霊界物語 第七一巻 山河草木 戌の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第七十一巻』天声社
1971(昭和46)年04月28日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |追僧軽迫《つゐそうけいはく》
第一章 |追劇《つゐげき》〔一七九〇〕
第二章 |生臭坊《なまぐさばう》〔一七九一〕
第三章 |門外漢《もんぐわいかん》〔一七九二〕
第四章 |琴《こと》の|綾《あや》〔一七九三〕
第五章 |転盗《てんたう》〔一七九四〕
第六章 |達引《たつぴき》〔一七九五〕
第七章 |夢《ゆめ》の|道《みち》〔一七九六〕
第二篇 |迷想痴色《めいさうちしき》
第八章 |無遊怪《むいうくわい》〔一七九七〕
第九章 |踏違《ふみちが》ひ〔一七九八〕
第一〇章 |荒添《あらそひ》〔一七九九〕
第一一章 |異志仏《いしぼとけ》〔一八〇〇〕
第一二章 |泥壁《どろかべ》〔一八〇一〕
第一三章 |詰腹《つめばら》〔一八〇二〕
第一四章 |障路《しやうろ》〔一八〇三〕
第一五章 |紺霊《こんれい》〔一八〇四〕
第三篇 |惨嫁僧目《さんかそうもく》
第一六章 |妖魅返《よみがへり》〔一八〇五〕
第一七章 |夢現神《むげんしん》〔一八〇六〕
第一八章 |金妻《こんさい》〔一八〇七〕
第一九章 |角兵衛獅子《かくべゑじし》〔一八〇八〕
第二〇章 |困客《こんきやく》〔一八〇九〕
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|序文《じよぶん》
|山河草木《さんかさうもく》の|続篇《ぞくへん》として、|更《さら》に|十二巻《じふにくわん》を|千山万水《せんざんばんすゐ》と|命名《めいめい》して|口述《こうじゆつ》することにいたします。|大正《たいしやう》|十四年《じふよねん》|十一月《じふいちぐわつ》|七日《なぬか》|亀岡《かめをか》において|一日間《いちにちかん》だけ|口述《こうじゆつ》し、|種々《しゆじゆ》の|用務《ようむ》に|妨《さまた》げられて、|今日《こんにち》まで|中止《ちうし》いたしてをりましたが、|大正《たいしやう》|十五年《じふごねん》の|節分祭《せつぶんさい》も|数日《すうじつ》の|後《のち》に|迫《せま》りましたので、|一月《ひとつき》|三十一日《さんじふいちにち》、|二月《にぐわつ》|一日《いちじつ》の|二日間《ふつかかん》|口述《こうじゆつ》を|続《つづ》け、やうやく|子《ね》の|巻《まき》の|口述《こうじゆつ》を|終了《しうれう》いたした|次第《しだい》であります。
|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十五年二月一日 於月光閣
編者序言 本巻は編輯の都合に依り、山河草木戌の巻(第七十一巻)として出版する事になりました。
|総説《そうせつ》
|稀代《きたい》の|妖僧《えうそう》|玄真坊《げんしんばう》は、せつかく|掌中《しやうちう》の|玉《たま》と|信《しん》じてタニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》に|連《つ》れ|込《こ》んだダリヤ|姫《ひめ》に|逃《に》げ|出《だ》され、シヤカンナの|部下《ぶか》を|借《か》り|受《う》け、|八方《はつぱう》へ|捜索隊《さうさくたい》を|差向《さしむ》けながら、|自分《じぶん》は|泥棒《どろばう》の|小頭《こがしら》コブライを|伴《ともな》ひてこれを|追跡《つゐせき》し、|途中《とちう》|神谷村《かみたにむら》の|玉清別《たまきよわけ》が|館《やかた》にバルギーと|潜《ひそ》んでゐるダリヤ|姫《ひめ》の|消息《せうそく》を|知《し》りつつも、|玉清別《たまきよわけ》の|伜《せがれ》|神《かみ》の|子《こ》の|言霊《ことたま》に|追《お》ひ|払《はら》はれて|其《そ》の|意《い》を|達《たつ》せず、|更《さら》に|小盗児《せうとる》コオロを|部下《ぶか》として|泥棒稼業《どろばうかげふ》に|逆転《ぎやくてん》し、|持前《もちまへ》の|色《いろ》と|慾《よく》とに|再三《さいさん》|失敗《しつぱい》を|重《かさ》ね、|現幽《げんいう》|二界《にかい》に|憂目《うきめ》を|甞《な》め、|遂《つひ》に|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》に|救《すく》はるる|経路《けいろ》を|本巻《ほんくわん》の|骨子《こつし》とし、これに|関《くわん》する|中途《ちうと》の|喜劇《きげき》や|悲劇《ひげき》|乃至《ないし》|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》、|並《なら》びに|妖幻坊《えうげんばう》の|出現《しゆつげん》|等《とう》|興味《きようみ》を|新《あら》たにするもの|尠《すく》なからず。かつ|女色《ぢよしよく》や|金銭慾《きんせんよく》に|対《たい》する|霊界《れいかい》の|戒飭《かいしよく》など、|吾人《ごじん》の|省《かへり》みて|体得《たいとく》せざるべからざる|教訓《けうくん》が|深刻《しんこく》に|与《あた》へられてあります。
ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十五年二月一日 於月光閣
第一篇 |追僧軽迫《つゐそうけいはく》
第一章 |追劇《つゐげき》〔一七九〇〕
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|豊《ゆた》かなる |言霊《ことたま》|開《ひら》く|天恩郷《てんおんきやう》
その|頂上《ちやうじやう》に|聳《そび》え|立《た》つ |銀杏《いてふ》の|大木《おほき》は|天《てん》を|摩《ま》し
|黄金《こがね》の|扇子《せんす》をかざしつつ これの|聖場《せいぢやう》は|万寿苑《まんじゆゑん》
|五六七《みろく》の|御代《みよ》の|果《はて》までも |変《かは》ることなき|瑞祥閣《ずゐしやうかく》
|四方《よも》は|錦《にしき》の|山屏風《やまびやうぶ》 |引立《ひきた》てまはし|綾《あや》の|機《はた》
|経《たて》と|緯《よこ》とに|織《お》りなして |我《わ》が|日《ひ》の|本《もと》は|言《い》ふもさら
|大地《だいち》のあらむ|果《はて》までも |神光《しんくわう》|照《て》らす|光照殿《くわうせうでん》
いよいよ|茲《ここ》に|落成《らくせい》を |告《つ》げし|菊月《きくづき》|上八日《かみやうか》
|南桑田《みなみくはだ》の|平原《へいげん》を |一目《ひとめ》に|瞰下《みおろ》す|要害地《えうがいち》
|天正《てんしやう》|二年《にねん》のその|昔《むかし》 |織田《おだ》の|右府《いうふ》に|仕《つか》へたる
|土岐《どき》の|一族《いちぞく》|光秀《みつひで》が |偉業《ゐげふ》の|跡《あと》を|偲《しの》びつつ
|祥明館《しやうめいくわん》の|奥《おく》の|間《ま》で |千年《ちとせ》を|因《ちな》む|松村《まつむら》|氏《し》
|三五《さんご》の|光《ひかり》の|瑞月《ずゐげつ》が |暗《くら》き|此《この》|世《よ》を|照《て》らさむと
|神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かかぶ》りて |何時《いつ》もの|通《とほ》り|横《よこ》に|臥《ふ》し
|褥《しとね》の|船《ふね》に|身《み》を|任《まか》せ |畳《たたみ》の|波《なみ》に|浮《う》かびつつ
|太平洋《たいへいやう》を|横断《わうだん》し |印度《いんど》の|海《うみ》を|乗越《のりこ》えて
|往古文明《わうこぶんめい》と|聞《きこ》えたる |七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》
タラハン|城《じやう》に|仕《つか》へたる |左守《さもり》の|司《かみ》の|隠《かく》れ|処《が》に
スガの|港《みなと》のダリヤ|姫《ひめ》 |言葉《ことば》たくみにそそのかし
|誘《をび》き|出《だ》したる|天真坊《てんしんばう》 |悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》に|憑依《ひようい》され
タニグク|谷《だに》の|山奥《やまおく》に その|醜態《しうたい》をさらしたる
|滑稽悲惨《こつけいひさん》の|物語《ものがたり》 |千山万水《せんざんばんすゐ》(|山河草木《さんかさうもく》)|子《ね》(|戌《いぬ》)の|巻《まき》の
|初頭《しよとう》にこまごま|記《しる》しゆく ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|稀代《きたい》の|売僧坊主《まいすばうず》|奸侫邪智《かんねいじやち》の|曲者《くせもの》ながら、どこともなく|間《ま》のぬけた|面構《つらがま》へ、|頭《あたま》は|仔細《しさい》らしく|丸《まる》めてゐるが、|元来《ぐわんらい》|毛《け》のうすい|性《たち》で、|別《べつ》にかみそりの|御節介《ごせつかい》に|預《あづ》からなくとも|済《す》むはずのピカピカ|光《ひか》つた|調法《てうはふ》な|頭《あたま》の|持主《もちぬし》、|鼻《はな》の|先《さき》が|妙《めう》に|尖《とが》り、|目《め》は|少《すこ》しばかり|釣《つ》り|上《あが》り、|前歯《まへば》が|二本《にほん》、|厚《あつ》い|唇《くちびる》からニユツとはみ|出《だ》し、|何《なに》ほどオチヨボ|口《ぐち》をしやうとしても、この|二枚《にまい》の|前歯《まへば》だけは|雰囲気外《ふんゐきぐわい》に|突出《とつしゆつ》して、|治外法権《ちぐわいはふけん》の|状態《じやうたい》である。|川瀬《かはせ》の|乱杭《らんぐひ》よろしくといふ|歯並《はな》みに、|茹損《ゆでぞこな》ひの|田螺《たにし》のやうな|歯《は》くそだらけの|歯《は》をむき|出《だ》し、ダリヤ|姫《ひめ》の|捜索《そうさく》に|両眼《りやうがん》を|血走《ちばし》らせ、|谷間《たにあひ》の|坂道《さかみち》を|息使《いきづか》ひ|荒《あら》く、|泡《あわ》を|吹《ふ》き|飛《と》ばしながら、|数多《あまた》の|小盗児連《せうとるれん》を|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|間配《まくば》り、|自分《じぶん》はダリヤ|姫《ひめ》が|逃《に》げたらしいと|思《おも》はるる|山路《やまみち》を|選《えら》んで、|泥棒《どろばう》の|中《なか》でもチツとばかり|気《き》の|利《き》いたらしいコブライを|引《ひ》き|具《ぐ》し、|猪《しし》の|通《とほ》つた|跡《あと》を|洋犬《かめ》が|嗅《か》ぎつけるやうな|調子《てうし》で、この|山中《さんちう》に|名高《なだか》い|立岩《たていは》の|麓《ふもと》までやつて|来《き》た。|時々《ときどき》|毒虫《どくむし》に|驚《おどろ》かされ、|猛獣《まうじう》に|肝《きも》をひしがれつつ、|夕陽《ゆふひ》のおつる|頃《ころ》、|足《あし》が|棒《ぼう》になつたと|呟《つぶや》きながら、|根気《こんき》|尽《つ》きて|路傍《ろばう》の|草《くさ》の|上《うへ》に、|座骨《ざこつ》の|突出《とつしゆつ》した|貧弱《ひんじやく》な|尻《しり》をドスンと|卸《おろ》した。
|天真坊《てんしんばう》『オイ、コブライ、どうだ、ちよつと|一服《いつぷく》やらうぢやないか、|交通機関《かうつうきくわん》にチツとばかり|油《あぶら》をささなくちや|運転不能《うんてんふのう》となりさうだ。どうもこの|急坂《きふはん》を|夜昼《よるひる》なしに|踏破《たふは》したものだから、|膝坊主《ひざばうず》がチツとばかり|抗議《かうぎ》を|申《まを》し|出《い》でて、やむを|得《え》ず|休養《きうやう》を|命《めい》ずる|事《こと》にしたのだ。エエ|汝《きさま》はこの|間《あひだ》にそこら|中《ぢう》を、|一寸《ちよつと》、|偵察《ていさつ》して|来《き》てくれないか、あのダリヤだつて、|何《なに》ほど|足《あし》が|速《はや》いといつても|女《をんな》だ、|余《あま》り|遠《とほ》くは|行《ゆ》くまいからのう』
コブライ『|成《な》るほど、そりやさうかも|知《し》れませぬな、しかしながら|吾々《われわれ》はもう|暮六《くれむ》つ|下《さが》つてをりますから、|目《め》の|角膜院《かくまくゐん》が|就寝《しうしん》の|喇叭《らつぱ》を|吹《ふ》きかけました。|夜分《やぶん》まで|日当《につたう》は|貰《もら》つてをりませぬから、コブライも|化身《けしん》さまと|一所《いつしよ》に|休養《きうやう》さしてもらひませうかい、|何《なん》といつてもタカが|人間《にんげん》です、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》ともあらう|聖者《せいじや》が、|根気《こんき》|尽《つ》きて|行倒《ゆきだふ》れを|遊《あそ》ばすといふ|此《こ》の|場合《ばあひ》、どうしてコンパスが|働《はたら》きませう。そんな|事《こと》いはずに|休《やす》む|時《とき》にや|気良《きよ》う|休《やす》まして|下《くだ》はいな、こんだけ|広《ひろ》い|山野《さんや》を|一人《ひとり》の|女《をんな》を|何時《いつ》まで|捜《さが》したつて、さう|易々《やすやす》と|見付《みつ》かるものぢやありませぬワ。かうして|一服《いつぷく》してをると、ダリヤさまが|後《あと》からバルキーと|一緒《いつしよ》に|意茶《いちや》つきもつて|通《とほ》るかも|知《し》れませぬ。さうすりや、|居《ゐ》ながらにして、|目的《もくてき》の|瑞宝《ずゐほう》を|手《て》に|入《い》れるも|同然《どうぜん》ですからなア』
『エー、|泥棒《どろばう》のくせに|弱音《よわね》をふく|奴《やつ》だな。エ、しかしながら|人間《にんげん》|万事《ばんじ》|塞翁《さいをう》の|牛《うし》の|尻《けつ》といふから、|何《なに》が|都合《つがふ》になるとも|分《わか》らない。|今日《けふ》は|特別《とくべつ》の|恩典《おんてん》をもつて|黙許《もくきよ》しておかうかい、ウツフフフフ』
『|天真坊《てんしんばう》さま、|笑《わら》ひごつちやありませぬよ。|僕《ぼく》は、|私《わたくし》は|真剣《しんけん》に|弱《よわ》つてるのですからな。エ、しかし|人間《にんげん》|万事《ばんじ》|塞翁《さいをう》の|牛《うし》の|尻《けつ》と|仰有《おつしや》いましたね、|塞翁《さいをう》の|馬《うま》の|糞《くそ》とは|違《ちが》ひますか』
『|馬《うま》でも|牛《うし》でも|可《よ》いぢやないか、|俺《おれ》が|牛《うし》の|尻《けつ》というたのは、|物識《ものしり》といふ|意味《いみ》だ』
『なるほど、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》さまだけあつて、|何《なん》でも|能《よ》く|物《もの》を|知《し》つて|御座《ござ》るといふ|謎《なぞ》ですな』
『きまつた|事《こと》だ、|三千世界《さんぜんせかい》の|事《こと》なら、|宇宙開闢《うちうかいびやく》の|初《はじ》めから、|小《せう》は|微塵《みぢん》に|至《いた》るまで、|漏《も》れなく|落《お》ちなく、|鏡《かがみ》にかけたる|如《ごと》く|知《し》りぬいてゐる|名僧《めいそう》|知識《ちしき》だ、オツホン』
『エツヘヘヘ、それほど|何《なに》もかも|能《よ》く|分《わか》る|牛《うし》のケツ|先生《せんせい》が、あれほど|大《おほ》きいダリヤ|姫《ひめ》の|行方《ゆくへ》を|捜《さが》すのに、シヤカンナ|頭目《とうもく》の|部下《ぶか》|二百人《にひやくにん》まで|借用《しやくよう》して、|捜索《そうさく》せにやならぬとはチツと|矛盾《むじゆん》ぢやありませぬか』
『|馬鹿《ばか》をいふな、|恋《こひ》は|異《い》なもの|乙《おつ》なもの、オツとどつこい、|恋《こひ》は|曲者《くせもの》といふぢやないか、|久米《くめ》の|仙人《せんにん》でさへも、|女《をんな》の|白《しろ》い|脛《はぎ》をみて|空中《くうちう》から|墜落《ついらく》したといふ|話《はなし》がある。|何《なに》ほど|天帝《てんてい》の|化身《けしん》でも、|女《をんな》に|迷《まよ》うた|以上《いじやう》は|咫尺暗澹《しせきあんたん》、|全《まつた》く|常暗《とこやみ》となるのは|当然《たうぜん》の|理《り》だ』
『ヘーン、さうですかいな、|妙《めう》ですな、|怪体《けつたい》なことをいひますな、|不可思議千万《ふかしぎせんばん》、|奇妙頂礼《きめうちやうらい》、|古今独歩《ここんどつぽ》、|珍々無類《ちんちんむるゐ》、|石《いし》が|流《なが》れて|木《こ》の|葉《は》が|沈《しづ》んで、|天《てん》が|地《ち》となり、|地《ち》が|天《てん》となりさうな|塩梅式《あんばいしき》だ。|女《をんな》といふ|奴《やつ》ア、これを|聞《き》くと|実《じつ》に|恐《おそ》ろしい|代物《しろもの》だワイ。さうすると|天真坊《てんしんばう》さま、お|前《まへ》さまを|盲《めくら》にするだけの|器量《きりやう》を|持《も》つてゐるダリヤ|姫《ひめ》は、よつぽど|偉《えら》い|者《もの》ですなア。|婦人《ふじん》は|孱弱《かよわ》き|男子《だんし》なりといふ|熟語《じゆくご》は|聞《き》いてをりますが、|婦人《ふじん》は|最《もつと》も|強《つよ》き|男子《だんし》なりと|言《い》ひたくなるぢやありませぬか』
『そこらにゴロゴロしてゐるコンマ|以下《いか》の|女《をんな》と|違《ちが》ひ、|何《なん》といつても|天《あま》の|河原《かはら》に|玉《たま》の|舟《ふね》を|浮《う》かべ、|天降《あまくだ》り|遊《あそ》ばした|棚機姫《たなばたひめ》の|化身《けしん》だもの、そりや|当然《あたりまへ》だよ』
『なるほど、それぢや|一《ひと》つ|七夕《たなばた》さまをお|祈《いの》りしてダリヤ|姫《ひめ》の|在処《ありか》を|判然《はつきり》と|知《し》らしていただかうぢやありませぬか。お|前《まへ》さまも|天帝《てんてい》の|化身《けしん》で、|七夕姫《たなばたひめ》と|夫婦《ふうふ》ぢやと|仰有《おつしや》つたことを|覚《おぼ》えてゐますが、なんぼ|何《なん》でも|天帝《てんてい》の|化身様《けしんさま》が|女帝《によてい》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》らないとは、チツと|理窟《りくつ》に|合《あ》はないやうに|思《おも》ひますがな』
『きまつた|事《こと》だい、|七夕姫《たなばたひめ》と|彦星《ひこぼし》の|俺《おれ》とは|昔《むかし》から|年《ねん》に|一度《いちど》より|会《あ》はれない|規則《きそく》だから、|分《わか》らぬのも|無理《むり》はない。それを|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|会《あ》うて|楽《たの》しまうといふのだから、チツとはこちにも|無理《むり》があるといふものだ。しかしながら|一旦《いつたん》|思《おも》ひ|込《こ》んだ|事《こと》はやり|通《とほ》さなくちや、|男子《だんし》の|意地《いぢ》が|立《た》たない、いな|天真坊《てんしんばう》の|威厳《ゐげん》に|関《くわん》する|問題《もんだい》だ』
『なるほど、いかにも、ご|尤《もつと》も|千万《せんばん》、エ、|万々一《まんまんいち》、ダリヤ|姫《ひめ》が|肱鉄《ひぢてつ》をかました|時《とき》は|貴方《あなた》どうするお|考《かんが》へですか』
『ヘン、|馬鹿《ばか》いふな、そんな|事《こと》があつて|堪《たま》らうかい、ダリヤはぞつこん|俺《おれ》にラブしてゐるよ』
『ウツフフフ、それほどラブしてゐる|者《もの》が、なぜお|前《まへ》さまの|寝《ね》てゐる|間《ま》を|考《かんが》へ、|顔《かほ》に|落書《らくがき》までして|遁亡《とんばう》したのですか』
『そりやお|前《まへ》の|解釈《かいしやく》が|違《ちが》ふ。ダリヤもあまり|長《なが》い|山道《やまみち》を|歩《ある》いて|来《き》たものだから|大変《たいへん》にくたぶれてゐよつた。そこへメツタやたらに|酒《さけ》を|呑《の》ましたものだから、グツタリと|寝込《ねこ》んでしまひ、|目《め》がくらんで|人間違《ひとまちが》ひをしよつたのだ。バルギーの|奴《やつ》、|酢《す》でも|菎蒻《こんにやく》でもゆかぬ|悪党《あくたう》だから、ダリヤや|俺《おれ》たちの|寝《ね》た|間《ま》に、そつと|面《つら》に|落書《らくがき》をいたし、|一見《いつけん》|俺《おれ》の|面《つら》とみえないやうにしておき、その|間《ま》にダリヤをゆすり|起《おこ》し、|俺《おれ》の|声色《こはいろ》を|使《つか》ひ、|甘《うま》く|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れ、をびき|出《だ》しよつたものと|察《さつ》する。ダリヤは|今朝《けさ》あたり、ハツキリ|人《ひと》の|面《つら》がみえるやうになつてから、バルキーのしやつ|面《つら》を|眺《なが》めて、さぞ|案《あん》に|相違《さうゐ》しびつくり|仰天《ぎやうてん》した|事《こと》だらうよ。ダリヤに|限《かぎ》つて、|俺《おれ》を|見《み》すてるやうな|心《こころ》は|微塵毛頭《みぢんまうとう》も|持《も》つてゐやう|筈《はず》がない、きつとバルギーが|俺《おれ》に|化《ば》けて、|寝《ね》とぼけ|眼《まなこ》を|幸《さいは》ひ、ゴマかしよつたのだ。|何《なん》といつても、|世界《せかい》の|女《をんな》は、|一度《いちど》|俺《おれ》の|面《つら》を|拝《をが》んだが|最後《さいご》、|決《けつ》して|忘《わす》れるものぢやない。いはんや|甘《あま》つたるい|言《こと》を|一口《ひとくち》でもかけてもらつた|女《をんな》は、なにほど|蜂《はち》を|払《はら》ふやうにしたつて、|俺《おれ》にや|能《よ》う|放《はな》れないのだ、エヘヘヘヘ』
と|口角《こうかく》よりツーツーとさがる|糸《いと》のやうな、ねんばりしたものを、|手《て》の|甲《かふ》で|手繰《たぐ》つてゐる。
『イツヒヒヒヒ、こいつア|面白《おもしろ》い、|奇妙奇天烈《きめうきてれつ》、|珍々無類《ちんちんむるゐ》だ』
|日《ひ》は|西山《せいざん》に|沈《しづ》んで|天《てん》から|暗《やみ》が|砕《くだ》けたやうにおちて|来《き》た。|暗《くら》がりはゴムをふくらしたやうに|四方《しはう》|八方《はつぱう》へ|拡《ひろ》がつてゆく。|時鳥《ほととぎす》の|声《こゑ》は|彼方《あなた》こなたより|競争的《きやうさうてき》に|聞《きこ》えて|来《く》る。|二人《ふたり》は|止《や》むを|得《え》ず、|立岩《たていは》の|凹《くぼ》みに|体《からだ》をもたせかけ|早《はや》くも|鼾《いびき》の|幕《まく》がおりた。
シヤカンナの|部下《ぶか》と|仕《つか》へてゐた|四五人《しごにん》の|小盗児連《せうとるれん》は、これもヤツパリ、ダリヤ|姫《ひめ》の|捜索《そうさく》を|頼《たの》まれて、|彼方《あなた》こなたの|密林《みつりん》をかきわけ、|蜘蛛《くも》の|巣《す》だらけになつてやつて|来《き》たが、|背丈《せたけ》にのびた|道傍《みちばた》の|草《くさ》や、|深《ふか》い|木《こ》かげに|星《ほし》|一《ひと》つ|見《み》えず、|進退《しんたい》|谷《きは》まつて、|一同《いちどう》ここに|枕《まくら》を|並《なら》べやうと|横《よこ》になつた。|何《なん》だか|暗《くら》がりで|分《わか》らないがグヅグヅグヅと|雑炊《ざふすゐ》でもたいてゐるやうな|声《こゑ》がする。
|甲《かふ》『オイ|何《なん》だか|妙《めう》な|音《おと》がするぢやないか。ここは|立岩《たていは》といつて、|昔《むかし》から|化州《ばけしう》の|出《で》る|所《ところ》だ、チツと|用心《ようじん》せななるまいよ』
|乙《おつ》『なるほど、こいつア|厭《いや》らしい。しかし|時鳥《ほととぎす》があれだけないてゐるから、マアちよつと|其《その》|方《はう》へ|耳《みみ》を|傾《かたむ》けてグツグツを|聞《き》かないやうにすりや|可《い》いぢやないか、|俺《おれ》やモウ、そこらが|寒《さむ》くなつて、|体《からだ》が|細《こま》かく|活動《くわつどう》し|出《だ》した。|寝《ね》ても|立《た》つても|居《ゐ》られないやうだ、エーエー、モツと|時鳥《ほととぎす》が|啼《な》いてくれると|可《い》いのだけれどなア』
『ヒヨツとしたら、|天真坊《てんしんばう》さまがこの|辺《へん》に|鼾《いびき》をかいて|寝《ね》てゐるのぢやあるまいかな。さうでなけりや、|時鳥《ほととぎす》の|爺《ぢぢ》イが|歯《は》がぬけて、あんな|啼《な》きざまをしてゐやがるのだらう』
『エー、かふいふ|時《とき》にや|歌《うた》を|唄《うた》ふに|限《かぎ》る。|一《ひと》つ|肝《きも》をほり|出《だ》して、|土手《どて》きり|唄《うた》つてみやうぢやないか』
|甲《かふ》『よからう、それが|一番《いちばん》だ、オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|汝《きさま》も|唄《うた》はないかい』
|丙《へい》『こんな|所《ところ》で|歌《うた》でも|唄《うた》うてみよ、|立岩《たていは》の|前《まへ》に|人間《にんげん》ありと|化物《ばけもの》が|悟《さと》り、|四方《しはう》|八方《はつぱう》から|一《ひと》つ|目《め》|小僧《こぞう》や|三《み》つ|目《め》|小僧《こぞう》が|押《お》しよせ|来《き》たらば、|汝《きさま》どうするつもりだ。|黙《だま》つて|寝《ね》ろよ、のう|丁《てい》、|戊《ぼう》、さうぢやないか』
|丁《てい》と|戊《ぼう》とはウンともスンとも|言《い》はず、|小《ちひ》さくなつて|慄《ふる》うてゐる。|乙《おつ》は|憐《あは》れつぽいふるい|声《ごゑ》を|出《だ》しながら、カラ|元気《げんき》をおつぽり|出《だ》し|唄《うた》ひ|出《だ》した。
『|夕日《ゆふひ》はおちて|御空《みそら》から |暗《やみ》はくだけておつるとも
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》や |如何《いか》なる|悪魔《あくま》が|襲《おそ》ふとも
いかでか|恐《おそ》れむ|泥棒《どろばう》の |大頭目《だいとうもく》のシヤカンナが
|乾児《こぶん》と|現《あ》れし|哥兄《にい》さまだ |幽霊《いうれい》なりと|何《なん》なりと
|居《を》るなら|出《で》て|来《こ》い|天真坊《てんしんばう》 |天帝《てんてい》の|化身《けしん》の|命令《めいれい》で
|御用《ごよう》に|出《で》て|来《き》た|俺《おれ》だぞよ |何《なに》ほど|偉《えら》い|悪魔《あくま》でも
|此《この》|世《よ》をお|造《つく》り|遊《あそ》ばした |天帝《てんてい》さまには|叶《かな》ふまい
|一《いち》の|乾児《こぶん》の|俺《おれ》|達《たち》は |取《と》りも|直《なほ》さず|八百万《やほよろづ》
|神《かみ》の|中《うち》なる|一柱《ひとはしら》 もしも|曲津《まがつ》が|居《を》るならば
|十里四方《じふりしはう》へ|飛《と》びのけよ マゴマゴ|致《いた》してゐよつたら
|手足《てあし》をもぎ|取《と》り|骨《ほね》くだき |肉《にく》をだんごにつき|丸《まる》め
|禿《はげ》わし|共《ども》に|喰《く》はすぞや |天下無双《てんかむさう》の|豪傑《がうけつ》が
|五人《ごにん》の|中《うち》に|一人《ひとり》をる |恐《おそ》れよおそれ|曲津《まがつ》ども
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|真《まこと》の|太柱《ふとばしら》
|天真坊《てんしんばう》の|御家来《ごけらい》に |楯《たて》つく|悪魔《あくま》は|世《よ》にあらじ
さがれよさがれトツトとさがれ |暗《やみ》よ|去《さ》れ|去《さ》れ|一時《いちじ》も|早《はや》く
|月《つき》は|出《で》て|来《こ》い|星《ほし》も|出《で》よ |此《この》|世《よ》は|神《かみ》のゐます|国《くに》
|悪魔《あくま》の|住《す》むべき|場所《ばしよ》でない ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|蚊《か》のなくやうな|声《こゑ》で|囀《さへづ》つてゐる。|甲《かふ》はドラ|声《ごゑ》を|張上《はりあ》げながら、|焼糞《やけくそ》になり|唄《うた》ひ|出《だ》した。
『どつこいしようどつこいしよう |天帝《てんてい》さまの|御化身《ごけしん》は
|今《いま》や|何処《いづこ》にましますか ここは|名《な》に|負《お》ふ|立岩《たていは》の
|山中一《さんちういち》の|化物場《ばけものば》 |化物退治《ばけものたいぢ》にやつて|来《き》た
|俺《おれ》は|英雄《えいゆう》スカンナだ |俺《おれ》の|言《い》ふことスカンなら
|早《はや》く|何処《どこ》なと|逃《に》げなされ |天真坊《てんしんばう》の|生神《いきがみ》が
やがて|此処《ここ》をば|通《とほ》るだろ そしたら|悪魔《あくま》の|一族《いちぞく》は
|旭《あさひ》に|露《つゆ》の|消《き》ゆるごと |浅《あさ》ましザマをさらすだろ
|何《なん》だか|知《し》らぬがこの|場所《ばしよ》は |自然《しぜん》に|体《からだ》が|慄《ふる》ひ|出《だ》し
|小気味《こぎみ》の|悪《わる》い|暗《やみ》の|路《みち》 ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましまして |天帝様《てんていさま》の|御化身《ごけしん》が
|一時《いちじ》も|早《はや》く|御光来《ごくわうらい》 |遊《あそ》ばすやうに|願《ねが》ひます
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |叶《かな》はん|時《とき》の|神頼《かみだの》み』
|天真坊《てんしんばう》はこの|声《こゑ》にふつと|目《め》をさまし、
『ハハア|小泥棒《こどろぼう》の|奴《やつ》、ここまでやつて|来《き》てヘコたれよつたと|見《み》えるワイ。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|仕方《しかた》のない|奴《やつ》だな、しかしながらダリヤをうまく|掴《つか》まへてくれよつたかな』
と|息《いき》をこらして|考《かんが》へてゐる。コブライもまた|目《め》をさまし、|天真坊《てんしんばう》が|身《み》を|起《おこ》して|何事《なにごと》か|考《かんが》へてゐる|様子《やうす》なので、|暗《やみ》を|幸《さいは》ひ、|自分《じぶん》は|三間《さんげん》ばかり|立岩《たていは》のうしろへ|廻《まは》り、|優《やさ》しい|女《をんな》の|声色《こわいろ》を|使《つか》ひ、
『|天真坊《てんしんばう》さま、|待《ま》ちかねました。バルギーの|悪人《あくにん》にたばかられ、あなたと|間違《まちが》ひ、|夜《よる》の|路《みち》、|来《き》てみれば、|案《あん》に|相違《さうゐ》の|蛙面《かはづづら》、こら|如何《どう》せうかと|思案《しあん》のあまり、バルギーの|睾丸《きんたま》をしめつけ、|途中《とちう》に|倒《たふ》し、この|立岩《たていは》のうしろに|隠《かく》れて|一夜《ひとよ》を|明《あか》さむと|待《ま》つてをりました。|恋《こひ》しい|師《し》の|君様《きみさま》、どうぞ|此処《ここ》までお|出《い》で|遊《あそ》ばし、|妾《あたい》の|手《て》を|引張《ひつぱ》つて|下《くだ》さいな。ジヤツケツいばらに|体《からだ》を|取《と》りまかれ、|身動《みうご》きが|出来《でき》ませぬワ』
|天真坊《てんしんばう》はこの|声《こゑ》を|聞《き》いて|小躍《こをど》りしながら、やや|少時《しばし》|考《かんが》へ|込《こ》んでゐる。スカンナ|外《ほか》|四人《よにん》もまた|息《いき》をこらして|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐたが、この|連中《れんぢう》はテツキリ|化物《ばけもの》と|早合点《はやがつてん》し、|面《かほ》をグツスリとタオルで|包《つつ》んでしまひ、|俯《うつ》むいて|慄《ふる》うてゐる。
コブライ『モシ|天真坊《てんしんばう》さま、ダリヤでございます、どうぞ|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さいな。エー|好《す》かぬたらしい、お|前《まへ》さまはコブライさまぢやないか、あなたに|用《よう》はありませぬよ、お|前《まへ》さまに|助《たす》けてくれとはいひませぬ、|天真坊《てんしんばう》さまに|助《たす》けて|欲《ほ》しいのだもの』
コブライは|今度《こんど》は|自分《じぶん》の|地声《ぢごゑ》を|出《だ》し、
『コレ、ダリヤ|姫様《ひめさま》、|私《わたし》は|決《けつ》してお|前《まへ》さんに|野心《やしん》を|有《も》つてはをりませぬ。|天帝《てんてい》の|化身《けしん》さまは、|勿体《もつたい》ない、|自《みづか》ら、かやうな|茨室《いばらむろ》へお|越《こ》しになる|訳《わけ》に|行《ゆ》きませぬから、|私《わたし》がチツとは|茨掻《いばらが》きをしてもかまはぬ、|犠牲《ぎせい》となつてお|救《すく》ひに|来《き》たのだ。エーエーさうすつ|込《こ》んでは、よけいに|茨《いばら》が|引《ひ》つかかるぢやありませぬか……、(|女声《をんなごゑ》で)イエイエ|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|天真坊《てんしんばう》さまに|来《き》てほしいのですワ。チツとばかり、|怪我《けが》をなさつたつて|何《なん》ですか、|真《しん》に|妾《あたい》を|愛《あい》して|下《くだ》さるなら、たとへ|火《ひ》の|中《なか》|水《みづ》の|底《そこ》、|茨室《いばらむろ》、どこだつてかまはないと、|仰有《おつしや》つたことがあるのですもの、|今《いま》こそ|誠意《せいい》のためし|時《どき》、この|茨室《いばらむろ》へ|暗《くら》がりに|飛込《とびこ》んで|救《すく》うてくれないやうな|誠意《せいい》のない|天真坊様《てんしんばうさま》なら、|妾《あたい》の|方《はう》からキツパリとお|断《こと》わり|申《まを》しますわ。ねえ|天真坊《てんしんばう》さま、キツと|妾《あたい》を|愛《あい》して|下《くだ》さるでせう。アイタタタ、|面《つら》も|手《て》も|足《あし》も|茨《いばら》がきだらけよ、|早《はや》く|助《たす》けて|欲《ほ》しいものだワ、ねえ……。(|今度《こんど》はコブライの|地声《ぢごゑ》で)さてさて|合点《がてん》の|悪《わる》い|姫《ひめ》さまだ。では|僕《ぼく》は|貴女《あなた》のお|世話《せわ》はよう|致《いた》しませぬ。モシモシ|天真坊《てんしんばう》さま、お|手《て》づから|親切《しんせつ》を|尽《つく》して|上《あ》げて|下《くだ》さいな』
|天《てん》『いかにもダリヤ|姫《ひめ》の|声《こゑ》には|似《に》てゐるが、どこともなしに|怪《あや》しい|点《てん》がある。コリヤ|化物《ばけもの》ではあるまいかのう』
コ(|女声《をんなごゑ》で)『エーエー|辛気臭《しんきくさ》い、|天真坊《てんしんばう》さまとしたことが、|妾《わらは》は|遠《とほ》い|山坂《やまさか》をかけ|巡《まは》りお|腹《なか》がすき、|声《こゑ》はかれ、|疲《つか》れはててをりますから、|本当《ほんたう》のダリヤの|声《こゑ》は|出《で》ませぬよ。どうか|御推量《ごすゐりやう》して|下《くだ》さいませ、|決《けつ》して|化物《ばけもの》ぢやございませぬから』
|天真坊《てんしんばう》は|声《こゑ》のする|方《はう》に|向《む》かつて、|二足《ふたあし》|三足《みあし》|進《すす》むをりしも|岩《いは》をふみ|外《はづ》し、|三間《さんげん》ばかりの|草《くさ》|茫々《ばうばう》と|生《は》え|茂《しげ》る|真黒《まつくろ》の|穴《あな》へ、「キヤツ」と|言《い》つたぎり|落《お》ち|込《こ》んでしまつた。スカンナ|外《ほか》|四人《よにん》はいよいよ|化物《ばけもの》と|早合点《はやがつてん》し、|四《よ》つ|這《ば》ひとなつて|坂路《さかみち》をのたりのたりと|命《いのち》からがらころげゆく。コブライも|天真坊《てんしんばう》の|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|声《こゑ》する|方《はう》を|目当《めあて》に|歩《あゆ》み|出《だ》す|途端《とたん》、|又《また》もや|踏《ふ》み|外《はづ》し、|天真坊《てんしんばう》の|落《お》ち|込《こ》んだ|穴《あな》へと|一蓮托生《いちれんたくしやう》、|辷《すべ》りこんだ|途端《とたん》に|柔《やは》らかいぬくい|物《もの》が|体《からだ》にさはつたので、ギヨツとしながら、
『イヤア|助《たす》けてくれ|助《たす》けてくれ』
と|大声《おほごゑ》に|叫《さけ》ぶ。|天真坊《てんしんばう》は|落《お》ちた|途端《とたん》に|気絶《きぜつ》してゐたので、コブライの|落《お》ち|込《こ》んだのは|少《すこ》しも|知《し》らなかつた。|少時《しばらく》あつて|天真坊《てんしんばう》は|息《いき》ふき|返《かへ》した。
|天真坊《てんしんばう》『|誰《たれ》だ|誰《たれ》だ、|俺《おれ》をこんな|所《ところ》へつきはめやがつて』
コ『モシ|天真坊《てんしんばう》さま、しつかりして|下《くだ》さい。|暗《やみ》の|陥穽《おとしあな》へ、あなたも|私《わたし》も|落《お》ち|込《こ》んだのですよ、モウかうなりや|夜《よ》の|明《あ》けるまで、ここに|逗留《とうりう》するより|途《みち》がありませぬワ』
『いかにも、さう|聞《き》けば|確《たし》かにそんな|感《かん》じもする、しかしあの|時《とき》、たしかにダリヤ|姫《ひめ》の|声《こゑ》がしてゐたやうだが、|惜《を》しい|事《こと》をしたでないか』
『|本当《ほんたう》に|惜《を》しい|事《こと》をしましたね、たしかにダリヤさまに|間違《まちが》ひありませなんだ。|大変《たいへん》にあの|方《かた》は|貞操《ていさう》の|固《かた》い|方《かた》ですなア、|私《わたし》が|助《たす》けやうとしても、|指《ゆび》|一本《いつぽん》さえさせないんですもの』
『エヘヘヘ、そらさうだらうよ、しかしダリヤは|心配《しんぱい》してゐるだらうよ。|先《ま》づ|先《ま》づ|夜《よ》が|明《あ》けるまで|仕方《しかた》がないな、あれくらゐ|親切《しんせつ》な|女《をんな》だから、|夜《よ》が|明《あ》けるまで、|俺《おれ》たちの|安否《あんぴ》を|考《かんが》へながら、|立岩《たていは》のはたに|待《ま》つてるに|違《ちが》ひないワ、ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ』
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 松村真澄録)
第二章 |生臭坊《なまぐさばう》〔一七九一〕
オーラの|山《やま》に|立《た》て|籠《こも》り |天来《てんらい》|唯一《ゆゐいつ》の|救世主《きうせいしゆ》
|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|触《ふ》れこみて |女盗賊《をんなたうぞく》ヨリコ|姫《ひめ》
シーゴーの|二人《ふたり》と|共謀《きようぼう》し |三千人《さんぜんにん》の|賊徒《ぞくと》らを
|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|間配《まくば》りて |七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》
|占領《せんりやう》せむと|大陰謀《だいいんぼう》 |企《たく》らみゐたる|折《を》りもあれ
|三五教《あななひけう》に|名《な》も|高《たか》き |梅公《うめこう》さまに|踏《ふ》み|込《こ》まれ
|常磐堅磐《ときはかきは》の|岩窟《いはやど》を |打《う》ち|破《やぶ》られて|降伏《かうふく》し
ヨリコの|姫《ひめ》やシーゴーは |誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》して
|天下公共《てんかこうきよう》のそのために |余生《よせい》を|捧《ささ》げ|奉《まつ》らむと
|真心《まごころ》|尽《つく》すに|引《ひ》き|換《か》へて |一旦《いつたん》|帰順《きじゆん》を|装《よそほ》ひし
|売僧坊主《まいすばうず》の|玄真《げんしん》は ハルの|湖《みづうみ》|横断《わうだん》し
スガの|港《みなと》の|富豪《ふうがう》と |世《よ》に|聞《きこ》えたる|薬屋《くすりや》の
|娘《むすめ》ダリヤに|恋着《れんちやく》し |言葉《ことば》たくみに|誘惑《いうわく》し
タニグク|谷《だに》の|山奥《やまおく》に |左守《さもり》の|司《かみ》のシヤカンナが
|数多《あまた》の|手下《てした》を|従《したが》へて |籠《こも》りゐるよと|聞《き》くよりも
|又《また》も|一旗《ひとはた》あげむとて さも|鷹揚《おうやう》な|面付《つらつ》きで
ダリヤの|手《て》をば|携《たづさ》へつ |一夜《いちや》を|明《あ》かし|振舞《ふるま》ひの
|酒《さけ》に|舌《した》をばもつらせつ グツと|寝入《ねい》つたその|隙《すき》に
ダリヤの|姫《ひめ》は|泥棒《どろばう》の バルギーと|共《とも》に|踪跡《そうせき》を
|晦《くら》ましたるぞ|可笑《をか》しけれ |天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|誤魔化《ごまくわ》せる
|玄真坊《げんしんばう》は|矢《や》も|楯《たて》も たまりかねてかシヤカンナの
|二百《にひやく》の|部下《ぶか》を|借用《しやくよう》し |姫《ひめ》の|後《あと》をば|尋《たづ》ねむと
|小才《こさい》の|利《き》いたコブライを |引具《ひきぐ》し|谷道《たにみち》トントンと
|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎて|立岩《たていは》の |麓《ふもと》にズツポリ|日《ひ》は|暮《く》れぬ
|闇《やみ》の|陥穽《かんせい》におち|入《い》りて |淋《さび》しき|一夜《いちや》を|送《おく》りつつ
|藤《ふぢ》の|蔓《つる》をば|辿《たど》りつつ やうやく|虎口《ここう》を|免《まぬが》れて
|草《くさ》|茫々《ばうばう》と|生《は》え|茂《しげ》る |羊腸《やうちやう》の|小径《こみち》を|辿《たど》りつつ
|交尾期《さかり》の|出《で》て|来《き》た|犬猫《いぬねこ》が |牝《めす》のお|尻《しり》を|嗅《か》ぐやうに
|夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》る|憐《あは》れさよ |暗《やみ》の|扉《とびら》は|上《あ》げられて
|東《あづま》の|空《そら》は|茜《あかね》|刺《さ》し |草葉《くさば》の|露《つゆ》はキラキラと
|七宝《しつぽう》の|光《ひかり》|輝《かがや》ける その|真中《まんなか》を|二人連《ふたりづ》れ
ダリヤダリヤと|一筋《ひとすぢ》に |岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふ》みさくみ
|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しつつ |苦《くる》しき|坂《さか》を|苦《く》にもせず
|心《こころ》を|先《さき》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
|天《てん》『オイ、もうよほどテクツて|来《き》たやうだから、|一《ひと》つこの|見晴《みは》らしのよい|処《ところ》で|暫時《ざんじ》|休養《きうやう》しやうぢやないか。この|山頂《さんちやう》から|四方《よも》の|連山《れんざん》を|見渡《みわた》す|景色《けしき》といつたら、まるで|夢《ゆめ》の|国《くに》を|辿《たど》つてゐるやうだのう』
コ『|本当《ほんたう》に|夢《ゆめ》|見《み》たやうですな、|昨夜《さくや》だつて、ダリヤさまの|夢《ゆめ》を|見《み》て|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》へなだれ|込《こ》んだ|時《とき》なんざ、ホントに|生《い》きた|心地《ここち》もなく、これが|夢《ゆめ》だつたらなアと、このやうに|思《おも》ひましたよ。あの|時《とき》ア、ホントに、どうなる|事《こと》やらと、チツとばかり|心配《しんぱい》いたしましたワイ』
『|夢《ゆめ》の|建築者《けんちくしや》は|皆《みな》|人間《にんげん》だからな、|夢《ゆめ》がなければ|人生《じんせい》は|淋《さび》しいものだ。|人生《じんせい》の|虹《にじ》は|夢《ゆめ》だからな、かうして|夢想郷《むさうきやう》に|遊《あそ》んでゐる|間《ま》が|人間《にんげん》は|花《はな》だ。|春《はる》の|若葉《わかば》に|銀風《ぎんぷう》のそよぐごときダリヤ|姫《ひめ》の|風情《ふぜい》、|見《み》るもスガスガしい|思《おも》ひがするぢやないか。その|艶《あで》な|姿《すがた》にあこがれてゐる|間《ま》が、|人生《じんせい》の|花《はな》だ、|夢《ゆめ》の|建築《けんちく》だ、|人生《じんせい》の|虹《にじ》だ』
『なるほど、さうすると、この|世《よ》の|中《なか》は|何《なに》もかもサツパリ|夢《ゆめ》と|解《かい》すれば|可《い》いのですか』
『|尤《もつと》もだ、|夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》といふぢやないか、しかしながら|夢《ゆめ》にも|忘《わす》れられないのは、ヤツパリ、ダリヤ|姫《ひめ》だ。
|夢《ゆめ》になりとも|会《あ》ひたいものは
|小判《こばん》|千両《せんりやう》とダリヤ|姫《ひめ》
だ、アツハハハハハ』
『これだけ|四方《しはう》|開展《かいてん》した|山《やま》の|上《うへ》で、それだけタツプリお|惚気《のろけ》を|拝聴《はいちやう》する|吾等《われら》は|実《じつ》に|光栄《くわうえい》でも|何《なん》でも、ありませぬわい。アツタ、ケツタ|糞《くそ》の|悪《わる》い、とも|何《なん》とも|申《まを》しませぬ。さぞ|山《やま》の|神《かみ》さま|等《ら》は|涎《よだれ》をくつて|貴方《あなた》の|清《きよ》いお|姿《すがた》を|拝顔《はいがん》してることでせう』
『ウツフフフフ|天下《てんか》の|幸福《かうふく》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めて|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|玄真坊《げんしんばう》の|又《また》の|御名《おんな》|天真坊様《てんしんばうさま》だもの、|泥棒仲間《どろばうなかま》の|貴様《きさま》とは、チツとばかりクラスが|違《ちが》ふのだからなア』
『ヘン、ヒ、ヒーンだ』
『ヒ、ヒーンとは|何《なん》だ、まるで|馬《うま》のやうな|事《こと》をいふぢやないか』
『ヒ、ヒーン、ボトボト|馬《うま》の|糞《くそ》だ、|牛《うし》の|穴《けつ》の|天真坊《てんしんばう》さまとは、いい|相棒《あいぼう》でせう、イツヒヒヒヒヒ』
『|何《なん》でもいいわ、どこかここらにダリヤの|花《はな》が|咲《さ》いてゐさうなものだなア、|風《かぜ》が|持《も》てくるダリヤの|香気《かうき》が|鼻《はな》について、|何《なん》とも|知《し》れぬ|床《ゆか》しみを|感《かん》ずるやうだ。これから|先《さき》は、ク【ダリヤ】|坂《さか》だ、|足《あし》も|軽《かる》いだらうよ、ウツフフフフフ』
『モシモシ|電信棒《でんしんぼう》さま、この|山道《やまみち》は|昔《むかし》から|有名《いうめい》な|腥草《なまぐさ》の|名所《めいしよ》で、|秋《あき》になると|随分《ずゐぶん》|楽《たの》しい|旅《たび》が|出来《でき》ますよ。|泥棒稼《どろぼうかせ》ぎを|行《や》つてゐたわれわれ|同類《どうるゐ》も、この|辺《へん》を|通過《つうくわ》する|時《とき》には、|優美《いうび》なデリケートななま|臭《くさ》の|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|花《はな》を|見《み》て、|悪徒《あくと》が|善人《ぜんにん》に|墜落《つゐらく》したやうな|心持《こころも》ちになりましたよ』
『そりや|何《な》ンといふ|脱線振《だつせんぶ》りだ。|俺《おれ》の|名《な》は|電信棒《でんしんぼう》ぢやない、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|玄真坊《げんしんばう》と|申《まを》すのだ。|天帝《てんてい》の|天《てん》の|一字《いちじ》と|玄真坊《げんしんばう》の|真《しん》の|一字《いちじ》を|取《と》つて|天真坊《てんしんばう》といふのだ。そして|今《いま》お|前《まへ》は|腥臭《なまくさ》が|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|山道《やまみち》だと|言《い》つたが、それもまた|脱線《だつせん》だよ。|七草《ななくさ》というて、|秋《あき》の|日《ひ》の|景色《けしき》を|添《そ》へたり|種々《いろいろ》の|薬品《やくひん》になる|重宝《ちようはう》な|草花《くさばな》だ』
『|天真坊《てんしんばう》さま、コンナ|山道《やまみち》に|生《は》へる|草花《くさばな》が|薬《くすり》になるとおつしやつたが、|一体《いつたい》|全体《ぜんたい》|何《なん》の|病《やまひ》に|利《き》きますかい。|惚《ほ》れ|薬《ぐすり》にでもなりませぬかな』
『|七草《ななくさ》と|言《い》へば、|萩《はぎ》に|葛《くづ》に|尾花《をばな》に|撫子《なでしこ》に|女郎花《をみなへし》に|桔梗《ききやう》に|藤袴《ふぢばかま》、これで|七種《なないろ》ある、それゆゑ|七草《ななくさ》といふのだ。|秋《あき》の|山野《さんや》といふものは|極《きは》めて|詩的《してき》なもので、そぞろに|哀愁《あいしう》の|念《ねん》を|感《かん》ずるものだ。|釣瓶落《つるべお》としに|暮《く》れて|行《ゆ》く|夕日《ゆふひ》を|浴《あ》びた|路傍《ろばう》の|草花《くさばな》は|淋《さび》しき|秋《あき》の|名残《なご》りとし、|人《ひと》の|心《こころ》を|傷《いた》ましめ|且《か》つ|慰《なぐさ》むるものだ。|薬用植物《やくようしよくぶつ》としても|中々《なかなか》の|効力《かうりよく》があるものだ』
『|萩《はぎ》は|何《なん》の|薬《くすり》になりますか』
『|萩《はぎ》は|秋《あき》の|七草《ななくさ》の|書出《かきだ》しで、|莢果植物亜属《けふくわしよくぶつあぞく》の|胡蝶花科《こてふくわくわ》で、|一名《いちめい》|荳科植物《とうくわしよくぶつ》の|一種《いつしゆ》だ。この|葉《は》を|摘《つ》んで|日光《につくわう》で|乾《かわ》かし|茶《ちや》の|代用品《だいようひん》とするのだ。あまり|興奮《こうふん》もせないので|子供《こども》や|老人《らうじん》の|飲料《いんれう》には|極《きは》めて|理想的《りさうてき》だ。お|前《まへ》のやうな|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》えてゐる|性悪男子《せいあくだんし》は、|平素《へいそ》|情慾鎮圧薬《じやうよくちんあつやく》として、|毎日《まいにち》|服用《ふくよう》したが|可《よ》からうよ、アハハハハ』
『|天真《てんしん》さま、あなたチツと|服用《ふくよう》されたら|如何《どう》ですか。|眼《め》の|色《いろ》が|血走《ちばし》つてゐますよ、イヒヒヒヒ。それから|葛《くづ》の|効能《かうのう》を|教《をし》へて|下《くだ》さいな』
『|又《また》しても|葛々《くづくづ》と|訳《わけ》もない|質問《しつもん》を|発《はつ》する|奴《やつ》ぢやなア。アタ|邪魔《じやま》くさい、しかしながら|天帝《てんてい》の|化身《けしん》ともいふべき|天真坊《てんしんばう》さまが、|七草《ななくさ》ぐらゐの|説明《せつめい》が|出来《でき》ぬと|思《おも》はれちや、|神《かみ》の|威厳《ゐげん》にも|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》だから、チツとばかり|解明《かいめい》の|労《らう》をとつてやらうかい、アーン』
『|葛《くづ》の|解釈《かいしやく》ぐらゐにサウ|前置詞《ぜんちし》が|多《おほ》いのでは|実《じつ》に|閉口《へいこう》ですワイ。しかしながら|後学《こうがく》のために|大切《たいせつ》な|耳《みみ》を|暫時《ざんじ》|貸《か》しませうかい』
『アハハハハずゐぶん|負惜《まけを》しみの|強《つよ》い|野郎《やらう》だなア。そもそも|葛《くづ》は|萩《はぎ》と|同《おな》じく|荳科植物《とうくわしよくぶつ》の|一種《いつしゆ》で、|昔《むかし》から|葛根《くづね》といつて|盛《さか》んに|漢方医《かんぱうい》の|山井養仙《やまゐやうせん》などに|使用《しよう》されて|来《き》たものだ。|発汗剤《はつかんざい》、|下熱剤《げねつざい》として|使用《しよう》したり、|胃腸《ゐちやう》の|粘滑剤《ねんくわつざい》として|使用《しよう》し、または|諸薬《しよやく》の|配剤《はいざい》として|調法《てうはふ》なものだ。|葛《くづ》は|葛根《くづね》より|搾取《さくしゆ》したもので|最上等《さいじやうとう》の|澱粉《でんぷん》だ。|色々《いろいろ》の|料理《れうり》や、|夏季《かき》における|汗打粉《あせうちこ》としての|材料《ざいれう》となる。それだから|美人《びじん》には|無《な》くてならない|好植物《かうしよくぶつ》だ』
『|又《また》しても|美人《びじん》が|引合《ひきあ》ひに|出《で》ましたな。|一層《いつそう》のこと|葛《くづ》を|澱粉《でんぷん》に|製造《せいざう》して、ダリヤ|姫《ひめ》|女帝《によてい》の|土産物《みやげもの》となし、その|歓心《くわんしん》を|買《か》つたら|如何《どう》でせう。これが|女帝《によてい》の|心《こころ》を|動《うご》かす|唯一無二《ゆゐいつむに》の|秘策《ひさく》でせう、エヘヘヘヘ』
『クヅクヅ|言《い》ふな。サアこれから|一《ひと》ツいやらしい|奴《やつ》を|説明《せつめい》してやらう。|幽霊《いうれい》に|因縁《いんねん》の|深《ふか》い|尾花《をばな》だ。……|幽霊《いうれい》の|正体《しやうたい》|見《み》たり|枯尾花《かれをばな》……といつて|随分《ずゐぶん》ゾツとする|代物《しろもの》だ。|直《ただ》ちに|石塔《せきたふ》の|裏《うら》を|思《おも》ひ|出《だ》す|奴《やつ》だ、アハハハハ』
『エエ|天真《てんしん》さま、モウ|止《や》めて|下《くだ》さい。こんな|山道《やまみち》で|気分《きぶん》が|悪《わる》いぢやありませぬか。ヒユードロドロと|化《ば》けて|出《で》られちや|堪《たま》りませぬわ。モツと|真面目《まじめ》に|言《い》つて|下《くだ》さいな』
『ヨシヨシ|俺《おれ》もあまり|心持《こころも》ちが|良《よ》くないのだ。|尾花《をばな》は|禾本科植物《くわほんくわしよくぶつ》で、こいつの|穂《ほ》を|集《あつ》め、|日光《につくわう》で|乾燥《かんさう》すると|立派《りつぱ》な|綿《わた》のやうなものが|出来《でき》る。この|綿《わた》は|軽《かる》い|擦過傷《さつくわしやう》や、|切傷《きりきず》の|口《くち》にふりかけると|血止《ちど》め|薬《ぐすり》になる。|夜具《やぐ》にでも|使用《しよう》すると|軽《かる》くて|暖《あたた》かくて|大変《たいへん》に|工合《ぐあひ》の|良《よ》いものだ』
『ダリヤ|姫《ひめ》さまとの|結婚式《けつこんしき》に|御使用《ごしよう》になるお|考《かんが》へですか、エヘヘヘヘ』
『エエ|一《ひと》ツ|一《ひと》ツ|何《なん》とか|彼《か》とかいつてダリヤ|姫《ひめ》に|喰付《くつつ》けやうと|致《いた》すのだなア』
『ヘンお|気《き》に|入《い》りませぬかな、それよりもモツとモツと|優美《いうび》な|撫子《なでしこ》の|説明《せつめい》をして|下《くだ》はいな。ちよつと|撫子《なでしこ》なんて|乙《おつ》な|名前《なまへ》でせう』
『エヘン、|撫子《なでしこ》は|石竹科《せきちくくわ》の|一種《いつしゆ》で、|日光《につくわう》に|全草《ぜんさう》を|乾燥《かんさう》させ、|一日《いちにち》に|四五匁《しごもんめ》ばかりを|煎《せん》じて|利尿剤《りねうざい》となし、|第一《だいいち》|腎臓病《じんざうびやう》、|脚気《かつけ》、|水腫《みづばれ》なぞの|他《ほか》の|難病《なんびやう》に|用《もち》ゆると|特効《とくかう》が|顕《あら》はれるものだ』
『いやはや|感心々々《かんしんかんしん》、|大《おほ》いに|感心《かんしん》いたしました。|今度《こんど》は|最《もつと》も|粋《すゐ》な|名《な》の|付《つ》いた|女郎花《をみなへし》の|効能《かうのう》の|説明《せつめい》を|願《ねが》ひます』
『|女郎花《をみなへし》は|茜草植物亜属《せんさうしよくぶつあぞく》の|敗醤科《はいしやうくわ》の|一種《いつしゆ》で、その|根《ね》を|秋季《しうき》に|採取《さいしゆ》し|水《みづ》によく|洗《あら》ひ、|日光《につくわう》に|乾《かわ》かして|貯《たく》はへておき、|用《よう》に|臨《のぞ》んで|一日《いちにち》に|四五匁《しごもんめ》ばかりを|煎《せん》じて|服用《のむ》と、|婦人《ふじん》の|血《ち》の|道《みち》の|順血薬《じゆんけつやく》として|特効《とくかう》ありといふことだ。|婦人《ふじん》に|趣味《しゆみ》を|持《も》つ|男子《だんし》は、|如何《どう》しても|女郎花《をみなへし》ばかりは|気《き》をつけて|平素《へいそ》から|用意《ようい》しておくべきものだ、アハハハハ』
『エヘヘヘヘさすがは|女殺《をんなごろ》しの|後家欺《ごけだま》しの|天真坊《てんしんばう》さま、|何事《なにごと》にも|抜目《ぬけめ》はありませぬな。ますますこのコブライ|奴《め》|感珍《かんちん》いたしましたわい。サアこれから|桔梗《ききやう》の|効能《かうのう》を|説明《せつめい》していただきませう』
『|桔梗《ききやう》は|桔梗科《ききやうくわ》の|植物《しよくぶつ》で、その|根《ね》を|秋季《しうき》に|掘《ほ》り|日光《につくわう》に|乾燥《かんさう》したものを|桔梗根《ききやうね》といふ。|風邪《かぜ》の|時《とき》、|鎮咳去痰薬《ちんがいきよたんやく》として|用《もち》ゆると|効《かう》がある。|一日《いちにち》に|四五匁《しごもんめ》を|水《みづ》に|煎《せん》じて|飲《の》むと|良《よ》い、エヘン。|血液《けつえき》を|溶解《ようかい》するサボニンが|含《ふく》まれてゐるのだ。その|根《ね》から|近時《きんじ》フストールやヱバニンといふ|新薬《しんやく》が|製造《せいざう》されるのだ。ついでに|藤袴《ふぢばかま》も|説明《せつめい》しておくが、これは|菊科植物《きくくわしよくぶつ》の|一種《いつしゆ》で、この|葉《は》を|日光《につくわう》に|乾燥《かんさう》して|煎《せん》じて|飲《の》めば、|撫子《なでしこ》と|同《おな》じく|利尿剤《りねうざい》として|効能《かうのう》があるのだ。|貴様《きさま》のやうな|痳病《りんびやう》の|問屋《とひや》さまは|秋《あき》が|来《き》たら|忘《わす》れずに|採取《さいしゆ》しておくが|可《よ》からうよ、アハハハハ』
コ『ウフフフフ、|小便《せうべん》のタンク|奴《め》|破裂《はれつ》しさうだ。|天真《てんしん》さま、|御免《ごめん》|下《くだ》さい』
と|言《い》ひながら、オチコを|立《た》ててジヤアジヤアと|行《や》り|出《だ》した。
|二人《ふたり》はやうやく|下《くだ》り|坂《ざか》となつたので|足許《あしもと》も|速《はや》く、やや|展開《てんかい》した|野村《のむら》へ|出《で》た。ここには|二三十戸《にさんじつこ》の|百姓家《ひやくしやうや》が|淋《さび》しげに|立《た》つてゐる。|二三人《にさんにん》の|腕白小僧《わんぱくこぞう》が|小川《をがは》に|竿《さを》を|垂《た》れ|小魚《さな》を|釣《つ》りながら|歌《うた》つてゐる。
『|水《みづ》はサラサラ |野《の》は|青《あを》い
|長《なが》い|堤《つつみ》の|木《き》の|影《かげ》で |今日《けふ》は|朝《あさ》から|小魚《こうを》|釣《つ》り
|晴《は》れた|空《そら》には|何処《どこ》やらで |雲雀《ひばり》でも|鳴《な》いてゐるやうな
|時《とき》|折《を》り|聞《き》こえる|眠《ねむ》さうな |牛《うし》の|呻《うめ》きも|午后《うまさがり》
○
|流《なが》れサラサラ |野《の》は|青《あを》い
つれない|竿《さを》を |投《な》げ|出《だ》して
|眺《なが》めてゐれば|水《みづ》すまし |水《みづ》をすまして|舞《ま》ふばかり』
そこへ|天真坊《てんしんばう》が|頭《あたま》をテカテカ|日光《につくわう》に|輝《かがや》かしながらコブライを|従《したが》へやつて|来《く》ると、|腕白小僧《わんぱくこぞう》は|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく、|頭《あたま》の|光《ひか》つてるのを|怪《あや》しみながら|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『モシモシ|禿《はげ》よ|禿《はげ》さんよ |世界《せかい》の|中《うち》でお|前《まへ》ほど
|光《ひかり》の|薄《うす》いものはない どうしてそん|何《なに》|暗《くら》いのか
○
ナーンと|仰有《おつしや》る|電気《でんき》さん そんならお|前《まへ》と|光《ひか》りつこ
|向《む》かふの|小山《こやま》に|太陽《ひ》が|出《で》たら どちらがよけいにピカつくか
○
どんなに|禿《はげ》をみがいても どうで|僕《ぼく》より|暗《くら》いだろ
ここらで|一寸《ちよつと》|一休《ひとやす》み ブラブラブラブラ ブーラブラ
○
これはしまつた|夜《よ》が|明《あ》けた ピカピカピカピカ ピーカピカ
あんまり|暗《くら》い|電気《でんき》さん サツキの|自慢《じまん》はどうしたね』
|天真坊《てんしんばう》はこの|歌《うた》を|聞《き》いて、ヤヤ|悄気気味《しよげぎみ》になり、|錫杖《しやくぢやう》をガチヤン ガチヤンと、ワザとに|手荒《てあら》くゆりながら、
『コーラ、|我太郎《がたらう》、|今《いま》|言《い》つたこと、ま|一度《いちど》|言《い》つて|見《み》い、|場合《ばあひ》によつては|承知《しようち》せないぞ。|餓鬼大将《がきだいしやう》|奴《め》が』
|小供《こども》『アツハハハハ、オイ|坊主《ばうず》、この|村《むら》はなア、|昔《むかし》から|三五教《あななひけう》の|占有地《せんいうち》だ、そんな|怪体《けつたい》な|風《ふう》をした|化物《ばけもの》は|一寸《ちよつと》も|入《い》れる|事《こと》は|出来《でき》ないのだよ。どつかへ|早《はや》く|姿《すがた》をかくさないと|線香《せんかう》を|立《た》てるぞ』
|天《てん》『チエ、|青大将《あをだいしやう》が|座敷《ざしき》へ|這入《はい》り|込《こ》んだやうな|事《こと》ぬかしやがる、|子供《こども》だつて|油断《ゆだん》のならぬものだ。|子供《こども》、オイ、|坊主《ばうず》、ここを|美《うつく》しい|女《をんな》が、|通《とほ》らなかつたかのう』
『|通《とほ》つたよ。|一人《ひとり》の|奴《やつこ》さんを|連《つ》れて、|互《たが》ひに|背中《せなか》を|叩《たた》いたり、|頬辺《ほほべた》をつめつたり、イチヤつきもつて、ツイ|今《いま》|先《さ》き、ここを|通《とほ》りよつたはずだ。|俺《おれ》を|今《いま》、|坊主《ばうず》といつたが|俺《おれ》ヤ|坊主《ばうず》ぢやないよ、お|前《まへ》こそ|坊主《ばうず》ぢやないか。|俺《おれ》はなア|神谷村《かみたにむら》の|庄屋《しやうや》の|息子《むすこ》で、|神《かみ》の|子《こ》といふ|神童《しんどう》だ。|世界《せかい》の|事《こと》なら|何《なん》でも|俺《おれ》に|聞《き》いて|見《み》よ。|何《なん》でも|彼《かん》でも|掌《たなごころ》を|指《さ》す|如《ごと》くに|知《し》らしてやるよ。お|前《まへ》はオーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》つて|大山子《おほやまこ》をやつてゐた|玄真坊《げんしんばう》のなれの|果《はて》だらうがな。スガの|港《みなと》のダリヤ|姫《ひめ》に|恋着《れんちやく》し、うまく|誤魔化《ごまくわ》してタニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》につれ|込《こ》み、|寝《ね》てゐる|間《ま》に|顔《かほ》を|草紙《さうし》にされ、トカゲ|面《づら》の|男《をとこ》と|一緒《いつしよ》に|逃《に》げられて|泡《あわ》を|吹《ふ》き、|昨夜《さくや》は|立岩《たていは》の|側《そば》で|人造化物《じんざうばけもの》に|誑《たぶらか》され、|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》へおち|込《こ》んで|向《む》かふ|脛《ずね》をすりむき、|泣《な》き|泣《な》き|山上《さんじやう》まで|辿《たど》りつき、|七草《ななくさ》の|講釈《かうしやく》をえらさうにおつ|始《ぱじ》め、それから、ここまでダリヤの|後《あと》をおつてやつて|来《き》たのだらう。どうだ|違《ちが》ふかな』
『ウンー、いかにも、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、|俺《おれ》の|聞《き》く|通《とほ》り、|森《もり》で|烏《からす》の|鳴《な》く|通《とほ》り、|受取《うけとり》は|右《みぎ》の|通《とほ》り、その|通《とほ》りだ、アツハハハハ』
『オイ、|禿《はげ》チヤン、もう|締《あきら》めたがよからうぞ。ダリヤ|姫《ひめ》なんて、お|前《まへ》の|性《しやう》に|適《あ》はないや。|今《いま》の|間《うち》に|改心《かいしん》して|俺《おれ》の|尻拭《しりふ》きになれ、さうすりや|又《また》|浮《う》かぶ|瀬《せ》もあらうぞ。いつまでも|悪業《あくごふ》をつづけてゐると、|八万地獄《はちまんぢごく》の|釜《かま》の|焦《こ》げおこしに|落《お》とされてしまふぞ』
『オイ|子供《こども》、そのダリヤ|姫《ひめ》は、お|前《まへ》の|家《うち》にかくしてあるのと|違《ちが》ふか』
『ウン、|隠《かく》してある、たしかに、かくまつてあるのだ』
『そりや、どこに|隠《かく》してあるのだ。|一寸《ちよつと》|言《い》つてもらへまいかな』
『バカを|言《い》ふない、かくしたものを|言《い》ふ|阿呆《あはう》があるかい。|隠《かく》した|以上《いじやう》は、どこまでもかくすのが|本当《ほんたう》だ』
コブライ『もしもし|天真坊《てんしんばう》さま、この|子供《こども》は|本当《ほんたう》に|神様《かみさま》|見《み》たやうな|子供《こども》ですな。|貴方《あなた》ももういい|加減《かげん》に|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いだらどうですか。ダリヤさまを|諦《あきら》めては|如何《どう》ですか。あなたの|額《ひたひ》には|悪相《あくさう》が|現《あら》はれてゐますがな、|改心《かいしん》するのは|今《いま》の|時《とき》ですよ。|私《わたし》はここまでついて|来《き》ましたが、あなたが|改心《かいしん》するとせないとに|拘《かかは》らず、もう|此処《ここ》でお|暇《ひま》をもらつて|此《こ》の|神《かみ》さまのやうな|子供《こども》にお|尻拭《しりふ》きにでも|使《つか》つてもらひますよ』
|子《こ》『|神《かみ》の|子《こ》は|神《かみ》に|仕《つか》ふる|清《きよ》きもの
|誰《たれ》が|泥棒《どろばう》に|尻《しり》を|拭《ふ》かすか』
コブライ『これはしたり|失礼《しつれい》なことを|言《い》ひました
|泥棒《どろばう》の|身《み》をも|弁《わきま》へずして』
|天《てん》『|小賢《こざか》しく|神《かみ》の|子《こ》らしく|申《まを》すとも
|天真坊《てんしんばう》にはトテも|敵《かな》ふまい
それよりもダリヤの|姫《ひめ》の|在所《ありか》をば
|早《はや》く|知《し》らせよお|銭《かね》やるから』
|子《こ》『|尻《けつ》くらへ|観音《くわんおん》さまの|化身《けしん》ぞや
|嘘《うそ》をこくなよ|玄真《げんしん》の|枉《まが》』
と|言《い》ひながら、プスツと|象《ざう》が|屁《へ》をこいたやうな|音《おと》を|立《た》て|白《しろ》い|煙《けむり》となつてしまつた。つれの|子供《こども》も|影《かげ》も|形《かたち》もなくなつてしまつた。
(大正一四・一一・七 旧九・二一 北村隆光録)
第三章 |門外漢《もんぐわいかん》〔一七九二〕
|千年《せんねん》の|齢《よはひ》を|保《たも》つ|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》は|枯木《かれき》に|巣《す》は|造《つく》らない、|空《そら》を|飛《と》ぶ|鳥《とり》さへ|突《つつ》かれた|巣《す》には|怖《おそ》れて|帰《かへ》らず、|地《ち》を|潜《くぐ》る|獣《けだもの》も|一《いつ》たん|狙《ねら》はれた|穴《あな》には|再《ふたた》び|近《ちか》づかぬ|道理《だうり》、バラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》に|根城《ねじろ》を|覆《くつが》へされ、タラハン|城下《じやうか》を|立《た》ち|出《い》で、|打《う》ちもらされし|残党《ざんたう》を|集《あつ》めて、|人跡《じんせき》|稀《まれ》なる|谷蟆山《たにぐくやま》の|蜂《はち》つづき|神谷《かみたに》の|平原《へいげん》に|三十余戸《さんじふよこ》の|家《いへ》をつくつて、あくまでも|祖先伝来《そせんでんらい》の|三五《あななひ》の|道《みち》を|遵奉《じゆんぽう》し、|昼夜《ちうや》|孜々《しし》として|家業《かげふ》を|励《はげ》み、|時《とき》を|得《う》れば|再《ふたた》び|三五《あななひ》の|法城《はふじやう》を|築《きづ》いて|天下《てんか》に|雄飛《ゆうひ》せむものと、|日《ひ》の|出別《でわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|仕《つか》へたる|玉清別《たまきよわけ》は|此処《ここ》に|千代《ちよ》の|住家《すみか》を|定《さだ》め、|遠大《ゑんだい》な|望《のぞ》みを|抱《いだ》いて|時期《じき》の|到《いた》るを|待《ま》つてゐた。
|玉清別《たまきよわけ》には|神《かみ》の|子《こ》、|玉《たま》の|子《こ》といふ|二男子《にだんし》があつた。|神《かみ》の|子《こ》は|幼少《えうせう》より|神童《しんどう》と|呼《よ》ばれ、|村内《そんない》に|其《そ》の|神名《しんめい》を|轟《とどろ》かしてゐた。|玉清別《たまきよわけ》の|妻《つま》|玉子姫《たまこひめ》は|夕餉《ゆふげ》の|用意《ようい》をなさむと、|門先《かどさき》の|井戸端《ゐどばた》に|出《い》でて|釣瓶《つるべ》に|片手《かたて》をかけ|水《みづ》を|汲《く》まむとする|時《とき》しもあれ、|異様《いやう》の|托鉢僧《たくはつそう》が|錫杖《しやくぢやう》を【がちや】づかせながら、|三文奴《さんもんやつこ》を|従《したが》へ、さも|鷹揚《おうやう》な|態度《たいど》で|現《あら》はれ|来《き》たり、|玉子姫《たまこひめ》の|美貌《びばう》を|不出来《ふでき》な|目鼻《めはな》を|一《ひと》つに|寄《よ》せて|微笑《びせう》しながら|眺《なが》め、|手鼻《てばな》をツンとかみ、
|天真坊《てんしんばう》『|拙者《せつしや》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|天真坊《てんしんばう》と|申《まを》す|名僧知識《めいそうちしき》でござる』
と、さも|鷹揚《おうよう》に|出歯《でば》をむき|出《だ》して|語《かた》る。|玉子姫《たまこひめ》は|一目《ひとめ》|見《み》るより|思《おも》はず|吹《ふ》き|出《だ》さむとする|臍茶《へそちや》の|苦痛《くつう》を|奥歯《おくば》にかみ|殺《ころ》して、しみじみ|見《み》れば|見《み》るほど|醜男《しこを》も|醜男《しこを》、|不男《ぶをとこ》も|不男《ぶをとこ》、これほど|念入《ねんいり》に|出来上《できあ》がつた|面《つら》がまへでは、|横町《よこまち》の|雌犬《めすいぬ》にけしかけても|叶《かな》はぬはずの|恋《こひ》、ましてづうづうしく|人間《にんげん》の|美人《びじん》、|匿《かくま》ひおいたダリヤ|姫《ひめ》に|向《む》かつて|慕《した》うて|来《く》るとは、|恋《こひ》なればこそと|可笑《をか》しさに|堪《た》へ|兼《か》ね、「ホホホホホツ」と|笑《わら》へば、|天真坊《てんしんばう》はますます|居丈高《ゐたけだか》になり、
|天《てん》『これはしたり、|当家《たうけ》の|奥様《おくさま》とあらう|者《もの》が|吾々《われわれ》の|顔《かほ》を|見《み》て、|一言《いちごん》の|挨拶《あいさつ》もなく|冷笑《れいせう》するとは|何事《なにごと》でござる、あなたの|御心底《ごしんてい》|心得《こころえ》|申《まを》さぬ』
|玉《たま》『これはこれは|天帝《てんてい》の|化身様《けしんさま》とやら、|何用《なによう》あつてお|越《こ》し|下《くだ》さいました。エー|御用《ごよう》があらば|手《て》つ|取《と》り|早《ばや》くおつしやつて|下《くだ》さいませ。エーちよつと|御様子《ごやうす》を|伺《うかが》へば|貴方《あなた》は|他宗《たしう》のお|方《かた》と|見《み》えますが、|当家《たうけ》は|宗旨《しうし》が|違《ちが》ひますから、どうぞお|帰《かへ》りを|願《ねが》ひます』
|天真坊《てんしんばう》は……ハハア|最前《さいぜん》の|化小僧《ばけこぞう》がこの|村《むら》は|三五教《あななひけう》と|言《い》ひよつたが、これや|一《ひと》つ|三五教《あななひけう》に|化《ば》けてやらねばなるまいと|態《わざ》と|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしながら、
|天《てん》『エー|宗旨《しうし》が|違《ちが》ふといま|仰《おほ》せられましたが、|要《えう》するに|宗旨《しうし》なんかは|枝葉《しえふ》の|問題《もんだい》でございます。|神様《かみさま》は|元《もと》は|一株《ひとかぶ》、|時代《じだい》とエー、|国《くに》との|都合《つがふ》によつて、あるひは|神《かみ》と|現《げん》じ、あるひは|仏《ほとけ》と|現《げん》じ、|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》を|遊《あそ》ばすのが|誠《まこと》の|神《かみ》でござる。|拙者《せつしや》はかやうな|僧形《そうぎやう》をしてをれど|真実《しんじつ》は|三五教《あななひけう》を|信仰《しんかう》いたすもの、|拙者《せつしや》の|弟子《でし》には|照国別《てるくにわけ》、|梅公《うめこう》、|照公《てるこう》などの|宣伝使《せんでんし》もございますから、|何宗《なにしう》か|知《し》りませぬが、|暫《しばら》く|拙者《せつしや》の|申《まを》す|事《こと》を|一応《いちおう》お|聞《き》き|下《くだ》されたい』
|玉《たま》『アア|左様《さやう》でございますか、|有名《いうめい》な|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》のお|師匠様《ししやうさま》とおつしやる|以上《いじやう》は、|貴方《あなた》はお|名前《なまへ》は|何《なん》とおつしやいますか、それを|承《うけたまは》つた|上《うへ》、|都合《つがふ》によつてはお|話《はなし》を|聞《き》かしてもらひませう』
『|拙者《せつしや》は|最前《さいぜん》も|申《まを》す|通《とほ》り、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》シーゴーヨリコ|別《わけ》の|命《みこと》でござる』
『ホホホホホ。まるきりオーラ|山《さん》の|山賊《さんぞく》みたやうなお|名前《なまへ》でございますな』
『これは|怪《け》しからぬ、|拙者《せつしや》はオーラ|山《さん》に|立《た》ち|向《む》かひ、シーゴー、ヨリコの|頭目《とうもく》を|言向和《ことむけやは》し|一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かせ、|天下《てんか》の|禍《わざはひ》を|除《のぞ》き、|記念《きねん》のために|彼《かれ》ら|頭目《とうもく》の|名《な》を|吾名《わがな》と|致《いた》した|剛《がう》のものでござる』
『あら|左様《さやう》でございますか、エー、オーラ|山《さん》には|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|玄真坊《げんしんばう》とかいふ|山子坊主《やまこばうず》がをつたやうに|噂《うはさ》に|聞《き》いてをりますが、その|玄真坊《げんしんばう》はどうなりました。|定《さだ》めし|貴方《あなた》の|御神力《ごしんりき》によつて|打《う》ち|滅《ほろ》ぼされたことでございませうねえ』
コブライは|天真坊《てんしんばう》の|袖《そで》をグイグイ|引《ひ》きながら、
『もし|天真《てんしん》さま、|駄目《だめ》ですよ。|足許《あしもと》の|明《あか》るい|中《うち》に【とつと】と|帰《かへ》りませう。この|女《をんな》|一通《ひととほり》の|女《をんな》ぢやございませんよ。グヅグヅしてをると|化《ばけ》が|現《あら》はれますぜ』
|天真坊《てんしんばう》は|小声《こごゑ》で、
『|馬鹿《ばか》いふな、ダリヤ|姫《ひめ》が|当家《たうけ》に|匿《かく》れて|居《ゐ》るといつたからは、|何《なん》とか|彼《か》とか|言《い》うて|彼女《あいつ》を|引張《ひつぱ》りだすまで、ここを|動《うご》かないつもりだ。|貴様《きさま》|去《い》にたければ|勝手《かつて》に|去《い》ね』
|玉子姫《たまこひめ》は|耳《みみ》ざとくも|二人《ふたり》の|囁《ささや》き|話《ばなし》を|聞《き》き|終《をは》り、
『ホホホホ、やつぱり|貴方《あなた》はオーラ|山《さん》の|玄真坊様《げんしんばうさま》でせう。|実《じつ》は|奥座敷《おくざしき》にお|前《まへ》さまの|尋《たづ》ねてござるダリヤ|姫《ひめ》さまが、バルギーといふ|気《き》の|利《き》いた|男《をとこ》さまと|休《やす》んでをられますよ。それはそれは|睦《むつ》まじさうな|御夫婦《ごふうふ》ですわ。|玄真坊《げんしんばう》といふ|修験者《しゆげんじや》がやつて|来《き》たら、どうぞ|入《い》れないやうにして|呉《く》れとくれぐれも|頼《たの》まれてをりますから、どうぞお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》は|夕飯《ゆふはん》のお|仕度《したく》で|大層《たいそう》|忙《いそが》しうございますから』
|天《てん》『いかにも|拙者《せつしや》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|玄真坊《げんしんばう》でござる。|一度《いちど》はオーラ|山《さん》において|悪神《あくがみ》に|嗾《そそのか》され、ちよつとばかり|善《よ》からぬ|事《こと》をいたしたなれど、|悪《あく》に|強《つよ》ければ|善《ぜん》にもつよい|道理《だうり》、|今日《こんにち》の|玄真坊《げんしんばう》は|清浄無垢《しやうじやうむく》、|昔日《せきじつ》の|玄真坊《げんしんばう》ではござらぬ。それゆゑに|天帝《てんてい》より|天真坊《てんしんばう》と|神名《しんめい》を|賜《たま》はつた|者《もの》、|拙者《せつしや》を|一夜《いちや》お|泊《と》め|下《くだ》されば|家《いへ》の|御祈祷《ごきたう》にもなり、|子孫長久《しそんちやうきう》、|福徳円満《ふくとくゑんまん》|疑《うたが》ひなし、まげて|一夜《いちや》の|宿《やど》をお|願《ねが》ひ|申《まを》したい』
|玉《たま》『|左様《さやう》ならば|一寸《ちよつと》まつて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。|妾《わらは》|一了簡《いちれうけん》には|行《ゆ》きませぬ、|主人《しゆじん》に|相談《さうだん》して|参《まゐ》ります』
と|言《い》ひながら|足早《あしばや》に|奥《おく》にかけ|込《こ》んだ。
|何時《いつ》までまつても|手桶《てをけ》に|水《みづ》を|汲《く》んで|入《はい》つたきり、ピシヤリと|中《なか》から|錠《ぢやう》を|卸《おろ》し、|猫《ねこ》の|子《こ》|一匹《ひとつ》|顔《かほ》を|見《み》せぬ。|玄真坊《げんしんばう》は|門口《かどぐち》に|立《た》ち、|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|主人《しゆじん》の|疑《うたが》ひを|晴《は》らさむものと、|皺枯声《しわがれごゑ》を|張《は》りあげ|仔細《しさい》らしく|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|力《ちから》と|言《い》ふことは |天地造化《てんちぞうくわ》の|初《はじ》めより
|世《よ》の|末々《すゑずゑ》に|至《いた》るまで |此《この》|世《よ》を|独《ひと》り|守《まも》ります
|宇宙唯一《うちうゆいつ》の|神人《しんじん》の |珍《うづ》の|力《ちから》といふ|事《こと》だ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |霊《みたま》|幸倍《さちは》ひましまして
|天来唯一《てんらいゆいつ》の|救世主《きうせいしゆ》 |産土山《うぶすなやま》の|聖場《せいぢやう》に
|現《あら》はれ|給《たま》ふ|瑞霊《みづみたま》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|化身《けしん》とあれし|玄真坊《げんしんばう》 |天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|言《い》ふことを
この|家《や》の|主人《あるじ》|委細《つばら》かに |悟《さと》らせたまへ|惟神《かむながら》
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける そもそも|神《かみ》は|何者《なにもの》ぞ
|際限《さいげん》もなき|大宇宙《だいうちう》 |作《つく》り|給《たま》ひし|造物主《ざうぶつしゆ》
これこそ|誠《まこと》の|神《かみ》なるぞ そもそも|神《かみ》は|無形《むけい》なり
|無声《むせい》に|居《ゐ》ますその|限《かぎ》り |何《なに》ほど|力《ちから》があるとても
そのまま|此《この》|世《よ》を|守《まも》るてふ |仕組《しぐみ》は|到底《たうてい》むつかしい
それゆゑ|神《かみ》に|選《えら》まれし |地上唯一《ちじやうゆいつ》の|予言者《よげんしや》を
|神《かみ》の|機関《きくわん》と|相定《あひさだ》め |神素盞嗚《かむすさのを》の|精霊《せいれい》に
|珍《うづ》の|聖霊《せいれい》を|宿《やど》しまし |下《くだ》らせたまひし|肉《にく》の|宮《みや》
これこそ|世界《せかい》の|太柱《ふとばしら》 |神《かみ》の|柱《はしら》は|天真坊《てんしんばう》
|決《けつ》して|間違《まちが》ひござらぬぞ |早《はや》く|疑《うたが》ひ|晴《は》らしませ
|神《かみ》は|此《こ》の|家《や》に|幸《さいは》ひを |与《あた》へて|霊肉《れいにく》もろともに
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|救《すく》はむと |門《かど》の|戸《と》たたき|立《た》ちたまふ
|心《こころ》の|暗《くら》き|人々《ひとびと》は |神《かみ》の|柱《はしら》を|見誤《みあやま》り
|門《かど》の|戸《と》|開《ひら》いて|迎《むか》へ|入《い》る |礼儀《れいぎ》を|知《し》らぬ|愚《おろ》かさよ
|後《あと》の|後悔《こうくわい》|間《ま》に|合《あ》はぬ |早《はや》く|心《こころ》を|改《あらた》めて
|二《ふた》つの|眼《まなこ》にかけたまふ |青赤黒《あをあかくろ》の|眼鏡《めがね》をば
|外《はづ》して|吾《わ》が|身《み》の|顔《かほ》を|見《み》よ さすれば|疑《うたが》ひ|晴《は》れるだらう
|総《すべ》て|化身《けしん》といふものは |人間並《にんげんな》みの|顔《かほ》ぢやない
|五百羅漢《ごひやくらかん》か|不動《ふどう》さま |悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|相《さう》をして
|人《ひと》の|心《こころ》をひくために |現《あら》はれ|出《い》づるものなるぞ
|何《なに》ほど|顔《かほ》がきれいでも |心《こころ》に|潜《ひそ》む|枉神《まがかみ》に
|注意《ちうい》せなくちや|臍《ほぞ》をかむ やうな|失敗《しつぱい》|出来《でき》るぞや
|省《かへり》みたまへ|玉子姫《たまこひめ》 この|家《や》の|主《あるじ》|玉清別《たまきよわけ》の
ために|化身《けしん》が|宣示《せんじ》する ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちは》へましませよ』
|神《かみ》の|子《こ》は|窓《まど》から|二人《ふたり》の|姿《すがた》をのぞき、この|歌《うた》を|聞《き》いて|吹《ふ》き|出《だ》しながら、|小《ちひ》さい|手《て》を|拍《う》つて|弟《おとうと》の|玉《たま》の|子《こ》と|共《とも》に|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『お|化《ばけ》のやうな|坊《ばう》さまが |泥棒《どろばう》の|乾児《こぶん》をつれて|来《き》て
|誠《まこと》ぢや|嘘《うそ》ぢや|化身《けしん》ぢやと |甘《うま》いことをば|言《い》ひ|並《なら》べ
|家《うち》のお|父《とう》さまをごまかして |此《こ》の|家《や》に|一夜《いちや》とまり|込《こ》み
ねてもさめても|夢現《ゆめうつつ》 |忘《わす》れられないダリヤさまを
|連《つ》れて|帰《かへ》らうと|企《たく》みつつ |嘘八百《うそはつぴやく》を|並《なら》べたて
|目玉《めだま》をむき|出《だ》し|嘴《くちばし》を |無性《むしやう》やたらにとがらして
|臭《くさ》い|呼吸《いき》をば|吐《は》きながら |屋敷《やしき》の|空気《くうき》を|汚《けが》しよる
もはや|観念《くわんねん》するがよい |万劫末代《まんごふまつだい》|門口《かどぐち》は
お|前《まへ》のためには|開《ひら》かない |三五教《あななひけう》に|化《ば》けて|来《き》て
|甘《うま》い|事《こと》せうとはそれや|何《なん》だ お|尻喰《しりくら》ひの|観音《くわんおん》だ
|早《はや》く|帰《かへ》つたがよからうぞ お|杓《しやく》に|水《みづ》を|汲《く》んで|来《き》て
|頭《あたま》の|上《うへ》からぶつかけよか |尻尾《しつぽ》を|股《また》へ|捻《ね》ぢこんで
|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰《かへ》れかし |女《をんな》を|逐《お》ふよな|面《つら》でない
|早《はや》くいんでくれ|貧乏神《びんばふがみ》 アハハハハハハあの|面《つら》を
|一寸《ちよつと》|見《み》なされお|母《かあ》さま |小田《をだ》の|蛙《かはづ》の|鳴《な》き|損《そこ》ね
|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟鳥《ふくろどり》 |形容《けいよう》の|出来《でき》ないスタイルだ
ほんとに|怪体《けたい》な|売僧坊主《まいすばうず》 |神《かみ》の|館《やかた》を|逸早《いちはや》く
|尻《しり》に|帆《ほ》をかけ|去《い》んでくれ お|前《まへ》の|去《い》んだその|跡《あと》で
お|塩《しほ》の|三俵《さんぺう》も|振《ふ》り|撤《ま》いて |隅《すみ》から|隅《すみ》まで|大掃除《おほさうぢ》
|致《いた》さにやならぬ|厄介《やくかい》な |山子坊主《やまこばうず》が|来《き》たものだ
イヒヒヒヒヒヒイヒヒヒヒ』
と|腮《あご》をしやくり|頭《あたま》を|窓《まど》から|突《つ》き|出《だ》し、|小《ちひ》さい|足音《あしおと》を|刻《きざ》みながら|奥《おく》に|引《ひ》つこんでしまつた。
コブライは|馬鹿《ばか》らしくてたまらず、「チエツ」と|歯《は》がみをなし、|睨《にら》みつけながら、|斜《はすかひ》になつて|門口《もんぐち》を|出《で》た。|天真坊《てんしんばう》も「チエツ」と|舌《した》うちしながら|駈《か》けだす、|待《ま》ち|構《かま》へてゐた|下男《げなん》は|手早《てばや》く|門《もん》の|閂《かんぬき》を|箝《は》めてしまつた。
|夕陽《せきやう》|傾《かたむ》いて|暗《やみ》の|扉《とびら》は|四方《しはう》より|拡《ひろ》がつて|来《く》る。|執念深《しふねんぶか》き|玄真坊《げんしんばう》は|現在《げんざい》|恋慕《こひした》ふダリヤがこの|館《やかた》に|居《を》ると|聞《き》いては、たとへ|命《いのち》を|的《まと》にかけても|目的《もくてき》を|達《たつ》せねばおかぬと、|門先《かどさき》の|石《いし》の|上《うへ》に|腰《こし》をうちかけ、|双手《もろて》を|組《く》んで|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。|塒《ねぐら》|求《もと》むる|夕烏《ゆふがらす》、|近所《きんじよ》の|森《もり》の|上《うへ》から|阿呆阿呆《あはうあはう》と【おちよくる】やうに|頭《あたま》の|上《うへ》から|喚《わめ》いてゐる。
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 加藤明子録)
第四章 |琴《こと》の|綾《あや》〔一七九三〕
|四方《しはう》に|堅牢《けんらう》な|高塀《たかべい》を|囲《めぐ》らした|玉清別《たまきよわけ》の|神館《かむやかた》の|門外《もんぐわい》へ|追《お》つぽり|出《だ》された|天真坊《てんしんばう》は、|現在《げんざい》|自分《じぶん》の|恋慕《こひした》うてゐる|最愛《さいあい》のダリヤ|姫《ひめ》が|小泥棒《こどろぼう》のバルギーと|共《とも》に、|情緒《じやうちよ》|濃《こま》やかに|喋々喃々《てふてふなんなん》と|暖《あたた》かい|夢《ゆめ》を|見《み》てゐるかと|思《おも》へば、|妬《や》けてたまらず、|如何《いか》にもして、|翼《つばさ》あらば|此《こ》の|塀《へい》を|乗《の》り|越《こ》え、|二人《ふたり》の|居間《ゐま》に|飛込《とびこ》み、バルギーの|面《つら》を|掻《か》きむしり、|髻《たぶさ》を|引《ひき》まはし、|鬱憤《うつぷん》を|晴《は》らさむと|雄猛《をたけ》びしながら、ウンウンと|唸《うな》りつめ、|拳《こぶし》を|握《にぎ》つて|自分《じぶん》の|太股《ふともも》のあたりを、|無性《むしやう》やたらに|擲《なぐ》つてゐる。コブライはこの|体《てい》を|見《み》て|可笑《をか》しくてたまらず、
『モシ、|天真坊様《てんしんばうさま》、|御化身様《ごけしんさま》、|大変《たいへん》な|偉《えら》い|雄健《をたけ》びですな。そらさうでせう、お|肚《はら》の|立《た》つのはご|尤《もつと》もだ。つぶしに|売《う》つたつて|千両《せんりやう》や|二千両《にせんりやう》の|値打《ねうち》のある|美人《びじん》を、まんまと、バルキーぐらゐに|占領《せんりやう》され、|自分《じぶん》は|門外《もんぐわい》に|追《お》ひ|出《だ》され、|指《ゆび》を|喰《く》はへて|見《み》てるのも|余《あんま》り|気《き》の|利《き》いた|話《はなし》ぢやありませぬな。|私《わたし》だつて|世《よ》が|世《よ》なら、あのダリヤ|姫《ひめ》を|女房《にようばう》にして|見《み》たいやうな|心《こころ》も|起《おこ》らぬではありませぬワ。ダリヤ|姫《ひめ》の|俤《おもかげ》は、どこともなく|優《やさ》しい|親《した》しいところがありますなア。|私《わたし》だつて|一度《いちど》はあの|白《しろ》い|手《て》を|握《にぎ》つて、|共《とも》に|山雲海月《さんうんかいげつ》の|情《じやう》を|語《かた》りたいやうな|気《き》もいたしますワイ。|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、|優美《いうび》で|高尚《かうしやう》で|艶麗《えんれい》で、しかも|宗教的《しうけうてき》|熱情《ねつじやう》に|富《と》んだ|純朴《じゆんぼく》な|心《こころ》が、あの|下膨《しもぶく》れのした|垂《た》れ|頬《ほほ》に|現《あら》はれてをりますからなア』
|天真坊《てんしんばう》は|太《ふと》い|吐息《といき》を|漏《も》らしながら、
『|俺《おれ》は|天性《てんせい》この|通《とほ》りの|面構《つらがま》へ、さうだから|別《べつ》に|恋《こひ》といふのでもないが、コリヤ|実際《じつさい》|俺《おれ》の|心《こころ》から|出《で》たのではない。|恋《こひ》は|凡《すべ》て|神《かみ》から|来《き》たるものだ、|結婚《けつこん》は|人間《にんげん》のする|仕事《しごと》だ。|神《かみ》さまから|命《めい》ぜられた|神聖《しんせい》の|恋《こひ》と|感《かん》じてよりの|心機一転《しんきいつてん》のこの|行脚《あんぎや》、|思《おも》はず|知《し》らず|花《はな》のかげを|踏《ふ》んで|驚《おどろ》く|足《あし》を|上《あ》げたと、|一般《いつぱん》のよそ|目《め》にはさぞやさぞ、バカの|白痴《はくち》の|骨頂《こつちやう》とも|見《み》えるだらうが、|神《かみ》の|命《めい》じ|玉《たま》うたこの|恋愛《れんあい》は、どうあつても|成功《せいこう》しなくちやおかない|筈《はず》ぢや。|玄真坊《げんしんばう》|自身《じしん》としては、たとへ|水中《すゐちう》の|月《つき》、|手《て》にとるを|得《え》ずとも、せめては|岸上《がんじやう》の|一念《いちねん》、うたたこの|境遇《きやうぐう》を|甘《あま》んずるだけでも|結構《けつこう》だが、|何《なん》といつても、|御本尊《ごほんぞん》の|神様《かみさま》が|御承知《ごしようち》|遊《あそ》ばさぬのだから|辛《つら》いものだ。|丸切《まるき》り|只今《ただいま》の|心持《こころも》ちは、あたら|名玉《めいぎよく》|砕《くだ》けて|粉《こな》となり|失《う》せし|心地《ここち》だ。あーア、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》も|恋《こひ》にかかつたら、からつきし|駄目《だめ》かいな』
コ『ハハハハ、|天真坊《てんしんばう》さま、|大変《たいへん》な|御愁歎《ごしうたん》ですな。|初《はじ》めは|竜虎《りうこ》の|如《ごと》く、|終《をは》りは|脱兎《だつと》の|如《ごと》し……とは|貴方《あなた》の|心底《しんてい》、|御境遇《ごきやうぐう》、|誠《まこと》に|早《はや》|察《さつ》しまするワイ、イヒヒヒヒ』
『コリヤ、コブライ、バカにするない。|世《よ》の|中《なか》は|夜《よる》ばかりぢやない、また|昼《ひる》もあるぞ。なにほど|失恋《しつれん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでをつても、|又《また》もや|起上《おきあ》がる|時節《じせつ》があるから、さう|見下《みさ》げたものぢやないワイ』
『それよりも|夜明《よあけ》を|待《ま》つて、ダリヤが|庭園《ていゑん》をブラつき|始《はじ》めたら、すき|塀《べい》の|穴《あな》から|御面相《ごめんさう》なりと|拝顔《はいがん》して、|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|消《け》すのですな』
|悪戯小僧《いたづらこぞう》の|神《かみ》の|子《こ》は、|門《もん》の|節穴《ふしあな》から、ソツと|外《そと》を|覗《のぞ》いてみると、うす|暗《やみ》の|中《なか》に|二《ふた》つの|影《かげ》が|一間《いつけん》ばかり|間隔《かんかく》を|保《たも》つて、|愁歎話《しうたんばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
|神《かみ》の|子《こ》『オイ、|天真《てんしん》さま、|何《なに》を|言《い》つてるんだい。ダリヤさまはな、お|前《まへ》さまが|此処《ここ》へ|尋《たづ》ねて|来《き》たといふ|事《こと》を|聞《き》いてビツクリし、|裏口《うらぐち》から|一人《ひとり》の【おつさま】と、たつた|今《いま》の|先《さき》|東《ひがし》の|方《はう》を|指《さ》して|逃《に》げ|出《だ》したよ。お|母《かあ》さまに|内証《ないしよ》で、あまり|可哀《かあい》さうだから、ちよつと|知《し》らしに|来《き》てやつたのだ。ダリヤに|会《あ》ひたけりや、|早《はや》く|行《ゆ》かつしやい、モウ|今《いま》|頃《ごろ》は|吾子山《あごやま》の|麓《ふもと》あたりまで|行《い》つてゐるだろ』
|天《てん》『ナアニ、ダリヤが|逃《に》げたといふのか、そいつア|大変《たいへん》だ』
『|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》に|囲《かこ》まれてゐるダリヤよりも、|外《そと》へ|飛《と》び|出《だ》したダリヤの|方《はう》が、お|前《まへ》のためには|都合《つがふ》が|可《よ》いだらう』
『そりやまた|本当《ほんたう》かい、|嘘《うそ》ぢやなからうな』
『|嘘《うそ》なら|嘘《うそ》にしておけやい。|人《ひと》が|親切《しんせつ》に、この|眠《ねむ》たいのに|知《し》らしてやるのに、|勝手《かつて》にしたが|可《よ》かろ、イヒヒヒヒ』
と|笑《わら》ひながら、|屋内《をくない》|深《ふか》く|隠《かく》れてしまつた。|後《あと》に|天真坊《てんしんばう》は|双手《もろて》をくみ、|少時《しばし》|思案《しあん》にくれてゐたが、
|天《てん》『オイ、コブライ、どうだろ、|本当《ほんたう》だろかな。あんな|事《こと》|言《い》つて、うるさいから|俺《おれ》たちを|追《お》ひ|出《だ》す|手段《しゆだん》ぢやなからうか』
コ『|子供《こども》は|正直《しやうぢき》ですよ、ダリヤだつて、|現在《げんざい》|天真坊《てんしんばう》さまが、ここへ|来《き》てゐられるのに、|安閑《あんかん》としてはをれますまい。|私《わたし》がダリヤだつたら、キツと|逃《に》げ|出《だ》しますよ』
|天《てん》『いかにも|尤《もつと》もだ、サア、コブライ、|半時《はんとき》の|猶予《いうよ》もならぬ、サア|行《ゆ》かう』
と|薄暗《うすくら》がりの|野路《のみち》を、|転《こけ》つ|輾《まろ》びつ、|吾子山《あごやま》の|方面《はうめん》さして|駈《かけ》りゆく。
ダリヤ|姫《ひめ》は|離《はな》れの|間《ま》に、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で、スガの|港《みなと》へ|帰《かへ》るまでは、|巧《うま》くこのバルキーをチヨロまかしおかむものと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|酒《さけ》をすすめて|機嫌《きげん》をとつてゐる。
ダリ『|最《もつと》も|敬愛《けいあい》するバルキーさまえ、|本当《ほんたう》に|天真坊《てんしんばう》といふ|奴《やつ》、|気《き》の|利《き》かねい|売僧坊主《まいすばうず》ぢやありませぬか。|妾《あたえ》と|貴方《あなた》と|玉清別《たまきよわけ》さまのお|館《やかた》にかうして、ゆつくりとお|酒《さけ》を|汲《く》みかはし、|恋《こひ》の|未来《みらい》を|楽《たの》しんで|遊《あそ》んでゐるに、|此《こ》の|家《や》の|奥《おく》さまに|追《お》ひ|出《だ》され、|門《もん》の|外《そと》でベソをかいてゐるといふこと、|本当《ほんたう》に|一掬同情《いつきくどうじやう》の|涙《なみだ》をそそいでやりたくなるぢやありませぬか』
バルギーはあわてて、
『ソソそりや|何《なに》を|仰有《おつしや》る、ヤツパリ|姫《ひめ》さまは|天真坊《てんしんばう》に|一掬同情《いつきくどうじやう》の|涙《なみだ》を|注《そそ》ぎたいやうな|心持《こころもち》がするのですか、そりや|大変《たいへん》だ。|私《わたし》だつて、|姫様《ひめさま》のお|心持《こころもち》がそんな|事《こと》だつたら、|安心《あんしん》は|出来《でき》ないぢやありませぬか、たとへ|一命《いちめい》をすてても|姫様《ひめさま》のためには|悔《く》いないといふ|私《わたし》の|決心《けつしん》ですのに……』
と|血相《けつさう》|変《か》へる。
ダリ『ホホホ|嘘《うそ》ですよ、|世間《せけん》に|対《たい》する|義理一遍《ぎりいつぺん》の|辞令《じれい》ですワ。たとへ|心《こころ》の|中《なか》は|如何《どう》でも|妾《わらは》は|女《をんな》ですからね、|男《をとこ》さまのやうな|赤裸々《せきらら》なこた|言《い》へないでせう』
バル『ウーン|成程《なるほど》、|分《わか》つてる。エー、それで|俺《おれ》もチツとばかり|安心《あんしん》した。|然《しか》しながら|姫《ひめ》さま、|僕《ぼく》に|対《たい》する|御誓約《ごせいやく》もその|伝《でん》ぢやありませぬか。|厭《いや》なら|厭《いや》と、|赤裸々《せきらら》に|今《いま》の|間《うち》に|言《い》つてもらはなくちや、|最後《さいご》の|壇《だん》の|浦《うら》まで|行《い》つたところで、エツパツパとやられちやたまりませぬからな。|何《なん》といつても|僕《ぼく》の|面《かほ》は|恋愛《れんあい》に|対《たい》しては|険呑千万《けんのんせんばん》な|御面相《ごめんさう》だから、|気《き》がもめて|堪《たま》りませぬワ』
『ホホホそんな|御懸念《ごけねん》は|御無用《ごむよう》にして|下《くだ》さいませ。|何《なに》ほど|容貌《おとこまへ》がよくても、|気甲斐性《きがひしやう》のない|男子《だんし》はダメですワ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|一程《いちほど》|二金《にかね》|三容貌《さんきれう》ですからね、|何《なに》ほど|容色《きれう》が|悪《わる》くつても、|金《かね》がなくつても、|程《ほど》さへよけら|女《をんな》が|吸《す》ひ|付《つ》きますよ。|私《わたし》だつてバルギーさまに|惚《ほ》れたのは、|容色《きれう》でもなし、|金《かね》でもなし、|又《また》|金《かね》や|容色《きれう》を|望《のぞ》んだところで、からきし、ダメですもの、|肝腎要《かんじんかなめ》の|恋男《こひをとこ》になくてはならない|第一《だいいち》の|美点《びてん》、|程《ほど》のよいのに|惚《ほ》れたのですワ』
『ソソそれほど、|僕《ぼく》は|程《ほど》が|好《よ》くみえるかな。よつぽどお|気《き》に|入《い》つたとみえるな、エヘヘヘ』
『|金《かね》や|容色《きれう》はどうでもよいが
|程《ほど》のよいのにわしや|惚《ほ》れた
といふやうなものですワイ、ホホホホ』
『ナールほど、|程《ほど》なる|哉《かな》|程《ほど》なる|哉《かな》だ。これほどまでに|惚込《ほれこ》んだ|女《をんな》をみすてやうものなら、|女冥加《をんなみやうが》に|尽《つ》きやうほどに、|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》、オツとドツコイ、|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》さまに|誓《ちか》つて、|万劫未代《まんごまつだい》ダリヤの|君《きみ》はすてませぬ。どうか|御安心《ごあんしん》なすつて|下《くだ》さいませ、おん|嬶大明神様《かかだいみやうじんさま》』
『イヤですよ、おん|嬶大明神《かかだいみやうじん》なんて、|未来《みらい》の|女房《にようばう》と|言《い》つて|下《くだ》さいな』
『その|未来《みらい》だけ|除《と》つて|欲《ほつ》しいな、|肩書《かたがき》があると|何《なん》だか|窮屈《きうくつ》でたまらないワ。|海軍大将《かいぐんたいしやう》だとか、|何々局長《なになにきよくちやう》だとか|肩書《かたがき》があると、|知《し》らず|識《し》らずの|間《あひだ》に|官僚気分《くわんれうきぶん》になつて、|心《こころ》までが|四角《しかく》ばつて|仕方《しかた》のないものだ、どうか|未来《みらい》といふ|肩書《かたがき》をここで|削除《さくぢよ》して|頂《いただ》けませぬかな、ダリヤ|姫《ひめ》の|君様《きみさま》』
『ホホホホ|気《き》の|短《みじか》い|事《こと》おつしやいますこと、|一秒間先《いちべうかんさき》でも|未来《みらい》ですよ。|未来《みらい》と|言《い》つたら、さう|遠《とほ》いものぢやありませぬワ。どうぞこうぞスガの|港《みなと》まで|送《おく》つて|下《くだ》さいましたら、|妾《あたい》がお|父《とう》さまやお|兄《にい》さまにお|願《ねが》ひして、|合衾《がふきん》の|式《しき》を|挙《あ》げたいと|思《おも》つてゐますのよ。どこから|見《み》ても|申分《まをしぶん》のない|程《ほど》のよい|殿《との》たちだこと、ホホホホ、|頬辺《ほほべた》が|知《し》らぬ|間《ま》に|赤《あか》くなりましたわ。|心臓《しんざう》の|動悸《どうき》が|烈《はげ》しくなり、|警鐘乱打《けいしやうらんだ》の|声《こゑ》が|胸《むね》に|響《ひび》いてゐますワ』
『|頬辺《ほほべた》が|赤《あか》くなつたのは|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|呑《の》んだ|加減《かげん》ぢやないか、|甘《うま》いこと|言《い》つて、|僕《ぼく》を……|俺《おれ》を|誤魔化《ごまくわ》すのぢやあるまいな』
『どしてどして、|孱弱《かよわ》い|女《をんな》の|身《み》でゐながら、|仁王《にわう》の|荒削《あらけづ》りみたいな、|程《ほど》の|好《よ》い|殿《との》たちを|騙《だま》してすみますか、|男冥加《をとこみやうが》に|尽《つ》きますからね』
『どうか、|御変心《ごへんしん》なきやうに|頼《たの》んでおきますよ、|猪鹿《ちよか》つきて|良狗《りやうく》|煮《に》らるる|事《こと》のないやうにね』
『ホホホ、|御念《ごねん》には|及《およ》びますまい、|羽織《はおり》の|紐《ひも》ですから……ね』
『|妾《わらは》の|胸《むね》においてあるといふのか、よし、|分《わか》つてる。しかし|姫《ひめ》さま、クラヴィコードが|此処《ここ》にあるぢやないか、|一《ひと》つ|弾《だん》じてもらふわけにや|参《まゐ》りますまいかな』
バルギーは|自分《じぶん》の|女房《にようばう》にしたやうな|気《き》もするなり、また|何処《どこ》ともなしに|犯《をか》し|難《がた》き|気高《けだか》い|他人《たにん》の|嬢《ぢやう》さまのやうな|気《き》もするなり、きたなく|言葉《ことば》を|使《つか》つてみたり、|丁寧《ていねい》に|言《い》つてみたり、|妙《めう》な|心理情態《しんりじやうたい》に|陥《おちい》つてゐる。ダリヤは|傍《かたはら》のクラヴィコードを|手《て》にとり、|糸《いと》をしめ|直《なほ》しながら、|無聊《ぶれう》を|慰《なぐさ》むるため、さしかまへのない、|子供《こども》の|時《とき》に|覚《おぼ》えておいた|唄《うた》を|唄《うた》ひ|出《だ》した。
『|唄《うた》はどこでもかけ|行《ゆ》く |子供《こども》と|仲《なか》よくはねまわる。
シヤシヤシヤンシヤン |歌《うた》は|花《はな》さく|木《き》にみのる
|小鳥《ことり》がそれをついばむよ シヤシヤシヤンシヤンシヤン
|歌《うた》は|月夜《つきよ》の|笛《ふえ》の|音《ね》に |合《あは》せて|遠《とほ》く|響《ひび》きます
シヤシヤシヤンシヤンシヤン |歌《うた》は|心《こころ》の|噴水《ふんすゐ》よ
|涙《なみだ》にみちる|微笑《ほほゑみ》よ シヤシヤシヤンシヤンシヤン
|歌《うた》はきらめく|玉《たま》の|音《おと》 やさしく|清《きよ》き|思出《おもひで》よ
シヤシヤシヤンシヤンシヤン |唄《うた》は|世界《せかい》を|洗《あら》ふ|波《なみ》
|舟《ふね》は|勇《いさ》んで|出《で》かけます シヤシヤシヤンシヤン
|歌《うた》はすべての|息《いき》よ |命《いのち》の|終《をは》る|鐘《かね》の|音《ね》よ
シヤシヤシヤーンシヤーン
モウこれで|怺《こら》へてもらひませう、|永《なが》らく|弾《ひ》かないので、|糸《いと》のねじめが|思《おも》ふやうになりませぬからね』
バル『ヤア|感心々々《かんしんかんしん》、|生《うま》れてから|初《はじ》めて、クラヴィコードの|音《ね》をきいた、|何《なん》とマア|琴《こと》といふものは|殊《こと》の|外《ほか》よい|音《ね》の|出《で》るものだな。それに|姫《ひめ》の|声《こゑ》といひ、|様子《やうす》といひ、|程《ほど》といひ、なかなか|素敵滅法界《すてきめつぱふかい》な|天下《てんか》の|逸品《いつぴん》だつたよ』
ダリ『ホホホホ、あなた|何《なん》ですか、クラヴィコードの|音《ね》を|聞《き》いた|事《こと》がないとは、あまり|無風流《ぶふうりう》ぢやありませぬか。スガの|港《みなと》|辺《あたり》では、|裏長屋《うらながや》のお|婆《ばあ》さまでも|琴《こと》を|弾《だん》じない|人《ひと》はありませぬよ。|男《をとこ》だつて|大抵《たいてい》の|人《ひと》は|弾奏《だんそう》の|術《わざ》には|馴《な》れてゐますからね』
『イヤ、|成程《なるほど》、なるほど、なるほど、よい|音《ね》の|出《で》るものだ。それで|琴《こと》をひく|女《をんな》を、よい【ねい】さまといふのだな、|分《わか》つてる』
『ホホホホ、|琴《こと》のよい|音《ね》が|出《で》るから、【ねー】さまなんて、よいかげんに|呆《ほう》けておきなさいませ。|殊《こと》のほか|文盲《もんまう》な|男《をとこ》さまですね、|妾《あたい》そんなこと|聞《き》くと、さつぱり|厭気《いやけ》がさして|来《き》ますワ』
バルギーはあわてて、|手《て》をふりながら、
『イヤイヤイヤ、さうぢやない さうぢやない、ちよつとテンゴに|言《い》つてみたのだ、|俺《おれ》だつてクラヴィコードは|知《し》つてるよ、|天下《てんか》の|妙手《めうしゆ》と|評判《ひやうばん》をとつた|俺《おれ》だものなア』
ダリ『|成《な》るほど……|鼠《ねずみ》|捕《と》る|猫《ねこ》は|爪《つめ》かくす……とか|言《い》ひましてな、|人《ひと》はどんな|隠芸《かくしげい》を|持《も》つてゐるか|分《わか》りませぬな。|本当《ほんたう》に|琴《こと》の|名人《めいじん》でありながら、|知《し》らぬ|面《かほ》をして|御座《ござ》るそのゆかしさ、|程《ほど》のよさ、それが|第一《だいいち》、|妾《あたい》は|気《き》に|入《い》つてますのよ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》の|人《ひと》は、|知《し》らぬ|事《こと》でも|知《し》つたらしう|言《い》ひたがるものですからな』
バル『ウン、そらさうだ、よく|分《わか》る、イヤ、|分《わか》つてる、|知《し》つても|知《し》らぬ|面《かほ》するのが|床《ゆか》しいのだ、そこに|男子《だんし》の|価値《かち》が|十二分《じふにぶん》に|伏在《ふくざい》してると|言《い》ふものだ。いはゆる|謙遜《けんそん》の|美徳《びとく》といふものだ、|謙遜《けんそん》の|美徳《びとく》すなはち|人格《じんかく》をなす|所以《ゆゑん》のものだ。|時世時節《ときよじせつ》で、|泥棒《どろばう》の|仲間《なかま》へ|入《はい》つてをつたものの、|元《もと》が|元《もと》だからの』
『ホホホホ|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|泥棒《どろばう》の|小頭《こがしら》では、|人格問題《じんかくもんだい》を|云々《うんぬん》するわけにもゆきますまい。それはさうと、|妾《あたい》が|弾奏《だんそう》しました|返礼《へんれい》として、|一《ひと》つ|貴方《あなた》|唄《うた》をうたひ、コードを|弾《だん》じて、|程好《ほどよ》い|音色《ねいろ》を|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『ウーン、コトと|品《しな》によつたら|弾《だん》じない|事《こと》はないが、これはお|前《まへ》と|四海波謡《しかいなみうた》ふ|時《とき》まで|保留《ほりう》しておこうかい、でないと|隠芸《かくしげい》とは|言《い》はないからな。お|前《まへ》の|親《おや》や|兄弟《きやうだい》をアツと|言《い》はせる|仕組《しぐみ》だからな』
『ホホホホ、|何《なん》とマア|程《ほど》のよい|御挨拶《ごあいさつ》だこと、サ、|今《いま》となつた|時《とき》にや、お|酒《さけ》に|酔《よ》ひつぶれたやうな|顔《かほ》して、|寝込《ねこ》んでしまふ|今《いま》から|野心《したごころ》でせう。その|指先《ゆびさき》ではどうもコードを|扱《あつか》はれた|形跡《けいせき》がないぢやありませぬか、|妾《あたい》の|指《ゆび》をみて|御覧《ごらん》、この|通《とほ》り|堅《かた》い|筋《すぢ》が|出来《でき》てをりますよ』
『|俺《おれ》のはな、|素掻《すがき》といつて、|爪《つめ》の|先《さき》ばかりで|弾奏《だんそう》するのだ。それが|名物《めいぶつ》となつてるんだ。|爪《つめ》の|奴《やつ》|伸《の》びるでチヨイチヨイ|切《き》るものだから、|今《いま》は|爪先《つまさき》に|筋《すぢ》がないのだ。マア、|疑《うたが》はずに|待《ま》つてくれ、|俺《おれ》のは|御神前《ごしんぜん》か|何《なに》かでやるのだからな、シヤツチン シヤツチン シヤツチンチン……と、そら|本当《ほんたう》に|可《よ》い|音色《ねいろ》だよ』
『|御神前《ごしんぜん》でシヤツチン シヤツチンやるのは、そら|八雲《やくも》でせう』
『|八雲《やくも》でも|小雲《こくも》でも|琴《こと》に|間違《まちが》ひはないぢやないか』
『あ、そんなら、この|八雲琴《やくもごと》を|拝借《はいしやく》して、|妾《あたい》を|平和《へいわ》の|女神《めがみ》さまと|仮定《かてい》し、|一《ひと》つ|弾奏《だんそう》してみて|下《くだ》さいな』
バルギーは|頭《あたま》をしきりに|掻《か》きながら、
『ヤア、ダリヤ|殿《どの》、|実《じつ》のところは|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、|琴《こと》なんか|持《も》つた|事《こと》もないのだ。こればかりは|閉口頓首《へいこうとんしゆ》する』
ダリ『ホホホ、それ|聞《き》いて、|妾《あたい》|安心《あんしん》しましたワ、|琴《こと》なんか|女《をんな》の|弄《もてあそ》ぶものですワ。|男《をとこ》が|琴《こと》を|弾《だん》ずるのは|伶人《れいじん》ばかりですワ、|伶人《れいじん》なんか|何時《いつ》も|貧乏《びんばふ》で、|祭典《さいてん》の|時《とき》なんか、|横《よこ》の|方《はう》に|席《せき》を|拵《こしら》へてもらひ、【ミヅバナ】たらして|慄《ふる》うてるのですもの、そんな|者《もの》にロクな|者《もの》はありませぬからね。|男子《だんし》は|男子《だんし》でヤツパリ|荒《あら》つぽい|事《こと》|好《この》む|方《はう》が、なにほど|立派《りつぱ》だか|知《し》れませぬワ』
バル『ヘヘヘヘ、なるほど|御尤《ごもつと》も、|分《わか》つてる、そらさうだ、お|前《まへ》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|俺《おれ》の|聞《き》く|通《とほ》りだ。|荒《あら》つぽい|事《こと》と|言《い》つたら、|高塀《たかべい》をのりこえ、|大刀《だんびら》を|引提《ひつさ》げて|大家《たいけ》へ|飛《と》び|込《こ》み、コラツと|一声《いつせい》かけるが|否《いな》や、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もビリビリツとちぢみ|上《あが》り、|生命《いのち》より|大切《だいじ》に|貯《たく》はへておいた|山吹色《やまぶきいろ》をおつぽり|出《だ》して|手《て》を|合《あは》して|拝《をが》むのだから、|偉《えら》いものだろ』
『|貴方《あなた》ヤツパリ|泥棒《どろばう》やつてゐたのですね、|泥棒《どろばう》なんか|夫《をつと》にもつこた|厭《いや》ですワ』
『ヤ|昔《むかし》は|昔《むかし》、|今《いま》は|今《いま》だ。|改心《かいしん》して|三五教《あななひけう》に|入《はい》り、|薬屋《くすりや》の|主人《しゆじん》となつた|以上《いじやう》は|泥棒《どろばう》なんかするものか。お|前《まへ》の|内《うち》は|富豪《ふうがう》だから|何時《いつ》|泥棒《どろばう》が|入《はい》るかも|知《し》れない、その|時《とき》は|俺《おれ》が|泥棒《どろばう》の|要領《こつ》を|覚《おぼ》えてるを|幸《さいは》ひ、|反対《あべこべ》に|泥棒《どろばう》を|赤裸《まつぱだか》にひきめくり、|他所《よそ》で|盗《と》つて|来《き》た|物《もの》を|捲上《まきあ》げてしまつてやるのだ。これからスガの|港《みなと》まで|帰《かへ》るには、まだ|大分《だいぶん》|道程《みちのり》もあるから、もし|途中《とちう》で|泥棒《どろばう》でも|出《で》よつてみよ、|俺《おれ》が|一目《ひとめ》|睨《にら》んだら、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らす|如《ごと》く|逃《に》げるのだから、|本当《ほんたう》にこんな|夫《をつと》と|道伴《みちづ》れになつてをれば|安心《あんしん》なものだよ』
『|成《な》るほど、それ|承《うけたまは》つて|安心《あんしん》いたしました。サアモウ|夜《よ》も|更《ふ》けましたから、やすもうぢやありませぬか、お|泥《どろ》さま』
『チエツ、|要《い》らぬ|事《こと》いふものぢやない、|意地《いぢ》の|悪《わる》い|姫様《ひめさま》だな』
|二人《ふたり》は|間《ま》をへだてて|漸《やうや》く|寝《しん》についた。
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 松村真澄録)
第五章 |転盗《てんたう》〔一七九四〕
|玉清別《たまきよわけ》|夫婦《ふうふ》は|神《かみ》の|子《こ》、|玉《たま》の|子《こ》と|共《とも》に、まだ|夜《よ》のあけぬ|中《うち》から|神殿《しんでん》の|大掃除《おほさうぢ》をなし、|山野《やまぬ》の|供物《くもつ》を|献《けん》じ|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》してゐる。
『|高天原《たかあまはら》の|聖場《せいぢやう》に|元津御祖《もとつみおや》の|大神《おほかみ》の|大神言《おほみこと》もちて、|天《あま》かけり|国《くに》かける|天使《あまつかひ》|八百万《やほよろづ》|神集《かむつど》ひに|集《つど》ひます、|東《ひがし》の|都《みやこ》は|日出《ひいづ》る|国《くに》の|御名《みな》も|高《たか》き、いと|清々《すがすが》しき|小雲《こくも》の|川《かは》を|囲《めぐ》らせる|綾《あや》の|聖地《せいち》の|八尋殿《やひろどの》、|又《また》|西《にし》の|国《くに》に|至《いた》りては、パレスチナの|国《くに》の|御名《みな》も|高《たか》きエルサレムの|都《みやこ》、オリブ|山《やま》の|頂《いただき》に|宮柱太《みやばしらふと》しく|立《た》てて|鎮《しづ》まります|厳《いづ》と|瑞《みづ》との|二柱《ふたはしら》|従《したが》ひ|玉《たま》ふ|神使《かむづかひ》、|朝夕《あしたゆふべ》に|天《あま》かけり|国《くに》かけりまし、ウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》には|神素盞嗚《かむすさのを》の|尊《みこと》、|常磐堅磐《ときはかきは》に|御《み》あとを|垂《た》れさせ|玉《たま》ひ、|四方《よも》の|青人草《あをひとぐさ》は|言《い》ふも|更《さら》なり、|草木《くさき》|虫族《むしけら》の|端《はし》に|至《いた》るまで、|恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|垂《た》れさせ|玉《たま》ふ|尊《たふと》き|清《きよ》き|大御心《おほみこころ》を|拝《をろが》み|奉《まつ》り、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|此《こ》の|神床《かむどこ》に|厳《いづ》の|御魂《みたま》を|斎《いつ》き|奉《まつ》りて|仕《つか》へまつる|事《こと》の|由《よし》を、いと|平《たひ》らけく|安《やす》らけく|聞召《きこしめ》し|相諾《あひうづ》なひ|玉《たま》ひて、バラモンの|枉神《まがかみ》に|退《やら》はれたる|三五《あななひ》の|神柱《かむばしら》|玉清別《たまきよわけ》をして、|再《ふたた》び|世《よ》の|光《ひかり》となり、|塩《しほ》となり、|花《はな》ともなりて、|天晴《あつぱ》れ|大御神《おほみかみ》の|大神業《おほみわざ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》らしめ|玉《たま》へ、|仰《あふ》ぎ|願《ねが》はくばこれの|家内《やぬち》をして|諸々《もろもろ》の|枉事《まがごと》、|罪穢《つみけがれ》あらしめず、|日々《ひび》の|業務《なりはひ》を|励《いそし》み|勤《つと》めて、ゆるぶ|事《こと》なく、|怠《おこた》る|事《こと》なく、|神谷《かみたに》の|村《むら》の|鑑《かがみ》として|常磐堅磐《ときはかきは》に|臨《のぞ》ませ|玉《たま》へと|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祈願《こひの》み|奉《まつ》らくと|申《まを》す。|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さち》はへ|玉《たま》へ、|惟神《かむながら》の|御魂《みたま》|幸《さち》はへましませ』
と|祝詞《のりと》を|終《をは》り、|庭園《ていゑん》を|親子《おやこ》|四人連《よにんづ》れ|新空気《しんくうき》を|呼吸《こきふ》すべく|逍遥《せうえう》し|初《はじ》めた。
バルギーはダリヤ|姫《ひめ》が|寝息《ねいき》を|窺《うかが》ひ、ソツと|裏口《うらぐち》よりかけ|出《い》だし、どこかの|家《いへ》へ|忍《しの》び|込《こ》み、|沢山《たくさん》な|黄金《わうごん》をせしめてダリヤ|姫《ひめ》を|驚《おどろ》かせ|歓心《くわんしん》を|買《か》はむものと、|無謀《むぼう》にも|飛《と》び|出《だ》してしまつた。
ダリヤ|姫《ひめ》は|玉清別《たまきよわけ》が|祝詞《のりと》の|声《こゑ》にフツと|目《め》をさまし、あわてて|手水《てうづ》を|使《つか》ひ|神殿《しんでん》に|簡単《かんたん》なる|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|終《をは》つて|吾《わ》が|居間《ゐま》へ|帰《かへ》り、クラヴィコードをいぢつてゐると、そこへ|玉清別《たまきよわけ》|夫婦《ふうふ》が|襖《ふすま》を|静《しづ》かに|押《お》しあけ、|入《い》り|来《き》たり、
|玉清《たまきよ》『ダリヤ|様《さま》、お|早《はや》うございます』
|玉子《たまこ》『|朝《あさ》も|早《はや》うから|丹精《たんせい》な|事《こと》でございますな、ほんとうにお|手際《てぎは》がよく|冴《さ》えてゐますワ』
ダリヤはクラヴィコードを|床《とこ》に|直《なほ》し、|一二尺《いちにしやく》|後《あと》しざりしながら|丁寧《ていねい》に|両手《りやうて》をつき、
『これはこれは|御主人様《ごしゆじんさま》、|奥様《おくさま》、お|早《はや》うございます。いかいお|世話《せわ》に|預《あづ》かりまして|誠《まこと》に|申《まを》し|訳《わけ》がございませぬ』
|玉清《たまきよ》『|姫《ひめ》さま、|何《なに》を|仰有《おつしや》います、|此処《ここ》は|神様《かみさま》の|家《いへ》、お|世話《せわ》さして|頂《いただ》くのは|神様《かみさま》への|御奉公《ごほうこう》でございます。お|礼《れい》を|申《まを》されましては|却《かへ》つて|困《こま》ります、どうぞ|気《き》を|使《つか》はずにユルユル|御逗留下《ごとうりうくだ》さいませ』
ダリ『ハイ、|有難《ありがた》うございます。お|言葉《ことば》に|甘《あま》へて、ユツクリとお|世話《せわ》に|預《あづ》かつてをりまする』
『しかしダリヤ|様《さま》、|貴女《あなた》のおつれになつたバルキーとかいふ|方《かた》は、|何処《どこ》へ|行《ゆ》かれましたか|御存《ごぞん》じでせうなア』
『ハイ、|夜前《やぜん》、|妾《わらは》のクラヴィコードをお|聞《き》きになり、|直《す》ぐおやすみになつたやうに|思《おも》つてゐますが』
『ハテ、|姫様《ひめさま》は|御存《ごぞん》じがないのですか、|今朝《けさ》からお|姿《すがた》が|見《み》えないのですよ』
『ハ、|左様《さやう》でございますか』
と|平然《へいぜん》としてゐる。
|玉清《たまきよ》『|姫様《ひめさま》、|一寸《ちよつと》お|伺《うかが》ひいたしたいのですが、あの|男《をとこ》の|素性《すじやう》は|御存《ごぞん》じでございませうね』
ダリ『あれはバルギーと|申《まを》しまして、タニグク|山《やま》の|泥棒《どろばう》の|岩窟《がんくつ》に|小頭《こがしら》をやつてゐましたのだが、|妾《わらは》が、|昨夜《さくや》|参《まゐ》つた|玄真坊《げんしんばう》といふ|妖僧《えうそう》にそそのかされ、|泥棒《どろばう》の|岩窟《がんくつ》に|囚《とらは》れ、どうかして|逃《に》げたいと|考《かんが》へ、|悪僧《あくそう》の|酒《さけ》に|酔《よ》うたのを|幸《さいは》ひ、あのバルギーを|色《いろ》をもつてちよろまかし、うまく|虎口《ここう》を|逃《のが》れたのでございます。まだ|家《いへ》へかへるまで|道程《みちのり》もございますので、|腹《はら》の|悪《わる》い|事《こと》と|知《し》りながらスガの|里《さと》にかへるまで、|何《なん》とか|彼《かん》とか|申《まを》して|送《おく》らしてやらうかと|考《かんが》へ、|道連《みちづ》れになつてるのでございます。|実《じつ》のところは、|実際《じつさい》の|事《こと》を|御夫婦様《ごふうふさま》に|打《う》ち|明《あ》けたいと|存《ぞん》じましたが、バルギーが|何《なん》といつても|側《そば》を|離《はな》れないので|申《まを》し|上《あ》げる|機会《きくわい》を|得《え》ずにをりました。|御夫婦様《ごふうふさま》は|妾《わらは》が|悪《わる》い|男《をとこ》を|連《つ》れてゐると、さぞお|蔑《さげす》みでございませうが、|右《みぎ》のやうな|次第《しだい》でございますから、|何卒《どうぞ》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『いかにも、|吾《わ》が|家《や》へお|訪《たづ》ねになつた|時《とき》から|妙《めう》な|夫婦《ふうふ》だと|思《おも》つてゐました。どうして、まあ、|貴女《あなた》のやうな|淑女《しゆくぢよ》と|泥棒面《どろぼうづら》の|三品野郎《さんぴんやらう》と|御夫婦《ごふうふ》で|旅行《りよかう》されたのか、まるつきり……|木馬《もくば》|嘶《いなな》いて|石女《せきぢよ》が|子《こ》を|産《う》むやうな|話《はなし》だといつて|家内《かない》と|囁《ささや》いてゐたところでございます。ヤアそれ|聞《き》いて|安心《あんしん》いたしました。かのバルギーは、|最早《もはや》ここへは|帰《かへ》つて|来《き》ますまい。キツと|吾々《われわれ》|夫婦《ふうふ》がお|宅《たく》まで|送《おく》つて|上《あ》げますから|御安心《ごあんしん》なさいませ』
『どうしてまた、あのバルギーが|此処《ここ》へ|帰《かへ》らないのでせう。あなたに|送《おく》つて|頂《いただ》けばあのやうな|危険《きけん》な|者《もの》に|道連《みちづ》れにならずによいから|一安心《ひとあんしん》ですが、|彼《かれ》はまた|何《なに》かよからぬ|事《こと》でも|致《いた》したのでございますか』
『エー、|彼《かれ》は|昨夜《ゆうべ》|深更《しんかう》に、|村内《そんない》の|杢兵衛《もくべゑ》が|家《いへ》に|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》で|暴《あば》れ|込《こ》み、|家族《かぞく》をフン|縛《じば》り、|金銭《きんせん》を|残《のこ》らず|奪《うば》ひとり|逃《に》げ|出《だ》す|途端《とたん》、|門口《かどぐち》の|深井戸《ふかゐど》に|落《お》ち|込《こ》み、バサバサと|騒《さわ》いでをつたところ、|不寝番《ふしんばん》が|見付《みつ》け|出《だ》し、|井戸《ゐど》より|引《ひ》き|上《あ》げ|彼《かれ》を|引縛《ひきくく》つて、|杢兵衛《もくべゑ》の|家《いへ》に、つないであるさうでございます。|今《いま》の|先《さき》|不寝番《ふしんばん》からさう|訴《うつた》へて|参《まゐ》りました』
ダリヤはビツクリしながら、
『エー、|何《なん》とマア|悪《わる》い|奴《やつ》でございますな、たちまち|天罰《てんばつ》が|報《むく》うて|来《き》て|吾《われ》と|吾《わ》が|手《て》に|深井戸《ふかゐど》に|陥込《おちこ》んだのでございませう。しかしながら|泥棒《どろばう》とは|言《い》へ、この|山坂《やまさか》をタニグク|谷《だに》から|此処《ここ》まで|送《おく》つて|来《き》てくれた|男《をとこ》、|見捨《みす》てておくわけにもゆきませぬから、|一目《ひとめ》|会《あ》はして|下《くだ》さいませぬか。|彼《かれ》に|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|聞《き》かせてやりたうございますから、それとも|村《むら》の|掟《きめ》で|御成敗《ごせいばい》なさるのなら|是非《ぜひ》はございませぬ』
|玉清《たまきよ》『|此《こ》の|村《むら》は|三十三戸《さんじふさんこ》でございまするが、|何《いづ》れも|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》で、|人間《にんげん》を|裁《さば》くといふ|事《こと》を|致《いた》しませぬ。|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|聞《き》かせて、この|村外《むらはづ》れまで|送《おく》り|追放《つゐはう》する|事《こと》になつてをります。|幸《さいは》ひ|姫様《ひめさま》が|御訓戒《ごくんかい》を|与《あた》へて|下《くだ》さることなら、|彼《かれ》も|満足《まんぞく》するでせう。|然《しか》らばこれへ|連《つ》れ|参《まゐ》りますから』
ダリ『ハイ、お|邪魔《じやま》ながらさう|願《ねが》へれば|結構《けつこう》でございますが』
|玉清《たまきよ》『|然《しか》らばこれから|不寝番《ふしんばん》に|申《まを》し|付《つ》け、ここへ|引張《ひつぱ》つて|参《まゐ》りませう。|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さい』
と|言《い》ひながら|足早《あしばや》に|出《い》でて|行《ゆ》く。
|玉子姫《たまこひめ》も|夫《をつと》の|後《あと》に|従《したが》ひ|軽《かる》き|目礼《もくれい》を|施《ほどこ》しながら|吾《わ》が|居間《ゐま》へと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。あとに|残《のこ》つたダリヤ|姫《ひめ》は|悪人《あくにん》とは|言《い》ひながら、|何処《どこ》ともなしに|憐《あは》れを|催《もよほ》し、どうかして|彼《かれ》の|心《こころ》を|改《あらた》めしめむと、クラヴィコードを|弾《だん》じながら|神《かみ》に|祈《いの》つてゐる。
『|天《あめ》と|地《つち》とのその|中《なか》に |生《い》きとし|生《い》ける|物《もの》は|沢《さは》あれど
|神《かみ》の|形《かたち》に|造《つく》られし |人《ひと》は|霊《かみ》の|子《こ》|霊《かみ》の|宮《みや》と|言《い》ふ
そも|人生《じんせい》の|行路《かうろ》を|尋《たづ》ぬれば |川瀬《かはせ》の|水《みづ》の|流《なが》るる|如《ごと》く
|朝《あした》|夕《ゆふ》べに|変《かは》り|行《ゆ》く |浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|又《また》|起《お》きつ
|人生《じんせい》の|波《なみ》を|渡《わた》り|行《ゆ》く |善《よ》きも|悪《あ》しきも|押《お》しなべて
|何《いづ》れも|人《ひと》は|神《かみ》の|御子《みこ》 なすべき|業《わざ》は|沢《さは》あれど
|人《ひと》の|宝《たから》を|掠《かす》めとり |月日《つきひ》を|送《おく》る|人《ひと》こそは
|人《ひと》にして|人《ひと》に|非《あら》ず |人《ひと》の|皮《かは》|着《き》る|獣《けもの》ならめ
バルギーだとて|生《うま》れついての |盗人《ぬすびと》には|非《あら》ざらめ
|浮世《うきよ》の|波《なみ》に|襲《おそ》はれて |聞《き》くも|嫌《いや》らし|盗人《ぬすびと》の
|群《むれ》に|入《い》りたる|事《こと》ならむ |人《ひと》の|情《なさ》けは|彼《かれ》も|知《し》る
|吾《われ》を|慕《した》ひて|山坂《やまさか》を |此処《ここ》まで|送《おく》り|来《き》たりしは
|恋《こひ》とは|言《い》へど|一片《いつぺん》の |誠心《まことごころ》の|輝《かがや》きあればこそ
スガの|港《みなと》に|至《いた》りなば |悪《あ》しき|心《こころ》を|改《あらた》めて
|真人《まびと》にならむと|誓《ちか》ひたる その|舌《した》の|根《ね》の|乾《ひ》ぬ|間《うち》に
アアあさましや|人《ひと》の|子《こ》の |家《いへ》に|忍《しの》びて|黄金《わうごん》を
|盗《ぬす》む|心《こころ》は|何事《なにごと》ぞや |吾《わ》が|身《み》を|恋《こ》ふるその|余《あま》り
|黄金《こがね》の|宝《たから》を|奪《うば》ひとり |吾《わ》が|歓心《くわんしん》を|買《か》はむとや
てもあさましの|心《こころ》かな |三五教《あななひけう》の|大御神《おほみかみ》
|彼《かれ》が|心《こころ》に|光明《くわうみやう》を |射照《いて》り|通《とほ》らせ|片時《かたとき》も
|早《はや》く|真人《まびと》の|群《むれ》に|入《い》り |生《い》きて|此《この》|世《よ》の|用《よう》に|立《た》ち
|死《し》しては|神《かみ》の|常久《とことは》に あれます|国《くに》に|上《のぼ》り|行《ゆ》き
|永久《とは》の|生命《いのち》を|楽《たの》しげに |送《おく》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
バルギーの|男《を》の|子《こ》に|相代《あひかは》り ダリヤの|姫《ひめ》が|真心《まごころ》を
こめて|祈願《こひの》み|奉《たてまつ》る ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|恩頼《みたまのふゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》へ |恩頼《みたまのふゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》へ』
かかるところへ|村人《むらびと》の|声《こゑ》ガヤガヤと、バルギーを|引立《ひつた》てながら|門口《もんぐち》に|送《おく》つて|来《き》た。
バルギーは|庭《には》の|植込《うゑこみ》の|中《なか》に|蹲《しやが》みながら、ダリヤ|姫《ひめ》に|合《あ》はす|顔《かほ》なしと、|顔《かほ》をも|得《え》あげず|落涙《らくるゐ》してゐる。ダリヤ|姫《ひめ》は|庭下駄《にはげた》を|穿《は》き、ツカツカとその|側《そば》により、|扇子《せんす》もて|二《ふた》つ|三《み》つ|彼《かれ》の|頭《かうべ》を|軽《かる》く|打《う》ちながら、|涙《なみだ》の|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『これ、バルギーさま、お|前《まへ》さまは、|妾《わらは》に|改心《かいしん》したといつた|事《こと》はスツカリ|嘘《うそ》だつたのですね、|何《なん》といふあさましい|事《こと》をなさいました。|世《よ》の|中《なか》に|為《な》す|業《わざ》は|沢山《たくさん》あるに、|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れて|人様《ひとさま》の|家《いへ》に|忍《しの》び|入《い》り、|悪虐無道《あくぎやくぶだう》にも|人《ひと》を|括《くく》り|上《あ》げ|嚇《おど》し|文句《もんく》を|並《なら》べ|立《た》て、|汗《あせ》や|膏《あぶら》で|貯《たく》はへた|金《かね》を|盗《と》らうとは|実《じつ》に|男子《だんし》の|面汚《つらよご》し、|何《なん》といふ|悪魔《あくま》が|貴方《あなた》に|魅《みい》つたのでせう。|妾《わらは》は|貴方《あなた》のやうな|方《かた》とたとへ|三日《みつか》でも|道連《みちづ》れになつたのが|残念《ざんねん》でございます。しかし|妾《わらは》も|貴方《あなた》にお|断《こと》わり|申《まを》さねばならぬ|事《こと》がございます。|三五教《あななひけう》のピユリタンでありながら、|如何《どう》かしてあの|岩窟《いはや》から|身《み》を|逃《のが》れむと、|今《いま》まで|心《こころ》にもない|事《こと》を|言《い》つて|貴方《あなた》を|騙《たばか》つてゐました。|決《けつ》して|私《わたし》は|貴方《あなた》に|恋慕《れんぼ》してはゐませぬ。|腹《はら》の|底《そこ》をたたけば、いやでいやで|堪《たま》らないのですよ。しかしながら、スガの|里《さと》へ|帰《かへ》るまで|貴方《あなた》をうまく|利用《りよう》しようと|思《おも》つた|私《わたし》の|罪《つみ》、|幾重《いくへ》にもお|詫《わ》びをいたします。お|前《まへ》さまが|此《こ》の|村《むら》へ|来《き》て|赤恥《あかはぢ》をかくのも、ヤツパリ|私《わたし》があつたため、|私《わたし》が|悪《わる》いのです。どうぞ|只今《ただいま》かぎり|心《こころ》を|改《あらた》めて|真人間《まにんげん》になつて|下《くだ》さいませ。そして|又《また》スガの|里《さと》の|方《はう》へでもお|越《こ》しになりましたら、どうぞ|吾《わ》が|家《や》へ|訪問《はうもん》して|下《くだ》さいや。|此《こ》の|村《むら》は|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》で、|人《ひと》のよい|方《かた》ばかりだから|貴方《あなた》の|罪《つみ》を|許《ゆる》して|下《くだ》さるさうですから、サア|早《はや》くどつかへおいでなさいませ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|道《みち》で|悪《わる》い|事《こと》をなすつちやいけませぬよ。これは|少《すこ》しばかりですが|路銀《ろぎん》に|使《つか》つて|下《くだ》さい』
と|襟《えり》に|縫《ぬ》ひこんであつた|小判《こばん》を|一枚《いちまい》とり|出《だ》しバルギーの|懐《ふところ》に|捻《ね》ぢこみ、「|左様《さやう》なら」と|言《い》ひつつ、しやくり|泣《な》きしながら|与《あた》へられた|吾《わ》が|居間《ゐま》へと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|村人《むらびと》はムラムラとバルギーの|周囲《しうゐ》をとりまき、|青竹《あをたけ》|持《も》つて|大地《だいち》を|叩《たた》きながら、
『サア|立《た》て、|帰《かへ》れ』
と|後《あと》をおつたて、|村外《むらはづ》れをさして|送《おく》り|行《ゆ》く。
|玉清別《たまきよわけ》|夫婦《ふうふ》はヤツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、|再《ふたた》びダリヤ|姫《ひめ》の|居間《ゐま》に|入《い》り|来《き》たり、
『ダリヤ|様《さま》、|貴女《あなた》の|見上《みあ》げたお|志《こころざし》、|側《そば》に|聞《き》いてゐた|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|心《こころ》の|底《そこ》から|泣《な》かされましたよ。あの|御訓戒《ごくんかい》によつてバルギーも|改心《かいしん》するでございませう』
ダリ『ハイ|誠《まこと》に|赤面《せきめん》の|至《いた》りでございます。バルギーさまが、あのやうな【ザマ】になつたのも、もとを|訊《ただ》せば|私《わたし》が|悪《わる》いのでございます。お|館《やかた》に|迷惑《めいわく》を|掛《か》けて|相済《あひす》みませぬ。|穴《あな》でもあればもぐり|込《こ》みたいやうな|気分《きぶん》がいたします』
|玉子《たまこ》『|何《なに》おつしやいます、ダリヤ|様《さま》、|貴女《あなた》の|立場《たちば》としては、|時《とき》と|場合《ばあひ》によつて、バルギーを|騙《だま》しなさるのも|止《や》むを|得《え》ませぬ、|何事《なにごと》もみな|神様《かみさま》のなさる|業《わざ》でございます。|然《しか》しながら|天真坊《てんしんばう》といふ|奴《やつ》、|途中《とちう》に|待《ま》ち|受《う》け、どんな|事《こと》をするかも|知《し》れませぬから、|二三日《にさんにち》|逗留《とうりう》なさつてお|帰《かへ》りなさつたら|安全《あんぜん》でございませう。その|時《とき》は、|屈強《くつきやう》な|村人《むらびと》を|二三人《にさんにん》つけて|送《おく》らせますから|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さい』
ダリ『なにから|何《なに》まで、お|世話《せわ》になりまして|誠《まこと》に|有難《ありがた》うございます。|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 北村隆光録)
第六章 |達引《たつぴき》〔一七九五〕
|恋《こひ》に|狂《くる》うた|妖僧《えうさう》の |天真坊《てんしんばう》はどこまでも
ダリヤの|行方《ゆくへ》を|探《さぐ》らむと コブライ|引《ひ》きつれ|夜《よる》の|道《みち》
|普門品《ふもんぽん》をば|唱《とな》へつつ |毒蛇《どくだ》の|禁厭《まじなひ》しながらに
スタスタ|行《ゆ》けば|山《やま》の|根《ね》に いつの|間《ま》にやら|突《つ》き|当《あた》り
|行手《ゆくて》の|道《みち》を|失《うしな》つて やむを|得《え》ざれば|立往生《たちわうじやう》
|明《あか》くなるまで|待《ま》ちゐたる かかるところへ|向《む》かふより
|一人《ひとり》の|男《をとこ》がすたすたと |息《いき》せききつてはせ|来《き》たり
|小石《こいし》につまづきバツタリと |二人《ふたり》が|前《まへ》に|倒《たふ》れける
|玄真坊《げんしんばう》は|怪《あや》しみて よくよく|見《み》ればこは|如何《いか》に
|岩窟《いはや》の|中《なか》に|見覚《みおぼ》えの |泥棒《どろばう》の|顔《かほ》と|見《み》るよりも
|得《え》たりと|矢庭《やには》にひつ|掴《つか》み こぶしを|高《たか》くふりあげて
これやこれや|貴様《きさま》はバルギーと |示《しめ》し|合《あは》せてダリヤ|姫《ひめ》
|逃《に》がした|奴《やつ》に|違《ちが》ひない |早《はや》く|白状《はくじやう》いたさねば
|貴様《きさま》の|命《いのち》は|朝《あさ》のつゆ |忽《たちま》ち|消《き》えて|後《あと》もなく
なるが|承知《しようち》かこれや|如何《どう》ぢや すつぱりこんと|白状《はくじやう》せよ
|言《い》へば|男《をとこ》は|顔《かほ》をあげ アイタタタツタ アイタタツタ
お|前《まへ》は|名高《なだか》き|天真坊《てんしんばう》 |三千世界《さんぜんせかい》の|隅々《すみずみ》も
|一目《ひとめ》に|見通《みとほ》す|神様《かみさま》だ お|前《まへ》さまの|為《ため》に|頼《たの》まれて
ダリヤの|行方《ゆくへ》を|探《さが》すもの |見違《みちが》へられては|堪《たま》らない
|真偽《しんぎ》の|程《ほど》は|言《い》はずとも |神《かみ》さまならば|知《し》れませう
どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さんせ |決《けつ》して|神《かみ》の|御前《おんまへ》で
|毛頭《まうとう》|嘘《うそ》は|言《い》ひませぬ |言《い》へば|玄真《げんしん》うなづいて
|顔色《かほいろ》|和《やは》らげ|声《こゑ》|低《ひく》う そんならお|前《まへ》はダリヤをば
|探《さが》しに|行《い》つてくれたのか これやこれやコブライ|間違《まちが》ひは
なからうか|調《しら》べて|呉《く》れよ |言《い》へばコブライ|首《かうべ》をば
|上《うへ》と|下《した》とに|振《ふ》りながら こいつはバルギーの|配下《はいか》だが
シヤカンナさまに|頼《たの》まれて ダリヤとバルギーを|探《さが》すべく
|先頭《せんとう》|一《いち》に|出《で》た|奴《やつ》だ |決《けつ》して|嘘《うそ》ではありませぬ
|安心《あんしん》なさるが|宜《よろ》しかろ |言《い》へば|玄真《げんしん》|頷《うなづ》いて
なるほど|貴様《きさま》の|言《い》ふ|通《とほ》り |此奴《こいつ》の|言葉《ことば》は|真《まこと》だらう
ダリヤの|行方《ゆくへ》は|分《わか》つたか バルギーの|様子《やうす》は|探《さぐ》つたか
|早《はや》く|知《し》らしてくれないか |気《き》が|気《き》でならぬ|此《こ》の|場合《ばあひ》
|言《い》へば|盗人《ぬすと》は|首《くび》を|振《ふ》り |私《わたし》はコオロといふ|男《をとこ》
|一番槍《いちばんやり》の|功名《こうみやう》を |致《いた》さんものと|取《と》るものも
|取《と》りあへずして|飛《と》び|出《いだ》し |神谷村《かみたにむら》をのり|越《こ》えて
ハル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に |登《のぼ》つて|見《み》れば|行《ゆ》く|人《ひと》の
|話《はなし》の|中《うち》にダリヤ|姫《ひめ》 バルギーによう|似《に》た|二人連《ふたりづ》れ
|神谷村《かみたにむら》の|神《かみ》の|家《や》に |匿《かく》れて|居《ゐ》るといふ|事《こと》を
|敏《さと》くも|耳《みみ》に|入《い》れました それゆゑ|後《あと》へすたすたと
|引《ひ》き|帰《かへ》したる|次第《しだい》です |屹度《きつと》|二人《ふたり》は|神谷《かみたに》の
|村《むら》に|匿《かく》れてゐるでせう アイタタタツタ アイタタツタ
|向《む》かふ|脛《ずね》をばすりむいて これこの|通《とほ》り|血糊《ちのり》めが
ぼとぼと|流《なが》れてをりまする |早《はや》く|助《たす》けて|下《くだ》しやんせ
お|前《まへ》のためにこんな|目《め》に |遇《あ》うた|私《わたし》を|捨《す》てたなら
|忽《たちま》ち|神《かみ》の|罰当《ばちあた》り ダリヤの|姫《ひめ》は|手《て》に|入《い》らず
あなたも|終《しまひ》にや|谷底《たにぞこ》へ スツテンドウと|転《ころ》げおち
えらい|目《め》|見《み》るに|違《ちが》ひない アア|叶《かな》はぬ|叶《かな》はぬかなはない
|目玉《めだま》とび|出《だ》すやうだわい アイタタタツタ アイタタツタ
|玄《げん》『エイ、|碌《ろく》でもない|役《やく》にも|立《た》たぬ|蠅虫《はへむし》めツ、こればかりの|創《きず》に|泣《な》き|面《づら》をする|奴《やつ》があるかい、よう|今《いま》まで|泥棒《どろばう》を|稼《かせ》いでをつたものだなア。これやコブライ、|貴様《きさま》がしやうもない|子供《がき》の|言《い》うた|事《こと》を|真《ま》に|受《う》けて|飛《と》び|出《だ》さうとするものだから、こんな|目《め》にあつたのだ。エエもうかうなりや|仕様《しやう》がない、どうせ|此処《ここ》を|通《とほ》らにやならぬ|一筋道《ひとすぢみち》だ。|神谷村《かみたにむら》に|居《ゐ》るとすりや、いづれ|此処《ここ》にうせるだらう、ほんとに|訳《わけ》のわからぬ|野郎《やらう》だなあ』
コ『|勝手《かつて》になさいませ、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|大看板《だいかんばん》を|打《う》つたお|前《まへ》さまが、ダリヤ|姫《ひめ》の|所在《ありか》くらゐ|分《わか》らぬといふのはテツキリ|此《こ》の|世《よ》を|騙《たばか》る|売僧坊主《まいすばうず》だ。お|前《まへ》さまも、もつとは|天眼通《てんがんつう》が|利《き》いてゐるかと|思《おも》つたに、|交際《つきあ》へばつき|合《あ》ふほど|金箔《きんぱく》が|剥《は》げて、おまけに|鼻持《はなも》ちのならぬ|糞坊主《くそばうず》だ。もうこんな|事《こと》は|止《や》めますわ、サア|今《いま》までの|日当《につたう》をどつさり|下《くだ》さいませ。のうコオロお|前《まへ》も|確《しつか》りして|立《た》ち|上《あ》がれ、|此奴《こいつ》の|懐中《くわいちう》の|金《かね》をぼつたくらうぢやないか。|泥棒《どろばう》はお|手《て》のものだからのう』
コオ『それやさうだ、|俺《おれ》ももつと|気《き》の|利《き》いた|坊主《ばうず》だと|思《おも》つてゐたに|愛想《あいそ》がつきた。|慈悲《じひ》も|情《なさ》けも|知《し》らぬ|糞坊主《くそばうず》だ。|俺《おれ》がこの|通《とほ》り|向《む》かふ|脛《ずね》をやぶつて|苦《くる》しんでをるのに、お|経《きやう》の|一口《ひとくち》も|言《い》うてくれるぢやなし、|悪口《わるくち》を|叩《たた》くといふ|不敵《ふてき》の|悪僧《あくそう》だ。どうだ|二人《ふたり》してバラしてやらうぢやないか』
『エン、こんな|悪僧《あくそう》をバラすぐらゐは|箒《はうき》で|蝶《てふ》を|押《お》さへるよりも|容易《たやす》い|事《こと》だ。お|前《まへ》は|其処《そこ》へ|立《た》つて|見《み》てをれ、|俺《おれ》が|荒料理《あられうり》してやる。もうかうなりや|破《やぶ》れかぶれぢや、ヤイ|売僧坊主《まいすばうず》、きりきり|懐中物《くわいちうもの》をすつかり|渡《わた》せ、|【四】《し》の|【五】《ご》の|言《い》ふと|【六】《ろく》な|事《こと》は|出来《でき》ないぞ。|【七】転【八】倒《しちてんはつたう》|【九】《く》るしみもがいて|【十】《じふ》(|渋《じゆ》)|面《めん》つくつてももはや|【百】年目《ひやくねんめ》だ、なにほど|迷惑【千】万《めいわくせんばん》な|顔《かほ》をしても|此《こ》の|儘《まま》にして【をく】(|億《おく》)といふわけにや|行《ゆ》かぬ。サア|懐中物《くわいちうもの》を|残《のこ》らず【ちよう】(|兆《てう》)|戴《だい》せうかい』
|玄《げん》『アハハハハ。おい|小盗人野郎《こぬすとやらう》、|俺《おれ》をどなたと|心得《こころえ》てをる。オーラ|山《さん》において|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|擁《よう》し、|泥棒《どろばう》の|大頭目《だいとうもく》としてその|名《な》も|高《たか》き|玄真坊《げんしんばう》だぞ。|名《な》を|聞《き》いてさへ|驚《おどろ》くシーゴー、ヨリコ|姫《ひめ》は|俺《おれ》の|部下《ぶか》だ、|見事《みんごと》お|前等《まへら》の|細腕《ほそうで》で|盗《と》れるなら|取《と》つて|見《み》よ。ある|時《とき》は|泥棒《どろばう》となり、ある|時《とき》は|救世主《きうせいしゆ》となり、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|活動《くわつどう》をいたす|天真坊《てんしんばう》だ。|素《もと》より|天眼通《てんがんつう》なんか|分《わか》つて|堪《たま》らうかい』
コ『ヤアそいつは|一寸《ちよつと》|気《き》が|利《き》いてをる、ヤ|大《おほ》いに|分《わか》つてをる、そんなら|追撃《つゐげき》は|一段落《いちだんらく》をつけて、|改《あらた》めて|玄真坊《げんしんばう》|頭目《とうもく》の|片腕《かたうで》とならうぢやないか、のうコオロ、お|前《まへ》だつて|泥棒《どろばう》より|外《ほか》にする|所作《しよさ》がないのだから、よもや|不足《ふそく》はあるまい』
コオ『|何分《なにぶん》|兄貴《あにき》、|宜《よろ》しう|頼《たの》むわ、|玄真坊《げんしんばう》|頭目《とうもく》の|前《まへ》、お|取《と》りなしを|願《ねが》ひます』
|玄《げん》『アハハハハ、|面白《おもしろ》からう、|併《しか》しながらここ|暫《しばら》くは|猫《ねこ》を|被《かぶ》つて|天帝《てんてい》の|化身《けしん》で|澄《す》まし|込《こ》んでゐなくては|仕事《しごと》が|出来《でき》ないからのう。ダリヤ|姫《ひめ》をどうしても|吾《わ》が|手《て》に|入《い》れなくては|肝腎《かんじん》の|仕事《しごと》が|出来《でき》ない。|彼奴《あいつ》はスガの|港《みなと》の|富豪《ふうがう》の|娘《むすめ》だから|甘《うま》く|彼奴《あいつ》をひつつかまへ、ウンと|言《い》はしたが|最後《さいご》、|一躍《いちやく》して|長者《ちやうじや》の|主人《しゆじん》だ。さうなりや|貴様等《きさまら》は|一《いち》の|番頭《ばんとう》|二《に》の|番頭《ばんとう》に|抜擢《ばつてき》してやらう。アアいう|富豪《ふうがう》のレツテルを|被《かぶ》つて|泥棒《どろばう》をしてをりや|滅多《めつた》に|足《あし》のつく|事《こと》はないからのう』
コ『|成《な》るほど、お|説《せつ》ご|尤《もつと》も、|如何《いか》にも|左様候《さやうさふら》へ、|名案《めいあん》|名案《めいあん》』
|玄真坊《げんしんばう》は|両手《りやうて》を|振《ふ》り|握《にぎ》り|拳《こぶし》で|胸板《むないた》を|交《かは》る|交《がは》る|打《う》ちたたき|雄猛《をたけ》びしだした。
『アハハハハツハアハハハハ |幼少《えうせう》の|時《とき》からこの|俺《おれ》は
どてらい|事《こと》が|大好《だいす》きで |何《なに》か|大《おほ》きな|芝居《しばゐ》をば
|打《う》つてやらうと|朝夕《あさゆふ》に |思《おも》ひ|込《こ》んだがやみつきで
ヨリコの|姫《ひめ》をちよろまかし オーラの|山《やま》に|三年《みとせ》ぶり
|岩窟《いはや》を|構《かま》へていろいろの |手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らし|三千《さんぜん》の
|部下《ぶか》を|集《あつ》めて|月《つき》の|国《くに》 |七千余国《しちせんよこく》を|己《おの》が|手《て》に
|掌握《しやうあく》せむと|企《たく》らみし その|魂胆《こんたん》も|水《みづ》の|泡《あわ》
|三五教《あななひけう》の|梅公《うめこう》に |肝腎要《かんじんかなめ》の|牙城《がじやう》をば
|荒《あら》され|今《いま》は|是非《ぜひ》もなく |第二《だいに》の|策戦《さくせん》|計劃《けいくわく》を
|遂行《すゐかう》せむとハルの|湖《うみ》 |浪《なみ》|押《お》しわけて|打《う》ち|渡《わた》り
スガの|港《みなと》の|富豪《ふうがう》が |娘《むすめ》のダリヤに|目《め》をかけて
|一旗《ひとはた》|挙《あ》げむ|吾《わ》が|企《たく》み |色《いろ》と|恋《こひ》との|二道《ふたみち》を
かけたる|俺《おれ》の|目算《もくさん》は |肝腎要《かんじんかなめ》の|処《とこ》になり
どうやら|画餅《ぐわへい》となりさうだ とは|言《い》ふものの|人間《にんげん》は
|七転八起《しちてんはつき》といふぢやないか |一度《いちど》や|二度《にど》や|三度《さんど》|四度《よど》
|失敗《しつぱい》したとて|構《かま》はない あくまで|初心《しよしん》を|貫徹《くわんてつ》し
|行《ゆ》く|処《とこ》まではやつてみる それが|男子《だんし》の|本領《ほんりやう》だ
コブライ コオロの|両人《りやうにん》よ |天下無双《てんかむそう》の|英雄《えいゆう》は
|玄真坊《げんしんばう》より|他《ほか》にない |世《よ》の|諺《ことわざ》に|言《い》ふ|通《とほ》り
|勇将《ゆうしやう》の|下《もと》に|弱卒《じやくそつ》は |決《けつ》して|無《な》いのはあたりまへ
お|前《まへ》はこれから|強卒《きやうそつ》と なつて|一肌《ひとはだ》|脱《ぬ》いでくれ
|俺《おれ》の|天下《てんか》になつたなら |貴様《きさま》の|要求《えうきう》は|何《なん》なりと
|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|聞《き》いてやろ わが|成功《せいこう》の|暁《あかつき》を
|指折《ゆびを》り|数《かぞ》へ|楽《たの》しんで |涎《よだれ》を|手繰《たぐ》つて|待《ま》つがよい
アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや |人《ひと》は|心《こころ》の|持《も》ちやうだ
なにほど|失敗《しつぱい》したとても |心《こころ》の|土台《どだい》が|確《しつか》りと
|据《すわ》つてをれば|構《かま》はない ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる エヘヘヘヘツヘエヘヘヘヘ
|愉快《ゆくわい》の|事《こと》になつて|来《き》た |既《すで》に|天下《てんか》を|取《と》つたよな
|何《なん》とはなしに|心持《こころも》ち ダリヤとバルギーが|出《で》て|来《き》たら
|此度《こんど》はぬからず|引《ひ》つ|捕《とら》へ ウンと|言《い》はしてくりよ|程《ほど》に
バルギーの|奴《やつ》は|懲戒《みせしめ》に |手足《てあし》も|指《ゆび》もバラバラに
バラしてしまはにや|後《のち》のため |吾《わ》が|目的《もくてき》の|邪魔《じやま》になる
そこをぬかるな|合点《がつてん》か エヘヘヘヘツヘ|面白《おもしろ》い
いよいよ|面白《おもしろ》なつて|来《き》た』
なぞと、|元気《げんき》よく|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》いてゐる。そこへバルギーは|村人《むらびと》に|腰骨《こしぼね》を|叩《たた》かれた|痛《いた》さに|竹杖《たけづゑ》をつきながら、ヒヨロリヒヨロリとやつて|来《き》た。|玄真坊《げんしんばう》は|大喝《だいかつ》|一声《いつせい》、
『コリヤ|泥棒《どろぼう》|奴《め》、ダリヤ|姫《ひめ》をどういたした。|早《はや》く|白状《はくじやう》いたさぬと|貴様《きさま》の|命《いのち》がないぞよ』
バル『ヤアこれは|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》、ようまあお|迎《むか》ひに|来《き》て|下《くだ》さいました。ダリヤ|姫《ひめ》ですかい、|彼奴《あいつ》はさつぱりです。|私《わたし》ももう|締《あきら》めました、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
|玄《げん》『こりや、バルギー、|何《なに》を|言《い》つてをるのだ。|俺《おれ》の|女房《にようばう》を|連《つ》れ|出《だ》しやがつて、|何処《どこ》へ|匿《かく》したのだ。さあすつぱりと|白状《はくじやう》せい』
『|俺《おれ》は|又《また》、|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》に|女房《にようばう》があるとは|知《し》らないものだから、ダリヤ|姫《ひめ》に|頼《たの》まれて【スガ】の|港《みなと》に|送《おく》るべく|途中《とちう》までやつて|来《き》たところ、|神谷村《かみたにむら》の|村端《むらはづれ》まで|出《で》て|来《く》ると、|白《しろ》い|煙《けむり》となつて|天《てん》へ|上《のぼ》つてしまひ、|何《なに》ほど|喚《わめ》いたとて|呼《よ》んだとて、|春風《しゆんぷう》の|梢《こずゑ》を|渡《わた》る|声《こゑ》ばかりだ。|本当《ほんたう》にあのダリヤといふのは|人間《にんげん》ぢやなかつたらしいよ』
『|馬鹿《ばか》|申《まを》せ、|左様《さやう》の|事《こと》を|言《い》つて|何処《どこ》かに|匿《かく》しておいたのだらう、|白状《はくじやう》せないと|貴様《きさま》の|命《いのち》を|取《と》らうか』
『|何《なに》ほど|命《いのち》を|取《と》られても|恩人《おんじん》の|行方《ゆくへ》を|貴様《きさま》らに|知《し》らしてなるものか、|男《をとこ》の|口《くち》から|一旦《いつたん》|言《い》はぬと|言《い》ふたら|舌《した》を|抜《ぬ》かれても|言《い》はないのだ。そんな|安《やす》つぽい|男《をとこ》と|思《おも》つてもらつては、このバルギーさまもいささか|迷惑《めいわく》だ。こりや|売僧坊主《まいすばうず》、それに|不足《ふそく》があるのならどうなりと|勝手《かつて》にしたがよい。こりや|其処《そこ》にゐるのはコオロにコブライぢやないか、まだこんな|売僧《まいす》についてゐるのか、もうよい|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さま》せ』
コブ『|俺《おれ》も|売僧《まいす》だ|売僧《まいす》だと|思《おも》つたが、|今《いま》|聞《き》いて|見《み》れば|大変《たいへん》な|抱負《はうふ》をもつた|偉丈夫《ゐぢやうぶ》だから、いま|親分《おやぶん》|乾児《こぶん》の|約束《やくそく》をしたのだ。もうこの|上《うへ》|親分《おやぶん》に|毒《どく》づいて|見《み》よ、|命令一下《めいれいいつか》、|貴様《きさま》の|命《いのち》は|貰《もら》うてやるぞ』
バル『ハハハハハ、|猪口才千万《ちよこざいせんばん》な、サアかかるならかかつて|見《み》よれ。|俺《おれ》はかうして|腰骨《こしぼね》を|打《う》つて|杖《つゑ》に|縋《すが》つて|居《ゐ》るものの、|貴様等《きさまら》の|三匹《さんびき》や|五匹《ごひき》は|物《もの》の|数《かず》でもない。さあどうなりと|為《し》たがよいワ。|首《くび》から|斬《き》るか|腕《うで》から|斬《き》るか、さあ|何処《どこ》からなつと|斬《き》つて|見《み》よ』
と|体《からだ》|一面《いちめん》|竜《りう》の|刺青《ほりもの》をした|肌《はだ》を|脱《ぬ》ぎ|叢《くさむら》の|上《うへ》にどつかと|坐《ざ》し、|三人《さんにん》の|面《つら》を|瞬《またた》きもせず|睨《ね》めつけてゐる。
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 加藤明子録)
第七章 |夢《ゆめ》の|道《みち》〔一七九六〕
|空《そら》|一面《いちめん》に|漲《みなぎ》つた|灰色《はひいろ》の|雲《くも》は|所々《ところどころ》|綻《ほころ》びて|落《お》ちさうな|紅《あか》い|雲《くも》が、|所斑《ところまんだら》|覗《のぞ》いてゐる。|山下《さんか》の|破《やぶ》れ|寺《でら》の|軒《のき》には|槻《けやき》の|大木《たいぼく》が|凩《こがらし》に|吹《ふ》かれて、|一枚一枚《いちまいいちまい》|羽衣《はごろも》を|剥《は》がれ|慄《ふる》うてゐる。|白黒斑《しろくろまだら》の|烏《からす》が|二三羽《にさんば》、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》さうなダミ|声《ごゑ》でガアガアとほえてゐる。|赤茶気《あかちやつけ》になつた|瓦《かはら》や|壁《かべ》の|落《お》ちた|高《たか》い|塔《たふ》が、あたりの|全景《ぜんけい》を|独占《どくせん》してゐる。|諸行無常《しよぎやうむじやう》を|告《つ》ぐる|梵鐘《ぼんしよう》の|声《こゑ》は、この|寺《てら》からとも|見《み》えず|遠《とほ》く|遠《とほ》く|響《ひび》いてゐる。|霜柱《しもばしら》の|立《た》つた|半《なか》ば|朽《く》ちたる|木造《きづく》りの|土橋《どばし》をトボトボ|渡《わた》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|青竹《あをだけ》の|杖《つゑ》をつきながら、|腰《こし》を|屈《かが》めて「|頼《たの》も|頼《たの》も」と|力《ちから》なげに|呼《よ》ばはつてゐる。|破《やぶ》れ|障子《しやうじ》をサラリと|引《ひ》きあけ、ニユツと|面《かほ》を|出《だ》したのは、|形相《ぎやうさう》の|凄《すさま》じい|尼僧《にそう》であつた。|尼僧《にそう》は|汚《きた》なさうに|面《つら》をしかめながら、
|尼《あま》『お|前《まへ》は|何処《どこ》の|者《もの》だい、|何用《なによう》あつて|此処《ここ》へふん|迷《まよ》うて|来《き》たのだ。お|前《まへ》さまの|来《く》る|処《ところ》ぢやない、とつとと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい』
|男《をとこ》『|私《わたし》はバルギーと|申《まを》しまして、チツとばかり|名《な》の|知《し》られた|男《をとこ》です。お|尋《たづ》ねしたい|者《もの》があつて|此処《ここ》までやつて|参《まゐ》りました。|玄真坊《げんしんばう》といふ|和尚《おしやう》は|此《こ》の|寺《てら》に|参《まゐ》つてをりませぬか』
『そんな|方《かた》は|知《し》りませぬよ。とつとと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまは|此処《ここ》を|何処《どこ》だと|思《おも》つてゐるか、|尼《あま》ばかりの|住《す》んでゐるお|寺《てら》で、|男禁制《をとこきんせい》の|場処《ばしよ》だ。「|男子《だんし》|不可入《いるべからず》」と|立札《たてふだ》が|立《た》つてゐるのに|気《き》が|付《つ》かないのかい』
『アア|左様《さやう》でございましたか、つい、|日《ひ》の|暮《くれ》まぐれに|慌《あわ》てたものですから、つい|見当《みあた》りませず|失礼《しつれい》な|事《こと》を|致《いた》しました。|然《しか》しながらかやうに|日《ひ》は|暮《く》れはて、あたりに|人家《じんか》はなし、|男禁制《をとこきんせい》かは|存《ぞん》じませぬが、どうかお|庭《には》の|隅《すみ》でも|宜《よろ》しいから、|一夜《いちや》の|宿《やど》を|願《ねが》ひたいものでございます』
『|絶対《ぜつたい》になりませぬ。|男子《だんし》にものを|言《い》つてさへも|仏《ほとけ》の|冥罰《めいばつ》を|被《かうむ》りますから、お|前《まへ》さまの|目《め》には|何《ど》う|見《み》えるか|知《し》らぬが、ここは|極楽《ごくらく》の|浄土寺《じやうどじ》といふ|立派《りつぱ》なお|寺《てら》でございますよ、サアサア|早《はや》くお|皈《かへ》りなさいませ』
と|言《い》ひながら、ピシヤリと|破《やぶ》れ|障子《しやうじ》をしめ、プンプンとして|姿《すがた》を|隠《かく》した。バルギーはまたもや|橋《はし》を|渡《わた》り、|力《ちから》なげに|何処《どこ》を|当《あて》ともなく、ヒヨロリヒヨロリと|歩《あゆ》んでゆく。|半時《はんとき》ばかり|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》んだと|思《おも》ふ|時《とき》、|後《うし》ろの|方《はう》から「オーイオーイ」と|皺枯声《しわがれごゑ》を|張上《はりあ》げながら、|髪《かみ》をサンバラに|振《ふ》り|乱《みだ》し、|八十《はちじふ》ばかりの|黒《くろ》い|面《かほ》した|婆《ばば》アが|飛《と》んで|来《く》る。バルギーはツと|立止《たちどま》り、|怪訝《けげん》な|面《つら》をしながら、
『|私《わし》を|呼《よ》んだのはお|前《まへ》さまかな、|何用《なによう》あつて|呼《よ》び|止《と》められたか』
|婆《ばば》『|私《わし》はあの|薮《やぶ》の|畔《くろ》に、グレ|宿《やど》をしてゐるお|熊《くま》といふ|婆《ばば》アだ。どうか|今晩《こんばん》は|私《わし》の|所《ところ》へ|来《き》て|泊《とま》つて|下《くだ》さるわけにはゆこまいかな』
バル『ヤアそいつア|有難《ありがた》い、しかしお|婆《ばあ》さま、|小《ちひ》さいといつても|宿屋《やどや》をしてる|以上《いじやう》は、|二間《ふたま》や|三間《みま》はあるのだらうな』
『|御心配《ごしんぱい》なさるな、|小《ちひ》さいといつても|木賃《もくちん》ホテルだ。お|前《まへ》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は、どこの|隅《すみ》でも|泊《と》めて|上《あ》げる』
『|宿賃《やどちん》は|幾《いく》らだな』
『|幾《いく》らでも|可《い》いから、お|前《まへ》のやらうと|思《おも》ふだけ|下《くだ》され、|別《べつ》に|慾《よく》なこた|言《い》はないからな』
『ヤア、そんなら、|宿屋《やどや》がなくて|困《こま》つてたところだ、|泊《と》めて|頂《いただ》かう』
と|婆《ばば》アの|後《うし》ろについて、|雑草《ざつさう》|茂《しげ》るシクシク|原《ばら》を|四五丁《しごちやう》ばかり|従《つ》いて|行《ゆ》くと、|家《いへ》のぐるりには|牛馬《ぎうば》の|糞《ふん》が|堆《うづたか》く|積《つ》み|上《あ》げられ、|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》として|鼻《はな》をついて|来《く》る。
バル『|婆《ばあ》さま、どうも|臭《くさ》い|家《いへ》だな。|牛馬《ぎうば》もゐないのに、なぜこのやうに|沢山《たくさん》|牛糞《うしぐそ》や|馬糞《うまぐそ》がたまつてゐるのだい』
|婆《ばば》『|毎日《まいにち》|泊《とま》らつしやるお|客《きやく》さまが、|牛糞《うしぐそ》や|馬糞《うまぐそ》をドツサリたれて|帰《かへ》るものだから、これこの|通《とほ》り……|塵《ちり》も|積《つも》れば|山《やま》となるといつて、|糞《くそ》の|山《やま》が|出来《でき》たのだよ』
『フフン、こいつア|妙《めう》だ、|人間《にんげん》が|牛《うし》グソをたれ|馬糞《うまぐそ》をたれるとは|聞《き》き|初《はじ》めだ。そんな|人間《にんげん》の|面《つら》が|見《み》たいものだなア』
『|今《いま》の|人間《にんげん》はみんな|獣《けだもの》だよ、それだから|狐《きつね》グソもたれる、|馬糞《うまぐそ》もたれる、|狸《たぬき》のタメ|糞《ぐそ》も|裏《うら》の|方《はう》に|沢山《たくさん》|放《ひ》りたれてあるから、|何《なん》なら|御案内《ごあんない》せうかな』
『イヤお|婆《ばば》さま、モウ|結構《けつこう》です。とにかく|雨露《あめつゆ》さへ|凌《しの》がして|頂《いただ》けば|結構《けつこう》だから、どうか|門《かど》の|戸《と》をあけて|下《くだ》さいな』
『ヨシヨシあけて|上《あ》げやう、ビツクリをしなさるなや』
と|破《やぶ》れ|戸《ど》をガタつかせ、パツと|開《あ》けた。|見《み》れば|牛頭馬頭《ごづめづ》の|妖怪《えうくわい》が|何十《なんじふ》とも|知《し》れず、|庭《には》|一面《いちめん》に|荒蓆《あらむしろ》を|敷《し》き、|胡座《あぐら》をかき、|人間《にんげん》の|太腿《ふともも》や|腕《かひな》の|血《ち》のたれる|奴《やつ》を|甘《うま》さうに|齧《かじ》つてゐる。こいつアたまらぬと、バルギーは|逃《に》げ|出《だ》さうとすると、お|熊《くま》は|俄《には》かに|真黒《まつくろ》けの|大熊《おほくま》となり、|黒《くろ》い|太《ふと》い|爪《つめ》でバルギーの|頭《あたま》をグツと|握《にぎ》り、
『コリヤコリヤ|泥棒《どろばう》、|逃《に》げやうと|言《い》つたつて、いつかないつかな、|逃《に》がしはせぬぞ。|汝《きさま》も|味《あぢ》の|悪《わる》いやせつぽしだけれど、まだチツとばかり|血《ち》が|通《かよ》うてゐるやうだから、ここで|一《ひと》つ|荒料理《あられうり》をして|食《く》つてやろ。あの|通《とほ》り|沢山《たくさん》なお|客《きやく》さまが|泊《とま》つてござるけれど、まだ|一人前《いちにんまへ》|足《た》らぬので、あれあの|通《とほ》り、|大《おほ》きな|口《くち》をパクつかせて|待《ま》つてゐらつしやる、|汝《きさま》がよい|餌食《ゑじき》だ、イヒヒヒヒ、|何《なん》とマア、バカ|野郎《やらう》だな、|尼寺《あまでら》では|突《つ》き|出《だ》され、|木賃宿《もくちんやど》へ|泊《とま》つたと|思《おも》へば|体《からだ》を|食《く》はれる、|何《なん》といふお|前《まへ》は|頓馬《とんま》だらう、|憐《あは》れな|代物《しろもの》だらう。|然《しか》しながらここにゐる、|牛頭馬頭《ごづめづ》のお|客《きやく》さまは|何《いづ》れも|汝《きさま》に|金《かね》と|命《いのち》を|奪《と》られ、|畜生道《ちくしやうだう》へおち|込《こ》んで、|行《ゆ》く|所《ところ》へも|行《ゆ》けず|飢渇《きかつ》に|迫《せま》り、この|木賃宿《もくちんやど》で|虱《しらみ》だらけになつて|逗留《とうりゆう》してござるのだ。かうなるも|皆《みな》|汝《きさま》が|作《つく》つた|罪業《ざいごふ》の|報《むく》いだから、|誰《たれ》に|不足《ふそく》はあらうまい』
バル『モシモシお|熊《くま》さま、そんな|殺生《せつしやう》なことを|言《い》はずに、どうぞ|見逃《みのが》して|下《くだ》さいな。|一生《いつしやう》のお|願《ねが》ひですから、キツと|御恩《ごおん》は|酬《むく》いますから』
|熊《くま》『バカを|言《い》ふない、|泥棒《どろばう》をするやうな|奴《やつ》に、そんな|徳義心《とくぎしん》があつてたまらうかい。お|前《まへ》はスガの|里《さと》のダリヤ|姫《ひめ》に|恋慕《れんぼ》の|心《こころ》を|起《おこ》した|揚句《あげく》、|彼《かれ》が|歓心《くわんしん》を|得《え》むとして、|杢兵衛《もくべゑ》の|家《うち》へ|泥棒《どろばう》に|入《い》り|込《こ》み、|家内中《かないぢう》をふん|縛《じば》り、|有金《ありがね》を|残《のこ》らずひつ|攫《さら》へ、|門口《かどぐち》の|深井戸《ふかゐど》へ|落《お》ち|込《こ》み、|袋叩《ふくろだた》きに|会《あ》うて|追放《つゐはう》された|代物《しろもの》だらうがな。そんな|奴《やつ》は|万古末代《まんごまつだい》|助《たす》けるわけにはゆかぬのだ。この|婆《ばば》がそんな|事《こと》をせうものなら、|悪魔《あくま》の|大王様《だいわうさま》よりヒドいお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》せなくちやならないのだ』
『いかにも、せぬとは|申《まを》しませぬ、|泥棒《どろばう》に|入《はい》りました。しかしながら|盗《と》つた|物《もの》はすつかり|返《かへ》したのですから、|返《かへ》した|後《あと》まで|罰《ばつ》せられちや|耐《たま》りませぬワ、|返《かへ》せば|元々《もともと》ぢやありませぬか』
『この|問題《もんだい》は|問題《もんだい》として、|汝《きさま》はこれまでずゐぶん|沢山《たくさん》な|女《をんな》を|強姦《がうかん》し、|人《ひと》を|殺《ころ》し、|金《かね》を|盗《と》つたであらうがな、あの|牛頭馬頭《ごづめづ》のお|客《きやく》さまをみよ、みな|覚《おぼ》えがあらうがな。ここは|汝《きさま》の|作《つく》つた|地獄《ぢごく》だから|観念《くわんねん》したが|可《よ》からうぞや』
|牛《うし》のやうな|角《つの》を|生《は》やした|真黒《まつくろ》けの|毛《け》だらけの|男《をとこ》、のそりのそりと、お|熊《くま》、バルギーの|前《まへ》ににじり|来《き》たり、カラ カラ カラと|大口《おほぐち》をあけて|打《う》ち|笑《わら》ひ、
|男《をとこ》『コーリヤ、バルギー、|俺《おれ》の|面《つら》を|見知《みし》つてゐるか、ヨモヤ|忘《わす》れは|致《いた》そまいがな。|二十三夜《にじふさんや》の|月待《つきまち》の|夜《よ》、|俺《おれ》の|大事《だいじ》の|娘《むすめ》を|二三人《にさんにん》の|小盗人《こぬすと》と|共《とも》に|奪《うば》ひ|取《と》りにふん|込《こ》んだ|矢先《やさき》へ、|俺《おれ》は|娘《むすめ》を|渡《わた》さじと|力《ちから》かぎり|抵抗《ていかう》したら、|汝《きさま》は|牛刀《ぎうたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて、|俺《おれ》の|腹《はら》をグサツとつき、|苦《くる》しむ|俺《おれ》を|尻目《しりめ》にかけ、|悪口《あくこう》を|叩《たた》いて|帰《かへ》つた|事《こと》があらうがな。サ、よい|所《ところ》へ|来《き》た。これから|俺《おれ》がその|恨《うら》みをはらすために|嬲《なぶ》り|殺《ごろ》しにした|上《うへ》、|肉《にく》も|骨《ほね》も|叩《たた》いて、この|牛腹《ぎうふく》に|葬《はうむ》つてやるつもりだ。|俺《おれ》も|折角《せつかく》|人間《にんげん》と|生《うま》れて、|汝《きさま》のために|命《いのち》を|奪《と》られ、その|怨恨《ゑんこん》が|重《かさ》なつて、|牛頭《ごづ》の|魔王《まわう》とまで|成《な》り|下《さが》つたのだ、|修羅《しゆら》の|妄執《まうしふ》をはらすのは|今《いま》この|時《とき》だ。イヤイヤ|俺《おれ》ばかりでない、|此処《ここ》にゐる|連中《れんぢう》は、どれもこれも|汝《きさま》の|毒手《どくしゆ》にかかつた|憐《あは》れな|人間《にんげん》の|成《な》れの|果《はて》ばかりだ。ジタバタしても、モウ|逃《のが》れつこはないぞ、|念仏《ねんぶつ》でも|唱《とな》へて|覚悟《かくご》をしたが|可《よ》からう。てもさても|小気味《こぎみ》のよい|事《こと》だな、アハハハハ』
と|一同《いちどう》の|牛頭馬頭《ごづめづ》の|怪物《くわいぶつ》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、|天地《てんち》もわれむばかりに|鯨波《とき》の|声《こゑ》をあげた。
バルギーは|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まり、|一生懸命《いつしやうけんめい》にダリヤ|姫《ひめ》から|聞覚《ききおぼ》えた|三五教《あななひけう》の|数歌《かずうた》を、|細《ほそ》いかすつた|声《こゑ》を|絞《しぼ》つて、「|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》」と、やつとの|事《こと》で|唱《とな》へ|上《あ》げた。|牛頭馬頭《ごづめづ》およびお|熊《くま》など、|一同《いちどう》の|妖怪《えうくわい》は|次第々々《しだいしだい》に|影《かげ》うすくなり、|遂《つひ》には|跡形《あとかた》もなく|消《き》え|失《う》せた。あたりをみれば、|枯草《かれくさ》|生《は》え|茂《しげ》る|細路《ほそみち》の|傍《かたへ》に|自分《じぶん》は|着衣《ちやくい》を|泥《どろ》まぶれにして|倒《たふ》れてゐた。バルギーはやうやくにして|立上《たちあ》がり、
『ヤーア、|大変《たいへん》な|夢《ゆめ》を|見《み》たものだ、コラ|一体《いつたい》|何処《どこ》だらう。|暗《くら》さは|暗《くら》し、|斯様《かやう》なシクシク|原《ばら》にねるわけにもゆかず、|道《みち》|通《とほ》る|者《もの》はなし、|困《こま》つたものだな。エー|仕方《しかた》がない、コンパスの|続《つづ》く|所《とこ》まで|行《い》つてみやう。|又《また》|此《こ》のやうな|所《ところ》に|横《よこ》たはつてゐて、あんな|恐《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》ては|仕方《しかた》がない』
と|呟《つぶや》きながら、|屠所《としよ》に|曳《ひ》かるる|羊《ひつじ》のごとくヨボヨボとコンパスの|運転《うんてん》を|始《はじ》めかけた。|道《みち》の|傍《かたへ》に|以前《いぜん》|古寺《ふるでら》で|出会《であ》つた|尼僧《にそう》がただ|一人《ひとり》、|青黒《あをぐろ》い|面《つら》をニユツと|枯草《かれくさ》の|中《なか》から|現《あら》はしながら、
『モシモシ』
と|呼《よ》んでゐる。バルギーはギヨツとしながら、
『ヤア、お|前《まへ》さまは|最前《さいぜん》お|目《め》にかかつた|尼僧《にそう》ぢやないか、こんな|所《ところ》に|何《なに》して|御座《ござ》るのだい』
|尼《あま》『|私《わたし》ですかいな、|貴下《あなた》よく|御存《ごぞん》じでせう、ダリヤ|姫《ひめ》でございますよ』
バル『ヘーン、|馬鹿《ばか》にしなさんな、ダリヤさまはそんな|青黒《あをぐろ》いしなびたお|面《かほ》ぢやありませぬわ。お|前《まへ》さまは|大方《おほかた》|豆狸《まめだぬき》だらう、|最前《さいぜん》の|尼僧《にそう》に|化《ば》けてゐるのだらう』
『イエイエ、|決《けつ》して|決《けつ》して、|私《わたし》は|豆狸《まめだぬき》でも|何《なん》でもございませぬ。タニグク|谷《だに》の|泥棒《どろばう》の|岩窟《がんくつ》に|玄真坊《げんしんばう》がためにおびき|出《だ》され、その|急場《きふば》を|遁《のが》れむと|鬼心《おにごころ》を|出《だ》して、|自分《じぶん》の|美貌《びばう》を|楯《たて》に、お|前《まへ》さまに|惚《ほ》れたと|見《み》せかけ、|吾《わ》が|家《や》まで|送《おく》らさうとした|悪念《あくねん》の|強《つよ》い、|私《わたし》は|副守《ふくしゆ》の|霊《れい》でございます。どうぞ|一言《ひとこと》|許《ゆる》してやると|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。さうでないと|私《わたし》は|浮《う》かばれませぬから、|神様《かみさま》の|世界《せかい》はチツとの|不公平《ふこうへい》もございませぬ。あなたを|欺《あざむ》いただけの|罪《つみ》はどうしても|償《つぐな》はねばなりませぬので、かやうな|所《ところ》にウロついてをりまする』
『いかにも、よくよく|見《み》ればどつか|似《に》た|所《ところ》があるやうだ。ヤ、|私《わたし》も|貴女《あなた》に|対《たい》しては|実《じつ》に|済《す》まない|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|申《まを》しました。|然《しか》しながら|許《ゆる》すも|赦《ゆる》さぬもありませぬ、どうぞ|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ』
『|妾《わらは》は|貴下《あなた》をウマウマと|騙《だま》した|上《うへ》、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|罪《つみ》の|身《み》を|有《も》ちながら、あなたに|御意見《ごいけん》を|申《まを》すつもりで|神様《かみさま》の|宿《やど》りたまふお|頭《つむり》を|三《みつ》つばかり|叩《たた》いたでございませう。その|罪《つみ》で|頭《あたま》はこの|通《とほ》り|禿《はげ》テコとなり、かやうな|所《ところ》にウロついてゐるのでございます。|頭《あたま》を|打《う》つべき|資格《しかく》なくして|頭《あたま》を|打《う》つたのが|大変《たいへん》な|罪《つみ》となつたのでございます』
『|何《なん》とマア、|神様《かみさま》の|規則《きそく》といふものは|難《むつ》しいものですな。そんなら|畏《おそ》れながら、|私《わたくし》に|加《くは》へた|無礼《ぶれい》の|罪《つみ》を、|更《あらた》めて|赦《ゆる》しませう』
『ハイ|有難《ありがた》うございます。どうぞ|貴下《あなた》のお|手《て》でこの|扇子《せんす》をもつて|私《わたし》の|頭《あたま》を|三《み》つ|打《う》つて|下《くだ》さい』
『ヤア、これはこれは|御均等《ごきんとう》さまに、|左様《さやう》ならば|仰《おほ》せに|従《したが》ひ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
といひながら、|軽《かる》くポンポンポンと|扇子《せんす》の|胸《むね》で|三度《さんど》|打《う》つた。これつきり|尼僧《にそう》の|姿《すがた》はパツと|煙《けむり》のごとく|消《き》えてしまつた。「オーイオーイ」と|向方《むかふ》の|山《やま》の|端《は》から|吾《わ》が|名《な》を|呼《よ》びとめる|者《もの》がある。その|声《こゑ》に|何《なん》となく|聞覚《ききおぼ》えがあるので、バルギーは|引《ひ》きずらるる|如《ごと》き|心地《ここち》しながら、|声《こゑ》する|方《はう》に|何時《いつ》とはなしに|進《すす》んで|行《い》つた。|忽《たちま》ち|天《てん》を|焦《こ》がして|東方《とうはう》より|一大火光《いちだいくわくわう》が|現《あら》はれ、バルギーの|面前《めんぜん》に|落下《らくか》し、ドンと|地響《ぢひびき》うつて|爆発《ばくはつ》した|途端《とたん》に|気《き》がつけば、|自分《じぶん》はハル|山峠《やまたうげ》の|麓《ふもと》の|草原《くさばら》に|雁字搦《がんじがら》みに|縛《くく》られて|倒《たふ》れてゐた|事《こと》が|分《わか》つた。バルギーは|縛《いまし》められたまま、|漸《やうや》くにして|身《み》を|起《おこ》し、|草《くさ》の|上《うへ》に|胡座《あぐら》をかき、|空《そら》ゆく|雲《くも》を|眺《なが》めてゐると、そこへスタスタとやつて|来《き》たのは、ダリヤ|姫《ひめ》、|玉清別《たまきよわけ》、および|数人《すうにん》の|村人《むらびと》であつた。
ダリ『オヤ、バルギー|様《さま》、おいとしや、|何者《なにもの》にさう|縛《しば》られたのでございますか、サアサア|皆《みな》さま、|早《はや》く|縛《いまし》めを|解《と》いて|上《あ》げて|下《くだ》さい』
バル『ハイ|有難《ありがた》うございます、|思《おも》はぬ|奴《やつ》と|諍《いさか》ひをやり、|何分《なにぶん》|腰骨《こしぼね》を|打《う》つて|弱《よわ》つてゐたものですから、|脆《もろ》くも|敵《てき》にくくられ、|気《き》を|取失《とりうしな》つてゐたやうです。ようマアー|来《き》て|下《くだ》さいました』
ダリ『バルギーさま、あなたは|本当《ほんたう》に|義《ぎ》の|固《かた》い|方《かた》ですね。|玉清別《たまきよわけ》の|神司《かむづかさ》に|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|降《くだ》らせ|玉《たま》ひ、ハル|山峠《やまたうげ》の|麓《ふもと》において、|玄真坊《げんしんばう》その|他《た》の|者《もの》に|責《せめ》られ、|妾《わらは》の|在所《ざいしよ》を|詰問《きつもん》されながら、|命《いのち》を|的《まと》にお|隠《かく》し|下《くだ》さつたその|義侠心《ぎけふしん》、|神様《かみさま》も|大変《たいへん》おほめ|遊《あそ》ばし、|一時《いちじ》も|早《はや》く|助《たす》けに|行《ゆ》けよとの|御宣示《ごせんじ》、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ずお|助《たす》けに|参《まゐ》りました。どうか|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
バル『イヤ、これはこれは|恐入《おそれい》りまする。|御礼《おんれい》の|申《まを》し|上《あ》げやうもございませぬ。|只《ただ》この|通《とほ》りでございます』
と|落涙《らくるゐ》しながら|合掌《がつしやう》する。
|玉清《たまきよ》『バルギー|様《さま》、あなたの|男気《をとこぎ》には|感心《かんしん》いたしました。どうか|私《わたくし》の|家《うち》へ|引《ひ》き|返《かへ》し、|腰《こし》の|傷《きづ》が|癒《なほ》るまで|御養生《ごやうじやう》なさつたら|如何《どう》ですか、|今《いま》に|駕《かご》が|参《まゐ》りますから』
バル『|私《わたくし》のやうな|悪人《あくにん》をそこまで|思《おも》うて|下《くだ》さいますか、ヤ、モウ|之《これ》かぎり|悪《わる》い|事《こと》はいたしませぬ。|天性《てんせい》の|善人《ぜんにん》に|返《かへ》り、|社会《しやくわい》のためお|道《みち》のために|一生《いつしやう》を|捧《ささ》げる|考《かんが》へでございます。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しうお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
これよりバルギーは|村人《むらびと》に|担《かつ》がれ、ダリヤ|姫《ひめ》と|共《とも》に|玉清別《たまきよわけ》の|神館《かむやかた》に|病《やまひ》を|養《やしな》ひ、ダリヤ|姫《ひめ》の|手厚《てあつ》き|介抱《かいはう》を|受《う》けながら、|一ケ月《いつかげつ》ばかり|逗留《とうりう》する|事《こと》となつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一四・一一・七 旧九・二一 於祥明館 松村真澄録)
第二篇 |迷想痴色《めいさうちしき》
第八章 |無遊怪《むいうくわい》〔一七九七〕
オーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》り、|星下《ほしくだ》しの|芸当《げいたう》を|演《えん》じ、|三千人《さんぜんにん》の|小盗児《せうとる》を|集《あつ》め、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》を|吾《わ》が|手《て》に|握《にぎ》らむと|雲《くも》を|掴《つか》むやうな|泡沫《はうまつ》に|等《ひと》しく、|天《てん》に|輝《かがや》く|星《ほし》を|竿竹《さをだけ》でガラチ|落《お》とすやうな|空想《くうさう》を|描《ゑが》いて、|不格好《ぶかくかう》に|出来《でき》あがつた|鼻《はな》つ|柱《ぱしら》をピコつかせてゐた|玄真坊《げんしんばう》は、|三五教《あななひけう》の|梅公別《うめこうわけ》に|踏《ふ》み|込《こ》まれ、|最愛《さいあい》の|妻《つま》ヨリコには|愛想《あいさう》をつかされ、|兄弟分《きやうだいぶん》と|頼《たの》むシーゴーには|絶交《ぜつかう》され、|折角《せつかく》の|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》もいよいよ|画餅《ぐわへい》に|帰《き》し、わづか|三百《さんびやく》の|悪党輩《あくたうばら》を|引具《ひきぐ》し、|第二《だいに》の|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|遂行《すゐかう》せむと、|閂《かんぬき》の|女《をんな》が|又《また》しても|男《をとこ》を|好《す》くやうに|彼方此方《あちこち》とウロつき|廻《まは》り、|遂《つひ》にはスガの|港《みなと》のダリヤ|姫《ひめ》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かし、|数多《あまた》の|部下《ぶか》に|別《わか》れ、タニグク|山《やま》のシヤカンナが|岩窟《がんくつ》に|天晴《あつぱ》れ|救世主《きうせいしゆ》と|化《ば》けこんで|罷越《まかりこ》し、シヤカンナには|荒肝《あらぎも》を|挫《ひし》がれ、ダリヤには|御丁寧《ごていねい》に|顔《かほ》に|落書《らくがき》までされ、その|上《うへ》|後足《あとあし》で|砂《すな》をふりかけ、ドロンと|消《き》えられた|悔《く》やしさに、シヤカンナの|部下《ぶか》の|応援《おうゑん》を|頼《たの》み、|自分《じぶん》はコブライと|共《とも》に|山坂《やまさか》を|駈《か》けめぐり、|玉清別《たまきよわけ》が|館《やかた》にダリヤ|姫《ひめ》の|忍《しの》びゐる|事《こと》をつきとめ、|執念深《しふねんぶか》くも|姫《ひめ》を|奪取《だつしゆ》せむと|蛇《へび》が|蛙《かはづ》を|狙《ねら》ふやうに、|鎖《とざ》された|門《もん》の|前《まへ》にコブライと|共《とも》に|夜警《やけい》の|役《やく》を|勤《つと》めてゐた。そこへ|玉清別《たまきよわけ》の|伜《せがれ》に|身《み》を|現《げん》じた|神《かみ》の|子《こ》の|言霊《ことたま》に|打《う》ちまくられ、ダリヤ|姫《ひめ》は|既《すで》にすでに|玉清別《たまきよわけ》の|館《やかた》を|逃《に》げ|出《だ》したりと|信《しん》じ、ハル|山峠《やまたうげ》の|麓《ふもと》までやつて|来《き》たが、|同《おな》じシヤカンナの|部下《ぶか》であつたコオロと|出会《でくは》し、バルギーを|叩《たた》き|伸《の》ばし、ここに|三人《さんにん》は|手《て》を|携《たづさ》へて、ダリヤのことは|兎《と》も|角《かく》も|鉢巻《はちまき》|締直《しめなほ》し、|一奮発《ひとふんぱつ》をやつて|天下《てんか》の|耳目《じもく》を|驚《おどろ》かすやうな|大事業《だいじげふ》を|遂行《すゐかう》し、|天晴《あつぱ》れ|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》ともてはやされなば、ダリヤのごとき|美人《びじん》は|求《もと》めずとも|雨《あめ》の|降《ふ》るごとく|寄《よ》つて|来《く》るだらうと|独《ひと》り|合点《がつてん》し、|不細工《ぶさいく》な|目鼻《めはな》を|一所《ひととこ》へ|集中《しふちう》させ、|出歯《でば》をむき|出《だ》し、|禿茶瓶《はげちやびん》から|湯気《ゆげ》を|立《た》ててニタリと|笑《わら》ふたその|御面相《ごめんさう》は、|平素《へいそ》|苦虫《にがむし》をかんだやうな|難《むつ》かしい|男《をとこ》も、|思《おも》はず|吹《ふ》き|出《だ》さずにはをられないやうなスタイルであつた。
|玄真坊《げんしんばう》はコブライ、コオロの|両人《りやうにん》を|後前《あとさき》に|従《したが》へ、ハル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|辿《たど》りつき、|東南《とうなん》の|方《はう》を|瞰下《かんか》すれば、タラハン|城《じやう》は|甍《いらか》|高《たか》く|壁《かべ》|白《しろ》く|夕陽《ゆふひ》に|輝《かがや》いて、|何《なん》ともなく|壮大《さうだい》な|気分《きぶん》が|浮《う》いて|来《き》た。|玄真坊《げんしんばう》は|頂上《ちやうじやう》の|右側《うそく》なる|大岩《おほいは》の|上《うへ》にドツカと|団尻《だんじり》を|卸《おろ》し、|夏《なつ》の|夕《ゆふ》べの|蟇《がま》の|蚊《か》を|吸《す》ふやうな|調子《てうし》で|口《くち》をパクパク|開閉《かいへい》し、|腮《あご》をしやくりながら|独《ひと》り|言《ごと》、
『ヤア|見渡《みわた》すかぎりの|連山《れんざん》は|樹木《じゆもく》|繁茂《はんも》し、|土地《とち》|肥《こ》えたる|原野《げんや》は|際限《さいげん》もなく|展開《てんかい》し、タラハン|城市《じやうし》は|何《なん》となく|殷盛《いんせい》を|極《きは》めたやうな|光景《くわうけい》が|目《め》に|映《うつ》つてゐる。|大丈夫《だいぢやうぶ》たる|者《もの》|当《まさ》に|此《こ》の|世《ち》において|永住《えいぢう》し、|天下《てんか》に|覇《は》をなすべきである。シヤカンナも、かのタラハン|城《じやう》の|左守《さもり》として|時《とき》めいてをつた|奴《やつ》、あれくらゐな|男《をとこ》が|左守《さもり》になれるくらゐなら、|吾《わ》が|法力《はふりき》と|才智《さいち》をもつて|臨《のぞ》めばタラハン|城《じやう》を|吾《わ》が|手《て》に|入《い》れるくらゐは|何《なん》の|手間《てま》ヒマが|要《い》るものか、オオさうぢやさうぢや、これから|一《ひと》つ|頭《あたま》の|改造《かいざう》をなし、|大計画《だいけいくわく》に|取《と》りかかつてやらう。ついては|棟梁《とうりやう》の|臣《しん》がなくては|叶《かな》ふまい、|何《なん》とかして|好《よ》い|家来《けらい》が|持《も》ちたいものだが、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|引《ひ》きつれたこの|玄真坊《げんしんばう》も、|今日《こんにち》のところでは|実《じつ》にみじめなザマだ。|栄枯盛衰《えいこせいすゐ》|常《つね》ならざるが|人生《じんせい》の|経路《けいろ》とはいひながら、|泥棒《どろばう》の|小頭《こがしら》をやつてゐたコブライや|小盗児《せうとる》のコオロ|両人《りやうにん》が|左守《さもり》、|右守《うもり》ではたうてい|駄目《だめ》だ。アア|何《なん》とかして、せめてはシヤカンナの|部下《ぶか》を|糾合《きうがふ》し、またオーラ|山《さん》からひつぱり|出《だ》した|三百《さんびやく》の|部下《ぶか》を|集《あつ》めて、|種々《しゆじゆ》の|訓練《くんれん》を|施《ほどこ》し、|天下《てんか》を|取《と》つてみねば、|自分《じぶん》の|肚《はら》の|虫《むし》が|治《をさ》まらない。ダリヤ|姫《ひめ》も|捨《す》て|難《がた》いが、タラハン|城《じやう》も|捨《す》て|難《がた》い、ナアニ|精神一到《せいしんいつたう》|何事《なにごと》か|成《な》らざらむやだ』
と|岩上《がんじやう》に|突《つ》つ|立上《たちあ》がり、|東南《とうなん》の|空《そら》をハツタと|見下《みおろ》したその|眼光《がんくわう》、どこともなく|物凄《ものすご》く|見《み》えた。コブライはこの|様子《やうす》を|見《み》て、|吹《ふ》き|出《だ》しながら、
『ウツフフフ、もし|玄真坊《げんしんばう》さま、|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|大変《たいへん》な|雄猛《をたけ》びでございますな。まるきり|枯木《かれき》に|花《はな》が|咲《さ》くやうな|御計画《ごけいくわく》のやうに、ちよつと|盗《ぬす》み|聞《ぎ》きをいたしましたが、|一体《いつたい》どんな|御計画《ごけいくわく》ですか、タラハン|城《じやう》なんか|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。あの|城内《じやうない》には|綺羅星《きらぼし》のごとき|名智《めいち》の|勇将《ゆうしやう》が|林《はやし》のごとく|並《なら》んでをりますれば、なにほど|玄真坊《げんしんばう》さまが|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》でも、ちよつと|挺《てこ》には|合《あ》ひますまい。|空想《くうさう》にふけるも|結構《けつこう》だが、ここは|一《ひと》つ|相応《さうおう》の|理《り》といふ|事《こと》をお|考《かんが》へにならないと、|御身《おんみ》の|破滅《はめつ》を|招《まね》くかも|知《し》れませぬよ。|私《わたし》は|忠実《ちうじつ》なる|臣下《しんか》として、あなたの|将来《しやうらい》のために|御忠告《ごちうこく》を|申《まを》し|上《あ》げます』
|玄《げん》『ナアニ、|盗人《ぬすびと》の|分際《ぶんざい》として|英雄《えいゆう》の|心事《しんじ》が|分《わか》るものか、まづ|細工《さいく》は|粒々《りうりう》、|俺《おれ》のする|事《こと》を|見《み》てをれ』
コブ『|盗人《ぬすびと》の|分際《ぶんざい》とおつしやいますが、あなただつて|盗人《ぬすびと》の|親分《おやぶん》ぢやありませぬか。|殊勝《しゆしよう》らしく|数珠《じゆず》を|爪《つま》ぐり、|金剛杖《こんがうづゑ》をつき、|救世主《きうせいしゆ》と|化《ば》けこんでござるが、|心《こころ》の|中《なか》はヤハリ|虎狼《こらう》に|等《ひと》しい|大泥棒《おほどろばう》、かういふと、チツタお|気《き》にさはるか|知《し》りませぬが、あなたの|御面相《ごめんさう》には|凶兆《きようてう》が|現《あら》はれてゐますよ。|匹夫《ひつぷ》の|言《げん》にも|亦《また》|真理《しんり》ありで、|吾々《われわれ》の|言《い》ふ|事《こと》もチツとは|耳《みみ》を|傾《かたむ》けて|聞《き》いてもらひたいものですな』
『ソリヤお|前《まへ》の|言《い》ふ|事《こと》も|聞《き》かねばなろまい、|然《しか》しながら|俺《おれ》だとて|一足飛《いつそくとび》にヒマラヤ|山《さん》の|上《うへ》まで|上《あ》がらうといふのぢやない。これから|順《じゆん》を|逐《お》うて|味方《みかた》を|増《ふ》やし、|力《ちから》を|養《やしな》ひ、|其《そ》の|上《うへ》においていよいよ|実行《じつかう》に|取掛《とりかか》るつもりだ。|何《なん》といつても|三千人《さんぜんにん》の|部下《ぶか》を|統率《とうそつ》して|来《き》た|腕《うで》に|覚《おぼえ》のある|玄真坊《げんしんばう》だからのう』
『なるほど、ソラさうでせう、あなたの|御器量《ごきりやう》はコブライといへども、|毛頭《まうとう》|疑《うたが》ひはいたしませぬ。|然《しか》しながら|何《なに》をやるにも|金《かね》が|先立《さきだ》つぢやありませぬか、その|金《かね》は|何《いづ》れどつかに|隠《かく》してあるのでせうなア』
『ソリヤ|秘《かく》してあるとも。あのタラハン|城《じやう》を|見《み》よ、|町《まち》の|所《ところ》どころに|白《しろ》い|蔵《くら》の|壁《かべ》が|見《み》えるだろ、あれは|残《のこ》らず|俺《おれ》の|財産《ざいさん》がしまひ|込《こ》んであるのだ』
『アハハハなにほど|財産《ざいさん》がしまひこんであつても、|自分《じぶん》が|所有主《しよいうぬし》でない|限《かぎ》り、|公然《こうぜん》とひつぱり|出《だ》して|使《つか》ふわけにはゆきますまい、|如何《どう》なさるお|考《かんが》へですか』
『そこが|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》だ。この|地《ち》の|上《うへ》にありとあらゆる|財産《ざいさん》はみな|神《かみ》の|造《つく》つた|物《もの》、|手段《てだて》をもつて|取《と》り|出《だ》し|使《つか》ふつもりだ』
『あ、さうすると、あなたも|矢張《やつぱ》り、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》の|仮面《かめん》を|脱《ぬ》ぎ、|元《もと》の|泥棒《どろばう》の|親方《おやかた》と|還元《くわんげん》なさる|御計画《ごけいくわく》と|見《み》えますな』
『|千変万化《せんぺんばんくわ》|変現出没《へんげんしゆつぼつ》きはまりなきが、|大英雄《だいえいゆう》の|本領《ほんりやう》だ。キリストも|言《い》つたでないか……|人《ひと》は|神《かみ》と|金《かね》とに|仕《つか》ふること|能《あた》はず……と、|大宗教《だいしうけう》の|法主《ほつす》が|不渡手形《ふわたりてがた》を|発行《はつかう》したり、|貴族院《きぞくゐん》|議員《ぎゐん》が|詐欺広告《さぎくわうこく》をやつて|貧乏人《びんばふにん》の|金《かね》を|絞《しぼ》つたりする|世《よ》の|中《なか》だ。|何《なん》といつても|金《かね》が|元《もと》だ。|汝《きさま》も|俺《おれ》の|目的《もくてき》が|達《たつ》したなれば、キツと|重《おも》く|用《もち》ゐてやる。それまではどんな|事《こと》でも|俺《おれ》のいふ|事《こと》は、|善《ぜん》にまれ|悪《あく》にもあれ|服従《ふくじう》するのだ。|第一《だいいち》お|前《まへ》の|肚《はら》さへ|定《き》まれば、この|玄真坊《げんしんばう》は|神算鬼謀《しんさんきぼう》のあらむ|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|大望《たいまう》を|起《おこ》してみやうと|思《おも》ふのだ』
『なるほど、こいつア|面白《おもしろ》からう。|然《しか》しながら|貴下《あなた》が|天下《てんか》を|取《と》つた|時《とき》や、このコブライは、キツと|左守《さもり》か|右守《うもり》にして|下《くだ》さるでせうなア』
『ウーン、|又《また》その|時《とき》やその|時《とき》の|風《かぜ》が|吹《ふ》くだらう』
『その|時《とき》の|風《かぜ》の|吹《ふ》きやうによつては、どんな|運命《うんめい》に|陥《おちい》れられるかも|知《し》れませぬな。そんな|頼《たよ》りないお|約束《やくそく》は|出来《でき》ませぬワ』
『|今《いま》から|取《と》らぬ|狸《たぬき》の|皮算用《かはざんよう》を|行《や》つてをるよりも、まづ|実行力《じつかうりよく》が|肝腎《かんじん》だ。|実行《じつかう》さへすれば、お|前《まへ》が|嫌《いや》だといつても、|俺《おれ》の|方《はう》から|頼《たの》んで|左守《さもり》になつてもらふワ、|論功行賞《ろんこうかうしやう》は|成功《せいこう》した|後《あと》の|事《こと》だ。サ、これから|一《ひと》つ、|俺《おれ》も|数珠《じゆず》を|投《な》げ|捨《す》て、|金剛杖《こんがうづゑ》をへし|折《を》り、|天晴《あつぱ》れ|泥棒《どろばう》の|張本《ちやうほん》|石川五右衛門《いしかはごうゑもん》の|再来《さいらい》となつて、|大活動《だいくわつどう》をしてみやう』
といひながら、|数珠《じゆず》をズタズタにむしつて、|岩上《がんじやう》にブチつけ、|百八煩悩《ひやくはちぼんなう》にかたどつた、|百《ひやく》と|八《やつ》つの|菩提樹《ぼだいじゆ》の|玉《たま》は|雨霰《あめあられ》と|四方《しはう》に|飛《と》び|散《ち》り、|金剛杖《こんがうづゑ》は|三《みつ》つにへし|折《を》られ、|恨《うら》めしさうな|面《つら》をして|大岩《おほいは》の|麓《ふもと》に|倒《たふ》れてゐる。|玄真坊《げんしんばう》はさすがに|数珠《じゆず》に|幾分《いくぶん》の|執着《しふちやく》が|残《のこ》つたか、|飛《と》びちる|数珠《じゆず》の|玉《たま》を|眺《なが》めながら、
『|南無《なむ》|百八煩悩《ひやくはちぼんなう》|数珠大菩薩《じゆずだいぼさつ》、|南無《なむ》|大救世主《だいきうせいしゆ》|遍照金剛杖如来《へんぜうこんがうつゑによらい》、|南無《なむ》|阿弥陀仏《あみだぶつ》|南無《なむ》|阿弥陀仏《あみだぶつ》』
と|手向《たむ》けの|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|岩上《がんじやう》を|降《くだ》つて、|峠《たうげ》のあまり|広《ひろ》くない|赤土《あかつち》の|道《みち》へ|出《で》た。コオロは|旅《たび》の|疲《つか》れで、コロリと|横《よこ》たはり|雷《らい》のごとき|鼾《いびき》をかいてゐた。|玄真坊《げんしんばう》はこれを|眺《なが》めて、
『オイ、コブライ、コオロといふ|奴《やつ》、|気楽《きらく》な|奴《やつ》ぢやないか、こんな|所《ところ》に|何時《なんどき》|追手《おつて》が|来《く》るかも|知《し》れないのに、|雷《らい》のやうな|鼾《いびき》をかいて|寝《ね》てゐやがる。|一《ひと》つ|揺《ゆ》すり|起《おこ》してみたらどうだ』
コブ『|玄真坊《げんしんばう》さま、このコオロといふ|奴《やつ》、|何《なに》が|何《なん》だか|分《わか》りませぬぜ。ワザとに|狸《たぬき》の|空寝入《そらねい》りをして、|貴下《あなた》と|私《わたし》の|計画《けいくわく》を|残《のこ》らず|聞取《ききと》り、タラハン|城《じやう》へでも|行《い》つた|時《とき》にや、|恐《おそ》れながらと|内通《ないつう》をする|奴《やつ》かも|分《わか》りませぬ。どうも|此奴《こいつ》のそぶりが|変《へん》だと|思《おも》つて、|始終《しじう》|注意《ちうい》を|怠《おこた》らなかつたのですが、こんな|所《ところ》で|鼾《いびき》をかくとはますます|怪《あや》しいぢやありませぬか。|災《わざは》ひを|未然《みぜん》に|防《ふせ》ぐは|智者《ちしや》のなすべきところ、|二葉《ふたば》で|禍根《くわこん》を|刈《か》り|取《と》るが|将来《しやうらい》の|安全策《あんぜんさく》と|心得《こころえ》ます。|斧鉞《ふゑつ》を|用《もち》ゐても|手《て》に|合《あ》はないやうになつてからは、|最早《もはや》いかんともすることが|出来《でき》ますまい』
|玄《げん》『さう|深案《ふかあん》じをするものでない、この|面《つら》で|何《なに》が|出来《でき》るものか、マア|心配《しんぱい》をするな、|俺《おれ》に|任《まか》しておけ』
『ヘーン、さうですかいな、そんなら|私《わたし》の|提案《ていあん》をどうぞこのコオロに|話《はな》さないやうにして|下《くだ》さいや』
『ウンよしよし、いらざる|事《こと》を|喋《しやべ》つて、|同僚間《どうれうかん》に|内訌《ないこう》を|起《おこ》させるやうな|拙劣《へた》な|事《こと》はやらないよ、マ、|安心《あんしん》したが|可《よ》いワ』
コオロは「ウーンー」と|手足《てあし》を|伸《の》ばし、ワザと|三《み》つ|四《よ》つビリビリとふるひ、「アーアー」と|欠伸《あくび》をつづけて|後《のち》、|目《め》をこすり、どん|栗眼《ぐりまなこ》をギロリとむき|出《だ》し、
『アーアーよう|寝《ね》たよう|寝《ね》た、たうとう|華胥《くわしよ》の|国《くに》の|国王殿下《こくわうでんか》になりかけてゐたのに、|惜《を》しい|夢《ゆめ》が|醒《さ》めたものだ。……|命《いのち》にも|替《か》へて|惜《を》しけくあるものは、みはてぬ|夢《ゆめ》のさむるなりけり……だ。ヤ、|玄真坊《げんしんばう》さま、ア、コブライの|哥兄《あにい》、えらい|失礼《しつれい》をしたな』
|玄《げん》『よく|寝《ね》たものだな、しかしお|前《まへ》は|華胥《くわしよ》の|国《くに》の|国王《こくわう》になつた|夢《ゆめ》をみたといふが、そらよい|辻占《つじうら》だ、その|夢《ゆめ》を|俺《おれ》が|買《か》つてやらう』
コオ『ハイ、|有難《ありがた》うございます、しかしながらこんな|夢《ゆめ》を|金銭《きんせん》で|売《う》るわけにはゆきませぬ。|所《ところ》はハル|山峠《やまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》、|常磐堅磐《ときはかきは》の|岩《いは》の|根《ね》で|見《み》た|夢《ゆめ》ですから、キツとこれは|実現《じつげん》するでせう、|絶対《ぜつたい》に|売《う》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『|何《なん》といつても|夢《ゆめ》ぢやないか、|元《もと》がかかつてゐるのぢやなし、|百両《ひやくりやう》やるから|売《う》つてくれ』
『……………』
コブ『モシ、|玄真《げんしん》さま、そんなバカなこた、おいたら|如何《どう》ですか、|折角《せつかく》の|計画《けいくわく》が|夢《ゆめ》になつちや|約《つま》りませぬがな。|無形《むけい》の|夢《ゆめ》を|有形《いうけい》の|宝《たから》で|買《か》はうとは、チツと|貴方《あなた》も|頭《あたま》が|悪《わる》いですな』
|玄《げん》『バカを|言《い》ふな、|夢《ゆめ》は|無《む》といふ、|無《む》は|無《む》なり、|無《む》より|有《う》を|生《しやう》ず、|有《う》にして|無《む》なり、|無《む》にして|有《う》なり、これ|即《すなは》ち|言霊学上《げんれいがくじやう》【ア】の|言霊活用《げんれいくわつよう》だ。【ア】は|天《てん》なり|父《ちち》なり、|大宇宙《だいうちう》なり、|大権威《だいけんゐ》なり、どうしてもこの|睡眠中《すゐみんちう》に|見《み》た|霊夢《れいむ》を|俺《おれ》の|手《て》に|入《い》れねば、|目的《もくてき》が|成就《じやうじゆ》せない。こらキツと|神《かみ》さまがコオロにお|見《み》せなさつたのだろ。お|前《まへ》と|俺《おれ》とがタラハン|国《ごく》を|占領《せんりやう》し、|国王《こくわう》にならうとまで|計画《けいくわく》を|立《た》ててゐる、その|足許《あしもと》で|見《み》た|夢《ゆめ》だから、|現幽一致《げんいういつち》だ、こんな|瑞祥《ずゐしやう》は|又《また》とあるまい。それだから、コオロが|売《う》らないと|言《い》へば、その|夢《ゆめ》をこの|玄真《げんしん》が|取《と》つてしまふのだ。|元《もと》より|人《ひと》の|物《もの》を|奪《と》るのは|俺《おれ》の|商売《しやうばい》だから、アハハハ』
『なんぼ|泥棒《どろばう》が|商売《しやうばい》だといつても、|人《ひと》の|夢《ゆめ》までふんだくるとは、あまり|念《ねん》が|入《い》りすぎるぢやありませぬか』
『|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|仕組《しぐみ》といふぢやないか、|念《ねん》には|念《ねん》を|入《い》れ、|細《さい》より|微《び》に|入《い》つて、|注意《ちうい》をめぐらすのが、|正《まさ》に|智者《ちしや》のなすべきところだ。|至大無外《しだいむぐわい》、|至小無内《しせうむない》の|活用《くわつよう》が|即《すなは》ち|神《かみ》たる|者《もの》の|資格《しかく》だ』
『|貴方《あなた》は|今《いま》、|数珠《じゆず》を|捨《す》て、|金剛杖《こんがうづゑ》をヘシ|折《を》り|泥棒《どろばう》に|還元《くわんげん》し、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》を|廃業《はいげふ》なさつたぢやありませぬか。|最早《もはや》|只今《ただいま》となつては、|神様呼《かみさまよ》ばはりは|通用《つうよう》いたしませぬよ』
『アハハハ、|神《かみ》にもいろいろある、|俺《おれ》は|正神界《せいしんかい》は|辞職《じしよく》したが、これから|邪神界《じやしんかい》の|神《かみ》となるのだ。|泥棒《どろばう》にも|神《かみ》さまがあるよ、|俺《おれ》はこれから|泥棒《どろばう》の|神《かみ》だ、ボロンスの|神《かみ》だ』
『ヘー、フンさうすると|貴方《あなた》は|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|死後《しご》の|安住《あんぢう》はお|望《のぞ》みにならないのですか』
『オイ、|泥棒《どろばう》の|分際《ぶんざい》として、あるひは|人《ひと》の|国《くに》を|占領《せんりやう》するといふ|豺狼《さいらう》の|心《こころ》を|抱持《はうぢ》しながら|天国《てんごく》|浄土《じやうど》もあつたものかい、|霊肉《れいにく》ともに|地獄《ぢごく》の|覇者《はしや》となつて|活動《くわつどう》するのだ。|極楽浄土《ごくらくじやうど》へ|行《い》つて|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》を|与《あた》へられ、|蓮《はす》の|台《うてな》に|安逸《あんいつ》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》り|無聊《むれう》に|苦《くる》しむよりも、|地獄《ぢごく》の|巷《ちまた》に|駈《か》け|入《い》つて、|命《いのち》を|的《まと》の|車輪《しやりん》の|活動《くわつどう》の|方《はう》が|何《なに》ほど|楽《たの》しいか|知《し》れやしないワ。|極楽《ごくらく》なんか|俺《おれ》たちの|性《しやう》に|合《あ》はないところだ』
『ウンなるほど……チギル|秋茄子《あきなすび》、|地獄《ぢごく》ご|尤《もつと》もだ。そんなら|私《わたくし》も|玄真坊《げんしんばう》の|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》が|乾児《こぶん》となつて|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》に|突入《とつにふ》し、|獅子奮迅《ししふんじん》、|暴虎憑河《ばうこひようが》の|勢《いきほ》ひをもつて、タラハン|城《じやう》を|根底《こんてい》から、メチヤメチヤに|覆《くつが》へし、お|目《め》にかけて|御覧《ごらん》に|入《い》れませう、イツヒヒヒヒ』
|玄《げん》『オイ、コオロ、どうしても|俺《おれ》に|売《う》つてくれないか』
コオ『ハイ、|売《う》りませう。その|代《かは》り|私《わたくし》に|一《ひと》つの|註文《ちうもん》があります。|金《かね》は|要《い》りませぬ。|私《わたくし》に|命令権《めいれいけん》を|与《あた》へて|下《くだ》さい』
『よし、|与《あた》へてやる。その|代《かは》り|夢《ゆめ》は|確《たし》かに|此《この》|方《はう》へ|受取《うけと》つたぞ』
コオロは|横《よこ》を|向《む》いて|一寸《ちよつと》|舌《した》を|出《だ》し、|素知《そし》らぬ|面《かほ》して、
『ヤ、|有難《ありがた》い、サ、これから|玄真坊《げんしんばう》だらうが、コブライだらうが、|俺《おれ》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじう》するのだ』
といひ、|肩《かた》を|聳《そびや》かし、にはかに|元気《げんき》づく。
|玄《げん》『ハハハ|仕方《しかた》のない|代物《しろもの》だな』
コブ『ヘン、こんな|奴《やつ》の|命令《めいれい》を|聞《き》いて|堪《たま》るかい、チヤンチヤラ|可笑《をか》しい、|臍茶《へそちや》の|至《いた》りだ。しかし|玄真《げんしん》さま、こんな|山《やま》の|上《うへ》に|何時《いつ》まで|居《を》つても、|食物《たべもの》もなし、|何処《どつか》の|人家《じんか》を|襲《おそ》うて|腹《はら》を|拵《こしら》へやうぢやありませぬか。|日《ひ》も|西山《せいざん》に|傾《かたむ》いたし、|麓《ふもと》の|里《さと》まではまだ|三里《さんり》もございますよ、サ、|参《まゐ》りませう』
とコブライは|勝手《かつて》|覚《おぼ》えし|山路《やまみち》を、|先《さき》に|立《た》ち、|三人《さんにん》|急坂《きふはん》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 松村真澄録)
第九章 |踏違《ふみちが》ひ〔一七九八〕
|春山峠《はるやまたうげ》の|南麓《なんろく》に|春山村《はるやまむら》といふ|全戸数《ぜんこすう》|七八戸《しちはちこ》の|小部落《せうぶらく》が|彼方《あなた》こなたに|散《ち》らばつてゐる。いづれの|家《いへ》も|軒《のき》は|傾《かたむ》き、|壁《かべ》はおち、|別《べつ》に|煙突《えんとつ》はなくとも|壁《かべ》の|落《お》ちた|碁盤形《ごばんがた》の|壁下地《かべしたぢ》の|穴《あな》から、|赤黒《あかぐろ》い|煙《けむり》が|朝晩《あさばん》に|立上《たちのぼ》つてゐる。この|村《むら》の|一番《いちばん》|高《たか》い|景勝《けいしよう》の|位置《ゐち》を|占《し》めた|一軒家《いつけんや》にはカンコといふ|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|名《な》のつかぬ|病《やまひ》にかかつて、|日々《にちにち》なす|事《こと》もなく|破《やぶ》れ|蒲団《ふとん》の|上《うへ》に|息《いき》づいてゐる。|太陽《たいやう》が|七《なな》つ|下《さが》りと|覚《おぼ》しき|頃《ころ》、カンコの|友人《いうじん》キンスがやつて|来《き》て、|斜《はすかひ》になつた|戸《と》をガラリと|開《あ》けながら、
キンス『オイ、|兄貴《あにき》、エー、|人《ひと》の|噂《うはさ》に|聞《き》けばこの|頃《ごろ》は、お|前《まへ》も|何《なん》だかブラブラと|体《からだ》が|勝《すぐ》れぬやうだが、|一体《いつたい》どうしたといふのだい。|俺《おれ》ア|昨日《きのふ》タラハン|市《し》から|帰《かへ》つて|来《き》たのでチツともお|前《まへ》の|事《こと》も|知《し》らず|訪問《はうもん》にも|来《こ》ないで、|本当《ほんたう》にすまなかつたよ』
カンコ(|元気《げんき》ない|声《こゑ》で)『オー、お|前《まへ》は|友達《ともだち》のキンスだな、そらよう|来《き》てくれた。マアマアマア|茶《ちや》でも|沸《わ》かして|飲《の》んでくれ。そして|序《ついで》に|俺《おれ》にも、|一杯《いつぱい》、うまさうな|処《ところ》を|飲《の》まして|欲《ほ》しいものだな』
『ヨシ、お|前《まへ》の|事《こと》なら|茶《ちや》も|沸《わ》かしてやらう、|鰥暮《やもめぐら》しでは、|飯焚《めしたき》にも|困《こま》つてゐるだらう、|早《はや》う、いい|嬶《かか》でももらつたがよからう。|独身生活《どくしんせいくわつ》もよいやうなものの、|人間《にんげん》といふものは、|何時《なんどき》|体《からだ》に|変化《へんくわ》が|来《く》るか|分《わか》つたものぢやないからのう。|乞食《こじき》の|子《こ》でもいいから|女《をんな》と|名《な》のついたものを|探《さが》して|来《き》てお|前《まへ》に|世話《せわ》してやらうと|思《おも》ふがな、|今時《いまどき》の|女《をんな》は、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|生意気《なまいき》になつてゐやがつてな、|風《かぜ》がふいたくらゐぢや、|其処《そこ》らあたりには|落《お》ちては|居《を》りくさらぬのだ。|俺《おれ》の|親父《おやぢ》の|話《はなし》によると、|昔《むかし》は|女《をんな》といふ|奴《やつ》は|三界《さんかい》に|家《いへ》なしとかいつて、|本当《ほんたう》に|男《をとこ》に|対《たい》しては|頭《あたま》の|上《あ》がらないものだつたさうな、ほとんど|奴隷扱《どれいあつか》ひ|玩具扱《おもちやあつか》ひをされてをつたさうだが、|今時《いまどき》の|女《をんな》は|体《からだ》の|達者《たつしや》な|奴《やつ》は|工女《こうぢよ》になつて|大会社《だいくわいしや》に|抱《かか》へられよる、|電話《でんわ》の|交換手《かうくわんしゆ》から|自動車《じどうしや》の|運転手《うんてんしゆ》、|役場《やくば》の|書記《しよき》から|巡査《じゆんさ》にまで|採用《さいよう》され、|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》と|肩《かた》を|並《なら》べて|歩《ある》くのみか、|自分《じぶん》の|人間《にんげん》としての|一番《いちばん》|快楽《くわいらく》な|事《こと》をするにしても、|男子《だんし》から|金《かね》をとり、|高等内侍《かうとうないじ》になつたり、|辻君《つじぎみ》になつたり、それはそれは|女《をんな》の|職業《しよくげう》といふものは、あり|余《あま》つてゐるのだから、なかなか|女《をんな》の|廃物《すたりもの》がないので、|俺《おれ》もヤツパリ|独身生活《どくしんせいくわつ》を|続《つづ》けてゐるのだ。この|頃《ごろ》の|男子《だんし》といふものは、それを|思《おも》ふと、|女《をんな》にはチツとも|頭《あたま》が|上《あが》りはせないワ。まるつきり|女《をんな》の|世界《せかい》だ。この|間《あひだ》も|愛国婦人会《あいこくふじんくわい》を|覗《のぞ》いて|来《き》たが、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|女《をんな》ばかりだつたよ』
『そら、さうだらうのう、|俺《おれ》は、もう、|何《なん》だか、バーツとしてしまつたのだ』
『バーツとしたつて、どこがバーツとしたのだい、|病気《びやうき》が|起《おこ》つたと|言《い》ふのか』
『ウン、トツト、モウ、|何《なん》の|事《こと》アない、バーツとして、ネツから|気分《きぶん》が|勝《すぐ》れぬのだ』
『フン、さうすると、|病気《びやうき》だな』
『|病気《びやうき》か|何《なに》か|知《し》らぬが、|俺《おれ》は|病《やまひ》だ』
『|病《やまひ》も|病気《びやうき》も|同《おな》じ|事《こと》ぢやないか』
『それが、バーツとした|病《やまひ》だ』
『バーツとした|初《はじ》まりは|如何《どう》ぢやつたのだい』
『バーツとした|病《やまひ》の|初《はじ》まりは|健康体《けんかうたい》だ』
『|健康体《けんかうたい》は|定《きま》つてるぢやないか、バーツとした|原因《げんいん》を|聞《き》かせと|言《い》ふのだよ』
『|原因《げんいん》か、ウン、ヤツパリ、|淫《いん》だ、|淫慾《いんよく》から|起《おこ》つてバーツとしたのだ』
『|淫慾《いんよく》から|起《おこ》つてバーツとした、|根《ね》つからバーツとしないぢやないか。お|前《まへ》と|俺《おれ》との|間《あひだ》だから、|何《なに》も|隠《かく》す|事《こと》はない、お|前《まへ》のためには、どんな|事《こと》でもする|覚悟《かくご》だ。|竹馬《ちくば》の|友《とも》ぢやないか、おほかた|心《こころ》の|煩悶病《はんもんびやう》だらう、|包《つつ》まず|隠《かく》さず|俺《おれ》に|言《い》つて|聞《き》かせろ』
『|笑《わら》はへんか、おほかた|笑《わら》ふだらう、ヤツパリ、やめとこか、あーア、バーツとした』
『なに、|笑《わら》ふものかい、しつかり|言《い》ひ|玉《たま》へ』
『そんなら、どこまでも|笑《わら》はせんな』
『ウン、|断《だん》じて|笑《わら》はぬ、サアサア|言《い》ふたり|言《い》ふたり』
『そんなら、|言《い》ふがな、|俺《わし》が|去年《きよねん》の|夏《なつ》だつたか、タラハン|市《し》の|三《み》つ|丸屋《まるや》へ|褌《まはし》を|一丈《いちぢやう》|買《か》ひに|行《い》つたのだ。そしたところが、そこの|三《み》つ|丸《まる》|呉服屋《ごふくや》の|娘《むすめ》さまに、インジンといふ|別嬪《べつぴん》があつたのだ。それから……バーツとしたのやな』
『アツハハハハ、|何故《なぜ》また|一丈褌《いちぢやうまはし》を|買《か》ひに|行《い》つたのだい』
『|七尺《しちしやく》は|褌《まはし》にして、|残《のこ》りの|三尺《さんじやく》を|手拭《てぬぐひ》にしやうと|思《おも》つてな、|一丈《いちぢやう》の|褌《まはし》を|切《き》つて|下《くだ》さいといつたら、インジンさまが、|俺《おれ》の|名《な》を、|細《こま》こう|聞《き》いてな、「|春山村《はるやまむら》のカンコさまですか、お|金《かね》はいいから、まア|持《も》つて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい」と|言《い》つてな、キレイな|白魚《しらうを》のやうな|手《て》でな、|褌《まはし》を|御丁寧《ごていねい》に|包《つつ》んでな、|俺《おれ》の|懐《ふところ》に|突込《つつこ》んで|下《くだ》さつたのだ。それからやさしい、|何《なん》ともいへぬ|目付《めつき》をしてな、「また|来《き》て|下《くだ》さいよ」と|仰有《おつしや》つたのだ。その|顔《かほ》|見《み》るなり、|俺《わし》はな、バーツとして|目《め》がまひさうになつたのだ。それからヤツとのことで|宅《うち》へ|帰《かへ》つて|来《き》て、この|褌《まはし》は|自分《じぶん》の|股《また》にするのは|勿体《もつたい》ない、|手拭《てぬぐひ》にするのも|勿体《もつたい》ないと、|床《とこ》の|間《ま》にブラ|下《さ》げて|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|拝《をが》んでゐるのだ。さうすると、その|褌《まはし》の|中《なか》からインジンさまの、やさしい|姿《すがた》がボーツと|顕《あら》はれて|来《く》る、その|度《たび》ごとに|俺《おれ》の|体《からだ》がバーツとするのだ。それから|月末《げつまつ》になると、カランコロン カランコロンと|駒下駄《こまげた》の|音《おと》がしたと|思《おも》へば、やさしい|声《こゑ》で「あのカンコさまのお|宅《たく》はここでございますか、|私《わたし》はタラハン|市《し》の|三《み》つ|丸屋《まるや》のインジンでございます。|一寸《ちよつと》ここあけて|下《くだ》さい」と|言《い》ふ|声《こゑ》がするので、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》ぢやないかと|思《おも》ひながら|門《かど》の|戸《と》を|開《あ》けて|見《み》ると、|鬼《おに》でも|掴《つか》むやうな|男衆《をとこしう》つれて、やさしい|声《こゑ》で「ア、カンコさま、|毎度《まいど》|御贔屓《ごひいき》に」と|言《い》つて、|何《なん》だか|書《か》いたものを|下《くだ》さつたのだ。|何《なん》だかあまり|長《なが》くない、|人《ひと》のいふ|三行《みくだ》り|半《はん》くらゐだから、これは|不思議《ふしぎ》、まだ|結婚《けつこん》してゐないのだから、これは|離縁状《りえんじやう》ぢやあるまいし、|結婚《けつこん》の|申込《まをしこ》みぢやないかと|思《おも》つた|途端《とたん》に、バーツとして、そこへ|倒《たふ》れてしまつた。やつとの|事《こと》で、|気《き》がついて|見《み》ればインジンさまの|姿《すがた》は|見《み》えず、|隣村《となりむら》の|薮井竹庵《やぶゐちくあん》さまが|見《み》えて、|介抱《かいはう》してくれておつた。それから|毎日日々《まいにちひにち》|体《からだ》はやせるばかりで、コレ、この|通《とほ》り|体《からだ》も|骨《ほね》と|皮《かは》ばかりになり、|竹細工《たけざいく》に|濡紙《ぬれがみ》を|貼《は》つたやうに|筋《すぢ》ばかりになつてしまつたのだ』
『オイ、その|書物《かきもの》を|見《み》せて|見《み》よ、|俺《おれ》が|読《よ》んでやらう、お|前《まへ》は|無学《むがく》だからのう』
『|竹庵《ちくあん》さまに|読《よ》んでもらはふと|何遍《なんべん》|思《おも》つたかしれないが、あんまり|恥《は》づかしいから|隠《かく》してゐたのだ。|笑《わら》はんでくれ、そして|秘密《ひみつ》を|守《まも》つてくれよ』
と|大切《たいせつ》さうに|懐《ふところ》から|書物《かきもの》を|捻《ね》ぢ|出《だ》す。キンスは|手早《てばや》く、|書物《かきもの》をとつて、
|覚《おぼえ》
一、|白木綿《しろもめん》|一丈《いちぢやう》
|右《みぎ》|代金《だいきん》|四拾八銭《しじふはつせん》|也《なり》 |三《み》つ|丸屋《まるや》
|春山村《はるやまむら》のカンコ|様《さま》
と|読《よ》み|上《あ》げ、
『ハハア、こいつア|褌《まはし》の|妄念《まうねん》だ、|四十八銭《しじふはつせん》の|金《かね》を|受取《うけと》りに|来《き》たのだ。|恋文《こひぶみ》でも|結婚申込書《けつこんまをしこみしよ》でも|何《なん》でもないワ。チツと|夢《ゆめ》を|覚《さま》さないか、|何《なん》だ、|恋病《こひわづらひ》をしやがつて、あまりバツとせないぢやないか』
『|掛金《かけ》は|掛金《かけ》、|恋《こひ》は|恋《こひ》だ。たとへインジンさまが|惚《ほ》れてゐなくても|俺《おれ》の|方《はう》は|十分《じふぶん》|惚《ほ》れてゐるのだ。それだから、どうでもかうでも、インジンさまと|添《そ》はなくちや、バーツとした|病《やまひ》の|病気《びやうき》が|癒《なほ》らぬのだ』
『エー、|困《こま》つた|奴《やつ》だ。しかし|俺《おれ》もお|前《まへ》のお|父《とう》さまには|命《いのち》のないところを|助《たす》けてもらつたのだから、|助《たす》けねばなるまい。|気《き》の|病《やまひ》を|癒《なほ》すには|申《さる》の|年《とし》の|申《さる》の|月《つき》の|申《さる》の|日《ひ》の|申《さる》の|刻《こく》に|生《うま》れた|女《をんな》の|生肝《いきぎも》を|取《と》つて|飲《の》ましたら|直《す》ぐに|癒《なほ》るといふことだ。|俺《おれ》の|妹《いもうと》は|丁度《ちやうど》それだ。|待《ま》つとれ、お|前《まへ》の|病気《びやうき》を|癒《なほ》すために、これから|帰《い》んで、|妹《いもうと》の|生肝《いきぎも》をとつて|来《く》る』
と|言《い》ひながらスタスタと|駈出《かけだ》し、|吾《わ》が|家《や》に|帰《かへ》つて|見《み》ると、|妹《いもうと》のリンジヤンは|嬉《うれ》しさうに|表《おもて》へ|出《で》て|迎《むか》へ、
『お|兄《あに》さま、どこへ|行《い》つてゐらしたの、|大変《たいへん》|心配《しんぱい》してゐましたよ』
キンス『ヤア|一寸《ちよつと》、あまり|景色《けしき》がいいので|春山峠《はるやまたうげ》の|中途《ちうと》まで|上《のぼ》つてそこらの|眺望《てうばう》を|見《み》てゐたのだ、アー、いい|気持《きもち》だつたよ。しかしな、|今日《けふ》はお|前《まへ》と|俺《おれ》と|一杯《いつぱい》|飲《の》みたいのだが、|酒《さけ》を|一本《いつぽん》つけてくれないか』
リンジヤン『|兄《あに》さま、|今日《けふ》に|限《かぎ》つて|兄妹《きやうだい》が|盃《さかづき》をするとは、|変《へん》ぢやありませぬか。|何《なん》で|又《また》そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》るのです、これには|何《なに》か|深《ふか》い|様子《やうす》がありさうに|思《おも》はれます。どうぞハツキリ|言《い》つて|下《くだ》さいな』
『|実《じつ》のところは|俺《おれ》の|友人《いうじん》のカンコがタラハン|市《し》の|三《み》つ|丸屋《まるや》の|娘《むすめ》さまに|恋慕《れんぼ》し|恋病《こひやまひ》を|煩《わづら》つてゐるのだ。これを|癒《なほ》すにはお|前《まへ》の|力《ちから》をかるより|外《ほか》にないのだ。どうだ|兄《あに》が|一生《いつしやう》の|願《ねが》ひだから|聞《き》いてくれまいか。|俺《おれ》もカンコの|父親《てておや》に|恩《おん》になつてゐるのだから、|御恩報《ごおんはう》じをするのは|此《こ》の|時《とき》だからのう』
『|私《わたし》が、どうすればいいのですか』
『|妹《いもうと》、こらへてくれ、|実《じつ》はお|前《まへ》の|肝《きも》、イヤイヤイヤ|肝煎《きもい》りで|一《ひと》つ、カンコの|病気《びやうき》を|癒《なほ》してもらひたいのだ』
『ともかく、|兄《あに》さまの|友達《ともだち》が|悪《わる》いのだから、|私《わたし》がお|見舞《みまひ》に|上《あ》がりませう』
『ヤア、そりや|有難《ありがた》い、|善《ぜん》は|急《いそ》げだ、サア|行《ゆ》かう』
とここに|兄妹《きやうだい》|二人《ふたり》はカンコの|破家《あばらや》さして|急《いそ》いで|行《い》つて|見《み》れば、カンコは|破《やぶ》れ|畳《たたみ》の|上《うへ》に|大《だい》の|字《じ》になつて|倒《たふ》れてゐる。キンスは|友達《ともだち》の|危急《ききふ》を|見《み》て|躊躇《ちうちよ》するに|忍《しの》びず、|思《おも》ひ|切《き》つて|妹《いもうと》に|向《む》かひ|涙《なみだ》ながらに、
『オイ、|妹《いもうと》リンジヤンよ、お|前《まへ》は|母《はは》に|聞《き》いてゐたが、|申《さる》の|年《とし》、|申《さる》の|月《つき》、|申《さる》の|日《ひ》、|申《さる》の|刻《こく》に|生《うま》れた|女《をんな》ださうだな。お|前《まへ》の|生肝《いきぎも》をとつてカンコに|直《す》ぐのませばカンコの|病気《びやうき》は|本復《ほんぷく》するといふ|事《こと》だから、どうぞ、|兄《あに》の|顔《かほ》を|立《た》てて|生命《いのち》を|呉《く》れないか』
『そら、|兄《あに》さま|無理《むり》ぢやございませぬか、なんぼ|何《なん》でも|肝玉《きもたま》までとらいでも|病気《びやうき》|本復《ほんぷく》の|方法《はうはふ》がございませう、どうぞ|私《わたし》の|命《いのち》だけは|助《たす》けて|下《くだ》さい』
『イヤ|俺《おれ》も|男《をとこ》だ、|友達《ともだち》の|病気《びやうき》を|助《たす》けてやらうと|言《い》つたかぎりは、|後《あと》にはひかれぬ。|兄《あに》がお|前《まへ》の|肝《きも》をとり|出《だ》してカンコに|飲《の》ましてやらねばおかぬのだ』
『そら、|兄《あに》さま、あまりでございます。どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
かく|話《はなし》してゐるところへ|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》が、|何処《どこ》でぼつたくつて|来《き》たか|三尺《さんじやく》の|秋水《しうすゐ》を|抜《ぬ》き|放《はな》ち、|粗末《そまつ》な|一枚戸《いちまいど》を|蹴《け》り|破《やぶ》り|飛《と》び|込《こ》んで|来《き》た。リンジヤンはこの|姿《すがた》を|見《み》るよりアツと|驚《おどろ》き、
『|兄《あに》さま、|助《たす》けて|下《くだ》さい、ア|恐《こは》い、|肝《きも》が|潰《つぶ》れましたワ』
キ『エー|腑甲斐《ふがひ》ない|奴《やつ》だ、|肝《きも》が|潰《つぶ》れたなら、もうお|前《まへ》に|用《よう》はないわい。エー、|何処《どこ》の|泥棒《どろばう》か|知《し》らぬが、|要《い》らぬ|時《とき》に、|来《き》やがつて……コラ|泥棒《どろばう》、ケツタイな|面《つら》しやがつて|断《こと》わりもなしに|人《ひと》の|家《いへ》へ|来《く》るといふ|事《こと》があるものか、エー、|出《で》て|行《ゆ》け|出《で》て|行《ゆ》け』
コブライ『|人《ひと》の|家《いへ》に|抜刀《ばつたう》で|這入《はい》るは|俺《おれ》|達《たち》の|商売《しやうばい》だ。ゴテゴテぬかすと、|笠《かさ》の|台《だい》が|飛《と》び|出《だ》すぞ。こんなチツポケな|家《いへ》に|来《き》て、|金《かね》があらうとは|思《おも》はない、|御飯《ごはん》を|焚《た》いて|出《だ》せ、この|盗公《どろこう》は、チツと|小盗児《せうとる》と|違《ちが》ふのだ、|決《けつ》して|貧乏人《びんばふにん》は|苛《いじ》めない。|飯《めし》を|五六升《ごろくしよう》ばかり|焚《た》いてくれ、|代金《だいきん》は|払《はら》つてやるから』
『どうかお|前《まへ》|勝手《かつて》に|焚《た》いてくれないか、|実《じつ》は|俺《おれ》は、|此家《ここ》の|者《もの》ぢやない、ここの|主人《しゆじん》が|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つてゐるのだから、|介抱《かいはう》に|来《き》てゐるのだからのう』
『さうすると、|貴様《きさま》は|此家《ここ》の|主人《しゆじん》ぢやないのか、ウン、|割《わ》りとは|親切《しんせつ》な|奴《やつ》ぢやのう。それではお|泥棒様《どろぼうさま》がお|手《て》づから|御飯《ごはん》をお|焚《た》き|遊《あそ》ばしてやらうかのう、どつこへも|出《で》てはいけないぞ。|又《また》どつかへ|密告《みつこく》でもすると、|面倒《めんだう》いからのう』
『ヨシヨシ|逃《に》げも|隠《かく》れも|致《いた》さぬわい、マア、ユツクリと|飯《めし》でも|焚《た》いて|行《い》つてくれ。その|代《かは》り|此《こ》の|村《むら》ばかりは、|脅《おびや》かさぬやうにしてくれ』
『ヘン、あまり|見損《みそこな》ひをして|貰《もら》ふまいかい。|未来《みらい》のタラハン|城《じやう》の|左守司様《さもりのかみさま》だぞ』
と|言《い》ひながらコオロと|共《とも》に|黍《きび》の|搗《つ》いたのを|二升《にしよう》ばかり|桶《をけ》で|炊《かし》ぎ、|釜《かま》をかけて|夕飯《ゆふはん》の|用意《ようい》を|始《はじ》めかけた。カンコはヤツパリ|虫《むし》の|息《いき》で|倒《たふ》れてゐる。|玄真坊《げんしんばう》はリンジヤンの|美《うつく》しい|顔《かほ》をツラツラ|眺《なが》め|涎《よだれ》をたらし、|目《め》を|細《ほそ》うし、|心猿意馬《しんゑんいば》にかられて|又《また》もや|持病《ぢびやう》を|起《おこ》しかけてゐる。カンコはキンスの|手厚《てあつ》き|介抱《かいはう》によつて|漸《やうや》く|回復《くわいふく》し|畳《たたみ》の|上《うへ》に|起《お》き|上《あ》がり、|見馴《みな》れぬ|男《をとこ》が|来《き》てゐるのに、|又《また》もや|肝《きも》を|潰《つぶ》し、
『オイ、キンス、どこの|人《ひと》ぢやか|知《し》らぬが、|又《また》どうやら、バーツとしさうだわい』
|玄《げん》『コレコレお|女中《ぢよちう》、|何《なに》を|慄《ふる》うてゐるのか、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさるな。|此奴《こいつ》ら|両人《りやうにん》はお|見掛《みか》け|通《どほ》りの|泥棒《どろばう》でござる。|当家《たうけ》へ|暴《あば》れ|込《こ》み、|飯《めし》を|喰《く》はせと|言《い》つてゐるのは|実《じつ》は|偽《いつは》りだ。|本当《ほんたう》の|腹《はら》をたたくと、お|前《まへ》さまがこの|家《いへ》に|来《き》たのを|嗅《か》ぎつけ、|否応《いやおう》なしに|手込《てごめ》にせむと、|拙者《せつしや》が|木陰《こかげ》に|休《やす》んでゐるのを|知《し》らず|話《はな》しあつてゐるのを|聞《き》いて、お|前《まへ》さまの|危急《ききふ》を|救《すく》ふためにやつて|来《き》たが、|此奴《こいつ》らが|凶器《きやうき》をもつて|対《むか》つて|来《き》たから、|私《わたくし》も|剣《けん》を|抜《ぬ》いて|応戦《おうせん》したのだ。|此奴《こいつ》ら|二人《ふたり》は|金箔付《きんぱくづ》きの|泥棒《どろばう》だが、|俺《おれ》は|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天真坊《てんしんばう》といふ|名僧知識《めいそうちしき》だ。この|天真坊《てんしんばう》に|身《み》も|魂《たま》もお|任《まか》せなさい。さうなれば|神仏《しんぶつ》のお|加護《かご》により、|福徳円満《ふくとくゑんまん》|寿命長久《じゆみやうちやうきう》|疑《うたが》ひなしだ』
リ『ハイ、|何分《なにぶん》よろしく|御保護《ごほご》を|願《ねが》ひ|上《あ》げまする、|世《よ》の|中《なか》に|泥棒《どろばう》くらゐ|恐《おそ》ろしいものはございますせぬからな。|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火事《くわじ》、|親爺《おやぢ》よりも|恐《おそ》ろしいのは|泥棒《どろばう》でございますワ』
コブライは|黍《きび》を|研《と》ぎながら|玄真坊《げんしんばう》の|顔《かほ》をチラリと|眺《なが》め、
『チエツ、|玄真坊《げんしんばう》さま、あまりひどいぢやありませぬか』
|玄真坊《げんしんばう》は|大喝《たいかつ》|一声《いつせい》、
『バカ、|気《き》の|利《き》かねい|野郎《やらう》だな』
コオロ『|拙者《せつしや》が|命令《めいれい》する。|玄真坊《げんしんばう》は|娘《むすめ》を|世話《せわ》するがよい、コブライは|御飯《ごはん》の|用意《ようい》をせつせと|致《いた》せ』
コブライ『チエツ、|馬鹿《ばか》にしやがる』
と|言《い》ひながら|襷十字《たすきじふじ》にあやどり、|鉢巻《はちまき》を|横《よこ》にねぢ、せつせと|飯焚《めした》きの|用意《ようい》にかかつてゐる。
リンジヤンはマジマジと|玄真坊《げんしんばう》の|顔《かほ》を|見守《みまも》り、ハツと|呆《あき》れて|反《そ》りかへり、
『ヤア、お|前《まへ》はオーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》り、|星下《ほしくだ》しの|芸当《げいたう》をやり、|私《わたし》の|妹《いもうと》を|手込《てご》めにした|売僧《まいす》だな』
|玄《げん》『ハツハハハハ|手込《てご》めにしても、|生命《いのち》は|決《けつ》して|奪《と》らないよ。|命《いのち》まで|打《う》ち|込《こ》んで|惚《ほ》れてゐたのは、これも|神様《かみさま》の|結《むす》んだ|縁《えん》だらう。つながるお|前《まへ》は|俺《おれ》の|女房《にようばう》となつて|然《しか》るべき|神様《かみさま》からの|縁《えん》が|結《むす》ばれてあるのだ』
リンジヤンは、
『エー、けがらはしい|売僧坊主《まいすばうず》、これからお|役所《やくしよ》へ|訴《うつた》へて、|妹《いもうと》の|敵《かたき》を|打《う》たねばおかぬ、|覚悟《かくご》しや』
と|裏口《うらぐち》より|飛《と》び|出《だ》し、|勝手《かつて》|覚《おぼ》えし|田圃道《たんぼみち》を、|何処《いづこ》ともなく|駈《か》け|出《だ》してしまつた。
|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は、
『こりや、かうしては|居《を》られぬ』
とまたもや|裏口《うらぐち》より|月夜《つきよ》の|野原《のはら》を、|空腹《くうふく》を|抱《かか》へて|何処《どこ》ともなく|逃《に》げ|出《だ》してしまつた。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 北村隆光録)
第一〇章 |荒添《あらそひ》〔一七九九〕
|水草《みづぐさ》の|平《たひら》|一面《いちめん》に|生《は》え|茂《しげ》つてゐるジクジク|原《ばら》の|足《あし》を|没《ぼつ》する|田圃道《たんぼみち》を、|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は、|追手《おつて》の|危難《きなん》をおそれて|行歩《かうほ》に|艱《なや》みながら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》つて|行《ゆ》く。|道《みち》の|両側《りやうがは》は、あちらこちらに|浅《あさ》い|水《みづ》が|溜《たま》り、|静《しづ》かに|月《つき》や|星《ほし》が|映《うつ》つてゐる。|行《ゆ》くこと|三町《さんちやう》ばかり、|路傍《ろばう》に|古井戸《ふるゐど》があつて|何者《なにもの》かが|落《お》ち|込《こ》んだやうな|気配《けはい》である。コブライは|恐々《こはごは》ながら|月《つき》の|光《ひかり》をたよりに|古井戸《ふるゐど》を|覗《のぞ》いて|見《み》ると、|最前《さいぜん》カンコの|家《うち》で|見《み》た|美人《びじん》によく|似《に》たものが、|命《いのち》かぎりに|這上《はひあ》がらうとして|井戸端《ゐどばた》の|水草《みづぐさ》を|掴《つか》んでは|落《お》ち|込《こ》み、|掴《つか》んでは|落《お》ち|込《こ》みしてゐる。|泥棒稼《どろぼうかせ》ぎの|三人《さんにん》も|人《ひと》の|危難《きなん》を|見《み》ては|見《み》のがしも|得《え》せず、コブライは|自分《じぶん》の|帯《おび》を|解《と》いて|古井戸《ふるゐど》の|中《なか》に|吊《つ》り|下《おろ》した。|溺《おぼ》れむとするものは|毒蛇《どくだ》の|尻尾《しつぽ》も|掴《つか》まむとする|譬《たとへ》、|吾《わ》が|身《み》に|危害《きがい》を|加《くは》へむとする|泥棒《どろばう》の|群《むれ》とは|知《し》らず、リンジヤンはその|帯《おび》に|確《しつか》りとくらいついた。コブライ、コオロ、|玄真坊《げんしんばう》の|三人《さんにん》は|汗《あせ》をたらたらたらしながら、|漸《やうや》くの|事《こと》で|救《すく》ひ|上《あ》げ、よくよく|見《み》れば|玄真坊《げんしんばう》が|野心《やしん》を|起《おこ》した|掘出《ほりだ》しものの|美人《びじん》である。|美人《びじん》は|殆《ほと》んど|無我無中《むがむちう》になり、|何者《なにもの》に|救《すく》はれたかといふ|事《こと》さへも|知《し》らぬ|態《てい》であつた。|玄真坊《げんしんばう》は|二人《ふたり》に|目配《めくば》せしながら、|濡鼠《ぬれねずみ》のやうになつた|女《をんな》の|衣服《いふく》を|身《み》につけたまま、あちらこちらと|圧搾《あつさく》し、|雫《しづく》をたらし、かたみに|担《かつ》いで|脛《すね》まで|没《ぼつ》する|難路《なんろ》を|西《にし》へ|西《にし》へと|急《いそ》いで|行《ゆ》く。|行《ゆ》く|事《こと》ほとんど|一里半《いちりはん》ばかり、|月夜《つきよ》に|浮《う》いたやうに【こんもり】とした|森《もり》が|眼前《がんぜん》|数町《すうちやう》の|処《ところ》に|横《よこ》たはつてゐる。|三人《さんにん》はとも|角《かく》あの|森《もり》へ|行《い》つて|休息《きうそく》せむものと、|汗《あせ》をたらたら|流《なが》しながらあへぎゆく。やつと|森《もり》の|前《まへ》に|近《ちか》より|見《み》れば、|古《ふる》ぼけた|堂《だう》が|淋《さび》しげに|立《た》つてゐる。
コブライ『アア|随分《ずゐぶん》|骨《ほね》を|折《を》らしやがつた。もし|玄真《げんしん》さま、ここの|森《もり》で|一夜《いちや》を|明《あか》しませうかい。さうしてこの|美人《びじん》を|実意《じつい》|丁寧《ていねい》|親切《しんせつ》をもつて|介抱《かいはう》し、|人情《にんじやう》|義理《ぎり》づくめでウンと|言《い》はせ、お|前《まへ》さまの|一時《いちじ》のお|慰《なぐさ》みものとしようぢやありませぬか。いやお|前《まへ》さまばかりでなく|吾々《われわれ》が|拾《ひろ》ひ|上《あ》げて|担《かつ》いで|来《き》たのだから、|共有物《きよういうぶつ》としておきませうかい。なかなかお|前《まへ》さまが|惚《ほ》れた|女《をんな》だから、|捨《す》てたものぢやありませぬワイ。このコブライだつて、いささか|食指《しよくし》が|動《うご》かぬぢやありませぬ』
|玄真坊《げんしんばう》『|何《なに》はともあれ、|角《かく》もあれ、この|女《をんな》を|正気《しやうき》づかした|上《うへ》の|事《こと》でなくては、かうしておいては|縡《ことき》れてしまふではないか』
コブ『いやそんな|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びませぬ。ちつとばかり|水《みづ》を|飲《の》んでゐますが|命《いのち》には|別条《べつでう》はありませぬ。|今《いま》の|間《うち》に|共有物《きよういうぶつ》にするか、|但《ただ》しはコブライの|専有物《せんいうぶつ》にするか、|後《あと》でする|喧嘩《けんくわ》を|先《さき》にしておかなくちや、この|美人《びじん》が|気《き》がついてから、こんな|相談《さうだん》を|聞《き》かれては|見《み》つとも|好《よ》くない。|玄真《げんしん》さま、|私《わたし》の|専有物《せんいうぶつ》として|下《くだ》さるか……サアどうだ。お|前《まへ》さまは|自分《じぶん》の|専有物《せんいうぶつ》としたさうだが、さう|勝手《かつて》にはゆきませぬよ』
『|何《なん》といつても|初《はじ》めて|懸想《けさう》したのは|俺《おれ》だ。|正《まさ》に|俺《おれ》の|霊《みたま》がこの|女《をんな》に|憑依《ひようい》してゐる。|又《また》この|女《をんな》とは|閨門関係《けいもんくわんけい》からすでにすでに|因縁《いんねん》が|結《むす》ばれてゐる。いはば|此方《こちら》は|縁者《えんじや》、お|前《まへ》は|赤《あか》の|他人《たにん》ぢやないか。そんな|事《こと》は|言《い》はなくても|定《きま》つてゐる、きつと|玄真《げんしん》さまのものだよ』
『|縁者《えんじや》か、|閨門関係《けいもんくわんけい》があるか、そりや|知《し》りませぬが、このコブライが|見《み》つけて|助《たす》けなんだら、この|女《をんな》は|已《すで》に|命《いのち》が|無《な》くなつてをるのだ。さうすれば|命《いのち》の|親《おや》はこのコブライさま、ドツと|譲歩《じやうほ》したところで|拙者《せつしや》が|二晩《ふたばん》|使《つか》へば|玄真《げんしん》さまは|一晩《ひとばん》お|使《つか》ひなさい。|権利《けんり》の|上《うへ》から|言《い》つてもそれが|至当《したう》だと|思《おも》ひますわい』
『ハハハハハ、お|前《まへ》のシヤツ|面《つら》で、|何《なに》ほど|命《いのち》を|助《たす》けてもらつたといつてこの|美人《びじん》が|靡《なび》くと|思《おも》ふか、|自惚《うぬぼ》れもよい|加減《かげん》にしておけ。|何《なん》だ|蛙《かはづ》の|鳴《な》き|損《そこ》ねたやうな|面《つら》をして、【こい】の【うす】いのとは|片腹痛《かたはらいた》い、この|女《をんな》のことは|一切《いつさい》|玄真《げんしん》に|任《まか》すがよからう』
『いや、そりやなりませぬ、そんならこのナイスに|自《みづか》ら|選《えら》ましたらどうでせう。お|前《まへ》さまだつて|余《あんま》りバツとした|顔《かほ》ぢやありませぬよ、きつと|女《をんな》に|選《えら》ましたら|拙者《せつしや》が|最高点《さいかうてん》を|得《え》て|月桂冠《げつけいくわん》を|頂《いただ》くは|火《ひ》を|見《み》るよりも|明白《めいはく》な|事実《じじつ》です、エヘヘヘヘ』
コオロ『コーラ|両人《りやうにん》。|俺《おれ》の|命令《めいれい》を|聞《き》け、この|女《をんな》は|一旦《いつたん》カンコの|家《いへ》においてコブライの|面《つら》を|見《み》て|肝《きも》をつぶし、|玄真《げんしん》さまの|顔《かほ》を|見《み》て|愛想《あいそ》づかし|裏口《うらぐち》から|逃出《にげだ》した|代物《しろもの》ぢやないか、さうすりや|已《すで》にすでに|両人《りやうにん》に|対《たい》する|恋愛《れんあい》の|脈《みやく》は|上《あが》つてゐる。さうすりや|黙《だま》つてゐてもこのコオロさまに|札《ふだ》がおちるのは|当然《たうぜん》だ。そして|両人《りやうにん》に|対《たい》して|命令権《めいれいけん》をもつてゐるこのコオロは|絶対《ぜつたい》に|二人《ふたり》には|与《あた》へない、コオロの|宿《やど》の|妻《つま》としてこれから|先《さき》、|長《なが》い|行路《かうろ》の|伴侶《はんりよ》とするつもりだ、エヘヘヘヘヘ』
|三人《さんにん》はこんな|掛合《かけあひ》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かしてをる|間《あひだ》に、リンジヤンは|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、あまりの|可笑《をか》しさに「フフフフフ」と|吹《ふ》き|出《だ》した。
コブライ『ヤ|姫《ひめ》さま、|気《き》がつきましたか、ヤ、まあ|目出《めで》たい|目出《めで》たい、お|前《まへ》さま|一体《いつたい》|何《なん》の|事《こと》ぢやいな、|古井戸《ふるゐど》の|中《なか》に|落《お》ち|込《こ》んで、|鮒《ふな》が|泥《どろ》に|酔《よ》つたやうにアツプアツプとやつてござつたところ、|縁《えにし》の|糸《いと》につながれたといふものか、|玄真《げんしん》やコオロの|後《あと》から|行《い》つた|私《わし》の|目《め》にお|前《まへ》さまの|姿《すがた》がうつつたのも、|深《ふか》い|縁《えにし》が|結《むす》ばれてゐるのだから、|最早《もはや》ない|命《いのち》だと|思《おも》うて|一生《いつしやう》をこのコブライに|任《まか》して|下《くだ》さい。|何《なん》といつても|命《いのち》の|親《おや》のコブライですからなア』
リン『アアさうでございましたか、|私《わたし》も|命《いのち》を|助《たす》けてもらひ|嬉《うれ》しい|事《こと》だと|思《おも》つたら、あた|汚《けが》らはしい、|小泥棒《こどろぼう》に|命《いのち》を|助《たす》けてもらつたとあつては、|先祖《せんぞ》の|面汚《つらよご》し、アア|残念《ざんねん》の|事《こと》をいたしました。これ【どろ】さま、その|刀《かたな》をかして|下《くだ》さい、お|前《まへ》さま|方《がた》に|助《たす》けられたとあつては、|兄《あに》の|顔《かほ》も|立《た》ちませぬ。ここで|潔《いさぎよ》う|自害《じがい》をしてお|目《め》にかけませう』
『これこれお|女中《ぢよちう》、|悪《わる》い|了簡《れうけん》だよ、|命《いのち》あつての|物種《ものだね》ぢやないか。|人間《にんげん》はこの|世《よ》に|生《い》きてをりやこそ|花《はな》も|実《み》もあり|愉快《ゆくわい》があるのだ。|死《し》んで|花実《はなみ》が|咲《さ》くと|思《おも》はつしやるか。|在来《ざいらい》の|宗教《しうけう》に|呆《とぼ》けてゐる【やくざ】|人足《にんそく》は|未来《みらい》が|在《あ》ると|迷信《めいしん》してをるだらうが、|科学《くわがく》に|目覚《めざ》めた|現代人《げんだいじん》には|未来《みらい》が|在《あ》るなどど、そんな|事《こと》は|通用《つうよう》しませぬからなア。また|先祖《せんぞ》の|名折《なを》れになるとか、|兄《あに》の|名《な》が|汚《よご》れるとか、|泥棒《どろばう》に|助《たす》けられたとか、|不用《いら》ざる|体面論《たいめんろん》に|縛《しば》られて、|掛替《かけが》へのない|可惜《あたら》|命《いのち》を|捨《す》てやうとは|時代後《じだいおく》れにも|程《ほど》がある。とかく|人間《にんげん》は、|自分《じぶん》さへ|好《よ》かつたらよいのだ。どうだい、|一《ひと》つ|思案《しあん》をし|直《なほ》して|拙者《せつしや》の|女房《にようばう》になつては|下《くだ》さるまいか。|拙者《せつしや》だつて|生《うま》れついての|泥棒《どろばう》でもないし、|悪人《あくにん》でもありませぬ。ほんの|其《そ》の|日《ひ》|稼業《かげふ》に|泥棒《どろばう》の|修業《しふげふ》をやつてゐるのですよ』
『|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|泥棒《どろばう》の|名《な》のつく|人《ひと》には|絶対《ぜつたい》に|身《み》を|任《まか》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『ハテサテ、|意地固《いぢがた》い|女《をんな》だなア。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》の|有様《ありさま》を、|上《うへ》は|左守《さもり》の|司《かみ》より|下《しも》|小役人《こやくにん》に|至《いた》るまで、|手《て》をかへ|品《しな》をかへて|泥棒《どろばう》しない|奴《やつ》がありますか。|砂利《じやり》を|噛《かじ》る|奴《やつ》、|印紙《いんし》を|食《くら》ふ|奴《やつ》、|仏《ほとけ》を|売《う》つて|食《くら》ふ|奴《やつ》。|神《かみ》の|足《あし》を|噛《かじ》る|奴《やつ》、|上《うへ》から|下《した》まで、|隅《すみ》から|隅《すみ》まで、|泥棒《どろばう》の|世界《せかい》だ。|泥棒《どろばう》が|嫌《いや》だから|男《をとこ》を|持《も》たぬなどとそんな|堅苦《かたくる》しい|事《こと》を|言《い》つてゐやうものなら、|終身《しうしん》|清浄無垢《しやうじやうむく》の|男《をとこ》と|出遇《であ》ふ|事《こと》はありますまい。そこはよくお|考《かんが》へなさつたがよろしからう』
『そりやさうでせう、|泥棒《どろばう》せないものは|世界《せかい》に|一人《いちにん》もありますまいが、しかしその|泥棒《どろばう》の|仕様《しやう》にも|種々《いろいろ》の|手段《しゆだん》があつて、|世《よ》の|中《なか》から|智者《ちしや》よ|学者《がくしや》よ、|聖人君子《せいじんくんし》よ、|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》よと|崇《あが》められて|泥棒《どろばう》するやうでなくては|駄目《だめ》ですワ。お|前《まへ》さまのやうに|正面《しやうめん》から|泥棒《どろばう》を|看板《かんばん》に|大刀《だんびら》|担《かた》げて|来《く》るやうなものに|碌《ろく》なものはない。それだから|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りたいのですよ』
『もし|玄真《げんしん》さま、|此奴《こいつ》はなかなか|手剛《てごは》い|奴《やつ》です。どうかお|前《まへ》さまの|雄弁術《ゆうべんじゆつ》をもつて|言向和《ことむけやは》して|下《くだ》さい。たうてい|私《わたし》の|言霊《ことたま》では|望《のぞ》みがありませぬわ』
|玄《げん》『ハハハハハ、いかにもお|説《せつ》ご|尤《もつと》も、よいところで|諦《あきら》めて|下《くだ》さつた。サアこれからが|玄真《げんしん》さまの|一人舞台《ひとりぶたい》だ。これこれお|女中《ぢよちう》、|其方《そなた》の|言葉《ことば》を|聞《き》くとこの|玄真坊《げんしんばう》も|何処《どこ》ともなく|肉《にく》|躍《をど》り|血《ち》|湧《わ》き、|両腕《りやううで》が|鳴《な》るやうだ。|何《なん》とまあお|前《まへ》は|世界無比《せかいむひ》の|才媛《さいゑん》だなあ。どうだ|智勇兼備《ちゆうけんび》の|良将《りやうしやう》と|聞《きこ》えたこの|玄真《げんしん》に|身《み》を|任《まか》せ、|王妃《わうひ》となつて|暮《くら》す|気《き》はないか、|未来《みらい》のタラハン|王《わう》はこの|玄真坊《げんしんばう》で|御座《ござ》るぞや。|人間《にんげん》の|慾望《よくばう》は|名位寿宝《めいゐじゆほう》というて、|最《もつと》も|貴《たつと》いものは|名《な》を|万世《ばんせい》に|残《のこ》すことだ。その|次《つぎ》は|位《くらゐ》といつて|人格《じんかく》の|向上《かうじやう》を|主《しゆ》とする|慾望《よくばう》だ。いはゆる|後《のち》は|聖人《せいじん》だ、|君子《くんし》だ、|英雄《えいゆう》だ、|豪傑《がうけつ》だ、|有徳者《うとくしや》だ、|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》だと|万民《ばんみん》に|崇《あが》められ、|人格《じんかく》を|認《みと》めらるることだ。その|次《つぎ》が|命《いのち》、その|次《つぎ》が|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》だ。どうだ、かかる|片田舎《かたゐなか》に|生《うま》れて、タラハン|城《じやう》の|王妃《わうひ》となる|気《き》はないか。|世界《せかい》の|幸福《かうふく》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めて、この|神的英雄《しんてきえいゆう》の|玄真坊《げんしんばう》と|一緒《いつしよ》に|暮《くら》す|気《き》はないか。よくよく|利害得失《りがいとくしつ》を|考《かんが》へたがよからうぞや』
リン『ハイ、|種々《いろいろ》と|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》うございますが、|私《わたし》はお|三人《さんにん》さまの|中《うち》において|最《もつと》も|権威《けんゐ》ある|方《かた》と|御相談《ごさうだん》が|願《ねが》ひたうございます』
『ハハハハハ、そりやさうだらう、|如何《いか》にもご|尤《もつと》も、この|中《うち》で|最《もつと》も|権威《けんゐ》あるものとは|取《と》りも|直《なほ》さずこの|玄真坊《げんしんばう》だよ』
と|鼻《はな》を|蠢《うごめ》かす。リンジヤンは|首《くび》を|左右《さいう》にふり、
『イヤイヤそれは|違《ちが》ひませう、|命令権《めいれいけん》をもつてござるコオロさまとやら、この|方《かた》が|一番《いちばん》の|権威者《けんゐしや》と|認《みと》めます。このコオロさまとお|話《はな》したうございますから、お|二人《ふたり》さまは|森《もり》の|奥《おく》で|控《ひか》へてゐてもらひたうございますが』
コオロ『エヘヘヘヘヘ、こりやこりや|玄真坊《げんしんばう》、コブライの|両人《りやうにん》、|三町《さんちやう》ばかり|此《こ》の|場《ば》より|立退《たちの》きを|命《めい》ずる。ハハハハハ、これお|姫《ひめ》さま、|拙者《せつしや》の|権威《けんゐ》はこの|通《とほ》りでござる。|何《なん》といつても|天帝《てんてい》の|化身《けしん》を|頤《あご》で|使《つか》ふ|権威者《けんゐしや》でござるから、よもや、|男《をとこ》に|持《も》つてお|前《まへ》さまも|不足《ふそく》はござるまい、エヘヘヘヘヘ』
|玄《げん》『こりやコオロの|奴《やつ》、なにふざけた|事《こと》を|言《い》ふか、すつこんでおれ。|貴様《きさま》の|飛《と》び|出《だ》す|幕《まく》ぢやないワ、しやうもない|事《こと》を|言《い》ふと|主従《しゆじう》の|縁《えん》を|切《き》らうか』
『しからばあの|夢《ゆめ》をお|前《まへ》さまに|売《う》つたのは|元々《もともと》へ|取《と》り|返《かへ》しますぞ。お|前《まへ》さまは|大外《だいそ》れたタラハン|城《じやう》を|占領《せんりやう》し、|国王《こくわう》にならうといふ|陰謀《いんぼう》を|春山峠《はるやまたうげ》の|頂上《ちやうじやう》において|企《たくら》んで|以来《いらい》、|依然《いぜん》としてその|計画《けいくわく》をやめないでせう。その|夢《ゆめ》の|計画《けいくわく》をやめない|上《うへ》はお|前《まへ》さまの|身《み》の|上《うへ》は|風前《ふうぜん》の|燈火《ともしび》だ。サア|夢《ゆめ》をかへしてもらつた|上《うへ》は、その|夢《ゆめ》の|次第《しだい》を|逐一《ちくいつ》タラハン|城《じやう》に|訴《うつた》へ|出《で》るつもりだ、これでも|違背《ゐはい》があるか。サア|玄真《げんしん》さま、キツパリと|返事《へんじ》を|承《うけたまは》りませうかい。お|前《まへ》さまの|睾丸《きんたま》を|握《にぎ》つたこのコオロは|決《けつ》して|夢《ゆめ》を|見《み》たのぢやありませぬよ。|睡《ねむ》つた|真似《まね》をしてお|前《まへ》さまの|計画《けいくわく》を|皆《みな》|聞《き》いたのですよ。|夢《ゆめ》を|返《かへ》してもらつた|以上《いじやう》は|如何《どう》しやうと、コオロの|自由権利《じいうけんり》だ』
と|早《はや》くも|駈《か》け|出《だ》さむとする。|玄真坊《げんしんばう》は|慌《あわ》ててコオロに|喰《くら》ひつき、
『ママママア|待《ま》つた|待《ま》つた、さう|短気《たんき》を|起《おこ》すものぢやない。お|前《まへ》のやうに|一寸《ちよつと》|俺《おれ》が【てんご】を|言《い》うても|本気《ほんき》になつては|耐《たま》つたものぢやない。そんならお|前《まへ》の|望《のぞ》みに|任《まか》せ、この|美人《びじん》を|譲《ゆづ》つてやらう』
コオ『ヘン|譲《ゆづ》つて|遣《や》らうなんて|僣越《せんゑつ》にも|程《ほど》がある。お|前《まへ》さまの|女房《にようばう》でもなければ|娘《むすめ》でもないはずだ。このコオロは|直接《ちよくせつ》|談判《だんぱん》をする|積《つも》りだから、|吾《わ》が|命令《めいれい》を|遵奉《じゆんぽう》して|二三町《にさんちやう》ばかり|暫《しば》しの|間《あひだ》|退却《たいきやく》を|願《ねが》ひたい』
|玄《げん》『オイ、コブライどうしやうかナ』
コブ『|何《なん》といつてもお|前《まへ》さまが|睾丸《きんたま》を|握《にぎ》られてをるのだから、コオロの|命令《めいれい》に|従《したが》はねばなりますまい』
|玄《げん》『そんならコオロ、|夢《ゆめ》は|依然《いぜん》として|此《この》|方《はう》が|買《か》うた。そのかはり|命令権《めいれいけん》はお|前《まへ》に|渡《わた》す、|必《かなら》ず|変替《へんが》へせないやうにしてくれ』
コオ『|拙者《せつしや》の|命令《めいれい》さへ|神妙《しんめう》に|遵奉《じゆんぽう》する|間《あひだ》、|決《けつ》して|変替《へんが》へはしない。サアこれからが|俺《おれ》の|一人舞台《ひとりぶたい》だ。これこれリンジヤンさま、|拙者《せつしや》の|妻《つま》となる|件《けん》については、よもや|御異存《ごいぞん》はございますまいなア』
『ホホホホホ、あのまあコオロさまとやら|虫《むし》のよいこと、|人《ひと》の|睾丸《きんたま》を|握《にぎ》つて|否応《いやおう》|言《い》はさず|自分《じぶん》の|権利《けんり》を|主張《しゆちやう》するやうな|方《かた》は|私《わたし》は|嫌《いや》です。|本当《ほんたう》に|惟神的《かむながらてき》に|権威《けんゐ》があり|徳望《とくばう》のある|人《ひと》は、そのやうに|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|弄《ろう》しないでも|世界《せかい》から|尊敬《そんけい》いたします。そんな|安《やす》つぽい|女《をんな》と|見《み》くびられては、このリンジヤンも|迷惑《めいわく》いたしますワ。ねエ|泥棒《どろばう》さま』
かかる|所《ところ》へ|提灯松明《ちやうちんたいまつ》|振《ふ》りかざし、|数十人《すうじふにん》の|足音《あしおと》がザクリザクリと|水草《みづぐさ》の|原野《げんや》を|踏《ふ》んで|押《お》し|寄《よ》せ|来《き》たる。|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》なすところを|知《し》らず、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|草《くさ》の|茂《しげ》みに|隠《かく》れて|何処《いづく》ともなく|消《き》えてしまつた。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 加藤明子録)
第一一章 |異志仏《いしぼとけ》〔一八〇〇〕
|玄真坊《げんしんばう》はコブライ、コオロの|両人《りやうにん》と|思《おも》ひ|思《おも》ひに|追手《おつて》に|驚《おどろ》いて|別《わか》れてしまひ、|当途《あてど》もなしに|西《にし》へ|西《にし》へと|月夜《つきよ》を|幸《さいは》ひ|駈《か》け|出《だ》したが、ほとんど|空腹《くうふく》のために|身体《しんたい》は|弱《よわ》り|果《は》て、|足《あし》の|歩《あゆ》みも|捗々《はかばか》しからず、どつかの|民家《みんか》を|尋《たづ》ねてパンにありつかむものと、|煙《けむり》が|何処《どこ》かに|見《み》えぬかと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|空《そら》を|向《む》き、|覚束《おぼつか》なき|足《あし》で|歩《あゆ》んでゐると、|傍《かたはら》の|森林《しんりん》の|中《なか》から「オイ、オーイ」と|人《ひと》を|呼《よ》ぶ|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。|玄真坊《げんしんばう》は「ハテ|訝《いぶ》かしや、かやうな|所《ところ》で|自分《じぶん》を|呼《よ》びとめる|者《もの》はないはずだ。|察《さつ》するところ|昨夜《さくや》の|捕手《とりて》の|奴《やつ》、こんな|所《ところ》まで|出《で》しやばつて、|吾々《われわれ》の|先廻《さきまは》りをしてゐるに|違《ちが》ひない、コリヤうつかりしてをれぬ、|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》は|逃《に》ぐるに|若《し》くはなし」と、|疲《つか》れたコンパスに|撚《より》をかけ、|又《また》もや|草花《くさばな》の|茂《しげ》る|綺麗《きれい》な|原野《げんや》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駈《か》け|出《だ》す。|後《あと》から|二人《ふたり》の|追手《おつて》が|十手《じつて》を|打振《うちふ》りながら、「オイ、オーイ」と|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|追《お》つかけ|来《き》たる。トンと|突《つ》き|当《あた》つた|前方《ぜんぱう》の|峻山《しゆんざん》、もはや|自分《じぶん》は|到底《たうてい》|逃《に》げおうすことは|出来《でき》まいと、|路傍《ろばう》の|辻堂《つじだう》を|見付《みつ》けて、|少時《しばし》|姿《すがた》を|隠《かく》さむと|這入《はい》り|見《み》れば、|等身《とうしん》の|石仏《いしぼとけ》が|立《た》つてゐる。やにはに|玄真《げんしん》は|満身《まんしん》の|力《ちから》をこめて、|首《くび》のあたりをグツと|押《お》すと、|石仏《いしぼとけ》は|苦《く》もなく|倒《たふ》れてしまつた。|玄真《げんしん》は|石仏《いしぼとけ》の|倒《たふ》れた|後《あと》の|台石《だいいし》にスークと|立《た》ち、|不格好《ぶかつかう》な|羅漢面《らかんづら》をさらしながら|左《ひだり》の|手《て》をふりあげ、|右《みぎ》の|手《て》を|膝《ひざ》のあたりまでさげ、|石仏《いしぼとけ》に|化《ば》けて|追手《おつて》の|目《め》を|遁《のが》れむと|早速《さつそく》の|頓智《とんち》、そこへ|漸《やうや》く|駈《か》けつけやつて|来《き》た|二人《ふたり》の|追手《おつて》は|辻堂《つじだう》を|見付《みつ》けて、
|甲《かふ》『オイ、あの|泥棒《どろばう》はどつか、ここらの|草《くさ》の|中《なか》へでも|沈澱《ちんでん》しやがつたとみえて、|影《かげ》も|形《かたち》も|無《な》くなつたぢやないか、こんな|者《もの》|探《さが》しに|行《い》つたつて|雲《くも》を|掴《つか》むやうなものだ、|彼奴《あいつ》ア|魔法使《まはふつかひ》ひかも|知《し》れぬぞ。とも|角《かく》この|辻堂《つじだう》があるのを|幸《さいは》ひ、コンパスに|休養《きうやう》を|命《めい》じたらどうだい。|腹《はら》も|相当《さうたう》|空《へ》つて|来《き》たなり、|命《いのち》がけの|活動《はたらき》をして|捉《つか》まへたところで、わづかの|目《め》くされ|金《がね》を|褒美《ほうび》に|貰《もら》ふだけだ。|一遍《いつぺん》|散財《さんざい》したら|了《しま》ひだからのう』
|乙《おつ》『そらさうだ、|俺《おれ》だつてお|前《まへ》だつて、|今《いま》かうして|堅気《かたぎ》になり、|追手《おつて》の|役《やく》を|勤《つと》めてゐるものの、|元《もと》を|洗《あら》へば|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》ぢやないからの、グヅグヅしてをれば|鼻《はな》の|下《した》が|干上《ひあが》るなり、せう|事《こと》なしの|追手《おつて》の|役《やく》だ。マアこの|春《はる》の|日《ひ》の|長《なが》いのに|泥棒《どろばう》の|一人《ひとり》ぐらゐ|掴《つか》まへたつて、あまり|世《よ》の|為《ため》にもなるまいし、|体《からだ》が|肝腎《かんじん》だ。ア、この|辻堂《つじだう》を|幸《さいは》ひ|一服《いつぷく》しやうぢやないか』
|甲《かふ》『ここには|妙《めう》な|石仏《いしぼとけ》が|立《た》つてゐるぞ、この|石工《いしく》は|誰《たれ》がやつたのか|知《し》らぬが、まるで|生仏《いきぼとけ》のやうだ、|一《ひと》つ|煙草《たばこ》でも|喫《の》もうぢやないか』
と|言《い》ひながら、ケチケチと|火打《ひうち》を|打《う》ち|出《だ》し、|煙管《きせる》の|皿《さら》のやうな|雁首《がんくび》に|煙草《たばこ》を|一杯《いつぱい》|盛《も》つて|火《ひ》をつけ、|両人《りやうにん》はスパリスパリと|吸《す》ひ|始《はじ》めた。|一服《いつぷく》|吸《す》うては|石仏《いしぼとけ》の|足《あし》の|甲《かふ》へポンポンと|火《ひ》を|払《はら》ひ、また|煙草《たばこ》をつぎかへては|吸《す》ひつける。|玄真坊《げんしんばう》は|熱《あつ》くてたまらず、|黒《くろ》い|面《つら》の|真中《まんなか》の|方《はう》から、|白《しろ》い|目《め》を|剥《む》き|出《だ》し、|涙《なみだ》さへたらし|出《だ》した。|二人《ふたり》はフツと|上《うへ》むく|途端《とたん》に、|石仏《いしぼとけ》の|目《め》がグリグリと|廻《まは》り、|涙《なみだ》さへ|落《お》としてゐるので、
『ヤア、こいつ|化物《ばけもの》だ』
と|驚《おどろ》きのあまり、アツと|言《い》つて|腰《こし》をぬかし、
『アアアア、|羅漢《らかん》さま、どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。エライ|失礼《しつれい》な|事《こと》をいたしました。どうにもかうにも|腰《こし》が|立《た》ちませぬワ。どうぞ|一口《ひとくち》|許《ゆる》すと|言《い》つて|下《くだ》さいませ。さうすると|恋《こひ》しい|女房《にようばう》の|家《うち》へ|帰《かへ》ることが|出来《でき》ます。その|代《かは》り|追手《おつて》の|役《やく》は|孫子《まごこ》の|代《かは》まで|致《いた》しませぬ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて|一生懸命《いつしやうけんめい》に|頼《たの》み|込《こ》む。|玄真《げんしん》は|心《こころ》の|中《うち》で「ハハア、バカな|奴《やつ》だな、|此奴《こいつ》、|本者《ほんもの》だと|思《おも》つてゐるらしい、|腰《こし》が|抜《ぬ》けたとあらばモウ|大丈夫《だいぢやうぶ》だ、ソロソロ|還元《くわんげん》してやらうかな……」と|台《だい》の|上《うへ》からポイと|飛《と》びおり、
『コーリヤ、|木端役人共《こつぱやくにんども》、|神変不思議《しんぺんふしぎ》の|俺《おれ》の|魔力《まりよく》には|驚《おどろ》いただろ、|俺《おれ》は|泥棒《どろばう》の|張本《ちやうほん》|玄真坊様《げんしんばうさま》だぞ。ここな|石仏《いしぼとけ》は|此《こ》の|通《とほ》り、|俺《おれ》の|小指《こゆび》|一本《いつぽん》で|押《お》し|倒《たふ》し、その|跡《あと》へ|俺《おれ》が|立《た》てつてをつたのだ。|腰《こし》が|抜《ぬ》けたとありや、どうすることも|出来《でき》まい。|汝《きさま》も|少々《せうせう》ぐらゐは|金《かね》を|持《も》つてをらう。|有金《ありがね》|残《のこ》らずこちらへよこせ……ナニ、ないと|申《まを》すか、|腰《こし》にブラ|下《さ》げてるのは、そら|何《なん》だ』
|甲《かふ》『ヤ、コリヤ|弁当《べんたう》の|残《のこ》りでございますよ』
|玄《げん》『ヨーシ、|分《わか》つてる、|俺《おれ》も|腹《はら》の|空《へ》つたところだ。たとへ|汝《きさま》の|食《く》ひさしにしろ、|命《いのち》にはかへられぬ、|此方《こちら》へよこせ』
と|言《い》ひながら、|無理無体《むりむたい》にひきむしり、|一人《ひとり》の|弁当《べんたう》を|平《たひ》らげてしまひ、また|次《つぎ》の|奴《やつ》の|腰《こし》の|弁当《べんたう》をむしつて|一粒《ひとつぶ》も|残《のこ》らぬところまで、いぢ|汚《ぎたな》く|食《く》ひ|終《をは》り、|弁当箱《べんたうばこ》は|小口《こぐち》から|舌《した》の|川《かは》で|洗《あら》つてしまつた。
|甲《かふ》『モシ|玄真《げんしん》さま、お|前《まへ》さまは|大変《たいへん》な|神力《しんりき》のある|方《かた》だな、たうてい|吾々《われわれ》の|手《て》には|合《あ》ひませぬワ。お|前《まへ》さまの|面《つら》を|見《み》てさへこの|通《とほ》り|腰《こし》が|抜《ぬ》けてしまふんだもの』
|玄《げん》『ワツハハハ、|此《この》|方《はう》の|御神力《ごしんりき》には|随分《ずゐぶん》|驚《おどろ》いただろ、|汝《きさま》は|一体《いつたい》|何《なん》といふ|奴《やつ》だ』
|甲《かふ》『|私《わたし》なんか|名《な》のあるやうな|気《き》の|利《き》いた|者《もの》ぢやございませぬ。しかしながら、|親《おや》が|附《つ》けてくれたか|人《ひと》が|附《つ》けてくれたか|知《し》りませぬが、|私《わたし》はトンビと|申《まを》します。モ|一人《ひとり》の|男《をとこ》はカラスと|申《まを》します』
|玄《げん》『なるほど、トンビにカラス、こいつア|面白《おもしろ》い、そんなら|俺《おれ》も|二人《ふたり》の|家来《けらい》が|途《みち》ではぐれてしまつたのだから、お|前等《まへら》|二人《ふたり》を|家来《けらい》にしてやらう。どうだ、|改心《かいしん》いたして|追手《おつて》の|役《やく》はやめるか』
ト『ヘーヘ、やめますとも、|何《なに》ほど、|追手《おつて》よりもお|前《まへ》さまの|乾児《こぶん》になつてる|方《はう》が|気《き》が|利《き》いてるか|知《し》れませぬワ。のうカラス、|汝《きさま》もさうだらう』
カ『お|前《まへ》の|意見通《いけんどほ》りだ。モシ、|玄真《げんしん》さまとやら、どうか|宜《よろ》しうお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
|玄《げん》『ヨーシ、|分《わか》つた。そんならこれから|俺《おれ》のいふ|通《とほ》りするのだよ。|何《なん》でも|命令《めいれい》に|服従《ふくじう》するのだぞ。サア|行《ゆ》かう』
ト『モーシモシ|玄真《げんしん》さま、|行《ゆ》かうと|仰有《おつしや》つても|腰《こし》が|立《た》ちませぬがな。どうか|貴方《あなた》の|神力《しんりき》でお|直《なほ》し|下《くだ》さるわけには|参《まゐ》りませぬか』
『エー、|仕方《しかた》がねい、|直《なほ》してやろ。その|代《かは》りこの|腰《こし》が|直《なほ》つたら|最後《さいご》、|俺《おれ》の|神力《しんりき》は|認《みと》めるだらうな』
ト『ヘーヘ、|認《みと》めるどころの|段《だん》ぢやありませぬ、|已《すで》にすでに|腰《こし》を|抜《ぬ》かした|時《とき》から、お|前《まへ》さまの|神力《しんりき》を|認《みと》めて|御家来《ごけらい》にして|下《くだ》さいと|願《ねが》つてゐるのですもの』
|玄《げん》『ウーン|成《な》るほど、さうに|間違《まちが》ひなからう』
と|言《い》ひながら、|両人《りやうにん》の|腰《こし》の|辺《あた》りをメツタやたらに|握拳《にぎりこぶし》を|固《かた》めて|擲《なぐ》りつけた。|二人《ふたり》はあまりの|痛《いた》さに|思《おも》はず|知《し》らず|立《た》ち|上《あが》り、|一間《いつけん》ばかり|逃《に》げ|出《だ》し、|又《また》もやパタリと|倒《たふ》れてしまつた。
|玄《げん》『ハツハハハ|腰抜野郎《こしぬけやらう》だな、このやうな|者《もの》を|何万人《なんまんにん》|連《つ》れてゐたつて、|手足纏《てあしまと》ひになるばかりだ。また|腰《こし》が|直《なほ》つたらついて|来《こ》い、キツと|家来《けらい》にしてやらう。|俺《おれ》は|天下経綸《てんかけいりん》の|事業《じげふ》が|忙《いそが》しいから|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》らう、てもさても|憐《あは》れな|代物《しろもの》だなア』
と|腮《あご》を|三《み》つ|四《よ》つしやくり、|坂路《さかみち》を|元気《げんき》よく|鼻唄《はなうた》|歌《うた》ひながら|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
これより|玄真坊《げんしんばう》は|彼方《あなた》こなたに、|昼《ひる》は|山野《さんや》に|寝《い》ね|夜《よる》は|泥棒《どろばう》を|稼《かせ》いで、|百日《ひやくにち》あまりを|過《すご》した。|又《また》もやダリヤ|姫《ひめ》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|会《あ》ひたくて|堪《たま》らず、|何《なん》とかして|甘《うま》く|彼女《かれ》を|手《て》に|入《い》れたいものだと、|少々《せうせう》|懐《ふところ》が|温《ぬく》くなつたので、タラハン|城市《じやうし》へ|変装《へんさう》して|忍《しの》び|込《こ》み、タラハン|市中《しちう》でも|一等旅館《いつとうりよくわん》と|聞《き》こえたる|丸太《まるた》ホテルに|泊《とま》り|込《こ》んでしまつた。|玄真坊《げんしんばう》は|奥《おく》の|二間造《ふたまづく》りの|別室《べつしつ》に|居《きよ》を|構《かま》へ、|種々《いろいろ》とタラハン|城《じやう》|転覆《てんぷく》の|夢《ゆめ》を|辿《たど》つてゐる。そこへ|下女《げぢよ》が|茶《ちや》を|汲《く》んで|出《い》で|来《き》たり、
『モシお|客様《きやくさま》、|主人《しゆじん》から、ネームを|承《うけたまは》つて|来《こ》いと|仰《おほ》せられましたが、どうかこの|宿帳《やどちやう》にお|記《しる》し|下《くだ》さいませ』
|玄《げん》『アアよしよし』
と|言《い》ひながら、スラスラと|宿帳《やどちやう》に|記《しる》した。|宿帳《やどちやう》の|面《おもて》にはバリヲンと|書《か》き|記《しる》し、
|玄《げん》『|俺《おれ》はな、ハルナの|都《みやこ》から|遥《はる》ばると|大黒主《おほくろぬし》さまの|命令《めいれい》によつて、|諸国視察《しよこくしさつ》のため|行脚《あんぎや》に|出《で》て|来《き》てゐる|者《もの》だが、もはや|七千余国《しちせんよこく》は|遍歴済《へんれきず》みとなり、|当家《たうけ》においてゆるゆると|二三ケ月《にさんかげつ》ばかり|休息《きうそく》さしてもらふ|積《つも》りだから、|主人《しゆじん》に|宜《よろ》しく|言《い》うてくれ。そして|宿賃《やどちん》には|決《けつ》して|心配《しんぱい》かけないから、|朝夕《あさゆふ》の|膳部《ぜんぶ》にはな、|気《き》をつけるやうに|頼《たの》んでおく』
と|言《い》ひながら、|宿帳《やどちやう》を|二三枚《にさんまい》|繰返《くりかへ》してみると、|二三日前《にさんにちまへ》から、コブライ、コオロが|泊《とま》つてゐると|見《み》えて、|自筆《じひつ》の|姓名《せいめい》が|記《しる》してある。|玄真坊《げんしんばう》は|何《なに》|食《く》はぬ|面《かほ》して|下女《げぢよ》に|向《む》かひ、
『ここにコブライとか、コオロとかいふ|客《きやく》は|泊《とま》つてゐないかのう』
|下女《げぢよ》『ハイ、|泊《とま》つてゐられましたが、|昨日《きのふ》の|日《ひ》の|暮《くれ》に、|一寸《ちよつと》そこまで|見物《けんぶつ》に|出《で》ると|仰有《おつしや》つたきり、まだお|帰《かへ》りになりませぬので、|心配《しんぱい》をしてゐるところでございます』
|玄《げん》『アアさうか、フーン』
|下《げ》『|何《なに》か|貴方《あなた》、|此《こ》の|方《かた》に|御関係《ごくわんけい》がございますのですか』
|玄《げん》『ナーニ|別《べつ》に|関係《くわんけい》も|何《なに》もない、|見《み》ず|知《し》らずの|人《ひと》だが|余《あま》り|面白《おもしろ》い|名《な》だから、ちよつと|尋《たづ》ねてみたのだ。ヨ、これは|俺《おれ》の|心付《こころづけ》だ』
と|言《い》ひながら|懐《ふところ》から|鳥目《てうもく》を|取出《とりだ》し、|下女《げぢよ》に|投《な》げ|与《あた》へた。|下女《げぢよ》は|喜《よろこ》んで|押《お》し|戴《いただ》き、|母家《おもや》の|方《はう》へ|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。|後《あと》に|玄真坊《げんしんばう》は|腕《うで》を|組《く》み|吐息《といき》をつきながら、
『アーア、|世間《せけん》といふものは|広《ひろ》いやうでも|狭《せま》いな。|三月以前《みつきいぜん》に|追手《おつて》にかかり、|彼等《かれら》|両人《りやうにん》にはぐれてしまひ、|何処《どこ》へ|行《い》つたかと|思《おも》うてをれば、しかも|同《おな》じ|宿《やど》に|泊《とま》つてゐたとは|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》だ。ア、|察《さつ》するところ、|彼等《かれら》|両人《りやうにん》はこの|俺《おれ》がタラハン|市《し》へ|大望《たいまう》|遂行《すゐかう》のために|来《き》てゐるに|違《ちが》ひないと|目星《めぼし》をつけ、|彼方《あなた》こなたと|行方《ゆくへ》を|捜《さが》してゐるのだらう。|何《いづ》れ|今日《けふ》|明日《あす》の|内《うち》には|帰《かへ》つて|来《く》るだらうから、|様子《やうす》も|分《わか》らうし、マア|緩《ゆつく》り|休養《きうやう》せうかい』
と|独《ひとり》ごちつつ|肱《ひぢ》を|枕《まくら》にゴロンと|横《よこ》たはり、グウグウと|雷《らい》のやうな|鼾《いびき》をかいて|寝《ね》てしまつた。
|少時《しばらく》すると|又《また》もや|下女《げぢよ》がやつて|来《き》て、
『モシモシお|客《きやく》さま、エー、あなたのお|話《はなし》になつてをつた|面白《おもしろ》い|名《な》の|方《かた》が|二人《ふたり》|帰《かへ》つてみえました。|御用《ごよう》がありますなら|会《あ》うて|上《あ》げて|下《くだ》さいませ』
|玄真坊《げんしんばう》は|目《め》をこすりながら、
『ナアニ、コブライ、コオロの|両人《りやうにん》が|帰《かへ》つたといふのか』
|下《げ》『|左様《さやう》でございます。|二人《ふたり》のお|客《きやく》さまに、あなたの|御面相《ごめんさう》から、お|背恰好《せかつかう》をお|話申《はなしまう》しましたら、お|二人《ふたり》さまは、どうか|其《そ》の|方《かた》に|一目《ひとめ》|会《あ》ひたいものだと|仰有《おつしや》るので、お|伺《うかが》ひに|参《まゐ》りました』
|玄《げ》『|別《べつ》にそんな|野郎《やらう》に|会《あ》ふ|必要《ひつえう》もなし、|見《み》た|事《こと》もない|男《をとこ》だが、|所望《しよまう》とあらば、|俺《おれ》も|一人《ひとり》だから、|退屈《たいくつ》ざましに|会《あ》つてやらう、ソツと|此方《こちら》へ|通《とほ》してみてくれ。|首実騒《くびじつけん》の|上《うへ》、|言葉《ことば》をかけてやるかやらぬかが|定《きま》るのだ』
|下《げ》『|左様《さやう》なら さう|申《まを》し|上《あ》げます』
と|言《い》ひながら|別《わか》れて|行《ゆ》く。|少時《しばらく》すると|二人《ふたり》はドヤドヤと|玄真《げんしん》の|居間《ゐま》にやつて|来《き》た。
コ『イヤー、|親方《おやかた》、どうも|久振《ひさしぶ》りだつたな、|一体《いつたい》|何処《どこ》をうろついとつたのだい、どれだけ|捜《さが》したか|知《し》れないワ、のうコオロ』
|玄真坊《げんしんばう》は|右手《めて》を|上《あ》げて|空中《くうちう》にふりながら、
『オイ|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|言《い》はないか、|近《ちか》うよれ|近《ちか》うよれ』
『ハイ』
と|言《い》ひながら|耳許《みみもと》に|両人《りやうにん》|共《とも》より|添《そ》うた。
|玄真《げんしん》『どうだ、タラハン|城《じやう》の|様子《やうす》は……|偵察《ていさつ》したか』
コブ『ハイ、|大変《たいへん》なこつてございますよ。タニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》で|吾々《われわれ》の|親分《おやぶん》になつてをつた、あのシヤカンナさまが|左守《さもり》の|司《かみ》となり、|娘《むすめ》のスバール|姫《ひめ》は|王妃殿下《わうひでんか》と|成上《なりあ》がり、|立《た》つ|鳥《とり》も|落《おと》すやうな|勢《いきほ》ひで、|城下《じやうか》の|人気《にんき》といつたら|素晴《すば》らしいものだ。|今日《こんにち》のシヤカンナは|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》でなく、もはや|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんしや》も|同様《どうやう》だ。|玄真僧都《げんしんそうづ》の|目的《もくてき》は、マアマアマアここ|百年《ひやくねん》や|二百年《にひやくねん》は|到底《たうてい》|立《た》ちますまいよ』
『|何《なん》と、|人《ひと》の|出世《しゆつせ》といふものは|分《わか》らぬものだの。ウン、さうか、あの|爺《おやぢ》、また|元《もと》の|左守《さもり》に|還元《くわんげん》しやがつたな。ヨーシ、それを|聞《き》くと、|俺《おれ》もむかついて|堪《たま》らぬ。|何《なん》だシヤカンナの|爺《おやぢ》が|一国《いつこく》の|棟梁《とうりやう》とは、チヤンチヤラ|可笑《をか》しいワ。しかし|両人《りやうにん》、|大分《だいぶ》に|稼《かせ》いだらうな』
『|稼《かせ》いでみましたが、ヤツとの|事《こと》で|両人《りやうにん》が|宿賃《やどちん》が|払《はら》へるくらゐなものです。しかしながら|金《かね》の|在所《ありか》は|沢山《たくさん》に|見届《みとど》けておききました。どうも|大将《たいしやう》の|知恵《ちゑ》を|借《か》りなくちや、|吾々《われわれ》の|手《て》に|合《あ》ひませぬワイ』
『フン、さうか、それぢや|今晩《こんばん》|一《ひと》つ、|何処《どつか》の|宝庫《むすめ》を|拐《かどは》かしてみようかい』
それより|三人《さんにん》は|浴湯《ゆ》をつかひ|夕食《ゆふしよく》を|了《をは》り、|又《また》もや|一間《ひとま》に|入《はい》つてコソコソと|大望《たいまう》|遂行《すゐかう》の|下準備《したじゆんび》の|相談《さうだん》をやつてゐた。
|三人《さんにん》はいよいよ|左守司《さもりづかさ》の|屋敷《やしき》へ|忍《しの》び|入《い》り、しこたま|金《かね》をふんだくらむと|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|扮装《いでたち》で|裏口《うらぐち》からソツと|抜《ぬ》け|出《だ》し、|町裏《まちうら》の|細路《ほそみち》を|伝《つた》うて、|左守《さもり》の|館《やかた》をさして|忍《しの》びゆく。|折柄《をりから》チヤン チヤン チヤン チヤンと|半鐘《はんしよう》の|声《こゑ》、|瞬《またた》く|内《うち》に|炎々《えんえん》|天《てん》を|焦《こが》してタラハン|市《し》の|目抜《めぬき》の|場所《ばしよ》と|聞《き》こえたる|広小路《ひろこうぢ》が|焼《や》け|出《だ》した。ほとんど|森閑《しんかん》として|山河草木《さんかさうもく》|居眠《ゐねむ》つてゐたやうな|星月夜《ほしづきよ》も、|俄《には》かに|目《め》を|醒《さま》したやうに、あたりが|騒《さわ》がしくなつて、|何処《どこ》の|家《うち》も|彼処《かしこ》の|家《うち》も|火消装束《ひけししやうぞく》でトビを|担《かた》げて|飛《と》び|出《だ》し、|危険《きけん》でたまらず、|三人《さんにん》はある|家《いへ》の|軒下《のきした》に|身《み》を|忍《しの》び、|又《また》もやコソコソと|相談《さうだん》を|始《はじ》め|出《だ》した。
|玄《げん》『オイ|今夜《こんや》はダメかも|知《し》れぬぞ。これだけ|何処《どこ》の|家《いへ》も|何処《どこ》の|家《いへ》も|一度《いちど》に|目《め》を|醒《さま》し、トビを|担《かた》げて|飛《と》び|出《だ》してゐやがるから、|街道《かいだう》の|混雑《こんざつ》といつたら|大変《たいへん》なものだ。こんな|晩《ばん》に|仕事《しごと》をしなくても|又《また》|明日《あす》の|晩《ばん》があるぢやないか』
コブ『|泥棒稼《どろぼうかせ》ぎには|持《も》つて|来《こ》いの|夜《よ》さですよ。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|火事《くわじ》の|方《はう》に|気《き》を|奪《と》られてるから、|火事泥《くわじどろ》といつて、|何処《どこ》かしことなし|火消《ひけし》に|化《ば》けて|飛《と》び|込《こ》むのですよ。|大泥棒《おほどろばう》はこんな|時《とき》に|限《かぎ》りますよ、のうコオロ』
コオ『ウンそらさうだ、|今《いま》|一番《いちばん》|現《げん》ナマを|余計《よけい》|持《も》つてる|奴《やつ》、|左守《さもり》の|司《かみ》といふことだ。|何時《いつ》も|彼奴《あいつ》の|家《うち》には|衛兵《ゑいへい》が|三四十人《さんしじふにん》はゐやうが、こんな|時《とき》はよほどの|大火事《おほくわじ》だから、|皆《みな》|火消《ひけ》しに|出《で》てゐやがるから|家《いへ》はがら|空《あき》だ。サ、|行《ゆ》かうぢやないか。ナ、|千万両《せんまんりやう》の|金《かね》をふんだくり、その|次《つぎ》にや|民衆《みんしう》を|買収《ばいしう》して、タラハン|城《じやう》の|転覆《てんぷく》を|企《くはだ》てるには|恰好《かつかう》の|時期《じき》だ。|玄真《げんしん》さま、こんなよい|機会《きくわい》はありませぬよ。|左守《さもり》の|屋敷《やしき》はすつかりと|査《しら》べておきましたから、|私《わたし》に|案内《あんない》さして|下《くだ》さい』
|玄真《げんしん》『|成《な》るほど、お|前《まへ》の|命令《めいれい》には|従《したが》はねばならぬのだつたな。ヤ、こんな|命令《めいれい》なら|服従《ふくじう》する』
と|言《い》ひながら、|自分《じぶん》の|身《み》に|災難《さいなん》が|罹《かか》るとは、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|知《し》る|由《よし》もなく、|火事《くわじ》の|騒《さわ》ぎに|紛《まぎ》れて|左守《さもり》の|裏門《うらもん》より、ソツと|三人《さんにん》とも|忍《しの》び|込《こ》んでしまつた。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 松村真澄録)
第一二章 |泥壁《どろかべ》〔一八〇一〕
|乱麻《らんま》の|如《ごと》く|乱《みだ》れたる タラハン|国《こく》の|内政《ないせい》も
スダルマン|太子《たいし》の|即位《そくゐ》より |施政方針《しせいはうしん》|一変《いつぺん》し
|左守《さもり》|右守《うもり》が|朝夕《あさゆふ》に |治国安民《ちこくあんみん》|国富《こくふう》を
|培《つちか》ひ|養《やしな》ひ|民心《みんしん》を |得《え》たれば|茲《ここ》に|国内《こくない》は
|漸《やうや》く|塗炭《とたん》の|苦《く》を|逃《のが》れ |万事万端《ばんじばんたん》|緒《ちよ》について
みろくの|御世《みよ》と|称《たた》へられ |下《しも》|国民《こくみん》は|一様《いちやう》に
|新王殿下《しんわうでんか》を|親《おや》の|如《ごと》 |主人《しゆじん》のごとく|師《し》のごとく
|尊敬《そんけい》|愛慕《あいぼ》しながらも |長《なが》き|春日《はるひ》は|闌《た》けて|行《ゆ》く
|山野《さんや》の|花《はな》は|散《ち》り|果《は》てて |新緑《しんりよく》|滴《したた》る|野《の》の|光《ひかり》
あなたこなたに|時鳥《ほととぎす》 |世《よ》の|太平《たいへい》を|謡《うた》ふをり
|好事《かうじ》|魔《ま》|多《おほ》しの|世《よ》の|譬《たとへ》 タラハン|城市《じやうし》の|目貫《めぬき》の|場《ば》
|行《ゆ》く|道《みち》さへも|広小路《ひろこうぢ》 |大廈高楼《たいかかうろう》たちまちに
|火焔《くわえん》の|舌《した》に|包《つつ》まれて |見《み》る|見《み》る|内《うち》に|倒壊《たうくわい》し
|数十軒《すうじつけん》の|豪商《がうしやう》は |将棋倒《しやうぎだふ》しとなりにける
この|虚《きよ》に|乗《じやう》じて|玄真坊《げんしんばう》 コブライ コオロの|両人《りやうにん》と
しめし|合《あは》せて|左守司《さもりがみ》 シヤカンナ|館《やかた》に|忍《しの》び|入《い》り
|金銀財宝《きんぎんざいほう》を|奪《うば》ひとり |日頃《ひごろ》の|大望《たいまう》|達《たつ》せむと
|神《かみ》ならぬ|身《み》の|悲《かな》しさに |吾《わ》が|身《み》に|危難《きなん》のかかるをば
つゆ|白煙《しらけむり》くぐりつつ |左守《さもり》が|館《やかた》の|裏門《うらもん》の
くぐりを|押《お》し|開《あ》け|忍《しの》び|入《い》る |遠《とほ》く|市中《しちう》を|見渡《みわた》せば
をりから|輝《かがや》く|月光《つきかげ》は |火焔《くわえん》に|包《つつ》まれ|墨《すみ》の|如《ごと》
|光《ひかり》を|失《うしな》ひ|慄《ふる》ひゐる その|光景《くわうけい》ぞ|凄《すさま》じき
この|機《き》に|乗《じやう》じて|三人《さんにん》は |奥《おく》の|間《ま》|深《ふか》く|忍《しの》び|入《い》り
|宝庫《ほうこ》の|錠前《ぢやうまへ》|捻《ね》ぢ|切《き》つて |躍《をど》り|込《こ》まむとする|時《とき》しも
|衛兵《ゑいへい》どもに|見付《みつ》けられ |一網打尽《いちまうだじん》に|三人《さんにん》は
|高手《たかて》や|小手《こて》に|縛《しば》られて |本城内《ほんじやうない》の|牢獄《らうごく》へ
|投《な》げ|込《こ》まれたるぞ|浅間《あさま》しき。
|玄真坊《げんしんばう》|外《ほか》|二人《ふたり》は|火事《くわじ》の|騒《さわ》ぎを|幸《さいは》ひに|左守《さもり》の|館《やかた》へ|忍《しの》び|込《こ》み、|宝庫《ほうこ》を|押《お》し|破《やぶ》つてシコタマ|財宝《ざいほう》を|奪《うば》はむと|働《はたら》くをりしも、|物蔭《ものかげ》に|隠《かく》れてゐた|十数《じふすう》の|衛兵《ゑいへい》に|苦《く》もなく|取押《とりお》さへられ、タラハン|城内《じやうない》の|営倉《えいさう》に|護送《ごそう》されて|一人々々《ひとりひとり》|独房《どくばう》に|投《な》げ|込《こ》まれてしまつた。
|火事《くわじ》は|漸《やうや》くにして|鎮《をさ》まり、|四方《しはう》より|集《あつ》まる|義捐金《ぎゑんきん》や|同情金《どうじやうきん》によつて|再《ふたた》び|元《もと》の|大商店《だいしやうてん》を|経営《けいえい》するの|運《はこ》びが|纏《まと》まり、|復興気分《ふくこうきぶん》が|漂《ただよ》うて|来《き》たので、そろそろ|三人《さんにん》の|泥棒《どろばう》を|調《しら》べに|取《と》りかかつた。まづ|第一《だいいち》に|玄真坊《げんしんばう》を|引出《ひきだ》し、|右守《うもり》の|司《かみ》のアリナが|調《しら》ぶることとなつた。
アリナは|厳然《げんぜん》として|高座《かうざ》に|控《ひか》へてゐる。|玄真坊《げんしんばう》は|後手《うしろで》に|括《くく》られたまま|白洲《しらす》に|引出《ひきだ》され|豪然《がうぜん》と|椅子《いす》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、やや|反《そ》り|身《み》となつて|右守《うもり》を|睨《にら》みつけ、|心《こころ》の|中《なか》で……「この|青二才《あをにさい》|奴《め》、|何《なに》を|猪口才《ちよこざい》な、まだ|口《くち》の|辺《あた》りに|乳《ちち》がついてゐる。|何《なに》ほどの|事《こと》があらう」と、|口《くち》をへの|字《じ》に|結《むす》んでアリナの|訊問《じんもん》を|待《ま》つてゐる。
アリナ『その|方《はう》の|姓名《せいめい》は|何《なん》と|申《まを》すか』
|玄《げん》『ヽヽヽヽヽ』
『その|方《はう》の|住所《ぢうしよ》|姓名《せいめい》を|明《あき》らかに|申《まを》せ』
『|拙者《せつしや》の|現住所《げんぢうしよ》はタラハン|城内《じやうない》の|第一牢獄《だいいちらうごく》だ』
『|姓名《せいめい》は|何《なん》と|言《い》ふか』
『|此《こ》の|方《はう》の|姓名《せいめい》を|聞《き》いて|何《なん》と|致《いた》す。たつて|名《な》を|名乗《なの》れとならば|言《い》はぬ|事《こと》もない、|吾《わ》が|名《な》を|聞《き》いて|驚《おどろ》くな。そもそも|吾《われ》こそは|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天真坊様《てんしんばうさま》といつて|左守《さもり》のシヤカンナが|兄弟分《きやうだいぶん》だ。|火事見舞《くわじみまひ》のためにシヤカンナの|館《やかた》へ|乗《の》り|込《こ》み|類焼《るゐせう》の|難《なん》を|怖《おそ》れ、|宝庫《ほうこ》の|宝物《ほうもつ》を|安全地帯《あんぜんちたい》へ|運《はこ》びやらむと、|取《と》るものも|取敢《とりあへ》ず|錠《ぢやう》を|捻《ね》ぢ|切《き》らむとするをりしも、|訳《わけ》も|分《わか》らぬ|木端武者《こつぱむしや》ども|横合《よこあひ》より|飛《と》び|出《だ》し、|盲滅法界《めくらめつぱふかい》に|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》を|科人扱《とがにんあつか》ひをなし、かやうな|所《ところ》へ|押《お》し|込《こ》みよつたのだ。その|方《はう》のごとき|青二才《あをにさい》には、たとへ|右守司《うもりのかみ》でも|相手《あひて》にはならない。|不審《ふしん》があればシヤカンナを|呼《よ》んで|来《こ》い、トツクリと|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》いて|聞《き》かせる|程《ほど》に、アーン……。こりや|青二才《あをにさい》、|俺《おれ》の|縛《ばく》を|解《と》かぬか、|煙草《たばこ》を|一服《いつぷく》|呑《の》ませ、|左守司《さもりのかみ》の|兄弟分《きやうだいぶん》を|斯《か》やうに|虐待《ぎやくたい》いたすものがあるものか、|不心得千万《ふこころえせんばん》にも|程《ほど》がある。|火事見舞《くわじみまひ》の|客《きやく》か|泥棒《どろばう》か|分《わか》らぬくらゐの|事《こと》で、どうして|一国《いつこく》の|右守《うもり》が|勤《つと》まると|思《おも》ふか、チト|確《しつか》り|致《いた》したがよからうぞ』
『しからばその|方《はう》に|尋《たづ》ねるが、|何《なに》ゆゑ|火事見舞《くわじみまひ》に|出《で》て|来《く》るのに|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》で|来《き》たのか、|何《なに》ゆゑ|兇器《きようき》を|持《も》つて|飛《と》び|込《こ》んで|来《き》たのか』
『ハツハハハハ、てもさても|分《わか》らぬ|右守《うもり》だな、|空《そら》からは|一面《いちめん》|火《ひ》の|粉《こ》の|雨《あめ》、|火事場《くわじば》へ|出《で》て|働《はたら》かうと|思《おも》へば|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》は|当然《あたりまへ》の|事《こと》だ。かの|消防隊《せうばうたい》を|見《み》よ、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|装束《いでたち》ぢやないか』
『|然《しか》らば|何《なに》ゆゑ|三尺《さんじやく》の|秋水《しうすゐ》を|閃《ひらめ》かして|這入《はい》つたか、その|理由《りいう》が|分《わか》らぬぢやないか、てつきり|泥棒《どろばう》が|目的《もくてき》ぢやらう』
『アツハハハハ、|訳《わけ》の|分《わか》らぬにも|程《ほど》があるわい。|俄《には》か|火消《ひけし》の|事《こと》とて|鳶《とび》もなし、|纏《まとひ》もなし、やむを|得《え》ず|丸太旅館《まるたりよくわん》の|火事羽織《くわじばおり》を|身《み》につけ、|武士《ぶし》の|魂《たましひ》たる|刀《かたな》を|提《ひつさ》げ|万一《まんいち》の|警戒《けいかい》に|備《そな》ふるためだ。かの|左守《さもり》の|屋敷《やしき》には|数十人《すうじふにん》の|衛兵《ゑいへい》がおのおの|武器《ぶき》を|携帯《けいたい》し、|三尺《さんじやく》の|秋水《しうすゐ》を|抜《ぬ》いて|警固《けいご》|厳《きび》しく|控《ひか》へてゐるぢやないか。|火事《くわじ》の|混雑《こんざつ》によつて|衛兵《ゑいへい》は|七八分《しちはちぶ》まで|消防《せうばう》の|応援《おうゑん》に|出掛《でか》け、|左守《さもり》の|館《やかた》は|実《じつ》に|不安《ふあん》きはまる|無防備《むばうび》も|同様《どうやう》、|兄弟分《きやうだいぶん》の|誼《よしみ》をもつて|二人《ふたり》の|部下《ぶか》を|引率《ひきつ》れ|応援《おうゑん》に|向《む》かつたのだ。かかる|親切《しんせつ》なる|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》に|対《たい》し、|青二才《あをにさい》の|分際《ぶんざい》として|訊問《じんもん》するとは|片腹痛《かたはらいた》いわい。|汝《なんぢ》ごとき|木端武者《こつぱむしや》に|話《はな》したところで|訳《わけ》が|分《わか》らうまい、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|左守《さもり》をこの|場《ば》に|呼《よ》んで|来《こ》い、キツと|黒白《こくびやく》が|分《わか》るだらう』
『その|方《はう》の|伴《ともな》うてゐた|両人《りやうにん》を|調《しら》べて|見《み》れば、|何《いづ》れも|泥棒《どろばう》の|目的《もくてき》で|這入《はい》つたと|申《まを》し|立《た》ててゐるぢやないか。|何《なに》ほど|汝《なんぢ》が|小利口《こりこう》に|抗弁《かうべん》するとも、|已《すで》にすでに|両人《りやうにん》の|自白《じはく》によつて|強盗《がうたう》に|忍《しの》び|入《い》つたのは|明白《めいはく》の|事実《じじつ》だ。たとへ|左守司《さもりのかみ》の|兄弟分《きやうだいぶん》だといつても、|国法《こくはふ》は|枉《ま》げる|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ、どうぢや|両人《りやうにん》の|自白《じはく》を|打《う》ち|消《け》す|勇気《ゆうき》があるか』
『アツハハハハ、|左様《さやう》な|愚問《ぐもん》を|発《はつ》する|奴《やつ》があるか、かやうな|事《こと》はいい|加減《かげん》に|片付《かたづ》けたがよからう。よく|考《かんが》へて|見《み》よ。コブライ、コオロの|両人《りやうにん》は、もとよりシヤカンナ|泥棒《どろばう》|親分《おやぶん》の|輩下《はいか》ぢやないか。タニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》に|立籠《たてこも》り、|民家《みんか》を|苦《くる》しめ|財物《ざいもつ》を|奪《うば》ひ|取《と》つた|鬼畜生《おにちくしやう》の|片割《かたわれ》だ。|彼等《かれら》|二人《ふたり》は|元《もと》よりシヤカンナ|泥棒《どろばう》の|輩下《はいか》だから、|人《ひと》の|家《いへ》へ|忍《しの》び|込《こ》めば|泥棒《どろばう》に|入《はい》つたと|早合点《はやがつてん》するのは|見《み》えすいた|道理《だうり》だ。|吾《われ》は|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》だ、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》だ。|何《なに》を|苦《くる》しんで|目腐《めくさ》れ|金《がね》に|目《め》をくれ、|左守《さもり》の|屋敷《やしき》へ|忍《しの》びこむ|道理《だうり》があらうぞ。|目《め》が|見《み》えぬにも|程《ほど》があるわい』
とどこまでも|押強《おしづよ》く、さすがの|右守《うもり》も|困《こま》り|果《は》て、
『まづ|今日《けふ》の|調《しら》べは、これで|惜《お》いておく、また|明日《あす》トツクリと|調《しら》べるであらう』
と|言《い》ひながら|白洲《しらす》の|奥《おく》へと|姿《すがた》をかくした。
|玄真坊《げんしんばう》は|二人《ふたり》の|小役人《こやくにん》に|引立《ひきた》てられ、もとの|牢獄《らうごく》へと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|玄真坊《げんしんばう》は|牢獄《らうごく》に|打《う》ち|込《こ》まれながら、|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|鼻唄《はなうた》を|歌《うた》つてゐる。
『|楽焼《らくやき》|見《み》たやうな|此方《こなた》の|顔《かほ》に
|惚《ほ》れるダリヤさまは|茶人《ちやじん》さま……と
なにほど|左守《さもり》が|威張《ゐば》つてみても
もとを|洗《あら》へば|泥棒《どろばう》さま……か
|泥棒《どろばう》|泥棒《どろばう》と|偉《えら》さうに|言《い》ふな
|左守《さもり》が|泥棒《どろばう》の|張本《ちやうほん》ぢやないか
|左守《さもり》シヤカンナの|泥棒《どろばう》でさへも
|娘《むすめ》のおかげで|世《よ》に|光《ひか》る……と
|子供《こども》|持《も》つなら|娘《むすめ》を|持《も》ちやれ
|親《おや》ももろとも|玉《たま》の|輿《こし》……と
タニグク|谷間《たにま》の|泥棒《どろばう》さまも
|今《いま》はタラハンの|左守《さもり》となつた
|左守《さもり》|左守《さもり》と|偉《えら》さうに|言《い》ふな
|井戸《ゐど》の|底《そこ》にもゐる|蠑〓《いもり》
|右守《うもり》か|左守《さもり》か|俺《わし》や|知《し》らねども
|井中《ゐなか》の|蠑〓《いもり》によく|似《に》てる
|井中《ゐなか》の|蠑〓《いもり》は|大海《たいかい》|知《し》らぬ
どうして|天帝《てんてい》の|心《こころ》が|分《わか》らう』
かかる|所《ところ》へ|守衛《しゆゑい》が|靴音《くつおと》|高《たか》くやつて|来《き》て、
『こりやこりや|坊主《ばうず》、|静《しづ》かにせぬかい、|何《なに》を|言《い》つてゐるのだ』
|玄《げん》『|守衛《しゆゑい》|守衛《しゆゑい》と|偉《えら》さうにさらす
|貴様《きさま》は|乞食《こじき》の|兄《あに》ぢやないか
|乞食《こじき》|番太《ばんた》に|坊主《ばうず》に|兵士《へいし》
まだも|悪《わる》いのは|下駄直《げたなほ》し』
|守《しゆ》『こりや|坊主《ばうず》、|貴様《きさま》は|自分《じぶん》の|事《こと》を|言《い》つてるぢやないか』
『|俺《おれ》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》の|身魂《みたま》
|頭《あたま》は|坊主《ばうず》に|化《ば》けてゐる
たとへ|頭《あたま》は|坊《ばう》さまぢやとて
|俺《おれ》の|霊《たましひ》は|天帝《てんてい》さまだ』
『エー、|仕方《しかた》のない|坊主《ばうず》だな、|静《しづ》かにしろ、|右守《うもり》さまに|報告《はうこく》するぞ』
『オイ、|守衛《しゆゑい》、|左守《さもり》、|右守《うもり》に|俺《おれ》がことづけしたと|言《い》つてくれ、……|俺《おれ》が|泥棒《どろばう》なら|貴様等《きさまら》もヤツパリ|泥棒《どろばう》だと|言《い》つてをつたと、これだけでいい、その|外《ほか》のことは|言《い》ふな、|貴様《きさま》の|身《み》の|破滅《はめつ》になるといけぬからのう』
|守衛《しゆゑい》はプリンと|体《からだ》をふり、|面《つら》をふくらし|一言《ひとこと》も|答《こた》へず、|靴《くつ》の|先《さき》で|牢獄《らうや》の|戸《と》を|二《ふた》つ|三《み》つ|蹴《け》りながら、|足早《あしば》やに|何処《どつか》へ|行《い》つてしまつた。
|玄真坊《げんしんばう》は|退屈《たいくつ》でたまらず、|獄中《ごくちう》に|縛《しば》られたまま|俄《には》か|作《づく》りの|経文《きやうもん》を|読《よ》み|出《だ》した。
『|摩訶般若波羅蜜多心経《まかはんにやはらみたしんぎやう》
|無限無量《むげんむりやう》|絶対力《ぜつたいりよく》の|権威《けんゐ》を|具備《ぐび》する|天帝《てんてい》の|御化身《ごけしん》、|最高第一天国《さいかうだいいちてんごく》の|天人《てんにん》|並《なら》びに|最奥霊国《さいあうれいごく》の|天人《てんにん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天真坊様《てんしんばうさま》は|不慮《ふりよ》の|災難《さいなん》によつて、|今《いま》やタラハン|城内《じやうない》の|狭隘《けふあい》なる|牢獄《らうごく》に|日夜《にちや》を|送《おく》る|身《み》となりぬ。そもそも|人《ひと》は|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》、|天地《てんち》の|花《はな》、|天人《てんにん》の|住所《すみか》なるにも|拘《かかは》らず|極悪無道《ごくあくぶだう》の|泥棒《どろばう》が|親分《おやぶん》、|左守司《さもりのかみ》と|化《ば》けすましたるシヤカンナが|今日《こんにち》の|暴状《ばうじやう》、|必《かなら》ずや|天地《てんち》の|神《かみ》は|怒《いか》らせ|玉《たま》ひ、|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》はまだ|愚《おろ》か、|大海嘯《おほつなみ》の|大襲来《だいしふらい》によつて|左守《さもり》|右守《うもり》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|大災害《だいさいがい》の|突発《とつぱつ》せむは|明瞭《めいれう》なり。アア|憐《あは》れむべし|盲滅法《めくらめつぱふ》の|世《よ》の|中《なか》、|天《てん》に|日月《じつげつ》|輝《かがや》くとも、|中空《ちうくう》に|黒雲《くろくも》|塞《ふさ》がりあれば、|天日《てんじつ》も|地《ち》に|達《たつ》せざる|道理《だうり》なり。アアバラモン|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》、|一時《いちじ》も|早《はや》く、|天変地妖《てんぺんちえう》の|奇瑞《きずゐ》を|示《しめ》し、この|城内《じやうない》を|初《はじ》めとし|全国《ぜんこく》の|民衆《みんしう》に|目《め》をさまさせ|玉《たま》へ。|吾《われ》はもとより|泥棒《どろばう》にも|非《あら》ず、また|左守《さもり》|右守《うもり》が|如《ごと》き|野心家《やしんか》にも|非《あら》ず、ただ|天《てん》が|命《めい》ずるままに|天意《てんい》を|行《おこな》ふのみ、|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|謹請再拝《ごんじやうさいはい》、|南無《なむ》バラモン|天王《てんわう》|自在天《じざいてん》、|吾《わ》が|願望《ぐわんまう》を|納受《なふじゆ》ましませ』
かかる|所《ところ》へ|右守司《うもりのかみ》は|玄真坊《げんしんばう》の|様子《やうす》いかにと|只一人《ただひとり》、|偵察《ていさつ》がてらやつて|来《き》たがこの|経文《きやうもん》を|聞《き》いて|吹《ふ》き|出《だ》し、
『オイ、|天帝《てんてい》の|化身殿《けしんどの》、|大変《たいへん》な|雄猛《をたけ》びでござるな。|一時《いちじ》も|早《はや》く|天変地妖《てんぺんちえう》の|奇瑞《きずゐ》が|見《み》せてもらひたいものだなア』
|玄《げん》『ヤア、よい|所《ところ》へやつて|来《き》た、その|方《はう》は|右守《うもり》のアリナじやないか、どうだ、|左守《さもり》と|相談《さうだん》して|来《き》たか』
|右《う》『|黙《だま》れ、|罪人《とがにん》の|分際《ぶんざい》として|何《なに》|御託《ごーたく》を|吐《ほざ》くのだ。|何《なん》といつても|泥棒《どろばう》の|目的《もくてき》で|忍《しの》び|込《こ》みながら、|千言万語《せんげんばんご》を|費《つひ》やしての|弁解《べんかい》も、|吾々《われわれ》の|聰明《そうめい》を|蔽《おほ》ふことは|出来《でき》ないぞ。ここ|二三日《にさんにち》の|間《あひだ》の|命《いのち》だ、|喰《く》ひたいものがあるなら|何《なん》なりと|言《い》へ。|今《いま》に|刑場《けいぢやう》の|露《つゆ》と|消《き》える|身《み》の|上《うへ》だから、この|世《よ》の|名残《なごり》に|何《なん》なりと|吐《ほざ》いておくがよからう。その|方《はう》の|罪《つみ》は|已《すで》に|死罪《しざい》と|定《きま》つてゐるのだ』
『ハツハハハハ、その|方《はう》が|何《なに》ほど|死罪《しざい》ときめても|神《かみ》の|方《はう》、この|方《はう》さまから|見《み》れば|無罪《むざい》でございだ。ともかく|左守《さもり》が|此処《ここ》へようやつて|来《こ》ん|事《こと》を|思《おも》へば、ヤツパリ|俺《おれ》が|恐《こは》いのだ。そらさうだ、|面《つら》の|皮《かは》|引《ひ》きむかれるのが|嫌《いや》さに|菎蒻《こんにやく》の|幽霊《いうれい》のやうに|慄《ふる》うてゐるのだらう。|憐《あは》れな|老骨《らうこつ》だな、イツヒヒヒヒ。|何《なに》ほど|自身《じしん》の|娘《むすめ》が|別嬪《べつぴん》で、|王妃殿下《わうひでんか》になつたといつても、その|父親《てておや》たる|自分《じぶん》が|泥棒《どろばう》の|親方《おやかた》では、|到底《たうてい》|一国《いつこく》の|政治《せいぢ》は|行《おこな》はれまい。|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》になればキツと|天下《てんか》は|取《と》れると、|国民《こくみん》に|国民教育《こくみんけういく》の|手本《てほん》を|見《み》せるやうなものだ。そんなことでタラハンの|国家《こくか》が|続《つづ》くと|思《おも》ふか。オイ|右守《うもり》、タラハン|国《こく》の|事《こと》を|思《おも》へば、さう|俺《おれ》が|言《い》つたと|左守《さもり》に|言《い》つてくれ。|俺《おれ》は|已《すで》にすでに|覚悟《かくご》はしてゐる、しかし|左守《さもり》に|一度《いちど》|会《あ》はねばならぬ。|死罪《しざい》なつと|五罪《ござい》なつと|勝手《かつて》にしたがよいわ。それまでに|是非《ぜひ》とも|左守《さもり》に|言《い》つておく|事《こと》がある。|左守《さもり》だつて|此《こ》の|世《よ》の|名残《なごり》に|会《あ》はぬと|言《い》ふ|事《こと》もあるまい』
アリ『|左様《さやう》な|世迷言《よまいごと》は|聞《き》く|耳《みみ》は|持《も》たない。ま|一度《いちど》|白洲《しらす》で|調《しら》べてやらう、|適確《てきかく》な|証拠《しようこ》が|上《あ》がつてゐるのだから』
と|言《い》ひながら|靴音《くつおと》|高《たか》く|此《こ》の|場《ば》を|去《さ》つた。|玄真坊《げんしんばう》は|又《また》もや|大《おほ》きな|口《くち》をあけ、|無恰好《ぶかつかう》の|目鼻《めはな》を|一緒《いつしよ》によせ、やけ|糞《くそ》になつて|都々逸《どどいつ》をやり|始《はじ》めた。
『|逃《に》げた|逃《に》げたよ|又《また》|逃《に》げた |玄真《げんしん》さまの|御威光《ごゐくわう》に|恐《おそ》れ
|右守《うもり》のアリナが|尻《けつ》に|帆《ほ》かけて スタコラヨイヤサと|逃《に》げ|失《う》せた
さても|憐《あは》れな|代物《しろもの》だ |左守《さもり》シヤカンナはさぞ|今《いま》ごろは
|吐息《といき》つくづく|机《つくゑ》に|向《む》かひ |昔《むかし》の|疵《きづ》を|思《おも》ひ|出《だ》し
|頭痛《づつう》|鉢巻《はちま》き|汗《あせ》タラタラと |薬鑵《やかん》もらしてゐるだらう
ア コラシヨ コラシヨと |家《いへ》を|建《た》てるのは|大工《だいく》さま
|壁《かべ》を|塗《ぬ》るのはシヤカンナだ |昔《むかし》の|古疵《ふるきづ》ゴテゴテゴテと
|泥《どろ》|塗《ぬ》り|隠《かく》すシヤカンナだ |娘《むすめ》の|光《ひかり》でピカピカピカと
|螢《ほたる》のやうな|光《ひかり》|出《だ》す |自分《じぶん》は|泥棒《どろばう》して|人《ひと》|苦《くる》しめて
|俺《おれ》を|泥棒《どろばう》と|苦《くる》しめる |泥棒《どろばう》するならしつかりやれよ
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》 |大黒主《おほくろぬし》の|領分《りやうぶん》を
|片手《かたて》に|握《にぎ》つて|立《た》つやうな わづかタラハン|一国《いつこく》の
|番頭《ばんとう》さまでは|気《き》が|利《き》かぬ |左守《さもり》か【いもり】か|知《し》らねども
|世間《せけん》の|狭《せま》い|親爺《おやぢ》どの ア コラサ コラサ』
と、|精神錯乱者《せいしんさくらんしや》のやうに|喋《しやべ》り|立《た》ててゐる。|格子窓《かうしまど》の|間《あひだ》から|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|蚊軍《ぶんぐん》が|襲撃《しふげき》する。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 北村隆光録)
第一三章 |詰腹《つめばら》〔一八〇二〕
|左守《さもり》の|司《かみ》の|館《やかた》の|離《はな》れ|座敷《ざしき》には、|戸障子《としやうじ》を|密閉《みつぺい》して|右守《うもり》、|左守《さもり》が|何事《なにごと》かひそびそ|密談《みつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
|右守《うもり》『|左守様《さもりさま》、|此《こ》の|間《あひだ》は|広小路《ひろこうぢ》の|大火《たいくわ》によりまして|大変《たいへん》にお|気《き》を|揉《も》ましましたが、その|後《ご》|何《なん》のお|変《かは》りもありませぬか。あの|混雑《こんざつ》にまぎれ|込《こ》み、|賊《ぞく》がお|館《やかた》に|忍《しの》び|込《こ》みなど|致《いた》しまして|大変《たいへん》|御心配《ごしんぱい》でございませう』
|左守《さもり》『イヤ|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うござる。ヤ、もう|年《とし》は|取《と》りたくないものだ。かうして|床《とこ》の|間《ま》の|置物《おきもの》のやうに|左守《さもり》の|司《かみ》となつてゐるが、|心《こころ》ばかり|焦《あせ》るのみで【やくたい】もない|事《こと》でござる。|谷蟆山《たにぐくやま》の|谷間《たにま》に|居《を》つた|時《とき》は、|何《なん》とかして|再《ふたた》び|元《もと》の|左守《さもり》となり、|国政《こくせい》の|改革《かいかく》をかうもやつて|見《み》やう、ああもやつて|見《み》やう、と|十年《じふねん》の|間《あひだ》|心胆《しんたん》を|砕《くだ》いてゐたが、|実地《じつち》に|当《あた》るとどうも|甘《うま》く|行《ゆ》かぬものだ。|自分《じぶん》の|心《こころ》では|確《しつか》りしてゐるやうに|思《おも》ふが、|何《なん》とはなしに|耄碌《もうろく》したとみえるわい』
『|左守様《さもりさま》、|何《なに》を|仰有《おつしや》いますか、あなたの|御名声《ごめいせい》は|大変《たいへん》な|人気《にんき》でございますよ、この|右守《うもり》も|貴方《あなた》の|御威光《ごゐくわう》によつて|歪《ゆが》みながらも|御用《ごよう》を|勤《つと》めさして|頂《いただ》いてをりますが、|行《ゆ》き|届《とど》かぬ|事《こと》ばかりで、さぞお|目《め》だるい|事《こと》でございませう。|国王殿下《こくわうでんか》は|未《いま》だ|御若年《ごじやくねん》でもあり、|左守様《さもりさま》に|気張《きば》つてもらはねば|到底《たうてい》タラハン|国《ごく》は|支《ささ》へられますまい』
『|賢明《けんめい》なる|国王殿下《こくわうでんか》といひ、|聰明《そうめい》なる|其方《そなた》といひ、タラハン|国《こく》の|柱石《ちうせき》はもはや【ビク】とも|致《いた》すまい。|吾《われ》は|老年《らうねん》、|気《き》ばかり|勝《か》つて|思《おも》ふやうに|体《からだ》が|動《うご》かない、|困《こま》つたものだ。|政務《せいむ》|一切《いつさい》を|其方《そなた》に|打《う》ちまかして|誠《まこと》に|済《す》まないと|思《おも》ふが、|若《わか》い|時《とき》の|辛労《しんらう》は|買《か》うてもせいと|言《い》ふから、どうか|一《ひと》つ|気張《きば》つて|下《くだ》さい。|自分《じぶん》は|床《とこ》の|間《ま》の|置物《おきもの》でゐるのだ』
『|何《なに》を|仰有《おつしや》います。|青二才《あをにさい》の|吾々《われわれ》、|何《なに》が|出来《でき》ますものか、みな|左守様《さもりさま》のお|指揮《しき》によつて、どうなりかうなり|御用《ごよう》が|勤《つと》まつてゐるのでございますから。|時《とき》に|左守様《さもりさま》、|広小路《ひろこうぢ》の|大火災《だいくわさい》の|夜《よる》お|館《やかた》へ|忍《しの》び|込《こ》んだ|泥棒《どろばう》について|昨日《さくじつ》|取調《とりしら》べましたところ、|大変《たいへん》な|事《こと》を|申《まを》しますので、|取調《とりしら》べを|中止《ちうし》し|牢獄《らうごく》につないでおきましたが、|又《また》しても|左守様《さもりさま》のお|名《な》を|引合《ひきあ》ひに|出《だ》しますので、|陪臣《ばいしん》の|手前《てまへ》|誠《まこと》に|困《こま》つてをります。|如何《いかが》いたせば|宜《よろ》しうございますか』
『この|左守《さもり》を|引合《ひきあひ》に|出《だ》す|泥棒《どろばう》とは|一体《いつたい》|何者《なにもの》でござるかな』
『|何《なん》でも|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|天真坊《てんしんばう》だとか|申《まを》してをります。そして|左守様《さもりさま》とは|兄弟分《きやうだいぶん》だと|主張《しゆちやう》しますので、|一応《いちおう》|伺《うかが》ひました|上《うへ》|取調《とりしら》べをしやうと|思《おも》ひまして、わざわざお|伺《うかが》ひ|致《いた》した|次第《しだい》でございます』
|左守《さもり》は|当惑《たうわく》さうな|顔《かほ》をしながら、
『|右守殿《うもりどの》、|大方《おほかた》それは|発狂者《はつきやうしや》でござらう。ともかく|拙者《せつしや》が|明日《みやうにち》|取調《とりしら》べてみませう。どうか|誰《たれ》も|来《こ》ないやうにして|下《くだ》さい』
『ハイ|畏《かしこま》りましてございます。それから、もう|二人《ふたり》の|泥棒《どろばう》も|天真坊《てんしんばう》と|同様《どうやう》に|左守殿《さもりどの》のお|名《な》を|引合《ひきあひ》に|出《だ》し、|左守《さもり》の|親分《おやぶん》に|会《あ》はせと|主張《しゆちやう》いたしてをります』
『その|二人《ふたり》の|泥棒《どろばう》の|名《な》は|何《なん》と|言《い》ひましたかな』
『ハイ、|一人《ひとり》はコブライといひ、|一人《ひとり》はコオロと|申《まを》しております』
『ハテナ、|谷蟆山《たにぐくやま》の|岩窟《がんくつ》に……』
と|言《い》ひかけて|俄《には》かに|言葉《ことば》を|切《き》り、
『|長《なが》らくの|間《あひだ》|拙者《せつしや》も|谷蟆山《たにぐくやま》の|奥《おく》|深《ふか》く|世《よ》を|忍《しの》んでをつたものだから|様子《やうす》も|分《わか》らず、また|如何《いか》なるものが|自分《じぶん》の|顔《かほ》を|見知《みし》つて|吾《わ》が|名《な》を|騙《かた》つてゐるかも|知《し》れますまい。|何《なに》はともあれ|三人《さんにん》の|泥棒《どろばう》を|右守殿《うもりどの》、そつと|吾《わ》が|館《やかた》へ|呼《よ》んで|来《き》て|下《くだ》さいますまいか。|内々《ないない》|取調《とりしら》べたい|事《こと》がござるによつて……』
『|左守様《さもりさま》の|仰《おほ》せとあらば、たとへ|掟《おきて》に|背《そむ》いても|呼《よ》んで|参《まゐ》りませう』
『いや|白洲《しらす》で|調《しら》べるのが|規則《きそく》であれど、この|左守《さもり》は|知《し》らるる|通《とほ》りの|老体《らうたい》、たうてい|足《あし》が|続《つづ》かないから、|吾《わ》が|館《やかた》で|取調《とりしら》べてみたいと|思《おも》ふのだ。|左守《さもり》は|一国《いつこく》の|宰相《さいしやう》、|吾《わ》が|家《や》で|調《しら》べやうと、|白洲《しらす》で|調《しら》べやうと|些《ち》つとも|差支《さしつか》へはない|筈《はず》だ。かかる|例《ためし》は|先王《せんわう》の|時代《じだい》から|幾度《いくど》もあつた|事《こと》だから』
『これはえらい|失言《しつげん》をいたしました。しからば|明日《みやうにち》はこれに|引《ひ》き|立《た》てて|参《まゐ》りますから、|篤《とつく》りお|調《しら》べを|願《ねが》ひます。|左様《さやう》なら』
と|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》を|述《の》べ|己《おの》が|館《やかた》へ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》に|左守《さもり》は|脇息《けふそく》にもたれ、|吐息《といき》をつきながら|独語《ひとりごと》。
『アア|人間《にんげん》の|行末《ゆくすゑ》ぐらゐ|果敢《はか》ないものはないなあ。|臥薪甞胆《ぐわしんしやうたん》|十年《じふねん》の|艱苦《かんく》を|凌《しの》いでヤツと|目的《もくてき》を|達成《たつせい》し、|元《もと》の|左守《さもり》となつて|国政《こくせい》を|改革《かいかく》し、|新王殿下《しんわうでんか》の|政治《せいぢ》の|枢機《すうき》に|参与《さんよ》する|身分《みぶん》となつたと|思《おも》へば|寸善尺魔《すんぜんしやくま》の|世《よ》の|中《なか》、|奸侫邪智《かんねいじやち》に|長《た》けたる|玄真坊《げんしんばう》が|泥棒《どろばう》となつて|入《い》り|込《こ》み、|右守《うもり》にまでもわが|古創《ふるきず》を|羅列《られつ》して|聞《き》かしたであらう。アー|情《なさ》けない。どうして|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》が|保《たも》たれやうか、|困《こま》つた|事《こと》になつたものだ。|自分《じぶん》は|心《こころ》より|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》となつてはゐなかつたが、タラハン|国《こく》を|思《おも》ふあまり|手段《しゆだん》を|選《えら》まなかつたのが|吾《わ》が|身《み》の|不覚《ふかく》だ。そして|今度《こんど》の|国政《こくせい》の|改革《かいかく》について|二百《にひやく》の|部下《ぶか》は|妨《さまた》げにこそなれ、|力《ちから》になつた|奴《やつ》は|一人《ひとり》もない。アア|世《よ》の|中《なか》は|正義公道《せいぎこうだう》を|踏《ふ》まねば|末《すゑ》の|遂《と》げられないものだなア』
|左守《さもり》は|来《こ》し|方《かた》|行末《ゆくすゑ》の|事《こと》など|思《おも》ひ|浮《う》かべて、その|夜《よ》は|一目《ひとめ》も|得眠《えねむ》らず|夜《よ》を|明《あか》してしまつた。
|烏《からす》は|塒《ねぐら》を|放《はな》れて|嬉《うれ》しげに|太平《たいへい》を|歌《うた》ひ、|雀《すずめ》はチユンチユンと|愉快気《ゆくわいげ》に|軒《のき》に|囀《さへづ》つてゐる。|左守《さもり》はこれを|眺《なが》めて|又《また》もや|独語《ひとりごと》、
『アア|私《わし》は|何故《なぜ》あの|烏《からす》に|生《うま》れて|来《こ》なかつたらう。|自由自在《じいうじざい》に|大空《たいくう》を|何《なん》の|憚《はばか》る|事《こと》もなく|前後左右《ぜんごさいう》に|〓翔《かうしやう》する|様《さま》はまるで|天人《てんにん》のやうだ。|雀《すずめ》は|無心《むしん》の|声《こゑ》を|放《はな》つて|千代千代《ちよちよ》とないてゐる。それにも|拘《かかは》らず、|神《かみ》の|生宮《いきみや》と|生《うま》れた|人間《にんげん》の|吾《わ》が|身《み》、|何故《なぜ》まアこれだけ|苦《くる》しみの|深《ふか》い|事《こと》だらう』
と|吐息《といき》を|漏《も》らしてゐるところへ、|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は|獄吏《ごくり》に|護《まも》られ|大手《おほで》を|振《ふ》りながら、|裏門《うらもん》を|潜《くぐ》つて|左守《さもり》の|居間《ゐま》の|庭先《にはさき》へやつて|来《き》た。|左守《さもり》は|玄真坊《げんしんばう》の|姿《すがた》を|見《み》るよりアツとばかりに|打《う》ち|驚《おどろ》き|卒倒《そつたう》せむとしたが、|吾《われ》と|吾《わ》が|手《て》に|気《き》を|取《と》り|直《なほ》し、
『やア|獄卒《ごくそつ》ども|御苦労《ごくらう》であつた。|三人《さんにん》の|者《もの》はこの|左守《さもり》が|預《あづ》かつておく。|早《はや》く|帰《かへ》つてくれ』
『ハーイ』
と|言《い》ひながら|獄卒《ごくそつ》は|逸早《いちはや》くこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》つた。|傍《かたはら》に|人《ひと》なきを|見《み》すました|玄真坊《げんしんばう》は、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなくツカツカと|座敷《ざしき》に|飛《と》び|上《あが》り、|左守《さもり》の|前《まへ》に|胡座《あぐら》をかき|黙然《もくぜん》として|左守《さもり》の|顔《かほ》を|睨《ね》めつけてゐる。コブライ、コオロの|両人《りやうにん》も|玄真坊《げんしんばう》の|左右《さいう》に|胡座《あぐら》をかき、|無雑作《むざふさ》に|控《ひか》へてゐる。
|左守《さもり》『ヤアお|前《まへ》は|玄真坊《げんしんばう》ぢやないか、|何処《どこ》を|迂路《うろ》ついてゐたのだ。さうしてダリヤ|姫《ひめ》は|手《て》に|入《い》つたのか、その|後《ご》の|経過《けいくわ》を|話《はな》してくれ』
|玄真《げんしん》『ハハハハハ、ダリヤはどうでもよいが、オイ|兄貴《あにき》、ずゐぶん|山《やま》カンが|当《あた》つたものだのう。|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》を|持《も》つたおかげで、|一国《いつこく》の|宰相《さいしやう》とまでなり|上《あが》つたのだから、ちつとはおごつて|貰《もら》つても|好《よ》かりさうなものだ。この|間《あひだ》もタラハン|市《し》の|火事《くわじ》と|聞《き》くより|兄貴《あにき》の|家《いへ》が|険呑《けんのん》と|思《おも》ひ、この|両人《りやうにん》と|共《とも》に|救援《きうゑん》に|向《む》かつたところ、|訳《わけ》のわからぬ|雑兵《ざふひやう》どもが|泥棒《どろばう》と|間違《まちが》へ|牢獄《らうごく》にぶち|込《こ》みよつたのだ。お|前《まへ》も|俺《おれ》の|危難《きなん》を|聞《き》かむでもなからうに、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》とはあまり|虫《むし》がよすぎるぢやないか。そしてあの|右守《うもり》の|青二才《あをにさい》|奴《め》、|俺《おれ》に|対《たい》して|無礼《ぶれい》の|言《こと》をほざきよつた。どうだ|兄貴《あにき》、|兄弟《きやうだい》の|誼《よしみ》で|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いてくれないか』
『|一体《いつたい》どうせいと|言《い》ふのだ』
『|外《ほか》でもない、あの|右守《うもり》を|免職《めんしよく》さしてその|後釜《あとがま》にこの|玄真坊《げんしんばう》を|直《なほ》すか、それも|叶《かな》はずば、|兄貴《あにき》が|右守《うもり》となり、|俺《おれ》を|左守《さもり》に|推薦《すゐせん》するか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|頼《たの》みを|聞《き》いてもらひてえのだ』
『|外《ほか》の|事《こと》なら|何《なん》でも|聞《き》いてやるが、オーラ|山《さん》で|泥棒《どろばう》をやつてをつたお|前《まへ》を、|左守《さもり》の|司《かみ》に|推薦《すゐせん》することは|到底《たうてい》|叶《かな》ふまい。|殿下《でんか》のお|許《ゆる》しが|無《な》いに|定《きま》つてゐるからのう』
|玄真坊《げんしんばう》は|大口《おほぐち》あけて|高笑《たかわら》ひ、
『ハハハハハ、オイ|兄貴《あにき》、そりや|何《なに》をいふのだ。|俺《おれ》はオーラ|山《さん》において|三千人《さんぜんにん》の|泥棒《どろばう》の|大親分《おほおやぶん》だぞ、|兄貴《あにき》は|僅《わづ》かに|二百人《にひやくにん》の|小泥棒《こどろばう》の|親分《おやぶん》ぢやないか、|二百人《にひやくにん》の|親分《おやぶん》が|左守《さもり》となつて、|三千人《さんぜんにん》の|大親分《おほおやぶん》が|左守《さもり》になれないといふわけがあるか。それはチと|勝手《かつて》な|理窟《りくつ》ぢやないか』
|左守《さもり》は「ウン」と|言《い》つたきり、|黙念《もくねん》として|頸《うな》だれる。コブライは|膝《ひざ》をにじりよせ、
『もし|親分《おやぶん》、あなたは|目的《もくてき》を|達《たつ》したらお|前《まへ》を|重臣《ぢうしん》に|使《つか》つてやらうと|仰有《おつしや》つたな。なア コオロお|前《まへ》だつてさうだらう。|毎日毎日《まいにちまいにち》|日課《につくわ》のやうに|聞《き》かされてをつたのだからのう。|俺《おれ》だつて|泥棒《どろばう》をしてゐたい|事《こと》はないが、|何分《なにぶん》|親分《おやぶん》の|命令《めいれい》を|忠実《ちうじつ》に|守《まも》つてやつて|来《き》たのだから、|親分《おやぶん》が|出世《しゆつせ》すりや|俺《おれ》|達《たち》も|出世《しゆつせ》するが|当然《あたりまへ》ぢやないか』
コオ『ウン、そりやその|通《とほ》りだ。もし|親分《おやぶん》、いや|左守《さもり》さま、この|瘠《やせ》つ|節《ぷし》を|買《か》つて|下《くだ》さるでせうなア』
|左守《さもり》『そりや|確《たし》かにお|前《まへ》|達《たち》にも|其《そ》の|約束《やくそく》はしておいた|筈《はず》だ。しかし|今日《こんにち》ではその|約束《やくそく》を|実行《じつかう》|出来《でき》ないのを|遺憾《ゐかん》とする。たとへわが|館《やかた》へ|応援《おうゑん》に|来《き》てくれたにもせよ、|護衛兵《ごゑいへい》の|目《め》を|忍《しの》び|裏門《うらもん》から|忍《しの》び|込《こ》み、|宝庫《ほうこ》の|錠前《ぢやうまへ》を|捻切《ねぢき》らうとしてゐたのだから、|誰《たれ》の|目《め》から|見《み》ても|泥棒《どろばう》としか|認《みと》められない。|今日《こんにち》は|最早《もはや》お|前方《まへがた》を|罪人《ざいにん》と|認《みと》める。|心易《こころやす》いは|常《つね》の|事《こと》、タラハン|国《こく》の|掟《おきて》は|枉《ま》げる|事《こと》は|出来《でき》ない。|三人《さんにん》とも|死罪《しざい》に|処《しよ》すべきが|掟《をきて》なれども、|兄弟分《きやうだいぶん》や|主従《しゆじう》の|誼《よしみ》で|俺《おれ》が|見逃《みのが》してやらう。サア|一時《いつとき》も|早《はや》く|裏門《うらもん》から|姿《すがた》を|隠《かく》したらよからう。|此《こ》の|上《うへ》タラハン|城《じやう》に|迂路《うろ》つけば|再《ふたた》び|捕縛《ほばく》せらるるであらう、さうすりやもう|俺《おれ》の|手《て》には|及《およ》ばない』
|玄真《げんしん》『エエ|仕方《しかた》がない、|今日《けふ》はおとなしく|帰《かへ》つてやらう、しかし|左守《さもり》、ずゐぶん|金《かね》が|溜《たま》つたらう、ちと|土産《みやげ》にくれないか、|金《かね》なしには|何所《どこ》へ|行《ゆ》くわけにもゆかないからな』
|左守《さもり》『そんなら|仕方《しかた》がない、お|前《まへ》が|忍《しの》び|込《こ》もうとしたあの|庫《くら》の|中《なか》の|有金《ありがね》をすつかりやるから、それを|持《も》つて|早《はや》く|姿《すがた》を|隠《かく》してくれ。|後《あと》は|私《わし》が|何《なん》とか|始末《しまつ》を|付《つ》けておくから』
|玄真《げんしん》『ヤ、|実《じつ》のところはお|察《さつ》しの|通《とほ》りその|金《かね》が|欲《ほつ》しかつたのだ。さすがは|兄貴《あにき》だ』
コブ『ヤアさすがは|親方《おやかた》……|金《かね》さへあれば|名《な》も|位《くらゐ》も|何《なに》も|要《い》らぬぢやないか』
コオ『|親分《おやぶん》|有難《ありがた》う、そんなら|遠慮《ゑんりよ》なしに|三人《さんにん》|分配《ぶんぱい》して|帰《かへ》ります』
これより|三人《さんにん》は|山吹色《やまぶきいろ》の|小判《こばん》を【しこたま】|身《み》につけ、|裏門《うらもん》より|木《こ》の|葉《は》|茂《しげ》れる|密林《みつりん》を|縫《ぬ》うて|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。|後《あと》に|左守《さもり》は|料紙《れうし》を|取《と》りよせ、|筆《ふで》の|跡《あと》も|麗々《れいれい》しく、|国王《こくわう》、|王妃《わうひ》|両殿下《りやうでんか》を|初《はじ》め|右守《うもり》に|当《あ》てたる|書置《かきおき》を|残《のこ》し、|自分《じぶん》は|白装束《しらしやうぞく》となつて、|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》の|祭《まつ》りある|神前《しんぜん》にて|腹《はら》|掻《か》き|切《き》り|立派《りつぱ》な|最後《さいご》を|遂《と》げた。
かかる|事《こと》とは|夢露《ゆめつゆ》|知《し》らぬ|右守《うもり》の|司《かみ》は、|様子《やうす》いかにと|再《ふたた》び|左守《さもり》の|館《やかた》を|訪《と》ひ、|案内《あんない》もなく|離棟《はなれ》の|座敷《ざしき》に|行《い》つて|見《み》れば、|左守《さもり》は|紅《あけ》に|染《そま》つて|縡《ことき》れてゐた。そして|其処《そこ》に|三通《さんつう》の|遺書《ゐしよ》が|認《したた》めてあつた。アリナは|取《と》るものも|取《と》りあへず、|自分《じぶん》|宛《あて》のを|封《ふう》|押《お》し|切《き》つて|読《よ》み|下《くだ》せば|左《さ》の|通《とほ》りであつた。
一、|拙者《せつしや》|事《こと》、|国王殿下《こくわうでんか》のお|見出《みいだ》しに|預《あづ》かり|日頃《ひごろ》の|願望《ぐわんまう》を|達《たつ》し、|国政《こくせい》に|参与《さんよ》の|栄《えい》を|担《にな》ひをり|候処《さふらふところ》、|今日《こんにち》|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|無頼漢《ぶらいかん》、|左守《さもり》たる|拙者《せつしや》に|向《む》かひ|無礼《ぶれい》の|言《げん》を|吐《は》き|候《さふらふ》も、これを|咎《とが》むるの|権威《けんゐ》なく、|止《や》むを|得《え》ず|金銭《きんせん》を|与《あた》へて|逃《に》げ|帰《かへ》らし|申《まを》し|候《さふらふ》。かくの|如《ごと》き|左守《さもり》の|処置《しよち》は|国王殿下《こくわうでんか》の|発布《はつぷ》されたる|法律《はふりつ》を|無視《むし》し、|且《か》つ|蹂躙《じうりん》せる|大罪《だいざい》にして、|到底《たうてい》|此《こ》のまま|職《しよく》に|留《とど》まるべき|資格《しかく》なく、|国家《こくか》の|大罪人《だいざいにん》なれば、|両殿下《りやうでんか》を|初《はじ》め、|右守殿《うもりどの》|其《そ》の|他《た》|国民《こくみん》|一般《いつぱん》に|対《たい》し|謝罪《しやざい》のため、|皺腹《しわばら》|切《き》つて|相果《あひは》て|申《まを》し|候《さふらふ》。|今後《こんご》は|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|殿下《でんか》を|輔《たす》け|奉《まつ》り、タラハン|国《ごく》の|基礎《きそ》を|益々《ますます》|鞏固《きようこ》ならしむべく、|奮励努力《ふんれいどりよく》あらむ|事《こと》を|願《ねが》ひ|申《まを》し|候《さふらふ》
|国家《こくか》の|大罪人《だいざいにん》 シヤカンナより
|右守殿《うもりどの》|参《まゐ》る
と|認《したた》めてあつた。アリナは|之《これ》を|見《み》るより|驚《おどろ》きながらもわざと|素知《そし》らぬ|顔《かほ》を|装《よそほ》ひ、|城中《じやうちう》に|参内《さんだい》して|両殿下《りやうでんか》に|事《こと》の|顛末《てんまつ》を|詳細《つぶさ》に|言上《ごんじやう》し、|二通《につう》の|遺書《ゐしよ》を|捧呈《ほうてい》した。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 加藤明子録)
第一四章 |障路《しやうろ》〔一八〇三〕
|玄真坊《げんしんばう》、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は|左守《さもり》の|情《なさ》けによつて、|漸《やうや》くに|死罪《しざい》を|免《まぬが》れ、|持《も》てるだけの|黄金《わうごん》を|胴巻《どうまき》に|押《お》し|込《こ》み、|重《おも》たい|腰《こし》をゆすりながら、|人跡《じんせき》|稀《まれ》なる|森林《しんりん》を|探《さぐ》りて、|一日一夜《いちにちいちや》|西《にし》へ|西《にし》へと|駈《か》け|出《だ》して|行《ゆ》く。|三人《さんにん》とも|身体《しんたい》|繩《なは》のごとくに|疲《つか》れ|果《は》て、|最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|歩《あゆ》めなくなつてしまつた。
コブ『モシ|玄真《げんしん》さま、なにほど|黄金《わうごん》を|沢山《たくさん》|貰《もら》つても|体《からだ》が|達者《たつしや》になるといふでもなし、|腹《はら》が|膨《ふく》れるといふでもなし、かうなつてみると|黄金《わうごん》も|何《なに》も|役《やく》に|立《た》たないものですな。|重《おも》たいばかりで、こんなこと|三日《みつか》も|続《つづ》けやうものなら、たうてい|命《いのち》はありませぬワ』
|玄真《げんしん》『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな、|金《かね》さへ|有《あ》れば、どんな|甘《うま》い|物《もの》でも|食《たべ》られるし、どんな|別嬪《べつぴん》でも|買《か》はふと|儘《まま》だ。|今日《こんにち》は|黄金万能《わうごんばんのう》の|世《よ》の|中《なか》だからのう、|着炭議員《ちやくたんぎゐん》に|成《な》らうとしても|五万《ごまん》や|十万《じふまん》の|金《かね》は|要《い》る。|短命内閣《たんめいないかく》の|総理大臣《そうりだいじん》に|成《な》らうて|思《おも》つても、|二千万両《にせんまんりやう》や|三千万両《さんぜんまんりやう》の|金《かね》が|要《い》るのだ』
『さうかも|知《し》れませぬが、かう|山林《さんりん》ばかし|跋渉《ばつせう》してゐては、|別嬪《べつぴん》も|見付《みつ》からず、|甘《うま》いもの|食《く》はうにも、|味無《あぢな》いもの|食《く》はうにも、テンで|店屋《みせや》も|無《な》いぢやありませぬか。|一千万円《いつせんまんゑん》の|包《つつみ》より|一升米《いつしやうごめ》が|貴《たふと》いやうに|私《わたし》は|思《おも》ひますわ。アーア|何《なん》とかして|食料《しよくれう》に|有《あ》りつきたいものだなア』
『そんな|弱音《よわね》を|吹《ふ》くな。もう|一日《いちにち》ばかり|走《はし》れば|安全地帯《あんぜんちたい》がある。そこへ|行《ゆ》けば|女郎《ぢよらう》もゐるし、どんな|綺麗《きれい》な|着物《きもの》でも|売《う》つてゐる。|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》も|待《ま》つてゐる。マ、そこまで|辛抱《しんばう》したが|可《よ》からう、|腹《はら》が|空《へ》つて|仕方《しかた》なければ|拇指《おやゆび》の|爪《つめ》なつと|甜《ねぶ》つてをれ。さうすりや|些《ちつ》とばかり|飢《う》ゑを|凌《しの》ぐ|事《こと》が|出来《でき》やうも|知《し》れぬ。あの|章魚《たこ》を|見《み》い、|章魚《たこ》は|食《く》ふ|物《もの》が|無《な》くなると、|自分《じぶん》の|足《あし》を|皆《みな》|食《く》つてしまふものだ』
『|人間《にんげん》を|章魚《たこ》に|譬《たと》へられちや|堪《たま》りませぬがな。お|前様《まへさん》こそタコ|坊主《ばうず》だから|足《あし》なつと|甜《ねぶ》つてをりなさい。コブライは|痩《や》せても|枯《か》れても|一人前《いちにんまへ》の|人間様《にんげんさま》だ。タコの|真似《まね》は|出来《でき》ませぬワイ、のうコオロ。もう|一足《ひとあし》も|歩《ある》けぬぢやないか』
コオ『|俺《おれ》も|苦《くる》しうてたまらぬが、|何処《どつか》でこのお|金《かね》をもつて|甘《うま》いものを|買《か》ひ、|別嬪《べつぴん》を|抱《いだ》いて|寝《ね》やうと|思《おも》へば、また|元気《げんき》が|出《で》て|来《き》て、|些《ちつ》とばかり|歩《ある》けるやうになるのだ。|何《なん》といつても|人間《にんげん》は|心次第《こころしだい》だ。もう|暫時《しばらく》だから|玄真坊様《げんしんばうさま》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|辛抱《しんばう》して|跟《つ》いて|行《ゆ》かうぢやないか。こんな|所《ところ》で|野垂死《のたれじに》しても|約《つま》らぬからの』
コブ『エー、|仕方《しかた》がない。またコンパスに|御苦労《ごくらう》をかけやうかな』
と|渋々《しぶしぶ》ながら|一二丁《いちにちやう》ばかり|進《すす》んで|行《ゆ》くと、|十手指叉《じつてさすまた》を|持《も》つた|十数人《じふすうにん》の|捕手《とりて》が、|身《み》を|没《ぼつ》するばかりの|萱草《かやぐさ》の|中《なか》から|現《あら》はれ|出《い》で、|三人《さんにん》を|取《と》りまいてしまつた。|右《みぎ》の|方《はう》は|千仭《せんじん》の|谷間《たにあひ》、|三方《さんぱう》は|捕手《とりて》に|囲《かこ》まれ|進退《しんたい》これ|谷《きは》まり|最早《もはや》これまでと、|三人《さんにん》|一度《いちど》に|青淵《あをぶち》めがけて、|九死《きうし》に|一生《いつしやう》を|僥倖《げうかう》せむものと、|命《いのち》の|安売《やすうり》をやつてみた。|捕手《とりて》は「アレヨアレヨ」と|眺《なが》めてをれど、|名《な》に|負《お》ふ|断岩絶壁《だんがんぜつぺき》|近《ちか》よることも|出来《でき》ず、みすみす|敵《てき》を|見捨《みす》てて、ブツブツ|小言《こごと》を|言《い》ひながら|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
○
|渺茫《べうばう》として|際限《さいげん》もなき|大原野《だいげんや》の|真中《まんなか》を、ただ|一人《ひとり》の|老人《らうじん》が|蚊《か》の|鳴《な》くやうな|声《こゑ》で|歌《うた》を|唄《うた》ひながら|通《とほ》つてゐる。
『|川《かは》の|流《なが》れと|人《ひと》の|身《み》の |行末《ゆくすゑ》こそは|不思議《ふしぎ》なれ
タラハン|城《じやう》に|仕《つか》へたる |吾《われ》は|左守《さもり》の|司《かみ》なるぞ
いつの|間《ま》にかは|知《し》らねども |限《かぎ》りも|知《し》らぬ|大野原《おほのはら》
さまよひ|来《き》たる|訝《いぶ》かしさ |道《みち》ゆく|人《ひと》も|無《な》きままに
|言問《ことと》ふ|由《よし》もなくばかり アアいかにせむ|千秋《せんしう》の
|恨《うら》みを|野辺《のべ》に|残《のこ》しつつ あへなき|最後《さいご》を|遂《と》ぐるのか
アア|浅《あさ》ましや|浅《あさ》ましや タラハン|城《じやう》の|方面《はうめん》は
|何処《いづこ》の|空《そら》に|当《あた》るやら |百里夢中《ひやくりむちう》にさまよひし
|吾《わ》が|身《み》の|上《うへ》こそ|悲《かな》しけれ |原野《げんや》に|千草《ちぐさ》は|生《は》えぬれど
|花《はな》も|実《み》もなき|枯野原《かれのはら》 |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》さへ|音《おと》もなく
|烏《からす》の|声《こゑ》さへ|聞《き》こえ|来《こ》ず |寂光浄土《じやくくわうじやうど》か|知《し》らねども
|天地《てんち》|一度《いちど》に|眠《ねむ》りたる |如《ごと》き|此《こ》の|場《ば》の|光景《くわうけい》は
|淋《さび》しさたとふる|物《もの》もなし ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|三五教《あななひけう》の|大御神《おほみかみ》 |導《みちび》き|玉《たま》へ|永久《とこしへ》の
|住処《すみか》と|定《さだ》めしタラハンの |城下《じやうか》に|建《た》ちし|左守家《さもりけ》へ
|思《おも》へば|思《おも》へば|人《ひと》の|身《み》の |行末《ゆくすゑ》こそは|果敢《はか》なけれ
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣直《のりなほ》す |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》は
|梅公別《うめこうわけ》の|師《し》の|君《きみ》ゆ |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《き》きつれど
|見直《みなほ》す|術《すべ》も|無《な》きままに |名《な》さへ|分《わか》らぬ|荒野原《あれのはら》
|吾等《われら》は|何《なん》の|罪《つみ》あつて かかる|処《ところ》へ|落《お》ちたのか
|合点《がてん》のゆかぬ|世《よ》の|中《なか》ぞ |憐《あは》れみ|玉《たま》へ|大御神《おほみかみ》
|導《みちび》き|玉《たま》へ|吾《わ》が|宿《やど》へ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》す|道《みち》ぢやげな |誠《まこと》の|力《ちから》といふ|事《こと》は
|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる |真《まこと》の|神《かみ》の|力《ちから》だろ
|人間界《にんげんかい》に|身《み》をおいて どうして|真《まこと》が|出《で》るものか
|真《まこと》の|力《ちから》の|神《かみ》さまよ |吾等《われら》の|淋《さび》しき|境遇《きやうぐう》を
|何《なに》とぞ|救《すく》ひ|玉《たま》へかし ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》 |一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|国《くに》
|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ |月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|活神《いきがみ》は |高天原《たかあまはら》に|神集《かむつど》ふ
などと|尊《たふと》き|宣伝歌《せんでんか》 |肝《きも》に|銘《めい》じて|忘《わす》れねど
|只《ただ》|一輪《いちりん》の|梅《うめ》さへも |開《ひら》いて|居《を》らぬこの|野辺《のべ》は
|地獄《ぢごく》の|道《みち》の|八丁目《はつちやうめ》 |八衢街道《やちまたかいだう》の|続《つづ》きだろ
かかる|淋《さび》しき|大野原《おほのはら》 さまよひ|来《き》たる|吾《わ》が|身《み》こそ
|前世《ぜんせ》|現界《げんかい》|相共《あひとも》に |無限《むげん》の|罪《つみ》を|重《かさ》ね|来《き》て
|神《かみ》の|懲戒《いましめ》うけながら |身魂《みたま》を|研《みが》いてをるのだろ
|死《し》んだ|覚《おぼ》えのない|吾《われ》は |幽冥界《いうめいかい》とも|思《おも》へない
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》が|此《この》|世《よ》にあるならば
|何《なに》とぞ|吾《わ》が|身《み》を|導《みちび》いて |恋《こひ》しき|吾《わ》が|家《や》にかやせかし
ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る』
かく|歌《うた》ひながら、|大野原《おほのはら》に|蚯蚓《みみづ》の|這《は》うたやうについた|細路《ほそみち》を|辿《たど》り|行《ゆ》くと、|土《つち》の|中《なか》からムクムクと|頭《あたま》だけが|動《うご》いてゐる。シヤカンナはこの|淋《さび》しい|原野《げんや》の|正中《まんなか》に|松露《しようろ》のやうな|頭《あたま》が|動《うご》いてゐるのは|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬと、|手《て》に|持《も》つた|杖《つゑ》で|二《ふた》つ|三《み》つこついてみると「アイタタ アイタタ」と|言《い》ひながら、|月《つき》が|山《やま》の|端《は》を|昇《のぼ》るやうに、チクリ チクリと|土《つち》から|抜《ぬ》け|出《い》で、|肩《かた》まで|現《あら》はして|来《き》た。よくよく|見《み》れば|玄真坊《げんしんばう》の|姿《すがた》そつくりである。シヤカンナは|驚《おどろ》いて、
『オイ、コラ、|汝《きさま》は|玄真坊《げんしんばう》ぢやないか。こんな|所《ところ》に|何《なに》をしてゐるのだ』
|玄真《げんしん》『ヤ、|私《わし》はお|前《まへ》にお|詫《わ》びをせにやならぬ|事《こと》があるのだ、|確《たし》かには|覚《おぼ》えてをらぬが、お|前《まへ》の|館《やかた》へ|行《い》つて|無理難題《むりなんだい》を|吹《ふ》きかけ、ドツサリ|金《かね》をぼつたくつて|帰《かへ》つた|天罰《てんばつ》で、|幽冥主宰《いうめいしゆさい》の|神《かみ》から|沢山《たくさん》な|黄金《わうごん》を|罰則《ばつそく》として|体《からだ》に|縛《しば》りつけられ、その|重《おも》みで|体《からだ》が|地《ち》の|中《なか》へにえ|込《こ》んでしまひ、|今《いま》ヤツとの|事《こと》で|首《くび》だけ|地上《ちじやう》へ|現《あら》はしたところだ。どうか「|許《ゆる》す」と|一言《ひとこと》|言《い》つてくれ。さうすりや|俺《おれ》の|罪《つみ》も|軽《かる》うなるだらうから……』
シヤ『|何《なん》だか|俺《おれ》は|足《あし》がヒヨロ ヒヨロするけれど、|体《からだ》が|軽《かる》くて|足《あし》が|地上《ちじやう》を|離《はな》れさうで|危険《きけん》でたまらないが、お|前《まへ》はまた|体《からだ》が|重《おも》いとは|不思議《ふしぎ》な|事《こと》だのう。それぢやお|前《まへ》の|首《くび》を|千切《ちぎ》つてやるから、|胴柄《どうがら》ぐらゐ|土《つち》に|托《たく》しておいたらどうだ。いづれ|遅《おそ》かれ|早《はや》かれ|土《つち》の|中《なか》へ|這入《はい》る|体《からだ》だからのう』
『オイ|兄貴《あにき》、そんな|無茶《むちや》なこと|言《い》うてくれない。|天一《てんいち》の|手品師《てじなし》なら、|首《くび》をチヨン|切《ぎ》つても|又《また》つげるだらうが、|俺《おれ》のはさうはいけないよ。どうか|兄貴《あにき》、|金剛力《こんがうりき》を|出《だ》して|俺《おれ》の|体《からだ》をグツと|引《ひ》き|上《あ》げてもらへまいかの』
『|体《からだ》を|引《ひ》き|上《あ》げといつたつて、|首《くび》から|下《した》が|埋《うづ》もつてゐるのだから、|手《て》をかける|所《ところ》もないぢやないか、それでも|強《た》つて|引《ひ》き|上《あ》げといふのなら、|両方《りやうはう》の|耳《みみ》を|掴《つか》んで|試《ため》しにやつてみやうかな』
『どうでも|可《よ》いから、ともかく|一寸《いつすん》でも|体《からだ》を|地上《ちじやう》へ|出《だ》してくれ、|苦《くる》しくて|堪《たま》らぬ、どうやら|地《ち》の|底《そこ》の|地獄《ぢごく》へ|引《ひ》つぱり|込《こ》まれさうだ』
「ヨーシ」と|言《い》ひながらシヤカンナは、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|冷《つめ》たい|手《て》で|冷《つめ》たい|耳《みみ》を|掴《つか》んでみたが、|磐石《ばんじやく》のごとくビクとも|動《うご》かない。さうかうしてる|所《ところ》へ、|又《また》もや|二人《ふたり》の|男《をとこ》が、|濡衣《ぬれぎぬ》を|纏《まと》ひながら、|力《ちから》なげにトボトボとやつて|来《く》る。シヤカンナは|後《あと》ふり|向《む》いて、
『ヤ、お|前《まへ》はコブライにコオロの|両人《りやうにん》、どして|又《また》こんな|淋《さび》しい|所《ところ》へやつて|来《き》たのだい』
コブ『ヤ、|親方《おやかた》でございますか、まづ|御壮健《ごさうけん》でお|芽出《めで》たう。|実《じつ》アはつきり|覚《おぼ》えませぬが、お|前《まへ》さま|所《ところ》で|金《かね》を|貰《もら》つて|帰《かへ》る|途中《とちう》|追手《おつて》に|出会《であ》ひ、|谷川《たにがは》へ|飛《と》び|込《こ》んだと|思《おも》や、|何時《いつ》の|間《ま》にかこんな|所《ところ》へ|来《き》てゐます。しかし|飛《と》び|込《こ》んだ|際《さい》に|折角《せつかく》|貰《もら》つた|山吹色《やまぶきいろ》はみんな|谷底《たにぞこ》へ|捨《す》ててしまひ、|今《いま》ぢや|欠《か》けた【かんつ】もございませぬが、どうか|親方《おやかた》、チツとばかりお|金《かね》を|恵《めぐ》んで|貰《もら》へますまいかな』
シヤ『|俺《おれ》だとてその|通《とほ》りだ。|一文生中《いちもんきなか》も|身《み》につけてゐないのだ。こんな|所《ところ》を|旅行《りよかう》するのに|家《いへ》もなし|店《みせ》もなし、|金《かね》が|要《い》るものかい。|腹《はら》が|減《へ》つたら|草《くさ》でも|千切《ちぎ》つて|食《く》つて|行《ゆ》くより|仕様《しやう》がないぢやないか』
コブ『ヤ、そこにゐるのは|玄真《げんしん》さまぢやないか、|何《なん》ぢやい、|首《くび》ばかり|出《だ》しやがつて、……サ、|起《お》きたり|起《お》きたり』
|玄真《げんしん》は|目《め》を|無性《むしやう》やたらにジヤイロコンパスのやうに|廻転《くわいてん》し|始《はじ》め、|口《くち》も|目《め》も|鼻《はな》も|一所《ひとところ》に|集中《しふちう》し、|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》をしきりに|活動《くわつどう》させ|出《だ》した。
シヤ『ヤ、こいつアどうやら|地獄落《ぢごくお》ちらしいぞ。まだ|黄金《わうごん》に|執着心《しふちやくしん》を|持《も》つてるらしいぞ、オイ、|玄真《げんしん》、すつぱりその|金《かね》を|思《おも》ひ|切《き》つてしまへ。そすりや|助《たす》かるだらう』
|玄真《げんしん》『ヤア、|何《なに》ほど|金《かね》が|欲《ほ》しうても、かう|苦《くる》しうては|慾《よく》にも|得《とく》にもかへられないワ、モウ|金《かね》はコリコリだ。|一文《いちもん》も|要《い》らない。オイ|黄金《わうごん》の|奴《やつ》、|今日《けふ》から|暇《ひま》をやるから|勝手《かつて》に|何処《どつか》へ|行《い》つてくれ』
と|言《い》ふが|否《いな》や、|子供《こども》の|玩具《おもちや》の|猿《さる》が|弓弾《ゆみはぢ》きに|弾《はぢ》かれたやうな|勢《いきほ》ひで、ポンと|地上《ちじやう》|三間《さんげん》ばかりも|飛《と》び|上《あが》り、ドスンとまた|元《もと》の|所《ところ》へ|落《お》ちて|来《き》た。
シヤ『オイ、|玄真坊《げんしんばう》、|慾《よく》といふ|奴《やつ》ア|怖《こは》いものぢやのう』
|玄真《げんしん》『|本当《ほんたう》にさうだ。おらモウ|金《かね》にはコリコリしたよ。しかしお|前《まへ》は|結構《けつこう》なタラハン|城《じやう》の|館《やかた》を|捨《す》てて、|何故《なぜ》|又《また》こんな|所《ところ》へ|来《き》たのだ。チツと|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬぢやないか、……ハハー、おほかた|俺《おれ》の|金《かね》が|惜《を》しうなつて、|追駈《おつか》けて|来《き》たのだな。それで|俺《おれ》を|器械仕掛《きかいじかけ》で|地《ち》の|中《なか》へ|電気《でんき》ででも|引張《ひつぱ》つてゐやがつたのだなア』
『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふない。|俺《おれ》はモウ|金《かね》なんか|見《み》るのも|厭《いや》だ。しかし|俺《おれ》は、|今《いま》フツと|思《おも》ひ|出《だ》したがお|前《まへ》を|逃《に》がした|跡《あと》で、たしかに|神様《かみさま》の|前《まへ》で|切腹《せつぷく》をして|果《は》てたつもりだが、|何故《なぜ》またこんな|所《ところ》へやつて|来《き》て|生《い》きてゐるのだろ。|丸《まる》で|狐《きつね》につままれたやうで、|現界《げんかい》か|幽界《いうかい》かチツとも|訳《わけ》が|分《わか》らないのだ。|一体《いつたい》ここは|何処《どこ》だと|思《おも》つてゐるか』
『サ、どうも|不思議《ふしぎ》でたまらぬのだ。お|前《まへ》の|話《はなし》を|聞《き》くと、お|前《まへ》が|俺《おれ》より|先《さき》|死《し》んだものとすれば、|先《さき》に|此所《ここ》へ|来《き》て|居《を》らにやならぬ|筈《はず》だ。|俺《おれ》たち|三人《さんにん》は|一日一夜《いちにちいちや》|山《やま》や|谷《たに》を|走《はし》つて|谷川《たにがは》へ|飛《と》び|込《こ》んだやうな|気《き》がする。それが|先《ま》づ|此処《ここ》へ|来《き》てる|筈《はず》がない。てもさても|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だのう』
コブ『コリヤどうしても、|玄真《げんしん》さま、|幽界旅行《いうかいりよかう》をやつてゐるのに|違《ちが》ひありませぬよ。|吾々《われわれ》はかうして|生《い》きてると|思《おも》つてるが|肉体《にくたい》はとうに|死《し》んでしまひ、|精霊体《せいれいたい》ばかりが|此所《ここ》へ|迷《まよ》うて|来《き》たのでせう。|霊界《れいかい》には|時間《じかん》|空間《くうかん》の|区別《くべつ》も|無《な》く、|遠《とほ》い|近《ちか》いもないさうだから、|先《さき》へ|死《し》んだ|者《もの》が|後《あと》へなるとも、|後《あと》から|死《し》んだ|者《もの》が|先《さき》へなるとも、そんなこた|分《わか》りませぬワイ。マア|死《し》んだものとしておけや、|後《あと》で|驚《おどろ》かいで|宜《よろ》しかろ』
コオ『オイ、コブライ、どうやらこりや|地獄街道《ぢごくかいだう》の|八丁目《はつちやうめ》らしいぞ。|困《こま》つた|事《こと》になつたものぢやないか』
|玄真《げんしん》『さうだ、ちよつと|面食《めんくら》つたな、|然《しか》しながらかうして|四人《よにん》の|道伴《みちづ》れが|出来《でき》た|以上《いじやう》は、|淋《さび》しさも|稍《やや》|薄《うす》らいで|来《き》たやうだ。とも|角《かく》、|地獄《ぢごく》でも|何処《どこ》でもかまはぬ、|行《ゆ》ける|所《とこ》まで|行《ゆ》かうぢやないか。|俺《おれ》|達《たち》や|元《もと》より|極楽《ごくらく》に|行《い》つて|無聊《むれう》に|苦《くる》しむよりも、|地獄《ぢごく》へ|行《い》つて|車輪《しやりん》の|活動《くわつどう》をやるが|望《のぞ》みだからのう』
コブ『そのお|説《せつ》はハル|山峠《やまたうげ》の|岩上《がんじやう》で|承《うけたまは》りましたね、サ、|行《ゆ》きませう。あまり|淋《さび》しいから|一《ひと》つ|行進歌《かうしんか》でも|唄《うた》はふぢやありませぬか』
|玄真《げんしん》『そら|面白《おもしろ》からう、まづ|俺《おれ》から|歌《うた》うてやる。
|限《かぎ》りも|知《し》らぬ|大野原《おほのはら》 ここは|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》
|八衢街道《やちまたかいだう》か|知《し》らねども |三人《みたり》の|家来《けらい》を|引《ひ》きつれて
|名《な》さへ|分《わか》らぬ|荒野原《あらのはら》 |進《すす》みゆくこそ|勇《いさ》ましき
もしも|此《この》|世《よ》に|天国《てんごく》が あるものとすりや|行《い》つてみやう
|無《な》ければ|是非《ぜひ》なく|地獄道《ぢごくだう》 |肩肱《かたひぢ》いからし|進《すす》まうか
しかし|此《この》|世《よ》に|地獄《ぢごく》とか |極楽《ごくらく》などがあるものか
どこまで|行《い》つても|此《こ》の|通《とほ》り |冷《つめた》い|風《かぜ》がピユーピユーと
|草《くさ》の|葉末《はずゑ》をなでながら |遠慮《ゑんりよ》もなしに|通《とほ》つてゐる
これがヤツパリ|地獄《ぢごく》だろ |何《なに》ほど|地獄《ぢごく》が|怖《こは》くとも
こんな|事《こと》なら|屁《へ》のお|茶《ちや》だ ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ
コラコラ|三人《みたり》の|家来《けらい》ども しつかり|後《あと》からついて|来《こ》よ
|落伍《らくご》をしても|知《し》らないぞ アレアレ|不思議《ふしぎ》アレ|不思議《ふしぎ》
|向方《むかふ》に|妙《めう》な|建物《たてもの》が チラチラ|吾《わ》が|目《め》につき|出《だ》した
こいつアやつぱり|現界《げんかい》か |現界《げんかい》ならば|尚《なほ》の|事《こと》
|一生懸命《いつしやうけんめい》にはしやいで |元気《げんき》をつけて|行《ゆ》かうかい
タラハン|城《じやう》を|占領《せんりやう》し |天晴《あつぱ》れ|国王《こくわう》と|成《な》りすまし
|羽振《はぶ》りを|利《き》かそと|思《おも》ふたに いつの|間《ま》にかは|知《し》らねども
こんな|所《ところ》へ|彷徨《さまよ》うて |東西南北《とうざいなんぼく》|方位《はうゐ》さへ
|分《わか》らぬ|今日《けふ》の|不思議《ふしぎ》さよ |向方《むかふ》に|見《み》ゆる|建物《たてもの》は
|鬼《おに》か|悪魔《あくま》の|住処《すみか》だろ サアサア|行《ゆ》かうサア|行《ゆ》かう
|何《なに》をビリビリしとるのだ もしも|地獄《ぢごく》があるならば
|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》を|引捉《ひつとら》へ |蝗《いなご》のやうに|竹串《たけぐし》に
|並《なら》べて|刺《さ》して|火《ひ》に|炙《あぶ》り |片《かた》つ|端《ぱし》から|食《く》てやろか
アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い |地獄《ぢごく》の|王《わう》の|御出立《ごしゆつたつ》
|鬼《おに》でも|蛇《じや》でもやつて|来《こ》い ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ』
などと|一生懸命《いつしやうけんめい》に|歌《うた》ひながら、|頭《あたま》を|前方《ぜんぱう》に|突出《とつしゆつ》し、チヨコチヨコ|走《ばし》りに|進《すす》んでゆく。|三人《さんにん》は|四五丁《しごちやう》ばかり|取《と》り|残《のこ》され、ヨボヨボと|細《ほそ》い|声《こゑ》で|行進歌《かうしんか》を|歌《うた》ひながらついて|行《ゆ》く。
|玄真坊《げんしんばう》は|足許《あしもと》ばかり|見詰《みつ》めて|突進《とつしん》した|途端《とたん》に|四辻《よつつじ》の|立石《たていし》に|頭《あたま》をぶつつけ、「キヤア、ウーン」と|言《い》つたきり、|其《そ》の|場《ば》に|蛙《かへる》をぶつつけたやうにふん|伸《の》びてしまつた。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 松村真澄録)
第一五章 |紺霊《こんれい》〔一八〇四〕
シヤカンナ、コブライ、コオロの|三人《さんにん》は、|玄真坊《げんしんばう》の|姿《すがた》を|見失《みうしな》はじと|行進歌《かうしんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》んで|来《く》る。コブライは|甲声《かんごゑ》を|絞《しぼ》りながら、
『|玄真坊《げんしんばう》の|慌《あわ》て|者《もの》 |大野ケ原《おほのがはら》を|吹《ふ》く|風《かぜ》に
|驚《おどろ》きをつたか|魂消《たまげ》たか |頭《あたま》を|先《さき》に|尻《しり》|後《あと》に
|突出《つきだ》しながら|不細工《ぶさいく》な スタイルさらして|行《ゆ》きよつた
|彼奴《あいつ》のやうな|慌《あわ》て|者《もの》 |生《う》みよつた|親《おや》の|面《つら》が|見《み》たい
|蛙《かはづ》のやうな|面《つら》をして トンビのやうな|尖《とが》り|口《ぐち》
もの|言《い》ふたびに|目《め》と|鼻《はな》と |口《くち》とを|一《ひと》つによせる|奴《やつ》
もしも|地獄《ぢごく》があつたなら |地獄《ぢごく》の|町《まち》の|見世物《みせもの》に
|出《だ》したらよつく|流行《はや》るだろ アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
オーラの|山《やま》に|立籠《たてこも》り ドエライ|山子《やまこ》を|企《たく》みよつて
|目算《もくさん》ガラリと|相外《あひはづ》れ ダリヤの|姫《ひめ》には|目尻《めじり》|下《さ》げ
|面《つら》を|草紙《さうし》に|使《つか》はれて |大《おほ》きな|恥《はぢ》をかきながら
|蛙《かへる》の|面《つら》に|水《みづ》かけた やうな|彼奴《あいつ》の|無神経《むしんけい》
|呆《あき》れてものが|言《い》はれない |又《また》もや|一《ひと》つの|大望《たいまう》を
|企《たく》むは|企《たく》んでみたものの これ|又《また》ドエライ|失敗《しつぱい》で
|火事場泥棒《くわじばどろぼう》のやり|損《そこ》ね |左守《さもり》の|館《やかた》で|捕《とら》へられ
|冷《つめた》い|牢屋《らうや》へブチ|込《こ》まれ |右守《うもり》の|司《つかさ》の|訊問《じんもん》を
シヤーツクシヤーの|呑気相《のんきそ》に |煙《けむ》りにまいて|答弁《たふべん》し
|左守《さもり》の|館《やかた》に|引《ひ》き|出《だ》され またも|御託《ごーたく》|相《あひ》ならべ
お|庫《くら》の|金《かね》を|取《と》り|出《だ》して |己《おの》がポツポへ|托《たく》し|込《こ》み
|夜昼《よるひる》なしに|山路《やまみち》を |走《はし》つた|揚句《あげく》に|情《なさ》けなや
|捕手《とりて》の|奴《やつ》に|見《み》つけられ |千尋《ちひろ》の|谷間《たにま》にザンブリと
|俺等《おいら》と|共《とも》に|飛《と》び|込《こ》んで |命《いのち》|死《し》せしと|思《おも》ひきや
こんな|所《ところ》へやつて|来《き》た |不思議《ふしぎ》も|不思議《ふしぎ》こんなまた
|不思議《ふしぎ》が|世界《せかい》にあるものか |玄真坊《げんしんばう》の|慌《あわ》て|者《もの》
アレアレあこに|倒《たふ》れてる |野壺《のつぼ》のはたのクソ|蛙《がへる》
|掴《つか》んで|大地《だいち》にぶちつけた やうなザマしてフン|伸《の》びて
ビリビリ|慄《ふる》うてけつからア |何《なん》と|因果《いんぐわ》な|奴《やつ》だなア
この|有様《ありさま》を|眺《なが》むれば お|気《き》の|毒《どく》でもあるやうだ
|又《また》また|小気味《こぎみ》がよいやうだ こんな|奴等《やつら》をただ|一人《ひとり》
|助《たす》けてみたとこで|仕《し》よがない とは|言《い》ふものの|俺《おれ》たちも
こんな|淋《さび》しい|街道《かいだう》を |行《ゆ》くのにや|人数《にんず》が|多《おほ》いほど
|心《こころ》が|丈夫《ぢやうぶ》になるやうだ |厭《いや》でも|応《おう》でも|助《たす》けよか
コラ コラ コラ コラ|玄真坊《げんしんばう》 |早《はや》くしつかりせぬかい』と
|胸《むね》と|頭《あたま》の|嫌《きら》ひなく グチヤ グチヤ グチヤと|踏《ふ》み|込《こ》めば
ウンとばかりに|呻《うめ》きつつ |息《いき》ふき|返《かへ》し|玄真坊《げんしんばう》
『アイタタタツタ アイタタタ |俺《おれ》の|頭《あたま》を|踏《ふ》みやがつた
|肋《あばら》の|骨《ほね》を|二三本《にさんぼん》 どうやらコブライが|折《を》りよつた
|元《もと》の|通《とほ》りにして|返《かへ》せ |親《おや》から|貰《もら》うた|大切《たいせつ》な
|一生《いつしやう》|使《つか》ふ|宝《たから》だぞ アイタタタツタ アイタツタ
コレコレシヤカンナ|左守《さもり》さま |私《わたし》の|仇《かたき》を|討《う》つとおくれ
どしても|虫《むし》がいえぬ|程《ほど》に ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|目玉《めだま》|飛《と》び|出《だ》しさうだわい』
などと、|体《からだ》も|動《うご》かぬ|癖《くせ》に|腮《あごた》ばかりを|叩《たた》いてゐる。
コブ『ハハハハ、オイ|玄真《げんしん》さま、|起《お》きたらどうだい。|体《からだ》も|動《うご》かぬくせに|毒《どく》つきやがつて|何《なん》のザマだ。サア|起《お》きたり|起《お》きたり、|起《お》きな|起《お》きぬでよいワ、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|放《ほ》つといて|行《ゆ》くからのう。|仇《かたき》|討《う》つてくれの|何《なん》のつて、|馬鹿《ばか》にするない』
|玄真《げんしん》『オイ、コブライ、さう|怒《おこ》るものぢやないワイ、とつくりと|話《はなし》を|聞《き》いてくれ。|仇《かたき》を|討《う》つてくれといふのは、この|途端《みちばた》の|立石《たていし》を|叩《たた》き|毀《こは》してくれと|言《い》ふのだ。こいつがあつたばかりに、|俺《おれ》がこんな|目《め》に|遇《あ》うたのだもの』
コブ『ナールほど、こいつア|怪体《けたい》な|石《いし》だな。ヨーヨー ヨーヨー ヨーヨー、|目《め》が|出《で》て|来《き》たぞ。それ|鼻《はな》だ、|口《くち》だ、|耳《みみ》まで|生《は》えて|来《き》たぞ。|此奴《こいつ》、|化立石《ばけたていし》だな』
|立石《たていし》は|俄《には》かに|白髪《しらが》の|姿《すがた》と|変《へん》じ、
『ギヤアハハハハ、コラ|耄碌《もうろく》ども、|俺《おれ》を|誰《たれ》だと|心得《こころえ》てをるか、|俺《おれ》は|月《つき》の|国《くに》でも|名高《なだか》い|小夜具染《さよぐぞめ》のお|紺《こん》といふ|鬼婆《おにばば》だぞ』
コブ『ナニ、|小夜具染《さよぐぞめ》のお|紺《こん》?、まるで|狐《きつね》みたいな|奴《やつ》だな。|小夜具染《さよぐぞめ》でも|椿染《つばきぞめ》でもかまふものかい。そんなヒヨロヒヨロした|婆《ばば》アの|態《ざま》をしやがつて、|偉《えら》さうな|口《くち》を|叩《たた》くない。|俺《おれ》を|何方《どなた》と|心得《こころえ》てけつかるのかい』
お|紺《こん》『ギユーフツフフフ』
『コラ、お|紺《こん》、ソーラ|何《なに》ぬかしてけつかるのだい。ギユフフフフとは|何《なん》だい。それほど|牛糞《ぎうふん》が|欲《ほ》しけら、そこらの|街道《かいだう》を|歩《ある》いて|来《こ》い、|馬糞《ばふん》も|牛糞《ぎうふん》も|沢山《たくさん》|落《お》ちてるワイ。おほかた|汝《きさま》ド|狐《ぎつね》の|化《ば》けそこねだろ』
『グツグツ|吐《ぬか》すと、【わいら】も|一緒《いつしよ》に|食《く》つてやろか。|折角《せつかく》|玄真《げんしん》の|野郎《やらう》を|食《く》つてやらうと|思《おも》へば、|汝達《きさまたち》が|出《で》て|来《き》やがつて|邪魔《じやま》をさらすものだから、いささか|困《こま》つてゐるのだ。エ、グヅグヅさらさずに|早《はや》く|何処《どつか》へ|行《ゆ》け。サアこれから|汝等《きさまら》が|通《とほ》つた|後《あと》は、このお|紺《こん》が|玄真坊《げんしんばう》の|体《からだ》を|叩《たた》きにして|団子《だんご》に|丸《まる》めて|食《く》つてやるのだ、ギヨーホツホホホホ、|何《なん》とはなしに|甘《うま》さうな|香《にほひ》がするワイ……のう』
|玄真《げんしん》『オイ、コブライ、シヤカンナの|兄貴《あにき》、コオロの|乾児《こぶん》、メツタに|俺《おれ》を|見捨《みす》てやせうまいの、この|婆《ばば》アを|平《たひ》らげてくれないか』
シヤ『ウーム、どしたら|可《よ》かろかの。コブライ、お|前《まへ》は|如何《どう》する|考《かんが》へだ?』
コブ『……………』
お|紺《こん》『|喧《やか》ましいワイ、|泥棒《どろばう》ばかりがよりやがつて、|何《なに》をゴテゴテ|言《い》ふのだ。|汝《きさま》の|成敗《せいばい》さるる|所《ところ》はこの|先《さき》にある、|楽《たの》しんで|行《い》つたがよからうぞ。この|玄真坊《げんしんばう》といふ|奴《やつ》、このお|紺《こん》といふ|女房《にようばう》があるにも|拘《かかは》らず、|梅香《うめか》といふスベタ|女郎《めらう》に|現《うつつ》をぬかし、|俺《おれ》に|空閨《くうけい》を|守《まも》らせた|無情《むじやう》|冷酷《れいこく》なクソ|爺《おやぢ》だ。その|恨《うら》みが|重《かさ》なつて|道端《みちばた》の|立石《たていし》となり、|玄真坊《げんしんばう》の|売僧《まいす》が、|通《とほ》りやあがつたら|通《とほ》りやあがつたらと、|寒《さむ》い|風《かぜ》に|吹《ふ》かれながら、|此所《ここ》に|待《ま》つてをつたのだ。サ、モウかうなりや|最早《もはや》|百年目《ひやくねんめ》、ジタバタしても|叶《かな》ふまい。|小夜具染《さよぐぞめ》のお|紺《こん》の|面《つら》を|見覚《みおぼ》えてをるだろな』
と|言《い》ひながら、カツカツと|喉《のど》を|鳴《な》らした|途端《とたん》に、パツパツと|火《ひ》を|吹《ふ》き|出《だ》し、|玄真坊《げんしんばう》の|禿頭《はげあたま》を、|紅蓮《ぐれん》の|舌《した》で|嘗《な》め|尽《つく》す。その|熱《あつ》さ|苦《くる》しさに、|玄真坊《げんしんばう》は|手足《てあし》をジタバタさせながら、|蚊《か》の|鳴《な》くやうな|声《こゑ》を|出《だ》して、
『オーイ、シヤカンナ、|助《たす》けてくれ|助《たす》けてくれ』
といふ|声《こゑ》さへも|次第々々《しだいしだい》に|細《ほそ》つてゆく。シヤカンナは|見《み》るに|見《み》かねて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に「|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》」と|天数歌《あまのかずうた》を|歌《うた》ひ|終《をは》るや、|小夜具染《さよぐぞめ》のお|紺《こん》の|姿《すがた》は|煙草《たばこ》の|煙《けむり》のごとくに、フワリフワリと|空中《くうちう》に|揺《ゆ》れながら|消《き》えてしまつた。
|不思議《ふしぎ》にも|玄真坊《げんしんばう》は|体《からだ》の|自由《じいう》が|利《き》き|出《だ》し、|又《また》もや|一行《いつかう》の|先《さき》に|立《た》ち、|性《しやう》こりもなく、|頭《あたま》を|先《さき》に|尻《しり》を|後《うし》ろにポイポイと|蝗《いなご》の|蹴《け》り|足《あし》よろしく、|細《ほそ》い|脛《すね》をふん|張《ば》りながら|進《すす》み|行《ゆ》く。|三人《さんにん》は|又《また》もや|玄真坊《げんしんばう》に|瞬《またた》く|内《うち》に|二三町《にさんちやう》ばかり|遅《おく》れてしまつた。
コブ『モシ、シヤカンナさま、よほど|玄真坊《げんしんばう》は|罪《つみ》な|男《をとこ》と|見《み》えますな。あのお|紺《こん》といふ|奴《やつ》、|一遍《いつぺん》|玄真坊《げんしんばう》と|結婚《けつこん》したに|違《ちが》ひありませぬナ、|玄真坊《げんしんばう》ぢやなくつても、あの|面《つら》では|私《わたし》だつて|厭《いや》になりますワ』
シヤ『サア|結婚《けつこん》か、お|紺《こん》か、み|紺《こん》か|知《し》らぬが|随分《ずゐぶん》むつかしい|御面相《ごめんさう》だつた。かやうな|妖怪《えうくわい》が|出没《しゆつぼつ》する|以上《いじやう》は、ヤハリ|地獄《ぢごく》の|八丁目《はつちやうめ》に|違《ちが》ひなからうよ。マアボツボツ|前進《ぜんしん》することにせうかい』
コブ『|何《なん》だかそこら|中《ぢう》が|淋《さび》しくなつたぢやありませぬか、まるきり|壺《つぼ》を|被《かぶ》つてるやうな|気分《きぶん》になりました。コオロ、お|前《まへ》はどうだ』
コオ『|俺《おれ》だつて、やつぱり|淋《さび》しいワイ。|然《しか》しながらお|紺《こん》でもお|半《はん》でもよいから、チヨイチヨイ|出《で》てくれると|退屈《たいくつ》ざましになつていいぢやないか。|玄真坊《げんしんばう》にやチツとばかり|気《き》の|毒《どく》だけれどのう』
コブ『サ、|御両人《ごりやうにん》、|参《まゐ》りませう』
と|言《い》ひながら|先《さき》に|立《た》ち、
『|思《おも》へば|思《おも》へば|不思議《ふしぎ》なる |妖怪変化《えうくわいへんげ》が|現《あら》はれて
|怪態《けたい》な|面《つら》を|見《み》せよつた |玄真坊《げんしんばう》の|慌《あわ》て|者《もの》
こんな|街道《かいだう》の|真中《まんなか》で よい|恥《はぢ》さらしをやりよつた
|彼奴《あいつ》もチツとは|良心《りやうしん》の かがやき|亘《わた》ると|相見《あひみ》えて
|俺等《おいら》|三人《みたり》を|後《あと》に|置《お》き |逃《に》げるが|如《ごと》くに|行《ゆ》きよつた
|思《おも》へば|思《おも》へば|可哀《かあい》さうぢやな サアサアこれから|気《き》をつけて
|行《ゆ》かねばどんな|妖怪《えうくわい》が |出現《しゆつげん》するかも|知《し》れないぞ
|気《き》をつけめされよ|御両人《ごりやうにん》 |八衢街道《やちまたかいだう》の|不思議《ふしぎ》さは
たうてい|現界《げんかい》ぢや|見《み》られない アア|面白《おもしろ》い|怖《おそ》ろしい
|恐《こは》い|悲《かな》しいジレツたい |思《おも》へば|思《おも》へば|情《なさ》けない
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |目玉《めだま》が|飛《と》び|出《だ》しさうだワイ』
|玄真坊《げんしんばう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|進行歌《しんかうか》を|唄《うた》つてゐる。
『アア|恥《は》づかしや|恥《は》づかしや |昔《むかし》の|俺《おれ》の|女房《にようばう》が
|執念深《しふねんぶか》くも|道端《みちばた》に |石《いし》の|柱《はしら》と|化《ば》けよつて
|俺《おれ》の|通《とほ》るを|待伏《まちぶ》せて どぎつい|憂目《うきめ》に|会《あ》はせよつた
ホンに|女《をんな》といふ|奴《やつ》は |仕末《しまつ》に|了《を》へぬ|代物《しろもの》だ
|優《やさ》しく|言《い》へばのし|上《あ》がる きつく|叱《しか》れば|吠《ほ》えくさる
|殺《ころ》してやつたら|化《ば》けて|出《で》る これは|天下《てんか》の|通弊《つうへい》だ
お|紺《こん》の|奴《やつ》は|俺《おれ》の|手《て》で |殺《ころ》した|覚《おぼ》えはなけれども
|悋気《りんき》の|深《ふか》い|奴《やつ》と|見《み》え |執念深《しふねんぶか》くも|化《ば》けて|出《で》て
|俺《おれ》を|食《く》はふと|言《い》ひよつた ても|怖《おそ》ろしい|婆《ばば》アだな
あんな|女《をんな》にかかつたら |黐桶《とりもちをけ》へ|両足《りやうあし》を
|突込《つつこ》んだよりもまだ|辛《つら》い |苦《くる》しい|思《おも》ひをせにやならぬ
|金《かね》と|女《をんな》といふ|奴《やつ》は |吾《わ》が|身《み》を|亡《ほろ》ぼす|仇敵《きうてき》と
|今《いま》や|漸《やうや》く|悟《さと》りけり とは|言《い》ふものの|何処《どこ》までも
|金《かね》と|女《をんな》は|捨《す》てられぬ |人《ひと》と|生《うま》れた|上《うへ》からは
どしても|女《をんな》と|黄金《わうごん》が |無《な》ければ|此《この》|世《よ》が|渡《わた》れない
|善悪《ぜんあく》たがひに|相混《あひこん》じ |美醜《びしう》たがひに|交《まじ》はつて
|此《この》|世《よ》の|総《すべ》てが|出来《でき》るのだ これを|思《おも》へば|地獄《ぢごく》だと
|言《い》つたところで|何《なに》|怖《こは》い |地獄《ぢごく》の|中《なか》にも|極楽《ごくらく》が
キツと|設《まう》けてあるだらう それを|思《おも》へば|幽冥《いうめい》の
|旅路《たびぢ》も|結局《けつきよく》|面白《おもしろ》い ドツコイドツコイ ドツコイシヨ
アイタタタタタツタ アイタタツタ |何《なん》だか|知《し》らぬが|足許《あしもと》に
|喰《くひ》つきよつたに|違《ちが》ひない |皆《みんな》の|奴《やつ》は|何《なに》してる
さつてもさてもコンパスの |弱《よわ》い|奴等《やつら》は|仕様《しやう》がない
|俺《おれ》はテクシーの|自動車《じどうしや》で |一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほ》ひで
こんな|所《とこ》までやつて|来《き》た |彼奴等《あいつら》|三人《みたり》の|姿《すがた》さへ
|吾《わ》が|目《め》に|入《い》らぬ|遅緩《もどか》しさ |一筋道《ひとすぢみち》のこの|街道《かいだう》
|外《ほか》へは|迷《まよ》ふはずがない アア|待《ま》ちどうや じれつたや
アイタタタタ アイタタツタ |又《また》もやこんな|街道《かいだう》の
どう|真中《まんなか》に|立石《たていし》が |出《で》しやばりやがつて|俺《おれ》|達《たち》の
|頭《あたま》をコンとやりよつた |今度《こんど》はさうは|行《ゆ》かないぞ
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ |七《なな》|八《や》|九《ここの》つ|十《たり》|百《もも》|千《ち》
|唱《とな》へてやつたら|滅茶々々《めちやめちや》に |烟《けむり》となつて|消《き》えるだろ
|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ |七《なな》|八《や》|九《ここの》つ|十《たり》|百《もも》|千《ち》
|万《よろづ》の|神《かみ》の|御降臨《ごかうりん》 ひとへに|仰《あふ》ぎ|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |恩頼《みたまのふゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》へ』
|不思議《ふしぎ》や|立石《たていし》は|煙《けむり》のごとく|中空《ちうくう》に|消《き》え|失《う》せてしまつた。|玄真坊《げんしんばう》は|何《なん》だか|前進《ぜんしん》するのが|俄《には》かに|恐《おそ》ろしいやうな|気《き》がし|出《だ》したので、しばらく|路傍《みちばた》に|佇《たたず》んで|三人《さんにん》の|落伍組《らくごぐみ》を|待《ま》つてゐると、|一行《いつかう》はヤツとの|事《こと》で|此《この》|場《ば》へ|追《お》つ|付《つ》き|来《き》たり、
シヤ『ヤ、とても|早《はや》いコンパスだのう、またお|紺《こん》に|出会《であ》つたのだろ』
|玄真《げんしん》『お|察《さつ》しの|通《とほ》り、お|紺《こん》か|何《なに》か|知《し》らぬが、|又《また》もや|石柱《いしばしら》が|飛《と》び|出《だ》しやがつて、|頭《あたま》をおコンと|打《う》たしやがつた。けれどもな、お|前《まへ》の|数歌《かずうた》の|受売《うけう》りをやつたところ、|烟《けむり》となつて、コツクリコと|消《き》えてしまつたのだ。てもさても|数歌《かずうた》の|威力《ゐりよく》といふものは|偉《えら》いものだワイ……と、このやうに|今《いま》|感《かん》じたところだ』
『オイ|玄真《げんしん》、|向方《むかふ》に|厳《いかめ》しい|赤門《あかもん》が|見《み》えるぢやないか』
『ウンさうだ、いよいよ|赤門《あかもん》だ。|何《なん》だか|小気味《こぎみ》が|悪《わる》いので、|実《じつ》アお|前《まへ》の|追付《おひつ》くのを|待《ま》つてゐたのだ』
『ハハハハ、ヤツパリ|偉《えら》さうにいつても、|心《こころ》の|大根《おほね》は|弱《よわ》い|所《ところ》があると|見《み》えるワイ。サ、|俺《おれ》が|先頭《せんとう》に|立《た》つから、お|前等《まへたち》|従《つ》いて|来《こ》い』
と|言《い》ひながら、シヤカンナは|一行《いつかう》の|前《まへ》に|立《た》ち|悠々《いういう》と|赤門《あかもん》に|近《ちか》づいた。|冥府《めいふ》の|規則《きそく》として|白赤《しろあか》の|守衛《しゆゑい》が|二人《ふたり》|厳然《げんぜん》と|控《ひか》へてゐる。
|赤《あか》『コリヤコリヤ、|其《その》|方《はう》は|何者《なにもの》だ』
シヤ『ハイ、|私《わたくし》はタラハン|城《じやう》の|左守《さもり》の|司《つかさ》シヤカンナと|申《まを》す|者《もの》でございます』
|赤《あか》は|横《よこ》に|細長《ほそなが》い|帳面《ちやうめん》を|繰《く》りながら、
『|成《な》るほど、お|前《まへ》さまの|命数《めいすう》は|尽《つ》きてゐる。すぐさま|天国《てんごく》へやつてやりたいは|山々《やまやま》だが、チツとばかり|八衢《やちまた》に|修業《しうげふ》をして|貰《もら》はねばならぬかも|知《し》れぬ、|何事《なにごと》も|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|御裁断《ごさいだん》を|仰《あふ》いだ|上《うへ》のことだ。サ、お|通《とほ》りなさい』
とシヤカンナの|尻《しり》を|叩《たた》けば、シヤカンナは|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》るごとく、フワフワフワと|門内《もんない》に|翔《た》つやうにして|這入《はい》つてしまつた。|赤《あか》は|玄真坊《げんしんばう》に|向《む》かひ、
『オイ|汝《きさま》は|玄真坊《げんしんばう》といふ|悪僧《あくそう》だらうがな。|汝《きさま》はどうしても|地獄代物《ぢごくしろもの》だ、|然《しか》しながら|未《ま》だ|命数《めいすう》が|残《のこ》つてゐる。|現界《げんかい》に|未《ま》だ|籍《せき》のある|奴《やつ》ア、ここの|管轄区域《くわんかつくゐき》ぢやない、サ、トツトと|帰《かへ》れツ』
|玄《げん》『なるほど、ずゐぶん|私《わたくし》は|悪僧《あくそう》でございます。|然《しか》しながら|一《ひと》つも|成功《せいこう》した|事《こと》はございませぬ。|何《いづ》れも|未遂犯《みすゐはん》でございますから、どうぞ|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さい』
|赤《あか》『エー、ゴテゴテ|言《い》ふな、|帰《かへ》れといつたら|帰《かへ》らぬか』
と|二銭胴貨《にせんどうくわ》のやうな|目玉《めだま》を|剥出《むきだ》せば、|玄真坊《げんしんばう》は|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|縮《ちぢ》こまつてしまふ。
|赤《あか》『オイ、そこなる|両人《りやうにん》、その|方《はう》もやつぱり|泥棒稼《どろぼうかせ》ぎをやつてゐる|奴《やつ》だろ、コブライにコオロと|言《い》ふだろ』
コブ『お|察《さつ》しの|通《とほ》りでございます』
コオ『|其《その》|通《とほ》りでございます』
|赤《あか》『|汝《きさま》もなかなか|罪《つみ》の|重《おも》い|奴《やつ》だが、|未《ま》だ|現界《げんかい》に|籍《せき》が|残《のこ》つてゐる。サア、|一時《いちじ》も|早《はや》く|立《た》ち|帰《かへ》れツ』
と|赤門《あかもん》をピシヤツと|閉《し》め、|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》と|共《とも》に|門内《もんない》に|姿《すがた》をかくした。|三人《さんにん》は|已《や》むを|得《え》ずトボトボと|元来《もとき》し|道《みち》を|七八丁《しちはつちやう》ばかり|引《ひ》き|返《かへ》したと|思《おも》へば、|自分《じぶん》の|耳元《みみもと》にやさしい|女《をんな》の|声《こゑ》が、|電話《でんわ》がかかつて|来《き》たやうな|程度《ていど》で|聞《き》こえて|来《く》る。|三人《さんにん》は|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|一度《いちど》にパツと|気《き》がつき|四辺《あたり》を|見《み》れば、|自分《じぶん》はタラハン|河《がは》の|河下《かはしも》に|何人《なにびと》かに|救《すく》ひ|上《あ》げられ、|沢山《たくさん》の|見物《けんぶつ》に|取《と》りまかれ、|一人《ひとり》の|綺麗《きれい》な|女《をんな》に|介抱《かいはう》されてゐた。この|女《をんな》はトルマン|国《ごく》を|抜《ぬ》け|出《だ》した|妖婦《えうふ》|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》であつた。
|以上《いじやう》は|甦《よみがへ》つた|玄真坊《げんしんばう》|以下《いか》の|幽界《いうかい》|想念《さうねん》の|幕《まく》である。
(大正一五・一・三一 旧一四・一二・一八 於月光閣 松村真澄録)
第三篇 |惨嫁僧目《さんかそうもく》
第一六章 |妖魅返《よみがへり》〔一八〇五〕
タラハン|城市《じやうし》を|西《にし》へ|距《さ》る|三十里《さんじふり》ばかりの|所《ところ》に|岩滝村《いはたきむら》といふ|小部落《せうぶらく》がある。|此所《ここ》には|魚ケ淵《うをがふち》といつて、|蒼《あを》み|立《だ》つた|可《か》なり|広《ひろ》い|水溜《みづたまり》があり、|沢山《たくさん》な|魚《うを》が|四季《しき》ともに|集中《しふちう》してゐる。|印度《いんど》の|国《くに》の|風習《ふうしふ》として|妄《みだ》りに|生物《いきもの》を|食《く》はないので、|魚類《ぎよるゐ》は|日《ひ》に|日《ひ》に|繁殖《はんしよく》するばかりであつた。|水《みづ》|一升《いつしよう》|魚《うを》|一升《いつしよう》と|称《とな》へらるるこの|魚ケ淵《うをがふち》へ|時々《ときどき》|漁《れふ》に|行《ゆ》く|首陀《しゆだ》があつた。|浄行《じやうぎやう》や|刹帝利《せつていり》や|毘舎《びしや》などは|決《けつ》して|魚《うを》を|漁《と》つたり、|殺生《せつしやう》などはやらないが、|首陀《しゆだ》となると|身分《みぶん》が|低《ひく》いため、|殆《ほと》んど|人間扱《にんげんあつか》ひをされてゐないので、|何《なに》ほど|殺生《せつしやう》をしても|神仏《しんぶつ》の|咎《とが》めは|無《な》いといふ|信念《しんねん》が|一般《いつぱん》に|伝《つた》はつてゐた。|然《しか》しながら|浄行《じやうぎやう》、|刹帝利《せつていり》、|毘舎《びしや》といへども、|生《い》きた|物《もの》を|食《く》はないばかりで、|店舗《てんぽ》に|売《う》つてゐる|魚《うを》ならば|代価《だいか》を|払《はら》つて|買求《かひもと》め、これを|食膳《しよくぜん》にのぼす|事《こと》は|別《べつ》に|殺生《せつしやう》とも|感《かん》じてゐないのである。
|夏木《なつき》|茂《しげ》れる|川縁《かはべり》の|木蔭《こかげ》に|腰《こし》|打《う》ちかけ|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りながら、|四五人《しごにん》の|首陀《しゆだ》が|魚漁《うをと》りの|用意《ようい》をやつてゐると、|淵《ふち》へ|舞込《まひこ》んで|来《き》た|三《みつ》つのコルブスがあつた。|首陀《しゆだ》は|先《ま》づ|岩上《がんじやう》からこのコルブスに|向《む》かつて|網《あみ》を|打《う》ちかけ、|漸《やうや》くにして|道傍《みちばた》に|拾《ひろ》ひ|上《あ》げてみたところ、|一人《ひとり》はどうしても|修験者《しゆげんじや》の|果《はて》らしく、|二人《ふたり》の|奴《やつ》はどこともなしに|泥棒《どろばう》らしい|面相《めんさう》をしてゐるので、|古寺《ふるでら》の|坊主《ばうず》を|呼《よ》び|葬式《さうしき》をすることとなつた。|泥棒《どろばう》なんかはその|死骸《しがい》を|虎狼《こらう》の|餌食《ゑじき》に|任《まか》して|省《かへり》みないが、|修験者《しゆげんじや》となれば|何《ど》うしても|捨《す》てておくわけには|行《い》かぬといふので、|珠露海《しゆろかい》といふ|吉凶禍福《きつきようくわふく》や|卜筮《ぼくぜい》などを|記《しる》した|経文《きやうもん》の|記事《きじ》を|案《あん》じて、|五行葬《ごぎやうさう》の|何《いづ》れに|為《な》さむかとやつてみたところ、この|修験者《しゆげんじや》は|何《ど》うしても|土葬《どさう》にせにやならぬ、といふ|占《うらなひ》が|出《で》たので、|村人《むらびと》が|寄《よ》つて|掛《かか》つて、|体《からだ》をそのまま|土《つち》の|中《なか》へ|埋《い》け、|印《しるし》を|立《た》てる|代《かは》りに|耳《みみ》から|上《うへ》|面《かほ》を|出《だ》しておいたのである。|五行葬《ごぎやうさう》の|中《なか》には|野葬《やさう》、|木葬《もくさう》、|火葬《くわさう》、|土葬《どさう》、|水葬《すゐさう》といふ|五《いつ》つの|葬式法《さうしきはふ》がある。そして|木葬《もくさう》といふのは、コルブスを|木《き》の|上《うへ》に|掛《か》けて|置《お》き、|風《かぜ》に|晒《さら》す|葬式法《さうしきはふ》である。この|珠露海《しゆろかい》の|卜筮《ぼくぜい》にかからない|者《もの》は|神《かみ》の|冥護《めいご》のない|者《もの》として、|死屍《しかばね》を|路傍《ろばう》に|捨《す》てて|置《お》く|事《こと》になつてゐた。かかる|所《ところ》へ|四十前後《しじふぜんご》の|美人《びじん》が|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|近《ちか》より|来《き》たり、|路傍《ろばう》に|遺棄《ゐき》してある|二《ふた》つの|死骸《しがい》を|眺《なが》めながら、
『あ、どこの|何人《なにびと》か|知《し》らぬが|可哀《かはい》さうに、コラ、|土佐衛門《どざゑもん》になつたところを|誰《たれ》かに|引《ひ》き|上《あ》げられたのだらう、まだ|着物《きもの》はズクズクになつてゐる。かふいふ|所《ところ》に|放《ほ》つて|置《お》けば|犬《いぬ》や|烏《からす》の|餌食《ゑじき》になるだらう。|何《なん》とかして|此奴《こいつ》を|助《たす》け|自分《じぶん》の|従者《じうしや》にしてやりたいものだなア。ウラナイ|教《けう》の|大神《おほかみ》|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さき》はひ|玉《たま》へ』
と|言《い》ひながら、|白《しろ》い|細《ほそ》い|鼈甲細工《べつかふざいく》のやうな|手《て》を|両人《りやうにん》の|額《ひたひ》にあて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》し|始《はじ》めた。|然《しか》しながら|何《なに》ほどウラナイ|教《けう》の|大神《おほかみ》を|念《ねん》じても|効験《ききめ》が|無《な》いので、|今度《こんど》は|試《こころ》みに、|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》と|神名《しんめい》を|変《か》へて|一心不乱《いつしんふらん》に|念願《ねんぐわん》すると、|両人《りやうにん》の|体《からだ》におひおひと|温《ぬく》みが|廻《まは》り、|半時《はんとき》ばかりの|後《のち》にやうやう|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、ムクムクと|起《お》き|上《あが》つて、|救命主《きうめいしゆ》の|大恩《だいおん》を|謝《しや》し、|涙《なみだ》ながらに|感謝《かんしや》した。この|女《をんな》はトルマン|城《じやう》を|脱出《だつしゆつ》した|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》である。|千草《ちぐさ》は|城内《じやうない》を|逃《に》げ|出《だ》してから、|人通《ひとどほ》りの|少《すく》なさうな|山野《さんや》を|選《えら》んで|此所《ここ》までやつて|来《き》たが、|初《はじ》めて|二人《ふたり》の|死者《ししや》を|甦《よみがへ》らせ、|得意《とくい》の|頂点《ちやうてん》に|達《たつ》し、
『コレコレお|前《まへ》|達《たち》は|何処《どこ》の|泥棒《どろばう》かは|知《し》らねども、この|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》が|此処《ここ》を|通《とほ》らなかつたならば、|玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》は|既《すで》に|已《すで》に|十万億土《じふまんおくど》といふ|所《ところ》へ|行《い》つてしまつて、|二度《にど》とふたたび|此《この》|世《よ》へ|帰《かへ》ることは|出来《でき》ないのだよ。|一体《いつたい》お|前《まへ》の|名《な》は|何《なん》といふ|名《な》だい、それを|聞《き》いておかねば、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》が|大《おほ》ミロク|様《さま》へお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げることが|出来《でき》ないからなア』
コブ『ハイ、|私《わたくし》はコブライと|申《まを》します。モ|一人《ひとり》はコオロと|申《まを》しまして、|実《じつ》はタラハン|城《じやう》の|左守《さもり》の|司《つかさ》の|幕下《ばくか》でございましたが、フトした|事《こと》から|勘当《かんだう》を|受《う》けまして|身《み》の|置《お》き|所《どころ》なく、タラハン|河《がは》へ|身《み》を|投《な》げましたのでございます。そこを|貴女様《あなたさま》にお|助《たす》けを|願《ねが》ひ、かやうな|嬉《うれ》しい|事《こと》はございませぬ』
|千草《ちぐさ》『ア、さうかいナ、そりやお|前《まへ》、|命《いのち》のよい|拾物《ひろひもの》だよ。この|千草姫《ちぐさひめ》は|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》ぢやありませぬぞえ。|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|大《おほ》ミロクの|太柱《ふとばしら》、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》と|申《まを》す|者《もの》だが、|衆生済度《しゆじやうさいど》の|為《ため》これから|月《つき》の|国《くに》|七千余国《しちせんよこく》を|巡歴《じゆんれき》するつもりだから、お|前《まへ》たち|二人《ふたり》はこの|千草《ちぐさ》の|両腕《りやううで》となつて、|天下《てんか》|国家《こくか》のために|大々的《だいだいてき》|活動《くわつどう》を|為《な》し、|天下《てんか》に|名《な》を|挙《あ》げる|気《き》はないかい。そしてお|前《まへ》たち|二人《ふたり》はどんな|悪《わる》い|事《こと》をしたのだい。|主人《しゆじん》から|勘当《かんだう》を|受《う》けるといふ|事《こと》は、よくよくの|事《こと》でなければ|無《な》いはずだが』
『ハイ、お|恥《は》づかしうございますが、|玄真坊《げんしんばう》といふ|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|称《しよう》する|修験者《しゆげんじや》の|泥棒様《どろばうさま》と|一緒《いつしよ》に、|左守《さもり》の|司《つかさ》の|館《やかた》へ|忍《しの》び|込《こ》み、|金庫《かねぐら》の|錠《ぢやう》を|捩折《ねぢを》つてるところを|捉《つかま》へられ、|牢獄《らうごく》へ|打込《ぶちこ》まれたのでございます』
『|何《なん》とまア、お|前《まへ》も、|面《つら》にも|似合《にあは》ぬ|悪党《あくたう》だな、アハハハハ。|善《ぜん》に|強《つよ》ければ|悪《あく》にも|強《つよ》いといふ|諺《ことわざ》もある、その|方《はう》が|却《かへ》つて|頼《たの》もしい。そしてその|玄真坊《げんしんばう》といふ|修験者《しゆげんじや》はどうなつたのかい』
『ハイ、|三人《さんにん》|一緒《いつしよ》に|身投《みな》げをしましたが、その|後《ご》|気絶《きぜつ》をしたものですから、どうなつた|事《こと》かかうなつた|事《こと》か、チツとも|存《ぞん》じませぬ』
『いかにも、そらさうだろ。|然《しか》しながら|此所《ここ》に|首《くび》だけ|出《だ》して|埋《い》けられてゐるコルブスがあるが、この|面《つら》にお|前《まへ》|覚《おぼ》えはないかの』
と|三間《さんげん》ばかりの|傍《かたはら》の|新墓《しんばか》を|指《さ》し|示《しめ》す。コブライ、コオロの|両人《りやうにん》は|一目《ひとめ》|見《み》るより、
|両人《りやうにん》『ア、|玄真《げんしん》さま……でございます。|何《なん》とマアえらい|事《こと》になつたものですな、どうぞ|此奴《こいつ》も|助《たす》けてやつて|下《くだ》さいますまいか。|私《わたし》たち|二人《ふたり》は|貴女《あなた》に|助《たす》けられたとは|聞《き》きますが、|死《し》んでゐたので|何《なに》も|分《わか》りませぬ。|本当《ほんたう》のこた、お|前《まへ》さまの|神力《しんりき》で|助《たす》かつたか、|又《また》はハタの|人《ひと》に|助《たす》けられたか|分《わか》りませぬが、|目《め》の|前《まへ》でこの|玄真《げんしん》さまを|助《たす》けて|下《くだ》さつたら、いよいよ|吾々《われわれ》|二人《ふたり》をお|前《まへ》さまが|助《たす》けて|下《くだ》さつたといふ|証拠《しようこ》になりますからなア』
|千草《ちぐさ》『コーラ、|奴《やつこ》、|何《なん》といふ|口《くち》はばつたい|事《こと》を|申《まを》すのだい。この|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》の|神力《しんりき》によつて|命《いのち》を|助《たす》けられながら、|左様《さやう》な|挨拶《あいさつ》があるものか。|然《しか》しながら|無智蒙昧《むちもうまい》な|人外人足《にんぐわいにんそく》だから|何《なに》も|分《わか》ろまい、|議論《ぎろん》よりも|実地《じつち》だ。それではお|前《まへ》の|疑《うたが》ひを|晴《は》らすために、|千草姫《ちぐさひめ》が|今《いま》|神力《しんりき》を|見《み》せてやらうぞや。この|修験者《しゆげんじや》が|助《たす》かつたが|最後《さいご》、どこまでもこの|千草《ちぐさ》に|絶対服従《ぜつたいふくじう》をするだらうナ』
コブ『そら、さうですとも。さうでなくても、あなたにどこまでも|従《したが》ひますと|約束《やくそく》をしたのですもの、|現当利益《げんたうりやく》を|見《み》せてもらへば|文句《もんく》はありませぬワ』
|千草《ちぐさ》『これから|私《わたし》がこの|修験者《しゆげんじや》を|甦《よみがへ》らして|見《み》せるから、キツと|神様《かみさま》のお|名《な》を|覚《おぼ》えてをつて、その|御神徳《ごしんとく》を|忘《わす》れないやうにするのだよ』
と|言《い》ひながら、|首《くび》から|上《うへ》へ|出《で》てゐるコルブスの|額《ひたひ》に|白《しろ》い|柔《やは》らかい|手《て》をあて、「ウラナイ|教《けう》の|大神《おほかみ》|救《すく》ひ|玉《たま》へ|助《たす》け|玉《たま》へ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》」と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し、|祈《いの》れど|祈《いの》れどビクともせぬ、|甦《よみがへ》りさうな|気配《けはい》もない。|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》は|二人《ふたり》の|前《まへ》で|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》いた|手前《てまへ》、どうしても|此奴《こいつ》を|生《い》かさねばおかぬと|益々《ますます》|一生懸命《いつしやうけんめい》になる。ほとんど|半時《はんとき》ばかり|祈《いの》れど|願《ねが》へど、やつぱりコルブスは|氷《こほり》のごとく|冷《つめ》たい。さすがの|千草《ちぐさ》も|我《が》を|折《を》り、「|三五教《あななひけう》の|大御神《おほみかみ》|守《まも》り|玉《たま》へ|許《ゆる》し|玉《たま》へ」と|宣直《のりなほ》した。|忽《たちま》ち|額《ひたひ》に|温《ぬく》みが|廻《まは》り、|青黒《あをぐろ》い|面《つら》は|鮮紅色《せんこうしよく》を|帯《お》びて|来《き》た。|千草《ちぐさ》は|此処《ここ》ぞと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に「|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さき》はひ|玉《たま》へ」と|祈《いの》るにつれ、|大地《だいち》はビリビリと|震《ふる》ひ|出《だ》し、コルブスを|中心《ちうしん》として|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|地割《ぢわれ》がなし、「ウン」と|一声《ひとこゑ》|霊《れい》をかけるや|否《いな》や、|玄真坊《げんしんばう》の|死体《したい》は|三間《さんげん》ばかり|中天《ちうてん》に|飛上《とびあ》がり、ドスンと|元《もと》の|所《ところ》へ|落《お》ちた|拍子《ひやうし》にパツと|気《き》がつき、|目鼻《めはな》を|一所《ひとところ》へよせて、|四辺《あたり》を|二三回《にさんくわい》|見廻《みまは》しながら、
『ヤ、|其処《そこ》にゐるのは、コブライにコオロぢやないか。あーア、|恐《こは》い|夢《ゆめ》を|見《み》たものだのう』
コブ『もし、|玄真坊《げんしんばう》さま、|夢《ゆめ》どころの|騒《さわ》ぎぢやありませぬよ。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|追手《おつて》に|出会《であ》つて|進退《しんたい》|谷《きは》まり、|谷川《たにがは》へ|投身《とうしん》して|已《すで》に|土佐衛門《どざゑもん》となつてをつたところ、|村人《むらびと》に|死体《したい》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げられ、お|前《まへ》さまは|修験者《しゆげんじや》の|事《こと》とて、|首《くび》だけ|出《だ》して|鄭重《ていちよう》に|葬《はうむ》られてあつたが、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|地上《ちじやう》に|遺棄《ゐき》されてゐたのだ。そこへ|此《こ》のお|姫《ひめ》さまが|通《とほ》りかかつて、|霊《れい》とか|何《なん》とかをかけて|助《たす》けて|下《くだ》さつたのですよ。|現《げん》にお|前《まへ》さまを|助《たす》けて|下《くだ》さつたのを|実地目撃《じつちもくげき》したのはこのコブライ、コオロ、サアサアお|礼《れい》を|申《まを》しなさい。このお|姫《ひめ》さまでございますワイ』
|玄真《げんしん》『あ、これはこれは、よくまアお|助《たす》け|下《くだ》さいました。てもさても|御容貌《ごきれう》のよいお|姫《ひめ》さまでございますこと、エヘヘヘヘ。これといふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》でございませう。まるきり|暗《やみ》の|国《くに》から|日出国《ひのでのくに》へ|生《うま》れ|変《かは》つたやうな|気分《きぶん》がいたします。|命《いのち》の|親《おや》のお|姫《ひめ》さま、これから|如何《どん》な|事《こと》でも|貴女《あなた》の|御用《ごよう》なら|勤《つと》めますから、どうぞ|可愛《かはい》がつて|使《つか》つて|下《くだ》さいませや』
|千草《ちぐさ》『ホホホホ、|何《なん》とまア、これだけ|念入《ねんい》りに|不細工《ぶさいく》に|出来上《できあ》がつた|面《つら》は|見《み》た|事《こと》はありませぬワ。|然《しか》しながら、どこともなしにキユーバーさまに|似《に》た|所《ところ》があるやうだ。これからお|前《まへ》さまも、この|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》がおイドを|拭《ふ》けというたら、おイドでも|拭《ふ》くのですよ。|命《いのち》を|助《たす》けてもらうた|御恩返《ごおんがへ》しと|思《おも》うて、|口答《くちごた》へ|一《ひと》つしちや|可《い》けませぬぜ』
『ヤ、どんな|事《こと》でも|承《うけたまは》りませうが、お|尻《しり》を|拭《ふ》くことだけは、|私《わたし》の|人格《じんかく》に|免《めん》じて|許《ゆる》して|頂《いただ》きたいものです。あなたの|尻拭《しりふ》きするくらゐなら、|助《たす》けてもらはぬ|方《はう》が|何《なに》ほど|幸福《かうふく》か|知《し》れませぬからなア』
『ホホホ、|嘘《うそ》だよ|嘘《うそ》だよ、お|前《まへ》さまの|面《つら》はちよつと|人並《ひとな》み|優《すぐ》れて|変《かは》つてゐるが、どこともなしに|目《め》の|奥《おく》に|才気《さいき》が|満《み》ちてゐるやうだ。お|前《まへ》さまを|何《なに》かの|玉《たま》に|使《つか》つて、|一《ひと》つ|仕事《しごと》をやつたら|面白《おもしろ》からう』
『ヤ、そこまで|私《わたし》の|器量《きりやう》を|認《みと》めて|頂《いただ》けば|満足《まんぞく》です。|私《わたし》も|今《いま》はかうなつて、みすぼらしい|風《ふう》を|致《いた》してをりますが、オーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》り、シーゴー、|依子姫《よりこひめ》などの|豪傑《がうけつ》を|幕下《ばくか》に|使《つか》ひ、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|従《したが》へ、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》を|吾《わ》が|手《て》に|握《にぎ》らむと|計画《けいくわく》してゐた|天晴《あつぱ》れな|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ』
『あ、お|前《まへ》さまが、あの|名高《なだか》いオーラ|山《さん》の|山子坊主《やまこばうず》だつたのか。ヤ、そらよい|所《ところ》で|会《あ》うた、|佳《よ》い|者《もの》が|見付《みつ》かつた、よい|拾物《ひろいもの》をした。さア、これからお|前《まへ》さまと|夫婦《ふうふ》と|化《ば》け|込《こ》んで、|一《ひと》つ|仕事《しごと》をやらうぢやないか』
『なるほど、|面白《おもしろ》からう、|夫婦《ふうふ》にならうと|言《い》うたな、その|舌《した》の|根《ね》の|乾《かわ》かぬ|内《うち》に|女房《にようばう》と|呼《よ》んでおく。コラ|女房《にようばう》、|千草姫《ちぐさひめ》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天真坊《てんしんばう》の|宿《やど》の|妻《つま》、ヨモヤ|不服《ふふく》はあるまいなア』
『お|前《まへ》さまと|夫婦《ふうふ》になる|事《こと》だけは|異議《いぎ》ありませぬ。|然《しか》しながら|妾《わらは》こそ、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロクの|太柱《ふとばしら》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》だから、|神格《しんかく》の|上《うへ》から、この|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》が|主《しゆ》であり、お|前《まへ》さまは|従僕《じうぼく》となつて|貰《もら》はねばならぬ|霊《みたま》の|因縁《いんねん》だよ。|肉体上《にくたいじやう》からはお|前《まへ》さまが|夫《をつと》で|千草《ちぐさ》が|妻《つま》と|定《き》めておきませう。お|前《まへ》さまの|天帝《てんてい》の|化身《けしん》は|自分《じぶん》が|拵《こしら》へたのだらう。そんな|山子《やまこ》はこれからは|駄目《だめ》ですよ。|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》でなけら、|肝腎《かんじん》の|場合《ばあひ》において、|名実《めいじつ》ともなふ|活動《はたらき》が|出来《でき》ませぬからな。こんな|所《ところ》へ|首《くび》だけ|出《だ》して|埋《い》けられてるやうな|神力《しんりき》の|無《な》い|事《こと》で、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》なんて|言《い》つてもらへますまい』
『イヤ、モウ、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》も、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》も、お|株《かぶ》を|女房《にようばう》のお|前《まへ》に|譲《ゆづ》らう。お|前《まへ》を|女房《にようばう》にさへすりや、|俺《おれ》やモウ|満足《まんぞく》だからのう』
『いやですよ、|譲《ゆづ》つて|貰《もら》はなくても、|元《もと》から|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|大《おほ》ミロクの|太柱《ふとばしら》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》ですもの』
『あ、|何《なん》と|上《うへ》には|上《うへ》のあるものだな。これだけの|美貌《びばう》と|弁舌《べんぜつ》とでやられたら、|大抵《たいてい》の|男《をとこ》は|参《まゐ》つてしまふだろ』
『そら、さうですとも、トルマン|国《ごく》の|王妃《わうひ》を|棒《ぼう》に|振《ふ》つて、ただ|一人《ひとり》|猛獣《まうじう》の|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|原野《げんや》をやつて|来《く》るといふ|豪《がう》の|女《をんな》ですもの、そんなこた、|言《い》ふだけ|野暮《やぼ》ですワ、ホホホホ』
コオ『|何《なん》とマア、えらい|方《かた》ばかり|寄《よ》られたものですな。のうコブライ、まるきり|狐《きつね》に|魅《つま》まれたやうぢやないか』
コブ『|俺《おれ》ヤ、モウ|開《あ》いた|口《くち》がすぼまらぬワイ』
|千草《ちぐさ》『コレコレそこの|奴《やつこ》さま、|何《なん》といふ|無礼《ぶれい》の|事《こと》を|言《い》ふのだ。ミロクの|太柱《ふとばしら》が|現《あら》はれてゐるのに、|狐《きつね》に|魅《つま》まれたやうだとは|何《なん》ぢやいな。これから|狐《きつね》のキの|字《じ》も|言《い》つては|可《い》けませぬよ』
コオ『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りましてございます、|玉藻前《たまものまへ》の|芝居《しばゐ》に|出《で》る|金毛九尾《きんまうきうび》さまの|御面相《ごめんさう》に|余《あま》りによく|似《に》てるものだから、つい|狐《きつね》のやうだと|申《まを》して、|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねましたのは|平《ひら》にお|託《わ》びをいたします』
|玄真《げんしん》『あ、どうやら|日《ひ》が|暮《く》れさうだ。どつか、|宿《やど》を|求《もと》めて、|今晩《こんばん》はゆつくりと|語《かた》り|明《あか》さうぢやありませぬか、……ナニ|違《ちが》ふ|違《ちが》ふ。オイ|女房《にようばう》|千草《ちぐさ》、どつかで、|宿《やど》を|求《もと》めて|緩《ゆつ》くり|休《やす》まうかい、ヨモヤ|厭《いや》とは|申《まを》すまいのう』
|千草《ちぐさ》『ホツホホホ、|立派《りつぱ》な|御主人《ごしゆじん》が|出来《でき》たものだ、これでもひだるい|時《とき》に|不味《まづい》ものなしだから……ホホホホホ』
と|小声《こごゑ》で|笑《わら》ふ。|玄真坊《げんしんばう》は|半分《はんぶん》ばかり|聞《き》きかじり、
『コラ|女房《にようばう》、さう|心配《しんぱい》するものぢやない、|決《けつ》して|不味物《まづいもの》は|食《く》はさないよ。ひだるい|目《め》もささないから、|俺《おれ》に|任《まか》しておけ。お|金《かね》はこの|通《とほ》り、|胴巻《どうまき》に|一杯《いつぱい》つめてあるからのう』
といひながら、|腰《こし》の|辺《あたり》に|手《て》をやつてみてビツクリ、
『ヤ、|何時《いつ》の|間《ま》にか|所持金《しよぢきん》が|無《な》くなつてゐる。コラ、コブライ、|汝《きさま》が|奪《と》つたのぢやないか』
コブ『そんな|殺生《せつしやう》なこと|言《い》ひなさるな、|何《なに》ほど|泥棒《どろばう》でもお|前《まへ》さまの|金《かね》まで|奪《と》りませぬよ。|私《わたし》どもも|川《かは》へ|飛《と》び|込《こ》んだ|時《とき》、|皆《みな》|川底《かはぞこ》へ|落《お》としてしまつたのです。|此《こ》の|通《とほ》り|無一文《むいちもん》です。コオロだつて|其《そ》の|通《とほ》り、|一文《いちもん》だつて|持《も》つてゐやしませぬで』
|玄《げん》『アア、|困《こま》つた|事《こと》だの、それぢや、|今晩《こんばん》|宿屋《やどや》に|泊《とま》るわけにはゆかず、|何《なん》とか|工夫《くふう》はあるまいかのう』
|千《ち》『ホホホホ、|何《なん》とまア、スカン|貧《ぴん》の|寄合《よりあひ》だこと、|金《かね》でも|持《も》つてをりさうなと|思《おも》ひ、こんな|茶瓶頭《ちやびんあたま》の|蜥蜴面《とかげづら》に|秋波《しうは》を|送《おく》つて|見《み》たのだけれど、|文無《もんな》しと|聞《き》いちや、|愛想《あいそ》もコソも|尽《つ》き|果《は》ててしまつた。エーエ|穢《けが》らはしい、|何所《どこ》なつとお|前《まへ》さま|勝手《かつて》に|行《ゆ》きなさい。この|千草《ちぐさ》は|一文《いちもん》の|金《かね》は|無《な》くてもこの|美貌《びばう》を|種《たね》に、どんな|宿屋《やどや》にでも|贅沢三昧《ぜいたくざんまい》をして|泊《とま》つて|見《み》せませう。|然《しか》しながらお|前《まへ》さまのやうなガラクタが|従《つ》いてると、|女盗賊《をんなたうぞく》と|間違《まちが》へられるから|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませう、|左様《さやう》なら』
と|立《た》ち|上《あ》がらうとする。|玄真坊《げんしんばう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|足《あし》にくらひつき、
『コラ|女房《にようばう》、|一夜《いちや》の|枕《まくら》もかはさずに、|家《うち》を|飛《と》び|出《だ》すといふ|事《こと》があるか、せめて|今宵《こよひ》|一夜《いちや》は|待《ま》つてくれ』
|千《ち》『|野《の》つ|原《ぱら》の|中《なか》で、|家《うち》を|飛《と》び|出《だ》す|飛《と》び|出《だ》さむもあるかい、|宿無《やどな》し|者《もの》|奴《め》、|死損《しにぞこな》ひの|蛸坊主《たこばうず》、おイドが|呆《あき》れて|雪隠《せんち》が|踊《をど》り|出《だ》すワイ』
とふり|切《き》り|逃《に》げやうともがく。
|玄《げん》『オイ、コブライ、コオロの|両人《りやうにん》、|女房《にようばう》を|確《しつか》り|掴《つか》まへてくれ。|俺《おれ》|一人《ひとり》ではどうやら|取放《とりはな》しさうだ』
コブライ、コオロ|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて、|前《まへ》に|突立《つつた》ち、
『コレコレ|奥《おく》さま、さう|短気《たんき》を|起《おこ》しちやいけませぬ、あんまり|水臭《みづくさ》いぢやありませぬか。|小判《こばん》は|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|動《うご》けぬほど|腰《こし》へ|捲《ま》いて|来《き》て、|淵《ふち》へ|落《お》としたのですから、|御入用《ごにふよう》とあれば|命《いのち》を|的《まと》に|川底《かはそこ》から|拾《ひろ》うて|見《み》せます。どうか|短気《たんき》を|起《おこ》さぬやうにして|下《くだ》さいませ』
|千《ち》『ホホホホ、|一寸《ちよつと》、あまり|好《す》きな|玄真《げんしん》さまだから、|愛《あい》の|程度《ていど》を|試《ため》すために|嘲弄《からか》つてみたのですよ。どこまでも|玄真《げんしん》さまはこの|千草姫《ちぐさひめ》を|愛《あい》して|下《くだ》さるといふ|事《こと》が、|只今《ただいま》の|行動《かうどう》によつて|証明《しようめい》されました。|一遍《いつぺん》に|沢山《たくさん》の|黄金《わうごん》の|必用《ひつよう》も|無《な》いけれど、この|千草《ちぐさ》が|命令《めいれい》するごとに、お|前《まへ》さまはこの|淵《ふち》へ|飛《と》び|込《こ》んで、その|金《かね》を|拾《ひろ》つて|来《く》るでせうなア』
コブ『ヘー、|仰《おほ》せまでもございませぬ。|私《わたし》だつて、あたら|宝《たから》を|水底《みなそこ》に|捨《す》てて|置《お》くのは|勿体《もつたい》なうございます。のうコオロ、さうぢやないか』
コオ『ウンさうともさうとも、|俺《おれ》と|汝《きさま》の|宝《たから》はキーツと|飛《と》び|込《こ》んだあの|淵《ふち》に|納《をさ》まつてるに|違《ちが》ひない。しかし|玄真《げんしん》さまのお|宝《たから》は、|滅多《めつた》に|川《かは》へ|飛《と》び|込《こ》んでも|体《からだ》を|離《はな》れる|理由《りいう》がない。あれだけしつかりと|胴巻《どうまき》に|括《くく》りつけてあつたのだもの。ヒヨツとしたら、この|墓《はか》を|掘《ほ》つて|見《み》よ。この|底《そこ》にあるかも|知《し》れぬ。モシ|玄真坊《げんしんばう》さま、ちよつと|天帝《てんてい》さまに|伺《うかが》つて|下《くだ》さいな』
|玄真《げんしん》『ウン、|確《たし》かにある、|掘《ほ》つてみてくれ』
コブ『ヤ、あなたのお|言葉《ことば》とあらア|間違《まちが》ひございますまい、サ|掘《ほ》らう』
と|二人《ふたり》は|爪《つめ》が|坊主《ばうず》になるところまで|土《つち》を|掻《か》き|分《わ》けて|底《そこ》へ|底《そこ》へと|掘《ほ》り|込《こ》んだ。|五尺《ごしやく》ばかり|掘《ほ》つた|所《ところ》に|胴巻《どうまき》ぐるめ、ドスンと|重《おも》たいほど|黄金《わうごん》が|目《め》をむいてゐた。コブライは|飛《と》び|立《た》つばかり|喜《よろこ》んで、
『モシモシ|玄真《げんしん》さま、|有《あ》りました|有《あ》りました。|喜《よろこ》んで|下《くだ》さい』
|玄《げん》『そらさうだろ、|汝等《きさまら》|二人《ふたり》の|黄金《わうごん》は|身《み》についてゐないのだ、|俺《おれ》は|身《み》についた|金《かね》だから|此《こ》の|通《とほ》り|残《のこ》つてるのだ。サ、|両人《りやうにん》|早《はや》く|持《も》ち|上《あ》げてくれ。コレコレ|女房《にようばう》、どうだ、|一寸《ちよつと》この|金《かね》を|見《み》ろ、これは|皆《みな》|俺《おれ》の|金《かね》だ。これだけありや、お|前《まへ》と|俺《おれ》とが|三年《さんねん》や|五年《ごねん》|呑《の》みつづけても|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
|千《ち》『|何《なん》と|貴方《あなた》は|偉《えら》いお|方《かた》ですな、|私《わたし》の|夫《をつと》として|恥《は》づかしからぬ|人格者《じんかくしや》ですワ、ホホホホホ。コレコレ コブライ、コオロの|両人《りやうにん》、|御苦労《ごくらう》だつたが、まだこの|底《そこ》を|三尺《さんじやく》か|二尺《にしやく》|掘《ほ》つて|下《くだ》さい、ダイヤモンドがありますよ。|私《わたし》の|神勅《しんちよく》によつて|黄金《わうごん》|以上《いじやう》の|物《もの》があるといふ|事《こと》が|分《わか》つたから……』
コブ『エ、|承知《しようち》しました、あなたの|仰《おほ》せなら|地《ち》の|底《そこ》までも|掘《ほ》りますよ』
とコオロと|両人《りやうにん》が|汗《あせ》みどろになつて、|土《つち》を|掘《ほ》り|上《あ》げてゐる。|玄真坊《げんしんばう》、|千草《ちぐさ》の|二人《ふたり》は|舌《した》をペロリと|出《だ》し、|手早《てばや》く|二人《ふたり》を|生埋《いきう》めにせむと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|土《つち》を|上《うへ》から|投《ほ》り|込《こ》み、|側《そば》にあつた|立石《たていし》をドスンと|載《の》せ、|立石《たていし》の|上《うへ》に|腰《こし》うちかけながら、モウこれで|大丈夫《だいぢやうぶ》といふやうな|面構《つらがま》へで、スパリスパリと|千草姫《ちぐさひめ》の|煙草《たばこ》を|引《ひ》つたくつて|吸《す》うてゐる。
|千《ち》『|何《なん》とマア|厄介者《やくかいもの》が|二人《ふたり》ゐやがる、どうしたら|可《よ》からうと|心配《しんぱい》でならなかつたが、やはり|以心伝心《いしんでんしん》、お|前《まへ》さまの|心《こころ》と|私《わたし》の|心《こころ》はピツタリ|合《あ》うてゐたとみえて、|一言《ひとこと》も|言《い》はずにこんな|放《はな》れ|業《わざ》をやつたのだから|妙《めう》ですなア』
|玄《げん》『|本当《ほんたう》にさうだ、|実《じつ》ア|俺《おれ》は|此奴《こいつ》を|埋込《うめこ》んでやろと|思《おも》つたが、お|前《まへ》もさうだつたか、こんな|奴《やつ》がウロツキやがると|二人《ふたり》の|恋《こひ》の|邪魔《じやま》になるし、|将来《しやうらい》の|手足《てあし》まとひになるが、これから|二人《ふたり》でどつか|宿《やど》へ|泊《とま》るか、|見晴《みは》らしのよい|山《やま》へ|上《あが》つて|神秘《しんぴ》の|扉《とびら》を|開《ひら》くか、あるひは|神楽舞《かぐらまひ》でもやつて、|今日《こんにち》の|結婚《けつこん》の|内祝《うちいは》ひでもせうぢやないか』
『そら|面白《おもしろ》いでせう。|宿屋《やどや》にをつても|怪《あや》しまれると|一寸《ちよつと》|具合《ぐあひ》が|悪《わる》いから、そんなら|今夜《こんや》は|月夜《つきよ》を|幸《さいは》ひ、あのコンモリした|森《もり》まで|行《ゆ》きませう。あの|森《もり》にはキツと|古堂《ふるだう》ぐらゐは|建《た》つてゐるでせうからね』
『オイ、モウ|少時《しばらく》この|上《うへ》で|頑張《ぐわんば》つてをらねば、|彼奴《あいつ》が|生返《いきかへ》つて|後《あと》|追《おつ》かけて|来《き》たら|大変《たいへん》だぞ』
『ナーニそんな|心配《しんぱい》が|要《い》りますものか、この|千草姫《ちぐさひめ》の|神力《しんりき》で|霊縛《れいばく》をかけておきましたから、|穴《あな》の|底《そこ》で|石《いし》のやうに|固《かた》まつてゐますよ。サ、|参《まゐ》りませう、コレ|玄真《げんしん》さま、みつともない、|涎《よだれ》を|拭《ふ》きなさいナ』
|玄真《げんしん》は|慌《あわ》てて|両《りやう》の|手《て》で|涎《よだれ》を|手繰《たぐ》り、|膝《ひざ》のあたりに|両手《りやうて》をこすりつけてゐる。
|千《ち》『マアマア|厭《いや》なこと、|玄真《げんしん》さま、|涎《よだれ》の|手《て》を|膝《ひざ》で|拭《ふ》いたり、まるで|着物《きもの》と|雑巾《ざふきん》と|一《ひと》つだワ、ホホホ』
これより|両人《りやうにん》は|月夜《つきよ》の|路《みち》を|南《みなみ》へ|取《と》り、コンモリとした|山《やま》を|目当《めあて》に|走《はし》りゆく。
(大正一五・二・一 旧一四・一二・一九 於月光閣 松村真澄録)
第一七章 |夢現神《むげんしん》〔一八〇六〕
|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》、|玄真坊《げんしんばう》の|二人《ふたり》の|計略《けいりやく》にウマウマとかけられ、|穴《あな》の|中《なか》に|生埋《いきう》めにされたコブライ、コオロの|両人《りやうにん》は|命《いのち》カラガラ|穴《あな》から|這《は》ひ|出《だ》し、|泥《どろ》まぶれになつて|息《いき》をつきながら、
コブ『オイ、コオロ、どてらい|目《め》に|遇《あ》はせやがつたぢやないか、|狸坊主《たぬきばうず》と|狐女郎《きつねめらう》|奴《め》が。|本当《ほんたう》にいい|馬鹿《ばか》を|見《み》たぢやないか』
コオ『|本当《ほんたう》に|俺《おれ》やもう、|憎《にく》らしうてたまらぬワイ。|然《しか》しあの|女《をんな》は|何処《どこ》ともなしに|可愛《かはい》い|奴《やつ》だ。たとへ|生埋《いきう》めにされて、|死《し》んでしまつても|元々《もともと》ぢやないか。|憎《にく》らしいのはあの|玄真坊《げんしんばう》だ。これからどこどこまでを|後《あと》|追《お》つて|生首《なまくび》|引《ひ》つ|捉《とら》へ、|腹癒《はらい》せをしやうぢやないか』
コブ『ウンウン、そりやさうだ、|俺《おれ》たちを|助《たす》けてくれた|千草姫《ちぐさひめ》が|俺《おれ》たちを|殺《ころ》す|筈《はず》はない、|玄真坊《げんしんばう》が|千草姫《ちぐさひめ》の|前《まへ》で|旧悪《きうあく》を|言《い》はれちや|男前《をとこまへ》が|下《さ》がると|思《おも》つて、|俺《おれ》たちを|亡《な》きものにさへすれば|如何《どん》な|事《こと》も|出来《でき》ると|思《おも》つて、あんな|悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|事《こと》をしたのだらう。さアこれから|後《あと》|追駈《おつか》け|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》き、|千草姫《ちぐさひめ》の|前《まへ》で|赤恥《あかはぢ》をかかせにや|腹《はら》が|癒《い》えないワ。|千草姫《ちぐさひめ》だつて、あんなヒヨツトコ|男《をとこ》に|心《こころ》からラブしてゐさうな|筈《はず》がない。きつと|懐《ふところ》のお|金《かね》を|捲《ま》き|上《あ》げられたら|頭《あたま》から|青洟《あをばな》を|垂《た》れかけられるか、|睾丸《きんたま》をギユーツと|締《し》めつけられてフンのびるくらゐが|関《くわん》の|山《やま》だらうよ、ウツフフフフフ』
コオ『ともかく、こんな|所《ところ》で|小田原評定《をだはらひやうぢやう》やつた|所《ところ》で、はじまらぬぢやないか、さアこれから|彼奴《あいつ》の|後《あと》|追《お》つて|仇討《かたきう》ちと|出《で》かけやう』
コブ『|後《あと》|追《お》ひかけやうと|言《い》つたつて、|何方《どちら》に|逃《に》げたか|分《わか》らぬぢやないか』
『ナニ、この|木《き》の|端切《はしぎ》れを|道《みち》の|真中《まんなか》に|突《つ》つ|立《た》てて、|倒《こ》けた|方《はう》に|行《い》つて|見《み》やう。きつとそつちに|居《ゐ》るといふ|事《こと》だ』
『そら、さうかも|知《し》れぬのう』
と|言《い》ひながら|木片《きぎれ》を|拾《ひろ》ひ|真直《まつす》ぐに|立《た》てて|離《はな》して|見《み》た。|木片《きぎれ》は|南《みなみ》へバタリと|倒《たふ》れた。これより|両人《りやうにん》は|月夜《つきよ》の|道《みち》を|南《みなみ》へ|南《みなみ》へと|駈《か》けて|行《ゆ》く。
|両人《りやうにん》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|世《よ》の|過《あやま》ちは|宣直《のりなほ》せ などと|教《をし》ふる|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》は|聞《き》きつれど どうしても|見直《みなほ》し|宣直《のりなほ》し
|聞直《ききなほ》しさへ|出来《でき》ぬ|奴《やつ》 |世界《せかい》に|一《ひと》つ|見《み》つかつた
|泥棒《どろばう》|上《あ》がりの|玄真坊《げんしんばう》 オーラの|山《やま》に|立籠《たてこ》もり
|山子《やまこ》|企《たく》んで|失敗《しつぱい》し またも|其辺《そこら》をうろついて
|人《ひと》を|苦《くる》しめ|女《をんな》をば |悩《なや》ませ|来《き》たる|悪僧《あくそう》|奴《め》
|危《あや》ふい|命《いのち》を|助《たす》けられ |落《お》とした|金《かね》まで|吾々《われわれ》に
|掘《ほ》つて|貰《もら》つてその|恩《おん》を |仇《あだ》で|報《むく》うた|曲津神《まがつかみ》
|何処《どこ》へ|失《う》せたか|知《し》らねども |草《くさ》を|分《わ》けても|尋《たづ》ね|出《だ》し
|恨《うら》みを|晴《は》らさにや|惜《お》くものか |神《かみ》が|此《この》|世《よ》にゐますなら
きつと|善悪《ぜんあく》|立別《たてわ》けて |玄真坊《げんしんばう》の|曲神《まがかみ》を
|懲《こら》し|戒《いまし》め|給《たま》ふべし とはいふものの|吾々《われわれ》は
|御気《おんき》の|長《なが》い|神《かみ》さまの お|罰《ばち》にあたる|時《とき》を|待《ま》つ
|余裕《よゆう》はちつとも|身《み》に|持《も》たぬ |一時《いちじ》も|早《はや》く|玄真《げんしん》の
|生首《なまくび》|引抜《ひきぬ》き|仇《かたき》をば |打《う》たねば|男《をとこ》の|意地《いぢ》|立《た》たぬ
アア|憎《にく》らしや|憎《にく》らしや |不倶戴天《ふぐたいてん》の|仇敵《きうてき》と
|定《さだ》めてこれから|両人《りやうにん》は |四方《しはう》|八方《はつぱう》に|駈《か》け|廻《まは》り
|彼《かれ》の|在所《ありか》を|尋《たづ》ね|出《だ》し |命《いのち》を|取《と》らいでおくものか
アア|憎《にく》らしや|憎《にく》らしや |泥棒《どろばう》|上《あ》がりの|玄真坊《げんしんばう》
|命《いのち》を|取《と》らいでおくものか アア|憎《にく》らしや|憎《にく》らしや
|一寸刻《いつすんきざ》みか|五分試《ごぶだめ》し |骨《ほね》も|頭《あたま》も|粉《こな》にして
|喰《く》はねば|虫《むし》が|承知《しようち》せぬ アア|腹《はら》が|立《た》つ|腹《はら》が|立《た》つ
|今度《こんど》の|恨《うら》みを|晴《は》らさねば |死《し》んでも|死《し》ねぬ|吾《わ》が|心《こころ》
|憐《あは》れみ|給《たま》へ|自在天《じざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に
|真心《まごころ》|籠《こ》めて|願《ね》ぎ|奉《まつ》る |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|仇《かたき》を|討《う》たねばおくものか |悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|玄真坊《げんしんばう》
|何処《いづこ》の|果《はて》に|潜《ひそ》むとも |神《かみ》の|力《ちから》と|吾々《われわれ》の
|熱心力《ねつしんりき》に|尋《たづ》ね|出《だ》し |彼《かれ》が|所持《しよぢ》する|黄金《わうごん》を
スツカリ|此方《こちら》へ|引奪《ひつたく》り |最初《さいしよ》の|目的《もくてき》|達成《たつせい》し
|男《をとこ》を|立《た》てねばおくものか ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|言《い》ひながら|蛙《かはづ》の|行列《ぎやうれつ》|向《む》かふ|見《み》ずに、|形《かたち》ばかりの|細道《ほそみち》を|南《みなみ》へ|南《みなみ》へと|走《はし》つて|行《ゆ》く。はるかの|前方《ぜんぱう》にコンモリとした|山蔭《やまかげ》が|見《み》える。|二人《ふたり》は|芝生《しばふ》の|上《うへ》にドツカと|尻《しり》を|据《す》ゑ、
コオ『オイ、|兄貴《あにき》、|行途《あてど》もなしに|走《はし》つてをつた|所《ところ》で|腹《はら》は|空《へ》る、|足《あし》は|疲《つか》れる、|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやないか、|一《ひと》つ|此処《ここ》で|考《かんが》へて|見《み》やうぢやないか』
コブ『やア、もウ、|俺《おれ》もコンパスが|動《うご》かなくなつて|来《き》たのだ。|仇《かたき》の|所在《ありか》も|分《わか》らないのに、この|広《ひろ》い|田圃《たんぼ》を|走《はし》つたところで|雲《くも》を|掴《つか》むやうな|話《はなし》だ。|思《おも》へば|思《おも》へば|馬鹿《ばか》らしいぢやないか。|俺《おれ》たちはかう|南《みなみ》へ|南《みなみ》へと|走《はし》つてゐるのに、|彼奴《あいつ》らは|反対《はんたい》に|北《きた》へ|北《きた》へと|走《はし》つたとすれば、きばれば、きばるほど|遠退《とほの》く|道理《だうり》だ、こいつア|一《ひと》つ|考《かんが》へねばなるまいぞ』
『それでも|杖占《つゑうら》をやつたら|南《みなみ》へ|倒《こ》けたぢやないか。|吾々《われわれ》は|南《みなみ》へ|走《はし》るより|仕方《しかた》はないのだ。アアかうなると|犬《いぬ》が|恨《うら》めしいワイ。|俺《おれ》が|若《も》し|犬《いぬ》だつたら、|彼奴《あいつ》の|行《い》つた|後《あと》を|嗅付《かぎつ》けるのだけど、この|人間様《にんげんさま》の|鼻《はな》ぢやカラツキシ|駄目《だめ》ぢやからのう』
|二人《ふたり》はかく|話《はな》しながらグツタリと|弱《よわ》り、|眠気《ねむけ》さへ|催《もよほ》し、|遂《つひ》には|原野《げんや》の|中《なか》で|前後《あとさき》も|白河夜船《しらかはよぶね》の|客《きやく》となつてしまつた。
ここへ|忽然《こつぜん》として|現《あら》はれた|白衣《びやくい》の|神人《しんじん》がある。|神人《しんじん》は|言葉《ことば》|静《しづ》かに、
『|汝《なんぢ》はコブライ、コオロの|両人《りやうにん》ではないか』
|両人《りやうにん》|一度《いちど》に、
『ハイ、|左様《さやう》でございます。|貴方様《あなたさま》は|一寸《ちよつと》お|見《み》かけ|申《まを》せば、どこかの|貴婦人《きふじん》と|拝《はい》しまするが、|何方《どちら》へお|越《こ》しでございますか』
|神人《しんじん》『|吾《われ》こそは|霊鷲山《りやうしうざん》に|跡《あと》をたるる|豊玉別命《とよたまわけのみこと》であるぞよ。その|方《はう》は|今日《こんにち》まで|現世《げんせ》に|犯《をか》せし|罪悪《ざいあく》によつて、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|神罰《しんばつ》を|受《う》け、|玄真坊《げんしんばう》、|千草姫《ちぐさひめ》の|悪人《あくにん》のため|土中《どちう》にまで|埋《う》められ、|九死《きうし》に|一生《いつしやう》を|得《え》ながら|神徳《しんとく》の|尊《たふと》き|事《こと》を|忘《わす》れ、ただ|一途《いちづ》に|彼《かれ》を|恨《うら》み、|剰《あま》つさへ|懐中《くわいちう》の|金子《きんす》を|奪《うば》ひ|取《と》らむと|企《たくら》んでをらうがな』
コブ『ハイ、|仰《おほ》せの|通《とほ》りでございます、|恐《おそ》れ|入《い》りました』
『|汝《なんぢ》ら|両人《りやうにん》、|今《いま》の|中《うち》に|吾《わ》が|教《をしへ》を|聞《き》き、|悔《く》い|改《あらた》めざれば|無間地獄《むげんぢごく》に|堕《お》ちるであらう。どうだ、|今《いま》の|中《うち》に|玄真坊《げんしんばう》に|対《たい》する|恨《うら》みを|打《う》ち|切《き》り、|本然《ほんぜん》の|誠《まこと》に|帰《かへ》る|気《き》はないか』
『イヤ、もう|私《わたくし》だとて、|元《もと》より|悪人《あくにん》ではございませぬが、|臍《へそ》の|緒《を》の|切《き》り|所《どころ》が|悪《わる》かつたために|人並《ひとな》みの|生活《せいくわつ》も|出来《でき》ず、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|自暴自棄《じぼうじき》となり、|泥棒仲間《どろばうなかま》に|首《くび》を|突《つ》つ|込《こ》み、|悪事《あくじ》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りを|致《いた》して|来《き》ました。|同《おな》じ|人間《にんげん》に|生《うま》れながら、|豺狼《さいらう》のやうな|事《こと》をすることは、|私《わたくし》の|良心《りやうしん》に|大《おほ》いに|恥《はぢ》てをりますなれど、この|肉体《にくたい》を|保全《ほぜん》するために|止《や》むを|得《え》ず、|種々《いろいろ》よからぬ|事《こと》を|企《たく》みもし、|行《や》つても|来《き》ました。どうせ|私《わたし》は、|今《いま》までの|罪業《ざいごふ》に|由《よ》つて|地獄《ぢごく》の|底《そこ》へ|落《お》とされるものと|覚悟《かくご》してゐます。どうせ|今《いま》から|心《こころ》を|改《あらた》めても、|地獄《ぢごく》に|堕《お》ちるのですから、|悪《あく》を|行《や》るなら|徹底的《てつていてき》に|悪業《あくごふ》をやりたい|決心《けつしん》を|抱《いだ》いてをりまする』
『|如何《いか》なる|悪人《あくにん》といへども、|悔《く》い|改《あらた》めに|依《よ》つて|悪《あく》は|忽《たちま》ち|消滅《せうめつ》し、|善《ぜん》の|方面《はうめん》に|向《む》かふ|事《こと》が|出来《でき》るものだ。|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》を|持《も》つてこの|地上《ちじやう》に|在《あ》るかぎりは、|絶対《ぜつたい》の|善《ぜん》を|行《おこな》ふ|事《こと》は|出来《でき》ない。それで|何事《なにごと》も|神《かみ》に|任《まか》せ、|神《かみ》を|信《しん》じ、|神《かみ》を|愛《あい》し、|日夜《にちや》|信仰《しんかう》を|励《はげ》んだならば、きつと|生前《せいぜん》|死後《しご》|共《とも》に|安逸《あんいつ》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》る|事《こと》が|出来《でき》るであらう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。いかなる|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》すれば|可《よ》いのでせうか、|私《わたくし》はこれまでバラモン|神《がみ》を|信《しん》じてゐましたが、|一度《いちど》も|安心《あんしん》や|幸福《かうふく》を|与《あた》へられた|事《こと》はございませぬ』
『|何《いづ》れの|神《かみ》も|皆《みな》、|元《もと》は|天帝《てんてい》の|御分霊《ごぶんれい》、|神徳《しんとく》に|高下勝劣《かうげしようれつ》は|無《な》けれども、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|盤古神王《ばんこしんわう》の|世《よ》も|済《す》み、バラモン|自在天《じざいてん》の|世《よ》も|過《す》ぎ|去《さ》り、|今《いま》はミロク|大神《おほかみ》の|御世《みよ》と|変《かは》つてゐるのだ。それゆゑ|汝《なんぢ》ら|両人《りやうにん》は|今日《こんにち》より|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》を|信《しん》じ、|惟神《かむながら》の|名号《みやうがう》を|唱《とな》へ、|能《あた》ふる|限《かぎ》りの|善事《ぜんじ》を|行《おこな》はば、きつと|安逸《あんいつ》の|世《よ》を|送《おく》る|事《こと》が|出来《でき》るであらう。|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふこと|勿《なか》れ』
と|宣《の》り|給《たま》ふや|否《いな》や、|忽然《こつぜん》として|煙《けむり》のごとく|消《き》えさせ|給《たま》うた。|両人《りやうにん》はフツと|目《め》を|醒《さま》し、
コブ『オイ、コオロ、お|前《まへ》|起《お》きたか、|俺《おれ》やもう|大変《たいへん》な|夢《ゆめ》を|見《み》たよ』
コオ『ウーン、|俺《おれ》も|妙《めう》な|夢《ゆめ》を|見《み》たのだ。もう|玄真坊征伐《げんしんばうせいばつ》は|止《や》めやうかい』
『さうだな、|玄真坊《げんしんばう》も|悪《わる》いが|俺《おれ》も|悪《わる》いから、これまでの|因縁《いんねん》と|諦《あきら》めて|泥棒《どろばう》も|止《や》め、|玄真坊征伐《げんしんばうせいばつ》も|止《や》めやうぢやないか』
『|俺《おれ》たちア、|泥棒《どろばう》を|止《や》めたら|喰《く》ふことは|出来《でき》ぬが、これから|身《み》の|振《ふ》り|方《かた》を|如何《どう》したら|可《い》いのかなア。|実《じつ》は|夢《ゆめ》の|中《なか》に|神様《かみさま》が|現《あら》はれたが、あんまり|怖《おそ》ろしうて、|勿体《もつたい》なうて、お|尋《たづ》ねする|事《こと》も|忘《わす》れたが、これから|何商売《なにしやうばい》をしたら|可《よ》いのかな』
『|俺《おれ》たちのやうに|泥棒《どろばう》の|外《ほか》に|何《なに》も|芸《げい》を|知《し》らぬ|者《もの》は|商売《しやうばい》も|出来《でき》ず、|学問《がくもん》も|無《な》し、|仕方《しかた》がないから|修験者《しゆげんじや》となつて|一杖一笠《いちぢやういつさん》の|比丘《びく》となり、|人《ひと》の|門《かど》に|立《た》つて|物乞《ものご》ひでもやらうぢやないか。そして|三五《あななひ》の|神様《かみさま》のお|道《みち》を|一人《ひとり》にでも|言《い》ひ|聞《き》かせ、|死後《しご》の|世界《せかい》の|安養浄土《あんやうじやうど》を|開《ひら》く|準備《じゆんび》をしやうぢやないか』
『|兄貴《あにき》お|前《まへ》もさう|思《おも》ふか、|実《じつ》は|俺《おれ》もさう|考《かんが》へたところだ。さア、さうと|相談《さうだん》が|定《き》まれば、|両人《りやうにん》にはかに|比丘《びく》となつて|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》の|霊山《れいざん》|霊場《れいぢやう》を|巡拝《じゆんぱい》しやう。|玄真坊《げんしんばう》のやうな|悪人《あくにん》でさへも、|修験者《しゆげんじや》といふ|役徳《やくとく》に|依《よ》つて|見《み》ず|知《し》らずの|他人《たにん》から、あの|通《とほ》り|土《つち》の|中《なか》へ|葬《はうむ》られるのだ。|俺《おれ》たちア|修験者《しゆげんじや》でないために、|死骸《しかばね》を|路傍《ろばう》に|遺棄《ゐき》されてゐたのだからな。これを|考《かんが》へて|見《み》ても、|神様《かみさま》に|仕《つか》へるくらゐ|結構《けつこう》な|事《こと》はないからのう』
ここに|両人《りやうにん》は|意《い》を|決《けつ》し、|別《べつ》に|墨染《すみぞめ》の|衣《ころも》も、|杖《つゑ》も|笠《かさ》も|無《な》けれども|宣伝歌《せんでんか》を|口吟《くちずさ》みながら、|人里《ひとざと》を|尋《たづ》ねて|進《すす》み|行《ゆ》くこととなつた。
|両人《りやうにん》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣直《のりなほ》せ などと|教《をし》ふる|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》は|目《ま》の|辺《あた》り |吾等《われら》が|夢《ゆめ》に|現《あら》はれて
|教《をし》へ|給《たま》ひし|神人《しんじん》の |御言葉《みことば》こそは|尊《たふと》けれ
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りをば |尽《つく》し|来《き》たりし|吾々《われわれ》も
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神《おほかみ》の |情《なさ》けの|言葉《ことば》に|目《め》を|覚《さ》まし
|転迷開悟《てんめいかいご》の|花《はな》|咲《さ》いて |今《いま》や|真人《まびと》と|成《な》り|初《そ》めぬ
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |珍《うづ》の|身魂《みたま》を|受《う》けながら
|曲津《まがつ》の|棲処《すみか》に|使《つか》はれて どうして|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|復命《ふくめい》なさむ|術《すべ》あらむ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて |吾等《われら》|二人《ふたり》の|行末《ゆくすゑ》は
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|花園《はなぞの》に |安《やす》く|導《みちび》き|給《たま》へかし
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |曲津《まがつ》の|神《かみ》は|猛《たけ》るとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|神《かみ》に|従《したが》ふ|吾々《われわれ》は |如何《いか》なる|悪魔《あくま》も|恐《おそ》れむや
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|大蛇《をろち》など |一時《いちじ》に|襲《おそ》ひ|来《き》たるとも
|神《かみ》の|守護《まもり》のある|限《かぎ》り |安《やす》く|進《すす》ませ|給《たま》ふべし
アア|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し |闇路《やみぢ》に|迷《まよ》ふ|盲目《まうもく》の
にはかに|両眼《りやうがん》うち|開《ひら》き |日出《ひので》の|国《くに》の|花園《はなぞの》に
|進《すす》み|出《い》でたる|心地《ここち》なり アア|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|神《かみ》の|教《をしへ》を|聞《き》きしより |吾《わ》が|魂《たましひ》は|何《なん》となく
|春駒《はるこま》のごと|勇《いさ》み|立《た》ち |雲井《くもゐ》に|登《のぼ》る|如《ごと》くなり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|元気《げんき》よく|歌《うた》ひながら、|旅《たび》の|疲《つか》れも|空腹《くうふく》の|悩《なや》みも|打《う》ち|忘《わす》れスガの|港《みなと》の|方面《はうめん》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一五・二・一 旧一四・一二・一九 於月光閣 北村隆光録)
第一八章 |金妻《こんさい》〔一八〇七〕
|大日山《だいにちざん》の|麓《ふもと》の|森林《しんりん》に|大日如来《だいにちによらい》を|祭《まつ》つた|古《ふる》ぼけた|祠《ほこら》がある。その|祠《ほこら》の|中《なか》には|蟇《がま》の|鳴《な》き|損《そこ》ねたやうな|面構《つらがま》へをした|玄真坊《げんしんばう》と、|天《あま》つ|乙女《をとめ》のやうな|気高《けだか》い|姿《すがた》の|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》といふ|美人《びじん》の|二人《ふたり》が、|無遠慮《ぶゑんりよ》に|寝《ね》そべつて|互《たが》ひに|頬杖《ほほづゑ》をつきながら|囁《ささや》いてゐる。
|玄真《げんしん》『オイ、|女房《にようばう》』
|千草《ちぐさ》『|厭《いや》ですよ、|女房《にようばう》なんて』
『そんなら|妻《つま》にしておこう。オイ|妻《つま》』
『|妻《つま》なんてつまらぬぢやありませぬか。もつと|高尚《かうしやう》な|名《な》を|呼《よ》んで|下《くだ》さいな』
『そんなら|細君《さいくん》にしておこうか、それが|嫌《いや》なら|御内儀《ごないぎ》にしておこうか』
『|妻君《さいくん》だの|内儀《ないぎ》だのと|女房扱《にようばうあつか》ひは|真平《まつぴら》|御免《ごめん》ですよ』
『それや|約束《やくそく》が|違《ちが》ふ、お|前《まへ》は|俺《おれ》の|嬶《かか》アになると|言《い》つたぢやないか』
『そりや|言《い》ひましたとも、あの|時《とき》はあの|時《とき》の|場合《ばあひ》で|仕方《しかた》なしに|言《い》つたのですよ。|一生《いつしやう》|女房《にようばう》になると|約束《やくそく》は|為《し》ませぬからなア。たとへ|半時《はんとき》でも|女房《にようばう》になつて|上《あ》げたら|光栄《くわうえい》でせう』
『そいつは|頼《たよ》りないなア、|一生《いつしやう》|俺《おれ》の|女房《にようばう》になつてくれないか』
『そりやならない|事《こと》はありませぬが、|貴方《あなた》の|心《こころ》が|心《こころ》ですもの。そんな|水臭《みづくさ》いお|方《かた》に|一生《いつしやう》を|任《まか》してたまりますか』
『|今日《けふ》|会《あ》つたばかりで|水臭《みづくさ》いの、【からい】のとそんな|事《こと》が|分《わか》るものか、そりやお|前《まへ》の|邪推《じやすゐ》だらう』
『それだつて|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|水臭《みづくさ》いワ。|沢山《たくさん》の|黄金《わうごん》を|所持《しよぢ》しながら、|女房《にようばう》の|私《わたし》に|任《まか》して|下《くだ》さらないのですもの。|女房《にようばう》は|家《いへ》の|会計《くわいけい》|万端《ばんたん》をやつて|行《ゆ》かなければならぬぢやありませぬか、|金無《かねな》しにどうして|会計《くわいけい》をやつて|行《ゆ》く|事《こと》が|出来《でき》ますか、よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい』
『そりやさうだ、だがまだかうして|旅《たび》の|空《そら》ぢやないか、こんな|重《おも》い|物《もの》を|女房《にようばう》のお|前《まへ》に|持《も》たしては|気《き》の|毒《どく》だ。|家《いへ》を|持《も》つた|上《うへ》でお|前《まへ》に|支出《ししゆつ》|万端《ばんたん》|任《まか》すから、まアまア|安心《あんしん》してくれ|給《たま》へ』
『あなたはどこまでも|私《わたし》を|疑《うたが》つてゐらつしやるのですな。|私《わたし》だつて|人間《にんげん》ですもの、|金《かね》くらゐ|持《も》つたつて|途中《とちう》で|屁古垂《へこた》れるやうな|弱《よわ》い|女《をんな》ぢやありませぬよ。さア【すつぱり】と|此方《こつち》へお|渡《わた》しなさい。|命《いのち》まで|拾《ひろ》つて|上《あ》げた|私《わたし》ぢやありませぬか。たとへ|夫婦《ふうふ》でなくても|命《いのち》を|拾《ひろ》つてあげた|恩人《おんじん》ぢやありませぬか』
『そりやさうだ、お|前《まへ》のお|世話《せわ》になつた|事《こと》はよく|覚《おぼ》えてゐる。しかしながら、|一夜《いちや》の|枕《まくら》も|交《かは》さぬ|中《うち》から、さう|気《き》ゆるしは|出来《でき》ないからなア』
『|何《なん》とまア|下劣《げれつ》なことを|仰有《おつしや》いますな。それほど|貴方《あなた》はお|金《かね》に|執着心《しふちやくしん》が|強《つよ》いのですか』
『|別《べつ》に|金《かね》に|執着《しふちやく》はないが、お|金《かね》といふものは|物品《ぶつぴん》の|交換券《かうくわんけん》だから、|神様《かみさま》に|次《つ》いで|大切《たいせつ》にせなければならないものだ。|小判《こばん》の|百両《ひやくりやう》も|出《だ》せばどんな|美人《びじん》でも|自分《じぶん》の|女房《にようばう》に|買《か》ふことが|出来《でき》るのだ。これだけの|金《かね》があれば、どこかの|都《みやこ》で|高歩貸《たかぶが》しをしてをつても|一生《いつしやう》|安楽《あんらく》に|暮《くら》す|事《こと》が|出来《でき》るからな』
『ヘン、|馬鹿《ばか》にしてもらひますまいかい、|遊女《いうぢよ》と|一《ひと》つに|見《み》られては、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》もつまりませぬワ。そんな|分《わか》らぬお|前《まへ》さまなら、これで|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう。|誰《たれ》がこんなヒヨツトコ|野郎《やらう》に|秋波《しうは》を|送《おく》り、|女房《にようばう》だの|嬶《かかあ》だのと|言《い》はれてたまるものか、|左様《さやう》なら、これまでの|御縁《ごえん》だと|諦《あきら》めて|下《くだ》さい』
と、ツと|立上《たちあ》がり|帰《かへ》らうとする。|玄真坊《げんしんばう》は|慌《あわ》てて|千草姫《ちぐさひめ》の|腰《こし》をぐつと|抱《かか》へ、
『【ても】|柔《やは》らかい|肌《はだ》だなア。コレさう|短気《たんき》を|起《おこ》すものぢやない。|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》あり、|俺《おれ》だつて|木石《ぼくせき》ならぬ|血《ち》の|通《かよ》うた|人間《にんげん》だ。そんなら|三分《さんぶん》の|一《いち》だけお|前《まへ》に|渡《わた》しておくから、|暫《しばら》くそれで|辛抱《しんばう》してくれないか。|三分《さんぶん》の|一《いち》だつてザツと|一万両《いちまんりやう》あるのだからなア、|初《はじ》めから|全部《ぜんぶ》ぼつたくらうとは|余《あま》り|虫《むし》がよすぎるぢやないか』
|千草姫《ちぐさひめ》はペロリと|舌《した》を|出《だ》しながら、
『|玄真《げんしん》さま、|人《ひと》を|見損《みそこな》ひして|下《くだ》さいますな。|私《わたし》はお|金《かね》に|惚《ほ》れて|貴方《あなた》に|跟《つ》いて|来《き》たのぢやありませぬよ。エエ|汚《けが》らはしい。|金《かね》などは|水臭《みづくさ》いワ、|金《かね》が|仇《かたき》の|世《よ》の|中《なか》と|言《い》ひますからナ、そこまでお|心《こころ》が|分《わか》つた|以上《いじやう》は|金《かね》なんか|要《い》りませぬ。あなたが|持《も》つてゐて|下《くだ》されば、|私《わたし》の|要《い》る|時《とき》には|出《だ》して|下《くだ》さるのだから、そんな|重《おも》い|物《もの》はよう|持《も》ちませぬワ』
『なるほど、お|前《まへ》の|真心《まごころ》はよう|分《わか》つた。そんな|心《こころ》なら|全部《ぜんぶ》|任《まか》してもよい、サア|重《おも》くて|済《す》まぬがお|前《まへ》の|腰《こし》につけてやらう』
『|嫌《いや》ですよ、そんな|重《おも》い|物《もの》……。|男《をとこ》が|持《も》つものですよ。|女《をんな》なんか|重《おも》たくて|旅《たび》も|出来《でき》ませぬもの』
|千草姫《ちぐさひめ》はある|地点《ちてん》まで|重《おも》たいものを|玄真坊《げんしんばう》に|持《も》たせ、ここといふところで|睾丸《きんたま》を|締《し》めて|強奪《ぼつたく》らうといふ|企《たくらみ》をもつてゐた。|恋《こひ》にのろけた|玄真坊《げんしんばう》は、|千草姫《ちぐさひめ》の|心《こころ》の|奥《おく》の|企《たくらみ》も|知《し》らず、|茹蛸《ゆでだこ》のやうになつて、|低《ひく》い|鼻《はな》や|尖《とが》つた|口《くち》や、ひんがら|目《め》を|一所《ひととこ》に|寄《よ》せ|声《こゑ》の|色《いろ》まで|変《か》へ、
『さすがは|千草姫《ちぐさひめ》だ。|偉《えら》い|偉《えら》い、|俺《おれ》もコツクリと|感心《かんしん》した。さアかう|定《き》まつた|以上《いじやう》は、お|前《まへ》はどこまでも|私《わし》の|女房《にようばう》だなア』
『さうですとも、|今更《いまさら》そんな|事《こと》いふだけ|野暮《やぼ》ですワ。はじめから|女房《にようばう》と|定《きま》つとるぢやありませぬか』
『それでも|最前《さいぜん》のやうに|暫《しばら》くの|女房《にようばう》だの、|一生《いつしやう》|女房《にようばう》にならうとは|言《い》はなかつたのと|言《い》はれると|困《こま》る。|一生《いつしやう》なら|一生《いつしやう》とハツキリ|言《い》うてくれ、|金《かね》のある|中《うち》だけの|女房《にようばう》では|困《こま》るからのう』
『これ|玄真《げんしん》さま、そんな|下劣《げれつ》な|事《こと》を|言《い》うて|下《くだ》さいますな。|二《ふた》つ|目《め》には|金々《かねかね》とおつしやるが、|金《かね》なんか|人間《にんげん》の|持《も》つものですよ。|私《わたし》の|美貌《びばう》と|天職《てんしよく》は|他《ほか》にはございますまい。|天下《てんか》にただ|一人《ひとり》の|救世主《きうせいしゆ》といひ、|美人《びじん》といひ、どうして|金銭《きんせん》づくで|手《て》に|入《い》りますか、よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|妾《わらは》は|金《かね》が|欲《ほ》しけりやトルマン|国《ごく》の|王妃《わうひ》ですもの、|幾何《いくら》でも|持《も》つて|来《く》るのです。お|前《まへ》さまは|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》をやつてゐたのだから、|人《ひと》の|金《かね》を|奪《と》る|事《こと》ばかり|考《かんが》へてゐたのだから、|女房《にようばう》が|金《かね》を|奪《と》るか|奪《と》るかと、そんな|事《こと》ばかり|考《かんが》へてゐられるのだから、それが|私《わたし》は|残念《ざんねん》です。も|少《すこ》し|人格《じんかく》を|向上《かうじやう》してもらはなくては、|大《おほ》ミロクの|添柱《そへばしら》といふ|所《とこ》には|行《ゆ》きませぬよ』
『いやもう|恐《おそ》れ|入《い》つた。|今後《こんご》|一切《いつさい》お|前《まへ》さまにお|任《まか》せ|申《まを》す。いや|女房《にようばう》に|一任《いちにん》する。|併《しか》しながら、|何時《いつ》までもこんな|所《ところ》で|二人《ふたり》がコソコソ|話《はな》しをやつても|芽《め》のふく|時節《じせつ》がない。どこか【スガ】の|里《さと》へでも|飛《と》び|出《だ》して|立派《りつぱ》な|家屋《かをく》を|買《か》ひ|求《もと》め、それを|根拠《こんきよ》として|天下統一《てんかとういつ》の|大業《たいげふ》を|計画《けいくわく》しやうぢやないか』
『ホホホホ、|小《ちひ》さい|男《をとこ》にも|似《に》ず、ずゐぶん|肝玉《きもだま》の|太《ふと》い|男《をとこ》だこと。|妾《あたい》それが|第一《だいいち》|気《き》に|入《い》つてよ。さアこれからお|前《まへ》さまは|言触《ことぶ》れとなつて、そこら|界隈《かいわい》を|廻《まは》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|救世主《きうせいしゆ》となつて、この|大日山《だいにちざん》の|奥《おく》|深《ふか》く|社《やしろ》を|建《た》て、そこに|控《ひか》へてをりますから、ドシドシと|愚夫愚婦《ぐふぐふ》を|集《あつ》めて|来《く》るのですよ』
『ヤアそれも|一策《いつさく》だが、|俺《おれ》の|顔《かほ》は|大抵《たいてい》の|奴《やつ》がこの|界隈《かいわい》では|知《し》つてゐる。|万一《まんいち》オーラ|山《さん》の|山子坊主《やまこばうず》だと|悟《さと》られては、|折角《せつかく》の|計画《けいくわく》が|画餅《ぐわへい》に|帰《き》するから、そんなこと|言《い》はずに【スガ】の|里《さと》まで|行《ゆ》かうぢやないか。とに|角《かく》この|風体《ふうてい》では|仕方《しかた》がない、|相当《さうたう》な|法服《はふふく》を|誂《あつら》へ|身《み》につけて|行《ゆ》かねば|人《ひと》が|信用《しんよう》せぬからのう』
『そんならとにかく、|夫殿《をつとどの》の|仰《おほ》せに|任《まか》せスガの|里《さと》まで|参《まゐ》りませう』
いよいよこれより|玄真坊《げんしんばう》、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》は、|大日《だいにち》の|森《もり》を|立《た》ち|出《い》で、スガの|港《みなと》をさして|大陰謀《だいいんぼう》を|企《くはだ》てむと|進《すす》み|行《ゆ》く|事《こと》となつた。|玄真坊《げんしんばう》は|先《ま》づ|歌《うた》ふ。
『|出《で》た|出《で》た|出《で》た|出《で》た|現《あら》はれた |雲井《くもゐ》の|空《そら》から|現《あら》はれた
|月日《つきひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は |今《いま》|現《あら》はれた|千草姫《ちぐさひめ》
それに|付《つ》き|添《そ》ふ|天真坊《てんしんばう》 この|二柱《ふたはしら》ある|限《かぎ》り
|世《よ》は|常暗《とこやみ》と|下《くだ》るとも |案《あん》じも|要《い》らぬ|法《のり》の|船《ふね》
ミロク|菩薩《ぼさつ》が|棹《さを》さして |浮瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|人草《ひとぐさ》を
|彼方《あなた》の|岸《きし》にやすやすと |救《すく》ひ|助《たす》けて|安国《やすくに》と
|治《をさ》めたまはる|時《とき》は|来《き》ぬ |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|諸人《もろびと》よ
|祝《いは》へよ|祝《いは》へよ|千草姫《ちぐさひめ》 |千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》ある|限《かぎ》り
|此《この》|世《よ》は|末代《まつだい》|潰《つぶ》りやせぬ |三五教《あななひけう》の|奴原《やつばら》は
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
などと|業託《ごふたく》|並《なら》べたて |世間《せけん》の|愚民《ぐみん》を|迷《まよ》はせる
|口先《くちさき》ばかりの|山子神《やまこがみ》 こんな|奴等《やつら》が|何千人《なんぜんにん》
|出《で》て|来《き》たところで|何《なん》になる |有害無益《いうがいむえき》の|厄介《やくかい》ものよ
|倒《たふ》せよ|倒《たふ》せよ|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|根底《こんてい》から デングリ|返《がへ》してやらなけりや
|吾等《われら》の|望《のぞ》みは|達《たつ》せない ウラナイ|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》
|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》ここに|在《あ》り |仰《あふ》げよ|仰《あふ》げよ|諸人《もろびと》よ
|慕《した》ひまつれよ|国人《くにびと》よ |命《いのち》の|清水《しみづ》が|汲《く》みたくば
|天真坊《てんしんばう》の|前《まへ》に|来《こ》よ |天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|名《な》のりたる
|第一霊国《だいいちれいごく》|天人《てんにん》の |内流《ないりう》うけたるこの|身霊《みたま》
またと|世界《せかい》に|二人《ふたり》ない それに|加《くは》へて|此《こ》のたびは
|天《てん》より|下《くだ》りし|千草姫《ちぐさひめ》 |凡《すべ》ての|権利《けんり》を|手《て》に|握《にぎ》り
|天降《あまくだ》りたる|月《つき》の|国《くに》 |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|開《ひら》かむと
|宣《のら》せ|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|恩頼《みたまのふゆ》がうけたくば |天真坊《てんしんばう》の|前《まへ》に|来《こ》よ
|天真坊《てんしんばう》が|取《と》り|次《つ》いで |千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》の|御前《おんまへ》に
|事《こと》も|委曲《つぶさ》に|奏上《そうじやう》し |如何《いか》なる|罪《つみ》をも|穢《けが》れをも
|早川《はやかは》の|瀬《せ》に|流《なが》し|捨《す》て |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽《たの》しみを
|此《この》|世《よ》ながらに|授《さづ》くべし |下《した》つ|岩根《いはね》の|大《おほ》ミロク
|神《かみ》の|教《をしへ》の|太柱《ふとばしら》 いよいよ|現《あら》はれました|上《うへ》は
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|一人《いちにん》も ツツボに|墜《お》とさぬ|御誓《おんちかひ》
|喜《よろこ》び|勇《いさ》めよ|国人《くにびと》よ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|玄真《げんしん》『もし|千草姫《ちぐさひめ》、いや|女房殿《にようばうどの》、この|宣伝歌《せんでんか》はお|気《き》に|召《め》しましたかなア』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホ、さすがは|玄真坊様《げんしんばうさま》だけあつて、|甘《うま》く|即席《そくせき》によい|文句《もんく》が|出《で》ますこと、|私《わたし》も|大《おほ》いに|感《かん》じ|入《い》りましたよ。どうかこの|調子《てうし》で|町《まち》へ|出《で》たら|力《ちから》|一《いつ》ぱい|歌《うた》つて|下《くだ》されや』
『よしよし、|歌《うた》つてやらう、その|代《かは》りお|前《まへ》も|俺《おれ》の|女房《にようばう》だから、|俺《おれ》の|歌《うた》も|作《つく》つて|歌《うた》つてくれるだらうなア』
『そりや、|玄真《げんしん》さま、|天地顛倒《てんちてんたう》も|甚《はなは》だしいぢやありませぬか、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》と|現界《げんかい》の|御用《ごよう》と|混同《こんどう》してはいけませぬよ。|神界《しんかい》となればこの|千草姫《ちぐさひめ》が|大《おほ》ミロクの|太柱《ふとばしら》、|玄真《げんしん》さまは|眷族《けんぞく》も|同様《どうやう》ですよ。|肉体上《にくたいじやう》からこそ|夫《をつと》よ|妻《つま》よと|言《い》うてをりますが、|神界《しんかい》の|事《こと》となつたら|此《こ》の|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》は|一歩《いつぽ》も|譲《ゆづ》りませぬからなア』
『|大変《たいへん》な|権幕《けんまく》だなア。まるで|大日山《だいにちざん》の|山《やま》の|神様《かみさま》みたやうだワイ』
『そりやさうですとも、|大日山《だいにちざん》の|山《やま》の|神《かみ》は|私《わたし》ですよ。それだから|嬶天下《かかてんか》の|女房《にようばう》を|山《やま》の|神《かみ》と|言《い》ひませうがな』
『なるほど、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り|俺《おれ》の|聞《き》く|通《とほ》りだ、フフフフフ』
『|玄真《げんしん》さま、も|一遍《いつぺん》|今《いま》の|歌《うた》を|歌《うた》つて|頂戴《ちやうだい》な』
『よしよし、|歌《うた》はぬ|事《こと》はないが、|何《なん》だか|女房《にようばう》の|讃美歌《さんびか》を|歌《うた》ふのは|些《ち》つとばかり【てれ】|臭《くさ》いやうな|気《き》がして|困《こま》るがなア』
『エエ|頭《あたま》の|悪《わる》い、|女房《にようばう》の|讃美歌《さんびか》ぢやありませぬよ。|下《した》つ|津岩根《ついはね》の|大《おほ》ミロクさまの|讃美歌《さんびか》を|歌《うた》つて|下《くだ》さいと|言《い》ふのですがな』
『ウンウンそりや|分《わか》つてをる。よしよし、そんなら|慎《つつし》んで|歌《うた》はして|頂《いただ》きませう。オイ|併《しか》しながら、【スガ】の|里《さと》まではもう|十五六里《じふごろくり》あるから|到底《たうてい》|足《あし》が|続《つづ》かない。この|向《むか》ひに|入江村《いりえむら》といふ|所《ところ》がある。そこはハルの|海《うみ》がズツと|入《い》り|込《こ》むでをる|処《ところ》で、|大変《たいへん》|景色《けしき》も|佳《よ》い。そこの|宿《やど》で|今晩《こんばん》は|宿《やど》つたら|如何《どう》だらうかなア』
『|里程《りてい》は|其所《そこ》まで|幾《いく》らほどありませうかな』
『|三里半《さんりはん》ばかりある。そこまで|行《い》つておけば|明日《あす》は|船《ふね》で|楽《らく》に|行《ゆ》けるからなア』
『なるほど、そりやよい|事《こと》を|思《おも》ひ|付《つ》いて|下《くだ》さつた。さア、これから|入江《いりえ》の|里《さと》まで|急《いそ》ぎませう』
と|両人《りやうにん》は|足《あし》に|撚《より》をかけ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|駈《か》け|出《だ》したり。
(大正一五・二・一 旧一四・一二・一九 於月光閣 加藤明子録)
第一九章 |角兵衛獅子《かくべゑじし》〔一八〇八〕
|入江《いりえ》の|里《さと》の|浜屋旅館《はまやりよかん》の|奥《おく》の|間《ま》には|例《れい》の|玄真坊《げんしんばう》、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》の|二人《ふたり》が|為《な》す|事《こと》もなく、|意茶意茶《いちやいちや》|言《い》ひながら|十日《とをか》ばかり|逗留《とうりう》してゐる。
|千草《ちぐさ》『モシ|玄真《げんしん》さま、この|宿《やど》へ|泊《とま》つてから|今日《けふ》で|十日《とをか》ばかりにもなりますが、あまり|退屈《たいくつ》で|仕方《しかた》がないぢやありませぬか。ハルの|湖《みづうみ》で|有名《いうめい》な|日高山《ひだかやま》はモウ|見《み》えなくなりましたし、|真帆《まほ》|片帆《かたほ》の|行《ゆ》き|交《か》ひも|昔《むかし》とは|余《よ》ほど|淋《さみ》しくなつたやうです。|何《なん》とか|一《ひと》つ|歌《うた》でも|詠《よ》んで|楽《たの》しまうぢやありませぬか』
|玄真《げんしん》『|別《べつ》に|無聊《ぶれう》に|苦《くる》しまなくても、お|前《まへ》と|俺《おれ》と|二人《ふたり》|居《を》りさへすれば、どんな|快楽《くわいらく》でも|出来《でき》るのだが、お|客様《きやくさま》だとか、お|月様《つきさま》だとか|文句《もんく》をいつて|応《おう》じないものだから、|元《もと》いらずの|快楽《くわいらく》を|棒《ぼう》に|振《ふ》つて|自分《じぶん》が|自分《じぶん》で|苦《くる》しんでゐるのだ。|俺《おれ》やモウ、オチコがコテノでやりきれないワ』
『ホホホホホホ、|何《なん》とした、|玄真《げんしん》さまは|粋《すゐ》な|方《かた》だらう、|本当《ほんたう》に|恨《うら》めしいのはお|客《きやく》さまだワ。お|客《きやく》さまさへなけりや、|玄真《げんしん》さまの|御機嫌《ごきげん》を|十分《じふぶん》に|取《と》れるのだけれどなア』
『|一体《いつたい》、お|月《つき》さまといふものは|永《なが》くて|一週間《いつしうかん》|早《はや》くて|三日《みつか》ぐらゐなものだと|聞《き》いてゐるに、お|前《まへ》はモウ|十日《とをか》にもなるぢやないか、チとをかしい|容態《ようたい》だなア』
『そらさうですとも、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》ですもの。|当然《あたりまへ》の|人間《にんげん》なら|月《つき》に|七日《なぬか》の|穢《けが》れですみますが、|妾《わらは》は|一年中《いちねんぢう》のを|一遍《いつぺん》に|片付《かたづ》けるものですから、|十二ケ月分《じふにかげつぶん》|合《あは》せて|八十四日間《はちじふよつかかん》|月経《げつけい》があるのですもの』
『さう|永《なが》らくの|間《あひだ》、|俺《おれ》も|待《ま》ち|切《き》れないワ。どうだ、|一《ひと》つ|思《おも》ひ|切《き》つて|奸淫《かんいん》をやらうでないか、いはゆるそれが|月経奸《げつけいかん》だ、アアーン』
『ホホホホホ、|助平野郎《すけべいやらう》だこと。|竜女《りうぢよ》を|犯《をか》してさへも|七生《しちしやう》|浮《う》かばれないといふのに、|況《ま》して|天人《てんにん》の|月経奸《げつけいかん》を|冒《をか》すやうな|馬鹿《ばか》な|人《ひと》が|世間《せけん》に|在《あ》りますか、|七生八生《しちしやうはつしやう》はおろか、|百万生《ひやくまんじやう》まで|罰《ばち》をうけますぞや』
『|何《なん》とか|願《ねが》ひ|下《さ》げしてもらへぬものかいナ、|八十四日《はちじふよつか》の|二分《にぶん》の|一《いち》くらゐに|怺《こら》へてもらへさうなものだナ。|世《よ》は【まじない】といふから、それでも|差支《さしつか》へあるまい。|神《かみ》さまだつて、そんな|野暮《やぼ》なこた|仰有《おつしや》るまいからのう』
『|玄真《げんしん》さま、モウそんな|話《はなし》はやめて|下《くだ》さい。|私《わたし》|地獄《ぢごく》へ|落《お》ちさうな|気分《きぶん》が|致《いた》しますワ。それより|歌《うた》でもアツサリ|詠《よ》まうぢやありませぬか……
|添《そ》はまほし|君《きみ》の|手枕《たまくら》ほりすれど
|月《つき》の|障《さは》りにせむすべもなし
ほしほしと|星《ほし》は|御空《みそら》に|輝《かがや》けど
|月《つき》の|障《さは》りに|影《かげ》うすれ|行《ゆ》く
|玄真《げんしん》の|君《きみ》の|頭《かしら》に|月《つき》|照《て》りて
|影《かげ》さしにけり|御山《みやま》の|谷《たに》は』
『オイ|冷《ひや》かすない、|御山《みやま》の|谷《たに》は|真赤《まつか》けだろ。|紅葉《もみぢ》が|照《て》つてるだろ、どうか|一《ひと》つ|紅葉狩《もみぢがり》をさしてもらひたいなア』
『|玄真《げんしん》さま、イヤですよ、スカンたらしい』
といひながら、|蛸禿頭《たこはげあたま》をピシヤピシヤツと|細《ほそ》い|手《て》でやつた。|玄真《げんしん》は|目《め》も|鼻《はな》も|口《くち》も|一所《ひとところ》へ|巾着《きんちやく》をすぼめたやうに|集《あつ》めてしまひ、
『エツヘヘヘヘ、コリヤ、|千草《ちぐさ》、|無茶《むちや》するないヤイ、|俺《おれ》の|頭《あたま》にもヤツパリ|血《ち》が|通《かよ》うてゐるぞよ』
『あまり|薬鑵《やくわん》がたぎつてをつたので、|手《て》のひらを|火傷《やけど》しましたよ。どうか|玄真《げんしん》さま、|水《みづ》を|汲《く》んで|来《き》て|下《くだ》さい、|手《て》を|冷《ひや》しますから……』
『|夫《をつと》の|頭《あたま》の|温《ぬく》みがお|前《まへ》の|手《て》に|残《のこ》つとるのも|可《よ》かろ、まア|楽《たの》しんで|待《ま》つてをれ、さう|永《なが》く|温《ぬく》みが|止《とま》つてをるものではないからの』
『|自惚《うぬぼ》れもよい|加減《かげん》になさいませ。|薬鑵頭《やくわんあたま》の|汗脂《あせあぶら》が|手《て》について、|気味《きみ》が|悪《わる》うてならぬから|水《みづ》を|汲《く》んで|来《き》て|下《くだ》さいといふのですよ』
『エー|仕方《しかた》のない|山《やま》の|神《かみ》だなア』
と|言《い》ひながら|自分《じぶん》が|立《た》つて|井戸水《ゐどみづ》を|汲《く》み|来《き》たり、
『サ、|山《やま》の|神《かみ》さま、いやいやミロクの|太柱《ふとばしら》さま、どうぞお|手《て》をお|洗《あら》ひ|下《くだ》さいませ』
『|善哉《ぜんざい》|善哉《ぜんざい》』
と|言《い》ひながら、|金盥《かなだらひ》の|水《みづ》で|手《て》を|洗《あら》ひ、
『ヤ、|玄真坊《げんしんばう》、|御苦労《ごくらう》であつた、|褒美《ほうび》にはこの|水《みづ》を|遣《つか》はすによつて、|一滴《いつてき》も|残《のこ》らず|妾《わらは》が|前《まへ》で|呑《の》んだが|可《よ》からうぞや。|決《けつ》して|千草姫《ちぐさひめ》の|手垢《てあか》ではない、|其方《そなた》の|薬鑵頭《やくわんあたま》の|汗脂《あせあぶら》だによつて、|喜《よろこ》んで|頂戴《ちやうだい》|召《め》されよ』
『オイ、|嬶《かか》、|女房《にようばう》イヤ……|千草《ちぐさ》の|太柱《ふとばしら》、|馬鹿《ばか》にすない、|俺《おれ》を|一体《いつたい》|何方《どなた》と|心得《こころえ》てるのだ。これでもお|前《まへ》の|夫《をつと》ぢやないか』
『オツト|任《まか》せでくはへ|込《こ》んだ|夫《をつと》ですもの、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、オツトましいスタイルだワ』
かくいちやついてる|所《ところ》へ、|表《おもて》の|街道《かいだう》|騒《さわ》がしく、|太皷《たいこ》を|打鳴《うちな》らしながら、|角兵衛獅子《かくべゑじし》がやつて|来《き》た。
|宿屋《やどや》の|亭主《ていしゆ》は|二人《ふたり》の|居間《ゐま》に|恐《おそ》る|恐《おそ》る|出《い》で|来《き》たり、
『モシお|客様《きやくさま》、|大変《たいへん》お|退屈《たいくつ》と|見《み》えますが、|今《いま》あの|通《とほ》り、|門口《かどぐち》へ|角兵衛獅子《かくべゑじし》がやつて|来《き》ました。|一《ひと》つお|舞《ま》はしになつたら|如何《どう》ですか。お|気晴《きばら》しには|大変《たいへん》|面白《おもしろ》うございますよ』
|玄《げん》『やア、それは|有難《ありがた》い、どうか|姫神《ひめがみ》さまの|御上覧《ごじやうらん》に|入《い》れてくれ、……もしミロクの|太柱様《ふとばしらさま》、|角兵衛獅子《かくべゑじし》は|如何《いかが》でございますかナ』
|千草姫《ちぐさひめ》はワザとすました|面《かほ》で、
『|善哉《ぜんざい》|善哉《ぜんざい》、|所望《しよまう》だ|所望《しよまう》だ』
|亭《てい》『ハイ|畏《かしこ》まりましてございます、すぐさま|此処《これ》へ|連《つ》れ|参《まゐ》ります』
と|言《い》ひながら|表《おもて》へ|出《い》でて|行《ゆ》く。|少時《しばらく》すると|小《ちひ》さい|獅子舞《ししまひ》を|被《かぶ》つた|男《をとこ》と、|深編笠《ふかあみがさ》を|被《かぶ》つた|太皷打《たいこうち》がやつて|来《き》た。
|玄《げん》『ヤア、|御苦労《ごくらう》|御苦労《ごくらう》、|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ。この|座敷《ざしき》へ|上《あ》がつて|一《ひと》つ|舞《ま》つてくれ、このごろはミロク|様《さま》の|御機嫌《ごきげん》が|悪《わる》くて|困《こま》つてるところだ。どうか|神楽舞《かぐらま》ひでもやつて|岩戸開《いはとびら》きをやらなくちや、|俺《おれ》も|実《じつ》ア|紅葉《もみぢ》の|盛《さか》りで|困《こま》つてゐるのだ』
|角兵衛獅子《かくべゑじし》は|軽《かる》く|目礼《もくれい》しながら、|座敷《ざしき》に|飛《と》び|上《あが》り、|一方《いつぱう》は|唄《うた》ひ、|一方《いつぱう》は|舞《ま》ひ|出《だ》した。
『テテンコテン テテンコテン テテンコ テテンコ テテンコ テンテン
テテンコ テンテン テテンコテン |角兵衛獅子《かくべゑじし》
|一月《いちぐわつ》|元旦《ぐわんたん》|夜《よ》が|明《あ》けりや |兄《あに》は|十一《じふいち》|弟《おとうと》は|七《なな》つ
|去年《きよねん》|舞《ま》うたこの|町《まち》で |今年《ことし》もやつぱり|角兵衛獅子《かくべゑじし》
テテンコテン テテンコテン テテンコ テテンコ テテンコ テンテン
テテンコ テンテン テテンコテン |角兵衛獅子《かくべゑじし》
|一月《いつぐわつ》|元旦《ぐわんたん》|夜《よ》が|明《あ》けた |兄《あに》は|太皷《たいこ》で|弟《おとうと》は|踊《をど》る
お|国《くに》|恋《こひ》しや|角兵衛獅子《かくべゑじし》 |太皷《たいこ》の|音《おと》で|日《ひ》が|暮《く》れる
テテンコテン テテンコテン テテンコ テテンコ テテンコ テンテン
テテンコ テンテン テテンコテン |角兵衛獅子《かくべゑじし》』
|玄《げん》『あア|妙々《めうめう》、サ、|褒美《ほうび》にこれをやろ』
と|言《い》ひながら、|小判《こばん》を|一枚《いちまい》おつ|放《ぽ》り|出《だ》した。|角兵衛獅子《かくべゑじし》|二人《ふたり》は|喜《よろこ》んで、|頭《あたま》に|被《かぶ》つてゐた|獅子《しし》や|編笠《あみがさ》を|除《と》つて|見《み》ると、|豈計《あにはか》らむや、|玄真坊《げんしんばう》が|千草姫《ちぐさひめ》と|二人《ふたり》、|沢山《たくさん》な|座布団《ざぶとん》の|上《うへ》にバイの|化物然《ばけものぜん》と|控《ひか》へてゐる。
|角獅《かくじ》『ヤ、|汝《きさま》は|玄真坊《げんしんばう》だな、よい|所《ところ》で|見付《みつ》けた。|俺等《おれら》|二人《ふたり》を|計略《けいりやく》にかけ、|生埋《いきう》めにしやがつた|悪人輩《あくにんばら》だ。|俺《おれ》は|夢《ゆめ》の|中《なか》に|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|戴《いただ》いて、もはや|汝《きさま》に|復讐《ふくしう》の|念《ねん》は|絶《た》つてゐたが、かうして|二人《ふたり》が|夫婦然《ふうふぜん》とすましてゐる|所《ところ》を|見《み》ると|了簡《れうけん》がならない。オイ、コオロ、|汝《きさま》|早《はや》く|役所《やくしよ》へ|訴《うつた》へて|来《こ》い。|俺《おれ》は|逃《に》げないやうに|番《ばん》をしてゐるから……』
コオ『ヨーシ|来《き》た、|合点《がつてん》だ』
と、コオロは|逸早《いちはや》く|表《おもて》へ|飛《と》び|出《だ》してしまつた。|玄真坊《げんしんばう》はガタガタ|慄《ふる》ひ|出《だ》し、
『ヤ|千草姫《ちぐさひめ》、|如何《どう》しやうかナ、かうしてはをれまい、|俺《おれ》も|汝《きさま》も|首《くび》が|飛《と》んでしまふがナ……』
コブ『コラ|当然《あたりまへ》だ、|玄真坊《げんしんばう》|思《おも》ひ|知《し》つたか、|今《いま》に|捕手《とりて》の|役人《やくにん》にフン|縛《じば》られ|笠《かさ》の|台《だい》が|飛《と》ぶのだ。それを|見《み》ながら、|俺《おれ》は|一杯《いつぱい》|飲《の》むのがせめてもの|腹《はら》いせだ、イツヒヒヒウツフフフ、てもさても|心地《ここち》よいこつたワイ』
|玄真《げんしん》『オイ、コブライ、|一万両《いちまんりやう》|金《かね》をやるから、|願《ねが》ひ|下《さ》げしてくれまいか、|角兵衛獅子《かくべゑじし》に|歩《ある》いても|一万両《いちまんりやう》はなかなか|儲《まう》からないぞよ』
『|馬鹿《ばか》いふない、そんな|事《こと》|出来《でき》るものか。|既《すで》にすでにコオロが|訴《うつた》へ|出《で》てるぢやないか、モウ|観念《くわんねん》せい、|仕方《しかた》がないワ』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホ、あの|玄真《げんしん》さまの|胴震《どうぶる》ひの|可笑《をか》しさ、|其《そ》の|態《ざま》ア|一体《いつたい》|何《なん》ぢやいな。コレコレ|奴《やつこ》さま、お|前《まへ》を|生埋《いきう》めにしたのはこの|玄真《げんしん》さまだぞえ、|千草姫《ちぐさひめ》は|少《すこ》しも|与《あづか》り|知《し》らない|処《ところ》だからさう|思《おも》つて|下《くだ》さいや』
コブ『|命《いのち》の|親《おや》の|姫様《ひめさま》に|対《たい》し、|毛頭《まうとう》|恨《うら》みを|持《も》つてをりませぬ。そしてまた|貴女様《あなたさま》を|訴《うつた》へるやうな|事《こと》は|決《けつ》して|致《いた》しませぬから、どうか|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|玄真坊《げんしんばう》は|色《いろ》|蒼《あを》ざめ、ガタガタ|慄《ぶる》ひをやつてゐる。|千草姫《ちぐさひめ》は|側《そば》|近《ちか》く|寄《よ》りそひ、
|千草《ちぐさ》『コレ|玄真《げんしん》さま、|確《しつか》りしなさらぬかいナ、|月《つき》の|国《くに》を|手《て》に|握《にぎ》らうといふやうな|大胆《だいたん》な|計画《けいくわく》をするお|前《まへ》さまが、|捕手《とりて》ぐらゐに|震《ふる》ふといふ|事《こと》があるものか、|神力《しんりき》をもつて|吹《ふ》き|飛《と》ばしてしまへば|可《よ》いぢやありませぬか』
と|言《い》ひながら、オチコの|下《した》にブラ|下《さが》つてゐる|光《ひかり》のない|二《ふた》つの|玉《たま》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|握《にぎ》りしめた。|玄真坊《げんしんばう》は|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|其《そ》の|場《ば》に「ウーン」と|言《い》つたきり|倒《たふ》れてしまつた。|表《おもて》の|方《はう》には|捕手《とりて》の|役人《やくにん》と|見《み》えて、ザワザワと|足音《あしおと》が|聞《き》こえて|来《き》た。コブライは|役人《やくにん》|出迎《でむか》への|心持《こころもち》にて、|慌《あわ》てて|表《おもて》へぬけ|出《だ》す。その|間《あひだ》に|千草姫《ちぐさひめ》は|玄真坊《げんしんばう》の|胴巻《どうまき》をすつかりと|外《はづ》し、|自分《じぶん》の|腰《こし》に|捲《ま》き|表二階《おもてにかい》の|間《ま》へ|素知《そし》らぬ|面《かほ》して|納《をさ》まり|返《かへ》つてゐた。|十二三人《じふにさんにん》の|捕手《とりて》の|役人《やくにん》、コオロ、コブライおよび|亭主《ていしゆ》の|案内《あんない》にて|此《こ》の|間《ま》に|出《い》で|来《き》たり、|玄真坊《げんしんばう》の|倒《たふ》れてゐるのを|見《み》て、
『ヤ、|此奴《こいつ》、モウ|舌《した》でもかんで|自害《じがい》したと|見《み》え|縡切《ことぎ》れてゐる。こんな|者《もの》はモウ|仕方《しかた》がない。|亭主《ていしゆ》、その|方《はう》にこの|死骸《しがい》を|渡《わた》しておくから、|何処《どつか》の|野辺《のべ》へでも|捨《す》てておくがよからう』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|逸早《いちはや》く|出《い》でて|行《ゆ》く。
|千草姫《ちぐさひめ》は|一間《ひとま》に|入《い》つて|二階《にかい》の|障子《しやうじ》の|破《やぶ》れ|穴《あな》から|離棟《はなれ》の|座敷《ざしき》を|眺《なが》めて|見《み》ると、|亭主《ていしゆ》や|出入《でいり》の|者《もの》が|玄真坊《げんしんばう》の|死体《したい》を|戸板《といた》に|乗《の》せて「ワイワイ」と|言《い》ひながら、|何処《どつか》へ|担《かつ》ぎ|行《ゆ》く|姿《すがた》が|見《み》える。|千草姫《ちぐさひめ》は|胸《むね》をヤツと|撫《な》でおろし、
『|南無《なむ》|頓生《とんしよう》|玄真坊《げんしんばう》|菩提《ぼだい》のため、|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|謹請再拝《ごんじやうさいはい》、ホホホホホ、これでも|妾《わらは》の|寸志《すんし》の|手向《たむ》け、|玄真坊《げんしんばう》の|亡霊殿《ばうれいどの》、|安楽《あんらく》に|成仏《じやうぶつ》いたしたがよからうぞや。|到頭《たうとう》|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》を|手《て》ぬらさずで、ぼつたくつてやつた。サ、これさへあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》、|一《ひと》つどつか|景勝《けいしよう》の|地《ち》を|選《えら》んで|大建築《だいけんちく》をなし、|人目《ひとめ》を|驚《おどろ》かし、ウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》を|建《た》て、|三五教《あななひけう》を|根底《こんてい》から|覆《くつが》へし、ミロクの|太柱《ふとばしら》の|名声《めいせい》を|天下《てんか》に|輝《かがや》かしませう。てもさても|都合《つがふ》の|好《よ》い|時《とき》には|都合《つがふ》の|好《よ》いものだなア』
とホクソ|笑《ゑ》んでゐる。|障子《しやうじ》の|外《そと》から|破鐘《われがね》のやうな|声《こゑ》で、
|杢《もく》『ワツハハハウツフフフ|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》のお|腕前《うでまへ》は|杢助《もくすけ》たしかに|見届《みとど》けたぞや』
|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》は|杢助《もくすけ》の|声《こゑ》に|打《う》ち|驚《おどろ》き、|日頃《ひごろ》|恋《こ》ひしたふ|杢助様《もくすけさま》がこの|宿《やど》に|泊《とま》つてござつたか。おお|恥《は》づかしや、|白粉《おしろい》も|付《つ》けねばならうまい、|紅《べに》もささねばなるまい、|髪《かみ》も|結《ゆ》ひ|直《なほ》し、|身繕《みづくろ》ひせにやならぬと、
『モシモシ|杢助《もくすけ》さま、お|察《さつ》しの|通《とほ》り|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》でございます。どうぞ|少時《しばし》ここを|開《あ》けないやうにして|下《くだ》さいませ。ちよつと|身《み》だしなみをして、それからお|目《め》にかかりますから』
|妖幻坊《えうげんばう》の|杢助《もくすけ》はワザとに、すねたやうな|口吻《くちぶり》で、
『あ、|左様《さやう》でござるか、|会《あ》つてやらぬと|仰有《おつしや》れば、たつて|会《あ》つてもらひたいとは|思《おも》はぬ。さよなら。|拙者《せつしや》は|曲輪城《まがわじやう》へ|雲《くも》に|乗《の》り|立《た》ち|帰《かへ》るでござらう』
|千《ち》『モシ、|杢助《もくすけ》さま、お|情《なさ》けない、こがれ|慕《した》うてゐる|女房《にようばう》を|一目《ひとめ》も|見《み》ずに、|捨《す》てて|帰《かへ》らうとは|余《あんま》りぢやございませぬか。あなたに|別《わか》れて|此《こ》の|方《かた》、|寝《ね》ても|醒《さ》めても|会《あ》ひたい|会《あ》ひたいと|思《おも》ひ|暮《くら》してをりました。|何卒《どうぞ》ただ|今《いま》の|御不礼《ごぶれい》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さいまして、|一目《ひとめ》|会《あ》うて|下《くだ》さいませ』
|妖《えう》『|左様《さやう》ならば、|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて、|久振《ひさしぶ》りで|高《たか》チヤンの|綺麗《きれい》なお|面《かほ》を|拝見《はいけん》しやうかな』
と|言《い》ひながら、|二階《にかい》の|床《ゆか》をメキメキいはせながら|無雑作《むざふさ》に|障子《しやうじ》を|引開《ひきあ》け、ノソリノソリと|入《い》り|来《き》たり、|千草《ちぐさ》の|前《まへ》にドツカと|座《ざ》を|占《し》め、どんぐり|眼《め》を|剥《む》き|出《だ》して、ニコニコ|笑《わら》ひながら、
『ヤア、|高《たか》チヤン、よほど|若《わか》くなつたぢやないか、|高宮姫時代《たかみやひめじだい》とはまだ|三《みつ》つも|四《よつ》つも|若《わか》く|見《み》えるよ、まづまづ|壮健《さうけん》でお|目出《めで》たう』
『モシ、|杢助《もくすけ》さま、あなた|何処《どこ》をどううろついてゐらつしやつたの。|私《わたし》どれだけ|尋《たづ》ねてゐたか|知《し》れませぬよ。|今年《ことし》で|三年《さんねん》ばかり|会《あ》はぬじやありませぬか』
『|俺《おれ》だとてお|前《まへ》の|在処《ありか》を|捜《さが》し|求《もと》めて、こんな|所《ところ》までやつて|来《き》たのだ。ウラナイの|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》に|依《よ》つて、|計《はか》らずもこの|宿屋《やどや》でお|前《まへ》に|遇《あ》うたのは|何《なに》よりの|仕合《しあは》せ。ヤ、|俺《おれ》も|嬉《うれ》しい、サ、|今夜《こんや》はシツポリと|昔語《むかしがたり》でもして|休《やす》まうぢやないか』
『こんな|嬉《うれ》しいことはメツタにございませぬ。あなた|何《なに》がお|好《す》きでございましたいナ、|何《なに》か|差上《さしあ》げたいと|存《ぞん》じますが……』
『ヤ、|俺《おれ》は|別《べつ》に|何《なに》が|好《す》きといふ|事《こと》もない。|好《す》きなのはお|前《まへ》の|面《かほ》ばかりだよ、アツハハハハ』
『さうさう|貴方《あなた》は、|一番《いちばん》|好《す》きなは|私《わたし》の|面《かほ》、|一番《いちばん》|嫌《きら》ひなのは|犬《いぬ》だと|仰有《おつしや》いましたね』
『コーリヤ、|高宮姫《たかみやひめ》、モウ|犬《いぬ》のことは|言《い》つてくれな。|実《じつ》のところは|入江《いりえ》の|里《さと》までやつて|来《き》たところ、|沢山《たくさん》な|犬《いぬ》に|吠《ほ》えつかれ、|気分《きぶん》が|悪《わる》くてたまらず、|今日《けふ》で|三日《みつか》ばかりこの|宿屋《やどや》に|泊《とま》つてゐるのだ。お|前《まへ》は|裏《うら》の|座敷《ざしき》で、|何《なに》かいい|男《をとこ》を|喰《くら》ひ|込《こ》んでをつたやうだが、それを|思《おも》ふと、|何《なん》だか|妬《や》けて|仕方《しかた》がないワ』
『ホホホホ、|彼奴《あいつ》ア、オーラ|山《さん》といふ|山《やま》に|砦《とりで》を|構《かま》へて、|泥棒《どろばう》の|張本人《ちやうほんにん》をやつてゐた|玄真坊《げんしんばう》といふ|売僧《まいす》ですよ。|彼奴《あいつ》が|懐《ふところ》に|沢山《たくさん》な|金《かね》を|持《も》つてると|知《し》り、|甘《うま》く|言《い》ひくるめてこの|宿屋《やどや》へ|連《つ》れ|込《こ》み、ウマウマと|三万両《さんまんりやう》をフン|奪《だく》つてやつたのです。|恋《こひ》の|色《いろ》のと|誰《たれ》があんな|禿蛸土瓶《はげたこどびん》に|相手《あひて》になるものですか、よう|考《かんが》へて|下《くだ》さいナ』
『そらさうだらう、|杢《もく》チヤンといふ|色男《いろをとこ》を|夫《をつと》に|持《も》ちながら、あのやうなヒヨツトコに|相手《あひて》になるお|前《まへ》ではない……とは|承知《しようち》してゐるものの、|三年《さんねん》も|別《わか》れてゐると、|心《こころ》がひがんで|妙《めう》な|気《き》になるものだ。ヤ、|無実《むじつ》の|罪《つみ》をお|前《まへ》に|着《き》せて|済《す》まなかつた、これこの|通《とほ》りだ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて|床《ゆか》に|頭《あたま》をすりつける。|千草姫《ちぐさひめ》は、
『モシ|杢《もく》チヤン、|厭《いや》ですよ、|揶揄《からかひ》も|可《よ》い|加減《かげん》にしておいて|下《くだ》さい。|私《わたし》、あなたの|仕打《しう》ちがあまり|水臭《みづくさ》くつて|憎《にく》らしいワ』
『いくらお|前《まへ》が|憎《にく》らしいといつても|繋《つなが》る|縁《えん》ぢや|仕方《しかた》がないワ。|俺《おれ》も|惚《ほ》れた|弱味《よわみ》で、お|前《まへ》にや|百歩《ひやつぽ》を|譲《ゆづ》らざるを|得《え》ないワ、ハハハハ。|男《をとこ》といふ|奴《やつ》、|女《をんな》にかけたら|脆《もろ》いものだワ、アハハハ』
『ヨウまア|憎《にく》たらしい、そんな|冗談《じようだん》が|言《い》へますこと。|私《わたし》や|却《かへ》つて|恨《うら》めしうございます。サ、|久振《ひさしぶ》りで|今晩《こんばん》はゆつくり|寝《やす》まうぢやございませぬか』
『お|前《まへ》は|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロクさまの|霊《みたま》で|八十四日間《はちじふよつかかん》|月経《つきやく》があると|言《い》ふぢやないか、|一緒《いつしよ》に|寝《ね》るこた、|真平《まつぴら》|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つておかうかい』
『エー|憎《にく》たらしい、あなたはあの|売僧坊主《まいすばうず》との|話《はなし》をどつからか|聞《き》いてゐらつしやつたのでせう。|腹《はら》の|悪《わる》い|方《かた》ですね、|何処《どこ》で|聞《き》いてゐたのです』
『ウン、|雪隠《せんち》の|中《なか》で、……ウン、イヤイヤ|雪隠《せんち》へ|行《ゆ》かうと|思《おも》つて|一寸《ちよつと》|横《よこ》を|通《とほ》つたところ、あまりお|前《まへ》によう|似《に》た|声《こゑ》がするので、|立《た》ち|聞《ぎき》をすると、そんな|事《こと》を|言《い》つてゐたよ。ヨモヤお|前《まへ》とは|気《き》が|付《つ》かぬものだから、|自分《じぶん》の|居間《ゐま》へ|返《かへ》つて……あんな|美人《びじん》があつたらなアと|羨望《せんばう》に|堪《た》へなかつたのだ。まアまアお|前《まへ》で|結構《けつこう》だつた』
『|月経《つきやく》なんかあらしませぬよ、|安心《あんしん》して|寝《やす》んで|下《くだ》さいな』
『ヨーシ、|面白《おもしろ》い。そんなら|久振《ひさしぶ》りで|高《たか》チヤンの、お|寝間《ねま》の|伽《とぎ》でもさして|頂《いただ》きませうか』
|千草姫《ちぐさひめ》はプリンと|背《せ》を|向《む》け、
『|知《し》りませぬ、|勝手《かつて》になさいませ』
と|子供《こども》のやうなスタイルで|稍《やや》すね|気味《ぎみ》になつてゐる。|猛犬《まうけん》の|声《こゑ》はワンワンワンと|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|聞《き》こえ|来《き》たる。
(大正一五・二・一 旧一四・一二・一九 於月光閣 松村真澄録)
第二〇章 |困客《こんきやく》〔一八〇九〕
『|瑞魂《みづのみたま》の|大神《おほかみ》が |勅命《みこと》を|畏《かしこ》みフサの|国《くに》
ウブスナ|山《やま》の|霊場《れいぢやう》ゆ |月《つき》の|神国《みくに》に|蟠《わだか》まる
|大黒主《おほくろぬし》の|悪身魂《あくみたま》 |言向和《ことむけやは》し|天国《てんごく》の
|神園《みその》に|救《すく》ひ|助《たす》けむと |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|一行《いつかう》|四人《よにん》は|河鹿山《かじかやま》 |烈《はげ》しき|風《かぜ》に|吹《ふ》かれつつ
|祠《ほこら》の|森《もり》や|山口《やまぐち》や |怪《あや》しの|森《もり》を|乗《の》り|越《こ》えて
|彼方《あなた》こなたと|駈《か》けめぐり |神《かみ》の|誠《まこと》の|御教《みをしへ》を
|国人達《くにびとたち》に|宣《の》り|伝《つた》へ |病《や》めるを|癒《いや》し|貧《まづ》しきを
|救《すく》ひ|助《たす》けて|今《いま》ここに |百《もも》の|神業《かむわざ》|仕《つか》へつつ
トルマン|国《ごく》の|危難《きなん》をば |救《すく》ひて|此所《ここ》まで|来《き》たりけり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|身魂《みたま》の|幸《さち》はひて
|吾等《われら》が|使命《しめい》を|詳細《まつぶさ》に |遂《と》げさせ|玉《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |曲津《まがつ》の|神《かみ》は|猛《たけ》ぶとも
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御力《おんちから》 |吾《わ》が|身《み》に|浴《あ》びし|其《そ》の|上《うへ》は
|如何《いか》なる|曲《まが》も|恐《おそ》れむや |進《すす》めや|進《すす》めいざ|進《すす》め
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》や
|鬼《おに》や|大蛇《をろち》の|曲神《まがかみ》が |如何《いか》ほど|猛《たけ》り|狂《くる》ふとも
|何《なに》か|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の |大和男子《やまとをのこ》の|宣伝使《せんでんし》
|勝利《しようり》の|都《みやこ》に|至《いた》るまで いつかな|怯《ひる》まぬ|雄心《をごころ》の
|大和心《やまとごころ》を|振《ふ》り|起《おこ》し |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|大野原《おほのはら》
|地獄《ぢごく》は|忽《たちま》ち|天国《てんごく》と |吾《わ》が|言霊《ことたま》に|宣直《のりなほ》し
|上《かみ》は|王侯《わうこう》|貴人《きじん》より |下《しも》|旃陀羅《せんだら》に|至《いた》るまで
|神《かみ》の|救《すく》ひの|手《て》を|伸《の》べて |一蓮托生《いちれんたくしやう》|救《すく》ひ|上《あ》げ
|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|神力《しんりき》を |現《あら》はしまつる|吾《わ》が|使命《しめい》
|遂《と》げさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|国《くに》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|日《ひ》の|大神《おほかみ》や|月《つき》の|神《かみ》 |大地《だいち》を|守《まも》らす|荒金《あらがね》の
|司《つかさ》とゐます|瑞魂《みづみたま》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|深《ふか》き|恵《めぐ》みは|忘《わす》れまじ |尊《たふと》き|勲功《いさを》は|忘《わす》れまじ
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め |悪魔《あくま》の|砦《とりで》に|立向《たちむ》かひ
|摂受《せつじゆ》の|剣《つるぎ》を|抜《ぬ》き|持《も》ちて |言向和《ことむけやは》すは|案《あん》の|内《うち》
アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや |神《かみ》の|使命《しめい》を|身《み》に|受《う》けし
|名《な》さへ|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》 |到《いた》る|所《ところ》に|敵《てき》はなし
バラモン|教《けう》やウラル|教《けう》 |如何《いか》ほど|刃向《はむ》かひ|来《き》たるとも
|皇大神《すめおほかみ》の|賜《たま》ひてし |厳言霊《いづことたま》の|光《ひかり》にて
|暗夜《やみよ》を|照《て》らし|神徳《しんとく》を |月《つき》の|御国《みくに》に|輝《かがや》かし
|照《て》らさにやおかぬ|吾《わ》が|使命《しめい》 |守《まも》らせ|玉《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
かく|歌《うた》ひながら|入江《いりえ》の|村《むら》|近《ちか》き|田圃道《たんぼみち》まで、やつて|来《き》たのは|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》、|梅公別《うめこうわけ》の|三人《さんにん》であつた。
|照公《てるこう》『モシ、|先生《せんせい》、モウ|日《ひ》も|暮《く》れ|近《ちか》くなりましたが|今晩《こんばん》は|入江《いりえ》の|村《むら》で|宿《やど》をとり、|緩《ゆつく》り|休息《きうそく》を|致《いた》しまして、|明日《みやうにち》は|船《ふね》でスガの|港《みなと》へ|行《ゆ》かうぢやありませぬか』
|照国《てるくに》『なるほど、|大分《だいぶん》に|疲《つか》れたやうだ、まづ|此所《ここ》で|一服《いつぷく》しやう。モウあの|村《むら》へは|遠《とほ》くはあるまいから』
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》、|今晩《こんばん》は|是非《ぜひ》|入江村《いりえむら》で|泊《とま》りませう。|浜屋《はまや》といふ|景色《けしき》よい|宿屋《やどや》がございますから|是非《ぜひ》そこへ|泊《とま》つて、|明日《あす》スガの|港《みなと》に|着《つ》く|事《こと》に|致《いた》しませう。スガの|港《みなと》にはアリスといふ|薬屋《くすりや》の|長者《ちやうじや》がありまして、その|息子《むすこ》にはイルク、|娘《むすめ》にはダリヤ|姫《ひめ》といふ|熱心《ねつしん》な|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》がをります。キツと|待《ま》つてゐるに|違《ちが》ひありませぬから』
|照国《てるくに》『さうだ、|梅公別《うめこうわけ》さまは|一度《いちど》お|泊《とま》りになつた|事《こと》があるさうだから、|心《こころ》|安《やす》くてよからう』
|照公《てるこう》『|四方八方《よもやま》の|景色《けしき》を|遠《とほ》く|見渡《みわた》せば
コバルト|色《いろ》に|遠山《とほやま》かすめり』
|照国《てるくに》『|薄墨《うすずみ》にぼかしたやうな|山影《やまかげ》は
スガの|里《さと》なる|高山《たかやま》ならむ』
|梅公《うめこう》『|夏草《なつぐさ》の|生《お》ひ|茂《しげ》りたる|広野原《ひろのはら》
|進《すす》み|行《ゆ》く|身《み》の|楽《たの》しくもあるかな
|今日《けふ》の|日《ひ》も|早《は》や|暮《く》れむとす|草枕《くさまくら》
|旅《たび》の|疲《つか》れを|宿《やど》に|癒《いや》さむ』
|三人《さんにん》が|休《やす》んでゐる|後《うし》ろの|草《くさ》の|中《なか》から|何《なん》だか、ウンウンと|呻《うな》り|声《ごゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。|梅公別《うめこうわけ》は|耳敏《みみざと》くもこれを|聞《き》き、ツカツカと|叢《くさむら》の|中《なか》の|呻《うめ》き|声《ごゑ》を|尋《たづ》ねて|近《ちか》づき|見《み》れば、|醜《みにく》い|賤《いや》しい|面《つら》をした|坊主《ばうず》が|一人《ひとり》|半死半生《はんしはんしやう》の|態《てい》で|倒《たふ》れてゐる。|梅公別《うめこうわけ》は|直《す》ぐさま|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》するや、|倒《たふ》れ|人《びと》はムクムクと|起《お》き|上《あ》がり、
『どなたか|知《し》りませぬが、よくまア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|拙僧《せつそう》はバラモン|教《けう》の|修験者《しゆげんじや》で|天真坊《てんしんばう》と|申《まを》します』
|梅公別《うめこうわけ》は、どこか|見覚《みおぼ》えのある|顔《かほ》だなア……とよくよく|念入《ねんい》りに|調《しら》べて|見《み》ると、オーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》つて|大望《たいまう》を|企《たくら》んでゐた|妖僧《えうそう》の|玄真坊《げんしんばう》なることを|知《し》り、
『やアお|前《まへ》は|玄真坊《げんしんばう》ぢやないか、オーラ|山《さん》で|改心《かいしん》をすると|言《い》ひながら、|再《ふたた》び|悪《あく》に|復《かへ》つて|三百《さんびやく》の|手下《てした》を|引率《ひきつ》れ、|各地《かくち》に|押入強盗《おしいりがうたう》をやつてゐるといふ|噂《うはさ》であつたが、|天罰《てんばつ》は|恐《おそ》ろしいものだ。|何人《なにびと》に、お|前《まへ》は|虐《しひた》げられて、こんな|所《ところ》へ|倒《たふ》れてゐたのだ。|察《さつ》するところ|持前《もちまへ》のデレ|根性《こんじやう》を|起《おこ》し、|女《をんな》に|一物《いちもつ》を|締《し》めつけられ、|息《いき》の|根《ね》の|止《と》まつたのを|幸《さいは》ひ、かやうな|淋《さび》しき|原野《げんや》に|遺棄《ゐき》されたのだらう、さてもさても|憐《あは》れな|代物《しろもの》だな』
|玄《げん》『これはこれは|恐《おそ》れ|入《い》りました。|私《わたし》はお|察《さつ》しの|通《とほ》り、|女《をんな》に|睾丸《きんたま》を|締《し》めつけられ、|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》をぼつたくられ、かやうな|所《ところ》へ、ほかされたものでございます。|只今《ただいま》かぎり|悪事《あくじ》は|止《や》めまする。さうして|女《をんな》などには、キツと|今後《こんご》|目《め》をくれませぬから、どうぞ|私《わたし》をお|荷物持《にもつも》ちにでも|構《かま》ひませぬ、お|伴《とも》に|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいませぬか』
|梅《うめ》『やア、|俺《おれ》にはお|師匠様《ししやうさま》がある。|俺《おれ》|一人《ひとり》の|一了簡《いちれうけん》ではどうする|事《こと》も|出来《でき》ぬ。|先《ま》づお|師匠様《ししやうさま》の|御意見《ごいけん》を|聞《き》いた|上《うへ》のことにしやう』
|照国別《てるくにわけ》は|最前《さいぜん》から|二人《ふたり》の|問答《もんだふ》を|聞《き》き|終《をは》り|様子《やうす》を|知《し》つてゐるので、|梅公別《うめこうわけ》の|言葉《ことば》も|待《ま》たず、
『ヤ、|玄真坊《げんしんばう》とやら、もはや|日《ひ》の|暮《くれ》にも|近《ちか》いから、|緩《ゆつく》りと|宿屋《やどや》にでも|行《い》つて|話《はなし》を|承《うけたまは》らう。これから|吾々《われわれ》は|入江村《いりえむら》の|浜屋旅館《はまやりよくわん》に|一泊《いつぱく》するつもりだ。お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|行《ゆ》かうぢやないか』
|玄《げん》『へ、|何《なん》と|仰有《おつしや》います、|浜屋旅館《はまやりよくわん》にお|泊《とま》りでございますか。あの|家《いへ》はお|客《きやく》があまり|沢山《たくさん》で、どさくつてゐますから、|少《すこ》し|景色《けしき》は|悪《わる》うございますが、|玉屋《たまや》といふ|立派《りつぱ》な|宿屋《やどや》がありますから、|其処《そこ》へお|泊《とま》りになつては|如何《いかが》でございませう。|私《わたし》もお|伴《とも》をさせて|頂《いただ》きますから』
|梅《うめ》『ヤ、|一旦《いつたん》|浜屋旅館《はまやりよくわん》と|相談《さうだん》がきまつた|上《うへ》は|是非《ぜひ》とも|浜屋《はまや》へ|行《ゆ》かう。|吾々《われわれ》の|精霊《せいれい》は|已《すで》に|浜屋《はまや》に|納《をさ》まつてゐるのだから』
『そら、さうでございませうが、ならうことなら|待遇《あしらひ》も|良《よ》し、|夜具《やぐ》も|上等《じやうとう》なり、|家《いへ》も|新《あたら》しうございますから、|玉屋《たまや》になさつたら|如何《いかが》でございませうかな』
『ハハハハハ、この|男《をとこ》は|十日《とをか》ばかり|浜屋旅館《はまやりよくわん》に|泊《とま》つてゐたのだらう。|越後獅子《えちごじし》に|小《こつ》ぴどくこみ|割《わ》られ、|捕手《とりて》にフン|込《ご》まれた|鬼門《きもん》の|場所《ばしよ》だから、|浜屋《はまや》は|厭《いや》だらう。ヤ、それは|無理《むり》もない。|然《しか》し|吾々《われわれ》がついてゐる|以上《いじやう》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。ソツと|後《うし》ろから|跟《つ》いて|来《こ》い。お|前《まへ》の|身柄《みがら》は|引受《ひきう》けてやるから、その|代《かは》り、|今《いま》までのやうな|心《こころ》では|一日《いちにち》だつて|安心《あんしん》に|世《よ》を|暮《くら》す|事《こと》は|出来《でき》ぬぞ。|心《こころ》の|底《そこ》から|悔《く》い|改《あらた》めるか、どうぢや』
『ハイ、|生《うま》れ|赤子《あかご》になつてお|仕《つか》へいたします。|何《なに》とぞお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
『ウン、ヨシ、|先生《せんせい》、|今《いま》かやうに|申《まを》してゐますが、|然《しか》しながら|此奴《こいつ》の|悪事《あくじ》は|芝《しば》を|被《かぶ》らねば|直《なほ》らない|奴《やつ》でございますが、|私《わたし》も|何《なん》とかして、|改心《かいしん》をさして|遣《や》りたうございますから、お|伴《とも》をさせて|下《くだ》さいませ。|梅公別《うめこうわけ》が|無調法《ぶてうはふ》のないやうに|引受《ひきう》けますから』
|照国《てるくに》『ともかく、|二三日間《にさんにちかん》|連《つ》れて|見《み》やう。|如何《どう》してもいかなけりや、|突放《つつぱな》すまでの|事《こと》だ。さア|日《ひ》も|暮《く》れかかつた、|急《いそ》いで|行《ゆ》かう』
と|又《また》もや|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|入江村《いりえむら》の|浜屋《はまや》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。
|浜屋《はまや》の|表口《おもてぐち》にさしかかると|客引《きやくひき》の|女《をんな》が、|二三人《にさんにん》|門口《かどぐち》に|立《た》つて、
『もしお|客《きやく》さま、どちらにお|出《い》ででございます。|明日《みやうにち》の|船《ふね》の|都合《つがふ》も|宜《よろ》しうございますから|此方《こちら》にお|泊《とま》り|下《くだ》さいませ。|十分《じふぶん》|丁寧《ていねい》に、|待遇《あしらひ》も|致《いた》しますから。さうして、|加減《かげん》のいい|潮湯《しほゆ》も|沸《わ》いてゐますから、どうぞ|当家《たうけ》でお|泊《とま》りを|願《ねが》ひます』
|梅《うめ》『ヤ、お|前《まへ》がさう|言《い》はなくても、|此方《こちら》の|方《はう》からお|世話《せわ》になりたいと|思《おも》つて|来《き》たのだ。|一行《いつかう》|四人《よにん》だ、よい|居間《ゐま》があるかな』
|女《をんな》『ハイ、|裏《うら》に|離棟《はなれ》がございまして、そのお|座敷《ざしき》からはハルの|海《うみ》の|鏡《かがみ》が|居《ゐ》ながらに|見《み》えまする。|何《なん》なら|二三日《にさんにち》|御逗留《ごとうりう》|下《くだ》さいますれば、|真帆《まほ》|片帆《かたほ》の|行《ゆ》き|交《か》ふ|景色《けしき》は、まるで|胡蝶《こてふ》が|春《はる》の|野辺《のべ》に|飛《と》び|交《か》ふやうでございます』
|梅《うめ》『もし|先生《せんせい》、さアお|這入《はい》り|下《くだ》さい』
|照国《てるくに》『そんなら|御免《ごめん》|蒙《かうむ》らうか』
と|先《さき》に|立《た》つて|繩暖簾《なはのうれん》をくぐる。|玄真坊《げんしんばう》はビクビク|慄《ふる》ひながら、|照国別《てるくにわけ》の|後《うし》ろになり|小《ちひ》さくなつて|跟《つ》いて|行《ゆ》く。|次《つぎ》に|照公《てるこう》、|梅公別《うめこうわけ》は|亭主《ていしゆ》や|下女《げぢよ》に|愛嬌《あいけう》を|振《ふ》り|撒《ま》きながら、|奥《おく》の|離棟《はなれ》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
まづ|入浴《にふよく》を|済《す》ませ|夕食《ゆふしよく》を|終《をは》り、|四人《よにん》は|浴衣《ゆかた》がけになつて、|団扇《うちは》|片手《かたて》に|罪《つみ》のない|話《はなし》に|耽《ふけ》つてゐると、|表《おもて》の|二階《にかい》の|間《ま》に、なまめかしい|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。|梅公別《うめこうわけ》は|不思議《ふしぎ》さうに|首《くび》を|傾《かたむ》け|聞《き》いてゐる。
|照公《てるこう》『これ|梅公別《うめこうわけ》さま、|何《なに》|思案《しあん》をしてゐるのだい。ありや|何処《どつか》の|女《をんな》が|客《きやく》と【ふざけ】てゐるのだい』
|梅公《うめこう》『いや、どうも|合点《がてん》のゆかぬ|声《こゑ》だ。|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》ぢやあるまいかな』
『ヘン、|馬鹿《ばか》を|言《い》ふない、|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》が、こんな|所《ところ》へ|泊《とま》るものか。|彼奴《あいつ》はきつと|何処《どこ》かの|王城《わうじやう》へ|忍《しの》び|入《い》り、|又《また》もや|刹帝利《せつていり》の|后《きさき》に|化《ば》け|込《こ》んでゐやがるだらう』
『ヤ、どうも|怪《あや》しいぞ。|一《ひと》つ|照公《てるこう》、お|前《まへ》|調《しら》べて|見《み》てくれぬか』
|玄真坊《げんしんばう》は|小《ちひ》さい|声《こゑ》で、
『モシお|三人《さんにん》さま、あの|声《こゑ》は|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》に|間違《まちが》ひございませぬ。|私《わたし》の|睾丸《きんたま》を|締《し》めつけ、|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》をぼつたくつた|大悪人《だいあくにん》でございます。どうぞ|彼奴《あいつ》をとつちめ、|三万両《さんまんりやう》を|取《と》り|返《かへ》して|下《くだ》さい。さうすりや|一万両《いちまんりやう》づつ、お|前《まへ》さま|等《たち》に|進上《しんじやう》いたしまする』
|梅《うめ》『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな、|吾々《われわれ》は|金《かね》なんか|必要《ひつえう》はない。まして|左守《さもり》の|館《やかた》でぼつたくつた|金《かね》ぢやないか』
|玄《げん》『ハイ、お|察《さつ》しの|通《とほ》りでございます』
|梅《うめ》『どうやら|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》の|相客《あひきやく》は|人間《にんげん》ぢやないらしいぞ。|先生《せんせい》、これから|私《わたし》が|正体《しやうたい》を|見届《みとど》けて|来《き》ます。|何卒《どうぞ》しばらく|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいや』
|照国《てるくに》『|人《ひと》さまの|居間《ゐま》へ|飛《と》び|込《こ》んで|調《しら》べるといふ|失礼《しつれい》な|事《こと》はないぢやないか、そんな|事《こと》せずとも|自然《しぜん》に|分《わか》つて|来《く》るよ』
かく|話《はな》す|時《とき》しも|二階《にかい》の|障子《さやうじ》をサツと|開《あ》けて|離《はな》れ|座敷《ざしき》を|覗《のぞ》いたのは|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》であつた、|梅公《うめこう》の|顔《かほ》と|高姫《たかひめ》の|顔《かほ》はピツタリと|会《あ》つた。|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》は|梅公《うめこう》の|顔《かほ》をパツと|見《み》るより、|恋《こひ》しいやら|怖《おそ》ろしいやら、|顔《かほ》を|真蒼《まつさを》にしてピリピリと|慄《ふる》ふた。|妖幻坊《えうげんばう》の|杢助《もくすけ》は|高姫《たかひめ》の|様子《やうす》の|只《ただ》ならぬに|不審《ふしん》を|起《おこ》し、
『オイ、|高《たか》チヤン、お|前《まへ》は|様子《やうす》が|変《へん》ぢやないか、|何《なに》をオヂオヂしてゐるのだ』
|千《ち》『|杢助《もくすけ》さま、あれ|御覧《ごらん》なさいませ、|三五教《あななひけう》の|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》、|梅公別《うめこうわけ》の|三宣伝使《さんせんでんし》が|離棟《はなれ》の|居間《ゐま》に|泊《とま》つてゐます。そして|玄真坊《げんしんばう》が|横《よこ》にゐますのを|見《み》れば、|三万両《さんまんりやう》の|金《かね》を|取《と》り|返《かへ》すために、|息《いき》をふきかへして|来《き》たものと|思《おも》はれます』
|杢《もく》『やアそりや|大変《たいへん》だ、|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》と|聞《き》けば|俺《おれ》もチツと|虫《むし》が|好《す》かない、|何《なん》とかしてお|前《まへ》と|二人《ふたり》、|此所《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》さうぢやないか』
『|杢助《もくすけ》さま、あなたも|気《き》の|弱《よわ》いことを|仰有《おつしや》いますな、|斎苑《いそ》の|館《やかた》で|彼奴等《あいつら》を|家来扱《けらいあつか》ひをしてをつたぢやありませぬか。|一《ひと》つ|貴方《あなた》の|大《おほ》きな|声《こゑ》で|呶鳴《どな》つて|下《くだ》されば、|照国別《てるくにわけ》などといふ【へぼ】|宣伝使《せんでんし》は、|一《ひと》たまりもなく|逃《に》げ|出《だ》すぢやありませぬか』
『ウン、それもさうだが、|今《いま》|荒立《あらだ》てては|事《こと》が|面倒《めんだう》になる。|俺《おれ》にも|一《ひと》つの|考《かんが》へがあるからのう』
『|智謀絶倫《ちぼうぜつりん》と|聞《き》こえた|貴方《あなた》の|事《こと》ですから、|滅多《めつた》に|如才《じよさい》はありますまい。それで|何《なに》もかも|貴方《あなた》にお|任《まか》せ|致《いた》しておきます』
『ウン、|今夜《こんや》の|処置《しよち》は|俺《おれ》に|任《まか》しておけ。|俺《おれ》に|計略《けいりやく》があるから、さア|千草《ちぐさ》の|高姫《たかひめ》、|此方《こちら》へおじや』
と|言《い》ひながら|二階《にかい》の|段梯子《だんばしご》をトントントンと|下《くだ》り、|表《おもて》へ|出《で》て|番頭《ばんとう》に|小判《こばん》を|一枚《いちまい》|握《にぎ》らせ、
|杢《もく》『|一寸《ちよつと》|月《つき》を|賞《しやう》して|半時《はんとき》ばかり|経《た》てば|帰《かへ》つて|来《く》るから、|表戸《おもてど》|開《あ》けておいてくれよ』
と、うまく|誤魔化《ごまくわ》し|高姫《たかひめ》と|共《とも》に|浜辺《はまべ》に|駈《か》け|出《だ》し、|一艘《いつさう》の|舟《ふね》を|盗《ぬす》んで|一生懸命《いつしやうけんめい》にハルの|湖《うみ》の|波《なみ》を|分《わ》けてスガの|港《みなと》へ|向《む》け|漕《こ》いで|行《ゆ》く。
|照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》は|一夜《いちや》を|此所《ここ》に|明《あ》かし、あくる|日《ひ》の|朝《あさ》|早《はや》くより|一艘《いつさう》の|船《ふね》を|誂《あつら》へ、これまたスガの|港《みなと》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く|事《こと》となつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一五・二・一 旧一四・一二・一九 於月光閣 北村隆光録)
(昭和一〇・六・二四 王仁校正)
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霊界物語 第七一巻 山河草木 戌の巻
終り