霊界物語 第六八巻 山河草木 未の巻
出口王仁三郎
--------------------
●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六十八巻』天声社
1971(昭和46)年05月28日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
-------------------------
●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |名花移植《めいくわいしよく》
第一章 |貞操論《ていさうろん》〔一七二五〕
第二章 |恋盗詞《こひどうし》〔一七二六〕
第三章 |山出女《やまだしをんな》〔一七二七〕
第四章 |茶湯《ちやのゆ》の|艶《えん》〔一七二八〕
第二篇 |恋火狼火《れんくわらうくわ》
第五章 |変装太子《へんさうたいし》〔一七二九〕
第六章 |信夫恋《しのぶこひ》〔一七三〇〕
第七章 |茶火酌《ちやびしやく》〔一七三一〕
第八章 |帰鬼逸迫《ききいつぱく》〔一七三二〕
第三篇 |民声魔声《みんせいませい》
第九章 |衡平運動《かうへいうんどう》〔一七三三〕
第一〇章 |宗匠財《そうしやうざい》〔一七三四〕
第一一章 |宮山嵐《みややまあらし》〔一七三五〕
第一二章 |妻狼《さいらう》の|囁《ささやき》〔一七三六〕
第一三章 |蛙《かはづ》の|口《くち》〔一七三七〕
第四篇 |月光徹雲《げつくわうてつうん》
第一四章 |会者浄離《ゑしやじやうり》〔一七三八〕
第一五章 |破粋者《やぶれすゐしや》〔一七三九〕
第一六章 |戦伝歌《せんでんか》〔一七四〇〕
第一七章 |地《ち》の|岩戸《いはと》〔一七四一〕
第五篇 |神風駘蕩《しんぷうたいたう》
第一八章 |救《すくひ》の|網《あみ》〔一七四二〕
第一九章 |紅《あけ》の|川《かは》〔一七四三〕
第二〇章 |破滅《はめつ》〔一七四四〕
第二一章 |祭政一致《さいせいいつち》〔一七四五〕
------------------------------
|序文《じよぶん》
|大正《たいしやう》|甲子《きのえね》は|古来《こらい》|稀《まれ》なる|変《かは》つた|年《とし》であつた。|世界《せかい》にとつても、|大本《おほもと》にとつても、また|著者《ちよしや》|自身《じしん》にとつても、|大革新《だいかくしん》の|気分《きぶん》の|漂《ただよ》うた|不思議《ふしぎ》な|年《とし》である。まづ|世界《せかい》の|出来事《できごと》はさておいて、|大本《おほもと》の|過去《くわこ》|一年間《いちねんかん》の|活躍史《くわつやくし》を|見《み》れば、エスペラント|語《ご》をもつて|綴《つづ》りたる|大本《おほもと》|雑誌《ざつし》を|世界《せかい》|四十八カ国《しじふはちかこく》に|発送《はつそう》し、かつ|世界《せかい》の|各地《かくち》より|大本《おほもと》を|求《もと》めて|来《く》る|者《もの》もつとも|多《おほ》く、|次《つ》いで|大本瑞祥会《おほもとずゐしやうくわい》を|亀岡《かめをか》より|綾部《あやべ》に|移《うつ》して、|教務《けうむ》の|統一《とういつ》を|計《はか》り、|役員《やくゐん》|職員《しよくゐん》を|新任《しんにん》し、|規約《きやく》を|制定《せいてい》して、|大《おほ》いに|神人愛《しんじんあい》のため|鵬翼《ほうよく》を|張《は》つて|天下《てんか》に|高翔《かうしやう》[#校定版「高翔」]せむとする|機運《きうん》に|向《む》かつた。|次《つ》いで|黒竜会《こくりうくわい》との|精神的《せいしんてき》|提携《ていけい》、|普天教《ふてんけう》との|関係《くわんけい》はますます|濃厚《のうこう》の|度《ど》を|加《くは》へ、|支那道院《しなだうゐん》|紅卍字会《こうまんじくわい》と|提携《ていけい》して|神戸《かうべ》に|道院《だうゐん》を|設《まう》け、|広《ひろ》く|各宗《かくしう》の|信徒《しんと》を|集《あつ》め、|宗教《しうけう》|統一《とういつ》の|大本《おほもと》が|理想《りさう》の|実現《じつげん》に|着手《ちやくしゆ》した。また|回教徒《くわいけうと》|吾《わ》が|派遣《はけん》したる|公文直太郎《くもんなほたらう》|氏《し》の|復命《ふくめい》をはじめ、|田中逸平《たなかいつぺい》|氏《し》の|参綾《さんれう》、|支蒙学者《しもうがくしや》の|石山福治《いしやまふくぢ》|氏《し》その|他《た》|数多《あまた》|名士《めいし》の|参綾《さんれう》となり、|大本《おほもと》は|愈《いよいよ》この|年《とし》より|復興《ふくこう》|革新《かくしん》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》むることとなつた。
また|著者《ちよしや》|個人《こじん》にとつては、|正月《しやうぐわつ》|九日《ここのか》より|亜細亜聊盟《あじあれんめい》の|基礎《きそ》を|造《つく》らむため、|秘書長《ひしよちやう》|松村《まつむら》|氏《し》|外《ほか》|二名《ふたな》と|共《とも》に|朝鮮《てうせん》を|経由《けいゆ》して|奉天《ほうてん》に|渡《わた》り、|蒙古《もうこ》の|英雄《えいゆう》|蘆占魁《ろせんくわい》その|他《た》の|豪傑連《がうけつれん》を|率《ひき》ゐて|蒙古救援軍《もうこきうゑんぐん》を|起《おこ》し、|深《ふか》く|奥地《おくち》に|入《い》つて、|索倫山《そうろんざん》に|軍《ぐん》の|編成《へんせい》をなし、|大本喇嘛教《おほもとらまけう》を|設立《せつりつ》し、|日地月星《につちげつせい》の|教旗《けうき》を|翻《ひるがへ》し、|着々《ちやくちやく》として|人類愛《じんるゐあい》|実行《じつかう》の|緒《ちよ》に|就《つ》きしが、|大神《おほかみ》の|摂理《せつり》によりて|白因太拉《ぱいんたら》の|難《なん》を|無事《ぶじ》|突破《とつぱ》し、|支那《しな》ならびに|日本領事館《にほんりやうじくわん》の|監獄《かんごく》|生活《せいくわつ》を|甞《な》め、|新暦《しんれき》|七月《しちぐわつ》|二十五日《にじふごにち》|再《ふたた》び|内地《ないち》に|帰《かへ》り、|警官《けいくわん》に|護送《ごそう》されて、|同月《どうげつ》|二十七日《にじふしちにち》|大阪《おほさか》|若松町《わかまつちやう》の|刑務所《けいむしよ》に|投《な》げ|込《こ》まれ、|九十九日《くじふくにち》の|獄舎生活《ごくしやせいくわつ》を|了《を》へて、|十一月《じふいちぐわつ》|一日《いちにち》やうやく|綾部《あやべ》に|帰《かへ》り、|霊界物語《れいかいものがたり》|第六十七巻《だいろくじふしちくわん》として|蒙古入《もうこいり》の|梗概《こうがい》を|口述《こうじゆつ》し、|表面《へうめん》|上野公園《うへのこうゑん》|著《ちよ》として|天下《てんか》に|発表《はつぺう》することとした。それより|寸閑《すんかん》を|窺《うかが》ひ、|六十八《ろくじふはち》、|九《く》の|巻《まき》を|口述《こうじゆつ》し、また|更《さら》に|正月《しやうぐわつ》|五日《いつか》より|七日《ななか》に|亘《わた》り、|古稀《こき》の|巻《まき》(|七十巻《しちじつくわん》)を|口述《こうじゆつ》し|了《をは》ることとなつた。|五日《いつか》の|五《いづ》は|厳《いづ》の|御魂《みたま》に|因《ちなみ》あり、かつ|大正《たいしやう》|十年《じふねん》|著者《ちよしや》が|始《はじ》めて|京都《きやうと》の|刑務所《けいむしよ》に|投《な》げ|込《こ》まれたる|記念《きねん》すべき|日《ひ》である。|六日《むゆか》の|六《むゆ》、|水火《すゐくわ》の|調節《てうせつ》に|仍《よ》つて|万物《ばんぶつ》|萌《も》え|出《い》づるという|言霊《ことたま》であり、|七日《ななか》は|天地《てんち》|完成《くわんせい》の|意《い》を|含《ふく》んだ|吉日《きちじつ》である。この|目出《めで》たき|五六七《ごろくしち》の|三六《みろく》の|三ケ日《さんかにち》は|瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|因《ちな》んでゐる。また|五六七殿《みろくでん》の|七五三《しちごさん》の|太鼓《たいこ》は|甲子《きのえね》|九月《くぐわつ》|八日《やうか》より|五六七《ごろくしち》と|打《う》つことになり、この|日《ひ》は|印象《いんしやう》|深《ふか》き|神島詣《かみじままう》での|際《さい》、|二代《にだい》|澄子《すみこ》が|紫《むらさき》の|玉《たま》にも|譬《たと》ふべき、|尉《じやう》と|姥《うば》との|神像《しんざう》を|迎《むか》へ|帰《かへ》りし|瑞祥《ずゐしやう》の|日《ひ》である。また|二女《にぢよ》の|梅野《うめの》、|三女《さんぢよ》の|八重野《やへの》の|結婚《けつこん》も|甲子《きのえね》の|年《とし》に|執《と》り|行《おこな》ふこととなつた。|何《なん》につけても|千変万化《せんぺんばんくわ》、|端倪《たんげい》すべからざる|事物《じぶつ》の|続出《ぞくしゆつ》したる|記念《きねん》の|年《とし》である。
|月光《げつくわう》いよいよ|世《よ》に|出《い》でて|万界《ばんかい》の|暗《やみ》を|照破《せうは》す、とは|霊界物語《れいかいものがたり》の|発表《はつぺう》に|対《たい》し、|神界《しんかい》より|示《しめ》されたる|聖句《せいく》である。|古来《こらい》|稀有《けう》と|称《しよう》する|七十巻《しちじつくわん》の|巻《まき》を|編述《へんじゆつ》するに|当《あた》り、|月光閣《げつくわうかく》において、|始《はじ》めて|完成《くわんせい》したるも、|御幣担《ごへいかつ》ぎか|知《し》らねども、|著者《ちよしや》にとつては、|実《じつ》に|何《なに》かの|神界《しんかい》の|経綸《けいりん》が|秘《ひそ》んでゐるやうにも|考《かんが》へられる。|筆録者《ひつろくしや》|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》、|北村《きたむら》|隆光《たかてる》、|加藤《かとう》|明子《はるこ》|諸氏《しよし》の|筆録《ひつろく》の|労苦《らうく》を|謝《しや》し、|後日《ごじつ》の|記念《きねん》の|為《ため》に|茲《ここ》に|誌《しる》しおく|次第《しだい》である。
|六日《むゆか》の|夕方《ゆふがた》より|七日《なぬか》の|午後《ごご》にかけ|黄白色《くわうはくしよく》の|降雪《かうせつ》あり。|地上《ちじやう》に|積《つ》むこと|殆《ほと》んど|二寸《にすん》、これまた|実《じつ》に|古来《こらい》|稀有《けう》の|現象《げんしやう》といふべしである。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十四年正月七日 新一月三十日 於月光閣
(編輯者から)本巻は都合により第六十八巻として発行されます。以後も引続き順送りとなりますから御諒承下さい。
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|前巻《ぜんくわん》の|後《あと》をうけて、|印度《いんど》タラハン|王国《わうごく》の|太子《たいし》スダルマンを|中心《ちうしん》とせる、|同国《どうこく》の|祭政一致《さいせいいつち》の|維新《ゐしん》に|至《いた》る|波乱重畳《はらんちようでふ》たる|経路《けいろ》を|口述《こうじゆつ》せられたるものにして、|太子《たいし》および|旧左守《きうさもり》の|娘《むすめ》スバール|姫《ひめ》の|燃《も》ゆるがごとき|初恋《はつこひ》の|描写《べうしや》より、|太子《たいし》|唯一《ゆゐいつ》の|寵臣《ちようしん》アリナの|活躍《くわつやく》によつて、|深山《みやま》の|名花《めいくわ》はタラハン|市《し》の|片《かた》ほとり、|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》タルチンが|離《はな》れ|座敷《ざしき》に|移植《いしよく》されて、|満足《まんぞく》せられたる|両人《りやうにん》の|恋《こひ》の|焔《ほのほ》は、ますます|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひて、|太子《たいし》の|変装《へんさう》|脱出《だつしゆつ》、アリナの|身代《みがは》り|太子《たいし》などの|苦肉策《くにくさく》は|却《かへ》つて|滑稽味《こつけいみ》を|帯《お》び、アリナもまた|魔《ま》の|女《をんな》|信夫《しのぶ》の|毒手《どくしゆ》に|危《あや》ふく|翻弄《ほんろう》せられむとする|折柄《をりから》、|予《かね》て|特権階級《とくけんかいきふ》|資本家《しほんか》などの|横暴《わうばう》に|反抗《はんかう》して|立《た》てる|謎《なぞ》の|女《をんな》バランスの|率《ひき》ゆる|民衆団《みんしうだん》の|爆発《ばくはつ》|暴動《ばうどう》となり、|民衆怨嗟《みんしうゑんさ》の|炎《ほのほ》は|城下《じやうか》の|過半《くわはん》を|焼《や》き|尽《つく》し、タラハン|城下《じやうか》は|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|地獄道《ぢごくだう》と|急変《きふへん》し、|太子《たいし》はスバール|姫《ひめ》と|駈落《かけお》ちして|右守《うもり》の|魔手《ましゆ》に|捉《とら》はれ、|大王《だいわう》は|城下《じやうか》|内外《ないぐわい》|変乱《へんらん》を|焦慮《せうりよ》して|病《やまひ》|重態《ぢうたい》に|陥《おちい》り、アリナの|脱走《だつそう》より、|右守司《うもりのかみ》サクレンスの|大陰謀《だいいんぼう》はこの|機《き》にその|効果《かうくわ》を|収《をさ》めむとする|時《とき》しも、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|梅公司《うめこうつかさ》の|出現《しゆつげん》によつて|善悪《ぜんあく》は|立別《たてわ》けられ、|正邪《せいじや》は|各《おのおの》その|処《ところ》を|得《え》、|大王《だいわう》の|国替《くにが》へ、|太子《たいし》の|即位《ひつぎ》ならびに|結婚《けつこん》|披露《ひろう》、|旧左守《きうさもり》シャカンナの|復活《ふくくわつ》、アリナ、バランスの|登庸《とうよう》、|大宮山《おほみややま》の|神殿《しんでん》|造営《ざうえい》などを|主《しゆ》たる|問題《もんだい》として、|滅亡《めつぼう》の|淵《ふち》に|瀕《ひん》せしタラハン|王国《わうごく》は、|階級打破《かいきふだは》、|上下無差別《じやうかむさべつ》、|祭政一致《さいせいいつち》の|理想的《りさうてき》|地上天国《ちじやうてんごく》と|蘇生《そせい》したる|綱領《かうりやう》を、|恋愛問題《れんあいもんだい》、|貞操論《ていさうろん》|乃至《ないし》|奇想天外的《きさうてんぐわいてき》の|滑稽諧謔《こつけいかいぎやく》をもつて|潤飾《じゆんしよく》せられたる|教訓《けうくん》、|情味《じやうみ》|津々《しんしん》として|尽《つ》きざる|神示《しんじ》の|物語《ものがたり》であります。|神意《しんい》の|存《そん》する|処《ところ》は|何時《いつ》もながら、|読者《どくしや》の|各自各様《かくじかくやう》に|会得《ゑとく》せられることと|思《おも》ひます。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十四年正月七日 新一月三十日 於月光閣
第一篇 |名花移植《めいくわいしよく》
第一章 |貞操論《ていさうろん》〔一七二五〕
|樹々《きぎ》の|緑《みどり》も|浅倉山《あさくらやま》の|嫩芽《どんが》、|巻紙《まきがみ》を|拡《ひろ》げて|一枚一枚《いちまいいちまい》|楕円《だゑん》の|舌《した》をはみ|出《だ》し、|晩春《ばんしゆん》の|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて|無言《むごん》の|囁《ささや》きをつづけてゐる。|春《はる》の|終《をは》りとはいへ、|高地帯《かうちたい》の|山奥《やまおく》では|都路《みやこぢ》に|比《ひ》して|一ケ月《いつかげつ》ばかり|木《き》の|芽《め》の|生立《おひた》ちも|遅《おく》れてゐる。
|虎《とら》、|狼《おほかみ》、|獅子《しし》、|熊《くま》の|哮《うな》り|声《ごゑ》、|小鳥《ことり》の|百囀《ももさへづ》り、|春風《はるかぜ》の|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》をもむ|音《おと》、それより|外《ほか》に|聞《き》くものもなきこの|山奥《やまおく》に、その|昔《むかし》タラハン|国《ごく》の|左守《さもり》の|司《かみ》と|仕《つか》へたるシャカンナは、|年《とし》|老《お》いたりといへど|勇気《ゆうき》は|昔《むかし》に|衰《おとろ》へず、|一朝《いつてう》、|時《とき》を|得《う》れば|潜竜《せんりう》の|淵《ふち》を|出《い》でて|天《てん》に|躍《をど》るが|如《ごと》く、|天下《てんか》|国家《こくか》のために|昔《むかし》とつたる|杵柄《きねづか》の|逞《たくま》しき|両腕《りやううで》を|国政《こくせい》の|上《うへ》に|試《こころ》みむとし、|数百《すうひやく》の|部下《ぶか》を|人跡《じんせき》|稀《まれ》なる|山奥《やまおく》に|集《あつ》めて|回天《くわいてん》の|神策《しんさく》に|身心《しんしん》を|傾《かたむ》けてゐたが、フトした|事《こと》より、|行《ゆ》く|年波《としなみ》と|共《とも》に|天命《てんめい》を|知《し》り|山寨《さんさい》に|火《ひ》を|放《はな》ち、|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|解散《かいさん》し、|今年《ことし》|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へた|最愛《さいあい》の|一女《いちぢよ》スバール|姫《ひめ》を|老後《らうご》の|力《ちから》となして、|一陽来復《いちやうらいふく》の|時《とき》を|待《ま》ちつつあつた。
あたかも|天《てん》から|降《ふ》つて|湧《わ》いたるごとく|思《おも》ひがけなきタラハン|国《ごく》のスダルマン|太子《たいし》が、|吾《わ》が|政敵《せいてき》なる|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナと|共《とも》に、|雨露《あめつゆ》を|凌《しの》ぐにたゆべき|茅屋《あばらや》の|破《やぶ》れ|戸《ど》を|叩《たた》くに|会《あ》ひ|仮寝《うたたね》の|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られ、|十年振《じふねんぶ》りにて|主従《しゆじう》の|対面《たいめん》をなしたる|数奇《すうき》きはまる|運命《うんめい》に、|大旱《たいかん》になやんで|萎《しほ》れかかりし|木《き》の|葉《は》の、|雨露《あめつゆ》の|恵《めぐ》みに|遭《あ》ひて|生々《せいせい》と|復活《ふくくわつ》したるが|如《ごと》き|心地《ここち》し、|日夜《にちや》|腕《うで》を|扼《やく》してタラハン|城《じやう》の|空《そら》を|眺《なが》めて|再生《さいせい》|活躍《くわつやく》の|希望《きばう》を|漲《みなぎ》らしつつあつた。
|日頃《ひごろ》|淋《さび》しく|感《かん》ずる|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》も、|悲哀《ひあい》に|満《み》ちた|百鳥《ももどり》の|囀《さへづ》りも、この|頃《ごろ》は|何《なん》となく|生気《せいき》|溌溂《はつらつ》として|己《おの》が|出盧《しゆつろ》を|促《うなが》すものの|如《ごと》く、|谷川《たにがは》のせせらぎの|音《ね》にも、|梢《こずゑ》をわたる|風《かぜ》の|音《ね》にも、|希望《きばう》の|声《こゑ》が|満《み》ちてゐるやうに|感《かん》じられた。
|俗臭《ぞくしう》|紛々《ふんぷん》として|罪悪《ざいあく》に|満《み》ちたる|暗黒《あんこく》の|社会《しやくわい》、|人面獣心《にんめんじうしん》の|化物《ばけもの》どもが|白昼《はくちう》を|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》する|都大路《みやこおほぢ》の|塵《ちり》にも|染《そ》まぬ|天成《てんせい》の|美人《びじん》スバール|姫《ひめ》が、|浅倉山《あさくらやま》の|山奥《やまおく》、|玉《たま》の|川《がは》の|上流《じやうりう》、|清《きよ》く|流《なが》れて|激潭飛沫《げきたんひまつ》をとばす|岸《きし》の|片辺《かたほとり》、|千畳《せんでふ》の|岩石《がんせき》をもつて|区劃《くくわく》された|川《かは》の|淵《ふち》、|淋《さび》しげに|立《た》てられた|掘《ほ》り|込《こ》み|建《だ》ちの|茅屋《あばらや》に、|鬼《おに》をも|挫《ひし》ぐ|父《ちち》のシャカンナと|共《とも》に、|無心《むしん》の|生命《せいめい》を|保《たも》ち、|千歳《ちとせ》の|苔《こけ》に|玉《たま》の|肌《はだ》を|包《つつ》まれて、|今《いま》まで|社会《しやくわい》に|落伍《らくご》した|人間《にんげん》の|屑《くづ》|小盗人《こぬすと》どもに、|女帝《によてい》のごとく、|王女《わうぢよ》のごとくもてはやされ、|人生《じんせい》の|春《はる》を|過《す》ごすこそ、せめてものスバール|姫《ひめ》が|心《こころ》の|誇《ほこ》り、もしこのままにして|世《よ》に|出《い》でずば、|獣《けもの》|臭《くさ》き|山男《やまをとこ》の|妻《つま》となるか、|泥棒《どろばう》の|妻《つま》となつて|女盗賊《をんなたうぞく》の|頭目《とうもく》として|一生《いつしやう》を|終《をは》るか、|但《ただし》は|見《み》るべき|花《はな》として|時《とき》の|力《ちから》に|散《ち》り|失《う》せ|実《み》を|結《むす》ばず、|木《き》の|根《ね》の|肥料《こえ》となるか、さもなくば|可惜《あたら》|美人《びじん》の|生涯《しやうがい》を|真黒《まつくろ》の|毛脛《けずね》に|抱《だ》き|通《とほ》され、|果敢《はか》なき|一生《いつしやう》を|送《おく》るより|外《ほか》に|道《みち》なき|姫《ひめ》の|運命《うんめい》、|人間《にんげん》としては|余《あま》りに|艶麗《えんれい》に|過《す》ぎたるその|容貌《ようばう》、|諺《ことわざ》にいふ|美人《びじん》の|薄命《はくめい》、|結縁《むすび》の|神《かみ》に|憎《にく》まれてこの|山中《さんちう》に|葬《はうむ》らるべき|可惜《あたら》もの。さりながら、|父《ちち》の|権威《けんゐ》と|吾《わ》が|身《み》の|年《とし》|若《わか》きに|過《す》ぎたるを|幸《さいは》ひ、|悪性男《あくしやうをとこ》の|暴力《ばうりよく》に|木《き》の|根《ね》を|枕《まくら》の|犠牲《ぎせい》にもならず、|今日《こんにち》|十五《じふご》の|春《はる》まで|身《み》を|犯《をか》されず、|霊《れい》を|弄《もてあそ》ばれず、|春秋《しゆんじう》を|送《おく》り|迎《むか》へして|来《き》たのは、せめてもの|彼《か》の|少女《せうぢよ》にとつては|幸《さいは》ひである。|六才《ろくさい》の|春《はる》より|父親《てておや》の|手《て》に|育《そだ》てられ、|浅倉谷《あさくらだに》の|清流《せいりう》、|岩《いは》にせかるる|谷《たに》の|淵瀬《ふちせ》の|水鏡《みづかがみ》はありながら、|地《ち》を|撫《な》でるごとき|長《なが》き|頭《かしら》の|黒髪《くろかみ》を|無雑作《むざふさ》にクルクルとまきつけて|結《むす》び、|浮世《うきよ》の|風《かぜ》の|響《ひび》きさへ|知《し》らず、もし|人《ひと》あつてこの|美人《びじん》を|都大路《みやこおほぢ》の|真中《まんなか》につき|出《だ》さうものなら、|万金《まんきん》を|費《つひ》やしても|見《み》られぬはずの|玉《たま》を|伸《の》べたるごとき|腕《かひな》も|脛《すね》もあらはに|惜《を》し|気《げ》もなく、タニグク|颪《おろし》に|散《ち》り|来《く》る|木《こ》の|葉《は》の|屑《くづ》に|弄《もてあそ》ばれ、|一片《いつぺん》の|人工《じんこう》も|施《ほどこ》さず、|天成《てんせい》そのままの|玉《たま》の|肌《はだ》をこの|山奥《やまおく》に|横《よこ》たへ、|暇《ひま》ある|時《とき》は、|獅子《しし》、|兎《うさぎ》の|安息所《あんそくしよ》たる|山林《さんりん》に|別《わ》け|入《い》つて、|薪《たきぎ》を|背負《せお》ひ、|炊事《すゐじ》|万端《ばんたん》まめまめしく|父《ちち》の|労苦《らうく》を|助《たす》けてゐた。|紅《べに》|白粉《おしろい》|香油《かうゆう》などの|補助的《ほじよてき》|粧飾品《さうしよくひん》は|生《うま》れて|以来《このかた》、|見《み》た|事《こと》もなく、|身《み》につけた|事《こと》もない、ただ|惟神《かむながら》のままに|生立《おひた》つた。|原野《げんや》に|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|花《はな》の|粧《よそほひ》をこの|山奥《やまおく》に|人知《ひとし》れずさらすのは、さながら|造化《ざうくわ》の|技巧《ぎかう》をこらして|作《つく》り|上《あ》げた|天真《てんしん》の|美貌《びばう》、どこへ|転《ころ》がしても|玉《たま》は|玉《たま》、|如何《いか》に|粗末《そまつ》でも|蘭麝《らんじや》は|蘭麝《らんじや》の|香《か》を|備《そな》ふる|道理《だうり》、どこともなく|言《い》ふに|言《い》はれぬ|床《ゆか》し|気《げ》がある。
|蔭裏《かげうら》の|豆《まめ》も|時節《じせつ》が|来《く》れば|花《はな》を|開《ひら》き|果《み》を|結《むす》ぶ|道理《だうり》、|今年《ことし》|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へたスバール|姫《ひめ》も、|天極紫微宮《てんごくしびきう》より|降《くだ》らせ|給《たま》ひしエンゼルにも|等《ひと》しきスダルマン|太子《たいし》の、どこともなく|雄々《をを》しき|男《をとこ》らしき|床《ゆか》しき|容貌《ようばう》とその|謦咳《けいがい》に|接《せつ》してより、|時《とき》ならぬ|顔《かほ》に|紅葉《もみぢ》を|散《ち》らし、|梅花《ばいくわ》|一輪《いちりん》|春陽《しゆんやう》に|遭《あ》うて|綻《ほころ》び|初《そ》めし|心地《ここち》、|子供心《こどもごころ》にも|恋《こひ》てふものの|怪《あや》しき|魔物《まもの》に|捕捉《ほそく》さるるに|至《いた》つた。|雨《あめ》の|朝《あした》、|風《かぜ》の|夕《ゆふ》べ、|少女《せうぢよ》は|浅倉谷《あさくらだに》の|清流《せいりう》に|向《む》かつて|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|激湍飛沫《げきたんひまつ》の|猛《たけ》り|狂《くる》ふ|有様《ありさま》を|見《み》てはスダルマン|太子《たいし》の|雄々《をを》しき|御心《みこころ》と|崇《あが》め、|清《きよ》き|溪流《けいりう》を|眺《なが》めては|太子《たいし》の|御心《みこころ》の|清《きよ》き|鏡《かがみ》と|拝《はい》し、|小鳥《ことり》の|声《こゑ》、|梢《こずゑ》をわたる|風《かぜ》の|音《ね》も|太子《たいし》の|甘《あま》き|言葉《ことば》のごとく|思《おも》はれ、|林《はやし》に|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|緑《みどり》、|紅《くれなゐ》、|白《しろ》、|赤《あか》、|黄色《きいろ》の|花《はな》を|眺《なが》めては|太子《たいし》の|御顔《おんかんばせ》を|偲《しの》び、|満天《まんてん》の|星光《せいくわう》を|圧《あつ》して|昇《のぼ》る|月影《つきかげ》に|対《たい》しては、あの|円満《ゑんまん》なる|月《つき》の|顔《かんばせ》は|正《まさ》しく|太子《たいし》の|清《きよ》き、やさしき|御姿《おんすがた》、|吾《わ》が|生命《せいめい》の|綱《つな》と|憧《あこ》がれ、|物《もの》に|接《せつ》し、|事《こと》に|触《ふ》れ、|森羅万象《しんらばんしやう》ことごとく、|一《いつ》として|太子《たいし》の|声《こゑ》ならざるはなく、|太子《たいし》の|姿《すがた》ならざるはなき、|深《ふか》くも|恋《こひ》の|暗《やみ》に|滝津瀬《たきつせ》のおちくる|如《ごと》く|強度《きやうど》の|勢《いきほ》ひをもつて、|千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|底《そこ》に|沈《しづ》みゆくのであつた。
シャカンナはスバール|姫《ひめ》の|此《この》|頃《ごろ》の|様子《やうす》の、|如何《いか》にも|腑《ふ》に|落《お》ちぬに|心《こころ》を|悩《なや》ませ、|娘《むすめ》の|親《おや》として、あらむ|限《かぎ》りの|思索《しさく》を|廻《めぐ》らし、|時々《ときどき》|溜息《ためいき》を|吐《つ》くことさへあつた。ある|時《とき》シャカンナはスバール|姫《ひめ》に|向《む》かひ、|少《すこ》しく|声《こゑ》を|潜《ひそ》め、|姫《ひめ》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》くやうにして|頬杖《ほほづゑ》をつきながら、
『スバール|姫《ひめ》よ、お|前《まへ》も|今年《ことし》は|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へた|年頃《としごろ》の|娘《むすめ》、この|親《おや》として|自分《じぶん》もお|前《まへ》の|身《み》を|見《み》るにつけ、あたら|名玉《めいぎよく》をこの|山奥《やまおく》に|埋《うづ》めたくはないのだ。|俺《わし》は|一旦《いつたん》|左守《さもり》の|司《かみ》の|職掌《しよくしやう》を|退《しりぞ》き、|君側《くんそく》に|蟠《わだか》まる|奸邪侫人《かんじやねいじん》を|打《う》ち|払《はら》ひ、タラハン|国《ごく》|城下《じやうか》の|安寧秩序《あんねいちつじよ》を|保《たも》ち、|一《いつ》は|王家《わうけ》のため、|一《いつ》は|国家《こくか》|万民《ばんみん》のため、|時節《じせつ》を|待《ま》つて|一臂《いつぴ》の|力《ちから》を|揮《ふる》つて|見《み》むと、この|山奥《やまおく》に|山賊《さんぞく》どもを|呼《よ》び|集《あつ》め、|捲土重来《けんどぢうらい》の|時期《じき》を|待《ま》つてゐた。|待《ま》つ|事《こと》ほとんど|十年《じふねん》、されど|数多《あまた》の|部下《ぶか》は|集《あつ》まつて|来《き》ても、|一人《いちにん》として|心《こころ》の|底《そこ》を|打《う》ち|明《あ》かし|大業《たいげふ》|遂行《すゐかう》に|対《たい》し|片腕《かたうで》の|力《ちから》になるものも|出《で》て|来《こ》ない。それがため|父《ちち》はホトホト|世《よ》の|中《なか》が|嫌《いや》になり、お|前《まへ》も|知《し》る|通《とほ》り、タニグク|谷《だに》の|山寨《さんさい》に|火《ひ》を|放《はな》つて、|玄真坊《げんしんばう》の|後《あと》を|追《お》つてゐた|部下《ぶか》の|不在中《ふざいちう》、この|浅倉谷《あさくらだに》の|隠《かく》れ|家《や》にお|前《まへ》と|二人《ふたり》の|佗住居《わびずまゐ》、|味気《あぢき》なき|余生《よせい》を|送《おく》らむものと|覚悟《かくご》を|定《き》めてゐたが、|雄心《ゆうしん》|勃々《ぼつぼつ》として|脾肉《ひにく》の|嘆《たん》に|堪《た》へず、|一層《いつそう》のこと|此《この》|世《よ》の|思《おも》ひ|出《で》にタラハン|城《じやう》へ|只《ただ》|一騎《いつき》|乗《の》り|込《こ》み、|君側《くんそく》に|蟠《わだか》まる|悪人輩《あくにんばら》を|打《う》ち|亡《ほろ》ぼし、|国家《こくか》の|災《わざはひ》を|除《のぞ》き、|俺《わし》はその|場《ば》で|自殺《じさつ》をなして|罪《つみ》を|謝《しや》せむかと、|幾度《いくたび》かとつおいつ|思案《しあん》はしてみたが、|天《てん》にも|地《ち》にも|親《おや》|一人《ひとり》、|娘《こ》|一人《ひとり》の|其方《そなた》を|後《あと》に|残《のこ》して|先立《さきだ》たむも、そなたに|対《たい》して|不憫《ふびん》であり、|大悪人《だいあくにん》の|娘《むすめ》と、そなたが|世《よ》の|人《ひと》に|後指《うしろゆび》さされるのも|心苦《こころぐる》しく、それ|故《ゆゑ》、|男《をとこ》らしき|働《はたら》きも|得《え》なさず、|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》|女々《めめ》しくも|今日《けふ》まで、あたら|光陰《くわういん》を|空《むな》しく|費《つひ》やして|来《き》たのだ。しかるに|天《てん》の|恵《めぐ》みか、|地《ち》の|救《すく》ひか、ゆくりなくも|先月《あとげつ》の|今日《けふ》|今頃《いまごろ》、|夢《ゆめ》|見《み》るごとくスダルマン|太子《たいし》が|吾《わ》が|茅屋《あばらや》に|踏《ふ》み|迷《まよ》つて|来《こ》られ、|金枝玉葉《きんしぎよくえふ》の|御身《おんみ》をもつて、この|茅屋《あばらや》に|一夜《いちや》を|過《す》ごされたのも|何《なに》かの|神《かみ》のお|引合《ひきあは》せであらう。つらつら|思《おも》ふに、|神様《かみさま》はこのシャカンナに|一時《いちじ》も|早《はや》く|山《やま》を|出《い》で|都《みやこ》に|上《のぼ》つて、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》へとの|暗示《あんじ》のやうにも|考《かんが》へられる。それについては、そなたは|幸《さいは》ひに|世《よ》にも|稀《まれ》なる|美人《びじん》、|万々一《まんまんいち》|冥加《みやうが》に|叶《かな》つて|太子様《たいしさま》のお|心《こころ》に|召《め》したならば、それこそ|父《ちち》の|大望《たいまう》にとつても|国家《こくか》にとつても|之《これ》くらゐ|都合《つがふ》の|良《い》い|事《こと》はない。しかしながら|何事《なにごと》も|人間《にんげん》は|運命《うんめい》に|左右《さいう》されるものだから、|窮極《きうきよく》するところは|到底《たうてい》|人間力《にんげんりき》ではいかないだらう。そしてまた|男女《だんぢよ》の|関係《くわんけい》といふものは|実《じつ》に|不可思議《ふかしぎ》のもので、|何《なに》ほど|太子様《たいしさま》がお|前《まへ》を|寵愛《ちようあい》|遊《あそ》ばしても、お|前《まへ》の|心《こころ》に|太子《たいし》を|恋慕《れんぼ》する|心《こころ》がなければ、|無理《むり》に|親《おや》の|権威《けんゐ》をもつて|結婚《けつこん》を|強《し》ひる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|父《ちち》の|眼《め》より|観察《くわんさつ》すれば、どうやら|太子様《たいしさま》は、|其方《そなた》に|思召《おぼしめ》しがあるやうに|感《かん》ぜられた。しかしながら|結婚《けつこん》は|恋愛《れんあい》によつて|成立《せいりつ》するものだから、|何《なに》ほど|少女《せうぢよ》だといつても、|吾《わ》が|娘《むすめ》だといつても、こればかりは|父《ちち》の|自由《じいう》にはならない。お|前《まへ》の|考《かんが》へはどう|思《おも》つてゐるか、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》は|要《い》らぬ。|切《き》つても|切《き》れぬ|親娘《おやこ》の|仲《なか》だ。そして、お|前《まへ》の|一生《いつしやう》|一代《いちだい》の|大事件《だいじけん》だ。|予《あらかじ》め、お|前《まへ》の|心《こころ》をこの|父《ちち》に|聞《き》かしてくれ。お|前《まへ》の|心《こころ》を|聞《き》いた|上《うへ》、この|父《ちち》にもまた|劃策《くわくさく》するところがあるから』
スバール|姫《ひめ》は|少女《せうぢよ》に|似合《にあ》はず、|性質《せいしつ》|怜悧《れいり》で|山《やま》の|奥《おく》に|育《そだ》ちながら、|人情《にんじやう》の|機微《きび》に|比較的《ひかくてき》|通《つう》じてゐた。そして|十二三才《じふにさんさい》の|頃《ころ》より、|恋愛《れんあい》といふ|事《こと》に|趣味《しゆみ》を|感《かん》じ、|数百《すうひやく》の|部下《ぶか》の|面貌《めんばう》を|一々《いちいち》|点検《てんけん》して、|顔容《かほかたち》や、|性質《せいしつ》や|起居《たちゐ》|振舞《ふるまひ》|等《とう》に|注意《ちうい》し、|男子《だんし》に|対《たい》する|一種《いつしゆ》の|批評眼《ひひやうがん》を|備《そな》へてゐた。しかしながら、どの|男《をとこ》を|見《み》ても|心性《しんせい》の|下劣《げれつ》な、|容貌《ようばう》の|野卑《やひ》な|山猿的《やまざるてき》|人間《にんげん》ばかりで、スバールが|一生《いつしやう》を|任《まか》す|夫《をつと》として|選《えら》むべき|玉《たま》は|一《ひと》つも|見当《みあた》らなかつた。|六才《ろくさい》の|時《とき》、タラハン|城《じやう》を|後《あと》に、この|山奥《やまおく》に|父《ちち》の|手《て》に|育《そだ》てられ、|荒《あら》くれ|男《をとこ》の|奇怪《きくわい》な|面貌《めんばう》をした|小人輩《せうじんばら》ばかりを|眺《なが》めてゐた|彼女《かのぢよ》は……|世《よ》の|中《なか》の|男《をとこ》といふものは|凡《すべ》てこのやうな|獣《けだもの》めいたものだらうか。|何《いづ》れの|人間《にんげん》を|見《み》ても|左右《さいう》の|目《め》が|不揃《ふそろ》ひであつたり|上下《うへした》になつてゐたり、|鼻柱《はなばしら》が|右《みぎ》へ|曲《まが》つたり|左《ひだり》へ|曲《まが》つたり、|口《くち》の|形《かたち》から|歯《は》の|生《は》え|具合《ぐあひ》、|起居《たちゐ》|振舞《ふるまひ》まで|見《み》て、……|実《じつ》に|男子《だんし》てふものは|情《なさ》けないものだ。|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|何故《なにゆゑ》、こんな|化物《ばけもの》ばかり|棲《す》んでゐるのだらう。アア|情《なさ》けない|浮世《うきよ》だな……と、いつも|落胆《らくたん》|失望《しつばう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでゐたが、フトした|事《こと》からタラハン|城《じやう》の|太子《たいし》の|君《きみ》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ、その|気高《けだか》き|姿《すがた》に|憧《あこ》がれ、また|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナの|容貌《ようばう》も|捨《す》て|難《がた》きところがある。これを|思《おも》へば、……|今《いま》まで|十年間《じふねんかん》|眺《なが》めて|居《ゐ》たやうな|屑男《くづをとこ》ばかりではあるまい、|世《よ》の|中《なか》には|百人《ひやくにん》に|一人《ひとり》や|二人《ふたり》は|人間《にんげん》らしい|面《つら》をした|男《をとこ》もあるだらう。|太子様《たいしさま》がお|帰《かへ》りの|時《とき》、|自分《じぶん》の|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》つて、「これ、スバール、きつと|迎《むか》へに|来《く》るよ」と|耳《みみ》の|側《そば》で|囁《ささや》き|遊《あそ》ばした|時《とき》の|嬉《うれ》しさ。しかし、かやうな|山奥《やまおく》に|育《そだ》つた|世間《せけん》|知《し》らずの|妾《わらは》をば、どうして|永遠《ゑいゑん》に|寵愛《ちようあい》して|下《くだ》さる|道理《だうり》があらう。|地位《ちゐ》といひ|容貌《ようばう》といひ、|名望《めいばう》といひ、|比稀《たぐひまれ》なる|若君《わかぎみ》なれば、|都大路《みやこおほぢ》には|立派《りつぱ》な|女《をんな》も|沢山《たくさん》あるだらう。そして|太子様《たいしさま》の|権威《けんゐ》と|富力《ふりよく》によらば、いかなる|天下《てんか》の|美人《びじん》も、|引寄《ひきよ》せたまふことが|出来《でき》るであらう。|太子様《たいしさま》は、どこまでも|恋《こひ》しい。|寝《ね》ても|覚《さ》めても|忘《わす》れられぬ。|何《なん》だか|此《この》ごろは|吾《わ》が|心《こころ》さへボンヤリとしてきたやうだ。しかしながら|都大路《みやこおほぢ》に|出《で》て、|幸《さひは》ひに|太子様《たいしさま》の|御寵愛《ごちようあい》を|蒙《かうむ》つたところでさへ、|夢《ゆめ》の|間《ま》の|朝顔《あさがほ》の|花《はな》、|朝《あさ》の|露《つゆ》が|乾《かわ》けば|夕《ゆふ》べに|萎《しほ》るる|道理《だうり》、あたら|罪《つみ》を|作《つく》るよりも|一層《いつそう》のこと、|吾《わ》が|恋《こ》ふる|心《こころ》を|太子様《たいしさま》に|奉《たてまつ》り、|一生《いつしやう》の|操《みさを》を|守《まも》つて|父《ちち》と|共《とも》にこの|山奥《やまおく》に|朽《く》ちむか……と、|雄々《をを》しくも|恋《こひ》の|焔《ほのほ》を|自《みづか》ら|消《け》してゐた。そこへ|父《ちち》のシャカンナが|意味《いみ》ありげな|言葉《ことば》を|聞《き》いて、スバール|姫《ひめ》は|何《なん》とはなしに|前途有望《ぜんというばう》のやうな|感《かん》じがムラムラと|湧《わ》き|出《い》で、|俯向《うつむ》きながら、|顔《かほ》を|紅《くれなゐ》に|染《そ》め、|恥《は》づかしげに|言《い》ふ。
『お|父様《とうさま》、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》なく|思《おも》つてゐる|事《こと》を|言《い》へとおつしやいましたから、|今日《けふ》は|妾《わらは》の|一生《いつしやう》の|一大事《いちだいじ》、|何《なに》もかも|思《おも》つてゐる|事《こと》を|申《まを》し|上《あ》げます。どうか|叱《しか》らないやうにして|下《くだ》さい』
『なに、|叱《しか》るものか。どんな|事《こと》でも|思《おも》つた|事《こと》を|父《ちち》の|前《まへ》で|言《い》つてみるがよい』
『そんなら|申《まを》し|上《あ》げます。もうかうなつてはお|隠《かく》し|申《まを》すも|及《およ》びませぬから、|太子様《たいしさま》がお|帰《かへ》りの|時《とき》、|妾《わらは》の|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り「スバール|姫《ひめ》よ、|暫《しばら》く|待《ま》つてゐよ。きつと|迎《むか》へに|来《き》てやる」と|仰有《おつしや》いました。|自惚《うぬぼ》れかは|知《し》りませぬが、|太子様《たいしさま》は……あの|妾《わらは》にラブしてゐらつしやるでせう。そして|妾《わらは》も……』
『アツハハハハ、さうだらう、さうだらう、やつぱり|父《ちち》の|睨《にら》んだ|通《とほ》りだ。そして|太子様《たいしさま》が|迎《むか》へに|来《き》て|下《くだ》さつたら、お|前《まへ》は|喜《よろこ》んで|行《ゆ》くだらうな』
『ハイ、それは|参《まゐ》らぬ|事《こと》もございませぬが、|何《なん》といつてもラブは|神聖《しんせい》なものでございますから、よほど|考《かんが》へさしていただかねばなりませぬ』
『ウン、それもさうだな。|何《なん》といつても|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんしや》におなり|遊《あそ》ばす|御方《おかた》、|至尊《しそん》|至貴《しき》にして|犯《をか》すべからざる|王太子様《わうたいしさま》の|妃《ひ》になるのは、お|前《まへ》も|女《をんな》としては|無上《むじやう》の|出世《しゆつせ》だ。お|前《まへ》のために|此《こ》の|父《ちち》も|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》く|時節《じせつ》が|来《く》るのだから、どうか|太子様《たいしさま》の|思召《おぼしめ》しがお|前《まへ》をどこまでも|妃《きさき》にするといふ|考《かんが》へが|定《きま》つたならば、|父《ちち》の|為《ため》にもなる|事《こと》だから|喜《よろこ》んで|行《い》つてくれるだらうな』
『|父《ちち》の|為《ため》には|孝養《かうやう》を|尽《つく》すを|以《もつ》て|子《こ》たるものの|務《つと》めといたします。|父《ちち》のためと|恋愛《れんあい》のためとは|道《みち》が|違《ちが》ふぢやありませぬか。もし|妾《わらは》の|恋愛《れんあい》が|完全《くわんぜん》に|成就《じやうじゆ》したのならば、|副産物《ふくさんぶつ》としてお|父様《とうさま》も|幸運《かううん》に|向《む》かはれるでせう。お|父《とう》さまの|幸運《かううん》はつまり|此《こ》の|恋愛《れんあい》が|成就《じやうじゆ》するからでせう。|妾《わらは》はお|父様《とうさま》に|対《たい》しては|孝養《かうやう》を|主《しゆ》とし、|夫《をつと》に|対《たい》しては|恋愛《れんあい》を|主《しゆ》とするものです。それが|至当《したう》の|道理《だうり》と|考《かんが》へてゐます』
『アツハハハハ、|何時《いつ》の|間《ま》に、そんな|理窟《りくつ》を|覚《おぼ》えたのだ。|夫《をつと》が|主《しゆ》で|父《ちち》が|従《じう》とはチツとひどいぢやないか。それでは|倫理学上《りんりがくじやう》|由々《ゆゆ》しき|大問題《だいもんだい》だ』
『そんならお|父様《とうさま》の|孝養《かうやう》を|主《しゆ》として|恋愛《れんあい》を|一生《いつしやう》|葬《はうむ》りませう。その|代《かは》り、この|山奥《やまおく》に|一生《いつしやう》|朽《く》ち|果《は》てる|覚悟《かくご》でございますから』
『そんな、ならぬ|事《こと》を|言《い》ふものぢやない。|親《おや》の|言《い》ひ|条《でう》について|太子様《たいしさま》のお|妃《きさき》になれば、|孝養《かうやう》も|恋愛《れんあい》も|完全《くわんぜん》に|成就《じやうじゆ》するぢやないか』
『|孝養《かうやう》と|恋愛《れんあい》が|両方《りやうはう》|円満《ゑんまん》に|成功《せいこう》すれば、こんな|結構《けつこう》な|喜《よろこ》びはございませぬ。しかしながら|世《よ》の|中《なか》には、さう|誂《あつら》へ|向《む》きに|行《ゆ》かない|事《こと》が|沢山《たくさん》あるでせう。すべて|恋愛《れんあい》なるものは|愛情《あいじやう》から|来《く》るものです。|愛情《あいじやう》はどこどこまでも|拡大《くわくだい》すべきもの、また|流動性《りうどうせい》を|帯《お》びてゐるものですから、|倫理《りんり》や|道徳《だうとく》や|知識《ちしき》をもつて|制縛《せいばく》し|得《う》るものではありませぬ。もし|恋愛《れんあい》に|理智《りち》が|加《くは》はれば|恋愛《れんあい》そのものは、|千里《せんり》の|遠方《ゑんぱう》に|逃《に》げ|出《だ》してゐるぢやありませぬか。|智性《ちせい》と|意性《いせい》すなはち|理智《りち》と|愛情《あいじやう》とは|到底《たうてい》|両立《りやうりつ》しないものでせう』
『|何時《いつ》の|間《ま》にか、|誰《たれ》も|教《をし》へないのに、【こましやく】れたものだな。ほんとに「|油断《ゆだん》のならぬは|娘《むすめ》だ」といふが、この|父《ちち》もお|前《まへ》の|話《はなし》を|聞《き》いて|荒肝《あらぎも》を|挫《ひし》がれてしまつたよ』
『お|父《とう》さまは|昔気質《むかしかたぎ》でお|頭《つもり》が|少《すこ》し|古《ふる》く|出来《でき》てゐますから、|恋愛問題《れんあいもんだい》などに|容喙《ようかい》なさる|資格《しかく》はありますまいよ。どうかこの|問題《もんだい》は|妾《わらは》の|意志《いし》に|任《まか》して|下《くだ》さいませ。|古《ふる》い|倫理《りんり》や|道徳説《だうとくせつ》に|囚《とら》はれて、|可惜女《あたらをんな》の|一生《いつしやう》を|霊的《れいてき》に|抹殺《まつさつ》される|事《こと》は|堪《た》へられませぬ。|神聖《しんせい》な|霊魂《れいこん》を|男子《だんし》に|翻弄《ほんろう》される|事《こと》は、|女《をんな》|一人《ひとり》として|堪《た》へられない|悲哀《ひあい》ですから、たとへ|太子様《たいしさま》が|妾《わらは》を|寵愛《ちようあい》して|下《くだ》さるにしたところで、|妾《わらは》が|太子様《たいしさま》|以上《いじやう》に|愛《あい》する|男子《だんし》が|現《あら》はれたとすれば、その|時《とき》はお|父様《とうさま》はどう|思《おも》ひますか』
『これは|怪《け》しからぬ。「|女《をんな》は|三界《さんがい》に|家《いへ》なし」といつて、|夫《をつと》の|家《いへ》に|嫁《とつ》いだ|時《とき》は、いかなる|不幸《ふかう》も|不満《ふまん》も|堪《こら》へ|忍《しの》ばねばならぬ。そして|舅《しうと》|姑《しうとめ》によく|仕《つか》へ、|親《おや》や|夫《をつと》の|無理《むり》を|平気《へいき》で|甘受《かんじゆ》せねばならぬものだ。それが|女《をんな》として|最《もつと》も|尊《たふと》い|務《つと》めだ。その|考《かんが》へがなくちや|到底《たうてい》|女《をんな》として|立《た》つ|事《こと》は|出来《でき》ないぞ。それが|女《をんな》の|貞操《ていさう》だからのう』
『ホホホホ、それだからお|父《とう》さまは|頭《あたま》が|古《ふる》いといふのですよ。|男女《だんぢよ》は|同権《どうけん》ぢやありませぬか。|男子《だんし》が|一個《いつこ》の|人格者《じんかくしや》ならば、|女《をんな》だつてやつぱり|一個《いつこ》の|人格者《じんかくしや》でせう。|人格《じんかく》と|人格《じんかく》との|結合《けつがふ》によつて、|初《はじ》めて|完全《くわんぜん》な|恋愛《れんあい》が|行《おこな》はれ、|結婚《けつこん》が|成立《せいりつ》するのでせう。|恋愛《れんあい》は|恋愛《れんあい》として、どこまでも|自由《じいう》でなけれねば、|結婚《けつこん》といふ|関門《くわんもん》を|通過《つうくわ》した|女《をんな》はほとんど|奴隷的《どれいてき》|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられたやうなものです。|男子《だんし》は|好《す》き【すつぽう】に|己《おの》が|愛《あい》する|女《をんな》を|幾人《いくにん》も|翻弄《ほんろう》し、|女《をんな》|一人《ひとり》に|貞操《ていさう》を|守《まも》れといふのは|不道理《ふだうり》|至極《しごく》なやり|方《かた》ぢやありませぬか。たとへば|太子様《たいしさま》が|妾《わらは》をラブし、|妾《わらは》が|太子様《たいしさま》を|此上《こよ》なくラブしてる|間《あひだ》は、|互《たが》ひに|貞操《ていさう》も|保《たも》たれ、|完全《くわんぜん》な|結婚《けつこん》の|目的《もくてき》も|達《たつ》するでせう。もし|太子様《たいしさま》において|妾《わらは》|以上《いじやう》に|愛《あい》する|女《をんな》が|出来《でき》た|時《とき》は、|太子《たいし》の|恋愛《れんあい》は|既《すで》にすでに|妾《わらは》を|去《さ》つて|他《た》の|女《をんな》に|移《うつ》つてるぢやありませぬか。それでも|妾《わらは》は|恋《こひ》の|犠牲者《ぎせいしや》として|霊的死者《れいてきししや》の|位置《ゐち》に|甘《あま》んぜねばなりませぬか。そんな|不合理《ふがふり》な|事《こと》が、どこにございませうぞ。これに|反《はん》する|場合《ばあひ》すなはち|妾《わらは》が|太子様《たいしさま》|以上《いじやう》に|恋愛《れんあい》する|男子《だんし》が|現《あら》はれた|時《とき》は、またその|男子《だんし》に|恋愛《れんあい》を|移《うつ》すのは|恋愛《れんあい》そのものにとり|自然《しぜん》の|成行《なりゆ》きでせう』
『オイ、|娘《むすめ》、|何《なん》といふ|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|言《い》ふか。|誰《たれ》にそんな|悪知恵《わるぢゑ》をつけられたのだ』
『ハイ、|妾《わらは》の|良心《りやうしん》が、さう|囁《ささや》いてゐます。あのトンクだつて、|妾《わらは》に|始終《しじう》そんな|話《はなし》を|聞《き》かしてくれましたよ』
『エー、トンクの|野郎《やらう》、|碌《ろく》でもない|事《こと》を|魂《たましひ》の|据《す》はらない|愛娘《まなむすめ》に|吹《ふ》き|込《こ》みやがるものだから、|娘《むすめ》の|心《こころ》に|白蟻《しらあり》がついて|瑕物《きずもの》にしてしまひやがつた。|表面《うはべ》からは|天成《てんせい》の|美人《びじん》も、|腹《はら》の|中《なか》からは|悪魔《あくま》がすでに|棲《す》ぐつてゐる。こんなものを|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|太子《たいし》の|妻《つま》に|奉《たてまつ》る|事《こと》は|出来《でき》ない。エー、|困《こま》つた|奴《やつ》だな』
と|腕《うで》を|組《く》み、|太《ふと》き|吐息《といき》をつく。
『ホホホホ、お|父《とう》さま、|何《なん》でもない|問題《もんだい》ぢやありませぬか。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|女子《ぢよし》ばかりに|貞操《ていさう》を|強要《きやうえう》して|男子《だんし》に|貞操《ていさう》を|強要《きやうえう》せないのは|家庭紊乱《かていびんらん》の|基《もとゐ》となり、ひいては|国家《こくか》の|破滅《はめつ》を|来《き》たす|源泉《げんせん》となるものですよ。|女子《ぢよし》に|貞操《ていさう》が|必要《ひつえう》なれば|男子《だんし》にも|貞操《ていさう》が|必要《ひつえう》でせう。もし|夫《をつと》たるもの、その|妻《つま》の|他《ほか》に|妻《つま》に|勝《まさ》つて|愛《あい》する|女子《ぢよし》が|出来《でき》、|私《ひそ》かに|恋愛《れんあい》を|味《あぢ》ははむとする|場合《ばあひ》、その|妻《つま》は、その|夫《をつと》に|対《たい》して|叱言《こごと》を|言《い》つたり、|悋気《りんき》をしてはいけませぬ。|真《しん》に|夫《をつと》を|愛《あい》するのならば|夫《をつと》の|意志《いし》にまかすのが|妻《つま》たるものの|雅量《がりやう》ぢやありませぬか。|女房《にようばう》の|恋《こひ》を|夫《をつと》が|強圧的《きやうあつてき》におさへ、「|自分《じぶん》を|無理《むり》に|愛《あい》せよ」と|迫《せま》り|打擲《ちやうちやく》したりして「|自分《じぶん》を|絶対的《ぜつたいてき》に|愛《あい》せよ」といふのは|決《けつ》して|理解《りかい》ある|男子《だんし》とは|言《い》へませぬ。それくらゐの|雅量《がりやう》がなくては、どこに|男子《だんし》の|価値《かち》がありますか。また、|妻《つま》も|妻《つま》で、|自分《じぶん》の|愛《あい》する|夫《をつと》が、その|妻《つま》よりも|愛《あい》する|女《をんな》が|出来《でき》た|時《とき》、|夫《をつと》の|愛《あい》する|恋愛《れんあい》を|遂《と》げさしてこそ、|真《しん》に|夫《をつと》を|愛《あい》するといふ|事《こと》になるのでせう。|夫《をつと》は|女《をんな》の|目《め》より|隠《かく》れ|忍《しの》んで|僅《わづか》に|恋愛《れんあい》を|味《あぢ》はひ、|妻《つま》は|妻《つま》でまたヒヤヒヤビクビクしながら|他《ほか》の|男《をとこ》と|恋愛《れんあい》を|味《あぢ》はふやうな|事《こと》で、どうして|家庭《かてい》が|円満《ゑんまん》に|行《ゆ》きませう』
『|馬鹿《ばか》いふな、そりや|畜生《ちくしやう》のする|事《こと》だ。|爺《おやぢ》は|勝手《かつて》に|女房《にようばう》|以外《いぐわい》の|女《をんな》を|持《も》ち、|女《をんな》は|夫《をつと》|以外《いぐわい》の|男《をとこ》をもち、そんな|不仕鱈《ふしだら》な|事《こと》して|家庭《かてい》が|円満《ゑんまん》に|保《たも》たれるか。|家庭円満《かていゑんまん》が|聞《き》いて|呆《あき》れるぢやないか』
『ホホホホ、お|父《とう》さまの|没分暁漢《わからずや》には|困《こま》つてしまふわ。|夫《をつと》が|妻《つま》の|恋愛《れんあい》を|嫉妬《しつと》したり|妨害《ばうがい》したり、|妻《つま》が|夫《をつと》の|恋愛《れんあい》を|嫉妬《しつと》したり|妨害《ばうがい》するなどは、|実《じつ》に|卑怯未練《ひけふみれん》といふべきものです。|人格《じんかく》を|備《そな》へたもののなすべき|事《こと》ぢやありませぬ。このタラハン|国《ごく》は|国《くに》が|小《ちひ》さいから|人間《にんげん》の|心《こころ》までが|小《ちひ》さい。それで|恋愛《れんあい》の|冷却《れいきやく》した|女《をんな》でさへ、|自分《じぶん》の|方《はう》に|恋愛《れんあい》が|残《のこ》つてをれば|無理《むり》に|抑《おさ》へつけ、|一方《いつぱう》の|恋愛《れんあい》を|犠牲《ぎせい》にしやうとするやうでは、|家庭《かてい》が|円満《ゑんまん》に|行《ゆ》きませぬよ。また|恋愛《れんあい》は|倫理《りんり》や|道徳《だうとく》の|範囲《はんゐ》で|律《りつ》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。お|父《とう》さまは|倫理《りんり》や|道徳《だうとく》を|加味《かみ》した|恋愛論《れんあいろん》ですから、いはば|偽《にせ》の|恋愛論《れんあいろん》です。|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》だとか、|家庭《かてい》の|円満《ゑんまん》だとかいつて、|煩悶《はんもん》し|焦慮《せうりよ》し、|却《かへ》つて|狭苦《せまくる》しい|道徳《だうとく》をふりまはして、ますます|家庭《かてい》を|紊乱《びんらん》し、|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》を|乱《みだ》すやうになるのですよ。|男子《だんし》も|女子《ぢよし》も|社会一般《しやくわいいつぱん》の|人《ひと》が|雅量《がりやう》と|理解《りかい》とをもたねば、|国家《こくか》も|家庭《かてい》も|円満《ゑんまん》に|治《をさ》まるものぢやありませぬわ。|妻《つま》が|夫《をつと》に|対《たい》する|貞操《ていさう》は、|妻《つま》|以外《いぐわい》の|夫《をつと》の|恋愛者《れんあいしや》に|対《たい》し|少《すこ》しの|妨害《ばうがい》もせず|嫉妬《しつと》もせず、むしろ|好意《かうい》をもつて|夫《をつと》の|恋愛《れんあい》を|遂《と》げさするのは、つまり|夫《をつと》に|対《たい》する|妻《つま》の|貞操《ていさう》ですよ。|又《また》これに|反《はん》する|場合《ばあひ》も|同様《どうやう》で、|夫《をつと》が|妻《つま》に|対《たい》する|貞操《ていさう》は|妻《つま》の|恋愛《れんあい》を|遂《と》げさせ、|夫《をつと》が|妻《つま》に|同情《どうじやう》を|寄《よ》せるのが、|真《しん》に|妻《つま》を|愛《あい》する|事《こと》になるのです。|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制度《せいど》をもつて|国家《こくか》|存立《そんりつ》の|大本《たいほん》となす|政体《せいたい》もあり、|一妻多夫《いつさいたふ》、|多夫一妻《たふいつさい》を|以《もつ》て|国本《こくほん》となす|政体《せいたい》も|世界《せかい》にあるぢやありませぬか。|男女《だんぢよ》が|平均《へいきん》に|生《うま》れる|国《くに》では|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制《せい》も|結構《けつこう》でせうが、|女《をんな》が|男《をとこ》より|多《おほ》く|生《うま》れる|国《くに》、または|男《をとこ》が|女《をんな》より|多《おほ》く|生《うま》れる|国《くに》では、たうてい|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制《せい》は|守《まも》れますまい。それこそ|却《かへ》つて|不道徳《ふだうとく》になるのではありませぬか。|女《をんな》の|多《おほ》い|国《くに》では|女《をんな》の|恋愛抹殺者《れんあいまつさつしや》が|出来《でき》、|男《をとこ》の|多《おほ》い|国《くに》では|男《をとこ》の|恋愛抹殺者《れんあいまつさつしや》が|出来《でき》るでせう。こんな|悲惨《ひさん》な|事《こと》が|何処《どこ》にあるでせう』
『|理窟《りくつ》はどうでもつくものだ。しかしながらタラハン|国《ごく》は|一夫一婦《いつぷいつぷ》が|制度《せいど》だ。これを|破《やぶ》るものは|道徳《だうとく》の|破壊者《はくわいしや》だ。|恋愛《れんあい》など|末《すゑ》の|末《すゑ》だ』
『|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》に|大人物《だいじんぶつ》の|現《あら》はれないのは、|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制度《せいど》が|行《おこな》はれてゐる|弊害《へいがい》から|来《く》るのですよ。|昔《むかし》の|神代《かみよ》の|神様《かみさま》を|御覧《ごらん》なさい。|大国主《おほくにぬし》の|神様《かみさま》は|打《う》ちみる|島《しま》の|先々《さきざき》|垣見《かきみ》る|磯《いそ》のさきおちず|賢女《さかしめ》|奇女《くわしめ》を|娶《めと》り、|国魂《くにたま》の|神《かみ》を|生《う》み、|大人物《だいじんぶつ》を|沢山《たくさん》お|造《つく》りなさつたぢやありませぬか。スダルマン|太子《たいし》のやうな|賢明《けんめい》な|君子的《くんしてき》|人格者《じんかくしや》は、|妾《わらは》のやうな|賢女《さかしめ》|奇女《くわしめ》を、|沢山《たくさん》|娶《めあ》ひ|遊《あそ》ばし、そして|大人物《だいじんぶつ》を|四方《しはう》に|配《まくば》り|遊《あそ》ばしたら、きつと|世《よ》の|中《なか》はよくなるでせう。あんな|大人物《だいじんぶつ》こそ|沢山《たくさん》な|女《をんな》があつても、|生殖《せいしよく》の|方《はう》から|見《み》て|国家《こくか》の|宝《たから》を|産《う》み|出《だ》す|事《こと》になるでせう。これに|反《はん》して|愚夫愚婦《ぐふぐふ》といへど|矢張《やは》り|一夫一婦《いつぷいつぷ》とすればガラクタ|人間《にんげん》ばかり|世《よ》に|拡《ひろ》まり、ますます|世《よ》は|堕落《だらく》するのみでせう。|要《えう》するに|社会《しやくわい》|道徳《だうとく》の|上《うへ》から|考《かんが》へて、|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》は|天《てん》の|星《ほし》の|数《かず》ほど|沢山《たくさん》な|怜悧子《うましご》を|生《う》み、|野卑下劣《やひげれつ》な|半獣的《はんじうてき》|人間《にんげん》は、なるべく|子《こ》を|産《う》まないやうにするのが、|国家《こくか》|存立《そんりつ》の|上《うへ》にも|個人《こじん》|経済《けいざい》の|上《うへ》にも|有利《いうり》でせう。お|父《とう》さま、これでも|不道理《ふだうり》と|聞《き》こえますかな』
『ハハハハ、まるで|太子様《たいしさま》を、|種馬《たねうま》と|間違《まちが》へてゐるぢやないか。|不都合千万《ふつがふせんばん》な|事《こと》をいふ|奴《やつ》ぢや』
『その|種馬《たねうま》におなり|遊《あそ》ばすのが、|国《くに》の|君《きみ》たる|方《かた》の|御天職《ごてんしよく》でせう。|太子様《たいしさま》のみならず、|国《くに》の|立派《りつぱ》な|人《ひと》はみな|種馬《たねうま》として|社会《しやくわい》に|子《こ》を|沢山《たくさん》|産《う》み|落《おと》さなくては、|社会《しやくわい》の|根本的《こんぽんてき》|改造《かいざう》はどうしても|駄目《だめ》です』
『さうするとお|前《まへ》は|太子様《たいしさま》が|沢山《たくさん》な|女《をんな》をおもちになつた|時《とき》はどうするつもりだ。|理論《りろん》と|実際《じつさい》とは|大《おほ》いに|違《ちが》ふものだから、その|時《とき》になつて|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やしたり、|嫉妬《しつと》の|焔《ほのほ》をもやしたり、その|時《とき》に|辛《つら》い|目《め》を|味《あぢ》はつて|見《み》ねば|解《わか》るまい。|今《いま》こそ|理論《りろん》では|立派《りつぱ》なこと|言《い》つてるが|実地《じつち》になれば、さうは|行《ゆ》かないよ。きつと|悋気《りんき》するに|定《きま》つてゐるわ』
『オホホホホ、そんな|雅量《がりやう》のないスバールぢやございませぬ。|妾《わらは》だつて|太子様《たいしさま》|以上《いじやう》に|愛《あい》する|男子《だんし》が|出来《でき》た|時《とき》、|太子様《たいしさま》が|故障《こしやう》を|言《い》はれるやうな|事《こと》があつた|時《とき》は、|妾《わらは》の|方《はう》から|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》るだけの|事《こと》ですわ。|一方《いつぱう》の|恋《こひ》を|圧迫《あつぱく》し、どうして|円満《ゑんまん》に|行《ゆ》けますか。|夫婦《ふうふ》は|家庭《かてい》の|重要品《ぢうえうひん》です。|家庭《かてい》と|恋愛《れんあい》は|別物《べつもの》ですよ。|家庭《かてい》は|家庭《かてい》として|円満《ゑんまん》に|行《ゆ》き、|恋愛《れんあい》は|恋愛《れんあい》として|自由《じいう》に|行《おこな》ふべきものです。|太子様《たいしさま》の|上《うへ》つ|方《がた》から、こんな|手本《てほん》を|出《だ》してもらはなくては、|悋気《りんき》とか|姦通《かんつう》とか|不道徳《ふだうとく》とかの、|忌《い》まわしい|問題《もんだい》が|絶滅《ぜつめつ》せないのです。|一夫多婦《いつぷたふ》のモルモン|宗《しう》を|御覧《ごらん》なさい。|決《けつ》して|沢山《たくさん》の|妻《つま》の|中《なか》に、|悋気《りんき》や|嫉妬《しつと》や、|怨嗟《ゑんさ》などの|声《こゑ》はありませぬよ。とに|角《かく》、|旧来《きうらい》の|陋習《ろうしふ》を|打破《だは》せなくては、|家庭《かてい》も|国家《こくか》も|治《をさ》まりませぬ。|妾《わらは》はスダルマン|太子様《たいしさま》こそは|恋愛《れんあい》に|対《たい》しても|理解《りかい》を|持《も》ち、また|社会《しやくわい》|道徳《だうとく》に|対《たい》しても|完全《くわんぜん》に|改良《かいりやう》する|資質《ししつ》をもつた|方《かた》と|伺《うかが》ひました。それで|恋愛《れんあい》はともかく、|国家《こくか》|社会《しやくわい》のため|必要《ひつえう》のためと|欣慕《きんぼ》のあまり|遂《つひ》に|恋愛《れんあい》に|転嫁《てんか》したのですわ、ホホホホ』
と|十五才《じふごさい》の|娘《むすめ》にも|似合《にあ》はず、おひおひと|心《こころ》の|生地《きぢ》を|現《あら》はし、|父《ちち》のシャカンナを|烟《けむり》にまいてしまつた。
シャカンナ『アアア、|十年《じふねん》|経《た》てば|一昔《ひとむかし》、この|山《やま》の|奥《おく》までも|思想界《しさうかい》の|悪風《あくふう》は|襲《おそ》うて|来《き》たのかな』
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 北村隆光録)
第二章 |恋盗詞《こひどうし》〔一七二六〕
|政治学《せいぢがく》の|研究《けんきう》や、|新思想《しんしさう》の|探究《たんきう》に|没頭《ぼつとう》し、タラハン|国《ごく》|上下《じやうげ》の|現状《げんじやう》を|痛歎《つうたん》のあまり|心身疲労《しんしんひらう》し、さしも|明敏《めいびん》なりし|頭脳《づなう》も|霞《かすみ》を|隔《へだ》てて|山《やま》を|見《み》るがごとく、|朦朧《もうろう》として|鮮明《せんめい》を|欠《か》ぎ、|外《よそ》の|見《み》る|目《め》よりは|憂鬱病者《いううつびやうしや》かと|疑《うたが》はるるまでに|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|結果《けつくわ》、|殿内《でんない》|深《ふか》く|閉《と》ぢ|籠《こ》もつて、|父王《ちちわう》の|頑迷固陋《ぐわんめいころう》なる|骨董品的《こつとうひんてき》|教訓《けうくん》を|嫌《きら》ひ、また|老臣《らうしん》どもの|時代後《じだいおく》れの|古風《こふう》の|頭《あたま》より|絞《しぼ》り|出《だ》した、|種々《しゆじゆ》の|忠告《ちうこく》にも|耳《みみ》を|貸《か》かず、|左守《さもり》の|司《かみ》の|伜《せがれ》アリナを|唯一《ゆゐいつ》の|慰安者《ゐあんしや》となし、|己《おの》が|思想《しさう》の|伴侶《はんりよ》となし|鬱陶《うつたう》しき|日《ひ》を|送《おく》つてゐたスダルマン|太子《たいし》は、たまたま|山野《さんや》の|遊《あそ》びに|山《やま》|深《ふか》く|迷《まよ》ひ|込《こ》み、|不思議《ふしぎ》にも、|山奥《やまおく》に|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|姫百合《ひめゆり》の|花《はな》に|恋《こひ》の|炎《ほのほ》を|燃《も》やし、|心《こころ》を|後《あと》に|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》を|心中《しんちう》|深《ふか》く|湛《たた》えながら、アリナと|共《とも》にタラハン|城内《じやうない》へ|帰《かへ》つて|来《き》た。
|女《をんな》といふものに|対《たい》しては|初心《うぶ》の|太子《たいし》、|恋愛《れんあい》といふものに|対《たい》してもなほさら|初心《うぶ》の|太子《たいし》、|美《び》の|神《かみ》の|権化《ごんげ》とも|見《み》るべき|清浄無垢《しやうじやうむく》の|乙女《をとめ》が、|人間界《にんげんかい》をかけ|離《はな》れた、|浅倉谷《あさくらだに》の|山奥《やまおく》に|包《つつ》まれてゐたその|容姿《ようし》に|憧憬《どうけい》し、|数年来《すうねんらい》の|沈鬱性《ちんうつせい》は|一変《いつぺん》して、|危《あや》ふいかな、|尊貴《そんき》の|身《み》を|保《も》ちながら|暗雲《やみくも》|飛《と》び|乗《の》りの|離《はな》れ|業《わざ》を|演《えん》ぜむとし、|山霊水伯《さんれいすゐはく》の|精《せい》になつた|美人《びじん》の|相《さう》を、|自《みづか》らが|得意《とくい》の|絵筆《ゑふで》に|描《ゑが》いて|床《とこ》の|間《ま》にかけ、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》な|画像《ぐわざう》に|向《む》かつて|生《い》きたる|人《ひと》に|言《い》ふごとく、|何事《なにごと》か|独語《どくご》するに|至《いた》つた。この|画像《ぐわざう》こそ|人間《にんげん》の|命取《いのちと》り、|男殺《をとこごろ》しの|大魔者《だいまもの》である。|太子《たいし》の|煩悶《はんもん》は|以前《いぜん》に|百倍《ひやくばい》し、|立《た》つても|居《ゐ》てもゐられないやうな|様子《やうす》となつてきた。
|太子《たいし》の|御心《みこころ》ならば、たとへ|地獄《ぢごく》のドン|底《ぞこ》でも、|一《ひと》つよりない|命《いのち》でも|無雑作《むざふさ》におつぽり|出《だ》すといふ|忠臣《ちうしん》にして、|唯一《ゆゐいつ》の|太子《たいし》の|伴侶《はんりよ》たる|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナは、|夜《よる》ひそかに|命《めい》を|奉《ほう》じ、|山奥《やまおく》の|名玉《めいぎよく》、|月《つき》の|顔容《かんばせ》、|花《はな》の|姿《すがた》、|温《あたた》かき|雪《ゆき》の|肌《はだへ》に|包《つつ》まれた、|天津乙女《あまつをとめ》の|化身《けしん》を|山奥《やまおく》より|引《ひ》きずり|出《だ》し、ひそかに|太子《たいし》の|御心《みこころ》を|慰《なぐさ》めむものと|草鞋《わらぢ》|脚絆《きやはん》に|身《み》を|固《かた》め、|服装《みなり》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》の|夜露《よつゆ》を|浴《あ》びて、|主《しゆ》を|思《おも》ふ|心《こころ》の|一筋途《ひとすぢみち》、|一筋繩《ひとすぢなは》では|行《ゆ》かぬ|左守《さもり》のシャカンナを、|夏《なつ》の|炎天《えんてん》に|地上《ちじやう》|万物《ばんぶつ》を|霑《うるほ》す|夕立《ゆふだち》の|雨《あめ》の【ふるな】の|弁《べん》をふるひ、|邪《じや》が|非《ひ》でも、|縦《たて》でも|横《よこ》でも|頑固爺《ぐわんこおやぢ》を|納得《なつとく》させ、|肝腎《かんじん》の|玉《たま》を|抱《いだ》いて|帰《かへ》らねばおかぬと|雄健《をたけ》びしながら、タニグク|山《やま》の|山口《やまぐち》、|玉《たま》の|川《かは》の|下流《かりう》、|岩瀬《いはせ》の|深森《もり》に|着《つ》いた。
|夜《よ》はほんとのりと|明《あ》け|放《はな》れむとする|時《とき》、|路傍《ろばう》の|岩《いは》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|二《ふた》つの|黒《くろ》い|影《かげ》が|何《なん》だか|囁《ささや》き|合《あ》つてゐる。|谷川《たにがは》の|岩《いは》にせかるる|水音《みなおと》に|遮《さへぎ》られつつ、しかと|言葉《ことば》の|筋《すぢ》は|解《わか》らない。アリナは、|谷道《たにみち》に|直立《ちよくりつ》して、|頭《あたま》を|傾《かたむ》け|思《おも》ふやう、……もはや|夜明《よあ》けに|間《ま》もない|暁《あかつき》の|空《そら》に|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|囁《ささや》き、|合点《がつてん》のゆかぬ|事《こと》だワイ、|噂《うはさ》に|聞《き》く|左守《さもり》のシャカンナが|一ケ月《いつかげつ》|以前《いぜん》まで|抱《かか》えてゐた|山賊《さんぞく》の|片割《かたわれ》ではあるまいか。|何《なに》はともあれ|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ、|様子《やうす》を|窺《うかが》ひ|見《み》む……と|息《いき》を|凝《こ》らして|進《すす》みよつた。|二《ふた》つの|影《かげ》は|傍《そば》に|人《ひと》の|寄《よ》り|添《そ》ひをるとは|知《し》らず、|盛《さか》んにメートルをあげてゐる。
ハンナ『オイ|君《きみ》、この|間《あひだ》|天帝《てんてい》の|化身《けしん》とかいふ|山子坊主《やまこばうず》が|連《つ》れて|来《き》たダリヤ|姫《ひめ》とかいふ|美人《びじん》のことを|思《おも》ひ|出《だ》すと、|俺《おれ》のやうな|恋愛観念《れんあいくわんねん》の|濃厚《のうこう》な|色男《いろをとこ》に|取《と》つては、|実《じつ》に|感慨無量《かんがいむりやう》だ。|君《きみ》だつて|平素《へいそ》の|偽善的《ぎぜんてき》|言辞《げんじ》も|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで|俺《おれ》の|持論《ぢろん》に|賛意《さんい》を|表《へう》したくなるだらう』
タンヤ『|堂々《だうだう》たる|天下《てんか》の|男子《だんし》が、|女々《めめ》しい|恋愛《れんあい》だの、|神聖《しんせい》だなぞと|騒《さわ》ぎ|廻《まは》つて|風俗壊乱《ふうぞくくわいらん》の|火《ひ》の|手《て》を|煽《あ》ふり、|自分《じぶん》もまたその|火中《くわちう》へ|喜《よろこ》んで|飛《と》び|込《こ》んで|行《ゆ》く|悲惨《ひさん》の|状態《じやうたい》を|見《み》ると、|実《じつ》に|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》の|腰抜《こしぬ》け|加減《かげん》に|愛想《あいそう》が|尽《つ》きてしまうわ。ヘン、|泥坊稼《どろばうかせ》ぎの|身分《みぶん》でありながら、|恋愛《れんあい》の、|神聖《しんせい》のとは|臍茶《へそちや》の|至《いた》りだ。オイ、ハンナ、そんなハンナリせぬ|腰抜論《こしぬけろん》は|聴《き》きたくないから、|俺《おれ》の|前《まへ》ではもう|言《い》つてくれな。|気分《きぶん》が|悪《わる》くなるからのう』
『ヘン、|泥坊《どろばう》だつて|恋愛論《れんあいろん》が|出来《でき》ない|理由《りいう》はあるまい。|先《ま》づ|聞《き》き|玉《たま》へ、|俺《おれ》の|名論卓説《めいろんたくせつ》を』
『|今日《けふ》は|僕《ぼく》も|死《し》んだ|女房《にようばう》の|命日《めいにち》だから、|供養《くやう》のために、|君《きみ》の|迷論《めいろん》に|対《たい》し|充分《じうぶん》なる|攻撃《こうげき》を|試《こころ》みる|心算《つもり》だが、|得心《とくしん》だらうねー』
『|面白《おもしろ》い、|僕《ぼく》の|恋愛論《れんあいろん》に|口《くち》を|入《い》れる|余地《よち》があるならやつて|見《み》|玉《たま》へ。しどろもどろの|受太刀《うけだち》が|折《を》れて、きつと|僕《ぼく》の|軍門《ぐんもん》に|降《くだ》るは|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明《あき》らかな|事実《じじつ》だ。オホン、|日進月歩文明《につしんげつぽぶんめい》の|今日《こんにち》では、|恋愛論《れんあいろん》に|趣味《しゆみ》を|持《も》たないものは、|最早《もはや》|人外《じんぐわい》の|境域《きやうゐき》に|自《みづか》ら|堕落《だらく》してゐるものだ。このごろ|僕《ぼく》が|大《おほ》いに|感《かん》ずる|事《こと》は、|性慾《せいよく》とか|恋愛《れんあい》といふ|事《こと》に|関《くわん》する|議論《ぎろん》が、|著《いちじる》しく|抽象的《ちうしやうてき》になつてゐることだ。しかし|凡《すべ》ての|議論《ぎろん》が|反芻的《はんすうてき》で|一度《いちど》|呑《の》み|込《こ》んだものを、わざと|抽象的《ちうしやうてき》にして|出《だ》してゐるように|僕《ぼく》には|見《み》えてならぬ。ヤレ|恋愛《れんあい》は|神聖《しんせい》だとか|偏的《へんてき》だとか、|性《せい》の|問題《もんだい》はかくあるべきものだとか、そんな|風《ふう》に|恋愛《れんあい》を|自由《じいう》なものに|考《かんが》へては|不道徳《ふだうとく》だとか、|離婚《りこん》は|絶対《ぜつたい》に|不可《いけな》いとかいつて、|婦人会《ふじんくわい》|連中《れんちう》が|首《くび》を|鳩《あつ》めて|決議《けつぎ》までやつたと|聞《き》いて、|僕《ぼく》は|不可思議《ふかしぎ》な|心持《こころも》ちがするのだ。|恋愛《れんあい》とか|性慾《せいよく》とかいふものは、そんなに|簡単《かんたん》に|無雑作《むざふさ》に|片付《かたづ》けらるるものだらうか。|今《いま》のいはゆる|文明人間《ぶんめいにんげん》の|言《い》ふがごとく、|一《いち》でなければ|二《に》、|二《に》でなければ|三《さん》といふやうに、|簡単《かんたん》に、|学問的《がくもんてき》|乃至《ないし》|知識的《ちしきてき》に|片付《かたづ》けてしまうことの|出来《でき》るものだらうか。|僕《ぼく》はどうも|左様《さやう》な|考《かんが》へは|持《も》てないのだ』
『ヘン、|国家《こくか》|危急《ききふ》の|場合《ばあひ》に|当《あた》つた|今日《こんにち》、|恋愛問題《れんあいもんだい》なんか|唱《とな》へる|奴《やつ》の|野呂《のろ》さ|加減《かげん》に|呆《あき》れざるを|得《え》ないわ。そんな|問題《もんだい》は|極《きは》めて|簡単《かんたん》に|片付《かたづ》けてしまふ|方《はう》がよほど|人間《にんげん》らしいぢやないか。アタ|阿呆《あはう》らしい、|学問上《がくもんじやう》|道徳上《だうとくじやう》から|見《み》ても|恋愛《れんあい》なんか|口《くち》にする|奴《やつ》は、|僕《ぼく》は|人間《にんげん》の|屑《くづ》だと|思《おも》つてゐる』
『オイ、タンヤ、|君《きみ》は|無味乾燥《むみかんさう》な|心理《しんり》を|持《も》つてゐるやうだが、|世《よ》の|中《なか》は|理窟《りくつ》で|何《なに》ほど|押《お》し|通《とほ》したつて、|学問《がくもん》や|知識《ちしき》でいくら|攻《せ》めて|行《い》つたつて、|恋愛《れんあい》といふがごとき|人間《にんげん》|生涯《しやうがい》に|関《くわん》する|大問題《だいもんだい》を、さう|易々《やすやす》と|片付《かたづ》けるわけにはゆかないよ。|却《かへ》つてそれは|空想《くうさう》だ、|徒労《とらう》だ。どうしても|人間《にんげん》には|信仰《しんかう》と|恋愛《れんあい》が|無《な》くてはならないのだから、この|問題《もんだい》は|極《きは》めて|慎重《しんちよう》に|研究《けんきう》すべき|価値《かち》が|充分《じうぶん》にあるよ』
『|恋愛《れんあい》といふものは|人《ひと》に|由《よ》つて|霊《れい》の|方面《はうめん》から|観察《くわんさつ》し、|或《あるひ》は|肉《にく》の|方面《はうめん》から|見《み》たり、|自然《しぜん》から|見《み》たり、または|単《たん》なる|物質《ぶつしつ》から|見《み》たりするのもあるが、|要《えう》するに|道徳《だうとく》の|範囲内《はんゐない》においてでなければ、|神聖《しんせい》な|恋愛《れんあい》を|論議《ろんぎ》する|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|万々一《まんまんいち》|道徳《だうとく》を|度外《どぐわい》したる|恋愛《れんあい》を|唱《とな》ふるものありとすれば、それは|人間《にんげん》|以外《いぐわい》の|動物《どうぶつ》の|心理状態《しんりじやうたい》と|言《い》ふべきものだ』
『それは|君《きみ》の|無味乾燥《むみかんさう》な|頭脳《づなう》から|割《わ》り|出《だ》した|一面《いちめん》の|見方《みかた》であるが、たうてい|完全《くわんぜん》なる|恋愛《れんあい》、または|性《せい》を|捕捉《ほそく》したものとは|言《い》はれない。|恋愛《れんあい》は|元来《ぐわんらい》|自然《しぜん》と|同様《どうやう》に|端倪《たんげい》すべからざる|性質《せいしつ》のものだ。|極端《きよくたん》に|言《い》へば、|恋愛《れんあい》なるものは|余《あま》りに|神聖《しんせい》|過《す》ぎて、かれこれと|論議《ろんぎ》する|事《こと》さへも|出来《でき》ないくらゐのものだ。|恋愛《れんあい》を|論議《ろんぎ》された|時《とき》には、モハヤその|本当《ほんたう》のものは|何処《どこ》かに|去《さ》つてしまつてゐると|言《い》つても|好《よ》いくらゐだ。|換言《くわんげん》せば、|恋愛《れんあい》は|霊《れい》も|肉《にく》も|自然《しぜん》も|物質《ぶつしつ》も|凡《すべ》てを|打《う》つて|一丸《いちぐわん》と|為《な》したところにのみ、|恋愛《れんあい》の|髣髴《はうふつ》が|認《みと》められるもので、|何《なに》もかもが|凡《すべ》て|同時《どうじ》にあるのだ。|霊肉一致《れいにくいつち》とは|好《よ》く|言《い》つたものだが、それでさへ|充分《じうぶん》でないほど|流動的《りうどうてき》なものだ。だから|恋愛《れんあい》を|論《ろん》ずるに|当《あた》つては|君《きみ》の|説《せつ》のやうに、|普通《ふつう》の|倫理学的《りんりがくてき》|論法《ろんぱふ》で、|斯《か》うだから|彼《ああ》だとか、|彼《ああ》だから|斯《か》うだとかいふことは|出来《でき》ない。|普通一般的《ふつういつぱんてき》の|事実《じじつ》なら、どんな|事《こと》でも|結果《けつくわ》から|押《お》して|考《かんが》へてゆけば、|答《こた》へは|可《か》なり|正確《せいかく》に|出《で》てくるが、|恋愛《れんあい》だけに|限《かぎ》つて、さう|簡単《かんたん》に|片付《かたづ》かないよ。|知識《ちしき》や|倫理的《りんりてき》になつた|時《とき》には、もはや|恋愛《れんあい》とか|性《せい》とかいふものの|粕屑《かすくづ》であつて、|君《きみ》のごとき|学者《がくしや》や、|論客《ろんきやく》が|何《なに》ほど|鹿爪《しかつめ》らしい|議論《ぎろん》や|意見《いけん》を|立《た》てて、|自分《じぶん》こそは|古来《こらい》の|恋愛論《れんあいろん》の|上《うへ》に|新《あたら》しい、そして|的確《てきかく》な、|正当《せいたう》な、|一見《いちけん》|地《ち》を|加《くは》へたものと|自惚《うぬぼ》れてゐても、|徒《いたづら》に|粕屑《かすくづ》を|掴《つか》んで|金剛石《こんがうせき》のやうに|思《おも》つて|大騒《おほさわ》ぎをしてゐるだけで、|恋愛《れんあい》の|本体《ほんたい》は|何時《いつ》の|間《ま》にやら|千万里《せんまんり》の|遠方《ゑんぱう》へ|滑《すべ》つて|逃《に》げて|往《い》つた|後《あと》なのだ』
『|君《きみ》の|説《せつ》は|全然《ぜんぜん》|道徳《だうとく》を|無視《むし》し、|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》が|紊乱《びんらん》し、|家族制度《かぞくせいど》が|破壊《はくわい》されても、|恋愛《れんあい》さへ|満足《まんぞく》にやつてゆけば、それで|天下《てんか》は|泰平《たいへい》だといつたやうな|悪思想《あくしさう》だ。|人間《にんげん》は|自由《じいう》も|恋愛《れんあい》も|必要《ひつえう》のものだらうが、|社会《しやくわい》や|家庭《かてい》の|秩序《ちつじよ》を|紊《みだ》してでも|恋愛《れんあい》を|神聖視《しんせいし》するのは、|動物性《どうぶつせい》を|帯《お》びて、|外道《げだう》の|主張《しゆちやう》だ。|僕《ぼく》は|賛成《さんせい》する|事《こと》は|出来《でき》ないよ。|三角問題《さんかくもんだい》や、|離婚問題《りこんもんだい》が|頻々《ひんぴん》として|社会《しやくわい》に|続出《ぞくしゆつ》するのも、|君《きみ》のごとき|悪思想《あくしさう》のものが|覇張《はば》るからだ。|恋愛《れんあい》といふものは、|成《な》るほど|神聖《しんせい》なものではあるが、|少《すこ》しは|慎《つつし》みと|言《い》ふこと、または|倫理《りんり》の|点《てん》を|考慮《かうりよ》して|始《はじ》めて|神聖《しんせい》な|恋愛《れんあい》とも|言《い》へるものだと|思《おも》ふ。|君《きみ》の|恋愛論《れんあいろん》はいはゆる|風俗破壊論《ふうぞくはくわいろん》の|変態《へんたい》だ』
『|君《きみ》のやうに、|恋愛《れんあい》を|道徳的《だうとくてき》|問題視《もんだいし》し|過《す》ぎては、その|本体《ほんたい》は|既《すで》に|蔭《かげ》も|形《かたち》も|無《な》くなつてしまふ。いつの|間《ま》にか|指《ゆび》の|股《また》から|滑《すべ》り|落《お》ちてしまつてゐるのだ。それにも|気《き》が|付《つ》かず、|後《あと》に|残《のこ》つた|恋愛《れんあい》の|粕屑《かすくづ》ばかりを|捉《とら》へて、かれこれと|論議《ろんぎ》してゐるやうだ。|僕《ぼく》たちは、モウ|少《すこ》しそれを|活動的《くわつどうてき》|存在物《そんざいぶつ》として、|刹那刹那《せつなせつな》に|深《ふか》く|触《ふ》れてゆく|事《こと》を|念《ねん》とせなくてはならないだらうと|思《おも》ふのだ』
『|恋愛《れんあい》は|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|厳守《げんしゆ》によつて|始《はじ》めて|神聖《しんせい》たり|得《う》るのだ。そして|人間《にんげん》たるものは|飽《あ》くまでも|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|道《みち》を|守《まも》つてゆかねば|人間《にんげん》としての|品格《ひんかく》が|保《たも》てない。|故《ゆゑ》にどこまでも|倫理的《りんりてき》でなくては、|恋愛《れんあい》は|成立《せいりつ》せないと|思《おも》つて、|僕《ぼく》は|泥坊稼《どろばうかせ》ぎのかたはら|永年《ながねん》|努力《どりよく》してゐるのだ』
『|他人《たにん》の|婦女《ふぢよ》を|強姦《がうかん》し、|財産《ざいさん》を|掠奪《りやくだつ》するを|以《もつ》てモツトーとする|泥坊稼《どろばうかせ》ぎの|身《み》でゐながら、|一夫一婦論《いつぷいつぷろん》や、|道徳心《だうとくしん》をもつてこの|問題《もんだい》に|対《たい》し、|永年《ながねん》の|努力《どりよく》を|惜《を》しまない|君《きみ》の|精神《せいしん》と|勇気《ゆうき》には|大《おほ》いに|感服《かんぷく》するが、|実際《じつさい》その|場《ば》に|臨《のぞ》んで、|君《きみ》の|堅固《けんご》な|主張《しゆちやう》が|守《まも》れるか|守《まも》れないかは|第二《だいに》の|問題《もんだい》として、とにかくも|努力《どりよく》しようとするその|心懸《こころが》けは|僕《ぼく》は|愛《あい》する。|現《げん》に|僕《ぼく》なども|三角状態《さんかくじやうたい》の|苦《くる》しい|立場《たちば》に|立《た》ち、|恋愛《れんあい》の|好《よ》い|加減《かげん》でない|事《こと》を|痛感《つうかん》し、|人間《にんげん》の|魂《たましひ》の|玩弄《ぐわんろう》すべからざることを|痛切《つうせつ》に|知《し》つた|時《とき》には、「やつぱり|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制度《せいど》が|結構《けつこう》だなア。さういふ|風《ふう》に|出来《でき》てゐるのだなア」といふ|風《ふう》に|独語《どくご》せずにはゐられなかつた|事《こと》もある。ゆゑに|僕《ぼく》も|愛情《あいじやう》の|濃《こまや》かな、|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|仲《なか》、お|互《たが》ひに|他《た》に|目《め》を|移《うつ》す|余裕《よゆう》のない、|円満《ゑんまん》にして|且《か》つ|濃厚《のうこう》な|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》を|尊敬《そんけい》する|一人《ひとり》だ。しかしそれは|原則《げんそく》としてではない。ただ|好《よ》い|事《こと》だといふだけに|止《とど》めたいのだ。|何故《なぜ》ならば、|自然《しぜん》はそん|何《なに》|簡単《かんたん》に|言《い》つてしまふことの|出来《でき》るものではないのだ。また|一夫一婦《いつぷいつぷ》が|如何《いか》に|理想的《りさうてき》であるからといつて、|皆《みな》の|人間《にんげん》が|訳《わけ》もなく|行《おこな》ふことが|出来《でき》るやうでは、また|出来《でき》るやうに|此《こ》の|自然《しぜん》が|出来《でき》てゐては、それこそ|人生《じんせい》は|単調《たんてう》になつてしまつて、|微妙《びめう》な|美《び》の|波動《はどう》もなければ、|細微《さいび》な|感情《かんじやう》の|渦巻《うづま》きもなく、|全《まつた》く|色彩《しきさい》のない|荒涼《くわうりやう》たるものになつてしまふ。|否《いな》それだけならまだ|我慢《がまん》が|出来《でき》るとしても、それでは|結局《けつきよく》この|人生《じんせい》が|成《な》り|立《た》つてゆかない。|悪《わる》く|型《かた》にはまつてしまつたやうになつて、|少《すこ》しの|余裕《よゆう》もなく、|終《つひ》には|破綻百出《はたんひやくしゆつ》するに|至《いた》るものだ。また|単《たん》に|生殖《せいしよく》といふ|点《てん》から|見《み》ても、そんな|事《こと》ではとても|人生《じんせい》は|成立《せいりつ》してゆかないのは|好《よ》く|判《わか》る。そこで|君《きみ》の|一夫一婦説《いつぷいつぷせつ》も|悪《わる》くはないが、|皆《みな》の|人間《にんげん》がそれになつては|困《こま》るといふ|形《かたち》になるのだ。|恋愛《れんあい》はモツと|自由《じいう》で|溌溂《はつらつ》として、さうした|人間《にんげん》の|理智《りち》や|意識《いしき》でこしらへた、|希望《きばう》とか|理想《りさう》とか、|道義《だうぎ》とか|品行《ひんかう》とかいふ|型《かた》のやうなものなどは、|幾何《いくら》|出来《でき》ても、|手早《てばや》く|且《か》つ|容易《ようい》に|内部《ないぶ》から|打壊《うちこは》してしまふ|強《つよ》い|力《ちから》を|持《も》たなければならないと|言《い》ふことになるのだ』
『|君《きみ》のごとき|自由恋愛論者《じいうれんあいろんしや》の|性慾万能主義者《せいよくばんのうしゆぎしや》には、|僕《ぼく》も|大《おほ》いに|面喰《めんくら》つた。|開《あ》いた|口《くち》が|閉《ふさ》がらないわ。|何《なん》なりと|御勝手《ごかつて》に|喋舌《しやべ》つたが|好《よ》からうよ』
『|誤解《ごかい》しちや|困《こま》るよ。|僕《ぼく》だつて|決《けつ》して|自由恋愛主義者《じいうれんあいしゆぎしや》ではない。また|単《たん》に|性慾《せいよく》の|満足《まんぞく》のみを|求《もと》めて|世《よ》を|乱《みだ》さうとするものでもない。かつては|僕《ぼく》は|自然主義《しぜんしゆぎ》の|唱道者《しやうだうしや》として、|獣類《じうるゐ》に|近《ちか》い|無残《むざん》な|性慾《せいよく》を|恣《ほしいまま》にするものだといふやうに、|世間《せけん》から|勝手《かつて》に|定《き》められてしまつたこともあつたが、|決《けつ》して|僕《ぼく》は|性慾万能宗《せいよくばんのうしう》の|信者《しんじや》ではない。ただ|僕《ぼく》は|恋愛《れんあい》といふものは、さういふ|自由《じいう》な|奔放《ほんぱう》なものだといふ|事《こと》を|主張《しゆちやう》するのだ。|単《たん》なる|知識《ちしき》になつてしまつては、|約《つま》り|前《まへ》にも|言《い》つた|通《とほ》り、|粕屑的《かすくづてき》|論議《ろんぎ》になつてしまつては、|溌溂《はつらつ》とした|流動的《りうどうてき》|存在《そんざい》としては、|到底《たうてい》そんな|風《ふう》に|定《き》めてしまふことは|出来《でき》ないといふことを|言《い》ひたいのだ』
『|君《きみ》の|説《せつ》の|如《ごと》きそんな|無検束《むけんそく》なことは|許《ゆる》せない。|君《きみ》がさう|言《い》ふふうに|恋愛《れんあい》なるものを|見《み》るなれば、それだけでモウ|立派《りつぱ》な|正札附《しやうふだつ》きの|自由恋愛論者《じいうれんあいろんしや》ではないか』
『そのやうにも|浅《あさ》く|考《かんが》へたら|取《と》れるだろうが、その|点《てん》は|実《じつ》に|難《むつかし》いのだ。そこに|非常《ひじやう》に|深《ふか》い|細《こま》かい、ともすれば|見落《みおと》してしまひさうなデリケートな、|心理的《しんりてき》|境地《きやうち》が|存在《そんざい》してゐるのだ。それは|一種《いつしゆ》の|理解《りかい》であるとも|言《い》はれるが、また|一種《いつしゆ》の|感激《かんげき》だと|言《い》ひ|得《う》る。|更《さら》に|言《い》ひかへて|人間《にんげん》|乃至《ないし》|人生《じんせい》に|対《たい》する、|大《おほ》きな|自然《しぜん》に|対《たい》する|溜息《ためいき》が|在《あ》るとも|言《い》へる。|約《つ》まり|何《ど》うにも|成《な》らないといふ|心持《こころも》ちに|近《ちか》いものだ。|恋愛《れんあい》なるものは|到底《たうてい》|見通《みとほ》しする|事《こと》の|出来《でき》るものではない。|単純《たんじゆん》であつて、しかも|深奥《しんあう》なものだから、|取《と》らうと|思《おも》へば|直《す》ぐそこに|在《あ》るが、さて|何処《どこ》までいつても|端倪《たんげい》されないものだ。この|心持《こころも》ちが|約《つ》まり|恋愛《れんあい》の|純《じゆん》な|所《ところ》なのだ』
『|全然《ぜんぜん》|君《きみ》の|説《せつ》は|二十世紀《にじつせいき》|頃《ごろ》に|生《い》きてゐた|小説家《せうせつか》の|田山花袋《たやまくわたい》のやうなことを|言《い》つてるぢやないか』
『|当然《たうぜん》だよ。|実《じつ》は|田山花袋《たやまくわたい》の|恋愛説《れんあいせつ》に|心酔《しんすゐ》してゐるのだ、アハハハハ』
『オイ、もう|夜《よ》が|明《あ》けるぢやないか。|恋愛論《れんあいろん》も、よい|加減《かげん》に|幕《まく》をおろし、いよいよこれから|本業《ほんげふ》に|取《と》りかかるとせうかい。この|間《あひだ》|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|称《しよう》する|玄真坊《げんしんばう》が|連《つ》れて|来《き》よつたダリヤ|姫《ひめ》も|頗《すこぶ》る|素的《すてき》な|美人《びじん》だつたが、しかし|彼奴《あいつ》は、|既《すで》に|鼻《はな》の|先《さき》が|割《わ》れてゐる。そんな|古《ふる》めかしいものよりも、どうだ、|甘《うま》く|親分《おやぶん》の|所在《ありか》を|突《つ》き|止《と》めて、あらむ|限《かぎ》りの|胡麻《ごま》を|擦《す》り、|元《もと》のごとく|乾児《こぶん》に|使《つか》つてもらひ、|隙《すき》を|考《かんが》へて、スバール|姫《ひめ》を|奪《うば》ひ|取《と》り、タラハンの|町《まち》へそつと|連《つ》れ|行《ゆ》き、|金《かね》にかへやうものなら、|一万両《いちまんりやう》や|二万両《にまんりやう》は|受《う》け|合《あ》ひの|西瓜《すゐくわ》だ。どうだ|一《ひと》つ|二人《ふたり》が|協力《けふりよく》して|甘《うま》く|目的《もくてき》を|達成《たつせい》し、その|金《かね》をもつて|立派《りつぱ》な|商売《しやうばい》を|営《いとな》み、|天晴《あつぱ》れ|紳士《しんし》となつて|世《よ》を|送《おく》らうぢやないか。|恋愛論《れんあいろん》も|恋愛論《れんあいろん》だが、|俺《おれ》に|言《い》はせれば|花《はな》より|団子《だんご》だ。|華《くわ》を|去《さ》り|実《じつ》に|就《つ》くのが|最《もつと》も|安全《あんぜん》なるやり|方《かた》だよ』
『|俺《おれ》もお|前《まへ》と|約束《やくそく》して|此処《ここ》までやつて|来《き》たのだが、あのスバール|姫《ひめ》はどことはなしに|優《やさ》しみがあり、あれほどの|美人《びじん》を|娼婦《せうふ》に|売《う》るのは|何《なん》だか|可哀《かはい》さうな|気《き》がする。|甘《うま》く|目的《もくてき》を|達《たつ》したら、あの|女《をんな》をそんな|泥水《どろみづ》に|落《おと》さず、どうだ|俺《おれ》の|女房《にようばう》にスツパリと|呉《く》れる|雅量《がりやう》はないか。|俺《おれ》だつて|何時《いつ》までも|金鎚《かなづち》の|川流《かはなが》れぢやあるまい。きつと|頭《あたま》を|上《あ》げる|時《とき》がある。その|時《とき》にはお|前《まへ》に|百万両《ひやくまんりやう》でもお|礼《れい》をするからなア』
『ヘン、|甘《うま》い|事《こと》をおつしやりますわい。お|前《まへ》のやうな|猿面野郎《さるめんやらう》がスバール|姫《ひめ》を|恋慕《れんぼ》するなんで|性《しやう》に|合《あ》はないわ。そんな|空想《くうさう》を|描《ゑが》くよりも、|甘《うま》く|姫《ひめ》を|奪《うば》ひ|取《と》り、お|金《かね》にした|方《はう》が|何《なに》ほど|徳《とく》だか|知《し》れないよ。|又《また》かりに、|貴様《きさま》の|女房《にようばう》にスバール|姫《ひめ》が|成《な》つたとしたところで、|貴様《きさま》のド|甲斐性《がひしやう》では|姫《ひめ》を|満足《まんぞく》さす|事《こと》も|出来《でき》まいし、しまひの|果《はて》には……ド|甲斐性《かひしやう》なしだ、|腰抜《こしぬ》け|野郎《やらう》だ、|馬鹿野郎《ばかやらう》だ……と|姫《ひめ》の|方《はう》から|愛想《あいさう》|尽《つ》かされ、|捨《す》てられるのは|今《いま》から|見《み》えてゐる。|万々一《まんまんいち》|山奥《やまおく》に|育《そだ》つた|未通娘《おぼこむすめ》だから、お|前《まへ》の|意志《いし》に|従《したが》ふにしたところで、|俺《おれ》をどうするのだ。|貴様《きさま》が|出世《しゆつせ》した|時《とき》|俺《おれ》に|報酬《はうしう》をやると|言《い》うたが、|貴様《きさま》の|力《ちから》ではミロクの|世《よ》まで|待《ま》つたところで|到底《たうてい》|覚束《おぼつか》ない|話《はなし》だ。それよりも|甘《うま》く|手《て》に|入《はい》つたら|売《う》り|飛《と》ばすに|限《かぎ》るよ』
『|俺《おれ》とスバール|姫《ひめ》とが|円満《ゑんまん》なホームを|作《つく》り、そして|姫《ひめ》は|天成《てんせい》の|美人《びじん》だから、|立派《りつぱ》な|美人《びじん》を|生《う》むに|相違《さうゐ》ない。|世《よ》の|諺《ことわざ》にも|出藍《しゆつらん》の|誉《ほまれ》とかいつて、あんなものがこんなものを|生《う》んだかといふ|事《こと》もある。|雀《すずめ》が|鷹《たか》を|生《う》む|譬《たとへ》もある。|然《しか》るに|況《いは》んや|孔雀《くじやく》にも|比《ひ》すべきスバール|姫《ひめ》、|出来《でき》た|子《こ》はきつと|鳳凰《ほうわう》|以上《いじやう》だらう。その|鳳凰《ほうわう》を|今《いま》から|貴様《きさま》にやることの|約束《やくそく》しておかう。|貴様《きさま》がそれを|女房《にようばう》にせうと、|何万円《なんまんゑん》に|売《う》り|飛《と》ばさうと|勝手《かつて》だ。|暫《しばら》く|時節《じせつ》を|待《ま》つてくれ。|時節《じせつ》さへ|来《く》れば|煎豆《いりまめ》にも|花《はな》が|咲《さ》くといふからのう』
『ヘン、|馬鹿《ばか》らしい、|俺《おれ》だつてやつぱり|男《をとこ》だ。|貴様《きさま》がスバール|姫《ひめ》に|恋慕《れんぼ》した|如《ごと》く、|俺《おれ》だつてやつぱり|恋慕《れんぼ》の|心《こころ》は|同様《どうやう》だ。お|前《まへ》は|恋愛《れんあい》|恋愛《れんあい》と|議論《ぎろん》ばかりで|立派《りつぱ》に|喋舌《しやべ》り|立《た》てるが、いつも|見事《みごと》に|成功《せいこう》した|事《こと》はあるまい。|十人《じふにん》|口説《くど》いて|一人《ひとり》|応《おう》ずれば|一割《いちわり》に|当《あた》るから、まんざら|捨《す》てたものではないとお|前《まへ》は|何時《いつ》も|言《い》つてゐるが、|百人《ひやくにん》|千人《せんにん》|口説《くど》いたつて、その|御面相《ごめんさう》では|半人《はんにん》だつて|応《おう》ずるものはあるまい。|今《いま》まで|一人《ひとり》でも|成功《せいこう》したものがあるなら|言《い》つて|見《み》よ』
『ヘン、|偉《えら》さうに|言《い》ふない。|俺《おれ》だつて|恋愛《れんあい》については、いささか|自信《じしん》をもつてゐるのだ。まづ|僕《ぼく》の|女《をんな》に|対《たい》する|恋愛《れんあい》の|実際《じつさい》は、|今日《けふ》までの|経験上《けいけんじやう》、いつでも|半分《はんぶん》だけは|必《かなら》ず|成就《じやうじゆ》してゐるのだ。|要《えう》するに|恋愛《れんあい》なるものは、|男女《だんぢよ》|二人《ふたり》の|間《あひだ》に|合意的《がふいてき》に|成立《せいりつ》つものだから、その|合意的《がふいてき》の|半分《はんぶん》、|即《すなは》ち|男《をとこ》の|俺《おれ》だけは|確《たし》かに|成功《せいこう》するが、|未《いま》だ|嘗《かつ》て、|女《をんな》の|方《はう》に、|実際《じつさい》の|事《こと》を|言《い》へば|出来《でき》た|事《こと》がない。それだから|僕《ぼく》の|恋愛《れんあい》は|半分《はんぶん》は|間違《まちが》ひなくきつと|成就《じやうじゆ》するのだ』
『ウフフフフ、ヘン|馬鹿《ばか》らしい。|貴様《きさま》はよい|馬鹿《ばか》だなア。|馬鹿者《ばかもの》の|典型《てんけい》とは|貴様《きさま》の|事《こと》だよ。|議論《ぎろん》ばかり|立派《りつぱ》にベラベラ|喋舌《しやべ》るが|天成《てんせい》の|鈍物《どんぶつ》だから、いな|馬鹿野郎《ばかやらう》だからお|話《はなし》にならないわ』
『どこやらの|教《をし》へにも「|阿呆《あはう》になつてゐて|下《くだ》されよ。|阿呆《あはう》ほど|結構《けつこう》なものはないぞよ。|阿呆《あはう》になつてをらねば|物事《ものごと》|成就《じやうじゆ》いたさぬぞよ」と|言《い》ふ|事《こと》があるぢやないか。|阿呆《あはう》はいはゆる|馬鹿野郎《ばかやらう》だ。|俺《おれ》は|馬鹿野郎《ばかやらう》をもつて|天下《てんか》の|誇《ほこ》りとしてゐるのだ。よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|彼奴《あいつ》は|学者《がくしや》だ、|智者《ちしや》だ、|才子《さいし》だ、|策士《さくし》だと|世間《せけん》から|言《い》はれてゐる|小賢《こざか》しい|人間《にんげん》よりも、|世《よ》の|中《なか》は|馬鹿野郎《ばかやらう》の|方《はう》が|最後《さいご》の|勝利《しようり》を|占《し》むるものだ。|天下《てんか》に|油断《ゆだん》のならぬものは、|美人《びじん》の|鼻声《はなごゑ》と、|阿呆《あはう》と、|暗《やみ》の|夜《よ》だと|言《い》ふぢやないか。|況《いは》んや|現代《げんだい》の|如《ごと》き|神経過敏《しんけいくわびん》の|病的《びやうてき》の|世《よ》の|中《なか》では、|馬鹿《ばか》でなくては、|世《よ》に|立《た》つ|事《こと》は|出来《でき》ないよ。いかに|猛烈《まうれつ》なバチルスにも|犯《をか》されず、バクテリヤにも|左右《さいう》されず、|俗物《ぞくぶつ》|共《ども》の|相手《あひて》にもしられず、|万事《ばんじ》がボーとして|無頓着《むとんちやく》でトボケたやうな、|馬鹿気《ばかげ》たところに|処世上《しよせいじやう》、|無限《むげん》の|妙味《めうみ》があるのだ。|馬鹿《ばか》なるかな、|馬鹿《ばか》なるかなだ。サアこれからお|前《まへ》と|俺《おれ》と|一致《いつち》してこの|大馬鹿《おほばか》を|尽《つく》しに|行《ゆ》かうぢやないか。シャカンナに|取捉《とつつか》まえられて、|死損《しにぞこ》ねになるもよし、スバール|姫《ひめ》に|肱鉄《ひぢてつ》をかまされて|馬鹿《ばか》を|見《み》るもよし、ともかく|人間《にんげん》は|馬鹿《ばか》に|場数《ばかず》を|踏《ふ》まねば|何事《なにごと》も|成功《せいこう》しないものだ。|一層《いつそう》のこと|思《おも》ひ|切《き》つて、|浅倉谷《あさくらだに》の|方面《はうめん》へ|馬鹿力《ばかぢから》を|現《あら》はし|強行軍《きやうかうぐん》と|出《で》かけやうぢやないか。こんな|所《ところ》に|鳶《とび》の|糞《ふん》を|頭《あたま》から|浴《あ》びて|石仏《いしぼとけ》のやうに|取越苦労《とりこしくらう》をしてゐるのも|馬鹿《ばか》らしい。サア|行《ゆ》かう』
『よし、もうかうなりや|仕方《しかた》がない、|馬鹿《ばか》ついでだ。|全隊《ぜんたい》|進《すす》めオ|一二《いちに》』
と|谷間《たにま》の|細路《ほそみち》を|小足《こあし》に|刻《きざ》みながらチヨコチヨコ|進《すす》み|行《ゆ》く。
アリナは|万感交々《ばんかんこもごも》|胸《むね》にたたへつつ、|二人《ふたり》の|話《はなし》を|聞《き》いて|飽《あ》くまで|追跡《つゐせき》し……|父娘《おやこ》の|危難《きなん》を|救《すく》はにやならぬ。いや|却《かへ》つて|父娘《おやこ》|両人《りやうにん》を|都《みやこ》へ|引《ひ》き|出《だ》すには|好《い》い|機会《きくわい》が|出来《でき》たのかも|知《し》れない……といそいそしながら|進《すす》み|行《ゆ》く。しかしながら|平坦《へいたん》な|都大路《みやこおほぢ》を|車馬《しやば》の|便《べん》によつて|歩《あゆ》んでゐたアリナの|足《あし》の|運《はこ》びは、|到底《たうてい》|山野《さんや》に|慣《な》れた|山賊《さんぞく》の|足跡《あしあと》を|追撃《つゐげき》するには|余程《よほど》の|困難《こんなん》を|感《かん》ぜられた。|二人《ふたり》の|小盗児《せうとる》の|影《かげ》は、いつの|間《ま》にか|山《やま》の|裾《すそ》に|遮《さへ》ぎられて|見《み》えなくなつてしまつた。
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 加藤明子録)
第三章 |山出女《やまだしをんな》〔一七二七〕
|世人《せじん》の|相棒《あひぼう》にも|使《つか》はれず、|何事《なにごと》にも|茫然《ばうぜん》として|無関心《むくわんしん》な|馬鹿者《ばかもの》ぐらゐ、|世《よ》の|中《なか》に|幸福《かうふく》にして|且《かつ》|強《つよ》いものはない。そこに|馬鹿者《ばかもの》の|無限《むげん》の|妙味《めうみ》が|存在《そんざい》するのである。|馬鹿《ばか》はほとんど|人間《にんげん》が|不可抗力《ふかかうりよく》を|備《そな》へた|者《もの》の|称号《しやうがう》である。|素《もと》よりせせこましい、|齷齪《あくそく》たる|普通《ふつう》|一般《いつぱん》の|規矩定木《きくぢやうぎ》を|以《もつ》て|律《りつ》することの|出来《でき》ない|困《こま》り|者《もの》である。|古往今来《こわうこんらい》|洋《やう》の|東西《とうざい》を|問《と》はず、|如何《いか》なる|医学博士《いがくはかせ》も|耆婆扁鵲《きばへんじやく》も、サツパリ|匙《さぢ》を|投《な》げて、「アーア|馬鹿《ばか》につける|薬《くすり》がない」と|歎息《たんそく》し、|豊臣太閤《とよとみたいかふ》も、|馬鹿《ばか》と|暗《やみ》の|夜《よ》ほど|恐《おそ》ろしいものはないと|言《い》つて、|恐怖心《きようふしん》に|襲《おそ》はれ、|何《なに》ほど|厳格《げんかく》なる|規則《きそく》の|下《もと》におかれるも、「|彼奴《あいつ》は|馬鹿《ばか》だから」との|一言《いちごん》に|無限《むげん》の|責任《せきにん》を|免除《めんぢよ》され、いよいよ|念《ねん》のいつた|阿呆《あはう》になると、|白痴瘋癲《はくちふうてん》と|称号《しやうがう》をいただいて、|犯罪《はんざい》も|法律《はふりつ》も|制裁《せいさい》を|加《くは》へられず、|更《さら》に|馬鹿《ばか》が|重《かさ》なつて、「|馬鹿々々《ばかばか》しい|奴《やつ》」と|笑《わら》はれた|時《とき》は、|人間《にんげん》の|万事《ばんじ》|一切《いつさい》の|欠点《けつてん》を|公々然《こうこうぜん》|許《ゆる》され、|却《かへ》つて|愛嬌者《あいけうもの》と|持《も》てはやされる。また|馬鹿《ばか》を|金看板《きんかんばん》に|掲《かか》げて、|浮世《うきよ》の|中《なか》をヤミクモに|押《お》し|渡《わた》る|時《とき》は、|向《む》かふ|所《ところ》ほとんど|敵影《てきえい》なく、|毫末《がうまつ》の|心配《しんぱい》もいらぬ。|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》から|小才子《こざいし》と|呼《よ》ばれ、|小悧巧《こりかう》と|称《とな》へられてゐる|奴等《やつら》は、|何《いづ》れも|平常《へいぜい》、|屁《へ》のやうな、|突張《つつぱ》り|所《どころ》のない、|毀誉褒貶《きよほうへん》の|巷《ちまた》を|飛《と》びまはり、|餓鬼《がき》が|食《しよく》を|争《あらそ》ふ|如《ごと》き、ホンの|目《め》の|前《まへ》の|成敗《せいばい》や、|利害《りがい》に|掴《つか》み|合《あ》ひ、|昼夜《ちうや》|煩悶苦悩《はんもんくなう》を|続《つづ》けて|一生《いつしやう》を|終《をは》る|者《もの》が|多《おほ》い。しかるに|悠々閑々《いういうかんかん》として、この|面白《おもしろ》い|人間《にんげん》の|隠《かく》れ|場所《ばしよ》は、|馬鹿者《ばかもの》の|名称《めいしよう》たる|事《こと》を|知《し》らず、ワザとに|焦《あせ》り|散《ち》らして|吾《わ》が|一身《いつしん》を|小刀細工《こがたなざいく》に|削《けづ》り|取《と》り、アア|痛《いた》い|苦《くる》しいと|日夜《にちや》に|悲鳴《ひめい》をあげて|悶《もだ》えてゐる|憐《あは》れな|世《よ》の|中《なか》だ。
|凡《すべ》て|人間《にんげん》は|平常《ふだん》から|智慧《ちゑ》を|蓄《た》めておいて、|一朝《いつてう》|事《こと》ある|場合《ばあひ》の|間《ま》に|合《あ》はさむと、|大才大智《だいさいだいち》の|者《もの》は、|平常《へいぜい》は|妄《みだ》りに|小智小才《せうちせうさい》を|月賦的《げつぷてき》に|小出《こだ》しをせず、|用《よう》のない|時《とき》は|皆《みな》|馬鹿《ばか》の|二字《にじ》に|隠《かく》れて、のんのこ、シヤあつくシヤあと、|馬耳水蛙《ばじすゐあ》に|晏如《あんじよ》として【をさ】まつてゐるものだ。「アア|此奴《こいつ》ア|驚《おどろ》いた。|彼奴《あいつ》アあんまり|馬鹿《ばか》に|出来《でき》ないぞ」と、|俗物《ぞくぶつ》どもに|一語《いちご》を|言《い》はせるのは、これ|全《まつた》く|馬鹿《ばか》の|名《な》の|下《もと》に|久《ひさ》しく|本能《ほんのう》を|秘《かく》してゐた|奴《やつ》の|現《あら》はれる|時《とき》だ。「|馬鹿《ばか》に|強《つよ》い|奴《やつ》。|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》に|偉《えら》い|奴《やつ》。このごろは|馬鹿《ばか》にやり|出《だ》した。|馬鹿《ばか》に|威勢《ゐせい》が|佳《よ》いぢやないか。|馬鹿《ばか》に|落着《おちつ》いてゐやがる。|馬鹿《ばか》によく|売《う》れる。|馬鹿《ばか》に|美味《おい》しい。|馬鹿《ばか》に|奇麗《きれい》だ。|馬鹿《ばか》にならない」などいふ|言葉《ことば》は|何《いづ》れも|平常《ふだん》|小悧巧《こりかう》な|奴《やつ》が|大才子《だいさいし》のために|鼻毛《はなげ》をぬかれた|時《とき》の|驚歎《きやうたん》の|言葉《ことば》である。「あんまり|馬鹿気《ばかげ》て|彼奴《あいつ》には|相手《あひて》になれない」などいふ|言葉《ことば》は、|大智者《だいちしや》の|最《もつと》も|深《ふか》く|馬鹿《ばか》の|奥《おく》に|潜伏《せんぷく》してゐる|時《とき》だ。
ハンナ、タンヤの|両人《りやうにん》はまた|馬鹿者《ばかもの》の|選《せん》に|洩《も》れない|代物《しろもの》であつた。しかしながら|此《こ》の|二人《ふたり》は|口《くち》には|哲学《てつがく》を|囀《さへづ》り、|恋愛論《れんあいろん》をまくし|立《た》て、たまには|政治論《せいぢろん》も|喋々《てふてふ》するが、|何《いづ》れも|天性《てんせい》の|智慧《ちゑ》から|出《で》たのではなく、|縁日《えんにち》の|夜立店《よだちみせ》に|埃《ほこり》まびれになつて|曝《さら》されてゐる|古本《ふるほん》を、|二銭《にせん》か|三銭《さんせん》で|値切《ねぎ》り|倒《たふ》して|買《か》つて|来《き》て|読《よ》みあさつた|付《つ》け|知恵《ぢゑ》なのだから、|真《しん》の|徹底《てつてい》した|馬鹿者《ばかもの》である。|馬鹿《ばか》の|名《な》に|隠《かく》れて、|巧《うま》く|世《よ》を|渡《わた》ることは|知《し》らず、|自分《じぶん》の|馬鹿《ばか》から、「|自分《じぶん》ほど|智者《ちしや》はない、|学者《がくしや》はない、|現代《げんだい》の|新人物《しんじんぶつ》は|俺《おれ》だ、|泥坊《どろばう》の、たとへ|仲間《なかま》といへども、|決《けつ》して|自分《じぶん》の|心《こころ》は|曲《まが》つてはゐない。そして|誰《たれ》にも|盗《ぬす》まれてはゐない。|生《うま》れつき、|自分《じぶん》は|才子《さいし》だ、|智者《ちしや》だ。たとへ|如何《いか》なる|人物《じんぶつ》といへども、|自分《じぶん》の|智嚢《ちのう》を|絞《しぼ》り|出《だ》して、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|手術《しゆじゆつ》を|尽《つく》し|立向《たちむ》かつたならば、|一切万事《いつさいばんじ》|易々《いい》として|成就《じやうじゆ》するものだ」と|自惚《うぬぼ》れてゐる。|時々《ときどき》|強《つよ》くなつてみたり、|弱《よわ》くなつてみたり、|進退《しんたい》|動作《どうさ》|常《つね》ならざるを|見《み》て、「|自分《じぶん》は|処世上《しよせいじやう》の|兵法《へいはふ》をよく|心得《こころえ》た|策士《さくし》だ、|軍師《ぐんし》だ」と|自惚《うぬぼ》れ、|失敗《しつぱい》をしても「これは|何《なに》かの|都合《つがふ》だ。|惟神的《かむながらてき》に|神《かみ》がかうさせたのだ。キツと|悪《わる》い|後《あと》は|善《よ》い。|善《よ》い|後《あと》は|悪《わる》いものだ。|失敗《しつぱい》は|成功《せいこう》の|母《はは》だ。|賢人《けんじん》|智者《ちしや》は|凡人《ぼんじん》の|下《した》ばたらきをなし、|愚者《ぐしや》は|天下《てんか》をとる|者《もの》だ。さうだから|自分《じぶん》は|仮令《たとへ》|賢者《けんじや》でも|愚者《ぐしや》を|装《よそほ》つてをらねばならぬのだ。どんな|愚者々々《ぐしやぐしや》した|事《こと》でも、|馬鹿《ばか》の|名《な》の|下《もと》には、|流《なが》れ|川《がは》で|尻《けつ》を|洗《あら》つた|如《ごと》く|解決《かいけつ》がつくものだ……」などと|自分《じぶん》の|馬鹿《ばか》を|棚《たな》へ|上《あ》げ、|自《みづか》ら|馬鹿《ばか》を|装《よそほ》うて|世《よ》を|巧《うま》く|渡《わた》つてゐるような|心持《こころも》ちでゐる|奴《やつ》だからたまらない。|此奴《こいつ》こそ|本当《ほんたう》に|箸《はし》にも|棒《ぼう》にもかからない、|捨場所《すてばしよ》のない|真馬鹿者《ほんばかもの》である。
ハンナ、タンヤの|二人《ふたり》は、|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナが|追跡《つゐせき》してゐることは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|慣《な》れた|足許《あしもと》にて|坂路《さかみち》をトントンと|鳥《とり》の|翔《た》つごとく|登《のぼ》りつめ、|漸《やうや》くにして|谷川伝《たにがはづた》ひに|浅倉谷《あさくらだに》のシャカンナが|隠家《かくれが》に|着《つ》いた、シャカンナはスバール|姫《ひめ》と|共《とも》に|少《すこ》し|遅《おそ》いながらも|朝飯《あさめし》を|食《く》つてゐた。
ハンナ『ヘー、|親方《おやかた》、|御免《ごめん》なさいませ。|久《ひさ》しうお|目《め》にかかりませぬ。|実《じつ》のところは|玄真坊《げんしんばう》の|女房《にようばう》ダリヤ|姫《ひめ》が|夜《よ》に|紛《まぎ》れて|遁走《とんそう》の|節《ふし》、|吾々《われわれ》どもは|御命令《ごめいれい》に|依《よ》り、その|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて|山野《さんや》を|駈《か》けめぐりましたが、たうとう|一《いち》も|取《と》らず|二《に》も|取《と》らず、やむを|得《え》ずして、タニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》に|帰《かへ》つて|見《み》れば、こはそもいかに、|豈計《あにはか》らむや、|弟計《おとうとはか》らむや、|建物《たてもの》は|焼払《やきはら》はれ、|親分様《おやぶんさま》はじめ|姫様《ひめさま》のお|姿《すがた》は|見《み》えず、もし|俄《には》かの|火事《くわじ》で|焼死《やけじ》にでも|遊《あそ》ばしたのではなからうか、もしそんな|事《こと》であつたら、|骨《ほね》でも|拾《ひろ》つて、|鄭重《ていちよう》な|問《と》ひ|弔《とむら》ひをしてあげねばなりますまいと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|灰掻《はひか》きをやつて|見《み》ましたが、|骨《ほね》らしいものは|何《なに》もございませぬ。ただ|猪《しし》や|狸《たぬき》の|骨《ほね》が|残《のこ》つてゐるばかり。アアこれは|親分様《おやぶんさま》が|火事《くわじ》に|驚《おどろ》き|遊《あそ》ばしてどつかへ|一時《いちじ》|身《み》をお|遁《のが》れ|遊《あそ》ばした|事《こと》だと|思《おも》ひ、|十日《とをか》ばかりも|飲《の》まず|食《く》はずで、チコナンと|待《ま》つてをりました|所《ところ》、|風《かぜ》の|便《たよ》りさへ|梨《なし》の|礫《つぶて》の|音沙汰《おとさた》なく、やむを|得《え》ず、|吾々《われわれ》は|解散《かいさん》と|出《で》かけました。しかしながら|肝腎《かんじん》の|時《とき》になつて、|親分様《おやぶんさま》をこの|山奥《やまおく》に|捨《す》て、|立《た》ち|去《さ》るといふ|事《こと》は、いかにも|乾児《こぶん》の|吾々《われわれ》として、|情《じやう》において|忍《しの》びないと、タンヤと|二人《ふたり》が|互《たが》ひに|抱《いだ》き|合《あ》つて|泣《な》きました。|本当《ほんたう》に|親分《おやぶん》|乾児《こぶん》の|情合《じやうあひ》といふものはまた|格別《かくべつ》のものでございます、アンアンアン』
シャ『ワツハハハハ、|汝等《きさまら》も|小《こ》むづかしい|厄介《やつかい》な|爺《おやぢ》がをらなくなつて、さぞ|睾丸《きんたま》の|皺伸《しわの》ばしをやつただらう。|俺《おれ》も|厄介者《やくかいもの》が|取払《とりはら》はれ、|身軽《みがる》になつて、|百日百夜《ひやくにちひやくや》も|疼《うづ》き|通《とほ》した|腫物《はれもの》が|俄《には》かに|跡形《あとかた》もなく|散《ち》つたやうな|気分《きぶん》になつたのだ。モウ|俺《おれ》はこの|通《とほ》り|世捨人《よすてびと》となつた|以上《いじやう》は、|再《ふたた》び|泥坊稼《どろばうかせ》ぎはやりたくない。|汝《きさま》もいい|加減《かげん》に、|足《あし》を|洗《あら》つて|正業《せいげふ》に|就《つ》いたが|可《よ》からう』
ハンナは|頭《あたま》をかきながら、
『エー、|親分《おやぶん》とも|覚《おぼ》えぬお|言葉《ことば》、それほど|私《わたし》に|信用《しんよう》がございませぬかな。|私《わたし》は|真心《まごころ》より|親方《おやかた》を|愛《あい》してをります。のうタンヤ、お|前《まへ》いつも|俺《おれ》の|言葉《ことば》を|聞《き》いてゐるだらう。|日《ひ》に|何十回《なんじつぺん》となく、|親方《おやかた》の|名《な》を|呼《よ》ばなかつた|事《こと》はなからう』
タ『ウン、そらさうだ、お|前《まへ》のいふ|通《とほ》り、|俺《おれ》の|聞《き》く|通《とほ》りだ。|何《なん》と|言《い》つても|心《こころ》が|正直《しやうぢき》なものだから、メツタに|親分《おやぶん》の|前《まへ》で、|嘘《うそ》は|言《い》はうとも|思《おも》はず、|言《い》はれもせぬワ。なア|親方《おやかた》、どうぞハンナや|私《わたし》の|心《こころ》を|信《しん》じて|下《くだ》さい』
シャ『ウン、お|前《まへ》の|心《こころ》の|底《そこ》まで|虚《きよ》か|偽《ぎ》か、|善《ぜん》か|悪《あく》かよく|信《しん》じてゐる。お|前《まへ》は|俺《おれ》には|用《よう》がないはずだ。スバール|姫《ひめ》に|用《よう》があるのだらうがな。それについてはこのシャカンナは|大変《たいへん》な|邪魔者《じやまもの》だらう。|御迷惑《ごめいわく》|察《さつ》し|入《い》るよ、アツハハハハ』
ハ『そら|親方《おやかた》、|御無理《ごむり》ぢやございませぬか。|姫様《ひめさま》はまだ|少女《せうぢよ》の|御身《おんみ》の|上《うへ》、|恋《こひ》でもなければ|色情《いろ》でもない。また|姫様《ひめさま》は|吾々《われわれ》がお|小《ちひ》さい|時《とき》からお|育《そだ》て|申《まを》したもの、イヤお|世話《せわ》をさして|頂《いただ》いたお|方《かた》ですから、|別《べつ》に|深《ふか》い|御恩《ごおん》もございませぬが、|親分《おやぶん》さまには|永《なが》らくお|世話《せわ》になつてゐますから、|親分《おやぶん》の|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れませぬ。お|嬢様《ぢやうさま》は|何《なん》の|御恩《ごおん》もありませぬ。|況《いは》んや|恋愛《れんあい》などの|心《こころ》は|毛頭《まうとう》|持《も》つてをりませぬから、どうぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
シャ『|親分《おやぶん》にはお|世話《せわ》になつたと|口《くち》には|言《い》つてるが、|心《こころ》の|中《なか》では、|永《なが》らく|親分《おやぶん》の|世話《せわ》をしてやつた。|親分《おやぶん》は|外《そと》へも|出《で》ず、|乾児《こぶん》ばつかり|働《はたら》かして、|乾児《こぶん》の|膏《あぶら》を|舐《ねぶ》つて、|親分《おやぶん》は|食《く》つてたのだ。つまり「|自分《じぶん》は|親分《おやぶん》の|救《すく》ひ|主《ぬし》だ。|保護者《ほごしや》だ。|親分《おやぶん》に|礼《れい》を|言《い》はすのが|当然《あたりまへ》だ」ぐらゐの|心《こころ》で|来《き》てるだらうがな』
ハ『なるほど|流石《さすが》は|親方《おやかた》だ。よく|吾々《われわれ》の|心《こころ》の|底《そこ》まで|透見《とうけん》して|下《くだ》さいました。|天下《てんか》|一人《いちにん》の|知己《ちき》を|得《え》たりといふべしだ。のうタンヤ、この|親分《おやぶん》にしてこの|乾児《こぶん》ありだ。|何《なん》と|恐《おそ》ろしい|目《め》の|利《き》く|親分《おやぶん》ぢやないか』
タ『そらさうだとも、|何《なん》と|言《い》つても|二百人《にひやくにん》の|泥坊《どろばう》を|腮《あご》で|使《つか》ひ、そして|自分《じぶん》の|生《う》んだ【ひんだ】の|粕《かす》を、|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》に|嬢様《ぢやうさま》|嬢様《ぢやうさま》と|言《い》はして|威張《ゐば》らしてござつたのだもの、ずゐぶん|凄《すご》い|腕《うで》だよ。なア|親分《おやぶん》、|私《わたし》の|観察《くわんさつ》は|違《ちが》ひますまい』
シャ『タンヤの|観察《くわんさつ》もハンナの|評察《ひやうさつ》も、|俺《おれ》の|推察《すゐさつ》もピツタリ|合《あ》つてゐるやうだ。しかしながら|俺《おれ》の|娘《むすめ》を|汝達《きさまたち》は|奪《うば》つて|帰《かへ》る|相談《さうだん》をやつて|来《き》たのだらう。|年《とし》|老《お》いたりといへど、|俺《おれ》の|腕《うで》にも|骨《ほね》もあれば|力《ちから》もある。|汝等《きさまら》のやうな、|青二才《あをにさい》の|挺《てこ》にはチツと|合《あ》ひかねるぞ。|姫《ひめ》が|欲《ほ》しければ、|腕《うで》づくで|持《も》つて|帰《かへ》つたが|可《よ》からう』
ハ『ヤア、こいつア|面白《おもしろ》い。|何《なに》ほど|強《つよ》いといつても、タカが|老耄《おいぼれ》|一人《ひとり》、この|邪魔者《じやまもの》さへ|払《はら》へば、あとは|此方《こつち》の|者《もの》だ。|今《いま》までは|大親分《おほおやぶん》といふ|名《な》に|恐《おそ》れて、|何《なん》だか|敵対心《てきたいしん》が|臆病風《おくびやうかぜ》を|吹《ふ》かしよつたが、もうかうなれば|五文《ごもん》と|五文《ごもん》だ。こちらは|二人《ふたり》で|一銭《いつせん》だ。オイ|一銭《いつせん》と|五厘《ごりん》との|力比《ちからくら》べだ。|勝敗《しようはい》の|数《すう》は|已《すで》に|定《き》まつてゐる。|只《ただ》|一銭《いつせん》に|打亡《うちほろ》ぼされるよりも|五厘五常《ごりんごじやう》の|道《みち》を|弁《わきま》へて、スツパリと|娘《むすめ》を|此方《こつち》へ|渡《わた》せ。|拙劣《へた》にバタつくと|爺《おやぢ》のためにならないぞ』
スバールは|食事《しよくじ》の|手《て》を|止《や》め、|二人《ふたり》の|面《かほ》を|微笑《びせう》をうかべながら|打《う》ち|眺《なが》め、|大胆不敵《だいたんふてき》な|態度《たいど》でおさまり|返《かへ》つてゐる。
シャ『|言《い》はしておけば、|旧主人《きうしゆじん》に|向《む》かつて|雑言無礼《ざふごんぶれい》、|容赦《ようしや》はいたさぬ、この|鉄拳《てつけん》を|喰《くら》へ』
と|首《くび》も|飛《と》べよとばかり、ハンナの|横面《よこづら》をなぐりつけむとする|一刹那《いつせつな》、ハンナは|身《み》をすくめてシャカンナの|足《あし》を|掬《すく》つた。シャカンナは|狭《せま》い|庭《には》にドツと|倒《たふ》れ、|庭《には》の|石《いし》に|後頭部《こうとうぶ》を|打《ぶつ》つけ|気《き》が|遠《とほ》くなつてしまつた。|二人《ふたり》は|手早《てばや》くシャカンナを|荒繩《あらなは》をもつて|手足《てあし》を|縛《しば》り、|谷川《たにがは》に|持《も》ち|運《はこ》んで|水葬《すゐさう》せむとする。これを|見《み》るよりスバール|姫《ひめ》は|父《ちち》の|大事《だいじ》と、|死物狂《しにものぐる》ひになり、|鉞《まさかり》をもつて|二人《ふたり》の|背後《うしろ》よりウンとばかり|擲《なぐ》りつけた。|二人《ふたり》は|目早《めばや》く|体《たい》をかはし、|跳《をど》りかかつて、|鉞《まさかり》を|奪《うば》ひとり、スバール|姫《ひめ》を|大地《だいち》にグツと|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せ、|手足《てあし》を|括《くく》つて|動《うご》かせず。スバール|姫《ひめ》は|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げて、|声《こゑ》をかぎりに|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。
この|時《とき》|一町《いつちやう》ばかり|手前《てまへ》まで、|林《はやし》を|潜《くぐ》つて|進《すす》んで|来《き》たアリナは、|娘《むすめ》の|悲鳴《ひめい》を|聞《き》き、|吾《わ》が|身《み》を|忘《わす》れて、|走《はし》り|来《き》たり|見《み》ればこの|態《てい》である。……ヤア|此奴《こいつ》は|今朝《けさ》|見《み》た|曲者《くせもの》、|懲《こ》らしめくれむ……と、|物《もの》をもいはず、|襟髪《えりがみ》を|掴《つか》んで|浅倉山《あさくらやま》の|溪流《けいりう》へ、|二人《ふたり》ともザンブとばかり|投《な》げ|込《こ》んで|了《しま》ひ、|両人《りやうにん》の|繩目《なはめ》を|解《と》いた。スバール|姫《ひめ》は|紅葉《もみぢ》のやうな|優《やさ》しき|手《て》を|合《あ》はして、|救命《きうめい》の|大恩《だいおん》を|感謝《かんしや》した。|父《ちち》のシャカンナは|精神《せいしん》|朦朧《もうろう》として|殆《ほとん》ど|人事不省《じんじふせい》の|態《てい》である。アリナとスバール|姫《ひめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|神《かみ》に|祈願《きぐわん》を|奉《たてまつ》り、|水《みづ》を|面部《めんぶ》に|吹《ふ》きかけなどして、やうやくの|事《こと》で、シャカンナの|精神状態《せいしんじやうたい》は|明瞭《めいれう》になつて|来《き》た。
シャ『アア|娘《むすめ》、|其方《そなた》は|無事《ぶじ》であつたか。まあ|結構々々《けつこうけつこう》、これも|全《まつた》く|天《てん》のお|助《たす》けだ』
ス『お|父様《とうさま》、|私《わたし》も|縛《しば》られてゐましたの。|危《あや》ふい|所《ところ》へ、あとの|月太子様《つきたいしさま》のお|伴《とも》をしてお|出《い》でになつたアリナ|様《さま》が|現《あら》はれて、|私《わたし》や|貴方《あなた》を|助《たす》けて|下《くだ》さつたのですよ。サアお|礼《れい》を|申《まを》して|下《くだ》さい』
シャカンナはスバール|姫《ひめ》の|声《こゑ》に|目《め》をさまして、よくよく|見《み》れば、アリナは|恭《うやうや》しげに|大地《だいち》にしやがむでゐる。
シャ『アア|其方《そなた》はアリナさま、よくマア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。あなたは|吾々《われわれ》|父娘《おやこ》が|再生《さいせい》の|恩人《おんじん》です。サア、どうぞうちへお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ』
ア『|危《あや》ふい|所《ところ》でございましたが、|先《ま》づお|気《き》がついて|何《なに》より|重畳《ちようでふ》でございます。|左様《さやう》なれば、|休《やす》ましていただきませう』
とシャカンナを|助《たす》け|起《おこ》し、スバール|姫《ひめ》と|共《とも》に|老人《らうじん》の|手《て》を|引《ひ》いて|屋内《をくない》に|進《すす》み|入《い》つた。
シャ『アリナさま、どうも|有難《ありがた》うございます。そして|太子様《たいしさま》はお|変《かは》りはございませぬか』
ア『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|先《ま》づ|先《ま》づ|御壮健《ごさうけん》の|方《はう》でございます。ついては|太子様《たいしさま》のお|使《つかひ》に|参《まゐ》つた|者《もの》でございますから、どうぞ|使《つかひ》の|趣《おもむき》を、お|気《き》が|休《やす》まりましたらゆつくりと|聞《き》いて|下《くだ》さいませ』
『イヤもう|気分《きぶん》は|良《よ》くなりました。|太子様《たいしさま》のお|使《つかひ》とあらば|半時《はんとき》の|猶予《いうよ》もなりますまい、どうか|其《その》お|旨《むね》を|伝《つた》へて|下《くだ》さい。|身《み》に|叶《かな》う|事《こと》なら、|吾々《われわれ》|父娘《おやこ》が|力《ちから》のあらむ|限《かぎ》り|御奉公《ごほうこう》を|致《いた》しますから』
『ヤ、|早速《さつそく》の|御承引《ごしよういん》|有難《ありがた》うございます。かいつまんで|申《まを》しますれば、|太子様《たいしさま》は|始《はじ》めて|貴方《あなた》|父娘《おやこ》にお|会《あ》ひ|遊《あそ》ばし、|年《とし》|老《お》いたりといへども|気骨《きこつ》|稜々《りやうりやう》たるシャカンナ|様《さま》のお|心《こころ》ゆき、|次《つ》いでは|世《よ》に|稀《まれ》なる|美貌《びばう》のスバール|様《さま》、|王妃《わうひ》としてお|召抱《めしかか》えになつても|恥《は》づかしからぬ|者《もの》と|思召《おぼしめ》し、|今日《こんにち》のところは|少《すこ》し|時機《じき》が|早《はや》いやうでございますが、それだと|言《い》つて、|太子様《たいしさま》には|非常《ひじやう》な|御恋慕《ごれんぼ》、|矢《や》も|楯《たて》もたまらぬ|勢《いきほ》ひ、|一時《いちじ》も|早《はや》くスバール|様《さま》のお|顔《かほ》が|見《み》たいとの|御思召《おんおぼしめ》し、|侍臣《じしん》の|吾々《われわれ》はその|御苦衷《ごくちう》を|察《さつ》し|奉《たてまつ》り、ジツと|見《み》てゐられぬやうになり、|人目《ひとめ》を|忍《しの》んでこのお|館《やかた》をお|訪《たづ》ね|申《まを》したのでございます』
『|何事《なにごと》の|仰《おほ》せかと|思《おも》へば、スバール|姫《ひめ》を|御所望《ごしよまう》との|御事《おんこと》、|娘《むすめ》に|異存《いぞん》さへなくば|御命令《ごめいれい》に|随《したが》ひませう。しかしながら|未《いま》だ|私《わたくし》の|都《みやこ》へ|出《で》る|時機《じき》ではございませぬ。|何《なん》といつても|時勢遅《じせいおく》れの|古《ふる》ぼけた|頭《あたま》、|政治《せいぢ》の|衝《しよう》に|当《あた》るのは|却《かへ》つて|太子様《たいしさま》に|御心配《ごしんぱい》をかけるやうなものでございますから、|其《その》|儀《ぎ》ばかりはお|断《ことわ》り|申《まを》したうございます。|幸《さいは》ひこの|山奥《やまおく》に|潜《ひそ》んで|不幸《ふかう》を|重《かさ》ねながら、|山《やま》の|木《き》の|枝《えだ》に|首《くび》も|吊《つ》らず、|川《かは》の|底《そこ》に|身《み》も|投《な》げず、|鉄砲腹《てつぱうばら》もいたさず、ともかく|無事《ぶじ》|息災《そくさい》で|今日《こんにち》まで|生《い》き|永《なが》らへて|来《き》ました|経験《けいけん》もございますれば、どうか|私《わたくし》の|事《こと》はお|心《こころ》にかけさせられないやうお|願《ねが》ひいたします。|役《やく》に|立《た》たない|私《わたくし》のやうな|者《もの》が|都《みやこ》へ|上《のぼ》つたところで、|太子様《たいしさま》の|御厄介《ごやくかい》、|人間《にんげん》|一疋《いつぴき》の|放《はな》し|飼《が》ひの|飼殺《かひごろ》しも|同然《どうぜん》、|今日《こんにち》の|社会《しやくわい》に|接触《せつしよく》のうすい|吾々《われわれ》が、|繁雑《はんざつ》な|世《よ》の|中《なか》に、どうして|立《た》つて|政治《せいぢ》が|出来《でき》ませう。|形《かたち》ばかりの|茅屋《あばらや》は|古《ふる》く、|狭《せま》く、|穢《むさくる》しうございまするが、|娘《むすめ》を|出《だ》した|後《あと》の|独身者《どくしんもの》の|自炊《じすゐ》にはあまり|狭《せま》さを|感《かん》じませぬ。どうぞ|此《この》|儀《ぎ》ばかりは|平《ひら》にお|断《ことわ》りを|申《まを》します』
『アア|実《じつ》の|所《ところ》は、まだ|父王様《ちちわうさま》のお|許《ゆる》しもなく、|太子様《たいしさま》お|一人《ひとり》のお|考《かんが》へでございますから、|同《おな》じ|事《こと》なら、モウ|一二年《いちにねん》あなたは|此処《ここ》に|居《を》つて、|時節《じせつ》を|待《ま》つて|頂《いただ》く|方《はう》が、|双方《さうはう》に|都合《つがふ》が|可《い》いでせう。そして|嬢様《ぢやうさま》は|私《わたし》がソツとお|伴《とも》をいたし、|茶《ちや》の|宗匠《そうしやう》タルチンの|館《やかた》にお|囲《かくま》ひ|申《まを》し、|御身《おんみ》の|御安泰《ごあんたい》を|保護《ほご》いたしますれば、どうか|御心配《ごしんぱい》なく、|嬢様《ぢやうさま》を|私《わたくし》にお|預《あづ》け|下《くだ》さいませぬか』
シャ『オイ、スバール、お|前《まへ》は|最前《さいぜん》からのお|話《はなし》を|聞《き》いたであらう。アリナさまに|伴《ともな》はれて|都《みやこ》へ|上《のぼ》る|気《き》はないか』
ス『ハイ、お|父《とう》さまをこの|山奥《やまおく》に|只《ただ》お|一人《ひとり》|残《のこ》して|私《わたし》が|参《まゐ》るわけには|行《ゆ》きますまい。なる|事《こと》なら、お|父《とう》さまと|御一緒《ごいつしよ》にお|伴《とも》が|願《ねが》ひたいものでございます』
『ハハハハ、|父《ちち》に|対《たい》する|孝養《かうやう》と、|夫《をつと》に|対《たい》する|恋愛《れんあい》とは|別問題《べつもんだい》だとお|前《まへ》も|言《い》つたでないか。|恋愛神聖論《れんあいしんせいろん》の|御本尊《ごほんぞん》たるスバール|嬢《ぢやう》さま、|決《けつ》して、|父《ちち》に|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》はいらぬ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|愛《あい》し|奉《たてまつ》る|太子様《たいしさま》の|御前《ごぜん》に|出《で》るが|可《よ》からう。しかし|必《かなら》ず|太子様《たいしさま》にお|目《め》にかかつても|気儘《きまま》を|出《だ》しては|可《い》けませぬぞ』
『ハイお|父《とう》さま、|有難《ありがた》うございます。|左様《さやう》なれば|都《みやこ》へ|上《のぼ》ります。どうか|御気嫌《ごきげん》ようお|暮《くら》し|下《くだ》さいませ。そして|一時《いちじ》も|早《はや》くお|父《とう》さまをお|迎《むか》へに|参《まゐ》ります。そしてお|父《とう》さまのお|顔《かほ》を|早《はや》く|見《み》るのを|楽《たの》しみに|私《わたし》は|暮《くら》してをりますよ』
と|嬉《うれ》しくもあり|悲《かな》しくもあり、|親《おや》の|死《し》んだ|日《ひ》に|新婿《にひむこ》を|貰《もら》うたやうな|心《こころ》に|充《み》たされてゐた。この|翌日《よくじつ》からは|浅倉谷《あさくらだに》の|名花《めいくわ》たるスバールの|姿《すがた》は|見《み》えなくなりぬ。
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 松村真澄録)
第四章 |茶湯《ちやのゆ》の|艶《えん》〔一七二八〕
タラハン|市《し》の|町外《まちはづ》れ、|裏《うら》は|薄濁《うすにご》つた|可《か》なり|広《ひろ》い|溝《みぞ》が|流《なが》れてゐる。|常磐木《ときはぎ》のこんもりとした|余《あま》り|広《ひろ》からぬ|屋敷《やしき》の|中《なか》に、|茶湯《ちやのゆ》の|宗匠《そうしやう》タルチンの|形《かたち》ばかりの|茅屋《ばうをく》が|建《た》つてゐる。|家《いへ》は|古《ふる》く|狭《せま》けれども、|宗匠《そうしやう》|一人《ひとり》が|独身生活《どくしんせいくわつ》には|可《か》なり|広《ひろ》い。しかも|母屋《おもや》と|離《はな》れて|煩《うるさ》き|物音《ものおと》も|聞《き》こえず、|生《お》い|茂《しげ》れる|庭《には》の|植込《うゑこ》みを|吾《わ》が|物《もの》と|見《み》れば、|世間体《せけんてい》を|飾《かざ》つた|紳士紳商《しんししんしやう》の|苦《くる》しい|外観《みえ》を|飾《かざ》る|別荘《べつさう》よりも|遥《はる》かに|勝《まさ》り、|呑気《のんき》で|住心地《すみごこち》もよい。|春雨《はるさめ》に|包《つつ》まるる|向日《むかひ》の|森《もり》、|朧月夜《おぼろづきよ》に|見渡《みわた》す|田圃道《たんぼみち》、|軒端《のきば》に|近《ちか》い|若葉《わかば》の|揺《ゆ》るぎ、|窓《まど》に|聞《き》こゆる|小田《をだ》の|蛙《かはず》の|泣《な》き|声《ごゑ》、|見《み》るからに|茶人《ちやじん》の|住《す》みさうな|家構《いへがま》へである。
|雀《すずめ》の|子《こ》が|羽《は》ばたきをするのは、やがて|天空《てんくう》をかける|準備《じゆんび》だ。|猫《ねこ》の|子《こ》がじやれるのは|大好物《だいかうぶつ》の|鼠《ねずみ》をとらむとする|下稽古《したげいこ》だ。|年頃《としごろ》の|女《をんな》が|鏡《かがみ》に|向《む》かつて、|顔面《がんめん》や|頭髪《とうはつ》の|整理《せいり》をするのは|恋愛至上主義《れんあいしじやうしゆぎ》を|完全《くわんぜん》に|達《たつ》せむための|準備《じゆんび》である。
|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》タルチンは|朝《あさ》|早《はや》うから、|坊主頭《ばうずあたま》に|捻鉢巻《ねぢはちまき》、|腰衣《こしごろも》を|高《たか》くまき|上《あ》げ|座敷《ざしき》を|掃《は》いたり、|門《かど》を|掃除《さうぢ》したり、|何《なに》か|珍客《ちんきやく》の|出《で》て|来《く》る|様子《やうす》。さうして|何《なん》となく|万金《まんきん》の|宝《たから》を|人知《ひとし》れぬ|処《ところ》で|拾《ひろ》つたやうな|顔付《かほつき》して、ニコニコと|笑《わら》つてゐる。|愚者《ぐしや》の|一芸《いちげい》とかいつて、この|茶坊主《ちやばうず》も|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|道《みち》だけは|可《か》なり|覚《さと》つてゐるやうである。|母屋《おもや》の|方《はう》には|宗匠《そうしやう》の|女房《にようばう》として|年《とし》の|若《わか》い|体格美《たいかくび》に|傾《かたむ》き|過《す》ぎた|布袋女《ほていをんな》が|一人《ひとり》|住《す》まつてゐる。|五斗俵《ごとべう》を|軽々《かるがる》と|持《も》ち|運《はこ》ぶその|力《ちから》、どこに|一点《いつてん》の|女《をんな》らしい|処《ところ》も|見《み》えない。|顔色《がんしよく》|黒《くろ》く|頭髪《とうはつ》は|茶褐色《ちやかつしよく》の|大女《おほをんな》、|到底《たうてい》ヒステリ|性《せい》を|尊《たふと》ぶ|小説家《せうせつか》の|材料《ざいれう》になりさうもない|奴《やつ》。もし|当世流《たうせいりう》の|才子風《さいしふう》より|見《み》れば、|一切《いつさい》の|境遇《きやうぐう》に|何等《なんら》の|意味《いみ》もなく|殆《ほとん》ど|生存《せいぞん》の|要《えう》もなく、|只《ただ》|一個《いつこ》の|哀《あは》れ|至極《しごく》なる|肉体物《にくたいぶつ》に|過《す》ぎないのだ。|鞋虫《わらぢむし》の|文学者《ぶんがくしや》や、|穀潰《ごくつぶ》しの|政治家《せいぢか》や、|蓄音器《ちくおんき》の|教育家《けういくか》や、|米搗螽斯《こめつきばつた》の|小役人《こやくにん》どもが、|仔細《しさい》らしく|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|手前《てまへ》を|誇《ほこ》り、|交際場裡《かうさいじやうり》の|補助《ほじよ》にもがなと、|茶坊主《ちやばうず》の|茅屋《ばうをく》を|折《を》りをり|訪《たづ》ねて|来《く》るのみで、あまり|流行《はや》らない|宗匠《そうしやう》である。|身代《しんだい》は|痩《や》せて|壁《かべ》までが|骨《ほね》を|出《だ》し|軒《のき》は|傾《かたむ》き、|上雪隠《かみせつちん》の|屋根《やね》から|月《つき》を|見《み》る|重宝《ちようはう》な|住居《すまゐ》である。|夕立《ゆふだち》の|時《とき》にはバケツや、|盥《たらひ》、|手桶《てをけ》などを|慌《あわ》てまはして|座敷中《ざしきちう》に|持《も》ち|運《はこ》び、|時《とき》ならぬ|雨太鼓《あまだいこ》の|音《おと》をさせてゐる。
|此《この》|頃《ごろ》この|茶室《ちやしつ》に|家《いへ》と|主人《しゆじん》に|不相当《ふさうたう》な|珍客《ちんきやく》が、チヨコチヨコ|窓《まど》の|内外《ないぐわい》から|顔《かほ》を|出《だ》す|事《こと》がある。|艶々《つやつや》した|髪《かみ》の|色《いろ》、|名人《めいじん》の|描《ゑが》いた|天人《てんにん》の|絵《ゑ》から|抜《ぬ》け|出《だ》したやうな|美人《びじん》が、|何処《どこ》とはなしに|初心初心《うぶうぶ》しいけれども、さりとて|田舎出《いなかで》の|女《をんな》とも|見《み》えず、|山猿《やまざる》の|娘《むすめ》とも|見《み》えず、|起居《ききよ》|振舞《ふるま》ひしとやかに、|頭《あたま》の|先《さき》から|指《ゆび》の|先《さき》まで、|一寸《ちよつと》|動《うご》けば|四辺《あたり》の|空気《くうき》は|千万里《せんまんり》の|彼方《かなた》まで|波動《はどう》するかと|思《おも》はるるくらゐ、|有情男子《いうじやうだんし》の|肝魂《きもたま》を|奪《うば》つた。|宗匠《そうしやう》のタルチンは|妙齢《めうれい》の|美人《びじん》に|向《む》かつて|得意《とくい》の|茶道《さだう》に|就《つ》いて|鹿爪《しかつめ》らしき|講義《かうぎ》を|初《はじ》めだした。|美《うる》はしき|乙女《をとめ》は|言《い》ふまでもなくアリナが|山奥《やまおく》から|生捕《いけど》つて|来《き》た、|山霊水伯《さんれいすゐはく》の|精《せい》の|変化《へんげ》といふべき、スバール|姫《ひめ》たる|事《こと》は|言《い》ふまでもない。
タルチン『|姫様《ひめさま》、|女《をんな》の|最《もつと》も|習《なら》つておかねばならない|事《こと》は|茶《ちや》の|湯《ゆ》でございますから、|今日《こんにち》は|太子様《たいしさま》の|有難《ありがた》き|尊《たふと》き|御命令《ごめいれい》によりまして、|卑《いや》しき|私《わたし》が|茶《ちや》の|湯《ゆ》のお|手前《てまへ》を|恐《おそ》れながら|伝授《でんじゆ》さして|頂《いただ》きませう。まず|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|講目《かうもく》から|心得《こころえ》てをつて|貰《もら》はなくてはなりませぬから、あらましの|事《こと》を|申《まを》し|上《あ》げます』
スバール『ハイ、|何《なに》から|何《なに》までお|世話《せわ》になりまして|有難《ありがた》うございます。|何《なん》といつても|十年《じふねん》ばかりも|子供《こども》の|時《とき》から|山奥《やまおく》に|連《つ》れ|行《ゆ》かれ、|此《この》|世《よ》の|風《かぜ》にも|当《あた》つてゐないやうな、【おぼこ】|娘《むすめ》の|世間《せけん》|知《し》らずでございますから、|茶《ちや》の|湯《ゆ》に|限《かぎ》らず|何事《なにごと》も|御指導《ごしだう》をお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
タルチンは|笑《ゑみ》を|満面《まんめん》に|浮《う》かべ、|低《ひく》い|鼻《はな》をピコつかせ、|三方白《さんぱうじろ》の|目《め》をきよろつかせながら、フンと|右《みぎ》の|手《て》の|甲《かふ》で|鼻《はな》を|左《ひだり》から|右《みぎ》へ|撫《な》で、|自分《じぶん》の|尻《しり》の|方《はう》でモシヤモシヤとこすりつけ、|言葉《ことば》までも|荘重《さうちよう》らしく|粧《よそほ》ひながら、
『そもそも|茶《ちや》の|湯《ゆ》は|三ケ《さんこ》の|綱領《かうりやう》を|以《もつ》て|本《もと》とされてゐます。さうして|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|仲通《なかどほり》の|習《なら》ひといふのは|明徳《めいとく》を|明《あき》らかにするの|謂《いひ》であつて、|天命《てんめい》にもとづいて|性《せい》を|率《ひき》ゆるの|道《みち》でございます。さて|茶《ちや》の|湯《ゆ》も、その|大本《たいほん》を|極《きは》めるならば|何《いづ》れの|手前《てまへ》も|十三手前《じふさんてまへ》が|父《ちち》となり|母《はは》となるのです。これから|三百八十手前《さんびやくはちじふてまへ》も|分《わか》れるのです。「すべて|物《もの》は|本末《ほんまつ》があり、|事《こと》には|終始《しうし》があり、|前後《ぜんご》する|事《こと》を|知《し》る|時《とき》は|即《すなは》ち|道《みち》に|近《ちか》し。その|本《もと》|乱《みだ》れて|未《いま》だ|其《その》|末《すゑ》をさまるものは|非《あら》ざる|也《なり》」と|聖人《せいじん》が|説《と》かれてゐるでせう。それゆゑに|茶《ちや》の|湯《ゆ》は|十三手前《じふさんてまへ》を|根本《こんぽん》にして|諸々《もろもろ》の|手前《てまへ》はこの|中《うち》にあるのです。そしてまた|許可《ゆるし》の|手前《てまへ》といふところまで|稽古《けいこ》が|進《すす》むと|技芸《ことわざ》が|広《ひろ》くて、|色々《いろいろ》に|別《わか》れます。これ|新民《しんみん》の|場《ば》にして|品々《しなじな》|変《かは》りあり。|手前《てまへ》は、その|心《こころ》を|選択《せんたく》するの|謂《いひ》であります。|古《いにしへ》|東山殿《ひがしやまどの》より|千《せん》の|利休《りきう》および|現代《げんだい》に|至《いた》つて|其《そ》の|命《めい》|維《こ》れ|新《あたら》しく、|拙者《せつしや》の|教《をし》ふるところは|真台子《しんだいす》|七段《しちだん》は|允可《いんか》|至極《しごく》なり。|徳《とく》を|明《あき》らかにするを|本《もと》となし、|民《たみ》を|明《あき》らかにするを|末《すゑ》とするが|故《ゆゑ》に、|茶《ちや》の|湯《ゆ》なるものは|仲通《なかどほり》を|本《もと》となし、|手前《てまへ》を|末《すゑ》となすのです。|真台子《しんだいす》を|本《もと》となすを|至善《しぜん》とするのです。されば|七段《しちだん》は、その|目《もく》の|大《だい》なるものです。ここにおいてその|精美《せいび》を|極《きは》め、|皆《みな》|以《もつ》てその|止《とど》まる|所《ところ》を|知《し》る|時《とき》は、|少《すこ》しの|疑《うたがひ》もなし。ゆゑに|私《わたくし》の|教《をし》へるのを|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|真台子《しんだいす》と|申《まを》します。まづ|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|席《せき》にはこれ|此《この》|通《とほ》り|四畳半《よでふはん》、|順勝手《じゆんかつて》といふ|事《こと》がある。そして|順《じゆん》のまはり|式《しき》とは|居畳《ゐだたみ》より|左《ひだり》へ|廻《まは》るのを|順《じゆん》と|申《まを》し、また|四畳半《よでふはん》に|順逆《じゆんぎやく》の|勝手《かつて》に|習《なら》ひがある。|順《じゆん》の|回《まは》り|式《しき》にして|仲《なか》の|半畳《はんぜふ》に|爐《ろ》をきり、|自在鎖《じざいぐさり》をかけるか、または|五徳《ごとく》に|釜《かま》をかけるか、これを|順勝手《じゆんかつて》と|申《まを》すのです。|今《いま》|私《わたくし》が|一《ひと》つの|歌《うた》を|詠《よ》みますから、つけとめておいて|下《くだ》さい』
スバール『ハイ、いろいろと|高遠《かうゑん》な|御教訓《ごけうくん》を|頂《いただ》きまして|有難《ありがた》うございます。|何分《なにぶん》|世間慣《せけんな》れのしない|少女《せうぢよ》の|事《こと》ですから、さぞお|師匠様《ししやうさま》もまどろしい|事《こと》でございませう』
と|言《い》ひながら|料紙箱《れうしばこ》より|硯《すずり》、|筆《ふで》、|墨《すみ》、|巻紙《まきがみ》|等《など》とり|出《だ》し、タルチンの|読《よ》み|上《あ》げる|歌《うた》を|記《しる》し|始《はじ》めける。
タル『一、|門《かど》に|入《い》り|右《みぎ》に|座敷《ざしき》のあるならば
|順勝手《じゆんかつて》とはかねて|知《し》るべし
一、|亭主《ていしゆ》|居《ゐ》て|左《ひだり》へ|廻《まは》るを|順《じゆん》といふ
これは|即《すなは》ち|正《せい》の|字《じ》の|心《こころ》
一、|家《いへ》|造《つく》りかねて|思案《しあん》をしてぞよき
|建《た》て|上《あが》りのなきは|悪《あ》しきものぞと
一、|爐《ろ》の|内《うち》の|見《み》えにくきほど|難儀《なんぎ》なは
|炭《すみ》する|時《とき》に|燈火《あかり》|欲《ほ》しきぞ
一、|枯木《かれき》だも|香《にほ》へと|藤《ふぢ》をまとわせて
さすが|亭主《ていしゆ》の|手利《てぎ》きとは|知《し》る
一、|野《の》も|山《やま》も|花《はな》も|香《にほひ》も|見《み》ながらに
|生《い》ける|心《こころ》を|知《し》る|人《ひと》ぞ|知《し》る
一、よりよりに|埃《ほこり》を|払《はら》ふ|茶《ちや》の|湯師《ゆし》の
|心《こころ》の|塵《ちり》はさもあらむかし
一、|門《かど》に|入《い》り|左《ひだり》に|座敷《ざしき》のあるものは
|逆勝手《ぎやくかつて》ぞと|知《し》るがよろしき
一、|亭主《ていしゆ》|居《ゐ》て|右《みぎ》へ|廻《まは》るを|逆《ぎやく》といひ
これは|即《すなは》ち|従《じう》の|字《じ》の|心《こころ》
サアサアこの|歌《うた》によつて|爐《ろ》の|構《かま》へや|室内《しつない》の|様子《やうす》があらまし|解《わか》るでせう。あまり|一度《いちど》に|沢山《たくさん》|教《をし》へると、お|忘《わす》れになるといかぬから、もう|少《すこ》し|教《をし》へて|之《これ》で|休《やす》みませう。また|明日《みやうにち》から|実地《じつち》の|手前《てまへ》を|御覧《ごらん》に|入《い》れますから。さて|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|講目《かうもく》|七段《しちだん》の|習《なら》ひを|申《まを》します。
|初段《しよだん》、|大盆《だいぼん》、|小盆《こぼん》、|唐津物《からつもの》、|茶入台《ちやいれだい》、|天目《てんもく》
|二段《にだん》、|大盆《だいぼん》、|大海茶入《だいかいちやいれ》、|合子《がふす》の|物置《ものおき》、|盆点《ぼんてん》
|三段《さんだん》、|大盆袋《だいぼんぶくろ》、|天目茶筌入《てんもくちやせんいれ》
|四段《よだん》、|大盆内海長緒《だいぼんないかいながお》、|薄茶台《うすちやだい》、|天目三組《てんもくみくみ》
|五段《ごだん》、|大盆台《だいぼんだい》、|天目茶碗《てんもくちやわん》、|二眼点《にがんてん》
|六段《ろくだん》、|丸盆《まるぼん》、|分紊隠架《ぶんぶんいんか》の|蓋置《ふたおき》
|七段《しちだん》、|大盆二《だいぼんふた》つ|台《だい》、|天目穂屋《てんもくほや》、|香爐《かうろ》、|蓋置《ふたおき》
の|次第《しだい》をもボツボツ|教《をし》へませう』
ス『ハイ、|有難《ありがた》う、どうかよろしう|願《ねが》ひます』
かかる|所《ところ》へ|面《おもて》を|包《つつ》み|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせて、|空巣狙《あきすねら》ひが|人《ひと》の|住宅《ぢうたく》を|覗《のぞ》くやうな|様子《やうす》で、あたりを|憚《はばか》りながら|入《い》り|来《く》るのはスダルマン|太子《たいし》の|君《きみ》であつた。
タルチンは|太子《たいし》の|姿《すがた》を|見《み》るより|且《か》つ|驚《おどろ》き|且《か》つ|喜《よろこ》びながら、|米搗螽斯《こめつきばつた》よろしく|幾度《いくど》となく|禿頭《とくとう》の|杵《きね》で|畳《たたみ》の|上《うへ》に|餅《もち》をつきながら、|玄関口《げんくわんぐち》まで|五足《いつあし》|六足《むあし》スルスルと|後《あと》びざりをなし、|雪駄《せつた》のやうに|擦《す》りへらした|庭下駄《にはげた》を|足《あし》にひつかけ、|粋《すゐ》を|利《き》かして|母屋《おもや》の|方《はう》へと、|茶色《ちやいろ》の|帽子《ばうし》を|目深《まぶか》に|冠《かぶ》り|稍《やや》|俯向《うつむ》き|気味《ぎみ》になつて、|尻《しり》をプリンプリンとふりながら|庭《には》の|木立《こだち》を|縫《ぬ》うて|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|野山《のやま》に|嘯《うそぶ》く|虎《とら》、|獅子《しし》、|熊《くま》、|狼《おほかみ》も、|山林《さんりん》に|囀《さへづ》る|百鳥《ももどり》も|乃至《ないし》は|虫族地虫《むしけらぢむし》の|類《るゐ》に|至《いた》るまで、|天地《てんち》の|間《あひだ》に|生《い》きとし|生《い》けるもの、|一《いつ》として|恋《こひ》を|歌《うた》はぬはなく、|色情《いろ》におぼれぬものはない。ましてや|坊《ぼつ》ちやま|育《そだ》ちのタラハン|城《じやう》の|太子《たいし》、|青春《せいしゆん》の|血《ち》にもゆる|好男子《かうだんし》が、|花《はな》も|恥《は》ぢらう|天成《てんせい》の|美人《びじん》の|前《まへ》に|出《で》ては|胸《むね》の|高鳴《たかな》りを|止《とど》むる|事《こと》は|出来《でき》なかつた。スバール|姫《ひめ》も|同《おな》じ|思《おも》ひの|恋衣《こひごろも》、|頬《ほほ》を|紅《くれなゐ》に|染《そ》めながら、|片袖《かたそで》に|艶麗《えんれい》な|顔《かほ》を|包《つつ》んで|暫《しば》しは|無言《むごん》の|幕《まく》をつづけてゐた。|恋《こひ》にかけては|初心《うぶ》の|太子《たいし》と|初心《うぶ》の|乙女《をとめ》、たがひに|言《い》ひたき|事《こと》も|口《くち》ごもり、|何《なん》とはなく|恋《こひ》の|曲物《くせもの》にとり|挫《ひし》がれて、
『|会《あ》ひたかつた、|見《み》たかつた、|可愛《かはい》いものよ』
とただ|一言《ひとこと》の|口切《くちき》りさへも、なし|得《え》ぬまでに|臆病《おくびやう》になつてゐた。さりながら、|数多《あまた》のよからぬ|小盗人《こぬすびと》と|共《とも》に、|山《やま》の|奥《おく》とは|言《い》ひながら、|揉《も》まれてゐたスバール|姫《ひめ》は、|比較的《ひかくてき》|心《こころ》も|開《ひら》けオキヤンになつてゐた。スバール|姫《ひめ》は|思《おも》ひ|切《き》つて|太子《たいし》の|肩《かた》に|飛《と》びつき、|腕《うで》もむしれるばかり|固《かた》く|抱《だ》き|〆《し》めて、|互《たが》ひの|熱《あつ》い|頬面《ほほべた》をピタリと|合《あは》せた。|四《よ》つの|目《め》には|恋《こひ》の|叶《かな》ふた|嬉《うれ》し|涙《なみだ》が|滲《にじ》んでゐた。
スバール|姫《ひめ》は|思《おも》ひ|切《き》つて|三十一文字《みそひともじ》に|思《おも》ひを|述《の》べた。
『|我君《わがきみ》の|御幸《みゆき》のありしその|日《ひ》より
|今日《けふ》の|吉《よ》き|日《ひ》を|待《ま》ちし|苦《くる》しさ
|嬉《うれ》しくもアリナの|君《きみ》に|迎《むか》へられ
|太子《よつぎ》の|君《きみ》に|会《あ》ひし|嬉《うれ》しさ
|吾《わ》が|恋路《こひぢ》いや|永久《とこしへ》に|続《つづ》けかしと
|過《す》ぎにし|日《ひ》より|祈《いの》りけるかな』
|太子《たいし》『|浅倉《あさくら》の|山《やま》に|見初《みそ》めし|乙女子《をとめご》の
|御姿《みすがた》こそは|命《いのち》なりけり
|汝《なれ》|思《おも》ふ|吾《わ》が|恋衣《こひごろも》ボトボトと
|乾《かわ》く|間《ま》もなく|涙《なみだ》しにけり
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|守《まも》られて
|今日《けふ》|嬉《うれ》しくも|汝《なれ》に|会《あ》ふかな
|人《ひと》はいざ|如何《いか》に|吾《わ》が|身《み》を|図《はか》ゆとも
いねてむ|後《のち》は|如何《いか》で|恐《おそ》れむ』
ス『|有難《ありがた》し|吾《わ》が|恋《こ》ふ|君《きみ》の|御言葉《みことば》は
|賤《しづ》の|乙女《をとめ》の|命《いのち》なりけり
|永久《とこしへ》に|変《かは》らずあれと|祈《いの》るかな
|君《きみ》と|吾《わ》が|身《み》の|美《うつく》しき|仲《なか》を』
(大正一四・一・五 新一・二八 於月光閣 北村隆光録)
第二篇 |恋火狼火《れんくわらうくわ》
第五章 |変装太子《へんさうたいし》〔一七二九〕
タラハン|城《じやう》|太子殿《たいしでん》の|奥《おく》の|間《ま》には、スダルマン|太子《たいし》と、アリナがいつもの|如《ごと》く|睦《むつ》ましげに|首《くび》を|鳩《あつ》めてある|秘密《ひみつ》を|語《かた》り|合《あ》つてゐる。
アリナ『|太子様《たいしさま》、|昨夜《さくや》は|如何《いかが》でございました。|定《さだ》めてスバール|姫様《ひめさま》もお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばしたでせう』
|太子《たいし》は|稍《やや》|頬《ほほ》を|染《そ》めながら、アリナに|顔《かほ》を|隠《かく》すやうな|調子《てうし》で、
『いやもう|本当《ほんたう》に|愉快《ゆくわい》だつた。|人生《じんせい》|恋愛《れんあい》の|成就《じやうじゆ》した|時《とき》くらゐ|楽《たの》しいものはない。|余《よ》も|生《うま》れかへつたやうな|心持《こころもち》がしたよ。これと|言《い》ふのもお|前《まへ》の|尽力《じんりよく》の|致《いた》すところと|感謝《かんしや》してゐる』
アリナ『|勿体《もつたい》ない、|何《なん》といふことを|仰有《おつしや》いますか。|臣下《しんか》が|君《きみ》のために、あらゆる|力《ちから》を|尽《つく》すのは|当然《あたりまへ》でございます。しかしながらタルチンの|家《いへ》は|見《み》る|影《かげ》もない|茅屋《あばらや》で、|嘸《さぞ》お|窮屈《きうくつ》でございましたでせう。|九五《きうご》の|御身《おんみ》を|以《もつ》て|彼《あ》のやうな|所《ところ》へお|通《かよ》ひ|遊《あそ》ばすやうにしたのも、|皆《みな》|私《わたくし》の|不行届《ふゆきとど》きからでございます』
『それだといつて|外《ほか》に|姫《ひめ》を|匿《かく》す|適当《てきたう》の|家《いへ》もなし、お|前《まへ》としては|力一《ちからいつ》ぱい|尽《つく》してくれたのだ。そんな|心遣《こころづか》ひは|無用《むよう》だ。さうしていつも|広《ひろ》い|館《やかた》で|起臥《きぐわ》してゐる|吾《わ》が|身《み》は、あのやうな|風流《ふうりう》な|茅屋《ばうをく》が|大変《たいへん》|気《き》に|入《い》つたよ。|平民生活《へいみんせいくわつ》の|味《あぢ》を|覚《おぼ》え、|昨日《さくじつ》はじめて|平民《へいみん》の|気楽《きらく》な|事《こと》や、|何事《なにごと》も|大袈裟《おほげさ》でなく|簡単《かんたん》に|片《かた》づく|事《こと》の|味《あぢ》を|覚《おぼ》え、|実《じつ》に|有難《ありがた》かつたよ。はじめて|人間《にんげん》になつたやうな|心持《こころも》ちがした。アア|俺《わし》はなぜこんな|身分《みぶん》に|生《うま》れて|来《き》たのだらう、|門《もん》の|出入《しゆつにふ》にも|仰々《ぎやうぎやう》しい|数多《あまた》の|衛兵《ゑいへい》に|送迎《そうげい》され、まるきり|動物園《どうぶつゑん》の|虎《とら》を|送《おく》るやうな|塩梅式《あんばいしき》だ。|出来《でき》る|事《こと》なら、お|前《まへ》と|俺《わし》と|地位《ちゐ》を|代《かは》つて|欲《ほ》しいものだ』
『|左様《さやう》に|思召《おぼしめ》すのも|御無理《ごむり》はございませぬ。|御窮屈《ごきうくつ》の|御境遇《ごきやうぐう》|察《さつ》し|奉《たてまつ》ります。しかしながら、|殿下《でんか》はタラハン|国《ごく》の|君主《きみ》たるべく、|使命《しめい》をもつて|天《てん》よりお|降《くだ》り|遊《あそ》ばした|神《かみ》の|御子《みこ》でございますから、|是《これ》ばかりはどうする|事《こと》も|出来《でき》ませぬ。それゆゑ|私《わたくし》は|能《あた》ふかぎり|殿下《でんか》の|御自由《ごじいう》になるやうと|務《つと》めてをるのでございます』
『|実《じつ》はアリナよ、お|前《まへ》に|折入《をりい》つての|頼《たの》みがある。|何《なん》と|聞《き》いては|呉《く》れまいかなア。|余《よ》が|一生《いつしやう》の|願《ねが》ひだから』
『|父祖代々《ふそだいだい》|厚恩《こうおん》を|受《う》けた|私《わたくし》の|身《み》の|上《うへ》、|如何《いか》なる|事《こと》でも|身命《しんめい》を|賭《と》して|承《うけたまは》りませう』
『|早速《さつそく》の|承知《しようち》|満足《まんぞく》に|思《おも》ふ。|実《じつ》はアリナ、お|前《まへ》が|俺《わし》に|変装《へんさう》して|暫《しばら》くこの|殿内《でんない》に|納《をさ》まつてゐて|貰《もら》ひたいのだ』
『|成《な》るほど、|妙案《めうあん》でございますな。|私《わたくし》を|替玉《かへだま》にしておいて|殿下《でんか》は|姫様《ひめさま》の|匿家《かくれが》へお|通《かよ》ひ|遊《あそ》ばすといふ|御考案《ごかうあん》ですか。|半日《はんにち》や|一日《いちにち》ぐらゐは|化《ば》け|通《とほ》す|事《こと》が|出来《でき》るでせう。しかし|長《なが》くなりますと|化狐《ばけぎつね》の|尻尾《しつぽ》が|見《み》えますから』
『ハハハハ、|化狐《ばけぎつね》か|化狸《ばけだぬき》か|知《し》らぬが、お|前《まへ》の|顔《かほ》は|余《よ》に|生写《いきうつ》しといふ|事《こと》だから、|瓦《かはら》を|金《きん》に|化《ばか》したやうな|事《こと》もあるまい。どうか|頼《たの》むよ』
『|殿下《でんか》の|仰《おほ》せなれば|如何《いか》なる|事《こと》でも|謹《つつし》んでお|受《う》けいたしますが、|金玉《きんぎよく》の|御身《おんみ》に|化《ば》け|済《す》ましたところで、|塗《ぬ》つた|金箔《きんぱく》は|直《すぐ》に|剥《は》げてしまひますから、これは|私《わたくし》に|取《と》つて|随分《ずゐぶん》|重大《ぢうだい》な|役目《やくめ》でございます。|私《わたくし》も|今日《けふ》|一日《いちにち》か|半日《はんにち》か、|仮《かり》に|殿下《でんか》となつて|太子気分《たいしきぶん》を|味《あぢ》はつて|見《み》ませう。|殿下《でんか》は|暫《しばら》く|平民気分《へいみんきぶん》を|味《あぢ》はつて|御覧《ごらん》なさいませ』
『アア|面白《おもしろ》い、どうか|頼《たの》むよ。|今日《けふ》の|夕方《ゆふがた》から|薄暗《うすやみ》に|紛《まぎ》れて|頬被《ほほかむり》をグツスリとなし、|労働服《らうどうふく》でも|纏《まと》うて|鼻歌《はなうた》でも|謡《うた》ひ|出《で》かけて|見《み》よう。どうかその|服《ふく》をそつと|調達《てうたつ》しておいては|呉《く》れまいか』
『かかる|御用命《ごようめい》は|必《かなら》ず|下《くだ》るべきものと|存《ぞん》じまして、ちやんと|用意《ようい》をしておきました』
『お|前《まへ》は|労働者《らうどうしや》に|知己《ちき》でもあるのか』
『いえ|別《べつ》に|知己《ちき》と|言《い》つてはありませぬが、|横町《よこまち》の|古物商《ふるてや》で|買《か》つておきました』
『|何《なに》から|何《なに》まで|抜《ぬ》け|目《め》のない|男《をとこ》だな、アツハハハハハ』
『|私《わたくし》もまた|女《をんな》といふものの|肌《はだ》は|存《ぞん》じませぬが、|殿下《でんか》におかせられてもお|初《はつ》のやうに|伺《うかが》ひます。|如何《いかが》でございました、ずゐぶん|趣味津々《しゆみしんしん》たるものでせうなア』
『|趣味津々《しゆみしんしん》どころか、|天《てん》も|地《ち》もタラハン|城《じやう》はいふも|更《さら》なり、|自分《じぶん》の|命《いのち》までどこかへ|吸収《きふしう》されたやうな|心持《こころもち》になつたよ。|世《よ》の|中《なか》に|恋《こひ》といふものくらゐ|神聖《しんせい》な|尊貴《そんき》なものはあるまいと|思《おも》ふ。アアもう|耐《たま》らなくなつて|来《き》た。|早《はや》く|今日《けふ》の|日《ひ》が|暮《く》れないかなア』
『|殿下《でんか》、あまりぢやございませぬか。あなたは|恋《こひ》の|勇者《ゆうしや》、|私《わたくし》はいはば|恋《こひ》の|敗者《はいしや》いな|従僕《じうぼく》です。|従僕《じうぼく》の|前《まへ》でさう|惚《のろ》けられてはこのアリナもやり|切《き》れませぬわ、アツハハハハ』
『それだと|言《い》つて「どんな|塩梅《あんばい》だつた」などとお|前《まへ》の|方《はう》から|余《よ》の|情緒《じやうちよ》を|引《ひ》きずり|出《だ》さうとするものだから、|恋《こひ》には|脆《もろ》き|余《よ》の|魂《たましひ》は|知《し》らず|知《し》らずに|浮《う》いて|出《で》たのだ。アアアリナ、もう|余《よ》は|耐《た》へ|切《き》れなくなつてきたよ』
『|大変《たいへん》お|気《き》に|召《め》したやうですが、|私《わたくし》は|一《ひと》つ|心配《しんぱい》が|殖《ふ》えて|来《き》たやうです。|殿下《でんか》が|神聖《しんせい》な|恋愛《れんあい》に|魂《たましひ》を|傾注《けいちう》されるのは|大変《たいへん》|結構《けつこう》ではありますが、それがために|王家《わうけ》を|忘《わす》れ、|或《あるひ》は|平民《へいみん》にならうなどの|野心《やしん》を|起《おこ》されては、お|取持《とりも》ちをしたこのアリナは|王家《わうけ》に|対《たい》し|国家《こくか》に|対《たい》し、|死《し》をもつて|詫《わ》びても|及《およ》ばないやうな|罪《つみ》になりますから、そこは|余《あま》り|熱《ねつ》せないやう|程《ほど》ほどに|恋《こひ》を|味《あぢ》はつて|頂《いただ》きたいものです』
『|王家《わうけ》は|王家《わうけ》、|国家《こくか》は|国家《こくか》だ。|王家《わうけ》や|国家《こくか》と|恋愛《れんあい》とを|混同《こんどう》してもらつては|困《こま》るよ。|余《よ》が|王位《わうゐ》に|上《のぼ》れば|国《くに》の|父《ちち》として|万機《ばんき》の|政治《せいぢ》を|総攪《そうらん》し、また|恋愛《れんあい》としては|上下《じやうげ》の|障壁《しやうへき》を|撤廃《てつぱい》し、|天成《てんせい》の|意志《いし》によつて|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》|愛《あい》の|情味《じやうみ》を|味《あぢ》はふつもりだ』
『|殿下《でんか》がそこまでお|打《う》ち|込《こ》み|遊《あそ》ばした|上《うへ》は、|到底《たうてい》|私《わたくし》の|言葉《ことば》は|今《いま》のところ|耳《みみ》にはお|留《と》め|下《くだ》さいますまい。|水《みづ》の|出端《でばな》、|火《ひ》の|燃《も》え|盛《さか》りは、|鬼神《きしん》といへどもこれを|制止《せいし》する|事《こと》はできぬとのこと。しばらく|猛烈《まうれつ》な|殿下《でんか》の|情炎《じやうえん》がやや|下火《したび》になるまで|何事《なにごと》も|申上《まをしあ》げますまい』
『やア|有難《ありがた》い、それが|余《よ》に|対《たい》しての|忠義《ちうぎ》だ。|余《よ》といへども|決《けつ》して|魂《たましひ》は|腐《くさ》つてゐないから、|王家《わうけ》や|国家《こくか》を|捨《す》てるやうな|事《こと》はしないから|安心《あんしん》してくれ』
『そのお|言葉《ことば》を|承《うけたまは》り、すこしく|胸《むね》が|落着《おちつ》きました。どうか|充分《じうぶん》に|注意《ちうい》を|払《はら》つて|完全《くわんぜん》に|恋《こひ》をお|遂《と》げ|遊《あそ》ばしませ』
『|未《ま》だ|日《ひ》が|暮《く》れないのかな。アアどうして|今日《けふ》は|又《また》これほど|日《ひ》が|長《なが》いのだらう。|一日千秋《いちじつせんしう》の|思《おも》ひとはよく|言《い》つたものだ。やつぱり|聖人《せいじん》は|嘘《うそ》を|言《い》はないなア』
『まだ|八《や》つ|時《どき》でございます。|夕暮《ゆふぐれ》までには|二時《ふたとき》あまりもございますから、|御悠《ごゆつく》りなさいませ』
『どうも、じつとしては|居《を》られないやうだ。|余《よ》が|魂《たましひ》は|向日《むかひ》の|森《もり》の|茶坊主《ちやばうず》の|館《やかた》を|既《すで》に|已《すで》に|訪問《はうもん》してゐるやうだ。エエもう|堪《たま》らない|労働服《らうどうふく》を|貸《か》してくれ』
『それはお|易《やす》い|御用《ごよう》でございますが、さうお|急《せ》きになつても|昼《ひる》の|内《うち》は|人目《ひとめ》にかかる|恐《おそ》れがあります。どうして|此《この》|門《もん》をお|潜《くぐ》り|遊《あそ》ばしますか』
『アツハハハハ、そんな|心配《しんぱい》はしてくれな。|今日《けふ》も|早朝《さうてう》から|裏《うら》の|高壁《たかべい》を|飛《と》び|越《こ》える|稽古《けいこ》をしておいた。|精神一到《せいしんいつたう》|何事《なにごと》か|成《な》らざらむやだ。|表門《おもてもん》や|裏門《うらもん》は|衛士《ゑいし》が|立《た》つてゐるから、|余《よ》は|適当《てきたう》な、|人目《ひとめ》にかからない|所《ところ》から|逃《に》げ|出《だ》すつもりだ』
『|万々一《まんまんいち》お|怪我《けが》でもあつては|大変《たいへん》でございますから、もう|暫《しばら》くの|中《うち》お|待《ま》ちを|願《ねが》ひたいものです』
『や、|今日《けふ》だけは|自由《じいう》に|任《まか》してくれ。|暗雲《やみくも》|飛《と》び|乗《の》りの|芸当《げいたう》も|恋《こひ》のためには|止《や》むを|得《え》まい。アア、スバール|姫《ひめ》はどうしてゐるだらう。きつと|白《しろ》い|首《くび》を|延《の》ばして|余《よ》の|行《ゆ》く|姿《すがた》を、|今《いま》か|今《いま》かと|窓《まど》を|開《あ》けて|覗《のぞ》いてゐるだらう。アア|可愛《かはい》いものだ。……オイ、スバール、いま|行《ゆ》くから|待《ま》つてくれ。きつと|余《よ》は|其方《そなた》を|見捨《みす》てるやうな|事《こと》はしない。「|永久《えいきう》に|永久《えいきう》にミロクの|世《よ》までお|前《まへ》を|愛《あい》する」と|言《い》つたことは|滅多《めつた》に|反古《ほご》にはしないよ』
アリナは|頭《あたま》を|掻《か》きながら、
『もし|殿下《でんか》あまりぢやございませぬか。|何《なに》|程《ほど》あなたのお|声《こゑ》でも|向日《むかひ》の|森《もり》までは|届《とど》きませぬよ。そして|私《わたくし》の|前《まへ》でお|惚《のろ》けをたつぷりお|聞《き》かせ|下《くだ》さるとは、ちつと|殺生《せつしやう》ぢやございませぬか。|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|私《わたくし》の|心《こころ》も、ちつとは|察《さつ》して|頂《いただ》きたいものでございますなア』
『ウン、それや|察《さつ》してゐるよ。そんな|事《こと》に|粋《すゐ》の|利《き》かないやうな|余《よ》ではない。お|前《まへ》もその|内《ない》、どこかでスバールのやうな|美人《びじん》を|探《たづ》ね|出《だ》し、|妻《つま》にしたらよいぢやないか。ま|一度《いちど》、どこかの|山《やま》へ|来月《らいげつ》あたり|遊《あそ》びに|行《い》つて|見《み》やうか。またあんな|美人《びじん》に|遇《あ》ふかも|知《し》れない』
『|殿下《でんか》もう|沢山《たくさん》です。|私《わたくし》は|神妙《しんめう》に|御名代《ごみやうだい》を|務《つと》めてをりますから、|殿下《でんか》は|変装《へんさう》|遊《あそ》ばして|思《おも》ひ|切《き》つてお|出《い》でなさいませ。すこし|夕暮《ゆふぐれ》には|早《はや》うございますが、|恋愛《れんあい》の|神《かみ》のお|守《まも》りがあれば、|人目《ひとめ》にかからず|安全《あんぜん》に|姫様《ひめさま》のお|傍《そば》に|行《ゆ》かれるでせう。サア|労働服《らうどうふく》を|着《き》ることを|教《をし》へて|上《あ》げませう。|早《はや》く|錦衣《きんい》をお|脱《ぬ》ぎなさいませ』
|太子《たいし》はアリナの|言葉《ことば》に|得《え》たり|賢《かしこ》しと|無雑作《むざふさ》に|錦衣《きんい》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|真裸体《まつぱだか》となつてしまつた。アリナは|持《も》つて|来《き》た|自分《じぶん》の|大《おほ》トランクから|労働服《らうどうふく》を|取出《とりだ》し|太子《たいし》に|着《き》せた。|太子《たいし》はニコニコしながら、
『オイ、アリナ、どうだ、|労働者《らうどうしや》として|似合《にあ》ふかな』
『|如何《いか》にもよく|似合《にあ》ひますよ。|金看板付《きんかんばんづ》きの|労働者《らうどうしや》に|見《み》えますよ。|殿下《でんか》はお|徳《とく》が|高《たか》いから、どんな|衣裳《いしやう》をお|召《め》しになつても|本当《ほんたう》によく|似合《にあ》ひます。|労働者《らうどうしや》としても|実《じつ》に|立派《りつぱ》なものですわ。それではスバール|姫様《ひめさま》がゾツコン|恋慕《れんぼ》|遊《あそ》ばすのも|無理《むり》はございませぬ』
『|一層《いつそう》のこと、この|衣裳《いしやう》は|末代《まつだい》|放《はな》したくない。|労働者《らうどうしや》となつて|九尺二間《くしやくにけん》の|裏長屋《うらながや》で、|姫《ひめ》を|世話女房《せわにようばう》として、|一《ひと》つ|簡易生活《かんいせいくわつ》でも|送《おく》つて|見《み》たいものだなア、アツハハハハ。オイ、アリナ、|後《あと》を|頼《たの》むよ』
と|言《い》ふより|早《はや》く|身軽《みがる》になつたのを|幸《さいは》ひ、|頬被《ほほかむり》をグツスリとしながら|猿《ましら》のごとく|高壁《たかかべ》を|乗《の》り|越《こ》え、|深《ふか》い|堀《ほり》をたくみに|飛《と》び|越《こ》して、|城《しろ》の|馬場《ばんば》の|密林《みつりん》の|中《なか》へ|姿《すがた》を|隠《かく》してしまつた。|後《あと》にアリナは|茫然《ばうぜん》として|溜息《ためいき》をつき、
『アア|困《こま》つたことが|出来《でき》て|来《き》たものだわい。どうか|無事《ぶじ》に|茶坊主《ちやばうず》の|屋敷《やしき》までお|着《つ》き|遊《あそ》ばせばよいがなア。アアこれから|生《うま》れてから|一度《いちど》も|着《き》たこともない|錦衣《きんい》を|身《み》に|纏《まと》ひ、|明日《あす》の|朝《あさ》まで|太子《たいし》となり|済《す》ましてやらうか』
と|錦衣《きんい》を|纏《まと》ひ|自分《じぶん》の|着物《きもの》をトランクの|中《なか》に|納《をさ》め、わざと|物々《ものもの》しく|簾《みす》をさげ、|桐《きり》の|火鉢《ひばち》を|前《まへ》に|置《お》き|沢山《たくさん》の|座蒲団《ざぶとん》を|敷《し》き、バイの|化物然《ばけものぜん》と|澄《す》まし|込《こ》んで|見《み》た。
『|何《なん》とまア|猿《さる》にも|衣裳《いしやう》とか|言《い》つて、よく|似合《にあ》うものだなア。どれ|一《ひと》つ、|次《つぎ》の|間《ま》で|鏡《かがみ》でも|見《み》て|来《こ》う』
と|言《い》ひながら、つと|立《た》つて|鏡《かがみ》の|間《ま》に|入《い》り|独語《ひとりごと》、
『ヤア|吾《われ》ながら|見紛《みまが》ふばかり|太子《たいし》に|能《よ》く|似《に》てゐるわい。これなら|一生《いつしやう》|化《ば》け|済《す》ましたところで、|滅多《めつた》に|尻尾《しつぽ》を|捉《つか》まる|事《こと》はない。|太子様《たいしさま》は|平民生活《へいみんせいくわつ》がお|好《す》きなり、|自分《じぶん》も|同様《どうやう》だが、しかし|人間《にんげん》と|生《うま》れて|一度《いちど》は|王位《わうゐ》に|上《のぼ》つて|見《み》るも|男《をとこ》らしい|仕事《しごと》だ。|太子《たいし》が|永遠《ゑいゑん》に|代《かは》つて|欲《ほ》しいと|仰有《おつしや》つたら|太子《たいし》の|為《ため》だ、|代《かは》つてもあげやう。また|自分《じぶん》のためにも|栄誉《えいよ》だ。しかしながら|大王殿下《だいわうでんか》や|父《ちち》の|左守《さもり》やその|他《た》|重臣《ぢうしん》どもの|目《め》を|甘《うま》く|晦《くら》ますことが|出来《でき》やうかなア。|暗雲《やみくも》|飛《と》び|乗《の》りの|芸当《げいたう》とは|所謂《いはゆる》この|事《こと》だ。|太子《たいし》は|危険《きけん》を|冒《をか》して|恋愛《れんあい》の|充実《じうじつ》を|遂《と》げ、このアリナはまた|大危険《だいきけん》を|犯《をか》して|王位《わうゐ》に|上《のぼ》らむとするのだ。|徳川天一坊《とくがはてんいちばう》も|真裸足《まつぱだし》で|逃《に》げるだらう、アツハハハハ。いやしかし、|何時《いつ》|老臣《らうしん》どもが|御機嫌《ごきげん》|伺《うかが》ひに|来《く》るかも|知《し》れない。どれ、|太子《たいし》の|玉座《ぎよくざ》に|澄《す》まし|込《こ》んでをらねばなるまい』
と|又《また》もや|鏡《かがみ》の|間《ま》を|立《た》ち|出《い》でて、|太子《たいし》の|居間《ゐま》に|何《なに》|喰《く》はぬ|顔《かほ》して|坐《すわ》り|込《こ》んだ。そこへ|奥女中《おくぢよちう》の|案内《あんない》で、|父《ちち》の|左守《さもり》が|太子《たいし》の|御機嫌《ごきげん》|伺《うかが》ひと|称《しよう》し|訪《たづ》ねて|来《き》た。|左守《さもり》はポンポンと|二拍手《にはくしゆ》しながら|低頭平身《ていとうへいしん》し、
『エエ|老臣《らうしん》|左守《さもり》、|謹《つつ》しんで|殿下《でんか》の|御機嫌《ごきげん》を|伺《うかが》ひ|奉《たてまつ》ります。|父大王様《ちちだいわうさま》にもお|変《かは》らせなく|御政務《ごせいむ》を|臠《みそなは》せ|玉《たま》ふこと|大慶至極《たいけいしごく》に|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》ります。|畏《おそ》れながら|殿下《でんか》に、|老臣《らうしん》として|王家《わうけ》のために|一応《いちおう》|申《まを》し|上《あ》げますが、|臣《しん》の|伜《せがれ》アリナなるもの|余《あま》り|殿下《でんか》の|御寵愛《ごちようあい》に|溺《おぼ》れ、|親《おや》を|親《おや》とも|思《おも》はず、|悪言暴語《あくげんばうご》を|放《はな》ち、デモクラシーだとか、|共産主義《きやうさんしゆぎ》だとか|訳《わけ》の|解《わか》らぬことを|申《まを》して、この|父《ちち》を|手古《てこ》ずらせます。それに|此《この》|頃《ごろ》は|殿下《でんか》のお|傍《そば》に|御用《ごよう》ありと|申《まを》し、|一度《いちど》も|吾《わ》が|館《やかた》へ|帰《かへ》つて|参《まゐ》りませぬ。どうか|今晩《こんばん》は|亡妻《ばうさい》の|命日《めいにち》でございますれば、|霊前《れいぜん》に|参拝《さんぱい》させたく|思《おも》ひますれば、どうか|明朝《みやうてう》までお|暇《ひま》をお|遣《つか》はし|下《くだ》さいませ。|折《を》り|入《い》つてお|願《ねが》ひに|参《まゐ》りました』
アリナはハツと|胸《むね》を|轟《とどろ》かせ、にはかに|顔色《がんしよく》|青《あを》ざめ|唇《くちびる》さえビリビリと|慄《ふる》ひ|出《だ》したが、さすがの|横着物《わうちやくもの》、|臍下丹田《せいかたんでん》にグツと|息《いき》を|詰《つ》め、|大胆至極《だいたんしごく》にも|初《はじ》めて|太子《たいし》の|口真似《くちまね》をやり|出《だ》した。
『やア|其《その》|方《はう》は|老臣《らうしん》|左守《さもり》でござるか。|老体《らうたい》の|身《み》をもつて|好《よ》くも|入内《にふだい》いたした。|余《よ》は|満足《まんぞく》に|思《おも》ふぞ。|汝《なんぢ》の|申《まを》す|通《とほ》り|父《ちち》は|極《きは》めて|健全《けんぜん》に|政務《せいむ》を|臠《みそなは》すによつて、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|心痛《しんつう》いたすな。もはや|夜間《やかん》の|事《こと》でもあり、|余《よ》は|少《すこ》し|研究《けんきう》したい|事《こと》もあれば、|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|退却《たいきやく》せよ。また|明日《あす》|面会《めんくわい》を|許《ゆる》すであらう』
|左守《さもり》『|恐《おそ》れながら|殿下《でんか》の|仰《おほ》せを|否《いな》むではござりませぬが、|如何《いか》なる|御用《ごよう》がございませうとも、|今晩《こんばん》だけはアリナをおかへし|下《くだ》さいませ』
『そのアリナは|二時《ふたとき》|以前《いぜん》|父《ちち》の|館《やかた》に|帰《かへ》ると|申《まを》して|出《で》ていつた。|察《さつ》するところ|汝《なんぢ》と|途中《とちう》で|入《い》れ|違《ちが》ひになつたのであらう』
『アア、|左様《さやう》でございましたか、これは|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申《まを》し|上《あ》げました。それでは|老臣《らうしん》も|急《いそ》ぎ|帰宅《きたく》を|致《いた》しませう、|御免下《ごめんくだ》さいませ』
と|言《い》ひながら|倉皇《さうくわう》として|奥女中《おくぢよちう》に|手《て》を|引《ひ》かれながら|下《くだ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つてアリナはホツと|一息《ひといき》つきながら、
『アア、|地獄《ぢごく》の|上《うへ》の|一足飛《いつそくと》びだつた。しかしながら|暗雲《やみくも》|飛《と》び|乗《の》りの|第一線《だいいつせん》を|突破《とつぱ》したやうなものだ。|現在《げんざい》の|伜《せがれ》を|殿下《でんか》と|間違《まちが》へ|帰《かへ》るやうだからもう|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。あの|抜目《ぬけめ》ない|狸爺《たぬきおやぢ》が|吾《わ》が|正体《しやうたい》を|看破《かんぱ》する|事《こと》が|出来《でき》ないまで|巧《たくみ》に|化《ば》けすましたのも|全《まつた》く|天《てん》の|御保護《ごほご》だ。だがも|一《ひと》つの|難関《なんくわん》は|大王様《だいわうさま》のお|見《み》えになつた|時《とき》だ。エエ|取越苦労《とりこしくらう》は|禁物《きんもつ》だ。まアその|時《とき》は|又《また》その|時《とき》の|風《かぜ》が|吹《ふ》くだらう。アア|愉快《ゆくわい》|愉快《ゆくわい》。もう|何《なん》だかタラハン|国《ごく》の|国王《こくわう》になつたやうな|気《き》がする。イツヒヒヒヒ』
と|大胆不敵《だいたんふてき》にも|会心《くわいしん》の|笑《ゑみ》を|漏《も》らしてゐる。
|夜《よる》の|帳《とばり》は|下《お》ろされて、|間毎間毎《まごとまごと》に|銀燭《ぎんしよく》の|火《ひ》が|瞬《またた》き|出《だ》した。
(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 加藤明子録)
第六章 |信夫恋《しのぶこひ》〔一七三〇〕
|夕陽《せきやう》|山《やま》の|端《は》に|傾《かたむ》いて、|遠寺《ゑんじ》の|鐘《かね》ボーンボーンと|鳴《な》り|響《ひび》き、|諸行無常《しよぎやうむじやう》の|世《よ》の|有様《ありさま》を|警告《けいこく》してゐる。|間毎間毎《まごとまごと》に|照《て》り|輝《かがや》く|銀燭《ぎんしよく》の|光《ひかり》に、|変装太子《へんさうたいし》の|面貌《めんばう》はますます|清《きよ》く|麗《うるは》しく、|錦衣《きんい》を|着用《ちやくよう》したるその|姿《すがた》は、スダルマン|太子《たいし》にも|一層《いつそう》|優《まさ》りて|威風《ゐふう》|備《そな》はり|見《み》えた。アリナはどことはなしに|心《こころ》|引《ひ》かれ、|咳払《せきばら》ひさへも|忍《しの》ぶやうな|気《き》になつてゐた。そこへ|衣摺《きぬずれ》の|音《おと》しとやかに|簾《みす》の|外《そと》に|頭《あたま》を|下《さ》げ、|二拍手《にはくしゆ》しながら、
|女《をんな》『|恐《おそ》れながら|殿下《でんか》に|申《まを》し|上《あ》げます。|今晩《こんばん》はお|伺《うかが》ひ|申《まを》すところ|御寵臣《ごちようしん》のアリナ|様《さま》はお|宅《たく》へお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばし、|殿下《でんか》お|一人《ひとり》、お|淋《さび》しさうな|御面持《おんおももち》、お|話相手《はなしあひて》にでもならしていただきませうと|存《ぞん》じ、|女《をんな》の|身《み》をもつて、|恐《おそ》れ|気《げ》もなく、|私《ひそ》かに|忍《しの》んで|参《まゐ》りました』
この|奥女中《おくぢよちう》はタラハン|城市《じやうし》の|豪商《がうしやう》の|娘《むすめ》で、|行儀見習《ぎやうぎみなら》ひとして、|殿中《でんちう》に|女中勤《ぢよちうづと》めをしてゐる|者《もの》である。そして|其《その》|名《な》をシノブといふ。アリナは|言葉《ことば》も|荘重《さうちよう》に、
『アイヤ、そなたは|奥女中《おくぢよちう》のシノブではないか。|余《よ》は|女《をんな》に|用向《ようむ》きはない。すぐさま|罷《まか》りさがつたが|可《よ》からう』
シノブ『イエイエ、どう|仰《おほ》せられましても、|今晩《こんばん》はアリナ|様《さま》の|御不在《ごふざい》を|幸《さいは》ひ、|殿下《でんか》に|親《した》しくお|目《め》にかかつて、|申《まを》し|上《あ》げたい|事《こと》がございますので、|何《なん》と|仰《おほ》せられましても、|一歩《いつぽ》もここは|引《ひ》き|下《さ》がりませぬ』
アリナ『|不届千万《ふとどきせんばん》な、そなたは|余《よ》の|言葉《ことば》を|用《もち》ひないのか』
『ホホホ、どうして|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》が|用《もち》ひられませう。|妾《わらは》がこの|殿中《でんちう》へ|女中奉公《ぢよちうぼうこう》に|参《まゐ》りましたのは|何《なん》のためだと|思召《おぼしめ》しますか。あなたに|会《あ》ひたさ、お|顔《かほ》が|見《み》たさに』
『これは|怪《け》しからぬ。|苟《いやし》くも|神聖《しんせい》なる|殿中《でんちう》において、なまめかしいその|言葉《ことば》、|不貞腐《ふてくさ》れ|女《をんな》|奴《め》、|淫奔者《いんぽんもの》|奴《め》。その|方《はう》は|身分《みぶん》を|心得《こころえ》ぬか、さがり|居《を》れツ』
シノブは、「ホホホホ」と|笑《わら》ひながら、|押《お》し|強《づよ》くも|簾《みす》をポツとはね|上《あ》げ、アリナの|膝《ひざ》|近《ちか》く|進《すす》みより、|穴《あな》のあくほどアリナの|顔《かほ》を|見《み》て、ニタニタ|笑《わら》ひながら、
『オツホホホホ、|何《なん》とマア、よく|御似合《おにあ》ひ|遊《あそ》ばすこと、なア|変装太子様《へんさうたいしさま》。わたし|本真者《ほんまもの》のやうに|思《おも》ひましたよ。|狐《きつね》の|七化《ななば》け|狸《たぬき》の|八化《やば》けよりも|上手《じやうず》ですワ』
『コリヤ シノブ、|見違《みちが》ひをいたすな。|余《よ》は|決《けつ》して|偽者《にせもの》ではない。|正真正銘《しやうしんしやうめい》のスダルマン|太子《たいし》だ。|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|玉座《ぎよくざ》の|前《まへ》を|恐《おそ》れぬか』
シノブは|横目《よこめ》をしながら、アリナの|膝《ひざ》をグツとつめり、
『モシ、アリナさま、|駄目《だめ》ですよ。サアどうか|私《わたし》のいふことを|聞《き》いて|下《くだ》さいますか、|聞《き》いて|下《くだ》さらな、|何《なに》もかも|大王様《だいわうさま》の|御前《ごぜん》で|素破抜《すつぱぬ》きますよ』
『アツハハハ、たうとう|尻尾《しつぼ》を|掴《つか》まれたか、エー|仕方《しかた》がない。これほどよく|化《ば》けてゐるのに、なぜお|前《まへ》は|俺《おれ》の|変装太子《へんさうたいし》たる|事《こと》が|解《わか》つたのだ。コリヤうつかり|油断《ゆだん》は|出来《でき》ぬワイ』
『|大王様《だいわうさま》が|御覧《ごらん》になつても、|現在《げんざい》のお|父上《ちちうへ》が|御覧《ごらん》になつても、|本当《ほんたう》の|太子様《たいしさま》とよりお|見《み》えにならないのですから、|誰《たれ》だつて|偽太子《にせたいし》と|思《おも》ふものはありませぬワ。しかし、|私《わたし》が|殿中《でんちう》へ|御奉公《ごほうこう》に|参《まゐ》りましたのは、|実《じつ》は|貴方《あなた》にお|近《ちか》づき|申《まを》したいばかりでございます。いつぞや|園遊会《ゑんいうくわい》の|時《とき》|右守司《うもりのかみ》のお|屋敷《やしき》でお|目《め》にかかつてから、|恋《こひ》とかいふ|曲者《くせもの》に|魂《たましひ》を|取《と》りひしがれ、|寝《ね》ても|醒《さ》めても|貴方《あなた》のお|姿《すがた》が|忘《わす》れられないので、|父母《ちちはは》にいろいろと|無理《むり》をいうてねだり、|右守《うもり》に|沢山《たくさん》の|賄賂《わいろ》を|贈《おく》り、ヤツとの|事《こと》で|奥女中《おくぢよちう》になつたのでございます。|一度《いちど》|親《した》しくお|目《め》にかかつて、|吾《わ》が|思《おも》ひのたけを|申上《まをしあ》げたいと、|間《ま》がな|隙《すき》がな|伺《うかが》つてをりましたが、いつも|貴方《あなた》は|太子様《たいしさま》のお|側付《そばつき》、お|一人《ひとり》になられた|事《こと》がないので、ここ|一年《いちねん》ばかりはお|話《はなし》する|機会《きくわい》もなく、|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|結果《けつくわ》、この|通《とほ》り|身体《からだ》がゲツソリと|痩《や》せました。|今日《けふ》は|貴方《あなた》のお|後《あと》を|慕《した》ひ、|一間《ひとま》に|忍《しの》んで|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐれば|太子様《たいしさま》との|秘密話《ひみつばなし》、|正《まさ》しく|太子様《たいしさま》の|身代《みがは》りとなつて、|貴方《あなた》はゐられることと|堅《かた》く|信《しん》じ、|簾越《みすご》しによくよく|窺《うかが》へばまがふかたなきアリナ|様《さま》、サアもうかうなつた|以上《いじやう》は|厭《いや》でも|応《おう》でも|妾《わらは》の|恋《こひ》を|遂《と》げさして|下《くだ》さいませ。スバール|姫様《ひめさま》とかいふ|天成《てんせい》の|美人《びじん》を、|貴方《あなた》はお|迎《むか》へにゐらつしやつたやうですが、|何《なに》ほど|美人《びじん》だつて、|躰《からだ》が|金《きん》で|拵《こしら》へてもございますまい。|妾《わらは》だつて、まんざら|捨《す》てた|女《をんな》ぢやあるまいと|自信《じしん》してをります。アリナ|様《さま》、どうでございますか、|手《て》つ|取《と》り|早《ばや》くお|返詞《へんじ》を|願《ねが》ひます』
アリナは|心《こころ》の|中《うち》にて、
『ヤア|失敗《しま》つた。コリヤ|一大事《いちだいじ》が|突発《とつぱつ》した。しかしながら、のつ|引《ぴき》ならぬシノブの|強談判《こはだんぱん》、ムゲに|排斥《はいせき》するわけにもゆこまい。|否《いな》これを|排斥《はいせき》しやうものなら、|恋《こひ》の|仇《あだ》、|身《み》の|怨敵《をんてき》となつて|吾《わ》が|身《み》に|迫《せま》り|来《き》たり、|終《しま》ひには|身《み》の|破滅《はめつ》になるかも|知《し》れぬ。そして|又《また》このシノブはスバール|姫《ひめ》に|比《くら》べては、|容色《ようしよく》|少《すこ》しく|劣《おと》つてゐるやうにもあるが、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても|十人《じふにん》なみ|以上《いじやう》の|女《をんな》だ。|一歩《いつぽ》|進《すす》んで|此奴《こいつ》を|恋女《こひをんな》にしたところで、あまりアリナの|沽券《こけん》が|下《さ》がるでもあるまい』
と|咄嗟《とつさ》の|間《あひだ》に|決心《けつしん》を|定《さだ》め、ワザと|言葉《ことば》やさしく、
『ヤア、シノブ|殿《どの》、|人目《ひとめ》を|忍《しの》ぶ|二人《ふたり》の|仲《なか》、あたりに|気《き》をつけめされ。このアリナも|木石《ぼくせき》ならぬ|身《み》の、|一目《ひとめ》そなたの|姿《すがた》を|見染《みそ》めてより、|煩悩《ぼんなう》の|犬《いぬ》に|取《と》りつかれ、|心猿意馬《しんゑんいば》は|狂《くる》ひ|出《だ》し、|矢《や》も|楯《たて》もたまらなくなつて、|今日《けふ》が|日《ひ》までも|堪《こら》え|堪《こら》えし|恋《こひ》の|淵《ふち》、|涙《なみだ》に|沈《しづ》むアリナが|胸《むね》、|何《なん》として|其方《そなた》に|言《い》ひよらうか、|女《をんな》にかけては|初心《うぶ》の|吾《われ》、|恋《こひ》てふものの|心《こころ》に|芽《め》を|出《い》だしてより、そなたに|会《あ》ふも|心《うら》|恥《は》づかしく、|文《ふみ》の|便《たより》さへも、|躊躇《ちうちよ》してゐたのだ。|今日《けふ》|始《はじ》めて|其方《そなた》のやさしい|心《こころ》を|聞《き》いて、|余《よ》も|満足《まんぞく》に|思《おも》ふぞや』
『ホホホホ、|余《よ》も|満足《まんぞく》とはよく|出来《でき》ました。そんなら|私《わたし》の|恋《こひ》はキツと|叶《かな》へて|下《くだ》さるでせうな』
『シノブどの、|余《よ》の|恋《こひ》を、そなたも|叶《かな》へてくれるであらうなア』
『ハイ、|殿下《でんか》の|思召《おぼしめ》し、|何《なに》しに|反《そむ》きはいたしませう。どうかエターナルに|愛《あい》して|下《くだ》さいませ』
『しかしシノブどの、かうなつた|以上《いじやう》は|太子《たいし》のお|身代《みがは》りになつて、|高麗犬然《こまいぬぜん》とこんな|窮屈《きうくつ》な|目《め》をしてゐる|訳《わけ》にはゆかない。|今《いま》|頃《ごろ》は|太子様《たいしさま》もスバール|姫《ひめ》と|甘《あま》い|囁《ささや》きを|交換《かうくわん》してゐられるだらう。アーア、それを|思《おも》へば、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》らしくなつて|来《き》た。|一層《いつそう》のこと、お|前《まへ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|九尺二間《くしやくにけん》の|裏店住居《うらだなずまゐ》、|世話女房《せわにようばう》とお|前《まへ》はなつて、|簡易《かんい》な|平民生活《へいみんせいくわつ》を|送《おく》らうぢやないか。お|前《まへ》のためなら、|私《わし》は|乞食《こじき》をしても|満足《まんぞく》だから』
『ホホホホ、スダルマン|太子《たいし》と|同《おな》じやうな|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな。モシ、アリナ|様《さま》、|物《もの》も|相談《さうだん》ですが、|太子様《たいしさま》は|平民生活《へいみんせいくわつ》が|好《す》きだと|言《い》つてゐらつしやつたぢやありませぬか。これを|幸《さいは》ひに、|貴方《あなた》はどこまでも|太子《たいし》となりすまし、タラハン|国《ごく》の|王者《わうじや》となり、そして|妾《わらは》を|王妃《わうひ》にお|選《えら》び|下《くだ》さいませぬか、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》はないぢやありませぬか』
『|何《なん》と|肝《きも》の|太《ふと》い|事《こと》をいふぢやないか。さすがの|俺《おれ》も|肝《きも》をつぶしたよ』
『ホホホホ、ようそんな|事《こと》が|仰有《おつしや》られますワイ。あなたは|最前《さいぜん》から、「|一層《いつそう》のこと、|太子《たいし》になりすまして、|天一坊《てんいちばう》も|跣足《はだし》で|逃《に》げるやうな|陰謀《いんぼう》を|遂行《すゐかう》してやらうか」と、|独語《どくご》してござつたぢやありませぬか。そのお|言葉《ことば》を|聞《き》いて、ますます|貴方《あなた》の|偉大《ゐだい》な|人物《じんぶつ》たることを|知《し》り、|恋慕《れんぼ》の|念《ねん》が|一層《いつそう》|高《たか》まつて|来《き》たのですよ。どうか|心《こころ》の|底《そこ》から|打《う》ちとけて|何《なに》も|彼《か》も|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》は|町人《まちびと》の|娘《むすめ》だつて|天下《てんか》を|覗《ねら》うてゐる|大化物《おほばけもの》ですよ。|女子大学《ぢよしだいがく》を|卒業《そつげふ》して、|才媛《さいえん》の|誉《ほまれ》をとつたシノブ|姫《ひめ》ですもの。ただ|単《たん》なる|恋愛《れんあい》のみに|魂《たましひ》を|奪《うば》はれませうか。|現在《げんざい》のタラハン|国《ごく》を|根本的《こんぽんてき》に|救済《きうさい》せむとする|大人物《だいじんぶつ》はなきやと、|平常《いつ》も|気《き》の|利《き》いたらしい|男《をとこ》の|性行《せいかう》を|調査《てうさ》してをりましたが、その|適当《てきたう》な|人物《じんぶつ》は|貴方《あなた》を|措《お》いて|外《ほか》にないことを|悟《さと》りました。|初《はじ》めは|貴方《あなた》を|大人物《だいじんぶつ》と|知《し》り、|将来《しやうらい》|大事《だいじ》を|成《な》すべき|大人格者《だいじんかくしや》と|信《しん》じ、|接近《せつきん》の|機会《きくわい》を|得《え》むと、|種々《いろいろ》と|手《て》だてをもつて、この|殿中《でんちう》の|女中勤《ぢよちうづと》めとまで|成《な》りおうせ、|太子様《たいしさま》や|貴方《あなた》の|御行動《ごかうどう》を|監視《かんし》してをりましたが、あまり|立派《りつぱ》なお|心掛《こころが》けを|悟《さと》り、あなたに|対《たい》する|真《しん》の|恋愛心《れんあいしん》が|燃立《もえた》つてきたのですよ、ホホホホ。どうか|永久《えいきう》に|可愛《かはい》がつて|下《くだ》さいませ。そして|妾《わらは》と|共《とも》に|国家改造《こくかかいざう》に|力《ちから》を|尽《つく》して|下《くだ》さいますでせうね』
『|足許《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》つとは|此《この》|事《こと》だ。ここの|殿中《でんちう》に|奉仕《ほうし》してゐる|老若男女《らうにやくだんぢよ》は、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|虫《むし》の|喰《く》つた|古《ふる》い|頭《あたま》のガラクタばかりだと|思《おも》つてゐたのに、お|前《まへ》のやうな|新知識《しんちしき》に|生《い》きた|天才《てんさい》が|潜《ひそ》んでゐるとは、さすがの|俺《おれ》も、|今《いま》の|今《いま》まで|気《き》がつかなんだ。ヤ|頼《たの》もしい、|願《ねが》つてもないことだ。では|余《よ》は|飽《あ》くまでもスダルマン|太子《たいし》となりすまし、お|前《まへ》はここ|暫《しばら》くの|間《あひだ》|奥女中《おくぢよちう》となつて、|時々《ときどき》|顔《かほ》を|見《み》せてくれ。そして|看破《かんぱ》されないやう、|影《かげ》になり|日向《ひなた》になり、|余《よ》の|身辺《しんぺん》を|保護《ほご》するのだよ』
『|冥加《みやうが》にあまる|太子殿下《たいしでんか》のお|言葉《ことば》、|謹《つつし》んでお|受《う》け|仕《つかまつ》ります。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばしますな』
『ヤ、|出《で》かした|出《で》かした、|汝《なんぢ》の|一言《いちごん》、|余《よ》は|満足《まんぞく》に|思《おも》ふぞよ』
と|早《はや》くも|太子《たいし》になつた|心持《こころも》ちで、|言葉使《ことばつか》ひまで|改《あらた》めてしまつた。
『モシ、|殿下様《でんかさま》、あまり|永《なが》らくなりますと、|疑《うたが》はれる|虞《おそれ》がございますから、|今晩《こんばん》はこれにて|罷《まか》り|下《さ》がりませう。|何分《なにぶん》よろしく|願《ねが》ひます』
『ヤ、|満足々々《まんぞくまんぞく》、|汝《なんぢ》が|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|安眠《あんみん》したがよからう』
『|左様《さやう》ならば、|殿下《でんか》にもお|寝《やす》み|遊《あそ》ばしませ。|妾《わらは》は|女中部屋《ぢよちうべや》へまかり|下《さ》がりませう』
とソロリソロリと|心《こころ》を|後《あと》に|残《のこ》して、ニタツと|微笑《ほほゑ》みながら|吾《わ》が|居間《ゐま》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
アリナはシノブが|帰《かへ》り|行《ゆ》く|姿《すがた》を|見送《みおく》り、
『アア、|何《なん》と|良《い》いスタイルだらう。アアして|裾《すそ》を|引《ひ》きずり、シヨナリシヨナリと|歩《ある》いて|行《ゆ》く|姿《すがた》は|俺《おれ》の|慾目《よくめ》か|知《し》らねども、スバール|姫《ひめ》|以上《いじやう》だ。ヤツパリ|俺《おれ》も|色男《いろをとこ》だなア。|今晩《こんばん》は|太子様《たいしさま》があの|若々《わかわか》しい、|淡雪《あはゆき》のやうなスバール|姫《ひめ》の|胸《むね》を|抱《いだ》いてお|寝《やす》みになるのに、|自分《じぶん》は|独《ひと》り|膝坊主《ひざばうず》を|抱《だ》いて、けなりさうに|夜《よ》の|目《め》もロクに|眠《ねむ》られず、こがれ|明《あか》すかと|思《おも》つたに|不思議《ふしぎ》なものだ。ヤツパリ|一《ひと》つある|事《こと》は|二《ふた》つある。|太子様《たいしさま》も|満足《まんぞく》なら、|俺《おれ》も|満足《まんぞく》だ。しかしあのシノブ、|気《き》が|利《き》かない。|人目《ひとめ》を|恐《おそ》れて|女中部屋《ぢよちうべや》へ|帰《かへ》つてしまひよつた。|俺《おれ》の|方《はう》から|私《ひそ》かに|通《かよ》ふわけにもゆかず、さうすれば|太子《たいし》の|権威《けんゐ》はゼロになる。もし|彼奴《あいつ》にして|俺《おれ》をどこまでも|熱愛《ねつあい》してゐるならば、|今夜《こんや》は|一睡《いつすゐ》もようしまい。キツと|恋愛《れんあい》といふ|曲者《くせもの》に|引《ひ》きつけられて、のそりのそりと|吾《わ》が|居間《ゐま》へ|忍《しの》んで|来《く》るかも|知《し》れまい。
もえさかる|胸《むね》の|焔《ほのほ》を|打《う》ち|消《け》して
しばし|忍《しの》ばむしのぶ|恋路《こひぢ》を
|人《ひと》の|目《め》をしのぶ|二人《ふたり》の|仲《なか》ならば
しばし|忍《しの》ばむ|恋《こひ》の|暗路《やみぢ》を
アーア、|何《なん》だか|妙《めう》な|気分《きぶん》になつて|来《き》たワイ。モ、|夜《よ》も|更《ふ》けたやうだし、|夜分《やぶん》に|御機嫌伺《うかが》ひもあるまい。サアゆつくりと|今日《けふ》はこの|太子《たいし》も|寝《やす》んでやらうかい』
と|言《い》ひながら、|寝所《しんじよ》に|入《い》り、ソファーの|上《うへ》に|横《よこ》たはり、|疲労《くたび》れ|果《は》てて、|鼾声《かんせい》|雷《らい》の|如《ごと》く|眠《ねむり》についた。
|夜《よ》は|森々《しんしん》と|更《ふ》け|渡《わた》り、|水《みづ》さへ|眠《ねむ》る|丑満《うしみつ》の|刻限《こくげん》となつた。|満天《まんてん》の|雨雲《あまぐも》の|堤《つつみ》を|切《き》つて、|土砂《どしや》ぶりの|雨《あめ》は|館《やかた》の|棟《むね》を|音《おと》|高《たか》く|叩《たた》きはじめた。|恋《こひ》の|曲者《くせもの》に|捉《とら》はれて、まどろみ|得《え》ざりし|女中頭《ぢよちうがしら》のシノブは、|雨《あめ》の|音《おと》を|幸《さいは》ひに|他《た》の|女中《ぢよちう》の|寝息《ねいき》を|考《かんが》へ、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら、ソロリソロリとアリナが|寝所《しんじよ》に|忍《しの》び|入《い》つた。アリナは|何事《なにごと》も|白河《しらかは》の|夜舟《よぶね》、|荒波《あらなみ》のほえたけるやうな|鼾《いびき》を|立《た》てて|熟睡《じゆくすゐ》に|入《い》つてゐる。シノブはソファーの|傍《そば》に|寄《よ》り、ソツとアリナが|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て、|小声《こごゑ》になつて……
『モシ……モシ、アリナさまアリナさま』
とゆすり|起《おこ》した。アリナは|驚《おどろ》いて、アツとはね|起《お》き、|目《め》をこすりながら、
『ナナ|何《なん》だ、|何事《なにごと》が|起《おこ》つたのだ』
と|早《はや》くも|駈《か》け|出《だ》さうとするのを、シノブは|袖《そで》をひき|止《と》めながら、
『|先《ま》づ|先《ま》づおちつき|遊《あそ》ばしませ、|別《べつ》に|怪《あや》しい|者《もの》ではございませぬ。|妾《わらは》は|貴方《あなた》のお|嫌《きら》ひなシノブでございます。|妾《わらは》の|声《こゑ》を|聞《き》いて、|倉皇《さうくわう》として|逃《に》げ|出《だ》さうとはあまりぢやございませぬか。あなた|夕《ゆふ》べ、|私《わたし》に|詐《いつは》つたのでございますか。エー|悔《くや》しい、|残念《ざんねん》でございます。モウこの|上《うへ》は|何《なに》も|彼《か》も|打《う》ちあけてしまひますから、そのお|覚悟《かくご》なさいませ』
と|早《はや》くも|泣声《なきごゑ》になる。アリナは|吃驚《びつくり》して、
『ヤア、お|前《まへ》はシノブだつたか、ヤ、それで|安心《あんしん》だ。|決《けつ》してお|前《まへ》を|嫌《きら》ふどころか、お|前《まへ》の|事《こと》ばかり|思《おも》つて|寝《やす》んでゐたところ、|父《ちち》の|左守《さもり》がやつて|来《き》て、|俺《おれ》の|化《ば》けの|皮《かは》を|現《あら》はし、ふん|縛《じば》らうとした|夢《ゆめ》を|見《み》て|吃驚《びつくり》したのだ。どうしてお|前《まへ》を|嫌《きら》ふものか、そして|殿中《でんちう》は|何事《なにごと》もないのか』
この|言葉《ことば》を|聞《き》いてシノブも|稍《やや》|安心《あんしん》せしものの|如《ごと》く、
『アアそれ|聞《き》いて、あなたのお|心《こころ》が|解《わか》りました。|御安心《ごあんしん》なされませ。|殿中《でんちう》は|極《きは》めて|平穏無事《へいおんぶじ》でございます。|妾《わらは》は|寝所《しんじよ》へ|這入《はい》りましても、|貴方《あなた》のお|姿《すがた》が|目《め》にちらつき、|一目《ひとめ》も|眠《ねむ》られず、|夜《よ》の|明《あ》けるのを|待《ま》ちかね、お|顔《かほ》|見《み》たさに|人目《ひとめ》を|忍《しの》んでここまで|伺《うかが》つたのでございます』
『ウン、さうか、それで|俺《おれ》もヤツと|安心《あんしん》した。よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|俺《おれ》も|碌《ろく》に|夜《よ》の|目《め》が|眠《ねむ》られなかつたよ。お|前《まへ》の|事《こと》が|気《き》になつて……』
『ホホホホ、|何《なん》とマア|調法《てうはふ》なお|口《くち》だこと。|妾《わらは》が|忍《しの》んで|来《く》るのも|知《し》らずに、|夜中《よなか》の|夢《ゆめ》を|見《み》てゐらしたくせに、どこを|押《おさ》へたらそんな|上手《じやうず》な|事《こと》が|言《い》へますか。|本当《ほんたう》に|憎《にく》らしい|殿御《とのご》だワ』
と|言《い》ひながら、|膝《ひざ》のあたりを|力《ちから》を|入《い》れて、|継子抓《ままこつめ》りに|抓《つめ》つた。
『アイタタタタ、ひどい|事《こと》するぢやないか、さう|男《をとこ》を|虐待《ぎやくたい》するものぢやないワ。ヤツパリお|前《まへ》は|私《わたし》を|苦《くる》しめるのだな。|人《ひと》を|痛《いた》い|目《め》にあはして、お|前《まへ》は|心持《こころも》ちが|可《よ》いのか』
『そらさうですとも。|憎《にく》らしいほど|可愛《かはい》いですもの……|可愛《かはい》けりやこそ|一《ひと》つも|叩《たた》く、|憎《にく》うて|一《ひと》つも|抓《つめ》られうか……といふ|俗謡《ぞくえう》があるでせう。モツトモツト|抓《つめ》つて|上《あ》げませうか』
と|今度《こんど》は|二《に》の|腕《うで》を|力《ちから》|一杯《いつぱい》|継子抓《ままこつめ》りで|捻《ね》ぢた。
『アイタタタタ、コラコラひどい|事《こと》するな。|可愛《かはい》いがつてもらふのも|結構《けつこう》だが、|痛《いた》いのは|御免《ごめん》だ』
『|女《をんな》に|抓《つめ》られて|閉口《へいこう》するやうな|腰《こし》の|弱《よわ》い|男子《だんし》は、|恋《こひ》を|語《かた》るの|資格《しかく》はありませぬよ。|本当《ほんたう》の|恋《こひ》と|恋《こひ》とがピツタリ|合《あ》つた|男女《だんぢよ》は、いつも|生疵《なまきず》の|絶《た》え|間《ま》のないのが|親密《しんみつ》な|証拠《しようこ》ですよ』
と|言《い》ひながら、|頬辺《ほほべた》をガシリとかいた。
『チヨツ、|痛《いた》いワイ。|何程《なにほど》|惚《ほ》れたというても、そんな|毒性《どくしやう》な|目《め》に|会《あ》はされちややりきれないワ。|面《つら》に|蚯蚓腫《みみづば》れが|出来《でき》るぢやないか』
『ホホホホ|蚯蚓腫《みみづば》れぐらゐが|何《なん》ですか、|男《をとこ》といふものは|大事《だいじ》な|宝《たから》まで、|突《つ》き|破《やぶ》るだありませぬか、その|方《はう》が|何程《なにほど》|痛《いた》いか|知《し》れませぬよ』
『エー、|何《なん》とマア、いいお|転婆《てんば》だなア。|今時《いまどき》の|女子《ぢよし》はこれだから|嫌《きら》はれるのだ……イヤ|好《す》かれるのだ、エヘヘヘヘ』
かくいちやついてゐる|折《を》りしも、ヂヤンヂヤンヂヤンヂヤンと|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》。ハツと|驚《おどろ》き|窓《まど》を|開《ひら》いて|見《み》れば、|左守《さもり》の|館《やかた》の|方面《はうめん》に|当《あた》つて、|炎《ほのほ》|天《てん》をこがし|大火災《だいくわさい》が|起《おこ》つてゐる。
(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 松村真澄録)
第七章 |茶火酌《ちやびしやく》〔一七三一〕
|向日《むかひ》の|森《もり》の|片辺《かたほとり》に|住《す》む|茶湯《ちやのゆ》の|宗匠《そうしやう》タルチンは、|思《おも》はぬ|福《ふく》の|神《かみ》の|御来臨《ごらいりん》と|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》り、|茶室《ちやしつ》は|太子《たいし》とスバールの|自由歓楽場《くわんらくぢやう》となし、スバール|姫《ひめ》に|茶《ちや》の|湯《ゆ》を|教《をし》へるといふのはホンの|表向《おもてむ》き、|実《じつ》は|両人《りやうにん》の|恋《こひ》を|完成《くわんせい》せむためアリナに|頼《たの》まれて|沢山《たくさん》の|心付《こころづ》をもらひ、ホクホクもので|天下《てんか》|太平《たいへい》を|謳《うた》つてゐる。|彼《かれ》は|中庭《なかには》を|隔《へだ》てた|古《ふる》ぼけた|母屋《おもや》の|一室《いつしつ》に|胡坐《あぐら》をかきながら、|大布袋然《おほほていぜん》たる|女房《にようばう》の「ふくろ」と|共《とも》に|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》し|舌鼓《したつづみ》を|打《う》ちながら、
タルチン『オイ、|袋《ふくろ》、|人間《にんげん》の|運《うん》といふものは|不思議《ふしぎ》なものぢやないか。|俺《おれ》たちも|親《おや》の|代《だい》から|茶湯《ちやのゆ》の|宗匠《そうしやう》として|彼方此方《かなたこなた》の|大家《たいけ》に|御贔屓《ごひいき》になり、わづかに|家名《かめい》を|継《つ》いできたが、|世《よ》の|不景気《ふけいき》につれ|大家《たいか》の|盆正月《ぼんしやうぐわつ》の|下《くだ》されものも|段々《だんだん》と|少《すく》なくなり、|頭《あたま》は|禿山《はげやま》となり|髭《ひげ》には|霜《しも》がおき、|懐《ふところ》は|寒《さむ》く|財布《さいふ》は|凩《こがらし》が|吹《ふ》き|荒《すさ》び、|爐《ろ》の|炭《すみ》さへも|碌《ろく》に|買《か》へないやうになつてゐたのに、あの|弁才天《べんざいてん》が|山奥《やまおく》から|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばしてより|御霊験《ごれいけん》あらたかになり、|畏《おそ》れ|多《おほ》くもスダルマン|太子様《たいしさま》までお|忍《しの》びでお|越《こ》しになるやうになつたのは|何《なん》たる|幸運《かううん》の|事《こと》だらう。まだ|運命《うんめい》の|神《かみ》は|吾々《われわれ》をお|見捨《みす》て|遊《あそ》ばさぬと|見《み》えるわい。のう|袋《ふくろ》、お|前《まへ》はいつも|奴甲斐性《どがひしやう》なし|奴甲斐性《どがひしやう》なしと|俺《わし》を|罵詈嘲笑《ばりてうせう》なし、お|暇《ひま》を|下《くだ》さいとチヨコチヨコ|駄々《だだ》を|捏《こ》ねよつたが、どうだお|暇《いとま》をやらうかの』
|袋《ふくろ》『ヘーヘー、|何《なん》ですか、たまたまお|金《かね》が|這入《はい》つたとて、さうメートルを|上《あ》げるものぢやありませぬよ。お|前《まへ》さまは|仔細《しさい》らしく|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》などと|言《い》つてすまし|込《こ》んでござるが、|女房《にようばう》の|私《わたし》から|見《み》ればあまり|立派《りつぱ》な|人間様《にんげんさま》ぢやありませぬよ。|浮世《うきよ》を|三分四厘《さんぶよりん》、|四分五裂《しぶんごれつ》、|五分五分《ごぶごぶ》、|五厘五厘《ごりんごりん》に|茶化《ちやくわ》して|通《とほ》る|鈍物坊主《なまくらばうず》の|夜這星《よばひぼし》だから、あまり|気《き》の|利《き》いたらしい|事《こと》をいはないがよろしい。|太子様《たいしさま》だつてお|忍《しの》びの|身《み》、いつ|化《ばけ》が|現《あら》はれて|城内《じやうない》から|呼《よ》び|戻《もど》されなさるか|知《し》れませぬよ。さうしてお|歴々《れきれき》の|御家来衆《ごけらいしう》が|太子《たいし》の|外出《ぐわいしゆつ》を|防《ふせ》がうものなら、|再《ふたた》び|甘《あま》い|汁《しる》を|吸《す》ふ|事《こと》は|出来《でき》ぬぢやありませぬか』
『なに|心配《しんぱい》するな、|太子様《たいしさま》が、よしんば|家来《けらい》どもに|妨《さまた》げられ、お|出《で》ましになる|事《こと》が|出来《でき》ないにしたところで、|左守《さもり》の|息子《むすこ》さまのアリナさまが|控《ひか》へてござる。アリナさまは|自由《じいう》の|利《き》く|身《み》だから、どんな|便宜《べんぎ》でも|取計《とりはか》つて|下《くだ》さるよ』
『さう|楽観《らくくわん》は|出来《でき》はすまい。アリナさまだつて|外出差止《ぐわいしゆつさしど》めとなられたら、それこそ|取《と》りつく|島《しま》がないぢやありませぬか。その|上《うへ》|山奥《やまおく》の|美人《びじん》を|囲《かくま》つて|太子様《たいしさま》に|逢引《あひび》きさせ、|堕落《だらく》させたといつて|重《おも》い|罪《つみ》にでも|問《と》はれたら、それこそ|笠《かさ》の|台《だい》が|飛《と》ぶぢやありませぬか。お|前《まへ》さまは|大体《だいたい》|利巧《りこう》に|出来《でき》てゐないから、|女房《にようばう》の|心配《しんぱい》は|一通《ひととほ》りぢやない。チツと|気《き》をつけて|下《くだ》さいや、お|金《かね》がよつた|時《とき》、さうムチヤに|費《つか》つては、マサカの|時《とき》にどうしますか。お|前《まへ》さまはヒネ|南瓜《かぼちや》だから|何時《いつ》|国替《くにが》へしてもよろしいが、この|年《とし》の|若《わか》い|女房《にようばう》をどうして|下《くだ》さるつもりですか。|今日《けふ》はお|銚子《てうし》は|二本《にほん》でおいて|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまが|酒《さけ》に|酔《よ》うと|梯子酒《はしござけ》ぢやからヒヨロヒヨロと|宅《うち》を|飛《と》び|出《だ》し、|裏町《うらまち》あたりの|待合《まちあひ》にでも|惚気《のろけ》|込《こ》んで、ありもせぬ|金《かね》を|費《つか》はれちや、|宅《うち》の|会計《くわいけい》がやりきれませぬからな』
『エー、|酒《さけ》が|理《り》におちて|甘《うま》くないわ。|今日《けふ》は|機嫌《きげん》よく|飲《の》ましてくれ。しやうもない|世帯《しよたい》の|話《はなし》を|聞《き》かしてくれては|流石《さすが》|茶人《ちやじん》の|俺《わし》も、いささか|閉口《へいこう》だ。さう|石《いし》に|根《ね》つぎするやうに|心配《しんぱい》するものぢやない。|俺《おれ》の|宅《うち》は|御先祖《ごせんぞ》さまの|余慶《よけい》で、これから|一陽来復《いちやうらいふく》の|気分《きぶん》に|向《む》かふのだ。よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|山奥《やまおく》から|生捕《いけど》つてござつた、あのスバール|姫《ひめ》さまは|弁才天様《べんざいてんさま》。さうして|太子様《たいしさま》は|毘沙門天様《びしやもんてんさま》だ。お|前《まへ》は|言《い》ふに|及《およ》ばず|布袋和尚《ほていおしやう》なり、|俺《おれ》は|頭《あたま》が|長《なが》いから|福禄寿《げほう》だ。そこへ|恵比須《ゑびす》や|大黒《だいこく》のついた|金札《きんさつ》がこの|通《とほ》り|懐《ふところ》に|納《をさ》まつてござるなり、チヤンと|六福神《ろくふくじん》は|揃《そろ》つてゐるのだ。も|一《ひと》つのことで|七福神《しちふくじん》となるのだから|心配《しんぱい》するな。|言霊《ことたま》の|幸《さち》はふ|国《くに》だから、こんな|時《とき》は|目出《めで》たいこと|言《い》つて|祝《いは》ふに|限《かぎ》るよ。チヤンと|六福神《ろくふくじん》が|揃《そろ》つてる|所《ところ》へ、お|前《まへ》の|名《な》が|袋《ふくろ》だから|丁度《てうど》|揃《そろ》つて|七福神《しちふくじん》だ。|芽出《めで》たい|芽出《めで》たい|酒《さけ》|喰《く》はずんばあるべからずだ。|飯《めし》|飲《の》まずんばあるべからずだ、エツヘヘヘヘ』
『|何《なん》とまア|気楽《きらく》な|事《こと》をいい|年《とし》してをつて|言《い》へたものですな。お|前《まへ》さまの|宅《うち》に|後妻《ごさい》に|入《い》つてから|已《すで》に|三年《さんねん》にもなるぢやありませぬか。|着換《きがへ》の|一枚《いちまい》も|買《か》つてくれた|事《こと》もなし、|足袋《たび》|一足《いつそく》|買《か》つてくれた|事《こと》もないのに、いつも|亭主面《ていしゆづら》さげて、|偉《えら》さうに|何《なん》ですか。その|金《かね》こつちにお|渡《わた》しなさい、|私《わたし》が|預《あづ》かつておきます。お|前《まへ》さまにお|金《かね》を|持《も》たしておくと|剣呑《けんのん》だ。チツとばかり|渋皮《しぶかは》のむけた|女《をんな》を|見《み》るとすぐグニヤグニヤになつて、|家《いへ》も|女房《にようばう》も|忘《わす》れてしまうといふ|奴倒《どたふ》しものだからな。ほんとにいけすかない|薬鑵爺《やくわんおやぢ》だよ』
『こらこら|何《なに》をいふか。|貧乏《びんばふ》はしてをつても、|俺《おれ》はタラハン|城《じやう》に|歴仕《れきし》する|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》さまだよ。|俺《おれ》の|女房《にようばう》にならうと|思《おも》へば、よほど|茶《ちや》の|湯《ゆ》、|生花《いけばな》、|歌《うた》、|俳諧《はいかい》|等《とう》の|諸芸《しよげい》は|一渡《ひとわた》り|嗜《たしな》んでおかねばならず、|言葉使《ことばづか》ひも|高尚《かうしやう》につかはねばならぬぢやないか。お|前《まへ》のやうに|大《おほ》きな|図体《づうたい》をして|蛙《かへる》のやうな|声《こゑ》を|出《だ》し、ひびきの|入《い》つた|釣鐘《つりがね》のやうにガアガア|言《い》つてもらふと、|名門《めいもん》の|恥辱《ちじよく》だ、エーン。この|夫《をつと》にしてこの|妻《つま》ありといふ|事《こと》があるから、|俺《わし》の|女房《にようばう》ならチツと|女房《にようばう》らしう、|品行《ひんかう》を|謹《つつし》んでもらはねば|困《こま》るぢやないか。|何時《いつ》だつて|女《をんな》の|癖《くせ》に|囲爐裏《ゐろり》の|側《そば》に|胡坐《あぐら》かき、|煙草《たばこ》ばかりをパクつかせ、|飯《めし》を|焚《た》かすれば|焦《こ》げつかす、タマタマ|焦《こ》げなかつたと|思《おも》へば|半焚《はんだ》きの|心《しん》のある|飯《めし》を|喰《く》はせやがるし、|何時《いつ》だつて|飯《めし》らしい|飯《めし》を|喰《く》わした|事《こと》があるか。アーア、|俺《おれ》も、せう|事《こと》なしにこんな|女房《にようばう》を|持《も》つたのだが、かう|懐《ふところ》が|暖《あたた》かになつて|来《く》ると、もつとした……』
|袋《ふくろ》は|胸倉《むなぐら》をグツととり、
『こりや|薬鑵爺《やくわんおやぢ》、【もつと】の|後《あと》を|聞《き》かせ、|俺《わし》を|追《お》ひ|出《だ》すつもりか。お|前《まへ》の|方《はう》から|追《お》ひ|出《だ》されるよりも|私《わし》の|方《はう》から|追《お》ひ|出《で》てやるのだ。|今《いま》までも|幾度《いくたび》か|見込《みこ》みが|立《た》たないから、|飛《と》び|出《だ》さう|飛《と》び|出《だ》さうと|思《おも》つたが|先立《さきだ》つものは|金《かね》だ。この|薬鑵《やくわん》|奴《め》、これでもいつか|懐《ふところ》をふくらしやがる|事《こと》があるだらう。その|時《とき》こそは|懐《ふところ》の|金《かね》をスツカリ|奪《うば》ひとつてドロンと|消《き》えてやるつもりだつた。こんな|険呑《けんのん》な|暗雲《やみくも》|飛《と》び|乗《の》りの|芸当《げいたう》をやるものについてをつては、|袋《ふくろ》の|生命《いのち》が|険呑《けんのん》だ』
と|言《い》ひながら|懐《ふところ》の|札束《さつたば》をむしりとり、|強力《がうりき》に|任《まか》して|老爺《おやぢ》の|尻《しり》を|二《ふた》つ|三《み》つ|蹴《け》りながら、|腮《あご》をしやくり、
『お|蔭《かげ》さまで|一千両《いつせんりやう》のお|金《かね》にありつきました。|永《なが》らくお|世話《せわ》になりました。タルチンさま、|三年《さんねん》に|一千円《いつせんゑん》は|安《やす》いものでせう。|精《せい》|出《だ》しておまうけなさいませ。|貯《たま》つた|時《とき》は、また|頂《いただ》きに|出《で》ますよ。アバよ』
と|牛《うし》のやうな|尻《しり》をクレツと|引捲《ひきま》くり、
『|薬鑵爺《やくわんおやぢ》|尻《けつ》でも|喰《くら》へ』
と|言《い》ひながら|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|出《だ》したり。
タルチンは|無念《むねん》の|歯《は》がみをなし、|後《あと》|追《お》つかけむとすれども、|大女《おほをんな》の|力強《ちからづよ》に|力一《ちからいつ》ぱい|尻《しり》こぶたを|蹴《け》られたため、|大腿骨《だいたいこつ》に|痛《いた》みを|感《かん》じ、|顔《かほ》をしかめて|逃《に》ぐゆく|女房《にようばう》の|後《あと》を|怨《うら》めしげに|見送《みおく》つてゐる。
『アー、|袋《ふくろ》の|奴《やつ》、|馬鹿《ばか》にしやがる。|折角《せつかく》マンマとせしめた|千両《せんりやう》の|金《かね》を|自分《じぶん》|一人《ひとり》で|占領《せんりやう》して、おまけに|手厳《てきび》しく|毒《どく》つきながら|帰《かへ》つて|行《ゆ》きやがつた。アア、また|俺《おれ》は|元《もと》の|木阿弥《もくあみ》だ。|文《もん》なしの|素寒貧《すかんぴん》だ。よくよく|金《かね》に|縁《えん》のない|男《をとこ》と|見《み》えるわい。しかし|俺《おれ》も|一《ひと》つ|考《かんが》へねばなるまい。|万々一《まんまんいち》、|太子様《たいしさま》をかくまつて|逢引《あひび》きさしてゐる|事《こと》がお|歴々《れきれき》の|耳《みみ》にでも|這入《はい》らうものなら、お|出入《でい》り|差止《さしと》めは|申《まを》すに|及《およ》ばず、お|袋《ふくろ》の|言《い》つたやうに|俺《おれ》の|笠《かさ》の|台《だい》が|飛《と》ぶかも|知《し》れない。また|幸《さいは》ひに|命《いのち》だけは|助《たす》かつたとしたところで、|太子様《たいしさま》のお|出入《でいり》もなくなり、アリナさままでも|来《こ》られないやうな|破目《はめ》になつたら、この|茶坊主《ちやばうず》はどうしたらよいかな。どうも|心配《しんぱい》になつて|来《き》た。|家宝伝来《かはうでんらい》の|名物道具《めいぶつだうぐ》よりも|大切《たいせつ》にしてゐる|此《この》|頃《ごろ》の|珍客《ちんきやく》、|金剛不壊《こんがうふえ》の|如意宝珠《によいほつしゆ》を、もしも|老臣《らうしん》どもに|見《み》つけ|出《だ》され、|吾《わ》が|館《やかた》から|連《つ》れ|帰《かへ》られるやうな|事《こと》があつたとしたら、それこそ|俺《おれ》も|身《み》の|破滅《はめつ》だ。|地獄《ぢごく》と|極楽《ごくらく》へ|往復《わうふく》する|茶柄杓《ちやびしやく》の|中折《なかを》れ。|今日《けふ》までの|湯加減《ゆかげん》も、にはかに|足茶釜《あしちやがま》の|底《そこ》ぬけ|騒《さわ》ぎをやらねばなるまい。アーア、|何《なん》とかいい|工夫《くふう》はあるまいかな。|干《ひ》からびた|頭脳《づなう》から|何《なに》ほど|絞《しぼ》り|出《だ》しても、よい|知恵《ちゑ》は|出《で》て|来《こ》ず、どうしてマサカの|時《とき》の|準備《じゆんび》をしやうかな』
と|腕《うで》を|組《く》み、|胡坐《あぐら》をかいて、|燗徳利《かんどくり》を|前《まへ》に|転《ころ》がしたまま|思案《しあん》にくれてゐる。
|暫《しば》らくしてタルチンはニツコと|笑《わら》ひ、
『イヤ、さすがは|茶湯《ちやのゆ》の|宗匠《そうしやう》だ。いい|知恵《ちゑ》が|浮《う》かんで|来《き》たぞ。|万々一《まんまんいち》|不幸《ふかう》にして|太子《たいし》さまがお|出入《でい》り|遊《あそ》ばさぬやうになつても|構《かま》はぬ。よもやノメノメとあのスバール|姫《ひめ》を|殿中《でんちう》へ、|連《つ》れて|帰《かへ》られるはずはない。さうすればキツとこのタルチンが、どつかへお|隠《かく》し|申《まを》さねばなるまい。|太子《たいし》もキツと、さうして|呉《く》れと|仰有《おつしや》るに|定《き》まつてる。|何《なに》|程《ほど》|考《かんが》へても、それより|外《ほか》に|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》はないもの。|太子《たいし》さまだつて、アリナさまだつて、|実《じつ》のところは|内緒《ないしよ》でやつてござる|事《こと》だから|弱味《よわみ》がある。そこを|甘《うま》くつけ|入《い》つて、あの|名玉《めいぎよく》を|処分《しよぶん》するのは|処世上《しよせいじやう》の|奥《おく》の|手《て》だ。|捨売《すてう》りにしても|二万《にまん》や|三万《さんまん》の|価値《かち》はある|玉《たま》だ。わづかに|千円《せんゑん》や|二千円《にせんゑん》のつまみ|金《がね》を|貰《もら》つてヒヤヒヤとして|暮《くら》してゐるよりも、さうなりや|二三万円《にさんまんゑん》にでも|売《う》り|飛《と》ばし、トルマン|国《ごく》にでも|逃《に》げ|出《だ》し|立派《りつぱ》な|女房《にようばう》でも|貰《もら》つて、|此《この》|世《よ》を|栄耀栄華《えいえうえいぐわ》に|気楽《きらく》に|暮《くら》すが|一等《いつとう》だ。|俺《おれ》には|何《なん》とした|幸運《かううん》が|見舞《みまひ》うて|来《き》たのだらう、エツヘヘヘヘ』
と|一人《ひとり》|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐる。|折《を》りから|聞《き》こゆる、|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》、タルチンは|足《あし》をひきずりながら|窓《まど》の|戸《と》をあけて|外《そと》を|眺《なが》むれば、タラハン|城下《じやうか》に|当《あた》つて|火災《くわさい》を|起《おこ》し、|炎《ほのほ》の|舌《した》は|高《たか》く|大空《おほぞら》を|舐《な》めてゐる。
『ヤア、こいつア|大変《たいへん》だ。お|得意先《とくいさき》が|火事《くわじ》にでも|会《あ》ふやうな|事《こと》があれば、|俺等《おれたち》の|懐《ふところ》に|大影響《だいえいきやう》を|来《き》たすところだ。そして|日頃《ひごろ》お|出入《でい》りの|情誼《じやうぎ》として|火事見舞《くわじみまひ》に|行《ゆ》かねばなるまい。どうやらあの|勢《いきほ》ひでは|容易《ようい》に|火事《くわじ》もをさまりさうにはないわい。|太子様《たいしさま》には|済《す》まないが、|一《ひと》つ|留守《るす》を|頼《たの》んで|火事見舞《くわじみまひ》に|出《で》かけやうかな』
と|太《ふと》い|杖《つゑ》をつき、|大女《おほをんな》の|袋《ふくろ》に|蹴《け》られて|痛《いた》んだ|足《あし》をチガチガさせながら、|離室《はなれ》の|茶室《ちやしつ》に|入《い》り|来《き》たり、
『もしもしお|二人様《ふたりさま》、タラハン|城下《じやうか》は|大変《たいへん》な|火災《くわさい》が|起《おこ》つてをります。ここは|町《まち》を|余程《よほど》|離《はな》れてゐますから、メツタに|飛火《とびひ》もしませぬから、|安心《あんしん》でございますが、|私《わたくし》は|一寸《ちよつと》お|出入先《でいりさき》へ|見舞《みま》ひに|行《い》つて|参《まゐ》りますから、どうぞ|火事《くわじ》を|見物《けんぶつ》しながら|留守《るす》をしてゐて|下《くだ》さいませ』
|太子《たいし》『|成程《なるほど》、|大変《たいへん》な|大火事《おほくわじ》と|見《み》えるな。この|調子《てうし》では、どうやら|城内《じやうない》も|危険《きけん》が|迫《せま》る|恐《おそ》れがある。しかしながら|余《よ》はここに|神妙《しんめう》にスバールと|留守《るす》をしてゐるから、|余《よ》にかまはず|行《い》つて|来《く》るがいいわ』
タルチン『ハイ、よろしうお|願《ねが》ひ|申《まを》します。そんならこれから|急《いそ》ぎ|見舞《みま》ひに|行《い》つて|参《まゐ》ります』
と|言《い》ひながら|漿酸提灯《ほうづきちやうちん》をぶらつかせ、|片手《かたて》に|杖《つゑ》をつき、チガチガと|泥濘《でいねい》に|満《み》ちた|悪道《わるみち》を|尻《しり》きれになつた|下駄《げた》を|穿《うが》ち|出《い》でて|行《ゆ》く。
|太子《たいし》『これ、スバール、ずゐぶん|壮観《さうくわん》ぢやないか。|余《よ》はまだあんな|大《おほ》きな|火事《くわじ》を|生《うま》れてから|見《み》た|事《こと》はない。|火事《くわじ》といふものは|本当《ほんたう》に|勇《いさ》ましいものだな』
スバール『|仰《おほ》せのごとく|実《じつ》に|火事《くわじ》は|人気《にんき》のいいものです。この|通《とほ》り|地上《ちじやう》に|蟻《あり》の|這《は》うてゐるのさへもハツキリ|見《み》えます。しかしながら|火災《くわさい》にあうた|人《ひと》は|可哀《かあい》さうぢやありませぬか。どうか|人命《じんめい》に|関《くわん》するやうな|事《こと》がなければようございますがな』
『ウン、さうだな。どうか|無事《ぶじ》にをさまればいいが。あれあれだんだん|火《ひ》が|燃《も》え|拡《ひろ》がつて|来《き》た。あのスツと|高《たか》く|白《しろ》く|光《ひか》つてゐる|壁《かべ》は|城内《じやうない》の|隅櫓《すみやぐら》だ。|火《ひ》は|隅櫓《すみやぐら》を|舐出《なめだ》したぢやないか、こいつア|大変《たいへん》だ。さうして|大変《たいへん》な|鬨《とき》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。|余《よ》が|城内《じやうない》に|帰《かへ》つてをつたならばまたなんとか|工夫《くふう》したらうに、|城内《じやうない》へ|飛火《とびひ》がしたりするやうな|事《こと》あれば、|忽《たちま》ち|俺《おれ》の|所在《ありか》を|老臣《らうしん》どもが|尋《たづ》ねまはるに|違《ちが》ひない。アリナが|甘《うま》くやつてくれればいいが、アアそればかりが|気《き》にかかる』
と、うなだれる。
スバール『|太子様《たいしさま》あなたはお|心《こころ》が|弱《よわ》いぢやありませぬか。|夜前《やぜん》|何《なん》と|仰有《おつしや》いました、「お|前《まへ》の|側《そば》に|居《ゐ》るならば、たとへ|天《てん》は|落《お》ち|地《ち》はくだけ、タラハン|城《じやう》は|焼《や》けおちても|敢《あへ》て|意《い》に|介《かい》せない。お|前《まへ》と|俺《おれ》との|恋愛《れんあい》さへ、|完全《くわんぜん》に|維持《ゐぢ》されたら|何《なに》よりの|幸《さいは》ひだ。|余《よ》は|王位《わうゐ》も|富《とみ》も|城《しろ》も|捨《す》てた」と|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。チツとお|落着《おちつ》きなさい。|見《み》つともないぢやありませぬか』
と|大胆不敵《だいたんふてき》のことを|言《い》ふ。|太子《たいし》はスバールの|言葉《ことば》に|肝《きも》を|冷《ひや》しながら、さあらぬ|体《てい》にて、
『アツハハハハ|如何《いか》にも|尤《もつと》も|千万《せんばん》、|火災《くわさい》なんか|意《い》に|介《かい》するに|足《た》らないよ。サア|夜分《やぶん》を|幸《さいは》ひ、お|前《まへ》と|二人《ふたり》|手《て》をひいて|郊外《かうぐわい》の|散歩《さんぽ》に|出《で》かけ、|火事《くわじ》の|見物《けんぶつ》をしやうではないか』
|警鐘乱打《けいしようらんだ》の|声《こゑ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|聞《き》こえ、|民衆《みんしう》の|叫《さけ》ぶ|鬨《とき》の|声《こゑ》は|鯨波《げいは》の|如《ごと》く|聞《き》こえ|来《き》たりぬ。
(大正一四・一・六 新一・二九 北村隆光録)
第八章 |帰鬼逸迫《ききいつぱく》〔一七三二〕
タラハン|市《し》の|大火災《だいくわさい》は|市《し》の|過半《くわはん》を|焼《や》き|払《はら》ひ、|遂《つひ》には|城内《じやうない》まで|飛火《とびひ》して|茶寮《ちやれう》|一棟《ひとむね》を|烏有《ういう》に|帰《き》した。|城《しろ》の|内外《ないぐわい》は|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|地獄《ぢごく》と|化《くわ》し、|不逞首陀団《ふていしゆだだん》や|主義者団《しゆぎしやだん》が|一致《いつち》|協力《けふりよく》して、|強盗《がうたう》、|強姦《がうかん》、|殺人《さつじん》|等《とう》の|悪業《あくげふ》を|逞《たくま》しふし|目《め》も|当《あ》てられぬ|惨状《さんじやう》を|演《えん》じた。|消防隊《せうばうたい》|全部《ぜんぶ》、ならびに|目付《めつけ》|侍《さむらい》までも|繰出《くりだ》して、やうやくに|火《ひ》を|消《け》し|止《と》め|暴徒《ばうと》の|乱業《らんげふ》を|喰《く》ひ|留《とど》むる|事《こと》を|得《え》た。|左守《さもり》は|吾《わ》が|邸宅《ていたく》を|焼《や》かれ、|命辛々《いのちからがら》|部下《ぶか》を|指揮《しき》して|騒擾鎮撫《さうぜうちんぶ》に|努《つと》めてゐたが、やうやく|騒動《さうだう》が|治《をさ》まつたので|蒼皇《さうくわう》として|大王《だいわう》の|居間《ゐま》に|伺候《しこう》し|見《み》れば、|大王《だいわう》は|老病《らうびやう》にて|臥床中《ぐわしやうちう》|城下《じやうか》の|大変《たいへん》を|耳《みみ》にし、|驚《おどろ》きのあまり|発熱《はつねつ》|甚《はなはだ》しく|遂《つひ》に|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つてしまつた。かかる|混雑《こんざつ》の|際《さい》とて、|医者《いしや》も|思《おも》ふやうに|駈《か》けつけず、|重臣《ぢうしん》は|困《こま》り|切《き》つて|大王《だいわう》が|病室《びやうしつ》に|首《くび》を|鳩《あつ》め|前後策《ぜんごさく》を|講《かう》じてをる。|左守《さもり》は|最早《もはや》この|上《うへ》は|太子《たいし》の|君《きみ》に|拝謁《はいえつ》して|指揮《しき》を|仰《あふ》がむものと、|禿頭《はげあたま》をテカテカ|照《て》らしながら、|太子殿《たいしでん》に|奉伺《ほうし》したのである。
|左守《さもり》は|例《れい》のごとく|二拍手《にはくしゆ》しながら、|垂簾《すゐれん》の|前《まへ》に|低頭平身《ていとうへいしん》し、やや|慄《ふる》ひを|帯《お》びたる|声《こゑ》にて、
『|太子殿下《たいしでんか》に|申上《まをしあ》げます。|本日《ほんじつ》は|微臣《びしん》の|不注意《ふちうい》より|城下《じやうか》に|大火災《だいくわさい》|起《おこ》り、|不逞首陀団《ふていしゆだだん》や|主義者団《しゆぎしやだん》その|他《た》の|暴徒《ばうと》、|暴威《ばうゐ》を|逞《たくまし》ふし|火《ひ》を|放《はな》つて|都《みやこ》の|大半《たいはん》を|烏有《ういう》に|帰《き》し、なほ|飽《あ》き|足《た》らず、|強盗《がうたう》、|強姦《がうかん》、|殺人《さつじん》などあらゆる|暴逆《ばうぎやく》を|逞《たくまし》ふし、タラハン|市《し》は|蚊《か》の|鳴《な》くがごとき|憐《あは》れな|有様《ありさま》でございます。|大王様《だいわうさま》も|御心配《ごしんぱい》のあまり|俄《には》かに|病気《びやうき》|改《あらた》まり、いつ|御昇天《ごしようてん》|遊《あそ》ばすやも|計《はか》られない|悲惨事《ひさんじ》が|湧出《ゆうしゆつ》いたしました。かかる|惨状《さんじやう》を|招来《せうらい》いたしましたのも、|全《まつた》く|小臣等《せうしんら》が|輔弼《ほひつ》の|任《にん》を|全《まつた》ふせざりし|罪《つみ》でございますれば、|天下万民《てんかばんみん》に|代《かは》り|闕下《けつか》に|伏《ふ》して|罪《つみ》を|謝《しや》し、|今日《こんにち》かぎり|骸骨《がいこつ》を|乞《こ》ひ|奉《たてまつ》りますれば、|何《なに》とぞ、|時代《じだい》に|目醒《めざ》めたる|新人物《しんじんぶつ》をば|登庸《とうよう》|遊《あそ》ばされ、|国事《こくじ》の|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》されむ|事《こと》を|希望《きばう》いたします。|左守《さもり》が|職《しよく》を|辞《じ》するに|当《あた》りまして、|太子殿下《たいしでんか》にお|願《ねが》ひ|致《いた》しておきたい|事《こと》は、|伜《せがれ》の|身《み》の|上《うへ》でございます。|微臣《びしん》も|老齢《らうれい》|加《くは》はり、|殿中《でんちう》に|入内《にふだい》いたしますにも、かくの|如《ごと》く|杖《つゑ》を|持《も》たねばならぬやうな|廃物《はいぶつ》でございますから、|大王殿下《だいわうでんか》の|後《あと》を|追《お》うて|何時《いつ》|国替《くにが》へをするやらも|分《わか》りませぬ。|何《なに》とぞ|伜《せがれ》の|身《み》の|上《うへ》をよろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます』
アリナはわざと|荘重《さうちよう》な|声《こゑ》にて、
『ヤ|左守殿《さもりどの》、|大変《たいへん》な|事《こと》であつたのう。さぞ|人民《じんみん》が|困《こま》つてゐるであらう。|汝《なんぢ》は|国家《こくか》|危急《ききふ》のこの|場合《ばあひ》に|当《あた》つて、|骸骨《がいこつ》を|乞《こ》ふなどとは|不心得千万《ふこころえせんばん》にも|程《ほど》がある。|日頃《ひごろ》|高禄《かうろく》を|与《あた》へておいたのは|斯様《かやう》の|際《さい》に|尽《つく》させむための|父大王《ちちだいわう》の|思召《おぼしめ》しではないか。しかしながら、|不能《ふのう》をもつて|能《のう》を|強《し》ふるは|君《きみ》たるものの|道《みち》ではない。|汝《なんぢ》は|幸《さいは》ひに、|時代《じだい》に|目醒《めざ》め|余《よ》が|意志《いし》をよく|悟《さと》りをる|賢明《けんめい》なる|伜《せがれ》あれば、|彼《かれ》アリナを|汝《なんぢ》と|思《おも》ひ|重《おも》く|用《もち》ふるであらう。|必《かなら》ず|心配《しんぱい》いたすな。さうして|汝《なんぢ》の|家《いへ》は|無難《ぶなん》であつたかのう』
『ハイ|御親切《ごしんせつ》によくお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいます。|仁慈《じんじ》のお|言葉《ことば》、|何時《いつ》の|世《よ》にかは|忘却《ばうきやく》いたしませうや。|吾《わ》が|邸宅《ていたく》は|不逞首陀団《ふていしゆだだん》のために|包囲《はうゐ》され、|第一着《だいいちちやく》に|焼《や》きつくされてしまひました。しかしながら、ウラルの|神様《かみさま》の|御加護《ごかご》によりて|生命《せいめい》は|助《たす》けて|頂《いただ》きました。それよりも|恐《おそ》れ|多《おほ》いは、|大王様《だいわうさま》がいつも|愛玩《あいぐわん》してお|出《い》でになりました、|古今《ここん》の|珍器《ちんき》を|集《あつ》めた|茶寮《ちやれう》の|一棟《ひとむね》、|惜《を》しくも|焼《や》き|失《う》せました。|大王家《だいわうけ》|歴代《れきだい》の|重宝《ぢうほう》はこの|茶寮《ちやれう》に|納《をさ》めてありました。|実《じつ》にこの|一事《ひとこと》にても|微臣《びしん》は|責任《せきにん》を|帯《お》びて|骸骨《がいこつ》を|乞《こ》はねばなりませぬ。|何《なに》とぞ、おゆるしを|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
『や、|左守《さもり》その|方《はう》の|申《まを》す|言葉《ことば》も|一応《いちおう》|道理《だうり》があるやうだ。|汝《なんぢ》はこれより|此処《ここ》を|引取《ひきと》り、|他《た》の|重臣《ぢうしん》|共《ども》と|相談《さうだん》の|上《うへ》|復興院《ふくこうゐん》を|創立《さうりつ》して、|再《ふたた》び|元《もと》のタラハン|市《し》に|復帰《ふくき》すべく|勉《つと》めてくれ。|太子《たいし》、|汝《なんぢ》|左守《さもり》の|職掌《しよくしやう》を|父《ちち》に|代《かは》つて|免除《めんぢよ》する。|臣間《しんかん》の|事業《じげふ》として|復興院《ふくこうゐん》の|総裁《そうさい》となれ』
『|殿下《でんか》の|御台命《ごたいめい》|誠《まこと》にもつて|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》に|耐《た》へませぬが、|世《よ》に|後《おく》れたる|禿頭《はげあたま》をもつて、どうして|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》の|人心《じんしん》を|治《をさ》め|復興《ふくこう》の|目的《もくてき》を|達成《たつせい》する|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|此《この》|儀《ぎ》は|何卒《なにとぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|実《じつ》のところは|玉《たま》の|原《はら》の|別荘《べつさう》に|安臥中《あんぐわちう》、|火事《くわじ》と|聞《き》いて|驚《おどろ》き|石段《いしだん》より|転《ころ》げ|落《お》ち、|大変《たいへん》な|負傷《ふしやう》を|仕《つかまつ》りました。これがつけ|入《い》りとなつて、|微臣《びしん》も|遠《とほ》からぬ|中《うち》|帰幽《きいう》いたさねばなりますまい』
『ヤアそれは|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》を|致《いた》した。アリナが|居《を》れば|其《その》|方《はう》の|介抱《かいはう》をさせたいのだが、|火災《くわさい》が|起《おこ》ると|共《とも》に|殿内《でんない》を|飛《と》び|出《だ》し、まだ|何《なん》の|消息《せうそく》もないのだから、どうする|事《こと》も|出来《でき》ぬ。|余《よ》もかかる|際《さい》には|泰然自若《たいぜんじじやく》として|軽挙妄動《けいきよまうどう》をつつしみ、|万一《まんいち》の|時《とき》には|父王殿下《ちちわうでんか》の|後《あと》を|継《つ》がねばならぬ。どうか|其《その》|方《はう》より|右守《うもり》その|外《ほか》|一同《いちどう》によきに|伝《つた》へてくれ』
『ハイ、|重《かさ》ね|重《がさ》ね|御親切《ごしんせつ》なお|言葉《ことば》|有難《ありがた》うございます。そして|伜《せがれ》のアリナは|未《ま》だ|帰《かへ》らないと|承《うけたまは》りましたが、もしやあの|騒動《さうだう》に|紛《まぎ》れ|人手《ひとで》にかかつたのではありますまいか。|但《ただ》しは|火《ひ》に|囲《かこ》まれて|焼死《やけじ》にでも|致《いた》したのではございますまいか』
と|涙声《なみだごゑ》になる。
『|父上《ちちうへ》、いやいや|父王殿下《ちちわうでんか》の|御大病《ごたいびやう》とあれば|余《よ》は|茲《ここ》に|謹慎《きんしん》を|守《まも》つてゐる。アリナも|可哀《かあい》さうだが、|彼《かれ》の|事《こと》だから|滅多《めつた》に|命《いのち》を|捨《す》つるやうな|事《こと》はあるまい。|安心《あんしん》したがよからう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|失礼《しつれい》な|事《こと》をお|尋《たづ》ねいたしますが、|殿下《でんか》には|此《この》|頃《ごろ》お|声《こゑ》の|色《いろ》がお|違《ちが》ひ|遊《あそ》ばすやうでございますが、お|風《かぜ》でもお|召《め》し|遊《あそ》ばしたのではございますまいか。|尊貴《そんき》の|御身《おんみ》の|上《うへ》、|何《なに》とぞお|大切《たいせつ》にお|願《ねが》ひいたします。|人間《にんげん》は|衛生《ゑいせい》が|第一《だいいち》でございますから』
アリナはこの|言葉《ことば》にギヨツとしながら|飽《あ》くまで|図々《づうづう》しく|空呆《そらとぼ》け、
『イヤ、|別《べつ》に|病気《びやうき》でも|何《なん》でもない。|実《じつ》は|青春《せいしゆん》の|時期《じき》だから|声変《こゑがは》りが|致《いた》したのだ。そして|余《よ》も|昨夜《さくや》の|大火事《おほくわじ》に|些《すこ》しばかり|気《き》を|揉《も》んだものだから、|声《こゑ》が|少《すこ》しく|変《かは》つたのだらうよ。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|心配《しんぱい》してくれるな。また|汝《なんぢ》の|伜《せがれ》アリナもきつと|無事《ぶじ》でゐるだらう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。どうか|衛生《ゑいせい》に|御注意《ごちうい》|下《くだ》さいませ。ひとへにお|願《ねが》ひ|申上《まをしあ》げます』
『|爺《おやぢ》、いな|左守《さもり》、|心配《しんぱい》いたすな。|人間《にんげん》の|生涯《しやうがい》を|衛生《ゑいせい》の|二字《にじ》に|威喝《ゐかつ》されて、|自分《じぶん》から|半病人《はんびやうにん》になるやうな|事《こと》はいたさない。|人間《にんげん》は|気《き》の|持《も》ちやう|一《ひと》つで|病気《びやうき》なんか|起《おこ》るものではない。その|方《はう》も|気《き》を|確《たし》かに|持《も》つて|長生《ながいき》をしたがよからうぞ』
|左《さ》『|何彼《なにか》とお|取込《とりこ》みの|中《なか》、いつまでお|邪魔《じやま》を|致《いた》しても|済《す》みませぬから、|微臣《びしん》は|引《ひ》き|下《さが》りませう。この|際《さい》|御自愛《ごじあい》あらむ|事《こと》を|懇願《こんぐわん》いたします』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|恭《うやうや》しく|敬意《けいい》を|表《あら》はしながら|杖《つゑ》を|力《ちから》に|下《さが》り|行《ゆ》く。|左守《さもり》は|道々《みちみち》|思《おも》ふやう、
『どうも|殿下《でんか》のお|声変《こゑがは》り、これは|何《なに》かの|原因《げんいん》があるだらう。どこともなしに|今《いま》までとは|荘重《さうちよう》を|欠《か》き、さうして|今日《けふ》は|懸河《けんが》の|弁舌《べんぜつ》、ハテ|合点《がてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だなア。あの|口調《くてう》は|伜《せがれ》のアリナにそつくりだ。しかし|何時《いつ》もアリナが|悪知恵《わるぢゑ》を【かう】ものだから、|言葉《ことば》づきまでが|殿下《でんか》に|感染《かんせん》したのだらう。|恐《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》だわい』
と|独語《ひとりご》ちつつ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
アリナはほつと|一息《ひといき》しながら、
『アア|危《あぶ》ない|事《こと》だつた。|又《また》しても|爺《おやぢ》に|訪問《はうもん》され|肝玉《きもたま》がでんぐり|返《がへ》つてしまつた。|幸《さいは》ひ|爺《おやぢ》は|胡麻化《ごまくわ》したが、やがて|右守《うもり》がやつて|来《く》るだらう。こいつは|困《こま》つたものだなア』
と|腕《うで》を|組《く》んで|思案《しあん》の|折柄《をりから》、|足早《あしばや》に|簾《みす》を|上《あ》げて|入《い》り|来《く》るは|夜前《やぜん》|情約締結《じやうやくていけつ》を|終《を》へたシノブであつた。
『|殿下《でんか》、|御心配《ごしんぱい》なさいますな。あの|調子《てうし》なれば|大丈夫《だいぢやうぶ》でございますよ。|現在《げんざい》の|父上《ちちうへ》でさへも|化《ば》けの|皮《かは》を|剥《は》ぐ|事《こと》が|出来《でき》ず、スダルマン|太子《たいし》と|信《しん》じ|切《き》つて|帰《かへ》られたくらゐですから、|右守《うもり》ぐらゐは|何《なん》でもありませぬ。そして|右守《うもり》は|名代《なだい》の|近眼《きんがん》でございますから|御心配《ごしんぱい》なさいますな』
アリナ『いや|誰《たれ》かと|思《おも》へば、|汝《なんぢ》は|女中頭《ぢよちうがしら》のシノブぢやないか。|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|陽気《やうき》な|事《こと》は|言《い》つてをれない。|居間《ゐま》に|下《さが》つて|来客《らいきやく》の|接待《もてなし》でも|致《いた》したが|好《よ》からうぞ』
『ホホホホ、|殿下《でんか》、よう|白々《しらじら》しいそんな|事《こと》が|仰《おほ》せられますなア。|妾《わらは》はどこまでも|殿下《でんか》のお|傍《そば》は|離《はな》れませぬ。|殿下《でんか》の|挙措《きよそ》|動作《どうさ》は|一々《いちいち》|次《つぎ》の|間《ま》から|調《しら》べてをりますから』
『|大変《たいへん》な|警戒線《けいかいせん》を|張《は》つたものだなア、まるきり|監視附《かんしづ》きのやうなものだわい。アア|太子《たいし》の|役《やく》も|窮屈《きうくつ》なものだなア』
『|一国《いつこく》の|王者《わうじや》にならうと|思《おも》へば、|少々《せうせう》ぐらゐの|窮屈《きうくつ》は|忍《しの》ばなければなりますまい。ここ|二三日《にさんにち》は|特別《とくべつ》|訪問者《はうもんしや》が|多《おほ》うございませうから、|確《しつか》りしてゐて|下《くだ》さいませ』
『アア、スダルマン|太子《たいし》は|何《なん》だつて|帰《かへ》つてござらぬのだらう。「|半日《はんにち》でよいから|代《かは》つて|貰《もら》ひたい」と|仰有《おつしや》つたが、こんな|所《ところ》へ|右守《うもり》や|重臣《ぢうしん》がどしどしやつて|来《き》たら、|終《しま》ひには|化《ば》けの|皮《かは》が|現《あら》はれてしまふがなア』
『これだけの|騒動《さうだう》、|如何《いか》に|呑気《のんき》の|太子様《たいしさま》だとて|悠々《いういう》スバール|姫《ひめ》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かしてお|出《い》でになる|筈《はず》はありませぬ。もう|帰《かへ》つてお|出《い》でになるでせうから、もうしばらく|辛抱《しんばう》して|下《くだ》さいませ。|天下分目《てんかわけめ》の|関ケ原《せきがはら》、|王者《わうじや》になるか、|平民《へいみん》に|下《さが》るかの|分水嶺《ぶんすゐれい》ですから』
『それもさうだ。|誰《たれ》が|来《く》るか|分《わか》らないから、そなたは|早《はや》く|簾《みす》の|外《そと》へ|罷《まか》り|下《さが》つたがよからう。|余《よ》は|心配《しんぱい》でならないわ』
『ホホホホ、「|余《よ》は|心配《しんぱい》でならないわ」などと、たうとう|本当《ほんたう》の|太子《たいし》に|言葉《ことば》つきだけはなつて|仕舞《しま》はれましたなア。|左様《さやう》なれば|邪魔者《じやまもの》は|罷《まか》り|下《さが》るでございませう』
と、つんと|立《た》ち、ぷりんとして|畳《たたみ》をぽんぽんと|二《ふた》つ|三《み》つ|蹴《け》つて|一間《ひとま》の|内《うち》に|姿《すがた》をかくした。それと|入《い》れ|違《ちが》ひに|慌《あわ》ただしくやつて|来《き》たのは|右守《うもり》であつた。|右守《うもり》は|型《かた》のごとく|二拍手《にはくしゆ》し、|頭《かしら》を|床《ゆか》に|下《さ》げながら、
『|恐《おそ》れながら|右守《うもり》の|司《かみ》、|太子殿下《たいしでんか》に|申《まを》し|上《あ》げます。|昨夜《さくや》|以来《いらい》、|城下《じやうか》|大混乱《だいこんらん》の|状況《じやうきやう》は、|左守《さもり》の|司《かみ》より|上申《じやうしん》|致《いた》したでございませうから、|私《わたくし》は|重《かさ》ねて|申《まを》し|上《あ》げませぬ。|殿下《でんか》におかせられても|御壮健《ごさうけん》の|御顔《おんかほ》を|拝《はい》し、|右守《うもり》|身《み》に|取《と》つて|恐悦至極《きようえつしごく》に|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》ります。つきましては|大王様《だいわうさま》の|御容態《ごようだい》にはかに|革《あらた》まり、|幽《かすか》の|息《いき》の|下《した》より「|殿下《でんか》を|呼《よ》べ」と|仰《おほ》せられます。どうか|一時《いちじ》も|早《はや》く|大王《だいわう》のお|居間《ゐま》まで|御賁臨《ごふんりん》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
アリナは|一《ひと》つ|脱《のが》れてまた|一《ひと》つ、
『アア|偽太子《にせたいし》もつらいものだ。|大王殿下《だいわうでんか》の|傍《そば》には|沢山《たくさん》の|看病人《かんびやうにん》も|居《を》るだらう、|重臣《ぢうしん》|共《ども》も|居《を》るだらう。そんな|所《ところ》へ|往《ゆ》かうものなら|忽《たちま》ち|秘密《ひみつ》が|露見《ろけん》して、フン|縛《じば》られてしまふかも|知《し》れない』
と|心《こころ》に|非常《ひじやう》な|驚《おどろ》きを|感《かん》じたが、|横着者《わうちやくもの》の|事《こと》とてわざと|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして、
『|何《なん》と|申《まを》す、|父王殿下《ちちわうでんか》が|御危篤《ごきとく》といふのか。それでは|早速《さつそく》|参上《さんじやう》いたさねばなるまい、|余《よ》はこれより|衣服《いふく》を|着替《きか》へ、|神様《かみさま》に|拝礼《はいれい》いたし|父王殿下《ちちわうでんか》の|平癒《へいゆ》を|祈《いの》り、|直《ただ》ちに|参上《さんじやう》いたすによつて|其《その》|由《よし》を|父王《ちちわう》に|伝《つた》へてくれ』
|右守《うもり》『|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》でございますが、|錦衣《きんい》のお|着替《きか》へも|結構《けつこう》、|神様《かみさま》へのお|祈《いの》りも|結構《けつこう》でございますが、もはや|御臨終《ごりんじう》でございますから、|直《ただ》ちにお|越《こ》し|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》がお|供《とも》をいたします。|早《はや》く|親子《おやこ》の|御対面《ごたいめん》を|遊《あそ》ばしませ。|後《あと》で|如何《いか》ほどお|悔《く》やみ|遊《あそ》ばしても|返《かへ》らぬ|事《こと》でございますから』
アリナ『|余《よ》は|直《ただ》ちに|参《まゐ》る。サ|早《はや》く|其《その》|方《はう》は|余《よ》にかまはず|父《ちち》のお|側《そば》に|行《い》つてくれ。|余《よ》はどうしても|神《かみ》に|祈《いの》らねば|気《き》が|済《す》まぬ。|早《はや》くこの|場《ば》を|立《た》ちのき|父王《ちちわう》の|傍《そば》に|行《ゆ》かぬか』
と|声《こゑ》に|力《ちから》を|籠《こ》めて|呶鳴《どな》りつけたり。|右守《うもり》は|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》に|止《や》むなく|立《た》つて|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》にアリナは、
『アア|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たものだ。やつぱり|左守《さもり》の|伜《せがれ》のアリナでゐる|方《はう》がよい。アアどうしてこの|難関《なんくわん》を|切《き》り|抜《ぬ》けやうか』
と|項垂《うなだ》れてゐる。そこへ|女中《ぢよちう》|頭《あたま》のシノブが|走《はし》り|来《き》たり、
『もし、アリナ|様《さま》、|殿下《でんか》が|帰《かへ》られました。サアサア|早《はや》く|衣裳《いしやう》をお|着替《きか》へなさいませ』
『なに、|殿下《でんか》がお|帰《かへ》りか、それや|結構《けつこう》だ。や、|助《たす》け|船《ぶね》が|帰《かへ》つたやうなものだ。どこに|居《ゐ》られるか』
『|労働服《らうどうふく》を|着《き》たまま|裏口《うらぐち》に|立《た》つてをられます』
アリナは|急《いそ》いで|裏口《うらぐち》に|走《はし》り|出《い》で、
『ヤ|殿下《でんか》、よう|帰《かへ》つて|下《くだ》さいました。|今《いま》や|私《わたくし》の|化《ば》けの|皮《かは》の|現《あら》はれむとするところ、|父王殿下《ちちわうでんか》には|今《いま》や|御臨終《ごりんじう》でございます。サア|早《はや》くお|会《あ》ひ|下《くだ》さいませ。さうして|私《わたし》は|錦衣《きんい》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て|元《もと》のアリナに|帰《かへ》つてしまひます。|今《いま》が|危機一髪《ききいつぱつ》の|正念場《しやうねんば》、サ|早《はや》く|錦衣《きんい》にお|着替《きか》へ|下《くだ》さいませ。|何時《いつ》|重臣《ぢうしん》|共《ども》が|来《く》るかも|分《わか》りませぬ』
|太子《たいし》は|父《ちち》の|臨終《りんじう》と|聞《き》き|着物《きもの》を|着替《きか》へる|事《こと》を|忘《わす》れ、|又《また》アリナも|狼狽《らうばい》の|余《あま》り、|太子《たいし》に|錦衣《きんい》を|着《き》せる|事《こと》を|忘《わす》れてしまつた。|太子《たいし》はそのまま|駈《か》けつけ|火鉢《ひばち》の|前《まへ》に|坐《すわ》つて|見《み》た。
|太子《たいし》『ヤ、これや|大変《たいへん》だ。|労働服《らうどうふく》のままだ。|何《なん》とかして|早《はや》く|錦衣《きんい》と|着《き》かへねばなるまい。オイ、アリナその|錦衣《きんい》を|早《はや》く|持《も》つて|来《こ》い』
と|呼《よ》べど|叫《さけ》べど、アリナは|狼狽《らうばい》の|余《あま》り|錦衣《きんい》を|女中部屋《ぢよちうべや》に|投《な》げ|捨《す》て、トランクの|中《なか》より|有合《ありあは》せの|寝衣《ねまき》を|取《と》り|出《だ》して|着替《きか》へ、|便所《べんじよ》の|中《なか》に|潜《ひそ》んで|慄《ふる》つてゐた。|一方《いつぱう》|太子《たいし》は|如何《いかが》はせむと|焦慮《せうりよ》してゐる。そこへ|慌《あわ》ただしく|右守《うもり》の|司《かみ》がやつて|来《き》て、|簾《みす》の|外《そと》より|泣声《なきごゑ》を|絞《しぼ》りながら、
『|殿下《でんか》、|早《はや》くお|出《い》で|下《くだ》さいませ。|御臨終《ごりんじう》でございます』
この|声《こゑ》に|太子《たいし》は|父《ちち》の|臨終《りんじう》と|聞《き》いて|何《なに》も|彼《か》も|打《う》ち|忘《わす》れ、|汚《きたな》い|労働服《らうどうふく》のまま、|右守《うもり》の|後《あと》に|跟《つ》いて|大王《だいわう》の|病床《びやうしやう》に|駈《か》けつけたり。|右守《うもり》は|近眼《きんがん》の|事《こと》なり、|余《あま》り|慌《あわ》ててゐるので|太子《たいし》の|労働服《らうどうふく》が|目《め》につかざりけり。
(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 加藤明子録)
第三篇 |民声魔声《みんせいませい》
第九章 |衡平運動《かうへいうんどう》〔一七三三〕
|上《かみ》に|大名《だいみやう》あれども、|時代《じだい》を|解《かい》し|国家《こくか》|永遠《ゑいゑん》の|神策《しんさく》を|弁《わきま》へたる|輔弼棟梁《ほひつとうりやう》たるべき|小名《せうみやう》なく、あらゆる|虚偽《きよぎ》と|罪悪《ざいあく》と|権謀術数《けんぼうじゆつすう》を|以《もつ》て|施政《しせい》の|大本《たいほん》となし、|重税《ぢうぜい》を|課《くわ》して|膏血《こうけつ》を|絞《しぼ》り、|上《かみ》に|立《た》てるブルジョア|階級《かいきふ》なる|者《もの》は、|肥馬軽裘《ひばけいきう》、あらむ|限《かぎ》りの|贅《ぜい》を|尽《つく》し、|行人《かうじん》の|迷惑《めいわく》を|顧《かへり》みずブウブウと|自動車《じどうしや》を|飛《と》ばして、|臭気《しうき》|紛々《ふんぷん》たる|屁《へ》と|土埃《つちほこり》を|浴《あ》びせて|平気《へいき》に|行《ゆ》く。|貧民《ひんみん》の|子《こ》は|自動車《じどうしや》に|轢《ひ》き|殺《ころ》されても、これを|訴《うつた》へ|出《い》づる|術《すべ》も|無《な》く、|強者《きやうしや》は|白昼強盗《はくちうがうとう》に|等《ひと》しき|行《おこな》ひを|為《な》して、|公々然《こうこうぜん》|縦横《じうわう》に|濶歩《くわつぽ》し、|弱者《じやくしや》は|往来《わうらい》の|車馬《しやば》に|踏《ふ》み|躙《にじ》られ|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げ、|九死《きうし》の|境《さかひ》に|呻吟《しんぎん》す。|文明利器《ぶんめいりき》の|交通機関《かうつうきくわん》は|可《か》なりに|進歩《しんぽ》し|完備《くわんび》すれども、|貧者《ひんじや》は|之《これ》を|利用《りよう》する|事《こと》を|得《え》ず。|教育機関《けういくきくわん》は|立派《りつぱ》に|設《まう》けられたりといへども、|貧者《ひんじや》は|是《これ》に|入学《にふがく》するを|得《え》ず。|寄席《よせ》|劇場《げきぢやう》などは|市《まち》の|四方《しはう》に|建設《けんせつ》され|地上《ちじやう》の|楽園《らくゑん》を|現出《げんしゆつ》すれども、|貧者《ひんじや》は|又《また》これに|一回《いつくわい》の|慰安《ゐあん》を|求《もと》むる|事《こと》を|得《え》ず。|病院《びやうゐん》は|各所《かくしよ》に|甍《いらか》を|列《つら》ねて|樹立《じゆりつ》すれども、|貧者《ひんじや》は|是《これ》に|入《い》つて|治療《ちりやう》を|受《う》くる|事《こと》を|得《え》ず。|美味佳肴《びみかかう》は|料理屋《れうりや》の|店頭《てんとう》に|並《なら》べられたりといへども、|貧者《ひんじや》またこの|恩恵《おんけい》に|浴《よく》するを|得《え》ず。|錦繍綾羅《きんしうりようら》を|店頭《てんとう》に|陳列《ちんれつ》せる|大呉服店《だいごふくてん》は|市中目抜《しちうめぬき》の|場処《ばしよ》に|櫛比《しつぴ》すれども|貧者《ひんじや》は|一片《いつぺん》の|布《ぬの》も|購求《こうきう》する|事《こと》を|得《え》ず。|日夜《にちや》|飢《う》ゑに|泣《な》き|寒《さむ》さに|凍《こご》え、|空虚腹《すきばら》を|抱《かか》えて|半病人《はんびやうにん》の|如《ごと》く|路《みち》の|傍《かたへ》を|悄々《しほしほ》と|喘《あえ》ぎ|行《ゆ》くのみ。|富者《ふうしや》は|大小名《だいせうみやう》と|結托《けつたく》して|暴利《ばうり》を|貪《むさぼ》り、|物価《ぶつか》は|日《ひ》を|逐《お》うて|暴騰《ばうとう》し、|生存難《せいぞんなん》の|声《こゑ》は|日《ひ》を|逐《お》うて|喧《かまび》すしく、|淵川《ふちかは》に|身《み》を|投《な》ぐるもの、|鉄砲腹《てつぱうばら》を|為《な》すもの、ブランコ|往生《わうじやう》を|演《えん》ずるもの、|線路《せんろ》を|枕《まくら》に|命《いのち》を|捨《す》つるもの、|日《ひ》に|夜《よ》に|数《かず》|限《かぎ》りも|無《な》く、|暗黒《あんこく》の|幕《まく》は|下層社会《かそうしやくわい》に|日《ひ》に|日《ひ》に|濃厚《のうこう》に|下《くだ》されて|来《き》た。
|民衆《みんしう》の|憤怒怨嗟《ふんどゑんさ》の|声《こゑ》、|号泣《がうきふ》の|叫《さけ》び、あたかも|阿鼻叫喚《あびけうかん》、|地獄《ぢごく》の|状態《じやうたい》と|成《な》つて|来《き》た。|大小名撲滅《だいせうみやうぼくめつ》の|声《こゑ》は|国内《こくない》|各処《かくしよ》に|起《おこ》り、|市民大会《しみんたいくわい》、|民衆大会《みんしうたいくわい》その|他《た》あらゆる|民衆《みんしう》の|会合《くわいがふ》は、|各処《かくしよ》に|開《ひら》かれ、|目付役《めつけやく》と|民衆《みんしう》の|争闘《さうとう》は|絶間《たへま》なく|血腥《ちなまぐさ》き|風《かぜ》は|四方《しはう》に|吹《ふ》き|荒《すさ》び、さすが|安逸《あんいつ》なるタラハン|国《こく》も、|今《いま》は|漸《やうや》く|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》と|成《な》つて|了《しま》つた。|不逞団《ふていだん》|歌劇団《かげきだん》|其《そ》の|他《た》の|各種《かくしゆ》の|団体《だんたい》は|期《き》せずして|都大路《みやこおほぢ》に|集《あつ》まり、タラハン|国《ごく》の|創立記念日《さうりつきねんび》なる|五月五日《ごぐわついつか》を|期《き》して、|城下《じやうか》の|場所《ばしよ》に|一斉《いつせい》に|放火《はうくわ》を|始《はじ》め、その|虚《きよ》に|乗《じやう》じて|血《ち》に|飢《う》ゑたる|民衆《みんしう》はあらゆる|悪業《あくげふ》を|恣《ほしいまま》にし、|一時《いちじ》はほとんど|無取締《むとりしま》りの|状態《じやうたい》になりしが、|漸《やうや》くにして|侍連《さむらひれん》の|力《ちから》を|借《か》つて|稀有《けう》の|騒乱《さうらん》を|鎮圧《ちんあつ》する|事《こと》を|得《え》たのである。
この|騒擾《さうぜう》|勃発《ぼつぱつ》のために、|富有連《ふいうれん》の|傍杖《そばづゑ》を|食《く》つて|僅《わづ》かの|財産《ざいさん》を|焼失《せうしつ》したるもの、|親《おや》を|失《うしな》ひ、|妻《つま》を|失《うしな》ひ、|夫《をつと》に|別《わか》れ、|或《あるひ》は|一家全滅《いつかぜんめつ》したる|者《もの》|数限《かずかぎ》りもなく|都大路《みやこおほぢ》は|流血《りうけつ》の|巷《ちまた》と|化《くわ》し、|死屍累々《ししるゐるゐ》として|目《め》も|当《あ》てられぬ|惨状《さんじやう》となつた。|子《こ》は|母《はは》の|背《せ》にあつて|飢《う》ゑに|泣《な》き、|老人《らうじん》は|腰《こし》を|抜《ぬ》かして|路傍《ろばう》に|倒《たふ》れ、|或《あるひ》は|半死半生《はんしはんしやう》、|重傷《ぢうしやう》を|負《お》うて|苦《くる》しむ|者《もの》|幾千人《いくせんにん》とも|数《かぞ》へきれぬ|程《ほど》であつた。
|有志《いうし》の|各団体《かくだんたい》は|罹災民救護《りさいみんきうご》のため、|東西南北《とうざいなんぼく》に|駈《か》けまはり、|米《こめ》|麦《むぎ》|野菜《やさい》などをあさつて、|一時《いちじ》の|急《きふ》を|救《すく》はむとすれども、|到底《たうてい》その|一部《いちぶ》の|要求《えうきう》を|充《み》たすにも|足《た》らなかつた。|流言蜚語《りうげんひご》|盛《さか》んに|起《お》こり、|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》として|安《やす》からず、|今《いま》にタラハン|国《こく》は|滅亡《めつぼう》の|悲運《ひうん》に|向《む》かふべしなどと|人々《ひとびと》の|口《くち》に|依《よ》つて|喧伝《けんでん》された。かかる|所《ところ》へ|肉体美《にくたいび》に|過《す》ぎた|大兵肥満《だいひやうひまん》の|女《をんな》|一人《ひとり》|現《あら》はれ|来《き》たり、|札《さつ》ビラを|路上《ろじやう》に|撒《ま》き|散《ち》らしながら|声《こゑ》|高々《たかだか》と|何事《なにごと》か|唄《うた》ひながら、|碁盤《ごばん》の|目《め》の|街《まち》を|彼方此方《かなたこなた》と|駈《か》けめぐつてゐる。
|女《をんな》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |人《ひと》と|鬼《おに》とを|立別《たてわ》ける
|天《てん》には|黒雲《くろくも》|塞《ふさ》がりて |月日《つきひ》の|影《かげ》も|地《ち》に|照《て》らず
|天《あめ》が|下《した》なる|人草《ひとぐさ》は |優勝劣敗《いうしようれつぱい》|日《ひ》をかさね
|強《つよ》きは|高《たか》く|登《のぼ》りつめ |栄耀栄華《えいようえいぐわ》の|有《あ》りたけを
|尽《つく》して|下《しも》の|難儀《なんぎ》をば |空《そら》|吹《ふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》し
|貧《まづ》しき|民《たみ》を|虐《しひた》げて |生血《いきち》を|絞《しぼ》り|脂《あぶら》をば
|力《ちから》|限《かぎ》りに|吸《す》ひ|取《と》れば |痩《や》せ|衰《おとろ》へて|餓鬼《がき》の|如《ごと》
|骨《ほね》と|皮《かは》とに|成《な》り|果《は》てぬ |神《かみ》が|此《この》|世《よ》に|在《ま》す|上《うへ》は
|何時《いつ》まで|許《ゆる》し|玉《たま》はむや |此《この》|世《よ》の|中《なか》は|神様《かみさま》が
|万《よろづ》の|民《たみ》を|平等《べうどう》に |楽《たの》しく|嬉《うれ》しく|暮《くら》させて
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|神政《しんせい》を |布《し》かむがための|思召《おぼしめ》し
しかるに|何《なん》ぞ|計《はか》らむや |上《うへ》は|左守《さもり》を|始《はじ》めとし
|富有連《ふいうれん》や|長者等《ちやうじやら》が |勝手《かつて》|気儘《きまま》に|振《ふ》れまひて
|下《しも》|国民《くにたみ》を|苦《くる》しめし |報《むく》いは|忽《たちま》ち|目《ま》の|当《あた》り
|思《おも》ひ|知《し》つたか|左守司《さもりかみ》 その|他《ほか》|百《もも》の|司達《つかさたち》
|今《いま》に|心《こころ》を|直《なほ》さねば |打《う》てや|懲《こ》らせと|民衆《みんしう》が
|鬨《とき》を|作《つく》つて|攻《せ》め|寄《よ》せる その|凶兆《きようてう》はありありと
|今《いま》より|伺《うかが》ひ|知《し》られたり アア|民衆《みんしう》よ|民衆《みんしう》よ
|必《かなら》ず|憂《うれ》ふる|事《こと》なかれ |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神《かみ》さまは
|必《かなら》ず|汝《なれ》が|窮状《きうじやう》を |何時《いつ》まで|見捨《みす》て|給《たま》はむや
|必《かなら》ず|一陽来復《いちやうらいふく》の |春《はる》を|迎《むか》へて|永久《とこしへ》に
|安《やす》き|楽《たの》しき|神《かみ》の|国《くに》 この|世《よ》の|中《なか》に|樹《た》て|玉《たま》ひ
|今《いま》まで|下《しも》に|苦《くる》しみし |清《きよ》き|正《ただ》しき|汝等《なんぢら》を
|高《たか》きに|救《すく》ひ|給《たま》ふべし |天《てん》は|降《くだ》つて|地《つち》と|成《な》り
|地《つち》は|上《のぼ》つて|天《てん》と|成《な》る |有為天変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》は
|何時《いつ》まで|大名《だいみやう》|小名《せうみやう》の |自由《じいう》の|振舞《ふるまひ》|許《ゆる》さむや
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 いよいよ|時節《じせつ》が|参《まゐ》りなば
|今《いま》まで|此《この》|世《よ》に|落《お》ち|居《ゐ》たる |百《もも》の|正《ただ》しき|神《かみ》さまは
|数多《あまた》の|神軍《しんぐん》|引率《いんそつ》し |悪《あく》を|亡《ほろ》ぼしよこしまを
|平《たひ》らげ|尽《つく》し|給《たま》ふべし |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|民衆《みんしう》よ
|時《とき》は|来《き》たれり|時《とき》は|今《いま》 |神政復古《しんせいふくこ》の|暁《あかつき》ぞ
|不意《ふい》に|起《おこ》つた|大火災《だいくわさい》 |是《これ》ぞ|全《まつた》く|人間《にんげん》の
|力《ちから》に|及《およ》ぶ|術《すべ》でない |何《いづ》れも|貴《たか》き|神様《かみさま》の
|悪《あく》に|対《たい》する|警戒《けいかい》ぞ |如何《いか》に|大名《だいみやう》|小名《せうみやう》や
|富有連《ふいうれん》が|覇張《はば》るとも |彼等《かれら》が|覇張《はば》る|世《よ》の|中《なか》は
|最早《もはや》|末期《まつご》と|成《な》りにけり |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|皆《みな》|勇《いさ》め
|民衆《みんしう》を|苦《くる》しむ|悪人《あくにん》を |片《かた》つ|端《ぱし》から|踏《ふ》み|躙《にじ》り
|怯《お》めず|臆《おく》せず|堂々《だうだう》と |火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|施《ほどこ》せよ
|血汐《ちしほ》を|以《もつ》て|世《よ》を|洗《あら》へ |向日《むかひ》の|森《もり》の|茶坊主《ちやばうず》が
|館《やかた》に|後妻《ごさい》と|化《ば》けすまし |三年《さんねん》|以来《このかた》|身《み》を|潜《ひそ》み
|富有連《ふいうれん》に|出入《でいり》する |彼《かれ》に|付《つ》き|添《そ》ひ|富有連《ふいうれん》の
|事情《じじやう》を|査《しら》べゐたりしが |最早《もはや》|時節《じせつ》も|充《み》ちぬれば
|数多《あまた》の|部下《ぶか》に|命令《めいれい》し |火《ひ》の|洗礼《せんれい》を|為《さ》せたのは
|大兵肥満《だいひやうひまん》の|此《この》|女《をんな》 |富有連中《ふいうれんちう》が|何《なに》|恐《こは》い
|大名《だいみやう》|小名《せうみやう》|糞喰《くそくら》へ |取締役《とりしまりやく》や|目付役《めつけやく》が
|怖《こは》くてこの|世《よ》に|居《を》られうか |勇《いさ》めよ|勇《いさ》め|民衆《みんしう》よ
|女《をんな》ながらも|吾《わ》が|部下《ぶか》は タラハン|国《ごく》の|山《やま》に|野《の》に
|幾十万《いくじふまん》の|生身魂《いくみたま》 |腕《かひな》を|撫《ぶ》して|待《ま》つてゐる
いよいよ|命令一下《めいれいいつか》すりや |四方《しはう》|八方《はつぱう》の|隅々《すみずみ》ゆ
ドンドン|狼火《のろし》が|上《あが》るだろ |今《いま》の|好機《かうき》を|逸《いつ》せずに
|汝等《なんぢら》|世界《せかい》の|改造《かいざう》を |命《いのち》の|綱《つな》と|信《しん》じつつ
|振《ふる》へよ|立《た》てよ|立上《たちあ》がれ |民衆団《みんしうだん》の|頭目《とうもく》と
|世《よ》に|聞《きこ》えたるバランスは |即《すなは》ち|吾《わ》が|身《み》の|事《こと》なるぞ
アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや この|惨状《さんじやう》を|見《み》るに|付《つ》け
|下《しも》|人民《じんみん》の|傍杖《そばづゑ》は |実《じつ》に|涙《なみだ》の|種《たね》なれど
|大小名《だいせうみやう》の|狼狽《らうばい》の その|状態《ありさま》を|眺《なが》めては
|少《すこ》しは|虫《むし》も|治《をさ》まらむ |更生院《かうせいゐん》が|何《なん》に|成《な》る
これも|矢《や》つ|張《ぱ》り|富有等《ふいうら》の |汝等《なんぢら》|民衆《みんしう》|一般《いつぱん》の
|生血《いきち》を|絞《しぼ》る|手品《てじな》ぞや |必《かなら》ず|迷《まよ》ふな|迷《まよ》はされな
|思《おも》へば|思《おも》へば|村肝《むらきも》の |心《こころ》の|神《かみ》が|踊《をど》り|出《だ》す
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ
|奸侫邪智《かんねいじやち》の|輩《ともがら》の |目玉《めだま》|飛出《とびだ》しましませよ』
|十字街道《じふじがいだう》に|待《ま》ち|構《かま》へて|居《ゐ》た|数百《すうひやく》の|目付隊《めつけたい》は、|有無《うむ》を|言《い》はせずバラバラと|駈《か》け|寄《よ》つて|手取《てつと》り|足《あし》|取《と》り、|取繩《とりなは》をもつて|雁字搦《がんじがら》みに|縛《しば》り|付《つ》け、バランスを|荷車《にぐるま》に|乗《の》せて|横大路《よこおほぢ》の|取締所《とりしまりしよ》へと|運《はこ》び|込《こ》むでしまつた。|民衆《みんしう》に|化《ば》けて|居《ゐ》た|彼《かれ》の|子分《こぶん》はバランスを|取返《とりかへ》さむと|潮《うしほ》の|如《ごと》く|押寄《おしよ》せ、|目付《めつけ》と|団員《だんゐん》との|闘争《とうさう》が|演出《えんしゆつ》された。|目付隊《めつけたい》は|既《すで》に|危《あや》ふく|見《み》えた|時《とき》、|喇叭《らつぱ》の|声《こゑ》も|勇《いさ》ましく|二千人《にせんにん》の|侍《さむらひ》は|押寄《おしよ》せ|来《き》たり、|銃《じう》を|擬《ぎ》して|威喝《ゐかつ》を|試《こころ》みたり。|素《もと》より|完全《くわんぜん》な|武器《ぶき》を|有《も》つてゐない|民衆《みんしう》は|歯《は》がみを|為《な》しながら、|見《み》す|見《み》す|大棟梁《だいとうりやう》を|奪《うば》はれしまま、|退却《たいきやく》するの|止《や》むを|得《え》ざるに|立至《たちいた》りける。
バランスは|目付頭《めつけがしら》の|前《まへ》に|引出《ひきだ》され、|厳重《げんぢう》なる|訊問《じんもん》を|受《う》けた。バランスは|少《すこ》しも|怯《ひる》む|色《いろ》|無《な》く|滔々《たうたう》として|目付頭《めつけがしら》に|食《く》つて|掛《かか》つた。
|目付頭《めつけがしら》『|其《その》|方《はう》の|姓名《せいめい》は|何《なん》といふか』
バランス『|俺《おれ》の|名《な》はバランスといふ|者《もの》だ。|民衆救護団《みんしうきうごだん》の|大頭目《だいとうもく》だ。|有名《いうめい》なバランスの|面《つら》を|今《いま》まで|知《し》らぬようなウツソリした|事《こと》で、どうして|大目付頭《おほめつけがしら》が|勤《つと》まると|思《おも》ふか、あまり|平等《べうどう》を|欠《か》いだ|強食弱肉《きやうしやくじやくにく》の|現代《げんだい》だから、バランスを|取《と》るためにバランスと|命名《めいめい》したのだ』
|目付頭《めつけがしら》『|其《そ》の|方《はう》は|民衆《みんしう》を|煽《おだ》て|上《あ》げ、|不逞《ふてい》の|徒《と》を|鳩集《きうしふ》し、|市街《しがい》に|火《ひ》を|放《はな》ち、|剰《あまつ》さへあらゆる|悪業《あくげふ》を|敢《あへ》てし、|尚《なほ》|飽《あ》き|足《た》らず|民衆《みんしう》を|煽動《せんどう》するとは|何《なん》の|事《こと》だ。|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|極重悪人《ごくぢうあくにん》は|裁判《さいばん》の|必要《ひつえう》も|無《な》い、|国家《こくか》のため|不愍《ふびん》ながら|銃殺《じうさつ》の|刑《けい》に|処《しよ》するに|仍《よ》つて、|此《この》|世《よ》の|名残《なごり》に|念仏《ねんぶつ》でも|唱《とな》へておくがよからうぞ』
バランスは|女《をんな》に|似合《にあ》はぬ|大胆不敵《だいたんふてき》の|英雄《えいゆう》である、|身動《みうご》きもならぬところまで|縛《しば》られながら、|少《すこ》しも|恐《おそ》るる|色《いろ》なく|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ、
『アハハハハ、|向《む》かふの|見《み》えぬ|盲《めくら》ども、|銃殺《じうさつ》なつと|絞殺《かうさつ》なつと、|出来《でき》るなら|遣《や》つて|見《み》よ。このバランスの|命《いのち》はタラハン|国《こく》|全体《ぜんたい》とつり|代《かへ》の|命《いのち》だ。|数十万《すうじふまん》の|吾《わ》が|部下《ぶか》は|国内《こくない》の|各所《かくしよ》に、バランスが|殺《ころ》されたと|聞《き》くならば|一時《いちじ》に|蜂起《ほうき》するだらう。|汝等《なんぢら》|如《ごと》き|悪目付《あくめつけ》は|能《よ》く|後前《あとさき》の|成行《なりゆき》を|考《かんが》へて|手《て》を|下《くだ》したが|可《よ》からうぞ。|第一《だいいち》|国民《こくみん》の|模範《もはん》たるべきものの|行状《ぎやうじやう》は|何《なん》だ。|向日《むかひ》の|森《もり》の|畔《ほとり》に|住《す》む|茶坊主《ちやばうず》タルチンの|茅屋《ばうをく》に|年《とし》|若《わか》き|女《をんな》を|忍《しの》ばせ、|夜《よ》な|夜《よ》な|労働者《らうどうしや》の|服《ふく》を|着《つ》けて|通《かよ》ひつめ、|恋《こひ》の|奴《やつこ》となつて|脂下《やにさが》つてゐるではないか、かやうな|事《こと》で、|如何《どう》して|世話《せわ》が|完全《くわんぜん》に|出来《でき》るか、|其《その》|方《はう》どもは|呑舟《どんしう》の|魚《うを》には|恐《おそ》れて|近寄《ちかよ》らず、|鮒《ふな》やモロコの|如《ごと》きウロクヅを|漁《あさ》つて|目付力《めつけりよく》が|如何《どう》の、|政治《せいぢ》が|如何《どう》のと、|好《え》え|気《き》に|成《な》つて|国《くに》の|滅亡《めつぼう》を|知《し》らない|馬鹿者《ばかもの》だ』
|目付頭《めつけがしら》『バランス、|何《なん》という|畏《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》を|言《い》ふのか、|人民《じんみん》の|分際《ぶんざい》として、その|行動《かうどう》を|云々《うんぬん》するという|不敵《ふてき》な|事《こと》があるか』
バランス『ハツハハハ、それほどお|邪魔《じやま》に|成《な》りますかな。しからばこの|問題《もんだい》は|御推量《ごすゐりやう》を|願《ねが》つておきませう。よく|茶坊主《ちやばうず》を|呼出《よびだ》してお|査《しら》べなさい。それについても|許《ゆる》し|難《がた》きは|左守《さもり》ガンヂーが|伜《せがれ》アリナと|言《い》ふ|奴《やつ》、|不届至極《ふとどきしごく》にも|茶坊主《ちやばうず》を|取込《とりこ》み、|山出《やまだ》し|女《をんな》との|媒介《ばいかい》を|致《いた》して|居《ゐ》るのみならず、|自分《じぶん》は|殿中《でんちう》に|錦衣《きんい》を|着《つ》け、|偽太将《にせたいしやう》と|成《な》り|代《かは》り、|左守《さもり》|右守《うもり》の|目《め》を|眩《くら》ましてゐるではないか。|大王殿下《だいわうでんか》は|御重病《ごぢうびやう》にて|上下憂鬱《しやうかいううつ》に|沈《しづ》む|折柄《をりから》、|伜《せがれ》たるものは|女《をんな》に|狂《くる》ひ、また|左守《さもり》の|伜《せがれ》は|王位《わうゐ》を|奪《うば》はむとしてゐる|大胆不敵《だいたんふてき》の|曲者《くせもの》、その|他《た》の|大名《だいみやう》どもは|之《これ》を|見《み》ても|推《お》して|知《し》るべしである。このバランスはタラハン|国《こく》|民衆《みんしう》|全部《ぜんぶ》の|代表者《だいへうしや》だ、|決《けつ》して|嘘《うそ》は|言《い》はないぞ、|早速《さつそく》|調《しら》べて|見《み》るが|宜《よ》からう』
この|言葉《ことば》に|目付頭《めつけがしら》も|並《な》みゐる|目付《めつき》|等《ら》も|色《いろ》を|失《うしな》ひ、|太《ふと》き|息《いき》を|漏《も》らして|互《たが》ひに|面《かほ》を|見合《みあは》すのみであつた。またもや|民衆《みんしう》と|目付役《めつけやく》と|闘《たたか》ふ|声《こゑ》、|庭《には》の|近辺《きんぺん》に|喧《やかま》しく|響《ひび》いて|来《き》た。
(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 松村真澄録)
第一〇章 |宗匠財《そうしやうざい》〔一七三四〕
|取締所《とりしまりしよ》を|中心《ちうしん》とし|附近《ふきん》における|民衆《みんしう》と|侍《さむらひ》との|闘争《とうさう》は、|一時《いちじ》|酣《たけなは》となつて|来《き》たが、|民衆《みんしう》の|救主《すくひぬし》、|貧民《ひんみん》の|慈母《じぼ》と|尊敬《そんけい》されてゐる|大頭目《だいとうもく》のバランスを|取返《とりかへ》さむとして、|民衆《みんしう》|一般《いつぱん》は|爺《ぢぢ》も|婆《ばば》も、|脛腰《すねこし》の|立《た》つもの、|猫《ねこ》も|杓子《しやくし》も|刻々《こくこく》に|集《あつ》まり|来《き》たり|其《そ》の|勢《いきほ》ひ|凄《すさま》じく、|目付隊《めつけたい》も|侍《さむらひ》も|如何《いかん》ともすべからず、|遂《つひ》に|大目付頭《おほめつけがしら》も|我《が》を|折《を》つてバランスの|繩《なは》を|解《と》き、|民衆《みんしう》との|妥協《だけふ》を|図《はか》り、かつ|諫言《かんげん》|申上《まをしあ》げる|事《こと》となし、|茶坊主《ちやばうず》を|召喚《せうくわん》して|事《こと》の|実否《じつぴ》を|調査《てうさ》した|上《うへ》、|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナを|民衆《みんしう》の|前《まへ》にて|重刑《ぢうけい》に|処《しよ》す|事《こと》を|誓《ちか》ひ、ここに|漸《やうや》く|大騒動《おほさうどう》も|鎮定《ちんてい》するに|至《いた》つた。
|目付頭《めつけがしら》は|逸早《いちはや》く|部下《ぶか》に|命《めい》じて|茶坊主《ちやばうず》を|拘引《こういん》せしめた。|茶坊主《ちやばうず》が|拘引《こういん》されたのを|見《み》るや、スバール|姫《ひめ》は|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、をりから|労働服姿《らうどうふくすがた》にて|忍《しの》び|来《き》たりし|恋人《こひびと》と|共《とも》に、|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|都《みやこ》を|遠《とほ》く|姿《すがた》を|隠《かく》した。アリナも|亦《また》|形勢《けいせい》の|容易《ようい》ならざるを|覚《さと》り、|忍《シノブ》と|共《とも》に|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|城内《じやうない》を|逸走《いつそう》してしまつた。|茶坊主《ちやばうず》のタルチンは|厳《きび》しく|縛《いまし》められたまま、|大目付頭《おほめつけがしら》の|前《まへ》に|引出《ひきだ》され|訊問《じんもん》を|受《う》けた。
|大目付役《おほめつけやく》『|其《その》|方《はう》の|姓名《せいめい》は|何《なん》と|申《まを》すか』
タルチンは|長《なが》い|禿頭《はげあたま》を|二《ふた》つ|三《み》つ|振《ふ》りながら、やや|腰《こし》をかがめて、
『ハイ、|私《わたし》は|向日《むかひ》の|森《もり》の|傍《かたはら》に|住《す》む|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》タルチンと|申《まを》すものでございます。|何《なん》ぞ|折入《をりい》つた|御用《ごよう》がござりますかな。|罪《つみ》も|無《な》い|私《わたし》をお|役人《やくにん》さまが|突然《とつぜん》|遣《や》つて|来《き》て、こんな|処《ところ》へ|連《つ》れて|来《こ》られる|覚《おぼ》えはござりませぬ。ここは|悪人《あくにん》の|来《く》る|処《ところ》ぢやござりませぬか、|清浄無垢《しやうじやうむく》の|私《わたし》、|神妙《しんめう》に|茶《ちや》の|湯《ゆ》をお|歴々方《れきれきがた》に|伝授《でんじゆ》し|淋《さび》しくおとなしく|余世《よせい》を|送《おく》つてゐるものでございます。それに|三年《さんねん》も|連《つ》れ|添《そ》うてをつた|大切《だいじ》の|大切《だいじ》の|嬶《かか》に|逃《に》げられ、|心配《しんぱい》の|最中《さいちう》、こんな|処《ところ》へ|連《つ》れて|来《こ》られては|一向《いつかう》、|日当《につたう》も|取《と》られず、|誠《まこと》に|貧民《ひんみん》の|私《わたし》、|明日《あす》から|腮櫃《あご》が|上《あが》つて|了《しま》ひますがな。どうか|相当《さうたう》の|日当《につたう》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したいものでござります。そして|罪《つみ》もない|私《わたし》をお|縛《しば》りになりましたのだから、|賠償品《ばいしやうひん》を|頂《いただ》き|度《た》うござります。|冤罪者賠償法《えんざいしやばいしやうはふ》が、|発布《はつぷ》されむとする|今日《こんにち》、どうか、そこは、あんまり|高《たか》い|事《こと》は|申《まを》しませぬから、|私《わたし》の|価値《ねうち》|相当《さうたう》に|御支給《ごしきふ》を|願《ねが》ひたいものでござります』
|大目付《おほめつけ》『|貴様《きさま》は|馬鹿《ばか》だな。お|歴々《れきれき》の|家庭《かてい》に|出入《でいり》し|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|伝授《でんじゆ》でもしようといふ|身《み》でありながら、かやうな|処《ところ》へ|引連《ひきつ》れられて、|左様《さやう》の|請求《せいきう》をすると|言《い》ふ|事《こと》があるものか、エーン』
タルチン『|如何《いか》なる|処《ところ》へ|参《まゐ》りましても、ヤツパリ|日当《につたう》は|請求《せいきう》いたします。|左守《さもり》の|司《かみ》の|邸《やしき》へ|参《まゐ》つても、また|畏多《おそれおほ》くもタラハン|城内《じやうない》の|茶寮《ちやりやう》に|参《まゐ》りましても、|相当《さうたう》のお|手当《てあて》を|頂《いただ》いて|居《を》りますから、たとへ|半時《はんとき》でも、それだけのお|手当《てあて》を|頂《いただ》かなくちや|渡世《とせい》が|出来《でき》ませぬ。お|前《まへ》さまの|様《やう》に|沢山《たくさん》の|子分《こぶん》を|使《つか》つて、|朝《あさ》の|九時《くじ》|頃《ごろ》から|出勤《しゆつきん》して|椅子《いす》にもたれ、|面白《おもしろ》さうに|新聞《しんぶん》を|見《み》ながら|彼是《かれこれ》する|間《うち》に|十二時《じふにじ》が|来《く》る、さうすりや|料理屋弁当《れうりやべんたう》を|取《と》つて|強《した》たかお|食《あが》りなされ、また|一時間《いちじかん》ばかり|食後《しよくご》の|運動《うんどう》だと|言《い》つて|面白《おもしろ》い|処《ところ》を|廻《まは》り、それから|読《よ》み|残《のこ》りの|新聞《しんぶん》を|読《よ》み、|盲判《めくらばん》を|二《ふた》つ|三《み》つポンポンと|押《お》してサツサと|宅《うち》に|帰《かへ》り、|大小名《だいせうみやう》の|待遇《たいぐう》を|受《う》けて|沢山《たくさん》の|月給《げつきふ》を|取《と》るお|方《かた》と|同《おな》じに|見《み》て|貰《もら》つては、チツと|割《わ》りが|悪《わる》うござります。|私《わたし》のやうに|高《たか》い|炭《すみ》を|爐《ろ》にくべ、「ヘーコラ、ハイコラ」とお|辞儀《じぎ》ばかりして、ヤツとの|事《こと》で|糊口《ここう》を|凌《しの》ぐばかりのものと|同日《どうじつ》に|語《かた》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『その|方《はう》は|女房《にようばう》に|逃《に》げられたと|申《まを》したが、その|女房《にようばう》は|何《なん》と|申《まを》すものか』
『ハイ、|私《わたし》の|女房《にようばう》は|思《おも》ひの|外《ほか》の【ドテンバ】でございますが、どうしても|名《な》を|申《まを》しませぬので|袋《ふくろ》と|申《まを》してゐます。その|袋《ふくろ》に|千両《せんりやう》の|金《かね》を|持《も》つて|逃《に》げられ、|私《わたし》は|梟《ふくろ》が|夜食《やしよく》に|外《はづ》れたやうな|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでゐます。|貴方《あなた》も|人民保護《じんみんほご》のお|役《やく》なら|私《わたし》の|女房《にようばう》を|捜《さが》して|下《くだ》さい。そして|女房《にようばう》と|金《かね》とを|取返《とりかへ》してもらひたいものです。|実《じつ》は|保護願《ほごねが》ひをしやうと|思《おも》ひましたが、|何分《なにぶん》|珍客《ちんきやく》さまがおいで|遊《あそ》ばすので|目放《めばな》しが|出来《でき》ず、そこへあの|大火事《おほくわじ》と|来《き》てゐますのでツイ|遅《おく》れてゐました』
『|其《そ》の|方《はう》は、その|日《ひ》|暮《ぐら》しと|申《まを》してゐるが、どうしてその|千両《せんりやう》の|金《かね》を|所持《しよぢ》|致《いた》してをつたのだ』
『これはまた|妙《めう》な|事《こと》を|仰《おほ》せられます。お|金《かね》といふものは|人間《にんげん》の|持《も》つべきものです。|人間《にんげん》が|金《かね》をもつてゐるのが、どこが|不思議《ふしぎ》ですかな』
『|持《も》つてゐるのが|悪《わる》いとは|言《い》はぬ、どうして|拵《こしら》へたかと|言《い》ふのだ』
『これはまた|大目付頭《おほめつけがしら》にも|似合《にあ》はぬお|言葉《ことば》、どうして|拵《こしら》へたかとは|私《わたし》をも|紙幣偽造犯人《しへいぎざうはんにん》とお|思《おも》ひですか。あの|紙幣《しへい》は|兌換《だくわん》だか|不換《ふくわん》だか|知《し》りませぬが、|貴方《あなた》がたが|経営《けいえい》してござる|印刷局《いんさつきよく》から|刷《す》り|出《だ》された|物《もの》ぢやござりませぬか。キューピーさまや|福助《ふくすけ》さまが|付《つ》いてござる|彼《あ》のお|札《さつ》ですよ。|私《わたし》は|紙幣《しへい》を|拵《こしら》へるやうな|器用《きよう》なものではございませぬ。|茶《ちや》の|湯《ゆ》では|十二手前《じふにてまへ》を|本《もと》とし、それから|分《わか》れて|三百十六手前《さんびやくじふろくてまへ》となり、また|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|綱目《かうもく》としては|初段《しよだん》から|七段《しちだん》までの|手前《てまへ》を|存《ぞん》じております。|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|事《こと》なら、いくらでもお|答《こた》へ|致《いた》しますが、|金《かね》を|拵《こしら》へる|事《こと》はチツとも|存《ぞん》じませぬ。これはお|役人《やくにん》さまの、お|眼鏡違《めがねちが》ひでござりませう、オツホン』
『エー、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だな。その|金《かね》を、どうして|儲《まう》けたかと|聞《き》いてゐるのだ』
『これはまた|妙《めう》なお|尋《たづ》ねでござりますな。|私《わたし》は|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|宗匠《そうしやう》が|稼業《かげふ》でござります。|如何《どう》して|儲《まう》けやうと、|商売《しやうばい》の|上《うへ》で、|儲《まう》けたことをお|叱《とが》めを|蒙《かうむ》る|訳《わけ》もあるまいし、|又《また》それを|貴方《あなた》に|説明《せつめい》する|義務《ぎむ》も|無《な》し、また|貴方《あなた》も|人《ひと》の|儲《まう》けた|金《かね》を|彼是《かれこれ》|言《い》ふ|権利《けんり》もござりますまい、そんな|事《こと》は|要《い》らぬお|節介《せつかい》ですよ。|私《わたし》もチヨコチヨコお|前《まへ》さまの|御親類内《ごしんるゐうち》へ|茶《ちや》の|湯《ゆ》で|出入《でい》りをしてゐますが、お|親類《しんるゐ》の|方《かた》の|話《はなし》を|聞《き》けば、|大目付《おほめつけ》さまは|沢山《たくさん》な|賄賂《わいろ》を|取《と》つて|町《まち》の|真中《まんなか》へ|待合《まちあひ》を|許《ゆる》し、|其所《そこ》へ|妾《めかけ》を|抱《かか》へてござるとのこと、この|話《はなし》は|決《けつ》して|違《ちが》ひますまい。|何《なん》と|言《い》つても、あなたの|御親類《ごしんるゐ》、しかも、|貴方《あなた》のお|妹御《いもうとご》の|嫁入先《よめいりさき》で|聴《き》いたのですから』
『こりやこりや、|外聞《ぐわいぶん》の|悪《わる》い、|何《なに》を|言《い》ふのだ。|沢山《たくさん》の|目付《めつけ》が、そこに|聞《き》いてゐるぢやないか。|其《その》|方《はう》は|神法《しんぱふ》を|心得《こころえ》ぬか、「|事《こと》の|有無《うむ》に|拘《かかは》らず、|人《ひと》を|公衆《こうしう》の|前《まへ》にて|誹謗《ひばう》した|者《もの》は|知計法《ちけいはふ》|第八百条《だいはつぴやくでう》にて|刑鉢《けいばつ》に|処《しよ》す」と|書《か》いてある。メツタの|事《こと》をいふものではないぞ』
『ヘツヘヘヘ、|御都合《ごつがふ》が|悪《わる》うござりますかな。チツと|茶《ちや》の|湯《ゆ》|加減《かげん》が|過《す》ぎましたので、|熱《あつ》い|汗《あせ》をかかせました。ハツハハハ』
『お|前《まへ》の|宅《うち》に、エー、|珍客《ちんきやく》が|居《を》られたといふ|事《こと》だが、|本当《ほんたう》か』
『ヘーヘー、|居《を》られましたとも、まだ|現《げん》にゐられるでせう。|畏《おそ》れ|多《おほ》くもスダルマン|様《さま》が、|元《もと》の|左守《さもり》の|娘子《むすめご》スバール|姫《ひめ》といふ、それはそれは|天女《てんによ》のやうな|美人《びじん》をかくまつてくれと|言《い》ふ|事《こと》で、|夜《よ》な|夜《よ》なお|通《かよ》ひでござります。|本当《ほんたう》に|素敵《すてき》な|美人《びじん》ですよ。|何《なん》と|言《い》つてもスダルマン|様《さま》の|御身《おんみ》、|御意見《ごいけん》|申《まを》すも|恐《おそ》れ|多《おほ》いと|謹《つつし》んで|御意《ぎよい》に|応《おう》じました。|何分《なにぶん》|取締所《とりしまりしよ》あたりから|御褒美《ごはうび》でも|頂《いただ》けさうなものと、|首《くび》を|長《なが》うして|待《ま》つてをりますよ。|妙法様《スダルマさま》のお|心《こころ》を|慰《なぐさ》め|奉《まつ》り、|無上《むじやう》の|歓喜《くわんき》をお|与《あた》へ|申《まを》した|此《こ》のタルチンは、|正《まさ》に|勲一等《くんいつとう》|功一級《こういつきふ》の|価値《かち》は|確《たし》かにあるでせう。|夫《それ》にも|拘《かかわ》らず、タラハン|国《こく》において|雷名《らいめい》|隠《かく》れなき|最大権力者《さいだいけんりよくしや》、|左守《さもり》のガンヂー|様《さま》の|一人息子《ひとりむすこ》アリナの|君様《きみさま》に|頼《たの》まれて、|未来《みらい》のお|妃様《ひーさま》のスバール|嬢様《ぢやうさま》に、お|茶《ちや》の|手前《てまへ》を|伝授《でんじゆ》|申《まを》し|上《あ》げてゐるのです。|何程《なにほど》|偉《えら》さうに|申《まを》してもお|前《まへ》さまとしては、|妙法様《スダルマさま》を|直接《ちよくせつ》にお|世話《せわ》したり、お|妃《ひー》さまに|尊《たふと》い|茶道《さだう》を|伝授《でんじゆ》するといふ|事《こと》は|出来《でき》ますまい。マアそんな|小難《こむつか》しい|顔《かほ》せずにお|考《かんが》へなさいませ。|今《いま》に|妙法様《スダルマさま》が、|大王《だいわう》の|跡《あと》を|継《つ》がれましたならば、|私《わたし》は|大王様《だいわうさま》のお|師匠様《ししやうさま》と|成《な》つて、|殿内《でんない》|深《ふか》く、すまし|込《こ》み、|殿下《でんか》の|耳《みみ》を|嗅《か》ぐ|役《やく》に|抜擢《ばつてき》されますよ。それだから、お|前《まへ》さまも|出世《しゆつせ》が|仕度《した》くば|今《いま》の|中《うち》、このタルチンを|十分《じふぶん》|待遇《たいぐう》して|置《お》きなさい。|葡萄酒《ぶどうしゆ》の|一打《いちダース》ぐらゐ|贈《おく》つても|可《よ》し、|金平糖《こんぺいとう》の|一斤《いつきん》ぐらゐはチヨイチヨイ|贈《おく》つて|下《くだ》さい。|此方《こちら》も|茶菓子《ちやぐわし》の|足《た》しにもなり、|誠《まこと》に|好都合《かうつがふ》だ。お|前《まへ》さまも、|私《わたし》に|取《と》り|入《い》るのは|今《いま》の|中《うち》ですよ、オツホン』
と|豪然《がうぜん》としてすまし|込《こ》んでゐる。
『オイ、ハルヤ、タルチンの|繩目《なはめ》を|解《と》いて|遣《や》れ』
『ハイ、|承知《しようち》いたしました』
タルチン『イヤ、ならぬならぬ、この|繩目《なはめ》は|此《こ》の|儘《まま》にして|置《お》いてくれ。|妙法様《スダルマさま》に、お|前等《まへら》が|寄《よ》つて|集《たか》つて、こんな|目《め》に|会《あ》はしやがつたと|言《い》つて、|具《つぶ》さに|言上《ごんじやう》してやる。さうすると、きつとタルチンの|贔屓《ひいき》をなさつて、お|前等《まへら》は|直《す》ぐさま|免職《めんしよく》だ。お|気《き》の|毒様《どくさま》の|事《こと》だ、ぐづぐづしてゐると|大目付頭様《おほめつけがしらさま》に|飛火《とびひ》が|致《いた》しますよ。この|繩《なわ》が|解《と》かし|度《た》ければ、|解《と》かして|遣《や》らう。|幾等《いくら》|機密費《きみつひ》を|出《だ》しますかな』
|大目付《おほめつけ》『アツハハハハハ|此奴《こいつ》ア、どうも、キ|印《じるし》だ。キ|印《じるし》を|捉《つか》まへて|法律《はふりつ》で|罰《ばつ》する|事《こと》は|出来《でき》ぬ。|身心喪失者《しんしんそうしつしや》と|認《みと》める。オイ、タルチン、|唯今《ただいま》より|放免《はうめん》する、|有難《ありがた》う|思《おも》へ』
『ヘン、さう、うまくは|問屋《とひや》が|卸《おろ》しませぬよ。|妙法様《スダルマさま》の|御覚《おんおぼ》え|目出《めで》たき|寵臣《ちようしん》を|縛《しば》り|上《あ》げながら、|放免《はうめん》も|糞《くそ》もあつたものか、チツとお|前《まへ》さまの|遣《や》り|方《かた》は|方面《はうめん》が|間違《まちが》つてゐるぢや|無《な》いか。いつかないつかな|此処《ここ》を|立退《たちの》いてなるものか。|今《いま》に|妙法様《スダルマさま》がタルチンの|所在《ありか》を|尋《たづ》ねて、|最新調《さいしんてう》の|自動車《じどうしや》をもつて|迎《むか》へに|来《こ》られるに|違《ちが》ひない。それまでは|誰《たれ》が|何《なん》と|言《い》つても、|此処《ここ》は|一寸《ちよつと》も|動《うご》きませぬぞ』
『アア|困《こま》つたものを|引張《ひつぱ》つて|来《き》たものだな。オイ、ハルヤ、とも|角《かく》、この|狂人《きちがひ》の|繩《なは》を|解《と》き、|彼《かれ》が|館《やかた》に|送《おく》つて|遣《や》れ。さうして|妙法様《スダルマさま》が|御在宿《ございしゆく》かいなかと|言《い》ふ|事《こと》を、よく|調《しら》べて|来《く》るのだぞ。|必《かなら》ず|不都合《ふつがふ》の|無《な》いやうに|気《き》を|注《つ》けて|行《ゆ》け』
と|言《い》ひながら|大目付《おほめつけ》は|懐《ふところ》から|時計《とけい》を|出《だ》して、
『ヤア、もう|退出時間《たいしゆつじかん》だ』
と|言《い》ひながら|逃《に》ぐるが|如《ごと》く、ドアを|開《あ》けて|妾宅《せふたく》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
タルチンは、|大声《おほごゑ》を|張上《はりあ》げながら、
『コリヤ、|大目付《おほめつけ》の|奴《やつ》、|逃《に》げるといふ|事《こと》があるか。|待《ま》て、|貴様《きさま》に|一《ひと》つ|灸《きう》を|据《す》ゑてやる|事《こと》がある。|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かずに|逃《に》げて|行《ゆ》けば、|明日《あす》から|免職《めんしよく》だぞ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》ててゐる。
|漸《やうや》くにして|数多《あまた》の|目付《めつけ》が|持《も》て|余《あま》しもののタルチンをいろいろと|納得《なつとく》させ、|葡萄酒《ぶだうしゆ》や|菓子《くわし》|等《など》を|与《あた》へて|機嫌《きげん》をとり、ヤツとの|事《こと》で|彼《かれ》の|家《いへ》に|送《おく》り|届《とど》ける|事《こと》となつた。
タルチンは|目付連《めつけれん》に|護送《ごそう》されながら|吾《わ》が|家《や》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く|道々《みちみち》、|葡萄酒《ぶだうしゆ》の|酔《よひ》がまはつて、|謡《うた》ひ|出《だ》した。
『アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い この|世《よ》の|中《なか》は|何《なん》として
|馬鹿《ばか》に|面白《おもしろ》うなつたのか |妙法《スダルマ》の|君《きみ》は|吾《わ》が|家《いへ》に
タラハン|城《じやう》と|間違《まちが》へて |妃《きさい》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|意茶付《いちやつ》いて |涎《よだれ》を|垂《た》らしてお|在《は》します
それに|左守《さもり》のガンヂーの |伜《せがれ》のアリナがチヨコチヨコと
|横目《よこめ》を|使《つか》つて|遣《や》つて|来《く》る さう|斯《か》うする|中《うち》タラハンの
|町《まち》に|響《ひび》いた|鐘《かね》の|音《おと》 |窓《まど》|押《お》し|開《あ》けて|眺《なが》めむれば
ドンドンドンと|町中《まちなか》の |民家《みんか》は|燃《も》える|人《ひと》は|泣《な》く
|瞬《またた》く|間《うち》にタラハンの |街《まち》の|半《なかば》は|黒土《くろつち》と
なつて|了《しま》つた|気《き》の|毒《どく》さ |今《いま》まで|贅沢三昧《ぜいたくざんまい》を
|尽《つく》してゐよつた|富者等《ふうしやら》の |今日《けふ》の|惨《みじ》めの|態《さま》|見《み》れば
ホンに|愉快《ゆくわい》な|世《よ》の|中《なか》だ |大目付頭《おほめつけがしら》と|言《い》ふ|奴《やつ》は
|俺《おれ》を|態々《わざわざ》|引張《ひつぱ》つて |下《くだ》らぬ|事《こと》を|尋《たづ》ね|上《あ》げ
|理窟《りくつ》に|負《ま》けて|泡《あわ》を|吹《ふ》き |屁古垂《へこた》れよつてブルブルと
|菎蒻《こんにやく》のやうに|慄《ふる》ひ|出《だ》し |懐中時計《くわいちうどけい》を|取出《とりだ》して
もはや|退出時間《たいしゆつじかん》だと うまい|辞令《じれい》を|浴《あ》びせかけ
コソコソコソと|逃《に》げよつた こんながらくた|役人《やくにん》が
|都大路《みやこおほぢ》の|真中《まんなか》に |頑張《ぐわんば》つて|居《ゐ》るやうな|世《よ》の|中《なか》は
|如何《どう》して|吾々《われわれ》|人民《じんみん》が |枕《まくら》を|高《たか》く|寝《ね》られよか
さはさりながら|是《これ》も|皆《みな》 |大神様《おほかみさま》の|仕組《しぐみ》だろ
|零落《おちぶ》れ|果《は》てた|俺《わし》さへも |妙法《スダルマ》の|君《きみ》のお|見出《みだ》しに
|預《あづ》かりよつて|姫様《ひめさま》の お|手《て》をとつての|指南役《しなんやく》
|茶《ちや》の|湯《ゆ》のお|蔭《かげ》でこの|俺《おれ》も |薬鑵頭《やくわんあたま》が|霑《うるほ》うた
エヘヘヘエツヘエヘヘヘヘ さつてもさても|世《よ》の|中《なか》は
|人間万事一切《にんげんばんじいつさい》は |皆《みな》|塞翁《さいをう》の|馬《うま》の|糞《くそ》
|糞《くそ》でも|喰《くら》へ|大目付《おほめつけ》よ |俺《わし》がもうツイ|出世《しゆつせ》して
|貴様《きさま》の|頭《あたま》を|抑《おさ》へたろか エヘヘヘエツヘエヘヘヘヘ
お|嬶《かか》の|袋《ふくろ》は|逸早《いちはや》く |俺《おれ》を|見捨《みす》てて|逃《に》げよつた
これも|矢張《やつぱ》り|神様《かみさま》の |俺《おれ》を|助《たす》ける|思召《おぼしめ》し
お|尻《けつ》の|大《おほ》きい|嬶《かか》|貰《もら》へや |向《む》かふの|方《はう》から|逃《に》げ|出《だ》して
|行《い》つて|了《しま》つたその|訳《わけ》は |後《あと》の|悶錯《もんさく》なきやうと
ウラルの|神《かみ》のお|計《はか》らひ |天女《てんによ》のやうな|妻《つま》を|持《も》ち
|結構《けつこう》に|結構《けつこう》に|世《よ》の|中《なか》を |面白《おもしろ》|可笑《をか》しう|暮《くら》すため
これほどボロイ|事《こと》はない エヘヘヘエツヘ|葡萄酒《ぶだうしゆ》に
|酔《よ》た|酔《よ》た|酔《よ》た|酔《よ》たよた|助《すけ》の |呉《く》れた|酒《さけ》でも|味《あぢ》がある
ほんに|浮世《うきよ》はかうしたものか |三分五厘《さんぶごりん》に|茶化《ちやくわ》して|通《とほ》る
|茶《ちや》の|湯《ゆ》の|師匠《ししやう》のタルチンは |天下《てんか》に|無比《むひ》の|幸福者《しあわせもの》だ
|向《む》かふに|見《み》えるは|吾《わ》が|住《す》める |館《やかた》の|側《そば》の|向日《むかひ》の|森《もり》だ
オイオイ|皆《みな》の|御連中《ごれんちう》 |少時《しばらく》|待《ま》つてゐるがよい
|俺《おれ》が|出世《しゆつせ》の|暁《あかつき》は キツと|引立《ひきた》ててやるほどに
|必《かなら》ず|必《かなら》ず|世《よ》の|中《なか》を |悲観《ひくわん》なさるな|善《よ》い|後《あと》は
|必《かなら》ず|悪《わる》い|悪《わる》いあとは |必《かなら》ず|善《よ》い|芽《め》が|吹《ふ》くものだ
エヘヘヘエツヘエヘヘヘヘ
これこれ|皆《みな》の|衆《しう》、|御苦労《ごくらう》でござつた。もうこれから|去《い》んで|下《くだ》さい』
(大正一四・一・六 新一・二九 北村隆光録)
第一一章 |宮山嵐《みややまあらし》〔一七三五〕
タラハン|城《じやう》より|正南《まみなみ》に|当《あた》つて|三千《さんぜん》メートルばかりの|地点《ちてん》に、|千年《せんねん》の|老木《らうぼく》|鬱蒼《うつさう》として|生《は》え|茂《しげ》る|風景《ふうけい》のよき|小高《こだか》き|独立《どくりつ》したる|山《やま》がある。これを|国人《くにびと》はタラハンの|大宮山《おほみややま》と|称《とな》へてゐる。|山《やま》の|周《まは》りに|深《ふか》い|池《いけ》が|廻《めぐ》つてゐて|碧潭《へきたん》を|湛《たた》えてゐる。この|山《やま》にはウラル|教《けう》の|祖神《そしん》|盤古神王《ばんこしんわう》が|宮柱太敷建《みやばしらふとしきた》て、|開闢《かいびやく》の|昔《むかし》より|鎮祭《ちんさい》され、タラハン|王家《わうけ》の|氏神《うぢがみ》として|王家《わうけ》の|尊敬《そんけい》|最《もつと》も|深《ふか》く、|市民《しみん》は|此地《ここ》を|唯一《ただひとつ》の|遊園地《いうゑんち》として|公園《こうゑん》の|如《ごと》くに|取《と》り|扱《あつ》かつてゐた。|八日《やうか》の|月《つき》は|楕円形《だゑんけい》の|姿《すがた》を|現《あら》はして|宮山《みややま》の|空《そら》|高《たか》く|輝《かがや》いてゐる。|幾百《いくひやく》とも|知《し》れぬ|時鳥《ほととぎす》の|鳴《な》き|声《ごゑ》は|何《なん》ともいへぬ|雅趣《がしゆ》を|帯《お》び、|文人墨客《ぶんじんぼくきやく》の|夜《よ》な|夜《よ》な|杖《つゑ》を|曳《ひ》くもの|引《ひ》きも|切《き》らない|有様《ありさま》である。しかるにタラハン|市《し》の|大火災《だいくわさい》が|起《おこ》つてからは|時鳥《ほととぎす》を|聞《き》きに|行《ゆ》くやうな|閑人《かんじん》もなく、|又《また》あつたところが|世間《せけん》を|憚《はば》かつて|足《あし》を|踏《ふ》み|込《こ》む|者《もの》も|無《な》かつた。|左守《さもり》ガンヂーの|伜《せがれ》アリナは|取締所《とりしまりしよ》の|捜索隊《さうさくたい》を|避《さ》けて、|盤古神王《ばんこしんわう》を|祭《まつ》りたる|古《ふる》き|社殿《しやでん》の|中《なか》に|身《み》を|忍《しの》び|時《とき》の|至《いた》るを|待《ま》つてゐた。|民衆救護団《みんしうきうごだん》の|団員《だんゐん》として|聞《き》こえたるハンダ、ベルツの|両人《りやうにん》は、|目付《めつけ》の|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けて|社《やしろ》の|階段《かいだん》の|中程《なかほど》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、ヒソビソと|囁《ささや》いてゐる。
ハンダ『オイ、ベルツ、|惜《を》しい|事《こと》をしたぢやないか。もすこし|目付連《めつけれん》の|出動《しゆつどう》が|遅《おそ》ければ、|右守《うもり》の|館《やかた》も|遣《や》つ|付《つ》けて|仕舞《しま》ふのだつたのに、|取返《とりかへ》しの|付《つ》かぬ|事《こと》を|遣《や》つてしまつたぢやないか。あの|際《さい》に|遣《や》り|損《そこ》ねたものだから|目付《めつけ》の|奴《やつ》、|四方《しはう》|八方《はつぱう》にスパイを|廻《まは》し、|危《あぶ》なくつて|手《て》も|足《あし》も|此《この》|頃《ごろ》は|出《だ》す|事《こと》が|出来《でき》ない。|何《なん》とかして|彼奴《きやつ》を|片付《かたづ》けねば、|到底《たうてい》|吾等《われら》の|目的《もくてき》は|達《たつ》せられないだらうよ』
ベルツ『|今《いま》となつて|死《し》んだ|子《こ》の|年《とし》を|数《かぞ》えるやうに|愚痴《ぐち》つて|見《み》たところで|仕《し》やうがないぢやないか。まアまア|時節《じせつ》を|待《ま》つのだなア。しかしながら|惜《を》しい|事《こと》には|左守《さもり》のガンヂーを|取逃《とりにが》したのが|残念《ざんねん》だ。あの|夜《よ》さ、|彼奴《あいつ》は|玉《たま》の|原《はら》の|別荘《べつさう》に|居《ゐ》やがつたので、|死損《しにぞこな》ひの|命《いのち》を|助《たす》かりやがつたのだ。もちつと|彼奴《あいつ》の|居処《きよしよ》を|調《しら》べてから|遣《や》つたら|宜《よ》かつたのだけれどもなア』
『|何《なに》、あんな|老耄爺《おいぼれおやぢ》、|放《ほ》つておいても、もうここ|三年《さんねん》と|寿命《じゆみやう》はあるまい。|手《て》を|下《くだ》さずに|敵《てき》を|亡《ほろ》ぼさうと|儘《まま》だ、|放《ほ》つとけば|自然《しぜん》|死《し》ぬる|代物《しろもの》だ』
『|俺《おれ》だつて|年《とし》が|寄《よ》つたら|死《し》ぬるぢやないか。これだけ|国民《こくみん》の|苦《くる》しむで|居《ゐ》る|世《よ》の|中《なか》に、あんな|奴《やつ》を|一日《いちにち》でも|生《い》かして|置《お》けば|一日《いちにち》だけでも|国家《こくか》の|損害《そんがい》だ、|彼奴《きやつ》が、|一日《いちにち》|早《はや》く|死《し》ねば、|少《すく》なくとも|千人《せんにん》ぐらゐの|人《ひと》が|助《たす》かるのだ。|彼奴《あいつ》が|十日《とをか》|此《この》|世《よ》に|居《ゐ》れば|万人《まんにん》の|人《ひと》が|饑餓《かつゑ》て|死《し》ぬる|勘定《かんぢやう》だ。それだから|俺《おれ》は「|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》ならぬ」と|主張《しゆちやう》したのだが、|大体《だいたい》|貴様《きさま》のやり|方《かた》が|緩漫《くわんまん》だから|蜂《はち》の|巣《す》を|突《つ》いたやうな|事《こと》をやつてしまつて、|二進《につち》も|三進《さつち》も|仕《し》やうのないやうな|事《こと》になつてしまつたぢやないか。|大頭目《だいとうもく》のバランス|女史《ぢよし》は|取締所《とりしまりしよ》へ|引《ひ》かれるという|有様《ありさま》、まづ|吾々《われわれ》の|計画《けいくわく》が|甘《うま》く|図《づ》に|当《あた》つて|漸《やうや》く|取返《とりかへ》しはしたものの、その|後《ご》といふものは|七八人《しちはちにん》のスパイが|尾行《びかう》してゐるから、|何《なに》ほど|英雄豪傑《えいゆうがうけつ》のバランス|親分《おやぶん》だつて、|手《て》の|出《だ》しやうがないぢやないか』
『まアさう|慌《あわ》てるものぢやない。|親分《おやぶん》はああして|尾行付《びかうつ》きとしておけば、|取締所《とりしまりしよ》の|奴《やつ》は|凡暗《ぼんくら》だから、|安心《あんしん》して|段々《だんだん》と|目配線《めはいせん》を|緩《ゆる》めるに|相違《さうゐ》ない。その|時《とき》はバランス|親分《おやぶん》になり|代《かは》り、|俺《おれ》とお|前《まへ》が|国内《こくない》の|団員《だんゐん》を|煽動《せんどう》して、|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|計画《けいくわく》の|下《もと》にクーデターを|決行《けつかう》しようぢやないか。|今日《けふ》のやうにスパイが|迂路《うろ》つき|圧迫《あつぱく》を|受《う》けてゐては、|如何《いか》に|智謀絶倫《ちぼうぜつりん》の|俺《おれ》だと|言《い》つても|手《て》の|着《つ》けやうが|無《な》い。まアまア|時節《じせつ》を|待《ま》つ|事《こと》だなア』
『|左守《さもり》|右守《うもり》を|取《と》り|逃《にが》したのは|残念《ざんねん》だが、しかしあの|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナという|奴《やつ》は、|今《いま》はああして|居《ゐ》るけれど、|実際《じつさい》は|吾等《われら》の|味方《みかた》だよ。|今度《こんど》|事《こと》を|挙《あ》げても|彼奴《きやつ》ばかり、|助《たす》けねばなるまい』
『ウンさうかも|知《し》れない。このごろは|大目付《おほめつけ》に|憎《にく》まれて|何処《どこ》かへ|逃《に》げたといふ|事《こと》だ。|鳶《とび》が|鷹《たか》を|生《う》むといふ|譬《たとへ》があるが、|本当《ほんたう》に|彼《あ》のアリナと|言《い》ふ|奴《やつ》は、|吾々《われわれ》に|取《と》つては|頼母《たのも》しい|人物《じんぶつ》かも|知《し》れない。この|間《あひだ》からサクレンスの|屋敷《やしき》を|四五人《しごにん》の|部下《ぶか》に|交《かは》る|交《がは》る|窺《うかが》はしてゐるが、あの|大火災《だいくわさい》|以来《いらい》|警戒《けいかい》が|厳《げん》になり、|屋敷《やしき》の|周囲《ぐるり》には|数十人《すうじふにん》の|目付《めつけ》をもつて|固《かた》め、|外出《ぐわいしゆつ》の|時《とき》には|侍《さむらひ》に|鉄砲《てつぱう》を|担《かつ》がせて|登城《とじやう》するといふ|厳重《げんぢう》の|目配振《めはいぶ》りだから、マア|暫《しばら》くの|間《あひだ》は|彼奴《きやつ》の|命《いのち》も|預《あづ》かつておくより|仕方《しかた》がないワ』
『|左守《さもり》の|伜《せがれ》、アリナは|何処《どこ》かへ|逃《に》げたといふ|事《こと》だが、|噂《うはさ》に|聞《き》けば|妙法様《スダルマさま》もまた|行方《ゆくへ》が|不明《ふめい》だといふ|事《こと》ぢやないか、|彼《あ》の|太子《たいし》もよほど|新《あたら》しい|思想《しさう》を|持《も》つてゐるらしい。あのアリナを|唯一《ゆゐいつ》の|寵臣《ちようしん》として|使《つか》つてゐた|事《こと》を|思《おも》へば、カラピン|大王《だいわう》のやうな|没分暁漢《わからずや》ではあるまい。|俺《おれ》|達《たち》は|別《べつ》に|妙法様《スダルマさま》が|世《よ》に|出《で》て|立派《りつぱ》な|政治《せいぢ》をさへして|下《くだ》されば、どこまでも|喜《よろこ》んで|従《したが》ふのだ。|唯《ただ》|憎《にく》らしいのは|君側《くんそく》を|汚《けが》す|右守《うもり》、|左守《さもり》、その|他《た》の|重臣《ぢうしん》|共《ども》だ。そして|第一《だいいち》|気《き》に|喰《く》はないのは|大小名《だいせうみやう》や|物持《ものも》ちの|奴等《やつら》だ。これだけ|民衆《みんしう》の|声《こゑ》が|彼奴等《きやつら》の|奴聾《どつんぼ》の|耳《みみ》には|通《とほ》ら|無《な》いのだから、むしろ|憐《あはれ》むべき|代物《しろもの》だ。|地雷火《ぢらいくわ》の|伏《ふ》せて|有《あ》る|上《うへ》に|安閑《あんかん》として|睡《ねむ》つてゐる|代物《しろもの》だよ』
『オイ、ベルツ、|何《なん》だか|階段《かいだん》を|登《のぼ》つて|来《く》る|影《かげ》が|見《み》えるぢやないか』
『なるほど、あの|提灯《ちやうちん》は|左守家《さもりけ》の|印《しるし》が|這入《はい》つてゐる。|左守《さもり》の|奴《やつ》、|沢山《たくさん》の|守侍《もりざむらひ》を|連《つ》れて|遣《や》つて|来《き》たのだ。どうやら|俺《おれ》|達《たち》を|取《と》り|押《おさ》へに|来《き》たらしいよ。オイ、|油断《ゆだん》は|大敵《たいてき》だ、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
と|言《い》ひながら|二人《ふたり》は|階段《かいだん》を|上《のぼ》り|社殿《しやでん》の|後《うし》ろへ|廻《まは》り、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|下樹《したき》の|生《お》ひ|茂《しげ》つた|森《もり》の|中《なか》を|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ、|茨《いばら》にひつかかれ|顔《かほ》と|手《て》とを|傷《きず》つけながら|森《もり》を|潜《くぐ》り、|宮山《みややま》の|南麓《なんろく》の|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》つて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|並山《なみやま》の|方面《はうめん》さして|逃《に》げて|行《ゆ》く。|左守《さもり》のガンヂーは|太《ふと》い|杖《つゑ》を|突《つ》きながら|漸《やうや》く|階段《かいだん》を|昇《のぼ》り|来《き》たり、|二十人《にじふにん》の|護衛兵《ごゑいへい》に|四方《しはう》を|取《と》り|巻《ま》かせ|祠《ほこら》の|前《まへ》に|坐《すわ》り|込《こ》み、|拍手《はくしゆ》の|音《おと》も|静《しづ》かに|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めはじめた。
『|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き|大宮山《おほみややま》の|上《うは》つ|岩根《いはね》に|宮柱太敷《みやばしらふとし》き|立《た》てて|永久《とことは》に|鎮《しづ》まります|盤古神王《ばんこしんわう》|塩長彦命《しほながひこのみこと》の|大前《おほまへ》に、タラハン|城《じやう》の|柱石《ちうせき》と|仕《つか》へまつる|左守《さもり》の|司《かみ》ガンヂー|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|祈《いの》り|奉《たてまつ》ります。|如何《いか》なる|曲神《まがかみ》の|曲禍《まがわざはひ》にや、カラピン|王様《わうさま》は|思《おも》ひがけない|重病《ぢうびやう》に|罹《かか》らせたまひ、お|命《いのち》の|程《ほど》も|計《はか》られず、お|蔭様《かげさま》によつて|殆《ほと》んど|御臨終《ごりんじう》かと|大小名《だいせうみやう》|一同《いちどう》が|憂《うれ》ひに|沈《しづ》みましたが、|漸《やうや》く|此《この》|頃《ごろ》は|少《すこ》しくお|快《こころ》よき|方《はう》にならせられましたなれど、|何《なに》を|言《い》つても|御老体《ごらうたい》、|到底《たうてい》このままでは|平年《へいねん》の|御寿命《ごじゆみやう》も|難《むつかし》からうと|存《ぞん》じます。|今《いま》やタラハン|国《ごく》は、|各地《かくち》に|暴動《ばうどう》|起《おこ》り|国家《こくか》の|危急《ききう》|目前《もくぜん》に|迫《せま》りをります|際《さい》、|国《くに》の|要《かなめ》のカラピン|王《わう》|殿下《でんか》が|万一《まんいち》|御昇天《ごしやうてん》でも|遊《あそ》ばすやうな|事《こと》がございましては、|吾々《われわれ》|大名《だいみやう》を|初《はじ》め|国民《こくみん》の|歎《なげ》きは|如何《いか》ばかりか|計《はか》り|知《し》られませぬ、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|大王殿下《だいわうでんか》の|御病気《ごびやうき》が|大神様《おほかみさま》の|御神徳《ごしんとく》に|依《よ》りまして、|一日《いちにち》も|早《はや》く|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばしますやう、ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》ります。|次《つぎ》には|妙法太子様《スダルマンたいしさま》、|先日《せんじつ》の|火災《くわさい》の|有《あ》りし|日《ひ》より、|踪跡《そうせき》を|晦《くら》まし|給《たま》ひ、|今《いま》にお|行方《ゆくへ》も|分明《ぶんめい》ならず、|大名《だいみやう》|共《ども》は|日夜《にちや》|殿内《でんない》に|集《あつ》まり|種々《しゆじゆ》と|協議《けふぎ》を|為《な》し、|目付連《めつけれん》を|四方《よも》に|派遣《はけん》し|捜索《そうさく》に|勤《つと》めてをりますが、|今《いま》に|何《なん》の|頼《たよ》りもございませぬ。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|一日《いちにち》も|早《はや》く|太子《たいし》のお|行方《ゆくへ》が|分《わか》りまして|城内《じやうない》へお|迎《むか》へ|申《まを》す|事《こと》が|出来《でき》ますやうに、お|祈《いの》り|申《まを》します。|不幸《ふかう》にして|大王殿下《だいわうでんか》が|御昇天《ごしようてん》|遊《あそ》ばすやうな|事《こと》がございましたら、|直《すぐ》さま|王位《わうゐ》を|継承《けいしやう》|遊《あそ》ばさねばならぬ|太子様《たいしさま》のお|行方《ゆくへ》が|知《し》れぬやうな|事《こと》では、この|乱《みだ》れたる|国家《こくか》を|治《をさ》める|事《こと》は|到底《たうてい》|不可能《ふかのう》でございます。どうぞ|太子様《たいしさま》が|御無事《ごぶじ》でいらせられまして、|一時《いちじ》も|早《はや》く|城内《じやうない》へお|帰《かへ》り|下《くだ》さいますやう、|大神様《おほかみさま》の|御守護《ごしゆご》を|祈《いの》り|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります。また|私《わたくし》の|伜《せがれ》アリナと|申《まを》すもの、|去《さ》る|五日《いつか》の|火災《くわさい》の|夜《よる》より|行方不明《ゆくへふめい》となりましてございますれば、|是《これ》も|恐《おそ》れながら|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|参《まゐ》りますやう、さうして|彼《かれ》は|太子様《たいしさま》を|唆《そそのか》し|種々《いろいろ》の|好《よ》からぬ|知恵《ちゑ》をつけましたものでございますから、|彼《かれ》を|一時《いちじ》も|早《はや》く|捕縛《ほばく》いたしまして、|民衆《みんしう》の|前《まへ》で|重《おも》き|刑《けい》に|処《しよ》さねば、|何時《いつ》までもこの|国《くに》は|治《をさ》まりませぬ。|盤古神王様《ばんこしんわうさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》この|老臣《らうしん》が|願《ねが》ひをお|聞《き》き|下《くだ》さいますやう、|王家《わうけ》のため|国家《こくか》のため|赤心《まごころ》を|捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》ります』
アリナは|社《やしろ》の|中《なか》に|身《み》を|潜《ひそ》めながら、|父《ちち》ガンヂーの|祈願《きぐわん》を|残《のこ》らず|聞《き》き|終《をは》り、
『や、こいつは|大変《たいへん》だ。|爺《おやぢ》までがグルになつて|俺《おれ》を|探《さが》し|出《だ》し|民衆《みんしう》の|前《まへ》で|殺《ころ》すつもりだな。よし|一人《ひとり》より|無《な》い|子《こ》を|殺《ころ》さうといふ|鬼心《おにごころ》なら、|此方《こつち》も|此方《こつち》だ。|父《ちち》|父《ちち》たらずんば|子《こ》|子《こ》たらずとは|聖者《せいじや》の|金言《きんげん》、よし|一《ひと》つ|神様《かみさま》の|仮声《こはいろ》を|使《つか》つて、|爺《おやぢ》の|肝玉《きもだま》を|挫《くじ》いてくれむ』
と|独《ひと》りうなづきながら、|社殿《しやでん》も【はじける】ばかりの|唸《うな》り|声《ごゑ》を|出《だ》し、|臍下丹田《せいかたんでん》に|息《いき》を|詰《つ》めて、
『ウーウー』
と|唸《うな》り|出《だ》した。|左守《さもり》のガンヂーを|初《はじ》め|守侍《もりざむらひ》どもは|殿内《でんない》の|唸《うな》り|声《ごゑ》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|体《からだ》を|慄《ふる》はせながら|大地《だいち》に|蹲踞《うづく》まつてしまつた。
アリナ『|此《この》|方《はう》は|大宮山《おほみややま》に|斎《いつ》き|祭《まつ》れる|盤古神王《ばんこしんわう》|塩長彦大神《しほながひこのおほかみ》の|一《いち》の|眷族《けんぞく》|天真坊《てんしんばう》でござるぞよ。|汝《なんぢ》ガンヂーとやら、その|方《はう》は|不届《ふとど》き|至極《しごく》にも|十年《じふねん》の|昔《むかし》モンドル|姫《ひめ》を|唆《そその》かし|悪逆無道《あくぎやくぶだう》を|敢行《かんかう》せしめ、カラピン|王《わう》の|精神《せいしん》までも|狂《くる》はせ、|無二《むに》の|忠臣《ちうしん》|左守《さもり》のシャカンナを|城内《じやうない》より|追《お》ひ|出《だ》し、|己《おのれ》とつて|代《かは》つて|左守《さもり》となり、|国民《こくみん》を|苦《くる》しめ|国家《こくか》を|乱《みだ》せし|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|張本人《ちやうほんにん》だ。|去《さ》る|五日《いつか》の|城内《じやうない》の|大騒動《おほさうどう》も|元《もと》を|糺《ただ》せば|汝《なんぢ》がため。なぜ|責任《せきにん》を|悟《さと》つて|自殺《じさつ》を|遂《と》げ、|王家《わうけ》および|国民《こくみん》にその|罪《つみ》を|謝《しや》さないのか、|不届《ふとど》き|至極《しごく》の|痴漢《しれもの》|奴《め》。その|皺腹《しわばら》を|掻《か》き|切《き》るくらゐが|惜《を》しいのか、いや|命《いのち》が|惜《を》しいのか。|痛《いた》さに|怯《おび》えてよう|切《き》らないのか。てもさてもいい|腰抜野郎《こしぬけやらう》だなア』
ガンヂーは|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》しながら、
『いやもう|恐《おそ》れ|入《い》つてございます。|老先《おいさき》|短《みじか》き|吾《わ》が|命《いのち》、|決《けつ》して|惜《を》しみは|致《いた》しませぬが、いま|此《この》|際《さい》|私《わたくし》が|目《め》を|眠《つむ》りますればタラハン|国《ごく》は|瞬《またた》く|間《うち》に|滅亡《めつぼう》いたし、|王家《わうけ》は|滅《ほろ》び、|遂《つひ》に|赤色旗《せきしよくき》が|城頭《じやうとう》に|立《た》てらるるやうになるでござりませう。これを|思《おも》へば|大切《だいじ》な|私《わたくし》の|命《いのち》、|国家《こくか》のためを|思《おも》へば|死《し》ぬ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
ア『|其《その》|方《はう》が|此《この》|世《よ》にある|事《こと》|一日《いちじつ》なれば|一日《いちにち》|国家《こくか》の|損害《そんがい》だ。|国家《こくか》の|滅亡《めつぼう》を|早《はや》めるのは|其《その》|方《はう》が|生《い》きてをるからだ。|真《しん》に|国家《こくか》|国民《こくみん》を|救《すく》はむとする|赤心《まごころ》あらば、|一時《いちじ》も|早《はや》く|自殺《じさつ》を|致《いた》すか、それがつらいと|思《おも》はば|一切《いつさい》の|重職《ぢうしよく》を|王家《わうけ》に|返上《へんじやう》し、|焼《や》け|残《のこ》つた|別荘《べつさう》も|国家《こくか》に|献《けん》じ|民衆《みんしう》の|娯楽場《ごらくぢやう》と|為《な》し、|其《その》|方《はう》は|罪亡《つみほろ》ぼしのため|乞食《こじき》となつて|天下《てんか》を|流浪《るらう》いたし、|下《しも》|万民《ばんみん》の|生活状態《せいくわつじやうたい》を|新《あたら》しく|調《しら》べて|見《み》るがよからう。どうだ、|合点《がつてん》がいつたか』
『ハハ、ハイ、|左様《さやう》|心得《こころえ》ましてございます。しかしながら|私《わたくし》は|乞食《こじき》になつても|国家《こくか》のためなら|厭《いと》いませぬが、あの|伜《せがれ》|奴《め》を|代《か》はりに|助《たす》けて|下《くだ》さいませ。さうして|細々《ほそぼそ》ながらも|左守《さもり》の|家《いへ》を|継《つ》ぎますやう、|御守護《ごしゆご》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
『これやこれや|老耄《おいぼれ》、|汝《なんぢ》は|狼狽《うろたへ》たか、|血迷《ちまよ》うたか。「|伜《せがれ》のアリナを|一時《いちじ》も|早《はや》く|捕縛《ほばく》し、|民衆《みんしう》の|面前《めんぜん》にて|重《おも》き|刑《けい》に|処《しよ》せなくては|民心《みんしん》を|治《をさ》める|事《こと》が|出来《でき》ない」と|唯今《ただいま》|申《まを》したではないか。|汝《なんぢ》は|神《かみ》の|前《まへ》に|来《き》たつて|口《くち》と|心《こころ》の|裏表《うらおもて》を|使《つか》ふ|不届《ふとど》き|至極《しごく》の|奴《やつ》だ。|待《ま》て、|今《いま》に|神《かみ》が|手《て》づから|成敗《せいばい》を|致《いた》してくれむ、ウー』
と|社殿《しやでん》も|割《わ》るるばかりの|大音声《だいおんじやう》にて|唸《うな》り|立《た》てた。|守侍《もりざむらひ》はガンヂーを|捨《す》てて|吾《われ》|先《さき》にと|階段《かいだん》を|下《くだ》り、|武器《ぶき》を|捨《す》て|命辛々《いのちからがら》|逃《に》げて|行《ゆ》く。ガンヂーもまた、|怖《おそ》ろしさ|淋《さび》しさに|居耐《ゐたた》まらず、|百二十段《ひやくにじふだん》の|階段《かいだん》を|毬《まり》の|如《ごと》く|転《ころ》げながら|落《お》ち|下《くだ》り、|数ケ所《すうかしよ》に|打《う》ち|創《きず》を|負《お》ひ、ほふほふの|体《てい》にて|玉《たま》の|原《はら》の|別荘《べつさう》さして|杖《つゑ》を|力《ちから》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
アリナは|父《ちち》ガンヂーその|他《た》の|逃《に》げ|帰《かへ》りしを|見《み》て、やつと|胸《むね》を|撫《な》で|下《おろ》し、|宮山《みややま》を|南《みなみ》に|下《くだ》り|危《あぶ》なげな|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》つて|山《やま》といはず|河《かは》といはず、|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むち》うちて|月《つき》|照《て》る|夜《よる》の|途《みち》を、|薄《すすき》の|穂《ほ》にも|怖《おぢ》ながら、もしや|追手《おひて》に|出遇《であ》ひはせぬかと|安《やす》き|心《こころ》もなく|西南《せいなん》の|空《そら》を|目当《めあ》てに|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|父《おや》と|子《こ》が|内《うち》と|外《そと》との|掛合《かけあひ》を
|聞《き》きて|御神《みかみ》は|笑《ゑ》ませたまはむ
|赤心《まごころ》はたしかアリナの|伜《せがれ》とは
|知《し》りつつ|爺《おやぢ》|御前《みまへ》に|訴《うつた》ふ
ある|時《とき》は|吾《わ》が|子《こ》を|憎《にく》みある|時《とき》は
いとしと|思《おも》ふ|親心《おやごころ》かな
タラハンの|城《しろ》の|曲神《まがみ》も|大宮《おほみや》の
|佯《いつは》り|神《かみ》に|恐《おそ》れて|帰《かへ》りぬ
|守侍《もりざむらひ》は|吾《わ》が|職掌《しよくしやう》を|打《う》ち|忘《わす》れ
|主《あるじ》をすてて|帰《かへ》る|卑怯《ひけふ》さ
(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 加藤明子録)
第一二章 |妻狼《さいらう》の|囁《ささやき》〔一七三六〕
|若葉《わかば》はそよぐ|初夏《しよか》の|風《かぜ》 |山時鳥《やまほととぎす》|四方八方《よもやも》の
|密樹《みつじゆ》の|蔭《かげ》にひそみつつ |悲《かな》しき|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|神《かみ》の|造《つく》りしタラハンの |国《くに》の|行末《ゆくすゑ》|歎《かこ》つなり
|李《すもも》|杏《あんず》も|梅《うめ》の|実《み》も |色《いろ》づき|初《そ》めて|遠近《をちこち》の
|田《た》の|面《も》に|数多《あまた》の|首陀《しゆだ》たちが |生命《いのち》の|苗《なへ》を|植《うゑ》つける
その|有様《ありさま》を|眺《なが》むれば |降《ふ》る|五月雨《さみだれ》に|蓑笠《みのかさ》を
おのもおのもにつけながら |三々伍々《さんさんごご》と|隊《たい》をなし
|田《た》の|面《も》に|唄《うた》ふ|勇《いさ》ましさ |一年《いちねん》|三百五十日《さんびやくごじふにち》
たつた|一度《いちど》の|植付《うゑつ》けの |好《かう》シーズンのめぐり|来《き》て
|人《ひと》の|心《こころ》もせいぜいと |希望《きばう》に|充《み》てる|折《を》りもあれ
タラハン|市街《しがい》の|大火災《だいくわさい》 |忽《たちま》ち|暴徒《ばうと》|蜂起《ほうき》して
|特権階級《とくけんかいきふ》|富有者《ふいうしや》どもの |大邸宅《だいていたく》に|火《ひ》を|放《はな》ち
|婦女《ふぢよ》をば|姦《かん》し|金銭《きんせん》を |不逞《ふてい》の|首陀団《しゆだだん》|掠奪《りやくだつ》し
|諸種《しよしゆ》の|主義者《しゆぎしや》は|一時《いちどき》に |手《て》に|唾《つばき》して|立上《たちあ》がり
|吾等《われら》が|日頃《ひごろ》の|鬱憤《うつぷん》を |晴《は》らすは|今《いま》や|此《この》|時《とき》と
|警戒《けいかい》|厳《きび》しき|警察《けいさつ》を |向方《むかふ》に|廻《まは》して|戦《たたか》ひし
その|勢《いきほ》ひは|枯野《かれの》をば |燃《も》えゆく|焔《ほのほ》の|如《ごと》くなり
ここに|軍隊《ぐんたい》|出動《しゆつどう》し |漸《やうや》く|一時《いちじ》は|暴徒《ばうと》も
|鎮圧《ちんあつ》したれど|何時《いつ》か|又《また》 |大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》らむと
|期待《きたい》されたるタラハンの |城下《じやうか》の|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》と
|安《やす》き|心《こころ》もなかりけり |左守《さもり》|右守《うもり》の|神司《かむつかさ》
|吾《わ》が|権勢《けんせい》の|忽《たちま》ちに おち|行《ゆ》く|虞《おそ》れありとなし
あらゆる|手段《しゆだん》をめぐらして |軍隊《ぐんたい》|警察《けいさつ》|召集《せうしふ》し
|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|用心《ようじん》に さすが|不平《ふへい》の|連中《れんちう》も
|一時《いちじ》は|影《かげ》をひそめけり カラピン|王《わう》は|重病《ぢうびやう》に
|苦《くる》しみ|玉《たま》ひて|国政《こくせい》を |見玉《みたま》ふ|術《すべ》も|更《さら》になく
|太子《たいし》の|君《きみ》は|騒動《さうだう》に |紛《まぎ》れて|影《かげ》を|隠《かく》しまし
|左守《さもり》の|司《かみ》のガンヂーは |心《こころ》ばかりは|焦《いら》てども
よる|年波《としなみ》に|力《ちから》|落《お》ち |勇気《ゆうき》は|頓《とみ》に|阻喪《そさう》して
|単《たん》に|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》と |誹《そし》られながら|気《き》がつかず
|萎《しほ》れ|切《き》つたる|両腕《りやううで》を ウンと|叩《たた》いて|雄健《をたけ》びし
|敦圉《いきま》く|様《さま》は|螳螂《かまきり》が |斧《をの》を|揮《ふる》うて|立《た》てる|如《ごと》
そのスタイルの|可笑《をか》しさよ |心《こころ》|汚《きたな》きサクレンス
この|有様《ありさま》を|見《み》るよりも |国家《こくか》の|前途《ぜんと》は|風前《ふうぜん》の
|灯火《ともしび》の|如《ごと》しと|吾《わ》が|妻《つま》の サクラン|姫《ひめ》と|頭《かしら》をば
|傾《かたむ》け|前後《ぜんご》の|策略《さくりやく》を めぐらしゐるこそうたてけれ。
サクレンス『サクラン|姫《ひめ》よ、|世《よ》の|中《なか》が|追々《おひおひ》と、かう|物騒《ぶつそう》になつて|来《き》ては、|俺《おれ》もウツカリはして|居《を》れない。|今《いま》までとは|世《よ》の|中《なか》が、|何《なに》もかも|一変《いつぺん》し、|吾々《われわれ》|如《ごと》き|特権階級《とくけんかいきふ》や|資本階級《しほんかいきふ》の|滅亡《めつぼう》する|時期《じき》が|迫《せま》つて|来《き》たやうだ。このままに|放任《はうにん》しておけば、タラハンの|国家《こくか》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|王家《わうけ》も|吾々《われわれ》の|階級《かいきふ》も|遠《とほ》からぬ|内《うち》に|地獄《ぢごく》の|憂目《うきめ》を|見《み》るやうな|事《こと》が|出来《でき》はせまいかと|案《あん》じて|寝《ね》られないのだ。お|前《まへ》は|一体《いつたい》、|今日《こんにち》の|世態《せたい》を|何《ど》う|成行《なりゆ》くと|考《かんが》へてるか』
サクラン『|仰《おほ》せの|通《とほ》り、|世《よ》はだんだんと|行詰《ゆきつま》つて|参《まゐ》りました。|経済界《けいざいかい》、|政治界《せいぢかい》、|宗教界《しうけうかい》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|実業方面《じつげふはうめん》においても|一切万事《いつさいばんじ》|行《ゆ》き|詰《づま》り、|実《じつ》に|惨《みぢ》めな|状態《じやうたい》となりました。しかしながら|窮《きう》すれば|通《つう》ずとか|申《まを》しまして、|禍《わざは》ひの|極端《きよくたん》に|達《たつ》した|時《とき》は、キツと|幸《さいは》ひの|芽《め》を|吹《ふ》くものでございます。|去《さ》る|五日《いつか》の|大火災《だいくわさい》にも、|城内《じやうない》の|茶寮《ちやれう》は|焼《や》け|落《お》ちて、あらゆる|国宝《こくほう》は|全部《ぜんぶ》|灰燼《くわいじん》に|帰《き》し、|左守《さもり》の|邸宅《ていたく》まで、あんな|惨《みじ》めな|事《こと》になりました。それにも|拘《かかは》らず、|右守《うもり》の|邸宅《ていたく》は|一部分《いちぶぶん》|暴徒《ばうと》に|破壊《はくわい》されたばかりでこの|通《とほ》り|安全《あんぜん》に|残《のこ》りましたのも、|右守家《うもりけ》に|対《たい》し|盤古神王様《ばんこしんのうさま》が、|大《だい》なる|使命《しめい》のある|事《こと》を|暗示《あんじ》されたものと|考《かんが》へられます。|斯様《かやう》に|混乱状態《こんらんじやうたい》に|陥《おちい》つた|社会《しやくわい》では、|弱《よわ》いと|見《み》られたならば|忽《たちま》ち|叩《たた》き|潰《つぶ》され、|亡《ほろ》ぼされてしまふものです。それゆゑ|此《この》|際《さい》は|国家《こくか》のために|満身《まんしん》の|力《ちから》を|発揮《はつき》し、|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大計画《だいけいくわく》を|遂行《すゐかう》して、|国民《こくみん》|上下《じやうげ》の|胆《たん》を|奪《うば》ひ、|右守《うもり》の|威力《ゐりよく》を|現《あら》はし、|威圧《ゐあつ》と|権威《けんゐ》とを|示《しめ》して、|国民《こくみん》の|驕慢心《けうまんしん》を|抑《おさ》へつけねばなりますまい』
『お|前《まへ》のいふ|事《こと》も|一応《いちおう》もつとものやうだが、|人心《じんしん》|極端《きよくたん》に|悪化《あくくわ》し、|吾々《われわれ》の|階級《かいきふ》を|殲滅《せんめつ》せむと|国民《こくみん》が|殆《ほと》んど|一致《いつち》して|時期《じき》を|待《ま》つてゐるといふ|時代《じだい》に|際《さい》し、【なまじひ】に|小刀細工《こがたなざいく》を|施《ほどこ》してみたところが、かへつて|万民《ばんみん》の|怒《いか》りを|買《か》ひ、|滅亡《めつぼう》を|早《はや》めるやうなものだ。ぢやといつてこの|難関《なんくわん》を|打《う》ちぬけ、|民心《みんしん》を|収攬《しうらん》し、|太平《たいへい》|無事《ぶじ》に|国家《こくか》を|復興《ふくこう》することは|難事中《なんじちう》の|難事《なんじ》だ。|如何《いか》なる|聖人《せいじん》|賢人《けんじん》と|雖《いへど》も、この|際《さい》かかる|世態《せたい》に|対《たい》し、メスを|揮《ふる》ふ|余地《よち》はあるまい。アア|困《こま》つた|事《こと》だワイ。|大王殿下《だいわうでんか》は|御重病《ごぢうびやう》、|何時《いつ》お|国替《くにが》へ|遊《あそ》ばすやら|計《はか》り|知《し》られぬ|今日《こんにち》の|有様《ありさま》、|太子《たいし》の|君《きみ》はお|行方《ゆくへ》は|分《わか》らず、|左守司《さもりのかみ》は|老齢《らうれい》|激務《げきむ》に|堪《た》へず、また|彼《かれ》が|伜《せがれ》のアリナは|踪跡《そうせき》を|晦《くら》まし、タラハン|国《ごく》はすべての|重鎮《ぢうちん》を|失《うしな》はむとしてゐる。|要《かなめ》のぬけた|扇《あふぎ》の|如《ごと》く|到底《たうてい》|収拾《しうしふ》すべからざる|内情《ないじやう》となつてゐる。|今後《こんご》また|去《さ》る|五日《いつか》の|如《ごと》き|騒乱《さうらん》が|勃発《ぼつぱつ》せうものなら、それこそ|王家《わうけ》を|始《はじ》め|貴族階級《きぞくかいきふ》の|断滅期《だんめつき》だ。|何《なん》とかしてこの|頽勢《たいせい》を|挽回《ばんくわい》する|事《こと》は|出来《でき》よまいかなア』
『|私《わたし》の|意見《いけん》としては|此《この》|際《さい》|思《おも》ひ|切《き》つて|大鉈《おほなた》を|揮《ふる》ひ、|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》せねば、|到底《たうてい》|駄目《だめ》でございませう。|老《おい》|朽《く》ちて|将《まさ》に|倒《たふ》れむとする|老木《らうぼく》も、|根元《ねもと》より|幹《みき》を|切《き》り|放《はな》たば|新《あたら》しい|芽《め》を|吹《ふ》き、その|為《ため》|再《ふたた》び|生命《せいめい》を|持続《ぢぞく》する|事《こと》が|出来《でき》るものです。|吾《わ》が|夫様《つまさま》、|此《この》|際《さい》あなたは|大勇猛心《だいゆうまうしん》を|発揮《はつき》し、|国体《こくたい》を|根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》|遊《あそ》ばす|御所存《ごしよぞん》はございませぬか』
『イヤ、|俺《おれ》にも|考案《かうあん》はない|事《こと》はないが、さりとて|余《あま》りの|叛逆《はんぎやく》だからなア』
『ホホホホ、|叛逆無道《はんぎやくぶだう》の|世《よ》の|中《なか》を|立替立直《たてかへたてなほ》すのが|何故《なにゆゑ》に|叛逆《はんぎやく》でございますか。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ。|大王様《だいわうさま》はあの|通《とほ》り、|太子殿下《たいしでんか》は|御行方《おんゆくへ》|分《わか》らず、|左守《さもり》の|老衰《らうすゐ》、かくのごとく|国家《こくか》の|重鎮《ぢうちん》に|大損傷《だいそんしやう》を|来《き》たした|上《うへ》は、もはやタラハン|国《ごく》における|最大権力者《さいだいけんりよくしや》は|右守家《うもりけ》を|措《お》いて|外《ほか》にはないぢやありませぬか。|民心《みんしん》を|新《あらた》にするため、|思《おも》ひ|切《き》つて|王女《わうぢよ》バンナ|姫様《ひめさま》を|表《おもて》に|立《た》て、|弟《おとうと》のエールを|王位《わうゐ》につかせ、|国民《こくみん》|上下《じやうか》の|人心《じんしん》を|収攬《しうらん》し、あなたは|国務総監《こくむそうかん》となつて、|無限《むげん》|絶大《ぜつだい》な|権威《けんゐ》を|揮《ふる》ひ、|政治《せいぢ》の|改革《かいかく》を|断行《だんかう》なさるより|外《ほか》に、|国家《こくか》を|救《すく》ふ|道《みち》はございますまい』
『なるほど、|俺《おれ》も|其《その》|事《こと》は|今《いま》までに|幾度《いくど》か|考《かんが》へてみた|事《こと》もあるが、あまりの|陰謀《いんぼう》で、|女房《にようばう》の|其方《そなた》にも|言《い》ひ|兼《か》ねてゐたのだ。お|前《まへ》が|其《その》|心《こころ》なら、|俺《おれ》は|強力《きやうりよく》なる|味方《みかた》を|得《え》たも|同然《どうぜん》、|思《おも》ひ|切《き》つて|断行《だんかう》を|試《こころ》みやう。しかしながら、ここ|暫《しばら》くは|秘密《ひみつ》を|厳守《げんしゆ》せなくてはならうまい。|万々一《まんまんいち》この|計画《けいくわく》が|夫婦《ふうふ》|以外《いぐわい》に|洩《も》れ|散《ち》るやうな|事《こと》があれば、それこそ|右守家《うもりけ》の|一大事《いちだいじ》だ』
『|凡《すべ》て|大業《たいげふ》を|成《な》さむと|思《おも》へば、|秘密《ひみつ》を|守《まも》るのが|肝心《かんじん》でございます。|暫《しばら》く|人心《じんしん》の|治《をさ》まつた|潮時《しほどき》を|考《かんが》へ、|公々然《こうこうぜん》と|天下《てんか》に|向《む》かつて|国政《こくせい》|改革《かいかく》を|標榜《へうばう》し、エールを|王位《わうゐ》に|上《のぼ》らせ、バンナ|姫《ひめ》を|王妃《わうひ》と|成《な》す|事《こと》を|発表《はつぺう》|遊《あそ》ばせば、|茲《ここ》に|始《はじ》めて|維新改革《ゐしんかいかく》の|謀主《ぼうしゆ》として|貴方《あなた》を|国民《こくみん》が|欣慕憧憬《きんぼどうけい》するやうになるでございませう。それより|外《ほか》に|適当《てきたう》な|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》はございますまい』
『それについては、|第一《だいいち》|気《き》に|懸《かか》るのは|太子《たいし》の|君《きみ》だ。|折角《せつかく》エールとバンナ|王女《わうぢよ》を|立《た》て、|国家《こくか》の|改造《かいざう》を|標榜《へうばう》してゐる|最中《さいちう》、ヒヨツコリ|太子《たいし》が|帰《かへ》つて|来《き》て、|異議《いぎ》を|唱《とな》へ|給《たま》ふやうな|事《こと》があれば、|吾々《われわれ》の|折角《せつかく》の|計画《けいくわく》も|水泡《すゐはう》に|帰《き》するのみならず、|右守《うもり》を|叛逆者《はんぎやくしや》として|大罪《だいざい》に|問《と》はるるかも|知《し》れぬ。それゆゑ|俺《おれ》の|思《おも》ふには、まづ|太子《たいし》の|身上《みのうへ》から|片付《かたづ》けて|掛《かか》らねばなるまい』
『|成《な》るほど、それが|先決問題《せんけつもんだい》でございます。しかし|幸《さいは》ひに|太子様《たいしさま》を|巧《うま》く|片付《かたづ》けたところで、|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナが|此《こ》の|世《よ》に|在《あ》る|限《かぎ》りは、|再《ふたた》び|折角《せつかく》の|計画《けいくわく》を|覆《くつが》へさるる|虞《おそ》れがございます。これも|序《ついで》に|何《なん》とか|致《いた》さねばなりますまい』
『ウン、それもさうだ。しかしながらこの|両人《りやうにん》を|処置《しよち》するについては、|石《いし》で|臨《のぞ》むか、|真綿《まわた》で|臨《のぞ》むか、|何《いづ》れかの|方法《はうはふ》を|取《と》らねばなるまい、どちらが|能《よ》からうかなア』
『|天下《てんか》|混乱《こんらん》の|際《さい》、|生温《なまぬる》い|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》では|駄目《だめ》でございますよ。|疾風迅雷《しつぷうじんらい》|耳《みみ》を|掩《おほ》ふに|暇《いとま》なき|早業《はやわざ》を|以《もつ》て、キツパリと|幹《みき》を|切《き》り|根《ね》を|絶《た》ち|葉《は》を|枯《か》らし、|新生面《しんせいめん》を|開《ひら》かねば|腐敗《ふはい》し|切《き》つたる|現代《げんだい》を|救《すく》ふ|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ますまい。|但《ただ》しその|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》は……|斯様斯様《かやうかやう》』
とサクレンスの|耳《みみ》に|口《くち》をよせ、|奸侫邪智《かんねいじやち》のサクラン|姫《ひめ》は|何事《なにごと》か|右守《うもり》に|教唆《けうさ》した。サクレンスは|幾度《いくたび》となくうなづきながら、
『ウンウンよからう。なかなかお|前《まへ》も|隅《すみ》にはおけぬ|悪人《あくにん》だ。|悪《あく》にかけては|抜目《ぬけめ》のない|逸物《いつぶつ》だ、ハハハハ』
と|小声《こごゑ》に|笑《わら》ふ。サクランは|目《め》を|怒《いか》らせ|口《くち》を|尖《とが》らせながら、サクレンスの|膝《ひざ》を|叩《たた》いて|小声《こごゑ》になり、
『|国家《こくか》の|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》し、|国民塗炭《こくみんとたん》の|苦《くる》しみを|救《すく》ひ、|国家《こくか》|万年《まんねん》の|策《さく》を|立《た》つるのがそれほど|悪《あく》でございますか。どうも|腑《ふ》におちぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》るぢやございませぬか。|勝《か》てば|官軍《くわんぐん》|負《ま》くれば|賊子《ぞくし》、とかく|世《よ》の|中《なか》は|勢力《せいりよく》が|最後《さいご》の|勝利《しようり》を|占《し》めますよ。|一切万事《いつさいばんじ》|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》せず、ドンドンとやつて|下《くだ》さい。|妾《わらは》は|貴方《あなた》の|為《ため》、いな|国家《こくか》の|為《ため》に|内々《ないない》|奮闘《ふんとう》|努力《どりよく》を|致《いた》しませう』
『ヤ、|頼母《たのも》しい。お|前《まへ》は|見《み》かけによらぬ|偉女夫《ゐぢようぶ》だ。この|夫《をつと》にしてこの|妻《つま》ありだ。|俺《おれ》も|始《はじ》めてお|前《まへ》の|心《こころ》の|底《そこ》が|解《わか》り、|安心《あんしん》をしたよ』
『|二十年《にじふねん》も|夫婦《ふうふ》となつてゐながら、まだ|妾《わらは》の|本心《ほんしん》が|解《わか》らなかつたのですか。お|側《そば》に|近《ちか》く|寝食《しんしよく》を|共《とも》にする|妻《つま》の|心《こころ》が、|二十年目《にじふねんめ》に|始《はじ》めて|解《わか》るやうな|事《こと》で、よくマア|今日《こんにち》まで|右守《うもり》の|職掌《しよくしやう》が|勤《つと》まつて|来《き》たものですなア。|本当《ほんたう》に|之《これ》こそ|天下《てんか》の|奇蹟《きせき》ですワ』
『オイ、サクラン|姫《ひめ》、|馬鹿《ばか》にするない。|政治家《せいぢか》は|政治家《せいぢか》としての|方法《はうはふ》があるのだ。|天下《てんか》|国家《こくか》を|憂慮《いうりよ》するあまり、|小《ちひ》さい|家庭《かてい》などの|事《こと》に|気《き》をつけてゐられうか』
『|家庭《かてい》も|治《をさ》まらず、|二十年《にじふねん》も|添《そ》うた|妻《つま》の|心《こころ》が|解《わか》らぬやうな|事《こと》で、どうして|大政治家《だいせいぢか》が|勤《つと》まりませう。まして|多数《たすう》|国民《こくみん》の|心《こころ》を|収攬《しうらん》する|事《こと》が|出来《でき》ませうか』
『ヤ、さう|追撃《つゐげき》するものでない。|今《いま》の|大政治家《だいせいぢか》を|見《み》よ、|一家《いつか》を|治《をさ》める|事《こと》は|知《し》らいでも、|堂々《だうだう》として|政治《せいぢ》の|枢機《すうき》に|参与《さんよ》してゐるぢやないか。|左守《さもり》だつて、|決《けつ》して|家庭《かてい》は|円満《ゑんまん》でない。また|左守《さもり》の|心《こころ》と|彼《かれ》が|伜《せがれ》アリナの|心《こころ》とは|正反対《せいはんたい》だ、|犬《いぬ》と|猿《さる》との|間柄《あひだがら》だ。それさへあるに|国家《こくか》の|元老《げんらう》、|最大権力者《さいだいけんりよくしや》として|左守《さもり》は|立派《りつぱ》に|今日《こんにち》まで|地位《ちゐ》を|保《たも》つて|来《き》たではないか』
『|自分《じぶん》の|地位《ちゐ》を|保《たも》ち|得《え》たのみで|大政治家《だいせいぢか》とは|言《い》へませぬよ。|今日《こんにち》の|国家《こくか》の|不安状態《ふあんじやうたい》に|陥《おちい》つたのは、|輔弼《ほひつ》の|重臣《ぢうしん》たる|左守様《さもりさま》に|本当《ほんたう》の|技倆《ぎれう》が|欠《か》けてゐるためではありませぬか。|現代《げんだい》の|政治家《せいぢか》は|何《いづ》れも|皆《みな》|袞竜《こんりう》の|袖《そで》に|隠《かく》れて、|僅《わづ》かにその|地位《ちゐ》を|保《たも》ち、|国民《こくみん》を|威圧《ゐあつ》してゐるのです。|虎《とら》の|威《ゐ》を|借《か》る|狐《きつね》の|輩《やから》です。|貴方《あなた》だつて、ヤツパリさうでしよう。|真裸《まつぱだか》にして|市井《しせい》の|巷《ちまた》へ|放《ほ》り|出《だ》してみたならば、|履物直《はきものなほ》しにもなれないぢやありませぬか』
『|馬鹿《ばか》いふな、|俺《おれ》だつて|曲人官《きよくにんくわん》ぐらゐにはなれるよ』
『|自惚《うぬぼれ》もいい|加減《かげん》になさいませ。あなたは|大王殿下《だいわうでんか》のお|引立《ひきた》てがなく|裸一貫《はだかいつくわん》の|男《をとこ》として、|自分《じぶん》の|運命《うんめい》を|開拓《かいたく》|遊《あそ》ばす|勇者《ゆうしや》とすれば、|精々《せいぜい》|小学校《せうがくかう》のヘボ|教員《けうゐん》かポリスぐらゐが|関《せき》の|山《やま》でございませう。それだから|国民《こくみん》が|貴方《あなた》を|称《しよう》して|死人官《しにんくわん》だと|言《い》つてゐるのですよ』
『エー、モウそんな|小言《こごと》は|聞《き》きたくない。|主人《しゆじん》を|馬鹿《ばか》にしてゐるぢやないか』
『ホホホホ、|馬鹿《ばか》にしたくても、あなたは|本当《ほんたう》の|馬鹿《ばか》になれない|方《かた》だから|困《こま》りますワ。|世《よ》の|中《なか》の|才子《さいし》だとか|智者《ちしや》だとか|言《い》はれる|人《ひと》は|何時《いつ》も|失敗《しつぱい》ばかりするものです。それに|引替《ひきか》へ|馬鹿《ばか》とならば、|何事《なにごと》にかけても|無頓着《むとんちやく》で、|如何《いか》なる|難関《なんくわん》に|出会《であ》つても|少《すこ》しも|恐《おそ》れず|又《また》|後悔《こうくわい》する|事《こと》もなく、|物《もの》に|慌《あわ》てて|事《こと》に|驚《おどろ》き|気《き》をもんで、|無駄骨折《むだぼねを》りに|損《そん》をせない。そして|禍《わざはひ》を|化《くわ》して|自然《しぜん》に|幸《さいは》ひになす|態《てい》の|馬鹿《ばか》になつて|頂《いただ》きたいものです』
『アアア、|何《なに》が|何《なん》だか|訳《わけ》が|分《わか》らなくなつて|来《き》たワイ。さうすると|俺《おれ》もまだ|馬鹿《ばか》の|修業《しうげふ》が|足《た》らぬのかなア。オイ、|何《なん》だか|胸騒《むなさわ》ぎがしてならない。|一杯《いつぱい》つけてくれ、|熱燗《あつかん》でグツとやるから』
『お|酒《さけ》をおあがり|遊《あそ》ばすのも|結構《けつこう》でございますが、|大事《だいじ》の|前《まへ》の|小時《せうじ》、ここ|少時《しばらく》はお|窘《たしな》みなさるが|宜《よろ》しからう。あなたはお|酒《さけ》をおあがり|遊《あそ》ばすと、|精神錯乱《せいしんさくらん》して、どんな|秘密《ひみつ》でも|人《ひと》の|前《まへ》に|喋《しやべ》り|立《た》てるといふ、つまらぬ|癖《くせ》がおありなさるから、この|大望《たいまう》が|成就《じやうじゆ》するまでは|盤古神王様《ばんこしんのうさま》の|前《まへ》にお|酒《さけ》を|断《た》つて|下《くだ》さい』
『ヤ、こいつア|耐《たま》らぬ。|飯《めし》よりも|女房《にようばう》よりも|国家《こくか》よりも|大切《たいせつ》な|酒《さけ》を|断《た》つて、おまけに|暗雲飛乗《やみくもとびの》りの|危《あや》ふい|芸当《げいたう》をこの|老人《としより》にやらさうとするのは、|随分《ずゐぶん》ひどいぢやないか』
『|少時《しばらく》の|御辛抱《ごしんばう》でございます。|夜《よ》も|深更《しんかう》に|及《およ》びました。サア|寝《やす》みませう』
と|手《て》を|取《と》つて|奥《おく》の|一間《ひとま》に|導《みちび》き|行《ゆ》く。|二人《ふたり》はこれより|夜《よ》を|徹《てつ》して|細々《こまごま》と|寝物語《ねものがたり》の|幕《まく》を|続《つづ》けた。|果《は》たして|何《なん》の|秘事《ひじ》が|画策《くわくさく》されたであらうか。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 松村真澄録)
第一三章 |蛙《かはづ》の|口《くち》〔一七三七〕
|五月五日《ごぐわついつか》の|城下《じやうか》の|騒乱《さうらん》|勃発《ぼつぱつ》に|恐怖心《きようふしん》を|極端《きよくたん》に|抱《いだ》きゐる|右守《うもり》の|司《かみ》サクレンスの|邸宅《ていたく》は、|衛兵警夫《ゑいへいけいふ》|数十人《すうじふにん》を|以《もつ》て|厳《きび》しく|警固《けいご》され、|怪《あや》しきものの|影《かげ》だにも|近寄《ちかよ》るを|許《ゆる》さなかつた。かかる|物々《ものもの》しき|警戒裡《けいかいり》の|門《もん》を|潜《くぐ》つて|悠然《いうぜん》と|入《い》り|来《き》たる|一人《ひとり》の|女《をんな》は、|殿中《でんちう》|深《ふか》く|仕《つか》へたる|女中頭《ぢよちうがしら》のシノブであつた。|彼《かれ》は|何《なん》の|恐《おそ》るる|色《いろ》もなく|殿中《でんちう》に|奉仕《ほうし》するという|権威《けんゐ》を|肩《かた》にふりかざしながら、|玄関口《げんくわんぐち》に|立現《たちあら》はれ、
『|右守様《うもりさま》、|殿中《でんちう》のお|使《つかひ》でございます。|通《とほ》つても|宜《よろ》しうございますか』
と|訪《おとの》うてゐる。
|玄関番《げんくわんばん》のサールは|丁寧《ていねい》に|頭《かしら》をさげながら、
『これはシノブ|様《さま》、よくマア|入《い》らせられました。|只今《ただいま》|御主人《ごしゆじん》に|伝《つた》へて|参《まゐ》りますから、|暫時《しばらく》ここにお|待《ま》ちを|願《ねが》ひます』
と|言《い》ひ|捨《す》てコソコソと|奥《おく》の|間《ま》に|進《すす》み|入《い》つた。|少時《しばし》あつて|右守《うもり》はニコニコしながら|出《い》で|来《き》たり|笑《ゑみ》を|満面《まんめん》に|浮《う》かべ、いとも|慇懃《いんぎん》な|口調《くてう》にて、
『ヤアこれはこれはシノブ|様《さま》でございましたか。サアどうぞ|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ。|御用《ごよう》の|趣《おもむき》|承《うけたまは》りませう』
このシノブの|職掌《しよくしやう》は|右守《うもり》に|比《ひ》して|非常《ひじやう》に|低級《ていきふ》ではあるが、|大王殿下《だいわうでんか》のお|居間近《ゐまぢか》く|仕《つか》へ|奉《まつ》る|身《み》なるを|以《もつ》て、どことなく|権威《けんゐ》|備《そな》はり、かつまた|左守《さもり》、|右守《うもり》といへど、|殿中《でんちう》の|女官《ぢよくわん》に|対《たい》しては|常《つね》に|一歩《いつぽ》を|譲《ゆづ》らねばならなくなつてゐた。|万一《まんいち》|女官《ぢよくわん》の|怒《いか》りに|触《ふ》れやうものなら、|忽《たちま》ち|影響《えいきやう》は|各自《かくじ》の|地位《ちゐ》に|及《およ》ぼすの|恐《おそ》れあるをもつてである。|奸侫邪智《かんねいじやち》に|長《た》けたる|流石《さすが》の|右守《うもり》も、|特《とく》にこの|女中頭《ぢよちうがしら》たるシノブに|対《たい》しては、あらむ|限《かぎ》りの|媚《こび》を|呈《てい》し|追従《つゐしよう》|至《いた》らざるなく、|地《ち》にもおかぬ|待遇振《もてなしぶ》りを|発揮《はつき》するのが|常《つね》である。シノブは|悠然《いうぜん》として|右守《うもり》に|導《みちび》かれ|庭《には》の|植込《うゑこみ》をすかして、|彼方《あなた》に|見《み》ゆる、|余《あま》り|広《ひろ》からねども、どこともなく|瀟洒《せうしや》たる|別間《べつま》に|案内《あんない》され、|宣徳《せんとく》の|火鉢《ひばち》を|中《なか》において|二人《ふたり》は|頭《あたま》を|鳩《あつ》め|密談《みつだん》に|耽《ふけ》る。
|右守《うもり》『これはこれは|早朝《さうてう》より|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》うございます。ツイ|寝坊《ねばう》をかわきまして|屋内《をくない》の|掃除《さうぢ》も|行届《ゆきとど》かず、この|間《あひだ》の|騒動《さうだう》によつて|下男《げなん》|下女《げぢよ》|等《など》も|逃走《たうそう》いたし、|誠《まこと》に|不都合《ふつがふ》きはまる|処《ところ》へ|御来臨《ごらいりん》を|仰《あふ》ぎ、|実《じつ》に|汗顔《かんがん》の|至《いた》りでございます。さうして|今日《こんにち》お|越《こ》し|遊《あそ》ばした|御用《ごよう》の|趣《おもむき》は、|如何《いか》なる|事《こと》でございませうか。|仰《おほ》せ|聞《き》けられ|下《くだ》さいますれば|誠《まこと》に|有難《ありがた》うございます』
シノブは|儼然《げんぜん》として|威儀《ゐぎ》を|正《ただ》し、|言葉《ことば》もやや|荘重《さうちよう》に|右守《うもり》を|見下《みくだ》しながら|言《い》ふ、
『|今日《こんにち》|参《まゐ》りしは|余《よ》の|儀《ぎ》に|非《あら》ず、|大王殿下《だいわうでんか》の|勅使《ちよくし》として|右守殿《うもりどの》に|申《まを》し|渡《わた》したき|事《こと》これあれば、|謹《つつし》んで|承《うけたまは》り|召《め》され』
|右守《うもり》はハツと|頭《かしら》を|下《さ》げ|二足《ふたあし》|三足《みあし》、|後退《あとしざ》りしながら、
『お|勅使様《ちよくしさま》には|御苦労千万《ごくらうせんばん》、|殿下《でんか》より|御諚《ごぢやう》の|趣《おもむき》、|謹《つつし》んで|拝承《はいしよう》|仕《つかまつ》りまする』
シノブ『|今日《こんにち》|妾《わらは》、|勅使《ちよくし》として|参《まゐ》りしは|余《よ》の|儀《ぎ》に|非《あら》ず。「|汝《なんぢ》も|知《し》る|如《ごと》くスダルマン|太子《たいし》の|君《きみ》は|行方不明《ゆくへふめい》となり、|大王殿下《だいわうでんか》におかせられても|御病気《ごびやうき》の|折柄《をりから》、|御煩慮《ごはんりよ》の|最中《さいちう》、またもや|王女《わうぢよ》バンナ|姫様《ひめさま》、|昨夜《さくや》よりお|行方《ゆくへ》を|見失《みうしな》ひ、|殿中《でんちう》は|上《うへ》を|下《した》への|御混雑《ごこんざつ》、|折《を》り|悪《あ》しくも|左守《さもり》の|司《かみ》は|先日《せんじつ》の|罹災《りさい》に|依《よ》つて、|胸骨《きようこつ》を|打《う》ち|病床《びやうしやう》に|呻吟《しんぎん》いたし、|未《いま》だ|参内《さんだい》いたさず、|已《や》むを|得《え》ず|警官《けいくわん》を|四方《しはう》に|派《は》し、|夜《よ》を|徹《てつ》して|捜索《そうさく》すれども、|今《いま》に|何《なに》の|手掛《てがか》りもなし。|汝《なんぢ》|右守《うもり》も|病気中《びやうきちう》とは|聞《き》けど、|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|少々《せうせう》の|病気《びやうき》は|隠忍《いんにん》し、|勇気《ゆうき》を|皷《こ》して|参内《さんだい》せよ」との|御諚《ごぢやう》でござる。|右守殿《うもりどの》、|御返答《ごへんたふ》は|如何《いかが》でござる』
|右《う》『ハイ、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|御勅使《おちよくし》の|趣《おもむき》、|拝承《はいしよう》|仕《つかまつ》りました。|直様《すぐさま》、|身《み》を|浄《きよ》め、|身拵《みごしら》へをなして|参内《さんだい》いたしますれば、|大王殿下《だいわうでんか》の|御前《ごぜん》、よろしくお|取《と》りなしを|願《ねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります』
シ『|早速《さつそく》の|承引《しよういん》、|大王殿下《だいわうでんか》におかせられても、|右守《うもり》が|誠忠《せいちう》を|御満足《ごまんぞく》|遊《あそ》ばさるるであらう。|然《しか》らばこれにてお|別《わか》れ|申《まを》す』
と|言葉《ことば》|終《をは》ると|共《とも》に、ツと|立上《たちあ》がり|早《はや》くも|帰路《きろ》につかむとする。|右守《うもり》は|低頭平身《ていとうへいしん》、|敬意《けいい》を|表《へう》しながら、|勅使《ちよくし》の|玄関《げんくわん》を|出《い》づるまで|見送《みおく》つてゐた。
シノブは|一旦《いつたん》|表門《おもてもん》まで|立出《たちい》で|再《ふたた》び|引返《ひきかへ》し|来《き》たり、|又《また》もや|玄関口《げんくわんぐち》に|立《た》つて、
『|右守《うもり》の|神様《かみさま》、|御在宅《ございたく》でございますか。|妾《わらは》は|女中頭《ぢよちうがしら》のシノブと|申《まを》しまして|卑《いや》しき|身分《みぶん》のものでございますが、|折《を》り|入《い》つてお|願《ねが》ひ|申上《まをしあ》げたき|事《こと》のございますれば、どうか|玄関番様《げんくわんばんさま》、|別格《べつかく》の|御詮議《ごせんぎ》をもつて、|右守様《うもりさま》に|面会《めんくわい》の|出来《でき》ますやうお|取次《とりつぎ》を|願《ねが》ひ|上《あ》げ|奉《たてまつ》りまする』
|今《いま》まで|玄関《げんくわん》の|次《つぎ》の|間《ま》に|出張《でば》つて|頭《かしら》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》にくれてゐたサクレンスは、この|声《こゑ》を|聞《き》くより|隔《へだ》ての|襖《ふすま》をサツと|引《ひ》きあけ、|現《あら》はれ|来《き》たり、
『やア|其女《そなた》はシノブ|殿《どの》か。ようまアござつた。どうか|奥《おく》へ|通《とほ》つて|下《くだ》さい。いろいろと|相談《さうだん》もし|度《た》いからな』
『やア|之《これ》は|之《これ》は|右守《うもり》の|司様《かみさま》、|御壮健《ごさうけん》なお|顔《かほ》を|拝《はい》し、|大慶至極《たいけいしごく》に|存《ぞん》じます。|妾《わらは》のやうな|不束者《ふつつかもの》が|朝《あさ》も|早《はや》うからお|驚《おどろ》かせ|致《いた》しまして|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》もございませぬ』
『いや、その|御挨拶《ごあいさつ》には|恐《おそ》れ|入《い》る。さう|七難《しちむつかし》く|言《い》はれずに|奥《おく》の|別室《はなれ》においで|下《くだ》さい。|内々《ないない》|相談《さうだん》があるから』
『ハイ|有難《ありがた》う。|左様《さやう》ならば|遠慮《ゑんりよ》なく、|奥《おく》へ|通《とほ》らして|頂《いただ》きませう』
と|言《い》ひながら|右守《うもり》の|後《あと》について|別室座敷《はなれざしき》の|一間《ひとま》に|座《ざ》を|占《しめ》た。|右守《うもり》は、さも|鷹揚《おうやう》な|体《てい》にて|巻煙草《まきたばこ》を|燻《くゆ》らしながら、
『ハハハハ、シノブ|殿《どの》、この|間《あひだ》の|騒動《さうだう》には|随分《ずゐぶん》|気《き》を|揉《も》んだでせうね』
『はい、|気《き》を|揉《も》むの|揉《も》まないのつて、|口《くち》で|申《まを》すやうな|事《こと》ではございませぬワ。|最前《さいぜん》もお|勅使《ちよくし》の|申《まを》された|通《とほ》り、|殿内《でんない》は|大騒動《おほさうどう》でございますよ。さうしてアリナ|様《さま》までが|行方不明《ゆくへふめい》となられたのですから、|妾《わらは》の|心配《しんぱい》と|申《まを》したら|一通《ひととほ》りや|二通《ふたとほ》りではございませぬ』
『ハハハハ、|貴方《あなた》の|最《もつと》も|気《き》にかかるのはアリナさまと|見《み》えますな』
『ホホホホホ、そらさうですとも、|二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|夫《をつと》ですもの。|女房《にようばう》の|妾《わらは》、これがどうしてジツとしてゐられませうか。|御推量《ごすゐりやう》を|願《ねが》ひまする』
『イヤ、これは|恐《おそ》れ|入《い》つた。|別《べつ》に|結婚《けつこん》の|御披露《ごひろう》もあつたやうでもなし、|何時《いつ》の|間《ま》に|情約締結《じやうやくていけつ》をなさつたのですかい』
『どうかお|察《さつ》しを|願《ねが》ひます。|年頃《としごろ》の|女《をんな》に|対《たい》し|根《ね》ほり|葉《は》ほりお|聞《き》き|遊《あそ》ばすのはチと|惨酷《ざんこく》ぢやありませぬか、ホホホホホ』
と|些《ちつ》と|顔《かほ》を|赤《あか》らめ|袖《そで》に|顔《かほ》をかくす。
『あなたはかかる|混乱《こんらん》の|際《さい》にも|拘《かかは》らず、|恋愛味《れんあいみ》を|充分《じうぶん》に|味《あぢ》はひ|遊《あそ》ばす|余裕《よゆう》がおありなさるのですから、|実《じつ》に|偉大《ゐだい》な|女傑《ぢよけつ》ですよ。この|右守《うもり》も|驚愕《きやうがく》、|否《いな》|感服《かんぷく》|仕《つかまつ》りました。|時《とき》にシノブさま、|最前《さいぜん》|御勅使《ごちよくし》のお|伝《つた》へによれば、バンナ|姫様《ひめさま》はお|行衛不明《ゆくゑふめい》との|事《こと》、|太子様《たいしさま》といひ、お|二人《ふたり》とも|肝腎《かんじん》の|方《かた》が|御不在《ごふざい》では、|城内《じやうない》は|重鎮《ぢうちん》を|失《うしな》ひ、|王家《わうけ》|前途《ぜんと》のため|実《じつ》に|憂慮《いうりよ》に|堪《た》へないぢやありませぬか』
『その|点《てん》は|妾《わらは》も、|貴方《あなた》と|同感《どうかん》でございます。しかしながら|太子様《たいしさま》も|王女様《わうぢよさま》も|貴族生活《きぞくせいくわつ》を|大変《たいへん》に|忌《い》み|嫌《きら》つてゐらつしやつたから、あの|騒動《さうだう》を|幸《さいは》ひ、|何処《どこ》かの|山奥《やまおく》にでも|隠《かく》れて、|簡易生活《かんいせいくわつ》を|送《おく》らるる|御所存《ごしよぞん》のやうに|伺《うかが》ひます』
『ヤアーかかる|王家《わうけ》の|一大事《いちだいじ》をシノブ|殿《どの》は、あまり|意《い》に|介《かい》してゐられないやうだが、|殿中《でんちう》|深《ふか》く|仕《つか》ふる|臣下《しんか》の|身《み》として、あまりに|不都合《ふつがふ》ぢやありませぬか』
『|不都合《ふつがふ》でも|仕方《しかた》がないぢやありませぬか。|何《なに》を|言《い》つても|肝腎《かんじん》の|方《かた》が|居《ゐ》られないのですもの、|沢山《たくさん》の|警官《けいくわん》やスパイは|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|駈《か》け|廻《まは》り、|鵜《う》の|目《め》、|鷹《たか》の|目《め》で|捜索《そうさく》しても|見当《みあた》らないもの、もうこの|上《うへ》は|人力《じんりよく》の|如何《いかん》ともすべき|処《ところ》ではございますまい。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》のなさるままですわ』
『イヤ、|呆《あき》れましたね。しかしながら|拙者《せつしや》はお|前《まへ》さまの|心《こころ》の|底《そこ》を|看破《かんぱ》してゐるのだが、|何事《なにごと》も|包《つつ》み|隠《かく》さず、ここで|打割《うちわ》つて|明《あか》してもらへますまいか。|類《るゐ》は|友《とも》を|呼《よ》ぶとかいつて、この|右守《うもり》とても|腹《はら》を|叩《たた》けばお|前《まへ》さまも|同《おな》じ|事《こと》、あまり|心《こころ》の|白《しろ》うない|男《をとこ》ですよ、アツハハハハ』
『|右守様《うもりさま》、あなたのお|心《こころ》の|底《そこ》も、|妾《わらは》にはよく|解《わか》つてをります。あなたは|弟御《おとうとご》のエールさまをこの|際《さい》|王位《わうゐ》に|上《のぼ》せバンナ|様《さま》に|娶《めあは》し、あなたは|外戚《ぐわいせき》となつて|国務《こくむ》を|総攬《そうらん》し、|大望《たいまう》を|遂《と》げむとして、|種々《いろいろ》|劃策《くわくさく》を|廻《めぐ》らしてゐらつしやるでせう』
と|星《ほし》をさされて、|右守《うもり》は|稍《やや》たぢろぎながら|流石《さすが》の|曲者《くせもの》、わざとケロリとした|顔《かほ》を|突《つ》き|出《だ》し、
『ハハハハ、シノブさま、お|前《まへ》さまの|天眼通《てんがんつう》は|落第《らくだい》ですよ。どうしてそんな|野心《やしん》を|持《も》ちませう。よく|考《かんが》へて|下《くだ》さい、|拙者《せつしや》が|平素《へいそ》の|行動《かうどう》を』
『ホホホホ、|右守様《うもりさま》の|白々《しらじら》しいお|言葉《ことば》、|妾《わらは》は|平素《へいそ》の|貴方《あなた》の|御行動《ごかうどう》によつて|斯《か》くのごとく|推定《すゐてい》したのでございますよ。|何《なに》ほど|秘密《ひみつ》を|明《あ》かし|遊《あそ》ばしても、|妾《わらは》は|決《けつ》して|口外《こうぐわい》はいたしませぬから|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
『エー、|拙者《せつしや》の|事《こと》は、おつて|申《まを》し|上《あ》げませう。|種々《いろいろ》と|痛《いた》くない|腹《はら》を|探《さぐ》られては、この|右守《うもり》もやりきれませぬからな、ハハハハ。それよりもシノブさま、お|前《まへ》さまの|心《こころ》の|秘密《ひみつ》を、スツパ|抜《ぬ》|来《き》ませうかな』
シノブは|思《おも》はずビクツとしたが、こいつも|曲者《くせもの》、ワザと|平気《へいき》を|粧《よそほ》ひ、|片頬《かたほほ》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら、
『サア|何《なん》なつと|仰《おつ》しやつて|下《くだ》さいませ。|妾《わらは》の|心《こころ》はあくまで|清浄潔白《しやうじやうけつぱく》、|只一点《ただいつてん》の|野心《やしん》もなければ|慾望《よくばう》もありませぬ』
『どこまでも|押《おし》の|強《つよ》い|貴女《あなた》のやり|口《くち》には、さすがの|右守《うもり》も|舌《した》をまきました。お|前《まへ》さまは|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナ|殿《どの》を|王位《わうゐ》につかせ、|自分《じぶん》は|王妃《わうひ》となつて|栄耀栄華《えいえうえいぐわ》にタラハン|国《ごく》の|名花《めいくわ》と|謳《うた》はれ|暮《くら》すつもりでございませうがな』
『|右守様《うもりさま》、|何事《なにごと》かと|思《おも》へば|身《み》に|覚《おぼ》えもない、|否《いや》、|心《こころ》にも|期《き》せない|妙《めう》な|事《こと》をおつしやいますな。|妾《わらは》は、|左様《さやう》な|陰謀《いんぼう》を|企《たく》むやうな|悪人《あくにん》ではございませぬよ』
『アツハハハハ、それだけの|度胸《どきよう》があれば、|一国《いつこく》の|王妃《わうひ》として|恥《は》づかしからぬ|人格者《じんかくしや》だ。また|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナ|殿《どの》も|近来《きんらい》|稀《まれ》なる|才子《さいし》だ。|寛仁大度《くわんじんたいど》にして|慈悲《じひ》を|弁《わきま》へ|人情《にんじやう》に|通《つう》じ、その|上《うへ》|容色《ようしよく》|端麗《たんれい》にして|美男子《びだんし》の|誉《ほまれ》|高《たか》く、|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんしや》として、|吾等《われら》が|頭《かしら》に|戴《いただ》いても|恥《は》づかしからぬ|人材《じんざい》、いい|処《ところ》へシノブさまは|気《き》がつきましたね。ヤア|右守《うもり》もズツと|感心《かんしん》いたしました。|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、ほとんど|暗黒《あんこく》に|等《ひと》しい|今日《こんにち》の|国状《こくじやう》、アリナさまの|胆勇《たんゆう》と、シノブさまの|度胸《どきよう》をもつて|国政《こくせい》の|総攬《そうらん》をなさつたら、キツと|国家《こくか》は|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》に|治《をさ》まるでせう。|実《じつ》は|右守《うもり》においても|大賛成《だいさんせい》でございます。その|代《かは》り、アリナさまと|貴女《あなた》の|目的《もくてき》が|達成《たつせい》した|上《うへ》は、この|右守《うもり》を|抜擢《ばつてき》して、|国務総監《こくむそうかん》|左守《さもり》の|役《やく》に|使《つか》つて|下《くだ》さるでせうな』
と、うまく|釣《つ》り|込《こ》んで|蛙《かはづ》の|腸《はらわた》を|暴露《ばくろ》させむと|試《こころ》みた。|賢《かしこ》いやうでも|流石《さすが》は|女《をんな》、さも|嬉《うれ》しげに|答《こた》へて|言《い》ふ、
『さすがは|賢明《けんめい》なる|右守殿《うもりどの》、その|天眼力《てんがんりき》には|敬服《けいふく》いたしました。|御推量《ごすゐりやう》の|通《とほ》りでございます。さうしてアリナ|様《さま》は|太子様《たいしさま》とお|約束《やくそく》が|済《す》んでをります。それゆゑアリナ|様《さま》が|太子《たいし》になられるのは|別《べつ》に|何《なん》の|不思議《ふしぎ》もございませぬ』
『なるほど、|承《うけたまは》れば|承《うけたまは》るほど、|万事万端《ばんじばんたん》、|注意《ちうい》が|行届《ゆきとど》き、|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|御経綸《ごけいりん》、いよいよ|右守《うもり》、|末頼《すゑたの》もしく|欣喜《きんき》に|堪《た》へませぬ。ついては、ここに|一《ひと》つの|大妨害物《だいばうがいぶつ》がございますが、これを|何《なん》とかして|排除《はいじよ》せねばなりますまい』
『|妨害物《ばうがいぶつ》と|仰有《おつしや》るのは|何物《なにもの》でございますか』
|右《う》『|外《ほか》でもござらぬ、|太子《たいし》の|君《きみ》をこの|儘《まま》|放任《はうにん》して|置《お》いては|後日《ごじつ》の|迷惑《めいわく》、たとへ|太子殿下《たいしでんか》において、|再《ふたた》び|王位《わうゐ》に|就《つ》かむとする|念慮《ねんりよ》は|起《お》こらないにしても、|金枝玉葉《きんしぎよくえふ》のお|方《かた》なれば、また|良《よ》からぬ|不逞団《ふていだん》が|太子《たいし》を|擁立《ようりつ》し、|王統連綿《わうとうれんめん》の|真理《しんり》の|旗《はた》を|飜《ひるが》へし|押寄《おしよ》せ|来《き》たらば、|折角《せつかく》の|貴女《あなた》の|幸福《かうふく》も|夢《ゆめ》となるぢやありませぬか。|貴女《あなた》が|太子《たいし》のお|行衛《ゆくゑ》を|御存《ごぞん》じの|筈《はず》、まづこの|方面《はうめん》から|処置《しよち》を|致《いた》さねば|成《な》りますまい』
『|如何《いか》にもお|説《せつ》の|通《とほ》り、|将来《しやうらい》の|邪魔者《じやまもの》は、|太子様《たいしさま》でございます。|幸《さいは》ひ|妾《わらは》はお|所在《ありか》を|存《ぞん》じてをりますれば、|何《なん》ならお|知《し》らせ|申《まを》しても|宜《よろ》しうございます』
『|大王様《だいわうさま》も|御存《ごぞん》じでいらつしやるのかな』
シ『イエイエ、どうしてどうして|御存《ごぞん》じがございませうぞ。|妾《わらは》はアリナ|様《さま》から|詳《くは》しう|承《うけたまは》つてをります』
『|成《な》るほど、ア、そりやおでかしなさつた。それでは|太子《たいし》を|捕虜《ほりよ》となし、|再《ふたた》びこの|世《よ》に|上《あ》がれないやうに|取計《とりはから》ひ、|一時《いちじ》も|早《はや》くアリナさまを|迎《むか》へて|王位《わうゐ》に|即《つ》かせ、|新《あらた》に|華燭《くわしよく》の|典《てん》を|挙《あ》げさせ、|国政《こくせい》の|重任《ぢうにん》を|背負《せお》つて|立《た》つて|頂《いただ》かねばなりませぬから、どうぞお|二方《ふたかた》の|所在《ありか》を|明細《めいさい》にお|知《し》らせ|下《くだ》さいませ』
『これ|右守様《うもりさま》、|高《たか》うは|言《い》はれませぬ。|天《てん》に|口《くち》、|壁《かべ》に|耳《ゐゐ》、どうかお|耳《みみ》をお|貸《か》し|下《くだ》さいませ』
と|言《い》ひながら|右守《うもり》の|耳許《みみもと》にて|何事《なにごと》かクシヤクシヤと|囁《ささや》いた。|右守《うもり》は|吾《わ》が|計略《けいりやく》|図《づ》に|当《あた》れりと|心中《しんちう》|雀躍《こをど》りしながらワザと|真面目《まじめ》を|粧《よそほ》ひ、
『イヤ|承知《しようち》いたしました。シノブ|殿《どの》、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。|大王《だいわう》の|手前《てまへ》、よしなにお|取《と》り|計《はか》らひを|願《ねが》ひます。そして|拙者《せつしや》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|目《め》も|悪《わる》く|足《あし》も|悪《わる》く、|且《か》つこのごろ|流行《りうかう》の|感冒《かんばう》に|犯《をか》されてをりますれば、|到底《たうてい》ここ|二三日《にさんにち》は|参内《さんだい》は|叶《かな》はないだらうと、そこは、それ、よろしく|言《い》つておいて|下《くだ》さい。|何《なに》よりも|太子《たいし》を|処分《しよぶん》し、アリナさまをお|迎《むか》へ|申《まを》すのが|焦眉《せうび》の|一大急務《いちだいきふむ》ですからな』
シノブは|心《こころ》の|中《なか》にて、
『しすましたり、|右守《うもり》の|司《かみ》も|比較的《ひかくてき》|組《くみ》しやすき|人物《じんぶつ》だ。|慾《よく》に|迷《まよ》うて|吾《わ》が|弁舌《べんぜつ》に|翻弄《ほんろう》され、|本音《ほんね》を|吐《は》き、かつ|妾《わらは》がためによくも|欺《あざむ》かれよつたな』
と|微笑《ほほゑ》みつつ|自分《じぶん》が|騙《だま》されてゐるのを、うまく|騙《だま》してやつたと|得意《とくい》になつてゐる。|実《じつ》にうすつぺらの|知恵《ちゑ》の|持主《もちぬし》である。|盤古神王《ばんこしんわう》、もしこの|場《ば》に|御降臨《ごかうりん》あらば|彼《かれ》が|心《こころ》を|憐《あは》れみ、|且《か》つ|笑《わら》はせ|玉《たま》ふであらう。
シノブは|欣然《きんぜん》として|右守《うもり》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|足《あし》もイソイソ|殿内《でんない》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つて|右守《うもり》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『アツハハハハハ、|到頭《たうとう》、シノブの|古狸《ふるだぬき》を|征服《せいふく》してやつた。|何《なに》ほど|利口《りこう》に|見《み》えてをつても|女《をんな》は|女《をんな》だ。|華族女学校《くわぞくぢよがくかう》の|校長《かうちやう》を|勤《つと》め|天下一《てんかいち》の|才女《さいぢよ》と|言《い》はれてゐる|女《をんな》でさへも、|葦野《あしの》の|如《ごと》き|怪行者《くわいぎやうしや》に|頤使《いし》され、|情《なさ》けの|種《たね》まで|宿《やど》し|馬鹿《ばか》を|天下《てんか》に|曝《さら》す|世《よ》の|中《なか》だから、|何《なに》ほど|偉《えら》いといつても、|女《をんな》はヤツパリ|女《をんな》だ、アツハハハハ。たうとうこの|右守《うもり》が|知恵《ちゑ》の|光《ひかり》に|晦《くら》まされ、|最愛《さいあい》の|夫《をつと》の|難儀《なんぎ》になる|事《こと》も|知《し》らず、|本音《ほんね》を|吹《ふ》いて|帰《かへ》りよつたわい、イツヒヒヒヒ』
かく|一人《ひとり》|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐる。そこへ|襖《ふすま》をソツと|押《おし》あけ|入《い》り|来《き》たりしはサクラン|姫《ひめ》であつた。
『|旦那様《だんなさま》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、それでこそ|妾《わらは》の|夫《をつと》、|右守《うもり》の|司様《かみさま》ですわ。|否《いな》|近《ちか》き|将来《しやうらい》における|国務総監様《こくむそうかんさま》。|本当《ほんたう》に、|知識《ちしき》の|宝庫《はうこ》とは|旦那様《だんなさま》の|事《こと》ですね。|妾《わらは》、|只今《ただいま》の|掛合《かけあ》ひを|襖《ふすま》を|隔《へだ》てて|一伍一什《いちぶしじう》|承《うけたまは》り、|旦那様《だんなさま》の、|非凡《ひぼん》な|端倪《たんげい》すべからざるお|知恵《ちゑ》には、ゾツコン|惚《ほ》れてしまつたのですよ、ホホホホ』
|右守《うもり》は|威猛高《ゐたけだか》になり、
『エツヘヘヘヘ、|俺《おれ》の|腕前《うでまへ》は、まア、ザツとこの|通《とほ》りだ。|俺《おれ》の|今後《こんご》の|活動《くわつどう》を|刮目《くわつもく》して|待《ま》つてゐるがよからう、イツヒヒヒヒ』
と|腕《うで》を|組《く》んだまま、|上下《じやうげ》に|身体《しんたい》を|揺《ゆ》すり、|床板《ゆかいた》までもメキメキと|泣《な》かしてゐる。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 北村隆光録)
第四篇 |月光徹雲《げつくわうてつうん》
第一四章 |会者浄離《ゑしやじやうり》〔一七三八〕
|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|若《わか》き|男女《だんぢよ》に|取《と》つては、|恋愛《れんあい》なるものは|実《じつ》に|生命《せいめい》の|源泉《げんせん》である。|恋愛熱《れんあいねつ》の|高潮《かうてう》した|時《とき》は、|倫理《りんり》|道徳《だうとく》の|覊絆《きはん》を|脱《だつ》し|理智《りち》を|捨《す》て、|富貴《ふうき》|何物《なにもの》ぞ、|名誉《めいよ》|何物《なにもの》ぞ、なほも|進《すす》んでは|親兄弟《おやきやうだい》を|忘《わす》れ、|朋友《ほういう》|知己《ちき》を|忘《わす》るるに|至《いた》る。しかしながら|恋愛《れんあい》そのものより|見《み》る|時《とき》は、|理智《りち》や|道徳《だうとく》の|範囲内《はんゐない》に|入《い》ることは|出来《でき》ぬ。どこまでも|拡大性《くわくだいせい》を|帯《お》び、かつ|流通性《りうつうせい》を|備《そな》へてゐる。もし|理智《りち》を|加味《かみ》した|恋愛《れんあい》ならば、|恋愛《れんあい》そのものの|生命《せいめい》は|既《すで》にすでに|滅亡《めつぼう》してゐるのである。|実《げ》にやタラハン|国《ごく》のスダルマン|太子《たいし》は、|尊貴《そんき》の|家《いへ》に|生《うま》れ|九五《きうご》の|位《くらゐ》に|上《のぼ》るべき|身《み》でありながら、|今年《ことし》|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へた|山奥《やまおく》|育《そだ》ちの|乙女《をとめ》に|満身《まんしん》の|心血《しんけつ》を|注《そそ》ぎ、|十二分《じふにぶん》に|恋《こひ》を|味《あぢ》ははむとして|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|忘《わす》れ、|父《ちち》が|瀕死《ひんし》の|状態《じやうたい》に|陥《おちい》りつつあることも|見捨《みす》てて、|大原山《おほはらやま》の|谷間《たにあひ》に|古《ふる》くより|立《た》てる|破《やぶ》れ|寺《でら》に|落《お》ち|延《の》び、ひそかに|恋《こひ》を|味《あぢ》はつてゐる。|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナは|太子《たいし》の|品行《ひんかう》を|乱《みだ》したる|大罪人《だいざいにん》として、|逮捕命令《たいほめいれい》を|出《だ》されたる|蔭裡《かげうら》の|身《み》、さすがに|繁華《はんくわ》な|都大路《みやこおほぢ》にも|住《す》み|兼《か》ね|比丘《びく》の|姿《すがた》に|身《み》を|窶《やつ》し、|昼《ひる》は|山林《さんりん》に|伏《ふ》し、|夜《よ》はトボトボと|野路《のぢ》を|伝《つた》うて、|広《ひろ》い|世界《せかい》に|吾《わ》が|身《み》|一《ひと》つの|置《お》き|所《どころ》もなく|彷徨《さまよ》ひ|廻《まは》りしが、|辛《から》うじて|大原山《おほはらやま》の|谷間《たにあひ》の|古《ふる》ぼけた|破《やぶ》れ|寺《でら》に|一夜《いちや》の|宿《やど》を|過《すご》さむと|立《た》ち|寄《よ》り|見《み》れば、|本堂《ほんだう》の|須弥壇《しゆみだん》の|後《うし》ろに|若《わか》き|男女《だんぢよ》の|囁《ささや》き|声《ごゑ》、|傷《きず》もつ|足《あし》のアリナは|暫《しば》し|佇《たたず》み|息《いき》を|凝《こ》らして|内《うち》の|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐた。
|因《ちなみ》にいふ、|彼《かれ》アリナは|殿中《でんちう》を|逃《に》げ|出《だ》す|時《とき》、|最愛《さいあい》のシノブに|囁《ささや》いていふ、
『|余《よ》はこれより|少時《しばし》の|間《あひだ》|大宮山《おほみややま》の|盤古神王《ばんこしんわう》の|社《やしろ》の|中《なか》に|潜伏《せんぷく》し、|世《よ》の|中《なか》のやや|治《をさ》まるをまつて|帰《かへ》り|来《き》たるべければ、|汝《なんぢ》はどこまでもこの|殿中《でんちう》を|離《はな》れな』
と|告《つ》げておいた。シノブはそれ|故《ゆゑ》アリナは|依然《いぜん》として、|大宮山《おほみややま》の|社殿《しやでん》の|中《なか》に|居《ゐ》るものとのみ|信《しん》じてゐたのである。|彼《かれ》が|右守《うもり》の|耳《みみ》に|囁《ささや》いたのも|矢張《やはり》これである。
○
スバール『|太子様《たいしさま》、|貴方《あなた》どこまでも|妾《わらは》を|見捨《みす》てず|愛《あい》して|下《くだ》さるでせうなア』
|太子《たいし》『ハハハハ。そんな|心配《しんぱい》はしてくれな。お|前《まへ》との|恋愛《れんあい》を|遂《と》げむがために、|太子《たいし》の|位《くらゐ》まで|捨《す》ててこんな|所《ところ》へ|匿《かく》れてゐるのぢやないか。お|父様《とうさま》は|御大病《ごたいびやう》、|何時《いつ》|御昇天《ごしようてん》|遊《あそ》ばすかも|知《し》れない、この|場合《ばあひ》にも|恋《こひ》にはかへられず、|世《よ》の|中《なか》の|粋《すゐ》を|知《し》らぬ|人間《にんげん》は|定《さだ》めて|余《よ》を「|不孝《ふかう》ものだ、|馬鹿者《ばかもの》だ、|腰抜《こしぬ》け|男《をとこ》だ」と|笑《わら》つてゐるだらう。|何《なに》ほど|笑《わら》はれてもお|前《まへ》の|愛《あい》には|換《か》へられないのだ』
『|殿下《でんか》がそのお|心《こころ》なら|妾《わらは》はどこまでも|貴方《あなた》に|貞操《ていさう》を|捧《ささ》げます。たとへ|野《の》の|末《すゑ》|深山《みやま》の|奥《おく》、|猛獣《まうじう》|毒蛇《どくじや》の|棲処《すみか》でも|殿下《でんか》と|共《とも》に|苦労《くらう》をするのなら|些《すこ》しも|厭《いと》ひませぬ。|山奥《やまおく》の|生活《せいくわつ》に|慣《な》れた|妾《わらは》でございますれば、|木《き》の|実《み》を|漁《あさ》り|芋《いも》を|掘《ほ》つてでもきつと|殿下《でんか》を|養《やしな》ひまする。どうぞ|御安心《ごあんしん》して|下《くだ》さいませ』
|太子《たいし》はスバールの|優《やさ》しき|言葉《ことば》に|絆《ほだ》されて|思《おも》はず|知《し》らず|落涙《らくるゐ》した。
『いや|殿下《でんか》は|泣《な》いていらつしやいますの。|妾《わらは》が|言《い》つた|言葉《ことば》がお|気《き》に|障《さは》りましたか。もし|障《さは》りましたら、どうか|御容赦《ごようしや》|下《くだ》さいませ』
『いやいや、|気《き》に|障《さは》るどころか、お|前《まへ》の|心《こころ》が|嬉《うれ》しうて|思《おも》はず|知《し》らず|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》が|迸《ほとばし》つたのだよ』
『エエ|勿体《もつたい》ないことを|仰《おほ》せられますな。|殿下《でんか》のためならば|命《いのち》を|捧《ささ》げても|満足《まんぞく》でございます。それにつけても|浅倉山《あさくらやま》の|谷間《たにあひ》に|残《のこ》しておいた|父上《ちちうへ》はどうしていらつしやるでせうか。|定《さだ》めて|都《みやこ》の|大変《たいへん》を|聞《き》き、|吾《わ》が|子《こ》はどうしてゐるかと、|御心配《ごしんぱい》を|遊《あそ》ばしてござるでせう。どうか|一度《いちど》|父《ちち》に|廻《めぐ》り|会《あ》うて、|二人《ふたり》が|無事《ぶじ》なところを|見《み》せたいものでございますわ』
『お|前《まへ》がさう|思《おも》ふのも|無理《むり》もない。|余《よ》だつてその|通《とほ》りだ。|殊《こと》に|病気《びやうき》の|父《ちち》を、あの|混乱状態《こんらんじやうたい》の|危《あや》ふい|中《なか》に|残《のこ》して、お|前《まへ》と|此処《ここ》に|忍《しの》んでゐる|心《こころ》はどれだけ|苦《くる》しいか。スバール、|私《わし》の|心《こころ》も|推量《すゐりやう》してくれ』
『|親《おや》も|大切《たいせつ》なり、また|恋愛《れんあい》もなほ|大切《たいせつ》なり、この|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふやうには|行《ゆ》かないものでございますなア』
『|山《やま》はさけ|海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも
|汝《な》が|身《み》を|恋《こ》ふる|心《こころ》は|散《ち》らじ』
『|有難《ありがた》し|太子《よつぎ》の|君《きみ》のみことのり
わが|胸板《むないた》を|射抜《いぬ》くやうなる』
『|父君《ちちぎみ》の|身《み》は|思《おも》はぬにあらねども
|恋《こひ》の|覊絆《きづな》に|引《ひ》かれてぞ|住《す》む』
『|恋衣《こひごろも》よしや|破《やぶ》るる|世《よ》ありとも
|君《きみ》が|赤心《まごころ》|如何《いか》で|忘《わす》れむ』
『よしやよし|吾《わ》が|身《み》は|野辺《のべ》に|朽《く》つるとも
|照《て》らして|行《ゆ》かむ|恋《こひ》の|暗路《やみぢ》は』
『|吾《わ》が|君《きみ》の|情《なさ》けの|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひて
|開《ひら》き|初《そ》めけり|梅《うめ》の|初花《はつはな》』
『|野《の》に|咲《さ》ける|白梅《しらうめ》の|花《はな》|手折《たを》りつつ
|今日《けふ》|山奥《やまおく》に|生《い》けて|見《み》るかな』
『|手折《たを》られて|生《い》けたる|花《はな》はいつの|世《よ》か
|萎《しほ》れむためしあるぞ|悲《かな》しき』
『|山奥《やまおく》の|匂《にほ》へる|梅《うめ》を|根《ね》こぎして
|都大路《みやこおほぢ》に|植《う》ゑつけて|見《み》む』
『|土埃《つちぼこり》|立《た》つ|都路《みやこぢ》は|梅《うめ》の|花《はな》も
|匂《にほ》ひのあするためしあるべし
いつまでもこの|山奥《やまおく》に|植《う》ゑられて
|実《み》を|結《むす》ぶなる|春《はる》に|遇《あ》ひたし』
『|恋《こひ》といふものの|辛《つら》きを|今《いま》ぞ|知《し》る
|嬉《うれ》し|悲《かな》しの|中《なか》を|隔《へだ》てて』
『|嘆《なげ》きつつ|又《また》|楽《たの》しみつ|喜《よろこ》びつ
|恋《こひ》の|淵瀬《ふちせ》に|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ』
『|恋《こひ》といふものに|涙《なみだ》のなかりせば
|枯木《かれき》の|如《ごと》く|淋《さび》しかるらむ』
『|遇《あ》ひ|見《み》ての|後《のち》の|心《こころ》は|猶更《なほさら》に
|昔《むかし》にまさる|恋衣《こひごろも》かな』
『|世《よ》の|中《なか》の|人《ひと》は|何《なん》とも|言《い》はば|言《い》へ
|不思議《ふしぎ》きはまる|恋《こひ》の|路芝《みちしば》』
『|恋《こひ》の|暗《やみ》わけ|行《ゆ》く|二人《ふたり》の|身《み》の|果《はて》は
|天津御国《あまつみくに》の|住《すま》ゐなるらむ』
『|目《ま》の|当《あた》り|天津御国《あまつみくに》に|遊《あそ》ぶなる
|恋《こひ》の|広道《ひろみち》|進《すす》む|吾《われ》なり』
アリナは|外《そと》より、
『|吾《わ》が|慕《した》ふ|太子《よつぎ》の|君《きみ》はこの|寺《てら》に
たしか【ありな】と|尋《たづ》ね|来《き》しかな
|都路《みやこぢ》の|百《もも》の|騒《さわ》ぎを|余所《よそ》にして
|深山《みやま》の|奥《おく》に|居《ゐ》ます|君《きみ》かな
スバールの|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》ましますか
|優《やさ》しき|声《こゑ》の|吾《わ》が|耳《みみ》に|入《い》る』
|太子《たいし》『|夢現《ゆめうつつ》あこがれゐたりし|汝《なれ》の|声《こゑ》
|耳《みみ》に|入《い》るこそ|嬉《うれ》しかりけり
|村肝《むらきも》の|心《こころ》|嬉《うれ》しく|吾《わ》が|胸《むね》の
|高鳴《たかな》り|如何《いか》に|止《と》むるよしなし』
|太子《たいし》はスバールと|共《とも》に|須弥壇《しゆみだん》の|裏《うら》より|表《おもて》に|出《い》で、すつくと|立《た》てる|比丘姿《びくすがた》のアリナを|見《み》るより、|吾《われ》を|忘《わす》れて|駈《か》けより、|堅《かた》くその|手《て》を|握《にぎ》り|涙《なみだ》を|腮辺《しへん》に|垂《た》らしながら、
『ヤア、アリナ、よく|尋《たづ》ねて|来《き》てくれた。|遇《あ》ひたかつた、|見《み》たかつたぞや』
アリナ『ヤ|殿下《でんか》、よくまア|無事《ぶじ》でゐて|下《くだ》さいました。|今《いま》の|殿下《でんか》の|安全《あんぜん》なる|御様子《ごやうす》を|見《み》て、|私《わたし》は|最早《もはや》この|世《よ》に|思《おも》ひの|残《のこ》る|事《こと》はございませぬ。|御覧《ごらん》のごとく|私《わたくし》は|修験者《しゆげんじや》となり、|世《よ》の|中《なか》の|一切《いつさい》と|断《た》ち、|山《やま》に|伏《ふ》し|野《の》に|寝《い》ね、|一生《いつしやう》を|念仏三昧《ねんぶつざんまい》に|送《おく》る|考《かんが》へでございます。|一笠《いつりふ》|一蓑《いつさ》|一杖《いちぢやう》の|雲水《うんすゐ》の|身《み》の|上《うへ》、|何処《どこ》の|並木《なみき》の|肥《こえ》にならうやら、|再《ふたた》び|殿下《でんか》の|御壮健《ごさうけん》のお|顔《かほ》を|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》ますやら、|味気《あぢき》なき|浮世《うきよ》でございますれば、|何事《なにごと》も|因縁《いんねん》づくだと|諦《あきら》め、どうか|私《わたし》にお|暇《ひま》を|下《くだ》さいませ。そして|殿下《でんか》はスバール|姫様《ひめさま》と|末永《すゑなが》く|恋《こひ》を|味《あぢ》はつて|頂《いただ》きたうございます』
|太子《たいし》はほつと|一息《ひといき》|吐《つ》きながら、|青《あを》ざめたる|顔《かほ》にて|力《ちから》なげにアリナの|手《て》を|揺《ゆ》すりながら、
『オイ、アリナ、も|一度《いちど》|思《おも》ひ|直《なほ》して|都《みやこ》に|帰《かへ》つてくれる|事《こと》は|出来《でき》ないか。|余《よ》は|最早《もはや》|王位《わうゐ》を|捨《す》てて|妻《つま》と|共《とも》に|乞食生活《こじきせいくわつ》を|送《おく》る|決心《けつしん》ではあるが、そなたは|時勢《じせい》を|解《かい》した|前途有望《ぜんというばう》の|青年《せいねん》、|今《いま》から|修験者《しゆげんじや》となつて|朽《く》ち|果《は》つるは|国家《こくか》のため|惜《を》しい|事《こと》だ。どうか|父《ちち》を|助《たす》けて|再《ふたた》びタラハン|城《じやう》の|柱石《ちうせき》となり、|余《よ》が|意志《いし》を|継《つ》いではくれまいか』
アリナは|声《こゑ》を|湿《うる》ませながら、|涙《なみだ》を|両眼《りやうがん》にしたたらして、
『|殿下《でんか》の|思召《おぼしめ》しは|実《じつ》に|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。しかしながら|最早《もはや》|今日《こんにち》の|私《わたくし》は|刑状持《けいじやうも》ちでございます。たとへ|大赦《たいしや》を|蒙《かうむ》つて|再《ふたた》び|都《みやこ》の|地《ち》へ|無事《ぶじ》に|帰《かへ》りませうとも、|民心《みんしん》を|失《うしな》つた|父《ちち》|左守《さもり》の|伜《せがれ》でございますれば、どうして|国民《こくみん》が|私《わたくし》の|赤心《まごころ》を|認《みと》めてくれませう。もはや|私《わたくし》は|政治慾《せいぢよく》に|放《はな》れました。そして|情慾《じようよく》も|断《た》ちました。|雲水《うんすゐ》を|友《とも》として|天下《てんか》の|民情《みんじやう》を|視察《しさつ》し|一生《いつしやう》を|送《おく》る|考《かんが》へでございますから、どうか|此《この》|事《こと》ばかりは|仰《おほ》せられないやうにお|願《ねが》ひいたします』
|太子《たいし》は|太《ふと》き|吐息《といき》をつきながら、
『アア|是非《ぜひ》もない。タラハンの|国家《こくか》は|最早《もはや》|滅亡《めつぼう》したのかなア』
スバールはアリナの|前《まへ》に|進《すす》み|出《い》で、|悲嘆《ひたん》の|涙《なみだ》にくれながら、
『アリナ|様《さま》、|貴方《あなた》はまア|何《なん》と|見《み》すぼらしいお|姿《すがた》におなり|遊《あそ》ばしたのですか、おいとしうございます』
アリナ『いや、これはこれは|姫様《ひめさま》、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|私《わたくし》の|心《こころ》から|斯《か》やうに|零落《おちぶ》れたのでございます。|今《いま》の|境遇《きやうぐう》は|私《わたくし》の|身《み》にとつて|結局《けつきよく》|幸福《かうふく》でございます。|一箪《いつたん》の|食《しい》|一瓢《いつぺう》の|飲《いん》、|山水《さんすゐ》を|友《とも》として|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》するのも|亦《また》|一興《いつきよう》でございます。どうぞ|私《わたくし》の|身《み》については|御懸念《ごけねん》|下《くだ》さいますな』
ス『|待《ま》ち|佗《わ》びし|親《した》しき|友《とも》と|廻《めぐ》り|会《あ》ひ
またも|嘆《なげ》きの|種《たね》をまくかな
|如何《いか》にせむ|逸《はや》り|男《をのこ》の|敏心《とごころ》を
|止《とど》めむ|力《ちから》の|欠《か》けし|吾《わ》が|身《み》は』
ア『|何事《なにごと》も|神《かみ》の|守《まも》らす|世《よ》の|中《なか》に
|人《ひと》の|思《おも》ひの|通《とほ》るべしやは
|行《ゆ》く|雲《くも》の|空《そら》を|眺《なが》めて|折《をり》をりに
|吾《わ》が|身《み》の|末《すゑ》を|偲《しの》び|来《き》にけり』
|太《たい》『|右左《みぎひだり》たがひに|袂《たもと》を|別《わか》つとも
|魂《たま》はたがひに|添《そ》ひてありけむ』
ア『|有難《ありがた》し|忝《かたじけ》なしと|拝《をが》むより
|外《ほか》に|術《すべ》なき|今日《けふ》の|吾《われ》かな
|吾《わ》が|君《きみ》の|貴《うづ》の|御心《みこころ》いつもながら
|身《み》に|染《し》み|渡《わた》り|涙《なみだ》こぼるる』
|太《たい》『|世《よ》の|中《なか》に|汝《なれ》とスバール|姫《ひめ》おきて
|外《ほか》に|力《ちから》と|頼《たの》むものなし
|片腕《かたうで》をもがれしごとき|心地《ここち》して
|今《いま》|別《わか》れ|行《ゆ》く|胸《むね》の|苦《くる》しさ』
ス『|如何《いか》にしてアリナの|君《きみ》の|御心《みこころ》を
|翻《ひるがへ》さむか|果敢《はか》なきの|世《よ》や』
ア『|姫君《ひめぎみ》よ|心《こころ》やすけく|思召《おぼしめ》せ
|汝《なれ》には|神《かみ》の|守《まも》りありせば
|吾《わ》が|君《きみ》も|汝《なれ》も|吾《わ》が|身《み》も|神《かみ》の|御子《みこ》
|神《かみ》の|捨《す》てさせたまふべしやは
いざさらば|太子《よつぎ》の|御子《みこ》と|姫君《ひめぎみ》に
|惜《お》しき|袂《たもと》を|別《わか》ち|行《ゆ》かなむ
いつまでも|安《やす》く|健在《まさきく》おはしませ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|濡《ぬ》れつつ』
かく|別《わか》れの|歌《うた》を|残《のこ》してアリナは|又《また》もや|法螺貝《ほらがひ》を|吹《ふ》き、|山野《さんや》の|邪気《じやき》を|清《きよ》めながら、どこを|当《あて》ともなく|山奥《やまおく》さして|進《すす》み|入《い》る。|後《あと》|見送《みおく》つて|太子《たいし》、スバールは|大地《だいち》に|転《ころ》び|伏《ふ》し、
『オーイオーイ、アリナよアリナよ、も|一度《いちど》|顔《かほ》を|見《み》せてたべ』
と|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|法螺《ほら》の|音《ね》の|響《ひび》きに|遮《さへぎ》られて、|二人《ふたり》の|声《こゑ》は|彼《かれ》の|耳《みみ》に|入《い》らぬものの|如《ごと》く、|後《あと》をも|振《ふ》り|返《かへ》らず、|足早《あしばや》に|密樹《みつじゆ》の|蔭《かげ》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。
アリナは|道々《みちみち》|歌《うた》ふ、
『|雲霧《くもきり》|四方《よも》に|塞《ふさ》がりて |黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|常暗《とこやみ》の
|獣《けもの》の|世《よ》とはなりにけり |朝日《あさひ》は|空《そら》に|昇《のぼ》れども
|下界《げかい》を|照《て》らすよしもなく |月《つき》は|地中《ちちう》に|潜《ひそ》めども
|世《よ》をあかすべき|術《すべ》もなし |雲井《くもゐ》の|空《そら》は|日《ひ》に|月《つき》に
|怪《あや》しき|星《ほし》の|出没《しゆつぼつ》し |妖邪《えうじや》の|空気《くうき》を|地《ち》の|上《うへ》に
|散布《さんぷ》しながら|火《ひ》の|雨《あめ》や |剣《つるぎ》の|雨《あめ》を|吹《ふ》きおろす
|風《かぜ》の|響《ひび》きも|何《なん》となく |滅《ほろ》びの|声《こゑ》と|聞《き》こゆなり
|虎《とら》|狼《おほかみ》や|獅子《しし》|熊《くま》の |吠《ほ》え|猛《たけ》る|野《の》を|進《すす》み|往《ゆ》く
|吾《わ》が|身《み》は|神《かみ》に|守《まも》られて いや|永久《とこしへ》の|臥床《ふしど》をば
|求《もと》めて|進《すす》む|修験者《しゆげんじや》 |神《かみ》が|此《この》|世《よ》にましまさば
|曇《くも》り|果《は》てたる|世《よ》の|中《なか》を |一度《いちど》は|照《て》らさせたまふべし
いかに|権威《けんゐ》があればとて |神《かみ》ならぬ|身《み》の|人草《ひとぐさ》の
いかでか|此《この》|世《よ》が|治《をさ》まらむ そも|人間《にんげん》は|神《かみ》の|子《こ》と
|誇《ほこ》りまつれど|実際《じつさい》は |夏《なつ》の|草葉《くさば》に|宿《やど》りたる
|旭《あさひ》の|前《まへ》の|露《つゆ》の|身《み》ぞ |永遠無窮《えいゑんむきう》の|神業《しんげふ》に
|如何《いか》でか|仕《つか》へまつるべき ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ |吾《わ》が|行《ゆ》く|後《あと》のタラハンの
|神《かみ》の|造《つく》りし|御国《おんくに》を いとも|平《たひ》らに|安《やす》らかに
|守《まも》らせたまひて|大王《だいわう》の |万機《ばんき》の|政《まつり》を|助《たす》けませ
|心《こころ》|汚《きたな》き|吾《わ》が|父《ちち》の |深《ふか》き|罪《つみ》をば|赦《ゆる》しませ
|右守《うもり》の|司《かみ》の|逆心《ぎやくしん》を |戒《いまし》めたまひて|御代《みよ》のため
|天《あめ》が|下《した》なる|人草《ひとぐさ》を |労《いたは》り|助《たす》けタラハンの
|国《くに》の|司《つかさ》と|歌《うた》はれて |名《な》を|万世《ばんせい》に|残《のこ》すべく
|鞭《むち》うちたまへ|大御神《おほみかみ》 ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
まづ|第一《だいいち》にタラハンの |君《きみ》の|太子《よつぎ》とましませる
|若君様《わかぎみさま》のお|身《み》の|上《うへ》 |守《まも》らせたまひて|永久《とこしへ》に
|国《くに》の|柱《はしら》と|立《た》ちたまひ |吾《わ》が|国民《くにたみ》の|幸福《かうふく》を
|来《き》たさせたまふ|名君《めいくん》と ならしめたまへ|大御神《おほみかみ》
|深《ふか》く|包《つつ》みし|恋雲《こひぐも》を |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|天《あめ》と|地《つち》とは|清《きよ》らけく |明《あ》け|渡《わた》りたる|御心《みこころ》に
かへし|玉《たま》へよ|惟神《かむながら》 ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る』
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 加藤明子録)
第一五章 |破粋者《やぶれすゐしや》〔一七三九〕
|那美山《なみやま》の|南麓《なんろく》、|秋野ケ原《あきのがはら》の|片隅《かたすみ》に|古《ふる》ぼけた|茅葺《かやぶ》きの|水車小屋《すゐしやごや》が|建《た》つてゐる。|附近《あたり》に|人家《じんか》もなく、|見《み》わたす|限《かぎ》り、|東南西《とうなんせい》の|三方《さんぱう》は|原野《げんや》の|萱草《かやぐさ》が|天《てん》に|連《つら》なつてゐる。この|水車小屋《すゐしやごや》は|水車《みづぐるま》の|枠《わく》も|損《そん》じ|杵《きね》も|折《を》れ、|所《ところ》どころに|雨《あめ》もりがして、|今《いま》は|全然《ぜんぜん》|活動《くわつどう》を|中止《ちうし》してゐる。カーク、サーマンの|二人《ふたり》は|何事《なにごと》かこの|茅屋《あばらや》に|秘密《ひみつ》の|蔵《ざう》するものの|如《ごと》く、お|勤《つと》め|大事《だいじ》と|蛙面《かはづづら》をさらして|仁王《にわう》の|如《ごと》く|仕《つか》へながら、|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
カーク『オイ、サーマン、この|間《あひだ》は|随分《ずゐぶん》|骨《ほね》が|折《を》れたぢやないか。あの|古寺《ふるでら》へ|十人《じふにん》づつの|手下《てした》を|引《ひ》きつれ、つかまえに|行《い》つた|時《とき》や、|俺《おれ》も「|到底《たうてい》こいつア|駄目《だめ》かなア……」と|一時《いちじ》は|匙《さぢ》を|投《な》げたが、|断《だん》じて|行《おこな》へば|鬼神《きじん》もこれを|避《さ》くとかいつて、たうとう|物《もの》にした。あの|時《とき》に|俺《おれ》の|勇気《ゆうき》が|途中《とちう》に|挫《くじ》けやうものなら、サツパリ|目的物《もくてきぶつ》は|取逃《とりのが》し、|百円《ひやくゑん》づつの|懸賞金《けんしやうきん》は|駄目《だめ》になるところだつた。|汝《きさま》たちも|俺《おれ》のお|蔭《かげ》で、|百円《ひやくゑん》の|大金《たいきん》にありついたのだから、チツとは|俺《おれ》の|恩恵《おんけい》も|知《し》つてゐるだらうな』
サーマン『ヘン、|偉《えら》さうにいふない。|汝《きさま》は|太子《たいし》の|一瞥《いちべつ》に|会《あ》うて、ビリビリと|震《ふる》ひ|出《だ》し、|地上《ちじやう》へ|平太張《へたば》つて、|息《いき》をつめ、|物《もの》さへ|碌《ろく》によう|言《い》はなかつたぢやないか。その|時《とき》、|俺《おれ》が「オイ、カーク、しつかりせぬかい」と|靴《くつ》で|汝《きさま》の|尻《けつ》を|蹴《け》つてやつたので、|漸《やうや》く|輿《みこし》を|上《あ》げよつたぢやないか。|行《い》きなり、|女《あま》つちよに|睾丸《きんたま》をつかまれて|悲鳴《ひめい》をあげて|青《あを》くなり、|歯《は》をくひしばり|白目《しろめ》ばかりにしやがつて、フンのびた|時《とき》のザマつたらなかつたよ、あまり|偉《えら》さうにいふものぢやないワ』
『それだつて、|太子《たいし》のカークれ|場所《ばしよ》はこの|古寺《ふるでら》だと、カーク|信《しん》をもつて|報告《はうこく》したのは|俺《おれ》ぢやないか。それだから|何《なん》と|言《い》つても|俺《おれ》は|功名手柄《こうみやうてがら》の|一番槍《いちばんやり》、|誉《ほま》れは|天下《てんか》にカークカークたるものだ』
『|何《なに》ほど|発見者《はつけんしや》だと|言《い》つても、ヤツパリ|俺《おれ》の|勇気《ゆうき》がなかつたら、|汝《きさま》はあの|山奥《やまおく》で|冷《つめ》たくなり、|狼《おほかみ》どもの|餌食《ゑじき》になつてゐる|代物《しろもの》だ。|命《いのち》の|親《おや》のサーマンさまだぞ。オイ|百両《ひやくりやう》の|内《うち》|五十両《ごじふりやう》ぐらゐ|俺《おれ》にボーナスを|出《だ》しても、あまり|損《そん》はいくまいぞ。|五十両《ごじふりやう》で|命《いのち》が|助《たす》かつたと|思《おも》へば|安《やす》いものだ。|俺《おれ》の|名《な》を|聞《き》いても|一切衆生《いつさいしゆじやう》が|成仏《じやうぶつ》するんだからなア』
『ヘン、|慾《よく》なことをいふない。こつちの|方《はう》へ|五十両《ごじふりやう》よこせ。|右守《うもり》の|大将《たいしやう》、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|平等《びやうどう》に、|皆《みな》|百円《ひやくゑん》づつ|渡《わた》しやがつたものだから、|論功行賞《ろんこうかうしやう》の|点《てん》において、|非常《ひじやう》に|不公平《ふこうへい》があるのだ。|俺《おれ》やモウこんな|淋《さび》しい|所《ところ》で、|一ケ月《いつかげつ》わづか|十円《じふゑん》やそこらの|月給《げつきふ》を|貰《もら》つてをるこた|厭《いや》になつた。|俺《おれ》やモウ|明日《あした》から|辞職《じしよく》するから、|汝《きさま》|一人《ひとり》で|番《ばん》するがよからう。|汝《きさま》は|自《みづか》ら|称《しよう》して|救《すく》ひの|神《かみ》だと|言《い》つてゐやがるから、|虎《とら》が|来《き》たつて、|狼《おほかみ》が|来《き》たつて|大丈夫《だいぢやうぶ》だらう、ウツフフフ。【とつけ】もない|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれたものだ、イツヒヒヒヒ』
『コリヤ、カーク、あまり|馬鹿《ばか》にするない。お|経《きやう》の|文句《もんく》にも、「|曩莫三満多《なうまくさーまんだ》」といふ|事《こと》があるぢやないか。「|三満多《さーまんだ》」さへ|唱《とな》へたら、|三災七厄《さんさいしちやく》も|立所《たちどころ》に|消滅《せうめつ》し、|豺狼《さいらう》|毒蛇《どくじや》|盗人《ぬすびと》の|難《なん》も、|火難《くわなん》|水難《すゐなん》|剣《けん》の|難《なん》も、|一遍《いつぺん》に|逃《のが》れるという|結構《けつこう》なお|経《きやう》だよ。その|名《な》をつけてるサー|満《まん》だから、|俺《おれ》は|即《すなは》ち|天下《てんか》の|救世主《きうせいしゆ》サーマンといふのだ、エツヘヘヘヘ』
『しかし|地下室《ちかしつ》の|太子《たいし》はどうしてゐるだらう。|舌《した》でも|噛《か》んで|死《し》によつたら|大変《たいへん》だがなア。「どこまでも|殺《ころ》さないやうにせ、|飲食物《いんしよくぶつ》を|与《あた》へず、|干殺《ほしころ》せ」と、|右守司《うもりのかみ》の|御内命《ごないめい》だから、|自殺《じさつ》でもやられちや、|忽《たちま》ち|俺等《おれたち》の|首問題《くびもんだい》だぞ』
『そんな|心配《しんぱい》はすな。|何《なん》というても|隣室《りんしつ》に|古今無双《ここんむさう》の|美人《びじん》が|這入《はい》つてゐるのだもの、あの|細《ほそ》い|窓《まど》の|穴《あな》から|互《たが》ひに|顔《かほ》を|覗《のぞ》き|合《あ》うて、|甘《あま》い|囁《ささや》きをつづけ、|楽《たの》しく|面白《おもしろ》く|平然《へいぜん》として|日夜《にちや》を|送《おく》られるかも|知《し》れぬ。|吾々《われわれ》|下司《げす》|下郎《げらう》の|心理状態《しんりじやうたい》とは|又《また》、|格別《かくべつ》|違《ちが》つたものだからのう』
『|何《なに》ほど|太子《たいし》だつて|美人《びじん》の|面《つら》ばかり|見《み》てをつても|腹《はら》は|膨《ふく》れないよ。|諺《ことわざ》にも「|腹《はら》がへつては|戦争《いくさ》が|出来《でき》ぬ」といふぢやないか。|饑渇《きかつ》に|迫《せま》つて|恋《こひ》だの|鮒《ふな》だのと、そんな|陽気《やうき》な|事《こと》|思《おも》うてゐられるか。|汝《きさま》もよほど|理解《りかい》のない|奴《やつ》だなア』
『ナアニ、「とかく|浮世《うきよ》は|色《いろ》と|酒《さけ》」と、|俗謡《ぞくえう》にもある|通《とほ》り、|飯《めし》よりも|酒《さけ》が|大事《だいじ》だ、|酒《さけ》よりも|大切《たいせつ》なは|色《いろ》だ。その|色女《いろをんな》とたとへ|隔《へだ》てはあるにしても、|毎日《まいにち》|顔《かほ》|見合《みあ》はして、|甘《あま》つたるい|事《こと》いつて|楽《たの》しんでゐる|太子《たいし》の|胸中《きようちう》は、|暖風《だんぷう》|春《はる》の|野《の》を|渡《わた》るがごとき|心持《こころも》ちでゐられるだらうよ。|恋《こひ》は|生命《せいめい》の|源泉《げんせん》だといふぢやないか。|俺《おれ》だつてあんな|美人《びじん》に|恋《こひ》されるのなら、|百日《ひやくにち》や|千日《せんにち》、|一杯《いつぱい》の|水《みづ》を|呑《の》まいでも、|一椀《いちわん》の|食《しよく》をとらいでも|得心《とくしん》だ。|何《なん》と|言《い》つても|天下《てんか》の|名誉《めいよ》だからなア』
『アツハハハハ、|法外《はふはづ》れの|馬鹿野郎《ばかやらう》だなア。|飲食物《いんしよくぶつ》を|断《た》てば|人間《にんげん》は|死《し》ぬぢやないか、「|死《し》んで|花実《はなみ》が|咲《さ》くものか」といふ|俗謡《ぞくえう》があるだらう。|世《よ》の|中《なか》は|命《いのち》が|資本《しほん》だ。|人間《にんげん》は|飲食物《いんしよくぶつ》を|取《と》り|命《いのち》を|完全《くわんぜん》に|保《たも》つてこそ、|恋《こひ》といふものの|味《あぢ》はひが|分《わか》るのだ。|筍笠《たけのこがさ》のやうに|骨《ほね》と|皮《かは》と|筋《すぢ》とになつて|痩衰《やせおとろ》へ|胃病薬《ゐびやうやく》の|看板《かんばん》のやうに|壁下地《かべしたぢ》が|現《あら》はれ、|手足《てあし》は|筋骨《すぢぼね》|立《た》つて|竹細工《たけざいく》に|濡《ぬ》れ|紙《がみ》をはつたやうなスタイルになつては、|恋《こひ》も|宮《みや》もあつたものかい』
『|恋《こひ》でも|宮《みや》でもないよ。|海魚《うみざかな》の|王《わう》たる|鯛子様《たひしさま》だ。それだから|太子霊従《たいしれいじう》の|行動《かうどう》を|遊《あそ》ばすのだ。|政治《せいぢ》なんか|如何《どう》でもよい、|親《おや》なんか|如何《どう》でもよい、|自分《じぶん》の|恋《こひ》の|慾望《よくばう》さへ|遂《と》げれば|人生《じんせい》はそれで|可《い》いのだ……などと|言《い》つて、あらう|事《こと》か、あろまい|事《こと》か、|山海《さんかい》に|等《ひと》しき|養育《やういく》の|恩《おん》を|受《う》けた|父親《てておや》の|難病《なんびやう》を|見捨《みす》てて、|好《す》いた|女《をんな》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて|随徳寺《ずゐとくじ》をきめこむといふ|粋《すゐ》なお|方《かた》だからなア』
『それだから|親《おや》の|罰《ばち》が|当《あた》つて、こんな|所《ところ》へ|投《な》げ|込《こ》まれたのだ。つまり|吾《わ》が|身《み》から|出《で》た|錆《さび》だから、|気《き》の|毒《どく》でも|仕方《しかた》がないぢやないか。「|天《てん》のなせる|災《わざはひ》は|或《あるひ》は|避《さ》くるを|得《う》べし。|自《みづか》らなせる|災《わざはひ》はさくべからず」といふ|教《をしへ》がある。|丁度《ちやうど》それにテツキリ|符合《ふがふ》してゐるぢやないか。|虎《とら》か|山犬《やまいぬ》のやうに|檻《をり》の|中《なか》へ|放《ほ》り|込《こ》まれて、|飲食物《いんしよくぶつ》を|与《あた》へられず、|悶《もだ》え|苦《くる》しんでゐるとは、|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》|千万《せんばん》だ。しかしながら|之《これ》も|自業自得《じごふじとく》だから|仕様《しやう》がないワ』
『さう|悪口《わるくち》を|言《い》ふものぢやない。|汝《きさま》だつて|俺《おれ》だつて|百円《ひやくゑん》の|大金《たいきん》にありつき、|女房《にようばう》に|立派《りつぱ》な|着物《きもの》の|一枚《いちまい》も|買《か》つてやれたのは、|体主霊従様《たいしゆれいじうさま》が、アアいふ|事《こと》をして|下《くだ》さつたお|蔭《かげ》ぢやないか。あまり|粗末《そまつ》にすると|冥加《みやうが》が|悪《わる》いぞ。オイ|汝《きさま》、|何《なん》とかして|焼芋《やきいも》のヘタでも|買《か》つて|来《き》て、ソツと|放《ほ》りこんだらどうだ。そのくらゐな|人情《にんじやう》はあつても、あまり|罰《ばち》ア|当《あた》るまいぞ』
『|馬鹿《ばか》いふな、そんな|事《こと》をしやうものなら、|俺《おれ》たちの|身《み》の|破滅《はめつ》だ。|何《なん》と|言《い》つても|自己愛《じこあい》|世間愛《せけんあい》の|尊重《そんちよう》される|世《よ》の|中《なか》に、そんな|宋襄《そうじやう》の|仁《じん》は|止《や》めたが|可《よ》からう。|吾《わ》が|身《み》の|保護上《ほごじやう》|険呑至極《けんのんしごく》だぞ』
『それでも|汝《きさま》、|万々一《まんまんいち》|太子《たいし》が|再《ふたた》び|世《よ》に|出《で》られ、|王者《わうじや》に|成《な》られた|時《とき》は|如何《どう》するつもりだ。|俺《おれ》を|苦《くる》しめよつたといつて、|首《くび》をうたれても|仕方《しかた》あるまい。さうだから|今《いま》の|内《うち》にチツとぐらゐ|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》を|払《はら》つて、|焼芋《やきいも》のヘタぐらゐは|恵《めぐ》んでおく|方《はう》が、|自己愛《じこあい》の|精神上《せいしんじやう》|最《もつと》も|賢明《けんめい》な|行《や》り|方《かた》ぢやないか』
『ヘン、モウかうなつた|以上《いじやう》は|籠《かご》の|鳥《とり》だ。|天《てん》が|地《ち》になり、|地《ち》が|天《てん》となり、|太陽《たいやう》が|西《にし》から|上《あが》る|事《こと》があつても、|世《よ》に|出《で》るやうな|事《こと》があるものか。ともかく|長《なが》い|者《もの》にはまかれ、|強《つよ》い|者《もの》の|前《まへ》には|尾《を》をふつて|従《したが》ふのが、|自己保存上《じこほぞんじやう》|唯一《ゆゐいつ》の|良法《りやうはふ》だ。|俺《おれ》は|断《だん》じて|何物《なにもの》も|与《あた》へないつもりだよ』
『|汝《きさま》、さういふけれど、|太子《たいし》の|死《し》なない|内《うち》に|右守《うもり》の|司《かみ》の|陰謀《いんぼう》が|露顕《ろけん》し、|太子《たいし》の|在処《ありか》が|分《わか》つて、|立派《りつぱ》な|役人《やくにん》どもがお|迎《むか》へに|来《き》たとすれば、「その|時《とき》や|大切《だいじ》にしておきやよかつたに」と、|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|悔《くや》むでも、もはや|及《およ》ばぬ|後《あと》の|祭《まつ》りだ。|六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》|十日《とをか》の|菊《きく》だ。それだから|汝《きさま》の|利益上《りえきじやう》、|俺《おれ》がソツと|忠告《ちうこく》するのだ』
『|俺《おれ》は|断《だん》じてそんな|女々《めめ》しい|卑屈《ひくつ》な|事《こと》はせないよ。|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へといふぢやないか。|権威《けんゐ》|赫々《かくかく》として、|月日《じつげつ》の|如《ごと》く|輝《かがや》き|亘《わた》る|右守《うもり》の|君《きみ》にさへ、お|気《き》に|入《い》れば|可《い》いのだ。オイ|汝《きさま》、|地下室《ちかしつ》へ|行《い》つて、|一寸《ちよつと》|査《しら》べて|来《こ》い。|俺《おれ》や|此処《ここ》で|外面《ぐわいめん》の|看視《かんし》に|当《あた》るから……』
|太子《たいし》は|地下室《ちかしつ》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》まれて|今日《けふ》で|三日《みつか》、|一飲一食《いちいんいつしよく》もせず、|細《ほそ》い|狭《せま》い|窓《まど》を|覗《のぞ》いて、スバール|姫《ひめ》の|顔《かほ》をかすかに|眺《なが》め、それをせめてもの|慰《なぐさ》めとなし、|死期《しき》の|至《いた》るを|従容《しようよう》として|待《ま》つてゐた。そこへ|看視役《かんしやく》のサーマンがやつて|来《き》て、
『モシモシ|太子様《たいしさま》、|貴《たふと》き|御身《おんみ》をもつて、かやうな|処《ところ》に|断食《だんじき》の|御修業《ごしうげふ》を|遊《あそ》ばすとは|実《じつ》に|恐《おそ》れ|入《い》りましてございます。|私《わたくし》もタラハン|国《こく》の|国民《こくみん》の|一人《ひとり》でございますれば、|何《なん》とかして|殿下《でんか》に|対《たい》し|御恩報《ごおんはう》じが|致《いた》したい|考《かんが》へでございますが、|何分《なにぶん》|相棒《あいぼう》のカークといふ|奴《やつ》、|無情《むじやう》|冷酷《れいこく》なる|鬼畜《きちく》の|如《ごと》き|動物《どうぶつ》でございますから、|私《わたくし》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《き》き|入《い》れず、|何《なに》かお|腹《なか》にたまる|物《もの》を|差上《さしあ》げたいと|焦慮《せうりよ》してをりますが、もしそんな|事《こと》をいたしまして、|右守司《うもりのかみ》の|耳《みみ》へ|入《い》れば|忽《たちま》ち|私《わたくし》の|首《くび》は|一間先《いつけんさき》へ|転《ころが》り、ヤツと|叫《さけ》ぶ|間《ま》もなく|死出《しで》の|旅立《たびだ》ち、つまらない|事《こと》になつてしまひますなり、|殿下《でんか》の|御境遇《ごきやうぐう》は|察《さつ》し|参《まゐ》らしてをりますが、|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》いかんともする|事《こと》が|出来《でき》ませぬから、どうぞ|因縁《いんねん》づくぢやと|諦《あきら》めて、|姫様《ひめさま》の|顔《かほ》を|見《み》て|心《こころ》をお|慰《なぐさ》めなさいませ。|暗《やみ》があれば|明《あか》りもある|世《よ》の|中《なか》、|殿下《でんか》だつて|何時《いつ》までもかやうな|不運《ふうん》が|続《つづ》くものぢやございますまい。|屹度《きつと》|元《もと》の|貴《たつと》い|御位《みくらゐ》にお|上《のぼ》り|遊《あそ》ばす|事《こと》がないとも|限《かぎ》りませぬ、その|時《とき》にはどうぞ|私《わたくし》をお|引立《ひきた》て|下《くだ》さいませ。お|馬《うま》の|別当《べつたう》でも、お|馬車《ばしや》の|馭者《ぎよしや》にでも|結構《けつこう》でございますから……』
|太子《たいし》『ハハハハ|随分《ずゐぶん》|辞令《じれい》の|巧《たく》みな|野郎《やらう》だなア。それほど|親切《しんせつ》があるなれば、なぜ|余《よ》を|捕縛《ほばく》したのだ。|汝《きさま》が|二十人《にじふにん》の|悪人輩《あくにんばら》を|指揮《しき》して、|余《よ》を|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|投込《なげこ》むやうにいたしただないか。そんな|偽善的《ぎぜんてき》|同情《どうじやう》の|詞《ことば》は|聞《き》くも|汚《けが》らはしい、そちらへ|行《ゆ》け』
『それは|殿下《でんか》の|誤解《ごかい》と|申《まを》すものでございます。|私《わたくし》は|決《けつ》して|殿下《でんか》をお|苦《くる》しめ|申《まを》さうなどの|悪心《あくしん》はございませぬ。|元《もと》より|殿下《でんか》に|対《たい》し、|何《なん》の|怨《うら》みもない|私《わたし》でございますから』
『アツハハハハ|怨《うら》みはなからうが|恩恵《おんけい》は|味《あぢ》はつただらう。|余《よ》を|捕縛《ほばく》したために|百円《ひやくゑん》の|懸賞金《けんしやうきん》を|貰《もら》つたぢやないか』
『ハイ、ソリヤ|受取《うけと》りましたけれど、|女房《にようばう》の|着物《きもの》を|買《か》つたりなど|致《いた》しまして、|私《わたし》の|身《み》には|一文《いちもん》もつけた|覚《おぼ》えはございませぬ。|甘《うま》い|酒《さけ》の|一杯《いつぱい》も|呑《の》んだ|事《こと》もなく、つまり|全部《ぜんぶ》|嬶《かかあ》の|奴《やつ》にふんだくられてしまひました。どうか|恨《うら》みがあるなら|内《うち》の|嬶《かかあ》を|恨《うら》んで|下《くだ》さい。|一文《いちもん》も|儲《まう》けてゐない|私《わたくし》に|対《たい》し、そんなこと|仰有《おつしや》るのはあまり|御無理《ごむり》ぢやございませぬか』
『ハハハハ、|妙《めう》な|団子理窟《だんごりくつ》を|捏《こね》る|奴《やつ》だな。|汝《きさま》は|常識《じやうしき》をどこへやつたのだ』
『ハイ、|情色《じやうしき》は|女房《にようばう》が|内《うち》に|大切《たいせつ》に|保護《ほご》いたしてをります。|何《なに》ほど|夫婦《ふうふ》の|間柄《あひだがら》でも、かう|所《ところ》を|隔《へだ》つて|住《す》まつてをりますれば、|情色《じやうしき》の|楽《たの》しみも|到底《たうてい》|味《あぢ》はうことは|出来《でき》ませぬ』
『テモさても|情《なさ》けない|野郎《やらう》だなア。サ|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》れ』
『|殿下《でんか》、さうポンポンいふものぢやありませぬよ。|生殺与奪《せいさつよだつ》の|権《けん》は、いはば|間接《かんせつ》に|吾々《われわれ》が|握《にぎ》つてるやうなものですから、チツとは|監視役《かんしやく》の|私《わたくし》に|対《たい》しては、もうチツとばかり|丁寧《ていねい》に|仰有《おつしや》つても、あまり|御損《ごそん》にもなりますまい。あまりポンつき|遊《あそ》ばすと、あなたのお|為《ため》になりませぬぞや』
と|堅固《けんご》なる|檻《をり》に、|猛悪《まうあく》なる|虎《とら》を|押込《おしこ》めて、|外《そと》から|苛責《さいな》んでゐるやうな|心持《こころも》ちになつて、|下司《げす》|下郎《げらう》が|威張《ゐば》つてゐる。|隣《となり》の|室《しつ》よりスバール|姫《ひめ》は|窓《まど》をさし|覗《のぞ》きながら、
『あの|太子様《たいしさま》、|左様《さやう》な|獣《けだもの》に|相手《あひて》におなりなさいますな。|妾《わらは》は|残念《ざんねん》でございます』
|太《たい》『|成《な》るほど、そなたのいふ|通《とほ》りだ。|今後《こんご》は|何《なに》も|言《い》ふまい。オイ|野郎《やらう》ども、|邪魔《じやま》になる、|早《はや》く|上《うへ》へ|上《あが》つて、|水車小屋《すゐしやごや》の|立番《たちばん》でもいたせ』
と|大喝《だいかつ》され、さすがのサーマンも|首《くび》をすくめながら、|鼠《ねずみ》のやうに|此《この》|場《ば》を|逃去《にげさ》つた。カークはこの|間《あひだ》に|頬杖《ほほづゑ》を|突《つ》きながら、コクリコクリと|居睡《ゐねむ》つてゐた。
サ『コリヤコリヤ、カーク、|職務《しよくむ》を|大切《たいせつ》にせぬか、|白昼《はくちう》に|居睡《ゐねむ》るといふことがあるかい』
カ『ヤア、サーマンか、|俺《おれ》やチツとも|居睡《ゐねむ》つてはゐないよ。|俯《うつ》むいて|沈思黙考《ちんしもくかう》、|哲学《てつがく》の|研究《けんきう》をやつてゐたのだ』
『ヘーン、うまい|事《こと》いふない。|鼾《いびき》をかいてゐたぢやないか』
『きまつた|事《こと》だ。|哲学上《てつがくじやう》|鼾《いびき》の|原理《げんり》は|如何《いか》なるものなりやと、|実地《じつち》の|研究《けんきう》をやつてゐたのだ。|無学《むがく》|文盲《もんまう》な|汝《きさま》に|哲学《てつがく》の|研究《けんきう》が|解《わか》るか。それだから|常識《じやうしき》がないといふのだ』
『エー、|太子《たいし》にも、|情色《じやうしき》がないと|誹《そし》られ、また|汝《きさま》にも|情色《じやうしき》がないと|誹《そし》られ、|本当《ほんたう》に|男《をとこ》の|面《つら》はまるつぶれだ。しかしながら|余《あま》りいうて|貰《もら》ふまいかい。|女房《にようばう》がある|以上《いじやう》|情色《じやうしき》はあるぢやないか。|汝《きさま》こそ|鰥暮《やもめぐ》らしだから、|情色《じやうしき》なんか|味《あぢ》はつたこたあるまい』
『ハハハハ、|色情《しきじやう》と|常識《じやうしき》と|間違《まちが》へてゐやがるな。オイ、コラ、このカークはな、|天下一《てんかいち》の|男地獄《をとこぢごく》、|色魔《しきま》の|先生《せんせい》と|謳《うた》はれてきたものだよ。|汝等《きさまら》のやうな|唐変木《たうへんぼく》の|敢《あへ》て|窺知《きち》し|得《う》る|範囲《はんゐ》ぢやない。|鼠《ねずみ》とる|猫《ねこ》は|爪《つめ》|隠《かく》すといつてな。|女《をんな》のないやうな|面《つら》してる|奴《やつ》に、かへつて|女《をんな》が|沢山《たくさん》あるものだ。|汝《きさま》はこの|間《かん》の|消息《せうそく》を|知《し》らないから、|恋《こひ》や|情《じやう》を|語《かた》るに|足《た》らない|人物《じんぶつ》だ』
『ヘン、|仰有《おつしや》いますワイ、|汝《きさま》のやうな、|鳶《とび》の|巣《す》と|間違《まちが》へられるやうな|頭《あたま》の|毛《け》をモシヤモシヤと|生《は》え|茂《しげ》らせ、|和布《わかめ》の|行列然《ぎやうれつぜん》たる|着物《きもの》を|着《き》やがつて、|色魔《しきま》だの、|男地獄《をとこぢごく》だのと、そんなこと|吐《ぬか》す|柄《がら》ぢやあるまい。ヤツパリ|睡呆《ねとぼ》けてゐやがるな。オイ、そこの|小溝《こみぞ》で|手水《てうず》でも|使《つか》うて|来《こ》い』
『そこが|汝《きさま》らたちの|解《わか》らないところだ。……|恋《こひ》の|上手《じやうず》は|窶《やつ》れてかかる……と|言《い》つてな、|俺《おれ》のやうな|者《もの》が|却《かへ》つて|女《をんな》に|惚《ほ》れられるのだ。|汝《きさま》のやうに|女子《をなご》の|真似《まね》をして、|頭《あたま》にチツクをつけたり、|石灰《いしばひ》の|粉《こな》を|塗《ぬ》つたり、|嬶《かかあ》の|月経《つきやく》を|頬辺《ほほべた》に|塗《ぬ》つて、|色男然《いろをとこぜん》と|構《かま》へてる|奴《やつ》にや|女《をんな》の|方《はう》から|愛想《あいさう》をつかし、|唾《つば》でも|吐《は》つかけ|逃《に》げてしまふもんだ。|尻《しり》の|大砲《たいはう》や|肱《ひぢ》の|鉄砲《てつぱう》を|打《う》ちかけられ、|鳩《はと》が|豆鉄砲《まめでつぱう》を|喰《くら》つたやうな|面《つら》で|指《ゆび》を|喰《く》はへて、|女《をんな》の|後姿《うしろすがた》を|怨《うら》めしげに|眺《なが》めてゐる|代物《しろもの》は、|汝《きさま》のやうな|柔弱男子《にうじやくだんし》の|身《み》の|果《はて》だ。ヘン|馬鹿々々《ばかばか》しい』
『ほつといてくれ、|女房《にようばう》のある|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》と|嬶《かか》なしとは|到底《たうてい》|間《ま》が|合《あ》はんからのう。|汝《きさま》は|最前《さいぜん》|俺《おれ》を|無学《むがく》|文盲《もんまう》だと|言《い》ひよつたが、|汝《きさま》ぐらゐ|無学《むがく》|文盲《もんまう》な|奴《やつ》はあるまいよ。|無学《むがく》の|奴《やつ》を|称《しよう》して、ヨメないカカないと|言《い》ふぢやないか、ザマア|見《み》やがれ。これには|一句《いつく》もあるまい、イツヒヒヒヒ』
『コリヤ、そんなこたどうでもよい。|地下室《ちかしつ》の|様子《やうす》はどうだつたい。|隊長《たいちやう》に|報告《はうこく》せぬかい』
『なにも|報告《はうこく》すべき|原料《げんれう》がないぢやないか』
『ハハア、|汝《きさま》は|太子《たいし》に|叱《しか》りつけられ、|謝罪《あやま》つて|帰《かへ》つて|来《き》やがつたな。どうも|汝《きさま》の|素振《そぶ》りが|怪《あや》しいと|思《おも》つてゐたよ』
『|然《しか》り|然《しか》り、|然《しか》り|而《しか》うして|俺《おれ》の|方《はう》から|叱《しか》りつけて|来《き》たのだ。さすがの|太子《たいし》もオンオンと|声《こゑ》をあげて|泣《な》いてゐたよ。|何《なん》といつても|偉《えら》い|者《もの》だらう。|畏《おそ》れ|多《おほ》くもタラハン|城《じやう》の|太子《たいし》を|一言《いちごん》の|下《もと》に|叱咤《しつた》するといふ|蘇如将軍《そじよしやうぐん》のやうな|英雄《えいゆう》だからなア』
『ヘン、そんなことが|何《なに》|自慢《じまん》になるか。|堅固《けんご》な|檻《をり》の|中《なか》へ|這入《はい》つてゐる|以上《いじやう》は|太子《たいし》だつて、|虎《とら》だつて、|狼《おほかみ》だつて、どうする|事《こと》も|出来《でき》ぬじやないか。|誰《たれ》だつて|叱《しか》るぐらゐは|屁《へ》のお|茶《ちや》だ』
『ナニ、|理窟《りくつ》からいへばそんなものだが、|実地《じつち》に|臨《のぞ》んでみよ。どこともなく|威厳《ゐげん》が|備《そな》はつてゐて、その|前《まへ》へ|行《ゆ》くと|体《からだ》はビリビリ|慄《ふる》ひ、|目《め》はまくまくし、|舌《した》は|上腮《うはあご》の|方《はう》へひつついて|固《かた》くなり、|胸《むね》はドキドキ、|足《あし》はフナフナ、なかなか|叱《しか》る|勇気《ゆうき》は|容易《ようい》に|出《で》て|来《こ》ないよ。|俺《おれ》なら【こされ】、|一口《ひとくち》でも|叱《しか》りつける|事《こと》が|出来《でき》たのだ』
『アツハハハハ、|手厳《てきび》しく|反対《あべこべ》に、|叱《しか》りつけられよつたのだらう』
かく|話《はな》すをりしも、|吹来《ふきく》る|西風《にしかぜ》に|送《おく》られて|幽《かす》かに|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|聞《き》こえ|来《き》たる。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 松村真澄録)
第一六章 |戦伝歌《せんでんか》〔一七四〇〕
『|高天原《たかあまはら》に|宮柱《みやばしら》 |千木《ちぎ》|高《たか》|知《し》りて|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まりいます|伊都能売《いづのめ》の |神《かみ》の|命《みこと》を|畏《かしこ》みて
|山野河海《さんやかかい》を|打《う》ちわたり |照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひて
|河鹿峠《かじかたうげ》や|懐《ふところ》の |谷間《たにま》を|越《こ》えて|漸《やうや》くに
|祠《ほこら》の|森《もり》に|辿《たど》りつき |山口《やまぐち》|浮木《うきき》の|森《もり》を|越《こ》え
ライオン|川《がは》を|打《う》ち|渡《わた》り |葵《あふひ》の|沼《ぬま》に|照《て》りわたる
|月《つき》に|心《こころ》を|清《きよ》めつつ あなたこなたの|山々《やまやま》に
|立籠《たてこも》りつつ|国人《くにびと》を |苦《くる》しめなやむ|曲神《まがかみ》を
|言向和《ことむけやは》し|梓弓《あづさゆみ》 |引《ひ》きて|帰《かへ》らぬハルの|湖《うみ》
|玉《たま》の|御舟《みふね》に|身《み》を|任《まか》せ |数多《あまた》の|人《ひと》を|救《すく》ひつつ
スガの|港《みなと》に|上陸《じやうりく》し |神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へつつ
|又《また》もや|山野《さんや》を|打《う》ち|渡《わた》り |照国別《てるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》の
|神《かみ》の|軍《いくさ》と|合《がつ》せむと |夜《よ》を|日《ひ》についで|進《すす》むをり
|巽《たつみ》の|方《かた》に|鬨《とき》の|声《こゑ》 |炎々《えんえん》|天《てん》を|焦《こ》がしつつ
タラハン|城市《じやうし》の|大火災《だいくわさい》 |救《すく》はにやならぬと|雄健《をたけ》びし
|歩《あゆ》みを|運《はこ》ぶをりもあれ |曲神《まがかみ》どもに|遮《さへぎ》られ
|五日《いつか》|六日《むゆか》と|徒《いたづら》に あらぬ|月日《つきひ》を|過《すご》しつつ
|標渺千里《へうぼうせんり》の|荒野原《あらのはら》 |進《すす》み|来《く》るこそ|勇《いさ》ましき
|天《てん》に|日月《じつげつ》|冴《さ》え|渡《わた》り |下界《げかい》を|照《て》らし|玉《たま》はむと
|心《こころ》をなやませ|玉《たま》へども |中津御空《なかつみそら》に|黒雲《くろくも》は
|十重《とへ》や|二十重《はたへ》に|塞《ふさ》がりて |天津日影《あまつひかげ》を|隠《かく》しつつ
|初夏《しよか》の|頃《ころ》とはいひながら まだ|肌寒《はださむ》き|秋心地《あきごこち》
|田《た》の|面《も》に|植《う》ゑし|稲《いね》の|苗《なへ》 |発達《はつたつ》あしく|赤《あか》らみて
|飢饉《ききん》の|凶兆《きようてう》を|現《あら》はせり ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへまして |下《しも》|万民《ばんみん》の|罪科《つみとが》を
|許《ゆる》させ|玉《たま》へ|又《また》|上《かみ》に |立《た》ちて|覇張《はば》れる|曲人《まがびと》の
|心《こころ》を|清《きよ》め|罪《つみ》をとり |誠《まこと》の|人《ひと》となさしめて
|天《あめ》の|下《した》には|仇《あだ》もなく |暗《やみ》も|汚《けが》れもなきまでに
|照《て》らさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |梅公別《うめこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|厳《いづ》の|霊《みたま》や|瑞霊《みづみたま》 |合《あ》はせ|玉《たま》ひてなりませる
|伊都能売霊《いづのめみたま》の|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》に|慴伏《ひれふ》し|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|割《わ》るるとも |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》へば この|世《よ》の|中《なか》に|一《いつ》として
|怯《お》ぢ|恐《おそ》るべきものはなし |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|神《かみ》と|鬼《おに》とを|立別《たてわ》ける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|清《きよ》き|大直日《おほなほひ》 ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
ただ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |広《ひろ》き|心《こころ》に|宣直《のりなほ》し
|罪《つみ》を|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |許《ゆる》して|通《とほ》る|神《かみ》の|道《みち》
|行方《ゆくて》に|曲《まが》の|現《あら》はれて |吾《わ》が|身《み》に|如何《いか》なる|仇《あだ》なすも
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|包《つつ》まれし |誠《まこと》の|身魂《みたま》|何《なに》かあらむ
|襲《おそ》ひ|来《き》たれよ|曲津神《まがつかみ》 |戦《たたか》ひ|挑《いど》めよ|大蛇《をろち》ども
|吾《われ》には|厳《いづ》の|備《そな》へあり |生言霊《いくことたま》の|武器《ぶき》をもて
|幾億万《いくおくまん》の|魔軍《まいくさ》も |瞬《またた》く|中《うち》にいと|安《やす》く
|言向和《ことむけやは》し|進《すす》むべし |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|教《のり》 |開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ
|月日《つきひ》と|土《つち》の|恩《おん》を|知《し》れ この|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》は
|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませり アア|勇《いさま》しや|勇《いさま》しや
|神《かみ》の|任《よさ》しの|宣伝使《せんでんし》 |月《つき》の|御国《みくに》に|降《くだ》り|来《き》て
いろいろ|雑多《ざつた》の|災《わざはひ》や |百《もも》の|苦《くる》しみ|甘受《かんじゆ》しつ
|無人《むじん》の|境《さかひ》を|行《ゆ》くごとく |春野《はるの》を|風《かぜ》の|渡《わた》るごと
|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|開《ひら》き|行《ゆ》く ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|水車小屋《すゐしやごや》の|立番《たちばん》に|雇《やと》はれてゐたカーク、サーマンの|二人《ふたり》は|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》を|聞《き》いて、|少時《しばらく》|耳《みみ》を|傾《かたむ》けてゐた。
カーク『オイ、サーマン、どうやらあの|声《こゑ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》のやうだぞ。|何《なん》とはなしに|心持《こころも》ちが|悪《わる》くなつて|来《き》たぢやないか。もしもあんな|奴《やつ》が|此処《ここ》へでもやつて|来《き》よつたら、|忽《たちま》ち|地下室《ちかしつ》の|太子《たいし》の|遭難《さうなん》を|看破《かんぱ》し、|俺《おれ》たちを|霊縛《れいばく》とやらをかけ|倒《たふ》しておき、|肝心《かんじん》の|玉《たま》を|掻《か》つ|攫《さら》へて、|帰《かへ》るかも|知《し》れないぞ。|幸《さいは》ひにして|外《ほか》の|道《みち》を|通《とほ》ればいいが、どうやら|馬《うま》に|乗《の》つて|此方《こちら》に|来《く》るやうな|塩梅式《あんばいしき》だ。こいつア|何《なん》とか|考《かんが》へねばなるまいぞ』
サーマン『ウン、いかにも、|身体《からだ》がビクビク|慄《ふる》ひ|出《だ》して|来《き》た。|金玉寺《きんぎよくじ》の|和尚《おしやう》が|上京《じやうきやう》しさうになつて|来《き》たよ』
『|向《む》かふも|宣伝使《せんでんし》だ。|宣伝使《せんでんし》を|追《お》つ|払《ぱら》ふには、こつちも|宣伝使《せんでんし》の|真似《まね》をせなくちやなるまい。|霊《れい》をもつて|霊《れい》に|対《たい》し、|体《たい》をもつて|体《たい》に|対《たい》し、|力《ちから》をもつて|力《ちから》に|対《たい》するのが|神軍《しんぐん》の|兵法《へいはふ》だからのう』
『|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》へと|言《い》つたつて、|俺《おれ》は|不断《ふだん》から|無信心《ぶしんじん》だからウラル|教《けう》の|宣伝歌《せんでんか》なんかチツとも|知《し》らぬわ。「|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ」ぐらゐは|知《し》つてるが、それから|先《さき》はネツカラ|記憶《きおく》に|存《そん》してゐないからな』
『ナーニ、そこはいい|加減《かげん》に|出鱈目《でたらめ》を|喋《しやべ》るのだ。|声《こゑ》さへ【さし】ておけばいいのだ。あまり|明瞭《はつきり》した|事《こと》をいふと【アラ】が|見《み》えて|却《かへ》つて|威厳《ゐげん》のないものだ。チツタわけの|分《わか》らぬことを|囀《さへづ》る|方《はう》が、よほど|奥《おく》があるやうに|見《み》えて、|敵《てき》を|退散《たいさん》させるのに|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》だ。マア|貴様《きさま》から|一《ひと》つやつて|見《み》よ。|肝心要《かんじんかなめ》の|正念場《しやうねんば》になりや、このカークさまが|堂々《だうだう》と|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》するから、まづ|先陣《せんぢん》として|貴様《きさま》が|出鱈目《でたらめ》の|宣伝歌《せんでんか》をやつて|見《み》い。まだ|距離《きより》が|遠《とほ》いから|何《なに》をやつてもいい、ただ|歌《うた》らしく|聞《き》こへたらよい。こちらの|歌《うた》が|明瞭《はつきり》|解《わか》るやうになつたら、|俺《おれ》が|本陣《ほんぢん》を|承《うけたまは》るのだ。いいか|一《ひと》つやつてみい』
『|俺《おれ》や|貴様《きさま》の|知《し》る|通《とほ》り|牝鶏《めんどり》だから|到底《たうてい》|歌《うた》へないよ。どうか|歌《うた》はお|前《まへ》の|専門《せんもん》にしておいてくれ。|一生《いつしやう》の|頼《たの》みだから』
『よし、|歌《うた》へなら|俺《おれ》|一人《ひとり》で|引受《ひきう》けるが、その|代《かは》り、この|間《あひだ》|取《と》つた|百円《ひやくゑん》の|中《うち》|二十円《にじふゑん》はこちらへ、|歌賃《うたちん》として|渡《わた》すだらうな』
『エー、|二十円《にじふゑん》も|出《だ》さんならぬなら|俺《おれ》が|歌《うた》つてみせる。その|代《かは》り|貴様《きさま》も|歌《うた》ふのだぞ。|貴様《きさま》が|歌《うた》はねば|此方《こちら》へ|二十円《にじふゑん》もらふのだ』
『ヨシヨシ、もし|俺《おれ》がよう|唄《うた》はなんだら|百円《ひやくゑん》でもやるわ。サア|歌《うた》つたり|歌《うた》つたり、|敵《てき》は|間近《まぢか》く|押寄《おしよ》せたりだ、|早《はや》く|早《はや》く』
『エー、やかましい|男《をとこ》だな。|何分《なにぶん》|腹《はら》に|貯蓄《ちよちく》がないのだから、さう|着々《ちやくちやく》と|出《で》るものかい。|嬶《かか》が|子《こ》を|産《へ》り|出《だ》すのは、ずゐぶん|苦《くる》しいといふけど、|何《なに》ほど|難産《なんざん》と|言《い》つても|腹《はら》の|中《なか》にあるものを|出《だ》すのだから|易《やす》いものだ。|俺《おれ》たちは|腹《はら》にないものを|出《だ》すのだから|苦《くる》しいものだよ。アーア|二十円《にじふゑん》の|金儲《かねまう》けは|辛《つら》いものだな』
『エー、グヅグヅ|言《い》はずに|早《はや》く|歌《うた》つたり|歌《うた》つたり』
サーマン『|飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
つきはつきぢやが|酒《さか》【づき】ぢや |俺《おれ》のお|嬶《かか》のサカヅキは
|何処《どこ》にあるかと|尋《たづ》ねたら |草野ケ原《くさのがはら》の|谷《たに》の|底《そこ》
お|舟《ふね》のやうな|形《かたち》した |池《いけ》の|真中《まんなか》に|島《しま》がある』
カーク『|馬鹿《ばか》、そんな|宣伝歌《せんでんか》が|何《なに》|有難《ありがた》い。もつとしつかり|言《い》はぬかい』
『|生《うま》れてから|初《はじ》めての|歌《うた》だもの、さううまく|行《ゆ》くものかい。さう|茶々《ちやちや》を|入《い》れない。サアこれからやり|直《なほ》しだ。しつかり|聞《き》け、
|大宮山《おほみややま》の|神《かみ》の|森《もり》 |千木《ちぎ》|高《たか》|知《し》りて|永久《とこしへ》に
おさまり|玉《たま》ふ|神《かみ》さまは |盤古神王《ばんこしんわう》といふことだ
この|神様《かみさま》はカラピンの |大王様《だいわうさま》の|氏神《うぢがみ》だ
さて|此《この》|頃《ごろ》は|何《なん》として あれだけ|力《ちから》が|無《な》いのだらう
|大切《だいじ》の|大切《だいじ》の|氏子《うぢこ》さま カラピン|王《わう》のお|城《しろ》まで
|飛火《とびひ》がいたして|大切《たいせつ》な お|宝物《たからもの》が|焼《や》けたのは
|神《かみ》の|守護《しゆご》のない|証《しるし》 |今《いま》は|洋行《やうかう》が|流行《はや》るので
|神王様《しんのうさま》も|沢山《たくさん》な |旅費《りよひ》をこしらへ|船《ふね》に|乗《の》り
|常世《とこよ》の|国《くに》へ|渡《わた》つたか お|宮《みや》の|眷族《けんぞく》|八咫烏《やたがらす》
|一月前《ひとつきまへ》から|一匹《いつぴき》も |森《もり》でカアカア|鳴《な》きよらぬ
ただ|悲《かな》しげに|杜鵑《ほととぎす》 ホホホホホ|亡《ほろ》ぶと|鳴《な》いてゐる
|右守《うもり》の|司《かみ》に|頼《たの》まれて カラピン|王《わう》の|太子《たいし》をば
|懸賞付《けんしやうつ》きで|縛《しば》り|上《あ》げ |地底《ちてい》の|牢獄《らうごく》に|繋《つな》いだは
|皆《みな》|俺《おれ》たちの|功名《こうみやう》だ もし|神《かみ》さまがござるなら
|氏子《うぢこ》と|生《あ》れます|太子《たいし》をば こんな|酷《ひど》い|目《め》に|会《あ》はしたら
|必《かなら》ず|罰《ばち》をあてるだらう チツとも|祟《たた》りのないのんは
|神《かみ》がお|不在《るす》の|証《しるし》ぞや それ それ それ それ|宣伝歌《せんでんか》
だんだんだんだん|近《ちか》うなつた オイオイカーク|用意《ようい》せよ
|交代時間《かうたいじかん》が|迫《せま》つたぞ |俺《おれ》の|宣伝歌《せんでんか》は|種《たね》ぎれだ
もう|此《この》|上《うへ》は|逆様《さかさま》に |振《ふ》つたところで|虱《しらみ》さへ
こぼれる|気遣《きづか》ひないほどに どうやう|鼻血《はなぢ》が|落《お》ちさうだ
|胸《むね》と|腹《はら》とはガラガラと |大騒擾《だいさうぜう》が|勃発《ぼつぱつ》し
|地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|車《くるま》 |臍《へそ》の|辺《あた》りが|熱《あつ》うなつた
お|臍《へそ》が|茶《ちや》でも|沸《わ》かすのか |暑《あつ》くて|苦《くる》しうて|堪《たま》らない
これこの|通《とほ》り|汗《あせ》が|出《で》る こら こら こら こらカーク|奴《め》
|早《はや》く|代《かは》つて|歌《うた》はぬか |白馬《はくば》の|姿《すがた》が|見《み》え|出《だ》した
どうやら|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》 こちらに|向《む》かつて|来《く》るやうだ
|盤古神王《ばんこしんのう》|塩長彦《しほながひこ》の |不在《るす》の|神《かみ》さましつかりと
|私《わたし》の|願《ねが》ひを|聞《き》きなされ いよいよ|歌《うた》の|種《たね》ぎれだ
アア|叶《かな》はぬ|叶《かな》はない |目玉《めだま》が|飛《と》び|出《で》て|来《く》るやうだ
オイ、カークこれで|二十円《にじふゑん》の|価値《ねうち》はあるだらう。サア|早《はや》く|貴様《きさま》もやらぬかい。|敵《てき》は|間近《まぢか》に|押寄《おしよ》せたぢやないか』
『よーし、|俺《おれ》の|武者振《むしやぶ》りを|見《み》てをれ、|立派《りつぱ》な|歌《うた》だぞ、ヘン、
|右守《うもり》の|司《かみ》に|仕《つか》へたる |俺《おれ》は|誠《まこと》のカークさま
|頭《あたま》をカーク|恥《はぢ》をカーク |終《しま》ひの|果《はて》には|疥癬《ひぜん》カク
|人《ひと》に|礼儀《れいぎ》をカク|奴《やつ》は |俺《おれ》ではないぞや|今《いま》ここに
|吠面《ほえづら》かわいて|慄《ふる》うてゐる |小童野郎《こわつぱやらう》のサーマンだ
カークのごとき|腰抜《こしぬ》けを |俺《おれ》の|相棒《あひぼう》にした|奴《やつ》は
サツパリ|向《む》かふの|見《み》えぬ|奴《やつ》 |右守《うもり》の|司《かみ》も|気《き》がきかぬ
どことはなしに|気《き》がおくれ |向《む》かふ|猪《じし》には|矢《や》が|立《た》たず
|近《ちか》く|聞《き》こゆる|宣伝歌《せんでんか》 |胸《むね》に|響《ひび》いて【せつろ】しい
いやいやまてまて|之《これ》からだ |捻鉢巻《ねぢはちまき》をリンとしめ
|二《ふた》つの|腕《うで》に|撚《よ》りをかけ ドンドンドンと|四股《しこ》をふみ
|三十六俵《さんじふろくぺう》の|真中《まんなか》を |俺《おれ》が|陣屋《ぢんや》と|定《さだ》めつつ
いかなる|強《つよ》き|敵軍《てきぐん》が |押《お》しよせ|来《く》るも|追《お》ひ|散《ち》らし
|殴《なぐ》り|倒《たふ》して|吼面《ほえづら》を かわかせやるは|目《ま》のあたり
|盤古神王《ばんこしんのう》|塩長彦《しほながひこ》の |貴《うづ》の|大神《おほかみ》|守《まも》りませ
アアアますます|近《ちか》よつた こんな|処《ところ》へ|宣伝使《せんでんし》
やつて|来《き》たなら|何《なん》とせう どうか|彼方《あちら》の|方角《はうがく》へ
|迷《まよ》うて|行《ゆ》くやうにして|欲《ほ》しい |誠《まこと》の|神《かみ》があるならば
|俺《わし》の|願《ねが》ひを|聞《き》くだらう こりやこりやサーマン|地下室《ちかしつ》に
|心《こころ》を|配《くば》れよ|油断《ゆだん》すな |大切《だいじ》の|玉《たま》を|奪《と》られては
|後《あと》で|言訳《いひわけ》ないほどに ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
かうなる|上《うへ》は|地下室《ちかしつ》に |隠《かく》れてござる|太子《たいし》こそ
|却《かへ》つて|俺《おれ》より|幸福《しあはせ》だ ほんとに|怪体《けたい》な|声《こゑ》がする
|彼奴《あいつ》の|歌《うた》を|聞《き》くたびに |腹《はら》はグレグレ グレついて
|胸元《むなもと》|苦《くる》しく|嘔《あ》げさうだ にはかに|頭《あたま》が|痛《いた》み|出《だ》す
|胸《むね》はつかへる|腹《はら》|痛《いた》む |足《あし》の|付根《つけね》がガクガクと
|遠慮《ゑんりよ》もなしに|慄《ふる》ひ|出《だ》す ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
わづか|百両《ひやくりやう》の|金《かね》|貰《もら》うて こんな|辛《つら》い|目《め》をさせられちや
ほんとに|誠《まこと》につまらない あの|百両《ひやくりやう》は|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》|一《ひと》つと|掛替《かけが》へだ |思《おも》へば|思《おも》へば|俺《おれ》たちの
|命《いのち》はお|安《やす》いものだな ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|叶《かな》はん|叶《かな》はん、|到底《たうてい》|俺《おれ》たちの|挺《てこ》にも|棒《ぼう》にもあふ|代物《しろもの》ではないわ。|一層《いつそう》|地下室《ちかしつ》に|潜《もぐ》り|込《こ》まうか。かへつてこんな|処《ところ》にをると|宣伝使《せんでんし》の|目《め》につき、|首《くび》つ|玉《たま》でも|引抜《ひきぬ》かれちや|大変《たいへん》だ。|三十六計《さんじふろくけい》|逃《に》ぐるが|奥《おく》の|手《て》、サーマンだつて|地下室《ちかしつ》に|潜《もぐ》り|込《こ》んで|土竜《むぐらもち》の|真似《まね》をしてゐやがる。ナーニ|俺《おれ》|一人《ひとり》|頑張《ぐわんば》る|必要《ひつえう》があらうか』
と|言《い》ひながら|水車小屋《すゐしやごや》の|中《なか》に|慌《あわ》ただしく|走《はし》り|込《こ》み、ドンドンドンと|地下室《ちかしつ》さして|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 北村隆光録)
第一七章 |地《ち》の|岩戸《いはと》〔一七四一〕
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|梅公別《うめこうわけ》は|白馬《はくば》に|跨《また》がり、|渺茫《べうばう》として|天《てん》に|続《つづ》くデカタン|高原《かうげん》の|大原野《だいげんや》を、|東《ひがし》へ|東《ひがし》へと|那美山《なみやま》の|南麓《なんろく》を|目当《めあて》に|進《すす》み|来《き》たり、|古《ふる》ぼけた|水車小屋《すゐしやごや》の|前《まへ》に|駒《こま》を|留《とど》め|独言《ひとりごと》、
『ハテ、|訝《いぶ》かしや、|今《いま》この|附近《あたり》に|人声《ひとごゑ》が|確《たし》かに|聞《き》こえたやうだ。|駒《こま》を|早《はや》めて|近寄《ちかよ》り|見《み》れば|人《ひと》の|住《す》みさうにもないこの|破屋《あばらや》|一《ひと》つ。|水車《すゐしや》はあれど|運転中止《うんてんちうし》の|有様《ありさま》、|何《なに》かこの|小屋《こや》には|秘密《ひみつ》が|潜《ひそ》んでゐるに|相違《さうゐ》ない。どれ|一《ひと》つ|調《しら》べて|見《み》やう』
と|駒《こま》をヒラリと|飛《と》び|下《お》り、|水車小屋《すゐしやごや》の|柱《はしら》に|縛《しば》りつけおきながら、いろいろと|四辺《あたり》を|耳《みみ》をすまして|窺《うかが》つて|見《み》た。どこともなしに|人《ひと》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。|地《ち》の|底《そこ》のやうでもあり、また|上《うへ》の|方《はう》から|聞《き》こえて|来《く》るやうでもあり、|声《こゑ》の|出所《でどころ》が|解《わか》らぬ。|梅公別《うめこうわけ》は|菰《こも》を|敷《し》きて|端坐《たんざ》し|瞑目《めいもく》して|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めたその|結果《けつくわ》は、「|地下室《ちかしつ》に|立派《りつぱ》な|人《ひと》が|投《な》げ|込《こ》まれてゐる」といふことが|解《わか》つて|来《き》た。あたりをよくよく|調《しら》べ|見《み》れば、|草鞋《わらぢ》に|摺《す》りみがかれた|床板《ゆかいた》がある。グツと|手《て》をかけ|一枚《いちまい》めくつて|見《み》ると、|地下室《ちかしつ》へ|相当《さうたう》の|階段《かいだん》が|通《とほ》つてゐる。|梅公別《うめこうわけ》はこの|階段《かいだん》を|四五間《しごけん》ばかり|右《みぎ》に|左《ひだり》に|折《を》れ|曲《まが》りながら|降《くだ》つて|往《ゆ》くと、そこに|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|抱《だ》き|合《あ》うて|慄《ふる》つてゐる。
|梅公別《うめこうわけ》『やアその|方《はう》は|何者《なにもの》だ。|察《さつ》するところ、|何《なに》か|良《よ》からぬ|秘密《ひみつ》の|伏在《ふくざい》する|魔窟《まくつ》と|見《み》える。|有体《ありてい》に|申《まを》し|上《あ》げろ』
サーマン『ハイ、ワワワ|私《わたし》はサササーマンといふヒヒヒ|一人《ひとり》の|人間《にんげん》でございます。|何《なに》も|別《べつ》に|悪《わる》い|悪事《あくじ》をいたした|覚《おぼ》えは|更《さら》にございませぬ。|右守《うもり》の|司様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》に|依《よ》りまして、ここに|勤《つと》めてゐるのでございます。どうぞ|今日《けふ》の|所《ところ》は|見逃《みのが》して|下《くだ》さいませ。お|慈悲《じひ》です、お|情《なさ》けです、|頼《たの》みます。コココラ、カーク、|貴様《きさま》もチチちつと|言《い》ひ|訳《わけ》の|弁解《べんかい》をいたさぬか』
カーク『いや|申《まを》し|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|私《わたし》はカークと|申《まを》しまして|余《あま》り|悪《わる》くもない、|良《よ》くもない|世間並《せけんな》みの|人間《にんげん》でございます。|実《じつ》のところは|右守《うもり》の|司《かみ》が|大変《たいへん》な|謀叛《むほん》を|企《たく》らみ、カラピン|王《わう》の|太子《たいし》スダルマン|太子《たいし》を、|二千円《にせんゑん》の|懸賞付《けんしやうつ》きで|取《と》つ|捉《つか》まえてくれと、|内々《ないない》|御命令《ごめいれい》が|下《くだ》りましたので、|二十人《にじふにん》のものが、ソソその|百円《ひやくゑん》づつ|確《たし》かに|儲《まう》けさして|頂《いただ》きました。どうぞ|御了見《ごれうけん》|下《くだ》さいませ。いつでも、|取《と》る|金《かね》は|取《と》つたのですから、|太子様《たいしさま》は|何時《いつ》でもお|返《かへ》し|申《まを》します。のうサーマン、ソソさうぢやないか』
サ『ソソそれでも|太子様《たいしさま》をココこの|人《ひと》に|渡《わた》さうものなら、|俺《おれ》|達《たち》のクク|首《くび》が|飛《と》ぶぢやないか』
|梅《うめ》『お|前《まへ》たちのいふ|事《こと》は|些《ちつ》とも|要領《えうりやう》を|得《え》ない。|要《えう》するにタラハン|城《じやう》の|太子様《たいしさま》を|右守《うもり》に|頼《たの》まれて|何処《どこ》かへ|匿《かく》したと|申《まを》すのだな』
サ『ハイ、その|通《とほ》りでございます。|毛頭《まうとう》|相違《さうゐ》はございませぬ。|何処《どこ》かへ|匿《かく》しましてございます』
|梅《うめ》『|何処《どこ》かでは|解《わか》らぬぢやないか。【かつきり】と|在所《ありか》を|言《い》つたらどうだ』
サ『ハイ、たうとう……|所《ところ》へ|匿《かく》しました』
|梅《うめ》『|何《なん》といふ|所《ところ》へ|匿《かく》したのだ』
サ『ハイ、チチチのつく|所《ところ》です。オイ、カークお|前《まへ》も|半分《はんぶん》いへ。|俺《おれ》も|秘密《ひみつ》を|明《あか》しては|責任《せきにん》があるからなア。|一口《ひとくち》づつ|言《い》はうぢやないか』
カ『ハイ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|包《つつ》まず|隠《かく》さず|申上《まをしあ》げます。カーに|匿《かく》しました』
サ『シーに|匿《かく》しました』
カ『ツーに|匿《かく》しました』
|梅《うめ》『なに、チーとカーとシーとツーと、アア|地下室《ちかしつ》か。|地下室《ちかしつ》と|言《い》へば|此処《ここ》ではないか』
サ『サーでございます』
カ『ヨーでございます』
|梅《うめ》『オイ、|邪魔《じやま》くさい。|左様《さやう》でございますと|言《い》へば|可《よ》いぢやないか』
サ『こんな|秘密《ひみつ》を|申《まを》し|上《あ》げやうものなら、|右守《うもり》の|司《かみ》から|打《う》ち|首《くび》にあはされますから、それで|態《わざ》と|解《わか》らぬやうに|言葉《ことば》を|分《わ》けて|申《まを》しました。|御推察《ごすゐさつ》|下《くだ》さいませ、あなたの|明敏《めいびん》の|頭脳《づなう》でお|考《かんが》へ|下《くだ》されば|解《わか》るでせう』
|梅《うめ》『なるほど、それも|一理《いちり》がある、|面白《おもしろ》い。それでは|二人《ふたり》が|分《わ》けて|話《はな》してくれ。|自分《じぶん》は|言霊別《ことたまわけ》だから|一言《ひとこと》|聞《き》けば|大抵《たいてい》|解《わか》る。さうしてこの|地下室《ちかしつ》に|押《お》し|込《こ》まれてゐる|方《かた》は|一人《ひとり》か|二人《ふたり》かどうだ』
|二人《ふたり》は|互《たが》ひに|一言《ひとこと》づつ、
『フ、タ、リ、サ、マ、デ、ゴ、ザ、リ、マ、ス。ソ、シ、テ、ヒ、ト、リ、ハ、ス、ダ、ル、マ、ン、タ、イ、シ、サ、マ、ヒ、ト、リ、ハ、ス、バー、ル、ヒ、メ、サ、マ、デ、ゴ、ザ、イ、マ、ス。ミ、ツ、カ、マ、ヘ、カ、ラ、ナ、ニ、モ、ク、ハ、ズ、ノ、マ、ズ、ニ、オ、シ、コ、メ、ラ、レ、ク、ル、シ、ン、デ、イ、ラ、レ、マ、ス』
|梅《うめ》『ヤ、もう|解《わか》つた。|貴様達《きさまたち》は|此処《ここ》を|些《ちつ》とも|動《うご》くことはならぬぞ』
カ『ハイ|動《うご》けと|仰有《おつしや》いましてもこの|通《とほ》り|腰《こし》が|抜《ぬ》けてしまつたものですから、|動《うご》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|梅《うめ》『|荒金《あらがね》の|土《つち》の|洞穴《ほらあな》|底《そこ》|深《ふか》く
|繋《つな》がれ|給《たま》ふ|君《きみ》を|救《すく》はむ
|吾《われ》こそは|三五《あななひ》の|道《みち》の|神司《かむつかさ》
|君《きみ》を|救《すく》はむと|忍《しの》び|来《き》にけり』
|太子《たいし》は|石牢《いしらう》の|中《なか》よりさも|爽《さはや》かなる|声《こゑ》にて、
『|惟神《かむながら》|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|幸《さち》はひて
|岩戸《いはと》の|開《ひら》く|時《とき》は|来《き》にけり
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|司《つかさ》の|御恵《みめぐ》みの
|露《つゆ》に|霑《うるほ》ふ|若緑《わかみどり》かな
|吾《わ》ぎ|妹子《もこ》は|隣《となり》の|牢屋《ひとや》に|繋《つな》がれぬ
とく|救《すく》ひませ|吾《われ》より|先《さき》に』
スバール|姫《ひめ》は|最前《さいぜん》からこの|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐたが、|地獄《ぢごく》で|仏《ほとけ》に|遇《あ》うたる|心地《ここち》、|喜《よろこ》びに|堪《た》えず、さも|嬉《うれ》し|気《げ》に、
『|訝《いぶ》かしきこれの|牢屋《ひとや》に|捉《とら》はれて
|泣《な》き|暮《く》らしけり|吾等《われら》|二人《ふたり》は
|皇神《すめかみ》の|珍《うづ》の|御光《みひかり》|現《あら》はれて
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》を|照《て》らす|嬉《うれ》しさ』
|梅公別《うめこうわけ》は|牢獄《らうごく》の|鍵《かぎ》を|探《さが》せども、|何処《どこ》にも|鍵《かぎ》らしきものが|見当《みあた》らないので、|両人《りやうにん》に|向《む》かひ|厳《きび》しく|訊問《じんもん》して|見《み》ると、|牢獄《らうごく》の|鍵《かぎ》は|右守《うもり》の|司《かみ》が|持《も》つて|帰《かへ》つたとの|答《こた》へである。|梅公別《うめこうわけ》は|途方《とはう》に|暮《く》れながら|一生懸命《いつしやうけんめい》に|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し|祈《いの》りはじめた。|不思議《ふしぎ》や|牢獄《らうごく》の|岩《いは》の|戸《と》は|自然《しぜん》にパツと|開《ひら》けて、|五色《ごしき》の|光明《くわうみやう》が|室内《しつない》を|射照《いて》らした。|太子《たいし》もスバール|姫《ひめ》も|転《ころ》ぶがごとく|牢獄《らうごく》を|走《はし》り|出《い》で、|梅公別《うめこうわけ》の|体《からだ》に|前後《ぜんご》より|喰《くら》ひつき|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかきくれ、|少時《しばし》|言葉《ことば》さえ|出《だ》し|得《え》なかつた。
|梅《うめ》『|承《うけたまは》れば|殿下《でんか》はタラハン|城《じやう》の|太子様《たいしさま》、また|貴女《あなた》はスバール|姫様《ひめさま》とのこと、どうしてまア|斯《か》やうな|所《ところ》へ|押《お》し|籠《こ》められ|玉《たま》うたのでございますか』
|太《たい》『|恥《は》づかしながら|吾々《われわれ》|二人《ふたり》は|恋《こひ》におち|城内《じやうない》をひそかに|脱《ぬ》け|出《い》で、|山奥《やまおく》の|破《やぶ》れ|寺《でら》に|入《はい》つて|匿《かく》れ|忍《しの》んでをりました|所《ところ》、|心《こころ》|汚《きた》なき|右守《うもり》のサクレンスなるもの、|王家《わうけ》を|奪《うば》はむ|企《たく》みより、|吾々《われわれ》を|邪魔者《じやまもの》と|見做《みな》し、|悪漢《わるもの》に|命《めい》じ|金《かね》を|与《あた》へてふん|縛《じば》らせ、かやうな|所《ところ》へ|連《つ》れ|参《まゐ》り、|吾《われ》ら|二人《ふたり》を|干《ほ》し|殺《ころ》さむとの|企《たく》み、もはや|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》は|極《き》めてをりましたが、|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|貴方《あなた》のお|助《たす》け、かやうな|嬉《うれ》しい|事《こと》はございませぬ』
ス『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|有難《ありがた》うございます。お|蔭《かげ》で|命《いのち》を|救《すく》うて|頂《いただ》きました。この|御恩《ごおん》はミロクの|世《よ》までも|忘《わす》れは|致《いた》しませぬ。|命《いのち》の|親《おや》の|神司様《かむづかささま》、|辱《かたじけ》なふ|存《ぞん》じます』
|梅《うめ》『|人《ひと》を|救《すく》ふは|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》、そのやうに|礼《れい》を|言《い》はれては|却《かへ》つて|迷惑《めいわく》をいたします。|神様《かみさま》が|私《わたし》の|体《たい》を|通《とほ》して|貴方《あなた》がたをお|救《すく》ひ|遊《あそ》ばしたのですから、|国祖《こくそ》|国常立大神《くにとこたちのおほかみ》|様《さま》、|豊雲野大神《とよくもぬのおほかみ》|様《さま》にお|礼《れい》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。サア|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へてお|礼《れい》をいたしませう』
『ハイ、|有難《ありがた》う』
と|両人《りやうにん》は|梅公別司《うめこうわけつかさ》と|共《とも》に、|心《こころ》のどん|底《ぞこ》より|満腔《まんこう》の|赤誠《せきせい》を|捧《ささ》げて、|感謝《かんしや》の|辞《じ》を|大神《おほかみ》に|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、|梅公別《うめこうわけ》は|両人《りやうにん》に|向《む》かひ、
『サア|皆《みな》さま、かやうな|所《ところ》に|永居《ながゐ》は|恐《おそ》れがございます。これから|私《わたし》がタラハン|城《じやう》へお|送《おく》りいたしませう。|今《いま》までの|間違《まちが》つた|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し|城内《じやうない》へお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばし、|大王殿下《だいわうでんか》の|宸襟《しんきん》をお|安《やす》め|遊《あそ》ばしませ』
|太《たい》『ハイ、|何《なに》から|何《なに》まで、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うございます。しかしながら|此《この》|女《をんな》は|父《ちち》には|内証《ないしよう》で|連《つ》れてをりますので、|此女《これ》を|連《つ》れて|帰《かへ》るわけには|参《まゐ》りませぬ。それだと|言《い》つて|今更《いまさら》|捨《す》ててゆくことも|可愛《かはい》さうで|出来《でき》ませぬ。また|私《わたし》の|恋愛至上主義《れんあいしじやうしゆぎ》より|見《み》ても|捨《す》てるわけには|行《ゆ》きませぬから、どうぞお|慈悲《じひ》に|此処《ここ》から|二人《ふたり》をお|見捨《みす》て|下《くだ》さいませ。|一生《いつしやう》のお|願《ねが》ひでございます』
|梅《うめ》『アーそれは|間違《まちが》つたお|考《かんが》へ、どうあつても|私《わたし》がお|伴《とも》をいたしませう。さうしてお|二人《ふたり》の|恋愛《れんあい》は|敗《やぶ》れないやうに|私《わたくし》が|媒介《なかうど》となつて、|父王殿下《ちちわうでんか》の|御承諾《ごしようだく》を|得《う》る|事《こと》にいたしませう。|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なくお|館《やかた》へお|帰《かへ》りなさいませ』
『|父《ちち》は|大変《たいへん》に|頑固《ぐわんこ》でございますから、|神司《かむつかさ》のお|言葉《ことば》といへども|到底《たうてい》|承知《しようち》はいたしますまい』
『それは|貴方《あなた》の|心《こころ》の|偏見《ひがみ》と|申《まを》すもの。|天《あめ》の|下《した》に|子《こ》を|愛《あい》せない|親《おや》がございませうか。あなたがこのスバール|様《さま》を|愛《あい》してをられるよりも|百層倍《ひやくそうばい》|増《ま》して、|貴方《あなた》の|父上《ちちうへ》は|貴方《あなた》を|愛《あい》してをられますよ。|愛《あい》する|貴方《あなた》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》むる|恋人《こひびと》をどうしてお|憎《にく》み|遊《あそ》ばしませう。|宣伝使《せんでんし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はありませぬ。|生命《せいめい》を|賭《と》しても|貴方《あなた》の|恋《こひ》を|完全《くわんぜん》に|成功《せいこう》させませう。|承《うけたまは》ればタラハン|国《ごく》は|紛擾《ふんぜう》|絶間《たえま》なく、|国家《こくか》は|危機《きき》に|瀕《ひん》してゐるやうです。|御父殿下《おんちちでんか》も|御心配《ごしんぱい》の|折《を》りから、|天《てん》にも|地《ち》にも|一人子《ひとりご》の|太子様《たいしさま》のお|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らないやうな|事《こと》では、|層一層《そういつそう》|父殿下《ちちでんか》の|御心配《ごしんぱい》は|増《ま》すばかり、|国家《こくか》の|擾乱《ぜうらん》は|日《ひ》を|逐《お》うて|激烈《げきれつ》を|増《ま》すばかりです。その|虚《きよ》に|乗《じやう》じて|悪臣《あくしん》どもが|非望《ひばう》を|企《くはだ》て、|世《よ》は|一日《いちにち》と|修羅《しゆら》の|巷《ちまた》となるばかりでせう。|是非《ぜひ》|私《わたくし》に|跟《つ》いてお|帰《かへ》りなさいませ』
『ハイ|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御教訓《ごけうくん》|有難《ありがた》うございます。そんならお|言葉《ことば》に|従《したが》ひ|一先《ひとま》づ|城内《じやうない》に|帰《かへ》る|事《こと》に|決心《けつしん》いたします。まことに|済《す》みませぬが、どうか|送《おく》つて|下《くだ》さいますやう』
『やア|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、さすがはタラハン|国《ごく》の|太子様《たいしさま》、|私《わたくし》も|満足《まんぞく》いたしました』
ス『|妾《わらは》もお|言葉《ことば》に|甘《あま》へ、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|伴《とも》をいたしまして、|太子様《たいしさま》と|共《とも》に|参《まゐ》らしていただきませう。どうか|宜敷《よろし》うお|願《ねが》ひいたします』
|梅《うめ》『や、|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばすな。きつと|円満《ゑんまん》に|解決《かいけつ》をつけてお|目《め》にかけませう。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》にお|任《まか》せ|申《まを》せば|大丈夫《だいぢやうぶ》ですから。しかし|太子様《たいしさま》、この|両人《りやうにん》はどう|遊《あそ》ばしますか』
|太《たい》『ハイ、|許《ゆる》し|難《がた》い|悪人《あくにん》でございますれば、この|両人《りやうにん》を|牢獄《らうごく》へぶち|込《こ》み|懲《こ》らしめてやりたいは|山々《やまやま》でございますが、|私《わたし》も|牢獄生活《らうごくせいくわつ》の|苦《くる》しみを|味《あぢ》はひましたので、|吾《わ》が|身《み》を|抓《つめ》つて|人《ひと》の|痛《いた》さを|知《し》れとやら、どうも|可憐《かはい》さうで|放《ほ》り|込《こ》んでやる|気《き》もいたしませぬ。この|処置《しよち》については|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|御判断《ごはんだん》に|任《まか》せませう』
カ『アア、もしもし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|決《けつ》して|私《わたし》は|此《こ》の|後《ご》において|悪事《あくじ》は|致《いた》しませぬから、どうぞ|牢獄《らうごく》へ|入《い》れることだけは|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。その|代《かは》りお|馬《うま》の|別当《べつたう》でも|何《なん》でもいたします』
|梅《うめ》『|人《ひと》を|救《たす》けるは|宣伝使《せんでんし》の|役《やく》だ。しかしながら|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|太子殿下《たいしでんか》を|苦《くる》しめ|奉《たてまつ》つたその|方《はう》どもなれば、|一人《ひとり》だけ|助《たす》けてやらう。|一人《ひとり》は|気《き》の|毒《どく》ながら|此《こ》の|牢獄《らうごく》に|打《ぶ》ち|込《こ》んでおくつもりだ。|太子様《たいしさま》、どちらが|比較的《ひかくてき》|善人《ぜんにん》でございますか』
|太《たい》『ハイ、|私《わたし》としては|甲《かふ》|乙《おつ》の|区別《くべつ》がつきませぬ。|揃《そろ》ひも|揃《そろ》つて|悪《わる》い|奴《やつ》でございますから』
サ『もし|太子様《たいしさま》、|私《わたし》は|何時《いつ》も|貴方《あなた》に|対《たい》し|同情《どうじやう》を|持《も》つてゐたぢやございませぬか。このカークと|言《い》ふ|奴《やつ》、|私《わたし》が「|太子様《たいしさま》にお|腹《なか》が|空《す》くだらうから、|焼甘藷《やきいも》の|蔕《へた》でも|買《か》つて|来《き》てソツと|上《あ》げたらどうだらう」というたところ、|大悪党《だいあくたう》のカークの|奴《やつ》、「|私《わし》はそんな|宋襄《そうぜう》の|仁《じん》はやらない、|断乎《だんこ》として|水《みづ》|一杯《いつぱい》も|呑《の》ます|事《こと》は|出来《でき》ない。|右守《うもり》の|司《かみ》にそんな|事《こと》が|聞《き》こえたら、|俺《おれ》の|首《くび》が|飛《と》ぶ」と|極端《きよくたん》に|自己愛《じこあい》を|発揮《はつき》した|奴《やつ》でございますから、どうか|私《わたし》をお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|梅《うめ》『アツハハハハ、オイ、カーク、お|前《まへ》はサーマンが|今《いま》|言《い》つたやうな|事《こと》を|申《まを》したのか』
カ『ハイ、|是非《ぜひ》はございませぬ。|神様《かみさま》の|前《まへ》で|匿《かく》したつて|駄目《だめ》でございます。あの|通《とほ》り|申《まを》しました。|誠《まこと》に|今《いま》となつて|思《おも》へば|申訳《まをしわけ》のない|事《こと》をいたしました。どうか|私《わたし》を|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》んで|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ。サーマンは|女房《にようばう》も|有《あ》ることなり、|私《わたし》は|一人身《ひとりみ》、どうなつても|構《かま》ひませぬ。|妻《つま》も|無《な》く、|子《こ》も|無《な》く、|何時《いつ》|死《し》んでも|泣《な》く|者《もの》さえございませぬから』
|梅《うめ》『ハハハハ、わりとは|正直《しやうぢき》な|奴《やつ》だ。どうやらお|前《まへ》の|方《はう》が|善人《ぜんにん》らしい。さう|有体《ありてい》に|白状《はくじやう》した|上《うへ》はお|前《まへ》の|罪《つみ》は|消《き》えてしまつた。|気《き》の|毒《どく》ながらサーマンを|牢屋《らうや》に|投《な》げ|込《こ》むより|仕方《しかた》がなからう。|太子様《たいしさま》、|殿下《でんか》のお|考《かんが》へは|如何《いかが》でございますかなア』
|太《たい》『や、それは|面白《おもしろ》いでせう。|人《ひと》の|秘密《ひみつ》を|明《あか》して|自分《じぶん》が|助《たす》からうといふやうな|悪人《あくにん》は|懲《こ》らしめのため、|何時《いつ》までも|冷《つめ》たい|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》んでおくが|宜敷《よろし》いでせう』
サ『もし|太子様《たいしさま》、|殿下様《でんかさま》、どうぞ|今《いま》までの|悪事《あくじ》は|大目《おほめ》にみて|下《くだ》さいませ。その|代《かは》り|殿下《でんか》のためならば、|今《いま》|死《し》ねと|仰有《おつしや》つても|死《し》にますから』
|太《たい》『やア|面白《おもしろ》い。しからば|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》む|事《こと》は|許《ゆる》してやらう。どうぢや|嬉《うれ》しいか』
サ『ハイ|嬉《うれ》しうございます。ようまアお|助《たす》け|下《くだ》さいました。|今後《こんご》は|殿下《でんか》のためなら|何時《いつ》でも|命《いのち》を|差《さ》し|出《だ》します』
|太《たい》『やア|愛《う》い|奴《やつ》だ。そんなら|余《よ》の|身代《みがは》りとなつて|今《いま》|此処《ここ》で|死《し》んでくれ。|汝《なんぢ》の|首《くび》を|提《さ》げて|右守司《うもりのかみ》の|前《まへ》に|差出《さしだ》し、スダルマン|太子《たいし》の|生首《なまくび》と|申《まを》し、|首桶《くびをけ》に|入《い》れて|進物《しんもつ》にいたす|考《かんが》へだから』
サ『メメめつさうな、|今《いま》ここで|命《いのち》を|取《と》られては|助《たす》けてもらつた|甲斐《かひ》がございませぬ』
|太《たい》『ハハハハハ、|汝《きさま》のごとき|生首《なまくび》がどうして|余《よ》の|身代《みがは》りにならうか。|瓦《かはら》は|金《きん》の|代《かは》りにはなるまい。アア|総《すべ》て|人間《にんげん》の|心《こころ》は|皆《みな》こんなものだらう。|父王殿下《ちちわうでんか》のお|側《そば》に|親《した》しく|仕《つか》へ|侍《はべ》る|老臣《らうしん》どもは「|大王殿下《だいわうでんか》のためならば|何時《いつ》でも|命《いのち》を|的《まと》に|働《はたら》きます」と、|臆面《おくめん》もなく|口癖《くちぐせ》のやうに|申《まを》してゐたが、|五月五日《ごぐわついつか》の|大騒擾《だいさうぜう》の|勃発《ぼつぱつ》した|時《とき》は、|左守《さもり》、|右守《うもり》を|始《はじ》め|重臣《ぢうしん》どもは|四方《よも》に|逃《に》げ|散《ち》り、|唯《ただ》の|一人《いちにん》も|参内《さんだい》したものはなかつた。|高禄《かうろく》に|養《やしな》はれた|重臣《ぢうしん》でさへもその|通《とほ》りだから、|匹夫《ひつぷ》の|汝《なんぢ》が|命《いのち》を|惜《を》しむのは|無理《むり》もない。|余《よ》は|宣伝使《せんでんし》に|救《すく》はれた|祝《いは》ひとして、|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》を|立派《りつぱ》に|放免《はうめん》する。|何処《どこ》へなりと|勝手《かつて》に|行《い》つたがよからうぞ』
|太子《たいし》のこの|情《なさ》けの|籠《こ》もつた|言葉《ことば》を|聞《き》くより、|今《いま》まで|腰《こし》を|抜《ぬ》かして|居《ゐ》た|両人《りやうにん》はムクムクと|起《お》き|上《あ》がり、|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れ|又《また》もや|御意《ぎよい》の|変《かは》らぬ|内《うち》にといつたやうな|調子《てうし》で、「ア、リ、ガ、ト、ウ、サ、マ」と|互《たが》ひに|一言《ひとこと》づつ|謝辞《しやじ》を|述《の》べながら、|一目散《いちもくさん》に|階段《かいだん》を|昇《のぼ》り、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|吾《わ》が|家《や》をさして|馳《は》せ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|梅公別《うめこうわけ》は|遥《はるか》の|原野《げんや》に|遊《あそ》んでゐる|二頭《にとう》の|野馬《やば》を|捉《とら》へ|来《き》たつて|両人《りやうにん》に|勧《すす》めた。スバール|姫《ひめ》は|騎馬《きば》の|経験《けいけん》がないので、|梅公別《うめこうわけ》が|乗《の》り|来《き》たつた|鞍付《くらつ》きの|馬《うま》に|乗《の》せ、|二人《ふたり》の|男《をとこ》は|荒馬《あらうま》に|跨《また》がりながら|駒《こま》の|蹄《ひづめ》に|土埃《つちぼこり》を|立《た》て、|東北《とうほく》の|空《そら》を|目当《めあて》に|駈《か》けて|行《ゆ》く。
|捉《とら》はれし|太子《よつぎ》の|御子《みこ》も|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|放《はな》たれてけり
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 加藤明子録)
第五篇 |神風駘蕩《しんぷうたいたう》
第一八章 |救《すくひ》の|網《あみ》〔一七四二〕
|浅倉山脈《あさくらさんみやく》の|千尾千谷《ちをちだに》より|流《なが》れ|落《お》つる|玉野川《たまのがは》の|下流《かりう》をインデス|河《がは》といふ。この|河《かは》はタラハン|国《ごく》の|中心《ちうしん》を|流《なが》れ、|北《きた》より|南《みなみ》に|遠《とほ》くカルマタ|国《こく》の|牛《うし》の|湖水《こすゐ》に|注《そそ》いでゐる。|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナは、|身《み》なりも|軽《かる》き|比丘姿《びくすがた》、|深編笠《ふかあみがさ》を|被《かぶ》りながら、|十二夜《じふにや》の|月《つき》の|朧《おぼろ》げに|照《て》りわたる|野路《のぢ》を|辿《たど》つて、インデス|河《がは》の|畔《ほとり》に|着《つ》いた。|激流《げきりう》|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばして|淙々《そうそう》たる|水音《みなおと》、|見《み》るも|凄《すさま》じく|川瀬《かはせ》に|竜《りう》の|跳《はね》るがごとく、|川《かは》|一面《いちめん》に|散在《さんざい》せる|岩《いは》にせかれて、|水《みづ》は|白玉《しらたま》となつて|高《たか》く|飛《と》び|散《ち》つてゐる。アリナは|橋《はし》の|傍《かたはら》の|藁小屋《わらごや》をみとめて、|息《いき》を|休《やす》むべく|潜《くぐ》り|入《い》つた。ここは|橋番《はしばん》が|出張《しゆつちやう》して、|通行人《つうかうにん》|一人《ひとり》に|対《たい》し|片道《かたみち》|三厘《さんりん》の|橋銭《はしせん》を|取《と》るために|拵《こしら》へた|小屋《こや》である。アリナは|月《つき》の|光《ひかり》を|仰《あふ》ぎながら、|藁屋《わらや》の|戸《と》を|開《あ》けて、|涼《すず》しき|風《かぜ》を|浴《あ》びてゐた。
かかる|所《ところ》へ|二三人《にさんにん》の|黒《くろ》い|影《かげ》、|向《む》かふ|岸《ぎし》より|一本橋《いつぽんばし》を|撓《たわ》つかせながら|渡《わた》り|来《き》たる|者《もの》がある。|黒影《くろかげ》の|一人《ひとり》、
|甲《かふ》『やア|家来《けらい》ども、|今日《けふ》は|大変《たいへん》に|草臥《くたび》れたであらう。なかなか|捜索隊《さうさくたい》も|骨《ほね》の|折《を》れるものだ。やア|幸《さいは》ひここに|橋番小屋《はしばんごや》がある。どうぢや、まだ|家《うち》へ|帰《かへ》るには|四五十町《しごじつちやう》の|道《みち》のりがあるから、ここで|休息《きうそく》してボツボツ|帰《かへ》らうぢやないか』
|乙《おつ》『ハイ、|休息《きうそく》して|帰《かへ》りませう。|夜道《よみち》に|日《ひ》は|暮《く》れませぬからなア』
『|夜道《よみち》の|怖《こは》い|汝《きさま》も、|今日《けふ》は|主人《しゆじん》と|一緒《いつしよ》だから|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
『ハイ|左様《さやう》でございます。|今日《けふ》は|旦那様《だんなさま》と|御一緒《ごいつしよ》でございますから|千人力《せんにんりき》でございます。|何《なに》ほど|那美山《なみやま》の|狼《おほかみ》が|唸《うな》つたところで、ビクともいたしませぬわ』
|丙《へい》『アツハハハハ|旦那様《だんなさま》、|此奴《こいつ》ア|評判《ひやうばん》の|臆病者《おくびやうもの》でございまして、|今《いま》まで|夜道《よみち》はした|事《こと》のない|奴《やつ》でございますよ。|夜道《よみち》は|昼《ひる》でも|恐《こは》い、その|代《かは》り|夜食《やしよく》は|昼《ひる》でも|甘《うま》いとぬかす|奴《やつ》ですもの』
|甲《かふ》『アツハハハハ』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》いふない。|昼《ひる》の|夜食《やしよく》が|何処《どこ》にあるかい。|汝《きさま》も|余程《よほど》|間《ま》の|抜《ぬ》けたことをいふ|奴《やつ》だな』
|甲《かふ》『ヤアどうやら|此《こ》の|番小屋《ばんごや》には|生物《いきもの》がゐるやうだ。コリヤコリヤその|方《はう》は|何者《なにもの》だ』
アリナ『|拙僧《せつそう》は|諸国《しよこく》|遍歴《へんれき》の|修験者《しゆげんじや》でござる』
|甲《かふ》『ハハア、そこらあたりを|法螺吹《ほらふ》きまはる|比丘《びく》だなア。ヤア|分《わか》つた|分《わか》つた。エー、|比丘《びく》ならばチツとばかり|予言《よげん》や|神占《うかがひ》が|出来《でき》るだらう。どうか|一《ひと》つ|拙者《せつしや》の|願《ねが》ひを|聞《き》いてくれまいかなア』
『ハイ、|何事《なにごと》でも|承《うけたまは》りませう。|拙僧《せつそう》はスガ|山《さん》に|立籠《たてこも》つて|仏道《ぶつだう》を|修業《しふげふ》いたす|天然坊《てんねんばう》と|申《まを》す|者《もの》、たいていの|事《こと》は|百発百中《ひやくぱつひやくちゆう》、|天然坊《てんねんばう》の|星当《ほしあた》り、|合《あ》ふも|不思議《ふしぎ》、|合《あ》はぬも|不思議《ふしぎ》、|六十一卦《ろくじふいつけ》|筮竹《ぜいちく》の|変化《へんげ》によつて、あるひは|陽《やう》となり|陰《いん》となり、|乾坤離兌《けんこんりだ》などと、|種々雑多《しゆじゆざつた》に|変化《へんげ》いたすによつて、|拙僧《せつそう》の|神占《うかがひ》をよく|翫味《ぐわんみ》なさらぬと|間違《まちが》ひが|出来《でき》ますよ。お|前《まへ》さまはタラハン|城《じやう》の|大権力者《だいけんりよくしや》、|右守司《うもりのかみ》の|職掌《しよくしやう》を|勤《つと》めてゐらつしやる|方《かた》でござらうがな』
『ヤ、これは|恐《おそ》れ|入《い》つた。|如何《いか》にもお|察《さつ》しの|通《とほ》り、|右守司《うもりのかみ》のサクレンスでござる』
『アツハハハ、|貴殿《きでん》は|何《なに》か|捜索物《そうさくぶつ》があるやうだが、サクレンスといふ|名前《なまへ》では、|紛失物《ふんしつぶつ》の|所在《ありか》は|到底《たうてい》サグレンスでござる。|貴殿《きでん》の|尋《たづ》ねらるる|者《もの》は、|物品《ぶつぴん》でもなく、|家畜《かちく》でもなく、|米食《こめく》ふ|虫《むし》でござらうがな』
サクレンス『ハイ、その|通《とほ》りでございます。どうしてマアそなたはそれ|程《ほど》よく|御存《ごぞん》じでございますか』
ア『アツハハハ|拙僧《せつそう》は|月《つき》の|精《せい》より|衆生済度《しゆじやうさいど》のため、この|地上《ちじやう》へ|降《くだ》りし|者《もの》、|悪人《あくにん》を|懲《こ》らし|善人《ぜんにん》を|救《すく》はむがため、|一笠《いちりふ》|一蓑《いつさ》|一杖《いちぢやう》に|八尺《はつしやく》の|身《み》を|任《まか》せ、|諸国《しよこく》を|遍歴《へんれき》いたしてゐるが、タラハン|国《ごく》は|大変《たいへん》な|騒動《さうだう》が|起《おこ》つた|様子《やうす》でござるなア』
『ハイ、|一《ひと》つお|伺《うかが》ひを|致《いた》したうございますが、|私《わたし》の|希望《きばう》は|成就《じやうじゆ》するでございませうか』
『どういふ|希望《きばう》だ。|有体《ありてい》に|言《い》はつしやい。|道徳《だうとく》を|守《まも》つて、|如何《いか》なる|秘密《ひみつ》も|決《けつ》して|拙僧《せつそう》は|他言《たごん》は|仕《つかまつ》らぬ。|事《こと》と|品《しな》によつては、そなたの|力《ちから》になつて|進《しん》ぜたい』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|実《じつ》のところはタラハン|国《ごく》の|大王殿下《だいわうでんか》は|命《めい》|旦夕《たんせき》に|迫《せま》り、|太子様《たいしさま》は|女《をんな》に|現《うつつ》を|抜《ぬ》かして、|駈落《かけお》ちを|遊《あそ》ばし、|今《いま》に|行衛《ゆくゑ》は|分《わか》らず、|国家《こくか》の|滅亡《めつぼう》は|旦夕《たんせき》に|迫《せま》る|場合《ばあひ》、|某《それがし》は|右守司《うもりのかみ》として|国家《こくか》の|窮状《きうじやう》をみるに|忍《しの》びず、|吾《わ》が|弟《おとうと》エールをもつて、|已《や》むを|得《え》ず|王位《わうゐ》にのぼせ、|幸《さいは》ひ|王女《わうぢよ》バンナ|姫《ひめ》を|后《きさき》となし、タラハン|国家《こくか》の|復興《ふくこう》を|企《くはだ》てつつある|最中《さいちう》でございます。この|目的《もくてき》は|必《かなら》ず|成功《せいこう》いたすでございませうかな』
『ハハハハ、|危《あや》ふいかな|災《わざは》ひなるかな。そなたの|面相《めんさう》には|殺気《さつき》が|漲《みなぎ》つてをりますよ。そして|眉間《みけん》の|間《あひだ》にありありと|剣難《けんなん》の|相《さう》が|現《あら》はれてゐる。すぐさま|其《その》|野心《やしん》を|改《あらた》めざるにおいては、|忽《たちま》ち|災《わざはひ》|身《み》に|及《およ》ぶでござらう。そなたは|太子殿下《たいしでんか》を|何処《どこ》かへ|隠《かく》し、|再《ふたた》び|世《よ》にあげない|考《かんが》へでござらうがな。|拙僧《せつそう》はいささか|太子《たいし》に|由縁《ゆかり》のある|者《もの》、そのお|行衛《ゆくゑ》を|捜《さが》さむため、|実《じつ》は|修騒者《しうげんじや》と|化《ば》け、この|界隈《かいわい》を|夜間《やかん》を|窺《うかが》ひ、|実《じつ》は|捜《さが》してゐるのだ』
『ナニ、|太子殿下《たいしでんか》に|由縁《ゆかり》のある|者《もの》とは、|何人《なにびと》でござるかな』
『アツハハハハ|右守殿《うもりどの》も|耄碌《まうろく》せられたなア、そらその|筈《はず》でもあらう。|二《ふた》つの|眼《まなこ》は|近眼《きんがん》でもあり、|片足《かたあし》は|不具《かたわ》でもあり、|左様《さやう》な|難《むつかし》き|不完全《ふくわんぜん》なる|体《からだ》を|動《うご》かして、アリナの|所在《ありか》を|尋《たづ》ねまはるとは、テもさても|御苦労千万《ごくらうせんばん》、|右守殿《うもりどの》が|躍起《やくき》となつて|尋《たづ》ねてゐるアリナの|君《きみ》は|斯《か》く|申《まを》す|拙僧《せつそう》でござる。|美事《みごと》|相手《あひて》になるならなつて|見《み》なされ、アツハハハハ』
『|最前《さいぜん》から|何《なん》だか|怪《あや》しき|奴《やつ》だと|思《おも》つてゐたが、いかにも|其《その》|方《はう》は|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナに|間違《まちが》ひない。ヤアよい|所《ところ》で|出会《であ》うた。オイ|家来《けらい》ども、|有無《うむ》をいはせず|此《こ》のアリナをふん|縛《じば》れ』
『アイ』
と|答《こた》えて|両人《りやうにん》は|前後《ぜんご》よりアリナに|武者振《むしやぶ》りつかむとする。アリナは|飛鳥《ひてう》のごとく|身《み》をかはし、|右《みぎ》に|左《ひだり》に|敵《てき》の|鋭鋒《えいほう》をさけながら、|金剛杖《こんがうづゑ》にて、|白刃《しらは》の|刃《やいば》をうけ|流《なが》してゐる。しかしながらアリナも|到底《たうてい》|多勢《たぜい》に|無勢《ぶぜい》、グヅグヅしてゐて|命《いのち》を|取《と》られちや|大変《たいへん》と、|一本橋《いつぽんばし》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|西側《にしがは》の|岸《きし》に|向《む》かつて|駈《か》け|出《だ》す|途端《とたん》、|粗末《そまつ》な|橋杭《はしぐひ》に|躓《つまづ》いて、ザンブとばかり|激流《げきりう》の|中《なか》に|落込《おちこ》んで|了《しま》つた。|右守《うもり》その|他《た》の|家来《けらい》どもは|手《て》を|拍《う》つて|万歳《ばんざい》を|三唱《さんしやう》し、|肩肱《かたひぢ》|怒《いか》らしながら|勇《いさ》み|進《すす》んで|家路《いへぢ》をさして|帰《かへ》りゆく。
|民衆救護団《みんしうきうごだん》の|女団長《をんなだんちやう》バランスは、|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》を|養《やしな》ふその|費用《ひよう》に|窮《きう》し、|右守司《うもりのかみ》が|禁断《きんだん》の|場所《ばしよ》と|定《さだ》めておいた、|魚《うを》が|淵《ふち》といふインデス|川《がは》の|稍《やや》|水《みづ》の|淀《よど》んだ|場所《ばしよ》において、|乾児《こぶん》と|共《とも》に|網打《あみう》ちを|月夜《つきよ》を|幸《さいは》ひ|始《はじ》めてゐた。この|地点《ちてん》は|岸辺《きしべ》に|老木《らうぼく》|繁茂《はんも》し、|魚《うを》の|集合所《しふがふしよ》には|最適当《さいてきたう》の|場所《ばしよ》であり、かつ|沢山《たくさん》な|種々《いろいろ》の|魚介《ぎよかい》が|棲息《せいそく》してゐる。|万一《まんいち》この|場所《ばしよ》に|網《あみ》を|入《い》れ、|役人《やくにん》に|見《み》つからうものなら、たちまち|石子責《いしこぜめ》の|刑《けい》に|処《しよ》せらるるといふ|厳《きび》しき|掟《おきて》である。バランスは|数十人《すうじふにん》の|乾児《こぶん》に|見張《みは》りをさせながらバサリバサリと|網《あみ》を|打《う》ち、|沢山《たくさん》な|魚《うを》を|捕獲《ほくわく》してゐた。|十網《とをあみ》ばかり|打《う》つた|時《とき》、|非常《ひじやう》に|重《おも》たいものが|網《あみ》にかかつた。バランスは|腕力《わんりよく》に|任《まか》せて|引上《ひきあ》げて|見《み》ると|人間《にんげん》の|死骸《しがい》である。|義侠心《ぎけふしん》に|富《と》める|彼女《かのぢよ》は、
『|吾《わ》が|網《あみ》にかかるは|何《なに》かの|因縁《いんねん》だらう。いづくの|人《ひと》かは|知《し》らねども、もし|命《いのち》の|助《たす》かるものなら、あらゆる|手段《しゆだん》を|尽《つく》して|助《たす》けてやらねばなるまい』
と、|乾児《こぶん》に|命《めい》じ|沢山《たくさん》の|焚物《たきもの》を|集《あつ》めさせ、|河縁《かはべり》に|火《ひ》を|焚《た》いて|温《あたた》めてゐた。そして|人工呼吸《じんこうこきふ》や、|種々《いろいろ》の|手段《てだて》を|尽《つく》してみたが、|息《いき》を|吹《ふ》き|返《かへ》さず、ほとんど|絶望《ぜつばう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでゐる|時《とき》しもあれ、|駒《こま》に|跨《また》がり|此《こ》の|場《ば》に|現《あら》はれて|来《き》たのは、|水車小屋《すゐしやごや》に|捉《とら》はれてゐたスダルマン|太子《たいし》の|一行《いつかう》である。バランスは|一目《ひとめ》|見《み》るより|月影《つきかげ》にすかして、スダルマン|太子《たいし》たる|事《こと》を|知《し》り|捨鉢気味《すてばちぎみ》になり、ゴテゴテぬかさば|強力《がうりき》に|任《まか》せ、|馬《うま》もろとも|河中《かちう》に|投《とう》じてくれむものと、|身構《みがま》へをした。|太子《たいし》は|後《あと》を|振向《ふりむ》きながら、
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうやら|土左衛門《どざゑもん》が|網《あみ》にかかつたやうです。|助《たす》けてやる|事《こと》は|出来《でき》ますまいかなア』
|梅《うめ》『いかにも|溺死者《できししや》とみえます。|神様《かみさま》に|祈《いの》つて|蘇生《そせい》さして|頂《いただ》きませう』
と|言《い》ひながら、|駒《こま》をヒラリと|飛下《とびお》り、バランスの|前《まへ》に|進《すす》みよつて、|丁寧《ていねい》に|腰《こし》を|屈《かが》め、
『|見《み》れば|溺死人《できしにん》と|見《み》えますが、|貴女《あなた》がたは|親切《しんせつ》に|介抱《かいはう》してござる|様子《やうす》、|実《じつ》に|奇特《きとく》|神妙《しんめう》の|至《いた》りでござる』
バランスはこの|言葉《ことば》を|聞《き》いて、|案《あん》に|相違《さうゐ》し、|握《にぎ》りかためた|拳《こぶし》のやり|場《ば》に|困《こま》つたといふ|顔付《かほつ》きにて、
『ハイ、|私《わたし》は|実《じつ》のところバランスといふ|漁業団長《ぎよげふだんちやう》でございますが、|禁断《きんだん》の|場所《ばしよ》を|犯《をか》して|魚族《うろくづ》を|捕獲《ほくわく》するをりしも、|吾《わ》が|網《あみ》にかかつたのは|比丘姿《びくすがた》の|旅人《たびびと》、どうかして|助《たす》けたいものだと、この|通《とほ》り|火《ひ》を|焚《た》いて|温《あたた》め、いろいろと|手《て》を|尽《つく》しますれど|最早《もはや》|駄目《だめ》でございます。もしこれが|蘇生《そせい》するものならば、どうか|宣伝使《せんでんし》のお|祈《いの》りによつて|助《たす》けて|頂《いただ》きたいものでございます』
|梅公別《うめこうわけ》は|直《ただ》ちに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へ|死者《ししや》の|前額部《ぜんがくぶ》に|右《みぎ》の|示指《ひとさし》をあてて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|霊《れい》を|送《おく》る|事《こと》ほとんど|五分《ごふん》、|不思議《ふしぎ》や|死人《しにん》は「ウン」と|唸《うな》り|出《だ》し、|幽《かす》かに|手足《てあし》を|動《うご》かし|始《はじ》めた。バランスを|始《はじ》め|一同《いちどう》の|歓喜《くわんき》は|例《たとふ》るに|物《もの》なきほどであつた。やうやくにして|死人《しにん》は|元気《げんき》|回復《くわいふく》し、|四辺《あたり》をキヨロキヨロと|見《み》まはしながら、|篝火《かがりび》にすかし|見《み》て、
『ヤア|貴方《あなた》はスダルマン|太子様《たいしさま》でございますか』
『|何《なに》、|汝《なんぢ》はアリナであつたか、ヤアいい|所《ところ》で|其方《そなた》に|出会《であ》ひ、|余《よ》も|満足《まんぞく》だ』
ス『アリナ|様《さま》、|妾《わらは》はスバールでございます。|貴方《あなた》は|死《し》んでいらつしやつたのでございますよ。ここにござる|大《おほ》きなお|方《かた》の|網《あみ》にかかり|貴方《あなた》は|救《すく》われたのです。|種々《いろいろ》と|此《こ》の|方《かた》が|御介抱《ごかいはう》を|遊《あそ》ばしたさうでございますが、どうしても|蘇生《そせい》の|望《のぞ》みがないので、|失望《しつばう》|落胆《らくたん》してゐられた|所《ところ》へ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|梅公別《うめこうわけ》|様《さま》、|即《すなは》ち|此《こ》のお|方《かた》が|神様《かみさま》に|祈《いの》つて、あなたを|助《たす》けて|下《くだ》さつたのですよ。サアお|礼《れい》を|申《まを》しなさい』
ア『ハイ、|有難《ありがた》うございます。モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、エー、|漁師様《れふしさま》、|再生《さいせい》の|御恩《ごおん》、|末代《まつだい》までも|忘《わす》れはいたしませぬ』
と|簡単《かんたん》に、|落涙《らくるゐ》して|感謝《かんしや》の|辞《ことば》を|呈《てい》する。
|太《たい》『ヤア|結構々々《けつこうけつこう》、|汝《なんぢ》バランス、|禁断《きんだん》の|場所《ばしよ》を|冒《をか》した|罪《つみ》は|国法上《こくはふじやう》|許《ゆる》し|難《がた》いなれど、|汝《なんぢ》が|仁愛《じんあい》の|心《こころ》に|免《めん》じ|忘《わす》れておく』
バラ『これはこれは|太子殿下《たいしでんか》でございましたか。|御仁慈《ごじんじ》のお|言葉《ことば》|骨身《ほねみ》に|堪《こた》へて|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|大体《だいたい》かやうな|不公平《ふこうへい》な|法律《はふりつ》を|発布《はつぷ》し、|自然《しぜん》に|発生《わ》く|魚族《うろくづ》を|右守《うもり》の|司《かみ》の|特別漁猟区域《とくべつぎよれふくゐき》となし、|人民《じんみん》|一般《いつぱん》に|天然《てんねん》の|恩恵《おんけい》を|均霑《きんてん》させないといふのは|余《あま》り|矛盾《むじゆん》ではございますまいか。|妾《わたし》は|民衆《みんしう》の|味方《みかた》と|成《な》つてかかる|不公平《ふこうへい》なる|法律《はふりつ》を|撤回《てつくわい》し、|四民平等《しみんべうどう》の|神意《しんい》に|基《もと》づき、タラハン|国《ごく》の|政治《せいぢ》を|根本的《こんぽんてき》に|改革《かいかく》いたしたく|念願《ねんぐわん》してをります。かやうな|所《ところ》で|太子様《たいしさま》に|申《まを》し|上《あ》げるのは|畏《おそ》れ|多《おほ》うはございまするが、|妾《わたし》の|一言《いちげん》は|国民《こくみん》|全体《ぜんたい》の|声《こゑ》でございますから、|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ|仁慈《じんじ》の|御心《みこころ》をもつて、かかる|狭苦《せまくる》しき|法律《はふりつ》を|撤回《てつくわい》|遊《あそ》ばすやう、|違法《ゐはふ》ながら|謹《つつ》しんで|殿下《でんか》に|直訴《ぢきそ》をいたします』
『ヤ、|実《じつ》に|天晴《あつぱ》れな|汝《なんぢ》の|志《こころざし》、|感心々々《かんしんかんしん》。|余《よ》はこれより|城内《じやうない》に|帰《かへ》り、|国政《こくせい》の|大改革《だいかいかく》を|断行《だんかう》する|考《かんが》へだ。|汝《なんぢ》は|民衆《みんしう》の|母《はは》として|今日《こんにち》まで|国家《こくか》のため|大活動《だいくわつどう》をやつてゐたことは、うすうす|聞《き》いてゐる。ついてはどうだ、|余《よ》の|政治《せいぢ》を|助《たす》けてくれる|心《こころ》はないか』
『ハイ、|思《おも》ひもよらぬ|殿下《でんか》の|思召《おぼしめ》し、|何分《なにぶん》|鄙《ひな》に|育《そだ》つた|不作法者《ぶさはふもの》、|到底《たうてい》|廟堂《べうだう》に|立《た》つ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。まして|今《いま》まで|茶坊主《ちやばうず》の|妻《つま》とまで|成下《なりさが》つてをりました|卑《いや》しき|女《をんな》でございまするから……』
『そちにも|似合《にあ》はぬその|言葉《ことば》、|国民《こくみん》|救護《きうご》のためならば、|勇《いさ》んで|余《よ》が|言葉《ことば》を|聞《き》いても|可《い》いぢやないか。|今《いま》までのごとく|特権階級《とくけんかいきふ》が|威張《ゐば》り|散《ち》らし、|下《しも》|民衆《みんしう》の|難儀《なんぎ》を|知《し》らず|顔《がほ》に、|吾《わ》が|身《み》|勝手《かつて》の|事《こと》を|致《いた》すような|悪政《あくせい》はやらせないつもりだ。どうか|余《よ》が|頼《たの》みを|聞《き》いてはくれまいか』
『ハイ、|思《おも》ひがけなき|殿下《でんか》のお|見出《みだ》しに|預《あづ》かり、|日《ひ》ごろの|願望《ぐわんまう》も|成就《じやうじゆ》の|時《とき》が|参《まゐ》りましたやうでございます。|左様《さやう》ならば|令旨《れいし》に|従《したが》ひ、|殿下《でんか》に|付添《つきそ》ひ|入内《にふだい》|致《いた》すでございませう』
『ヤア|満足々々《まんぞくまんぞく》、|時《とき》を|移《うつ》さず、|汝《なんぢ》は|余《よ》について|城内《じやうない》へ|来《き》てくれよ』
『|畏《かしこ》まりました。しかしながら|此《こ》のアリナ|様《さま》は|到底《たうてい》この|様子《やうす》では|歩行《ほかう》は|難《むつかし》からうと|存《ぞん》じますから、|妾《わらは》が|馬《うま》となり、|背《せな》に|負《お》ぶつてお|供《とも》をいたしませう』
|梅《うめ》『ヤ、バランスさま、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ。|男子《だんし》にまさる|貴女《あなた》の|勇気《ゆうき》、あなたこそ|神《かみ》の|化身《けしん》ともいふべきお|方《かた》でございます』
バラ『|左様《さやう》にお|褒《ほ》め|下《くだ》さつてはお|恥《は》づかしうございます。サア|参《まゐ》りませう』
とバランスはアリナを|背《せな》に|負《お》ひながら、|駿足《しゆんそく》の|後《あと》より|従《したが》ひ|行《ゆ》く。
この|時《とき》、|大空《おほぞら》の|月《つき》は|淡雲《あはくも》を|押分《おしわ》けてニコニコしながら、|一行《いつかう》|五人《ごにん》の|夜《よる》の|道芝《みちしば》を|清《きよ》く|明《あき》らけく|照《て》らさせ|玉《たま》うた。インデス|河《がは》の|河波《かはなみ》は|月光《げつくわう》を|浴《あ》びて|金鱗《きんりん》の|如《ごと》くキラリキラリと|瞬《またた》いてゐる。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 松村真澄録)
第一九章 |紅《あけ》の|川《かは》〔一七四三〕
カーク、サーマンの|二人《ふたり》はインデス|河《がは》の|河辺《かはべり》を|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むち》うち|一生懸命《いつしやうけんめい》に|走《はし》り|行《ゆ》く。|右手《めて》の|草村《くさむら》より|手招《てまね》きして「オーイオーイ」と|叫《さけ》ぶ|者《もの》がある。|二人《ふたり》は|聞覚《ききをぼ》えのある|声《こゑ》と|立《た》ちとまつて、|息《いき》をついでゐた。そこへ|萱草《かやくさ》を|分《わ》けて、のそりのそりとやつて|来《き》たのは|右守司《うもりのかみ》サクレンスが|弟《おとうと》エールであつた。|二人《ふたり》はエールの|顔《かほ》を|見《み》るより、|地上《ちじやう》に|蹲《うづく》まり、
カーク『これはこれは、エールの|君様《きみさま》、|思《おも》はぬ|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。あなたはまた|斯様《かやう》な|所《ところ》に|何《なに》をしてゐらつしやるのですか』
エール『イヤ、|一寸《ちよつと》|秘密《ひみつ》の|用向《ようむ》きがあつて』
『|秘密《ひみつ》の|御用向《ごようむ》きと|仰有《おつしや》るのは、アリナの|行衛《ゆくゑ》を|捜《さが》してゐられるのでせう。|貴《たつと》き|御身《おんみ》をもつて|供《とも》をも|連《つ》れず、ただ|一人《ひとり》なぜ|斯《か》やうな|所《ところ》にお|出《で》ばりになつてゐられるのですか』
『イヤ、アリナの|行衛《ゆくゑ》も|捜索《そうさく》せなくてはならぬが、|王女《わうぢよ》バンナ|姫様《ひめさま》のお|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ねて、|此処《ここ》までやつて|来《き》たのだ。この|少《すこ》し|先方《むかふ》に|賤《しづ》の|岩屋《いはや》と|言《い》つて|岩窟《がんくつ》がある。|此処《ここ》はカラピン|王様《わうさま》の|御先祖《ごせんぞ》の|奥津城《おくつき》の|跡《あと》、それ|故《ゆゑ》もしや、バンナ|姫様《ひめさま》がお|参《まゐ》りになつてゐるのではあるまいかと、ただ|一人《ひとり》ワザとに|捜《さが》しに|来《き》たのだ』
『|姫様《ひめさま》は、そしてゐられましたか』
『イヤ、お|姿《すがた》が|見《み》えないのだ。アア|困《こま》つた|事《こと》だワイ。しかしお|前《まへ》は|秋野ケ原《あきのがはら》の|水車小屋《すゐしやごや》の|番《ばん》を|仰《おほ》せつかつてゐた|筈《はず》だが、どうして|又《また》|帰《かへ》つて|来《き》たのだ』
『|之《これ》については|大変《たいへん》な|珍事《ちんじ》が|突発《とつぱつ》いたしました。それゆゑ|御報告《ごほうこく》がてら、|帰《かへ》つたのでございます』
『|椿事《ちんじ》とは|何事《なにごと》だ。|民衆救護団《みんしうきうごだん》でもやつて|来《き》て、|太子《たいし》を|奪《うば》ひ|取《と》つたのではないか』
『ハイイイイイエエエエー、さうでもございませぬが、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がやつて|参《まゐ》りまして、|太子殿下《たいしでんか》およびスバール|姫《ひめ》を|救《すく》ひ|出《だ》し、たつた|今《いま》|駒《こま》に|跨《また》がつて、ここを|通《とほ》るでございませう。|太子《たいし》が|城内《じやうない》へ|帰《かへ》られたならば、まづ|第一《だいいち》に|右守司様《うもりのかみさま》の|御迷惑《ごめいわく》、|用意《ようい》を|遊《あそ》ばさねばなるまいと、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|御注進《ごちうしん》に|帰《かへ》る|途中《とちう》でございます』
『ヤ、そいつア|大変《たいへん》だ。オイ|両人《りやうにん》、|事《こと》|成就《じやうじゆ》の|上《うへ》は|汝《なんぢ》を|立派《りつぱ》な|役《やく》に|使《つか》うてやるから、どうだ、この|少《すこ》し|向方《むかふ》に、|一方《いつぱう》は|河《かは》、|一方《いつぱう》は|岩山《いはやま》、そこには|古《ふる》ぼけた|宮《みや》が|建《た》つてゐる。|之《これ》からその|宮《みや》の|後《うしろ》に|三人《さんにん》|忍《しの》び|居《を》り、|太子《たいし》の|帰《かへ》るのを|待伏《まちぶ》せ、|太子《たいし》の|命《いのち》を|取《と》つてしまふか、|但《ただ》しは|激流《げきりう》へ|投込《なげこ》むか、|何《なん》とかして|片付《かたづ》けねばならぬ、どうだ、|俺《おれ》の|命《めい》を|聞《き》くか』
『ハハハハハイ、|貴方《あなた》の|御命令《ごめいれい》なれば、|決《けつ》して|否《いな》みは|致《いた》しませぬが、|三五《あななひ》の|宣伝使《せんでんし》といふ|奴《やつ》、|到底《たうてい》|一筋繩《ひとすぢなは》ではゆかぬ|奴《やつ》でございますから、|用心《ようじん》をせなくちやなりませぬ』
『ナアニ、あの|地点《ちてん》は|攻《せ》むるに|難《かた》く|防《ふせ》ぐに|易《やす》きタラハン|国《ごく》|第一《だいいち》の|険要《けんえう》の|喉首《のどくび》だ。|彼処《あこ》にさへをれば、たとへ|千万人《せんまんにん》の|敵《てき》が|来《き》ても|大丈夫《だいぢやうぶ》だよ』
カーク『|如何《いか》にも|左様《さやう》、|成程《なるほど》ご|尤《もつと》も。オイ、サーマン|汝《きさま》どうだ。|御命令《ごめいれい》を|奉《ほう》ずるかな』
サーマン『そら……、|俺《おれ》だつて、|出世《しゆつせ》のしたいのは|同《おな》じ|事《こと》だ。そんな|安全《あんぜん》な|所《ところ》なら、|俺《おれ》も|御用《ごよう》を|承《うけたまは》らうかい』
エール『ヤ、|両人《りやうにん》とも、|合点《がつてん》がいたなれば、|早《はや》く|岩山《いはやま》の|森《もり》まで|行《ゆ》かう。やがて|太子《たいし》の|一行《いつかう》が|帰《かへ》つて|来《く》る|時分《じぶん》だらう』
といひながら|岩山《いはやま》の|森《もり》を|指《さ》して|走《はし》り|行《ゆ》く。
|一方《いつぱう》アリナは|体中《からだぢう》、|肉付《にくつき》のよいブクブクとした|柔《やは》らかな|背中《せなか》に|負《お》はれ、|何《なん》となく|妙《めう》な|気分《きぶん》がして|来出《きだ》した。そしてバランスもまたアリナのどこともなく|男《をとこ》らしく、|凛々《りり》しい|姿《すがた》に、この|男《をとこ》ならば……といふやうな|妙《めう》な|気《き》になつてゐた。
|太子《たいし》は|声《こゑ》も|涼《すず》しく、|馬上《ばじやう》|豊《ゆた》かに|月光《げつくわう》を|浴《あ》びながら|行進歌《かうしんか》を|歌《うた》ふ。
『アア|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し |九死一生《きうしいつしやう》の|苦《くる》しみを
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |梅公司《うめこうつかさ》に|助《たす》けられ
|妹背《いもせ》の|縁《えにし》も|恙《つつが》なく ふたたびここに|相生《あひおひ》の
|松《まつ》の|緑《みどり》の|色《いろ》|深《ふか》く |駿馬《しゆんめ》に|跨《また》がり|戞々《かつかつ》と
|峰《みね》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれつつ インデス|河《がは》の|河辺《かはべり》を
|勇《いさ》み|進《すす》んで|上《のぼ》る|内《うち》 |心《こころ》は|頓《とみ》に|冴《さ》えわたり
|神《かみ》のまします|天国《てんごく》の |旅路《たびぢ》を|進《すす》む|心地《ここち》せり
|月《つき》の|光《ひかり》は|波《なみ》の|上《へ》に |瞬《またた》き|初《そ》めて|麗《うるは》しく
|飛沫《ひまつ》の|音《おと》はタラハンの |国家《こくか》|復興《ふくこう》を|歌《うた》ふ|如《ごと》
|耳《みみ》をすまして|聞《き》こえ|来《く》る アア|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けて
|吾《わ》が|旧国《きうこく》を|根底《ねそこ》より |改《あらた》め|給《たま》ひ|民衆《みんしう》の
|永《なが》き|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》を |与《あた》へ|給《たま》ふぞ|嬉《うれ》しけれ
|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて |川辺《かはべ》の|森《もり》に|来《き》てみれば
|月夜《つきよ》に|瞬《またた》く|篝火《かがりび》の |影《かげ》に|寄《よ》りそふ|数十人《すうじふにん》
|何《なに》をなすやと|伺《うかが》へば |網《あみ》にかかりし|旅人《たびびと》の
|死骸《しがい》をあぶり|肉体《からたま》の |命《いのち》を|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|民衆団《みんしうだん》の|団長《だんちやう》が |力《ちから》かぎりに|介抱《かいはう》し
|心《こころ》を|砕《くだ》くをりもあれ |吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》の|言霊《ことたま》に
|死人《しにん》は|漸《やうや》く|甦《よみがへ》り よくよくみれば|吾《わ》が|慕《した》ふ
|賢《かしこ》き|友《とも》のアリナなり アリナは|漸《やうや》く|元気《げんき》づき
バランス|団長《だんちやう》に|負《お》はれつつ |河辺《かはべ》を|伝《つた》ひスタスタと
|吾等《われら》|一行《いつかう》に|加《くは》はりて |此処《ここ》まで|無事《ぶじ》に|帰《かへ》りけり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐ》みの|尊《たふと》さよ
|向方《むかふ》に|見《み》ゆる|岩山《いはやま》の |神《かみ》を|祀《まつ》りし|森《もり》のかげ
|吾等《われら》は|其処《そこ》まで|駈《か》けつけて |一先《ひとま》づ|息《いき》を|休《やす》めつつ
|神《かみ》のまにまに|城内《じやうない》へ |轡《くつわ》を|並《なら》べて|帰《かへ》るべし
アア|楽《たの》もしや|楽《たの》もしや |一陽来復《いちやうらいふく》|春《はる》は|来《き》ぬ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
かく|歌《うた》ひつつ、|駒《こま》の|足音《あしおと》に|大地《だいち》を|響《ひび》かせながら、|漸《やうや》くにして|岩山《いはやま》の|森蔭《もりかげ》、|古《ふる》き|社《やしろ》の|前《まへ》に|着《つ》いた。|太子《たいし》|一行《いつかう》はバランスやアリナの|身《み》の|疲《つか》れを|休養《きうやう》さすべく、ワザと|此処《ここ》に|駒《こま》を|止《とど》めたのである。|梅公別《うめこうわけ》は|早《はや》くもこの|古社《ふるやしろ》の|後《うし》ろに|怪《あや》しき|者《もの》ありと|勘付《かんづ》いたが、まさかの|時《とき》には|言霊《ことたま》をもつて|霊縛《れいばく》せむものとタカをくくつて、|何食《なにく》はぬ|顔《かほ》しながら、|一行《いつかう》|五人《ごにん》|一《いち》の|字形《じがた》になつて|社前《しやぜん》の|敷石《しきいし》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|煙草《たばこ》を|燻《くゆ》らしてゐた。
|社《やしろ》の|後《うし》ろには|三人《さんにん》の|囁《ささや》き|声《ごゑ》、
エ『オイ、カーク、|来《き》たぞ|来《き》たぞ。サア|俺《おれ》に|忠義《ちうぎ》を|尽《つく》すのは|今《いま》だ。|彼《あ》の|正中《まんなか》に|居《を》る|奴《やつ》が|太子《たいし》だ、|彼奴《あいつ》を|矢庭《やには》にこの|刀《かたな》を|以《もつ》て|袈裟掛《けさが》けに|切《き》り|捨《す》てるのだ。それさへすれば|外《ほか》の|奴《やつ》アどうでもよいから、サア|行《ゆ》け|行《ゆ》け』
カ『ハイ、|参《まゐ》ります。しかし、|旦那様《だんなさま》、|私《わたし》に|跟《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい。|何《なん》といつても|向方《むかふ》は|五人《ごにん》、そんな|所《ところ》へ|私《わたし》|一人《ひとり》|行《い》つたところで|駄目《だめ》でございますからなア』
エ『エー、|気《き》の|弱《よわ》い|奴《やつ》だな、そんならサーマンと|一緒《いつしよ》に|飛《と》び|出《だ》して|行《ゆ》け』
サ『ハイ|行《ゆ》かぬこたございませぬが、|何《なん》だか|手足《てあし》がワナワナ|致《いた》しまして、|怖《こは》くつて|堪《たま》りませぬワ』
エ『チヨツ、エー|口《くち》ばかりの|代物《しろもの》だなア。サア|俺《おれ》に|跟《つ》いて|来《こ》い。そして|俺《おれ》の|手《て》ぎはを|見《み》るがよい』
と|言《い》ひながら、バラバラと|不意《ふい》に|立《た》ち|出《い》で、|木下蔭《こしたかげ》を|力《ちから》に|太子《たいし》を|目《め》がけて、|暗《やみ》に|閃《ひらめ》く|白刃《はくじん》の|雷《いなづま》、アワヤ|太子《たいし》は|真二《まつぷた》つと|思《おも》ひきや、ヒラリと|体《たい》をかはし、|太子《たいし》は「|曲者《くせもの》、|待《ま》てツ」と|大喝《だいかつ》したり。バランスはこれを|見《み》るよりエールの|腕《うで》を|強力《がうりき》に|任《まか》して|撲《なぐ》りつけたる。|其《そ》の|途端《とたん》に|腕《うで》はしびれ、|白刃《はくじん》はガチヤリと|大地《だいち》に|落《お》ちた。バランスはエールの|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》んで|高《たか》く|差上《さしあ》げながら、|川辺《かはべり》に|持《も》ち|行《ゆ》き、|月《つき》に|曲者《くせもの》の|面《つら》を|照《て》らしてみれば、まがふかたなきエールなりける。
バラ『もしもし、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|太子様《たいしさま》、|一寸《ちよつと》|御覧《ごらん》なさいませ。この|面《つら》は|右守《うもり》の|弟《おとうと》エールのやうに|思《おも》ひますが、お|査《しら》べ|下《くだ》さいませぬか』
|太子《たいし》|外《ほか》|四人《よにん》はバラバラとバランスの|側《そば》に|駈《か》けより、|曲者《くせもの》の|面《つら》を|眺《なが》め、
|太《たい》『ヤ、いかにも|此奴《こいつ》はエールだ。|怪《け》しからぬ|事《こと》をいたす、|悪党《あくたう》|奴《め》』
バラ『|殿下《でんか》の|御証明《ごしようめい》がある|以上《いじやう》は、このエール、この|世《よ》に|活《い》かしておく|代物《しろもの》ではございませぬ。|此奴《こいつ》の|面《つら》には|剣難《けんなん》の|相《さう》が|現《あら》はれてゐます。|何《いづ》れ|遠《とほ》からぬ|内《うち》、|漁業団員《ぎよげふだんゐん》に|命《いのち》を|取《と》られる|奴《やつ》、エー|邪魔臭《じやまくさ》い、|太子様《たいしさま》お|許《ゆる》し』
といひながら、|激流《げきりう》|目《め》がけて、|小石《こいし》を|投《な》ぐるが|如《ごと》くドンブリと|投《な》げ|込《こ》んだ。エールは|投《な》げ|込《こ》まれた|途端《とたん》に、|川中《かはなか》の|突《つ》き|出《だ》た|石《いし》に|脳天《なうてん》を|打割《うちわ》り|川水《かはみづ》を|紅《あけ》に|染《そ》めて、ドンドンと|流《なが》れて|了《しま》つた。この|隙《すき》にカーク、サーマンの|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ、|命《いのち》あつての|物種《ものだね》と|右守《うもり》の|館《やかた》を|指《さ》して|逃《に》げてゆく。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 松村真澄録)
第二〇章 |破滅《はめつ》〔一七四四〕
|蓄財《ちくざい》と|名望慾《めいばうよく》と|政治慾《せいぢよく》、その|外《ほか》|自己愛《じこあい》の|道《みち》にかけては|抜《ぬ》け|目《め》のない|右守《うもり》の|司《かみ》サクレンスは、|日頃《ひごろ》の|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》の|時《とき》|到《いた》れりとなし、|妻《つま》のサクラン|姫《ひめ》と|共《とも》に、|都下《とか》|大騒擾《だいさうぜう》の|跡仕末《あとしまつ》もつけず、|民衆怨嗟《みんしうゑんさ》の|声《こゑ》も|空吹《そらふ》く|風《かぜ》と|聞《き》き|流《なが》し、|珍味《ちんみ》|佳肴《かかう》に|酒《さけ》くみ|交《か》はし|得意《とくい》となつて、|心《こころ》の|埃芥《ごもく》を|平気《へいき》の|平左《へいざ》で|吐《は》き|散《ち》らしてゐる。|得意《とくい》の|時《とき》、|図《づ》に|乗《の》るは|小人《せうじん》の|常《つね》とは|言《い》ひながら、あまりに|知恵《ちゑ》の|足《た》らぬ|男《をとこ》である。|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》として|物騒至極《ぶつさうしごく》の|今日《けふ》|此《こ》のごろ、しかも|玄関口《げんくわんぐち》に|現《あら》はれ|訪問客《はうもんきやく》を|相手《あひて》にしながら、|已《すで》に|国務総監《こくむそうかん》になりすましたやうな|気《き》で|盛《さか》んにメートルを|上《あ》げ、いきりきつて|居《ゐ》る。
|右守《うもり》は|女房《にようばう》の|酌《しやく》でヘトヘトになり、|凹《へこ》んだ|目《め》をボツとさせながら、|眼鏡越《めがねご》しに|女房《にようばう》の|蜥蜴面《とかげづら》をうち|眺《なが》め、|出来損《できそこ》ねた|今戸焼《いまどやき》の|狸《たぬき》の|人形《にんぎやう》のやうな|不可解千万《ふかかいせんばん》の|面《つら》をさらし、|舌皷《したつづみ》を|打《う》ちながら、
『オイ、|奥《おく》さま|否《いな》、|女房《にようばう》、|嬶《かか》んつ|殿《どの》、|何《なん》と|俺《おれ》の|劃策《くわくさく》は|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|注意《ちうい》の|届《とど》いたものだらう、エーン』
サク『|旦那様《だんなさま》、|何《なん》ですか、|車夫《しやふ》か|馬丁《ばてい》か|何《なん》ぞのやうに|嬶《かかあ》だの、|嬶《かか》んつだの|嬶村屋《かかむらや》だのと、こんな|玄関口《げんくわんぐち》で|見《み》つともないぢやありませぬか。|警固《けいご》の|兵士《へいし》が|若《も》しもこんな|事《こと》を|聞《き》きましたらキツと|馬鹿《ばか》にしますよ。どうぞ|之《これ》から|妾《わらは》を|呼《よ》ぶには|奥《おく》とか、|後室《こうしつ》とか|言《い》つて|下《くだ》さい。お|願《ねが》ひですから』
|右《う》『イヤ、これは|失敬千万《しつけいせんばん》、|恐《おそ》れ|入谷《いりや》の|鬼子母神《きしもじん》|殿《どの》、|釜《がま》の|下《した》の|燃杭左衛門《もえくひざゑもん》、|閻魔大王之介《えんまだいわうのすけ》、|嬶左衛門尉挽臼殿《かかざゑもんのじやうひきうすどの》、サクレンスが|酒《さけ》の|上《うへ》の|暴言《ばうげん》、|真平《まつぴら》|真平《まつぴら》|御免候《ごめんさふら》へ、|何分《なにぶん》|奥《おく》さまのお|名前《なまへ》がサクラン|姫《ひめ》だから、チツとばかり|此《こ》の|右守《うもり》も|精神《せいしん》がサクランいたし、|何《なん》となくボツといたしたやうだ。サクラン……ではない、サフランでも|煎《せん》じて|一服《いつぷく》|飲《の》ましてもらひたいものだな。サフランが|無《な》ければ|朝鮮人参《てうせんにんじん》でも|結構《けつこう》だ。しかしながら|諺《ことわざ》にも|言《い》ふ|通《とほ》り「|人参《にんじん》|買《か》うて|首《くび》を|吊《つ》る」といふ|事《こと》もある。|右守《うもり》の|貧乏世帯《びんばふしよたい》では|到底《たうてい》|左様《さやう》な|高価《かうか》な|医薬品《いやくひん》は|挺《てこ》には|合《あ》ひ|申《まを》さぬ。それよりも|奥方殿《おくがたどの》のお|麗《うるは》しきおん|顔《かんばせ》を|拝《はい》し|奉《たてまつ》り、|恐悦至極《きようえつしごく》に|存《ぞん》じ|奉《たてまつ》つておいた|方《はう》が、|何《なに》ほど|愉快《ゆくわい》だか|知《し》れないわ、アツハハハハ』
『|旦那様《だんなさま》、いい|加減《かげん》に|妻《つま》を|嘲弄《てうろう》しておきなさいませ。|口《くち》に|関所《せきしよ》がないといつても、あまりぢやございませぬか。|時《とき》に|旦那様《だんなさま》、|太子殿下《たいしでんか》やスバール|姫《ひめ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》でございませうかな』
『ウンウン、|大丈夫《だいぢやうぶ》|大丈夫《だいぢやうぶ》、|不要緊《プヤオチン》|不要緊《プヤオチン》。アアしておけば|自然《しぜん》に|餓死《がし》を|為《す》るだらう、さうすりやこつちの|幸福《しあはせ》だ。|何《なに》ほど|辛抱《しんばう》が|可《よ》いといつても、|十日《とをか》も|二十日《はつか》も|飲食《おんじき》を|絶《た》たれたならば、|到底《たうてい》|生命《いのち》は|保《たも》てない、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》とおいで|遊《あそ》ばすは、|決《き》まりきつたる|天地《てんち》の|道理《だうり》だ。エー、|俺《おれ》に|子供《こども》があればバンナ|姫《ひめ》に|娶《めあは》して、うまく|国政《こくせい》を|自由自在《じいうじざい》に|操《あやつ》るのだが、|惜《を》しい|事《こと》にはお|前《まへ》が|石女《うまずめ》だから、|惜《を》しいながらも|他人《たにん》にやるより【マシ】だと|思《おも》つて、|父違《ててちが》ひの|弟《おとうと》に|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》を|譲《ゆづ》り、|弟《おとうと》はやがて|大王殿下《だいわうでんか》となり、|肝心《かんじん》の|兄貴《あにき》は|臣下《しんか》となつて、アタ|阿呆《あはう》らしい、|神妙《しんめう》に|仕《つか》へねばならぬのだ。しかしながら|弟《おとうと》は|只《ただ》|単《たん》に|看板《かんばん》に|立《た》てておくのみだ。その|実権《じつけん》はヤツパリこのサクレンスの|手《て》に|握《にぎ》つておくのだから、まづ|芝居《しばゐ》だと|思《おも》へば|辛抱《しんばう》も|出来《でき》やうかい、エツヘヘヘヘ。てもさても|愉快《ゆくわい》な|事《こと》だわい』
『|旦那様《だんなさま》、そしてあのアリナはシノブの|言《い》つた|通《とほ》り|大宮山《おほみややま》の|神殿《しんでん》に|居《を》つたでせうか』
『イヤ、|彼奴《あいつ》は|到頭《たうとう》|風《かぜ》を|喰《くら》つて|逃《に》げ|失《う》せ、|比丘《びく》の|姿《すがた》となつて|法螺貝《ほらがひ》を|吹《ふ》き、そこら|中《ぢう》を|深網笠《ふかあみがさ》で|廻《めぐ》つてゐるといふ|報告《はうこく》が|来《き》たので、|千円《せんゑん》の|懸賞付《けんしやうつ》きで|今《いま》|捜索《そうさく》してるところだ。|彼奴《あいつ》を|捉《つかま》へたら、|否応《いやおう》いはさず|秋野ケ原《あきのがはら》の|水車小屋《すゐしやごや》の|地底《ちてい》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》み、|人知《ひとし》れず|干《ほ》し|殺《ころ》してやる|計画《けいくわく》がチヤンと|整《ととの》つてゐるのだ。あんな|奴《やつ》の|事《こと》は、さう|意《い》に|介《かい》するに|足《た》らないよ。|何《なん》と|言《い》つても|肝腎要《かんじんかなめ》の|太子《たいし》を、アア|仕《し》て|置《お》いて○○して|了《しま》へば|最早《もはや》|俺《おれ》の|天下《てんか》だ。エツヘヘヘヘ、|何《なん》と|妙案《めうあん》|奇策《きさく》だらう』
『そりや|本当《ほんたう》に|心地《ここち》のよい|事《こと》でございますな。さすがは|右守様《うもりさま》、いや|大名総監様《だいみやうそうかんさま》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ。あなたが|御出世《ごしゆつせ》なされたならば、|麻《あさ》につれる|蓬《よもぎ》も|同然《どうぜん》、|妾《わらは》の|地位《ちゐ》も|高《たか》まる|道理《だうり》。しかし|女中頭《ぢよちうがしら》のシノブが|聞《き》いたら、さぞ|失望《しつばう》|落胆《らくたん》する|事《こと》でせうね』
『どうで|彼奴《あいつ》は、ドテンバの|淫乱《いんらん》の|両屏風《りやうびやうぶ》と|来《き》てゐるのだからいい|気味《きみ》だ。いつもいつも|大王様《だいわうさま》のお|側《そば》|近《ちか》く|侍《はべ》りよつて、|耳嗅《みみか》ぎばかり|得意《とくい》にしてゐる|曲者《くせもの》だから、あんな|奴《やつ》ア|臍《へそ》でも|噛《か》んで|死《し》んだ|方《はう》が、|何《なに》ほど|国家《こくか》の|為《ため》になるか|知《し》れないわ、エツヘヘヘヘ』
『しかしながら|旦那様《だんなさま》、|謀《はかりごと》は|密《みつ》なるを|要《えう》すとか|申《まを》しまして、どこまでも|注意《ちうい》に|注意《ちうい》を|加《くは》へねばなりませぬ。ヒヨツとすればあの|女《をんな》は|右守家《うもりけ》にとつて|爆裂弾《ばくれつだん》かも|知《し》れませぬから、そこは、うまく|言《い》つて、|操《あやつ》つておいて|下《くだ》されや』
『エー、そんな|事《こと》に|抜目《ぬけめ》のあるサクレンスと|思《おも》つてゐるか、いふだけ|野暮《やぼ》だよ。サア|一杯《いつぱい》ゆかう。|今日《けふ》は|土堤《どて》を|切《き》らして|充分《じうぶん》|酔《よ》うてくれ。|目的《もくてき》|成就《じやうじゆ》の|前祝《まへいは》ひだからのう』
かかる|処《ところ》へ|玄関《げんくわん》の|障子《しやうじ》の|外《そと》からかん|走《ばし》つた|女《をんな》の|声《こゑ》、
『|右守様《うもりさま》、|妾《わらは》はシノブでございます。|這入《はい》りましてもお|差支《さしつか》へはございませぬかな』
|右守《うもり》はギヨツとしながら|顔色《かほいろ》をサツと|変《か》へ、|女房《にようばう》と|狸《たぬき》と|蜥蜴《とかげ》の|面合《つらあは》せをしながら、|唇《くちびる》で|舌《した》を|噛《か》み|三《み》つ|四《よ》つ|腮《あご》をしやくり、|二人《ふたり》|一時《いちじ》に、
『ハイ、|差支《さしつか》へはございませぬ。サアサアお|這入《はい》り|下《くだ》さい』
シノブ『|左様《さやう》なれば|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります。|臍《へそ》でも|噛《か》んで|死《し》ねばいいのに、|憎《にく》まれ|子《ご》|世《よ》に|覇張《はば》ると|申《まを》しまして、この|通《とほ》りピンピンしてゐます。|決《けつ》して|爆裂弾《ばくれつだん》ではありませぬから|御安心《ごあんしん》なさいませ。|何《なん》と|言《い》つても|太子様《たいしさま》を|水車小屋《すゐしやごや》の|地底《ちてい》の|岩窟《いはや》に|入《い》れて、|干《ほ》し|殺《ころ》さうと|為《な》さる|凄《すご》いお|腕前《うでまへ》、|実《じつ》に|感心《かんしん》いたしましたよ。もしもし|御夫婦様《ごふうふさま》、|別《べつ》に|青《あを》い|顔《かほ》して、お|慄《ふる》ひ|遊《あそ》ばすには、|当《あた》らぬぢやありませぬか。アリナさままで|引捕《ひつと》らまへて|地底《ちてい》の|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》み、|干《ほ》し|殺《ころ》さうとしてござるのですもの、|本当《ほんたう》に|呆《あき》れて|了《しま》ひますわ。|如何《いかが》でございます。|梟《ふくろ》の|宵企《よひだく》み、うまく|計劃《けいくわく》が|成就《じやうじゆ》いたす|見込《みこ》みがございますかな』
|右《う》『これはこれは|思《おも》ひがけなきシノブ|殿《どの》のお|言葉《ことば》、どうして、さやうな|無道《ぶだう》な|事《こと》が|出来《でき》るものですか。|人間《にんげん》として|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|太子様《たいしさま》を|干《ほ》し|殺《ころ》さうなんて、|人間《にんげん》の|面《つら》を|被《かぶ》つたものがする|事《こと》ぢやございませぬ。|実《じつ》は|酒《さけ》に|酔《よ》うたまぎれに、|嬶左衛門《かかざゑもん》に|向《む》かつて|揶揄《からか》つてゐたのですよ。もとより|根《ね》なし|草《ぐさ》の|戯《たはむ》れ|言《ごと》、|気《き》にかけて|下《くだ》さつては|困《こま》ります』
『|人間《にんげん》として|出来《でき》ないやうな、|大《だい》それた|畏《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》を|平気《へいき》でおやり|遊《あそ》ばす|右守様《うもりさま》だもの、|到底《たうてい》|妾《わらは》のごとき|耳嗅《みみか》ぎのお|転婆女《てんばをんな》では|側《そば》へも|寄《よ》れませぬわ。どうか|爪《つめ》の|垢《あか》でも|頂《いただ》いて|煎《せん》じて|飲《の》みたいものでございますわ』
『こりや|怪《け》しからぬ、さう|疑《うたが》つてもらつちや、|右守《うもり》も|一切《いつさい》|事情《じじやう》を|逐一《ちくいち》|弁明《べんめい》せなくちやなりますまい。マアゆつくりと|気《き》を|落付《おちつ》けて、|忠臣義士《ちうしんぎし》たる|拙者《せつしや》の|言葉《ことば》をお|聞《き》き|下《くだ》さい』
『あなたはもうお|忘《わす》れになりましたか。|先日《せんじつ》|妾《わらは》がお|直使《ちよくし》に|化《ば》けて|参《まゐ》りました|時《とき》、|太子様《たいしさま》を○○せうとお|約束《やくそく》なさつたぢやござりませぬか。そしてアリナさまを|王位《わうゐ》に|上《のぼ》らせ、|妾《わらは》を|王妃《わうひ》にしてやらうと、うまく|誤魔化《ごまくわ》しましたね。|貴方《あなた》の|腹《はら》の|中《なか》はエールさまを|王位《わうゐ》に|上《のぼ》らせ、|王女《わうぢよ》のバンナさまを|王妃《わうひ》とし、|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|国政《こくせい》を|料理《れうり》しやうといふ、|大《たい》した|陰謀《いんぼう》を|劃策《くわくさく》してゐらしたのでせう。|何《なに》もかも|一伍一什《いちぶしじふ》、|只今《ただいま》|玄関先《げんくわんさき》にて|承《うけたまは》りました。しかし|妾《わたし》が、かう|言《い》つたと|申《まを》して|驚《おどろ》きには|及《およ》びませぬ。|物《もの》も|相談《さうだん》ですが、どうです、|一層《いつさう》のこと|妾《わらは》を|女帝《によてい》にして|下《くだ》さつては。もしゴテゴテ|仰有《おつしや》るなら|何《なに》もかも|上《かみ》は|大王様《だいわうさま》へ、|下《しも》は|国民《こくみん》|一般《いつぱん》へ、あなたの|陰謀《いんぼう》の|次第《しだい》を|吹聴《ふいちやう》いたしますが、それでも|貴方《あなた》にとつてお|差支《さしつか》へはございますまいか。もしそんな|事《こと》は|出来《でき》ないと|仰有《おつしや》るなら、サアこの|場《ば》でキツパリと|言明《げんめい》して|下《くだ》さい。|一寸《いつすん》の|虫《むし》も|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》とやら、|妾《わらは》にも|考《かんが》へがございますからな』
|夫婦《ふうふ》はシノブの|言葉《ことば》に|一《ひと》つ|一《ひと》つ|錐《きり》で|胸先《むなさき》を、|揉《も》まるる|如《ごと》き|苦《くる》しみを|感《かん》じながら、
|右《う》『イヤ、|恐《おそ》れ|入《い》りました。|明日《あす》とも|言《い》はず|今日《けふ》|只今《ただいま》より|貴女《あなた》を|主君《しゆくん》と|崇《あが》め|奉《まつ》り、|女帝様《によていさま》と|申《まを》し|上《あ》げますから、|何卒《なにとぞ》さう|腹《はら》を|立《た》てず|落付《おちつ》いて|下《くだ》さいませ』
サクラ『|夫《をつと》の|申《まを》し|上《あ》げました|通《とほ》り|妾《わたくし》も|女帝殿下《によていでんか》と|尊敬《そんけい》し、|今日《こんにち》ただ|今《いま》より|臣下《しんか》の|礼《れい》をもつて|仕《つか》へませう』
シノブ『ホホホホホうまいこと|仰有《おつしや》いますな。そんな|事《こと》を|言《い》つて|妾《わらは》を|安心《あんしん》させ、|暗打《やみう》ちでも|遊《あそ》ばす|御計画《ごけいくわく》でせう。|今日《けふ》までの|貴方《あなた》|等《がた》のやり|方《かた》から|推定《すゐてい》しても、そのくらゐの|事《こと》は、あなたにとつては|宵《よひ》の|口《くち》ですからね』
かかる|処《ところ》へカーク、サーマンの|二人《ふたり》は|慌《あわ》ただしく|帰《かへ》り|来《き》て、
『|右守様《うもりさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。タタタ|大変《たいへん》な|事《こと》が|突発《とつぱつ》いたしました』
|右守《うもり》はこの|言葉《ことば》に|二度《にど》ビツクリしながら、にはかに|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》め、|片膝《かたひざ》を|立直《たてなほ》して、
『なに、|大変《たいへん》が|起《おこ》つたとは、|何処《どこ》にだ。サア|早《はや》く|言《い》はないか』
カ『ハイ|申《まを》し|上《あ》げるつもりで|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》がスタスタと|慌《あわ》てて|帰《かへ》つて|参《まゐ》つたのです。|申《まを》し|上《あ》げなくて|何《なん》と|致《いた》しませう。|太子殿下《たいしでんか》をはじめスバール|姫《ひめ》は、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|助《たす》けられ、|駒《こま》に|跨《また》がつて|堂々《だうだう》と|城内《じやうない》にお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばす|事《こと》になりました。そしてエールの|君様《きみさま》は|岩山《いはやま》の|神《かみ》の|森《もり》において、|大女《おほをんな》のバランスに、|首筋《くびすぢ》をつまんでインデス|川《がは》へ|投《な》げ|込《こ》まれ、|川中《かはなか》の|岩石《がんせき》に|頭《あたま》を|打《う》ち|割《わ》られ、|川水《かはみづ》を|紅《あけ》に|染《そ》めて、ブカンブカンと|流《なが》れてしまはれました。グヅグヅしとる|時《とき》ぢやございますまい。|右守様《うもりさま》、あなたのお|首《くび》が|危《あや》ふうございますよ』
サクレ『|嘘《うそ》ぢやないか、そんな|事《こと》のあらう|筈《はず》がない』
サ『|決《けつ》して|決《けつ》して、|誰《たれ》が|嘘《うそ》なんか|申《まを》しませうぞ。|正真正銘《しやうしんしやうめい》、ありのままの|事実《じじつ》の|注進《ちうしん》でございます』
サクラ『それだから、いつも|貴方《あなた》に|気《き》をつけなさいませと|御意見《ごいけん》を|申《まを》したではありませぬか。|一体《いつたい》|貴方《あなた》の|頭脳《づなう》は、あまり|粗末《そまつ》|過《す》ぎますから、こんな|失敗《しつぱい》が|出来《でき》るのですよ、エー|口惜《くや》しい、どうしたら|宜《よろ》しいのかな』
シ『イツヒヒヒヒヒ|右守《うもり》さま、もうかうなりや|妾《わらは》の|女帝《によてい》も、あなたの|大名総監《だいみやうそうかん》もサツパリ|駄目《だめ》です。|男《をとこ》らしく|覚悟《かくご》なさいませ。いな|自決《じけつ》|遊《あそ》ばせ。|実《じつ》のところは|王女《わうぢよ》のバンナ|姫様《ひめさま》も|妾《わたし》が、うまくちよろまかして、|城内《じやうない》からおびき|出《だ》し、インデス|川《がは》の|辺《ほとり》で|首《くび》を|締《し》め、|川中《かはなか》へ|投《な》げ|込《こ》んでおきましたから、エールさまと|一緒《いつしよ》に|同《おな》じインデス|川《かは》で|水盃《みづさかづき》でもしてゐらつしやるでせうよ。もうかうなつた|以上《いじやう》は|気《き》の|毒《どく》ながら、あなたのお|家《いへ》は|断絶《だんぜつ》、|罪《つみ》が|軽《かる》うて|切腹《せつぷく》、まさか|違《ちが》へば|逆磔刑《さかはりつけ》ですよ。|妾《わらは》だつて、もはや|安閑《あんかん》としては|居《を》られませぬ。サア|右守《うもり》さま、|介錯《かいしやく》をして|上《あ》げますから|腹《はら》をお|切《き》りなさいませ。そして|奥様《おくさま》は|首《くび》でも|吊《つ》るか、|溜池《ためいけ》にでも|身《み》を|投《な》げて、|早《はや》くその|製糞器《せいふんき》を|片付《かたづ》けなさいませ。グヅグヅしてゐると|死後《しご》までも|恥《はぢ》をさらされますよ。|私《わたくし》も|冥土《めいど》のお|伴《とも》を|致《いた》します。|已《すで》にすでに|懐剣《くわいけん》は|用意《ようい》して|参《まゐ》りました。この|鋭利《えいり》な|短刀《たんたう》で|喉笛《のどぶえ》を|切《き》るが|最後《さいご》、|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|天国《てんごく》へ|国替《くにが》へといふ|段取《だんどり》ですわ』
かく|互《たが》ひに|身《み》の|終《をは》りの|相談《さうだん》をやつてゐるところへ|門前《もんぜん》にはかに|騒《さわ》がしく、|目付頭《めつけがしら》は|数百《すうひやく》の|部下《ぶか》を|従《したが》へ、|右守《うもり》の|館《やかた》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取巻《とりま》き|頭役《かしらやく》|自《みづか》ら|数名《すうめい》の|目付《めつけ》と|共《とも》に|入《い》り|来《き》たり、
『サクレンス、サクラン、シノブ|三人《さんにん》とも|御用《ごよう》だ。|神妙《しんめう》に|手《て》を|廻《まは》せ』
と|呶鳴《どな》りながら、|懐《ふところ》より|捕繩《とりなは》を|出《だ》し|無雑作《むざふさ》に|三人《さんにん》を|厳《きび》しく|固《かた》く|縛《しば》り|上《あ》げてしまつた。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 北村隆光録)
第二一章 |祭政一致《さいせいいつち》〔一七四五〕
スダルマン|太子《たいし》は|宣伝使《せんでんし》に|送《おく》られ、|一行《いつかう》と|共《とも》に|無事《ぶじ》タラハン|城内《じやうない》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|父《ちち》の|大王《だいわう》に|面会《めんくわい》し、|今《いま》までの|不都合《ふつがふ》を|謝《しや》し、かつ|今後《こんご》は|心《こころ》を|改《あらた》めて、|父《ちち》の|後《あと》を|継《つ》ぎ、|国家《こくか》|万機《ばんき》の|政事《まつりごと》を|総攬《そうらん》せむ|事《こと》を|誓《ちか》つた。カラピン|王《わう》は|太子《たいし》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|喜《よろこ》びのあまり|気《き》が|緩《ゆる》み、ガツカリとしたその|刹那《せつな》、|忽《たちま》ち|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》り、|四五日《しごにち》を|経《へ》て|八十一才《はちじふいつさい》を|一期《いちご》となし、|此《この》|世《よ》に|暇《いとま》を|告《つ》げた。|太子《たいし》は|父王《ちちわう》の|位《くらゐ》を|継承《けいしよう》しカラピン|王《わう》|第二世《だいにせい》と|称《しよう》し、|天下《てんか》に|仁政《じんせい》を|布《し》き、|国民《こくみん》|上下《じやうか》の|区別《くべつ》を|撤回《てつくわい》し、|旧習《きうしふ》を|打破《だは》し、|国民《こくみん》の|中《なか》より|賢者《けんしや》を|選《えら》んで、それぞれの|政務《せいむ》に|就《つ》かしめ、|下民《かみん》|悦服《えつぷく》して|皷腹撃壤《こふくげきじやう》の|聖代《せいだい》を|現出《げんしゆつ》した。
アリナおよびバランスは|国法《こくはふ》の|命《めい》ずる|所《ところ》に|従《したが》ひ、|一時《いちじ》|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられたが、|太子《たいし》が|王位《わうゐ》に|即《つ》くと|共《とも》に|大赦《たいしや》を|行《おこな》ひ、|両人《りやうにん》は|僅《わづか》に|一週間《いつしうかん》の|形式《けいしき》ばかりの|牢獄《らうごく》|住居《ずまゐ》を|遁《のが》れ、アリナは|天晴《あつぱ》れ|右守司《うもりのかみ》となつて|国民《こくみん》|上下《じやうか》の|輿望《よばう》を|担《にな》ひ、|輔弼《ほひつ》の|重任《ぢうにん》を|尽《つく》し|奉《たてまつ》つた。そして|民衆救護団長《みんしうきうごだんちやう》たりし|大女《おほをんな》のバランスを|妻《つま》に|迎《むか》へ、アリナの|家《いへ》は|子孫代々《しそんだいだい》|繁栄《はんゑい》した。またバランスはスダルマン|太子《たいし》の|即位《そくゐ》と|共《とも》に|民衆救護団《みんしうきうごだん》の|必要《ひつえう》なきを|感《かん》じ、|部下《ぶか》|一般《いつぱん》に|対《たい》して、|解散《かいさん》の|命《めい》を|下《くだ》した。
|左守司《さもりのかみ》のガンヂーはカラピン|王《わう》の|後《あと》を|逐《お》うて、これまた|眠《ねむ》るがごとく|帰幽《きいう》した。|浅倉山《あさくらやま》の|山奥《やまおく》に|隠《かく》れてゐた|前左守司《ぜんさもりのかみ》シャカンナは|新王《しんわう》に|召《め》されて、|城中《じやうちう》に|入《い》り|元《もと》の|如《ごと》く|左守《さもり》の|職《しよく》に|就《つ》き、|国政《こくせい》の|改革《かいかく》に|全力《ぜんりよく》を|傾注《けいちう》し、|国民《こくみん》|一般《いつぱん》の|大《おほ》いに|信任《しんにん》を|得《え》た。|太子《たいし》の|最《もつと》も|寵愛《ちようあい》せしスバール|姫《ひめ》は|王妃《わうひ》の|位《くらゐ》に|上《のぼ》り、|殿内《でんない》の|制度《せいど》を|自《みづか》ら|改革《かいかく》し、|従前《じうぜん》の|因習《いんしふ》や|情実的《じやうじつてき》|採用法《さいようはふ》を|全廃《ぜんぱい》し、|賢女《けんぢよ》を|集《あつ》めて|殿内《でんない》の|革正《かくせい》に|努《つと》めた。また|向日《むかひ》の|森《もり》の|辺《ほとり》に|住《す》む|茶坊主《ちやばうず》のタルチンはスバール|姫《ひめ》に|終身《しうしん》|仕《つか》ふる|事《こと》となつた。
|毒婦《どくふ》シノブのためにインデス|河《がは》に|投込《なげこ》まれた|王女《わうぢよ》のバンナ|姫《ひめ》は、バランスの|部下《ぶか》に|救《すく》はれ|芽出《めで》たく|宮中《きうちう》に|送《おく》り|帰《かへ》され、トルマン|国《ごく》の|太子《たいし》に|懇望《こんまう》されてその|妃《きさき》となつた。
|大宮山《おほみややま》の|盤古神王《ばんこしんわう》の|社《やしろ》は|梅公別《うめこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》が|指揮《しき》に|従《したが》ひ、|以前《いぜん》よりも|数倍《すうばい》|宏大《くわうだい》にして|且《か》つ|立派《りつぱ》なる|社殿《しやでん》を|造営《ざうえい》し、|社《やしろ》を|三棟《みむね》となし、|中央《ちうあう》には|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》、|豊雲野尊《とよくもぬのみこと》を|祭《まつ》り、|左側《ひだりがは》の|宮《みや》には|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》、|大八洲彦命《おほやしまひこのみこと》を|鎮祭《ちんさい》し、|右側《みぎがは》の|宮《みや》には|盤古神王《ばんこしんわう》および|国魂《くにたま》の|神《かみ》を|鎮祭《ちんさい》し、カラピン|王家《わうけ》の|産土神《うぶすながみ》として|永遠《ゑいゑん》に|王《わう》|自《みづか》ら|斎主《さいしゆ》となり|奉仕《ほうし》する|事《こと》となつた。
カラピン|大王《だいわう》や|左守《さもり》ガンヂーの|葬祭式《さうさいしき》には|上下《じやうか》|挙《こぞ》つて|会葬《くわいさう》し、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|盛儀《せいぎ》と|称《しよう》せられた。|次《つ》いで|大宮山《おほみややま》の|遷宮式《せんぐうしき》ならびに|太子《たいし》の|即位式《そくゐしき》や|結婚式《けつこんしき》|等《とう》にて、タラハン|城市《じやうし》に|全国《ぜんこく》より|祝意《しゆくい》を|表《へう》して|集《あつ》まり|来《き》たる|者《もの》|引《ひ》きも|切《き》らず、|期《き》せずして|大火災《だいくわさい》に|会《あ》ひしタラハン|市《し》は|一年《いちねん》ならずして|復興《ふくこう》し、|以前《いぜん》に|優《まさ》る|事《こと》|数倍《すうばい》の|繁栄《はんゑい》を|来《き》たした。いづれも|新王《しんわう》が|民意《みんい》を|容《い》れ、|平等《びやうどう》|博愛《はくあい》の|政治《せいぢ》を|布《し》き|給《たま》ひし|恩恵《おんけい》として、|子供《こども》の|端《はし》に|至《いた》るまで|其《その》|徳《とく》を|慕《した》ひ、|不平《ふへい》を|洩《も》らす|者《もの》は|只一人《ただいちにん》もなかつたといふ。|即位式《そくゐしき》の|状況《じやうきやう》については|茲《ここ》に|省略《しやうりやく》し、|祝歌《しゆくか》のみを|紹介《せうかい》する。
|新王《しんわう》『|久方《ひさかた》の|天津御神《あまつみかみ》の|御心《みこころ》を
|麻柱《あななひ》まつり|国《くに》を|治《をさ》めむ
|国民《くにたみ》の|日々《ひび》の|暮《くら》しの|安《やす》かれと
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》に|祈《いの》らむ
|親々《おやおや》の|開《ひら》き|給《たま》ひし|神《かみ》の|国《くに》を
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|守《まも》りまつらむ
|新《あたら》しき|国《くに》の|政《まつり》を|開《ひら》きつつ
|野《の》に|在《あ》る|聖《ひじり》|広《ひろ》く|求《もと》めむ
|大宮《おほみや》の|下《した》つ|岩根《いはね》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
|鎮《しづ》まりゐます|神《かみ》ぞ|尊《たふと》き
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|今《いま》よりは
あが|国民《くにたみ》に|教《をし》へひろめむ』
|妃《ひ》『|吾《わ》が|君《きみ》の|勅《みこと》のままに|服《まつろ》ひて
|御国《みくに》の|母《はは》と|仕《つか》へまつらむ
|天《あま》つ|神《かみ》|国津御神《くにつみかみ》を|斎《いは》ひつつ
|吾《わ》が|神国《かみくに》の|御民《みたみ》を|治《をさ》めむ
|諸々《もろもろ》の|珍《うづ》の|司《つかさ》を|率《ひき》ゐつつ
|吾《わ》が|大君《おほぎみ》の|道《みち》を|助《たす》けむ
|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|会《あ》ひて
|今日《けふ》|九重《ここのへ》にわれは|輝《かがや》く
|世《よ》の|中《なか》の|御民《みたみ》よ|永遠《とは》に|安《やす》かれと
|祈《いの》るはおのが|願《ねが》ひなりけり』
アリナ『|大君《おほきみ》は|遠《とほ》く|御国《みくに》に|昇《のぼ》りまし
|天《あめ》にゐまして|御代《みよ》をしらさむ
|吾《わ》が|父《ちち》は|吾《わ》が|大君《おほきみ》に|従《したが》ひて
|神《かみ》の|御国《みくに》に|昇《のぼ》りますらむ
|足曳《あしびき》の|山《やま》の|名画《めいぐわ》と|謳《うた》はれし
|后《きさき》の|宮《みや》のうまし|御姿《みすがた》
|吾《われ》は|今《いま》|右守司《うもりのかみ》と|任《まけ》られて
あが|大君《おほきみ》の|御前《みまへ》に|侍《はべ》る
|天《あめ》はさけ|地《つち》ゆり|海《うみ》はかかるとも
|君《きみ》の|恵《めぐ》みは|忘《わす》れざらまし
|大神《おほかみ》と|吾《わ》が|大君《おほきみ》の|御《おん》ために
|心《こころ》も|身《み》をも|捧《ささ》げまつらむ』
シャカンナ『|神去《かむさ》りしあが|大君《おほきみ》に|仕《つか》へてし
われは|再《ふたた》び|世《よ》に|出《い》でにけり
|新《あら》たなるあが|大君《おほきみ》の|恵《めぐ》みにて
|吾《わ》がまな|娘《むすめ》|人《ひと》となりぬる
|山奥《やまおく》に|匂《にほ》ひ|初《そ》めたる|梅《うめ》の|花《はな》
|今日《けふ》は|高天《たかま》に|実《み》を|結《むす》ぶなり
|親《おや》と|子《こ》の|称《たた》へはあれど|大君《おほきみ》の
|后《きさき》とゐます|君《きみ》に|従《したが》ふ
|十年《ととせ》ぶり|珍《うづ》の|都《みやこ》に|立帰《たちかへ》り
|君《きみ》に|仕《つか》ふる|事《こと》の|嬉《うれ》しさ
|今《いま》よりは|心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|御民《みたみ》の|心《こころ》なごめまつらむ』
バランス『バランスは|鄙《ひな》に|育《そだ》ちし|身《み》ながらも
|今日《けふ》|九重《ここのへ》の|空《そら》にすむ|哉《かな》
|背《せ》の|君《きみ》と|手《て》を|携《たづさ》へて|政《まつりごと》
|輔《たす》けまつらむ|事《こと》の|嬉《うれ》しさ
タルチンの|館《やかた》に|三年《みとせ》|忍《しの》びつつ
|仇《あだ》に|返《かへ》せし|事《こと》の|苦《くる》しさ
ブルジョアや|資本階級《しほんかいきふ》|悉《ことごと》く
|打払《うちはら》はむとすさびせしかな
|都路《みやこぢ》に|火《ひ》を|放《はな》ちたる|曲業《まがわざ》も
|御代《みよ》を|救《すく》はむ|心《こころ》なりけり』
タルチン『|力《ちから》なき|小《ちひ》さき|吾《わ》が|身《み》も|御恵《みめぐ》みの
|露《つゆ》にうるほひ|甦《よみがへ》りける
|有難《ありがた》し|后《きさき》の|宮《みや》の|手《て》を|取《と》りて
|茶道《さだう》|教《をし》ゆる|身《み》こそ|嬉《うれ》しき』
|梅公別《うめこうわけ》『|皇神《すめかみ》の|貴《うづ》の|御光《みひかり》|現《あら》はれて
|世《よ》の|基《もとゐ》をば|開《ひら》く|今日《けふ》かな
|大宮山《おほみややま》の|聖場《せいじやう》に |大宮柱太《おほみやばしらふと》しりて
|斎《いは》ひまつりし|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》を|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる
そもそもこれの|神国《かみくに》は |遠《とほ》つ|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
|民《たみ》の|心《こころ》を|心《こころ》とし |国《くに》の|司《つかさ》は|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|心《こころ》を|心《こころ》とし |上下《じやうげ》の|隔《へだ》てを|取去《とりさ》りて
|中取《なかと》り|臣《おみ》と|現《あら》はれて |国《くに》の|国王《こきし》となり|給《たま》ひ
|四方《よも》の|民草《たみぐさ》|平《たひ》らけく いと|安《やす》らけく|撫《な》で|給《たま》ふ
|畏《かしこ》き|御代《みよ》も|中《なか》つ|世《よ》に |押《おし》よせ|来《き》たれる|曲道《まがみち》に
|皆《みな》|汚《けが》されて|神国《かみくに》は |悪魔《あくま》の|荒《あら》ぶる|世《よ》となりぬ
|上《うへ》に|仕《つか》ふる|司等《つかさら》は |名利《めいり》の|慾《よく》に|心《こころ》をば
|晦《くら》ませ|鬼《おに》と|成変《なりかは》り |民《たみ》の|苦《くる》しみ|気《き》にかけず
|利己主義《りこしゆぎ》|一途《いちづ》に|相流《あひなが》れ |世《よ》は|日《ひ》に|月《つき》に|弱《よわ》りはて
|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|野《の》に|山《やま》に |都大路《みやこおほぢ》の|隅々《すみずみ》に
|轟《とどろ》きわたる|恐《おそ》ろしさ |時《とき》しもあれや|皇神《すめかみ》の
|化身《けしん》とあれますスダルマン |太子《たいし》の|君《きみ》は|逸早《いちはや》く
よく|民情《みんじやう》に|通《つう》じたる アリナの|君《きみ》を|抜擢《ばつてき》し
|股肱《ここう》の|臣《しん》と|愛《め》で|給《たま》ひ |心《こころ》を|合《あは》せ|力《ちから》をば
|一《ひと》つになして|国民《くにたみ》の |苦難《くなん》を|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|心《こころ》を|砕《くだ》かせ|給《たま》ひしが |曇《くも》り|切《き》つたる|九重《ここのへ》の
|御空《みそら》の|雲《くも》は|深《ふか》くして |晴《は》らす|由《よし》なき|常暗《とこやみ》の
|曲《まが》の|健《たけ》びは|手《て》を|下《くだ》す |術《すべ》さへもなく|一時《ひととき》は
|館《やかた》を|出《い》でて|山《やま》に|野《の》に |彷徨《さまよ》ひ|給《たま》ひ|千万《ちよろづ》の
|悩《なや》みをうけさせ|給《たま》ひしが |一陽来復《いちやうらいふく》|時《とき》|来《き》たり
|今《いま》や|王位《わうゐ》に|登《のぼ》りまし |諸政《しよせい》の|改革《かいかく》|断行《だんかう》し
|新《あら》たに|国《くに》を|開《ひら》きつつ |慈母《じぼ》の|赤子《せきし》に|於《お》ける|如《ごと》
|万《よろづ》の|民《たみ》を|撫《な》で|給《たま》ふ |畏《かしこ》き|御世《みよ》とはなりにけり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |五六七《みろく》の|御代《みよ》の|魁《さきがけ》か
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の |尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みか
|称《たた》へ|尽《つく》せぬ|御稜威《おんみいづ》 |仰《あふ》ぎまつれよ|諸人《もろびと》よ
|上《うへ》は|国王《こきし》を|始《はじ》めとし |司々《つかさづかさ》の|端々《はしばし》も
|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|大君《おほきみ》を |慕《した》ひまつりて|邪《よこしま》の
|心《こころ》を|改《あらた》め|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひたる
|勤《つと》めをなせよ|惟神《かむながら》 |神《かみ》に|代《かは》りて|梅公《うめこう》が
|名残《なごり》に|一言《ひとこと》|述《の》べておく ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》|一《ひと》つは|世《よ》を|救《すく》ふ |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》てわける |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》 ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《なほ》し|聞直《ききなほ》し |世《よ》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》し
|珍《うづ》の|祭《まつり》を|永久《とこしへ》に |執《と》らせ|給《たま》へよ|大君《おほきみ》よ
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |梅公別《うめこうわけ》が|謹《つつし》みて
|神《かみ》の|御旨《みむね》を|宣《の》べ|伝《つた》ふ』
|梅公別《うめこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》は、|新王《しんわう》をはじめ|並《なみ》ゐる|重臣《ぢうしん》どもに|神《かみ》の|教《をしへ》を|諄々《じゆんじゆん》と|説《と》き|諭《さと》し、|再《ふたた》び|白馬《はくば》に|跨《また》がり、タラハン|城《じやう》を|後《あと》に|眺《なが》めて、|照国別《てるくにわけ》の|隊《たい》に|合《がつ》すべく、|蹄《ひづめ》の|音《おと》も|勇《いさ》ましく、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》く|帰《かへ》り|行《ゆ》く。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 松村真澄録)
(昭和一〇・六・二三 王仁校正)
-----------------------------------
霊界物語 第六八巻 山河草木 未の巻
終り