霊界物語 第七〇巻 山河草木 酉の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第七十巻』天声社
1971(昭和46)年04月22日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |花鳥山月《くわてうさんげつ》
第一章 |信人権《しんじんけん》〔一七六八〕
第二章 |折衝戦《せつしようせん》〔一七六九〕
第三章 |恋戦連笑《れんせんれんせう》〔一七七〇〕
第四章 |共倒《ともだふ》れ〔一七七一〕
第五章 |花鳥山《くわてうざん》〔一七七二〕
第六章 |鬼遊婆《きいうば》〔一七七三〕
第七章 |妻生《さいせい》〔一七七四〕
第八章 |大勝《たいしよう》〔一七七五〕
第二篇 |千種蛮態《せんしゆばんたい》
第九章 |針魔《はりま》の|森《もり》〔一七七六〕
第一〇章 |二教聯合《にけうれんがふ》〔一七七七〕
第一一章 |血臭姫《ちぐさひめ》〔一七七八〕
第一二章 |大魅勒《おほみろく》〔一七七九〕
第一三章 |喃悶題《なんもんだい》〔一七八〇〕
第一四章 |賓民窟《ひんみんくつ》〔一七八一〕
第一五章 |地位転変《ちゐてんぺん》〔一七八二〕
第三篇 |理想新政《りさうしんせい》
第一六章 |天降里《あまくだり》〔一七八三〕
第一七章 |春《はる》の|光《ひかり》〔一七八四〕
第一八章 |鳳恋《ほうれん》〔一七八五〕
第一九章 |梅花団《ばいくわだん》〔一七八六〕
第二〇章 |千代《ちよ》の|声《こゑ》〔一七八七〕
第二一章 |三婚《みこん》〔一七八八〕
第二二章 |優秀美《いうしうび》〔一七八九〕
附 記念撮影
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|序文《じよぶん》
|霊界物語《れいかいものがたり》も、|瑞《みづ》の|天使《てんし》|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》の|御神徳《ごしんとく》と、|健腕《けんわん》なる|筆記者《ひつきしや》の|熱誠《ねつせい》とに|依《よ》りまして、|全《ぜん》|七十二巻《しちじふにくわん》を|口述《こうじゆつ》し|編纂《へんさん》し|了《をは》りました。かへりみれば、|山河草木《さんかさうもく》|第一巻《だいいつくわん》すなはち|六十一巻《ろくじふいつくわん》を|口述《こうじゆつ》し|始《はじ》めたのは、|大正《たいしやう》|十二年《じふにねん》の|夏《なつ》でありました。その|間《あひだ》にエスペラントの|講習《かうしふ》や|宣伝《せんでん》に|次《つ》ぎ、|神命《しんめい》による|蒙古入《もうこい》りや、|世界宗教聯合会《せかいしうけうれんがふくわい》、|紅卍字会《こうまんじくわい》、|普天教《ふてんけう》との|提携《ていけい》、|万国信教愛善会《ばんこくしんけうあいぜんくわい》の|創立《さうりつ》、|人類愛善会《じんるゐあいぜんくわい》の|発起《ほつき》、|天恩郷《てんおんきやう》|光照殿《くわうせうでん》|建築工事監督《けんちくこうじかんとく》、|其《そ》の|他《た》|海外《かいぐわい》|宣伝使《せんでんし》の|派遣《はけん》などにて|忙殺《ばうさつ》され|口述《こうじゆつ》するの|時間《じかん》もなく、|三年目《さんねんめ》の|今日《こんにち》すなはち|大正《たいしやう》|十四年《じふよねん》|八月《はちぐわつ》|二十五日《にじふごにち》|旧《きう》|七月《しちぐわつ》|六日《むゆか》、ここに|目出《めで》たく、|山河草木《さんかさうもく》|第十二巻《だいじふにくわん》を|終《をは》ることを|得《え》ました。この|山河草木《さんかさうもく》は|他《た》の|霊界物語《れいかいものがたり》とは|趣《おもむき》を|異《こと》にし、|讃美歌《さんびか》のみをつづつた|巻《まき》もあり、|或《あるひ》は|時代《じだい》を|諷刺《ふうし》した|巻《まき》もあり、|舎身活躍《しやしんくわつやく》より|連絡《れんらく》したる|宣伝使《せんでんし》|等《たち》の|物語《ものがたり》もあつて、|山《やま》、|河《かは》、|草《くさ》、|木《き》|一度《いちど》にかたまつてをります。
|大正《たいしやう》|乙《きのと》|丑《うし》|初秋《しよしう》 於由良港
編輯序言 本巻は御口述の順序よりすれば、第七十二巻ですけれども、発行の順番は七十巻であります。
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|印度《いんど》デカタン|高原《かうげん》における、トルマン|国《ごく》の|物語《ものがたり》であります。バラモン|軍《ぐん》の|大足別《おほだるわけ》の|活動《くわつどう》やスコブツエン|宗《しう》の|妖僧《えうそう》キユーバーの|陰謀《いんぼう》、|王妃《わうひ》|千草姫《ちぐさひめ》の|死骸《しがい》に|高姫《たかひめ》の|霊《れい》|憑依《ひようい》して、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|醜態《しうたい》を|演《えん》じ、|数多《あまた》の|重臣《ぢうしん》を|退《しりぞ》け、|天下《てんか》を|紊《みだ》さむとする|一条《いちでう》より、|自《みづか》ら|向上主義者《かうじやうしゆぎしや》と|称《しよう》する|国士《こくし》の|大々的《だいだいてき》|活動《くわつどう》、|民間《みんかん》より|国難《こくなん》に|殉《じゆん》じて|起《た》てる|英雄《えいゆう》ジヤンクの|忠実《ちうじつ》なる|働《はたら》き|等《とう》、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|模様《もやう》を、きはめて|簡単《かんたん》に|述《の》べておきました。
|目出《めで》たく|七十二巻《しちじふにくわん》を|編了《へんれう》するに|当《あた》り、|北丹分所長《ほくたんぶんしよちやう》|宣伝使《せんでんし》|嵯峨根民蔵《さがねたみざう》|氏《し》、|新舞鶴支部長《しんまひづるしぶちやう》|宣伝使《せんでんし》|村山政光《むらやままさみつ》|氏《し》および|両所《りやうしよ》の|役員《やくゐん》|信徒《しんと》の|熱心《ねつしん》なる|斡旋《あつせん》|尽力《じんりよく》の|下《もと》に、|秋山彦《あきやまひこ》の|旧蹟地《きうせきち》、|由良《ゆら》の|港《みなと》の|涼《すず》しき|海岸《かいがん》において、|引続《ひきつづ》き|三巻《さんくわん》を|編《あ》み|了《をは》つたことを|大神様《おほかみさま》の|御前《みまへ》に|感謝《かんしや》し、|記念《きねん》のため|茲《ここ》に|記《しる》しおくことと|致《いた》しました。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十四年初秋 由良港 於秋田別荘
第一篇 |花鳥山月《くわてうさんげつ》
第一章 |信人権《しんじんけん》〔一七六八〕
|往古《わうこ》|文化《ぶんくわ》の|中心《ちうしん》、|仏祖《ぶつそ》の|出現地《しゆつげんち》なる|七千余ケ国《しちせんよかこく》をかためて|一団《いちだん》となしたる|印度《いんど》は、|浄行《じやうぎやう》、|刹帝利《せつていり》、|首陀《しゆだ》、|毘舎《びしや》その|他《た》|各種《かくしゆ》の|階級《かいきふ》が|設《まう》けられてゐた。ことに|印度《いんど》はバラモン|教《けう》の|根元地《こんげんち》ともいふべき|国《くに》である。さうしてウラル|教《けう》はデカタン|高原《かうげん》の|一角《いつかく》に、|相当《さうたう》に|勢力《せいりよく》を|保《たも》ち、バラモン|教《けう》の|本城《ほんじやう》ハルナの|都《みやこ》に|向《む》かつて、ややもすれば|教線《けうせん》を|拡張《くわくちやう》し、|大黒主《おほくろぬし》の|根底《こんてい》を|覆《くつが》へさむとするの|慨《がい》があつた。ここに|大黒主《おほくろぬし》は|宣伝将軍《せんでんしやうぐん》を|四方《しはう》に|遣《つか》はし、|殊《こと》にこの|方面《はうめん》は|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》に|数千《すうせん》の|兵《へい》を|与《あた》へて、|討伐《たうばつ》のみを|主《しゆ》たる|目的《もくてき》にて|出発《しゆつぱつ》せしめたのである。
さてデカタン|高原内《かうげんない》の|最《もつと》も|土地《とち》|肥《こ》えたるトルマン|国《ごく》は|余《あま》り|大《だい》なる|区域《くゐき》ではないが、|相当《さうたう》に|沢山《たくさん》な|人《ひと》が|住《す》んでゐる。さうして|地理上《ちりじやう》の|関係《くわんけい》からウラル|教《けう》を|奉《ほう》じてゐた。トルマン|国《ごく》の|王《わう》の|名《な》はガーデンといふ。ガーデンはウラル|教《けう》を|信《しん》ずるでもなく、また|排斥《はいせき》するでもなく、|祖先伝来《そせんでんらい》の|宗教《しうけう》として、|弔《とむら》ひの|儀式《ぎしき》にのみ|用《もち》ふるくらゐの|観念《くわんねん》を|持《も》つてゐた。しかるに|国民《こくみん》の|過半数《くわはんすう》はウラル|教《けう》を|奉《ほう》じ、|一部分《いちぶぶん》はバラモン|教《けう》に|入《い》り、|二三分通《にさんぶどほ》りはスコブツエン|宗《しう》に|新《あら》たに|入信《にふしん》することとなり、その|勢《いきほ》ひは|燎原《れうげん》を|焼《や》く|火《ひ》の|如《ごと》くであつた。ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》はバラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》を|遣《つか》はして、トルマン|国《ごく》を|全部《ぜんぶ》バラモンの|勢力範囲《せいりよくはんゐ》になさむものと、いろいろ|苦心《くしん》の|結果《けつくわ》、|到底《たうてい》バラモンの|名《な》にてはこの|国《くに》の|人心《じんしん》に|投《とう》じないことを|悟《さと》り、|狡猾《かうくわつ》にして|万事《ばんじ》|抜目《ぬけめ》のない|大黒主《おほくろぬし》は、|日頃《ひごろ》|手慣《てなづ》けおいた、|寵臣《ちようしん》のキユーバーに|命《めい》じ、バラモン|教《けう》の|名《な》を|避《さ》けて、スコブツエン|宗《しう》といふ、|変名同主義《へんめいどうしゆぎ》の|宗教《しうけう》を|築《きづ》かせ、まづ|第一《だいいち》にトルマン|王《わう》を|帰順《きじゆん》せしめむと|百方《ひやくぱう》|尽力《じんりよく》してゐたのである。
トルマン|王《わう》のガーデンには|千草姫《ちぐさひめ》といふ|王妃《わうひ》があり、|太子《たいし》はチウイン、|王女《わうぢよ》はチンレイといつた。|左守《さもり》の|司《かみ》をフーランといひ、|妻《つま》モクレンとの|中《なか》にテイラといふ|一人娘《ひとりむすめ》があつた。|右守《うもり》の|司《かみ》はスマンヂーといひ|妻《つま》は|已《すで》に|此《この》|世《よ》を|去《さ》り、ハリスといふ|一人《ひとり》の|娘《むすめ》をもつてゐた。しかるに|王《わう》をはじめ、|左守《さもり》|右守《うもり》はバラモン|教《けう》はもとより、スコブツエン|宗《しう》には|何《なに》ほど|勧《すす》められても|入信《にふしん》せず、|体的方面《たいてきはうめん》の|政治《せいぢ》のみに|没頭《ぼつとう》してゐたのである。ここにバラモン|軍《ぐん》の|大足別《おほだるわけ》が、にはかにトルマン|城《じやう》の|攻撃《こうげき》を|開始《かいし》した|経緯《いきさつ》について、その|大略《たいりやく》を|述《の》べてみやうと|思《おも》ふ。
トルマン|城《じやう》を|去《さ》る|十数里《じふすうり》を|隔《へだ》てた、ある|小《ちひ》さき|山里《やまざと》の|古《ふる》ぼけた|祠《ほこら》の|前《まへ》で、|二人《ふたり》の|首陀《しゆだ》が|何事《なにごと》かしきりに|囁《ささや》きあつてゐた。|春《はる》の|初《はじ》めとはいへど、まだ|風《かぜ》は|寒《さむ》く|青草《あをぐさ》の|芽《め》は|去年《きよねん》の|記念物《きねんぶつ》たる|長《なが》い|枯草《かれぐさ》の|間《あひだ》から|細長《ほそなが》く|空《そら》を|覗《のぞ》いてゐる。
レール『|信仰的《しんかうてき》に|自覚《じかく》した|吾々《われわれ》の|擡頭《たいとう》を|見《み》て、バラモン|階級《かいきふ》の|鬼畜《きちく》どもは|周章狼狽《しうしやうらうばい》し、|尠《すく》なからず|戦慄《せんりつ》し|恐怖《きようふ》を|感《かん》じたものとみえる。|彼奴《あいつ》らは|自分等《じぶんら》の|占有《せんいう》せる|支配《しはい》の|地位《ちゐ》たる|宗教上《しうけうじやう》、|経済上《けいざいじやう》より|顛覆《てんぷく》しつつある|己《おの》れ|自身《じしん》を|解《かい》し、|哀《あは》れ|至極《しごく》にも|泣《な》き|面《づら》をかわき、|勃興《ぼつこう》せる|三五運動《あななひうんどう》の|大征伐《だいせいばつ》に|向《む》かつて|今《いま》や|死物狂《しにものぐる》ひになつてゐる。|溺《おぼ》れむとするものは|毒蛇《どくじや》の|尻尾《しつぽ》でも|生命《いのち》かぎりに|掴《つか》まむとするものである、|諺通《ことわざどほ》りの|彼奴等《あいつら》の|狂態《きやうたい》は、|噴飯《ふんぱん》の|価値《かち》|以外《いぐわい》には|全《まつた》くゼロだ』
マーク『さうだねー、|浪速節語《なにはぶしがたり》の|屁放爺《へひりぢい》に|奏任待遇《そうにんたいぐう》を|与《あた》へたり、|若衆《わかしう》に|僧服《そうふく》を|纒《まと》はせたり、|老衆《らうしう》に|民風作興《みんぷうさくこう》を|卸売《おろしう》りしたり、|糞造機《ふんざうき》の|似而非宗教家《えせしうけうか》に|思想《しさう》|善導《ぜんだう》の|元売捌《もとうりさば》きを|許《ゆる》したのを|見《み》ても、いよいよ|彼奴《あいつ》らが|境遇《きやうぐう》を|暴露《ばくろ》せるもので、|思《おも》へば|実《じつ》に|哀《あは》れな|次第《しだい》ではないか。これを|見《み》ても|今《いま》までに|虐《しひた》げられた|吾々《われわれ》|三五教徒《あななひけうと》に|取《と》つては|溜飲《りういん》が|下《さ》がるやうだ、|痛快《つうくわい》|千万《せんばん》だアハハハハ。しかしながら|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|吾々《われわれ》は|毫《がう》も|油断《ゆだん》はできない。なほ|層一層《そういつそう》この|運動《うんどう》に|大努力《だいどりよく》を|要《えう》する|天下別目《てんかわけめ》の|時期《じき》だ。バラモン|教徒《けうと》の|滅亡《めつぼう》は|自業自得《じごふじとく》の|結果《けつくわ》として|拱手傍観《きようしゆばうくわん》すべきではない。|自業自得《じごふじとく》の|必然性《ひつぜんせい》を|認《みと》むればこそ、かつ|鼬《いたち》の|最期屁《さいごぺ》の|害毒《がいどく》の|甚大《じんだい》なるを|悟《さと》ればこそ、|吾々《われわれ》は|最善《さいぜん》の|戦法《せんぱふ》を|選《えら》んで|一刻《いつこく》も|早《はや》く|宗教戦《しうけうせん》の|勝利《しようり》を|得《う》るやうに、|奮闘《ふんとう》|努力《どりよく》せなければならぬ。|彼奴等《あいつら》のこの|自業自得《じごふじとく》の|収獲《しうくわく》こそ|人類史上《じんるゐしじやう》、|最大罪悪《さいだいざいあく》の|裁判《さいばん》の|結果《けつくわ》で、|一点《いつてん》の|恕《じよ》すべきところはないのだ。ただ|吾々《われわれ》は|彼奴《あいつ》らの|滅亡《めつぼう》を|一日《いちにち》も|早《はや》く|断行《だんかう》し、|促進《そくしん》することが|寧《むし》ろ|彼奴等《あいつら》に|対《たい》してせめてもの|優遇《いうぐう》だ、|弔《とむら》ひだ、ハナムケともなるべき|慈善《じぜん》だ。アハハハハ』
『|俺《おれ》たち|仲間《なかま》の|第一《だいいち》|癪《しやく》にさはることは|暴利《ばうり》の|権化《ごんげ》ともいふべきブル|的《てき》|宗教家《しうけうか》の|今日《こんにち》のやりかただ。|好景気時代《かうけいきじだい》に、|己《おの》れ|先《ま》づシコタマ|信徒《しんと》の|油《あぶら》を|搾《しぼ》り|懐中《くわいちう》をふくらせやがつて、|最後《さいご》にお|義理的《ぎりてき》に|申《まう》し|訳的《わけてき》に、|渋々《しぶしぶ》われわれ|三五教《あななひけう》|信者《しんじや》へホンの|鼻糞《はなくそ》ほどのお|守《まも》り|札《ふだ》を|呉《く》れよつて、|恩情主義《おんじやうしゆぎ》だの|何《なん》のと|臆面《おくめん》もなく|業託《ごーたく》を|吐《ほざ》き、|俺《おれ》たちの|汗《あせ》や|油《あぶら》を|搾《しぼ》つて|妾宅《せふたく》を|造《つく》り、|栄華《えいぐわ》の|夢《ゆめ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れ、|一朝《いつてう》|不景気風《ふけいきかぜ》が|吹《ふ》き|始《はじ》めると、|何《なに》はさておきイの|一番《いちばん》にお|札《ふだ》の|値下《ねさ》げだの、お|払《はら》ひ|箱《ばこ》だのと|大鉈《おほなた》を|振《ふ》り|上《あ》げ、|人間《にんげん》の|生命《せいめい》を|制《せい》し、ミイラを|製造《せいざう》しておきながら、|己《おの》れは|依然《いぜん》として|甘《あま》い|汁《しる》をシコタマ|吸収《きふしう》し、そして|吐《ぬか》すことを|聞《き》けば……|宗教界《しうけうかい》に|不景気風《ふけいきかぜ》が|吹《ふ》き|荒《すさ》み、|真価《しんか》は|日《ひ》を|追《お》うて|暴落《ばうらく》としてきた。こんな|悪現象《あくげんしやう》を|招来《せうらい》した|原因《げんいん》は|信仰律《しんかうりつ》|低下《ていか》と、|教義《けうぎ》の|余《あま》りに|高尚《かうしやう》に|過《す》ぐるからだ……と|吐《ほざ》きやがるのだ。そして|洒々《しやしや》として|澄《す》まし|込《こ》んでゐやがる。ブル|宗教家《しうけうか》|連中《れんぢう》もやはり|吾々《われわれ》|同様《どうやう》に|白《しろ》い|米《こめ》を|喰《く》つて|黄色《きいろ》い|糞《くそ》を|垂《た》れる|人間《にんげん》の|片割《かたわ》れだ。こんな|奴《やつ》が|覇張《はば》つてゐる|宗教界《しうけうかい》は|何時《いつ》になつても|駄目《だめ》だないか』
『そりや|其《そ》の|通《とほ》りだ、|俺《おれ》も|同感《どうかん》だ。しかし|今日《こんにち》の|僧侶《そうりよ》どもは|実《じつ》に|怪《け》しからぬ|代物《しろもの》ではないか。|俺《おれ》たちの|仲間《なかま》に|対《たい》して|吐《ぬか》すことには、「お|前《まへ》たちのやうな|悪信仰《あくしんかう》の|没分暁漢連《わからずやれん》がやかましくいつて|飛《と》び|廻《まは》るものだから、|宗教《しうけう》は|日《ひ》に|月《つき》に|悪化《あくくわ》し|混乱状態《こんらんじやうたい》に|陥《おちい》るのだ」と|吐《ほざ》きやがる。こんな|僧侶《そうりよ》の|盲目《めくら》どもは、|梵鐘《ぼんしよう》を|鳴《な》らしたから|火事《くわじ》が|起《おこ》つたと|吐《ぬ》かす|没分暁漢《わからずや》だ。|更《さら》にまた「|人間社会《にんげんしやくわい》に|貧乏《びんばふ》といふ|怪物《くわいぶつ》が|現《あら》はれるのは、|食物《しよくもつ》の|生産力《せいさんりよく》に|比《ひ》して|人口《じんこう》の|加増率《かぞうりつ》が|一層《いつそう》|多《おほ》きためだから、これを|救済《きうさい》する|唯一《ゆゐいつ》の|良法《りやうはふ》は|貧乏人《びんばふにん》たちが|節制《せつせい》して、あまり|沢山《たくさん》な|子《こ》を|産《う》まないやうにするのが、|社会救治策《しやくわいきうちさく》の|最善《さいぜん》なる|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》だ」と|主張《しゆちやう》する|馬鹿《ばか》な|学者《がくしや》も|現《あら》はれてきた。さて|何《いづ》れも|理窟《りくつ》は|抜《ぬ》きにして、かくのごとき|坊主《ばうず》が|社会《しやくわい》に|公然《こうぜん》として|生存《せいぞん》し|得《う》るのも、|畢竟《ひつきやう》|宗教家第一主義《しうけうかだいいちしゆぎ》の|社会《しやくわい》なればこそだ、|思《おも》へば|涙《なみだ》の|溢《こぼ》れるほど|有難《ありがた》きお|目出《めで》たき|次第《しだい》だ。
バラモン|主義《しゆぎ》の|現代《げんだい》の|社会《しやくわい》において|横綱《よこづな》たる、ブル|宗教家《しうけうか》|力士《りきし》の|土俵入《どへうい》りに|従《したが》ふ|雑僧《ざつそう》の|太刀持《たちも》ちや、|露払《つゆばら》ひを|勤《つと》むる|御用学者《ごようがくしや》の|出場《しゆつぢやう》などは、|実《じつ》に|見物人《けんぶつにん》の|吾々《われわれ》にとつては|立派《りつぱ》で|見事《みごと》である。この|土俵入《どへうい》りを|拝見《はいけん》するためには、ずゐぶん|種々《しゆじゆ》の|美《うる》はしい|名目《めいもく》で、|過重《くわぢう》な|見料《けんれう》を|否応《いなおう》なしに|徴集《ちようしふ》されるのだから、|吾々《われわれ》の|貧弱《ひんじやく》な|骨《ほね》と|皮《かは》との|痩肉《やせにく》には、|錦上《きんじやう》|更《さら》に|花《はな》を|飾《かざ》るといふお|目出《めで》たい|状態《じやうたい》だ。アア|吾々《われわれ》|信徒《しんと》はこのお|目出《めで》たに|対《たい》して|祝福《しゆくふく》の|言《げん》を|述《の》べねばならぬ。|一層《いつそう》|声《こゑ》を|大《おほ》きくして、|横綱力士《よこづなりきし》の|今《いま》に|土俵《どへう》の|外《そと》に|転《ころ》げ|出《で》て、|手足《てあし》を|挫《くじ》き|吠面《ほえづら》を|曝《さ》らす|幕切《まくぎ》りを|見《み》たいものだ、アハハハハ』
『|一日《いちにち》も|早《はや》くその|土俵入《どへうい》りの|盛観《せいくわん》と|幕切《まくぎ》りを|拝見《はいけん》したいものだ。|腕《うで》を|撫《ぶ》し|固唾《かたず》を|呑《の》み|拳骨《げんこつ》でも|固《かた》めて……』
『それはさうとして、|僕《ぼく》の|友人《いうじん》なる|首陀《しゆだ》のバリー|君《くん》に、|大喇嘛《だいらま》が「|貴様《きさま》は|首陀《しゆだ》の|分際《ぶんざい》でありながら、|浄行《じやうぎやう》の|言語《げんご》を|使用《しよう》し、|頭髪《とうはつ》を|長《なが》くしやがつて|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ」といふ|罵詈雑言《ばりざふごん》の|末《すゑ》、|如意棒《によいぼう》をブラ|下《さ》げた|髯《ひげ》のある|立派《りつぱ》な|番僧《ばんそう》に|散々《さんざん》つぱら|毒付《どくつ》かれたのだ、「|首陀《しゆだ》のくせに|浄行《じやうぎやう》の|語《ご》を|使《つか》ひくさる」とは、|首陀《しゆだ》と|浄行《じやうぎやう》とは|別国人《べつこくじん》だ。|印度人《いんどじん》ではないといふ|以上《いじやう》に|軽蔑《けいべつ》の|意味《いみ》が|充分《じうぶん》に|含《ふく》まれてゐるのだ。この|番僧《ばんそう》が|大喇嘛《だいらま》から「|浄行語《じやうぎやうご》を|使《つか》ふ|首陀《しゆだ》は|用捨《ようしや》なく|蹴《け》り|倒《たふ》せ、|擲《なぐ》りつけよ」との|命令《めいれい》を|受《う》けてゐたか|否《いな》かは|別問題《べつもんだい》として、|首陀向上運動《しゆだかうじやううんどう》の|煽動者《せんどうしや》であることだけは|君《きみ》も|知《し》つてゐるだらう。ゆゑに|吾々《われわれ》は|不逞首陀団《ふていしゆだだん》と|目《もく》されてゐる|憐《あは》れな|運動者《うんどうしや》よりも、まづいはゆる|番僧連《ばんそうれん》を、|信徒《しんと》|安定《あんてい》の|上《うへ》からみて|厳粛《げんしゆく》に|取締《とりしま》らねばなるまいと|思《おも》ふのだ。|実《じつ》に|思《おも》うても|馬鹿々々《ばかばか》しい|問題《もんだい》だが、|番僧連《ばんそうれん》は|片手《かたて》で|浄首融和会《じやうしゆゆうわくわい》といふ|魔酔薬《ますゐやく》を|突《つ》き|出《だ》し、|片手《かたて》では「|浄行語《じやうぎやうご》をエラソウに|使《つか》ひくさるから」とて|拳骨《げんこつ》を|突《つ》き|出《だ》してゐるのだ。しかし|首陀向上団《しゆだかうじやうだん》の|連中《れんぢう》から|聞《き》いてみると、|幸《かう》か|不幸《ふかう》か|魔酔薬《ますゐやく》も|拳骨《げんこつ》もあまり|好感《かうかん》をもつて|迎《むか》へられてゐないさうだ』
『|僕《ぼく》はそれだから、|近頃《ちかごろ》|途上《とじやう》ではなるべく|浄行《じやうぎやう》の|番僧《ばんそう》には|会《あ》はないやうにと|注意《ちうい》してゐるのだ。「|貴様《きさま》は|首陀階級《しゆだかいきふ》の|癖《くせ》に|俺《おれ》の|顔《かほ》をみるとは|生意気千万《なまいきせんばん》な|奴《やつ》だ」と|直《す》ぐに|擲《なぐ》られるのが|嫌《いや》だからだ。ホントに|馬鹿々々《ばかばか》しいぢやないか』
『|馬鹿《ばか》らしい|事《こと》といつたら、|一夕《いつせき》|俺《おれ》の|亡妻《ばうさい》の|追悼会《つゐたうゑ》を|催《もよほ》した|事《こと》があつたが、|数日《すうじつ》の|後《のち》に|婆羅門《ばらもん》|総本山《そうほんざん》から|番僧《ばんそう》が|御出張《ごしゆつちやう》|遊《あそ》ばされて、「お|宅《たく》の|追悼会《つゐたうゑ》を|少《すこ》しも|知《し》らなかつたところ、|今日《こんにち》|本山《ほんざん》から|散々《さんざん》に|小言《こごと》を|言《い》はれ、|大《おほ》いに|目玉《めだま》の|飛《と》び|出《で》るほど|叱《しか》られた。それでお|宅様《たくさま》の|追悼会《つゐたうゑ》には|誰《だれ》だれが|集《あつ》まつたか、どんな|弔辞《てうじ》があつたか|聞《き》かしてくれろ」との|仰《おほ》せだ。|僕《ぼく》は|葬婚《さうこん》の|礼儀《れいぎ》さへ|弁《わきま》へ|知《し》らぬ|番僧連《ばんそうれん》にはホトホト|呆《あき》れ|返《かへ》つて、|開《あ》いた|口《くち》が|早速《さつそく》に|閉《すぼ》まらなかつた。そこで|余《あま》り|業腹《ごふばら》が|立《た》つので、「|幾《いく》ら|番僧《ばんそう》だつて|葬式《さうしき》や|婚儀《こんぎ》にまで|干渉《かんせう》する|権利《けんり》はありますまい。|宗権《しうけん》を|蹂躙《じうりん》するものだから、そんな|事《こと》は|答弁《たふべん》の|限《かぎ》りではござらぬ」とキツパリ|温順《をんじゆん》に|言《い》つて|退《の》けてやつた。さうするとこの|頓馬番僧《とんまばんそう》、その|翌朝《よくてう》から|毎日《まいにち》|六ケ敷《むつかしき》|御面相《ごめんさう》を|遊《あそ》ばして、|宅《たく》の|表《おもて》に|如意棒《によいぼう》をブラ|下《さ》げながら|頑張《ぐわんば》つてござるが、いづれの|目的《もくてき》がお|在《あ》り|遊《あそ》ばすのか|俺《おれ》には|合点《がつてん》がゆかない。|又《また》その|番僧《ばんそう》の|非常識《ひじやうしき》なやり|方《かた》を|遊《あそ》ばすのは、|何《なん》の|理由《りいう》だか|知《し》る|由《よし》もないが、|大喇嘛《だいらま》から|叱《しか》られた|時《とき》はなほ「|一層《いつそう》|酷《きび》しく|首陀向上会《しゆだかうじやうくわい》をヤツつけろ」といふ|約束《やくそく》が|番僧間《ばんそうかん》の|金科玉条《きんくわぎよくでう》とされてゐるのか、とにも|角《かく》にも|不都合《ふつがふ》な|話《はなし》だ。|実《じつ》に|吾々《われわれ》には|迷惑《めいわく》のいたりだ。ウラナイバラニズムの|好《よ》い|見本《みほん》だ。キキキキだ』
『ともかく|一日《いちにち》も|早《はや》く|吾々《われわれ》の|向上運動《かうじやううんどう》を|進《すす》めて、|根本的《こんぽんてき》に|大運動《だいうんどう》、いな|荒料理《あられうり》のメスを|振《ふる》はなくては|駄目《だめ》だ。われわれ|首陀《しゆだ》|信徒《しんと》は|自滅《じめつ》するより|外《ほか》に|進《すす》むべき|道《みち》はないのだ。|何《なん》といつても|黴菌《ばいきん》を|怖《おそ》れ、|難病《なんびやう》を|避《さ》ける|医学博士《いがくはかせ》、|毒蛇《どくじや》や|毒草《どくさう》を|避《さ》けて|通《とほ》る|博物学者《はくぶつがくしや》、テンデ|貧乏人《びんばふにん》には|接近《せつきん》しない|活仏《くわつぶつ》や、|弱《よわ》い|者《もの》を|虐《いぢ》める|牧師《ぼくし》の|公々然《こうこうぜん》として|頭《あたま》をもたげる|暗黒世界《あんこくせかい》だもの、|況《いは》んや|俗《ぞく》の|俗《ぞく》たる|婆羅門僧侶《ばらもんそうりよ》に|於《おい》てをやだ。|吾々《われわれ》はあくまでも|婆羅門《ばらもん》どもの|根城《ねじろ》を|根本《こつぽん》の|土台《どだい》から|転覆《てんぷく》させむ|事《こと》には、|信仰独立権《しんかうどくりつけん》を|保持《ほぢ》することさへ|六《むつ》かしからうよ』
|二人《ふたり》の|三五信者《あななひしんじや》なる|首陀《しゆだ》が、|盛《さか》んに|森蔭《もりかげ》に|腰《こし》を|下《お》ろして|談《だん》じてゐる|所《ところ》へ、|錫杖《しやくぢやう》をガチヤつかせて|悠然《いうぜん》と|現《あら》はれたのは、|婆羅門教《ばらもんけう》の|宣伝使《せんでんし》キユーバーであつた。|二人《ふたり》は|宣伝使《せんでんし》の|姿《すがた》を|見《み》るより|又《また》もやバラスパイが|来《き》よつたなーと、にはかに|話頭《わとう》を|転《てん》じて、
レール『この|間《あひだ》|死《し》んだ|俺《おれ》の|伜《せがれ》から|幽冥通信《いうめいつうしん》があつたが、その|音信《おとづれ》に「|地獄界《ぢごくかい》は|僧侶《そうりよ》や|牧師《ぼくし》ばかりで|満員《まんゐん》だ。|普通《ふつう》の|人間《にんげん》では|殺人《さつじん》、|放火《はうくわ》ぐらいなもので、あまり|罪《つみ》が|軽《かる》すぎて|滅多《めつた》に|地獄《ぢごく》に|入《い》れては|呉《く》れない。しかし|坊主《ばうず》や|牧師《ぼくし》ならその|名称《めいしよう》だけでも|幾人《いくにん》でも|割《わ》り|込《こ》むことが|出来《でき》る」とのことだつたよ』
キユーバー『|君《きみ》たちは|今《いま》|何《なに》を|話《はな》してゐましたか、|穏《おだや》かならぬことを|喋《しやべ》つてゐたやうだなア。お|前《まへ》の|姓名《せいめい》は|何《なん》と|言《い》ふか、|聞《き》かしてもらひたいものだ』
レール『|俺《おれ》の|名《な》は|俺《おれ》だ、|友人《いうじん》の|名《な》は|友人《いうじん》だ。|坊主《ばうず》はどこまでも|坊主《ばうず》だ。オイ|兄弟《きやうだい》、サア|行《ゆ》かう』
と|尻《しり》に|帆《ほ》かけて|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|出《だ》した。キユーバー(|急場《きふば》)に|迫《せま》つた|時《とき》は|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》だと、|頭《あたま》を|抱《かか》へてトントントンと|畔路《あぜみち》を|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|走《はし》り|行《ゆ》く。
かれ|婆羅門教《ばらもんけう》の|宣伝使《せんでんし》は、スコブツエンといふ|一派《いつぱ》の|宗旨《しうし》を|開《ひら》いた|新婆羅門《しんばらもん》の|教祖《けうそ》であつて、|婆羅門《ばらもん》の|大棟梁《だいとうりやう》|大黒主《おほくろぬし》が|意《い》を|承《う》け、ひそかに|第二《だいに》の|準備《じゆんび》に|取《と》りかかつたのである。|大黒主《おほくろぬし》は|万々一《まんまんいち》|婆羅門教《ばらもんけう》が、ウラル|教《けう》または|三五教《あななひけう》に|潰《つぶ》された|時《とき》は、スコブツエン|教《けう》に|身《み》を|托《たく》すべく、かれキユーバーに|数多《あまた》の|機密費《きみつひ》を|与《あた》へ、かつ|特殊《とくしゆ》の|権利《けんり》と|地位《ちゐ》を|与《あた》へて、|隠密《おんみつ》の|役目《やくめ》を|申付《まをしつ》けてゐたのである。|故《ゆゑ》にかれキユーバーは|何《なん》の|不自由《ふじゆう》も|感《かん》ぜず、|傲然《がうぜん》として|高《たか》く|止《と》まり、|官民《くわんみん》を|睥睨《へいげい》しつつ|天下《てんか》を|横行濶歩《わうかうくわつぽ》してゐたのである。|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》も、かれが|特殊《とくしゆ》の|地位《ちゐ》にゐることと、|絶大《ぜつだい》なる|権威《けんゐ》を|大黒主《おほくろぬし》に|授与《じゆよ》されてゐる|事《こと》を|知《し》つてゐるので、|抜目《ぬけめ》のなき|大足別《おほだるわけ》は、キユーバーに|対《たい》しては|色々《いろいろ》と|媚《こ》びを|呈《てい》し、かつ|彼《かれ》の|前《まへ》に|出《い》でては、ほとんど|従僕《じうぼく》のごとき|態度《たいど》をもつて|望《のぞ》み、|維命維従《これめいこれしたが》ふのみであつた。
さてキユーバーが|東地《ハルナ》の|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》の|内命《ないめい》を|受《う》けて|開《ひら》いてゐる|婆羅門教《ばらもんけう》の|別派《べつぱ》、スコブツエン|宗《しう》は、|由来《ゆらい》|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》をもつて|神《かみ》に|奉仕《ほうし》の|誠《まこと》を|捧《ささ》ぐるものと|為《な》し、|聞《き》くだに|恐《おそ》ろしき|苦行《くぎやう》の|教団《けうだん》である。|百千《ひやくせん》の|苦行《くぎやう》を|信徒《しんと》に|向《む》かつて|強《し》ひる|点《てん》は、|婆羅門教《ばらもんけう》と|少《すこ》しも|異《ことな》りはないが、ことに|甚《はなは》だしき|苦行《くぎやう》は、|婦人《ふじん》がヱマスキユレートすなはち|男性化《だんせいくわ》の|修業《しうげふ》で、|変性男子《へんじやうなんし》の|願《ぐわん》を|立《た》てて|女性《ぢよせい》たることを|脱《だつ》せむとする|事《こと》が、|最《もつと》も|重要《ぢうえう》とされてゐる。その|方法《はうはふ》には|卵巣除去法《らんさうぢよきよはふ》と|乳房除却法《ちぶさぢよきやくはふ》とがあつて、|卵巣除去法《らんさうぢよきよはふ》の|修業《しうげふ》になると、|百人《ひやくにん》の|中《うち》|九十九人《くじふくにん》まで|生命《いのち》を|殞《おと》すに|至《いた》る、|実《じつ》に|惨酷《ざんこく》なる|修業《しうげふ》であり、|乳房除却法《ちぶさぢよきやくはふ》に|至《いた》つては、|白熱《はくねつ》せる|火箸《ひばし》をもつて|婦人《ふじん》の|乳房《ちぶさ》を|焼《や》き|切《き》るのである。かくした|者《もの》に|対《たい》して、|教主《けうしゆ》および|重役人《ぢうやくにん》が|婆羅門大神《ばらもんおほかみ》へ|奉仕《ほうし》を|標章《へうしやう》するため|焼印《やきいん》を|押《お》す。これを|熱火《ねつくわ》の|洗礼《せんれい》と|称《とな》へてゐる。かくして|切《き》り|落《お》とされた|乳房《ちぶさ》は|聖壇《せいだん》に|供《そな》へられ、これを|捧《ささ》げたる|犠牲者《ぎせいしや》は|聖座《せいざ》に|安置《あんち》されて、|神《かみ》のごとくに|崇敬《すうけい》されるのである。そして|聖晩餐《せいばんさん》の|食物中《しよくもつちう》には、|乳房《ちぶさ》の|断片《だんぺん》が|混《ま》ぜられ、|会衆《くわいしう》|一同《いちどう》これを|喫《きつ》し|終《をは》るや、|犠牲者《ぎせいしや》の|周囲《しうゐ》に|熱狂《ねつきやう》せる|舞踏《ぶたふ》が|演《えん》ぜられるのである。その|光景《くわうけい》は|実《じつ》に|凄惨《せいさん》きはまるもので、|正《ただ》しき|神々《かみがみ》の|所為《しよゐ》でないことは|之《これ》を|見《み》ても|判《わか》るのである。およそ|乳房《ちぶさ》は|女性《ぢよせい》のシンボルであり、|美《び》のシンボルであり、また|婦人生殖器《ふじんせいしよくき》の|一部《いちぶ》とさへ|考《かんが》へられてゐた。|畢竟《つまり》、|婦人《ふじん》を|代表《だいへう》さるものは|乳房《ちぶさ》だといふ|観念《くわんねん》の|下《もと》に|立《た》てられた|邪教《じやけう》なのである。
|印度《いんど》に|興《おこ》つた|宗教《しうけう》の|説《せつ》は|概《がい》して、|自我《じが》の|世界《せかい》は|纒綿《てんめん》の|世界《せかい》であるとか、|出纒《しゆつてん》の|行《ぎやう》と|述《い》ひ、|無我《むが》と|道《い》ひ、|空《くう》と|謂《ゐ》ひ、|解脱《げだつ》と|曰《い》ひ、|涅槃《ねはん》と|説《い》つて、いはゆる|転迷開悟《てんめいかいご》に|専《もつぱ》らなる|諸々《もろもろ》の|宗教《しうけう》が|発生《はつせい》するだけあつて、|土地《とち》と|気温《きをん》の|関係《くわんけい》の|然《しか》らしむるためか、|印度《いんど》といふ|国《くに》は|恐《おそ》ろしく|美《うつく》しい、かつ|物凄《ものすご》く|壮大《さうだい》な|自然《しぜん》に|包《つつ》まれた、|何百種《なんびやくしゆ》かの|人間《にんげん》が|幾百種《いくひやくしゆ》の|階級《かいきふ》を|作《つく》り、|幾百種《いくひやくしゆ》の|言語《げんご》を|使《つか》つてゐる|国《くに》だけあつて、|樹上《じゆじやう》に|三年《さんねん》、|石《いし》の|上《うへ》に|十年《じふねん》も|立《た》つたり|坐《すわ》つたりしてゐたり、|穴《あな》の|中《なか》の|逆立《さかだち》を|三ケ月間《さんかげつかん》もつづけて|修業《しうぎやう》するとか、|水《みづ》ばかり|呑《の》んで|生《い》きるだけ|生《い》きるとか、|木乃伊《ミイラ》となるために|氷雪《ひようせつ》の|裡《うち》、|岩角《いはかど》の|上《うへ》に|飲食物《いんしよくぶつ》を|絶《た》つて|坐《すわ》つて|修行《しうぎやう》するといふやうな|迷信《めいしん》、|妄信《ばうしん》、|愚信《ぐしん》、|悪邪信《あくじやしん》の|醗酵地《はつかうち》であり、|持戒《ぢかい》、|精進《しやうじん》、|禅定《ぜんぢやう》、|忍辱《にんにく》などと|八釜敷《やかまし》く|叫《さけ》びながらも、|淫靡《いんび》、|不浄《ふじやう》、|惰弱《だじやく》で|始末《しまつ》にをへない|国民性《こくみんせい》である。それゆゑに|自然《しぜん》の|結果《けつくわ》としてスコブツエン|宗《しう》のごときものが|発生《はつせい》し|得《え》たのである。
かれ|教祖《けうそ》のキユーバーは|凄《すご》い|眼《め》をギヨロつかしながら、レール、マークの|二人《ふたり》の|談話《だんわ》を|耳敏《みみざと》くも|聴《き》き|取《と》つて、|大黒主《おほくろぬし》の|国家《こくか》を|覆《くつが》へすものと|憂慮《いうりよ》し、|二人《ふたり》の|逃《に》げゆく|姿《すがた》を|追跡《つゐせき》せむと|金剛杖《こんがうづゑ》を|力《ちから》に、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|焦慮《あせり》|出《だ》したのである。しかるに|彼《か》の|二人《ふたり》は|逸早《いちはや》くも|山林《さんりん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、|谷川《たにがは》の|水《みづ》を|掬《すく》つて|咽喉《のど》を|潤《うるほ》しながら、
レール『オイ、マーク|大変《たいへん》な|奴《やつ》に|出会《でくは》したものだないか。|彼奴《あいつ》は|大黒主《おほくろぬし》の|邸内《ていない》に|数年前《すうねんぜん》まで|出入《でいり》して、|大黒主《おほくろぬし》の|御覚《おんおぼ》え|目出度《めでた》かつたといふスコブツエン|宗《しう》の|親玉《おやだま》ぢやないか、|下手《へた》に|魔誤《まご》ついてゐたら|大黒主《おほくろぬし》より|重罰《ぢうばつ》に|処《しよ》せられる|危《あぶ》ないところだつた。あんな|坊主《ばうず》が|何故《なぜ》あれほど|威張《ゐば》り|散《ち》らしよるのだらう。|何故《なぜ》あんな|不完全《ふくわんぜん》きはまる|宗教《しうけう》が|亡《ほろ》びないのだらうか』
マーク『|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》には|幾百《いくひやく》の|小《ちひ》さい|宗教《しうけう》があるが、|何《いづ》れの|宗教《しうけう》も|完全《くわんぜん》なものは|一《ひと》つも|無《な》いにきまつてゐるよ。ことにあの|宗教《しうけう》はことさら|不完全《ふくわんぜん》きはまる|未成品宗《みせいひんしう》だから、|命脈《めいみやく》を|保《たも》つてゐるのだ。|凡《すべ》て|不完全《ふくわんぜん》なものには|将来《しやうらい》|発達《はつたつ》すべき|余地《よち》があり、|未来《みらい》があるのだ。|完全《くわんぜん》は|行詰《ゆきつま》りを|意味《いみ》し、|結局《けつきよく》|滅亡《めつぼう》の|代名詞《だいめいし》に|外《ほか》ならないのだ、アハハハハ』
『さうすると|吾々《われわれ》の|運動《うんどう》も|成功《せいこう》せない|未完成《みくわんせい》の|間《あひだ》が、|花《はな》もあり、|香《にほひ》もあり、|実《み》もあり、|世人《せじん》からも|注目《ちうもく》されるのだな。アハハハハ』
『ナアニ|俺《おれ》|達《たち》はブルジョア|宗教《しうけう》やラマ|階級《かいきふ》に|圧迫《あつぱく》され|苦《くる》しめられ、|明敏《めいびん》な|頭脳《づなう》が|滅茶苦茶《めちやくちや》になつたので、チツとばかり|小理窟《こりくつ》を|覚《おぼ》えてゐるのを|利用《りよう》して、|実《じつ》は|滅茶苦茶《めつちやくちや》な|革正運動《かくせいうんどう》をやるやうになつたのだ。しかしかういふ|頭悩《づなう》でなければ、|創意《さうい》|創見《さうけん》は|生《うま》れて|来《こ》ないのだ。|復古《ふくこ》を|叫《さけ》ぶ|人間《にんげん》は|必《かなら》ず|覚明家《かくめいか》だ。|石火坊子団《せきくわばうしだん》はすなはち|石下坊主団《せきかばうずだん》だ。|日露協約《にちろけふやく》の|結果《けつくわ》は|白雪《はくせつ》までも|赤化《せきくわ》したぢやないか、アハハハハ。それだから|吾々《われわれ》は|天《てん》の|表示《へうじ》を|確信《かくしん》して|驀地《まつしぐら》に|進《すす》まむとするのだ。アア|一日《いちにち》も|早《はや》く|吾々《われわれ》の|目的《もくてき》を|達成《たつせい》せなくては、|到底《たうてい》われわれ|三五信者《あななひしんじや》|兼《けん》|首陀向上会員《しゆだかうじやうくわいゐん》は|身《み》の|置《お》き|所《どころ》がなくなつてしまふわ。「|白雪《はくせつ》も|日露協約《にちろけふやく》で|赤《あか》く|化《くわ》し」』
かくて|両人《りやうにん》は|又《また》もやキユーバーの|悪口《あくこう》に|花《はな》を|咲《さ》かせ、|不平《ふへい》の|焔《ほのほ》を|燃《も》やすをりしも、|執念深《しふねんぶか》いキユーバーの|窺《うかが》ひ|寄《よ》る|姿《すがた》が|木《こ》の|間《ま》を|透《す》かしてチラチラと|見《み》え|出《だ》したのに|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|尻《しり》はし|折《を》つて|山林《さんりん》|深《ふか》く|逃《に》げ|出《だ》してしまつた。
(大正一四・二・一三 旧一・二一 加藤明子録)
第二章 |折衝戦《せつしようせん》〔一七六九〕
トルマン|城《じやう》の|会議室《くわいぎしつ》には、|王《わう》のガーデンを|始《はじ》め、|王妃《わうひ》|千草《ちぐさ》、|左守司《さもりのかみ》フーラン、|右守司《うもりのかみ》スマンヂーの|首脳部《しゆなうぶ》が|首《くび》を|鳩《あつ》めてヒソビソ|重要会議《ぢうえうくわいぎ》を|開《ひら》いてゐる。
ガーデン『エー、|左守《さもり》、|右守《うもり》の|両人《りやうにん》、|突然《とつぜん》|重大問題《ぢうだいもんだい》が|勃発《ぼつぱつ》したので、|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》を|急使《きふし》をもつて|引寄《ひきよ》せたのだが、|其《その》|方《はう》の|知恵《ちゑ》を|貸《か》してもらひたい。トルマン|国《ごく》にとつては|国家《こくか》|興亡《こうばう》の|一大事《いちだいじ》だから……』
|左守《さもり》|右守《うもり》は|一度《いちど》にハツと|頭《かうべ》を|下《さ》げ、|畏《かしこ》まつて、|王《わう》の|第二《だいに》の|発言《はつげん》を|待《ま》つてゐる。|王《わう》は|目《め》をしばたたきながら、
『|外《ほか》でもないが、|昨夜《さくよ》|半《なか》ごろしきりに|門戸《もんこ》を|叩《たた》く|者《もの》あり。|門番《もんばん》のタマ、タルの|両人《りやうにん》よりの|急使《きふし》により、|寝所《しんじよ》を|立出《たちい》で、|応接間《おうせつま》に|至《いた》り|見《み》れば、|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》の|使者《ししや》と|称《しよう》し、このごろ|淫祠邪教《いんしじやけう》を、わが|国内《こくない》に|布教《ふけう》|宣伝《せんでん》いたしをるスコブツエン|宗《しう》のキユーバーと|申《まを》す|妖僧《えうそう》、|吾《わ》が|面前《めんぜん》をも|憚《はばか》らず|威丈高《ゐだけだか》となり、……|貴国《きこく》は|従来《じうらい》ウラル|教《けう》を|奉《ほう》じ、|国政《こくせい》の|補助《ほじよ》となしをらるる|由《よし》、もはや|命脈《めいみやく》の|絶《た》えたるウラル|教《けう》をもつて、|人心《じんしん》を|収《をさ》めむとするは|危険《きけん》|此《こ》の|上《うへ》なかるべし。このたび|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》、|大黒主《おほくろぬし》の|大命《たいめい》を|奉《ほう》じ、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》をスコブツエン|宗《しう》に|改宗《かいしう》せしむとの|御上意《ごじやうい》、|天下万民《てんかばんみん》を|塗炭《とたん》の|苦《く》より|救《すく》ひ、|安養浄土《あんやうじやうど》に|蘇生《そせい》せしめむとの|有難《ありがた》き|御心《みこころ》なれば、|謹《つつし》んでお|受《う》けなされ。|万一《まんいち》|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば、|仁義《じんぎ》の|軍《ぐん》は|忽《たちま》ち|虎狼《こらう》の|爪牙《さうが》を|現《あら》はし、トルマン|城《じやう》を|屠《ほふ》り、|王《わう》を|始《はじ》め、|一般民衆《いつぱんみんしう》の|目《め》をさまし|呉《く》れむ。|王《わう》の|御答弁《ごたふべん》|如何《いかん》に|依《よ》つて、|国家《こくか》の|安危《あんき》の|分《わか》るる|所《ところ》、|速《すみ》やかに|返答《へんたふ》|召《め》され……との|強談《がうだん》、その|暴状《ばうじやう》は|言語《げんご》に|絶《ぜつ》し、|立腹《りつぷく》のあまり|卒倒《そつたう》せむばかりに|存《ぞん》じたが、いや|待《ま》て|少時《しばし》|何《なん》とかかとか|此《この》|場《ば》の|言葉《ことば》を|濁《にご》し、|汝《なんぢ》|重臣《ぢうしん》どもに|親《した》しく|協議《けふぎ》を|遂《と》げ、|其《そ》の|上《うへ》|諾否《だくひ》を|決《けつ》せむと、キユーバーに|向《む》かひ、|三日間《みつかかん》の|猶予《いうよ》を|与《あた》ふべく|申《まを》し|渡《わた》せしところ、かれ|妖僧《えうそう》の|勢《いきほ》ひ、なかなか|猛烈《まうれつ》にして、|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、……|只今《ただいま》|返答《へんたふ》|承《うけたまは》らむとの|厳談《げんだん》、|仮《かり》にも|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんしや》が、わづか|一人《ひとり》の|妖僧《えうそう》に|圧迫《あつぱく》さるべき|理由《りいう》なし。さりながら、ただ|一言《いちごん》の|下《もと》に|叱咤《しつた》せむか、|彼《かれ》は|時《とき》を|移《うつ》さず、|大足別《おほだるわけ》の|軍《ぐん》を|率《ひき》ゐて|当城《たうじやう》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取囲《とりかこ》まんず|鼻息《はないき》、|残念《ざんねん》ながら|千言万語《せんげんばんご》を|費《つひ》やし、|一日《いちにち》の|猶予《いうよ》を|請《こ》ひ、|返答《へんたふ》すべき|事《こと》にいたしておいた。|左守《さもり》、|右守殿《うもりどの》、|如何《いかが》いたさば|可《よ》からうかな』
|左守《さもり》『|何事《なにごと》かと|存《ぞん》じ、|取《と》る|物《もの》も|取《と》り|敢《あへ》ず、|登城《とじやう》|致《いた》し、|承《うけたまは》れば|容易《ようい》ならざる|出来事《できごと》でござります。|仮《かり》にも|一天万乗《いつてんばんじやう》の|国王殿下《こくわうでんか》に|対《たい》し、|素性《すじやう》も|分《わか》らぬ|怪僧《くわいそう》の|暴言《ばうげん》、|聞捨《ききす》てなり|申《まを》さぬ。|最早《もはや》この|上《うへ》は|折衝《せつしやう》も|答弁《たふべん》も|無用《むよう》でござります。|速《すみ》やかに|国内《こくない》の|兵《へい》を|集《あつ》め、|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》を|殲滅《せんめつ》いたし、|国家《こくか》の|災《わざはひ》を|芟除《せんぢよ》いたしたく|存《ぞん》じます』
|王《わう》『なるほど、|汝《なんぢ》が|言《げん》、|余《よ》の|意《い》に|叶《かな》へたり。サア、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|募兵《ぼへい》の|用意《ようい》をいたせ。|城内《じやうない》の|兵士《へいし》にも|厳命《げんめい》を|下《くだ》し、|防備《ばうび》の|用意《ようい》に|取《と》りかからしめよ』
|左守《さもり》『ハイ、|殿下《でんか》の|御上意《ごじやうい》、|謹《つつし》んでお|受《う》け|致《いた》します。|右守殿《うもりどの》、|貴殿《きでん》は|一刻《いつこく》も|早《はや》く|国内《こくない》に|伝令使《でんれいし》を|派《は》し、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふべく|軍隊《ぐんたい》をお|集《あつ》めなさい』
|右守《うもり》『これはこれは|左守殿《さもりどの》のお|言葉《ことば》とも|覚《おぼ》えぬ。|左様《さやう》な|無謀《むぼう》な|戦《たたか》ひをいたして、|天壤無窮《てんじやうむきう》のトルマン|国《ごく》を|亡《ほろ》ぼす|左守殿《さもりどの》の|拙策《せつさく》。|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は、|暫時《ざんじ》キユーバーの|意見《いけん》に|従《したが》ひ、|王家《わうけ》を|始《はじ》め、|国民《こくみん》|一般《いつぱん》、|彼《かれ》が|唱《とな》ふる|宗旨《しうし》に|帰順《きじゆん》せば、|天下《てんか》は|無事泰平《ぶじたいへい》、|国民《こくみん》は|塗炭《とたん》の|苦《く》より|免《まぬが》れ、|仁君《じんくん》と|仰《あふ》がれ|給《たま》ふでござらう。|万々一《まんまんいち》|雲霞《うんか》のごとき|大軍《たいぐん》を|向方《むかふ》へ|廻《まは》し、|全敗《ぜんぱい》の|憂目《うきめ》に|会《あ》はば、|万劫末代《まんごまつだい》|取返《とりかへ》しのつかざる|大失敗《だいしつぱい》でござらう。|殿下《でんか》を|始《はじ》め|左守殿《さもりどの》、ここをトクとお|考《かんが》へ|下《くだ》され。|王家《わうけ》のため、|国家《こくか》のため、|右守《うもり》|身命《しんめい》を|賭《と》して|諫言《かんげん》|仕《つかまつ》ります』
|王《わう》『|此《この》|場《ば》に|及《およ》んで、|卑怯未練《ひけふみれん》な|右守《うもり》の|言条《いひでう》、|国帑《こくど》を|消費《せうひ》して、|平素《へいそ》|軍隊《ぐんたい》を|養《やしな》ひおきしは|何《なん》の|為《ため》だ。かかる|国難《こくなん》に|際《さい》し、|挙国《きよこく》|一致的《いつちてき》|活動《くわつどう》をなし、|外敵《ぐわいてき》を|防《ふせ》ぐべき|用意《ようい》のためではないか。かかる|卑怯未練《ひけふみれん》な|魂《たましひ》をもつて、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》の|現代《げんだい》、|殊《こと》に|七千余国《しちせんよこく》の|国王《こくわう》は|各《おのおの》|軍備《ぐんび》を|整《ととの》へ、|虎視耽々《こしたんたん》として、|国防《こくばう》に|余念《よねん》なき|此《この》|際《さい》、|祖先伝来《そせんでんらい》のウラルの|神《かみ》の|教《をしへ》を|放擲《はうてき》するごときは、|神《かみ》の|威厳《ゐげん》を|損《そこな》ひ|破《やぶ》り、|御無礼《ごぶれい》この|上《うへ》なく、|却《かへつ》て|国家《こくか》の|滅亡《めつぼう》を|早《はや》めるであらう。このトルマン|国《ごく》はウラルの|神《かみ》の|厚《あつ》き|守護《しゆご》あり、|何《なに》を|苦《くる》しんで、かかる|妖教《えうけう》に|腰《こし》を|曲《ま》げむや。しつかりと|性根《しやうね》を|据《す》ゑて、|所存《しよぞん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めよ』
|右《う》『|君《きみ》の|仰《おほ》せではございまするが、この|際《さい》よほど|冷静《れいせい》にお|考《かんが》へを|願《ねが》はねばなりませぬ。|取返《とりかへ》しのつかぬ|事《こと》でございますから』
|王《わう》『しからば|汝《なんぢ》の|意見《いけん》は、|何《ど》うせうと|言《い》ふのだ、|腹蔵《ふくざう》なく|申《まを》して|見《み》よ』
|右《う》『ハイ、|恐《おそ》れながら|申《まを》し|上《あ》げます。|敵《てき》は|目《め》に|余《あま》る|大軍《たいぐん》、|城下《じやうか》|近《ちか》く|押寄《おしよ》せ|来《き》たる|此《こ》の|際《さい》、|遅《おく》れ|走《ば》せに|軍隊《ぐんたい》を|召集《せうしふ》すればとて、|何《なん》の|役《やく》に|立《た》ちませうぞ。|城内《じやうない》の|守兵《しゆへい》はわづかに|五百人《ごひやくにん》、|敵《てき》の|総勢《そうぜい》|三千騎《さんぜんき》、|国内《こくない》|全部《ぜんぶ》の|兵員《へいゐん》を|集《あつ》めたところで、やうやく|二千五百人《にせんごひやくにん》ではござらぬか。|五百人《ごひやくにん》の|兵《へい》をもつて|三千人《さんぜんにん》の|精鋭《せいえい》に|当《あた》るは、あたかも|蟷螂《たうらう》の|斧《をの》を|揮《ふる》つて|竜車《りうしや》に|向《む》かふがごときものでござります。|国内《こくない》の|総動員《そうどうゐん》を|行《おこな》ひ、いよいよ|戦闘準備《せんとうじゆんび》の|整《ととの》ふまでには、なにほど|早《はや》くとも|三日間《みつかかん》の|時日《じじつ》を|要《えう》します。さすれば、|既《すで》に|既《すで》に|戦争《せんそう》の|済《す》んだ|後《あと》、|六菖十菊《ろくしやうじつきく》の|無駄《むだ》な|仕業《しわざ》と|存《ぞん》じます。かかる|見易《みやす》き|道理《だうり》を|無視《むし》し|戦《たたか》ふにおいては、|国家《こくか》の|滅亡《めつぼう》、|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》よりも|危《あやふ》うございます。なにとぞ|此《こ》の|際《さい》|右守《うもり》の|進言《しんげん》を|御採用《ごさいよう》|下《くだ》さらば、|国家《こくか》のため、|実《じつ》に|幸福《かうふく》と|存《ぞん》じます』
|千草姫《ちぐさひめ》『|王様《わうさま》をはじめ|左守《さもり》|右守殿《うもりどの》の|御意見《ごいけん》を|承《うけたまは》れば、|何《いづ》れも|御尤《ごもつと》も|千万《せんばん》、しかしながら|妾《わらは》は|右守《うもり》の|説《せつ》をもつて、|最《もつと》も|時宜《じぎ》に|適《てき》した|方法《はうはふ》と|考《かんが》へまする。|殿下《でんか》なにとぞ、|右守《うもり》の|説《せつ》を|御採用《ごさいよう》あらむ|事《こと》をお|願《ねが》ひいたしまする』
|王《わう》『|馬鹿《ばか》を|申《まを》せ、|其方《そち》までが|夫《をつと》の|説《せつ》を|抹殺《まつさつ》せむと|致《いた》すか。|其方《そち》の|平素《へいそ》の|挙動《きよどう》は|腋《ふ》に|落《お》ちぬと|思《おも》つてゐた。|国家《こくか》|滅亡《めつぼう》の|原因《げんいん》は|女性《ぢよせい》にありといふことだ。|殷《いん》の|紂王《ちゆうわう》が|国《くに》を|失《うしな》うたのも|矢張《やはり》|女性《ぢよせい》の|横暴《わうばう》からだ。|女童《をんなわらべ》の|知《し》る|事《こと》でない、|下《さ》がりをらうツ』
と|百雷《ひやくらい》の|一時《いちじ》に|落下《らくか》したるごとき|怒声《どせい》、|千草姫《ちぐさひめ》は|縮《ちぢ》み|上《あが》つて|顔色《がんしよく》|蒼白《さうはく》となり、|其《そ》の|場《ば》に|慄《ふる》ひつつ|倒《たふ》れてしまつた。|王《わう》はこの|有様《ありさま》を|目《め》にもかけず、|尚《なほ》も|言葉《ことば》を|続《つづ》けて、
『ヤ、|左守《さもり》、|最早《もはや》かうなる|上《うへ》は、|余《よ》と|汝《なんぢ》と|両人《りやうにん》|力《ちから》を|併《あは》せ、|外敵《ぐわいてき》を|殲滅《せんめつ》いたさう。|余《よ》は|之《これ》より|陣頭《ぢんとう》に|立《た》ち、|三軍《さんぐん》を|指揮《しき》するであらう。サ、|左守《さもり》、|其《そ》の|準備《じゆんび》に|取《と》りかかれよ』
|左《さ》『|年《とし》は|寄《と》つても、|武術《ぶじゆつ》をもつて|鍛《きた》へたこの|腕《うで》つ|節《ぷし》、たとへ|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》、|百万騎《ひやくまんき》をもつて|押《お》し|寄《よ》せ|来《き》たるとも|何《なに》かあらむ、|盤古神王《ばんこしんのう》の|御神力《ごしんりき》を|頭《かしら》に|頂《いただ》き、|八岐大蛇《やまたをろち》の|悪魔《あくま》の|守《まも》る|大足別《おほだるわけ》が|軍勢《ぐんぜい》を、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘術《ひじゆつ》をもつて|駆《か》け|悩《なや》まし、|奇兵《きへい》を|放《はな》つて|殲滅《せんめつ》しくれむ。いざ|右守殿《うもりどの》、|用意《ようい》を|召《め》され』
|右《う》『これは|心得《こころえ》ぬ|御両所《ごりやうしよ》のお|言葉《ことば》、|薪《たきぎ》に|油《あぶら》を|注《そそ》ぎ、これを|抱《いだ》いて|火中《くわちう》に|投《とう》ずるごとき|危険《きけん》きはまる|無謀《むぼう》の|抗戦《かうせん》、いかでか|功《こう》を|奏《そう》せむ。|先《ま》づ|先《ま》づ|思《おも》ひ|止《とど》まらせ|給《たま》へ』
|王《わう》『|左守《さもり》、|右守《うもり》のごとき|逆臣《ぎやくしん》を|相手《あひて》にいたすな。|千草姫《ちぐさひめ》は|平素《へいそ》|余《よ》が|目《め》をぬすみ、|右守《うもり》と……を|結《むす》んでゐるといふことは、|某々等《ぼうぼうら》の|注進《ちうしん》によつて、|一年《いちねん》|以前《いぜん》より|余《よ》は|承知《しようち》してゐる。かかる|逆賊《ぎやくぞく》を|城内《じやうない》に|放養《はうやう》するは、あたかも|虎《とら》の|子《こ》を|養《やしな》ふに|等《ひと》しからむ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|縛《しば》り|上《あ》げよ』
|千草《ちぐさ》『|王様《わうさま》のお|情《なさ》けないお|言葉《ことば》、|決《けつ》して|決《けつ》して|妾《わらは》は|左様《さやう》な|疑《うたが》ひを|受《う》けやうとは|夢《ゆめ》にも|存《ぞん》じませぬ。|良薬《りやうやく》は|口《くち》に|苦《にが》く、|忠言《ちうげん》は|耳《みみ》に|逆《さか》らふとかや。|右守殿《うもりどの》は|王家《わうけ》のため|国家《こくか》のため、|命《いのち》を|捧《ささ》げてをりまする。|時代《じだい》の|推移《すゐい》を|明知《めいち》し、|政治《せいぢ》の|大本《たいほん》を|弁《わきま》へをる|者《もの》は、|右守《うもり》をおいて|外《ほか》にはございませぬ。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は、よほど|変《かは》つてをりまする。|徒《いたづら》に|旧套《きうたう》を|墨守《ぼくしゆ》し|国家《こくか》を|立《た》てむとするは|愚《ぐ》の|骨頂《こつちやう》でございます。|何者《なにもの》の|誣言《ぶげん》かは|存《ぞん》じませぬが、|妾《わらは》に|対《たい》して|不義《ふぎ》の|行為《かうゐ》あるがごとく|内奏《ないそう》いたすとは、|言語道断《ごんごだうだん》、|不忠不義《ふちうふぎ》の|曲者《くせもの》、かかる|乱臣賊子《らんしんぞくし》の|言《げん》にお|耳《みみ》を|傾《かたむ》け|給《たま》はず、|妾《わらは》が|進言《しんげん》を|冷静《れいせい》にお|考《かんが》へ|下《くだ》さいませ。|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は|周章狼狽《しうしやうらうばい》も|何《なん》の|効果《かうくわ》もありますまい。|落《お》ちついた|上《うへ》にも|落《お》ちついて、|国家《こくか》|百年《ひやくねん》の|大計《たいけい》をめぐらさねばなりますまい』
|王《わう》『|汝《なんぢ》こそ、|金毛九尾《きんまうきうび》の|霊《れい》に|魅《み》せられたる|亡国《ばうこく》の|張本人《ちやうほんにん》だ。|綸言《りんげん》|汗《あせ》の|如《ごと》し、|一度《ひとたび》|出《い》でては|再《ふたた》び|復《かへ》らず。|汝《なんぢ》がごとき|亡国《ばうこく》の|世迷言《よまひごと》、|聞《き》く|耳《みみ》|持《も》たぬ』
と|立《た》ち|上《あが》り、|弓矢《ゆみや》を|執《と》つて、|左守《さもり》と|共《とも》に|立出《たちい》でむとする。かかる|所《ところ》へ、スコブツエン|宗《しう》の|妖僧《えうそう》キユーバーは|数十人《すうじふにん》の|武装《ぶさう》せる|兵士《へいし》に|守《まも》られながら、|悠々《いういう》と|現《あら》はれ|来《き》たり、
『スコブツエン|宗《しう》の|大棟梁《だいとうりやう》キユーバー、|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》により、|大足別《おほだるわけ》の|軍《ぐん》を|率《ひき》ゐて|向《む》かふたり、|速《すみ》やかに|返答《へんたふ》いたせツ』
と|呼《よ》ばはつてゐる。|千草姫《ちぐさひめ》、|右守司《うもりのかみ》は|矢庭《やには》に|玄関《げんくわん》に|走《はし》り|出《い》で、
|千草《ちぐさ》『これはこれは、|御神徳《ごしんとく》|高《たか》き|救世主様《きうせいしゆさま》、よくこそお|越《こ》し|下《くだ》さいました。|仁慈無限《じんじむげん》の|大黒主《おほくろぬし》の|思召《おぼしめ》し、|何条《なんでう》もつて|反《そむ》きませう。|祖先《そせん》|以来《いらい》のウラル|教《けう》を|放擲《はうてき》し、|貴僧《きそう》のお|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、スコブツエン|宗《しう》に|国内《こくない》|挙《こぞ》つてなりませう。どうか|軍隊《ぐんたい》をもつて|向《む》かはせらるるは|穏《おだや》かならぬお|仕打《しう》ち、|兵《へい》を|引上《ひきあ》げ|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》が|身命《しんめい》を|賭《と》して、お|請合《うけあ》ひ|申《まを》し|上《あ》げます』
キユ『アハハハハハハ、さすが|頑強《ぐわんきやう》なガーデン|王《わう》も|往生《わうじやう》いたしたか、|左守《さもり》はどうだ。|異存《いぞん》は|無《な》からうか、|両人《りやうにん》の|確《たし》かなる|降服状《かうふくじやう》を|渡《わた》してもらひたい。さもなくば|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》、|大足別《おほだるわけ》に|対《たい》しても、|愚僧《ぐそう》の|言訳《いひわけ》が|立《た》ち|申《まを》さぬ。サ、|早《はや》く|屈服状《くつぷくじやう》をお|渡《わた》し|召《め》され』
かく|話《はなし》してゐる|内《うち》に、ガーデン|王《わう》、|左守《さもり》は|兵営《へいえい》に|走《はし》り|行《ゆ》き|数多《あまた》の|将士《しやうし》に|厳命《げんめい》を|伝《つた》へ、|敵《てき》を|撃退《げきたい》すべく|準備《じゆんび》に|取《と》りかかつてゐた。キユーバーは|王《わう》を|始《はじ》め|左守《さもり》は|奥殿《おくでん》に|戦慄《せんりつ》し、|蚤《のみ》のごとく|虱《しらみ》のごとく|寝所《しんじよ》に|忍《しの》んでゐるものとのみ|慢心《まんしん》して|気《き》を|許《ゆる》し、|降服状《かうふくじやう》を|受取《うけと》らむと|応接《おうせつ》の|間《ま》にどつかと|尻《しり》をおろし、|椅子《いす》にかかり|茶《ちや》を|啜《すす》りつつ、
『アハハハハ、これこれ|千草姫《ちぐさひめ》|殿《どの》、|右守殿《うもりどの》、|大黒主《おほくろぬし》の|御威勢《ごゐせい》は|大《たい》したものでござらうがな。そなたの|計《はか》らひ|一《ひと》つによつて、このトルマン|城《じやう》も|無事《ぶじ》に|助《たす》かり、|耄碌爺《まうろくぢぢ》のガーデン|王《わう》も、|左守《さもり》のフーランも|先《ま》づこれで|首《くび》がつなげるといふもの、まづまづお|目出《めで》たう|存《ぞん》ずる』
|千草姫《ちぐさひめ》は|王《わう》や|左守《さもり》の|主戦論者《しゆせんろんしや》たることを|悟《さと》られては|一大事《いちだいじ》、|何《なん》とかして|二人《ふたり》の|我《が》が|折《を》れるやうと、|心中《しんちう》|深《ふか》く|祈《いの》りつつ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》にて、
『キユーバー|様《さま》、あなたはトルマン|国《ごく》に|対《たい》し、|救世《きうせい》の|恩人《おんじん》、|億万年《おくまんねん》の|後《のち》までもこの|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れませぬ。これこれ|右守殿《うもりどの》、|王様《わうさま》はじめ|左守《さもり》その|他《た》の|重臣《ぢうしん》に、|此《こ》の|由《よし》をお|伝《つた》へ|下《くだ》さい。キユーバー|様《さま》は|妾《わらは》が|御接待《ごせつたい》|申《まを》してゐるから……』
|右守《うもり》は|千草姫《ちぐさひめ》の|心《こころ》を|推知《すゐち》し、この|間《あひだ》に|王《わう》および|左守《さもり》の|心《こころ》を|和《やは》らげ、|後《あと》はともかくこの|場合《ばあひ》キユーバーを|欺《あざむ》いて、|帰順《きじゆん》したごとくに|見《み》せかけ、|徐《おもむろ》に|策《さく》をめぐらさむと、|王《わう》の|居間《ゐま》に|入《い》つて|見《み》れば|藻脱《もぬ》けの|殻《から》、コラ|大変《たいへん》と|軍務署《ぐんむしよ》へかけつけて|見《み》れば、|既《すで》に|城内《じやうない》の|兵士《へいし》は|武装《ぶさう》を|整《ととの》へ、|王《わう》もまた|甲冑《かつちう》をよろひ、|槍《やり》を|杖《つゑ》について、|今《いま》や、|一斉《いつせい》に|総攻撃《そうこうげき》に|出《い》でむとする|間際《まぎは》であつた。
|右《う》『もしもし|殿下《でんか》、|話《はなし》は|甘《うま》く|纒《まと》まりました。どうか|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
|王《わう》『キユーバーが|降服《かうふく》いたしたのか、|如何《どう》まとまつたのだ』
|右《う》『ハイ、キユーバーは|数十《すうじふ》の|精兵《せいへい》を|引連《ひきつ》れ、|厳然《げんぜん》と|控《ひか》へてをりまする。それにもかかはらず、|大足別《おほだるわけ》の|大軍《たいぐん》は|今《いま》や|返答《へんたふ》|次第《しだい》によつて、|本城《ほんじやう》を|屠《ほふ》らむとしてをりまする。|一時《いちじ》|敵《てき》を|欺《あざむ》いて、|油断《ゆだん》させ、|其《そ》の|間《ま》に|国内《こくない》の|総動員《そうどうゐん》を|行《おこな》ひ、|城《しろ》の|内外《ないぐわい》より|挟《はさ》み|撃《う》ちにするのが、|軍術《ぐんじゆつ》の|奥《おく》の|手《て》と|存《ぞん》じ、|詐《いつは》つてスコブツエン|宗《しう》に|降伏《かうふく》いたしておきました。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|武装《ぶさう》を|解《と》き、|左守殿《さもりどの》と|共《とも》にキユーバーにお|会《あ》ひ|下《くだ》さいませ』
|王《わう》はクワツと|怒《いか》り、
『|不忠《ふちう》|不義《ふぎ》の|曲者《くせもの》|右守《うもり》|奴《め》、|吾《わ》が|許《ゆる》しもなく|勝手《かつて》に|左様《さやう》な|国辱的《こくじよくてき》|行動《かうどう》をなすとは、|鬼畜《きちく》に|等《ひと》しき|其《その》|方《はう》、もはや|勘忍《かんにん》ならぬ、|覚悟《かくご》せよ』
と|言《い》ふより|早《はや》く、|槍《やり》をしごいて、|右守《うもり》の|脇腹《わきばら》に|骨《ほね》も|徹《とほ》れとつつ|込《こ》めば、|何条《なんでう》もつて|堪《たま》るべき、|右守《うもり》はその|場《ば》にドツと|倒《たふ》れ|伏《ふ》し、|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|息《いき》|絶《た》えてしまつた。
|王《わう》『アハハハハハ、|首途《かどで》の|血祭《ちまつ》りに|国賊《こくぞく》を|誅《ちう》したのは|幸先《さいさき》よし。サ、これより|千草姫《ちぐさひめ》、キユーバーの|両人《りやうにん》を|血祭《ちまつ》りにせむ』
と|言《い》ひながら、|左守《さもり》に|軍隊《ぐんたい》を|監督《かんとく》させおき、|自《みづか》ら|数十名《すうじふめい》の|精兵《せいへい》を|従《したが》へ、|応接間《おうせつま》を|指《さ》して|勢《いきほ》ひ|猛《たけ》く|出《い》でて|行《ゆ》く。
|千草姫《ちぐさひめ》は|何《なん》となく、|形勢《けいせい》|不穏《ふおん》の|気《き》がしたので、キユーバーに|対《たい》し|秋波《しうは》を|送《おく》りながら、|密室《みつしつ》に|伴《ともな》ひ、ドアの|錠《ぢやう》を|中《なか》から|卸《おろ》し、|声《こゑ》を|忍《しの》ばせながら、|王《わう》はじめ|左守《さもり》の|強硬《きやうかう》なる|意思《いし》を|伝《つた》へ、キユーバーの|身《み》の|危険《きけん》なる|事《こと》を|告《つ》げた。|千草姫《ちぐさひめ》は|決《けつ》して|右守司《うもりのかみ》と|醜関係《しうくわんけい》を|結《むす》んでゐなかつた。ただ|国家《こくか》を|思《おも》ふ|一念《いちねん》より、|時代《じだい》を|解《かい》する|彼《かれ》を|厚《あつ》く|信《しん》じてゐたのみである。|知恵《ちゑ》|深《ふか》き|千草姫《ちぐさひめ》は、たとへ|一時《いちじ》キユーバーを|亡《ほろ》ぼすとも、|後《あと》には|大足別《おほだるわけ》|控《ひか》へをれば、|最後《さいご》の|勝利《しようり》は|覚束《おぼつか》なし。|若《し》かず、キユーバーの|歓心《くわんしん》を|買《か》ひおき、|国家《こくか》の|安泰《あんたい》を|守《まも》らむには……と、|自分《じぶん》が|国内《こくない》|切《き》つての|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》たるを|幸《さいは》ひ、|彼《かれ》を|薬籠中《やくろうちう》の|者《もの》としてしまつたのである。|暴悪無道《ばうあくぶだう》のキユーバーも|千草姫《ちぐさひめ》の|一瞥《いちべつ》に|会《あ》うて|骨《ほね》まで|和《やは》らぎ、まんまと|姫《ひめ》の|術中《じゆつちう》に|陥《おちい》つたのは|幸《かう》か|不幸《ふかう》か、|神《かみ》の|審判《さばき》をもつて|処決《しよけつ》さるるであらう。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第三章 |恋戦連笑《れんせんれんせう》〔一七七〇〕
|千草姫《ちぐさひめ》はキユーバーを|一室《いつしつ》に|伴《ともな》ひ|行《ゆ》き、あらゆる|媚《こび》を|呈《てい》し|彼《かれ》の|心胆《しんたん》を|蕩《とろ》かし、すべての|秘密《ひみつ》の|泥《どろ》を|吐《は》かしめむと|百方《ひやくぱう》|尽力《じんりよく》してゐた。キユーバーは|千草姫《ちぐさひめ》の|美貌《びばう》を|見《み》て|天津乙女《あまつをとめ》かエンゼルか、ネルソンパテーか|楊貴妃《やうきひ》か、|小野《をの》の|小町《こまち》か|照手姫《てるてひめ》か、|平和《へいわ》の|女神《めがみ》かとドングリ|目《め》を|細《ほそ》うし、|眉毛《まゆげ》や|目尻《めじり》を|七時二十五分過《しちじにじふごふんすぎ》にさげおろし、|口角《こうかく》よりねばつたものをツーツーと、ほし|下《くだ》しの|芸当《げいたう》を|演《えん》じ、ハンカチーフにてソツと|拭《ぬぐ》ひながら、|茹章魚《ゆでたこ》のやうになつてその|美貌《びばう》に|見惚《みと》れてゐる。もう、かうなる|上《うへ》は|千草姫《ちぐさひめ》の|一顰一笑《いつぴんいつせう》はキユーバーの|命《いのち》さへも|左右《さいう》する|力《ちから》があつた。キユーバーは|自分《じぶん》の|目的《もくてき》や|大足別《おほだるわけ》との|経緯《いきさつ》もスツカリ|忘《わす》れて、ただ|宇宙間《うちうかん》、|神《かみ》もなく|仏《ほとけ》もなく、|大黒主《おほくろぬし》もなく、|天《てん》も|地《ち》もなく、ただ、|目《め》にとまるものは、|艶麗《えんれい》なる|千草姫《ちぐさひめ》、|耳《みみ》に|聞《き》こゆるものは|姫《ひめ》のなまめかしい|玉《たま》の|声《こゑ》のみとなつてしまつた。
|千草《ちぐさ》『もうし、|救世主様《きうせいしゆさま》、あなたは|何《なん》とした|立派《りつぱ》なお|方《かた》でござりませう。なにほど|盤古神王様《ばんこしんのうさま》が|御神力《ごしんりき》があると|申《まを》しても、|大国彦《おほくにひこ》|様《さま》がお|偉《えら》いといつても、|已《すで》にすでに|過去《くわこ》の|神様《かみさま》でござります。どんなに|手《て》を|合《あは》せても、ウンともスンとも|言《い》つて|下《くだ》さいませぬ。それに|何《なん》ぞや、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》の|君《きみ》に|親《した》しくお|目《め》にかかり、|天《てん》の|御声《みこゑ》をそのまま|聞《き》かしていただく|妾《わらは》は、|何《なん》といふ|幸福《かうふく》でせう。あなたのお|姿《すがた》を|霊的《れいてき》に|窺《うかが》はしてもらひますれば、|玲瓏《れいろう》|玉《たま》のごとく、|金剛石《こんがうせき》のごとく、お|身体《からだ》|一面《いちめん》にキラキラと|輝《かがや》いてゐます。|妾《わらは》は|目《め》も|眩《くら》みさうでござりますわ。そして|貴方《あなた》の|玉《たま》の|御声《みこゑ》、|一言《ひとこと》|聞《き》いても|皆《みな》、|妾《わらは》の|肉《にく》と|力《ちから》になつてしまふのですもの。|何《なん》といふ|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》が|現《あら》はれなされたものでせう。どうかキユーバー|様《さま》、この|結構《けつこう》な|玉《たま》のお|声《こゑ》を、|妾《わらは》|以外《いぐわい》のものに|聞《き》かしてもらつちやいやですよ。この|結構《けつこう》なお|姿《すがた》を|世界《せかい》の|人間《にんげん》の|目《め》に|入《い》れちや|困《こま》りますよ。アーア|儘《まま》になるなら|三千世界《さんぜんせかい》の|人間《にんげん》をみな|盲《めくら》にしてしまひたいわ。そして|世界中《せかいぢう》の|人間《にんげん》の|耳《みみ》を|木耳《きくらげ》にしたうござりますわ。ねーあなた、|恋《こひ》しきキユーバー|様《さま》』
とあらむ|限《かぎ》りの|追徒《つゐしやう》を|並《なら》べたて、|蕩《とろ》けた|奴《やつ》をなほなほ|蕩《とろ》かさうとする。あたかも|骨《ほね》のない|章魚《たこ》に|蕎麦粉《そばこ》をかけたやうにズルズルになつてしまひ、|口《くち》から|涎《よだれ》を|出《だ》す、オチコから【はな】を|垂《た》れる、|千草姫《ちぐさひめ》の|玉《たま》の|肌《はだ》に|触《ふ》れぬ|中《うち》から、キユーバーは|五《いつ》つの|穴《あな》から|体《からだ》の|肥汁《こえしる》を|搾取《さくしゆ》され、|秋《あき》の|夕暮《ゆふぐれ》れの|霜《しも》をあびたバツタのやうになつてしまつた。
キユ『これ|千草姫《ちぐさひめ》、|俺《おれ》を、どうしてくれるのだ。これでもスコブツエン|宗《しう》の|教祖《けうそ》|大黒主《おほくろぬし》の|片腕《かたうで》、|三千世界《さんぜんせかい》を|一目《ひとめ》に|見透《みすか》すマハトマの|聖雄《せいゆう》だ。|俺《おれ》の|骨《ほね》まで|筋《すぢ》までグニヤグニヤにしてしまふとは、|本当《ほんたう》に|凄《すご》い|腕前《うでまへ》ぢやないか』
『ホホホホホホ、あの、マア、キユーバー|様《さま》のおつしやいますこと。|大黒主《おほくろぬし》の|片腕《かたうで》だとか、|救世主《きうせいしゆ》だとか、そんな【ちよろこい】|霊《みたま》では、|貴方《あなた》はござりませぬわ。|棚機姫《たなばたひめ》の|化身《けしん》として、|玉《たま》の|御舟《みふね》|黄金《こがね》の|楫《かぢ》を|操《あやつ》り、トルマン|国《ごく》へ|天降《あまくだ》つて|来《き》たこの|千草姫《ちぐさひめ》を、マルツキリ|蒟蒻《こんにやく》のやうにしてしまふといふ、あなたは|凄《すご》いお|腕前《うでまへ》、いな|立派《りつぱ》な|男前《をとこまへ》、|女殺《をんなごろ》しの|罪《つみ》なお|方《かた》、|妾《わらは》は|昼《ひる》とも|夜《よる》とも、|西《にし》とも|東《ひがし》とも|判別《はんべつ》がつかなくなりました。|惚《ほ》れた|弱味《よわみ》か|知《し》れませぬが、あなたの|鼻息《はないき》の|出《で》やうによつて|妾《わらは》の|生命《いのち》に|消長《せうちやう》があるのですもの。|妾《わらは》が|可愛《かはい》いと|思召《おぼしめ》すなら、どうぞ|長生《ながいき》をさして|下《くだ》さいや。|刃物《はもの》|持《も》たずの|人殺《ひとごろ》しは|嫌《いや》ですよ。スコブツエン|宗《しう》の|法力《ほふりき》によつて、あなたと|一緒《いつしよ》に|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|不老不死《ふらうふし》で|暮《くら》したうござりますわ』
『エツヘヘヘヘヘヘよしよし、お|前《まへ》と|俺《おれ》とさへ|幸福《かうふく》にあれば、|世《よ》の|中《なか》は|暗《やみ》にならうと、|潰《つぶ》れやうと、そんな|事《こと》は|頓着《とんちやく》ないわ。|天下無双《てんかむさう》の|美人《びじん》だと|思《おも》つてゐたらその|筈《はず》、お|前《まへ》は|棚機姫《たなばたひめ》の|天降《あまくだ》りだつたのか。いかにも、どこともなしに|気品《きひん》の|高《たか》いスタイルだ。|天下《てんか》の|幸福《かうふく》をお|前《まへ》と|俺《おれ》と|二人《ふたり》して|独占《どくせん》すればいいぢやないか。もう、かうなれば|大黒主《おほくろぬし》もヘツタクレもない。|俺《おれ》の|決心《けつしん》は|動《うご》かないから|安心《あんしん》してくれ。|千草姫《ちぐさひめ》、あまり|俺《おれ》だつて|憎《にく》うはあるまいがな、エツヘヘヘヘヘヘ』
『オツホホホホホホ』
と|高《たか》く|笑《わら》ひ、
『この|夫《をつと》にしてこの|妻《つま》あり、お|日《ひ》さまにお|月《つき》さま、お|天道《てんだう》さまにお|地球《つち》さま。キユーバーさまに|千草姫《ちぐさひめ》。|猫《ねこ》に|鰹節《かつをぶし》。これだけよう|揃《そろ》うた|夫婦《ふうふ》が|三千世界《さんぜんせかい》にござりませうかね』
『アツハハハハハハ、こいつは|面白《おもしろ》い。|人間《にんげん》も|一生《いつしやう》に|一度《いちど》は|幸運《かううん》に|出会《でくは》すといふことだ。このキユーバーも|大神《おほかみ》の|御利益《ごりやく》によつて|初《はじ》めての|安心立命《あんしんりつめい》を|得《え》た。|其方《そなた》は|俺《おれ》に|対《たい》して|大救世主《だいきうせうしゆ》だ。|弥勒如来《みろくによらい》だ、メシヤだ、キリストだ、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》だ。お|前《まへ》をおいて|救世主《きうせいしゆ》が|何処《どこ》にあらう。お|前《まへ》と|俺《おれ》と|二柱《ふたはしら》、|天上《てんじやう》|高《たか》く|舞《ま》ひ|上《のぼ》り、|天《あめ》の|浮橋《うきはし》に|乗《の》り、|大海原《おほうなばら》に|漂《ただよ》へる|国々《くにぐに》の|民《たみ》を|安養浄土《あんやうじやうど》に|助《たす》けてやらうぢやないか。どうだ|姫《ひめ》、よもや|異存《いぞん》はあるまいな』
|千草《ちぐさ》『いやですよ。|最前《さいぜん》も|言《い》つたぢやありませぬか。あなたの|姿《すがた》は|妾《わらは》|以外《いぐわい》に|見《み》せるのは|嫌《いや》ですよ。|玉《たま》の|御声《みこゑ》は|妾《わらは》|以外《いぐわい》に|聞《き》かしちや|嫌《いや》ですよ。あなたは|気《き》の|多《おほ》いお|方《かた》だから、|三千世界《さんぜんせかい》の|蒼生《さうせい》にまで、この|尊《たふと》いお|姿《すがた》を|拝《をが》ましてやり、そして|慄《ふる》いつきたいほど|味《あぢ》のある、|天人《てんにん》の|音楽《おんがく》にも|勝《まさ》る|玉《たま》の|御声《みこゑ》を、|万人《ばんにん》にお|聞《き》かせ|遊《あそ》ばすお|考《かんが》へでせうが、その|御声《みこゑ》は|妾《わらは》|一人《ひとり》が|聞《き》かしていただく|約束《やくそく》ぢやござりませぬか』
『これ、|千草姫《ちぐさひめ》、お|前《まへ》もなかなか【したたか】|者《もの》だな。やさしい|顔《かほ》をしてをつて、あまり|慾《よく》が|深過《ふかす》ぎるぢやないか。このキユーバーは|天下万民《てんかばんみん》を|救《すく》ふため|天降《あまくだ》つて|来《き》たのだ。それでは、|少《すこ》し|天《てん》の|使命《しめい》に|反《そむ》くといふものだがな』
|千草姫《ちぐさひめ》は|故意《わざ》とプリンと|背《せな》を|向《む》け、
『ヘン|勝手《かつて》にして|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》は、もう|死《し》にますから、(|泣声《なきごゑ》)オーンオーンオーンオーンオーン』
『これこれ|千草姫《ちぐさひめ》|殿《どの》、さう|怒《おこ》つてもらつちや|困《こま》る。お|前《まへ》の|悪《わる》い|事《こと》いつたのぢやなし、マア、トツクリと|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いてくれ。|世界《せかい》|万民《ばんみん》に|対《たい》して|愛《あい》を|注《そそ》がうといふのぢやないからな』
『エー、|知《し》りませぬ。|妾《わらは》のやうなお|多福《たふく》は|到底《たうてい》、お|気《き》に|入《い》りますまい。ウオーンウオーンウオーン』
『アツハハハハハハ、ちやうど|芋虫《いもむし》のやうだ。プリンプリンと|右《みぎ》と|左《ひだり》へ、お|頭《つむり》をお|振《ふ》り|遊《あそ》ばすわい。これ|姫《ひめ》さま、さう|悪《わる》く|思《おも》つちやいけない。マア、トツクリと|俺《おれ》の|腹《はら》の|底《そこ》を|聞《き》いて|下《くだ》さい』
|千草姫《ちぐさひめ》はまたもやプリンと|体《からだ》を|廻《まは》し、ペタリと|地上《ぢべた》に|倒《たふ》れ、|左右《さいう》の|袂《たもと》で|顔《かほ》を|被《おほ》ひながら、
『ハイ|芋虫《いもむし》でござります。|芋虫《いもむし》は|芋助《いもすけ》の|厄介《やくかい》になればよいのです。|分相応《ぶんさうおう》といふ|事《こと》がござりますからね、アーンアーンアーン』
『|何《なん》とマア、ヒステリックだな。|芋虫《いもむし》といつたのが、それほどお|気《き》に|触《さは》つたのか』
『ハイ|妾《わらは》は|芋虫《いもむし》でござりませう。あなたの|目《め》から|御覧《ごらん》になつたら、|雪隠虫《せんちむし》のやうに|見《み》えませう。エーくやしい、アーンアーンアーンアーンもう|知《し》りませぬ|知《し》りませぬ。|妾《わらは》のやうな|者《もの》は|此《この》|世《よ》にをりさへせなかつたら、いいんですわ。|気《き》の|多《おほ》い|貴方《あなた》のやうなお|方《かた》に|恋慕《れんぼ》して、|悩殺《なうさつ》されるよりも、|体《てい》よう|舌《した》をかんで|死《し》んだがましでござりますわい、ウオーン ウオーン』
『コーレ、|姫《ひめ》さま、トツクリと|聞《き》いて|下《くだ》さい。このキユーバーを|可愛《かはい》いと|思召《おぼしめ》すなら、さう|気《き》をもまさずにおいて|下《くだ》さい。どうやら|俺《おれ》の|方《はう》が|悩殺《なうさつ》されさうになつて|来《き》た。エー、|泣《な》きたくなつて|来《き》た。|一《ひと》つ|惚《ほ》れ|泣《な》きを|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》したいと|思《おも》つたのに、|姫《ひめ》から|先鞭《せんべん》をつけられたので|大変《たいへん》な|損《そん》をした。こちらから|御機嫌《ごきげん》を|取《と》らにやならぬやうになつて|来《き》たわい。アーア、|恋《こひ》もなかなか|並《な》みや|大抵《たいてい》で|成立《せいりつ》しないものだな』
『キユーバーさま、あなた|本当《ほんたう》にひどい|人《ひと》ですわ。|妾《わらは》を|泣《な》かして|泣《な》かして|焦《こが》れ|死《じ》にさそうと|思《おも》つてゐなさるのでせう。サアどうぞ|殺《ころ》して|下《くだ》さい。|頭《あたま》の|先《さき》から|爪《つめ》の|先《さき》まで、あなたに|任《まか》したのですから、もうかうなりやお|屁《なら》|一《ひと》つ|弾《だん》じる|勇気《ゆうき》もござりませぬわ』
『|俺《おれ》だつて、お|前《まへ》のために|鰻《うなぎ》の|蒲焼《かばやき》ぢやないが、|背骨《せぼね》を|断《た》ち|割《わ》られてしまつたやうだ。これだけの|心尽《こころづく》しをチツともお|前《まへ》は|汲《く》みとつてくれないのか』
『ヱー|残念《ざんねん》やな|残念《ざんねん》やな。あなたこそ、|妾《わらは》の|心《こころ》を|汲《く》みとつて|下《くだ》さらないのだもの』
と|言《い》ひながらキユーバーの|顔《かほ》を|目《め》がけて|一寸《いつすん》ばかりも|伸《の》ばした|爪《つめ》を、|無遠慮《ぶゑんりよ》に|額《ひたひ》から|胸先《むなさき》かけて、ゲリゲリと|二三《にさん》べん|掻《か》き|下《お》ろした。
『アイタツタタタタタタ、これ|姫《ひめ》、|無茶《むちや》をすない。|顔《かほ》|一面《いちめん》に|蚯蚓脹《みみづば》れが|出来《でき》るぢやないか。こんな|事《こと》されちや|外分《ぐわいぶん》が|悪《わる》くて、|外出《ぐわいしゆつ》できはせぬわ』
『そりやさうですとも。|外《ほか》の|女《をんな》に|顔《かほ》を|見《み》せないやうに|意茶《いちや》つき|喧嘩《げんくわ》の|印《しるし》を、|尊《たふと》き|尊《たふと》き|可愛《かはい》いお|顔《かほ》につけておいたのですもの。これでも|妾《わらは》の|心底《しんてい》が|分《わか》りませぬか』
『アハハハハハハ、アイタツタタタタ、|笑《わら》ふと|顔《かほ》の|筋《すぢ》が|引張《ひつぱ》つて、アツハハハハハ、アイタツタタタタタタ、ひどい|事《こと》をする|女《をんな》だな、お|前《まへ》は』
『そらさうでせうとも。|相見互《あひみたが》ひですわ。|妾《わらは》の|命《いのち》を|貴方《あなた》に|捧《ささ》げたのですもの、あなただつて|妾《わらは》に|生命《いのち》を|呉《く》れるでせう。|薄皮《うすかは》くらゐむいたつてそれが|何《なん》です。|小指《こゆび》|一本《いつぽん》|貰《もら》ひませうか』
『そりや|小指《こゆび》の|一本《いつぽん》くらゐお|前《まへ》のためにや、やらぬ|事《こと》はないが、|神《かみ》さまから|与《あた》へられた|完全《くわんぜん》の|体《からだ》を|傷《きず》つけるには|及《およ》ばぬぢやないか。それよりも|俺《おれ》の|魂《たましひ》を|受取《うけと》つてくれ。|魂《たましひ》が|肝腎《かんじん》だからのう』
『あなたの|魂《たましひ》をやらうと|仰有《おつしや》つたが、どうしたら|下《くだ》さいますか』
『|俺《おれ》の|魂《たましひ》といふのは|真心《まごころ》だ。|言心行《げんしんかう》の|一致《いつち》だ』
『そんなら、どうか|真心《まごころ》を|表《あら》はすために、|何《なん》でも|言《い》ふ|事《こと》、|聞《き》いて|下《くだ》さるでせうな』
『ウン、|聞《き》いてやる。お|前《まへ》のためにや、|生命《いのち》でも|何時《いつ》でもやるのだ』
|千草《ちぐさ》は|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》してニタニタ|笑《わら》ひながら、
『キユーバー|様《さま》、あなたの|真心《まごころ》が|分《わか》りました。|嬉《うれ》しうござりますわ。これで|暗《やみ》が|晴《は》れました』
と|何《なん》ともいへぬ|愛嬌《あいけう》の|滴《したた》る|眼光《まなざし》に|露《つゆ》を|含《ふく》んでキユーバーを|注視《ちうし》した。キユーバーはこのニコリと|笑《わら》つた|千草姫《ちぐさひめ》の|顔《かほ》にますます|夢現《ゆめうつつ》となり、|垂涎《すゐえん》|滝《たき》のごとく「エツヘヘヘヘヘ」と|顔《かほ》の|紐《ひも》まで|解《ほど》いて、|清水焼《きよみづやき》の|布袋《ほてい》の|出来損《できそこな》ひのやうな|面《かほ》になつてしまつた。
|千草《ちぐさ》『サア、キユーバー|様《さま》、|今《いま》|妾《わらは》に|何時《いつ》でも|命《いのち》をやらうと|仰有《おつしや》いましたね』
キユ『ウン、たしかに|言《い》ふた。|俺《おれ》も|男《をとこ》だ、やると|言《い》ふたらやる。お|前《まへ》の|事《こと》だつたら|何《なん》でも|聞《き》いてやる。たとへ|大黒主《おほくろぬし》の|命令《めいれい》に|反《そむ》いてもお|前《まへ》の|命令《めいれい》には|反《そむ》かぬからのう』
『アアそれ|聞《き》いて|安心《あんしん》しました。サア|早速《さつそく》|命《いのち》を|頂戴《ちやうだい》しませう』
と|懐剣《くわいけん》をスラリと|引《ひ》き|抜《ぬ》き|身構《みがま》へする。さすが|惚《のろ》けきつたキユーバーも|短刀《たんたう》を|見《み》るや、|本当《ほんたう》に|命《いのち》をとられるのかと|蒼《あを》くなり|慄《ふる》い|声《ごゑ》を|出《だ》しながら、
『|待《ま》つた|待《ま》つた、ソウ|気《き》の|早《はや》い、お|前《まへ》に|命《いのち》をやつてどうするのだ。|俺《おれ》が|死《し》んだら|俺《おれ》の|綺麗《きれい》な|顔《かほ》を|見《み》ることも|出来《でき》ず、|俺《おれ》の|玉《たま》の|声《こゑ》を|聞《き》く|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやないか。|恋《こひ》に|逆上《のぼ》せるのもいいが、そこまで|行《い》つちやいけないよ、マア、チツと|気《き》を|落《お》ちつけたらどうだ』
『|恋愛《れんあい》の|真《しん》の|味《あぢ》はひは|生命《せいめい》を|捨《す》てる|処《ところ》にあるのですよ。|涙《なみだ》から|真《しん》の|恋愛《れんあい》が|生《うま》れるのですもの、あなたは|命《いのち》をやらうといひながら、なぜ|実行《じつかう》をして|下《くだ》さらないのですか。|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》と|申《まを》されましたが、ヤツパリ|妾《わらは》を、かよわき|女《をんな》だと|思《おも》つて、お|嬲《なぶ》り|遊《あそ》ばしたのですか、エー|悔《くや》しい|悔《くや》しい、|残念《ざんねん》やな|残念《ざんねん》やな』
と|短刀《たんたう》を、|其《そ》の|場《ば》に|捨《す》てて|泣《な》き|伏《ふ》す。
キユーバーはヤツと|安心《あんしん》し、|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろしながら、
『アツハハハハハハ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|恋愛《れんあい》もここまで|出《で》て|来《こ》ぬと、|神聖味《しんせいみ》が|分《わか》らぬわい。|何《なん》と|可愛《かはい》いものだな』
『あなたは|妾《わらは》を|騙《だま》してそれほど|面白《おもしろ》うござりますか。そら、さうでせう。|三千世界《さんぜんせかい》の|女《をんな》を|皆《みな》、|済度《さいど》しようと|仰有《おつしや》るやうな|気《き》の|多《おほ》いお|方《かた》ですもの。|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》が|聞《き》いて|呆《あき》れますわ』
『|今《いま》の|人間《にんげん》は|心《こころ》に|思《おも》はぬ|事《こと》でも|口《くち》で|言《い》ふぢやないか。このキユーバーは|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》だ。|決《けつ》して|心《こころ》にない|事《こと》は|言《い》はない。|今《いま》の|人間《にんげん》は|口《くち》と|心《こころ》と|行《おこな》ひが|一致《いつち》せぬのみか、|心《こころ》と|口《くち》とが|一致《いつち》してゐない。|俺《おれ》は|心《こころ》に|思《おも》うた|事《こと》を|口《くち》へ|出《だ》して、お|前《まへ》に|言《い》つたのだから|言心一致《げんしんいつち》だよ、ハツハハハハハハ』
『|言心一致《げんしんいつち》なんて、そんな|誤魔化《ごまくわ》しは|喰《く》ひませぬ。も|一《ひと》つの|行《おこな》ひの|実行《じつかう》を|見《み》せて|下《くだ》さい』
『なんとむつかしい|註文《ちうもん》だな。さうむつかしう|言《い》はなくても、いいぢやないか。|俺《おれ》の|心《こころ》を|買《か》つてくれ。|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も、|生《い》き|永《なが》らへてお|前《まへ》を|楽《たの》しましてやらうと|思《おも》つてこそ|命《いのち》を|惜《を》しむのだ。これもヤツパリお|前《まへ》のためだ』
|千草《ちぐさ》は|故意《わざ》とニコニコしながら、
『ア、それで|分《わか》りました。どうか、エターナルに|可愛《かはい》がつて|頂戴《ちやうだい》ね。|外《ほか》に|心《こころ》を|移《うつ》すことは、いやですよ』
『ハツハハハハハハ、ヤアこれで|先《ま》づ|先《ま》づ|平和克復《へいわこくふく》だ。|象牙細工《ざうげざいく》のやうな|白《しろ》いお|手《てて》に|瑪瑙《めなう》の|爪《つめ》、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、ホンとに|棚機姫《たなばたひめ》に|間違《まちが》ひないわ。オイ|姫《ひめ》、どうか|一《ひと》つ|握手《あくしゆ》してくれないか』
『ハイ、お|安《やす》い|事《こと》でござります』
と|毛《け》ダラケの|岩《いは》のやうな|真黒気《まつくろけ》の|手《て》をソツと|握《にぎ》る。
『オイ、|姫《ひめ》、モチト|確《しつか》り|握《にぎ》つてくれ。どうも|頼《たよ》りないぢやないか。そんなやさしい|握《にぎ》り|方《かた》では、どうしても|恋愛《れんあい》の|程度《ていど》が|分《わか》らないわ』
『ハイ、そんな|事《こと》|仰有《おつしや》いますと、お|手《てて》が|砕《くだ》けるほど|握《にぎ》りますよ』
『ヨーシ|俺《おれ》の|息《いき》がとまるところまで|握《にぎ》つてくれ、ハツハハハハハハ』
と|又《また》もや|口《くち》から|粘液性《ねんえきせい》の、きつい|糸《いと》を|垂《た》らしてゐる。|千草姫《ちぐさひめ》は|柔道《じうだう》の|手《て》をもつて|脈処《みやくどころ》を|力《ちから》|限《かぎ》りにグツと|握《にぎ》り|〆《しめ》た。キユーバーは「ウン」と|一声《ひとこゑ》|真蒼《まつさを》になつて、その|場《ば》に|平太《へたつ》てしまつた。|千草姫《ちぐさひめ》はニツコと|笑《わら》ひ、
『ホホホホホホ、この|悪魔《あくま》|奴《め》、かうして|置《お》けば|暫《しば》らく|安心《あんしん》だ。たうとう|気絶《きぜつ》したやうだわい、ホツホホホホホホ』
|城《しろ》の|内外《ないぐわい》には|激戦《げきせん》が|始《はじ》まつてゐると|見《み》え、ドンドンキヤアキヤア、と|陣馬《ぢんば》の|犇《ひしめ》く|声《こゑ》、|飛道具《とびだうぐ》の|音《おと》、|刻一刻《こくいつこく》と|高《たか》まり|来《き》たる。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於由良秋田別荘 北村隆光録)
第四章 |共倒《ともだふ》れ〔一七七一〕
|太子《たいし》のチウインは|妹《いもうと》のチンレイおよび|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスと|共《とも》に、|初《はじ》めてキユーバーが|談判《だんぱん》に|来《き》た|時《とき》ソツと|物蔭《ものかげ》より|様子《やうす》を|聞《き》き、|容易《ようい》ならざる|大事件《だいじけん》となし、ガーデン|王《わう》や|左守《さもり》には|内密《ないみつ》にて、|妹《いもうと》のチンレイおよび|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスと|夜中《やちう》しめし|合《あは》せ、|王命《わうめい》といつはり|全国《ぜんこく》の|兵員《へいゐん》を|召集《せうしふ》すべく、|腹心《ふくしん》の|部下《ぶか》に|命《めい》を|下《くだ》した。
|一方《いつぱう》ガーデン|王《わう》、|左守《さもり》は、|城内《じやうない》|五百《ごひやく》の|兵《へい》に|武装《ぶさう》をさせながら、|敵軍《てきぐん》|押《お》し|寄《よ》せ|来《き》たらば、ただ|一戦《いつせん》に|粉砕《ふんさい》しくれむと|部下《ぶか》を|督励《とくれい》して、|士気《しき》の|皷舞《こぶ》に|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》いでゐた。|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》は|三千《さんぜん》の|兵《へい》を|率《ひき》ゐて、|城下《じやうか》まで|押《お》し|寄《よ》せて|来《き》たが、キユーバーを|守《まも》りたる|数十騎《すうじつき》の|注進《ちうしん》により、|殿内《でんない》|深《ふか》くキユーバーの|入《い》り|込《こ》みしことを|知《し》り、|徒《いたづら》に|戦端《せんたん》を|開《ひら》き、キユーバーの|生命《せいめい》を|失《うしな》つては|大変《たいへん》だ、|大黒主《おほくろぬし》に|如何《いか》なるお|目玉《めだま》を|頂戴《ちやうだい》するかも|知《し》れない。|古今無双《ここんむさう》の|英雄豪傑《えいゆうがうけつ》キユーバーには、|何《なに》か|深《ふか》い|策略《さくりやく》があつて、ただ|一人《ひとり》|城内《じやうない》に|入《い》り|込《こ》み、|樽爼折衝《そんそせつしよう》の|間《あひだ》に|円満解決《ゑんまんかいけつ》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》むべく|活動《くわつどう》してゐるのだらう。まづキユーバーの|命令《めいれい》の|来《く》るまで、|総攻撃《そうこうげき》をしてはならぬ、……と|部下《ぶか》を|厳重《げんぢう》に|戒《いまし》め、キユーバー|警護《けいご》の|意味《いみ》にて|三日三夜《みつかみよさ》|滞陣《たいぢん》してゐた。ガーデン|王《わう》、|左守《さもり》は、|千草姫《ちぐさひめ》の|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたのは、|右守《うもり》の|最後《さいご》を|聞《き》き、|禍《わざは》ひの|身《み》に|及《およ》ばむ|事《こと》を|恐《おそ》れて|逃《に》げ|出《だ》したのだらう……くらゐに|考《かんが》へ、|軍備《ぐんび》の|方《はう》に|全心《ぜんしん》を|集注《しふちう》し、|千草姫《ちぐさひめ》が|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》しての|善戦善闘《ぜんせんぜんとう》も|気《き》がつかなかつた。
さてキユーバーは|半時《はんとき》ばかりして|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》し、|団栗眼《どんぐりまなこ》を【ぎろつかせ】|千草姫《ちぐさひめ》の|顔《かほ》を|見《み》て、
『ヤア、お|前《まへ》は|千草姫《ちぐさひめ》ぢやないか。かよわい|腕《うで》をしながら|俺《おれ》の|脈処《みやくどころ》を|折《を》り|悪《あ》しく|掴《つか》みよつて、ドえらい|目《め》に|会《あは》したぢやないか。|俺《おれ》は|暫《しばら》くの|間《あひだ》、|幽冥旅行《いうめいりよかう》をやつてゐたよ。|掴《つか》むといつても|余《あま》りひどいぢやないか』
|千草姫《ちぐさひめ》『ハイ、|妾《わらは》どんなに|心配《しんぱい》したか|知《し》れませぬわ。あなたの|御命令《ごめいれい》を|遵奉《じゆんぽう》し、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|握《にぎ》りましたら、あなたはウンといつた|切《き》り、|何《なん》といつても|返事《へんじ》して|下《くだ》さらないのですもの。|大変《たいへん》|怒《おこ》つて|返事《へんじ》して|下《くだ》さらないと|思《おも》ひ、|早速《さつそく》バラモンの|神様《かみさま》に|水垢離《みづごり》|取《と》つて|御祈願《ごきぐわん》したところ、やつと|物《もの》いつて|下《くだ》さつたのですもの。|幽冥旅行《いうめいりよかう》したのなんのと|本当《ほんたう》に|腹《はら》の|悪《わる》いお|方《かた》よ。|半時《はんとき》ばかりも|妾《わらは》に|怒《おこ》つて|物《もの》を|言《い》うて|下《くだ》さらないのですもの』
『いや、|本当《ほんたう》に|気絶《きぜつ》してゐたに|違《ちが》ひない。|決《けつ》して|嘘《うそ》は|言《い》はない。これから|手《て》を|握《にぎ》るのなら|指《ゆび》の|先《さき》を|握《にぎ》つてくれ。|脈処《みやくどころ》を|握《にぎ》られると|困《こま》るからな』
『|世界《せかい》の|救世主様《きうせいしゆさま》が|妾《わらは》の|細腕《ほそうで》に|握《にぎ》られて|気絶《きぜつ》なさるといふやうな|道理《だうり》がどこにございます。|嘘《うそ》ばかりおつしやいます。ホホホホホホ』
『|本当《ほんたう》にそれやさうぢや。|実《じつ》は|気絶《きぜつ》したのぢやないよ。お|前《まへ》の|心底《しんてい》を|考《かんが》へるためにあんな|真似《まね》をしてゐたのぢや。|何《なに》をいつても|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》だ。そんな【へどろい】ことでどうならう』
『ホホホホホホ、ほんとに|甚《ひど》いお|方《かた》、|人《ひと》の|気《き》を|揉《も》ましてひどいわ』
とまた|手首《てくび》を|握《にぎ》らうとする。キユーバーは|吃驚《びつくり》して|手《て》を|引《ひ》き、
『ヤ、もう|手《て》は|一度《いちど》|握《にぎ》つたらよいものだ。それよりも|今度《こんど》は|俺《おれ》が|握《にぎ》つてやらう、サア|手《て》を|出《だ》したり|手《て》を|出《だ》したり』
『どうか|息《いき》が|切《き》れるところまで|握《にぎ》つて|頂戴《ちやうだい》な。|一《いつ》ぺん|八衢《やちまた》の|状況《じやうきやう》を|見《み》て|来《く》るところまで……。さうして|冥官《めいくわん》に|会《あ》ひ、|貴方《あなた》と|妾《わらは》と|永久《えいきう》に|暮《くら》すべき|蓮座《れんざ》を|教《をし》へてもらつて|来《き》たうございますわ。|天国《てんごく》の|満員《まんゐん》にならない|中《うち》に、|特等席《とくとうせき》を|予約《よやく》して|置《お》きたうございますから』
『ハハハハハハ、おい|姫《ひめ》さま、このキユーバーの|手《て》がお|前《まへ》の|手《て》に|触《さは》るな|否《いな》や|本当《ほんたう》に|気絶《きぜつ》してしまふよ。それでもよいか』
『よろしうございますとも、たとへ|殺《ころ》されても|私《わたし》の|体《からだ》ぢやございませぬ。あなたに|捧《ささ》げたものでございますもの、あなたの|命《いのち》も|同様《どうやう》ですわ』
キユーバーは|心《こころ》の|中《うち》にて……この|女《をんな》なかなか|手《て》がよく|利《き》いてをる、|柔術《じうじゆつ》の|極意《ごくい》に|達《たつ》してをるらしい。|俺《おれ》も|力一杯《ちからいつぱい》|握《にぎ》つて|気絶《きぜつ》させ、|八衢《やちまた》を|覗《のぞ》いて|来《く》るところまでやつておかねば、|将来《しやうらい》|威張《ゐば》られちや|耐《たま》らない。|夫《をつと》の|権式《けんしき》がさつぱり【ゼロ】になつてしまふ。よし、また|力一《ちからいつ》ぱい|急所《きふしよ》を|握《にぎ》り、|俺《おれ》の|腕前《うでまへ》を|見《み》せておかねば|将来《しやうらい》|嬶天下《かかてんか》になり、|湯巻《ゆまき》の|紐《ひも》で|縛《しば》られるやうになるかも|知《し》れない。ここが|千騎一騎《せんきいつき》の|恋《こひ》の【かけひき】だ……と、|毛《け》だらけの|手《て》を【ぬつ】と|突《つ》き|出《だ》し、|姫《ひめ》の|真白《まつしろ》の【なま】|竹《たけ》のやうな|手《て》を|骨《ほね》も|砕《くだ》けとヒン|握《にぎ》つた。|千草姫《ちぐさひめ》はキユーバーの|心《こころ》の|底《そこ》まで|直覚《ちよくかく》してゐるので、なにほどキユーバーが|力《ちから》を|籠《こ》めて|握《にぎ》つても|痛《いた》くも|何《なん》ともない、|真綿《まわた》が|触《さは》つたやうな|気《き》がしてゐる、|見《み》かけによらぬ|剛《がう》の|者《もの》であつた。しかしわざと|気絶《きぜつ》した|体《てい》を|装《よそほ》ひ|握《にぎ》られた|刹那《せつな》、「ウーン」と|顔《かほ》を|顰《しか》めて|其《そ》の|場《ば》に|倒《たふ》れてしまつた。
キユーバー『ハハハハハハ、さすがは|女《をんな》だな。たうとう|屁古《へこ》たれてしまひよつた。かうして|半時《はんとき》ばかり|幽冥界《いうめいかい》を|覗《のぞ》かしておけば、|気《き》がついてから|俺《おれ》の|神力《しんりき》に|感服《かんぷく》し、ぞつこん|惚《ほ》れこむだらう。エヘヘヘヘヘヘ、これだけ|俺《おれ》に|惚《ほ》れこんでをるのだから、|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》に|一時《いちじ》この|城《しろ》を|屠《ほふ》らせ、ガーデン|王《わう》や、|左守《さもり》、|右守《うもり》を|征伐《せいばつ》し、|太子《たいし》やその|他《た》の|重臣《ぢうしん》を|重刑《ぢうけい》に|処《しよ》し、このキユーバーが|取《と》つて|代《かは》つてトルマン|国《ごく》の|浄行《じやうぎやう》|兼《けん》|刹帝利《せつていり》となり、|天下無双《てんかむさう》の|姫《ひめ》を|女房《にようばう》となし、|数千万《すうせんまん》の|財産《ざいさん》を|横奪《わうだつ》して|天晴《あつぱ》れ|城主《じやうしゆ》となり、|大黒主《おほくろぬし》の|向《む》かふを|張《は》つて、|七千余国《しちせんよこく》の|覇者《はしや》となつてやらう。アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|開運《かいうん》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》、|智謀絶倫《ちぼうぜつりん》にしてその|胆力《たんりよく》は|神《かみ》のごとく、|鬼《おに》のごとしとは|俺《おれ》の|事《こと》だわい、エヘヘヘヘヘヘ。ヤ|何《なん》だ、|大変《たいへん》な|物音《ものおと》ぢや、どうれ|一《ひと》つ|外《そと》へ|出《で》て|様子《やうす》を|考《かんが》へやう』
と、ドアを|外《はづ》さむとしたが、|秘密《ひみつ》の|錠《ぢやう》が|卸《おろ》してあるので、|千草姫《ちぐさひめ》でなければ|開《あ》けることが|出来《でき》ない。さすがのキユーバーも|当惑《とうわく》してゐる。|外《ほか》には|暫《しばら》く|城内《じやうない》と|城外《じやうぐわい》との|小糶《こぜ》り|合《あ》ひがあつたが、|用心深《ようじんぶか》い|大足別《おほだるわけ》はキユーバーが|城内《じやうない》に|潜入《せんにふ》しをる|事《こと》を|聞《き》き、|戦《たたか》ひを|中止《ちうし》して、キユーバーの|様子《やうす》を|偵察《ていさつ》せむと|焦慮《せうりよ》してゐた。それゆゑ|戦《たたか》ひは|半時《はんとき》|足《た》らずに|止《や》んでしまつた。|大足別《おほだるわけ》は|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》をもつてトルマン|城《じやう》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取《と》りまいてゐる。ガーデン|王《わう》もこの|敵《てき》の|大兵《たいへい》を|遠《とほ》く|眺《なが》めて、|打《う》つて|出《い》づる|勇気《ゆうき》もなく、|援兵《ゑんぺい》の|来《き》たるまで|差控《さしひか》へむと|矛《ほこ》を|磨《みが》いて|警戒《けいかい》してゐた。
この|時《とき》チウイン|太子《たいし》の|近侍《きんじ》が、|王《わう》の|傍《かたはら》に|来《き》たり、|恭《うやうや》しく|敬礼《けいれい》しながら、
『|太子様《たいしさま》より|殿下《でんか》に|奉《たてまつ》れよとの|御命令《ごめいれい》にて、お|預《あづ》かり|申《まを》してをりましたこの|御書面《ごしよめん》、お|受取《うけと》り|下《くだ》さいませ』
と|差出《さしだ》す。
|王《わう》『なに、|太子《たいし》がこの|書面《しよめん》を|余《よ》に|渡《わた》せたと|言《い》つたか。あまり|周章狼狽《しうしやうらうばい》の|結果《けつくわ》、|太子《たいし》の|事《こと》を|忘《わす》れてゐた』
と|言《い》ひながら|慌《あわ》ただしく|封《ふう》|押《お》し|切《き》り|眺《なが》むれば、|左《さ》の|如《ごと》き|文面《ぶんめん》が|墨痕《ぼくこん》|淋漓《りんり》として|認《したた》めてあつた。
|一《ひと》つ|今夕《こんせき》、|父《ちち》を|訪問《はうもん》いたしたるキユーバーなるものは、|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》としめし|合《あは》せ、|本城《ほんじやう》を|占領《せんりやう》し、|吾《わ》が|王家《わうけ》を|覆《くつが》へさむと|謀《はか》るものに|候《さふら》へば、この|際《さい》|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》も|相成《あひな》らず|候《さふらふ》。|小子《せうし》は|父《ちち》および|左守《さもり》に|協議《けふぎ》いたすも、たうてい|六ケ敷《むつかし》かしからむと|存《ぞん》じ、|妹《いもうと》チンレイ、および|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスとしめし|合《あは》せ、|国内《こくない》の|総動員《そうどうゐん》をなすべく、|吾《わ》が|臣下《しんか》を|諸方《しよはう》に|派遣《はけん》し、|小子《せうし》もまた|出城《しゆつじやう》して|大足別《おほだるわけ》の|軍《ぐん》を|後方《こうはう》より|攻撃《こうげき》いたすべく|準備《じゆんび》に|取《と》りかかり|申《まを》し|候《さふらふ》。|故《ゆゑ》に|小子《せうし》が|総司令官《そうしれいくわん》となつて|軍隊《ぐんたい》を|編成《へんせい》し、|城下《じやうか》に|帰《かへ》り|候《さふらふ》まで、|決《けつ》して|敵《てき》と|戦端《せんたん》を|開《ひら》き|給《たま》ふべからず。|一時《ひととき》たりとも|時間《じかん》を|延《の》ばし、|吾《わ》が|軍《ぐん》の|至《いた》るを|待《ま》たせ|給《たま》ふやう、|偏《ひとへ》に|懇願《こんぐわん》|仕《つかまつ》り|候《さふらふ》。
|国難救援軍《こくなんきうゑんぐん》|総大将《そうだいしやう》 トルマン|国《ごく》|太子《たいし》 チウイン
|御父《おんちち》ガーデン|王様《わうさま》、|左守《さもり》、|右守《うもり》|殿《どの》
と|記《き》してあつた。ガーデン|王《わう》は、この|書面《しよめん》を|読《よ》み|終《をは》るや、さも|満足《まんぞく》の|色《いろ》を|現《あら》はし、|左守《さもり》に|向《む》かひ、|言葉《ことば》も|勇《いさ》ましく、
『アイヤ|左守殿《さもりどの》、|喜《よろこ》んでくれ。|太子《たいし》は|已《すで》に|兵《へい》を|召集《せうしふ》し、|近《ちか》く|帰《かへ》つて|来《く》る|様子《やうす》だ。それまでは|戦《たたか》ひを|開《ひら》くなとのこと。さすがは|俺《おれ》の|伜《せがれ》だけあつて、|軍略《ぐんりやく》にかけたら|旨《うま》いものだらうがな』
|左守《さもり》『なるほど|允文允武《いんぶんいんぶ》に|渡《わた》らせらるる|太子様《たいしさま》、|老臣《らうしん》も|恐《おそ》れ|入《い》つてございます。|太子様《たいしさま》の|神軍《しんぐん》が|城下《じやうか》に|近《ちか》づくを|待《ま》ち、|城内《じやうない》より|一斉《いつせい》に|打《う》ち|出《だ》し、|大足別《おほだるわけ》を|挟《はさ》み|撃《う》ちいたせば|勝利《しようり》を|得《う》ること|磐石《ばんじやく》をもつて、|卵《たまご》を|砕《くだ》くに|等《ひと》しからむと|存《ぞん》じます。アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや』
と|老臣《らうしん》の|左守《さもり》は|王《わう》の|手《て》を|執《と》つて|雄健《をたけ》びし、|部下《ぶか》またこの|様子《やうす》を|見《み》て|士気《しき》にはかに|振《ふる》ふ。かかるところへ|千草姫《ちぐさひめ》の|侍女《じぢよ》は|一通《いつつう》の|封書《ふうしよ》を|携《たづさ》へ、|王《わう》の|前《まへ》に|恭《うやうや》しく|捧《ささ》げた。この|密書《みつしよ》は|千草姫《ちぐさひめ》、キユーバーの|手《て》を|握《にぎ》り|気絶《きぜつ》させおき、その|間《あひだ》に|認《したた》めたものである。|王《わう》は|訝《いぶ》かりながら、
『なに、|千草姫《ちぐさひめ》の|手紙《てがみ》とな、かれは|既《すで》に|右守《うもり》の|難《なん》を|聞《き》き|城内《じやうない》を|脱出《だつしゆつ》せしものと|思《おも》ひしに、ハテ|不思議《ふしぎ》』
と|手早《てばや》く|封《ふう》|押《お》し|切《き》つて|見《み》れば、|左《さ》のごとき|文面《ぶんめん》が|水茎《みづくき》の|跡《あと》|麗《うるは》しく|記《しる》されてあつた。
|重大《ぢうだい》なるお|疑《うたが》ひを|受《う》けし|千草姫《ちぐさひめ》より|一大事《いちだいじ》を|申《まを》し|上《あ》げます。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|心《こころ》を|落着《おちつ》けてお|読《よ》み|下《くだ》さいませ。スコブツエンのキユーバーなる|者《もの》、|一ケ月前《いつかげつまへ》より|本城《ほんじやう》を|屠《ほふ》らむと|大足別《おほだるわけ》としめし|合《あは》せ、|種々《しゆじゆ》|劃策《くわくさく》を|廻《めぐ》らしてをりました|事《こと》は、|右守《うもり》のスマンヂー|軍事探偵《ぐんじたんてい》の|報告《はうこく》によりこれを|前知《ぜんち》し、|太子《たいし》チウイン、|王女《わうぢよ》チンレイ、|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスと|共《とも》に|千草姫《ちぐさひめ》も|加《くは》はり、|応戦《おうせん》の|準備《じゆんび》に|取《と》りかかるべく|国内《こくない》の|調査《てうさ》を|密々《ひそびそ》|始《はじ》めてをりましたところ、|兵役《へいえき》に|立《た》ち|得《う》べきものは|漸《やうや》く|二千五百名《にせんごひやくめい》。|万一《まんいち》の|時《とき》の|用意《ようい》にと|国内《こくない》|一般《いつぱん》に|王《わう》の|命《めい》と|称《しよう》し、|軍隊《ぐんたい》|教育《けういく》を|施《ほどこ》しおきましたところ、いよいよ|戦《たたか》はねばならなくなつて|参《まゐ》りました。しかしながら|大足別《おほだるわけ》の|大軍《たいぐん》は|既《すで》に|城下《じやうか》に|迫《せま》りをりますれば、|今日《こんにち》かれと|戦《たたか》ふは|不利《ふり》の|最《もつと》も|甚《はなは》だしきものと|存《ぞん》じ、|大黒主《おほくろぬし》の|信任《しんにん》|最《もつと》も|厚《あつ》く、|大足別《おほだるわけ》の|謀主《ぼうしゆ》と|仰《あふ》ぐキユーバーをある|手段《しゆだん》をもつて|捕《とら》へおきました。やがて|太子《たいし》は|全軍《ぜんぐん》を|率《ひき》ゐて|城下《じやうか》に|迫《せま》る|事《こと》と|存《ぞん》じます。それまでキユーバーを|私《わたし》にお|任《まか》せおき|下《くだ》さいませ。|大足別《おほだるわけ》が|未《いま》だ|砲火《はうくわ》を|開《ひら》かざるも、|要《えう》するにキユーバーの|消息《せうそく》を|案《あん》じての|事《こと》でございますれば、|彼《かれ》さへ|吾《わ》が|城内《じやうない》に|閉《と》ぢ|込《こ》みおけば、|短兵《たんぺい》|急《きふ》に|攻寄《せめよ》せて|来《く》る|憂《うれ》ひはありますまい。このところ|賢明《けんめい》なる|王様《わうさま》、|左守殿《さもりどの》、よくお|考《かんが》へ|下《くだ》さるやう|偏《ひとへ》に|懇願《こんぐわん》し|奉《たてまつ》ります。
|軍務所《ぐんむしよ》において トルマン|国《ごく》|王妃《わうひ》 |千草姫《ちぐさひめ》
ガーデン|王様《わうさま》
|御机下《ごきか》
|王《わう》『ヤ、|左守殿《さもりどの》、|右守《うもり》は|可哀《かあい》さうな|事《こと》をしたわい。あたら|忠臣《ちうしん》を|自《みづか》ら|殺《ころ》すとは|残念《ざんねん》|至極《しごく》だ。|千草姫《ちぐさひめ》も|矢張《やはり》|天下《てんか》|国家《こくか》を|思《おも》ふ|純良《じゆんりやう》なる|妻《つま》であつた。ヤ、|疑《うたが》つて|済《す》まなかつた。ヤ、|千草姫《ちぐさひめ》|許《ゆる》してくれい』
と|落涙《らくるゐ》し|差俯向《さしうつむ》く。
|左守《さもり》『|全《まつた》く|老臣《らうしん》が|不明《ふめい》の|致《いた》すところ、|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》に|対《たい》し|申《まを》し|訳《わけ》がございませぬ。また|右守《うもり》に|対《たい》しても|気《き》の|毒《どく》でございます』
と|流涕《りうてい》しつつ|恐《おそ》れ|入《い》る。|何《なん》となく|城内《じやうない》の|士気《しき》は|大《おほ》いに|揮《ふる》ひ、すでに|大足別《おほだるわけ》を|打《う》ち|滅《ほろ》ぼしたるがごとき|戦勝気分《せんしようきぶん》が|漂《ただよ》うてゐた。
○
|話《はなし》は|元《もと》へ|復《かへ》る。|千草姫《ちぐさひめ》はキユーバーの|独語《ひとりごと》をすつかり|聞《き》き|終《をは》り、「ウン」と|一声《ひとこゑ》|蘇《よみがへ》つたやうな|顔《かほ》をして|息苦《いきぐる》しさうに、
『ヤあなたは|恋《こひ》しき|恋《こひ》しきキユーバー|様《さま》でございましたか。|私《わたし》は|妙《めう》な|所《ところ》を|旅行《りよかう》してゐるやうな|夢《ゆめ》を|見《み》てをりました。しかしながら|貴方《あなた》と|二人《ふたり》が|手《て》を|引《ひ》いて、|愉快《ゆくわい》に|愉快《ゆくわい》に|天国《てんごく》の|旅《たび》をしたやうに|思《おも》ひます。|百花爛漫《ひやくくわらんまん》と|咲《さ》き|乱《みだ》れ|馥郁《ふくいく》たる|香気《かうき》は|四辺《しへん》に|満《み》ち、|何処《どこ》も|彼処《かしこ》も|透《す》き|通《とほ》り、|何《なん》とも|彼《か》とも|言《い》へぬ|麗《うるは》しさでございましたよ』
キユ『ハハハハハハ。それやお|前《まへ》、|俺《おれ》の|手《て》で|手首《てくび》を|握《にぎ》られ、|気絶《きぜつ》してお|前《まへ》の|精霊《せいれい》が|霊界《れいかい》へ|飛《と》び|出《だ》してゐたのだ。ほんの|一寸《ちよつと》ばかり|触《さは》つたやうに|思《おも》つたが、なにぶん|俺《おれ》の|腕《うで》に|力《ちから》が|剰《あま》つてをるものだから、お|前《まへ》を|気絶《きぜつ》さしてしまひ、|大変《たいへん》|心配《しんぱい》いたしたが、バラモン|自在天《じざいてん》の|御加護《ごかご》によつて、やつと|息《いき》|吹《ふ》き|返《かへ》したのだ。もうこれからは|握手《あくしゆ》だけはやらない|事《こと》にしやうかい』
|千草姫《ちぐさひめ》は|可笑《をか》しくてたまらず、|吹《ふ》き|出《だ》すばかり|思《おも》はるるを|耐《た》へ|忍《しの》んで、わざとに|吃驚《びつくり》したやうな|顔《かほ》をしながら、
『まあまあ|嫌《いや》だわ、キユーバーさまとしたことが、|私《わたし》を|活《い》かしたり、|殺《ころ》したり、まるきり|手品師《てじなし》のやうな|事《こと》をなさるのだもの。|本当《ほんたう》に|甚《ひど》いわ。なにほど|命《いのち》を|上《あ》げますといつたつて、|一夜《いちや》の|枕《まくら》も|交《かは》さぬ|先《さき》に|葬《はうむ》られてしまつては|耐《たま》りませぬからね。|本当《ほんたう》に|貴方《あなた》は|憎《にく》らしい|人《ひと》だわ。もうこれから|握手《あくしゆ》の|交換《かうくわん》は|止《や》めてくれなんて、そんなことは|嫌《いや》ですよ。|気絶《きぜつ》しない|程度《ていど》にそつと|握手《あくしゆ》させて|下《くだ》さいな』
『よし、そんならお|前《まへ》は|俺《おれ》の|左《ひだり》の|手《て》を|握《にぎ》れ。|俺《おれ》もお|前《まへ》の|左《ひだり》の|手《て》を|握《にぎ》つてやらう』
と|言《い》ひながら|両方《りやうはう》から|一度《いちど》にグツと|握《にぎ》り|締《し》めた。キユーバーは|姫《ひめ》に|厳《きび》しく|左《ひだり》の|手首《てくび》を|握《にぎ》られ、|目《め》が|眩《ま》ひさうになつたので|死物狂《しにものぐる》ひになつて|姫《ひめ》の|手《て》をグツと|握《にぎ》つた。|途端《とたん》、|双方《さうはう》とも|一時《いちじ》に|気絶《きぜつ》し|其《そ》の|場《ば》に|倒《たふ》れてしまつた。
デカタン|高原《かうげん》の|名物風《めいぶつかぜ》は、|四辺《あたり》の|樹木《じゆもく》の|梢《こずゑ》を|叩《たた》いて|何《なん》となく|物騒《ものさわ》がしい。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第五章 |花鳥山《くわてうざん》〔一七七二〕
|天津御空《あまつみそら》はいと|清《きよ》く |五色《ごしき》の|雲《くも》が|棚引《たなび》いて
|鳳凰《ほうわう》|孔雀《くじやく》|百鳥《ももどり》は |低空飛行《ていくうひかう》をやつてゐる
|地《ち》は|一面《いちめん》の|青畳《あをだたみ》 |紫《むらさき》|浅黄《あさぎ》|白《しろ》|黄色《きいろ》
|紅《くれなゐ》の|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ひ |胡蝶《こてふ》の|姿《すがた》|翩飜《へんぽん》と
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|光景《くわうけい》を いとも|楽《たの》しく|眺《なが》めつつ
|風《かぜ》に|吹《ふ》かるる|心地《ここち》して |地上《ちじやう》を|距《さ》ること|三四尺《さんししやく》
|空中《くうちう》やすやす|進《すす》み|行《ゆ》く はるか|前方《ぜんぱう》を|眺《なが》むれば
|黄金《こがね》の|甍《いらか》キラキラと |天津日影《あまつひかげ》に|照《て》り|映《は》えて
|荘厳世界《さうごんせかい》を|現出《げんしゆつ》し |左手《ゆんで》の|方《かた》を|眺《なが》むれば
|青海原《あをうなばら》は|波《なみ》しづか |彼方《あなた》|此方《こなた》にチラチラと
|胡蝶《こてふ》の|空中《くうちう》に|舞《ま》ふごとく |白《しろ》く|輝《かがや》く|真帆《まほ》|片帆《かたほ》
|五色《ごしき》の|鳥《とり》は|右左《みぎひだり》 |波《なみ》の|上《へ》|走《はし》る|面白《おもしろ》さ
|涼《すず》しき|風《かぜ》は|永遠《とは》に|吹《ふ》き |何《なん》とも|言《い》へぬ|芳香《はうかう》を
|道《みち》|行《ゆ》く|人《ひと》の|身辺《しんぺん》に |送《おく》り|来《き》たるぞ|床《ゆか》しけれ
ここに|一人《ひとり》の|旅人《たびびと》は |鎗《やり》を|片手《かたて》につきながら
|青草《あをくさ》しげる|丸山《まるやま》の その|中腹《ちうふく》に|身《み》をおいて
|吾《わ》が|身《み》の|歩《あゆ》み|来《き》たりたる あとを|眺《なが》めてニコニコと
|煙草《たばこ》をくゆらし|憩《いこ》ひゐる かかるところへ|山下《さんか》より
オーイ オーイと|声《こゑ》をかけ |登《のぼ》り|来《き》たれる|婦人《ふじん》あり
よくよく|見《み》ればこはいかに |思《おも》ひもよらぬ|千草姫《ちぐさひめ》
|涼《すず》しき|清《きよ》き|白妙《しろたへ》の |衣《ころも》を|風《かぜ》に|飜《ひるがへ》し
|旅人《りよじん》のそばに|近《ちか》よりて |満面《まんめん》|笑《ゑみ》をたたへつつ
『あなたは|右守《うもり》のスマンヂー コラまあ|何《ど》うして|此《こ》の|様《やう》な
|平和《へいわ》の|山《やま》に|御到来《ごたうらい》 |訝《いぶ》かしさよ』と|尋《たづ》ぬれば
|一人《ひとり》の|旅人《りよじん》はうなづいて 『あなたは|尊《たふと》きお|姫様《ひめさま》
どうして|此処《ここ》へお|出《で》ましか |私《わたし》は|合点《がてん》がゆきませぬ
トルマン|城《じやう》の|奥《おく》の|間《ま》で ガーデン|王《わう》や|左守司《さもりがみ》
|大足別《おほだるわけ》の|攻軍《こうぐん》に |抵抗《ていかう》せんといろいろに
|軍議《ぐんぎ》を|運《めぐ》らしゐたりしが |協議《けふぎ》|叶《かな》はぬ|私《わたくし》は
|尊《たふと》き|主《きみ》の|御《おん》|為《ため》に お|手《て》にかかつて|身失《みう》せしと
|思《おも》ひしことは|夢《ゆめ》なるか |合点《がてん》のゆかぬこの|体《からだ》
ここは|何《なん》といふ|所《とこ》か |名《な》さへも|知《し》らない|清浄《しやうじやう》の
|百花《ももばな》|千花《ちばな》|咲《さ》きほこる |浄土《じやうど》のやうな|聖地《せいち》です
あなたはどうして|吾々《われわれ》の |後《あと》を|尋《たづ》ねてお|出《で》ましか
|不思議《ふしぎ》|不思議《ふしぎ》が|重《かさ》なつて どうして|可《よ》いやら|分《わか》らない』
|語《かた》れば|千草《ちぐさ》はうなづいて 『ここは|所謂《いはゆる》|天界《てんかい》の
|第三段《だいさんだん》の|浄土《じやうど》です |私《わたし》は|天寿《てんじゆ》が|尽《つ》きまして
|主《す》の|神様《かみさま》の|命令《めいれい》で |浄土《じやうど》の|住居《すまゐ》を|命《めい》ぜられ
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んでスタスタと |花《はな》|咲《さ》く|野辺《のべ》を|参《まゐ》りました
|貴方《あなた》もどうやら|天界《てんかい》に お|住居《すまゐ》|遊《あそ》ばすお|身《み》の|上《うへ》
|伊吹戸主《いぶきどぬし》の|神様《かみさま》に たしかに|聞《き》いておきました
|現界《げんかい》などに|心《こころ》をば |残《のこ》させ|玉《たま》はず|速《すみ》やかに
|神《かみ》の|依《よ》さしの|天界《てんかい》へ |私《わたし》と|共《とも》に|昇《のぼ》りませう
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ
|貴方《あなた》は|永《なが》らく|独身者《ひとりもの》 |私《わたし》は|夫《をつと》はおはせども
|現幽《げんいう》|所《ところ》を|異《こと》にした |今日《けふ》の|吾《わ》が|身《み》は|独身者《ひとりもの》
|意思想念《いしさうねん》の|相異《さうい》より ガーデン|王《わう》と|永久《えいきう》に
|霊界《れいかい》までは|添《そ》へませぬ |貴方《あなた》の|智性《ちせい》は|吾《わ》が|智性《ちせい》
|私《わたし》の|意思《いし》は|全然《さつぱり》と あなたの|意思《いし》に|通《かよ》ひます
|神《かみ》の|開《ひら》きし|天界《てんかい》の この|楽園《らくゑん》に|二柱《ふたはしら》
|夫婦《ふうふ》となつて|永久《とこしへ》に |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|御用《ごよう》をば
|力《ちから》|限《かぎ》りに|致《いた》しませう |如何《いかが》でござる|右守《うもり》さま』
いへば|右守《うもり》は|頷《うなづ》いて 『アア|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し
|私《わたし》は|現世《げんせ》にゐる|中《うち》ゆ あなたを|恋《こひ》してをりました
とはいふものの|現界《げんかい》の |下《くだ》らぬ|階級《かいきふ》が|邪魔《じやま》をして
|心《こころ》のたけを|一言《ひとこと》も |申《まを》し|上《あ》げたることはない
あなたの|心《こころ》もその|通《とほ》り |私《わたし》を|愛《あい》してゐらるると
|早《はや》くも|承知《しようち》はしてゐたが |現実界《げんじつかい》の|義理《ぎり》|人情《にんじやう》
|法則《はふそく》などを|省《かへり》みて こらへ|忍《しの》んでをりました
もう|此《こ》の|上《うへ》は|神様《かみさま》の |定《さだ》め|玉《たま》ひし|縁《えん》ぢやもの
|誰《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》はいりませぬ |現実界《げんじつかい》におきまして
あらむ|限《かぎ》りの|善行《ぜんかう》を |尽《つく》した|二人《ふたり》の|報酬《はうしう》は
|今《いま》や|稔《みの》つてこの|通《とほ》り |歓喜《くわんき》の|苑《その》に|身《み》をおいて
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|万代《よろづよ》も |時間《じかん》|空間《くうかん》|超越《てうゑつ》し
|嬉《うれ》しく|楽《たの》しく|暮《くら》しませう ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》をほぎまつる』
かく|互《たが》ひに|歌《うた》つてゐるところへ、|天空《てんくう》を|輝《かがや》かし、ゴウゴウと|音《おと》を|立《た》て、|両人《りやうにん》の|前《まへ》に|火弾《くわだん》となつて|落下《らくか》した。その|光明《くわうみやう》はダイヤモンドのごとく、|白金光《プラチナ》のごとくであつた。|両人《りやうにん》はハツと|驚《おどろ》き、|両手《りやうて》で|目《め》を|押《おさ》へ|其《そ》の|場《ば》に|蹲踞《しやが》んでゐる。|火光《くわくわう》はたちまち|麗《うるは》しき|神人《しんじん》と|化《くわ》し、|声《こゑ》も|静《しづ》かに、
エンゼル『スマンヂー|様《さま》、|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》、|私《わたし》は|第一霊国《だいいちれいごく》より|貴方《あなた》をお|迎《むか》へに|来《き》たエンゼルでございます。どうかお|目《め》をあけて|下《くだ》さい』
|両人《りやうにん》は「ハイ」と|言葉《ことば》を|返《かへ》しながら、しづかに|両眼《りやうがん》を|開《ひら》けば、|白妙《しろたへ》の|衣《ころも》を|纒《まと》ひたる、|威厳《ゐげん》|備《そな》はる|神人《しんじん》が|七八尺《しちはちしやく》|前《まへ》にニコニコしながら|立《た》つてゐる。
エンゼル『|私《わたし》は|言霊別命《ことたまわけのみこと》であります。スマンヂーさま、|千草姫《ちぐさひめ》さま、|貴方《あなた》がたは|現界《げんかい》において、トルマン|国《ごく》のため、|多数《たすう》|民衆《みんしう》のため、|現界《げんかい》における|最善《さいぜん》を|尽《つく》しておいでになりました。そして|貴方《あなた》がた|両人《りやうにん》は、|意思《いし》|想念《さうねん》の|合致《がつち》した|真正《しんせい》の|御夫婦《ごふうふ》でありながら、あらゆる|苦痛《くつう》を|堪《た》へ|忍《しの》び、|恋《こひ》てふ|魔《ま》に|打《う》ち|勝《か》つて、よくも|一生《いつしやう》の|間《あひだ》|忍《しの》ばれました。|神界《しんかい》においては、|特《とく》に|貴女《あなた》の|善行《ぜんかう》が|記《しる》されてございますよ。サア、これから|第二霊国《だいにれいごく》を|御案内《ごあんない》|申《まを》しませう』
スマンヂー『ハイ|有難《ありがた》うございます。|思《おも》はぬ|所《ところ》で|神様《かみさま》にお|目《め》にかかり、|何《なん》といふ|有難《ありがた》いことでございませうか。お|礼《れい》は|言葉《ことば》に|尽《つく》されませぬ』
|言霊別《ことたまわけ》『あなたの|培《つち》かふた|畑《はたけ》に|稔《みの》つた|果実《くわじつ》でございますよ。|決《けつ》して|私《わたし》にお|礼《れい》を|申《まを》されては|困《こま》ります。|今日《けふ》の|喜《よろこ》びは|貴方《あなた》が|培《つち》かひ|養《やしな》つてゐたところの|喜《よろこ》びの|実《み》でございます。|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》もその|通《とほ》り、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|礼《れい》なんか|言《い》つてはなりませぬ。サア|私《わたし》についてお|出《い》でなさいませ』
と|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|一足先《ひとあしさき》に|立《た》ち、|両人《りやうにん》は|互《たが》ひに|労《いたは》りながら、|雲《くも》のごとき|波《なみ》のごとき|青々《あをあを》とした|丘陵《きうりよう》をふみこえふみこえ、|東《ひがし》へ|東《ひがし》へと|進《すす》んで|行《ゆ》く。
|何時《いつ》とはなしに|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》の|響《ひび》き、|四辺《しへん》より|聞《き》こえるとみれば、|二人《ふたり》は|早《はや》くも|方形《はうけい》の|岩《いは》をもつて|畳《たた》んだやうな|丘陵《きうりよう》の|上《うへ》に|着《つ》いてゐた。
|言霊別《ことたまわけ》『|此処《ここ》は|第二霊国《だいにれいごく》において|有名《いうめい》なる|花鳥山《くわてうざん》でございます。|御覧《ごらん》なさい、|緑《みどり》の|羽《はね》を|拡《ひろ》げ、|紅《くれなゐ》の|冠《かむり》を|頂《いただ》き、|美《うつく》しい|鳥《とり》が|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|〓翔《かうしよう》し、|美妙《びめう》の|声《こゑ》を|放《はな》ち、|又《また》この|通《とほ》り|地上《ちじやう》の|世界《せかい》にないやうな|麗《うるは》しき|花《はな》が|咲《さ》き|乱《みだ》れ|香気《かうき》を|放《はな》つてをります。ここは|貴方《あなた》がたの|千代《ちよ》の|住家《すみか》でございますよ。|食《た》べたい|物《もの》は|何《なん》でも|望《のぞ》み|次第《しだい》、この|麗《うるは》しき|樹木《じゆもく》の|枝《えだ》に|臨時《りんじ》に|熟《じゆく》しますから、それを|採《と》つておあがりなさい』
スマンヂー『|一寸《ちよつと》エンゼル|様《さま》にお|尋《たづ》ねいたします。いま|霊国《れいごく》と|承《うけたまは》りましたが、|霊国《れいごく》は|宣伝使《せんでんし》の|集《あつ》まる|楽園《らくゑん》ではございませぬか。|私《わたし》はトルマン|国《ごく》の|小臣《せうしん》、|平素《へいそ》ウラル|教《けう》を|奉《ほう》じながら、|深《ふか》い|信仰《しんかう》も|致《いた》しませず、また|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》だとてその|通《とほ》り、トルマン|国《ごく》の|王妃《わうひ》として、|国民《こくみん》の|母《はは》として|最善《さいぜん》をお|尽《つく》し|遊《あそ》ばしたもの、|宣伝使《せんでんし》|牧師《ぼくし》ならばいざ|知《し》らず、|吾々《われわれ》ごとき|俗界《ぞくかい》に|心《こころ》をひたしてをりましたものが、どうしてまた|霊国《れいごく》へ|来《こ》られたものでございませうか、どうもこの|理由《りいう》が|分《わか》りませぬ』
|言霊《ことたま》『お|尋《たづ》ねの|通《とほ》り、|霊国《れいごく》は|凡《すべ》て|宣伝使《せんでんし》や、|国民指導者《こくみんしだうしや》の|善良《ぜんりやう》なる|霊《れい》の|来《き》たるべき|永久《えいきう》の|住所《すみか》でございます。|今日《こんにち》の|現実界《げんじつかい》において、|宣伝使《せんでんし》や|僧侶《そうりよ》や|神官《しんくわん》|牧師《ぼくし》などは|一人《ひとり》として|霊国《れいごく》へ|昇《のぼ》り|来《く》る|資格《しかく》を|有《も》つてをりませぬ。また|天国《てんごく》へは|猶《なほ》さら|昇《のぼ》る|者《もの》なく、|何《いづ》れも|地獄《ぢごく》に|籍《せき》をおき、|地獄界《ぢごくかい》において|昏迷《こんめい》と|矛盾《むじゆん》と、|射利《しやり》と|脱線《だつせん》と|暗黒《あんこく》との|実《み》を|結《むす》んで、|互《たが》ひに|肉《にく》を|削《けづ》り|合《あ》ひ、|血《ち》を|啜《すす》り|合《あ》ひ、|妄動《まうどう》を|続《つづ》けてをりまする。あなたは|生前《せいぜん》において|宣伝使《せんでんし》ではなかつたが、|現実界《げんじつかい》の|人間《にんげん》としての|最善《さいぜん》を|尽《つく》されました。これは|要《えう》するに|表面的《へうめんてき》|神《かみ》を|信仰《しんかう》せなくても、あなたの|正守護神《せいしゆごじん》はすでに|天界《てんかい》の|霊国《れいごく》に|相応《さうおう》し、|神籍《しんせき》をおいてゐられたのです。|凡《すべ》て|宇宙《うちう》は|相応《さうおう》の|理《り》に|仍《よ》つて|成《な》り|立《た》つてゐるものです。この|第二霊国《だいにれいごく》の|花鳥山《くわてうざん》は|貴方《あなた》の|物《もの》です。|貴方《あなた》の|精霊《せいれい》が|現界《げんかい》において、|已《すで》にこの|麗《うるは》しき|霊山《れいざん》を|造《つく》つておかれたのです。|誰《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》りませぬ。|永久《えいきう》に|富《と》み|栄《さか》えて|夫婦《ふうふ》|仲《なか》よく|神界《しんかい》の|御用《ごよう》をお|勤《つと》めなさい。|左様《さやう》ならば』
と|立去《たちさ》らむとするを、|千草姫《ちぐさひめ》は|慌《あわ》てて|白《しろ》い|手《て》を|上《あ》げながら、
『もしもし、エンゼル|様《さま》、|妾《わらは》は|今《いま》フツと|考《かんが》へましたが、スコブツエン|宗《しう》のキユーバーと|申《まを》す|者《もの》と|手《て》を|握《にぎ》り|合《あ》ひ、|双方《さうはう》ともに|一時《いちじ》に|気絶《きぜつ》したやうに|記憶《きおく》が|浮《う》かんで|参《まゐ》ります。あのキユーバーはどうなりましたか、|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ねいたします』
|言霊《ことたま》『|彼《かれ》は|未《いま》だ|現界《げんかい》に|生命《せいめい》が|残《のこ》つてをりますから、|今《いま》や|八衢《やちまた》に|彷徨《さまよう》てをります。しかしながら|愛善《あいぜん》の|徳《とく》うすく、|智慧証覚《ちゑしようかく》の|光《ひかり》|鈍《にぶ》き|彼《かれ》がごとき|人物《じんぶつ》のことを|思《おも》い|出《だ》してはなりませぬよ。あなたの|智慧証覚《ちゑしようかく》が|鈍《にぶ》りますから、|今後《こんご》は|決《けつ》して|現界《げんかい》のことを|思《おも》ひ|起《おこ》してはなりませぬ。|最早《もはや》|現界《げんかい》の|貴女《あなた》の|用《よう》はすんでをります。スマンヂーさまも|御同様《ごどうやう》に、|決《けつ》して|決《けつ》して|現界《げんかい》のことを|思《おも》はないでゐて|下《くだ》さい』
|両人《りやうにん》はハツと|頭《かしら》を|下《さ》げ|有難涙《ありがたなみだ》にくれてゐる。|言霊別命《ことたまわけのみこと》は|五色《ごしき》の|雲《くも》に|包《つつ》まれ、|一大火光《いちだいくわくわう》となつて、|東天《とうてん》を|指《さ》して|空中《くうちう》を|轟《とどろ》かせながら|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。|後《あと》に|二人《ふたり》は|顔《かほ》|見合《みあは》せ、
スマンヂー『|姫様《ひめさま》、|不思議《ふしぎ》なことぢやございませぬか。|吾々《われわれ》は|夢《ゆめ》でもみてゐるやうですなア』
|千草《ちぐさ》『|本当《ほんたう》に|不思議《ふしぎ》でたまりませぬ。たしかに|貴方《あなた》も|私《わたし》も|死《し》んだに|間違《まちが》ひはございませぬ。それにも|拘《かか》はらず、ますます|意識《いしき》が|明瞭《めいれう》になり、かやうな|麗《うるは》しき|山《やま》の|頂《いただき》に、|恋《こひ》しき|貴方《あなた》と|二人《ふたり》|許《ゆる》されて|夫婦《ふうふ》となるといふようなことが、どうして|現実《げんじつ》と|思《おも》はれませう。どうも|不思議《ふしぎ》でたまりませぬ』
『|私《わたし》は|現界《げんかい》において|貴女《あなた》の|臣下《しんか》でございます。そして|貴女《あなた》はトルマン|国《ごく》における|王様《わうさま》に|次《つ》いでの|尊《たふと》きお|方《かた》、|如何《いか》に|神様《かみさま》のお|許《ゆる》しとはいひながら、あなたを|女房《にようばう》と|呼《よ》ぶことは|実《じつ》に|恐《おそ》れ|多《おほ》くてなりませぬワ』
『スマンヂー|様《さま》、|現幽《げんいう》|所《ところ》を|異《こと》にした|今日《こんにち》、|何《なに》もかも|凡《すべ》て|洗替《あらひか》へぢやございませぬか、かかる|尊《たふと》き|霊国《れいごく》に|来《き》たりながら、|未《いま》だ|左様《さやう》な|虚礼虚式的《きよれいきよしきてき》な|辞令《じれい》をお|使《つか》ひ|遊《あそ》ばすのは、|自《みづか》らの|想念《さうねん》を|詐《いつは》るようなものでございますよ』
『なるほど|左様《さやう》でございますな。そんなら|改《あらた》めて、あなたを|妻《つま》と|呼《よ》びませう。|私《わたし》を|夫《をつと》と|呼《よ》んで|下《くだ》さい。|一人《ひとり》の|娘《むすめ》が|残《のこ》してございますけれど、|此《こ》の|事《こと》も|思《おも》ひ|切《き》りませう』
『どうかさうして|下《くだ》さいませ。サアこれから|二人《ふたり》でこの|喜《よろこ》びを|歌《うた》ひませう』
ここに|両人《りやうにん》は|手《て》をつなぎ、|胡蝶《こてふ》のごとく|花鳥山《くわてうざん》の|頂《いただき》にて|爽《さはや》かな|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げ、|歌《うた》ひつつ|舞《ま》ひ|始《はじ》めた。
『|天津御空《あまつみそら》を|眺《なが》むれば |百《もも》のエンゼル|星《ほし》の|如《ごと》
|輝《かがや》き|玉《たま》ひ|吾《わ》が|身《み》をば あるひは|遠《とほ》く|或《あるひ》は|近《ちか》く
|守《まも》らせ|玉《たま》ふ|有難《ありがた》さ |脚下《きやくか》を|伏《ふ》して|眺《なが》むれば
|堅磐常磐《かきはときは》の|巌《いはほ》もて |造《つく》り|固《かた》めし|神《かみ》の|山《やま》
|見《み》なれぬ|鳥《とり》は|麗《うるは》しき |翼《つばさ》|拡《ひろ》げて|天界《てんかい》の
|瑞祥《ずゐしやう》うたひ|百花《ももばな》は |艶《えん》を|競《きそ》うて|咲《さ》き|匂《にほ》ひ
|吾等《われら》|二人《ふたり》の|眼《まなこ》をば |心《こころ》ゆくまで|慰《なぐさ》むる
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |人《ひと》の|命《いのち》は|現世《うつしよ》の
|百年《ももとせ》ばかりに|限《かぎ》らない |幾億年《いくおくねん》の|末《すゑ》までも
|吾《わ》が|精霊《せいれい》は|生通《いきとほ》し |生《い》きて|栄《さか》えて|花《はな》|咲《さ》かし
|誠《まこと》の|稔《みのり》を|楽《たの》しまむ |誠《まこと》の|稔《みのり》を|楽《たの》しまむ
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり |吾等《われら》も|神《かみ》と|共《とも》にあり
|神《かみ》と|神《かみ》とがむつび|合《あ》ひ |神《かみ》の|御国《みくに》をいや|広《ひろ》に
|広《ひろ》めてゆかむ|夫婦仲《ふうふなか》 いや|永久《とこしへ》に|春《はる》なれや
いや|永久《とこしへ》に|栄《さか》えませ いや|永久《とこしへ》に|夏《なつ》|来《き》たれ
いや|永久《とこしへ》に|楽《たの》しまむ |天《てん》はますます|高《たか》くして
|空気《くうき》の|色《いろ》はいや|清《きよ》く |地《つち》はますます|広《ひろ》くして
|百草千草《ももくさちぐさ》みな|光《ひか》る |光明世界《くわうみやうせかい》の|真中《まんなか》で
|汝《なれ》と|吾《われ》とは|世《よ》を|送《おく》る |夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か
いやいや|決《けつ》して|夢《ゆめ》でない |夢《ゆめ》の|浮世《うきよ》を|立《た》ちいでて
|真《まこと》の|神《かみ》のあれませる |真《まこと》の|国《くに》へまゐ|昇《のぼ》り
|真《まこと》の|花《はな》を|手折《たを》りつつ |真《まこと》の|暮《くら》しをいとなまむ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひながら、|二人《ふたり》は|永久《えいきう》の|霊国《れいごく》に|住民《ぢうみん》となつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第六章 |鬼遊婆《きいうば》〔一七七三〕
|黄昏時《たそがれどき》に|頭《あたま》から|壺《つぼ》をかぶつたやうな|空《そら》の|色《いろ》、|何《なん》とも|知《し》れぬ|血腥《ちなまぐ》さい、|腸《はらわた》の|抉《えぐ》れるやうな|風《かぜ》がピユーピユーと|吹《ふ》いてゐる。|痩《や》せこけた|烏《からす》が|二三羽《にさんば》、|羽衣《はごろも》を|脱《ぬ》いだ|柿《かき》の|木《き》の|枝《えだ》に|梢《こずゑ》もろとも|空腹《すきばら》を|抱《かか》へて|慄《ふる》うてゐる。
|地上《ちじやう》は|枯草《かれくさ》が|一面《いちめん》に|生《お》ひ|立《た》ち、|処《ところ》まんだら|赤《あか》い|生地《きぢ》を|現《あら》はしてゐる。|何《なん》とも|知《し》れぬ、いやらしい|虫《むし》が|枯草《かれくさ》を|一面《いちめん》に|取《と》りかこみ、|人《ひと》の|香《にほひ》がすると|一斉《いつせい》に|集《あつ》まり|来《き》たり、|人間《にんげん》の|体《からだ》を|吸《す》はうとして|待《ま》ちかまへてゐる。そこへ|現《あら》はれて|来《き》たのは、|三年間《さんねんかん》|中有界《ちううかい》にとめおかれ、|修業《しうぎやう》を|命《めい》ぜられたウラナイ|教《けう》の|高姫《たかひめ》であつた。
|高姫《たかひめ》は|新規《しんき》の|亡者《まうじや》を|一人《ひとり》|伴《ともな》ひながら、|自分《じぶん》はヤツパリ|現界《げんかい》に|立《た》ち|働《はたら》いてゐるつもりで、|野分《のわけ》に|吹《ふ》かれながら、|東海道《とうかいだう》|五十三次《ごじふさんつぎ》のやうな|弊衣《へいい》を|身《み》に|纒《まと》ひ、|新弟子《しんでし》のトンボと|一緒《いつしよ》に|道《みち》|行《ゆ》く|人《ひと》を|引張《ひつぱ》り|込《こ》まむと|待《ま》ちかまへてゐた。
トンボ『もし|生宮様《いきみやさま》、もういい|加減《かげん》に|帰《かへ》らうぢやありませぬか。|何《なん》だかこの|街道《かいだう》は|淋《さび》しくて|淋《さび》しくて|犬《いぬ》の|子《こ》|一匹《いつぴき》|通《とほ》らぬぢやありませぬか。|何時《いつ》まで|蜘蛛《くも》が|巣《す》をかけて|蝉《せみ》がとまるのを|待《ま》つやうにしてをつても、|蝉《せみ》が|来《こ》なくちや|駄目《だめ》でせう』
|高姫《たかひめ》『これ、トンボ、お|前《まへ》は|何《なん》といふ|気《き》の|弱《よわ》いことを|言《い》ふのだい。たとへ|人間《にんげん》が|通《とほ》らなくても、この|生宮《いきみや》が|此処《ここ》に|出張《しゆつちやう》してをれば、|沢山《たくさん》の|霊《みたま》が|通《とほ》つて|大弥勒《おほみろく》の|生宮《いきみや》の|御神徳《ごしんとく》に|触《ふ》れ、|御光《ごくわう》に|照《て》らされ、|百人《ひやくにん》が|百人《ひやくにん》ながら、お|蔭《かげ》をいただいて|天国《てんごく》へ|上《のぼ》るのだぞえ。それだから|肉体人《にくたいじん》が|来《こ》なくても、|霊界人《れいかいじん》が|来《き》さへすればいいのだ。お|前《まへ》の|俗眼《ぞくがん》では|一人《ひとり》も|人間《にんげん》が|来《こ》ないやうに|見《み》えるだらうが、この|生宮《いきみや》の|目《め》には、|今朝《けさ》から|八万人《はちまんにん》ばかり|来《き》たのだよ。それはそれは|忙《いそ》がしいことだよ。お|前《まへ》も|肉体《にくたい》が|曇《くも》つてゐるので、あれだけの|亡者《まうじや》が|一人《ひとり》も|目《め》につかぬのは|無理《むり》もない。|然《しか》しながら|今朝《けさ》から|通《とほ》つた|八万人《はちまんにん》の|亡者《まうじや》が、お|前《まへ》の|顔《かほ》を|見《み》て|羨《うらや》ましさうにしてゐたよ』
『|何故《なぜ》また|私《わたし》のやうな|不幸者《ふしあわせもの》を|羨《うらや》ましさうにして|通《とほ》るのでせうか。サツパリ|合点《がてん》がゆきませぬがな』
『それだからお|前《まへ》は|盲《めくら》といふのだ。|目《め》が|見《み》えぬと|黄金《こがね》の|台《うてな》に|坐《すわ》つてをつても、|泥《どろ》の|中《なか》に|突込《つきこ》まれてをるやうな|気《き》がするものだよ。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|直《ぢ》きぢきの|御用《ごよう》をさして|頂《いただ》きながら、|何《なん》といふ|勿体《もつたい》ないお|前《まへ》は|了簡《れうけん》だえ。お|前《まへ》のやうな|結構《けつこう》な|御用《ごよう》をさしてもらふものは、|何処《どこ》にあるものか。それだから|八万人《はちまんにん》の|精霊《せいれい》が|羨《うらや》ましさうにして|通《とほ》つたのだよ』
『ヘーン、|妙《めう》ですな』
『これ、トンボ、トンボーもない|事《こと》を|言《い》ひなさるな。「ヘーン、|妙《めう》ですな」とは|何《なん》だい。この|生宮《いきみや》さまをお|前《まへ》さまは|馬鹿《ばか》にしてをるのだな。そんな|了簡《れうけん》で|生宮《いきみや》の|御用《ごよう》をしてをると|神罰《しんばつ》が|立所《たちどころ》に|当《あた》つて、|頭《あたま》を|下《した》にし、|足《あし》を|上《うへ》にしてトンボ|返《がへ》りをせねばならぬぞや。チツと|心得《こころえ》なされ』
『|私《わたし》やこの|間《あひだ》から、あまり|辛《つら》いのと|馬鹿《ばか》らしいので|実《じつ》のところは|生宮様《いきみやさま》の|隙《すき》を|窺《うかが》ひ、うまくトンボ(|遁亡《とんぼう》)しようかと|考《かんが》へてをりましたが、|私《わたし》を|羨《うらや》むやうな|人物《じんぶつ》が|八万人《はちまんにん》も|一日《いちにち》に|通《とほ》るかと|思《おも》へば、|何処《どこ》に|行《い》つても|同《おな》じ|事《こと》だ。|生宮様《いきみやさま》のお|側《そば》にマアしばらく|御用《ごよう》をさしていただきませう』
『これ、トンボ、そら|何《なに》を|言《い》ふぢやいな。しばらく|御用《ごよう》をさしていただくとは|罰当《ばちあた》り|奴《め》、そんな|了簡《れうけん》でをるやうな【ガラクタ】なら、|今日《けふ》から|暇《ひま》をやる。サア、トツトと|帰《かへ》つておくれ。お|前《まへ》がをらなくても|肉体《にくたい》は|女《をんな》だから|炊事《すゐじ》|万端《ばんたん》お|手《て》のものだよ。|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》、ウドの|大木《たいぼく》、|体見倒《がらみだふ》しの|頓馬野郎《とんまやらう》だな。これからトンボといふ|名《な》を|改名《かいめい》して、トンマ|野郎《やらう》というてやらう。それがお|前《まへ》の|性《しやう》に|合《あ》うてるだろ』
『|生宮様《いきみやさま》、トンマ|野郎《やらう》とはひどいぢやございませぬか』
『ヘン、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》のお|側《そば》に|御用《ごよう》さして|頂《いただ》いてをるのぢやないか、なにほど|賢《かしこ》い|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》でも、この|生宮《いきみや》の|目《め》から|見《み》れば、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆《みな》トンマ|野郎《やらう》だよ。|大学《だいがく》の|博士《はかせ》だつてトンマ|野郎《やらう》だ。|総理大臣《そうりだいじん》や|衆議院《しうぎゐん》|議員《ぎゐん》になるやうな|奴《やつ》は、なほなほトンマ|野郎《やらう》の|腰抜野郎《こしぬけやらう》だ。お|前《まへ》も|総理大臣《そうりだいじん》や|博士《はかせ》と|同《おな》じ|称号《しようがう》を|生宮《いきみや》から|与《あた》へられたのだから、|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》しなさい』
『|生宮《いきみや》さま、それでもあまりぢやござりませぬか。どうか|元《もと》の|通《とほ》りトンボとおつしやつて|下《くだ》さいな』
『さうだ。そんならお|前《まへ》は【ドン】|臭《くさ》い|男《をとこ》だから、ドンボと|呼《よ》んであげやう。トンマ|野郎《やらう》とは|少《すこ》し【マシ】だからな。|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒様《おほみろくさま》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢやぞえ』
『もしもし|生宮《いきみや》さま、もうその|長《なが》たらしいお|名前《なまへ》は|聞《き》き【たんのう】|致《いた》しました。どうぞ|簡単《かんたん》に|言《い》つて|下《くだ》さいな。|法性寺入道《ほふじやうじにふだう》と|間違《まちが》ひますがな』
『こりや、トンマ|野郎《やらう》、そらナーン|吐《ぬ》かしてけつかるのだ。トンマ|野郎《やらう》が|嫌《いや》なら、ドンマ|野郎《やらう》にして|上《あ》げやう。ああア、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|碌《ろく》な|奴《やつ》は|一匹《いつぴき》もゐやアしないわ。アアアアア|呆《あき》れた。|開《あ》いた|口《くち》が|早速《さつそく》には|塞《ふさ》がりませぬわい、イイイイイ|何時《いつ》まで|経《た》つても|経《た》つても|生宮《いきみや》の|申《まを》すことが|分《わか》らず、|改心《かいしん》が|出来《でき》ず、イ|ケ好《す》かない|野郎《やらう》だな。ウウウウウ|煩《うる》さいほど、|口《くち》が|酸《すつぱ》くなるほど、|毎日日々《まいにちひにち》|烏《からす》の|啼《な》かぬ|日《ひ》があつてもコケコーが|歌《うた》はぬ|朝《あさ》があるとも、|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せずお|説教《せつけう》してやるのに、エエエエエ|会得《ゑとく》が|行《ゆ》かぬとは|何《なん》といふ、オオオオオおそろしう|大馬鹿《おほばか》だろ。カカカカカ|噛《か》んでくくめるやうに、|日夜《にちや》の|生宮《いきみや》の|説教《せつけう》も、|馬《うま》の|耳《みみ》に|風《かぜ》|吹《ふ》く|如《ごと》く、キキキキキ|聞《き》いてはくれず、キマリの|悪《わる》い|面付《つらつき》をして、ククククク|喰《く》ひ|物《もの》ばかり|目《め》をつけ、|苦労《くらう》ばかり|人《ひと》にかけやがつて、ケケケケケ|怪《け》しからぬ|怪体《けつたい》な|獣《けもの》だよ。コココココこんな|事《こと》でどうしてこの|法城《ほふじやう》が|保《たも》てると|思《おも》ふかい。サササササさてもさても|困《こま》つた、シシシシシしぶとい|代物《しろもの》だな。|死《し》に|損《ぞこな》ひの|腰抜《こしぬ》けといふのはお|前《まへ》の|事《こと》だぞえ。ススススス|少《すこ》しは|生宮《いきみや》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》し、|進《すす》んで|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》のために|大活動《だいくわつどう》をしたらどうだい。セセセセセ|雪隠《せつちん》で|饅頭《まんぢゆう》|喰《く》たやうな|面《つら》してこの|生宮《いきみや》の|脛《すね》をかじり、トンマ|野郎《やらう》が|気《き》に|喰《く》はぬなどと|何《なに》をいふのだ。ソソソソソそんな|奴根性《どこんじやう》を|持《も》つてゐる|粗末《そまつ》の|代物《しろもの》を、|高《たか》い|米《こめ》を|喰《く》はして|養《やしな》うてゐるこの|生宮《いきみや》も、|並《な》み|大抵《たいてい》の|事《こと》ぢやないぞえ。タタタタタ|誰《たれ》がこんなトンマ|野郎《やらう》を、たとへ|三日《みつか》でも|世話《せわ》するものがござりませうかい』
『チチチチチチツと|無理《むり》ぢやござりませぬか、|畜生《ちくしやう》か|何《なん》ぞのやうに、トンマ|野郎《やらう》だのドンマだのと、あまりひどいです。ツツツツツ|月《つき》に|一遍《いつぺん》くらゐ、|蛙《かへる》の|附焼《つけや》きぐらゐ|頂《いただ》いて、どうして|荒男《あらをとこ》の|体《からだ》が|保《たも》てませう。テテテテテ|手《て》も|足《あし》もこの|通《とほ》り|筋張《すぢば》つて|来《き》ました。まるツきり|扇《あふぎ》の|骨《ほね》に|濡《ぬ》れ|紙《がみ》を|張《は》つたやうな|手《て》の|甲《かふ》になつてしまつたぢやござりませぬか。トトトトトトンボだつて、どうして|貴女《あなた》と|共《とも》に、|活動《くわつどう》が|出来《でき》ませうぞ。チツとは|私《わたし》の|身《み》の|上《うへ》も|憐《あは》れんで|下《くだ》さい。|貴女《あなた》ばかり|美味《うま》い|物《もの》を|喰《く》て、いつも|私《わたし》には|芋《いも》の|皮《かは》や|大根《だいこん》の|鬚《ひげ》や、|水菜《みづな》の|赤葉《あかば》ばかり|当《あ》てがつてをるぢやありませぬか』
『ナナナナナ|何《なに》を|言《い》ふのぢやいな。|勿体《もつたい》ない、その|心《こころ》では|罰《ばち》が|当《あた》るぞや、ニニニニニ|西《にし》も|東《ひがし》も|南《みなみ》も|北《きた》もこの|通《とほ》り|曇《くも》り|切《き》つた|世《よ》の|中《なか》、お|土《つち》の|上《うへ》に、|何《なに》を|蒔《ま》いてもこの|通《とほ》り、|菜葉《なつぱ》|一《ひと》つ|満足《まんぞく》に|出来《でき》ない|暗《くら》がりの|世《よ》ぢやないか。|赤《あか》ツ|葉《ぱ》の|一《ひと》つも|頂《いただ》いたら|結構《けつこう》ぢやと|思《おも》つて|喜《よろこ》びなさい。こんな|寒《さむ》い|風《かぜ》の|吹《ふ》く|世《よ》の|中《なか》に、|夜分《やぶん》はヌヌヌヌヌぬつくりと|温《ぬく》い|茶《ちや》を|呑《の》んで、|煎餅布団《せんべいぶとん》の|中《なか》へ、|潜《もぐ》り|込《こ》んでをれるぢやないか。ネネネネネ|年《ねん》が|年中《ねんぢう》|何一《なにひと》つ、これといふ|働《はたら》きもせず、ノノノノノノラクラと|野良仕事《のらしごと》さしても、|烏《からす》の|威《おど》しのやうに|立《た》つてばかり|居《を》るなり、ラララララ|埒《らつち》もない|皺枯声《しわがれごゑ》を|出《だ》して、|頭《あたま》の|痛《いた》むやうな|歌《うた》を|唄《うた》ひ、リリリリリ|悧巧《りかう》さうにトンマ|野郎《やらう》というてくれななどとは、お|尻《けつ》が|呆《あき》れますぞや。ルルルルル|流浪《るらう》して|行《ゆ》く|処《ところ》がないから|使《つか》つて|下《くだ》さい、と|泣《な》いて|頼《たの》んだぢやないか、レレレレレ|礼《れい》を|言《い》ふ|事《こと》を|忘《わす》れて、|不足《ふそく》ばかり|申《まを》すとはホントにホントによい|罰当《ばちあた》りだよ。お|前《まへ》は|神様《かみさま》の|警《いまし》めで、ロロロロロ|牢獄《らうごく》へ|突込《つつこ》まれてゐるのだ。|然《しか》しながらお|前《まへ》の|肉体《にくたい》はこの|生宮《いきみや》が|構《かま》うてゐるが、その|魂《たましひ》は、|喰《く》ひたい|喰《く》ひたい|遊《あそ》びたい|遊《あそ》びたいといふ、【|大牢《たいらう》】に|這入《はい》つてゐるのだよ、フツフフフフフ』
『ワワワワワ|笑《わら》うて|下《くだ》さるな。|私《わたし》はお|前《まへ》さまの|言《い》ふやうな|勘《かん》の|悪《わる》い|人間《にんげん》ぢやござりませぬぞや。これでも|一時《いちじ》はバラモン|軍《ぐん》のリユーチナントまで|勤《つと》めて|来《き》た|武士《もののふ》ですよ。ヰヰヰヰヰ|何時《いつ》までもお|前《まへ》さまの|側《そば》へ|居《を》らうとは|思《おも》ひませぬから、ウウウウウ|煩《うる》さうても、|売《う》れ|口《くち》があるまで|辛抱《しんぱう》してやつてゐるのですよ。ヱヱヱヱヱえぐたらしい|事《こと》を|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|聞《き》かされて、なんぼ|軍人《ぐんじん》だつてお|尻《けつ》が|呆《あき》れますよ。|私《わたし》はもう|貴女《あなた》のお|供《とも》はこれでヲヲヲヲヲをしまひですよ』
と|逃《に》げ|出《だ》さうとする。|高姫《たかひめ》は|後《あと》から|痩《や》せこけた|手《て》をグツと|出《だ》し、|襟首《えりくび》をつかみ|二足《ふたあし》|三足《みあし》|後《うし》ろに|引《ひ》きながら、
『こりや|灸箸《やいとばし》、|麻幹人足《をがらにんそく》、|逃《に》げるなら|逃《に》げて|見《み》い。|燈心《とうしん》の|幽霊《いうれい》|見《み》たやうな|腕《うで》をしやがつて、|線香《せんかう》のやうな|足《あし》をして、【かれい】のやうな|薄《うす》つぺたい|体《からだ》をして、|生宮様《いきみやさま》に|口答《くちごた》へするとはもつての|外《ほか》だ。サア|動《うご》くなら|動《うご》いてみよれ』
ト『イヤもう、えらい|灸《やいと》を|据《す》ゑられました。どうぞ【かれい】これ|言《い》はずに|許《ゆる》して|下《くだ》さい。|許《ゆる》して|下《くだ》さらなもう|仕方《しかた》がない。あの|谷川《たにがは》へ【とうしん】(|投身《とうしん》)と|出掛《でか》けます』
|高《たか》『エーしやれどころかい』
とパツと|手《て》を|放《はな》した|途端《とたん》にヒヨロ ヒヨロ ヒヨロと|餓鬼《がき》のごとくヒヨロつき、|枯《か》れた|萱草《かやぐさ》の|中《なか》にパタリと|倒《こ》けてしまつた。
|高《たか》『ホホホホホ|生宮様《いきみやさま》にかかつたら、バラモンのリユーチナントも|脆《もろ》いものだな。サアサアこれから|館《やかた》へ|帰《かへ》り、|夕御飯《ゆふごはん》の|用意《ようい》でも|致《いた》しませう』
とダン|尻《じり》を|中空《ちうくう》にたわつかせながら|帰《かへ》らむとする。|時《とき》しもあれ、|珍《めづら》しくも|歌《うた》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。|高姫《たかひめ》はこの|声《こゑ》を|聞《き》くや|否《いな》や、|操《あやつ》り|人形《にんぎやう》のごとくクレリと|体《たい》を|交《かは》し、
『ヤア|来《き》た|来《き》た、これから|私《わし》の|正念場《しやうねんば》だ』
と|大地《だいち》に|二三回《にさんくわい》も|石搗《いしつ》きを|始《はじ》めて|勇《いさ》んでゐる。
『|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》 |大国彦《おほくにひこ》の|大神《おほかみ》は
|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》 |神《かみ》や|仏《ほとけ》は|言《い》ふも|更《さら》
|青人草《あをひとぐさ》や|草木《くさき》まで |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|垂《た》れ|給《たま》ひ
|救《すく》はせ|給《たま》ふ|尊《たふと》さよ |大黒主《おほくろぬし》の|大棟梁《だいとうりやう》
|清《きよ》き|教《をしへ》を|受《う》け|給《たま》ひ |七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》
|一《ひと》つに|丸《まる》めて|治《をさ》めむと バラモン|教《けう》を|遠近《をちこち》に
|開《ひら》き|給《たま》へど|如何《いか》にせむ |三五教《あななひけう》やウラル|教《けう》
|勢《いきほ》ひなかなか|強《つよ》くして |誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|蹂躙《じうりん》するこそ|是非《ぜひ》なけれ |未《いま》だ|時節《じせつ》の|到《いた》らぬか
これほど|尊《たふと》い|御教《みをしへ》も |数多《あまた》の|人《ひと》に|仰《あふ》がれず
|誹毀讒謗《ひきざんばう》の|的《まと》となり |日《ひ》に|夜《よ》に|教《をしへ》は|淋《さび》れ|行《ゆ》く
|大黒主《おほくろぬし》の|権力《けんりよく》に |押《お》されて|表面《へうめん》バラモンの
|信者《しんじや》に|化《ば》けてをるなれど |心《こころ》の|中《うち》はウラル|教《けう》
|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》ばかり こんな|事《こと》ではならないと
|大黒主《おほくろぬし》の|御心配《ごしんぱい》 |強圧的《きやうあつてき》に|軍隊《ぐんたい》を
|用《もち》ゐて|信徒《しんと》を|召集《せうしふ》し |否《いや》が|応《おう》でもバラモンの
|教《をしへ》に|靡《なび》かせくれんづと |大足別《おほだるわけ》の|将軍《しやうぐん》に
|三千余騎《さんぜんよき》の|兵士《つはもの》を |引率《いんそつ》させてデカタンの
|大高原《だいかうげん》に|進軍《しんぐん》し トルマン|国《ごく》を|屠《ほふ》らむと
|吾《われ》にスコブツエン|宗《しう》を |開《ひら》かせ|給《たま》へどその|実《じつ》は
|異名同宗《いめいどうしう》バラモンの |教《をしへ》に|少《すこ》しも|変《かは》らない
|只《ただ》ただ|相違《さうゐ》の|一点《いつてん》は バラモン|教《けう》より|劇烈《げきれつ》な
|信徒《しんと》に|修行《しゆぎやう》を|強《し》ゆるのみ こんな|事《こと》でもしておかにや
|虎狼《こらう》に|等《ひと》しい|人心《じんしん》を |緩和《くわんわ》し|御国《みくに》を|保《たも》つこと
|容易《ようい》に|出来《でき》るものでない かてて|加《くは》へて|此《この》|頃《ごろ》は
|思想《しさう》|日《ひ》に|夜《よ》に|混乱《こんらん》し アナアキズムやソシヤリズムが
|到《いた》る|処《ところ》に|出没《しゆつぼつ》し |大黒主《おほくろぬし》のこの|天下《てんか》
いよいよ|危《あや》ふくなつて|来《き》た |吾《われ》はこの|間《ま》に|教線《けうせん》を
|七千余国《しちせんよこく》に|拡張《くわくちやう》し |大黒主《おほくろぬし》の|失脚《しつきやく》を
|見届《みとど》け|済《す》まして|月《つき》の|国《くに》 いや|永遠《とこしへ》に|統治《とうち》なし
|神力無双《しんりきむさう》の|英雄《えいゆう》と |世《よ》に|謳《うた》はれむ|面白《おもしろ》や
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり |吾《われ》こそ|神《かみ》の|化身《けしん》ぞや
|神《かみ》に|刃向《はむ》かふ|奴輩《やつばら》は |何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|容赦《ようしや》なく
|亡《ほろ》ぼし|呉《く》れむ|吾《わ》が|宗旨《しうし》 アア|面白《おもしろ》や|面白《おもしろ》や
いかなる|神《かみ》の|教《をしへ》をも |言向《ことむ》け|和《やは》し|大野原《おほのはら》
|風《かぜ》に|草木《くさき》の|靡《なび》くごと |振舞《ふるま》ひくれむ|吾《わ》が|力《ちから》
|吾等《われら》は|神《かみ》の|化身《けしん》なり |吾等《われら》は|力《ちから》の|根元《こんげん》ぞ
|来《き》たれよ|来《き》たれ|四方《よも》の|国《くに》 |鳥《とり》|獣《けだもの》の|分《わか》ちなく
キユーバーが|配下《はいか》としてやらう イツヒヒヒヒ イツヒヒヒヒ
|実《げ》に|面白《おもしろ》くなつて|来《き》た |天《てん》は|曇《くも》りて|光《ひかり》なく
|地上《ちじやう》は|冷《ひ》えて|草木《くさき》さへ |皆《みな》|枯《か》れ|萎《しぼ》む|世《よ》の|中《なか》に
スコブツエン|宗《しう》ただ|独《ひと》り |旭日《あさひ》の|天《てん》に|昇《のぼ》るごと
|日々毎日《ひにちまいにち》|栄《さか》え|行《ゆ》く ウツフフフフフ ウツフフフフフ』
と|大法螺《おほぼら》を|吹《ふ》き|立《た》てながら|四辻《よつつじ》までやつて|来《き》た。|高姫《たかひめ》はキユーバーの|姿《すがた》を|見《み》るより、カン|走《ばし》つた|声《こゑ》にて、
『これこれ|遍路《へんろ》さま、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。お|前《まへ》は|一寸《ちよつと》|見《み》ても、|物《もの》の|分《わか》りさうな|立派《りつぱ》な|男《をとこ》らしい。|私《わたし》は|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢやぞえ。サア|一寸《ちよつと》、|私《わたし》の|館《やかた》まで|来《き》て|下《くだ》さい。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》なお|話《はなし》を|聞《き》かして|上《あ》げませうぞや』
キユ『|何《なに》、お|前《まへ》が|救世主《きうせいしゆ》といふのか、フフフフフーン、はてな』
|高《たか》『これ、|遍路《へんろ》さま、|何《なに》がフフフフフンだい。はてな……どころか、これから|世《よ》の|初《はじ》まり、|弥勒出現《みろくしゆつげん》、|神代《かみよ》の|樹立《じゆりつ》、|世《よ》の|終《しま》ひの|世《よ》の|始《はじ》まりぢやぞえ』
『ハハハハハハ|何《なん》と|面白《おもしろ》い|婆《ばあ》さまだな。|幸《さいは》ひ|日《ひ》の|暮《くれ》のことでもあり、そこらに|宿《やど》もなし、|一《ひと》つ|宿《と》めて|頂《いただ》かうかな』
『サアサア|宿《とま》つて|下《くだ》さい。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》なお|話《はなし》をして|上《あ》げますぞや、ホホホホホホ。トンボの|奴到頭《たうとう》|草《くさ》の|中《なか》へ|埋《うづ》もつてしまひよつた。あんな|奴《やつ》アどうならふと|構《かま》ふことはない。|生宮様《いきみやさま》に|対《たい》して|理窟《りくつ》ばかり|吐《ほざ》くのだもの。|何《なん》と|世《よ》の|中《なか》は|妙《めう》なものだな。|一人《ひとり》の|奴《やつ》が|愛想《あいそ》づかして|逃《に》げたと|思《おも》へば、チヤーンと|神様《かみさま》は|代《かは》りを|拵《こしら》へて|下《くだ》さる。この|遍路《へんろ》は、どうやら|生宮《いきみや》の|片腕《かたうで》になるかも|知《し》れぬぞ。ホホホホホホ』
トンボは|最前《さいぜん》から|草《くさ》の|中《なか》に|身《み》を|隠《かく》して|高姫《たかひめ》の|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐたが、……こんな|奴《やつ》に|来《こ》られちや|自分《じぶん》はもう|足上《あしあ》がりだ。しかしながら|高姫《たかひめ》の|奴《やつ》、あんな|男《をとこ》を|引張《ひつぱ》り|込《こ》んで、どんな|相談《さうだん》をしとるか|知《し》れぬ。|今晩《こんばん》はともかく、|館《やかた》の|外《そと》から|二人《ふたり》の|話《はなし》を|聞《き》いてやらねばなるまい……と|思案《しあん》を|定《さだ》め、|両人《りやうにん》が|岩山《いはやま》の|麓《ふもと》の|破《やぶ》れ|家《や》へ|帰《かへ》つて|行《ゆ》く|後《うし》ろから、|闇《やみ》を|幸《さいは》ひ|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせついて|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於由良秋田別荘 北村隆光録)
第七章 |妻生《さいせい》〔一七七四〕
|軒《のき》は|傾《かたむ》き|屋根《やね》は|破《やぶ》れ、|蝶《てふ》も|蜻蛉《とんぼ》も|蜂《はち》も|雀《すずめ》も|雨《あめ》も、|屋根《やね》から|降《ふ》つて|来《く》るところまで|茅葺《かやぶき》の|屋根《やね》が|煤竹《すすだけ》の|骨《ほね》を|出《だ》してゐる。|雨戸《あまど》は|七分三分《しちぶさんぶ》に|尻《しり》からげたやうに|風《かぜ》に|喰《く》ひ|取《と》られ、|障子《しやうじ》はずず|黒《ぐろ》く|棧《さん》ごとに|瓔珞《ようらく》を|下《さ》げ、|風《かぜ》|吹《ふ》くたびに|自由《じいう》に|舞踏《ぶたふ》をやつてゐる。|湿《しめ》つぽい|畳《たたみ》は、|表《おもて》はすつかり|破《やぶ》れ、|赤《あか》ずんだ|床《とこ》ばかりが|僅《わづ》かに|命脈《めいみやく》を|保《たも》ち、|足《あし》|踏《ふ》み|入《い》るるも|身《み》の|毛《け》のよだつように|見苦《みぐる》しい。さうして|何《なん》ともたとへやうのない|異様《いやう》な|臭気《しうき》が|鼻《はな》を|衝《つ》く。されど、|高姫《たかひめ》やキユーバーの|目《め》にはこの|茅屋《ばうをく》が|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》のごとくに|見《み》え、|異様《いやう》な|臭気《しうき》は|麝香《じやかう》のごとくに、|想念《さうねん》の|情動《じやうどう》によつて|感《かん》じ|得《え》らるるのも|妙《めう》である。|牛糞《うしぐそ》の|味《あぢ》も|牡丹餅《ぼたもち》のごとく|感《かん》じ、|馬糞《うまぐそ》の|臭《にほひ》もお|萩《はぎ》のごとく、いと|満足《まんぞく》に|喉《のど》を|鳴《な》らしてしやぶるのだから|耐《たま》らない。|口《くち》の|欠《か》けた|燻《くす》ぼつた|土瓶《どびん》に|籐《とう》の|蔓《つる》の|柄《え》をつけ、|屋根《やね》から|釣《つ》るした|煤《すす》だらけの【てんどり】に|引《ひ》つかけ、|牛糞《うしぐそ》を|焚《た》いて|茶《ちや》を|温《あたた》めながら、|二人《ふたり》は|嬉々《きき》として|他愛《たあい》もなくふざけてゐる。|御霊《みたま》の|相応《さうおう》といふものは|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》なものである。
この|高姫《たかひめ》さまは、キユーバーの|目《め》には、|一寸《ちよつと》|見《み》た|時《とき》には|婆《ばあ》さまのやうに|見《み》えたが、|何時《いつ》の|間《ま》にか、トルマン|国《ごく》の|王妃《わうひ》|千草姫《ちぐさひめ》のやうな|美人《びじん》に|見《み》えて|来《き》た。また|高姫《たかひめ》の|目《め》では|団栗眼《どんぐりまなこ》の|烏天狗《からすてんぐ》のやうな、|口《くち》の|尖《とが》つた|不細工《ぶさいく》なキユーバーの|顔《かほ》が|何《なん》とも|知《し》れぬ|凛々《りり》しい、|時置師《ときおかし》の|杢助《もくすけ》に|見《み》えてたまらない。|高姫《たかひめ》は|鼠髯《ねずみひげ》のやうに|皺《しわ》のよつた|口《くち》をつぼめながら、しよなしよなと|体《からだ》をゆすり、
『これ|杢助《もくすけ》さま、いや|高宮彦《たかみやひこ》|殿《どの》、ようまあ|化《ば》けたものですなあ。あの|四《よ》つ|辻《つじ》で|会《あ》つた|時《とき》は、|左程《さほど》でもない|遍路《へんろ》だと|思《おも》うてゐたに、かうさし|向《む》かうて|篤《とつ》くりとお|顔《かほ》をみると、まぎれもない|高宮彦《たかみやひこ》|様《さま》だわ。もし|私《わたし》は|高宮姫《たかみやひめ》でございますよ。|何《なん》ですか|他所《よそ》よそしい。|他人《たにん》らしいその|振舞《ふるま》ひはをいて|下《くだ》さい。なにほど|貴方《あなた》が|出世《しゆつせ》して|偉《えら》くなつてやつぱり|私《わたし》の|夫《をつと》ですよ』
キユ『お|前《まへ》は|高宮姫《たかみやひめ》と|改名《かいめい》したのか、|何《なん》でも|千草姫《ちぐさひめ》といふ|名《な》だつたと|思《おも》ふがな』
|高《たか》『あのまあ|杢《もく》ちやんの|白々《しらじら》しいこと。それ|貴方《あなた》とあの|御殿《ごてん》でお|約束《やくそく》して|高宮姫《たかみやひめ》と|改名《かいめい》したぢやありませぬか。|貴方《あなた》だつてその|時《とき》|高宮彦《たかみやひこ》と|改名《かいめい》されたでせう』
キユ『ハテナ、お|前《まへ》はどうしても|千草姫《ちぐさひめ》に|違《ちが》ひない。|妙《めう》なことを|言《い》ふぢやないか。しかしながら、|名《な》はどうでもよい。|心《こころ》と|心《こころ》さへぴつたり|合《あ》うてをればそれで|十分《じふぶん》だ』
と|二人《ふたり》は|互《たが》ひ|違《ちが》ひに|主《ぬし》をかへ、|嬉々《きき》として|意茶《いちや》つき|始《はじ》めた。
|高《たか》『もし|貴方《あなた》、あれから|私《わたし》に|別《わか》れて|何処《どこ》を|歩《ある》いてゐらしたの。|私《わたし》どれほど|尋《たづ》ねてゐたか|知《し》れませぬわ』
キユ『|私《わし》はな、デカタン|高原《かうげん》のトルマン|国《ごく》へ|根拠《こんきよ》を|構《かま》へ、お|前《まへ》を|一目《ひとめ》|見《み》てから|目《め》にちらついて|耐《たま》らず、|何《なん》とかして|会《あ》ひたいと|心《こころ》を|焦《こが》してゐる|矢先《やさき》、お|前《まへ》がトルマン|王《わう》の|妃《きさき》になつてゐるものだから|手《て》の|附《つ》けやうがなく、|百方《ひやくぱう》|手段《しゆだん》をもつてたうとうお|前《まへ》に|近《ちか》よる|事《こと》が|出来《でき》、|永《なが》らくの|恋《こひ》の|暗《やみ》を|晴《は》らすことを|得《え》たのだ。サアこれからお|前《まへ》と|私《わし》と|心《こころ》を|合《あは》せ、トルマン|国《ごく》を|手《て》に|入《い》れ、|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》を|蹂躙《じうりん》して|見《み》ようぢやないか。たうてい|科学的《くわがくてき》|文明《ぶんめい》の|極点《きよくてん》ともいふべき|現代《げんだい》を|救《すく》ふのには、|単《たん》なる|説教《せつけう》や|演説《えんぜつ》や|祈祷《きたう》のみにては|功《こう》を|奏《そう》しにくい。|自《みづか》ら|王者《わうじや》の|位置《ゐち》に|立《た》ち|軍隊《ぐんたい》を|片手《かたて》に|握《にぎ》り、|一方《いつぱう》には|剣《つるぎ》、|一方《いつぱう》にはコーランをもつて|人心《じんしん》を|治《をさ》めなくては|宗教《しうけう》も|政治《せいぢ》も|嘘《うそ》だ』
『なるほど、|貴方《あなた》のやうな|智勇兼備《ちゆうけんび》の|神人《しんじん》は|世界《せかい》にございますまい。アア|三年《さんねん》が|間《あひだ》、この|山《やま》の【ほてら】で|苦労《くらう》したのも|貴方《あなた》に|会《あ》ひたいばかり、いよいよ|時節《じせつ》が|来《き》たのかなあ』
と|互《たが》ひに|辻褄《つじつま》の|合《あ》はぬ|勝手《かつて》な|応答《おうたふ》をしながら、|八味《やみ》の|幕《まく》を|下《おろ》して|抱擁《はうよう》したまま|睡《ねむ》りについてしまつた。|外《ほか》に|立《た》つてゐたトンボはやけてたまらず、|小石《こいし》を|拾《ひろ》つて|戸《と》の|破《やぶ》れから|幾《いく》つともなくボイボイと|投《な》げ|込《こ》んだ。|小石《こいし》は|釣《つ》り|下《さ》げてある|土瓶《どびん》の|腹《はら》を|割《わ》つて、|二人《ふたり》の|寝《ね》てゐる|足《あし》の|上《うへ》にパツと|小便《せうべん》を|垂《た》れた。|高姫《たかひめ》は|驚《おどろ》き|跳起《はねお》きながら|声《こゑ》を|震《ふる》はせて、
『これや、|天下《てんか》の|救世主《きうせいしゆ》が|種《たね》を|蒔《ま》きよるのに|何《なに》をするか。|何者《なにもの》だ、|名《な》を|名乗《なの》れ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てる。トンボは|外《そと》から、
『ワハハハハハハ|石《いし》を|投《な》げたのはこのトンボさまだ。これや|婆々《ばば》、|今《いま》にこの|家《いへ》を|叩《たた》き|壊《こは》してやるからさう|思《おも》へ。|俺《おれ》も|一《ひと》つは|性念《しやうねん》があるぞ』
とまたもや|雨《あめ》のごとく|両手《りやうて》に|小石《こいし》を|掴《つか》んで|投《な》げ|込《こ》む|危《あや》ふさ。|石《いし》は|戸棚《とだな》や|水屋《みづや》にぶつかつて、カチヤカチヤ パチパチ ガランガランと|瀬戸物《せともの》まで|滅茶々々《めちやめちや》になる。|高姫《たかひめ》、キユーバーの|二人《ふたり》は|危《あぶ》なくてならず、|表戸《おもてど》を|引《ひ》きあけ「コレヤー」と|呶鳴《どな》る|勢《いきほ》ひに、トンボは|骨《ほね》と|皮《かは》との|体《からだ》を、|尻《しり》をまくりながら、ドンドンドンと|逃《に》げ|出《だ》す。|高姫《たかひめ》とキユーバーは|追《お》ひついて|素首《そつくび》|引掴《ひつつか》み|懲《こら》してくれむと|真裸《まつぱだか》のまま、トンボの|後《あと》を|息《いき》をはづませ、|青《あを》い|火《ひ》の|玉《たま》となつて|追《お》つかけ|行《ゆ》く。
トンボは|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》の|門口《もんぐち》に|来《き》たり、|慌《あわ》てて|黒門《くろもん》に【どん】とつきあたり、「アツ」といつたまま|其《そ》の|場《ば》に|倒《たふ》れた。キユーバー、|高姫《たかひめ》の|二人《ふたり》は|皺枯声《しわがれごゑ》を|張上《はりあ》げながら、「ホーイホーイ、ホイホイホイ」とド|拍子《びやうし》もない|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて|追《おつ》かけ|来《き》たり、トンボの|倒《たふ》れてゐる|姿《すがた》を|見《み》て|痛快《つうくわい》がり、
|高《たか》『ホホホホホホこれ|杢《もく》チヤン、|天罰《てんばつ》といふものは|怖《おそ》ろしいものではございませぬか、ねえ|貴方《あなた》。|私《わたし》と|貴方《あなた》が|神代《かみよ》から|伝《つた》はつた、|青人草《あをひとぐさ》の|種蒔《たねまき》のお|神楽《かぐら》を|勤《つと》めてゐるのを|岡焼《をかやき》して、|石《いし》を|投《な》げ|込《こ》んだトンマ|野郎《やらう》ぢやございませぬか。これやトンマ、|確《しつか》りせぬかい、|生宮《いきみや》さまの|御神力《ごしんりき》には|畏《おそ》れ|入《い》つたか』
トンボはやうやく|気《き》がつき、
『お|前《まへ》さまは|生宮《いきみや》さまぢやないか。こんな|役所《やくしよ》の|門前《もんぜん》まで|来《き》て|人《ひと》の|恥《はぢ》をさらすものぢやありませぬぞや。どうぞ|悪口《わるくち》だけは|耐《こら》へて|下《くだ》さい。|私《わたし》だつてまだ|末《すゑ》の|長《なが》い|人間《にんげん》、これからまた|世《よ》に|立《た》つて|一働《ひとはたら》きせなくてはなりませぬ。お|役人《やくにん》の|耳《みみ》へ|私《わたし》の|悪口《あくこう》が|入《い》つたら|最後《さいご》、|何処《どこ》へ|行《い》つても|頭《あたま》は|上《あが》りませぬからねえ』
|高《たか》『ヘン、これやなーにをぬかしてゐるのだい。|自業自得《じごふじとく》ぢやないか。お|前《まへ》のやうなものを|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|頭《あたま》を|上《あ》げさせておこうものなら、|世界《せかい》は|暗雲《やみくも》になつてしまふぢやないか。それだからお|役人《やくにん》に|聞《き》こえるやう、|一入《ひとしほ》|大《おほ》きな|声《こゑ》で|言《い》つたのだよ。|何《なん》とまあ|情《なさ》けなささうな|顔《かほ》わいのう』
ト『これや|婆々《ばば》、もう|俺《おれ》も|破《やぶ》れかぶれだ、|何《なん》なりと|悪口《わるくち》をつけ。その|代《かは》り|貴様《きさま》の|秘密《ひみつ》をお|役人《やくにん》の|耳《みみ》に|入《い》るやう|大声《おほごゑ》で|素《す》ツ|破《ぱ》ぬいてやる』
キユ『これやこれやトンボとやら|滅多《めつた》な|事《こと》は|言《い》ふまいぞ。|貴様《きさま》のやうな|三文《さんもん》やつこなら、|仮令《たとへ》よく|言《い》はれても|悪《わる》く|言《い》はれても|余《あま》り|影響《えいきやう》はないはずだ。しかしながら|吾々《われわれ》ごとき|救世主《きうせいしゆ》の、たとへ|嘘《うそ》にもせよ|悪口《わるくち》を|申《まを》すと、|世界救済《せかいきうさい》の|事業《じげふ》の|妨害《ばうがい》になるのみならず、その|罪《つみ》はたちまち|廻《まは》り|来《き》たつて|吊釣地獄《てうきんぢごく》に|墜《お》ちるぞや』
ト『ヘン|放《ほ》つといて|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまはこの|婆々《ばば》と|爐《いろり》の|辺《はた》で、とんでもない|種蒔行事《たねまきぎやうじ》を|演《えん》じてゐたぢやないか。それあの|醜体《しうたい》を……もしもしお|役人様《やくにんさま》、|此奴等《こいつら》|二人《ふたり》は|天則違反《てんそくゐはん》の|大罪人《だいざいにん》でございます。どうか|御規則《ごきそく》に|照《て》らし、|地獄《ぢごく》へ|打《ぶ》ち|込《こ》んで|下《くだ》さい。さうしてウラナイ|教《けう》とか、スコ|教《けう》とかいつて|悪神《わるがみ》の|教《をしへ》を|天下《てんか》に|拡《ひろ》めようとする|餓鬼《がき》|畜生《ちくしやう》でございます。|私《わたし》が|証拠人《しようこにん》になります。どうぞ|此奴《こいつ》ら|二人《ふたり》を|厳《きび》しく|調《しら》べて|下《くだ》さい』
と|力《ちから》|一《いつ》ぱい|呶鳴《どな》り|立《た》てる。
キユ『これやこれやトンボとやら、|教主《けうしゆ》や|生宮《いきみや》を|罵《ののし》る|罪《つみ》は|軽《かる》けれど、|教《をしへ》の|道《みち》を|罵《ののし》る|罪《つみ》は|万劫末代《まんごまつだい》|許《ゆる》されないぞ。|謗法《ばうほふ》の|罪《つみ》の|重《おも》い|事《こと》を|知《し》つてゐるか』
ト『ヘンえらさうに|言《い》ふない。|謗法《ばうほふ》の|罪《つみ》なんて|俺《おれ》やどこでもやつた|事《こと》はないわ。|貴様等《きさまら》|両人《りやうにん》こそ|方々《はうばう》で|悪《わる》い|事《こと》をやつて|来《き》た|代物《しろもの》だ。もしお|役人様《やくにんさま》、|大罪人《だいざいにん》を|二人《ふたり》ここへ|引張《ひつぱ》つて|来《き》ました。|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さらないと【とんぼう】(|遁亡《とんばう》)いたします。|早《はや》く|早《はや》く』
と|呶鳴《どな》つてゐる。|赤白《あかしろ》|両人《りやうにん》の|守衛《しゆゑい》はこの|声《こゑ》に|訝《いぶか》りながら、|門《もん》を|左右《さいう》に|開《ひら》き|外《そと》に|出《で》てみるとこの|体裁《ていさい》、
|赤《あか》『これやこれや|今日《けふ》は|公休日《こうきうび》だ。なぜ|矢釜《やかま》しく|申《まを》すか。|訴《うつた》へ|事《ごと》があるなら|明日《みやうにち》|出《で》て|来《こ》い、|聞《き》いてやらう』
ト『もしお|役人《やくにん》さまに|申《まを》し|上《あ》げます。|天下《てんか》を|乱《みだ》す|彼様《かやう》な|大悪人《だいあくにん》を|現在《げんざい》|目《め》の|前《まへ》に|眺《なが》めながら、|公休日《こうきうび》だから|調《しら》べないなぞと、そんなナマクラな|事《こと》をいうてお|役人《やくにん》が|勤《つと》まりますか。|日曜《にちえう》まで|月給《げつきふ》は|頂《いただ》いてをられませう。|一寸《ちよつと》でよいからお|調《しら》べ|下《くだ》さいませ』
|赤《あか》『や、お|前《まへ》はバラモンのリユーチナントではないか。|未《ま》だ|修養《しうやう》も|致《いた》さず、|八衢《やちまた》に|迷《まよ》ふてゐるのか、|困《こま》つた|奴《やつ》だなあ』
ト『もしお|役人《やくにん》さま、|面白《おもしろ》い|事《こと》を|仰有《おつしや》いますなあ。|冥途《めいど》かなんかのやうに|現界《げんかい》に|八衢《やちまた》がございますか』
|赤《あか》『ここは|冥途《めいど》の|八衢《やちまた》だ。|其《その》|方《はう》は|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》の|一旦《いつたん》|部下《ぶか》となり、|軍隊《ぐんたい》|解散《かいさん》の|後《のち》、|泥棒《どろばう》となつて|四方《しはう》を|徘徊《はいくわい》いたし、ある|勇士《ゆうし》のために|殺《ころ》され、|精霊《せいれい》となつて|此所《ここ》へ|来《き》てゐるのだ。それが|未《ま》だ|気《き》が|附《つ》かぬのか』
ト『ヘン、あまり|馬鹿《ばか》にしなさるな。ちつと|真面目《まじめ》になつて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|狂者《きちがひ》ぢやございませぬよ。|死《し》んだ|者《もの》がこのやうにものを|言《い》ひますか。|目《め》も|見《み》えず|耳《みみ》も|聞《き》こえず、|口《くち》もたたけず、|手足《てあし》も|動《うご》けなくなつてこそ|死《し》んだのでせう。ヘン|馬鹿《ばか》にしてゐる。こんな|酒《さけ》を|喰《くら》つて|顔色《かほいろ》までまつ|赤《か》にした|奴《やつ》の|酒《さけ》の|肴《さかな》になつてゐてもつまらない。|今日《けふ》は|帰《かへ》つてやらう。その|代《かは》り|明日《あす》は|見《み》ておれ、|貴様《きさま》の|上官《じやうくわん》に|今日《けふ》の|事《こと》を|一伍一什《いちぶしじふ》|訴《うつた》へるぞ。さうすると|貴様《きさま》はたちまち|足袋屋《たびや》の|看板《かんばん》|足《あし》あがり、|妻子《さいし》のミイラが|出来《でき》るぞや、ハハハハハハ』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》し、|道端《みちばた》の|石《いし》を|掴《つか》んでキユーバー、|高姫《たかひめ》|目当《めあて》に|打《う》ちかけながら、|入陽《いりひ》の|影坊師《かげばうし》|見《み》たやうな|細長《ほそなが》い|骸骨《がいこつ》を|宙《ちう》に|浮《う》かせ、|北《きた》へ|北《きた》へと|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|赤《あか》『ヤ、そこに|居《ゐ》るのは|高姫《たかひめ》ぢやないか。お|前《まへ》は|時置師《ときおかし》の|杢助《もくすけ》さまに|頼《たの》まれ、|三年間《さんねんかん》この|八衢《やちまた》に|放養《はうやう》しておいたが、|未《ま》だ|数十年《すうじふねん》の|寿命《じゆみやう》が|現界《げんかい》に|残《のこ》つてゐる。たうてい|霊界《れいかい》の|生活《せいくわつ》は|許《ゆる》されない。お|前《まへ》の|宿《やど》る|肉体《にくたい》はトルマン|王《わう》の|妃《きさき》|千草姫《ちぐさひめ》の|肉体《にくたい》だ。サ|一時《いちじ》も|早《はや》く|立《た》ち|去《さ》れ。またキユーバー、|汝《なんぢ》は|天下無比《てんかむひ》の|悪党《あくたう》であるが、まだ|生死簿《せいしぼ》には|寿命《じゆみやう》がのこつてゐる。|一時《いちじ》も|早《はや》く|現界《げんかい》へ|立《た》ち|帰《かへ》れ。グヅグヅ|致《いた》してゐると|肉体《にくたい》が|間《ま》に|合《あ》はなくなるぞ』
と|厳《きび》しく|言《い》ひ|渡《わた》した。|二人《ふたり》はハツと|思《おも》ふ|途端《とたん》に|気《き》がつけばトルマン|城内《じやうない》、|千草姫《ちぐさひめ》の|一室《いつしつ》に|錠前《ぢやうまへ》を|卸《おろ》して|倒《たふ》れてゐた。どことも|無《な》く|騒々《さうざう》しい|人馬《じんば》の|物音《ものおと》、|矢叫《やさけ》びの|声《こゑ》、|大砲《おほづつ》|小銃《こづつ》の|音《おと》|手《て》に|取《と》るごとく|聞《き》こえ|来《く》る。これより|千草姫《ちぐさひめ》の|言行《げんかう》は|一変《いつぺん》し、またもや|脱線《だつせん》だらけの|行動《かうどう》を|取《と》る|事《こと》となつた。|八衢《やちまた》にゐた|高姫《たかひめ》の|精霊《せいれい》は|己《おの》が|納《をさ》まるべき|肉体《にくたい》を|得《え》て|甦《よみがへ》つたのである。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第八章 |大勝《たいしよう》〔一七七五〕
トルマン|国《ごく》の|太子《たいし》チウインは、|王女《わうぢよ》チンレイおよびハリスの|女将軍《ぢよしやうぐん》を|別将《べつしやう》となし、|武勇《ぶゆう》のほまれ|高《たか》きジヤンクを|第一軍《だいいちぐん》の|司令官《しれいくわん》と|仰《あふ》ぎ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|照国別《てるくにわけ》および|照公司《てるこうつかさ》を|殿《しんがり》となし、|鉦皷《しやうこ》をうちならし、|旗差物《はたさしもの》|賑々《にぎにぎ》しく、|二千五百騎《にせんごひやくき》を|従《したが》へ、|吾《わ》が|居城《きよじやう》を|攻《せ》め|囲《かこ》む|大足別《おほだるわけ》の|大軍《たいぐん》を|殲滅《せんめつ》すべく|軍歌《ぐんか》を|唄《うた》ひながら、|夜《よ》を|日《ひ》に|次《つ》いで|帰《かへ》り|来《く》る。|山河草木《さんかさうもく》|威風《ゐふう》になびき、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》に|至《いた》るまで、その|威徳《ゐとく》を|讃美《さんび》せざるはなかつた。チウイン|太子《たいし》は|馬上《ばじやう》ゆたかに|進軍歌《しんぐんか》を|唄《うた》ふ。
『トルマン|国《ごく》は|昔《むかし》より |尊《たふと》き|神《かみ》の|造《つく》らしし
|地上《ちじやう》における|天国《てんごく》ぞ |吾《わ》が|王室《わうしつ》の|祖先等《そせんら》は
|民《たみ》の|心《こころ》を|心《こころ》とし |神《かみ》の|教《をしへ》を|万民《ばんみん》に
|伝《つた》へ|諭《さと》して|世《よ》の|中《なか》を いと|平《たひ》らけく|安《やす》らけく
|治《をさ》め|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ |中《なか》つ|御代《みよ》よりバラモンの
|悪《あ》しき|教《をしへ》のまじろひて |愛国心《あいこくしん》は|日《ひ》に|月《つき》に
|春《はる》の|氷《こほり》と|消《き》えてゆく |父《ちち》ガーデンもいつしかに
|時代《じだい》の|風《かぜ》にもまれまし ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|軽《かろ》んじ|玉《たま》ふ|世《よ》となりて |政治《せいぢ》はますます|紊《みだ》れゆき
|民《たみ》の|悲鳴《なげき》はかまびすく |千鳥《ちどり》のごとく|聞《き》こえ|来《く》る
アア|吾々《われわれ》は|如何《いか》にせむ |倦《う》みつかれたる|人心《じんしん》を
|雄々《をを》しき|清《きよ》き|雄心《をごころ》に |復活《ふくくわつ》せしめ|吾《わ》が|国《くに》を
いと|平《たひ》らけく|安《やす》らけく |昔《むかし》の|神代《かみよ》の|其《その》ままに
ねぢ|直《なほ》さむと|真心《まごころ》を |尽《つく》して|神《かみ》を|祈《いの》るをり
バラモン|教《けう》の|別派《べつぱ》なる スコブツエン|宗《しう》が|渡《わた》り|来《き》て
|吾《わ》が|国民《こくみん》の|魂《たましひ》を |狂《くる》ひ|惑《まど》はせ|邪教《じやけう》をば
|植《う》ゑつけたるぞ|忌々《ゆゆ》しけれ |大黒主《おほくろぬし》の|勢力《せいりよく》を
|大看板《だいかんばん》と|押《お》し|立《た》てて |吾《わ》が|王室《わうしつ》に|迫《せま》り|来《く》る
|心《こころ》|汚《きたな》きキユーバーを |打《う》ち|懲《こ》らしつつバラモンの
|大足別《おほだるわけ》が|軍勢《ぐんぜい》を |神《かみ》の|威徳《ゐとく》に|打《う》ち|破《やぶ》り
|凱歌《がいか》を|挙《あ》げて|本城《ほんじやう》を |安全《あんぜん》|無事《ぶじ》に|治《をさ》むまで
|死《し》すとも|動《うご》かぬ|吾《わ》が|心《こころ》 |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|振《ふる》ひ|起《た》て
|三千余騎《さんぜんよき》の|吾《わ》が|兵士《へいし》 われには|神《かみ》の|助《たす》けあり
|産土山《うぶすなやま》の|斎苑館《いそやかた》 |輝《かがや》き|給《たま》ふ|素盞嗚《すさのを》の
|神《かみ》の|尊《みこと》の|御使《おんつかひ》 |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|照公司《てるこうつかさ》ともろともに |吾等《われら》が|軍《いくさ》を|助《たす》けまし
|天下《てんか》|無敵《むてき》の|言霊《ことたま》を |打《う》ち|出《だ》し|給《たま》へば|敵軍《てきぐん》は
|風《かぜ》に|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》るごとく |敗走《はいそう》せむは|目《ま》のあたり
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め |大足別《おほだるわけ》の|亡《ほろ》ぶまで
|妖僧《えうそう》キユーバーの|倒《たふ》るまで』
と|声《こゑ》も|涼《すず》しく|鉦皷《しやうこ》|法螺貝《ほらがひ》の|音《ね》に|和《わ》して、|鶴翼《くわくよく》の|陣《ぢん》をはりながら、|目《め》も|届《とど》かぬ|大原野《だいげんや》をチクリチクリと|引網《ひきあみ》のごとく、トルマン|城《じやう》を|中心《ちうしん》に|押寄《おしよ》せ|来《き》たる。
|照国別《てるくにわけ》は|殿《しんがり》を|勤《つと》めながら、|数百《すうひやく》の|兵《へい》を|引連《ひきつ》れ、|別《べつ》に|一隊《いつたい》を|造《つく》り、|進軍歌《しんぐんか》を|歌《うた》ひつつ|進《すす》み|寄《よ》る。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |吾《われ》は|照国別司《てるくにわけつかさ》
|人《ひと》の|命《いのち》を|奪《うば》ひ|合《あ》ふ |戦《いくさ》に|臨《のぞ》むは|本意《ほい》ならず
さはさりながら|今《いま》になり トルマン|国《ごく》の|窮状《きうじやう》を
|見《み》すてて|通《とほ》るも|大神《おほかみ》の |道《みち》に|仕《つか》ふる|吾《われ》として
|心苦《こころぐる》しきこの|場合《ばあひ》 |止《や》むを|得《え》ざれば|御軍《みいくさ》に
|加《くは》はりながら|後陣《こうぢん》を |仕《つか》へまつりて|進《すす》み|行《ゆ》く
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 |素《もと》より|刃《やいば》に|血汐《ちしほ》ぬり
|敵《てき》を|斃《たふ》さむ|心《こころ》なし ただ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》の|玉《たま》 |清《きよ》き|心《こころ》の|大砲《おほづつ》に
つめ|込《こ》み|敵《てき》に|相向《あひむ》かひ |仁慈《じんじ》の|鞭《むち》を|下《くだ》すのみ
|進《すす》めよ|進《すす》め|吾《わ》が|兵士《へいし》 トルマン|城《じやう》は|近《ちか》づきぬ
ガーデン|王《わう》や|左守司《さもりがみ》 |今《いま》や|防《ふせ》ぐに|全心《ぜんしん》を
|傾注《けいちう》しつつ|吾《わ》が|軍《ぐん》の |至《いた》るを|待《ま》たせ|玉《たま》ふらむ
チウイン|太子《たいし》の|前軍《ぜんぐん》は |何《いづ》れも|神命《しんめい》に|従《したが》ひて
|左右《さいう》の|指《ゆび》のその|如《ごと》く |自由自在《じいうじざい》に|活動《くわつどう》し
|容易《ようい》に|敵《てき》を|国外《こくぐわい》に |放逐《はうちく》せむは|目《ま》のあたり
|必《かなら》ず|驚《おどろ》く|事《こと》なかれ |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|皆《みな》|勇《いさ》め
|勝利《しようり》の|都《みやこ》は|近《ちか》づきぬ |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|大足別《おほだるわけ》が|神軍《しんぐん》に |白旗《はくき》を|掲《かか》げ|真心《まごころ》の
あらむ|限《かぎ》りを|現《あら》はして |正《ただ》しき|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|心《こころ》の|底《そこ》より|服《まつろ》ひて |前非《ぜんび》を|悔《く》ゆるそれまでは
|汝等《なんぢら》|一歩《いつぽ》も|退《しりぞ》くな |神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の|先《さき》がけぞ
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》 |奪《うば》ひ|取《と》らむとバラモンの
|大黒主《おほくろぬし》は|企《たく》めども |吾《わ》が|神軍《しんぐん》のある|限《かぎ》り
いかで|一指《いつし》をそめ|得《え》むや アア|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》はあらくとも トルマン|川《がは》は|深《ふか》くとも
|神《かみ》の|守《まも》りのある|上《うへ》は |一騎半騎《いつきはんき》も|過《あやま》たず
|無事《ぶじ》|安泰《あんたい》に|敵軍《てきぐん》の |後《うし》ろを|首尾《しゆび》よく|突《つ》くを|得《え》む
|進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め |敵《てき》の|姿《すがた》もみえかけた
|一斉射撃《いつせいしやげき》も|目《ま》のあたり ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|照国別司《てるくにわけつかさ》
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ねぎ》まつる』
かく|歌《うた》ひながら、|士卒《しそつ》を|励《はげ》まし、|前後《ぜんご》に|心《こころ》を|配《くば》り、チクリチクリと|前進《ぜんしん》する。|大足別《おほだるわけ》は|物見台《ものみだい》よりこの|体《てい》を|見《み》て|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、
『あれは|確《たし》かに|援軍《ゑんぐん》ならむ、|最早《もはや》かくなりし|上《うへ》は、キユーバー|一人《ひとり》のために|時期《じき》をおくらせ、|敵《てき》の|術中《じゆつちう》に|陥《おちい》らむ|事《こと》|最《もつと》も|心苦《こころぐる》し。|一時《いちじ》も|早《はや》く|本城《ほんじやう》を|乗《の》り|取《と》り、|援軍《ゑんぐん》の|来《き》たらば|城廓《じやうくわく》を|盾《たて》に|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|鏖殺《おうさつ》しくれむ、|攻撃《こうげき》するは|今《いま》なり』
と|俄《には》かに|部下《ぶか》に|厳令《げんれい》を|下《くだ》し、|一斉《いつせい》に|筒先《つつさき》|揃《そろ》へて、トルマン|城《じやう》さして|潮《うしほ》のごとく|押《お》し|寄《よ》せた。
にはかに|聞《き》こゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》、|大砲《おほづつ》|小銃《こづつ》の|音《おと》、|待《ま》ち|構《かま》へたるガーデン|王《わう》、|左守司《さもりのかみ》は|五百《ごひやく》の|城兵《じやうへい》を|指揮《しき》し、|力《ちから》|限《かぎ》りに|挑《いど》み|戦《たたか》ふ。|左守《さもり》は|頭《かしら》に|霜《しも》を|頂《いただ》きながら、|城門《じやうもん》をかけ|出《だ》し、|三百《さんびやく》の|手兵《しゆへい》をもつて、|敵《てき》の|陣中《ぢんちう》に|打《う》ち|入《い》り、|奪戦《ふんせん》|苦闘《くとう》の|結果《けつくわ》|武運《ぶうん》つきて、|馬上《ばじやう》より|転落《てんらく》し、|敵《てき》のために|七十年《しちじふねん》を|一期《いちご》として、|帰《かへ》らぬ|旅路《たびぢ》に|就《つ》いた。|大足別《おほだるわけ》は|勝《かち》に|乗《じやう》じて|表門《おもてもん》に|押《お》し|寄《よ》せ、|今《いま》やほとんど|落城《らくじやう》せむとする|時《とき》しも、|千草姫《ちぐさひめ》、キユーバーの|二人《ふたり》は|薙刀《なぎなた》を|引抱《ひつかか》へ、|表門《おもてもん》に|躍《をど》り|出《い》で、|大足別《おほだるわけ》を|見《み》るよりキユーバーは|声《こゑ》を|励《はげ》まし、
『|大足別《おほだるわけ》、|暫《しばら》くまたれよ、キユーバー|司《つかさ》ここに|在《あ》り。|千草姫《ちぐさひめ》の|応援《おうゑん》あらば|急《いそ》ぎ|玉《たま》ふな、|本城《ほんじやう》は|已《すで》に|吾《わ》が|手《て》に|入《い》れり』
と|馬上《ばじやう》より|大声《たいせい》|叱咤《しつた》すれば、|大足別《おほだるわけ》は|身《み》をかわし|城門《じやうもん》を|背《せ》にして、|攻《せ》め|来《き》たる|応援軍《おうゑんぐん》を|相手《あひて》に|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ふ。|城内《じやうない》よりはガーデン|王《わう》の|兵《へい》|数百人《すうひやくにん》、|砲《つつ》を|揃《そろ》へて|一斉《いつせい》に|射撃《しやげき》を|開始《かいし》し、|大足別《おほだるわけ》は|前後左右《ぜんごさいう》に|敵《てき》を|受《う》け、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に、|馬《うま》をすて|武器《ぶき》をすて、|命《いのち》からがら|散乱《さんらん》した。この|戦《たたか》ひによつて、|死《し》する|者《もの》バラモン|軍《ぐん》に|十八人《じふはちにん》、|城内《じやうない》には|二人《ふたり》の|死者《ししや》を|出《だ》したのみであつた。チウイン|太子《たいし》は|敵《てき》の|脆《もろ》くも|逃《に》げ|行《ゆ》く|体《てい》を|見《み》て、|此《こ》の|際《さい》|敵兵《てきへい》を|追撃《つゐげき》し、|一人《いちにん》も|残《のこ》らず|屠《ほふ》りくれむと|息《いき》まくを、|照国別《てるくにわけ》の|忠告《ちうこく》によつてこれを|中止《ちうし》し、|凱歌《がいか》を|奏《そう》して|正々堂々《せいせいだうだう》、トルマン|城《じやう》に|凱旋《がいせん》することとなりぬ。
ガーデン|王《わう》は|物見櫓《ものみやぐら》に|打《う》ち|登《のぼ》り、|城内《じやうない》の|強者《つはもの》を|指揮《しき》してゐたが、|敵《てき》の|無残《むざん》な|敗走《はいそう》と、チウイン|太子《たいし》の|雄々《をを》しき|活動振《くわつどうぶ》りに|勇《いさ》み|立《た》ち、|軍扇《ぐんせん》を|開《ひら》いて|櫓《やぐら》の|上《うへ》にて|自《みづか》ら|歌《うた》ひながら、|凱旋《がいせん》の|祝気分《いはひきぶん》で|舞《ま》うてゐる。
|王《わう》『トルマン|国《ごく》を|包《つつ》みたる |醜《しこ》の|黒雲《くろくも》いま|晴《は》れて
|天津日嗣《あまつひつぎ》は|空《そら》|高《たか》く |輝《かがや》き|玉《たま》ふ|目出《めで》たさよ
|地上《ちじやう》はるかに|見《み》わたせば |都《みやこ》のまはりに|敵影《てきえい》の
|一人《ひとり》も|無《な》きぞ|目出《めで》たけれ これも|全《まつた》く|皇神《すめかみ》の
|御国《みくに》を|守《まも》り|玉《たま》はむと |助《たす》け|玉《たま》ひしものならむ
いざ|之《これ》よりは|天地《あめつち》の |神《かみ》を|敬《うやま》ひ|国民《くにたみ》の
|模範《もはん》となりて|浦安《うらやす》の |昔《むかし》の|神代《かみよ》を|建設《けんせつ》し
|大黒主《おほくろぬし》の|心胆《しんたん》を |脅《おびや》かしつつ|又《また》しても
|吾《わ》が|神国《しんこく》に|相対《あひたい》し |敵対行為《てきたいかうゐ》を|断念《だんねん》すべく
|守《まも》らせ|玉《たま》へウラル|教《けう》 |開《ひら》き|玉《たま》ひし|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
かくする|折《を》りしも、|大足別《おほだるわけ》は|道々《みちみち》|市街《しがい》に|火《ひ》を|放《はな》ちたりと|見《み》え、|夕暮《ゆふぐれ》の|空《そら》、|朱《しゆ》を|濺《そそ》ぐまで、|炎《ほのほ》|各所《かくしよ》にあがり、|遠近《をちこち》より|悲惨《ひさん》の|声《こゑ》|聞《き》こえ|来《く》る。この|時《とき》あたかも|照国別《てるくにわけ》は|門内《もんない》にありしが、これを|見《み》るよりまつしぐらに|物見櫓《ものみやぐら》にかけ|上《のぼ》り、|照公《てるこう》と|共《とも》に|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》するや、|四方《しはう》に|起《おこ》りし|火災《くわさい》はたちまち|水《みづ》を|打《う》ちしごとく|治《をさ》まり、|再《ふたた》び|聞《きこ》ゆる|歓喜《くわんき》の|声《こゑ》に、ガーデン|王《わう》も|太子《たいし》も|王女《わうぢよ》もハリスも|手《て》を|打《う》つて|感喜《かんき》した。|王《わう》は|部下《ぶか》に|令《れい》を|下《くだ》し、|左守《さもり》、|右守《うもり》の|遺骸《なきがら》を|王室《わうしつ》の|墓所《はかしよ》に|特別《とくべつ》をもつて|葬《はうむ》り、|国家《こくか》の|守護神《しゆごじん》として|祠《ほこら》を|建《た》て、|永遠《えいゑん》に|祭祀《さいし》することとした。またチウイン|太子《たいし》の|奏上《そうじやう》に|依《よ》り、|照国別《てるくにわけ》、|照公司《てるこうつかさ》の|仁義《じんぎ》の|応援《おうゑん》と、|大神《おほかみ》の|神徳《しんとく》とを|聞《き》き、|感謝《かんしや》のあまり、|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》を|鎮祭《ちんさい》せむ|事《こと》を|誓《ちか》ふに|至《いた》つた。
|王《わう》は|戦塵《せんぢん》|治《をさ》まり、|一先《ひとま》づ|大神《おほかみ》に|感謝《かんしや》しながら、|後《あと》の|始末《しまつ》をチウイン|太子《たいし》およびジヤンクその|他《た》の|重臣《ぢうしん》に|命《めい》じおき、|休養《きうやう》せむと|千草姫《ちぐさひめ》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》り|見《み》れば、|千草姫《ちぐさひめ》はキユーバーと|共《とも》に、|莞爾《くわんじ》として|相向《あひむ》かひ|祝《いは》ひの|盃《さかづき》をくみかはしてゐる。|王《わう》は|見《み》るよりクワツと|怒《いか》り、
『|不義者《ふぎもの》|見《み》つけた、そこ|動《うご》くな』
と|手槍《てやり》を|以《もつ》て|立《た》ち|向《む》かへば、|千草姫《ちぐさひめ》は|王《わう》の|手《て》に|取《と》り|付《つ》き、
『|王様《わうさま》、|少時《しばし》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。この|神柱《かむばしら》は|決《けつ》して|国《くに》に|仇《あだ》する|悪人《あくにん》ではございませぬ。|大足別《おほだるわけ》に|脅迫《けうはく》され、|心《こころ》にあらぬ|詐《いつは》りを|申《まを》し|立《た》て、この|城内《じやうない》に|忍《しの》び|込《こ》み、|妾《わらは》に|事情《じじやう》を|打《う》ち|明《あか》し、|救《すく》ひを|求《もと》めてゐる|者《もの》でございます。|今《いま》このキユーバーをして、|神主《かむぬし》となし|大神《おほかみ》に|国家安泰《こくかあんたい》の|祈願《きぐわん》をし、|凱旋《がいせん》の|御礼《おんれい》を|申《まを》し|上《あ》げ、|直会《なほらひ》の|神酒《みき》を|頂《いただ》かせてをつたところでございます。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|誤解《ごかい》のなきやうお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます』
と|落涙《らくるゐ》しながら|言葉《ことば》さかしく|弁解《べんかい》する。ガーデン|王《わう》も|忠実《ちうじつ》なる|姫《ひめ》の|言葉《ことば》を|疑《うたが》ふに|由《よし》なく、そのまま|差許《さしゆる》すこととなり、|己《おの》が|居間《ゐま》へと|帰《かへ》りゆく。|高姫《たかひめ》の|霊《れい》と|憑《うつ》り|変《かは》つた|千草姫《ちぐさひめ》はキユーバーに|向《む》かひ、
『コレ、キユーバーさま、|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|危《あぶ》ない|事《こと》でございましたよ。|妾《わらは》も|王様《わうさま》のお|出《い》でになつた|時《とき》はどうなる|事《こと》やらと、|大変《たいへん》に|心《こころ》をもみました』
キユーバーは|慄《ふる》ひながら、
『|全《まつた》くだ、お|前《まへ》のために|大切《たいせつ》な|命《いのち》が|助《たす》かつたのだ。しかしながらどうだらう、|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》は|脆《もろ》くも|敗走《はいそう》した|様子《やうす》だし、|遠《とほ》からず|私《わし》は|当城《たうじやう》を|追出《おひだ》さるるに|違《ちが》ひない。さうなれば|恋《こひ》しいお|前《まへ》と|添《そ》ふ|事《こと》が|出来《でき》ぬ。|何《なん》とかして|夜陰《やいん》に|乗《じやう》じ、この|城内《じやうない》を|脱《ぬ》け|出《だ》す|心《こころ》はないか』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホ、キユーバー|様《さま》の|気《き》の|弱《よわ》いこと、そんな|御心配《ごしんぱい》がいりませうか。|王様《わうさま》は|私《わたくし》の|美貌《びばう》にゾツコン|惚《ほ》れこんでゐられますよ。あなたは|何処《どこ》までも|救世主《きうせいしゆ》と|名乗《なの》つて、|神《かみ》さまいぢりをしてゐて|下《くだ》さいませ。なにほど|王様《わうさま》が|御立腹《ごりつぷく》|遊《あそ》ばさうが、|重臣《ぢうしん》が|何《なん》と|申《まを》さうが、|千草姫《ちぐさひめ》|此《この》|世《よ》にあらむ|限《かぎ》りは、|貴方様《あなたさま》に|指《ゆび》|一本《いつぽん》さえさせませぬ。しばらくは|両人《りやうにん》とも|猫《ねこ》をかぶり、|時期《じき》の|至《いた》るを|待《ま》つてこの|王城《わうじやう》を|奪《うば》ひ、|七千余国《しちせんよこく》の|覇者《はじや》とならうではございませぬか』
キユ『|成《な》るほど、そいつア|面白《おもしろ》からう。そんなら|姫《ひめ》の|仰《おほ》せに|任《まか》せ、この|城内《じやうない》に|永久《えいきう》に|止《とど》まる|事《こと》としやう』
|千草《ちぐさ》『ハ、さうなさいませ』
かく|話《はな》す|時《とき》しもチウイン|太子《たいし》は|軍功《ぐんこう》を|誇《ほこ》り|顔《がほ》に、|王女《わうぢよ》チンレイおよび|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスと|共《とも》にドアを|開《ひら》いて|入《い》り|来《き》たり、
『|母上様《ははうへさま》、|御無事《ごぶじ》でお|目出《めで》たうございます。おかげを|以《もつ》て|敵軍《てきぐん》を|撃退《げきたい》いたしました。どうかお|喜《よろこ》び|下《くだ》さいませ』
|千草《ちぐさ》『ヤ、そなたは|太子《たいし》、|天晴《あつぱ》れお|手柄《てがら》お|手柄《てがら》。そなたこそトルマン|国《ごく》の|柱石《ちうせき》、ガーデン|王《わう》の|嗣子《しし》として|恥《は》づかしからぬ|偉丈夫《ゐぢやうぶ》だ。サア|草臥《くたび》れただらう、ゆつくり|休《やす》んで|下《くだ》さい。そなたはチンレイ、ハリス、よくマア|女《をんな》の|身《み》をもつて|凛々《りり》しい|武者振《むしやぶ》り、|母《はは》も|感《かん》じ|入《い》りました』
|太子《たいし》は|妖僧《えうそう》キユーバーを|見《み》て|目《め》を|丸《まる》くしながら、
『|母上様《ははうへさま》、ここにゐる|坊主《ばうず》はスコブツエン|宗《しう》の|邪教《じやけう》を|開《ひら》き、|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》を|導《みちび》いたる|悪僧《あくそう》ではございませぬか。かかる|魔者《まもの》を|何故《なにゆゑ》お|居間《ゐま》に|侍《はべ》らせ、|優待《いうたい》|遊《あそ》ばすのですか。チウイン、その|意《い》を|得《え》ませぬ』
|千草《ちぐさ》『いかにも|此《この》|方《かた》はキユーバー|様《さま》に|違《ちが》ひない。しかしながら、|大足別《おほだるわけ》が|手先《てさき》となり|当城《たうじやう》へ|談判《だんぱん》にお|越《こ》しになつたのも、やむを|得《え》ぬ|事情《じじやう》あつてのこと、この|母《はは》がとつくとキユーバー|様《さま》の|心底《しんてい》を|調《しら》べ、|大足別《おほだるわけ》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》り、キユーバー|様《さま》の|応援《おうゑん》によりて|無事《ぶじ》に|敵《てき》を|撃退《げきたい》する|事《こと》を|得《え》たのだ。この|母《はは》が|保証《ほしよう》するから、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|疑《うたが》うてはなりませぬぞ。チンレイもハリスも|必《かなら》ず|誤解《ごかい》しちやなりませぬ。|母《はは》が|証拠《しようこ》だから……』
ハリス『ハイ、|畏《おそ》れ|入《い》りましてございます。|太子様《たいしさま》、|王女様《わうぢよさま》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|妾《わらは》のごとき|孱弱《かよわ》き|女《をんな》の|身《み》として|戦陣《せんぢん》に|立《た》ち、|勝利《しようり》を|得《え》たのも|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》、キユーバー|様《さま》の|御尽力《ごじんりよく》の|致《いた》すところでございませう。しかしながら|吾《わ》が|父《ちち》|右守《うもり》は|如何《いかが》なりましてござりまするか』
|千草《ちぐさ》『|右守殿《うもりどの》は|国家《こくか》のため|犠牲者《ぎせいしや》となつて|国替《くにが》へ|遊《あそ》ばしたよ。キツと|神様《かみさま》に|導《みちび》かれ、|天国《てんごく》にお|出《い》でになつてゐるだらう。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|心配《しんぱい》いたされな。|千草姫《ちぐさひめ》が|其女《そなた》の|身《み》は|引《ひ》きうけて|世話《せわ》を|致《いた》すから……』
ハリスは「ハイ」と|言《い》つたきり、|父《ちち》の|死《し》を|聞《き》いて|驚愕《きやうがく》し、|其《そ》の|場《ば》に|気絶《きぜつ》してしまつた。チウイン|太子《たいし》は|水《みづ》よ|薬《くすり》よと|種々《しゆじゆ》|手《て》を|尽《つく》し、|漸《やうや》くにして|息《いき》ふき|返《かへ》さしめ、|吾《わ》が|居間《ゐま》をさしてチンレイと|共《とも》に|伴《つ》れ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二三 旧七・四 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第二篇 |千種蛮態《せんしゆばんたい》
第九章 |針魔《はりま》の|森《もり》〔一七七六〕
|東西南《とうざいなん》の|三方《さんぱう》に |大海原《おほうなばら》を|囲《めぐ》らして
|突出《とつしゆつ》したる|月《つき》の|国《くに》 |世界《せかい》|最古《さいこ》の|文明地《ぶんめいち》
|七千余国《しちせんよこく》の|国王《こくわう》は おのおの|鎬《しのぎ》を|削《けづ》りつつ
バラモン|教《けう》や|印度教《いんどけう》 |三五教《あななひけう》やウラル|教《けう》
その|外《ほか》|数百《すうひやく》の|宗教《しうけう》が |互《たが》ひに|覇《は》をば|争《あらそ》ひつ
|解脱《げだつ》や|涅槃《ねはん》や|無《む》よ|空《くう》よ |霊主体従《れいしゆたいじう》|体主霊従《たいしゆれいじう》
|弥勒成就《みろくじやうじゆ》や|神政《しんせい》の |再現《さいげん》などといろいろと
|主義《しゆぎ》や|主張《しゆちやう》をふりまはし |思想《しさう》の|混乱《こんらん》|絶《た》え|間《ま》なく
|中《なか》にも|大黒主神《おほくろぬしのかみ》は ハルナの|都《みやこ》に|割拠《かつきよ》して
|右手《めて》に|剣《つるぎ》を|携《たづさ》へつ |左手《ゆんで》にコーラン|説《と》きながら
|難行《なんぎやう》|苦行《くぎやう》のありだけを |信者《しんじや》に|強《し》ゆる|暴状《ばうじやう》は
|天地《てんち》も|許《ゆる》さぬ|悪邪教《あくじやうけう》 |改《あらた》めしめて|国民《くにたみ》の
|苦痛《くつう》を|除《のぞ》き|助《たす》けむと |主《す》の|大神《おほかみ》の|御言《みこと》もて
|照国別《てるくにわけ》は|梅公《うめこう》や |照公司《てるこうつかさ》を|伴《ともな》ひて
|河鹿峠《かじかたうげ》を|打《う》ち|渡《わた》り |葵《あふひ》の|沼《ぬま》に|立《た》ち|向《む》かひ
|十五《じふご》の|月《つき》に|心胆《しんたん》を |洗《あら》ひ|清《きよ》めてデカタンの
|大暴風《だいばうふう》に|襲《おそ》はれつ |大高原《だいかうげん》を|進《すす》み|行《ゆ》く
デカタン|高野《かうや》の|中心地《ちうしんち》 トルマン|国《ごく》は|昔《むかし》より
ウラルの|教《をしへ》を|信奉《しんぽう》し |神《かみ》の|教《をしへ》のそのままの
|政治《せいぢ》を|布《し》きて|来《き》たりしが |月《つき》|行《ゆ》き|星《ほし》は|移《うつ》ろひて
|思想《しさう》は|日《ひ》に|夜《よ》に|悪化《あくくわ》しつ ウラルの|教《をしへ》は|日《ひ》に|月《つき》に
|衰《おとろ》へしより|虚《きよ》に|乗《じやう》じ バラモン|教《けう》やスコ|教《けう》や
|盛《さか》んに|跳梁跋扈《てうりやうばつこ》して |国民性《こくみんせい》は|三分《さんぶん》し
|国運《こくうん》|危《あや》ふくなりければ あまり|信仰《しんかう》|強《つよ》からぬ
トルマン|王《わう》も|目《め》を|覚《さ》まし やうやく|神《かみ》を|崇敬《すうけい》し
|国人《くにびと》たちに|模範《もはん》をば |示《しめ》さむものと|思《おも》ふをり
スコブツエン|宗《しう》の|教祖《けうそ》と |自《みづか》ら|名乗《なの》る|妖僧《えうそう》が
|大黒主《おほくろぬし》の|派遣《はけん》せし |大足別《おほだるわけ》と|結託《けつたく》し
トルマン|城《じやう》を|粉砕《ふんさい》し スコブツエンの|根拠《こんきよ》をば
|常磐堅磐《ときはかきは》に|固《かた》めむと あらゆる|手段《しゆだん》を|回《めぐ》らして
|警備《けいび》|少《すく》なき|国情《こくじやう》に つけ|入《い》り|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ふこそ
|実《げ》に|怖《おそ》ろしき|限《かぎ》りなり ガーデン|王《わう》や|千草姫《ちぐさひめ》
|右守《うもり》|左守《さもり》の|老臣《らうしん》も |心《こころ》を|痛《いた》めて|国防《こくばう》の
|協議《けふぎ》に|頭《あたま》を|悩《なや》めしが |左守《さもり》|右守《うもり》の|忠臣《ちうしん》は
|刃《やいば》の|錆《さび》となりはてて トルマン|国《ごく》の|柱石《ちうせき》を
|失《うしな》ひたるぞ|是非《ぜひ》なけれ |照国別《てるくにわけ》に|守《まも》られて
チウイン|太子《たいし》の|率《ひき》ゐたる |二千《にせん》と|五百《ごひやく》の|精兵《せいへい》は
トルマン|城《じやう》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》 |囲《かこ》みて|王城《わうじやう》|威喝《ゐかつ》せし
|大足別《おほだるわけ》の|全軍《ぜんぐん》の |背後《はいご》を|衝《つ》いて|一斉《いつせい》に
|総攻撃《そうこうげき》を|始《はじ》めける この|有様《ありさま》を|見《み》るよりも
ガーデン|王《わう》は|雀躍《こをどり》し |城兵《じやうへい》|五百《ごひやく》を|指揮《しき》しつつ
|大足別《おほだるわけ》の|大軍《たいぐん》を |前後左右《ぜんごさいう》より|打《う》ちまくる
|驕《おご》りきつたる|敵軍《てきぐん》は |不意《ふい》の|援兵《ゑんぺい》の|襲来《しふらい》に
あわてふためき|馬《うま》を|捨《す》て |武器《ぶき》をも|捨《す》てて|四方《しはう》|八方《はつぱう》
|命《いのち》からがら|逃《に》げながら あちらこちらの|家々《いへいへ》に
|放火《はうくわ》しながら|野良犬《のらいぬ》の |遠吠《とほぼ》えなして|隠《かく》れける
トルマン|城《じやう》を|包《つつ》みたる |醜《しこ》の|村雲《むらくも》やうやくに
|晴《は》れて|天日《てんじつ》|晃々《くわうくわう》と |輝《かがや》き|玉《たま》ふ|神世《みよ》となり
|国民《こくみん》|上下《じやうげ》の|歓声《くわんせい》は |一度《いちど》に|湧《わ》きて|天地《あめつち》も
|揺《ゆ》るがむばかりの|勇《いさ》ましさ |風塵《ふうぢん》|全《まつた》く|治《をさ》まりて
ここにガーデン|刹帝利《せつていり》 |忠義《ちうぎ》のために|斃《たふ》れたる
|左守《さもり》|右守《うもり》の|英霊《えいれい》を まづ|第一《だいいち》に|慰《なぐさ》めて
|感謝《かんしや》の|意《い》をば|表《へう》せむと ハリマの|森《もり》の|奥《おく》|深《ふか》く
|社殿《しやでん》を|造《つく》りて|祀《まつ》り|込《こ》み ハリマの|宮《みや》と|名《な》づけける
そもこの|清《きよ》き|森林《しんりん》は |幾千年《いくせんねん》を|経《へ》たりてふ
|苔《こけ》むす|老木《らうぼく》|鬱蒼《うつさう》と |昼《ひる》なほ|暗《くら》く|思《おも》ふまで
|立並《たちなら》びつつ|吹《ふ》く|風《かぜ》に ゴウゴウ|枝《えだ》を|鳴《な》らしつつ
|世《よ》の|太平《たいへい》を|謳《うた》ひゐる。 ここに|照国別司《てるくにわけつかさ》
ガーデン|王《わう》や|太子《たいし》をば |率《ひき》ゐて|祭《まつり》の|長《をさ》となり
|祝詞《のりと》の|声《こゑ》も|朗《ほがら》かに |唱《とな》へ|上《あ》げむとする|時《とき》に
|千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》の|寵愛《ちようあい》を |独占《どくせん》したるキユーバーは
|肩《かた》で|風《かぜ》きり|傲然《がうぜん》と |照国別《てるくにわけ》の|前《まへ》に|出《い》で
|口《くち》を|極《きは》めて|祭礼《さいれい》の |儀式《ぎしき》に|欠点《けつてん》ありとなし
|罵詈嘲弄《ばりてうろう》を|極《きは》むれば チウイン|太子《たいし》は|腹《はら》を|立《た》て
|妖僧《えうそう》キユーバーを|引捕《ひきとら》へ |縛《ばく》して|籐丸籠《とうまるかご》に|乗《の》せ
|城内《じやうない》さして|帰《かへ》りけり |千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》はチウインが
この|行動《かうどう》を|聞《き》くよりも |髪《かみ》|逆立《さかだ》てて|怒《いか》り|立《た》ち
|一旦《いつたん》|平和《へいわ》に|治《をさ》まりし トルマン|城《じやう》はここに|又《また》
|再《ふたた》び|黒雲《こくうん》|塞《ふさ》がりて |又《また》もやお|家《いへ》の|大騒動《おほさうどう》
|惹起《じやくき》したるぞ|是非《ぜひ》なけれ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》のまにまに|瑞月《ずゐげつ》が |口述台《こうじゆつだい》の|浮船《うきぶね》に
|安臥《あんぐわ》しながら|由良湊《ゆらみなと》 |日本海《にほんかい》の|怒濤《どたう》をば
|眺《なが》めながらに|述《の》べて|行《ゆ》く |昔《むかし》の|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》
|守《まも》らせ|玉《たま》へと|主《す》の|神《かみ》の |御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし。
ガーデン|王《わう》は、|不意《ふい》に|起《おこ》つたバラモン|軍《ぐん》の|攻撃《こうげき》に|周章狼狽《しうしやうらうばい》の|結果《けつくわ》、|右守司《うもりのかみ》のスマンヂーを|誤《あやま》つて|手《て》にかけ、|忠義一途《ちうぎいちづ》の|老臣《らうしん》|左守司《さもりのかみ》は|陣中《ぢんちう》に|倒《たふ》れ、|幸《さいは》ひに|敵軍《てきぐん》を|撃退《げきたい》し、ヤヤ|安堵《あんど》したりとは|言《い》へ、ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》この|報《はう》を|聞《き》かば、|又《また》もや|何時《いつ》|捲土重来《けんどぢうらい》、|吾《わ》が|都城《とじやう》を|屠《ほふ》らむも|図《はか》り|難《がた》し、|一旦《いつたん》は|照国別《てるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》の|神護《しんご》とチウイン|太子《たいし》の|智謀《ちぼう》と、|勇将《ゆうしやう》ジヤンクの|活動《くわつどう》によつて、|大勝利《だいしようり》を|得《え》たるも、かかる|戦国《せんごく》に|国《くに》を|立《た》つるは|到底《たうてい》|武力《ぶりよく》のみにては|叶《かな》ひ|難《がた》し、まづ|第一《だいいち》に|大神《おほかみ》を|祀《まつ》り、|次《つ》いで|忠臣義士《ちうしんぎし》の|霊魂《れいこん》を|斎《いつ》き、|国民《こくみん》に|信仰《しんかう》の|模範《もはん》を|示《しめ》さむ……と|照国別《てるくにわけ》に|乞《こ》ひ、ハリマの|森《もり》のウラル|彦《ひこ》を|祀《まつ》りたるお|宮《みや》の|傍《かたはら》に「|国柱神社《きないじんしや》」と|言《い》ふ|祠《ほこら》を|建《た》て、|左守《さもり》|右守《うもり》の|英霊《えいれい》を|鎮祭《ちんさい》する|事《こと》となつた。
ガーデン|王《わう》、チウイン|太子《たいし》、ジヤンクをはじめ|城内《じやうない》の|重臣《ぢうしん》は|各自《めいめい》|玉串《たまぐし》を|献《けん》じ、|照国別《てるくにわけ》の|斎主《さいしゆ》のもとに|無事《ぶじ》|祭典《さいてん》の|式《しき》を|終《をは》らむとするや、キユーバーは|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》|照国別《てるくにわけ》が|斎主《さいしゆ》となりしことを|非常《ひじやう》に|憤慨《ふんがい》し、|千草姫《ちぐさひめ》の|寵《ちよう》を|得《え》たるを|力《ちから》として|乱暴《らんばう》|至極《しごく》にも|祭壇《さいだん》に|駈《か》け|上《のぼ》り、|照国別《てるくにわけ》の|冠《かむり》を|叩《たた》き|落《お》とし、|祠《ほこら》の|前《まへ》に|立《た》ちはだかり、|大音声《だいおんじやう》、
『アツハハハハハ、トルマン|城《じやう》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひ、|神謀鬼策《しんぼうきさく》を|廻《めぐ》らし|王家《わうけ》を|救《すく》ひたるは、バラモン|尊天《そんてん》の|神力《しんりき》を|充《み》たしたるスコブツエン|宗《しう》の|教祖《けうそ》キユーバーでござる。そもそもこのお|宮《みや》はウラル|彦《ひこ》の|神《かみ》、|盤古神王《ばんこしんわう》を|祀《まつ》りあり。|然《しか》るに|天下《てんか》を|乱《みだ》す|悪神《あくがみ》|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|部下《ぶか》なるデモ|宣伝使《せんでんし》をして|斎主《さいしゆ》たらしむるとは|合点《がてん》ゆかず、|神明《しんめい》に|対《たい》し|畏《おそ》れ|多《おほ》からむ。|何者《なにもの》の|痴漢《ちかん》ぞ、|刹帝利《せつていり》の|聰明《そうめい》を|被《おほ》ひまつりたる、ウラルの|宮《みや》はウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》をもつて|斎主《さいしゆ》とすべし。|万一《まんいち》|異教《いけう》の|宣伝使《せんでんし》をもつて|斎主《さいしゆ》に|当《あた》らしむるを|得《う》るとすれば、なにゆゑ|今回《こんくわい》の|殊勲者《しゆくんしや》たるこのキユーバーを|除外《ぢよぐわい》し、|神意《しんい》に|反《そむ》いて|不法《ふはふ》の|祭事《さいじ》を|行《おこな》ひたるか。|祭典《さいてん》の|主任《しゆにん》は|何人《なにびと》ぞ。いま|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれてその|理由《りいう》を|説明《せつめい》せられよ。|照国別《てるくにわけ》の|冠《かむり》の|脆《もろ》くも|地上《ちじやう》に|落《お》ちたるは、|神明《しんめい》|許《ゆる》させ|玉《たま》はざる|象徴《しやうちやう》なり。これを|霊的《れいてき》に|考《かんが》ふれば、|国王殿下《こくわうでんか》の|御身《おんみ》の|危険《きけん》を|意味《いみ》し、|国家《こくか》の|転覆《てんぷく》を|意味《いみ》するものでござる。|一時《いちじ》も|早《はや》く|照国別《てるくにわけ》|一派《いつぱ》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|彼《かれ》が|生血《いきち》を|大神《おほかみ》の|前《まへ》に|贄《いけにへ》となし、ウラル|彦《ひこ》の|大神《おほかみ》に|謝罪《しやざい》いたされよ。|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、キユーバーここに|忠告《ちうこく》|仕《つかまつ》る』
と|呼《よ》ばはつた。ガーデン|王《わう》はじめ|居並《ゐなら》ぶ|重臣《ぢうしん》たちは、あまり|大胆《だいたん》なるキユーバーの|宣言《せんげん》に|呆《あき》れはて、|照国別《てるくにわけ》の|返答《へんたふ》いかにと|固唾《かたづ》を|呑《の》んで|待《ま》つてゐる。
|照国別《てるくにわけ》は|少《すこ》しも|騒《さわ》がず、|冠《かむり》を|打落《うちお》とされたるまま|悠々《いういう》として|玉串《たまぐし》を|献《けん》じ、|祭官《さいくわん》|一同《いちどう》を|引《ひ》き|具《ぐ》し、トルマン|城内《じやうない》さして|帰《かへ》らむとするや、キユーバーは|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げてその|進路《しんろ》を|遮《さへぎ》りながら、
『こりやヤイ、デモ|宣伝使《せんでんし》、|首《くび》がとんだ|以上《いじやう》はもはや|城内《じやうない》へ|立入《たちい》る|事《こと》は|罷《まか》りならぬぞ。ヤアヤア|城内《じやうない》の|兵卒《へいそつ》ども、|彼《かれ》を|引捕《ひつとら》へて|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》まれよ。|彼《かれ》はトルマン|国《ごく》の|仇敵《きうてき》でござるぞ。|神《かみ》の|言《げん》に|間違《まちが》ひはござらぬ』
と|呼《よ》ばはれども、ガーデン|王《わう》やチウイン|太子《たいし》の|一言《いちごん》の|命令《めいれい》もなければ、|誰一人《たれひとり》として|手《て》を|下《くだ》すものもなく、|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》はソロリソロリと|進《すす》み|行《ゆ》く。キユーバーは|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げながら|後《うし》ろ|向《む》けに|歩《ある》かねばならなくなつた。この|時《とき》チウイン|太子《たいし》は|見《み》るに|見《み》かね、
『ヤアヤア、ジヤンク|殿《どの》、|狼藉者《らうぜきもの》のキユーバーをフン|縛《じば》り|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》めよ』
と|下知《げち》すれば、ジヤンクの|部下《ぶか》は|寄《よ》り|集《たか》つてキユーバーを|高手小手《たかてこて》に|縛《いまし》め、|牢獄《らうごく》さして|引立《ひきた》てて|行《ゆ》く。|群集《ぐんしふ》の|痛快《つうくわい》を|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》、ハリマの|森《もり》も|裂《さ》くるばかりに|高《たか》く|聞《き》こえて|来《き》た。
|城内《じやうない》の|重臣《ぢうしん》を|初《はじ》めトルマン|市《し》の|老若男女《らうにやくなんによ》もこの|祭典《さいてん》に|参拝《さんぱい》してゐたが、|妖僧《えうそう》キユーバーが、チウイン|太子《たいし》の|命《めい》によつて|群集《ぐんしふ》の|前《まへ》にて|縛《いまし》めの|繩《なは》を|受《う》けたるを|見《み》て|大《おほ》いに|喜《よろこ》び、|口々《くちぐち》に|罵《ののし》り|合《あ》つてゐる。
|甲《かふ》『オイ、|何《なん》と|痛快《つうくわい》ぢやないか、|何時《いつ》やらお|前《まへ》と|俺《おれ》と○○○の|話《はなし》をしてをつた|時《とき》、あの|妖僧《えうそう》|奴《め》、どこからともなく|現《あら》はれ|来《き》たり、「いや、その|方《はう》は|今《いま》|穏《おだや》かならぬ|事《こと》を|言《い》うてをつたぢやないか。|姓名《せいめい》は|何《なん》といふ、|住所《ぢうしよ》を|聞《き》かしてもらひたい」といつた|糞坊主《くそばうず》だよ。ホントに、いいザマぢやのう』
|乙《おつ》『ウン、さうさうあの|時《とき》、|何《なん》だつたね、「|俺《おれ》の|名《な》は|俺《おれ》だ、|友人《いうじん》の|名《な》は|友人《いうじん》だ、|坊主《ばうず》はヤツパリ|坊主《ばうず》だ」と|吐《かま》して|一目散《いちもくさん》に|畔道《あぜみち》さして|逃《に》げたところ、|執念深《しふねんぶか》くも|何処《どこ》までも|追跡《つゐせき》しやがつたぢやないか。|大黒主《おほくろぬし》を|傘《かさ》に|着《き》て、|威張《ゐば》り|散《ち》らしてをつたが、|今日《けふ》のザマつたら、ないぢやないか。こんな|事《こと》でも|見《み》せてもらはなくちや、|俺《おれ》たちは|胸中《きようちう》に|鬱積《うつせき》してゐる|憤怒《ふんど》の|焔《ほのほ》が、|消《き》える|事《こと》がないぢやないか、ハツハハハハ』
|甲《かふ》『そいつも|痛快《つうくわい》だが、あの|妖僧《えうそう》|奴《め》、ちよつと|噂《うはさ》に|聞《き》けば○○○に|殊《こと》のほか|寵愛《ちようあい》され、|刹帝利《せつていり》を|眼下《がんか》に|見下《みくだ》し、|大変《たいへん》な|威勢《ゐせい》だといふ|事《こと》だよ。|戦争《せんそう》が|治《をさ》まつてから|十日《とをか》もならないのに、もはや|自分《じぶん》の|天下《てんか》のやうに|振舞《ふるま》ふんだから、あんな|奴《やつ》を|助《たす》けておいたらどんな|事《こと》をさらすか|分《わか》つたものぢやない。|彼奴《あいつ》は|屹度《きつと》○○○の|保護《ほご》によつて|日《ひ》ならず|出獄《しゆつごく》し、|再《ふたた》び|城内《じやうない》に|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ひ、|吾々《われわれ》|国民《こくみん》を|層一層《そういつそう》|苦《くる》しめ、|生血《いきち》を|搾《しぼ》るやうな|事《こと》をさらすだらう。|吾々《われわれ》は|主義《しゆぎ》のため、|同胞《どうはう》の|生活《せいくわつ》|安定《あんてい》のため、このままに|見逃《みのが》す|事《こと》は|出来《でき》ぬぢやないか』
|乙《おつ》『ウン、そらさうぢや。しかしながら|慌《あわ》てるには|及《およ》ばぬよ。また|機会《きくわい》が|到来《たうらい》するから。|其《そ》の|時《とき》はその|時《とき》の|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らしさへすればいいぢやないか、イツヒヒヒヒ』
ハリマの|森《もり》の|社《やしろ》は|一直線《いつちよくせん》に|王城《わうじやう》に|続《つづ》いてゐる。その|間《あひだ》の|距離《きより》|二十五丁《にじふごちやう》、|道《みち》の|両方《りやうはう》には|家屋《かをく》|櫛比《しつぴ》し、トルマン|市中《しちう》|最《もつと》も|繁華《はんくわ》の|土地《とち》と|称《しよう》せられてゐる。
|甲《かふ》|乙《おつ》|二人《ふたり》はいつも、これよりこの|市街《しがい》に|出没《しゆつぼつ》し、|何事《なにごと》か|計画《けいくわく》しつつあつた。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於由良海岸秋田別荘 北村隆光録)
第一〇章 |二教聯合《にけうれんがふ》〔一七七七〕
|千草姫《ちぐさひめ》は、|最愛《さいあい》のキユーバーがハリマの|森《もり》の|祭典《さいてん》において、|祭官《さいくわん》の|列外《れつぐわい》に|立《た》たせられ、|照国別《てるくにわけ》をして|斎主《さいしゆ》となしたその|処置《しよち》に|憤慨《ふんがい》し、|病《やま》ひと|称《しよう》して|城内《じやうない》|深《ふか》く|閉《と》ぢ|籠《こも》り、|刹帝利《せつていり》、チウイン|太子《たいし》の|参拝《さんぱい》あるにもかかかはらず、|吾《わ》が|居間《ゐま》に|駄々《だだ》をこねて|寝込《ねこ》んでしまつた。|一方《いつぱう》キユーバーは|何気《なにげ》なく|祭典《さいてん》を|見《み》むとて|刹帝利《せつていり》に|随《したが》ひ、ハリマの|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば、|新調《しんてう》の|盛装《せいさう》を|身《み》に|纒《まと》うて、|照国別《てるくにわけ》が|斎主《さいしゆ》をやつてをる。|一般《いつぱん》の|群集《ぐんしふ》は、
『|何《なん》と|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だ、ウラル|教《けう》の|中《なか》にもあんな|神徳《しんとく》の|高《たか》い|宣伝使《せんでんし》はなからう。|今度《こんど》の|国難《こくなん》を|救《すく》うて|下《くだ》さつたのもあの|宣伝使《せんでんし》ださうだ。それだから、|今度《こんど》のお|祭《まつ》りに|王様《わうさま》の|先《さき》に|立《た》つて|斎主《さいしゆ》を|勤《つと》めてゐられるのだ。ほんとに|偉《えら》い|生神《いきがみ》ぢやないか。またスコブツエンのキユーバーなんて、|今《いま》まで|偉《えら》さうに|威張《ゐば》つてゐやがつたが、|今日《けふ》の|態《ざま》つたらないぢやないか。あの|見窄《みすぼ》らしい|態《ざま》を|見《み》い。|祭官《さいくわん》の|端《はし》にも|加《くは》へてもらはず、|玉串《たまぐし》の|献上《けんじやう》もさして【よう】もらひやがらぬぢやないか』
などと|囁《ささや》く|声《こゑ》が|耳敏《みみざと》きキユーバーの|皷膜《こまく》に|響《ひび》いたので、キユーバーは|立腹《りつぷく》のあまり|俄《には》かに|逆上《ぎやくじやう》し、|荘重《さうちよう》なる|儀式《ぎしき》を|蹂躙《じうりん》し、|斎主《さいしゆ》の|冠《かんむり》を|擲《たた》きおとしたのである。それがチウイン|太子《たいし》の|英断《えいだん》によつて、|彼《かれ》は|即座《そくざ》にふん|縛《じば》られ、たちまち|牢獄《らうごく》に|繋《つな》がれてしまつた。こんな|事《こと》とは|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬ|千草姫《ちぐさひめ》は、キユーバーの|一刻《いつこく》も|早《はや》く|帰《かへ》れかしと、|一時千秋《いちじせんしう》の|思《おも》ひをして|待《ま》ち|焦《こ》がれてゐた。
そこへガーデン|王《わう》、|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》、|勇将《ゆうしやう》ジヤンク、チンレイ、ハリスその|他《た》の|面々《めんめん》と|共《とも》に|万歳《ばんざい》を|三唱《さんしやう》しながら、|玉座《ぎよくざ》の|次《つぎ》の|間《ま》に|帰《かへ》つて|来《き》た。さうして|今日《けふ》の|祭典《さいてん》の|状況《じやうきやう》につき|種々《いろいろ》と|談《だん》じ|合《あ》ひ、|特《とく》にキユーバーが|聖場《せいぢやう》を|乱《みだ》し、たちまち|縛《ばく》につき|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられた|事《こと》なぞまで、|刹帝利《せつていり》の|前《まへ》にて|興味《きようみ》を|湧《わか》しつつ|話《はな》しながら、|直会《なほらひ》の|宴《えん》が|開《ひら》かれてゐた。|疑《うたが》ひ|深《ぶか》き|千草姫《ちぐさひめ》は|玉座《ぎよくざ》の|次《つぎ》の|間《ま》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》いてゐたが、キユーバーが|乱暴《らんばう》を|働《はたら》き|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられたと|聞《き》くより|気《き》が|気《き》でならず、どうとかして|照国別《てるくにわけ》を|排除《はいじよ》し、|出来得《できう》べくんば|彼《かれ》に|難癖《なんくせ》をつけ|牢獄《らうごく》に|投《とう》じ、キユーバーの|仇《あだ》を|打《う》たむと|瞋恚《しんい》の|炎《ほのほ》を|焦《こ》がしてゐる。|刹帝利《せつていり》は|上機嫌《じやうきげん》で、|照国別《てるくにわけ》に|再生《さいせい》の|恩《おん》を|謝《しや》し、トルマン|国《ごく》の|救世主《きうせいしゆ》とまで|称揚《しようやう》した。|王《わう》は|先《ま》づ|盃《さかづき》を|手《て》にしながら|祝歌《しゆくか》を|謡《うた》ふ。
『トルマン|国《ごく》は|神《かみ》の|国《くに》 |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
ウラルの|彦《ひこ》の|神霊《しんれい》を |斎《いつ》き|祭《まつ》りて|世《よ》を|治《をさ》め
|来《き》たりし|事《こと》の|尊《たふと》さよ さはさりながら|世《よ》の|中《なか》に
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》 |荒《すさ》ぶる|鬼《おに》の|身魂《みたま》らが
やうやく|首《かうべ》をもたげつつ バラモン|教《けう》やスコ|教《けう》や
そのほか|百《もも》の|邪宗教《じやしうけう》 |吾《わ》が|神国《しんこく》に|襲《おそ》ひ|来《き》て
|国人《くにびと》たちの|魂《たましひ》を |支離滅裂《しりめつれつ》に|乱《みだ》しつつ
|敬神《けいしん》|尊祖《そんそ》|愛国《あいこく》の |誠心《まことごころ》は|消《き》え|果《は》てて
ただ|国人《くにびと》は|我利我慾《がりがよく》 |形《かたち》の|上《うへ》の|宝《たから》のみ
|豺狼《さいらう》の|爪牙《さうが》を|磨《みが》きつつ あさりゐるこそ|悲《かな》しけれ
|富者《ふうじや》はますます|富《と》み|栄《さか》え |貧者《ひんじや》はますます|窮乏《きうばふ》し
|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|国内《こくない》に |漲《みなぎ》り|果《は》ててコンミュニズム
アナアキズムやソシヤリズム その|他《ほか》あらゆる|悪思想《あくしさう》
|国《くに》の|外《そと》より|襲《おそ》ひ|来《き》て |人《ひと》の|心《こころ》はまちまちに
|野獣《やじう》の|如《ごと》くなりにけり かかる|所《ところ》へつけ|込《こ》んで
|大黒主《おほくろぬし》の|開《ひら》きたる バラモン|教《けう》の|別派《べつぱ》なる
スコブツエン|宗《しう》といふ|邪教《じやけう》 |燎原《れうげん》を|焼《や》く|火《ひ》のごとく
|蔓延《まんえん》したるぞ|是非《ぜひ》なけれ スコブツエン|宗《しう》のキユーバーは
|大黒主《おほくろぬし》の|命《めい》を|受《う》け |吾《わ》が|国内《こくない》に|根拠《こんきよ》をば
|定《さだ》めて|日《ひ》に|夜《よ》に|活躍《くわつやく》し |吾《わ》が|官民《くわんみん》を|睥睨《へいげい》し
|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひゐたりしが なほ|飽《あ》き|足《た》らずバラモンの
|大足別《おほだるわけ》と|結託《けつたく》し トルマン|国《ごく》を|手《て》に|入《い》れて
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》 |片《かた》つ|端《ぱし》から|蹂躙《じうりん》し
|野望《やばう》を|達成《たつせい》せむものと |企《たく》らみゐたる|憎《にく》らしさ
|大足別《おほだるわけ》の|軍隊《ぐんたい》を |率《ひき》ゐて|王家《わうけ》を|威喝《ゐかつ》なし
|思《おも》ひもかけぬ|此《こ》の|度《たび》の |軍《いくさ》を|開《ひら》き|国民《こくみん》を
|苦《くる》しめ|難《なや》ませヅウヅウしくも |吾《わ》が|城内《じやうない》に|忍《しの》び|入《い》り
|千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》の|弁舌《べんぜつ》に |捲《ま》き|込《こ》まれては|急激《きふげき》に
|進路《しんろ》を|転《てん》じ|城内《じやうない》の |味方《みかた》とかはりし|早業《はやわざ》は
|実《じつ》に|不思議《ふしぎ》の|手品師《てじなし》だ へぐれのへぐれのへぐれむしや
へぐれ|神社《じんじや》の|身霊《みたま》だろ |彼《かれ》は|城内《じやうない》に|現《あら》はれて
|表面《へうめん》|忠義《ちうぎ》をよそほへど なかなか|油断《ゆだん》のならぬ|奴《やつ》
それゆゑ|此度《こたび》の|祭典《さいてん》に |彼《かれ》をば|退《しりぞ》けわが|国《くに》を
|助《たす》け|給《たま》ひし|三五《あななひ》の |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|御苦労《ごくらう》ながら|斎主《さいしゆ》をば |願《ねが》ひ|奉《まつ》りし|次第《しだい》なり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 ウラルの|神《かみ》の|御神力《ごしんりき》
|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります |大国治立大御神《おほくにはるたちおほみかみ》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |高《たか》き|御稜威《みいづ》に|守《まも》られて
|左守《さもり》|右守《うもり》の|二柱《ふたはしら》 いよいよ|国《くに》の|守《まも》り|神《がみ》
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に |納《をさ》まりますぞ|尊《たふと》けれ
キユーバーの|司《つかさ》はこの|体《てい》を |見《み》るより|痛《いた》く|腹《はら》を|立《た》て
|乱暴《らんばう》|至極《しごく》に|祭壇《さいだん》に かけ|登《のぼ》りつつ|師《し》の|君《きみ》の
|冠《かむり》をやにはに|突落《つきおと》とし なほも|悪言暴語《あくげんばうご》をば
|吐《は》き|散《ち》らすこそ|憎《にく》らしき チウイン|太子《たいし》の|命令《めいれい》に
ジヤンクの|司《つかさ》|現《あら》はれて かの|妖僧《えうそう》を|縛《しば》り|上《あ》げ
|一先《ひとま》づ|牢獄《らう》に|投《な》げ|込《こ》みて キユーバーが|心《こころ》のどん|底《ぞこ》ゆ
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》ゆるそれまでは |閉《と》ぢ|込《こ》めおかむ|吾《わ》が|心《こころ》
アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや トルマン|国《ごく》は|今日《けふ》よりは
|三五教《あななひけう》とウラル|教《けう》 |二《ふた》つの|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し
|世《よ》の|大本《おほもと》の|大神《おほかみ》を |斎《いつ》き|奉《まつ》りて|国民《こくみん》を
|導《みちび》き|行《ゆ》かむ|頼母《たのも》しさ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御徳《みとく》の|有難《ありがた》き |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|尊《たふと》けれ』
|照国別《てるくにわけ》は|言葉《ことば》|静《しづ》かに|謡《うた》ふ。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |照国別《てるくにわけ》もその|昔《むかし》
ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を |奉《ほう》じて|教《をしへ》を|伝《つた》へむと
|名《な》も|梅彦《うめひこ》と|賜《たま》はりて |竜宮洲《りうぐうじま》に|打《う》ち|渡《わた》り
|三年《みとせ》の|辛苦《しんく》も|水《みづ》の|泡《あわ》 やむを|得《え》ずして|六人《ろくにん》が
|棚《たな》なし|船《ぶね》に|身《み》を|任《まか》せ |大海原《おほうなばら》を|渡《わた》りつつ
ペルシヤの|海《うみ》に|来《き》て|見《み》れば |暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》に|悩《なや》まされ
|九死一生《きうしいつしやう》のその|場合《ばあひ》 |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|日《ひ》の|出別《でのわけ》の|言霊《ことたま》に |危《あや》ふき|命《いのち》を|助《たす》けられ
いよいよここに|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》に|仕《つか》へつつ
|神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて |照国別《てるくにわけ》と|名《な》を|賜《たま》ひ
|産土山《うぶすなやま》の|斎苑館《いそやかた》 |珍《うづ》の|聖地《せいち》を|後《あと》にして
|教《をしへ》を|伝《つた》へ|今《いま》ここに トルマン|国《ごく》の|危急《ききふ》をば
|救《すく》はむための|御軍《みいくさ》に |加《くは》はりたるもウラル|教《けう》
|守《まも》らせ|給《たま》ふ|大神《おほかみ》の |清《きよ》き|縁《えにし》の|引合《ひきあ》はせ
|人間界《にんげんかい》より|眺《なが》むれば ウラルの|道《みち》と|三五《あななひ》の
|教《をしへ》は|二《ふた》つに|見《み》ゆれども |世界《せかい》を|創《つく》りし|大元《おほもと》の
|誠《まこと》の|神《かみ》は|一柱《ひとはしら》 |何《いづ》れもおなじ|神《かみ》の|道《みち》
それゆゑ|吾《われ》は|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》にあればとて
ウラルの|宮《みや》の|祭典《さいてん》に |与《あづか》り|得《え》ざる|理由《りいう》なし
キユーバーの|司《つかさ》の|言霊《ことたま》は |偏狭至極《へんけふしごく》の|世迷《よま》ひ|言《ごと》
いざこれよりは|万教《ばんけう》を |一《ひと》つになして|愛善《あいぜん》の
|神《かみ》の|御徳《みとく》を|天《あめ》の|下《した》 |四方《よも》の|国々《くにぐに》|宣伝《せんでん》し
|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神業《しんげふ》を |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|吾《わ》が|覚悟《かくご》
|諾《うべ》なひ|給《たま》へ|刹帝利《せつていり》 チウイン|太子《たいし》の|御前《おんまへ》に
|吾《わ》が|誠心《まごころ》のありたけを |明《あか》して|言挙《ことあ》げ|奉《たてまつ》る
トルマン|国《ごく》は|永久《とこしへ》に この|王室《わうしつ》は|万世《ばんせい》に
わたりて|民《たみ》の|親《おや》となり |神《かみ》の|創《つく》りし|此《この》|国《くに》を
|常磐堅磐《ときはかきは》に|栄《さか》ゆべく |守《まも》らせ|給《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|開《ひら》かせ|給《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
チウイン|太子《たいし》はまた|謡《うた》ふ。
『この|神国《かみくに》は|永久《とこしへ》に |栄《さか》え|栄《さか》えて|限《かぎ》りなく
|天津御空《あまつみそら》の|星《ほし》のごと |浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|知《し》れず
|日《ひ》に|夜《よ》に|国民《くにたみ》|繁殖《はんしよく》し |穏《いね》|麦《むぎ》|豆《まめ》|粟《あは》よく|実《みの》り
トルマン|国《ごく》の|中心《ちうしん》を |清《きよ》く|流《なが》るる|清川《せいせん》は
|魚類《うろくず》|多《おほ》く|繁殖《はんしよく》し |野《の》にも|山《やま》にも|鳥《とり》|獣《けもの》
|数多《あまた》|住《すま》ひて|国《くに》の|富《とみ》 |世界《せかい》に|冠《くわん》たる|目出《めで》たさよ
しかるに|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》 |瑞穂《みづほ》の|秋《あき》の|豊《とよ》の|国《くに》
トルマン|国《ごく》を|奪《うば》ひ|取《と》り |第二《だいに》の|根拠《こんきよ》を|作《つく》らむと
スコブツエン|宗《しう》を|持《も》ち|込《こ》みて |吾《わ》が|国内《こくない》を|乱《みだ》さむと
|大陰謀《だいいんぼう》を|企《たく》らみて |妖僧《えうそう》キユーバーを|派遣《はけん》なし
こたびの|騒動《さうだう》の|端緒《たんちよ》をば |開《ひら》きたるこそ|由々《ゆゆ》しけれ
|彼《かれ》キユーバーの|悪業《あくごふ》は |天地《てんち》も|許《ゆる》さぬ|大罪《だいざい》ぞ
さりとは|言《い》へど|吾々《われわれ》は |神《かみ》の|教《をしへ》にある|上《うへ》は
|彼《かれ》が|心《こころ》の|改慎《かいしん》を |認《みと》めた|上《うへ》に|解放《かいはう》し
|再《ふたた》び|神《かみ》の|御使《みつかひ》に |任《まか》せむものと|思《おも》へども
|吾《わ》が|母君《ははぎみ》を|誑《たぶら》かし |大御心《おほみこころ》を|奪《うば》ひたる
その|曲業《まがわざ》は|許《ゆる》されじ |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|照公司《てるこうつかさ》と|計《はか》らひて |彼《かれ》が|体《からだ》の|処決《しよけつ》をば
|如何《いかが》はせむと|大神《おほかみ》に |祈《いの》れば|夢《ゆめ》に|現《あら》はれて
|必《かなら》ず|明日《あす》はキユーバーを |縛《しば》れと|命《めい》じ|給《たま》ひけり
かくする|上《うへ》は|母上《ははうへ》の |心《こころ》を|怒《いか》らせ|奉《まつ》らむは
|火《ひ》を|覩《み》るよりも|明《あき》らけし されども|神《かみ》の|詔《みことのり》
|国家《こくか》のためを|思《おも》ふ|時《とき》 |許《ゆる》しおかれぬ|吾《わ》が|立場《たちば》
|諾《うべ》なひ|給《たま》へ|父君《ちちぎみ》よ |照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
ここにキユーバーを|縛《しば》りたる |理由《りいう》を|陣謝《ちんしや》し|奉《たてまつ》る
|三五教《あななひけう》やウラル|教《けう》 ここに|両教《りやうけう》|聯合《れんがふ》し
トルマン|国《ごく》は|言《い》ふもさら |七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》
|漏《も》らさず|落《お》とさず|国民《こくみん》に |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|教《をし》へ|伝《つた》へて|一日《いちにち》も |早《はや》く|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》の
|大神業《だいしんげふ》に|仕《つか》ふべし ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|赤心《まごころ》を |明《あ》かして|誓《ちか》ひ|奉《たてまつ》る
|赤心《まごころ》|籠《こ》めて|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
かく|歌《うた》ふをりしも、|夜叉《やしや》のごとき|勢《いきほ》ひ、|満面《まんめん》|朱《しゆ》をそそぎ、|血眼《ちまなこ》になつて|現《あら》はれ|来《き》たり、|刹帝利《せつていり》の|右《みぎ》に|憤然《ふんぜん》と|座《ざ》を|占《し》めたのは|王妃《わうひ》|千草姫《ちぐさひめ》であつた。|一座《いちざ》は|千草姫《ちぐさひめ》の|突然《とつぜん》の|出現《しゆつげん》によつて|一種《いつしゆ》|異様《いやう》な|空気《くうき》に|包《つつ》まれてしまつた。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第一一章 |血臭姫《ちぐさひめ》〔一七七八〕
|千草姫《ちぐさひめ》は|満座《まんざ》をキヨロキヨロ|見《み》まはしながら、|瞋恚《しんゐ》にもゆる|胸《むね》の|火《ひ》をジツと|抑《おさ》へ、わざと|笑顔《ゑがほ》をつくり、|特《とく》に|慇懃《いんぎん》に|両手《りやうて》をつかへて、|首《くび》を|二《ふた》つ|三《みつ》つ|左右《さいう》に|振《ふ》りながら、|屈《かが》んだまま|顔《かほ》を|上《あ》げ、|額《ひたひ》と|腮《あご》とをほとんど|平行線《へいかうせん》にしながら、
『これはこれは|吾《わ》が|夫《つま》ガーデン|王様《わうさま》をはじめ、|智謀絶倫《ちぼうぜつりん》の|勇士《ゆうし》チウイン|太子《たいし》、|野武士《のぶし》の|蛮勇《ばんゆう》ジヤンクの|爺《ぢい》さま、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|雲国別《くもくにわけ》オツと|違《ちが》つたピカ|国別《くにわけ》、また|違《ちが》つたデルクイ|別《わけ》とかいふ|神司《かむづかさ》、その|他《た》のお|歴々《れきれき》の|方々《かたがた》へ|今日《こんにち》の|御祝儀《ごしうぎ》、|目出《めで》たうお|祝《いは》ひ|申《まを》しまする。いよいよ|之《これ》にてトルマン|国《ごく》は|天下泰平《てんかたいへい》、|万代不易《ばんだいふえき》の|基礎《きそ》が|定《き》まることと|慶賀《けいが》に|堪《た》へませぬ。|時《とき》にスコブツエン|宗《しう》の|名僧《めいそう》トルマン|国《ごく》の|救《すく》い|主《ぬし》、キユーバー|殿《どの》は|如何《いかが》いたされたか。チウイン|太子《たいし》に|対《たい》し、この|母《はは》が|恐《おそ》れながら|一言《いちごん》|訊問《じんもん》に|及《およ》びまする。|何《なん》といつても|親《おや》と|子《こ》の|仲《なか》、|決《けつ》して|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》りませぬ。サ、|早《はや》く|実状《じつじやう》を|述《の》べさせられよ』
この|言葉《ことば》にチウイン|太子《たいし》は|言句《げんく》も|出《い》でず、「ハアハア」と|言《い》つたきり|俯《うつ》むひてしまつた。
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ、これ|伜《せがれ》チウイン|殿《どの》、|最前《さいぜん》もいふ|通《とほ》り、|親《おや》と|子《こ》の|仲《なか》、|隔《へだ》てがあつては|家内《かない》|睦《むつ》まじう|治《をさ》まりませぬ。|其方《そなた》はこの|母《はは》に|対《たい》し、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|不孝《ふかう》の|振舞《ふるまひ》はございますまいな』
チウイン|太子《たいし》はますます|言句《げんく》に|詰《つま》り、「ハ、ハ」と|言《い》つたきり、|俯《うつ》むひてしまつた。ガーデン|王《わう》はキリリと|目《め》を|釣上《つりあ》げ、
『ヤ、|千草姫《ちぐさひめ》、|伜《せがれ》に|問《と》ふまでもなく|余《よ》が|逐一《ちくいつ》|説明《せつめい》しやう、トクと|聞《き》け。かれキユーバーなる|者《もの》は|不敵《ふてき》の|曲者《くせもの》、|神聖無比《しんせいむひ》なる|大神《おほかみ》の|祭典《さいてん》に|際《さい》し、|照国別《てるくにわけ》|様《さま》の|大切《たいせつ》なお|冠《かんむり》に|手《て》をかけ、|群衆《ぐんしう》の|前《まへ》にて|赤恥《あかはぢ》をかかさむとしたる|乱暴者《らんばうもの》、|余《よ》はその|場《ば》において|切《き》つて|捨《す》てむかと|思《おも》ひしかども、|何《なに》をいつても|大神《おほかみ》の|御前《おんまへ》、|血《ち》をもつて|聖場《せいぢやう》を|汚《けが》すも|恐《おそ》れ|多《おほ》し、|時《とき》を|待《ま》つて|誅伐《ちうばつ》せむと|控《ひか》えをる|折《を》りしも、キユーバーが|不敵《ふてき》の|行動《かうどう》ますます|甚《はなは》だしく、|口《くち》を|極《きは》めて|宣伝使《せんでんし》を|罵詈《ばり》|讒謗《ざんばう》し、|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げて|行列《ぎやうれつ》の|妨害《ばうがい》をなすなど、|言語《げんご》に|絶《ぜつ》したるその|振舞《ふるま》ひ、|見《み》るに|見《み》かねてチウイン|太子《たいし》はジヤンクに|命《めい》じ、キユーバーを|捕縛《ほばく》し、|獄《ごく》に|投《とう》じておいたのだ。|城内《じやうない》の|安寧秩序《あんねいちつじよ》を|保《たも》つため、|最《もつと》も|時宜《じぎ》に|適《てき》した|処置《しよち》と|余《よ》は|心得《こころえ》てゐる』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ、いかにも|乱暴者《らんばうもの》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|獄《ごく》に|投《とう》じ|玉《たま》ふは|国法《こくはふ》の|定《さだ》むるところ、これについて|千草姫《ちぐさひめ》|一言《ひとこと》も|異存《いぞん》はございませぬが、かれキユーバーだつて、もとより|悪人《あくにん》でもなく、|狂乱者《きやうらんしや》でもなからうと|存《ぞん》じます。|彼《かれ》としてかかる|暴挙《ばうきよ》に|出《い》でしめたるについては、|何《なに》か|深《ふか》き|原因《げんいん》がなければなりませぬ。|軽率《けいそつ》に|外面的《ぐわいめんてき》|行動《かうどう》のみを|見《み》て、|一応《いちおう》の|取《と》り|調《しら》べもなく、|所《ところ》もあらうに|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》において、|不遜《ふそん》きはまる|罪人《ざいにん》を|出《い》だし|玉《たま》ふとは|千草姫《ちぐさひめ》|心得《こころえ》ませぬ。|刹帝利様《せつていりさま》、|愚鈍《ぐどん》なる|妾《わらは》の|得心《とくしん》が|行《ゆ》くまで|御説明《ごせつめい》を|願《ねが》ひませう』
|王《わう》『|喧《やかま》しういふな、|汝《なんぢ》の|知《し》るところでない。|余《よ》は|余《よ》としての|考《かんが》へがある。|女《をんな》の|出《で》しやばる|幕《まく》でない。サ、トツトと|汝《なんぢ》が|居間《ゐま》に|立《た》ち|返《かへ》れよ』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ|女《をんな》の|出《で》しやばる|場合《ばあひ》でないとは|刹帝利様《せつていりさま》、ソラ|何《なん》といふ|暴言《ばうげん》でございます。|王様《わうさま》は|国民《こくみん》の|父《ちち》、|王妃《わうひ》は|国民《こくみん》の|母《はは》でございますよ。|昔《むかし》の|神代《かみよ》においても|伊弉諾命《いざなぎのみこと》|伊弉冊命《いざなみのみこと》|二柱《ふたはしら》、|天《あめ》の|御柱《みはしら》を|巡《めぐ》り|合《あ》ひ、なり|余《あま》れる|所《ところ》と、なり|合《あ》はざる|所《ところ》を|抱擁帰一《はうようきいつ》|遊《あそ》ばし、|天下《てんか》の|神人《しんじん》を|生《う》み|玉《たま》うたではございませぬか。|男子《だんし》は|外《そと》を|守《まも》る|者《もの》、|女子《ぢよし》は|内《うち》を|守《まも》る|者《もの》、|何《なん》と|仰有《おつしや》つてもこの|城内《じやうない》の|出来事《できごと》、|千草姫《ちぐさひめ》の|権限《けんげん》にございますよ。もし|妾《わらは》を|排斥《はいせき》|遊《あそ》ばすならば、トルマンの|国家《こくか》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》、なにほど|立派《りつぱ》な|国王様《こくわうさま》だとて|王妃《わうひ》の|内助《ないじよ》なくして、|一日《いちにち》も|国《くに》が|保《たも》たれまするか。よくよくお|考《かんが》へなされませ。それにも|拘《かかは》らず、ウラルの|神様《かみさま》の|御祭典《ごさいてん》に|当《あた》り、ウラルの|宣伝使《せんでんし》を|一人《ひとり》も|用《もち》ひ|玉《たま》はず、|大神《おほかみ》の|忌《い》みきらひ|玉《たま》ふ|曲神《まがかみ》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|抜擢《ばつてき》して|斎主《さいしゆ》となし|玉《たま》ふは、|実《じつ》に|天地《てんち》の|道理《だうり》を|紊《みだ》したりといふもの。ひそかに|承《うけたまは》れば|彼《かれ》|照国別《てるくにわけ》はウラル|教《けう》の|謀叛人《むほんにん》、|中途《ちうと》において|三五《あななひ》の|邪教《じやけう》に|沈溺《ちんでき》せし|者《もの》、ますます|神《かみ》のお|怒《いか》りは|甚《はなは》だしかるべく、|何時《いつ》いかなる|災《わざはひ》の、|神罰《しんばつ》によつて|突発《とつぱつ》するかも|知《し》れますまい。またウラル|教《けう》|以外《いぐわい》の|異教徒《いけうと》をもつて、|斎主《さいしゆ》となすの|已《や》むを|得《え》ざる|場合《ばあひ》ありとせば、なぜ|国難《こくなん》を|救《すく》ひたる|彼《かれ》キユーバーを|重用《ぢうよう》し、|斎主《さいしゆ》をお|命《めい》じなされませぬか。|邪臣《じやしん》を|賞《しやう》し、|逆臣《ぎやくしん》を|戒《いまし》むるは|政治《せいぢ》の|要訣《えうけつ》、|霊界《れいかい》さへも|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》がございまするぞ。|今度《こんど》の|戦《たたか》ひにおける|第一《だいいち》の|勲功者《くんこうしや》を|除外《ぢよぐわい》し、|神《かみ》の|御前《みまへ》において|彼《かれ》に|恥《はぢ》を|与《あた》へしをもつて、かれキユーバーは|悲憤《ひふん》のあまり、かかる|暴挙《ばうきよ》に|出《い》でたものと|考《かんが》へるよりほか|余地《よち》はありますまい。いや|決《けつ》して|決《けつ》してキユーバーの|意志《いし》ではなく、ウラル|教《けう》の|大神《おほかみ》、|盤古神王《ばんこしんわう》の|彼《かれ》の|体《たい》を|藉《か》つてのお|戒《いまし》めに|相違《さうゐ》ございますまい。かかる|忠臣義士《ちうしんぎし》を|牢獄《らうごく》に|投《とう》ずるとは|以《もつ》ての|外《ほか》、|千草姫《ちぐさひめ》|一向《いつかう》|合点《がてん》が|参《まゐ》り|申《まを》しませぬ。キユーバーを|牢獄《らうごく》に|投《とう》じ|玉《たま》ふに|先立《さきだ》ち、|何《なに》ゆゑ|照国別《てるくにわけ》|一派《いつぱ》を|投獄《とうごく》なさりませぬか。かかる|明白《めいはく》な|理由《りいう》を|無視《むし》し、|一国《いつこく》の|王者《わうじや》で|依怙《えこ》の|沙汰《さた》を|遊《あそ》ばすにおいては、これより|賞罰《しやうばつ》の|道《みち》|乱《みだ》れ、|刑政《けいせい》|行《おこな》はれず、|国家《こくか》は|再《ふたた》び|混乱《こんらん》の|巷《ちまた》となるでございませう。|照国別《てるくにわけ》は|実《じつ》に|微弱《びじやく》なる|教派《けうは》の|一宣伝使《いちせんでんし》、キユーバーは|大黒主《おほくろぬし》の|御覚《おんおぼえ》|目出《めで》たしといふスコブツエン|宗《しう》の|大教祖《だいけうそ》でございませぬか。|万々一《まんまんいち》|吾《わ》が|国運《こくうん》|衰《おとろ》へ、|再《ふたた》び|大黒主《おほくろぬし》、この|度《たび》の|戦争《せんそう》の|恥辱《ちじよく》を|雪《そそ》がむと、|数万《すうまん》の|兵《へい》を|引《ひ》きつれ|押《お》しよせ|来《き》たらば|何《なん》となされます。その|時《とき》に|当《あた》つて|最《もつと》も|必要《ひつえう》なる|人物《じんぶつ》は、キユーバーを|措《お》いて|外《ほか》にはございますまい。それゆゑ|妾《わらは》は|飽《あ》くまでも|彼《かれ》を|懐柔《くわいじう》し、まさかの|時《とき》の|用意《ようい》にと、|平素《へいそ》より|歓心《くわんしん》を|買《か》ひおき、|国難《こくなん》を|救《すく》ふべく|取計《とりはか》らひをるのでございます。かかる|妾《わらは》が|深遠《しんゑん》なる|神謀鬼策《しんぼうきさく》も|御存《ごぞん》じなく、|勢《いきほ》ひに|任《まか》せて、|照国別《てるくにわけ》の|肩《かた》をもち、キユーバーを|獄《ごく》に|投《とう》ずるとは、|何《なん》といふ|拙《まづ》い|遣《や》り|方《かた》でございませうか。|妾《わらは》はたとへキユーバーに|少々《せうせう》の|欠点《けつてん》ありとて、|邪悪分子《じやあくぶんし》ありとて、|左様《さやう》な|些細《ささい》な|点《てん》まで|詮索《せんさく》する|必要《ひつえう》はありますまい。|彼《かれ》さへ|薬籠中《やくろうちう》の|者《もの》として|優待《いうたい》に|優待《いうたい》を|重《かさ》ねて|城内《じやうない》に|止《と》めおかば、|大黒主《おほくろぬし》なりとて、さうムザムザと|本城《ほんじやう》へ|攻《せ》めても|来《こ》られますまい。たとへ|不幸《ふかう》にして|国難《こくなん》|勃発《ぼつぱつ》するとも、|大黒主《おほくろぬし》の|御覚《おんおぼえ》めでたきキユーバーを|派遣《はけん》せば、|何《なん》の|苦《く》もなく|平和《へいわ》に|治《をさ》まる|道理《だうり》ぢやございませぬか。トルマン|国《ごく》|永遠《えいゑん》|平和《へいわ》のためにはキユーバーを|獄《ごく》より|引出《ひきだ》し、|刹帝利《せつていり》を|始《はじ》めチウイン|太子《たいし》、ジヤンク|等《ら》、|九拝百拝《きうはいひやつぱい》してその|罪《つみ》を|謝《しや》し、|照国別《てるくにわけ》を|面前《めんぜん》において|縛《しば》りあげ、キユーバーの|遺恨《ゐこん》をはらし|玉《たま》はねば、|吾《わ》が|国家《こくか》のために|由々《ゆゆ》しき|大事《だいじ》でござりまするぞ。またウラル|教《けう》と|三五教《あななひけう》の|聯合《れんがふ》は|国策上《こくさくじやう》|最《もつと》も|不利益千万《ふりえきせんばん》でございます。|速《すみ》やかにこの|聯合《れんがふ》を|破壊《はくわい》し、スコブツエン|宗《しう》と|聯合《れんがふ》|提携《ていけい》するにおいては、ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》の|怒《いか》りも|解《と》け、|吾《わ》が|国家《こくか》は|安穏《あんおん》に、|国民《こくみん》|挙《こぞ》つて|平和《へいわ》の|夢《ゆめ》を|貪《むさぼ》ることを|得《う》るでございませう。|千草姫《ちぐさひめ》の|言葉《ことば》にこれでも|異存《いぞん》がございまするか』
|王《わう》『だまれ、|千草姫《ちぐさひめ》、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひ|玉《たま》ひし|照国別《てるくにわけ》|御一行《ごいつかう》に|対《たい》し、|無礼《ぶれい》きはまるその|雑言《ざふごん》、もはや|聞捨《ききず》てならぬぞ』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ、|青瓢箪《あをべうたん》や|干瓢《かんぺう》や|西瓜《すいくわ》のやうな|干《ひ》からびた|青《あを》い|頭《あたま》を|並《なら》べて、お|歴々《れきれき》の|御相談《ごさうだん》、よくマア|国家《こくか》を|亡《ほろ》ぼすための|立派《りつぱ》な|御行動《ごかうどう》を、この|千草姫《ちぐさひめ》はるかに|眺《なが》めて|実《じつ》にカンチン|仕《つかまつ》りますワイ。|刹帝利様《せつていりさま》は|老齢《らうれい》のこととて|聊《いささ》か|精神《せいしん》|御悩《おんなや》みあり、|一々《いちいち》|仰《おほ》せらるることは|正鵠《せいこう》を|欠《か》き|玉《たま》ふは|無理《むり》なけれども、|伜《せがれ》チウインのごときは|血気《けつき》の|若者《わかもの》、かやうな|道理《だうり》が|分《わか》らずして、どうして|此《こ》の|国家《こくか》を|保《たも》つことが|出来《でき》やうぞ。いざ|之《これ》よりは|王様《わうさま》に|退隠《たいいん》を|願《ねが》ひ、|憚《はばか》りながら|千草姫《ちぐさひめ》|女帝《によてい》となつてトルマン|国《ごく》を|治《をさ》めるでございませう。まだ|口《くち》のはたに|乳《ちち》の|臭《にほ》ひがしてゐるチウインごときは、|到底《たうてい》|妾《わらは》の|相談相手《さうだんあひて》にはあきたらない、ホホホホホホ』
チウ『|母上《ははうへ》に|申《まを》し|上《あ》げます。|父《ちち》ガーデン|王《わう》があつてこそ|貴女《あなた》は|王妃《わうひ》の|位置《ゐち》について、|国《くに》の|母《はは》として|政治《せいぢ》に|干与《かんよ》|遊《あそ》ばし|玉《たま》ふことを|得《う》るのではございませぬか。|父王《ちちわう》が|退隠《たいいん》されるとならば、|母君《ははぎみ》は|政治《せいぢ》に|干与《かんよ》する|権利《けんり》はございませぬぞ。そこをトクとお|考《かんが》へなさいませ』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ|小賢《こざか》しい、コレ|伜《せがれ》、|何《なん》といふ|分《わか》らぬことを|申《まを》すのだ。|女《をんな》が|政治《せいぢ》の|主権者《しゆけんじや》となることが|出来《でき》ぬとは、ソリヤ|誰《たれ》に|教《をそ》はつたのだい。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|天照大神《あまてらすおほかみ》|様《さま》は|女神《めがみ》でゐらつしやるぢやないか。|英国《えいこく》の|皇帝《くわうてい》はエリザベスといふ|女帝《によてい》が、|太陽《たいやう》の|没《ぼつ》するを|知《し》らぬまでの|大版図《だいはんと》の|主権者《しゆけんじや》となつてゐられたでないか。|子《こ》の|分際《ぶんざい》として|母《はは》に|口答《くちごた》へするとは|不孝《ふかう》この|上《うへ》もなし。|其方《そなた》も|此《こ》の|上《うへ》|一言《いちごん》でも|言《い》つてみなさい。|母《はは》の|職権《しよくけん》をもつて|牢獄《らうごく》に|投込《なげこ》みますぞ』
と|言《い》ひながら、ツと|立上《たちあ》がり、|畳《たたみ》ざわりも|荒々《あらあら》しく|吾《わ》が|居間《ゐま》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|刹帝利《せつていり》は|余《あま》りの|腹立《はらだ》たしさと、|照国別《てるくにわけ》に|対《たい》する|義理《ぎり》から、|千草姫《ちぐさひめ》を|手討《てうち》にせむとまで|覚悟《かくご》をきめてゐたが、また|思《おも》ひ|直《なほ》してグツと|胸《むね》を|抑《おさ》へ、|歯《は》をくひしばり|慄《ふる》ひつつあつた。チウイン|太子《たいし》も|父《ちち》の|様子《やうす》の|常《つね》ならぬを|見《み》てとり、いよいよとならば、|父《ちち》の|両腕《りやううで》に|取縋《とりすが》つて|千草姫《ちぐさひめ》を|助《たす》けむものと、|心中《しんちう》に|覚悟《かくご》をきめてゐた。|刹帝利《せつていり》はやうやく|口《くち》を|開《ひら》き、
『|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、かれ|千草姫《ちぐさひめ》は、|先日来《せんじつらい》の|戦争《せんそう》に|脳漿《なうせう》を|絞《しぼ》つた|結果《けつくわ》、|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|来《き》たしてをりますれば、なにとぞ|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|寛大《くわんだい》に|御《お》み|宥《ゆる》しのほど|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする。|穴《あな》でもあらば|潜《もぐ》り|込《こ》みたくなりました』
と|気《き》の|毒《どく》さうにいふ。|照国別《てるくにわけ》は|平然《へいぜん》として、
『|刹帝利様《せつていりさま》、その|御心配《ごしんぱい》は|御無用《ごむよう》でございます。|決《けつ》して|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》の|御本心《ごほんしん》から|仰《おほ》せられたのではございませぬ。これには|少《すこ》し|理由《りいう》がございまするが、|今日《こんにち》は|申《まを》し|上《あ》ぐるわけには|行《ゆ》きませぬ。|決《けつ》して|私《わたし》は|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》のお|言葉《ことば》に|対《たい》し、|毛頭《まうとう》|意《い》に|介《かい》してをりませぬ。どうか|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|王《わう》『ヤ、それ|承《うけたまは》つて|安心《あんしん》いたしました。|何《なに》とぞなにとぞ|末永《すえなが》く|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります。|時《とき》に|照国別《てるくにわけ》|様《さま》、|如何《いかが》でございませうか、かれキユーバーを|厳罰《げんばつ》に|処《しよ》して、|禍根《くわこん》を|断《た》たむと|存《ぞん》じまするが』
|照国《てるくに》『|私《わたし》は|人《ひと》を|助《たす》くる|宣伝使《せんでんし》、たとへ|鬼《おに》でも|蛇《じや》でも|悪魔《あくま》でも|赤心《まごころ》をもつて|臨《のぞ》み、|誠《まこと》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》させるが|神《かみ》の|道《みち》、|刑罰《けいばつ》などは|不必要《ふひつえう》かと|存《ぞん》じます。|人《ひと》は|何《いづ》れも|神《かみ》の|精霊《せいれい》を|宿《やど》したもの、|人間《にんげん》で|人間《にんげん》を|審《さば》くなどとは|僣上至極《せんじやうしごく》な|行方《やりかた》、|一刻《いつこく》も|早《はや》くキユーバーをお|助《たす》けなさるが|可《よ》からうかと|存《ぞん》じます。さすれば|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》の|心《こころ》も|和《やは》らぎ、|家庭円満《かていゑんまん》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》むるに|至《いた》るでございませう』
|王《わう》『なるほど、|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》もかと|存《ぞん》じます。チウイン、|其方《そなた》はどう|考《かんが》へるか』
|太《たい》『ハイ、|私《わたし》は|天《てん》にも|地《ち》にも|替《か》へがたい|吾《わ》が|母《はは》の|意志《いし》に|反《そむ》き、かれキユーバーを|国民《こくみん》の|面前《めんぜん》において|捕縛《ほばく》いたしました。これについては|非常《ひじやう》な|決心《けつしん》を|持《も》つてをります。|彼《かれ》が|再《ふたた》び|城内《じやうない》に|入《い》り、|母《はは》と|結託《けつたく》して|権威《けんゐ》を|揮《ふる》ふにおいては、|吾《わ》が|王室《わうしつ》は|風前《ふうぜん》の|灯火《ともしび》も|同様《どうやう》でございませう。|宣伝使《せんでんし》のお|言葉《ことば》なれど、こればかりは|即答《そくたふ》するわけには|参《まゐ》りませぬ』
ジヤンク『|恐《おそ》れながら、|王様《わうさま》を|始《はじ》め|太子様《たいしさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。|何《なに》はともあれ、|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》のお|心《こころ》を|汲取《くみと》り、かれキユーバーをお|免《ゆる》しなさつたが|可《よ》からうかと|存《ぞん》じます。|万々一《まんまんいち》|再《ふたた》び|脱線的《だつせんてき》|行動《かうどう》を|取《と》るにおいては、|容赦《ようしや》なく|再《ふたた》び|投獄《とうごく》すれば|可《よ》いぢやございませぬか。|及《およ》ばずながら、このジヤンク、|余生《よせい》を|王室《わうしつ》に|捧《ささ》げ、|一身《いつしん》を|賭《と》して|国家《こくか》を|守《まも》る|考《かんが》へでございますから』
|王《わう》『イヤ、それを|聞《き》いて|安心《あんしん》いたした。|左守《さもり》、|右守《うもり》の|両柱《ふたはしら》ともに、このたびの|戦《たたか》ひにおいて|他界《たかい》なし、|棟梁《とうりやう》の|臣《しん》なきを|心《こころ》ひそかに|歎《なげ》いてゐた|矢先《やさき》、|智勇絶倫《ちゆうぜつりん》なる|汝《なんぢ》が、|一身《いつしん》を|賭《と》して|都《みやこ》に|止《とど》まり、|吾《わ》が|国家《こくか》を|守《まも》つてくれるとあらば|何《なに》をか|言《い》はむ。キユーバーの|処置《しよち》は|汝《なんぢ》に|一任《いちにん》する。よきに|取《と》り|計《はか》らへよ』
ジヤ『|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じまする。|太子様《たいしさま》、ジヤンクのこの|処置《しよち》に|就《つ》いては、チツとばかりお|気《き》に|入《い》りますまいが、ここは|少時《しばらく》この|老臣《らうしん》にお|任《まか》せ|下《くだ》さいませ』
チウ『|余《よ》はこの|問題《もんだい》については|何《なに》も|言《い》はない。|余《よ》は|余《よ》としての|一《ひと》つの|考《かんが》へを|持《も》つてゐる』
|照国別《てるくにわけ》は|立《た》ち|上《あが》り、|音吐《おんと》|朗々《らうらう》として|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|立分《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|世《よ》の|過《あやま》ちは|宣直《のりなほ》せ |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|国《くに》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は
|高天原《たかあまはら》に|神集《かむつど》ふ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|謡《うた》ひ|了《をは》り、|舞《ま》ひをさめた。この|言霊《ことたま》に|一同《いちどう》は|勇《いさ》み|立《た》ち、|何事《なにごと》も|神《かみ》のまにまに|任《まか》すこととなり、この|宴席《えんせき》を|無事《ぶじ》|閉《と》づることとなつた。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第一二章 |大魅勒《おほみろく》〔一七七九〕
ハリマの|森《もり》の|木蔭《こかげ》に|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|大男《おほをとこ》が|二人《ふたり》、ロハ|台《だい》に|腰《こし》をかけ、ヒソビソと|何事《なにごと》か|諜《しめ》し|合《あ》はしてゐる。
レール『オイ、マーク、スコブツエン|宗《しう》のキユーバーの|奴《やつ》、チウイン|太子《たいし》さまの|英断《えいだん》によつて、|小気味《こぎみ》よくも、アアして|牢獄《らうごく》へ|投《な》げ|込《こ》まれよつたが、しかし|吾々《われわれ》はこれを|聞《き》いて|安心《あんしん》するこた|出来《でき》ぬぢやないか。|噂《うはさ》に|聞《き》けば、|彼奴《あいつ》はラスプーチンのような|代物《しろもの》で、|千草姫《ちぐさひめ》の|歓心《くわんしん》を|買《か》ひ、|何《なん》でも|怪《け》しからぬ|事《こと》をやつてゐやがるといふ|事《こと》だ。どうしてもかうしても|牡鶏《めんどり》のコケコーを|唄《うた》ふ|時節《じせつ》だから、|刹帝利《せつていり》の|権威《けんゐ》も、|賢明《けんめい》なる|太子《たいし》の|権威《けんゐ》も|蹂躙《じうりん》して、きつと|千草姫《ちぐさひめ》が|彼奴《あいつ》を|救《すく》ひ|出《だ》すに|違《ちが》ひない。さうなつたが|最後《さいご》、ますます|資本主義《しほんしゆぎ》の|制度《せいど》を|布《し》き、われわれ|下層階級《かそうかいきふ》に|対《たい》し、|圧迫《あつぱく》と|搾取《さくしゆ》をもつて|臨《のぞ》み、|世《よ》に|立《た》てないやうな|悪政《あくせい》を|布《し》くに|違《ちが》ひない。さうだから|吾々《われわれ》は|向上運動《かうじやううんどう》の|代表者《だいへうしや》たる|立場《たちば》から、|一時《いちじ》も|早《はや》く|彼奴《あいつ》を|何《なん》とかしなくちや、|枕《まくら》を|高《たか》くして|寝《ね》ることが|出来《でき》ぬぢやないか。かうして|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|扮装《いでたち》でお|前《まへ》をすすめて|出《で》て|来《き》たが、|決《けつ》して|強盗《がうたう》をやる|考《かんが》へぢやない。かれラスプーチンを|今《いま》の|内《うち》に|屠《ほふ》つておかうとの|考《かんが》へから、お|前《まへ》をボロイ|銭儲《ぜにもうけ》があるといつて、|甘《うま》くここまでおびき|出《だ》したのだ』
マーク『なアんだい、|俺《おれ》ヤまた|二進《につち》も|三進《さつち》も|生活難《せいくわつなん》に|追《お》はれて|立行《たちゆ》かないものだから、たうとう|汝《なんぢ》が|生地《きぢ》を|現《あら》はし、|今晩《こんばん》|泥棒《どろばう》の|初旅《はつたび》に|出《で》ようと|思《おも》ひ、|俺《おれ》に|応援《おうゑん》を|頼《たの》みに|来《き》よつたのだと|早合点《はやがつてん》してゐたのだ。|俺《おれ》だつて|怖《こは》い|目《め》をして、|人家《じんか》に|忍《しの》び|入《い》り、あるひは|行人《かうじん》を|掠《かす》めて、|思《おも》つただけの|金《かね》が|取《と》レールか、|取《と》れぬか|分《わか》らないが、|生死《せいし》を|共《とも》にしようと|約《やく》した|友人《いうじん》の|言葉《ことば》でもあり、|断《ことわ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|今日《けふ》からいよいよ|太《ふと》う|短《みじか》う|此《この》|世《よ》を|暮《くら》す|泥棒様《どろばうさま》になるのかなア……と|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》めてやつて|来《き》たのだ。しかしお|前《まへ》の|肚《はら》を|聞《き》いて|俺《おれ》も|安心《あんしん》した。|国家《こくか》の|毒虫《どくむし》を|駆除《くぢよ》するは|正《まさ》に|国士《こくし》たる|者《もの》の|任務《にんむ》だ。ベツトの|行《おこな》はれない|世《よ》の|中《なか》は|改革《かいかく》も|善政《ぜんせい》もあつたものぢやない。どうか|一《ひと》つラスプーチンを|血祭《ちまつ》りにしてブル|宗教《しうけう》の|心胆《しんたん》を|寒《さむ》からしめ、|偽宗教家《にせしうけうか》の|腸《はらわた》をデングリ|返《がへ》してやらなけりや|駄目《だめ》だよ。|俺《おれ》|達《たち》や|別《べつ》に|乱暴《らんばう》な|事《こと》をせなくても、ラマ|階級《かいきふ》の|奴等《やつら》に|乱暴者《らんばうもの》として、|怖《こは》がられてゐるのだから、|何時《いつ》どんな|計画《けいくわく》を|以《もつ》てその|穴《あな》へ|陥《おとしい》れられ、|宰相《さいしやう》ベツト|未遂《みすゐ》の|嫌疑者《けんぎしや》として○○|本山《ほんざん》へ|拘引《こういん》されるか|知《し》れたものぢやない。|同《おな》じ|事《こと》なら|今《いま》の|内《うち》に|彼奴《あいつ》を|屠《ほふ》つておかねば、|彼奴《あいつ》が|擡頭《たいとう》した|時《とき》や、|俺《おれ》たちを|向上会撲滅令《かうじやうくわいぼくめつれい》とか、|暴力団取締令《ばうりよくだんとりしまりれい》とか、|何《なん》とか|彼《か》とか|下《くだ》らぬ|法律《はふりつ》を|発布《はつぷ》して、ますます|俺《おれ》たち|仲間《なかま》を|苦《くる》しめ|殺《ころ》さうとするに|違《ちが》ひない。|本当《ほんたう》に|彼奴《あいつ》が|投獄《とうごく》されてゐるのを|幸《さいは》ひ、|今晩《こんばん》は|何《なん》とかして|彼奴《あいつ》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|暗《くら》がりでシヤモを|絞《し》める|様《さま》にやつつけやうぢやないか』
レ『ヤ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、サアもう|牢番《らうばん》の|寝静《ねしづ》まる|時分《じぶん》だ。サア、|行《ゆ》かう』
と|二人《ふたり》は|木蔭《こかげ》の|暗《やみ》を|伝《つた》うて、トルマン|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》の|裏門《うらもん》へと|進《すす》んだ。
レ『オイ、なかなか|此奴《こいつ》ア、ちよつと、|壁《かべ》が|高《たか》うて|飛越《とびこ》えるわけにもゆかず、|困《こま》つたなア』
マ『どつかの|軒下《のきした》で|梯子《はしご》でも|探《さが》して|来《き》て、|入《い》らうでないか。そして|中《なか》へ|入《い》つたら|最後《さいご》、まづ|第一《だいいち》に|門《もん》の|閂《かんぬき》を|外《はづ》し、|何時《いつ》でも|逃出《にげだ》せるようにしとくのだぞ。これから|俺《おれ》がそこらの|町家《ちやうか》の|軒《のき》を|捜《さが》して|梯子《はしご》を|盗《ぬす》んで|来《く》るから、お|前《まへ》はキユーバーの|在所《ありか》を|考《かんが》へといてくれ。|彼奴《あいつ》は|魔法使《まはふつかひ》ひだから、|何時《いつ》も|青《あを》い|火《ひ》を|空中《くうちう》に|燃《も》やすことを|得意《とくい》としてる|奴《やつ》だ。その|魔術《まじゆつ》をもつて|布教《ふけう》の|手段《しゆだん》としてゐるのだ。また|彼奴《あいつ》ア、|屹度《きつと》その|魔法《まはふ》を|使《つか》ひ、|牢番《らうばん》どもを|驚《おどろ》かし、……|此奴《こいつ》ア|矢張《やつぱ》り|生神《いきがみ》さまだといふ|評判《へうばん》を|立《た》てさして、|一日《いちにち》も|早《はや》く|出獄《しゆつごく》の|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らしてゐるのに|違《ちが》ひないからのう』
レ『ウンそらさうだ。よく|考《かんが》へておかう』
かくしてマークは|暗《やみ》をぬうて|暫《しばら》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。レールは|後《あと》に|独《ひと》り|言《ごと》、
『あーあ、|本当《ほんたう》につまらないワ。|俺《おれ》たちは|向上会《かうじやうくわい》の|代表者《だいへうしや》となつてラマ|階級《かいきふ》を|打《う》ち|亡《ほろ》ぼし、|本当《ほんたう》に|平和《へいわ》な|世界《せかい》を|造《つく》らうと、|今年《ことし》で|十年《じふねん》の|間《あひだ》、|一日《いちにち》のごとく|寝食《しんしよく》を|忘《わす》れ、|妻子《さいし》は|寒《さむ》さと|飢《う》ゑとに|泣《な》いてるに|拘《かかは》らず、|昼夜《ちうや》|孜々《しし》として|活動《くわつどう》して|来《き》たが、|何《なん》といつても|強《つよ》い|者《もの》の|強《つよ》い、|弱《よわ》い|者《もの》の|弱《よわ》い|世《よ》の|中《なか》だ。|三人《さんにん》|寄《よ》つて|話《はなし》をしても|直様《すぐさま》|番僧《ばんそう》に|取捉《とつつか》まれ、|牢獄《らうごく》に|打込《ぶちこ》まれるやうな|険難《けんのん》な|世《よ》の|中《なか》だから、|手《て》も|足《あし》も|出《だ》せないワ。それにも|拘《かかは》らず、|大黒主《おほくろぬし》の|廻《まは》し|者《もの》たるキユーバーの|奴《やつ》、このトルマン|国《ごく》へ|出《で》て【うし】やがつて、トルマン|王家《わうけ》も|国民《こくみん》も|土芥《どかい》のごとくこき|卸《おろ》し、|大黒主《おほくろぬし》の|神徳《しんとく》を|賞揚《しやうやう》し、|邪教《じやけう》を|開《ひら》いてますます|吾々《われわれ》を|苦《くる》しめようとしてゐやがつたが、|賢明《けんめい》なるチウイン|太子《たいし》の|英断《えいだん》によつて、|国民《こくみん》|環視《くわんし》の|前《まへ》でふん|縛《じば》られやがつた|時《とき》の|愉快《ゆくわい》さ、|痛快《つうくわい》さ。|彼奴《あいつ》を|縛《しば》つた|時《とき》や、|決《けつ》して|彼奴《きやつ》|一人《ひとり》ぢやない。|彼奴《きやつ》に|買収《ばいしう》されてる|番僧《ばんそう》、ラマ|僧《そう》などは|頭上《づじやう》に|鉄槌《てつつい》を|下《おろ》されたやうなものだ。それにも|拘《かかは》らず、かれ|妖僧《えうそう》を|大奥方《おほおくがた》が|寵愛《ちようあい》してると|聞《き》いちや、|吾々《われわれ》は|最早《もはや》|黙過《もくくわ》するわけには|行《ゆ》かぬ。|国家《こくか》のためにこの|逆賊《ぎやくぞく》を|今夜《こんや》の|中《うち》に|誅伐《ちうばつ》しなくちや|取返《とりかへ》しがつかぬ。また|国難勃発《こくなんぼつぱつ》し、われわれ|国民《こくみん》を|苦《くる》しめるに|違《ちが》ひない。あーあマークの|奴《やつ》、どうしたのだらう。|早《はや》く|来《こ》ないかな。|何《なん》となく、|気《き》がせいて|仕方《しかた》ない。ぐづぐづしてると|牢番《らうばん》が|目《め》を|覚《さ》まし、あべこべに|自分《じぶん》たちが|牢獄《らうごく》に|打《う》ち|込《こ》まれるやうな|事《こと》になつちや|大変《たいへん》だがな』
と|呟《つぶや》いてゐる。
チウイン|太子《たいし》はジヤンクの|進言《しんげん》に|仍《よ》つて、|明早朝《みやうそうてう》キユーバーは|放免《はうめん》されば|再《ふたた》び|城内《じやうない》へ|帰《かへ》り|来《き》たり、|又《また》もや|母《はは》の|心胆《しんたん》をとろかし、|城内《じやうない》を|攪乱《かくらん》するに|相違《さうゐ》ない。|彼奴《あいつ》を|今夜《こんや》の|中《うち》に|引張《ひつぱ》り|出《だ》し、|荒井ケ嶽《あらゐがだけ》の|岩窟《がんくつ》に|牢番《らうばん》をつけて|閉《と》ぢ|込《こ》め|置《お》かむものと|微行《びかう》し|来《き》たり、|沙羅双樹《さらさうじゆ》の|木蔭《こかげ》に|身《み》を|潜《ひそ》めて|考《かんが》へてゐたが、|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|曲者《くせもの》が|二人《ふたり》をるので、|千草姫《ちぐさひめ》の|廻《まは》し|者《もの》ではないかと|耳《みみ》を|欹《そばた》て、いよいよさうでない|事《こと》が|分《わか》つたので、やや|安心《あんしん》の|胸《むね》を|撫《な》で|木蔭《こかげ》をツと|立出《たちい》で、|言葉《ことば》しづかに、
チウイン『お|前《まへ》は|何人《なにびと》ぢや。|最前《さいぜん》からの|話《はなし》を|聞《き》けば|実《じつ》に|可《い》い|志《こころざし》、|余《よ》も|大賛成《だいさんせい》だ。お|前《まへ》は|向上会員《かうじやうくわいゐん》と|見《み》えるが、|到底《たうてい》|一人《ひとり》や|二人《ふたり》で|彼《かれ》キユーバーを|奪《うば》ひ|出《だ》すわけにはゆくまい。|余《よ》はチウイン|太子《たいし》だが、これから|門番《もんばん》を|叩《たた》き|起《おこ》し、|余《よ》の|権威《けんゐ》をもつて|門《もん》を|開《ひら》かせ、キユーバーを|引《ひ》きずり|出《だ》す|考《かんが》へだからお|前《まへ》も|手伝《てつだ》つてくれ』
レ『ハイ、|私《わたし》はレールと|申《まを》しまして、|向上運動《かうじやううんどう》の|代表者《だいへうしや》でございますが、いま|太子様《たいしさま》のお|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|実《じつ》に|万民《ばんみん》のため|欣喜《きんき》に|堪《た》へませぬ。|如何《いか》なる|御用《ごよう》なりとも|御申《おんまを》し|付《つ》け|下《くだ》さいませ』
かく|話《はな》すところへ、マークは|長《なが》い|梯子《はしご》を|担《かた》げて、ハアハアと|息《いき》はずませながらやつて|来《き》た。
マ『オイ、レール、たうとう|梯子《はしご》|一本《いつぽん》|盗《ぬす》んで|来《き》た、サ、|早《はや》く|早《はや》く』
レ『ヤ、そりや|御苦労《ごくらう》だつた。しかしな、ここにチウイン|太子様《たいしさま》がお|見《み》えになつてゐるのだ』
マ『エ、エー』
と|言《い》つたきり、|吃驚《びつくり》して|地上《ちじやう》に|尻餅《しりもち》をつく。
チウ『ハハハハハ、ヤ、お|前《まへ》も|向上会員《かうじやうくわいゐん》か、|決《けつ》して|心配《しんぱい》|要《い》らぬ。|今《いま》この|男《をとこ》と|相談《さうだん》の|上《うへ》、キユーバーを|奪《うば》ひ|取《と》るべく|考《かんが》へてゐるところだ、|安心《あんしん》せ』
マ『ヤ、|賢明《けんめい》なる|太子様《たいしさま》、|有難《ありがた》うございます』
レ『もし|太子様《たいしさま》、かやうに|梯子《はしご》が|参《まゐ》りました|以上《いじやう》は|門番《もんばん》を|叩《たた》き|起《おこ》すにも|及《およ》びますまい。|左様《さやう》な|事《こと》をなさいますと、あなたがキユーバーを|取《と》り|逃《にが》し|遊《あそ》ばしたことが、|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》の|耳《みみ》に|入《はい》るは|当然《たうぜん》、|後《あと》の|御迷惑《ごめいわく》が|思《おも》ひやられますから、どうぞ|太子様《たいしさま》は|此処《ここ》に|待《ま》つてゐて|下《くだ》さりませ。われわれ|両人《りやうにん》、|牢番《らうばん》が|万一《まんいち》|抵抗《ていかう》すれば|擲《なぐ》り|倒《たふ》しておいてでも、かれ|悪魔《あくま》を|引《ひ》きずり|出《だ》して|参《まゐ》ります』
|太《たい》『なるほど、それも|一策《いつさく》だ、|一《ひと》つ|骨《ほね》を|折《を》つて|見《み》てくれ。その|代《かは》りに|此《こ》の|事《こと》が|成功《せいこう》したら、きつとお|前《まへ》に|褒美《ほうび》をやる』
レ『イヤ、めつさうな、|万民《ばんみん》のために|命《いのち》を|捨《す》ててる|私《わたし》、|褒美《ほうび》が|欲《ほ》しさにこんな|危《あぶ》ない|事《こと》が|出来《でき》ませうか。それよりも|万民《ばんみん》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》を、|心《こころ》をとめてお|聞《き》き|下《くだ》さいませ』
|太《たい》『イヤ、|余《よ》も|平素《へいそ》から|民《たみ》の|声《こゑ》を|聞《き》かむとし、いろいろと|変装《へんさう》して|市井《しせい》の|巷《ちまた》に|出入《しゆつにふ》し、お|前等《まへら》の|活動振《くわつどうぶ》りもよく|知《し》つてゐるのだ。|精々《せいぜい》|活動《くわつどう》してくれ。|今《いま》は|非常《ひじやう》に|妨害《ばうがい》が|強《つよ》うて|困《こま》るであらうが、やがて|勝利《しようり》の|都《みやこ》も|近《ちか》づくだらう』
|二人《ふたり》は|梯子《はしご》を|伝《つた》うて|猿《ましら》のごとく|塀《へい》を|乗《の》り|越《こ》え、|中《なか》より|門《もん》の|戸《と》をソツと|開《あ》けおき、どの|牢獄《らうごく》にキユーバーがゐるかとよくよく|伺《うかが》へば、パツパツと|青《あを》い|火《ひ》の|玉《たま》のごときものが|窓口《まどぐち》から、|消《き》えたり【とぼ】つたりしてゐる……ヤ、|的切《てつき》りここ……と|近《ちか》より|見《み》れば、|二人《ふたり》の|牢番《らうばん》が|高鼾《たかいびき》をかいて|椅子《いす》にもたれてゐる。|二人《ふたり》は|牢番《らうばん》の|腰《こし》に|下《さ》げてゐる|鍵《かぎ》をソツと|取《と》り、|錠《ぢやう》を|外《はづ》し、|一人《ひとり》は|中《なか》に|入《い》り、|一人《ひとり》は|牢番《らうばん》を|監視《かんし》しながら、キユーバーを|引出《ひきだ》し|来《き》たり、ソツと|門外《もんぐわい》に|首尾《しゆび》よく|伴《つ》れ|出《だ》した。|牢番《らうばん》はフツと|目《め》を|覚《さま》せば、|牢《らう》の|戸《と》は|開《あ》いてゐる。|自分《じぶん》の|腰《こし》の|鍵《かぎ》は|盗《ぬす》まれて|跡《あと》かたもない。にはかに「|牢破《らうやぶ》り|牢破《らうやぶ》り」と|呶鳴《どな》り|出《だ》した。この|声《こゑ》を|聞付《ききつ》けて、|牢屋《らうや》の|番人《ばんにん》は|一斉《いつせい》に|目《め》を|覚《さ》まし、|提灯《ちやうちん》や|松火《たいまつ》をさげて|前後左右《ぜんごさいう》にかけ|廻《まは》る。チウイン|太子《たいし》は|二人《ふたり》に|篤《とく》と|言《い》ひ|聞《き》かせ、|荒井ケ嶽《あらゐがだけ》の|岩窟《がんくつ》にキユーバーを|放《ほ》り|込《こ》み、レール、マークの|両人《りやうにん》に|沢山《たくさん》の|金《かね》を|与《あた》へて、ある|時機《じき》までこれを|警護《けいご》せしむる|事《こと》とした。|二人《ふたり》は|太子《たいし》の|旨《むね》を|奉《ほう》じ、|秘密《ひみつ》を|守《まも》り、わが|妻子《さいし》にもこれを|打明《うちあ》けなかつた。
|夜中《やちう》を|過《す》ぐれば|翌日《よくじつ》である……といふので、ジヤンクは|四五《しご》の|役人《やくにん》に|命《めい》じキユーバーを|放免《はうめん》すべく|遣《つか》はし|見《み》れば、|破獄《はごく》の|大騒動《おほさうどう》、|是非《ぜひ》とも|王《わう》および|千草姫《ちぐさひめ》に|報告《はうこく》せねばなるまいと、|王《わう》の|居間《ゐま》を|訪《おとづ》れ|見《み》れば、|既《すで》にチウイン|太子《たいし》は|王《わう》と|共《とも》に|何事《なにごと》か|首《くび》を|鳩《あつ》めて|囁《ささや》いてゐる。
ジヤ『|申《まを》し|上《あ》げます。|昨日《さくじつ》お|許《ゆるし》を|被《かうむ》りまして、かのキユーバーを|放免《はうめん》せむと、|小役人《こやくにん》を|遣《つか》はし|調《しら》べ|見《み》れば、|何人《なにびと》かに|盗《ぬす》み|去《さ》られ、|牢屋《らうや》の|番人《ばんにん》どもは|周章狼狽《しうしやうらうばい》いたしてをりまする。|万一《まんいち》かれ、ハルナの|都《みやこ》へ|逃《に》げ|帰《かへ》り、|大黒主《おほくろぬし》の|前《まへ》に|出《い》で、|数万《すうまん》の|兵士《へいし》を|拝借《はいしやく》し、|再《ふたた》び|捲土重来《けんどぢうらい》いたせば|忌々《ゆゆ》しき|大事《だいじ》でございますれば、|人《ひと》を|今《いま》の|中《うち》|八方《はつぱう》に|派《は》し、|彼《かれ》の|在所《ありか》を|捜索《さうさく》|致《いた》したく|存《ぞん》じます』
|王《わう》および|太子《たいし》は|平然《へいぜん》として|別《べつ》に|驚《おどろ》きもせず、
|王《わう》『ナニ、キユーバーが|破獄《はごく》|逃走《たうそう》したと|言《い》ふのか。|捨《す》てとけ|捨《す》てとけ、|別《べつ》に|心配《しんぱい》するには|及《およ》ぶまい』
ジヤ『|仰《おほ》せではございまするが、|今《いま》の|中《うち》かれの|在処《ありか》を|突《つ》き|止《と》め、ハルナの|都《みやこ》へ|逃《に》げ|帰《かへ》らないやうの|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らさねばなりますまい。どうか|此《こ》の|儀《ぎ》を|老臣《らうしん》にお|命《めい》じ|下《くだ》さいますやう……』
|太《たい》『ヤ、ジヤンク|殿《どの》、|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なさるな。|余《よ》に|心当《こころあた》りがある。|決《けつ》して|決《けつ》してハルナの|都《みやこ》へ|逃《に》げ|帰《かへ》るやうな|事《こと》はさせぬ。ともかく|余《よ》を|信《しん》じてくれ』
ジヤ『|外《ほか》ならぬ|太子様《たいしさま》のお|言葉《ことば》、|万々《ばんばん》|抜目《ぬけめ》はございますまい。しからば|老臣《らうしん》はこれにて|下《さが》りませう』
|千草姫《ちぐさひめ》は|気《き》が|立《た》つて|一目《ひとめ》も|眠《ねむ》られず、|且《か》つまた|聴覚《ちやうかく》が|非常《ひじやう》に|鋭敏《えいびん》と|為《な》り、|蚊《か》の|囁《ささや》きでさへも、|耳《みみ》に|入《い》るやうになつてゐた。ドアを|排《はい》して|王《わう》の|室《しつ》に|入《い》り|来《き》たり、
『コレ|伜《せがれ》チウイン、いま|其方《そなた》の|言葉《ことば》を|聞《き》けば、キユーバーの|身《み》の|上《うへ》につき、|何《なに》か|確信《かくしん》あるものの|如《ごと》く|言《い》つてをつたぢやないか。サ、|母《はは》の|権威《けんゐ》をもつて|飽《あ》くまでも|詮索《せんさく》する。どこへ|隠《かく》したのだ。|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》しなさい』
|太《たい》『|母上様《ははうへさま》、|私《わたし》がそんな|事《こと》を|知《し》らう|道理《だうり》がございますか。|今《いま》ジヤンクの|注進《ちうしん》によつてキユーバーの|姿《すがた》が|見《み》えなくなつた|事《こと》を|知《し》り、|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》をしてゐたところでございますよ』
|千草《ちぐさ》『いやいやさうは|言《い》はせませぬぞや。お|前《まへ》の|言葉《ことば》の|端《はし》にチヤンと|現《あら》はれてゐる。キユーバーを|隠《かく》した|張本人《ちやうほんにん》はお|前《まへ》だらうがな』
|太《たい》『これは|怪《け》しからぬ。|苟《いやし》くも|太子《たいし》の|身《み》をもつて|夜夜中《よるよなか》、|牢獄《らうごく》などへ|参《まゐ》れますか』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ|参《まゐ》れないお|方《かた》がお|出《い》で|遊《あそ》ばすのだから|妙《めう》だよ。そなたは|太子《たいし》の|身《み》をもちながら、|何時《いつ》も|王様《わうさま》の|目《め》を|忍《しの》び、|市井《しせい》の|巷《ちまた》に|出没《しゆつぼつ》し、|下層階級《かそうかいきふ》と|交際《かうさい》をしたり、|賤《いや》しい|女《をんな》に|戯《たはむ》れてるといふ|噂《うはさ》だから、|牢獄《らうごく》などへ|行《ゆ》くのは|朝飯前《あさめしまへ》だよ。そんな|事《こと》を|言《い》つて、この|千草姫《ちぐさひめ》、|大《おほ》【みろく】の|生宮《いきみや》を|胡麻化《ごまくわ》さうとしても|駄目《だめ》でござんすぞえ』
|太《たい》『|母上様《ははうへさま》、あなた|妙《めう》なことを|仰《おほ》せられますな。|今《いま》まで|一度《いちど》も|聞《き》いたことのない、|大《おほ》【みろく】の|生宮《いきみや》とは、|誰《たれ》に|左様《さやう》なことをお|聞《き》きなさいました』
|千草《ちぐさ》『ヘン、お|前《まへ》らの|青二才《あをにさい》が|分《わか》つてたまりますかい。この|母《はは》はな、|神様《かみさま》から|聞《き》いたのだよ。この|肉体《にくたい》は|今日《けふ》より|改《あらた》めて、|下津岩根《したついはね》の|大《おほ》【みろく】|様《さま》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》でござんすぞや。チツポケなトルマン|国《ごく》の|王妃《わうひ》だなんて|思《おも》つてもらつちや、この|神柱《かむばしら》もチツとばかり|困《こま》りますよ。ホホホホホホあのマア、|王様《わうさま》といひ、ジヤンクといひ、|太子《たいし》といひ、|約《つま》らなささうなお|面《かほ》わいの。それほどこの|千草姫《ちぐさひめ》が、にはかに|神柱《かむばしら》になつたのが|不思議《ふしぎ》でございますか。|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|見《み》えすく|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》でございますぞや』
|太《たい》『あ、|左様《さやう》でございますか。ソラ|誠《まこと》に|結構《けつこう》、|照国別《てるくにわけ》|様《さま》が|当城《たうじやう》へお|越《こ》し|下《くだ》さいましたその|神徳《しんとく》によつて、|母上様《ははうへさま》も|俄《には》かにお|神懸《かむがかり》におなり|遊《あそ》ばし、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》といふやうな、|立派《りつぱ》なエンゼルの|肉宮《にくみや》に|御出世《ごしゆつせ》|遊《あそ》ばしたのでございませう。ついては|屹度《きつと》キユーバーの|在処《ありか》ぐらゐはお|分《わか》りになるでございませうな』
|千草《ちぐさ》『きまつた|事《こと》だよ。|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|肉宮《にくみや》だもの』
|太《たい》『|成《な》るほど、それは|結構《けつこう》な|神様《かみさま》でございます。しからばどうかキユーバーの|在所《ありか》をお|知《し》らせ|下《くだ》さいませ。それさへお|分《わか》りになりますれば、|母上《ははうへ》を|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|奉《たてまつ》り、|父上様《ちちうへさま》も|喜《よろこ》んで、|政治《せいぢ》|万端《ばんたん》をお|任《まか》せになるでございませう』
|千草《ちぐさ》『ホホホホホホ、|小賢《こざか》しい、コレ|伜《せがれ》、お|前《まへ》は|母《はは》をやり|込《こ》めるつもりだな。|未《ま》だこの|母《はは》を|疑《うたが》つてゐらつしやるのか、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|間違《まちが》ひはござらぬぞや。|神《かみ》は|決《けつ》して|嘘《うそ》は|申《まを》さぬぞや。|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】|様《さま》の|太柱《ふとばしら》に|対《たい》して、|易見《えきみ》か|何《なん》ぞのやうにキユーバーの|在所《ありか》が|分《わか》つたら、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|信《しん》じます……などと、ヘン|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さるな。|相応《さうおう》の|理《り》によつて、この|千草姫《ちぐさひめ》は|第一霊国《だいいちれいごく》に|感応《かんおう》し、|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》に|比《ひ》すべき|牢獄《らうごく》などは|決《けつ》して|覗《のぞ》きませぬぞや。|左様《さやう》な|所《ところ》へ|天眼通《てんがんつう》を|使《つか》はふものなら、|折角《せつかく》の|智慧証覚《ちゑしようかく》は|鈍《にぶ》り、|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》とならねばなりませぬ。|大《だい》それた|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》に、|牢獄《らうごく》に|投《とう》じてあつた|者《もの》の|在所《ありか》を|知《し》らせ……などとは、|物《もの》の|道理《だうり》を|知《し》らぬのにも|程《ほど》があるぢやないか、ホホホホホホ。|何《なに》ほど|賢《かしこ》いといつても、|現界《げんかい》の|事《こと》はともかく、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》は|到底《たうてい》|分《わか》りますまいがな。サアこれから|此《こ》のトルマン|国《ごく》は|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》が|現《あら》はれ、|国政《こくせい》を|握《にぎ》り、|三千世界《さんぜんせかい》を|五六七《みろく》の|世《よ》に|致《いた》す|根源地《こんげんち》と|定《さだ》めるから、|左様《さやう》お|心得《こころえ》なされ。|肉体《にくたい》の|上《うへ》からは、|王様《わうさま》は|千草姫《ちぐさひめ》の|夫《をつと》なれど、|神《かみ》から|言《い》へば|奴《やつこ》も|同然《どうぜん》、|天地霄壤《てんちせうじやう》の|差異《さい》がございますぞや。これからの|政治《せいぢ》は|神《かみ》がいたします。|善悪邪正《ぜんあくじやせい》はこの|生宮《いきみや》が|審《さば》かねば|駄目《だめ》ですよ。|昨日《きのふ》も|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|謡《うた》つてゐたぢやありませぬか。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|立分《たてわ》ける……と。いよいよ|千草姫《ちぐさひめ》の|肉体《にくたい》を|機関《きくわん》とし、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》に|大《おほ》【みろく】|様《さま》の|精霊《せいれい》を|宿《やど》し、|日《ひ》の|出神《でのかみ》となつて|現《あら》はれ|給《たま》うた、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》だぞえ。ホツホホホホホあのマア|刹帝利殿《せつていりどの》の|六《むつ》かしい|面《つら》わいの、チウインの|情《なさ》けなささうな|面付《つらつき》、ウツフフフフフフ』
と|笑《わら》ひこけてしまつた。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第一三章 |喃悶題《なんもんだい》〔一七八〇〕
|千草姫《ちぐさひめ》は|左守司《さもりのかみ》の|妻《つま》モクレン|同《おな》じく|娘《むすめ》テイラ|姫《ひめ》、|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスを|膝下《しつか》|近《ちか》く|呼《よ》び|寄《よ》せ、|薬籠中《やくろうちう》のものとなしおかむと、あらゆる|歓待《くわんたい》を|尽《つく》してゐる。モクレン、テイラ、ハリスの|三人《さんにん》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|千草姫《ちぐさひめ》の|御殿《ごてん》に|卓《テーブル》を|囲《かこ》んで|千草姫《ちぐさひめ》が|心《こころ》からの|馳走《ちそう》を|頂《いただ》いてゐた。|千草姫《ちぐさひめ》は|一同《いちどう》に|向《む》かひ、
『これ、モクレンさま、|其方《そなた》は|国家《こくか》のために|一命《いちめい》を|捨《す》てた|左守様《さもりさま》の|奥様《おくさま》だから、|女《をんな》とはいへトルマン|国《ごく》にとつては|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》、|誰《たれ》よりも|彼《か》よりも|大切《たいせつ》にせなくてはならない|方《かた》だから、|今後《こんご》も|国家《こくか》のため|妾《わたし》と|共《とも》に|十分《じふぶん》の|力《ちから》を|尽《つく》して|下《くだ》さいや』
モクレン『ハイ、|有《あ》り|難《がた》き|姫様《ひめさま》のお|言葉《ことば》ではござりまするが、お|見《み》かけ|通《どほ》り、もはや|老齢《らうれい》、|何《なん》の|用《よう》にも|立《た》ちませぬのでお|恥《は》づかしうござります』
|千草《ちぐさ》『これこれそりや|何《なに》をまた、|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|言《い》ふのだい。お|前《まへ》さまもトルマン|国《ごく》において|第一人者《だいいちにんしや》たる|左守司《さもりのかみ》の|未亡人《みばうじん》ぢやないか。|夫《をつと》が|討死《うちじに》された|以上《いじやう》は、|賢母良妻《けんぼりやうさい》の|実《じつ》を|挙《あ》げ、|夫《をつと》にまさる|活動《くわつどう》をせなくちや|済《す》みますまい。これからこの|千草姫《ちぐさひめ》が|其方《そなた》に|対《たい》し、|無限《むげん》の|神徳《しんとく》を|与《あた》へるから|力《ちから》|一《いつ》ぱい|千草姫《ちぐさひめ》のため|活動《くわつどう》して|下《くだ》さい。それが、つまり|王様《わうさま》のためとなり、またトルマン|国《ごく》|一般《いつぱん》のためともなるのだからなア』
『ハイ、|有難《ありがた》うござります。|妾《わらは》のやうな|年《とし》をとつた|老耄《おいぼれ》、|何《なん》の|用《よう》にも|立《た》ちますまいが、|姫様《ひめさま》の|御用《ごよう》とあれば|否《いな》むわけには|行《ゆ》きませぬ。|何《なん》なりと|御用《ごよう》|仰《おほ》せつけ|下《くだ》さいますれば|力《ちから》のあらむ|限《かぎ》り、きつとおつとめ|致《いた》しませう』
『イヤ、|満足々々《まんぞくまんぞく》、それでこそ|左守《さもり》の|妻《つま》モクレン|殿《どの》、この|千草姫《ちぐさひめ》は|今《いま》までの|千草《ちぐさ》とは|聊《いささ》か|変《かは》つてゐますから、その|考《かんが》へでゐて|下《くだ》さいや。|決《けつ》してこの|千草姫《ちぐさひめ》は|発狂《はつきやう》はしてをりませぬ。いよいよ|今日《こんにち》より|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|霊体《れいたい》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》でござるぞや。|今日《けふ》まではトルマン|国《ごく》ガーデン|王《わう》の|王妃《わうひ》として|内政《ないせい》に|干与《かんよ》いたしてをつたが、もはや|左様《さやう》な|小《ちひ》さい|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|天《てん》の|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の|大《おほ》【みろく】の|霊体《れいたい》として、この|地上《ちじやう》に|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|三千世界《さんぜんせかい》を|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》し|遊《あそ》ばす|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|活動《くわつどう》。|其方《そなた》も|余程《よほど》しつかりして|下《くだ》さらぬと、|此《この》|世《よ》の|大望《たいまう》、|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》しがおそくなりますからな』
|千草姫《ちぐさひめ》のこの|意外《いぐわい》の|言《げん》にモクレンも、テイラも、ハリスも|呆《あき》れはて、たがひに|顔《かほ》を|見合《みあは》せて|舌《した》を|捲《ま》き、|目《め》を|瞠《みは》つた。
|千草《ちぐさ》『これ、ハリス、お|前《まへ》はいま|舌《した》を|捲《ま》いてゐたぢやないか。|妾《わらは》の|言《い》ふ|事《こと》が、それほど|可笑《をか》しいのか。なぜ|真面目《まじめ》に|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》をお|聞《き》きなさらぬのだい』
ハリス『ハイ、|誠《まこと》に|畏《おそ》れ|入《い》りましてござります。|王妃様《わうひさま》とばかり|今《いま》の|今《いま》まで|存《ぞん》じましたのに、|途方《とはう》もない|大《おほ》きい|大《おほ》【みろく】|様《さま》の|御霊体《ごれいたい》とやら、|心《こころ》|小《ちひ》さき|吾々《われわれ》には|真偽《しんぎ》に|迷《まよ》ひ、|茫然《ばうぜん》と|致《いた》しました』
『オツホホホホ、そらさうだろう。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》と、トルマン|国《ごく》の|右守司《うもりのかみ》の|娘《むすめ》とを|比較《ひかく》すれば、|象《ざう》と|黴菌《ばいきん》とよりまだ|懸隔《けんかく》があるのだから、|分《わか》らぬのも|無理《むり》はない。|然《しか》しながらこの|千草姫《ちぐさひめ》を|何《なん》と|思《おも》ひますか、よもや|狂人《きちがひ》とは|思《おも》はないでせうな』
『|勿体《もつたい》ない|姫様《ひめさま》を、どうして|狂人《きちがひ》と|見《み》られませう』
|千草《ちぐさ》『そんなら、|其方《そなた》この|肉宮《にくみや》を、どう|考《かんが》へるか』
と|矢《や》つぎ|早《ば》やに|問《と》ひつめられ、
ハリ『ハイ、|到底《たうてい》|黴菌《ばいきん》の|分際《ぶんざい》として|宇宙大《うちうだい》の|神様《かみさま》のこと、|御神徳《ごしんとく》|高《たか》き|王妃様《わうひさま》の|御身《おんみ》の|上《うへ》が|分《わか》つて|堪《たま》りませうか。ただ|有難《ありがた》し|勿体《もつたい》なしと|申《まを》すより|外《ほか》に|言葉《ことば》はござりませぬ』
『なるほどなるほど、そらさうだ。お|前《まへ》のいふ|通《とほ》り、|神《かみ》の|事《こと》は|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》で|分《わか》りさうな|事《こと》はないからな。この|千草姫《ちぐさひめ》を【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|信《しん》じた|以上《いじやう》は、|何事《なにごと》でも|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》ふでせうな』
『ハイ、|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》ひます。|生宮様《いきみやさま》のお|言葉《ことば》ならば、たとへ|山《やま》を|逆様《さかさま》に|登《のぼ》れとおつしやつても|登《のぼ》つて|見《み》せませう』
『ホホホホさすがは|右守《うもり》の|忘《わす》れ|形見《がたみ》だけあつて|偉《えら》いものだな。これからこの|生宮《いきみや》が|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》と|現《あら》はれるについて、|其方《そなた》を|立派《りつぱ》な|三千世界《さんぜんせかい》にまたとない|結構《けつこう》なお|方《かた》とし、|万古末代《まんごまつだい》|名《な》の|残《のこ》る|御用《ごよう》を|仰《おほ》せ|付《つ》けるほどに……』
『ハイ、|有難《ありがた》うござります。|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》しまする』
|千草《ちぐさ》『ウン、よしよし、|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、たしかに|承知《しようち》いたしたぞや。|次《つぎ》には|左守《さもり》の|娘《むすめ》テイラ|殿《どの》はこの|生宮《いきみや》を|何《なん》と|心得《こころえ》てござるか、|御意見《ごいけん》を|承《うけたまは》りたいものだな』
テイラ『ハイ、|妾《わらは》は、どう|致《いた》しましても、ガーデン|王《わう》の|王妃様《わうひさま》とより|思《おも》ふことが|出来《でき》ませぬ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》とか|底津岩根《そこついはね》の【みろく】とかおつしやりましたが、|今日《こんにち》まで|一度《いちど》もまだ|承《うけたまは》つた|事《こと》がござりませぬので、|心《こころ》の|中《うち》にて|真偽《しんぎ》の|判別《はんべつ》に|迷《まよ》うてをります』
『|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|神《かみ》に|対《たい》し、|真偽《しんぎ》の|判別《はんべつ》に|迷《まよ》ふとは、|何《なん》たる|不遜《ふそん》の|言葉《ことば》ぞや。|一寸先《いつすんさき》も|分《わか》らぬ|人間《にんげん》が|三千世界《さんぜんせかい》を|一目《ひとめ》に|見通《みとほ》す|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|審神《さには》いたすなどとは|以《もつ》ての|外《ほか》の|悪行《あくぎやう》、|左様《さやう》な|不心得《ふこころえ》な|了簡《れうけん》では、|左守《さもり》の|娘《むすめ》とは|言《い》はせませぬぞや』
『ハイ、|畏《おそ》れ|入《い》りました。あまり|俄《には》かのことで|吃驚《びつくり》いたしまして、ツイ|粗相《そさう》を|申《まを》しました。どうぞ|広《ひろ》き|御心《みこころ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しを|願《ねが》ひ|上《あ》げまする』
『ウンさう|柔順《おとなし》く|事《こと》が|分《わか》ればそれでよい。この|生宮《いきみや》の|正体《しやうたい》が|分《わか》らぬのが|本当《ほんたう》だ。|何《なん》といつても|三千世界《さんぜんせかい》を|救《すく》ふために、いろいろ|雑多《ざつた》とヘグレてヘグレて|来《き》た|此《この》|方《はう》、それぢやによつてヘグレのヘグレのヘグレ|武者《むしや》、ヘグレ|神社《じんしや》の|大神《おほかみ》と、|神界《しんかい》では|申《まを》すのぢやぞえ』
『ハイ、|有難《ありがた》うござります』
『|何《なに》が|有難《ありがた》いのだ。|妾《わらは》の|言葉《ことば》が|承知《しようち》が|行《い》つたのか。ただ|王妃様《わうひさま》だから|何事《なにごと》もご|無理《むり》ご|尤《もつと》も、ヘイヘイハイハイと、|面従《めんじう》してさへをればいいといふやうなズルイ|考《かんが》へは|駄目《だめ》ですよ。|人民《じんみん》の|心《こころ》のドン|底《ぞこ》まで|見《み》えすく|生神《いきがみ》だから』
『|左様《さやう》でござります。|妾《わらは》は|決《けつ》して|疑《うたが》ひはいたしませぬ。ただ|神様《かみさま》の|御心《みこころ》のまにまに|御用《ごよう》に|仕《つか》へ|奉《まつ》るだけでござります』
『なるほど、さすがは|左守《さもり》の|忘《わす》れ|形見《がたみ》だけあつて、よくものが|分《わか》るわい。きつとこの|千草姫《ちぐさひめ》の|肉宮《にくみや》に|対《たい》して|一言《いちごん》たりとも|反《そむ》きは|致《いた》しますまいな。|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》ふでせうな』
『ハイ、|何事《なにごと》も|主人《しゆじん》の|申《まを》し|付《つ》け、|絶対服従《ぜつたいふくじう》をいたしませう』
『これこれ、それや|何《なに》を|言《い》ふのぢやいな。この|生宮《いきみや》を|人間《にんげん》としての|御挨拶《ごあいさつ》は|痛《いた》み|入《い》る。|主人《しゆじん》の|命令《めいれい》などとは|怪《け》しからぬ、|生宮様《いきみやさま》の|御命令《ごめいれい》だと|何故《なぜ》|申《まを》さないのか』
『ハイ、|粗相《そさう》|申《まを》しました。|生宮様《いきみやさま》の|御命令《ごめいれい》ならば、|如何《いか》なる|御用《ごよう》でも|厭《いと》ひませぬ。たとへ|火《ひ》の|中《なか》、|水《みづ》の|底《そこ》でも、|喜《よろこ》んで|御用《ごよう》を|承《うけたまは》りませう』
|千草《ちぐさ》『ホホホホヤレヤレ|嬉《うれ》しや|嬉《うれ》しや、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|満足《まんぞく》いたしたぞや。|命令《めいれい》とあれば|山《やま》を|逆様《さかさま》に|歩《ある》くハリス|姫《ひめ》、|火《ひ》の|中《なか》、|水《みづ》の|底《そこ》へでも|喜《よろこ》んで|飛《と》び|込《こ》むといふテイラ|殿《どの》、これだけの|決死隊《けつしたい》が|出来《でき》た|上《うへ》は、この|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》も|大磐石《だいばんじやく》。それについてはモクレン|殿《どの》は|如何《いかが》の|御了簡《ごれうけん》か、キツパリ、それが|承《うけたまは》りたい』
モク『|仰《おほ》せまでもなく|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》ひます』
『|絶対服従《ぜつたいふくじう》では、あまり|答弁《たふべん》がボツとしてゐるぢやないか。|火《ひ》の|中《なか》を|潜《くぐ》るとか、|水《みづ》の|底《そこ》を|潜《くぐ》るとか、|山《やま》を|逆様《さかさま》に|登《のぼ》るとか、|何《なん》とか|的確《てきかく》な|返答《へんたふ》がありさうなものぢやなア』
『ハイ、|左様《さやう》ならば、|妾《わらは》は|御命令《ごめいれい》とあらば|神《かみ》の|贄《いけにえ》となつて|暖《あたた》かい|血潮《ちしほ》を|奉《たてまつ》りませう』
『ウン、よしよし、|其方《そなた》こそ|秀逸《しういつ》だ。さすがは|右守司《うもりのかみ》の|未亡人《みばうじん》、|千草姫《ちぐさひめ》、いやいや|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|感《かん》じ|入《い》りましたぞや。サア|早速《さつそく》、かう|話《はなし》がまとまれば、|今《いま》この|生宮《いきみや》がテイラ、ハリスの|両人《りやうにん》に|御用《ごよう》を|申《まを》し|付《つ》ける』
テイラ、ハリス|両人《りやうにん》は|一度《いちど》に「ハツ」と|頭《かしら》を|下《さ》げ、
『|如何《いか》なる|御命令《ごめいれい》なりとも|謹《つつし》んでお|受《う》け|仕《つかまつ》ります』
|千草《ちぐさ》『ホホホさすがは|賢女《けんぢよ》だ。しからば|早速《さつそく》|御用《ごよう》を|申《まを》し|付《つ》ける。|其方《そなた》も|聞《き》いてゐる|通《とほ》り、スコブツエン|宗《しう》の|名僧《めいそう》キユーバー|殿《どの》の|行方《ゆくへ》を、テイラ|殿《どの》は|探《さが》して|来《き》て|下《くだ》さい』
テイ『|何《いづ》れへ|参《まゐ》りましたら|宜《よろ》しうござりますか。どうか|神様《かみさま》、お|指図《さしづ》を|下《くだ》さりませ』
『|探《さが》しに|行《ゆ》くやうなものに、|方角《はうがく》が|分《わか》る|道理《だうり》があらうか。どちらに|行《ゆ》けばよいか|分《わか》らぬから、|捜索《そうさく》に|出《で》ようと|申《まを》すのだ』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました。|然《しか》らば、これから|直《す》ぐさま、お|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて|参《まゐ》りませう。どうか|王様《わうさま》にも|太子様《たいしさま》にも、よろしく|御承諾《ごしようだく》を|願《ねが》つて|下《くだ》さいませよ』
『これ、テイラ、|何《なん》といふ|分《わか》らぬ|事《こと》を|申《まを》すのだえ。|王様《わうさま》は|僅《わづ》かなトルマン|国《ごく》の|主権者《しゆけんじや》、|三十万人《さんじふまんにん》の|父上《ちちうへ》ぢやぞえ。|太子《たいし》は|又《また》、その|後継《あとつぎ》、|今《いま》は|何《なん》の|権威《けんゐ》もない|部屋住《へやずみ》ぢやぞや。|五十六億七千万人《ごじふろくおくしちせんまんにん》の|霊《みたま》を|救《すく》ふ|三千世界《さんぜんせかい》の|生宮《いきみや》の|言葉《ことば》を|何《なん》と|心得《こころえ》なさる』
テイ『ハイ、|畏《おそ》れ|入《い》りました』
とこの|場《ば》を|匆々《さうさう》に|立《た》ち、
『|皆様《みなさま》、|左様《さやう》ならば』
と|挨拶《あいさつ》を|残《のこ》し|出《で》て|行《ゆ》かむとする。|母《はは》モクレンは、
『これテイラ|姫《ひめ》、|生宮様《いきみやさま》の|御命令《ごめいれい》とは|言《い》ひながら、|其方《そなた》もやはりガーデン|王《わう》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|左守《さもり》の|娘《むすめ》なれば、|一応《いちおう》|王様《わうさま》に|御挨拶《ごあいさつ》|申《まを》し|上《あ》げた|上《うへ》、キユーバー|殿《どの》の|捜索《そうさく》においでなさるがよからう。|母《はは》として|一言《いちごん》、|注意《ちうい》いたしますぞや』
|千草《ちぐさ》『これこれモクレン、|何《なん》といふ|分《わか》らぬ|事《こと》を|申《まを》すのだい。テイラはこの|生宮《いきみや》の|申《まを》す|事《こと》を|絶対服従《ぜつたいふくじう》|致《いた》すと|言《い》つたではないか』
モク『ハイ、|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》を|申《まを》しました。テイラ、|早《はや》く、サア、おいでなさい』
と|言《い》ひながら、「|王様《わうさま》に|一応《いちおう》|申《まを》し|上《あ》げよ」と、|口《くち》には|出《だ》さねど|目《め》をもつてこれを|伝《つた》へた。
テイラは|母《はは》モクレンの|心《こころ》を|汲《く》みとり、さあらぬ|態《てい》にて、
『|左様《さやう》ならばいよいよ|捜索《そうさく》に|参《まゐ》ります。|生宮様《いきみやさま》、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|早《はや》くも|此《こ》の|場《ば》を|立去《たちさ》つた。
|千草《ちぐさ》『オツホホホホ、ヤア、さすがは|偉《えら》いテイラ|殿《どの》。これモクレン、お|喜《よろこ》びなさい。|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御用《ごよう》を|第一番《だいいちばん》にいたしたのは、そなたの|娘《むすめ》テイラでござるぞや。サア|早《はや》く|神様《かみさま》にお|礼《れい》を|申《まを》しや』
モクレンは|仕方《しかた》なしに|両掌《りやうて》を|合《あは》せ、|天《てん》に|向《む》かつて|暗祈黙祷《あんきもくたう》してゐる。
|千草《ちぐさ》『コレコレ、あまり|訳《わけ》が|分《わか》らなさすぎるぢやないか。モクレン、|其方《そなた》はどこを|拝《をが》んでをるのぢや。|空虚《くうきよ》なる|大空《おほぞら》を|拝《をが》んで|何《なん》になる。|天《てん》にまします|大《おほ》【みろく】の|神《かみ》は|今《いま》や|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》し、ここに|御座《ござ》るぢやないか。|神《かみ》を|拝《をが》めと|申《まを》すのはこの|生宮《いきみや》を|拝《をが》めといふのだよ。てもさても、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|代物《しろもの》だなア』
モクレンは|心《こころ》の|中《うち》にて、「エーこの|狂人女郎《きちがひめらう》、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがる。|馬鹿《ばか》らしい」とは|思《おも》へども、そこが|主従《しゆじう》の|悲《かな》しさ、|色《いろ》にも|出《だ》さず、
『ハイ、|左様《さやう》でござりましたか。|何分《なにぶん》|愚鈍《ぐどん》の|妾《わらは》、|現在《げんざい》|目《め》の|前《まへ》に|結構《けつこう》な|神様《かみさま》が|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばして|御座《ござ》るのに|気《き》がつかないとは、|何《なん》といふ|馬鹿《ばか》だらうかと、|吾《われ》ながら|呆《あき》れはててござります。しからば|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ、|生宮様《いきみやさま》』
と|三拝九拝《さんぱいきうはい》、|拍手《はくしゆ》した。
|千草姫《ちぐさひめ》はますます|得意《とくい》になり、ツンとあげ|面《づら》をさらしながら、
『ヤア、|善哉善哉《ぜんざいぜんざい》。そなたこそこの|生宮《いきみや》を|神《かみ》として|認《みと》めた|第一人者《だいいちにんしや》ぢや、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|信仰《しんかう》をかへてはなりませぬぞや。サア、かうきまつた|上《うへ》はモクレン|殿《どの》は|暇《いとま》を|遣《つか》はす。|随意《ずゐい》に|吾《わ》が|家《や》にかへり|休息《きうそく》なされ。これからハリスに|向《む》かつて|折入《をりい》つて|特別《とくべつ》の|御用《ごよう》がある、|吾《わ》が|居間《ゐま》においでなさい。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|三千世界《さんぜんせかい》に|又《また》とない|弥勒成就《みろくじやうじゆ》の|御用《ごよう》を|仰《おほ》せ|付《つ》けますぞや』
ハリ『ハイ、|仰《おほ》せに|従《したが》ひ|参《まゐ》ります』
と|千草姫《ちぐさひめ》の|居間《ゐま》に|伴《ともな》はれ|行《ゆ》く。|千草姫《ちぐさひめ》はドアの|戸《と》を|堅《かた》く|締《し》め|四方《しはう7》の|窓《まど》を|閉《と》ぢ、|声《こゑ》をひそめて、
『これ、ハリス|殿《どの》、この|生宮《いきみや》が|特別《とくべつ》の|大々々《だいだいだい》の|秘密《ひみつ》の|御用《ごよう》を|仰《おほ》せ|付《つ》けるからお|聞《き》きなさい』
ハリ『ハイ、|謹《つつし》んで|承《うけたまは》りませう。|如何《いか》なる|御用《ごよう》なりとも|身《み》に|叶《かな》ふ|事《こと》ならば』
|千草《ちぐさ》『ヤア、ハリス|殿《どの》|外《ほか》でもない。そなたはトルマン|国《ごく》きつての|美貌《びばう》と|聞《き》く、その|美貌《びばう》を|楯《たて》として、|太子《たいし》チウインの|心《こころ》を|奪《うば》ひ、|彼《かれ》を|恋《こひ》の|淵《ふち》に|陥《おとしい》れくれるならば、そなたをチウイン|太子《たいし》の|妃《きさき》となし、このトルマン|城《じやう》の|花《はな》と|致《いた》すであらう。どうだ|嬉《うれ》しいか、よもや|不足《ふそく》はあるまいがな』
『|何事《なにごと》かと|存《ぞん》じますれば|御勿体《ごもつたい》ない。|左様《さやう》な|御命令《ごめいれい》、どうして|臣下《しんか》の|身《み》をもつて、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|太子様《たいしさま》に、|左様《さやう》に|大《だい》それた|事《こと》が|女《をんな》の|身《み》として|申《まを》されませう。|第一《だいいち》|身分《みぶん》に|懸隔《けんかく》がござりまする。また|妾《わらは》は|右守司《うもりのかみ》の|一人娘《ひとりむすめ》、|右守家《うもりけ》を|継《つ》がねばなりませぬ。どうぞこればかりは|偏《ひとへ》に|御容赦《ごようしや》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
『これこれハリス、そんな|遠慮《ゑんりよ》はチツとも|要《い》らぬ。|右守家《うもりけ》の|血統《ちすぢ》は|天《てん》にも|地《ち》にもお|前《まへ》ただ|一人《ひとり》、なるほど|後《あと》を|継《つ》がねばならうまい。それなれば|尚更《なほさら》、|其方《そなた》にとつては、|打《う》つて【すげ】たやうな|話《はなし》ではないか。チウインをうまく|恋《こひ》に|引入《ひきい》れたならば、|其方《そなた》の|夫《をつと》につかはす|程《ほど》に。|何《なん》と|嬉《うれ》しからうがな』
『|畏《おそ》れ|多《おほ》くもトルマン|国《ごく》の|継承者《けいしようしや》たる|太子様《たいしさま》を|右守《うもり》の|家《いへ》に|下《くだ》さるとは、|天地顛倒《てんちてんたう》も|同様《どうやう》、ガーデン|王様《わうさま》が|決《けつ》して|許《ゆる》しは|致《いた》されますまい。また|太子様《たいしさま》とて|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|捨《す》て、|臣下《しんか》の|家《いへ》に|養子《やうし》におなり|遊《あそ》ばすやうな|道理《だうり》はござりませぬ。たとへ|右守家《うもりけ》は|妾《わらは》|一代《いちだい》にて|血統《ちすぢ》がきれませうとも、|王家《わうけ》には|替《か》へられませぬ。この|儀《ぎ》ばかりは|平《ひら》に|御容赦《ごようしや》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
『これこれハリス|殿《どの》、|其方《そなた》はこの|生宮《いきみや》の|命令《めいれい》ならば、|山《やま》でも|逆様《さかさま》に|登《のぼ》るといつたぢやないか。その|舌《した》の|根《ね》の|乾《かわ》かぬ|中《うち》、|掌《てのひら》かへしたやうな|其方《そなた》の|変心《へんしん》、|千草姫《ちぐさひめ》の|生宮《いきみや》、|左様《さやう》なことで|承知《しようち》はいたさぬぞや』
『ハイ、|是非《ぜひ》はござりませぬ。|万々一《まんまんいち》|妾《わらは》の|力《ちから》によつて|太子様《たいしさま》を|恋《こひ》に|陥《おと》し|奉《まつ》つた|上《うへ》は、|王家《わうけ》のお|世継《よつぎ》は、どうなさいますか。それが|妾《わらは》は|心配《しんぱい》でなりませぬ』
『ホホホホ、なるほど|一応《いちおう》|尤《もつと》もだ|尤《もつと》もだ。|人間心《にんげんごころ》としては、|実《じつ》に|申《まを》し|分《ぶん》のないお|前《まへ》の|真心《まごころ》、|感《かん》じ|入《い》りました。しかしながら|三千世界《さんぜんせかい》を|自由《じいう》にいたす|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|現《あら》はれた|以上《いじやう》は|霊《みたま》の|親子《おやこ》たるものをお|世継《よつぎ》にいたす|考《かんが》へだ。|左様《さやう》なことに|心配《しんぱい》はチツとも|要《い》らない。|其方《そなた》の|霊《みたま》はチウイン|太子《たいし》と|夫婦《ふうふ》の|霊《みたま》だによつて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|神界《しんかい》において|調《しら》べて|調《しら》べて|調《しら》べ|上《あ》げた|上《うへ》、かう|申《まを》してゐるのだから、|力《ちから》|一《いつ》ぱい|活動《くわつどう》して|下《くだ》さい。きつと|成功《せいこう》|疑《うたが》ひなしぢやぞえ』
ハリスは|太子《たいし》と|共《とも》に|大軍《たいぐん》を|率《ひき》ゐ、|敵軍《てきぐん》を|駈《か》け|悩《なや》ましたる|女武者《をんなむしや》である。さうして|太子《たいし》の|容色《ようしよく》や|胆力《たんりよく》には|心《こころ》の|底《そこ》から|感服《かんぷく》してゐた。しかしながら|夫《をつと》に|持《も》たう、|妻《つま》にならうなどとの|野心《やしん》はチツとも|持《も》つてゐないのであるが、|千草姫《ちぐさひめ》の|言葉《ことば》に|否《いな》みかね、|一先《ひとま》づ|此《こ》の|場《ば》を|逃《のが》れむものと、|心《こころ》にもなき|言辞《げんじ》を|弄《ろう》し、|暫時《ざんじ》|千草姫《ちぐさひめ》の|意《い》を|迎《むか》へ、|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》をして|見《み》せたのである。|千草姫《ちぐさひめ》は|満足《まんぞく》の|態《てい》にて、
『ヤア、ハリス|殿《どの》、あつぱれ あつぱれ、かならず|成功《せいこう》|祈《いの》るぞや。これさへ|承諾《しようだく》した|上《うへ》は、|最早《もはや》|今日《こんにち》はこれで|御用済《ごようず》みだ。これから|家《うち》へ|帰《かへ》り、あらむ|限《かぎ》りの|盛装《せいさう》をなし、|紅《べに》、|白粉《おしろい》、|油《あぶら》を|惜《を》しまず、|抜目《ぬけめ》なく|立働《たちはたら》く|準備《じゆんび》をなさい』
ハリスは「ハイ、|有難《ありがた》う」と|丁寧《ていねい》に|挨拶《あいさつ》をなし|此《こ》の|場《ば》を|匆々《さうさう》|立《た》ちて|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於由良海岸秋田別荘 北村隆光録)
第一四章 |賓民窟《ひんみんくつ》〔一七八一〕
|千草姫《ちぐさひめ》の|命《めい》を|受《う》け、キユーバーの|捜索《そうさく》に|向《む》かはむとするテイラ|姫《ひめ》は、|母《はは》モクレンの|意《い》を|含《ふく》み|王様《わうさま》に|面会《めんくわい》せむものと|思《おも》へども、|千草姫《ちぐさひめ》の|警戒《けいかい》|厳《きび》しく|到底《たうてい》|近《ちか》よる|事《こと》が|出来《でき》ぬので、チウイン|太子《たいし》の|館《やかた》を|訪《と》ひ、
『|御免《ごめん》なさいませ。|太子様《たいしさま》、テイラでございます』
|太子《たいし》は|机《つくゑ》にもたれ、|三五《あななひ》の|経典《きやうてん》を|頻《しき》りに|読誦《どくしよう》してゐたが、テイラの|声《こゑ》が|門口《かどぐち》に|聞《き》こえたので、|直《ただ》ちに|門口《かどぐち》に|迎《むか》へ|出《い》で、さも|嬉《うれ》しげに、
『ヤア|女将軍《ぢよしやうぐん》テイラ|殿《どの》、まあまあ|此方《こちら》へ……。よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|何《なん》だか|最前《さいぜん》から|其方《そなた》に|会《あ》ひたいと|思《おも》つてゐたところだ。|今日《けふ》はゆつくり|話《はな》しませう』
テイ『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|急用《きふよう》が|出来《でき》ましたので|一寸《ちよつと》|御相談《ごさうだん》に|参《まゐ》りました。|失礼《しつれい》さしていただきます』
と、|一室《いつしつ》に|立《た》ち|入《い》り|太子《たいし》と|向《む》かひあつて、
『|時《とき》に|太子様《たいしさま》、|今日《こんにち》は|妾《わらは》は|母《はは》と|共《とも》に|王妃様《わうひさま》に|招《まね》かれ|沢山《たくさん》の|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》きましたところ、|王妃様《わうひさま》の|様子《やうす》が|俄《には》かに|変《かは》り「|妾《わらは》は|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》だ」とか、「|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》だ」とか、|妙《めう》な|事《こと》を|仰《おほ》せられ、その|上《うへ》に|妾《わらは》に|対《たい》し「あの|妖僧《えうそう》キユーバーの|所在《ありか》を|探《さが》して|来《こ》よ」との|厳《きび》しき|御命令《ごめいれい》、|否《いな》み|奉《まつ》る|事《こと》を|得《え》ず、ひそかに|御相談《ごさうだん》に|参《まゐ》りました。どうか|御意見《ごいけん》を|承《うけたまは》りたうございます』
|太子《たいし》『はて、|困《こま》つたなあ、|母上《ははうへ》は|発狂《はつきやう》されたのであらう。どうも|様子《やうす》がこの|間《あひだ》から|変《へん》だと|思《おも》つてゐた。|母上《ははうへ》は|何故《なにゆゑ》か|彼《か》の|悪僧《あくそう》を|大変《たいへん》に|可愛《かはい》がつてをられるのだ。しかしながら、|彼《かれ》のごときものを|城中《じやうちう》に|引《ひ》き|入《い》れなば、ますます|母上《ははうへ》の|心《こころ》を|乱《みだ》し、|如何《いか》なる|悪知恵《わるぢゑ》を|注《そそ》ぎ|込《こ》むかも|知《し》れない。それゆゑ|吾《わ》が|計《はか》らひにて|或《ある》|所《ところ》にキユーバーを|押込《おしこ》めておいたのだから、|捜索《そうさく》などは|止《や》めたがよからう』
テイ『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|妾《わらは》も|何《なん》だか|変《へん》だと|思《おも》つてをりました。しかしながら、|左守家《さもりけ》に|居《ゐ》るわけにも|参《まゐ》りませぬ。|何時《なんどき》|王妃様《わうひさま》が|人《ひと》を|派《は》し、|妾《わらは》の|行動《かうどう》をお|調《しら》べなさるか|知《し》れませぬから』
『|成程《なるほど》それも|困《こま》る。お|前《まへ》の|姿《すがた》が|見《み》えさへせねば|分《わか》らない、|母上《ははうへ》はキユーバーの|捜索《そうさく》に|行《い》つてゐるのだと|安心《あんしん》せられるだらう』
『|妾《わらは》は|何処《どこ》へ|匿《かく》れたら|宜《よろ》しうございませうか』
『いや|心配《しんぱい》するな。|私《わたし》が|今《いま》|手紙《てがみ》を|書《か》くから、これをもつて|名宛《なあて》の|人《ひと》の|処《ところ》へ|行《い》つて|世話《せわ》になれ。しばらくの|間《あひだ》だから』
『ハイ、|仰《おほ》せに|従《したが》ひ、さうさして|頂《いただ》きませう』
|太子《たいし》は|何事《なにごと》かすらすらと|巻紙《まきがみ》に|書《か》き|認《したた》め、|三百円《さんびやくえん》の|金《かね》を|封《ふう》じ|込《こ》み、
『サア、これを|持《も》つてお|出《い》でなさい。きつと|世話《せわ》をしてくれるだらうから』
テイラは、|書面《しよめん》の|表書《うわがき》を|見《み》て|倒《たふ》れむばかりに|驚《おどろ》いた。
『もし|太子様《たいしさま》、レールといふ|男《をとこ》は、|向上運動《かうじやううんどう》の|張本人《ちやうほんにん》ではございませぬか』
|太子《たいし》『|如何《いか》にもさうだ。|彼《かれ》はトルマン|国《ごく》の|救世主《きうせいしゆ》も|同様《どうやう》だ』
テイ『|太子様《たいしさま》はまたこのレールといふ|男《をとこ》に|御交際《ごかうさい》がございますか』
と|不思議《ふしぎ》さうに|問《と》ふ。
|太子《たいし》『|別《べつ》に|交際《かうさい》といふほどでもないが、|一度《いちど》|会《あ》うた|事《こと》がある。その|時《とき》|彼《かれ》の|心《こころ》の|底《そこ》まで|見抜《みぬ》いておいた。きつと|大切《たいせつ》にしてくれるよ。この|書面《しよめん》の|中《なか》に|三百円《さんびやくゑん》|封《ふう》じ|込《こ》んであるから、これは|其方《そなた》の|賄料《まかなひれう》としてレールに|与《あた》へるのだ』
テーリスタン『ハイ、|有難《ありがた》うございます。ともかく|行《い》つて|参《まゐ》りませう』
と|挨拶《あいさつ》する|折《を》りしも|門口《かどぐち》より、
『|右守《うもり》の|娘《むすめ》ハリスでございます。|太子様《たいしさま》にお|目《め》に|掛《かか》りたうございます』
と|女《をんな》の|優《やさ》しき|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。|太子《たいし》は|直《ただ》ちに|立《た》つて|自《みづか》ら|入口《いりぐち》の|戸《と》を|開《あ》け、
『ヤア、ハリス|殿《どの》か、よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|今《いま》テイラ|将軍《しやうぐん》が|来《き》て|居《ゐ》て|下《くだ》さるところだ。サア、ハリス|将軍《しやうぐん》お|入《はい》りなさい』
と|気軽《きがる》に|招《まね》き|入《い》れ、ここに|三人《さんにん》|巴《ともゑ》なりに|対坐《たいざ》した。
ハリ『|太子様《たいしさま》、|御勉強中《ごべんきやうちう》をお|邪魔《じやま》をいたしました。ヤ、あなたはテイラ|様《さま》、|先刻《せんこく》は|失礼《しつれい》いたしましたね』
テイ『いやどう|致《いた》しまして、あなたも|王妃様《わうひさま》の|御命令《ごめいれい》に|関《くわん》して、お|越《こ》しなさつたのでございますか』
ハリ『ハイ、|左様《さやう》でございます。|大変《たいへん》な|事《こと》を|仰《おほ》せつかつたので、|実《じつ》は|困《こま》り|入《い》つてゐるのでございますよ』
|太子《たいし》『ハハハハハハ、ハリス|将軍《しやうぐん》もキユーバー|上人《しやうにん》の|所在《ありか》の|捜索隊《さうさくたい》でも|仰《おほ》せつかつたのだらう』
ハリ『いえいえ どうして どうして、|捜索隊《さうさくたい》はテイラさまに|大命《たいめい》が|下《くだ》りました。|妾《わらは》はもつともつと|六ケ《むつか》しい|御用《ごよう》を|仰《おほ》せつけられたのでございます』
『それや|一体《いつたい》どんな|用《よう》だ。|差支《さしつか》へなくば|聞《き》かしてもらひたいものだなあ』
『ハイ、|妾《わらは》は、|太子様《たいしさま》を|生擒《いけど》る|御用《ごよう》を|仰《おほ》せつかりました』
『ハハハハハハ、さすがはハリス|女将軍《ぢよしやうぐん》だけあつて、それ|相当《さうたう》の|御用《ごよう》を|言《い》ひつけられたものだなあ。その|美貌《びばう》をもつて|攻撃《こうげき》されるものなら、|瞬《またた》く|間《ま》にチウイン|砲台《はうだい》も|滅茶々々《めちやめちや》に|壊《こわ》されてしまふかも|知《し》れないよ』
『|王妃様《わうひさま》のお|言葉《ことば》には「|紅《べに》、|白粉《おしろい》、|油《あぶら》を|惜《を》しまず、|盛装《せいさう》をこらし|抜目《ぬけめ》なく|太子《たいし》を|恋《こひ》の|淵《ふち》に|陥《おとし》いれ、|首尾《しゆび》|克《よ》く|成功《せいこう》いたしたならば、|汝《なんぢ》を|太子妃《たいしひ》にしてやらう」との|有難《ありがた》い|御恩命《ごおんめい》、いやはや|畏《おそ》れ|入《い》つてをりまする』
テイ『|何《なん》とまあ、|粋《すゐ》なお|母《かあ》さまぢやございませぬか。ハリス|様《さま》、|羨《うらや》ましうございます』
ハリ『どうか|貴女《あなた》、|妾《わらは》が|捜索《そうさく》に|参《まゐ》りますから、|貴女《あなた》|代《かは》つて|下《くだ》さいませぬか。|到底《たうてい》この|使命《しめい》は|妾《わらは》がごとき|者《もの》の|挺子《てこ》には|合《あ》ひませぬ。また|太子《たいし》を|生擒《いけど》るなどの|大野心《だいやしん》は、|王家《わうけ》を|思《おも》ひ、|右守家《うもりけ》を|思《おも》へばどうして|出来《でき》ませう。|実《じつ》に|困《こま》り|入《い》つてございます』
|太《たい》『これや|一通《ひととほ》りぢやない。|母上《ははうへ》には|何《なに》か|悪神《あくがみ》が|憑依《ひようい》して、トルマン|城《じやう》を|攪乱《かくらん》せむと|企《たく》らんでゐるに|違《ちが》ひない。いやハリス|殿《どの》、|余《よ》が|手紙《てがみ》を|書《か》きますから、|宛名人《あてなにん》の|処《ところ》へ|暫《しばら》く|身《み》をお|忍《しの》びなさい。|後《あと》は|都合《つがふ》よく|母《はは》の|手前《てまへ》を|取《と》りなしておきます。どうやら|両将軍《りやうしやうぐん》の|身《み》の|上《うへ》に|危険《きけん》が|迫《せま》つて|来《き》たやうに|余《よ》は|考《かんが》へる』
と|言《い》ひながら、すらすらと|巻紙《まきがみ》に|何事《なにごと》か|認《したた》め、これまた|三百円《さんびやくえん》の|紙幣《しへい》を|封《ふう》じ|込《こ》み、
『サア、ハリス|殿《どの》、|暫《しばら》くこの|宛名人《あてなにん》の|処《ところ》へ|行《い》つて|身《み》を|忍《しの》んでゐて|下《くだ》さい』
と|差出《さしだ》す|書状《しよじやう》、ハリスはハツと|首《くび》をさげ|押《お》し|頂《いただ》き、|名宛《なあて》を|見《み》ればマーク|殿《どの》と|認《したた》めてある。ハリスは|仰天《ぎやうてん》せむばかり|吃驚《びつくり》して|太子《たいし》の|顔《かほ》をつくづく|見守《みまも》りながら、
ハリ『|太子様《たいしさま》、|御冗談《ごぢようだん》ではございませぬか。マークといふ|人間《にんげん》は|首陀向上運動《しゆだかうじやううんどう》の|首謀者《しゆぼうしや》、ラマ|本山《ほんざん》の|注意人物《ちういじんぶつ》、かやうな|人間《にんげん》の|所《ところ》へ、どうして|忍《しの》んでゐる|事《こと》が|出来《でき》ませうか』
|太子《たいし》『いや|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。|彼《かれ》は|決《けつ》して|悪人《あくにん》でない。|吾《わ》がトルマン|国《ごく》の|将来《しやうらい》|重鎮《ぢうちん》となる|人物《じんぶつ》だ。この|書状《しよじやう》をもつて|行《ゆ》けばきつと|世話《せわ》してくれるだらう』
ハリ『テイラさま、|妾《わらは》、どうしませう。|太子様《たいしさま》も、あまりぢやございませぬか。あのやうな|所《ところ》へ|島流《しまなが》しとはあまり|甚《ひど》うございますわ』
テイ『|妾《わらは》だつて|有名《いうめい》な|向上会《かうじやうくわい》のレールさまの|家《いへ》へ|預《あづ》けられるのですもの。|何《なに》かこれには|太子様《たいしさま》において|深《ふか》いお|考《かんが》へがお|有《あ》りなさるのでせう。とに|角《かく》いつてみようぢやありませぬか』
と、|二人《ふたり》は|早《はや》くも|太子《たいし》に|暇《いとま》を|告《つ》げ、
『|太子様《たいしさま》、しばらく|行《い》つて|参《まゐ》ります』
と|黄昏《たそがれ》を|幸《さいは》ひ|裏町通《うらまちどほ》りを|伝《つた》うて、レール、マークの|住家《すみか》をさして|出《い》でて|行《ゆ》く。
レール、マークの|両人《りやうにん》は|其《そ》の|日《ひ》の|生活《せいくわつ》に|追《お》はれ、|九尺二間《くしやくにけん》の|裏店《うらだな》に、|二人一組《ふたりひとくみ》の|世帯《しよたい》をやつてゐる。|二人《ふたり》は|荒井ケ嶽《あらゐがだけ》の|麓《ふもと》なる|岩窟《がんくつ》の|番人《ばんにん》を|了《を》へ、|固《かた》く|錠《ぢやう》をかけおき、|帰《かへ》つて|来《き》たところであつた。|両人《りやうにん》はやれやれと|腰《こし》をおろし、|夕飯《ゆふはん》の|箸《はし》を|執《と》らむとする|時《とき》、|門口《かどぐち》に|優《やさ》しき|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|御免《ごめん》なさいませ。レール、マークさまのお|宅《たく》は|此処《ここ》でございますか』
|薄暗《うすくら》がりにレール、マーク|二人《ふたり》はこの|声《こゑ》を|聞《き》くより、
レ『オイ、マーク、|艶《なま》めかしい、しかも|高尚《かうしやう》な|女性《ぢよせい》の|声《こゑ》が|門口《かどぐち》に|聞《き》こえてゐるぢやないか。さうして「レール、マークさまのお|宅《たく》は」と、ほざいてゐるやうだ。|一体《いつたい》|何《なん》だらうか』
マ『ヘン、|馬鹿《ばか》いふな。こんな|所《ところ》へ|誰《たれ》が|尋《たづ》ねて|来《く》るものか、しかも|日《ひ》の|暮《く》れ|間際《まぎは》に、おほかた|狐《きつね》か|狸《たぬき》のお|化《ばけ》だらうよ』
レ『いやいや、たしかに|女《をんな》の|声《こゑ》だ』
と|言《い》つてゐる|時《とき》しも、|再《ふたた》び|優《やさ》しき|女《をんな》の|声《こゑ》、
『レールさま、マークさまのお|宅《たく》は|此所《ここ》でございますか』
マ『いかにも|女性《ぢよせい》の|声《こゑ》だ』
と|言《い》ひながら、つつと|立《た》つて|菱《ひし》になつた|破《やぶ》れ|戸《ど》をがらりと|引《ひ》き|開《あ》け、|見《み》れば|盛装《せいさう》を|凝《こ》らした|二人《ふたり》の|美人《びじん》、ニコニコとして、
|女《をんな》『|妾《わらは》は、ちよつと|様子《やうす》あつて|貴方《あなた》のお|家《いへ》へお|世話《せわ》になりに|参《まゐ》りました。どうか|宜《よろ》しう|願《ねが》ひます。|見《み》れば|奥《おく》さまもお|子達《こたち》もおはさぬ|様子《やうす》、どうかお|世話《せわ》にして|下《くだ》さいませ』
マ『どこの|貴婦人《きふじん》か|知《し》りませぬが、|冗談《ぢようだん》|言《い》つてはいけませぬよ。|私《わたし》はお|粥腹《かゆばら》を|抱《かか》へて|飢《う》ゑに|泣《な》き|寒《かん》に|慄《ふる》へてゐる|貧民窟《ひんみんくつ》の|主人公《しゆじんこう》、どうして|人様《ひとさま》のお|世話《せわ》する|余裕《よゆう》がございませう。おほかた|人違《ひとちが》ひでございませう。お|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。オイ、レール|大変《たいへん》な|事《こと》になつて|来《き》たぢやないか。|貴婦人《きふじん》が、しかも|二人《ふたり》、|盛装《せいさう》を|凝《こ》らしお|前《まへ》と|俺《おれ》とを|尋《たづ》ねて|来《こ》られたのだが、どうも|承知《しようち》|出来《でき》ぬぢやないか。|大方《おほかた》それ、キユーバーに|関係《くわんけい》のある、お|安《やす》くない|連中《れんぢう》ぢやなからうか』
と、|小声《こごゑ》に|囁《ささや》く。
レ『なるほどさうかも|知《し》れぬよ。|此奴《こいつ》はうつかり|相手《あひて》になつては|駄目《だめ》だ。スコブツエン|宗《しう》のキユーバーといふ|奴《やつ》、|沢山《たくさん》の|貴婦人《きふじん》を|胡麻化《ごまくわ》しよつたといふことだ。その|貴婦人《きふじん》が|俺《おれ》ら|二人《ふたり》が|牢番《らうばん》をしてゐる|事《こと》を|嗅《か》ぎつけ、|尋《たづ》ねて|来《き》よつたのだらう。そんな|事《こと》をしては|太子様《たいしさま》に|対《たい》して|申《まを》し|訳《わけ》がないからなア。|断《こと》わつて|逐《お》ひ|帰《かへ》せ』
マ『|折角《せつかく》ながら、|二人《ふたり》の|女中《ぢよちう》さま、レール、マークは|当家《たうけ》に|居《を》りませぬ。トツトとお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。こんな|破《やぶ》れ|家《や》を|尋《たづ》ねるといふ|女性《ぢよせい》は|人間《にんげん》ぢやありますまい。|狐《きつね》か|狸《たぬき》かの|化《ば》けた|奴《やつ》と|認《みと》めるからトツトといんで|下《くだ》さい』
といふより|早《はや》く|破《やぶ》れ|戸《ど》をピシヤリと|閉《し》め、|戸《と》に|突張《つつぱ》りをかうてしまつた。
マ『ハハハハハハ、【この|破戸《やぶれど》|一枚《いちまい》が|鉄《くろがね》の|門《もん》より|高《たか》う】、といふ|処《ところ》だ、ハハハハハハ』
と|大声《おほごゑ》に|笑《わら》ふ。
テイ『もし|御両人様《ごりやうにんさま》、どうかこの|手紙《てがみ》を|読《よ》んで|下《くだ》さいませ。さうすれば|貴方《あなた》がたのお|疑《うたが》ひが|晴《は》れるでせう』
と、|戸《と》の|隙間《すきま》より|二通《につう》とも|投《な》げ|込《こ》んだ。|二人《ふたり》は|二通《につう》とも|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、|薄暗《うすぐら》いランプにすかして|見《み》れば、|一通《いつつう》にはレール|殿《どの》、チウイン|太子《たいし》より、|一通《いつつう》にはマーク|殿《どの》、チウイン|太子《たいし》より、と|記《しる》されてある。|急《いそ》ぎ|封《ふう》|押《お》しきつて|見《み》れば、|正《まさ》しくチウイン|太子《たいし》の|手紙《てがみ》に|間違《まちが》ひない。さうして|枯《か》れきつた|貧乏世帯《びんばふせたい》へ、|大枚《たいまい》|三百円《さんびやくゑん》|宛《づつ》、|女《をんな》の|賄料《まかなひれう》として|封《ふう》じ|込《こ》んである。|二人《ふたり》は|慌《あわ》てて|戸《と》を|押《お》し|開《あ》け、
レ『ヤこれはこれは|失礼《しつれい》いたしました。【むさくろ】しい|処《ところ》でございますが、どうかお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。オイ、マーク|手箒《てばうき》でそこらを|掃《は》かないか、|珍客《ちんきやく》だぞ。これは|左守家《さもりけ》のお|嬢《ぢやう》さまと、|右守家《うもりけ》のお|嬢《ぢやう》さまだ』
と|言《い》ひながら、|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》、|黒《くろ》ずんだ|畳《たたみ》の|表《おもて》や|庭《には》を|掃《は》き|出《だ》した。
テイ『どうぞお|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな。|今日《けふ》から|私《わたし》がお|掃除《さうぢ》もいたします。|御飯《ごはん》も|炊《た》きます。|男《をとこ》さまがなさいますと|見《み》つともなうございます』
レ『いや|勿体《もつたい》ない、|貴女《あなた》がたに|飯炊《めした》きをさせたり、|掃除《さうぢ》をさしたりしてたまりますか。しかし|折角《せつかく》|来《き》てもらひましたが|寝具《しんぐ》もなし、|食器《しよくき》も|無《な》し、まあ|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さい。マークに|買《か》ひにやりますからな。オイ、マークこの|頂《いただ》いたお|金《かね》で|絹夜具《きぬやぐ》を|二組《ふたくみ》|買《か》うて|来《こ》い。そして|上等《じやうとう》の|食器《しよくき》を|二組《ふたくみ》|揃《そろ》へて|来《く》るのだぞ』
マ『よし|来《き》た』
と|飛《と》び|出《だ》さうとするをテーラは|細《ほそ》い|柔《やは》らかい|手《て》で、マークの|袖《そで》を|控《とら》へながら、
テイ『もしマーク|様《さま》、|失礼《しつれい》ながら、|彼《か》やうなお|住居《すまゐ》へ|絹夜具《きぬやぐ》を|入《い》れたり、|立派《りつぱ》な|食器《しよくき》をお|入《い》れになつては、|直様《すぐさま》その|筋《すぢ》の|疑《うたが》ひをうけ|迷惑《めいわく》をなさいませう。|妾《わらは》ら|二人《ふたり》は|貴方《あなた》がたと|同《おな》じ|生活《せいくわつ》が|致《いた》したうございます。どうか|食器《しよくき》の|最《もつと》も|悪《わる》い|欠《か》げたやうなものを|購《もと》めて|下《くだ》さい。さうして|寝具《しんぐ》も|最《もつと》も|悪《わる》い、これより|悪《わる》いものはないといふやうなものを|買《か》つて|来《き》て|下《くだ》さい。さうせねば|向上会《かうじやうくわい》の|貴方《あなた》がたが、その|筋《すぢ》の|疑《うたが》ひを|受《う》けられては|妾《わらは》たち、|長《なが》いお|世話《せわ》になる|事《こと》は|出来《でき》ませぬからなあ』
マ『オイ、レールどうせうかな、なんぼなんでもこんな|貴婦人《きふじん》にまさか|破《やぶ》れ|布団《ぶとん》も|着《き》せるわけにゆかぬぢやないか』
レ『|何《なに》、かまやしないよ。|今《いま》まで|浄行階級《じやうぎやうかいきふ》の|生活《せいくわつ》をなされてゐたお|姫様《ひめさま》、ちつとは|吾々《われわれ》|貧民窟《ひんみんくつ》の|生活《せいくわつ》を|味《あぢ》ははしてやつてもいいぢやないか。そんな|遠慮《ゑんりよ》をしてをつて、どうして|目的《もくてき》の|貫徹《くわんてつ》が|出来《でき》やうか』
テイ『ホホホ、レールさまのお|言葉《ことば》、|私《わたし》【ぞつこん】|気《き》に|入《い》りましたよ。ねえハリスさま』
ハ『さうですねえ、|本当《ほんたう》に|貧民窟《ひんみんくつ》の|生活《せいくわつ》は|愉快《ゆくわい》なものでせうよ』
マ『これお|姫《ひめ》さま、|貧民窟《ひんみんくつ》の|生活《せいくわつ》は|愉快《ゆくわい》だなんて、|何《なに》を|言《い》うてゐるのだ。まあ|二三日《にさんにち》やつて|見《み》なさい、|吠面《ほえづら》かはいて|逃《に》げて|帰《かへ》らにやならぬやうになりますよ』
ハリ『|何《なに》|程《ほど》つらくても|構《かま》ひませぬよ。|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》ともなるべき|立派《りつぱ》なお|二人《ふたり》さまと|共同生活《きようどうせいくわつ》をすると|思《おも》へば、どんな|辛《つら》い|事《こと》でも|辛抱《しんばう》いたしますわ』
レ『やアお|出《い》でたな、これやまあ、|何《なん》のこつた。|今日《こんにち》ただ|今《いま》より|貧乏神《びんばふがみ》の|御退却《ごたいきやく》、|福《ふく》の|神《かみ》の|御入来《ごじゆらい》、まるで|夢《ゆめ》のやうだわい』
|四人《よにん》|一度《いちど》に「ハハハハハハ、ホホホホホホ」。|三日《みつか》の|月《つき》は|西山《せいざん》に|隠《かく》れ、|暗《やみ》の|帳《とばり》は|四辺《あたり》を|包《つつ》み、|近所合壁《きんじよがつぺき》の|婆嬶《ばばかか》の|囀《さへづ》る|声《こゑ》も|次第々々《しだいしだい》に|消《き》えてゆく。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第一五章 |地位転変《ちゐてんぺん》〔一七八二〕
|千草姫《ちぐさひめ》は|王《わう》の|居間《ゐま》に|羽搏《はばた》きしながら、|仕舞《しまひ》でも|舞《ま》ふやうなスタイルで|横柄面《わうへいづら》をさらして|入《い》り|来《き》たり、|言《ことば》も|荘重《さうちよう》に、
『トルマン|国《ごく》の|国王《こくわう》、ガーデン|王殿《わうどの》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|託宣《たくせん》を、|耳《みみ》をさらへてお|聞下《ききくだ》され。|肉体《にくたい》は|千草姫《ちぐさひめ》であつても、|霊《みたま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|誠生粋《まこときつすゐ》の|水晶魂《すゐしやうだま》、|此《この》|世《よ》の|救主《すくひぬし》として|現《あら》はれたのでござるぞや。|其方《そなた》の|目《め》から|見《み》た|時《とき》は、この|生宮《いきみや》を|気違《きちが》ひと|思《おも》ふであらう。|誠《まこと》の|神《かみ》に|間違《まちが》ひはござらぬぞや』
ガーデン|王《わう》は|千草姫《ちぐさひめ》のこの|態《てい》を|見《み》て、|不審《ふしん》の|眉《まゆ》をひそめ、アア|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たわい、たうとう|王妃《わうひ》は|発狂《はつきやう》してしまつた。しかしながら|気《き》のたつてる|時《とき》に|逆《さか》らふは、ますます|病気《びやうき》を|強《つよ》める|道理《だうり》、|少時《しばらく》かれが|言《い》ふ|事《こと》を|黙《だま》つて|聞《き》いてやらう……と|決心《けつしん》し、
『なるほど|其方《そなた》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》であらう。|如何《いか》なる|用《よう》か、|聞《き》かしてくれ』
|千草《ちぐさ》『これは|怪《け》しからぬ|汝《なんぢ》が|言葉《ことば》、|無礼《ぶれい》であらうぞや。|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|対《たい》して|聞《き》かしてくれ……とは|何《なん》たる|暴言《ばうげん》、|頭《づ》が|高《たか》い、お|坐《すわ》りなされ。|三千世界《さんぜんせかい》の|因縁《いんねん》を|説《と》いて|聞《き》かしてやらうぞや』
|王《わう》『ハイ』
と|不承不承《ふしようぶしよう》に|椅子《いす》を|離《はな》れて|座《ざ》に|着《つ》けば、|千草姫《ちぐさひめ》はニコニコしながら、
『ホホホホホホ、さすがはトルマン|国《ごく》の|王《わう》ぢや、この|日《ひ》の|出神《でのかみ》をよく|見届《みとど》けた。|褒美《はうび》には|之《これ》をつかはす。|有難《ありがた》ふ|頂戴《ちやうだい》|召《め》され』
と|言《い》ひながら、|刹帝利《せつていり》のピカピカ|光《ひか》つた|禿頭《はげあたま》の|上《うへ》へ、|左《ひだり》の|片足《かたあし》をドツカと|載《の》せ「ウーン ウーン」と|二声《ふたこゑ》|唸《うな》りながら、|左《ひだり》の|足《あし》を|下《お》ろし、また|右《みぎ》の|足《あし》を|同《おな》じく|頭上《づじやう》にのせ「ウーン ウーン」と|又《また》もや|二声《ふたこゑ》……「ホホホホホホ」と|笑《わら》ひ|悠々《いういう》として|床《とこ》の|間《ま》に|直立《ちよくりつ》し、
『いかにガーデン|王《わう》、よつく|承《うけたまは》れ。セーロン|島《たう》の|浄飯王《じやうぼんわう》が|太子《たいし》|悉達《しつた》は|壇特山《だんとくざん》や|霊鷲山《りやうしうざん》に|上《のぼ》り、|五ケ年《ごかねん》の|修業《しうげふ》の|後《のち》|仏果《ぶつくわ》を|得《え》て|帰国《きこく》し、|父《ちち》の|浄飯王《じやうぼんわう》に|仏足《ぶつそく》を|頂礼《ちやうらい》せしめた|例《ため》しがある。|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神足《ごしんそく》を、|両足《りやうあし》とも|頂戴《ちやうだい》いたしたる|汝《なんぢ》こそは、|三千世界《さんぜんせかい》の|果報者《くわはうもの》、|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》いたされよ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|間違《まちが》ひはござらぬぞや』
ガーデン|王《わう》は|始《はじ》めの|間《あひだ》は|何《なん》だか|怪《あや》しいと|思《おも》つてゐたが、|千草姫《ちぐさひめ》の|足《あし》を|頭《あたま》にのせられてから、ガラリと|心機一転《しんきいつてん》し、|全《まつた》くの|活神《いきがみ》と|固《かた》く|固《かた》く|信《しん》ずるやうになつた。サアかうなつては、もはや|城内《じやうない》の|整理《せいり》は|中心《ちうしん》を|失《うしな》ひ、|手《て》のつけやうもなくなつてしまつた。
|千草《ちぐさ》『ガーデン|王殿《わうどの》、この|千草姫《ちぐさひめ》の|肉体《にくたい》は、|今日《こんにち》までは|汝《なんぢ》が|妃《きさき》として、|神界《しんかい》より|許《ゆる》しありしも、いよいよ|天《てん》の|時節《じせつ》|到来《たうらい》し、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》と|現《あら》はれたれば、もはや|汝《なんぢ》の|妃《きさき》ではないほどに、|汝《なんぢ》はこれより|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|肉宮《にくみや》が|弟子《でし》となり、|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》つて、|何事《なにごと》にも|違背《ゐはい》せず|尽《つく》すであらうなア』
|王《わう》『ハイ、|仰《おほ》せまでもなく、どんな|御用《ごよう》でも|承《うけたまは》りませう』
『オホホホホホ、|満足々々《まんぞくまんぞく》、|上《うへ》が|下《した》になり、|下《した》が|上《うへ》になり、|天地《てんち》がかへる|神《かみ》の|仕組《しぐみ》、|今《いま》までの|夫《をつと》は|妻《つま》の|弟子《でし》となり、|今《いま》までの|妻《つま》はその|夫《をつと》を|弟子《でし》として|使《つか》ふ|神《かみ》の|経綸《しぐみ》、かくなる|上《うへ》はガーデン|王《わう》、|其《その》|方《はう》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》が|副柱《そへばしら》なる|名僧《めいそう》キユーバーを、|一時《ひととき》も|早《はや》く|捜《さが》し|出《だ》し、この|城内《じやうない》に|伴《つ》れ|帰《かへ》れよ。|違反《ゐはい》に|及《およ》ばば|神罰《しんばつ》|立所《たちどころ》に|至《いた》るであらう』
『ハイ、|委細《ゐさい》|承知《しようち》いたしましたが、かれキユーバーは|如何《いかが》なりしか、|破獄《はごく》|逃走《たうそう》いたしました|故《ゆゑ》、|内々《ないない》|人《ひと》を|派《は》し、|捜索《そうさく》いたしてをりまするが、|未《いま》だ|何《なん》の|吉報《きつぱう》も|得《え》ませぬ。|少時《しばし》の|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》りまする』
『|汝《なんぢ》の|言《げん》にして|間違《まちが》ひなくば、|大方《おほかた》ジヤンクが|隠《かく》してをるのだらう』
『いやいや|決《けつ》して|決《けつ》して、|左様《さやう》な|道理《だうり》はございませぬ。|彼《かれ》はキユーバーを|一時《いちじ》も|早《はや》く|救《すく》はむと、|私《ひそ》かに|相談《さうだん》いたしました。|早速《さつそく》ジヤンクの|願《ねが》ひを|許《ゆる》し、|牢獄《らうごく》に|人《ひと》を|派《は》し|査《しら》べ|見《み》れば、|彼《かれ》キユーバーは|早《はや》くも|何者《なにもの》にかさらはれ、|行方不明《ゆくへふめい》となつてをりました』
『あ、さうであらう さうであらう、ヤ|分《わか》つた|分《わか》つた。この|張本人《ちやうほんにん》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|両人《りやうにん》に|間違《まちが》ひはなからう。|一時《いちじ》も|早《はや》く|彼《かれ》をふん|縛《じば》り、キユーバーを|押込《おしこ》めありし|牢獄《らうごく》へ、|時《とき》を|移《うつ》さず|打込《うちこ》めよ。これ|決《けつ》して|肉体《にくたい》の|千草姫《ちぐさひめ》が|言葉《ことば》でない。|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】が|神勅《しんちよく》でござるぞや』
『|御神勅《ごしんちよく》は|恐《おそ》れ|入《い》りまするが、|何《なん》といつても、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひ|下《くだ》された|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》を、|何《なん》の|科《とが》もなく|牢屋《らうや》に|押込《おしこ》むなどいふことは|情《じやう》において|出来《でき》ませぬ。こればかりは|御容赦《ごようしや》を|願《ねが》ひます』
『オホホホホホ、|何《なに》|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|申《まを》すか、|三千世界《さんぜんせかい》|一度《いちど》に|見《み》えすく|生神《いきがみ》の|目《め》で|一目《ひとめ》|睨《にら》んだならば、|決《けつ》して|間違《まちが》ひはござらぬぞ。|汝《なんぢ》|頑強《ぐわんきやう》にも|吾《わ》が|神勅《しんちよく》を|拒《こば》むにおいては、|立所《たちどころ》に|汝《なんぢ》が|生命《せいめい》をとるが、それでも|可《よ》いか、|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
『いや、|少時《しばし》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|然《しか》らば|御神勅《ごしんちよく》の|通《とほ》り、|照国別《てるくにわけ》、|照公神司《てるこうかむづかさ》を、|手段《てだて》を|以《もつ》てふん|縛《じば》り、|牢獄《らうごく》へ|投《な》げ|込《こ》んでお|目《め》にかけませう』
『ウ、よしよし、それで|神《かみ》は|満足《まんぞく》いたした。トルマン|城《じやう》は|万々歳《ばんばんざい》、|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、この|地《ち》の|上《うへ》にありとあらゆる|国《こく》は、|残《のこ》らず|汝《なんぢ》の|支配《しはい》にしてやらう。わづか|三十万《さんじふまん》の|人民《じんみん》の|父《ちち》として、あたら|一生《いつしやう》を|暮《くら》すも|惜《を》しいでないか。どうぢや|合点《がてん》がいつたか』
『ハイ、|委細《ゐさい》|承知《しようち》いたしましてございます』
『ヤ、|満足々々《まんぞくまんぞく》。|次《つぎ》に|其《その》|方《はう》に|申《まを》し|渡《わた》すことがある。|太子《たいし》チウイン、|王女《わうぢよ》チンレイを|修行《しうぎやう》のため、|一笠《いちりふ》|一蓑《いつさ》の|旅人《たびびと》として|一杖《いちぢやう》を|与《あた》へ、|一時《いちじ》も|早《はや》く|当城《たうじやう》を|出立《しゆつたつ》せしめられよ』
『|仰《おほ》せにはございまするが、|私《わたし》も|老年《らうねん》、|太子《たいし》がゐなくては、|国家《こくか》の|中心人物《ちうしんじんぶつ》を|失《うしな》ふ|道理《だうり》、また|王女《わうぢよ》チンレイは|少《すこ》しばかり|病身《びやうしん》でございますれば、|之《これ》ばかりはモ|一度《いちど》お|考《かんが》への|上《うへ》|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひたうございます』
『|愚《おろ》かなり、ガーデン|王《わう》。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】と|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|三千世界《さんぜんせかい》を|一《ひと》つに|丸《まる》め、|汝《なんぢ》が|支配《しはい》の|下《もと》におかむとす。|汝《なんぢ》は|已《すで》に|老齢《らうれい》、|後継者《こうけいしや》の|太子《たいし》には|広《ひろ》く|世間《せけん》を|見聞《けんぶん》せしめおく|必要《ひつえう》あり。|諺《ことわざ》にも|可愛《かはい》い|子《こ》には|旅《たび》をさせと|申《まを》すでないか。|汝《なんぢ》は|子《こ》の|愛《あい》に|溺《おぼ》れて、|大切《たいせつ》な|吾《わ》が|子《こ》の|幸福《かうふく》を|抹殺《まつさつ》せむと|致《いた》すか、|不届《ふとど》き|至極《しごく》の|腰抜爺《こしぬけぢぢ》イ|奴《め》』
『イヤ|分《わか》りましてござります。|太子《たいし》は|修行《しうぎやう》のため、|神勅《しんちよく》に|従《したが》ひ、|旅《たび》に|出《だ》すことといたしませうが、|病身《びやうしん》なる|妹《いもうと》に|旅《たび》の|苦労《くらう》を|致《いた》させるのは|親《おや》として|忍《しの》びませぬ。どうぞこればかりは|御猶予《ごいうよ》をお|願《ねが》ひ|申《まを》したうござります』
『ハテさて、|分《わか》らぬ|爺《ぢぢ》いだな。|神《かみ》に|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》つたでないか。|王女《わうぢよ》チンレイはこの|門《もん》を|出《い》づるや|否《いな》や、|病魔《びやうま》はたちまち|退散《たいさん》し、|金鉄《きんてつ》のごとき|壮健《そうけん》な|肉体《にくたい》となるであらう。|神《かみ》の|言葉《ことば》に|間違《まちが》ひはないぞ。|返答《へんたふ》は|何《ど》うだ』
『|左様《さやう》ならば|御神勅《ごしんちよく》に|従《したが》ひ、|両人《りやうにん》にその|由《よし》を|伝《つた》へませう』
『ガーデン|王《わう》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、|汝《なんぢ》の|改慎《かいしん》によつて、|速《すみ》やかに|神政成就《しんせいじやうじゆ》、ミロクの|世《よ》が|出現《しゆつげん》いたすであらうぞ』
『ハイ|有難《ありがた》う|存《ぞん》じまする』
『モ|一《ひと》つ|其方《そなた》に|申《まを》し|渡《わた》す|事《こと》がある。これも|絶対服従《ぜつたいふくじう》いたすであらうなア』
『ハイ』
『|汝《なんぢ》はジヤンクをもつて、|政治《せいぢ》の|枢機《すうき》に|任《にん》じてゐるが、|彼《かれ》がごとき|田舎者《いなかもの》、どうして|神《かみ》の|創《つく》りしトルマン|国《ごく》の|政治《せいぢ》が|出来《でき》やうぞ。|彼《かれ》は|吾《わ》が|国家《こくか》の|爆裂弾《ばくれつだん》だ。|八岐大蛇《やまたをろち》の|霊《れい》だ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|当城《たうじやう》を|逐《お》ひ|出《だ》せ』
『こればかりは|必要《ひつえう》な|人物《じんぶつ》でございますから、どうぞ|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひたうございます』
|千草《ちぐさ》『|三日《みつか》の|猶予《いうよ》を|致《いた》すによつて、それまでに|篤《とく》と|言《い》ひ|聞《き》かせ、|城内《じやうない》を|追《お》つ|払《ぱら》ふべし。しかながら|彼《かれ》ジヤンクにおいて、キユーバー|上人《しやうにん》の|在所《ありか》を|尋《たづ》ね、|城内《じやうない》にお|迎《むか》ひ|申《まを》し|来《き》たるにおいては、|国政《こくせい》の|一部《いちぶ》をその|褒美《はうび》として|任《まか》しても|差支《さしつか》へなからう。イヤ|刹帝利殿《せつていりどの》、|御苦労《ごくらう》でござつた。|居間《ゐま》へ|下《さが》つて|休息《きうそく》|召《め》され。|最前《さいぜん》から|神《かみ》の|申《まを》し|渡《わた》した|一伍一什《いちぶしじふ》、|必《かなら》ず|落度《おちど》のなきやう、|明日《みやうにち》までに|実行《じつかう》せよ』
と|言《い》ひながら、|又《また》もや|両手《りやうて》を|一《いち》の|字《じ》に|開《ひら》き、|反《そ》り|返《かへ》つて|床《とこ》の|間《ま》を|下《くだ》り、|悠々《いういう》として|吾《わ》が|寝室《しんしつ》|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
ガーデン|王《わう》は|千草姫《ちぐさひめ》に|足《あし》の|爪先《つまさき》から|悪霊《あくれい》を|注入《ちうにふ》され、にはかに|心機一転《しんきいつてん》し、ほとんど|邪神《じやしん》の|神憑状態《かむがかりじやうたい》となつてしまつた。|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》は|首尾《しゆび》よくトルマン|城《じやう》を|占領《せんりやう》したのである。
|太子《たいし》と|王女《わうぢよ》は|父母《ふぼ》|両親《りやうしん》の|厳命《げんめい》を|拒《こば》む|術《すべ》もなく、|旅《たび》に|出《で》かけると|称《しよう》し、|数万《すうまん》の|金《かね》を|用意《ようい》し|遍路姿《へんろすがた》となつて、|日《ひ》の|暮《く》るる|頃《ころ》、レール、マークの|住家《すみか》を|指《さ》して|訪《たづ》ね|行《ゆ》き、|門口《かどぐち》に|立《た》つて、チリンチリンと|鈴《すず》を|振《ふ》つてゐる。レール、マークは|昼《ひる》は|互《たが》ひに|岩窟《がんくつ》の|番人《ばんにん》をやつてゐたが、|丁度《ちやうど》この|時《とき》、|男女《だんぢよ》|四人《よにん》|食卓《しよくたく》を|共《とも》にしてゐる|真最中《まつさいちう》であつた。|太子《たいし》は|門《かど》に|立《た》つて、|鈴《りん》を|振《ふ》りながら「|頼《たの》まう|頼《たの》まう」とおとなへば、マークは|戸《と》の|隙間《すきま》より|外面《そと》を|窺《うかが》ひて、
マ『ヤ、|夫婦《ふうふ》の|巡礼《じゆんれい》さま、|何用《なによう》か|知《し》らないが、かやうな|貧民窟《ひんみんくつ》へ|来《き》たところで、|何一《なにひと》つ|上《あ》げる|物《もの》はない、トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。かやうな|狭《せま》い|家《いへ》へ、|今《いま》|頃《ごろ》に|来《き》たところで|泊《と》めてやる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、お|断《ことわ》り|申《まを》します』
|太《たい》『イヤ、|愚僧《ぐそう》は|決《けつ》して|怪《あや》しき|者《もの》でござらぬ。レール、マーク|殿《どの》の|知人《ちじん》でござれば、どうか|此《こ》の|戸《と》を|開《あ》けてもらひたい』
レ『ヤ、スパイの|奴《やつ》、|化《ば》けて|来《き》やがつたな、コラ|大変《たいへん》だ。|姫《ひめ》さまを|隠《かく》さねばなるまい。サア|姫《ひめ》さま、|済《す》みませぬが、この|戸棚《とだな》の|中《なか》へちよつと|入《はい》つてゐて|下《くだ》さいませ』
テイ『ホホホホホホ、さう|慌《あわ》てるには|及《およ》びませぬよ。|何《なに》か|城内《じやうない》に|急変《きふへん》が|起《おこ》つたと|見《み》え、|太子様《たいしさま》が|変装《へんさう》してお|出《い》でになつたのでございますワ。あのお|声《こゑ》は|太子様《たいしさま》に|間違《まちが》ひございませぬ』
と|言《い》ひながら、テイラはガラガラと|破戸《やぶれど》を|開《ひら》き、
『ヤ、|太子様《たいしさま》、ようお|越《こ》し|下《くだ》さいました』
|太子《たいし》は「ウン」と|言《い》つたきり、チンレイと|共《とも》に|内《うち》に|入《はい》る。
(大正一四・八・二四 旧七・五 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第三篇 |理想新政《りさうしんせい》
第一六章 |天降里《あまくだり》〔一七八三〕
シグレ|町《ちやう》の|貧民窟《ひんみんくつ》の|九尺二間《くしやくにけん》にはレール、マークの|両人《りやうにん》が、|俄《には》かにテイラ、ハリス、チウイン、チンレイの|新《あたら》しい|四人《よにん》の|珍客《ちんきやく》を|迎《むか》へ、どことはなく|大活気《だいくわつき》が|漲《みなぎ》つて|来《き》た。|新来《しんらい》の|珍客《ちんきやく》は|何《いづ》れも|古《ふる》ぼけた|労働服《らうどうふく》を|身《み》に|纏《まと》ひ、これが|太子《たいし》か、|貴婦人《きふじん》かと|見《み》まがふばかり、|服装《みなり》を|落《お》としてしまつた。それゆゑ|七軒長屋《しちけんながや》の|隣《となり》の|婆嬶連《ばばかかれん》も、|夢《ゆめ》にも|太子《たいし》や|王女《わうぢよ》の|変装《へんさう》とは|知《し》る|由《よし》もなかつた。
|朝《あさ》も|早《はや》うから|女議員《をんなぎゐん》が、カバンの|代《かは》りに|手桶《てをけ》をさげて、|井戸端会議《ゐどばたかいぎ》を|燕《つばくろ》の|親方《おやかた》よろしく|開催《かいさい》してゐる。
|甲《かふ》『これ、お|梅《うめ》さま、レールさま|処《とこ》へこの|頃《ごろ》|妙《めう》な、【|落《お》ちづれもの】が、やつて|来《き》てゐるぢやないか。あら、おほかた、|乗馬下《じやうめをろ》しの|貴婦人《きふじん》かも|知《し》れむが、|長屋《ながや》の|規則《きそく》を|守《まも》つて、|饂飩《うどん》|一杯《いつぱい》づつ|配《くば》りさうなものだのに、まだ|挨拶《あいさつ》にも|出《で》て|来《こ》ぬぢやないかい』
|乙《おつ》『お|竹《たけ》さま、|饂飩《うどん》か|蕎麦《そば》の|一杯《いつぱい》|貰《もら》ふやうな|事《こと》があつたら、それこそ|大変《たいへん》ですよ。あとが|煩《うる》さいからな』
|竹《たけ》『それでも、|私《わたし》が|去年《きよねん》の|暮《くれ》にこの|長屋《ながや》へ|流《なが》れ|込《こ》んで|来《き》た|時《とき》、お|前《まへ》さま|等《ら》が|率先《そつせん》して、|何《なん》かと|世話《せわ》をして|下《くだ》さつた|際《さい》に、|長屋《ながや》の|規則《きそく》だから、|饂飩《うどん》か|蕎麦《そば》を|一杯《いつぱい》づつ|向《む》かふ|三軒《さんげん》|両隣《りやうどなり》へ|配《くば》れと|言《い》ひなしたものだから、|親爺《おやぢ》のハツピを|質《しち》において|饂飩《うどん》を|一杯《いつぱい》づつ|配《くば》りましたよ』
|梅《うめ》『そら、さうですとも、|普通《ふつう》の|人間《にんげん》なら、|互《たが》ひに|仲《なか》ようして、お|交際《つきあい》をしてもらはなくちやなりませぬが、あのレールさま、ま|一人《ひとり》のマークさまの|二人《ふたり》は、ラマ|本山《ほんざん》のブラツクリストとかいふものについてゐる|人物《じんぶつ》で、いつも|番僧《ばんそう》さまが|如意棒《によいぼう》をブラ|下《さ》げて|調《しら》べに|来《く》るぢやないか。あの|人《ひと》は|向上会員《かうじやうくわいゐん》とか、|黒《くろ》い|主義者《しゆぎしや》とかいふぢやないか。そんな|人《ひと》と|交際《かうさい》でもしようものなら、|番僧《ばんそう》さまにつけねらはれ、|誰《たれ》もいやがつて|日傭者《ひよさ》にも|雇《やと》うてくれませぬワ。さうすりや|忽《たちま》ち|親子《おやこ》の|腮《あご》が|乾上《ひあが》つてしまふぢやありませぬか。|親爺《おやぢ》さまは|毎日《まいにち》|土方《どかた》をやり、|私《わたし》たちはマツチの|箱貼《はこは》りをして|会計《くわいけい》を|助《たす》けてはをるものの、|雨《あめ》が|三日《みつか》も|降《ふ》りや|忽《たちま》ち|土方《どかた》も|出来《でき》ず、|親子《おやこ》が|飢《かつ》ゑ|死《じに》せねばならぬといふ|境遇《きやうぐう》だもの、|番僧《ばんそう》さまなんかに|睨《にら》まれちやたまりませぬわな』
『|何《なん》とマア|怖《おそ》ろしい|人《ひと》がこの|路地《ろぢ》へ|這入《はい》つて|来《き》たものぢやないか。|此《この》|頃《ごろ》はあんな|人《ひと》がうろつくので|寺庵異持法《じあんいぢはふ》だとか、|国士団《こくしだん》、……|法《はふ》とか、|難《むつ》かしい|法律《はふりつ》が|発布《はつぷ》され、|三人《さんにん》|寄《よ》つて|話《はなし》をしてをつても、すぐ|引張《ひつぱ》られるさうだから、かう|五人《ごにん》も|六人《ろくにん》も|一緒《いつしよ》に|水汲《みづく》みをやるのは|剣呑《けんのん》ですぜ』
『タカが|女《をんな》ぢやありませぬか。|本来《ほんらい》|裏長屋《うらながや》の|嬶連《かかれん》が、|何人《なんにん》|寄《よ》つて|雀会議《すずめくわいぎ》をやつたところで|何一《なにひと》つ|出来《でき》やしないわ。なにほど|盲《めくら》の|番僧《ばんそう》さまだつて、|女《をんな》まで|引張《ひつぱ》つて|帰《かへ》るやうな|無茶《むちや》な|事《こと》はしますまいよ』
『なに、|女《をんな》でもなかなか|手《て》に|合《あ》はぬ|連中《れんぢう》さまがありますよ。|今時《いまどき》の|女性《ぢよせい》はみな、|高等淫売教育《かうとういんばいけういく》とか、いふものを|受《う》けてゐる|人《ひと》だから、|女権拡張《ぢよけんくわくちやう》とか|女子参政論《ぢよしさんせいろん》だとか、いろいろのオキャンや、チャンピオンが|現《あら》はれて、ラマ|本山《ほんざん》の|頭《あたま》を|痛《いた》めるものだから、|此《この》|頃《ごろ》は|女《をんな》でも|容赦《ようしや》なく、|番僧《ばんそう》さま、ちよつと|怪《あや》しいと|見《み》たら|直《す》ぐに|引張《ひつぱ》つて|行《ゆ》くさうだよ。あの|向上会員《かうじやうくわいゐん》さまの|中《なか》にも、どうやら|高等淫売《かうとういんばい》らしい、|綺麗《きれい》な|女《をんな》が|三人《さんにん》まで、やつて|来《き》てゐるのだもの、|何時《いつ》|番僧《ばんそう》さまがやつて|来《く》るか|知《し》れないわ。|蕎麦《そば》の|御馳走《ごちそう》どころか、|此方《こつち》が|側杖《そばづゑ》を|喰《く》はされちや|堪《たま》りませぬな。サアサア|帰《かへ》りませう』
と|五六人《ごろくにん》の|婆嬶《ばばかか》が|手桶《てをけ》をヒツ|下《さ》げて、|各自《めいめい》|小《ちひ》さい|破《やぶ》れ|戸《ど》をくぐつて|姿《すがた》を|隠《かく》してしまつた。
チウインは|共同井戸《きようどうゐど》の|側《そば》にある|穢《むさくる》しい|共同便所《きようどうべんじよ》に|這入《はい》つてをつたが、この|女連《をんなれん》の|話《はなし》を|一伍一什《いちぶしじふ》|聞《き》き|終《をは》り、そしらぬ|顔《かほ》をして|帰《かへ》り|来《き》たり、
チウ『オイ、レールの|兄貴《あにき》、|僕《ぼく》は|妙《めう》な|事《こと》を|聞《き》いて|来《き》たよ。イヤ、もう|大《おほ》いに|社会教育《しやくわいけういく》を|得《え》た。|人間《にんげん》といふものはホンに|生活上《せいくわつじやう》に|大変《たいへん》な|懸隔《けんかく》があるものだな』
レ『|長屋《ながや》の|雀《すずめ》や|燕《つばめ》が|言《い》ふことア|大抵《たいてい》きまつてゐますよ。|私《わたし》を|向上会員《かうじやうくわいゐん》だといつて、いつも|口《くち》をきはめて|悪口《わるぐち》をいひ、テンで|怖《こは》がつて|交際《かうさい》をせないのです。ずゐぶん、|悪垂《あくた》れ|口《ぐち》を|叩《たた》いたでせう』
『ハハハハなかなか|面白《おもしろ》いわ、イヤしかし|面白《おもしろ》いというては|済《す》まぬ。このトルマン|国《ごく》には|一人《ひとり》も|貧民《ひんみん》のないやうに、|何《なん》とかして|骨《ほね》を|折《を》らねばなるまい』
『タラハン|国《ごく》のスダルマン|太子《たいし》は、アリナ、バランスといふ|賢明《けんめい》な|棟梁《とうりやう》の|臣下《しんか》を|得《え》て、|教政《けうせい》の|改革《かいかく》を|断行《だんかう》されたといふ|話《はなし》ですが、|屹度《きつと》よく|治《をさ》まるでせう。まだ|今々《いまいま》の|事《こと》ですから、その|結果《けつくわ》は|分《わか》りませぬが、|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、アアするより|外《ほか》に|道《みち》はござりますまい。トルマン|国《ごく》も|今《いま》は|改革《かいかく》の|時期《じき》だと|思《おも》ひます。どうか|太子様《たいしさま》の|英断《えいだん》をもつて、|一日《いちにち》も|早《はや》く|教政《けうせい》の|改革《かいかく》を|断行《だんかう》し、|国民《こくみん》の|信望《しんばう》をつなぎ、|天下《てんか》の|名君《めいくん》と|仰《あふ》がれ|玉《たま》ふやう、|吾々《われわれ》は|努力《どりよく》したいと|思《おも》ひます』
『ヤ、|実《じつ》は|僕《ぼく》もスダルマン|太子《たいし》のやり|口《くち》には|感服《かんぷく》してゐる。どうしても|思《おも》ひきつて|決行《けつかう》せなくちや|駄目《だめ》だ。ともかく、やれるだけやりたいものだな』
『|今度《こんど》の|宰相《さいしやう》は|余程《よほど》|分《わか》つてゐるやうですが、|浄行《じやうぎやう》の|古手《ふるて》や|首陀《しゆだ》の|大将《たいしやう》や|毘沙頭《びしやがしら》の|古手《ふるて》が、いくら|頭《あたま》を|悩《なや》まし、|教政内局《けうせいないきよく》を|組織《そしき》したところで、その|寿命《じゆみやう》は|長《なが》くて|一年半《いちねんはん》、|短《みじか》い|奴《やつ》は|三月《みつき》くらゐで|倒《たふ》れてしまふのだから、|吾々《われわれ》|教徒《けうと》はいい|面《つら》の|皮《かは》ですよ。|今日《こんにち》は|最早《もはや》、|人文《じんぶん》|発達《はつたつ》して|人民《じんみん》が|皆《みな》|自覚《じかく》してをりますから、|古疵物《ふるきずもの》は|信用《しんよう》しませぬ。ともかく、|清浄無垢《しやうじやうむく》の|民間《みんかん》から|出《で》たものでないと、|大衆《たいしう》の|信望《しんばう》をつなぐ|事《こと》はむつかしいですな』
『そらさうだ。|会衆《ゑしう》の|古手《ふるて》や|首陀頭《しゆだがしら》や|浄行《じやうぎやう》や|金持会衆《かねもちゑしう》が、|何遍《なんべん》|出直《でなほ》したところで、まるで|子供《こども》が|飯事《ままごと》をしてゐるやうなものだ。|亡宗政治《ばうしうせいぢ》、|骸骨政治《がいこつせいぢ》、|幽霊政治《いうれいせいぢ》、|日暮《ひぐら》し|政治《せいぢ》、|軟骨政治《なんこつせいぢ》、|章魚政治《たこせいぢ》、|圧搾宗政《あつさくしうせい》ばつかりやられてをつちや、|大衆《たいしう》は|到底《たうてい》|息《いき》をつく|事《こと》は|出来《でき》まい。|僕《ぼく》もどうかして|此《この》|際《さい》、かくれたる|智者《ちしや》|仁者《じんしや》を|探《さが》し|求《もと》め、|善政《ぜんせい》を|布《し》いてみたいと|思《おも》ふのだ。|然《しか》しながらまだ|自分《じぶん》は|部屋住《へやず》まゐの|事《こと》でもあり、|両親《りやうしん》の|頭《あたま》が|古《ふる》くつて|時代《じだい》の|趨勢《すうせい》が|分《わか》らないものだから、|実《じつ》は|困《こま》つてゐるのだ。|何《なん》とか|一《ひと》つ|大《おほ》きな|目覚《めざま》しが|来《く》るといいのだけれどな』
『|太子様《たいしさま》、かならず|心配《しんぱい》して|下《くだ》さるな。|吾々《われわれ》は|王室中心向上主義《わうしつちうしんかうじやうしゆぎ》ですが、|現代《げんだい》の|大衆《たいしう》は|何時《いつ》でも|一撃《いちげき》の|梵鐘《ぼんしよう》の|響《ひびき》と|共《とも》に|起《た》つやうになつてをります。テイラさまや、ハリスさまの|前《まへ》で、こんな|事《こと》を|言《い》ふのはチツとばかり|言《い》ひにくいけれど、|今度《こんど》の|戦争《せんそう》がなかつたなら、|吾々《われわれ》は|已《すで》に|已《すで》に|左守《さもり》、|右守《うもり》の|両人《りやうにん》を|斃《たふ》し、|宗政《しうせい》の|改革《かいかく》を|太子様《たいしさま》にお|願《ねが》ひするところだつたのです。|既《すで》にすでに|矢《や》は|弓《ゆみ》の|弦《つる》につがへられてをつたのです。|左守《さもり》、|右守《うもり》の|浄行《じやうぎやう》も|戦争《せんそう》のために|斃《たふ》れたのだから、|御本人《ごほんにん》にとつては|非常《ひじやう》に|光栄《くわうえい》だつたのでせう。さうでなくつても|今日《けふ》まで|二《ふた》つの|首《くび》はつながれてゐない|筈《はず》ですから』
テイラ、ハリスの|両人《りやうにん》は|平気《へいき》な|顔《かほ》して|笑《わら》つてゐる。
レ『もしテイラさま、ハリスさま、あなたはお|父《とう》さまの|事《こと》を|言《い》はれても、|何《なん》ともないのですか』
テイ『ハイ、|子《こ》として|父《ちち》の|死《し》を|悲《かな》しまぬものはありませぬ。|然《しか》しながら|大衆《たいしう》の|怨府《ゑんぷ》となり、|非業《ひごふ》の|最後《さいご》を|遂《と》げられやうなものなら、それこそ|子《こ》として|堪《たま》りませぬが、|危機一髪《ききいつぱつ》の|場合《ばあひ》になつて、|王家《わうけ》のため|国教《こくけう》のために|戦《たたか》つて|死《し》んだのですもの、|全《まつた》くウラルの|神《かみ》さまの|御恵《みめぐ》みだと|思《おも》つて|有難《ありがた》う|感《かん》じてをりますわ。ネー、ハリスさま、あなただつてさうお|考《かんが》へでせう』
ハリ『|何事《なにごと》もみな、|因縁事《いんねんごと》ですもの、|仕方《しかた》がありませぬわね』
レ『イヤお|二人《ふたり》とも、|立派《りつぱ》なお|心掛《こころが》け、|向上会《かうじやうくわい》の|私《わたし》も|今日《こんにち》の|上流《じやうりう》に、こんな|考《かんが》への|人《ひと》があるかと|思《おも》へば|聊《いささ》か|心強《こころづよ》くなつて|来《き》ました。オイ、マーク、トルマンの|国家《こくか》も|心配《しんぱい》は|要《い》らないよ、|喜《よろこ》び|給《たま》へ、この|若君《わかぎみ》を|頂《いただ》き、この|賢明《けんめい》な|左守《さもり》|右守《うもり》のお|嬢《ぢやう》さまが|上《うへ》にある|以上《いじやう》は、|国家《こくか》は|大磐石《だいばんじやく》だ。|俺《おれ》たちも|今《いま》まで|十年《じふねん》の|間《あひだ》、|国事《こくじ》と|改宗《かいしう》に|奔走《ほんそう》した|曙光《しよくわう》が|現《あら》はれたやうなものだ』
マ『|本当《ほんたう》にさうだ。|僕《ぼく》も|何《なん》だか、|死《し》から|甦《よみがへ》つたやうな|晴《は》ればれした|爽快《さうくわい》な|気分《きぶん》になつて|来《き》たよ。|何《なん》といつても|年《とし》|若《わか》き|婦人《ふじん》の|身《み》として、|駒《こま》に|鞭《むち》うち|砲煙弾雨《はうえんだんう》の|間《あひだ》を、|三軍《さんぐん》を|指揮《しき》して|奔走《ほんそう》された|女丈夫《ぢよぢやうぶ》だもの。|僕等《ぼくら》のごとき|痩男《やせをとこ》は|姫《ひめ》さまの|前《まへ》ではサツパリ|顔色《がんしよく》なしだ、ハツハハハハ』
かく|話《はなし》してゐるところへ、|如意棒《によいぼう》の|音《おと》がガラガラと|聞《き》こえて|来《き》た。
レ『ヤ、また|番僧《ばんそう》がやつて|来《き》よつたな。チウインさま、どうか|本名《ほんみやう》を|言《い》つちや、いけませぬよ。|皆《みな》さま、そのつもりでゐて|下《くだ》さい。きつと|人員調査《じんゐんてうさ》にやつて|来《き》たのでせうから』
チウ『よしよし、|心配《しんぱい》するな』
|番僧《ばんそう》『レールさま、ちよつと|戸《と》を|開《あ》けて|下《くだ》さい』
レールは|入口《いりぐち》の|破《やぶ》れ|戸《ど》をガラリと|押《お》し|開《あ》けニコニコしながら、
『ヤア、これはこれは、|朝《あさ》も|早《はや》うから|御苦労《ごくらう》でござります。|何《なん》の|御用《ごよう》か|知《し》りませぬが、トツトとお|這入《はい》り|下《くだ》さい。|拙宅《せつたく》も|此《この》|頃《ごろ》はお|客《きやく》が|殖《ふ》えまして|大変《たいへん》|賑《にぎ》やかうござります。にはかに|六人家内《ろくにんがない》となつたものですから、|懐《ふところ》の|寒《さむ》いレールにとつては|聊《いささ》か|困《こま》つてをりますわい。|貴方《あなた》も|此《この》|頃《ごろ》は|物価騰貴《ぷつかとうき》で、さぞお|困《こま》りでせうな』
|番《ばん》『|君《きみ》のいふ|通《とほ》り、|僕《ぼく》も|大変《たいへん》|生活難《せいくわつなん》に|襲《おそ》はれてゐるのだ。|女房《にようばう》の|内職《ないしよく》で、どうなりかうなり、【ひだるい】|目《め》はせずに|暮《くら》してゐるが、ずゐぶん|辛《つら》いものだよ。|君《きみ》はこれといふ|仕事《しごと》もしてゐないやうだが、ずゐぶん|裕福《ゆうふく》な|暮《くら》しをしてゐるらしいね。|鶏《かしは》が|叩《たた》いてあるぢやないか。|然《しか》しこの|四人《よにん》の|方《かた》は|何処《どこ》から|来《こ》られたのだ。|実《じつ》はこの|長屋《ながや》の|嬶《かか》が|本山《ほんざん》へ|密告《みつこく》して|来《き》たものだから、|職務上《しよくむじやう》|調《しら》べぬわけにも|行《ゆ》かず、また|君《きみ》に|苦《にが》い|面《かほ》をしられるのを|知《し》りながら、これも|職務上《しよくむじやう》やむを|得《え》ないのだから、|一応《いちおう》|取調《とりしら》べに|来《き》たのだ。どうか|悪《わる》く|思《おも》はないやうにして|下《くだ》さい』
レ『|久振《ひさしぶ》りで|郷里《きやうり》の|友人《いうじん》や、|私《わたし》の|女房《にようばう》や、マークの|女房《にようばう》が|尋《たづ》ねて|来《き》てくれたのですよ。|明日《あす》はどうして|喰《く》はうかと|兵糧《ひやうろう》がつきたので|頭痛鉢巻《づつうはちまき》をやつてゐたところ、|郷里《きやうり》からこの|通《とほ》り|鶏《かしは》と|米《こめ》と|酒《さけ》を|持《も》つて|来《き》たものだから、|久振《ひさしぶ》りで|御馳走《ごちそう》にありつかうと|思《おも》つて、|朝《あさ》から|立働《たちはたら》いてゐたところですよ』
『|成《な》るほど、どうも|田舎《いなか》の|人《ひと》らしいね。|然《しか》しながら|田舎《いなか》にしては、|言《い》ふと|済《す》まぬが、|垢抜《あかぬ》けのした|方《かた》ばかりだな』
『この|友人《いうじん》はバクシーといつて、チツとばかり|財産《ざいさん》を|持《も》つてをります。|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|国士《こくし》として|国家《こくか》のため、|身命《しんめい》を|賭《と》して|活動《くわつどう》してゐるものだから、|妻子《さいし》を|養《やしな》ふことが|出来《でき》ないので、このバクシーさまの|家《うち》へお|世話《せわ》になり、|下女奉公《げぢよぼうこう》に|使《つか》つてもらつてをつたところ、|女房《にようばう》が|一度《いちど》|夫《をつと》の|顔《かほ》が|見《み》たい|顔《かほ》が|見《み》たいとせがむものだから、はるばると|女房《にようばう》を|連《つ》れて、バクシー|夫婦《ふうふ》が|昨日《きのふ》|来《き》てくれたのです。マアお|前《まへ》さま|久振《ひさしぶ》りだ、|一杯《いつぱい》やつたらどうですか。|別《べつ》に|貴方《あなた》の|職掌《しよくしよう》にも|影響《えいきやう》するやうな|事《こと》はありますまい』
『イヤ、|有難《ありがた》う。それでは|一杯《いつぱい》|頂戴《ちやうだい》しやうかな。|僕《ぼく》だつて|同《おな》じトルマン|国《ごく》の|人民《じんみん》だ。|如意棒《によいぼう》をブラ|下《さ》げてゐるだけの|違《ちが》ひだ。|一《ひと》つ|上司《じやうし》の|機嫌《きげん》を|損《そん》じたが|最後《さいご》、たちまち|丸腰《まるごし》になつて|労働者《らうどうしや》の|仲間《なかま》へ|入《い》れてもらはなくちやならないのだから、|今《いま》の|間《うち》に|君《きみ》たちと|懇親《こんしん》を|結《むす》んでおかなくては、たちまち|自分《じぶん》の|前途《ぜんと》が|案《あん》じられて|仕方《しかた》がないからな。どうかレールさま、よろしく|頼《たの》みますよ』
『|今《いま》の|高級僧侶《かうきふそうりよ》などは、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|皆《みな》|賄賂《わいろ》をとつたり、|御用商人《ごようしやうにん》と|結託《けつたく》して、|甘《あま》い|汁《しる》を【しこたま】|吸《す》うてゐやがる|餓鬼《がき》ばかりだ。|役僧《やくそう》の|中《なか》でも|比較的《ひかくてき》|潔白《けつぱく》なのは|君《きみ》たち|番僧《ばんそう》|仲間《なかま》だ。それでも|小《こ》ラマぐらゐになると、ずゐぶん|予算外《よさんぐわい》の|収入《しうにふ》があるといふ|事《こと》だ。|君《きみ》たちも|労働者《らうどうしや》の|前《まへ》で|如意棒《によいぼう》を|見《み》せて|威張《ゐば》り|散《ち》らすくらゐが|役得《やくとく》では|詰《つま》らぬぢやないか。|普選《ふせん》が|間《ま》もなく|実行《じつかう》される|世《よ》の|中《なか》だ。|君《きみ》も|吾々《われわれ》|仲間《なかま》に|這入《はい》つて|向上運動《かうじやううんどう》の|牛耳《ぎうじ》をとり、|会衆《ゑしう》にでも|選出《せんしゆつ》されて、|国政《こくせい》と|宗政《しうせい》の|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》し|玉《たま》へ。|月給《げつきふ》の|安《やす》い|番僧《ばんそう》なんかやつてをつたところで、つまらぬぢやないか。なにほど|出世《しゆつせ》したところで、|番僧《ばんそう》の|出世《しゆつせ》は|小《こ》ラマが|関《せき》の|山《やま》だ。それも|三十年《さんじふねん》くらゐ|勤続《きんぞく》せなくちや、そこまで|漕《こ》ぎつけるわけにやゆかないからな、ハハハハ』
『ウン、そらさうだな。|会衆《ゑしう》にでも|出《で》て、うまく|立働《たちはたら》けば|伴食浄行《ばんしよくじやうぎやう》くらゐはなれるかもしれない。|悪《わる》くしたところで|首陀頭《しゆだがしら》の|椅子《いす》ぐらゐにはありつけるかも|知《し》れぬ。|生活《せいくわつ》の|保証《ほしよう》さへしてくれる|者《もの》があつたら、|僕《ぼく》は|今日《けふ》からでも|辞職《じしよく》して|君《きみ》たちと|一緒《いつしよ》に|活動《くわつどう》するつもりだがな』
『そりや|面白《おもしろ》い、|番僧《ばんそう》の|中《なか》でも、|君《きみ》はどつか|違《ちが》つたところがあると|向上会員《かうじやうくわいゐん》の|仲間《なかま》からも|言《い》はれてゐるのだ。|思《おも》ひきつて|番僧《ばんそう》なんか|棒《ぼう》にふり|玉《たま》へ。|君《きみ》の|生活《せいくわつ》は、このバクシーさまがきつと|保証《ほしよう》して|下《くだ》さるよ。さうしてバクシーさまに|附《つ》いてさへをれば、もはや|大磐石《だいばんじやく》だ。|寺庵異持法《じあんいぢはふ》、|国士団《こくしだん》、……|法《はふ》も、|何《なに》も、へつたくれも、あつたものぢやない』
チウ『こいツア|面白《おもしろ》い|番僧《ばんそう》さまだ。オイ|君《きみ》、|僕《ぼく》は|実《じつ》のところ、|打《う》ち|割《わ》つていふがチウイン|太子《たいし》だ。|教政《けうせい》を|改革《かいかく》せむために|向上会員《かうじやうくわいゐん》の|仲間《なかま》へ|偵察《ていさつ》に|変装《へんさう》して|来《き》てゐるのだよ。|君《きみ》もどうぢや、|今日限《けふかぎ》り|番僧《ばんそう》をやめて|向上運動《かうじやううんどう》に|没頭《ぼつとう》する|気《き》はないか。|浄行《じやうぎやう》ぐらゐにやきつと|僕《ぼく》がしてやるよ』
|番《ばん》『|本当《ほんたう》ですか、|腹《はら》の|悪《わる》い、|人《ひと》を|嬲《なぶ》るのでせう。|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|太子様《たいしさま》が、かやうな|処《ところ》へおいでなさる|道理《だうり》はありますまい』
『|因習《いんしふ》に|囚《とら》はれた|現代人《げんだいじん》は、|太子《たいし》といへばどつか|特種《とくしゆ》の|権威《けんゐ》でもあるやうに|誤解《ごかい》してゐるが、|太子《たいし》だつて|神柱《かむばしら》だつて、|白《しろ》い|米《こめ》を|食《く》つて|黄《き》いろい|糞《ふん》を|垂《た》れる|代物《しろもの》だ、ハツハハハハ』
『イヤ|分《わか》りました、|間違《まちが》ひござりますまい。|何《なん》だかどこともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い|人《ひと》と|思《おも》つてゐましたが、さうするとこの|御婦人達《ごふじんたち》は|何《いづ》れも|雲《くも》の|上《うへ》に|生活《せいくわつ》を|遊《あそ》ばす|貴婦人《きふじん》でせう。|私《わたし》はテルマンと|申《まを》す|小本山《せうほんざん》の|番僧《ばんそう》でござります。どうか|宜《よろ》しう|今後《こんご》は|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひます。|如何《いか》なる|御用《ごよう》でも|犬馬《けんば》の|労《らう》を|惜《を》しみませぬ』
『ハ、よしよし、これで|新人物《しんじんぶつ》を|一人《ひとり》|見《み》つけた。|早速《さつそく》の|穫物《えもの》があつた、ハハハハ』
|戸《と》の|隙間《すきま》から|太陽《たいやう》の|光線《くわうせん》が|五条《いつすぢ》|六条《むすぢ》|黒《くろ》ずんだ|畳《たたみ》の|上《うへ》に|落《お》ち、|煙《けぶり》のやうな|埃《ほこり》がモヤモヤと|輪廓《りんくわく》を|描《ゑが》いて|浮游《ふいう》してゐる。|豆腐屋《とうふや》のリンがかすかに|聞《き》こえて|来《く》る。|新聞配達《しんぶんはいたつ》のリンが|一入《ひとしほ》|高《たか》く|響《ひび》く。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於由良海岸秋田別荘 北村隆光録)
第一七章 |春《はる》の|光《ひかり》〔一七八四〕
|千草姫《ちぐさひめ》は、|恋《こひ》しさ|懐《なつか》しさ、|夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬキユーバーの|所在《ありか》が|分《わか》らぬので、|精神《せいしん》ますます|混乱《こんらん》し、|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|神司《かむづかさ》を|神勅《しんちよく》と|称《しよう》して、|無念晴《むねんば》らしのため|無理《むり》やりに|牢獄《らうごく》に|王《わう》の|命令《めいれい》を|藉《か》りて|投《とう》ぜしめ、あらゆる|残虐《ざんぎやく》の|手《て》を|加《くは》ふべく|獄卒《ごくそつ》に|厳命《げんめい》を|下《くだ》した。またチウイン|太子《たいし》、チンレイを|修行《しうぎやう》のためと|称《しよう》して|城内《じやうない》より|放逐《はうちく》し、テイラには、キユーバーの|所在《ありか》を|求《もと》むべく|厳命《げんめい》し、ハリスを|好餌《かうじ》をもつて|過《あやま》たしめ、|今《いま》までの|旧臣系統《きうしんけいとう》を|殲滅《せんめつ》せむ|事《こと》を|計《はか》るなど、|実《じつ》に|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|魔王《まわう》となつてしまつた。|千草姫《ちぐさひめ》はたちまち|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》に|精霊《せいれい》を|占領《せんりやう》され、ガーデン|王《わう》は|八岐大蛇《やまたをろち》の|片割《かたわれ》にその|心魂《しんこん》を|占領《せんりやう》され、|千草姫《ちぐさひめ》の|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、キユーバーを|救《すく》ひ|出《だ》さむと|八方《はつぱう》に|手《て》を|廻《まは》し、|極力《きよくりよく》|捜索《そうさく》に|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》ぐ|事《こと》となつた。されどもチウイン|太子《たいし》が、|荒井ケ獄《あらゐがだけ》の|岩窟《がんくつ》に|閉《と》ぢ|込《こ》めておいた|事《こと》は、さすがの|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|肉宮《にくみや》も|悟《さと》る|事《こと》を|得《え》なかつた。|千草姫《ちぐさひめ》はハリマの|森《もり》に、キユーバーの|一日《いちにち》も|早《はや》く|帰《かへ》り|来《き》たらむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》するため、|数多《あまた》の|従臣《じうしん》を|従《したが》へ|警戒《けいかい》|厳《きび》しく|輿《こし》に|乗《の》つて、|朝夕《てうせき》|二回《にくわい》|参拝《さんぱい》を|励《はげ》むこととなつた。
マーク、レールの|両人《りやうにん》はチウイン|太子《たいし》から、|千草姫《ちぐさひめ》の|肉体《にくたい》は|既《すで》に|他界《たかい》し、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪霊《あくれい》と|入《い》り|代《かは》つてゐることを|懇々《こんこん》と|説《と》き|聞《き》かされ、|且《か》つまた|新聞《しんぶん》の|号外《がうぐわい》によつて、|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》が|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|日夜《にちや》|残虐《ざんぎやく》の|手《て》に|見舞《みま》はれ、|生命《せいめい》の|危険《きけん》を|感《かん》じ、もはや|立《た》つてもゐてもをられなくなつたので、レール、マークの|両人《りやうにん》に|耳打《みみう》ちし、|千草姫《ちぐさひめ》が|参拝《さんぱい》の|途中《とちう》を|待《ま》ち|伏《ぶ》せ、|石礫《いしつぶて》をもつて|彼《かれ》を|亡《ほろ》ぼさむ|事《こと》を|命《めい》じた。|両人《りやうにん》は|喜《よろこ》び|勇《いさ》み、|一身《いつしん》を|国家《こくか》のために|捨《す》つるは|今《いま》|此《こ》の|時《とき》と|石礫《いしつぶて》を|懐《ふところ》にし、|千草姫《ちぐさひめ》の|輿《こし》の|通過《つうくわ》を|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つてゐた。|千草姫《ちぐさひめ》は|首尾《しゆび》よく|参拝《さんぱい》を|終《をは》り、|七八町《しちはつちやう》ばかり、|数多《あまた》の|番僧《ばんそう》や|徒士《とし》に|守《まも》られ|帰《かへ》つて|来《く》ると、|路地口《ろぢぐち》より|躍《をど》り|出《い》でたる|二人《ふたり》の|兇漢《きようかん》、たちまち|輿《こし》を|目《め》がけて|石礫《いしつぶて》を|二個《にこ》まで|投《な》げつけた。|石礫《いしつぶて》はどうしたものか|手《て》が|狂《くる》つて|命中《めいちう》せず、|輿《こし》は|其《その》まま|城内《じやうない》さして|悠然《いうぜん》と|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|二人《ふたり》はたちまち|其《そ》の|場《ば》で|番僧《ばんそう》に|捕縛《ほばく》され、|一応《いちおう》|小本山《せうほんざん》で|取調《とりしら》べの|上《うへ》、|重大犯人《ぢうだいはんにん》として|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》まるる|事《こと》となつた。|相当《さうたう》に|広《ひろ》い|牢獄《らうごく》も|満員《まんゐん》|売切《うりき》れの|盛況《せいきやう》で、|定員《ていゐん》|二人《ににん》の|牢獄《らうごく》へ|投《とう》ぜらるる|事《こと》となつた。この|監房《かんばう》には|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|両人《りやうにん》が|手《て》を|縛《しば》られたまま|収容《しうよう》されてゐる。レールは|照国別《てるくにわけ》を|見《み》て、
『ヤあなたは|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ぢやございませぬか。どうして|又《また》このやうな|所《ところ》へ|入《い》れられなさつたのです』
|照国《てるくに》『|別《べつ》にこれといふ|悪《わる》い|事《こと》はした|覚《おぼ》えがありませぬが、|国王《こくわう》の|厳命《げんめい》だといつて、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|厳《きび》しく|手足《てあし》を|縛《いましめ》られた|上《うへ》、|昨夜《さくや》から|投《ほ》り|込《こ》まれてをります。いづれ|嫌疑《けんぎ》が|晴《は》れ、|晴天白日《せいてんはくじつ》の|身《み》となつて|近《ちか》い|中《うち》に|出獄《しゆつごく》し|得《う》るだらうと|思《おも》つてゐます』
レ『ハテ、|怪《け》しからぬ|事《こと》をやるものだ。|太子様《たいしさま》に|承《うけたまは》れば、|貴方様《あなたさま》は|今度《こんど》の|軍《いくさ》を|応援《おうゑん》|下《くだ》さつた|殊勲《しゆくん》の|第一人者《だいいちにんしや》と|聞《き》いてをりますのに、|姐己《だつき》の|千草姫《ちぐさひめ》、いよいよもつて|怪《け》しからぬ|事《こと》をやりよつたのでせう』
『なに、チウイン|太子《たいし》に|縁故《えんこ》のある|方《かた》ですか』
『ハイ、|実《じつ》は|私《わたし》の|宅《たく》に|太子《たいし》、|王女様《わうぢよさま》を|初《はじ》め|左守《さもり》、|右守《うもり》のお|嬢《ぢやう》さままで|忍《しの》んでおられます。このごろは|千草姫《ちぐさひめ》に|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》が|憑依《ひようい》し、|功臣《こうしん》を|退《しりぞ》けあらゆる|暴虐《ばうぎやく》の|手《て》を|加《くは》へむと|致《いた》しますので、|城下《じやうか》の|人気《にんき》は|鼎《かなへ》の|湧《わ》くがごとく、いつ|大騒動《おほさうどう》が|勃発《ぼつぱつ》するか|分《わか》らぬやうになつて|来《き》ました。チウイン|太子様《たいしさま》は|非常《ひじやう》に|此《こ》の|事《こと》を|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばし、|教政《けうせい》の|改革《かいかく》を|断行《だんかう》すべく、|今《いま》や|大衆《たいしう》の|代表者《だいへうしや》を|集《あつ》め|御計画中《ごけいくわくちう》でございます。やがて|貴方《あなた》も|無事《ぶじ》|出獄《しゆつごく》が|出来《でき》るでせう』
『なるほど、|承《うけたまは》ればチウイン|太子様《たいしさま》の|聰明《そうめい》なる、きつと|教政《けうせい》の|改革《かいかく》を|遊《あそ》ばすでせう。あの|千草姫《ちぐさひめ》は、|決《けつ》して|本《ほん》ものぢやございませぬ。|御本人《ごほんにん》の|霊《れい》は|既《すで》にすでに|脱殻《ぬけがら》となり、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》が|巣食《すく》つてゐるのですから、この|儘《まま》にしておかうものならトルマン|国《ごく》は|混乱《こんらん》の|巷《ちまた》となり、|刹帝利家《せつていりけ》の|滅亡《めつぼう》は|免《まぬが》れますまい。てもさても|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たものですなあ。|時《とき》に|貴方《あなた》は|何《なん》の|嫌疑《けんぎ》によつてかやうな|処《ところ》へ|入《い》れられたのですか』
『|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|向上運動《かうじやううんどう》の|主張者《しゆちやうしや》|兼《けん》|宗教改革運動《しうけうかいかくうんどう》の|代表者《だいへうしや》でございますが、チウイン|太子《たいし》の|内命《ないめい》により、|姐己《だつき》の|千草姫《ちぐさひめ》をベツトすべく、|石礫《いしつぶて》をもつて|車《くるま》の|辻《つじ》の|路地《ろぢ》にまちうけ、|輿《こし》を|目《め》がけて|石礫《いしつぶて》を|二個《にこ》まで|投《な》げつけたところ、|不幸《ふかう》にして|命中《めいちう》せず、|残念《ざんねん》ながら、|目的《もくてき》が|達成《たつせい》せないのみか、|脆《もろ》くも|番僧《ばんそう》にふん|縛《じば》られ、|重大犯人《ぢうだいはんにん》として|此所《ここ》へ|送《おく》られたのです。いづれ|吾々《われわれ》は|助《たす》かりますまいが、|運《うん》を|天《てん》に|委《まか》して|刹那心《せつなしん》を|楽《たの》しんでをります。|何《いづ》れ|人間《にんげん》は|一度《いちど》は|死《し》なねばならぬものですから、|国士《こくし》として|大衆《たいしう》の|代表《だいへう》として|殺《ころ》されるのは|満足《まんぞく》です』
『ヤア、|御精神《ごせいしん》を|承《うけたまは》り、|感服《かんぷく》いたしました。どうです、これから|歌《うた》でも|謡《うた》つて、|面白《おもしろ》くもない|時間《じかん》を|費《つひ》やさうぢやありませぬか』
『ヤ、それはいい|所《ところ》へ|気《き》がつきました。|四人《よにん》がかはるがはる|歌《うた》ひませう。まづ|宣伝使《せんでんし》から|口切《くちき》りをお|願《ねが》ひ|致《いた》しませうかな』
|照国《てるくに》『|然《しか》らばお|先《さき》へ|失礼《しつれい》』
と|言《い》ひながら|四辺《あたり》に|目《め》を|配《くば》り、|獄卒《ごくそつ》の|近《ちか》くに|居《ゐ》ないのを|見《み》て、
|照国《てるくに》『ここはいづこぞ|月《つき》の|国《くに》 トルマン|国《ごく》の|城外《じやうぐわい》に
|淋《さび》しく|立《た》てる|牢獄《らうごく》ぞ |数多《あまた》の|罪人《ざいにん》ひしひしと
いづれの|牢獄《ひとや》も|充満《じうまん》し トルマン|国《ごく》の|滅亡《めつぼう》を
|叫《さけ》びゐるこそ|歎《うたて》けれ そもそもこれのトルマンは
ウラルの|神《かみ》の|開《ひら》きたる |月《つき》|第一《だいいち》の|神国《しんこく》ぞ
|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|魔《ま》の|風《かぜ》に |吹《ふ》き|立《た》てられて|大衆《たいしう》の
|頭《かしら》に|立《た》ちて|御教《みをしへ》を |布《し》く|神柱《かむばしら》|初《はじ》めとし
それに|随《したが》ふ|従僧《じうそう》は |敬神《けいしん》|尊祖《そんそ》|愛国《あいこく》の
|誠《まこと》の|道《みち》を|忘却《ばうきやく》し ただ|自己愛《じこあい》に|耽溺《たんでき》し
|下《しも》|大衆《たいしう》の|平安《へいあん》を |残《のこ》る|隈《くま》なく|脅《おびや》かし
|肉《にく》をばけずり|骨《ほね》をそぎ |国《くに》の|力《ちから》は|日《ひ》に|月《つき》に
|日向《ひなた》に|氷《こほり》と|消《き》えてゆく かかる|所《ところ》へバラモンの
|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》は |妖僧《えうそう》キユーバーを|先頭《せんとう》に
この|神国《しんこく》を|奪《うば》はむと |三千余騎《さんぜんよき》を|従《したが》へて
|勢《いきほ》ひ|猛《たけ》く|攻《せ》め|来《き》たる この|国難《こくなん》を|見《み》るよりも
チウイン|太子《たいし》は|逸早《いちはや》く |全国内《ぜんこくない》の|兵員《へいゐん》を
|一度《いちど》に|召集《せうしふ》|遊《あそ》ばして |討伐軍《たうばつぐん》を|組織《そしき》なし
|在野《ざいや》の|英雄《えいゆう》ジヤンクをば |抜擢《ばつてき》なして|重用《ぢうよう》し
|照国別《てるくにわけ》の|神軍《しんぐん》を |加《くは》へてここに|堂々《だうだう》と
|敵《てき》の|後《うし》ろをつきければ |大足別《おほだるわけ》は|前後《まへうし》ろ
|敵《てき》の|砲火《はうくわ》をあびながら |軍馬《ぐんば》や|武器《ぶき》を|遺棄《ゐき》しつつ
あらゆる|民家《みんか》に|火《ひ》を|放《はな》ち |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りぬ
この|戦《たたか》ひに|左守司《さもりがみ》 |右守《うもり》も|共《とも》に|陣没《ぢんぼつ》し
トルマン|城《じやう》は|柱石《ちうせき》を |今《いま》や|全《まつた》く|失《うしな》ひて
|教務《けうむ》の|運用《うんよう》|中絶《ちうぜつ》し |国民《こくみん》|不安《ふあん》の|気《き》に|打《う》たれ
|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》たりしをり |千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》は|忽《たちま》ちに
|天命《てんめい》|尽《つ》きて|他界《たかい》され その|肉体《にくたい》に|常世国《とこよくに》
|生《うま》れ|出《い》でたる|悪狐《あくこ》|奴《め》が |巣《す》ぐひて|王《わう》を|誑惑《きようわく》し
|総《すべ》ての|智者《ちしや》や|忠義《ちうぎ》もの |一人《ひとり》も|残《のこ》らず|排斥《はいせき》し
この|神国《しんこく》を|魔《ま》の|国《くに》と |乱《みだ》さむものと|企《たく》むこそ
|実《げ》にも|忌々《ゆゆ》しき|次第《しだい》なり |吾等《われら》は|神《かみ》の|命《めい》をうけ
|世界《せかい》のあらゆる|国々《くにぐに》の |難《なや》みを|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|産土山《うぶすなやま》の|聖場《せいぢやう》を |立《た》ちて|漸《やうや》く|来《き》て|見《み》れば
|思《おも》ひもよらぬこの|難《なや》み |実《げ》に|口惜《くちを》しき|次第《しだい》なり
さはさりながら|吾々《われわれ》は |尊《たふと》き|神《かみ》の|守《まも》りあり
|大空《おほぞら》つとふ|望《もち》の|月《つき》 |一《いつ》たん|黒雲《くろくも》|包《つつ》むとも
|忽《たちま》ち|科戸《しなど》の|風《かぜ》|吹《ふ》かば もろくも|雲《くも》は|散《ち》りはてて
|再《ふたた》びもとの|満月《まんげつ》と |輝《かがや》き|渡《わた》り|下界《げかい》をば
|隈《くま》なく|照《て》らさむ|吾《わ》が|御霊《みたま》 |必《かなら》ず|案《あん》じたまふまじ
|汝《なんぢ》も|国家大衆《こくかたいしう》の |危急《ききふ》を|救《すく》ふその|為《ため》に
|神《かみ》に|等《ひと》しき|行動《かうどう》を |取《と》らせたまひしものならば
|天地《てんち》の|神《かみ》は|何《なん》として |汝等《なれら》|二人《ふたり》を|見捨《みす》てむや
|一旦《いつたん》|雲《くも》はかかれども やがては|天地《あめつち》|晴明《せいめい》の
|日月《じつげつ》|下界《げかい》を|照《て》らす|如《ごと》 |難《なや》みは|晴《は》れて|万民《ばんみん》の
|救《すく》ひの|主《ぬし》と|仰《あふ》がれて |時《とき》めきたまふは|目《ま》の|前《あた》り
|勇《いさ》ませ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|神司《かむづかさ》
ここに|言挙《ことあ》げ|奉《たてまつ》る |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |印度《いんど》の|海《うみ》はあするとも
|千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》は|滅《ほろ》ぶとも |誠《まこと》|一《ひと》つの|汝等《なんぢら》は
|必《かなら》ず|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに トルマン|国《ごく》の|御柱《みはしら》と
|輝《かがや》きたまふも|近《ちか》からむ |吾等《われら》|二人《ふたり》も|牢獄《らうごく》に
|苦《くる》しき|日夜《にちや》を|送《おく》れども |恵《めぐ》みの|神《かみ》は|日《ひ》ならずに
|現《あら》はれたまひて|速《すみ》やかに |安《やす》く|救《すく》はせたまふべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
|照公《てるこう》はまた|歌《うた》ふ。
『|吾《われ》は|照公神司《てるこうかむづかさ》 |吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
トルマン|国《ごく》に|来《き》て|見《み》れば |思《おも》ひもよらぬ|大騒動《おほさうどう》
この|国難《こくなん》を|救《すく》はむと |大和心《やまとごころ》をふり|起《おこ》し
|神《かみ》の|司《つかさ》は|忽《たちま》ちに |軍《いくさ》の|司《つかさ》と|早《はや》がはり
チウイン|太子《たいし》と|諸共《もろとも》に |命《いのち》を|的《まと》に|戦《たたか》へば
|神《かみ》の|守《まも》りは|著《いちじる》く トルマン|国《ごく》を|覆《おほ》ひたる
|醜《しこ》の|黒雲《くろくも》|忽《たちま》ちに |隈《くま》なく|晴《は》れて|日月《じつげつ》の
|光《ひかり》も|清《きよ》く|照《て》りにけり |然《しか》るに|何《なん》ぞ|計《はか》らむや
|神《かみ》に|等《ひと》しき|勲功《いさをし》を |樹《た》てし|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》を
|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪魔《あくま》らの |千草《ちぐさ》の|姫《ひめ》やガーデンの
|王《きみ》の|御霊《みたま》を|誑惑《きようわく》し かかる|汚《きたな》き|牢獄《らうごく》に
あらゆる|恥辱《ちじよく》を|与《あた》へつつ |閉《と》ぢ|込《こ》めおくぞ|歎《うた》てけれ
|照公《てるこう》はたとへ|死《し》するとも |誠《まこと》の|道《みち》に|尽《つく》すもの
すこしも|厭《いと》ひはせぬけれど |一大使命《いちだいしめい》を|帯《お》びたまふ
|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》を|苦《くる》します この|残念《ざんねん》を|如何《いか》にして
|晴《は》らさむよしもなきままに |心《こころ》をこめて|大神《おほかみ》の
|御救《みすく》ひ|祈《いの》り|声《こゑ》あげて |血《ち》をはく|思《おも》ひの|吾《われ》の|胸《むね》
|推量《すゐりやう》あれよ|御両人《ごりやうにん》 |神《かみ》の|救《すく》ひの|一日《いちにち》も
|早《はや》くあれよと|願《ね》ぎまつる |救《すく》ひの|神《かみ》の|一日《いちにち》も
|早《はや》く|現《あら》はれ|玉《たま》へよと |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
レール『|吾《われ》は|今《いま》|牢獄《ひとや》の|内《うち》にありながら
|忘《わす》れざりけり|国《くに》の|行末《ゆくすゑ》』
マーク『|玉《たま》の|緒《を》のよしや|命《いのち》は|捨《す》つるとも
|如何《いか》で|惜《を》しまむ|国《くに》のためには』
|照国別《てるくにわけ》『いさぎよしレール マークの|赤心《まごころ》を
|聞《き》くにつけても|涙《なみだ》こぼるる』
|照公《てるこう》『|梅公《うめこう》の|珍《うづ》の|司《つかさ》は|今《いま》いづこ
|聞《き》かま|欲《ほ》しやと|朝夕《あさゆふ》|祈《いの》るも』
|照国別《てるくにわけ》『|梅公《うめこう》の|珍《うづ》の|司《つかさ》は|吾々《われわれ》を
|救《すく》はむために|近《ちか》く|来《き》たらむ』
かかる|所《ところ》へ|一人《ひとり》の|牢番《らうばん》、|靴音《くつおと》|高《たか》く|入《い》り|来《き》たり、|四辺《あたり》を|見廻《みまは》し|人《ひと》|無《な》きを|見《み》て|安心《あんしん》せしものの|如《ごと》く、
『もし|師《し》の|君様《きみさま》、|私《わたくし》は|春公《はるこう》でございます。|葵《あふひ》の|沼《ぬま》においてお|姿《すがた》を|見失《みうしな》ひ、このトルマン|城下《じやうか》へ|参《まゐ》りましたところ、|何《なん》の|手掛《てがか》りもなく、|師《し》の|君《きみ》|一行《いつかう》の|所在《ありか》が|分《わか》りませぬので、|看守《かんしゆ》を|出願《しゆつぐわん》し、やつと|十日《とをか》|以前《いぜん》に|合格《がふかく》し、かかる|卑《いや》しき|獄卒《ごくそつ》を|勤《つと》めてをります。どうか|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|時期《じき》を|考《かんが》へ|屹度《きつと》お|助《たす》けいたします。|王様《わうさま》からの|厳命《げんめい》で、「|湯《ゆ》も|水《みづ》も|与《あた》へな、|食料《しよくれう》は|日《ひ》に|一回《いつくわい》にいたせ、|彼《かれ》らが|自然《しぜん》に|餓死《がし》するまで|捨《す》ておけ」との|小《せう》ラマへの|達《たつ》しが|参《まゐ》つたさうでございます。しかしながら|私《わたくし》が|当番《たうばん》に|当《あた》つてをります|以上《いじやう》、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
|照国《てるくに》『ヤ、お|前《まへ》は|春公《はるこう》だつたか、これも|全《まつた》く|神様《かみさま》が、かかる|事《こと》の|出《い》で|来《き》たるべきを|前知《ぜんち》したまひ、お|前《まへ》を|牢番《らうばん》にするやう|取計《とりはか》らつて|下《くだ》さつたのだらう。|春公《はるこう》、|覚《さと》られないやうに|気《き》をつけよ』
|春《はる》『ハイ、|心得《こころえ》ましてございます。どうか|御一同様《ごいちどうさま》、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
ラマが|巡視《じゆんし》に|来《き》たと|見《み》え、|靴音《くつおと》がギウギウと|高《たか》く|聞《き》こえて|来《く》る。|春公《はるこう》は、
『オイ、|未決囚《みけつしう》ども、|静《しづ》かにいたさねば|厳《きび》しき|懲戒《ちようかい》を|加《くは》へるぞ』
と|言《い》ひながら、ラマに|最敬礼《さいけいれい》をやつてゐる。|高壁《たかべい》の|外《そと》には|新聞号外《しんぶんがうぐわい》の|配達《はいたつ》のリンが|耳騒《みみさわ》がしく|響《ひび》いてゐる。デカタン|高原《かうげん》の|名物《めいぶつ》、|大暴風《だいばうふう》は|牢獄《らうごく》の|桁《けた》をギクギク|揺《ゆ》すつて|通《とほ》る。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第一八章 |鳳恋《ほうれん》〔一七八五〕
|千草姫《ちぐさひめ》は|傲然《がうぜん》と|日《ひ》の|出神《でのかみ》|気取《きど》りで、|刹帝利《せつていり》を|脚下《きやくか》に|跪《ひざまづ》かせながら、
『|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、|汝《なんぢ》ガーデンに|申《まを》し|渡《わた》す|仔細《しさい》がある。|性根《しやうね》を|据《す》ゑてしつかり|聞《き》けよ』
|王《わう》『ハイ、|何事《なにごと》なりとも|仰《おほ》せ|下《くだ》さりませ。|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》つてをりまするから』
|千草《ちぐさ》『|汝《なんぢ》が|言葉《ことば》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|満足々々《まんぞくまんぞく》。|汝《なんぢ》は|之《これ》より|三千世界《さんぜんせかい》の|覇者《はしや》となり、|世界統一《せかいとういつ》の|神業《しんげふ》に|掛《かか》らねばならぬ|大責任《だいせきにん》があるぞや。それについては、|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》としては|如何《いかん》ともすることは|出来《でき》ない。このたび|天《てん》より|天降《あまくだ》りたる|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|千草姫《ちぐさひめ》の|肉体《にくたい》を|宿《やど》といたし、|神変不思議《しんぺんふしぎ》の|神力《しんりき》をもつて、まづ|第一《だいいち》にトルマン|国《ごく》の|足元《あしもと》を|浄《きよ》め、|逆臣《ぎやくしん》を|排除《はいぢよ》し、|水晶霊《すゐしやうみたま》をよりぬいて|神《かみ》の|御用《ごよう》に|立《た》て、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基礎《きそ》を|固《かた》むべき|神界《しんかい》の|経綸《しぐみ》なれば、|一言一句《いちげんいつく》といへど、|決《けつ》して|反《そむ》いてはなりませぬぞ。|御承知《ごしようち》であらうなア』
『ハイ、|謹《つつし》んで|御神命《ごしんめい》を|承《うけたまは》りませう』
『|汝《なんぢ》は|神《かみ》の|命《めい》を|用《もち》ひず、|八岐大蛇《やまたをろち》の|霊《みたま》の|憑依《ひようい》せし、|田舎育《いなかそだ》ちのジヤンクを|依然《いぜん》として、|国政《こくせい》に|当《あた》らしむるのは、|神界《しんかい》の|大命《たいめい》に|反《そむ》き|反逆《はんぎやく》の|罪《つみ》|最《もつと》も|重《おも》し。|一時《いちじ》も|早《はや》く|勇猛心《ゆうまうしん》を|発揮《はつき》し、かれジヤンクを|放逐《はうちく》せよ』
『ハイ、|御神命《ごしんめい》は|確《たし》かに|承知《しようち》いたしてをりますが、トルマン|国《ごく》|切《き》つての、|彼《かれ》は|人望家《じんばうか》。|三十万人《さんじふまんにん》の|国民《こくみん》は|彼《かれ》|一人《ひとり》を|力《ちから》といたし、|三千騎《さんぜんき》の|兵士《つはもの》は|彼《かれ》を|大将軍《だいしやうぐん》と|尊敬《そんけい》してをりますれば、いかに|神命《しんめい》なればとて|彼《かれ》が|頭上《づじやう》に|斧鉞《ふゑつ》を|加《くは》ふる|事《こと》は、|国家存立上《こくかそんりつじやう》いな|刹帝利家《せつていりけ》|存立上《そんりつじやう》、|最《もつと》も|危険《きけん》|至極《しごく》かと|存《ぞん》じます。なにとぞ|此《この》|儀《ぎ》のみは|少時《しばし》|保留《ほりう》を|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます』
『ホホホホホホ、|愚《おろ》かなり、ガーデン|王《わう》、|彼《かれ》がごとき|野武士《のぶし》をもつて、トルマン|神国《しんこく》を|統理《とうり》せしめむとするは、あたかも|巨岩《きよがん》を|抱《いだ》いて|海《うみ》に|投《とう》ずるより|危《あや》ふからむ。|神力無双《しんりきむさう》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|天降《あまくだ》りたる|以上《いじやう》は、|何《なん》の|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》するところあらむ。|速《すみ》やかに|英断《えいだん》をもつて|彼《かれ》ジヤンクを|放逐《はうちく》せよ』
『しからば|是非《ぜひ》に|及《およ》びませぬ。しかしながら、|彼《かれ》を|放逐《はうちく》すれば、|教政《けうせい》を|輔弼《ほひつ》する|重僧《ぢうそう》がござりませぬ。|沢山《たくさん》の|臣下《しんか》はあれど、|何《いづ》れも|大衆《たいしう》の|信望《しんばう》をつなぐに|足《た》らず、|国帑《こくど》を|私《わたくし》し、|各々《おのおの》|競《きそ》うて|金殿玉楼《きんでんぎよくろう》を|造《つく》り、|豪奢《がうしや》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》り、|大衆《たいしう》の|怨府《ゑんぷ》となつてをりますれば、ジヤンクに|代《かは》るべき|適当《てきたう》の|人物《じんぶつ》なきに|苦《くる》しみまする』
『ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》が|信任《しんにん》|厚《あつ》きキユーバーを|召出《めしい》だし、|彼《かれ》に|国政《こくせい》を|任《まか》せなば、|国家《こくか》はますます|栄《さか》え、|天下《てんか》は|太平《たいへい》、|民《たみ》は|鼓腹撃壤《こふくげきじやう》の|聖代《せいだい》を|来《き》たさむ|事《こと》、|鏡《かがみ》にかけて|見《み》るごとくであるぞや』
『そのキユーバーを|召出《めしい》ださむにも、|今《いま》において|行方《ゆくへ》|分《わか》らず、|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|神様《かみさま》の|御神眼《ごしんがん》にて、|在所《ありか》をお|知《し》らせ|下《くだ》さらば、|速《すみ》やかに|彼《かれ》を|迎《むか》へ|取《と》り、|御神慮《ごしんりよ》に|叶《かな》ふやう|取計《とりはか》らうでござりませう』
『|汝《なんぢ》においてその|覚悟《かくご》がきまつた|上《うへ》は、|何《なに》をか|言《い》はむ。|神《かみ》が|引寄《ひきよ》せるに|仍《よ》つて、|速《すみ》やかにジヤンクの|職《しよく》を|解《と》き、|国許《くにもと》へ|追《お》ひ|返《かへ》すべし』
『ハハア、たしかに|承知《しようち》|仕《つかまつ》りました』
『さすがは|汝《なんぢ》は|名君《めいくん》、|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひし|者《もの》、ヤ、|満足々々《まんぞくまんぞく》』
かかる|所《ところ》へ|恭《うや》うやしく|現《あら》はれ|来《き》たのは、|教務総監《けうむそうかん》のジヤンクであつた。
ジヤ『|謹《つつし》んでお|伺《うかが》ひいたします。お|差支《さしつか》へはございませぬか』
|千草《ちぐさ》『|決《けつ》して|遠慮《ゑんりよ》には|及《およ》ばぬ。|神《かみ》が|許《ゆる》す、|何《なん》なりと|申《まを》し|上《あ》げて|見《み》よ』
ジヤ『|恐《おそ》れながら、|殿下《でんか》に|申《まを》し|上《あ》げます。トルマン|国《ごく》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひ|給《たま》ひし、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|神柱《かむばしら》を、|何《なん》の|罪《つみ》もなきに、|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》み|給《たま》ひしは、|教務総監《けうむそうかん》のジヤンク、|合点《がてん》が|参《まゐ》り|申《まを》しませぬ。いかなる|事《こと》の|間違《まちが》ひかは|存《ぞん》じませぬが、|彼《かれ》|二柱《ふたはしら》の|神司《かむづかさ》においては、|一点《いつてん》の|疑《うたが》ふべき|言行《げんかう》もなく、|全《まつた》く|冤罪《ゑんざい》でございまする。|何者《なにもの》が|讒言《ざんげん》いたしましたか|存《ぞん》じませぬが、|賢明《けんめい》なる|殿下《でんか》のお|考《かんが》へをもつて、|速《すみ》やかに|解放《かいはう》|遊《あそ》ばされ、|二柱《ふたはしら》の|前《まへ》にその|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》|遊《あそ》ばさねば、この|国土《こくど》は|永遠《えいゑん》に|保《たも》たれますまい。この|儀《ぎ》とくとお|考《かんが》へを|願《ねが》ひます』
|王《わう》『……』
|千草《ちぐさ》『|愚《おろ》かなり、ジヤンク。|汝《なんぢ》は|今日《こんにち》ただ|今《いま》より、この|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、|教務総監《けうむそうかん》を|解職《かいしよく》する。|足元《あしもと》の|明《あか》るい|内《うち》、|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ|国許《くにもと》へ|蟄居《ちつきよ》したがよからう』
ジヤ『これは|心得《こころえ》ぬ|神様《かみさま》のお|言葉《ことば》、トルマン|国《ごく》の|教政《けうせい》はガーデン|王様《わうさま》の|統治《とうち》し|給《たま》ふところ、その|教政《けうせい》を|内助《ないじよ》|遊《あそ》ばすのは|王妃《わうひ》の|君《きみ》。|然《しか》るに|何《なん》ぞや、|王《わう》または|王妃《わうひ》の|名《な》を|用《もち》ひざる|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|命令《めいれい》に|仍《よ》つて、|国家《こくか》を|代表《だいへう》したる|教務総監《けうむそうかん》の|解職《かいしよく》が|出来《でき》ませうか。ジヤンク|断《だん》じて|辞職《じしよく》は|仕《つかまつ》らぬ。なほなほ|不審《ふしん》に|堪《た》へざるは、トルマンの|国土《こくど》を|将来《しやうらい》|統治《とうち》し|給《たま》ふべき|地位《ちゐ》にあらせらるるチウイン|太子様《たいしさま》を|始《はじ》め、|王女《わうぢよ》チンレイ|様《さま》を、|修行《しうぎやう》のためと|称《しよう》し、あるひは|神《かみ》の|命令《めいれい》と|称《しよう》し、|世界視察《せかいしさつ》の|名《な》の|下《もと》に|放逐《はうちく》|遊《あそ》ばしたのは、いよいよ|以《もつ》て|怪《け》しからぬ|次第《しだい》ではござらぬか。|教務総監《けうむそうかん》ジヤンクに|一言《いちごん》のお|答《こた》へもなく、かかる|重大事《ぢうだいじ》を、|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|断行《だんかう》さるるは、|自《おのづか》ら|教国《けうこく》の|綱紀《かうき》を|紊乱《ぶんらん》し、|王家《わうけ》の|滅亡《めつぼう》を|招《まね》くべき|因《いん》ともなるでござりませう。どうか|賢明《けんめい》なるお|二方様《ふたかたさま》、ジヤンクのお|言葉《ことば》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け、|冷静《れいせい》に|御思案《ごしあん》を|願《ねが》ひまする』
|千草《ちぐさ》『|黙《だま》れジヤンク、|天地神柱《てんちかむばしら》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はないぞ。|一時《ひととき》も|早《はや》く|職《しよく》を|去《さ》つて|郷里《きやうり》へ|帰《かへ》れ』
『ハハハハハハ、これは|怪《け》しからぬ。|未《いま》だ|教王殿下《けうわうでんか》より、|帰国《きこく》せよとの|命令《めいれい》は|受《う》けてはをりませぬ。|恐《おそ》れながら、|王妃《わうひ》の|君《きみ》にはこの|重臣《ぢうしん》を|任免黜陟《にんめんちゆつちよく》|遊《あそ》ばす|権能《けんのう》はございませぬ。|又《また》たとへ|教王殿下《けうわうでんか》より|解職《かいしよく》を|厳命《げんめい》さるるとも、|国家《こくか》|危急《ききふ》の|場合《ばあひ》、このジヤンク、|一歩《いつぽ》も|動《うご》きませぬ』
『|左守《さもり》、|右守《うもり》の|重臣《ぢうしん》が|他界《たかい》し、|邪魔者《じやまもの》が|無《な》くなつたと|思《おも》うての|汝《なんぢ》の|暴言《ばうげん》、もはや|容赦《ようしや》は|致《いた》さぬぞや、|覚悟《かくご》|召《め》され』
『|容赦《ようしや》いたさぬとは、どうしようと|仰《おほ》せらるるのでござりますか』
『|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、|立所《たちどころ》に|汝《なんぢ》が|生命《せいめい》を|取《と》り、その|肉体《にくたい》を|烏《からす》の|餌食《ゑじき》となし、その|精霊《せいれい》を|最低《さいてい》の|地獄《ぢごく》に|墜《おと》してやるが|何《ど》うぢや。それでも|辞職《じしよく》をいたさぬか』
『アハハハハ、モウその|長《なが》たらしい|御神名《ごしんめい》は、ジヤンク|聞《き》き|飽《あ》きましてございます。|王妃《わうひ》には|狂気《きやうき》|召《め》されたか。|狂気《きやうき》とならば|危険千万《きけんせんばん》、|座敷牢《ざしきらう》を|造《つく》つて、|病気《びやうき》|本復《ほんぷく》するまで|閉《と》ぢ|込《こ》めておきますぞ』
|千草《ちぐさ》『|汝《なんぢ》|不忠《ふちう》|不義《ふぎ》の|曲者《くせもの》、|肉体上《にくたいじやう》から|言《い》へば、|王妃《わうひ》の|君《きみ》、|神界《しんかい》より|申《まを》さば、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】……』
と|言《い》ひかけるのを、ジヤンクは|手《て》を|振《ふ》り|面《かほ》を|顰《しか》めて、
『モウモウ|結構《けつこう》でございます。|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》は、とつくに|承知《しようち》いたしてをります。しかしながら|能《よ》くお|聞《き》き|下《くだ》さいませ。|大衆同盟会《たいしうどうめいくわい》なるものが|組織《そしき》され、|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》においてこの|際《さい》|御改心《ごかいしん》なき|時《とき》は、たちまちクーデターを|行《おこな》ひ、|教政《けうせい》を|根本的《こんぽんてき》より|改革《かいかく》せむと、|拙者《せつしや》の|所《ところ》まで|挙宗一致的《きよしういつちてき》に|申《まを》し|出《い》でてをりまするぞ。このジヤンクは|王妃様《わうひさま》の|御危難《ごきなん》を|救《すく》ふべく、|大衆同盟会《たいしうどうめいくわい》の|幹部連《かんぶれん》をいろいろと、|口《くち》を|極《きは》めて|説《と》き|諭《さと》し、|宥《なだ》めてゐる|最中《さいちう》でござりまするが、もはや|拙職《せつしよく》の|力《ちから》では|及《およ》ばないところまで、|衆心《しうしん》|激昂《げきかう》し、|何時《いつ》|大暴風《だいばうふう》|大怒濤《だいどたう》の|襲来《しふらい》して、この|殿堂《でんだう》を|根底《こんてい》より|覆《くつが》へすやも|計《はか》り|知《し》られませぬ。|実《じつ》に|危急存亡《ききふそんばう》のこの|場合《ばあひ》、|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|御熟考《ごじゆくかう》を|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます。もはや|申《まを》し|上《あ》ぐることはございませぬ。これにて|教務所《けうむしよ》に|引下《ひきさ》がりまする。|左様《さやう》ならば、|御両所《ごりやうしよ》とも、よき|御返詞《ごへんじ》を|下《くだ》さいますやう、|鶴首《くわくしゆ》してお|待《ま》ち|申《まを》してをりまする』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|足音《あしおと》|高《たか》く|憤然《ふんぜん》として|教務所《けうむしよ》|指《さ》して|出《い》でて|行《ゆ》く。|後《あと》に|千草姫《ちぐさひめ》、ガーデン|王《わう》は|少時《しばし》|無言《むごん》の|幕《まく》を|下《おろ》してゐた。
|千草《ちぐさ》『ガーデン|王殿《わうどの》、|汝《なんぢ》は|今《いま》ジヤンクの|言葉《ことば》を|聞《き》き、よほど|心《こころ》を|悩《なや》ませてゐる|様子《やうす》に|見《み》えるが、|彼《かれ》がごとき|悪魔《あくま》をして、|教政《けうせい》の|枢機《すうき》に|参与《さんよ》せしむるは|危険《きけん》この|上《うへ》なし。|教王家《けうわうけ》の|一大事《いちだいじ》、|天下《てんか》の|前途《ぜんと》を|思《おも》はば、|神《かみ》の|命《めい》に|従《したが》ひ、|彼《かれ》が|命《いのち》を|奪《と》る|工夫《くふう》を、|一時《いちじ》も|早《はや》くめぐらされよ』
|王《わう》『ハイ、|絶対的《ぜつたいてき》に|教王家《けうわうけ》に|危害《きがい》を|及《およ》ぼし、|天下《てんか》を|転覆《てんぷく》する|悪魔《あくま》とならば、|非常手段《ひじやうしゆだん》を|用《もち》ひ、|彼《かれ》を|亡《ほろ》ぼさねばなりますまいが、|苟《いやし》くもウラルの|神《かみ》に|仕《つか》ふる|者《もの》、かかる|暴虐《ばうぎやく》の|手《て》を|下《くだ》すことは、|私《わたくし》としては|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬ。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ、|最前《さいぜん》|仰《おほ》せられた|通《とほ》り、|神徳《しんとく》をもつて、|彼《かれ》が|命《いのち》を|立所《たちどころ》にお|断《た》ち|下《くだ》さらば、|実《じつ》に|仕合《しあは》せでござりまする。|一国《いつこく》の|教王《けうわう》が|刺客《しきやく》を|用《もち》ひて、|重僧《ぢうそう》を|亡《ほろ》ぼす|如《ごと》きは、|殷《いん》の|紂王《ちうわう》にもまさる|悪虐《あくぎやく》、かかる|事《こと》が|大衆《たいしう》の|耳《みみ》に|入《はい》りますれば、|到底《たうてい》|大衆《たいしう》は|承知《しようち》いたしますまい。|神様《かみさま》より|命《いのち》をおめしになる|方法《はうはふ》をお|取《と》りになれば、これに|越《こ》したる|良策《りやうさく》はございますまい』
『|如何《いか》にも、|汝《なんぢ》の|言《げん》|一理《いちり》あり。いざ|之《これ》より|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、ハリマの|森《もり》に|参拝《さんぱい》いたし、ウラル|彦命《ひこのみこと》と|協議《けふぎ》の|上《うへ》、|彼《かれ》が|命《いのち》を|召取《めしと》るであらう。ガーデン|王殿《わうどの》、|臣下《しんか》に|輿《こし》の|用意《ようい》|申《まを》しつけられよ』
『|早速《さつそく》|申《まを》しつけ、|準備《じゆんび》に|取《と》りかかりませう』
その|日《ひ》の|七《なな》つ|時《どき》、またもや|千草姫《ちぐさひめ》は|輿《こし》に|乗《の》り、|数多《あまた》の|番僧《ばんそう》に|護衛《ごゑい》されながら、ハリマの|宮《みや》に|詣《まう》で、|神殿《しんでん》にて|何事《なにごと》か|分《わか》らぬことをベチヤベチヤ|囀《さへづ》り、|狂態《きやうたい》を|演《えん》じながら、|再《ふたた》び|輿《こし》に|乗《の》つて|行列《ぎやうれつ》いかめしく|帰《かへ》り|来《く》る。この|行列《ぎやうれつ》の|間《あひだ》は、|大衆《たいしう》の|通行《つうかう》を|禁《きん》じ、|一間《いつけん》ごとに|番僧《ばんそう》を|立《た》たせ、|物々《ものもの》しき|警戒《けいかい》をやる|事《こと》となつてゐる。そこへ、|宣伝歌《せんでんか》を|声《こゑ》|高《たか》く|歌《うた》ひながら、|平然《へいぜん》として|現《あら》はれ|来《き》たり、|輿《こし》の|前方《ぜんぱう》を|横切《よこぎ》らむとするや、|警固《けいご》の|番僧《ばんそう》は|苦《く》もなくこれを|取押《とりお》さへた。この|物音《ものおと》に|千草姫《ちぐさひめ》は、|輿《こし》の|簾《みす》を|上《あ》げ|眺《なが》むれば、|眉目清秀《びもくせいしう》の|一美男子《いちびだんし》である。|千草姫《ちぐさひめ》はたちまち|恋慕《れんぼ》の|情《じやう》おこり、いかにもして、この|美男子《びだんし》を|城内《じやうない》に|連《つ》れ|帰《かへ》らむものと|煩悶《はんもん》しながら、|思《おも》ひ|切《き》つて、|輿《こし》の|簾《みす》を|上《あ》げ、|半身《はんしん》を|外《そと》に|現《あら》はし、
『ヤアヤア|番僧《ばんそう》ども、その|犯人《はんにん》は|妾《わらは》において、|自《みづか》ら|取調《とりしら》べたき|仔細《しさい》あれば、|妾《わらは》と|共《とも》に|城内《じやうない》へ|引立《ひきた》て|来《き》たれよ』
と|厳命《げんめい》する。|番僧《ばんそう》は|王妃《わうひ》の|言葉《ことば》、|一《いち》も|二《に》もなく|承諾《しようだく》し、この|犯人《はんにん》を|縛《しば》つたまま、|輿《こし》の|後《あと》に|従《したが》ひ|城内《じやうない》に|送《おく》り|届《とど》けることとなりぬ。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第一九章 |梅花団《ばいくわだん》〔一七八六〕
|千草姫《ちぐさひめ》は|意気《いき》|揚々《やうやう》として|城中《じやうちう》に|帰《かへ》り|来《き》たり、ガーデン|王《わう》の|居間《ゐま》に|入《い》り、
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、ガーデン|王《わう》に|申《まを》し|渡《わた》す|仔細《しさい》がある。よつく|承《うけたまは》れ』
|王《わう》『ハイ、|首尾《しゆび》よう|御下向《ごげかう》になりまして、お|目出《めで》たうございます。|御用《ごよう》の|趣《おもむき》、|慎《つつし》んで|承《うけたまは》りませう』
|千草《ちぐさ》『|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》はウラル|彦命《ひこのみこと》、|盤古神王《ばんこしんのう》|等《ら》とジヤンクの|処置《しよち》について、|長時間《ちやうじかん》|協議《けうぎ》をこらせし|結果《けつくわ》、ここ|一週間《いつしうかん》の|間《あひだ》に|彼《かれ》が|命《めい》をたち、|教国《けうこく》の|害毒《がいどく》を|除《のぞ》くべく|評定《ひやうぢやう》がきはまつたぞや。それまでは|汝《なんぢ》、|必《かなら》ず|必《かなら》ず、|彼《かれ》に|暴虐《ばうぎやく》の|手《て》を|加《くは》ふる|勿《なか》れ。|自然《しぜん》に|消滅《せうめつ》いたす|神《かみ》の|仕組《しぐみ》を|致《いた》しておいたから……』
『ハイ、その|御神勅《ごしんちよく》を|承《うけたまは》り、|大《おほ》いに|安心《あんしん》|仕《つかまつ》りました。ついては|教国《けうこく》の|枢機《すうき》に|任《にん》ずべき|重臣《ぢうしん》として|採用《さいよう》すべきキユーバーは、|神界《しんかい》において、|何時《いつ》お|召出《めしだ》し|下《くだ》さいまするか』
『|否《いや》、|心配《しんぱい》は|致《いた》すに|及《およ》ばぬ。|彼《かれ》キユーバーは|神界《しんかい》において、|眷族《けんぞく》を|使《つか》ひ、よくよく|査《しら》べみれば、|当城《たうじやう》の|牢獄《らうごく》を|破《やぶ》り、|逃《に》げ|行《ゆ》く|途中《とちう》、|狼《おほかみ》に|追撃《つゐげき》され、|終《つひ》にはもろくも|全身《ぜんしん》を|群狼《ぐんらう》のために|喰《く》ひつぶされ、|非業《ひごふ》の|最後《さいご》をとげたとの、|眷族《けんぞく》どもの|復命《ふくめい》。|止《や》むを|得《え》ず、|盤古神王《ばんこしんわう》と|相談《さうだん》いたせしところ、|第一天国《だいいちてんごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》を|天《てん》より|遣《つか》はすによつて、|日《ひ》の|出神殿《でのかみどの》、その|身霊《みたま》を|城中《じやうちう》へ|伴《ともな》ひ|帰《かへ》り、|教政《けうせい》を|執《と》らば、トルマン|国《ごく》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|三千世界《さんぜんせかい》の|支配者《しはいしや》として、|世界万民《せかいばんみん》に|仰《あふ》がるべし、――とのお|告《つ》げなれば、この|日《ひ》の|出神《でのかみ》|心《こころ》も|勇《いさ》み、|役僧《やくそう》どもに|守《まも》られて|帰途《きと》につく|其《そ》の|途《みち》すがら、|一介《いつかい》の|男子《だんし》と|化《くわ》し、|吾《わ》が|輿《こし》に|近《ちか》よらむとし|玉《たま》ふや、|心眼《しんがん》|開《ひら》けざる|盲《めくら》|同様《どうやう》の|番僧《ばんそう》どもは、|輿《こし》に|危害《きがい》を|加《くは》へ|無礼《ぶれい》を|与《あた》ふる|者《もの》となし、|即座《そくざ》に|捕縛《ほばく》してしまつたのである。てもさても|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|俗物《ぞくぶつ》くらゐ|困《こま》つた|者《もの》はござらぬぞや。オホホホホ』
『その|身霊《みたま》の|宿《やど》つた|男子《だんし》は|如何《いかが》なされましたか』
『ただ|今《いま》|玄関口《げんくわんぐち》に|番僧《ばんそう》|付《つ》きそひ、|待《ま》たせあれば、|汝《なんぢ》は|最敬礼《さいけいれい》をもつてお|迎《むか》へ|申《まを》して|来《き》たれ。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|片腕《かたうで》ともなり、|汝《なんぢ》が|教政《けうせい》を|輔《たす》くる|教務総監《けうむそうかん》ともなるべき、|現幽両用《げんいうりやうよう》の|大神人《だいしんじん》であるぞよ。サ、|早《はや》く|早《はや》くお|迎《むか》へなされ』
|王《わう》は「ハアハア」と|頭《あたま》をさげながら、|玄関口《げんくわんぐち》に|自《みづか》ら|走《はし》り|出《で》た。|警固《けいご》の|番僧《ばんそう》はハツと|驚《おどろ》き、|最敬礼《さいけいれい》を|施《ほどこ》してゐる。ガーデン|王《わう》は|捉《とら》はれ|人《びと》の|前《まへ》に|両手《りやうて》をつき、|恐《おそ》れ|戦《おのの》きながら、
『これはこれは、|第一天国《だいいちてんごく》の|天人《てんにん》の|霊様《みたまさま》、|分《わか》らぬ|臣下《しんか》どもが、【いかい】|御無礼《ごぶれい》を|仕《つかまつ》りました。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞこちらへお|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|梅公《うめこう》は|無言《むごん》のままニコニコしてゐる。|護送《ごそう》の|番僧《ばんそう》は|驚《おどろ》いて、|手早《てばや》く|繩目《なはめ》をとき、|青《あを》くなり|無礼《ぶれい》を|陳謝《ちんしや》し、|猫《ねこ》に|追《お》はれし|鼠《ねずみ》のごとく|小《ちひ》さくなつて、スゴスゴと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|梅《うめ》『|拙者《せつしや》は、|天津御国《あまつみくに》より|盤古神王《ばんこしんわう》の|命《めい》をうけ、トルマン|国《ごく》を|救《すく》はむため、|人体《じんたい》を|顕《あら》はし|突然《とつぜん》|現《あら》はれし|者《もの》、|当家《たうけ》には|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|大《おほ》【みろく】の|太柱《ふとばしら》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人様《てんにんさま》が|御降臨《ごかうりん》の|筈《はず》、どうかその|居間《ゐま》へ|案内《あんない》めされ』
と|応揚《おうやう》にいふ。ガーデン|王《わう》は|千草姫《ちぐさひめ》が、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》といふ|事《こと》は、|九分九厘《くぶくりん》まで|信《しん》じてゐたが、|今《いま》この|神人《しんじん》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|一層《いつそう》|確信《かくしん》を|強《つよ》め、ペコペコしながら、|梅公《うめこう》の|先《さき》に|立《た》ち、|千草姫《ちぐさひめ》の|居間《ゐま》を|指《さ》して|案内《あんない》する。|千草姫《ちぐさひめ》は|梅公《うめこう》の|姿《すがた》を|見《み》て、ますます|悦《えつ》に|入《い》り、
『ヤ、これはこれは、|高宮彦《たかみやひこ》|殿《どの》、よくマア|妾《わらは》が|神業《しんげふ》を|助《たす》けむと、お|越《こ》し|下《くだ》さいました。|妾《わらは》は|神界《しんかい》においては、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|又《また》の|名《な》は|高宮姫《たかみやひめ》でございます。ヨモヤお|忘《わす》れはございますまいなア』
|梅《うめ》『いかにも、|某《それがし》は|高宮彦《たかみやひこ》に|間違《まちが》ひない。しかしながら|余《よ》はその|後《ご》|天国《てんごく》に|昇《のぼ》り、|仙術《せんじゆつ》をもつて|若返《わかがへ》り、|今《いま》は|斯《か》くのごとく|絶世《ぜつせい》の|美男子《びだんし》となつて、|衆生《しゆじやう》を|済度《さいど》すべく|再臨《さいりん》したのだ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》|殿《どの》、もはや|安心《あんしん》あつて|可《よ》からうぞ』
|千草《ちぐさ》『いかにも、これにてトルマン|国《ごく》の|基礎《きそ》も|定《さだ》まり、|教王家《けうわうけ》の|祥兆《しやうてう》、|実《じつ》に|慶賀《けいが》に|堪《た》へませぬ。ガーデン|王殿《わうどの》、|神界《しんかい》|秘密《ひみつ》の|用事《ようじ》あれば、|暫《しばら》く|命令《めいれい》を|下《くだ》すまで、|此《こ》の|場《ば》をお|外《はづ》しなされ』
|王《わう》『ハイ|畏《かしこ》まりましてございます。|御用《ごよう》がございましたら、|何時《いつ》なりとも、お|呼《よ》び|出《だ》しを|願《ねが》ひます。|左様《さやう》ならば、|高宮彦《たかみやひこ》|様《さま》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、ゆつくりとお|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
と|言《い》ひながら、イソイソとして|吾《わ》が|居間《ゐま》に|皈《かへ》り|行《ゆ》く。|梅公《うめこう》は|忽《たちま》ち|体《たい》を|崩《くづ》し、|大胡坐《おほあぐら》をかきながら、
『オイ、|君《きみ》、|千草君《ちぐさくん》、いないな|高姫君《たかひめくん》、よくもマア|化《ば》けたものだな。どうだい、|久振《ひさしぶ》りでまた|一芝居《ひとしばゐ》|打《う》たうぢやないか、|僕《ぼく》ア|時置師《ときおかし》の|杢助《もくすけ》だよ』
|千草《ちぐさ》『|如何《いか》にも、あなたは|杢《もく》チヤンでしたかいな。|何《なん》とまア、|立派《りつぱ》な|御容色《ごきりよう》だこと。|私《わたし》、あまり|変《かは》つてゐらつしやるので、|外《ほか》の|方《かた》だと|思《おも》つてゐましたよ』
|梅《うめ》『|何《なん》とすごい|腕前《うでまへ》ぢやないか。あれほど|僕《ぼく》に|固《かた》い|約束《やくそく》をしておきながら、|美《うつく》しい|男《をとこ》が|通《とほ》つたといつて、|其奴《そいつ》を|喰《くは》へ|込《こ》まうといふ|了簡《れうけん》だから、|本当《ほんたう》に|男《をとこ》はよい|面《つら》の|皮《かは》だ。その|美貌《びばう》で、なまめかしい|言葉《ことば》で、あやかされてしまや、どんな|硬骨男子《かうこつだんし》でも|一《ひと》たまりもなく|参《まゐ》つてしまふよ。|幸《さいは》ひ|僕《ぼく》は|時置師《ときおかし》の|本人《ほんにん》だから|可《よ》かつたものの、さう|小口《こぐち》から|男《をとこ》を|喰《く》はへられちや|約《つま》らないからのう』
『ホホホホあれだけ、|固《かた》う|約束《やくそく》をしておいたものですもの……、|貴方《あなた》こそ、よい|女《をんな》をみつけて、|妾《わらは》をみすて、どつかへうろついてをつたのでせう。|本当《ほんたう》に|苛《ひど》いワ』
『|馬鹿《ばか》いふない。|僕《ぼく》ア、お|前《まへ》の|所在《ありか》を|捜《さが》し|索《たづ》ねて、ほとんど|三年《さんねん》、|彼方此方《かなたこなた》と|苦労《くらう》をしてをつたが、お|前《まへ》がハリマの|森《もり》の|神殿《しんでん》で|祈願《きぐわん》をこめてる|時《とき》、|後《うし》ろ|姿《すがた》をチラツと|見《み》て、よくも|似《に》たりな|似《に》たりな、|高《たか》チヤンに|瓜二《うりふた》つ……だと|思《おも》ひ、|先《さき》へ|廻《まは》つて、|輿《こし》の|中《なか》を|覗《のぞ》かうとした|時《とき》、|番僧《ばんそう》の|奴《やつ》に|取《と》つ|捕《つか》まつてしまつたのだ。お|前《まへ》の|霊《みたま》は、どこまでも|王妃《わうひ》の|霊《みたま》と|見《み》えて、|偉《えら》いものだのう』
『そらさうです|共《とも》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》ぢやございませぬか。ヤツパリ|上《うへ》になる|霊《みたま》はどこまでも|上《うへ》にならねばなりませぬからな』
『|時《とき》にお|前《まへ》、これから|何《ど》うする|考《かんが》へだ。|俺《おれ》と|一緒《いつしよ》に|此処《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》し、また|曲輪城《まがわじやう》でも|造《つく》つて|仲《なか》よう|暮《くら》す|気《き》はないか、それが|聞《き》きたいのだ』
『そら、|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》なら|何《ど》うでも|致《いた》しますけれど、これだけ|立派《りつぱ》なトルマン|城《じやう》を|扣《ひか》えながら、|別《べつ》に|曲輪城《まがわじやう》なんか|拵《こしら》へる|必要《ひつえう》はないぢやありませぬか。これから|貴方《あなた》と|私《わたし》と、ここを|根拠《こんきよ》としてウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》となし、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》と|天晴《あつぱ》れ|現《あら》はれたら|何《ど》うでせうかな』
『あ、それも|可《よ》からう。そんなら|之《これ》から、お|前《まへ》と|一《ひと》つ|内々《ないない》|相談《さうだん》をしようか』
『どうか、さう|願《ねが》ひませう』
『この|室《しつ》は|何《なん》だか|窮屈《きうくつ》でたまらない。お|前《まへ》の|寝所《しんじよ》がないか。どうか|其処《そこ》へ|案内《あんない》してもらつて、|久振《ひさしぶ》りで|寝物語《ねものがた》りをやりたいものだがな』
『あ、さう|願《ねが》ひませう。ホホホ、|何《なん》だか|恥《は》づかしいワ』
と|言《い》ひながら、|目尻《めじり》を|下《さ》げ、|梅公《うめこう》の|手《て》を|曳《ひ》いて|己《おの》が|居間《ゐま》へと|伴《ともな》ひゆき、ドアを|固《かた》くとざし|外《そと》から|開《あ》かないやうにして、|絹夜具《きぬやぐ》を|布《し》いて|二人《ふたり》は|枕《まくら》を|並《なら》べて|横《よこ》たはつてしまつた。
|梅《うめ》『オイ、|高《たか》チヤン、|久振《ひさしぶ》りだな』
|千草《ちぐさ》『|本当《ほんたう》にお|久《ひさ》しうございます』
『お|前《まへ》が|自惚鏡《うぬぼれかがみ》の|前《まへ》で、ウツトコを|映写《えいしや》してゐた|時分《じぶん》もずゐぶん|綺麗《きれい》だつたが、その|時《とき》に|比《くら》べて|見《み》て、|一入《ひとしほ》|美《うつく》しうなつたぢやないか』
『|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|三十年《さんじふねん》も|若《わか》くなつたやうな|気《き》がいたしますワ。これ|御覧《ごらん》なさい、|肌《はだ》の|艶《つや》なんか、まるで|白金《はくきん》の|光《ひかり》のやうですわ。しかし|杢《もく》チヤンも|大変《たいへん》|綺麗《きれい》になつたぢやありませぬか。まるつ|切《き》り、ダイヤモンドのやうな、|体《からだ》から|光《ひかり》が|現《あら》はれるぢやありませぬか』
『そらさうだらうかい。|第一天国《だいいちてんごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》だもの、しかしこれから|大神業《だいしんげふ》を|開始《かいし》するについては、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|天下《てんか》に|向《む》かつて、お|前《まへ》と|私《わし》との|信用《しんよう》を|得《う》るため、|仁恵令《じんけいれい》を|行《おこな》はねばなるまい。|思《おも》ひ|切《き》つて、|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》を|解放《かいはう》したらどうだ』
『ハイ、|恋《こひ》しき|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》、|否《いな》む|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ。|仰《おほ》せに|従《したが》ひ、|仁恵令《じんけいれい》を|行《おこな》ふやう、ガーデン|王《わう》に|申《まを》しつけませう。しかしながら|特別《とくべつ》の|重大犯人《ぢうだいはんにん》だけは|許《ゆる》すことは|出来《でき》ませぬ。|吾々《われわれ》の|身辺《しんぺん》を|窺《うかが》ひ、いつ|危害《きがい》を|加《くは》へるか|知《し》れませぬからな』
『ハハハハ|高《たか》チヤン、やつぱりお|前《まへ》は|女《をんな》だ。そんな|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》をいふものぢやない。|牢獄《らうごく》に|一人《ひとり》の|囚人《しうじん》もゐないやうにするこそ、|仁恵《じんけい》といふものだ。お|前《まへ》は|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|両宣伝使《りやうせんでんし》を|非常《ひじやう》に|気《き》にかけてゐるやうだが、この|際《さい》|思《おも》ひ|切《き》つて|放免《はうめん》した|方《はう》が、|何《なに》|程《ほど》お|前《まへ》の|信用《しんよう》が|上《あが》るか|知《し》れないよ。|城下《じやうか》の|噂《うはさ》を|聞《き》けば、|大変《たいへん》な|事《こと》になつてゐるよ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》を|二人《ふたり》まで|牢獄《らうごく》へ|打《う》ち|込《こ》むなんて、|怪《け》しからぬ|千草姫《ちぐさひめ》だ。|今《いま》クーデターを|行《おこな》ひ、|千草《ちぐさ》の|首《くび》を|取《と》り、|大衆《たいしう》の|怨《うら》みを|晴《は》らさにやおかぬ……とそれはそれはエライ|悪《わる》い|人気《にんき》だよ。さうだから|此《この》|際《さい》、お|前《まへ》がガーデン|王《わう》に|言《い》ひつけ、|仁恵《じんけい》を|行《おこな》ひ、|大衆《たいしう》の|疑《うたが》ひをはらせ……といふのだ。これより|可《よ》い|方法《はうはふ》はないからなア』
『なるほど、それも|一《ひと》つの|政策《せいさく》としては|可《よ》いかも|知《し》れませぬな。|時《とき》に|杢《もく》チヤンに|折入《をりい》つて|願《ねが》ひたいのは、あのジヤンクといふ|奴《やつ》、なかなかの【したたか】|者《もの》で、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|神命《しんめい》でさへも|拒《こば》むといふ|剛腹者《がうばらもの》だから、|一寸《ちよつと》|困《こま》つてゐるのよ。|何《なん》とかして|彼奴《あいつ》を|放《はう》り|出《だ》す|工夫《くふう》はありますまいかな』
『ハハハ|吹《ふ》いたら|飛《と》ぶやうなジヤンクが|何《なん》だ。しかしいま|彼《かれ》を|放逐《はうちく》すると|却《かへ》つてお|前《まへ》の|人気《にんき》が|悪《わる》くなり、|大望《たいまう》の|邪魔《じやま》になるから、あの|儘《まま》にしておけ。|今《いま》にこの|杢助《もくすけ》が|頭《あたま》を|上《あ》げたが|最後《さいご》、ジヤンクなんか、|谷底《たにぞこ》へ|一《ひと》けりに|蹴《け》り|落《お》としてしまふ|考《かんが》へだからな』
『ホホホホ、そらさうでせうな。|貴方《あなた》の|御力量《ごりきりやう》はとつくに|承知《しようち》してをります。|広《ひろ》いこの|世界《せかい》に|貴方《あなた》に|優《まさ》る|豪傑《がうけつ》はないんですもの』
『そらさうだ、さ、|一時《いちじ》も|早《はや》う|王《わう》を|呼《よ》び|出《だ》して、|仁恵令《じんけいれい》を|行《おこな》ふべく|取計《とりはか》らせたが|可《よ》からうぞ』
『|杢《もく》チヤン、さう|急《せ》くにも|及《およ》ばぬぢやありませぬか。|久振《ひさしぶ》りで|焦《こ》がれ|焦《こ》がれた|男女《だんぢよ》が|面会《めんくわい》したのぢやありませぬか。マア|今晩《こんばん》はゆつくりと|抱《だ》いて|寝《ね》て|下《くだ》さいな。わたえモウ|杢《もく》チヤンの|面《かほ》みてから、|勇気《ゆうき》も|何《なに》もなくなり、ヤヤ|子《こ》のやうになつてしまつたワ』
『|人気沸騰《にんきふつとう》し、|今《いま》やクーデターの|勃発《ぼつぱつ》せむとする|矢先《やさき》だもの、|一刻《いつこく》の|猶予《いうよ》も|出来《でき》ないよ。|早《はや》く|教王《けうわう》を|呼《よ》び|出《だ》して|仁恵令《じんけいれい》を|行《おこな》はしめなくちや、|安心《あんしん》して|寝《ね》るわけにもゆかぬぢやないか。それさへ|済《す》めば、|十日《とをか》でも|百日《ひやくにち》でも、|三年《さんねん》でも|五年《ごねん》でも、お|前《まへ》にひつついて|放《はな》しやしないよ。|厭《いや》といふところまで|抱《だ》き|締《しめ》てやるからなア』
『ホホホホそんなら、|教王《けうわう》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|命令《めいれい》を|下《くだ》しておきます。それさへ|済《す》めば|寝《ね》て|下《くだ》さるでせうな』
『そらさうだとも、サ、|早《はや》くやつてくれ。|特別急行《とくべつきふかう》で|頼《たの》むよ』
|千草《ちぐさ》『|承知《しようち》しました。|飛行機《ひかうき》でやつつけませう、ホホホホ』
と|笑《わら》ひながら、|教王《けうわう》の|居間《ゐま》にソロリソロリと、|両手《りやうて》を|拡《ひろ》げ、|三《み》つ|四《よ》つ|羽搏《はばた》きしながら|進《すす》み|入《い》る。|教王《けうわう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》にウラル|教《けう》の|教典《けうてん》を、|首《くび》をかたげて|調《しら》べてゐた。
|千草《ちぐさ》『ホホホホ、ガーデン|王殿《わうどの》、えらい|御勉強《ごべんきやう》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|誠《まこと》に|感《かん》じ|入《い》つたぞや。|只今《ただいま》お|出《い》で|遊《あそ》ばした|神人《しんじん》は、|天国《てんごく》にても|名《な》も|高《たか》き|時置師《ときおかし》の|神様《かみさま》であつたぞや。この|神《かみ》が|現《あら》はれ|玉《たま》うた|上《うへ》は、トルマン|城《じやう》は|大磐石《だいばんじやく》、|御安心《ごあんしん》なされ』
|王《わう》『ハイ、|有難《ありがた》うございます』
|千草《ちぐさ》『ついては、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|其方《そなた》に|申《まを》し|渡《わた》す|仔細《しさい》がある。よつく|承《うけたまは》れ』
|王《わう》「ハイ」と|俯《うつ》むく。
|千草《ちぐさ》『|日《ひ》の|出神《でのかみ》|自《みづか》ら|教王《けうわう》の|居間《ゐま》に|現《あら》はれたのは、|余《よ》の|儀《ぎ》ではない。まづ|第一《だいいち》に|五六七神政《みろくしんせい》|開始《かいし》のお|祝《いは》ひとして、|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》を、|時《とき》を|移《うつ》さず、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、|仁恵令《じんけいれい》を|発布《はつぷ》して|放免《はうめん》せられよ。これぞ|全《まつた》く、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》【みろく】の|霊体《れいたい》、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|神命《しんめい》でござるぞや』
ガーデン|王《わう》は「ハイ」と|答《こた》へて、|直《ただ》ちにジヤンクを|呼《よ》び、|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|解放《かいはう》してしまつた。|千草姫《ちぐさひめ》はニコニコしながら、|吾《わ》が|居間《ゐま》に|帰《かへ》つてみれば、|梅公《うめこう》はグウグウと|高鼾《たかいびき》をかいて、|他愛《たあい》もなく|眠《ねむ》つてゐる。
|千草《ちぐさ》『コレ、|杢《もく》チヤン、|起《お》きて|下《くだ》さらぬかいな。|何《なん》ですか、タマタマお|面《かほ》みせておいて、|本当《ほんたう》にスゲナイ|人《ひと》だワ。もし、|杢《もく》チヤンつたら、|目《め》をあけて|下《くだ》さいな』
|何《なに》ほど|揺《ゆ》すつても、|呼《よ》んでも、|鱶《ふか》のやうな|高鼾《たかいびき》をかいて|一寸《ちよつと》も|気《き》がつかぬ。|千草姫《ちぐさひめ》は|止《や》むを|得《え》ず、|梅公《うめこう》の|寝姿《ねすがた》を|少時《しばし》|打《う》ち|見守《みまも》つてゐた。
|千草《ちぐさ》『ホホホ|何《なん》とマア、|気高《けだか》いお|面《かほ》だこと。|色《いろ》あくまでも|白《しろ》く、|搗立《つきたて》の|餅《もち》のやうなお|面《かほ》の|生地《きぢ》、|眼許《めもと》|涼《すず》しく、|鼻筋《はなすぢ》|通《とほ》り、|口《くち》は|大《おほ》きくもなく、|小《ちひ》さくもなく、お|髭《ひげ》の|具合《ぐあひ》といひ、お|頭《つむ》の|髪《かみ》といひ、|肌《はだ》の|滑《なめ》らかさ、お|爪《つめ》の|光沢《くわうたく》、どこに|一《ひと》つ、|点《てん》の|打《う》ち|所《どころ》のない、|宇宙《うちう》|第一《だいいち》の|美男子《びだんし》だワ。こんな|美男子《びだんし》を|男《をとこ》に|持《も》つこの|高《たか》チヤンは、|何《なん》といふ|仕合《しあは》せ|者《もの》だらう。ホホホホ、お|涎《よだれ》が|知《し》らぬ|間《ま》に|一合《いちがふ》ばかり、お|膝《ひざ》の|上《うへ》へこぼれよつたワ。ガーデン|王《わう》のやうなド|茶瓶頭《ちやびんあたま》や、キユーバーさまのやうな、【さいこ】|槌頭《づちあたま》をみてゐた|目《め》には、|一入《ひとしほ》|立派《りつぱ》に|見《み》えてたまらないワ。|味《あぢ》の|悪《わる》い|腐《くさ》つたドブ|漬《づけ》を|食《く》た|口《くち》で、|特製《とくせい》の|羊羹《やうかん》を|食《く》た|時《とき》のやうな|気《き》がするのだもの、ホホホホ。てもさても|愛《あい》らしい、|凛々《りり》しい、|男《をとこ》らしい、|神《かみ》さまらしいお|姿《すがた》だこと』
と|面《かほ》を|撫《な》でたり、|目《め》をあけて|見《み》たり、なぶり|物《もの》にして|楽《たの》しんでゐる。|時《とき》しも|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》を|解放《かいはう》したため、|囚人《しうじん》が|一斉《いつせい》に「|万歳《ばんざい》|万歳《ばんざい》」と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》、|窓《まど》ガラスを|通《とほ》して|響《ひび》き|来《く》る。
|千草《ちぐさ》『ホホホホ|杢《もく》チヤンの|御発明《ごはつめい》によつて、|牢獄《らうごく》の|囚人《しうじん》が|解放《かいはう》され、|万歳《ばんざい》を|叫《さけ》んでゐるやうだ。|囚人《しうじん》も|万歳《ばんざい》だらうが、この|高《たか》チヤンも|天下無双《てんかむさう》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》|美男子《びだんし》に|会《あ》うて|万々歳《ばんばんざい》だワ、オホホホホ』
|梅《うめ》『あーあーあ』
と|欠伸《あくび》しながら、|両手《りやうて》をヌツと|伸《の》ばし、
『ヤア、|高《たか》チヤン、お|前《まへ》そこにゐたのか』
|千草《ちぐさ》『ハイ、ゐましたとも、|貴方《あんた》どうですか。|何程《なんぼ》ゆり|起《おこ》しても、|喚《わめ》いても|起《おき》て|下《くだ》さらぬのだもの』
|梅《うめ》『オイ、|金毛九尾《きんまうきうび》の|容物《いれもの》、|千草姫《ちぐさひめ》の|亡《な》きがら、|高姫《たかひめ》の|再来《さいらい》、しつかり|聞《き》け。|俺《おれ》は|時置師《ときおかし》の|杢助《もくすけ》でも|何《なん》でもない。|三五教《あななひけう》を|守護《しゆご》する|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》、|言霊別《ことたまわけ》のエンゼルだ』
といふより|早《はや》く、|大光団《だいくわうだん》となつて、|千草姫《ちぐさひめ》の|両眼《りやうがん》を|射《い》ながら、|窓《まど》の|隙間《すきま》より、|音《おと》もなく|出《で》てしまつた。|依然《いぜん》として|老若男女《らうにやくなんによ》の|万歳《ばんざい》の|声《こゑ》、|間断《かんだん》なく|聞《き》こえ|来《く》る。|千草姫《ちぐさひめ》は|余《あま》りの|驚《おどろ》きに|暫《しば》しの|間《あひだ》は|失心《しつしん》してしまつた。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第二〇章 |千代《ちよ》の|声《こゑ》〔一七八七〕
シグレ|町《ちやう》のレール、マークの|留守宅《るすたく》には、チウイン|太子《たいし》、チンレイ、テイラ、ハリスの|四人《よにん》が|淋《さび》しく|頭《あたま》を|鳩《あつ》めて|密談《みつだん》をやつてゐる。
テイラ『もし|太子様《たいしさま》、レールさまやマークさまは、|到頭《たうとう》やりそこなつて|捕《とら》はれたさうぢやござりませぬか。|妾《わらは》は|水汲《みづく》みに|参《まゐ》りました|際《さい》、そこに|落《お》ちてゐた|号外《がうぐわい》を|見《み》て|吃驚《びつくり》しましたよ』
チウ『ナニ、やりそこなつたかな。ヤアこいつア|困《こま》つたな。かうしては|居《を》られまい。ジヤンクの|処《ところ》へでも|行《い》つて|二人《ふたり》を|救《すく》ひ|出《だ》す|工夫《くふう》でもせなくてちやなるまい』
『およしなさいませ、|剣呑《けんのん》ですよ。|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》の|憑依《ひようい》した|千草姫《ちぐさひめ》ですもの、どんな|難題《なんだい》をつけて、|又《また》もや|太子様《たいしさま》を|牢獄《らうごく》に|投《な》げこみ|命《いのち》をとるか|知《し》れませぬから』
『それだといつて、|国家《こくか》の|志士《しし》を|見殺《みごろ》しにするわけにはゆかぬぢやないか。|余《よ》はこれから、どうなつても|構《かま》はぬ。|二人《ふたり》の|遭難《さうなん》を|坐視《ざし》するには|忍《しの》びない。|一《ひと》つあらゆる|手段《しゆだん》を|尽《つく》して|助《たす》けて|見《み》ようと|思《おも》ふのだ。どうか|君《きみ》たち|三人《さんにん》は|外《そと》に|出《で》ぬやうにして|待《ま》つてゐてくれ』
チンレイ『お|兄様《あにさま》、|千金《せんきん》の|御身《おんみ》をもつて|軽挙《けいきよ》|妄動《まうどう》はお|止《や》しなさいませ。|万一《まんいち》お|身《み》の|上《うへ》に|危険《きけん》が|迫《せま》り、お|命《いのち》でも|失《うしな》ひ|遊《あそ》ばすやうな|事《こと》があつては、それこそトルマン|国《ごく》は|常暗《とこやみ》になつてしまひますわ。これだけ|人心《じんしん》|騒々《さうざう》しく、|豺狼虎竜《さいらうこりう》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》する|世《よ》の|中《なか》、|何《なに》ほど|太子様《たいしさま》の|権威《けんゐ》だつて、どうする|事《こと》も|出来《でき》ますまい。|今《いま》の|重僧《ぢうそう》どもは|我利我慾《がりがよく》の|外《ほか》に|何《なに》も|念《ねん》はござりませぬ。|千草姫《ちぐさひめ》の|化物《ばけもの》に|誑惑《きやうわく》され、|金《きん》の|轡《くつわ》をはまされてゐる|悪人《あくにん》ばかりでありますから、|太子様《たいしさま》だとて、|吾《わ》が|身《み》の|栄達《えいたつ》のためには|容赦《ようしや》はいたしませぬよ。|教務総監《けうむそうかん》のジヤンクさまでも|動《うご》かさうとしてゐるのですもの。そんな|剣呑《けんのん》な|所《ところ》へ、お|越《こ》しになつてはいけませぬ。こればかりは|思《おも》ひ|止《とま》つて|下《くだ》さい』
と|太子《たいし》の|袖《そで》に|縋《すが》りつき|涕泣《ていきふ》する。
チウ『ヤ、|困《こま》つたな。そんなら|暫《しばら》くお|前《まへ》の|意見《いけん》に|任《まか》して|待《ま》つ|事《こと》としようかい』
かくいふ|所《ところ》へ|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》ドヤドヤと|入《い》り|来《き》たり、ソツと|門口《かどぐち》を|覗《のぞ》きながら、
『ヤア、|誰《たれ》か|来《き》てゐるやうだ、オイ|誰《たれ》だい。レール、マークの|大将《たいしやう》は|不幸《ふかう》にして|捕《つか》まつたやうだが、お|前《まへ》は|誰《たれ》だい』
チウ『ヤア|兄弟《きやうだい》か、マア|這入《はい》り|給《たま》へ。|実《じつ》は|俺《おれ》もなア、|親分《おやぶん》が|捕《つか》まつたと|聞《き》いて、|向上会員《かうじやうくわいゐん》と|共《とも》に、|様子《やうす》を|考《かんが》へに|来《き》たところ、|誰《たれ》も|連中《れんぢう》が|来《き》てゐないので、|留守師団長《るすしだんちやう》をやつてゐたのだ。お|前《まへ》は|誰《たれ》だつたいな』
|男《をとこ》『|俺《おれ》かい、|俺《おれ》やタールにハール、ケースの|三人《さんにん》だ。|号外《がうぐわい》を|見《み》てこいつは|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|誰《たれ》か|見舞《みま》ひに|来《き》てゐるに|違《ちが》ひないと、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず|駈《か》けつけて|来《き》たのだが、お|前《まへ》は|一体《いつたい》|誰《たれ》だつたいのう』
チウ『|俺《おれ》かい、|俺《おれ》はレールの|兄貴《あにき》の|秘蔵《ひざう》の|弟《おとうと》だ。お|前《まへ》たちの|名《な》は|常《つね》から|聞《き》いてゐたが、|俺《おれ》は|特別《とくべつ》の|任務《にんむ》を|預《あづ》かつてゐたから、お|前《まへ》|達《たち》に|隠《かく》してゐたのだ。かうなれば|黙《だま》つてをるわけにはゆかぬが、|何《なん》とか|運動《うんどう》をやつてるだらうね』
タール『ヤア|実《じつ》は|号外《がうぐわい》を|見《み》るより、|同志《どうし》がクルスの|森《もり》に|集《あつ》まり、|親分《おやぶん》を|何《なん》とかして|取返《とりかへ》さうと|相談《さうだん》してる|最中《さいちう》に、|数百《すうひやく》の|番僧隊《ばんそうたい》がうせやがつて、|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取《と》り|囲《かこ》んだものだから、どうする|事《こと》も|出来《でき》ず、|同志《どうし》は|四方《しはう》に|散乱《さんらん》してしまつたのだ。|本当《ほんたう》に|俺《おれ》たちの|運動《うんどう》に|対《たい》しては、|親分《おやぶん》の|入獄《にふごく》は|泣《な》き|面《づら》に|蜂《はち》だ。|痩児《やせご》に|蓮根《はすね》だ。どうにもかうにも、|今《いま》のところ|手《て》のつけやうが|無《な》いわい。オイ、|兄貴《あにき》、|何《なに》かいい|考《かんが》へはなからうかな』
チウ『|待《ま》て|待《ま》て、さう|慌《あわ》てたところで|仕方《しかた》がない。|今《いま》は|役僧《やくそう》どもの|頭《あたま》が|非常《ひじやう》に|鋭敏《えいびん》になつてゐるから、|大《おほ》きな|声《こゑ》で|物《もの》|一《ひと》つ|言《い》ふ|事《こと》も|出来《でき》ない。|暫《しばら》く|成行《なりゆき》に|任《まか》し、|時《とき》を|得《え》て|奪《うば》ひ|返《かへ》すより|外《ほか》に|方法《はうはふ》はなからうぞ。マアゆつくりし|給《たま》へ』
ター『オイ、ハール、ケース、|兄貴《あにき》がアア|言《い》ふから、ともかく|一服《いつぷく》しようぢやないか』
『ウン、よからう』
と|二人《ふたり》はタールの|後《あと》について|狭《せま》い|床《とこ》【かばち】に|腰《こし》を|下《おろ》した。
ター『ヤア、しかもナイスが|三人《さんにん》もゐるぢやないか。オイ|兄貴《あにき》、うまい|事《こと》してやがるな。|一人《ひとり》|寄《よ》つて|三人《さんにん》も|占領《せんりやう》するとは、|本当《ほんたう》に|凄《すご》い|腕前《うでまへ》ぢやないか。|吾々《われわれ》の|主義《しゆぎ》からいつても、こんな|不道理《ふだうり》のことア|出来《でき》ない。どうだ|婦人国有論《ふじんこくいうろん》の|実行《じつかう》をやらうぢやないか』
チウ『|馬鹿《ばか》いふな。この|三人《さんにん》はみな|婦人向上会員《ふじんかうじやうくわいゐん》だ。|婦人参政権獲得運動《ふじんさんせいけんくわくとくうんどう》の|張本人《ちやうほんにん》だよ。レール、マークの|両人《りやうにん》が|遭難《さうなん》を|聞《き》いて、|親切《しんせつ》に|尋《たづ》ねて|来《き》てくれたのだ』
ター『なるほど、そらさうだらう。これこれ|御婦人《ごふじん》、この|際《さい》しつかり|御活動《ごくわつどう》|願《ねが》ひますぜ。しかし|何時《いつ》バラスパイが|追跡《ついせき》して|来《く》るかも|知《し》れぬから、|永居《ながゐ》は|恐《おそ》れだ。|兄貴《あにき》|又《また》ゆつくりお|目《め》にかからう。|左様《さやう》なら』
と|足早《あしばや》に|暗《やみ》の|路地《ろぢ》に|姿《すがた》を|消《け》した。
その|夜《よ》は|積《つ》んだり|崩《くづ》したり、いろいろと|小声《こごゑ》で|話《はな》しながら|眠《ねむ》つてしまひ、|翌朝《よくてう》|早《はや》うから|三人《さんにん》の|女《をんな》が|炊事《すゐじ》をしたり、そこらを|掃《は》いたりやつてゐると、|乳飲児《ちのみご》を|背《せ》に|負《お》うた|二人《ふたり》の|女《をんな》が、|相当《さうたう》な|衣服《いふく》を|身《み》に|纏《まと》ひながら、|門口《かどぐち》に|立《た》ち、
|女《をんな》『もし、|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|申《まを》しますが、レール、マークの|宅《たく》は|当家《たうけ》ぢやござりませぬか』
テイ『ハイ、|左様《さやう》でござります。|誰方《どなた》か|知《し》りませぬが、|先《ま》づお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
|女《をんな》『|妾《わたし》はクロイの|里《さと》のマサ|子《こ》、カル|子《こ》と|申《まを》すものでござります。レールさまやマークさまが、|小本山《せうほんざん》の|役僧《やくそう》に|捕《つか》まへられ、|入獄《にふごく》をなさつたと|聞《き》きまして、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず|遙々《はるばる》と|尋《たづ》ねて|参《まゐ》りました。どうでござりませうかな。|早速《さつそく》には|帰《かへ》つてござるやうな|事《こと》はありますまいか』
テイ『|貴女《あなた》は、さうすると、マサ|子《こ》さま、カル|子《こ》さまと|仰有《おつしや》いましたが、レールさま、マークさまの|奥《おく》さまぢやござりませぬか』
マサ|子《こ》『ハイ、|妾《わたし》はレールの|女房《にようばう》でござります。この|方《かた》はマークさまの|奥《おく》さまでござりますよ。|向上運動《かうじやううんどう》とか|何《なん》とかいつて|奇妙《きめう》な|事《こと》を|主人《しゆじん》がやるものですから、|妾《わたし》の|所《ところ》まで|番僧《ばんそう》が|張《は》つてをりますの。|本当《ほんたう》に|困《こま》つてしまひますわ』
チウ『ヤー|奥《おく》さまでござりますか。サア、どうか|此方《こちら》へお|掛《か》け|下《くだ》さいませ。|別《べつ》に、さう|御心配《ごしんぱい》にも|及《およ》びますまい。やがて|許《ゆる》されて|帰《かへ》つて|来《こ》られるでせう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|本当《ほんたう》に|妾《わたし》|二人《ふたり》は|不運《ふうん》なものでござります。なにほど|意見《いけん》を|致《いた》しましても、|女《をんな》の|知《し》る|事《こと》でないと、|一言《ひとこと》にはねつけ、|一言《いちごん》も|女房《にようばう》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いてくれないものですから、たうとうこんな|災難《さいなん》にあつたのでござります。|親類《しんるゐ》や|兄弟《きやうだい》からも|喧《やかま》しく|申《まを》しまして、|縁《えん》を|切《き》つて|帰《かへ》つて|来《こ》い|帰《かへ》つて|来《こ》いと|勧《すす》めるのですけれど、|二人《ふたり》の|仲《なか》に、|切《き》つても|切《き》れぬ|鎹《かすがひ》が|出来《でき》ましたので、|可愛《かはい》い|子供《こども》を|継母《ままはは》の|手《て》に|渡《わた》すのもいぢらしいと|思《おも》ひ、|泣《な》きの|涙《なみだ》で|今日《こんにち》まで|辛抱《しんばう》して|来《き》ましたが、もう|堪《た》へ|切《き》れませぬ。それでキツパリ|縁《えん》を|絶《き》つてもらひたいと|思《おも》ひまして|尋《たづ》ねて|来《き》たのでござります』
『|女房《にようばう》が|夫《をつと》に|離縁《りえん》を|請求《せいきう》するとは、|如何《いか》なる|事情《じじやう》があるにもせよ、|不貞《ふてい》の|甚《はなはだ》しきものだ。|今時《いまどき》の|女性《ぢよせい》は、どれもこれも、|我利《われよ》しだから、|困《こま》つたものだな』
『そりや|一応《いちおう》ご|尤《もつと》もでござりますが、こんな|夫《をつと》に|添《そ》うてをりましては、|此《この》|世《よ》の|中《なか》で|安心《あんしん》して|暮《くら》すことが|出来《でき》ませぬわ。|貴方《あなた》はやつぱりレールのお|仲間《なかま》でござりますか』
『ハア、さうです。|兄貴《あにき》が【かまつた】ものだから、|是非《ぜひ》なく|嬶《かか》と|一緒《いつしよ》に、この|牙城《がじやう》を|守《まも》つてをります。ずゐぶん|留守師団長《るすしだんちやう》も、いい|加減《かげん》なものですよ』
カル|子《こ》『|綺麗《きれい》な|御婦人《ごふじん》が、しかも|三人《さんにん》ゐらつしやいますが、この|二人《ふたり》はどうやら、レールさまとマークの|愛《あい》してゐられる|御婦人《ごふじん》でせう。|本当《ほんたう》に|妻子《さいし》に|対《たい》し、あるにあられぬ|心配《しんぱい》をかけておきながら、|何《なん》といふ|酷《ひど》い|人《ひと》だらう。マサ|子《こ》さま、もう|駄目《だめ》ですよ。スツパリと|断念《だんねん》しようぢやござりませぬか』
マサ|子《こ》『|本当《ほんたう》にさうですな。こんな|白首《しらくび》があるものですから|妻子《さいし》を|顧《かへり》みず、こんな|所《ところ》に|好《す》きすつぽうな|暮《くら》しをやつてゐるのですよ。エーもう|穢《けが》らはしうなつて|来《き》ました。サア|帰《かへ》りませう』
と|早《はや》くも|立去《たちさ》らむとする。
チウ『もしもし|奥《おく》さま、そら|違《ちが》ひますよ。さう、|誤解《ごかい》されちやレールさまや、マークさまに|気《き》の|毒《どく》ですわ。これには|深《ふか》い|訳《わけ》があります。さう|怒《おこ》らずに|一応《いちおう》|私《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》をお|聞《き》き|下《くだ》さい』
マサ『エーエー|何《なん》とおつしやつても、|私《わたし》の|耳《みみ》には|這入《はい》りませぬ。|現在《げんざい》|白首《しらくび》を|見《み》せつけながら|百万遍《ひやくまんべん》の|弁解《べんかい》をなさつても、|私《わたし》の|耳《みみ》へは|到底《たうてい》|這入《はい》りませぬ。こんな|事《こと》だらうと|思《おも》ひ、マサカの|時《とき》の|用意《ようい》にと、カル|子《こ》さまと|相談《さうだん》の|上《うへ》に、|親兄弟《おやきやうだい》の|承諾《しやうだく》を|得《え》て、ここに|離縁状《りえんじやう》を|持《も》つて|参《まゐ》りました。レール、マークの|両人《りやうにん》は|囚《とら》はれの|身《み》の|上《うへ》ですから、|直接《ちよくせつ》に|渡《わた》すことは|出来《でき》ませぬから、|兄弟分《きやうだいぶん》の|貴方《あなた》に|確《たし》かに|渡《わた》しますから、どうか|面会《めんくわい》においでになつても、「マサ|子《こ》やカル|子《こ》の|事《こと》はフツツリ|思《おも》ひ|切《き》つて|下《くだ》さい。|以後《いご》|関係《くわんけい》はありませぬから、|児《こ》は|貴方《あなた》の|出獄《しゆつごく》まで|預《あづ》かつておきます」と、|伝《つた》へて|下《くだ》さい。エー|残念《ざんねん》やな|残念《ざんねん》やな』
と|二通《につう》の|離縁状《りえんじやう》を|投《な》げつけ|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》みながら、|路地口《ろぢぐち》を|一生懸命《いつしやうけんめい》|雲《くも》を|霞《かすみ》と|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
チウ『ハツハハハハ、テイラさま、ハリスさま、お|目出《めで》たう。|到頭《たうとう》レール、マークさまの|奥《おく》さまにしてしまはれたぢやないか。|満足《まんぞく》でせうね』
|二人《ふたり》は|顔《かほ》を|真赤《まつか》に|染《そ》め、
『|太子様《たいしさま》、|腹《はら》の|悪《わる》い、|揶揄《からかい》もいい|加減《かげん》にして|下《くだ》さいな。ホホホホホホ』
チウ『ヤ、こいつは|冗談《じようだん》だ。ハハハハハハ』
と|笑《わら》ふをりしも、|鈴《りん》の|音《ね》けたたましく|仁恵令《じんけいれい》の|行《おこな》はれ、|囚人《しうじん》は|全部《ぜんぶ》|解放《かいはう》されたといふ|一葉《いちえふ》の|号外《がうぐわい》が|舞《ま》ひ|込《こ》んで|来《き》た。|四人《よにん》はこの|号外《がうぐわい》を|見《み》るより|思《おも》はず|知《し》らず|手《て》を|拍《う》つて、|天地《てんち》の|神《かみ》に|感謝《かんしや》した。チウインにも|三人《さんにん》の|女《をんな》の|目《め》にも|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|滲《にぢ》んでゐた。
そこへイソイソとしてレール、マークの|二人《ふたり》が|帰《かへ》つて|来《き》た。
チウ『ヤア、|兄貴《あにき》、よう|帰《かへ》つて|来《き》てくれた。|今《いま》も|今《いま》とて|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》をしてゐたところだ。ずゐぶん|困《こま》つただらうな』
レ『ヤア|有難《ありがた》う。おかげで|解放《かいはう》されました』
マ『どうも|御心配《ごしんぱい》をかけて|済《す》みませぬ。ツイやり|損《そん》じたものですから、あんな|失敗《しつぱい》をしたのですよ。|時《とき》に|珍《めづら》しいお|方《かた》を|連《つら》つて|帰《かへ》りました。お|目《め》にかけませうか。|路地《ろぢ》の|入口《いりぐち》に|待《ま》つて|居《を》られますから』
チウ『|珍《めづら》しい|方《かた》とは、オイ|君《きみ》、|誰《たれ》だい』
レ『|貴方《あなた》の|神軍《しんぐん》を|助《たす》けられたといふ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ですよ。|不思議《ふしぎ》の|縁《えん》で|同《おな》じ|牢獄《らうや》へ|打込《うちこ》まれて|居《を》つたのです』
チウ『なに、|宣伝使《せんでんし》、ヤアそりや、かうしてはをられぬ。ドレ、|僕《ぼく》が|御挨拶《ごあいさつ》に|行《ゆ》かう』
と|言《い》ひながら、レール、マークに|案内《あんない》させ、|路地口《ろぢぐち》に|出《で》て|見《み》れば、|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》の|二人《ふたり》がニコニコとして|立《た》つてゐる。
チウ『ヤア、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》でござりました。|何分《なにぶん》|継母《けいぼ》に|曲神《まががみ》が|憑依《ひようい》してをりますものですから、|清浄潔白《しやうじやうけつぱく》な|貴方様《あなたさま》をあのやうな|穢《むさくる》しい|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》んだものでござりませう。どうぞ|私《わたし》に|免《めん》じ、|了簡《れうけん》してやつて|下《くだ》さいませ』
|照国《てるくに》『イヤ、|貴方《あなた》はチウイン|太子様《たいしさま》、|国家《こくか》のため、|尊貴《そんき》の|御身《おんみ》を|落《お》とし|御尽力《ごじんりよく》の|段《だん》、|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|何事《なにごと》もみな|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》ですから、そんなお|気遣《きづか》ひは|御無用《ごむよう》にして|下《くだ》さい』
|照公《てるこう》『|太子様《たいしさま》、いよいよ|教政改革《けうせいかいかく》の|機運《きうん》が|廻《めぐ》つて|来《き》たやうでござりますわ。お|喜《よろこ》び|下《くだ》さいませ。もはや、かやうな|貧民窟《ひんみんくつ》にお|暮《くら》し|遊《あそ》ばす|時期《じき》は|済《す》みました。どうか|堂々《だうだう》と|名乗《なの》りをあげ、|教政改革《けうせいかいかく》にお|当《あた》り|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》は|師《し》の|君《きみ》と|共《とも》に、|有《あ》らむ|限《かぎ》りのお|助《たす》けを|致《いた》したい|考《かんが》へでござります』
チウ『ヤ、|如何《いか》にも、お|説《せつ》の|通《とほ》りいよいよ|時節《じせつ》が|到来《たうらい》したやうに|思《おも》ふ。サア、レール、マーク|両人《りやうにん》、ここで|一《ひと》つ|臨時会議《りんじくわいぎ》でも|開《ひら》いて、|仮内局《かりないきよく》を|組織《そしき》しようぢやないか』
レ『ともかく、ここでは|都合《つがふ》が|悪《わる》うござりませう。|九尺二間《くしやくにけん》の|御殿《ごてん》まで|参《まゐ》りませう、アハハハハ』
と|笑《わら》ひながら|帰《かへ》り|来《き》たり、ここに|男女《だんぢよ》|六人《ろくにん》は|頭《かうべ》を|鳩《あつ》めて、|新内局組織《しんないきよくそしき》の|協議会《けふぎくわい》を|開《ひら》いた。|雀《すずめ》の|声《こゑ》も|今日《けふ》は|何《なん》となく|勇《いさ》ましく|千代千代《ちよちよ》と|聞《き》こえ|来《く》る。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於由良秋田別荘 北村隆光録)
第二一章 |三婚《みこん》〔一七八八〕
シグレ|町《ちやう》の|九尺《くしやく》|二間《にけん》の|臨時御殿《りんじごてん》には、|主客《しゆきやく》|八人《はちにん》|膝《ひざ》をすり|合《あは》して|月《つき》の|輪《わ》となり、|面白《おもしろ》さうに|笑《わら》ひながら|内局組織《ないきよくそしき》の|大会議《だいくわいぎ》が|開《ひら》かれてゐる。
チウイン『|宣伝使《せんでんし》の|言《い》はれた|通《とほ》り、もはや|教政改革《けうせいかいかく》の|時期《じき》が|迫《せま》つて|来《き》たやうだ。しかし|此《この》|際《さい》|教政改革《けうせいかいかく》に|最《もつと》もよき|人物《じんぶつ》を|採用《さいよう》せなくてはなるまい。どうぢやレール|君《くん》は|左守司《さもりのかみ》となつて|教政《けうせい》の|重任《ぢうにん》に|当《あた》つて|呉《く》れまいか』
レール『|仰《おほ》せとあらば|喜《よろこ》んでお|受《う》けいたしませう。しかしながら|左守《さもり》、|右守家《うもりけ》は|今日《こんにち》まで|世襲《せしふ》となつてをりますが、もし|私《わたし》が|左守《さもり》とならばテイラさまのお|家《いへ》はどうなるのですか』
『|左守家《さもりけ》、|右守家《うもりけ》|世襲制度《せしふせいど》は|此《こ》の|際《さい》|全廃《ぜんぱい》せなくてはなるまい。|何事《なにごと》も|根本的《こんぽんてき》の|大改革《だいかいかく》だからな。ついてはテイラさまを|君《きみ》の|妻君《さいくん》に|余《よ》が|仲人《なかうど》しよう』
『|太子様《たいしさま》、|一寸《ちよつと》お|待《ま》ち|下《くだ》さい。|拙者《せつしや》にはマサ|子《こ》といふ|妻《つま》もあり|子《こ》もございます。|左様《さやう》なことは|到底《たうてい》|出来《でき》ますまい』
チウインはニコニコ|笑《わら》ひながら、
『ア、そんな|心配《しんぱい》は|要《い》らないよ。これが|証拠《しようこ》だ』
と|言《い》ひながら、マサ|子《こ》から|預《あづ》かつた|離縁状《りえんじやう》を|投《な》げ|出《だ》した。レールはつくづく|封筒《ふうとう》の|表《おもて》を|見《み》、また|裏《うら》をかへして|見《み》、
『チエ、|山《やま》の|神《かみ》の|奴《やつ》、|洒落《しやれ》た|事《こと》をしをるな』
と|封《ふう》をおしきり|見《み》れば、|水茎《みづくき》の|跡《あと》|鮮《あざや》かに|細々《こまごま》と|長《なが》い|手紙《てがみ》が|記《しる》してある。
チウ『ハハハハハハ、どうだレール、|一寸《ちよつと》その|文句《もんく》を|読《よ》んで|聞《き》かして|呉《く》れたまへ』
レ『ハイ、しかたがありませぬ。|女房《にようばう》から|離縁状《りえんじやう》をもらふなんて、|男《をとこ》としては|余《あま》り|褒《ほ》めた|話《はなし》ぢやありませぬ。しかしもうかうなつちや|破《やぶ》れかぶれです。サア|聞《き》いて|下《くだ》さい、|読《よ》み|上《あ》げますから』
|前文《ぜんぶん》|御免《ごめん》……「|何《なん》ぢや|失敬《しつけい》な、|挨拶《あいさつ》もせずに|前文《ぜんぶん》|御免《ごめん》とけつかるわい。|夫《をつと》を|馬鹿《ばか》にしてけつかる」……エー、|妾《わらは》こと|不思議《ふしぎ》の|御縁《ごえん》によりまして、|貴方様《あなたさま》の|妻《つま》となり|子《こ》までなしたる|間柄《あひだがら》でございますれども、|貴方《あなた》は|万民《ばんみん》の|忌《い》み|嫌《きら》ふ|向上運動《かうじやううんどう》だとか、|免囚運動《めんしううんどう》だとか|反逆人《はんぎやくにん》のやうな|行《おこな》ひを|遊《あそ》ばすので、|兄弟《きやうだい》|親類《しんるゐ》|近所合壁《きんじよがつぺき》より|排斥《はいせき》し、|妻《つま》たる|私《わたし》までが|非常《ひじやう》な|圧迫《あつぱく》を|受《う》けますのみならず、|日夜《にちや》|番僧《ばんそう》どもの|凄《すご》い|目《め》で|睨《ね》めつけられ、かよわき|女《をんな》の|身《み》として|到底《たうてい》|耐《た》へ|切《き》れませぬ。しかるに|貴方《あなた》は|今度《こんど》、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|王妃《わうひ》の|御輿《みこし》に|対《たい》し|不隠《ふおん》の|御行動《ごかうどう》を|遊《あそ》ばし、|重大事件《ぢうだいじけん》を|引《ひ》き|起《おこ》し、|囚《とら》はれ|人《びと》とおなり|遊《あそ》ばしたのも、|全《まつた》く|天地《てんち》の|神《かみ》に|見離《みはな》され|給《たま》ひしことと|推察《すゐさつ》いたします。かかる|重大事件《ぢうだいじけん》を|犯《をか》せし|上《うへ》は、もはや|貴方《あなた》は|死刑《しけい》は|免《まぬが》れますまい。それゆゑ|今《いま》の|中《うち》にどうか|妻子《さいし》が|可愛《かはい》いと|思召《おぼしめ》さるるなら、|私《わたし》を|離縁《りえん》して|下《くだ》さるであらうと、|堅《かた》く|堅《かた》く|信《しん》じます。|何事《なにごと》も|因縁因果《いんねんいんぐわ》の|廻《めぐ》り|合《あ》ひとお|締《あきら》め|下《くだ》さいませ。そして|此《こ》の|子《こ》は|幸《さいは》ひに|貴方《あなた》が|出獄《しゆつごく》されるやうな|事《こと》がありましたらお|返《かへ》しいたします。また|御不幸《ごふかう》にして|極刑《きよくけい》におなり|遊《あそ》ばすやうな|事《こと》があれば、|是非《ぜひ》なく|貴方《あなた》の|忘《わす》れ|形見《がたみ》として|育《そだ》てますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。たとへ|無罪《むざい》になつてお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばすとも、|私《わたし》は|断《だん》じて|貴方《あなた》と|夫婦《ふうふ》となる|事《こと》はいたしませぬ。よつて|兄弟《きやうだい》|親族《しんぞく》と|相談《さうだん》の|上《うへ》|離縁状《りえんじやう》を|差上《さしあ》げますから、|宿世《すぐせ》の|因縁《いんねん》とお|締《あきら》め|下《くだ》さいませ。
|妻《つま》マサ|子《こ》より
レール|殿《どの》
レール『ハハハハハハ。このレールも|最早《もはや》|駄目《だめ》だ。マサ|子《こ》|列車《れつしや》がたうとうレールを|脱線《だつせん》しよつたわい。|太子様《たいしさま》、|御命令《ごめいれい》に|従《したが》ひ、|左守司《さもりのかみ》を|奉職《ほうしよく》さして|頂《いただ》きませう。テイラ|様《さま》の|縁談《えんだん》は|別《べつ》として、……たうてい|私《わたし》のやうな、|女房《にようばう》に|尻《しり》を|振《ふ》られるやうな|者《もの》に、テイラさまがどうして|婚姻《こんいん》して|下《くだ》さいませうや、|覚束《おぼつか》なうございますからなあ』
|太子《たいし》『なに、そんな|心配《しんぱい》は|要《い》らないよ。|俺《おれ》の|天眼通《てんがんつう》でテイラさまの|心中《しんちう》を|鏡《かがみ》にテーラして|見《み》ておいたのだ。なあテイラさま、|異存《いぞん》はありますまい』
テイラは「ハイ」と|言《い》つたきり、|顔《かほ》を|赤《あか》らめ|袖《そで》を|掩《おほ》うて|俯向《うつむ》く。
|太《たい》『ハハハハハハ、これで|一夫婦《ひとふうふ》|落着《らくちやく》だ。サアこれからはマークさまだ。マークさま、|君《きみ》は|右守司《うもりのかみ》になるのだよ』
マ『|思《おも》ひもよらぬ|御恩命《ごおんめい》、|実《じつ》に|有難《ありがた》うございます。たうてい|私《わたし》ごとき|不徳者《ふとくもの》の|身《み》をもつて、|右守司《うもりのかみ》などといふ|重職《ぢうしよく》には|耐《た》へ|得《え》られますまい。どうかもう|少《すこ》し|軽《かる》い|御用《ごよう》にお|使《つか》ひ|下《くだ》さいますまいか。|沐猴《もくこう》にして|冠《くわん》するものと|世《よ》の|笑《わら》ひを|受《う》けますから』
レ『オイ、マークそれや|何《なに》を|言《い》ふのだ。|太子様《たいしさま》の|御命令《ごめいれい》ぢやないか。そんな|遠慮《ゑんりよ》はするに|当《あた》らないよ。|俺《おれ》だつて|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|左守司《さもりのかみ》を|頂《いただ》いたぢやないか』
マ『サア|暫《しばら》く|考《かんが》へさしてもらひたいなあ』
レ『それや|何《なに》を|言《い》ふのだ。|考《かんが》へも|糞《くそ》もあつたものかい。いつも|言《い》つてをつたぢやないか。「この|運動《うんどう》が|成功《せいこう》したら、|君《きみ》は|左守《さもり》になれ、|僕《ぼく》は|右守《うもり》になる」と|気焔《きえん》をあげてゐた|癖《くせ》に、なんだ、|卑怯《ひけふ》に、|今《いま》になつて|尻込《しりご》みするといふ|腰抜《こしぬけ》があるか』
マ『……………』
|太《たい》『オイ、マークしつかりせないか、|何《なん》だその|面《つら》は』
マ『ハイ、|謹《つつし》んでお|受《う》けいたします。|至《いた》らぬ|吾々《われわれ》どうか|宜《よろ》しくお|引立《ひきたて》を……』
|太《たい》『アハハハハハハ、たうとう|落城《らくじやう》しよつたな。よしよし、それについては、ハリス|女将軍《ぢよしやうぐん》を|君《きみ》の|奥様《おくさま》にお|世話《せわ》しよう。ずゐぶん|美人《びじん》だらうがな』
マ『|私《わたし》には|妻《つま》がございます。こればかりは|御容赦《ごようしや》を……』
|太《たい》『それ、これを|見《み》ろ、これが|証拠《しようこ》だ』
と|一通《いつつう》の|封書《ふうしよ》をマークの|前《まへ》に|投《な》げ|出《だ》した。マークは|不思議《ふしぎ》さうにその|書面《しよめん》を|手《て》に|取《と》りあげ、よくよく|見《み》れば|妻《つま》の|筆跡《ひつせき》である。|直《ただ》ちに|封《ふう》|押《お》し|切《き》り|見《み》れば、
カル|子《こ》より、マーク|様《さま》に|離縁状《りえんじやう》を|差上《さしあ》げます。|人間《にんげん》は|締《あきら》めが|肝腎《かんじん》ですよ。|貴方《あなた》も|男《をとこ》でせう、|滅多《めつた》に|女々《めめ》しい、|未練《みれん》たらしい|事《こと》は|決《けつ》して|言《い》はない|方《かた》と|信《しん》じてゐます……
マ『ヤこいつは|手厳《てきび》しい。|嬶《かか》の|奴《やつ》、|大変《たいへん》なメートルを|挙《あ》げてゐやがるな』
レ『アハハハハハハ。|態《ざま》を|見《み》い、オイ、マークその|次《つぎ》を|読《よ》まないか』
マ『いやもう|耐《こら》へてくれ。あまりひどい|事《こと》が|書《か》いてあるので、|読《よ》むに|忍《しの》びないわ』
とパリパリパリと|引《ひ》き|破《やぶ》り、やにはに|頬張《ほほば》り、クシヤクシヤクシヤと【かみたれこ】にし、|灰《はひ》の|中《なか》に|鉄《てつ》の|火箸《ひばし》で|埋《い》け|込《こ》んでしまつた。
マ『エー、もう|思《おも》ひ|切《き》りました。しかし|嬶《かか》が|離縁状《りえんじやう》を|呉《く》れるのも|無理《むり》はございますまい。|第一《だいいち》|彼奴《あいつ》の|兄弟《きやうだい》や|親《おや》が|没分暁漢《わからずや》ですから、カル|子《こ》の|奴《やつ》、|一刀両断的《いつたうりやうだんてき》の|態度《たいど》に|出《で》よつたのですわい』
|太《たい》『かうなる|上《うへ》はハリスさまを|新夫人《しんふじん》としても|差支《さしつか》へないぢやないか』
マ『|何事《なにごと》も|太子様《たいしさま》にお|任《まか》せいたします。どうか|宜《よろ》しく【おとりなし】を……』
|太《たい》『ヤアこれで|二夫婦《ふたふうふ》|揃《そろ》うた。ハリスさま、|満足《まんぞく》だらうな』
ハリ『ホホホホホホ。|仰有《おつしや》るまでもなく|満足《まんぞく》ですわ。|私《わたし》が|始終《しじう》|求《もと》めてゐた|理想《りさう》の|夫《をつと》に|出会《であ》つたのですもの』
レールは|頭《あたま》を|叩《たた》きながら、
『ヤーこいつは|猛烈《まうれつ》だ。|耐《たま》らぬ|耐《たま》らぬ|耐《たま》らぬ、アハハハハハハ』
ハリス『ホホホホホホ』
マーク『エヘヘヘヘヘヘ』
チンレイ『もし|兄《にい》さま、|甚《ひど》いわ、|私《わたし》だつて|女《をんな》ですよ。どうして|下《くだ》さるのですか』
|太《たい》『ほんにお|前《まへ》の|事《こと》は|忘《わす》れてをつた。まさか|俺《おれ》の|女房《にようばう》にするわけにも|行《ゆ》かず、|困《こま》つたなあ。まあ|待《ま》つとつてくれ。|何《なん》とか|適当《てきたう》な|夫《をつと》を|探《さが》してやるから』
チン『|兄《にい》さま、そんな|事《こと》|言《い》つて|何時《いつ》までも|引張《ひつぱ》るのはいやですよ。|妾《わたし》だつて、|性《せい》の|慾《よく》に|囚《とら》はれ、|日夜《にちや》|悩《なや》んでゐるのですもの』
|太《たい》『アハハハハハハ。こいつは|猛烈《まうれつ》だ。|今時《いまどき》の|女性《ぢよせい》は|総《すべ》てかふいふ|式《しき》だから|困《こま》つてしまふわ』
|照国《てるくに》『|王女様《わうぢよさま》に|適当《てきたう》な|夫《をつと》をお|世話《せわ》いたしませうか、なかなか|気《き》の|利《き》いた|好人物《かうじんぶつ》ですよ。|決《けつ》してレールさま、マークさまに|優《まさ》つても|劣《おと》らない|人物《じんぶつ》です』
|太《たい》『どうか|世話《せわ》をしてやつて|下《くだ》さい』
|照国《てるくに》『|実《じつ》は|私《わたし》の|弟子《でし》に|春公《はるこう》といふ|立派《りつぱ》な|男《をとこ》がおります。|今《いま》は|城外《じやうぐわい》の|牢獄《らうごく》の|看守《かんしゆ》を|勤《つと》めてをりますが、どうでせうかなあ』
|太《たい》『どうか|宜《よろ》しう|願《ねが》ひませう。サア、チンレイ、これでお|前《まへ》も|安心《あんしん》だらう』
チンレイ『|兄《にい》さま、|否《いや》ですよ、なんぼなんでも|牢獄《らうごく》の|番人《ばんにん》なんて|殺生《せつしやう》だわ』
|照国《てるくに》『|実《じつ》のところは|春公《はるこう》といふ|男《をとこ》、|神様《かみさま》の|命令《めいれい》により|吾々《われわれ》の|入牢《にふらう》を|前知《ぜんち》し、|臨時牢番《りんじらうばん》となつて、いろいろと|便宜《べんぎ》を|与《あた》へてくれた|義理堅《ぎりがた》い|情深《なさけぶか》い|神司《かむづかさ》です。きつと|人物《じんぶつ》は|保証《ほしよう》いたします。|男前《をとこまへ》もなかなか|捨《す》てたものぢやありませぬ。|王女様《わうぢよさま》に|配《めあ》はすには|負《ま》けず|劣《おと》らずの|器量《きりやう》をしてをります』
チン『そんなら|兄《にい》さま、お|世話《せわ》になりませうかねえ、ホホホホホホ』
|太《たい》『お|気《き》に|入《い》りましたかなあ、やお|目出《めで》たう。サアこれで|一時《いちじ》に|三夫婦結婚《みめをとけつこん》の|約《やく》が|結《むす》ばれた。|一《ひと》つ|祝盃《しゆくはい》を|挙《あ》げて|歌《うた》はふぢやないか』
チン『|兄《にい》さま、|貴方《あなた》の|奥《おく》さまはどうなさいますか』
|太《たい》『そんな|事《こと》は|言《い》はなくてもお|前《まへ》も|予《かね》てより|聞《き》いてゐるぢやないか。タラハン|城《じやう》のスダルマン|太子《たいし》の|妹《いもうと》バンナ|姫《ひめ》に|定《きま》つてゐるぢやないか。|親《おや》と|親《おや》との|許婚《いひなづけ》だもの』
チン『オホホホホホホ、えらい|失礼《しつれい》な|事《こと》|申《まを》し|上《あ》げました。ずゐぶん|兄《にい》さまも|執念深《しふねんぶか》い|方《かた》ですね』
|太子《たいし》『|馬鹿《ばか》|言《い》ふな、|俺《おれ》の|事《こと》はかまはいでもよいわ。
|千早《ちはや》|振《ふ》る|神代《かみよ》のままに|女《め》と|夫《を》とが
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を|開《ひら》く|今日《けふ》かな
|三組《みくみ》まで|夫婦《ふうふ》|揃《そろ》うて|盃《さかづき》を
|挙《あ》ぐるは|御代《みよ》の|瑞祥《ずゐしやう》なるらむ』
レール『|吾《わ》が|君《きみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|盃《さかづき》に
|汲《く》みて|嫁《とつ》ぎをなすぞ|嬉《うれ》しき』
テイラ『|世《よ》に|稀《まれ》な|男子《をのこ》を|夫《つま》にもちながら
|君《きみ》に|仕《つか》ふる|吾《われ》ぞ|楽《たの》しき』
マーク『|有難《ありがた》し|世嗣《よつぎ》の|君《きみ》の|媒介《とりもち》に
|今日《けふ》|新《あたら》しき|妻《つま》を|持《も》ちぬる』
ハリス『|求《もと》めてし|理想《りさう》の|夫《をつと》に|添《そ》ひながら
|世《よ》を|開《ひら》きゆく|事《こと》の|嬉《うれ》しさ』
チンレイ『|如何《いか》にせむ|未《ま》だ|見《み》ぬ|夫《つま》に|身《み》を|任《まか》せ
|神《かみ》の|宮居《みやゐ》に|仕《つか》ふる|吾《わ》が|身《み》を』
|太子《たいし》『ヤ、|目出《めで》たい|目出《めで》たい、これで|余《よ》も|安心《あんしん》した。モーシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうか|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》つて|下《くだ》さいませ』
|照国別《てるくにわけ》『|億万年《おくまんねん》の|昔《むかし》より |億万年《おくまんねん》の|末《すゑ》までも
|人《ひと》の|情《なさ》けは|皆《みな》|一《ひと》つ |男子《をとこ》と|女《をみな》と|相睦《あひむつ》び
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を|開《ひら》きつつ |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》に
|仕《つか》へたまはむ|人《ひと》びとの |今日《けふ》の|心《こころ》の|勇《いさ》ましさ
|仰《あふ》ぎ|見《み》るさへ|楽《たの》しけれ |尊《たふと》き|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
|清《きよ》き|奇《く》はしき|女子《をみなご》と |男子《をのこ》がここに|寄《よ》り|集《つど》ひ
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を|始《はじ》めつつ トルマン|国《ごく》の|政事《まつりごと》
|常磐堅磐《ときはかきは》に|末永《すえなが》く |固《かた》めたまひし|今日《けふ》こそは
|天《あま》の|岩戸《いはと》のそれならで |十方世界《じつぱうせかい》も|皎々《かうかう》と
|輝《かがや》くばかりの|思《おも》ひなり ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|弥深《いやふか》く これの|縁《えにし》をどこまでも
|互《たが》ひに|睦《むつ》び|親《した》しみて |大神業《だいしんげふ》に|仕《つか》ふべし
|守《まも》らせたまへと|主《す》の|神《かみ》の |御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|鶴《つる》は|千年《ちとせ》の|松ケ枝《まつがえ》に |御子《みこ》を|生《う》みつつ|君《きみ》が|代《よ》を
|祝《ことほ》ぎまつりて|緑毛《りよくまう》の |亀《かめ》は|海《うみ》より|這《は》ひ|出《い》でて
|底津岩根《そこついはね》の|聖場《せいぢやう》に |万世《よろづよ》|祝《いは》ひ|舞《ま》ひ|遊《あそ》ぶ
|実《げ》にもミロクの|新政《しんせい》か |神政成就《しんせいじやうじゆ》の|暁《あかつき》か
|実《げ》にも|目出《めで》たき|次第《しだい》なり ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|神《かみ》の|結《むす》びたる |六人《むたり》の|縁《えん》はどこまでも
|解《ほど》けざらまし|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|三五《あななひ》の
|照国別《てるくにわけ》の|神司《かむづかさ》 |喜《よろこ》び|祝《ことほ》ぎ|奉《たてまつ》る』
|照公《てるこう》『|目出《めで》たし|目出《めで》たしお|目出《めで》たし ここに|三夫婦《みふうふ》|相並《あひなら》び
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を|始《はじ》めまし トルマン|国《ごく》の|柱石《ちうせき》を
|固《かた》めたまひし|尊《たふと》さよ この|喜《よろこ》びを|吾々《われわれ》は
|言葉《ことば》にかくる|術《すべ》もなし ただ|何事《なにごと》も|目出《めで》たしと
|祝《ことほ》ぎまつる|外《ほか》はなし ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
かく|互《たが》ひに|謡《うた》ひ|終《をは》り|盃《さかづき》を|汲《く》みかはしてゐるところへ、|如意棒《によいぼう》をぶら|下《さ》げてやつて|来《き》たのは、ラムのテルマンであつた。テルマンはニコニコしながら|入《い》り|来《き》たり、
『ヤア、レールさま、マークさまお|目出《めで》たう。|仁恵令《じんけいれい》が|行《おこな》はれ|無事《ぶじ》|出獄《しゆつごく》せられたと|聞《き》き、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ずお|喜《よろこ》びに|参《まゐ》りました。やチウイン|太子様《たいしさま》、お|目出《めで》たうございます。どうか|宜《よろ》しくおとりなしを|願《ねが》ひ|上《あ》げます』
(大正一四・八・二五 旧七・六 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第二二章 |優秀美《いうしうび》〔一七八九〕
|教務総監《けうむそうかん》のジヤンクは|一室《ひとま》に|立《た》て|籠《こも》り、|千草姫《ちぐさひめ》の|行動《かうどう》の|常《つね》ならぬのに|心《こころ》を|悩《なや》め、|且《か》つチウイン|太子《たいし》、|王女《わうぢよ》、テイラ、ハリスの|行方不明《ゆくへふめい》となりしこともまたジヤンクが|心配《しんぱい》の|種《たね》となつた。いつとはなく、うつらうつらと|眠《ねむ》りにつく。|時《とき》しもあれ、|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》なる|異様《いやう》の|神人《しんじん》、|何処《どこ》ともなく|現《あら》はれ|来《き》たり、「ジヤンク ジヤンク」と|肩《かた》をゆすり|玉《たま》ふ。ジヤンクはハツと|驚《おどろ》き|目《め》をさませば、|夢《ゆめ》にみしと|同様《どうやう》の|神人《しんじん》が|厳然《げんぜん》として、|吾《わ》が|目《め》の|前《まへ》の|椅子《いす》に|腰《こし》うちかけ、ニコニコしながら、
|神人《しんじん》『|我《われ》は|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》|言霊別《ことたまわけ》のエンゼルであるぞよ。|汝《なんぢ》はトルマン|国《ごく》の|現状《げんじやう》を|憂慮《いうりよ》し、|心胆《しんたん》を|悩《なや》ませゐる|段《だん》、|実《じつ》に|感服《かんぷく》の|至《いた》りだ。|汝《なんぢ》の|至誠《しせい》|天《てん》に|通《つう》じ、|今《いま》やエンゼルとして|汝《なんぢ》の|神業《しんげふ》を|輔《たす》くべく|降《くだ》り|来《き》たれり、ゆめゆめ|疑《うたが》ふな』
ジヤ『ハイ、|何事《なにごと》も|愚鈍《ぐどん》の|私《わたくし》、|進退《しんたい》|維《これ》|谷《きは》まつて、|憂愁《いうしう》に|沈《しづ》みをります|際《さい》、|尊《たふと》き|神様《かみさま》の|御降臨《ごかうりん》、|実《じつ》に|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|御守護《ごしゆご》あらむ|事《こと》を|偏《ひとへ》に|希《ねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
エンゼル『|汝《なんぢ》が|心配《しんぱい》いたしてをるチウイン|太子《たいし》を|始《はじ》め、|王女《わうぢよ》チンレイ、テイラ、ハリスの|面々《めんめん》は|神《かみ》の|守護《しゆご》により、|少時《しばし》ある|所《ところ》に|囲《かく》まひおきしが、いよいよ|教政改革《けうせいかいかく》|断行《だんかう》の|時期《じき》|到来《たうらい》したれば、|今《いま》に|会《あ》はしてやらう。|汝《なんぢ》は|飽《あ》くまでもトルマン|国《ごく》の|教務総監《けうむそうかん》となり、チウイン|太子《たいし》を|輔《たす》けて、|正《ただ》しき|教化《けうくわ》を|行《おこな》へ。また|左守《さもり》、|右守《うもり》はチウイン|太子《たいし》、|既《すで》に|定《さだ》めをれば、|太子《たいし》の|意見《いけん》に|従《したが》ふべし。|王女《わうぢよ》チンレイは|照国別《てるくにわけ》の|弟子《でし》|春公《はるこう》なる|者《もの》を|夫《をつと》となし、ハリマの|森《もり》の|神殿《かむどの》に|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》とウラルの|神《かみ》と|併《あは》せ|祭《まつ》り、|春公《はるこう》を|神主《かんぬし》となし、チンレイと|共《とも》に|永遠《えいゑん》に|奉仕《ほうし》せしめよ』
ジヤ『ハイ、|何《なに》から|何《なに》まで、|御指導《ごしだう》|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|神様《かみさま》……エンゼル|様《さま》に|恐《おそ》れながらお|伺《うかが》ひいたしまするが、ガーデン|教王様《けうわうさま》は|精神《せいしん》に|御異状《ごいじやう》ありとみえ、|言行《げんかう》|頓《とみ》に|一変《いつぺん》し、この|老臣《らうしん》も|実《じつ》に|困難《こんなん》いたしてをりまするが、|教王様《けうわうさま》は|元《もと》の|正気《しやうき》にお|返《かへ》り|遊《あそ》ばすでござりませうか』
エンゼル『|彼《かれ》は|八岐大蛇《やまたをろち》の|片割《かたわれ》の|悪霊《あくれい》に|憑依《ひようい》され、|精神《せいしん》|惑乱《わくらん》しをれば、|暫《しばら》く|閑地《かんち》に|静養《せいやう》せしめよ。また|千草姫《ちぐさひめ》はすでにすでに|此《この》|世《よ》を|去《さ》り、その|遺骸《ゐがい》に|高姫《たかひめ》の|霊《れい》|憑依《ひようい》し、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|称《しよう》し、あらゆる|醜態《しうたい》を|演《えん》じ、|乱暴《らんばう》を|働《はたら》きゐるは、|全《まつた》く|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》の|霊《れい》の|致《いた》すところ、ずゐぶん|注意《ちうい》すべし』
ジヤ『ハイ、|心得《こころえ》ましてございます。|千草姫《ちぐさひめ》|様《さま》でないとすれば、この|老臣《らうしん》も|大《おほ》いに|考《かんが》ふるところがございます。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|過《あやま》ちなきやう、|御守護《ごしゆご》|願《ねが》ひ|奉《まつ》ります』
エン『かれ|高姫《たかひめ》の|再来《さいらい》たる|千草姫《ちぐさひめ》は|常《つね》に|特《とく》に|気《き》を|付《つ》けよ。さらば』
といふより|早《はや》く、|忽《たちま》ちその|神姿《しんし》を|消《け》させ|玉《たま》ふた。ジヤンクは|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》し、|讃美歌《さんびか》を|歌《うた》ふ。
ジヤ『|日《ひ》はくれはてて|道《みち》もなし |雪《ゆき》は|野山《のやま》に|堆《うづたか》く
つもりて|歩《あゆ》まむ|由《よし》もなし |行手《ゆくて》に|悩《なや》む|旅人《たびびと》の
|頭上《づじやう》を|照《て》らし|日《ひ》の|神《かみ》は |暗《やみ》をば|晴《は》らし|積《つ》む|雪《ゆき》を
|解《と》かせ|玉《たま》ひて|己《おの》が|行《ゆ》く |大道《おほぢ》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ひけり
アア|有難《ありがた》や|有難《ありがた》や |御国《みくに》に|尽《つく》す|赤心《まごころ》を
|神《かみ》は|諾《うべ》なひ|玉《たま》ひけむ |困《こま》り|切《き》つたる|今日《けふ》の|宵《よひ》
|吾《わ》が|枕辺《まくらべ》におごそかに |現《あら》はれ|玉《たま》ひ|宣《の》り|玉《たま》ふ
その|御言葉《みことば》は|夢《ゆめ》ならず |誠《まこと》の|神《かみ》の|御出現《ごしゆつげん》
|仰《あふ》ぐも|高《たか》し|須弥《しゆみ》の|山《やま》 |守《まも》らせ|玉《たま》ふ|木《こ》の|花《はな》の
|姫命《ひめのみこと》にましますか ただしは|言霊別神《ことたまわけかみ》か
|何《いづ》れにますかは|知《し》らねども |姿《すがた》|雄々《をを》しき|瑞御霊《みづみたま》
|乾《かわ》ききつたる|吾《わ》が|霊《たま》を うるほし|玉《たま》ひ|清鮮《せいせん》の
|血汐《ちしほ》を|吾《わ》が|身《み》に|漲《みなぎ》らし |救《すく》はせ|玉《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |主《す》の|大神《おほかみ》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る |喜《よろこ》び|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
かく|歌《うた》ひをる|時《とき》しも、チウイン|太子《たいし》は|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》、レール、マーク、テイラ、ハリス、および|王女《わうぢよ》チンレイ、テルマン、|春公《はるこう》の|面々《めんめん》を|引伴《ひきつ》れ、|意気《いき》|揚々《やうやう》と|帰《かへ》り|来《く》る。ジヤンクは|太子《たいし》を|見《み》るより|抱《いだ》きつき、|涙《なみだ》の|声《こゑ》を|絞《しぼ》りながら、
『アア|太子様《たいしさま》、よくマアお|帰《かへ》り|下《くだ》さいました』
といつたきり、|後《あと》はあまりの|感激《かんげき》に|打《う》たれて、|一言《いちごん》も|出《だ》し|得《え》なかつた。|太子《たいし》もこの|老臣《らうしん》がただ|一人《ひとり》、|悪魔《あくま》の|中《なか》に|孤城《こじやう》を|守《まも》つてゐたかと|思《おも》へば、そぞろ|涙《なみだ》を|催《もよほ》し|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にむせ|返《かへ》り、ハンカチにて|両眼《りやうがん》を|拭《ぬぐ》ひながら、|少時《しばし》|言葉《ことば》も|得出《えい》ださず|俯《うつ》むいてしまつた。
|照国《てるくに》『ジヤンク|様《さま》お|喜《よろこ》びなさりませ。|太子様《たいしさま》はこの|通《とほ》り|御壮健《ごさうけん》でゐらせられます。そして|教政大改革《けうせいだいかいかく》の|準備《じゆんび》として、|既《すで》に|棟梁《とうりやう》の|臣《しん》をお|定《さだ》めになり、お|帰《かへ》りになつたのでございますから、どうか|貴方様《あなたさま》は、|太子様《たいしさま》を|新教王《しんけうわう》と|仰《あふ》ぎ、|教王様《けうわうさま》に|退隠《たいいん》を|願《ねが》ひ、|千草姫《ちぐさひめ》の|悪霊《あくれい》を|追《お》ひ|出《だ》し、|教政《けうせい》に|御尽瘁《ごじんすい》あらむ|事《こと》を|希望《きばう》いたします』
ジヤ『ハイ、|何《なに》から|何《なに》まで|有難《ありがた》うございます。|只今《ただいま》も|尊《たふと》きエンゼルが|吾《わ》が|枕辺《まくらべ》に|出現《しゆつげん》|遊《あそ》ばし、いろいろさまざまと|教化《けうくわ》の|大本《たいほん》につき、お|諭《さと》しを|頂《いただ》きました。|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『この|度《たび》、|大英断《だいえいだん》をもつて|仁恵令《じんけいれい》を|発布《はつぷ》されましたのは、|人心《じんしん》を|新《あら》たにする|上《うへ》から|見《み》ても、|誠《まこと》に|結構《けつこう》な|事《こと》と|存《ぞん》じます。ついては|荒井ケ嶽《あらゐがたけ》の|岩窟《がんくつ》に、チウイン|教王様《けうわうさま》が|押《お》し|込《こ》めおかれたる|妖僧《えうそう》キユーバーを、|速《すみ》やかに|解放《かいはう》されむ|事《こと》を|希望《きばう》します』
『なるほど、|実《じつ》のところはキユーバーの|所在《ありか》が|分《わか》りませぬので、|何《なん》の|処置《しよち》も|取《と》つてをりませぬが、|所在《ありか》が|分《わか》りました|以上《いじやう》は、|速《すみ》やかに|解放《かいはう》いたしませう』
『チウイン|教王様《けうわうさま》の|御継職《ごけいしよく》について、|目出《めで》たくこれで、|国内《こくない》の|風塵《ふうじん》は|掃《は》き|浄《きよ》められました。サアこれから|千草姫《ちぐさひめ》の|審神《さには》を|致《いた》しませう。ジヤンク|殿《どの》、|御一同《ごいちどう》、|拙者《せつしや》と|共《とも》に|千草姫《ちぐさひめ》の|居間《ゐま》までお|越《こ》しを|願《ねが》ひませう』
|一同《いちどう》は|頷《うなづ》きながら|照国別《てるくにわけ》の|後《うし》ろより、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ、|千草姫《ちぐさひめ》の|居間《ゐま》にと|進《すす》み|寄《よ》つた。|室内《しつない》には|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|王妃様《わうひさま》、どうか、こればつかりはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|千草《ちぐさ》『|何《なん》といつても、|其方《そなた》は|絶対服従《ぜつたいふくじう》を|誓《ちか》うたではないか。お|前《まへ》の|乳房《ちぶさ》をこの|焼金《やきがね》で|切《き》り|取《と》り、|大神様《おほかみさま》にお|供《そな》へいたし、キユーバーの|所在《ありか》を|知《し》らして|頂《いただ》かねばならぬのだ。モクレンともあらう|者《もの》が、|今《いま》はの|際《きは》に|卑怯未練《ひけふみれん》な、|命《いのち》が|惜《を》しいか、テモさても|悲《かな》しさうな|面《かほ》わいの。|何《なに》ほど|逃《に》げても、|走《はし》つても、この|一室《ひとま》に|閉《と》ぢ|込《こ》めた|上《うへ》は|助《たす》かりは|致《いた》さぬぞや。サ、|観念《くわんねん》の|眼《まなこ》を|閉《と》ぢなさい。|神《かみ》の|贄《いけにへ》になるのだつたら、|其方《そなた》も|光栄《くわうえい》だらう』
モク『いかなる|御用《ごよう》も|承《うけたまは》りまするが、どうか|娘《むすめ》のテイラに|一目《ひとめ》|会《あ》はして|下《くだ》さいませ。その|上《うへ》にて|如何《いか》なる|御用《ごよう》も|勤《つと》めまする』
|千草《ちぐさ》『ホホホホそんな|事《こと》を|言《い》つて、この|場《ば》を|逃《に》げ|出《だ》し、|千草姫《ちぐさひめ》の|悪口《わるくち》をふれ|歩《ある》き、|吾《わ》が|神徳《しんとく》をおとさうと|致《いた》す|考《かんが》へだらう。さやうな|計略《けいりやく》に|乗《の》る|千草姫《ちぐさひめ》ではござらぬぞや』
と|優《やさ》しい|面《おもて》に|殺気《さつき》を|帯《お》び、|金火箸《かなひばし》を|白《しろ》くなる|所《ところ》まで|焼《や》き、キヤアキヤアと|泣《な》き|叫《さけ》ぶモクレンの|乳房《ちぶさ》に|今《いま》やあてがはむとする|時《とき》しも、|照国別《てるくにわけ》は|力《ちから》かぎり、|外《そと》よりドアを|打《う》ち|破《やぶ》り、「ウーン」と|一声《ひとこゑ》、|睨《にら》みつくれば、|千草姫《ちぐさひめ》は|慌《あわ》てふためき、|尻《しり》のあたりより|狐《きつね》の|尻尾《しつぽ》の|八岐《やまた》になつたのをブリンブリンと|振《ふ》りながら、|天窓《てんまど》を|伝《つた》ひ、|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》をかくしける。
|因《ちなみ》にテルマンは|新教王《しんけうわう》の|見出《みい》だしによつて、|番僧頭《ばんそうがしら》に|任《にん》ぜられ、|新教王《しんけうわう》の|神政《しんせい》を|国民《こくみん》は|謳歌《おうか》し、|今《いま》まで|乱《みだ》れ|切《き》つたるトルマン|国《ごく》も、|小天国《せうてんごく》を|現出《げんしゆつ》するに|至《いた》つた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一四・八・二五 旧七・六 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
(昭和一〇・六・二四 王仁校正)
附 記念撮影
大正乙丑七月七日 於丹後由良港
|大《ひろ》き|正《ただ》しき|乙《きのと》|丑《うし》 |十《とを》|余《あま》り|四《よ》つの|年《とし》の|秋《あき》
|七月《しちぐわつ》|七日《なぬか》|七夕《たなばた》の |生日足日《いくひたるひ》を|祝《ことほ》ぎて
|日本海《につぽんかい》を|枕《まくら》とし |磯《いそ》うつ|波《なみ》の|声《こゑ》|聞《き》きつ
|音《おと》に|名高《なだか》き|由良ケ岳《ゆらがだけ》 |背後《うしろ》になして|口述《こうじゆつ》の
|記念写真《きねんしやしん》を|撮影《さつえい》し |綾《あや》の|聖地《せいち》の|家《いへ》|苞《つと》に
|記《しる》す|尊《たふと》き|物語《ものがたり》 |神《かみ》の|宮津《みやづ》の|写真師《しやしんし》が
|三本脚《さんぼんあし》のレンズをば |立《た》てて|顔《かほ》をば|睨《にら》み|合《あ》ひ
|神《かみ》のまにまに|写《うつ》し|行《ゆ》く |七十二巻《しちじふにくわん》の|物語《ものがたり》
|目出《めで》たく|茲《ここ》に|編《あ》み|了《を》へて |今日《けふ》は|楽《たの》しき|骨休《ほねやす》め
をりから|汽笛《きてき》の|声《こゑ》|高《たか》く |丹後鉄道《たんごてつだう》のボロ|汽車《きしや》は
|由良《ゆら》のトンネル|潜《くぐ》り|入《い》る ガタガタゴトゴト|騒《さわ》がしく
|早《はや》くも|姿《すがた》を|隠《かく》しけり ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|天日《てんじつ》|照《て》るとも|曇《くも》るとも |神《かみ》の|守《まも》りのこの|写真《しやしん》
|必《かなら》ず|清《きよ》く|写《うつ》れかし ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ねぎ》まつる。
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霊界物語 第七〇巻 山河草木 酉の巻
終り