宗田 理
ぼくらの秘島探検隊
目 次
まえがき
T めんそーれ沖縄《おきなわ》
U 島が泣いている
V 援軍《えんぐん》がやって来た
W 夜間|戦闘《せんとう》
X 八重山《やえやま》バイバイ
あとがき
まえがき
二年の夏休み、ぼくらは一年前と同じようにおとなたちに聖戦を挑《いど》んだ。
ちがっているのは、戦う相手が先生や親たちではなく、自然を破壊しようとする巨大な敵であったことである。
ぼくらは沖縄《おきなわ》まで大遠征した。そこには、美しい海とサンゴ礁《しよう》とマングローブの林があった。
この美しい自然を守るためなら、ぼくらはこれからも、何度でも戦うつもりだ。
T めんそーれ沖縄《おきなわ》
1
「沖縄が見えたぞぉ」
天野《あまの》がレストランの入口でどなった。その声で英治《えいじ》は、反射的に腰《こし》を上げて、レストランから飛びだした。
相原《あいはら》と安永《やすなが》があとからつづいてデッキに上った。
天野が指さしている彼方《かなた》、水平線に淡《あわ》く島影《しまかげ》がある。
かりゆしおきなわ、六千六百十三トンが東京|有明《ありあけ》十号地その2埠頭《ふとう》を出たのが、おとといの午後五時。すでに四十時間以上海の上である。
やっと沖縄に着けると思うと、英治は感動で胸がつまってきた。
「コロンブスが新大陸を発見したときも、こんな感じだったんじゃねえか」
天野も、同じように感動しているらしいが、コロンブスはオーバーだ。
空には、白い雲が忘れられたようにあるだけ。海は真夏の陽光を浴びて眩《まばゆ》いばかりに輝《かがや》いて、遥《はる》かに見える水平線で、空ととけ合っている。
風はあるのに、頭は焦《こ》げそうなほど熱い。
「日比野《ひびの》はどうした?」
天野が急に気づいたように聞いた。
「あいつは、いったん食い出したら、船が沈《しず》んだってやめねえよ」
安永が言った。
「おれは船酔《ふなよ》いで全然食えねえっていうのに、あいつはどんな胃袋《いぶくろ》してんだ」
とあきれた。そういえば、天野はこの二日間でげっそりやつれてしまった。
「かりゆし、かりゆし」
これは沖縄の方言でめでたいという意味で、「海はかりゆし」というのが、沖縄海洋博のメインテーマだったと、この船に乗ったとき聞かされた。
天野にとって、沖縄に着くのは、だから人一倍かりゆしにちがいない。
「おれたち、ずいぶん遠くまで来ちゃったなあ」
相原が水平線に視線を向けたまま言った。
「なんだ相原、帰りたくなったのか?」
「帰りたくなったのは、天野おまえだろう? この二日間ほとんど死んでたじゃないか」
「ほんとうのこと言うと、こんなにつらい思いをするなら帰りたいと思った」
天野が正直に告白した。英治もほんとうのことを言うと、そう思わないこともなかったので、
「おれも……」
と言った。すると安永が、
「二人ともびびってんだな」
と軽蔑《けいべつ》した目で見た。
「ほんとは、おれだって怖《こわ》いんだ」
相原は遠くに視線を向けたまま言った。
「去年おれたちが戦った相手は、親や先公だった。こんなのは言ってみりゃ戦争ごっこだ。しかしこんどはちがう」
「おれたちは少年十字軍だって言ったのは相原、おまえじゃんか。おれは命を張ってんだ」
「安永はえらいよ」
相原にほめられた安永は、ちょっと照れくさそうに顔を空に向けて、
「そうでもねえけど」
と小さい声で言った。
日比野が腹をさすりながらデッキにやって来ると、
「ああ、腹がふくれたら眠《ねむ》くなってきた」
と大きなあくびをした。
「こいつは、腹さえふくれりゃ怖いもの知らずだ。日比野に腹いっぱい食わせて、特攻隊《とつこうたい》にしようぜ」
天野がたぬきみたいにふくれた腹を、手でたたいた。ショートパンツが、いまにも落っこちそうだ。
「特攻隊ってなんだ?」
日比野は、のんびりした声で聞いた。
「なぐりこみだ」
「だれとやるんだ?」
「おまえ一人さ」
「それはヤバイよ」
「いいって、いいって。おまえがにこにこして行ったら、まさかなぐりこみとは思わねえ。そこがこっちのつけ目だ」
「天野、沖縄が見えたら、頭がさえてきたじゃんか」
英治がほめたので、天野はすっかり上機嫌《じようきげん》になった。
「戦争に犠牲《ぎせい》はつきものだ。まず日比野に死んでもらおうぜ。どうせ、おれもあとから行くから心配すんな」
安永がにやっと笑った。この顔を見ていると、安永は本気でやりそうな気がしてくる。
「おれ、いけにえのぶたになるのはごめんだぜ」
日比野が言ったとたん、深刻になりかけた雰囲気《ふんいき》ががらりと変った。
意識しないで、こういうことがやれるのは、日比野の天性にちがいない。
「おれたちは少年十字軍なんだ。ここまでやって来たからには、しっぽを巻いて帰るわけには行かねえぜ、そうだろう、菊地《きくち》」
安永が英治の背中を強くたたいた。
「そんなこと、わかってるって」
英治は、強い調子で言ったつもりだったが、少し迫力《はくりよく》が足らなかった。
「やるのはいいけど、敵はいったい何人いるんだ?」
日比野が間延《まの》びした声で言う。すると、せっかく高まった緊張《きんちよう》が、風船に針で穴をあけたようにしぼんでしまう。
「わかんねえよ。たくさんいるんだろう」
安永がいらついているのが、英治にはよくわかる。
「おれたちは五人だぜ。これじゃ勝てねえよ。まして相手はおとななんだから」
「日比野の言うとおりだ。まともに戦ったら勝てるわけがねえ」
「勝てねえ戦いをやる奴《やつ》はばかだと思うけどな」
日比野は、相原の顔をのぞきこんだ。
「日比野、おまえおじけづいたな。戦うのが怖《こわ》いんなら、おれが投げこんでやるからいまから帰れよ」
安永は、日比野のえり首をつかむと、デッキから海面をのぞかせた。
「やめろよ」
日比野の顔が青くなった。
「安永、みんなが怖がるのはあたりまえだと思うぜ。しかし、おれたちはいくら怖くたって、やることはやる。そうだろう」
相原は、英治、天野、日比野の顔を順に見た。
「そうさ。おれたちは逃《に》げねえぜ」
三人が大きくうなずいた。
「わるかった。おれは興奮し過ぎてた」
安永があやまった。
安永だって、決して怖くないわけじゃない。だから気が立っているのだ。
「やるのはおれたちだけじゃない。飛行機で援軍《えんぐん》がやって来る」
相原が言うと、
「久美子《くみこ》とひとみと純子《じゆんこ》とカッキーか。あんまり頼《たよ》りになりそうもねえぜ」
天野が大きくため息をついた。
「そうとは限らねえ、あの三人は格別だ」
安永が三人の肩《かた》を持つので、
「カッキーはどうだ?」
と英治が聞いた。
「カッキーは、パリにでも行くみたいに、きっとかっこうつけて来ると思う」
「たしかに、カッキーならそうかもしれねえ」
「あいつに戦争は無理だ」
「だけど、きっと薬はたくさん持って来るから、負傷したときには役に立つかもよ」
突き放す安永を、とりなすように天野が言った。
「そうか、軍医も必要だよな」
英治は、必要とは言ったものの、負傷したときの姿を想像すると、ぞっとした。
2
それまで英治は、沖縄に関心を持ったことは、まったくといっていいほどなかった。
英治が持っていた知識といえば、沖縄はむかし琉球《りゆうきゆう》と呼ばれ、日本の最南端《さいなんたん》にある。
第二次大戦の末期にはアメリカ軍が上陸し、四人に一人が死んだといわれるほどの悲惨《ひさん》な体験をしたということくらいであった。
銀鈴荘《ぎんれいそう》には、金城《きんじよう》まさというおばあさんがいる。そのおばあさんを瀬川《せがわ》のおじいさんから紹介《しようかい》されたことが、沖縄にやって来るきっかけになったのだ。
紹介されてはじめて、まさが沖縄出身だということ、沖縄には、金城という苗字《みようじ》が多いということを知ったのだった。
そのころは、担任の真田《さなだ》が殺されるという事件があったので、みんな落ちこんでいた。
瀬川は、この夏休みに、そんなみんなを沖縄へつれて行って、青い海とサンゴ礁《しよう》でも見せて、過ぎたことを忘れさせるつもりで、まさばあさんに会わせたらしかった。
みんなのなかでも、ひとみの落ちこみようは特にひどかった。
あれ以来、真田が日記帳に書いた詩を読んでは泣いている。
どうして こんなにつまらないの?
どうして こんなに悲しいの?
どうして こんなにさびしいの?
どうして こんなに腹が立つの?
どうして こんなことしなくちゃならないの?
どうして? どうして?
いくら歩いても、なんにも見えやしない
もう歩くのはいやだ
友よ たとえ何も見えなくても
それでも 歩きつづけよう
いつか 何かが見えてくるまで
英治は、まるで病人みたいになってしまったひとみを見ると、なんとかしてやりたいと思う。
しかし、どんな言葉でなぐさめたらいいのか、それが英治にはわからない。
ただ、もどかしい思いで眺《なが》めているしかなかった。だから瀬川から話があったとき、まっ先にひとみを誘《さそ》った。
最初、ひとみは行きたくないと言ったけれど、無理矢理引っ張って行ったのだ。
その日銀鈴荘に集まったのは、相原、英治、安永、中尾《なかお》、天野、柿沼《かきぬま》、日比野、立石《たていし》の男子八人と女子が、久美子、ひとみ、純子、佐織《さおり》の四人。計十二人である。
「みんなよく来てくれた。君たちが好きな先生を失って、悲しい気持ちはよくわかる」
瀬川がそれだけ言っただけで、ひとみはもうはなをすすりはじめた。
「しかし、いくら悲しいからといって、過ぎたことに、いつまでもくよくよしていてはならない」
「そんなの無理です、私、あとを追いかけて死にたい」
ひとみが、涙《なみだ》でくしゃくしゃの顔をあげて瀬川を見た。
「ばかもの!」
瀬川が、いままで聞いたこともない大声でどなったので、英治は腰《こし》が浮《う》きあがりそうなほどおどろいた。
「みんなよく聞くんだ。君らはまだ若い。これから好きな人と別れるという経験を重ねていかなくては、おとなにならないのだ」
瀬川は穏《おだ》やかな口調《くちよう》にもどった。
「そんなのいやです。おとななんかなりたくない」
ひとみがだだをこねた。
「いやでもしなくてはならん。それが人間にあたえられた宿命なのだ。ここにおられる金城さんは、ご主人と二人の子どもを戦争で失っていらっしゃる」
「ええッ?」
英治は、思わずまさの顔に目をこらした。眉《まゆ》が太く日焼けしてたくましい顔だが、深いしわが何本も刻《きざ》まれている。
「私は、夫と長男と次女を失《な》くしました。昭和二十年の四月十日。それはひどい戦でしたよ」
まさは遠くを見る目をした。
「おばあさん、そんな大切な人を失くして悲しいと思わなかった?」
ひとみが聞いた。
「そのときは悲しいともなんとも全然思いませんでした。きっと、麻酔《ますい》の注射を射《う》たれたときみたいに神経が麻痺《まひ》してたんですよ」
「そんなことってあるの?」
「あんまり悲しいとそうなる。それに、まわりで人がばたばたと死んでいったから」
ひとみは、顔を手でおおった。
「沖縄戦の戦死者は、日本軍九万四千人、沖縄県民九万四千人。アメリカ軍一万三千人。合計約二十万人。あのころは、捕虜《ほりよ》になるのは恥《はじ》だといって、集団|自決《じけつ》した者も多かった。そういう教育をしてきたからね」
沖縄戦の話は、あまりに重過ぎて、一人の先生の死など、どこかにふっ飛んでしまいそうな迫力《はくりよく》がある。
「ひとみ、沖縄の人たちの悲しみにくらべたら、おまえの悲しみなんて感傷だってことがわかるだろう。死にたいなんて、もってのほかだ」
瀬川は、いつもの優《やさ》しい目でひとみを見た。
「はい」
ひとみが素直《すなお》にうなずく。
英治だったら、同じことを言っても、かえってひとみをおこらせてしまうのがおちだ。
年季《ねんき》が入っているというのは、こういうことをいうのにちがいない。
英治は、ひとみの横顔を見ながら、妙《みよう》なことに感心していた。
3
その日の金城まさの話は、英治たちにとって衝撃《しようげき》的であった。
「わずか四十五年前に、おれたちと同じ年齢《ねんれい》の子どもが戦死したなんて考えられねえよなあ」
銀鈴荘《ぎんれいそう》からの帰り、相原がしみじみと言った。
「人間が人間でなくなり、考えられないことが起こるのが戦争だって、あのおばあさん言ったけど、ほんとうかもしれねえな」
英治も、はじめて戦争のことを本気で考えた。
「あんな凄《すご》い話を、どうしてあんなに静かな調子で話せるんだ? それがかえって胸にぐっときたぜ」
それは英治も同じだった。
「それとさ、あのおばあさん自分が死んだら、骨は夫や子どもが眠《ねむ》ってる沖縄に葬《ほうむ》ってもらいたいんだけど、それができないのが悲しいって言ったろう」
「土地が売られてしまうと言ったよな」
「そのへんのこと、矢場《やば》さんに聞いてみようと思うんだ。一緒《いつしよ》に会ってみないか」
「いいよ」
英治も、それは気になっていたところだ。
つぎの日、学校で相原に会うと、
「矢場さんに話したら、あのおばあさんに会いたいから銀鈴荘に行くってさ」
「矢場さん、何しに行くんだ?」
「沖縄のサンゴ礁《しよう》のこと調べに行くんだってさ」
「そいつは、グッドタイミングじゃんか」
「矢場さん、おれんちへ来るから、沖縄のことレクチュアしてもらってから行こうぜ」
「また銀鈴荘に行くのか?」
「うん、沖縄に骨も埋《う》められないってことが、どうしても気にかかるんだ」
学校から帰ると母親の詩乃《しの》は外出していなかった。
「やったぜ!」
テーブルの上のドーナツを頬張《ほおば》って相原の家に向った。
矢場とは相原の家の前でばったり会った。
「君たちが、沖縄に関心を持つのはいいことだ」
矢場は顔を見るなり言った。
「戦争中、中学生が戦死したって話聞いて、ぐっときちゃった」
「戦争中もそうだが、いまも沖縄は複雑な問題を抱《かか》えているんだ」
矢場が英治と相原に話してくれたのは、つぎのようなことである。
日本でリゾート開発が活発になったのは一九八九年夏ごろからで、その引き金になったのは、前年にできたリゾート法(総合保養地整備法)である。
沖縄も当然のことながらリゾート・ラッシュになり、常夏《とこなつ》の島、トロピカル・アイランド、マックロネシアなど、さまざまなキャッチ・フレーズで呼ばれ、沖縄本島のちょうど真ん中あたりの西海岸一帯には、美しい海岸線に面して白亜《はくあ》のホテルが建った。
リゾート・ブームは沖縄だけに起きている現象ではない。
北は北海道から南は沖縄まで、日本列島の広大な原野や山林が切り開かれてゴルフ場がつくられ、景勝地は企業《きぎよう》によって買い占《し》められていく。
これは、東京の土地が暴騰《ぼうとう》したのと同じ、異常としか言えない現象だが、その大きな時代の波に、沖縄はいま呑《の》みこまれようとしているのが現状である。
リゾート法が誕生《たんじよう》した背景は、@国民の余暇《よか》増大、A新しい地域|振興《しんこう》策、B内需《ないじゆ》主導型経済構造へ転換《てんかん》、の三つが政府の公式見解であった。
沖縄では、本土復帰後観光産業が急速に伸《の》び、県の経済を支える基幹産業にまでなった。
そこに、降って湧《わ》いたようにおきたのがリゾート・ブームである。
一九九〇年三月には、リゾート開発を21世紀に向けた基本戦略と位置づけた。
ブームだとなると、どっと押《お》し寄せるのが日本の特徴だが、沖縄のリゾート開発計画は、ホテルが二倍、ゴルフ場もいままでの二十か所に加えて、三十か所が開発中。
いろいろな開発計画は百二か所、八十件とも百件ともいわれているものすごさである。
ゴルフ場ももちろんだが、ホテル、ビーチ、マリーナといった、ウォーターフロントのいわゆる開発三点セット≠フためには、広大な用地が必要である。
ところが、島から成り立つ沖縄では、こうした広大な用地は、なかなか入手しにくい。
しかも、景観のいいリゾート適地は、一九七二年の本土復帰前後におきた、日本列島改造の土地ブームのころに、本土|企業《きぎよう》によって買い占《し》められたところが多い。
あとから開発に乗り出そうとすれば、海に向っていくか、山に向っていくしかない。
海とは、海岸の埋《う》め立てによる用地造成である。
沖縄の海は、陸地の周辺にリーフが発達しており、その内側なら埋め立てがしやすい。
安上りの開発をねらって、開発の手はどんどん干潟《ひがた》を埋め立てていく。
せっかくある白浜《しらはま》を埋め立て、わざわざ人工ビーチをつくるというところもある。
沖縄本島の北部地区を通称|山原《やんばる》と呼んでいるが、ここはいまリゾート開発ラッシュである。
山原といえば、その名が示すとおり、豊かな自然と亜熱帯《あねつたい》特有の美しい景観を持つ地域である。
国の天然記念物に指定されているノグチゲラやヤンバルクイナといった、世界でもここだけしか生息しない野鳥がすみ、緑の原生林は、沖縄本島に住む県民の重要な水源を養っている。
発達したサンゴ礁《しよう》、複雑に入りくんだ湾岸と白砂《はくしや》の砂浜がこの地域に集中している。
リゾート開発はそれに目をつけ、景観のすぐれた海浜《かいひん》を中心に、拠点《きよてん》、拠点を買い占めにかかっている。
これではたして、沖縄の豊かな自然が21世紀まで持ちこたえられるのだろうか。
4
船はゆっくりと左にカーブし、那覇《なは》市街を右に見ながら、那覇新港に着岸した。
「めんそーれ沖縄」
天野は、一人ではしゃいでいる。
めんそーれは沖縄の方言でいらっしゃいという意味だ。
岸壁《がんぺき》で男の人が手をふっている。
「矢場《やば》さんじゃねえか」
目のいい安永が言った。矢場は、取材のためにひと足先に沖縄へ行くと言っていたが、わざわざ出迎《でむか》えてくれたらしい。
「矢場さーん」
日比野が大声を出して手をふった。矢場も大きく手をふってそれに応《こた》えている。
これから、右も左もわからぬ沖縄で、巨大《きよだい》な相手と戦うかと思うと、英治は緊張《きんちよう》で体がこわばっていた。
その矢先《やさき》に矢場の姿を見かけて、なんだか西部劇の騎兵《きへい》隊がやって来たような安堵感《あんどかん》をおぼえた。
上陸した五人は、一人ずつ矢場と握手《あくしゆ》した。英治は、矢場とは何度も握手しているが、矢場の手がこんなにも大きく、厚く、暖かいと感じたことははじめてだった。
「こんやは那覇で一泊《いつぱく》し、あすの夜|石垣島《いしがきじま》へ向けて出航する」
矢場が、まるで先生みたいな口のきき方をするのでおかしくなった。
「また船か……。こんどは何時間?」
天野がうんざりした顔で言った。
「十三時間だ。天野は船に弱いのか?」
「船酔《ふなよ》いでごらんのとおりさ」
「そういえば、少しやつれているみたいだな。夜だから寝《ね》ちまえば、知らぬうちに着いてしまう。気にすんな」
「気にすんなって簡単に言うけど、そうはいかないよ。気持ちがわるくて眠《ねむ》れねえんだから」
「そうか、まあそのうちなれるさ」
矢場は無責任なことを言いながら、五人をタクシー乗り場に案内した。
「みんな知ってるとは思うが、これからこんや泊《とま》る家に案内する。首里《しゆり》だから、すぐだ」
こんや金城まさの親戚《しんせき》の家に泊《と》めてもらうことは、東京を出かけるとき、まさに言われていた。
矢場が言ったとおり、タクシーで十分もかからずにその家に着いた。
東京と変らない近代的なコンクリートの家から、まさと同じくらいのおばあさんが出て来たのがちょっと意外だった。写真で見る沖縄の家はこんなふうではなかったからだ。
「めんそーれ」
日比野が頭を下げた。
「ばかだなあ。めんそーれはいらっしゃいだぞ、向うが言うことじゃんか」
天野は日比野の頭をこづくと、
「おじゃまします」
と言った。天野につづいて、英治、相原、安永も頭を下げた。
「めんそーれ、よくいらっしゃいました」
おばあさんは、まさよりいっそう日焼けしているが、顔つきがどことなく似ている。
たしか、まさはいとこだと言っていたから似ていてあたりまえだ。
おばあさんに案内されて部屋《へや》に上った。
「沖縄の家はどんなふうかなって想像して来たんだけど、東京と一緒《いつしよ》ですね?」
英治は、部屋を見まわしながら気になっていたことを口にした。
「この家は二年前に建てたばかり。こういうコンクリートの家はきらいだけれど、しかたないです」
おばあさんは、ちょっと淋《さび》しそうな顔をした。
「こんな立派な家に、住んでるのはおばあさん一人だけですか?」
「息子《むすこ》も娘《むすめ》も、みんな本土に行っちまったから私一人。何日|泊《とま》ってくださってもいいですよ」
「泊りたいけど、あしたの夜の便《びん》で石垣《いしがき》島に行くんです」
日比野が言った。
「まさちゃんに聞いたけれど、無茶はしないほうがいいですよ」
「大丈夫《だいじようぶ》です。ぼくらは、おばあさんの土地がもとどおりになればいいだけですから」
相原が言った。
「そんな話し合いができる連中じゃないですよ。私だって無理矢理土地を取られて、しかたなくここへ出て来たんですから」
「おばあさんも同じ島だそうですね」
「そう。まさちゃんの家の隣《となり》。あそこは娘の美佐《みさ》ちゃんがしっかりがんばっているけれど、私のところはだれもいないから、しかたなかったんですよ」
おばあさんの表情がくもった。
「土地を売ったこと後悔《こうかい》してますか?」
「それはしてますよ、島に帰りたい」
リゾート開発の波は、沖縄本島からさらに離島《りとう》や無人島にまで及《およ》んでいる。
九つの有人島からなる八重山《やえやま》諸島は、変化に富んだ島々と、発達したサンゴ礁《しよう》が美しい景観をつくり出している。
これを放っておくはずがない。
石垣島では、三百年の伝統を持つ放牧場が本土|企業《きぎよう》に買収され、景観のいい海岸のほとんどが、リゾート関連企業や土地ブローカーによって買い占《し》められてしまった。
新石垣空港建設用地にかかわる土地ころがしや、地上《じあ》げも問題になっている。
同空港予定地では、本土の土地ブローカーが土地を転売して、二年間で十七倍も値上りし、一九八九年二月からわずか二か月後には、五十億円の土地が七十億円で売られたという話がある。
「そんなばかな話があっていいのか?」
矢場の話を聞いていると、英治は怒《いか》りを通りこして、情けなくなってくる。
矢場は、八重山の地図を開いて見せた。
「八重山という名は、青い海原《うなばら》に、八重に重なる山のように島が点在するところから名づけられたとも、緑ゆたかな島が多いことから名づけられたともいわれている。
石垣島は、那覇《なは》の南西約四百五十キロ。隆起《りゆうき》サンゴ礁《しよう》の島で、面積は二百五十八平方キロ。
その向うにある西表《いりおもて》島は、石垣島の西二十五キロ、島の周囲七十五キロ、面積二百八十八平方キロで、沖縄本島についで大きい島だ」
「イリオモテヤマネコのいる島だよね」
日比野が言った。
「日比野、やるぅ」
天野がひやかした。
「それくらい幼稚園《ようちえん》の生徒だって知ってるぜ」
「西はイリ、東はアガリっていうんだ」
矢場が言うと、日比野が、
「そうか、太陽が上るのが東で、入るのが西ってわけか」
「西表島はイリオモテヤマネコだけではない。島の九十パーセントは熱帯、亜熱帯《あねつたい》の原生林でおおわれている。
亜熱帯特有のマングローブやヤエヤマヤシ、ニッパヤシなどの珍《めずら》しいヤシの木、巨大《きよだい》な板根をもつサキシマスオウの木などの植物群がある。もちろんここのサンゴ礁《しよう》もすばらしい」
「竹富《たけとみ》島、黒島、新城《あらぐすく》島、小浜《こはま》島、波照間《はてるま》島、鳩間《はとま》島、嘉弥真《かやま》島、与那国《よなぐに》島……ずいぶんあるね」
「波照間島が日本最南端の有人島で、与那国島は最西端の島だ」
「このどの島にも開発の手は伸《の》びているの?」
英治は地図に目をやりながら聞いた。
「伸びている」
「私とまさちゃんの生れ育った神室《かむろ》島は、まわりが七キロほどしかなくて、八重山の人たちはパナリと呼んでいました」
「パナリ?」
英治は、おばあさんの顔を見た。
「離島《りとう》のことです。私たちが育ったころは、百人以上の人たちが生活していましたが、日本復帰前の台風や旱魃《かんばつ》で、たくさん借金を抱《かか》えて、つぎつぎと島をあとにしました」
おばあさんは、思い出すのが切《せつ》なそうに息をついた。
「それを待っていたように、土地ブローカーや本土企業が二束三文《にそくさんもん》で土地を買いあさり、手に入れたのです」
「それがいま、まるごと乗っ取られようとしているんだ」
矢場が言った。
「私も最後までがんばろうと思ったんだけれど、子どもたちも帰らないって言うし、とうとう島を離《はな》れました」
「いま島には中学校があるが、全校で四人しかいない。廃校《はいこう》は目の前だそうだ」
矢場が言った。
「一年から三年まででたった四人?」
日比野が目を丸くした。
「この島で、企業は何をやろうとしてるの?」
相原が矢場に聞いた。
「ビーチハウス、コテージ。それにゴルフ場だそうだ」
「またゴルフ場かぁ。奴《やつ》ら、ほっといたら日本中全部ゴルフ場にしちゃうんじゃねえのか。おとなのやることって、信じられねえよ。おれはやるぞ。ゴルフ場なんか絶対につくらせねえからな」
安永の目は怒《おこ》っている。
「まったく、なんのためのリゾートなんだ。若い君らには顔向けできないよ」
矢場の声はだんだん小さくなった。
「おとながみんな、矢場さんみたいだったらいいのに。人間って、人だけじゃなく自然にも優しくなきゃいけねえと思うんだ」
相原が言った。英治もそのとおりだと思った。
5
那覇《なは》から石垣《いしがき》へは、飛行機だと五十分で行けるが、船だと十三時間半かかる。
だから船で行く人はすっかり減ってしまったということだったが、夏休みのせいか、乗客はかなりあった。
きのうは那覇市内と首里城跡《しゆりじようあと》、守礼《しゆれい》の門、玉陵《たまうどうん》、一中健児の塔《とう》、首里高校などを見てまわり、きょうは、沖縄戦最後の激戦地《げきせんち》となった、糸満《いとまん》、豊見城《とみぐすく》を見てまわった。
ひめゆりの塔を見てから摩文仁《まぶに》の丘《おか》に行き黎明《れいめい》の塔、健児の塔を見た。
暗い洞穴《ほらあな》の壁《かべ》に、火炎《かえん》放射器の焼け跡が残っているのが、英治にはショックだった。
いま目をつぶると、洞穴の光景がまざまざと浮《う》かびあがってくる。
最後のとき、中学生たちはどんな気持ちで自決したのであろうか。
そんなことを考えていると、目が冴《さ》えて眠《ねむ》れなくなった。
「眠れないのか?」
隣《となり》の相原が肩《かた》をたたいた。
「うん」
「おれもだ。何考えてた?」
「あの洞穴だよ」
「おれは、これからの戦いのことだ」
そうだ。ぼくらは沖縄に観光旅行に来たのではなかった。
英治は、相原の言葉を聞いて恥《はずか》しくなった。
「方法は考えたのか?」
「全然。だって現場を見なきゃわかんねえよ」
「敵前上陸だな」
「敵前上陸ってのは、向うが待ちかまえてるところに上陸することだろう。向うはおれたちのこと全然知らねえんだから、敵前上陸とは言えないよ」
「そうか。それはそうだよな」
「まずやることは、島の中学生と仲良くなることだ」
「一年から三年までで四人だって? その中には女子もいるんだろう?」
「そうだろうな」
「戦力になるのかな?」
「なるさ。おれたちは島のこと全然わかっちゃいないけど、彼らならどんなことでも知ってる。戦いにはこれが大切なんだ」
「おれたち武器はなんにも持ってねえんだけど、大丈夫《だいじようぶ》かな?」
「武器なんかないほうがいいさ。へたに相手を傷つけたりしたら、かえって逆効果だ。奴《やつ》らにいいように利用されちゃう」
「要するに、開発から手を引かせればいいんだろう?」
「そうさ」
「だけど、おれたちがいろんなじゃまして、奴らあきらめるかな?」
「それだけじゃあきらめないだろう。だから二面作戦を考えてるんだ」
「二面作戦ってなんだ?」
英治は、気持ちよさそうに眠っている天野の顔を眺《なが》めながら言った。
「おれたちは、工事をやっている現場の連中をたたく。それと同時に、工事をやらせている会社をぶったたこうってわけさ」
「会社をぶったたくって、どういうことをやるんだ?」
英治には、相原の言っている意味がよく理解できない。
「これは、矢場さんがちらっと洩《も》らしたことなんだけど、神室《かむろ》島の開発をやっている丸田組ってのは、ヤバイことやってるらしいんだ」
「丸田組って、聞いたことあるぜ。ダムなんかもつくってるんだろう?」
「日本じゃ大手の土建会社だ」
「そんなでかいところが、何もちっぽけな島をこわすことねえじゃんか?」
「神室《かむろ》島を開発してるのは、下請《したう》けのまた下請けさ。丸田組は直接手は出してない」
「そんな話、だれに聞いたんだ?」
「矢場さんさ。きのう、みんなが寝《ね》ちまってから話してくれたんだ」
そういえば、英治は横になったとたん、朝までぐっすり眠ってしまった。
「どういうことか、くわしくおしえてくれよ」
「くわしくといっても、矢場さんはちらっとしか言わなかったんだ。要するに親会社の丸田組に問題があるってことさ」
「なんだ、そんなことか」
英治は、期待していただけに、はぐらかされたような気持ちになった。
「矢場さんはきょう東京に帰る。そうしたら、事態はもっと進展しているはずだから、電話するってさ」
相原の話は、英治にはどうもぴんとこない。丸田組に問題があるというけれど、それが何なのかわからないからだ。
「矢場さん、おれたちに協力してくれるつもりだよな」
「もちろんさ。だけど矢場さんを頼《たよ》りにしちゃいけねえと思うんだ。おれたちはおれたちでやらなきゃ」
「もちろんさ」
かっこうつけて言ってはみるものの、心の奥底《おくそこ》では、矢場さんになんとかしてほしいと思っている。
船は、あす朝九時半に石垣《いしがき》港に着く。そうしたら、白保《しらほ》へ行ってサンゴ礁《しよう》を見て来いと矢場は言って、『サンゴの海』という本を貸してくれた。
「読むから聞いてろよ」
相原が言って読みはじめた。
「サンゴはイソギンチャクに似た肉食動物で、その個体がポリプあるいはサンゴ虫と呼ばれている。
イソギンチャクと同じ仲間の刺胞《しほう》動物部門に分類される。
触手《しよくしゆ》の先に、刺胞という小さな矢が入っており、それで餌《えさ》を捕《とら》えるので、この名称がある。
サンゴとイソギンチャクの違《ちが》いは、石灰質の骨格を持っているところにある。骨格を持つイソギンチャクともいわれている」
英治はうなずいているうちに、次第に眠《ねむ》くなった。相原の声が遠くに聞こえる。
「……単体(個体)で生活する種もあるが、大半は群体をつくる……。
……サンゴの増殖《ぞうしよく》は、卵と精子がいっせいに海中に放たれて受精したのち、二、三日でプラヌラ幼生になって漂流《ひようりゆう》する。
……二週間から一か月ほどで、プラヌラ幼生は浮遊《ふゆう》生活をやめ、岩盤《がんばん》などに定着して、ポリプが誕生《たんじよう》する。
このような受精による増殖が、有性生殖である」
相原の声が聞こえなくなった。
「……サンゴといっても、サンゴ礁《しよう》をつくるのに関与《かんよ》する種類と、そうでないものとは生態学的に区別される。造礁《ぞうしよう》サンゴと非造礁サンゴとである。造礁サンゴは浅海性で群体であるのに対し、非造礁サンゴは深海性で単体が多い」
首ががくんと落ちた。
「聞いてるのか?」
「聞いてる」
「現生する造礁サンゴは、全世界で約八十属七百種とも約九十属八百種ともいわれている」
「すげえたくさんあるんだな」
英治は夢《ゆめ》うつつであった。
「日本では、石垣島周辺で約六十属二百種以上が報告され……」
ついに何も聞こえなくなってしまった。
6
「起きろ! もう着いたぞ。船にいるのはおまえだけだ」
耳のはたで天野のどなる声が聞こえた。
「ええッ」
英治は思わず飛び起きた。時計を見ると八時だ。たしか到着《とうちやく》時刻は九時半だったはずだが……。
ぼんやりとした頭で考えていると、天野が、
「うそだ」
と、にやっと笑った。
「天野の奴《やつ》、乗るとすぐ寝《ね》ちまったんで、五時に目がさめちゃったんだってさ。菊地《きくち》はまだいいよ。おれなんて六時に起こされたんだぜ」
日比野がぼやいた。
「腹がへったって寝言《ねごと》言ってるから起こしてやったんだ。お礼を言ってもらいたいよ」
「うそつけ」
「起きるとすぐ朝めし食いに行ったくせに」
「もう食っちゃったのか?」
英治は朝めしどころではない。
「そうさ」
相原がにやにやしながらやって来た。
「サンゴのことでわかんねえことがあったら、なんでも菊地に聞いてくれ。きのう夜おそくまで勉強したからな」
「ほんとか?」
天野が疑わしそうに、英治の目をのぞきこんだ。
「ほんとさ。サンゴは生物である」
「そんなことはだれでも知ってるよ」
「ところが、いまサンゴは死につつある。原因は何か?」
「知ってる。オニヒトデだ」
「天野、すげえ」
相原が手をたたいた。
「おれをなめちゃいけねえよ」
「サンゴが死ぬのはそれだけではない。開発によって土砂が海に流れこむとサンゴは死んでしまう」
「そんなにデリケートな生きものなのか?」
「そうなんだ。いまサンゴが生き残っている場所は数少なくなったが、白保《しらほ》の海だけは無傷で残っている」
「そこに空港をつくろうってのか?」
「そうなんだ。それについて一九八八年二月十一日、コスタリカの首都サンホセで開かれた国際自然保護連合(IUCN)の第十七回総会で、この白保の石垣空港建設計画に関する決議が採択《さいたく》されたんだ。その一部を引用してみると、
石垣島白保のリーフは、北半球において、いままでに発見された中で、最大、最古のアオサンゴをふくめて、科学的に貴重な多くの自然相を有する豊かなサンゴ礁《しよう》群落の、特に顕著《けんちよ》な例である。
白保リーフにジェット空港を建設する計画は、リーフの生態学的過程と生物学的多様性にたいし、回復不能なダメージをあたえる」
「そんなことまで言ってるのか?」
「こうも言っている。日本政府は、白保リーフが活力のある生態系として、将来も生存可能であることを保障《ほしよう》するために、日本国内法のもとで、可能な限り、白保のリーフにたいし、最大級の保護策《ほごさく》をとるよう要請《ようせい》する」
「そうまで言われて、どうして新しく空港をつくらなきゃいけないんだ?」
「でかい空港をつくって、お客をどんどん呼びこむ。やっぱりリゾート開発とつながってるんだろう」
「だけど、せっかくの美しい自然がこわされたら、やって来る意味がねえじゃんか」
「そうだよ。そんな簡単なことおれたちだってわかるのに、おとなにはどうしてわかんねえんだ」
安永の目がまた燃えている。
「おとなは、おれたちに勉強しろ、勉強しろって言うけど、勉強すりゃするほど、ばかになるんじゃねえのか」
「日比野、おまえって腹がふくれるといいことを言う。そのとおりかもしれないぜ」
相原がしきりに感心した。
「そうだろう、そうだろう。おれの胃は脳につながっているんだ」
日比野は満足そうに腹をたたいた。
石垣港に着くと、金城まさの娘|美佐《みさ》が迎《むか》えに出ていた。
娘といっても四十五歳だから、みんなの母親と同じくらいの年だ。
「めんそーれ。よくいらっしゃいました」
美佐は、たくましい手で一人ずつ握手《あくしゆ》した。手が痛いほどの握力《あくりよく》だ。
「これからどうしますか? 家《うち》にいらっしゃるんなら、船に乗らなくてはならないし。石垣を見ますか?」
「白保に行って、サンゴが見たいんです」
相原が言った。
「白保なら、タクシーで十五分ほどで行けます。ちょっと待ってください」
美佐は、五人を待たしてどこかへ行ってしまった。
五分ほどしてもどって来ると、
「さあ行きましょう」
と言って、二台のタクシーに分乗した。
市街地を抜《ぬ》けると、両側は起伏《きふく》の多い畑である。
「あれがサトウキビ、あれがパイナップル」
と説明してくれているうちに、もう白保に着いてしまった。
美佐は、二時間後に迎《むか》えに来てくれるよう言ってタクシーを帰した。
「海だ!」
天野がいきなり駆《か》け出した。
海は見飽《みあ》きるほど見てきたのだが、いま目の前にひろがっている海は、英治がかつて見たことのない、息を呑《の》むようなすばらしい海であった。
海は青いというけれど、ここの海は波打ち際《ぎわ》から白い波の立っているリーフまで、その色がエメラルドグリーンからコバルトブルーまで、さまざまに変化しているのだ。
白保の浜《はま》は、ふつうの砂浜とくらべるとごつごつしている。
波で打ち上げられたサンゴの骨格や殻《から》などの遺骸《いがい》なのだそうだ。
この浜は、はだしではとても痛くて歩けない。
うしろの高い砂地には海浜《かいひん》植物が繁茂《はんも》しており、それが緑の長い帯になって、白い砂浜を縁《ふち》どりしている。
「潮がひきはじめたからサンゴ礁《しよう》が見えるでしょう?」
美佐が言ったとおり、浅い海から岩が頭を出している。
「海に入って、サンゴを見ようぜ」
天野はけさから、頭のコントロールがきかなくなったらしい。
「海に入るなら、これを持って行くといいですよ」
美佐は、持っていたビニール袋から水中メガネを取り出すと、五人にわたした。
さっき港でどこかへ行ったのは、水中メガネを買いに行ったのだ。
「運動|靴《ぐつ》ははいたままのほうがいいですよ。すべるから気をつけて」
美佐に言われて、ゆっくりと歩く。すべりやすい岩盤帯《がんばんたい》が終り、海に入る。
「きれい! あ、魚がいた」
日比野が叫《さけ》んだ。
下を見ると、もう砂地になっている。しばらく進むとサンゴが点々と見えてきた。足が着かなくなった。
小さなサンゴの近くに、コバルト色の小さな魚が群れている。
英治は水面に顔を出して、
「コバルトスズメがいるぞ」
とどなった。みんないっせいにもぐる。魚のすぐ近くまで行っても逃《に》げない。
水深が深くなるにつれて、サンゴの大きな群落が見える。
カラフルな魚も増えてきた。まるで海の中の花園を泳ぎまわっている感じだ。
サンゴの群体が大きく密集し、なかには水面近くまで成長しているものもある。
そこでちょっと休んでいると、足を魚がつついている。
「もうそろそろもどろうか、泳ぎ出して一時間以上たってるぜ」
相原が言った。
ここで泳いでいると、時間はまったく無関係になる。
「もう少しいようぜ」
と天野は言ったが、迎《むか》えに来るタクシーのこともあるので、そろそろもどることにした。
浜にあがると、美佐が「どうでした?」と聞いた。
「すばらしかったとしか言いようがないです」
英治は、もう少し気のきいたことを言おうと思うのだが、なんと表現していいのかわからないのだ。
「この海は、おれたちがもらう遺産《いさん》だ。こいつをこわすのは許せねえ」
安永が言った。
「そうだ。そうだ」
四人がいっせいにどなった。
「おばさん、おれたちはやるぜ」
天野が言った。
「やめときなさい」
「どうして?」
英治は美佐の意外な言葉に顔を見つめた。
「私は東京の母さんから、あんたたちを大切に扱《あつか》うよう言われてるんですよ」
「おばさん、奴《やつ》らに土地を取られて、島から追い出されてもいいんですか?」
相原が聞いた。
「よかないけれど、しかたないでしょう」
美佐の声が小さくなった。
「あきらめちゃだめだよ。戦わなくっちゃ」
「そんなことできませんよ」
「じゃあ、おれたちがやる」
「あんたたちは中学生でしょう? 無茶したらだめ」
美佐は母親の顔になった。
「おばさんがいくらとめても、おれたちはやるよ。そのためにわざわざ東京からやって来たんだから」
「母さんは、そんなこと言わなかったのに、困った人たちだね」
「おれ、ほんとのこと言うと、ここに来るまではなんとなくって気持ちだったけど、このサンゴを見てからやる気になった。絶対やるぞ」
英治は空に向って叫《さけ》んだ。
「やるぞ、絶対やるぞ」
あとの四人がつづけて叫んだ。
U 島が泣いている
1
石垣《いしがき》から神室《かむろ》島までの定期航路はない。
美佐《みさ》は元漁船だった船に五人を乗せてくれた。この船は美佐の所有ではなく、島の八家族の共有ということになっている。
港を出ると島影《しまかげ》が見えた。美佐は竹富《たけとみ》島だとおしえてくれた。
「あの島も開発してるんですか?」
相原が、かじを持っている美佐に大声で聞いた。
「あの島には、真っ白な砂を敷《し》きつめた道が整然と並《なら》んでいて、赤がわら屋根の屋並みがそれは美しいですよ。屋根のうえにはシーサーが乗っています」
「シーサーってなんですか?」
英治が聞いた。
「シーサーというのは、唐獅子《からじし》をかたどった置物で、屋根に置くと悪魔《あくま》がもたらす災《わざわ》いから一家を守ると信じられています」
「へえ面白《おもしろ》い」
「首里《しゆり》の石だたみの道を歩いたとき、石敢当《いしがんとう》と刻《きざ》まれた石を見ませんでしたか?」
「見た、見た。あれなんですか?」
相原に言われて、英治も思い出した。
「あれも魔除《まよ》けで、これを村の要所要所に置くと、悪魔が入りこめないということになっています」
竹富島がすぐ近くに迫《せま》ってきた。
「昭和六十二年には、沖縄で最初の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました」
「一度聞いたくらいじゃわかんねえよ」
日比野《ひびの》がぼやいた。
「要するに、こういう町並《まちな》みを保存しようということでしょう?」
相原が言うと、美佐はかじを持ったままうなずいて、
「あの島もリゾート法ができてから、ゴルフ場やレジャー施設《しせつ》、ホテルなどをつくる計画があるみたいです」
「なんで、そんなきれいな島ぶっこわして、ゴルフ場つくんなきゃなんねえんだよ」
安永がどなった。
「ゴルフ場つくって喜ぶのは、ゴルフやる奴《やつ》だけだろう? そんなのねえよ」
天野もつづいてどなった。
「神室《かむろ》島でもゴルフ場の造成をしようとしているんです。でも、うちがどかないから完成できないんです」
「やるじゃん」
日比野が手をたたいた。
「がんばってる家、何軒ですか?」
「私の家だけです」
「ほかにも住んでいる人がいるんでしょう?」
英治が聞いた。
「みんな協力してがんばろうって言ってたんですけど、負けちゃいました」
「負けたってことは?」
「土地を手放しちゃったんですよ」
「なんてことだ」
安永は空を仰《あお》いでなげいた。
「しかたなかったんですよ。あの連中の攻撃《こうげき》はすごかったから」
水平線を眺《なが》めている美佐の表情がきびしくなった。
「どんなふうにすごかったかおしえてください」
相原が美佐の顔をのぞきこんだ。
「最初は、どうか売ってくださいって、ていねいな物腰《ものごし》でやって来るんです。もちろん、みんな断わります。ご先祖さまからいただいた土地ですから」
「当然ですよね」
「そのつぎはお金です。それも法外な値段を言うんです」
「法外なって?」
「私たちが一生働いても得られないような金額です。あの島では農業と漁業しかありません。食べるだけがやっとの暮《くら》しです。だから、子どもたちは、大きくなるとみんな本土に出て行ってしまいます」
「じゃあ、島に残っているのは老人ばかりですか?」
「中学生が四人と小学生が三人いますが、この夏休みが終ったら廃校《はいこう》になりますから、みんな島を離《はな》れます」
「学校がなくなっちゃうんですか?」
英治は、思わず相原と顔を見合わせた。
「そうです」
「信じられねえ。すると、残るのは何人ですか?」
「土地を売った人たちも、夏休みが終ったら島を離れますから、残るのは私の家だけ」
「おじさんと二人だけ?」
「そうです」
美佐の表情は変らない。
「おじさん、何していらっしゃるんですか?」
「漁師です。魚を獲《と》って石垣島に持って行きます」
「おばさんは何してるんですか?」
「農業とそれから浜《はま》に出て海藻《かいそう》を採ります。冬に採れるアーサはお金になります」
「じゃあ、おばさんのところがうんと言えば、ゴルフ場はできるんですね?」
「そうです。もうそれを見越《みこ》してブルドーザーを入れています」
「動かしてるんですか?」
「はい。いやがらせで私の家の近くからはじめています」
「島に連中は何人いますか?」
「ふえたり、へったりしますが、平均して十人はいます」
「島に住んでいるんでしょう?」
「立ち退《の》きをした人の家を飯場《はんば》にして住んでいます」
「十人か……」
安永が小さな声でつぶやいた。
「おばさん、その連中を島から追い出しますから安心してください」
日比野が言うと、美佐は首を強くふって、
「だめ、だめ。あの連中はそんな生《なま》やさしくありません。へたをすると命を取られます」
「殺される? そいつはヤバイ」
日比野が肩《かた》をすくめた。
「そんなことやれるわけねえだろう。もし殺人なんかやったら社会問題になって、この計画はパーになるじゃんか」
天野《あまの》が言うと相原が、
「天野はあまい。人殺しだとわかんねえ方法だってあるぜ。たとえばハブに噛《か》まれるとか……。おばさん神室島にハブいますか?」
「いますよ」
「きゃあッ」
日比野が派手《はで》におどろいた。
「日比野はヘビが嫌《きら》いだったよな。一年のときだったかな、おもちゃのヘビで腰抜《こしぬ》かしたことがあったよな」
安永がそのときのことを思い出したのか、おかしそうに笑った。
「そうか……。おもちゃのヘビか。それで奴《やつ》らを脅《おど》かすって手もあるよな。あとから来る連中に持って来てもらうかな」
相原は、ぶつぶつと一人ごとを言った。
「島に電話はありますか?」
「そんなものありません」
「電気は?」
「電気はありますが、水道はありません。夏休みが過ぎると電気も切られてしまいます」
「奴らはどうするんですか?」
「水は西表《いりおもて》島から運んで水槽《すいそう》に入れています。電気は自家発電するらしいです」
「ひでえじゃんか。やり方がきたねえよ」
安永は、こちらに来てからおこりっぱなしである。
「ほかに、どんないやがらせをするんですか?」
「私がつくっている野菜をブルドーザーでつぶしたり……」
「それは犯罪だぜ。警察に言えばいいのに」
英治もやりきれない気持ちになってきた。
「言ってもむだですよ。向うはまちがったといって、涙金《なみだきん》をはらえばすむことですから」
「それから?」
「うちのお父さんの船の油が抜かれてたこともありました。エンジンをかけようとしても、どうしてもかからないんです」
「そういう奴には、こっちもそういうことをしてやればいいんだ」
「菊地《きくち》、何か思いついたか?」
安永が聞いた。
「ブルドーザーの油を抜いちまえばいいのさ。目には目だよ」
「油抜くより、塩水入れてやったほうが簡単だ。そうすりゃ動かねえ」
相原が言った。
「あんたたち、なんてことを考えてるんですか? そんなことしたら警察につかまりますよ」
美佐が呆《あき》れたように言った。
「おばさんは、見て見ぬふりをしてればいいの。おれたちは勝手にやるから。サツにつかまるような、ヘマはやらないよ」
天野が言った。
「東京の中学生って、そんな無茶やるんですか?」
「やりませんよ。ぼくらは別です。少年十字軍だから」
「何? それ」
「なんでもいいんです。悪い奴をやっつける組織です。でないと、世の中だんだん悪いほうに行っちゃうから」
英治が言うと相原が、
「それは建て前で、ほんとはいたずらをやりに来ただけです。だからおばさんは心配しなくていいですよ」
とすぐに修正した。
前方に平たい島が見えてきた。
「あれが神室《かむろ》島ですか?」
「そうです。高い山もないから、ゴルフ場にするといいらしいんです」
島に近づくにつれ、点々とブイが見える。
「これはなんですか?」
英治が聞いた。
「水路の標識です。このあたりはサンゴ礁《しよう》で、やたらに船を進めると、船底をぶつけてしまうんですよ」
船がスピードを落した。透《す》きとおった水を通してサンゴの群が見えた。
「飛びこみてえ」
天野が言った。英治も、
「おれも」
と言いたくなった。この海を見ていると、引きこまれていきそうな、不思議な魅力《みりよく》があるのだ。
2
船が岸に着くと、男の子と女の子が立っていて、
「こんにちは」
と頭を下げた。
「息子《むすこ》の陽平《ようへい》と娘《むすめ》の清美《きよみ》。中学一年と小学校四年です」
英治たちもそろって、「こんにちは」と頭を下げた。
「あそこに見えるのが私の家です」
美佐が指さすほうを見ると、まわりを頑丈《がんじよう》そうな石垣《いしがき》と、屋根がわらをしっくいで塗《ぬ》り固めた家があった。
「ここは台風《たいふう》がすごいから、こういう家でないとだめなのです」
美佐は、英治が質問するまえに答えてくれた。
「東京のおばあさんは、この家で生れたんですか?」
「そうです。家の裏山に先祖代々のお墓《はか》がありますが、それもゴルフ場ができたら、なくなってしまいます」
金城まさは、この墓のなくなることを、何よりも悲しがっていた。そのことを言うと、
「そうでしょう。お墓がなくなったら、死んでも霊《れい》は帰って来れなくなってしまいますから」
陽平と清美の案内で家に入った。
「君たちの中学は四人だけ?」
英治は、五人の前にきちんと正座している陽平に聞いた。
「はい」
「君は一年生でしょう。ほかに何年と何年がいるの?」
「二年の男が一人、あとは女子で一年と三年にいる」
「ちょっと、正座はやめてくれないかな。ぼくらと同じようにあぐらをかこうよ」
英治は、足をもじもじさせている陽平に言った。
清美がコップに入れたお茶をお盆《ぼん》にのせてやって来た。
「みんなの名前をおしえてくれないかな」
「二年の男が上原、一年の女が金城ね、三年の女も金城」
「金城って苗字《みようじ》が多いんだね?」
「沖縄には、上原と金城が多いんです」
美佐がやって来て言った。
「あそこにかかっている、おじいさんとおばあさんのお面はなんですか?」
日比野が壁《かべ》を指さして言った。
「あれはアンガマといいます。歯が一本しかないのが翁《おきな》、もう一つが媼《おうな》です。やさしい顔をしているでしょう?」
「やさしいというより、ちょっと不気味《ぶきみ》ですね」
「石垣島では、お盆《ぼん》をソーロンといって、旧暦《きゆうれき》の七月十三日に祖先の霊《れい》を迎《むか》えて、七月十六日の未明《みめい》に送るのが、むかしからのソーロンの風習ですが、お盆のときに、このアンガマ面をつけた人が各家を訪問するんです」
「へえ、おもしろい」
「このアンガマは先祖神ということで、踊《おど》りをやったり、訪問先で質問に答えるんです」
「どんな質問に答えるんですか?」
天野が聞いた。
「どんな質問にも答えます」
「では、ぼくは勉強ができるようになるでしょうかって聞いてもいいんですか?」
「もちろんです。先祖神だからなんでも答えてくれます」
「天野が聞いたら、なんて言うか、おれだってわかってる」
安永が言った。
「なんて言うんだ」
「勉強はあきらめたほうがいいです」
「あのお面、どこの家にでもあるんですか?」
英治が聞いた。
「どこの家にもあるってもんではないけれど……」
「五組集められませんか?」
「五組ですか? 石垣島へ行けば集められますが、どうするんですか?」
美佐が不思議そうに英治を見た。
「十人が白いシーツをかぶって、あの面をつけて夜中に奴らを脅《おど》かすんだよ。絶対おどろくぜ」
「そいつはいただきだ。菊地いいぞ」
相原がほめた。
「あんたたちは、とんでもないことを考えるんですね」
美佐があきれた顔をしている。
「おばさん、こんなことでおどろいちゃいけませんよ。これはほんの序《じよ》の口。これからつぎつぎと攻撃《こうげき》をしかけて、奴らが絶対島にいられないようにしてやるんです」
「ぼくも手つだわして」
陽平が遠慮《えんりよ》がちに言った。
「もちろんさ。地元の君たちに協力してもらわなくちゃ勝ち目はないからな。たのむぜ」
相原は陽平の肩《かた》をたたいた。すると清美も、
「私も手つだわせて」
と言うと美佐が、
「あんたは足手まといになるだけだから、家に引っこんでいなさい」
とたしなめた。
「清美ちゃんにも助けてもらわなくちゃ。きっとやってもらうことがあるから、そのときはたのむよ」
相原は、清美の肩をやさしくたたいた。
「そうだ、清美ちゃんに、奴らが何人いるか調べて来てもらおうぜ。清美ちゃんなら奴らも警戒《けいかい》しねえだろう」
「うん、行って来る」
英治が思いついて言うと、清美はもう家から飛び出していた。
「おじさんはどこにいらっしゃるんですか?」
相原が美佐に聞いた。
「石垣島に魚を持って行ってます。間もなく帰るでしょう」
「毎日石垣島へ行くんですか?」
「ええ、魚さえ獲《と》れれば毎日行きます」
「じゃあ、あしたぼくを石垣島へつれて行ってください」
「いいですよ。そのかわり魚獲りを手つだわされますけどいいですか?」
「もちろんです。おれ一度漁師がやってみたかったんだ」
「石垣島で、矢場さんに電話するのか?」
英治が聞いた。
「うん。それとカッキーに電話して、来るときヘビのおもちゃを持って来てもらうんだ」
「ついでに花火もほしいな。立石《たていし》に言ってみろよ」
「花火は飛行機じゃ持って来れないよ。石垣島で買って来る」
陽平がいつの間にいなくなったかと思ったとき、三人の子どもをつれて来た。
「この四人が神室《かむろ》中学の全員です」
陽平が言うと、背のいちばん高い女の子が、
「三年、金城|八重《やえ》」
するとつづいて、
「二年、上原|徹《とおる》」
「一年、金城あかね」
とまるで先生に言うように大きい声で言って頭を下げた。まず相原が立って、
「申しおくれましたが二年、相原|徹《とおる》です」
「あ、おれと一緒《いつしよ》の名前だ」
上原が手を出した。その手を相原がにぎって、
「よろしく」
と言った。つづいて英治が、
「同じく二年の菊地英治」
「同じく二年の安永|宏《ひろし》」
「同じく天野司。ぼくはものまねが得意《とくい》です。プロレスの中継《ちゆうけい》をやらせたら日本一です」
「ここはNHKしか見られないから、プロレス見たことないんだ」
陽平がちょっとさびしそうな顔をした。
「そうか、それはわるいこと言っちゃったな」
「テレビなくてもいいから、あとで中継だけやってみて」
陽平が言うと、天野は、
「では、六時になったらプロレス実況《じつきよう》中継をやるから、みんな集まってくれよ」
天野が言うと四人が「はい」と手をあげた。こっちの子もけっこうのりがいい。
「最後になりましたが、ぼくは日比野朗《ひびのあきら》といいます」
「成績も走りっこも最後の男。こんなに太っちゃったのは食べ過ぎのせいです」
天野が解説した。
「沖縄では、デブのことをなんて言うんだ?」
安永が陽平に聞いた。
「ブッタラコー」
「ブッタラコー? 感じ出てるぅ」
天野が吹《ふ》き出すと、みんな大笑いになった。
「これから日比野のことは、ブッタラコーッて言おうぜ」
天野はワルのりしている。
「ブッタラコーと言われたくなかったら、こっちにいる間ダイエットしろよ」
安永が、なぐさめるように日比野の肩《かた》をたたいた。
日比野はすっかりくさって、口もきかない。
3
「みんなで十人いたよ」
清美が帰って来るなり言った。
「仕事してたか?」
陽平が聞く。
「うん」
「家にだれかいたか?」
「だれもいなかった」
「お手つだいはだれもいないのか?」
相原が聞いた。
「だれもいないよ。ときどき手つだってくれって言われるけど、言うこと聞かないよ」
八重はおっとりとしたしゃべり方をする。きっと、気持ちものんびりしているにちがいない。
「こんど言われたら、手つだいに行ってくれないか。ちょっと考えてることがあるんだ」
「何を考えてるの?」
「あいつらをやっつける方法さ」
「あいつたち、やっつけるの?」
八重の目が輝《かがや》いた。
「そのために東京からやって来たんだ」
「ほんと? じゃあ私も手つだう」
「あいつら嫌《きら》いか?」
「あいつたちは悪魔《あくま》だもん」
「おれたちは、悪魔には強いんだ。シーサーみたいなもんさ」
安永を見るときの八重の目はちがう。もしかしたら好きになったのかもしれない。
「私は何すればいいの?」
「いまはまだわかんないけど、そのうちわかる。せいぜい奴らの機嫌《きげん》をとっておくんだな」
相原が言うと安永が、
「どんな奴らか見に行ってみねえか?」
「そうだな。陽平君、案内してくれるか?」
「君《くん》なんて言わないで、陽平って言ってくれない。おれ、君なんて言われたことないから、なんだか体がくすぐったくなるんだよ」
「わかった。じゃあこれから陽平って言うことにする」
陽平は表に出ると、みんなが出て来るのを待って、右手で来いというゼスチュアをした。
「奴らに、おれたちの姿は見えないほうがいい」
相原が言うと陽平は、わかっているというふうに、何度もうなずいた。
みんな黙々《もくもく》として歩く。しばらく歩いてから、陽平は道をはずれて草むらの中に入って行く。
背の高さほどもある草むらの中を歩くと、草いきれで息が苦しくなる。
日比野はタオルで汗《あせ》を拭《ふ》きっぱなしである。
「日比野、大丈夫《だいじようぶ》か?」
安永が意外にやさしいところを見せる。
「大丈夫」
そう言いながら息をはずませている。
草むらが切れたと思うと目の前に家があった。
「この家の人、去年|那覇《なは》に行ったんだ。おれと同級生の友だちもいる」
上原がぽつんと言った。
「仲よかったのか?」
英治が聞いてみた。
「うん。小さいときからずっと海で遊んでた」
「ここはいいなあ、勉強なんかやらなくても先公|文句《もんく》言わねえんだろう?」
天野が聞いた。
「言わない。勉強やる奴は本土に行くもん」
「本土って九州のことか?」
「九州も東京もみんな本土だよ」
「ここにいても、仕事ないから出て行くのよ、私も中学卒業したら大阪へ行くつもり」
八重が言った。
「大阪の高校に入るのか?」
「ちがう。働きに行くの」
「おれも中学出たら働くんだ」
安永が言うと、八重は頬《ほお》を輝かせて、
「ほんと?」
と親しげな口調になった。
「おれ、ちょっと家をのぞいて来るから、ここで待っててくれないか」
陽平は、そう言うと草むらから駆《か》け出した。
しばらくして、もどって来ると、
「だれもいないみたい」
と言った。
「みんなで行くと目立つから、おれが陽平と一緒《いつしよ》に行って見て来る」
相原は、そう言って陽平と一緒に草むらから出て行った。
草むらに座っていると、汗《あせ》がとめどなく出てくる。
相原は、五、六分でもどって来た。
「おもしろいことわかったか?」
英治は、相原の顔を見ただけで、何かあったなと直感した。
「あそこならいろんなことができるぞ。夜になったら、このへんは真っ暗か?」
「真っ暗。一人じゃとても来れないよ」
八重が答えた。
「あそこをお化《ば》け屋敷《やしき》にしよう」
「きゃあ」
あかねが悲鳴をあげた。
「お化け嫌《きら》いか?」
「大嫌い」
あかねは、体をふるわせている。
「お化けの好きな奴《やつ》はいない。おとなだって同じさ」
「ここはもういいだろう。暑くてしかたねえ」
日比野は、港に揚《あが》った魚みたいに、口をぱくぱくさせている。
「じゃあ現場に行ってみるか」
こんども陽平が先頭である。草むらを抜けて道を歩きはじめた。
道路の脇《わき》に咲《さ》いている花を、八重はいちいち、「ブーゲンビリア、ハイビスカス」と安永に説明している。
「これ、ガジュマル。枝《えだ》から垂れているのは気根《きこん》だ」
上原が説明する。
「ハブはいないのか?」
日比野が聞いた。
「昼間は大木の洞《うろ》の中とか岩の隙間《すきま》で寝《ね》てる、活動するのは、夜の七時ごろから十時ごろだ」
「大きさどのくらいだ?」
「六十センチから百二十センチくらいかな」
日比野が手をひろげて、
「でっかいや」
と言ったとき、天野が、
「きれいな蝶《ちよう》」
と飛んでいる蝶を指さした。
「あれはリュウキュウアサギマダラ」
八重が言った。
「蝶好きなのか?」
「好き、たくさん標本持ってるよ。よかったら見せてあげる」
「見たいな」
「安永君も蝶が好き?」
「好きってほどでもねえけど、でもこの蝶は美しい」
安永が蝶にうっとり見とれている。
こういう安永を見るのは、英治にとって、新しい発見であった。
「ほら、あそこでやってる」
林を抜けたところで、先を行く陽平がふり向いて言った。
「姿は見られないようにしたほうがいいぞ」
相原に言われて、全員がしゃがんで作業現場を見た。
ブルドーザーが三台、学校の運動場の三倍くらいありそうな広場を走りまわっている。
「もとは、あそこもここと同じ森だったの。きれいな蝶をよく採りに来たもんだわ」
八重が懐《なつか》しそうに言った。
「なんだか、この島の皮をはがされてるみたいで、見てるとかわいそうになる」
あかねが言ったが、そう言われてみると、島が泣いているような気がしてきた。
「皮はがれるぞってことを、沖縄ではカーハガリンドーって言うんだ。ヤクザがつかう言葉だって」
陽平が言った。
「カーハガリンドーか。迫力《はくりよく》あるな」
天野が何度もくりかえしては感心した。
「奴ら何時から何時まで働いている?」
相原が上原に聞いた。
「朝八時から夕方の六時まで」
「ずいぶん働くんだな」
「十二時から二時までは、昼めしを食って休んでるから、実際は八時間だよ」
「作業が終ると、ブルドーザーはどこへしまうんだ?」
「現場へ置きっぱなしだよ」
「あのあたりの土って固いかな?」
「相原、おまえ何考えてんだ?」
安永が聞いた。
「やわらかかったら、落し穴つくって、ブルドーザー落しちゃうんだ」
「おもしろい」
あかねが手をたたいた。
「あのへんは固いから、ブルドーザーを落すような穴を掘《ほ》るのは無理かもしれない。浜《はま》のほうに行けば、やわらかいところもある」
「海岸のほうもやってるのか?」
「あれがずっと浜までつづいてるんだ」
「じゃあ、雨が降ったら、赤土が海に流れ出るんじゃないか?」
英治が聞いた。
「出る。いつもはきれいだけど、そういうときの海はきたない」
「サンゴ大丈夫なのかな?」
「死ぬかもしれない」
「死んでるのもあるよ」
八重が言った。
「早くやめさせなきゃ、みんな死んじゃうぞ。それでもいいのか?」
安永がこわい顔で八重をにらみつけた。
「だってしようがないよ。もう土地は私たちのものじゃないんだから。それに、夏休みが終ったら、みんなこの島を離《はな》れるんだ」
安永は何も言わない。言いたいことはいっぱいあるはずなのに。
きっと、がまんしているにちがいない。痛さをこらえているような顔をしている。
4
その日の夕ご飯は豪華《ごうか》だった。英治たちのために陽平のお母さんが、特別につくってくれたものだ。
おもしろいのは、ぶたの耳だ。するめの耳を食べているようで、べつにうまいとは思わないが、こりこりしている。
チャンプルという、とうふと野菜のいためたものはうまい。もやしといためたものをマーミナ・チャンプルというそうだ。
沖縄そばというから、そばかと思っていたら、うどんとラーメンの合いの子みたいなものだった。
魚は、陽平のお父さんが獲《と》ってきたものだが、刺身《さしみ》や、から揚《あ》げがよかった。
さすがの日比野も、食べても食べても料理が出てくるので、遂にギブアップしてしまった。
食べ過ぎたせいか、みんな眠《ねむ》くなって、夜もう一度、奴《やつ》らの泊《とま》っている家を偵察《ていさつ》に行く予定だったが、やめることにした。
翌朝、相原はみんなの寝《ね》ている間に、陽平のお父さんと家を出た。
みんなが起きたのは、八時少し前だったが、すでにもうかなりの暑さだった。
「相原が帰って来るのは午後だと思うが、それまで陽平たちにこの島を案内してもらおう。もちろん奴らの動きも偵察する」
食事のあと英治がみんなに指示して、出かけようとすると、上原、八重、あかねがやって来た。
「何かやることある?」
八重が聞いた。
「ちょうどいい、みんなで行くと目につくから、A、B二手《ふたて》に分れて行こうぜ。まずAチーム、菊地、天野、陽平、あかね。Bチーム、安永、日比野、上原、八重。異議あったら手をあげてくれ」
だれも手をあげる者はいない。
「では、これに決める。上原、両チームの合流地点をおしえてくれ」
「仲間川がいい。あそこならここから行くとちょうど中間点だ」
「仲間川なんて名前がいいな」
「西表《いりおもて》島にも同じ川があるけど、そっちは石垣《いしがき》島からの船が着く大原港が河口だから、ずっと大きい。あれにくらべたら、こっちは小川みたいなもんだ」
こういうことを言う上原は、根が謙虚《けんきよ》なのにちがいない。
――こういう奴っていい。
英治は上原が好きになった。
神室《かむろ》島を一周する道路はない。港といっても簡単な船着場だが、その左右二キロほど道路があるだけである。
自動車は軽トラックが二台あるだけで、乗用車はない。
あっても必要ないからだ。
ところが、この島を開発する桜田《さくらだ》組がブルドーザー三台と、二トントラックを陸揚《りくあ》げした。
島の中心につくるゴルフ場の資材|運搬《うんぱん》のためである。
もちろん、トラックの通れる道も造成した。
島には港の海岸に沿って、わずかの耕地があるだけで、あとは森と林である。
正確に言うとあった。いまでは森と林をつぶしてゴルフ場を造成しているので、以前とくらべると、見るかげもない哀《あわ》れな島になってしまった。
美佐の家は港の近くにあるが、反対|側《がわ》の仲間川まで行くには、どっちをまわるにしても、ほとんど砂浜を歩かなくてはならない。
といっても周囲七キロだから、三・五キロ歩けばいい計算になる。
Aチームは左まわり、Bチームは右まわりということになった。
英治のAチームはもちろん陽平が先頭である。五百メートルほど行ったところで、
「あれが学校だ」
と指さした。門の石柱に神室小学校、神室中学校と二つ並《なら》んで表札《ひようさつ》が出ている。
「小学校は何人いるんだ?」
「三人」
「じゃあ、中学と合わせて七人か。それにしては、校舎が立派じゃないか。運動場も広いし」
「むかしは、何十人もいたことがあったらしい」
「これが、夏休みが終ったら廃校《はいこう》になるのか?」
「うん」
陽平は、ちょっとさびしそうに校舎を眺《なが》めている。
「廃校になったら、どうするんだ?」
「父ちゃんの船で石垣島まで通うんだ」
「台風《たいふう》のときは行けねえだろう?」
「そのときは休むさ」
英治は、あたりまえのことを聞いたのがおかしくて、笑い出してしまった。
すると、あかねもさもおかしそうに笑った。
「陽平、勉強できるほうか?」
英治は、笑っているあかねに聞いた。
「まあまあ」
「あかねは?」
「私もまあまあ」
そう言ってまた笑った。
「ここじゃ、先生は二人で一年から三年までおしえてるんだ。勉強はやってもやらなくても、どっちでもいいんだ」
「それで高校に入れるのか?」
「高校へ行こうと思う奴は、中学のときから本島へ行ってるよ」
「本島というのは、沖縄本島のことか?」
「そうだ。本島でもっとできる奴は、鹿児島のラサールへ行くんだって」
「ラサールっていえば有名な高校だ」
「そういう奴は、おれたちとは関係ない」
「そうだよな」
四人しかいない中学って、どんな感じなのだろう。通ってみたいという気がふっとした。
「じゃあ行こうか」
陽平は、学校をあとにして、ゆっくりと歩いて行く。
道の脇《わき》に、ところどころ家を見かけるが、そのどれもが空家《あきや》だと陽平が言った。
「これはまるで西部劇で見るゴーストタウンだぜ」
天野が言った。
「どの家も空家ってのは、ちょっと気味わるいな」
頭が焼けそうなほど熱いのに、英治は背中がぞくぞくしてきた。
しばらく行ったところで、あかねが、
「ここが私の家」
と言った。
そこで少なくなった水筒《すいとう》の水を満たして先へ進む。
やがて道は行き止りになった。
「ここからは、砂浜《すなはま》を歩いて行くしかない」
と陽平が言った。
道路を降りて海岸へ出ると、サンゴ礁《しよう》の岩盤《がんばん》が沖《おき》までつづいている。
「いまは潮が引いているから渡《わた》れるけど、潮が満ちたら行けなくなる」
「それじゃ、帰りはどうするんだ?」
「林の中を通り抜けるしかない」
「ハブは大丈夫《だいじようぶ》か?」
「大丈夫かどうかは、行ってみないとわからないよ」
陽平は無責任なことを言う。
「あいつら食いものはどうしてるんだ?」
「毎日、船で運んでる」
「ここではつくらないのか?」
「つくるのがいないからだよ」
「そうか、石垣島から運んでるのか……」
おもしろいことを聞いたと英治は思った。しかし、頭には何も浮《う》かんでこない。
「こんなところにゴルフ場やホテルをつくって、水はどうするんだ?」
「西表《いりおもて》島からパイプで引いてくるらしい」
しばらくは、すべらないように足もとを見てゆっくり進む。やがて前方に川が見えてきた。
「あれが仲間川か?」
「うん。まだ来てないみたいだ」
Bチームの姿はない。川の縁《へり》に腰《こし》をおろして、持ってきた弁当を開いた。
川とはいっても、川幅は三メートルくらい、歩いて渡れるほどの浅さだ。
弁当を食べようとしたとき、向うからBチームがあらわれた。日比野の姿がない。
「日比野はどうした?」
英治は安永に聞いてみた。
「ばてたから途中《とちゆう》でおいて来た。もうじき来るだろう。あのブッタラコーはしようがねえよ。めんどうみきれねえぜ」
安永がぼやくと、みんなが笑い出した。
「でも、置いて来るのはちょっとかわいそうだったよ」
八重がやさしいところを見せた。
「あいつを待ってたら、Aチームに心配かけると思ったからさ。さあ弁当でも食おうぜ。食ってりゃ、においをかぎつけてやって来るさ」
安永の言ったとおり、弁当を食べはじめてしばらくすると、日比野が息をはずませながらやって来た。
「どうしたんだよ。はあはあ言っちゃって」
「奴《やつ》らに見つかっちゃった」
「なんだって?」
安永の声が変った。
「道ばたで休んでたら、男がやって来て……」
「どんな男だ?」
「人相のよくねえ野郎、ちょっとヤクザっぽかった」
「そいつに何かされたのか?」
「おまえだれだって言うから、島の中学生だって言ったんだ。そうしたら、この野郎うそつくんじゃねえってけとばされた」
日比野は青いあざのできた足を見せた。
「あたりまえだ。おまえが島の中学生に見えるかよ」
「言われてみりゃそのとおりだけど、そのときはつい言っちゃったんだ」
「それからどうした?」
「実は東京から遊びに来たって言ったんだ」
「だれの家に来たか聞かれなかったか?」
「聞かれた。しかし迷惑《めいわく》かけるといけねえと思ったから、おもしろそうな島だから、ふらっとやって来たって言った」
「おまえにしちゃ上出来だ」
「そうしたら、この島は個人の持ちものだから勝手に来ちゃいけねえ。すぐ帰れって言われた。だから帰りたくても船がないって言ってやった」
「そうしたら?」
「夕方船が着くから、それに乗って帰れってさ」
「そうか、ちょっとまずいことになったな」
英治は安永と顔を見合わせた。
「帰らなかったらどうなる?」
「そりゃ変に思うだろう」
安永の表情も暗くなった。
「おれがどじしたばかりにすまねえ」
日比野は、いかにもすまなそうに頭を下げた。
「そんなことはいいから弁当を食えよ。腹へってんだろう」
安永がやさしく言ったので、日比野は子どもみたいにうれしそうな顔で、弁当をひらいた。
5
相原が石垣島からもどって来たのは午後三時だった。
相原の顔をひと目見たとき晴れやかだったので、うまくいったなと英治は思った。
「どっちから先に報告する?」
相原が言うと安永が、
「そりゃあ、そっちの話のほうが聞きてえよ。なあ」
と英治の顔を見たので、英治もうなずいた。
「じゃあ、おれから報告する。矢場《やば》さんのほうだが、こういうことがはっきりした」
相原は、ポケットから手帳を出すと、
「この島の土地を買い占《し》め、造成をやっているのは桜田《さくらだ》組という土建会社だが、その資金を出しているのは、大手の丸田組だ。つまり桜田組は下請《したう》けってわけだ」
「丸田組ならおれも知ってる。おれのおやじなんか、その孫会社の仕事したことがある」
と安永が言った。
「その丸田組が、いま政治|献金《けんきん》と脱税《だつぜい》でもめてるらしい」
「もめてるって、どういうことだ?」
英治が聞いた。
「つまり、脱税した金を政治献金し、献金することによって、でかい仕事を取るという仕組になっているんだが、それがいまばれそうなんだ」
「おもしれえじゃんか」
天野が言った。
「なぜそういうことになったかというと、会社の重要なポストにいる奴《やつ》が、内部の秘密資料を検察庁に送りつけたんだそうだ」
「よくやったな、そいつ。だけど、そんなことやってヤバくねえか」
安永が言った。
「ヤバイからそいつは姿を隠《かく》しちゃったんだ」
「逃《に》げちゃったのか?」
「逃げたのか、それとも殺されたのか、それはまだわからないが、いま警察と会社の両方がそいつの行方《ゆくえ》を追ってるらしいんだ」
「おれは会社に殺されたと思う」
天野が言った。
「殺されたんなら、会社は追っかけないだろう」
「菊地、それはあまい。会社は殺したことがばれないために、わざと追いかけてるんだ」
「天野は鋭《するど》いところをついてくるな。矢場さんも、その可能性は認めている」
「そうだろう」
相原に言われて、天野は得意《とくい》そうに鼻をこすった。
「もし、そいつが生きてたらどうなる?」
「生きて検察側の証人になったら、丸田組のあくどいことがみんなばれちゃうから、政治家の中の相当の大物がやられるだろうってさ」
「じゃあ、そいつが死んでたら?」
「証人がいないから、うやむやになっちゃうのが、これまでのケースだそうだ」
「そうなると、もしそいつが生きて逃げているなら、会社はどうしてもつかまえたくなるんじゃねえのか?」
「菊地の言うとおりだ。おれは、そっちの可能性のほうが大きい気がする」
「なんだ、相原はそういう意見なのか」
天野ががっかりした。
「そいつ、なんて名前なんだ?」
英治が聞いた。
「元木《もとき》っていうんだそうだ。年齢《ねんれい》は四十九歳。中肉中背でメガネをかけている。髪《かみ》は少し薄《うす》いが、これはかつらでごまかされる。言葉に東北弁のなまりが少しあるそうだ」
相原は手帳を見ながら言った。
「じゃあ、逃げるとしたら東北か、それとも北海道かな」
日比野が言った。
「その反対じゃないかって矢場さんは言ってる」
「じゃあ、九州か沖縄か?」
「そう」
「おい、おれたちそいつを見つけるほうがいいんじゃねえのか」
天野が言った。
「それは、おれたちにはちょっと無理だ。それより、元木がいるってガセネタを流して、敵を混乱させることはできると思うんだ」
「そいつはいけるぜ、さすがに相原だ」
安永が感心した。
「ところで、親会社がそうなると、桜田組のほうはどうなるんだ?」
「もうやめたと親会社が言ってくれればいいが、桜田組のほうは、はいそうですかとは言わないだろう」
「じゃあ、結局やるんだから同じじゃねえか」
「しかし、事態はこっちに有利だ」
「どうして?」
安永は、相原の顔をのぞきこんだ。
「どうしても欲しいときは強引《ごういん》な手をつかう。しかし、いまの丸田組は問題を抱《かか》え過ぎているから、これ以上のトラブルはごめんだっていうことだ」
「わかった。じゃあ丸田組に揺《ゆさ》ぶりをかければいいんだ」
「たしかにそのとおりだが、桜田組のほうは、そうなっては、いままでやってきたことが水の泡《あわ》になってしまうから、何がなんでも買収してしまおうと強引に出てくるかもしれん」
「要注意ってわけだ」
「そういうこと」
安永は腕組《うでぐ》みして考えこんでいる。
「よし、そっちはそれでいいとして、カッキーたちはいつ来るんだ?」
「あすの飛行機でやって来る。那覇《なは》に着いたら、すぐ石垣《いしがき》島行きに乗り継《つ》いで来るそうだ。こんどは天野|迎《むか》えに行ってくれ」
「おれ、朝の早起きはごめんだぜ」
天野がしりごみした。
「いいよ。私も行ってあげるから」
美佐が言った。
「ありがとう。そうこなくっちゃ」
「カッキーには、ヘビのおもちゃを買ってくるよう言っておいた。それから花火を石垣島で買ってきた」
「つかった金はおしえてくれよ。あとでいくらつかって、いくら残ったか瀬川《せがわ》さんに報告するんだから」
五人が沖縄へやって来る船賃と滞在費《たいざいひ》は、瀬川とさよが出してくれた。
二人とも、年寄りの道楽《どうらく》だからぜひ出させてくれと言ってきかなかったのだ。
そのかわり、帰ったらおもしろい話を聞かせなくてはならない義務がある。
「おれのほうはこれで終り、そっちの話を聞かせてもらおうか?」
相原に言われて、安永は、
「菊地、おまえ言え」
と逃《に》げた。
「じゃあ、こっちの報告をする。おれたちはAチーム、Bチームに分れて、別々のコースを通って島を一周した」
「一周する道はあるのか」
「道は海岸に沿って三分の一しかない。あとは海岸づたいに行って、仲間川という川で合流した」
「それじゃ、ゴルフ場にはどうやって行くんだ?」
「それはいま造成中だ。まだ舗装《ほそう》してないが、資材を運ぶトラックは通っている」
「もうかなり進んでるのか?」
「いや、まださほど進んでない。しかし将来は島の真ん中をぶち抜いて、反対側にマリーナをつくるらしい」
「ひどいな」
「海岸を歩いて見ると、サンゴ礁《しよう》がすばらしい。それに原生林もすごくいい。それがみんなだめになっちゃうらしい」
「早くやめさせなきゃな」
「奴らの作業見てると、まるで、自分の体を切り刻まれるようでつらいよ」
それは英治の実感だった。
「何かいい攻撃《こうげき》方法見つかったか?」
「攻撃方法というんじゃないが、奴らは毎日食いものを石垣島からスピードボートで運んでいるらしい」
「へえ、そんなめんどうなことやってるのか?」
「つくる奴がいないからだろう。これは何かにつかえると思わねえか?」
「どんなふうに?」
相原が聞きかえした。
「奴らは、運んできたものを一応|飯場《はんば》にしてる家の大型冷蔵庫に入れるらしいんだ。でないとわるくなっちゃうから」
「菊地の言いたいことわかったぞ」
「ほんとか? 言ってみろ」
「冷蔵庫の電気を切って中毒を起こさせる」
「そのとおり。なんでわかるんだ?」
「一年以上つき合ってりゃ、それくらいわかるさ。それは一回しかつかえないが、いけるな」
「そうだろう。必殺の手だ。それからもう一つ。これは、あんまりいい話じゃないんだが……」
英治は、日比野の顔をちらっと見て、
「日比野が、奴らに見つかっちゃったんだ」
「見つかった?」
「すまねえ、どじしちゃったんだ」
日比野は、見つかった経緯《けいい》を説明した。
「すると、夕方の船に乗らなかったら、奴ら疑うな?」
「どうする? 相原が乗れって言うなら、乗って石垣島へ行ってもいいぜ」
日比野は神妙《しんみよう》な顔をして言った。
「かまわん、ほっとけ」
「いいのか?」
天野が心配そうに言った。
「おれたちのいることが奴らにわかるのは、どうせ時間の問題だ。じたばたすることはない」
「そうだ。じたばたすることはねえ。こんやにでもしかけようぜ」
「天野、あした石垣島へ行ったらアンガマ面を五組持って来てくれ。借りるところはおばさんが知ってる」
「OK」
「さあ、いよいよ戦闘《せんとう》開始だぞ」
みんな期せずして拳《こぶし》をにぎると、「えいえい、おう」と突《つ》き上げた。
6
「こんやも豚《とん》カツか、これで三日連続だぞ」
食堂に入って来るなり、米倉《よねくら》がどなった。食堂といっても、自分たちがそう名づけただけで、十|畳間《じようま》に折りたたみ式のテーブルを置いただけのものである。
「豚カツさえ食わしときゃ、ばてねえって考えとるんやろ。文句《もんく》言うな」
米倉は百八十センチはある大男だが、それに引きかえて、高木は百六十センチくらいしかない。
そのかわり、丸々《まるまる》と肥《ふと》っているから体重だと同じくらいだ。
テーブルを囲んだのは九人だが、それぞれの前に缶《かん》ビールが置いてある。
「ビールが一本じゃ足りねえぞ。もう一本サービスしろ」
前野が、空缶《あきかん》でテーブルをたたいた。炊事《すいじ》係の松山は聞こえない顔をして無視している。
松山は高校を出たばかりなので、みんなから坊《ぼう》やと言われている。
「いいか、あした石垣島に行ったら、木村屋のばばあに言っとけ。ぶたばかり食わせずに、ちっとは献立《こんだて》を考えろって」
「はい。ですが、予算の中でいちばん栄養のあるものっていうと、どうしても豚カツになるって言ってます」
松山がおそるおそる言う。
「いいか、おれたちはブロイラーやないんや。栄養だけつけりゃいいってもんやないで」
米倉はもと暴力団にいたというだけあって、言い方に凄《すご》みがある。松山は小さくなって、
「はい、そうつたえます」
と言った。
「みんな、食いながらでいいから聞いてくれ」
鮫島《さめじま》が入って来るなり言った。
「課長さん、そのまえにビールをもう一本いただいていいですか?」
高木が言った。鮫島はひとにらみして、
「だめだ。ビールは一本と決められている」
と突き放した。不思議に米倉は鮫島の言うことに文句《もんく》をつけない。
これは米倉だけ、鮫島から特別手当てをもらっているからだ。
「あしたの夕方、組長が来られる」
「組長、このくそ暑いところへ来たら、ぶっ倒《たお》れまっせ」
高木が言った。
「それはわかっているが、どうしてもみんなに伝えたいことがあるんだそうだ」
「わかった。臨時特別手当てを出そうって腹づもりや。図星《ずぼし》でしょう?」
「あまいことを考えるんじゃない。もたもたしているんで、しりをひっぱたきに来られるんだ」
「もたもたと言われちゃ気に入らねえ」
前野が開き直った。
「もたもたというのは、おまえたちの仕事のことじゃない。まだ一軒だけ買収できないことを言ってるんだ」
「そんなこと、おれたちの知ったことじゃねえ。課長がなめられてるからですよ」
「おれだって、かなり強引《ごういん》にやってるつもりだ。いまだって、法律ぎりぎりというよりは向う側にはみ出している」
「奴のところの畑をブルで踏《ふ》みつぶしたり、船の油を抜いたりしているんだから、訴《うつた》えられたらヤバイことになるんとちゃうかな」
高木が他人《ひと》ごとみたいに言う。
「高木、実際にやったのはおまえだぞ」
「わしはサツにつかまったら、命令でやったと言うだけや、課長もそう言ったらどうですか?」
「おれはサラリーマンだ。そんなことは言えん」
「ほんなら、いざというときは身替《みがわ》りになる覚悟《かくご》でっか?」
米倉が言った。
「もちろんそのつもりだ」
「えらい! みんなよく聞いたか、人間はこうでなくちゃいかんのや」
「米倉、人をおちょくるのはやめとけ」
鮫島は、苦《にが》い薬でも飲んだような顔になった。
「そうすると組長は、もっと強引にやれと、ハッパをかけに来られるんですか?」
「そういうことだと思う」
「課長、おれはよく知ってるけど、これ以上やったら、ほんとにヤバイですぜ」
「それはわかっとる」
「やるなら課長一人でやっとくれやす。おれはごめんだ」
米倉が言うと、みんなつぎつぎに「ごめんだ」と言った。
「おまえたちには特別目をかけたつもりなのに、ずいぶん冷たいじゃないか」
「そりゃ、課長がやってくれたことは感謝してます。しかし、それとこれとは別ですわ」
「そうか、おまえたちにはもうたのまん、おれは一人でやって、一人で罪をかぶる」
鮫島は、なぐり込みにでも出かけるときのように、悲壮《ひそう》な顔をした。
「課長がそこまで言うのを見殺しにはできねえ。おれも一枚かませてもらいます」
米倉は、思い入れたっぷりに言った。
「そうか、やっぱり米倉だ。おまえの気持ち、ありがたくちょうだいする」
「兄貴がやると言うなら、おれもやります」
高木が言うと、前野も矢島も、
「やる」
と言った。こうなると、大勢に押《お》されて全員がやるということになってしまった。
「みんなありがとう。よし、こんやはおれのおごりで酒は飲みほうだいだ」
「やった。坊《ぼう》や、どんどん持って来い」
高木は、飲みほうだいと聞いただけで、もう酔《よ》いがまわった感じだ。
「酔っぱらうまえに、ちょっと課長に聞いてもらいたいことがあるんです」
矢島が言った。
「なんだ?」
「きょうの昼ですが、ガキが一人迷いこんで来ました」
「どこのガキだ?」
「はじめは島のもんだと言いましたが、問いつめると東京からやって来たって言うんです」
「東京から、なんだってこんなところにやって来たんだ?」
「それが、おもしろそうだから来たって言うんで、この島は個人の持ちものだから、無断で来ちゃいけねぇ。すぐ帰れって言ってやりました」
「いいだろう」
「ところが帰りの船がないことに気づいたんで、夜弁当を持って来た帰りに乗せようと、六時に港に来いと言ったんですが、あらわれないんです」
「なぜだ?」
「なぜだと思います?」
「ガキが様子をさぐりに来るってのは考えられねえ。しかし、あらわれねえところをみると、どこかの家に潜《ひそ》んでるな」
「ぶたみたいに太ったガキですから、見ればすぐわかります」
「たいしたことはないと思うが、よそものは入れんほうがいい。見つけ出したら、痛い目にあわせてみるか、何か吐《は》くかもしれん」
「そうですね。あすでもさっそくつかまえてきます」
「それがいい」
ビールと酒が運ばれるにつれ、座はだんだんと盛《も》り上ってきた。
そのうち、一人、二人と小便に立つ者があらわれた。
窓の外から中をうかがっていた相原、英治、安永、天野、日比野、陽平の六人は、慌《あわ》てて地面に伏《ふ》せた。
そこへ太ったチビがやって来ると、鼻うたを歌いながら、立ち去った。
「おれの顔におしっこがかかった」
日比野は、濡《ぬ》れた顔を手でこすった。
「おまえにだけおしっこがかかったところをみると、そろそろ運のつきかもしれねえぜ」
天野が言うと、日比野は真剣《しんけん》になって怒《おこ》り出した。
「おまえたち、あしたおれがどうなってもいいのか?」
「べつによかねえよ」
「天野、おまえがそんなに冷たい奴だとは思ってなかったぜ」
日比野は半分泣いている。
「日比野、興奮するな、おまえがつかまるようなことを、おれたちがすると思うか」
相原は、小便で濡《ぬ》れた日比野の肩《かた》をたたいた。
「そうだよ。おまえがいなくなったら、おれたちさびしくて、どうしようもねえよ」
安永もつづけて言うと、日比野の機嫌《きげん》がやっと直った。
「そこに、奴らの飲料水を入れる水槽《すいそう》があるからそれで洗ったら」
陽平が日比野を水槽のところまで案内した。
「奴らはここまでは来ねえから、たっぷり洗え。ついでにTシャツも洗濯《せんたく》しちゃえよ」
英治が知恵《ちえ》をつけると、水槽の水を出しっぱなしにして、洗面器で日比野の頭から水を浴びせた。
「どうだ? これでにおいは取れたか?」
日比野に言われて、英治は顔に鼻をつけた。
「全然におわねえ」
「じゃあ、そろそろ帰るか、水は出しっぱなしにしておけよ。そうすると、あした奴らは困るぜ」
相原が言うと陽平が、
「帰りはゴルフ場を通って帰ろう。それならハブの心配はないから」
飯場《はんば》を離《はな》れて少し行くとゴルフ場の造成地に出た。そこにブルドーザーが三台|並《なら》んでいる。
「もうじき、おまえたちは働かなくてもいいようにしてやるからな」
六人は、ブルドーザーをてんでにたたいては笑った。
こんやは月がない。そのせいか星の数がやけに多い。
「東京の空とはちがうなあ」
天野は、立ち止ったまま、いつまでも空を仰《あお》いでいた。
V 援軍《えんぐん》がやって来た
1
作戦会議は、朝六時から浜《はま》で開くことにした。
朝起きるのは少しつらかったが、浜に出てみると、沖《おき》から吹《ふ》いてくる風がなんとも快い。
集まったのは、英治、相原、安永、天野、日比野《ひびの》の五人と上原、八重《やえ》、あかね、陽平の四人。合わせて九人である。
白い砂浜に腰《こし》をおろして円陣《えんじん》をつくる。
サンゴの岩盤《がんばん》が見え隠《かく》れしている。その向うは白い波の縁取《ふちど》りだ。
朝の海は、全体が淡《あわ》いトーンである。水平線は空ととけ合って、境目がはっきりしない。
「なんだか、海を見ていると気持ちが落ち着いてくるなあ」
英治は大きく深呼吸した。
「海の向うにはニライカナイがあるからよ」
八重が言った。
「ニライカナイってなんだ?」
「沖縄では、はるか海の彼方《かなた》に極楽浄土《ごくらくじようど》があって、幸福がもたらされると信じてるのよ」
「そう言われてみると、なんだかそんな気がしてくる」
英治が言ったので、みんなもそろって海を眺《なが》めた。
「たしかに極楽もあるかもしれねえけど、悪い奴も海の彼方からやって来たぜ」
安永が言った。
「きょう奴らが、どう出てくるか見ものだな」
相原は水平線に目を向けたまま言った。
「きょうは軽いジャブだと思う」
「天野は楽天的だからな」
「安永、どう思ってるんだ?」
「ブルドーザーが攻《せ》めて来るかもしれねえ。きのうの夜、動かねえようにしとけばよかったんだ」
「家《うち》をつぶしちゃうってのか?」
陽平の表情がこわばった。
「まだ、そこまではやらない。安心しろ」
相原が陽平の肩《かた》をたたいた。
「しかし、いつかはやるかもしれん」
「そうだろう。だからああいうものは、動かねえようにしなきゃだめなんだ」
「安永の言うとおりだ。こんやブルに黒砂糖を食べさせてやろう。あるだろう?」
相原は、陽平の顔を見た。
「そりゃあるけど、ブルに黒砂糖を食べさせるってどういうこと?」
「燃料タンクに黒砂糖をぶちこむのさ。そうすりゃエンストだ」
「ほんと?」
陽平が目を輝《かがや》かせた。
「ほんとさ」
「あんなでかい図体《ずうたい》してて、そんな簡単に動かなくなるとは知らなかった」
「人間だって、歯が一本痛くたってがまんできないだろう。それと同じさ」
「きのう水槽《すいそう》の水を抜いてやったから、きょうはどこかの家に、水をもらいに来るだろう」
英治が言うと安永が、
「そうか、そうだったよな。じゃあ、きょうは攻めては来れねえ」
「あんたたち、そんなことしたの?」
八重が安永の顔を、あきれたように見つめた。
「考えたのは相原だよ」
安永は、相原を指さした。
「すごいこと考える人」
「そうかなあ。こんなこと、おれたちはいつだってやってるぜ」
「そんなことして、おこられない?」
「そりゃ、おこられるさ。おこられるからおもしろいんだ」
「そうかあ」
八重があんまり感心するので、英治はおかしくなった。
「なあ、こいつの顔きょうはきれいだと思わねえか?」
安永は、日比野の顔を八重のほうに向けた。
「べつに……。どうして?」
「きのう、こいつ、おしっこで顔洗ったんだよ」
「うッそお」
「ほんとだって。奴らが酔《よ》っぱらって顔にかけたんだ。だから水槽の水を出して洗ったってわけ」
あかねが「やだあ」と言いながら、体を折るようにして笑っている。
「くさかねえだろう?」
日比野は、あかねのそばに寄って行った。あかねが悲鳴をあげながら逃《に》げて行く。
「おしっこかけられたんじゃ育つよ」
八重が笑いながら言った。
「これ以上育っちゃ困るんだよな」
日比野が言ったとたん、爆笑になった。
「あのチビデブ野郎。こんどはおれが小便かけてやるからな」
日比野だけは憤慨《ふんがい》している。
「きょうは、東京から援軍《えんぐん》が四人やって来る」
「やったあ!」
陽平が手をたたいた。
「と言っても、男が一人に女が三人だから、戦力になるかどうか」
「女子が三人も来るの? うれしい!」
あかねは、飛び上って喜んでいる。
「奴らの話によると、桜田組の組長も来るって言ってたけど、もしかして同じ飛行機ってことはないだろうな」
英治は、ちょっと心配になった。
「同じ飛行機だって、むこうはスーパーシート。こっちはエコノミーだからわかりっこねえって」
相原に言われて、それはそうだと思った。
「ちょっと思いついたんだけど、奴らの泊《とま》ってる家の屋根に穴をあけねえか?」
英治が言った。
「雨もり作戦か?」
「うん」
「こっちは、雨が降るとスコールみたいになるんだって?」
「すごいよ、あれは雨なんてもんじゃない。まるでバケツの水ぶちまけるみたいだ」
陽平が自慢《じまん》げに言った。
「だから、屋根に穴あけときゃ、中のものはびしょ濡《ぬ》れになっちゃう。こいつはこたえるぜ」
「心理作戦か。面白いな、やろうぜ」
相原が言うと日比野が、
「昔話《むかしばなし》で、雨もりは狼《おおかみ》より怖《こわ》いって話があったじゃんか」
「その話なら、私も知ってるよ」
あかねが言った。
「それ、きょうの昼、奴らが作業に出かけた隙《すき》にやろうぜ」
「よし、それはおれがやるよ。かわらをくっつけているしっくいをはがせばいいんだ」
陽平が言った。
「天野、きょう石垣《いしがき》島へ迎《むか》えに行ったら、矢場さんに必ず連絡《れんらく》してくれよ。それから、アンガマ面を忘れずにな」
「相原、そんなお面で奴らがおどろくとは思えねえけどな」
安永はちょっと不満そうな顔をした。
「あのお面を十人がかぶって、夜あらわれてみろ、絶対おどろくって」
相原は自信たっぷりである。
「まあ、それはいいとして、こんなこと、いくらやってたって、奴らはやっつけられねえんじゃねえか。それより攻《せ》められたらどうする?」
「陽平の家のまわりに落し穴をいっぱいつくって、奴らが攻めて来たら、そこへうまく誘導《ゆうどう》するんだ」
「そいつはいいな。落っこった奴はどうする?」
「もちろん捕虜《ほりよ》にするさ」
「空から攻撃《こうげき》できねえかな?」
日比野が言った。
「飛行機はないけど、家のまえのガジュマルの木に登って、やって来る奴にパイナップル爆弾《ばくだん》を落すことはできる」
陽平が言った。
「パイナップル?」
「パイナップル畑に行くと、半分くさったやつがごろごろしている。こいつがまともにあたりゃ、イチコロだ」
「さすがに陽平は地元だけあって、いいことを思いつく。作戦会議が終ったら、さっそくパイナップルを集めようぜ」
「ガジュマルの枝《えだ》に棚《たな》をつくって、それを並《なら》べればいいんだ。下からでは絶対見えないよ」
陽平も生き生きしてきた。
「奴ら、船は持ってるのか?」
英治が聞いた。
「持ってるよ。すごいスピードボートを。それで石垣や西表《いりおもて》へ行くんだ」
「そうか、いいこと聞いた。きょうはそいつで水を取りに行くから、そのボートを動けなくしてやればいいんだ」
「どうやって?」
あかねが聞いた。
「動けなくするのは簡単だけど、最初から動かないんじゃおもしろくない。海の上で動けなくしないとな」
「それは絶対困る。漂流《ひようりゆう》しちゃうもん」
「それをいっちょう考えようぜ」
空気がいいせいか、英治の頭も、快調に活躍《かつやく》をはじめた。
2
「だれだ? 水槽《すいそう》の蛇口《じやぐち》をあけっぱなしにした奴《やつ》は?」
鮫島《さめじま》が部屋《へや》に入って来るなりどなった。
きのう飲み過ぎたせいか、一度どなったくらいで起きる者はいない。
「起きろ」
鮫島は、いちばん手前で寝《ね》ている矢島のしりをけとばした。
「痛《いて》ッ」
矢島が顔をしかめて片目をあけた。
「だれが水を出しっぱなしにしたか聞いているんだ?」
「おれは知らないすよ」
「じゃあ、おまえか?」
こんどは前野をけとばした。
「いくら酔《よ》っぱらったって、水槽の水を出しっぱなしにするほどどじはいねえ。だれもやらないすよ」
前野が言うと、みんながそうだ、そうだと言った。
「おまえたちがいくら否定しても、現に蛇口《じやぐち》はあけっぱなしで、水槽には一|滴《てき》の水もないんだ」
「なんだって?」
米倉がふとんの上に座《すわ》った。
「みんな、きょう一日水なしで過すんだ」
「とんでもねえ。ちょうど水が飲みたいと思ってたところだ。水がなかったら干《ひ》ぼしになっちまうぜ」
高木が言うと米倉が、
「おれも急に水が飲みたくなってきた」
と唇《くちびる》を舌《した》でなめた。つづいて何人かが、
「水が飲みてえ」
と口ぐちに言い出す。
「きょうは組長が来られるっていうのに、どじしやがって」
「西表《いりおもて》へ行って、水を取って来ます」
矢島が言った。
「そうするしかねえだろう。すぐ行って来い。おれものどがひりひりしそうだ」
「そのくらいの水なら、どこかへ行ってもらって来ましょうか?」
松山が言った。
「おまえは、だから幼いっていうんだよ。いいか、奴らは敵だぞ。そいつんとこへ行って、頭を下げて水をくださいって言えるか? そんなことしてみろ。いっぺんになめられちまう」
鮫島《さめじま》に言われて、松山はしゅんとなった。
「すみません。じゃあぼくも矢島さんと一緒《いつしよ》に西表《いりおもて》へ行きます」
「おう、行って来い。十二時には組長を迎《むか》えに石垣へ行かなくちゃならねえから、早くもどって来いよ」
鮫島に言われて、矢島と松山は手早く服に着替《きが》えると飯場《はんば》を出た。
「どうもおかしいな」
矢島は歩きながら何度も首をふった。
「何がおかしいんですか?」
「蛇口《じやぐち》だよ。出しっぱなしにする奴なんて絶対いるわけねえ。もしかしたら、だれかがわざとやったんじゃねえのかな」
「だれですか?」
「決ってるだろう。おれたちを憎《にく》んでる島の奴さ」
「しかし、いままでそういうことは一度もなかったじゃないですか」
「それはそうだが、もうじき島を離《はな》れるんで、腹いせにやったのかもしれねえ」
「残っている一家かも……」
「あいつらはやらねえ。やればやり返されることはわかってるんだから」
桟橋《さんばし》が見えてきた。きのう見たデブの少年が座《すわ》っている。
「おはようございます」
デブは、矢島を見ると、屈託《くつたく》のない顔であいさつした。
「おはようじゃねえ。きのうどうして来なかった」
「時間をまちがえたんです」
「おまえ、これか?」
矢島は、指で左巻きのゼスチュアをした。
「はい、そうかもしれません。これから一緒《いつしよ》につれていってください」
「おれたちはだめだ。石垣に行くんじゃねえ」
「そうですか。じゃあ、いつつれてってくれますか?」
「それは帰って来てからのことだ」
矢島と松山は、デブを押《お》しのけるようにしてスピードボートに乗りこんだ。
「そのボート速そうですね?」
「速いぞ」
「一度乗りたいな」
「こいつ、ほんもののばかかもしれねえぞ」
矢島は言いながらエンジンを始動させた。
「行くぞ。ロープをはずしたか?」
「はずしました」
「バイバイ」
デブが大きく手を振《ふ》っている。
ボートがすごい勢いで飛び出した。少し進んだと思ったとき、激《はげ》しい衝撃《しようげき》を感じてがくんと止った。
しかし次の瞬間《しゆんかん》、いっそうスピードが上って沖《おき》へ向った。
「いまのショックはなんだ。何かひっかかっていたのか?」
矢島は松山に聞いた。
「わかりません」
ボートは見る間に島から離《はな》れて行く。
「おい、かじが軽くなったぞ。エンジンを止めてみるから、かじを見てくれ」
エンジンが止って、松山がのぞきこんだ。
「かじがない!」
「かじがない? そんなばかなことがあるか?」
矢島ものぞきこんだが、かじはもぎとられたようになくなっている。
「かじが何かにひっかかっていたのか……。こいつはまいったな」
「すぐもどりましょう」
「もどると言ったって、かじがなくてどうしてもどれる。それにいまは引き潮だ。沖《おき》に出てしまうしかねえ」
「沖に出たらどうなるんですか?」
「漂流《ひようりゆう》だ。どこかの船が見つけてくれればいいけどな」
「見つけてくれなかったらどうなります?」
「海の上で死ぬか、それとも沈没《ちんぼつ》するか……。どっちにしても、助かる見込みはねえ。覚悟《かくご》しとくんだな」
「いやだ、死ぬのはいやだ!」
桟橋《さんばし》の日比野のところへみんなが集まって来た。
「うまくいったみたいだな」
相原が言うと、日比野は杭《くい》にしばりつけてあるロープをたぐり寄せた。
ロープはかなりの長さである。なかなか先があらわれない。気の短い天野が、
「大丈夫《だいじようぶ》か」と言ったとき、
ロープでしっかりしばったかじがあらわれた。
「やったあ!」
全員が喚声《かんせい》をあげた。
「おれのアイディアも、たいしたもんだろう?」
日比野は、突《つ》き出た腹を両手でこすっている。
「おまえを見直したよ。こういうことを考えつくのはハンパじゃねえ」
安永が手ばなしでほめると、
「奴らは、おれのことをほんもののばかじゃねえかって言ったぜ」
と日比野は、ちょっと照れて言った。
「ほんもののばかは自分たちのくせに」
「だけど、あのまま海で死んじゃったら、おれ人殺しになるんじゃねえのか?」
日比野は不安そうな顔をした。
「大丈夫。いま海は静かだから、満潮になったらもどって来るよ。それともどこかの船に見つかるか。どっちにしても死にっこないよ」
さすがに陽平は漁師の息子《むすこ》である。言っていることに合理性があって、聞いている者を納得《なつとく》させる。
「あいつらもどって来たとき、どうしてかじがもぎ取れたのかわかるかな?」
英治が言った。
「わかんないだろう。少なくともおれたちがやったとはな。だけど水のことといい、変だとは思うだろう。それでいいんだ」
「これも心理作戦?」
八重が言った。
「そういうこと」
「だんだん、おもしろくなってくるね」
あかねがすっかりのっている。
3
「もうそろそろ、もどって来てもいい時間じゃないか」
鮫島《さめじま》は時計を見ながら言った。
「十時半ですか。出かけて二時間だから、帰って来なきゃおかしいですよ」
米倉は、口の中が乾《かわ》ききっているので、舌《した》がうまくまわらない。
「何かあったのかな?」
「水を持って来るだけだから、一時間もあれば十分だと思うんですが。船でも故障《こしよう》したのかもしれません」
「あれは組長愛用のスピードボートだから、故障なんかするはずがない」
「いままで帰って来ないところをみると、何かあったんすよ」
「弱ったな。無線機を持たせればよかった。十二時までに石垣空港に着いてないと、組長を出迎《でむか》えられないことになる」
鮫島《さめじま》は、いらいらと貧乏《びんぼう》ゆすりをした。
「港まで行ってみますか?」
「行ってもしかたないが、ここにいてもしようがない、行ってみるか」
「連中も、のどが乾《かわ》いて、水がなくては仕事にならんと言ってます」
「水をもらいに行かすか?」
「しかたないです。高木に行かせましょう」
米倉は、木陰《こかげ》にぼんやりと座《すわ》りこんでいる高木を呼んで来た。
「高木、すまんが水をもらってきてくれんか?」
鮫島がこんなに下手《したて》に出るのははじめてだ。
「行けと言われれば行きますが、奴《やつ》らは大分痛めつけてますからね、水をくれと言って、はいと言うとは思えませんが」
高木は自信なげに言った。
「ただでくれと言うんじゃない。買えばいいだろう」
「へたに泣きついたら、ばかにされるだけです」
「それじゃ、無理矢理ふんだくって来い」
鮫島は本性をあらわした。
「そのほうがすっきりしていいです。じゃあ行ってまいります」
高木は、前野をつれて出て行った。
港まで行く途中《とちゆう》、照りつける太陽がやけに暑い。きっと水を飲んでいないせいだと鮫島は思った。
浜《はま》まで行って海を眺めたが船影はない。鮫島は次第に不安になってきた。
高木と前野が一|升《しよう》びんを二本ずつぶら下げてやって来た。
「酒じゃない、水だと言ったはずだぞ」
鮫島が思わずかっとなると、
「これは酒じゃないです。台所に置いてあったのを無断でいただいてきました。どうも薬草のお茶らしいですが、いいでしょう?」
鮫島と米倉は一本ずつ持ってラッパ飲みした。高木が言うように少し苦《にが》いのは、薬草のせいかもしれない。
この島では、薬草のお茶を飲む習慣《しゆうかん》があるとは聞いていた。
「おれたちは、ここでボートの帰りを待つ。それだけでもないよりはましだ。みんなに飲ませてやれ」
鮫島は高木に言った。
沖合《おきあ》いは青い海がひろがっているだけで、依然として一|艘《そう》の船も見あたらない。
「もうじき十一時になる。そろそろ行かねえと間に合わんぞ」
「あの島の船を借りますか?」
米倉が言った。
「貸さんだろう」
「無断で借りるんですよ」
「そんなことしたら、警察にたれこむかもしれん。あとがうるさいぞ」
「緊急《きんきゆう》の場合だ。しかたないでしょう」
「それもそうだな、じゃあやるか」
あたりに人影《ひとかげ》はない。二人は港の向う側に舫《もや》ってある船に近づいた。
「米倉、船を動かせるか?」
「なんとか……」
岩壁《がんぺき》から船に乗り移ろうとしたとき、船室から女が顔を出した。
「あんたは?」
「なんの用? 土地だったら売らないから帰って」
美佐は敵意むき出しである。
「ちがう、きょうは土地のことじゃない。この船を貸してほしいんだ」
鮫島は、せいいっぱいのねこなで声を出した。
「だめ」
取りつく島もない態度だ。
「いいだろう。金は出す」
「金は出しても、だめなものはだめ。いまから石垣へ行くんだから」
「よかった。おれたちも石垣へ行くんだ。乗せるだけ乗せてくれ」
「あんたたちは、立派なボートを持ってるじゃないか。あれで行けばいいだろう」
美佐はエンジンをかけた。
「乗せてもらうぞ」
米倉は片足を船べりにかけた。
「だめだよ」
美佐が突きとばしたので、米倉はそのまま海に落ちてしまった。
「ちくしょう、おぼえてやがれ」
米倉が水の中からどなるのを無視して、船は出て行ってしまった。
「あの野郎、ただじゃおかねえぞ」
米倉は、びしょ濡《ぬ》れになって岸壁にはい上った。
「あいつに乗せてくれと言ったって、たのむほうが無理だ」
「課長、そんなのんきなこと言ってていいんですか?」
「しかたない。石垣島の事務所に無線連絡するしかない。帰ろう」
二人は、港からもどりはじめたが、鮫島の気持ちは落ちこむ一方だった。
入社してこれまで順調にやってきたというのに、よりによって組長がやって来るという、その日にどじをやってしまった。
このミスを回復するのには、一刻も早く買収の始末をつけてしまうしかないが、美佐のあの態度では、うまく進展するとは思えない。
やはり覚悟を決めなくてはと思った。
造成地の半分ほどまで来たとき、突然《とつぜん》米倉が腹を押《おさ》えた。
「さっき水に入ったせいか、急に下腹がしくしくしてきやがった。そこらへんで用を足して行きますから、課長先に行ってください」
米倉に言われて、鮫島は一人で歩きはじめた。
ところが、十メートルも行ったとき、米倉が言ったように、下腹が痛みはじめた。
あいつが妙《みよう》なことを言うからだと思ったものの、もうがまんできなくなった。
道ばたにしゃがみこむと、はげしい下痢《げり》だった。
何にあたったのだろう。鮫島は朝食べたものを思い出してみた。
きのう飲み過ぎたうえに、水がなかったので、コーラとトーストしか食べていない。
そうなると、さっき飲んだ薬草みたいなお茶のせいか。
鮫島がやっと立ち上ると、向うから米倉が青い顔をしてやって来た。
「おれもだ。一|升《しよう》びんのお茶のせいかもしれん」
「そうです。それしかありません。帰ってみればわかります」
歩いていると、またがまんできなくなった。
「これじゃ、体の水はみんななくなって、ミイラになっちまいますよ」
米倉もさすがにこたえたのか、声に力がなくなった。
二人が飯場《はんば》までもどってみると、思ったとおり、みんな横になってうなっていた。
「高木、てめえは何を持って来たんだ」
鮫島は、どなろうとするのに力が入らないことに気づいた。これではぐちになってしまう。
「すみません。きっとあの家の野郎、ひどい便秘だったんですよ」
高木は悪びれもしない。
「組長が来られるというのに、出迎《でむか》えはしない。水はない。そのうえみんなごろごろしてたんじゃ、どうなっちまうんだ?」
鮫島の声は、ほとんど悲鳴に近かった。
「これは課長がわるいわけじゃないす。偶然《ぐうぜん》わるいことが重なっただけです」
高木がなぐさめる。
「そんな言いわけは、組長には通用しないんだ。おれはこれできっとクビだ。みんなにも、いろいろきついことも言ったが、これでお別れだ」
鮫島はつい感傷的になって声がつまった。とたんに、また下腹がしくしく痛み出した。
4
飛行機は定刻に石垣《いしがき》空港に着いた。
間もなく、乗客がぞろぞろと出口から出て来た。
どうせあの四人のことだ、わいわい騒《さわ》ぎながら出て来るから、捜《さが》すまでもない。
天野が思ったとおり、聞きおぼえの声と一緒《いつしよ》に、派手《はで》に騒ぎながら四人が出て来た。
「お出迎《でむか》えご苦労さん」
白いスーツに赤いネクタイの柿沼《かきぬま》は、まるで、ニースにやって来た貴族の息子《むすこ》というかっこうである。
これでは、天野は下男かおかかえ運転手ではないか。
あとの三人、ひとみ、純子、久美子も、ビーチスタイルで、このまま海に飛びこんでもいいといったかっこうだ。
「天野君ちょっとやせたね、かっこうよくなったよ」
純子が、ひと目見るなり言った。
「船酔《ふなよ》いの後遺症《こういしよう》で、あんまり食えないからよ。おれはおまえたちとはちがって、船で来たんだからな」
天野は、ちょっとひがんで見せた。
「飛行機は快適だったよ。あっという間に着いちゃった」
ひとみには、天野のひがみは全然通じないみたいだ。
「それにしてもそのかっこうはなんだよ。まさか遊びに来たつもりじゃねえだろうな」
「戦争しに来たのに決ってるじゃん」
久美子が言った。
「戦争するなら、戦闘服《せんとうふく》くらい着てこいよ」
天野が言ったとたん、ひとみはバッグに手を突っこむと、天野の目の前にヘビをつかんで差し出した。
「ぎゃあッ」
天野は、びっくりした拍子《ひようし》に尻《しり》もちをついてしまった。
「しようがない子だねえ、いつまでたっても弱虫なんだから。これはおもちゃだよ」
久美子が言うと、三人が派手に笑い出した。
「わかってるって。おまえたちを喜ばせようと思って、わざとひっくりかえったのがわかんねえのか?」
「うそだよ、あれはほんとにおどろいた顔だった」
ひとみが言った。
「まあ、そんなことはどうでもいいけど、カッキー薬持って来たか?」
「もちろん持って来たさ」
「さすがだ。カッキーのことだから、きっと持って来るだろうって、話してたところなんだ」
「もう戦いははじまったの?」
純子が、ちょっとまじな顔で聞いた。
「はじまったさ。水攻《みずぜ》めで敵はかなりまいっている」
「水攻めって何よ?」
ひとみが聞きかえした。
「ほら、昔《むかし》の戦いであるだろう。城に立てこもっているのをやっつけるのに、兵糧攻《ひようろうぜ》め、水攻めってのが……」
「ああ、あれのことか……」
ひとみは、わかったようなわからないような顔をしている。
「神室《かむろ》島ってのは、西表《いりおもて》島から水道を引いていたんだ。ところが島の人たちを追い出すために、水道を取っぱらっちゃったんだよ」
「きたねえ奴《やつ》たちだな」
柿沼《かきぬま》が憤慨《ふんがい》した。
「だから、水は船で西表《いりおもて》島から運んで、水槽《すいそう》に入れてあるのさ。その水槽の蛇口《じやぐち》を、きのうの夜あけてやったんだよ」
「やるもんね。だれが考えたの?」
「相原さ」
「やっぱりそうか……」
ひとみが言った。
「それで奴らは、朝から水無しでヒーヒーってわけ」
美佐がやって来た。
「このおばさんが、銀鈴荘《ぎんれいそう》のおばあさんの娘《むすめ》さん。ここんちに泊《とま》ってんだ」
天野が紹介《しようかい》すると、四人はぺこりと頭を下げて、
「はじめまして、よろしくおねがいします」
とよそ行きの声を出した。
「こちらこそよろしく。みなさんが来てくださるのを心待ちにしてました」
「すごい援軍《えんぐん》と思ったら、こんな連中でがっかりしたでしょう?」
天野が言うと美佐は強く首をふった。
「いいえ、とんでもありません」
「おばさん、例のもの手に入った?」
「集めましたよ、五組」
「どこにあるんですか?」
「この袋《ふくろ》に入っています」
美佐は、下げて来た袋を天野に見せた。天野は翁《おきな》の面をつけると、純子の目の前にぬっと近づけた。
「きゃあッ」
こんどは、純子が尻《しり》もちをつく番だった。
「何よそれ?」
「これはアンガマ面といってな。夜こいつをつけて、奴らを脅《おど》かすんだ」
「怖《こわ》いよ、このお面」
純子は、立ち上ると、こわごわと面を手で持った。
「このにたっとしてるのが気味わるいだろう? 効果を試《ため》してみたかったのさ」
「これ、いくつあるの?」
ひとみが聞いた。
「おじいさんとおばあさんで十個ある」
「じゃあ、十人でやるの?」
「白いシーツをかぶってな」
「こんなのが夜中にあらわれたら、私だったら気絶しちゃう」
「ほかにも何か考えてる?」
久美子が聞いた。
「考えてるさ。パイン・ボムなんてのもな」
「何? パイン・ボムって?」
「パイナップル爆弾《ばくだん》のことさ」
「パイナップルが爆弾になるのか?」
柿沼が聞いた。
「こっちは、サトウキビとパイナップル畑はどこにでもある。その畑からくさったパイナップルを持って来て、木の上から攻《せ》めて来る敵に落すんだ」
「それ、私がやりたい」
純子が言った。
「木の上で、パイナップルでも食おうって考えてるんだろう? そいつはだめだぜ。これはくさったやつなんだから」
「私はそんなにいやしくないですよーだ。木登りが得意《とくい》だからよ」
「へえ、それは知らなかった」
柿沼がやけに感心した。
「みんなが待ってるから、そろそろ行きましょう」
美佐に言われて、タクシーで石垣港に向った。
「ちっちゃな船」
ひとみは、港に碇泊している船を見たとたんがっかりした顔をした。
「そうさ、もとは漁船だったんだから」
「こんな船で行けるの?」
「心配ありませんよ」
美佐に言われて、三人の女子は、こわごわと船に乗った。
岩壁《がんぺき》をはなれた船は、やがて港の突堤《とつてい》の外へ出た。
「きれーい!」
「すてきーッ」
「やっほー」
三人は海に向って、口ぐちに叫《さけ》んでいる。この三人を見ている限り、戦場に向っている兵士とはとても思えない。
「カッキー、忘れてたけど、矢場さんから手紙あずかってるんだって?」
天野は、石垣島に着くと矢場に電話した。すると矢場は、くわしいことは手紙に書いて柿沼にわたしたから、読むように言ったのだ。
「あずかった。読むか?」
「いまはいい。みんなのまえで読ましてもらう」
船の脇《わき》をスピードボートがすり抜けて行った。デッキに柿沼そっくりの白い服を着た男が座《すわ》っている。
「あいつ、飛行機に乗ってた奴《やつ》じゃねえか?」
柿沼が久美子に話しかけた。
「そう、東京から石垣島まで、ずっと一緒《いつしよ》だった奴。スーパーシートだったけど、いばりくさって、スチュワーデスをお手つだいみたいにつかってた」
久美子は、いかにも不快《ふかい》そうな表情をした。
「あのボート、もしかしたら神室《かむろ》島に行くんじゃないですか?」
天野は、美佐に聞いた。
「あの航路だとそうだね」
「そうか、じゃああいつは桜田《さくらだ》組の組長だ」
「桜田組って何?」
純子が聞いた。
「神室島をめちゃめちゃにしてる組さ」
「その組長があいつ?」
「そうだ。きっとそれにまちがいない。組長は、きょう東京からやって来るってあいつたちが言ってた。もしかしたら、四人と一緒かもって話してたところなんだ」
「そうか、あいつが敵の大将かぁ」
久美子は、自分に言い聞かせるように、何度もつぶやいた。
「桜田、おまえの首はもらったぜ」
あっという間に小さくなって行くボートに向って、柿沼がせいいっぱいの声でどなった。
「あの組長を捕虜《ほりよ》にしちゃうってのはどう?」
久美子が突然《とつぜん》言った。
「大将を捕《とら》えるってのはいいな。それやろうよ、天野」
「簡単に言うけど、向うにはすげえのが十人以上いるんだぜ。そう簡単にはいかねえよ」
天野は、現場を見ていない柿沼ほど、楽天《らくてん》的にはなれない。
「あいつを一人にすりゃいいんだよ」
「どうやって?」
「私たちがやろうか?」
ひとみは、そう言いながら、形のいい足を、ことさら見せつけた。
天野は、まぶしくなって目をそらした。
「悩殺作戦はちょっと無理なんじゃないの?」
柿沼が言ったとたん、三人の女から、いやというほどつねられた。
「痛《い》てえー」
柿沼が悲鳴をあげた。
「訂正《ていせい》しろ」
三人に取り囲まれた柿沼は、
「すげえセックス・アッピール。鼻血ブー」
と顔を手でおおった。
5
桜田《さくらだ》組の組長桜田|仙吉《せんきち》は、おっそろしく不機嫌《ふきげん》な顔でボートから桟橋《さんばし》にあがった。
「申しわけありません」
鮫島《さめじま》は桟橋に正座すると、頭を下げたまま上げない。
桜田は、それを無視して車まで歩いて行く。鮫島がそのあとを追う。
「これはトラックじゃないか。どうして乗用車を用意しておかんのだ?」
「はあ、もう少し道ができてからと……」
「言いわけはいい。行け」
トラックを運転するのは米倉である。桜田は白いバスタオルを敷《し》いた助手席に座《すわ》った。
「私は米倉と申します。お初《はつ》にお目にかかります」
「いいから発車しろ」
「まだ道ができていませんので、少し揺《ゆ》れますから、ご注意なさってください」
米倉は、トラックをゆっくり発進させた。そのうしろから、鮫島が走って追いかけて来るのが、バックミラーに写っている。
「わしのスピードボートはどうした?」
「港を出たまま、まだもどって来ません」
「遊びにでも行ったのか?」
桜田が爆発《ばくはつ》しそうな怒《いか》りを押《おさ》えているのが、米倉にははっきりわかった。
「いいえちがいます。水を取りに西表《いりおもて》島へ行きました」
「水を取りに? それはどういうことだ?」
車が凹《くぼ》みに落ちて、桜田の体が浮《う》き上った。
「すみません。水槽《すいそう》の水がなくなりましたので」
「水槽は何日もつんだ?」
「五日はもちます」
「わしが来ることは、きのうわかっていたはずだ。それをなぜ、きょう取りに行かせたのだ?」
「水洩《みずも》れしているのを知りませんでした」
「おまえたちは、水槽の水が空《から》っぽになるまで気づかぬあほうなのか?」
桜田の口調《くちよう》がきびしくなった。
「申しわけありません」
「おまえがあやまることはない。悪いのは鮫島だ。あいつは、わしが目をかけてやるのをいいことに、最近たるんどる」
「いいえ、そんなことはありません」
「最後の一家の交渉《こうしよう》はどうなっておる?」
「向うが頑固《がんこ》なものですから、まだ進んでおりません」
「まだまだと言いながら、何年わしをじらしておる。もう二年だぞ。いかにわしががまん強くても、もう限界だ」
「組長のおっしゃること、まことにごもっともです。私らも力が足りなくて申しわけありません」
「おまえがあやまることはないと言っとるだろう」
「いいえ、私らにも責任はあります」
トラックは造成地の真ん中までやって来た。
「なんだ、この前来たときと変らんじゃないか?」
「そんなことはありません。かなり進んでおります」
「いや、たいして変っとらん」
さすがに組長の目は鋭《するど》い。ごまかしはきかない。
飯場《はんば》に着いたとたん、
「なんだ、このにおいは?」
と鼻をつまんだ。
「においますか?」
「これはまるで便所だ。掃除《そうじ》をしとるのか?」
「あまりやっていません」
「こんな汚《きたな》いところでよく暮《くら》せるもんだ。のどがかわいた。ビールをくれ」
「ビールはありません」
「なんだ、毎日一本ビールは飲んでいいと言っておいたはずだぞ」
「はい、それは聞いておりますが、まとめて飲んでしまいました」
「いったい、おまえたちは何をやっとるんだ?」
「申しわけありません」
「いちいち、あやまるな」
桜田は、真《ま》っ赤《か》になってどなった。
「ビールがなければ水でいい」
「水もありません」
米倉が言ったとき、鮫島がミネラルウォーターのびんを持って駆《か》けこんで来た。
「はい、水です」
「ほう、おまえたちはミネラルウォーターを飲んどるのか?」
「いいえ、組長だけ特別です」
「そうか」
桜田は、鮫島がコップに注《つ》いだミネラルウォーターをまずそうに飲んだ。
「まずいですか?」
「生《なま》ぬるい。どうして冷蔵庫に入れておかなかったのだ?」
「申しわけありません」
「おまえらは、どいつもこいつも、あやまればすむと思っとる。それが気に入らんのだ」
「これから気をつけます」
「これからではおそい」
「は?」
鮫島は、桜田の顔を上目《うわめ》で見た。
「わしは、おまえを信頼《しんらい》してこの島をあずけたつもりだ」
「はい。光栄に思っております」
鮫島は、体をこちこちにして頭を下げた。
「ところがおまえは、わしの信頼を裏切った」
「そんな、そんなことは絶対ありません。私はせいいっぱいがんばっております」
「そうか、これがせいいっぱいか。では聞くが、どうして水槽《すいそう》の水洩《みずも》れに気がつかなかったのだ?」
「それは、仕事に没頭《ぼつとう》していて、つい気づくのがおくれたのです」
鮫島の奴《やつ》、うまいことを言うと米倉は思った。
「では、ここのにおいはどうだ? 聞けば、掃除《そうじ》をしとらんそうじゃないか?」
「掃除をする人間を傭《やと》えばいいのですが、いくらかでも経費を浮《う》かせようと思いまして、日曜日になると、みんなでやるようにしています」
「日曜日以外はやらんのか?」
「はい。あしたはきれいにいたします」
これも、なんとかクリアした。こいつも、なかなかのものだ。
「では聞く。例の最後に残った一家はどうなった?」
「いま交渉《こうしよう》しております」
「交渉しているのはわかっておる。売ると言ったのか言わないのか?」
「言いません」
「売らせる自信はあるのか?」
「あります」
「いつまでにできるか?」
「一か月お時間をください」
「とんでもない」
桜田は首をふった。
「では三週間」
「だめだ」
「二週間」
桜田は、だまって首をふる。
「一週間」
まだ首をふっている。鮫島は絶望的な表情になった。
「三日だけは猶予《ゆうよ》をあたえる」
「三日はとても無理です」
鮫島はほとんど悲鳴に近い声を出した。
「三日でだめなものは、一年たってもだめだ。それはこれまでに実証されていることだ」
「はい」
「いいか、自信がなかったらやめてもいいぞ。かわりにわしがやるから」
「やらせてください。そのかわりどんな手をつかってもいいですか?」
「もちろんだ」
「たとえ、法を犯しても……?」
「法を犯さずにできると考えることがまちがっている」
「たしかにそうでした」
「ただし、その責任は一切《いつさい》おまえにある」
「もちろん、その覚悟《かくご》です」
「お言葉をかえすようですが」
米倉がおそるおそるといった態度で口をはさんだ。
「なんだ?」
桜田は、鋭《するど》い目で米倉をにらんだ。
「課長がもし警察|沙汰《ざた》になるようなことになったら、たとえ個人の責任といっても、やはり会社は傷つくと思います」
「おまえの言うとおりだ。わしの言っていることは、法は犯しても、どじはするなということだ」
「そんな手がありますか?」
「ある」
桜田は、残ったグラスの水を飲み干して、
「たとえば、あの一家のだれかをハブに噛《か》ませる」
「そんなことしたら死にます」
「いや、血清《けつせい》を注射すれば助かる。しかし、血清はこの島にはない。どうする?」
「石垣《いしがき》か西表《いりおもて》へ船を出します」
「船はうちのものしかない」
「奴らも船は持っています」
「その船は動かない」
なるほど、組長の悪知恵《わるぢえ》はたいへんなものだ。
米倉は空恐《そらおそろ》しくなってきた。
「どうする?」
桜田は、鮫島の顔を見つめた。
「うちのボートを出してくれと頼《たの》みに来ます」
「そのとき、おまえはなんて答えるつもりだ?」
「もちろん、売買|契約書《けいやくしよ》にハンコを押《お》してくれればボートを出してもいいと言います」
鮫島の顔が輝《かがや》いた。
「向うは子どもの命がかかっている。押さんわけにはいかんだろう」
「おっしゃるとおりです」
「そしておまえは、警察に逮捕《たいほ》されるか?」
「とんでもない、人命救助で表彰《ひようしよう》されます」
「そうだろう。ハブがうまくいくかどうかはわからんが、仕事というものは、こういうふうにやるものだ」
「なるほど、そういうふうにやれば、万事うまくいきます。組長は凄《すご》い、天才です。とても私どもの及《およ》ぶところではありません」
鮫島は心底《しんそこ》感心しているふうだった。
「感心ばかりしてないで、おまえたちも考えろ」
「はい」
鮫島が見ちがえるように元気になった。
えらくなる奴は、やっぱり考えることがちがうものだ。
米倉は、桜田を見直した。
6
「船が来たぞぉ」
港で見張っていた陽平が家に駆《か》けこんできてどなった。
「迎《むか》えに行こうぜ」
日比野《ひびの》は腰《こし》を浮《う》かした。
「目立つからやめたほうがいい。とくに日比野が行くのはヤバイ」
「そうか」
相原に言われて、日比野は素直《すなお》に座《すわ》り直した。
「陽平たのむ。おれたちはここで待ってるから」
英治は、間もなく四人がやって来ると思うと、気持ちが浮き立ってきた。
「さっきスピードボートが着いて、えらそうな奴《やつ》が降りて来たけど、あいつがきっと桜田組の組長だぜ」
ついさっき港から帰って来た安永が言った。
「どんな奴だった?」
「すげえ貫禄《かんろく》。ヤクザの親分って感じだった。みんなぺこぺこしてたぜ」
「そうか、いよいよ役者がそろったってわけか」
相原は余裕《よゆう》である。
陽平が出て行って十分ほどすると、表《おもて》が急に騒《さわ》がしくなった。
と思うと、「こんちは」という元気のいい声とともに四人があらわれた。
「騎兵隊《きへいたい》がやって来た。もう安心しろ」
柿沼は片手を高く差し上げてポーズをつけた。
「なんだそのかっこうは? ここは避暑地《ひしよち》じゃねえ、戦場なんだ」
安永がチェックを入れた。
「これは紳士《しんし》の身だしなみだ。ちゃんと戦闘服《せんとうふく》は用意したから心配するな」
柿沼は、ルイヴィトンのボストンバッグをかきまわすと、中から手紙を出して、
「矢場さんからだ」
と相原にわたした。
「ご苦労さん、矢場さん何か言ってたか?」
「ヤバイことはやるなってさ」
「そうか」
「そのあとで、言ってもしようがないけどって言った」
「矢場さんらしいや」
矢場の心配する気持ちが、英治にはわかる気がした。
「安永君、元気してる?」
久美子が聞いた。
「ごらんのとおりだ」
安永は、両腕《りよううで》で力こぶを出して見せた。
「みんな、ここにいる四人が神室《かむろ》中学の全校生徒だ。自己紹介《じこしようかい》してくれ」
「これで全員? 少ないなあ。おれ柿沼|直樹《なおき》、カッキーと呼んでくれ。将来は産婦人科の医者になるつもりだから、子どもを生むときはどうぞ」
「こいつは医者には絶対なれねえ。うまくいって歯医者だ」
安永がまぜかえした。
「私は堀場久美子《ほりばくみこ》」
「私は橋口純子《はしぐちじゆんこ》」
「私は中山ひとみ」
「おれたちの学年のビューティ・トリオです。みなさん盛大《せいだい》な拍手《はくしゆ》をどうぞ」
天野がいつもの調子で言ったので、島の四人が拍手した。
「私は中学三年、金城八重《きんじようやえ》」
「おれ中学二年、上原|徹《とおる》」
「私中学一年、金城あかね」
「ぼくは港で紹介した、この家の金城陽平」
おたがいが、自然に手を出し合って握手《あくしゆ》した。
「島のみなさん、少年十字軍九人が勢ぞろいしました。これからいよいよ桜田組との無制限、反則ありのデスマッチが開始されようとしています」
天野の名調子に、島の四人が拍手した。
「ご存知と思いますが、戦いは知恵《ちえ》です。図体《ずうたい》ではありません。|でか《ヽヽ》けりゃいいっていうなら、地球上でくじらがいちばん強いことになってしまいます」
「そのとおり」
柿沼が合《あい》の手を入れた。
「あいつら、水なしと腹下《はらくだ》りでもうミイラ寸前だぜ」
日比野が言った。
「どうして腹下りなんだ? 毒でも飲ませたのか?」
柿沼が聞いた。
「ちがう、八重のところのおばあさんが飲む、強力便秘ジュースの入った一升《しよう》びんを、やつら盗《ぬす》んでいって飲んだんだ」
「悲惨《ひさん》!」
ひとみが顔を手でおおった。
「そこへ組長のお出ましだ。あとはどうなってるか、勝手に想像してくれ」
「水を取りに行った船はどうした?」
天野が聞いた。
「かじがねえんだから帰れるわけねえだろう、まだそのへんを漂流《ひようりゆう》してんじゃねえのか」
安永が言った。
「かじのない船なんてあるの?」
純子が聞いた。
「かじにロープつけて、杭《くい》とつないでおいたから、発進したとたん取れちゃったのさ。どうだ、おれたちなかなかやるだろう」
日比野は、得意《とくい》そうに腹をなでた。
「きっと何かやってるとは思ったけど、さすがだね」
久美子が感心した。
「こんなものは、やったとは言えねえよ、本格的な戦いはこれからなんだ」
どちらかというと口べたな安永も、気持ちよさそうにしゃべる。
「ここへ来る途中《とちゆう》考えたんだけど、桜田組の組長を捕虜《ほりよ》にしようってことになったんだ」
柿沼が言った。
「なんで組長を知ってんだ?」
「一緒《いつしよ》の飛行機だったのよ」
久美子が言った。
「そうか。もしかしたら、そうじゃないかと思ってたんだ」
相原がうなずいた。
「相原、矢場さんの手紙読んでくれよ」
「そうだ、忘れてた」
柿沼に言われて、相原は封筒《ふうとう》から便箋《びんせん》をとり出した。
「では読むぞ。
少年十字軍諸君。みんな元気にやっていることと思う。
さて丸田組の件だが、事態はますますおもしろいことになってきた」
「丸田組って、あの有名な丸田組のこと?」
久美子は家が土建屋なので、そういうことにはくわしい。
「そうだ。丸田組がこの島の開発をやらせている元締《もとじ》めなんだ。名前が出るとまずいんで、桜田組を下請《したう》けにつかってやっているというのが真相だ」
「ずるい!」
純子がおこると、久美子が、
「建設会社なんてみんなそうよ」
と、さめた調子で言う。
「つづきを読むぞ。検察庁は元木《もとき》メモの裏づけを急いでいるところだが、ここでどうしても、元木本人の証言がカギになってくる。
ところが失踪《しつそう》した元木の行方《ゆくえ》は依然《いぜん》不明のままだ。
もしかしたら、会社側に消されたという説もあるが、検察側は生きていることを確信しているらしい。
あるいは、隠《かく》れている場所を知っているかもしれない。
一方、会社側にとっては、元木の出現が会社の運命を左右するというので、全組織をあげて元木の行方を追っている。
こういう事態で親会社の神室《かむろ》島への関心が薄《うす》れているので、桜田組は焦《あせ》っている様子。
なぜなら、桜田組は建設したマンションは売れず、不良不動産を抱《かか》えこんでいるので、経営はかなり悪化している。
ここで早急に神室島をクリアして、丸田組に肩代《かたがわ》りしてもらわないと、経営危機に陥《おちい》るおそれもある。
したがって、かなり強引《ごういん》な手もつかうと考えられるので、くれぐれも注意のうえ行動してほしい。以上」
「なるほど、だから組長がふっ飛んで来たってわけか」
英治は、ようやく事態が呑《の》みこめてきた。
「桜田組が焦《あせ》っているということは、こっちにとっては有利だ」
相原が言った。
「どうして?」
純子が聞いた。
「焦っているということは、ミスも出やすいということだ。こっちはそれをつけばいい」
「ねえ、組長を捕虜《ほりよ》にするってのはどう?」
久美子がふたたびぶりかえした。
「捕虜にできればいいが、どういう方法でやるんだ?」
相原は、あまり関心なさそうだ。
「それは、私たち五人の女子にまかせて」
久美子は胸をそらせた。
「まかせるのはいいけど、捕虜にできる確信はあるのか?」
さすがに相原は、頭からだめとは言わない。
「あるから言ってるんじゃん」
「そうか、それならその件は久美子にまかせるが、逆に奴《やつ》らの捕虜になるなんてことには絶対ならないようにたのむぞ」
「大丈夫《だいじようぶ》だよ。私たちはそんなどじじゃないんだから」
久美子がどんな作戦を考えているのか、英治には想像がつかない。
W 夜間|戦闘《せんとう》
1
「じゃあ、私たち行って来るよ」
久美子が相原に言った。
「どこに行くんだ?」
「決ってるじゃん、組長を捕《つか》まえにだよ」
「おい、組長は蝶《ちよう》や魚じゃないんだぞ。簡単に捕まえられるわけねえだろう」
安永が、半分|呆《あき》れた顔をした。
「どうやって、捕まえるんだ? 捕獲《ほかく》作戦はあるのか?」
相原が聞いた。
「作戦は、くの一」
「くの一って女ってことか?」
「そうよ。これが私たちの最大の武器だもん」
「へえ、おまえたち、それで女だと思ってるの?」
英治が日比野をつついたがおそかった。
「こらデブ」
久美子が目をつりあげた。
「デブじゃない、ブッタラコーと呼んでくれ」
天野が言った。
「何よ? それ」
「沖縄《おきなわ》では、デブのことをブッタラコーというんだ」
「感じ出てる、こらブッタラコー」
久美子は、言うなり笑い出してしまった。
「気安く言うな」
「私たちは、女じゃないっていうの?」
ひとみが迫《せま》った。
「そのとおり」
「女じゃなかったら、なんだっていうのよ?」
「天然記念物トーキョーヤマネコだ」
「日比野、それを言っちゃいけないよ」
柿沼が笑いをこらえて言った。
「私たちがヤマネコだって?」
久美子が拳《こぶし》をにぎった。
「ほら、そういうふうに、すぐ飛びかかろうとするのが、ヤマネコだっつうの」
「久美子、ガキの言うことは放っときなよ。要するに組長を悩殺《のうさつ》すりゃいいんだから」
純子が言った。
「悩殺だって、ペチャパイのガリのくせに」
柿沼が、英治の耳に囁《ささや》いた。
「菊地君、いまカッキーがなんて言ったかおしえて」
ひとみにじっと見つめられた英治は、
「この三人なら、案外やるかもよって言ったんだ」
「そう、それなら許す。じゃあ行こう」
三人が出かけようとすると、八重が、
「私も一緒《いつしよ》に行く」
と言って出て行った。
「菊地、カッキーはほんとはなんて言ったんだ?」
と天野が聞いた。
「ペチャパイのガリのくせに悩殺《のうさつ》が聞いて呆《あき》れるって言ったんだ」
「そのとおり」
日比野が手をたたいた。
「日比野、だからおまえは女にもてねえんだよ。菊地みたいにやらなくっちゃ」
「おれって、ついほんとのこと言っちゃうからな」
「女は美しいって言っときゃいいんだ。ヤマネコなんてとんでもねえ」
柿沼が言ったとたん爆笑《ばくしよう》になった。
「じゃあ、おれたちもパイナップル爆弾《ばくだん》を集めに行くか。陽平、案内してくれよ」
相原は陽平に言った。
「いいよ。じゃあ行こう」
陽平を先頭に六人がつづいた。
頭が焦《こ》げそうな陽光を真上から浴び、草いきれの道をしばらく歩くと、陽平の家のパイナップル畑に出た。
しかしそこは、ブルドーザーのキャタピラー痕《あと》が、まるで縞模様《しまもよう》のようについている。
「ひでえことしやがるなあ」
安永が言った。
「なんとか出荷できそうなのは三割くらいしかない。あとの七割はつかいものにならないんだ」
陽平は淡々《たんたん》と言う。
「パイナップル爆弾にすりゃ、つかいものになるじゃんか、どんどん運び出そうぜ」
日比野は畑に入ると、つぶれて腐《くさ》りかけたパイナップルを運びにかかった。
七人で作業をはじめると、パイナップル爆弾は、あっという間に五十個集まった。
「これだけありゃ、けっこう戦えるぜ」
パイナップルの山を眺《なが》めながら、天野が満足そうに言った。
「こいつが頭を直撃《ちよくげき》したら、失神するかもよ」
日比野は、腐ったパイナップルのにおいに顔をしかめた。
陽平が持ってきた袋《ふくろ》にパイナップルをつめると、七人はふたたびもと来た道をもどりはじめた。
家の近くまで来たとき、突然《とつぜん》陽平が、
「伏《ふ》せろ」
と言った。六人は反射的に草むらの中に身を隠《かく》した。
「どうしたんだ?」
相原が聞いた。
「奴《やつ》らが林の中で、何か捜《さが》してる。ちょっと様子を見て来る」
陽平は、一緒《いつしよ》に行こうと言った英治を押《お》しとどめて、一人で草むらの中をはって行った。
草むらでじっとしていると、草いきれで、息が苦しくなるが出るわけにはいかない。
しばらくがまんしていると陽平がもどって来た。
「奴ら、ハブを探してた」
「ハブ? なんで?」
英治には、なんのことかぴんとこない。
「食うんじゃねえの」
日比野が言った。
「おまえ、ヘビでも食うのか?」
英治が聞くと、日比野は、
「ヘビはいやだ」
と首をふった。
「そうか……」
相原がつぶやいた。英治は相原の顔を見た。
「なんだ?」
「奴ら、ハブでおれたちを攻撃《こうげき》するつもりじゃないかな」
「それはヤバイよ」
日比野が体をちぢめた。
「そうかもしれない。きっとそうだよ」
陽平が言った。
「奴ら、つかまえたのか?」
「まだみたい。昼間じゃそう簡単にはつかまらないよ」
「こうなったら先制攻撃だ。こんやにでも、奴らの飯場《はんば》におもちゃのヘビを放りこもうぜ」
相原が言った。
「効果あるかな?」
と柿沼が首をかしげる。
「ある。自分たちがハブをつかおうとしてるなら、ヘビ見たらみんなハブに見えると思う」
相原の言うとおりかもしれないと英治は思った。
「だけど、あいつたちハブなんかつかまえに行ってるところをみると、きょうは仕事してねえのかな?」
安永が言った。
「組長がわざわざやって来たんだから、仕事をするのがふつうなのに、それをしないでハブ探しをしている。奴ら何を企《たくら》んでるのかな?」
「こいつは、ちょっと変だぜ」
安永は相原の顔を見た。
「矢場さんの手紙によると、桜田組が焦《あせ》っているのはまちがいない」
「いよいよ、戦争をしかけてくるつもりじゃねえのか?」
「しかし、無理矢理ハンコを押《お》させて、追い出すわけにはいかないはずだけどなぁ」
「考えられる手はなんだろう?」
柿沼は、シャーロック・ホームズみたいにかっこうつけて腕組《うでぐ》みした。
「どうしても、ハンコを押さなきゃなんねえようにしむけることだ」
「おれんちは、どんな手で来たって、ハンコ押さないよ」
陽平が決然と言った。
「それは、向うもわかってると思うんだ。いつも来る奴はだれだ?」
「鮫島《さめじま》っていう課長だよ」
「陽平か清美か、人質《ひとじち》に取るっていう手があるかもな」
「そんなの、犯人がわかってんだから警察に言えばいいじゃんか」
柿沼が言った。
「そうだよな。全然わかんねえ」
相原は頭をかかえた。
「とにかく、この爆弾《ばくだん》を早く家に持って帰って、防御《ぼうぎよ》を固めようぜ」
英治が言うと、みんながさんせいした。
家に帰ると清美がやって来て、
「ボートがもどって来たよ」
と言った。
「そうか、自分でもどって来たのか?」
英治が聞いた。
「ううん。どこかの船が引っ張って来た」
「港にだれかいるか?」
「さっきまで四人いたけど、いまはもういない」
「お姉ちゃんたち見なかったか?」
陽平が聞いた。
「見ないよ」
「どこに行ったのかな? 捜《さが》しに行かなくていいか?」
英治は心配になった。
「そんなことしたらおこるぞ。放っとけ、放っとけ」
安永は全然動じない。
「いいのか?」
英治は相原の顔を見た。
「あとで、ちょっと様子を見に行ってみるか」
相原も、たいして心配しているふうはないように見える。
「菊地って心配|性《しよう》なんだ」
天野が言うと柿沼が、
「ひとみが心配なんだろう」
と言った。
「ちがう! そうじゃねえ」
英治は、自分でも思っていなかったほど強い調子で言ってしまった。
「やっぱりそうだ、そうだ」
みんながはやしたてる。こうなったら弁解してもむだだ。英治はだまることにした。
2
「菊地、陽平と行って、四人の様子を見て来てくれよ」
相原が言った。
「おれは……」
ためらう英治に、相原は、
「行ってから時間がたち過ぎる。おれもちょっと心配になってきた」
と言った。
「あいつたち、無理してんじゃねえのかな。空爆《くうばく》の陣地《じんち》はおれたちでつくれるから、おまえは四人をつれもどしてくれ」
安永の表情も心配そうである。
「じゃあ行って来る」
英治は陽平と家を出かけるとき、もう一度門の両脇《りようわき》にある、ガジュマルの大木を見上げた。
「あそこから爆弾落したら、かなりの威力《いりよく》だな」
英治は陽平に話しかけた。
「下からは絶対見えないだろう? だからいいんだ」
「ロープ用意しておいて、ぶっ倒《たお》れた奴《やつ》をしばりあげちゃおうぜ」
「つかえなくなった網《あみ》があるから、それかぶせちゃうってのはどうだ?」
「それもいいな」
英治は、網の中で魚みたいにもがいている連中が目に見えるようであった。
日が暮《く》れはじめたせいか、暑さは昼ほどではなくなった。そのかわり森の中に入ると薄暗《うすぐら》くなっていた。
「そろそろハブが出て来るかもしれないな」
陽平に言われて、思わずあたりを見まわした。
「脅《おど》かすなよ」
「脅かしてんじゃない。ほんとのことだから気をつけろ」
「おまえ、ハブつかまえたことあるのか?」
「母さんはうまいけど、おれはまだない。懐中電灯《かいちゆうでんとう》つけて歩いてれば大丈夫《だいじようぶ》だってさ」
「持って来りゃよかった」
「持って来たよ」
陽平は、デイパックの中から懐中電灯を二本出して見せた。
「さすがに用意がいいな」
「常識だよ。ここには二メートルをこす大蛇《だいじや》もいるんだぜ」
「ええッ、ほんとか?」
「こいつは農作物を荒らすネズミをよく食べてくれるんで大事にされてるんだ」
ハブのことを聞かされてから、英治は下ばかり見て歩いている。
「ほら、あの木見てみろ、木の幹に直接実がついてるだろう?」
陽平に言われて顔を上げてみると、たしかに木の幹に丸い実がくっついている。
「イヌビワっていうんだけど、この実はコウモリの大好物なんだ。ここで待ってたら、きっと食べにやって来るぜ。コウモリ見たことあるか?」
「動物園ではな」
「ここのコウモリは、翼《つばさ》をひろげると八十センチくらいになる」
陽平は、手をひろげて見せた。
「そんなにでっかいのか?」
「そうだよ。もうそろそろやって来るかもな。呼んでみようか」
「コウモリ呼べるのか?」
「呼べるよ。ビールびんの底と発泡《はつぽう》スチロールをこすり合わせると、キュキュって音がするだろう? あの音で寄って来るんだ」
「どうしてだ?」
「メスの声に似てるからさ」
陽平と森の中を歩いていると、英治の知らないことを、いろいろおしえてくれるので、全然|退屈《たいくつ》しない。
「飯場《はんば》だ」
木の間から飯場が見えてきた。外に二人ほど男がいる。
「ほかの奴《やつ》らは中かな?」
「もっと近づいてみるか?」
「ヤバイぜ」
「そうだな、夜もう一度来ればいいか」
陽平は、そう言いながら、はうようにして飯場に近づく。手で英治に来いと合図している。
英治も、陽平がやったようにはいながら進む。
「あれ見てみろ、あの袋《ふくろ》」
陽平が指さすほうを見ると、飯場の軒下《のきした》に白い袋がある。
「よく見てみろ、あの袋動いてるだろう」
そう言われて目を凝《こ》らすと、たしかに袋が動いている。
「きっと、ハブをつかまえてあの中に入れてあるんだ」
「どうするつもりかな?」
「まさか食うとは思えないから、ハブでおれたちに何かするつもりかもしれない」
「食いつかれたら死ぬんだろう?」
「血清《けつせい》を注射しなけりゃな」
「ヤバイこと考えてんだな」
英治は、二の腕《うで》に鳥肌《とりはだ》がたった。
「いいよ、おれにいい考えがある」
陽平が言った。
「こんや、もう一度ここへ来るだろう?」
「うん」
「そのとき、毒のないヘビととり替《か》えればいいんだ」
「そんなことできるのか?」
「母さんに言えば簡単に捕《つか》まえてきてくれる。それをあの袋の中に入れておくんだ」
「おまえ、やるなあ」
英治は陽平の肩《かた》をたたいた。
「それほどでも……」
陽平ははにかむように笑って、
「それにしても、彼女たちはどこへ行っちゃったんだろう」
「おかしいな」
「おかしいよ。八重さんが案内したんだから、大抵《たいてい》この道を通るはずなんだ。会わないわけはないと思うんだけどなあ」
陽平にそう言われてみると、英治も心配になってきた。
「どういうことが考えられる?」
「道に迷うはずはないから……」
「まさか、奴らに捕まっちまったんじゃないだろうな?」
「おれも、それを考えてたんだ」
組長を、女の魅力《みりよく》で誘惑《ゆうわく》して、捕虜《ほりよ》にしてみせるなんて、勇ましいことを言って出かけて行ったが、考えてみると、そんなことは、どう転んでも無理なような気がしてきた。
そうなると、逆に四人が捕虜になってしまったということも考えられる。
「捕虜にしたとすると、どこに閉じこめておくと思う?」
「この島には、空家《あきや》がいっぱいあるから、閉じこめるところはいくらでもあるけど……」
陽平はちょっと考えてから、
「学校かもしれないな」
と言った。
「学校?」
英治は聞き返した。
「さっき見ただろう?」
「ずいぶん立派だった」
「あの学校、九月になったら廃校《はいこう》にしちゃうんで、いまはだれもいない。がらんどうなんだ」
「そうか」
「あそこなら、教室はいくつもあるし、ほかにも閉じこめる場所はいくらでもあるぜ」
「そうか、じゃあもし帰っていなかったら、学校に行ってみようぜ」
陽平と英治は、もと来た道をもどることにした。
来たときとくらべると、森の中はすっかり暗くなったので、ハブよけのために懐中電灯《かいちゆうでんとう》で足もとを照らしながら進む。
それでもいい気持ちはしない。ようやく陽平の家が見えてきたときはほっとした。
3
門のところに相原と安永が立っていた。
「どうした?」
相原は、英治が林から出て来るなり、遠くから呼びかけた。
「いない。見つからなかった。彼女たち帰ってないのか?」
「帰ってねえよ。おまえたちと一緒《いつしよ》に帰って来ると思って、ここで待ってたんだ」
相原は、まるで英治を問いつめている顔だ。
「こんなに暗くなるまで帰って来ねえのは、何かあった証拠《しようこ》だぜ」
安永も思いつめた顔をしている。
「帰る途中《とちゆう》陽平と話してきたんだけど……」
英治は二人の顔を等分に見た。
「彼女たち、逆に捕虜《ほりよ》にされちまったんじゃねえかって」
「それは、おれたちも考えてたところだ」
相原は安永と顔を見合わせた。
「捕虜にしたとすると、どこかに監禁《かんきん》したはずだ」
相原がうなずいた。それから陽平に向って、
「心あたりがあるのか?」
「うん、この島には島を出て行った人の空家《あきや》がいくつもある。そのどこでも四人くらい閉じこめておけるよ」
「空家か……」
「だけど、おれは学校じゃないかと思う。あそこはもう宿直もだれもいないし、空《から》っぽなんだ」
「これから、学校に行ってみねえか?」
英治は相原の顔を見た。
「行こう」
相原と安永が同時に言った。
「しかし、見張りがいるかもしれねえな」
「見張りなら、おれにまかせてくれ。そう思って持って来たんだ」
陽平は、いつ取ってきたのか、さっき森でみた、イヌビワの実をデイパックからつかみ出した。
「こいつを石のかわりにぶつけるってのか?」
安永が聞いた。
「ちがうよ。これは秘密兵器だ」
陽平はにやにやしている。
「そのほかに何を持って行く?」
「ロープがいるだろう。しばるために」
「見張りは最低二人はいると思う」
相原が言った。
「おれも二人だという気がする」
「とにかく、学校へ行ってみようぜ。日比野と天野と柿沼も呼んで来る」
安永は、家の中に入ったと思うと、日比野と天野をつれて出て来た。
「柿沼は?」
英治が聞いた。
「奴《やつ》は衣裳《いしよう》合わせをしている」
「あの野郎……」
言ったとたん、おかしくなって吹き出してしまった。
間もなく柿沼が、米軍|払《はら》い下げの迷彩《めいさい》服をびしっと決めて出て来た。
しかも、顔には墨《すみ》を塗《ぬ》ったのか、真っ黒である。
「なんだよ、それ……」
英治は、おさまりかけていた笑いが、ふたたび点火して止らなくなってしまった。
「菊地、笑いごとじゃないぞ。夜間|戦闘《せんとう》に顔を黒くするのは常識なんだ。来いよ、おれが塗《ぬ》ってやるから」
「いいよ」
逃《に》げようとする英治の顔を、柿沼の両手がはさんだ。
「菊地」
日比野が、英治の顔を見て、腹をよじって笑っている。
「どうかなったのか?」
英治は、顔を指でこすってみると、指が真っ黒になった。
「こいつ」
柿沼に飛びかかろうとする英治を、相原が押《お》しとどめて、
「じゃあ行こうぜ。陽平、案内をたのむ」
と言った。陽平が先に立ち、そのあとに六人が一列になってつづく。
すでに日はとっぷりと暮《く》れ、街灯《がいとう》もなく、家の明りもない道路は真っ暗である。
学校までは十分もかからなかった。
「じゃあ、表と裏の両方に別れよう。前半分が表、あと半分が裏だ」
相原に言われて、表にまわったのが、陽平、相原、英治、安永。裏は柿沼、天野、日比野ということになった。
「歩くときは、塀《へい》か校舎に張りつくようにすること。まちがっても、運動場の真ん中を歩いたりするなよ」
柿沼は、まるで夜間|戦闘《せんとう》を経験した指揮官《しきかん》みたいなことを言う。
「おまえ、どうしてそんなこと知ってんだ?」
日比野が感心している。
「本でゲリラの勉強したんだ」
「敵を見つけた合図はカエルの鳴き声だ」
相原は、カエルの鳴き声のまねをした。
「わかった」
「じゃあな」
英治たち四人は、柿沼たち三人が裏にまわるのを見とどけて、校門の脇《わき》のフェンスの塀《へい》を乗りこえた。
しばらくは塀に沿って進む。
「おれが先に行く。手をあげたら来い」
陽平は、体をかがめて校舎まで走った。そこで手をふるのが見えた。
相原、安永、英治と少し間隔《かんかく》をおいて校舎まで走る。
「だれもいないみたい」
陽平が声を殺して言う。
英治は窓によじのぼって内部を見たが、ただ暗い闇《やみ》の空間があるばかりだった。
陽平を先頭に、校舎に沿って進む。
「職員室だ」
そう言われて中をのぞいて見たが、やはり何も見えない。
「菊地、頭をひっこめろ」
いきなり相原が英治のベルトを引っ張った。
「なんだ?」
英治は、窓から降りて相原の脇《わき》にしゃがんだ。
「ほら、聞こえねえか?」
相原に言われて耳をすますと、廊下《ろうか》を歩いて来る足音が聞こえる。
「聞こえる」
この足音は一人ではない。その足音はさらに近づいて来る。
「植込《うえこ》みに隠《かく》れろ」
四人は玄関脇《げんかんわき》の植込みのかげに隠れた。そこから玄関までは十メートルもない。
男が二人あらわれた。
たばこに火をつけたとみえて、顔が明るくなった。
そのとき、突然《とつぜん》英治の脇で、「キュ、キュ」という音がした。
見ると、陽平が割れたビール瓶の底で発泡《はつぽう》スチロールをこすっている。
「なんの音だ?」
相原が聞いたので、英治は指で唇《くちびる》を押《おさ》えた。
「キュ、キュ、キュ、キュ」
音が連続して鳴る。
空を見上げていた陽平が、英治の前にデイパックを押《お》して、
「この中のイヌビワの実を、あの二人に投げてくれ。別に強くなくていい。あてる必要はないんだ」
英治は、イヌビワの実をひとつかみずつ相原と安永にわたした。
「これを、あの二人に向って投げてくれ。あてなくてもいいってさ」
まず英治が投げる。イヌビワの実は二人の足もとにころがった。
「なんだ?」
男の一人が言ったとたん、相原の投げた実がもう一人の男の足にあたった。
「キュ、キュ、キュ」
陽平は、コップで発泡スチロールをこすりつづけながら空を見ている。
「いいぞ、やって来た。もっと投げろ」
「だれだ? そこにいる奴《やつ》出て来い」
男がどなって、一歩|植込《うえこ》みに近づいた。
――ヤバイ。
英治が思った瞬間《しゆんかん》、男の目の前に大きな鳥が音もなく舞《ま》い降りた。
一羽、二羽、三羽、鳥の数は見る間にふえていく。男が悲鳴をあげて地面に伏《ふ》せた。
「なんだ? あれは……」
安永が言った。英治も相原もあっけにとられてその光景を見ているだけで、声も出ない。
「ヤエヤマオオコウモリだよ。あいつはイヌビワの実が好きだって言ったろう」
陽平だけが冷静である。
相原が、思いついたようにカエルの鳴き声をした。
「よし、かかれ」
相原の声と同時に、英治と安永は植込みから飛び出した。
男たちは、両手で頭をかかえて地面に伏《ふ》せているので、四人の近づくのに気づかない。
英治と陽平が二人の頭にビニール袋《ぶくろ》をかぶせる。
それと同時に、安永と相原がロープで二人を一緒《いつしよ》にしてしばりあげる。
「おーい」
柿沼の声がした。
「ここだ、早く来い」
英治がどなると、三人が走って来た。
「もうすんだよ」
安永は、いも虫のようにころがっている二人を見下しながら、悠然《ゆうぜん》と手をはたいている。
「こいつたち見張りだろう? 早く隠《かく》し場所を聞き出せよ」
柿沼が言った。
「わかってるって」
相原は、ビニール袋を少し破くと、
「四人をどこへやった?」
と聞いた。
「知らねえ」
男が言った。
「この野郎」
安永が手をあげた。その手を相原が押《おさ》えて、
「日比野、くすぐってやれ」
と言った。
「OK、くすぐりならおれにまかせてくれ。おれの魔法《まほう》の指にかかったら、おまえは笑いながら天国に行けるぞ」
日比野は、十本の指をぽきぽきと鳴らすと、まず人差指で男の脇腹《わきばら》をちょこんとつついた。
男がうっと声をあげた。
「みんな、ここはおれにまかせてくれていいから学校の中を捜《さが》してくれ」
日比野は自信満々である。
「じゃあ、たのんだぞ」
英治と相原は、ふたたび陽平のあとにつづいて校舎に入った。
4
「きっと、ここだと思う」
陽平は、ある教室の前で立ち停《どま》った。
「なんの教室だ?」
英治が聞いた。
「体育倉庫だよ」
陽平が戸をあけると、中には跳《と》び箱、マットなどが雑然と積みあげてある。
「おーい、おれは安永だ。助けに来たぞ。返事しろ」
安永がどなったが返事はない。しかし、耳をすますと倉庫の片隅《かたすみ》で、ごそごそと音がする。
「あそこだ」
英治は懐中電灯《かいちゆうでんとう》を向けると、真っ先になって、音のする方向に向った。
しかし、途中《とちゆう》には体育器具が障害物《しようがいぶつ》になって思うように進めない。
ようやくたどり着くと、何かが動いた。四人が懐中電灯を向けるとテントだった。
安永が、ナイフを出してテントを切り裂《さ》いた。
最初に出て来たのは久美子、それから八重、純子、ひとみの順にはい出て来た。
どの顔も口にガムテープをはられているので声が出ない。
安永が久美子の両手をしばっているロープを切り、ガムテープをはがすと、
「痛いッ」
と悲鳴をあげた。
あとの三人のガムテープもつづいてはがす、みんな「痛いッ」と悲鳴をあげた。
どの顔も水をかぶったみたいにびしょ濡《ぬ》れである。
「なんだ、泣いてたのか?」
安永が笑った。
「ちがう。暑くて汗《あせ》が出たんだよ。もう少し放っとかれたら死ぬところだった」
「じゃあ、お礼くらい言ってくれてもいいはずだぜ」
「ありがとう」
四人が、しおらしく頭を下げた。
「どじしちゃった」
久美子が照れくさそうに、安永に言った。
「そんなことになるんじゃねえかと思ってたんだ」
「安永君、私たちを信用してなかったの?」
「あたりまえじゃん」
「ひどい、それはひどいよ」
「あんまりヤバイことはやらねえでくれよ。こっちの命がちぢまるぜ」
安永の言葉は乱暴《らんぼう》だが、ほんとうは優《やさ》しいのだ。それが、言葉のはしはしに見える。
四人をつれて体育倉庫を出ると、向うから柿沼と天野がやって来た。
「ここに監禁《かんきん》されてたのか?」
「そう」
「奴らに変なことされなかったか?」
「エッチ、そんなことされるわけないでしょう」
ひとみが口をとがらせた。
「だけど、ちょっとくらいさわられただろう?」
「けとばされた」
「そうか、やっぱり奴らは女だと見てねえんだよ」
天野が言った。
「そうかもね」
意外にも、久美子はしょんぼりと言った。きっと、誘惑《ゆうわく》に失敗したことで、自信を失《な》くしたのだ。
「あいつたちどうした?」
ひとみが聞いた。
「いま、日比野がかわいがってる」
十人がそろって玄関《げんかん》から運動場へ出ると、二人の男たちは、日比野の魔法《まほう》の手によって笑いころげている。
「もうかんべんしてくれ、たのむ」
二人は、笑いながら哀願《あいがん》している。
「こいつたち、私たちをひどい目にあわせたんだから、私たちにもやらせて」
日比野にかわって、こんどは四人がくすぐりはじめる。
ところが、その瞬間《しゆんかん》笑いはぴたりととまってしまった。
「どうしたの? 笑わなくなっちゃったよ」
ひとみが言った。
「そりゃだめさ。おれのこの指はマジック・フィンガーなんだ」
日比野は、十本の指を開いたり閉じたりして見せた。
「こいつら、みんなを捕虜《ほりよ》として国際法に違反《いはん》しないような取扱《とりあつか》いをしてくれたか?」
相原が聞いた。
「なぐったり、けったり。私たちの体見て、あざだらけよ」
久美子が言った。
「そうか、では国際法違反で処刑《しよけい》する。なんでも好きな方法を選ぶ権利をあたえる」
「殺すのか? おれたちを」
相原の顔を見あげる男の顔がひきつっている。
「水がいいか? それとも火がいいか?」
「それともハブがいいか」
柿沼が、いきなりおもちゃのヘビを男の目の前に突《つ》きつけた。
「やめてくれ!」
男は悲鳴をあげた。
「命だけは助けてくれ。たのむ」
もう一人の男が、頭を何度も下げた。
「よし、では二人を捕虜《ほりよ》として監禁《かんきん》する」
相原は陽平のほうを見て、
「いい場所あるか?」
と聞いた。
「ある」
「じゃあ、つれて行ってくれ」
ふたたび、男の顔に黒いビニールの袋をかぶせた。
「どこへつれて行くんだ?」
男が不安そうに聞く。
「地獄《じごく》だよ」
英治は、男たちの腰《こし》につけたロープを引っ張る。
「あそこか?」
英治が聞くと、陽平は「うん」と答えた。あそことは空家《あきや》のことである。
陽平は、学校から少し離《はな》れたところにある空家に二人をつれこんだ。
「ここはどこだ?」
男が聞いた。
「ここは、島で悪いことをした奴を入れる牢屋《ろうや》だ」
陽平がぬけぬけと言う。
「いつまで入ってりゃいいんだ?」
「仲間が助けに来てくれるまでだ。ただし、その前に正直に話すか?」
「何を?」
「こっちの聞くことはなんでもだ」
「話す」
「では聞くが、組長は何しに島へやって来たんだ?」
「仕事のハッパをかけるためだ」
「うそをつくと、ハブに噛《か》ませるぞ」
袋《ふくろ》をあけて、二人におもちゃのヘビを見せた。
「やめてくれ」
男が悲鳴をあげる。
「では、ほんとうのことを言え」
「組長は、三日以内に金城一家にハンコを押《お》させるよう、ハッパをかけに来たんだ」
「三日で島を追い出すのか? ずいぶん追いつめられてるな」
「早く追い出さねえと、組がつぶれちまうらしい」
「どっちみち、桜田組は親会社から切られるんだ。早いとこずらかったほうがいいぞ」
「ほんとか?」
「おれたちは、うそはつかねえ。彼女たちを捕虜《ほりよ》にして、何やるつもりだったんだ?」
「島を出なけりゃ、四人を一人ずつ殺す。そのことをあした通知するはずだった」
「そうか、せっかくだがそれはだめだ。かわりに、桜田組が島を出なけりゃ、おまえたち二人の命はもらうって、あした通知するつもりだ」
「そんなことしても、組長はうんとは言わねえ」
「冷たいな」
「どうせおれたちゃ消耗品《しようもうひん》だ。向うはなんとも思っちゃいねえ」
男はふてくされたように言った。
「かわいそうに。ではあしたの計画を聞こう」
「四人をつれて、ブルドーザーで金城の家に行く。もし言うことを聞かなかったら、一人ずつブルで轢《ひ》き殺すつもりだ」
「ひどい!」
ひとみと純子が顔を見合わせた。
「だれがそんなこと考えた?」
「課長の鮫島《さめじま》だ」
「鮫島だな。よくおぼえておく。こんやおまえたちは、飯場《はんば》に帰るつもりだったのか?」
「十二時になったら交替《こうたい》して帰るはずだった」
「十二時だな。やっぱり来るのは二人か?」
「二人だ」
「全部で何人いるんだ」
「組長は別で十人だ」
「交替の二人は歩いて来るのか? それとも車か?」
「車だ」
「十二時だな?」
相原は念を押した。
「そうだ」
「よし、ではここから降りろ」
陽平は、二人にはしごを伝って地下室に降りるよう指示した。
二人がよろめきながら、やっと下に降りると、陽平は、はしごを引き揚《あ》げてしまった。
それから上げ蓋《ぶた》を閉め、そのうえに石や板など、重いものをのせた。
「この穴蔵《あなぐら》は、沖縄の酒|泡盛《あわもり》を貯蔵する倉庫なんだ。窓もなんにもないし、はしごもないから出られないよ」
「ここじゃ、奴らがいくら捜《さが》しても見つからないぜ」
英治の言葉を聞いていなかったみたいに、
「十二時までまだ時間があるから、ブルちゃんに黒砂糖でも食べさせてやろうか」
と相原が言った。
「よし、じゃあ行こうぜ」
昼間からずいぶん動いているはずなのに、疲《つか》れは全然ないのが不思議だった。
5
「陽平、あのコウモリはすごかったな。おれ、腰《こし》が抜《ぬ》けそうだったぜ」
日比野が、イヌビワの実を手の中でころがしながら、まだ興奮の冷めない口調《くちよう》で言った。
「あの音を聞くと、メスが呼んでると思ってやって来るんだ。そこにイヌビワの実がころがっているんで、わっと集まって来たのさ」
陽平はあたりまえの顔をしている。
「ああいうこと、まえにもやったことあるのか?」
「はじめてだよ。だから、うまくいくかどうか心配だった」
「あいつたち、おどろいただろうな」
英治は、頭をかかえて地面に伏《ふ》せた、二人の姿を思い出すと、おかしくなってきた。
「こんやばかりは、あの三人|娘《むすめ》もしゅんとなってたな」
天野が言った。
久美子、純子、ひとみの三人は、八重の家で休憩《きゆうけい》している。
「だから、おれが船の中で言ったんだよ。まだ女だなんて思うのは早いって。そうしたら青あざさ」
柿沼は、思い出したように足をさすった。
「だけど、こんどはがっくりきて、自信を失《な》くしたんじゃねえの。でも、ちょっとかわいそう」
日比野はそう言いながら、陽平が持って来た黒砂糖をつまんだ。
「おッ、これ意外にうめえや」
また、袋《ふくろ》に手を突っこんでいる。
「やめろよ、ブルちゃんと軽トラちゃんにたっぷり食わせてやるんだから」
英治は、日比野の手を押《おさ》えた。
「これで、十二時に学校にやって来る二人を捕虜《ほりよ》にすると、残りは七人か」
相原が言った。
「あしたが、いよいよ決戦だな」
安永は空を見上げて言った。
「七人だから、らくになったぜ」
日比野が気らくそうに言う。
「去年の夏と一緒《いつしよ》に考えると、えらい目にあうぞ」
相原が言った。
「十二時に、交替《こうたい》の二人が学校に行くだろう。しかし、まえの連中が帰って来ない。おかしいと思わねえかな?」
英治は、相原の顔を見た。
「思うさ。きっと様子を見に、中学に出かけるんじゃねえか」
「しかし軽トラちゃんは動かねえぜ。そうなると歩きか? それとも行くのをあきらめるか……」
「行くさ。歩いてでも」
「みんなが出かけて家が空っぽになったら、屋根のかわらをはずすぜ」
陽平が言った。
「これじゃ、こんやは徹夜《てつや》になるかもしれねえな」
日比野が言うと柿沼が、
「徹夜くらいへっちゃらさ。おまえ、もしかして徹夜したことねえのか?」
「徹夜すると、体調がわるくなるから、したことないんだ」
「体調がわるくなるって、心臓でもわるくなるのか?」
「ちがう。食欲がなくなるんだ」
日比野が言ったとたん、爆笑《ばくしよう》になった。
「おい、あんまり派手《はで》に笑うなよ」
相原がチェックを入れた。
気がつくと、いつの間にか造成地への道路に入っていた。
しばらく、だまったまま道の脇《わき》を一列になって進む。
やがて前方が急に明るくなったと思うと、森が切れて、開けた空地がひろがっていた。
ブルドーザーが三台、空地の中央に並《なら》んでいるのが、シルエットになって見えた。
一応あたりを見まわしてみたが、見張りの人影《ひとかげ》も見あたらない。
「おれと菊地と安永の三人で行く。もし何かあったら、援護《えんご》してくれ」
相原は柿沼にそう言うと、黒砂糖を三人で分けた。
「走るぞ」
相原はブルドーザーに向って走り出した。英治と安永がそのあとにつづく。
ブルドーザーまでの距離《きより》は五十メートルほどだから、あっという間に着いてしまった。
「ブルの燃料を入れる注入口はここだ」
安永は、土木工事のアルバイトをしたことがあるのでよく知っている。
英治は、キャップをあけて持って来た黒砂糖を全部入れてやった。
「ブルちゃん、おまえの好きな黒砂糖をたっぷりなめて、あしたは、ゆっくりおねんねしなよ」
そう言いながら、ブルドーザーを手でたたいてやると、なんだか生き物のような気がしてくる。
「終ったか?」
相原が聞いてきた。
「たっぷり食わせてやったぜ」
安永が言った。
「おれもだ」
英治が言うと同時に相原は走り出した。英治と安永もそれにつづいた。
「トラックはあっちだ」
帰るのを待っていたように柿沼が指さした。
「あの電気のついてるのは飯場《はんば》だろう?」
英治が聞くと陽平が、
「そうだよ」
と答えた。
「こんどは、ちょっと注意しないとヤバイぜ」
日比野は、ヤバイと言いながら大きなあくびをした。
陽平が先頭になって、森の縁《へり》を進む。
「ハブに気をつけてくれよ」
「ええッ」
陽平に言われて、日比野は飛び上った。
「脅《おど》かすなよ」
「脅かしてない。ほんとのことだ」
そう言われると、ハブのことが気になって、みんな足もとばかり見ている。
陽平が停《とま》ったので前方を見ると、飯場はすぐ近くにあった。
軽トラックが二台と二トン車が一台|並《なら》んでいる。
「こんどは、おれと天野と日比野が行って来る」
柿沼が言った。
「おれが?」
日比野の声が変った。
「なんだ、びびってんのか?」
「ちがう、ちがう」
日比野は強く首を振《ふ》った。相原が三人に黒砂糖をくばる。
「日比野、自分で食っちゃうなよ」
「わかってるって。おれはそれほどいやしくはない」
そう言いながら、日比野は一個口に放りこんだ。
三人が、地面をはいながら進むのを見ていると、自分のときはなんとも思わなかったのに、英治は胸がどきどきしてきた。
飯場から、だれも出て来ませんように。
そのことだけを心の中で祈《いの》っていた。
突然《とつぜん》、大きな音を立てて戸があくと、飯場の中から人が出て来た。
――ヤバイ。
英治は相原と顔を見合わせた。相原の表情も緊張《きんちよう》している。
「あしたは雨かな?」
男は空を見上げると、ひとりごとを言いながらおしっこをしはじめた。
――早く終れ、空だけ見てろ。
英治は、そのことだけを必死に祈った。
その祈りが通じたのか、男は、はなうたを歌いながら飯場に入ってしまった。
「心配したぜ」
安永が、大きいため息とともに言った。
三人が帰って来た。
「ヤバかったな?」
英治が聞くと柿沼は、
「何が?」
ととぼけている。
「気がつかなかったのか? 飯場から男が出て来たんだぞ」
「全然」
天野と日比野も「全然」と言った。
「日比野なんて気がつかなくてよかったぜ、もし気がついたら、腰抜《こしぬ》かして動けなくなるところだった」
急に楽しくなって、声を押《おさ》えて笑った。
「いま十一時だ。そろそろ学校にもどるか」
相原が時計を見て言った。すると陽平が、
「おれ、ここに残って、あいつらがいなくなったらカワラをはずす」
と言った。
「じゃあ、だれか一緒《いつしよ》に残れ」
「いいよ、おれ一人でやれるから」
「こんなところに一人でいて、おっかなくねえか?」
日比野が聞いた。
「へっちゃらさ」
陽平は、べつに突っ張っているとも思えない。子どものときから森を見ているので、平気なのかもしれないと英治は思った。
「じゃあ、トランシーバーをあずけておく。奴《やつ》らがここを出たときとか、緊急《きんきゆう》の事態が発生したときは連絡《れんらく》してくれ」
「わかった」
「じゃあな」
六人は陽平に手をふり、帰りは造成地を突っ切って行くことにした。
「これで敵の機動部隊は全滅《ぜんめつ》させたから、もう戦力はがたがただ。あとは家の前に誘導《ゆうどう》して、パイン爆弾《ばくだん》で壊滅《かいめつ》すればいい」
柿沼はまるで作戦部長みたいな言い方をする。
「そううまくいけばいいけどな」
安永は慎重《しんちよう》である。
しかし、なんとなく明るいムードになってきたことはたしかだ。
英治も急に口が軽くなって、相原にしゃべりかけた。
6
「おい、交替《こうたい》の二人が出かけてどのくらいになる?」
桜田《さくらだ》は鮫島《さめじま》に聞いた。
「もう一時間になります」
鮫島は時計を見て言った。
「学校まで、歩いてどのくらいかかる?」
「二十分です」
「往復四十分か。一時間は長過ぎると思わんか?」
「たしかにそう思います」
「途中《とちゆう》、寄り道するようなところはあるのか?」
「ありません」
「では何をしとるんだ?」
「もしかしたら……?」
高木は言いかけたが、口をつぐんでしまった。
「なんだ?」
桜田がにらんだ。
「いえ、なんでもありません」
「いいから言ってみろ」
「いえ、若い娘が四人に、こっちが四人だから、もしかしたら……と思ったんですが、まさかそんなことはありません」
高木は、額に浮《う》かんだ汗《あせ》を拭《ふ》いた。
「そういうことが、かつてあったのか?」
桜田の詰問《きつもん》は厳しい。鮫島は体を固くして、
「そういうことは絶対ありません」
「こんども、そういうことは起こらんと、体を張って言えるか?」
「はい、言えます。しかし、私が行って様子を見てまいります」
「私も一緒《いつしよ》に行きます」
鮫島につづいて高木も言った。
「軽トラで行けば、十五分もあればもどってまいります」
鮫島と高木は、飯場《はんば》から出て行ったが、三分もしないでもどって来た。
「どうした?」
「トラックが三台とも動きません」
鮫島の顔がこわばっている。
「どういうことだ?」
桜田は立ち上った。
「一台が故障《こしよう》というならわかりますが、三台同時故障というのは考えられません」
「理由を言ってみろ」
「だれかが故意にやったのです」
「だれかとはだれだ?」
桜田の声は苛《いら》だっている。
「水槽《すいそう》の水がなくなったのも、スピードボートのかじが取れたのも、同じ犯人だと思います」
「だから、それはだれだと聞いておるのだ」
「八月に島を出て行く連中のだれかだと思います」
「おれは、奴《やつ》らに金を払《はら》った。八月いっぱいこの島にいられるのは、おれの恩情《おんじよう》なのだ。その恩を仇《あだ》で返しやがって」
桜田はビールびんをにぎると、机にたたきつけた。
「あの四人|娘《むすめ》のうちの一人は、島の者です。きっと手引きしたんでしょう」
高木が言った。
「あの娘たちがやったというのか?」
「だいぶきつく問いつめたんですが、ただ遊びに来たと言うだけで白状しません」
鮫島は小さくなっている。
「あいつらはおれに、一緒に海に入って遊ばないかと言ったぞ」
「若い女の子から見ると、組長はたのもしくて、かっこいいにちがいありません」
矢島が言うと、桜田の頬《ほお》がゆるんだ。
「そうかな」
「最近の若者はたよりなさ過ぎますから、金と力のあるおじさまが、もてるのです」
「それは矢島、あまい。そう思わせて、組長をどうかするつもりだったのかもしれん。そう思ったから、一応つかまえておいたのです」
鮫島が言った。
「それは考え過ぎかもしれんぞ。四人がスピードボートや水槽の犯人だとしたら、車を動かなくさせた犯人はだれなんだ?」
「それは……」
鮫島は、桜田に問いつめられて言葉につまった。
「とにかく、わしが四人を尋問《じんもん》する」
「では、いまから私が行ってつれてまいります」
『こちら陽平、聞こえますか? どうぞ』
「陽平から連絡《れんらく》だ」
英治はみんなにどなってから、
「こちら本部、聞こえます。どうぞ」
とトランシーバーに向って言った。
『いま、課長ともう一人が歩いて学校に向かいました。どうぞ』
「車ではないんですね、どうぞ」
『車は動きません。どうぞ』
「車は動かねえから、歩きで二人がやって来るってさ」
「やったあ」
みんなが手をたたいた。
「そいつたちは、何しに来るんですか? 帰らない二人のことですか? どうぞ」
『それもありますが、体育倉庫に監禁《かんきん》した四人をつれもどしに行くんです。どうぞ』
「わかりました。それだけですか? どうぞ」
『いまのところはそれだけです。引きつづき監視《かんし》をつづけます。どうぞ』
「ご苦労さん。ではこれでバイバイ」
トランシーバーを置いた英治は、
「どうする?」
と、みんなの顔を見た。
「まず、そいつらは仲間を捜《さが》すだろう。それから体育倉庫に行く」
「そうか、体育倉庫に仕掛《しか》けをつくって、少しばかり遊んでやろうぜ」
天野が言った。
「さんせい」
こういうことになると、いつも全員がさんせいする。
「まず、倉庫の戸をあける」
相原が言った。
「サッカーボールを顔面にぶつける」
柿沼が言うと天野が、
「そのまえに花火をやったら? そうしたら目がくらんで何も見えなくなるぜ」
「天野の意見にさんせいの人は手をあげて」
相原が言うと全員が手をあげた。
「そのあと、サッカーボールだ」
「シュートはおれにまかせてくれ」
英治が言った。
「いいだろう。すぐ体育倉庫に行って入口の床板《ゆかいた》をはがそうぜ。そうすると、入ったとたんに落っこちるってわけだ」
安永はにやっとした。
「行こうぜ」
全員が体育倉庫まで走った。
「安永、バレーボールのネットあるか?」
柿沼が走りながら聞いた。
「ある」
「よし、じゃあこんどは、ネット巻き二本といこうぜ」
体育倉庫に入ると、さっそく床板をはがしにかかった。
手では無理だが、安永がシャベルを持って来ると簡単にはずれてしまった。
床板をはずすと、下は地面である。そこにバレーボール用のネットを敷《し》き、床板のあったところにはシートを張った。
「もし中に入って来なかったらどうする?」
英治はそれがちょっと心配になった。
「そうだなぁ、じゃあ廊下《ろうか》に跳《と》び箱を置いて、その中にだれか隠《かく》れてろ。奴《やつ》らが入らないようだったら、うしろから押《お》してやればいい」
相原が言った。
「跳び箱だと、中に入るのは小っちゃいのでないと無理だな」
英治が見わたすと、ひとみと純子が手をあげた。
「私たちが入る」
「いいだろう。じゃあ跳び箱を外に運び出してくれ」
人数が多いから、見る間に跳び箱が廊下《ろうか》に組み立てられた。
「もうすぐ来るぞ、急げ!」
相原が時計を見ながらせかす。
「では、安永と日比野は、ネットの両端《りようはし》を持っていてくれ」
「わかった」
安永と日比野は床下《ゆかした》に入った。
「花火はおれがやる」
天野は、ドアの正面に積み上げた、マットの間に身をひそめた。
「菊地はそのうしろ。サッカーボールをぶつけるのは、落ちてからだぞ」
「OK」
英治は、サッカーボールを四つほど集めた。
「私たちは何すんのよ?」
久美子が聞いた。
「二人はこの消火器を持っていて、敵の抵抗《ていこう》が激《はげ》しかったらつかってくれ。簡単にやっつけられたら、次の戦いに残しておこう」
「いいよ」
「おれは外へ行って、奴らがやって来るのを見張る。校舎に入ったら、この窓を外からこつこつやるから準備してくれ」
「OK」
「じゃあ行くぞ」
相原は一人で体育倉庫から出て行った。
懐中電灯《かいちゆうでんとう》を消してしまったので、だれの顔も見えない。
まわりは真《しん》の闇《やみ》、音もない世界。英治は息苦しくなってきた。
そのとき、どこからともなく、それまで聞いたことのないメロディーが流れてきた。
※[#歌記号]夏花ぬ一本《ひとむと》むいたる 木綿花《むめんばな》よ
イラヨイマーヌ 木綿花よ
本美《むとじゆ》うさ 枝美《いだじゆ》うさ
本《むと》すりよ
これが沖縄の歌なのか? きっと八重が歌っているにちがいない。
歌詞の意味はよくわからないが、このメロディーは人の心を揺《ゆさ》ぶる。
聞いていると、なぜかもの哀《がな》しくなってくる。
英治は、何もかも忘れて歌に聞きほれていた。
X 八重山《やえやま》バイバイ
1
「どうしてこうも、行った奴《やつ》、行った奴が帰って来なくなっちまうんだ?」
桜田《さくらだ》は、そばにいる米倉《よねくら》にどなった。
「おかしいです」
「おかしいなんてもんじゃねえ。あの学校には何があるんだ」
「島の連中がやったのかもしれません」
野口が言った。
「証拠《しようこ》があるのか?」
「べつに証拠があるわけじゃありませんが、ほかに理由が考えられません」
「いいか、この島に残っているのは、女《おんな》子どもと年寄りだけだろう。仮にも大の男が六人、そんな連中にやられると思うか?」
米倉に問いつめられて、野口は口ごもってしまった。
「よそからやって来たのかもしれんだろう?」
桜田が言った。
「あの学校はもう廃校《はいこう》になりましたから、あるいは、そこに住みついている奴がいるのかもしれません」
「そうだ、きっとそうにちがいない」
「しかし、あの四人の娘《むすめ》をつれて行ったときはだれもおらなんだけど」
野口がぼそぼそと言った。
「学校中歩いたわけじゃないだろう?」
「はあ」
「それじゃ、別のところにいたんだ」
「これで、うちの連中が六人も消えちまったことになります。だれがなんの目的でやったんでしょうか?」
「うちの組をぶっつぶそうとしてるわけでもないだろう。こんなことでつぶれるわけがねえ。いやがらせをしてるだけだ」
「心あたりはありますか?」
「そんな連中はいくらでもいる」
「どうしますか?」
「こてんぱんにぶちのめしてやる」
桜田の顔が、酒を飲んだように紅潮《こうちよう》している。
「こっちは人質《ひとじち》を取られています。向うが何か条件を持ち出してくるんじゃないでしょうか?」
「そんなものは呑《の》まん」
桜田は、そう言ったものの、考えこんでしまった。
「こんや、これからやりますか?」
「いや、こんやはまずい。あす石垣《いしがき》島から加勢を五人呼ぼう」
「いま石垣にいるのは五人だけですか?」
「もっと仕事を急がなくちゃならん。そこで募集《ぼしゆう》したんだが、五人しか集まらなかった。最近は、こっちも人手不足だからな」
「では、あしたですね?」
「そうだ」
「攻撃《こうげき》は昼ですか? 夜ですか?」
「昼がいいだろう。待ちかまえておられると夜は不利だ」
玄関《げんかん》の戸をたたく音がする。
「なぐり込みかな?」
米倉の顔が緊張《きんちよう》した。近くにあった棒《ぼう》をひろうと、それをしっかりにぎって玄関へ行った。
「だれだ?」
「おれだ、鮫島《さめじま》だ」
「鮫島だと?」
桜田の声がした。
「そうです」
「あけてやれ」
引戸《ひきど》をあけると、鮫島と高木が倒《たお》れこむように入って来た。二人ともロープでつながれ、どちらの顔も、まるで仮面のように真っ白に塗《ぬ》られている。
「やられました」
鮫島と高木は、土間に正座した。
「いいから上って説明しろ。そのまえに米倉、ロープを切ってやれ」
入って来たときは気づかなかったが、ロープは胴《どう》だけでなく、二人三脚《ににんさんきやく》のように足首もつながれている。
「相手はだれだ?」
「白い仮面をかぶった連中です」
「白い仮面だと?」
「じじいとばばあの仮面ですが、それがにたにた笑って、ものすごく不気味《ぶきみ》なのです」
高木は、思い出したのか体をぶるっとふるわせた。
「人数は何人だ?」
「かなりたくさんいました。十人以上はいたと思います」
「そんなにか?」
桜田は考えこんでしまった。
「そいつら、島の連中ですか?」
米倉が聞いた。
「ちがうと思う。まるでネズミかリスみたいにすばしこい奴らだった」
「先に行った連中は見つけたのか?」
「それが、四人の娘《むすめ》を監禁《かんきん》しておいた倉庫にいると思って、戸をあけたとたんやられました」
「そのときの様子を説明してみろ」
「あけたとたん、花火だと思うんですが、ものすごい閃光《せんこう》がして、あとは何も見えなくなりました」
「どうしたんだと思ったとき、うしろから突《つ》きとばされて穴の中に落ちました」
高木がつづけた。
「穴の中?」
「床板《ゆかいた》がめくってあったんです。穴の中には網《あみ》が張ってあって、あっという間にぐるぐる巻きです」
「そのとき、奴らの顔を見たのです。思い出すだけでも気味のわるい仮面でした」
「それはわかった。しかし、おまえたちだけどうして帰してくれたんだ?」
「帰って組長につたえろと言われました」
「なんと言ったんだ?」
桜田の目が光った。
「四人を取りもどしたかったら、あした学校に来い。そう言いました」
「おれをなめやがって」
桜田は、にぎりしめた拳《こぶし》でテーブルを思いきりたたいた。
「おまえたちは、組長になんの恨《うら》みがあるんだと聞いてやりました」
「うむ」
「そうしたら、おれたちはあの世から来た神だ。この聖地を荒《あら》すものは許せん。即刻《そつこく》島を出て行けと言いました」
「あの世の神だと……。笑わせやがって」
「正体が見えてきましたね」
米倉が言った。
「環境《かんきよう》保護団体にしては、やり方が過激《かげき》すぎると思うんですが」
鮫島は白い顔を桜田に向けた。
「それは、おれも考えているところだ。こいつらは、おれたちとまともにけんかしようとしている。インテリのグループではないな」
「ヤクザですか?」
「いや、ヤクザともちがう」
「右翼《うよく》とか宗教団体とか……」
「それともちがう気がする」
「するとなんですか?」
「わからん。しかし、あすにはわかるだろう。いいか、おれが石垣島から助《すけ》っ人《と》をつれてもどるまで、勝手な行動はするなよ」
桜田は、鮫島に釘《くぎ》をさした。
「課長は、戸をあけたとたんにやられたんでしたね?」
「そうだ」
「ということは、敵は課長の来るのを知って、待っていたわけですね」
「たしかに待っていた」
「どうして、奴《やつ》らはそのことをわかったんですかね」
米倉は鮫島の顔を見た。
「だれかがおしえたのか……」
「いや、それはない。みんなわしと一緒《いつしよ》にここにいて、一歩も外へ出た者はおらん」
桜田が言った。
「では超能力《ちようのうりよく》か……」
「家のまわりを見張られているのか……」
米倉が言ったとき、表で音がした。
「いま、音がしなかったか?」
桜田が言った。
「しました」
鮫島は、言うと同時に立ち上って、玄関《げんかん》の引戸《ひきど》をあけた。
「あ、あ、あ」
鮫島の絶叫《ぜつきよう》にみんなが駆《か》けつけた。
「なんだ、これは?」
桜田がぼう然と立ちすくんだ。
玄関の外には、コウモリが数十羽も集まって何かに群がっている。
「吸血コウモリだ。血を吸われるぞ」
鮫島が叫《さけ》んだ。米倉があわてて戸を閉めた。
「あの赤い目を見たか?」
「見た、見た」
全員がパニックに陥《おちい》った。
2
「吸血コウモリだって、ヤエヤマオオコウモリは木の実しか食べないのに」
陽平は、そのときの様子を思い出しては笑っている。
みんなの慌《あわ》て方がよほどおかしかったにちがいない。
「やったな。たいしたもんだ」
安永が陽平の肩《かた》をたたいた。
「どさくさまぎれに、屋根のかわらをいじってやった。こんど雨が降ったらびしょ濡《ぬ》れだよ」
久美子とひとみと純子が手をたたいた。
「それから、あいつたちが捕《つか》まえたハブ。袋《ふくろ》あけて見たけれど、あれは全然毒のないヘビだから、噛《か》まれてもへっちゃらだよ」
「なんだ、そうか」
英治は相原と顔を見合わせたとたん、急におかしくなった。
「ひまだったから、サソリを捕《つか》まえた」
「サソリがいるのか?」
「いるよ。かっこうはすごいけど毒はたいしてない。だけど刺《さ》されると痛くて腫《は》れるよ」
「そのサソリどうした?」
日比野が聞いた。
「家の隙間《すきま》から中に入れてやった。こんや、だれかが刺されるかも」
「何|匹《びき》入れたんだ?」
「五匹」
全員が拍手《はくしゆ》して喚声《かんせい》をあげた。
「あいつたちの話聞いちゃったけど、アンガマ面にはおどろいたらしいよ」
「そうか、効果あったか?」
相原が身を乗り出した。
「すごく気味わるがってた」
「あれは、自分でやってても気味わるいもん」
ひとみが言った。
「奴ら、あした攻《せ》めるって言ったか?」
「言ったよ」
「昼か夜か、どっちだ?」
「昼間だって。ただ、朝、石垣島から助《すけ》っ人《と》をつれて来るって言ってたから、朝、ってことはないと思う」
「助っ人をつれて来るだって?」
安永が聞いた。
「五人だって」
「そうか、五人か……。すると組長を入れると全部で十二人だな?」
「五人でも十人でも来いってんだ」
日比野が胸をたたいた。
「ここのパイナップル爆弾《ばくだん》を、あしたの朝早く学校に運ぼうぜ」
相原が言うと陽平が、
「学校の裏にパイナップル畑があるから、そこから集めればいいよ」
と言った。さすがに地元は強い。
「あいつたちが十二人で攻《せ》めて来たら、どうやってやっつけるつもり?」
久美子が聞いた。
「それはいろいろ考えたけど、こんやはもうおそいから寝《ね》よう、作戦計画は、あしたの朝、学校で説明する」
相原が言ったとたん、日比野が大きなあくびをすると、
「おやすみなさい」
と言ってひっくりかえった。
女子は二階、男子は一階が寝室《しんしつ》と決めてあったが、英治は横になったとたん眠《ねむ》ってしまった。
体を揺《ゆす》ぶられて目をあけると、まわりは明るかった。
「おれだよ」
目の前に矢場の顔があった。
「そんなにびっくりした目をするな。これは夢《ゆめ》じゃない、現実だぞ」
英治はふとんの上に座《すわ》り直した。
「相原は?」
「ここにいる」
ふり向くとうしろにいた。
「もう起きたのか?」
「起こされたんだよ、矢場さんに」
そのときはじめて、矢場のうしろに見知らぬ男の人がいるのに気がついた。
「矢場さん、いつ来たの?」
「ついさっきさ。この人と一緒《いつしよ》に」
男の人がペコリと頭を下げたので、英治と相原も、そろって頭を下げた。
「この人は、まえに手紙で言ったろう」
「わかった、元木《もとき》さんですね?」
相原は、男の人に向って言った。
「そうだ。元木さんだ」
「どうして、矢場さんが元木さんと一緒なの?」
英治には、まるで夢《ゆめ》の中の話みたいだ。
「元木さんは、石垣島に友だちがいたのさ。その友だちというのが、この前サンゴの取材でお世話になった宮原さんという人さ」
「そこに隠《かく》れてたってわけ?」
「そうなんです。私は隠れて矢場さんの取材を見ていました」
「矢場さんは知らなかったの?」
「もちろん知らない。告発のあったことは知っていたが、まさか、その本人が自分の隣《となり》にいるなんて。まさに灯台《とうだい》もと暗しだ」
「へえ、奇跡《きせき》だね」
「だけど、どうして、いま二人が一緒にいるの?」
相原が聞いた。
「それはこういうことだ。宮原さんの家にいることがヤバくなったからさ」
「わかっちゃったの?」
「丸田組も必死だからな」
「見つかれば殺される?」
英治は、あらためて元木の顔を見た。いかにも頭の切れそうな目をしている。
「やられるだろうな、まちがいなく」
「検察庁にたのんで、守ってもらえばいいのに」
「いずれはそうなるが、まだいまの段階では無理だ。たとえ警察官が見張ってくれたって、身の安全は保証できない」
「そうか、すると、こんどは矢場さんのところに隠《かく》れるわけ?」
「そういうことだ」
「ほんとうに、ご迷惑《めいわく》おかけします」
元木は、矢場に頭を下げた。
「いいですよ。そのかわりこの人は、大スクープをものにできるんですから」
「菊地、気がるに言うけれど、これはおれにとっても綱《つな》わたりだ。命を賭《か》けている」
矢場が、いつになく真剣《しんけん》な調子で言った。
「それじゃ、どうしてすぐ飛行機で東京に帰らなかったの?」
相原が聞いた。
「石垣の空港は奴《やつ》らに見張られていてヤバイんだ」
「じゃあ船は?」
「港もだめだ。だからボートでここに来たんだ。君たちがいることを思い出してな」
「ここには、いま桜田組の組長がいるんだぜ。飛んで火にいる夏の虫じゃないの?」
「だから、ここには来ないだろう。つまり、盲点《もうてん》をついたつもりなのさ」
「そうか……、さすがに、矢場さんは考えることがすごい」
相原が何度もうなずいて感心した。
「ここに元木さんがいるなんて、考える奴《やつ》はいないよな」
英治もすっかり感心した。
「それはいいんだけど、きょうぼくらは、奴らと決戦をやるんだ」
「どこでやるんだ? まさかここじゃないだろうな?」
矢場の表情がこわばった。
「ここじゃない。奴らは、まだ自分たちの敵がだれだかわかっちゃいないのさ」
相原が、ここに来てからの、いきさつを説明した。
「あいかわらずやるな」
「去年の廃《はい》工場のときは、矢場さんにテレビの実況中継《じつきようちゆうけい》してもらったけど、こんどはやってもらえなくて残念だよ」
「敵の数は何人だ?」
「きょう石垣島から助《すけ》っ人《と》を五人つれて来ると言ってたから十二人」
「こっちは、女子も入れると十二、三人にはなるかな」
「じゃあ、互角《ごかく》ってわけだな?」
「といっても、このまえは相手が先生や親たちだったけど、こんどは桜田組の怖《こわ》い連中だから、手加減はないと思うんだ」
「自信はあるのか?」
「もちろんある。これから爆弾《ばくだん》を運ぶんだ」
「爆弾?」
元木が目を丸くした。
「爆弾といってもパイナップル爆弾。それでも威力《いりよく》はかなりらしいよ」
二階から降りて来る足音がしたと思うと、久美子、純子、ひとみがやって来た。
「矢場さん、応援《おうえん》に来てくれたの?」
三人が矢場を取り囲む。
「そうさ。君たちを放ってはおけんからな」
「やっぱり矢場さんだ」
三人が騒《さわ》ぎ出したので、寝《ね》ていた連中がみんな目をさました。
3
桜田が神室《かむろ》島へもどって来たのは正午だった。
桜田のあとから、屈強《くつきよう》な男たちが五人、船から島にあがった。
「お帰りなさい」
頭を下げる鮫島《さめじま》と米倉に、桜田は、
「どうだ、役に立ちそうだろう」
と五人をふりかえって言った。
「みなさん、よろしくおたのみ申します」
米倉がていねいにあいさつすると、五人も、
「こちらこそ、よろしゅうねがいます」
とそろって頭を下げた。
「敵の様子はどうだ?」
桜田は鮫島に聞いた。
「学校の拡声器で、朝からずっと音楽を流しつづけています」
「どんな音楽だ?」
「それが……」
鮫島は言いよどんだ。
「いいから言ってみろ」
「咲《さ》いた、咲いた、チューリップの花が、という歌をご存知ですか?」
「聞いたことはある」
「その替《か》え歌で、こんな歌詞です。
※[#歌記号]散った 散った 桜の花が
並《なら》んだ 並んだ 弱虫十人
どのつら見ても あほうだな」
鮫島は節《ふし》をつけて歌った。
「それをずっと放送しつづけているのか?」
「それだけではありません。『こんにちは赤ちゃん』の替え歌もやっています」
「それはどんな歌だ?」
「組長の名前の仙吉《せんきち》をからかっています」
「仙吉がなんだというのだ?」
「※[#歌記号]こんにちは 仙ちゃん
あなたは ばかよ
こんにちは 仙ちゃん
あなたは ワルよ」
「もういい。ふざけやがって」
桜田の顔が紅潮した。
「奴らは、われわれを挑発《ちようはつ》しているのです。だから無視すればいいのです」
「鮫島、おまえよくそんなに冷静でいられるな。わしが帰って来たからには、即刻《そつこく》放送を止めさせろ」
「止めさせるためには、学校に突入《とつにゆう》しなくてはなりません」
「あたりまえだ」
「しかし、むやみに突入すると、こちらの被害《ひがい》が大きくなると思いますが」
「被害をおそれて戦争に勝てるか」
桜田は、子どもがだだをこねるように足をばたばたさせた。
「はい」
「わしは、いまから学校へ行く。ここへブルを持って来い」
「ブルは動きません」
「なんだと?」
「三台とも、燃料タンクに何か入れられたみたいです」
「くそ! いいから学校につれて行け」
桜田にどなられて、鮫島は先頭に立って学校へ向った。
港から学校まで十分ほどで行ける。近くまで行くと、それまで流れていた音楽がぴたりと止《や》んだ。
「ようこそ仙ちゃん。何も怖《こわ》いことはないから、門をあけて入っておいで」
屋上の拡声器からだ。
「だれか、携帯《けいたい》マイクを持っておらんか?」
桜田が言うと、松山が肩《かた》から下げていた携帯マイクを差し出した。
「わしは桜田組の組長だ」
「※[#歌記号]はじめまして 私はママよ」
節《ふし》をつけて合唱している。
「わしは無益《むえき》な殺生《せつしよう》は嫌《きら》いだ。直ちに降伏《こうふく》して出て来れば、おまえたちを許して、島から出してやる」
「仙ちゃん、強がりを言うのはおやめ。ママがお菓子《かし》をあげるから、こっちへおいで。おや、怖《こわ》くて来れないの。臆病《おくびよう》な子ね」
「わしは臆病ではない」
そうどなると、桜田は一歩前に出た。
「組長、敵の挑発《ちようはつ》にのってはいけません」
鮫島が必死に止める。
「臆病な仙ちゃん。怖かったら、無理しなくてもいいからおうちにお帰り」
「もうがまんできん。突《つ》っ込《こ》め!」
桜田はいきなり玄関《げんかん》に向って走り出す。それに十一人がつづいた。
みんなここへ来る途中《とちゆう》ひろった棒《ぼう》をふりかざしている。それで玄関《げんかん》のドアを割ろうとしたとき、突然《とつぜん》、頭の上から白いぬるぬるした液体が降り注《そそ》いだ。
「なんだこれは?」
「それは石膏《せつこう》。放っておくとすぐ固まって彫像ができあがるよ」
「組長、早く引き上げて水で洗わないとたいへんなことになります」
だれが言っているのか、顔全体が真っ白になって見分けもつかない。
「よし、引き上げだ」
桜田が引き上げを命じると、ふたたび屋上放送がはじまった。
「仙ちゃん、これにこりずにまた遊びにおいで。こんどはもっと優《やさ》しくしてあげるからね。じゃあバイバイ」
「組長、ここまでこけにされて、だまって帰るんですかい?」
石垣《いしがき》島からつれて来た男の一人が言った。
「いいんだ、いいんだ。この次は一挙にけりをつけてやるから」
「あの建物に火をつけてやりますか?」
「待て待て。うちの連中が四人|捕虜《ほりよ》になっていることを忘れるな」
桜田は逃《に》げるようにして校門を出た。屈辱《くつじよく》で胸が張り裂《さ》けそうだった。
港までやって来て顔を洗っていると、モーターボートが着岸して、男が二人ボートから降りるところだった。
「桜井組長さんですか?」
男の一人が言った。
「そうだが」
「私は丸田組から依頼《いらい》された酒巻《さかまき》と申します」
「私は三矢《みつや》と申します」
「君たちは……?」
桜田は、この暑いのに、黒ずくめの服装《ふくそう》をした二人を、じっくり観察した。
これは素人《しろうと》ではない。殺しを商売にしているプロだと直感した。
「例の男を追っています」
酒巻が言った。この男は針金のように細い体をしていて、人間らしい感情はまったく感じられない。
「石垣まで追いかけて来たんですが、そこで見失いました」
三矢が言った。こちらはがっしりとして、プロレスラーのようだ。
「奴が石垣島に?」
「そうです。奴の友だちがいまして。しかし、行ってみると、もう逃《に》げたあとでした」
「それで、ここに来たってわけか?」
「そうです。もしかして紛《まぎ》れこんでいないかと思いまして」
「そいつはちょっと考えられんな。仮にもここは、おれが仕切っている島だ。どんな隅々《すみずみ》でも、おれの目の届かねえところはねえ」
「それはもう、重々存じております。しかし……」
「わかった。調べたかったら、どこでも勝手に調べてくれ」
「ありがとうございます。ではお言葉にあまえて調べさせていただきます」
桜田は、少なからず自尊心を傷つけられた。
「それはけっこうだが、おれたちはいまでいりの最中だ」
「どこの組とけんかなすってるんですかい?」
「相手は組じゃねえ。この島から出るのをいやがってる連中だ」
「なるほど、そういうことですか」
二人は顔を見合わせた。
「でいりに巻きこまれて、おまえさんたちがけがでもするとまずいから、学校には近寄らないでもらいたい」
「その連中、学校に立てこもっているんですかい?」
「そうなんだ。ちょっと仕掛《しか》けてみたらこのていたらくだ」
桜田は、石膏《せつこう》が取れず、真っ白になったままの髪《かみ》を指さした。
「元木の奴《やつ》、そいつらがかくまっているってことはないでしょうね?」
「それはないだろう」
「もしかしてということもありますから、私らで調べさせていただけませんか?」
酒巻の顔には殺気が漂《ただよ》っている。
「それはけっこうだが、うちの組のものが四人も捕虜《ほりよ》になっているから、十分気をつけてやってもらいたい」
「そのことならご心配なく。こちらもプロですから」
「学校には何人くらいいるんですか?」
三矢が聞いた。
「わからんが、十人以上はいると思う」
「学校なら、宿直の先生もいるでしょう?」
「ところが、この夏休みで廃校《はいこう》になっちまって、学校にはだれもおらん。それをいいことに住みついたらしい」
「それは、においますね」
酒巻の目が光った。
「そうか、それならきょうの午後わしらは学校に総攻撃《そうこうげき》をかける。おまえさんたちも、わしらと共同作戦をとらんか」
「いいでしょう。私たちは元木を殺《や》ればいいのですから」
「総攻撃の時間は三時だ。それまでうちの飯場《はんば》で休んでいてくれ」
「殺《や》るのはいいですが、殺《や》りっぱなしというのは困りますよ」
鮫島《さめじま》が釘《くぎ》を刺《さ》した。
「ホトケさんはきちんと始末《しまつ》します。みなさんにご迷惑《めいわく》はおかけいたしませんからご心配なく。われわれはプロですから」
桜田は酒巻の言葉になるほどと感心した。
これから攻撃にかかろうというときに、援軍《えんぐん》が来てくれたというのは、ついているということだ。
4
全身に石膏《せつこう》を浴びて、真っ白になった十二人が校門を出て行くのを見て、全員が屋上に上って、
「やったぁ」
とおどりあがった。
「君らはいつもそうだが、おとなをおこらせるのがうまいなあ」
矢場が感心した。
「矢場さん、見てるより、やってるほうがもっと面白《おもしろ》いってことわかった?」
英治が言った。
「よくわかった。天野の実況《じつきよう》も去年より格段にうまくなった」
「ありがとうございます」
天野がうれしそうに頭を下げた。
「天野君、将来タレントになれそう?」
純子が聞いた。
「素質は十分にある。あとはそれを磨《みが》くだけだ」
「ほんと?」
天野が矢場の顔を見た。
「おれは、うそをつかない」
『こちら陽平、聞こえますか? どうぞ』
英治のトランシーバーに陽平の声が入った。
陽平は外にいて、敵の状況《じようきよう》を偵察《ていさつ》して、報告する役目なのだ。
「よく聞こえます。どうぞ」
英治は、「陽平からだ」とみんなのほうを見た。
『港にモーターボートが着いて、人相の悪い奴《やつ》が二人降りて来ました。そいつらは組長にあいさつしました。どうぞ』
矢場が元木と顔を見合わせた。
「もしかしたら、おれたちを追いかけて来たのかもしれんな」
矢場の表情がきびしくなった。
「すると、殺し屋?」
相原が聞いた。
「うむ」
矢場がうなずいた。
「やだあ」
ひとみが派手《はで》な声をあげた。
「そのあと、どうなったかおしえてください。どうぞ」
『みんな一緒《いつしよ》になって、飯場《はんば》のほうに行きます。どうぞ』
「では、奴らのあとについて行って、引きつづき監視《かんし》をつづけてください。もし動き出したら、報告をねがいます。どうぞ」
『了解《りようかい》』
「これで、敵は十四人になったってわけだ」
相原が言った。
「こっちは、おれたちが九人。それに上原が加わって十人」
「あかねと八重は?」
天野が聞いた。
「二人はいまべんとうをつくってくれてる」
「おッ、べんとうと聞いて腹が鳴り出したぜ」
日比野がにやっとした。
「おれたちがいることを忘れてもらっちゃ困るな」
矢場が言うと元木が、
「ここに野球のボールはあるか?」
と聞いた。
「あるよ」
「じゃ、屋上に持って来てくれ。おれはもと野球部だったから、コントロールには自信があるんだ」
「野球のボールはあまりないから、そのあとはパイン爆弾《ばくだん》をおねがいします」
相原が、そこに積みあげてあるパイナップルを指さした。
「こいつが直撃《ちよくげき》したらぶっ倒《たお》れるぞ」
元木がちょっと心配そうに言った。
「ぶっ倒れたら、ネットをかぶせて捕虜《ほりよ》にします」
「正面からだけ攻撃《こうげき》して来るとは限らんぞ」
矢場が言った。
「だから、校舎のまわり全部をいすと机でバリケードをつくるんだ」
「いいだろう。しかしすぐこわされるな」
「いいんだよ。そこでもたもたするから、これさ」
相原は、野球のボールくらいのビニール袋を見せた。
「この中に何が入っているんだ?」
「石灰だよ。体育倉庫にいっぱいあった。こいつで目つぶしを食わせると、目が見えなくなる」
「よし」
矢場がうなずいた。
「次は、かんしゃく玉とピストル」
「かんしゃく玉はわかるが、ピストルはヤバイ。どこにあったんだ?」
「競技用のやつさ」
「なんだ、あれか……。それでも目が見えないときにやられたら、パニックになるかもしれんな」
「なんだか面白《おもしろ》そうですね。ぼくも胸がわくわくしてきました」
元木が言った。
「元木さん、これをかぶってください」
相原がアンガマ面を元木にわたした。
「なんですか? ちょっと気味わるいな」
「これは、アンガマ面といって、あの世から来た神さまです。八重山《やえやま》では旧盆《きゆうぼん》のとき、これをかぶって各家をまわるんです」
上原が説明した。
「全員これをかぶると、だれだかわからなくなるでしょう」
「そうだな、これはいい」
「それから、これもつかうの」
純子は、ポケットからおもちゃのヘビを出して、元木に突《つ》きつけた。
「やめてくれ、ぼくはヘビが嫌《きら》いなんだ」
元木は逃《に》げ出した。
「おもちゃですよ。でも、もしつかまったら、ハブだって言って相手に投げつけるの。これ秘密兵器になるでしょう?」
「なる、なる。よく見ればおもちゃとわかるが、ハブだと言われたら逃げ出すよ」
元木は、こわごわとおもちゃのヘビにさわっている。
「奴らもハブを持っているんです。もしかしたらつかうかもしれません」
「ええッ」
元木の表情がこわばった。
「ところが、陽平が調べたら、なんでもないただのヘビなんだって。奴らだけハブだと信じてるから笑っちゃうよ」
相原は、おかしそうに笑った。
「ほかの連中はいいとして、きょうモーターボートでやって来た二人は、気をつけたほうがいいぞ」
矢場が言った。
「凶器《きようき》持ってるかな?」
英治は不安になってきた。
「そりゃ持ってるさ」
「向うがその気なら、こっちはハブでいこうぜ」
上原が言った。
「ハブがそんなに簡単に捕《つか》まるのか?」
矢場が聞いた。
「石垣《いしがき》島に売りに行くために、いま五|匹《ひき》いるんです」
「五匹も?」
ひとみは、聞いただけで顔が青くなった。
「高く売れるんだ。これがおれのこづかいさ」
「そうか、そのハブは最終兵器としてとっておこう。ところで四人の捕虜《ほりよ》はどうした?」
「ここにつれて来たよ」
相原が言った。
「どうするつもりだ?」
「跳《と》び箱に入れて、頭だけ出して廊下《ろうか》に置いておく」
「なんのつもりだ?」
「そのまえの床板《ゆかいた》の釘《くぎ》をはずして、乗っかったら足を突《つ》っ込《こ》むようにしとくんだよ」
「落し穴か?」
「そう。だけど、いったん足を突っ込んだらもう抜けない」
「どうして?」
「ねずみ獲《と》りみたいな仕掛《しか》けをつくっておくのさ」
相原は、竹を二本そろえて両端《りようはし》をしばり、真ん中に板をはさむ絵を描《か》いた。
「こうやって、板の上に足を乗せると、板がはずれて、足をはさむって仕掛けさ」
「そいつはすごい!」
矢場が感心した。
「さあみんな、早く準備に取りかかろうぜ」
相原が、みんなに向ってどなると、威勢《いせい》のいいかけ声をあげて散って行った。
「彼らを見ていると、ぼくらも血が熱くなってきますね」
元木も声をはずませている。
「彼らがいくらやっても、この島を奴《やつ》らから取りもどすことはできません。やれるのは元木さん、あなただけですよ」
矢場は強い目で元木を見つめた。
「わかっています。ぼくも白保《しらほ》の海で毎日サンゴ礁《しよう》を見ていました。ぼくの力でできることはなんでもやります」
「あなたがそう言ってくださってうれしいです。沖縄からは彼らと一緒《いつしよ》に脱出《だつしゆつ》しましょう。引率の先生みたいなふりをしていたら、たとえ見張りがいても気づかれませんよ」
「先生ですか……。一度やってみたいと思っていました」
「先生もそうらくじゃありませんよ。ああいう連中を相手にするんだから」
「そうですね。しかしこんな離島《りとう》で、何人かの子どもたちを教えていたら、どんなにか楽しいだろうと思います」
元木は、いつまでも顔を空に向けたままだった。
5
「えい、えい、おう」
ヘルメット姿の桜田が拳《こぶし》を突《つ》き上げると、同じようにヘルメット姿の十三人が、
「えい、えい、おう」
と拳を突き上げた。みんなそれぞれ、ハンマー、バール、シャベル、三脚《さんきやく》、つるはし、棒《ぼう》などを手にしている。
「こんどは遠慮《えんりよ》することはねえ。徹底《てつてい》的にぶちのめしてくれ」
桜田の言葉にも気合いが入っている。
「ぶっ殺してもいいすか?」
前野が言った。
「腕《うで》や足を折るのはかまわんが、殺すのはいかん」
「了解《りようかい》」
「では出発」
桜田を先頭に、十四人は二列になって造成地を行く。
『こちら陽平、連中はいま飯場《はんば》を出て、造成地を歩いています。どうぞ』
「了解、連中のあとをつけてください。見つからないように。どうぞ」
『了解、では、あとをつけます。何かあったら連絡《れんらく》します』
「あと十五分で来るぞ」
英治は、屋上のマイクで、それぞれの部署についているみんなに放送した。
「よし、じゃあおれも行く」
日比野は、腹をぽんとたたいて屋上から姿を消した。
ついさっき、八重《やえ》とあかねがべんとうを持って来てくれ、それを腹いっぱい食べたので元気|溌剌《はつらつ》である。
「いま二時五分だから、二十分になったらここに着くだろう。天野、二時十五分から放送をはじめてくれ」
相原が言った。
「OK」
天野は、そばにおいたウーロン茶の缶《かん》でちょっとのどをうるおすと、
「守備についている諸君、敵はあと十五分でやって来る。びびることはない。こちらはハイテク兵器と勇気で固めているが、向うは図体《ずうたい》が大きいだけのあほうだ。冷静に、沈着《ちんちやく》に、日頃《ひごろ》の訓練の成果を十分に発揮《はつき》してくれたまえ。では、次の放送は敵の到着《とうちやく》したときだ」
天野はマイクを切った。
「どうだ、あんな調子でいいか?」
「いいけど、日頃の成果はないぜ。おれ笑っちゃったよ」
英治は相原の笑顔を見て、こんなとき、よく笑えるもんだと感心した。
英治は、緊張《きんちよう》で頬《ほお》がひきつって、とても笑えたものではない。
屋上は陽光をさえぎるものがないので、しばらくいると、暑さで頭がくらくらしてくる。
時計を見つめる。一分がすごく長く感じる。
『こちら陽平、いま角《かど》を曲がる。そちらからも見えるはずだ。どうぞ』
「見えるか?」
英治は相原に聞いた。
「見えた」
「いま見えた。ご苦労さん」
相原が天野にサインを送った。
「諸君、いま敵の姿が見えた。ここからの距離《きより》は三百メートル。慌《あわ》てずに、引きつけて攻撃《こうげき》するのだ」
敵の姿が見る間に大きくなった。もう距離は百五十メートルもない。
拡声器からボリュームいっぱいに音楽が流れ出した。天野がメロディーに合わせて歌いはじめた。
※[#歌記号]青い顔した お人形は
バーゲンセールの 売れ残り
おまえはけんかが わからない
こんども負けたら なんとしよう
歌に挑発《ちようはつ》されたのか、全員が走り出した。校門のすぐ近くまで来た。
「いいぞ」
校門の鉄のとびらは、さっきから下にこんろを置いて、炭火で熱しているので、最初にさわった何人かはやけどするはずだ。
――さわれ、さわれ。
英治が心に念じていると、三人がとびらに手をかけた。とたんに、悲鳴をあげて飛び退《の》いた。
「桜組のいい子たち、こんどはお友だちをつれてよく来てくれましたね。ものにさわるときは、熱いとやけどするから気をつけましょう。これでひとつお勉強になりましたね。では、どうぞお入り」
組は二つに分かれ、片方は裏門に向う。予定の行動だ。
正門から入って来た七人は、うずたかく積まれた机といすの取り除きにかかった。
一人がやっと障害物《しようがいぶつ》を乗りこえた。その顔面に石灰爆弾《せつかいばくだん》が炸裂《さくれつ》した。
顔面、真っ白。何も見えなくなったらしい。両手を前に差し出して、夢遊病者《むゆうびようしや》のように歩いて来る。
「こっち、こっち」
安永の声につられて、ふらふらとやって来る。
と思った瞬間《しゆんかん》、落し穴にすとんと落ちた。
「一|丁《ちよう》上り」
安永は、その上に机で蓋《ふた》をした。
つづいて、一人、二人と第一次防衛線を突破《とつぱ》して来る。
石灰爆弾は顔に命中するのだが、目をつぶり、息を止めているとみえて、正面|玄関《げんかん》に突進《とつしん》する。
そのとき、頭上から落下したパイナップル爆弾が見事に命中した。
二人がほとんど同時に倒《たお》れた。
安永と日比野が、植込《うえこ》みの陰《かげ》から飛び出したと思うと、二人のえり首をつかんで、ずるずると引っ張って行く。
二人の姿が消えた。これも穴に入れて、上から机で蓋《ふた》をしたにちがいない。
正面の敵は七人だった。三人を捕《つか》まえたのだから、あとは四人のはずなのに、桜田ともう一人の男しかいない。
あとの二人は、どこかへまわったのかもしれない。
「仙《せん》ちゃん、何を怖《こわ》がってるの? 何もしないから早く入っておいでよ」
天野が挑発《ちようはつ》するが、桜田は、地面に釘《くぎ》づけになったみたいに動こうとしない。
裏門にまわった七人は、ここでも机といすの障害物《しようがいぶつ》で手間取っている間に、石灰爆弾《せつかいばくだん》の洗礼《せんれい》を受けた。
それをかいくぐって校舎に達した者には、パイナップル爆弾が待っていた。
それでも、米倉と矢島の二人は校舎に入り込むことができた。
見ると、廊下《ろうか》の向う端《はし》の跳《と》び箱から、捕虜《ほりよ》になった二人が顔を出している。
口にガムテープをはられているので、言葉はしゃべれないが、目は何かを訴《うつた》えかけているようだ。
この間つかまえた娘《むすめ》が二人、教室から顔を出した。
「こんにちは」
娘たちは、にっこり笑って頭を下げる。
「おまえたちは捕虜……」
「そうよ、もう一度捕虜にしたかったら、ここまでおいで」
二人は、米倉と矢島に近づくと、あかんべえをした。
「こいつ」
米倉が腕《うで》をのばしたが、するりと逃《に》げられてしまった。
たかが娘と思うのだが、動きは身軽でなかなか捕《つか》まらない。遂に廊下の半分まで来てしまった。
「おじさん、息切れしたの?」
矢島は、こいつと思って腕をのばした。やっと体に触《ふ》れたと思った瞬間《しゆんかん》、右足が床《ゆか》を踏《ふ》み抜《ぬ》いた。
すぐに足を引き抜こうとしたが、足首を何かにはさまれて、どうしても足が引き抜けない。
米倉がうしろをふり向いて、
「どうした?」
とどなった。
その瞬間、米倉も左足で床板を踏み抜いてしまった。
「痛《いた》ッ」
米倉は悲鳴をあげてから足を引き抜こうとするのだが、足首をはさまれてそれ以上は引き抜けない。
「罠《わな》にかかった!」
二人の娘が手をたたいて喜んでいる。
「この二人どうする?」
「耳を切ってミミガーにしたら?」
「それもいいけど、足を骨ごと切って、こんぶや大根と煮《に》る足てびちもおいしかったじゃない」
二人が勝手なことを言っている背後に、酒巻《さかまき》と三矢《みつや》が近づいたが、全然気づいていない。
「たのむからやめてくれ、このとおりだ」
矢島は手を合わせた。
「それだけじゃだめ。もっとほかのこともしなくちゃ」
「これならどうだ?」
酒巻と三矢が、いきなり娘たちをうしろから羽がいじめした。
「きゃあ」
娘たちが派手《はで》な悲鳴をあげた。
「いいか、これから聞くことに正直に答えるんだ。さもないとミミガーにしちまうぞ」
酒巻に言われた娘は、「はい」と素直《すなお》に答えた。
「ここにきのう男がやって来ただろう?」
「いいえ」
酒巻は、娘の耳をねじりあげた。
「痛いッ」
「うそを言ったら耳を切ると言ったろう。もう一度聞く。男が来たな?」
「はい」
「その男は名前をなんと言った?」
娘が言いよどんでいると、廊下《ろうか》の端《はし》から、
「元木《もとき》だ」
という声がした。思わず酒巻と三矢がふり向いた瞬間《しゆんかん》、
「ハブだぞ」
という声とともに、えり首にヘビを突っ込まれた。
ハブと聞いたとたん、二人が娘を放した。娘は教室に逃《に》げこむ。
追いかけて教室の戸をあけたとたん、顔面に消火液をぶっかけられた。
目も見えなければ、息もできない。
引き返そうと廊下に出ると、頭から網《あみ》をかぶせられた。
もがけばもがくほど手足にからまり、遂には身動きできなくなって、廊下に横たわった。
「組長、子分は全部|捕虜《ほりよ》にしたぞ。まだ抵抗《ていこう》する気か?」
天野が屋上から放送した。
桜田はゆっくり首をふった。
「ではその男、手をあげてこっちへ来い」
太った男が両手を頭のうしろにあげて、ゆっくりと玄関《げんかん》に近づく。
安永がやって来てしばりあげた。残ったのは桜田一人だ。
「何が望みか言ってくれ」
桜田の声に、さきほどの元気はまったくない。
「そんなことは、言わなくてもわかっているだろう」
相原が言った。
「わかった。では誓約書《せいやくしよ》を書くから、紙を持ってここへ来てくれ」
相原は、ノートを持って桜田に近づいた。
「なんと書けばいい?」
桜田は、内ポケットに手を入れた。
「私はこんご一切《いつさい》、神室《かむろ》島の開発はいたしませんと書けばいいんだ」
「わかった」
桜田は内ポケットから袋《ふくろ》を出すと、それを相原に押《お》しつけた。
中からヘビが一|匹《ぴき》出て来た。相原はそれを手で払《はら》った。
ヘビは桜田の腕《うで》にからみつき、手首を噛《か》んだ。
「噛まれた! これはハブだ。早く血清《けつせい》を射ってくれ」
桜田は、手首を押《おさ》えて身もだえしている。
「あいつ、ハブだと思っていやがる。よし」
柿沼は桜田のところへ、のこのこと出かけて行った。
「ハブの血清がほしいのか?」
柿沼が聞いた。
「ほしい。血清がなかったら死んでしまう」
桜田は半分泣いている。
「たしかに、ハブに噛まれて放っておけば死ぬしかない」
「たのむから石垣島までつれて行ってくれ。金はいくらでも出す」
「おれは医者の息子《むすこ》だ。ここへ来るときハブの血清は持って来た」
「ほんとうか?」
「ほんとうさ。ここにちゃんと持っている」
柿沼はポケットに手を入れると錠剤《じようざい》を取り出した。
「注射じゃないのか?」
「もう注射は古い。新しい、よく効《き》く薬が発明されたんだ」
「たのむ、それをくれ」
桜田は拝《おが》むように手を合わせた。
「やってもいいよ。ただし条件がある」
「言うことはなんでも聞く」
「じゃあ、さっきこのノートに書きかけたことを書くんだ」
「書く」
桜田はノートに、私|及《およ》び、桜田組は、こんご一切《いつさいか》神室《むろ》島の開発はいたしませんと書いた。
「これでいいか?」
「まあいいだろう。じゃあ血清をやる。これを飲めば、ハブの毒は一発でなおるぜ」
桜田は錠剤をおしいただくようにして、口の中に放りこんだ。
「ありがとう。あんたの恩《おん》は一生忘れない」
桜田は、地面に頭をつけてお礼を言った。
「人間は、おたがいに助け合わなくっちゃいけねえ。わかれば、いいってことよ」
柿沼が悠然《ゆうぜん》ともどって来るうしろ姿に、桜田は手を合わせた。
6
「矢場さん、桜田からこういう誓約書《せいやくしよ》を取ったぜ」
相原は、桜田に書かせた誓約書を矢場に見せた。矢場はそれをちらっと見て、
「これは、法律的にはなんの効力もない」
と言った。
「それはないぜ。じゃあ奴にだまされたのか?」
「だますことにかけては、君らもビタミン剤《ざい》をハブの血清だと言ったのだからおたがいさまだ」
矢場はにやっと笑った。
「じゃあ、おれたちのやったことはなんにもならなかったっての?」
「安永、そうくやしそうな顔をするな。君らのやったことは、決してむだではなかった」
「どうして?」
天野が聞いた。
「あの酒巻と三矢という二人は、ずっと元木さんをつけ狙《ねら》っていた殺し屋だ。ところが、君たちは、あの二人を捕《つか》まえた」
「捕まえたのは私たちよ」
久美子と純子とひとみが口ぐちに言った。
「たいしたもんだぜ。やっぱり彼女たちは女だったんだ」
「日比野君、あたりまえのことを言わないでよ。まだ女じゃないって言ったのはだれ?」
久美子が言うと、柿沼が、
「それはおれ。ここで訂正《ていせい》させてもらう」
「つまり、カッキーは私たちを見直したってわけね?」
純子が言った。
「そういうわけ」
「あの二人は、警察から指名手配されていたヤクザなんだ。もうすぐ石垣島から警察がやって来て逮捕《たいほ》されるはずだ」
矢場が言った。
「そうなると、元木さんは安全ってわけね?」
「そうなんです。みなさんのおかげで助かりました」
元木が頭を下げた。
「元木さんは、飛行機で東京へ帰ってもいいのだが、空港で見張られているかもしれないから、君たちと一緒《いつしよ》に船で帰ることにした」
「ほんと?」
天野が元木の顔を見た。
「みんなと一緒に帰れば、引率の先生みたいに見えて人目《ひとめ》を引かないだろう。よろしくたのむよ」
「元木さんみたいにかっこいい先生がいたら、授業が好きになっちゃうのにな」
ひとみが言うと、あとの二人も、
「そうよ、そうよ」
と言った。
「しかし、こんどの戦いで勝つことができたのは、なんといっても、上原、陽平、八重、あかねのおかげだと思う。特に陽平の活躍《かつやく》はすばらしかった」
相原がほめると、陽平は、
「それほどでも」
と頭をかいた。
「桜田組は、これからも開発をつづけるつもりかな?」
英治は、それが気がかりだった。
「いや、もうやらないだろう」
「どうして?」
「元木さんが東京に帰って、検察側の証人となると、もう丸田組は桜田組の資金|援助《えんじよ》どころではなくなる。そうなると、桜田組は倒産《とうさん》せざるをえない」
「そんなに簡単につぶれるものなの?」
相原が聞いた。
「ついこの間までは、土地ブームで、企業《きぎよう》は日本中どこでも買いあさったものだ。しかし、いまその流れは変った。そこで借金して土地を買い占《し》めた連中は、みんな困っているのだ」
「だれかに売るわけにはいかないの?」
「そのためには、この島全部を自分のものにしなくては、売るにも売れない」
「そうか、だから焦《あせ》っていたのか……」
「組長が島にやって来たのは、最後の賭《か》けだったのだ」
「よかった。じゃあぼくたちは、この島にいても、だれからも脅《おど》かされなくなったんだね?」
陽平の表情が、明るくなった。
「少なくとも、いまのところは……」
「じゃあ、またこういうことが起きるかもしれないの?」
「起きるかもしれない。しかし、そのときはまた戦えばいいのさ」
「そのときは、おれたちに言ってくれよ。また遠征《えんせい》するからさ」
安永が言った。すると陽平が、
「東京のおばあさん、お墓《はか》がなくならなくて喜ぶと思うよ」
と言った。清美がつづいて、
「いつ東京に帰るの?」
と聞いた。
「あした帰るの」
久美子が清美の髪《かみ》をなでながら言った。
「みんながいて楽しかったのに、またさびしくなっちゃうね」
清美のしょんぼりした声を聞くと、英治は何か言わなくてはと思うのだが、適当な言葉が出てこない。
気がつくと、だれの顔も燃えるように赤い。太陽が水平線にかかって、空一面が赤くなっている。
「すっげえ夕焼け!」
「東京に帰ったら、二度と見られねえぜ」
みんな、口ぐちに言って空を仰《あお》いでいる。
※[#歌記号]夏花ぬ 一本《ひとむと》むいたる 木綿花《むめんばな》よ
あの夜、八重がくちずさんだメロディーがどこからか聞こえてくるような気がする。
太陽がゆっくりと沈《しず》んでゆく。
波のない海も赤く染まって輝《かがや》いている。
「八重山《やえやま》バイバイ」
英治は、どうしようもなく胸が切《せつ》なくなってきた。
あとがき
ふるさとという、みんなの知っている歌の一節に、こういう歌詞がある。
山は青きふるさと
水は清きふるさと
かつて、日本人にとってふるさととは、水は清く、山は青いものであった。
しかし、いまの日本でそんなふるさとがどこにあるだろうか。
ぼくは、この間沖縄の石垣島に行って来た。白保《しらほ》の海のすばらしいサンゴ礁の群落を見て、日本にも、こんな海があるのかと感動した。
西表《いりおもて》島の川をさかのぼると、マングローブの林が両側にあって、これも日本とは思えないような景観だった。
沖縄は、いまや日本人にとって、残されたただ一つのふるさとだとぼくは思った。
その沖縄が、リゾート開発という名のもとに破壊されようとしている。
ここに、自然をこわして近代的なホテルを建て、ゴルフ場を造成し、飛行場をつくって、大量の観光客を呼びこもうとしている。
もともとリゾート開発というのは、過疎《かそ》の地方の生活を豊かにするために考えられたものだが、いざやってみると、地方には環境破壊というつけだけが、重くのしかかってくるということがわかってきた。
しかも、一度破壊された自然は、二度と元にはもどらない。
美しい自然があるから観光客がやって来るというのに、その自然を破壊してしまう矛盾。
自然を愛し、自然を大切にする気持ちが地元の人にも開発業者にも、そして観光客にもあるなら、こんな自殺的なリゾート開発はやらないのではないだろうか。
こんどの物語は、沖縄に大遠征し、その巨大な敵に果敢《かかん》な戦いを挑んだ、ぼくらの戦闘日誌である。
それは、風車に向うドンキホーテみたいに無謀なものであったが、彼らはやった。
その結果、開発を中止させることができた。もちろん、これで全面勝利とは言えない。彼らは先生みたいにあまくはないのだから。
勉強もそうだが、いまの世の中は、おかしいと思う常識が通用しなくなってしまっていることが多い。
そして、多くの子供たちは、こんなことしたって、どうせ世の中は変りっこないと挑戦をあきらめている。
しかし、あきらめてはならない。未来は君たちのためにあるのだ。その未来をすばらしいものにしようとするなら、大人たちと戦うことを避けてはならない。
たとえ負けてもいい。戦うことに意味がある。戦わなければ、清い水も、青い山も日本から消えてしまう。
人間にとって、いちばん大切なものは何かということをもう一度考えようではないか。
参考文献
「サンゴの海」 写真/小川共男・文/目崎茂和 高文研
「イリオモテ島」 横塚真己人 新日本教育図書
「リゾート開発‐沖縄からの報告‐」 三木健 三一新書
「理想島沖縄」 松田和生/澤岻悦子 沖縄タイムス連載
宗田 理
角川文庫『ぼくらの秘島探検隊』平成3年5月25日初版刊行