は競馬では天才スバル。パラオ君は名人パラオ。都鳥君は何だろうか。狂人都鳥か?
第五レース、失敗。第六レース、都鳥君の天空《スカイ》最上《ベスト》の単勝のみ的中(配当二百九十円)。第七レース、失敗。第八レース、都鳥君のミラクルローレンの単勝のみ的中(配当六百三十円)。
第九レース、福山皐月賞、特別A―2。
五連勝の松竹《マツノタケ》が負けた。リーディング四位の宮岡騎手には申しわけないが、向う正面で追いだすタイミングが少し早かったようだ。東京の偉い先生に良いところを見せようと思って焦《あせ》ったのだとしたら、詫《わ》びなければならない。このレースで勝ったナドラリンボーの単勝が五千九十円だから、いかに松竹の支持率が高かったかがわかると思う。
都鳥君も言っていたが、小嶺騎手の騎乗ぶりには感心した。第一に当りがやわらかい。第二にペース判断が良い。第三に積極果敢なレースぶりに好感を抱いた。福山競馬では、新聞は『福山エース』、騎手は小嶺だ。
第十レースは見送って、一目散に福山駅へ。逃げることはないのだが、都鳥君は十九戦して十三勝、的中率六割八分強。競馬新聞の予想屋に引き抜かれたら大変だ。すでに警備員の間では評判になっていたのだ。
京都祇園、旅館「二鶴」の深夜。都鳥君の部屋の灯《ひ》が洩《も》れている。出張旅費の計算でもしているかと思って唐紙の隙間《すきま》から覗《のぞ》くと、彼、ハズレ馬券を出して調べている。むろん大儲けなのだ。
「一枚、二枚……三枚」
数えながらニタッと笑っている。その灯が行燈《あんどん》であったなら、油を舐《な》めるんじゃないかと思われた。気持が悪い。やっぱり狂人か。
※[#歌記号、unicode303d]結びつといつ 乱れ逢《お》うたる夜もすがら
早やきぬぎぬの鐘の声
次回は佐賀。都鳥君の憑《つ》きがどこまで続くかを報告します。
[#改ページ]
[#小見出し]9 佐賀競馬場《さがけいばじよう》のゲッテンツウたち
[#ここから8字下げ]
紫蘇《しそ》アンパンを買うつもりが、胡麻《ごま》アンパンを買ってしまった。
何か不吉な予感がした。
案の定、スタンドは「ダンジャナカ!」だったが
馬券は「きつか! ゲッテンツウじゃ」
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥月に吠《ほ》える[#「月に吠える」はゴシック体]
五月二十日、東京駅|八重洲《やえす》口、銀の鈴、午後三時。この銀の鈴というのは、天井から本当に銀色の鈴が吊《つ》りさがっていて、下に数脚のベンチが置いてある。それなら待合所とか何とか呼べばいいのに、銀の鈴だ。例の「みどりの窓口」と同じことで、それも特等券発売所とすればわかりやすいんだが……。
その銀の鈴で、音羽のN君を待っていた。久しぶりで短篇《たんぺん》小説を書き、気になる箇所があるのでゲラ刷を持ってきてもらうのである。その前に、時間の余裕があったので、銀座の木村屋総本店でアンパンを買った。紫蘇アンパンを買うつもりで胡麻アンパンを買ってしまった。何か不吉な予感がした。だいたい、木村屋には中年女性が群がっていて、そのなかに割って入って自分の希望するものを買うのは困難なのである。
待合室の客は目付が悪い。荷物を盗《と》られまいと警戒するから鋭い目付になる。「あわせて四囲を警戒し……」という歩哨《ほしよう》の任務みたいな顔になっているから、こっちも、いよいよ警戒する。僕《ぼく》がそういう目で見るから、
「エヘン!」
向い側の爺《じい》さんも意味なく鞄《かばん》の位置を変えたりする。盗ろうとは思わないが、その鞄の中身を見てみたいという欲望はあるのである。ホテルの備品の歯|刷子《ブラシ》、石鹸《せつけん》、剃刀《かみそり》。総入歯安定剤のポリグリップS、洗浄剤のポリデント。下着類。……なんかではあるまいか。いや、これに双眼鏡と蛍光《けいこう》ペンを加えれば僕の荷物になってしまう。
音羽のN君があらわれて、二階のアート・コーヒーへ行った。駅の喫茶店の客というのが、用事があるのかないのか、どいつもこいつも胡散《うさん》臭い顔つきでスポーツ新聞なんか読んでいる。そこで僕も校正。意味なく天井を見上げたりして怪しい男の一員になる。
約二十分で校正が終った。
僕は、四時四十五分発、はやぶさ、|青い流星《ブルー・トレイン》、個室寝台でもって鳥栖《とす》へ向うのである。
どうして、こう早く着いてしまうのか。まだ三時半だ。鳥栖はトスであるが、トリスとも訓《よ》める。戦時中に、サントリーが工場|疎開《そかい》をするとき鳥栖も候補地のひとつだったが、臼杵《うすき》に決定した。いまでも工場がある。臼杵だってウイスキイに似ている。酒のメーカーは縁起を担《かつ》ぐのである。
今回は都鳥《みやこどり》君と二人だけの旅である。
「お気をつけあそばせ」
と、銀座の酒場のマダムが言った。都鳥君、夜中の十二時を過ぎると人格が変るという。どう変るかというと「月に吠える」のだそうだ。吠えながら男に抱きつく。頬《ほお》ずりをする。接吻《せつぷん》する。親愛の情の表現であるが、酔っぱらって友人の顔を舐《な》める男を他《ほか》にも知っている。「月に吠える狼男《おおかみおとこ》」という渾名《あだな》がある。酒場のなかからでは月が見えないので、天井のスポット・ライトに向って吠えるという。
|青い流星《ブルー・トレイン》が入ってきた。寝台特急というのは早目に来るのかもしれない。どうかすると発車する前に寝こんでしまう客がいる。寝台車の切符を買ったんだから寝なきゃ損だと思っているのかもしれない。
個室寝台だからいいようなものの、貞操の危機を感ずる。都鳥君が来た。見送りの臥煙《がえん》君と徳Q君も一緒だった。
「いま、何か言っていませんでしたか」
「何も言っていない」
「貞操の危機だとかなんとか」
「いや、大層《てえそう》な利《き》きだと言ったんだ。利きというのは気働きのことだ。わざわざ見送りにきてくれるなんて――。何か持ってきてくれたのかな」
「何も持ってこなかったようです」
以前にも|青い流星《ブルー・トレイン》に乗ったことがある。そのときは、音羽の福チャンと矢来のパラオ君が見送りにきてくれた。福チャンが幕の内やらウナギ弁当やら、ツマミの「旅の友」やら、食べものをシコタマ買いこんだ。その弁当の上にワンカップ大関と缶《かん》ビールをのせ、顎《あご》でおさえて走ってきた。
「おい、きみ、こら!」
何が気にいらなかったのか、パラオ君が福チャンを呶鳴《どな》りつけてしまった。パラオ君は、福チャンのことを、自分の会社の新入社員だと思ってしまったのだという。威厳を示したつもりなのである。
見知らぬ男に呶鳴られて、福チャン、ハッと思った。その瞬間に顎がはずれた。ワンカップ大関が派手な音を立てて破《わ》れた。
「ほら、きみ、駄目じゃないか」
「いいです。もう一度、買いに行きます」
そんなことがあったので、こんどは、何も買ってこないでくれと言ってあったのである。|青い流星《ブルー・トレイン》には食堂車がついている。前回は、弁当を車掌に差しあげることになった。「くれぐれもお気をつけになって……」
と、臥煙君が都鳥君と僕の顔を交互に意味ありげに見て言った。不吉な予感がする。やっぱり、紫蘇アンパンでなく胡麻アンパンを買ったのがいけなかったか。
「だいじょうぶです。私には福チャンという人がいますから」
都鳥君と福チャンとは大親友なのである。相思相愛という噂《うわさ》がある。夜の酒場において――。二人とも、色白でプクプクふとっていて、同じような体つきをしている。太股《ふともも》なんかムッチリしている。僕は都鳥君の貞操堅固なることを信用することにした。だいじょうぶだろう、たぶん。月に吠えるようなことはないだろう。
前回、ブルー・トレインに乗ったときは、車中で飲みはじめて、寝台に横になったが、とうとう一睡もできなかった。広島を過ぎて、瀬戸内海に銀の盆のような月が出ていると思ったら、それは太陽であって、つまり夜が明けてしまった。どこかの駅に着いて(小郡か)、窓のカーテンをあけたら、通勤の鞄を持った男が目の前に立っていた。こっちは赤い目をしている。あれは変なものだった。
そういう苦い経験があった。いま僕は禁酒している。早寝早起になっていて、こんどは眠れるのではないか。それが楽しみであり、大いに期待もしていたのである。
食堂車で酒を猪口《ちよこ》に二杯飲んだ。都鳥君はウイスキイを飲んだ。
「僕の部屋で飲まないか。遠慮はいらないよ」
都鳥君はポケット・ウイスキイを用意している。
「ぜんぶ飲んだって、それだけじゃないか」
「ええ、でも、昨日やっちゃったもんですから。お稽古《けいこ》(調教)が強過ぎました」
彼、寝間着に着換えてやってきた。
「じゃあ、名古屋駅まで」
「そうだな。大阪駅は深夜になるから、名古屋なんてのが限度だな」
名古屋駅を過ぎて、都鳥君、まだ飲んでいる。
「少し残っているじゃないか。空《あ》けちまいなさいよ。荷物が軽くなる」
「ええ、でも、氷がないんです」
そこへ車内販売の売り子がワゴンを押して通りかかった。むかし、進駐軍《しんちゆうぐん》の兵隊が持っていた薄荷飴《はつかあめ》みたいな赤い縦縞《たてじま》のシャツを着ている。寝台車では売り子は男なのである。都鳥君がチクワを買い、氷を頼んだ。
「氷なんか持ってきてくれるかね。しかし、ちょっと良い男だったな」
「持ってきますよ。自信あります」
都鳥君、ニタッと笑った。僕は、なるべく、薄荷飴のほうに関心がゆくように仕向ける。
「スバル君は何か言っていたかね」
「人気薄の逃げ馬買うべしと言ってました」
「ローカルではそれが鉄則だな。必勝法はそれしかない」
福山競馬場で都鳥君は大当りを示した。いつかスッテンテンになるよと言いながら、スバル君は、しかし、あのツキは、あと三回ぐらい続くかもしれない、と、つけ加えた。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥だんじゃなか![#「だんじゃなか!」はゴシック体]
僕、また、大きな勘違いをしていた。佐賀競馬場は佐賀市にあると思いこんでいた。それならば、僕の父方の故郷である藤津郡塩田町久間冬野に近い。そこにマタ従弟《いとこ》の山口良平が住んでいる。良平の家に泊って競馬場に通えばいいと思っていた。
しかるに、佐賀競馬場は鳥栖市にあったのである。佐賀市から鳥栖市に移って十年になるという。この鳥栖市と塩田町とは、佐賀県の東と西の端にある。そうとわかっていれば鳥栖市に宿を取ったはずである。
定刻、午前九時四十八分、|青い流星《ブルー・トレイン》は鳥栖駅に到着した。
そこからタクシーで十五分。
まず佐賀競馬場の偉容に驚く。駐車場は、八千から一万台の駐車が可能であるという。その建物の優雅なること、中洲《なかす》産業大学か徳州会病院かという感じ。日本一のスタンドだと言うが、本当にそうだ。
佐賀競馬開催執務委員長の飯盛《いざかり》英敏氏は荒船清十郎に似た磊落《らいらく》な人物。
「ずっとお天気続きですか」
この日も快晴だった。僕がそう言ったのは馬場状態を知りたかったからである。地方競馬はすべてダートで、快晴続きであると砂が深くなって時計がかかるのである。
「ずっと雨が降りません」
「それは結構ですね」
「それが困るんです。天気だと客が来ない」
「ははあ、わかりました。スピード競馬が楽しめないからですね」
「違います。土方が……」
いきなり、土方だ。この土方がという言葉にド胆を抜かれた。
「土方が、晴れていると来てくれないんです。午前中に雨がドッサリ降ると、満員になります。それと農家の人ですね。雨が降らなきゃ来てくれない。しかも、雨だと久留米競輪が中止になる」
筑紫野も白石平野も米ドコロである。そういうことかと感心した。競輪のほうの一人あたりの一日平均売上げが四万五千円。競馬は三万五千円だそうだ。
「新聞は何が売れていますか」
「『九州スポーツ』の記者は熱心ですね。専門紙では『日本一』と『通信社』です。場立ちの予想屋ではキングに人気があるようですね」
「乗り役さんは?」
「騎手では的場信弘。大井競馬の的場の兄さんです。大垣敏夫は佐々木竹見の弟子です。上川薫は去年のリーディング・ジョッキーで、二十三歳。岩本正清は追込んだら九州一です。穴をだします」
地方競馬は小廻《こまわ》りでカーブが多いから、騎手の巧拙がモノを言う。それに乗り鞍《くら》が多いから、上手な人はどんどん上手になる。騎手で馬券を買うという人が多いのだ。
「では、トッカンに御案内します」
トッカンというのは特別観覧室のことだった。委員長室、事務局長室の立派なことに驚いたが、特別観覧室も豪華だった。とても府中競馬場の比ではない。日本一だ。
一周が千百メートル、右廻り。福山は千メートルだったから、それより少し広い。競馬好きの友人にその話をすると、じゃあ府中のパドックぐらいかねと言われた。そんなことはない。もうちょっと広い。
いままでに見た地方競馬場で環境の良いのは旭川競馬場だった。それに旭川は食べものがうまい。これに次ぐのが、この佐賀競馬場である。スタンドは、だんぜん日本一だ。
内馬場のサツキはまだ咲いていない。これも雨が降らないせいだという。ここへ来るまで満開の桐《きり》の花を見た。クローバーとバラ。それにケシの花。
第一レース、飛込自殺。第二レース、事故死。第三レース、一家心中。第四レース、心臓|麻痺《まひ》。第五レース、焼死。勉強していないんだから仕方がない。第六、第七、第八レースも当らない。僕は穴の岩本から入るのだけれど、追込みが決まらない。
三時発走の第八レースの直前に場内アナウンスがあった。入場門で待っている人がいるという。ここまで来て自分の名を聞くのは妙な気がする。待っているのはマタ従弟の山口良平であるに違いない。迎えにきてくれたのだ。良平の父は山口正雄であり、私の父の名も山口正雄である。二人の正雄は従弟同士である。佐賀の正雄の父の孫七は、私の父の正雄の父の安太郎の兄である。だから、良平のことを本家と称している。ただし、良平は長男ではない。
その第八レースも外れた。
「どげんなたあ?(ドンナ調子デスカ?)」
「おりゃゲッテンツウじゃ(私ハ駄目ダ。下ノ下ダ)。ほんなこつ、ゆうなかった(ゼンゼン駄目デスヨ)」
「そぎゃん言わいな(ソンナコト言ワナイデ!)」
ゲッテンツウというのは最下等というほどの意味であるらしい。良平は、どの家に行っても家の中を見廻す癖がある。見廻して木口を調べるのである。湯布院の亀《かめ》ノ井別荘に泊ったとき、彼、悲しそうに、これに較《くら》べると自分の家の柱なんかはゲッテンツウだと叫んだことがある。語源を知らない。『全国方言辞典』にも出ていない。僕、ひそかに、外道《げどう》の訛《なま》ったものではないかと推理している。あるいは怪顛《けでん》(驚きあきれること)からきているのかもしれない。下田《げでん》(地味のやせた下等の田地)という考え方もある。
第九レース。良平にいいところを見せようと思って穴買いに出たが固くおさまって、連複二百九十円。
「強《きつ》か!」
と、都鳥君が叫んだ。顔色が悪い。東大、早稲田、日大、国士館、日体大、すべて受験に失敗したとする。そのとき九州の青年は、強《きつ》か! と叫ぶ。親類の娘が病死する。すなわち強《きつ》かなたあ(悲シイコトデスネ)≠ナある。そんなふうに使う。
第十レース、本日のメインの、サラC級、九千部《くせんぶ》賞。
「山口さんの本の初版部数みたいですね」
「親類の前で恥をかかすなよ」
九千部というのは鳥栖の競馬場の背後にある山の名である。
ここは守護神《エルメス》女王《クイン》で勝負。「三連勝が何《いず》れも四馬身以上引放す快勝ぶり」(『日本一』)で先行タイプ。成金少年《リツチボーイ》の産駒《さんく》でエルメスというのはブランド指向の田舎娘みたいであるが、馬体良く、毛艶《けづや》もブリリアントである。
このエルメスクインが、まるっきり走らずに五着。
「田中康夫さんなら、初版は十万部ですよ。九千部じゃ言うことを聞かない。走るわけがない」
都鳥君、厭《いや》なことを言う。彼、ヤケクソになっている。
「そぎゃん言わいな(ソンナコト言ウナ)」
「私は、狂人に戻《もど》りたい!」
とうとう本音を吐いた。前回、福山競馬で、彼、続けて万馬券を取り、祇園《ぎおん》で遊び、銀座の酒場のツケを払い、靴《くつ》を新調したそうである。不思議な当り方をするので、僕は、彼のことを狂人都鳥君と言ったのである。
良平の運転で筑紫平野と白石平野を突っ走る。一面のビール麦。それと蓮根《れんこん》の沼。
「あ、そうだ。お田植えはすんだの? 忙しいんじゃないか」
良平は淳朴《じゆんぼく》をそのまま人間にしたような男で、運転のときは運転だけ。前方を直視したまま。そのかわり、スピードは出す。
「ンにゃ。すんどらんたい。六月二十日|頃《ころ》になります。いまは麦の刈入《かりい》れたい。ばってん、うちは麦はやっとらんけん」
関東地方の田植えは黄金週間《ゴールデンウイーク》のあたりである。九州はずいぶん遅い。
「裏作はやっとらんのか」
「はい」
「水害は? 去年はどうだった?」
佐賀は土地が低いのである。
「去年はなかです。ばってん、一昨年《おととし》は……」
「あ、大変だったね。そのかわり、沼地だから蓮《はす》がいいんだね」
「蓮根《れんこん》は儲《もう》かります。いい値で売れる。ばってん、辛《つら》か!」
「…………」
「いま、こんな具合でしょう。だから、冬の寒いときに植えるんです。胸までのゴムの長靴を履いて沼に入るんです」
「きつかねえ」
「佐賀競馬場、どげんじゃったとです」
「だんじゃなか!」
「…………」
「建物はね、だんじゃなか! 日本一じゃ」
塩田町の町役場の青年が出張で東京へ行った。渋谷でノーパン喫茶へ入った。そのときの感想が、ダンジャナカ、であった。その意味は、なんとも美しい、素敵だ、素晴らしかった、であるが、同時に、常識を越えている、自分等には手が届かない、どうすることもできない、という、やや否定的な意味も含まれることになる。そのへん微妙である。競馬場の設備は日本一、僕等の馬券は最低。
塩田川にさしかかり、ようやく見覚えのある風景になる。鳥栖から一時間半。
「ビール麦訪ねゆく家見えて来し」
「なんですか、それ」
「俳句のつもりだ」
良平の家へ着くと、驚くべし、町役場の青年たちが六、七人、正座して待っている。背広にネクタイの中年の係長ふうの男もいる。良平は、塩田町役場の税務課長なのである。
「お相伴《しようばん》させようと思って……」
塩田町の青年たちの印象を一口で言うならば、トレーニングウエアである。前回の福山の紳士たちは、紐《ひも》の先に飾りをつけたネクタイ、すなわち、ループタイである。塩田町は土臭く(そこが好きだ)、福山は芸術家臭い。
「風呂《ふろ》ば、入らん」
それが有難《ありがた》い。暑い日で汗をかいていた。脱衣場なんてものはない。いきなり風呂場だ。ということは、青年たちの前で脱衣することになる。
「都鳥君! 一緒に入ろう」
こういうことは一度にすませたほうがいい。青年たち、正座をくずさずに虚《うつ》ろな目つきになる。伏目になる。あるいはポカンと口をあけて天井を見る。でも、あれは目の中に入っていたな、きっと。
僕、いま、亀の子|束子《だわし》に凝《こ》っている。風呂で体を擦《こす》るのである。祇園の旅館「二鶴」では都鳥君に背中を流してもらった。良平のところは農家だから、大根を洗う束子があると思ったが、無いのである。もっとも、訊《き》いてみたわけではない。風呂場にないのは当然だったのかもしれない。
入浴して、すぐに酒盛り。ここの東長《あずまちよう》という酒がうまい。レタスが美味《うま》い。その薄緑の色艶、しなやかさ、みずみずしさ。むろん自分のところの畠《はたけ》のレタスだ。農家に泊る醍醐味《だいごみ》がこれだ。帝国ホテルやマキシムなんぞ、だんじゃなか(問題外)!
僕、禁酒しているので盃《さかずき》に二杯だけ。都鳥君が飲み役である。
「どうぞッ!」
盃は都鳥君に集中する。この、どう|ぞッ《ヽヽ》! は、尻上《しりあが》りになる。都鳥君、少しも悪びれない。バカ遠慮しない。
「こうわりゃ(コノヒト)強《きつ》か!」
「おどま(ボクラ)、酔《え》い喰《く》ろうたわ(酔ッパラッタ)」
「えんにゃ、わしんとのごと(イイヤ、ノボセテシマッタ)」
「ちゃあぎゃあぶんに……(イイ加減ニ、ホドホドニシナイト……)」
言葉がまるでわからない。いちいち聞きかえし、良平に通訳してもらう。青年たちは物凄《ものすご》い勢いで飲み、早く帰った。
「おいけんさい(オヤスミナサイ)」
「おいけんさい……」
で別れた。まだ十時半である。佐賀競馬では、競馬新聞の前日売りをやらない。水沢競馬と同じである。駅売りもやらない。印刷能力がないからだと言っていたが、ノミ行為防止の意味もあるようだ。
なんだか、宿題の出なかった日の小学生みたい。勉強しなくていいのは嬉《うれ》しいが、頼りない感じだ。
「もう寝るのか。普通の生活がしたいな」
「いや、われわれの生活が間違っているんです。これが人間の生活です」
都鳥君が布団《ふとん》にもぐりこんだ。
僕は庭へ出た。便所は戸外にある。もっとも、僕は、小便は畠に向って放つ。満天の星である。その星が近い、皎《しろ》い。大きいのは潤《うる》んでいる。都鳥君を呼ぼうと思って、思いとどまった。吠えるといけない。
十二時を過ぎた。都鳥君は可愛い顔で眠っている。その都鳥君が目を閉じたまま布団の上に坐《すわ》った。
「わかりました。素直になれということですね」
競馬の夢を見ていたらしい。ヒネッタ馬券ばかり買っていたようだ。ギャンブルというのは人間を哲学者に変えることがある。
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[#地から2字上げ]―――――¥死ぬことと見つけたり[#「死ぬことと見つけたり」はゴシック体]
五月二十二日、土曜日、第四回佐賀競馬、第五日。快晴。
都鳥君と僕。良平は四週五休とかで町役場は休日だという。この日は長男の良彦も会社が休みで一緒に行く。
良彦の運転。どこの家でもそうだと思うが、息子のほうがいい自動車を使っている。若いだけに運転も上手で叮嚀《ていねい》だ。
「一万円ばかり遊ぶつもりにしてください。複合馬券で百円から買えます」
僕はそれ以上のことは言わない。良彦は競輪に行ったことがあり、パチンコも好きらしいが、良平は、およそ遊ばない男である。僕はビギナーズ・ラックを信じている。都鳥君もそうだった。だから、初心者には教えてもらいたいという気持のほうが強い。
五月三十日に行われた第四十九回|東京優駿《ダービー》競走の入場人員は十一万七千九百七十六人で昨年より約一万五千人、十一パーセントの減。売上げは百六十四億一千七百五十九万九千七百円で昨年より約二十六億、十五・八パーセントの減。競馬は凋落《ちようらく》の一途を辿《たど》っているのである。
佐賀競馬場の、昨年五月二十一日の入場者は四千三百七十三人。売上げは一億六千七百十九万七千七百円で、ざっと考えても、これでは商売にならない。僕は、遠からず、地方競馬は絶滅に近い状態になると考えている。たとえば地方都市の映画館や芝居|劇場《ごや》のように。
どうしてこうなったのか。よくわからないが、第一に、若者の心を惹《ひ》かなくなったということはあるだろう。ゴルフだドライブだディスコだということになった。ギャンブルでも、競馬よりも競輪、競輪よりも競艇、競艇よりも麻雀《マージヤン》、麻雀よりもパチンコと、手っ取り早いほうへ動いてゆく。さらに、大橋巨泉さんのように、競馬は貴族や金持の趣味だとするならば、日本では競馬はそもそも成立しないのである。手っ取り早く馬券を買えるところの場外馬券売場の数は極めて少く、ブックメーカー(ノミ屋)は認められない。
中央競馬会が、ジャパンカップと称する外国馬招待レースを、あらゆる困難(検疫制度等の)を乗り越えて開催しようとするのは、僕にとっては一種の焦《あせ》りのように思われてならない。これは競馬を、もっと広く一般庶民に認知させようとする動きである。この動きを僕は評価する。認知させて、場外馬券売場の数を増加させ、売場面積を広げ、そうやって売上げ増を狙《ねら》っているのである(と、推測する)。
地方競馬でも同じことだ。この佐賀競馬場でも、山の中に美々しいスタンドを建て、馬場を整備し、家族連れが来やすいようにした。内馬場に野球場を造り運動場を造った。子供のための公園も造った。競馬場を市民のためのものにした。
その結果がどうなったか。
「売店の玩具《がんぐ》がよく売れるようになりました」
これだけである。皮肉なことになった。入場人員も売上げも減少の一途を辿るばかり。
僕にもどうすればいいかわからない。僕は馬の匂《にお》いが好きだ。自転車やボートやオートバイの油の臭《にお》いを好まない。そうして、瀕死《ひんし》の状態の文楽や歌舞伎《かぶき》を憂《うれ》うる評論家や文化人たちが、自らはちっとも劇場へ足を運ばないといったようなことを憎む。
だから、僕は、せっせと地方競馬場へ出かけていって、可能なかぎり全レースの馬券を買うのである。この良きものを滅《ほろぼ》してはならぬ、とまでは思わない。すべては時の勢いである。そうして、おそらくは絶滅するであろうところの地方競馬の最期《さいご》を見届けたいという気持がある。むろん、僕は博奕《ばくち》が好きなのだ。博奕のなかで競馬が一番好きだ。僕には金銭欲があり射倖心《しやこうしん》も強い。夢だロマンだなどとは言わない。
第一レース、的中。ただし、連複の配当が百二十円。こうしか買いようのないレースだった。
第二レースからは取られっぱなし。最後まで――。やっぱり紫蘇アンパンを買うべきだった。良平父子は、取ったり取られたりで気勢あがらず、ぐったりとしている。悪いことをしたなと思った。誰《だれ》もがゲッテンツウだった。もっとも元気のないのが都鳥君である。
「佐賀競馬は死ぬことと見つけたり。葉隠《はがくれ》精神です」
なんて言っている。寝言で言ったように素直にやっても駄目《だめ》だったらしい。後に都鳥君は、日本交通公社から転廐《てんきゆう》して同僚となったスバル君の机の上に、メモを残したという。
「馬道はキビシイ!」
横浜に馬車道《ばしやみち》という道路名があるが、これはそうではなくて、剣道、柔道と同じ意味で、競馬道、馬券道の意味だろう。
第十レース、筑紫野賞、サラ系B級、千八百メートル。
「おい、元気をだせ。パドックへ馬を見に行こう」
僕は都鳥君に声をかけた。
パドックでは的場騎手に声援が飛ぶ。
「おい、的場、お前、うまいなあ。お前のおかげで馬券は取れなかったけれど。……こん畜生!」
本当に的場騎手は上手だ。勝てないとみると著実《ちやくじつ》に二着を拾う。先行集団が競《せ》ってゆけば、おさえて直線勝負に出る。緩急自在。福山の小嶺もそうだったが、的場も、中央に参加できれば一流騎手になれるだろう。上川騎手も上手だし、一流になれると思うが、まだちょっと若い。地方競馬では、騎手の巧拙が極端だと思われた。
「黄金豹《ゴールデンジヤガー》いいですね」
「なにが?」
「黒光りしています」
「だから、なにが?」
「睾丸《こうがん》です」
「黄金豹は牝《めす》だせ。牡牛王《ブルキング》のほうだろう」
都鳥君、どこを見ているんだ。
「大きいですね。それに丸い。金色に光っています。だから黄金豹と間違えた」
「アラブのタガミホマレという馬はね、三カ月間で五百頭も種付けしたっていうぜ。だからデカイんだ。だけどそんなところを見たってしょうがない。キンタマで走るんじゃないんだから」
このレース、黄金豹、牡牛王の一、二着で一千四百五十円の中穴。良平が的中。俄然《がぜん》元気を取り戻《もど》し、見たことのないような笑顔。
「合計すれば儲かっとります」
さすがに町役場の税務課長、帳尻はキチンと合わせた。
僕はデキは最高≠ニいう巴里勝利《パリーウイン》から入ったので駄目。やっぱり、紫蘇アンパンでなく胡麻アンパンを買ったのがいけなかったんだ。
「早く払戻《はらいもど》しでお金に換えていらっしゃい」
「もう現金化は終了しております」
帰りの車中で、良平が歎《なげ》く。
「最終レース。もうちゃっと馬券ば買《こ》うとけばよかった」
「なんば言うとのごと(ナニヲ言ウンデスカ)」
途中ではほんなこつ、ゆうなかった(ゼンゼン駄目)≠ネんて言って蒼《あお》くなっていた癖に。
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[#地から2字上げ]―――――¥山口組の大逆襲[#「山口組の大逆襲」はゴシック体]
佐賀競馬場に注文がある。
@オッズが早く消えすぎる。八分前には消えてしまう。メインレースになると十二分前に消してしまう。これは良くない。断じて良くない。オッズの電光掲示を点《つ》けておくと、なかなか客が馬券を買わない。それはよくわかる。地方競馬ではどこでもそうなのだ。なかなか買わないので売場が混雑する。それはそうなのだけれど、競馬では、特に公営競馬では、こう買えば百円が二千円になる、千円が十五万円になるというのが、ひとつの楽しみなのである。本命サイドでも、六倍あると思って買ったのが結果三・五倍ではガッカリしてしまう。混雑して買えなくても、ギャンブラーというのはあきらめが早いのである。自分が悪いと承知しているから。
A返し馬は、なるべく正面でやってもらいたい。遠くでやられたのでは、よくわからない。返し馬を咫尺《しせき》の間に見るというのが公営競馬の最大のファン・サービスであり醍醐味であるのだから。
五月二十三日、日曜日、第四回佐賀競馬、第六日。快晴。
この日は早く起きて武雄《たけお》温泉駅へ『九州スポーツ』を買いに行った。このスポーツ紙の見解は私の好みに合っていたので――。
前夜は、武雄温泉の東京屋という古い旅館で入浴し食事をした。江戸から東京へという、その東京という文字が新鮮でモダーンな感じがあったときに出来たのだろう。
良平はその勘定を払わせてくれない。取材費を貰《もら》ってきていると言ったのに――。
「ここは武雄ですぞ」
と、色をなして言う。小城市では小城|羊羹《ようかん》も買ってくれた。
都鳥君と山口組の三人。
若い良彦をあまり誘っちゃいけないと思って、今日はどうするか、行きますかと訊《き》いてみた。
「そぎゃんくさん!(当然ダ!)」
言下に答えた。
「今日が一番ぬくかごと(一番暑イ)」
「ほんによか天気なたあ(快晴デスネ)」
そんな日だった。
僕は自動車のなかで懸命に勉強した。競馬新聞は馬場へ行かなければ売っていない。頼るは『九州スポーツ』のみ。
第一レース、的中。連複二百四十円。第二レース、第三レース、駄目。第四レース、的中、連複二百二十円。そんな馬券を買うのかと言われそうだが、これしか買いようがない。押サエの馬券だから、儲けにはならない。
第五レース。天山牡丹《テンザンボタン》で勝てると思った。新馬から三連勝、以後四着、四着、八着、八着という成績であるが、連勝後に風邪をひき反動が出たが、その心配はなくなったという調教師の談話がある。これらの単複。また逃げ馬の同厩の南進《ナンシン》暴君《ネロ》には粘りが出てきたという。パドックの気配、返し馬も悪くない。
結果は、南進暴君がギリギリに逃げ粘り、ゴール前、天山牡丹がきわどく差すという理想的な展開で、いわゆる親子|丼《どんぶり》。このDGという馬券は、ずっと百七十倍を示し、八分前に百四十倍に変った。配当の発表前、祈るような気持。
「おい、祇園は大丈夫だぜ」
と、都鳥君に言った。帰りは博多から新幹線に乗り、またしても京都に一泊する予定にしている。単勝五百七十円、複勝二百二十円。連複、六千三百六十円。万馬券間違いなしと思ったのに、これだこれだ、これがいけない。それでも、まあ、七万円以上にはなった。
「そんなら、あれば、もうちゃっと買《こ》うとけばよかった」
まったく冗談じゃない。万馬券だと思うから遠慮して千円だけにしたのである。
第六レース、失敗。
第七レース。これが惜しかった。短小聖《チビセント》から優秀《フアイン》開拓者《フロンテイア》へ。このEGは間違いなく万馬券だった。逃げ逃げの両馬で決ったかと思われた瞬間、名手的場の新参《シンザン》希望《ホープ》にちょろっと差された。
第八レース。雄亀神《オスカメガミ》という早口言葉みたいな馬が人気だが、丸癬《マルセン》熊手《ホーク》が狙い。成績は悪いがA級で走っていた馬で巧者な真島に乗り替っている。馬券は的場の菊性的魅力《キクノイツト》から。スタート直後、シマッタと思った。丸癬が逃げ、これの単勝(八百六十円)を買うべきだったと思ったが、もう遅い。格上馬がすんなり逃げたら掴《つかま》るものではない。そこへ的場が追込んで、連複二千百十円。これは悪くない。第七レースは的場に殺され、こんどは彼に助けられた。
「ぎゃんこと、珍しか(コウイウコト珍シイ)」
「なんばしんとのこと(何ヲシタノデスカ)」
「おりゃ(俺ハ)嬉《うれ》しか。わしんとのごと(上気シテシマッタ)。ばんざい、ばんざい」
「しそらーと、しそらーと(静カニ静カニ)」
第九レース、くすのき賞。浮かれて身分不相応に買いすぎて失敗。
「写真ば撮《と》ろいさあ(写真ヲ撮リマショウ)」
と良彦が言った。彼は的中(連複一千三百十円)したらしい。
「三千円《さんじえんいえん》ば、儲かっとります」
良平が昂然《こうぜん》として顔をあげ、直立不動の姿勢で言った。山口組の大勝利である。記念撮影をするほどの額ではなかったにしても。
僕は、第十レースの天山賞、的場の玉藻《タマモ》淑女《レデイ》で大勝負に出るつもりでいた。玉藻から貯金《ストツク》世界《ワールド》へDEの一点勝負。その発走が四時十分であるが二十分ぐらい遅れそうである。鳥栖駅発の博多行特急が四時五十八分発。最終レースが終れば道中が大変に混雑する。僕たちはあきらめることにした。僕は大勝負に出る五分の一の金でDEを買い、その馬券を良彦に渡した。
「当ったら、あなたにあげます」
四時に佐賀競馬場を出て、四時半に鳥栖駅に着いた。
都鳥君が競馬場の広報課に電話をいれた。最終レースの結果を訊くためである。
「四番、六番、五番の順だそうです。CEで六百八十円です」
DEは二着、三着である。どうしたんだろう、的場は――。僕が競馬場に残っていたら儲けは吹っ飛んでしまったはずである。そのことは良しとしなければならない。しかし、良彦に小遣いがやれなかったことが悲しい。喜びも悲しみも中途半端である。
鳥栖駅構内に夕日が落ちかかり、柱の陰がどんどん長くなる。まだまだ暑い。
僕と傷心の都鳥君とが、なんだか中途半端な気持で、博多行かもめ16号の到着を待っていた。
「サンジェンイエンば、儲かっとります」
あのときの良平の自信に満ちた昂然たる態度、それが崩れたときの、なんとも言えない笑顔、あれが最大の御馳走《ごちそう》であり御土産だったなあ、と、僕、ぼんやり立ちつくしながら考えている。僕も自然に笑顔になっていったようだ。
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[#小見出し]10 盛岡競馬《もりおかけいば》、東北新幹線試乗記《とうほくしんかんせんしじようき》
[#ここから8字下げ]
スタート直後に登り坂、向う正面は急なバンケット。
まるで遊園地のフィールド・アスレチックスだ。
これでは、天皇賞馬テンメイも苦労したろう。
僕《ぼく》もうっかり女性騎手の馬を買ったり、苦労の連続の重傷レース。
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[#地から2字上げ]―――――¥大宮の夜[#「大宮の夜」はゴシック体]
「ふるさとの訛《なまり》なつかし大宮の新幹線ホームにそを聴きにゆく」という時代になった。
六月十九日、朝の九時八分発の新幹線で盛岡へ行くことになった。むろん、これは正規のものではなく、試運転である。開通まで、あと四日。東北地方の誰《だれ》もがそう思っている、というのは間違いであって「かえって迷惑」と言う人も少くない。宇都宮の住民なんかがそうだ。料金が高くなる。大宮で乗り換えなければならない。情緒がない。……なんてことを言う。
このへん、どうも、東北の人の気持《つもつ》がわからない。僕なんか単純に喜んでいる。上野駅というのが、そもそも厭《いや》だった。ホームに新聞紙を敷いて、そこに腰をおろして列車の到着を待っている客がいる。東京駅ではそんなことはない。椅子《いす》に腰をかけるか、待合室に入るか、ホームに立つかして待っている。また、何番線でどの列車に乗るかということがはっきりわからなくて常に不安だった。乗ったら乗ったで、後四|輛《りよう》は郡山《こおりやま》で切り離しなんてことを言う。お尻《けつ》が寒いようで何とも落ちつかない。発車すれば「北帰行」だ。
※[#歌記号、unicode303d]窓は夜露に濡《ぬ》れて
都すでに遠のく
とくる。花巻温泉に遊びにゆくにしても、なんだか、集団就職で上京、なにがしかの銭を溜《た》めて町工場を経営したら倒産、細君には逃げられ子供は小児|喘息《ぜんそく》、サラ金業者に追いかけられて故郷《くに》へ帰るって、そんな気分になってしまう。
※[#歌記号、unicode303d]北へ帰る旅人ひとり
涙ながれてやまず
ああ厭だ。なんとも陰気だ。
「大宮を過ぎるまで便所の御使用は御遠慮ください。沿線の住民が迷惑します」
というアナウンスを聞いたことがあるが、そこまで言わなくたっていいじゃないか。
そこへいくと新幹線は良い。あの芋虫の化物みたいな車体、停車する駅は限られていて単純明快。僕は東北新幹線の開通に双手《もろて》をあげて大賛成。
「新しい東北の夜明けだ」
そう思っている。小佐野賢治が儲《もう》けたっていいじゃないか。東北には未知なる部分がある。そいつをば掻《か》き分け掻き分け突っ走る。こいつは愉快だ。大革命だ。
大宮駅|脇《わき》のビルには「|みちのく《ヽヽヽヽ》とのふれあいを求めて」という垂れ幕。そうなんだ。ふれあいすらもなかったんだ。「OSBからPINOへ、九月オープン」という垂れ幕もある。なんのことかわからんが、OSBとは大宮ステーションビルの略だろう。PINOってのは、パルコみたいなもんじゃないのか。遂にここまできた。芽出度い!
六月十九日、朝の九時八分発。八時半に大宮駅新幹線改札口集合。ということは家を六時半に出なければならない。僕には自信がない。五時とか五時半に起床することはできる。しかし、前夜、はたして五時とか五時半に起きられるかどうかと思って悩んだりする。その悶々《もんもん》に耐えられるかどうか。このほうの自信はない。
そこで、大宮駅ちかくのホテルに泊ることにした。パイオランド・ホテルという。このパイオはパイオニアの略であって、開拓精神。新天地を開拓するという、まあ、そんなことどうでもいいや。
六月十八日の午後の二時半。都鳥《みやこどり》君が家へ迎えにきてくれた。これなら安心だ。西国分寺駅から武蔵野《むさしの》線に乗って南浦和まで。南浦和から大宮は|ほん《ヽヽ》ネキにある。
前回は、佐賀競馬場へ行った。
「父は九州へ行っております」
「ははあ、古代史の研究ですか」
「はい」
「じゃあ考古学かなんかの関係で……」
「いいえ、競馬です」
息子が電話にでて、こんなことになったら恰好《かつこう》が悪かろう。
「父は盛岡へ行っております」
「新幹線の開通は二十三日でしたね。すると東亜国内航空で花巻まで行って」
「いいえ、新幹線です。試運転に乗せていただくんだそうです」
「ほほう。試運転なら盛岡往復ですね」
「いいえ。盛岡に二泊する予定です」
「へええ、盛岡に二泊?」
「はい。競馬をやるんだそうです」
これはどうだ。やっぱり、ちょっと具合が悪いのではないか。
大宮駅に着いた。わざとゆっくり構内を歩いた。どこもかしこも混凝土《こんくりいと》の臭《にお》いがする。コンクリートって臭いますね。コンクリートが本当に固まるのには二千年を要するという話を聞いたことがある。お前等まだ若いぞ。若いコンクリートだぞ。だからそんな臭いがするんだぞ。そう思いながら歩いた。同時に、盛岡まで新幹線に要したコンクリートの総量を思った。日本セメントや小野田セメントは儲かったであろうか。いま、そんなことを考えたって、もう遅い。
ホテルに臥煙《がえん》君が来た。仕事の打ちあわせがある。僕等は夕食を食べなければならない。こういうときは臥煙君に相談するにかぎる。臥煙君は、別名「お祭り臥煙」。社内旅行や宴会では名プランを提出する。
「浦和へ行って小島屋のウナギというのはどうでしょうか」
臥煙君は重々しい声で言った。道々、考えてきたらしい。
「ううむ。それは筋だな。しかし、ちょっと正論すぎるようなところがある。川越へ行って団子を喰《く》うようなもんだ」
僕等は、いろいろに知恵を出し、調査もした。しかし、どうやら、臥煙君のプランには勝てないことを悟った。先年、僕が浦安で仕事をしているとき、臥煙君が遊びにきて、食事はどうしようかと言ったら、即座に、行徳《ぎようとく》へ行って鴨《かも》を食べましょうと言った。こういうのも得難《えがた》い才能のひとつではあるまいか。ただし、ほとんど歯の無い僕は鴨スキには往生した。そこまで考慮してのウナギである。
「しかしだな、小島屋のウナギはヘヴィーだぜ。あれを喰うと一カ月間はウナギの顔を見るのも厭になる」
「イヤになりたい」
「それじゃあ仕方がない。電話を掛けて予約してください」
その小島屋は満席で、太田窪《だいたくぼ》の幸楽園という店を教えてもらった。幸楽園もまた善美なるものであった。食堂部と離れ座敷とあり、食堂部で好きなものを注文(たとえば、中串のシラヤキ、キモヤキ、キモスイなんてのが理想である)したいと思ったが、予約をしたてまえ、座敷にあがった。
「こりゃあ蚊《か》がいそうだな」
「へえ、太田窪ってくらいですから」
「窓をしめてください。それと品書きを見せてください」
「へえ。四千五百円、五千円、六千円とあります」
僕は都鳥君と相談のうえ、五千円のコースを頼んだ。このごろ、松竹梅とあれば竹を注文するようになっている。
小島屋とか、千住の何とか言ったな、尾花か、とかのように、ウナギはそんなに馬鹿《ばか》デカクはない。それでも、要慎して、半分だけにして、残りは折詰にして臥煙君に持って帰ってもらった。
「親子の者が助かります。今年になってまだウナギを食べさせていない」
そんなことを言い、トルコへもストリップへも行かずに帰っていった。
都鳥君、頭が良くて気が利《き》いていて仕事熱心、スバル君には及ばないが腕力もある好青年であるが、ただひとつ、気にいらないのは、夜寝るまえに歯を磨《みが》くことだ。
都鳥君は歯を磨き、僕はポルノビデオを見て早く眠った。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥新幹線、大宮駅[#「新幹線、大宮駅」はゴシック体]
六月十九日、五時半に目がさめてしまった。都鳥君も起きて、また歯を磨く。そういえば、昨夜、幸楽園で、楊枝《ようじ》をお使いになりますかと言って、僕に爪《つま》楊枝を差しだした。僕の歯は下顎《したあご》に四本だけ。歯と歯の間は三箇所である。小学校のとき植木算で習った三箇所だけである。いまいましいから、いらないと言った。
その都鳥君、またバス・ルームに入る。そんなに歯を磨いてどうするんだ。いや、歯を磨くだけでは時間が掛りすぎる。
「だいじょうぶですか」
僕は声を掛けた。ウナギにあたったと言ったら幸楽園が怒るだろう。ちょいとばかり喰いすぎたんだ。
「平気です。ウナギの前の鯉濃《こいこく》がいけなかったようです」
鯉の洗いと鯉濃とが出た。僕がウナギを半分だけにしたのは正解であったようだ。
「疲れているんだ。疲れているから脂《あぶら》っ濃いものが胃の負担になる」
「そうかもしれません」
僕等は勘定を済ませて表へ出た。
福チャンが来ることになっている。駅で待ちあわせている。
まだ七時だ。まず弁当を買った。新幹線は試運転だからビュフェは営業していない。座席が汚れるから物を喰っちゃいけないんだと聞いていたが、盛岡着十二時半まで腹がもつとは思われない。ノリマキとオイナリの詰合わせ三人分に、シュウマイを一折。それにお茶。買ってよかった。新幹線ホームは、どこの駅でも、弁当はおろか土産物も新聞も売っていない。駅員が敬礼するだけである。敬礼の練習なんか見たって腹の足しにはならない。
福チャンと一緒に盛岡へ行く話は、一年前から決まっていた。なんでも、福チャンの知人が盛岡で料亭《りようてい》をやっているということだ。料亭田中というんだそうで、これが大層な店だという。そこへ行くのも楽しみのひとつになっている。
音羽の福チャン。僕は彼が大好きでファンでもあるのだが、ただひとつ、不可《いけ》ないのは愚痴っぽいことだ。正確に言えば僻《ひが》みっぽい。
彼は一関から大船渡《おおふなと》線に乗って気仙沼《けせんぬま》に向う中間あたり、千厩《せんまや》の産。どういう事情があったのか、親許《おやもと》を離れて信州で育った。岩手で生まれて長野で育つ。こういうのがいけない。万事につけて理窟《りくつ》っぽい。すぐに裏を考える。素直に喜ばない。おまけに頭が良かった。千厩の小学校では神童とうたわれた。高等学校は松本深志高校で、ここは名門校の秀才ぞろい。
福チャンが、いかに郷土の誇り的存在であったかは、あるとき、いきなり、村役場の助役に迎えられようとしたという事実を示せば足りるだろう。助役だぜ、なにしろ。
「彼は、東京の大学を出ている」
それがその根拠だというが、人望がなければそうはならない。幼いときに郷里を離れたが、そうして、なおかつ、村人たちに福チャンの神童ぶりの印象がいかに強かったか。岩手生まれの長野育ち。秀才。これがいけない。どうしたって僻みっぽくなる。
だが、しかし、僕は愛する福チャンのために弁明を試みたい。福チャンがいけないのでなく、石川|啄木《たくぼく》がいけないんでなかったか。そうでないかい? 岩手に生まれた多感なる少年は、まず、啄木にいかれてしまうだろう。その啄木の芯《しん》なるものは僻み根性である。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」
これが問題だ。友達が俺《おれ》より偉く見える日があるということは、平生は、友達はみな俺より偉くないと思っている、ということだ。このスーペリオリティ・コムプレックスとインフェリオリティ・コムプレックスの混合。こいつがいけない。俺は田舎者だと思う心と、東京人が何だと思う心と。この葛藤《かつとう》が僻み根性を生む。そんなこと思わなきゃいいんだ。あるいは、東北は素晴らしいと思いこんでいればいいんだ。
まだ七時を過ぎたばかりだ。僕等は朝食を認《したた》めなければならない。この時刻、まだ喫茶店も営業していない。通勤通学で路上のみ賑《にぎ》わっている。そのとき、天上から妙《たえ》なる音楽が響いてきた。
※[#歌記号、unicode303d]世界の言葉 マクドナルド
そうだ。これだ。
僕は大宮駅そばのマクドナルドの二階へあがっていった。この系列店に入るのは初体験である。僕は『マクドナルドは猫《ねこ》の肉』という題名の小説を書きたいと思っている。ある町にマクドナルドが開店する。すると、女流詩人の飼っているシャム猫、小唄《こうた》の師匠の飼う三毛猫、酒場のママさんのペルシャ猫、すべてが忽然《こつぜん》と姿を消す。そういうハチャメチャ小説を書いてみたいのだが、いかにも差し障りがある。題名は『マクドナルドは猫の肉』でないと迫力がないからだ。
都鳥君が階下から餡《あん》パンみたいなものとコーヒーを運んできた。餡パンみたいなものはフィレオフィッシュというのだそうだ。ハンバーガーが本筋なのであるが、大きな口を開くとイレ歯が落ちるだろうという都鳥君の配慮があったのだろう。そのフィレオフィッシュが悪くない。ふわふわして少し頼りない感じではあるが。
この大宮駅そばのマクドナルドにも朝の社交界があるようだ。満席であるが、一角に彼等のコーナーがあって席を融通しあったりしている。
「やあ……」
「ようよう……」
「しばらく」
なんてやっている。白い背広の上下に薄茶のサングラス。新しい東北の夜明けだ。
そうだ。服装のことで思いだした。僕はそれが心配でたまらない。僕は、ジーパンに黒のTシャツ。紺色で麻のジャムパー。都鳥君は、ありゃサファリ・ルックと言うのだろうか。少し草臥《くたびれ》ているが、数年前、伊丹十三夫妻なんかが着ていた奴《やつ》だ。軽快であり、ファスナーのついたポケットが、いかにも便利そうな感じ。問題は靴《くつ》だ。僕は銀座の専門店で買ったスニーカー。西独製だそうで adidas と染めぬかれている。都鳥君もスニーカー。競馬場へ行くにはこれにかぎるのだ。悪いことに、都鳥君のスニーカーは、僕のそれによく似ている。近所のスーパーのバーゲンで買った千五百円の靴なのだそうだが、お揃《そろ》いで買ったと思われる怖《おそ》れがある。千厩は、こういうことに敏感なのだ。いいな、いいな、二人ともお揃いでいいな。まず一発、それくらいは言われかねない。
※[#歌記号、unicode303d]世界の言葉 マクドナルド
七時半になった。
僕等は改札口に行って、恐怖しつつ福チャンを待った。
八時半の集合であるが、福チャンも八時にあらわれた。なにしろ東北新幹線の出札口には誰《だれ》もいないのだから、すぐにわかる。
「福は来たり、めでたや」
これ、なんだかわかるかね。知っている人がいたら、貧乏人の本格派である。
|ふくはきたりめでたや《一二三四五六七八九十》という質屋の符丁である。僕は嬉《うれ》しくなってしまった。
「福は来たり、めでたや」
「お早うございます」
何が嬉しいかって、福チャンもスニーカーを履いているのがわかったからだ。しかもだ、バーバリーのレインコート地らしい背広の上下で決めている。梅雨《つゆ》時のファッションとしては最高だ。
「それ、バーバリー?」
「綿《めん》です」
「バーバリーじゃないの? 防水してあるだろう」
「防水はしてありません。サンヨー・ベーカーです」
言わなきゃよかった。
「サンヨーのほうが軽くっていい」
「昨日、横浜で買ってきたんです。三万円です。上下で……。昨日、月給が出たもんですから」
一言多いというやつ。それを言うから惨《みじ》めったらしくなる。
「ああそうか。二十日が月給日か。今日が十九日の土曜日で明日が二十日の日曜日。それで十八日に支給されるのか」
「さすがは、もとサラリーマン。その通りです。それで、盛岡から帰ると、ボーナスが出ています」
「そいつはいいが、月給はそっくり持ってきたの?」
「そうです」
「気をつけてくれよ。馬券は一万円ぐらいにして」
それ以上は言わない。福チャンも競馬は初めてなのである。ビギナーズ・ラックを信じたい。三万円が一発で三百万円になる可能性だってあるのだから。
「こういう服装で田舎へ帰るとモテルんです。これで東北弁なら鬼に金棒です」
「いや、東京言葉のほうがいいんじゃないか」
これがいけなかったらしい。福チャンはムッとなった。ムッとなってピカピカの構内を見廻《みまわ》した。
「これは間違《まつが》った繁栄だ」
「…………」
「えまに飢渇《けがつ》が来るっからあ。そんときゃコンクリートは喰えねえべ」
「…………」
「何《なぬ》が岩手の朝ぼらけだ。何があと四日だ。こったら間違《まつが》った繁栄だ」
いけない、いけない。話題を変えないといけない。
「盛岡競馬で儲《もう》けてね、箪笥《たんす》を買おうと思っているんだ。帰りに一関に寄る。一関の手前の山《やま》ノ目《め》駅のそばに|佐々くに《ヽヽヽヽ》っていう好きな骨董屋《こつとうや》がある。この前、水沢競馬の帰りに見たんだ。いい船箪笥があった。箪笥が買えなきゃ鉄瓶《てつびん》だ。鉄瓶が買えないときは鉄鍋《てつなべ》か灰皿《はいざら》だ。鉄鍋が買えないときは風鈴だ」
「ぼくは厭《いや》です。ぼくは儲かったら現金で持って帰ります。なんも買わね。住宅ローンが残ってっから」
これだって一言多い。
都鳥君はアパート住まいであるが、とにかく福チャンは、ついに千厩から母君を呼べるだけの家を東京に買ったのであるから。
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[#地から2字上げ]―――――¥襟《えり》を正すも[#「襟を正すも」はゴシック体]
試運転の東北新幹線は、定刻十二時半に盛岡駅に到着した。まだダイヤが組まれていないから、予定通りと言っておこうか。
その感想をもとめられるならば、
「どうってことはない」
ということになる。タダで乗せてもらって、どうってことはない、は、御挨拶《ごあいさつ》だなと言われるかもしれないが、実感だから仕方がない。
同乗したのは、日本国有鉄道広報部の藁科《わらしな》安弘さん、もう一人の国鉄職員。銀座万安楼の社長で鉄道マニヤの鈴木仙吉さん。TBSの取材班四人。朝日新聞の記者三人。僕等をいれて十三人ということになる。
思ってもみてください。
東海道新幹線に一人で乗ったとする。座席にはビニールが貼《は》ってある。汚しちゃいけないと思うから、こわごわ坐《すわ》っている。食堂車はない。ビュフェは営業していない。駅々には誰もいない。弁当は売っていない。腹具合の悪いらしい都鳥君は離れた席ですぐに眠ってしまう。福チャンは憮然《ぶぜん》としている。
新幹線の常で海岸は避けるから松島は見えない。あ、あれが毛越寺《もうつじ》だ、中尊寺だということもない。これで楽しいか。これで面白《おもしろ》いか。
それじゃあ、あんまり愛想がないので、揺れが少いと言っておこう。その意味では快適だ。また、福チャンに言わせると、とても早いんだそうである。むかし、盛岡から上野まで十五時間を要した。いまは三時間半。東京から大阪までの時間で盛岡に到着する。ただし、僕には早いというのが実感として掴《つか》めない。
それから、東北新幹線は、とても高い所を走る。見晴らしがいい。田植えがすんで青田ばかり。新幹線の車体も緑。オール・グリーン。東北では緑一色《リユーイーソー》は十倍満貫にすべきだと思った。
旅というのは、
「どうだい、お前、緑が綺麗《きれい》じゃないか」
「真個《ほんと》!」
「そろそろ幕の内にしようか」
「それより、鳥渡《ちよいと》、お前《まい》さん、妾《わたし》、魔法瓶に熱燗《あつかん》いれてきたの」
「そいつは豪儀だ」
「あら不可《いけ》ない。コップを忘れた」
「ボイにそ言ってくれ。食堂車から持ってきて呉《く》れって、茶碗《ちやわん》でもなんでも」
「あい」
という具合でないといけない。一人は腹こわして眠っている。一人はブスッとしている。相客はほとんどいない。これじゃ駄目《だめ》だ。
「そのかみの神童の名のかなしさよふるさとに来て泣くはそのこと」
一関が近くなって福チャンは呟《つぶや》いた。
「なんとかで、襟を正すもってのもあるんです。故里《ふるさと》の山が見えてきて……。あ、そうだ。汽車の窓はるかに北にふるさとの山見え来れば襟を正すも」
「そうだな、襟を正すな。その気持わかる」
「先生、ありがとうございます。おかげで、とうとう故郷へ帰ってきました。しかも新幹線です。しかも試運転です」
喜んでいるのか、そうでないのか、わからない人だ。
「よかったな」
「俺《おら》がの村で新幹線に最初に乗ったのはぼくです。ぼくが一番偉いんだ。ザマミロ」
「ほらほら、それがいけない。今夜はね、都鳥君と二人で大いに飲んでくれ。飲んで飲んで酔い泣きしてくれたまえ。都鳥君は月に吠《ほ》えてくれ」
「わが泣くを少女等《おとめら》きかば病犬《やまいぬ》の月に吠ゆるに似たりといふらむ」
「いい加減にやめてくれ、啄木は」
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[#地から2字上げ]―――――¥言うことなし[#「言うことなし」はゴシック体]
盛岡競馬場に着いた。村祭りと木下サーカスをあわせたような感じ。
馬場を見おろして驚いた。様々の競馬場がある、競馬場は千差万別であるとは思っているが、盛岡競馬場ほどの特異な存在を知らない。
ここは一周が千六百メートル(公営競馬としては広い)で左廻り。一コーナーのポケットから発走する千四百二十メートルというレースが基準になっているが、スタートしてすぐに急カーブ、しかも登り坂である。これでは外枠《そとわく》は絶対に不利。府中の東京競馬場の二千メートルのレースでは内枠有利と言われているが、そんなもの比較にならない。
向う正面にバンケットがある。これまた、まことに急である。さらに四コーナー附近も登り降りになっている。
「これは遊園地のフィールド・アスレチックスだな」
というのが僕の第一印象だった。障害のようで障害じゃない。しかし、これは竹柵《ちくさく》や水濠《すいごう》のない障害レースだと言っていい。そのうえ、直線が長く、従って、単調な逃げ馬では勝てない。力馬でないといけない。かつて、五十三年秋の天皇賞馬テンメイがここを走ることになったとき、強烈な追込み馬であるから人気になった。だが、テンメイも勝てなかった。あまり後ろからいっても駄目なようだ。力馬で好位差し。これでないといけない。
第六レースにまにあった。大外枠のカツラノローラから入って失敗。
第七レース。都鳥君、福チャンともに的中。肩を抱きあって歓喜の声。
第八レース。惨敗《ざんぱい》。
第九レース。サラ系A1級。本日のメインレース。
僕はヤケクソになっていた。というより何が何だかわからなくなっていた。掴みどころがない。
そこで八頭立てのなかから五頭を選び、五頭の組合わせのなかから、連複十五倍以下を消していった。七通りの組合わせが残った。
人気薄の先行馬ハイリストが逃げ残って、@Cで三千七百円の好配当になった。こんなのは、当っても嬉しくはない(いや、嬉しい)。溜飲《りゆういん》がさがるというわけにはいかないが、財布のなかはリッチになった。
第十レース。七枠にルセーバアローという九歳馬がいる。リーディング第四位の佐藤浩一の騎乗であり、『競週ニュース』のコメントは「D級で安定した成績を残しながらもなかなか脱出できなかったが、前走でようやくふっきれた感じ、今日は逆転までも」となっている。
「これだ、これだ。おい、これだよ」
僕は都鳥君と福チャンの顔を交互に見て言った。
「だけど、外枠ですよ」
「九歳でようやくふっきれたなんて」
「煩《うるせ》え馬鹿野郎!」
「えっ?」
「いや、ごめん。谷岡ヤスジの漫画にあるじゃないか。ぅるせえ、ばあろう、って叫ぶ奴」
「…………」
「僕はね、いっぺん、衆人環視のなかで叫んでみたかったんだよ、ルセーバアローって」
「…………」
「女房《にようぼう》が、なんかグチャグチャ言うときがあるだろう。そのときにね、ルセーバアローって言ってみたいと思うことなかったか」
都鳥君と福チャンが顔を見合わせて、同時に言った。
「あります、あります」
「叫んでみようじゃないか」
都鳥君と福チャンの二人、ふかくうなずいて、僕のぶんとあわせて、単勝売場へ駈《か》けていった。単勝式馬券売場は遠いのである。
最終の第十レースがスタートした。僕等三人は叫びどおしだった。
「ルセーバアロー!」
「うるせえ、ばかやろう!」
「煩《うるせ》え、ばあろう」
四番人気のルセーバアローは、終始後方のまま、直線でわずかに追いあげたが、八頭立ての六着に終った。ずいぶん高価な叫び代だった。
盛岡競馬場で特筆すべきは、締切までオッズが消えないことである。これは非常に良いことだ。もうひとつ、場内アナウンスの女性の声が澄んでいて歯切れがいいこと。馬体重などもハッキリと聞こえる。
盛岡でも入場人員減が目につくが、水沢での場外馬券を発売するようになってから昨年なみの売上げを保っているという。もし場外がなければ一割減になる。
盛岡の町を歩いた。清潔なることに驚く。一軒だけトルコ風呂《ぶろ》があるそうだが、大宮とは偉い違いだ。ストリップ劇場もポルノ映画館も目につかない。そこへもってきて新幹線だ。街衢《がいく》整然。塵《ちり》ひとつ落ちていない。
「ふるさとに入りて先づ心|傷《いた》むかな道広くなり橋もあたらし」
福チャンにとっては、そんなことも気に入らないらしい。僕は岩手県の大きさにびっくりしている。一関も盛岡も岩手なのだ。岩手県は四国全体よりも少しちいさいだけ。小学校に入ると、まずそのことを教えられるという。福チャンにとっては岩手県はすべて故郷なのである。
「不来方《こずかた》のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心。いいなあ」
その城の前も通った。浮かれてしまって料亭田中へ行くことを忘れてしまった。一年前から楽しみにしていたのに……。まったくどうかしている。
六月二十日、日曜日、第三回盛岡競馬、五日目。賞金一千万円、距離二千メートルのみちのく大賞典が行われる。出走馬は次の通り。
1 ダ ム ー ル 牡九歳 小笠原
2 チャージャー 牡七歳 村上昌
3 ニシキビート 牡七歳 伊藤
4 ダイドウスター 牡七歳 小竹
5 ジョンライト 牡六歳 村上実
6 レッドジャガー 牡六歳 熊谷
7 テ ン メ イ 牡九歳 千田
8 ブルーハンサム 牡九歳 千葉次
この日も快晴で暑い。市内ではテニスがさかんに行われていて、学生が多く、「青い山脈」はこれかと思った。岩手山(南部片富士)がくっきりと見える。
僕は第一レースから取られっぱなしで、面白いように金が減ってゆく。第三レースのごときは、第四レースと間違えて馬券を買っていたのだから、どうかしている。その第四レースでは騎手全員に敢闘賞が贈られた。これは全馬が二秒以内で入着し制裁がなかった場合である。
「こんなに、いっぺんにお金を使ったことはないなあ」
と福チャンが情ないことを言う。
「銀座の酒場だって支払いは三カ月後だっていうのに」
都鳥君がぶつぶつ言っている。死にたい、死にたくなってきたとも言った。
「石をもて追はるるごとくって本当ですね。岩手ってそういうところですね」
僕は水沢でも惨敗を喫している。
「ああ死にたい。死にたくなった」
「駄目だぜ、都鳥君、一人で死んじゃ駄目だぜ。……死ぬときは一緒だぜ」
福チャン涙ぐんでいる。この二人、ホテルの部屋でどうなっていたのか。
岩手放送にテレビ出演する虫明亜呂無さんが来た。
「いやあ、わかるなあ、山口さんが病み付きになるのも無理ないな。こりゃ面白い」
「フィールド・アスレチックスでしょう」
「ずっとここにいなきゃ駄目だな」
「住みついて……」
「いや、ふっふっふ、半年ぐらい」
「そりゃ無理です」
「あのバンケットね。登りより下りが辛《つら》いんです。箱根駅伝だってそうでしょう。下りは強い選手が走る」
箱根駅伝が出てくるのが虫明さんらしい。
「兎《うさぎ》じゃなくて前駆《ぜんく》の発達した馬がいい」
「そうそう」
「ところで、虫明さん、みちのく大賞典は何を買いますか? それをはずして勝負しますから」
「レッドジャガー」
げっとなった。昨夜の僕の結論がそれだったからである。予想がぶつかって良かったことはない。
僕は、逃げても差しても鋭い馬が好きだ。だから、チャージャーのようなジリ脚タイプの馬は嫌《きら》いだった。しかし、公営の砂の深いところの中距離では、こういう力馬が活躍するだろうと、かねがね思っていた。はたしてチャージャーは地方に転入して、高崎で三戦して二勝、二着一回、水沢で二連勝、盛岡で二着。すなわち六戦して連対率百パーセント。父チャイナロックというダート巧者で、鞍上《あんじよう》は当地NO・1の村上昌幸に乗りかわっている。
しかし、チャージャーは一番人気になる。穴っぽいのはレッドジャガーだ。これは中央の馬で、関西の馬であるが左廻り得意で府中で活躍した馬だ。六歳で上り目があり、先行しての粘り込みが充分に考えられる。
テンメイは買う気がしない。僕は三年前にこの馬は終っていると考えている。ブルーハンサムに魅力があるが、九歳馬は蹴《け》る方針だった。岩手では十歳になると走れない。テンメイもブルーハンサムも、たぶん、このレースで終りになるだろう。
「残念ながら僕もレッドジャガーだ」
その、みちのく大賞典、逃げると思われたレッドジャガーが最後方、うんでもなけりゃすんでもなく、そのままでドン尻《じり》八着。馬の出来の素晴らしかったダイドウスターの楽勝で、ダムールが追込んで@Cの千二百八十円という競馬。チャージャーは五着。
「どうだった?」
「重傷(重賞)レースです」
と言ったのは都鳥君である。
「アルゼンチンの心境です。白旗です」
福チャンが天を仰ぐ。
僕等はその晩は直利|庵《あん》でわんこソバを食べた。福チャン六十四杯、都鳥君四十杯、僕二十五杯。
六月二十一日、月曜日。前日に較《くら》べて場内は閑散としている。
驚くべし。この日、福チャンは連続的に馬券を的中させた。負けを取り返し、なんと、千百円のプラスになったという。
「ふるさとの山よ見てくれ、男の晴れ姿」
なんて見えを切っている。
僕は、この日、期するところがあった。第六レースのダービーホープ。持時計がよく、こういう馬場でも僕は先行有利という考えを捨てきれないでいる。しかも人気薄。
ところが、馬券を買ってから気がついた。
「あれっ?」
「どうしたんです」
「吉田に乗替りって、これ、吉田|弥生《やよい》か」
「そうです。女性騎手です」
「しまった」
僕は女性騎手は駄目だとは思っていない。浦和の土屋|薫《かおる》の大ファンである。土屋薫は騎乗フォームが良く、なんと言うか、仇《あだ》っぽい感じのする女性である。声が掛るとニヤッと笑ったりする。
しかし、直線で追いくらべになると、どうしても男に一歩を譲るのではあるまいか。だから、女性騎手の場合は先行馬しか買わない。ダービーホープは逃げ馬であるが、例の千四百二十メートルのレースでの七|枠《わく》では先手を取れないだろう。しかも、吉田弥生が乗って好成績だった同厩《どうきゆう》のタカシリュウには兄貴分の村上実が乗っている。消す材料の多い馬を買ってしまった。
※[#歌記号、unicode303d]お前が俺《おれ》には最後の女
福チャンが『みちのくひとり旅』でもって応援してくれたが、レースは私の思っていたように展開し、ダービーホープには何の見所もなかった。
その夜、僕たちは一関へ行った。東北へ行けば一関へ行き、北上書房の間室|胖《ゆたか》さん御夫妻にお目にかかることにしている。
「どんでした?」
「言うことなし」
「…………」
「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな、です。儲かったら船箪笥を買うつもりにしていました。少し儲かったら鉄瓶、いや盛岡のホームスパンを買うつもりでした。船箪笥なら四、五十万円でしょう。ホームスパンは十万円ぐらいだと聞いてきました。いま、風鈴も買えません。風鈴が買えるのは福チャンだけです」
レースを間違って馬券を買ったり、うっかりして女性騎手の馬を買ったり、まったく、言うことなしだった。
僕たちは一関の直利庵にいた。またしても、わんこソバ。僕はこの店のわんこソバが好きなのだ。
岩手県競馬組合で世界の女性騎手を招待した。日本の女性騎手も集めてレースを行った。レディース・カップという。
盛岡では、名物のわんこソバとも思ったが、外国人なので肉料理で接待した。
あるとき、アメリカの女性騎手が、
「ヌード・コンテストをやりたい」
と言いだした。競馬組合の職員だって、そこは男だ。ぐっと身を乗りだして唾《つば》を呑《の》みこんだ。この話を聞いたとき、僕も、うむ、なぬ? 土屋薫も裸になる? と思い、体が熱くなった。
しかし、ヌード・コンテストは、ヌードル・コンテストの誤りで、わんこソバ食べくらべ大会をやりたいということだったのである。大会は、この一関の直利庵で行われた。
この日の成績、福チャン六十杯、都鳥君四十杯、僕二十杯という割合だった。福チャンは昨日のぶんとあわせて百二十杯余。息をするのも苦しそうだ。
僕たちは、ジャズ喫茶の Basie へ行った。これが良い。コーヒーがうまい。東北新幹線を利用した、直利庵、Basie。女性社員は毛越寺、中尊寺見物、男は水沢競馬というコースは社員旅行なんかに好適ではあるまいか。それに船箪笥が買えれば言うことなし、だ。(風鈴でもいい!)
Basieを出ると夜風が快い。
「福チャン、口なおしに冷や麦でもどうかね。川向うにも直利庵があるそうだ」
と言ったら、そのかみの神童は凄《すご》い目付きで僕を睨《にら》んだ。
[#改ページ]
[#小見出し]11 益田競馬場《ますだけいばじよう》、夏《なつ》時雨《しぐれ》
[#ここから8字下げ]
一日の入場人員九百人。
家庭|麻雀《マージヤン》をやっているみたいな、実にインチメイトな競馬場。
この山陰の小|博奕《ばくち》場に乗り込んだ本当のギャンブラー、
鳴子の親分の大勝負の結末やいかに……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥ちかごろ公営競馬事情[#「ちかごろ公営競馬事情」はゴシック体]
今年の東京優駿競走(日本ダービー)、皐月《さつき》賞馬で単枠《たんわく》指定のアズマハンターは出遅れて最後方から直線だけで追込んで三着。あの位置で三着したのだから怖《おそろ》しく強い馬だ。絶好八番枠で小島太の騎乗。
皐月賞二着、NHK杯は五着だが馬体の戻《もど》っている関西のワカテンザンは、直線でまだ馬混《うまご》みのなかにいたが、インから抜けだして二着。これも強い馬だ。枠順も十二番で悪くない。
アズマハンター、ワカテンザンのBCという連複馬券は考え方としては正解なのである。考えれば考えるほど、そうなってくる。私はBCという馬券を買った人を尊敬する。そうして、必然、これは一番人気になった。しかしながら、BCという馬券は外れであって、お銭《あし》にはならない。考え方としては正解であるが涙を呑《の》むという結果になる。
勝ったのは、十七番枠(連番E)、NHK杯六着、岩元騎乗の関西馬バンブーアトラスである。
競馬は強い馬が勝つ。僕《ぼく》はそう思っているし、そうでなくてはならない。ここでは、アズマハンター、ワカテンザンのどちらかが勝たなくてはおかしいのである。おかしいのだけれど勝てない。すなわち競馬というのは不確かなものである。不確かなものの一、二着を的中させるのは至難の業であって、ほとんど不可能にちかい。だから、競馬はお遊びである。そう考えたほうがいい。
それでは、馬券を的中させるのは絶対に不可能かというと、そうでもない。ここが玄妙不可思議なところであって、げんに、ダービーでCEという馬券を的中させた人は何人もいるのであって、CEが万馬券になるということはなかった。
前に書いたことがあるが、AxBy方式という馬券戦術があるのであって、今年のダービーの場合はピッタリと当てはまる。
一番強い馬をA(この場合はアズマハンター)とする。二番目に強い馬をB(ワカテンザン)とする。一番弱い馬(人気薄と考えたほうがいい)をx、二番目に弱い馬をyとする。
ダービーでは、連番でFGという外枠の馬は勝てないとされている。そこでFGを除外すると、AxBy方式なら、@B、BE、@C、CEとなり、この四点で馬券は的中するし、むろん、好配当になる。この方式を採る人は、競馬なんて簡単簡単と高笑いすることになるだろう。
ここに、AB派の人がいる。ダービーで、アズマハンター、ワカテンザンのBCという馬券を買う人である。これを本命党という。
AxBy派は穴党であり、僕はどっちかというと、こっちのほうである。第一に少額投資で儲《もう》けようとするから、こうなってくる。第二に臆病《おくびよう》であり、よく言えば要慎深い。
本命党というのは実は攻めの馬券であり、穴党というのは逃げの馬券である。競馬では本命党のほうが豪胆不敵なのである。
僕は競馬では大敗することがない。惨敗《ざんぱい》を喫したと言うことがあっても、持ってゆく金が金だから、たいしたことはない。大敗はしないが大勝もしない。まずはトントンという成績か。いまはスッカリ足を洗ったが、麻雀でも花札バクチでもそうだった。だから博奕が上手だなんて言われることがあるが、本人はそうは思わない。第一に愉快ではない。なんだか情ないような気がする。ドラマチックにならない。いつでも博奕を打っているような気がしないでいる。そうかといって、こんなバカバカシイものに大金を投入する気にはなれないのである。性分だから、これは仕方がない。
僕は、四千円、五千円、六千円という馬券はよく取る。多くは千円券一枚だから、四万円から六万円という儲けで、それでいいと思ってしまう。大儲けをする人は、五百円から七、八百円、せいぜいが千五百円どまりというところでドカッと勝負する。大敗か大勝かのどちらかを狙《ねら》ってくる。これが勝負だ。
僕は地域社会の人と天下晴れて博奕を打つのを大いなる愉快とする。競輪・競艇はまるでわからないから、やれるのは公営競馬だけになる。その他の博奕は、すべて暗黒街に属するから、天下晴れてというわけにはいかない。
公営競馬の良さはインチメイトなところにあると書いた。「ようこそここへ……」という感じで迎えてくれる。そこが良い。
ところが、そうではない人々がいる。公営競馬は、地方公務員(多くは県庁や市役所の出向社員)によって運営されている。彼|等《ら》のなかには、自分の職業を誇りとしないどころか「ああ、やれやれ。とうとう競馬なんかに廻《まわ》されちまった。これでは出世は覚束《おぼつか》ない」なんて考えている。こういう人たちは態度が権高くなる。
実際、競馬なんかやる奴《やつ》は人間の屑《くず》だ、虫ケラ同様だと考えるという種類の人間がいるのである。これは、むしろ中央に多いのであるが、公営にも存在する。人それぞれであり、こういう種類の人間がいたってかまわないが、それが競馬を担当しているのが怪《け》しからぬ。また、僕にしたって、たとえば場外馬券売場、よれよれの服を着て、髪ふりみだし、目は血走って、そばへ寄れば臭いようなのが一万円札の束を握りしめているのを見ると、ああ厭《いや》だな、妻子を泣かせているなと思うことはある。だけど、社会には、こういう人間の存在することもまた免《まぬか》れぬのであって、虫ケラ同様だと思ったことはない。
競馬会の人間は何を考えているか。これは一部の人間だと思いたいが、彼等の目は、上役、中央官庁、もしくは馬主のほうを向いている。あるいは広く世論である。世論を代表するところのお母様方である。決して競馬ファンのほうを見てくれない。
彼等が何をするかというと、これは、もう、きまっているのであって、場内もしくは馬場のなかに公園を造る。これは例のチビッ子広場と同じ発想である。チビッ子のお母様方の票がほしいのである。子供を愛するという気持がない。あるとするならば、チビッ子なんていう子供を侮蔑《ぶべつ》する言葉を使うわけがない。「一家そろって中央競馬」。これだこれだ。競馬場というところは、男が生命をかけるとは言わないが、乾坤一擲《けんこんいつてき》、それぞれの器量にあわせて勝負をかける場所である。女子供は無用だ。しかるに、競馬会のやることといったら、女性サービス、家族サービスだけである。
僕は競馬新聞というものが好きだ。これは競馬ファン代表、ファンの声だと思っている。競馬会の職員は馬券を買うことができない。彼等の密《ひそ》かな楽しみは、どの新聞の予想が当るか当らぬかということである。この競馬新聞の前日までの成績を場内に公表する競馬場がある。これは大いに結構だと思うのであるが、彼等の言い草が気にいらない。
「ミセシメのためだ」
どうですか。この役人根性丸出しの不遜《ふそん》にして傲岸《ごうがん》なる態度。競馬新聞は競馬ファンの代表だと書いたが、競馬会のお役人は、ファンをこのように見ているのである。
競馬新聞の予想というのは当らないものなのである。そのことはファンが一番よく承知している。問題は予想をたてるときの推理の内容である。内容が納得のゆくものであればいい。あるいは人気を知るためのものである。それを結果の数字だけでもって公表するのは、競馬というのは儲からないものなんですよ、だからおやめなさいと競馬会自身が言っているようなものだ。
だから、いま、中央を含めて競馬場の入場人員、売上げともに激減している。前年比一割減、二割減というのが普通になっている。国庫の収入が減る。このとき中央官庁は、どういう対応策を考えたか。なんと控除率の引上げである。笑うべし、この愚挙。いや、競馬ファンに対する無智と愛情の無さが、ここに露呈しているのである。競馬ファンが、なぜ競馬を離れてゆくのか。それは二割五分という寺銭のバカバカシサに気づくからである。
僕は公営競馬を担当する職員は、その地方の貸元になってもらいたいと考える。貸元ならば客人を大切にする。本物のヤクザは、そんなに阿漕《あこぎ》なことをしないのである。
そこで、僕は、ファン・サービスとして、次のことを提案する。
@単勝式、複勝式の控除率を現行二割五分から二割、できれば一割五分に引下げる。
女性ファンや初心者が、まず買ってみるのが複勝式である。これが百円戻しになると、こんなバカバカシイものやってらんないわとなるのが当然の成行である。
A連勝複式を連勝単式とする。そもそも競馬というのは一着馬を当てるギャンブルであるのに、二着でもいいという馬鹿《ばか》なことを誰《だれ》が考えだしたのだろうか。
五レースまで連複、六レース以降連単ということでもいい。これをやっている競輪のほうが売上げ面で優勢なのを見れば、こっちのほうが良いことは明らかである。
B三重勝(一レースから三レースまでの一着馬を当てる)とか、一二三着を当てるトリプルとかを採用する。
競馬会の目が競馬ファンのほうを向いていれば、誰でも気づくことである。僕は、これで人員増、売上げ増が約束されると考えている。すくなくとも話題になる。僕は、この宣伝文化はなやかな時代に、もっとも話題づくりの下手なのが競馬会だと思っているのである。
今回は島根県益田競馬場へ行く。日本一の競馬場である。入場人員の少いこと、売上げの少いことにおいて――。うかうかすれば潰《つぶ》れちまう。何だか気が急《せ》いて仕方がない。
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[#地から2字上げ]―――――¥夏の終り[#「夏の終り」はゴシック体]
八月二十日、東京駅発十六時四十五分、寝台特急ブルー・トレインはやぶさ。これが僕たちの乗る列車である。朝早く小郡《おごおり》に着く。そこから山口線に乗りかえて益田までというコースで、これなら二十一日の第一レースにまにあう。
例によって、僕がはやぶさに乗りこんで荷物の整理をしていると都鳥《みやこどり》君がやってきた。珍しく帽子をかぶっている。
「どうしたんです」
「買ったんです」
登山帽のような帽子である。
「ああそうか、丸ビルのなかに洋品店があるよね」
「違います。東京駅のガード下です。ガード下に屋台のような店がありまして」
屋台で一杯やる人は多いが、屋台店で帽子を買う人は珍しい。そう言えば、洋服は(もしあれが洋服と言えるならば)大阪駅のガード下で買ったんだそうだ。
「何か買ってきましょう」
と言って列車を出ていった都鳥君が、すぐに戻ってきた。彼が買ってきたのは、花園|万頭《まんじゆう》の濡《ぬ》れ甘納豆《あまなつとう》、東京製菓の高級品川巻、松崎の薄焼せんべい、それに栄太楼の有平糖|抹茶飴《まつちやあめ》である。
「松崎がありましたから」
そう言って、薄焼せんべいの箱を破った。都鳥君が自慢するだけあって、これが頗《すこぶ》る具合がいい。僕、一大決心をして歯医者へ通いはじめた。まだ仮歯であるが、ともかくも歯があるのである。この薄焼なら噛《か》めるのである。せんべいを噛んで食べるのは十数年ぶりのことになる。
薄焼せんべいには羽衣なんていう銘柄《めいがら》がある。薄いことを強調しているのだろう。都鳥君と二人で羽衣を買いに行ったことがある。
「いま薄焼|煎餅《せんべい》はやらないんです。あれは壊れてしまうんで商売にならないんです」
煎餅屋の内儀《おかみ》が言った。
「一ト缶《かん》買ってくれれば売りますが」
「その一ト缶、買おうじゃないか」
「それなら予約していただきませんと」
「よし。予約しよう。いつ伺《うかが》えばいいでしょうか」
「あの、わたし、いま母の容体が悪くて入院中なんです。電話が鳴ると病院からじゃないかと思ってドキンとするんです。イライラしちゃって」
「…………」
「ですからね、薄焼はやらないんです。もう十年になります。この手焼煎餅はいかがでしょうか」
「固いのは駄目《だめ》だ」
「こっちの揚げオカキは、とっても評判がいいんです」
「その塩分がいけない。うす味で薄焼でカリッとしたやつでないと」
「ですからね、薄焼は止《や》めて十年になります。母は明治三十六年の生まれで七十九歳になるんです。歳《とし》に不足はないんですが、イライラしちゃって」
そんなことがあった。煎餅屋の内儀のイライラにつきあっちゃいられないが、なんだか胡魔化《ごまか》されたような気分になった。もっとも薄焼煎餅を一万円も買いこんでも始末に困る。都鳥君はそのことを覚えていた。見かけによらず情のある男なのかもしれない。
煎餅を三枚食べたところで食堂車へ行った。僕はハンバーグステーキ定食。都鳥君はサーモンで酒を飲み、あとは子羊のステーキを注文した。豪勢なもんだ。
「おいおい、あの隅《すみ》の席の客、焼鳥を喰《く》うと思うよ」
はたして、赤ら顔の中年男は焼鳥をオーダーした。
「それでもって、次は焼肉定食だぜ」
その通りになった。
「どうしてわかるんですか」
「そういうもんなんだ。顔を見ればわかる。肉なら肉だけという顔だ。あいつは今夜は肉で押し通そうとしている」
「馬券もそれくらい当るといいんですが」
その赤ら顔の中年男は、いよいよ赤い顔になり、日本盛の一合瓶《いちごうびん》を注文して、ちびちびと飲みながら、あたりを睨《にら》み廻している。
「ああいう男っているんだよ。隅の席が空《あ》いていないと不機嫌《ふきげん》になる」
「何が面白《おもしろ》いんでしょうか」
「いや、別に面白いわけじゃない。ただ、ああやっていないと気がすまないんだ」
「睨んでますね」
「睨んでる。あいつはね、ブルー・トレインに乗ったってことを誰かに言いたくてしょうがない。しかも個室寝台だ。さっき見たんだよ。隣の部屋で三号室だ。誰かに言いたいんだけれど言う相手がいない。それで気持が中途半端なんだ。だから睨み廻している」
「あの、もう一本飲んでいいでしょうか」
「ああ、気がつかなかった。遠慮はしないでくれよ」
僕は、わけあって禁酒している。
「あ、ボーイさん。こっちにもう一本。しかし、あなた、よくこんな甘《あま》い酒が飲めるね」
「仕方がないですよ。一本飲んだら、あとはウイスキイにします」
「この日本食堂のボーイだってそうなんだ。ここは、この列車のメインのダイニング・ルームだろう。だから、一応の教育は受けるんだ。一流ホテルのボーイのような……。だって、外人観光客だって日本の偉い人だって乗ってくるんだからね。しかるに、あんた、四百円の焼鳥を売らなきゃならない」
「東北線だとオデンもあります」
「そうなんだ。焼鳥にオデン。あいつは遣瀬《やるせ》ないんだ。いや忿懣《ふんまん》やるかたないってところかな。同じボーイという職業につきながら……」
「今日は冴《さ》えてますね。飲まないでカラムって人に初めて会った」
「だってそうでしょう。新幹線の運転手も運転手なら、高尾山の登山電車の運転手も運転手なんだ。片方は二百キロ。片方はガタガタユラユラ。たいてい腹が立つぜ」
「…………」
「ほら、見てごらんなさいよ。あの焼鳥の皿《さら》を運ぶ手つき。あいつも面白くないんだ。世が世であればっていう……俺《おれ》は本来、正式なボーイの教育を受けているっていう……帝国ホテルでもマキシムでも勤まるっていう、そういう顔だ。きくもんじゃないぜ」
「忿懣列車……」
「そうなんだ」
「あの隅のお客。飲み終って、まだ睨み廻していますよ」
「ああいうタチの男っているんだよ」
僕等は座席に引き返した。名古屋着二十一時三十七分。京都が二十三時三十六分で大阪は零時十一分である。名古屋までは僕の席で飲んでいていいと言った。そのへんが頃合《ころあ》いだろう。大阪駅では眠っていたい。広島着が午前四時四十四分であるが、広島を知っているという状態は芳《かんば》しくない。
こんどは色川武大さんが一緒である。一緒の列車に乗りこむはずだった。
僕は、色川さんについて文章を書いたことがある。三年前のことだ。
「色川武大というのは、こわいひとである。文壇にはコワイひとが何人もいるけれど、色川さんは間違いなくそのなかの一人だった」
「また、コワイというのは、勝《すぐ》れた小説家ということに、何か得体の知れないという感じが加わってくるのでコワイのである。さらに、人生に対する構え方に性根のすわっているところがある。それで、コワイのだけれど、とても優しい人だという感じもあるのである」
「ここでまた、コワイということに言及すると、この人と勝負するとなると、小説でも賭《か》け事でも喧嘩《けんか》でも、絶対に勝てないという感じもあるのである」
そう書いた。僕の考えは三年前と今と、少しも変っていない。そうして、彼の書いた『怪しい来客簿』という小説は、昭和文学史上に残る傑作だと思っていた。その考えも変っていない。
色川武大、別名、阿佐田哲也(朝だ徹夜)。彼に較《くら》べれば僕なんか浅田飴だ。せいぜいがノドの薬で、甘いのなんのって……。
益田競馬場へ行くときは色川さんと一緒に行こうと思いつめていた。また、色川さんのほうも、益田へは一度行ってみたいと思っていたそうである。
色川武大に奇病あり、ナルコレプシイという。ところかまわず眠くなる病気である。麻雀を打ちながら眠る。歩きながら眠る。
彼、あるとき、競輪場の窓口でAEと言いながら眠ってしまった。知人がそれを見て肩を叩《たた》いて起こした。そのときレースは終っていて、AEは的中していたという。そういう人である。
僕は小説家の条件として、次の三点を考えている。第一に悪人。第二に奇病の持主。第三に容貌魁偉《ようぼうかいい》。しかるがゆえに色川武大は尊敬すべき小説家なのである。
益田まで一緒に行くとして、この奇病をどうする。尊敬している小説家に万一のことがあってはならない。
「ナニ。巨大なる眠り人形を一体抱えてゆくと思えばいい」
僕はそう思うことにした。彼のことを鳴子の親分と呼んでいる。鳴子はコケシ人形の産地である。
ところが、親分、小説が脱稿しない。博奕打ちというのは一種の完全主義者なのであって、こういう人が小説を書くと、廻りの人間はハラハラする。僕なんかは小心者であって、ハイハイ、すぐに書きます、締切の五日前にはお届けしますということになる。
親分、脱稿しない。飛行機で追いかけるという。米子《よなご》まで飛んで山陰線に乗るという。そうすると夜の九時二十何分だかに益田に着いて翌日から参加するという。もちろん、駅に出迎えに出るつもりだ。
名古屋駅、京都駅、大阪駅。都鳥君まだ飲んでいる。僕は失礼して寝ることにした。
このブルー・トレインの個室寝台ってやつ、ガタガタン、ガタガタンでそのまま揺れ続けていればいいのであるが、時に一際《ひときわ》大きくガッターンと揺れる。あれは線路の継ぎ目なのだろうか。そうかと思うと、いっときは静かになったのに、ガックーンと大きな音を立てて横揺れするという騙《だま》しが入ってくる。慣性の法則なんてものも時には迷惑至極である。隣室からは両方とも鼾声《かんせい》の法則でもって迫ってくる。それでも広島駅通過を知らなかったのだから、睡眠としては大成功だった。
午前六時何分だかに小郡《おごおり》に着いた。ここで二時間ばかりを過さなければならない。駅の喫茶室。コーヒー、トースト、生野菜のモーニングセット。
「ボイルドエッグかなんかないかね」
都鳥君がウエイトレスに訊《き》いたところによると、ハムエッグはあるが、それもセットになっているという。構わずに両方を注文すると、ジュース、コーヒー、ハムエッグ、トースト、生野菜が運ばれてきて、何だか大散財しているようで具合が悪かった。
小郡駅の朝の社交界。どこにでもリーダー格の男がいるものであって、彼、片方だけ靴《くつ》を脱ぎ、その足を椅子《いす》の上の股《もも》に重ね、銜《くわ》え楊子《ようじ》。ずいぶんと喋《しやべ》りにくそうだが、そうやって小声で何事かを指示している。そんなの見ていたってしょうがないから、駅の附近を散歩する。つまらない町だ。早朝サウナなんてのがあると有難《ありがた》いのだが……。暑い、暑い。
「蒸しますな」
などと言いながら歩き廻るが面白くもなんともない。朝顔の棚《たな》。木槿《むくげ》の花。鶏頭《けいとう》。ポンポンダリア。夏が終ろうとしている。
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[#地から2字上げ]―――――¥あんたも好きだね[#「あんたも好きだね」はゴシック体]
八月二十一日、土曜日。第六回益田競馬、四日目。第一レース発走十二時五分。この日の入場人員九百九人。
益田駅のそばの小野沢興行経営のホテルに荷物を置き、タクシーで競馬場へ。
道路の左側に馬場があり、右側にスタンドがある。どういう仕掛けかというと、道路をはさんでレースを見るということになっている。それでも思っていたよりは、ずっと綺麗《きれい》だ。最近まで馬場内はラッキョウ畑と葡萄《ぶどう》畑だったが、国体の馬術競技が行われる関係で取り払われたという。
「東京から来られた先生方ですか」
競馬場の前にお出迎えがでている。こんなことは初めてだ。それは、入場者が疎《まば》らだからであり、実際、これからすぐに第一レースが発走するのが不思議に思われるほど、あたりは閑散としていた。職員も警備員も笑っている。
事務局長の大畑庄三さん、業務課長の豊田芳夫さん、庶務課長の矢冨堅三さん、みんな人懐《ひとなつ》っこい良い方ばかりで、僕の公営競馬論に耳を傾けてくれる。
第一レース。アラブの五頭立て。もっとも全馬アラブのレースなのであるが……。レース巧者の道川満彦騎乗のテラドファストから、真面目《まじめ》ジョッキーだという田原真二のヤマハグロスへのBCという馬券が的中。連複一千四百三十円というのは五頭立てとしては中穴だろう。いつも飛込自殺で取られるのが的中すると何だか変な気持。この田原真二騎手は中央のサルノキングで話題になった田原成貴とは関係がないが、中央の田原成貴も島根県の出身であるという。
第二レース。積極性のある板垣末男のハーミーズから、いまや円熟期で脂《あぶら》の乗っている宮本彰のキムノリンレイへのCEが的中。八百九十円の配当は六頭立てとしては悪くない。
騎手の巧拙は、大畑さんほか三氏にうかがったばかりで、それがすぐに役に立った。公営では騎手で買うというのも策戦のひとつ。
「益田の水が合うようですね」
と、都鳥君。
「これで今日一日は楽に遊べる」
そう思ってしまうのが僕のいけないところだ。ツイテイルと思ってガンガン行くのがギャンブラーとしては本筋だろう。
このハーミーズの単勝式の配当が二千八百五十円であることに驚く。売上げを見ると、なんと二票しか売れていない。だから、シメタと思って千円買うと十二票になって配当は五百円を割ることになる。
一日の入場人員九百人ということは、このときは四百人程度だったのではあるまいか。四百人ということは事務局の窓から一目で見渡せてしまうわけで、競馬をやっているというより阿弥陀籤《あみだくじ》をやっているような感じだ。
「明日は僕等の親分が来ます。この人はガンガン買いますから、売上げがふえると思いますよ」
「そうですか。それは有難い」
事務局の人は、しんそこ嬉《うれ》しそうな顔をした。そういうことも、千円札を百円玉に両替して顔を寄せあって検討を続ける老夫婦の姿なんてものも僕には嬉しい光景で、ゾクゾクしてくる。ちなみに、この第二レースの一着賞金は十五万円である。こういう小博奕を嬉しがる僕の神経というものはどうなっているのだろうか。
都鳥君が東京の親分に電話をいれる。原稿は書けていないが、やっとメドがついたという。飛行機はキャンセルして、翌朝七時羽田発の切符を入手したという。僕なら午前七時なんていう出発はとうてい不可能なのだけれど、ナルコレプシイというのは、午前七時というのが朝になるのか昼になるのか、それとも夜中なのか、まったく見当がつかない。飛行機なら乗り過ごすということがない。また発作が起これば忽《たちま》ち眠ってしまうわけで、これは便利なのか不便なのか、それもわからない。
「せんせえーい。東京から来たせんせーい」
馬券売場の前を歩いていると声が掛った。それは、馬新聞益田支局発行の競馬新聞『馬』の野島記者だった。この新聞は、中央の『馬』とは無関係だそうだ。野島さんは『馬』の主筆であり、第一レースが出走するまでは場外で新聞を売っていて、はじまればナカで場立ちの予想をするという人物である。木食上人《もくじきしようにん》に似た顔をしている。ああ、とうとう益田競馬場にまで顔が売れたかと、嬉しいような、そうでないような……。
「先生、あんたも好きだなあ。東京から益田まで、ご苦労さんです。……明日は儲けさせますからね。期待していてください」
「一レース、二レースとも的中。充分に儲かっています。かわりにそこへ立ちたいと言ってます」
都鳥君が余計なことを言う。
益田競馬で五万円の大穴が出たことがある。その馬券を二千円持っている人がいるはずだという情報が穴場から洩《も》れた。さあ、百万円を手に入れる人は誰だろうということで、払戻《はらいもどし》場の前に人垣が出来たそうだ。府中や中山では一千万単位でないと話題にならない。話題になっても、それを見にゆく人はいない。人垣をかきわけてゆくのは、さぞや良い気分だったろうと思われた。
第三レース、連複配当二百十円。第四レース、五百四十円。第五レース、五百七十円。第六レース、四百三十円。これでは取れない。
「荒れませんな。荒れてくれないと取れない」
「いや、いまに荒れます」
第七レース、本日一番の三千九百三十円の好配当となったが取り損った。
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[#地から2字上げ]―――――¥親分あらわる[#「親分あらわる」はゴシック体]
八月二十二日、日曜日、向田邦子さんの命日。曇天から雨になる。暑い。
第一レース。土佐剃毛姫《トサテイモーヒメ》の能力試験の時計が抜群。馬体も悪くない。剃毛ならツルツルで軽くていいと思ったが、場内アナウンス嬢は土佐恥毛姫《トサチモーヒメ》と発音した。しまったと思ったが、もう遅い。果たして惨敗《ざんぱい》。
公営競馬では僕はパドックの気配を最重要視する。馬体全体から受ける気合、張りの良さ。踏み込み。毛艶《けづや》。目がイキイキと輝いていること。
ところが、パドックへ行ってみても、目の輝いている馬がいないのである。なんだかションボリとしている。よろよろと歩いている。選びようがない。
僕のもうひとつの馬券戦術は、逃げ馬からの総流しである。六頭立てなら千円ずつ総流ししても五千円の投資ですむ。総流しは敗北思想だとも思っているので、馬体を見て、重点的に千円か二千円を上乗せする。これは有力な戦法である。
向田さんの命日だから、クニコで925か、八月二十二日でAGかと思っていると、第二レースに邦《クニ》希望《ホープ》が出走した。時計も悪くないし馬体も良い。これだと思って突っこんだのがいけなかった。邦希望は四着。人気通りにおさまって、連複配当二百八十円。前日の儲けを吐きだしてしまう。見得《けんとく》買いは僕には合っていない。
「色川先生じゃないですか、あれは」
豊田課長が叫んだ。
平知盛みたいな頭で、巨腹。それが僕等を探すために首を廻《まわ》しながらスタンドの下からノソノソとあがってくる。蝦蟇《がま》だなあと思った。遂に親分があらわれたのである。
「そうです、そうです」
僕はゴール真上の事務局にいた。そこから手を振ったが、こっちを見てくれない。豊田課長、矢冨課長が飛んで行った。それより先き、都鳥君が発見して、猛然とタックルした。なにしろ、いつ何時《なんどき》、どこで眠ってしまうかわからないのである。蝦蟇と握手なんかしている。
「汽車のなかで考えたんだけれど、出目で買おうと思うんだ。昨日からの出目を見せてください」
親分は競輪・競艇には堪能《たんのう》だが競馬には精通していないのである。競輪の人は出目を重視する。
親分は都鳥君の作製した出目表を睨んでいたが、そのまま眠ってしまった。ナルコレプシイの発作が起ると二時間ぐらいは眠ってしまう。次の発作では二十分ばかり眠る。その次には五分ぐらいしか眠れない。しかし、カクテルじゃないけれど、台《ベース》は不眠症なのであって眠りは浅い。だから、都鳥君に馬券を頼み、うつらうつらとしているけれど、ファンファーレが鳴るとパッと目を開く。
この日、僕は、第七レースの千七百五十円というのを取っただけ。それが最高の配当であって、あとは百円台。
「荒れませんな」
「いや、いまに荒れます」
それで終った。
親分は、ノーフォーラだと言った。これは麻雀用語で、一度も和了しないという意味である。
益田では大阪屋という小料理屋が一番だと聞いていたが、あいにく休業中。あっちこっち歩き廻った末に、とにかく座敷があるという店に入った。刺身盛り合わせ、タイのふぐづくり、牛タン刺身、スッポン汁《じる》。それにウナ丼《どん》という変な食べ方をした。親分と都鳥君は釜飯《かまめし》。親分が案外にも健啖《けんたん》家であることを知って安心する。不眠症で食欲がないとなると困ったことになる。
ホテルでは都鳥君と僕とが同室。親分は別室。こういうとき、そばにいたほうがいいのか、一人にしてあげたほうがいいのか、ずいぶんと考えたが結論が出ず、そんなことになった。しかるに、親分、僕等が喫茶室でコーヒーを飲んでいるときに、ひそかに抜けだして酒場を歩いたという。夜行性の蝦蟇であるようだ。
八月二十三日、月曜日。朝は小雨。それが晴れあがってヤレヤレと思った途端に豪雨。暑いんだか寒いんだか。
第一レース、二百十円。第二レース、四百十円。それしか買いようのないレースで、取るには取ったが儲けにはならない。親分は椅子に坐《すわ》ったまま眠り続けている。
前日の第四レースでニッソウアニタに騎乗した宮本彰は、無理に逃げず、直線強襲して一着。うまいジョッキーだなあと思ったが、これが斜行審議で騎乗停止。十五人の騎手のうち他《ほか》に二人の騎乗停止処分があって、十二人になっちゃった。実にインチメイトで、家庭麻雀をやっているみたいだ。
第六レース。六頭立て。スギラアジが唯《ただ》一頭の逃げ馬。これに騎乗する吉田薫はモト中央の騎手で、日本一から日本一へ来たということで初めは風当りが強かったそうだ。これから馬体良く見えたキタノラビーという馬券が的中して四千三百二十円の好配当。二千円買っていたので八万六千四百円。朝からざっと十万円のプラスになった。
「まあ、こんなもんだろう。これでいいや。すくなくともマイナスになるような買い方はやめよう。益田くんだりまで来て、損して帰るテはない」
そう考えるのが僕の駄目なところだ。セコイなあと自分でも思う。これが性分だから仕方がないとも思う。
第八レース。B級一組。距離千三百五十メートル。一着賞金十六万五千円。帰りの列車の発車時刻の関係で、第九レースまでやれるかどうかわからない。親分は負け続けで、上機嫌というわけにはいかない。
1 ショウマイムサシ 牡七歳
2 エチゼンヒーロー 牡六歳
3 メイズイヒリュウ 牡八歳
4 レ ア ン ダ ー 牡十歳
5 ヤマトイチバン 牡八歳
6 コーナンダイヤ 牡十歳
7 カブロギオー 牡七歳
8 ヒゴフルームライト 牡八歳
眠っていたと見えた親分がクワッと目をひらいた。雷鳴しきり。
「出目を見せてください」
都鳥君が出目表を持ってきた。
日 7 1 1 4 5 6 6 1 5 6
22 | | | | | | | | | |
月 6 4 5 6 1 5 3 7 6 2
8
日 5 7 1 2 1 3 2
23 | | | | | | |
月 4 3 4 6 7 6 1
8
「あ、しまった。昨日は六の目だった。十レース中六回が六の目だ。向田さんの命日だったんで何かあると思っていた。向田さんは|む《ヽ》というサインを書いていましたからね」
「…………」
「今日はバラついていますね。これをどう読むんですか」
僕にはわからない。ずっと無言でいた鳴子の親分、
「よし、勝負だ」
と言って、雷雨のなかを飛びだしていった。素軽い動きにびっくりした。蝦蟇が怪盗|鼠《ねずみ》小僧になった感じ。
このレース、@のショウマイムサシが快調に逃げて、Bのメイズイヒリュウがからむ。
「どうやら、このままになりそうです。二番のエチゼンヒーローが強襲しますが……」
場内アナウンスがなくて、双眼鏡を持っている僕が実況中継を試る。
「その@Bなんだ、大勝負は」
「どうやら、だい、じょう、ぶ、のようです。@Bできまりそうです。そのまま、そのまま。ソノママ!」
親分は勢いよく立ち上って、ポンとひとつ手をうった。実にいい感じだった。
「ああ、よかった。やっとひとつだけ取った。取らないと何を書かれるかわからないから。よかった」
親分が初めてニッコリと笑った。その瞬間に、鳴子の親分は少年時代には美少年であったに違いないと思った。優しい綺麗な良い目をしている。
「その根拠は何ですか。出目だとどうなるんですか」
「Bのメイズイヒリュウって名前がよかったからね」
「メイズイっていう名馬がいました」
「そうなんだ。気合もいい。八月二十三日の出目表を見てください。左側が|4《ヽ》3|4《ヽ》となっているでしょう。次が|6《ヽ》7|6《ヽ》、一回おきに同じ目なんですね。こんどは右側(二着)、第三レースから|1《ヽ》2|1《ヽ》と一回おきです。|1《ヽ》2|1《ヽ》32と続きますね。だから、第八レースの右側の目は3なんです。しかも、434676、12132というふうに隣の数字が強い。だから、本来は2なんですね。ABが濃い目なんです。しかし、2のエチゼンヒーローは馬体が良く見えない。野島さんに訊《き》いたら馬がガレているっていうんです。1のショウマイムサシはどうかって訊いたら、小野川騎手は、昨日から、これしか乗鞍《のりくら》がない。東京から偉い先生方が来てるからって張切っている、絶対に二着ははずさないって言っているそうなんです。こうなれば@Bしかない。それで買い足しに行ったんです。あれっ。馬券をどこにしまっちゃったかな。買い足したりしたもんで」
@Bの配当は千百三十円だった。親分は、また雨のなかを出ていって野島さんに御|祝儀《しゆうぎ》を渡した。祝儀は一万円だと言っていたから、親分の勝負馬券の額のだいたいの見当がつく。千円|搦《がら》みの馬券で大きく勝負するのが本当のギャンブラーだと書いたが、それを目の前で見せつけられた感じだった。僕はショウマイムサシから四十倍、五十倍というところを狙っていた。ただし、親分の出目論をそのまま踏襲するかというと、僕にはそれは出来そうにもない。
僕は求められた色紙に、
「夏《なつ》時雨《しぐれ》レビンキャンター十三歳」
と書いた。レビンキャンターは八月二十二日、一着賞金五十万円の黒松特別に出走して八頭立ての七着に敗れている。この十三歳馬は常に最後方から直線だけ懸命に追込んでくるという。それでも一頭だけは抜いた。
「あいつを見ていると涙が出る」
と大畑事務局長は語った。パドックでも本馬場でもレースでも、この馬には声援が飛んだ。益田競馬の職員たちでさえ、もはや、とうてい勝てないでしょうと言っていたレビンキャンターは断然の一番人気になっていたのである。公営競馬の関係者は誰もが苦い顔をするのだけれど、僕は無限の愛をこめて、これを草競馬と呼んでいるのである。百円玉一枚が集まって単勝売上げ七十六票という一番人気になった。そのうちの十票は僕の票だ。
四時五十分発の列車で松江へ行った。松江は皆美館に泊る。部屋といい眺《なが》めといい料理といい、その善美なること言わんかたなし。しこうして風呂《ふろ》は温泉なのである。
八月二十四日、朝。風呂場の脱衣場で都鳥君が歯を磨《みが》いている。こんなに歯を磨いている姿の似合う人はいない。一幅の絵だ。今朝から二度目だそうだ。
「おはようッ」
※[#歌記号、unicode303d]悪所通いのその果ては
魂抜けてヨロヨロ トボトボ
「唸《うな》っている場合《ばやい》じゃないよ。しかし、そんなにやられたのか」
「なにしろ、親分もアニさんも、益田まできてお銭《あし》を拾って帰ろうってんですから」
「そりゃ年期が違う」
「それよりね、珍談珍談、え? 珍談ですよ。親分、納《おさま》っているそうですよ。ぐっすり眠ってます」
「どうでもいいがね、歯を磨いたあとで甘納豆を喰うってのはどういう料簡《りようけん》かね。あれっ、花園万頭の濡れ甘納豆、まだ持っていたのかい。少しくんねえか」
「何を言ってるんですか、顔を洗いもしないで、ひとのものをほしがる」(甘納豆を一粒ぶつける)
「昨夜《ゆんべ》遅く三人で風呂へ入ったじゃねえか。裸になって親分が真中にいると横綱の土俵入りだって。顔はあのとき洗った。横綱は寝ているのかね」
「ちょいと見に行きましょう。いえ、部屋はわかっているんです。……ああ、この部屋です。ほら、どっこいしょ。ええ、これが大見世《おおみせ》の身上だね。あけてすぐに寝床が見えねえてえやつが。次の間つきだ。こういきたいね、遊《あす》びは。どう銭がかかっても朝の気分が違う。いやあ、しかし、よく眠っているねえ、親分。かあいい顔をして。四、五十万も儲けると、こうも顔が変るもんか」
「あい、鳴子のゥ!」
「駄目ですよ、起こしちゃ。汽車の時間はまだあるんですから」
「そうかね。寝かしておいたほうがいいかね。どうしようか?」
「ですからね、そのまま、そのまま」
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[#小見出し]12 名古屋土古《なごやどんこ》の砂嵐《すなあらし》
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寄ってらっしゃい、買ってらっしゃい。
窓口のオバサンが手招きをする。中年女性の気のいいところだ。
さっき買ったの当りゃせんかったなあ、だけは余計なお世話。
惨敗《ざんぱい》の挙句、名古屋大キライ! とタモリの気分。
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[#地から2字上げ]―――――¥紺色で統一[#「紺色で統一」はゴシック体]
九月二十四日、金曜日、午前八時、僕《ぼく》は東京駅十五番線ホームに立っていた。例によって、早く着きすぎるか遅れるかのどちらかであって、一時間前というのは僕としては上出来の部類なのである。
八時十五分、福チャンがあらわれた。彼は競馬をやりに行くのではない。単に僕を見送りにきたのである。福チャンが来ることは都鳥《みやこどり》君から聞いていた。しかし、朝が早い。僕は半信半疑でいた。
一人で一時間も待つのは辛《つら》い。だから、福チャンの顔を見たときは、とても嬉《うれ》しかった。福チャンに限らないが、雑誌の編集者で髪をベッタリと撫《な》でつけているような人はいない。乱れ髪とは言わないが、バサバサの髪で、唇《くちびる》は乾いている。昨晩も新宿ゴールデン街あたりで遅くまで飲んでいたのだろう。憮然《ぶぜん》と騒然の入り混った面持《おももち》で突ったっている。
「どうだい、名古屋まで一緒に行かないか。明日は土曜日で休みなんだろう」
「いや駄目《だめ》です。忙しいんです。新しい部署に変って、朝の早いのには馴《な》れましたが、遠くへ行くのは無理です」
「わるいことをしたな」
福チャンが紙袋を差しだした。
「これ、召しあがってください」
ウイスキイ・ボトル一本(僕は禁酒している)。イカクン(コレステロールに悪い)。チキンサラミと干しかつお(歯が悪いので食べられない)。品川巻(仮歯では噛めない)。甘納豆(糖尿病に悪い)。いまの僕には食べられるものがないのであるが、有難く頂戴《ちようだい》する。今回は飲み役の都鳥君のほかに、食べ役のスバル君も同行するのである。
「なんだか、きみ、似合わないね」
「えっ?」
「東京駅ってのがね、あなたに似合わない」
福チャンが、うっすらと笑った。彼は岩手県|千厩《せんまや》の出身である。
「どうしたって、俺《おい》らの故郷は上野駅っていう顔をしているぜ」
「そうなんです。上野駅でないと落ちつかないんです」
ひかり23号|博多《はかた》行の列車がホームに入ってきて、僕等は車中の人となった。僕の隣の席に坐《すわ》ったのがブリヂストン美術館長の嘉門安雄先生。競馬をやりに行くのに come on とは縁起が良いと思った。
この日の僕の出立《いでた》ちは、紺の鳥打帽子、紺のスポーツシャツ、ジーパン、紺色のスニーカー。すべて紺色で統一したから、ついでに鞄《かばん》も紺色に変えた。
「今日は紺ですね」
「そうなんだ。四|枠《わく》で勝負だ」
そう言ったって福チャンには何のことだかわからないだろう。
「染物屋の小僧が休暇を貰《もら》ってクニへ帰るって恰好《かつこう》だ」
ときどき厭《いや》なことを言う。
前回ご一緒した鳴子の親分の出目論の影響があるかもしれない。僕は少年時代に麻雀《マージヤン》をさかんにやったが、今日の数字とか今日の色を決めて家を出たものである。麻雀でも気力とか信念に左右されるものであって、今日は1でゆくと決めてあれば、一四七《イースーチー》待ちのとき、おのずから自摸《つも》に力が入る。このことをバカにしてはいけない。もともとギャンブルには根拠がないのであるが、無理矢理に根拠をつくってしまう。僕は大正十五年の生まれであって、これは二黒の寅《とら》であるが、自分のラッキー・ナンバーを2だと思いこんでいる時期もあった。
麻雀で、発中《ハツチユン》いずれかの単騎待ちとなるとすれば、諸君はどっちを残すか。発中がヤマに隠れている確率は五分とする。僕だって少年時代には性欲が強かったから、赤くて真中に縦に筋が入っている中を選んだものである。胸中に近所の美少女の姿態を思い浮かべながら自摸れば自ずと力が入る。
そのころ、麻雀仲間の少年が、三流の花柳界へ遊びに行って、芸者をよんだ。いまで言うところの初体験である。
「どうだった?」
「九|筒《ピン》みたいだった」
「…………」
「自摸の感じが九筒みたいだった」
「どういう意味だ」
「ジャリジャリだったな」
どういうわけか、その後、彼は九筒待ちを嫌《きら》うようになった。よほど毛深い女だったのだろう。パイパンよりは増《ま》しだと思うんだけれど。
競馬では帽子の色が、一枠から、白黒赤青黄緑|橙《だいだい》桃色になっている。話が飛ぶが、名古屋競馬では、勝負服も帽子にあわせてある。僕はこれに大賛成だ。見易《みやす》くっていい。つまり、一枠の騎手は帽子も白なら勝負服も白一色。二枠は黒一色。三枠は赤一色。こうあるべきだと思う。同じ東海地区でも笠松《かさまつ》は騎手それぞれによって勝負服が決まっている。これもいい。中央では、ご承知のように馬主によって勝負服が変る。つまり馬主が偉いのである。アナウンサーは勝負服を覚えるのに苦労する。
しかるに、しかるにだ、名古屋競馬では、四枠までは帽子の色にあわせてあるが、枠順ではなく馬番号五番の勝負服の色は突如ムラサキに変る。六番が黄色。以下、七番が緑、八番が橙、九番がピンクまではいいとして十番が茶色、十一番が黒白|横縞《よこじま》になっている。まぎらわしくっていけない。即刻あらためてもらいたい。ダート競馬で泥《どろ》をかぶると、黄色橙色茶色というのが識別がつかなくなる。
そういうわけで、僕は、四枠紺色と心にきめて家を出たのである。
「あれ、都鳥さんじゃないか」
福チャンが言ったとき、都鳥君が窓の外を通り過ぎていった。都鳥君の服装は十番茶色で統一されている。気のいい福チャンが飛びだしていった。
都鳥君、血色のいい顔をしている。競馬取材が近づくと嬉しくてワクワクするという。ついに彼をこの道に引っぱりこんでしまったか。公営競馬がなぜ楽しいかについて、いろいろ書いてきた。ここで配当金の良さということをつけ加えたい。六頭立て、七頭立てで、四、五千円というのが珍しくない。すなわち意外性がある。
実際は、しかし、僕にはその楽しさの根拠がまだ本当にはわかっていないのである。理窟《りくつ》抜きということにしておこう。そうだ、言ってみればルンルン気分なのである。そのルンルンの根拠がつきとめられない。
「ルンルン……」
まさかそうは言わないが、そういう顔つきで都鳥君が入ってきた。福チャンと軽く抱擁。そこへスバル君が来る。こっちもルンルン。
台風何号だかが東海地区に迫っているというのに空は晴れている。
「ぼくがいるからだ」
福チャンの本名は福沢晴夫。本当に彼は晴男《はれおとこ》であって台風なんか吹きとばしてしまう。傲然《ごうぜん》と言いはなって去っていった。いや、まだ窓の外に立っている。僕等から離れると、すぐに憮然たる顔になってしまう。
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[#地から2字上げ]―――――¥Come To Donco![#「Come To Donco!」はゴシック体]
名古屋までだから道中何事もない。食べ役のスバル君にはビーフステーキ定食を食べてもらった。新幹線の食堂でビーフステーキを食べる人の顔を目のあたりに見たいと思っていたのであるが、べつにどうということもなかった。僕の競馬必勝法は朝食をシッカリ食べることであるが、これは健康にもいいはずだ。
ここで名古屋について書く。多くの人は、名古屋をド田舎だと言う。タモリが出てきてから、そのことは全国的に定着してしまった感がある。
僕は、名古屋へ行くと、何か無気味なものを感ずる。名古屋は奥が深いのではないか。あるとき気がついたら名古屋が日本一の大都会になっていた、ということがあるのではないかという気さえするのである。
たとえばこうだ。
僕は名古屋へ行けば八事《やごと》の八勝館に泊る。これは、松江の皆美館と同様に、池波正太郎先生ふうに言えば「良い匂《にお》いのする宿」である。ところが、今回は断られてしまった。もっとも、昔から宿泊客は五人程度に制限されていたのであるが。
なぜ断られたかというと、秋たけなわ、茶の湯の会、謡曲の会、句会、月見の会などあって手が廻《まわ》らぬからである。こういうところが好きだ。以前、やはり十五夜の頃《ころ》に泊って、部屋を見せてもらったら、どの部屋にも月の縁のある軸物がかけてあった。このあたりに、何というか、凄味《すごみ》がある。芸事が盛んで風流を愛する。これを古臭いとか頑冥固陋《がんめいころう》と見るムキもあるが、僕はそうは思わない。名古屋の着道楽というが、食道楽なんかより上等だ。
たとえば中日ドラゴンズ。弱いんだか強いんだか、さっぱりわからないが、もしかしたら怖《おそろ》しく強いチームなのではないかという気がするのである。奥がある。無気味な感じがする。
競馬でもそうだ。マイラーズC、高松宮杯、函館《はこだて》記念を制したカズシゲ、朝日チャレンジCで圧勝したヒカリデュールというのは公営上りで、いまや日本を代表する名馬になりつつあるが、両馬ともに東海地区(名古屋・笠松・中京)の出身である。古くはスピーデーワンダーもそうだ。誰《だれ》しもが一本筋が通っていると感ずるだろう。現在、四歳馬ではゴールドレットがいる。この馬、中央の菊花賞へ行っても良い勝負だと言われている。五歳馬のミヤジダケオーは九州公営以来十四連勝で中央入りの噂《うわさ》がある。実に奥が深い。実に無気味だ。
しかし、大都会にはさまれた中都会という宿命がある。これが金沢あたりだと、誰も田舎だとは言わない。僕は、劣等感と、その裏がえしであるところの優越感の混合とが田舎臭さの根源だと考えるが、何が東京だ何が京阪神だという思いと、やっぱりかなわないという思いに呵《さいな》まれているのが名古屋だと思う。名古屋出身の竹下景子も、劣等感とプライドの町だと言っている。
タモリは、総じて評判が悪い。それは当然である。タモリが落目になったと言って喝采《かつさい》する人がいる。ある人が、こう言った。
「タモリに何を言われてもこたえん。かまわん。なぜならば、あれは福岡の人だ。江戸ッ児《こ》にやられたら反撥《はんぱつ》しますよ。東京人にあんなふうに言われたら、こたえるけれど」
僕はとても勉強になった。東京者は気をつけなければならない。しかし、こういう言い方に、度し難《がた》い後進性、田舎臭さを感じてしまう。東京人が名古屋を蔑視《べつし》するとすれば、これは非常にイケナイことだ。同様にして、名古屋人が福岡を蔑視するのも非常にイケナイことだ。東京人が名古屋を蔑視する非を唱えることは正しいし、それは立派なことだと言える。しかし、その人が福岡が遠隔地であるがゆえに蔑視するとすれば、これはどういうことになるか。その人が東京人であったとすれば、間違いなく名古屋を蔑視するはずである。これは自分の品性下劣を告白しているようなものだ。
名古屋は御国自慢の激しい土地だ。また排他的であって、新聞は中日、自動車はトヨタ、野球はドラゴンズと決めてしまっている人が多い。それはそれで結構である。もし、それが根強い劣等感に裏打ちされたものでないとするならば。
そんなことを考えているうちに、十一時一分、名古屋駅に到着した。第一レースの発走は十一時半である。僕等は飛込自殺をするための道をいそいだ。
名古屋競馬場は思っていたよりもずっと明るかった。砂の質がいいのか、右廻り一周千百メートルの平坦《へいたん》馬場も白くて美しい。周囲の環境は、工業都市であるので川崎に似ている。
十月十六日からアメリカ女流騎手を招待する「レディス・ジョッキイ・カップ」が行われるので、その宣伝に大童《おおわらわ》である。僕等も、Come to Donco というワッペンを頂戴した。こっちは、もう上の空だから、Donco の意味がわからない。わからなくたっていい。
僕は四枠に狙《ねら》いを定めていた。第一レース、サラ三歳、四番のアオミサクラが二着したが相手を間違えて失敗。第二レースも四番のリュウブリニスが二着したが、やっぱり相手探しに失敗。第一レース、CEで千二百八十円。第二レース、ACで千六百五十円。第三レース、EGで二千九十円。第四レース、DEで千八百五十円と、僕の好きな中穴が続出したが馬券にはさわらない。麻雀で言う半ヅキというやつ。
「やっぱり名古屋は厭なところだな。僕の性分にあわない」
都鳥君、スバル君、ともに浮かぬ顔をしている。
僕等はゴンドラの監督室で見ていた。ゴールを過ぎたところであるが、とても感じの良い部屋である。この部屋、一階が事務室のようになっていて、螺旋《らせん》階段をあがって二階で観戦する。パドックを見て、二階に駈《か》けあがって返し馬を見て、また駈けおりて馬券を買い、二階に引き返す。つまり、十レースあるとすれば、螺旋階段の昇り降りが二十回あるわけで、ほかのことでは、とてもこんなことはやれない。競馬が体に良いとはこのことだ。
一階と二階を拝借したわけだが、部屋の構造は富良野《ふらの》のプリンスホテルに似ている。プリンスホテルはスキー客が多いので、両親が二階、子供たちが一階の二段ベッドに寝るという仕組みになっている。あるいは、フランスの刑務所の独房というのは、こんな感じなのではないかとも思った。
第六レース。四枠に逃げ馬がいる。これに騎乗する井手上騎手は、笠松で二周するところを一周で馬をストップさせてしまって問題になった人である。こういう人は大好きだ。愛知県ジョッキー名鑑によれば、技巧派で積極性もあるという。僕は公営では逃げ馬に凝《こ》っているので、文句なしに買い。そのジョニーマリヤから二千円ずつ三点流し。
思っていたように五枠の先行馬トウコウシゲルと二頭で逃げる。
「そのまま、そのまま」
向う正面から叫び通しで、まさか自分でも二頭でオイデオイデの行ったっきりになるとは思っていなかったが、結果は、CDでスタート直後の順位は変らなかった。
「つまらない競馬だ」
「つまらなくてもなんでも馬券を取れればいい」
配当三千五百三十円。
「おい、七万円になった。山本屋の煮込定食ぐらい奢《おご》れる。名古屋って良い所だなあ」
「ちぇっ。トロクセァことよう言っとりゃぁすなも」
スバル君、いつのまに、どこで名古屋弁を仕込んできたのだろうか。
良かったのはそこまで。第十レースが終ると煮込定食もあやしくなった。
名古屋では一枠が不利であるそうだ。それを教えてくれたのは広報課の木本さんで、この日は外出していたので、僕等が知ったのは翌日の夜になってからだ。この親切な好青年に早く会えなかったのが敗因だ。
なぜ一枠が不利かというと、ポケット地点からスタートする千四百メートルのレースでは、発走直後に四コーナーの内埒《うちらち》が目に入る。千六百メートルでは三コーナーの内埒が目に入ってしまう。まっすぐに走れば埒にぶつかることなんかないのであるが、どうしても一枠の騎手は真中に切れこむようになり損をする。ちょっとでも遅れれば包まれる。逃げ馬には特に不利だ。
ふつう、競馬は外枠の馬がインコースに切れこんでゆくのである。ここでは内枠の馬が外に切れこんでゆく。そこで、出目で言うと、EGが五・九パーセント、FGが五・八パーセントと圧倒的に優位になる。@Aは二・七パーセント、@Bは二・五パーセントである。(昭和五十六年度)
夜、将棋の板谷進八段にお目にかかった。名古屋へ来て板谷さんに会わないということはない。その板谷さん、いま、将棋対局用の時計(商品名『対局』)の発売に夢中になっていて、ほとんど病気。これは、従来のチェス・オクロックをクオーツに改良したものである。
板谷さんに、実は、いま評判の「デート喫茶」なるものに案内してもらおうと思ったのであるが、地元では遊ばないのか、人間が固いのか、そんなもの知らないという。板谷さんには、その精力を誇示するかのごとく二歳になる子供がいる。
「可愛《かわい》くて可愛くてねえ」
「そのくらいの赤ん坊は可愛いよ」
「いや、赤ん坊じゃない。女房《にようぼう》のほうですよ。可愛くて可愛くて……」
いやはや、どうも。こういう名古屋人は大好きだ。
飲み歩いて最後の酒場。
「競馬ってどこ?」
「名古屋ですよ」
「中京でなくて名古屋か」
「ええ。もっぱら公営専門ですよ」
「なんだ、鈍行か」
その鈍行という言葉をスバル君が聞き咎《とが》めた。
「鈍行って何ですか」
「土地の名前ですよ」
「ノロノロした競馬っていう意味でなく?」
「土古と書いてドンコと読むんです」
それで、やっと、Come to Donco の意味がわかった。Donko を Donco と洒落《しやれ》たのであって、土古《どんこ》へ来たれ、ということだった。
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[#地から2字上げ]―――――¥公営競馬を暴力団の手に[#「公営競馬を暴力団の手に」はゴシック体]
競馬の主催者には dirty なイメージを一掃しようとする動きがある。暴力団追放ということであれば結構なことであるが、競馬そのものが dirty ではないとする考え方には僕は反対する。競馬はギャンブルである。ギャンブルが、どうして明るく健全なものになり得るだろうか。
僕などは、競馬場へ悪の匂いを嗅《か》ぎに行くのである。一攫千金《いつかくせんきん》を夢見る。射倖心《しやこうしん》をあおられに行く。根拠のないものを根拠にして酔ったような気分になりたい。それがどうしていけないのか。いや、いけないのである。いけないのであるけれど、かりに「飲む・打つ・買う」の三道楽が人間の本能であるとすると、僕のように禁酒しているし女遊びをしない男は、博奕《ばくち》をやらなければ人間ではなくなってしまう。
競馬は公正に行われなくてはならない。特に公営競馬では八百長レースが問題になる。僕は、極論すれば、八百長レースが行われたっていいとさえ考えている。人間のやることではないか。
競馬が終れば騎手たちは一緒に風呂《ふろ》に入る。
「おい、明日、A君のお父さんが郷里からでてきてレースを見るそうだぜ」
「なんとか勝たせてやりたいな」
そのくらいの会話があったって、それは自然なことではあるまいか。かりに、そのA君がまるで勝利に見離されたような騎手であったとして、また彼が逃げ馬に乗っていたとして、そのレースでA君の馬をすんなりと逃がしてやるということがあったっていい。中央でも郷原と的場とが似たような逃げ馬に乗っていたとすると、後輩の的場が郷原に先行を許すということが充分に考えられる。そういうことも推理の楽しさにつながってくる。
八百長があったっていい。しかし、めったなことには八百長はやれない。――というのが僕の考えである。強い馬は、いくら引っ張ったって引っ張りきれるものではない。弱い逃げ馬は逃げても潰《つぶ》れる。昔、中央でも騎手同士の談合が行われた。しかし、八百長が成立するのは、七回に一回、八回に一回であって、それでは商売にならなかったという。
競馬は、いやギャンブルは、dirty なものである。では公営競馬の存在理由は何であろうか。競馬が行われることによって、県なり市なりが潤《うるお》うことである。競馬を開催することによって、道路が整備され小学校の校舎が立派になる。それ以外に存在理由がない。昔のように軍馬や農耕馬を必要とする時代ではない。英国のように狩猟が盛んに行われたり、ポロというスポーツがあったりして馬が生活に密着しているわけでもない。
だから、公営競馬は儲《もう》けなければいけないのである。ところが、いまや、競馬は衰頽《すいたい》の一途を辿《たど》っている。
名古屋競馬のように、近くに中京、笠松の二場があり競輪も競艇もあるという土地ではモロに影響をうけてしまう。入場人員は前年比八十一パーセント、売上げで一割五分減という話を聞いた。
愛知県農業水産部公営事業管理監の鈴木慶明さんは、給料にかぎらず支払いというものが銀行振込みになったのがいけないと言う。これは卓見であり、面白《おもしろ》い考え方ではあるまいか。収入がカアチャンの管理下におさまってしまえば博奕はやれなくなる。
名古屋競馬には、十三組とか十四組の暴力団が入りこんでいて、細かくシマが分れているというタモリの喜びそうな話を聞いた。Aスタンドの一列目から五列目までが○○組のシマという具合に区分けされているのだろう。従って名古屋競馬場には指定席がない。以前に書いたことがあるが、指定席こそが彼等の有力な資金源となるのである(買い占めて法外なヤミ値段で売りつける)。
僕等が行った九月二十四日の入場人員は、五千八百七十四人であり、このあたりが平均入場者数であるが、一万人を越えないと黒字にならないという。それに、一万人を越えないとスタンドに熱気が生じないし、配当の妙味も薄れてしまう。連複の売上げが九十九パーセントであるというが、競馬は単複だと考えている僕には、残りの一パーセントの取りっこでは、てんで面白くもなんともない。単勝式の売上げが全部で十万円というレースがザラにあり、そっくり頂戴しても十万円だと思うと、気持が萎《な》えてしまう。
では、競馬場から暴力団を一掃し、なおかつ主催者が儲かるようにするにはどうすればいいのか。ここに妙案がある。
まず第一に、競馬場から役人を追放する。すなわち、これを民営にする。行革の第一歩は競馬場からと言いたい。そもそもが競馬を知らない、ギャンブルの陶酔感を知らない人たちが運営しているのがおかしいのである。競馬会の人たちは、偉いさんは、多くは大蔵省や農林水産省からの天下りである。こういう人たちに何がわかるか。
ダービーの行われた日に、中央競馬会の偉い人がレースを見て、負けた馬に、
「来年は、きっとあの馬で勝てる」
と言ったという有名な話がある。むろん、ダービーは四歳馬の一生一度のレースである。
僕が川崎競馬を見ていたら、こんなことがあった。競馬では、ゴールに入っても向う正面あたりまで走ってゆく。隣に立って見ていた地方自治体の偉い人が、レースが終っているのに、
「あの赤い帽子のジョッキーの馬が、きっと追込んでくるよ」
と、僕に話しかけた。僕はあきれて返辞もできなかった。向う正面で全馬がぐるっと向きを変えたので彼はびっくりしていた。
まあ、そんなものである。
民営からさらに一歩を進める。
公営競馬を暴力団に経営させたらどうなるか。どうですか、諸君、この卓抜なるアイディアは――。目には目を。毒をもって毒を制す、だ。
まず、競馬場から暴力団員が一掃される。ノミ屋やコーチ屋なんかがいなくなる。目つきの悪い男たちもいなくなる。場外の悪質な相乗り専門のタクシー運転手がいなくなる。いたとすれば張り倒されるだろう。彼等は送り迎えの無料の宴会バスを用意するだろう。むろん飲み放題、食べ放題。
あの、まずい汚ならしい食堂がなくなる。彼等は、必ずや、ノーパン嬢をウエイトレスにする喫茶室を設けるだろう。食堂は、京都でも府中でも吉兆の出店を誘致するだろう。銀座の高級酒場も店を出して深夜まで営業する。競馬場附属のホテルも経営するに違いない。公営は連続六日開催なんてのが多いのだから。なにしろ広大な敷地があるのだから、ホテルの建設なんか自由自在だ。そのホテルには専属美人コールガールを配置する。そうして必ずや、ナイター競馬を実施するだろう。
それに、絶対に騒動は起らなくなる。なぜならば騒動を起すところの暴力団員が警備員になっているのだから……。客は安心して見ていられる。
もっとも大事なことを忘れていた。彼等は二割五分なんてベラ棒な寺銭を取らない。鉄火場では五分だ。それだって、負け続けの客には『助かり』という制度があって、
「そうだね、今年の菊花賞の売上げの一パーセントは、あなたに差しあげましょう」
ということになる。
これは妙案ではないだろうか。どうですか、大蔵大臣殿、農林水産大臣殿。
僕は、名古屋城前のホテル・キャッスルのベッドのなかで、そんな夢を見ていた。
隣に寝ていた都鳥君が起きあがってバス・ルームへ行った。小便をするのかと思ったらそうではなくて、スースーシーシーという音がする。夜中に歯を磨《みが》いているのだ。もしかしたら、彼、潔癖症なのかもしれない。ついでに僕の総イレ歯も磨いてくれればいいのであるが、そこまでの親切心はない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥逃げ馬買うべし[#「逃げ馬買うべし」はゴシック体]
九月二十五日、土曜日、第七回名古屋競馬、第四日。昨晩《ゆうべ》は一晩中ひどい雨だった。それで変な夢を見たのかもしれない。凄《すご》い風、小雨まじり。その強風が馬場の砂を捲《ま》きあげる。馬券も札も、強く握っていないと吹きとばされてしまう。姫路で臥煙《がえん》君が、競馬ってのは指が疲れますね、と言ったのを思いだす。
朝から取られっぱなし。
名古屋競馬場で面白いのは、窓口のオバサンが手招きすることだ。
「寄ってらっしゃい、買ってらっしゃい」
とは言わないが、窓から手を出して、こっちへ来いと言う。どこで買っても同じだし、売るほうも歩合じゃないのだから、そこでいくら売れたからって給料に関係がないはずだが、そこが名古屋の中年女性の気のいいところだろう。そのかわり、金を受けとってからの処理のトロクサイこと。
「さっき買ったの、当りゃせんかったなあ」
うるせえ。余計なお世話だ。
都鳥君、第三レースで連複三千二百四十円の大当り。スバル君は、しばらく競馬から遠ざかっているためか調子が出ないようだ。
僕等は監督室一室を拝借しているのだけれど、そこへ変な老人の三人連れが入ってくる。ジロジロ室内を見渡して、
「ここがええで……」
なんて言っている。
「あっちはゴールから遠いいで……。こっちは茶もある菓子もあるで」
僕等だって部屋を拝借しているのだから、どうでもいいようなものであるが、
「すみません。ご一緒していいでしょうか」
なんていう挨拶《あいさつ》は一言もない。これも名古屋人の一面であろうか。
第九レース、夕月特別に南関東から転厩《てんきゆう》したガイセンロードが出走する。この馬の追込みは強烈であり、六月十四日の川崎で単勝を取らせてもらっている。三番人気で配当は六百十円。それを二万円買っていたから、僕としては良い思いをして、あやうく堀之内の金瓶梅《きんぺいばい》へ入りそうになっちゃった。
しかも、このガイセンロードには、昨年度の勝数、連対率(四割五分以上)とも日本一で、名古屋の神様と言われる坂本敏美が騎乗する。そこで、自信をもって単勝で大勝負。
しかるに、まったく良いところなし。十一頭立ての七着。右廻り下手という説もあるが、あのガイセンロードはどこへいっちまったんだ。
この夜は河万で会食。公営上りでハイセイコー以上と思われる馬の名をもじって言うならば、ホスピタリティ(旅行者を厚くもてなすこと)の夜だった。
名古屋競馬の職員は、営業不振|挽回《ばんかい》に非常に熱心な人が多く、財界人や文化人を集めて誘致策を考える「ナゴヤ・ターフ・クラブ」が結成されている。発起人のなかに、名古屋三越社長の市原晃氏(現三越社長)の名も見える。
そっちのほうの人も出席して、
「やってちょうよ」
と酒をすすめてくれるが、禁酒しているので、もっぱら都鳥君に奮闘してもらう。
「役人は駄目《だめ》やで。危にゃぁことはやらにゃぁで」
ということで、実のある話にはならない。
愛知県公営競馬事業懇談会の建議書を見せてもらったが、
「しかしながら、近年、入場者および売上げ額の激減、開催諸経費の高騰《こうとう》等により公営競馬各施行者の収支状態は悪化の一途をたどり、近い将来において存続か廃止かの瀬戸際《せとぎわ》に立たされることは明瞭《めいりよう》になっている」
という一節があり、承知してはいても、文書で見せつけられると、公営競馬を愛好する僕としてはギョッとするし緊張せざるをえない。僕の見通しも実は絶望的なのであって、亡《ほろ》びるものは亡びるより仕方がないと突きはなして考えている。
民間企業では手をかえ品をかえ、かつ多角的に商品を売るのであるが、競馬では、手をかえようと思っても(たとえばナイターの実施)いちいち法律にひっかかってしまう。創意工夫の許されない世界である。
この日に帰るスバル君を名古屋駅へ送ってゆく。すぐにホテルに戻《もど》って研究。遊んじゃいられないのだ。
九月二十六日、日曜日。第七回名古屋競馬、第五日。台風一過で快晴。
「二十六日だからAEで勝負だ」
僕は都鳥君に言った。
この日のメインレース、サファイヤ特別に、前記ゴールドレットとミヤジダケオーが出走する。これは両馬でどうにもならないレースであって、ゴールドレットが二枠、ミヤジダケオーが六枠。すなわち、AEの目が濃いと見た。このレース、両馬とも馬なりの一、二着。連複配当は百二十円だった。ただし、勝負づけがすんだのではなくて、半馬身で二着したミヤジダケオーは菊花賞(公営の)のための試走であるように見受けられた。
第一レース、連複配当二百二十円、的中。
第二レース、配当五百四十円、的中。第五レース、配当千三十円、的中。苦心研究の甲斐《かい》があったが、こんな配当では儲からない。
第七レース。サヨコサン、ミスカヌートの同居するGで勝負。両馬ともに持時計がいいが人気がない。三コーナーを廻ったところで、断然一番人気二枠のミネノカツヒメの逃げ足が鈍って、八枠両馬が追走する。
「しめた、もらった!」
と叫ぶ。
「G、私も持っています」
と、都鳥君。オッズは八十倍を示していたのである。しかるに、ミネノカツヒメは、ヨタヨタになりながら逃げきってしまった。名古屋キライ! 電光掲示板に298と点滅する口惜《くや》しさ情なさ。
この日の僕の狙いは第九レースのマツノトヨハタにあった。逃げ馬買うべし。しかも四番枠。人気は六番枠のシノブライコウが断然で、どの新聞も◎のグリグリ。しかし、調教が軽いので嫌《きら》った。馬体は良いが八キロ増。
「ねえ、都鳥君、ああいうのを立派すぎると言うんだぜ。同じ逃げ馬でも、あっちは逃げられない」
四枠から五点流し。僕の思った通りの展開で、マツノトヨハタが逃げ、五枠最低人気のサンコウクインが追走し、ゴール前までそのままで進んだ。CDなら五十倍である。しかるに、ゴール寸前、二枠のタイムバンクに、ちょい差しを喰《く》っちまった。名古屋大キライ。ACでも二千六百六十円の配当になっていた。
最終の第十一レース。やはり四枠に、パワービューティーという女のボディビルみたいな名前で六歳|牝馬《ひんば》の逃げ馬がいる。前走は逃げてドン尻《じり》負けだが、前々走は二着している。これが最後だから、四枠から三点に絞って勝負。有銭《ありがね》をはたく。パワービューティーは逃げまくったが四コーナーで力尽きて、急に減足。七着。六枠のケンアイチュウが一着。二枠のヒットマシンが二着。AEで四千十円の好配当。
このときになって、やっと、
「今日はAEで勝負だ」
と言ったことを思いだした。最終日の最終レースには、ずいぶんバカな買い方をするのであるが、AEということをすっかり忘れていた。これが鳴子の親分であったら逃がさなかったろう。しかし、こういう追込み同士できまるのも珍しいのである。
「ああああ、駄目だったな」
都鳥君と僕とは、名古屋駅地下の名店街を歩いていた。メンズショップには革のジャムパーがならんでいる。僕等はウイロウを買うのがやっとのことで、それでも山本屋の親子入煮込定食を食べるだけの金は残してあった。これは煮込ウドンである。定食となると、御飯と御新香がついている。将棋の大山名人は御飯のほうをお代りなさるそうである。
土産物で思いだしたが、名古屋の菓子店美濃忠の上《あが》り羊羹《ようかん》は絶品である。栗《くり》ムシ羊羹も上等だ。上り羊羹というのは名古屋城に献上したためにその名がついているという。水羊羹とムシ羊羹の混交といった絶妙の味わいで、小豆の味がすばらしい。
螺旋階段を上下したので足の裏がパンパンに張っている。固くなっている。
乗り物ではめったには眠れないが、疲れているのと名古屋東京間の新幹線という安心感もあってウトウトする。
夢を見た。
最終レースのAEを一万円買っていて、四十万円の配当。僕は都鳥君とおそろいの革ジャンを買っている。二十万円のが二着。
そうして、夢のなかで、バカヤロウ、出目で馬券が買えるかとも叫んでいるのである。どんなことがあったって、根拠のない馬券は買わないぞ。AEにも根拠があったかもしれないが、二十六日だからAEという考えは許さないぞと叫んでいる。
さらにまた一方で、AC、CEと買ったんだから、あと一点、つまり三点買いにすればよかったと心よわく思ったりもしている。
僕は返し馬で、最後の一頭が、一頭だけで四コーナーを廻ってゴール板のほうにトコトコと速歩でやってくるのを見るのが好きだ。馬を縦に見るのは悪くない。声援を送りたくなる。競馬はそれでいいんだ、それを見るだけでいいんだと思っている。夢のなかで声援している。
「公営競馬|潰《つぶ》してなるものか」
僕一人でどうなるというものではない。
「あんなもの潰れたっていいんだ。しょせんはギャンブルではないか」
目がさめると静岡あたり。
「僕、いま、何か叫んだかね」
「いいえ」
都鳥君、サントリーポケット樽《たる》型を手酌《てじやく》で飲んでいる。
「競馬で儲けると落ちつかないという人がいましてね」
「なんですか、それ」
「損をすると、気持がゆったりとするって言うんだけれどね」
「…………」
「やっぱり、働いて得た金の意味がわかるってことじゃないかね」
「わかるような気がしますね」
都鳥君は静かに飲んでいる。
「でも働いた金じゃ、三十万円のジャムパーを買う気になれませんね」
おい、よせよ。彼、僕より高いのを見ていたんだ。
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[#小見出し]13 大歩危小歩危《おおぼけこぼけ》、満月旅行《フルムーン》
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帽子が黒、ジャムパーの裏地が赤。車窓風景は稲刈《いねかり》のシーズンで黄色。
ABDかなと弱気な鹿島立《かしまだ》ち。
着いたところは、ノミ屋の高知といいますきに。
おそろしい所へ来たもんだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥道中なんの話もなく[#「道中なんの話もなく」はゴシック体]
十月二十九日、金曜日。
午前五時半に家を出た。朝焼け。乳赤色が東の空いちめんに広がっている。それが次第に薄れていって曇り空になった。僕《ぼく》は四国の高知へ行こうとしているのである。
この日の僕の出立《いでた》ちは、黒革の帽子、黒の革ジャムパー、ジーパン、スニーカー。酒をやめて金の使い道がないというわけではないが、形《なり》に凝《こ》るようになった。
革のジャムパーは、立川駅の新装成った駅ビル Will 内某店で購入したものである。この駅ビルは日本一だか二番目だかという広大なもので、とにかく権利金、敷金、家賃の高いことでは間違いなく日本一であるそうだ。権利金は一坪三百万円だという話を聞いた。十坪の喫茶店を開くとして三千万円。これをどうやって返済するかと思うと気が遠くなる。従って、遠からず喫茶店も大資本系列に組みこまれてしまうのではないか。すなわち、日本全国、コーヒーはUCCになってしまうのではないか。
義侠心《ぎきようしん》に富む僕が、これを黙って見過すわけがない。地元に金を落とせ、立川の駅ビルへ行ってコーヒーを飲もう。そう思って出かけた。
女房《にようぼう》は真珠のイヤリングを買った。開店記念で割引になっている。そこで、対抗上、僕もジャムパーを買うことになったのである。
いろいろ試着してみるのだが、どうもシックリとしない。もともと若者の着るもの、オートバイ少年の着るものだから似合うわけがない。できるだけおとなしいもの、デザイン的でないものを選ぶことになる。色は黒。なぜならば、ドストエフスキイの細君の風船女史に貰《もら》った黒革の帽子があるので、これに合わせる必要があるからである。
「いいものがあります」
女店員がそう言って、ウインドウにある黒革ジャムパーを持ってきた。僕は、デザインよりも着心地よりも定価を重視する。七万九千円のところ、開店記念セールで三万円になっている。
「裏が真赤なんで売れ残っているんです」
ナニ、裏地なんかどうでもいい。着てしまえばわからない。三万円というのが気にいった。地元に金を落とすというときに頃合《ころあ》いの金額ではなかろうか。
僕はそのジャムパーを着て府中の競馬場へ行った。十月十日のことである。これから寒くなる。特に競馬場は寒い。ジャムパーは必需品なのである。競馬場のレストルームの鏡に映った自分の姿を見て愕然《がくぜん》となった。
「なんだ、こりゃ……。二十年前の石原裕次郎じゃないか」
遅レテルなあ。『飛行機野郎』なんて映画があったかどうか知らないが、あったとすれば間違いなく裕次郎はこんな恰好《かつこう》をするだろう。新しがったり若者に近づこうと思ったりすると、たちまち古くなる。
だけど、買っちまったんだから仕方がない。そのスタイルでもって出掛けたのである。
帽子が黒、ジャムパーが黒。裏が赤。黒と赤は連勝番号で言うとABになる。ABを本線にしようと思った。僕は元来、出目だとか、自分の年齢にひっかけて馬券を買ったりするのを潔《いさぎよ》しとしないほうの男である。そんなものは信じない。能力(持時計)、馬体、展開を考えて馬券を買う。しかしながら、名古屋|土古《どんこ》で惨敗《ざんぱい》を喫してから弱気になってしまっている。それに、あとでゆっくり説明するが、名にし負う高知競馬である。こりゃあ一番、出目で行くか。そんな気になっている。
午前五時半の中央高速道路はガラガラに空《す》いている。六時十分に東京駅に着いてしまった。ひかり91号の発車は七時三十四分である。栄太楼の抹茶飴《まつちやあめ》を買おうと思ったが、売店もシャッターをおろしたままである。えいママよ、僕は洋食堂に入ってコーヒーを飲むことにした。
早朝の駅の洋食堂には常に一種の緊張感が生じている。熟年の父親と高校生の娘。娘の提案でモーニング・セットなんかオーダーしている。経済新聞を読んでいる中年サラリーマン。なにか深刻な問題を抱えこんでいるかのごとき老人夫婦がトンカツ弁当を喰《く》っている。夫が爪楊子《つまようじ》をくわえてシーと歯を鳴らす。整髪料が匂《にお》う。
ここで僕の身体的状況を説明しなければならない。
十月十日、体育の日、黒革ジャムパーでもって競馬場へ行ったと書いた。その帰り道、府中の小料理屋で喰ったシメサバに中毒《あたつ》てしまった。家に戻《もど》って、おかしいなと思ったら、突然、あっちこっちが痒《かゆ》くなった。いや、その苦しいこと。あげたり、くだしたり。すぐに医者を呼べばよかったのに、その日が日曜日で祭日、翌日がフリカエ休日。ついつい遠慮したのが僕の気持の優しいところだが、こんなことちっとも自慢にならない。バカなんだ。そのあと苦しみ通しで、二十九日になっても、まだ治《なお》らない。空腹になると胃が痛む。だから夜は眠れない。だからと言って胃が悪いんだから食べるわけにはいかない。ずっとオ粥《カユ》サンで過してきた。
僕、もともと糖尿病の人である。それに高血圧、肝臓病が加わる。コレステロール、中性脂肪の数値も非常に悪い。加えて五十肩だろうと思うが、右腕が上がらなくなってしまった。満身|創痍《そうい》。そんな感じだ。草競馬が好きでなかったら、とても高知くんだりまで出掛けるわけにはいかないのだ。
おっかなびっくりコーヒーを飲む。七時になって新幹線ホームにあがると、ひかり91号が入ってきた。座席に坐《すわ》っていると、すぐに都鳥《みやこどり》君がやってきた。
「お早うございます」
満身創痍の男にとっては、隣に誰《だれ》かがいることが、とても有難《ありがた》い。都鳥君、若さを謳歌《おうか》するがごとき良い血色。僕だって、そういう時代があったんだ。
いつだったか、午前六時発の新幹線に乗ったら、いきなり車内が赤くなって、片一方の頬《ほお》が熱くなった。なにか横なぐりの夜明けだという感じがした。そんなふうにはならなかったが、新横浜あたりで明るくなった。上天気である。珍しく黒い鋭い富士山が眺《なが》められた。
ビュフェへ行く元気がなく、座席でサンドイッチの朝食を済ませた。大阪駅のホームに相撲の富士桜がいるのが見えた。よし、フジのつく馬がいたら買うぞ、なんて考えるのが、そもそも弱気の証拠。
十一時五十七分、鉄路|恙《つつが》なく岡山駅に到着した。岡山駅で都鳥君は幕の内弁当とアナゴ丼《どんぶり》を買った。このアナゴ丼は臥煙《がえん》君の推奨するもの。彼、なんとなくアナゴの殿様という顔になってきている。
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[#地から2字上げ]―――――¥僕等もフルムーン[#「僕等もフルムーン」はゴシック体]
十二時十三分、宇野線の列車が出発し、約四十分間で鉄路恙なく宇野駅に到着した。途中の田園風景は稲刈のシーズンになっていて黄一色である。黄は五番|枠《わく》だから、僕の服装とあわせてABDだなと、またしても弱気に考えている。
宇野駅は、いきなり宇高連絡線に直結している。通路を歩いていると、そのまま船に呑《の》みこまれてしまう。僕等は一番前の座席に並んで坐った。老夫婦の観光客が多い。おたがいが労《いたわ》りあっているような、すっかり愛情が冷めてしまって他人に戻ってしまったような変な具合。
都鳥君、さかんにアナゴ丼を喰う。
「うまいですか」
「おいしいです」
「液《つゆ》が染《し》みこんでいますか」
「よく染みこんでいます。作るのに二分待たされました」
僕の目の前に幕の内弁当がひろげられている。
「この卵焼き、うまそうだ。喰べてください」
「はい、はい」
「やあ肉がある。これ喰べて精をつけて」
「はい、はい」
僕はコーチするだけ。
「見るだけの弁当となりたる十月かな。字余り」
まったく食欲がない。すでにして空腹時の痛みが始っているのに。……まったく、どうなっちまったんだろう、僕の体。
やがて、水路恙なく高松港に接岸した。桟橋《さんばし》ってやつは、どうして皆|駈《か》けだすのだろうか。もっとも、発車まで十分間もないのではあるが。
僕、駈けながら左手の売店を横目で見た。
「あれ、買ってよ、カステラ」
「はいはい」
都鳥君、マラソンの恰好で少し戻る。
「それと、牛乳」
「はいはい」
「本当はチクワかカマボコを喰いたいんだけど、やめたほうがいいだろうね」
「はい、ネリモノですから」
「それからね、烏龍《ウーロン》茶」
「はいはい」
高松発十四時三分、土讃《どさん》線南風3号に乗りこんだ。
こんどの旅行、大歩危小歩危《おおぼけこぼけ》の紅葉を楽しみにしていた。それで十月末の高知競馬を選んだのである。
「このカステラ、うまくないね。なんだか、ふかしパンみたいな味がする」
「カステラじゃありません。かすてい羅《ら》です」
こういうものを押しこむと腹痛がややおさまるのである。僕が旅行しているのではなく、弱って重くなっている胃が運ばれている感じだった。本当にそれが実感だった。
琴平《ことひら》を過ぎると、たちまちにして山が高くなる。池田なんてのは、ほんとに山の中にあり、右も左も山また山。池田高校野球部は強いわけだ。自然に足腰が鍛えられる。
山の高い所に村落がある。耕して天に到《いた》るではなくて、突如として村落があらわれるのである。林業のほか、ソバやコンニャクを生産するらしい。つまり畑がある。その畑は、必然、斜面になる。そんなところで昼寝をしたら、うっかりすると吉野川までゴロゴロッと転《ころが》り落ちるのではなかろうかと思われた。
紅葉には早かったらしい。全山紅葉というわけにはいかない。それに今年は台風が多く、どこでも紅葉は良くないようだ。それでも、大歩危小歩危の渓谷《けいこく》美はなかなかのものである。土讃線の眺めのよさは、おそらくローカル線ベスト3以内にランクされるだろう。吉野川は右に見えたり左に見えたりする。
そのたびに、老いたる上原謙と高峰三枝子は、座席を移って眼下の渓流を楽しんでいる。僕等もこれに習った。
「おい、フルムーンの資格を知ってるかね」
「知りません」
「夫婦の年齢の合計が八十八歳を越えればいいんだ。僕が五十六歳。女房が五十五歳。あわせて百十一歳。フルムーンをオーバーすること二十三歳。国鉄は余計なことを考えだしたもんだな」
「はいはい」
「都鳥君は何歳になったのかね」
「三十七歳になりました。恥ずかしながら」
「ええと、僕とあわせて九十三歳か。君と僕とでもいいわけだ」
「気持悪リイーイ」
「そうか。俺《おれ》もそう思った」
繁藤《しげとう》なんてところを通る。十年前に大山崩れがあって六十何人かが犠牲になったところだ。土讃線、ドサンときそうで名前の印象が悪い。
「そいつは御免だ」
と思ったら後免《ごめん》の次が高知だった。高知駅前からタクシーに乗って城西《じようせい》館に向った。
「旦那《だんな》さん、観光かね」
「いや、競馬です。高知競馬」
「あれは八百長が多いきに……」
「ヤクザのからみですか」
「おおかた、そうれすろう」
「一緒に行かないか」
「ごめんれすろう」
「高知は悪質なコーチ屋が多いと聞いてきたけれど」
「ノミ屋れすろう。ノミ屋の高知と言いますきに」
おそろしい所へ来たようだ。
宿舎の城西館の前はいっぱいの人集《ひとだか》りになっている。映画の撮影でもあるのかしらと思った。道路まで赤い絨毯《じゆうたん》が敷きつめられている。その両側に、支配人、板前、ボーイ、仲居さんたちが、ずらっと整列している。僕、かまわずに絨毯の真中を踏んで進んでいった。それでは恰好がつかないので手を振った。僕に向って最敬礼する人がいる。しかし、大方は、ドッと笑った。あとでわかったのだけれど、春野で開かれる軟式庭球総合選手権大会に出席される浩宮《ひろのみや》さまが、ほとんど同時刻に到着することになっていたのである。四日滞在されるというが、十月三十一日は府中では天皇賞があり、浩宮さまは高知競馬も視察されればいいのにと思った。いや、本当の話。そうでもしなければノミ屋は一掃されないだろう。
「お食事にしますか」
「いや、風呂《ふろ》だ」
都鳥君が御女中に粥を頼んでいる。中毒以来、風呂に入ってない。旅の垢《あか》は掻《か》き捨てと言うではないか。五時に起床して、ということは前日ほとんど眠っておらず、それから延々十二時間、タクシー、新幹線、列車、船、列車、タクシーと乗物づくしみたいに乗りついで、はるばる土佐までやってきたのだ。この機会を逸するならば、いつ入浴できるかわからない。
風呂に入ったのはいいが、いっこうに夕食がやってこない。
「申しわけありません。浩宮さまのほうが終るまで待っていただけませんか」
「浩宮というよりガードマンのほうでしょう。いいですよ。何時になりますか」
「七時半頃」
かすてい羅で、いっときを凌《しの》いだ。
夕食後、都鳥君が駅まで競馬新聞を買いに行ってくれた。当地では『中島高級競馬号』というのが売れているという。他《ほか》に『福ちゃん』なんてものもあった。僕は、どこでも売行き第一位の新聞を買う。人気がわかるからだ。中央では『ダービー・ニュース』を買う。いま『ダービー・ニュース』は第一位ではないのだけれど、むかし大川慶次郎を擁して圧倒的に人気があったとき以来の癖になってしまっている。
さて、基本方針を何にするか。持時計にするか。馬を見て買うか(これは中央でも地方でも非常に大切なことだ)。徹底的な穴狙《あなねら》いでゆくか。固くゆくか。まず、高知競馬の傾向を探らなければならない。
「内枠有利です」
前回の成績欄を見ていた都鳥君が叫んだ。
「それに、逃げっきりばかりです」
「そうなんだけれど、どの馬が逃げるのか、それがわからない」
脚質欄を見ると、ほとんどの馬が先行となっている。稀《まれ》に先行差というのがあり逃というのもある。僕は公営競馬では先行有利、馬券的にも妙味ありと思っているので「逃ゲ馬買ウベシ」を信条としている。中央でも、だから先行脚質のモンテプリンスを信用するし、サンエイソロンのような追込み一手の馬を信頼することができない。
逃げなければ勝てない。しかし、どの馬が逃げるか。むろん、本来は追込み脚質であっても、成績がよく持時計のある馬が先行すれば末が確《しつか》りしているから楽勝する。意地の悪い見方をすると、これは八百長のやりやすい競馬である。スタートでおさえてしまえば、まず勝てない。怖《おそろ》しいぞ、甘くないぞ、と思った。煩悶《はんもん》すること数刻、
「わかった」
こんどは僕が大声をあげた。
「この『中島高級競馬号』の的中率はすばらしい。なぜだかわからないが、結果はそうなっている。前回十月十一日の◎の連対率は十レース中九レース。九割というのは驚異的だぜ」
「だから?」
「だからね、◎→○、つまり本命対抗を買う。これはおさえだ。次に◎→無印を買う。ごらんなさい。十月十一日の第八レース、◎→無印の配当は五千七百十円だ。これを一発取ればいい」
そういう結論に達した。こういう買い方は、人気馬から薄目へという一戦法であるが邪道である。邪道であるが仕方がない。ポリシーがきまらなければ眠れない。
十一時から翌朝の六時まで、シッカリと眠った。旅の疲れということもあった。都鳥君は、僕が眠ってから、一人大浴場で入浴し、朝もシャワーを浴びたという。とても綺麗《きれい》好きな人だ。
それでも、僕、明け方に夢を見た。土佐はヨサコイ節である。ヨサコイは4351ではないか。四頭をからませると六点買いになってしまう。なんとか三点買いにしぼれないか。鯖《さば》に当ったのだから、サバは38であり、ヨサコイからサバの3を引くと451になる。いや、待てよ。土佐は103だから3は重視すべきか。四国は459だな。フルゲートが八頭だから9はない。45本線で押すべきか。途中にアナナイなんて駅があったな。穴がないなら本命党に変更しようか。
ああ、情ない。そんなことを考えていたのだ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥鯔《ぼら》の跳ね飛ぶ[#「鯔の跳ね飛ぶ」はゴシック体]
第一レースの発走は十一時半であるが、九時半に旅館を出てしまった。港に近い競馬場には、窓口のオバサンも来ていない。競馬法違反になるが、無料(入場料五十円)で入ってしまった。
高知競馬場の内馬場は、すべて沼である。カモが数百羽浮かんでいる。さかんに大きな魚が跳ねている。沼ではあるが、海水が入りこんでいるらしい。すなわち、内馬場がないのである。スタートすると発馬機が内馬場へ逃げるわけにはいかない。だから、これを延々、トラックでもって引っ張って、第三コーナーまで逃げるのである。スタート直後から、発馬機が馬のあとを追う。一周した馬とぶつかりはしないかとヒヤヒヤした。
高知県競馬組合事務局長の横田祥久さんにうかがうと、跳ねている魚は鯔であるという。鯔が跳ねると雨になる。
「子供が入ってきて、鯔を釣《つ》るんですよ」
「そりゃ無理もない。競馬場ぐらい子供にとって面白《おもしろ》い所はありませんから。カモがいて鯔が釣れるんじゃ、とてもじゃないが」
「だけどね……」
そう言って、鯔用の釣針を見せてくれた。長さ約十センチ、錨《いかり》の形をしている。馬場内で拾ったのだそうだ。これは危険だ。
僕たちは、木造三階にある委員長室で観戦させてもらった。そう言うと大層のように聞こえるかもしれないが、第四コーナーに差しかかるところから直線中程までが、つまり、一番面白いところが、スタンドの屋根に隠れて見えないのである。そのときは場内テレビを見る。窓もちいさい。振りむくと順位が変ってしまっていたりする。
「台風が心配なんですよ。高知は台風の通り道ですからね。あの厩舎《きゆうしや》、見てください。むかし、長浜にあったのをそのまま持ってきたんですよ」
「あれじゃ壊れますね」
「壊れるのはまだいいとして、屋根が飛んで近所に迷惑をかけやしないかと思って。それが心配で心配で……」
二、三年後に、ふたたび長浜に新競馬場が出来る予定になっていて、そのために、かえって場内整備が遅れているらしい。
僕たちは二階の特別観覧席へ降りていった。その隣が、板一枚渡しただけの馬主席であり、馬主席の背後が馬券売場になっている。特別観覧席をトッカンなんて言う。指定券は三百円であるが、そのトッカンの最上段中央に、相撲の使うような大きな座布団《ざぶとん》が置いてある。
「おいおい、これは相当な親分が来るぜ」
「綿がはみだしていますけれどね」
トッカンのうしろが喫茶室。そこで梅宮辰夫を若くして小柄《こがら》にしたような男が声をかけてきた。
「せんせい、何を調べにきたんですか」
ほら来た! 彼等の情報は実にすばやいのである。いつ、どうやって調べたのか、彼は、言わずと知れたノミ屋(ドリンク)である。
「競馬をやりにきただけだよ」
「嘘《うそ》でしょう。高知競馬のノミ屋の実態を書くんでしょう。よく書いてくださいよ」
「そうはいかない」
このドリンク氏は、変に明るくて屈託がない。
「あそこにいるのが四国一の大親分です」
例の綿のはみだした座布団に、凄味《すごみ》のある中年男が坐っている。十一月になろうとしているのに、着ているものは上から下まで白一色。頭髪はチリチリ。喫茶室の扉《とびら》に寄りかかるようにして、俊敏な感じの青年が二人。こちらは紺の背広に朱のネクタイ。
それとは別に、四十がらみの、日光の円蔵という感じの男が話しかけてきた。
「いやあ……。どうっかでお見かけしたと思ったら……。せんせでっか」
これは情報なのか、それとも園田か姫路あたりで顔を見られてしまったのか。おそらくは前者だろうが、高知へ来て、高知と大阪とは近いなあと思った。高松や今治や松山の人の目は瀬戸内海、岡山広島のほうへ向いているが、高知の人の目は太平洋、すなわち大阪や東京へ向いているように思われる。カーフェリーと飛行機でもって……。高松から土讃線で山を越えたら大阪へ突き抜けてしまったように思われた。贋《にせ》五千円札が最初に発覚したのは園田競馬場であるが、そのとき警察は最初に四国に工場ありと目星をつけた。そのことが実感としてわかるような気がした。犯人は別府にいたのだが、それだって港町である。
高知競馬場は内埒《うちらち》も低いが周囲の塀《へい》も低い。港だから砂利山がある。その砂利山の上に十数人の人が見える。僕は常に双眼鏡を携行しているから、すぐにわかる。これがノミ屋の客である。ノミ屋のほうはパラソルをひろげている。近くのビルで商売しているのもいるらしい。仕舞屋《しもたや》の屋根の上に、つぎ足した番|小舎《ごや》のようなものが建っている。これだって怪しい。
高知競馬の一日一人の売上げは約二万八千円というところ。これは異常に少い。佐賀競馬でも、三万五千円から四万円という話を聞いた。その差額がノミ屋に流れていると見てもいいのではないか。
去年、高知では八百長事件が発覚して、一開催が中止になった。これは、覚醒剤《かくせいざい》使用の騎手が検挙《あげ》られたことに端を発した。その騎手が|うたって《ヽヽヽヽ》しまったのである。馬主もからんでいたという。馬主がノミ屋に|いれる《ヽヽヽ》ということも平気で行われていたらしい。また、ノミ屋のなかに厩務員《きゆうむいん》もいたそうだ。薬物使用もあって大事件になった。
僕は決してノミ屋や暴力団に味方するものではない。しかし、現状では、ある程度は仕方がないとも思っている。毎度書くように、八百長というのは、仕組んでも、なかなか成功しないものだ。また、そうかといって、競馬は本命対抗で一二着するともかぎらない。そこが面白い。その間を掻いくぐって、儲《もう》けないまでも損をしないで帰ってくるというところにスリルと快感があるのだ。
たとえば、こういうことがある。
この日、第一日の第十レースは瀬戸内旋風《セトウチセンプー》が逃げきって勝った。単勝の配当は五千四百七十円である。売上げをみると、なんと一票、すなわち百円しか売れていないのである。僕もこの馬からの三点流し。二着のピットリーは、まるで持時計がなく万馬券になった。僕だって単勝を買いたかった。しかし、僕が単勝を一万円買ったらどうなるか。単勝の五千四百七十円が千三百円になってしまうのである。これはバカバカしい。そこでノミ屋にいれる。配当は変らない。馬券を真剣に考えれば考えるほど、ノミ屋を使ったほうが得だということになってくる。しかも、ノミ屋は一割引であって、一万円で千円券が十一枚買える。だから、ノミ屋は怖がって単複は受けないらしいが、大きな勝負をする人にとっては連複も同じことになる。
ノミ屋を退治しようと思ったら、単に取締りを強化するだけでは駄目《だめ》なのであって、もっと根本的なことを考えなくてはいけない。ひとつだけ言えば、控除率の二割五分というのが高過ぎるのである。
「せんせい、儲かったかね」
梅宮辰夫に似たドリンク氏が言った。愛嬌《あいきよう》のある青年である。
「駄目だ。きみは?」
「あかん。パーや」
僕は惨敗《ざんぱい》を喫した。◎→○をおさえ、◎→無印というのが基本的な考えであったが、どのレースにも無印は二頭か三頭はいる。
この日も『中島高級競馬号』は、すばらしい冴《さ》えを見せた。
◎→○が四回、◎→▲、◎→×が一回ずつ。○→注が一回、▲→無印が一回、○→×が一回、無印→△(最終の万馬券)が一回。◎の連対率が六割というのは上等である。◎→○はすべておさえたが、最高の配当が四百円。これでは儲けにはならない。◎→無印は一回も出なかった。
高知競馬のファンは、相当に目が高い。固いのは固く、狂えば万馬券になるというのは、かなり絞りこんで買っている証拠だ。こうなるとノミ屋も楽じゃない。
「イレ歯をはずして早く寝よう」
都鳥君にそう言った。
「今日の予定分を使い果たしちゃった」
彼も元気がない。
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[#地から2字上げ]―――――¥沢木耕太郎の運勢[#「沢木耕太郎の運勢」はゴシック体]
僕は大いに反省した。◎から無印へという買い方は、一戦法であっても邪道である。同じ無印でも、勝つ可能性が皆無にちかいものと、何かの事情(たとえば休養明け)で無印になっているものとがある。
僕は勉強した。
十月三十一日、日曜日、第十回高知競馬、第二日。
第一レース。土佐英光《トサヒデヒカリ》から無印の第二姫椿《ダイニヒメツバキ》の@Aという馬券が的中。第二姫椿は気合がよく見えたし稽古《けいこ》量も豊富である。千百五十円の配当は悪くない。勉強の甲斐《かい》があった。それに、内枠有利という都鳥君のデータもある。
第六レース。宮城旋風《ミヤシロセンプー》からエースフォーレルが的中。配当千二百二十円。これは都鳥君も買っていて、
「舐《な》めたらいかんぜよ」
と、仁王立ち。
第八レース。高知県馬主協会会長賞、アラ系C2、寒蘭特別、一着賞金六十二万円。
大内正一騎乗の勝利馬《ウイングホース》が果敢に逃げ、人気薄のチェリーキャニオンが突っ込んできて、都鳥君が、
「やったあ!」
と叫んだ。
「おい、この@Bは万馬券だぜ」
なにしろ、都鳥君、初めて福山へ行ったとき、たて続けに万馬券を的中させて、スバル君を切歯扼腕《せつしやくわん》させた男だから、このくらいの芸当はやりかねないのである。そのときは無我夢中で、競馬とはこんなもんだと思ったそうだ。
「違うんです。頼まれ馬券です」
「誰に頼まれた」
「沢木耕太郎さんです。日曜日のメインレースの@Bを千円買ってくれって」
@Bの配当は一万二千九百七十円である。
僕は家へ帰ってから、沢木さんの運勢を調べた。昭和二十二年生まれは、『高島易断本部|編纂《へんさん》・昭和五十七年神徳御宝暦』によれば「今年は天恵ある素晴らしい盛運年で、日頃《ひごろ》心掛けよく勤勉善行の人は、福の神より大きな幸福を授かるでしょう」となっている。よほど心掛けがよかったのだろう。十月の運勢は「引続いて好調な月で野心を起さぬ限り快調です」となっている。彼は九月には新田次郎賞を受賞している。
これも後のことになるのだけれど、都鳥君が十二万九千七百円を手渡したとき、沢木さんは、
「あ、そうか」
とだけ平然と呟《つぶや》いたという。釈然としない都鳥君が、なおも追及すると、こう言った。
「当るだろうと思っていたよ。@Bというのは数字のほうで躙《にじ》り寄ってくる感じだったな。潜在意識として王と長島の背番号ということがあったかもしれない」
そういうことってあるのだけれど、僕等のほうは、ちっとも数字のほうで躙り寄ってくれなかった。
第九、第十レース。ともに失敗。
騎手では勝鞍《かちくら》第一位の打越初男が、さすがに率《そつ》がない。他に、大内正一、平和人、金田繁春が良かった。積極性がある。若手では鷹野《たかの》宏史がすばらしい。いかにも当りがやわらかそうで、ペース判断もいい。レース後に、四月に教習所をトップで卒業した十七歳の少年であると聞いた。この少年は、将来必ずリーディング・ジョッキーを争うことになるだろう。
僕は金田繁春の果敢な騎乗ぶりを評価したいが、この日、失格してしまった。その理由は、
「第二競走。トウザイヒカリ号に騎乗した金田繁春騎手は、発走後内側に斜行し他馬の進路に影響を与えたため騎乗停止」
となっている。実は、僕が金田を積極果敢だなと思ったのは、このレースのときで、騎乗停止になるとは思いもよらなかった。大内騎手も戒告を受けている。
これは僕の邪推かもしれないけれど、高知競馬にはとかくの評判があり、公正を期するあまりに騎手に対する処分が苛酷《かこく》になる傾向があるのではないか。第一日には金田、谷力、平和人騎手が戒告を受けている。そうではないと信じているけれど、競馬界に事件が起こると、騎手、厩務員、調教助手の順に制裁を受けるような気がしてならない。
曇り空が小雨になった。鯔が飛ぶ。大きな魚が跳ねるのを見ると物悲しい感じになる。
吉野秀雄先生の歌に、
渚《なぎさ》近く鯔の跳ねとぶ夕まぐれわがかなしみは極まらむとす
というのがある。
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[#地から2字上げ]―――――¥土佐の満月[#「土佐の満月」はゴシック体]
これではいけない。もっと絞り込まないといけないと思った。それよりも、狙《ねら》いを定めて、自分の競馬をしないと駄目だ。自分の狙いがあれば、負けても納得がゆくのである。
苦心研究の末、第三日、第六レースの一番枠|那須梓《ナスノアズサ》に狙いを定めることにした。ジョッキーは金田繁春から打越初男に乗り替っている。これはマイナス材料だ。金田なら人気薄だが打越ではそれだけで人気になってしまう。しかし、鞍上《あんじよう》強化であることに違いはない。『中島高級競馬号』の予想では本社予想が注《ヽ》、中島チーフ、島田トラックマンはともに無印にしている。
那須梓は五歳牡馬、中央では千六百万クラスにランクされ、府中ダート千六百メートルで一分三十九秒六の持時計がある。では、どうして人気がないかというと、当地へ降りてきて、四戦して着外ばかりという成績であるからだ。中央の馬で恰好《かつこう》ばかりよくて、姿は垢抜《あかぬ》けていても、まるで勝てないという馬がいる。
七月に走って五着。それ以来四カ月ぶりの出走である。必ずや馬をたてなおしてくるに違いないと思った。休養はプラス材料。絶好の狙い目と考えた。
十一月一日、月曜日、第十回高知競馬、第三日。上空に雲は多いが日射しは強く快晴と言ってもいい。ダートの上に馬の影が濃い。
第一レース、第二レース、ともに的中。しかしゴミみたいな馬券で自慢にならない。
第三レース。四番、五番、六番で何もいらないと思った。事実、四番と六番で決まったかと思われたが、内から二番のソロモンミサキ、外から七番のイチフソウが突っ込んできて、長い写真判定の末、AFで、なんと二万七千二百五十円という大穴になった。これは迫力のある良いレースだった。こんなこともあるのだ。
第四レース。大荒れのあとだから、わざと一番人気になる組合わせを買って的中。ただし連複配当百九十円。高知のファンはセコイなあと思った。僕もセコイ。
いよいよ第六レース。
那須梓と決めてきたが相手馬がわからない。そこで総流し。これは敗北思想だと思うのだが仕方がない。
打越騎乗の那須梓は、思っていたように逃げた。楽に逃げた。総流しだから安心して見ていられる。直線に入り、スタンドの屋根で見えなくなったが、場内テレビで見ると、どうやら五番のハイグッドが脚色よく突っ込んでくる。しめた、@Dなら万馬券だ。そう思ったが、大外から七番の鷹野騎乗のコーシュンオーが強襲してくる。来るなよ来るなよと念力をかけたが、ついにコーシュンオーは那須梓をとらえて一着。これは『中島高級競馬号』で◎の馬。那須梓は二着。従って、配当は@F千三百四十円になってしまった。
昨晩は、総流しにするか、有力馬に厚目に投資するか、ずいぶん迷ったものだ。まあ、こんなこともある。これが俺《おれ》の競馬だと納得する。悔いはない。
「ありがとうございました」
都鳥君は、僕の推奨馬から有力馬へという方向を選んだようだ。良かった。
第七レース。四百十円が的中したが、取って損というやつ。第八レースは三千八百五十円という穴になる。失敗。
「せんせい、儲かりましたか」
ドリンク氏が寄ってきた。
「あきまへんなあ。あんたは?」
「パーですわ。いまのレースで」
「打たれたか」
「どかっとぶちこまれましてね、百五十万円の損ですわ」
本当に顔色が悪い。配当三千八百五十円だから、五万円ばかり打ちこんだ客がいたのだろう。この頃、ノミ屋も景気が悪いのである。
「昭和五十一年ごろは、いい目をみさしてもらいましたのに」
「御愁傷様れすろう」
第九レース。
『中島高級競馬号』のキャッチフレーズは「中心はタイヨウ、惑星はリキ、キセン。衛星はリリシ、タイム。結果は宇宙の謎《なぞ》!」となっている。なかなかやるじゃないか。その通り、タイヨウセンプーが一着、リキタジマが二着。配当三百七十円。僕は失敗。
いよいよ、最終の第十レース。逃げ馬のゾーリンゲンは剃刀《かみそり》の切れ味があるはずだ。有銭《ありがね》そっくりゾーリンゲンから人気のトキノシゲタカ、シャッキョウに投入。
しかるに、なんとしたことか、ゾーリンゲンは大きく出遅れ。どうも隣の枠の疝気《センキ》薔薇《ローゼン》がスタート直後に落馬した影響を受けたのではないかと思われる。人気の二頭で決まって七百四十円。このゾーリンゲン、三越で買ったのか。
すべては終った。
高知港から船で大阪へ出ることにしていたので、下見を兼ねて港のほうへ歩いてゆく。
「せんせーい!」
という声がした。ドリンク氏が後からついてくる。
「おうい! どうだったあ?」
ドリンク氏は両手を大きく前に突きだし、空に向って掌《てのひら》を開いて万歳の恰好をした。
「パーですわぁ!」
僕も両腕で×印を作った。そのあたり、コスモスと昼顔が咲き残っている。砂利山のノミ屋連中と合流して銭勘定が始るようだ。
「おれたちのこと、良く書いてくださいよう! 頼みまぁす!」
良く書けるわけがないじゃないか。
高知市内、初瀬という店で食事した。ドロメ(チリメンジャコの生《なま》)が美味《うま》かった。やっと食事らしい食事をしたが、警戒して飯は喰わない。
播磨屋橋《はりまやばし》でカンザシを買った。都鳥君は、豚《ぶた》マンを買ってくれた。空腹時に胃が痛むので、夜食用という配慮なのである。
八時に港へ行った。そのまえに、うまいコーヒーを飲みたいと思って喫茶店を探したが一軒もない。二百八十円のUCCばかり。もしくは甘いだけの飴《アメ》リカン・コーヒー。
「月が出ています。満月です」
僕等の乗船予定のニューかつら≠フ巨大な船体の上に、目が痛いくらいのマンマルな月。
九時二十分出港。僕は隠岐島《おきのしま》へ行ったときに船暈《ふなよい》にやられた。だから眠るにかぎると思った。僕等の部屋は特等A個室二人部屋。バスがついている。都鳥君は船が港を出る前に入浴した。本当に綺麗《きれい》好きな人だ。風呂から出て、浴衣《ゆかた》に着かえ、豚マンを肴《さかな》に酔鯨《すいげい》(酒の銘柄)で一杯やっている。
十二時。ウトウトしていたら都鳥君に起こされた。
「いま、室戸|岬《みさき》を通ります。スモーキング・ルームからよく見えます」
彼、船内|隈《くま》なく探索したらしい。スモーキング・ルームは船首最上階にある。なるほど、よく見える。
「こんなところで、まだ灯《ひ》が見える。省エネに協力してくれなくちゃ困るなあ。おうい、みんな電気を消せ!」
都鳥君、しきりに憤慨している。沖に白波が見えることを兎《うさぎ》が跳《と》ぶという。その純白の白波がハッキリと見える。つまり煌々《こうこう》たる満月なのである。
「フルムーンです」
外海に出て船のローリングがはじまった。これはいけない。船室に戻《もど》り、珍しく少し眠った。
六時半、着換えをすませて、部屋の椅子《いす》に坐《すわ》って海を眺《なが》めていた。
「いよいよ、本土ですね。シーシーシー。あれが神戸です。シーシーシー。あの山は六甲ですね。頂上に見えるのが六甲山ホテルです。スースー、シーシー」
朝の入浴を済ませた都鳥君が、僕の背後で、突ったったまま、歯を磨《みが》きながら説明してくれている。
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[#小見出し]14 冬木立《ふゆこだち》、宇都宮競馬場《うつのみやけいばじよう》
[#ここから8字下げ]
金欠くに栃木は悲し寝るときも馬券数えて涙流るる。
かくてはならじとホテルの部屋で猛勉強。
やはり結果はサエなかった。が、窓口のオバサン、食堂のオバサン
みんな良い人ばっかりだった。有難《ありがと》う存じやす。
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[#地から2字上げ]―――――¥江戸の仇《かたき》を討つのみや[#「江戸の仇を討つのみや」はゴシック体]
十一月二十八日、日曜日、第二回ジャパンカップ(国際招待レース)、一着賞金七千万円。この日、府中競馬場ゴンドラ席は内外の競馬関係者で賑《にぎ》わっていた。快晴。大レースには必ず顔を見せる石川|喬司《たかし》、海渡英祐、古井由吉、古山|高麗雄《こまお》、高橋三千綱など、小説家連中も大勢来ている。
僕《ぼく》は都鳥《みやこどり》君と一緒。彼は中央競馬は初めての経験。ただただ魂消《たまげ》ている。
「大きいですね」
「大きい。馬が豆粒のように見える」
僕は、この日、昼から出かけて珍しく第五、第六レースが的中。しかし、そのあと沈みっぱなし。
お目あての第九レースが、ジャパンカップである。結果から言うと、僕らの部屋で的中したのは赤木|駿介《しゆんすけ》さんだけ。ハーフアイストの単勝(配当三千二百三十円)というのは見事。やっぱり専門家は違う。
都鳥君、しょんぼりして呟《つぶや》く。
「江戸の仇を討つのみやがあります」
「ナニ、ナニ、ナニ?」
これを高橋三千綱さんが聞き咎《とが》めた。目が赤い。
「昨日(土曜日)っからひとつも当らない」
彼、今年のダービーのとき、最終レースになって、
「もう、これだけっか、お金がない」
そう言って掌《てのひら》をぱっとひろげた。百八十円ばかり残っていたろうか。そのときより、もっと顔色が悪い。美男子だから、鬱宮《うつのみや》ミチツナ親王という感じになっている。
「ナニ、ナニ、おせて、おせて」
「宇都宮へ行くんです。明日から三日間」
「ぼく、行きます。ホテルはどこですか」
「ロイヤルホテルです」
宇都宮は立松和平さんの御城下である。立松さんと鬱宮ミチツナ親王とは親友同士であると聞いている。これはゲストとして来てくれると思った。ミチツナ親王は、むかしスポーツ新聞社に勤めていて、スポーツやギャンブルに精《くわ》しいから、願ってもないゲストになると思った。やや血気に逸《はや》る傾向があるやに思われるが、それも一興だ。大勝するのは、こういう人だ。
「えっ? なんですって。宇都宮へ行くんですって」
石川喬司さんが近づいてきた。たしか星新一さんの命名だと思ったが、渾名《あだな》が馬家《ばか》。作家じゃなくて馬家だという。この東大教授は、スポニチに競馬評論を連載している。
「ぼくも行きます。ホテルはどこ?」
「ロイヤルホテル」
これは豪華メムバーだ。そのほかに本田靖春さんも行く。夜は麻雀《マージヤン》になるだろう。友人から金を取るのは厭《いや》だな、と、そのときは、チラッとそう思った。
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[#地から2字上げ]―――――¥高級麻雀クラブ[#「高級麻雀クラブ」はゴシック体]
十一月二十九日、月曜日。快晴。このところ、ずっと雨が降らない。北関東には三つの競馬場(宇都宮、足利《あしかが》、高崎)があって、これを北関《ほつかん》三場という。北関には寒いときに行こう、それも年末がいい。うんと侘《わび》しい思いをしたほうがいい、そう思い思いしてきた。
朝早く、都鳥君が迎えにきてくれた。鉄道の切符を買ったり、時間通りにどこそこへ行ったりということはまったく不得手な僕だから、とても有難い。タクシーに乗って西国分寺駅へ行った。
九時九分発であるという。僕は、この日、エルメスの黒革のジャムパーを着ていた。自分では買えない。これは『小説現代』創刊二十周年記念で、同誌の新人賞選考委員を長く勤めているということで、昔から僕を担当しているミヤ中年が買ってくれたものだ。
柿《かき》の木に実がいっぱいに生《な》っている。このごろは、柿の実を取らないという。めんどくさいらしい。昔は米櫃《こめびつ》のなかにいれたり、剥《む》いて吊《つる》して干し柿にしたりしたものだ。最近では鳥も柿を食べなくなったようだ。
電車が来た。混んでいる。まだ出勤時間であるようだ。坐《すわ》れない。
僕の前に坐っていた青年が席を立った。
「いや、いいよ、きみ」
「でも」
そこはシルバーシートだった。僕は、僕の顔を知っている愛読者が席を譲ってくれたのかと思ったが、そうではなかった。
「お年寄りや からだの不自由な方に席をおゆずりください シルバーシート」
と書いてある。僕はお年寄りだとは思わないが体は不自由である。そう思って坐った。
坐っていると、なんだか知った顔の人に睨《にら》まれているような気がしてきた。その人は斜め上方から睨んでいる。それは電車の中吊りポスターである。見たことのある顔である。僕は、キャッチ・フレーズを読んだ。
「過激に見すえると、ロマンが見えてくる。村松友視」
と印刷されている。村松さんなら知っている。ロータスめがねフレームの広告である。村松さん、ずいぶん忙しいだろう。体は大丈夫かな、それにしても美男子は得だな、こういう商売がある、と思った。
南浦和で乗り換えて、大宮駅へ行った。階段をあがると、そこがすでに新幹線の入口になっていて、柵《さく》の向うに本田靖春さんが立っている。
「やあ……」
トレンチ・コートでぴたっと決まっている。東北新幹線でなく、成田空港に立たせたい。やや大ぶりな鞄《かばん》。三百万円ぐらいは楽に入る。商売人は違うなあ。
本田さんは競馬好きであるが、府中と川崎以外はめったには行かない。左|廻《まわ》りが好きなのだろう。そうしてまた、その気持はよくわかる。僕もそうなのだ。中山というのは田舎臭い。それならいっそ草競馬という気持が濃厚にある。川崎は柄《がら》が悪いというか、なんとも苛烈《かれつ》な感じがするところがいい。府中と川崎で何度本田さんに遇《あ》ったことか。
彼はパドック党である。自分の目だけしか信用しない。必ずパドックへ行く。僕は、こういう人が好きだ。やれ血統だ、展開だという人を信用しない。そんなことを言うなら、家で研究して電話投票をやっていればいい。
僕もパドック党なのだけれど、ちかごろ、階段の昇降が苦痛になってきた。足はいいのだけれど心臓が駄目《だめ》だ。従って、僕は返し馬専門になる。それも、馬がパドックから出てきて、本馬場へ足を踏みいれたときの感じ、そこからダクに入る感じで把《とら》えることにしている。本馬場に入って馬番の通りに一列縦隊になる。そのときに、前へ前へ出ようとする馬がいる。これは買いだ。それから、一列縦隊を崩して、くるっと向きをかえてトロットに入る瞬間の動きを重視する。鋭い動きの馬がいい。……そう思っているのだけれど、これは単に無精なだけであるのかもしれない。やっぱりパドックへ行かなければ、発汗とか毛艶《けづや》なんかはわからない。
本田靖春さんのことを気が短いという人がいる。血の気が多く喧嘩《けんか》っ早いようなところがあるが、僕は神経が繊細すぎるのではないかと見ている。気持の優しい人である。敬老精神に富む。みんなが短気だというので、僕はタンキ君と呼ぶことにする。少しばかりこっちが年長であるので許してもらいたい。本来、気の短い人はギャンブルをやってはいけないと考えている。しかるに、彼は、やるのだ。競馬はとても上手だ。
グリーン車に乗った。
「きれいですね。これはいい」
タンキ君は、しきりに感心している。都鳥君と僕は試運転のときに乗った。そのときはグリーン車ではなかった。
「これ、何かに似ていると思いませんか」
座席は焦茶《こげちや》に赤の混ったような色調になっている。……そう、何かに似ている。俄《にわ》か成金の応接室か。
「高級麻雀クラブ」
「うまい!」
僕は叫んでしまった。タンキ君が笑った。
「そうだ、東銀座あたりのね」
「ビルの二階でね」
「うな重なんか取ってくれる」
「ラーメンはインスタントだけれど、楊夫人《マダムヤン》か華味餐庁《かみさんちん》……」
「この、ちょっと上等っていうところが、いかにも目白の造った列車という……ね、ほんとだ、椅子《いす》を廻せば都鳥君をいれて三人麻雀ができる」
「揺れませんものね」
ひっきりなしにアナウンスがある。やれ、座席はリクライニング・シートになっているが静かに倒せとか、自由席では倒れないとか……。
「うるさいなあ」
「外国でも、こんなにアナウンスがありますか?」
タンキ君は外国旅行の多い人である。特にニューヨークを好む。
「何も言いませんよ」
「これがあるうちは、日本人は十二歳だって言われても仕方がないと思うな」
「親切すぎるんですね」
「東北コムプレックスかね。特に東北線がうるさい」
「変な音楽をやるでしょう、駅が近づくと」
「その土地の音頭なんですよ。仙台駅が近づくと大漁節になるよ」
「気が利《き》いているようで、うるさいんだ」
三十何分かで宇都宮駅に着いてしまった。
そこからタクシーで二十分ばかり。宇都宮競馬場は綺麗《きれい》な競馬場だった。従業員も感じがいい。環境もよろしい。特に向う正面の雑木林がいい。黄に赤に紅葉して日に光っている。右廻り千二百メートル。直線二百五十メートル。幅員《ふくいん》が二十メートルから二十八メートル。これは公営としては幅が広いほうだ。全体として小躰《こてい》な競馬場というのが好きだ。僕は小芝居が好きなのだが、そうかと言ってアングラは汚ならしくて厭だ。宇都宮はとてもいい感じだった。
第一に、ノミ屋がいない。これは芽の小さいうちに摘んでしまったためだそうだ。従ってヤクザ者がいない。
第二に、僕たちは委員長室の隣の来賓席で見せてもらったのだけれど、来賓席にかぎらず、どこでも見やすくできている。特別観覧席はゆったりとして美しい。馬券も買いやすい。パドックも美しくて上等だ。文句なし。
ひとつだけ、いけないことがある。オッズが出ないことだ。もっとも、三月になれば、巨大な配当掲示板が完成する。オッズを見て買うというのは邪道であるけれど、AB、ACの組合せが同じ力であると思われた場合、配当の良いほうを買うというのは、ギャンブルである以上、やむをえないのではないか。僕はオッズ党であって、これは万馬券だと思えば、見ているときの興奮度が違う。
第一レースは見るだけ。第二レースは7、9、11と入着した。連勝番号EF。第三レース、3、4、10。第四レース、FG。第五レース、7、12、11で、EG。第六レース、FG。第七レース、3、9、10で、BF。
僕は、ある傾向に気づいた。その第一は、逃げ馬が逃げきれない。その第二は、一番|枠《わく》、二番枠の馬が勝てないことである。
「なかなか逃げきれませんね」
僕は開催委員長に言った。
「そうなんです。内側は砂が深いですから」
「最近、砂をいれましたか」
「いいえ」
「砂をいれるとき、どこにいれますか」
「内側にいれますね。どうしても内側が深く掘れてしまいますから」
「ははあ、わかった」
かりに一番枠に逃げ馬がいたとする。これは先頭に立つ。そうして、一コーナーまでに、かなりの精力を費してしまう。向う正面で引きはなすだけの力は残っていない。真中へんは砂が浅いのである。それに幅が広い。だから、七番枠、八番枠の好位差しの馬が勝つことになる。
公営では逃ゲ馬買ウベシを信条とする僕は困ってしまった。だから、馬券は取られっぱなしだった。しかしながら、レースとしては、こういうほうが面白《おもしろ》い。ゴール前の迫力が違う。行った行ったでは味がない。
「ああ、またFGだ。朝から三度目です」
第八レースは、9、10、8と入着して、FGだった。
第九レース、特別サラ系(B2)、千六百メートル、一着賞金百二十五万円。
一枠に中野天皇《ナカノテンノー》がいる。二枠に太陽《サン》鉄女《サツチヤー》。
「天皇とサッチャーとどっちが強いだろうか」
僕は、パドックでタンキ君に言った。
「さあ……」
どういうわけか、タンキ君、いつもの勢いがなく百円券なんか買っている。府中や川崎では、びっくりするような思いきった買い方をするのに。……案外、僕の早計で、タンキ君は我慢の人であるのかもしれない。
サッチャーの勢いが良い。そうかと言って天皇も捨てられない。この両馬で勝負することにした。
しかるに、一番枠、一番人気で達者な今平弥騎乗の中野天皇は、まるで見所がなく、終始ドン尻《じり》のまま。はたしてサッチャーは鋭く追込んで一着。単勝千百九十円。
僕は、公営では、一日五万円までを一応の目安としているが、それを使い果たしてしまった。
悄然《しようぜん》として来賓席の裏の食堂へ行った。オデン屋のオバサンが店じまいするところだった。
「儲《もう》かったかね」
「ぜんぜん駄目だ」
「オデン喰《く》わねか? 安くするよ」
「いただこう。串《くし》に刺さったやつがいい」
「持ってって喰うのけ?」
「そうだ」
「何人?」
「三人」
「そいじゃ、ガンモを三つ。シュウマイもうまいよ。サツマも三つ」
「いくら?」
「ひとつ九十円だ。六十円にまけちまおう。三つっつだから、九つで五百四十円」
僕は五百五十円を渡した。
「お釣《つり》はいらない」
「あれ気前がいいね。東京の人だろう。……ありがとう」
これが良かったのかもしれない。
第十レース。かまわず八番枠から流した。あまり根拠はない。外枠買うべしと思っただけだ。Gも買った。
このレース、ゴール前、きわどく七枠のボールドペンダーが追込んで、先行する八枠両馬イチマツエース、スマイルエイトを差しきったかに見える。写真判定。
隣の委員長室で見ていたタンキ君と都鳥君が握手している。FG勝負のようだ。
しかるに、電光掲示板は11、10、9と点滅した。委員長室はゴール前約三十メートル。外のほうが有利に見えるのだ。
「悪いことをしたね」
「いいえ、いいんです」
どうやら、パドックで、タンキ君が都鳥君にボールドペンダーを推奨したらしい。タンキ君はコーチ屋に終始していた。
「オデンを奢《おご》った人とそうでない人の差だ」
こういう馬券は取っても良い気分になれない。連複配当二千五百五十円。半分取りかえした。一着になったスマイルエイトは、日野啓二という芥川賞《あくたがわしよう》作家みたいな名前の騎手が乗っていて『競馬ニッポン』紙では無印であるのに断然の一番人気で単勝配当二百七十円。こういうところがわからない。ふつうなら連複五千円ついても不思議ではない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥暗闇《くらやみ》で鰐《わに》[#「暗闇で鰐」はゴシック体]
ホテルに荷物を置き、大源《だいげん》という店でウドンスキを食べた。これが悪くない。粉がいいはずだと思ったのが正解だった。
こうしてはいられない。僕はホテルの部屋で猛勉強を開始した。
「わかった、わかったよ。過激に見すえたら、ロマンが見えてきた」
僕は叫んだ。
「宇都宮競馬前開催十一月二十日から二十五日までの六日間、六十レース中三十四レースが七枠八枠がらみだ。今回開催、初日、二日、今日の三日目をいれて、三十レース中七枠八枠がらみが十九レース。前開催が五割六分強、今開催が六割三分強。これは注目すべき数字だよ。しかもだ、FGが八回、Gが七回、いずれも万馬券を含む好配当になっている。これは異常なる外枠有利と断ぜざるをえない。つまり内枠は砂が深い。特に一番枠は絶対にいらない。……と、こうなるんだ」
「…………」
「今日だって見たでしょう。七枠八枠の馬が飛びこんでくるのを……。一枠の人気馬は、みんな消えてしまう。特に、だ、明日の第五レース、一番枠のホワイトイッセイ。逃げて惨敗《ざんぱい》を繰り返している。こういう馬が来られるわけがない。本命になっているが、これを消せば好配当だ。やさしい、やさしい」
「…………」
「だからだね、黙ってF、FG、Gの三点買いで押してください。間違っても一番枠を買っちゃいけない。以上終りです」
タンキ君、釈然としない顔で聞いている。僕と競馬観が違うのだろう。僕だって普段と違っていた。どうかしていたんだろう。しかし、僕には、こういうセコイというかチャッコイというか、陋劣《ろうれつ》な性情があるのだ。
終戦直後、鎌倉《かまくら》の由比ヶ浜で球ころがしのギャンブルが行われていた。台の上に、白、黒、赤、青、黄、緑の球をならべる。ヨーイドンで転がして、最初に決勝ラインに到着した球に賭《か》けていればピース一箇|貰《もら》える。一回十円である。たしかピースは五十円だったと思う。だから、白から緑まで、十円ずつ均等に賭けていれば、球ころがしのオジサンは一回で十円の儲けになる。いわば乞食《こじき》博奕《ばくち》。
僕はそれを見物していて、三回に一回は白が一着になることに気づいた。板の傾斜の関係かなんかでそうなるのだろう。僕は白に賭け続けた。それではバレてしまうので、ときどき、赤や青に張る。そうして、四、五回続けて白が出なかったときは、ドカンと五十円ばかり白に賭ける。それが出ないと百円賭ける。僕は最初の十円を白に賭け、それをチップにかえてもらって、とうとう、十円のモトでピース百箇取ってしまった。当時の金の五千円である。オジサンは店を畳まなくてはならなくなった。そういう、僕は、男なのだ。あのときの球ころがしのオジサンの恨めしそうな悲しそうな顔を忘れることができない。
F、FG、Gで行く。結論が出たので寝ることにした。十時|頃《ころ》だったろうか。都鳥君は、入浴したら急に眠くなった、失礼しますと言って先きに寝てしまった。タンキ君は別室である。
結論が出たんだから、スッキリ眠れると思ったが、そうはならなかった。
ウトウトっとなって少し眠ったと思ったとき、隣の都鳥君が、
「ああ……ううん、……ああ、ああ」
と変な声を出した。
「おい、どうした?」
「何か言いましたか」
「変な声をだした」
「そうですか。すいません。金縛りにあっちゃって」
「どうなったんだ」
「黒いものが伸《の》し掛ってくるんです。ときどき、そうなるんです」
「ははあ」
「声も出ないときがあるんです。何か叫びましたか」
「ああ、とか、ううん、とか、変な声を出した」
「声が出るときはまだいいんです」
「きみ、先祖に狩人かなんかいなかったか」
「ええと、……ええ、いないと思います」
「親は代々狩人で、親の因果が……」
「狩人はいません」
「実は俺《おれ》も夢を見た」
僕たちは起きあがって電気をつけた。都鳥君がお茶を淹《い》れてくれた。ひとくち酒まんじゅうというのを買ってある。大宮駅で都鳥君がプチ・カステラというのを買ってくれた。人形焼きの餡《あん》抜きみたいなものだ。旅に出る楽しみのひとつがこれだ。家で夜中にこんなものを食べたら叱《しか》られる。
「黒いものが伸し掛ってきたんです。……あ、黒だから二枠です」
こりゃダミだ。都鳥君、ほとんど病気。
「俺のは鰐だ。鰐の夢だ」
「…………」
「ちいさい赤ん坊の鰐が襲いかかってくる。それを木槌《こづち》でもって叩《たた》く。これが、くたばらないのね。次から次へとやってくる。鰐だからね、こっちはしゃがんで木槌で叩く。だからむこうは股間《こかん》を狙《ねら》ってくる。とても怖い夢だ」
「…………」
「暗闇で鰐って知ってるかい」
「知りません」
「これも競馬界の用語だ。競馬界って言うより厩舎《きゆうしや》関係だね。森安弘明っていう名騎手がいたんだ。いま調教師になっているけどね。この人に聞いたんだけれど、暗闇で鰐って言うんだそうだ、運の良い男のことを……。たとえばね、皆で旅行に出て大広間に寝たとする。夜中に火事になる。真っ暗闇だ。それってんで逃げる。……こういうときにも鰐革の鞄を持って逃げるのと、ビニールのを掴《つか》んでしまう男とがいるって言うんだ。この譬《たと》えは適当じゃなかったけれど、感じはわかるでしょう」
「わかります」
「ダービーの前日に本命馬に乗る騎手が落馬して、急に乗り替りになる。こういう男を暗闇で鰐って言うんだそうだ。……もう寝ようか」
「どうぞ、どうぞ」
都鳥君はそう言って、バス・ルームに入っていった。シーシーシーという音がする。また、歯を磨《みが》いているのだ。
「沢木耕太郎さんなんか、シーシーシー、シュー、シュー、暗闇で鰐ですね。シューシュー、シャーシャー。あ、そうだ、シーシーシー、鰐っていうのも二枠ですね。|〇《わ》|二で《に》すから……」
こりゃ本当にダミだ。
僕らは三時にも起きて、ひとくち酒まんとプチ・カステラを食べた。
窓の外で音がする。窓をあけた。豪雨|沛然《はいぜん》、これがトタン屋根を叩くのである。とっても厭な予感がした。不良馬場の予想なんて、まるで考えてもいなかったのである。それにしても、この時期にこの豪雨とは……。
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[#地から2字上げ]―――――¥ああ、一番枠[#「ああ、一番枠」はゴシック体]
十一月三十日、火曜日。第十三回宇都宮競馬、第四日。馬場状態、不良。
十時にホテルを出るときは、雨はあがっていた。
宇都宮競馬場というのは、公営冬期開催の北限であるという。時に零下七、八度にもなるそうだ。ところが、雨のせいか、妙に暖い。
場内に音楽。シバの女王。
「芝じゃねえや。ダートじゃねえか」
タンキ君もヤケぎみで叫んでいる。
「わーたしは、あーなーたーのー、あーいーの、どれいー」
まったくそうだ。僕は草競馬の愛の奴隷《どれい》になっちまっている。
この宇都宮競馬も景気が悪い。
「パチンコとポーカーゲームに喰われちまってるんです」
と委員長が歎いた。まったくねえ、ポーカーゲームなんて、くそ面白くもないものが、どうして流行《はや》るんだ。天下晴れて公認博奕を青空の下でやっているというのに。
「一ト雨五千万円と言いますからね」
と、タンキ君。
「なんとか十一時まで降り続けてくれればいいと思っていたんですが」
年末闘争の対策のためだろうか、各地の競馬関係の偉いさんたちが委員長室を訪ねてきて、来賓席が会議室になり、何度も部屋を追いだされた。笠松《かさまつ》の人、足利《あしかが》の人……。
「競馬で破滅する人の気持がわかるようになってきた」
と僕が言った。僕は、どんどん落ちこんでいった。僕は、今日はツイテイナイと思わないことにしている。麻雀でもそうだ。今日は駄目だと思うと、どんどん駄目になる。また、ツイテイルとも思わないことにしている。気合が入るのも良くないのだ。ミセカブ金にならずと言うではないか。ポーカー・フェイスでいなければいけない。その僕が、どんどん落ちこんでゆく。
「空は晴れても心は闇だ」
と、タンキ君が馬場に向って叫んだ。二時頃になって晴れてきたのだ。しかし、我慢のタンキ君を堅持していた。
「競馬っていうのはね、馬券を買わないのが必勝法です」
「よくわかっています。身に沁《し》みて」
「それ以外にありません。だから、偉い」
僕はF、FG、Gの三点買いで攻めてゆくと言った。間違っても一番枠は買わないと言った。しかし、不良馬場を見て、少し考えをかえた。二番枠、三番枠という内枠で馬体が良ければ買ってみた。第一レースの始まる前、警備員のオジサンも、
「今日は内枠が良かっぺ」
と言っていた。それは、砂の深い内枠が、雨で固くなって走りやすくなっているためである。そうなれば、競馬は先行有利、内枠有利になる。しかし、頑迷固陋《がんめいころう》というか、頭が固いというか、僕は断乎《だんこ》として一番枠を拒絶していた。
レース結果は次の通り。
5 7 6 7 7 4 5 7 3 6
↓ ↑ ↑ ↑ ↓ ↑ ↓ ↑ ↓ ↑
1 1 5 1 1 1 1 1 1 1
R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
十レース中一番枠の一着が五回、二着が四回。なんと九回が連がらみを果たしたのである。これじゃあ、どうやったって馬券にさわらない。僕が落ちこむのも当然だろう。
委員長に訊《き》いてみたが、こんなのは宇都宮でも前代未聞であるという。僕も長い間競馬をやっているが、九割が一枠がらみなんて、見たことも聞いたこともない。府中でも中山でも川崎でも……。よりによって、こういう日に一番枠を拒否してしまったのだ。
由比ヶ浜の球ころがしのオジサンを痛めつけた罰が、ここで当ってしまったと思った。
特に、メインの第九レース、スパラフチーレに肩入れしたのがいけない。スパラフチーレは中央の馬で、かなり有望視された馬である。これがドン尻を廻って、最後七着。
また、絶対にないと言った第五レースのホワイトイッセイも、ぎりぎり粘って二着。
都鳥君は、第八レース、@Fの三千二百二十円が的中。これは三日間を通じて最高の配当。第九レースの@B、三千六十円も的中。
「やっと、これでコーチ屋の役目が果たせました」
タンキ君が嬉《うれ》しそうに笑った。タンキ君と都鳥君は必ず階下まで降りていってパドックの馬を見ていたのである。正義、いや、正攻法は勝つ。僕のような依怙地《いこじ》になって一番枠を嫌《きら》うなんていうのは邪道である。いったい、何年競馬をやってんだ。
夜は、「存じやす」という店でステーキを食べた。むろん都鳥君の奢《おご》りである。これはゾンジャスという外国語があっての命名かと思ったが、そうではなくて、「有難《ありがと》う存じやす」という意味だそうだ。
ロイヤルホテルの下を川が流れている。
「祇園《ぎおん》みたいですね」
「枕《まくら》の下を水の流るる、ですか」
「ときに、鬱宮ミチツナ親王も馬家もあらわれませんね」
「年末で忙しいんだろう。まあ、僕の不徳の致すところだ」
僕はベッドに横になって、ハズレ馬券の数を数えた。
「かねかくに……」
「えっ? かにかくに、だろう」
「金欠くに栃木は悲し寝るときも馬券数えて涙流るる」
かくてはならじ。僕は起きあがって、猛勉強を再開した。
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[#地から2字上げ]―――――¥明鏡止水[#「明鏡止水」はゴシック体]
十二月一日、水曜日。第十三回宇都宮競馬、第五日。曇。馬場状態、やや重。
第一レース。連複@C、配当千四十円。失敗。またしても一枠が出たのだ。
第二レース。連複AD、配当四百四十円。失敗。僕は一番枠から買った。
第三レース。@G本線で買い、間違いなく取ったと思ったら六番枠のヒノデチャンピオンが突っこんできて、二着同着。すなわち@G、EG。ついてないときは、こんなものだ。的中したが配当四百二十円。
第四レース。ABの馬券が的中。この配当四百六十円というのも不可解である。どうも、ときに不思議な売れ方をする。
第五レースから第七レースまで続けて失敗。
第八レース。目下四連勝のヤマノサリーが、どうしてもよく見えない。三枠のスペースフェアーから四枠のワカテスコへ。この両馬で間違いなく取ったと思い、タンキ君も、
「おめでとうございます」
と言ってくれたが、一番枠キクノロビンが突っこんできた。脚色《あしいろ》が違う。@Bで五百四十円。失敗。BCの配当を計算してみると三千円を越している。これはこれでいいのだ。買い方は間違っていない。
僕のこの日の心境は、言うなれば明鏡止水だった。昨晩はよく眠れた。それに、僕、この競馬場が気に入ってしまっている。馬券が当る当らないのは別の話だ。腐ってはいけないと自分に言い聞かせた。
向う正面右手の公園の観覧車が動きだした。土日以外は動かないのかと思っていたが、そうではなかった。客が来れば動くのである。双眼鏡でのぞく。アヴェックである。しかし、つつましく向い合って乗っている。この十二月の空に引きあげられた二人は何を考えているのだろう。
その左手が雑木林である。
「やあ、十二月三十日も開催している。その日に来よう」
と、タンキ君。本当に、とても我慢のいい人だ。
「そのときは、葉が落ちつくしているね。冬木立《ふゆこだち》になっている」
「それが見たいんです」
「枝ぶりの良いのを探す、なんてことにならないようにね」
第九レース。特別サラ系、A2、一着賞金二百三十万円。
このレースのアサカゴールドが狙いだった。未勝利馬で無印だが、前走の時計がいい。総流ししてから、チェリーカツ、ハシノシンゲン、イチマツブレーブへ五千円ずつ買い足した。すなわち二万円の投入。朝から、二万円だけ残しておこうと思っていたのである。
アサカゴールドは二番手、三番手を進む。行きっぷりは悪くない。しかし、四コーナーで大きく外に振られた。どうして、思いきってインを突かなかったかという恨みが残った。僕の目では足を余しての四着。すべては終った。買い方自体に悔いはない。
僕の頭のなかに招き猫《ねこ》がチラチラする。書斎に招き猫の貯金箱が置いてあり、競馬へ行った帰りの五十円玉、百円玉、五百円玉を入れることにしていて、この一年で、一杯になっている。あれ、四、五万はあるだろう。ことによると七万円ぐらいはあるかもしれない。今年いっぱい、それで暮そう。
また、食堂のオデン屋のオバサンのところへ行った。店じまいを始めている。
「儲かったかね」
「駄目だ。スッテンテンだ。オデンをください。安くしてくれ」
「いくら持ってんのかね」
僕はエルメスの革ジャンのポケットに手を突っこんで、ありったけの小銭を掴《つか》みだして掌《てのひら》をひろげた。千円に少し足りない。
「持ってんじゃんか」
「このくらいはある」
「負けとくよ。九十円が六十円だ。シュウマイなんかどうかね」
シュウマイもオデンである。口一杯にウドン粉がひろがるその味を知っていたが、オバサンの意見に従った。
「タマゴなんか、どうかね」
「いいねえ、精をつけなくちゃ」
「あとはツミレだ。三人だったね、じゃ、これもサービスしちまおう」
オバサンは、大きなガンモドキをひとつ乗せた。
「あんた、いつもお使いさんだね。お使いさんの余禄《よろく》だ、これは」
「いくら?」
「六十円が九つで五百四十円」
僕は慎重に数えて六百円渡した。
「お釣はいらない」
「あんた、気前がいいねえ。それに、様子もいいや」
僕は、どういうわけか、七十歳以上の女性にしか惚《ほ》れられないのである。
まだ第十レースが残っていた。さっき、ポケットに手を突っこんだとき、小銭以外の紙片の感触があった。もう一度、ポケットに手を突っこんで取りだしてみると、千円札が一枚。オデンを部屋へ置いて、パドックへ飛んで行った。
人気だがコガネダイジンの気合が抜群。それとフイルドエースの前走の時計がいい。BEの一点。もっとも千円券なら一点しか買えない。
フイルドエースが直線で引き離し、コガネダイジンが突っこんでくる。両馬のマッチレース。BEの配当は、ちょうど九百円。九千円あればリッチなもんだ。浅草へ行って並木の籔《やぶ》で飲んで紀文の人形焼きを買って帰れる。
宇都宮競馬場は、もう一度書くが、とても感じがよかった。委員長はじめ、窓口のオバサン、食堂のオバサン、警備員、みんな良い人ばかりだった。有難う存じやす。
宇都宮の女性というと、何か骨太で言葉が荒く、愛想がないだろうと思っていたが、そんなことはなかった。ただし美人は少い。森昌子は当地の出身だ。森昌子が不美人だとは言わないが、いかにも宇都宮産という感じがする。
読者サービスを書く。宇都宮競馬場では、晴天続きでパンパン馬場だったら外枠の馬を買う。重からやや重までなら内枠、とくに一番枠を買う。先行脚質なら、それで勝負だ。これ必勝法。十二月三十日に馬場でお目にかかりましょう。来年は明るい年になるといいですね。
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[#小見出し]15 近《ちか》くて遠《とお》きは足利競馬《あしかがけいば》
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馬券本位でいく。
ゲストも呼ばない。場立ちの予想屋の意見も聞かない。
されど、競馬というのは難しすぎる。
|正しい《ヽヽヽ》馬券を買いつづけていたら、きっと誰《だれ》だって破産する。
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[#地から2字上げ]―――――¥金髪嬢の旅[#「金髪嬢の旅」はゴシック体]
足利へ行くことになった。前回が宇都宮で今回が足利で、北関東が続くのは、何だか間尺《ましやく》に合わないという気がする。有体《ありてい》に言えば、僕《ぼく》、ちょっと熱いのだ。このところ負けが続いている。競馬なんて負けるのが当然、少しでも負けを少くするという程度のことが紳士の嗜《たしな》みとは思うのだけれど、たまには良いところを見せたいという思いがあることも、これもまた止《や》むを得ない。足利には宇都宮の馬も走るはずだ。知っている馬が走れば、必然、馬券が買いやすい。力が入る。
馬券本位で行く。従ってゲストは呼ばない。そう思って暮の足利を選んだのだ。
十二月十一日、土曜日。午前九時九分、西国分寺発、武蔵野《むさしの》線。南浦和で乗り換えて大宮駅。そこから東北新幹線に乗るというのは前回とまったく同じ寸法。新幹線はわずか一駅、小山《おやま》から、十一時三十二分発、両毛《りようもう》線に乗る。この両毛線というのが、何ともローカルというか、脇道《わきみち》にそれるというか、感覚として遠い所へ行くということになる。
宇都宮は大宮から一発。高崎は上野から一発。場合によっては家から自動車を飛ばしてもいい。二時間もあれば着いてしまう。高崎というのは交通の要地であって、少年時代は軽井沢に別荘なんかあったので極めて馴染《なじ》みが深い。……足利は、そうじゃない。学術・文化の町であるが、西で言えば、そうだなあ、津和野か、なにか山間の沈んだ町という印象があるのである。そういうところは大好きであるが、そこへ競馬をやりに行くというのが、何かチグハグな感じがする。
九時前に、西国分寺へ着いた。
「あの柿《かき》の木、まだ生《な》っていますね」
都鳥《みやこどり》君が、駅の脇を見おろして言った。まったく、このごろは、柿の実を取って食べるということをしない。鳥も食べない。いや、オナガなんかがいなくなってしまったのだろう。もっとも宇都宮へ行ったときから、まだ二週間も経《た》っていない。
「馴れると早いですね」
そうなのだ。あっというまに大宮へ着き、小山へ着いた。有難《ありがた》いことに、小山駅の売店に『競馬ニュース』(通称、青競)があった。これは足利市を本拠とする競馬新聞であって、宇都宮では『競馬ニッポン』(通称、赤競)を買った。両毛線に乗りこみ、さっそく読みふけることになる。十二時五十五分発走の第四レースにまにあうはずである。
「佐野へ行きますか?」
ドイツ人ふうに胸の張った女性に訊《き》かれた。金髪。その SANO の発音が、さあ何と言うか尋常ではない響きがある。僕は、ははあ、と思った。都鳥君はお茶を買いに行っていた。彼が地図を持っている。
「いま、若い男、来る。彼、よく知ってる。ちょっと待って……」
というのを、僕、ドイツ語でも英語でもなく、日本語で言った。
昔の話になるが、房総線に乗ったとき、やはり体格の良い金髪女性に、
「この電車、TATEYAMA、行くか」
と訊かれたことがある。それは館山行きであったので、イエスと答えた。僕が行ったのは館山より一つ手前の駅であったが、駅前に、本日オープン、金髪※[#○に「秘」、unicode3299]ナマイタ本番とかなんとかいう看板が出ていた。
それで、僕、なんとなく嬉《うれ》しくなった。ローカル線というのは、こうでなくてはいけない。東海道新幹線に乗って、
「これ、京都行くか。デラックス東寺知ってるか」
と訊かれたら馬鹿《ばか》にされたような気になるだろう。僕、いつか、ローカル線で旅を続けるストリップ嬢が、町の青年と一夜の恋をするという小説を書きたいと思っているのだけれど、チャンスがなくて書けないでいる。題名も『股旅《またたび》』と決めてある。
都鳥君が戻《もど》ってきた。
「これ、SANO、行くか」
彼は親切者なので、すぐに地図をひろげた。足利の手前に佐野がある。
「SANO、行く。SANO、着いたら教えてあげる」
その体格の良い四十歳ぐらいの金髪女性のほかに、男とも女とも何国人ともわからぬ色の黒い人がいて、そっちのほうは細い体つきをしている。もう一人、老婆《ろうば》がいる。
「あれ、ヤリテばばあだぜ。どうかね、ああいうの、一度お願いしてみたら」
「いや、結構です。押し潰《つぶ》されます」
「あっちの細いほうはどうかね」
「あれ、女でしょうか」
「女だよ」
「病気持ちみたいですね」
見るからにそんな感じがした。その病気持ちみたい、は、小犬を連れていた。犬は赤いプラスチックの箱にいれてある。別に縦長の大きな旅行鞄《りよこうかばん》を持っていて、犬の箱も旅行鞄も車がついている。旅を続けるストリップ嬢の一行は、こうでなくてはならない。いや、とても参考になった。
「ありがとうございました」
電車が佐野に着き、老婆が叮嚀《ていねい》に挨拶《あいさつ》した。老婆とストリップ嬢たちとは、別の出口から出て、別の方向に歩いていった。
冬枯れの関東平野。茶色一色。雑木林。農閑期で畠《はたけ》に人影がない。つくづくと、関東平野は広いなあと思う。
「今晩、佐野へ行ってみようか。見るだけならいいだろう」
「見るのも厭《いや》です。あんなもの見たってしょうがない」
都鳥君、憤然としている。そうかなあ、広い関東平野に、疎《まば》らな雑木林、茶色一色の風景ってのも悪くないと思っているのだけれど。
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[#地から2字上げ]―――――¥名手福田三郎[#「名手福田三郎」はゴシック体]
足利の次の山前《やままえ》で下車してタクシーに乗ったら、三分で足利競馬場に着いてしまった。この競馬場は、渡良瀬《わたらせ》川の河川敷《かせんじき》にあり、土堤《どて》に登ったら、目の下が千四百メートルの発走地点であり、第三レースの輪乗《わの》りが行われているところだった。
「良いなあ」
都鳥君が叫び、僕も同じ思いだった。
「こんなに近くで輪乗りが見られるのは初めてです」
アラブ三歳未勝利六組のレース。アラブだろうが未勝利だろうが、三歳馬が昂奮《こうふん》して鼻の穴を天に向けて嘶《いなな》くという光景は悪くない。
「待子《マチコ》、北斗桃太郎《ホクトモモタロウ》の八|枠《わく》両馬が良い。よし、Gと買ったことにしよう」
そのレースはDEで決まり、八枠両馬は、四、七着だった。まにあわなくて良かった。
その第三レースを追いかけるようにして、入場口へ近づいていった。
「はい。慎重社の方ですか」
警備員が敬礼でもって迎えてくれた。都鳥君がカメラをぶらさげているので、すぐに取材の人間だとわかるのである。それにしても、宇都宮も足利も威令が徹底している。場内は清潔。ヤクザ者がいない。そこが南関東とは大いに違う。僕、ニヤニヤ笑ってしまう。本当に好きなんだなと自分で思う。
僕の目で見たところ、やはり内枠不利。宇都宮とまったく同じ。インコースは砂が深い。ただし、これはパンパンの良馬場の場合。一枠の逃げ馬は、まず絶対と言っていいほど勝てない。
一枠が勝つのは、よほど能力に勝《すぐ》れた追込み馬にかぎるのである。スタートして、一枠の馬は、馬群に包まれる。そこを騙《だま》し騙しして、二コーナーから向う正面にかけて、少しずつ進出する。四コーナー手前で四、五番手につけ、直線大外を廻《まわ》って強襲する。こうでなくては勝てない。すなわち、それだけの能力がないといけない。ただし、雨が降れば、状況は一変する。インコースは固くなるから、先行有利。
これは、僕が自分の目で見て、自分で体験したことであるが、宇都宮と足利のファンは、先刻承知のことだろう。晴天が五日も続けば一枠切るべし、不良馬場なら一枠から流せ。誰もがそう思っているだろう。
十二月十一日、土曜日。第六回栃木県営足利競馬、第一日。馬場状態、良。
県営だから、宇都宮と同じで、委員長、副委員長も顔馴染み。僕には北関東は気が荒いという先入観念があったが、そんなことは少しもない。優しくてヒトナツコイという人が多い。
特別観覧席(トッカン。入場料千円)へ案内される。これが良い。いま最良の特別観覧席は出来たばかりの川崎競馬場であるが、これに次ぐものが足利だろう。いや、足利を参考にして川崎が出来たのではあるまいか。
総ガラス張り、冷暖房完備。ロビーは広々としていて馬券が買いやすい。パドックは眼下にある。向う正面に巨大なオッズがあり、五分前に消えるのが残念だが、スタート直前に最終オッズが示され、これがちょっとした楽しみになる。すなわち、オッズと返し馬が同時に見られることになる。コーラ、ジュースは無料サービス。なによりも良いのは、ヤクザ者がいない、ノミ屋がいない、コーチ屋がいないということだ。競馬やるなら足利、と、僕はファンに向って叫びたい。特に見易《みやす》い席は「あ、910 11」と「い、567」だと教えてあげる。唯一《ゆいいつ》の難点は、この特別観覧席が、ゴールを過ぎたところに建っていることだ。馬券はシングルユニットで発売される。指定席総数五百四十四席。
第四レース。人気のコスモスチカラから、名手福田三郎騎乗のレットプライアが的中。配当千七百二十円。
第五レース。水差《ピツチヤード》女王《クイン》から縞熨斗塚《シマノシヅカ》が的中。配当五百九十円。
第六レース。失敗。
第七レース。富士山《フジマウンテン》から東洋鷲《オリエントイーグル》が的中。ただし配当三百六十円。
二時半になった。トッカン席は西陽《にしび》をまともに受けて暑いくらい。その太陽が淡々《あわあわ》として沈みかかってくる。
第八レース。理想《アイデアル》女王《クイーン》から信頼《シンライ》皇子《プリンス》が的中。配当四百三十円。
ここまで、五レース中四レースが的中したが、第四レース以外は押さえ馬券で、どうもうまく引っかかってこない。
第九レース。ここで勝負に出たが失敗。
第十レース。福田三郎のフォースワンから長島茂夫のフクセンハヤテのGが的中。配当八百三十円。これなど中央なら二千円以上の馬券だろう。福田三郎の乗る馬は、いつのまにかスルスルッと出てくる感じで、足利のファンには絶大な信頼があるようだ。どこの競馬場へ行っても、必ず一人か二人の名手がいるというのが不思議でもあり、それが楽しみにもなっている。
初日はよく当ったが、あまり儲《もう》けにはならなかった。
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[#地から2字上げ]―――――¥足利に蓮岱館《れんだいかん》あり[#「足利に蓮岱館あり」はゴシック体]
第九レースに僕は失敗したが、『報知新聞』の予想では二番も四番も無印、この両馬ともに宇都宮に所属していて、こういうのは買い辛《づら》い。ACで連複五千四百二十円の大穴になった。
直線、二番のスケールオーが先頭に立ち、インを突いて七番のシンコウフォレーが進出、外から四番のケヤキプリンスが強襲する。AFで決まったかに見えたが、写真判定。
「よし、取った、AFだ。AFでも四千円はつくべえ。ほれ、五千円持ってる」
僕の背後に坐《すわ》っていた六十歳ぐらいの男が叫んだ。二十万円の収入。僕は祝福しないではいられなかった。うしろをふりかえって笑った。
「いや、しかし、危ねえかしんねえぞ。ケヤキの奴《やつ》が外から来たかんな……」
彼は心細い声になっていった。そのとき、電光掲示板が、2、4、7と点滅した。
「わあ、やったあ」
僕の前の、坊主《ぼうず》頭に鉢巻《はちまき》をした老人が立ちあがった。真ッ赤な顔で昂奮している。実際、僕たちの席の附近ではインコースのほうが有利に見える。老人は、じっと耐えていたのである。彼は手に持った馬券を廻りの人に見せた。
「朝から、ずっと、ACを買い続けてきたんだ。とうとう、出た。やった、やった」
老人は踊りだしそうになった。僕は祝福するよりも、この老人の奥さんはACで苦労しているんだなあと思った。この老人は、万歳三唱をやるんじゃないかと思っていたら、不思議にも、だんだんに元気がなくなっていった。そうして、彼は、小さい声で、こう呟《つぶや》いた。その声は、僕にも聞こえた。
「しまったなあ。五百円買えばよかった」
シングルユニットで百円単位で馬券が買えるのである。おそらく、彼は、三百円とか四百円とかで朝から買い続けていたのだろう。第九レースのACは、たぶん二百円の投資だったろうと推測する。二百円が一万八百四十円になった。おそらく、そんなところだろう。
僕が心から祝福したいと思ったのはそのときだった。売上げの減少で参っている公営競馬関係者には申しわけないが、僕は、こういう競馬ファンが大好きなのだ。一万円買おうが二百円買おうが、昂奮する度合いは同じなのである。もっと言うならば、一万円買うというときは心臓に悪いという感じがする。
歩いても行かれると聞いていたが、タクシーに乗って、足利公園のなかの蓮岱館という旅館に向った。五分ぐらいかかった。タクシーに乗ってよかった。
昔、義弟のジェリー伊藤が初めて芝居に出たとき「なお、客演のジェリー伊藤が拾いものだった」という劇評が新聞に掲載された。そのとき、ジェリーは妹に新聞を読んでもらって、「ぼく、ひろいものじゃない。そんなに太っていない」と言った。
こういう言い方をしたら失礼になることは承知しているが、蓮岱館は拾いものだった。
足利の山の中の旅館ということで、僕は期待をしていなかったのである。都鳥君とどこに泊るかを相談するとき、いつでも、僕は、駅前のビジネスホテル、それが無ければ町中《まちなか》の商人宿、もし、近くに温泉宿とか非常に気分のいい旅館があるなら、そこ、というように注文する。結果的に蓮岱館は、この三つ目に該当することになった。ただし、温泉旅館ではない。
蓮岱館のどこがいいか。
第一に、従業員の感じがとてもよかった。キバタラキがある。そうかといって出過ぎるようなところはない。たとえば、僕は、総イレ歯なので、僕の御新香は細かく刻んでくださいと注文した。これが忠実に実行された。御新香以外でも弁当のお菜《かず》でも何でも……。都鳥君には厚切りのタクアンが出る。そうだ、このタクアンが上等だった。風呂《ふろ》に入れと言う。その湯加減がちょうどいい。布団《ふとん》の寸法が短いように思われた。そう言うと、翌日は、予備の掛布団を裾《すそ》のほうに置いてくれた。なんでもないことのようであるが、なかなか出来ないことである。
第二に、公園のなかにあって、夜はまことに静かである。
第三に、料理が上等である。プチ懐石というのがある。本格的なフランス料理が出来る。コーヒーがうまい。これは巷《ちまた》に氾濫《はんらん》するウッシッシ・コーヒーとは違うのである。日本旅館に泊って朝のコーヒーが美味《うま》いというぐらい嬉しいことはない。
第四に、便所の扉《とびら》が一度では開かないなんていうところがいい。あけようとすると、いったん止まる。そこで揺りもどしをかけると、スッと開く。これは冗談であるが、それくらい建物が古くなっているのに、従業員の心が荒廃しないで礼儀正しいというあたりが嬉しいのである。なお、僕等が泊ったのは本館であって、新館のほうは一流ホテルなみの最新設備になっている。
僕は足利に蓮岱館あり≠ニ言っても少しも差し支えがないと思っている。
夕食後、足利駅へ競馬新聞を買いに行った。配達されるのにまだ間《ま》があるということなので、町を歩いた。古中居という骨董《こつとう》屋があった。日本橋の壺中居と関係があるのかどうか知らない。足利近辺には出土品が多く、良い骨董屋が多いと聞いてきたが、発掘品となると、まるでわからない。大きな雛人形《ひなにんぎよう》があり、勾玉《まがたま》や台湾産だという翡翠《ひすい》もあった。僕の手に負えるようなものではない。
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[#地から2字上げ]―――――¥必勝社の意見[#「必勝社の意見」はゴシック体]
十二月十二日、日曜日。第六回栃木県営足利競馬、第二日。馬場状態、良。
第一レースの出走は午前十一時半であるが、十時には着いてしまった。必勝社という場立ちの予想屋があり、人の良さそうな青年だったので話を聞くことにした。
「景気が悪いですからね。持ってきた金で客の心理状態が変るんですよ。三十万持ってくれば本命サイドで決まるような気がするんですよ。三万円持ってくると穴が出るように思うもんです。三十万円持っていれば、五千円なり一万円なり突っ込みますからね」
中央競馬では、五千円や一万円では突っ込むというような言い方はしない。それだけ足利競馬は健全なのだと思う。もっとも、客があまり健全であると、現在の公営競馬は成り立たなくなってしまう。
「きみが要らないと思う馬の名を書いてくれないか。そこから入るから」
「ひどいことを言いますね」
競馬ファンならよく承知していると思うけれど、場立ちの予想屋の予想というものは、およそ信じられないくらいに当らないものである。なぜだかわからないが。
「私の予想が当ってきたと思ったら、バンバン買ってください。そういうことがあるんです。当りだしたら、とまらない」
一年中競馬の予想をやっていたら、一日や二日はそういう日があるだろう。青年がそう言ったことで、やっぱり、めったには当らないのだという見当がついた。それに、僕は、もう、自分の目以外の何も信じないことにしている。
「やっぱりね、足利で勝っている馬を買ってください。それと、足利の馬ですね。宇都宮や高崎の馬は当日輸送ですから、馬運車のなかで目をまわしているんです」
これは肯綮《こうけい》に当る意見だった。同じ右廻りでも、同じインコースの深いダート競馬でも、競馬場によって感じが違うはずである。野球の選手でも、同じ人工芝のグラウンドであっても、球場によって、守りやすいところとそうでないところがあると思う。
そこへ別の予想屋が来た。それも若い男だった。
「あ、きみ、何か教えてくれ」
「ぼくは宇都宮が専門ですから、わかりません。いま、サイコロを持ってきます」
「…………(ダミだ、こりゃ)」
もっとも、そのほうが良心的であると言えるかもしれない。何々は絶対ですなんて言わないほうが……。
パドックに、第一レースに出走する馬が出てきた。
「がんばってください」
僕等は、しごくあっさりと別れた。
パドックに出てきたのは、アラブの三歳。いずれも冬毛が出ている。ほとんどが四百キロ前後の小さい馬ばかり。まるで驢馬《ろば》みたいだ。これで走るというのが信じられないような気がする。
「あんまり、そばで見るもんじゃないな」
「そばで見ちゃいけないものって、馬以外にもありますね」
「大女優の素顔なんてのがそうだ」
「そんなんじゃなくて」
いったい、都鳥君、何を考えているのだろうか。
第一レース。失敗。連複配当三千七百五十円。ほらごらん。何が来るかわかりゃしないんだから。
第二レース。的中。連複六百四十円。
第三レース。的中。連複千円。竹芝日出《タケシバヒノデ》に騎乗した川中子健二は、向う正面で後方から鞭《むち》をいれて一気に進出。三コーナー過ぎで先頭に立って、そのまま押しきってしまった。中央では、こういう騎乗では、まず潰れる。ずいぶん強引なジョッキーだと思ったが、たとえ潰れても積極果敢な乗り役が好きだ。
第四レース。失敗。連複三百円。
曇り空が次第に晴れて暑くなってくる。都鳥君は、自慢のストーン・ウォッシュの革ジャンを脱いでしまった。
北関東へ来ると、いつでも詩人の産地だなあと思ってしまう。何か凜冽《りんれつ》の気を感じてしまう。前橋の萩原朔太郎《はぎわらさくたろう》、高崎の吉野秀雄からの連想だろうか。
我命《わぎのち》をおしかたむけて二月|朔日朝明《ついたちあさけ》の富士に相対《あひむか》ふかも
なんて発想は温暖の地からは出てこない。
第五レース。的中。連複三百七十円。
第六レース。失敗。連複二千五百四十円。
第七レース。このへんから仕掛けるつもりで太目に買いだしたが、失敗。連複四百六十円。
第八レース。的中。@Bで千九百二十円。一枠不要説なのだが、一番のミマツシルバーの気合が良いので変更。鉢巻老人じゃないけれど、もっと買えばよかった。僕は、八枠無印の軍艦《グンカン》速度《スピード》のほうを多く買ってしまった。これは三着。
第九レース。このヤマノサリーが狙《ねら》い目。この秋、四連勝して、宇都宮で一番人気。このとき、タンキ君の取材報告では「四連勝目の出来を八十パーセントとするならば、今日は百パーセントだって獣医が言っていたそうです」ということになる。結果は八着。このときは買わなかった。四百キロの五歳|牝馬《ひんば》である。すっきりと垢抜《あかぬ》けていて、やや淋《さび》しい感じがするが、潜在能力では一番。持時計から言っても負けるわけにはいかないと思った。ここから菊花賞七着のトマハンターで勝負。
このヤマノサリーが人気がないのは、すんなり逃げれば圧勝するだろうけれど、包まれると行かれない、先行馬多く不利というのが必勝社の青年の見解。僕は、前走中団のまま八着なので、この日は逃げると判断した。人見鉄也騎手の騎乗。僕は、このヒトミ騎手とは相性が悪い。それに徹夜はよくない。
で、このヤマノサリー、逃げるような逃げないような、二番手、三番手を出たり入ったりで、結果は三着。実に女心は知り難しという感じがしましたな。姿に惚《ほ》れちゃいけないと思った。
勝ったのは菊花賞九着、福田三郎騎乗の幸運音響《ラツキーサウンド》、二着は長島茂夫騎乗の波浪城《ハロウシヤトウ》。これで連複七百三十円というのは、福田騎手の人気がいかに絶大であるかを物語るもの。福田騎手は長島騎手を可愛《かわい》がっていて、決して無理な競《せ》りあいには持ち込まないという。
第十レース。初冬特別。僕は、ニシノスカレー、スマノチカラという八枠両馬で勝負。このレース、一着六番ユーワシンゲキ、二着一番マンナオーザ、三着十番ニシノスカレー、四着九番スマノチカラ、五着四番ハマノカチズキの順。6、1、10、9、4と入着して、連複@Eで五百九十円。
「ぜんぶ取りました」
と、都鳥君。6の単、6、1、10の複勝式馬券を持っている。トリプルなら大変な馬券だった。ちなみに、単勝配当七百三十円、複勝は、百九十円、百六十円、二百五十円だった。ただし連複は買っていない。ずいぶん変な人だ。この初冬特別の表彰式が行われたが、最終レースなので客はみな帰ってしまっている。僕は参列して手を叩《たた》いた。ユーワシンゲキに騎乗した長島茂夫という騎手は、とてもハンサムで感じのいい青年だ。都鳥君が単勝を買った根拠はこれだとわかった。
競馬というのは、碁将棋《ごしようぎ》と同じように難しすぎる、というのが、僕の得たこの日の感触だった。前日同様、当ることは当ったが、勝負所で失敗して、結局はマイナス。
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[#地から2字上げ]―――――¥夢、去りぬ[#「夢、去りぬ」はゴシック体]
「冷えきった景気、ギャンブル不振は全般に亘《わた》り拡《ひろ》がっている。台所の苦しい足利競馬には予算計上も立たずギリギリに追込まれている。やってみなければ、その時勝負と競馬事務所は捨て身で、何とか浮揚策をと懸命だ。豪華なスタンドに、地方に無い立派な厩舎《きゆうしや》も出来、競走馬の確保にも事欠かなくなった。関係者も無策でいられない(後略)」(「競馬ニュース」足利競馬のサービス作戦≠謔閨j
本当に足利競馬場のスタンドは立派だ。厩舎の設備も整っている。ファン・サービスに懸命に努めている。これで客が来ないとするならば、世の中全般の不景気を別にすれば、各種の競馬関係法律に問題があることになる。
十二月十三日、月曜日。第六回栃木県営足利競馬、第三日。馬場状態、良。
第一レース。矜持勝《プライドマサル》から蜃気楼《シンキロウ》のCGが的中。連複四百三十円だが厚目に買った。
第二レース。蜜《ハニー》天使《エンジエル》から北斗若富士《ホクトワカフジ》のGが的中。連複三千三百六十円。こういう快調な滑り出しは珍しい。
パーフェクトがやれそうな予感がする。古中居の翡翠がちらちらする。
第三レース。失敗。早くも夢は破れた。
第四レース。失敗。
第五レース。福田騎乗の短距離女王《クインスプリンター》から丸太《マルタ》英雄《ヒーロー》のBGが的中。配当七百九十円。福田三郎ばかりを見ているのではないが、まったく、いつのまにか、するするっと出てきて二着は確保する。このあたりで、初日二日の負けは取りもどしている。帰りの電車の都合で、第九レースまでしか遊べない。このへんから仕掛けなければ……。
第六レース。そう思って突っ込んだが、軽視した一枠の馬に勝たれて失敗。
第七レース。必勝社の青年が絶対にありませんと言った一番人気のトンピョンガール(その根拠は、前走目一杯に走りすぎた)は本当に消えたが、同枠シェスキイの子のフジノシェスキーの気合に惚れこんで失敗。
「ねえ、都鳥君。昨日、あなた、歯を磨《みが》いたかね」
「磨きましたよ」
「気がつかなかったな」
「夜中にビスケットを食べたでしょう。あのあと磨きましたよ。どうかしたんですか」
「どうも当りが悪い。勝負に出ると殺される」
「じゃ、洗面所で磨いてきましょうか。荷物は全部持ってきています。ブラシもチューブもあります」
「いいよ、いいよ」
第八レース。七着、六着、九着、八着という幸運《ハツピー》雷鳴《サンダー》が追込んで二着。むろん、失敗。連複四千二百八十円の穴馬券。これは本命馬から人気薄というセオリー通り。どうも勝負に出て絞ってゆくと失敗する。
「泣いても笑っても、これっきりですね」
「そうだ……。いやあ、面白《おもしろ》かった。旅館も当りだったし」
「競馬で当ってください」
「時間はたっぷりあるね」
帰りは、足利市駅から東武伊勢崎線に乗って、浅草に出ることにしている。両毛24号の発車時刻は四時五十一分。四時発走の第十レースまでやってはあぶないが、第九レースが終ってすぐにタクシーに乗れば、悠々《ゆうゆう》とまにあうはずだ。
「当ったら古中居へ寄ろう」
第九レース。選抜サラ、B3C1
×○× @[#底本では黒丸白抜き unicode2776]1 アサヒロンプ 牡五歳 梅山
◎◎◎ A[#底本では黒丸白抜き unicode2777]2 ウイングカヌート 牡五歳 福田
△ ▲ B[#底本では黒丸白抜き unicode2778]3 アリゾナエース 牡四歳 荒川清
▲△○ C[#底本では黒丸白抜き unicode2779]4 カチドキレイ 牝七歳 大島
D[#底本では黒丸白抜き unicode277a]5 トップフェロー 牡六歳 大隅
E[#底本では黒丸白抜き unicode277b]6 カツアトム 牝六歳 日野
○▲△ G[#底本では黒丸白抜き unicode277c]7 アストラルクイーン 牝六歳 内田
8 イワバース 牝六歳 青木
H[#底本では黒丸白抜き unicode277d]9 オーミダイオー 牡七歳 野木
注 10 ハチマンタカユキ 牡四歳 浜野
予想の印は、上段からスポニチ、報知、競馬ニュースの順
福田三郎騎乗の二番ウイングカヌートの連軸は固いと思われた。四番のカチドキレイは前走逃げきって勝っている。面白いのは八枠両馬。ここへ搦《から》めば好配当になる。無気味なのは三番アリゾナエース。これは中央の馬で、前々走|札幌《さつぽろ》で二着している。公営初出走で、これは馬体を見てから。……というのが前夜の研究。
パドックを見ると、ウイングカヌート、カチドキレイの馬体気合ともに悪くない。八枠両馬も良好。ACのオッズは八倍から十倍見当を示している。三番のアリゾナエースは意外に人気になっていて、ABで六、七倍見当。すなわち、ACで勝負。ABとAGは押さえ程度で馬券を買った。
返し馬を見ると、どうもカチドキレイの歩様がおかしい。とうてい逃げきれるとは思われない。締切三分前、これならAGで勝負のほうが面白い。穴場へ駈《か》けていってAGを一万円買い足す。
僕の競馬必勝法は「馬券を買わないこと」にある。そう言うと、変に聞こえるかもしれないが、「たくさん買わないこと」と言いかえてもいい。それもおかしかったら「ここぞと思ったとき以外は、たくさん買わない」ということにしよう。それから、それは「あわてて買い足さないこと」でもある。締切|間際《まぎわ》に買い足して成功することは、一年のうちに二度か三度ぐらいだろうか。それなら、買わないほうがいい。それが必勝法である。
締切一分前。
アリゾナエースが、すばらしい返し馬をした。
「おい、都鳥君。この馬に勝たれるぜ」
と僕は大声で言った。それが他の客にも聞こえたようで、
「三番、凄《すご》いなあ」
と言う声が聞かれた。アリゾナエースは十六キロ増である。この返し馬を見て、僕は、それをプラス材料に取った。府中の競馬場なら、間違いなく単勝を買いに行ったろう。この三階の指定席にいて、一階の単勝式売場へ駈けていってまにあうかどうか。
この際、もっともチャーミングな馬券は、福田三郎を蹴《け》ったBGの馬券である。配当は二十倍を下らないだろう。三十倍も期待できる。
僕がそれを買わなかったのは、アリゾナエースの騎乗者が荒川清美(よくは知らないが、あまり勝っていない)であったこと、それにもまして、宇都宮でのスパラフチーレなど、このところ、中央から降りてきた馬で何度も酷《ひど》い目にあっていたためである。それでふんぎりがつかなかった。むろん、馬券を買わないことが必勝法という考えも働いていた。まったく、中央の馬というのは困るのである。有望であった馬であればあるほど、何かの事情(故障)で公営落ちしているのである。それに、予想紙でもコメントのつけようがない。『報知新聞』の予想が無印になっているのは、駄目《だめ》だということではなくてわかりませんという意味である。その証拠に、ABのオッズは一時一番人気を示していた。
距離千七百メートル。向う正面からスタートして、アリゾナエースが飛びだした。カチドキレイの行きっぷりが悪い。こういう七歳牝馬の逃げ馬が先手を取れないならば、まず勝つことはない。すなわちACの線は消えた。頼みは、アリゾナエースが休養明けで息がもたずに潰《つぶ》れることだけだ。そうなればAGで、ほぼ固い。
「いけない。あいつに勝たれた」
僕はそう思った。アリゾナエースは、おさえたままで凄い勢いで目の前を通り過ぎていった。二周目。福田三郎のウイングカヌートが、例によってするするっと進出してくる。このままではABだ。それで決まったと思われたとき、八枠オーミダイオーが大外から強襲してくる。アリゾナエース、一着でゴールイン。内にウイングカヌート、外にオーミダイオー。さあ、どっちだ。ABか、BGか、当然、写真判定になった。
「しまったなあ……」
本当に、馬券なんか、当っても当らなくても、どうでもいいという気持になった。勝負事は結果論になるが、これはBGと買うのが正しかったのである。なぜ、そのBGが買えなかったのかという思いが去来する。それならば外れても自分が納得する。
わっという喚声《かんせい》が起った。電光掲示板に、3の後に2、9と点滅した。
「馬券、かえてきます。ぼくもABは持っています」
都鳥君が言った。僕は、最初にABの馬券を買ったことを忘れていた。ABを買い、ACで勝負し、AGを買い足したのである。ABの配当は七百二十円。アリゾナエースの単勝配当は八百五十円。ただし、単勝のオッズは出ない。
競馬って、そんなもんだ、と僕は思う。僕の買ったAGの馬券だって正しいのである。休養明け、公営初出走、弱いジョッキー(荒川清美は、宇都宮・足利のリーディング・ジョッキー二十傑に入っていない)、十六キロ増。これを嫌《きら》うのは正しいのである。しかし、ACの馬券は正しくない。なぜならば、四番のカチドキレイは、自分の目で見て、とうてい逃げきれないと判断したのだから……。そうして、もっとも正しい馬券はBGである。なぜならば、Bは完勝だったし、AとGはハナ差だったのであり、BGの配当は二十倍以上であったのだから。
そうして、もっとも正しいBGも、次善のAGも、お銭《あし》にはならないのである。それが競馬だという言い方がある。やっぱり名手福田三郎にやられたという見方もできるだろう。終ってみれば、すべてが空《むな》しい。もしも、そうやって、正しい馬券(実は不的中)を買い続けていたならば、誰だって、間違いなく破産するだろう。
秋の菊花賞(中央)で、僕は、アキビンゴの単勝を買い、連勝はホリスキーの同居するEで勝負した。ここぞというときは「たくさん買ってもいい」というケースで、結果はホリスキーの優勝、アキビンゴは最後方から追いあげて五着だったから、勝敗で言うならば惨敗《ざんぱい》である。しかし、僕は、もう一度、菊花賞の馬券を買えと言われたら、間違いなく、アキビンゴの単勝、Eの連複を買うだろう。誰に何と言われても……。それが正しい馬券だと思っている。それでいいじゃないか。それが自分の競馬じゃないか。
都鳥君と僕とはタクシー乗場に向って歩きだした。その手前にパドックがある。騎乗命令がかかった。馬が暴れて一人のジョッキーが落馬した。彼は怒って馬を叩いた。三時半。十二月半ばの太陽が光を失いかけている。
返し馬がはじまった。黒地に緑の福田三郎の勝負服。そのモンキー乗りの臀部《でんぶ》に足利の夕陽《ゆうひ》が白く光る。
「行きましょうよ」
都鳥君が言った。
「去り難《がた》い思いというのは、これだな」
「まったくです」
次々と返し馬のジョッキー達が目の前を走り過ぎてゆく。
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[#小見出し]16 寒風有明海《かんぷうありあけかい》、御見舞旅行《おみまいりよこう》
[#ここから8字下げ]
西向きの競馬場だからACか?
出目でなければとうてい買えないこの馬券、久方振りの勝利の味。
でも根拠のない勝ちは嬉《うれ》しくない。釈然としないのである。
出目論は邪道であり、しょせん敗北主義なんだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥暮の椿事《ちんじ》[#「暮の椿事」はゴシック体]
去年の暮、宇都宮、足利《あしかが》で惨敗《ざんぱい》を喫した。なんだか胸のなかが釈然としない。すっきりしない。鮟鱇鍋《あんこうなべ》を食べに行ったら鮟鱇が売切れていたといったような按配《あんばい》だった。
十二月三十日に宇都宮へ行くことにしていた。誌上でも約束した。しかし、よく考えてみると、二十九日が魚河岸《うおがし》への買出し、三十日は大掃除ときまっている。僕《ぼく》だって一家の主人だ。押し詰って家をあけるわけにはいかない。
そこで競輪で代用することにした。立川競輪場は近いのである。府中競馬場と同じぐらいに近い。タクシーで十五分。
しかし、僕は競輪はさっぱりわからないのである。風圧のこと、同県、同期などの人間関係、そういったものがまるでわからない。能力のある者が強いはずだとしか理解できない。それじゃあ駄目《だめ》なんだそうだ。
しかしながら、わからないから面白《おもしろ》いということもあるのである。第一、わからないから考えない。考えないから疲れない。自転車が走っているのではなく、サイコロが転っているのを見るような気がする。
だから、僕は、出目で勝負することにしている。鉄火場へ行ったと思えばいい。鉄火場のサイコロ博奕《ばくち》、カジノやラスヴェガスのルーレットは出目だけの勝負だ。
僕は、終戦直後、鉄火場へ出入りしていた。十八歳。若いというのは怖《おそろ》しいもので、負けたことがなかった。それを思いだせばいい。
この町のタクシー運転手で競輪名人の徳サンと一緒に行った。いや、連れていってもらった。
面白いことに、僕は競輪では負けない。また、徳サンは競馬では良い馬券を取る。競馬は僕が徳サンにコーチする。徳サンは僕が教えた馬から穴っぽいところへ二点ぐらい流す。これが当るのである。
「奇態《きてえ》なもんだな」
と徳サンは言うが、去年はそういうことが重なった。そこがギャンブルの玄妙不可思議なところである。
立川競輪場の新装スタンド(指定席)は、とても立派だ。公営の日本一は川崎競馬場だと思うが、これは立川を参考にしたのだと推測する。その指定席に入りたいから、朝早く出かけた。
僕は『黒競《くろけい》』という予想紙を買う。わからないから、初めは『黒競』の予想通りに買う。次に、出た数字を睨《にら》むのである。従って、数字の読める最終レースまで勝負できない。
この日、僕は、やや曲った心持でもって出かけたので、『黒競』の予想をヒネッテ買ってしまい負け続けだった。『黒競』の予想は当っていたのである。第一レース二百七十円、第二レース二百九十円、第三レース二百円という配当(第四レースまで連複。以後連単)だったので少額投資|穴狙《あなねら》いの僕には取れなかった。
そうして最終レース、A級特選。選手名と予想は次の通り。
〇〇× @[#底本では黒丸白抜き unicode2776] 田中 進 二十八歳 千 葉
△△▲ A[#底本では黒丸白抜き unicode2777] 沼田弥一 三十一歳 福 島
◎◎◎ 3[#底本では黒丸白抜き unicode2778] 小門洋一 二十一歳 神奈川
C[#底本では黒丸白抜き unicode2779] 石塚健悦 二十七歳 青 森
×〇 平塚光彦 二十七歳 茨 城
D[#底本では黒丸白抜き unicode277a] 川井富男 二十六歳 群 馬
▲注注 緑川代志昭 二十六歳 福 島
E[#底本では黒丸白抜き unicode277b] 東海林清勇 二十三歳 秋 田
注▲△ 村上守正 三十五歳 宮 城
予想上段は報知新聞、下二段は黒競
それで、第九レースまでの出目は次のようになっている。
B C A A @ E A D A
| | | | | | | | |
D E E B A B @ B @
さて、この数字をどう読むか。結論を先に言おう。Cの目は第二レースに一度出ただけ。僕はCの目が出たがっていると見た。Bの小門洋一はA級特進後三連勝。断然強い。まだ二十一歳だから、将来競輪界を背負って立つ大物であるようだ。しかし、僕は、Cの平塚光彦が勝つと、ほとんど確信するにいたるのである。根拠はない。そこが実に奇妙なところだ。穴っぽく買うなら、先行力ある緑川からDA、DE。またAD、AEというのが東北ラインで、これが筋であるらしい。
Cから入れば、能力から言ってCBであるが、このオッズは、当初なんと七十倍を示していた。連単の際の裏千両というやつで、BCでは屁《へ》みたいなものになってしまう。CBのオッズは五十倍になり四十倍になった。どうやらCBは四十五倍見当で落ちつきそうだった。
僕の嚢中《のうちゆう》は一万円と少し。CBを六千円買った。徳サンがびっくりした。
「そりゃ無茶ですよ」
「いや、配当で買ったんだ。これで二十五万円から三十万円にはなるだろう」
「小門《こかど》の頭は固いですよ」
「オカド違いってことがあるかもしれない」
あと、わからないから、C@、CD、DCを千円ずつ。いずれも万車券である。そのあとCA千円を追加した。これは百四十倍である。
なぜかというと、僕はCが勝つことを確信していたのであるが、その日の出目からするとAの目が強いと思っていた。もう一度、一レースから九レースまでの出目を見ていただきたい。Aの目が五回出ている。いや、肝腎《かんじん》なのは三、四、五レースと三回続けてAの目が出ていることだ。こういう目は強い目だ(と僕は考えている)。さらに、第一、第二レースでAは僅差《きんさ》の三着である。Cの目も出たがっているが、Aの目も出たがっている。そう考えた。Aから入れば、AD、AE東北ラインが筋であるというが、そんなことはわからない。
最終第十レースがスタートした。あと一周半というときに、小門がスパートして先頭に立った。追込みの平塚が追走する。
「あ、あ、あ、先生、CBだ」
と徳サンが叫んだ。
「こりゃ暴走だ。小門は負けるよ。これで抜けなけりゃ競輪の選手とは言えないかんね。平塚で勝てる。CBだよ。三十万円だ。先生、革ジャンが買えるよ。エルメスの革ジャンだ」
徳サンは憑《つ》かれたように叫び続ける。彼も僕に乗っかってCBを買っていたのだ。僕には何のことかわからない。小門がそのまま逃げきるように見えた。競馬ならそうなる。しかし、競輪は、そういうものではないらしい。それが風圧であるようだ。
あと十メートルというときに、平塚が小門をかわした。
「取ったあ。CBだあ!」
徳サンが、ありったけの声で叫んだとき、Aの沼田が猛然と突っこんできた。
立ちあがっていた徳サンが、へなへなと坐《すわ》りこんだ。
「CAだぁ」
その声に力がない。
「CAなら持ってるよ」
僕が言った。徳サンが僕を睨みつけた。素人《しろうと》にはかなわん、信じられんという表情だった。
連単配当一万六千七百五十円。これは立川競輪昨年度二番目の高配当であったという。一万円を除いて、六千七百五十円という車券を当てるのも容易ではない。いや、七百五十円を着実に的中させるのも難事である。僕は事の意外に驚いた。Cが勝つ、Aの目が強い、だから出目からするならばCAは買いやすいのである。では、どうしてもっと買わないかというと、僕は、百四十倍という五分前のオッズを見て、これでいいやと思ってしまうのである。もし、本当の出目論者の勝負師ならば、黙って一万円を投入するだろう。
そうして、僕は、依然として釈然としないでいるのである。なぜならば、CAという車券は、僕が競輪の正しい狙いで買ったものではない。出目だけで買ったのだ。これがCBであったなら事情が違ってくる。
「ほら、狙い通りだ。小門だって負けることがある。裏千両というやつだ」
とかなんとか言って威張ることができたのである。ただし、競馬でも競輪でも、さんざんに痛めつけられた人が次第に出目論者になってゆく筋道だけは見えてきたように思った。
その夜、僕は、徳サンの行きつけのスナックと赤提灯《あかちようちん》のモツ焼キ屋へ行って飲んだ。
「先生、万車券を取ったよ。それも単なるマンシュウじゃないんだ」
饒舌家《じようぜつか》である徳サンが、決してそうは言わなくて、黙りこくって飲んでいた。そのほうがよかったのだけれど、僕は、だんだんにイライラしてきた。徳サンのその気持、よくわかるのだけれど。
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[#地から2字上げ]―――――¥眠れぬ個室寝台[#「眠れぬ個室寝台」はゴシック体]
こんどは荒尾競馬(熊本県)。
一月二十一日、金曜日。大寒である。佐賀の良平(マタ従弟《いとこ》)が、九州へ来るときは連絡してくれと言っていたので電話を掛けた。
細君が出てきた。
「そっち、雪が降っていますか?」
変なことを言う。
「いいえ、快晴です」
「こっちは大雪ですよ」
「いま降ってんですか?」
「ええ、もう、大変」
「積っていますか?」
「積りはしないんですけれど」
「熊本のほうはどうでしょうか」
「たぶん熊本も大雪だと思います」
僕、すぐに不良馬場のことを考える。先行有利か、それとも固くなって追込み馬が有利になるか。
午後四時四十五分発、西鹿児島行寝台特急はやぶさ、すなわち|青い流星《ブルー・トレイン》に乗ることになっている。これが明日の朝十時二十六分に大牟田《おおむた》に着く。大牟田から荒尾競馬場まで自動車で約十分。第一レースの発走が十一時半だから、ちょうどいい。
寝台でぐっすり眠って、そのまま駆けつけて、すぐ競馬というのはどんなに良い気分のものかと思い、ずっと楽しみにしていた。荒尾が終ったら、長崎へ行くつもりにしている。大好きな寿司屋《すしや》のとら寿し、西洋|骨董《こつとう》のマヨリカへ、遅まきながら水害見舞に寄る予定だ。御見舞の手紙を出してはいたが、こんどは、貧者の一燈を捧《ささ》げようと思っている。
三時十分に東京駅へ着いちまった。発車まで一時間半ある。僕は早く着きすぎるか遅れるかのどちらかであって、ちょうどいいということはない。たいていは早く着きすぎる。そうして奇態なことに、遠くへ行くときは、いつもより余計に早く着いてしまう。遠くでも近くでも発車時刻は同じだというのに。
そのことを都鳥《みやこどり》君に言ったら、
「それじゃ、私は四時に待っています」
「悪いな」
「待ちあわせ場所は、いつもの通り銀の鈴」
ということになった。その四時まで、まだ五十分ある。
僕はふれあいとやすらぎの町、東京駅地下名店街≠ノ降りていった。つくづく思うのだが、こういうふうでは、一生のうち、ずいぶん損をする。時間も時間だが、どこで休憩しようかなんて考えるのも無駄なことだ。この日は、上野寄りの端の百万|弗《ドル》にきめた。競馬へ行くのに百万弗というのはゲンがいい。百万円だっていい。いや、十万円だっていいと思った。
コーヒーを頼んだ。
「シュガーはいれますか?」
女給仕人が言った。喫茶店へ行くと砂糖はシュガーになり、食堂では米がライスになる。タクシーに乗ると、客はユーザーになる。
コーヒーで五十分はもたない。何もすることがないから、時々、後頭部や頸筋《くびすじ》を掻《か》いたりしている。
銀の鈴へ行った。四時までは死んだふり=B四時になると、必然、キョロキョロとあたりを見廻すことになる。人間の顔というのが一人一人違っているというのが、とても有難《ありがた》い。そうでなかったら、都鳥君を探しだすことができない。
この頃の若い女の歌手の顔は、みなよく似ているという。同じ顔だという。しかし、よくよく見れば違うのである。それより、僕、みんな丸顔と言うか、変に横にひろがった顔だと思っている。背が低い。将来、横に横にと肥《ふと》ってゆくのではないかと恐怖する。なにが怖いかと言うと、こういう人混みが横肥りの女ばかりになってしまうと一層混雑するのではないかということだ。くだらないことを考えるのも無駄のうちだ。
四時二十五分まで待ったが都鳥君は来ない。それでホームへあがっていった。西鹿児島行の寝台特急は、すでにホームに入っている。僕はすぐさま乗りこんで、個室寝台に入った。切符調べの車掌が来た。
「寝台券、特急券はありますが、乗車券がありませんね」
「あ、それは、後から来る友人が持っているんです。すぐに来ます」
そう言って僕は急場を凌《しの》いだ。窓の外に都鳥君の顔が見えた。四時三十分。まったく、人生において無駄をしない人だ。
「乗車券ですか。お渡ししてあるはずです」
そういえば切符は二枚|貰《もら》ってあった。僕はその一枚は復《かえ》りの切符だと思いこんでいる。出してみると、それが乗車券だった。
「ほら、ごらんなさい」
と言ったのは僕である。
「だからね、僕みたいな男を一人歩きさせちゃいけないんだよ」
「すみません」
「あなたが謝ることはない」
ブルー・トレインは、これで三度目である。だから眠れるはずだと思っていた。
ガタンといって列車が動きはじめた。それは僕の思っていたのと反対方向だった。地方都市の駅で列車に乗ると、必ず僕の思っている反対のほうへ動きだす。だから僕は、いつでも、反対の反対だと思うことにしているのだけれど、東京駅では珍しい。
「おい、これでだいじょうぶか。青森のほうへ行っちまやしないか」
「だいじょうぶですよ。始発駅ですから」
冬の日が暮れかかっている。
このごろ、列車内でのアナウンスがうるさくて仕方がない。
「下着姿、お浴衣《ゆかた》で食堂車へいらっしゃるのは御遠慮ください」
なんてことを言う。個室だから、頭の上から大声が降りてくる。
「うるせえな。わかってらあ、そんなこと」
便所へ行けば、
「便座をあげろ。便器の上に乗るな」
「使用後は水を流せ」
という注意書がある。
この列車、修学旅行の高校生が乗りこんでいる。この時期の修学旅行というのも奇妙だが、ブルー・トレインに人気があるのだろう。僕なんかの修学旅行は、座席の脇《わき》に新聞紙を敷いて寝たもんだ。
個室寝台に親子五人なんていう一行がいる。B寝台の修学旅行の連中は、みんな弁当を喰《く》っている。そこで僕等も食堂車へ行くことにした。
時分時だというのにガラガラに空いている。学生は食堂車へ入ってはいけないということになっているらしい。僕思うに、食堂車で行儀よく食べられるようにするというのが教育ではあるまいか。それが教養というものではあるまいか。それをやらないから、学生が社会人になってホテルのダイニング・ルームで震えてしまうという事態が起るのである。下着姿で食堂車へ行くのは御遠慮≠ニ注意されるようになる。誰《だれ》が褌《ふんどし》一丁で食堂車へ行くものか。突然、佐賀の良平は全裸で寝ることを思いだした。僕の家に泊ったときは、さすがに褌一丁を着用した。マタ従弟というのはこのことかと思った。
特級酒を一本。チーズ盛りあわせ。野菜サラダ。都鳥君は焼肉定食。僕、禁酒中だから、おそるおそる舐《な》めるようにして飲む。
斜め前方に、先生方が飲んでいる。寝台用のスリッパを履いたままの奴《やつ》がいる。腕章の男がいる。××観光。このごろは修学旅行も代理店扱いになっている。電通で葬式を請負うようなものだ。
なかに一人、面白い禿頭がいた。毛がまるで無いのではない。ピカピカ頭ではない。ぽやぽやっと生えている。三センチばかりの長さがある。極めて薄いから、透けて見える。そうして、それを横に撫《な》でつけているから、上部が濃くなっている。こっちから見ると三保《みほ》の松原のように見える。景色としては悪くないから、それを眺《なが》めながら酒を飲んだ。
熊本へ帰る先生方と観光会社の一行である。そんなことやってるから、卒業式に生徒に殴られるのだ。高校生の、これが最後の修学旅行。生徒を呼んで一杯飲ませてやったらどうなのか。僕ならそうするぞ、やい、先公、三保の松原。
「蔵王《ざおう》でですね。小雪が降っていましたろう。学生、大感激でした。涙ば流しとりました」
嘘《うそ》つけ。涙を流すような学生はいなかったよ。みんな劇画を読むかオイチョカブをやらかしてたぜ。
「九州の学生は雪ばしらんけん。いや、ダイシェイコーでした」
この年代の教師たち、すぐに感傷的になるのがいけない。それに、熊本が大雪だっていうのを知らないのか。
「もう一本、いいでしょうか」
「ああ、うっかりした。どうぞどうぞ」
「それと別に一級酒を頼んでいいですか」
「そうだ、一級酒のほうが美味《うま》い場合があるからね。辛口で。……禁酒すると気が利《き》かなくなっていけない」
都鳥君、mellow(ほろ酔いの)になっている。これが merry(浮かれた)になり drenched(ずぶぬれの)になり crashed(つぶれた)になるといけない。月に吠《ほ》える狼男《おおかみおとこ》になる危険がある。
部屋に戻《もど》った。僕、ポケット瓶《びん》を持っている。貰いものだが、バレンタインの17年を詰めてある。都鳥君、名古屋駅を過ぎ、大阪駅まで飲んだ。
「seeing elephants じゃないのか」
「うっふ。なんですか」
「桃色の象が見えないか」
「象なんか見えません」
大失敗である。眠れると思ったのが眠れない。
「眠れないと思うから腹が立つ。眠ってやらないと思えばいい」
そうだ。眠ってなんかやらないぞ。僕、全部の電気を点《つ》け、読書をはじめた。尾道を過ぎ糸崎で停車した。午前三時三十五分。隣の部屋で、あたかもバスを使うような音がしている。個室寝台には洗面所が付いていて熱湯が出る。都鳥君が入浴しているのかもしれない。まさかと思うが綺麗《きれい》好きな人なのだ。
午前七時、小郡《おごおり》着。明るくなっている。本当に雪だ。それから雪が降り続き、鳥栖《とす》あたりまで降っていた。
大牟田は快晴。寒い。
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[#地から2字上げ]―――――¥烈風、雲仙おろし[#「烈風、雲仙おろし」はゴシック体]
荒尾競馬場の二階スタンド。寒いなんてもんじゃない。
向う正面の奥が一面の有明海。正面に海を越えて多良《たら》岳。左に雲仙。そこから、まともに烈風が吹きつける。
「西向きの競馬場ですからね。西北の風が吹けばたまりまっしぇん」
末松勝義広報係長が説明してくださる。本馬場のコースは卵型で、三コーナー、四コーナーがふくらんでいる。右廻り千二百メートル。幅員二十五メートル。
「先行有利ですか」
「そうとも言えまっしぇん。卵型ですし、直線も長い(約二百メートルか)ですから」
「内枠有利ですか」
「そんなこともないようです。しかし、ウサギ道がありますから」
「ウサギ道?」
「内を通る馬が多いですから、そこが固くなりましてね」
ふつうは掘られて深くなるのである。
「ケモノミチみたいなもんですか」
「そう。ケモノミチ、ケモノミチ。内埒《うちらち》から一メートルぐらいのところです」
よくわからなかった。佐賀競馬場の建物が立派だったので期待してきたが、ここは立派とは言えない。しかし、まあまあ、小躰《こてい》な競馬場であり、馬は馬場を走るんだから、建物なんかどうだっていい。
一月二十二日、土曜日。第十四回荒尾競馬、第四日。馬場状態、良。
第一レース、失敗。第二レース、的中。ただし配当三百七十円。第三レース、馬券を買いに行って直前で締めきられた。買うつもりの@Gが的中していて、配当九百三十円は痛かった。締切と発走時刻は非常に厳密に守られている。第四レース、的中。配当三百五十円。
第五レース、Gのゾロ目が的中。対抗と無印で、四千五百三十円。この日一番の高配当。
「これで、もう損はない」
僕は儲《もう》けた金を財布に蔵《しま》った。こういうとき、これはツイテル、押せ押せで行けという人が多いが、僕は気が小さいしセコイほうだから、もうこれでいいやと思ってしまう。情ないが、僕が戦後のギャンブル人生で、身を持ち崩さないでこられたのは、このためだとも思っている。
第七レース。都鳥君、大阿蘇光《オーアソヒカリ》の単勝が的中、配当三千八十円。この馬の単勝総売上げ六百円で、彼は二百円買っていたので、実に三分の一を買い占めたのであった。この大阿蘇光は競馬新聞『荒尾ダービー』の特注馬。印刷された予想以外にボスが赤鉛筆でシルシをつけているその馬。このシルシは、当る当らないは別にして、なかなか良いところを見ている。馬の気配もよかった。スポーツ新聞では、佐賀同様『九州スポーツ』が良い。
その後は荒れず、二万円ばかりのプラスで終った。
泊ったのは大牟田の日本旅館、京政。食事は一歩という店へ行った。
「将棋だと一歩に泣くというのがある」
「一歩|価《あたい》千金とも言いますよ」
「高くて泣かされるか」
この店が良かった。ヒレ酒、フグサシ、骨揚《こつあ》げ。いずれも美味い。ヒトモジグルグルというのがある。
「人文字とは何ぞや」
これは、本当は一文字であって、アサツキのヌタであるようだ。細い葱《ねぎ》が一直線に伸びるのを、一文字と言うらしい。
クッゾコ(靴底)はシタビラメである。これも美味。
マジャク。シャコとエビのあいのこ。魚釣《うおつり》のエサに用いるが食用にもなると百科事典に書いてある。アナジャコ。ぱりっとして不思議な味だが悪くない。
京政は古い良い旅館だが、やっぱり寒い。とくに風呂《ふろ》場(便所つき)が寒い。それでも都鳥君は夜寝る前にバス・ルームへ歯を磨《みが》きにゆくんだから感心する。
宿舎を変えることにした。大牟田駅近くのガーデンホテル。こういう際は、残念ながらホテルのほうが機密性に富む。
朝、ホテルの部屋を予約して戻ってきたら、京政の前に良平が立っている。親友の佐賀新聞、田中善郎記者と一緒だ。良平の運転で競馬場へ。
入口前で、タイラギというものを売っている。これはタイラ貝であるようだ。九州というところ、特に有明海というのが僕には怖《おそろ》しい。マジャクのようにエビだけれど形はシャコだなんて、女性は形を見たら食べられないだろう。
一月二十三日、日曜日。第十四回荒尾競馬、第五日。馬場状態、良。
昨日の入場人員は二千五百五十八名で、平均三千人というところらしい。競馬は中央も公営も昭和五十年をピークにして入場者は漸減《ざんげん》の様相を呈している。荒尾も前年比約一割減であるそうだ。
第一レース、BF勝負が、Fが一着で、BCが同着二着。こういう日はあまり良くないものだ。
はたして第二、第三、第四レース、失敗。
「佐賀ではよかったが、ほんのこつ、良《ゆ》うないわ」
良平が深刻な顔をしている。
「佐賀競馬場はですね、日本一ですか?」
良平が僕に訊《き》いた。建物は日本一だ。以前、僕はそう書いた。とても立派だ。特に委員長室なんか、銀座高級クラブにも退《ひ》けをとらないくらい。ただし、指定席(トッカン)などは、川崎、足利《あしかが》に較《くら》べるとお粗末。とにかく全体の建物と駐車場だけは素晴らしい。そこで、めんどうだから、
「うん、日本一じゃ」
と答えた。
「佐賀競馬場は日本一じゃ言うとる」
良平は田中記者に向って嬉《うれ》しそうにささやいた。僕には、こういう感覚が掴《つか》めないでいるのである。たとえば、目黒雅叙園は東洋一じゃというような。戦前、良平の父を雅叙園に案内したとき、彼は感激して、
「竜宮世界じゃ!」
と叫んだものである。建物は悪くても、僕は、木造の笠松《かさまつ》競馬場なんかが好きだ。地方都市の市役所なんかで前衛建築のうすらでかいのがあるが、あれがわからない。
この日も寒かったので、スタンドは敬遠して来賓室でちぢこまっていた。
裏の総務関係の事務室から、パドックが見おろせるのがありがたい。その事務室の暖房がきいていて暑いくらいだ。
室長とおぼしき中年男性が、お盆を振り廻して暴れている。
「それは新式の体操ですか」
「違うけん」
「ヨガかなんか」
「…………」
「ああ、わかった。宴会の裸踊りの練習ですね」
暖房は、どうしても上のほう頭のほうが熱くなる。それで、室長はお盆でもって室内の空気を掻《か》き廻しているのだった。レースごとに執務の邪魔になるのが心苦しいので、僕は、そのたびにお盆を借りて裸踊りの稽古《けいこ》をすることになった。五十肩で右腕があがらないので重労働だったが、そのおかげで少し肩が楽になった。
第五レース、的中。この千二百五十円はシルシからすると好配当だった。第六レースも的中、千二百十円。
そのあとがいけない。
第七レース大日本《ビツグニホン》、第八レース月下可憐《ゲツカカレン》に突っ込んだが着外。第九レース松八《パインエイト》、第十レース大丸夢《ダイマルドリーム》で惨敗《ざんぱい》。この松八に騎乗した福島幸広はとても上手なのだけれど。大丸夢の崎谷彦司も積極性があり、ともに乗り役に惚《ほ》れて失敗。ほんのこつ、良《ゆ》うなかった。
帰って、また一歩で食事。フグサシ上等。ついに靴底の煮つけも食べた。靴底の裏まで食べた。チャップリンになったような気がした。良平は運転で佐賀まで帰らなければならず、田中記者は飲めないので気勢あがらない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥夢物語デメロン[#「夢物語デメロン」はゴシック体]
一月二十四日、月曜日。第十四回荒尾競馬、第六日。馬場状態、良。入場人員、三千三十五人。
平日の割に入りがよかったのは、急に暖くなったためだろう。無風。
「温《ぬ》くか!」
と叫んでしまった。
有明海を渡って長崎まで行く関係で第八レースまでしか遊べない。
第一、第二レース、失敗。第三、第四レース的中するも低配当。第五、第六レース失敗。
かくてはならじ。
第八レースは固くおさまりそうなので、第七レースで勝負しなければならない。(実際に第八レースは本命対抗一、二着で配当二百八十円だった)
第七レース。アラブ系C級、千四百メートル。一着賞金四十五万円。
▲注 @[#底本では黒丸白抜き unicode2776] 1 テツワンボルト 牡七歳 頼本
注△ A[#底本では黒丸白抜き unicode2777] 2 バンライホウラク 牡七歳 川上
〇◎ B[#底本では黒丸白抜き unicode2778] 3 イワサンホマレ 牡六歳 畑田
C[#底本では黒丸白抜き unicode2779] 4 ボウルドタクマ 牡六歳 古沢
△注 D[#底本では黒丸白抜き unicode277a] 5 ハチマルクイン 牝六歳 馬場
E[#底本では黒丸白抜き unicode277b] 6 トレビカチドキ 牡七歳 大久保
×穴 F[#底本では黒丸白抜き unicode277c] 7 サンテラス 牡六歳 幣旗
8 タカラカエデ 牝七歳 和田
◎〇 G[#底本では黒丸白抜き unicode277d] 9 マルゼンポート 牝五歳 福島
× 10 アシダホープ 牝六歳 後藤
予想上段は九州スポーツ、下段は荒尾ダービー
さあ、わからない。名手福島幸広騎乗のマルゼンポートが一着、二着、二着で強いようだ。時計も悪くない。このマルゼンポートに遜色《そんしよく》ないのがイワサンホマレであって、時計はこっちのほうがいい。まずBGはおさえることにしたが、これでは商売にならない。『荒尾ダービー』のボスのシルシは@のテツワンボルトである。だから@G。オッズを見て高配当のEのトレビカチドキへBE、EG。さて、あと一点、どうするか。僕は立川競輪を思いだして出目に頼ることにした(邪道なり)。この日の第六レースまでの出目は次の通り。
F G E F G F
| | | | | |
C C C @ D A
この出目をどう読むか。人によってさまざまだろう。Bの目が出ていない。これを死に目だと見る人が多いと思う。僕は違う。Bの目が出たがっていると見る。しかもBのイワサンホマレは馬体、気合ともに良い。人気であるが、こういうときは、たいてい勝てるものだ。
さて、では、どの目が強いか。それは、断然Cの目である。続けて三度出る目を強いと見る。従って、迷わずBC。しかし、Cのボウルドタクマは前三走、八着、七着、九着。いずれも逃げて潰《つぶ》れている。出目でなければ、とうてい買えない。
「人気薄の逃げ馬買うべし」
公営競馬の鉄則を思いだした。
「よし、BCだ」
都鳥君がせせら笑った。
「※[#歌記号、unicode303d]馬鹿《ばか》言ってんじゃないよ」
彼、このごろ、競馬に関して少し生意気になっている。
「歯を磨いてきましょうか」
「いいよ、いいよ」
「スースー、シーシー。あ、Cが来るかもしれませんね」
「からかうのは、よせよ」
第七レースがスタートした。意外、Aのバンライホウラクが逃げ、Cのボウルドタクマが追走する。こうなっては駄目《だめ》だと思った。逃げ馬は単騎で逃げなければ勝機はない。しかも、こう競《せ》ったんじゃあ……。僕はあきらめた。
向う正面、ACで他馬をひきはなす。これでは、二頭とも潰れる。有明海の海苔《のり》|※[#「竹/洪」、unicode7bca]《ひび》が光っている。
三コーナー、四コーナー、そのまま。ACで大きく離して走ってくる。場内騒然! ACであると、二万円か三万円の配当になる。Bのイワサンホマレが三番手。少しずつ差をつめる。ABは買ってない。
「しまったぁ!」
僕は大声を出した。
「この競馬場は西向《24む》きだって広報係長の末松さんが言ってたじゃないか。都鳥君、持ってないか」
「あるわけありませんよ」
「西だった。ACだった」
ところが、Aのバンライホウラクの足が、ばたっと止まった。ほんとにゴール前五メートルで動かなくなった。あと、ACBで頸《くび》のあげさげ。むろん長い写真判定。
態勢はACだが、Bの頸がちょっと出たようにも見えた。
「第七レース、どうだったんですか」
競馬場から長州港へ向うタクシーのなかで運転手が言った。
「荒れたよ」
「いくらついたんですか」
「四千五百四十円」
「あれ、万馬券じゃなかったんですか。二万円はつくと思ったんだけれど」
「ACに見えたでしょう」
「わたしら、タクシー乗場から離れられないんで、四コーナーのところで見ていましたから、ACでぶっちぎり、なんにもないと思ったんですが」
「そうだろうね。僕もそう思った」
「取ったんですか」
「まあね。少しだけれど」
「Bはわかりますが、Cはどうして買ったんですか。根拠は何ですか」
「根拠はね、困っちまったな。出目だよ。いい加減だよ。Cの目が強いと思ってね、あとはムニャムニャだ」
「へええ……」
「あなたね、長州港から引き返せば第十レースにまにあうだろう。これ、取っときたまえ」
運転手に祝儀《しゆうぎ》を渡した。なんとも良い気分だった。
しかしながら、僕は釈然としないのである。立川競輪のときと同じだった。出目で取っても嬉しくない。
去年の春の天皇賞で、僕はモンテプリンスの単勝を一万円買った。配当は二百円である。たった一万円の儲《もう》けであるが、そのときは嬉しかった。春の天皇賞は京都だから、僕は府中競馬場の場内テレビで見ていて、モンテプリンスが四コーナーを過ぎて外から出てきたとき、群集のなかで、
「吉永正人!」
と叫んでしまった。競馬ってそんなもんじゃないのか。競輪で、出目で買って千円が十六万七千五百円になった。競馬で一万円が二万円になった。どっちが嬉しいかというと競馬のモンテプリンスの単勝のほうが嬉しい。
カツラノハイセイコが目黒記念で勝ったときも単勝一万円を買っていた。配当は二百五十円じゃなかったかと思う。ゴール前シルクスキーに迫られ、ハラハラドキドキした。それでいいんだと思う、競馬なんか。
読者諸君! どうか、僕の出目論なんか信用しないでくれたまえ。出目論は邪道であり敗北主義である。
快晴、無風。有明フェリーに乗ってデッキに出ても寒くない。バスで長崎中央橋まで。
その夜、とら寿しへ行った。白身の魚、フグ、イカ、タコのうまいこと。翌日の昼、僕はチャンポンメンが食べたかったのだけれど、都鳥君がこう言ったのである。
「わがままを言っていいですか」
「なんだい?」
「もう一度、とら寿しへ行きたいんです」
「いいとも」
これでもって、とら寿しのうまさがわかってもらえると思う、寿司屋として日本一だ。
マヨリカへ行って革張りの椅子《いす》とディキャンタと女房のためのブレスレットを買った。久し振りの勝利だ、このくらいの贅沢《ぜいたく》は許してもらいたい。
帰り、京都で途中下車して祇園《ぎおん》で遊び、東山安井の八百伊で漬物《つけもの》を買い、一澤帆布店で鞄《かばん》を買い、十三屋で櫛《くし》を買い、錦《にしき》の有次へ行って包丁を買った。そうしたら、お金が無くなった。
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[#小見出し]17 高崎競馬《たかさきけいば》、サクラチル
[#ここから8字下げ]
四人が四人、三万円のプラスとは。
共に咲く喜びの一日目。皆のハナ息が荒くなる。
二日目、なんだか全員無口になって、顔色が冴《さ》えない。
三日目、けっきょく、共に散る。
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[#地から2字上げ]―――――¥父さん温泉、僕《ぼく》競馬[#「父さん温泉、僕競馬」はゴシック体]
その日を楽しみにしていた。
二月は、競馬をやらなかった。公営競馬場めぐりも残りが少くなると、行きたいと思っているところが開催していないということになってくる。特に冬がそうだ。北のほうは開催していない。三月になって中央競馬も中山へ行ってしまった。僕は中山へは行かない。行くのは府中だけ。四月二十三日まで待たなければならない。
こうなると impatient(我慢ができない)とか、irritating(いらいらする、ぴりぴりする)という状態になってくる。
三月の末に高崎へ行くことが決まっていた。そのときは自動車で行く。その自動車は、この町のタクシー運転手である徳サンが運転する。それで伊香保温泉に泊ることにしていた。「父さん温泉、僕競馬」というのを一緒にやっちまおうというわけだ。
僕よりも徳サンのほうがイムペイシェントになってきた。
「高崎、昨日、万馬券が出た」
とか、
「入場人員二千いくらって、淋《さび》しいところだね」
とか、
「やっぱり一|枠《わく》は勝てないようだけんど。……インコースは砂が深いんだね」
とか、会えばその話になる。スポーツ新聞のそこだけを精読しているようだ。
旅館も伊香保温泉の金太夫と決まった。誰《だれ》もが儲《もう》かりそうな名前の旅館だと言う。
三月二十九日、火曜日、ついにその日が来た。午前八時、僕の家に集合してもらった。
今回は、都鳥《みやこどり》君のほかに徳Q君も参加する。徳Q君は僕の家のホンネキに住んでいて、なかなかに巧者な馬券を買うことを知っている。徳Q君のお母様は、新婚旅行で伊香保へ行き古久屋という旅館に泊られたという。そうなんだ。昔は御用邸なんかがあり、新婚旅行のメッカであり、高級保養地として知られていた。言いたかないけれど、畏《かしこ》きあたりの方々も、もっと昔のように伊香保や熱海や修善寺なんかを愛用されたらどうかと思う。そうでないと俗化が進むばかりだ。
僕、紀行文を書くときは、出発前からタイトルが出来ている。今回は、儲かったら「春の麗《うら》らの高崎競馬」であり、そうでないときは「高崎競馬、菜種梅雨《なたねづゆ》」である。また、全員|惨敗《ざんぱい》のときの標題も別に用意していた。
午前八時十五分。拙宅前を出発した。国立《くにたち》から所沢へ出て、関越自動車道に乗り高崎に至るというコースである。徳サンはプロの運転手であり、道順なんか指示する必要がなく、われわれは実に安気なものだった。
菜種梅雨。三月末から四月にかけて、菜の花の咲きさかるころ降る雨(『日本大歳時記』、講談社版)。まことに、その通り、愚図ついた天気が続いていた。
「晴れるなら晴。降るなら降る。どっちかにしてくれ」
この二、三日、そう叫んでばかりいた。旅に出ると天気が気になる。天気予報は命の綱という感じがする。まして競馬である。とりわけ砂の深い高崎競馬である。何度も書くようであるが、公営競馬ではインコースの砂が深く掘れている。内枠、特に一枠は不利だ。しかし、雨になると事情は一変する。なんと言ったって、一枠の馬は距離的に有利である。小廻りだから、余計にそうなる。雨で馬場が緊《しま》って固くなれば、一枠を引いた馬は逃げ策戦に出る。距離的に有利。砂が固い。先行すれば泥《どろ》をかぶらない。
この日、雨にはなっていない。曇天。いつ降るかわからないという空模様。
僕、ゆっくりと走って、昼過ぎに高崎競馬場に着き、見学を兼ねて観戦し、一レースか二レースの馬券を買ってみる、温泉で静養し、充分に研究し、二日目から勝負。そんなつもりでいた。
しかるに、関越自動車道、そんなにゆっくりとは走れないのだな。時速百キロ。スピードを落とすと、かえって危険、ということがわかってきた。徳サンはプロだから安全運転。こわいことはないが自然にスピードが出る。
「伊香保は高崎から未亡人が呼べるそうです。フロントに相談すればいいそうです」
都鳥君が週刊誌で得た知識を披瀝《ひれき》する。これが徳サンを刺戟《しげき》したようだ。ハナ息の荒くなるのが感ぜられる。そうなると、百二十キロになる。未亡人を呼んでどうするんだ。
それは夜のことにして、どうやら第一レース(十一時二十分発走)に間にあってしまいそうだ。何の知識もない。僕が怖《おそ》れていたように、十時半に高崎インター・チェンジに着いてしまった。
競馬場は町中《まちなか》にある。いや、そうじゃない。初めは町外れの田圃《たんぼ》のなかにあったんだ。都市化が進んで町中になっちゃった。草競馬の情緒がない。向う正面に関越道路。右手の山に観音様。しかし、僕、町中の野球場とか競馬場というのが嫌《きら》いではない。ちょっと川崎に似た雰囲気《ふんいき》。住民に不満があるという。町の中に玩具《がんぐ》がひとつ落ちていると思えばいいじゃないか。立派な人は玩具で遊ばないだろう。僕等は立派じゃないから、その玩具で遊ぼうと思ってやってきたのだ。
三月二十九日、火曜日。第十九回高崎競馬、四日目。馬場状態、良。曇天続きだが、ずっと雨は降っていないという。すなわち砂が深い。入場人員、二千八十四名。入りが悪いのは宇都宮と同時開催のためである。
僕等は特観席に案内された。馬券売場も払戻《はらいもどし》場もすぐ裏にあって、とても便利。見廻《みまわ》したところ、頭チリチリ、額に剃《そ》りという方々はあまり多くないようだった。
第一レース。DEという馬券(配当九百六十円)が全員的中。
「魂消《たまげ》たなあ。はじめDEは三十何倍かあった。それが、いきなり四倍になっちまって、最後は九・六倍でしょう」
と、徳サン。ここは田舎であって、売上げの変動が激しいということが言いたいのだろう。
「九百六十円は好配当だぜ」
「それはそうだけんど、魂消たなあ。中央じゃそうはいかないからね」
徳サンは競輪のほうの名人である。僕は競輪は彼に教えてもらう。ただし、多くはレースが終ってから教えてくれる。
「だからさ、それを走る前に言ってくれればよかったのに」
いくらそう言っても駄目《だめ》なのだ。ここはDE以外買いようがないと言ったりする。
また、彼はオッズのことをオンズと言う。オッズは ODDS だからオンズになるわけがないが、そのままにしている。僕等がオッズと言っているのを何度も耳にしているのだから気がつきそうなものなのだが……。もっとも義母(女房の母)は、昔の女高師を出た教養人であるのに、バスはパス、ベンチはペンチ、デパートはデバートと言って、終生、訂正しようとはしなかった。
第二、第三、第四レース、失敗。
「競馬ってのは、どんどんお金が減ってゆくなあ」
そう言ったのは、うしろの席の客である。しかし、僕も、まったく同感することを禁じ得なかった。
第五レース。連複二千五百六十円が的中。
「おい、今晩芸者呼ぼうか」
という言葉が出かかった。
「ちぇっ! 当ったときは五百円しか買ってねえや」
徳サンがそう言って、顰《しか》めっ面《つら》をしようとしたらしいが、自然に笑顔になってしまったようだ。
「だけんど、これでよう、今日はもう、ただで遊べるかんね」
彼が五百円しか買わなかったことがわかって、僕は安心した。そういう買い方なら、大|怪我《けが》にはならない。
第六レース、的中。第七レース、連複千九百六十円が全員的中。第八レース、的中。
第九レース。徳市嬢《ミストクイチ》という馬がいて、徳Q君と徳サンがいると思って太目に買って失敗。都鳥君的中。
第十レース。連複六百二十円。全員が的中。徳Q君は一点で五千円買っていて、一気に挽回《ばんかい》したようだ。
僕は、いま計算してみたら、三万九千五百十円のプラスになっている。あとの三人も、三万円ぐらいの儲けになっていたようである。
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[#地から2字上げ]―――――¥白木蓮《はくもくれん》咲く[#「白木蓮咲く」はゴシック体]
「高崎っていいところだね」
自動車が出発して、僕はすぐに言った。みんなが笑った。
「事務局長の鎌須賀さんていう人、なかなか立派な人のようだね」
「おっとりしていますね」
「総務課長の吉谷さんがいい」
「競馬のわかる人だね」
「それと、あの、案内してくれた小林さん、気持のいい青年だね」
「感じのいい人でした。ああいうのを好青年って言うんでしょうね」
「それと、馬券が買いやすいのがいい」
「いやいや、何よりもレースの面白《おもしろ》さです。直線が長いでしょう。それに砂が深いですから容易には逃げられない。行った行ったにはならない。そこが、なんと言うか、気持がいいんですね」
「本当に高崎っていうのは良い所ですね」
「意外にね、万事につけて感じがいい」
「タイトルは、春の麗らの高崎競馬。これに決まったようなもんですね」
「うん。これから温泉だ。こういうこと、人生に一度はあってもいいんですね」
「全員が儲けたってことは前にもあったけれど、みんなが三万ずつっていうのは初めてだ。四人というのも初めてだ」
「高崎って本当に何もかも最高です」
「これで、みんなで温泉へでも行かれるといいんだがねえ」
てんでに勝手なことを言っている。
白木蓮が満開である。
僕の恩師である歌人の吉野秀雄先生は、高崎市で生まれた。高崎へ来ると、先生のことを思わないわけにはいかない。
白木蓮《はくれん》の花の千万青空に白さ刻みてしづもりにけり
青空の染めむばかりの濃き藍《あい》に皓《しろ》さ磨《みが》けり白木蓮《はくれん》の花
しろたへの白木蓮《はくれん》空にまかがよひ地には影しつ花さながらに
高崎公園には天然記念物に指定された白木蓮の巨木があり、これは実に見事なものだ。先生の歌は、この白木蓮を歌ったものであり、一首目のものが歌碑になっている。白木蓮は蒼空《あおぞら》のときがいっそう美しいが、残念ながら菜種梅雨が解消されていない。
梅も満開。桜は蕾《つぼみ》が固い。
伊香保街道を登ってゆくと、その梅が二分咲き一分咲きになってゆき、ついには桜と同じように固い蕾になってしまったので驚く。旅館の係の人に、電話で、下着一枚違いますと言われたことを思いだす。すなわち、伊香保は高いところにあるのである。
金太夫は五百年の歴史があるという。何代目かに木暮金太夫という人がいたらしい。そう言えば木暮武太夫という政治家もいたな。五百年の歴史と聞けば、木造三階建を思い描いてしまうが、いまや、IKAHO SPA HOTEL KINDAYU なのであって、客室七十、三百五十名様収容の白亜の殿堂になってしまったのは御時勢で致し方がない。
すぐに束子《たわし》を持って風呂《ふろ》へ行く。混浴だと聞いた大展望風呂である。なるほど、フルムーンの一組がいる。妻は夫を労《いたわ》りつ、夫は妻に……という感じで、フルムーンを通り越して三日月になっちまっている。目をそらさざるをえぬ。
束子で擦《こす》った四人分の垢《あか》というのは豪勢だった。溝《みぞ》が詰るのではないかと思われた。
「おれ、一カ月分の風呂に入っちまうかんね」
と徳サンが言った。一カ月分の風呂という意味が理解できない。
「ヤヤッ!」
と僕が叫んだ。
「目の前にあるのが古久屋だぜ」
なにしろ大展望風呂である。眺《なが》めがいい。徳Q君が泳いできて窓をあけた。お母様が新婚旅行で泊った旅館に全裸でもって相対する徳Q君の心境はどんなものであったろうか。
「明日は、あの天辺《てつぺん》の部屋に泊ろう」
古久屋のほうが改築後間がないように見受けられた。
「あそこはワンルームだぜ、きっと。眺めは最高だ」
「天守閣みたいですね」
「偉い人が泊る部屋だ」
「そのかわり、火事になったら逃げられませんね」
「縄《なわ》で降りればいい。それから芸者を呼ぼう。どうも、都鳥君、高崎の未亡人だなんて、スケールがちいさい」
まことに意気天を衝《つ》く概《おもむき》があった。
食事になった。いやあ、三人ともよく飲む。ポケット瓶《びん》に詰めてきたブランデーが空き、ジョニ黒の一本がたちまち空《から》になった。むろん、その前に、日本酒をしこたま飲んでいる。
「討って出るつもりはないのかね」
「いやあ、どうも……」
かなりへたばっている。
「フロントに言えば、未亡人、来《く》っかね」
と徳サン。
「そういうのはね、三流旅館に泊らなければ駄目だ。こういう皇族方が何度も来ているような旅館じゃ無理だ」
「按摩《あんま》は?」
「そうだ、マッサージを頼もう」
やってきたマッサージ師は、中年の男性で、少し講釈がうるさい。
「学校を出たばっかりですから……。手を抜きません。人間の体には急所が六百六十箇所あります。ここがそうです。ここ痛いでしょう。ふつうの按摩は、こんなところ揉《も》みません。どうですか?」
マッサージ師の揉んだのは腋《わき》の下だった。
「うん、痛い、痛いな。それに何というか、擽《くすぐ》ったいな。ウヒヒヒ、痛い痛い」
「学校を卒業したばかりですから」
「学校って、どこ?」
「塩原です」
「ああ、国立視力障害センターか」
徳サンが期待した按摩ではなかった。三人は僕が治療を受けるのを酒を飲みながら見学していたが、次々に全員が治療を受けることになった。
「あの按摩、喜んでやがんの。いい銭になったかんね。なんせ四人だかんね」
最後に揉んでもらった徳サンが言った。そのあと、三人は、一階にある「そばコーナー」へ出かけていった。徳Q君は、午前二時になると、どうしてもラーメンを食べたくなると言った。毎夜の新宿二丁目あたりでの行跡が癖や習性を通り越して人格の一部になっているようだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥山は霧しぐれ[#「山は霧しぐれ」はゴシック体]
翌朝、部屋から見下す家の屋根が薄じめりに湿《しめ》っている。
「降ったのかな」
「いや、そうでもないようです。道路は乾いています」
菜種梅雨というやつ、始末が悪い。馬場状態は良なのか重なのか。公営では特に検討が違ってくるのだ。
山では霧しぐれ。雨ではない。無風。
三月三十日、水曜日。第十九回高崎競馬、五日目。馬場状態、良。入場人員、三千八百二十五名。
第一レース、失敗。第二レース、人気薄の八枠両馬が逃げきってGゾロ目。万馬券かと思ったが、配当千二百十円。このGのオッズは、当初四・六倍程度だったという徳サンの報告あり。逃げる両馬を誰も追いかけない。公営では、ときどき、こういうレースがある。昨日の今日で、太目に買ったので、たちまち一万三千円のマイナス。第三レース、的中。第四レースも的中したが配分を誤ってマイナス。
なんだか全員無口になってくる。不機嫌《ふきげん》。
「開設記念弁当がいけないんじゃないかね。明日はどっかから取ってくれるって言っていたけんどね」
昨日は寿司《すし》の桶《おけ》だった。徳サンの敗因追及には独特の感覚がある。ただし、開設記念弁当(中華風)は美味だった。
第五、第六レース、失敗。狙《ねら》った馬がまるっきり走らない。第七レースも失敗。ここまでで約二万円のマイナス。第八レースも、狙いのラッキーファバージ(四着)が走らない。信じられないようなレースが続く。
全員、いよいよ無口。
「昨日当ったのは、みんな五百円。今日は千円二千円と買うと、まるで来《き》ねえんだかんねえ」
徳サンの顔色が悪い。
第九レース。南関東から転厩の外郎《ウイロ》主人《マスター》が狙い。これは川崎では好走していた。これが五着に敗れては惨敗。このところ、中央で走っていた馬や、南関東で馴染《なじ》みになっていた馬を買っては失敗している。どうしても知っている馬が出てくると肩入れしてしまう。また中央の馬は、どこか垢抜けて見えるというのも事実なのだ。概して言うならば、初馬場よりも御当地馬のほうが走るということが言えるようだ。
第十レース、第五回クイーンカップ。四歳|牝馬《ひんば》、距離千五百メートル、一着賞金三百万円。北関東のオークスのようなもの。
人気のヒロミレディの歩様がおかしい。『赤城競馬』(通称、アカ競)のコメントを見ると「トモに不安あり」となっている。そこでこれを外してオーキャロル(結果は一番人気)からヤシマナオキ(四番人気)で勝負。かなり自信があったのだが、人気薄シャーペンクインにぎりぎり逃げ切られてしまう。いま計算してみると、五万五千五十円のマイナスになっている。
「高崎って厭《いや》なところだな」
徳サンの運転する自動車が動きだして、すぐに僕が言った。みんなが笑った。その笑い声に力がない。
「あの事務局長、曲者《くせもの》だね」
「昨日は立派な人だって褒《ほ》めていたじゃないですか。それに今日は会っていない」
「総務課長も今日は顔を見せてくれなかった。あの人、馬はわかるね」
「馬券が買いやすいっていうのも考えもんですね。ついつい余計に買ってしまう」
「そうそう」
「それからオッズの消えるのが早過ぎるよね」
「ぼくもそれを言いたかった。競馬組合っていうのは、儲からない客が入らないって言いながらファン・サービスはしないんですよ。場内に公園をつくるばかりが能じゃない」
「先着千名様に靴下《くつした》をくれるっていうのに、おれたちにはくれなかった」
「あれは女性客だけだよ。クイーンカップなんだから」
「それでもほしいだかんね」
「パンティ・ストッキングなんか貰《もら》ってどうするんだ」
「あれ、あったかいんですよ」
「変態だな」
何を見ても腹が立つ。
「猫《ねこ》が死んでたろう。朝、来るときに……。それを言うと気持がわるいから黙ってた」
「あれ、先生、知ってたんですか」
「そりゃ見えるよ、助手席に乗っているんだから。あれがいけなかった」
「タイトルは、高崎競馬、菜種梅雨、に変更します」
「全員がマイナスってのは、ちょいちょいあるね。これが競馬なんだ」
「いやいや、待ってください。まだ明日があります」
「芸者はヤメだ」
都鳥君が酒屋へ行って地酒を買ってきた。これが悪くない。冷やで……。
案内書に「芸持」という項目がある。「税込千百円」となっている。これは芸者の持込みであるそうだ。どうやって調べるのだろう。とても芸者に見えない芸者もいる。まるで芸者みたいな奥様もいる。申告制になっているのだろうか。
地酒一升はすぐに無くなった。冷蔵庫のポケットウイスキイが二本三本四本……。まったくよく飲む。三人は、また「そばコーナー」へ出かけていった。そこで酒を飲むというんだからあきれてしまう。もっとも一年前までの僕を見るようであったけれど。
三人は、ラーメンの帰りに風呂も浴びて戻《もど》ってきた。徳サン失恋話の独演会。
按摩が来て、
「いま雨が降っています」
と言った。
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[#地から2字上げ]―――――¥意外な展開[#「意外な展開」はゴシック体]
またしても、ひどい霧《きり》時雨《しぐれ》である。登山家なら「ガスっている」と言うだろう。
しかし道路は乾いている。いったい高崎近辺の天候はどうなっているんだろう。
甘楽野《かむらの》をまさに襲はむ夕立ちは妙義の峰にしぶきそめたり
これも吉野秀雄先生の歌である。僕はこの歌が好きだ。実に大きい。高崎っていうところは、いつでもこんなふうなのだろう。山は、いつでも繁吹《しぶ》いているのだろう。
春休みで、金太夫には教職員の団体旅行、その家族の慰安旅行が多かった。
「巡査教員医者坊主って言うじゃありませんか」
昨夜のマッサージ師が言った。
「なんだい、それは」
「質《たち》の悪いお客さんのことですよ」
「ああそうか。地元で遊べない人たちね。消防の連中も悪いって言うね。そんなに悪いかね」
「悪い悪い」
競馬で負けたおかげで、僕達は上品な客になっちまった。
三月三十一日、木曜日。第十九回高崎競馬、六日目。馬場状態、良。
良馬場といってもいろいろある。雨が一滴降っても走らない馬がいる。アルゼンチン共和国杯を制したミナガワマンナなんかはこの部類。下は少し湿っていてもいいのだ。概して言うと、大飛びの馬は重馬場を嫌う。しかし砂の深い公営競馬は、良馬場のほうが時計がかかる。高崎競馬は重く足利《あしかが》競馬は軽いといった言い方をする。
第一レース、失敗。第二レースも駄目。たちまち一万一千円のマイナス。
第三レース、失敗。一万七千円マイナス。第四レースも駄目で、累計《るいけい》二万四千円のマイナス。
にわかに、みんな無口。
「高崎って厭なところですね」
と、都鳥君がポツリ一言。
「嗚呼《ああ》また都を逃れ来て/何所《いずこ》の家郷に行かむとするぞ/過去は寂寥《せきりよう》の谷に連なり/未来は絶望の岸に向へり/砂礫《されき》のごとき人生かな!/われ既に勇気おとろへ/暗憺《あんたん》として長《とこし》なへに生きるに倦《う》みたり」
「朔太郎《さくたろう》だね」
「そうです」
徳Q君が教養のあるところを示した。
「まったく上州ってところ、博奕《ばくち》打ちと詩人しか出ないのかね」
「それも朔太郎とか吉野先生とか、激しい人ばかりですね」
「こんな空っ風の吹くところ、博奕でもやってなければ暮せないね。国定忠治に同情するよ」
「激しく行きましょう」
「わが高崎競馬に来たれる日/財布は烈風の中に尽きたり/馬は闇《やみ》に吠《ほ》え叫び/馬券はスタンドに散りたり/まだ払戻しの窓口は見えずや」
「それ、なんですか?」
「朔太郎だ」
「まさか」
薄陽《うすび》が射してきた。意外にも風はない。
「春らんまんなのにね」
第五レース、的中。連複二千三百九十円。
第六レース、失敗。
第七レース、的中。連複八百二十円だけれど厚目に買った。
第八レース、的中。連複二千百八十円。これも厚目に買ったので、累計で三万三千七百円のプラスになった。
第九レース、失敗。二万六千七百円プラス。ということは、初日からの累計でプラスマイナス零《ゼロ》という見当。
「春の麗《うら》ら、になるか、菜種梅雨、になるか」
「それともスッテンテンになるか」
「いよいよ、勝負だ」
第十レース、第八回開設記念特別、農林水産大臣賞典、サラA1、距離二千百メートル、一着賞金六百万円。
▲注 @[#底本では黒丸白抜き unicode2776]1 レノプス 牡七歳 加藤光
A[#底本では黒丸白抜き unicode2777]2 キングパーシア 牡九歳 新井仁
○△○○ B[#底本では黒丸白抜き unicode2778]3 カズミエベレスト 牡六歳 野村
▲ C[#底本では黒丸白抜き unicode2779]4 カツラギアサテル 牡八歳 石川
× D[#底本では黒丸白抜き unicode277a]5 ニシノペリオン 牡七歳 橋本
▲○△△ E[#底本では黒丸白抜き unicode277b]6 カツオージヤ 牡六歳 木村
× × F[#底本では黒丸白抜き unicode277c]7 タケノリッチ 牡七歳 加藤和
◎◎◎◎ 8 ウインビクトリー 牡七歳 水野
G[#底本では黒丸白抜き unicode277d]9 アートホース 牡七歳 丸山
△ ▲注 10 シービージャック 牡五歳 工藤
予想は上からスポニチ、報知、競馬ニュース、赤城競馬の順
このうちウインビクトリーは中央から来た馬で、かつてモンテプリンス、サクラシンゲキ、キタノリキオーなどの超一流馬と共に走った馬、三十二戦六勝のうちダートで五勝、千八百メートルのコースレコードを持つ馬だからダートの鬼。公営では十戦七勝、二着一回。
厩舎側では松本師が『競馬ニュース』のインタービュウに、こう答えている。
「展開はアサテルを先にやって二番手キープするぐらいが競馬としては理想だが、スピードが違うわいのう。ハナに行ってしまうかも。パーンと出たっきりで、来れば行き、来れば行きで四コーナーでおっ放すと勝負あったり、カズミ、カツオージヤ、何が来ようとお構いなしで、うっちゃられるだろうな。ケツもなめられまい。こんな自信を持っていえるのは中央時代の本物の姿に近づいたことかな。正直こんな気持は初めて。やはり中央のレコード馬だけのことはあるなあとホレボレするよ。水野君もこんな楽したことはないと言うだろうよ」
凄《すご》い鼻息である。
どうやら、このウインビクトリーを蹴飛《けと》ばすわけにはいかないようだ。
このレースは、前夜、群馬テレビでレース検討が放映された。過去のレース実況を見てもウインビクトリーを連軸からはずすわけにはいかないようだ。いや、九分九|厘《りん》、この馬の勝利は固いと思われた。
それならば、もし、この馬を破るとすれば、どの馬か。僕はカツオージヤだと思った。南関東から転厩して、前走やっと一勝しただけであるが、その勝ちっぷりがよかった。鋭い足で追込んで勝った。ウインビクトリーは先行タイプであるが、調教師の談話にある通り、場合によっては逃げるという。だから、それを目標にすればレースがしやすい。
パドックで見ると、ウインビクトリー、カツオージヤで断然の感がある。カズミエベレストも悪くない。
オッズは、BFが三倍見当。EFは七倍から八倍。BEは意外に人気があって十倍以下。
また、この日の出目は、AとEが出ていないで、いわゆる死に目。Aのキングパーシアは九歳で上り目なし。それに追込んで二着、三着の多い馬で、ここでは用なしと思った。Eの目が出たがっていると見た。
すなわち、EFで大勝負。さらに一万円を買い足した。また、逃げ馬買うべしでCE(百八十倍見当)、ラファールの仔《こ》の一番枠レノプスからの@E(八十倍見当)を二千円ずつ。CFも万馬券になるので二千円。これは助平根性か。
スタート前、かなり緊張、昂奮《こうふん》した。
しかるに、意外にも、スタートするや、カツオージヤが逃げたのである。
「まずいな」
と思った。これは果敢な逃げというべきか、持っていかれたのか、よくわからない。しかし、僕は、どっちかというと、馬が行きたがっているときは行かせたほうがいいと考えるほうの男である。
僕の展開の読みは、多くの人がそう考えただろうと思われるけれど、カツラギアサテルが逃げウインビクトリーが二番手を追走し、カツオージヤが追込むというものである。それならカツオージヤにチャンスあり。
「まずい、まずい」
とは思うけれど、カツオージヤが快調に逃げ、ウインビクトリーが二番手。三番手はカツラギアサテル。これはもうCの目はない。とにかく、現実にEFの順で目の前を走ってゆくのである。もちろん、
「そのまま、そのまま」
と叫びましたよ。
二周目の向う正面でも、そのまま。かすかな希望が湧《わ》いてきて、それが大きくふくらんでいった。そのとき僕が思ったのは、
「もし、このままEFでゴールインしたら、伊香保温泉に引き返して芸者を呼ぼう」
ということだった。多分、昨日の部屋は空いているだろう、ただちに金太夫に電話を掛けよう、というところまで考えた。
三コーナーでウインビクトリーがならびかけた。
「かわすな、かわすな。かわされたら負けだ」
心中の思いが、そのまま声になって出た。ところが、ついに、ウインビクトリーは、カツオージヤをかわして先頭に立った。カツオージヤが後退するのを僕の双眼鏡がとらえた。カズミエベレストが襲いかかる。直線は、その二頭のマッチレースになった。そうして、終始カツオージヤと競《せ》りあったウインビクトリーは力つきて二着。BF。カツオージヤは哀れドン尻《じり》敗退。
もし、カツオージヤの木村芳晃騎手が押さえる競馬をしたら、違ったレースになったろう。
もし、雨が降って不良馬場になっていたら、木村騎手の策戦が功を奏して逃げきっていたろう。その際はEFかBEの馬券になる。
もし、強腕水野清貴騎手が早目に仕掛けなかったら、やはり、どちらが勝つにせよ、EFの馬券になったろう。
断然人気のウインビクトリーは乗りにくいのである。早くカツオージヤをかわせば、このレースのようにカズミエベレストに差される。ゆっくり行けばカツオージヤに逃げきられてしまう。水野騎手を責めるわけにはいかない。
勝負事に、モシ、レバ、タラは禁物だという。その通りである。
僕は、またしても惨敗を喫したが気分は爽快《そうかい》だった。悔いはない。
「都鳥君、タイトルは、サクラチルにしてくれたまえ」
「桜はまだ咲いてもいません」
「それでいいんだよ。心境としてはそうなるんだ」
BFの配当は二百四十円だった。三日間で初めて二百円台の低配当が出た。
「さあ、帰ろうか」
「…………」
「こんなゴミみたいな馬券が買えるか」
「ちょっと待ってください。ぼく、BF持ってます」
と徳Q君が叫んだ。
「千円券一枚ですけどね」
「偉い。偉いよ……。これは親孝行馬券だ。二千四百円でお母様に湯の花まんじゅうを買って帰ろうというんでしょう。そこが偉い。なにしろ、お母様の最大の思い出の土地に来たんだから。……偉い、あんたは偉い」
僕は感心し、かつ嬉しくなった。
気分はサッパリしている。悔いはない。
だけど、二日目、負けたにせよ、やっぱり芸者を呼ぶべきだったという、かすかな恨みが残った。なぜならば、徳サンは、何カ月も前から、あんなに楽しみにしていたのだから。そういうところが、僕のシミッタレというか気の利《き》かないところだ。
「そうではあるんですけれどね、サクラチルじゃなくてウメモラウなんてことになっても困りますからね」
と都鳥君が言った。
「いや、いいですよ」
と徳サン。
「パンティ・ストッキングも貰ったし、温泉に入ったし、按摩を取ったし、馬券もそこそこ当ったし、酒はしこたま飲んだし、こんなに楽しいことはなかったかんね」
僕等は、昨日のお余りのパンティ・ストッキングを記念に頂戴《ちようだい》していた。
「やっぱ、高崎は良かったんじゃないの。パンティ・ストッキング、高《たけ》えんですよ。一枚五百円だかんね。それが二枚入ってるの。これで千円でしょう。高崎は気前が良いんじゃないの。いい土産になった。湯の花まんじゅう、買えなかったけんとね」
徳サンには三人の娘がいる。その娘たちのサクラサク日の早からんことを願わずにはいられなかった。
[#改ページ]
[#小見出し]18 金沢競馬《かなざわけいば》、アカシヤの雨《あめ》
[#ここから8字下げ]
馬は最高、番組良好、馬場に眺《なが》めがまた結構。
万馬券まで続出し、取りました! の声に拍手、拍手。
買いそこねた男はクォーッと泣き、このまま死んでしまいたい。
けれど、奇蹟《きせき》が起ったのである。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥金沢片町|倫敦《ロンドン》屋[#「金沢片町倫敦屋」はゴシック体]
四月の中旬か下旬、中央線に乗る。相模《さがみ》湖、大月、甲府、諏訪《すわ》湖、松本、大町を経て日本海に突き抜ける。桜、桃、杏《あんず》が満開。新緑、日本アルプスに雪。桜は北に進むに従って咲きだし、山が高くなると蕾《つぼみ》になり、盆地になると再び満開。
食堂車へ行く。甘ったるい一級酒の、瓶《びん》で燗《かん》をつけた一合瓶。それを窓際《まどぎわ》に置く。ゆっくりゆっくり飲む。お摘《つま》みは、オデンなんかがいい。それとも、長岡市|浪花《なにわ》屋の柿《かき》の種でも持ってゆくか。……それは、きっと良いに違いない。それは、僕にとってのひとつの夢だった。
そうして、四月二十二日、金曜日、まさに、そういう状態でもって僕は中央線に乗っていたのだった。
ただし、食堂車はなかった。それに、雨が降っていた。
この日、午前六時、都鳥《みやこどり》君が迎えにきてくれた。六時半、徳サンが来た。彼の自動車で八王子まで送ってもらうことになっている。徳サン、髪を短くして、パーマをかけている。眼鏡も縁なしにかえた。
「俺《おれ》が知らんうちにね、ちょっと眠ったと思ったらパーマをかけられちゃった」
見えすいた嘘《うそ》をつく。彼の恋が成就《じようじゆ》することを願わずにはいられないが、身綺麗《みぎれい》になるだけでも有難《ありがた》い。
六時半に家を出た。雨。この季節では着るものが難しい。半袖《はんそで》のスポーツ・シャツ。ボルグの綿《めん》のブルゾン。フラノのズボン。バリのゴム底|靴《ぐつ》。それに、レインコート。帽子はボルサリーノ。これはゴルフ用ではあるまいか。新宿ゴールデン街で田中小実昌さんに会ったら、
「そういうの、昔は登山帽って言ったね」
と言われた奴《やつ》。毛のない男は帽子に関心があるのである。都鳥君は例によって、テレビ局の裏方の着るようなジャムパー。晴雨兼用と言うより水陸両用という感じがする。頑丈《がんじよう》そうでポケットがいっぱいついている。
七時半、八王子駅発。僕の貰《もら》った切符は、八王子―東京都区内となっていて、その下に、中央本線、篠《しの》ノ井《い》線、大糸線、北陸本線、湖西線、東海道本線というスタンプが押されている。日本海に突き抜けて金沢へ行き、京都に一泊して帰ってくる予定になっている。
僕の住む町では八重桜が満開だった。甲府に近づくに従ってソメイヨシノが咲きだす。勝沼、石和《いさわ》の桃は終っていた。甲府盆地では桜が散っている。
「雨男じゃなかったんでしょう」
と、都鳥君が言った。
「そうなんだけれど」
小淵沢《こぶちざわ》で、また桜が満開になった。あの有名な神田ザクラを見たいという思いが頻《しき》りにするが、そういうわけにはいかない。どうして齢《とし》を取ると桜に執心するようになるのか。小林秀雄先生しかり、宇野千代女史しかり。
残念ながら、富士はもとより、山は見えない。今年の四月は週末になると雨になった。四月十六、十七日の土日は、ひどい雨だったそうだ。それで十八日の月曜日は蒼空《あおぞら》で松本市では気温三十度に達したそうである。二十二日の、その日は寒かった。レインコートを着てきてよかった。僕等は旅行の機会が多いからいいようなものの、フルムーンの御夫婦には気の毒だった。
「あの二人、久しぶりで何かなさるのでしょうか」
松本で降りたフルムーンの後姿を見ながら、都鳥君が言った。
「奥さんのほう、なかなか美人だね」
「どうして松本なのに浅間温泉って言うんでしょうか。畜生ッ!」
「さあね……。なにもあなたが怒ることはない。僕も浅間温泉に泊ったことがある。室内に幅一メートルぐらいの非常口っていう標識があってね、これが部屋の電気を消しても消えないんだ。緑色でね、みんなの寝顔が青白くなってオバケみたいだった。あの旅館に泊ったら困るだろうな」
「ザマミロッ!」
大町を過ぎ、木崎湖、青木湖を過ぎるあたりから、線路|脇《わき》に残雪が見られるようになった。残雪の間に蕗《ふき》の薹《とう》。桜は蕾になる。そうして、それが次第に開いていって散りはじめ、日本海に達した。
四時前に金沢駅に着いた。金沢ニューグランドホテル。こういう小さなホテルが好きなのであるけれど、残念ながら古いホテルには部屋が狭いという難がある。
すぐに鶴来《つるぎ》君が来た。都鳥君の金沢在住の友人である。彼は木彫の人である。木彫と言っても、杉《すぎ》の大木をゴロンと寝かせたようなものであるらしい。
「それは、それ自体を鑑賞するものですか」
「さあ」
「机になったり椅子《いす》になったりするんですか」
「そうじゃありません」
「坐《すわ》れますか」
「坐ろうと思えば坐れないこともありませんが……。そういうもんじゃないんです」
「そうすると、非常に広いところに置かないと、わかりませんね」
「そうです」
なんだか、さっぱりわからない。鶴来君は、だから、主にアメリカで仕事をしている。
鶴来君の誇りとするのは、次の四項目である。
@作品を他人に褒《ほ》められたことがない。
A作品が売れたことがない。
B芸術総合雑誌である『芸術新潮』に作品が紹介されたことがない。
C競馬をやって馬券が当ったことがない。
Cは、オッズを見て、もっとも売れない馬券だけを買うからである。これは素晴らしい戦法である。馬が走るんだから、どの馬が勝つか誰《だれ》にもわからない。従って、高配当の馬券を買うというのは、立派な戦法であり、ここに鶴来君の思想がハッキリとあらわれているように思われる。
都鳥君が初めて鶴来君に遇《あ》ったのは、新宿ゴールデン街である。その後も会うのは新宿二丁目近辺かゴールデン街に限られていた。会う時刻も午前三時か四時にきまっている。すなわち、鶴来君は都鳥君が「月に吠《ほ》える狼男《おおかみおとこ》」の状態になっている時しか知らないのである。また、鶴来君は焼酎《しようちゆう》しか飲まない。酒場ではウオッカである。よってもって、僕は二人の関係を、おぼろげながら推測することができるのである。
僕は、金沢の料亭ではつる家を愛好しているが、この夜、鶴来君は片町の銭屋《ぜにや》を予約していた。郷に入っては郷に従え。銭屋はつる家より高級だった。高級だから良いとはかぎらない。僕にはつる家のほうが気が楽だ。カウンターに坐って、あれ下さい、これ下さいという式のほうが好きだ。
菊姫大吟醸というのを冷《ひ》やで飲み、近くの倫敦《ロンドン》屋という酒場へ行った。ここで、倫敦屋の由来と言うか、僕との関係を説明しないといけない。
金沢ニューグランドホテルで、鎌倉《かまくら》アカデミア時代の友人である高田雄三が支配人をしていた。高田がつる家へ連れていってくれた。そこで飲んでいるとき、彼が言った。
「おい、気持の悪い酒場があるんだが、行ってみないか」
「気持の悪いのは厭《いや》だな」
「きみは気持が悪くなるだろうけれど、でも行ってみようよ」
片町のその店へ行ってみたら、本当に気持が悪くなった。それが倫敦屋である。
倫敦屋の主人である戸田宏明さんは、僕の書くものの愛読者である。これが、ただの愛読者ではない。彼は僕の書くものを読んで、僕の行きつけの酒場を調べあげた。銀座のボルドー、クール、新宿のいないいないばあ、など。そして、部分的に、ある所はボルドー、ある所はクール、天井や壁はいないいないばあ、という酒場を造りあげてしまったのである。それだけではない。書棚《しよだな》があって、それがすべて僕の書物。さらに、高橋義孝先生、柳原良平、伊丹十三という僕の友人たちの書物で埋めてしまった。これだけでも相当に気持が悪いじゃありませんか。店の案内状などは、僕の書物の帯広告を書く臥煙《がえん》君の文体摸写。これは、かなり癖のある七五調になっている。店内の貼紙《はりがみ》は、僕の文体でもって命令口調。「いかなる理由があろうとも高歌放吟を許さず」といった調子。
僕は、気分が悪くなって、すぐに店を出た。それから十年になる。
その倫敦屋へ行った。おそろしく混雑している。満席なんてもんじゃない。聞けば開店十五周年で、オツマミ半額などのサービスが行われているせいだそうだが、このぶんでは普段の日でも繁昌《はんじよう》しているだろう。やっと三人分の席をみつけて潜《もぐ》りこんだが、四、五人が連れだってきて満席と見て帰るというのが何組もあった。そのうちに外人を含む十人の客が来た。それで、僕達は失礼することにした。
突然行ったのだから、さあ、倫敦屋が驚いた。僕の顔を遠くからマジマジと見ている。僕の書下ろし新作小説に、僕がヤクザ者に殴られ顔を斬《き》られる場面がある。これはフィクションなのだけれど、その傷が残っていはしないかと思って見ていたというのである。しかし、それだけではないようだ。驚いて口がきけなくなったらしい。開店十五周年の日に、僕がひょっこりあらわれたのだから無理もない。
僕は、おそらくは排他的であると思われる古都において、このような東京風の凝った酒場が繁昌すると思っていなかった。はっきり言えば存続を危ぶんでいた。それが意外に大繁昌するのを見て、俄然《がぜん》、良い気分にさせられてしまった。
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[#地から2字上げ]―――――¥都鳥君、久々の快挙[#「都鳥君、久々の快挙」はゴシック体]
午前九時半、金沢ニューグランドホテルのロビーに、鶴来君、倫敦屋、僕等両名が集結した。
都鳥君と僕とは鶴来君の運転する自動車に乗った。これを倫敦屋が追走するという展開になった。金沢競馬における第一レースの発走は正午である。僕には、競馬以外に、もうひとつの目的があった。
内灘《うちなだ》の海岸道路は並木というよりは、林の状態になっているアカシヤに覆《おお》われているという。防風林である。そのアカシヤが、いま満開のはずであるという情報を得ていた。
そのアカシヤを見たい。桜からアカシヤへ。それがこんどの旅の狙《ねら》いである。
内灘と、日本海の海岸道路。これがいい。申し遅れたが、この日は快晴。すでに暑いくらいになっている。蒼空。誰もいない海。
道の両側に、延々雑木林が続く。
「これは何の木でしょうか」
鶴来君が言った。
「これはね、ナラとかクヌギとか、つまりは雑木林ですよ」
「アカシヤはありませんね」
「そのうち出てくるでしょう。なにしろ白い花が満開だっていうんですから」
行けども行けども雑木林。わずかに芽ぶいているという程度。鶴来君が自動車を止めた。倫敦屋に訊《き》いてみようというわけである。
倫敦屋の自動車もとまった。僕等は、アカシヤを見にきたのだと言った。
「クーッ」
倫敦屋が奇妙な声を発した。
「これがアカシヤなんです」
彼は、あたりを見廻《みまわ》して頸《くび》を垂れた。
「私が悪かった。アカシヤはまだ咲いていないんです。芸のない話です。ごめんなさい」
「満開だって聞いていたもんですから。それで四月末は金沢と決めてあったんです」
「クーッ……。私が悪い。地元にいながら、このザマです」
「情報信ずべし信ずべからず、か。でも、あなたが悪いわけじゃない」
僕等は突然やってきたのである。咲いていないのは倫敦屋の責任ではない。もっとも、このアカシヤはニセアカシヤであるという。
仕方がないから、僕はアカシヤの林のなかに分け入った。そうして、二、三本の枝を折った。蕾のようなものがついている。これを競馬場の観覧席で咲かせてみようと思った。コバンソウも採った。
十一時に競馬場に達した。場長さんたちに話をうかがう。開設三十五周年、町中《まちなか》から移転して十年。僕等が案内された来賓席は三月に完成したばかりで、僕等が最初の客になるのだそうだ。
僕は、公営競馬場は旭川が最高だと思っていた。しかし、金沢は旭川に勝るとも劣らない。以下、その根拠を書く。
@競走馬の質の高いこと。この日の第八レースにアイアンガールが出走した。これは旭川で見た馬だ。僕は、アラブの牝馬《ひんば》では最強だと思っていた。当時三歳が五歳になっている。三日目のメインレースにはホウヨウスペンサーが走った。これは中央から降りてきたばかりで障害馬ではあるが一億円馬である。障害の重賞レースに出てもシルシのつく馬であり、跳びは低いが先行力には見るべきものがあった。こういう馬が来るのは程度の高い証拠である。
A馬場の設備の良いこと。毎年四千万円を投じてダートコースの整備に当っているという。雨が降ると、インコースの砂はコンクリート状になるという。これを掘り起こすのである。整備用の諸機械の充実は全国一であるそうだ。実際に、内と外との有利不利はなかった。こういうのは珍しい。厩舎《きゆうしや》は競馬場脇の一カ所に集まっていて、競馬場自体がトレイニング・センターを兼ねている。例のハイセイコーの厩務員が、自分の馬を中央に持っていかれて、悲しみのあまり、大井から金沢へ逃げたことを思いだす。
B番組の充実。一日九レース開催に踏みきった。従って、五頭とか六頭の少頭数のレースは行われない。
C場内のオッズは最後まで消えない。これは僕が毎回主張していることである。
D環境の良さ。この競馬場は内灘の河北潟《かほくがた》を埋めたてて出来たものである。スタンドから見ると、左にアカシヤの林の日本海。正面に水田。その背後に白山連峰。右に雪の残っている日本アルプス。その借景の良さ。スタンドの後は河北潟が光るという按配《あんばい》だ。
大雪山を見て、旭川盆地を見下ろすという旭川競馬場に勝るとも劣らない。僕が旭川を推《お》すのは野菜、フルーツの美味なためであるが、金沢には古都の洗練された味覚がある。日本海の魚に加えて廓《くるわ》の歴史。金沢と旭川、これはどっちとも言い難《がた》い。
Eスタンドの美麗なること。府中の東京競馬場によく似ているが新しいだけに遥《はる》かによろしい。ノミ屋コーチ屋も絶無。
F競馬予想紙の充実。僕は『ホースニュース・キンキ』というのを買ったが、十六頁|中綴《なかとじ》であって紙質もいい。新馬紹介(転厩馬が多いので)や、前走のスタートから六百メートルまでのテンのスピードを示す欄があり、これによってどの馬が先行するかが明確にわかる仕組みになっている。僕のように先行馬を重視する者にはとても便利だ。
G肝腎《かんじん》なことを忘れそうになった。レースが公正に行われていること。斜行する騎手はほとんどいない。これは見ていて歯痒《はがゆ》いくらいのものだった。
四月二十三日、土曜日。第二回金沢競馬、四日目。晴。馬場状態、重→稍重《ややおも》→良。入場人員、六千五百四十三名。
第三レース。いきなり超大穴馬券が飛びだした。CDで三万五千六百円。最低人気で、売上げは二百八十票。僕は思わず鶴来君を見た。なぜならば、彼は、もっとも売れていない馬券しか買わないと言っていたからである。ついに、彼は、初めて的中馬券を手にしたはずである。
ところが、意外や、彼、買っていない。
「どうしたんですか」
「新聞を見たら、五番のほうは駄目《だめ》だって書いてあるもんですから」
『キンキ』の五番のシキノボーイについてのコメントは、ここは入着精一杯、となっている。
「そんなもの見ちゃ駄目だ。あなたの場合は」
本当にガッカリした。
僕、第五レースにいたって、やっと的中した。連複三千五百六十円。返し馬を見て買い足したもの。都鳥君も的中。
第八レース。その日の狙いの英国女首相《アイアンガール》が出走する。一昨年、スバル君と旭川で見て惚《ほ》れこんだ馬。アラブ牝馬ながら五百キロを越す巨体。五歳になって、ややゴツゴツしてきたが依然として好馬体。ためらわず単勝で勝負。
直線、この女首相が抜けだしたときには楽勝かと思われた。しかし、大外枠のブルーフロルアがインを突いてくる。ゴール前三メートルで並ばれてハナ差負け。老獪《ろうかい》な騎手であったなら、馬を内埒《うちらち》に寄せていって逃げきるところ。結局は牡《おす》と牝《めす》の差が出たと見た。
続いて、第九レース。先行馬が総崩れ。ターキーグレイス、タカイオーの@Eで、一万二千七百十円の万馬券。
「取りました!」
と、都鳥君が叫ぶ。
拍手また拍手。
「ひさしぶりです」
彼が万馬券を取るのは福山以来だが、これで三度目。さすがに都鳥君、昂奮《こうふん》している。
「東の廓、頼むよ」
「そこまでは、どうも」
「その根拠は?」
「@E勝負です。馬を見たら良かったんです。キンタマがでかいんです。あれで走れるかと思われるくらいにでかい」
隣の記者席から覗《のぞ》き込む人がいる。僕たち大騒ぎ。ことによると、都鳥君には超能力があるのかもしれない。
僕等は大いに愉快になってホテルでシャワーを浴び、つる家で飲んだ。アマエビ、イカ、アワビのステーキ。蛤《はまぐり》の吸い物が特に良かった。蟹《かに》が終って、やや端境期《はざかいき》なのであるけれど、春の遅い北陸の山菜がある。その山菜|強飯《おこわ》がうまい。能登牛のステーキ(網焼)を追加したのは、翌日のスタミナを貯《たくわ》えるため。
倫敦屋で戸田さんが待っている。超満員。僕は一人で早くホテルに帰った。
午前二時だったか三時だったか、都鳥君が突んのめるようにして帰ってきた。旧友に会う。万馬券。これじゃあ飲まずにはいられない。ことにも鶴来君は焼酎とウオッカの人である。これに付き合うのは強烈だ。
都鳥君、バス・ルームに入っていった。
「スースー、シーシー、シャーシャー」
という音がする。言わずと知れた歯磨《はみが》きである。彼の歯磨精神と言うかライオン魂と言うか、まことに見上げたものと言わないわけにはいかない。
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[#地から2字上げ]―――――¥アカシヤの雨[#「アカシヤの雨」はゴシック体]
四月二十四日、日曜日。無風快晴。開設三十五周年記念レースが行われる。入場人員、九千三百三十九名。
予定の一万人に達しなかったのは、まだ二回目の開催で、ということは、前走など、調教がわりに走る馬がいたわけで、様子が掴《つか》めないので、勝負師は待機しているという状況であったからだろう。
それに、早場米《はやばまい》の田植えの準備期ということもあったようだ。こんなふうに、農家と競馬とが直結しているのが嬉《うれ》しい。
暑い。暑いのだけれど僕が瓶《びん》に差したアカシヤはまだ咲かない。河北潟が光る。水田が光る。その水田は、白山連峰の残雪を映して光っているのである。農道を走る富山からの競馬場行専用バスが満員。双眼鏡で見てニヤニヤ笑っているのだから、僕、主催者のようなもんだ。実際、競馬なんて、売上げがあがって、石川県の収入がふえて、公共事業に多大の寄与をするというのでなければ何の意味もない。
仕事で京都にいた臥煙君がやってくる。倫敦屋と固い熱い握手。
昔、坂口安吾の捕物帳で、勝海舟が出てきて、ズバズバと明快に犯人を推理するが、その推理は必ず間違っていて、真犯人があらわれるという式のものがあった。その日の僕は、さながら勝海舟そのものだった。推理の馬券の買い方は正しいが、結果は一着三着、二着三着ばかり。
以前、姫路競馬で五百六十円|儲《もう》けた臥煙君は、その五百六十円を死守すると悲壮な覚悟で乗り込んできたが、そうはいかなくなった。勝海舟がいけないのである。
第五レース。人気薄同士の@Eという馬券。
「当りましたよ。とうとう、初めて当りましたよ」
と、鶴来君が言った。嬉しそうな顔をしていない。ボソッとしている。配当九千八百六十円。拍手、抱擁、また拍手。
「でも、万馬券じゃありません」
鶴来君、ニコリともしない。多分、オッズでは百倍以上を示していたのだろう。
「馬鹿《ばか》だな。そういうの万馬券って言うんだよ」
と都鳥君。
その鶴来君、こんどはニコニコ顔で戻《もど》ってきた。
「払戻しのオバサンにおめでとうって言われたんですよ。そうしたら嬉しくなっちゃって。それに、そのオバサン九万八千六百円もくれたんですよ。競馬っていいもんですね」
「…………」
「当っても、ぼうっとして何が何だかわからなかったんです」
僕、第三レースの九百九十円、第七レースの六百八十円だけが的中。
倫敦屋は、開設三十五周年ということで第一レースからBDだけを買い続けている。
第八レース、その記念レース。
人気のスパニッシュボールがゴール前足を失い、三番のシバフォスター、五番のハイデンクンが、ごちゃごちゃになって飛びこんできた。
「クーッ」
悲鳴とも叫び声とも聞かれる音が部屋に流れた。
「BDだあ! 買ってない」
倫敦屋が身を捩《よじ》った。泣いているようだ。
そこへ、ゴール前の写真を撮りにいっていた都鳥君が凄《すご》い勢いで駈《か》けあがってきた。
「戸田さん、取ったでしょう」
都鳥君だけが、倫敦屋がBDを買い続けているのを知っていたのである。
「私が悪かった。私がそばにいれば、BDを買いましたかって訊《き》いたはずなんですが」
「クーッ! 魔がさしたんです。どうして買わなかったのか自分でもわかりません」
顔面|蒼白《そうはく》になっている。
「そういうことってありますよ、競馬では」
僕も慰め役に廻ったが、そんなことではおさまらない。倫敦屋、顔が引き攣《つ》っている。
配当の発表があった。
「BとDの組みあわせ、一万一千四百七十円」
「クーッ!」
ほんとに泣きだした。
帰り道。水田のなかを走る自動車。都鳥君が助手席に乗り、後部座席には右に臥煙君、左に倫敦屋、真中に僕。
臥煙君が溜息《ためいき》をつく。それが伝染するかのように倫敦屋の溜息。
そのうちに、倫敦屋、両掌《りようて》で顔を覆《おお》って、
「クォーッ!」
よよとばかりに泣くのである。それが玉三郎とは言わないが、何か関西系の女形の泣き方になっている。
「このまま死んでしまいたい」
これがアカシヤの雨なのだと思った。
倫敦屋の歎《なげ》きを要約すると、次のようになる。
開店十五周年のその日に先生(僕のこと)があらわれたので、びっくりした。先生に話のタネを提供しないといけない。内灘へ行ったらアカシヤが咲いていない。競馬は三十五周年記念である。だから、朝からBDの馬券を買い続ける。おそらく当らないだろう。当らなくてもいい。記念レースが終ったとき、そのBDの馬券を引きちぎって花吹雪を飛ばす。せめて馬券の花を咲かす。しかし、当りそうな気もする。当ったら万馬券だろう。そうなったら、先生の新作『家族』を金沢中の本屋から買い占めてしまう。
「女房の清子にも、そう言って家を出てきたんです。それなのに、なんということか、クーッ、買ってないんです。どういう男なんでしょう、私は」
臥煙君の計算によると、その夜、倫敦屋は、この話を二十回繰り返したという。酔って繰り返しの多くなる男がいるが、倫敦屋は飲んでいない。
「芸のない男です」
そう言って、また泣いた。
また、つる家。そうして倫敦屋。この日は日曜日で休みなのである。店をあけてもらった。いつも超満員なので、このほうが話がしやすい。またしてもBDの話。
驚くべきことに、倫敦屋は金沢中の本屋から僕の新著を買い占めてきていた。その数、優に五十冊を越えた。だから、清子夫人は、てっきり万馬券を的中させたのだと思ったという。
臥煙君は、倫敦屋のような男は、西のほうに多いタイプだと言う。ボヤキではない。執念が深いのだろう。ややマゾ的であって、当人は歎きながら快感を味わっているのかもしれないと言う。
その倫敦屋を臥煙君が苛《いじ》めるのである。
「歌を歌いましょう。リンゴの唄《うた》です」
そのリンゴが珊瑚《さんご》(BD)になっている。
「BD悲しや、悲しやBD」
「クーッ!」
このタイプの男は苛められることにも快感があるはずだそうだ。
そこで一句。
「宏明がBDに泣く朧哉《おぼろかな》」
「クーッ!」
僕はホテルに帰り、あとの三人は西の廓へ出て行った。しかし、西の男を甘く見てはいけない。その倫敦屋が思いがけない放れ業を演ずるのである。
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[#地から2字上げ]―――――¥倫敦屋の執念[#「倫敦屋の執念」はゴシック体]
四月二十五日、月曜日。第二回金沢競馬、六日目。無風快晴。馬場状態、良。入場人員、四千六百四十五名。
倫敦屋は、この日、開店十五周年に因《ちな》んで@Dの馬券を買い続けるという。それで九枚の封筒を持ってきて、千円ずついれた。
「こうすれば間違いがありません」
用意周到きわまれりと言うべきか。その執念深いこと。
「ところが困っているんです。第一レースにエアロファミリーが出ます。ファミリーは家族です。これが六番枠です。第三レースにエブリデーが出ます。エブリは江分利満氏です。四番枠です。これ、買わないわけにはいきません。CとEです。困ります」
将棋界に、関西の棋士で、森安秀光という強い八段がいる。この人の普段の顔が笑っている顔である。A級棋士の将棋を不思議な将棋だと言ったら失礼きわまりないが、どうにも不思議な将棋としか言いようがない。形勢が良いんだか悪いんだか、さっぱりわからない局面を作ってしまう。掴みどころがない。関東の若手棋士は波長が合わないと言う。グニャッと受けてばかりいるようで、グニャグニャッと勝ってしまう。岡山県|笠岡《かさおか》市の出身。
倫敦屋が森安秀光八段に似ていると言うのではないが、共通する部分があると思う。森安八段はニタニタ笑っているように見えるが、内に烈々たる闘志が秘められているのである。倫敦屋もそうなんだと思う。そうでなければ、あんな凝った酒場をこしらえて、それを成功させてしまうようなことはできないはずだ。
第一レース。空気《エアロ》家族《フアミリー》は好馬体であるが、いかにも馬が若い。惨敗《ざんぱい》。実は僕もこれを買った。
第三レース。毎日《エブリデー》、逃げて五着。
第六レース。四番枠のアメリカンナカヤマ、六番枠のニシノペルシアンが先行馬総|潰《つぶ》れのなかを、グニャグニャッとなだれこんできて一、二着。電光掲示板が4と6で点滅する。
「取りましたあッ!」
倫敦屋が、またしても顔を引き攣《つ》らせて絶叫した。
「おいおい、これは単なる万馬券じゃないぜ」
アメリカンナカヤマは鋭い返し馬を見せていて僕も押さえたが、ニシノペルシアンの根拠がわからない。鶴来君と違って、倫敦屋は少しは競馬のわかる男なのである。
「本当かね、見せてくれないか」
彼、本当に第6レース、組番46、10枚、主催石川県≠ニいう馬券を持っている。
「どういう根拠なんですか?」
「ファミリーの6と江分利の4とを組み合わせたんです」
こういう馬券の買い方をする人を初めて見た。どうにも波長が合わない。
配当、一万六千八百八十円。
初日の超大穴馬券を別にすれば、最高の配当である。
前々日と前日よりも遥《はる》かに大きな拍手。抱擁。熱き握手《シエーキハンド》。また拍手。隣の部屋の記者諸君は、僕等のことをどう思ったろう。金沢はいいところだ。倫敦屋がまた泣いた。よく涙が枯れないものだ。熱涙という形容がピッタリの泣き方をする。
「競馬ってやさしいですね」
鶴来君が笑っている。彼、一レースに二千円しか買わない。前日の九万余円があれば負けっこない。
第八レース。この日のメイン。僕は中央から降りてきたホウヨウスペンサーと、これも中山で走っていたコンコーディア(父メジロアサマ)で大勝負して惨敗。こういう誤りを何度おかしたことか。どうしても、よく知っている馬を買ってしまう。ホウヨウスペンサーが大駈《おおが》けするのを夢みてしまう。これは何か故障があって地方行きとなってしまったと考えるのが正解なのである。それはよく承知しているのであるが……。このレース、笠松のタツミイチバンが一着、大井のテイオーキングが二着。人気のサクラシンライが着外に消えて、連複配当四千三百二十円というオイシイ馬券。都鳥君が的中。
結局、倫敦屋、鶴来君、都鳥君(三人とも万馬券的中)の大勝利。臥煙君と僕が少し負けるという結果になって終った。
京都へ行く僕を、みんなで金沢駅まで送ってくれた。久しぶりの一人旅。まあいいや、車中マス寿司《ずし》でも喰《く》ってやろう。
倫敦屋は僕の最新刊『禁酒時代』を金沢中の本屋で買い占めたという。
そうして、後日、さらに五十冊送ってくれという電話が都鳥君に掛ってきたという。
「あのBDの万馬券を取っていたら、CEを一万円は買えたのに、クーッ……」
と電話口でもう一度泣いたそうだ。
「アカシヤの花が咲いていないでしょう。先生に見せたかったのに……。BDでもって馬券の花を咲かせようと思ったのに、芸のない男です」
「芸はあったじゃないですか。話のタネは出来ましたよ。……ああ、そうそう、今日あたり、アカシヤは咲いていますか」
「今日は五月三日です。また思いだした。五月三日はBDでしょう。クーッ……」
そのアカシヤの花は、まだ咲いていないと倫敦屋は言った。
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[#小見出し]19 中津競馬《なかつけいば》、恩讐《おんしゆう》の彼方《かなた》
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一口にいってやりにくい競馬だ。
信頼できる馬がいない。買いようがないのである。
アナウンス嬢が応援してくれても駄目《だめ》。
すっかり翻弄《ほんろう》されて、僧了海の心境になった。
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[#地から2字上げ]―――――¥中津はむずかしい?[#「中津はむずかしい?」はゴシック体]
五月二十二日、日曜日、オークスの行われた日、東京の府中競馬場で、『九州スポーツ』の松井鎮さんにお目にかかった。九州からオークスの取材に来られたようだ。僕《ぼく》の思っていたように温厚|篤実《とくじつ》な紳士だった。
初めてお目にかかる。佐賀、荒尾と九州の公営競馬場へ行ったとき、大いに『九州スポーツ』を参考にした。その結果、佐賀、荒尾両場ではプラスになった。『九州スポーツ』の予想が必ずしも完璧《かんぺき》だったとは言わない。考え方の筋道に納得できるものがあった。場内では競馬新聞よりもよく売れていた。この松井記者に会いたいと思っていた。開催委員長などの競馬担当職員、厩舎筋《きゆうしやすじ》にも評判の良い方だった。
松井記者は、以前、『東京スポーツ』で、南関東の公営競馬を担当していた。彼が九州地区に転勤になるとき、大井競馬場の厩務員が集まって送別会を開いてくれたという。こういう例は珍しい。競馬記者は、仕事の性質上、ともすると厩舎筋では憎まれ者になるのである。よってもって彼の人徳が窺《うかが》い知れると言ってもいいだろう。むかし、映画監督や映画俳優、あるいはプロ野球選手には不良少年あがりが多かった。そうして、そのなかに、いかにも純粋|無垢《むく》という感じの男が生まれた。映画監督の川島雄三なんかがそうだ。僕の友人でセネタースの名投手黒尾重明もそうだった。黒尾は、戦前、中学三年生で齢上《としうえ》の女と同棲《どうせい》していた。札つきの不良少年だった。それでいて、まあ純情一筋、人を疑うということを知らなかった。
スポーツ記者を落ちこぼれだとは言わない。しかし、同じ新聞記者を志すなら、大新聞の政治部・社会部で活躍したいと願うのが人情だろう。そういう意味で、そもそもが僻《ひが》んでいるスポーツ記者がいる。それが競馬担当に廻《まわ》される。スポーツ新聞では、だいたいにおいて、野球担当記者が威張っている。時の流れもあるだろうが、競馬の記事が新聞の一面を飾ることはなくなった。さらに、競馬はギャンブルであるのだから、必然、金銭のことがつきまとう。大金の動くところには怪しい男たちが徘徊《はいかい》する。そうやって荒れてゆく記者がいる。
しかし、こういう世界が不思議にも純粋無垢の男を育ててしまうのが面白《おもしろ》い。泥中《でいちゆう》の蓮《はす》である。僕は、勝手に、松井さんを、そういう男だと信じこむようになっていた。いま『競馬報知』の編集長になっている小宮晃さんの若い頃《ころ》がそうだった。深い交際はないけれど、『競馬エイト』の田所勲生さんにも同じものを感じていた。『競馬研究』の蔵田正明さんは、僕のギャンブルの(ということは人生上の)師匠である。つけくわえれば、僕は大川慶次郎さんのファンでもある。まだまだ好きな人はいるが省略する。こういう人たちの競馬の予想には、意外に思われるかもしれないが外連《けれん》がない。競馬は強い馬が勝つと信じこんでいる。僕は、そこが好きだ。
五月二十二日の東京競馬場には薫風《くんぷう》というよりは秋の気配があった。
僕は今年のダービーが見られない。中津へ行くことになっているからだ。寺山修司が生きていたら、必ず、ミスターシービーの単勝を買ったことだろう。僕もそうするつもりでいた。
「中津へ行きます。中津でお目にかかりましょう。いろいろ教えてください」
情報信ずべからずとは言うけれど、草競馬における厩舎関係の話は、とても面白いのである。
「中津ですか? 中津は|むずかしい《ヽヽヽヽヽ》ですよ」
松井さんはニヤッと笑った。意味深長という感じがあった。
「|むずかしい《ヽヽヽヽヽ》のは歓迎です」
生意気にも、そう言ってしまった。松井さんは、それ以上のことを言わなかった。ずっと昔、写真判定のなかった頃、中津競馬では、審判員が馬券を買うという事件があった。こうなりゃ自由自在だ。
「しかし、『九州スポーツ』、予想は当りませんね」
松井さんは、また笑った。当らないのは当りまえですと言いたそうな風情《ふぜい》があった。
僕たちは、それだけのことで別れた。
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[#地から2字上げ]―――――¥福沢諭吉も逃げだす[#「福沢諭吉も逃げだす」はゴシック体]
五月二十七日、金曜日。僕は午前九時十分に東京駅に到着した。僕たちは、ひかり5号十時発の新幹線で小倉に行くことになっている。小倉から、にちりん25号で中津へ向う。
十時発の新幹線に乗るのに、九時十分にホームに佇《た》つというのは、僕としては上出来である。どうかすると一時間半前、二時間前に着いてしまう。そうして階段の上に立って、同行者が来るのを待ちうけるということになる。
僕には不思議でならない。若い同行者は、十分前になっても五分前になってもあらわれない。座席に坐《すわ》って、もう駄目だ、来ないや、小倉駅で待とうか、旅館で待とうかと思って、ふと振りむくと、同行者があらわれるという仕組みになっている。スバル君がそうだった。パラオ君がそうだ。都鳥《みやこどり》君、またしかり。彼等は時間厳守の鬼だ。
この日、珍しく、都鳥君は十分前に到着した。階段の上から見ていて、ああ、都鳥君の頭髪まだ大丈夫だと変なことが嬉《うれ》しくなる。彼、階段の途中で上を見て笑った。旅行の喜びの第一は、同行者が無事に姿を見せるということだ。
「八時に起きました」
大胆不敵なことを言う。H・L(アッシュ・エル)というフランス製のスーツの上下。やたらにポケットがついている。ズボンのポケットは二重になっていて、袖《そで》にもチャックつきのやつがある。近頃の若者(都鳥君は若者ではないが)むきのカジュアル・スーツの多彩なること驚くべきものがある。
「薄焼|煎餅《せんべい》、買ってきました」
都鳥君が煎餅の箱を窓際《まどぎわ》に置いた。僕、旅行の際、ある時期は、栄太楼の抹茶飴《まつちやあめ》に凝《こ》っていた。喉《のど》の薬のハーブにも。ついで薄焼煎餅。そのあと南京《ナンキン》豆。これは、僕の総イレ歯が出来あがる過程を示している。いまや、固いものでも噛《か》める。南京豆を買うなんて二十数年ぶりのことだ。固くても小さいものならばいいのだ。イレ歯というのは奥歯で噛むものなのである。大きいものは不可。
いま、南京豆から、シャークリーのヴィタミン剤に移行している。宇宙食みたいなやつ。薄焼煎餅なんていう歯ごたえのないのは物足りないなんて、大きなこと言っちゃって。
九州へ行くとき、いつもブルー・トレイン(寝台特急)を利用してきた。午前十時とか十一時に目的地へ着く。そのまま競馬場へ直行する。それがどんなに良いことかと思っていた。佐賀、荒尾の場合がそうだった。益田もそうだった。小郡《おごおり》で乗り換えて山口線に乗った。ところが、どうも、うまくない。眠れないのである。そこで、今回は前日に新幹線に乗りこむことにした。
道中何の話もなく、午後四時十五分小倉駅、五時二十一分中津駅に到着した。
依然としてフルムーンが多い。僕たちは、彼等は大分《おおいた》へ行き別府温泉に漬《つ》かるのではないかと話しあっていた。ところが、大方のフルムーンは中津駅で下車した。それは僕たちに期待を抱かせるのに充分だった。彼等は耶馬渓《やばけい》へ行くのだろう。彼等は、おそらく、日夜研究して耶馬渓を選んだのだろう。そんなに良い所か。
「怪《け》しからん」
都鳥君が叫んだ。
「なにが?」
「フルムーンです」
フルムーンとは合計年齢八十八歳という老夫婦に国鉄が便宜を計っている仕組みである。新婚夫婦ならいざしらず、都鳥君が目くじらを立てることはないのである。
「いいじゃないか」
「いけません。六十歳と二十八歳の夫婦がいます」
都鳥君が、まさに降りようとしている二人づれを指さした。それは、そんなふうに見えた。
「こんなこと許していいんでしょうか」
たしかに、フルムーンというのは風雪に耐えた老夫婦に対する恩典という趣きがある。これを数字上の合計八十八歳にすると、都鳥君の指摘するような怪しからぬカップルが成立する可能性が生ずることになる。
「まあ、おさえて、おさえて。ああいうカップルはね、あれはあれで辛《つら》いこともあるんだよ。細君が若くて元気すぎるってのも、時には悩みのタネになる」
「いけません」
東京から別府へ行くとすれば、いま、百人のうち百人が飛行機を利用する。金沢へ行ったときも、電車で来たと言って笑われた。金沢へ遊びに来る人は、百人のうち九十人が飛行機で来るという。中津だってそうだ。大部分の人が大分空港から北上するそうだ。僕は少しどうかしているらしい。
僕は中津へ行くのを楽しみにしていた。いま、小都市は九州にかぎると思っている。自動車で通り過ぎただけだけれど、佐賀関、臼杵《うすき》、津久見、佐伯《さいき》なんてところは、みるからに好ましい町だった。絵が描《か》けそうだった。
黒田如水の築城した中津城、若き日の池大雅《いけのたいが》が宿泊したという大雅堂、福沢諭吉旧居。そうして周防灘《すおうなだ》に面した漁港。これはよろしいに違いないと思っていた。
はじめ、僕は、別府の的山荘に滞在し、城下鰈《しろしたがれい》を食べながら中津競馬場に通う心算《つもり》にしていた。それを中津滞在に変更したのは、良い町であるに違いないという思い込みが生じていたからである。
しかるに、ああ、しかるに、中津は、別にどうということのない町だった。僕の感想は、これに尽きるのである。どうということのない町。これ以外に言いようがない。
「なにしろ、福沢諭吉が逃げだした町ですからね」
こういう言い方をする町の人もいる。ナルホドね。そういう言い方もあったか。
僕は、知らない町に宿泊するときは、その町で一番古い旅館に泊ることにしている。それで成功することも失敗することもあったが、最近は、この考え方が変ってきている。
「知らない町に滞在するときは、駅に近い一番新しいホテルに泊るにかぎる」
そう思うようになった。新しいホテルは、概して部屋が広い。調度類がよく出来ている。防火設備の点で安心。食事は小料理屋へ行けばいい。
中津では、しかし、一番古い旅館という方式を採った。それだけ、この町に期待していたことになる。
「失敗だった……」
部屋に案内されて、すぐにそう思った。その程度には旅|馴《な》れてきているのである。
「一階と二階と、どっちがいいですか。間取りは同じです。だけど、二階は、明日結婚式がありますので、移動してもらうことになります」
「二階は眺《なが》めがいいかね」
「さあ、何も見えませんけれど」
「じゃあ、一階のほうがいい。二階だと思って寝ますから」
「いま、若い狼《おおかみ》を連れてきますから」
「若い狼なんて困るよ」
「若いお内儀《かみ》です」
その内儀は、お辞儀をしてすぐに消えた。別にどうということもない。この旅館も、別にどうということもない。
古い旅館に泊って、最初に便所の扉《とびら》をあけるときが、ちょっと怖い。人が入っているような気がする。この旅館は廊下のほうに洋式便所があったが、廊下でスリッパを脱ぎ捨ててサンダルに履《は》きかえるという式であって、そのサンダルを履くと、タイルの床がカンカンと鳴る。洋式便所の扉をあけるとき、何か金髪の西洋人が跨《またが》っているような気がする。夜中は一人じゃ怖い。
入浴して食事。食事は、まあまあ結構。このごろ、新鮮な野菜と魚があれば、それで良しとしている。
七時ごろ、散歩に出た。競馬新聞の前日売りはやっていない。公営競馬の衰退を聞くこと久しいが、まず最初にやってもらいたいことのひとつは、競馬新聞の育成である。ところが、競馬場によっては、これを目の仇《かたき》にしているところがある。競馬場の職員というのは、おおむね、市役所からの出張職員であるが、競馬をやる奴《やつ》はロクな奴じゃない、まして、そいつを相手にする競馬新聞を作る人たちは無頼漢《ごろつき》であるぐらいに考えている人がいるのである。
中津では競馬新聞の駅売りをやっていない。駅は委託料が高いからだそうだ。これじゃあ駄目だ。駅でなくてもいいから、せめて煙草《たばこ》屋か喫茶店で手に入るようにしてもらいたい。
七時を過ぎたばかりだが、あたり全体に暗い。商店街はシャッターをおろしている。この町は、六時に店をしめるという。町の人はいいかもしれないが、これが客を遇する道かと思う。
駅の近くでは何軒かの店が開いている。八百屋の多い町だ。バナナを買った。それから総イレ歯をはずして水に漬けるためのガラスのバケツ(三百円)。駅前のメモリアル・ホールという喫茶店でコーヒーを飲んだ。名前は壮大だが大きな店ではない。
部屋へ戻《もど》ったが、することがない。十二時に横になった。
一匹の蚊《か》。蚊の出る季節になったか、と思ったが、さあ眠れない。おちょくるように耳もとで鳴く。ピシャッという音がする。都鳥君が自分の頬《ほお》を叩《たた》いている。蚊は主に彼を攻撃する。これが禁酒の一得だなんて思ううちに夜が明けてしまった。
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[#地から2字上げ]―――――¥後味が悪い[#「後味が悪い」はゴシック体]
言い忘れたが、昨日は雨が降っていた。今日は曇、ときどき小雨。馬場状態は重。
五月二十八日、土曜日。第四回中津競馬、四日目。入場人員、二千三百三十八名。
「一ト雨、二千万円と言いましてね。午前中に降ってくれるといいんです」
係の人が言った。二千人を越えたのは、小雨のおかげであるらしい。右廻り千メートル。小さな競馬場であるが、砂が深いのと直線が長い(約二百メートル)ので、先行有利とはかぎらないらしい。
「いまは苗代《なわしろ》準備期で、農繁期ではないんですが……。選挙の多い年は競馬は駄目です」
競馬の好きな人は選挙も好きなんだそうだ。
「あれが御澄池《おすみいけ》です。その向うが薦《こも》神社です。眺めは日本一です。このごろは、建てこんできましたが」
僕は、大雪山の見える旭川競馬場、日本海と北アルプスの見える金沢競馬場の話をした。言っちゃ悪いが、大海を知らずという感じがした。
「ここは、公営競馬場では日本全国ワースト・スリーのひとつです」
ワースト・スリーと言うと、益田、紀三井寺、高知が頭に浮かぶが、そのどれかよりも悪いということになる。
悪いというのは、入場人員、売上高のことになるが、小倉には中央競馬があり、大分からは遠いので、経営困難は容易に予測がつく。松井記者は来なかった。都鳥君が電話をすると、同時開催の佐賀のほうにいるという。
「ここには、常駐のスポーツ記者がいないんです」
これは驚くべきことだった。『九州スポーツ』には予想のシルシはついているが、コメントはない。根拠が書いてない。
「新聞記者が来てくれれば、喜んで記者席を作りますが……。そのくらいの金はあるんです」
中津競馬は、一口に言って、やりにくい競馬だった。たとえて言うならば、こうだ。
僕は、このごろ、障害の馬券を買わなくなった。昔は大好きであって、距離が長ければ能力差がハッキリするし、好調馬は落馬しないと信じていたので馬券が買いやすかった。
ところが、中山で圧勝した馬が東京で惨敗《ざんぱい》する。右廻り左廻りの巧拙。バンケットの得手、不得手ということはあるけれど、要するに、これは信頼できる馬がいないということである。障害馬の質が低下しているのである。中津競馬は、これに似ている。
今年の日経賞で、天皇賞馬のメジロティターンが三着に敗れた。
強い馬でも負けることがある。それが競馬だ。しかし、勝ったアサヒテイオーの単勝配当が三百四十円。二着がフジノテンユウで連複配当一千二百五十円というのが納得できない。これは常識からすれば万馬券に近いものでなければならない。
評論家の伊藤友康さんは、こう書いている。
「(もし)天皇賞馬メジロティターンが負けたら後味の悪いものになってしまうだろう」
まことに、その通りだ。しかし、僕は、配当が安いことのほうが後味が悪い。天皇賞馬に権威がない。ファンが信頼していない。
中津競馬は、この東京での障害レース、日経賞によく似ていた。すなわち後味が悪い。
かりに、一号馬、二号馬、三号馬の順に人気があるとする。連複@Aのオッズが一・八倍、@Bが三倍、ABとひねっても四・五倍。これでは買いようがない。そういうレースが続いた。買いようがなくても買いにきたのだから買わないわけにはいかない。
五月二十八日は僕等夫婦の結婚記念日である。出がけに女房に聞いたら三十四回目であるという。だからBCを買ってくれという。
僕は、朝からBCを買い続けた。本来、こういう買い方はしないのだが、根拠がわからないのだから、仕方なく、見徳買《けんとくが》いを続けた。「見徳」というのは縁起という意味である。
僕は、この公営競馬めぐりで、万馬券を的中させたことがない。万馬券には根拠がないと思っている。レース終了後には何とでも理屈をつけられるけれど……。
BCを買い続けるとき、もしかしたら万馬券が取れるのではないかという助平根性が働いた。草競馬の楽しみなんて、そんなもんじゃないか。
ところが、BCの目は出なかったのである。三日間を通じて……。三日間、三十レース。かりに千円ずつBCを買い続けたとしても、これだけで三万円のマイナスである。
第二、第三、第五、第八レースが的中。本来なら、四回当ると少しプラスになるところだが、配分を間違えたり配当が安かったりで、大幅マイナスで一日目を終った。
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[#地から2字上げ]―――――¥大 惨 敗[#「大 惨 敗」はゴシック体]
五月二十九日、日曜日。快晴。東京では第五十回の日本ダービーが行われる。
朝、東京のスバル君から電話が掛った。ダービーの馬券を頼むことになっていて、金を渡してある。
僕は寺山修司を追悼《ついとう》する意味においてもミスターシービーの単勝を買うつもりでいたが、オッズ百九十円と知って変更した。
「CDを九千円」
ミスターシービーは五枠の単枠指定である。四枠はウメノシンオーである。僕は二番目に強いのはこれだと思っていた。
「それから、BCを千円」
「BC?」
「わけがあるんだ」
「でも、ミスターシービー絶対だって言ってたじゃないですか」
「いいんだ、いいんだよ」
管理課長の和田博邦さんが九時に迎えに来てくれて、自動車で耶馬渓へ連れていってくださった。
これが、なかなか良かった。ただし、青の洞門《どうもん》附近まで。奥耶馬渓では、紅葉の頃《ころ》、あまりの美しさに頼山陽が持った絵筆をバッタと落としたという。さもありなんと思った。
旧耶馬渓鉄道の跡がサイクリング道路になっている。これは、とてもいい考えだ。
リフトに乗って羅漢《らかん》寺に参詣《さんけい》する。リフトは怖いのだが、ナニ、皇太子殿下だって美智子妃殿下だってスキーのときは乗るじゃないかと思った。しかし、下りのときは怖かった。
「下を見ちゃ駄目《だめ》です。横を見て、横を」
都鳥君が心配して叫んだ。
リフトを降りたあたりで石斛蘭《せつこくらん》を買った。これが唯一《ゆいいつ》の収穫だった。香りが良い。
青の洞門の向い側にある喫茶店でコーヒーを御馳走《ごちそう》になった。
「このあたりの風景が好きなんです。退職したら、このへんに住みたいと思って土地を探しているんですが、国定公園ですから、なかなか……」
地方都市の市役所に勤める人の、ひとつの人生の理想を見るような気がした。
この青の洞門から競馬場まで、約十五分の距離である。
入場口から入って、左側食堂一号館|あたりや《ヽヽヽヽ》にオデン係のおばさんがいて、過去二回、三万円以上の超大穴を当てたという。根拠を訊《き》いてみたら、前の晩に、BCならBCの夢を見るのだという。おばさんの夢だけが頼りだった。
「悪いけれど、夢を見なかったねえ、ゆんべは。悪いねえ」
九州の競馬の客は、不思議におとなしい。佐賀でも荒尾でもそうだった。そうかと言って上品というわけでもなかった。荒っぽい土地柄《とちがら》だと思っていたのだけれど、ノミ屋もコーチ屋もいない。そのかわり場立ちの予想屋の声も小さい。威勢が悪い。まず予想屋の発声練習から始めなければいけないのかもしれない。
第一、第二レースが的中。これはと思ったが、あとがいけない。第三レース、四号馬が勝って、単勝九千百六十円の大穴。
「青の洞門です」
都鳥君が言った。青(四枠)の穴か。
第五レースから、連複配当は、四百円、三百二十円、七百二十円、五百十円、百七十円、百九十円である。これでは僕には買えない。百七十円というのが中津ダービー(一着賞金百五十万円)であるが、有馬澄男、高砂哲二という騎手が一、二着したもの。この二人には絶大な人気があるようだ。そうでないと、この配当は、ちょっとおかしいのである。高砂(タカサゴではなくタカスナ)騎手は、当りがやわらかく、レース感覚もいい。勝負根性のありそうな、いい顔をしている。
第八レースのとき、あんまり当らないので放送室へ行って、そこから見た。公営競馬場でも、こんなことの出来るところは、めったにはない。アナウンス嬢(人妻のアルバイトであるが)は素人《しろうと》であるという。驚くべし、よその競馬場へ行って、場内放送をテープに採ってきて、それで練習したのだそうだ。さらに驚くべきことは双眼鏡を使わないで、肉眼で放送することだ。
「僕は、このレース、フカガワモガミとオスカメガミを買っていますから応援してください」
「はい」
「だけど、この両馬、言いにくいでしょう」
「だいじょうぶです」
「じゃ、ちょっと練習してみましょう。青|巻柿《まきがき》、黄巻柿、赤巻柿って言ってみてください」
巻柿は中津の銘産である。干し柿の一種であるが、菓子のようでもあり酒の肴《さかな》のようでもあり、よくわからない。
「アオマキガキ、キマキガキ、アカマキガキ……」
「うまい。上手じゃないですか」
第八レースがスタートした。フカガワモガミが逃げ、オスカメガミが二番手追走。このままだと予想配当三千円。五千円投資しているから、十五万円で、一気に挽回《ばんかい》可能だ。
「第四コーナーを廻りました。フカガワモガミまだ逃げています。オスカメガミ二番手。このまま逃げきりますか。ああ……」
直線でフカガワモガミの脚色《あしいろ》が衰えた。足があがらない。ついで、オスカメガミも……。六枠のマリアランサーが差してくる。
「ああ、駄目です」
「駄目はないでしょう……」
「一着マリアランサー、ゴールイン。続いてオスカメガミ」
僕は四コーナーで観念していた。
「惜しかったですねえ。わたしの応援が足りなかった」
「いや、そもそもが無理でした。この馬券」
「ごめんなさい」
アナウンス嬢に慰められたのも初めての経験。
この中津競馬場では、売場で馬券を買っていると、必ずのぞきこむ人がいる。あまりいい気持のものではない。どうも、締切間際《しめきりまぎわ》に大量投資をする人がいるらしい。配当が大幅に変ってくる。だから、それによって、買い目を変えるのか。その大量投資に乗っかろうとするのか。なにしろ、メインレースの連複配当が百七十円、百九十円という競馬である。松井記者の言った|むずかしい《ヽヽヽヽヽ》という言葉を思いだした。ついに、松井記者はあらわれなかった。彼は東京のほうのダービーへ行ったのだそうだ。なんという皮肉。
この日の夜は、中津競馬の於久《おく》稔勇局長ほかの方々に鼈《すつぽん》料理を御馳走になった。
「競馬に二種類あります。ひとつは自分との戦いです。銀行の利息がいくらだか知りませんが、一分そこそこで二割配当になると思って、百二十円の複勝を買う人。これがひとつです。もうひとつは、一日三万円なら三万円ときめて、その範囲で楽しむ人。この二種類です」
なかの一人が言って、有難《ありがた》く拝聴したが、僕はどちらにもなれそうもない。銀行利子という考えも危険である。馬券師になるつもりはない。そうかと言って、楽しんでもいられない。困ったものだ。
五月三十日、月曜日、快晴。
於久局長がしきりに勧めてくださったので、大雅堂へ行った。別にどうということもなかったが、若き日の書に力があると思った。これは、競馬には期待できないから、せめて中津の町を賞味してもらいたいという意味なのだろうか。
第四回中津競馬、六日目。馬場状態、良。入場人員、千七百六十三名。
前々日、前日と固い競馬が続いたので、この日は単勝式のコロガシでもやってやろうかと思ったら、大荒れに荒れた。すっかり翻弄《ほんろう》されてしまった。
第五レース。連複八千八百円。一着のミスハナレイはいいとしても二着のサーカツタイフウにはほとんど根拠がない。時計が違いすぎる。
第九レース。連複九千九百六十円。競馬新聞『競馬ファン』によれば、一着ムサシシヤインのコメントは「近歴の内容では|※[#「玄+玄」、unicode7386]《ここ》では通用せぬ」となっている。二着のトミハマオーカンは「スタミナ不安残る丈《だけ》に連下争いの一角|迄《まで》か」である。僕もその通りだと思ったのだからどうにもならぬ。
僕は、馬鹿《ばか》なことに、依然としてBCを買い続けていた。
「僕等の結婚、間違っていたんではないだろうか」
「そんなことはないでしょう。それよりも、この町にプロミスか武富士はないでしょうか」
「それは、都鳥君。やめたまえ。ギャンブルはね、借金してやるもんじゃない。プロミスってのはサラ金かね。僕のような自由業には貸してくれないんだろうねえ」
「ほんのこつ、良《ゆ》うなかったわ」
「あなたはね、少し競馬がわかってきたのがいけない。こういう競馬はチャランポランにやらなくちゃ」
最終の第十レース。一枠のアローヤンミ、七枠のフリートタウンで力が違いすぎる。そう思っても、もう@Fは買えない。オッズ連複一・八倍。ギャンブルで失敗した男の陥《おちい》る罠《わな》が自分にも見えている。ああいけないと思う。そうかといって、@F一点に有銭《ありがね》はたくという気持にもなれない。このほうは、もっと危険だ。@とFをはずして買った。
向う正面、フリートタウンが逃げ、アローヤンミが追走。二頭でぶっちぎっている。
「都鳥君、帰り支度をしよう」
中津発五時の列車に乗ることになっている。僕は双眼鏡をしまい、ショルダー・バッグを肩にかけた。
@Fで四コーナーを廻った。これがABやBCになるわけがない。配当が二倍以上になることもないだろう。
「失礼します。有難うございました。スッポン、おいしかった」
僕たちは駐車場に向って駈《か》けていった。
水沢競馬以来の惨敗を喫した。競馬ってこんなもんなんだ。特に草競馬はそうだ。全国廻っていれば、こんなこともあるだろう。
菊池寛作『恩讐《おんしゆう》の彼方《かなた》に』は仇討《あだう》ちをあきらめる話である。誰《だれ》を恨むことはない。
「僧了海の心境だ。青の洞門、掘り続けるだけだ」
僕は駈けながら都鳥君に言った。
「ぼくも、|そう諒解《ヽヽヽヽ》しています。下を見ちゃいけません」
駄《だ》洒落《じやれ》の好きな都鳥君だが、頬が引き攣《つ》っている。
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[#小見出し]20 燕三条見得談義《つばめさんじようけんとくだんぎ》
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画伯は鞄《かばん》から『競馬必勝法』なる出目表を取り出した。
これ当りますか。当りません。画伯の回答は明快である。
しかるに、この競馬場は明快じゃない。
三コーナーで落馬続出。これは危い! 額に青筋が立った。
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[#地から2字上げ]―――――¥見得とは何ぞや?[#「見得とは何ぞや?」はゴシック体]
六月二十五日、土曜日。どういうわけか眠れない。明日は新潟《にいがた》だと思って、十時に就寝したのだが輾転反側《てんてんはんそく》、三時になった。仕方がないので階下へ降りて長椅子《ながいす》で煙草《たばこ》を吸っていた。燕三条は楽しみにしていたのだが、嬉《うれ》しくって眠れないというようなことはない。すでに二十四箇場を消化して馴《な》れているはずだ。
夜と昼、反対の生活が続いているのがいけない。急に戻《もど》そうと思ったって体のほうが承知しない。
午前六時二十分、玄関のチャイムが鳴って都鳥《みやこどり》君があらわれた。いい顔色をしている。僕《ぼく》、あわてて半袖《はんそで》シャツに上衣、ボルグのズボンを着こむ。六月の末、暑いんだか寒いんだか、さっぱりわからない。
前回、中津へ行ったとき、帰りに京都へ寄って一泊した。
京都の町中《まちなか》を歩いているとき、知恩院の前の公衆便所へ入った。この頃《ごろ》、小便のキレが悪くなっている。だから、終ったあとに入念に振ることになる。ところが、若い時はよかったんだけれど、ナニがシナシナになっていて、四方八方に散る。ボルグのズボンのあっちこっち、点々とシミがついた。それはよかったんだけれど、あわててズボンのチャックを引きあげるとき、こいつがはさまっちまった。無理に引っ張ったのがいけない。押せども引けども動かない。
「おい、都鳥君、助けてくれ」
都鳥君に手伝ってもらったが動かない。彼、中腰になった。蹲踞《そんきよ》の姿勢になって、僕のナニに相対することになる。細かいチャックだから、顔が接するばかりになる。しかも、場所が悪い。公衆便所だ。そこへ、観光の中心地だから、バスが止まって、男ばかり、ドヤドヤと入ってくる。変な顔をして睨《にら》む。
「おい、出よう」
「そうですね、そのジャムパーで前を隠せば、何とか歩けるでしょう」
僕、夏物の綿《めん》のジャムパーを着ていた。それがよかった。
「一澤帆布店へ行きましょう。鞄屋さんだから、チャックは扱い馴れているでしょう」
一澤まで屁《へ》っぴり腰で歩いていった。一澤の主人が店の板の間で都鳥君と同じ姿勢を採った。
「若い娘だったらよかったのにねえ」
ついに、僕、そろそろとズボンを脱いだ。客がいるし、ずいぶん恰好《かつこう》がわるかった。さすがに専門家、すぐに直してくれた。
「またこわれたら、これで縫っておくれやす」
御主人はボール紙に切れ込みをいれ、糸を巻きつけ、そこへ針も刺してくださった。
「糸を巻き巻き、糸を巻き巻き、引いて引いて、トントントン」
「歌っている場合じゃありません」
そんなことがあった。僕、ボルグのズボンが好きなのだ。参考のために書くが、銀座松屋三階にボルグの売場がある。僕、マッケンローは嫌《きら》いだ。小生意気《こなまいき》で、ありゃあ不平不満のかたまりだぜ。新潟のイタリア軒という名門のホテルに泊る予定になっているので、ジャムパーはやめて上衣を着た。
七時に家を出た。西国分寺発七時三十六分の武蔵野《むさしの》線に乗るつもりが、その前の電車にまにあってしまった。
「あ、いけない」
僕、老眼鏡を忘れてきた。こんなにタップリと時間の余裕があるのに忘れものをする。しかも老眼鏡は競馬新聞を読むためになくてはならないものである。不吉な予感がする。
大宮駅、八時。
こんどは秋野卓美|画伯《せんせい》が同行する。僕、以前から何度も同行をお願いして果されなかった。秋野画伯は出目論者であるという噂《うわさ》を聞いていた。何だか怪しげな『競馬必勝法』という出目表を自在に使いこなすという。それを実地に見てみたいと念願していた。
僕、このごろ、自分の競馬に迷いが生じている。
血統を見る。持時計を調べる。最近の成績を参考にする。展開を読む。調教師、トラックマンのコメントを読む。競馬評論家の意見を聞く。パドックで馬を見る。本馬場で返し馬を見る。そうやって馬券を買うのが、いわば正攻法である。
これに反すると言うか、これらを無視するのが見得買いである。
見得と言い、見徳と言う。『新潮国語辞典』によれば、「見得 取引所で、標準または目安」、「見徳 @富くじ。A前兆。縁起」となっている。前者は株式、後者は仏教から出たもののように思われるが、まあ同じようなものだ。
見得買いというのは、六月二十六日だから6の単勝とAEを買うという式の買い方だ。天皇賞を天皇の年齢にあわせて買ったりする。
僕は、ずっと、常に正攻法でやってきた。それで不調が続いている。すると、どうしたって見得買いに心が動く。正攻法を捨てるつもりはないが、ギャンブラーの心理が見得買いに移行してゆく過程がわかってきたような気がしている。
「巨人・大鵬《たいほう》・卵焼き」という言い方がある。これは、素人《しろうと》や子供の好きなものという意味である。戸板康二先生によると、弁当をひろげると、老若男女、誰《だれ》でも最初に箸《はし》をつけるものが卵焼きであるそうだ。それで、最初に手を出すのが卵焼きというのが戸板説であるが、ギャンブルでは、最初に手をつけるのが見得買いである。
「あたし、二十七歳だからAFを買ってちょうだい」
と銀座の女性が言う。そのレース、BFになる。だから言わないこっちゃない。本当の年齢で買えば当っていたんだ。
「きみは、ヒトミだから、1103の組みあわせで買えばいい」
わざわざ、そう言いにくる人もいる。その他、馬名のアヤで買う人もいる。寺山修司がそうだった。トルコ嬢の桃ちゃんだから八枠(桃色帽子)で買うというやり方。ただし、寺山の場合は、それは照れ隠しであって、彼は本当は正統派だったと思っている。
最初に手をつけるのが見得買いである。だから、それは素人の戦法だと言ったら間違いになる。競馬でも競輪でも、まず、当らないものだと言っていい。つまりは遊びである。競馬で、さんざん痛い目にあった人は、必ず、そう言う。当らないという結論に達する。そうでなかったら、競馬評論家という玄人《くろうと》は大金持になっているはずだ。
従って、ギャンブルで苦労した人は、次第に見得買いに傾いてゆくのである。初心に戻ってゆくと言ってもいい。
見得に始って見得に終る。それがギャンブルである。そこが卵焼きと違う。
野球の三原|脩《おさむ》監督はツキを重視した。日本シリーズのようなビッグゲームでは、必ず、ラッキーボーイがあらわれる。打てば相手が失策する。投げれば味方の美技に救われる。そういう選手を重視する。
ツキを重視するという考え方は見得買いに近い。
しかしまた、出目論にもいろいろあるのであって、僕の出目論は後に詳述することになるだろう。
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[#地から2字上げ]―――――¥一日で落馬三回[#「一日で落馬三回」はゴシック体]
大宮発午前九時五分新潟行上越新幹線あさひ153号。発車直前に画伯《せんせい》があらわれた。
「出目論を伝授していただきたい」
「はいはい」
画伯は薄い手帳のようなものを鞄から取りだした。『競馬必勝法』というタイトルの出目表である。
「これ一万円です。一万円でありますが、本日のところは特に四千円と言われて買ったものです。四万円のところを本日は七千円と言って売るときもあります」
そう言って笑った。ほかに、忍術の巻物のようなもの、古文書のようなものも持参されている。ボロボロになっている。
この『競馬必勝法』、この日行われた三条の第一レースを例にとると、七頭立てであって、2・3・7という数字が書いてある。この三つの数字のなかに、その競馬新聞の◎か○の印があったとする。この場合は、7が本紙予想の◎になっている。すると、AF、BF、CFと買えと指示している。かりに7が▲であったとすると、@F、EF、DFに変る。実に単純明快だ。
「これ、当りますか?」
「当りません」
画伯の回答も明快だ。
「僕、本来は正統派なんですが、この頃、出目も考えることにしています」
「そうです。阿佐田哲也さんなんかも出目を大事にしますね」
「数字の魔術ってものがあるようですね。数字にはさからえないなんて競輪の人は言います。公営の場合は、特にそういう感じがします」
「そうです」
「だから、正統派と出目の併用でやってみるつもりです。なんだか、荻野式とペッサリーの併用っていう感じです」
「それなら安全です」
「正常位と松葉崩しの併用かもしれない」
と言ったのは都鳥君である。
「僕と画伯はデメで行く。都鳥君はどうするかね」
「私はデバカメです。やっぱりパドックへ行きます」
「何を見るのかね」
「ですから、主に睾丸《こうがん》を見ます。でかいのがいい」
十時四十五分、燕三条駅に到着した。田中角栄の地盤だから停《とま》らないわけがない。競馬場まで、ものの五分とかからない。第一レースの発走は十二時だから悠々《ゆうゆう》たるものだ。
快晴だが暑い。馬場状態は稍重《ややおも》になっている。昨夜は雨だったようだ。
信濃《しなの》川の河川敷。右廻り千メートル。幅員十六メートルから二十一メートル。
この競馬場についての僕の第一印象は玩具《がんぐ》である。テレビ・ゲームを見るような感じ。もしくは、ベビー・ゴルフ。
このときになって、僕は、三条の存続が危殆《きたい》に瀕《ひん》しているというニュースがあったことを思いだした。そうなんだ。ここは益田にちかいのだ。赤字の競馬場。馬場もスタンドも益田に似ている。馬場に面して斜めに建っている小さな建物。それがスタンドであって、それだけしかなかった。昔、府中の競馬場には、天狗山《てんぐやま》という調教師や厩務員《きゆうむいん》や騎手などの関係者が観戦する小さなスタンドがあったが、そんなものだと思っていただきたい。
「これは危険だな」
僕は、すぐにそれを言葉にして言った。入場口の背後がパドックであり、そのうしろが第一コーナーになっている。そのコーナーが、ほとんど直角であり、この競馬場は楕円《だえん》でなく矩形《くけい》になっている。僕にはそう見えた。
「これは危い。野平祐二なら、乗らないだろうな」
名騎手野平祐二は、皐月《さつき》賞にもダービーにも勝っていない。信じられないようなことだが事実なのだ。ダービーで外枠を引き当てたら、スタート直後、内に切れこむようにして斜行しなければ好位置が取れない。斜行しなければ勝てない。野平は、競馬は馬を真直ぐに走らせるものだという信念をもっている。幅員の狭い中山における皐月賞でも同じことだ。
不幸にして僕の予感は的中するのである。的中したのは、そのことだけだった。迂闊《うかつ》に馬券を買っちゃいけない競馬場だ。そう思った。えらいところへ来てしまった。
「これは危険です。なんとかならないもんでしょうか」
企画広報室長の矢口進さんに言った。
「信濃川の河川敷は建設省の管轄《かんかつ》になっているんです。杭《くい》一本打つにも許可がいるんです。困っています」
「そんなこと言ったって……」
人命にかかわる問題ですと言おうとして言葉を呑《の》んだ。そんな予言が的中したら大変だ。
六月二十六日、日曜日。第五回三条競馬、初日。入場人員、三千百二十二名。
第一レース、アラブ三歳二組。距離八百メートル。
向う正面のポケットからスタートする。
「あ、あ、あ……」
一号馬のアサクラランナーが三コーナーで躓《つまず》いた。続いて七号馬のヒデノタイヨーが伸《の》しかかるようにして落馬。僕は七号馬から、画伯は一号馬から買っていたので、ひどいことになった。CDで、連複配当二千円。この二千円というのは、大穴だと思わなければいけない。出目表も不的中。
D : :
C : :
僕は、この数字を睨《にら》んだ。ここから第二レースの数字を引きだすのだから大変だ。単純にCの目とDの目が強いと思いこむことにする。
第二レース。従って、差し強力なAへ、AC、AD。念のためCDも。このレース、Gのカツサンバーが勝ってCG。連複配当四百九十円。画伯的中。出目表、不的中。
D G : :
C C : :
この数字を睨む。念力が必要になる。Cの目が強い。Dの目も捨てがたい。この第三レース、@Gで連複二百四十円。出目表、的中。
D G G : :
C C @ : :
僕の出目論も疲れるのだ。念力をかけると体力を消耗する。
第四レース、DEで連複百八十円。出目表、不的中。
「こんな競馬、やっていられるか」
だんだんに、そんな気分になっていった。百八十円じゃ買えないなんてことはない。馬が信頼できるなら、それでいい。とても、そんな馬じゃないんだ。今年のダービーのミスターシービーの単勝配当は百九十円である。あの百九十円は立派な百九十円だと僕は思っている。
馬場状態が稍重から良に変った。国境のトンネルを抜けると青空であったことを思いだす。
企画広報室長の矢口進さんは、小学校、中学校が僕と同じで二年の先輩である。育った地域も同じである。麻布中学で二年先輩ということは、吉行淳之介《よしゆきじゆんのすけ》さんと同学年である。将棋の木村義雄名人の息子さんで義徳八段に風貌《ふうぼう》も喋《しやべ》り方もよく似た温厚な紳士だった。新潟県庁に長く勤めて、定年で競馬のほうに廻《まわ》されてきたのだそうだ。とにかく、競馬で中学の先輩に会ったのは初めてのことである。
港区南麻布、仙台坂を下ってゆくと都電のあった通りに突き当る。そこの二の橋医院の次男が矢口進さんだった。杉山医院と小田原医院はよく知っているのだけれど、二の橋医院には縁がなかった。
矢口さんは新潟に疎開《そかい》して、そのまま住みついてしまったという。矢口夫人は新発田《しばた》の出身で、もし、矢口さんが先きに亡《な》くなったら、東京の長男の所へ行きたいと言われる。一方の矢口さんは、夫人に先立たれても新潟を離れるつもりはないという。
「良い所ですよ」
「物価が安いんですか」
「そんなことはないんですが、さあ、何と言うか、新潟が好きになっちまって……」
僕は戦意を喪失して、そんな世間話ばかりしていた。
第五レース。@Aで三百七十円。画伯的中。僕も的中。ただし、三百七十円ではどうにもならぬ。Bのシノブモチズリが追込んで@Bになるところだった。そうなれば好配当だったのに。出目表、的中。
「シノブモチズリ誰《たれ》ゆえに乱れそめにしわれならなくに」
と、都鳥君。そうなんだ、すっかり乱れてしまった。
第六レース。BCで三百九十円。画伯的中。出目表、的中。
第七レース。EGで千百七十円。これは好配当。画伯的中。出目表、的中。このレース、三号馬のシナノヒリュー、四号馬のミヤキング落馬。一レースとまったく同じで、三コーナーで馬が前に突んのめるようになり、騎手が振り落とされた。四号馬の赤間享騎手は、うまくクルクルッと落ちて内馬場に逃げこむようにした。言い忘れたが、ここの内馬場は、すべて畠《はたけ》になっている。キャベツ、ホウレンソウ、ニンジン……。
「うまく落ちるもんだなあ。しかし、内埒《うちらち》に打ち当ったら死んじまうぜ」
「お恥ずかしいところをお目にかけました」
「矢口さん、三コーナーの同じ場所っていうのはおかしいじゃないですか」
「あそこが危険なので、新潟開催中に工事をしたんです。砂をいれまして改良したんです。それが裏目に出たようです」
「そりゃ改良じゃなくて改悪ですよ」
「すべるようですね」
矢口さん、すっかり気持が沈んでいるようだ。
第八レース。六号馬のリュウソロンがまた三コーナーで落馬。負け惜しみでなく、とてもこんな競馬やっていられない。危険きわまりない。サーカスの空中ブランコや綱渡りは、下に網が張ってあって、万に一つの危険もないと承知していてもスリルがある。三条の競馬、スリルなんてもんじゃない。心臓に悪い。
「おい、都鳥君。『フォーカス』のカメラマンを呼んでこないか」
「三コーナーでカメラを構えるんですか」
「冗談じゃないよ。これは社会問題だ」
僕、額に青筋が立っているのが自分でもわかった。
このレース、ABで百八十円。出目表、不的中。
第九レース。CDで三百十円。出目表、不的中。
第十レース。ここまでFが死に目になっている。強い目のCへCF、馬体良かったAへAF。人気薄六号馬が勝ってEF、三千六百七十円の好配当。六号馬に騎乗した五十嵐剛紹君の積極的好騎乗。去年結婚して子供が生まれ、気合が入っていると後で聞いた。画伯的中は大ヒット。出目表、不的中。
負けたのだから、鍋茶屋《なべぢやや》は遠慮して、鍋茶屋の経営する光琳《こうりん》。越乃寒梅《こしのかんばい》。
こんどは眠れると思ったが、やっぱり駄目《だめ》だった。家にいるのと同じで、ソファーに腰をおろして煙草。熟睡している都鳥君を起こしては気の毒なので、暗がりの煙草。競馬新聞で検討するわけにもいかない。それに、老眼鏡もない。
「ゆっくりおやすみになったようですね」
朝、都鳥君が言った。僕、午前七時から二時間ばかり眠ったようだ。その姿を見れば、熟睡したと誰しも思うだろう。そうじゃあない、かくかくしかじかと言う。
「ビタミンEの服《の》みすぎじゃないですか」
そんなこともあるかもしれないが、一錠しか服んでいない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥また、落馬事故[#「また、落馬事故」はゴシック体]
六月二十七日、月曜日。
三コーナーでは徹夜で修復が行われたそうだ。午前十一時、まだ作業が続いている。十人ばかりの人が三コーナー附近で動いているのが見える。僕は主催者に面会をもとめた。
一開催に一回ぐらい落馬があるのは当然だという意味の発言があったので、カッとなった。
「そりゃ競馬ですから、落馬事故は免《まぬが》れないと思います。でも、一開催に一回ぐらいとおっしゃるのは乱暴じゃありませんか。一年に一回あっても困るんです。それが、一日に三回です。しかも同じ三コーナーです。原因はハッキリしているんじゃないですか」
「だから、徹夜で修理しているんです。いまもやっています。今日、落馬事故があったら、私、首を賭《か》けます」
いままで、騎手たちと会議していたらしい。
「それで昂奮《こうふん》しているんです。あの方の発言、ちょっと乱暴でした」
矢口進さんが、おだやかにとりなす。あくまでも温厚な紳士である。
僕、朝のスポーツ新聞と新潟日報を注意して見た。落馬事故のニュースが出ていない。一日に三回、同じ場所、馬場の砂が上すべりするという原因もハッキリしているのだ。こんなことが平気になっては大変に困る。競馬場へ着いてから、落馬した林芳明騎手が肋骨《ろつこつ》四本折ったというニュースを聞いただけだ。
出目表[#「出目表」はゴシック体] 的中
配 当[#「配 当」はゴシック体] 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
1550 1820 730 3890 260 460 3790 330 620 210
F D E D G G G G F G
D A A @ E B E B D B
R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
これが二日目の成績である。入場人員は二千二百三十四名だった。
第六レース、二号馬のサンショウセイフクが三コーナーで落馬した。主催者側の発表は≪事故(右前|繋《けい》骨折)のため競走中止≫となっている。はたして三コーナーで滑ったのか、故障があったのか、僕には判断がつかない。
僕と都鳥君が、第四レースの三千八百九十円的中。これは三日間を通じての最高の配当だった。あと、第五、第六レースのゴミみたいな配当を拾っただけ。
画伯は不調だったようだ。出目表も一回的中しただけで、かなり出目表を信頼していることがわかった。
僕が的中した第四レースは、人気馬から薄目へという買い方で、二着したダイヤモンドアローに騎乗した津野総夫騎手(目下リーディング・ジョッキー)は落ちついた騎乗ぶりだった。津野君は率《そつ》のない騎乗。五十嵐君は積極的。大枝幹也君は巧者。
第九レース。断然人気のトップエナジが、三コーナーでのめった。満場騒然。大枝幹也君は辛うじて落馬を免れ、馬を立て直してインを突いて快勝。さかんな拍手を浴びた。
トップエナジは、相当に強い馬である。むろん、騎手の生命がもっとも大事であるけれど、馬だって大変だ。
三条競馬で感ずることの第一は、ファンが競馬をよく知っているということだ。三条では、ここは俺《おれ》たちの競馬場だから、俺たちでもりたてようとする気風が強いそうだ。従って、入場人員が二千名を切ることがない。
もっとも競馬をよく知っているのは、中央の福島のファンである。だいぶ前のことであるが、福島の場外馬券で、ダービーのとき、払戻《はらいもど》しの金が足りなくなるという事件があった。それくらいに馬券を買うのが上手であるそうだ。
福島へ行くと、タクシーの運転手でも旅館の女中さんでも誰でもが馬券を買う。福島は荒れないという。平坦《へいたん》馬場で、増沢騎手と御当地馬の勝率がいいというパターンがあるけれど、荒れないのではなくて、ファンが荒れさせないのだ。実にシビヤーだ。馬を見る目が肥えているから、本命サイドでがっちりと馬券を取る。それでいて穴馬券も押さえているから、穴が穴にならない。めったには万馬券が出ない。
福島に次ぐものが三条である。これは新潟の中央競馬を見ているから、やはり馬を見る目が確かなのである。絵画がわかるようになるには、常に名画に接していればいい。それと同じことだ。百八十円でも二百十円でも、がっちりと買っている。人気馬同士で一、二着するときは盛んな拍手が飛ぶ。
二番目は、何度も言うようだけれど、これは危険な競馬場だということだ。三条競馬では、中央騎手招待レースが行われる。これは三条が新潟競馬場を借りて行われる。大崎でも小島太でも、増沢や吉永でも、三条では乗らないと思う。危険な競馬場では優秀な騎手が育たない。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥公営ギャンブルの存在理由
イタリア軒の和食堂で矢口進さんと会食。そのあと、画伯と都鳥君は町へ出ていった。禁酒中の僕は自粛。矢口さんとコーヒー・ショップでコーヒー。
地方の役所で、妻と二人で、ひっそりと一生を過ごす。それは僕にとっての、ひとつの理想の人生なのだが、矢口さん自身は、どう考えておられるだろうか。
矢口さんは、ほとんど競馬を知らない。県の畜産課に長くおられたので、それで競馬関係に廻されたのだろう。
「競馬っていうのは、貴族のスポーツなんじゃないでしょうか」
「そうなんでしょうね」
「階級制度があるような」
「ヨーロッパなんか、そうでしょうね。サーの称号のあるジョッキーがいるくらいですから……。野平祐二さんがフランスに永住できなかったのは、そのためじゃないかと思っています。こちらの勝手な推測なんですが」
「六階建てぐらいのスタンドを造りたいと思ったことがあるんですが」
「…………」
「ふかぶかとした絨毯《じゆうたん》を敷きつめて」
「いや、あのコンクリートの床で折り畳みの椅子《いす》も捨てがたいですよ」
「お恥ずかしい」
三条競馬を廃止して、別の所に新競馬場を造る話があったのである。六階建てのスタンドというのは、そのときの夢だったのだろう。いまだと二百八十億円を要するという。景気のいいときだったら、それがやれたのかもしれない。
僕は、率直に正直なことを言ってしまいたい。三条競馬場は廃止したほうがいいと思う。第一に危険である。あの魔のコーナーが改善されないならば……。騎手のために、そして馬のためにも。
それに、僕は、赤字のギャンブル場は意味がないと思っている。競馬は、それがギャンブルであるかぎり、誰が何と言おうとも、僕個人は dirty なものだと思っている。一万円の金が一分か二分で百万円になるというのは、どう考えたって健全な娯楽にはなりえない。
「飲む、打つ、買う」は男の三道楽だとされている。これは男の本能だ。本能であるかぎり、|打つ《ヽヽ》も禁止するわけにはいかない。しかし、本来が dirty なものであるのだから、その利益によって地方自治体が潤《うるお》い、福祉の一助になるのでなければ存在理由がない。僕は根本的にそう考えている。
さいわい、三条競馬は新潟競馬場を借用することができる。建設省が改善の話しあいに応じないとするならば廃止すべきではあるまいか。僕はそうは言わなかったし、そういう話にはならなかったのだけれど……。
「草競馬めぐりだって聞いたんで、こういう競馬場を選んだのかと思いました」
「そうじゃないんです。公営競馬があるかぎり全国を歩くんです。特に三条を選んだのではないんです。もう、二十箇場ばかり廻りました。あと帯広と岩見沢という北海道が残っているだけです。ただし、ワースト5を選ぶとすれば、益田、高知、紀三井寺、中津、それに三条ということになります。申しわけないとは思いますが」
「そうでしょうね」
「ただし、決して三条が嫌《きら》いだと言うんじゃありません。ああいう玩具みたいなギャンブル場は好きなんです」
六月二十八日、火曜日。第五回三条競馬、三日目。晴。馬場状態、良。入場人員、二千三百名、推定。
内馬場の畠に、たえず雲雀《ひばり》が舞いあがり、燕《つばめ》が飛ぶ。
スタンドは馬場に対して斜めに建っていて、正面を向いていても斜《しや》に構えた感じになる。スタンドと馬場との間は、開催日以外は道路になるようだ。
出目表[#「出目表」はゴシック体] 的中 的中 的中 的中
配 当[#「配 当」はゴシック体] 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
790 790 330 1110 1530 160 690 840 310 650
D C E A D E D E F G
A A C @ A @ A @ D @
R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
これが三日目の成績であるが、第一レースは全員的中。秋野画伯は、第一、第二、第三、第四レースが的中。
「パーフェクト達成なるか」
ということで、第五レースは、こっちも緊張したが、惜《お》しくも外れたらしい。
第三レース。二号馬、津野総夫騎乗のブルームサシーが三コーナーで、のめった。落馬は免れたが、四着。ここから馬券を買っていたのだからヒドイ。落馬しないまでも、三コーナーの手前でスピードが落ちる。騎手は、おっかなびっくり乗っているのだろう。
「もし、今日落馬があったら、競馬を中止にするつもりだったんです」
温厚な矢口進さんが、後になって重大決意を語ってくれた。そうなれば騒動になる。僕は、落馬による開催中止という例を知らない。そういう決意を知らずに、主催者側を攻撃した無礼を詫《わ》びなければならない。
最終日ということで、僕は内なる射倖心《しやこうしん》を自分で煽《あお》った。だから、ひどいことになった。
第六レースが、メインの清流特別である。サラ系B1。ここに中央で活躍したサスケウタが出ている。僕の好きだった馬だ。しかし、僕の経験で、中央の馬は公営では走らないことを知っている。
画伯は、このサスケウタから勝負に出たようだ。この馬、二周目向う正面までは好位にいたが息がもたず、着外。母系は名牝《めいひん》サスケハナ、父はコーネルランサー(ダービー馬)であるが、中央の馬が動かないのは七不思議のひとつ。
画伯は、僕より四歳年長の八月十八日生まれだそうだ。この八月十八日というのは、偶然、僕の女房《にようぼう》の誕生日と同じだ。女房は、従って@Gの馬券を僕に頼むことが多い。
「第八レースの@Gは必ず買います」
そう言われるのだが、どっこい、出目だけで買っているのではない。僕は、画伯のギャンブルは、なかなかにシブトイという印象を受けた。阿佐田哲也さん、寺内大吉さんに競輪と麻雀《マージヤン》でも揉《も》まれているのでは、自然にそうなってくる。単純な出目論者ではない。
最終レース。二枠のラカメリアで勝負。直線中程まで逃げたが三着。
「さあ、急ぎましょう」
長岡駅から新幹線に乗ることになっている。
「ちょっと待ってください」
画伯が払戻場に向って駈《か》けていった。第十レースが@G。シブトイ、シブトイ。
「おいそがしいところ、つきあってくださって、有難《ありがと》うございました」
新幹線で、座席を廻して向いあった席で画伯に頭をさげた。
「いやあ、面白《おもしろ》かった。楽しかった」
本当にそうなら良かったんだけれど。駅の売店で買った吉野川の四合|瓶《びん》がバカにうまい。長岡から大宮まで三人で四合というのが、ちょうどいい分量である。八時半頃に銀座に着くという心づもりがある。
僕等は、そうやって、一面の緑、新潟の穀倉地帯に別れを告げた。
僕は、またしても惨敗《ざんぱい》を喫したが、その原因はわかっている。僕の馬券戦術は、自分の目でレースを見て、次のレースの狙《ねら》いを定めるところにある。公営めぐりでは、それが不可能である。一発勝負である。自分が納得できる馬券の買い方ができない。
それに、中央では、ほとんど単複しか買わない。公営では単複で勝負しても意味がないのだ。これは決して弁解じゃない。いや、やっぱり弁解になるのかなあ……。
[#改ページ]
[#小見出し]21 旅《たび》の終《おわ》りの帯広《おびひろ》、岩見沢《いわみざわ》
[#ここから8字下げ]
小樽《おたる》へ行って、海陽亭でドンチャン騒ぎ。
船に乗って、舞鶴《まいづる》から京都。そして祇園《ぎおん》で打ち上げる。
その目論見《もくろみ》も、馬体不充分で、ついにかなわず。
転々、最後の最後、函館《はこだて》競馬、第十一レースのゲートが開いて……。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥最悪の夏[#「最悪の夏」はゴシック体]
八月十四日、日曜日。朝、羽田空港を発《た》って帯広に着き、そのまま競馬場に直行すれば、十一時発走の第一レースに悠々《ゆうゆう》とまにあうことになる。帯広から岩見沢へ、そうして小樽へ行って海陽亭でドンチャン騒ぎ、状況によっては小樽港から船に乗り舞鶴から京都へ廻って祇園で打上げ、この公営競馬めぐりの初めの担当者のスバル君とも、そういう話になっていた。飛行機で北海道へ行って東海道新幹線で帰ってくるというのは洒落《しやれ》ていますよと言うのは富良野《ふらの》在住の倉本聰さんの言。
僕《ぼく》は今年の夏を楽しみにしていた。十四日から二十一日まで八日間、久しぶりに、のんびりとした涼しい夏になる。八月の初めに小樽海陽亭の八重子さん(ウイスキイのストレイトを無限に飲む人)に電話すると、
「やっと、こちらも暖かくなりました」
ということだった。冷夏だったのである。それが暖かくなった。つまりは、絶好の夏|日和《びより》(そんな言葉はないが)だと思って間違いないだろう。
こいつは、いい。僕はそう思った。都鳥《みやこどり》君もそう思った。彼、函館へ廻って烏賊《いか》ゾーメンを丼《どんぶり》で食べるという。
しかるに、しかるにだ。そうはいかなくなった。好事魔《こうずま》多し。当て事と越中|褌《ふんどし》は向うから外《はず》れる、なんて言う。
僕の、その、なんだ、身的状況が、最悪になってしまった。
第一に、胃に鈍痛がある。二年前、赤羽橋の済生会中央病院で検査をしたときに、胃に引き攣《つ》れがあると言われた。潰瘍《かいよう》だか癌《がん》だかわかりませんが、と担当医が沈痛な表情で言った。胃カメラを呑《の》んでください、とも言った。僕は、それを一日伸ばしにすること二年間に及んだ。ずいぶん伸ばしたもんだ。そのかわり、酒をやめた。その胃に鈍痛があるのである。しこうして、絶えざる嘔吐《おうと》感。僕、ついに決意して医者のところへ行った。済生会でなく近所の町医者である。
「はい。はい、わかりました。肝臓ではないようですね」
胃の鈍痛と嘔吐感のあるときは、まず肝臓を疑ってみるのが常識となっているようだ。
「単なる胃炎でしょう」
僕の腹部をあっちこっち押してみた医者が言った。この医者は薬をドッサリくれるのである。僕、薬は嫌《きら》いじゃない。なんだか鬼ケ島から帰ってきた桃太郎のような気分になるのである。一日に三回というのを、寝る前にもう一度|服《の》んだ。それでも痛みがおさまらない。息子を医者に走らせて痛みどめを貰《もら》った。これも一日に四回。これで、どうやら鈍痛と嘔吐感はおさまったが、こんどは便秘になった。なんとも不快。僕だって丼一杯とはいくまいが烏賊ゾーメンの端っこぐらいは食べたいのである。八月の十二日、十三日、便通がない。
第二は微熱だ。諸君はどうか知らないが、僕の平熱は五度五分から六分といったところ。五度二分なんていうのも珍しくはない。それで渾名《あだな》は冷血動物。幼少の頃から冷血動物だった。もっとも、この渾名、性格の悪いところからもきている。
その僕が七度ある。これは微熱である。よく、女の人なんかで、七度あると立っていられないなんていう人がいるが、それに近い。僕は立って歩行することができるが、頭がボーとしている。ふだんから頭のほうはボーとしているから、ボーボーという感じ。八月十三日には七度三分を記録した。
原因はわかっている。僕、毎日、午後に昼寝する。三十分ぐらい。ときには一時間。この昼寝に成功すると、とても気持がいい。
冷房装置でもって部屋を冷やしておく。それでもって布団《ふとん》をかぶって寝るのであるが、うっかりして冷房装置を切ることを忘れてしまう。それだって、別にどうということはないのだが、布団をはいでしまうのである。これがいけない。いわゆる、ひとつの夏風邪というやつ。それが、ア・コールド・イン・ザ・ノーズ、いわゆる鼻風邪になった。
この遠因もわかっている。エルニーニョだ。なんでも、熱帯のほうの海が熱くなるんだそうだ。それでもって吾《わ》が国も熱い。ずいぶん不都合な話だ。熱帯は熱帯でもって勝手にやってくれればよさそうなものだが、そうはいかないらしい。日本も熱い。だから冷房装置を作動させる。従って夏風邪になる。いわゆる冷房病である。
微熱があるところへもってきて、ノドが痛い。浅田飴《あさだあめ》やらヴィックスやら龍角散《りゆうかくさん》トローチやらエヘン虫やら、やたらに舐《な》めることになる。これみんな甘いから糖尿に良いわけがない。口中がべたべたして気持が悪い。
第三に、まだあるんだぜ、おい。第三に小便の出が悪くなった。僕の大脳|中枢《ちゆうすう》は発射を命じているのである。いわゆる尿意というやつ。朝顔の前に立って発射を命ずるのだが、末端部分が命令に従わない。そのうちに末端部分に灼熱感《しやくねつかん》が生ずる。しかし出ない。とこうするうちに、タラタラッと黄よりも赤にちかいものが数滴。しかしながら、僕の大脳中枢は満足していない。いわゆる、ひとつの残尿感というやつ。だけど出ないものは出ない。そこで仕方なく泣く泣くこれを格納することになる。しなしなとした末端部分を格納すると、そのときに、意地が悪いもんだ、タラタラッと出るのである。見おろすとズボンが濡《ぬ》れている。この夏、何度、両掌《りようて》でもって前をおさえて便所から出てきたことか。夏だから、すぐに乾く。
「前立腺《ぜんりつせん》肥大じゃねえか」
なんて言う人がいる。向田邦子さんは、老人は煙草《たばこ》の粉の腐ったような臭《にお》いがすると言ったが、うまいことを言うもんだ。僕は、そんな体臭を発していたと思う。ついでに書くと、若い男はインク消しの臭いがするそうだ。
前立腺肥大かどうか知らないが、老人病の一種。すなわち、道具が傷《いた》んでいるのである。
いまはただ小便だけの道具なり
なんていう川柳《せんりゆう》があるが、僕のは、その小便の役にも立たなくなってしまった。
若い頃はそうじゃなかった。便所へ行ってズボンのボタンひとつはずすと、オートマチックに、ぴんと突出したものだった。
そこへもってきて、八日間、家を留守にするのである。いくら売れない作家だからって、ちっとは書き溜《だ》めをしなければいけない。
八月十四日、午前七時五十分羽田空港発の東亜国内航空に乗るのである。六時に家を出ることにしている。とうとう、前夜は徹宵《てつしよう》になった。自分の体が自分じゃないような感じになっている。
ところが、ここに意外なことが起った。僕、数年前から、自分は男じゃないと思っている。ここへきて、自分は人間じゃないと思いはじめるようになった。
僕、飛行機が嫌いなのである。いや怖いのである。とにかく、飛んでいる間は生きた心地がしない。地上を離れたと思って窓から下を見ると、家も自動車も豆粒になっている。あの瞬間の厭《いや》な感じといったらない。
しかるに、僕の身的状況がこんなふうになってみると、ちっとも怖くないのである。いま墜落死したら、ずいぶん得だなあと思ったりする。死ぬなら飛行機だ。TDAだって黙っちゃいないだろう。応分のお銭《あし》をだしてくれるだろう。もし、これが健康体だったら、とっても損だ。
僕、鼻歌が出そうになった。ランランラン。いまはルンルンと言うらしいが、僕等はランランランと言ったものだ。しかし、待てよ、僕が墜落事故に遇《あ》うとすると都鳥君も同じ運命を辿《たど》ることになる。それは気の毒だ。彼は僕より二十歳も若い。氏は春秋に富むのである。それに、なにより、彼は、まだ男であり人間であるのだ。末端部分の灼熱感に別の意味で悩むこともあるだろう。小便だけの道具じゃない。
まあ、しかし、この際、都鳥君のことは考えないことにしよう。僕が冷血動物と言われる所以《ゆえん》は、このへんにある。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]―――――¥大 勝 利[#「大 勝 利」はゴシック体]
「せんせえーい」
都鳥君がTDAの搭乗《とうじよう》手続きの列から声を掛けた。僕は鹿児島行の列に並んでいた。だから都鳥君もスバル君も僕から目が離せないと言う。僕、競馬をやりに行くんだ。桜島見物に行くんじゃない。
八月十四日、旧盆である。満席なんてもんじゃない。空港待合室に人があふれていて坐《すわ》るところもない。飛行機なんか怖くはないと言ったが、僕、やっぱり慄《ふる》えているのである。気持悪いものは気持悪い。搭乗受付の、あの柵《さく》みたいなものは三途《さんず》の川のように見えてくる。航空会社の女性たちは、どうして、スチュワーデスも受付嬢も、みんなニコニコしているのだろうか。あの笑顔が怪しい。あれは職業的な笑いだろう。その証拠に、あるスチュワーデスに、フライトが終って家に帰ると頬《ほお》が強張《こわば》っているという話を聞いたことがある。
羽田空港、午前七時五十分発TDA111便D9機は、道中何の話もなく定刻九時三十分に帯広空港に到着した。
僕、実は、飛行機内の便所へ入ってみるつもりにしていた。便秘が続いていて、たえず便意はあるのである。環境が変れば出るんじゃないかと思っていた。ところが、ベルトは締めっぱなし(いつでもそうなのだ。だって、どこにエア・ポケットがあるかわからないじゃないか)、ベルト着用では席を立つこともできない。
すでにして、僕、五十歳を過ぎたら、いつ死んでも仕方がないという考えがある。特に今回は、ここで死んだら得だと思っていた。その、得だと思うルンルン気分と、やっぱり怖いと思う気分が交錯して、なんとも変な気持で空港に降り立つことになった。
諸君! 内地から飛行機でもって北海道に行くときに、どういう瞬間がもっとも楽しいか。僕は、これだ。空港に降りて地面に足をつけた、その瞬間だ。千歳空港しかり、女満別《めまんべつ》空港しかり、帯広空港、またしかり。
北海道の空港は良い。ひろびろしている。どこの空港だって広々していると思うかもしれないが、決してそうではない。松山空港、小松空港なんかはそうじゃない。あれは河川敷みたいなもんだ。北海道は広いうえに周囲の環境が良い。牧場がある。蝦夷《えぞ》松の林がある。空気が澄んでいる。
夏でも冬でもいい。思わず深呼吸する。それに、僕には九死に一生を得たという喜びがある。
空港の待合室に出迎えの家族がいる。なにチャン、なにチャンと口々に叫んでいる。飛びあがる幼児がいる。駈《か》けだす老人夫婦がいる。こりゃあ良いもんだ。
八月十四日、第一回帯広競馬、四日目、快晴、馬場状態、良。入場人員、三千四百八名。
と書いてきて、とても妙な気がしている。朝、羽田を発って、もう、いま、北海道で競馬をやっているということが信じられない出来事に思われてくる。
右廻り、一周千五百七十メートル。向う正面、遥《はる》か後方に日高山脈。国見山。右のほうは然別《しかりべつ》湖であるようだ。
僕は北海道の競馬が好きだ。どう言ったらいいか、何か本格的であるような気がしている。馬産地であるから「俺《お》らの馬」が出走する。すなわちお祭り気分。家族連れが多く、子供も女性も盛んに声援を飛ばす。大人の男たちは言わずもがな。これが競馬だという気がする。実に気持が良い。
こういうところへくると、僕、出目なんか考えない。
着いたばかりだからデータを研究する暇はない。パドックで馬を見る。返し馬を見る。馬だけで馬券を買う。……と言いたいところだが、前述の身的状況があり、寝不足で体が動かない。パドックのほうは都鳥君にまかせる。彼、馬の見方がずいぶんとわかってきた。そのかわり、返し馬は、締切間際《しめきりまぎわ》まで熱心に見た。
僕の成績は次の通り。
出目表[#「出目表」はゴシック体] 的中 的中 的中 的中 的中 的中 的中 的中
配 当[#「配 当」はゴシック体] 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
770 630 790 1300 2690 4090 1250 1330 1420 540 290
D G D C D F C D G F E
B @ B A @ B B A @ D B
R R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
十一レース中八レース的中というのは、僕としては稀《まれ》にみる好成績。特に第五レースの連複二千六百九十円というのが有難《ありがた》かった。最終の二百九十円という馬券は、ふだんなら買わないが、これは余裕のある証拠。百円台の馬券は、いずれも厚目に買ったから、第一日目にしてリッチになった。
こんどは帯広で三日間、岩見沢で一日、あと番外として函館の中央競馬にも寄るつもりにしていたが、出発前、友人たちに函館まで資金がもちますかねと冷やかされていた。僕もそれを心配していたが、第一日目で、その心配は杞憂《きゆう》に過ぎないことになった。
それにしても体調が良ければ、もっとバンバン行けたのにと悔やまれる。
「北海道の競馬はいいねえ」
と都鳥君に言ったが、彼、冴《さ》えない顔付きをしている。
「函館なら武富士もアコムもあるでしょうねえ」
心細いことを言う。
「これがね、競馬ではなかったら、たとえば映画だったら、あるいは音楽会や芝居だったら、途中で帰っちまうね」
それが僕の本音だった。それくらい調子がわるかったが、馬が走れば、すべてを忘れてしまう。
「僕を生かしめているのは競馬だ」
そのことをちょっぴり淋《さび》しく思うこともあるが、これは動かせない事実である。日本の最高の競馬場である府中競馬場の近くに家がある(僕は中山へは行かない)ことが大きな要因であるが、来年のダービーに何が勝つかと考えると、うっかり死ねないぞという気になってしまうのが嘘《うそ》いつわりのないところである。
僕は、ゴルフだのテニスだのというスポーツをやっていない。競馬場へ行けば、必然的に動きまわることになる。それに、いま言ったように「馬が走れば、すべてを忘れる」ということがストレスの解消になる。
女房《にようぼう》は心臓神経症であって、運動はおろか、ほとんど歩くことをしない。その女房を無理にでも競馬場へ引っ張ってゆく。競馬は何も知らなくても出来るのだ。女房は八月十八日生まれでGの馬を買う。変な名前(タイテエムなんてのは変な名前だそうだ)の馬の複勝式馬券を買う。それでもいいのだ。不眠症である女房が競馬へ行った日の夜はよく眠る。そういう一得もある。
競馬場にいるとき、ああ、いま、この時間に勉強するなり仕事するなりしていれば、少しは違った小説が書けるのではないかと思うことがある。しかし、人間には、自分を解放してしまう時間も必要なのではないかとも思う。刻苦勉励だけが人生ではない。実際のところ、僕は、どっちがいいのかわからないでいるのである。
北海道での第一日、僕は珍しく大勝した。しかしながら、それでは、気分がさっぱりとして、とても気持がいいかというと、そうでもない。この際、体調が最悪であることは考えないことにしておく。
僕の友人の競馬好きのA君は、競馬で大勝すると、気分が不安定になると言う。
「こんなことで金を儲《もう》けていいのか。これはいけないことなのではないか」
そんなふうに考える。ちっとも嬉《うれ》しくならない。反対に、大敗して、いわゆるオケラ街道を歩いているときは気分が落ちついてくるという。
「ザマをみろ。こんなことで金を儲けてはいけないのだ。これが当然なんだ。さあ、明日から地道に働こう」
めったに儲かることはないのだから、負けることを翌日からの労働意欲の原動力にするという趣きがある。
この、儲けてもちっとも嬉しくないという気持はとてもよく理解できる。理窟《りくつ》ではなくて、自分で体験していることだからだ。
しかしながら、僕は、競馬で大勝すると、A君と違って、歩いていて足が地につかないような思いをすることもある。オケラ街道を歩いていて、この群衆のうちに、十人に九人は損をしているだろう。残りの一人がトントンというあたりではないか。大勝したのは三十人に一人、いや、五十人に一人ぐらいではないか。俺《おれ》は、その五十人のうちの一人なんだ。俺にも、まだ、いくらか運というやつが残っている。
また、負けて帰るときは、クヨクヨしたり反省したり煩悶《はんもん》したりもするのである。そこがA君とは違う。つまりは冷血動物である。
さらにまた、こうも思う。人間には金を失うときに、一種の爽快感《そうかいかん》があるのではないか。女性が、夏物のハンドバッグを二種類も三種類も無駄《むだ》に買ってしまうのも、これと同じなのではないか。
そうでないと、競馬にかぎらず、ギャンブルで破滅する人間の心理がわからなくなることになる。つまり鉄火の手ばなれというやつ。あの一種の爽快感に引きずりこまれて破滅するのではないか。僕は特殊な環境に育って、若い頃、ヤクザ者と博奕《ばくち》をする機会が多く、またその場に同席して観察することも何度かあった。
僕は彼等と博奕をして負ける気がしなかった。特に麻雀《マージヤン》なら連戦連勝といってよかった。なぜなら、当時(終戦から昭和二十四年ごろまで)、ヤクザ者は頭が悪いはずだと思っていた。頭が良ければ、こんな職業を選ぶはずがない。こんな奴等《やつら》に負けるわけがない。そう思っていた。引きあいにだしては申しわけないが、将棋の谷川浩司名人も高橋道雄五段も、いま、自分は負けるわけがないと思って将棋を指しているだろう。それが勢いというものだ。それは強いということと同じだ。
そうして、重大なことは、ヤクザ者は、負けることに馴《な》れてしまうのである。この場合、ヤクザ者というのは必ずしも暴力団の組員を意味しない。精神的ヤクザのことだ。一般大衆は意味なく五万円とか十万円の金を失うことに恐怖感を抱くだろう。ヤクザ者は平気になってしまっている。だから彼等は負けるのである。身を滅すのである。
ところが、いまのヤクザは頭が良くなっているという。不景気で、頭が良くなくてはやっていかれなくなったのだそうだ。だから、もう、僕は、彼等を相手にしない。
話がそれたが、僕は博奕に対しては免疫《めんえき》がある。破滅することはない。そのことについては絶対の自信がある。それに自分の分相応でない金を賭《か》けるのは頭の悪い奴等のすることだとも思っている。
そういうわけで、その日、僕は、嬉しいんだか悲しいんだかわからないような変な気持で、宿舎である帯広グランドホテルに引きあげてきた。
都鳥君は、エルパソというレストランに出かけていった。この店の南瓜《かぼちや》のポタージュは有名なのだそうだ。ソーセージも美味《うま》いそうだ。僕にはその元気がない。一人で早く寝た。
「親不孝通りっていうのがあるんだよ。そこで飲んでいらっしゃい」
十五年ほど前、僕は帯広の親不孝通りで何軒も梯子《はしご》して大活躍したものである。
八月十四日。この日も便通なし。
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[#地から2字上げ]―――――¥僕の終戦記念日[#「僕の終戦記念日」はゴシック体]
腹巻をするのは何十年ぶりのことだろうか。医者に言われて腹巻を持ってきた。僕の友人で腹巻に凝っている男がいた。彼はラメいりの腹巻をしていた。僕のはそんなのではなく平凡なラクダ色である。チャックがついていて金が入るようになっている。腹巻にステテコ、ランニングシャツ。そのうえに寝間着を着て寝た。みじめったらしいったらない。折からの甲子園高校野球大会。スポーツ・ニュースはこればかり。
「何もいらないから、君たちの頑丈《がんじよう》な胃腸をわけてくれないか」
そんなことばかり思う。
酒・煙草・コーヒー・女・競馬。このうちの四つを捨てて一つを採れと言われたら、僕は躊躇《ちゆうちよ》することなく競馬を採る。食事はパンと牛乳でいい。せめてパンと牛乳と競馬を残りの人生に恵んでくれないか。しきりにそんなことばかり思う。
八月十五日。曇。非常に暑いが、さすがに北海道、風は涼しい。
僕等は委員長席から観戦していた。有難かったのは委員長席の近くに便所があったこと。猛烈な便意。しかし、出ないのである。
帯広競馬の良いところは、ゲートインがスムーズに行われること、従ってスタートが早い。
レースが終ると便所へ行く。いくらいきんでも出ない。
先輩の小説家の随筆に、こんなのがあった。二十日間、便秘した。二十一日目に遂に開通するのであるが、ビール瓶《びん》のようなものが出て、カーンという音をたてて便器に直立したという。そんな話を思いだす。
あるとき、銀座の酒場の女性に質問した。
「きみたち、便秘したらどうするの?」
「出そうと思うからいけないのよ。あれはね、手でもって押し込むのよ。そうすると反動で出てくるのよ」
不規則な生活をしている彼女たち、便秘については精《くわ》しいのである。腹を静かに揉《も》めなどとも言う。
僕、いろいろ、やってみた。駄目なんです。
レースが終ると、競馬新聞を持って便所へ駈《か》けてゆく。気持はそうなんだが、実情は、そろそろと這《は》ってゆくというのにちかい。辛《つら》いもんだぜ。
そのうちに、馬が下見所から本馬場へ出てくる。これはアナウンスと音楽でもってわかるのである。音楽は、フォスターの「草競馬」なんかが多い。
「|ラ《ヽ》ッタララッタ|ラ《ヽ》ーラ、|ラ《ヽ》ラー|ラ《ヽ》ラー」
この傍点を打ったところで、音楽にあわせて、りきむのである。肛門《こうもん》なんか、破れてもいいと思う。痛いのなんのって。僕の括約筋は大活躍するのであるが、どうにもならない。
|とば《ヽヽ》口まで来ていて出てくれない。指でもって掻《か》きだす人がいるという。僕、それはできない。その手でもって馬券を買うという気になれない。耳掻きの少し大き目のものなんかあったらいいと思う。
実際、歩けなくなる。そろそろと委員長席に戻《もど》る。何|喰《く》わぬ顔で都鳥君に馬券を買ってきてもらう。
「これが競馬じゃなかったら……」
と都鳥君に言った。
「ホテルへ帰って寝ているところだぜ」
「昨日も、そうおっしゃいました」
これじゃあ、当る馬券も当らなくなる。
僕の二日目の成績は次の如《ごと》し。
的中
円 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
3810 880 2830 360 890 370 960 460 1210 400 690 1770
G F B F G G D D E D G E
@ A @ @ C F C B B B F C
R R R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
惨澹《さんたん》たるものだった。第四レースは一点で買ったのだが、もっとも低配当のを一|鞍《くら》取っただけ。昨日の儲けの半分を吐きだした。
夕刻、ホテルに帰って、裸になっていると、姿の見えなかった都鳥君が戻ってきた。
「これ買ってきました。服《の》んでください」
ムサシノ製薬のアスベンという箱を持っている。アスベンは明日便だろうか。
「これ生薬配合の緩下剤なんだそうです。漢方ですから副作用は無いそうです」
僕、泣いちゃいます。都鳥君は親切者なんだ。僕は下剤というのは嫌いなんだ。何だか損したような気分になる。都鳥君、
「それじゃ浣腸《かんちよう》しましょうか」
なんてことを言う。どうもね、北海道の帯広まで来て都鳥君に浣腸してもらうなんてのも冴えない話だ。そこで、彼、薬局へ行って、主人と相談して、漢方の緩下剤なるものを買ってきてくれたんだ。有難い。涙が出る。
八月十五日、午後九時、それが僕の終戦記念日だった。ついに開通したのである。
はじめ、痛覚だけがあった。いま出ているという感覚は、まったくない。痛いだけだ。括約筋だって弱っているのだ。
僕、中腰になって、おそるおそる下を見た。
「やや!」
ビール瓶《びん》ではなかった。いわば一匹の青大将が塒《とぐろ》を巻いている。ホテルだから洋式便所である。その底に濃い目のグリーンの青大将。そういえば医者に貰《もら》った胃腸薬のなかに一種類、濃緑色の丸薬があった。
「都鳥君、有難う。開通したぜ」
僕は便所から大声で叫んだ。
「おめでとうございます」
僕が高配当の馬券を取ったときと同じ調子で都鳥君が答えた。
実にさっぱりした。
ところが、これで万事解決とはいかないのである。忘れていたわけではないが、ア・コールド・イン・ザ・ノーズ、こいつが猛烈な勢いでやってきた。どうやら鼻風邪のやつ、括約筋に遠慮していたらしい。あるいは、そこまでが潜伏期間だったのか。たちまちティッシュ・ペーパーが無くなってしまう。
台風四号、五号が、あっちへ寄りこっちへ寄りして接近してきている。そのもたらすところのフェーン現象とかで異常に暑いのである。
そうして、依然として胃の鈍痛も去ってはいない。胃腸薬と緩下剤の併用。ただし、
「われにアスベンあり」
という安心感がある。
それに悪いことばかりでもなかった。総イレ歯の調子は快適だった。と言っても消化のわるいものは食べられないのだが。
八月十六日、火曜日。第一回帯広競馬、六日目。雨→霧→晴。馬場状態、重→稍重《ややおも》。入場人員、四千四十六名。
変な天気だった。北海道の道営競馬、旭川が入場人員前年比二十三パーセント減、帯広で十二パーセント減。やっぱり景気は悪いようだ。
この日の入場人員が四千人を越したのは、お盆であったこと。昨夜から雨が降っていたことによるものである。北海道は、いま麦の刈入期《かりいれき》。雨が降ると競馬場は賑《にぎ》わう。
三日目の僕の成績。
的中 的中
円 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
790 280 370 630 1170 4130 620 450 620 1040 330
F D F F G C F F D D F
C A @ F B A E A C C A
R R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
このなかには、とても惜しい馬券もあったが、そんなこと書いたって仕方がない。
北海道の人は声が大きい。さかんな声援が飛ぶ。ノミ屋、コーチ屋がいない。とても気持のいいことだ。
第十一レースで、また、いつもと同じ失敗を繰り返してしまった。中央にいたプロスペラスバナーが出走している。七歳になったが、これは中央では三歳時からの評判馬である。公営に降りてきて未勝利。中央から公営に降りてきた馬は、例外はあるけれど、どういうものか、まず勝てない。特に名の通った馬ほど成績が悪い。それは充分に承知しているし、痛い目にもあっている。ああ、それなのに、
「腐っても鯛《たい》だ」
なんて思ってしまう。どうしたって知っている馬に愛情を感じてしまう。
プロスペラスバナーで勝負に出たのであるが、見所なしの五着。とうとう、初日の大勝したぶんを吐きだしてしまった。帯広では、便通もあったが、金のほうも青大将のようにするすると出ていった。痛い、痛い。だから、競馬で儲けようなんて思っちゃいけないんだ。
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[#地から2字上げ]―――――¥淋《さび》しい盆踊り[#「淋しい盆踊り」はゴシック体]
午後五時四十分、帯広駅発狩勝4号で岩見沢へ向った。
富良野、滝川、砂川、美唄《びばい》。倉本聰さんに会いたかった。山口(倉本さんの愛犬)にも会いたかった。コンちゃんにもチャバにも会いたかった。北時計という喫茶店へも行きたかった。
どの駅でも駅前に櫓《やぐら》が組まれていて、提灯《ちようちん》が揺れている。淋しい。実に淋しい。盆踊りの踊りの輪が輪にならないで、半円で踊っているところがある。
僕、こう思う。帰省ということは、お盆に故郷へ帰るということは、東京者で故郷のない僕にはわからないのであるけれど、本当は、そんなに楽しいことでも嬉しいばかりのことでもないのではあるまいか。
特に今年のように七月の冷夏でもって、豆類(大豆、小豆《あずき》、唐黍《とうきび》)、イモ類の不作の年には、淋しく辛く悲しいことでもあるのではないか。人数が集まらなくて、踊りの輪が輪にならない駅々の盆踊りが僕にそれを教えてくれているように思われた。櫓の灯《ひ》が見えなくなれば、一面の闇《やみ》である。闇が続く。
「海陽亭へ行きたいよう」
「え? 胃|潰瘍《かいよう》ですか」
「小樽《おたる》の海陽亭だよ。里心がついちゃった」
海陽亭へ行くと自分の家に帰ったような気分になるのである。
九時二十一分、岩見沢駅に着いた。ホームにバンエイの銅像が建っている。
はっきり言って、僕は輓曳《ばんえい》競馬が嫌いである。あんなに馬をひっぱたいてひっぱたいて、重いものを曳《ひ》かせて競走させることには反対だ。動物愛護協会のほうではどう考えているのだろうか。ふつうの競馬では、鞭《むち》を持っているが、名騎手と言われる人ほど鞭を使わないものである。見せ鞭と言って、見せるだけの騎手もいる。
僕、スポーツはスピード感を楽しむものだと思っている。だから重量挙げなんてのも好まない。
岩見沢は、ホテル・サンプラザ。ビジネスホテルであって食堂はしまっている。小腹が減っているので町へ出た。実は、ここらで酒を飲んでやれという心づもりもあった。
知らない町で、うまいものを喰わせる店を探すのが上手な人がいる。ほとんど名人と言っていい人もいる。僕は、その反対。実に下手だ。
田吾作という店の前でうろうろしていた。ウインドウに出ているメニューを見ると鍋物《なべもの》の店であるらしい。そこを敬遠して、さらにうろうろして、ソバ屋に入った。
何軒もあるソバ屋のうち、その店を選んだ根拠は、店のなかに、一見水商売ふうの女が、一見|旦那《だんな》ふうの男と差しむかいでソバを喰っているのが見えたからである。昼飯を食べるときにはタクシーの運転手に聞くのがよく、夜食はホステスに聞くといい。
「お酒をください」
「お酒はありません。ビールならありますが」
若夫婦で経営しているようだ。酒のないソバ屋なんて聞いたことがない。一見水商売ふうの、くたびれたような女は、まだソバを喰っていた。センスの悪いホステスもいるものだ。こりゃ駄目《だめ》だ。
僕は、胃の調子から考えて月見ウドン。都鳥君はモリソバ。月見ウドンは別にどうこう言うような味ではなかった。
「モリソバ、どうだった?」
店を出てから都鳥君に訊《き》いた。
「なんだか、ボール紙を細く切って束ねたような味でした」
都鳥君には悪いことをしてしまった。彼、ほとんど夜の町へ出なかった。僕の看病についてきたようなものである。せっかくの最後の北海道競馬だというのに。わびしいなあ、北海道の夜の町は。
八月十七日、第五回岩見沢市営競馬、二日目。馬場状態、重(ということは一般の競馬では良。晴れれば重になる。雨が降れば軽馬場になる。これは砂の湿度によって掲示される)。
輓曳競馬は直線二百メートル。ふたつの坂がある。
輓曳は心臓に悪いという。痔《じ》に悪いと言う人もいる。
ゴール前一メートルで、いくら引っぱたいたって動かなくなる馬がいる。これを買っていると、思わずりきんでしまう。だから痔に悪いのだが、下痢《げり》の人も困ると思う。
輓曳にも逃げ馬と追込み馬がいるのであって、たしかに第一の坂を勢いよく難なく越えてゆく馬がいる。しかし、どういうわけか、第二の坂の前で、また横一線に並ぶ。そこで、馬を一杯に手前にひきつけて、その反動でもって第二の坂を越えるのである。越える馬もいれば、越えられない馬もいる。実に、どうも、もどかしい。便秘の便を押しだすのは、あの要領だったなと、いまにして僕は悟るところがあった。
「私、輓曳、好きです」
と都鳥君が言った。彼、嗜虐《しぎやく》趣味があるらしい。
僕、連複四百五十円というつまらない馬券を一回取っただけ。そもそも熱がない。
第十レース、HBC杯、山鳩賞。ソラチキリン、マサカツが一、二着して、千七十円という良い馬券を都鳥君が取った。ソラチキリンは一番人気で、馬体に勢いがあるように見受けられた。マサカツにはリーディング・ジョッキーの工藤正男が騎乗(輓曳の場合に騎乗と言うのかどうか知らないが)する。この日、工藤はそこまで未勝利で、これは良い狙《ねら》いだった。
最終レースを買うのは時間的に無理で、午後四時五十分岩見沢駅発ライラック12号で札幌《さつぽろ》に向った。帰省客が内地へ戻《もど》るために混んでいて、僕等は札幌駅から、タクシーで小樽へ向った。
「まあ、まあまあ」
海陽亭の千枝子さんと八重子さんが迎えに出てきた。
「冬まで泊っていただいて、秋は落葉|焚《た》き、冬は雪掻《ゆきか》きをやっていただきます」
「そうできるといいんだけれど」
すぐに風呂《ふろ》場へ行った。僕は海陽亭の風呂場が好きだ。小樽で育った石原裕次郎もこの風呂場が好きだったそうだ。裕次郎の父は船会社の重役で、宴会が好きで、ドンチャンという渾名《あだな》がついていたという話を誰《だれ》かに聞いたことがある。
すべては昔の話である。むかし、海陽亭には三十人ばかりの芸妓《げいぎ》が住みこみで働いていた。意外に思われるかもしれないが、昔は小樽が都会で札幌が田舎だった。札幌で水商売をする女性は小樽の海陽亭で働いて訛《なま》りを直してもらったという。
海陽亭は港を見おろす岡の上に建っていて、その下を国道が通っている。昔、ここに泊った井上|靖《やすし》先生は、国道を通る荷馬車の音で目をさまされたそうだ。
八重子さんに元気がない。糖尿の気があって、少し痩《や》せたようだ。八重子さんは、ウイスキイのストレイトを無限に飲む人であるが、姉さんの千枝子さんは、ビールを無限に飲む女性である。社長の宮松重雄さんも来てくれて、ドンチャンとはいかないが、宴会になった。僕も少し酒を飲んだ。
「お部屋に蚊帳《かや》を吊《つ》ってさしあげたいと思って楽しみにしていたんですが、今年は冷夏で蚊がいないんです」
一匹二匹、いないことはないが、弱っていて刺さないそうだ。
「え? 百畳敷の部屋にどうやって蚊帳を吊るんですか」
海陽亭の二階は、百畳と七十畳の二間である。
「まさか。百畳のお部屋じゃありません。いつもの階下《した》のお部屋です」
僕は食通ではないので、料理のことは書けない。野菜のスープが美味《うま》かった。
「烏賊《いか》は函館《はこだて》のほうがおいしいですから、お出ししませんでした」
都鳥君も、ビールを無限に飲む人になっている。千枝子さんと差しつ差されつ。ようやく、いつもの夜の都鳥君になった。
僕は先きに寝ることにした。小樽の夜の町も今回は素通り。
「いや、私も、ここで飲むほうがいいです」
「豆太郎さん、別のお座敷があって、来られなくて残念がっていました」
豆太郎というのは、大正年間の芸妓番付にその名が出ている女性である。冬は、いつでも、コンパクトのような洒落《しやれ》た懐炉《かいろ》を帯の下にはさんでいる。
「じゃあ、先きに寝ます。都鳥君は、お化けの出るほうの部屋に寝かせてください」
「そうしてください。私、お化け、大好きです」
彼、嗜虐性だけでなく被虐症もあるらしい。その晩、国道のトラックがうるさいのに、はじめて熟睡できたのだから妙な話だ。
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[#地から2字上げ]―――――¥函館番外地[#「函館番外地」はゴシック体]
八月十八日。小樽運河のあたりを歩いた。雨になった。僕、依然として、まったく元気がない。
雷《かみなり》しんこという菓子屋で草大福を買った。いつでも北海道の土産は大福であるが、こんどは大量に買った。僕の原作で、高倉健主演の『居酒屋兆治《いざかやちようじ》』という映画が函館で撮影中である。そのスタッフに大福を届けるつもりにしている。
札幌に帰る宮松重雄さんと小樽駅で別れた。午後二時二十八分発、特急北海2号で、倶知安《くつちやん》、長万部《おしやまんべ》を経て、七時ちかくに函館に着いた。
湯ノ川温泉若松旅館。沖に烏賊|釣《つ》り船が横一線にならんでいる。
東宝宣伝部の島谷能成さんが来た。まっ黒に陽焼《ひや》けしている。すなわち、草大福を渡す。
夕食に烏賊ゾーメンが出ない。烏賊は朝食べるものだそうだ。
湯ノ川温泉は海に面している。これを眺望絶佳《ちようぼうぜつか》と言う人もあるが、波の音がうるさい。
雨戸を締めて寝る。暑いのなんのって。北海道の日本旅館には冷房装置がないのである。
八月十九日、金曜日、島谷さんの案内で函館市内見物。ただし『居酒屋兆治』の撮影の行われたところばかり。函館山が一変しているのに驚く。すっかり観光地になっていて、ギャル向けになっている。ただし、これは悪いことではない。函館山によく似合うと言っておこう。
島谷さん、函館の観光案内人になれると言う。それくらい長く滞留している。それで飽き飽きしている。映画って大変なんだ。
午後、函館山の銀花という喫茶店で高倉健に会う。おそろしく突っ張った感じの人だ。両手を腿《もも》の付け根のところに置き、背筋を伸ばしている。ときどき怖い目つきをする。折り目正しいというか行儀がいいというか、いまどき珍しい人だ。
「『八甲田山』をやって『海峡』をやって、『南極物語』をやって、こんどの映画は危険な場面がなくていいです」
「豚のモツ、切れるようになりましたか」
「いや、駄目です。勉強していなくて」
兆治はモツ焼キ屋である。
「それでいいんですよ。兆治は不器用で林檎《りんご》の皮もむけないってことになっているんですから」
そんな話。ほかに降旗康男監督、田中壽一プロデューサー。
タノキンのように、若い女性がわあっと集まってサインしてくれと頼まれるようなのは、本当のスターじゃないんだそうだ。とても怖くて近寄れないっていうのが本物のスターなんだそうだ。高倉健は現存する唯《ただ》一人のスターである。
銀花のアーモンド・ティーがうまい。函館山ではアーモンド・ティーが流行《はや》っている。もっとも僕が知らないだけで、東京でもヤングの間に人気があるのかもしれない。喫茶店というのは、コーヒーとミルクとミルクコーヒーとトーストとサンドイッチと茹《ゆ》で卵とシベリヤかガリバルジぐらいあればいいと思っているのだが、昨今はトロピカル・ドリンクやら何やら、わけのわからないものがあるので困る。サンドイッチだってオープンサンドばかり。あれはイレ歯では噛《か》みきれないのだ。
全国から二十三社ばかりの新聞記者が集まって記者会見が行われるはずだったが、高倉さんは一人でそれを引き受けてくれた。おかげで僕は助かった。その記者会見が行われたのも銀花である。
全員がアーモンド・ティー。むろん、ウエイトレスは、まっさきに高倉健のところに運んだ。二十三社の新聞記者のなかに、一人だけ女性記者がいた。高倉さんは、そのアーモンド・ティーを彼女のところへ運んだという。そういう気の使い方をする人だ。とても優しい人だそうだ。
駅で『ダービー・ニュース』を買って旅館へ戻った。そうなのだ。僕等は函館で中央競馬をやろうとしているのである。これは番外|篇《へん》である。公営競馬めぐりなのだから、ちょっとおかしいが、最後は中央のローカル競馬で締めくくろうというのが都鳥君の魂胆なのである。
曇っている。暑い。北海道には梅雨がないというが、これは内地の梅雨とまったく同じ天候。あの長梅雨を逃れてきたと思ったら、北海道で梅雨に遇《あ》う。最悪の夏だ。そこへ海風だからベタベタとする。
夕刻、駅のそばの盛り場で行われる撮影を見に行った。会社員であった居酒屋兆治が上役に苛《いじ》められて荒れ狂う場面である。
ブラジルという喫茶店で待っていると高倉さんが入ってきた。もう、荒れ狂う男の役そのものになっている。凄《すご》い気合だ。怖い、怖い。
なんと、このむし暑い梅雨みたいな陽気のところで冬の場面を撮るのである。
道路に雪。近頃《ちかごろ》は、発泡《はつぽう》スチロールと綿となんとかという粉と、砂糖と、いや砂糖は使わないが……でもって本物そっくりの雪を造ってしまう。そこへトラック一台の氷を撒《ま》く。これが十秒ほどのシーンである。
映画ってものは、実に馬鹿馬鹿《ばかばか》しいものである。おそろしく手間暇《てまひま》がかかる。映画人というのはマゾヒスト集団ではないかと思う。
映画の原作者というのは、撮影所では諸悪の根源と呼ばれている。もしあの男がこの世に生存していなかったら、俺《おれ》たちはこんな苦労をしないですんだのに……。そんな目で見られる。
おびただしい群衆。高倉健があらわれると、女たちは、キャーと叫ぶ。静寂《シー》ッ! 本番です、あぶないからさがってください。そんな制止も聞かばこそ。この整理だけだって大変な仕事だ。
夕食は函館山の麓《ふもと》の冨茂登《ふもと》。撮影現場からタクシーに乗った。
「お客さん、映画関係の人かね」
運転手が言った。
「まあ、そうだ」
「監督さんかね」
「そうだよ」
諸悪の根源だとは言いにくい。
「高倉健、どうかね」
「うん、なかなか良く演《や》っておる」
冨茂登は、小樽海陽亭の千枝子さんに教えられた料亭である。冨茂登の内儀《おかみ》は海陽亭で修行した人であり千枝子さんの学友でもあるそうだ。
これが梅雨みたいな気候でなかったら、どんなによかっただろう。二階座敷の窓をあけはなつ。風がない。むし暑い。むろん冷房装置はない。本来は、さらさらした北海道の風を楽しむという仕掛けの座敷なのである。
烏賊ゾーメン、どっさり。毛蟹《けがに》、どっさり。刺身、どっさり。
若松旅館に戻る。朝昼晩と言いたいが、都鳥君、食前食後、早朝深夜に温泉に入るから、一日に七回か八回は温泉に漬《つか》ることになる。そのたびに歯を磨《みが》く。あれでよく琺瑯質《ほうろうしつ》を傷《いた》めないものだ。僕の自慢は琺瑯質が無いことだ。僕のはプラスチックと瀬戸物で出来ている。
八月二十日、土曜日。雨。むし暑い。
朝食は、なろうことならパンと牛乳にしたいと思っているから、隣のホテルの喫茶室へ行くと、岩川隆さんがおられた。奇遇である。
むかし、毛生え薬の広告に、孤城落月やら総退却やら、いろんな型の禿頭が紹介されているのがあって、そのなかの一人によく似ているが、何型であったか思いだせない。
岩川さんは、高倉健主演『海峡』の原作者である。言わずと知れた競馬ファン。札幌から函館へ転戦してきている。帯広・岩見沢とは格が違う。
岩川さんと僕、中央競馬会発行の雑誌『優駿《ゆうしゆん》』の常連執筆者(岩川さんは連載を持っているが、僕は二年に一度ぐらいしか書かない)ということで、四階の来賓室に入れてくれた。
驚くべし、驚いてばかりいるようだが、本当に驚いたのだ、競馬場の四階席は寒いのである。僕、ステテコに腹巻、ランニングシャツにスポーツシャツ、そのうえに綿の上衣を着てまだ寒いのだ。北海道っていう所、理解に苦しむ。常軌《じようき》を逸している。客に対する情義に欠けている。
第一回函館競馬、五日目。馬場状態、芝|稍重《ややおも》、ダート不良。入場人員、五千六百七十九名。
公営競馬場へ行くと、遠い親戚《しんせき》の家へ行ったような気がする。中央競馬場へ行くと、ごくごく親しい友人の家へ来たような気がする。なんというか、匂《にお》いが違う。勝手知ったる他人の家と言ったらいいか。
十五年ほど前、函館へ来たとき、競馬場の向うに海が見えた。いまだって海が見えるが見え方が違う。こんなに家が建てこんでいなかった。こんなに大きなビルディングはなかった。なんだか、何者かに海を半分取られてしまったような気がする。
僕の成績、次の如し。
買わず 的中 的中 的中 的中 的中 岩川氏的中
円 円 円 円 円 円 円 円 円
650 580 840 600 580 1210 3090 750 7900
A E G G F G G F D
@ @ E C B E E E C
R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9
第二レースに、都鳥君の持馬であるベロナトウショウが出走した。持馬といってもペーパー馬主であるが……。従って、大いに声援したのであるが、ゴール前、ダイドウシェリーにかわされて二着になった。やや腰が甘いというが、馬体良く、このトウショウボーイの仔《こ》は出世するはず。都鳥君、良い馬を買った。
来賓席にいた東京から来た政治家らしい客が、この馬の本当の持主らしく、僕等の声は次第に小さくなった。
「心配するなよ、これ、こんど良馬場なら勝てるぜ」
なんて、あんなこと言わなきゃよかった。
最終の第九レース。岩川さんの七千九百円的中は大ヒット。彼は、よくこういう馬券を取るが、ちゃんと根拠はあるのである。勝ったのは、パッシングジョイという七歳馬で、
「爺《じい》さん、がんばれ」
なんて叫んでいたが、ほんとに逃げきってしまった。七十七戦して三勝。最近の成績は、四、四、五、六着。僕には、とても買えない。岩川さんに聞いた根拠は忘れてしまった。
僕、八レース買って五レース的中だから悪いわけはないが、場外売場で新潟開催のニシノクレスピンに突っこんでしまったので、たいした儲《もう》けにはならない。
夜、町の映画館で『居酒屋兆治』のラッシュ。高倉さん、昨日の荒れ狂うシーンの撮影で手に怪我をしている。凄い気のいれようだ。ラッシュが終ると、全員、大声で、
「お疲れさまぁ!」
と叫ぶ。まったくそうだ。火事場のシーン。山奥の渓流《けいりゆう》のシーン。マゾヒスト集団だから迫力がある。
「町中《まちなか》の撮影では、どいてください、寄らないでくださいって、体を張って呶鳴《どな》っているんですが、いざ映画が封切になると、来てください、こっちへ来てくださいって祈るような気持になるんですから変な商売です」
と、島谷さん。どうか、彼のためにも観《み》てやってください。
八月二十一日、日曜日。
とうとう最後の日がきた。もう一泊したっていいのだけれど、その翌日は向田邦子さんの三回忌。僕は発起人だから帰らないわけにはいかない。
旅館はむし暑い。競馬場は寒い。この事実を信ずるか、きみ。ア・コールド・イン・ザ・ノーズ。洟水《はなみず》たらして暑がったり寒がったり。
また岩川さんの泊っているホテルの喫茶室へ行く。そうなんだ。僕等もホテルにすればよかった。忠告と教訓。旅行するなら、宿舎は駅に近い新しいホテルにかぎるのである。ずいぶん悪口も言ってきたが、建築技術の進歩は驚くべきものがある。だから新しいほうがいい。新興勢力であるプリンス系のホテルの評判がいいのはそのためである。ホテルなら空気調節がある。
岩川さん宿泊のホテルの喫茶室でミルクとトースト(ああ、神様、僕の余生に、せめてミルクとパンと競馬を残してください)を食べていたら、浴衣《ゆかた》がけの団体が入ってきたので驚いた。北海道だなあ。もっとも、札幌の有名ホテルで耕耘機《こううんき》の展示即売会があったとき、廊下で立小便する客がいたという話を聞いたことがある。
第一回函館競馬、六日目。曇。馬場状態、芝、ダート、ともに不良。
僕の成績は以下のようなもの。
的中
買わず 的中 岩川氏 的中 的中 的中
円 円 円 円 円 円 円 円 円 円 円
1770 1060 1000 12500 440 1930 2610 740 2910 5770 6180
A F G D E G F F G E E
@ A C B A D E E D A E
R R R R R R R R R R R
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
第四レースで、岩川さん、またしても万馬券的中。実に不思議な人だ。
第十レースは函館記念である。僕は、この日も中穴を当てていて、一時はリッチだったが、函館記念でインターリニアルに突っこんでしまったので、やっぱり、たいしたことにならない。それに、場外で新潟開催のナックルフォンテン(九着)の単勝勝負に出たのもまずかった。
第十レース、函館記念、芝二千メートル
@[#底本では黒丸白抜き unicode2776]1 ハワイアンイメージ 牡七歳 57 増田
A[#底本では黒丸白抜き unicode2777]2 ドウカンヤシマ 牡四歳 51 大塚
B[#底本では黒丸白抜き unicode2778]3 トウショウゴッド 牡七歳 59 中島啓
C[#底本では黒丸白抜き unicode2779]4 リーゼングロス 牝五歳 54 安田富
5 サニーシプレー 牡六歳 56 東
D[#底本では黒丸白抜き unicode277a]6 エリモローラ 牡五歳 56 猿橋
7 インターリニアル 牡四歳 51 木藤
E[#底本では黒丸白抜き unicode277b]8 オーバーレインボー 牡七歳 61 武田
9 ブ ロ ケ ー ド 牝六歳 56 柴田人
F[#底本では黒丸白抜き unicode277c]10 チヨノカチドキ 牡四歳 48 須崎
11 ロングワーズ 牡七歳 55 秋山
G[#底本では黒丸白抜き unicode277d]12 キョウエイアセント 牡五歳 54 加賀
13 モンテファスト 牡六歳 53 竹原
僕がインターリニアルで勝負だと言ったら、岩川さんが、
「まずいなあ、私もそうなんです。東京を出るときから函館記念はインターリニアルだときめていたんです」
本当にそうなのだ。友人と意見が一致するとロクなことはない。
僕の根拠はこうだ。インターリニアルは皐月《さつき》賞三着であるが、これは、一、二着のミスターシービー、メジロモンスニーから離れた三着であり、紛《まぎ》れの多い中山の不良馬場でのものだから、軽視していた。ダービーは見ていないが、安田記念(七着)のとき、馬体の良さに注目した。あの皐月賞三着はダテではないと思い直すようになった。馬体の良さとキメ手の鋭さ。稽古《けいこ》でハワイアンイメージに二馬身、テイオージャに一・一秒先着したという。この日も馬体は良かった。
そこで、インターリニアルの単複一万円ずつ。展開面からドウカンヤシマのAD、トウショウゴッドのBD、エリモローラは知らないが、同枠《どうわく》だから仕方なくD、ブロケードのDEと、連複各三千円ずつ、いやDは五千円だった。このADのオッズは九千円。Dで五十倍、BDでも三十倍はあったはず。この程度の投資が、僕としては大勝負なのである。
予想通りドウカンヤシマが逃げ、向う正面で早くも掴《つかま》って、先行するブロケードと接触しそうになった。
ところが、めったにないことであるが、このドウカンヤシマが、ここから逃げきってしまうのである。よほど馬の調子が良かったのだろう。
ブロケードが粘って二着。僕は、千六百メートルで一番強いのはブロケードだと思っている。特に重ならば断然だ。競馬の基本は千六百メートルだと思っているが、この馬を距離面で軽視した。ブロケードの引退は実に残念だ。来年の安田記念まで大事に大事に使ってもらいたかった。三着はモンテファスト。この馬も、ずいぶん出世した。四着がトウショウゴッド。これも強い馬だ。
インターリニアルは、はて、何着だったのか。惨敗《ざんぱい》には違いなく、僕は呆然《ぼうぜん》とするばかりだった。
さあ、最終の第十一レース。最後の最後の時がきた。
僕は狂った買い方をした。A、AE、E、Gを五千円ずつというのだから、自分自身、理解に苦しむ。
「たかが競馬じゃないか。遊びじゃないか。そろそろゾロ目が出たっていいじゃないか」
A、Gは万馬券。Eで五十倍、AEで二十倍見当。十号馬(連枠E)のニッポーアドニスで勝てると思っていた。サンシーの仔は好きなのだ。ここまではいいが、同枠のマルヨコーピロンは変な名前だと思っていた。ゾロ目は大好きだが、このへんは女房の影響。それにジョッキーの昆《こん》貢というのも変った名前である。
このレース、ニッポーアドニスが外から鮮やかに差しきった。泥《どろ》んこの不良馬場、二、三着が何だかわからない。
「さあ、帰ろう、おしまいだ」
「これ、Eですね」
「え? Eかい?」
インで真黒になって粘っていたのが昆騎手だった。10、11、2、13、12と電光掲示板が点滅する。
「Eなら、持ってるぜ」
「おめでとうございます」
嬉《うれ》しいような、そうでないような。まあ、競馬なんて、こんなもんだ。帯広で儲けた三十万円が戻ってきただけのことだ。前に書いたことがあるが、僕が大勝と言うのは、その時代の背広一着分の値段であって、人によって違うのだが、僕にとっては、三十万円の背広は上等だ。
長い長い旅が終った。函館を加えて二十八箇場。六百レースを戦ったとして、僕の損害は、ざっとの計算で百万円程度だろう。これは大健闘だと自分では思っている。
競馬場の外の道路にも、鴎《かもめ》が群れ飛んでいる。
「終ったなあ。とうとう終ったなあ」
「…………」
「春の岬《みさき》旅のをはりの鴎どり浮きつつ遠くなりにけるかも。三好達治だったよなあ、たしか。好きだなあ、この歌」
「厭《いや》です」
「嫌《きら》いかね」
「淋《さび》しいです。『草競馬流浪記』が終っちまうなんて。イヤです。イヤです。淋しいです」
磯《いそ》の香が、そこまで強く臭《にお》う。たくさんの鴎鳥。浮きあがり、垂直に沈み、斜めに飛びあがり……。
公営競馬場全踏破なんていう馬鹿げたことをする人は専門家のなかにもいないだろう。いたとしても、ほとんど全レースの馬券を買うなんて愚挙をする人はいないだろう。
二十年ほど前、僕は某誌に『世相講談』という読物を四年半にわたって連載した。
当時、僕は、現代は一種の産業革命が行われていると思っていた。計算器の普及発達によって、どの会社にもいた算盤《そろばん》の名人が立場を失ってしまう。公団住宅やら建売やら自家|風呂《ぶろ》つきの家がどんどん建って銭湯の経営が成りたたなくなってしまった。そんな、駄目になる人、駄目になってゆく商売ばかり追いかけて取材して原稿を書いた。
公営競馬の存続が危《あやぶ》まれるようになったのは、五、六年前からである。自分の好きなものが潰《つぶ》れかかり駄目になろうとしている。
スバル君から、その公営競馬場めぐりの仕事を持ちこまれて、半年考えて引き受けたのは、駄目になろうとするものに惹《ひ》かれるという自分の性情に押し流されてみよう……。そんなふうに思ったからだった。世の中から見捨てられたものに、自分の声を掛けてみよう、接触してみよう。dirty なもののなかに自分も身を沈めてみよう。そんな思いがなかったら、とうてい、こんな馬鹿げた仕事は続けられない。
「春の岬……」
「…………」
「いいかい、都鳥君、春の岬旅のをはりの鴎どり浮きつつ遠くなりにけるかも、だよ。いいじゃないか、この歌」
「厭です。淋しいです」
「…………」
「それに、私は、浮いてはいません。沈んでいます。先生の悪運、いや、ごめんなさい、最後の勝負強さは知っていましたが、こんども、びっくりしました」
「そうじゃないよ。でたらめだよ。マルヨコーピロンなんて変な名前で買ったんだから」
「それは喜んでいるんです。でも、なんだか淋しいんです」
僕、儲かったら嬉しいはずなのに嬉しくない。自分の狙っていたインターリニアル(結果は十一着)で儲けるのでなくては面白《おもしろ》くない。
「じゃ、こうしよう。いいかい。夏《ヽ》の岬旅の終りの都鳥《ヽヽ》沈みつつ遠くなりにけるかも」
「厭です。とても厭です。淋しいです」
そりゃあ、僕だって淋しいさ。
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草競馬流浪記[#「草競馬流浪記」はゴシック体] ● 特別附録
●座 談 会[#「座 談 会」はゴシック体]
たかが競馬、されど競馬
[#地付き]出 席[#「出 席」はゴシック体] スバル 徳 Q
[#地付き] 都 鳥 臥《が》 煙《えん》
[#地付き] パラオ 山口 瞳《ひとみ》
公営競馬はなぜ楽しいか[#「公営競馬はなぜ楽しいか」はゴシック体]
スバル[#「スバル」はゴシック体] しかしよくまあ、回って下さいましたねえ、よくぞ二十七カ所完全踏破を……。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] まるで八甲田山からお還《かえ》りになったみたいだ(笑)。でもわかりますよ、発案者としてのその感慨。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 空前はたしか、絶後もまずたしかと言っていいでしょう。壮挙ですよ、これは。
山 口[#「山 口」はゴシック体] それというのも、楽しかったからねえ。僕《ぼく》も紀行文は何回かやってきましたが、こんなに楽しかったことはないな。本当にワクワクしました。毎回毎回ルンルン気分。どうしてこういう気分になったかね。公営競馬って、どうしてこんなに面白《おもしろ》いのだろうね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] この本の中で、何回もお書きになっているインチメイト(親密)な雰囲気《ふんいき》、それがやはり一番じゃないでしょうか。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 馬がすぐ目の前で見られるってこともいいですよ。公営に行って、馬とはなんてきれいな動物かと初めてわかりました。その中で、いちばん気に入った馬を指名する……。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 今日は銀座の話じゃないんだけどね(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] それとね、配当ということも絡《から》んでくる。
山 口[#「山 口」はゴシック体] あなた、もうそこへ行くの(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 中央競馬の場合は、比較的過去の実績がそのまま結びつくでしょう。ところが公営の場合には、それこそ前走ドン尻《じり》なんていう馬がとんでくる。配当のギャンブル性が相当高くなる、その魅力ですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] クラスが細かく分かれているから、どの馬にも可能性があるということなんだろうね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕がもう一つ魅《ひ》かれるのは、いわゆるひとつの|いかがわしさ《ヽヽヽヽヽヽ》(笑)。今や中央競馬は「皆様の中央競馬」になって、いかがわしさが全く感じられない。客の方もサラリーマン的でおとなしい。それが公営競馬に行ってみると、百円玉を握り締めて、目を血走らせているじいさんもいれば、胴巻《どうまき》に札束のオッサンもいる。真剣勝負の鉄火場の臭《にお》いがあるんです。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] どこもかしこも、ピリッとした空気がありますね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 家庭的な、インチメイトな感じと、非常に厳しい博奕《ばくち》場の感じ、それがコインの裏表みたいにある。これだなあ、公営が僕を招《よ》ぶのは。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 徳Qさんは中央しかなさらないんですか。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] あとにもさきにも、公営は今度の高崎競馬一度だけです。府中と中山しか知りません。
スバル[#「スバル」はゴシック体] キザですねえ、いささか(笑)。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] だから、逆に言うと、早くから中央にないよさを体験したいという気持がありました。先生に誘われた時はいそいそと……。以後はほかの回を読んでも、実際の高崎体験がジワーっとね(笑)。小芝居に通じる楽しさ、なるほどなあと思いますよ。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 文学座の「女の一生」だって、昔の築地小劇場の、三百人ぐらいのお客さんで見るのがいちばん面白いのですよ。女優さんの呼吸している胸の動きが見えますからね。帝国劇場とか日生劇場とかだと、スカスカしてしまう。映画でも白黒スタンダードで見たいと思うでしょう。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 府中では、向う正面へ行った馬は豆粒のようにしか見えない。公営なら、向う正面だって双眼鏡なしで見られます。たしかに中央に較《くら》べて、肌理《きめ》の細かいところがあります、公営には。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 見習中の僕にとっては、馬が僕にもいくらか見えたということですね。中央競馬だと、みんなよく見えます。公営では、いい悪いがわりあいはっきりしているでしょう。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] だからまずパドックへ行く、パドックが終るとすぐ返し馬を見る、返し馬を見て馬券を買う。競馬新聞との……。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 三位《さんみ》一体馬券攻略。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] それが中央では、なかなかできないですよね。競馬場が広すぎて……。返し馬を見るか、パドックを見るか、そのどちらかです。あとは成績で買うケースが圧倒的でしょう。競馬の本道、公営にありですよ。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 何もかも手の内にある、手の届く所にあるというのは、ふだんでも気持が落着きますからね。第一、馬そのものに親近感を覚えますよ。中央みたいにピカピカ、ツヤツヤばかりじゃない。モソモソ、ヨタヨタ、たくさんいるでしょう。明日は田圃《たんぼ》を鋤《す》き返していたり、荷車を曳《ひ》いていたりしていても不思議でないような……。それがピカピカを負かしたりする。町内の野球大会を応援するのと、ほとんど同じ親しみがわくのですよ。
山 口[#「山 口」はゴシック体] だけど、実際言うと、僕にとって楽しさのかなり大きな要因は、お金でしたね。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 競馬に限らず、ギャンブルの楽しみは金|儲《もう》けにつきるんじゃないでしょうか。それを、あれこれと恰好《かつこう》をつける、競馬はロマンだとか……。僕は、そういうのは嫌《きら》いですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] ところが、あなたとは少しばかり趣きが……(笑)。今度の流浪記では、毎回女房から十万円もらって出かけたのです。特に北海道あたりまで行く時は二十万円くれる。旅に出ると、これを全部使ってもいいのだと思えて実に気が楽なんですね。府中だと、すぐこれは明日のおかずに直結する金だ、なんて。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 生活の影がつきまとう。パラオ氏にはそれがない(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] しかし、二十万円も持っていると、悪い面もありましてね、守りの姿勢になってしまう。これをこのまま持って帰れば、二十万円のプラスなんだな、とかね(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] さっきスバル君が言ったいかがわしさと関連する話ですが、草競馬に手を出し始めた頃《ころ》、大分むかしです、浦和に行ったのですよ。僕は競馬場に行くときには、スリーピースでぴしっと(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] お決めになりますねえ(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] なにしろ英国紳士は、競馬場へは山高帽にステッキ持参といいますから(笑)。出走五分前かな、ベルが鳴って、あわてて穴場に一万円札二、三枚持って行ったのです。すると横から若いのが二人、社長、何買うのですか、ってこうくるわけです。これとこれ買うつもりだと答えたら、いや、そんなの来ませんよ、絶対これとこれ、ってそう言うんです。
スバル[#「スバル」はゴシック体] におうなあ、早くも(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] ところが、彼らの軸馬は、前走、前々走といずれもよくないのです。こんなの来るわけないじゃないかと振り払ったのですが、無理やりそっちの穴場に引張っていくのです。僕がちょっと憤慨しているところへ、つかつかと恰幅《かつぷく》のいい紳士が来ましてね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] ヤバイなあ、知らないよ、ボク(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] そして、うちの若い者が失礼しました、実は私はこういうものです、と馬主証を差出すのです。本当かなとは思ったのですが、今度はその馬主≠ェぜひウチの馬をと強引に勧《すす》めるものだから、だまされたつもりで二点買ったのです。ところがなんと、その二点のうちの一点で決まったのですよ。千いくらつけたのです。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 公営競馬にはスリーピースを着用すべし(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] その通り! うれしくなって払戻《はらいもど》しの窓口へ飛んで行った。そうしたら、お客さん、うちの若い者にも分けてくれって、そこに待ち受けていた馬主≠ェいうんですよ。馬券を何枚か進呈しましたけれどね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] いろいろご苦労なさっているのですねえ(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] その次にまた浦和であったときも、味をしめて行ったわけです(笑)。件《くだん》の若い衆がいち早く飛んできました。そして今日は何レースまで待ってくれと、わざわざ指定席に案内してくれましてね、待っているうちねらいのレースが来ましたよ。やっぱり同じことがありまして……。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] それでまたまた財をなされた(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] それから一月《ひとつき》か二月《ふたつき》後です。「浦和競馬、八百長で取締り」と大きく新聞に出たのは。恐しいというか貴重というか、中央では一度もない体験でした。
山 口[#「山 口」はゴシック体] コーチ屋っていうやつだな。千円台の配当とは、相当買わせていると見ていいね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 先生を各地の競馬場へご案内するにあたって、最大の懸念《けねん》がそれでしたよ。なにしろ全国に顔を知られていらっしゃる。彼らとかかわりあいになった日には、何が起るかわからない。当初はかなり緊張してお伴をしていました。われ大山口の盾とならん(笑)。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 聞いていますよ、可愛い女房と水盃《みずさかずき》を交したりとか(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] でも少くとも僕が回った中では、悪質なトラブルはほとんどなかった。都鳥氏が引き継いでくれてからも……。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] なかったですね。ヤーさんも何となく人なつっこかった、高知なんかでも。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 彼らも人を見るんじゃないか、金を持っているかどうか(笑)。
馬券戦術も馬歴から[#「馬券戦術も馬歴から」はゴシック体]
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕の競馬は大学時代からなんです。友達に連れていかれた最初のレースが障害レース。わりに人気のあった馬の単勝を買ったのです。それがなんと落馬したのですよ、最初から落馬なんです(笑)。競馬のいいかげんさをまず学んだのです。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 馬券戦術のもとはやはり新聞かな。毎晩宿で、遅くまで勉強していたろう。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 競馬新聞の検討はやはり第一のポイントですが、その後実際に馬を見ます。僕はともかく、締切ぎりぎり、ベルが鳴る最後の最後まで馬券は買わない。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 粘っこいのに感心した。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 博奕というのは、自己確信のゲームだと思っています。最後の確信がわき上がってこなければ、買うのをやめればいいのです。それができる域にはまだ達していませんので、迷いながら買って負け続ける(笑)。けれど、大きな馬券を取った時は、これしかないという確信で買っていますね。思い込みです。そこに至るまでの紆余曲折《うよきよくせつ》ははかり知れないのですが……。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 僕は会社に入ってから。先輩に、編集者は競馬ぐらいやらなきゃ駄目《だめ》だと言われ、それじゃ何を買ったらいいのですかと訊《き》いたのです。ダービーで、シンザン、ウメノチカラの@Cが一番人気、これはもう固い競馬でおまえ向きだという。当時の特券、千円はきつかったのですがこれを買った。結果はピシャリ、@Cの三百六十円。当時、一ドル三百六十円だったので、よく覚えています。スバル君とは全く反対で、正統派からスタートしたものですから、今の馬券戦術も自然とそうなっているみたいですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 都鳥君、あなたにはあるよねえ、人に語りたい栄光の日々が(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 僕はこの中でいちばんのシンザン者(笑)、わずかにキャリアは二年です。バーへ競馬新聞を持ち寄って、ああだこうだと言いあっている連中を苦々しく見ていた男なんです。そこへたまたまこの流浪記が始って、スバルさんが担当者であったころ、臥煙さんに誘われましてね。ちょうど関西に出張もあったので、園田を三、四レースおつき合いさせていただいた。それが僕の事始めです。一つぐらい当ったのかな。トータル二、三千円の損でした。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 複勝と単勝と間違えて買ったり、初々《ういうい》しくてかわいかった(笑)。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 馬の番号でね、連複が当ったと飛び上がって喜んで(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] それが運命のいたずらで、スバルさんとバトンリレー。第一回は福山でした。何しろ、取ってあります、万馬券の全記録を(笑)。なぜか当ってしまったのですね。それも二日連続。まさにビギナーズラックです。以来徐々に、先生に手ほどきされて、たたき込まれて、とうとう中央にまでのめり込みました。多分に人道を踏みはずす恐れありとして、先生から破門されそうだというのが今日|只今《ただいま》の現実です(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] あなたはパドック党でしょう。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 馬を見るのが楽しいなと……。馬を見ていると、自分も心躍って走りたくなる気分ですね。だから大変いいことを教えていただきました。人生をもう一度楽しめる(笑)。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 僕は少々変った始りでして、小さい頃おやじに連れていってもらったり、学生時代、友達に誘われたり、そういうことはありましたが、会社に入って間もなく肺結核にかかりました。一年間をサナトリウムで過したのです。
スバル[#「スバル」はゴシック体] へえ、そうですか、知らなかった。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] するとそこにも、ノミ屋がいるんです。短波放送をつけて、土曜、日曜とほぼ毎週、一レースから最終レースまで一枚五十円で売ってくれる。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 五十円って何?
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 馬券は当時は二百円でしたね、それを五十円単位で売ってくれるのです。そのかわり配当も四分の一。
山 口[#「山 口」はゴシック体] おもしろいね。初めて聞いたな、そういう話。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] これなら、そんなにお金がなくてもいっぱい買えます。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 心やさしいノミ屋だねえ(笑)。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] それで馬の名前を覚えまして、治ったらすぐ競馬場へ行こうと(笑)。日曜日の朝、療養所を出たその足で、菊花賞の場外馬券を買いました。たしかナスノコトブキ、スピードシンボリの菊花賞だったと思います。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 以後、中央の達人と呼ばれるまでの道へ踏み出した(笑)。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] あのころは戦国ダービーが連続していました。中穴みたいな荒れ目が多くて。事始めの頃に、再々固まらないレースにぶち当ったのと、僕自身にひねくれ根性があるのかとで、今も何らかの波乱を期待する買い方です。あまり固いのはちょっとずらす。かといって大穴を買うほどの勇気はない。これが来ればまあまあいい当りになるな、これを当てたらおれの眼力は鋭いぞ、というような買い方ですね。決して儲かりません。だけど、お遊びだから行けば楽しいし、文句はない。お金が戻ってきたら、ボロもうけした気になって呑《の》み屋へ行く。
スバル[#「スバル」はゴシック体] さすが達人ですねえ、美しい話だ(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 本命サイドで買うのと穴で買うのと、どちらが勇気が要《い》るかは難しい問題です。本命サイドで買う方が攻撃的というか、勇気の要る買い方だというのが大体通説になっていますが……。穴を買うのはむしろ気が楽。受け身なんですよ、実はね。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 馬券戦術も、ある程度長くやっていると遍歴がありますね。会社に入りたての頃は給料も安い、どうしても穴をねらってスッテンテンのオケラ街道を歩いてくる。僕も今は波乱含みの戦術ですが、いっときパラオ流のまねをしてかなり固目を続けて買い、それがよく当ったこともあるのです。そのうちまた当らなくなって元へ戻った。
山 口[#「山 口」はゴシック体] それは当然ですよ。その年、そのレースによって、戦術はどうしても変ります。
スバル[#「スバル」はゴシック体] その遍歴のそこここで、どれだけ苦汁を嘗《な》めさせられたか(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕は競馬に定跡なしと言うんですが。荒れる日もあり固い日もありで、固い日が続くと穴党の信念がぐらついてくる。常に迷ってるな。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 僕にはそれが面白いのです。わかってしまったこととか決まってしまったことは嫌いなんです。もうひとつわからない、何かの期待がそこにある、それが好きなんですよ、すごく。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕のいちばん悪いのはね、必ず全レース買うことです(笑)。パラオ君のように、ねらった馬のねらったレースを買わないといけないのだけれど、百円でも買っていないと面白くない。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 僕はこれまで、第一レースから最終レースまで、全レース買うなんてことはやったことがないわけですよ。府中へ初めて先生のお伴をした時は必死の覚悟(笑)。狙《ねら》ったレース以外馬券を買わなければいいんですが、やはり、競馬場に行くと買いたくなりますんでね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕もそうですね、大体馬場に行けば全部買います。一つの美学として全レース買うというのは、山口先生の薫陶《くんとう》(笑)の賜物《たまもの》です。
山 口[#「山 口」はゴシック体] せっかく馬が走ってくれているのに、買わないのは失礼だという気がするんだ。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 僕の場合も同様に、ご薫陶の賜物で(笑)。しかしこれを体験すると、何か違う競馬という感じがしますね。朝から晩まで全レース買って、一日競馬でたっぷり楽しむというのは、寝ぼけ眼《まなこ》で午後から行って、オケラ街道帰ってくるのと、同じ負けでも充実感が違う。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] どうせ玉砕するならね。しかし疲れる、これが正直、私のホンネ(笑)。
競馬の十得[#「競馬の十得」はゴシック体]
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕の場合は座業ですから、何か体を動かさなきゃいけないの。競馬場だと駆け出しますからね(笑)。階段の上り下りもありますし。競馬の十得、その第一はこれですが、飲む、打つ、買うの三道楽が男の本能だとするならば、もともと買うには縁がない、お酒もやめた、将棋もやめたという僕が、競馬もやめたらどうなるか(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 十得、ですね。……。二千メートルを争うレースがハナの差で決まる、よくありますね。とすれば、その差は一センチか二センチでしょう。それを神ならぬ人間があてる。これは不可能に近いんです。ところが「これで絶対だ!」という評論家がいる。そのくせ外れても責任をとらない。つまり、世の中一般でも、「絶対正しい」なんて言う人間は信用出来ない。それを競馬が教えてくれます。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] そうでもないんだがねえ(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] それから、先生がおっしゃった中で、僕がいちばん感動しているのは、競馬があれば死ななくてすむ。来年のダービーは何が来るか、来年のダービーを見たいというので生きていられる。これにまさる得はないと思う。
山 口[#「山 口」はゴシック体] そうだよ。誰《だれ》にでもありますよ。ふっと死にたくなる時が……。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 結局損してはいるのだけれど、時たまお小遣いがゴボッと入る。サラリーマンにとって、入るお金は決まっている。そこへ、臨時ボーナスが入ったときのうれしさね。ふだんは買えないものをぱっと買うとか、それが一つありますね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] その前に、当った瞬間の快感があるでしょう。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] ありますねえ、何とも言えないですねえ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] ちょっとキザですが、フランスの社会学者カイヨワは『遊びと人間』のなかで、数ある遊びを分類すると、競争、偶然、模擬、眩暈《めまい》という四つの原理のどれかにあてはまるといっている。博奕の醍醐味《だいごみ》は四つめの目まいだというんですね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] ほんと、一瞬の目まいですよ、あれは。
山 口[#「山 口」はゴシック体] しかし競馬にだって競う楽しみはあるよ。専門家相手に勝負している、そんな感じがあるでしょう。日夜、研究に研究を重ねて、馬を商売にしている彼らが無印。それを取った時は、専門家を負かした勝利感がありますよ。それと、僕が穴党に傾くのは、本命サイドで大量に買い込む金持連中の金を、こっちに奪い取るという……。
スバル[#「スバル」はゴシック体] あれは、何物にもまさるエクスタシーじゃないですか。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 最近、そのエクスタシーを覚えまして(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] それを思うと、「買う」なんて方は目じゃないな。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 年齢的なことですが、僕には|ぼけ《ヽヽ》ないですむのじゃないかと、そういう期待もあるのだね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 大変な神経の集中を要求されますから……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] それから記憶力。過去のデータや走りっぷりも、何とかして思い出そうとするでしょう。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 昔は老人がリタイアすると、ストレスのない野山に行って、のんびりそこの一軒家で暮らす、それがいいとされていました。ところが、行った途端に皆ぼける。ニューヨークのビレッジへ老人たちが帰っている、パリのカルチエラタンにも帰っている、いま世界中で起っている現象ですね。質のいいストレス、根アカのストレスは、人間の精神生活には絶対必要で、それがないとどんどんぼけていってしまう。これは大脳生理学からも言えるんです。
山 口[#「山 口」はゴシック体] さすがは僕の主治医だ(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 競馬もストレスであることは間違いないですよ。負け続けるのはよくないけれど、誰でもたまには取るでしょう。プラスのベクトルを持ったストレスです。だから決してぼけません。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 馬の走る姿を見ていると、爽快感《そうかいかん》を覚えるでしょう。日々|鬱々《うつうつ》として晴れないとき、一日ものすごい勢いで駆けぬける馬を見ていたら、何か次の日から気分がよくなった、そんな経験が何度もあります。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕は若い頃、盛んに麻雀《マージヤン》をやったのですが、賭《か》け事に人間関係が絡《から》んでくると厭《いや》なことになるのですね。勝負事は、弱い石を攻めろというのが鉄則でして、麻雀だって商売同然にやれば、どうしても下手な一人を集中攻撃してしまう。それがとても厭なのです。いったん麻雀を離れれば、非常に立派な男であったりするのに。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 僕は将棋もトランプも弱いのですが、弱い立場から言っても厭ですね。負ける口惜《くや》しさよりも、弱みにつけこんでくる相手の態度が厭。この人生、それでは所詮《しよせん》成り立たないでしょうが、あなたはそんな人ではないはずでしたと……(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 同感(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 空気もきわめてよろしくないし。やらない人は、たぶん競馬場って空気が悪いと思っているでしょうね。それは穴場だけのことでして、三階席などは、たいへん澄んでいて気持がいい。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 街の中よりはるかにはるかにいいですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 絶対徹夜にならないし。
スバル[#「スバル」はゴシック体] でも、ナイターはやってほしい(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] やっぱりお金が儲かるという……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] あなた、それしかないのかね。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 損するときももちろんありますが。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 「ときも」っていうのがすごいなあ(笑)。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] いかがわしいということも、十得の一つに数えたいと思うのですよ。文部省の特選映画か、検定教科書のように育ってきた私など(笑)、四十に近い今となってはなおさらです、もう右にも左にも踏み外せないですね。ところが、悪に染まりたい、少くとも悪《わる》ぶりたいというのも、一生続く人間の本能だと思うのです。その本能が、競馬で充《み》たされるのですよ。お芝居でいうカタルシスですね。しかも、それをちゃんとお上がお許しになっている、なんとありがたい御仁政(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 俺《おれ》たちとは生活環境が違うんじゃないか(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕はほとんど感動したのだけれど、競馬で儲かったってちっともうれしくないと、本田靖春さんが言うのです。むしろやられたときに、明日から仕事をしようと思うんだって。そういうリアクション、よくわかる。このリアクションは、意識的に、大いに利用したいですよ。とてもいい言葉だと思ったな。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕は、一時、打ちのめされるために行く、そんな時期がありました。
山 口[#「山 口」はゴシック体] マゾ本能も充たしてくれるねえ。パラオ君の場合は違うけど(笑)。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 打ちのめされる、たしかに十得中の一得です。オケラになって帰るとき、やられたとは思うのですよ。しかし、何かしょげて、うなだれてというのじゃない。|こんちくしょう《ヽヽヽヽヽヽヽ》があるのですね。本田さんまではいかないにしろ、負けてなるか、やってやるぞと、そういう気持になりますね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 勝っても負けても、こんなことではいけないぞと思うんだよね。これかも知れないんだよ、一番いいのは(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 競馬で儲けるでしょう、金が入りますね、これはあぶく銭、一晩で使っちゃえとよく言われるのですが、当って儲けた金というのは、貴重に思えてしようがない、僕の場合は。
スバル[#「スバル」はゴシック体] この際、具体的にお伺《うかが》いいたしますが(笑)、馬券を買いますね、取ります、払戻《はらいもど》しをしてきますね、そのお金、どうなさるのですか。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] やっぱり一部はプールして、先生のゾーリンゲンの剃刀《かみそり》ではないですが、物にかえたりもしますね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] あれれ、つまんないこと聞いちゃったよ。そのまま銀行へ行って、すっと入れちゃうんじゃないのですか(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] いくら堅気《かたぎ》の競馬でも、そこまではしないなあ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 払戻しの窓口から、自動振込みになっているのかと……。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] そういうケースもあるけどね(笑)。どっちみち来ないだろうと思いながら、二千円ばかりぽんと放《ほう》り込む。五千円ついて十万です。二千円が十万になったとなると、ちょっとそれは使えないですよ。だけど、着る物だとか靴《くつ》だとか、そういうものが買えるということは楽しいですね。
俺の人生、駄目になるかなあ[#「俺の人生、駄目になるかなあ」はゴシック体]
山 口[#「山 口」はゴシック体] マイナス面も見とこうか。名古屋の女子大生殺し、すし屋の職人でしたが、彼は土古《どんこ》か中京かでスッテンテンになり、サラ金地獄に落ちて殺人を犯したわけです。そういうことがよくあって、競馬がいいとはなかなか書きづらいのですよ。何となく気がとがめる。もっと謳《うた》い上げたいと、何度も何度も思うのですが、押えざるを得ないところがありまして。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] このままいくと、俺の人生、駄目になるかなあという時が僕にももうあります。ですから先生の戒《いまし》めを聞いて、ここしばらくは中山をやめていたのですが、そろそろ府中に帰ってくるな、なんてこのごろは(笑)。楽しんではいけないのか楽しもうか、いま迷っているところです。中央を始めてからというもの、がまぐちが少しずつ開いてきておりまして。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 目を覚ますのですよ、一日も早く(笑)。悪銭身につかずというのは本当ですね。パラオ君は特殊例だ。僕だって二十万とか三十万、儲けることはあるのですよ。その金がどうしてなくなるのか。多分、粗っぽくなるのですね、次からの買い方が。本当に……、あ、パラオ君の顔が違うと言っている(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] たとえば、午前中のレースでかなりの程度儲けると、逆に午後のレースはしぶくなって、何となくお銭《あし》のありがたさを感じる。そこの呼吸、必ずしもパラオ氏がわからないではない。だけど結局最終レース、パァッとねえ。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 目が覚めていないんだ(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 先生のおっしゃった悲劇の例は、金を借りてやり出すか、やり出さないかが大きな分れめだろうと思うのです。僕の場合は、競馬で破滅した反面教師みたいな人物が身近にいましたから、人に借金してまで博奕はしない。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 払戻しの窓口で、百万円の束で配当を貰《もら》っている奴《やつ》を見ると、ああ、こいつはすぐに破滅するなと思う。馬鹿《ばか》だなと思うね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] まあ、サラリーマンだったら一月《ひとつき》ぐらいはパンと水でもしのげるだろう、それぐらいが限度じゃないですか。そういう意味で僕の負けの目安は月収≠ェ限度です。やさしくおだやかに小遣いの範囲、傷つかないようにというのもまた厭でしてね。そこがほんとにむずかしい。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 競輪・競馬から悪の道へという事件を新聞で読みますと、その犯人がどういう馬券を買ったかを見たくてしようがない。きっと馬鹿な買い方をしているんだよ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 博奕の持っている破滅への誘惑、ある一線を越えるとどうしても破滅せざるを得なくなる……。またしても……、いかんなあ、パラオさんと話していると、その辺、全く断絶だ(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕は子供のときから鉄火場で博奕をやっていましたから、自信があるのですよ。馬鹿馬鹿しさは知っているし、第一、二割五分もの寺銭を取られたら、所詮《しよせん》儲かるわけがない。鉄火場は五分ですからね。それでもみんなやられるのです。回数がふえればふえるほど、損になるのはわかっている。だから大丈夫だと思っているのですが、うっとうしい時もありますね。特に見得《けんとく》で買って取られると、本当に自己|嫌悪《けんお》におちいる(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] さっきの達人、徳Qさんの悟りの境地、チャラで大勝利というところまで至れば問題ないのでしょうが。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 儲ける方法はあるのですよ、あるけれどもやっぱり駄目。将棋の森※[#「奚+隹」、unicode96de]二・八段が、ある時期複勝専門でやっていた。それでざくざく儲かった。ところがそのうち、アカネテンリュウが好きになった。有馬記念だったでしょうか、全財産の二十万円をアカネテンリュウに、当時の二十万といえばかなりでかいんです、それで単勝を買ったのかね、よく覚えていないが、取られてね。結局馬に惚《ほ》れ込んだり、ジョッキーに惚れ込んだりして、足をすくわれるんだね。初めから儲からないものだと思っていた方がいいんですよ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 競馬のマイナス面は、負けた金から破滅への図式、これにとどめをさしますかね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] そういうわけでもないんだけどね。博奕に向いていない人っているのですよ、そういう人がやるとおっかない。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] この中で、いちばん向いているのはどなたでしょう。それはやはりパラオさん。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] さあて、どうだか。自分ではよくわかりませんね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] やはり利殖の方ですか(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 貴重なお金を注《つ》ぎ込むのだから、取りたいという気持がどうしても……。徳Q君みたいな心境には、ちょっとやそっとではならないなあ。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] いや、時間がかかりましたよ、ここまでには。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕は一度、パラオ氏にはっきりと聞いてみたい、競馬、好きですか(笑)。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 大好きです(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 博奕が好きとか嫌《きら》いとかは全く関係なくて、要するに勝つことだけを目指す、それが本当のギャンブラーだと聞いたことがあります。競馬もやらなければ競輪もやらない、カジノしかやらない、それもラスベガスのカジノでバカラしかやらない。そういう人物を知っているものですから、ひょっとしてパラオさんも、その部類に入るのじゃないかと思いまして。ほかの博奕はやらないでしょう。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] やりませんねえ。競輪も競艇もやりません、花札もやりません。麻雀《マージヤン》は遊びでやりますがね。やっぱり馬が走っている姿というのは美しいし、かっこいいし、気持のいいものですよ。そのうえ儲けさせてくれるのだから、いうことないんじゃないですか。
スバル[#「スバル」はゴシック体] ほんとかなあ(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕はね、あまり当ると厭になるのです。俺は博奕をやっているはずなのに、これではビジネスじゃないかって。めったにはないけれどね。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 園田へ同行するまでの都鳥さんは、全くギャンブルには向いていないお人柄《ひとがら》だったのですよ、われわれの受け取り方は。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 文部省の特選人間でした、わたくしも(笑)。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] それが今や、ギャンブルに向いていた人という強烈な印象でしょう。大器晩成というか、競馬によってある人格が発掘されたというか(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 実はお袋のジイさんが壺振《つぼふ》りの方でしてね。鉄火場から戸板で帰ってきたのですよ。むろん冷くなって。それでああはなるまいと、抑制していたとも今ではいえます。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 血だ、血だったんだ。たたりだ(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] でもまあ、都鳥君は大丈夫ですよ。これだけいいお友達がいるのだからね。一番こわいのは、疎外《そがい》された人。会社でも仲間のいない人。このタイプがギャンブルをやるとこわいですね。競輪、競馬だと共通の場で話ができるわけだ。日頃は疎外されているでしょう、俺のいいところを見せてやろうと、そういう気持にどうしてもなるわけよ。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] しょっちゅう独り言を言っている人がいますよね、競馬場に来ていてさえも孤独な人が。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 逆にオケラ街道で、話したくってしようのない人もいる。当った時も話したくってしようがない。お酒もふだんおとなしい人に多いでしょう、しゃべりまくったり暴れたり。蔵田正明さんという競馬評論家は、僕のギャンブルと人生の師匠だけれど、会うたびに「競馬は遊びだよ」って言うのですよ。本当にそうだと思うな。平凡な言葉ですが、蔵田さんが言うと重みがあるな。競馬に限らず、あれだけ博奕をやり尽して、セミプロみたいな人が遊びだって、ときどきふっと言うのですよ。ここに御列席の皆さんは、もうその境地にたどりついていらっしゃる感じもするけれど(笑)。
ベスト3・ワースト3[#「ベスト3・ワースト3」はゴシック体]
山 口[#「山 口」はゴシック体] 中央でもそうですが、僕がいちばん厭なのは、かなり負けが続いていて、今度こそはと金曜日の夜、競馬新聞を買いに行く。ところが、どうにも番組の面白《おもしろ》くない日がありますね。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] あります、あります。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 番組がいい、つまり強い馬がたくさん出てくるというのが競馬の一番の楽しみで、そういう意味で、今度の旅では北海道が最高だった。馬産地だけあって、生きのいい新馬が続々と出てくる。
スバル[#「スバル」はゴシック体] そうだ、公営ベスト3を選んでみましょうか。先生は北海道、なかでも……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 真っ先に旭川を挙げたいね。ロケーションもいいし、食べ物もおいしい。それと気分。北海道で競馬をやると、変に熱くならないの。地元の人たちが、のんびり複勝五百円ぐらい買って、自分で育てた馬を応援している。この風景、実にいいですね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 家族で来ていたりしますしね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] そうそう、お弁当をつくってね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 空気がいい。ずっと遠くまで目が広がる。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 山がある、川がある……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 臥煙君、金沢はどうでした。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 金沢はよかったですねえ。僕は姫路、園田と三カ所しか知りませんが、金沢は比較じゃない、一目|惚《ぼ》れするよさでした。
山 口[#「山 口」はゴシック体] あそこもまず第一に、番組がよかったのですよ。中央の優秀な馬が、何頭も金沢へ降りてゆくのです。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] ピカピカ、ツヤツヤの馬でしたね、どれもこれも。お陰でさっぱり見えなくなって、二万ばかり寄付する破目に……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕のナンバー2は金沢です。あれは小芝居でも、かなりいい芝居小屋だったと言っていい。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕のナンバー1は、改装前の川崎ですね。何とも言いようがないのだけれど、要するに博奕のいかがわしさが健在です。特に感動的なのは場立ちの予想屋。全く言い訳の許されない連中が、ずらっと並んでいる。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 工場街のド真ン[#「小さな「ン」]中にあってね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] そうなんだ。立地条件も含めて、人間のにおいがムンムンしている。汗水流して働いている人たちのすぐ隣で、社会からはくずと言われている人たちが真っ昼間から博奕に血眼《ちまなこ》。僕はインドが好きなのですが、なぜかと言えば生身の人間のにおいがするからです。川崎競馬は公営競馬界のインドである(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] レースそのものもいいんだよ。迫力がある。
スバル[#「スバル」はゴシック体] そうですね。いかがわしさだけなら、浦和も同じなんです。しかし浦和となるとワースト1。いかがわしければいいというものではないのでね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] ワーストをいうなら、絶対的にまず三条。いいも悪いも、一日三回、同じ場所で落馬する。競馬とは甚《はなは》だ危険なスポーツだということが、主催者にわかっていないんだ。そんな危険な競馬場は、やる意味がない。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 次は先生、中津でしょう。とにかく馬が悪すぎました。みんなシューンとしたのばっかり。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 全然面白くなかったね。それに、マスコミが相手にしないのか、報道の部屋のない競馬場って、不気味だよ。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] あと東北が……。こう言ってはナンですが、馬産地であるわりに盛岡、いただけなかったですね。官僚的で。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 東北は不思議ですね、水沢なども設備は上の部類なのに……。まあ馬券が取れた取れなかったで印象がちがうのかも知れませんが、何だか妙なにおいがありますよ。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 東北でも、上山はわりあい好きなんだ。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 名古屋の土古はいかがですか。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 似た感じがするね、東北と。体質的に官僚的というか……。益田なんか案外好きなんですよ。いちばん駄目《だめ》な競馬場と言われているが、インチメイトですね、実にあそこは。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] パラパラッと、人がようやく集まってくるという感じで。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕は主に前半戦しかお伴をしていませんから、その範囲でしか言えないのですが、ベスト3は川崎、旭川、それに、本当にインチメイトな小芝居という意味で紀三井寺。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 笠松《かさまつ》よりも?
スバル[#「スバル」はゴシック体] ええ、笠松もいいですが。ワースト3は浦和、船橋、土古。土古がなぜ悪いかというと、タモリじゃないけど名古屋だから悪い(笑)。あの時ぐらい名古屋を憎んだことはない。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 高知も、どちらかというとワーストですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] どちらかどころではなくワーストですよ。僕がかりに高知市内に住んでいたとしたら、ぜったい競馬はやらないよ。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] あれだけやくざがごろごろでは。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 体のためなんて言ってられない(笑)。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] すると、先生のワースト3は、三条、中津、高知ですか。
山 口[#「山 口」はゴシック体] おっかなくって、とても勝負に出られない、という意味では高知がワースト1だな。勝負に出ると言ったって、僕は一レースに三万ぐらいですよ。それでも高知は、その三万円がもったいないという感じで……。馬主だなとすぐにわかる人が、ノミ屋から買ったりしているのです。何かあるんじゃないかと思ったら、もう馬鹿馬鹿《ばかばか》しくてやってられない。でも高知のヤクザは愛嬌《あいきよう》があった。ヤクザがこわいのは船橋だ。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 遠路はるばる出かけて行って、五百円とか千円とかではつまらないですからね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] どこへ行ったって、一回は勝負馬券を買わないと面白くない。ところがとても買う気になれない、それが高知。
スバル[#「スバル」はゴシック体] ベスト3は、旭川、金沢ときて……。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 川崎。あなたと同じ。ただし僕は番組重視で。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 僕は帯広です。旭川を知らないもので。帯広、金沢、川崎ですね。金沢でも万馬券を……(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 金沢はスタンドからの眺《なが》めもいいし、馬場の整備状態がいい。それに、夜の楽しみがあるでしょう。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] あの時も大いにはしゃぎましたよ、西の廓《くるわ》で。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] 福山はいいんですか。万馬券をいうなら、生涯《しようがい》忘れられないのでは……。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] それがそんなに印象にないの。始めた直後、というより始めたその日の万馬券でしょう。貴重さが全くわかっていない頃だから、まるで実感がないんですよ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 僕も不思議と西では勝っているのですよ。園田も、福山も……。ところが、馬がアラブということもあるのかな、印象としては薄いですね。印象に残った所なら、競馬場全体の見取図だって、今すぐ書けるくらいなのです。それが西にはないのです。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 北関東はどうだろう。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 足利《あしかが》といい、宇都宮といい、馬はそんなに悪くなかったと思いますよ。高崎もまずまずで。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 共に咲く喜びの高崎(笑)。一日目、先生、徳Qさん、都鳥さんに運転手の徳さん、揃《そろ》って三万円の儲けだったでしょう。ああいうことも、競馬をやっててよかったと思うことの一つですね。個人プレーのようでいながら、実は熱い連帯のスポーツ。聞いただけでもうれしくなる。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] 明《あく》る日は共に散ったんだ(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 宇都宮も足利もきれいでしたよ。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 観客席がよかった。新しい。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 水沢も設備はいいし、きれいなこともきれいなんですがねえ。馬もけっこう中央から降りてきているし。
山 口[#「山 口」はゴシック体] そうそう、水沢も中央と関係が深いんだよね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] しかも、十歳をすぎると全部他場に降ろしてしまう。したがって馬の生きはいいんですけれど……。なんではずまなかったのでしょうね、こちらの気持が。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 東北は、女性騎手招待レースをやったり、場外馬券を売ったり、プラン面では優秀なんだけれど、どうもピンとこない。北海道と較《くら》べて冷い感じがする。出かけた時が時期的によくなかったということもあったけれど。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 中央から降りてきた馬がいると、楽しいんだよね。川崎で、カネオオエなんて変な名前の馬が出ていましてね、中央でよく走っていたのです。
山 口[#「山 口」はゴシック体] しかし中央から降りた馬は、概して勝てない。
パラオ[#「パラオ」はゴシック体] 勝てませんね。芝で走りなれているせいで、公営のダートは苦手なんでしょうか。
山 口[#「山 口」はゴシック体] というより、どこかに欠陥があるんだろう。だから降りてくるんだろうし。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] ワースト3、たとえば中津競馬というのは、地元ではどうなんでしょう、愛されているのですか。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 中津は地元でも嫌《きら》われているようだね、あくまで肌《はだ》に受けた感じで言うだけですが。三条の場合は愛されているな。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 今回の場合は、僕ら主催者側といろんな応対があったから、その人たちの態度ひとつで、全体の印象が決まってしまうという面もあったと思う。だけど、主催者側の態度と全体の印象とは、ほぼ正比例していましたね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] それは言えますね。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 主催者がまず馬が好き、笠松などではそれをよく感じたな。客の方も、敏感に感じてギクシャクしない。おのずからの親和力がそこにはあるのですよ。
臥 煙[#「臥 煙」はゴシック体] それが番組面にも出てくる。
スバル[#「スバル」はゴシック体] いろんなところで出てくると思うんだよ、いろんな局面で。
山 口[#「山 口」はゴシック体] オッズを早々と消してしまうとかね。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 前夜版の予想が出ないとかも。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 金沢のよさなど、まさにそこから来ていると思う。馬場状態をよくするために、ずいぶん投資していると言っていたでしょう。競馬新聞もすばらしい。これは弁解になるが、それが原稿の出来不出来につながってくるんだ。金沢とか益田とか北海道とかは、紀行文の作者としては楽しんで書いたから、いくらか自信がある。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] 楽しませてもらって悪口を言うのは気がひけますが、主催者次第で、地元のファンはもっともっと楽しくなる。それに今すぐ気づいてほしい。そういうことですね。
山 口[#「山 口」はゴシック体] そういうことだね。
そこに馬がいるから[#「そこに馬がいるから」はゴシック体]
山 口[#「山 口」はゴシック体] それにしても僕ら、競馬にしか手を出さないというのは、何でしょうね。競輪とか競艇とか、他《ほか》にもたくさんあるというのに。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] そこに馬がいるからです(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] 寺山修司を気取ったな(笑)。
山 口[#「山 口」はゴシック体] いちばん人間くさいから。僕はそう思うのですよ。馬主がいて、調教師がいて、助手がいて、厩務員《きゆうむいん》がいて、ファンがいて、彼らが馬と一体になっている感じがあるでしょう。自転車にはそれがない。自転車工場の整備工が、空気を入れに来たりしないもの(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] ボートだってエンジンの調子がどうのこうのと言いますが、相手が機械である以上、こちらの感情をさしはさむ余地がない。馬の調子が悪いというのは、人間と同じ自然現象。発情したためとか病み上がりとか、輸送疲れとか水が変ったとか。要するに馬の身になって、気をもんだり讃《ほ》めてやったりできるからでしょう。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] コースだってダートか芝。コンクリートやアスファルトではない。自然そのままなのですよ、競馬の世界は。
スバル[#「スバル」はゴシック体] それと、三歳の新馬で初めて見て、こちらが育てているわけではないのだけれど、何となく育てているような感覚がある。
徳 Q[#「徳 Q」はゴシック体] あるよねえ。
スバル[#「スバル」はゴシック体] これは競輪選手にもあてはまるかも知れませんが、ずっと馬の方が鮮明です。しかもその仔《こ》が走り出したりしてね。あるんだよな。
山 口[#「山 口」はゴシック体] スズキ自転車からヤマグチ自転車に乗り換えた、なんて言われてもピンと来ないや(笑)。
スバル[#「スバル」はゴシック体] だから、単純に博奕だけなら、丁半|賭博《とばく》をやりますよ。
山 口[#「山 口」はゴシック体] 僕は動物嫌いだけれど、馬だけは好きなんだ。馬の匂《にお》いも好きだ。犬|猫《ねこ》の匂いは大嫌い(笑)。
都 鳥[#「都 鳥」はゴシック体] つまるところ、馬が走っているからじゃないですか(笑)。
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●結 論[#「結 論」はゴシック体]
競馬必勝十カ条
土曜日、日曜日は競馬場へ行く。ただし、行くのは府中の東京競馬場だけである。中山へは行かない。府中は家から近い。僕《ぼく》は運動と気晴らしのために行くのだから往復で疲れてしまっては、まるで意味がない。僕は、どのレースも馬券を買う。子供のとき、紙芝居でタダ見をして叱《しか》られた後遺症であるかもしれない。いや、単に助平だからだろう。仕事で全国の公営競馬場めぐりをしたときは、三日開催なら三日間、ほとんど毎レースの馬券を買った。だから、馬券の枚数だけで言うならば、僕のような男は全国でも珍しい存在であるだろう。金額の話ではない。僕は、たくさんは買わない。それは、ギャンブルの怖さを身に染《し》みて知っているからである。儲《もう》ければいいというものではない。むしろ、儲けた味が忘れられないで一生を棒に振るということのほうが多いのである。むかし、ある調教師が言った。「競馬で儲かるんなら俺《おれ》たち蔵が建っているよ」。その通り。昭和五十年前後の競馬ブームで儲けたのは競馬評論家だけである。彼等も馬券では儲けていない。勝《すぐ》れた競馬評論家は言う。「こんなもの遊びだよ。熱くなるのは馬鹿《ばか》だ」。その通り。……僕は、場数だけで言うなら、競馬必勝法を書く資格があると思っている。セコイほうの男であるから夢だロマンだなどとは言わない。もっぱら腹の足しになることだけを書いてみる。
@馬券を買わない[#「@馬券を買わない」はゴシック体]
必勝法はこれに尽きるのである。馬券を買わない競馬ファンは意外に大勢いるのである。しかも偉い人が多い。庭造りに凝っていた人が、最後には松だの梅だのを取り払って庭を雑木林にしてしまうようなものだ。書画|骨董《こつとう》に凝っていた人が、すべてを売り払って、拾ってきた石と睨《にら》めっこするようになるのと同じだ。しかし、俗人は、なかなかこういう境地に達することができない。僕だってそうだ。……しかし、馬券の数を減らすのは不可能なことではない。こういう経験がないだろうか。締切間際《しめきりまぎわ》に、ヒラメイタ! と叫んで穴場へ駈《か》けてゆく。そうやって買い足した馬券が当るのは、僕の経験では、百回のうち二回か三回であるにすぎない。前夜の研究やパドックで馬の感じを掴《つか》んで買った馬券に、冷静を失ってヒラメキだけで買い足すのはやめたほうがいい。狙《ねら》っていた馬が出てくる。人気薄である。ところが、当日は出張で競馬場へ行かれない。友人に電話を掛けたら、彼も都合が悪いと言う。泣く泣く列車に乗って、翌朝、出張先で新聞を見たら、その馬が惨敗《ざんぱい》している。ああ買わないで良かったといったようなことが何度かあるはずである(むろん逆のケースもある)。つまり、買わないのが正解であり、唯一《ゆいいつ》の必勝法である。すべてのギャンブルは、忍耐が大事であることを教えてくれる。
A思いきって買う[#「A思いきって買う」はゴシック体]
狙っている馬を思いきって買う。自分で考えて、この馬で勝てると思う。どの新聞の予想も無印か△程度。千載一遇のチャンスである。こういうことは一年のうち六回か七回ぐらいだろう。月収三十万円の競馬ファンなら、一点で一万円を投じても誰《だれ》も咎《とが》めない。いくらかの博才《ばくさい》のある男なら、一回や二回は的中するものだ。第一、そういうことがないならば、競馬にかぎらずギャンブルをやる資格がない。思いきって勝負することだ。そういう馬券が外れても悔いはないはずだ。
B強い馬が勝つ[#「B強い馬が勝つ」はゴシック体]
競馬は強い馬が勝つのである。秋の天皇賞で、ホウヨウボーイ、モンテプリンスが一、二着して、連複二千六百円だかの好配当になったことがあった。両馬とも、年度を代表する名馬である。こういう珍現象は情報過多によるものであって、情報にまどわされず強い馬を自分で探すのが本道である。
C儲けるならば本命党[#「C儲けるならば本命党」はゴシック体]
よく配当五百円以下の馬券を買わないなんて言う人がいる。配当が二百円であっても、自分の思っていたようなレース展開で馬券を的中させる快美感は得がたいものだ。馬券で生活している馬券師は本命党であり、大レースの人気馬の複勝式しか買わない。本命馬を買うのは勇気がいる。競馬通は、本命党は攻め馬券、穴党は逃げ馬券と言う。僕は、初心者には、一番人気から薄目へ三点という買い方を奨《すす》めている。僕は本命党ではなく穴党でもなく自在型だと思っているが、どちらかと言えば穴党に近い。資金が乏《とぼ》しいし、競馬に大金を投ずる気持はないから、どうしてもそうなってしまう。
D逃げ馬買うべし[#「D逃げ馬買うべし」はゴシック体]
先行していればアクシデントにあうことが極めて少い。足を余して負けるということもない。特に公営ではそうだ。しかも、逃げ馬は人気薄のときのほうが勝つ率が多く馬券的にも妙味がある。府中で、ザオーリュウジン、ニシキエースが一、二着して三万いくらの超大穴になったことがあるが、これは先行馬同士できまったのである。逃げて大バテせず、負けても四着、五着といった馬に人気がなくなったら買い時である。最近でも、スズナルト、トウフクキャノン、プリンスセイコーといった末の甘くない馬が逃げて勝って、単勝式二十倍以上の穴になっている。また、逃げ馬が脚質をかえて追込むときも穴になる。ミホバロン、ドウカンヤシマ、シュウザンキングなどがそうだ。僕は、しかし、四コーナーで二、三番手、直線で抜けだすのが横綱相撲だと思っている。従って芝で最強のミスターシービー、ダートで最強のロバリアアモンには、どうも全幅の信頼が置きかねるのである。
E競馬は単勝式[#「E競馬は単勝式」はゴシック体]
連複全盛時代で、七点も八点も目を拾う評論家がいる。かりに八点を千円ずつ買って、そのうちの一点が的中、十五倍の好配当になったとする。これは七千円の儲けであるにすぎない。それならば三倍の単勝を八千円買ったほうがいい。こちらは一万六千円の儲けになる。
F競馬に定跡なし[#「F競馬に定跡なし」はゴシック体]
強力な逃げ馬が逃げて、末の切れる追込み馬が差して一、二着するということであれば話は簡単である。そうはならないのが競馬だ。どのレースも条件が違うのである。過去のデータも参考にならない。勉強すれば当るというものではない。だから、遊びであって馬券を買わないほうがいいというのが正しいことになる。
G他人の意見を聞かない[#「G他人の意見を聞かない」はゴシック体]
情報信ずべし信ずべからず、という菊池寛の名言がある。僕は信ずべからずのほうに重点を置く。公営競馬の場立ちの予想屋は厩舎《きゆうしや》情報を売るのが商売である。これが、まず当らないんだな。競馬通の友人の意見も聞かないほうがいい。第一、それで当ったって面白《おもしろ》くない。ちかごろ、会員制の電話予想というのが目につくが、あれで馬券を買う人の神経は理解できない。自分で予想するという競馬の一番おいしいところを捨ててしまうようなものだ。
H競馬新聞は一紙だけ[#「H競馬新聞は一紙だけ」はゴシック体]
僕は、そのとき一番売れている競馬新聞を買ってきた。最初は『馬』であり、次に大川慶次郎を擁《よう》する『ダービー・ニュース』に変った。これに馴《な》れてしまって『ダービー』だけを買っている。レイアウトが綺麗《きれい》で読みやすい。メインの評論家の伊藤友康さんがデータ至上主義であるのがいい。本紙予想が大胆である。大変に参考になる。二紙も三紙も買うのは無駄《むだ》だ。
I朝食をシッカリ食べる[#「I朝食をシッカリ食べる」はゴシック体]
夜ふかしをしたり酒を飲みすぎたりすると、朝食が食べられない。空腹だとイライラする。朝食をシッカリと食べていれば冷静が保たれるし忍耐することができる。
そういうふうであるので、馬券売場の女性とも顔|馴染《なじ》みになってくる。僕の家の近くに住んでいる人が多い。
ある年の谷保《やほ》天満宮の祭礼の日に、艶《いろ》っぽい中年女性に声を掛けられた。知らない人だった。
「先生、お顔はよく拝見しますけれど、ちっとも私のところに来てくれないのねえ」
聞いてみると、府中競馬場で働いている人だった。彼女の受持は馬券の払戻《はらいもど》しの窓口であるそうだ。
★この作品は昭和五十九年三月新潮社より刊行され、昭和六十二年四月新潮文庫版が刊行された。