霊界物語 第六九巻 山河草木 申の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六十九巻』天声社
1971(昭和46)年06月01日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|巻頭言《くわんとうげん》
第一篇 |清風涼雨《せいふうりやうう》
第一章 |大評定《だいひやうぢやう》〔一七四六〕
第二章 |老断《らうだん》〔一七四七〕
第三章 |喬育《けういく》〔一七四八〕
第四章 |国《くに》の|光《ひかり》〔一七四九〕
第五章 |性明《せいめい》〔一七五〇〕
第六章 |背水会《はいすゐくわい》〔一七五一〕
第二篇 |愛国《あいこく》の|至情《しじやう》
第七章 |聖子《せいし》〔一七五二〕
第八章 |春乃愛《はるのあい》〔一七五三〕
第九章 |迎酒《むかへざけ》〔一七五四〕
第一〇章 |宣両《せんりやう》〔一七五五〕
第一一章 |気転使《きてんし》〔一七五六〕
第一二章 |悪原眠衆《あしはらみんしう》〔一七五七〕
第三篇 |神柱国礎《しんちうこくそ》
第一三章 |国別《こくべつ》〔一七五八〕
第一四章 |暗枕《やみまくら》〔一七五九〕
第一五章 |四天王《してんわう》〔一七六〇〕
第一六章 |波動《はどう》〔一七六一〕
第四篇 |新政復興《しんせいふくこう》
第一七章 |琴玉《ことたま》〔一七六二〕
第一八章 |老狽《らうばい》〔一七六三〕
第一九章 |老水《らうすゐ》〔一七六四〕
第二〇章 |声援《せいゑん》〔一七六五〕
第二一章 |貴遇《きぐう》〔一七六六〕
第二二章 |有終《いうしう》〔一七六七〕
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|巻頭言《くわんとうげん》
|吾々《われわれ》が|現代《げんだい》において|最《もつと》も|虫《むし》の|好《す》かない|嫌《きら》ひな|者《もの》は|沢山《たくさん》にある。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|借金取《しやくきんと》りの|矢《や》の|催促《さいそく》、|次《つぎ》に|絹足袋《きぬたび》をはいて|歩《ある》きまはる|商店《しやうてん》の|丁稚《でつち》、|知《し》つたか|振《ぶ》りをして|英語交《えいごまじ》りの|会話《くわいわ》をやる|奴《やつ》、|婆《ばば》アの|眉毛造《まゆげつく》りに、ハイカラ|青年《せいねん》の|赤《あか》いネクタイ、|白頭爺《はくとうぢい》の|鍋墨顔《なべすみがほ》、|女学生《ぢよがくせい》の|巻煙草《まきたばこ》、|風呂《ふろ》の|中《なか》の|葱節《ねぶかぶし》、|眼鏡越《めがねご》しに|光《ひか》つた|眼《め》をして|人《ひと》の|面《つら》を|下《した》から|上《うへ》に|覗《のぞ》くやうに|見上《みあ》げる|奴《やつ》、|可笑《をか》しくもないのに、|幇間的《ほうかんてき》|追従笑《ついしようわら》ひをする|奴《やつ》、|箱根越《はこねこ》えずの|江戸《えど》つ|児《こ》を|用《もち》ゐる|奴《やつ》、|豹《へう》や|狐《きつね》の|皮《かは》の|首巻《くびまき》をする|女《をんな》|等《とう》、|数《かず》|限《かぎ》りもなく|嫌《きら》ひな|者《もの》がある|中《なか》に、|最《もつと》も|虫《むし》の|好《す》かぬのは、|現代《げんだい》の|政治家《せいぢか》、|宗教家《しうけうか》の|唱《とな》ふるところの|信教《しんけう》の|自由《じいう》を|壅塞《ようそく》する|時代遅《じだいおく》れの|宗教法案《しうけうはふあん》|等《とう》である。|因循姑息《いんじゆんこそく》と|時代錯誤《じだいさくご》と、|頑迷無智《ぐわんめいむち》と|不親切《ふしんせつ》と、|偽善生活《ぎぜんせいくわつ》、|厚顔無恥《こうがんむち》、|没常識《ぼつじやうしき》|等《とう》をもつて|充《み》たされた|連中《れんちう》が、|万世一系《ばんせいいつけい》|天壤無窮《てんじやうむきう》の|神国《しんこく》の|国政《こくせい》を|料理《れうり》しようとするのだからたまらない。|憲政《けんせい》の|逆転《ぎやくてん》か|時代《じだい》の|錯誤《さくご》か、|時勢《じせい》の|要求《えうきう》か|知《し》らないが、|今日《こんにち》の|清浦内閣《きようらないかく》の|顔触《かほぶ》れをみると、|田舎《いなか》の|町《まち》はづれの|方《はう》にありさうな|八百屋店《やほやみせ》の、|干《ひ》からびた|南瓜《かぼちや》|胡瓜《きうり》|大根《だいこん》|蕪《かぶら》のやうな、|到底《たうてい》|中流《ちうりう》の|家庭《かてい》の|料理《れうり》にも|適《てき》せない、|味《あぢ》の|悪《わる》い|歯切《はぎ》れのしない|難物《なんぶつ》ばかりである。しかしながら|吾々《われわれ》は|政治家《せいぢか》でないから、|却《かへ》つてかういふ|内閣《ないかく》が|出来《でき》たのが|時代《じだい》に|相応《さうおう》してゐるのかも|知《し》れない。あるひは|天意《てんい》であるかも|分《わか》らない。|政治圏外《せいぢけんぐわい》に|在《あ》る|吾々《われわれ》はただ|表面《へうめん》から|見《み》ただけの|事《こと》をいふまでだ。それよりもこの|時代《じだい》に|当《あた》つて|精神的《せいしんてき》|文明《ぶんめい》を|皷吹《こすゐ》し、|国民信仰《こくみんしんかう》の|中心《ちうしん》とならねばならぬ|宗教家《しうけうか》の|現状《げんじやう》を|見《み》ると、これまた|日暮《ひく》れて|道《みち》いよいよ|遠《とほ》しの|感《かん》に|打《う》たれざるを|得《え》ないのである。|排他《はいた》と|猜疑《さいぎ》と|身勝手《みがつて》、|自己愛《じこあい》と|嫉妬《しつと》より|外《ほか》に|知《し》らない|円頂緇衣《ゑんちやうしえ》の|徒《と》や、アーメンの|先生《せんせい》たちは|何《なに》をしてゐるのであらうか。|普選案《ふせんあん》が|通過《つうくわ》するとか、|即行《そくかう》されるとかいふ|噂《うはさ》を|聞《き》きかじつて、|仏教家《ぶつけうか》も|牧師連《ぼくしれん》も|神職《しんしよく》も|教育家《けういくか》も、|全部《ぜんぶ》|手《て》に|唾《つばき》して、|逐鹿場裡《ちくろくぢやうり》に|立《た》つて|出《で》ようとする|形勢《けいせい》が|仄見《ほのみ》えてゐるやうだ。|僧侶《そうりよ》や|牧師《ぼくし》などは|特《とく》に|政治《せいぢ》|以外《いぐわい》に|超然《てうぜん》として|神仏《しんぶつ》の|教《をしへ》を|説《と》き、|国民《こくみん》を|教化《けうくわ》してこそ|宗教家《しうけうか》の|権威《けんゐ》が|保《たも》たれるのでないか。もし|過《あやま》つて|宗教家《しうけうか》が|薬鑵頭《やくわんあたま》に|湯気《ゆげ》を|立《た》て、|捩鉢巻《ねぢはちまき》で|選挙場裡《せんきよぢやうり》に|立《た》つやうなことがありとすれば、それこそ|信仰上《しんかうじやう》の|大問題《だいもんだい》である。|壇家《だんか》は|嫉視反目《しつしはんもく》し、|信者《しんじや》は|党《たう》を|作《つく》り、|宗教家《しうけうか》を|敵視《てきし》するやうになり、|信仰《しんかう》の|中心人物《ちうしんじんぶつ》を|失《うしな》つてしまふ。さうすれば|従《したが》つて|神仏《しんぶつ》の|権威《けんゐ》も|失墜《しつつゐ》し、|信仰《しんかう》の|中心《ちうしん》、|思想《しさう》の|真柱《まばしら》を|失《うしな》ふ|道理《だうり》だ。|吾人《ごじん》は|思《おも》ふ、たとへ|普選案《ふせんあん》が|通過《つうくわ》し、|宗教家《しうけうか》や|教育家《けういくか》に|被選挙権《ひせんきよけん》が|与《あた》へられたにしても、かかる|俗界《ぞくかい》の|仕事《しごと》は|俗人輩《ぞくじんばら》に|任《まか》して、|超然的《てうぜんてき》|態度《たいど》を|執《と》つて|欲《ほ》しいものだ。
しかしながら|翻《ひるがへ》つて|宗教界《しうけうかい》の|裏面《りめん》を|考《かんが》へてみれば、|超人間的《てうにんげんてき》|宗教家《しうけうか》は|金《かね》の|草鞋《わらぢ》で|日本全国《にほんぜんこく》を|探《さが》しても、|滅多《めつた》に|有《あ》りさうにもない。|種々《しゆじゆ》の|悪思想《あくしさう》の|洪水《こうずゐ》が|氾濫《はんらん》して、ヒマラヤ|山上《さんじやう》を|浸《ひた》さむとする|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|釈迦《しやか》、キリスト、マホメット、|孔子《こうし》に|老子《らうし》、|小《せう》にしては|空海《くうかい》、|日蓮《にちれん》、|親鸞《しんらん》、|法然《ほふねん》その|他《た》|高僧《かうそう》|知識《ちしき》と|呼《よ》ばれる|連中《れんちう》を|一《ひと》つに|円《まる》め、|団子《だんご》にして|喰《く》ふやうな|宗教界《しうけうかい》の|偉人《ゐじん》が|現《あら》はれて|来《こ》なくては、|到底《たうてい》この|人心《じんしん》の|悪化《あくくわ》を|救《すく》ふことは|出来《でき》ぬであらう。|吾人《ごじん》は|数十年間《すうじふねんかん》|各宗教家《かくしうけうか》を|漁《あさ》つて、|超人間的《てうにんげんてき》|人物《じんぶつ》を|捜《さが》してみたが、|寡聞《くわぶん》|寡見《くわけん》の|吾々《われわれ》には|到底《たうてい》|求《もと》むる|事《こと》を|得《え》なかつた。そこで、|信仰《しんかう》に|国境《こくきやう》はないといふ|点《てん》から、|米国《べいこく》のバハイ|教《けう》を|研究《けんきう》し、|朝鮮《てうせん》|支那《しな》の|新宗教《しんしうけう》を|研究《けんきう》して、この|現代《げんだい》の|世界《せかい》を|救《すく》ふべき|真《しん》の|宗教家《しうけうか》はないかと|探《さが》しつつあるのだ。|腐敗《ふはい》|堕落《だらく》と|矛盾《むじゆん》とに|充《み》たされた|現代《げんだい》の|暗黒社会《あんこくしやくわい》には、たうてい|大宗教家《だいしうけうか》、|大理想家《だいりさうか》は|現《あら》はれさうにもない。しかしながらどつかの|山奥《やまおく》には、|天運循環《てんうんじゆんくわん》の|神律《しんりつ》によつて|一人《いちにん》や|半人《はんにん》ぐらゐは|現《あら》はれてをりさうなものだ。
|今年《ことし》は|甲子《きのえね》|更始《かうし》の|年《とし》である。この|葦原《あしはら》の|瑞穂国《みづほのくに》(|全地球《ぜんちきう》)のどつかには、|一大聖人《いちだいせいじん》が|現《あら》はれるか、または|太陽《たいやう》、|大地《たいち》、|太陰《たいいん》を|串団子《くしだんご》となし、|星《ほし》の|胡麻《ごま》をかけて|喰《く》ふやうな|大豪傑《だいがうけつ》が|現《あら》はれて|来《き》さうなものだと|思《おも》ふ。さうでなくては|到底《たうてい》この|無明暗黒《むみやうあんこく》な|世界《せかい》を|救《すく》ふことは|出来《でき》ないと|思《おも》ふ。|吾人《ごじん》は|本年《ほんねん》|甲子《きのえね》よりここ|数年《すうねん》の|間《あひだ》において、たしかに|斯世《このよ》を|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|進展《しんてん》せしむべき|一大偉人《いちだいゐじん》の|出現《しゆつげん》することを|固《かた》く|信《しん》じ、|神仏《しんぶつ》を|念《ねん》じて、|待《ま》つてゐるのである。|吾人《ごじん》が|前陳《ぜんちん》の|理由《りいう》に|依《よ》つて、バハイ|教《けう》と|提携《ていけい》し、あるひは|支那《しな》|朝鮮《てうせん》の|新進宗教《しんしんしうけう》と|握手《あくしゆ》したのも、|決《けつ》して|現代《げんだい》の|宗教家《しうけうか》のごとく|自教《じけう》を|拡張《くわくちやう》せむためでもなく、ただ|単《たん》に|我《わ》が|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|憂《うれ》へ、|世界《せかい》|平和《へいわ》と|人類愛《じんるゐあい》のために|尽《つく》さむとする|真心《まごころ》に|外《ほか》ならぬのである。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十三年一月十五日(旧十二年十二月十日)
|月《つき》の|歎《なげ》かひ
|吾《われ》は|淋《さび》しき|冬《ふゆ》の|月《つき》
|下界《げかい》を|眺《なが》め|大空《おほぞら》に
|涙《なみだ》の|顔《かほ》を|曇《くも》らして
|独《ひと》り|慄《ふる》へる|悲惨《ひさん》さよ
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|星《ほし》の|数《かず》
|銀河《ぎんが》の|岸《きし》につどへども
|吾《われ》まつ|星《ほし》は|一《ひと》つだになし
いづれの|星《ほし》もことごとく
|月《つき》の|出《で》ぬ|夜《よ》を|楽《たの》しむか
|吾《われ》は|淋《さび》しき|冬《ふゆ》の|月《つき》
|涙《なみだ》かくして|大空《おほぞら》に
|独《ひと》り|慄《ふる》へる|悲惨《ひさん》さよ
|大地一面《たいちいちめん》|草《くさ》や|木《き》の
|梢《こずゑ》に|遍《あまね》くおく|霜《しも》に
|冷《つめた》き|宿《やど》を|求《もと》めつつ
|千々《ちぢ》に|心《こころ》を|砕《くだ》くかな
|吾《われ》は|淋《さび》しき|冬《ふゆ》の|月《つき》
|御空《みそら》に|高《たか》く|打《う》ち|慄《ふる》ひ
|下界《げかい》はるかに|見渡《みわた》せば
|吾《わ》が|宿《やど》るべき|池水《いけみづ》は
|雪《ゆき》や|氷《こほり》に|鎖《とざ》されて
|映《うつ》る|術《すべ》なき|悲惨《ひさん》さよ
|杜鵑《ほととぎす》
|吾《われ》は|深山《みやま》の|杜鵑《ほととぎす》
|降《ふ》りみ|降《ふ》らずみ|五月《さつき》の|空《そら》を
さまよひながら|声《こゑ》|嗄《か》らし
|友《とも》を|求《もと》めて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ
アアうらめしや|照《て》る|月《つき》を
|深《ふか》く|包《つつ》みし|天津空《あまつそら》
|吾《われ》は|深山《みやま》の|杜鵑《ほととぎす》
|八千八声《はつせんやこゑ》|鳴《な》き|暮《くら》し
|血《ち》を|吐《は》く|思《おも》ひの|最後《さいご》の|声《こゑ》も
|月《つき》がないたと|言《い》はれてる
ほんに|切《せつ》ない|吾《わ》が|思《おも》ひ
|第十八宇和島丸《だいじふはちうわじままる》
|船《ふね》の|今《いま》|神港波止場《しんかうはとば》を|出《い》でむとし
|惜《を》しみ|見送《みおく》る|八人乙女等《やたりをとめら》
|艶人《あでびと》の|波止場《はとば》に|立《た》ちて|振《ふ》る|比礼《ひれ》に
|涙《なみだ》にしめる|風《かぜ》のさやれる
|甲板《かんばん》に|立《た》ちて|波止場《はとば》の|見《み》えぬまで
|首巻《くびまき》|振《ふ》りて|別《わか》れを|惜《を》しむ
|波《なみ》の|音《おと》|船《ふね》の|響《ひび》きもおだやかに
|辷《すべ》り|行《ゆ》くなり|瀬戸《せと》の|内海《うちうみ》
キラキラと|夕日《ゆふひ》に|映《は》ゆる|波《なみ》の|上《へ》を
|心《こころ》|静《しづ》かに|進《すす》む|楽《たの》しさ
|皇神《すめかみ》の|深《ふか》きめぐみは|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|波《なみ》|照《て》る|今日《けふ》の|麗《うるは》しきかな
|紫《むらさき》の|波《なみ》の|中《なか》より|抜《ぬ》き|出《い》でて
|永久《とは》に|静《しづ》けき|淡路島山《あはぢしまやま》
|夕日影《ゆふひかげ》|波《なみ》を|照《て》らして|明石潟《あかしがた》
|馳《は》せ|行《ゆ》く|汽車《きしや》の|影《かげ》の|床《ゆか》しさ
|東路《あづまぢ》の|地《つち》のさわぎを|余所《よそ》にして
|静《しづ》かに|浮《うか》ぶあはぢ|島山《しまやま》
|照《て》る|波《なみ》の|宇和島丸《うわじままる》に|身《み》をあづけ
|心《こころ》うきうき|進《すす》む|今日《けふ》かな
|窓《まど》|開《あ》けて|船《ふね》の|外面《そとも》を|眺《なが》むれば
|胡蝶《こてふ》のごとき|白帆《しらほ》|漂《ただよ》ふ
|淡路島《あはぢしま》|呼《よ》べば|答《こた》ふるばかりなる
|磯辺《いそべ》をかすりて|船《ふね》の|行《ゆ》くなり
|天地《あめつち》も|波《なみ》も|静《しづ》けき|船《ふね》の|上《へ》に
いと|騒《さわ》がしく|八重《やへ》の|子鳥《ことり》|啼《な》く
|淑《よ》き|人《ひと》の|送《おく》り|来《き》たりし|神戸港《かうべかう》は
|遠《とほ》くかすみぬ|心《こころ》|淋《さび》しも
|照《て》り|渡《わた》る|波《なみ》のあなたに|淋《さび》しくも
ひとり|浮《うか》べる|一《ひと》つ|松島《まつしま》
|牛嶋《うしじま》の|影《かげ》|目《め》に|入《い》りて|吾《わ》が|胸《むね》は
いとどかなしく|成《な》りまさり|行《ゆ》く
ためしなき|静《しづ》けき|海《うみ》に|浮《うか》びつつ
|過《す》ぎし|昔《むかし》を|思《おも》ひうかぶる
|九年《ここのとせ》|前《まへ》に|開《ひら》きし|神島《かみじま》は
|昔《むかし》ながらに|吾《わ》が|身《み》|老《お》いぬる
|瀬戸《せと》の|海《うみ》|隈《くま》なく|晴《は》れて|鴎《かもめ》|飛《と》ぶ
|波《なみ》はてるてる|船《ふね》は|良《よ》く|行《ゆ》く
|甲板《かんばん》に|立出《たちで》て|海原《うなばら》|見渡《みわた》せば
|魚鱗《ぎよりん》の|波《なみ》に|夕日《ゆふひ》|輝《かがや》く
|常《つね》になき|波路《なみぢ》と|聞《き》けど|甲板《かんばん》は
やはり|冷《つめ》たき|風《かぜ》の|吹《ふ》き|来《く》る
|八重《やへ》の|波《なみ》おしわけ|進《すすむ》この|船《ふね》は
|如何《いか》なる|人《ひと》の|造《つく》りしなるらむ
|七人《しちにん》の|男子《をのこ》|女子《をみな》の|一行《いつかう》が
|倶《とも》にのり|行《ゆ》く|神《かみ》の|方舟《はこぶね》
|波《なみ》の|音《おと》|船《ふね》のどよめき|余所《よそ》にして
|鳴《な》り|渡《わた》るかな|蓄音器《ちくおんき》の|声《こゑ》
|十二夜《じふにや》の|月《つき》の|光《ひかり》を|浴《あ》びながら
|浮世《うきよ》の|瀬戸《せと》の|海《うみ》|渡《わた》るかな
|冬《ふゆ》の|日《ひ》の|寒《さむ》さも|知《し》らぬ|船室《せんしつ》に
|一夜《いちや》を|送《おく》りぬ|瀬戸《せと》の|海原《うなばら》
|荒《あ》るるかと|予《かね》て|思《おも》ひし|波《なみ》の|上《うへ》
いとも|静《しづ》かに|越《こ》ゆる|内海《うちうみ》
|蓄音器《ちくおんき》|鳴《な》りを|鎮《しづ》めてあとしばし
|波《なみ》の|話《はなし》を|打《う》ち|解《と》け|語《かた》る
|十二夜《じふにや》の|月《つき》は|波間《なみま》に|砕《くだ》けつつ
|火竜《くわりう》となりて|海原《うなばら》に|躍《をど》る
|月《つき》|寒《さむ》く|御空《みそら》にふるひをののきて
|星《ほし》のまたたき|清《きよ》き|海原《うなばら》
|十二月《じふにぐわつ》|十二《じふに》の|月影《つきかげ》|浴《あ》びながら
|水《みづ》の|御魂《みたま》ぞ|初渡航《はつとかう》する
|十二月《じふにぐわつ》|十二《じふに》の|空《そら》に|瀬戸《せと》の|海《うみ》
|乗《の》り|行《ゆ》く|火伏《ひぶ》せ|水《みづ》の|大神《おほかみ》
たまさかの|船《ふね》の|旅路《たびぢ》に|空《そら》|晴《は》れて
|立《た》ちもさわがぬ|瀬戸海《せとうみ》の|浪《なみ》
|空《そら》はれて|銀波《ぎんぱ》ただよふ|瀬戸《せと》の|海《うみ》
のり|行《ゆ》くわれぞ|楽《たの》しかりけり
|煙突《えんとつ》の|黒煙《こくえん》|空《そら》に|蜒々《えんえん》と
|風《かぜ》に|伸《の》び|行《ゆ》く|竜《りう》の|如《ごと》くに
|吾《わ》が|船《ふね》の|黒煙《こくえん》|空《そら》をかすめつつ
|月《つき》のおもてを|包《つつ》みつつ|行《ゆ》く
|一《ひと》つ|星《ぼし》|波《なみ》の|上《へ》|近《ちか》くまたたきて
|月《つき》をも|待《ま》たで|沈《しづ》まむとぞする
|西《にし》へ|行《ゆ》く|月《つき》|逐《お》はむとや|吾《わ》が|船《ふね》は
|波《なみ》を|蹴立《けた》ててひた|走《はし》り|行《ゆ》く
われ|一人《ひとり》|只《ただ》われ|一人《ひとり》|寒《さむ》き|夜《よ》に
|宿《やど》を|立出《たちい》で|月《つき》に|歎《なげ》きぬ
|月《つき》|一《ひと》つ|御空《みそら》にふるひ|地《ち》に|一人《ひとり》
|友《とも》なくふるふ|吾《われ》ぞわびしき
|空《そら》の|月《つき》|何《なに》をふるふか|瑞《みづ》の|月《つき》
|今《いま》|海上《かいじやう》にあり|近《ちか》く|語《かた》りね
|月《つき》|清《きよ》く|大空《おほぞら》|寒《さむ》く|星《ほし》|晴《は》れし
|波路《なみぢ》を|辷《すべ》る|船《ふね》の|長閑《のどか》さ
|夜《よ》もすがら|月《つき》を|友《とも》とし|甲板《かんばん》に
|立《た》ちつつ|深《ふか》き|思《おも》ひに|沈《しづ》む
|灯台《とうだい》の|光《ひかり》|目当《めあ》てに|進《すす》み|行《ゆ》く
|宇和島丸《うわじままる》の|勇《いさ》ましきかな
|島《しま》の|影《かげ》|波《なみ》のまにまに|浮《う》き|出《い》でて
|静《しづ》けき|夜《よる》を|淋《さび》しく|送《おく》る
|二《ふた》つ|三《み》つ|島影《しまかげ》|見《み》えて|海《うみ》の|音《おと》
|一入《ひとしほ》|高《たか》く|鳴《な》り|響《ひび》きつつ
|波《なみ》の|音《おと》いと|高々《たかだか》と|聞《き》こえけり
|磯辺《いそべ》に|船《ふね》の|近附《ちかづ》きしならむ
あどけなき|小娘《こむすめ》|共《とも》に|船《ふね》の|旅《たび》
いとさわがしく|海原《うなばら》すすむ
|淑《よ》き|人《ひと》と|手《て》をとり|寒《さむ》き|甲板《かんばん》に
|立《た》ちて|御空《みそら》の|月《つき》を|偲《しの》ばゆ
|月《つき》|照《て》れる|甲板《でつき》の|上《うへ》に|汝《な》と|二人《ふたり》
|静《しづ》かに|立《た》てば|鴎《かもめ》|啼《な》くなり
|若《わか》やぎて|昔《むかし》の|吾《われ》に|還《かへ》りつつ
|月下《げつか》の|甲板《でつき》に|二人《ふたり》たたずむ
よき|人《ひと》と|二人《ふたり》|甲板《でつき》にたたずめば
|沖《おき》のかもめが|千代千代《ちよちよ》と|啼《な》く
|月《つき》|一《ひと》つ|吾《わ》が|船《ふね》|一《ひと》つ|甲板《かんばん》に
|二人《ふたり》たたずみ|風《かぜ》を|浴《あ》びたり
|吾《わ》が|友《とも》のいねたるすきに|起出《おきい》でて
|意中《いちう》の|月《つき》と|甲板《かんばん》に|立《た》つ
|小夜《さよふ》|更《ふ》けてかもめの|声《こゑ》も|静《しづ》まりぬ
されどさやぎぬ|意中《いちう》の|月《つき》に
アアぬくいぬくいと|窓《まど》にかけよつて
|硝子《がらす》なめつつビスケット|食《く》ふ
|一等室《いつとうしつ》|吾《わ》が|一行《いつかう》に|交《まぢ》はりて
|狸老爺《たぬきおやぢ》がただ|一人《ひとり》|居《ゐ》る
このやうな|低《ひく》い|所《ところ》に|電燈《でんとう》が
あるかと|見《み》れば|禿《はげ》チヤンの|天窓《あたま》
|汽笛《きてき》の|音《ね》いと|高松《たかまつ》につきにけり
|時《とき》しも|既《すで》に|午後《ごご》の|九時前《くじまへ》
|甲板《かんばん》に|人《ひと》の|足音《あしおと》しげくなりて
|仲仕《なかし》の|声《こゑ》も|高松港内《たかまつかうない》
クナビーノ|相手《あひて》となして|相撲《すまう》|取《と》れば
あまり|力《ちから》の|入《い》れどころ|無《な》し
|瀬戸《せと》の|海《うみ》|黄金《こがね》の|波《なみ》をかきわけて
|宝《たから》の|舟《ふね》をやるぞ|楽《たの》しき
|小舟《こぶね》|二隻《にせき》またたく|間《うち》に|覆《くつがへ》し
|一伏《いつぷく》したる|瀬戸《せと》の|荒浪《あらなみ》
|吾《わ》がのれる|船《ふね》は|多度津《たどつ》の|浜《はま》|近《ちか》く
なりて|一入《ひとしほ》|波音《なみおと》たかし
|昨日《きのふ》より|晴《は》れ|渡《わた》りたる|港《みなと》さへ
|矢張《やはり》|世人《よびと》は|今治《いまはる》と|言《い》ふ
|伊予《いよ》|高浜《たかはま》|上陸《じやうりく》
|吾《わ》がのれる|宇和島丸《うわじままる》は|午前《ごぜん》|七時半《しちじはん》
|無事《ぶじ》|高浜《たかはま》に|月汐《つきしほ》の|空《そら》
|信徒《まめひと》の|誠心《まごころ》こめて|迎《むか》へたる
|波止場《はとば》の|景色《けしき》いとど|賑《にぎ》はし
|松山城《まつやまじやう》
|松山城《まつやまじやう》|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》にそそり|立《た》ち
|吾《われ》|待《ま》ち|顔《がほ》に|見《み》ゆるおもほゆ
|君《きみ》が|代《よ》のいづの|栄《さか》えを|松山《まつやま》の
|空《そら》にそびゆる|天守閣《てんしゆかく》あはれ
|道後公園《だうごこうゑん》
めづらしき|岩石《がんせき》|樹木《じゆもく》おき|並《なら》べ
|清《きよ》く|築《きづ》ける|貴《うづ》の|公園《こうゑん》
|松山《まつやま》の|金亀《きんき》の|城《しろ》を|背景《はいけい》に
|広《ひろ》く|造《つく》れる|道後公園《だうごこうゑん》
|山水《さんすい》の|粋《すゐ》をあつめし|道後《みちしり》の
|珍《うづ》の|公園《こうゑん》|見《み》るもさやけき
|道後温泉《だうごをんせん》
|久方《ひさかた》の|天津日《あまつひ》の|御子《みこ》の|天降《あも》りまして
|憩《いこ》はせ|玉《たま》ひし|貴《うづ》の|御室《みや》かな
|艶人《あでびと》も|浮世《うきよ》の|衣《きぬ》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて
|赤裸々《せきらら》となり|霊肉《れいにく》|洗《あら》ふ
|神霊《しんれい》の|湯《ゆ》にひたりつつ|信徒《まめひと》と
|楽《たの》しく|遊《あそ》ぶ|道後公園《だうごこうゑん》
|浮《う》き|沈《しづ》み|七度《ななたび》|八度《やたび》のり|越《こ》えて
|裸《はだか》の|大丈夫《ますらを》|神霊《しんれい》を|洗《あら》ふ
|神《かみ》の|湯《ゆ》や|霊湯《たまゆ》の|札《ふだ》を|売《う》りひさぐ
これの|館《やかた》の|麗《うる》はしきかな
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|最《い》とふかき
|道《みち》の|後《しり》なる|神《かみ》の|湯《ゆ》に|浴《い》る
たちまちに|四人《よにん》の|記者《きしや》に|取《とり》まかれ
おもはず|費《つひ》やす|貴《うづ》のタイムを
|数十人《すうじふにん》|珍《うづ》のまめ|人《ひと》あつまりて
いと|新《あたら》しく|語《かた》り|合《あ》ふかな
|洋服《やうふく》や|和装《わさう》の|記者《きしや》が|訪《おとづ》れて
|和洋折衷《わやうせつちう》の|談話《だんわ》|交《かは》しつ
|岡《をか》の|上《へ》にいらかも|高《たか》くかがやきて
|道後《だうご》|見下《みお》ろす|阿房宮《あはうきう》かな
|又《また》しても|二人《ふたり》の|記者《きしや》が|訪《おとづ》れて
|吾《わ》がスタイルを|怪《あや》しげに|見《み》る
|野《の》も|山《やま》も|春《はる》めき|初《そ》めて|湯煙《ゆけむり》の
いと|緩《ゆる》やかに|立《た》ち|昇《のぼ》りつつ
|冬《ふゆ》ながら|春《はる》の|景色《けしき》の|漂《ただよ》へる
|道後《だうご》の|花《はな》は|城山公園《しろやまこうゑん》
|一生《いつしやう》の|願《ねが》ひ|叶《かな》うて|和田《わだ》の|原《はら》
|乗《の》りこえ|来《き》にし|道後温泉《だうごをんせん》
|室外《しつぐわい》は|春《はる》の|光《ひか》りの|見《み》えながら
|窓《まど》を|開《ひら》けば|冷風《ひやかぜ》|来《き》たる
|吾《わ》が|姿《すがた》カメラに|入《い》りて|夕刊《ゆふかん》の
|紙面《しめん》に|早《はや》くも|立《た》ちにけるかな
|写真班《しやしんはん》|道後《だうご》ホテルに|訪《たづ》ね|来《き》て
カメラに|吾《われ》を|収《をさ》め|帰《かへ》りぬ
|感想《かんさう》は|如何《いかん》|予言《よげん》はいかにぞと
|五月蠅《うるさ》く|打出《うちだ》す|記者《きしや》の|言霊《ことたま》
|宇宙間《うちうかん》|恐《おそ》るるものは|無《な》けれども
|神《かみ》の|誠《まこと》の|道《みち》に|恐《おそ》るる
|排他的《はいたてき》|既成宗教《きせいしうけう》はあとにして
|開《ひら》き|行《ゆ》かなむ|海《うみ》の|外《そと》まで
|自然愛《しぜんあい》|自己愛《じこあい》|而已《のみ》の|現代《げんだい》に
|何《なに》を|語《かた》るも|聞《き》く|人《ひと》は|無《な》し
|敗残《はいざん》の|大本《おほもと》なりと|見縊《みくび》りて
|訪《と》ひ|来《く》る|記者《きしや》のけげん|顔《がほ》かな
|日《ひ》に|月《つき》に|権威《けんゐ》の|重《かさ》なる|大本《おほもと》を
|誤解《ごかい》してゐる|記者《きしや》のをかしさ
○|凝《ぎよう》|神《しん》|著《ちよ》|書《しよ》|澄《ちよう》|懐《くわい》|観《くわん》|道《だう》。
○|晴《せい》|耕《こう》|雨《う》|読《どく》。
|凝神著書《ぎようしんちよしよ》|澄懐観道《ちようくわいくわんだう》の|床《とこ》の|間《ま》の
|掛軸《かけぢく》|吾《われ》にふさはしくおもふ
|大小《だいせう》の|島々《しまじま》あまた|漂《ただ》よへる
|瀬戸《せと》のながめは|天津神国《あまつかみくに》
|常磐木《ときはぎ》の|茂《しげ》り|合《あ》ひたる|浮島《うきじま》に
|胡蝶《こてふ》のごとく|信天翁《あはうどり》|飛《と》ぶ
|真帆《まほ》|片帆《かたほ》|往《ゆ》き|交《か》ふ|状《さま》は|天国《てんごく》の
|珍《うづ》の|景色《けしき》の|偲《しの》ばるるかな
|年《とし》|十二《じふに》|月《つき》また|十二《じふに》|日《ひ》も|十二《じふに》
|合《あ》はせて|三六《みろく》の|今日《けふ》の|船出《ふない》で
大正十二年旧暦十二月十三日 於道後ホテル三階
第一篇 |清風涼雨《せいふうりやうう》
第一章 |大評定《だいひやうぢやう》〔一七四六〕
|太平《たいへい》|大西《たいせい》|両洋《りやうやう》にまたがり、|常世《とこよ》の|波《なみ》をせきとめて、|割《わ》つた|屠牛《とぎう》の|片脚《かたあし》のやうにブラ|下《さが》つてゐる|南米大陸《なんべいたいりく》は、|春夏《しゆんか》はあつても|秋冬《しうとう》の|気候《きこう》を|知《し》らぬ|理想的《りさうてき》の|天国《てんごく》である。|太洋《たいやう》より|絶《た》えず|吹《ふ》き|来《き》たる|清風《せいふう》は、|塩分《えんぶん》を|含《ふく》んで|土地《とち》をますます|豊饒《ほうぜう》ならしめ、|人頭大《じんとうだい》の|果実《このみ》は|随所《ずゐしよ》に|豊熟《ほうじゆく》し、|吾人《ごじん》が|坐《ざ》して|尚《なほ》あまりある|如《ごと》き|数多《あまた》の|花《はな》は|四方《しはう》に|咲《さ》きみだれ、|数万種《すうまんしゆ》の|薬草《やくさう》は|至《いた》るところの|山野《さんや》に|芳香《はうかう》を|放《はな》つて|繁茂《はんも》し、アマゾン|河《がは》におち|込《こ》む|数千《すうせん》の|支流《しりう》には|数十万種《すうじふまんしゆ》の|魚族《ぎよぞく》が|棲息《せいそく》し、|山《やま》には|金《きん》|銀《ぎん》|銅《どう》|鉄《てつ》|石炭《せきたん》|等《とう》の|鉱物《くわうぶつ》を|豊富《ほうふ》に|包蔵《はうざう》し、|特《とく》に|石炭《せきたん》の|産額《さんがく》は|全世界《ぜんせかい》に|其《その》|比《ひ》を|見《み》ざるところである。しかしながら|現今《げんこん》は|未《いま》だ|充分《じうぶん》に|採掘《さいくつ》の|方法《はうはふ》が|備《そな》はつてゐないので、あたら|宝庫《はうこ》を|地《ち》に|委《ゐ》してゐる|次第《しだい》である。
アンデス|山脈《さんみやく》は|高《たか》く|雲表《うんぺう》に|聳《そび》え、|海抜《かいばつ》|一万四五千尺《いちまんしごせんしやく》より|三万尺《さんまんしやく》の|高地《かうち》である。そして|山《やま》の|頂《いただき》には|狭《せま》くて|十里《じふり》、|広《ひろ》きは|数十里《すうじふり》に|亘《わた》る|高原《かうげん》が|展開《てんかい》してゐる。|樹木《じゆもく》の|数《かず》も|我《わ》が|国《くに》より|見《み》ればなかなか|多《おほ》い。またブラジル|国《こく》を|流《なが》るるアマゾン|河《がは》の|川幅《かははば》は、|日本全国《にほんぜんこく》を|縦《たて》に|河中《かちう》に|放《ほう》り|込《こ》んでも、まだ|余《あま》るやうな|世界一《せかいいち》の|大河《たいが》である。
|特《とく》にペルウ、ブラジル、アルゼンチン|等《とう》の|原野《げんや》には、|日本《にほん》の|柿《かき》の|木《き》のやうな|綿《わた》の|木《き》が|所《ところ》どころに|天然《てんねん》に|繁茂《はんも》し、|青《あを》、|黄《き》、|赤《あか》、|紫《むらさき》、|白《しろ》|等《とう》|自然《しぜん》の|色《いろ》を|保《たも》つた|綿《わた》が|年中《ねんぢう》|梢《こずゑ》にブラ|下《さが》つてゐる。また|竹《たけ》のごときも|日本内地《にほんないち》のすすき|株《かぶ》のやうにかたまつて|生《は》え、|太《ふと》さは|横《よこ》に|切《き》つて、|棺桶《くわんをけ》や|手桶《てをけ》が|造《つく》れるくらゐである。|蕗《ふき》の|如《ごと》きは|一枚《いちまい》の|葉《は》の|下《した》に|十人《じふにん》くらゐ|集《あつ》まつて|雨《あめ》を|凌《しの》ぐことが|出来《でき》るやうなのがある。|牛《うし》|馬《うま》|羊《ひつじ》|豚《ぶた》などは|際限《さいげん》もなき|原野《げんや》に|飼《か》ひ|放《はな》しにされてゐるが、それでも|持主《もちぬし》はめいめい|定《き》まつてゐる。|味《あぢ》の|良《よ》き|苺《いちご》やバナナ、|無花果《いちぢく》などは|少《すこ》し|低地《ていち》になると|厭《いや》になるほど|沢山《たくさん》に|出来《でき》てゐる。そして|猿《さる》に|鹿《しか》、|野猪《のじし》などは|白昼公然《はくちうこうぜん》と|人家《じんか》|近《ちか》くよつて|来《き》て|平気《へいき》で|遊《あそ》んでゐる。|鷹《たか》のやうな|蝶《てふ》や|蝙蝠《かうもり》、また|蜂《はち》のやうな|蟆子《ぶと》、|雀《すずめ》のやうな|蜂《はち》、|拳《こぶし》のやうな|蠅《はへ》が|風《かぜ》のまにまに|群《ぐん》をなしてやつて|来《く》ることもある。すべてが|大陸的《たいりくてき》で|日本人《にほんじん》の|目《め》から|見《み》れば|実《じつ》に|肝《きも》を|冷《ひや》すやうなこと|計《ばか》りである。しかしながら|瑞月《ずゐげつ》は|伊予《いよ》の|国《くに》|道後温泉《だうごをんせん》のホテルの|三階《さんがい》に|横臥《わうぐわ》したまま|目《め》に|映《えい》じたことを|述《の》べたに|過《す》ぎないから、あるひは|間違《まちが》つてゐるかも|知《し》れない。|南米《なんべい》の|事情《じじやう》に|詳《くは》しき|人《ひと》がこの|物語《ものがたり》を|読《よ》んだならば、|始《はじ》めてその|虚実《きよじつ》が|分《わか》るであらう。ただ|霊眼《れいがん》に|映《えい》じたままを|述《の》べたに|過《す》ぎない。
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|国依別命《くによりわけのみこと》が、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|言依別命《ことよりわけのみこと》の|命《めい》に|依《よ》り、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》が|八人乙女《やたりをとめ》の|末女《まつぢよ》|末子姫《すゑこひめ》に|娶《めあ》ひて、アルゼンチンの|珍《うづ》の|都《みやこ》の|国司《こくし》となりしより、|天下泰平《てんかたいへい》|国土成就《こくどじやうじゆ》して|四民和楽《しみんわらく》し、|珍《うづ》の|天国《てんごく》を|永久《えいきう》に|築《きづ》き|上《あ》げ、|国民《こくみん》は|国司《こくし》の|仁徳《じんとく》を|慕《した》うて、|天来《てんらい》の|主師親《しゆししん》と|仰《あふ》ぎ|仕《つか》へまつることとなつてゐた。|然《しか》るに|常世《とこよ》の|国《くに》よりウラル|教《けう》の|思想《しさう》いつとはなく、|交通《かうつう》の|発達《はつたつ》と|共《とも》に|輸入《ゆにふ》し|来《き》たり、|日《ひ》を|追《お》ひ|月《つき》を|重《かさ》ねて、やうやく|国内《こくない》には|妖蔽《えうへい》の|兆《てう》を|呈《てい》して|来《き》た。|到《いた》るところに|清家無用論《せいかむようろん》や、|乗馬階級撤廃論《じやうめかいきふてつぱいろん》が|勃発《ぼつぱつ》し、|互《たが》ひに|党《たう》を|作《つく》り|派《は》を|争《あらそ》ひ、さしもに|平和《へいわ》なりしアルゼンチンは、やうやく|乱麻《らんま》のごとき|世態《せたい》を|醸成《じやうせい》するに|至《いた》つたのである。
|国依別《くによりわけ》はやうやく|年老《としお》い、|城内《じやうない》の|歩行《ほかう》にも|杖《つゑ》を|用《もち》ゐるに|至《いた》り|頭《かしら》に|霜《しも》を|戴《いただ》き、|前頭部《ぜんとうぶ》はほとんど|電燈《でんとう》のごとくに|光《ひか》り|出《だ》した。|末子姫《すゑこひめ》もやうやく|年老《としお》い、|中婆《ちうばば》さまとなつてしまつた。|国依別《くによりわけ》|末子姫《すゑこひめ》|二人《ふたり》の|中《なか》に|国照別《くにてるわけ》、|春乃姫《はるのひめ》といふ|一男一女《いちなんいちぢよ》があつた。|国照別《くにてるわけ》は|父《ちち》|国依別《くによりわけ》の|洒脱《しやだつ》にして|豪放《がうはう》な|気分《きぶん》を|受《う》け、|幼少《えうせう》より|仁侠《じんけふ》を|以《もつ》て|処世《しよせい》の|方針《はうしん》としてゐた。そして|清家生活《せいかせいくわつ》を|非常《ひじやう》に|忌《い》み|嫌《きら》ひ、|隙間《すきま》があれば、|城内《じやうない》をぬけ|出《だ》し|簡易《かんい》なる|平民生活《へいみんせいくわつ》をなさむと|考《かんが》へてゐたのである。
|国司《こくし》を|補佐《ほさ》して|忠実《ちうじつ》につとめてゐた|松若彦《まつわかひこ》、|捨子姫《すてこひめ》もやうやく|年老《としお》い、|松依別《まつよりわけ》、|常盤姫《ときはひめ》の|二子《にし》をあげてゐた。そして|松若彦《まつわかひこ》の|部下《ぶか》に|伊佐彦《いさひこ》、|岩治別《いははるわけ》の|左右《さいう》の|重職《ぢうしよく》があつて、|松若彦《まつわかひこ》の|政務《せいむ》を|補佐《ほさ》しつつあつた。
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》が  |皇大神《すめおほかみ》の|経綸《けいりん》を
|遂行《すいかう》せむと|斎苑館《いそやかた》  |後《あと》に|眺《なが》めてはるばると
|天《あま》の|岩樟船《いはくすふね》に|乗《の》り  アルゼンチンの|珍《うづ》の|国《くに》
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|天降《あも》りまし  |八人乙女《やたりをとめ》の|末子姫《すゑこひめ》
|国《くに》の|司《つかさ》と|定《さだ》めつつ  |国依別《くによりわけ》の|神司《かむづかさ》
|夫《つま》と|定《さだ》めて|合衾《がふきん》の  |式《しき》を|挙《あ》げさせ|勇《いさ》み|立《た》ち
|再《ふたた》びフサの|産土《うぶすな》の  |厳《いづ》の|館《やかた》に|帰《かへ》りしゆ
|三十三年《みそまりみとせ》の|星霜《せいさう》を  |経《へ》にける|今日《けふ》の|都路《みやこぢ》は
|薨《いらか》も|高《たか》く|立並《たちなら》び  |数十倍《すうじふばい》の|人《ひと》の|家《いへ》
|建《た》てひろがりて|南米《なんぺい》に  |並《なら》ぶものなき|大都会《だいとくわい》
|交通機関《かうつうきくわん》は|完成《くわんせい》し  |数多《あまた》の|役所《やくしよ》は|立《た》ち|並《なら》び
|大商店《だいしやうてん》は|櫛比《しつび》して  |昔《むかし》のおもかげ|何処《どこ》へやら
うつて|変《かは》りし|繁栄《はんえい》に  |驚《おどろ》かざるはなかりけり
|国依別《くによりわけ》と|末子姫《すゑこひめ》  |二人《ふたり》の|中《なか》に|生《うま》れたる
|国照別《くにてるわけ》や|春乃姫《はるのひめ》  |容色《ようしよく》|衆《しう》にぬきんでて
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|月花《つきはな》と  |南米諸国《なんべいしよこく》に|鳴《な》りわたり
|若《わか》き|男女《だんぢよ》の|情緒《じやうちよ》をば  そそりて|血《ち》をばわかせたる
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》  |褥《しとね》の|上《うへ》に|横《よこ》たはり
|言霊車《ことたまぐるま》ころぶまに  |面白《おもしろ》をかしく|述《の》べて|行《ゆ》く
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ。
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|高砂城内《たかさごじやうない》|評定所《ひやうぢやうしよ》の|別室《べつしつ》には、|大老《たいらう》|松若彦《まつわかひこ》を|始《はじ》め、|伊佐彦《いさひこ》、|岩治別《いははるわけ》の|老中株《らうぢうかぶ》が|首《くび》を|鳩《あつ》めて|秘密会議《ひみつくわいぎ》を|開《ひら》いてゐた。|空《そら》はドンヨリとして|何《なん》となく|蒸暑《むしあつ》く、|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|不快《ふくわい》な|零囲気《ふんゐき》が|室内《しつない》を|包《つつ》んでゐる。|松若彦《まつわかひこ》は|二人《ふたり》の|老中株《らうぢうかぶ》に|打向《うちむ》かひ、|水《みづ》【ばな】をすすりながら、|骨《ほね》と|皮《かは》との|赤黒《あかぐろ》い|腕《うで》を|前《まへ》へニユツと|出《だ》し、|招《まね》き|猫《ねこ》よろしくの|体《てい》で|歯《は》のぬけた|口《くち》から、|慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひ|先《ま》づ|火葢《ひぶた》を|切《き》つた。
『|御両所殿《ごりやうしよどの》、|今日《こんにち》は|御多忙《ごたばう》のところ|早朝《さうてう》より|能《よ》く|御来城《ごらいじやう》|下《くだ》さつた。|今日《けふ》お|招《まね》き|申《まを》したのは、|折《を》り|入《い》つて|御両所《ごりやうしよ》に|相談《さうだん》したきことがあつて、|自分《じぶん》の|決心《けつしん》を|忌憚《きたん》なく|吐露《とろ》し、|御両所《ごりやうしよ》の|御援助《ごゑんじよ》を|得《え》たいと|思《おも》ふのだ』
と|言《い》ひながら、コーヒーを|一口《ひとくち》グツと|飲《の》んで、|顎鬚《あごひげ》にしたたる|露《つゆ》を、|分《ぶ》の|厚《あつ》いタオルでクリクリと|二三遍《にさんべん》|拭《ぬぐ》うた。
|伊佐《いさ》『|御老体《ごらうたい》の|身《み》をもつて、|何時《いつ》も|国家《こくか》の|重職《ぢうしよく》に|身命《しんめい》を|捧《ささ》げ|下《くだ》さる|段《だん》、|誠《まこと》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。そして|今日《こんにち》|吾々《われわれ》をお|招《まね》きになつた|御用件《ごようけん》は|如何《いか》なる|事《こと》か|存《ぞん》じませぬが、|吾々《われわれ》の|力《ちから》の|及《およ》ぶ|事《こと》ならば、|国司《こくし》のため、|珍《うづ》の|国《くに》のため、あらむ|限《かぎ》りの|努力《どりよく》を|払《はら》ふでございませう』
|松若《まつわか》『イヤ、それを|聞《き》いて|松若彦《まつわかひこ》|安心《あんしん》をいたした。|岩治別《いははるわけ》|殿《どの》、|貴殿《きでん》もまた|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》と|御同感《ごどうかん》でござらうなア』
|岩治《いははる》『いかにも、|左様《さやう》、|吾々《われわれ》は|元《もと》より|身命《しんめい》を|君国《くんこく》のために|捧《ささ》ぐる|者《もの》、|閣下《かくか》のお|言葉《ことば》に|対《たい》し|一言半句《いちげんはんく》たりとも、|違背《ゐはい》いたす|道理《だうり》はございませぬ。しかしながら|今日《こんにち》の|世《よ》は|大《おほ》いに|改《あらた》まつてをります。|革新《かくしん》の|気分《きぶん》が|漲《みなぎ》つて|参《まゐ》りました。それゆゑ|慨世憂国《がいせいいうこく》の|吾々《われわれ》、|閣下《かくか》のお|言葉《ことば》に|依《よ》つては、|或《あるひ》は|国家《こくか》の|将来《しやうらい》を|慮《おもんぱか》るについて|背《そむ》かねばならないかも|分《わか》りませぬ。そこは|予《あらかじ》め|御承知《ごしようち》を|願《ねが》つておきます』
|松若《まつわか》『なるほど、|貴殿《きでん》の|言《い》はるる|通《とほ》り、|今日《こんにち》の|社会《しやくわい》は|昔日《せきじつ》の|社会《しやくわい》ではない。|日進月歩《につしんげつぽ》、ほとんど|止《とど》まるところを|知《し》らない|世《よ》の|中《なか》の|情勢《じやうせい》でござる。ついては|松若彦《まつわかひこ》が|御両所《ごりやうしよ》に|御相談《ごさうだん》と|申《まを》すのは、|御承知《ごしようち》の|通《とほ》り|老齢《らうれい》|職《しよく》に|堪《た》へず、|大老《たいらう》の|職《しよく》を|辞《じ》し、|新進気鋭《しんしんきえい》の|御両所《ごりやうしよ》に|吾《わ》が|職《しよく》を|譲《ゆづ》り、|退隠《たいいん》の|身《み》となり、|光風霽月《くわうふうせいげつ》を|楽《たの》しみ、|閑地《かんち》につきたいと|欲《ほつ》するからでござる。|何《なん》と|御両所《ごりやうしよ》において|吾《わ》が|希望《きばう》を|容《い》れ、|後任者《こうにんしや》たる|事《こと》を|承諾《しようだく》しては|下《くだ》さるまいか』
|伊佐《いさ》『これは|怪《け》しからぬ|閣下《かくか》の|仰《おほ》せかな。|閣下《かくか》は|珍一国《うづいつこく》の|柱石《ちうせき》ではござらぬか。|上下《じやうげ》の|一致《いつち》を|欠《か》き、|清家《せいか》と|衆生《しゆじやう》との|争闘《さうとう》|烈《はげ》しき|今日《こんにち》、|国家《こくか》の|重鎮《ぢうちん》たる|閣下《かくか》が|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|万々一《まんまんいち》|退隠《たいいん》さるるやうの|事《こと》あつては、それこそ|乱《みだ》れに|紊《みだ》れし|国家《こくか》はいやが|上《うへ》にも|争乱《さうらん》を|勃発《ぼつぱつ》し、|社稷《しやしよく》を|危《あや》ふうするの|端《たん》を|開《ひら》くのは|最《もつと》も|明《あき》らかなる|道理《だうり》でござる。|何《なに》とぞこの|儀《ぎ》ばかりは|思《おも》ひ|止《とど》まつていただきたう|存《ぞん》じます』
|松若《まつわか》『|貴殿《きでん》の|勧告《くわんこく》は|一応《いちおう》もつともながら、|老齢《らうれい》|職《しよく》に|堪《た》へざる|身《み》をもつて|国家《こくか》|重要《ぢうえう》の|職《しよく》にをり、|後進者《こうしんしや》の|進路《しんろ》を|壅塞《ようそく》し、|国内《こくない》の|零囲気《ふんゐき》をしてますます|腐乱《ふらん》せしむるは、|拙者《せつしや》において|忍《しの》びざるところ、|何《なに》とぞなにとぞ|吾《わ》が|希望《きばう》を|容《い》れ、|御両所《ごりやうしよ》の|中《うち》において|大老《たいらう》の|職《しよく》を|預《あづ》かつてもらひたい』
|岩治《いははる》『|成《な》るほど、|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|齢《よはひ》|幾何《いくばく》もなき|老人《らうじん》が|国政《こくせい》を|執《と》るは|国家《こくか》の|進運《しんうん》を|妨《さまた》ぐること|最《もつと》も|甚《はなはだ》しく、かつ|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》に|違反《ゐはん》するものならば、お|望《のぞ》みの|通《とほ》り|御退隠《ごたいいん》なさいませ。|拙者《せつしや》は|実《じつ》のところは|数年前《すうねんぜん》より|只今《ただいま》のお|言葉《ことば》を|期待《きたい》してをりました。|実《じつ》に|賢明《けんめい》なる|閣下《かくか》の|御心事《ごしんじ》、イヤはや|感激《かんげき》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ』
|伊佐彦《いさひこ》は|憤然《ふんぜん》として|言葉《ことば》をあららげ、
『コレハコレハ|御両所《ごりやうしよ》とも、|以《もつ》ての|外《ほか》のお|言葉《ことば》、|左様《さやう》な|意志薄弱《いしはくじやく》なることでは|民《たみ》を|治《をさ》むる|事《こと》は|出来《でき》ますまい。あくまでも|国家《こくか》のために|犠牲的《ぎせいてき》|精神《せいしん》を|発揮《はつき》|遊《あそ》ばすのが|大老《たいらう》の|御聖職《ごせいしよく》ではござらぬか。|岩治別《いははるわけ》|殿《どの》は|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》に|対《たい》し、|御諌言《ごかんげん》|申《まを》し|上《あ》ぐることを|忘《わす》れ、|自《みづか》らその|後釜《あとがま》に|坐《すわ》り、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも、|国司様《こくしさま》の|代理権《だいりけん》を|執行《しつかう》せむとするその|心底《しんてい》|野望《やばう》のほど、|歴然《れきぜん》と|現《あら》はれてをりますぞ。|左様《さやう》な|野心《やしん》を|有《いう》する|役人《やくにん》が|上《かみ》にあつては、|下《しも》ますます|乱《みだ》れ、|遂《つひ》には|収拾《しうしふ》すべからざる|乱世《らんせい》となるでせう。|拙者《せつしや》はあくまでも|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》の|御留任《ごりうにん》を|希望《きばう》して|止《や》みませぬ』
|岩治《いははる》『これは|怪《け》しからぬ|伊佐彦《いさひこ》の|言葉《ことば》、|拙者《せつしや》は|決《けつ》して|野心《やしん》なんか|毛頭《まうとう》|持《も》つてゐませぬ。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》はすでに|御頽齢《ごたいれい》、かやうな|時《とき》には、|新進気鋭《しんしんきえい》の|若者《わかもの》でなくては|国家《こくか》を|支持《しぢ》し、|民心《みんしん》をつなぐ|事《こと》は|出来《でき》ますまい。さすが|賢明《けんめい》なる|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》、この|間《かん》の|消息《せうそく》を|御推知《ごすいち》|遊《あそ》ばされ、|進《すす》んで|自決《じけつ》の|途《みち》に|出《い》でられたのは、|天晴《あつぱ》れ|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》と|称讃《しようさん》|申《まを》し|上《あ》ぐる|外《ほか》はありますまい。|及《およ》ばずながら|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな。みごと|拙者《せつしや》が|松若彦《まつわかひこ》の|後任者《こうにんしや》となつて、|上《かみ》は|国司《こくし》に|対《たい》し、|下《しも》|国民《こくみん》に|対《たい》して、|至真《ししん》|至粋《しすゐ》|至美《しび》|至愛《しあい》の|善政《ぜんせい》を|布《し》き、|珍《うづ》の|天地《てんち》を|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》が|降《くだ》らせ|玉《たま》ひし、|昔《むかし》の|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|立直《たてなほ》して|御覧《ごらん》に|入《い》れませう』
|伊佐《いさ》『おだまりなされ。|貴殿《きでん》は|老中《らうぢう》の|地位《ちゐ》に|在《あ》りといへど、|無能《むのう》|無策《むさく》、|到底《たうてい》|国家《こくか》の|重任《ぢうにん》に|堪《た》へざるは、|上下《じやうげ》|一般《いつぱん》の|認《みと》むるところでござる。|常《つね》に|大言壮語《たいげんさうご》を|吐《は》き、|私立大学《しりつだいがく》を|創立《さうりつ》して|不良青年《ふりやうせいねん》を|収容《しうよう》し、|国家顛覆《こくかてんぷく》の|根源《こんげん》を|培《つちか》ふ|悪魔《あくま》の|張本《ちやうほん》、たうてい|城中《じやうちう》の|政治《せいぢ》を|左右《さいう》する|人格者《じんかくしや》ではござらぬ。それだといつて|外《ほか》に|適任者《てきにんしや》はなし、|御苦労《ごくらう》ながら|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》に|今一度《いまいちど》の|御奮発《ごふんぱつ》を|願《ねが》はなくては、たちまち|貴殿《きでん》のごとき|非国家主義者《ひこくかしゆぎしや》が|政権《せいけん》を|掌握《しやうあく》さるる|事《こと》となつてしまふ。これ|国家《こくか》のために|最《もつと》も|恐《おそ》るべき|大事変《だいじへん》でござる。|貴殿《きでん》にして|一片《いつぺん》|報国《ほうこく》の|至誠《しせい》あらば|体《てい》よく|老中《らうぢう》の|地位《ちゐ》を|去《さ》り、|爵位《しやくゐ》を|奉還《ほうくわん》し、|野《や》に|下《くだ》つて|民情《みんじやう》をトクと|視察《しさつ》し、その|上《うへ》|更《あらた》めて|意見《いけん》を|進言《しんげん》なされ。この|伊佐彦《いさひこ》のある|限《かぎ》り、どこまでも|貴殿《きでん》の|慾望《よくばう》は|遂《と》げさせませぬぞ』
|松若彦《まつわかひこ》は|心《こころ》の|中《うち》にて……|到底《たうてい》|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》、|今《いま》まで|通《どほ》りではやつて|行《ゆ》けないことは、|百《ひやく》も|千《せん》も|承知《しようち》してゐた。されど|投槍《なげやり》|思想《しさう》を|帯《お》びた|岩治別《いははるわけ》に|政権《せいけん》を|渡《わた》せば、たちまち|国家《こくか》の|根底《こんてい》を|覆《くつがへ》すであらうし、|真《しん》に|国家《こくか》を|思《おも》ふ|伊佐彦《いさひこ》に|政権《せいけん》を|渡《わた》せば、|時勢《じせい》おくれの|保守主義《ほしゆしゆぎ》を|振《ふ》りまはし、ますます|民心《みんしん》|離反《りはん》の|端《たん》を|開《ひら》くであらう、ハテ|困《こま》つた|事《こと》だなア、|退《ひ》くには|退《ひ》かれず|進《すす》むにも|進《すす》まれず、|国内《こくない》|一般《いつぱん》の|民情《みんじやう》を|見《み》れば、|上《あ》げもおろしも、|自分《じぶん》の|力《ちから》ではならなくなつて|来《き》た。たうてい|清家政治《せいかせいぢ》や|閥族政治《ぱつぞくせいぢ》のいつまでも|続《つづ》くべき|道理《だうり》がない……|否《いな》かくのごとく|乗馬階級《じやうめかいきふ》の|政治的《せいぢてき》|権力《けんりよく》は|最早《もはや》|最後《さいご》に|瀕《ひん》してゐる。|何《なん》とかして|国内《こくない》の|空気《くうき》を|一新《いつしん》し、|人心《じんしん》の|倦怠《けんたい》を|救《すく》ひ、|思想《しさう》の|悪化《あくくわ》を|緩和《くわんわ》し、|上下《じやうげ》|一致《いつち》の|新政《しんせい》を|布《し》きたいものだ。アアどうしたら|可《よ》からうかな、……と|水《みづ》【ばな】をすすり、|腕《うで》をくみて|両眼《りやうがん》よりは|涙《なみだ》さへ|滴《したた》らしてゐる。|三人《さんにん》は|何《いづ》れも|口《くち》を|噤《つぐ》んで|互《たが》ひに|顔《かほ》を|見守《みまも》つてゐる。
そこへ|浴衣《ゆかた》の|上《うへ》へ|無雑作《むざふさ》に|三尺帯《さんじやくおび》をグルグル|巻《ま》きにして、|鼻唄《はなうた》を|唄《うた》ひながらやつて|来《き》たのは|国照別《くにてるわけ》であつた。
|国照《くにてる》『ヨー、デクさまの|御集会《ごしふくわい》かな、たうてい、|干《ひ》からびた|古《ふる》い|頭《あたま》では、|碌《ろく》な|相談《さうだん》もまとまりはしまい、……ヤアー|松若彦《まつわかひこ》、お|前《まへ》は|泣《な》いてゐるのか、お|前《まへ》もヤツパリ|年《とし》が|老《よ》つた|加減《かげん》か、よほど|涙《なみだ》つぽくなつただないか、……ヤア|保守老中《ほしゆらうぢう》の|伊佐彦《いさひこ》に|投槍老中《なげやりらうぢう》の|岩治別《いははるわけ》だな、……ヤ|面白《おもしろ》からう、|一《ひと》つ|大議論《だいぎろん》をやつて|退屈《たいくつ》ざましに|僕《ぼく》に|聞《き》かしてくれないか。|僕《ぼく》も|実《じつ》のところは|清家生活《せいかせいくわつ》がイヤになつて、どつかへ|飛《と》び|出《だ》さうと|思《おも》つてゐるのだが、|何《なに》をいつても|籠《かご》の|鳥《とり》|同様《どうやう》、|近侍《きんじ》だとか、|衛士《ゑじ》だとか|旧時代《きうじだい》の|遺物《ゐぶつ》が|僕《ぼく》の|身辺《しんぺん》にぶらついてゐるものだから、どうすることも|出来《でき》やしない。これも|要《えう》するに|頭《あたま》の|古《ふる》い|大老《たいらう》の|指図《さしづ》だらう。|僕《ぼく》の|親爺《おやぢ》は、|決《けつ》してこんな|窮屈《きうくつ》なことは、|好《この》まない|筈《はず》だ。オイ|酒《さけ》でも|呑《の》んで、いさぎようせぬかい。|高砂城内《たかさごじやうない》で|涙《なみだ》は|禁物《きんもつ》だからのう』
|松若彦《まつわかひこ》は|手持無沙汰《てもちぶさた》に|涙《なみだ》をかくしながら|二三間《にさんげん》ばかり|座《ざ》をしざり、|畳《たたみ》に|頭《あたま》をすりつけながら、
『コレハコレハ、|若君様《わかぎみさま》でございますか、エライ|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|無作法《ぶさはふ》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
|国照《くにてる》『オイ、|爺《ぢい》、ソリヤ|何《なに》をするのだ。|左様《さやう》な|虚礼虚式的《きよれいきよしきてき》な|事《こと》は、|僕《ぼく》は|大嫌《だいきら》ひだ。モウちつと|活溌《くわつぱつ》に|直立不動《ちよくりつふどう》の|姿勢《しせい》を|執《と》つて、|簡単《かんたん》に|挙手《きよしゆ》の|礼《れい》をやつたら|何《ど》うだ、あまりまどろしいぢやないか』
|松若《まつわか》『|恐《おそ》れ|入《い》りました。しかしながら|城内《じやうない》には|城内《じやうない》の|規則《きそく》がございますから、|有職故実《いうそくこじつ》を|破《やぶ》るわけには|参《まゐ》りませぬ。|礼《れい》なくんば|治《をさ》まらずと|申《まを》しまして、|国家《こくか》を|治《をさ》むるには|礼儀《れいぎ》が|第一《だいいち》でございますから、|之《これ》ばかりは|何《なに》ほどお|気《き》に|入《い》らなくても|許《ゆる》していただかねばなりませぬ。これは|珍《うづ》の|国《くに》の|国粋《こくすゐ》とも|申《まを》すべき|重要《ぢうえう》なる|政治《せいぢ》の|大本《たいほん》でございます。|礼儀《れいぎ》なければ|国家《こくか》は|直《ただ》ちにみだれ、|長幼《ちやうえう》の|序《じよ》は|破《やぶ》れ、|君臣《くんしん》|父子《ふし》|夫婦《ふうふ》の|道《みち》は|亡《ほろ》びてしまひます』
|国照《くにてる》『ウンさうか、それも|結構《けつこう》だが、お|前《まへ》が|若《も》しも|国替《くにが》へをして、|居《を》らなくなつても、|有職故実《いうそくこじつ》は|保存《ほぞん》されると|思《おも》うてゐるのか、|今日《こんにち》の|人間《にんげん》の|心《こころ》はそんなまどろしい|事《こと》は|好《この》まないよ。|何事《なにごと》も|手取《てつと》り|早《ばや》く|埒《らち》をつけることが|流行《りうかう》する|世《よ》の|中《なか》だ。|昔《むかし》のやうに|歌《うた》をよんだり、|長袖《ながそで》を|着《き》てブラブラと|遊《あそ》んでをつた|時代《じだい》とは|世《よ》の|中《なか》が|変《かは》つてゐる。|昔《むかし》の|百倍《ひやくばい》も|千倍《せんばい》も|事務《じむ》が|煩雑《はんざつ》になつてゐるのだから、そんな|辛気《しんき》くさい|事《こと》はたうてい|永続《えいぞく》すまいよ』
|岩治《いははる》『|実《じつ》に|痛《いた》み|入《い》つたる|若君様《わかぎみさま》のお|言葉《ことば》、|岩治別《いははるわけ》、|実《じつ》に|感激《かんげき》に|堪《た》へませぬ。かくの|如《ごと》き|若君様《わかぎみさま》を|得《え》てこそ、|珍《うづ》の|国家《こくか》は|万代不易《ばんだいふえき》、|国家《こくか》の|隆昌《りうしやう》を|期《き》する|事《こと》が|出来《でき》るでせう。|親君様《おやぎみさま》はもはや|御老齢《ごらうれい》、いつ|御上天《ごしやうてん》|遊《あそ》ばすかも|知《し》れぬこの|場合《ばあひ》、|賢明《けんめい》なる|若君様《わかぎみさま》の|御心《みこころ》を|承《うけたまは》り、|岩治別《いははるわけ》、イヤもう、|大変《たいへん》な|喜《よろこ》びに|打《う》たれ、|勇気《ゆうき》が|勃々《ぼつぼつ》として|湧《わ》いて|参《まゐ》りました。この|若君《わかぎみ》にしてこの|臣《しん》あり、|老中《らうぢう》の|仲間《なかま》に|加《くは》へられたる|吾々《われわれ》なれど、|未《いま》だ|心《こころ》まで|老耄《らうまう》はしてをりませぬ。|何《なに》とぞ|若君様《わかぎみさま》、|微臣《びしん》を|御心《みこころ》にかけさせられ、|重要事務《ぢうえうじむ》は|微臣《びしん》に|直接《ちよくせつ》|御命令《ごめいれい》|下《くだ》さいませ。|松若彦《まつわかひこ》|殿《どの》は|老齢《らうれい》|職《しよく》に|堪《た》へずとして、ただいま|吾々《われわれ》の|前《まへ》に|辞意《じい》をもらされました』
|国照《くにてる》『ウンさうか、|松若彦《まつわかひこ》もモウ|退《ひ》いても|可《い》いだらう。|伊佐彦《いさひこ》もずゐぶん|古《ふる》い|頭《あたま》だから、|此奴《こいつ》も|駄目《だめ》だし、|岩治別《いははるわけ》は|少《すこ》しばかり|今日《こんにち》の|時代《じだい》に|進《すす》みすぎてるやうでもあり、また|遅《おく》れてるやうなところもあり、たうてい|完全《くわんぜん》な|政治《せいぢ》はお|前《まへ》たちの|腕《うで》では|出来《でき》さうもない。|僕《ぼく》が|親爺《おやぢ》に|勧告《くわんこく》して|退職《たいしよく》をさせ、|簡易《かんい》なる|平民生活《へいみんせいくわつ》に|入《い》れてやり、|安楽《あんらく》な|余生《よせい》を|送《おく》らせたいと|思《おも》つてゐるのだから、|一層《いつそう》のこと、お|前《まへ》たちも|大老《たいらう》や|老中《らうぢう》なんか|廃《よ》して、|安逸《あんいつ》な|田園生活《でんえんせいくわつ》でもやつたら|何《ど》うだ。|僕《ぼく》も|大《おほ》いに|覚悟《かくご》してゐるのだからな』
|三人《さんにん》は|国照別《くにてるわけ》の|顔《かほ》を|無言《むごん》のまま、|盗《ぬす》むやうにして|打《う》ち|守《まも》つてゐる。|国照別《くにてるわけ》は|無雑作《むざふさ》に、
『|高砂城《たかさごじやう》の|床《とこ》の|置物《おきもの》、|無神経質《むしんけいしつ》の|骨董品殿《こつとうひんどの》、|三人《さんにん》よれば|文殊《もんじゆ》の|智慧《ちゑ》だ。トツクリと|衆生《しゆじやう》の|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》とを|擁護《えうご》し、|人民《じんみん》の|思想《しさう》を|善導《ぜんだう》すべく|神算鬼謀《しんさんきぼう》を|巡《めぐ》らしたが|可《よ》からう。アア|六《むつ》かしい|皺苦茶面《しわくちやづら》を|見《み》て|肩《かた》が|凝《こ》つてきた。ドーラ、|馬《うま》にでも|乗《の》つて|馬場《ばば》でもかけ|廻《まは》つてこうかな』
と|言《い》ひすて、|足音《あしおと》|高《たか》く|奥殿《おくでん》さして|進《すす》み|入《い》る。|後《あと》|見送《みおく》つて|松若彦《まつわかひこ》はまたも|涙《なみだ》を|垂《た》らしながら、
『|肝心要《かんじんかなめ》の|後継者《こうけいしや》たる|若君様《わかぎみさま》が、あのやうなお|考《かんが》へでは|最早《もはや》|珍《うづ》の|国家《こくか》は|滅亡《めつぼう》するより|仕方《しかた》ない。アア|困《こま》つた|事《こと》になつたものだ、なア|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》』
|伊佐彦《いさひこ》は|真青《まつさを》な|顔《かほ》して、|唇《くちびる》をビリビリふるはせながら|禿《は》げた|頭《あたま》をツルリと|撫《な》で、
『|閣下《かくか》の|言《い》はるる|通《とほ》り、|困《こま》つた|事《こと》でござる。どうして|珍《うづ》の|衆生《しゆじやう》を|安穏《あんおん》ならしめ、お|家《いへ》を|永遠《えいゑん》に|栄《さか》ゆべき|方法《はうはふ》を|講《かう》じたら|宜《よろ》しうございませうか。|深夜《しんや》|枕《まくら》をもたげて|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|思《おも》ひ|見《み》れば、|実《じつ》に|不安《ふあん》の|情《じやう》に|堪《た》へませぬ』
|岩治《いははる》『アツハハハ、この|行詰《ゆきつま》つた|現代《げんだい》を|流通《りうつう》させ、|衆生《しゆじやう》が|皷腹撃壤《こふくげきじやう》の|天国的《てんごくてき》|歓楽《くわんらく》に|酔《よ》ひ、おのおの|業《げふ》を|楽《たの》しむ|善政《ぜんせい》を|布《し》くは|何《なん》でもない|事《こと》でござる。|御両所《ごりやうしよ》たちはかう|申《まを》すと|憚《はばか》り|多《おほ》いが、|頑迷固陋《ぐわんめいころう》にして|時代《じだい》を|解《かい》し|玉《たま》はざるためでございませう。|時代《じだい》の|潮流《てうりう》を|善導《ぜんだう》してさへゆけば、|珍《うづ》の|衆生《しゆじやう》は|国司《こくし》の|徳《とく》を|慕《した》ひ、たちまち|天国《てんごく》の|社会《しやくわい》が|展開《てんかい》されるは|明《あき》らかな|事実《じじつ》でございますぞ。ともかく|退隠《たいいん》|遊《あそ》ばすが|国家《こくか》の|進展上《しんてんじやう》|第一《だいいち》の|手段《しゆだん》だと|考《かんが》へます。|徒《いたづら》に|旧套《きうたう》を|墨守《ぼくしゆ》して|衆生《しゆじやう》の|心《こころ》を|抑《おさ》へ、|社会《しやくわい》の|進歩《しんぽ》を|妨《さまた》ぐるにおいては|何時《いつ》いかなる|大事《だいじ》が|脚下《あしもと》から|勃発《ぼつぱつ》するかも|知《し》れませぬぞ。|拙者《せつしや》は|決《けつ》して|自己《じこ》の|権利《けんり》を|得《え》むがため、または|政権《せいけん》を|壟断《ろうだん》せむがために|論議《ろんぎ》するのではありませぬ。|国家《こくか》を|救《すく》ふのは|拙者《せつしや》の|考《かんが》ふるところを|以《もつ》て|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》と|思《おも》ふからです。|御両所《ごりやうしよ》におかせられても、|速《すみ》やかに|色眼鏡《いろめがね》を|撤回《てつくわい》して|拙者《せつしや》の|真心《まごころ》を|御透察《ごとうさつ》|下《くだ》さらば、|自《おのづか》らお|疑《うたが》ひが|解《と》けるでせう』
|松若《まつわか》『|侫弁《ねいべん》をもつて|己《おの》が|野心《やしん》を|遂行《すいかう》せむとする|貴殿《きでん》の|内心《ないしん》、いつかな いつかな、その|手《て》に|乗《の》る|松若彦《まつわかひこ》ではござらぬ。|及《およ》ばずながら|拙者《せつしや》は|珍《うづ》の|国《くに》の|柱石《ちうせき》、かくなる|上《うへ》は|最早《もはや》|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな。|拙者《せつしや》は|命《いのち》のあらむ|限《かぎ》り、|君国《くんこく》のために、|老齢《らうれい》ながら|奮闘《ふんとう》|努力《どりよく》いたして|見《み》よう。ついては|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》、|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|岩治別《いははるわけ》に|対《たい》し、|老中《らうぢう》の|職《しよく》を|解《と》くから、|貴殿《きでん》もさう|考《かんが》へなされ。そして|今後《こんご》は|何事《なにごと》も|拙者《せつしや》と|御相談《ごさうだん》な|仕《つかまつ》らう』
|伊佐彦《いさひこ》は|喜色満面《きしよくまんめん》にうかべかがら、「ヤレ|邪魔者《じやまもの》が|排斥《はいせき》された」……と|言《い》はぬばかりの|態度《たいど》にて、
『|閣下《かくか》の|仰《おほ》せ、ご|尤《もつと》も|千万《せんばん》、|国家《こくか》のため、|謹《つつし》んで|祝《しゆく》し|奉《たてまつ》ります。|岩治別《いははるわけ》|殿《どの》、|大老《たいらう》よりのお|言葉《ことば》、ヨモヤ|違背《ゐはい》はござるまい。サア|速《すみ》やかに|此《この》|場《ば》を|退出《たいしゆつ》|召《め》され』
と|居丈高《ゐたけだか》になつて|罵《ののし》つた。
|岩治《いははる》『これは|怪《け》しからぬ|両所《りやうしよ》のお|言葉《ことば》、|拙者《せつしや》は|貴殿等《きでんら》より|任命《にんめい》された|者《もの》ではござらぬ。|永年《ながねん》|国務《こくむ》に|鞅掌《あうしやう》いたした|功労《こうらう》を|思召《おぼしめ》され、|国司《こくし》より|老中《らうぢう》の|列《れつ》に|加《くは》へられたる|者《もの》、|然《しか》るを|大老《たいらう》の|身《み》をもつて|吾々《われわれ》に|免職《めんしよく》を|言《い》ひつくるとは、|実《じつ》に|不届《ふとど》き|千万《せんばん》ではござらぬか。|貴殿《きでん》|等《ら》は|神権《しんけん》を|無視《むし》し、|国政《こくせい》を|私《わたくし》するものと|言《い》はれても|遁《のが》るる|言葉《ことば》はござりますまい。|乱臣賊子《らんしんぞくし》とは|貴殿《きでん》|等《ら》のことでござる』
と|居丈高《ゐたけだか》になり|声《こゑ》|荒《あら》らげて|睨《ね》めつけた。
|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》は|目配《めくば》せしながら、ソツとこの|場《ば》を|立《た》つて|国依別国司《くによりわけこくし》の|御殿《ごてん》に|進《すす》み|入《い》る。
|後《あと》に|岩治別《いははるわけ》は|双手《もろて》を|組《く》み、|越方《こしかた》|行末《ゆくすゑ》のことなど|思《おも》ひ|浮《う》かべて、|慨世憂国《がいせいいうこく》の|涙《なみだ》にくれてゐた。そこへ|若君《わかぎみ》の|国照別《くにてるわけ》は|慌《あわただ》しく|只一人《ただひとり》|入《い》り|来《き》たり、
『オイ、|岩治別《いははるわけ》|殿《どの》、|一時《ひととき》も|早《はや》く|裏門《うらもん》より|逃《のが》れ|出《い》でよ。|汝《なんぢ》を|捉《とら》へて|獄《ごく》に|投《とう》ぜむと、|二人《ふたり》の|老耄爺《おいぼれぢい》が|大目付《おほめつけ》を|呼《よ》び|出《だ》し|手配《てくば》りさしてゐる。サア、|時《とき》|遅《おく》れては|取返《とりかへ》しがつかぬ、|早《はや》く|早《はや》く』
とせき|立《た》てた。|岩治別《いははるわけ》は|挙手《きよしゆ》の|礼《れい》を|施《ほどこ》しながら「ダンコン」とただ|一言《いちごん》を|残《のこ》し、|夕暗《ゆふやみ》を|幸《さいは》ひ、|姿《すがた》を|変《へん》じて|裏門《うらもん》より|何処《いづく》ともなく|消《き》えてしまつた。
|三五《さんご》の|月《つき》は|東《ひがし》の|山《やま》の|端《は》を|照《て》らして、|高砂城内《たかさごじやうない》の|騒《さわ》ぎを|知《し》らぬ|顔《がほ》にニコニコと|眺《なが》めてゐる。
(大正一三・一・二二 旧一二・一七 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第二章 |老断《らうだん》〔一七四七〕
|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|大老《たいらう》、|老中株《らうぢうかぶ》は|数多《あまた》の|目付《めつけ》を|指揮《しき》し、|急進派《きふしんは》の|老中《らうぢう》|岩治別《いははるわけ》を|捉《とら》へしめむとしたが、|何時《いつ》の|間《ま》にやら|耳《みみ》ざとくも|城内《じやうない》を|脱《ぬ》け|出《だ》し|姿《すがた》をかくしてしまつたので、|心配《しんぱい》はますます|深《ふか》くなり、|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|吐息《といき》をもらし、|両人《りやうにん》はふたたび|評定所《ひやうぢやうしよ》に|卓子《テーブル》を|囲《かこ》んで、コーヒーをすすりながら|善後策《ぜんごさく》を|協議《けふぎ》してゐる。
|松若彦《まつわかひこ》は|悲痛《ひつう》な|声《こゑ》で、
『|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》、|国家《こくか》は|真《まこと》に|暴風《ばうふう》の|前《まへ》の|灯火《ともしび》に|等《ひと》しき|危機《きき》に|瀕《ひん》したではござらぬか。|少《すこ》しばかり|進歩《しんぽ》した|頭《あたま》だぐらゐに|思《おも》つて、かれ|岩治別《いははるわけ》を|老中《らうぢう》に|推薦《すゐせん》し、|国務《こくむ》の|枢機《すうき》に|参加《さんか》せしめむとし、|彼《かれ》を|招《まね》いて|吾《わ》が|退職《たいしよく》を|口実《こうじつ》に|意見《いけん》を|叩《たた》いて|見《み》れば、|天地《てんち》|容《い》れざる|国家《こくか》の|逆賊《ぎやくぞく》、|大野望《だいやばう》を|包蔵《はうざう》してゐる|岩治別《いははるわけ》。|如何《いか》にせば|此《こ》の|珍《うづ》の|国家《こくか》を|泰山《たいざん》の|安《やす》きにおくことが|出来《でき》るであらうかな』
と|早《はや》くも|両眼《りやうがん》より|紅涙滂沱《こうるいばうだ》と|滴《したた》らしてゐる。|伊佐彦《いさひこ》は|深《ふか》い|吐息《といき》をつきながら、
『いかにも|閣下《かくか》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|実《じつ》に|深憂《しんいう》に|堪《た》へませぬ。しかしながら|最早《もはや》かくなる|上《うへ》は、|閣下《かくか》と|拙者《せつしや》とあらむ|限《かぎ》りの|努力《どりよく》をもつて|国家《こくか》を|未倒《みたう》に|救《すく》ひ、|国司《こくし》の|御心《みこころ》を|慰《なぐさ》め|奉《まつ》り、|国民《こくみん》|安堵《あんど》の|途《みち》を|開《ひら》かねばなりませぬ。しかしながら|彼《か》れ|岩治別《いははるわけ》、|敏捷《びんせふ》にも|罪《つみ》のその|身《み》に|及《およ》ばむことを|前知《ぜんち》し、|鳩《はと》のごとく|鼠《ねずみ》のごとく|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|姿《すがた》を|隠《かく》しました|以上《いじやう》は、|何《いづ》れどつかの|国《くに》の|涯《はて》にひそみ、|三平社《さんぺいしや》や|労働者《らうどうしや》、|対命舎《たいめいしや》などを|駆《か》り|集《あつ》め、|国家顛覆《こくかてんぷく》を|企図《きと》し、|己《おの》が|慾望《よくばう》を|達《たつ》せむとして、|時《とき》を|俟《ま》ち|捲土重来《けんどぢうらい》せむは|案《あん》の|内《うち》。|何《なん》とか|予防《よばう》の|方法《はうはふ》……|否《いな》かれを|討滅《たうめつ》の|手段《しゆだん》を|講究《かうきう》しなくてはなりますまい。かかる|天地《てんち》|容《い》れざる|逆賊《ぎやくぞく》を|国内《こくない》に|放養《はうやう》しおくは、|猛虎《まうこ》を|野《の》に|放《はな》つよりは|危険《きけん》なことでござりませう。|閣下《かくか》においては、|定《さだ》めて|妙案《めうあん》|奇策《きさく》のおはしますことと|存《ぞん》じますが……』
と|心配気《しんぱいげ》に|松若彦《まつわかひこ》の|顔《かほ》を|眼鏡越《めがねご》しに|覗《のぞ》きあげ、|光《ひか》つた|頭《あたま》を|右《みぎ》の|手《て》でツルリツルリと|二三《にさん》べん|撫《な》でまはし、|薬鑵《やくわん》の|尻《しり》を|手巾《はんけち》で|拭《ぬぐ》うた。
|松若《まつわか》『|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|事《こと》だ。|最早《もはや》かうなる|上《うへ》は|手《て》ぬるい|手段《しゆだん》では|駄目《だめ》であらう。この|城下《じやうか》に|保安令《ほあんれい》を|布《し》き、|目付《めつけ》やサグリを|増員《ぞうゐん》し|貧民窟《ひんみんくつ》の|隅々《すみずみ》までも、|疑《うたが》はしき|者《もの》は|否応《いやおう》|言《い》はさず|拘引《こういん》し、|大老《たいらう》の|権威《けんゐ》を|見《み》せなくては、|到底《たうてい》この|人心《じんしん》を|収攬《しうらん》することは|望《のぞ》まれないであらう。|現代《げんだい》のごとき|人心《じんしん》|悪化《あくくわ》の|頂点《ちやうてん》に|達《たつ》した|社会《しやくわい》には、もはや、|煎薬《せんやく》や|水薬《みづぐすり》の|治療《ちりやう》では|駄目《だめ》でござる。|外科的《げくわてき》|大手術《だいしゆじゆつ》を|施《ほどこ》し、|彼《かれ》ら|醜類《しうるゐ》を|根底《こんてい》より|剿滅《さうめつ》し、|国難《こくなん》を|未然《みぜん》に|防《ふせ》ぐより|方法《はうはふ》はござるまい。|幸《さいは》ひ|吾々《われわれ》は|目付《めつけ》の|権《けん》を|手《て》に|握《にぎ》り、かつ|有事《いうじ》の|日《ひ》には|大名《だいみやう》、|士《さむらい》を|使役《しえき》するの|特権《とくけん》を|有《いう》しをれば、|吾々《われわれ》の|今日《こんにち》の|立場《たちば》として、|最早《もはや》|懐柔《くわいじう》も|善政《ぜんせい》も|駄目《だめ》でござらう』
|伊佐《いさ》『|成《な》るほど|仰《おほ》せ|御尤《ごもつと》もながら……|私《わたし》は|考《かんが》へます。まづ|衆生《しゆじやう》の|喜《よろこ》ぶ|相談権《さうだんけん》を|与《あた》へ、|徳政案《とくせいあん》とかその|外《ほか》|衆生《しゆじやう》の|人気《にんき》に|投《とう》ずる|政策《せいさく》を|標榜《へうばう》し、|以《もつ》て|今《いま》や|破裂《はれつ》せむとする|噴火口《ふんくわこう》を|防《ふせ》ぎ、|曠日弥久《くわうじつびきう》、|以《もつ》て|一時《いちじ》|登《のぼ》りつめたる|人心《じんしん》を|倦《う》ましめ、|骨《ほね》を|抜《ぬ》き、|血《ち》を|絞《しぼ》り、|元気《げんき》を|消耗《せうまう》せしめて、しかして|後《のち》|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|権威《けんゐ》を|示《しめ》しなば、さしもに|熾烈《しれつ》なる|衆生運動《しゆじやううんどう》も、|投槍思想《なげやりしさう》も|其《そ》の|他《た》の|悪思想《あくしさう》も|首《くび》を|擡《もた》ぐるに|由《よし》なく|自滅《じめつ》するでござらう。|閣下《かくか》の|御意見《ごいけん》は|如何《いかが》でございまするか』
『|拙者《せつしや》とても|妄《みだ》りに|国家《こくか》の|干城《かんじやう》を|動員《どうゐん》し、|或《あるひ》は|衆生《しゆじやう》を|目付《めつけ》やサグリをもつて|鎮圧《ちんあつ》するは|拙《せつ》の|拙《せつ》なるものたることは|承知《しようち》し|居《を》れども、|焦頭爛額《せうとうらんがく》の|急《きふ》に|迫《せま》つた|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、これより|方法《はうはふ》はあるまいと|存《ぞん》ずるからだ。|直相談案《ぢきさうだんあん》の|餌《ゑ》に、|民心《みんしん》を|籠絡《ろうらく》するも|一策《いつさく》だらう、|徳政案《とくせいあん》も|一時《いちじ》の|緩和剤《くわんわざい》となるだらう。|今日《こんにち》は|最早《もはや》|正直《しやうぢき》では|執《と》れない。|某々《ぼうぼう》のごとき|政治家《せいぢか》は|正直《しやうぢき》|過《す》ぎるから、|何時《いつ》も|内甲《うちかぶと》を|見《み》すかされ、|失敗《しつぱい》を|繰返《くりかへ》し、|遂《つひ》には|党《たう》の|分裂《ぶんれつ》を|来《き》たしたではないか。|非常《ひじやう》の|時《とき》には|非常《ひじやう》の|手段《しゆだん》が|必要《ひつえう》だらう。|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》、|如何《いかが》でござらうかな』
『|成《な》るほど、|今日《こんにち》の|時局《じきよく》に|対《たい》しては|清廉潔白《せいれんけつぱく》とか|正直《しやうぢき》とかいふ|事《こと》は、|害《がい》あつて|益《えき》ないことでございませう。|仰《おほ》せのごとく|権謀術数《けんぼうじゆつすう》、あるひは|妥協政治《だけふせいぢ》をもつて|現代《げんだい》に|処《しよ》するのが|最《もつと》も|賢明《けんめい》なる|行方《やりかた》でございませう』
と|次第《しだい》に|声《こゑ》が|高《たか》くなり、|両人《りやうにん》は|拳《こぶし》を|握《にぎ》り、|卓《たく》を|叩《たた》いて|花瓶《くわびん》にさした|山吹《やまぶき》の|花弁《はなびら》を|一面《いちめん》に|散《ち》らしてゐる。そこへ|軽装《けいさう》をして|又《また》もや|国照別《くにてるわけ》が|現《あら》はれ|来《き》たり、
『ハハハ|御両所《ごりやうしよ》とも、|国家《こくか》のため|心慮《しんりよ》を|悩《なや》ませられ、|国照別《くにてるわけ》|身《み》に|取《と》り|恐懼《きようく》|措《お》くところを|知《し》らざる|次第《しだい》でございます。|何《なん》といつても|珍《うづ》の|国《くに》|第一流《だいいちりう》の|大政治家《だいせいぢか》の|巨頭《きよとう》の|会合《くわいがふ》、|定《さだ》めて|神案妙策《しんあんめうさく》がひねり|出《だ》されたことでせう』
と|揶揄《からか》ひはじめた。|二人《ふたり》は|若君《わかぎみ》に|茶化《ちやくわ》されて|怒《おこ》るわけにもゆかず、「チエー」と|秘《ひそ》かに|舌打《したう》ちしながら、ワザと|謹厳《きんげん》な|態度《たいど》で|椅子《いす》を|離《はな》れ、|直立《ちよくりつ》して|両手《りやうて》を|帯《おび》の|下《した》あたりまで|垂直《すゐちよく》に|下《さ》げ、|立礼《りつれい》を|施《ほどこ》しながら、
|松若《まつわか》『|若君様《わかぎみさま》、よくこそ|入《い》らせられました。|微臣等《びしんら》には|国政上《こくせいじやう》の|問題《もんだい》に|就《つ》き、|秘密《ひみつ》の|相談《さうだん》もございますれば、どうか|暫《しばら》く、|恐《おそ》れながら|奥殿《おくでん》へお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
|伊佐《いさ》『|大老《たいらう》の|仰《おほ》せのごとく、ただいま|国務上《こくむじやう》の|件《けん》につき、|大至急《だいしきふ》|相談《さうだん》を|要《えう》する|場合《ばあひ》でございますれば、|恐《おそ》れながらどうぞ|少時《しばらく》お|引取《ひきと》りを|願《ねが》ひまする』
|国照《くにてる》『ハハハ|岩治別《いははるわけ》の|投槍老中《なげやりらうぢう》が|消滅《せうめつ》したので、|定《さだ》めて、|円満《ゑんまん》な|熟議《じゆくぎ》が|凝《こ》らされるだらう。ヤ、|国家《こくか》のため|拙者《せつしや》は|大慶至極《だいけいしごく》に|存《ぞん》ずる。しかしながら|両老《りやうらう》に|尋《たづ》ねたい|事《こと》がある』
|松若《まつわか》『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りました。|何事《なにごと》なりともお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいませ』
|国照《くにてる》『お|前《まへ》は|今《いま》|廊下《らうか》で|聞《き》いてをれば、|某々《ぼうぼう》は|正直《しやうぢき》すぎるから、|党《たう》の|内紛《ないふん》を|醸《かも》し|失敗《しつぱい》したと|言《い》うたぢやないか。|正直《しやうぢき》すぎるとは、ソラ|一体《いつたい》|何《なん》の|事《こと》か。|要《えう》するに|正直《しやうぢき》もよいが、チツとは|詐欺《さぎ》もやれ、|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|用《もち》ひなくては|今日《こんにち》の|政局《せいきよく》は|保《たも》てないといふのであらう。|某《ぼう》のごとく|正直《しやうぢき》|過《す》ぎるため|失敗《しつぱい》したのならば、|本望《ほんまう》ではないか。|上下《じやうか》|一般《いつぱん》の|人間《にんげん》を|詐《いつは》つてまで、|政権《せいけん》を|掌握《しやうあく》する|必要《ひつえう》がどこにあるか。|正直《しやうぢき》|過《す》ぎるといふその|意味《いみ》を|聞《き》かしてもらひたいものだ』
とつめかけられ、|両人《りやうにん》は|返答《へんたふ》に|詰《つ》まり、|顔《かほ》|赤《あか》らめて、「ハイ」と|言《い》つたきり|俯向《うつむ》いてゐる。
|国照《くにてる》『ハハハ、ヨモヤ|返答《へんたふ》は|出来《でき》ようまい。|正直《しやうぢき》|過《す》ぎる|政治家《せいぢか》が|用《もち》ひられない|世《よ》の|中《なか》だから、お|前《まへ》たちの|羽振《はぶ》りが|利《き》くのだらう。そしてモ|一《ひと》つ|問《と》ひたい|事《こと》がある……|国家枢要《こくかすうえう》の|事務《じむ》を|協議《けふぎ》してゐる|最中《さいちう》だから、|奥《おく》へ|引取《ひきと》つてくれといつたでないか。なぜ|政治《せいぢ》の|枢機《すうき》に|俺《おれ》が|参加《さんか》することが|出来《でき》ないのだ。|若輩者《じやくはいしや》と|見《み》くびつての|故《ゆゑ》か、ただしは|俺《おれ》を|信用《しんよう》しないのか、|言葉《ことば》の|上《うへ》において|若君《わかぎみ》|若君《わかぎみ》と|尊敬《そんけい》しながら、|汝等《おまへたち》の|心中《しんちう》においては、すでに|俺《おれ》を|認《みと》めてゐないのか、サアその|返答《へんたふ》を|聞《き》かしてもらはう』
と|二《に》の|矢《や》をさされて|二人《ふたり》はグウの|音《ね》も|出《で》ず、|俯《うつ》むいて|慄《ふる》うてゐる。
|国照《くにてる》『アツハハハハ、オイ、|両人《りやうにん》、|薬鑵《やくわん》が|漏《も》つてゐるぢやないか、みつともないぞ。|一層《いつそ》のこと、|両人《りやうにん》とも|国家《こくか》のために|老職《らうしよく》を|廃業《はいげふ》して、|市井《しせい》の|巷《ちまた》に|下《くだ》り、|饂飩屋《うどんや》でもやつたらどうだ。それの|方《はう》がよほど|国家《こくか》の|利益《りえき》になるかも|知《し》れないぞ。|岩治別《いははるわけ》のやうにトツトと|尻《しり》をからげて|退却《たいきやく》した|方《はう》が、|何《なに》ほど|衆生《しゆじやう》の|気受《きう》けがよいか|分《わか》つたものぢやない。|腐《くさ》り|鰯《いわし》が|火箸《ひばし》にひつついたやうに、いつまでもコビリついてゐると、|誰《たれ》も|見返《みかへ》る|者《もの》がなくなつてしまふぞ。|一《いち》にも|権力《けんりよく》、|二《に》にも|暴力《ばうりよく》を|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》として|国政《こくせい》を|維持《ゐぢ》するやうなことで、どうして|王道仁政《わうだうじんせい》が|布《し》かれると|思《おも》ふか。お|前《まへ》たちの|行《や》る|政治《せいぢ》はいはゆる|権道《けんだう》だ、|覇道《はだう》だ、|強《つよ》きを|扶《たす》け、|弱《よわ》きを|圧倒《あつたう》せんとする|悪魔《あくま》の|政治《せいぢ》だ。|僕《ぼく》はお|前《まへ》|達《たち》の|陰謀《いんぼう》を|前知《ぜんち》し、|岩治別《いははるわけ》に|内報《ないはう》して|裏門《うらもん》より|遁走《とんそう》させ、お|前《まへ》たちの|計略《けいりやく》の|裏《うら》をかかしてやつたのだ。それが|分《わか》らぬやうな|事《こと》で、どうして|一国《いつこく》の|大老《たいらう》がつとまるか。|沐猴《もくこう》の|冠《くわん》するといふは|所謂《いはゆる》デモ|大老《たいらう》の|状態《じやうたい》を|遺憾《ゐかん》なく|言《い》ひ|現《あら》はした|言葉《ことば》であらうよ、アツハハハ。テモさてもつまらなさうな……|心配《しんぱい》さうな|面付《つらつき》だのう。|到底《たうてい》その|顔《かほ》は|二年《にねん》や|三年《さんねん》では|復興《ふくこう》せうまいよ。|自転倒島《おのころじま》の|震災《しんさい》のやうに|復興《ふくこう》するのは|容易《ようい》だあるまい、アツハハハ』
|松若彦《まつわかひこ》は|容《かたち》を|正《ただ》し、
『コレハコレハ|若君様《わかぎみさま》の|御諚《ごぢやう》とはいひ、あまりに|理不尽《りふじん》なお|言葉《ことば》、この|老臣《らうしん》を|見《み》るに|牛馬《ぎうば》をもつて|遇《ぐう》せらるるは|怪《け》しからぬ|事《こと》ではござらぬか。|拙者《せつしや》は|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》|様《さま》の|御代《みよ》より|祖先代々《そせんだいだい》|国政《こくせい》を|預《あづ》かり、|御母上《おんははうへ》|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》にこの|国土《こくど》を|奉還《ほうくわん》いたし、|御父上《おんちちうへ》を|迎《むか》へて|国司《こくし》と|仰《あふ》ぎ|仕《つか》へまつり|来《き》たりし|者《もの》、|外《ほか》の|臣下《しんか》とは|少《すこ》しく|違《ちが》ひますぞ。いかに|珍《うづ》の|国司《こくし》の|若君《わかぎみ》なればとて、|拙者《せつしや》をさしおき、|自由《じいう》に|施政方針《しせいはうしん》をおきめ|遊《あそ》ばす|事《こと》は|事実《じじつ》において|出来《でき》ないといふ|不文律《ふぶんりつ》が|定《た》つてをりますぞ』
と|祖先《そせん》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》して|気色《きしよく》ばみながら|一矢《いつし》を|酬《むく》うた。|国照別《くにてるわけ》は|平然《へいぜん》として、
『ハツハハハハ、|昔《むかし》の|歴史《れきし》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》して、|何某《なにがし》の|国司《こくし》|累代《るゐだい》の|後胤《こういん》などといふやうなバラモン|的《てき》|言草《いひぐさ》は、|数十年《すうじふねん》|過去《くわこ》の|時代《じだい》に|用《もち》ゐられた|言葉《ことば》だ、さやうな|古《ふる》い|脳味噌《なうみそ》だから|国家《こくか》が|治《をさ》まらないのだ。|今日《こんにち》|珍《うづ》の|国《くに》の|人心《じんしん》の|荒《すさ》んでゐるのは、|要《えう》するに|国司《こくし》の|罪《つみ》でもない。この|国《くに》は|神様《かみさま》のお|守《まも》りある|以上《いじやう》、|決《けつ》して|亡《ほろ》ぶるものではない。しかしながら|汝《おまへ》のごとき|没常識漢《わからずや》が|上《うへ》にある|間《あひだ》は、|世《よ》はいつまでも|平安《へいあん》なることは|望《のぞ》まれない。|珍《うづ》の|国《くに》を|今日《こんにち》の|状態《じやうたい》に|導《みちび》いたのは|汝等《おまへら》の|大責任《だいせきにん》であるぞ。よく|両人《りやうにん》とも|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て、|自《みづか》ら|省《かへり》み、|自《みづか》ら|悔《く》い、その|無能《むのう》を|恥《は》ぢ、|無智《むち》を|覚《さと》り、|時代《じだい》に|目《め》を|醒《さ》まし、|天命《てんめい》を|畏《おそ》れ、もつて|最善《さいぜん》の|処決《しよけつ》をしたが|可《よ》からう。|俺《おれ》も|何時《いつ》までも|若君様《わかぎみさま》ではをられないのだから……』
|松若《まつわか》『そらさうでございませうとも、|国司様《こくしさま》は|御老齢《ごらうれい》、|何時《いつ》も|御病気《ごびやうき》がち、|何時《いつ》|御上天《ごしやうてん》|遊《あそ》ばすかも|知《し》れませぬ。さうなれば|若君《あなた》が|一国《いつこく》の|柱石《ちうせき》、いつまでも|嬢《ぢやう》や|坊《ぼん》でもゐられますまい。それだから|少《すこ》しは|爺《ぢい》の|言《い》ふこともお|耳《みみ》に|止《と》めていただかねばなりませぬ』
と|顔《かほ》の|居《ゐ》ずまひを|直《なほ》し、|仔細《しさい》らしく|述《の》べ|立《た》てる。しかし|今《いま》|国照別《くにてるわけ》が……|何時《いつ》までも|若君様《わかぎみさま》ではをられない……と|言《い》つたのは、|近《ちか》い|内《うち》|清家生活《せいかせいくわつ》から|放《はな》れ、|民間《みんかん》に|下《くだ》つて|徹底的《てつていてき》に|社会《しやくわい》を|改造《かいざう》せむと|考《かんが》へてゐた|事《こと》をフツと|漏《も》らしたのである。しかしながら|両人《りやうにん》は|若君《わかぎみ》にそんな|考《かんが》へがあるとは|神《かみ》ならぬ|身《み》の|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつたので、この|場《ば》は|無難《ぶなん》に|済《す》んだのである。
|国照別《くにてるわけ》は|冷笑《れいせう》を|泛《う》かべながら、|足音《あしおと》|高《たか》く|吾《わ》が|居間《ゐま》に|帰《かへ》つてゆく。|後《あと》に|二人《ふたり》は|首《くび》を|鳩《あつ》め、|声《こゑ》を|低《ひく》うして、
|松若《まつわか》『|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》、|若君様《わかぎみさま》がアアいふ|御精神《ごせいしん》では、|吾々《われわれ》も|到底《たうてい》|職《しよく》に|止《とど》まることが|出来《でき》ぬではござらぬか。|一層《いつそ》のこと|潔《いさぎよ》く|辞職《じしよく》をいたし、|閑地《かんち》については|如何《どう》でござらうかな』
|伊佐《いさ》『あなたのお|言葉《ことば》とも|覚《おぼ》えませぬ。あなたは|国司《こくし》を|補佐《ほさ》すべきお|家柄《いへがら》の|生《うま》れ、|吾々《われわれ》のごとき|氏素性《うぢすじやう》の|卑《いや》しき|者《もの》と|同日《どうじつ》に|考《かんが》へることは|出来《でき》ますまい。たとへ|御退隠《ごたいいん》|遊《あそ》ばしても、|内局組織《ないきよくそしき》の|時《とき》には|国司《こくし》からもキツとお|尋《たづ》ねもあるだらうし、また|腰抜《こしぬけ》の|政治家《せいぢか》どもがお|百度《ひやくど》|参《まゐ》りをしてお|指図《さしづ》を|仰《あふ》ぎに|行《ゆ》くでせうから、|到底《たうてい》あなたは|珍《うづ》の|国《くに》の|政治圏外《せいぢけんぐわい》を|脱《だつ》することは|出来《でき》ますまい。それが|貴方《あなた》の|珍《うづ》の|国《くに》に|対《たい》する|忠誠《ちうせい》でございますからな』
|松若《まつわか》『なるほど、それも|思《おも》はぬではないが、あまりのことで|実《じつ》は|心《こころ》が|迷《まよ》ふのだ。アア|人生《じんせい》|政治家《せいぢか》となるなかれ……とはよく|言《い》つたものだなア』
と|青《あを》い|吐息《といき》をつく。
|伊佐《いさ》『|御苦心《ごくしん》お|察《さつ》し|申《まを》します。しかしながら|国司様《こくしさま》の|前《まへ》で、あなたは|仮《か》りにも|辞意《じい》をお|洩《も》らしになつてはいけませぬぞ。|御老齢《ごらうれい》の|国司《こくし》に|御心配《ごしんぱい》をかけては、|臣子《しんし》たる|者《もの》の|役《やく》がすみませぬからなア。それだけは|伊佐彦《いさひこ》が|命《いのち》に|替《か》へても|御注意《ごちうい》を|申《まを》し|上《あ》げておきます』
|松若《まつわか》『いかにも|貴殿《きでん》の|言《い》はるる|通《とほ》りだ。しかしながら|進《すす》みもならず|退《しりぞ》きもならず、|実《じつ》に|困《こま》つた|世態《せたい》になつたものだなア。アアどうしたら|可《よ》からうかなア』
|次《つぎ》の|間《ま》から|若《わか》い|声《こゑ》で
『|展開《てんかい》の|道《みち》はただ|辞職《じしよく》の|一途《いつと》あるのみだ』
と|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。|二人《ふたり》はハツと|驚《おどろ》き|耳欹《みみそばだ》てて|考《かんが》へ|込《こ》んでゐる。|少時《しばらく》すると、|隔《へだ》ての|襖《ふすま》を|無雑作《むざふさ》に|押《お》し|開《ひら》き、|浴衣《ゆかた》のまま|現《あら》はれ|来《き》たのは|春乃姫《はるのひめ》であつた。
|春乃《はるの》『|二人《ふたり》の|老爺《おぢい》さま、お|兄《にい》さまのあれだけの|御注意《ごちうい》がまだ|分《わか》らないのかい。|本当《ほんたう》に|古《ふる》い|頭《あたま》だね』
|二人《ふたり》は|春乃姫《はるのひめ》の|顔《かほ》を|見《み》るより、にはかに|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|頭《かしら》を|下《さ》げながら、
|松若《まつわか》『|恐《おそ》れ|入《い》ります。|何分《なにぶん》|任《にん》|重《おも》くして|徳《とく》|足《た》らず、|実《じつ》に|国司様《こくしさま》の|御心慮《ごしんりよ》を|悩《なや》まし|奉《まつ》り、|申《まを》し|訳《わけ》がございませぬ』
|春乃《はるの》『ホホホホ|嘘《うそ》ばかり|爺達《ぢいたち》は|言《い》ふぢやないか。|任《にん》|重《おも》くして|徳《とく》|足《た》らぬといふ|事《こと》の|自覚《じかく》がついてゐるのなら、なぜ|早《はや》く|挂冠《けいくわん》をせないのか。|今《いま》|妾《わらは》に|言《い》つたことは|表面《へうめん》を|飾《かざ》る|辞令《じれい》にすぎないのだらう。|任《にん》は|重《おも》し、|徳《とく》あり|智《ち》あれども|時代《じだい》の|進展上《しんてんじやう》この|上《うへ》|施《ほどこ》すべき|手段《しゆだん》なし、|吾《われ》にして|斯《か》くの|如《ごと》しとすれば、その|他《た》の|末輩《まつぱい》どもが|幾度《いくど》|出《い》でて|其《そ》の|任《にん》に|当《あた》るとも、たうてい|吾《われ》|以上《いじやう》の|政治《せいぢ》はなし|能《あた》はざるべし。たちまち|国家《こくか》を|滅亡《めつぼう》の|淵《ふち》に|投入《なげい》るるならむ。|乃公《だいこう》|出《い》でずむば、この|国家《こくか》と|蒼生《さうせい》を|如何《いか》にせむ|底《てい》の|自負心《じふしん》にかられてゐるのだらう。それに|違《ちが》ひはあるまいがな、ホホホホ。|若《わか》い|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として|経験《けいけん》|深《ふか》きお|爺《ぢい》さま|達《たち》に|失礼《しつれい》なことを|申《まを》しました。|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|速《すみ》やかに|許《ゆる》して|頂戴《ちやうだい》ね。|大《おほ》きに|失礼《しつれい》さま、ホホホホホ』
と|笑《わら》ひながらスタスタと|廊下《らうか》を|伝《つた》うて|奥殿《おくでん》に|進《すす》み|入《い》る。|二人《ふたり》は|少時《しばらく》|熟議《じゆくぎ》をこらした|上《うへ》、|相携《あひたづさ》へて|国司《こくし》の|居間《ゐま》に、|何事《なにごと》か|進言《しんげん》せむと|進《すす》み|行《ゆ》く。にはかに|聞《き》こゆる|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》、フト|廊下《らうか》の|高欄《かうらん》から|城下《じやうか》を|瞰下《みおろ》せば、|遠方《ゑんぱう》の|方《はう》に|黒煙《こくえん》|天《てん》を|焦《こが》し、|可《か》なり|大《おほ》きい|火災《くわさい》が|起《おこ》つてゐる。
(大正一三・一・二二 旧一二・一二・一七 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第三章 |喬育《けういく》〔一七四八〕
|国依別《くによりわけ》は|元来《ぐわんらい》|磊落豪放《らいらくがうはう》にして、|小事《せうじ》に|齷齪《あくせく》せず、|何事《なにごと》に|対《たい》しても|無頓着《むとんちやく》なる|性質《せいしつ》とて、|珍《うづ》の|国《くに》の|国司《こくし》に|封《ほう》ぜられてより、|一切《いつさい》の|政務《せいむ》を|重臣《ぢうしん》の|松若彦《まつわかひこ》に|一任《いちにん》し、|自分《じぶん》はただ|事実上《じじつじやう》|虚器《きよき》を|擁《よう》してゐたに|過《す》ぎなかつた。それゆゑ|珍《うづ》の|国《くに》の|大小《だいせう》の|政治《せいぢ》は、|松若彦《まつわかひこ》その|他《た》の|閥族《ばつぞく》の|手裡《しゆり》に|握《にぎ》られてゐた。|国依別《くによりわけ》はただ|朝夕《てうせき》|皇大神《すめおほかみ》の|前《まへ》に|拝礼《はいれい》をするのみにて、|花鳥風月《くわてうふうげつ》を|楽《たの》しみ、|昔《むかし》の|宣伝使《せんでんし》|時分《じぶん》の|気楽《きらく》さを|思《おも》ひ|出《い》だしては、|時々《ときどき》|吐息《といき》をもらし、|末子姫《すゑこひめ》に|酌《しやく》をさせ、|城中《じやうちう》に|伶人《れいじん》を|招《まね》いて|歌舞音楽《かぶおんがく》に|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|慰《なぐさ》めてゐた。そして|実子《じつし》の|国照別《くにてるわけ》、|春乃姫《はるのひめ》に|対《たい》しても|家庭教育《かていけういく》などの|七《しち》むつかしいことは|強《し》ひず、|自然《しぜん》の|成熟《せいじゆく》に|任《まか》してゐた。ゆゑに|親子《おやこ》の|関係《くわんけい》は|兄弟《きやうだい》のごとく|円満《ゑんまん》にして|少《すこ》しの|差別《さべつ》もなく、|和気藹々《わきあいあい》として|春風《しゆんぷう》のごとき|家庭《かてい》を|造《つく》つてゐた。|国依別《くによりわけ》は|球《きう》の|玉《たま》の|神徳《しんとく》によつて、|凡《すべ》ての|世《よ》の|中《なか》の|成行《なりゆ》きを|達観《たつくわん》してゐた。それゆゑワザとに|時《とき》の|来《き》たるまでは|政治《せいぢ》に|干与《かんよ》せず、なまじひに|小刀細工《こがたなざいく》を|施《ほどこ》すとも、|時《とき》|至《いた》らざれば|殆《ほと》んど|徒労《とらう》に|帰《き》することを|知《し》つてゐたからである。それゆゑ|当座《たうざ》の|鼻塞《はなふさ》ぎとして、|実際《じつさい》の|政治《せいぢ》を|永年間《ながねんかん》|松若彦《まつわかひこ》|一派《いつぱ》に|委任《ゐにん》してゐたのである。
|奥《おく》の|間《ま》の|丸窓《まるまど》を|開《ひら》いて|夏風《なつかぜ》を|室内《しつない》に|入《い》れながら、|脇息《けうそく》にもたれ、|作歌《さくか》に|耽《ふけ》つてゐた。そこへしづしづと|襖《ふすま》を|押開《おしあ》け|入来《いりき》たるは|末子姫《すゑこひめ》であつた。|国依別《くによりわけ》は|作歌《さくか》に|心《こころ》を|取《と》られ、|末子姫《すゑこひめ》の|入《い》り|来《き》たりしことに|気《き》がつかなかつた。|末子姫《すゑこひめ》は|両手《りやうて》をついて、|言葉《ことば》もしとやかに、
『|吾《わ》が|君様《きみさま》、|御気嫌《ごきげん》は|如何《いかが》でございますか……』
と|四五回《しごくわい》|繰《く》り|返《かへ》した。|国依別《くによりわけ》は|色紙《しきし》に|目《め》を|注《そそ》ぎながら、
『|黎明《れいめい》に|向《む》かはむとして|天地《あめつち》は
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|震《ふる》ひをののく
|大空《おほぞら》に|月《つき》は|照《て》れども|村雲《むらくも》の
|深《ふか》く|包《つつ》みて|地上《ちじやう》に|見《み》えず
|甲子《きのえね》の|春《はる》をば|待《ま》ちて|開《ひら》かむと
|雪《ゆき》に|堪《た》へつつ|匂《にほ》ふ|梅ケ香《うめがか》
|時《とき》は|今《いま》|天地《あめつち》|暗《くら》し|刈菰《かりごも》の
みだれに|紊《みだ》る|黎明《れいめい》の|前《まへ》に
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|深《ふか》ければ
|世《よ》を|守《まも》らむと|地震《なゐふる》|至《いた》る』
と|口吟《くちずさ》んでゐる。|末子姫《すゑこひめ》は|一層《いつそう》|声《こゑ》を|高《たか》めて、
『|吾《わ》が|君様《きみさま》、|御機嫌《ごきげん》は|如何《いかが》でございます』
と|繰《く》り|返《かへ》した。|国依別《くによりわけ》はハツと|気《き》がつき、
『アア|末子姫《すゑこひめ》か、|何《なん》ぞ|用《よう》かね』
|末子《すゑこ》『ハイ、|至急《しきふ》|御相談《ごさうだん》がございまして、|御勉強《ごべんきやう》の|最中《さいちう》をお|驚《おどろ》かせ|致《いた》しました』
|国依《くにより》『ナアニ、|勉強《べんきやう》でも|何《なん》でもない。|三十一文字《みそひともじ》の|腰折《こしを》れをひねくつてゐたのだ』
『|立派《りつぱ》なお|歌《うた》が|詠《よ》めたでせう。|妾《わらは》にも|一度《いちど》|聞《き》かして|下《くだ》さいませぬか』
『ナアニ、|聞《き》かせるやうな|名歌《めいか》ぢやない。あまり|気《き》がムシヤクシヤしてゐるので、|歌《うた》までがムシヤついてゐる。|今日《けふ》は|何時《いつ》にない|出来《でき》が|悪《わる》いよ』
『あなたの|歌《うた》は|後《のち》になるほど、|良《よ》くなりますからね。お|詠《よ》みになつた|時《とき》は、|失礼《しつれい》ながらこんな|歌《うた》と|思《おも》つてゐましても、|後日《ごじつ》になつて|拝読《はいどく》しますと、お|歌《うた》がみな|予言録《よげんろく》となつて|現《あら》はれてをりますの。|松若彦《まつわかひこ》も|我《わ》が|君《きみ》のお|歌《うた》はウツカリ|見逃《みのが》すことは|出来《でき》ぬ、|残《のこ》らず|予言《よげん》だと|言《い》つてをりましたよ』
『|予言《よげん》か|五言《ごげん》か|妖言《ようげん》か|知《し》らぬが、|大《たい》したことはないよ。ともかく|自身《じしん》のためによんだ|歌《うた》だからな、ハハハ』
『エ、|何《なん》と|仰有《おつしや》います。また|謎《なぞ》を|言《い》つてゐらつしやるのでせう。|近《ちか》い|内《うち》に|地震《ぢしん》があると|仰有《おつしや》るのですか』
『ウン、|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火事《くわじ》、|親爺《おやぢ》、|現代《げんだい》はモ|一《ひと》つ|加《そ》へ|物《もの》が|出来《でき》た、それはいはゆるお|媽《かか》だ、ハツハハハハ』
『わが|君様《きみさま》、|上流《じやうりう》の|家庭《かてい》において、お|媽《かか》なんて、そんな|下卑《げび》た|言葉《ことば》をお|使《つか》ひなさいますな。|伜《せがれ》や|娘《むすめ》が|聞《き》きましては、また|見習《みなら》つて|困《こま》りますからね』
『ナアニ|奥様《おくさま》といつても、|後室《こうしつ》といつても、|御令室《ごれいしつ》といつても、|山《やま》の|神《かみ》といつても、お|媽《かか》といつても、ヤツパリ|女房《にようばう》だ。|人間《にんげん》の|附《ふ》した|名称《めいしよう》ぐらゐに|拘泥《こうでい》する|必要《ひつえう》はないぢやないか』
『|今《いま》あなたは|地震《ぢしん》、|雷《かみなり》、|火事《くわじ》、|親爺《おやぢ》……とおつしやいましたが、それもキツと|深遠《しんゑん》な|謎《なぞ》でございませう。どうも|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》は|滑稽洒脱《こつけいしやだつ》の|中《なか》に|恐《おそ》ろしい|意味《いみ》が|含《ふく》んでゐるのですから、|容易《ようい》に|聞《き》き|流《なが》しは|出来《でき》ませぬワ』
『ハツハハハハ、|地震《ぢしん》|雷《かみなり》といふことは、|国依別《くによりわけ》|自身《じしん》が|神也《かみなり》といふことだ。お|前《まへ》は|自信力《じしんりよく》が|神様《かみさま》のやうに|強《つよ》いから、ヤツパリお|前《まへ》も|自信神也《じしんかみなり》だ』
『ホツホホホホ、よくしらばくれ|遊《あそ》ばすこと、そんな|意味《いみ》ではございますまい。|火事《くわじ》|親爺《おやぢ》といふことは|何《ど》ういふ|意味《いみ》でございますか、それを|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『いま|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》が|聞《き》こえてゐただらう。|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|親爺連《おやぢれん》が、|薬鑵頭《やくわんあたま》を|陳列《ちんれつ》して、|国政《こくせい》とか|何《なん》とかの|評議《ひやうぎ》の|最中《さいちう》へ|火事《くわじ》がいつたものだから、|親爺《おやぢ》が|驚《おどろ》いて|高欄《かうらん》から|転落《てんらく》し、|腰《こし》を|打《う》つて、|吾《わ》が|部屋《へや》へかつぎこまれ、|媽《かか》アの|世話《せわ》になつたといふ|謎《なぞ》だよ、ハツハハハハ』
『あれマア、|松若彦《まつわかひこ》が|高欄《かうらん》から|転落《てんらく》したことを|誰《たれ》にお|聞《き》きになりましたか』
『そんなことは|霊眼《れいがん》でチヤンと|分《わか》つてるのだ。それだから|国依別《くによりわけ》|自身《じしん》は|神也《かみなり》といつたのだ。|火事《くわじ》に|驚《おどろ》いて|親爺《おやぢ》が|転落《てんらく》したから|火事《くわじ》|親爺《おやぢ》だ』
『その|松若彦《まつわかひこ》で|思《おも》い|出《だ》したが、|今《いま》お|伺《うかが》ひに|参《まゐ》りましたのも|松若彦《まつわかひこ》に|関《くわん》しての|事《こと》でございます。|幸《さいは》ひ|捨子姫《すてこひめ》が|参勤《さんきん》してゐたので、|直《ただ》ちに|自分《じぶん》の|居間《ゐま》へ|担《かつ》ぎ|込《こ》まれ、|捨子姫《すてこひめ》の|介抱《かいはう》を|受《う》けてをります。|妾《わらは》もあまり|可哀《かあい》さうなので|病床《びやうしやう》を|見舞《みま》つてやりましたが、|松若彦《まつわかひこ》は|大変《たいへん》に|憤慨《ふんがい》を|致《いた》してをりますよ』
『それは|廁《かわや》え|相《さう》に|糞外《ふんぐわい》してゐるのだらう。|俺《おれ》だつて|日《ひ》に|一遍《いつぺん》ぐらゐは|高野参《かうやまゐ》りをして|糞外《ふんぐわい》するのだからな、ハツハハハハ』
『|冗談《じようだん》おつしやるも|時《とき》と|場合《ばあひ》によります。|一遍《いつぺん》|彼《かれ》の|言《い》ふことも|聞《き》いてやつていただかねばなりませぬ』
『そりや|聞《き》いてやらぬことはない。|伜《せがれ》や|娘《むすめ》に|揶揄《からか》はれて|薬鑵《やくわん》から|湯気《ゆげ》を|立《た》て、|火事《くわじ》に|二度《にど》|吃驚《びつくり》して|負傷《ふしやう》したといふのだらう。マアいいワイ、|松若彦《まつわかひこ》もモウいい|加減《かげん》に|引込《ひきこ》んでも|可《い》い|時分《じぶん》だからのう』
『どうぞ、|今日《けふ》は|真剣《しんけん》でございますから、|真面目《まじめ》に|聞《き》いて|下《くだ》さいませ。|何時《いつ》も|瓢箪《へうたん》で|鯰《なまづ》を|抑《おさ》へるやうに、ヌルリヌルリと|言霊《ことたま》の|切先《きつさき》をお|外《はづ》し|遊《あそ》ばす|貴方《あなた》のズルサ|加減《かげん》、いつも|風《かぜ》を|繩《なは》で|縛《しば》るやうな|掴《つか》まへ|所《どころ》のない、|困《こま》つた|我《わ》が|君様《きみさま》だと、|松若彦《まつわかひこ》がこぼしてゐましたよ。|無頓着《むとんちやく》も|宜《よろ》しいが、あなたは|何《なん》のために|珍《うづ》の|国《くに》の|国司《こくし》にお|成《な》りなさつたのですか』
『|何《なん》の|為《ため》でもない、|大神様《おほかみさま》や|言依別《ことよりわけ》|様《さま》がお|前《まへ》の|夫《をつと》になつてやつてくれとおつしやつたものだから、|厭《いや》で|叶《かな》はぬ|事《こと》のないお|前《まへ》の|夫《をつと》になつたばかりだ。その|時《とき》にお|前《まへ》も|知《し》つてるだらうが、|大神様《おほかみさま》や|言依別《ことよりわけ》|様《さま》にダメを|押《お》しておいたぢやないか。……|私《わたし》は|若《わか》い|時《とき》から|家潰《いへつぶ》しの|後家倒《ごけたふ》し、|女《をんな》たらしの|野良苦良者《のらくらもの》、こんなガラクタ|人間《にんげん》を|末子姫《すゑこひめ》|様《さま》の|婿《むこ》になさつたところで|駄目《だめ》ですから……といつてお|断《こと》わり|申《まを》し|上《あ》げたら、それが|気《き》に|入《い》つたと|大神様《おほかみさま》がおつしやつたぢやないか。これでも|俺《おれ》は|十分《じふぶん》に|窮屈《きうくつ》な|目《め》を|忍《しの》んで、|勃々《ぼつぼつ》たる|勇気《ゆうき》を|抑《おさ》へ|神命《しんめい》を|守《まも》つてゐるのだ。この|上《うへ》|俺《おれ》に|追及《ついきふ》するのは|殺生《せつしやう》だ。|政治《せいぢ》なんかは|俗物《ぞくぶつ》のやることだ。|老子経《らうしきやう》にいふてあるぢやないか、|太上《たいじやう》|下知有之《しもこれあるをしる》……といつて、|国民《こくみん》がこの|国《くに》に|国王《こくわう》が|有《あ》るといふことだけ|知《し》つてをればそれで|可《い》いのだ。なまじひに、チヨツカイを|出《だ》し、|拙劣《へた》な|政治《せいぢ》でもやつて|見《み》よ、|国依別《くによりわけ》の|名《な》はたちまち|失墜《しつつゐ》し、|引《ひ》いて|大神様《おほかみさま》の|御名《おんな》まで|汚《けが》すぢやないか』
『お|説《せつ》は|御尤《ごもつと》もでございますが、|太上《たいじやう》とは|大昔《おほむかし》のこと、|人智未開《じんちみかい》の|古《いにしへ》なれば、|国《くに》に|王《わう》あることさへ|知《し》れば、それで|民心《みんしん》は|治《をさ》まりましたが、|今日《こんにち》の|世態《せたい》はさういふわけにはゆきますまい』
『|老子経《らうしきやう》には|太上《たいじやう》|下知有之《しもこれあるをしる》、|其次親而誉之《そのつぎはしたしみてこれをほむ》、|其次畏之《そのつぎはこれをおそる》、|其次侮之《そのつぎはこれをあなどる》……と|出《で》てゐるぢやないか。|世《よ》の|中《なか》が|段々《だんだん》|進《すす》むに|連《つ》れ、|徳《とく》がおちて|来《く》ると|慈善《じぜん》だとか、|救済《きうさい》だとかいつて、|万衆《ばんしう》の|機嫌《きげん》を|取《と》らねばならぬやうになつて|来《く》る。そこで|万衆《ばんしう》に|施《ほどこ》しをするから|仁者《じんしや》だ、|尭舜《げうしゆん》の|御世《みよ》だと|言《い》つて|頭主《とうしゆ》をほめるのだ、|其《そ》の|次《つぎ》に|之《これ》を|畏《おそ》るといふことはつまり|斯《か》うだ、|余《あま》り|頭主《とうしゆ》の|仁慈《じんじ》に|狎《な》れて、|衆生《しゆじやう》が|気儘《きまま》になり、|慢心《まんしん》した|結果《けつくわ》、|不正義《ふせいぎ》をたくらんだり、|強盗《がうたう》|殺人《さつじん》|放火《はうくわ》|等《とう》あらゆる|悪事《あくじ》を|敢行《かんかう》し、|世《よ》の|中《なか》の|秩序《ちつじよ》を|紊《みだ》すやうになつて|来《く》る。そこで|頭主《とうしゆ》は|厳《きび》しい|法規《はふき》を|設《まう》けて、|善《ぜん》を|賞《しやう》し、|悪《あく》を|罰《ばつ》するやうになつて|来《く》る。|丁度《ちやうど》|八衢《やちまた》の|白赤《しろあか》の|守衛《しゆゑい》を|勤《つと》めるやうなものだ。それならまだしも|可《い》いが、|世《よ》が|段々《だんだん》|進《すす》むと、|其《そ》の|次《つぎ》には|之《これ》を|侮《あなど》るといふ|事《こと》になつてくる。|遂《つひ》に|衆生《しゆじやう》|心《しん》|汚濁《をぢよく》して|頭主《とうしゆ》|大老《たいらう》|豈種《あにしゆ》あらむやなど|称《とな》ふる|馬鹿者《ばかもの》が|出来《でき》て|来《く》る。|要《えう》するに|頭主《とうしゆ》たる|名《な》は|神《かみ》の|代表者《だいへうしや》として、|国《くに》の|中心《ちうしん》に|立《た》つてゐれば|可《い》いのだ。|色々《いろいろ》な|小刀細工《こがたなざいく》をするやうなことでは|最早《もはや》|駄目《だめ》だ。だからこの|国依別《くによりわけ》は|珍《うづ》の|国《くに》の|衆生《しゆじやう》からは|国司《こくし》と|仰《あふ》がれてゐるが、|自分《じぶん》としては|国司《こくし》でも|何《なん》でもないヤハリ|一個《いつこ》の|国依別《くによりわけ》、|元《もと》の|宗彦《むねひこ》だ。|誰《たれ》が……|馬鹿《ばか》らしい、|大《おほ》きな|面《つら》をして|表《おもて》へ|出《で》られるものか……アーア』
と|大欠伸《おほあくび》をし、|両手《りやうて》の|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて|頭上《づじやう》|高《たか》く|差《さ》し|上《あ》げた。
『モウ|仕方《しかた》がありませぬ。|何時《いつ》も|貴方《あなた》はそれだから|愚昧《ぐまい》な|妾《わらは》の|言《い》ふことは|一口《ひとくち》に|茶化《ちやくわ》されてしまひますからね。しかしながら|我《わ》が|君様《きみさま》、あまり|貴方《あなた》は|天然教育《てんねんけういく》とか|自然教育《しぜんけういく》とかおつしやつて、|二人《ふたり》の|子供《こども》を|気儘《きまま》に|放任《はうにん》しておかれたものだから、|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|老臣《らうしん》に|向《む》かひ、|傍若無人《ばうじやくぶじん》の|暴言《ぼうげん》を|吐《は》き、……お|前《まへ》のやうな|骨董品《こつとうひん》は|一時《いちじ》も|早《はや》く|引退《いんたい》した|方《はう》が|国家《こくか》の|利益《りえき》だとか|衆生《しゆじやう》の|幸福《かうふく》だらう……とか|言《い》つたさうですよ。|何《なに》ほど|放任教育《はうにんけういく》がよいといつても、チツとは|教誡《けうかい》を|与《あた》へて|下《くだ》さらぬと|困《こま》るぢやありませぬか』
『|子供《こども》の|教育《けういく》は|母《はは》にあるのだ。お|前《まへ》は|世《よ》のいはゆる|良妻賢母《りようさいけんぼ》だから|困《こま》るのだ。|賢妻良母《けんさいりやうぼ》でなくては|本当《ほんたう》の|教育《けういく》は|出来《でき》ないよ。|国依別《くによりわけ》は|教育家《けういくか》でもなければ|子守《こもり》でもなし、|家庭教師《かていけうし》でもないから、そんなことア|畑違《はたけちが》ひだよ。しかしあの|時代遅《じだいおく》れの|親爺連《おやぢれん》に、|伜《せがれ》も|娘《むすめ》も|引退《いんたい》を|迫《せま》つたといふのか、さすがは|俺《おれ》の|子《こ》だ、アア|感心々々《かんしんかんしん》。この|父《ちち》にしてこの|子《こ》あり、|国依別《くによりわけ》|知己《ちき》を|得《え》たりといふべしだ、アツハハハハ』
『アア|困《こま》つたことになつたものだなア。まるで|我《わ》が|君様《きみさま》に|向《む》かつては|如何《いか》なる|箴言《しんげん》も|豆腐《とうふ》に|鎹《かすがひ》、|糠《ぬか》に|釘《くぎ》だワ。|此《こ》のままにして|放任《はうにん》しておかうものなら、|伜《せがれ》も|娘《むすめ》も|新《あたら》しがつて|乗馬生活《じやうめせいくわつ》を|捨《す》て、|両親《りやうしん》を|捨《す》て、どこへ|逐電《ちくでん》するか|分《わか》らないと|気《き》が|揉《も》めてならないのですワ。|松若彦《まつわかひこ》もそれが|心配《しんぱい》でならないといつてゐましたよ』
『|伜《せがれ》も|娘《むすめ》も|乗馬生活《じやうめせいくわつ》を|嫌《きら》つて|何《いづ》れは|出《で》るだらう。|何《なん》といつても、|俺《おれ》の|血《ち》を|受《う》けてる|子供《こども》だからな。|今《いま》こそ|斯《か》うして|珍《うづ》の|国《くに》の|国司《こくし》の|仮名《かめい》に|捉《とら》はれ、|鍍金的《めつきてき》|権威《けんゐ》を|保《たも》つてすまし|込《こ》んでゐるものの、|元《もと》を|糾《ただ》せば、お|勝《かつ》と|巡礼《じゆんれい》をしてをつた|宗彦《むねひこ》の|成《な》れの|果《はて》だ、その|伜《せがれ》だもの|当然《たうぜん》だよ。|親《おや》に|似《に》ぬ|子《こ》は|鬼子《おにご》といふから、|俺《おれ》もヤツパリ|誠《まこと》の|子《こ》を|持《も》つたと|見《み》えるワイ、アツハハハハ。オイ|末子姫《すゑこひめ》、|人間《にんげん》は|教育《けういく》が|肝心《かんじん》だよ。|教育《けういく》の|行方《やりかた》によつて、|人物《じんぶつ》が|大《おほ》きくもなり|小《ちひ》さくもなるのだからな』
『ホホホホホ、|教育《けういく》が|聞《き》いて|呆《あき》れますワ。あなたの|教育《けういく》の|教《けう》は|獣扁《けものへん》に|王《わう》の|狂《きやう》でせう』
『|無論《むろん》|獣《けもの》でも|王《わう》になれば|結構《けつこう》だが、しかし|俺《おれ》のいふ|教育《けういく》の|教《けう》はそんなのではない。|森林《しんりん》の|中《なか》に|雲《くも》を|凌《しの》いで|聳《そび》え|立《た》つ|喬木《けうぼく》の|喬《けう》だ。|現代《げんだい》のやうな|教育《けういく》の|行方《やりかた》では、|床《とこ》の|間《ま》に|飾《かざ》る|盆栽《ぼんさい》は|作《つく》れても、|柱《はしら》になる|良材《りやうざい》は|出来《でき》ない。|野生《やせい》の|杉《すぎ》|檜《ひのき》|松《まつ》などは、|少《すこ》しも|人工《じんこう》を|加《くは》へず、|惟神《かむながら》のままに|生育《せいいく》してゐるから、|立派《りつぱ》な|柱《はしら》となるのだ。|今日《こんにち》のやうに|児童《じどう》の|性能《せいのう》や|天才《てんさい》を|無視《むし》して、|圧迫教育《あつぱくけういく》や|詰込教育《つめこみけういく》を|施《ほどこ》し、せつかく|大木《たいぼく》にならうとする|若木《わかぎ》に|針金《はりがね》を|巻《ま》いたり、|心《しん》を|摘《つ》んだり、つつぱりをかふたりして、|小《ちひ》さい|鉢《はち》に|入《い》れてしまふものだから、|碌《ろく》な|人間《にんげん》は|一《ひと》つも|出来《でき》やしない。|惟神《かむながら》に|任《まか》して、|思《おも》ふままに|子供《こども》を|発達《はつたつ》させ、|智能《ちのう》を|伸長《しんちやう》させるのが|真《しん》の|教育《けういく》だ。|大魚《たいぎよ》は|小池《こいけ》に|棲《す》まず、|伜《せがれ》もよほど|人格《じんかく》を|練《ね》り|上《あ》げたと|見《み》えて、この|狭《せま》い|高砂城《たかさごじやう》が|窮屈《きうくつ》になつたとみえる。それでこそ|世界的《せかいてき》|人物《じんぶつ》だ、いや|崇敬《すうけい》すべき|人格者《じんかくしや》だ、てもさても|神様《かみさま》の|御恵《みめぐ》み|有難《ありがた》う|感謝《かんしや》いたします』
と|拍手《はくしゆ》しながら|神殿《しんでん》に|向《む》かつて|拝礼《はいれい》する。|末子姫《すゑこひめ》は|余《あま》りのことに|呆《あき》れ|果《は》て、|返《かへ》す|言葉《ことば》も|知《し》らなかつた。
(大正一三・一・二二 旧一二・一二・一七 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第四章 |国《くに》の|光《ひかり》〔一七四九〕
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|大都会《だいとくわい》にも、|世《よ》の|変遷《へんせん》につれて|立《た》チン|坊《ばう》や|貧民窟《ひんみんくつ》が、|場末《ばすゑ》の|方《はう》には、かなり|沢山《たくさん》に|出来《でき》た。そして|国依別《くによりわけ》の|国司《こくし》に|対《たい》しては|余《あま》り|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》も|放《はな》たなかつたが、|松若彦《まつわかひこ》|以下《いか》の|施政方針《しせいはうしん》については、|至《いた》るところに|不平《ふへい》の|声《こゑ》が|勃発《ぼつぱつ》し、いつ|不祥事件《ふしやうじけん》が|突発《とつぱつ》するかも|分《わか》らないやうになつて|来《き》た。|人力車《くるま》の|帳場《ちやうば》に|二三人《にさんにん》の|輓《ひ》き|子《こ》があぐら|座《ざ》になつて、|配達《はいたつ》して|来《く》る|新聞紙《しんぶんし》を|読《よ》みながら、|捩鉢巻《ねじはちまき》したまま|政治談《せいぢだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
|甲《かふ》『オイ|愛州《あいしう》、つまらぬぢやないか、|俺《おれ》たちは|朝《あさ》から|晩《ばん》まで、|額《ひたひ》に|汗《あせ》をし|埃《ほこり》まぶれになつて、ゼントルメンとかいふ|奴《やつ》の|馬《うま》となり、|重《おも》たいゴム|輪《わ》をひいて|送《おく》つてやつたところで、|御苦労《ごくらう》とも|吐《ぬ》かさず、お|札《ふだ》さまを|一枚《いちまい》ほど|与《あた》へられ、ヘイヘイハイハイと|米《こめ》つきバツタよろしくといふ|体裁《ていさい》で|生活《せいくわつ》を|送《おく》つてゐるのだが、|此《この》|世《よ》に|平等愛《べうどうあい》の|神《かみ》がござるとすれば、なぜ|何時《いつ》までも、こんなみじめな|生涯《しやうがい》に|俺《おれ》|達《たち》を|見《み》すてておくのだらうか、|本当《ほんたう》に|合点《がつてん》がゆかぬ』
|愛《あい》『オイ|浅《あさ》、|今日《けふ》もまた|弱音《よわね》を|吹《ふ》くのか、チツとしつかりせい。|車輓《くるまひき》だつて、さう|悲観《ひくわん》したものだない。|珍《うづ》の|都《みやこ》の|国司《こくし》だつて、|若《わか》い|時《とき》は、バラモン|教《けう》の|巡礼《じゆんれい》にもなり、|人《ひと》の|門《かど》に|立《た》つて|乞食《こじき》もなさつたといふ|事《こと》だ。|車夫《しやふ》だつて|時《とき》が|来《く》れば、どんな|出世《しゆつせ》が|出来《でき》よまいものでもないワ。なア|国公《くにこう》、お|前《まへ》どう|思《おも》ふか』
|国《くに》『ウン、そらさうだ。あまり|苦《く》にする|必要《ひつえう》もあるまい。|己《おれ》がたつた|今《いま》、アルゼンチンの|大統領《だいとうりやう》となつてお|前《まへ》たちを|救《すく》うてやるから|楽《たの》しんで|待《ま》つてゐるが|宜《よ》いワ。|何《なん》といつても|国《くに》さんは|国《くに》の|代表者《だいへうしや》……オツとドツコイ|国《くに》の|柱《はしら》だからなア』
|浅《あさ》『ヘン、|偉《えら》さうに|言《い》ふない、|蛇《じや》は|寸《すん》にして|人《ひと》を|呑《の》む、|栴檀《せんだん》は|二葉《ふたば》より|芳《かん》ばしいといふぢやないか、お|前《まへ》のやうな|青瓢箪《あをべうたん》の|蒲柳性《ほりうせい》の|肉体《にくたい》を|持《も》つてゐて、どうしてそんな|大《だい》それた|事《こと》が|出来《でき》やうかい、|法螺《ほら》を|吹《ふ》くも|程《ほど》があるワイ』
『マア|見《み》ておれ、|新政党《しんせいたう》でも|組織《そしき》して|衆生《しゆじやう》を|教導《けうだう》し、|捲土重来《けんどぢうらい》、タコマ|山《やま》の|風雲《ふううん》をまき|起《おこ》し、|一挙《いつきよ》にして|天教《てんけう》|地教《ちけう》の|山《やま》を|踏《ふ》み|砕《くだ》き、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|建設《けんせつ》してみせる。|俺《おれ》は|天下《てんか》の|救世主《きうせいしゆ》だからなア。|汝《きさま》のやうに|与力《よりき》|同心《どうしん》が|恐《おそ》ろしうて、|自転倒島《おのころじま》の|地震《ぢしん》のやうにビリビリ|慄《ふる》つてゐるやうな|天《あま》ん|若《じやく》は|例外《れいぐわい》だが、|俺《おれ》たちは、|俺《おれ》たちとしての|成案《せいあん》が|十二分《じふにぶん》にあるのだ』
『ヘン、|誰《たれ》が|慄《ふる》うてゐるか、|国《くに》、|汝《きさま》こそ|陰弁慶《かげべんけい》の|外《そと》すぼり、|朝寒《あさざむ》にボロ|一枚《いちまい》で|慄《ふる》ひ|通《とほ》してゐるだないか。あまり|振《ふる》つた|事《こと》をいふと、|車夫仲間《しやふなかま》から|除名《ぢよめい》するぞ、アン』
『ハハハハ、|慄《ふる》ふのは|此《この》|頃《ごろ》の|流行物《りうかうぶつ》だ。|不断的《ふだんてき》の|大地《だいち》の|震動《しんどう》は|言《い》ふも|更《さら》なりだが、|先《ま》づ|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》どもの|行《や》る|事《こと》を|考《かんが》へてみよ。みな|慄《ふる》うてるだないか。|汝《きさま》が|女房《にようばう》をもらうた|時《とき》にも|三々九度《さんさんくど》を|行《や》つただらう。その|時《とき》には|手《て》が|慄《ふる》ひ|胴体《どうたい》まで|慄《ふる》うたといふだないか。|始《はじ》めての|泥棒《どろばう》に、|近所《きんじよ》の|火事《くわじ》、|遺書《かきおき》の|文句《もんく》、|女房《にようばう》からもらうた|三行半《みくだりはん》をよむ|時《とき》、|始《はじ》めての|大道演説《だいだうえんぜつ》、|葱《ねぶか》の|義太夫《ぎだいう》に|出刃庖丁《でばばうちやう》の|小包《こづつみ》をもらうた|時《とき》、|取締《とりしまり》に|一喝《いつかつ》された|時《とき》、|咬《か》んだ|唇《くちびる》、|弱虫《よわむし》の|夜道《よみち》、|死刑《しけい》の|宣告《せんこく》、まあザツとこんなものだ、|皆《みな》ふるつてゐるだらう。|慄《ふる》ふのが|今日《こんにち》の|世態《せたい》だ。|普選即行《ふせんそくかう》だといつて、|衆生《しゆじやう》が|一致団結《いつちだんけつ》、|城下《じやうか》に|迫《せま》るや|否《いな》や、|元老《げんらう》の|自由《じいう》とか|言論《げんろん》の|自由《じいう》とかが、|圧迫《あつぱく》するとか、|圧迫《あつぱく》されたとかいつてふるひ|落《お》とされるだないか。|清遊会《せいいうくわい》でさへも|分裂《ぶんれつ》して|新党《しんたう》を|樹《た》て、|悪玉《あくだま》をふるひおとしてゐるだないか。まだもふるふてゐるのは、|古手親爺《ふるておやぢ》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》だ。|車夫《しやふ》だつて、|古《ふる》くなりや|車《くるま》もロクに|輓《ひ》けやしないぞ。|車夫組合《しやふくみあひ》でも|作《つく》つて、お|前《まへ》たちのやうな|老齢《らうれい》|職《しよく》にたへざる|者《もの》は|振《ふる》ひおとす|考《かんが》へだ、イツヒヒヒヒヒ』
『オイ|愛公《あいこう》、|汝《きさま》も|一《ひと》つ|加勢《かせい》してくれ、|国公《くにこう》は|其《その》|筋《すぢ》の|犬《いぬ》かも|知《し》れないよ。どうみても|乗馬面《じやうめづら》をしてゐるだないか。|松若彦《まつわかひこ》の|奴《やつ》、|世《よ》の|中《なか》が|怖《おそ》ろしくなつたものだから、|俺等《おれたち》の|仲間《なかま》の|様子《やうす》を|考《かんが》へようと|思《おも》つて|国公《くにこう》をよこしよつたのかも|知《し》れぬ。|此奴《こいつ》、|車夫《しやふ》に|似合《にあ》はぬ|銭使《ぜにつか》ひがあらい。そしていつも|帳場《ちやうば》に|坐《すわ》つて、|足《あし》が|痛《いた》いの|腰《こし》が|痛《いた》いのと|吐《ぬ》かして、|一度《いちど》も|客《きやく》を|乗《の》せた|事《こと》はないぢやないか。うつかりしてると|足許《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》つやうな|目《め》に|会《あ》はされるかも|知《し》れぬぞ。|俺《おれ》たち|下層社会《かそうしやくわい》の|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》つてる|奴《やつ》だから、どうだ|今《いま》の|内《うち》に|殺《たた》んで|了《しま》はふだないか、エエーー』
|愛《あい》『オイ|浅《あさ》、|汝《きさま》は|国公《くにこう》を|今《いま》まで|普通《ふつう》の|車夫《しやふ》と|思《おも》つてゐたのか、エエトンマだな。そんなウス|鈍《のろ》では|車夫《しやふ》だつて|勤《つと》まりやしないぞ。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》の|有様《ありさま》を|考《かんが》へてみろ、|宣伝使《せんでんし》や|比丘《びく》の|連中《れんちう》はいかめしく|法衣《ほふい》をまとつて|淫事《いんじ》にふけり、|神仏《しんぶつ》を|悪用《あくよう》して|正直《しやうぢき》な|人間《にんげん》をだまし、|武士《さむらい》は|銭《ぜに》を|愛《あい》し、|暫消《ざんせう》の|力《ちから》を|悪用《あくよう》して|衆生《しゆじやう》を|圧迫《あつぱく》し、|黄金力《わうごんりよく》を|濫用《らんよう》してトラストを|作《つく》り、|利権《りけん》を|獲得《くわくとく》し、|不時《ふじ》の|災害《さいがい》に|附《つ》け|込《こ》んで|暴利《ばうり》を|貪《むさぼ》る|商人《せうにん》が|頻出《ひんしゆつ》し、|懺悔《ざんげ》の|生活《せいくわつ》を|喰物《くひもの》にする|偽君子《ぎくんし》が|現《あら》はれた|世《よ》の|中《なか》だ。|俺《おれ》たちのやうにボロ|車《ぐるま》を|輓《ひ》いたり、その|間《あひだ》には|俯向《うつむ》いて|土《つち》を|掘《ほ》り、|汗《あせ》や|脂《あぶら》で|取《と》り|上《あ》げた|収獲《しうくわく》を|吸《す》ひとられ、|本当《ほんたう》に|地獄道《ぢごくだう》の|生活《せいくわつ》をしてゐるやうなものだ。|大《おほ》きな|面《つら》をしてゐやがる|連中《れんちう》は、|懐手《ふところで》で|握《にぎ》り|睾丸《きんたま》で|飯《めし》をくらひ、|白昼《はくちう》|大道《だいだう》の|真中《まんなか》を|自動車《じどうしや》の|土埃《つちぼこり》を|立《た》てながら、|売笑婦《ばいた》と|共《とも》にかけ|廻《まは》り、|人《ひと》の|迷惑《めいわく》はそ|知《し》らぬ|顔《かほ》、おまけに|俺《おれ》たちの|子供《こども》を|引《ひ》き|倒《たふ》しておいて、|屁《へ》|一《ひと》つ|放《ひ》りかけてゆくといふ|不人情《ふにんじやう》な、|不合理《ふがふり》な、|不正義《ふせいぎ》な|無人道《むじんだう》な|世《よ》の|中《なか》を|誰《たれ》だつて|歎《なげ》かないものがあらうか。|俺《おれ》|達《たち》はこれからかふいふ|邪道《じやだう》を|通《とほ》る|横着者《わうちやくもの》の|内面《ないめん》をことごとく|暴露《ばくろ》し、|天地《てんち》の|道理《だうり》を|明《あき》らかにして、|純真《じゆんしん》な|人道《じんだう》に|返《かへ》し、この|宇宙《うちう》をして|光明世界《くわうみやうせかい》に|捩直《ねぢなほ》さねばならないのだ。|実《じつ》のところを|言《い》へば、この|国《くに》さまもこの|愛《あい》さまも、|生《うま》れついての|車夫《しやふ》だない。ちよつと|様子《やうす》があつて|社会改造《しやくわいかいざう》のために、|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》をすて、|両親《りやうしん》や|家来《けらい》に|叛《そむ》いて、|貧民窟《ひんみんくつ》の|研究《けんきう》にかかつてゐるのだ。|実際《じつさい》の|事《こと》いへばお|前《まへ》たちは|可哀《かあい》さうなものだ。|弥勒菩薩《みろくぼさつ》は|土《つち》から|現《あら》はれるといふことだが、|今日《こんにち》の|乗馬社会《じやうめしやくわい》には|吾々《われわれ》を|徹底的《てつていてき》に|救《すく》うてくれるやうな|聖人君子《せいじんくんし》は|現《あら》はれないだらう。それだから|俺《おれ》たちも|身《み》を|下《くだ》して|下層社会《かそうしやくわい》の|仲間《なかま》に|入《い》り、|民情《みんじやう》を|研究《けんきう》してゐるのだ。しかしながら|最早《もはや》|天運循環《てんうんじゆんくわん》、|上下《うへした》|揃《そろ》へて|桝《ます》かけひきならす、といふ|御神勅《ごしんちよく》の|実現期《じつげんき》が|近付《ちかづ》いたのだから、まア|安心《あんしん》し|玉《たま》へ。やがて|普選《ふせん》にもなるだらうから、その|時《とき》はお|前《まへ》も|代議士《だいぎし》の|名乗《なの》りを|上《あ》げて|議政壇上《ぎせいだんじやう》に|咆哮《はうかう》し、|珍《うづ》の|天地《てんち》を|昔《むかし》の|神代《かみよ》に|返《かへ》すのだな、アツハハハハ』
|浅《あさ》『|果《はた》して|普選《ふせん》が|即行《そくかう》され、|俺《おれ》|達《たち》でも|代議士《だいぎし》になつて|社会《しやくわい》の|為《ため》に|尽《つく》すやうなことがあるだらうかな。|凡《すべ》て|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふやうに|行《ゆ》かぬものだ。まして|現代《げんだい》のごとき|信用《しんよう》の|出来《でき》ぬ|世《よ》の|中《なか》では、|俺《おれ》たちを|買《か》うてくれるものはあるまい。|何《なに》ほど|普選《ふせん》を|即行《そくかう》しても、やはりゼントルマンが|黄白《くわうはく》をまきちらして、ますます|俺《おれ》|達《たち》を|泥濘《でいねい》の|中《なか》へつき|落《お》とすに|違《ちが》ひなからうと|思《おも》ふよ。|何故《なぜ》にまたこれほど|虚偽《きよぎ》と|罪悪《ざいあく》に|充《み》ちた|世《よ》の|中《なか》だらう。よく|考《かんが》へて|見《み》ろ、|一《ひと》つだつて|信用《しんよう》されることはないぢやないか。|地震博士《ぢしんはかせ》の|予言《よげん》、|天気予報《てんきよはう》、|海老茶式部《ゑびちやしきぶ》の|兄《にい》さまといひ、|媒介者《なかうど》の|口《くち》からいふ|初婚《しよこん》と|品行問題《ひんかうもんだい》、|新聞《しんぶん》の|攻撃記事《こうげききじ》にはかの|中止《ちうし》、|如何《いか》なる|重症《ぢうしやう》も|一週間《いつしうかん》に|根治《こんぢ》するといふ|梨田《なしだ》ドラックの|広告《くわうこく》、|新聞《しんぶん》|雑誌《ざつし》の|発行部数《はつかうぶすう》、|福引《ふくびき》の|一等当選品《いつとうたうせんひん》の|行方《ゆくへ》、|葬礼《さうれい》の|出棺時間《しゆつくわんじかん》、|売薬屋《ばいやくや》のお|礼《れい》|広告《くわうこく》、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》|満員《まんゐん》|大入《おほいり》の|提灯持《ちやうちんも》ち、|正何時《しやうなんじ》に|御来会《ごらいくわい》|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》、|天下無比《てんかむひ》の|大勉強店《だいべんきやうてん》は|弊店《へいてん》のみ、と、|何《なに》から|何《なに》まで|嘘《うそ》で|固《かた》めた|世《よ》の|中《なか》ぢやないか。|普選《ふせん》だつて、やつぱり|売薬屋《ばいやくや》の|広告《くわうこく》|同様《どうやう》で、|一時《いちじ》のがれの|人気取《にんきと》りだらうよ。|俺《おれ》は|決《けつ》してここ|二年《にねん》や|三年《さんねん》の|間《あひだ》には|普選《ふせん》が|実行《じつかう》されるものとは|思《おも》はないね。マア|孫《まご》の|代《だい》ぐらゐになつたら、せうことなしに|普選《ふせん》|断行《だんかう》と|出《で》かけるだらうよ。それよりも|俥夫《しやふ》は|俥夫《しやふ》としての|立場《たちば》から、|一文《いちもん》でも|高値《たかね》を|吹《ふ》きかけて、|不当《ふたう》の|賃銭《ちんせん》を|取《と》つてやるのだなア。お|前《まへ》たち|両人《ふたり》は|何《なん》だか|乗馬出《じやうめで》のやうな|口吻《くちぶり》をもらしてゐたが、|自分《じぶん》から|名乗《なの》る|奴《やつ》にロクな|奴《やつ》アありやしないワ。おほかた|稲田大学《いなだだいがく》の|落第生《らくだいせい》ぐらゐだらうよ。|取締《とりしまり》にもなれず、|教員《けうゐん》にもなれず、|政治家《せいぢか》になるには|金《かね》が|要《い》るし、|放蕩《はうたう》の|結果《けつくわ》|俥夫《しやふ》に|成《な》り|下《さが》り、|見事《みごと》|理窟《りくつ》だけ|覚《おぼ》えて|来《き》て|法螺《ほら》を|吹《ふ》いてるのだらう。|俺《おれ》の|霊眼《れいがん》に、|汝《きさま》の|顔《かほ》に|堕落生《だらくせい》だと|書《か》いてあるのが|見《み》えすいてゐるのだからな、ウツフツフフ』
と|互《たが》ひに|不得要領《ふとくえうりやう》な|法螺《ほら》を|言《い》ひかはしてゐる。|其処《そこ》へ|靴音《くつおと》|忍《しの》ばせやつて|来《き》たのは|交通係《かうつうがかり》の|印《しるし》を|腕《うで》に|巻《ま》いた|色《いろ》の|青白《あをじろ》い|営養不良的《えいやうふりやうてき》な|面《つら》をした|取締《とりしまり》であつた。|三人《さんにん》は|思《おも》はず、かいてゐた|胡坐《あぐら》を|元《もと》へ|直《なほ》し、キチンとすわり|込《こ》んだまま|取締《とりしまり》の|面《かほ》を|見上《みあ》げた。
(大正一三・一・一九 旧一二・一二・一四 於道後ホテル 松村真澄録)
第五章 |性明《せいめい》〔一七五〇〕
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|町《まち》はづれ、|深溝町《ふかみぞちやう》の|俥帳場《くるまちやうば》に|国《くに》、|愛《あい》、|浅《あさ》|三名《さんめい》の|輓子《ひきこ》が|大気焔《だいきえん》を|挙《あ》げてゐるところへ、|交通取締《かうつうとりしまり》の|青白《あをじろ》い|瘠《や》せこけた|先生《せんせい》が|三人《さんにん》の|話《はなし》を|立聞《たちぎ》きした|上《うへ》、|素知《そし》らぬ|面《かほ》してツツと|這入《はい》つて|来《き》た。そして|厭《いや》らしい|目《め》をギヨロつかせてゐる。|三人《さんにん》は|今《いま》の|話《はなし》をこの|取締《とりしまり》に|聞《き》かれたのではないかと、いささか|胸部《きやうぶ》に|動揺《どうえう》を|感《かん》じたが、キチンと|行儀《ぎやうぎ》よく|坐《すわ》り|直《なほ》し|素知《そし》らぬ|顔《かほ》。
|浅《あさ》『ヘー、|旦那《だんな》|何用《なによう》でございます。|車体《しやたい》の|検査《けんさ》でございますか。|二三日前《にさんにちまへ》にお|役所《やくしよ》へ|行《い》つて|査《しら》べてもらつたばかりの|健康車体《けんかうしやたい》でございますから、めつたにお|客《きやく》さまを|泥道《どろみち》に|転覆《てんぷく》させるやうな|気遣《きづか》ひはございやせぬ。どうぞ|早《はや》く|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。あなたが|店《みせ》に|永《なが》くゐられますと、|何《なん》だか|博奕《ばくち》でもうつてゐて、またお|叱言《こごと》を|頂戴《ちやうだい》してるのぢやなからうかと、|客《きやく》が|怖《こは》がつて|寄《よ》りつきませぬ。さうすれば、たアちまち、|吾々《われわれ》の|鼻《はな》の|下《した》が|干上《ひあが》つてしまひます。ドツサリと|膏《あぶら》は|取《と》られ、|車体《しやたい》の|修繕《しうぜん》は|命《めい》ぜられ、おまけに|営業《えいげふ》の|妨害《ばうがい》をせられては、|俥夫《しやふ》だつてやり|切《き》れませぬからね』
|取締《とりしまり》『イヤ、|車体検査《しやたいけんさ》でも|何《なん》でもない、|僕《ぼく》は|交通取締《かうつうとりしまり》だ。あまり|面白《おもしろ》さうに|政治談《せいぢだん》が|流行《はや》つてをつたので、|僕《ぼく》も|一《ひと》つ|聞《き》きたいと|思《おも》つて|這入《はい》つて|来《き》たのだ。ずゐぶん|偉《えら》い|気焔《きえん》を|上《あ》げたものだな。|僕《ぼく》だつて|稲田大学《いなだだいがく》の|堕落生《だらくせい》だから、|君等《きみら》と|同《おな》じ|仲間《なかま》だよ。|先《ま》づ|安心《あんしん》して|胸襟《きようきん》を|開《ひら》いて、|君《きみ》の|抱負《はうふ》を|聞《き》かしてくれ|玉《たま》へ、アーン』
『ヘン、|今《いま》の|取締《とりしまり》は|何《なん》とか|彼《か》とかいつて|衆生《しゆじやう》の|気《き》に|合《あ》ふやうなお|世辞《せじ》をいひ、|臓腑《はらわた》の|底《そこ》まで|喋《しやべ》らしておいて、ソツと|役頭《やくがしら》に|上申《じやうしん》し、ご|褒美《ほうび》をもらふ|事《こと》ばかり|考《かんが》へてゐるのだから、|滅多《めつた》に|政治談《せいぢだん》などは|話《はな》せないのだ。|何《なに》ほど|取締《とりしまり》だつて|俺《おれ》たちの|汗膏《あせあぶら》で|飯《めし》を|食《く》つてゐるのだ。|言《い》はば|俺等《おれたち》は|旦那《だんな》さまだから、あまり|横柄《わうへい》に|言《い》はないやうにしてくれ。これまでタツタ|今《いま》|普選施行《ふせんしかう》になれば|天下《てんか》の|代議士《だいぎし》だからなア』
『ハハハ、ソロソロ|臓腑《はらわた》を|見《み》せ|出《だ》したな。ヤ|面白《おもしろ》い、|僕《ぼく》も|賛成《さんせい》だ。|君《きみ》が|立候補《りつこうほ》をやつたら、|僕《ぼく》を|買収《ばいしう》して|呉《く》れたまへ。|僕《ぼく》も|一票《いつぺう》の|権利《けんり》はあるんだからな』
『ヘン、|君等《きみたち》の|一票《いつぺう》が|何《なん》になる。|君等《きみたち》に|投票《とうへう》してもらふために|金《かね》を|出《だ》すのならば、モチツとらしい|人間《にんげん》に|投票《とうへう》してもらふワ、ヘン、|済《す》みまへんな』
『|大老《たいらう》だつて、|清家《せいか》だつて、|富豪《ふがう》だつて、|俺《おれ》だつて|君《きみ》だつて、|矢《や》つぱり|権利《けんり》は|一票《いつぺう》だ。|買喰大将《かひぐひたいしやう》の|一票《いつぺう》も、|俺《おれ》たちの|一票《いつぺう》も|効能《ききめ》は|同《おな》じことだ。あまり|見《み》くびつてくれない』
『フーン、そんなものか。さうすると、|俺《おれ》たちも|買喰大将《かひぐひたいしやう》も|普選即行《ふせんそくかう》となれば|同等《どうとう》だな。ヨシうまい、それでは|労働者《らうどうしや》を|味方《みかた》につけ、|大《おほ》いにやつて|見《み》やうかな、|大政党《だいせいたう》を|組織《そしき》して|党首《たうしゆ》となり、|内閣《ないかく》をとつて|衆生《しゆじやう》のために|大《おほ》いに|経綸《けいりん》を|行《おこな》ふつもりだ、イツヒツヒ。その|時《とき》には|君《きみ》も|滅多《めつた》に|交通取締《かうつうとりしまり》ぐらゐはさしておかないよ。ドツと|抜擢《ばつてき》して|大目付《おほめつけ》ぐらゐには|任《にん》じてやるからな』
『アツハハハハ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い……|時《とき》に、|君《きみ》は|国《くに》さま、|愛《あい》さまでないか。どうして|又《また》こんな|所《ところ》にこんな|商売《しやうばい》をしてゐるのだ。モウ|隠《かく》しても|駄目《だめ》だから、|何《なに》もかも|言《い》つてもらひたい』
|国《くに》『|僕《ぼく》は|国《くに》さまでも|何《なん》でもないよ、|黒《くろ》さまだよ。だから|下層階級《かそうかいきふ》に|帳場《ちやうば》の|哥兄《あにい》をして|苦労《くらう》をしてをるのだ。あまり|見違《みちが》へてもらふまいかい。それよりも|早《はや》く|四辻《よつつじ》に|立《た》たないか。また|田車《でんしや》と|児童車《じどうしや》の|衝突《しようとつ》があつちや、たちまち|雄《おん》とか|雌《めん》とかの|字《じ》を|頂戴《ちやうだい》して、おまけに|煙多《けむた》イ|所《ところ》へブチ|込《こ》まれねばならぬやうな|羽目《はめ》に|陥《おちい》るぞ』
|取締《とりしまり》『|何《なん》とマア、|君《きみ》は|偉《えら》いものだね。よく|変相《へんさう》した|者《もの》だ。|隠《かく》しても|駄目《だめ》だよ。しかしながら|君《きみ》の|行動《かうどう》は|僕《ぼく》もずゐぶん|気《き》に|入《い》つたね。|児童車《じどうしや》や|田車《でんしや》が|衝突《しようとつ》したつて|何《なん》だい。|将来《しやうらい》|見込《みこ》みのある|君《きみ》の|乾児《こぶん》になれば、|今日《けふ》からこの|十手《じつて》を|棒《ぼう》に|振《ふ》つたつて|恨《うら》むことはない。あの|児童車《じどうしや》には、いつもブルブル|階級《かいきふ》が|狸町《たぬきまち》の|芸者《げいしや》を|乗《の》せて、そり|返《かへ》つてゐやがるのだから、|一遍《いつぺん》ぐらゐ|衝突《しようとつ》さしてやつたら|却《かへ》つて|通街《つうがい》だ、アツハハハハ』
『これは|怪《け》しからぬ。|汝《おまへ》は|食務《しよくむ》に|不忠実《ふちうじつ》な|奴《やつ》だな』
『ナニ、それが|却《かへ》つて|忠実《ちうじつ》になるのだよ』
|愛《あい》『ハハア、たうとう|白状《はくじやう》しやがつたな。|交通取締《かうつうとりしまり》とは|表面《うはべ》を|詐《いつは》る|口答鼠輩《ごとごと》だな。|何《なん》だか|怪《あや》しい|目《め》をしてゐると|思《おも》つた。モウかうなれば|仕方《しかた》がない、|言《い》つて|聞《き》かしてやらう。|俺《おれ》はヒルの|都《みやこ》の|楓別《かへでわけ》の|伜《せがれ》|国愛別《くにちかわけ》といふ|男《をとこ》だ。|愛州《あいしう》と|名乗《なの》つて|民情視察《みんじやうしさつ》のために|此処《ここ》へ|来《き》てゐるのだ。さうしたところ、この|国州《くにしう》にベツタリコと|出会《でつくは》し、|互《たが》ひに|胸襟《きようきん》を|開《ひら》いて、|大《おほ》いに|天下蛮衆《てんかばんしう》のために|尽《つく》さむとしてゐるところだ。|汝《きさま》も|大方《おほかた》|松若彦《まつわかひこ》のお|先《さき》だらうが、あんな|古親爺《ふるおやぢ》に|何時《いつ》までついてをつても|末《すゑ》の|見込《みこ》みがない、|社会《しやくわい》の|廃物《はいぶつ》だからな。それよりもこの|国《くに》さまの|乾児《こぶん》になつて、|天下刻下《てんかこくか》のために|大活動《だいくわつどう》をする|気《き》は|無《な》いか。かう|打明《うちあ》けた|以上《いじやう》は、ロハでは|帰《かへ》さないのだ。サアどうだ|降参《かうさん》するか、|従《したが》ふか、|二《ふた》つに|一《ひと》つの|返答《へんたふ》だ。|俺《おれ》たちも|自分《じぶん》の|素性《すじやう》を|明《あ》かした|以上《いじやう》は、このままお|前《まへ》を|帰《かへ》すわけには|行《ゆ》かぬ、|返答《へんたふ》を|聞《き》かしてもらはふかい』
|取締《とりしまり》『ヤ、|仕方《しかた》がない……ではない、|結構《けつこう》だ。|万事《ばんじ》|君《きみ》に|任《まか》すから、|良《よ》きやうにしてくれたまへ』
|国《くに》『|僕《ぼく》も|実《じつ》のところは|普通《ふつう》の|人間《にんげん》ではないのだ。しかしながら|本名《ほんみやう》をいふのだけは|待《ま》つてもらはう。いつ|密告《みつこく》されるやら|分《わか》らないからな。|併《しか》しながらこの|国《くに》さまは、|強《つよ》きを|扶《たす》け|弱《よわ》きを|挫《くじ》く|惑酔会員《わくすゐくわいゐん》でもなければ、|猜疑《さいぎ》と|嫉妬《しつと》に|充《み》たされた|三平社員《さんぺいしやゐん》でもないから|安心《あんしん》し|給《たま》へ』
『ヤ、|分《わか》つてる。|名《な》は|聞《き》かいでも、|君《きみ》の|風采《ふうさい》といひ、|言葉《ことば》といひ、|大抵《たいてい》どこの|狸《たぬき》か|狐《きつね》かぐらゐは|呑込《のみこ》んでゐる。|名乗《なの》らなけや|名乗《なの》らいでも|可《い》い。マアともかく|互《たが》ひに|胸襟《きようきん》を|開《ひら》いて|刻下《こくか》のため、|相提携《あひていけい》しようだないか』
『|実《じつ》のところ、|刻下刻下《こくかこくか》と|鶏《にはとり》のやうにいふのも|結構《けつこう》だが、いつそ|人類愛《じんるゐあい》のためと|言《い》つた|方《はう》が|時代相応《じだいさうおう》だらうよ』
『|実《じつ》のところは|僕《ぼく》は、|松若彦《まつわかひこ》の|御家人《ごけにん》で|幾公《いくこう》といふ|者《もの》だが、|何時《いつ》までも|馬通族《ばつうぞく》の|提灯持《ちやうちんも》ちをしてゐるのも|気《き》が|利《き》かない、いい|加減《かげん》に|足《あし》を|洗《あら》つて|時代《じだい》に|目覚《めざ》めねばならないと|思《おも》つてゐたところだ。それでは|国《くに》さま、|如何《いか》なる|貴《たふと》い|方《かた》の|血統《ちすぢ》か|知《し》らぬが、|先《ま》づ|国州《くにしう》、|愛州《あいしう》で|交際《つきあ》つて|貰《もら》ひたい。|君《きみ》が|誤大老《ごたいらう》になつた|時《とき》はまた|敬語《けいご》を|使《つか》ふからな、ワツハハハハ』
『ヨシ|気《き》に|入《い》つた。そんなら|幾公《いくこう》、サア|握手《あくしゆ》だ』
|幾《いく》『イクらでも|握手《あくしゆ》ならして|呉《く》れ。なにぶん|資本《しほん》が|要《い》らぬのだからな』
|国《くに》『|二《ふた》つ|目《め》には|資本《しほん》だとか|何《なん》とか、そんなケチなこと|言《い》ふない。|僕《ぼく》はモウ|資本《しほん》だとか|清家《せいか》だとか、そんな|声《こゑ》を|聞《き》くと、|耳《みみ》が|痛《いた》くなり|胸《むね》が|悪《わる》くなり、|胚《はら》の|中《なか》に|擾乱《ぜうらん》が|勃発《ぼつぱつ》するやうな|気《き》がしてならないワ。|今《いま》の|資本家《しほんか》はいはゆる|足《あし》の|四本家《しほんか》だからなア』
|愛《あい》『|幾公《いくこう》が|俺《おれ》たちの|素性《すじやう》を|嗅《か》ぎつけるやうに、|寒犬《かんけん》も|鼻《はな》が|利《き》き|出《だ》した|以上《いじやう》は|俥夫《しやふ》も|最早《もう》|駄目《だめ》だ。キツと|他《ほか》の|奴《やつ》が|嗅《か》ぎつけて|来《き》よるに|違《ちが》ひないから、どうだ、|一《ひと》つ、これから|侠客《けふかく》にでもなつたら、|将来《しやうらい》の|計画上《けいくわくじやう》|都合《つがふ》が|好《よ》いかも|知《し》れないぞ』
|国《くに》『ソラ|面白《おもしろ》い。しかし|誰《たれ》が|親分《おやぶん》になるのだ』
|幾《いく》『まづ|親分《おやぶん》は|国《くに》さまに|願《ねが》はうかな。しかしモ|少《すこ》し|年《とし》がいつてると|睨《にら》みが|利《き》いて|可《い》いのだがなア』
|国《くに》『そんなら|浅《あさ》の|野郎《やらう》は|腰抜《こしぬけ》だから、|例外《れいぐわい》として|俺《おれ》の|乾児《こぶん》にしてやる。|君《きみ》は|愛州《あいしう》の|兄弟分《きやうだいぶん》となつては|何《ど》うだ。この|珍《うづ》の|都《みやこ》の|北《きた》と|南《みなみ》で|侠客《けふかく》の|親分《おやぶん》となり、|覇《は》を|利《き》かさうぢやないか』
|三人《さんにん》『|賛成《さんせい》|賛成《さんせい》|大賛成《だいさんせい》だ』
|国《くに》『そんなら|直様《すぐさま》ここで|結党式《けつたうしき》……いな|分列式《ぶんれつしき》を|行《や》らうだないか……オイ|浅公《あさこう》、|横町《よこちやう》のお|多福屋《たふくや》へ|行《い》つて、|豆腐《とうふ》と|酒《さけ》を|買《か》つて|来《こ》い。|湯豆腐《ゆどうふ》で|一杯《いつぱい》、|柔《やは》らかう|四角《しかく》う|盃《さかづき》をしよう。しかし|浅州《あさしう》、|誰《たれ》にも|言《い》つちやアいけないよ』
|浅《あさ》『ヨシ|合点《がつてん》だ』
と|徳利《とくり》をぶら|下《さ》げ、|裏口《うらぐち》からチヨコチヨコ|走《ばし》りに|出《い》でて|行《ゆ》く。
|表《おもて》の|大道《だいだう》にはどつかに|馬鹿旦事件《ばかだんじけん》が|怒《おこ》つたといふので、|喧平隊《けんぺいたい》が|四五十人《しごじふにん》|列《れつ》を|正《ただ》して|走《はし》つて|行《ゆ》く|靴《くつ》の|音《おと》が、|三人《さんにん》の|耳《みみ》に|異様《いやう》に|響《ひび》く。
|暫《しばら》くすると|一升徳利《いつしようどくり》を|二本《にほん》ぶら|下《さ》げて|浅公《あさこう》は|帰《かへ》つて|来《き》た。
|浅《あさ》『ハアハア、エライ エライ、|雀《すずめ》の|子《こ》が|待《ま》つてゐると|思《おも》うて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》つて|来《き》た。サア|一杯《いつぱい》やらう。|二升《にしよう》なれば、|四五二十《しごにじふ》だ。|五合宛《ごがふあて》になるから|一寸《ちよつと》|酔《よ》へるだらう。|早《はや》くから|喉《のど》の|虫《むし》|奴《め》がギウギウ ゴウゴウと|催促《さいそく》してゐやがらア、ヘツヘツヘ』
|幾《いく》『オイ、|豆腐《とうふ》はどうしたのだ』
『|酒呑《さけのみ》に|豆腐《とうふ》が|要《い》るかい。|都府《とふ》は|此《こ》の|間《あひだ》の|地震《ぢしん》で|滅茶《めちや》めちやになつたと|言《い》ふことよ。|今《いま》|福幸院《ふくかうゐん》を|起《おこ》して|震議《しんぎ》の|最中《さいちう》だから、|暫《しばら》く|待《ま》つてゐるが|可《よ》からう。シロ|都風《とうふ》も|焼豆腐《やきどうふ》もサツパリ|滅茶《めちや》めちやだよ。|何《なん》といつても|松若彦《まつわかひこ》の|老体《らうたい》がナマクラの|別荘《べつさう》で|梯子段《はしごだん》に|圧《あつ》せられて|死《し》んだとか|至難《しなん》とかいふ|問題《もんだい》で、|豆腐《とうふ》どころの|騒《さわ》ぎぢやないワ。まづ|酒《さけ》さへあれば|何《なん》とか|酒段《しゆだん》がつくだろ』
『どうも|仕方《しかた》がないな。オイ|兄弟《きやうだい》、モウ|仕方《しかた》がねい、|豆腐《とうふ》は|無《な》くても、このまま|徳利《とつくり》の|口《くち》から|呑《の》み|廻《まは》してやらうかい』
|国《くに》『エ、|邪魔《じやま》くさい、こんな|小《ち》つポケな|口《くち》からチヨビチヨビやつてゐてもはずまないワ。|徳利《とつくり》の|尻《けつ》を|叩《たた》き|割《わ》つて|風《かぜ》の|通《かよ》ふやうにすりや|能《よ》く|出《で》て|来《く》るだらう。|卵《たまご》でも|一方口《いつぱうぐち》では|吸《す》へないから、|両方《りやうはう》へ|穴《あな》を|開《あ》けるだないか』
と|言《い》ひながら、|俥《くるま》の|梶棒《かぢぼう》に|徳利《とくり》の|尻《しり》をコンと|打《ぶつ》つけた|機《はずみ》に、|徳利《とつくり》は|切腹《せつぷく》して|忽《たちま》ち|庭《には》の|土《つち》は|一升《いつしよう》の|酒《さけ》を|舐《な》めてしまつた。
|国《くに》『チエツ、|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》も|国《くに》さまの|一撃《いちげき》に|遇《あ》うてサツパリ|滅茶々々《めちやめちや》だ。ヤツパリ|酒《しゆ》たる|徳利《とくり》が|備《そな》はつてをらぬと|見《み》えるわい、ハハハハハ』
|浅《あさ》『オイ|国州《くにしう》、イヤ|親分《おやぶん》、|何《なん》といふ|勿体《もつたい》ないことをするのだい。|土《つち》がみな|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|呑《の》んでしまつたぢやないか。|本当《ほんたう》に|一生《いつしやう》の|損《そん》をしたものだ』
|国《くに》『|徳利階級《とくりかいきふ》の|口《くち》ばかりへ|入《い》れてるのも|勿体《もつたい》ないから、チツとはズブ|下《した》の|土《つち》にも|呑《の》ましてやりたいと|思《おも》うて|爆発《ばくはつ》させたのだ。タコマ|山《やま》でもチヨイチヨイ|爆発《ばくはつ》するだないか。|未《ま》だ、ここに|一本《いつぽん》|残《のこ》つてる、これを|汝《きさま》たち|自由《じいう》にしたが|可《よ》からう。|俺《おれ》はモウ|呑《の》むよりも、かうして|胚《はら》を|打割《ぶちわ》つて|酒《さけ》の|洪水《こうずゐ》を|起《おこ》す|方《はう》が、|何《なに》ほど|痛快《つうくわい》か|知《し》れないワ、アツハハハ』
|愛《あい》『|一升《いつしよう》の|酒《さけ》を|之《これ》から|四人《よにん》|寄《よ》つて|平《たひ》らげることとしよう。さうすりや|一人前《いちにんまへ》|二合五勺《にがふごしやく》|位《くらゐ》だ。マア|肴《さかな》には【|公侯《こうこう》】でも|持《も》つて|来《き》てバリバリとやるんだな。そして|芸者《げいしや》もなし、|一人《ひとり》|注《つ》いで|呑《の》めば|私酌《ししやく》にもなり、|男《をとこ》のお|給仕《きふじ》に|注《つ》がせば|男酌《だんしやく》にもなり、|小間物店《こまものみせ》を|出《だ》せば|吐《は》く|爵《しやく》にもなるのだから、これで|爵《しやく》の|病《やまひ》を|癒《なほ》し、|溜飲《りういん》を|下《さ》げることに|仕様《しやう》かい』
|浅《あさ》『|私酌《ししやく》も|男酌《だんしやく》も|結構《けつこう》ですが、どうです|親分《おやぶん》、|三筋《みすぢ》の|糸《いと》が|這入《はい》らないと|余《あま》り|面白《おもしろ》くないぢやありませぬか。|私《わたし》がこれから|刑務所《けいむしよ》……オツとドツコイ……|芸務所《げいむしよ》へ|走《はし》つて|行《い》つて、|生首《なまくび》でも|白首《しろくび》でも|引張《ひつぱ》つて|来《き》ませうかな』
|国《くに》『おけおけ、|芸務所《げいむしよ》は|梅害《ばいどく》の|養生所《やうせいしよ》だ。また|一筋繩《ひとすぢなは》や|二筋繩《ふたすぢなは》で|負《お》へぬ|奴《やつ》が、|三筋《みすぢ》の|糸《いと》で|鼻《はな》の|下《した》の|長《なが》い|奴《やつ》を|操《あやつ》つてゐるのだから、そんな|代物《しろもの》を|輸入《ゆにふ》されちや|背水会《はいすゐくわい》の|迷惑《めいわく》だ』
かく|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りながら、|四人《よにん》は|一升《いつしよう》の|酒《さけ》を|喇叭呑《らつぱの》みにして|平《たひ》らげてしまうた。
かかるところへ、|新聞配達《しんぶんはいたつ》の|烈《はげ》しき|鈴《りん》の|音《おと》チリンチリンと|響《ひび》きくる。
|国《くに》『オイ|浅《あさ》、|号外《がうぐわい》を|一《ひと》つ|買《か》うて|来《こ》い、キツと|変事《へんじ》が|突発《とつぱつ》したに|違《ちが》ひないからな』
|浅《あさ》は|言下《げんか》に|尻《しり》|引《ひ》きまくり、|号外屋《がうぐわいや》の|跡《あと》を|追《お》つかけながら、「オーイ オーイ」と|熊谷《くまがい》もどきに|徒《つ》いて|行《ゆ》く。|後《あと》に|三人《さんにん》は|浅《あさ》の|帰《かへ》るのを|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つてゐる。
|国《くに》『|地震《ぢしん》でもなし、|政変《せいへん》でもなからうが、|今《いま》の|号外《がうぐわい》は|何《なん》だらうかな。どうも|吾々《われわれ》は|気懸《きがか》りでならないワ』
|愛《あい》『さうだな、こいつア、|普通《ふつう》ぢやあるまい。|吾々《われわれ》の|一身上《いつしんじやう》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》が|起《おこ》つたのだあるまいか。コラ|幾州《いくしう》、|汝《きさま》は|俺《おれ》たちの|話《はなし》を|立聞《たちぎ》きしやがつて、|新聞記者《しんぶんきしや》の|奴《やつ》にでも、|何《なに》か|喋《しやべ》つたのだらう』
|幾《いく》『なに、|俺《おれ》は|何《なに》も|喋《しやべ》らない。|悪徳新聞《あくとくしんぶん》の|記者《きしや》が|此処《ここ》の|軒《のき》に|立《た》つてペンを|走《はし》らしてゐるから、こいつア|可怪《をか》しいと|思《おも》つて|近寄《ちかよ》つて|見《み》れば、|記者《きしや》の|奴《やつ》、|妙《めう》な|面《つら》して、どつかへ|姿《すがた》を|隠《かく》しよつたのだ。それから|其《そ》の|後《あと》を|少《すこ》しばかり|俺《おれ》が|聞《き》いただけだ。あまり|大《おほ》きな|声《こゑ》で|話《はな》してゐたものだから「|国照別《くにてるわけ》|俥帳場《くるまちやうば》に|潜《ひそ》む」ぐらゐな|見出《みだ》しで|号外《がうぐわい》でも|出《だ》したのかも|知《し》れないよ。さうすりや|大変《たいへん》だ、|大目付《おほめつけ》の|奴《やつ》|驚《おどろ》いて|部下《ぶか》の|取締《とりしまり》に|命《めい》じ、|俺《おれ》|達《たち》を|逮捕《たいほ》に|来《く》るかも|知《し》れない。サア|身《み》を|隠《かく》さう、|侠客《けふかく》の|成《な》り|始《はじ》めに|捕《つか》まつては|幸先《さいさき》が|悪《わる》いから……』
|三人《さんにん》はサツと|面《かほ》の|色《いろ》が|変《かは》つた。そこへ|転《ころ》げるやうにして|帰《かへ》つて|来《き》たのは|浅公《あさこう》である。|浅公《あさこう》は|門口《かどぐち》から、
『オイ、タタタ|大変《たいへん》だ。クク|国依別《くによりわけ》のセセ|伜《せがれ》、|国照別《くにてるわけ》が、ここの|帳場《ちやうば》に|潜伏《せんぷく》してゐるから|其《そ》の|筋《すぢ》の|手《て》が|都下《とか》|一面《いちめん》に|廻《まは》つたと、ゴゴ|号外《がうぐわい》に|書《か》いてあるワ。クク|国照別《くにてるわけ》が|捉《つか》まへられたら、オオ|俺《おれ》も|乾児《こぶん》だから|同罪《どうざい》だ。サア|何《なん》とかして|此《こ》の|場《ば》を|遁《に》げやうぢやないか』
|国照別《くにてるわけ》は|平然《へいぜん》として、
『ハハハ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、これでこそ|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》|時《とき》|到《いた》れりだ。オイ|愛州《あいしう》、|幾公《いくこう》、|浅《あさ》、|俺《おれ》に|徒《つ》いて|来《こ》い。|第二《だいに》の|計画《けいくわく》に|移《うつ》らうぢやないか』
と|言《い》ひながら|悠々《いういう》として|裏口《うらぐち》から、|一行《いつかう》|四人《よにん》は|夕暮《ゆふぐれ》の|暗《やみ》を|幸《さいは》ひ、|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。
(大正一三・一・一九 旧一二・一二・一四 於伊予道後ホテル 松村真澄録)
第六章 |背水会《はいすゐくわい》〔一七五一〕
|珍《うづ》の|城下《じやうか》|深溝町《ふかみぞちやう》の|俥帳場《くるまちやうば》に、|車夫《しやふ》と|化《ば》け|込《こ》んでゐた|国愛別《くにちかわけ》の|愛州《あいしう》は、|取締上《とりしまりあが》りの|幾公《いくこう》と|共《とも》に、|横小路《よここうぢ》に|可《か》なり|広《ひろ》い|邸宅《ていたく》を|借《か》り|受《う》け、|賭場《とば》を|開帳《かいちやう》してゐた。|数百人《すうひやくにん》の|乾児《こぶん》は|忽《たちま》ち|集《あつ》まり|来《き》たり、「|親分《おやぶん》|親分《おやぶん》」と|尊敬《そんけい》し、|親分《おやぶん》の|命令《めいれい》とあらば|生命《せいめい》を|鴻毛《こうまう》よりも|軽《かろ》んじ、|如何《いか》なる|事《こと》にも|善悪《ぜんあく》ともにその|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、|難《なん》に|殉《じゆん》ずるをもつて、|乾児《こぶん》たる|者《もの》の|光栄《くわうえい》としてゐた。|愛州《あいしう》は|普通《ふつう》の|侠客《けふかく》とは|違《ちが》つて、|元《もと》がヒルの|国《くに》|楓別《かへでわけ》の|国司《こくし》の|伜《せがれ》だけあつて、どこともなく|気品《きひん》が|高《たか》く、かつ|豪胆《がうたん》にして|少《すこ》しもものに|動《どう》ぜず、|一旦《いつたん》|頼《たの》まれた|事《こと》は|決《けつ》して|厭《いや》と|言《い》はなかつた|侠客《をとこだて》である。|世《よ》の|中《なか》の|一般《いつぱん》の|行《や》り|方《かた》が|癪《しやく》にさはつて|堪《たま》らぬので、|遥《はる》ばる|遠《とほ》き|山坂《やまさか》を|越《こ》え、|尊貴《そんき》の|身《み》を|捨《す》てて、|珍《うづ》の|都《みやこ》までやつて|来《き》たのである。
|生《うま》れついての|皮肉家《ひにくや》で、|世《よ》の|中《なか》を|革正《かくせい》するためとて、|内面《ないめん》には|博奕《ばくち》を|渡世《とせい》となし、|表看板《おもてかんばん》には|万案内所《よろづあんないしよ》といふ|看板《かんばん》を|金文字《きんもじ》で|現《あら》はしてゐた。
『一、|因循姑息《いんじゆんこそく》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|最寄《もより》の|取締所《とりしまりしよ》へお|出《い》で|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|頑迷無恥《ぐわんめいむち》お|望《のぞ》みのお|方《かた》は、|世《よ》ことごとく|濁《にご》る|吾《われ》|独《ひと》り|澄《す》むと|自惚《うぬぼ》れてゐる|梨田《なしだ》ドラック|氏《し》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|喧嘩乱暴《けんくわらんぼう》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|惑酔会《わくすゐくわい》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》。また|口先《くちさき》ばかりの|自称《じしよう》|対命舎《たいめいしや》および|政党屋《せいたうや》をお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|不親切《ふしんせつ》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|口実職業紹介所《こうじつしよくげふせうかいしよ》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|多角関係《たかくくわんけい》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|妃向国《ひむかのくに》の|新《あたら》しき|村《むら》へお|出《い》で|相成度候《あひなりたくさふらふ》
一、|偽善生活《ぎぜんせいくわつ》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|一度《いちど》|花《はな》の|都《みやこ》の|一灯園《いつとうゑん》|東田地香《ひがしだちかう》|氏方《しかた》をお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》。しかしながら|同氏《どうし》に|対《たい》し、|少《すこ》しにても|利益《りえき》を|与《あた》ふる|掛合《かけあ》ひならば|極《きは》めて|親切《しんせつ》に|取扱《とりあつか》ひくれ|候《さふらふ》
一、|山子欺《やまこだま》しお|望《のぞ》みの|方《かた》は、|変態愛国者《へんたいあいこくしや》|苦糟大異《にがかすたいい》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》。|但《ただ》し|畸形的《きけいてき》|愛国者《あいこくしや》に|限《かぎ》り|申候事《まうしさふらふこと》
一、|没常識《ぼつじやうしき》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|珍《うづ》の|都《みやこ》の|四《よ》ツ|辻《つじ》|便所《べんじよ》へお|出《い》で|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|金儲《かねまう》けお|望《のぞ》みの|方《かた》は、|富人世界雑誌社《ふじんせかいざつししや》ならびに|心零犬灸会《しんれいけんきうくわい》|同人《どうにん》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|厚顔無恥《こうがんむち》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|新聞《しんぶん》ゴロおよび|労働《らうどう》ブローカーへお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|時代錯誤《じだいさくご》お|望《のぞ》みの|方《かた》は、|石火暴死団《せきくわばうしだん》へお|訪《たづ》ね|有之度候《これありたくさふらふ》
一、その|他《た》|何事《なにごと》に|仍《よ》らず|矛盾《むじゆん》と|誤解《ごかい》と|虚偽《きよぎ》と|偽善《ぎぜん》とお|望《のぞ》みの|方《かた》は、|嘔吐白住持社《へどはくぢうぢしや》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》
一、|公平社《こうへいしや》と|争論《さうろん》|希望《きばう》の|方《かた》は、|惑酔会《わくすゐくわい》へお|訪《たづ》ね|下《くだ》され|度候《たくさふらふ》』
と|言《い》ふやうな|大《おほ》きな|看板《かんばん》を|掲《かか》げて、|往来《わうらい》の|人《ひと》の|足《あし》を|止《と》めてゐた。|其処《そこ》へ|面《かほ》をしかめて、|十手《じつて》を|下《さ》げてやつて|来《き》た|一人《ひとり》の|取締《とりしまり》がある。
|取締《とりしまり》『コリヤコリヤ、|当家《たうけ》の|主人《しゆじん》はをるか』
|門口《かどぐち》を|掃《は》いてゐた|乾児《こぶん》の|八公《はちこう》は|取締《とりしまり》の|姿《すがた》を|見《み》て、
『ハイ、|親分《おやぶん》は|奥《おく》にをられますが、めつたに|博奕《ばくち》は|打《う》つてをりやせぬから、どうぞ|帰《かへ》つて|下《くだ》つせい』
|取締《とりしまり》『イヤ、|博奕《ばくち》は|今《いま》|打《う》つてゐなくても、|拘引《こういん》しようと|思《おも》へば|何時《いつ》でも|拘引《こういん》できるのだ。|新刑法《しんけいはふ》によつて|賭博常習犯人《とばくじやうしふはんにん》とブラツクリストについてゐるのだから、|非現行犯《ひげんかうはん》で|引張《ひつぱ》つてやらうかな』
|八《はち》『ヘーン、そんな|細《ほそ》い|体《からだ》をして、キラキラ|光《ひか》る|物《もの》をブラつかせ|威喝《ゐかつ》したつて|駄目《だめ》でい。そんなことに|驚《おどろ》く|親分《おやぶん》だございやせぬわい。わつち|達《たち》の|仲間《なかま》は|一遍《いつぺん》でも|余計《よけい》|芸務所《げいむしよ》の|門《もん》を|潜《くぐ》つたら|顔《かほ》が|好《よ》うなるのでげすから、マア|奥《おく》へ|這入《はい》りなさい。|卑怯未練《ひけうみれん》に|逃《に》げるやうな|侠客《けふかく》ア|一人《ひとり》もをりませぬよ。|横町《よこちやう》の|蜈蚣《むかで》の|権太《ごんた》の|親分《おやぶん》のやうに、|取締《とりしまり》が|来《き》たというて|二階《にかい》から|飛《と》び|出《だ》し、|脛《すね》を|折《を》つたり、|腕《うで》を|折《を》つたりして、|取《と》つ|捉《つか》まるやうなヘマなこたア|致《いた》しやせぬ』
『|汝《きさま》では|訳《わけ》が|分《わか》らぬ、|親分《おやぶん》を|此処《ここ》へ|呼《よ》んで|来《こ》い』
『ヘン、|吾々《われわれ》に|取《と》つては|神様《かみさま》|同様《どうやう》に、|命《いのち》まで|捧《ささ》げて|仕《つか》へてる|親分《おやぶん》、さう|易々《やすやす》|動《うご》かすわけにはゆきやせぬわい。|愚図《ぐづ》ぐづしてゐると、お|前《まへ》さま、|笠《かさ》の|台《だい》がなくなりますよ。|早《はや》くお|帰《かへ》りなさい』
かく|話《はな》してゐるところへ、|奥《おく》から|兄貴分《あにきぶん》の|照公《てるこう》が|二三人《にさんにん》の|兄弟分《きやうだいぶん》と|共《とも》に|現《あら》はれ|来《き》たり、
|照《てる》『ナナ|何《なん》だ|何《なん》だ』
|八《はち》『|兄貴《あにき》、|今《いま》この|取締先生《とりしまりせんせい》が、ゲン|糞《くそ》の|悪《わる》い、|朝《あさ》つぱらからやつて|来《き》て、グヅグヅいつてるのだ。|俺《おら》|昨晩《ゆうべ》|負《ま》けて|来《き》て、|今日《けふ》はムカついてたまらないのに、グヅグヅ|吐《ぬ》かすんだもの、|癪《しやく》にさはつて|仕方《しかた》がねいのだ。|早《はや》くボツ|帰《かへ》してくれないかね』
|照《てる》『ヘー、わつちや、|愛州《あいしう》の|乾児《こぶん》でげして、|照公《てるこう》と|申《まを》し、チツタア、|珍《うづ》の|都《みやこ》で|名《な》を|知《し》られた、ケチな|野郎《やらう》でげす。どうかお|見知《みし》りおかれまして、|可愛《かはい》がつて|下《くだ》せい。|侠客渡世《けふかくとせい》はしてをりましても、|面《つら》にも|似合《にあ》はねえ|優《やさ》しい|男《をとこ》でげすよ。|八公《はちこう》がどんな|無礼《ぶれい》なことを|申《まを》しやしたか|知《し》りやせぬが、どうかわつちの|面《つら》に|免《めん》じて|許《ゆる》してやつて|下《くだ》つせえ。そして|今日《けふ》お|出《い》でになつたのは|何《なん》の|御用《ごよう》でげすかなア』
|取締《とりしまり》『|外《ほか》でもない、|役頭《やくがしら》の|命令《めいれい》によつて、|当家《たうけ》の|看板《かんばん》を|撤回《てつくわい》させに|来《き》たのだ。|不穏文書《ふおんぶんしよ》を|張出《はりだ》し、|怪《け》しからぬといふので、|誰《たれ》か|訳《わけ》のわかる|男《をとこ》に|屯所《とんしよ》まで|来《き》てもらひたいのだ。そして|一時《いちじ》も|早《はや》く|本漢《ほんかん》の|目《め》の|前《まへ》で|引落《ひきお》とし、|片付《かたづ》けてしまひ、|人心悪化《じんしんあくくわ》の|極《きよく》に|達《たつ》した|今日《こんにち》、かやうな|看板《かんばん》を|掲載《けいさい》されたら、|取締所《とりしまりしよ》として|黙過《もくくわ》するわけにやゆかない。サ、|早《はや》くお|上《かみ》の|命令《めいれい》だ、|撤回《てつくわい》しろ』
『|何《なん》の|御用《ごよう》かと|思《おも》へば、わつちの|商売《しやうばい》の|看板《かんばん》を|除《と》れとおつしやるのですか、ソリヤなりませぬ』
『お|上《かみ》の|許可《きよか》を|受《う》けた|上《うへ》で、|掲揚《けいやう》するならしても|可《よ》からう。ともかく|速《すみ》やかに|下《お》ろしたがよからう』
『アア、コリヤわつちのとこの|親分《おやぶん》の|商売《しやうばい》でげすから、|商売《しやうばい》の|妨害《ばうがい》までは、|何《なに》ほど|取締権《とりしまりけん》が|絶対《ぜつたい》だといつても、そこまでの|干渉《かんせう》は|出来《でき》ますまい。|断《だん》じて|撤廃《てつぱい》は|致《いた》しませぬ。そもそも|此《こ》の|案内《あんない》の|看板《かんばん》に|書《か》いてあることは|少《すこ》しも|虚偽《きよぎ》はありませぬ。|事実《じじつ》|有《あ》りのままの|事《こと》が|記《しる》してあるのですから、|別《べつ》に|詐欺《さぎ》でもなければ|悪事《あくじ》でもありますまい。|事実《じじつ》のことをやつてをるのが|悪《わる》いのですか。こんな|小《ちひ》さいことを|咎《とが》めるよりも、モツと|大《おほ》きい|泥棒《どろばう》をお|調《しら》べなさいやせ。|何十万円《なんじふまんゑん》、|何百万円《なんびやくまんゑん》といふ|大泥棒《おほどろばう》が、|玩具《おもちや》をピカつかせて、|都大路《みやこおほぢ》を|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》してるのが、あなたがたのお|目《め》につきませぬか。|自分《じぶん》の|金《かね》で|自分《じぶん》が|勝負《しようぶ》してるのに、|賭博犯《とばくはん》だといつて、|拘引《こういん》したり、|牢《らう》へ|打《ぶ》ち|込《こ》んだり、そんな|末《すゑ》の|末《すゑ》の|問題《もんだい》に|頭《あたま》を|悩《なや》ますより、|法《はふ》の|権威《けんゐ》を|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》し、|天下《てんか》の|大道《だいだう》を|白昼《はくちう》に|横行《わうかう》してる|大泥棒《おほどろばう》を|挙《あ》げなさい。|何《なに》ほどその|方《はう》が|国家《こくか》のためだか|知《し》れやせぬよ。お|前《まへ》さまも|僅《わづ》かな|月給《げつきふ》でチボの|後《あと》を|追《お》ひかけたり、|門《かど》で|片肌《かたはだ》|脱《ぬ》いだり|小便《せうべん》【こい】てる|人間《にんげん》を|叱《しか》り|飛《と》ばしてるよりも、どうだい、|俺《おれ》たちの|仲間《なかま》へ|這入《はい》つて、|一生《いつしやう》を|面白《おもしろ》う|可笑《をか》しく|快活《くわいくわつ》に|暮《くら》したら、いいでせう、どうでげす』
『|生活《せいくわつ》の|道《みち》は|保証《ほしよう》してくれるだらうな』
『|宅《うち》の|親分《おやぶん》は|頼《たの》むと|言《い》はれて、|後《あと》へ|引《ひ》くやうな|安《やす》つぽい|腰抜男《こしぬけをとこ》とは|違《ちが》ひやす。サアサア|合羽《かつぱ》を|脱《ぬ》いだり|脱《ぬ》いだり、ヤ、|男《をとこ》は|決心《けつしん》が|第一《だいいち》だ。かうやつて|出《で》て|来《く》る|取締《とりしまり》を|片《かた》つ|端《ぱし》から|乾児《こぶん》にし、|珍《うづ》の|都《みやこ》に|取締《とりしまり》が|一人《ひとり》も|無《な》いとこまでやつてやらうといふ、|背水会《はいすゐくわい》の|主義綱領《しゆぎかうりやう》だ』
『イヤ、モウ|君《きみ》たちに|掛《かか》つたら|命武者《いのちむしや》だから|仕方《しかた》がない。そんなら|僕《ぼく》も、|女房《にようばう》があるでなし、|何時《いつ》|雄《おん》とか|雌《めん》とかをもらふか|分《わか》らぬのだから、|安全地帯《あんぜんちたい》の|親分《おやぶん》の|膝下《しつか》に|跪《ひざま》づくことにしやうかな』
『ヨーシ、|呑《の》みこんだ。|直接《ちよくせつ》の|親分《おやぶん》の|乾児《こぶん》にはなれぬぞ。|俺《おれ》の|直参《ぢきさん》だ。|俺《おれ》の|上《うへ》にはまた|兄貴《あにき》がある。その|兄貴《あにき》の|兄貴《あにき》の|兄貴《あにき》の|親分《おやぶん》が|大親分《おほおやぶん》だ。まづ|軍隊《ぐんたい》でいへば、|俺《おれ》は|少佐《せうさ》ぐらゐな|者《もの》だから、さう|思《おも》うて|俺《おれ》のいふことを|聞《き》くのだぞ。その|代《かは》りに|三日《みつか》も|飯《めし》を|食《く》はぬとをらうとママだし、|寒《かん》の|中《うち》|裸《はだか》で|慄《ふる》はうとママだし、アヒサに|拳骨《げんこつ》を|二《ふた》つや|三《み》つ|喰《く》はされやうとママだから、マアさうして|胆力《たんりよく》を|練《ね》るのだなア、アツハハハハ』
『ウツフツフフ』
|取締《とりしまり》の|名《な》は|佐吉《さきち》といつた。|到頭《たうとう》|照公《てるこう》の|言霊《ことたま》に|打《う》ち|捲《ま》くられて、|取締《とりしまり》から|侠客社会《けふかくしやくわい》へ|背進《はいしん》してしまつた。
|大親分《おほおやぶん》の|愛州《あいしう》は|二三《にさん》の|幹部《かんぶ》を|伴《ともな》ひ、|裏口《うらぐち》からソツと|脱《ぬ》け|出《い》で|珍《うづ》の|都《みやこ》の|十字街頭《じふじがいとう》に|立《た》ちつつ|呶鳴《どな》り|始《はじ》めた。|群衆《ぐんしう》は|喧嘩《けんくわ》だ、|狂人《きやうじん》だ、|大事件《だいじけん》の|突発《とつぱつ》だと|口々《くちぐち》に|呼《よ》ばはりながら、|蟻《あり》のごとくに|愛州《あいしう》の|周囲《しうゐ》を|取捲《とりま》いた。|愛州《あいしう》は|手近《てぢか》にあつた|饂飩屋《うどんや》の|床几《しやうぎ》を|無断《むだん》で|道路《だうろ》の|真中《まんなか》に|引張《ひつぱ》り|出《だ》し、その|上《うへ》に|直立《ちよくりつ》して|雷声《らいせい》を|張《は》り|上《あ》げ、
『|珍《うづ》の|国《くに》を|守《まも》るといふ|武士達《ぶしたち》よ。|汝《なんぢ》の|自己愛的《じこあいてき》なる|厳《いか》めしき|鎧甲《よろひかぶと》を|脱《ぬ》げ。|排他《はいた》と|猜疑《さいぎ》と|狡猾《かうくわつ》と|無恥《むち》とに|飾《かざ》られた|宗教家《しうけうか》よ、|汝《なんぢ》の|着《ちやく》する|法衣《はふい》を|脱《ぬ》げ。|政治家《せいぢか》も|教育家《けういくか》も|一般衆生《いつぱんしゆじやう》も、|汝《なんぢ》が|朝夕《てうせき》|身《み》にまとへる|虚偽《きよぎ》と|虚礼《きよれい》と|虚飾《きよしよく》の|衣服《いふく》を|脱《ぬ》げ。|更始革新《かうしかくしん》の|今日《こんにち》、|一切《いつさい》の|旧衣《きうい》を|捨《す》て、|新《あたら》しき|愛《あい》と|真《しん》との|浄衣《じやうい》と|着替《きか》へよ。|汝《なんぢ》らのまとへる|旧衣《きうい》に、|旧《ふる》き|思想《しさう》と|矛盾《むじゆん》の|蚤《のみ》が|巣《す》ぐつてゐる。|偽善的《ぎぜんてき》|精神《せいしん》や|奴隷的《どれいてき》|根性《こんじやう》の|蛆虫《うじむし》が|蔓《はびこ》つてゐるぞ。|汝等《なんぢら》は|斯《か》くの|如《ごと》き|弊衣《へいい》を|脱《ぬ》がないかぎり、|汝《なんぢ》らの|生活《せいくわつ》は|虚偽《きよぎ》の|生活《せいくわつ》だ、まことの|人間生活《にんげんせいくわつ》ではないぞ。|人間《にんげん》として、|人間《にんげん》の|生活《せいくわつ》の|出来《でき》ないくらゐ|詰《つま》らぬものはなからうぞ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|眼《め》を|覚《さま》せよ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|新《あたら》しき|浄衣《じやうい》と|着《き》かへて|真実《しんじつ》の|人間生活《にんげんせいくわつ》に|入《い》れよ。この|浄衣《じやうい》には|人間生活《にんげんせいくわつ》に|必要《ひつえう》なる|新思想《しんしさう》の|光明《くわうみやう》が|燦然《さんぜん》として|輝《かがや》いてゐるぞ。|芳《かん》ばしき|蘭麝《らんじや》の|香《か》が|充《み》ちてゐるぞ。|何《なに》をぐづぐづ|躊躇《ちうちよ》するか。|万々一《まんまんいち》この|更衣《かうい》の|神業《しんげふ》に|妨害《ばうがい》するものあらば、|汝等《なんぢら》の|仇敵《きうてき》として|其奴《そいつ》を|倒《たふ》せ。|然《しか》らずんば|汝等《なんぢら》は|自《みづか》ら|着《ちやく》せる|旧衣《きうい》のために|自滅《じめつ》の|厄難《やくなん》に|遭《あ》ふであらう。この|目的《もくてき》を|貫徹《くわんてつ》するには、|何人《なにびと》も|背水《はいすゐ》の|陣《ぢん》を|張《は》つてかかれ。これくらゐの|事《こと》が|出来《でき》ぬやうでは、|人間《にんげん》としての|価値《かち》は|絶無《ぜつむ》だ。|体《てい》よく|人間《にんげん》を|廃業《はいげふ》したが|良《よ》からう。|僕《ぼく》は|背水会《はいすゐくわい》の|会長《くわいちやう》|泥池《どろいけ》の|蓮公《はすこう》さまだ。|権門勢家《けんもんせいか》に|尾《を》を|掉《ふ》るな。|金銀《きんぎん》に|腰《こし》を|屈《くつ》するな。|時代《じだい》は|駸々乎《しんしんこ》として|潮《うしほ》のごとく|急速《きふそく》に|流《なが》れてゐるぞ。|珍《うづ》の|国《くに》の|衆生《しゆじやう》は|文明《ぶんめい》の|世界《せかい》における|落伍者《らくごしや》をもつて|甘《あま》んずるものではなからう。|畏《かしこ》くも|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|子孫《しそん》の|神臨《しんりん》し|玉《たま》ふ|光輝《くわうき》ある|歴史《れきし》を|持《も》つた|国民《こくみん》ではないか。|豪毅《がうき》と|果断《くわだん》とは|汝等《なんぢら》|祖先《そせん》|以来《いらい》の|特性《とくせい》ではないか。|時《とき》は|今《いま》なり、|時《とき》は|今《いま》なり、|三千万《さんぜんまん》の|同胞《どうはう》、|背水会《はいすゐくわい》の|宣言綱領《せんげんかうりやう》に|眼《め》を|覚《さ》ませ』
と|滔々《たうたう》として|傍若無人的《ばうじやくぶじんてき》に|演説《えんぜつ》する|時《とき》しも、|数十人《すうじふにん》の|取締《とりしまり》は|前後左右《ぜんごさいう》より|襲来《しふらい》して|愛州《あいしう》を|引摺《ひきず》り|落《お》とした。|群衆《ぐんしう》は「ワアイワアイ」と|動揺《どよ》めき|立《た》ち、|衆生《しゆじやう》と|取締《とりしまり》との|血迷《ちまよ》ひ|騒《さわ》ぎが|各所《かくしよ》に|演《えん》ぜられた。
|愛州《あいしう》は|幸《かう》か|不幸《ふかう》か、|数十人《すうじふにん》の|取締《とりしまり》に|取巻《とりま》かれ、|高手小手《たかてこて》に|縛《しば》り|上《あ》げられ、ボロ|自動車《じどうしや》に|乗《の》せられて、|珍《うづ》の|城下《じやうか》の|暗《くら》い|牢獄《らうごく》へ|投込《なげこ》まれてしまつた。|数多《あまた》の|乾児《こぶん》どもはこの|話《はなし》を|聞《き》くより、|躍気《やくき》となり、|列《れつ》を|作《つく》つて|赤襷《あかだすき》に|赤鉢巻《あかはちまき》をしながら、|棍棒《こんぼう》、|竹槍《たけやり》、|薙刀《なぎなた》、|水鉄砲《みづてつぱう》などを|携《たづさ》へ、|牢獄《らうごく》|目《め》がけて|潮《うしほ》のごとく|押《お》し|寄《よ》せ、|忽《たちま》ち|附近《ふきん》は|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》と|化《くわ》してしまつた。|取締《とりしまり》はおひおひ|繰出《くりだ》す。|時々刻々《じじこくこく》に|侠客《けふかく》の|連中《れんちう》は|得物《えもの》を|持《も》つて|蝟集《ゐしふ》し|来《き》たる。|一方《いつぱう》に|百人《ひやくにん》|殖《ふ》ゆれば|一方《いつぱう》に|百人《ひやくにん》|殖《ふ》ゆるといふ|有様《ありさま》で、|人《ひと》をもつて|附近《ふきん》の|広場《ひろば》は|埋《うづ》めらめた。そこへ|弥次馬《やじうま》が|侠客《けふかく》の|声援《せいゑん》をなすべく、|面白半分《おもしろはんぶん》にやつて|来《き》て、|後《うし》ろの|方《はう》から|石《いし》を|投《な》げる。たちまち|大混乱《だいこんらん》|大争闘《だいそうとう》の|幕《まく》がおりた。そこへ|兄《あに》の|在所《ありか》を|尋《たづ》ねてゐた|春乃姫《はるのひめ》は、|葦毛《あしげ》の|馬《うま》に|鞭《むち》うち、この|場《ば》にかけ|来《き》たり|群集《ぐんしふ》の|騒《さわ》ぐのを|見《み》て、まつしぐらにかけ|入《い》り、|馬上《ばじやう》につつ|立《た》ちながら、
|春乃《はるの》『|双方《さうはう》とも、|解散《かいさん》せよ』
と|優《やさ》しい|涼《すず》しいカン|声《ごゑ》で|呼《よ》ばはつた。|数多《あまた》の|取締《とりしまり》は|春乃姫《はるのひめ》の|姿《すがた》を|見《み》て、|抗弁《かうべん》するわけにもゆかず、|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|根拠地《こんきよち》へ|引上《ひきあ》げてしまつた。あとに「ワイワイ」と|鬨《とき》の|声《こゑ》をあげて、|侠客《けふかく》の|乾児連《こぶんれん》や|弥次馬《やじうま》がドヨメキ|立《た》つてゐる。|春乃姫《はるのひめ》は|一同《いちどう》に|向《む》かひ、
『いかなる|間違《まちが》ひか|知《し》らぬが、|妾《わらは》がキツとあとを|聞《き》いてあげるから、|一先《ひとま》づお|退《ひ》きなさい』
|乾児《こぶん》の|源州《げんしう》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る|前《まへ》に|現《あら》はれ、
『|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》となつては、|後《あと》へひくことは|出来《でき》ませぬが、|国司様《こくしさま》のお|姫様《ひいさま》のお|言葉《ことば》を|畏《かしこ》み、|一先《ひとま》づ|此《こ》の|場《ば》は|退却《たいきやく》いたします。|私《わたし》は|珍《うづ》の|都《みやこ》の|侠客《けふかく》|愛州《あいしう》の|身内《みうち》の|者《もの》、|親分《おやぶん》|愛州《あいしう》が|取締《とりしまり》のために|捕《とら》へられ|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられましたので、これを|取返《とりかへ》さむと|乾児《こぶん》どもが|押寄《おしよ》せましたところでございます。|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》しやす』
|春乃《はるの》『アアさうであつたか。|親分《おやぶん》|一人《ひとり》のために、|数多《あまた》の|乾児《こぶん》が|命《いのち》をすてて|救《すく》ひ|来《き》たのか、ヤ|感心《かんしん》だ。|人間《にんげん》はさうなくてはならぬ。しかしながら|窮屈《きうくつ》な|法規《はふき》が|布《し》かれてある|法治国《はふちこく》だから、|妾《わらは》の|自由《じいう》にさう|着々《ちやくちやく》と|解放《かいはう》するわけにはゆかぬ。しかしながら|妾《わらは》が|仲裁《ちうさい》に|這入《はい》つた|以上《いじやう》は、キツと|汝等《なんぢら》の|親分《おやぶん》を|救《すく》ひ|出《だ》し|無事《ぶじ》に|渡《わた》すであらう。まづ|安心《あんしん》して|引取《ひきと》つて|下《くだ》さい。|今《いま》すぐといふわけにもゆくまいが、|今後《こんご》|十日《とをか》の|間《あひだ》にはキツと|助《たす》けてやるほどに、|妾《わらは》の|言葉《ことば》を|信用《しんよう》して|早《はや》くお|退《ひ》きなさい』
|源州《げんしう》は|有難涙《ありがたなみだ》にくれながら、
『|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|幾度《いくど》も|頭《あたま》も|下《さ》げ、|数多《あまた》の|乾児《こぶん》を|引《ひき》つれて、|横小路《よここうぢ》の|親分館《おやぶんやかた》へと|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
アアこの|結果《けつくわ》は|如何《いか》に|落着《らくちやく》するであらうか。
(大正一三・一・二二 旧一二・一二・一七 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第二篇 |愛国《あいこく》の|至情《しじやう》
第七章 |聖子《せいし》〔一七五二〕
|珍《うづ》の|都《みやこ》|高砂城内《たかさごじやうない》において、|進歩老中《しんぽらうぢう》あるひは|投槍老中《なげやりらうぢう》と|仇名《あだな》を|取《と》つてゐた|岩治別《いははるわけ》が、|風《かぜ》をくらつて|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》せしより、|彼《かれ》は|何事《なにごと》か|大望《たいまう》を|画策《くわくさく》し、|酒偽者《しゆぎしや》と|語《かた》らひ|捲土重来《けんどぢうらい》して、|一挙《いつきよ》に|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》|両老《りやうらう》を|引退《いんたい》させ、|珍《うづ》の|天地《てんち》の|空気《くうき》を|一掃《いつさう》し、|再《ふたた》び|正鹿山津見神《まさかやまづみのかみ》の|聖代《せいだい》に|世《よ》が|立直《たてなほ》るならむと、|種々《しゆじゆ》の|流言蜚語《りうげんひご》が|盛《さか》んに|行《おこな》はれ、|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》として|安《やす》からず、よるとさはると、どこの|大路《おほぢ》も、|裏町《うらまち》も、|長屋《ながや》の|嬶連《かかあれん》が|井戸端会議《ゐどばたくわいぎ》にも|喧伝《けんでん》さるるやうになつてきた。
|松若彦《まつわかひこ》は|事態《じたい》|容易《ようい》ならずとして、|老衰《らうすゐ》の|身《み》を|起《おこ》し、|賢平《けんぺい》や|取締《とりしまり》などを|市中《しちう》|隈《くま》なく|配置《はいち》し、あるひは|私服取締《しふくとりしまり》を|辻々《つじつじ》に|横行《わうかう》せしめ、|怪《あや》しき|言《げん》をなす|者《もの》は|片《かた》つ|端《ぱし》から|検挙《けんきよ》せしめ、|夜中《やちう》になれば|恐《おそ》れて|一人《ひとり》も|外出《ぐわいしゆつ》する|者《もの》なく、さしも|繁華《はんくわ》な|都大路《みやこおほぢ》は|曠野《くわうや》の|観《くわん》を|呈《てい》し、|火《ひ》の|消《き》えたるごとく|淋《さび》しくなつてきた。
|岩治別《いははるわけ》はその|実《じつ》|岩公《いはこう》と|名《な》を|変《へん》じ、|侠客《けふかく》の|愛州《あいしう》が|館《やかた》の|奥《おく》|深《ふか》く|普通《ふつう》の|侠客《けふかく》となつて|住《す》み|込《こ》んでゐた。|命知《いのちし》らずの|若者《わかもの》ばかり|数百人《すうひやくにん》、|蜂《はち》の|巣《す》のごとく|固《かた》まつてゐるので、さすがの|賢平《けんぺい》も|取締《とりしまり》もこの|館《やかた》のみは|一指《いつし》を|染《そ》むることだも|躊躇《ちうちよ》してゐたのである。|愛州親分《あいしうおやぶん》は|岩公《いはこう》の|岩治別老中《いははるわけらうぢう》なることは|当人《たうにん》の|懇請《こんせい》によつて、|万事《ばんじ》|呑込《のみこ》んでゐたが、しかしながら|胸中《きようちう》|深《ふか》く|秘《ひ》めおいて、|他《ほか》の|乾児《こぶん》どもには|一言《ひとこと》も|示《しめ》さなかつた。それゆゑ|数多《あまた》の|乾児《こぶん》は|老耄親爺《おいぼれおやぢ》の|岩州《いはしう》と|口汚《くちぎたな》く|酷《こ》き|使《つか》ひ、よその|見《み》る|目《め》も|気《き》の|毒《どく》な|次第《しだい》であつた。
|話《はなし》|替《かは》つて|高砂城《たかさごじやう》の|大奥《おほおく》には、|国依別《くによりわけ》の|国司《こくし》を|始《はじ》め、|末子姫《すゑこひめ》、|春乃姫《はるのひめ》、|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|五柱《いつはしら》が|卓《たく》を|囲《かこ》んで、|何事《なにごと》か|重要会議《ぢうえうくわいぎ》を|開《ひら》いてゐた。
|国依《くにより》『|松若彦《まつわかひこ》|殿《どの》、|爾《なんぢ》も|老齢《らうれい》の|身《み》を|持《も》ちながら、|昼夜《ちうや》|寝食《しんしよく》を|忘《わす》れて|国務《こくむ》に|鞅掌《おうしやう》するその|誠実《せいじつ》は|実《じつ》に|感歎《かんたん》の|至《いた》りだ。|予《よ》も|末子姫《すゑこひめ》も|常《つね》に|爾《なんぢ》の|至誠《しせい》|至実《しじつ》なる|行動《かうどう》について|時々《ときどき》|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》し、|何《なに》よりも|先《さき》に|爾《なんぢ》の|噂《うはさ》をしてゐるのだよ。しかし|今日《こんにち》|爾《なんぢ》の|請求《せいきう》によつて、|予《よ》は|妻子《さいし》と|共《とも》に|爾《なんぢ》|両人《りやうにん》と|何事《なにごと》か|協議《けふぎ》する|運《はこ》びに|至《いた》つたのは、|要《えう》するに|神《かみ》の|摂理《せつり》であらう。|今日《こんにち》は|真面目《まじめ》に|予《よ》も|耳《みみ》を|傾《かたむ》けるから、|忌憚《きたん》なく|両人《りやうにん》とも|意見《いけん》を|吐露《とろ》せよ』
|松若彦《まつわかひこ》は|嬉《うれ》しげに|笑《ゑみ》を|泛《う》かべて、
『|常《つね》になき|我《わ》が|君《きみ》のお|言葉《ことば》、この|老体《らうたい》も|始《はじ》めて|甦《よみがへ》つたごとき|心地《ここち》がいたしまする。|誠《まこと》に|申《まを》し|上《あ》げにくい|事《こと》ながら、|御世子《ごせいし》|国照別《くにてるわけ》|様《さま》はお|行方《ゆくへ》が|分《わか》らなくなりましたので、|大責任《だいせきにん》の|地位《ちゐ》にある|微臣《びしん》、|我《わ》が|君《きみ》に|対《たい》して|申《まを》し|訳《わけ》なく、また|衆生《しゆじやう》に|対《たい》しても|会《あ》はす|顔《かほ》がございませぬ。それゆゑ|我《わ》が|君様《きみさま》には|済《す》まぬ|事《こと》ながら、|内々《ないない》|探《さぐ》りを|市中《しちう》に|配《くば》り、|捜索《そうさく》いたさせましたなれど、|今《いま》にお|行方《ゆくへ》が|分《わか》りませぬ。|誠《まこと》に|監督《かんとく》|不行届《ふゆきとど》きの|罪《つみ》、|万死《ばんし》に|値《あたひ》いたしますれば、|松若彦《まつわかひこ》はこの|責任《せきにん》を|負《お》うて、|大老職《たいらうしよく》を|拝辞《はいじ》し、|一切《いつさい》の|政務《せいむ》を|伊佐彦《いさひこ》|殿《どの》に|譲《ゆづ》らうと|存《ぞん》じまする。|何《なに》とぞ|何《なに》とぞこの|儀《ぎ》|御聴許《ごちやうきよ》|下《くだ》さいますれば|有難《ありがた》う|存《ぞん》じまする』
|国依《くにより》『ハツハハハハ、|伜《せがれ》が|行方《ゆくへ》を|晦《くら》ましたのは、|予《よ》はとつくに|存《ぞん》じてゐる。|別《べつ》に|心配《しんぱい》する|必要《ひつえう》はない。|如何《いか》に|親《おや》なればとて、|吾《わ》が|子《こ》の|思想《しさう》まで|束縛《そくばく》するわけにも|行《ゆ》かない。その|事《こと》については|決《けつ》して|心配《しんぱい》いたすな』
と|平然《へいぜん》として|笑《わら》つてゐる。|松若彦《まつわかひこ》は|国司《こくし》の|怒《いかり》に|触《ふ》れ、|雷《らい》のごとくに|叱咤《しつた》さるるかと|思《おも》ひの|外《ほか》、あまり|平然《へいぜん》たる|態度《たいど》に|呆《あき》れ|果《は》て、|返《かへ》す|言葉《ことば》も|出《で》なかつた。
|伊佐《いさ》『わが|君様《きみさま》、かかる|重要問題《ぢうえうもんだい》が|突発《とつぱつ》いたしましたのは、|全《まつた》く|微臣等《びしんら》の|罪《つみ》のいたすところ、|何《なに》とぞ|厳重《げんぢう》なる|御処分《ごしよぶん》を|願《ねが》ひたうござります』
|国依《くにより》『|去《さ》る|者《もの》は|逐《お》はず|来《き》たる|者《もの》は|拒《こば》まずだ。|何《なに》ほど|引止《ひきと》めやうとしても、|逃《に》げやう|逃《に》げやうと|考《かんが》へてゐる|者《もの》は|駄目《だめ》だ。|伜《せがれ》も|比較的《ひかくてき》|大人物《だいじんぶつ》になつたと|見《み》えて、この|狭苦《せまくる》しい|鳥屋《とや》の|中《なか》が|厭《いや》になつたと|見《み》えるワイ。そして|爾《なんぢ》ら|両人《りやうにん》|骸骨《がいこつ》を|乞《こ》はむと|申《まを》し|出《で》てをるが、|爾《なんぢ》ら|両人《りやうにん》が|幽霊《いうれい》となれば|後《あと》の|国政《こくせい》は|何《ど》ういたす|考《かんが》へだ。|後任者《こうにんしや》を|推薦《すゐせん》して、|向後《かうご》の|国政上《こくせいじやう》|支障《ししやう》なきまでに|準備《じゆんび》を|整《ととの》へ、しかして|後《のち》|骸骨《がいこつ》を|請《こ》へよ。|後継者《こうけいしや》の|物色《ぶつしよく》は|済《す》んだのか、それが|先《ま》づ|先決問題《せんけつもんだい》だ』
|松若《まつわか》『ハイ、|恐《おそ》れ|入《い》りました。しかしながらこの|珍《うづ》の|国《くに》におきまして|寡聞《くわぶん》なる|吾々《われわれ》の|目《め》より|窺《うかが》ひますれば、|一人《ひとり》として|国家《こくか》の|重職《ぢうしよく》に|適当《てきたう》な|人物《じんぶつ》はないやうでござります。いづれの|役人《やくにん》も|皆《みな》ハイカラ|的《てき》|気分《きぶん》に|襲《おそ》はれ、|真面目《まじめ》に|国家《こくか》を|思《おも》ふ|者《もの》は|一人《ひとり》として|見当《みあた》りませぬ。|実《じつ》に|国家《こくか》の|前途《ぜんと》は|寒心《かんしん》に|堪《た》へませぬ』
|国依《くにより》『アアさうすると、|後継者《こうけいしや》の|適当《てきたう》な|者《もの》がないと|言《い》ふのか。|爾《なんぢ》ら|両人《りやうにん》は|実《じつ》に|不忠《ふちう》|不義《ふぎ》の|甚《はなはだ》しき|者《もの》だ。|下《さが》りをれツ』
と|雷声《らいせい》を|発《はつ》して|厳《きび》しく|叱咤《しつた》した。|両人《りやうにん》は|縮《ちぢ》み|上《あ》がり|涙《なみだ》を|押《お》さへながら、|口《くち》を|揃《そろ》へて、
『|吾々《われわれ》は|不肖《ふせう》ながら、|主家《しゆか》のため|国家《こくか》のため|身命《しんめい》を|賭《と》して|国務《こくむ》に|鞅掌《おうしやう》いたしてをりまする。しかるに|只今《ただいま》のお|言葉《ことば》、|不忠《ふちう》|不義《ふぎ》とは|心得《こころえ》ませぬ。たとへ|国司《こくし》なればとて、このお|言葉《ことば》に|対《たい》しては|何処《どこ》までも|明《あか》りを|立《た》てていただかねば、|吾々《われわれ》は|一歩《いつぽ》もこの|場《ば》を|退《しりぞ》きませぬ』
|国依《くにより》『|爾等《なんぢら》、|予《よ》を|詐《いつは》つてゐるではないか。|老齢《らうれい》|職《しよく》に|堪《た》へずとか、|責任《せきにん》を|負《お》ひて|辞任《じにん》するとか|言《い》ひながら、|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》たる|人物《じんぶつ》がないと|言《い》つたでないか。|後継者《こうけいしや》なきを|知《し》りながら|辞任《じにん》を|申《まを》し|出《い》づるは、|全《まつた》く|国司家《こくしけ》を|脅《おびや》かす|者《もの》だ。いな|予《よ》をして|困惑《こんわく》せしむるものだ。かかる|心理《しんり》を|抱持《はうぢ》してゐる|爾《なんぢ》|両人《りやうにん》に|対《たい》し、|不忠《ふちう》|不義《ふぎ》と|言《い》つたのが、どこが|悪《わる》い』
と|一層《いつそう》|強《つよ》く|怒鳴《どな》り|立《た》てられ、|両人《りやうにん》は|一《ひと》たまりもなく|縮《ちぢ》み|上《あが》つてしまつた。|末子姫《すゑこひめ》はこの|体《てい》を|見《み》て|気《き》の|毒《どく》がり、
『|我《わ》が|君様《きみさま》、|暫《しばら》くお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|彼等《かれら》|両人《りやうにん》は|国家《こくか》を|思《おも》ふのあまり、|君《きみ》の|決心《けつしん》を|促《うなが》さむと、|今《いま》のごとき|詭弁《きべん》を|弄《ろう》し|奉《たてまつ》つたのでございませう。|何《なん》といつても|珍《うづ》|一国《いつこく》の|柱石《ちうせき》、|少々《せうせう》の|過《あやま》ちは|赦《ゆる》しておやりなさいませ』
|国依《くにより》『|赦《ゆる》されぬ|此《こ》の|場《ば》の|仕儀《しぎ》なれども、|最愛《さいあい》の|末子姫《すゑこひめ》|殿《どの》の|御仲裁《ごちうさい》とあらば|止《や》むを|得《え》ない、まづ|盲従《まうじう》しておかうかい、アツハハハハ』
と|最前《さいぜん》の|怒《いか》り|声《ごゑ》は|何処《どこ》へやら、|気楽《きらく》さうに|大口《おほぐち》|開《あ》けて|笑《わら》ひ|出《だ》した。|両人《りやうにん》はハツと|息《いき》をつぎ、|縮《ちぢ》み|上《あが》つた|睾丸《きんたま》の|皺《しわ》をやうやく|伸《のば》し|始《はじ》めた。
|松若《まつわか》『|年《とし》にも|似合《にあ》はず|我《わ》が|君《きみ》に|対《たい》し、|不都合《ふつがふ》なことを|申《まを》し|上《あ》げ|恐《おそ》れ|入《い》りましてございます。どうぞ|唯今《ただいま》の|私《わたくし》の|失言《しつげん》は、|広《ひろ》き|仁慈《じんじ》の|御心《みこころ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さいまして、|従前《じうぜん》の|通《とほ》りお|召使《めしつか》ひを|願《ねが》ひたう|存《ぞん》じます』
|伊佐《いさ》『|微臣《びしん》も|同様《どうやう》、|御使用《ごしよう》のほどお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます』
|国依《くにより》『ウン、ヨシヨシ、|分《わか》れば|別《べつ》に|文句《もんく》はないのだ。モウこれからは|心《こころ》にもない|辞令《じれい》を|振《ふ》りまはすな。|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》の|内心《ないしん》は|何処《どこ》までも|政権《せいけん》に|恋々《れんれん》として、その|執着《しふちやく》を|去《さ》る|事《こと》は|出来《でき》ないであらうがな』
|両人《りやうにん》「ハツ」と|顔《かほ》を|赤《あか》らめ、|無言《むごん》のまま|俯《うつ》むく。
|末子《すゑこ》『|時《とき》に|吾《わ》が|君様《きみさま》、|今日《こんにち》|両老《りやうらう》が|君《きみ》の|御出場《ごしゆつぢやう》を|願《ねが》ひましたる|要件《えうけん》と|申《まを》しますのは、すでに|御承知《ごしようち》の|通《とほ》り、|世子《せいし》|国照別《くにてるわけ》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》りませぬので、|一層《いつそ》のこと、|春乃姫《はるのひめ》を|後継者《こうけいしや》となし、|上下《じやうげ》|人心《じんしん》の|安定《あんてい》を|計《はか》らねばならないと|両老《りやうらう》から|申《まを》し|出《い》でまして、その|御承認《ごしようにん》を|得《え》たいためでございますれば、よく|御熟考《ごじゆくかう》|下《くだ》さいまして|何《いづ》れなりとも、|都合《つがふ》よき|御命令《ごめいれい》を|仰《あふ》ぎたいのでございます』
|国依別《くによりわけ》は|無頓着《むとんちやく》に、
『ウンさうだ、|春乃姫《はるのひめ》さへ|承認《しようにん》すればそれで|可《よ》い。|姫《ひめ》の|意思《いし》まで|強圧的《きやうあつてき》に|曲《ま》げることは|出来《でき》ぬ。この|問題《もんだい》は|姫《ひめ》に|聞《き》いたが|早道《はやみち》だらう』
|末子《すゑこ》『|女《をんな》が|後《あと》を|継《つ》ぐとは|前代未聞《ぜんだいみもん》ではございませぬか、|養子《やうし》でもせなくちやなりますまい。さうすれば|万代不易《ばんだいふえき》の|国司家《こくしけ》は|断絶《だんぜつ》するぢやありませぬか』
|国依《くにより》『|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》にも|女《をんな》のお|世継《よつぎ》が|良《よ》いと|示《しめ》されてあるではないか。|女《をんな》の|世継《よつぎ》としておけば、|腹《はら》から|腹《はら》へ|伝《つた》はつてゆくのだから、その|血統《けつとう》に|少《すこ》しも|間違《まちが》ひはない。もし|男子《だんし》の|世継《よつぎ》とすれば、|一方《いつぱう》の|妻《つま》の|方《はう》において、|夫《をつと》に|知《し》らさず|第二《だいに》の|夫《をつと》を|拵《こしら》へてゐた|場合《ばあひ》、その|生《うま》れた|子《こ》は|何方《どちら》の|子《こ》か|分《わか》らぬやうになつて|来《く》る。それだから|却《かへ》つて|女《をんな》の|方《はう》が|確実《かくじつ》だ、|現《げん》に|国照別《くにてるわけ》だつて、|予《よ》の|正胤《せいいん》であるか、|或《あるひ》は|末子姫《すゑこひめ》|殿《どの》が|第二《だいに》の|夫《をつと》を|私《ひそ》かに|拵《こしら》へてその|胤《たね》を|宿《やど》したのか、|分《わか》つたものぢやないからのう、ハツハハハハ』
|末子姫《すゑこひめ》は|泣声《なきごゑ》になつて、
『お|情《なさ》けない|吾《わ》が|君《きみ》のお|言葉《ことば》、|妾《わらは》がそれだけ|不信用《ふしんよう》でございますか。また|誰《たれ》かと|姦通《かんつう》をしたと|仰有《おつしや》るのでございますか、|残念《ざんねん》でございます』
と|地《ち》に|伏《ふ》して|泣《な》く。
|国依《くにより》『ハハハ、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、|比喩《たとへ》にひいたまでだ。|貞操《ていさう》の|神《かみ》とまで|尊敬《そんけい》されてゐる、|家庭《かてい》の|女神様《めがみさま》だ。|予《よ》は|決《けつ》して|毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》ほども、|汝《そなた》の|行状《ぎやうじやう》について|疑《うたが》つてはゐない。いな、|大《おほ》いに|感謝《かんしや》してゐるのだ。マア|心配《しんぱい》するな、|比喩《たとへ》だからのう』
と|背中《せなか》を|二三遍《にさんぺん》|撫《な》でさする。|末子姫《すゑこひめ》はやうやく|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、|涙《なみだ》と|笑顔《ゑがほ》を|一緒《いつしよ》に|手巾《はんけち》で|拭《ふ》きながら、
『ホホホそれで|安心《あんしん》いたしました。そんなら|吾《わ》が|君様《きみさま》、|妾《わらは》をどこまでも|信用《しんよう》して|下《くだ》さいますね』
|国依《くにより》『|雀《すずめ》|百《ひやく》まで|牝鳥《めんどり》を|忘《わす》れぬといつて、|今《いま》は|夫婦《めうと》とも|皺苦茶《しわくちや》だらけの|爺婆《ぢぢばば》になつてしまつたが、|時々《ときどき》|昔《むかし》のあでやかなお|前《まへ》の|姿《すがた》を|心《こころ》に|描《ゑが》いて、|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐるのだ。その|時《とき》だけは|実《じつ》にはなやかな|思《おも》ひがするよ』
|末子《すゑこ》『そりや|違《ちが》ひませう。|昔《むかし》の|事《こと》を|思《おも》い|出《だ》し、はなやかな|気分《きぶん》におなりなさる|肝心《かんじん》の|玉《たま》はお|勝《かつ》さまぢやございませぬか』
|国依《くにより》『ウン、お|勝《かつ》もヤツパリ|追想中《つゐさうちう》の|一人《ひとり》だ。しかしながら|最《もつと》も|秀《すぐ》れて|印象《いんしやう》に|残《のこ》つてゐるのはヤツパリお|前《まへ》と|結婚《けつこん》|当時《たうじ》の|艶麗《えんれい》な|姿《すがた》だよ、ハツハハハハハ』
と|娘《むすめ》や|老臣《らうしん》の|前《まへ》で|夫婦《めうと》が、あどけなき|意茶《いちや》つき|合《あ》ひを|始《はじ》めてゐる。|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》もつい|話《はなし》に|引《ひ》きずられて|腮《あご》の|紐《ひも》をとき、|粘着性《ねんちやくせい》の|強《つよ》い|涎《よだれ》を|七八寸《しちはちすん》ばかり、|天井《てんじやう》から|蜘蛛《くも》が|下《さが》つたやうに|糸《いと》を|垂《た》れてゐる。
|国依《くにより》『|春乃姫《はるのひめ》さま、|最前《さいぜん》から|一同《いちどう》の|話《はなし》を|聞《き》いて|略《ほぼ》|承知《しようち》だらうが、どうだ、|世継《よつぎ》になる|気《き》はないかな』
|春乃《はるの》『|厭《いや》ですよ、|人生《じんせい》|長者《ちやうじや》となる|勿《なか》れといふ|諺《ことわざ》もございませう。|窮屈《きうくつ》な|籠《かご》の|中《なか》へ|祭《まつ》り|込《こ》まれて、|心《こころ》にもなき|追従《つゐしよう》の|雨《あめ》をあびせかけられ、|敬遠主義《けいゑんしゆぎ》を|取《と》られ、|二三《にさん》|政治家《せいぢか》の|傀儡《くわいらい》となつて|一生《いつしやう》を|送《おく》るといふやうな|不幸《ふかう》な|事《こと》はございませぬワ。|妾《わらは》はお|父《とう》さまやお|母《か》アさまのお|身《み》の|上《うへ》を|見《み》て、|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》な|境遇《きやうぐう》だと|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にくれてゐるのですよ。|兄《にい》さまもまたお|父《とう》さまの|二《に》の|舞《まひ》をなさるかと|思《おも》へば、|気《き》の|毒《どく》で|堪《たま》らなかつたのですよ。さすがの|兄《にい》さまも|二三《にさん》|政治家《せいぢか》の|傀儡《くわいらい》に|祭《まつ》り|込《こ》まれるのは|人間《にんげん》として|気《き》が|利《き》かないといつて、|風《かぜ》ををくらつてどつかへ|逃《に》げ|出《だ》し、|自由《じいう》の|天地《てんち》に|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》する|幸福《かうふく》な|身分《みぶん》となつてゐられます。|本当《ほんたう》に|賢明《けんめい》な|兄《にい》さまですワ。|妾《わらは》も|兄《にい》さまの|兄妹《きやうだい》、|自《みづか》ら|知《し》つて|窮屈《きうくつ》な|不自由《ふじゆう》な|身分《みぶん》となりたくはありませぬ。|之《これ》ばかりはお|赦免《ゆるし》を|願《ねが》ひたいものでございますワ』
|国依《くにより》『ハハハハ、さうだらう、さうだらう、|父《ちち》もかねて|覚悟《かくご》してゐたのだ。|厭《いや》がる|者《もの》を|無理《むり》に|押《おさ》へつけるのは|無慈悲《むじひ》だ。|親《おや》たる|者《もの》のなすべき|事《こと》ではない。お|前《まへ》の|好《す》きなやうにしたが|可《よ》からうぞ』
|末子《すゑこ》『モシ|吾《わ》が|君様《きみさま》、|兄《あに》の|国照別《くにてるわけ》は|家出《いへで》をするなり、|妹《いもうと》の|春乃姫《はるのひめ》は|世継《よつぎ》は|厭《いや》だと|申《まを》しましたならば、|国司家《こくしけ》はここに|断絶《だんぜつ》するぢやありませぬか。あなたは|如何《いか》なるお|考《かんが》へで|左様《さやう》な|気楽《きらく》なことを|仰《おほ》せられます。ここは|可哀《かあい》さうでも|春乃姫《はるのひめ》にトツクと|言《い》ひ|聞《き》かせ、|国柱《こくちう》|保存上《ほぞんじやう》、|厭《いや》でも|応《おう》でも、|世継《よつぎ》になつてもらはねばなりますまい』
|国依《くにより》『フン、|別《べつ》に|春乃姫《はるのひめ》に|限《かぎ》つた|事《こと》はない。|松若彦《まつわかひこ》にも|伜《せがれ》もあり|娘《むすめ》もあることだから、|一層《いつそ》のこと|松若彦《まつわかひこ》の|伜《せがれ》|松依別《まつよりわけ》を|吾《わ》が|養子《やうし》として|後《あと》をつがせたら|何《ど》うだ。それも|本人《ほんにん》の|意思《いし》に|任《まか》すより|仕方《しかた》がない。|松若彦《まつわかひこ》、お|前《まへ》はどう|思《おも》ふか』
|松若彦《まつわかひこ》はおどろいて、
『これはこれは、|吾《わ》が|君様《きみさま》とも|覚《おぼ》えぬお|言葉《ことば》、|未《いま》だ|臣《しん》をもつて|君《きみ》となした|例《ためし》はございませぬ。|左様《さやう》なことを|仰《おほ》せられずに、ここは|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げ、お|世継《よつぎ》となつていただきたいものでございます。ましてや|愚鈍《ぐどん》な|伜《せがれ》、|左様《さやう》な|事《こと》がどうして|勤《つと》まりませう。こればかりは|平《ひら》にお|断《こと》わりを|申《まを》し|上《あ》げます』
|国依《くにより》『|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すのだなア』
|末子《すゑこ》『いつも|貴方《あなた》は|惟神《かむながら》|々々《かむながら》といつて、|凡《すべ》ての|問題《もんだい》を|葬《はうむ》らうとなさいますが、かかる|重要事件《ぢうえうじけん》はさう|惟神《かむながら》ばかりではゆきますまい』
|国依《くにより》『サアそこが|惟神《かむながら》だよ。|身魂《みたま》の|濁《にご》つた|国依別《くによりわけ》の|血統《ちすぢ》をもつて|床《ゆか》の|置物《おきもの》にせなくても|置物《おきもの》になりたがつてるお|人好《ひとよ》しは|三千万人《さんぜんまんにん》の|中《うち》には|三人《さんにん》や|五人《ごにん》はキツとある。そんな|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。……どんな|身魂《みたま》がおとしてあるか|分《わか》らぬぞよ……と|御神諭《ごしんゆ》にも|現《あら》はれてるぢやないか。|観報《くわんぱう》をもつて|床《とこ》の|置物召集令《おきものせうしふれい》を|発《はつ》するか、|新聞記者《しんぶんきしや》を|呼《よ》んで|広告欄《くわうこくらん》に|載《の》せさすか、|幾《いく》らでも|方法《はうはふ》がある。それでゆかねば、お|神《かみ》の|力《ちから》をもつて、|気《き》の|善《よ》い|人物《じんぶつ》を|物色《ぶつしよく》するのだ』
と|気楽《きらく》さうに|言《い》つてのける。
|末子《すゑこ》『それでは|世《よ》が|治《をさ》まりますまい。|匹夫下郎《ひつぷげらう》が|俄《には》かに|高《たか》い|所《ところ》へ|上《のぼ》つたところで、|国民《こくみん》の|信用《しんよう》が|保《たも》てますまい』
|国依《くにより》『|国民《こくみん》は|汝《おまえ》たちの|思《おも》ふごとく|吾々《われわれ》を|尊敬《そんけい》してはゐないよ。また|吾々《われわれ》の|腹《はら》から|出《で》た|娘《むすめ》だといつて、|心《こころ》の|底《そこ》から|敬意《けいい》を|払《はら》つてゐるのではない。バラモン|的《てき》|色彩《しきさい》をもつて|包《つつ》んでゐるから、やむを|得《え》ず、|畏敬《いけい》の|念《ねん》を|払《はら》つてゐるのだ。そんな|事《こと》を|思《おも》つてゐると、|時勢《じせい》に|目《め》のない|馬鹿者《ばかもの》と、|衆生《しゆじやう》から|馬鹿《ばか》にされるよ、アツハハハハハ』
|松若《まつわか》『|何《なん》と|仰《おほ》せられましても、かうなる|上《うへ》は|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》をお|願《ねが》ひ|申《まを》さねばなりませぬ』
|春乃《はるの》『|厭《いや》だよ|厭《いや》だよ、|怺《こら》へて|頂戴《ちやうだい》よ』
|伊佐《いさ》『|是非《ぜひ》とも、|姫様《ひめさま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げまする』
|春乃《はるの》『エエ|好《す》かんたらしい|爺《ぢい》だね。|一度《いちど》|厭《いや》といつたら|厭《いや》だのに、……ねーお|母《かあ》さま、お|父《とう》さま、|人《ひと》の|意思《いし》を|束縛《そくばく》することは|罪悪《ざいあく》ですからねえ』
|末子《すゑこ》『|何《なん》といつてもこの|場合《ばあひ》、|国司家《こくしけ》と|国家《こくか》のために|犠牲的《ぎせいてき》|精神《せいしん》を|発揮《はつき》して、|世継《よつぎ》になつて|下《くだ》さい。|母《はは》が|一生《いつしやう》のお|願《ねが》ひだから……』
|春乃《はるの》『|妾《わらは》に|註文《ちうもん》がございますが、それを|承諾《しようだく》して|下《くだ》されば、|世子《せいし》になつても|宜《よろ》しい』
|末子《すゑこ》『どんな|事《こと》でも、あなたの|要求《えうきう》を|容《い》れますから、|世子《せいし》になつて|下《くだ》さるでせうな。そしてその|註文《ちうもん》とはどんな|用件《ようけん》ですか』
|春乃《はるの》『一、|自由自在《じいうじざい》に|城《しろ》の|内外《ないぐわい》を|問《と》はず|出入《しゆつにふ》し|得《う》る|事《こと》、
一、|吾《わ》が|身辺《しんぺん》に|侍女《じぢよ》または|厳《いかめ》しき|士《さむらい》を|附随《ふずい》せしめざる|事《こと》、
一、|自分《じぶん》の|夫《をつと》は|自分《じぶん》にて|選定《せんてい》する|事《こと》、
一、|化儀《けぎ》に|依《よ》りては|世子《せいし》を|辞《じ》し、|理想《りさう》の|生活《せいくわつ》を|営《いとな》むやも|知《し》れざる|事《こと》、
一、|罪《つみ》を|寛恕《くわんじよ》する|事《こと》、
一、|大老《たいらう》、|老中《らうぢう》|以下《いか》の|任免《にんめん》|黜陟《ちゆつちよく》をなす|実権《じつけん》を|有《いう》する|事《こと》、
|以上《いじやう》マアざつとこれだけの|条件《でうけん》は、|御承知《ごしようち》を|御両親《ごりやうしん》に|願《ねが》つておきたうございます』
|国依《くにより》『|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|吾《わ》が|意《い》を|得《え》たりといふべしだ。さすがは|春乃姫《はるのひめ》、|偉《えら》いものだな。これには|両老《りやうらう》も|参《まゐ》つただらう、アツハハハハハハ』
|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》|両人《りやうにん》は|渋々《しぶしぶ》ながら、|已《や》むを|得《え》ずとして|春乃姫《はるのひめ》の|条件《でうけん》を|寄《い》れ、|世子《せいし》と|定《さだ》め|吐息《といき》をつきながら、|神殿《しんでん》に|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|詞《ことば》を|奏上《そうじやう》し、|国司夫妻《こくしふさい》に|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》をなし、|吾《わ》が|館《やかた》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
この|日《ひ》|蒼空《さうくう》に|一点《いつてん》の|雲翳《うんえい》もなく、|太陽《たいやう》の|光《ひかり》は|殊更《ことさら》|清《きよ》く、|赤《あか》く、|涼風《りやうふう》おもむろに|吹《ふ》き|来《き》たり、|百鳥《ももどり》の|鳴《な》く|声《こゑ》もいと|爽《さは》やかに|聞《き》こえ、|四辺《あたり》の|雰囲気《ふんゐき》は|何《なん》となく|爽快《さうくわい》に、|天空《てんくう》よりは|微妙《びめう》の|音楽《おんがく》|響《ひび》き|渡《わた》り、|芳香《はうかう》|四方《よも》に|薫《くん》じ、あたかも|第一天国《だいいちてんごく》の|紫微宮《しびきう》にあるの|面持《おもも》ちであつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第八章 |春乃愛《はるのあい》〔一七五三〕
|高砂城《たかさごじやう》の|世子《せいし》|国照別《くにてるわけ》が、|何時《いつ》とはなしに|城内《じやうない》より|姿《すがた》を|消《け》してから、|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|両人《りやうにん》が|必死《ひつし》となつてその|捜索《そうさく》にかかつてゐた。|松若彦《まつわかひこ》は|大老《たいらう》として|大小《だいせう》の|政治《せいぢ》を|監督《かんとく》し、|伊佐彦《いさひこ》は|賢平《けんぺい》、|取締《とりしまり》などを|使役《しえき》し、|専《もつぱ》ら|国照別世子《くにてるわけせいし》の|捜索《そうさく》に|全力《ぜんりよく》を|挙《あ》げてゐたが、|深溝町《ふかみぞちやう》|俥帳場《くるまちやうば》に|車夫《しやふ》となつて|化《ば》け|込《こ》んでゐたことが|新聞紙《しんぶんし》によつて|喧伝《けんでん》されてからは|一層《いつそう》|打《う》ち|驚《おどろ》き、|自《みづか》ら|変装《へんさう》して|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく|市井《しせい》の|巷《ちまた》を|探《さぐ》り、|車夫《しやふ》らしき|者《もの》は|片《かた》つ|端《ぱし》から|面体《めんてい》を|査《しら》べ、|家《うち》を|外《そと》に|活動《くわつどう》を|続《つづ》けてゐた。そこへまた|横小路《よここうぢ》の|侠客《けふかく》|愛州《あいしう》が|不穏《ふおん》な|演説《えんぜつ》をやり、ますます|人心悪化《じんしんあくくわ》の|徴候《ちようこう》が|見《み》えたといふので、|眠《ね》むたい|目《め》を|腫《は》らして|自《みづか》ら|探《さぐ》りの|任《にん》に|当《あた》つてゐた。
|伊佐彦《いさひこ》の|妻《つま》|樽乃姫《たるのひめ》は、|四斗樽《しとだる》のごとき|大《おほ》きな|腹《はら》を|抱《かか》へた|不格好《ぶかくかう》な|女《をんな》である。そして|彼《かれ》は|極端《きよくたん》なるサデスムス|患者《くわんじや》であつた。さてサデスムスとは|嫉妬《しつと》でもなく|憎悪《ぞうを》でもなくして、|自分《じぶん》の|最《もつと》も|愛《あい》する|異性《いせい》に|対《たい》し、|普通《ふつう》|一般人《いつぱんじん》の|想像《さうざう》だも|及《およ》ばざるやうな|残虐《ざんぎやく》な|行為《かうゐ》を|加《くは》へて、|性慾《せいよく》の|興奮《こうふん》と|満足《まんぞく》を|得《う》るといふ|病的《びやうてき》な|人間《にんげん》をいふので、|医学上《いがくじやう》からかかる|部類《ぶるい》の|人間《にんげん》を、サデスムスすなはち|性的残忍症《せいてきざんにんしやう》といつてゐる。かくのごとく|変態的性慾狂《へんたいてきせいよくきやう》は、|如何《いか》なる|名医《めいい》も|薬剤《やくざい》もほとんど|治療《ちれう》の|望《のぞ》みなき|者《もの》である。|樽乃姫《たるのひめ》はこの|病気《びやうき》に|冒《をか》されてゐた。|脂《あぶら》こく|肥満《ひまん》した|元気《げんき》な|肉体《にくたい》をもち、|性慾《せいよく》の|興奮《こうふん》を|抑《おさ》へ|切《き》ることが|出来《でき》ず、|毎夜《まいよ》|空閨《くうけい》に|嫉妬《しつと》の|角《つの》を|生《は》やし、|連夜《れんや》|夫《をつと》|伊佐彦《いさひこ》の|帰《かへ》つて|来《こ》ないのを|見《み》て、|外《ほか》に|増《ま》す|花《はな》が|出来《でき》たのではあるまいか、|自分《じぶん》は|元来《ぐわんらい》|不格好《ぶかくかう》な|女性《ぢよせい》である、たうてい|夫《をつと》の|愛《あい》しさうなスタイルではない。かう|毎晩《まいばん》|家《うち》を|外《そと》にして、|国家《こくか》の|老中《らうぢう》ともあるべき|者《もの》が、|女房《にようばう》にも|顔《かほ》を|見《み》せないのは、キツとどつかの|待合《まちあひ》へどつかの|女性《ぢよせい》を|引張《ひつぱ》り|込《こ》んでヤニ|下《さが》つてるに|違《ちが》ひない。かうなれば|可愛《かあい》さ|余《あま》つて|憎《にく》さが|百倍《ひやくばい》だ。|今《いま》に|主人《しゆじん》が|帰《かへ》つてきたら、ピストルに|玉《たま》をこめ、いきなり|眉間《みけん》を|狙《ねら》つて|一思《ひとおも》ひに|打《う》ち|殺《ころ》し、|他《ほか》の|仇《あだ》し|女《をんな》の|弄具《おもちや》となつた|股間《こかん》の|珍器《ちんき》を|油揚《あぶらあげ》にして、|狐《きつね》に|食《く》はしてやらうと、|恐《おそ》ろしい|瞋恚《しんい》の|炎《ほのほ》を|燃《も》やし、|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やし、おみつ|狂乱《きやうらん》のやうなスタイルで|髪《かみ》を|逆立《さかだ》て、|眉毛《まゆげ》を|縦《たて》にして、|吐息《といき》をつきながら|待《ま》ちかまへてゐた。|家臣《かしん》や|下女《げぢよ》には|事毎《ことごと》に|八当《やつあた》りとなり、|見《み》るもの、|触《さは》るもの、|癪《しやく》にさはり、|家具《かぐ》をブチ|破《やぶ》り、|箪笥《たんす》の|引出《ひきだし》から|夫《をつと》の|衣類《いるゐ》を|引出《ひきだ》してはベリベリと|引《ひ》き|裂《さ》き、|夫《をつと》の|用《もち》ゐた|食器《しよくき》や|下駄《げた》、|靴《くつ》に|至《いた》るまで、メチヤメチヤに|壊《こは》してしまひ、どうにもかうにも、|鎮撫《ちんぷ》の|仕方《しかた》がなくなつてゐた。そこへ|高砂城《たかさごじやう》から|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》のお|使《つかひ》だと|言《い》つて、|伊佐彦《いさひこ》に|向《む》かひ、|一通《いつつう》の|書状《しよじやう》を|送《おく》つて|来《き》た。
|樽乃姫《たるのひめ》はその|書状《しよじやう》を|手早《てばや》く|手《て》に|取《と》り、|表書《うはがき》を|見《み》れば、「|伊佐彦《いさひこ》|老中殿《らうぢうどの》、|春乃姫《はるのひめ》より」と|記《しる》してある。この|文字《もじ》を|見《み》るより、|又《また》もや|髪《かみ》を|逆立《さかだ》てて、|歯《は》をくひしばり、|大《おほ》きな|鼻《はな》の|孔《あな》をムケムケさせながら、バリバリと|封《ふう》|押《お》し|切《き》り、|披《ひら》いて|見《み》ればいとも|美《うる》はしき|水茎《みづくき》の|跡《あと》、お|家流《いへりう》でサラサラと|流《なが》るるごとくに|書《か》き|流《なが》してある。|樽乃姫《たるのひめ》は……サアいい|証拠《しようこ》を|掴《つか》んだ……と|息《いき》を|喘《はず》ませながら|読《よ》んでゆくと、
|一筆《ひとふで》|示《しめ》しまゐらす。|先日《せんじつ》は|妾《わらは》が|身《み》の|上《うへ》につき|色々《いろいろ》と|御親切《ごしんせつ》に|仰《おほ》せ|下《くだ》され、|一度《いちど》は|否《いな》まむかと|思《おも》ひ|候《さふら》ひしも、|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|考《かんが》へ、また|両親《りやうしん》の|意見《いけん》を|斟酌《しんしやく》し、|貴殿《きでん》の|赤心《まごころ》を|容《い》れて、|遂《つひ》に|貴意《きい》に|従《したが》ふことと|相成《あひな》りたるは、|既《すで》に|貴殿《きでん》の|知《し》らるるところなり、|今後《こんご》は|互《たが》ひに|胸襟《きようきん》を|開《ひら》き、|上下《じやうげ》の|障壁《しやうへき》を|断《た》ち、|抱擁帰一《はうようきいつ》|互《たが》ひに|心裡《しんり》を|打《う》ち|開《あ》け、あたかも|夫婦間《ふうふかん》の|愛情《あいじやう》におけるがごとき|親密《しんみつ》なる|態度《たいど》をもつて、|国家《こくか》のため|尽力《じんりよく》いたしたく、この|段《だん》|貴意《きい》を|得参《えまゐ》らす、めでたくかしこ
と|記《しる》してある。……サア、サデスムスの|樽乃姫《たるのひめ》は|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》き、たちまち|残虐性《ざんぎやくせい》を|発揮《はつき》し、ピストル|大剣《たいけん》を|左右《さいう》の|手《て》に|携《たづさ》へ、|行《ゆ》きがけの|駄賃《だちん》にと、|家令《かれい》、|家扶《かふ》、|下女《げぢよ》などを、|或《あるひ》は|狙撃《そげき》し、|或《あるひ》は|斬《き》り|捨《す》て、|往来《ゆきき》の|人々《ひとびと》に|当《あた》るを|幸《さいは》ひ|何《いづ》れも|敵《てき》とみなして、|斬《き》り|立《た》て|薙《な》ぎ|立《た》て、|打《う》ちまくり、……|吾《わ》が|怨敵《をんてき》の|所在《ありか》は|高砂城内《たかさごじやうない》……と|夜叉《やしや》のごとくに|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し、|泡《あわ》を|吹《ふ》きながらあばれ|行《ゆ》く。たまたま|高砂城《たかさごじやう》の|馬場《ばば》で|駿馬《しゆんめ》に|跨《また》がり、こなたに|向《む》かひ|駈《か》け|来《き》たる|夫《をつと》|伊佐彦《いさひこ》に|出会《であ》ひ、|矢《や》にはに|馬《うま》の|足《あし》を|切《き》り、|馬腹《ばふく》に|風穴《かざあな》を|穿《うが》ち、その|場《ば》に|顛倒《てんたう》せしめた。|伊佐彦《いさひこ》は|形相《ぎやうさう》|変《かは》つたその|面体《めんてい》に、|自分《じぶん》の|妻《つま》とは|知《し》らず、|賢平《けんぺい》、|取締《とりしまり》を|指揮《しき》して、|苦《く》も|無《な》くこれを|捕縛《ほばく》せしめ、|町《まち》はづれの|牢獄《らうごく》に|投込《なげこ》ましめた。
|樽乃姫《たるのひめ》は|侠客《けふかく》の|親分《おやぶん》|愛州《あいしう》の|繋《つな》がれてゐる|隣《となり》の|牢獄《らうごく》に、|四肢五体《ししごたい》を|厳《きび》しく|縛《しば》られ|投込《なげこ》まれた。そしてほとんど|半狂乱状態《はんきやうらんじやうたい》となり、|無性《むしやう》やたらに|喋《しやべ》り|立《た》ててゐる。
『エー、|残念《ざんねん》や|口惜《くちを》しや、|妾《わらは》に|何科《なにとが》あつて|斯《か》やうな|醜《みぐる》しき|牢獄《らうごく》へブチ|込《こ》んだのか。|妾《わらは》は|勿体《もつたい》なくも|高砂城《たかさごじやう》において、|老中《らうぢう》と|尊敬《そんけい》されたる|伊佐彦《いさひこ》が|女房《にようばう》、|樽乃姫《たるのひめ》|様《さま》だ。しかるに|賢平《けんぺい》の|奴《やつ》、|尊《たふと》き|身《み》の|上《うへ》も|知《し》らず、|盲滅法界《めくらめつぽふかい》に|妾《わらは》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|穢《むさくる》しい|牢屋《らうや》に|投込《なげこ》むとは|何《なん》の|事《こと》だ。|今《いま》に|仕返《しかへ》しをしてやるから、|思《おも》ひ|知《し》つたがよからうぞ。エー|残念《ざんねん》やな、クク|口惜《くちを》しやな。この|縛《いまし》めが|解《と》けたならば、かくのごときヒヨヒヨの|牢獄《らうごく》、ただ|一叩《ひとたた》きに|打《う》ち|破《やぶ》り、|吾《わ》が|夫《をつと》を|寝取《ねと》つた|春乃姫《はるのひめ》をはじめ、|夫《をつと》|伊佐彦《いさひこ》の|生首《なまくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》き、みん|事《ごと》|敵《かたき》を|討《う》つて|見《み》せうぞ。|坊主《ばうず》が|憎《にく》けりや|袈娑《けさ》まで|憎《にく》い。|国依別《くによりわけ》の|国司《こくし》も|末子姫《すゑこひめ》、|松若彦《まつわかひこ》も|片《かた》つ|端《ぱし》から|斬《き》り|立《た》て|薙《な》ぎ|立《た》て、|恨《うら》みを|晴《は》らさでおかうか。モウかうなる|上《うへ》は|樽乃姫《たるのひめ》は|鬼《おに》だ、|悪魔《あくま》だ、|夜叉明王《やしやみやうわう》だ、|阿修羅王《あしゆらわう》だ。この|世《よ》の|中《なか》を|泥海《どろうみ》にしてでも、|恨《うら》みを|晴《は》らさにやおくものか』
とキリキリキリと|歯切《はぎ》りをかみ、|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく、|同《おな》じ|事《こと》を|繰返《くりかへ》し|繰返《くりかへ》し|呶鳴《どな》り|立《た》ててゐる。|隣室《りんしつ》に|繋《つな》がれてゐる|愛州《あいしう》は、|樽乃姫《たるのひめ》の|狂的独語《きやうてきどくご》を|聞《き》いて、|興味《きようみ》を|感《かん》じ|歌《うた》ふ。
『うば|玉《たま》の|暗《やみ》の|世《よ》なれば|曲津神《まがつかみ》
|牢屋《ひとや》の|中《なか》まで|忍《しの》び|来《く》るかな
サデスムス|病《や》みて|夜昼《よるひる》あれ|狂《くる》ふ
|烈《はげ》しき|性慾《せいよく》に|狂《くる》ひタルの|姫《ひめ》
|吾《われ》は|今《いま》|正義《せいぎ》のために|捕《とら》へられ
ままならねども|心《こころ》は|平《たひ》らか
|吾《わ》が|身《み》をば|殺《ころ》す|魔神《まがみ》の|来《き》たるとも
|指《ゆび》もさされぬ|魂《たま》の|命《いのち》は
|国《くに》さまや|幾公《いくこう》|浅公《あさこう》|其《そ》の|外《ほか》の
|真人《まびと》はいかに|世《よ》を|過《す》ごすらむ
ヒルの|国《くに》ヒルの|都《みやこ》を|後《あと》にして
|思《おも》ひもよらぬ|悩《なや》みする|哉《かな》
|暗《やみ》の|世《よ》のいと|深《ふか》ければ|黎明《れいめい》に
|近《ちか》きを|思《おも》ひて|独《ひと》り|楽《たの》しむ
|世《よ》の|中《なか》に|真《まこと》の|神《かみ》のゐます|上《うへ》は
|救《すく》ひ|玉《たま》はむ|吾《われ》の|身魂《みたま》を
|今《いま》しばし|牢屋《ひとや》の|中《なか》に|潜《ひそ》みつつ
|神《かみ》にうけたる|霊《みたま》きよめむ
|可憐《かれん》なる|樽乃《たるの》の|姫《ひめ》の|繰言《くりごと》を
|聞《き》きて|世《よ》のさま|明《あき》らかに|知《し》る
|樽乃姫《たるのひめ》しばらく|待《ま》てよいかめしき
|鉄門《かなど》の|開《ひら》く|春《はる》や|来《き》たらむ
|汝《なれ》が|身《み》を|救《すく》ひやらむとあせれども
ままならぬ|身《み》の|如何《いか》に|詮《せん》なき』
かく|口吟《くちずさ》んでゐる。
そこへ|盛装《せいさう》を|凝《こ》らした|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》が|従者《じうしや》をも|連《つ》れず、|牢屋《ひとや》の|巡視《じゆんし》を|名目《めいもく》に|愛州《あいしう》の|在所《ありか》を|訪《たづ》ねてやつて|来《き》た。|数多《あまた》の|科人《とがにん》が|沢山《たくさん》の|牢屋《ひとや》の|中《なか》に|放《ほ》り|込《こ》まれてゐるので、|一目《ひとめ》も|見《み》たことのない|春乃姫《はるのひめ》には、どれが|愛州《あいしう》だか|見当《けんたう》がつかなかつた。|春乃姫《はるのひめ》は|淑《しと》やかな|声《こゑ》にて|歌《うた》ひながら|愛州《あいしう》を|尋《たづ》ねてゐる。
『ここは|名《な》に|負《お》ふ|珍《うづ》の|国《くに》  |高砂城《たかさごじやう》の|町《まち》はづれ
|罪《つみ》ある|人《ひと》も|罪《つみ》のなき  |人《ひと》も|諸共《もろとも》|盲《めしひ》たる
|司《つかさ》が|縛《しば》りあつめ|来《き》て  |無理《むり》に|投込《なげこ》む|地獄道《ぢごくだう》
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|名《な》も|高《たか》き  |白浪男《しらなみをとこ》の|愛州《あいしう》は
どこの|牢屋《らうや》に|潜《ひそ》むやら  |乾児《こぶん》の|源州《げんしう》その|他《ほか》の
|数多《あまた》の|乾児《こぶん》に|頼《たの》まれて  |汝《なれ》を|救《すく》ひに|来《き》た|女《をんな》
|名乗《なの》れよ|名乗《なの》れ|愛州《あいしう》よ  |仁《じん》と|愛《あい》とは|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|尊《たふと》き|御心《みこころ》ぞ  |今《いま》|常暗《とこやみ》の|世《よ》の|中《なか》は
|表《おもて》に|愛《あい》を|標榜《へうばう》し  |蔭《かげ》に|潜《ひそ》みて|悪《あく》をなす
|牢屋《らうや》にいます|愛州《あいしう》は  |悪《あく》を|表《おもて》に|標榜《へうばう》し
|普《あまね》く|愛《あい》を|発揮《はつき》して  |市井《しせい》の|弱者《じやくしや》を|扶《たす》けゆく
|神《かみ》か|仏《ほとけ》か|真人《しんじん》か  かかる|尊《たふと》き|侠客《けふかく》を
おのれの|都合《つがふ》が|悪《わる》いとて  あらぬ|罪名《ざいめい》をきせながら
|牢屋《らうや》に|投込《なげこ》む|憎《にく》らしさ  これぞ|全《まつた》く|醜司《しこつかさ》
|表《おもて》に|忠義《ちうぎ》を|飾《かざ》りつつ  |己《おの》が|野望《やばう》の|妨《さまた》げと
なる|真人《しんじん》を|悉《ことごと》く  |苦《くる》しめなやまし|吾《わ》が|望《のぞ》み
|立《た》てむがための|企《たく》み|事《ごと》  |看破《かんぱ》したれば|春乃姫《はるのひめ》
|人目《ひとめ》を|忍《しの》び|今《いま》ここに  |現《あら》はれ|来《き》たりて|愛州《あいしう》の
|命《いのち》を|救《すく》ひ|助《たす》けむと  |心《こころ》を|千々《ちぢ》に|砕《くだ》くなり
|早《はや》く|名乗《なの》れよ|愛《あい》の|神《かみ》  |愛《あい》の|女神《めがみ》は|今《いま》|此処《ここ》に
|汝《なれ》が|在所《ありか》を|尋《たづ》ねつつ  |下《くだ》り|来《き》にけり|逸早《いちはや》く
|名乗《なの》らせ|玉《たま》へ|愛《あい》の|神《かみ》  |珍《うづ》の|都《みやこ》の|男伊達《をとこだて》
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|男伊達《をとこだて》』
と|歌《うた》ひつつ|愛州《あいしう》の|牢屋《らうや》の|前《まへ》に|来《き》たる。|愛州《あいしう》はこの|歌《うた》を|聞《き》くより、|驚喜《きやうき》しながら、やや|疲《つか》れたる|声《こゑ》にて、
『|雪霜《ゆきしも》にとぢこめられし|白梅《しらうめ》も
|春乃光《はるのひかり》に|会《あ》ひて|笑《わら》はむ
|曲《まが》りたる|事《こと》しなさねど|醜神《しこがみ》の
|忌憚《きたん》にふれて|捕《とら》へられける
|吾《わ》が|身《み》をば|救《すく》ひ|助《たす》くる|春乃姫《はるのひめ》の
あつき|心《こころ》に|涙《なみだ》こぼるる』
|春乃姫《はるのひめ》はこの|歌《うた》を|聞《き》くより、|愛州《あいしう》なることを|悟《さと》り、|手早《てばや》く|錠《ぢやう》をはづし、|暗《くら》き|牢屋《らうや》に|打《う》ち|向《む》かひ、
『|花《はな》は|開《ひら》き|木《こ》の|葉《は》のめぐむ|春乃姫《はるのひめ》
いざ|導《みちび》かむ|花《はな》の|御園《みその》へ』
|愛州《あいしう》『|有難《ありがた》し|辱《かたじけ》なしと|述《の》ぶるより
|宣《の》る|言霊《ことたま》を|知《し》らぬ|嬉《うれ》しさ』
『いざ|早《はや》く|出《い》でさせ|玉《たま》へこの|牢屋《らうや》
|醜《しこ》の|司《つかさ》に|見《み》つけられぬ|内《うち》』
『|男伊達《をとこだて》|心《こころ》ならずも|汝《な》が|君《きみ》の
|恵《めぐ》みにほだされ|牢屋《らうや》を|出《い》でむ』
と|返《かへ》しながら|春乃姫《はるのひめ》に|導《みちび》かれ、|非常門口《ひじやうもんぐち》より|両人《りやうにん》|手《て》に|手《て》を|取《と》りて|夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れ、|何《いづ》れともなく|落《お》ちのび、|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|北《きた》へ|北《きた》へと|町外《まちはづ》れの|道《みち》を、|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|日暮《ひぐらし》の|森《もり》へと|駈《か》けつけ、|古《ふる》ぼけた|鎮守《ちんじゆ》の|宮《みや》の|床下《ゆかした》に|夜露《よつゆ》を|凌《しの》ぐこととなりぬ。
|愛州《あいしう》『|尊《たふと》き|姫様《ひめさま》の|御身《おんみ》をもつて、|侠客《けふかく》ごとき|吾々《われわれ》|一人《ひとり》を|助《たす》けむがために|御苦労《ごくらう》をかけまして、|誠《まこと》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。この|上《うへ》は|如何《いか》なる|事《こと》がございませうとも、|命《いのち》の|親《おや》の|貴女様《あなたさま》、|命《いのち》を|的《まと》に|御恩返《ごおんがへ》しを|仕《つかまつ》ります』
と|改《あらた》めて|感謝《かんしや》の|辞《じ》を|述《の》べた。
|春乃《はるの》『あなたは|侠客《けふかく》の|愛州《あいしう》さまとは|此《この》|世《よ》を|忍《しの》ぶ|仮《かり》の|御名《みな》、あなたはヒルの|都《みやこ》の|楓別《かへでわけ》|様《さま》の|長子《ちやうし》|国愛別命《くにちかわけのみこと》|様《さま》でございませうがな』
と|星《ほし》をさされて、|愛州《あいしう》はハツと|胸《むね》を|押《おさ》へ、
『イエイエ|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|尊《たふと》い|身分《みぶん》ではございませぬ。ホンの|市井《しせい》のならず|者《もの》、|博奕《ばくち》を|渡世《とせい》に|致《いた》す|酢《す》でも|蒟蒻《こんにやく》でもゆかない、ケチな|野郎《やらう》でごぜえやす。|勿体《もつたい》ない、そんな|事《こと》を|言《い》つてもらひますと、|罰《ばち》が|当《あた》つて|目《め》が|潰《つぶ》れるかも|知《し》れませぬよ、アツハハハハ。|御冗談《ごじようだん》も|可《よ》いかげんにして|下《くだ》さいませ』
|春乃《はるの》『イエイエお|隠《かく》しには|及《およ》びませぬ。|吾《わ》が|兄《あに》|国照別《くにてるわけ》からソツと|手紙《てがみ》が|参《まゐ》つてをります。その|手紙《てがみ》によれば、|横小路《よここうぢ》の|侠客《けふかく》|愛州《あいしう》といふのは|自分《じぶん》の|兄弟分《きやうだいぶん》だが、|実際《じつさい》の|素性《すじやう》を|明《あ》かせば、ヒルの|国《くに》の|城主《じやうしゆ》の|御長子《ごちようし》|国愛別《くにちかわけ》|様《さま》だと|書《か》いてございましたよ。そしてお|前《まへ》も|理想《りさう》の|夫《をつと》が|有《も》ちたいだらうが、|兄《あに》の|目《め》から|見《み》たお|前《まへ》に|適当《てきたう》な|夫《をつと》は、あの|愛州様《あいしうさま》だと|書《か》いてございましたもの。あなたは|何《なに》ほどお|隠《かく》しになつても、|兄《あに》が|証明《しようめい》してゐるから|駄目《だめ》でございますよ』
|愛州《あいしう》『|拙者《わつち》やア、|国《くに》さまとか、|国照別《くにてるわけ》さまとか、そんな|尊《たふと》いお|方《かた》と|一面識《いちめんしき》もございやせぬ。ソラおほかた|人違《ひとちが》ひでございやせう。|愛《あい》といふ|名《な》はわつち|一人《ひとり》ぢやございやせぬ。どうか、お|取違《とりちが》ひのないやうお|願《ねが》ひ|申《まを》しやす』
|春乃姫《はるのひめ》はポンと|肩《かた》を|叩《たた》き、
『|国愛別《くにちかわけ》|様《さま》、|駄目《だめ》ですよ、お|隠《かく》しには|及《およ》びませぬ。サアこれから|横小路《よここうぢ》のお|館《やかた》へ|帰《かへ》らうではありませぬか。|妾《わらは》は|源州《げんしう》さまにキツと|親方《おやかた》を|近《ちか》い|内《うち》に|手渡《てわた》しすると、|約束《やくそく》がしてあるのですから、|是非《ぜひ》|一度《いちど》は|源州《げんしう》さまに、あなたの|身柄《みがら》をお|渡《わた》しせねばなりませぬからね』
|愛州《あいしう》『ヤア|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》うございます。しかしながら|只今《ただいま》となつては、|破獄逃走者《はごくたうそうしや》としてズキがまはり、|吾《わ》が|館《やかた》は|賢平《けんぺい》|取締《とりしまり》をもつて、|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取《とり》まいてをりませう。|左様《さやう》な|危険《きけん》な|所《ところ》へ|帰《かへ》るのは|考《かんが》へものですな。|世《よ》のため、|人《ひと》のため|命《いのち》を|捨《す》てるのは、|少《すこ》しも|惜《を》しみませぬが、ムザムザと|命《いのち》を|捨《す》てるのは|残念《ざんねん》でございますから……』
|春乃《はるの》『|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|妾《わらは》は|不肖《ふせう》ながらも|高砂城《たかさごじやう》の|世継《よつぎ》|春乃姫《はるのひめ》でございます。たとへ|幾万《いくまん》の|捕手《とりて》が|来《き》たるとも、ただ|一言《いちごん》にて|解散《かいさん》をさせてみせませう。そして|此《この》|後《ご》は|役人《やくにん》どもに|指《ゆび》|一本《いつぽん》さへさせませぬから、|御安心《ごあんしん》なさいませ』
『|有難《ありがた》うございます、|左様《さやう》なればお|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|吾《わ》が|家《いへ》へ|帰《かへ》りませう。|送《おく》つてもらふのも|何《なん》だか|乾児《こぶん》の|前《まへ》、|恥《は》づかしいやうな|気分《きぶん》が|致《いた》しますから、あなたはどうぞお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》はボツボツ|乾児《こぶん》が|待《ま》つてゐませうから、|吾《わ》が|館《やかた》へ|帰《かへ》ることに|致《いた》しませう。|何分《なにぶん》|後《あと》のところは|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひいたします』
『|左様《さやう》なれば、|妾《わらは》はこれから|城内《じやうない》へ|帰《かへ》ることにいたします。|今《いま》しばし|城内《じやうない》に|止《とどま》り、|世子《せいし》の|位地《ゐち》に|立《た》つてゐなければ、|何《なに》かの|都合《つがふ》が|悪《わる》うございますから……|然《しか》しながら|何時《いつ》までも|清家的《せいかてき》|生活《せいくわつ》は|致《いた》したくありませぬから、|将来《しやうらい》は|夫婦《ふうふ》……いな|兄妹《きやうだい》のごとくなつて、|世《よ》のために|尽《つく》さうではございませぬか、ねえ|国愛別《くにちかわけ》|様《さま》』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます』
と|右《みぎ》と|左《ひだり》に|立別《たちわか》れ、|朧夜《おぼろよ》の|影《かげ》に|包《つつ》まれてしまつた。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第九章 |迎酒《むかへざけ》〔一七五四〕
|横小路《よここうぢ》の|侠客《けふかく》|愛州《あいしう》の|留守宅《るすたく》には、|源州《げんしう》、|平州《へいしう》、|藤州《とうしう》、|橘公《きちこう》、|三州《さんしう》、|泉州《せんしう》、|相州《さうしう》、|杢州《もくしう》の|兄分株《あにぶんかぶ》が|数百人《すうひやくにん》の|乾児共《こぶんども》を|集《あつ》めて、|親分《おやぶん》の|帰《かへ》り|来《き》たるの|遅《おそ》きにやや|不安《ふあん》の|念《ねん》を|起《おこ》し、|冷酒《ひやざけ》を|煽《あふ》りながら|善後策《ぜんごさく》について|協議《けふぎ》を|凝《こ》らしてゐる。
|平《へい》『オイ|源州《げんしう》の|兄貴《あにき》、|親分《おやぶん》が|捕《つか》まつてから|今日《けふ》で|十日目《とをかめ》になるが、まだニヤンが|屁《へ》こいたとも|便《たよ》りがないぢやねいか。われわれ|乾児《こぶん》として|此《こ》のまま|坐視《ざし》するこたア|出来《でき》まい。|何《なん》とか|救《すく》ひ|出《だ》す|工夫《くふう》はあるめえかな』
|源《げん》『まア|今日《けふ》|一日《いちにち》は|待《ま》つたが|可《よ》からうぞ。|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|高砂城《たかさごじやう》の|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》が|仲裁《ちうさい》を|遊《あそ》ばし、……|今《いま》すぐにといふわけにも|行《ゆ》かぬが、|十日《とをか》の|間《あひだ》にはキツと|救《すく》ひ|出《だ》してやらう……と|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|立派《りつぱ》におつしやつたのだから、|滅多《めつた》に|間違《まちが》ひはあるめえ。|俺《おれ》たちは|姫様《ひめさま》の|尊《たふと》いお|言葉《ことば》を|信《しん》じ、おとなしく|待《ま》つてるのだ。その|代《かは》り|今日中《けふぢう》|待《ま》つて|親分《おやぶん》が|帰《け》えれねえとすれば、われわれも|安閑《あんかん》としては|居《を》られねえ。|味方《みかた》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|集《あつ》め、|非常手段《ひじやうしゆだん》と|出《で》かけるつもりだ。まア|少時《しばらく》のところ|俺《おれ》に|免《めん》じて|待《ま》つてくれ』
|平《へい》『ウンそれもさうだが、あんな|事《こと》を|言《い》つて|一時逃《いちじのが》れに|俺《おれ》たちを|胡魔《ごま》かしたのぢやあるめいかな。それならそれで|俺《おれ》たちにも|覚悟《かくご》があるからなア』
|岩公《いはこう》は|側《そば》より、
|岩《いは》『オイ|兄貴《あにき》|心配《しんぱい》するな。|高砂城《たかさごじやう》の|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》といつたら、|仁慈《じんじ》|深《ふか》い、そして|時代《じだい》を|解《かい》した、|立派《りつぱ》な|思想《しさう》を|持《も》つた、|人類愛主義《じんるゐあいしゆぎ》の|女神様《めがみさま》だ。たとへ|一日《いちにち》や|二日《ふつか》|遅《おく》れても、キツとおつしやつたことは、|命《いのち》に|代《か》へても|履行《りかう》して|下《くだ》さるから、ここはおとなしく|待《ま》つてをるがよからうぞ』
|平《へい》『|老耄《おいぼれ》の|末席《まつせき》の|分際《ぶんざい》として|偉《えら》さうなこと|言《い》ふない。ナニ|汝《きさま》がそんな|事《こと》|分《わか》らうかい。|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》なんて、|拝《をが》んだ|事《こと》もないくせに、|知《し》つたかぶりを|吐《ほざ》くない。こんなところへチヨツカイを|出《だ》す|汝《きさま》の|幕《まく》ぢやない。あつちへ|行《い》つて|便所《べんじよ》の|掃除《さうぢ》でもやつて|来《こ》い』
|岩《いは》『ソリヤ、|兄貴《あにき》の|言《い》ふことに|反《そむ》くわけにや|行《ゆ》かぬから、|便所《べんじよ》の|掃除《さうぢ》もせぬことはないが、|今日《けふ》は|乗《の》るか|反《そ》るかの|肝心要《かんじんかなめ》の|評定《ひやうじやう》の|場合《ばあひ》ぢやないか。いかに|末輩《まつぱい》の|俺《おれ》だつて、|大親分《おほおやぶん》の|身内《みうち》に|違《ちが》ひない。|親分《おやぶん》を|思《おも》ふ|赤心《まごころ》は|兄貴《あにき》だつて、|末輩《まつぱい》だつて、チツとも|変《かは》りはないぞ。|外《ほか》の|問題《もんだい》ならば|順序《じゆんじよ》を|守《まも》り、こんな|所《ところ》へツン|出《で》て|意見《いけん》は|述《の》べないが、|親分《おやぶん》の|一身上《いつしんじやう》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》だから、わつちの|意見《いけん》も|言《い》はしてくれたまへ』
|平《へい》『|老耄爺《おいぼれぢい》の|古《ふる》い|頭《あたま》で、どうして|重要《ぢうえう》な|問題《もんだい》の|解決《かいけつ》が|着《つ》くものか。チヨン|猪口才《ちよこざい》な、そつちへ|行《い》つてをれつたら……|本当《ほんたう》に|五月蠅奴《うるさいやつ》だな。この|平《へい》さまはな、|汝《きさま》は|何《なん》と|思《おも》つてるか|知《し》らぬが、|背水会《はいすゐくわい》の|創立者《さうりつしや》だぞ。|源州《げんしう》の|兄貴《あにき》と|両人《ふたり》が、|伊佐彦《いさひこ》の|老中《らうぢう》に|頼《たの》まれて、|背水会《はいすゐくわい》の|元《もと》を|作《つく》つたのだ。|大親分《おほおやぶん》の|愛州《あいしう》さまは|俺《おれ》|達《たち》が|頭《かしら》に|戴《いただ》いてるものの、|背水会《はいすゐくわい》の|創立者《さうりつしや》はやつぱり|俺《おれ》|達《たち》だからな。いはば|侠客《けふかく》の|神様《かみさま》だ。|侠客《けふかく》には|侠客《けふかく》の|法《はふ》があるのだから、|汝等《きさまたち》は|順序《じゆんじよ》を|守《まも》つて、すつ|込《こ》んでをれ』
|藤《とう》『オイ|平州《へいしう》の|兄貴《あにき》、さう|没義道《もぎだう》にこき|下《お》ろすものぢやない。この|岩州《いはしう》だつて、|普通《ふつう》の|乾児《こぶん》とは、ちつたア|違《ちが》つたとこがあるよ。かふいふ|大切《だいじ》な|場合《ばあひ》には、|誰《たれ》の|意見《いけん》でも|参考《さんかう》のために|聞《き》いてみる|必要《ひつえう》があらうぞ』
|平《へい》『さうかも|知《し》れねえが、|何《なん》だか|虫《むし》の|好《す》かねえ|面《つら》をしやがつて、|横合《よこあひ》から|茶々《ちやちや》を|入《い》れやがると、ムカついて|堪《たま》らねえのだ。この|岩州《いはしう》はヒヨツとしたら|寒犬《かんけん》かも|知《し》れないよ。|何《なん》だか|目付《めつき》が|怪《あや》しうて|仕方《しかた》がねえ。しかしながら|親分《おやぶん》が|何時《いつ》も「|岩々《いはいは》」といつて|腰巾着《こしぎんちやく》のやうにどつこへ|行《ゆ》くにも|荷持《にもち》に|連《つ》れて|行《ゆ》くのだから、|親分《おやぶん》にどんなお|考《かんが》へがあるか|知《し》れぬと|思《おも》つて、|俺《おれ》たちや|見逃《みのが》してるのだが、|実《じつ》に|癪《しやく》に|障《さは》る|奴《やつ》だ。|高砂城《たかさごじやう》の|老中《らうぢう》|見《み》たやうな|根性魂《こんじやうだま》を|下《さ》げてゐやがるのだからな』
|藤《とう》『エライところへまた|舌鋒《ぜつぽう》が|脱線《だつせん》したものだな。そんな|話《はなし》よりも|焦眉《せうび》の|急《きふ》を|要《えう》する|問題《もんだい》は|親分《おやぶん》の|一身上《いつしんじやう》に|関《くわん》する|事《こと》だ。|源州《げんしう》の|言《い》ふ|通《とほ》り|今晩《こんばん》の|十二時《じふにじ》まで|待《ま》つて|見《み》て、|親方《おやかた》の|顔《かほ》が|見《み》えないとすれば、いよいよ|足装束《あししやうぞく》を|整《ととの》へ、|非常手段《ひじやうしゆだん》をオツぱじめるのだなア』
|平《へい》『そんならさうに|定《き》めておかう。オイ|兄弟《きやうだい》、|乾児連中《こぶんれんぢう》に、|何時《いつ》でも|発足《はつそく》の|出来《でき》るやうに|準備《じゆんび》を|命《めい》じてくれ。そして|酒樽《さかだる》の|鏡《かがみ》を|抜《ぬ》いて、|今《いま》|出立《しゆつたつ》といふ|時《とき》に|呑《の》んで|出《で》るやうに|準備《じゆんび》をしておくのだなア』
|三州《さんしう》、|泉州《せんしう》、|相州《さうしう》、|杢州《もくしう》の|幹部連《かんぶれん》は|裏《うら》の|大部屋《おほべや》に|集《あつ》まつてる|数百人《すうひやくにん》の|乾児《こぶん》に|向《む》かつて|右《みぎ》の|趣《おもむき》を|伝《つた》へ、|用意《ようい》にかからしめた。
|源州《げんしう》、|平州《へいしう》、|藤州《とうしう》、|橘公《きちこう》の|幹部連《かんぶれん》は|元気《げんき》をつけるため、|酒《さけ》を|燗《かん》しながら|数《かず》の|子《こ》の|肴《さかな》でチヨビリチヨビリと|呑《の》み|始《はじ》めた。だんだん|酔《よ》ひが|廻《まは》つて|来《き》て|互《たが》ひに|気焔《きえん》を|吐《は》き|出《だ》した。
|橘公《きちこう》|廻《まは》らぬ|舌《した》で、
『アーア、|思《おも》へば|思《おも》へば|侠客《けふかく》なんて、つまらねえもなアありやしねえワ。なア|兄弟《きやうだい》、よく|考《かんが》へてみろ。|喧嘩《けんくわ》して|切《き》られても|痛《いた》いといふわけにやゆかず、|殺《ころ》されても|逃《に》げるわけにもゆかねえし、|本当《ほんたう》に|引合《ひきあ》はぬ|商売《しやうばい》ぢやねえか。もし|卑怯《ひけふ》な|言葉《ことば》でも|出《だ》してみよ、|彼奴《あいつ》ア【なきがら】だといつて、|仲間《なかま》の|奴《やつ》から|擯斥《ひんせき》され、|先代《せんだい》の|親分《おやぶん》の|名《な》まで|汚《けが》し、また|乾児《こぶん》の|面《つら》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》らねばならぬ。さうすりや、|乾児《こぶん》の|巾《はば》が|利《き》かなくなつてしまふ。|彼奴《あいつ》の|親分《おやぶん》は|切《き》られて|痛《いた》がつたとか、|死《し》にがけに|吠《ほ》えたとか|歌《うた》つたとかいはれて、【なきがら】【なきがら】と|貶《けな》され、|乾児《こぶん》の|渡世《とせい》が|出来《でき》ねえやうになつてしまふ。それを|思《おも》へば|喧嘩《けんくわ》して|腕《うで》の|一本《いつぽん》くらゐ|落《お》とされても、|痛《いた》さを|怺《こら》へて|無理《むり》に|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り、|劫託《ごふたく》を|並《なら》べて|胡魔《ごま》かさねばならず、|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》にこれくらゐつまらねえ|商売《しやうばい》はねえぢやねえか』
|平州《へいしう》ヅブ|六《ろく》に|酔《よ》ひながら、
『さうともさうとも、|橘《きち》のいふ|通《とほ》り、|本当《ほんたう》に|詰《つま》らねえな。|伊佐彦《いさひこ》の|奴《やつ》、|対命舎《たいめいしや》や|投槍派《なげやりは》が|恐《おそ》ろしくなつたものだから、|俺《おれ》たちを|甘《うま》く|釣《つ》り|込《こ》みやがつて……|国家《こくか》の|保護《ほご》に|任《にん》ずる|者《もの》は、|腐敗堕落《ふはいだらく》の|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》に、|侠客《けふかく》をおいて|他《た》に|無《な》し……などと|煽《おだ》て|上《あ》げ、|背水会《はいすゐくわい》を|組織《そしき》してくれたら|充分《じうぶん》の|保護《ほご》を|与《あた》へ、|凡《すべ》ての|便宜《べんぎ》を|与《あた》へてやると|吐《ぬ》かしやがつたものだから、|珍《うづ》の|国《くに》の|大親分《おほおやぶん》|六十余人《ろくじふよにん》に|檄《げき》を|飛《と》ばし、……|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》の|請求《せいきう》だから、|一度《いちど》|珍《うづ》の|城下《じやうか》へ|集《あつ》まつて、|背水会《はいすゐくわい》の|組織《そしき》をしてくれまいか……と|言《い》つたところ、どの|親分《おやぶん》も|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|賛成《さんせい》をしてくれたのだ。|侠客《けふかく》といふ|者《もの》は、|時《とき》の|権威者《けんゐしや》の|鼻《はな》つ|柱《ぱしら》を|打挫《うちくじ》くのが|天職《てんしよく》だから、ヨモヤ|老中《らうぢう》の|走狗《そうく》にならうといふ|親分《おやぶん》は|一人《ひとり》もなからうと|信《しん》じてゐたのに、エーエ、|豈《あに》|図《はか》らむや|妹計《いもうとはか》らむやだ。|今《いま》の|侠客《けふかく》ア、|魂《たましひ》が|脱《ぬ》けてゐるから、|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》のお|声《こゑ》がかりだと|聞《き》いて、|欣喜雀躍《きんきじやくやく》して|珍《うづ》の|都《みやこ》のスカタン・ホテルへ、|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふごとくやつて|来《き》たのだ。その|時《とき》の|親分衆《おやぶんしう》の|勢《いきほ》ひつたら|素晴《すば》らしいものだつた。これだけの|者《もの》が|協心戮力《けふしんりくりよく》して|当《あた》らうものなら、どんな|事《こと》でも|成功《せいこう》|疑《うたが》ひなし、と|思《おも》はれたよ』
|源《げん》『|最前《さいぜん》から|聞《き》いてをれば、|自分《じぶん》|一人《ひとり》が|背水会《はいすゐくわい》を|組織《そしき》したやうに|言《い》つてるが、その|衝《しよう》に|当《あた》つた|者《もの》は|汝《きさま》ばかりぢやねえ、|俺《おれ》が|先頭《せんとう》ぢやねえか』
|平《へい》『ウーン、それもさうだ。サアこれから|兄貴《あにき》の|番《ばん》だ。|酒《さけ》の|肴《さかな》に|一《ひと》つ|兄弟《きやうだい》の|前《まへ》で、|背水会《はいすゐくわい》|組織《そしき》の|顛末《てんまつ》を|聞《き》かしてやつてくれ、オイ|兄弟《きやうだい》、ずゐぶん|面白《おもしろ》いぞ』
|源《げん》『|望《のぞ》みとあらば|言《い》つてやらぬ|事《こと》もない。|俺《おれ》たちの|勇気《ゆうき》といふものは|大《たい》したものだぞ。エー|実《じつ》のところは|此《こ》の|源州《げんしう》の|所《ところ》へ、|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》のところから|頼《たの》みに|来《き》たのだ。それで|平州《へいしう》と|相談《さうだん》した|上《うへ》、|珍全国《うづぜんこく》の|親分株《おやぶんかぶ》を|集《あつ》め、スカタン・ホテルへ|行《い》つて、それから|老中《らうぢう》へ|電話《でんわ》をかけ、|横波局長《よこなみきよくちやう》に|照会《せうくわい》したところ、|横波《よこなみ》の|奴《やつ》、|吃驚《びつくり》しやがつて、……|決《けつ》して|上《うへ》の|方《はう》から|侠客《けふかく》なんか|依頼《いらい》したこたアない。そちらの|方《はう》に|用《よう》があるなら、|老中局《らうぢうきよく》へやつて|来《こ》い……なんて、|木《き》で|鼻《はな》を|擦《こす》つたやうな|挨拶《あいさつ》をしやがるのだ。|俺《おれ》たち|二人《ふたり》は|六十余人《ろくじふよにん》の|親分《おやぶん》に|対《たい》し|横波《よこなみ》がそんなこと|言《い》つたと、どうして|言《い》はれうか。|切腹《せつぷく》でもして|言訳《いひわけ》しなくちや|男《をとこ》の|顔《かほ》が|立《た》たねえ。そこでこの|平州《へいしう》を|引連《ひきつ》れ、|俺《おれ》はドスを|腰《こし》にブラ|下《さ》げ、|平州《へいしう》はピストルを|懐《ふところ》にして、|老中局《らうぢうきよく》の|玄関《げんくわん》にあばれ|込《こ》み……|横波局長《よこなみきよくちやう》を|此所《ここ》へ|引《ひ》きずり|出《だ》せツ……と|呶鳴《どな》つたところ、|横波《よこなみ》の|奴《やつ》|吃驚《びつくり》しやがつて、チツとも|面《つら》|出《だ》しやがらぬ。|受付《うけつけ》に|萎《しな》びた|爺《ぢい》が|一疋《いつぴき》けつかつて、……マアマア|何用《なによう》か|知《し》りませぬが|私《わたし》が|承《うけたまは》りませう……といひやがる。……エー|薬鑵親爺《やくわんおやぢ》|奴《め》、ぐづぐづさらしてると|捻《ひね》りつぶしてやる……と、|平州《へいしう》がやつたところ、|親爺《おやぢ》|奴《め》|縮《ちぢ》み|上《あが》りやがつて、……|私《わたし》は|大泡吹造《おほあわふくざう》と|申《まを》します……と|言《い》ひやがつて、|大泡吹造《おほあわふくざう》とは|醜偽院《しうぎゐん》の|偽長《ぎちやう》もやつてゐた|奴《やつ》だなアと|思《おも》い|出《だ》し、……そんなら|親爺《おやぢ》、|横波《よこなみ》に|俺《おれ》の|出《で》て|来《き》た|用件《ようけん》をトツクリと|話《はな》して、|侠客《けふかく》の|面《つら》を|立《た》てるやうにするか、でなくちやこつちにも|覚悟《かくご》がある……と|槍《やり》を|一本《いつぽん》|入《い》れて、スカタン・ホテルへ|帰《かへ》つて|来《く》ると、|老中局《らうぢうきよく》から|十数台《じふすうだい》の|自動車《じどうしや》を|持《も》つて、|俺《おれ》|達《たち》|一行《いつかう》を|迎《むか》へに|来《き》やがつたのだ。それから|始《はじ》めて、|局内《きよくない》の|評定所《ひやうぢやうしよ》へ|這入《はい》つてみると、|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》もないやうな|美《うつく》しい|毛氈《まうせん》を|布《し》き、|真白《まつしろ》な|頭《あたま》をしたブルケーとかブルカーとかいふ|奴《やつ》がやつて|来《き》やがつて、|挨拶《あいさつ》をしやがる。|後《あと》から|考《かんが》へてみると、|此奴《こいつ》が|松若彦《まつわかひこ》の|命令《めいれい》によつて、|珍《うづ》の|国《くに》の|政権《せいけん》を|握《にぎ》つてる|白頭翁《はくとうをう》だと|分《わか》つたので……|何《なん》だ|老中《らうぢう》といふ|者《もの》はこんなものかい……とやや|軽悔《けいぶ》の|念《ねん》が|咄嗟《とつさ》に|湧《わ》いて|来《き》た。そこへ|横波《よこなみ》が|恐《おそ》る|恐《おそ》るやつて|来《き》て、|米搗《こめつき》バツタのやうにペコペコ|頭《あたま》を|下《さ》げ……|皆《みな》さま|遠方《ゑんぱう》ご|苦労《くらう》|様《さま》でございます。|先刻《せんこく》はエライかけ|違《ちが》ひで|失礼《しつれい》いたしました……と|挨拶《あいさつ》さらすものだから、|一国《いつこく》の|大老《たいらう》や|老中《らうぢう》が|頼《たの》むからと|思《おも》ひ、ヤツと|虫《むし》を|殺《ころ》して|背水会《はいすゐくわい》を|組織《そしき》する|事《こと》になつたのだ。|何《なん》と|偉《えら》いものだらう』
|藤《とう》『それだけ|上《うへ》の|奴《やつ》から|背水会《はいすゐくわい》を|力《ちから》にしてる|以上《いじやう》は、|吾々《われわれ》に|対《たい》しても|余《よ》ほど|便宜《べんぎ》とか|特典《とくてん》とか|与《あた》へてくれさうなものだのに、|博奕《ばくち》を|打《う》てばやはり|人並《ひとな》みに|牢獄《らうごく》へブチ|込《こ》みやがるなり、|喧嘩《けんくわ》して|人《ひと》を|斬《き》れば、|刑法《けいはふ》だとか|何《なん》とかいつて|刑場《けいぢやう》へやられるなり、|自分《じぶん》の|都合《つがふ》の|好《よ》い|時《とき》は|背水会《はいすゐくわい》|背水会《はいすゐくわい》と|言《い》つて、|無茶苦茶《むちやくちや》に|扱《こ》き|使《つか》はれ、|本当《ほんたう》に|彼奴等《あいつら》の|機械《きかい》に|使《つか》はれてるやうなものぢやないか。|今度《こんど》の|親分《おやぶん》だつて、|背水会《はいすゐくわい》の|大頭《おほあたま》たる|以上《いじやう》は、チツとは|大目《おほめ》に|見《み》さうなものだのに、|牢獄《らうごく》へブチ|込《こ》みやがつて|馬鹿《ばか》にしてる。こんなことならモウ|背水会《はいすゐくわい》を|叩《たた》き|潰《つぶ》し、|昔《むかし》のままの|侠客《けふかく》でやつて|行《ゆ》かうぢやないか。|本当《ほんたう》に|詰《つま》らねえからなア』
|源《げん》『さうだ、|俺《おれ》も|同感《どうかん》だ。なア|平州《へいしう》、|三州《さんしう》、|泉州《せんしう》、|相州《さうしう》、|杢州《もくしう》も|賛成《さんせい》だらう』
『|尤《もつと》も|尤《もつと》も、|賛成《さんせい》、|賛成《さんせい》』
と|手《て》を|拍《う》つて|迎《むか》へた。
|平《へい》『ウエー、|大分《だいぶ》に|酔《よ》ひも|廻《まは》つたが、|最早《もう》|子《ね》の|刻《こく》だ。|親分《おやぶん》がいよいよ|帰《かへ》らねえとすると、|全体《ぜんたい》を|引《ひ》き|連《つ》れて、|非常手段《ひじやうしゆだん》と|出《で》かけやうぢやないか。そして|序《ついで》に|俺《おれ》たちを|詐《いつは》りやがつた|春乃姫《はるのひめ》を|血祭《ちまつ》りにして|来《こ》うぢやないか。それぐらゐな|勇気《ゆうき》が|無《な》くては|侠客《けふかく》と|言《い》はれないワ』
としきりにメートルを|上《あ》げてゐる。
|源《げん》『さう|急《いそ》ぐには|及《およ》ばぬぢやないか。|半日《はんにち》や|一日《いちにち》|遅《おく》れたつて、どういふ|御都合《ごつがふ》があるか|知《し》れないワ。かう|何時《なんどき》でも、|出動準備《しゆつどうじゆんび》が|出来《でき》てるのだから、|勢揃《せいぞろ》ひの|上《うへ》は|満《まん》を|持《ぢ》して|考《かんが》へねばなるまいぞ。|一旦《いつたん》|弦《つる》を|離《はな》れた|矢《や》は|再《ふたた》び|帰《かへ》らないからの。|猪突主義《ちよとつしゆぎ》も|結構《けつこう》だが、|却《かへ》つて|親分《おやぶん》に|迷惑《めいわく》を|及《およ》ぼすやうな|事《こと》があつては、|乾児《こぶん》としての|道《みち》が|立《た》たないからのう』
|平《へい》『|卑怯《ひけふ》なことを|言《い》ふない。もはや|戦闘準備《せんとうじゆんび》が|整《ととの》うた|上《うへ》はぐづぐづしてゐられない。|士気《しき》を|沮喪《そさう》する|虞《おそ》れがある。サアこれから|鏡《かがみ》を|抜《ぬ》いて|乾児《こぶん》どもの|元気《げんき》をつけ、|暴虎馮河《ばうこひようが》の|勢《いきほ》ひで|出陣《しゆつぢん》することにしようかい』
|源州《げんしう》も|止《や》むを|得《え》ず、|平州《へいしう》の|舌剣《ぜつけん》に|切《き》りまくられ、|不承々々《ふしようぶしょう》に|賛成《さんせい》をしたので、いよいよ|出陣《しゆつぢん》の|準備《じゆんび》として|四斗樽《しとだる》の|詰《つめ》を|抜《ぬ》き、|乾児《こぶん》は|各《おのおの》|杓《しやく》に|掬《すく》うては|呑《の》み|掬《すく》うては|呑《の》み、|部屋《へや》の|中《なか》は|山岳《さんがく》も|吹《ふ》き|飛《と》ばす|底《てい》の|活気《くわつき》がみなぎつて|来《き》た。そこへ|表戸《おもてど》を|叩《たた》く|者《もの》がある。|岩公《いはこう》は|戸《と》の|入口《いりぐち》に|神妙《しんめう》に|番《ばん》をしてゐたが、|足音《あしおと》や|戸《と》の|叩《たた》き|方《かた》によつて|大親分《おほおやぶん》の|帰《かへ》つて|来《き》たことを|悟《さと》り、|錠《ぢやう》をはづして、|表戸《おもてど》をガラリと|引開《ひきあ》け、
『ヤ、|親分《おやぶん》、|帰《かへ》つて|来《き》たか、|待《ま》ち|兼《か》ねたよ』
と|小声《こごゑ》でいふ。|愛州《あいしう》は、
『ヤ、|失礼《しつれい》しました。やうやくのことで、|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》の|計《はか》らひで|帰《かへ》ることが|出来《でき》ました。ずゐぶん|奥《おく》は|賑《にぎ》はしいやうですな』
|岩《いは》『|実《じつ》のとこは、|親分《おやぶん》が|今日《けふ》|十二時《じふにじ》に|帰《かへ》らなかつたら、|乾児《こぶん》|一同《いちどう》を|引連《ひきつ》れ、|非常手段《ひじやうしゆだん》をやるといふので|出陣《しゆつぢん》の|用意《ようい》をしてるのです。マア|危機一髪《ききいつぱつ》の|所《ところ》へ|帰《かへ》つていただき|互《たが》ひに|結構《けつこう》です』
と|囁《ささや》きながらズツと|奥《おく》へ|入《い》り、
『オイ|兄貴連《あにきれん》、|喜《よろこ》びたまへ。|親分《おやぶん》が|無事《ぶじ》|帰《かへ》つて|来《こ》られたぞ』
|源州《げんしう》はじめ|一同《いちどう》の|者《もの》は、
『ナニ、|親分《おやぶん》がお|帰《かへ》りといふのか、ソラ|有難《ありがた》い。|門出《かどで》の|酒《さけ》が|歓迎《くわんげい》の|酒《さけ》となつたのか、|何《なん》とマア|嬉《うれ》しい|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》たものだなア。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|嬉《うれ》しさのあまり、|常《つね》には|神仏《しんぶつ》に|手《て》を|合《あは》さなんだ|侠客連《けふかくれん》も|思《おも》はず|知《し》らず|合掌《がつしやう》した。|少時《しばらく》すると|愛州《あいしう》の|館《やかた》は|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るるばかり、「|万歳《ばんざい》」の|声《こゑ》が|雷《らい》のごとくに|響《ひび》き|渡《わた》つた。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一〇章 |宣両《せんりやう》〔一七五五〕
|城下外《じやうかはづ》れの|極《きは》めて|淋《さび》しい|河原町《かはらまち》の|饂飩屋《うどんや》の|店《みせ》に、|四五人《しごにん》の|若者《わかもの》が|饂飩《うどん》を|肴《さかな》にコツプ|酒《ざけ》を|呑《の》みながら、|配達《はいたつ》して|来《く》る|新聞《しんぶん》を|見《み》て、いろいろと|話《はなし》の|花《はな》を|咲《さ》かしてゐる。
|甲《かふ》『オイ、ずゐぶん|世《よ》の|中《なか》も|物騒《ぶつそう》になつて|来《き》ただないか、このごろの|新聞《しんぶん》をみてみよ。|何時《いつ》とても|吾々《われわれ》の|肝《きも》を|冷《ひや》すやうなことが、|一《ひと》つや|二《ふた》つは|出《で》てゐるだないか。ヒルの|都《みやこ》の|大地震《おほぢしん》にエトナ|山《ざん》の|破裂《はれつ》、……といひ|又《また》、|珍《うづ》の|都《みやこ》の|国照別《くにてるわけ》|様《さま》が|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|嫌《きら》つて|人力車夫《じんりきしやふ》となり、あるひは|老中《らうぢう》の|岩治別《いははるわけ》が|陰謀《いんぼう》|露顕《ろけん》したとか|何《なん》とかで|姿《すがた》を|隠《かく》し、|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》の|家内《かない》|樽乃姫《たるのひめ》といふ|大兵肥満《たいひやうひまん》の|樽女《たるをんな》はサデスムスとか|何《なん》とかに|罹《かか》つて、|人《ひと》を|斬《き》る|打《う》つ、そして|牢獄《らうごく》へ|入《い》れられる。|横小路《よここうぢ》の|親分《おやぶん》は|牢《らう》へぶち|込《こ》まれるといふ|大騒《おほさわ》ぎだ。そして|春乃姫《はるのひめ》|様《さま》が|大変《たいへん》なハイカラで、そこら|中《ぢう》を|馬《うま》に|乗《の》つて|駈《か》け|廻《まは》り、その|上《うへ》|彼方《あちら》に|強盗《がうたう》、こちらに|火災《くわさい》、|殺人《さつじん》、|姦通《かんつう》、|会社《くわいしや》|銀行《ぎんかう》の|破綻《はたん》、|重役《ぢうやく》の|持逃《もちに》げに|詐欺《さぎ》、|破産《はさん》、ルーブル|紙幣《しへい》の|下落《げらく》、|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》はモウ|末《すゑ》だな。この|先《さき》、|俺等《おれたち》やどうして|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けたら|良《よ》からうかと|心配《しんぱい》でならないワ』
|乙《おつ》『それだから、|衆生《しゆじやう》|一般《いつぱん》が|生活難《せいくわつなん》の|声《こゑ》に|脅《おびや》かされ、|人心《じんしん》は|日《ひ》に|悪化《あくくわ》して、ソシアリズムやアナーキズムが|蔓延《まんえん》するのだよ。これも|時代《じだい》の|影響《えいきやう》だから|仕方《しかた》がないな』
『だといつて、|俺《おれ》たちア、やつぱり|家族制度《かぞくせいど》の|国《くに》に|生《うま》れたのだから、|家族制度《かぞくせいど》の|破《やぶ》れるやうな|主義《しゆぎ》には|賛成《さんせい》したくないのだ。|私有財産《しうざいさん》|撤廃《てつぱい》とか|土地《とち》|国有《こくいう》とか、いろいろの|議論《ぎろん》が|新聞紙上《しんぶんしじやう》にのつてゐるが、|困《こま》つた|社会《しやくわい》になつたものだな』
『|別《べつ》に|困《こま》る|必要《ひつえう》はないだないか。|偉《えら》さうに|汝《きさま》いつてゐるが、|猫額大《べうがくだい》の|土地《とち》も|所有《しよいう》せず、|嬶《かか》の|湯巻《ゆまき》まで|質《しち》においてる|分際《ぶんざい》として、|家族制度《かぞくせいど》が|好《す》きだの|嫌《きら》いだなんて、|柄《がら》にないこと|吐《ほざ》くない。|俺等《おれたち》はソシアリズムでも、アナーキズムでも|結構《けつこう》だ。|人間《にんげん》は|生《せい》の|執着《しふちやく》を|持《も》つてる|以上《いじやう》は、|完全《くわんぜん》なる|生活《せいくわつ》を|営《いとな》まねば、|牛馬《ぎうば》にも|劣《おと》るやうなことでは|人間《にんげん》を|廃業《はいげふ》するより|外《ほか》に|仕方《しかた》がないからのう』
|丙《へい》『ウン、そらさうだ。|俺《おれ》だつて|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|営々兀々《えいえいこつこつ》と、ブルのためにこき|使《つか》はれ、|労働《らうどう》と|賃銭《ちんせん》の|不統一《ふとういつ》のため、|悲惨《ひさん》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》つてるのだ。|嬶《かか》の|着替《きがへ》|一《ひと》つあるでなし、|正月《しやうぐわつ》が|来《き》ても|子供《こども》に|下駄《げた》|一足《いつそく》|買《か》つてやるわけにもゆかず、|大勢《おほぜい》の|家内《かない》が|高《たか》い|家賃《やちん》を|取《と》られて、|三畳敷《さんでふじき》や|二畳敷《にでふじき》に|雑魚寝《ざこね》をしてる|生活《せいくわつ》に|甘《あま》んじてゐるのだから、|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》に|生存《せいぞん》の|価値《かち》も|何《なに》もあつたものでないと|思《おも》ふよ。|三五教《あななひけう》の|教《をしへ》に、|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》けるとかいふ|事《こと》があるさうだが、|早《はや》く|救《すく》ひの|神《かみ》が|現《あら》はれて、この|暴悪《ぼうあく》な|残虐《ざんぎやく》な、|吾《われ》よしの|強《つよ》い|者勝《ものが》ちの|世《よ》の|中《なか》を|立直《たてなほ》し、|四民平等《しみんべうどう》の|幸福《かうふく》と|平和《へいわ》を|得《う》るところの|世《よ》の|中《なか》に|会《あ》ひたいものだ。|大《おほ》きな|声《こゑ》でこんな|話《はなし》をすれば、すぐ|取締《とりしまり》に|取捉《とつつか》まへられて、|臭《くさ》い|飯《めし》を|食《くは》されるなり、|本当《ほんたう》に|弱者《じやくしや》となれば|頭《あたま》の|上《あが》らない|時節《じせつ》だなア』
|乙《おつ》『それだから、アナーキズムやソシアリズムが|頭《あたま》を|擡《もた》げ|出《だ》したのだ。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれる|現《あら》はれると|昔《むかし》から|言《い》つて|来《き》たが、ねつから|現《あら》はれさうにないぢやないか。|救主《すくひぬし》は|東方《とうはう》の|天《てん》より|現《あら》はれるとか|聞《き》いてるが、|根《ね》つから|吾々《われわれ》を|救《すく》うてくれる|光明《くわうみやう》も|神霊《しんれい》も|現《あら》はれた|例《ためし》もなし、|本当《ほんたう》に|苦《くる》しい|暗黒《あんこく》な|世《よ》の|中《なか》だな』
かく|話《はな》すところへ|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。
『|神《かみ》は|此《この》|世《よ》の|救主《すくひぬし》  |厳《いづ》と|瑞《みづ》との|二柱《ふたはしら》
|常世《とこよ》の|暗《やみ》をはらさむと  |天津空《あまつそら》より|降《くだ》ります
|助《たす》けの|神《かみ》と|現《あら》はれて  |善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|立分《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|直日《なほひ》の|御霊《みたま》|現《あら》はれて  |悪《あく》を|戒《いまし》め|善《ぜん》を|賞《ほ》め
|貧《まづ》しき|人《ひと》を|富《とま》しつつ  |生活難《せいくわつなん》に|苦《くる》しめる
|可憐《かれん》の|民《たみ》を|救《すく》ふなり  |誤解《ごかい》と|矛盾《むじゆん》に|充《み》たされし
|悪魔《あくま》の|世界《せかい》を|射照《いて》らして  |松《まつ》の|神代《かみよ》に|立直《たてなほ》す
|救《すく》ひの|神《かみ》は|天《てん》にあり  |恵《めぐ》みの|神《かみ》は|地《つち》にます
|天《あめ》と|地《つち》との|真中《まんなか》に  |生《お》ひ|育《そだ》ちたる|民草《たみぐさ》は
いづれも|神《かみ》の|御子《みこ》ぞかし  |神《かみ》は|汝等《なれら》の|親《おや》なるぞ
わが|子《こ》の|悩《なや》み|苦《くる》しみを  |如何《いか》でか|見《み》すて|玉《たま》ふべき
|神《かみ》には|神《かみ》のそなへあり  |暫《しばら》く|待《ま》てよ|神《かみ》の|子等《こら》
|五六七《みろく》の|柱《はしら》|現《あら》はれて  |光《ひか》りと|栄《さか》えと|喜《よろこ》びに
|充《み》てる|社会《しやくわい》を|建設《けんせつ》し  |神人和合《しんじんわがふ》の|瑞祥《ずゐしやう》を
|来《き》たし|玉《たま》ふは|目《ま》のあたり  |心《こころ》を|研《みが》き|身《み》をきよめ
その|日《ひ》の|境遇《きやうぐう》に|甘《あま》んじて  |天地《てんち》の|時《とき》を|待《ま》てよかし
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|星《ほし》は|御空《みそら》にきゆるとも  |山《やま》|裂《さ》け|海《うみ》はあするとも
たとへ|地震《なゐふる》|強《つよ》くして  |大廈高楼《たいかかうろう》たちまちに
|地上《ちじやう》に|壊《こは》れ|崩《くづ》るとも  |恵《めぐ》みの|神《かみ》は|誠《まこと》ある
|可憐《かれん》の|御子《みこ》を|救《すく》ふべし  |喜《よろこ》べ|勇《いさ》め|四方《よも》の|国《くに》
|山野《さんや》に|生《お》ひたつ|人草《ひとぐさ》よ  |山野《さんや》に|生《お》ひたつ|神《かみ》の|子《こ》よ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|共《とも》にあり  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めみな|勇《いさ》め
|勇《いさ》んで|時《とき》の|至《いた》るをば  |神《かみ》に|祈《いの》りて|待《ま》てよかし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》にまされる|力《ちから》なし
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|如《し》くはなし  |吾《われ》は|此《この》|世《よ》を|教《をし》へゆく
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|現《あ》れましし
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の  |聖《きよ》き|教《をしへ》を|世《よ》に|弘《ひろ》く
|宣《の》べ|伝《つた》へゆく|神司《かむづかさ》  |何《いづ》れの|人《ひと》も|世《よ》の|中《なか》に
|合点《がてん》のゆかぬ|事《こと》あらば  |吾《わ》が|目《め》の|前《まへ》に|集《あつ》まりて
|深《ふか》き|教《をしへ》を|聞《き》けよかし  |吾等《われら》は|神《かみ》の|御使《おんつかひ》
|神《かみ》に|代《かは》りて|何事《なにごと》も  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|諭《さと》すべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
かく|歌《うた》ひつつ|年《とし》|若《わか》き|女宣伝使《をんなせんでんし》が|店《みせ》の|前《まへ》を|通《とほ》り|過《す》ぎた。|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》|丁《てい》|戊《ぼ》|等《ら》は|宣伝使《せんでんし》の|後《あと》を|追《お》つかけて、どこまでもと|従《つ》いて|行《ゆ》く。|宣伝使《せんでんし》は|被面布《ひめんぷ》をかぶり、|蓑笠《みのかさ》をつけ、|手甲《てかふ》|脚絆《きやはん》|草鞋《わらぢ》の|扮装《いでたち》にて|金剛杖《こんがうづゑ》をつきながら、|足拍子《あしびやうし》を|取《と》り、|優《やさ》しき|声《こゑ》にて、|五人《ごにん》の|男《をとこ》の|追跡《つゐせき》するのも|知《し》らず|進《すす》み|行《ゆ》く。
|向《む》かふの|方《はう》より|馬《うま》に|跨《また》がつて、やつて|来《き》たのは|横小路《よここうぢ》の|侠客《けふかく》|愛州《あいしう》であつた。|愛州《あいしう》は|馬上《ばじやう》ながら|四《よ》ツ|辻《つじ》に|立《た》ち、|声《こゑ》|高《たか》らかに|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|珍《うづ》の|都《みやこ》の|人々《ひとびと》よ  |早《はや》く|眼《まなこ》をさませかし
|物質文明《ぶつしつぶんめい》の|世《よ》の|中《なか》は  もはや|終《をは》りとなりにけり
これの|御国《みくに》はその|昔《むかし》  |高天原《たかあまはら》に|現《あら》はれし
|桃上彦《ももがみひこ》の|天降《あも》りまし  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|降《ふ》らせつつ
|汝等《なれら》の|祖先《そせん》を|守《まも》りまし  |神人和楽《しんじんわらく》の|神国《しんこく》を
いや|永久《とこしへ》に|樹《た》て|玉《たま》ふ  |珍《うづ》の|御国《みくに》ぞ|神《かみ》の|国《くに》
|四民平等《しみんぺうどう》|博愛《はくあい》の  |聖《きよ》き|教《をしへ》を|樹《た》て|玉《たま》ひ
|上下和合《しやうかわがふ》し|官民《くわんみん》は  |一致《いつち》の|歩調《ほてう》を|取《と》りながら
|世《よ》は|安国《やすくに》と|平《たひ》らけく  |治《をさ》まりゆきし|御代《みよ》なれど
|近《ちか》き|御代《みよ》より|常世《とこよ》なる  |怪《あや》しき|国《くに》の|曲教《まがをしへ》
|蔓《はびこ》り|来《き》たりて|珍《うづ》の|国《くに》  |先《ま》づ|第一《だいいち》に|上《うへ》に|立《た》つ
|醜《しこ》の|司《つかさ》の|魂《たましひ》を  |物質本位《ぶつしつほんゐ》に|惑溺《わくでき》し
|優勝劣敗《いうしようれつぱい》|吾《われ》よしの  |教《をしへ》をしきりに|吹《ふ》き|込《こ》みて
|衆生《しゆじやう》の|痛苦《つうく》は|白河《しらかは》の  |夜舟《よぶね》と|枕《まくら》を|高《たか》くして
|大廈高楼《たいかかうろう》に|安臥《あんぐわ》なし  |尸位《しゐ》と|素餐《そさん》の|譏《そし》りをば
|受《う》けつつ|知《し》らぬ|曲津神《まがつかみ》  |上《かみ》のなす|事《こと》|下《しも》|倣《なら》ふ
|上流《じやうりう》|濁《にご》れば|下《しも》にごる  |中間連中《ちうかんれんぢう》はことごとく
|上流階級《じやうりうかいきふ》に|圧倒《あつたふ》され  |国家《こくか》の|中堅《ちうけん》ことごとく
|影《かげ》を|隠《かく》せし|今日《こんにち》は  |如何《いか》にせむ|術《すべ》なきままに
|吾等《われら》は|神《かみ》に|祈《いの》りつつ  |苦《くる》しむ|衆生《しゆじやう》を|救《すく》はむと
|背水会《はいすゐくわい》を|組織《そしき》して  |義侠《ぎけふ》をもつて|任《にん》じつつ
|衆生《しゆじやう》の|権利《けんり》を|壟断《ろうだん》し  |私利《しり》を|営《いとな》む|奴原《やつぱら》の
|鼻《はな》つぱしをばねぢ|折《を》りて  モルヒネ|注射《ちうしや》を|断行《だんかう》し
なほも|自《みづか》ら|悟《さと》らずば  |吾《われ》に|正義《せいぎ》の|剣《つるぎ》あり
|珍《うづ》の|御国《みくに》の|御《おん》|為《ため》に  |尊《たふと》き|命《いのち》を|犠牲《ぎせい》とし
|衆生《しゆじやう》に|代《かは》つて|大掃除《おほさうぢ》  |敢行《かんかう》せむと|思《おも》ふなり
|仁義《じんぎ》に|富《と》める|人達《ひとたち》よ  |義侠《ぎけふ》に|強《つよ》き|諸人《もろびと》よ
|吾等《われら》が|傘下《さんか》に|集《あつ》まりて  |震天動地《しんてんどうち》の|大業《たいげふ》に
|参加《さんか》し|玉《たま》へよ|時《とき》は|今《いま》  |天《あめ》と|地《つち》とは|転倒《てんたう》し
|上《うへ》と|下《しも》とは|逆転《ぎやくてん》し  |善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|誤《あやま》りて
|悪人《あくにん》ますます|世《よ》に|栄《さか》え  |善人《ぜんにん》|将《まさ》に|亡《ほろ》び|行《ゆ》く
この|現状《げんじやう》を|見《み》ながらも  |吾《わ》が|身《み》の|安全《あんぜん》|計《はか》るため
|袖手傍観《しうしゆばうくわん》する|奴《やつ》は  |姿《すがた》は|人間《にんげん》なればとて
|体《からだ》は|畜生《ちくしやう》の|容物《いれもの》だ  |早《はや》|眼《め》をさませ|眼《め》をさませ
|虚偽《きよぎ》と|猜疑《さいぎ》と|罪悪《ざいあく》に  |満《み》ちたる|旧衣《きうい》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てて
|仁慈《じんじ》と|進歩《しんぽ》と|幸福《かうふく》に  |満《み》てる|新衣《しんい》と|着替《きか》へかし
|正義《せいぎ》に|刃向《はむか》ふ|刃《やいば》なし  |誠《まこと》を|辿《たど》る|吾々《われわれ》に
|神《かみ》の|守《まも》りのなからむや  |衆生《しゆじやう》よ|衆生《しゆじやう》よ|奮起《ふんき》せよ
|起《た》つて|醜類《しうるゐ》|打《う》ち|倒《たふ》せ  |汝等《なんぢら》|起《た》つて|倒《たふ》さずば
たちまち|汝等《なんぢら》|亡《ほろ》びなむ  |人間《にんげん》|興亡《こうばう》の|黄泉坂《よもつざか》
|振《ふる》へよ|振《ふる》へ|今《いま》の|時《とき》』
と|呶鳴《どな》つてゐる。|女宣伝使《をんなせんでんし》は|愛州《あいしう》の|姿《すがた》を|被面布起《ひめんぷご》しに|眺《なが》めて、|何《なに》|思《おも》つたか、コソコソと|横道《よこみち》へ|姿《すがた》を|隠《かく》してしまつた。これは|春乃姫《はるのひめ》が|宣伝使《せんでんし》と|変装《へんさう》して、|市中《しちう》を|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つてゐたのである。|女宣伝使《をんなせんでんし》に|従《つ》いて|来《き》た|五人《ごにん》の|男《をとこ》は、|愛州《あいしう》の|演説《えんぜつ》に|気《き》を|取《と》られ、|女宣伝使《をんなせんでんし》の|行方《ゆくへ》を|見失《みうしな》つたのも|気《き》がつかなかつた。|愛州《あいしう》は|馬《うま》の|頭《かしら》を|立《た》て|直《なほ》し、|横小路《よここうぢ》の|吾《わ》が|家《や》の|方面《はうめん》を|目《め》がけて、
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善悪邪正《ぜんあくじやせい》を|立別《たてわ》ける
との|御教《みをしへ》は|昔《むかし》より  |今《いま》に|伝《つた》はりましませど
|今《いま》まで|神《かみ》の|現《あら》はれし  |例《ためし》を|聞《き》きし|事《こと》はなし
|物質界《ぶつしつかい》の|現代《げんだい》を  |救《すく》うて|神《かみ》の|天国《てんごく》を
|建設《けんせつ》するは|肉体《にくたい》の  |神《かみ》に|等《ひと》しき|真人《しんじん》の
|力《ちから》でなければ|世《よ》の|中《なか》は  |決《けつ》して|立《た》つては|行《ゆ》かうまい
|吾等《われら》はそれをば|感《かん》じしゆ  ヒルの|国《くに》をば|後《あと》にして
これの|都《みやこ》に|進《すす》み|入《い》り  |先《ま》づ|第一《だいいち》に|吾《わ》が|身《み》をば
|犠牲《ぎせい》となして|済世《さいせい》の  |模範《もはん》を|示《しめ》し|世《よ》の|中《なか》の
|眠《ねむ》れる|僧侶《そうりよ》や|宣伝使《せんでんし》  |比丘《びく》や|比丘尼《びくに》の|目《め》をさまし
|此《この》|世《よ》の|泥《どろ》をすすがむと  |覚悟《かくご》をきはめ|侠客《けふかく》の
|身分《みぶん》となりて|朝夕《あさゆふ》に  |人類愛護《じんるゐあいご》の|本旨《ほんし》をば
|遂《と》げむが|為《ため》に|励《はげ》むなり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》は|万物普遍《ばんぶつふへん》なる  |誠《まこと》の|霊《れい》にましまして
|人《ひと》は|天地《てんち》の|経綸《けいりん》を  |司《つかさど》るべき|器《うつは》なり
|神人《しんじん》|茲《ここ》に|合一《がふいつ》し  |無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》
|太《ふと》き|力《ちから》を|発揮《はつき》すと  |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に
|示《しめ》させ|玉《たま》ふを|自《おのづか》ら  |事実《じじつ》に|現《あら》はしためさむと
|思《おも》ひ|立《た》つたる|侠客《けふかく》の  |義侠《ぎけふ》にみちし|愛州《あいしう》ぞ
|如何《いか》なる|妨害《ばうがい》あるとても  |恐《おそ》るな|屈《くつ》すなためらふな
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|共《とも》にあり  |神《かみ》の|守《まも》りし|人《ひと》の|身《み》は
|如何《いか》なる|曲《まが》も|襲《おそ》はむや  いざ|諸人《もろびと》よ|振《ふる》ひ|立《た》て
|勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|世《よ》の|為《ため》に  |宝《たから》も|名誉《めいよ》も|打《う》ちすてて
|来《き》たらむとする|神《かみ》の|世《よ》の  |犠牲《ぎせい》となつて|尽《つく》せよや
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|歌《うた》ひながら|己《おの》が|館《やかた》を|指《さ》して、|馬上《ばじやう》|豊《ゆた》かに|帰《かへ》りゆく。|道筋《みちすぢ》は|人《ひと》の|山《やま》を|築《きづ》き、|市中《しちう》の|人気《にんき》は|鼎《かなへ》の|沸《わ》くが|如《ごと》くなりける。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一一章 |気転使《きてんし》〔一七五六〕
|都大路《みやこおほぢ》の|中心《ちうしん》、|赤切公園《あかぎれこうゑん》の|真中《まんなか》に|浮浪階級《ふらうかいきふ》|大演説会《だいえんぜつくわい》が|始《はじ》まつた。|数多《あまた》の|取締《とりしまり》は|出口《でぐち》|入口《いりぐち》を|固《かた》め、|角袖《かくそで》は|聴衆《ちやうしう》|一人《ひとり》に|一人《ひとり》ぐらゐな|割合《わりあひ》で|数千人《すうせんにん》|繰《く》り|出《い》だし、|物々《ものもの》しき|警戒振《けいかいぶ》りを|現《あら》はしてゐる。|浮浪階級《ふらうかいきふ》|演説会《えんぜつくわい》の|会長《くわいちやう》ブルドックは|獅子《しし》の|咆哮《はうかう》するごとき|声《こゑ》にて、
『|取締《とりしまり》|何《なに》ものぞ、|法規《はふき》|何《なに》ものぞ』
と|言《い》はむばかりの|勢《いきほ》ひをもつて、|決死的《けつしてき》|大演説会《だいえんぜつくわい》を|始《はじ》めてゐる。
ブルドック『|諸君《しよくん》よ|諸君《しよくん》よよつく|聞《き》け  |世《よ》は|常暗《とこやみ》となつて|来《き》た
|日月《じつげつ》|空《そら》に|晃晃《くわうくわう》と  |輝《かがや》きわたれど|如何《いか》にせむ
|中空《ちうくう》に|村雲《むらくも》ふさがりて  さも|晃々《くわうくわう》と|輝《かがや》ける
|光《ひかり》を|包《つつ》み|隠《かく》しつつ  |世《よ》は|刈菰《かりごも》の|涯《はて》もなく
|紊《みだ》れ|行《ゆ》くこそうたてけれ  かくも|乱《みだ》れし|原因《げんいん》は
|何処《いづく》にあるかと|尋《たづ》ぬれば  |諸君《しよくん》もすでに|御承知《ごしようち》の
|事《こと》とは|思《おも》へど|今《いま》ここに  |一口《ひとくち》|火蓋《ひぶた》をきり|放《はな》つ
|四民平等《しみんべうどう》の|神国《しんこく》を  |壅塞《ようそく》したる|曲神《まがかみ》は
|松若彦《まつわかひこ》に|伊佐彦《いさひこ》を  |先《ま》づ|先頭《せんとう》にその|外《ほか》の
|諸《もも》の|司《つかさ》や|持丸《もちまる》よ  |彼等《かれら》は|地位《ちゐ》と|私慾《しよく》をば
みたさむ|為《ため》に|衆生《しうじやう》の  |迷惑《めいわく》などは|夢《ゆめ》にだも
|弁《わきま》へ|知《し》らぬ|盲《めくら》ども  |権威《けんゐ》を|笠《かさ》に|衆生《しうじやう》の
|汗《あせ》や|脂《あぶら》を|絞《しぼ》りつつ  |倉廩《さうりん》|充《み》たす|憎《にく》らしさ
|吾《われ》ら|衆生《しゆじやう》は|飢《う》ゑに|泣《な》き  |寒《さむ》さに|凍《こご》え|枕《まくら》する
|茅屋《あばらや》さへも|無《な》きままに  |路傍《ろばう》に|佇《たたず》み|眠《ねむ》りをれば
さも|横暴《わうばう》な|取締《とりしまり》が  |法規違反《はふきゐはん》と|吐《ほざ》きつつ
|残《のこ》らず|吾等《われら》を|牢獄《らうごく》に  |投込《なげこ》み|無限《むげん》の|恥辱《ちじよく》をば
|与《あた》へゆくこそ|憎《にく》らしき  |霜《しも》ふり|雪《ゆき》つむ|冬《ふゆ》の|夜《よ》も
また|永久《えいきう》のものでない  |必《かなら》ず|花《はな》|咲《さ》き|風《かぜ》|薫《かを》り
|水《みづ》も|温《ぬく》みて|草木《さうもく》の  |百花《ももばな》|千花《ちばな》|咲《さ》き|出《い》づる
|嬉《うれ》しき|春《はる》の|来《き》たるごと  |必《かなら》ず|吾等《われら》が|身《み》の|上《うへ》に
|恵《めぐ》みの|雨《あめ》は|降《ふ》りぬべし  さはさりながら|凩《こがらし》の
|吹《ふ》きすさびたる|荒野原《あれのはら》  |越《こ》えずばいかで|春《はる》の|野《の》の
いと|麗《うるは》しき|温光《をんくわう》に  |浴《よく》することを|得《う》べけむや
|深《ふか》く|根《ね》ざせる|喬木《けうぼく》の  |幹《みき》をば|払《はら》へ|枝《えだ》を|切《き》れ
|月日《つきひ》の|光《ひかり》を|覆《お》ひかくす  |醜《しこ》の|喬木《けうぼく》ある|故《ゆゑ》に
|地上《ちじやう》にすだく|諸草《もろぐさ》は  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》を|遮《さへぎ》られ
|神《かみ》の|光《ひかり》をかくされて  いや|永久《とこしへ》に|日蔭者《ひかげもの》
|同《おな》じ|地上《ちじやう》に|生《お》ひながら  |所《ところ》を|得《え》ざる|吾々《われわれ》は
|一生《いつしやう》つまらぬ|者《もの》ぞかし  この|難関《なんくわん》を|切《き》りぬける
|唯一《ゆゐいつ》の|望《のぞ》みは|天空《てんくう》を  |封《ふう》じて|立《た》てる|喬木《けうぼく》の
|枝葉《えだは》を|打《う》ち|切《き》り|棄《す》つるより  |他《ほか》に|手段《てだて》はなかるべし
|振《ふる》へよ|起《た》てよ|諸人《もろびと》よ  いかなる|圧迫《あつぱく》|来《き》たるとも
|十手《じつて》の|鞭《むち》の|数《かず》|多《おほ》く  |芒《すすき》のごとくに|攻《せ》め|来《く》とも
|命《いのち》を|的《まと》に|放《ほ》り|出《だ》した  |吾等《われら》はいかでか|恐《おそ》れむや
|天《てん》の|御声《みこゑ》を|汝等《なんぢら》に  |伝達《でんたつ》いたすブルドック
|語《ご》を|替《か》へ|言《い》へば|救世主《きうせいしゆ》  |吾《わ》が|言《こと》の|葉《は》を|耳《みみ》さらへ
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|聞《き》きおうせ  |眠《ねむ》れる|眼《まなこ》を|醒《さ》ませよや
これほど|曇《くも》つた|世《よ》の|中《なか》を  |神《かみ》や|仏《ほとけ》は|何《なに》してる
|察《さつ》するところ|神《かみ》と|言《い》ひ  |仏《ほとけ》といふも|道法衆《だうはふしう》の
|一時《いちじ》の|方便《はうべん》に|過《す》ぎなかろ  |俺《おい》らはもはや|神仏《しんぶつ》を
|表《おもて》にかざして|臨《のぞ》むとも  |絶対的《ぜつたいてき》の|無神論《むしんろん》
|神《かみ》も|仏《ほとけ》も|認《みと》めない  ただ|吾《わ》が|持《も》てる|腕力《わんりよく》を
|唯一《ゆゐいつ》の|力《ちから》とするのみぞ  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|諸人《もろびと》よ
|吾《わ》が|言霊《ことたま》を|諾《うべな》ひて  この|世《よ》を|救《すく》ふ|働《はたら》きに
|参加《さんか》を|望《のぞ》む|人《ひと》たちは  |怯《お》めず|臆《おく》せず|壇上《だんじやう》に
|登《のぼ》つて|所信《しよしん》を|吐露《とろ》せよ  この|世《よ》をこのままおいたなら
|吾《われ》ら|世界《せかい》の|弱者等《じやくしやら》は  |亡《ほろ》びゆくより|道《みち》はない
すべて|最後《さいご》の|解決《かいけつ》は  |運根鈍《うんこんどん》に|限《かぎ》るぞよ』
と|述《の》べ|立《た》てる。|取締《とりしまり》は「|中止《ちうし》、|解散《かいさん》を|命《めい》ず」と|大声叱呼《たいせいしつこ》する。|弁士《べんし》は|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|取締《とりしまり》の|制止《せいし》を|聞《き》かず|登壇《とうだん》して|各自《かくじ》に|熱《ねつ》をふく。|取締《とりしまり》は|引摺《ひきず》り|落《お》とさうとする。たちまち|数千《すうせん》の|取締《とりしまり》と|数千《すうせん》の|聴衆《ちやうしう》との|間《あひだ》に|大格闘《だいかくとう》を|演《えん》じ、|何者《なにもの》の|悪戯《いたづら》か、あちこちの|町々《まちまち》より、|黒煙《こくえん》|濛々《もうもう》と|立上《たちのぼ》り、チヤン チヤン チヤンと|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》|聞《き》こえ|来《き》たる。|取締《とりしまり》も|群衆《ぐんしう》も|狼狽《らうばい》の|極《きよく》に|達《たつ》し|右往左往《うわうさわう》に|散乱《さんらん》して|為《な》すところを|知《し》らなかつた。そこへ|馬《うま》に|跨《また》がつて、|愛州《あいしう》、|源州《げんしう》、|平州《へいしう》、|藤州《とうしう》は|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|指揮《しき》し、|消防隊《せうばうたい》を|組織《そしき》して、|燃《も》え|上《あが》る|火災《くわさい》を|残《のこ》らず|消《け》しとめ、|喇叭《らつぱ》を|吹《ふ》いて|悠々《いういう》として|引《ひ》きあげてしまつた。|火事《くわじ》もすみ、|騒動《さうだう》も|稍《やや》おさまつたところへ、|取締所《とりしまりしよ》のポンプが|数多《あまた》の|取締《とりしまり》に|保護《ほご》されてやつて|来《き》た。
|一旦《いつたん》|逃《に》げ|散《ち》つた|群衆《ぐんしう》は|又《また》もや|赤切公園《あかぎれこうゑん》に|集《あつ》まり|来《き》たり、|再《ふたた》び|演説会《えんぜつくわい》が|開催《かいさい》された。|弁士《べんし》は|代《かは》る|代《がは》る|熱弁《ねつべん》を|揮《ふる》ひ、|伊佐彦内閣《いさひこないかく》|倒壊《たうくわい》、|持丸階級《もちまるかいきふ》の|討滅《たうめつ》、|清家階級《せいかかいきふ》を|打破《だは》せよなど|勝手《かつて》な|熱《ねつ》を|吹《ふ》き|立《た》てる。|群衆《ぐんしう》は|刻々《こくこく》|其《その》|数《すう》を|増《ま》し、「ワイワイ」とどよめき|亘《わた》り、|弁士《べんし》の|声《こゑ》も|遂《つひ》に|耳《みみ》に|入《い》らなくなつてしまつた。|取締《とりしまり》もまた|次第々々《しだいしだい》にその|数《すう》を|増《ま》し、|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取《と》りまいて、ここに|第二《だいに》の|修羅場《しゆらぢやう》を|演出《えんしゆつ》した。|今回《こんくわい》の|闘争《とうさう》は|最《もつと》も|激烈《げきれつ》を|極《きは》め、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》|四方《しはう》に|起《おこ》り、ほとんど|戦場《せんぢやう》のごとき|景況《けいきやう》を|呈《てい》し、|何時《いつ》|果《は》つべしとも|見当《けんたう》がつかなかつた。|賢平《けんぺい》も|取締《とりしまり》も|武器《ぶき》を|衆生《しゆじやう》に|取《と》られ|進退《しんたい》|維《こ》れ|谷《きは》まり、|逃場《にげば》を|失《うしな》ひ|困《こま》つてゐる。そこへ|白馬《はくば》に|跨《また》がり、|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》りながら、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|出《で》て|来《き》た|女性《ぢよせい》がある。
『オレオン|星座《せいざ》を|立《た》ち|出《い》でて  |豊葦原《とよあしはら》の|中津国《なかつくに》
|珍《うづ》の|都《みやこ》へ|天降《あも》りたる  |神《かみ》の|使《つかひ》の|松代姫《まつよひめ》
|此《こ》の|世《よ》を|救《すく》ふその|為《ため》に  |白馬《はくば》に|跨《また》がり|現《あら》はれて
|衆生《しゆじやう》|一同《いちどう》にさとすなり  みな|静《しづ》まれよ|静《しづ》まれよ
|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》|皇神《すめかみ》の  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|包《つつ》まれし
|尊《たふと》き|誠《まこと》の|珍《うづ》の|子《こ》ぞ  |兄弟《きやうだい》|垣《かき》に|鬩《せめ》ぐとは
|何《なん》たる|心得《こころえ》|違《ちが》ひぞや  はるかに|天《てん》よりこの|世界《せかい》
|聖《きよ》き|眼《まなこ》で|見《み》わたせば  |上《うへ》に|立《た》つ|者《もの》|下《しも》にゐる
|民草《たみぐさ》どちらも|良《よ》くはない  |互《たが》ひに|意地《いぢ》を|立《た》て|通《とほ》し
|名利《めいり》|物慾《ぶつよく》|第一《だいいち》と  |思《おも》ひひがめて|肝腎《かんじん》の
|吾《わ》が|魂《たましひ》を|省《かへり》みず  いと|浅《あさ》ましき|修羅場《しゆらぢやう》を
ここに|現出《げんしゆつ》したものぞ  |何《いづ》れも|一同《いちどう》|心《こころ》をば
|静《しづ》めて|神《かみ》の|教《のり》を|聞《き》き  |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる
|木花姫《このはなひめ》の|御言《みこと》もて  |珍《うづ》の|御国《みくに》の|衆生《しゆじやう》をば
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|救《すく》はむと  |今《いま》や|現《あら》はれ|来《き》たりけり
|松若彦《まつわかひこ》を|初《はじ》めとし  |伊佐彦司《いさひこつかさ》の|政策《せいさく》は
|全《まつた》く|時勢《じせい》を|顧《かへり》みぬ  |無謀至極《むぼうしごく》の|行方《やりかた》ぞ
|下《しも》|万衆《ばんしう》の|心根《こころね》も  |神《かみ》をば|忘《わす》れ|肝腎《かんじん》の
|吾《わ》が|魂《たましひ》の|所在《ありか》をば  |忘却《ばうきやく》したる|酬《むく》いぞや
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |天津国《あまつくに》より|精霊《せいれい》が
|神《かみ》の|御心《みこころ》|畏《かしこ》みて  |此《こ》の|世《よ》の|人《ひと》と|生《うま》れ|来《く》る
その|肉体《にくたい》を|有《も》ちながら  この|有様《ありさま》は|何事《なにごと》ぞ
|人《ひと》たる|者《もの》の|所作《しよさ》でない  |虎《とら》|狼《おほかみ》か|熊《くま》|猪《しし》か
|但《ただ》しは|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》|奴《め》か  たとへがたなき|醜体《しうたい》を
|天地《てんち》にさらせし|浅《あさ》ましさ  |悔《く》い|改《あらた》めよ|諸人《もろびと》よ
|上《うへ》と|下《した》との|隔《へだ》てなく  |貴《たか》き|賤《いやし》き|別《わか》ちなく
|心《こころ》を|協《あは》せ|力《ちから》をば  |一《ひと》つになして|珍《うづ》の|国《くに》
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|霊国《れいごく》を  |堅磐常磐《かきはときは》に|守《まも》れかし
いざいざさらばいざさらば  |吾《われ》はこれより|八重雲《やへぐも》を
かきわけ|天《あめ》に|昇《のぼ》り|行《ゆ》く  |万一《まんいち》|神《かみ》の|言《こと》の|葉《は》に
|反《そむ》く|衆生《しゆじやう》のありとせば  |神罰《しんばつ》|忽《たちま》ち|下《くだ》るべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》を
|茲《ここ》に|伝達《でんたつ》なし|了《をは》る』
と|言《い》ひながら、|馬《うま》に|鞭《むち》うち|浅原山《あさはらやま》の|山頂《さんちやう》|目《め》がけて|雲《くも》を|霞《かす》みと|駈《か》けり|行《ゆ》く。|今《いま》|現《あら》はれた|松代姫《まつよひめ》と|称《しよう》する|女武者《をんなむしや》は、その|実《じつ》|松若彦《まつわかひこ》の|娘《むすめ》|常磐姫《ときはひめ》であつた。|常磐姫《ときはひめ》は|春乃姫《はるのひめ》と|諜《しめ》し|合《あは》せ、|奇智《きち》を|弄《ろう》して|天使《てんし》と|化《ば》け|込《こ》み、|一時《いちじ》の|擾乱《ぜうらん》を|平定《へいてい》せしめむがために|現《あら》はれたのである。
|賢平《けんぺい》も|取締《とりしまり》も|群集《ぐんしふ》も|酒偽者《しゆぎしや》も、|神《かみ》を|信《しん》ずる|者《もの》も|信《しん》じ|無《な》い|者《もの》も、|麗《うるは》しき|美人《びじん》の|出現《しゆつげん》に|胆《きも》を|潰《つぶ》し、|猛《たけ》り|切《き》つたる|勢《いきほ》ひを|削《そ》がれ、|争闘《さうとう》の|手《て》を|止《や》めて、ただ|茫然《ばうぜん》と|浅原山《あさはらやま》を|指《さ》して|逃《に》げ|行《ゆ》く|怪《あや》しき|女《をんな》の|姿《すがた》を|見送《みおく》つてゐた。
かかる|所《ところ》へ|蓑笠《みのかさ》|草鞋《わらぢ》|脚絆《きやはん》の|扮装《いでたち》にて、|被面布《ひめんぷ》を|被《かぶ》りながら、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひつつ|進《すす》み|来《き》たる|女《をんな》がある。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |三千世界《さんぜんせかい》を|引《ひ》きならす
すべて|此《こ》の|世《よ》は|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|造《つく》りし|楽園《らくゑん》ぞ
この|地《ち》に|生《お》ふる|人草《ひとぐさ》は  |貴《たか》き|卑《ひく》きの|隔《へだ》てなく
|互《たが》ひに|睦《むつ》び|親《した》しみて  |神《かみ》の|賜《たま》ひし|宝《たから》をば
|互《たが》ひに|別《わか》ち|万遍《まんべ》なく  |分配《ぶんぱい》すべき|御律《みのり》ぞや
|一方《いつぱう》に|高《たか》く|宝《たから》をば  |積《つ》み|重《かさ》ぬれば|一方《いつぱう》は
|必《かなら》ず|欠《か》けて|低《ひく》くなり  |一方《いつばう》に|楽《たの》しむ|者《もの》あらば
|一方《いつばう》に|苦《くる》しむ|者《もの》|出来《でき》る  これでは|平和《へいわ》といはれない
|今《いま》や|天運《てんうん》|循《めぐ》り|来《き》て  |高砂城《たかさごじやう》の|奥《おく》|深《ふか》く
|救《すく》ひの|神《かみ》は|現《あら》はれぬ  |吾《われ》は|春乃《はるの》の|姫《ひめ》なるぞ
この|衆生《しゆじやう》の|難儀《なんぎ》をば  |救《すく》ひやらむと|朝夕《あさゆふ》に
|凡《すべ》ての|宝《たから》を|打捨《うちす》てて  |模範《もはん》を|示《しめ》し|蓑笠《みのかさ》を
|身《み》に|纒《まと》ひつつ|町々《まちまち》を  |巡《めぐ》りて|誠《まこと》を|諭《さと》せども
|清家階級《せいかかいきふ》|持丸《もちまる》は  |慾《よく》にからまれ|目《め》はさめず
|耳《みみ》は|塞《ふさ》ぎて|衆生《しゆじやう》の  この|号泣《がうきふ》の|悲鳴《ひめい》さへ
|分《わか》らぬまでになり|果《は》てぬ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
モウこの|上《うへ》は|神様《かみさま》の  |御手《みて》にすがりて|黎明《れいめい》の
|世《よ》を|開《ひら》くより|道《みち》はない  |目《め》ざめよ|目《め》ざめよ|上下《うへした》の
|各階級《かくかいきふ》の|人々《ひとびと》よ  |天津国《あまつくに》より|皇神《すめかみ》の
|御言《みこと》を|畏《かしこ》み|下《くだ》り|来《き》て  |国依別《くによりわけ》の|御子《みこ》となり
|今《いま》まで|城中《じやうちう》に|育《そだ》ちしが  いよいよ|天《てん》の|時《とき》|来《き》たり
|神《かみ》の|柱《はしら》と|現《あら》はれて  |汝《なんぢ》ら|衆生《しゆじやう》に|説《と》き|教《をし》ゆ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》なし
|悔《く》い|改《あらた》めよ|戒《いまし》めよ』
と|言《い》つたきり、|煙《けぶり》のごとく|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。|群衆《ぐんしう》は|異口同音《いくどうおん》に|春乃姫《はるのひめ》と|聞《き》いて|感歎《かんたん》の|言葉《ことば》を|絶《た》たなかつた。|負傷《ふしやう》した|役人《やくにん》も|衆生《しゆじやう》も、|一言《いちごん》の|叱言《こごと》も|言《い》はずおのおの|家路《いへぢ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。はたして|今後《こんご》は|春乃姫《はるのひめ》の|出現《しゆつげん》に|依《よ》りて|衆生《しゆじやう》の|心《こころ》が|鎮静《ちんせい》し、|取締《とりしまり》と|衆生《しゆじやう》との|争闘《さうとう》の|根《ね》が|断《た》たれるであらうか。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一二章 |悪原眠衆《あしはらみんしう》〔一七五七〕
|松若彦《まつわかひこ》は|吾《わ》が|館《やかた》の|奥《おく》の|間《ま》に|捨子姫《すてこひめ》と|共《とも》に、|七《しち》むつかしい|面《つら》をさらしてブツブツ|小言《こごと》を|言《い》ひながら、|愚痴《ぐち》つてゐる。
『コレ|捨子姫《すてこひめ》、お|前《まへ》の|教育《けういく》があまり|放縦《はうじう》だから、|伜《せがれ》の|松依別《まつよりわけ》は|日日《ひにち》|毎日《まいにち》|変装《へんさう》して、|悪原遊廓《あしはらいうくわく》へ|通《かよ》ふなり、|妹《いもうと》の|常盤姫《ときはひめ》はお|転婆《てんば》になり、|姫様《ひめさま》の|御用《ごよう》だとかいつて、|家《うち》を|外《そと》なるこの|頃《ごろ》の|行状《ぎやうじやう》、これでは|清家《せいか》の|権威《けんゐ》も|保《たも》たれまい。チとしつかりして|呉《く》れぬと|困《こま》るぢやないか。|俺《おれ》は|政務《せいむ》が|忙《いそ》がしいので|子供《こども》の|教育《けういく》などにはかかつて|居《を》られない。|子供《こども》の|悪化《あくくわ》するのは|皆《みな》|母親《ははおや》の|教育《けういく》が|悪《わる》いからだ』
|捨子《すてこ》『|仰《おほ》せまでもなく、|妾《わらは》は|充分《じうぶん》の|教育《けういく》を|施《ほどこ》してをりますが、|別《べつ》に|清家《せいか》の|伜《せがれ》、|娘《むすめ》として|恥《は》づかしいやうな|育《そだ》て|方《かた》はしてないと|考《かんが》へてをります』
|松若彦《まつわかひこ》は|声《こゑ》を|尖《とが》らし、
『|悪原遊廓《あしはらいうくわく》へ|夜《よ》な|夜《よ》な|通《かよ》ふやうな|育《そだ》て|方《かた》をしておいて、それでも|其方《そち》は|良《よ》いと|申《まを》すのか。|非常識《ひじやうしき》にも|程《ほど》があるぞよ』
|捨子《すてこ》『|伜《せがれ》も|年頃《としごろ》の|身分《みぶん》、もはや|妻帯《さいたい》をさせねばならぬ|年頃《としごろ》でございますのに、あなたが|何時《いつ》も|家庭《かてい》がどうだの、|資格《しかく》がどうだのと、|古《ふる》めかしい|事《こと》をおつしやりますので、|伜《せがれ》も|失恋《しつれん》の|結果《けつくわ》|自棄気味《やけぎみ》になつてるのでございます。|伜《せがれ》の|愛《あい》してる|女《をんな》は、あなたも|御存《ごぞん》じの|饂飩屋《うどんや》の|娘《むすめ》お|福《ふく》といふ|者《もの》、その|福《ふく》の|神《かみ》を|貴方《あなた》は|地位《ちゐ》が|釣合《つりあ》はぬとかいつて、|家来《けらい》を|廻《まは》し|圧迫的《あつぱくてき》に|縁《えん》をお|切《き》りになつたぢやありませぬか。それゆゑ|伜《せがれ》は|失恋《しつれん》の|結果《けつくわ》、いかなる|事《こと》を|仕出《しで》かすかと、|心配《しんぱい》で|夜《よ》の|目《め》も|寝《ね》られなかつたのでございます。|世間《せけん》にある|慣《なら》ひ、|失恋《しつれん》の|結果《けつくわ》|淵川《ふちかは》へ|身《み》を|投《な》げて|無理心中《むりしんぢう》をしたり、|鉄道往生《てつだうわうじやう》、|或《あるひ》は|鉄砲腹《てつぱうばら》、|首吊《くびつ》りなど|失恋者《しつれんしや》の|最後《さいご》はいろいろございます。それゆゑ|伜《せがれ》は|如何《どう》するであらうかと|心配《しんぱい》いたし、|三五《あななひ》の|大神様《おほかみさま》に|祈願《きぐわん》をしてゐましたところ、|伜《せがれ》も|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しが|出来《でき》たと|見《み》えて、いきりぬきに|悪原遊廓《あしはらいうくわく》に|通《かよ》ふやうになつたのでせう。|失恋者《しつれんしや》の|行《ゆ》くべき|結果《けつくわ》としては、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|選《えら》んだものだと|感心《かんしん》を|致《いた》してをります』
|松若《まつわか》『コレ|捨子《すてご》、イヤ|婆《ばば》ア|殿《どの》、お|前《まへ》そんなこと|正気《しやうき》で|言《い》つてるのか。|家名《かめい》を|毀損《きそん》する|伜《せがれ》、|手討《てうち》に|致《いた》しても|飽《あ》き|足《た》らぬ|奴《やつ》、それに|其方《そなた》は|賛成《さんせい》と|見《み》えるな、|怪《け》しからぬぢやないか。|吾《わ》が|家《いへ》は|正鹿山津見様《まさかやまづみさま》の|御時代《ごじだい》より|珍《うづ》|一国《いつこく》の|代理権《だいりけん》を|任《まか》され、|権門勢家《けんもんせいか》として|今日《こんにち》まで|伝《つた》はつて|来《き》た|立派《りつぱ》な|家筋《いへすぢ》だ。その|家筋《いへすぢ》に|汚点《をてん》を|印《いん》する|者《もの》ならば、|何《なに》ほど|大切《たいせつ》な|伜《せがれ》でも|許《ゆる》すことは|出来《でき》ないではないか』
|捨子《すてこ》『それは|数十年前《すうじふねんまへ》の|道徳律《だうとくりつ》でございませう。|道徳《だうとく》も|政治《せいぢ》も|宗教《しうけう》も|人情《にんじやう》|風俗《ふうぞく》も|日進月歩《につしんげつぽ》の|世《よ》の|中《なか》、さういふカビの|生《は》えた|思想《しさう》は、|今日《こんにち》では|通用《つうよう》|致《いた》しますまい。あなたは|一国《いつこく》の|宰相《さいしやう》でありながら、さういふ|古《ふる》い|頭《あたま》で、|良《よ》く|衆生《しゆじやう》が|納得《なつとく》することだと、|何時《いつ》も|不思議《ふしぎ》がつてゐるのでございますワ。|幸《さいは》ひに|伜《せがれ》なり|娘《むすめ》が|時代相応《じだいさうおう》の|魂《たましひ》に|生《うま》れてくれたので、まだしもそれを|老後《らうご》の|楽《たの》しみと|致《いた》しまして、|不平《ふへい》でならぬ|月日《つきひ》を|送《おく》つてをります』
と|何《なん》と|思《おも》つたか、|捨子姫《すてこひめ》も|今日《けふ》は|捨鉢気味《すてばちぎみ》となつて、|怯《お》めず|臆《おく》せずやつて|退《の》けた。|松若彦《まつわかひこ》は|数十年《すうじふねん》|添《そ》うて|来《き》た|柔順《じうじゆん》な|女房《にようばう》が、こんな|思《おも》ひ|切《き》つた|事《こと》を|言《い》はうとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|始《はじ》めての|事《こと》なので、もしや|狂気《きやうき》したのではあるまいかと|案《あん》じ|出《だ》し、|先《ま》づ|何《なに》よりも|逆《さか》らはぬが|第一《だいいち》だ、|先《ま》づ|少《すこ》しばかり|熱《ねつ》の|冷《さ》めるまで、|彼《かれ》のいふやうにしてやらうかと|心《こころ》を|定《さだ》め、|猫撫《ねこな》で|声《ごゑ》を|出《だ》して、|背《せな》を|撫《な》でながら、
|松若《まつわか》『コレ|捨子姫《すてこひめ》|殿《どの》、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》りだ。テモさても|明敏《めいびん》な|頭脳《づなう》だな。お|前《まへ》はチと|激《げき》してゐるやうだから、|今日《けふ》はモウ|何《なに》も|言《い》はない。ゆつくりと|奥《おく》へ|行《い》つて|静《しづ》かに|休《やす》んだが|良《よ》からう』
|捨子姫《すてこひめ》は|松若彦《まつわかひこ》の|心《こころ》を|早《はや》くも|読《よ》んでしまつた。|自分《じぶん》を|逆上《ぎやくじやう》してゐると|信《しん》じてゐるのを|幸《さいは》ひ、|日《ひ》ごろ|鬱積《うつせき》してゐる|自分《じぶん》の|意見《いけん》を|全部《ぜんぶ》ここで|喋《しやべ》り|立《た》てて|松若彦《まつわかひこ》の|決心《けつしん》を|促《うなが》さむと|覚悟《かくご》をきはめ、ワザと|空《そら》とぼけて、
『ホホホホ、あのマア|御前様《ごぜんさま》のむつかしいお|顔《かほ》わいの。|妾《わらは》はこれから|淵川《ふちかは》へ|身《み》を|投《な》げて|永《なが》のお|別《わか》れを|致《いた》しますから、どうぞ|暇《ひま》を|下《くだ》さいませ。|暇《ひま》をやらぬと|仰有《おつしや》つても、|妾《わらは》が|覚悟《かくご》を|定《さだ》めた|以上《いじやう》は|舌《した》を|噛《か》んでも|死《し》んでみせませう。マア|死《し》にたいワ、ホホホホ。|霊肉脱離《れいにくだつり》の|境《さかひ》を|越《こ》え、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|天国《てんごく》に|上《のぼ》り、|清《きよ》く|楽《たの》しく|第二《だいに》の|生活《せいくわつ》に|入《い》りたうございます。アレアレ、エンゼル|様《さま》が、|黄金《こがね》の|扇《あふぎ》を|披《ひら》いて|妾《わらは》に|来《き》たれ|来《き》たれと|招《まね》いてゐらつしやる。アア|早《はや》く|行《ゆ》きたいものだなア』
|松若彦《まつわかひこ》はますます|驚《おどろ》いて、アア|此奴《こいつ》ア|丸気違《まるきちが》ひだ。|仕方《しかた》がない、|先《ま》づ|機嫌《きげん》を|損《そん》じないやうにせなくちやなるまい……と、
『アイヤ|捨子姫《すてこひめ》|殿《どの》、そなたの|言《い》ふ|通《とほ》り、この|松若彦《まつわかひこ》はどんな|事《こと》でも|聞《き》いて|上《あ》げるから、|天国《てんごく》なんか|行《ゆ》かぬやうにしてくれ。|年《とし》が|老《よ》つてから|女房《にようばう》に|先立《さきだ》たれちや、|淋《さび》しいからなア』
|捨子《すてこ》『|妾《わらは》の|言《い》ふ|事《こと》を、ハイハイと|言《い》つて、|一言《ひとこと》も|反《そむ》かず|聞《き》いて|下《くだ》さいますか』
『ウン、|何《なん》でも|聞《き》いてやらう。|遠慮《ゑんりよ》なしに|言《い》つてみたが|良《よ》からう』
『そんなら|申《まを》し|上《あ》げます。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|大老職《たいらうしよく》を|返上《へんじやう》し、どうぞ|妾《わらは》と|一緒《いつしよ》に|民間《みんかん》に|下《くだ》つて、|衆生《しゆじやう》の|怨府《ゑんぷ》を|遁《のが》れて|下《くだ》さいませ。そして|衆生《しゆじやう》に|政権《せいけん》をお|渡《わた》し|下《くだ》さいますれば、|衆生《しゆじやう》はキツと|国司家《こくしけ》を|中心《ちうしん》として|立派《りつぱ》な|政治《せいぢ》が|行《おこな》はれるでございませう』
|松若彦《まつわかひこ》は|迷惑《めいわく》の|体《てい》で|面《つら》を|顰《しか》めたが、エーしかしながら|逆《さか》らふて|発動《はつどう》されちや|堪《たま》らない。|何《なん》でもいい、|気違《きちが》ひの|言《い》ふ|事《こと》だから、ウンウンと|言《い》うておけば|良《よ》い……とズルイ|考《かんが》へを|起《おこ》し、
|松若《まつわか》『ウン、ヨシヨシ、|何時《いつ》でも|返上《へんじやう》するつもりだ』
|捨子《すてこ》『アア|嬉《うれ》しいこと、さすがは|松若彦《まつわかひこ》|様《さま》、それでこそ|妾《わらは》の|夫《をつと》でございますワ。どうぞ|御意《ぎよい》の|変《かは》らぬ|内《うち》、|大老職《たいらうしよく》の|辞表《じへう》を|認《したた》め、|実印《じついん》を|捺《お》して|下《くだ》さいませ。さうでなければ、|妾《わらは》は|死《し》んで|天国《てんごく》へ|参《まゐ》ります』
『チエ|困《こま》つた|気違《きちが》ひだなア。まづ|書《か》いてやらねば|治《をさ》まらない。|書《か》いたところで|出《だ》さなければ|良《よ》いのだ』
と|文机《ふづくゑ》から|料紙《れうし》を|取出《とりだ》し|墨《すみ》をすつて|筆《ふで》に|墨《すみ》し、|大老《たいらう》の|辞表《じへう》をスラスラと|書《か》き|認《したた》め、|捨子姫《すてこひめ》の|前《まへ》で|実印《じついん》を|押捺《あふなつ》し、
『サア|捨子姫《すてこひめ》、これで|得心《とくしん》だらうなア』
|捨子《すてこ》『ハイ|得心《とくしん》でございます。どうぞその|辞表《じへう》を、|妾《わらは》にお|渡《わた》し|下《くだ》さいませ』
『イヤイヤ、かうしておけば|何時《いつ》でも|出《だ》せるのだ。もしお|前《まへ》に|持《も》たしておいて、そこらへ|落《お》とされては|大変《たいへん》だから、|先《ま》づ|渡《わた》すことだけは|止《や》めておかう』
『それでは|貴方《あなた》は|妾《わらは》を|詐《いつは》つていらつしやるのでせう。|政権《せいけん》や|顕職《けんしよく》に|恋々《れんれん》として、ゐらつしやるのでせうがな』
|松若彦《まつわかひこ》は|癪《しやく》にさへて、
『エ、やかましい、きまつた|事《こと》だ。|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》は|決《けつ》してこの|松若彦《まつわかひこ》が|得《え》たのでない。|言《い》はば|祖先《そせん》の|名代《みやうだい》も|同《おな》じ|事《こと》だ。|軽々《かるがる》しく|俺《おれ》|一料簡《いちれうけん》では|左様《さやう》な|事《こと》が|出来《でき》るものか。|御先祖様《ごせんぞさま》を|地下《ちか》から|呼《よ》び|起《おこ》し、お|許《ゆる》しを|受《う》けずばなるまい。|其方《そなた》には|八岐《やまた》の|大蛇《をろち》が|魅入《みい》つてをるのであらう。|汚《けが》らはしい、そちらへ|行《ゆ》けツ』
と|焼糞《やけくそ》になつて|呶鳴《どな》りつけた。|捨子姫《すてこひめ》は、|老人《としより》をあまり|腹立《はらだ》てさすのも|気《き》の|毒《どく》だ、ここらで|幕《まく》の|切所《きりどころ》だ……と|従順《じうじゆん》に|沈黙《ちんもく》に|入《い》つてしまつた。|松若彦《まつわかひこ》は|杖《つゑ》をつきながら、|憂《う》さ|晴《は》らしのため|庭先《にはさき》の|花《はな》を|見《み》んとて、|二足《ふたあし》|三足《みあし》|外《そと》へ|出《で》たところへ|家僕《かぼく》の|新公《しんこう》が|慌《あわ》ただしく|帰《かへ》り|来《き》たり、
『|御前様《ごぜんさま》へ|申《まを》し|上《あ》げます』
|松若彦《まつわかひこ》は|驚《おどろ》いて、
『ヤ、お|前《まへ》は|新《しん》ぢやないか。その|慌《あわ》てた|様子《やうす》は|何事《なにごと》ぞ。またプロ|運動《うんどう》でもおつ|始《ぱじ》まつたのか』
この|親爺《おやぢ》、プロ|運動《うんどう》が|気《き》に|懸《か》かると|見《み》えて、|二《ふた》つ|目《め》にはプロ|運動《うんどう》が|突発《とつぱつ》したのではないか、と|尋《たづ》ねるのがこの|頃《ごろ》の|習慣《しふくわん》となつてゐた。
|新公《しんこう》『|仰《おほ》せのごとく、たつた|今《いま》、|赤切公園《あかぎれこうゑん》において、プロ|階級《かいきふ》|演説会《えんぜつくわい》が|始《はじ》まり、|大変《たいへん》な|取締《とりしまり》と|衆生《しゆじやう》との|衝突《しようとつ》で、|血《ち》まぶれ|騒《さわ》ぎが|勃発《ぼつぱつ》いたしました』
|松若《まつわか》『ナアニ、プロ|階級《かいきふ》|演説会《えんぜつくわい》? そして|血《ち》まぶれ|騒《さわ》ぎ、その|後《あと》は|何《ど》うなつた』
と|言《い》ひながら、|驚《おどろ》いて|庭《には》の|敷石《しきいし》の|上《うへ》にドスンと|尻餅《しりもち》をつき、「アイタタツタ」と|面《つら》|顰《しか》めてゐる。
『お|蔭《かげ》で、その|騒《さわ》ぎも|鎮静《ちんせい》いたしましたが、|不思議《ふしぎ》なことには、エンゼルだといつて、|白馬《はくば》に|跨《また》がり、|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》が|現《あら》はれ、|松若彦《まつわかひこ》も|悪《わる》いが、|衆生《しゆじやう》も|悪《わる》い……テな|事《こと》を|歌《うた》ひましたら、|不思議《ふしぎ》なものでげすな、ピタリと|争闘《さうとう》が|止《と》まりました。しかしながら|其《そ》のエンゼルの|顔《かほ》が|当家《たうけ》のお|嬢様《ぢやうさま》にソツクリでした。お|乗《の》り|遊《あそ》ばした|馬《うま》も、お|邸《やしき》のに|寸分《すんぶん》|違《ちが》はぬ|白馬《はくば》でござります。もしもお|嬢様《ぢやうさま》も|宅《たく》に|居《ゐ》られず|白馬《はくば》もゐないとすれば、テツキリ|常磐姫《ときはひめ》|様《さま》に|間違《まちが》ひございますまい』
『|今朝《けさ》から|姫《ひめ》もをらず、|馬《うま》もゐないから、あのお|転婆娘《てんばむすめ》どつかの|公園《こうゑん》に|散歩《さんぽ》に|行《い》つたと|思《おも》つてゐたが、プロ|運動《うんどう》に|加《くは》はりをつたか。そして|衆生《しゆじやう》の|前《まへ》に|松若彦《まつわかひこ》が|悪《わる》いなどと|言《い》へば、|火《ひ》の|中《なか》へ|薪《たきぎ》に|油《あぶら》をかけて|飛《と》び|込《こ》むやうなものだ。ますますプロ|運動《うんどう》を|熾烈《しれつ》ならしめ、|国家《こくか》の|基礎《きそ》を|危《あや》ふくする|事《こと》になる。|新公《しんこう》、もしも|姫《ひめ》が|帰《かへ》つて|来《き》ても|松若彦《まつわかひこ》が|許《ゆる》さぬ|限《かぎ》り、|一歩《いつぽ》も|入《い》れてはならぬぞ。あーあ、|子《こ》が|無《な》くて|心配《しんぱい》する|親《おや》はないが、|子《こ》の|為《ため》に|親《おや》は|心配《しんぱい》せねばならぬか』
『|御前様《ごぜんさま》、|子《こ》があるために|御心配《ごしんぱい》になりますか。さうすればお|金《かね》のあるため、|爵位《しやくゐ》のある|為《ため》には|一入《ひとしほ》|御心配《ごしんぱい》でございませうな』
『|爵位《しやくゐ》が|有《あ》るため、|黄金《わうごん》が|有《あ》るための|心配《しんぱい》は|心配《しんぱい》にはならぬ。この|老体《らうたい》もそれあるために|息《いき》をしてゐるのだ。アツハハハハ』
と|冷《ひや》やかに|笑《わら》ひながら、|杖《つゑ》を|力《ちから》にエチエチと|奥《おく》の|間《ま》さして|進《すす》み|入《い》る。
|新公《しんこう》は|箒《はうき》を|手《て》にしながら、|独《ひと》り|呟《つぶや》いてゐる。
『よい|年《とし》をして|執着心《しふちやくしん》の|深《ふか》い|老耄爺《おいぼれぢい》だな。|国司様《こくしさま》から|貰《もら》つたお|菓子《くわし》も|葡萄酒《ぶだうしゆ》も、また|沢山《たくさん》な|政治家連《せいぢかれん》や|出入《でいり》の|者《もの》や|乾児《こぶん》どもから|病気見舞《びやうきみまひ》だといつて|持《も》つてくるサイダーにビール、|林檎《りんご》や|菓子《くわし》、|一《ひと》つも|自分《じぶん》も|喰《く》はず|人《ひと》にもよう|呉《く》れやがらず、みな|金《かね》にして|郵便局《ゆうびんきよく》に|預《あづ》け、|金《かね》のたまるのを|唯一《ゆゐいつ》の|楽《たの》しみとしてゐる|慾惚《よくぼ》け|爺《ぢぢ》だから、サツパリ|駄目《だめ》だワイ。|俺《おれ》|達《たち》にビールの|一本《いつぽん》も|振舞《ふるま》つてよかりさうなものだのに、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|車力《しやりき》に|積《つ》んで|売《う》りにやりあがる。|本当《ほんたう》に|吝《けち》な|爺《ぢぢ》だ。それだから|良《よ》うしたものだ、|親辛労子楽《おやしんどこらく》、|孫乞食《まごこじき》といつて、|三代目《さんだいめ》になれば、この|財産《ざいさん》もスツカリ|飛《と》んでしまふのは|今《いま》から|見《み》えてゐる。|松依別《まつよりわけ》さまの|此《こ》のごろの|悪原通《あしはらがよ》ひといつたら、|本当《ほんたう》に|痛快《つうくわい》だ。|印形《いんぎやう》を|盗《ぬす》み|出《だ》しては|銀行《ぎんかう》から|金《かね》を|出《だ》し、|金銭《きんせん》を|湯水《ゆみづ》のごとくに|使《つか》ひ、|大尽遊《だいじんあそ》びをやつてゐらつしやるのに、|慾《よく》に|目《め》が|眩《くら》んで、|何《なに》も|知《し》らずにゐるとは|可哀《かはい》さうなものだな。|金《かね》を|拵《こしら》へて|番《ばん》する|身魂《みたま》と、|金《かね》を|使《つか》ふ|身魂《みたま》とがあると|見《み》えるワイ。アツハハハハ』
と|独《ひと》り|笑《わら》つてゐる。そこへ|馬《うま》に|跨《また》がつて、|悠々《いういう》と|帰《かへ》つて|来《き》たのは|盛装《せいさう》を|凝《こ》らした|常磐姫《ときはひめ》であつた。
|新公《しんこう》『ヤ、お|嬢《ぢやう》さま、お|帰《かへ》りなさいませ。あなたはオレオン|星座《せいざ》からお|降《くだ》りになつた、エンゼルの|松代姫《まつよひめ》さまぢやござりませぬかな』
|常磐《ときは》『ホホホホ|新《しん》さま、お|前《まへ》|見《み》てゐたのかえ』
『ヘーヘー|貴女《あなた》のお|芝居《しばゐ》はこの|新公《しんこう》、|目敏《めざと》くも|看破《かんぱ》してをりましたが、しかしながら|衆生《しゆじやう》があれだけ|不思議《ふしぎ》がつてるのに、|素破抜《すつぱぬ》いちや|面白《おもしろ》うないと|思《おも》つて、|黙《だま》つて|帰《かへ》つて|来《き》ました。そして|御前様《ごぜんさま》に|一寸《ちよつと》|話《はな》しましたところ、|大変《たいへん》な|御立腹《ごりつぷく》で、|清家《せいか》の|娘《むすめ》がプロ|運動《うんどう》の|煽動《せんどう》をするやうなことでは、この|内《うち》へは|入《い》れられぬ、|門前払《もんぜんばら》ひを|喰《く》はせ……とそれはそれはえらい|勢《いきほ》ひでございましたよ。マア|一寸《ちよつと》この|門《もん》|潜《くぐ》るのは|見合《みあ》はしていただきませう。|御前様《ごぜんさま》の|代理権《だいりけん》を|持《も》つてをりますから|断《だん》じて|入《い》れませぬ』
『ホホホホ、|大分《だいぶん》|面白《おもしろ》うなつて|来《き》たね。さうすると|父上《ちちうへ》は|今日《けふ》かぎり、お|暇《ひま》を|下《くだ》さるのだらうか。さうなれば、|妾《わらは》も|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》だワ。そんなら、|父上《ちちうへ》に、これつきり、お|目《め》にかかりませぬから、ずゐぶん|御身《おんみ》を|大切《たいせつ》になさいませ……と|言《い》つたと|伝《つた》へてくれ、|左様《さやう》なら』
と|駒《こま》の|頭《かしら》を|立直《たてなほ》し、|出《い》で|行《ゆ》かむとするを、|新公《しんこう》は|驚《おどろ》いて、
『アア、もしもしお|嬢様《ぢやうさま》、|少時《しばらく》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。|何《なに》ほど|厳《きび》しく|仰有《おつしや》つても、|子《こ》の|可愛《かあ》ゆうない|親《おや》はございませぬ。あなたが|御改心《ごかいしん》|下《くだ》さらば、キツとお|許《ゆる》し|下《くだ》さいますから、|御前様《ごぜんさま》に|伺《うかが》つて|来《く》るまで、マアマア|一寸《ちよつと》お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
|常磐《ときは》『オイ|新《しん》さま、|折角《せつかく》|解放《かいはう》された|妾《わらは》を、|再《ふたた》び|苦《くる》しめるやうなことはして|下《くだ》さるな。|父上《ちちうへ》のその|伝言《でんごん》を|聞《き》く|上《うへ》は、|妾《わらは》も|世界晴《せかいば》れのしたやうな|心持《こころも》ちがして|来《き》た……|左様《さやう》なら、|父上《ちちうへ》|母上《ははうへ》に|宜《よろ》しう|言《い》つておくれ』
と|言《い》ひ|残《のこ》し|手綱《たづな》かいくり、|館《やかた》の|門前《もんぜん》の|階段《かいだん》を、「ハイハイ」と|馬《うま》をいましめながら|降《くだ》つて|行《ゆ》く。そこへヅブ|六《ろく》に|酔《よ》うて、|兄《あに》の|松依別《まつよりわけ》が|懐手《ふところで》をしながら、|三尺帯《さんじやくおび》を|尻《しり》の|四辺《あたり》に|締《し》め、|自堕落《じだらく》な|風《ふう》をして、|頬冠《ほほかむ》りを|七分三分《しちぶさんぶ》に|被《かぶ》り、
『|失恋《しつれん》したとて|短気《たんき》を|出《だ》すな
|悪原廓《あしはらくるわ》に|花《はな》が|咲《さ》く……と。
|日々毎日《ひにちまいにち》|悪原通《あしはらがよ》ひ
|早《はや》く|親爺《おやぢ》に|死《し》んで|欲《ほ》しい……と。
|家《いへ》の|親爺《おやぢ》は|雪隠《せんち》のそばの|柿《かき》よ
|渋《しぶ》うて|汚《きたな》うて|細《こま》こてくはれない……と』
と|千鳥足《ちどりあし》になつて、|階段《かいだん》を|昇《のぼ》つて|来《く》ると、|妹《いもうと》の|馬《うま》とベタリ|出会《でつくは》し、
|松依《まつより》『こんな|狭《せま》い|所《ところ》を|馬《うま》に|乗《の》りやがつて、ドド|何奴《どいつ》だい。|見《み》たところ、|一寸《ちよつと》|渋皮《しぶかは》の|剥《む》けたナイスと|見《み》えるが、|一寸《ちよつと》|馬《うま》から|下《お》りて|来《こ》い。|握手《あくしゆ》の|一《ひと》つもやつてやらア。エー、ゲー、アツプー、エー|苦《くる》しい|苦《くる》しい。なんぼ|苦《くる》しいても|美人《びじん》の|顔《かほ》|見《み》りや|気分《きぶん》が|悪《わる》くないものだ』
|常磐姫《ときはひめ》、|馬上《ばじやう》より、
『アア|見《み》つともない、|兄《にい》さまぢやございませぬか。|妾《わらは》は|常磐姫《ときはひめ》でございますよ』
|松依《まつより》『|時《とき》は|今《いま》、|親爺《おやぢ》の|亡《ほろ》ぶ|間際《まぎは》|哉《かな》……とか|何《なん》とか|仰有《おつしや》いましてね、……アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、これから|帰《い》んで、|薬鑵頭《やくわんあたま》のお|小言《こごと》を|頂戴《ちやうだい》するのかな』
|常磐《ときは》『コレ|兄《にい》さま、しつかりなさいませ。|妹《いもうと》でございますよ』
『|妹《いもうと》でも|何《なん》でも|構《かま》ふものか、……|妹《いも》と|背《せ》の|中《なか》を|隔《へだ》つる|吉野川《よしのがは》……(|唄《うた》)|悪原通《あしはらがよ》ひでいきりぬく』
|常磐姫《ときはひめ》は|止《や》むを|得《え》ず、|馬《うま》からヒラリと|飛下《とびお》り|松依別《まつよりわけ》の|背《せな》を|叩《たた》きながら、
『|兄《にい》さま、しつかりして|下《くだ》さいませ、|妾《わらは》はこれから|父《ちち》の|怒《いか》りに|触《ふ》れ、|家出《いへで》をいたします。あなたはどうぞ|両親《りやうしん》に|心《こころ》を|直《なほ》して、|良《よ》く|仕《つか》へて|下《くだ》さいませ。これが|此《こ》の|世《よ》の|別《わか》れにならうも|知《し》れませぬから……』
とさすが|気丈《きぢやう》の|常磐姫《ときはひめ》も、|涙《なみだ》に|湿《しめ》つた|声《こゑ》を|絞《しぼ》つてゐる。|松依別《まつよりわけ》は|始《はじ》めて|妹《いもうと》と|悟《さと》り、にはかに|気《き》がついたやうに、
『ヤア|妹《いもうと》か、|一体《いつたい》|何処《どこ》へ|行《ゆ》くのだ』
|常磐《ときは》『ハイ、|父《ちち》に|勘当《かんどう》されましたので、これから|誰《たれ》|憚《はばか》らず、プロ|運動《うんどう》にでも|出《で》かける|積《つも》りでございますワ』
|松依《まつより》『ナアニ、プロ|運動《うんどう》? |結構々々《けつこうけつこう》、それも|結構《けつこう》だが、|悪原通《あしはらがよ》ひも|結構《けつこう》だらう。|親爺《おやぢ》の|奴《やつ》|衆生《しゆじやう》の|膏血《かうけつ》を|紋《しぼ》り、|沢山《たくさん》の|金《かね》を|蓄《ため》て|置《お》きやがつたものだから、|死《し》ぬにも|死《し》ねず、|行《ゆ》く|所《ところ》へも|行《ゆ》けず|苦《くる》しんでゐるから、チツとその|金《かね》を|浪費《らうひ》し、|深《ふか》い|罪《つみ》をチツとでも|軽《かる》うしてやらうと|思《おも》つて、|今《いま》しきりに|孝行運動《かうかううんどう》の|最中《さいちう》だ。お|前《まへ》もこれからプロ|運動《うんどう》をやり、|親爺《おやぢ》の|内閣《ないかく》を|倒《たふ》し、チツと|罪《つみ》を|取《と》つてやれ。お|前《まへ》もこれから|親孝行《おやかうかう》を|励《はげ》むがよいぞ、|左様《さやう》なら……』
と|又《また》もや|門《もん》をくぐり、
『|兄《あに》は|悪原《あしはら》|妹《いもと》の|奴《やつ》は
プロ|運動《うんどう》で|孝行《かうかう》する……と』
|新公《しんこう》は|箒《はうき》を|持《も》つたまま、|庭園《ていゑん》の|隅《すみ》つこから|走《はし》つて|来《き》て、
『|若様《わかさま》、|御前様《ごぜんさま》が|大変《たいへん》な|御立腹《ごりつぷく》でございます。どうぞ|着物《きもの》を|着替《きか》へて、お|這入《はい》り|下《くだ》さいませぬと、そのザマでお|這入《はい》りになつては、|大《おほ》きな|雷《かみなり》が|落《お》ちます。すると|吾々《われわれ》までが|迷惑《めいわく》いたしますから、チツと|低《ひく》い|声《こゑ》でものを|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
|松依《まつより》『エツヘヘヘヘ、|面白《おもしろ》いな、|胸《むね》がスイとするやうな|雷《かみなり》に|一遍《いつぺん》|落《お》ちてもらひたいものだ。……|地震《じしん》|雷《かみなり》|火事《くわじ》|親爺《おやぢ》、|親爺《おやぢ》が|恐《こは》くて|大神楽《だいかぐら》が|見《み》られぬ……と、アーア|碌《ろく》でもない|酒《さけ》を|無茶苦茶《むちやくちや》に、お|里《さと》の|女《あま》|奴《め》|強《し》ひるものだから、|内《うち》へ|帰《かへ》つても|未《ま》だ|酒《さけ》の|気《き》が|残《のこ》つてけつかる。あ、|然《しか》し|愉快《ゆくわい》だ、……オイ|親爺《おやぢ》、|妹《いもうと》を|放《ほ》り|出《だ》して、どうする|積《つも》りだ。|妹《いもうと》を|放《ほ》り|出《だ》すのなら、なぜ|兄《あに》から|放《ほ》り|出《だ》さぬのぢやい。よう|放《ほ》り|出《だ》さぬのか、|俺《おれ》の|方《はう》から|放《ほ》り|出《で》てやらうか』
とダミ|声《ごゑ》を|振《ふ》り|上《あ》げて|呶鳴《どな》つてゐる。|松若彦《まつわかひこ》は|何《なん》だか|妙《めう》な|声《こゑ》が|屋外《をくぐわい》に|聞《き》こえるので、|杖《つゑ》をついて|現《あら》はれ|来《き》たり、|窓《まど》からソツと|覗《のぞ》いて、|松依別《まつよりわけ》の|姿《すがた》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し、「アツ」と|言《い》つたままその|場《ば》に|倒《たふ》れ、したたか|腰《こし》を|打《う》つて、「ウンウン」と|唸《うな》つてゐる。|館《やかた》の|中《なか》は|上《うへ》を|下《した》への|大騒動《おほさうどう》、|水《みづ》よ|薬《くすり》よ|医者《いしや》よと、|家令《かれい》や|家扶《かふ》|家従《かじう》の|面々《めんめん》が|自動車《じどうしや》や|自用俥《じようしや》を|飛《と》ばして|大活動《だいくわつどう》を|始《はじ》め|出《だ》した。|松依別《まつよりわけ》は|懐手《ふところで》をしながら、ブラリブラリと|又《また》もや|門口《かどぐち》|指《さ》して|出《い》でて|行《ゆ》く。
(大正一三・一・二三 旧一二・一二・一八 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第三篇 |神柱国礎《しんちうこくそ》
第一三章 |国別《こくべつ》〔一七五八〕
|国照別《くにてるわけ》『われは|淋《さび》しき|冬《ふゆ》の|月《つき》  |御空《みそら》に|高《たか》く|打《う》ちふるひ
|中空《ちうくう》さへぎる|雲《くも》の|戸《と》の  |開《ひら》くよしなき|悲《かな》しさに
|苦《くる》しみ|悶《もだ》ゆる|折《を》りもあれ  |忽《たちま》ち|吹《ふ》き|来《く》る|時津風《ときつかぜ》
|十重《とへ》に|二十重《はたへ》に|包《つつ》みたる  |雲《くも》|吹《ふ》き|払《はら》ひ|漸《やうや》くに
|地上《ちじやう》に|降《くだ》る|道《みち》|開《ひら》く  |草《くさ》の|片葉《かきは》におく|霜《しも》の
|冷《つめ》たき|宿《やど》を|借《か》りながら  |都《みやこ》を|後《あと》に|下《くだ》りゆく
|吾《わ》が|身《み》の|上《うへ》ぞ|頼《たの》もしき  はるかに|地上《ちじやう》を|見渡《みわた》せば
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の  |伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|荒野原《あれのはら》
|正《ただ》しき|人《ひと》は|醜神《しこがみ》の  |脚《あし》ににじられ|踏《ふ》まれつつ
|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ  |曲《まが》れる|人《ひと》は|揚々《やうやう》と
|春野《はるの》に|蝶《てふ》の|舞《ま》ふごとく  |地上《ちじやう》の|悩《なや》みを|他所《よそ》にして
|歌舞音楽《かぶおんがく》にひたりゐる  |実《げ》にも|矛盾《むじゆん》の|天地《てんち》かな
いよいよ|神《かみ》が|現《あら》はれて  |三千世界《さんぜんせかい》を|引《ひ》きならし
|草《くさ》の|片葉《かきは》に|至《いた》るまで  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》にしたしつつ
|救《すく》はむ|時《とき》ぞ|近《ちか》づきぬ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
われは|国照別司《くにてるわけつかさ》  この|曇《くも》りたる|国土《くにつち》を
|三五《さんご》の|月《つき》の|御教《みをしへ》に  |照《て》らし|清《きよ》めて|永久《とこしへ》に
|国照別《くにてるわけ》の|御世《みよ》となし  |草木《くさき》もめぐむ|春乃姫《はるのひめ》
|月《つき》と|花《はな》との|兄妹《おとどい》が  |神《かみ》の|賜《たま》ひし|珍《うづ》の|国《くに》
|昔《むかし》の|神代《かみよ》に|引《ひ》き|戻《もど》し  |憂《う》きに|悩《なや》める|人草《ひとぐさ》を
|救《すく》ひ|助《たす》けむ|吾《わ》が|願《ねが》ひ  |達《たつ》せむための|鹿島立《かしまだち》
|守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|荒《あら》くとも  |降《ふ》り|込《こ》む|雨《あめ》は|強《つよ》くとも
たとへ|地《つち》|揺《ゆ》り|雷《いかづち》の  |頭上《づじやう》に|轟《とどろ》く|世《よ》ありとも
いかでか|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の  |聖《きよ》き|国照別《くにてるわけ》の|魂《たま》
|如何《いか》なる|権威《けんゐ》も|物慾《ぶつよく》も  |左右《さいう》し|得《う》べき|力《ちから》なし
|珍《うづ》の|御国《みくに》は|言《い》ふもさら  |高砂島《たかさごじま》に|国《くに》といふ
|国《くに》のことごと|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》とねぢ|直《なほ》し
|生《い》ける|真《まこと》の|神《かみ》として  |降《くだ》り|行《ゆ》くこそ|勇《いさ》ましき
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|歌《うた》ひながら、アリナ|山《やま》の|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|着《つ》いた。|国照別《くにてるわけ》は|東方《とうはう》の|原野《げんや》を|遥《はる》かに|見《み》おろしながら、
『アア|珍《うづ》の|国《くに》も|暫《しばら》くこれで|見《み》ることが|出来《でき》ないだらう。|其《そ》の|代《かは》り|今度《こんど》|帰《かへ》つて|来《き》た|時《とき》は、この|広大《くわうだい》なる|荒野ケ原《あれのがはら》も|金銀《きんぎん》|瑪瑙《めなう》、|瑠璃《るり》|〓〓《しやこ》、|玻璃《はり》などの|七宝《しちはう》に|飾《かざ》られた|地上天国《ちじやうてんごく》に|一変《いつぺん》するだらう。|雲《くも》|深《ふか》き|城中《じやうちう》を|後《あと》に|親兄弟《おやきやうだい》|家来《けらい》を|見《み》すてて、|鄙《ひな》に|下《くだ》り、|今《いま》また|吾《わ》が|城下《じやうか》にも|住《す》む|事《こと》を|得《え》ず、|心《こころ》からとは|言《い》ひながら、|生《うま》れ|故郷《こきやう》を|立《た》ち|去《さ》るは、どこともなく|心《こころ》|淋《さび》しいやうだ。アア|否々《いないな》、そんな|気《き》の|弱《よわ》いことで、この|神業《しんげふ》が|勤《つと》まらうか。|珍《うづ》の|国《くに》の|国司《こくし》は|元《もと》は|三五《あななひ》の|教《をしへ》をもつて|人草《ひとぐさ》を|教化《けうくわ》するのが|天職《てんしよく》であつた。あまり|政治《せいぢ》などに|心《こころ》を|用《もち》ひなくても|自然《しぜん》に|治《をさ》まつてゐたのだ。しかしながら|今日《こんにち》となつては|国外《こくぐわい》よりいろいろの|主義《しゆぎ》や|思想《しさう》や|無用《むよう》の|学術《がくじゆつ》が|流《なが》れ|込《こ》んで|来《き》て、|古《いにしへ》のごとき|簡易《かんい》な|信仰《しんかう》のみをもつて|国《くに》を|治《をさ》むる|事《こと》は|出来《でき》なくなつてしまつた。しかしながら、どうしても|世《よ》の|中《なか》は|知識《ちしき》や|学問《がくもん》の|力《ちから》では|治《をさ》まるものでない。まづ|政《まつりごと》の|第一《だいいち》は|徳《とく》を|以《もつ》てするより|外《ほか》にない。|自分《じぶん》はその|徳《とく》を|養《やしな》はむがために、|城中《じやうちう》をぬけ|出《だ》し、|最《もつと》も|卑《いや》しき|車夫《しやふ》の|仲間《なかま》に|入《い》り、|下層社会《かそうしやくわい》の|事情《じじやう》を|探《さぐ》り、|今《いま》また|侠客《けふかく》となつて、|市井《しせい》の|巷《ちまた》に|出没《しゆつぼつ》し、わが|霊魂《れいこん》をして|金剛不壊《こんがうふゑ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》たらしめむと、|焦《あせ》れど|藻掻《もが》けど|如何《いか》にせむ、|永《なが》い|間《あひだ》|嬢《ぢやう》や|坊《ぼん》にて|育《そだ》てられ、|少《すこ》しの|荒《あら》き|風《かぜ》にさへも|悩《なや》まされるやうな|弱《よわ》い|身体《からだ》で、どうして|衆生《しゆじやう》を|安堵《あんど》せしむることが|出来《でき》やうか。|何《なん》といつても|自分《じぶん》は|珍《うづ》の|国《くに》の|世子《せいし》、|清家生活《せいかせいくわつ》も|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》も|少《すこ》しも|望《のぞ》まぬけれど、この|先《さき》|自分《じぶん》が|此《こ》の|国《くに》に|居《を》らなくなつたならば、|信仰《しんかう》の|中心《ちうしん》、|尊敬《そんけい》の|的《まと》、|思想《しさう》の|真柱《しんばしら》を|失《うしな》うたも|同然《どうぜん》、|容易《ようい》に、|如何《いか》なる|賢者《けんじや》が|現《あら》はれても、|徳望者《とくばうしや》が|現《あら》はれても、|治《をさ》むることは|難《むつ》かしいだらう。それを|思《おも》へば、|一時《いちじ》も|早《はや》く|魂《たま》を|研《みが》き、|真《しん》の|神徳《しんとく》を|身《み》にうけて、|再《ふたた》び|此《こ》の|国《くに》に|帰《かへ》つて|来《こ》なくてはならうまい。|珍《うづ》の|国《くに》の|広《ひろ》き|原野《げんや》が|今《いま》わが|視線《しせん》を|離《はな》れるに|望《のぞ》んで、|何《なん》となく、|山河草木《さんかさうもく》をはじめ|我《わ》が|国《くに》|衆生《しゆじやう》が|恋《こひ》しくなつて|来《き》た。しかしながら|一旦《いつたん》|決心《けつしん》した|吾《わ》が|魂《たましひ》を|翻《ひるがへ》すことは|出来《でき》ぬ。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|何《なに》とぞ|国照別《くにてるわけ》が|赤心《まごころ》を|御受納《ごじゆなふ》|下《くだ》さいまして、|珍《うづ》の|国《くに》は|申《まを》すも|更《さら》なり、|高砂洲《たかさごじま》の|天地《てんち》をして、|昔《むかし》の|神代《かみよ》の|歓楽郷《くわんらくきやう》にねぢ|直《なほ》させて|下《くだ》さいませ。また|両親《りやうしん》を|始《はじ》め|妹《いもうと》の|春乃姫《はるのひめ》その|他《た》|城中《じやうちう》の|老臣《らうしん》、|及《およ》び|友人《いうじん》の|身《み》の|上《うへ》に|特別《とくべつ》の|御恩寵《ごおんちよう》を|垂《た》れさせ|給《たま》ひて、|珍《うづ》の|国家《こくか》を|平安《へいあん》に|隆昌《りうしやう》に|進《すす》ませ|給《たま》ふやう|偏《ひとへ》にお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます。|珍《うづ》の|国《くに》に|別《わか》るるに|臨《のぞ》んで、|国魂神《くにたまのかみ》|様《さま》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》んでお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げます。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|感慨無量《かんがいむりやう》の|態《てい》で、|太《ふと》い|息《いき》をついてゐる。|浅公《あさこう》は|珍《うづ》の|原野《げんや》を|見《み》おろしながら、
『|親分《おやぶん》さま、|何《なん》とマア|珍《うづ》の|国《くに》も|広《ひろ》いものですなア、そして|何《なん》だか|珍《うづ》の|国《くに》の|山河草木《さんかさうもく》が……|浅公《あさこう》|行《ゆ》くな|行《ゆ》くな、|元《もと》へ|返《か》やせ……と|手招《てまね》きするやうな|気分《きぶん》が|致《いた》しまして、これから|先《さき》へ|行《ゆ》くのが、|何《なん》だか【おつくう】なやうな、|嬉《うれ》しくないやうな|気《き》になりました。|今《いま》|親方《おやかた》の|様子《やうす》を|見《み》てゐると|二《ふた》つの|目《め》から|涙《なみだ》がポロリポロリと|落《お》ちてゐましたよ。|何《なに》ほど|侠客《けふかく》の|親分《おやぶん》でも、|人情《にんじやう》に|変《かは》りはないとみえますな』
|国照《くにてる》『ウン、|生《うま》れた|国《くに》といふものは、|何《なん》とはなしに|恋《こひ》しいものだ。|言《い》はば|自分《じぶん》たちを|永《なが》らく|育《そだ》ててくれた|真《しん》の|母《はは》だからな。|幼子《をさなご》が|母《はは》の|懐《ふところ》をはなれて、|異郷《いきやう》の|空《そら》に|出《で》るのだもの、|俺《おれ》だつて、チツとは|感慨無量《かんがいむりやう》の|涙《なみだ》にくれるのは|当然《あたりまへ》だ。|涙《なみだ》のない|人間《にんげん》は|鬼《おに》だ。|俺《おれ》も|先《ま》づ|鬼《おに》の|境遇《きやうぐう》だけは|免《まぬが》れたとみえるワイ。アツハハハハハ』
と|俄《には》かに|笑《わら》ひに|紛《まぎ》らす。|浅公《あさこう》も|泣《な》き|声《ごゑ》|交《まじ》りに「アツハハハハハ」と|附合《つきあ》ひ|笑《わら》ひをする。
|国照《くにてる》『|浅公《あさこう》、これから|先《さき》はつまりいへば、|他国《たこく》だ。|神様《かみさま》の|方《はう》からいへば、みな|神《かみ》の|国《くに》で|境界《きやうかい》もなければ|差別《さべつ》もないが、|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》どもが、これまでは|珍《うづ》の|国《くに》、これから|先《さき》はテルの|国《くに》だとか、カルの|国《くに》だとかヒルだとかハルだとか、|勝手《かつて》に|境界《きやうかい》をつけ、|互《たが》ひに|権勢《けんせい》を|争《あらそ》うてゐるのだから、その|考《かんが》へでゐないと、|大変《たいへん》な|失敗《しつぱい》をするよ。|自分《じぶん》の|国内《こくない》では|侠客《けふかく》も|羽振《はぶ》りが|利《き》くが、|様子《やうす》も|分《わか》らぬ|他国《たこく》では、そういふわけにはゆかぬからのう』
|浅《あさ》『|所《ところ》で|吠《ほ》えぬ|犬《いぬ》はないとかいひましてな』
『オイ|浅《あさ》、|犬《いぬ》に|譬《たとへ》るとは|殺生《せつしやう》ぢやないか、ハハハ。サアここを|降《くだ》つて、|懸橋御殿《かけはしごてん》といふのがあるさうだから、それへ|参拝《さんぱい》をして|一夜《いちや》の|宿《やど》を|借《か》り、ゆつくり|行《ゆ》くことにしやう』
『ハイ、お|伴《とも》いたしませう。あーあ、これで|故郷《こきやう》の|空《そら》の|暫《しばら》く|見納《みをさ》めかなア……
|去《さ》りかねて|振《ふ》り|返《かへ》り|見《み》ぬ|珍《うづ》の|国《くに》
|妻《つま》さへ|子《こ》さへなき|身《み》なれども
|何《なん》となく|恋《こひ》しくなりぬ|珍《うづ》の|空《そら》
|今《いま》|別《わか》れむとして|涙《なみだ》こぼるる』
|国照別《くにてるわけ》『|汝《なれ》もまた|人《ひと》の|御子《みこ》なれ|世《よ》のあはれ
よくも|悟《さと》れり|深《ふか》く|覚《さと》れり
|足乳根《たらちね》の|親《おや》のまします|珍《うづ》の|空《そら》
|打《う》ち|仰《あふ》ぎつつ|別《わか》れ|行《ゆ》く|哉《かな》
|国愛別《くにちかわけ》|親《した》しき|友《とも》は|如何《いか》にして
|吾《わ》がゆく|後《あと》に|活動《くわつどう》やせむ
|吾《わ》が|友《とも》よ|暫《しばら》く|待《ま》てよ|国照別《くにてるわけ》
|神《かみ》と|現《あら》はれ|帰《かへ》り|来《く》るまで
|吾《わ》が|行《ゆ》くは|御国《みくに》をすつる|為《ため》ならず
|真《まこと》の|神《かみ》の|国《くに》にせむため
|吾《わ》がゆくは|親《おや》を|苦《くる》しむる|為《ため》ならず
|大御心《おほみこころ》を|慰《なぐさ》めむため
|吾《わ》がゆくは|国民《くにたみ》すつる|為《ため》ならず
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|救《すく》はむがため』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|金剛杖《こんがうづゑ》を|力《ちから》に|急坂《きふはん》を|下《くだ》りゆく。
|国照別《くにてるわけ》『|神《かみ》の|恵《めぐ》みのアリナ|山《やま》  |杖《つゑ》を|力《ちから》に|下《くだ》りゆく
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|神《かみ》に|任《まか》せし|吾《わ》が|身魂《みたま》  |神《かみ》と|国《くに》とに|真心《まごころ》を
|尽《つく》す|吾《わ》が|身《み》に|幸《さち》あれと  |朝夕《あさゆふ》|祈《いの》る|勇《いさ》ましさ
|故国《ここく》の|空《そら》を|後《あと》にして  |踏《ふ》みもならはぬ|山坂《やまざか》を
|登《のぼ》りつ|下《くだ》りつ|進《すす》み|行《ゆ》く  |国魂神《くにたまがみ》の|竜世姫《たつよひめ》
|守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |謹《つつし》み|敬《うや》まひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|此《こ》の|世《よ》を|造《つく》り|給《たま》ひたる  |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|世人《よびと》を|教《をし》へ|諭《さと》しゆく  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》
|此《こ》の|世《よ》の|塵《ちり》を|打《う》ち|払《はら》ふ  |科戸《しなど》の|風《かぜ》や|雨《あめ》となり
|雪《ゆき》ともなりて|守《まも》ります  |貴《うづ》の|力《ちから》を|頼《たよ》りとし
|天《てん》にも|地《ち》にも|掛替《かけが》への  なき|垂乳根《たらちね》や|妹《いもうと》を
|後《あと》に|見《み》すてて|出《い》でてゆく  |涙《なみだ》の|雨《あめ》は|袖《そで》に|降《ふ》り
|眼《まなこ》はかすむ|今日《けふ》の|空《そら》  |恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》かけ|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひつつ、|国照別《くにてるわけ》は|先《さき》に|立《た》ち、|浅公《あさこう》は|杖《つゑ》を|力《ちから》に|足拍子《あしびやうし》を|取《と》りながら、|九十九曲《つづらまが》りの|石《いし》だらけの|道《みち》を|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。
|浅公《あさこう》『ウントコドツコイ アリナ|山《やま》  |噂《うはさ》に|聞《き》いたきつい|坂《さか》
いよいよ|恋《こひ》しい|珍《うづ》の|国《くに》  |涙《なみだ》と|共《とも》に|立《た》ちわかれ
ウントコドツコイ|危《あぶ》ないぞ  |石《いし》のゴラゴラする|坂《さか》だ
|親方《おやかた》|用心《ようじん》なさいませ  |一時《いちじ》も|早《はや》くこの|坂《さか》を
|無事《ぶじ》に|下《くだ》つてウントコシヨ  |懸橋御殿《かけはしごてん》にまゐ|詣《まう》で
|足《あし》の|疲《つか》れを|休《やす》めませう  |鏡《かがみ》の|池《いけ》とて|名《な》の|高《たか》い
|昔《むかし》の|神《かみ》の|霊跡《れいせき》が  |今《いま》に|残《のこ》つてゐるといふ
|名所《めいしよ》を|見《み》るのも|今《いま》|少時《しばし》  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|何《なに》とぞ|無事《ぶじ》に|此《こ》の|坂《さか》を  |親方《おやかた》さまともろともに
|下《くだ》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる
|旭《あさひ》もテルの|国野原《くにのはら》  |向《む》かつておりゆく|二人連《ふたりづ》れ
もしも|国人《くにびと》わが|姿《すがた》  |眺《なが》めて|空《そら》から|天人《てんにん》が
|降《くだ》つて|来《き》たかと|怪《あや》しんで  いと|珍《めづら》しき|穀物《たなつもの》
|八足《やたり》の|机《つくゑ》におき|並《なら》べ  |迎《むか》へてくれれば|嬉《うれ》しいが
ウントコドツコイ アイタツタ  メツタに|左様《さやう》なうまいこと
あらうと|思《おも》はぬボンの|糞《くそ》  |雨露《うろ》|凌《しの》がしてドツコイシヨ
くれてもそれで|満足《まんぞく》だ  もうしもうし|親分《おやぶん》よ
にはかに|霧《きり》が|深《ふか》くなり  |一間先《いつけんさき》は|靄《もや》の|海《うみ》
だんだん|淋《さび》しうなつてくる  |一足一足《ひとあしひとあし》|坂路《さかみち》を
|降《くだ》る|度《たび》ごと|根《ね》の|国《くに》や  |底《そこ》の|国《くに》へと|行《ゆ》くやうな
|淋《さび》しい|気分《きぶん》になつて|来《き》た  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神様《かみさま》よろしく|頼《たの》みます  |後《あと》へは|返《かへ》さぬ|男伊達《をとこだて》
たとへ|命《いのち》はすつるとも  |思《おも》ひ|立《た》つたる|親分《おやぶん》の
|気象《きしやう》はいつかな|怯《ひる》むまい  |俺《わつち》も|此処《ここ》までお|伴《とも》して
|卑怯未練《ひけふみれん》に|引返《ひつかへ》す  わけにはゆかぬ|男《をとこ》の|意気地《いくぢ》
かうなりやホンに|侠客《けふかく》も  ウントコドツコイ|辛《つら》いもの
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|霧《きり》は|山路《やまぢ》を|包《つつ》むとも  |大蛇《をろち》の|奴《やつ》が|行先《ゆくさき》に
|道《みち》を|塞《ふさ》いで|攻《せ》め|来《く》とも  |弱《よわ》きを|扶《たす》け|強《つよ》きをば
|挫《くじ》いて|通《とほ》る|男伊達《をとこだて》  それを|兼《か》ねたる|宣伝使《せんでんし》
|国照別《くにてるわけ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》  |御供《みとも》に|仕《つか》へた|浅州《あさしう》は
|決《けつ》して|決《けつ》してひるまない  アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
|一足一足《ひとあしひとあし》ウントコシヨ  |勝利《しようり》の|都《みやこ》へ|進《すす》み|行《ゆ》く
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり  |親分《おやぶん》も|吾等《われら》と|共《とも》にあり
|吾等《われら》を|守《まも》るは|神《かみ》にまし  |吾等《われら》を|守《まも》るは|親分《おやぶん》だ
また|親分《おやぶん》の|身《み》の|上《うへ》を  |守《まも》る|真《まこと》の|神様《かみさま》は
|国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》  |次《つぎ》に|乾児《こぶん》の|浅州《あさしう》は
|朝《あさ》から|晩《ばん》までテクテクと  |御後《みあと》に|従《したが》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く
どこを|当《あて》とも|白雲《しらくも》の  |山路《やまぢ》を|分《わ》くる|旅《たび》の|空《そら》
|実《げ》に|面白《おもしろ》し|勇《いさ》ましし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ  ウントコドツコイ ドツコイシヨ
ドツコイ ドツコイ ドツコイシヨ』
とちぎれちぎれに|山降《やまくだ》りの|歌《うた》を|唄《うた》ひながら、|漸《やうや》くにして|稍《やや》|平坦《へいたん》な|緩勾配《くわんこうばい》の|坂道《さかみち》に|着《つ》いた。|霧《きり》はますます|深《ふか》くして|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜず、|太陽《たいやう》は|西天《せいてん》にかくれしと|見《み》え、|暗《やみ》の|帳《とばり》はチクチクと|二人《ふたり》を|包《つつ》んで|来《き》た。|二人《ふたり》はやむを|得《え》ず、|此処《ここ》に|一夜《いちや》を|明《あか》すこととなつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一四章 |暗枕《やみまくら》〔一七五九〕
|国照別《くにてるわけ》|主従《しゆじう》はアリナ|山《やま》の|中腹《ちうふく》に|止《や》むを|得《え》ず|一夜《いちや》を|明《あか》すこととなつた。|咫尺《しせき》を|弁《べん》ぜざる|濃霧《のうむ》は|陰々《いんいん》として|身《み》に|逼《せま》り|来《く》るかとみれば、たちまち|空《そら》は|黒雲《くろくも》みなぎり、|夕立《ゆふだち》の|雨《あめ》が|礫《つぶて》のごとく|二人《ふたり》の|衣《ころも》を|打《う》ち、|吹《ふ》き|飛《と》ばすやうな|風《かぜ》がやつて|来《く》る。|深霧《ふかぎり》、|靄《もや》、|大雨《おほあめ》、|大風《おほかぜ》と|交《かは》る|交《がは》る|走馬燈《そうまとう》のやうに|迫《せま》つて|来《く》るその|淋《さび》しさ|苦《くる》しさに、さすがの|国照別《くにてるわけ》も|初《はじ》めて|知《し》つた|旅《たび》の|悩《なや》み、|心《こころ》の|底《そこ》より|天地《てんち》に|拝跪《はいき》して、|一時《いちじ》も|早《はや》く|黎明《れいめい》の|光《ひかり》を|仰《あふ》がむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》した。されども|時《とき》の|力《ちから》は|何《なに》ほど|祈願《きぐわん》しても|左右《さいう》することは|出来《でき》ず、|夜《よ》は|深々《しんしん》として|更《ふ》けゆくばかり、|四辺《あたり》はますます|暗《くら》く|互《たが》ひの|所在《ありか》さへ|目《め》に|入《い》らなくなつてしまつた。
|国照《くにてる》『|雨風《あめかぜ》にさらされ|霧《きり》に|包《つつ》まれて
|行手《ゆくて》に|迷《まよ》ふ|吾《わ》が|身魂《みたま》かな』
|浅公《あさこう》『|気《き》の|弱《よわ》い|親分《おやぶん》さまのお|言葉《ことば》よ
いつまで|暗《やみ》の|続《つづ》くものかは』
『|浅公《あさこう》の|生言霊《いくことたま》をめで|給《たま》ひ
|朝日《あさひ》の|御空《みそら》|恵《めぐ》ませ|給《たま》はむ
|朝茅生《あさぢふ》の|野辺《のべ》を|渡《わた》りて|今《いま》ここに
|誠《まこと》アリナの|峰《みね》に|休《やす》らふ
|夜《よる》の|雨《あめ》|峰《みね》の|嵐《あらし》におびえつつ
ふるひゐるかも|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は』
『|主従《しゆじう》がふるひゐるかと|思《おも》ひしに
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》で|先《ま》づは|安心《あんしん》
|親分《おやぶん》が|慄《ふる》ふやうでは|曲神《まがかみ》の
すさぶ|世《よ》の|中《なか》|渡《わた》るすべなし』
『ふるふといふ|吾《わ》が|言霊《ことたま》は|世《よ》の|中《なか》の
あらゆる|塵《ちり》をふるふ|謎《なぞ》なり』
『|負《ま》けぬ|気《き》の|強《つよ》い|国照別《くにてるわけ》さまよ
|気《き》をつけ|給《たま》へ|漆《うるし》の|木蔭《こかげ》を
|右左《みぎひだり》|前《まへ》も|後《うし》ろも|見《み》えわかぬ
|暗《やみ》の|山路《やまぢ》はいとど|静《しづ》けき』
『|浅公《あさこう》よ|静《しづ》かなりとは|嘘《うそ》だらう
|心《こころ》の|淋《さび》しさ|語《かた》るにやあらむ』
|両人《りやうにん》は|何《なん》となく|寂寥《せきれう》の|気《き》に|打《う》たれ、|膝《ひざ》をすり|合《あは》して|阿呆口《あはうぐち》を|駄句《だく》つてゐる。どこともなしに|細《ほそ》い|淋《さび》しい|糸《いと》のやうな|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。|浅公《あさこう》は|国照別《くにてるわけ》の|腰《こし》に|喰《くら》ひつき、ビリビリと|慄《ふる》うてゐる。
|浅《あさ》『オオ|親分《おやぶん》さま、デデ|出《で》ましたぞ』
|国照《くにてる》『ウーン、|出《で》たの』
『どうしませう』
『どうでも|可《い》いワ、|惟神《かむながら》に|任《まか》すのだな。きつと|神《かみ》の|試練《しれん》だよ。お|前《まへ》のやうな|臆病者《おくびやうもの》を|伴《つ》れてゆくと、|俺《おれ》の|手足纒《てあしまと》ひになると|思《おも》つてアリナ|山《やま》の|魔神《まがみ》が|気《き》を|利《き》かし、お|前《まへ》を|片付《かたづ》けてやらうと|思《おも》つて、|出現《しゆつげん》したのかも|知《し》れないよ、アツハハハ、テモさても|暗《くら》いことだワイ。もし|汝《きさま》と|間違《まちが》へられて、|俺《おれ》が|頭《あたま》からガブリとやられちや|大変《たいへん》だから、オイ|浅《あさ》、|二三尺《にさんじやく》|間隔《かんかく》をおいて|喋《しやべ》らうだないか。これだけ|暗《くら》くては|化物《ばけもの》だつて、|目《め》が|見《み》えさうな|道理《だうり》がない。|声《こゑ》さへ|出《だ》しておればそれを|標的《めあて》にかぶるだらうから、フツフフフ』
『|親分《おやぶん》さま、あなたは|随分《ずゐぶん》|水臭《みづくさ》いことを|言《い》ひますね。|乾児《こぶん》の|難儀《なんぎ》を|助《たす》けて|下《くだ》さるのが|親分《おやぶん》ぢやございませぬか。|自分《じぶん》が|助《たす》かるために|乾児《こぶん》を|魔神《まがみ》に|喰《く》はさうとなさるのですか』
『|勿論《もちろん》だよ、お|前《まへ》は|俺《おれ》の|乾児《こぶん》になる|時《とき》、|何《なん》といつて|誓《ちか》つた……|親分《おやぶん》さまの|御身《おんみ》に|一大事《いちだいじ》があれば、|命《いのち》をすてて|尽《つく》します。|命《いのち》は|親分《おやぶん》に|捧《ささ》げました……といつて、|小指《こゆび》まで|切《き》つて|渡《わた》しただないか、|御苦労《ごくらう》だなア、ハツハハハ、|持《も》つべきものは|乾児《こぶん》なりけりだ。|若《も》しも|汝《きさま》がゐなかつたなれば、|身代《みがは》りがないため、|俺《おれ》が|喰《く》はれてしまふのだ。|浅公《あさこう》のお|蔭《かげ》で|俺《おれ》も|命《いのち》が|全《まつた》ふ|出来《でき》るワイ。|南無《なむ》|浅公大明神《あさこうだいみやうじん》、|殺《ころ》され|給《たま》へ、|喰《く》はれ|給《たま》へ、|叶《かな》はぬから|霊《たま》|幸《ち》はへませ、エツヘヘヘヘヘ』
『ソソそれは、チチチツと|違《ちが》ひませう。|親分《おやぶん》が|喧嘩《けんくわ》の|時《とき》とか、また|強《つよ》きを|挫《くじ》き|弱《よわ》きを|扶《たす》け|遊《あそ》ばす|時《とき》に、お|伴《とも》にいつて|命《いのち》をすてるのなら、|捨甲斐《すてがひ》もありますが、こんな|淋《さび》しい|山《やま》の|奥《おく》で、エタイの|分《わか》らぬ|化物《ばけもの》に|喰《く》ひ|殺《ころ》されちや|本当《ほんたう》に|犬死《いぬじ》にですからなア』
『そりや|汝《きさま》のいふ|通《とほ》り、|全《まつた》くの|犬死《いぬじ》にだ、|縁《えん》の|下《した》の|舞《ま》ひだ。|然《しか》しながらそれを|犠牲《ぎせい》といふのだ。|親分《おやぶん》がまさかの|時《とき》に|犠牲《ぎせい》にするため、|汝《きさま》を|乾児《こぶん》にしておいたのだ。|俺《おれ》だつて、たつた|一人《ひとり》の|乾児《こぶん》を|魔神《まがみ》に|喰《く》はしたくはないが、それでも|自分《じぶん》の|命《いのち》をすてるよりは|辛抱《しんばう》がしよいからのう、ホツホホホホ』
|最前《さいぜん》の|怪《あや》しい|口笛《くちぶえ》を|吹《ふ》くやうな|声《こゑ》は、|細《ほそ》い|帯《おび》のやうに|地上《ちじやう》|七八尺《しちはつしやく》の|上《うへ》の|方《はう》に|線《せん》を|劃《くわく》して|聞《き》こえてゐる。
『ヒユーヒユー、ヒーユー』
|実際《じつさい》は|梢《こずゑ》を|疾風《しつぷう》の|渡《わた》る|音《おと》であつた。されど|浅公《あさこう》の|身《み》には|妖怪《えうくわい》とより|聞《き》こえなかつた。|国照別《くにてるわけ》は|始《はじ》めから|風《かぜ》の|声《こゑ》だといふ|事《こと》は|承知《しようち》してゐたが、あまり|浅公《あさこう》が|驚《おどろ》くので、|面白半分《おもしろはんぶん》に|揶揄《からか》つてみたのである。|浅公《あさこう》は|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》して、
『|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|瑞《みづ》の|御霊大神《みたまのおほかみ》|様《さま》、|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|只今《ただいま》|現《あら》はれました|怪《あや》しき|神《かみ》を|追《お》ひのけて|下《くだ》さいませ。|親分《おやぶん》も|大切《たいせつ》なら、|私《わたし》の|体《からだ》も|大切《たいせつ》でございます。|親分《おやぶん》の|代《かは》りに|私《わたし》が|喰《く》はれますのは|少《すこ》しも|厭《いと》はぬことは……ございませぬが、|同《おな》じことなら、|親分《おやぶん》|乾児《こぶん》|共《とも》にお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|今《いま》|私《わたし》がここで|喰《く》はれましては、|親分《おやぶん》さまも|知《し》らぬ|他国《たこく》で|一人旅《ひとりたび》、|御苦労《ごくらう》|御艱難《ごかんなん》をなさるのがお|気《き》の|毒《どく》でございます。|私《わたし》だつてこんな|所《ところ》で|死《し》にたくはございませぬ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|祈《いの》つてゐる。|暗《やみ》はますます|深《ふか》くして、なまぬるい|風《かぜ》が|腰《こし》のあたりを|嘗《な》めて|通《とほ》る。
|国照《くにてる》『|人《ひと》の|命《いのち》を|取《と》り|食《くら》ふ  |曲津《まがつ》の|数多《あまた》アリナ|山《やま》
|暗《やみ》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれて  ここに|二人《ふたり》の|石枕《いしまくら》
|眠《ねむ》る|間《ま》もなく|人食《ひとく》ひの  |怪《あや》しき|神《かみ》が|現《あら》はれて
その|泣《な》く|声《こゑ》を|尋《たづ》ぬれば  |国照別《くにてるわけ》の|肉《にく》の|宮《みや》
|一目《ひとめ》|見《み》てさへうまさうだ  それに|従《したが》ふ|浅公《あさこう》の
|奴《やつこ》の|体《からだ》はどことなく  |味《あぢ》が|悪《わる》さうな|穢《きた》なさうな
こんなヤクザ|者《もの》|喰《く》たとこで  |腹《はら》の|力《ちから》になりもせぬ
|腹《はら》を|損《そん》じて|明日《あす》の|夜《よ》は  |七転八倒《しちてんはつたう》せにやならぬ
それゆゑ|浅公《あさこう》の|肉体《にくたい》を  |食《く》つてやるのは|止《や》めておかう
|本当《ほんたう》に|食《く》ひたい|食《く》ひたいと  |喉《のど》がなるのは|親分《おやぶん》の
|国照別《くにてるわけ》の|肉《にく》の|香《か》だ  さはさりながら|神徳《しんとく》が
|体《からだ》|一面《いちめん》|充《み》ち|満《み》ちて  |歯節《はぶし》の|立《た》たぬ|苦《くる》しさに
この|場《ば》を|見《み》すてて|帰《かへ》りゆく  これから|浅《あさ》の|乾児等《こぶんら》に
うまい|物《もの》をば|沢山《たくさん》に  |喰《く》はして|肉《にく》を|肥満《ひまん》させ
|脂《あぶら》の|乗《の》つたその|上《うへ》で  |改《あらた》めお|目《め》にかかるだらう
|国《くに》さま|浅《あさ》さま|左様《さやう》なら  これでおいとま|致《いた》します
……と|唄《うた》ひもつて|魔神《まがみ》の|奴《やつ》、|下駄《げた》を|預《あづ》けて|帰《かへ》りよつた。オイ|浅公《あさこう》、|確《しつか》りせぬと|助《たす》からぬぞよ』
|浅《あさ》『オオ|親分《おやぶん》、そんな|事《こと》を|魔神《まがみ》が|言《い》ひましたか、|嘘《うそ》でせう』
『お|前《まへ》の|耳《みみ》には|聞《き》こえなかつただらう、|俺《おれ》が|魔神《まがみ》の|言霊《ことたま》を|翻訳《ほんやく》すると、つまりアアなるのだ。|珍《うづ》の|国《くに》の|人間《にんげん》とテルの|国《くに》の|人間《にんげん》とは|日々《ひび》|使《つか》ふ|言葉《ことば》が|変《かは》つてるやうに、|人間《にんげん》と|魔神《まがみ》とはまた|言葉《ことば》が|違《ちが》ふのだ。|鳥《とり》でも|獣《けもの》でも|皆《みな》|言葉《ことば》があつて|互《たが》ひに|意思《いし》を|通《つう》じてゐるのだからなア』
『さうすると|親分《おやぶん》、あなたは|神《かみ》さまみたやうなお|方《かた》ですな。|結構《けつこう》な|城中《じやうちう》に|生《うま》れ、|珍《うづ》の|国《くに》の|国司《こくし》になる|身《み》を|持《も》ちながら、|物好《ものず》きにも|程《ほど》があると|思《おも》ひ|思《おも》ひ、|乾児《こぶん》に|使《つか》はれて|来《き》ましたが、|魔神《まがみ》の|言葉《ことば》が|分《わか》るとは、|本当《ほんたう》に|感心《かんしん》いたしました。|親分《おやぶん》|親分《おやぶん》といふのも|勿体《もつたい》なくなりましたよ』
『とも|角《かく》、お|前《まへ》の|体《からだ》は|穢《むさくる》しうて、|味《あぢ》が|悪《わる》くつて、|喰《く》へないと|言《い》つてたから、マア|安心《あんしん》せい。|険呑《けんのん》なのは|俺《おれ》だ。|俺《おれ》は|若《わか》い|時《とき》から|栄耀栄華《えいえうえいぐわ》に|育《そだ》てられ、|体《からだ》が|柔《やは》らかく|出来《でき》てるとみえ、|国《くに》の|体《からだ》が|喰《く》ひたいと|言《い》つたが、お|蔭《かげ》で|御神徳《ごしんとく》があるので、|屁古垂《へこた》れて|帰《かへ》りよつた。しかし|浅公《あさこう》は|甘《うま》い|物《もの》をくはせ|充分《じうぶん》|脂《あぶら》を|乗《の》せておいて|呉《く》れ、その|時《とき》にまた|現《あら》はれて、バリバリとやると|言《い》つてたよ。|随分《ずゐぶん》|用心《ようじん》せないと|可《い》けないよ。だから|甘《うま》い|物《もの》があつたら、|皆《みな》|俺《おれ》に|食《く》はせ、お|前《まへ》は|糟《かす》ばかり|喰《く》つてゐたら|脂《あぶら》ものらず、|魔神《まがみ》も|見《み》すててくれるのだ、イイか。|命《いのち》が|惜《を》しくなければ|精《せい》|出《だ》して|美食《びしよく》をするのだな、ハハハハ』
|浅公《あさこう》は|思《おも》ひの|外《ほか》の|正直者《しやうぢきもの》である。|国照別《くにてるわけ》の|言葉《ことば》を|一《いち》も|二《に》もなく|丸呑《まるのみ》にしてしまつた。
『|親分《おやぶん》さま、あなたは|神《かみ》さま|侠客《けふかく》だからメツタに|嘘《うそ》は|仰有《おつしや》る|気遣《きづか》ひはありますまい。さうすりや、わつちや、これから|一《ひと》つ|考《かんが》へねばなりますまい。うまい|物《もの》は|喰《く》はれませぬなア』
『さうだ、うまい|物《もの》は|皆《みな》|俺《おれ》に|食《く》はせと|言《い》つたよ』
『ヘーン、うまい|事《こと》をいひますね。|魔神《まがみ》の|奴《やつ》、なかなか|気《き》が|利《き》いてるワイ』
『|魔神《まがみ》も|退却《たいきやく》したなり、これから|一《ひと》つ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つて|暗《やみ》を|晴《は》らし、|東雲《しののめ》を|待《ま》つことにせうかい』
『|宜《よろ》しうございませう』
|国照別《くにてるわけ》『|故郷《ふるさと》の|空《そら》はるかに|出《い》で|行《ゆ》く|二人《ふたり》の|仁侠《にんけふ》
あはれ|今宵《こよひ》はアリナ|山《やま》の
|野宿《のじゆく》に|肝《きも》をひやす
|比較的《ひかくてき》|融通《ゆうづう》の|利《き》く|侠客《けふかく》の|睾丸《きんたま》
|人間《にんげん》の|想念界《さうねんかい》におけると|同様《どうやう》
|伸縮自在《しんしゆくじざい》なるもまた|可笑《をか》し
|仁侠《にんけふ》をもつて|誇《ほこ》る|浅公親分《あさこうおやぶん》の
|股間《こかん》の|珍器《ちんき》いま|何処《いづこ》にかある
|珍《うづ》の|荒野《あらの》に|彷徨《さまよ》ふか
ただしは|遠《とほ》く|海《うみ》を|渡《わた》つて
|竜宮《りうぐう》に|走《はし》るか|聞《き》かまほし |珍器《ちんき》の|所在《ありか》
|雨《あめ》はしげし |靄《もや》は|深《ふか》く|包《つつ》む
|魔神《まがみ》の|怪声《くわいせい》は|頻《しき》りに|至《いた》り
|寂寥《せきれう》の|空気《くうき》|刻々《こくこく》|身《み》に|迫《せま》る
アア|人間《にんげん》の|腋甲斐《ふがひ》なさ
|暗夜《あんや》に|会《あ》へば
|忽《たちま》ち|寂寥《せきれう》にをののく
いかにして|天地《てんち》の|奉仕者《ほうししや》
|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たるを|得《え》む
|故里《ふるさと》の|空《そら》|遠《とほ》く|回顧《くわいこ》すれば
|珍《うづ》の|都《みやこ》に|残《のこ》れる|相思《さうし》の|人《ひと》びと
|吾《わ》が|魂《たましひ》を|引《ひ》き|留《と》むるが|如《ごと》く|覚《おぼ》ゆ
|進《すす》まむとせば|小胆《せうたん》なる|浅公《あさこう》のあるあり
|退《しりぞ》かむとせば|故郷《こきやう》の|友人《いうじん》に|恥《は》づかし
アア|如何《いか》にせむ
アリナ|山《やま》の|夜露《よつゆ》の|宿《やど》
|星《ほし》もなく|月《つき》もなく
|八重雲《やへくも》のふさがる|下《した》に
|臆病武士《おくびやうぶし》と|相共《あひとも》に
ふるうて|一夜《いちや》を|送《おく》る|吾《われ》ぞ|果敢《はか》なき
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|浅公《あさこう》『アリナ|山《やま》|下《くだ》りてここに|来《き》てみれば
|暗《やみ》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれて
|行手《ゆくて》も|知《し》れぬ|苦《くる》しさよ
|魔神《まがみ》は|夜半《よは》に|現《あら》はれて
|親分《おやぶん》|乾児《こぶん》の|胸《むね》|冷《ひや》す
|健気《けなげ》にもわが|命《いのち》
|取《と》り|食《くら》はむといひし|魔神《まがみ》の|叫《たけ》び
|一寸《ちよつと》|味《あぢ》をやりよるワイ
さりながらこの|浅公《あさこう》は
|全身《ぜんしん》|骨《ほね》をもつて|固《かた》めたる
|歯節《はぶし》も|立《た》たぬ|剛力《がうりき》に
|呆《あき》れたのか|魔神《まがみ》の|群《むれ》
|豊《ゆた》かに|育《そだ》ちし|親分《おやぶん》の|君《きみ》
|肉《にく》|柔《やは》らかく|血《ち》の|香《か》|芳《かん》ばしく
わが|身《み》の|食料《しよくれう》には|最適当《さいてきたう》だと
|言葉《ことば》をのこして|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|魔神《まがみ》もなかなか|食《く》へぬ|奴《やつ》
|味《あぢ》な|事《こと》をいひよるワイ
|思《おも》へば|思《おも》へば
あぢ|気《き》なき|浮世《うきよ》だなア
|暗《やみ》はますます|深《ふか》くして|胸《むね》はますます|打《う》ちふるふ
|血管《けつくわん》の|血《ち》は|凍《こほ》り|肉《にく》は|引《ひ》きしまり
|髪《かみ》の|毛《け》は|立《た》つ
ああ|惟神《かむながら》|救《すく》はせ|給《たま》へ
わが|弱《よわ》き|魂《たま》を
ああ|惟神《かむながら》|開《ひら》かせ|給《たま》へ
わが|清《きよ》き|強《つよ》き|魂《たま》の|光《ひかり》を』
かく|二人《ふたり》はいろいろな|事《こと》を|口《くち》ずさみながら|一夜《いちや》をあかし、ホンノリと|足許《あしもと》の|見《み》ゆる|頃《ころ》、|又《また》もや|急坂《きふはん》を|下《くだ》り、アリナの|滝《たき》の|懸橋御殿《かけはしごてん》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一五章 |四天王《してんわう》〔一七六〇〕
|国州《くにしう》、|浅州《あさしう》の|両人《りやうにん》は|午前《ごぜん》の|十時頃《じふじごろ》|辛《から》うじて、|国玉依別命《くにたまよりわけのみこと》が|主管《しゆくわん》してゐるアリナの|滝《たき》の|懸橋御殿《かけはしごてん》の|大広前《おほひろまへ》に|辿《たど》りついた。|国玉依別《くにたまよりわけ》、|玉竜姫《たまたつひめ》|夫婦《ふうふ》は|祭服《さいふく》を|着《ちやく》し、|数多《あまた》の|信徒《しんと》と|共《とも》に|月例《つきなみ》の|祭典《さいてん》を|了《をは》り、|宣伝歌《せんでんか》を|奏上《そうじやう》してゐる。
|国玉《くにたま》『アリナの|滝《たき》の|水《みづ》|清《きよ》く  この|谷間《たにあひ》のいや|深《ふか》き
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|包《つつ》まれて  |懸橋御殿《かけはしごてん》に|朝夕《あさゆふ》に
|真心《まごころ》ささげ|仕《つか》へゆく  |吾《われ》は|国玉依別《くにたまよりわけ》の
|神《かみ》に|仕《つか》ふる|宣伝使《せんでんし》  |玉竜姫《たまたつひめ》と|諸共《もろとも》に
|皇大神《すめおほかみ》の|御教《みをしへ》を  アリナの|山《やま》の|空《そら》|高《たか》く
テルの|荒野《あらの》のいや|広《ひろ》く  |海《うみ》の|外《そと》まで|伝《つた》へゆく
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |世《よ》は|常暗《とこやみ》となりつれど
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より  |神《かみ》の|恵《めぐ》みは|変《かは》りなく
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|恵《めぐ》みまし  |世《よ》の|荒風《あらかぜ》も|醜雨《しこあめ》も
|凌《しの》ぎて|安《やす》く|世《よ》をわたる  テルの|国《くに》こそめでたけれ
|旭《あさひ》は|清《きよ》くテルの|国《くに》  |夕日《ゆふひ》も|清《きよ》くテルの|国《くに》
|月《つき》は|御空《みそら》に|鮮《あざや》かに  |天伝《あまつた》ひつつテルの|国《くに》
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|多《おほ》く  |御空《みそら》の|星《ほし》もテルの|国《くに》
|月照彦《つきてるひこ》の|皇神《すめかみ》の  |現《あら》はれ|玉《たま》ひし|鏡池《かがみいけ》
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》を|照《て》らしつつ  |稜威《みいづ》|輝《かがや》くテルの|国《くに》
|天照神《あまてるかみ》の|恵《めぐ》みにて  |野山《のやま》は|青《あを》く|水《みづ》|清《きよ》く
|大海原《おほうなばら》より|打《う》ちよする  |波《なみ》も|静《しづ》かに|漁《すなど》りの
わざも|豊《ゆた》かに|国原《くにはら》は  |稲《いね》|麦《むぎ》|豆《まめ》|粟《あは》よく|稔《みの》り
|地上《ちじやう》に|生《お》ふる|人草《ひとぐさ》は  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|嬉《うれ》しみて
|神《かみ》を|敬《うやま》はぬ|者《もの》ぞなし  げに|高砂《たかさご》の|名《な》に|負《お》へる
|底津岩根《そこついはね》のテルの|国《くに》  |領有《うしは》ぎたまふ|国魂《くにたま》の
|聖《きよ》き|御前《みまへ》に|鹿児自物《かごじもの》  |膝折《ひざを》りふせて|大稜威《おほみいづ》
|神嘉《かみほ》ぎ|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|身魂《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|謝《しや》し|奉《まつ》る  |一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》つ|六《む》つ
|七《なな》|八《や》|九《ここの》つ|十《とを》たらり  |百千万《ももちよろづ》の|国人《くにびと》が
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|大前《おほまへ》に  い|寄《よ》りつどひて|御恵《みめぐ》みの
|千重《ちへ》の|一重《ひとへ》に|酬《むく》いむと  |三五《さんご》の|月《つき》の|照《て》り|渡《わた》る
|今日《けふ》の|生日《いくひ》に|月例《つきなみ》の  |御祭《みまつり》|仕《つか》へ|奉《たてまつ》り
|海川山野《うみかはやまぬ》くさぐさの  うまし|物《もの》をば|横山《よこやま》の
いとさわさわに|置足《おきたら》ひ  |真心《まごころ》|捧《ささ》げ|仕《つか》へゆく
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|大西洋《たいせいやう》はあするとも  アリナの|山《やま》は|崩《くづ》るとも
|滝《たき》の|流《なが》れは|干《ひ》るとても  |千代《ちよ》に|尽《つ》きせぬ|神恩《みめぐみ》の
|露《つゆ》に|霑《うるほ》ふ|民草《たみぐさ》の  |心《こころ》の|色《いろ》ぞ|麗《うる》はしき
|心《こころ》の|花《はな》ぞ|麗《うるは》しき  |此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる
|無限絶対《むげんぜつたい》|無始無終《むしむしう》  |神徳《しんとく》|強《つよ》き|国《くに》の|祖《おや》
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |世人《よびと》を|洽《あまね》く|救《すく》ひます
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の  |貴《うづ》の|御前《みまへ》に|畏《かしこ》みて
|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》  たたへまつるぞ|嬉《うれ》しけれ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|謝《しや》しまつる』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|四拍手《しはくしゆ》して|神前《みまへ》を|退《しりぞ》き、|二柱《ふたはしら》は|数多《あまた》の|信徒《しんと》に|笑《ゑ》みをたたへて|目礼《もくれい》しながら、おのが|居間《ゐま》へと|進《すす》み|入《い》る。
|国《くに》、|浅《あさ》の|両人《りやうにん》は|信徒《しんと》の|中《なか》に|交《まじ》はりてこの|祭典《さいてん》に|列《れつ》してゐた。|浅州《あさしう》は|国照別《くにてるわけ》の|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ、
『|何《なん》と|荘厳《さうごん》な|宣伝歌《せんでんか》だありませぬか。そして|此処《ここ》の|神司《かむづかさ》はずゐぶん|老耄《おいぼれ》のやうだが、その|言霊《ことたま》は|十七八《じふしちはち》の|若者《わかもの》のやうな|涼《すず》しい|清《きよ》らかな|声《こゑ》を|出《だ》すだありませぬか。あの|声《こゑ》を|聞《き》くと|私《わたし》はふるひつくほど|好《す》きになりました』
|国《くに》『|心《こころ》さへ|清浄潔白《しやうじやうけつぱく》にあれば、|言霊《ことたま》も|濁《にご》らないから、アアいふ|美《うつく》しい|声《こゑ》が|出《で》るのだ。|俺《おれ》|達《たち》もこれからは|魂《みたま》を|清《きよ》めて|声《こゑ》の|年《とし》がよらないやうにしたいものだ。これは|昔《むかし》|俺《おれ》の|親爺《おやぢ》から|聞《き》いてゐるが、|親爺《おやぢ》の|友達《ともだち》の|竜国別《たつくにわけ》といふ|宣伝使《せんでんし》が、|自分《じぶん》の|母親《ははおや》や|弟子《でし》どもと|共《とも》に、|玉《たま》よせの|芝居《しばゐ》をやつた|所《ところ》ださうな。その|時《とき》に|竜国別母子《たつくにわけおやこ》がソツと|黄金《こがね》の|玉《たま》を|失敬《しつけい》して、アリナ|山《やま》をはるばる|越《こ》え|珍《うづ》の|野野《げんや》までいつたところ、|神様《かみさま》の|戒《いまし》めに|会《あ》うて|悔《く》い|改《あらた》め、その|次《つぎ》に|高姫《たかひめ》といふ|我《が》の|強《つよ》い|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》て、またその|玉《たま》のために|神様《かみさま》に|脂《あぶら》を|搾《しぼ》られ、|改心《かいしん》したといふ|歴史《れきし》の|残《のこ》つてゐるお|宮様《みやさま》だ。|竜国別《たつくにわけ》が|中途《ちうと》で|神様《かみさま》に|取上《とりあ》げられた|黄金《こがね》の|玉《たま》が|御神体《ごしんたい》となつて、このお|社《やしろ》に|祀《まつ》つてあるといふ|事《こと》だから、|俺《おれ》たちも|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》たる|以上《いじやう》は、まんざら|縁《えん》のない|者《もの》でもない。どうだ、|今晩《こんばん》|此処《ここ》でお|通夜《つうや》でもやつて|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》き、アリナの|滝《たき》で|身《み》をうたれ、それからボツボツ|目的地《もくてきち》へ|行《ゆ》かうぢやないか』
『それは|誠《まこと》に|至極結構《しごくけつこう》でせう。|何《なん》なら|親分《おやぶん》、ヒルの|国《くに》なんて、|山河《さんか》|数百里《すうひやくり》も|隔《へだ》てた|遠国《ゑんごく》へ|行《ゆ》くよりも、|山《やま》|一《ひと》つ|越《こ》ゆれば、|自分《じぶん》の|生《うま》れた|国《くに》だから、|一層《いつそ》の|事《こと》、ここで|暫《しばら》く|尻《しり》を|据《す》ゑたら|何《ど》うでせう。|別《べつ》にヒルの|国《くに》まで|行《ゆ》かなくても、|侠客《けふかく》にはなれますよ』
『|一旦《いつたん》|男子《だんし》が|思《おも》ひ|立《た》つた|事《こと》は|中途《ちうと》にやめるわけには|行《い》かない。|絶壁《ぜつぺき》|前《まへ》に|当《あた》るとも、|白刃《はくじん》|頭上《づじやう》に|閃《ひらめ》くとも、|一旦《いつたん》|言《こと》あげした|事《こと》は|実行《じつかう》せなくちや|男《をとこ》とはいはれない。まして|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》|一匹《いつぴき》と、|世間《せけん》に|持《も》てはやされ、|仁侠《にんけふ》をもつて|世《よ》を|救《すく》ふ|大望《たいまう》を|抱《いだ》いた|吾々《われわれ》、そんな|腰《こし》の|弱《よわ》い|事《こと》が|出来《でき》ようか。お|前《まへ》は|厭《いや》なら|厭《いや》で|可《よ》いから、ここに|何時《いつ》までも|固着《こちやく》してゐるが|良《よ》からう、|俺《おれ》は|一人《ひとり》でやつて|来《く》るからのう』
『どこまでもお|供《とも》いたします。しかし|三日《みつか》や|四日《よつか》はお|骨休《ほねやす》め、|足休《あしやす》めのため、ここでお|籠《こも》りしたら|何《ど》うでせうか』
『まづ|二三日《にさんにち》|滝《たき》に|打《う》たれて、|体《からだ》を|浄《きよ》め、|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|神様《かみさま》に|神勅《しんちよく》をうけ、そしてボツボツ|行《ゆ》く|事《こと》にせう』
『ヤ、それで|安心《あんしん》しました。そんなら|之《これ》からお|滝《たき》へ|参《まゐ》りませうか』
『ヨーシ、まづ|第一《だいいち》に|禊《みそぎ》をやつて|来《こ》う』
といひながら、|拍手再拝《はくしゆさいはい》し、|口《くち》の|奥《おく》で|天《あま》の|数歌《かずうた》を|称《とな》へてゐると、|信者《しんじや》の|風《ふう》をした|十四五人《じふしごにん》の|男《をとこ》、|前後左右《ぜんごさいう》よりバラバラと|取囲《とりかこ》み、|両人《りやうにん》の|首筋《くびすぢ》をグツと|握《にぎ》り、|剛力《がうりき》に|任《まか》して|押《おさ》へつけた。|浅公《あさこう》は|驚《おどろ》いて、
『アイタタタタ、ナナ|何《なに》をさらすのだ。コリヤお|前《まへ》|達《たち》ア、|神様《かみさま》を|信心《しんじん》してる|信者《しんじや》ぢやないか。|人《ひと》の|首筋《くびすぢ》を|押《おさ》へて|何《ど》うするつもりだ。イイ|痛《いた》いワイ、|何《なん》ぢやい。|人《ひと》の|手《て》を|後《うし》ろへ|廻《まは》しやがつて……|何《なに》|俺《おれ》が|悪《わる》い|事《こと》したか……モシ|親分《おやぶん》、タタ|助《たす》けて|下《くだ》さいな』
|国照別《くにてるわけ》は|剛力《がうりき》に|押《おさ》へられ、|俯向《うつむ》いたまま、|阿吽《あうん》の|息《いき》を|凝《こ》らし、|隙《すき》をねらつてゐた。|息《いき》の|調子《てうし》を|計《はか》つて、パツとはね|起《お》き、やにはに|大《だい》の|男《をとこ》|四五人《しごにん》を|取《と》つて|投《な》げた。|浅公《あさこう》を|押《おさ》へてゐた|大男《おほをとこ》も|吃驚《びつくり》して|手《て》を|放《はな》した。|浅公《あさこう》は|矢庭《やには》に|座敷《ざしき》の|真中《まんなか》につつ|立《た》ち|上《あが》り、|大手《おほて》をひろげ、|手《て》に|唾《つばき》しながら、
『サー|来《こ》い、|珍《うづ》の|都《みやこ》において|隠《かく》れなき|白浪男《しらなみをとこ》の|浅公《あさこう》さまとは、【こなはん】のことだ。いらざる【ちよつかい】を|出《だ》して|後悔《こうくわい》を|致《いた》すな。|乾児《こぶん》の|俺《おれ》でさへもこの|通《とほ》りだ、|俺《おれ》の|親分《おやぶん》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるか、|珍《うづ》の|一国《いつこく》の|国《くに》の|柱《はしら》の|国《くに》さまだぞ』
この|中《なか》の|最《もつと》も|大将《たいしやう》らしき|奴《やつ》、|行儀《ぎやうぎ》よく|畳《たたみ》の|上《うへ》にキチンと|坐《すわ》り|両手《りやうて》をついて、
『|誠《まこと》に|失礼《しつれい》をいたしました。|私《わたし》は|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》の|部下《ぶか》に|仕《つか》ふる、はした|役人《やくにん》|共《ども》でございまするが、|国照別《くにてるわけ》の|世子様《せいしさま》が、|珍《うづ》の|都《みやこ》に|身《み》をおとして、お|忍《しの》びになつたといふ|事《こと》が|城下《じやうか》|一般《いつぱん》にひろがり、それから|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|手配《てくば》りを|致《いた》しましたが、どうしてもお|行方《ゆくへ》が|知《し》れぬので、ヒヨツとしたら|他国《たこく》へ|逐電《ちくでん》されるかも|知《し》れないと、|十数人《じふすうにん》の|手下《てした》を|引《ひ》きつれ、|一方口《いつばうぐち》のこの|館《やかた》に|信者《しんじや》と|化込《ばけこ》み、|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐたところ、|今日《けふ》|計《はか》らずも、|世子様《せいしさま》のお|出《い》で、|誠《まこと》に|恐《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》でございますが、|吾々《われわれ》がお|供《とも》を|致《いた》しますから、どうぞ|国《くに》へお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
|国《くに》『お|前《まへ》|達《たち》は|誠《まこと》に|御苦労《ごくらう》な|役《やく》だ。|願《ねが》ひによつて|帰《かへ》つてやるのは|易《やす》い|事《こと》だが、|俺《おれ》も|最早《もはや》|決心《けつしん》した|以上《いじやう》は、|一歩《いつぽ》も|後《あと》へ|返《かへ》す|事《こと》は|出来《でき》ない、|諦《あきら》めて|帰《かへ》つてくれ。いづれ|永遠《えいゑん》に|珍《うづ》の|国《くに》を|見《み》すてるのではない。|俺《おれ》には|俺《おれ》の|考《かんが》へがあつての|事《こと》だから、|素直《すなほ》に|帰《かへ》つたが|可《よ》からう』
|男《をとこ》『|私《わたくし》は|深溝役所《ふかみぞやくしよ》の|目付《めつけ》でございまして、|駒治《こまはる》といふ|者《もの》でございます。|左様《さやう》な|事《こと》を|仰《おほ》せられずに、|一《ひと》まづお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|珍《うづ》の|城下《じやうか》は|大変《たいへん》な|騒《さわ》ぎでございますから、|一度《いちど》|帰《かへ》つて|頂《いただ》かねば、|衆生《しゆじやう》が|塗炭《とたん》の|苦《くる》しみに|陥《おちい》ります。|衆生《しゆじやう》を|愛《あい》し|下《くだ》さる|真心《まごころ》があるなら、どうぞ|私《わたくし》がお|供《とも》をいたしますから、この|場《ば》よりお|帰《かへ》りを|願《ねが》ひます。あなたがお|帰《かへ》り|下《くだ》さらねば、|吾々《われわれ》は|再《ふたた》び|都《みやこ》へ|帰《かへ》るわけには|参《まゐ》りませぬ』
『|別《べつ》に|都《みやこ》へ|帰《かへ》る|必要《ひつえう》はないぢやないか。|生活《せいくわつ》の|保証《ほしよう》は|俺《おれ》がしてやるから、どうだ。|俺《おれ》は|国州《くにしう》といふ|侠客《けふかく》と|還俗《げんぞく》したのだから、|汝等《きさまら》も|俺《おれ》の|乾児《こぶん》となり、|天下《てんか》の|男伊達《をとこだて》と|名《な》を|売《う》つたらどうだ。そして|腕《うで》を|研《みが》いた|上《うへ》、|俺《おれ》は|故国《ここく》へ|帰《かへ》り|国《くに》の|真柱《まはしら》となるつもりだ。その|時《とき》はお|前《まへ》も|抜擢《ばつてき》して、|大取締《おほとりしまり》ぐらゐに|使《つか》つてやるが、ここは|一《ひと》つ|思案《しあん》の|仕所《しどころ》だ、どうだ、|俺《おれ》のいふ|事《こと》が|合点《がてん》がいたら、|否応《いやおう》なしにすぐに|其《そ》の|十手《じつて》をこの|谷川《たにがは》へ|捨《す》ててしまへ』
|駒治《こまはる》は|心《こころ》の|中《なか》にて……|一層《いつそ》の|事《こと》、|侠客《けふかく》にならうかなア、|何《なん》といつても、|珍《うづ》|一国《いつこく》の|御世子《ごせいし》だ。その|方《かた》が|斯《か》うして|身《み》をおとし、|白浪男《しらなみをとこ》になつて|世《よ》の|中《なか》を|救《すく》はうとなさるのだから、|何時《いつ》までも|役人《やくにん》の|端《はし》に|加《くは》はつてをつても、|先《さき》が|見《み》えてゐる。|一層《いつそ》|潔《いさぎ》よく|降参《かうさん》せうかな……と|早《はや》くも|決心《けつしん》してしまつた。しかしながら|大勢《おほぜい》の|部下《ぶか》に|対《たい》し、|直《ただ》ちに|服従《ふくじう》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|部下《ぶか》の|顔色《かほいろ》をソツと|窺《うかが》つてゐる。
|国《くに》『オイ|一同《いちどう》の|者《もの》ども、|今日《けふ》から|俺《おれ》の|乾児《こぶん》だ。|侠客《けふかく》でなくつても、|高砂城《たかさごじやう》の|未来《みらい》の|国司《こくし》だ。さうすりやお|前《まへ》たちは|皆《みな》|俺《おれ》の|乾児《こぶん》だ。どうだ|否応《いやおう》あるまい。そのペラペラした|十手《じつて》をねぢ|折《を》つて|谷川《たにがは》へ|放《ほ》る|気《き》はないか』
|駒治《こまはる》『|何《なに》とぞ|私《わたくし》を|貴方《あなた》の|直参《ぢきさん》の|乾児《こぶん》にして|下《くだ》さいませ。|如何《いか》なる|事《こと》でも|御命令《ごめいれい》に|服従《ふくじう》いたします。|証拠《しようこ》はこの|通《とほ》りでございます』
と|十手《じつて》を、|眼下《がんか》の|谷底《たにぞこ》へ|投《な》げこんでしまつた。|他《た》の|捕手《とりて》|連中《れんちう》は|去就《きよしう》に|迷《まよ》ひ、|目《め》を|白黒《しろくろ》させて|駒治《こまはる》の|顔《かほ》を|見《み》つめてゐたが、|市公《いちこう》、|馬公《うまこう》の|両人《りやうにん》を|除《のぞ》く|外《ほか》、|十手《じつて》をかけたまま、|列《れつ》をつくり、|駈足《かけあし》の|姿勢《しせい》で、|怖《こは》さうに|館《やかた》を|逃《に》げ|出《だ》しアリナ|山《やま》を|指《さ》して|逃《に》げ|帰《かへ》りゆく。|後《あと》|見送《みおく》つて|国照別《くにてるわけ》は、
『ハハハハハ|駒治《こまはる》、|市《いち》に|馬《うま》、|誠《まこと》の|者《もの》は|三人《さんにん》になるかも|知《し》れぬぞよ……とはよく|言《い》つた|事《こと》だ、|三人《さんにん》|世《よ》の|元《もと》|結構々々《けつこうけつこう》だ。お|前《まへ》たち|新帰順《しんきじゆん》|新侠客《しんけふかく》が|三人《さんにん》、|俺《おれ》たち|二人《ふたり》を|合《あは》すれば|五人《ごにん》となる、|厳《いづ》の|御霊《みたま》だ。|三五《さんご》の|明月《めいげつ》だ。ヤ、|目出《めで》たい|目出《めで》たい、サアこれから|神様《かみさま》にお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げやう』
|駒治《こまはる》『|御世子様《ごせいしさま》、そんなら|今日《けふ》から、|誠《まこと》にすみませぬが、あなたを|親分《おやぶん》と|申《まを》しても|宜《よろ》しうございますか』
|国《くに》『きまつた|事《こと》だ、|親分《おやぶん》|国州《くにしう》さまと|言《い》つてくれ。|市《いち》も|馬《うま》もその|通《とほ》りだぞ。|窮屈《きうくつ》な|取締《とりしまり》をやめて|脛《すね》|一本《いつぽん》、|沼矛《ぬぼこ》|一本《いつぽん》の|男《をとこ》|一匹《いつぴき》になるのは|男子《だんし》の|本懐《ほんくわい》だ。|汝《きさま》もこれで|救《すく》はれたのだ。ヤツパリ|霊《みたま》がいいとみえて、|俺《おれ》の|心《こころ》が|分《わか》つたと|見《み》えるワイ、アツハハハハハ』
|駒治《こまはる》『エー、|親分《おやぶん》に|申《まを》し|上《あ》げますが、|早《はや》く|此《こ》の|場《ば》を|立去《たちさ》らないと、|今《いま》|帰《かへ》つた|十三人《じふさんにん》の|奴《やつ》、|都《みやこ》へ|帰《かへ》り、|伊佐彦老中《いさひこらうぢう》へ|報告《はうこく》するに|間違《まちが》ひありませぬ。さうすりや|捕手《とりて》がやつて|来《く》る、|険呑《けんのん》ですから、|何《なん》とか|身隠《みかく》しをせななりますまい』
『ナアニ、|心配《しんぱい》するな、この|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|下《くだ》りして、それから|広《ひろ》い|野《の》を|渡《わた》り、|都《みやこ》へ|帰《かへ》るにも|五日《いつか》や|六日《むゆか》はかかる。それからやつて|来《き》たところで、また|五日《いつか》や|六日《むゆか》は|時日《じじつ》が|要《い》る。マアここ|十日《とをか》ぐらゐは|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。ゆつくり|禊《みそぎ》でもして|神勅《しんちよく》を|受《う》け、それから|自分《じぶん》の|方針《はうしん》を|徹底的《てつていてき》にきめるのだ。そんな|事《こと》に|齷齪《あくせく》して|頭《あたま》を|痛《いた》めてゐるやうな|事《こと》では、|到底《たうてい》|侠客《けふかく》にはなれないぞ。ヤ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|俺《おれ》も|〆《しめ》て|乾児《こぶん》が|四人《よにん》|出来《でき》たか、|四天王《してんわう》の|勇士《ゆうし》、しつかり|頼《たの》むよ』
|浅《あさ》『モシモシ|親分《おやぶん》さま、|四人《よにん》の|中《なか》で|順序《じゆんじよ》を|立《た》てておかねばなりませぬが、|誰《たれ》がこの|中《なか》では|一番《いちばん》|兄貴《あにき》になるのですか、キツと|私《わたし》でせうね』
|国《くに》『|時間《じかん》においてはお|前《まへ》が|兄貴《あにき》だ。|併《しか》しながら|胆力《たんりよく》と|腕力《わんりよく》においては|怪《あや》しいものだなア。|何《なに》はともあれ、お|滝《たき》へ|禊《みそぎ》に|行《ゆ》く|事《こと》にしやう、|一《いち》|二《に》|三《さん》|四《し》』
と|言《い》ひながら|懸橋御殿《かけはしごてん》を|後《あと》に、|水音《みなおと》|轟々《ぐわうぐわう》として|響《ひび》きわたる|瀑布《ばくふ》の|傍《かたはら》に|一行《いつかう》|五人《ごにん》|辿《たど》りついた。|無心《むしん》の|滝水《たきみづ》は|何《なに》を|語《かた》るか。|囂々鼕々《がうがうたうとう》として|地《ち》をゆるがせ、|無数《むすう》の|飛沫《ひまつ》には|日光《につくわう》が|映《えい》じて、えも|言《い》はれぬ|宝玉《ほうぎよく》の|雨《あめ》を|降《ふ》らしてゐる。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一六章 |波動《はどう》〔一七六一〕
|国照別《くにてるわけ》|一行《いつかう》は|四辺《あたり》の|果実《このみ》をむしりながら、|飢《う》ゑを|凌《しの》ぎ|三日三夜《みつかみよさ》の|禊《みそぎ》を|修《しう》し、|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|由緒《ゆゐしよ》|深《ふか》き|霊場《れいぢやう》に|参拝《さんぱい》し|声《こゑ》も|涼《すず》しく|宣伝歌《せんでんか》を|奏上《そうじやう》した。
|国照《くにてる》『アさ|日《ひ》は|清《きよ》く|明《あき》らけく  イてり|通《とほ》らすテルの|国《くに》
ウき|世《よ》の|悩《なや》みを|他所《よそ》にして  エらまれ|切《き》つた|身魂等《みたまら》が
オさまりゐます|懸橋御殿《かけはしごてん》  カみも|平《たひ》らに|安《やす》らかに
キこしめすらむ|真心《まごころ》の  クに|照別《てるわけ》の|御願《おんねが》ひ
ケしきいやしき|曲道《まがみち》を  コん|本的《ぽんてき》に|改良《かいりやう》し
サかえ|尽《つ》きせぬ|珍《うづ》の|国《くに》  シきます|国魂大御神《くにたまおほみかみ》
スずしき|聖《きよ》き|太祝詞《ふとのりと》  セかいの|為《ため》に|宣《の》り|上《あ》げて
ソぐりし|身魂《みたま》を|救《すく》ひ|上《あ》げ  タすけて|生《い》かす|高砂《たかさご》の
チとせ|栄《さか》ゆる|松《まつ》の|教《のり》  ツきは|御空《みそら》を|隈《くま》もなく
テらして|暗《やみ》を|晴《は》らしつつ  トこ|世《よ》の|国《くに》まで|救《すく》ひ|行《ゆ》く
ナみに|漂《ただよ》ふ|高砂《たかさご》の  ニしと|東《ひがし》の|珍《うづ》の|国《くに》
ヌしとなるべき|吾《わ》が|魂《たま》も  ネそこの|国《くに》の|悩《なや》みをば
ノぞかぬうちは|是非《ぜひ》もなし  ハやく|身魂《みたま》をあらためて
ヒろく|尊《たふと》き|御恵《みめぐ》みの  フゆを|世界《せかい》に|現《あら》はして
ヘい|和《わ》に|民《たみ》を|治《をさ》め|行《ゆ》く  ホまれも|高《たか》き|珍《うづ》の|国《くに》
マこと|一《ひと》つの|三五《あななひ》の  ミちの|光《ひかり》に|陰《かげ》もなし
ムかしの|神代《かみよ》に|立替《たてか》へて  メぐみ|洽《あまね》き|草《くさ》の|露《つゆ》
モもの|神人《しんじん》|勇《いさ》み|立《た》ち  ヤすく|楽《たの》しく|何時《いつ》までも
イのち|栄《さか》えて|国《くに》のため  ユう|冥界《めいかい》を|救《すく》うため
エい|遠無窮《ゑんむきう》の|生命《せいめい》を  ヨさし|玉《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
ワが|言霊《ことたま》の|大前《おほまへ》に  ヰてり|通《とほ》らい|奉《まつ》りなば
ウき|世《よ》の|雲《くも》をかきわけて  ヱがほに|充《み》てる|神《かみ》の|顔《かほ》
ヲがませ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |国照別《くにてるわけ》が|善悪《よしあし》の
|世《よ》のさまうつす|鏡池《かがみいけ》  |玉《たま》の|宮居《みやゐ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り、|拍手《はくしゆ》し、|傍《かたはら》の|巌《いはほ》に|腰《こし》を|打《う》ちかけ、|昔《むかし》の|歴史話《れきしばなし》に|移《うつ》りける。
|国《くに》『オイ、|乾児《こぶん》ども、この|鏡《かがみ》の|池《いけ》は|一名《いちめい》|言霊《ことたま》の|池《いけ》といつて|高砂洲《たかさごじま》|第一《だいいち》の|神秘的《しんぴてき》な|霊場《れいぢやう》だ。|真心《まごころ》を|以《もつ》てこちらから|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》すれば、キツと|神様《かみさま》が|言霊《ことたま》をもつて|答《こた》へて|下《くだ》さるさうだが、どうだ|一《ひと》つ|滝《たき》で|身《み》を|浄《きよ》めて|来《き》たのを|幸《さいは》ひ、|神様《かみさま》に|伺《うかが》つて|見《み》やうかい』
|浅《あさ》『いかにもソラ|面白《おもしろ》うございませう。ここで|乾児《こぶん》の|順序《じゆんじよ》を|神様《かみさま》に|聞《き》いて|定《きめ》さしてもらひませう。それが|公平《こうへい》で|互《たが》ひに|怨恨《うらみ》が|残《のこ》らいで|宜《よろ》しいからなア』
『それも|結構《けつこう》だ。そんなら|浅公《あさこう》、お|前《まへ》から|一《ひと》つ|神様《かみさま》に|願《ねが》つて|見《み》よ』
『ハイ、|承知《しようち》しました』
と|言《い》ひながら|拍手再拝《はくしゆさいはい》し、
|浅公《あさこう》『|惟神《かむながら》|昔《むかし》の|神《かみ》の|坐《ま》しまさば
|示《しめ》させ|給《たま》へ|吾《わ》が|願言《ねぎごと》を
|言霊《ことたま》の|池《いけ》と|名《な》に|負《お》ふ|斎場《ゆには》なれば
|答《こた》へ|給《たま》はむ|吾《わ》が|言《こと》の|葉《は》に』
|忽《たちま》ち|鏡《かがみ》の|池《いけ》はブクブクブクと|異様《いやう》な|泡《あわ》を|吹《ふ》き|出《だ》したりけるに、|国照別《くにてるわけ》|外《ほか》|一同《いちどう》は|早速《さつそく》の|感応《かんのう》に|襟《えり》を|正《ただ》し、|片唾《かたづ》を|呑《の》んで|畏《かしこ》まつてゐる。|浅公《あさこう》も|小気味《こぎみ》が|悪《わる》くなつたが、|後《あと》へ|退《ひ》くわけにも|行《い》かず、|額《ひたひ》から|冷汗《ひやあせ》を|流《なが》しながら、
『アア|有難《ありがた》や|辱《かたじけ》なや、|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|生神様《いきがみさま》、|侠客《けふかく》の|浅公《あさこう》が|朝間《あさま》も|早《はや》うから、|阿呆《あはう》が|足《た》らいで、あられもない|事《こと》をお|願《ねが》ひ|申《まを》しますが、どうぞ、あら|立《だ》てずに、あらましで|宜《よろ》しいから、|御神徳《ごしんとく》をあらはして|下《くだ》さいませ』
|鏡《かがみ》の|池《いけ》から、
『アツハハハハ、|浅公《あさこう》の|浅知恵《あさぢゑ》の|阿呆《あはう》|奴《め》、|開《あ》いた|口《くち》が|塞《ふさ》がらぬワイ』
|浅《あさ》『イイイいけ|好《す》かない、イイイの|一番《いちばん》から|人《ひと》を|罵倒《ばたう》する|神《かみ》が|何処《どこ》にありますか、ウウウうるさいと|思《おも》はずに、どうぞ|真面目《まじめ》に|私《わたし》の|願《ねが》ひを|聞《き》いて|下《くだ》さい、|国《くに》さまの|乾児《こぶん》の|中《なか》において|誰《たれ》が|上《うへ》になるか|下《した》になるかと|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かしてもらへばそれで|良《い》いのです』
|池《いけ》の|中《なか》から、
『エエエえらい|奴《やつ》が、|上《うへ》になるのだ、オオオ|劣《おと》つた|奴《やつ》が|下《した》になるのだ。そんな|事《こと》をカカカ|神《かみ》に|聞《き》かずとも、キキキ|気《き》がつきさうなものぢやないか。ククク|国照別《くにてるわけ》の|国公《くにこう》の|乾児《こぶん》になつた|以上《いじやう》は、|汝《きさま》も|侠客《けふかく》だ。|一《ひと》つケケケ|喧嘩《けんくわ》でもして|力比《ちからくら》べを|致《いた》し、コココこつかれた|奴《やつ》が|乾児《こぶん》になるのだ。サササ|騒《さわ》ぐには|及《およ》ばぬ、|今《いま》の|世《よ》は|言論《げんろん》よりも|実力《じつりよく》だ。シシシ|主義《しゆぎ》も|糸瓜《へちま》もあつたものぢやないぞ。ススス|速《すみや》かに|実行《じつかう》する|奴《やつ》が|数多《あまた》の|人気《にんき》を、セセセ|制《せい》するのだ。|今《いま》に|珍《うづ》の|国《くに》にはソソソ|騒動《さうだう》が|起《おこ》るから、タタタたがひに|霊《たま》を|練《ね》つて、|生死《せいし》のチチチ|巷《ちまた》にかけまはり、|体《からだ》も|魂《たましひ》も|人《ひと》に|秀《すぐ》れて、ツツツ|強《つよ》くなつておかねば、テテテ|天下《てんか》は|取《と》れぬぞよ。トトト|遠《とほ》い|国《くに》へ|駈落《かけお》ちいたし、ナナナ|何《なに》かの|事《こと》を|研究《けんきう》し、|天晴《あつぱ》れ|立派《りつぱ》な|男伊達《をとこだて》となつて、|故郷《ふるさと》へ、ニニニ|錦《にしき》を|飾《かざ》り、|親《おや》に|反《そむ》いて|国許《くにもと》を、ヌヌヌぬけて|出《で》た|贖《あがな》ひを|致《いた》し、ネネネ|根《ね》の|国《くに》|底《そこ》の|国《くに》の|国民《こくみん》の|苦《く》を|救《すく》ひ、ノノノ|長閑《のどか》な、|神代《かみよ》に|立直《たてなほ》さねばならぬぞよ。ハハハ|早《はや》く|霊《たま》を|研《みが》き、ヒヒヒ|一人《ひとり》でも|霊《たま》の|研《みが》けた|者《もの》を|集《あつ》め、|勢力《せいりよく》をフフフふやして、ヘヘヘ|平和《へいわ》と|人道《じんだう》のために|社会《しやくわい》に|貢献《こうけん》する、ホホホ|方策《はうさく》を|定《さだ》めたが|良《よ》からう。マママ|誠《まこと》|一《ひと》つが|世《よ》の|宝《たから》だ。ミミミ|身《み》を|粉《こな》にいたし、ムムム|昔《むかし》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し、メメメ|名利《めいり》に|耽《ふけ》らず、モモモ|諸々《もろもろ》の|慾《よく》に|離《はな》れ、ヤヤヤ|大和魂《やまとだましひ》を|研《みが》き|上《あ》げ、イイイ|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|教《をしへ》に|従《したが》うて、ユユユ|勇敢《ゆうかん》に|大胆《だいたん》に、エエエ|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく、ヨヨヨヨウ|言《い》はぬワ、|世《よ》のために|活動《くわつどう》するのだぞ。ラララ|乱世《らんせい》の|今日《こんにち》、リリリ|倫常《りんじやう》は|地《ち》に|落《お》ち、ルルル|累卵《るゐらん》の|危《あや》ふき|各階級《かくかいきふ》の|状態《じやうたい》、レレレ|連年《れんねん》の|不景気《ふけいき》に|人心《じんしん》は|悪化《あくくわ》し、ロロロ|老骨《らうこつ》は|上《かみ》に|立《た》つて|国政《こくせい》を|料理《れうり》し、もはや|珍《うづ》の|国《くに》の|人心《じんしん》は|収拾《しうしふ》すべからざるに|立至《たちいた》つてゐる。ワワワ|吾《わ》が|身《み》の|出世《しゆつせ》ばかり|考《かんが》へて|他人《ひと》の|事《こと》は、ヰヰヰ|指《ゐび》|一本《いつぽん》そへてやらむといふ|悪党《あくたう》な|世《よ》の|中《なか》だ。ウウウ|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》は、|何時《なんどき》|変《かは》るか|知《し》れないぞ。ヱヱヱ|遠国《ゑんごく》へ|行《い》つて、|魂《みたま》を|研《みが》き、|天晴《あつぱ》れ、ヲヲヲ|男《をとこ》となつて、ここ|三年《さんねん》の|内《うち》には|帰《かへ》つて|来《こ》よ。|浅公《あさこう》ばかりでない、|親分《おやぶん》の|国州《くにしう》、その|他《ほか》|一同《いちどう》の|者《もの》に|気《き》をつけておく。さうして|駒治《こまはる》は|国州《くにしう》の|一《いち》の|乾児《こぶん》と|神《かみ》が|定《さだ》めるぞよ、ブルブルブルブル ウーツ』
と|唸《うな》つたきり、|後《あと》はコトツとも|言葉《ことば》はなくなつてしまつた。
|駒治《こまはる》『|鏡《かがみ》の|池《いけ》の|神様《かみさま》、どうも|有難《ありがた》うござります。|貴神《あなた》の|仰有《おつしや》ることは|良《よ》く|合《あ》ひました。|私《わたし》の|思《おも》ふ|通《とほ》り|言《い》つて|下《くだ》さいました。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|浅《あさ》『オイ|駒州《こましう》、この|神《かみ》はチツと|審神《さには》の|必要《ひつえう》があるぞ。おほかた|汝《きさま》の|副守《ふくしゆ》か|何《なに》かが|飛出《とびだ》しやがつて、あんなこと|吐《ほざ》いたのだらう。エー、ケツタクソの|悪《わる》い、|誰《たれ》が|何《なん》といつても|俺《おれ》が|一《いち》の|枝《えだ》だからのう』
|駒治《こまはる》『|一《いち》の|枝《えだ》だから|駄目《だめ》だといふのだよ。|松《まつ》の|木《き》でも|見《み》よ、|一《いち》の|枝《えだ》が|枯《か》れて|二《に》の|枝《えだ》、|二《に》の|枝《えだ》が|枯《か》れて|三《さん》の|枝《えだ》が|出来《でき》、|後《あと》から|後《あと》から|立派《りつぱ》な|枝《えだ》がより|以上《いじやう》|大《おほ》きく|出《で》るぢやないか。マアともかく|神様《かみさま》のおつしやる|通《とほ》りに|任《まか》しておくのだなア』
|国《くに》『ハハハハまづ|此処《ここ》で、それほど|神様《かみさま》の|神勅《しんちよく》を|疑《うたが》ふのなら、|力比《ちからくら》べをやつて|見《み》よ。|喧嘩《けんくわ》さすと|互《たが》ひに|疵《きず》がついて|可《い》かぬから、|神様《かみさま》の|前《まへ》で|角力《すまう》でもとつて、|勝《か》つ|奴《やつ》を|一《いち》の|乾児《こぶん》にすることにしやう。|浅公《あさこう》、お|前《まへ》も|得心《とくしん》だらうなア。お|前《まへ》も|先夜《せんや》の|事《こと》を|思《おも》へば|余《あま》り|威張《ゐば》れぬぢやないか』
ここに|二人《ふたり》は|一番《いちばん》|勝負《しようぶ》の|角力《すまう》を|取《と》り、いよいよ|駒治《こまはる》が|国州《くにしう》の|一《いち》の|枝《えだ》と|定《さだ》まり、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|山《やま》を|降《くだ》り|蛸取村《たことりむら》の|海岸《かいがん》に|出《で》た。
|国照別《くにてるわけ》|一行《いつかう》は|蛸取村《たことりむら》の|海岸《かいがん》に|息《いき》を|休《やす》めながら|渺茫《べうばう》たる|海原《うなばら》の|景色《けしき》を|眺《なが》め、|愉快《ゆくわい》げに|歌《うた》つてゐる。
|国州《くにしう》『|雲《くも》か|山《やま》かはた|波《なみ》か  |渺茫千里《べうばうせんり》の|塩《しほ》の|波《なみ》
|浅《あさ》ましき|人間《にんげん》の|眼《め》をもつて  |大西《たいせい》の|洋《うみ》に|臨《のぞ》む
|十里《じふり》|二十里《にじふり》|三十里《さんじふり》  わづかに|視線《しせん》は|働《はたら》けども
いかにせむ|海《うみ》の|彼方《あなた》に  |漂《ただよ》へる|国《くに》の|姿《すがた》の
|目《め》に|入《い》らぬ|悲《かな》しさ  |行交《ゆきか》ふ|白帆《しらほ》は
|花弁《はなびら》のごとく  |波《なみ》のまにまに
|清《きよ》く|輝《かがや》く  |吾《われ》は|今《いま》
|磯辺《いそべ》に|立《た》ちて  |広大無辺《くわうだいむへん》の
|天地《てんち》に|跼蹐《きよくせき》し  |人間《にんげん》の|身《み》の
いと|腋甲斐《ふがひ》なきを  |深《ふか》く|深《ふか》く|歎《なげ》く
アア|吾《われ》|今《いま》  |住《す》みなれし|故国《ここく》を|捨《す》てて
|始《はじ》めてこの|広《ひろ》き|海洋《かいやう》の|波《なみ》に|接《せつ》す  |珍《うづ》の|国《くに》は|広《ひろ》しといへど
この|海原《うなばら》に|及《およ》ばむや  |大空《おほぞら》の|雲《くも》と
|海原《うなばら》の|波《なみ》と  |相接《あひせつ》する|所《ところ》
|定《さだ》めて|麗《うるは》しき|宝国《はうこく》あらむ  アア|思《おも》へば|思《おも》へば
|微弱《びじやく》なる|人間《にんげん》の|身《み》よ  いとも|雄大《ゆうだい》なる
|天地《てんち》の|現象《げんしやう》  |宇宙《うちう》の|摂理《せつり》
|今更《いまさら》ながら  |吾《わ》が|胸《むね》は|轟《とどろ》き|始《はじ》めぬ
|吾《わ》が|志《こころざ》すヒルの|都《みやこ》は  |果《はた》して|何処《いづこ》ぞ
かの|遠《とほ》き|紅《くれなゐ》の|雲《くも》の  |真下《ました》ならむか
はた|又《また》それよりもズツと|秀《すぐ》れて  |遠《とほ》き|遠《とほ》き|低《ひく》き|雲《くも》の
|真下《ました》に|在《あ》るか  |思《おも》へば
わが|前途《ぜんと》は  |極《きは》めて|遼遠《れうゑん》なり
|四人《よにん》の|供人《ともびと》を|引《ひ》きつれて  |際限《さいげん》もなき
|原野《げんや》を|行《ゆ》く  |吾《わ》が|心《こころ》の|波《なみ》の|高《たか》さよ
|否《いな》|胸《むね》の|騒《さわ》ぎよ  |沈静《ちんせい》せしめ|給《たま》へ
|天地《てんち》の|司宰《しさい》とあれまする  |国治立大神《くにはるたちのおほかみ》
|荒金《あらがね》の|地《つち》を|領有《うしは》ぎ|給《たま》ふ  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》よ
|帆《ほ》は|白《しろ》し|波《なみ》は|高《たか》し  |空《そら》は|広《ひろ》く|雲《くも》は|低《ひく》し
|吾等《われら》|五人《ごにん》の|前途《ぜんと》を|守《まも》らせ|給《たま》へ』
と|詠《えい》じ|終《をは》り、|国照別《くにてるわけ》は|先頭《せんとう》に|立《た》ちて、|伝来《でんらい》の|古《ふる》き|宣伝歌《せんでんか》を|高唱《かうしやう》しながら、テル|国《くに》|街道《かいだう》を|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第四篇 |新政復興《しんせいふくこう》
第一七章 |琴玉《ことたま》〔一七六二〕
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|蔭《かげ》もなき、|名《な》さへ|目出《めで》たきヒルの|国《くに》の|高倉山《たかくらやま》の|本城《ほんじやう》は、|堅磐常磐《かきはときは》に|都《みやこ》の|中央《ちうあう》の|下津岩根《したついはね》に|厳然《げんぜん》と|立《た》ち|並《なら》び、|三五《あななひ》の|貴《うづ》の|教《をしへ》と|共《とも》に|国家《こくか》はますます|隆昌《りうしやう》に|赴《おもむ》き、|日暮河《ひぐらしがは》の|清流《せいりう》は|清《きよ》く|都《みやこ》の|中心《ちうしん》を|流《なが》れて、|交通《かうつう》|運輸《うんゆ》の|便宜《べんぎ》よく、げに|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》と|称《たた》へらるるに|至《いた》つた。
|楓別命《かへでわけのみこと》、|清子姫《きよこひめ》の|二人《ふたり》の|間《あひだ》に|国愛別《くにちかわけ》、|清香姫《きよかひめ》の|一男一女《いちなんいちぢよ》があつた。|祖先《そせん》の|清彦《きよひこ》が|日出神《ひのでのかみ》の|神徳《しんとく》を|受《う》けて、ここにインカ|国《こく》(|日《ひ》の|神《かみ》の|子孫《しそん》の|意《い》)なるものを|樹《た》て、|衆生《しゆじやう》|崇敬《すうけい》の|的《まと》となつてゐた。|衆生《しゆじやう》は|楓別命《かえでわけのみこと》を|国司《こくし》と|仰《あふ》ぎ、|大師《だいし》と|崇《あが》め、|親《おや》と|親《した》しみ、|上下一致《しやうかいつち》あまり|煩《わづら》はしき|法規《はふき》もなく、|極《きは》めて|平穏《へいおん》|無事《ぶじ》に|栄《さか》えてゐた。しかるに|常世国《とこよのくに》より|交通機関《かうつうきくわん》の|発達《はつたつ》につれて、|種々《しゆじゆ》の|悪思想《あくしさう》|往来《わうらい》し、|比類《ひるゐ》なき|天国《てんごく》の|瑞祥《ずゐしやう》を|現《あら》はしたるこの|神国《しんこく》も、|今《いま》はやうやく|人心《じんしん》|動揺《どうえう》し、|個人主義《こじんしゆぎ》の|教《をしへ》|発達《はつたつ》して、|遊惰《いうだ》の|者《もの》|多《おほ》く|現《あら》はれ、|不良老年《ふりやうらうねん》、|不良中年《ふりやうちうねん》|少年《せうねん》は|上下《しやうか》に|充《み》ち、|義《ぎ》を|忘《わす》れ|利《り》に|走《はし》り、あたかも|常世《とこよ》の|国《くに》の|状態《じやうたい》となり、|国司《こくし》を|軽《かる》んじ、|役人《やくにん》を|卑《いや》しめ、|民心《みんしん》|悪化《あくくわ》して|不安《ふあん》の|空気《くうき》は|国内《こくない》にみちて|来《き》た。|楓別命《かへでわけのみこと》、|清子姫《きよこひめ》は|朝夕《てうせき》|神《かみ》に|祈《いの》り、|国家《こくか》の|隆昌《りうしやう》と|衆生《しゆじやう》の|安寧《あんねい》を|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|国魂《くにたま》の|宮《みや》に|祈願《きぐわん》しつつあつた。|何時《いつ》の|間《ま》にやら|世子《せいし》たるべき|国愛別命《くにちかわけのみこと》は|姿《すがた》を|隠《かく》し、|行方不明《ゆくへふめい》となつてしまつた。|楓別夫婦《かへでわけふうふ》を|始《はじ》め、|秋山別《あきやまわけ》、モリスの|両老《りやうらう》は|額《ひたひ》に|青筋《あをすぢ》をたて、|部下《ぶか》の|役人《やくにん》を|督《とく》して|国内《こくない》|隈《くま》なく|捜索《そうさく》すれども、|何《なん》の|手掛《てがか》りもなかつた。|茲《ここ》においてか|止《や》むを|得《え》ず、|大会議《だいくわいぎ》を|開《ひら》いた|結果《けつくわ》、|妹《いもうと》の|清香姫《きよかひめ》をしてヒルの|国《くに》の|世子《せいし》とする|事《こと》となつた。
|清香姫《きよかひめ》も|兄《あに》の|命《みこと》と|同様《どうやう》、|時勢《じせい》の|日《ひ》に|日《ひ》にブル|階級《かいきふ》に|非《ひ》なるを|知《し》り、|如何《いか》にもして|吾《わ》が|国家《こくか》を|救《すく》はむと|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》きつつあつた。されども|昔気質《むかしかたぎ》の|両親《りやうしん》を|始《はじ》め、|時勢《じせい》に|眼《まなこ》|暗《くら》き|老臣等《らうしんら》は|一々《いちいち》|清香姫《きよかひめ》の|意見《いけん》に|反対《はんたい》し、いつも|用《もち》ひられなかつた。|清香姫《きよかひめ》は|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|思《おも》ひ|泛《う》かべて|夜《よ》もロクに|眼《ねむ》られず、|神明《しんめい》に|祈《いの》つて、|国家《こくか》に|蟠《わだか》まる|妖雲《えううん》を|一掃《いつさう》し、|新《あたら》しき|天地《てんち》を|開《ひら》かむと、それのみに|心《こころ》を|砕《くだ》いて、|身《み》は|日《ひ》に|夜《よ》に|痩《や》せ|衰《おとろ》ふるばかりであつた。
モリス、|秋山別《あきやまわけ》の|老臣《らうしん》は|城内《じやうない》の|評議所《ひやうぎしよ》に|首《くび》を|鳩《あつ》めて、|心配気《しんぱいげ》に|何事《なにごと》か|囁《ささや》き|合《あ》つてゐる。
|秋山《あきやま》『モリス|殿《どの》、このごろの|如《ごと》き|姫様《ひめさま》の|御様子《ごやうす》、|御身《おんみ》は|何《ど》う|思《おも》はるるかな』
モリス『|左様《さやう》でござる、|察《さつ》するところ、|気《き》の|病《やまひ》ではあるまいかとお|案《あん》じ|申《まを》してゐるのだ。|貴殿《きでん》のお|考《かんが》へもヤハリ|気病《きやまひ》と|思《おも》はれるだらうな』
『いーかにも、|左様《さやう》でござらう。|今《いま》から|思《おも》ひ|出《い》だせば、|拙者《せつしや》も|貴殿《きでん》も、|紅井姫《くれなゐひめ》|様《さま》、エリナ|様《さま》について|恋《こひ》におち、|終《つひ》にはシーズン|河《がは》の|難《なん》に|遭《あ》つたといふ|歴史《れきし》もござれば、まして|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》、|恋病《こひやまひ》を|患《わづら》ひ|給《たま》ふは|当然《たうぜん》でござらう。|一時《いちじ》も|早《はや》く|適当《てきたう》な|御養子《ごやうし》を|迎《むか》へて|姫様《ひめさま》の|御心《みこころ》を|慰《なぐさ》めねばならうまい。いつも|姫様《ひめさま》が、|吾々《われわれ》に|対《たい》し、|気《き》の|利《き》かぬ|爺《ぢい》だ、|気《き》の|利《き》かぬ|爺《ぢい》だと|仰有《おつしや》るが、|今《いま》|考《かんが》へてみれば、|早《はや》く|妾《わらは》に|夫《をつと》を|有《も》たせ、|気《き》の|利《き》かぬ|奴《やつ》だ……との|謎《なぞ》であつたかも|知《し》れぬ、|恋《こひ》に|苦労《くらう》した|吾々《われわれ》に|似《に》ず|実《じつ》に|迂闊《うくわつ》な|事《こと》でござつたワイ』
と|両人《りやうにん》は|一《いち》も|二《に》もなく、そんな|妙《めう》なところへ|気《き》を|廻《まは》してしまつたのである。
|秋山《あきやま》『それにしても、|適当《てきたう》な|御養子《ごやうし》を|選《えら》まねばなるまいが、|露骨《ろこつ》に|姫様《ひめさま》へ|伺《うかがつ》てみたら|何《ど》うだらうかな』
モ『マサカ、あなたの|夫《をつと》は|誰《たれ》に|致《いた》しませうか……などと、あまり|失礼《しつれい》で、いふわけにもゆかず、|困《こま》つたぢやないか』
『しかし、|候補者《こうほしや》を|二三人《にさんにん》|物色《ぶつしよく》して、|写真《しやしん》でも|撮《と》り、|姫様《ひめさま》の|居間《ゐま》にソツと|散《ち》らしておき、|姫様《ひめさま》がお|気《き》に|召《め》したら、ソツと|机《つくゑ》の|引出《ひきだし》へ|収《をさ》めておかれるだらうし、|気《き》のくはぬ|写真《しやしん》は、あの|御気象《ごきしやう》だから、きつと|引裂《ひきさ》くか|墨《すみ》をぬらつしやるに|違《ちが》ひない。そして|姫様《ひめさま》の|心《こころ》を|瀬踏《せぶ》みした|上《うへ》、|遠廻《とほまは》しにかけて|探《さぐ》つてみやうでないか、これが|老臣《らうしん》たる|者《もの》の|肝腎要《かんじんかなめ》の|御用《ごよう》だらうと|思《おも》ふ』
『なるほど、それでは|拙者《せつしや》が、|部下《ぶか》の|相当《さうたう》な|家庭《かてい》に|育《そだ》つた|清家連《せいかれん》の|伜《せがれ》の|写真《しやしん》を|集《あつ》めることに|致《いた》さう。てもさても|善《い》い|所《ところ》へ|気《き》がついたものだ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|勇《いさ》み|立《た》ち、|両老《りやうらう》は|日《ひ》もやうやく|下《さが》つたので|吾《わ》が|家《や》へ|帰《かへ》りゆく。
|話《はなし》|替《かは》つて|清香姫《きよかひめ》は|城内《じやうない》の|庭園《ていゑん》を|侍女《じぢよ》と|共《とも》に|逍遥《せうえう》しながら、ダリヤの|花《はな》を|二《ふた》つ|三《み》つちぎつて|手《て》に|持《も》ちながら、|吾《わ》が|居間《ゐま》へと|帰《かへ》つて|来《き》た。|見《み》れば|机《つくゑ》の|上《うへ》に、なまめかしいハイカラ|男《をとこ》の|写真《しやしん》が|四五枚《しごまい》ズラリと|並《なら》んでゐる。|清香姫《きよかひめ》は|一目《ひとめ》|見《み》るより|侍女《じぢよ》を|遠《とほ》ざけ、|襖《ふすま》を|密閉《みつぺい》してよくよく|見《み》れば、|頑迷固陋派《ぐわんめいころうは》の|清家《せいか》の|伜《せがれ》の|小照《せうせう》であつた。|清香姫《きよかひめ》は|一々《いちいち》その|写真《しやしん》を|点検《てんけん》し、|写真《しやしん》の|上《うへ》から|墨《すみ》|黒々《くろぐろ》と|一首《いつしゆ》の|歌《うた》を|書添《かきそ》へておいた。
『この|姿《すがた》|見《み》れば|見《み》るほど|厭《いや》らしき
|根底《ねそこ》の|国《くに》の|亡者《まうじや》なるらむ』
また|一枚《いちまい》の|写真《しやしん》に、
『さいこ|槌《づち》|目鼻《めはな》をつけたやうな|面《つら》
|今《いま》|打《う》ちたたき|破《やぶ》り|捨《す》てたし』
また|一枚《いちまい》の|写真《しやしん》に|向《む》かひ、
『|折角《せつかく》の|男《を》の|子《こ》の|姿《すがた》に|生《うま》れ|来《き》て
|女《をんな》に|似《に》たるあさましさかな』
また|一《ひと》つの|写真《しやしん》に、
『どれ|見《み》ても|誠《まこと》の|魂《たま》は|一《ひと》つだに
なしと|思《おも》へば|悲《かな》しくなりぬ』
|最後《さいご》の|写真《しやしん》に、
『チトばかり|男《をとこ》らしくは|思《おも》へども
わが|背《せ》の|君《きみ》となる|魂《たま》でなし』
と|楽書《らくがき》をして|状袋《じやうぶくろ》に|入《い》れ、「|秋山別《あきやまわけ》、モリス|両老殿《りやうらうどの》」と|表面《へうめん》に|記《しる》し、|手《て》を|拍《う》つて|侍女《じぢよ》を|招《よ》んだ。|侍女《じぢよ》の|春子《はるこ》は|襖《ふすま》を|静《しづ》かに|押《お》し|開《あ》け、
『|姫様《ひめさま》、お|招《まね》きになりましたのは|何《なに》か|御用《ごよう》でござりますか』
|清香《きよか》『|春《はる》、お|前《まへ》|御苦労《ごくらう》だが、これを|持《も》つて|秋山別《あきやまわけ》、モリスの|所《ところ》へ|届《とど》けて|下《くだ》さい。そして|返事《へんじ》を|聞《き》くに|及《およ》ばないから、|渡《わた》してさへおけばトツとと|帰《かへ》つて|来《く》るのだよ』
|春子《はるこ》は「ハイ、|畏《かしこ》まりました」と|足早《あしばや》に|立《た》つて|出《い》でてゆく。|後《あと》に|清香姫《きよかひめ》は|一間《ひとま》を|密閉《みつぺい》し、|二絃琴《にげんきん》を|取出《とりだ》して|心《こころ》|静《しづ》かに|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》つてゐる。
『|妾《わらは》は|夜《よる》なきヒルの|国《くに》  |高倉城《たかくらじやう》の|国司《こくし》の|娘《むすめ》
|清香《きよか》の|姫《ひめ》と|生《うま》れ|来《き》て  |兄《あに》の|命《みこと》ともろともに
|月《つき》よ|花《はな》よと|育《はぐ》くまれ  |何《なん》の|不自由《ふじゆう》も|夏《なつ》の|宵《よひ》
|涼《すず》しき|浴衣《ゆかた》を|身《み》にまとひ  |時雨《しぐれ》の|川《かは》に|船遊《ふなあそ》び
|何《なに》|不自由《ふじゆう》なき|上流《じやうりう》の  |社会《しやくわい》に|育《そだ》ちし|身《み》の|因果《いんぐわ》
|世《よ》の|有様《ありさま》も|明《あき》らかに  |悟《さと》り|能《あた》はぬ|目無鳥《めなしどり》
ヒルの|御国《みくに》も|末《すゑ》つひに  |夜《よる》の|暗路《やみぢ》とならむかと
|思《おも》へば|悲《かな》し|足乳根《たらちね》の  |父《ちち》の|行末《ゆくすゑ》|母《はは》の|身《み》の|上《うへ》
|救《すく》はむために|兄妹《おとどい》は  たがひに|心《こころ》を|照《て》らし|合《あ》ひ
|世《よ》の|潮流《てうりう》に|従《したが》ひて  |危《あや》ふき|国家《こくか》を|救《すく》ふべく
|神《かみ》に|祈《いの》りて|待《ま》つ|内《うち》に  |嬉《うれ》しや|時《とき》の|廻《めぐ》り|来《き》て
|兄《あに》に|命《みこと》は|逸早《いちはや》く  これの|館《やかた》を|脱《ぬ》け|給《たま》ひ
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|霜《しも》をふみ  つぶさに|世情《せじやう》を|甞《な》め|給《たま》ふ
|吾《われ》は|孱弱《かよわ》き|女子《をみなご》の  |兄《あに》に|代《かは》りてただ|一人《ひとり》
この|神国《かみくに》を|守《まも》らむと  |心《こころ》を|千々《ちぢ》に|砕《くだ》けども
|昔心《むかしごころ》の|取《と》れやらぬ  |父《ちち》と|母《はは》との|心意気《こころいき》
|秋山別《あきやまわけ》の|老臣《らうしん》や  |頑迷固陋《ぐわんめいころう》のモリス|等《ら》が
|清家《せいか》とかいふ|無機物《むきぶつ》を  |此上《こよ》なき|物《もの》と|珍重《ちんちよう》し
|国《くに》の|政治《せいぢ》は|日《ひ》に|月《つき》に  |日向《ひなた》に|氷《こほり》と|衰《おとろ》へて
|神《かみ》の|依《よ》さしのヒルの|国《くに》  |埋《うづ》もりゆくこそ|悲《かな》しけれ
また|何者《なにもの》の|悪戯《あくぎ》にや  |吾《わ》が|心根《こころね》も|白雲《しらくも》の
|霊《みたま》も|暗《くら》き|仇男《あだをとこ》  |怪《け》しき|姿《すがた》を|写《うつ》し|出《だ》し
わが|文机《ふづくゑ》に|並《なら》べおく  |醜《しこ》の|企《たく》みの|恐《おそ》ろしさ
|察《さつ》するところ|秋山別《あきやまわけ》や  モリスの|企《たく》みし|業《わざ》ならめ
かくなる|上《うへ》は|片時《かたとき》も  これの|館《やかた》に|住《す》むを|得《え》じ
また|誘惑《いうわく》の|魔神《まがみ》の|手《て》に  |捉《とら》へられては|一大事《いちだいじ》
|兄《あに》と|誓《ちか》ひし|神業《かむわざ》は  いつの|世《よ》にかは|成《な》りとげむ
|今宵《こよひ》の|暗《やみ》を|幸《さいは》ひに  |用意《ようい》|万端《ばんたん》ととのへて
|侍女《じぢよ》をもつれず|只《ただ》|一女《ひとり》  |進《すす》み|行《ゆ》かなむ|珍《うづ》の|国《くに》
|山《やま》は|嶮《けは》しく|川《かは》|深《ふか》く  |嵐《あらし》は|強《つよ》く|雨《あめ》しげく
|魔神《まがみ》の|輩《やから》|多《おほ》くとも  この|世《よ》を|思《おも》ふ|真心《まごころ》を
|我《わ》が|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》は  |必《かなら》ず|愛《め》でさせ|給《たま》ひつつ
|吾《わ》が|兄妹《おとどい》の|望《のぞ》みをば  |必《かなら》ず|立《た》てさせ|給《たま》ふべし
|今宵《こよひ》を|限《かぎ》りにこの|館《やかた》  |出《い》でゆく|吾《わ》が|身《み》の|果敢《はか》なさよ
アア|足乳根《たらちね》の|父上《ちちうへ》よ  |母上《ははうへ》|御無事《ごぶじ》にましまして
|吾《わ》が|兄妹《おとどい》が|神業《しんげふ》の  |完成《くわんせい》するのを|待《ま》たせませ
|吾《わ》がゆく|後《あと》は|嘸《さぞ》やさぞ  |頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|老臣《らうしん》が
|狼狽《うろた》へ|騒《さわ》ぐ|事《こと》だらう  その|有様《ありさま》が|目《ま》のあたり
|目《め》にちらついて|憐《あは》れさも  |一入《ひとしほ》|深《ふか》き|秋《あき》の|空《そら》
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》に|包《つつ》まれし  |悲《かな》しき|思《おも》ひの|浮《うか》ぶかな
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして
|清香《きよか》の|姫《ひめ》が|宣《の》り|言《ごと》を  いと|平《たひ》らけく|安《やす》らけく
|遂《と》げさせ|給《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |動《うご》かざらましヒルの|国《くに》
|地《つち》|揺《ゆ》り|山《やま》|裂《さ》け|河《かは》|溢《あふ》れ  |海嘯《つなみ》は|高《たか》く|襲《おそ》ふとも
|下《した》つ|岩根《いはね》に|永久《とことは》に  |築《きづ》き|上《あ》げたるこの|城《しろ》は
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|砕《くだ》けまじ  アアさりながらさりながら
この|衆生《しゆじやう》をば|如何《いか》にせむ  |思想《しさう》の|洪水《こうずゐ》|氾濫《はんらん》し
|日暮河《ひぐらしがは》の|堤防《ていばう》は  |将《まさ》に|崩壊《ほうくわい》せむとする
この|惨状《さんじやう》を|見《み》ながらも  なほ|泰然《たいぜん》と|控《ひか》へゐる
|老臣《らうしん》たちの|愚《おろ》かさよ  |妾《わらは》|兄妹《おとどい》|無《な》かりせば
ヒルの|都《みやこ》も|衆生《しゆじやう》も  |忽《たちま》ち|修羅《しゆら》と|畜生《ちくしやう》の
|地獄《ぢごく》の|淵《ふち》に|陥《おちい》らむ  |守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》かけ|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|歌《うた》つてゐる。そこへ|襖《ふすま》の|外《そと》から|秋山別《あきやまわけ》、モリスの|両人《りやうにん》|一度《いちど》に「|姫様《ひめさま》|姫様《ひめさま》」と|呼《よ》ばはつた。|姫《ひめ》はあわてて|琴《こと》の|手《て》をやめ、そ|知《し》らぬ|顔《かほ》にて、
『その|声《こゑ》は|秋山別《あきやまわけ》、モリス|殿《どの》ではないか、|何用《なによう》か|知《し》らないが、|襖《ふすま》を|開《あ》けてお|這入《はい》りなさい』
|両人《りやうにん》は|姫《ひめ》の|言葉《ことば》に|渡《わた》りに|舟《ふね》と|打《う》ち|喜《よろこ》び、もみ|手《て》しながら、|襖《ふすま》をあけて|入《い》り|来《き》たり、|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》しながら、|何事《なにごと》か|言《い》ひ|出《だ》さむとしてモヂモヂしてゐる。
|清香《きよか》『|最前《さいぜん》、|春子《はるこ》に|持《も》たしてやつた|品物《しなもの》は、お|前《まへ》、|受取《うけと》つて|呉《く》れただらうな』
|秋山《あきやま》『ハイ、たしかに|拝見《はいけん》いたしました。それについて|姫様《ひめさま》にお|伺《うかが》ひ|致《いた》したいのでございますが、あの|五枚《ごまい》の|写真《しやしん》はヒルの|国《くに》においては、|地位《ちゐ》といひ|門閥《もんばつ》といひ、|学問《がくもん》といひ|器量《きりやう》といひ、|最《もつと》も|選抜《せんばつ》された、ヒルの|国《くに》の|五人男《ごにんをとこ》といはれてゐる|賢明《けんめい》な|名《な》を|取《と》つた|名物男《めいぶつをとこ》でござります。|姫様《ひめさま》も|良《い》い|年頃《としごろ》、あまり|露骨《ろこつ》に|申《まを》し|上《あ》げるも|如何《いかが》と|存《ぞん》じ、モリスと|相談《さうだん》の|上《うへ》ソツと|写真《しやしん》を|集《あつ》めて|御意《ぎよい》を|伺《うかが》つた|次第《しだい》でございます。しかるに|姫様《ひめさま》は|無造作《むざうさ》に、|写真《しやしん》の|表《おもて》に|墨《すみ》くろぐろと|歌《うた》をお|書《か》きになりましたが、|一向《いつかう》その|意《い》を|得《え》ませぬので、どうぞ|御心《みこころ》の|在《あ》る|所《ところ》を|忌憚《きたん》なく|仰《おほ》せ|聞《き》け|下《くだ》さらば、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|如何《いか》やうとも|取計《とりはか》らふでござりませう』
|清香姫《きよかひめ》は、|何《なん》といつても|今晩《こんばん》は|都合《つがふ》よくこの|場《ば》を|逃《に》げ|出《だ》さねばならぬのだから、あまり|怒《おこ》らして|警戒《けいかい》を|厳《げん》にさせては|却《かへ》つて|不利益《ふりえき》と|早《はや》くも|合点《がてん》し、ワザと|空呆《そらとぼ》けて、
『ホツホホホホ、|恥《は》づかしいワ、どうかゆつくり|考《かんが》へさして|頂戴《ちやうだい》、ねえ』
|秋山《あきやま》『お|考《かんが》へなさるも|結構《けつこう》でございませうが、|一時《いつとき》も|早《はや》く|結婚問題《けつこんもんだい》をきめなくては、|吾々《われわれ》|老臣《らうしん》の|役《やく》が|済《す》みませぬ。|私《わたくし》が|裏《うら》に|一号《いちがう》|二号《にがう》と|番号《ばんがう》をつけておきましたから、|姫様《ひめさま》のお|口《くち》から、|一寸《ちよつと》|何号《なんがう》だといふ|事《こと》をおつしやつて|下《くだ》さいませぬか』
|清香《きよか》『さうだなア、|一号《いちがう》でもよし、|二号《にがう》でもよし、|三号《さんがう》でも|四号《しがう》でも|五号《ごがう》でもよしだ、どうでもよしだ、ホホホホホ』
モ『モシ|姫様《ひめさま》、そんなアヤフヤの|御返辞《ごへんじ》をされちや|困《こま》るぢやありませぬか。|何号《なんがう》なら|何号《なんがう》とハツキリ|言《い》つて|下《くだ》さいませ』
『ホホホ、|一生《いつしやう》(|升《しよう》)の|事《こと》を|定《き》めるのに、|五号《ごがう》(|合《がふ》)では|足《た》らぬぢやないか、モウ|五合《ごがふ》ばかり|集《あつ》めて|来《き》て|下《くだ》さい、そしたら|返辞《へんじ》をするからねえ』
『|姫様《ひめさま》、これでまだ|足《た》らないと|仰有《おつしや》るのですか、これはモウ|第一流《だいいちりう》ですよ。|後《あと》はモウ|第二流《だいにりう》になりますから、とてもお|気《き》に|入《い》りませぬワ』
と、まるで|小間物屋《こまものや》が|店出《みせだ》しをしてるやうな|事《こと》を|言《い》つてゐる。
|清香《きよか》『とも|角《かく》、|今日《けふ》はあまり|咄嗟《とつさ》の|事《こと》で|決《き》まらないから、|明日中《あすぢう》に、これといふのをきめて|御返事《ごへんじ》をする。|両人《りやうにん》とも、お|父《とう》さまお|母《かあ》さまの|手前《てまへ》、|宜《よろ》しく|頼《たの》んだぞや』
|秋山別《あきやまわけ》、モリスの|両人《りやうにん》は、ヤレ|嬉《うれ》しや、これで|一安心《ひとあんしん》と|笑顔《ゑがほ》をつくり|追従《つゐしよう》タラタラ|機嫌《きげん》を|取《と》りながら、|頭《あたま》を|二《ふた》つ|三《み》つ|掻《か》いて、
|両人《りやうにん》『|姫様《ひめさま》、|左様《さやう》ならば、|一時《いつとき》も|早《はや》く|御返事《ごへんじ》をお|待《ま》ち|申《まを》し|上《あ》げます』
と|言葉《ことば》を|残《のこ》してスタスタと|此《この》|場《ば》を|去《さ》つてしまつた。|清香姫《きよかひめ》はニタリと|笑《わら》ひ、またもや|琴《こと》を|取《と》りよせて|思《おも》ひのたけを|歌《うた》ひ|始《はじ》めけり。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一八章 |老狽《らうばい》〔一七六三〕
|清香姫《きよかひめ》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|神代《かみよ》の|昔《むかし》|天教《てんけう》の  |山《やま》より|天降《あも》り|給《たま》ひたる
|日出神《ひのでのかみ》の|神柱《かむばしら》  |吾《わ》が|祖先《おやがみ》を|導《みちび》きて
この|世《よ》を|清《きよ》むる|三五《あななひ》の  |教《をしへ》を|開《ひら》かせ|給《たま》ひしゆ
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》は|四方《よも》の|国《くに》  |島《しま》の|崎々《さきざき》|磯《いそ》の|隈々《くまぐま》
|落《お》ちなく|漏《も》れなく|拡《ひろ》ごりて  |天《あめ》の|下《した》には|曲《まが》もなく
|青人草《あをひとぐさ》は|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|中《うち》より|睦《むつ》び|合《あ》ひ
さながら|天津御国《あまつみくに》の|天国《てんごく》の  |姿《すがた》|映《うつ》せしヒルの|国《くに》
インカの|裔《すゑ》と|崇《あが》められ  |親《おや》と|親《おや》とは|底津根《そこつね》の
|堅磐常磐《かきはときは》の|岩《いは》の|上《へ》に  |珍《うづ》の|宮居《みやゐ》を|築《きづ》きつつ
|珍《うづ》の|柱《はしら》のいや|太《ふと》く  |立栄《たちさか》えたる|神柱《かむばしら》
|諸人《もろびと》|仰《あふ》がぬ|者《もの》もなし  |近《ちか》き|御代《みよ》より|常世国《とこよくに》
|邪《よこさ》の|教《をしへ》|蔓《はびこ》りて  |天《あめ》を|曇《くも》らせ|地《つち》|汚《けが》し
|青山《あをやま》をば|枯山《からやま》となし  |世人《よびと》の|心《こころ》|荒《すさ》び|果《は》て
|昔《むかし》のままの|神国《かみくに》は  |今《いま》や|魔国《まぐに》とならむとす
|深夜《しんや》|枕《まくら》を|擡《もた》げつつ  |世《よ》の|行先《ゆくさき》を|窺《うかが》へば
ヒルの|都《みやこ》に|醜鬼《しこおに》の  |棲家《すみか》ありとふ|神《かみ》の|宣《のり》
|八岐大蛇《やまたをろち》も|狼《おほかみ》も  |虎《とら》|獅子《しし》|熊《くま》の|猛獣《まうじう》も
|爪《つめ》を|隠《かく》して|待《ま》ちゐると  |御神《みかみ》の|御告《みつ》げ|聞《き》くにつけ
|胸《むね》は|痛《いた》みぬ|心《こころ》さやぎぬ  アア|妾《わらは》は|如何《いか》にして
|国司《こくし》の|御子《みこ》と|生《うま》れしぞ  |鄙《ひな》に|育《そだ》ちし|身《み》にしあれば
|斯《か》かる|悩《なや》みもあらまじものを  |清家《せいか》とふ|忌《い》まはしき|空衣《からごろも》に|包《つつ》まれて
|身動《みうご》きならぬ|苦《くる》しさよ  |愍《あは》れみ|給《たま》へ|天地《あめつち》の|神《かみ》
|兄《あに》に|誓《ちか》ひし|言《こと》の|葉《は》を  |守《まも》りて|出《い》づるヒルの|城《しろ》
|夜《よる》にまぎれて|山路《やまみち》を  |伝《つた》ひ|伝《つた》ひて|進《すす》み|行《ゆ》く
|道《みち》の|行手《ゆくて》の|隈《くま》も|無《な》く  |安《やす》く|守《まも》らせ|給《たま》へかし
|高倉山《たかくらやま》のこの|城《しろ》を  |守《まも》らせ|給《たま》ふ|氏《うぢ》の|神《かみ》
ヒルの|御国《みくに》を|永久《とこしへ》に  |領有《うしは》ぎ|給《たま》ふ|国魂《くにたま》の|神《かみ》の
|大御前《おほみまへ》に|八雲《やくも》の|小琴《をごと》を|弾《だん》じつつ  |心《こころ》すがすがすが|掻《が》きの
|糸《いと》は|二筋《ふたすぢ》|真心《まごころ》は  ただ|一筋《ひとすぢ》に|祈《いの》るなり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし』
かく|歌《うた》つてゐる|折《を》りしも、|烏羽玉《うばたま》の|夜《よ》は|襲《おそ》うて|来《き》た。|清香姫《きよかひめ》は|密《ひそ》かに|身《み》の|廻《まは》りの|準備《こしらへ》などして|子《ね》の|刻《こく》の|至《いた》るを|待《ま》つた。
|城内《じやうない》の|灯《あかり》も|消《き》えて|四辺《あたり》は|閑寂《かんじやく》の|気《き》|漂《ただよ》ひ、ただ|天井《てんじやう》に|鼠《ねずみ》の|走《はし》る|音《おと》がシトシトシトと|幽《かす》かに|聞《き》こゆるのみであつた。|時分《じぶん》はよしと、|清香姫《きよかひめ》は|私《ひそ》かに|吾《わ》が|居間《ゐま》を|忍《しの》び|出《い》でむとするところへ、|侍女《じぢよ》の|春子姫《はるこひめ》は|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ|来《き》たり、
『|姫様《ひめさま》、|未《ま》だお|寝《やす》みぢやございませぬか』
この|声《こゑ》に|清香姫《きよかひめ》はハツと|驚《おどろ》きながら、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して、
『あ、そなたは|春子姫《はるこひめ》か、お|前《まへ》まだ|寝《やす》めないの』
『ハイ、|何《なん》だか、|今晩《こんばん》に|限《かぎ》つて|目《め》がさえざえと|致《いた》しまして、|姫様《ひめさま》のお|身《み》の|上《うへ》|気《き》にかかり、|何《なん》だか|寝《ね》られないのでござりますよ』
『お|前《まへ》も|寝《ね》られないかね、|妾《わらは》も|何《なん》だかチツとも|寝《やす》めないワ』
『|姫様《ひめさま》、|歌《うた》でも|詠《よ》んで|夜《よ》を|明《あか》しませうか』
|清香姫《きよかひめ》は|迷惑《めいわく》しながらも、
『|妾《わらは》もやがて|眠《ねむ》れるだらうが、しかし|一二首《いちにしゆ》|歌《うた》を|詠《よ》んで|別《わか》れませう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます』
と|春子姫《はるこひめ》は|姫《ひめ》の|側《そば》|近《ちか》く|座《ざ》を|占《し》め、
『|高倉《たかくら》の|表《おもて》に|立《た》てる|鉄門守《かなどもり》
そのまなざしの|血走《ちばし》りて|見《み》えぬ
|十五夜《じふごや》の|月光《つきかげ》のぞく|裏門《うらもん》は
いとも|静《しづ》けし|風《かぜ》さへもなし』
|清香姫《きよかひめ》は|初《はじ》めて|春子姫《はるこひめ》が、|自分《じぶん》が|今夜《こんや》|脱《ぬ》け|出《だ》すことを|悟《さと》り、|裏門《うらもん》から|逃《に》げ|出《だ》せと|教《をし》へてくれたのだらうと|感謝《かんしや》しながら、
『ゆく|春《はる》の|月《つき》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|清《きよ》く|香《かを》れる|梅《うめ》の|初花《はつはな》
|匂《にほ》ふとは|誰《た》も|白梅《しらうめ》の|奥《おく》|深《ふか》き
|谷間《たにま》にもゆる|姿《すがた》かしこし』
と|互《たが》ひに|歌《うた》をかはし、|清香姫《きよかひめ》は、
『|月《つき》の|庭園《ていゑん》をチツとばかり|逍遥《せうえう》して|来《き》ますから、|春子《はるこ》、そなたはこの|琴《こと》を|弾《だん》じて|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい』
と|言《い》ひながら|裏口《うらぐち》へと|忍《しの》び|行《ゆ》く。|裏口《うらぐち》には|蓑笠《みのかさ》、|手甲《てかふ》|脚絆《きやはん》、|杖《つゑ》その|他《た》|一切《いつさい》|旅《たび》に|必要《ひつえう》なものがチヤンと|整《ととの》へてあつた。|春子姫《はるこひめ》は|涙《なみだ》を|泛《う》かべながら、
『|姫様《ひめさま》、|決《けつ》して、あなたお|一人《ひとり》の|旅《たび》はさせませぬ、どうぞ|御安心《ごあんしん》なさいませ』
と|小声《こごゑ》で|言《い》へば、|清香姫《きよかひめ》は|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『どこへ|行《ゆ》くのも|神様《かみさま》と|二人連《ふたりづ》れ、|気《き》を|揉《も》んで|下《くだ》さるな』
と|言《い》ひ|残《のこ》し、|見《み》つけられては|一大事《いちだいじ》と|裏口《うらぐち》へ|出《い》で、|手早《てばや》く|身《み》づくろひをなし、|裏門《うらもん》からソツと|脱《ぬ》け|出《だ》し、|馬場《ばんば》の|木立《こだち》の|下《した》を|潜《くぐ》つて|南《みなみ》へ|南《みなみ》へと|急《いそ》ぐのであつた。|後《あと》に|春子姫《はるこひめ》、|二絃琴《にげんきん》を|執《と》り、|隔《へだ》ての|襖《ふすま》に|錠《ぢやう》をかけて、|琴《こと》を|弾《だん》じつつ|歌《うた》つてゐる。
『ここは|夜《よる》なきヒルの|国《くに》  ヒルの|都《みやこ》の|中心地《ちうしんち》
|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高倉山《たかくらやま》の  |岩根《いはね》に|建《た》ちし|珍《うづ》の|城《しろ》
|日出神《ひのでのかみ》の|昔《むかし》より  |三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》を
|斎《いつ》きまつりし|珍《うづ》の|城《しろ》  さはさりながら|星《ほし》|移《うつ》り
|月日《つきひ》は|流《なが》れ|行《ゆ》くに|連《つ》れ  |人《ひと》の|心《こころ》は|漸《やうや》くに
あらぬ|方《かた》へと|移《うつ》ろひて  |世《よ》は|刈菰《かりごも》と|乱《みだ》れゆく
|実《げ》に|浅《あさ》ましきこの|天地《てんち》  |清《きよ》めむために|皇神《すめかみ》の
|御心《みこころ》|深《ふか》く|悟《さと》りまし  |若君《わかぎみ》はじめ|姫様《ひめさま》の
|思《おも》ひ|切《き》つての|鹿島立《かしまだち》  |思《おも》へば|思《おも》へば|吾《わ》が|涙《なみだ》
|淵瀬《ふちせ》と|流《なが》れて|止《と》め|度《ど》なし  この|世《よ》に|神《かみ》のます|限《かぎ》り
|若君様《わかぎみさま》や|姫君《ひめぎみ》は  |太《ふと》き|功《いさを》を|立《た》てまして
やがてはヒルの|神柱《かむばしら》  |救《すく》ひの|君《きみ》と|仰《あふ》がれて
これの|御国《みくに》は|言《い》ふもさら  |高砂洲《たかさごじま》の|端々《はしばし》を
|皆《みな》その|徳《とく》に|服《まつろ》へて  |昔《むかし》に|変《かは》るインカの|栄《さか》え
|松《まつ》も|目出《めで》たき|高砂《たかさご》の  |慰《じやう》と|姥《うば》との|末永《すゑなが》く
|治《をさ》まる|御代《みよ》ぞ|待《ま》たれける  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|皇大神《すめおほかみ》の|御恵《みめぐ》みに  |姫君様《ひめぎみさま》の|行方《ゆくへ》をば
|何《なに》とぞ|安《やす》く|珍《うづ》の|国《くに》  |兄《あに》の|命《みこと》のましませる
|霊地《れいち》に|無事《ぶじ》に|送《おく》りませ  |御側《みそば》に|近《ちか》く|仕《つか》へたる
|春子《はるこ》の|姫《ひめ》が|赤心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
|秋山別《あきやまわけ》、モリスは|吾《わ》が|家《や》に|帰《かへ》つてゐたが、|何《なん》だか|胸騒《むなさわ》ぎがしてならぬので、|姫《ひめ》の|身《み》の|上《うへ》に|変事《へんじ》はなきかと、|両人《りやうにん》|期《き》せずして、|子《ね》の|刻《こく》|過《すぎ》に|表門《おもてもん》を|潜《くぐ》つて|入来《いりき》たり、|各自《めいめい》の|事務室《じむしつ》に|入《い》つて|監視《かんし》の|役《やく》を|努《つと》めてゐる。|姫《ひめ》の|居間《ゐま》よりは|流暢《りうちやう》な|琴《こと》の|音《ね》が|聞《き》こえて|来《き》た。|秋山別《あきやまわけ》、モリス|両人《りやうにん》は|琴《こと》の|音《ね》を|聞《き》いて|一《ひと》まづ|安心《あんしん》し、|両人《りやうにん》は|愉快気《ゆくわいげ》に|声《こゑ》|高《たか》らかに|談話《だんわ》を|始《はじ》めてゐる。
|秋山《あきやま》『モリス|殿《どの》、この|深夜《しんや》に|御老体《ごらうたい》の|貴殿《きでん》、|御苦労千万《ごくらうせんばん》でござる。|何《なに》か|急用《きふよう》でも|出来《でき》たのでござるかな』
モリス『|別《べつ》にこれといふ|急用《きふよう》もなけれども、|何《なん》だか|胸騒《むなさわ》ぎがいたし、|或《あるひ》は|城中《じやうちう》に|姫様《ひめさま》の|身《み》の|上《うへ》について|変事《へんじ》の|突発《とつぱつ》せしに|非《あら》ずやと、|取《と》る|物《もの》も|取《と》り|敢《あへ》ず、|夜中《やちう》ながらも、|供《とも》をも|連《つ》れずソツと|出《で》て|参《まゐ》つた|次第《しだい》でござる。そして|貴殿《きでん》もまた|夜陰《やいん》に|御登城《ごとじやう》になつたのは、|何《なに》か|感《かん》ずるところがあつての|事《こと》でござるかな』
『|吾々《われわれ》も|貴殿《きでん》のお|考《かんが》への|如《ごと》く、|何《なん》だか|胸騒《むなさわ》ぎが|致《いた》すので、|姫《ひめ》の|身《み》の|上《うへ》に|変《かは》つた|事《こと》はなきやと|心配《しんぱい》でならず|罷《まか》り|越《こ》したのでござる。|然《しか》しながら|姫《ひめ》のお|居間《ゐま》|近《ちか》く|伺《うかが》ひ|寄《よ》つて、|様子《やうす》を|探《さぐ》れば、いと|流暢《りうちやう》なる|琴《こと》の|音色《ねいろ》、ヤレ|安心《あんしん》とここまで|引返《ひきかへ》して|休息《きうそく》いたしてをるところでござる。どうやら|姫様《ひめさま》もお|気《き》が|召《め》したと|見《み》えて、|明日《あす》の|日《ひ》が|待《ま》たれてならぬか、|一目《ひとめ》も|寝《ね》ずに|琴《こと》を|弾《だん》じてゐられるとは、これまでにない|事《こと》でござる。テもさても|喜《よろこ》ばしい|瑞祥《ずゐしやう》ではござらぬか』
『いかにもお|説《せつ》の|通《とほ》り|吾々《われわれ》も|若返《わかがへ》つたやうな|気《き》が|致《いた》すでござる。モ|一度《いちど》|元《もと》の|昔《むかし》の|若《わか》い|身《み》の|上《うへ》になつて|見《み》たいやうでござるワイ。アツハハハハ』
『|時《とき》にモリス|殿《どの》、|姫様《ひめさま》は|何号《なんがう》がお|望《のぞ》みであらうかな』
『あの|歌《うた》によれば、|一号《いちがう》|二号《にがう》|三号《さんがう》|四号《しがう》は|駄目《だめ》でせう、まづ|五号《ごがう》を|御採用《ごさいよう》になるでせう。|秋山別《あきやまわけ》|殿《どの》、お|芽出《めで》たうござる。|貴殿《きでん》の|御子息《ごしそく》ではござらぬか』
『なるほど、|拙者《せつしや》の|伜《せがれ》|菊彦《きくひこ》も|果報者《くわはうもの》でござるワイ。|拙者《せつしや》と|貴殿《きでん》とは|当城《たうじやう》のお|娘子《むすめご》|紅井姫《くれなゐひめ》|様《さま》に|対《たい》し、|大変《たいへん》に|苦労《くらう》を|致《いた》して、|遂《つひ》にはあの|結果《けつくわ》、|実《じつ》に|若気《わかげ》の|至《いた》りとは|申《まを》しながら、エライ|恥《は》ぢをかいたものでござるが、|吾《わ》が|伜《せがれ》は|父《ちち》に|勝《まさ》つて、|姫様《ひめさま》の|御意《ぎよい》に|叶《かな》ふとは、テもさても|世《よ》の|中《なか》も|変《かは》つたものでござるワ、オツホホホホ』
と|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐる。
|一方《いつぱう》|春子姫《はるこひめ》は……もはや|姫様《ひめさま》も|落《お》ちのびられたであらう、ヨモヤ|追手《おつて》もかかるまい。サアこれから|妾《わらは》もお|後《あと》を|慕《した》ひ、|姫《ひめ》の|御身《おんみ》を|保護《ほご》せねばなるまい。|照国街道《てるくにかいだう》の|一筋道《ひとすぢみち》、|夜明《よあ》けに|間《ま》のない|寅《とら》の|刻《こく》、グヅグヅしてはをられない……と|足装束《あししやうぞく》を|固《かた》め、|裏門《うらもん》より|一散走《いちさんばし》りに|逃《に》げ|出《だ》した。
|城内《じやうない》の|洋犬《かめ》の|吠《ほ》える|声《こゑ》がワウ ワウ ワウとしきりに|響《ひび》き|来《き》たる。|秋山別《あきやまわけ》、モリスはこの|声《こゑ》に|耳《みみ》を|澄《す》ませ、
|秋山《あきやま》『|何時《いつ》にない|犬《いぬ》の|泣声《なきごゑ》、コリヤ|一通《ひととほ》りではござるまい。|第一《だいいち》、|姫様《ひめさま》のお|身《み》の|上《うへ》が|気《き》づかはしい』
と|言《い》ひながら、|姫《ひめ》の|居間《ゐま》の|前《まへ》に|駈《か》けつけて|見《み》ると、|琴《こと》の|音《ね》はピタリと|止《や》んでゐる。
|秋山《あきやま》『|姫様《ひめさま》、|御免《ごめん》』
と|言《い》ひながら、|隔《へだ》ての|襖《ふすま》をガラリと|引開《ひきあ》け、|覗《のぞ》き|見《み》れば|豈計《あにはか》らむや、|琴《こと》の|主《ぬし》は|藻脱《もぬ》けの|殻《から》、もしや|便所《べんじよ》ではあるまいかと、|捜《さが》し|廻《まは》れども、|姫《ひめ》の|気配《けはい》もせぬ。|春子姫《はるこひめ》を|起《おこ》して|尋《たづ》ねむかと、|春子《はるこ》の|居間《ゐま》へ|行《い》つて|見《み》れば、これもまた|藻脱《もぬ》けの|殻《から》……
|秋山《あきやま》『コリヤ|大変《たいへん》だ、|然《しか》しながらこんな|失態《しつたい》を|演《えん》じながら、|国司《こくし》|御夫婦《ごふうふ》に|申《まを》し|上《あ》げることは|出来《でき》まい。|前《さき》には|若君《わかぎみ》を|取逃《とりに》がし、|今度《こんど》また|姫君《ひめぎみ》を|取逃《とりに》がしたと|言《い》はれては、|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》は|皺《しわ》つ|腹《ぱら》を|切《き》つて|申《まを》しわけをするより|道《みち》はなからう。|幸《さいは》ひまだ|誰《たれ》も|知《し》らぬ|内《うち》だ。モリス|殿《どの》、|貴殿《きでん》と|両人《りやうにん》がソツと|捜《さが》さうではござらぬか』
モ『|秋山別《あきやまわけ》|殿《どの》、いかにも|左様《さやう》、|吾々《われわれ》の|大責任《だいせきにん》でござれば、|城内《じやうない》の|人々《ひとびと》に|分《わか》らぬ|内《うち》、あまり|遠《とほ》くは|参《まゐ》りますまい、|捜索《そうさく》いたしませう。|表門《おもてもん》は|人《ひと》の|目《め》に|立《た》つ、まづは|裏門《うらもん》より』
と|裏門《うらもん》|指《さ》して|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。|裏門《うらもん》の|戸《と》は|無造作《むざうさ》に|開《あ》け|放《はな》たれ、|女《をんな》の|半巾《はんかち》が|一《ひと》つ|落《お》ちてゐる。モリスは|早《はや》くも|半巾《はんかち》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、|夜明前《よあけまへ》の|月光《げつくわう》に|照《て》らして|見《み》れば、|春《はる》の|印《しるし》がついてゐる。……テツキリこれは|春子《はるこ》が|姫様《ひめさま》と|諜《しめ》し|合《あは》せ、|逐電《ちくでん》したに|違《ちが》ひない……と|言《い》ひながら、|両人《りやうにん》は|裏門外《うらもんぐわい》の|階段《かいだん》をトントントンと|下《お》りながら、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|馬場《ばんば》の|木《き》の|茂《しげ》みを|指《さ》して|追《お》つかけ|行《ゆ》く。
(大正一三・一・二四 旧一二・一二・一九 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第一九章 |老水《らうすゐ》〔一七六四〕
|秋山別《あきやまわけ》、モリスの|両老《りやうらう》は、|先《さき》に|高砂城《たかさごじやう》の|世子《せいし》|国愛別《くにちかわけ》の|脱出《だつしゆつ》を|気《き》づかざりし|責任《せきにん》を|負《お》ひ、|惜《を》しくてならぬ|地位《ちゐ》を|表面上《へうめんじやう》、|責任《せきにん》を|負《お》うて|辞任《じにん》するといつて、|辞表《じへう》を|提出《ていしゆつ》し、|楓別命《かへでわけのみこと》より……それには|及《およ》ばぬ。|今後《こんご》は|気《き》をつけて、|国家《こくか》に|忠勤《ちうきん》を|励《はげ》めよ……との、|優握《いうあく》なる|箴言《しんげん》を|辱《かたじけ》なうし、やつて|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、|恋々《れんれん》たる|元《もと》の|地位《ちゐ》に|居据《ゐすわ》り、これで|天下太平《てんかたいへい》とタカをくくつてゐたところ、またもや|妹君《いもうとぎみ》|清香姫《きよかひめ》の|思想《しさう》が|何《なん》となく|異様《いやう》に|感《かん》ぜられたので|心配《しんぱい》でならず、|過《あやま》ちを|再《ふたた》びせば、|今度《こんど》こそは|切腹《せつぷく》してでも|申《まを》し|開《ひら》きをせなならないと|両老《りやうらう》は、|夜半《やはん》にもかかはらず、|姫《ひめ》の|身辺《しんぺん》に|注意《ちうい》を|払《はら》つてゐた。にもかかはらず、|月夜《つきよ》に|釜《かま》をぬかれたやうな|驚《おどろ》きに|会《あ》うて、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、こんなことを|他《ほか》の|役人《やくにん》に|悟《さと》られては、|自分《じぶん》の|地位《ちゐ》が|危《あや》ふい、|幸《さいは》ひ|夜明《よあ》けには|少《すこ》しく|間《ま》があるのだから、|今夜《こんや》の|内《うち》に|姫《ひめ》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ね、ソツと|城中《じやうちう》へ|迎《むか》へ|入《い》れておかむものと、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|裏門口《うらもんぐち》より|馬場《ばば》の|木立《こだち》を|縫《ぬ》うて、ウントコ ドツコイ ドツコイと|蛙《かへる》が|跳《は》ねたやうなスタイルで、|息《いき》もせきせき|追《お》つかけて|行《ゆ》く。
|秋山別《あきやまわけ》は|足拍子《あしびやうし》を|取《と》りながら|歌《うた》ふ。
『ハアハアウントコ ドツコイシヨ  |高倉城《たかくらじやう》の|重臣《ぢうしん》と
|世間《せけん》の|奴《やつ》から|敬《うやま》はれ  |最大《さいだい》|権威《けんゐ》を|掌握《しやうあく》し
|大老《たいらう》の|地位《ちゐ》にすわりつつ  |国愛別《くにちかわけ》の|若君《わかぎみ》に
スツパぬかれてドツコイシヨ  |禿《は》げた|頭《あたま》を|台《だい》なしに
めしやがれ|鼻《はな》をねぢられて  どうして|大老《たいらう》の|顔《かほ》が|立《た》つ
|是非《ぜひ》がないので|表向《おもてむ》き  |進退伺《しんたいうかが》ひ|辞職願《じしよくねが》ひ
ソツとコハゴハ|出《だ》してみたら  |仁慈無限《じんじむげん》の|国司様《こくしさま》
|決《けつ》してそれには|及《およ》ばぬと  お|下《さ》げ|下《くだ》さつた|嬉《うれ》しさよ
ヤツと|胸《むね》をば|撫《な》で|下《お》ろし  お|務《つと》め|大事《だいじ》と|朝晩《あさばん》に
|心《こころ》を|配《くば》り|薬罐《やつくわん》に  |湯気《ゆげ》を|立《た》てつつ|見守《みまも》れば
しばしは|無事《ぶじ》に|過《す》ぎたれど  |隙間《すきま》をねらふ|魔《ま》の|神《かみ》が
|又《また》もや|館《やかた》に|現《あら》はれて  |大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|姫様《ひめさま》を
|甘言《かんげん》もつて|唆《そそのか》し  |引《ひつ》ぱり|出《だ》したに|違《ちが》ひない
まだ|夜《よ》があけるに|間《ま》もあれば  |一生懸命《いつしやうけんめい》お|行方《ゆくへ》を
|捜《さが》しあてずにおくものか  オイオイ モリスしつかりせい
|今日《けふ》が|命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》だ  ウントコドツコイ ハアハアハア
|喉《のど》がひつつき|息《いき》つまる  よい|年《とし》してからこんな|苦労《くらう》
なさねばならぬ|二人《ふたり》の|身《み》  ホンに|因果《いんぐわ》な|生《うま》れつき
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  |四方《しはう》|八方《はつぱう》に|気《き》をつけて
|人間《にんげん》らしい|影《かげ》みれば  |取《と》つつかまへて|査《しら》べあげ
|否応《いやおう》いはさず|連《つ》れ|帰《かへ》り  ソツと|二人《ふたり》が|脂《あぶら》をば
|取《と》つておかねばこの|後《のち》の  |懲戒《しめし》にならないドツコイシヨ
|老眼鏡《らうがんきやう》が|曇《くも》り|出《だ》し  |一寸先《いつすんさき》も|分《わか》らない
|眼鏡《めがね》をとれば|尚《なほ》|見《み》えぬ  |進退《しんたい》ここに|谷《きは》まつた
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  アイタタタツタ|木《き》の|株《かぶ》に
|足《あし》をつまづき|脛《すね》むいた  ウンウンウンウン アア|痛《いた》や
|腰《こし》の|骨《ほね》までギクギクと  |下《くだ》らぬ|小言《こごと》をいひ|出《だ》した
アイタタタツタ アイタツタ』
モリスは|倒《たふ》れてゐる|秋山別《あきやまわけ》を|抱《だ》き|起《おこ》し、|介抱《かいはう》しておつては|姫《ひめ》の|行方《ゆくへ》を|見失《みうしな》ふ。それだと|言《い》つて、みすみす|友達《ともだち》をすてて|行《ゆ》くわけにもゆかず、|一間《いつけん》ほど|前《まへ》へ|走《はし》つてみたり、|後《あと》へ|戻《もど》つたり、|幾度《いくど》も|進退《しんたい》をしてゐる。
|秋山《あきやま》『オイ、モリス|殿《どの》、|何《なに》をしてござる。|第一線《だいいつせん》が|破《やぶ》るれば、|第二線《だいにせん》が|活動《くわつどう》するは|兵法《へいはふ》の|奥義《おくぎ》ではござらぬか。|拙者《せつしや》にかまはず、トツトと|出陣《しゆつぢん》なされ。|間髪《かんぱつ》を|入《い》れざるこの|場合《ばあひ》、|早《はや》くお|出《い》でなされ。この|秋山《あきやま》は|殿《しんがり》となつて、そこらの|木蔭《こかげ》や|叢《くさむら》を|捜《さが》しつつ|行《ゆ》くでござらう、サア|早《はや》く|早《はや》く』
とせき|立《た》てられ、
モリス『なるほど、あとは|貴殿《きでん》にお|任《まか》せ|申《まを》す  ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|昔《むかし》の|罪《つみ》がめぐり|来《き》て  |又《また》もや|女《をんな》で|苦労《くらう》する
おれの|恋《こひ》では|無《な》けれども  |悪《わる》い|奴《やつ》めが|飛《と》んで|来《き》て
【こい】こいこいと|姫様《ひめさま》を  つれ|出《だ》しやがつたに|違《ちが》ひない
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  グヅグヅしてゐちや|夜《よ》があける
|早《はや》く|所在《ありか》を|捜《さが》し|出《だ》し  とつつかまへて|元《もと》の|鞘《さや》
をさめておかねば|吾々《われわれ》の  |大《おほ》きな|顔《かほ》は|丸潰《まるつぶ》れ
|皺腹《しわばら》|切《き》らねばならうまい  すまじきものは|宮仕《みやづか》へ
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  |臍《へそ》の|緒《を》|切《き》つて|八十年《はちじふねん》
これだけ|辛《つら》い|事《こと》あろか  |秋山別《あきやまわけ》の|腰抜《こしぬけ》は
|芝生《しばふ》に|倒《たふ》れてウンウンと  |脛腰《すねこし》|立《た》たぬ|浅《あさ》ましさ
とはいふものの|俺《おれ》だとて  もはや|呼吸《こきふ》がつづかない
オーイ オーイ|姫様《ひめさま》よ  オーイ オーイ|春子姫《はるこひめ》
そこらに|居《ゐ》るなら|俺《おれ》|達《たち》の  |心《こころ》を|推量《すゐりやう》した|上《うへ》で
あつさり|姿《すがた》を|現《あら》はせよ  オーイ オーイお|姫《ひめ》さま
|決《けつ》して|叱《しか》りはせぬほどに  |一号《いちがう》|二号《にがう》|三号《さんがう》|四号《しがう》
|五号《ごがう》(|合《がふ》)の|写真《しやしん》|気《き》にくはにや  |一升《いつしよう》でも|二升《にしよう》でも|捜《さが》します
オーオ オーイお|姫《ひめ》さま  |雀《すずめ》|百《ひやく》まで|牡鳥《おんどり》を
|忘《わす》れぬためしもござります  |何《なに》ほど|頑固《ぐわんこ》なモリスでも
|恋《こひ》には|経験《けいけん》|持《も》つてゐる  あなたの|決《けつ》して|不利益《ふりえき》な
|話《はなし》はせない|村肝《むらきも》の  |心《こころ》を|安《やす》んじ|吾《わ》が|前《まへ》に
あつさり|現《あら》はれ|下《くだ》さんせ  |高倉城《たかくらじやう》の|大騒動《おほさうどう》
ヒルの|国家《こくか》の|大問題《だいもんだい》  |恋《こひ》しき|父《ちち》と|母上《ははうへ》を
|見捨《みす》てて|出《で》るとは|不孝《ふかう》ぞや  ついでに|私《わたし》も|不幸《ふかう》ぞや
フコウ|峠《たうげ》の|麓《ふもと》まで  かからぬ|内《うち》に|姫様《ひめさま》を
どうしてもこしても|捉《つか》まへて  |皺面《しわづら》|立《た》てねばおくものか
ウントコドツコイ アイタタタ  |俺《おれ》も|秋州《あきしう》の|二《に》の|舞《ま》ひだ
|木株《きかぶ》につまづき|向《む》かふ|脛《ずね》を  |尖《とが》つた|石《いし》ですりむいた
ウンウンウンウン アイタタタ  アイタタ タツタ アイタツタ』
と|言《い》つたきり、その|場《ば》に|息《いき》も|細《ほそ》つて|倒《たふ》れてしまつた。
|春子姫《はるこひめ》は|少《すこ》し|横側《よこがは》の|灌木《くわんぼく》の|茂《しげ》みに、|姫《ひめ》に|追《お》ひつき、|息《いき》を|休《やす》めてゐたが、この|態《てい》を|見《み》て|気《き》の|毒《どく》がり、|小声《こごゑ》で、
『|姫様《ひめさま》、|今《いま》|倒《たふ》れてゐるのはモリスぢやありませぬか。アアしておけば、|縡《ことぎ》れてしまひませう、|介抱《かいはう》して|助《たす》けてやりませうか』
|清香《きよか》『あ、|助《たす》けてやらねばならず、|助《たす》けてやれば|妾《わらは》の|目的《もくてき》が|立《た》たず、どうしたら|可《よ》からうかな。みすみす|老臣《らうしん》を|見殺《みごろ》しにしてまで、|逃《に》げ|去《さ》るわけにもゆかず、|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たものだ。|春子《はるこ》、そなた、そろそろモリスの|介抱《かいはう》をしてやつて|下《くだ》さい。あまり|早《はや》く|呼《よ》び|生《い》けると、|妾《わらは》が|逃《に》げる|間《ま》がないから、そこは|時《とき》を|計《はか》つて|縡《ことぎ》れないやうに、そろそろ|急《いそ》いで|助《たす》けてやつて|下《くだ》さい。その|間《あひだ》に|妾《わらは》は|逃《に》げのびますからね』
『なるほど、よいお|考《かんが》へでございます。|私《わたくし》がモリスその|他《た》の|役人《やくにん》が|何《なに》ほど|参《まゐ》りましても、|一歩《いつぽ》もこれから|南《みなみ》へ|行《ゆ》かぬやうに、|喰《く》ひとめますから|御安心《ごあんしん》なさいませ』
『|何分《なにぶん》|頼《たの》みます、|左様《さやう》なら……』
と|金剛杖《こんがうづゑ》を|力《ちから》に|走《はし》り|出《だ》した。|夜《よ》はガラリと|明《あ》けて|小鳥《ことり》の|声《こゑ》|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|聞《き》こえて|来《く》る。|春子《はるこ》は、
『|姫様《ひめさま》、キツと|後《あと》から|参《まゐ》ります』
と|声《こゑ》をかけた。|清香姫《きよかひめ》は|二三回《にさんくわい》うなづきながら、|密林《みつりん》の|中《なか》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|春子《はるこ》はモリスの|側《そば》に|立寄《たちよ》り|見《み》れば、|体《からだ》をピコピコ|動《うご》かせ、|幽《かす》かな|息《いき》をしてゐる。たちまち|水筒《すゐたう》の|水《みづ》を|口《くち》に|含《ふく》ませ、|背《せな》を|三《み》つ|四《よ》つ|叩《たた》いて、|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》を|念《ねん》じ、「|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》」と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》した。|五分間《ごふんかん》ほど|経《へ》た|後《のち》、モリスは「ウーン」と|一声《ひとこゑ》|唸《うな》つて、|頭《あたま》をソツと|擡《もた》げ、|老眼《らうがん》を|開《ひら》いて、
『アア|秋山別《あきやまわけ》か、よう|助《たす》けてくれた。|何分《なにぶん》|年《とし》がよつて、|足《あし》が|脆《もろ》いものだから、この|通《とほ》りむごい|目《め》に|会《あ》うたのだ。アア|目《め》が|眩《くら》む、まア|暫《しばら》く|此処《ここ》で|息《いき》を|休《やす》めねばなるまい。|清香姫《きよかひめ》|様《さま》は、こんな|無謀《むぼう》な|事《こと》はなさる|筈《はず》はないが、|侍女《じぢよ》の|春子《はるこ》の|奴《やつ》、|彼奴《あいつ》が|張本人《ちやうほんにん》だらう。オイ|秋山《あきやま》、|姫様《ひめさま》に|小言《こごと》いふわけにいかぬから、|以後《いご》の|懲戒《みせしめ》に、|春子《はるこ》の|奴《やつ》を|牢屋《らうや》へでもブチこんで|辛《から》い|目《め》をさしてやらねばなるまいぞ、ウンウンウン』
|春子《はるこ》はこれを|聞《き》くより、モリスの|懐《ふところ》からタヲルを|取《と》り|出《だ》し、|目《め》からかけて、|頭《あたま》をグツと|縛《しば》り、モリスの|命《いのち》は|大丈夫《だいじやうぶ》と、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|姫《ひめ》の|後《あと》を|尋《たづ》ねて|走《はし》り|出《だ》した。
|秋山別《あきやまわけ》は|足《あし》をチガチガさせながら|漸《やうや》くにしてモリスの|側《そば》までやつて|来《き》た。
『ヤア|貴殿《きでん》はモリス|殿《どの》ではござらぬか。テもさても|大怪我《おほけが》をなさつたとみえる。その|鉢巻《はちまき》は|何《なん》でござる』
『この|鉢巻《はちまき》は|貴殿《きでん》がさしてくれたのではござらぬか。|一命《いちめい》すでに|危《あや》ふき|所《ところ》、お|助《たす》け|下《くだ》され、|誠《まこと》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|持《も》つべき|者《もの》は|同僚《どうれう》なりけりだ。お|蔭《かげ》で|足《あし》の|痛《いた》みも|余程《よほど》|軽減《けいげん》いたした』
『|決《けつ》して、|拙者《せつしや》は|貴殿《きでん》を|助《たす》けたのではない。やうやうのこと、|此処《ここ》まで|辿《たど》りついたところでござる。|察《さつ》するところ、|貴殿《きでん》は|何人《なにびと》かに|救《すく》はれたのでござらう』
といひながら|鉢巻《はちまき》を|外《はづ》す。
『|何《なん》だか|柔《やはら》かい|手《て》だと|思《おも》つてをつた。さうすると、|拙者《せつしや》を|助《たす》けてくれたのは|貴殿《きでん》ではござらぬか。|何《なに》はともあれ|命拾《いのちびろ》ひをして|結構《けつこう》でござる』
『かう|夜《よ》が|明《あ》けてしまへば、|捜索《そうさく》の|仕方《しかた》もなし、|大老《たいらう》ともあらう|者《もの》が、|供《とも》もつれずに、ウロついてをつては|却《かへ》つて|疑《うたが》ひの|種《たね》、|何《なん》とか|善後策《ぜんごさく》を|講《かう》じやうではござらぬか』
『|左様《さやう》でござる、|職務上《しよくむじやう》|捨《す》ておくわけにはいかず、だと|申《まを》して、かう|日《ひ》の|照《て》るのに、|吾々《われわれ》が|姫《ひめ》の|捜索《そうさく》もなりますまい。ともかく|間道《かんだう》よりソツと|吾《わ》が|家《いへ》へ|帰《かへ》る|事《こと》に|致《いた》しませう。|秋山別《あきやまわけ》|殿《どの》、|拙者《せつしや》と|変《かは》り、|貴殿《きでん》は|感慨無量《かんがいむりやう》でござらうのう。|貴殿《きでん》の|御賢息《ごけんそく》、|菊彦《きくひこ》|殿《どの》の|掌中《しやうちう》の|玉《たま》を|逃《に》がしたも|同様《どうやう》でござれば、|御愁傷《ごしうしやう》のほど|察《さつ》し|申《まを》す。もはや|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》はこれぎり|城中《じやうちう》へ|出入《でい》りせない|覚悟《かくご》をきめれば|可《よ》いではござらぬか。|老先《おいさき》|短《みじか》い|吾々《われわれ》、|何時《いつ》までも|骨董品《こつとうひん》だ、|床《とこ》の|置物《おきもの》だと、|機械扱《きかいあつか》ひをされて、|頑張《ぐわんば》つておつても|詰《つま》り|申《まを》さぬでないか。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|退職《たいしよく》さへすれば、|政治《せいぢ》の|方針《はうしん》は|悪化《あくくわ》するかも|知《し》れないが、マアともかく|人気《にんき》が|一変《いつぺん》して、それが|却《かへ》つてお|国《くに》の|為《ため》になるかも|知《し》れませぬぞ、|秋山殿《あきやまどの》|如何《いかが》でござる』
『|一度《いちど》ならず、|二度《にど》までも|大失敗《だいしつぱい》を|重《かさ》ね、|大老《たいらう》として、どうしてこれが|国司《こくし》に|顔《かほ》が|会《あ》はされうぞ。また|衆生《しゆじやう》に|対《たい》しても|言《い》ひ|訳《わけ》がござらぬ。|貴殿《きでん》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|各自《かくじ》|館《やかた》に|帰《かへ》り|辞表《じへう》を|呈出《ていしゆつ》いたし、|責任《せきにん》を|明《あき》らかにするでござらう。|皺《しわ》つ|腹《ぱら》を|切《き》つて|切腹《せつぷく》すれば|腹《はら》は|痛《いた》し、|惜《を》しい|命《いのち》がなくなる|道理《だうり》、|何《なに》ほど|顕要《けんえう》の|職務《しよくむ》だといつても、|命《いのち》には|替《か》へられ|申《まを》さぬ。アツハハハハ』
『|早速《さつそく》の|御賛成《ごさんせい》、モリス|満足《まんぞく》でござる。|然《しか》しながら|足《あし》が|痛《いた》んでは、どうする|事《こと》も|出来《でき》|申《まを》さぬ。|一町《いつちやう》ばかり|後《うし》ろへ|返《かへ》せば、そこに|谷水《たにみづ》が|流《なが》れてゐる。その|水《みづ》でも|呑《の》んで|息《いき》をつぎ、ボツボツ|帰館《きかん》|致《いた》すでござらう。|秋山殿《あきやまどの》、|気《き》の|毒《どく》ながら、|拙者《せつしや》の|手《て》を|取《と》つて|下《くだ》され。どうも|苦《くる》しうてなり|申《まを》さぬ』
|秋山《あきやま》『|老《お》いぬれば|人《ひと》の|譏《そし》りもしげくなりて
|足腰《あしこし》|立《た》たぬ|今日《けふ》の|苦《くる》しさ』
モ『|身体《からたま》はよし|老《お》ゆるとも|精霊《せいれい》は
いと|美《うる》はしく|若《わか》やぎ|栄《さか》ゆ』
『|脛腰《すねこし》も|立《た》たぬ|身《み》ながら|何《なに》を|言《い》ふ
|清麗《せいれい》の|水《みづ》でも|呑《の》んで|息《いき》せよ』
『そらさうだ|何《なに》ほど|元気《げんき》に|言《い》うたとて
|争《あらそ》はれない|年《とし》の|坂路《さかみち》』
『|海老腰《えびごし》になつてピンピンはねたとて
|買《か》うてくれねば|店晒《たなざら》しかな
|又《また》しても|清香《きよか》の|姫《ひめ》に|逃《に》げられて
|二人《ふたり》はここに|泡《あわ》を|吹《ふ》くかな』
かく|口《くち》ずさみながら、|漸《やうや》くにして|一町《いつちやう》ばかり|引《ひ》き|返《かへ》し、|谷川《たにがは》から|流《なが》れてくる|清水《せいすゐ》の|溜《たまり》の|側《そば》へと|着《つ》いた。
モ『|老《おい》の|身《み》の|霊《みたま》うるほす|清水《しみづ》かな
この|清水《しみづ》|人《ひと》の|命《いのち》を|救《すく》ふらむ』
|秋山《あきやま》『われもまた|清水《しみづ》むすばむ|夏《なつ》の|朝《あさ》
|汗《あせ》となり|力《ちから》ともなる|清水《しみづ》かな
|年寄《としよ》りの|皺《しわ》まで|伸《の》びる|清水《しみづ》かな
この|上《うへ》は|帰《かへ》りて|何《なに》も|岩清水《いはしみづ》』
『|水臭《みづくさ》い|姫《ひめ》に|逃《に》げられ|清水《しみづ》|呑《の》む
|春子姫《はるこひめ》|吾《われ》を|救《すく》うて|逃《に》げて|行《ゆ》く』
『サア|早《はや》く|家《いへ》に|帰《かへ》らむ|二人連《ふたりづ》れ』
かく|口《くち》ずさみながら|両老《りやうらう》は|杖《つゑ》を|力《ちから》に|城《しろ》の|馬場《ばんば》の|間道《ぬけみち》から、|力《ちから》なげにトボトボと|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
(大正一三・一・二五 旧一二・一二・二〇 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第二〇章 |声援《せいゑん》〔一七六五〕
|清香姫《きよかひめ》、|春子姫《はるこひめ》は|夜《よ》を|日《ひ》についで、|高照山《たかてるやま》の|山麓《さんろく》まで|辿《たど》りついた。|本街道《ほんかいだう》を|行《ゆ》くと、|追手《おつて》の|虞《おそ》れがあるので、|本街道《ほんかいだう》に|添《そ》うた|山林《さんりん》や|野原《のはら》を|忍《しの》び|忍《しの》び|進《すす》んで|行《ゆ》くので、|比較的《ひかくてき》|道《みち》に|暇《ひま》がとれる。|谷川《たにがは》の|涼《すず》しき|木蔭《こかげ》に|二人《ふたり》は|腰《こし》|打《う》ちかけて|息《いき》を|休《やす》め|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》つてゐる。
|清香《きよか》『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》を|伝《つた》ひ|行《ゆ》く  |旭《あさひ》も|清《きよ》きヒルの|国《くに》
|高倉山《たかくらやま》の|下津岩根《したついはね》に|宮柱《みやばしら》  |太《ふと》しく|立《た》てて|三五《あななひ》の
|皇大神《すめおほかみ》を|斎《いつ》きつつ  |日出神《ひのでのかみ》の|御教《みをしへ》を
|伝《つた》へ|伝《つた》へて|世《よ》を|救《すく》ふ  インカの|流《なが》れ|清《きよ》くして
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|勇《いさ》みつつ  |恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|霑《うるほ》へる
その|神国《かみくに》もいつしかに  |黄泉国《よもつくに》より|荒《あら》び|来《く》る
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》に|犯《をか》されて  |払《はら》ふすべなき|暗《やみ》の|世《よ》の
ヒルの|御国《みくに》も|夜《よる》のごと  |暗《やみ》の|帳《とばり》に|包《つつ》まれて
|黒白《あやめ》も|分《わ》かぬ|人心《ひとごころ》  あが|足乳根《たらちね》の|父母《ちちはは》は
|赤《あか》き|心《こころ》の|紅葉彦《もみぢひこ》  |楓《かへで》の|別《わけ》と|次《つぎ》つぎに
|赤《あか》き|心《こころ》を|大前《おほまへ》に  |捧《ささ》げまつりて|仕《つか》へまし
|世人《よびと》を|導《みちび》き|給《たま》へども  |時世《じせい》に|暗《くら》き|老臣《らうしん》が
|心《こころ》の|暗《やみ》は|晴《は》れやらず  ヒルの|天地《てんち》は|日《ひ》に|月《つき》に
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》となりはてて  |阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|鬨《とき》の|声《こゑ》
|春野《はるの》に|咲《さ》ける|花《はな》の|香《か》も  |梢《こずゑ》に|囀《さへづ》る|鳥《とり》の|声《こゑ》も
|秋野《あきの》にすだく|虫《むし》の|音《ね》も  |皆《みな》|亡国《ばうこく》の|気配《けはい》あり
|此《こ》の|世《よ》|此《こ》のまますごしなば  インカの|国《くに》は|忽《たちま》ちに
|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》と|成果《なりは》てて  わが|衆生《しゆじやう》は|根《ね》の|国《くに》や
|底《そこ》の|国《くに》なる|苦《くる》しみを  うけて|亡《ほろ》ぶは|目《ま》のあたり
|時代《じだい》に|目覚《めざ》めし|兄《あに》の|君《きみ》は  われと|語《かた》らひ|逸早《いちはや》く
|神《かみ》の|御《おん》ため|国《くに》のため  |世人《よびと》のために|高倉《たかくら》の
|堅磐常磐《かきはときは》の|堅城《けんじやう》を  あとに|見捨《みす》てて|天《あま》さかる
|鄙《ひな》に|下《くだ》りて|身《み》と|魂《たま》を  |練《ね》り|鍛《きた》へつつ|新《あたら》しく
|生《うま》れ|来《き》たらむ|世《よ》の|中《なか》の  |柱《はしら》とならむと|雄健《をたけ》びし
|神《かみ》に|誓約《うけひ》を|奉《たてまつ》り  |生《い》でさせ|給《たま》ひし|健気《けなげ》さよ
|妾《わらは》は|元《もと》よりなよ|竹《だけ》の  |力《ちから》も|弱《よわ》き|身《み》なれども
|御国《みくに》を|思《おも》ひ|道《みち》|思《おも》ふ  |雄々《をを》しき|心《こころ》に|変《かは》りなし
すき|間《ま》の|風《かぜ》も|厭《いと》ひたる  |床《とこ》に|飾《かざ》りし|姫百合《ひめゆり》の
たとへ|萎《しほ》るる|世《よ》なりとも  |赤《あか》き|心《こころ》の|実《み》を|結《むす》ぶ
|時《とき》を|待《ま》ちつつ|霜《しも》をふみ  |慣《な》れぬ|旅路《たびぢ》をやうやうに
|進《すす》み|来《き》たりし|嬉《うれ》しさよ  アア|天地《あめつち》の|大御神《おほみかみ》
|妾《わらは》|兄妹《おとどい》|両人《りやうにん》が  |清《きよ》けき|赤《あか》き|真直《ます》ぐなる
|心《こころ》を|諾《うべな》ひ|給《たま》ひつつ  |今日《けふ》の|首途《かどで》をどこまでも
|意義《いぎ》あらしめよ|幸《さち》あらしめよ  ヒルの|御国《みくに》の|空《そら》|打《う》ち|仰《あふ》ぎ
|高倉山《たかくらやま》に|斎《いつ》きたる  |国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に
|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》に|吾《わ》が|心《こころ》  のせて|通《かよ》ひつ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》のふゆを|願《ね》ぎまつる
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
|春子姫《はるこひめ》もまた|歌《うた》ふ。
『|故里《ふるさと》の|空《そら》|打《う》ち|仰《あふ》ぎ|思《おも》ふかな
|吾《わ》が|大君《おほきみ》はいかにますかと
ヒルの|空《そら》|打《う》ち|仰《あふ》ぎつつ|思《おも》ふかな
モリス|秋山別《あきやまわけ》の|身《み》の|上《うへ》
あの|雲《くも》は|灰色《はひいろ》だ  さうしてヒルの|空《そら》から
|走《はし》つて|来《く》る  |痛《いた》ましや
|秋山別《あきやまわけ》モリスの|神柱《かむばしら》の  |青息吐息《あをいきといき》の
|余煙《よえん》だらう  アア|痛《いた》ましや|灰色《はひいろ》の
|雲《くも》に|包《つつ》まれて  ヒルの|国《くに》の|衆生《しゆじやう》は
さぞ|苦《くる》しき|雰囲気《ふんゐき》の|中《うち》に  |世《よ》を|喞《かこ》ちて
|悩《なや》んでゐるだらう  |春《はる》の|野《の》の
|百花《ももばな》|千花《ちばな》も  |牡丹《ぼたん》の|花《はな》の|清香姫《きよかひめ》も
あの|灰色《はひいろ》の  |雲《くも》も|否《いな》みて
こき|紫《むらさき》の  |雲《くも》の|漂《ただよ》ふ|珍《うづ》の|空《そら》へ
|逃《に》げて|行《ゆ》く|気《き》になつたのだもの  アア|天津風《あまつかぜ》|時津風《ときつかぜ》
|南《みなみ》から|北《きた》へ|吹《ふ》けよ  さうして
|紫《むらさき》の|雲《くも》をヒルの|空《そら》に|送《おく》れ  あの|灰色《はひいろ》の|雲《くも》は
|常世《とこよ》の|国《くに》に|吹《ふ》き|散《ち》らせよ  |国愛別《くにちかわけ》の|世子《せいし》の|君《きみ》は
|早《はや》くも|珍《うづ》に|坐《ま》しますか  あの|珍《うづ》の|空《そら》の|雲《くも》の|色《いろ》のめでたさよ
|高照山《たかてるやま》の|空《そら》には  まだ|灰色《はひいろ》がかつた
|淡《あは》い|雲《くも》が|往来《ゆきき》してゐる  これを|思《おも》へば
われら|二人《ふたり》の|身《み》の|上《うへ》は  まだハツキリと|晴《は》れてゐないだらう
アア|味気《あぢき》なき  |浮世《うきよ》の|雲《くも》よ
|灰色《はひいろ》の|空《そら》よ  |天《てん》も|地《ち》も
|山《やま》も|河《かは》も  |皆《みな》|灰色《はひいろ》に|包《つつ》まれた
|今日《けふ》の|景色《けしき》  |国魂《くにたま》の|神《かみ》の
|怒《いか》りに|触《ふ》れてや  |四方《よも》に|怪《あや》しき|雲《くも》の|竜世姫《たつよひめ》
|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ  |科戸《しなど》の|風《かぜ》を
|起《おこ》させ|給《たま》へ  |清《きよ》めの|風《かぜ》を』
|清香姫《きよかひめ》はまた|歌《うた》ふ。
『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》を|打《う》ち|仰《あふ》ぎ
|世《よ》の|行先《ゆくさき》を|歎《なげ》くわれかな
|天《てん》も|地《ち》もみな|灰色《はひいろ》に|包《つつ》まれて
|世《よ》は|常暗《とこやみ》とならむとぞする
いかにせばこの|灰雲《はひくも》の|晴《は》れぬらむ
わが|言霊《ことたま》の|力《ちから》なければ
|時津風《ときつかぜ》|吹《ふ》けよ|大空《おほぞら》に  また|地《ち》の|上《うへ》に
われ|等《ら》が|上《うへ》に  |陰鬱《いんうつ》な
この|雰囲気《ふんゐき》の|何時《いつ》までも  かからむ|限《かぎ》り|人草《ひとぐさ》は
|次第《しだい》に|次第《しだい》に|亡《ほろ》びなむ  |頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|獅子《しし》の|声《こゑ》
|新進気鋭《しんしんきえい》の|馬《うま》の|声《こゑ》  |北《きた》と|南《みなみ》に|響《ひび》きつつ
|地震《なゐふる》となり|雷《いかづち》となり  やがては|割《わ》るるヒルの|国《くに》
これを|思《おも》へば|片時《かたとき》も  |身《み》を|安《やす》んじて|高倉《たかくら》の
|山《やま》に|月《つき》をば|楽《たの》しまむや  |花《はな》は|匂《にほ》へど
|月《つき》は|照《て》れど  |鳥《とり》は|唄《うた》へど
わが|目《め》には  わが|耳《みみ》には
みな|亡国《ばうこく》の|色《いろ》と|見《み》え  |地獄《ぢごく》の|声《こゑ》と|聞《き》こゆ
アア|痛《いた》ましき|今《いま》の|世《よ》を  |清《きよ》め|澄《す》まして|古《いにしへ》の
インカの|御代《みよ》に|立直《たてなほ》し  |四民平等《しみんべうどう》|鳥《とり》|唄《うた》ひ
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|天国《てんごく》の  ヒルの|都《みやこ》を|来《き》たせたい
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |花《はな》のうてなの|清香姫《きよかひめ》
|木《き》の|芽《め》もめぐむ|春子姫《はるこひめ》  |踏《ふ》みもならはぬ|高砂《たかさご》の
|足《あし》を|痛《いた》むる|初旅《はつたび》を  |恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|天津神《あまつかみ》
|国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に  |谷《たに》の|戸《と》|出《い》づる|鶯《うぐひす》の
かよわき|声《こゑ》を|張上《はりあ》げて  ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
かかる|所《ところ》へ|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》の|山賊《さんぞく》の|群《むれ》|十数人《じふすうにん》、バラバラと|現《あら》はれ|来《き》たり、|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》らしき|奴《やつ》、|巨眼《きよがん》を|開《ひら》き、|二人《ふたり》を|包囲《はうゐ》しながら、|長刀《ちやうたう》をズラリと|引抜《ひきぬ》き、
『オイ、|女《あま》つちよ、その|方《はう》は|何処《どこ》の|何者《なにもの》だ。|一寸《ちよつと》|見《み》たところ、その|方《はう》の|容貌《きりよう》といひ、|持物《もちもの》といひ、|衣服《いふく》といひ、|普通《ふつう》の|民家《みんか》に|生《うま》れた|女《をんな》ではあるまい。|一伍一什《いちぶしじふ》、その|方《はう》の|素性《すじやう》を|源九郎《げんくらう》の|前《まへ》に|白状《はくじやう》いたせ。|違背《ゐはい》に|及《およ》ばば、この|方《はう》にも|覚悟《かくご》があるぞ』
|清香姫《きよかひめ》は|始《はじ》めて|泥棒《どろばう》に|出会《であ》つた|恐《おそ》ろしさに、|顔《かほ》の|色《いろ》までかへて|慄《ふる》うてゐる。|春子姫《はるこひめ》は|姫《ひめ》の|身《み》を|庇護《かば》ひながら……たとへ|泥棒《どろばう》の|二十人《にじふにん》や|三十人《さんじふにん》|押寄《おしよ》せ|来《き》たり、|兇器《きようき》を|持《も》つて|向《む》かふとも、|日《ひ》ごろ|鍛《きた》へた|柔術《やはら》の|奥《おく》の|手《て》をあらはし、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、|谷川《たにがは》に|投込《なげこ》み、|懲《こ》らしめてくれむ……と|覚悟《かくご》をきはめながら、そ|知《し》らぬ|体《てい》にて、ワザとおとなしく、|両手《りやうて》をつき、
『ハイ、|妾《わらは》は|高倉山《たかくらやま》を|守護《しゆご》いたす|天人《てんにん》でございます。|大変《たいへん》な|偉《えら》い|権幕《けんまく》で、|妾《わらは》に|何《なに》かお|尋《たづ》ねのやうでございますが、|人間《にんげん》は、たとへ|泥棒《どろばう》にもせよ、|礼儀《れいぎ》といふものがございませう。|孱弱《かよわ》き|女《をんな》だと|思召《おぼしめ》し、|頭《あたま》から|威喝《ゐかつ》せうとは、チツと|男《をとこ》にも|似合《にあ》はぬ、|御卑怯《ごひけふ》ではございませぬか。|何《なん》の|御用《ごよう》か|存《ぞん》じませぬが、|天地《てんち》を|自由自在《じいうじざい》にいたす|天女《てんによ》でございますれば、|誠《まこと》のことならば|何《なん》でも|聞《き》いて|上《あ》げませう、その|代《かは》り|道《みち》に|外《はづ》れたことならば、|少《すこ》しも|許《ゆる》しませぬぞ』
とキツパリ|言《い》つてのけた。|源九郎《げんくらう》は|度胸《どきよう》の|据《すわ》つた|春子姫《はるこひめ》の|言葉《ことば》にややド|胆《ぎも》を|抜《ぬ》かれたが……タカが|知《し》れた|女《をんな》の|二人《ふたり》、|自分《じぶん》は|十数人《じふすうにん》の|命知《いのちし》らずの|荒武者《あらむしや》をつれてゐる。|天人《てんにん》か|天女《てんによ》か|知《し》らぬが、こんな|女《をんな》に|尻込《しりご》みしては、|今後《こんご》|乾児《こぶん》を|扱《あつか》ふ|上《うへ》において、|信用《しんよう》を|失墜《しつつゐ》する。あくまでも|強圧的《きやうあつてき》に|出《で》たのだから、|無理押《むりお》しで|押《お》さへつけてやらむ……と|覚悟《かくご》をきはめ、ワザと|居丈高《ゐたけだか》になり、
『アツハハハハ、|吐《ぬか》したりな、すべた|女《をんな》、|天人《てんにん》とはまつかな|詐《いつは》り、|吾々《われわれ》が|恐《おそ》ろしさのその|場《ば》|遁《のが》れのテレ|隠《かく》し、|左様《さやう》なことに|誑《たば》かられる|源九郎《げんくらう》さまぢやないぞ。|高照山《たかてるやま》の|山寨《さんさい》に|数百人《すうひやくにん》の|手下《てした》を|引《ひ》きつれ、|往来《ゆきき》の|男女《だんぢよ》を|脅《おびや》かす|悪魔《あくま》の|源九郎《げんくらう》たア|俺《おれ》のことだい。|四《し》の|五《ご》の|吐《ぬか》さず、|衣類万端《ゐるゐばんたん》|脱《ぬ》いで|渡《わた》すか、さもなくば、|源九郎《げんくらう》の|女房《にようばう》になるか、サアどうだ。|速《すみ》やかに|返答《へんたふ》を|承《うけたまは》らう』
|春子姫《はるこひめ》はますます|度胸《どきよう》がすわつて|来《き》た。|清香姫《きよかひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》、|神《かみ》の|救《すく》ひを|心中《しんちう》に|祈《いの》つてゐる。
|春子《はるこ》『ホツホホホホホ、|悪魔《あくま》の|源九郎《げんくらう》とやら、よい|所《ところ》へ|現《あら》はれて|来《き》た。|妾《わらは》は|其方《そち》の|出現《しゆつげん》を|待《ま》つてゐたのだ。|邪魔《じやま》くさい、|木偶《でく》の|坊《ばう》を|二十《にじふ》や|三十《さんじふ》|連《つ》れて|来《き》たところで、|歯《は》ごたへがせぬ。|乾児《こぶん》を|残《のこ》らず|引《ひ》きつれ、|吾《わ》が|前《まへ》に|並《なら》べてみよ。|片《かた》つぱしから、|窘《たしな》めてくれむ。|悪魔退治《あくまたいぢ》に|出陣《しゆつぢん》の|途中《とちう》、|悪魔《あくま》の|張本《ちやうほん》|源九郎《げんくらう》に|会《あ》ふとは、|何《なん》たる|幸先《さいさき》のよい|事《こと》だらう。|一人《ひとり》|二人《ふたり》は|面倒《めんだう》だ。|源九郎《げんくらう》、サア|一度《いちど》にかかれ、|天人《てんにん》の|神力《しんりき》を|現《あら》はして、|汝《なんぢ》が|肝《きも》を|冷《ひや》しくれむ』
といふより|早《はや》く、|襷十字《たすきじふじ》にあやどり、|優《やさ》しい|顔《かほ》に|後《うし》ろ|鉢巻《はちまき》を|締《し》め、|懐剣《くわいけん》の|柄《つか》に|手《て》をかけ|身《み》がまへした。この|勢《いきほ》ひに|清香姫《きよかひめ》も|気《き》を|取直《とりなほ》し、またもや|赤襷《あかだすき》に|白鉢巻《しろはちまき》、|懐剣《くわいけん》の|鞘《さや》を|払《はら》つて|源九郎《げんくらう》|目懸《めが》けて、ヂリヂリとつめよせた。|春子姫《はるこひめ》は|十数人《じふすうにん》の|乾児《こぶん》に|目《め》を|配《くば》り、|寄《よ》らば|斬《き》らむと|身構《みがま》へしてゐる。|源九郎《げんくらう》が|一令《いちれい》の|下《もと》に、|乾児《こぶん》は|二人《ふたり》に|向《む》かつて、|切《き》りつくることとなつてゐた。しかしながら|頭梁《とうりやう》の|源九郎《げんくらう》は|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》て、やや|恋慕《れんぼ》の|念《ねん》を|起《おこ》し……|何《なに》ほど|強《つよ》いといつても、|女《をんな》の|二人《ふたり》、|片腕《かたうで》にも|足《た》らないが、しかし|斯様《かやう》な、|美人《びじん》をムザムザ|殺《ころ》すのは|惜《を》しいものだ、|何《なん》とかして|助《たす》けたい……と|早《はや》くも|恋《こひ》に|捉《とら》はれてゐる。
|春子《はるこ》『|源九郎《げんくらう》とやら、その|方《はう》は|大言《たいげん》を|吐《は》きながら、なぜ|孱弱《かよわ》き|二人《ふたり》の|女《をんな》に|手出《てだ》しをせぬのか、|吾々《われわれ》の|威勢《ゐせい》に|恐《おそ》れてゐるのか、|返答《へんたふ》せい。|妾《わらは》は|天下《てんか》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》だ。|汝《なんぢ》ごときに|怖《おそ》れを|抱《いだ》いて、どうして|天人《てんにん》の|職《しよく》が|勤《つと》まらうぞ、|卑怯未練《ひけふみれん》な|男《をとこ》だなア』
|源《げん》『ナアニ、タカが|女《をんな》の|一人《ひとり》や|二人《ふたり》、|片腕《かたうで》にも|足《た》らねども、あたら|名花《めいくわ》を|散《ち》らすは|惜《を》しいものだ。それゆゑ|暫時《しばらく》、|根株《ねかぶ》を|切《き》つた|鉢植《はちうゑ》の|花《はな》だと|思《おも》つて|眺《なが》めてゐるのだ。やがて|果敢《はか》ない|終《をは》りを|告《つ》げるだらうと|思《おも》へば、いささか|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にくれぬ|事《こと》もないわい。テモさても|見《み》れば|見《み》るほど、|美《うつく》しい……イヤいぢらしいものだワイ』
|春子《はるこ》『エエ|汚《けが》らはしい、|泥棒《どろばう》の|分際《ぶんざい》として、|天人《てんにん》に|向《む》かひ、いぢらしいとか、|美《うつく》しいとか、チツと|過言《くわごん》であらうぞ。|要《い》らざる|繰言《くりごと》|申《まを》すよりも、|旗《はた》をまき|尾《を》をふつて、この|場《ば》を|早《はや》く|立去《たちさ》れ、エエ|汚《けが》らはしい、シーツ シーツ』
と|猫《ねこ》でも|逐《お》ふやうな|大胆不敵《だいたんふてき》の|挙動《きよどう》に、|源九郎《げんくらう》は|怒《いか》り|心頭《しんとう》に|達《たつ》し、
『|要《い》らざる|殺生《せつしやう》はしたくなけれども、モウかうなれば|後《あと》へは|退《ひ》かれぬ|男《をとこ》の|意地《いぢ》、コリヤ|女《をんな》、|今《いま》に|吠面《ほえづら》かわかしてみせる、|覚悟《かくご》をいたせ……ヤアヤア|乾児《こぶん》ども、|両人《りやうにん》に|向《む》かつて|斬《き》りつけよ』
と|下知《げち》すれば、|心得《こころえ》たりと、|十数人《じふすうにん》の|乾児《こぶん》は|二人《ふたり》の|女《をんな》に|向《む》かつて、|阿修羅王《あしゆらわう》のごとくに|迫《せま》り|来《き》たる。|春子姫《はるこひめ》は|一方《いつぱう》の|手《て》で、|清香姫《きよかひめ》を|庇《かば》ひながら、|力《ちから》|限《かぎ》りに|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》へども、|剛力無双《がうりきむさう》の|敵《てき》の|襲撃《しふげき》、|早《はや》くも|力《ちから》|尽《つ》きて、|彼《かれ》が|毒牙《どくが》にかからむとする|危機一髪《ききいつぱつ》の|場合《ばあひ》となつて|来《き》た。|源九郎《げんくらう》は|岩上《がんじやう》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|平然《へいぜん》として|煙草《たばこ》を|燻《くゆ》らしながら、この|光景《くわうけい》を|見下《みお》ろしてゐる。|清香姫《きよかひめ》は|今《いま》や|捉《とら》へられむとする|一刹那《いつせつな》、あたりの|空気《くうき》を|振動《しんどう》させて|宣伝歌《せんでんか》が|聞《き》こえて|来《き》た。アアこの|結果《けつくわ》は|何《ど》うなるであらうか。
(大正一三・一・二五 旧一二・一二・二〇 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第二一章 |貴遇《きぐう》〔一七六六〕
『|桃上彦《ももがみひこ》の|昔《むかし》より  |万古不易《ばんこふえき》の|国体《こくたい》を
|保《たも》ち|来《き》たりし|珍《うづ》の|国《くに》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みもアルゼンチンの
|高砂城《たかさごじやう》の|国司《こくし》の|伜《せがれ》  われは|国照別司《くにてるわけつかさ》
この|世《よ》の|暗《やみ》を|晴《は》らさむと  |雲霧《くもきり》|分《わ》けて|天《あま》さかる
|市井《しせい》の|巷《ちまた》に|身《み》をやつし  |下人草《しもひとぐさ》の|窮状《きうじやう》を
|窺《うかが》ひすまし|新《あたら》しき  |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|柱《はしら》をば
|堅磐常磐《かきはときは》に|立《た》てむとて  |生《うま》れついたる|仁侠《にんけふ》の
|引《ひ》くに|退《ひ》かれぬ|男伊達《をとこだて》  |故郷《こきやう》の|空《そら》を|後《あと》にして
|踏《ふ》みもならはぬ|旅《たび》の|空《そら》  |心《こころ》を|研《みが》き|肝《きも》をねり
|醜《しこ》の|大蛇《をろち》も|曲神《まがかみ》も  |地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》も
いつか|恐《おそ》れぬ|魂《たま》となり  |天《あめ》と|地《つち》とに|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  その|外《ほか》|百《もも》の|曲鬼《まがおに》を
|言霊剣《ことたまつるぎ》|抜《ぬ》きもちて  |言向和《ことむけやは》し|天国《てんごく》の
|御園《みその》を|開《ひら》く|吾《わ》が|望《のぞ》み  |守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》に|仕《つか》へし|吾《わ》が|父《ちち》は  |既《すで》に|年老《としお》い|給《たま》へども
|新進気鋭《しんしんきえい》の|魂《たましひ》を  |深《ふか》く|秘《かく》して|忍《しの》びます
その|御心《みこころ》を|思《おも》ひやり  |子《こ》としていかで|悠々《いういう》と
|遊惰《いうだ》に|日《ひ》をば|送《おく》らむや  |思《おも》ひ|切《き》つたる|今日《けふ》の|旅《たび》
|日出神《ひのでのかみ》の|現《あら》はれて  |開《ひら》き|給《たま》ひしヒルの|国《くに》
ヒルの|都《みやこ》に|身《み》を|隠《かく》し  |南《みなみ》と|北《きた》と|相応《あひおう》じ
この|高砂《たかさご》の|天地《てんち》をば  |昔《むかし》の|神代《かみよ》にねぢ|直《なほ》し
|神人和合《しんじんわがふ》の|楽園《らくゑん》に  |進《すす》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|竜世《たつよ》の|姫《ひめ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》|落《お》ち|星《ほし》は|失《う》するとも
|神《かみ》の|守《まも》りのある|限《かぎ》り  いかで|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|大和男子《やまとをのこ》の|魂《たましひ》は  |金鉄《きんてつ》よりも|尚《なほ》|堅《かた》し
|勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|乾児《こぶん》ども  |進《すす》めや|進《すす》めヒルの|国《くに》
|高照山《たかてるやま》は|峻《さか》しとも  |吹《ふ》き|来《く》る|嵐《あらし》は|強《つよ》くとも
|道《みち》の|行方《ゆくへ》は|遠《とほ》くとも  いかで|怯《ひる》まむ|男伊達《をとこだて》
|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》よと  |世《よ》に|謳《うた》はれて|世《よ》を|救《すく》ふ
これぞ|吾等《われら》の|望《のぞ》みなり  これぞ|吾等《われら》の|願《ねが》ひなり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|国照別《くにてるわけ》の|国州《くにしう》はじめ|駒治《こまはる》、|市《いち》、|馬《うま》、|浅《あさ》の|一行《いつかう》|五人《ごにん》は|捩鉢巻《ねぢはちまき》をしながら、|真黒《まつくろ》の|腕《うで》をヌツと|出《だ》し、|埃《ほこり》まぶれの|毛《け》だらけの|脛《すね》を|引《ひ》きずりながら、|此処《ここ》までやつて|来《き》た。|見《み》れば|怪《あや》しき|人《ひと》の|喚《わめ》き|声《ごゑ》、|唯事《ただごと》ならじと|近寄《ちかよ》り|見《み》れば、|孱弱《かよわ》き|二人《ふたり》の|女《をんな》を|相手《あひて》に|大《だい》の|男《をとこ》が|詰《つ》めかけてゐる。|国州《くにしう》は|男《をとこ》を|売《う》るは|今《いま》この|時《とき》と、|赤裸《まつぱだか》の|褌《まはし》|一《ひと》つとなり、|喧嘩《けんくわ》の|中《なか》に|矢《や》にはに|飛《と》び|込《こ》み、|大音声《だいおんじやう》にて、
『|待《ま》つた|待《ま》つた、この|喧嘩《けんくわ》、|俺《おれ》が|預《あづ》かつた』
と|大《だい》の|字《じ》になつて、|立《た》ちはだかれば、この|声《こゑ》に|何《いづ》れも|二三間《にさんげん》ばかり|後《あと》へ|退《ひ》いて|息《いき》を|休《やす》めてゐる。|源九郎《げんくらう》は|冷《ひや》やかにこれを|眺《なが》めて、
『オイ、どこの|唐変木《たうへんぼく》か|知《し》らねいが、|俺《おれ》たちの|喧嘩《けんくわ》に|這入《はい》つた|以上《いじやう》は、みんごと、|埒《らち》をあけるだらうのう。なまじひ|挨拶《あいさつ》なら、やらねえが|良《よ》いぞ、みんごと、|甲斐性《かひしやう》があるか』
|国《くに》『アツハハハハ、|耄碌《まうろく》ども、|確《しつ》かり|聞《き》け。その|方等《はうら》は|旅人《たびびと》を|掠《かす》むる|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|泥棒《どろばう》ぢやねえか、|俺《おれ》はかう|見《み》えても|天下《てんか》の|侠客《けふかく》だ。|義《ぎ》のためには|命《いのち》を|惜《を》しまねえお|兄《にい》さまだ。|泥棒《どろばう》が|旅人《りよにん》を|掠《かす》めてる|所《ところ》へ|入《い》りこんで|来《き》たのは、|仲裁《ちうさい》ではねえぞ、|懲《こ》らしめのためにやつて|来《き》たのだ。どうだ、その|方《はう》を|始《はじ》め|一同《いちどう》の|奴《やつ》、|改心《かいしん》をいたして|真人間《まにんげん》になるか、|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
|源《げん》『ワツハハハハ、|蟷螂《かまきり》の|空威張《からゐばり》|奴《め》、そんなおどし|文句《もんく》で|驚《おどろ》くやうな|源九郎《げんくらう》ぢやねえぞ、|俺《おれ》|達《たち》は|人《ひと》を|裸《はだか》にして、|財物《ざいもつ》を|盗《と》ればいいのだ。それを|否《いな》む|奴《やつ》は、|気《き》の|毒《どく》ながら|命《いのち》を|取《と》つても|目的《もくてき》を|達《たつ》するのだ。その|方《はう》もいらざる|空威張《からゐば》りを|致《いた》すより、|赤裸《まつぱだか》のままトツトと|帰《かへ》れ。いらざるチヨツカイを|出《だ》すと、|気《き》の|毒《どく》ながら|命《いのち》がねえぞ』
『ハツハハハハ、|盗人《ぬすびと》|猛々《たけだけ》しいとはよく|言《い》つたものだ、|取《と》れるなら|取《と》つて|見《み》よ』
|源九郎《げんくらう》は|髪《かみ》を|逆立《さかだ》てながら、
『オイ|乾児《こぶん》ども、|何《なに》を|躊躇《ちうちよ》してゐる。タカが|侠客《けふかく》の|四人《よにん》や|五人《ごにん》、ばらしてしまへ』
と|下知《げち》すれば、|又《また》もや|十数人《じふすうにん》の|小盗人《こぬすびと》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|切《き》つてかかる。|清香姫《きよかひめ》、|春子姫《はるこひめ》はこれに|力《ちから》を|得《え》、|前後左右《ぜんごさいう》に|敵《てき》を|潜《くぐ》つて、|切《き》りたて|薙《な》ぎたてる。|瞬《またた》く|間《うち》に、|十数人《じふすうにん》の|奴《やつ》は|鼻《はな》を|削《そ》がれ、|腕《うで》をかすられ、|足《あし》を|突《つ》かれ、ホウボウの|体《てい》で|算《さん》を|乱《みだ》して|逃《に》げ|出《い》だす。|源九郎《げんくらう》もこの|体《てい》を|見《み》て、|大人気《おとなげ》なくも、|高照山《たかてるやま》の|山頂《さんちやう》|目《め》がけ|刀《かたな》を|打《う》ちふりながら、|殿《しんがり》を|守《まも》り、|味方《みかた》を|浚《さら》へて|逃《に》げて|行《ゆ》く。|国州《くにしう》は|追《お》ひかけるも|無用《むよう》と、|谷川《たにがは》の|水《みづ》を|手《て》に|掬《すく》うて|喉《のど》を|潤《うるほ》し、|身《み》づくろひをしながら、
『オイ|駒《こま》、どうだつた、チツと|泡《あわ》|吹《ふ》いただらうな』
|駒《こま》『|侠客《けふかく》の|喧嘩《けんくわ》なら|喧嘩《けんくわ》の|仕応《しごた》へもありますが、|何《なに》を|言《い》つても、|一方《いつぱう》が|泥棒《どろばう》だから|険呑《けんのん》でなりませぬワ。マアマアお|蔭《かげ》で|吾々《われわれ》|一同《いちどう》には|怪我《けが》がなくて|結構《けつこう》でした』
|国《くに》『|泥棒《どろばう》だつて、|侠客《けふかく》だつて、|喧嘩《けんくわ》に|変《かは》りはない。しかしながらお|前《まへ》|達《たち》も、ここでゆつくり|一服《いつぷく》するが|可《い》い。この|姫様《ひめさま》は|如何《どう》して|又《また》あんな|者《もの》と|喧嘩《けんくわ》をなさつただらうかな』
と|言《い》ひながら、|清香姫《きよかひめ》の|側《そば》に|寄《よ》り、
|国《くに》『エー|姫様《ひめさま》、|危《あぶ》ねえこつてござえやした。まづお|怪我《けが》がなくて、お|芽出《めで》たうございやす。わつちや、|国州《くにしう》といつて、|珍《うづ》の|国《くに》の|者《もの》、ヒルの|国《くに》へ|行《ゆ》く|途中《とちう》、|計《はか》らずも|泥棒《どろばう》に|出会《でつくは》し、|一《ひと》つ|目覚《めざま》しをやつて|見《み》ましたが、イヤ|早《はや》もろい|者《もの》でござえやした。アツハハハハ』
|清香《きよか》『ハイ|有難《ありがた》うございます、|危《あや》ふい|所《ところ》へお|出《い》で|下《くだ》さいまして、こんな|嬉《うれ》しいことはございませぬ。あなたは|今《いま》、|珍《うづ》の|国《くに》の|国州《くにしう》といふ|侠客《けふかく》だと|仰有《おつしや》いましたが、そんなら|貴方《あなた》は|妾《わらは》の|尋《たづ》ぬるお|方《かた》、|国照別《くにてるわけ》さまぢやございませぬか』
|浅公《あさこう》は|側《そば》より、
『|左様《さやう》|左様《さやう》、|今《いま》こそ|侠客《けふかく》になつてござるけれど、|珍《うづ》の|都《みやこ》のお|世継《よつぎ》|国照別《くにてるわけ》|様《さま》でございますよ。|用《よう》もないのにヒルの|都《みやこ》へ|行《ゆ》かうとおつしやるので、|乾児《こぶん》の|悲《かな》しさ|已《や》むを|得《え》ず|従《つ》いて|来《き》ましたが……ヘヘヘヘこんな|別嬪《べつぴん》さまがござるので、|親分《おやぶん》さまもお|越《こ》しになつたのだな、イヤ|分《わか》りました、|親分《おやぶん》さま、|一杯《いつぱい》|買《か》うてもらはにやなりませぬぞ』
|国《くに》『エ、|仕方《しかた》のない|男《をとこ》だなア。これだから|口《くち》の|軽《かる》い|奴《やつ》ア、|困《こま》るといふのだ。チツと|控《ひか》へてをらう』
|浅《あさ》『|何《なん》とマア、|親分《おやぶん》の|愉快《ゆくわい》さうな|顔《かほ》、そらさうだらう。|乾児《こぶん》の|私《わし》だつて、|愉快《ゆくわい》でたまらないもの……もし|姫《ひめ》さま|喜《よろこ》びなさい。あなたが|遥《はる》ばる|慕《した》うて|怖《こは》い|目《め》をして、|尋《たづ》ねて|来《き》た|三国一《さんごくいち》の|婿《むこ》さまは、ヘエー、この|親方《おやかた》でございますよ。|何《なに》をグヅグヅしてござる、|恥《は》づかしいことも|何《なに》もない、|及《およ》ばずながら、この|浅公《あさこう》が|月下氷人《なかうど》となつて|握手《あくしゆ》をさせませう。|何《なん》と|悪《わる》うはございますまいがな』
|清香《きよか》『|妾《わらは》はあまりの|驚《おどろ》きで|何《なに》も|申《まを》し|上《あ》げることは|出来《でき》ませぬ。|春子姫《はるこひめ》、お|前《まへ》|代《かは》つて、あの|国《くに》さまにお|話《はなし》をして|下《くだ》さいな』
|春子《はるこ》『これはこれは|危《あや》ふい|所《ところ》、お|助《たす》け|下《くだ》さいまして、|厚《あつ》くお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げまする。あなたが|噂《うはさ》に|高《たか》き|珍《うづ》の|国《くに》の|国照別《くにてるわけ》|様《さま》でございますか、|存《ぞん》ぜぬ|事《こと》とて|御無礼《ごぶれい》をいたしました。|姫様《ひめさま》の|仰《おほ》せに|従《したが》ひ、|妾《わらは》が|代《かは》つてお|話《はな》しを|申《まを》し|上《あ》げたうございますが、|姫様《ひめさま》はお|兄様《あにさま》としめし|合《あは》せ、|国家《こくか》の|窮状《きゆうじやう》を|救《すく》はむとして、|色々《いろいろ》と|画策《くわくさく》を|遊《あそ》ばされ、|今《いま》またお|兄様《あにさま》の|密使《みつし》に|依《よ》つて……|珍《うづ》の|国《くに》の|国州《くにしう》さまといふ|侠客《けふかく》にお|前《まへ》を|娶合《めあ》はしてやらう、さうすればヒルの|国《くに》を|救《すく》ふことが|出来《でき》る……と|御通知《ごつうち》がございましたので、|取《と》る|物《もの》も|取敢《とりあへ》ず|此処《ここ》まで|参《まゐ》つたのでございます。|果《はた》して|貴方《あなた》が|国照別《くにてるわけ》|様《さま》ならば、こんな|好都合《かうつがふ》はございませぬ。これからヒルの|国《くに》へお|伴《とも》をして|帰《かへ》りたうございます。どうぞ|此《この》|儀《ぎ》お|聞届《ききとど》けを|願《ねが》ひます』
|国《くに》『ウン、あなたが|国愛別《くにちかわけ》|様《さま》のお|妹御《いもうとご》でござつたか。かねがね|兄上《あにうへ》より|貴女《あなた》の|思想《しさう》も|御器量《ごきりやう》も|承《うけたまは》つてをりました。|実《じつ》のところは、この|国照別《くにてるわけ》もヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|来《き》たのは、あなたに|会《あ》ひたくもあり、また|一《ひと》つ|珍《うづ》の|国《くに》は|国愛別《くにちかわけ》|様《さま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》して|改良《かいりやう》していただき、その|代《かは》りとして|拙者《せつしや》がヒルの|国《くに》を|根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》せむと、|侠客《けふかく》となつて|浮世《うきよ》を|忍《しの》び|下層生活《かそうせいくわつ》をしながら、|回天動地《くわいてんどうち》の|大業《たいげふ》を|為《な》さむと、ここまでやつて|参《まゐ》りました。これは|願《ねが》うてもなき|互《たが》ひの|奇遇《きぐう》、|然《しか》らばこれより|姫様《ひめさま》のお|伴《とも》をいたし、ヒルの|城下《じやうか》へ|参《まゐ》りませう』
これより|一行《いつかう》|男女七人《だんぢよしちにん》は|堂々《だうだう》として、|大道《だいだう》の|正中《まんなか》を|宣伝歌《せんでんか》を|唄《うた》ひながら、ヒルの|都《みやこ》を|指《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く。|浅公《あさこう》は|先《さき》に|立《た》つて、|道々《みちみち》|宣伝歌《せんでんか》を|唄《うた》ふ。
『テルとカルとの|国境《くにざかひ》  |高照山《たかてるやま》の|山麓《さんろく》に
|高砂洲《たかさごじま》で|名《な》も|高《たか》い  |大親分《おほおやぶん》の|国《くに》さまと
あたりを|払《はら》ひ|堂々《だうだう》と  |地《つち》|踏《ふ》みならし|進《すす》み|来《く》る
|時《とき》しもあれや|谷川《たにがは》の  |傍辺《かたへ》に|怪《あや》しき|人《ひと》の|声《こゑ》
|何事《なにごと》ならむと|近寄《ちかよ》れば  |豈計《あにはか》らむや|雲《くも》をつく
ばかりの|大《おほ》きな|泥棒《どろばう》が  |長《なが》い|奴《やつ》をば|引《ひ》き|抜《ぬ》いて
|二人《ふたり》の|姫《ひめ》をまん|中《なか》に  |前後左右《ぜんごさいう》から|切《き》りつける
こいつア|救《すく》はにやなるまいと  |親分《おやぶん》さまが|赤裸《まつぱだか》
|喧嘩《けんくわ》の|中《なか》に|跳《おど》り|入《い》り  |待《ま》つた|待《ま》つたと|四股《しこ》|踏《ふ》めば
さすがの|泥棒《どろぼう》|肝《きも》つぶし  |二足《ふたあし》|三足《みあし》|後《あと》しざり
|蜥蜴《とかげ》が|欠伸《あくび》をしたやうに  |空《そら》を|仰《あふ》いで|呆《あき》れ|顔《がほ》
|親分《おやぶん》さまの|掛合《かけあ》ひで  |木《こ》つ|端泥棒《ぱどろぽう》はことごとく
|大切《だいじ》の|大切《だいじ》の|仕事《しごと》をば  あつたら|棒《ぼう》に|振《ふ》りながら
|手疵《てきず》を|負《お》うて|逃《に》げて|行《ゆ》く  |後《あと》に|国照別《くにてるわけ》さまは
ヒルの|国《くに》からやつて|来《き》た  |天女《てんによ》のやうな|姫様《ひめさま》と
|二世《にせ》の|約束《やくそく》|堅《かた》めつつ  |吾《われ》ら|乾児《こぶん》を|引《ひ》きつれて
そんならお|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》り  これからヒルの|都路《みやこぢ》へ
|行《い》つてやらうと|嬉《うれ》し|気《げ》に  いはれた|時《とき》の|姫《ひめ》の|顔《かほ》
|側《そば》に|見《み》てゐる|俺《おれ》さへも  |何《なん》だか|嬉《うれ》しうなつてきた
オイオイ|駒治《こまはる》|市《いち》|馬《うま》よ  お|前《まへ》は|元《もと》は|取締《とりしまり》
|現在《げんざい》|泥棒《どろぽう》を|目《め》の|前《まへ》に  |眺《なが》めながらに|何《なん》のザマ
コラツと|一声《ひとこゑ》かけもせず  |青《あを》い|面《つら》して|慄《ふる》うてゐた
こんな|取締《とりしまり》が|世《よ》の|中《なか》に  あると|思《おも》へば|衆生《しゆじやう》も
|枕《まくら》を|高《たか》う|寝《ね》られない  |何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰抜《こしぬ》けだ
|親分《おやぶん》さまのお|光《ひか》りで  ここまでお|伴《とも》はしたものの
もしも|一人《ひとり》になつたなら  キツと|泥棒《どろばう》にこみわられ
|腕《かひな》の|一本《いつぽん》も|捩《も》ぎ|取《と》られ  ベソをかいたに|違《ちが》ひない
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  これを|思《おも》へば|浅公《あさこう》は
やつぱり|肝《きも》が|太《ふと》いワイ  サアこれからは|浅公《あさこう》が
|親分《おやぶん》さまの|一《いち》の|枝《えだ》  お|前《まへ》は|乾児《こぶん》になるがよい
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  |天《てん》を|封《ふう》じた|老木《らうぼく》の
|並木《なみき》の|街道《かいだう》を|進《すす》み|行《ゆ》く  |吾《われ》ら|一行《いつかう》は|何《なん》となく
|勝利《しようり》の|都《みやこ》へ|行《ゆ》くやうな  |涼《すず》しい|気分《きぶん》になつて|来《き》た
|谷《たに》の|流《なが》れは|淙々《そうそう》と  |飛沫《ひまつ》の|玉《たま》を|飾《かざ》りつつ
|吾《わ》が|一行《いつかう》を|歓迎《くわんげい》し  |琴《こと》を|弾《だん》じて|待《ま》つてゐる
|峰《みね》の|嵐《あらし》は|松柏《しようはく》の  |梢《こずゑ》を|吹《ふ》いて|吾々《われわれ》を
|謳歌《おうか》してゐる|勇《いさ》ましさ  ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|今《いま》は|侠客渡世《けふかくとせい》だが  |親分《おやぶん》さまがたつた|今《いま》
ヒルの|都《みやこ》に|現《あら》はれて  |清香《きよか》の|姫《ひめ》の|婿《むこ》となり
|国《くに》の|政治《せいぢ》を|執《と》られたら  |必《かなら》ず|抜擢《ばつてき》|遊《あそ》ばして
|使《つか》うて|下《くだ》さるだろほどに  |駒公《こまこう》|市公《いちこう》|馬公《うまこう》よ
それをば|先《さき》の|楽《たの》しみと  |思《おも》つて|俺《おれ》に|従《つ》いて|来《こ》い
|前途《ぜんと》はいよいよ|有望《いうばう》だ  |思《おも》へば|思《おも》へば|身《み》も|魂《たま》も
|勇《いさ》みに|勇《いさ》み|跳《おど》り|出《だ》す  |何《なに》ほど|坂《さか》はきつくとも
|何《なに》ほど|日《ひ》かげは|暑《あつ》くとも  |前途《ぜんと》に|望《のぞ》みを|抱《かか》へたる
|吾等《われら》|一行《いつかう》の|魂《たましひ》は  |火《ひ》にも|焼《や》けない|又《また》|水《みづ》に
|溺《おぼ》るる|事《こと》なき|大丈夫《だいぢやうぶ》  |大和男子《やまとをのこ》の|典型《てんけい》と
|末代《まつだい》までも|名《な》を|揚《あ》げて  |国《くに》の|柱《はしら》となるだらう
アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや  |全隊《ぜんたい》|進《すす》めいざ|進《すす》め
|勝利《しようり》の|都《みやこ》が|近《ちか》づいた  |勝利《しようり》の|都《みやこ》はヒルの|国《くに》
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |国魂神《くにたまがみ》の|御前《おんまへ》に
|吾《われ》らが|前途《ぜんと》の|幸福《かうふく》を  |守《まも》らせ|給《たま》へと|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
かく|代《かは》る|代《がは》る|行進歌《かうしんか》を|唄《うた》ひながら、|十数日《じふすうじつ》を|経《へ》た|黄昏《たそがれ》ごろヒルの|都《みやこ》の|町末《まちすゑ》の|或《あ》る|茅屋《ばうをく》に|着《つ》いた。
(大正一三・一・二五 旧一二・一二・二〇 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
第二二章 |有終《いうしう》〔一七六七〕
|国照別《くにてるわけ》|一行《いつかう》はヒルの|都《みやこ》の|町外《まちはづ》れの|半《なか》ば|倒《たふ》れた|古家《ふるいへ》を|借《か》つて|住《す》み|込《こ》み、|博奕《ばくち》をやめ、|自分《じぶん》は|青物《あをもの》を|担《にな》うて|町中《まちぢう》を|売《う》り|歩《ある》き、|乾児《こぶん》は|畠《はたけ》を|作《つく》つて|野菜《やさい》の|栽培《さいばい》をやつてゐた。そして|清香姫《きよかひめ》は|裁縫《さいほう》|炊事《すゐじ》などに|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》してゐた。|春子姫《はるこひめ》は|浅《あさ》、|市《いち》、|馬《うま》、|駒治《こまはる》などの|乾児《こぶん》を|率《ひき》ゐて、|毎日《まいにち》|野良《のら》へ|出《い》で|耕作《かうさく》に|従事《じうじ》してゐたが、|誰《たれ》もその|素性《すじやう》を|知《し》るものはなかつた。
しかるに|一年《いちねん》ばかり|経《た》つて、ふとした|事《こと》から|清香姫《きよかひめ》、|春子姫《はるこひめ》がこの|町外《まちはづ》れの|茅屋《ばうをく》に|賤《しづ》の|女《め》となつて、|四五人《しごにん》の|男《をとこ》と|共《とも》に|耕作《かうさく》に|従事《じうじ》してゐる|事《こと》が、その|筋《すぢ》の|耳《みみ》に|入《い》り、|秋山別《あきやまわけ》、モリスは|職《しよく》にをるわけにも|行《ゆ》かず、|一切《いつさい》の|地位《ちゐ》も|名望《めいばう》も|抛《なげう》ちて、|老躯《らうく》を|引提《ひつさ》げ、|耕耘《かううん》に|従事《じうじ》した。そして|清香姫《きよかひめ》に|自分《じぶん》の|至誠《しせい》を|現《あら》はして|再《ふたた》び|城中《じやうちう》に|帰《かへ》つてもらふことにした。
|清香姫《きよかひめ》は|国照別《くにてるわけ》と|共《とも》に|城中《じやうちう》へ|帰《かへ》り、|父《ちち》|楓別命《かへでわけのみこと》および|母《はは》の|清子姫《きよこひめ》に|対《たい》して、|自分《じぶん》たち|兄妹《きやうだい》の|意中《いちう》を|露《つゆ》ほども|包《つつ》まず|吐露《とろ》した。|両親《りやうしん》も|吾《わ》が|子《こ》の|至誠《しせい》に|感《かん》じ、|自分《じぶん》は|退隠《たいいん》して、|高倉山《たかくらやま》の|宮《みや》に|専仕《せんじ》し、|清香姫《きよかひめ》、|国照別《くにてるわけ》の|意見《いけん》に|従《したが》つて、|国内《こくない》に|仁恵《じんけい》を|行《おこな》ひ、かつ|衆生《しゆじやう》の|意《い》を|迎《むか》へて、|徳政《とくせい》を|施《ほどこ》し、|貧富《ひんぷ》そのところを|得《え》せしめ、|上下《じやうげ》の|障壁《しやうへき》を|除《と》り、|老若男女《らうにやくなんによ》|一般《いつぱん》に|選挙権《せんきよけん》を|与《あた》へた。ここにおいて、すでに|擾乱勃発《ぜうらんぼつぱつ》し、|国家崩壊《こくかほうくわい》せむとする|危機一髪《ききいつぱつ》のヒルの|天地《てんち》は、|忽《たちま》ち|黎明《れいめい》の|新空気《しんくうき》に|充《み》ち、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》を|実現《じつげん》することとなつた。そして|国政《こくせい》を|改《あらた》めて、インカ|国《こく》の|制度《せいど》を|改善《かいぜん》し、|万代不易《ばんだいふえき》の|礎《いしずゑ》を|固《かた》め、|国照別《くにてるわけ》は|選《えら》まれて|大王《だいわう》となり、ヒルの|国家《こくか》は|永遠無窮《えいゑんむきう》に、|旭《あさひ》の|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》りに|栄《さか》ゆることとなつた。|実《げ》に|名《な》にし|負《お》ふ|高砂洲《たかさごじま》の|聖場《せいぢやう》、|高倉山《たかくらやま》は|永久《とことは》に|平和《へいわ》の|花《はな》|香《かを》り、|鸞鳳《らんぽう》|空《そら》に|飛《と》び、|迦陵頻伽《かりようびんが》は|春夏秋冬《しゆんかしうとう》の|別《わか》ちなく、|御代《みよ》の|隆盛《りうせい》を|謳《うた》ひ、|神人和楽《しんじんわらく》して、|国内《こくない》|一点《いつてん》の|不平《ふへい》も|不満《ふまん》もなく、|至治太平《しちたいへい》の|瑞祥《ずゐしやう》を|味《あぢ》はふこととなつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|話《はなし》|代《か》はつて、|珍《うづ》の|国《くに》にては|上下《じやうげ》の|乖離《くわいり》ますます|甚《はなは》だしく、|衆生《しゆじやう》は|猛虎《まうこ》のごとく|狂《くる》ひ|立《た》つて、|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》の|館《やかた》を|包囲《はうゐ》し、|各地《かくち》に|殺人《さつじん》|強盗《がうたう》|出没《しゆつぼつ》し、|人心《じんしん》|戦々恟々《せんせんきようきよう》として|不安《ふあん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれた。|侠客《けふかく》の|愛州《あいしう》はじめ|岩治別《いははるわけ》の|岩公《いはこう》は、|数多《あまた》の|乾児《こぶん》と|共《とも》に|衆生《しゆじやう》の|中《なか》に|入《はい》つて、|天地《てんち》の|道理《だうり》を|説《と》き、やや|人心《じんしん》|緩和《くわんわ》したりといへども、|容易《ようい》に|治《をさ》まらず、|国家《こくか》は|累卵《るゐらん》の|危《あや》ふきに|立《た》ちいたつた。また|春乃姫《はるのひめ》、|常磐姫《ときはひめ》は|昼夜《ちうや》の|別《わか》ちなく|宣伝《せんでん》に|努《つと》め、|松依別《まつよりわけ》は|親爺《おやぢ》の|貯蓄金《ちよちくきん》を|取《と》り|出《だ》し、|貧民窟《ひんみんくつ》に|持運《もちはこ》びなどして、|大《おほ》いに|人心《じんしん》の|緩和《くわんわ》に|努《つと》めた。されど|一旦《いつたん》|燃《も》え|上《あが》つた|人心《じんしん》は|容易《ようい》に|治《をさ》まらず、いつ|大変事《たいへんじ》が|勃発《ぼつぱつ》するか|分《わか》らなくなつて|来《き》た。|賢平《けんぺい》の|力《ちから》も|取締《とりしまり》の|力《ちから》も|施《ほどこ》すに|由《よし》なきに|至《いた》つた。|加《くは》ふるに|地震《ぢしん》しきりに|至《いた》り、|所々《しよしよ》に|大火災《だいくわさい》あり、|収拾《しうしふ》すべからざる|状態《じやうたい》となつた。
|国依別《くによりわけ》、|末子姫《すゑこひめ》は|夜陰《やいん》にまぎれ|城内《じやうない》を|抜《ぬ》け|出《だ》し、|数十里《すうじふり》を|隔《へだ》てた|玉照山《たまてるやま》の|月《つき》の|宮《みや》に|立籠《たてこ》もつて、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふべく、|老体《らうたい》ながら|祈《いの》つてゐた。かかるところへ、ヒルの|国《くに》の|大王《だいわう》|国照別《くにてるわけ》は|数多《あまた》の|勇《いさ》み|男《を》を|引《ひ》きつれ、|珍《うづ》の|国《くに》|救援《きうゑん》のために|夜《よ》を|日《ひ》についで|駈《か》けつけた。|岩治別《いははるわけ》は|愛州《あいしう》の|命《めい》により、ヒルの|国《くに》の|国照別《くにてるわけ》に|応援《おうゑん》を|請《こ》ふべく、アリナ|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》まで|登《のぼ》つたところ、ベツタリ|国照別《くにてるわけ》の|一行《いつかう》に|出会《でつくは》し、|詳細《つぶさ》に|珍《うづ》の|国《くに》|刻下《こくか》の|現状《げんじやう》を|述《の》べ、|国照別《くにてるわけ》も|意外《いぐわい》の|事《こと》に|驚《おどろ》きながら、|一行《いつかう》|数百人《すうひやくにん》|都《みやこ》を|指《さ》して、|駿馬《しゆんめ》に|跨《また》がり|進《すす》み|入《い》る。
|四五日《しごにち》の|後《のち》、|国照別《くにてるわけ》は|三年振《さんねんぶ》りに|再《ふたた》び|自分《じぶん》の|故国《ここく》に|帰《かへ》り、|珍《うづ》の|都《みやこ》の|姿《すがた》を|見《み》た|時《とき》は、|実《じつ》に|今昔《こんじやく》の|感《かん》に|打《う》たれざるを|得《え》なかつた。|大廈高楼《たいかかうろう》は|暴動《ばうどう》のために|爆破《ばくは》され、|富豪《ふうがう》の|邸宅《ていたく》は|焼《や》き|払《はら》はれ、|至《いた》る|所《ところ》に|仮小屋《かりごや》が|建《た》てられ、|衆生《しゆじやう》の|悲惨《ひさん》な|生活状態《せいくわつじやうたい》が、|国照別《くにてるわけ》の|仁慈《じんじ》に|富《と》める|心《こころ》を|痛《いた》めた。
|国照別《くにてるわけ》は「ヒルの|国《くに》の|大王《だいわう》、|珍《うづ》の|国《くに》の|世子《せいし》|国照別《くにてるわけ》」といふ|大旗《おほはた》を|風《かぜ》に|翻《ひるがへ》しながら、|珍《うづ》の|都《みやこ》の|大道《だいだう》を|堂々《だうだう》と|進《すす》み|入《い》つた。この|旗印《はたじるし》を|見《み》て|衆生《しゆじやう》は|再生《さいせい》の|思《おも》ひをなし、|手《て》にした|兇器《きようき》を|投《な》げ|捨《す》てて|地上《ちじやう》に|平伏《へいふく》したり。かかる|所《ところ》へ|春乃姫《はるのひめ》、|常磐姫《ときはひめ》は|宣伝《せんでん》に|窶《やつ》れたる|黒《くろ》い|顔《かほ》をさらしながら|現《あら》はれ|来《き》たり、|国照別《くにてるわけ》の|応援《おうゑん》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》する。また|国愛別《くにちかわけ》の|愛州《あいしう》は|数多《あまた》の|乾児《こぶん》と|共《とも》に、|高砂城《たかさごじやう》の|表門《おもてもん》に|待《ま》ち|迎《むか》へ、|国照別《くにてるわけ》を|導《みちび》いて|城内《じやうない》|深《ふか》く|入《い》つた。|松若彦《まつわかひこ》、|伊佐彦《いさひこ》は|今《いま》までの|地位《ちゐ》と|爵位《しやくゐ》を|抛《なげう》ち、|衆生《しゆじやう》の|前《まへ》に|丸裸《まるはだか》となつて|罪《つみ》を|謝《しや》した。
これより|国照別《くにてるわけ》、|春乃姫《はるのひめ》、|愛州《あいしう》の|国愛別《くにちかわけ》、|岩公《いはこう》の|岩治別《いははるわけ》は|評定所《ひやうぢやうしよ》に|入《い》つて、|政治《せいぢ》の|改革《かいかく》を|断行《だんかう》する|事《こと》となり、|国依別《くによりわけ》、|末子姫《すゑこひめ》を|玉照山《たまてるやま》より|迎《むか》へ|還《かへ》し、ヒルの|国《くに》|同様《どうやう》の|神政《しんせい》を|行《おこな》ひ、|愛州《あいしう》の|国愛別《くにちかわけ》を|妹《いもうと》の|春乃姫《はるのひめ》に|娶合《めあ》はし、|民衆《みんしう》に|推戴《すゐたい》されて|国愛別《くにちかわけ》は|大王《だいわう》となり、|貧富《ひんぷ》の|懸隔《けんかく》を|打破《だは》し、|国民《こくみん》|上下《じやうか》の|待遇《たいぐう》を|改善《かいぜん》し、|世《よ》は|平安無事《へいあんぶじ》に|永遠無窮《えいゑんむきう》に|治《をさ》まつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|珍《うづ》の|野《の》に|村雲《むらくも》|起《おこ》り|月《つき》も|日《ひ》も
|玉照山《たまてるやま》にかくれけるかな
|国愛別《くにちかわけ》|神《かみ》の|誠《まこと》の|現《あら》はれて
|醜《しこ》の|荒《すさ》びも|静《しづ》まりにけり
|霜《しも》の|朝《あさ》|雪《ゆき》の|夕《ゆふ》べを|凌《しの》ぎつつ
|春乃《はるの》の|姫《ひめ》の|御代《みよ》に|会《あ》ふかな
|高砂《たかさご》の|珍《うづ》の|御国《みくに》の|御柱《みはしら》と
|現《あら》はれたてる|松《まつ》の|常磐木《ときはぎ》
|常磐姫《ときはひめ》|松《まつ》の|操《みさを》のなかりせば
|珍《うづ》の|御国《みくに》は|栄《さか》えざらまし
|岩治別《いははるわけ》|司《つかさ》の|君《きみ》の|真心《まごころ》に
|岩《いは》より|堅《かた》き|国《くに》は|立《た》ちぬる
|国照別《くにてるわけ》|雲《くも》|押《お》し|分《わ》けて|下《くだ》りまし
|月日《つきひ》|輝《かがや》く|御代《みよ》となしぬる
|大老《たいらう》の|松若彦《まつわかひこ》も|魂《たましひ》を
やき|直《なほ》しつつ|鄙《ひな》に|下《くだ》りぬ
|伊佐彦《いさひこ》の|古《ふる》い|頭《あたま》も|衆生《しゆじやう》の
|烈《はげ》しき|声《こゑ》に|眼《まなこ》さめけり
|国愛別《くにちかわけ》|珍《うづ》の|真人《まびと》は|高砂《たかさご》の
|城《しろ》の|主《あるじ》となりにけるかな
|春乃姫《はるのひめ》|国愛別《くにちかわけ》にあひ|添《そ》ひて
|珍《うづ》の|御国《みくに》の|花《はな》となりぬる
|松依別《まつよりわけ》|父《ちち》の|宝《たから》をあし|原《はら》の
|醜草村《しこぐさむら》に|撒《ま》きすてにけり
|樽乃姫《たるのひめ》サデスムスをば|患《わづら》ひて
|牢屋《ひとや》の|中《なか》に|斃《たふ》れけるかな
|国依別《くによりわけ》|末子《すゑこ》の|姫《ひめ》は|玉照《たまてる》の
|神《かみ》の|御山《みやま》に|永久《とは》に|仕《つか》へし
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|力《ちから》の|現《あら》はれて
|五六七《みろく》の|御代《みよ》は|豊《ゆた》かに|立《た》ちぬ
この|話《はなし》|高砂洲《たかさごじま》の|事《こと》のみか
その|他《た》の|国《くに》にもありさうなこと
|天地《あめつち》のゆり|動《うご》くなる|今《いま》の|世《よ》は
|心《こころ》|許《ゆる》すな|何《いづ》れの|国《くに》も
|伊予《いよ》の|温泉《ゆ》に|病《やまひ》|養《やしな》ふその|暇《ひま》に
|成《な》りにけるかなこの|物語《ものがたり》
この|書《ふみ》の|世《よ》に|出《い》づる|日《ひ》を|松村《まつむら》の
|握《にぎ》りしペンの|勇《いさ》ましきかな
|世《よ》に|弘《ひろ》く|伝《つた》へむとして|物語《ものがた》りぬ
|高砂洲《たかさごじま》の|雲《くも》の|往来《ゆきき》を。
(大正一三・一・二五 旧一二・一二・二〇 伊予 於山口氏邸 松村真澄録)
(昭和一〇・六・二三 王仁校正)
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霊界物語 第六九巻 山河草木 申の巻
終り