霊界物語 第六七巻 山河草木 午の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六十七巻』天声社
1971(昭和46)年05月08日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |美山梅光《びざんばいくわう》
第一章 |梅《うめ》の|花香《はなか》〔一七〇三〕
第二章 |思想《しさう》の|波《なみ》〔一七〇四〕
第三章 |美人《びじん》の|腕《うで》〔一七〇五〕
第四章 |笑《わらひ》の|座《ざ》〔一七〇六〕
第五章 |浪《なみ》の|皷《つづみ》〔一七〇七〕
第二篇 |春湖波紋《しゆんこはもん》
第六章 |浮島《うきしま》の|怪猫《くわいべう》〔一七〇八〕
第七章 |武力鞘《ぶりきざや》〔一七〇九〕
第八章 |糸《いと》の|縺《もつ》れ〔一七一〇〕
第九章 ダリヤの|香《か》〔一七一一〕
第一〇章 スガの|長者《ちようじや》〔一七一二〕
第三篇 |多羅煩獄《たらはんごく》
第一一章 |暗狐苦《あんこく》〔一七一三〕
第一二章 |太子微行《たいしびかう》〔一七一四〕
第一三章 |山中《さんちう》の|火光《くわくわう》〔一七一五〕
第一四章 |獣念気《じうねんき》〔一七一六〕
第一五章 |貂心暴《てんしんばう》〔一七一七〕
第一六章 |酒艶《しゆえん》の|月《つき》〔一七一八〕
第一七章 |晨《あした》の|驚愕《きやうがく》〔一七一九〕
第四篇 |山色連天《さんしよくれんてん》
第一八章 |月下《げつか》の|露《つゆ》〔一七二〇〕
第一九章 |絵姿《ゑすがた》〔一七二一〕
第二〇章 |曲津《まつ》の|陋呵《ろうか》〔一七二二〕
第二一章 |針灸思想《しんきうしさう》〔一七二三〕
第二二章 |憧憬《どうけい》の|美《び》〔一七二四〕
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|序文《じよぶん》
|年《とし》の|瀬《せ》も|早《はや》|近《ちか》づいて|町《まち》|行《ゆ》く|人《ひと》の|足許《あしもと》も、|何《なん》となく|忙《せわ》しき|大正《たいしやう》|十三年《じふさんねん》|十二月《じふにぐわつ》|二十九日《にじふくにち》、どんよりと|曇《くも》つた|天《あめ》の|下《した》に、|和知《わち》の|流《なが》れを|見《み》おろしながら、|〓然《すうぜん》として|一廓《いつくわく》をなせる|祥雲閣《しやううんかく》の|離《はな》れの|間《ま》において、|北枕《きたまくら》の|西向《にしむ》き、|夜具《やぐ》の|船《ふね》に|身《み》を|横《よこ》たへながら、|昔《むかし》の|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》、|緑《みどり》|紅《くれなゐ》こき|交《ま》ぜて|織出《おりだ》す|機《はた》の|玉《たま》の|糸《いと》、|手繰《たぐ》り|手繰《たぐ》りて|述《の》べて|行《ゆ》く。|筆《ふで》|執《と》る|者《もの》は、|空前絶後《くうぜんぜつご》の|放《はな》れ|業《わざ》、|高麗国《かうらいこく》を|建設《けんせつ》せむと、|蒙古《もうこ》の|原野《げんや》に|三軍《さんぐん》を|叱咤《しつた》し|右手《めて》に|兵《へい》を|率《ひき》ゐ、|左手《ゆんで》にコーランを|読誦《どくじゆ》しながら、|英雄的《えいゆうてき》|大活動《だいくわつどう》を|演《えん》じたる|調子外《てうしはづ》れの|男《をとこ》、|松村《まつむら》|真澄《まさずみ》を|始《はじ》め、|日支親善《につししんぜん》の|連鎖《れんさ》となつて、|神戸道院《かうべだうゐん》にその|敏腕《びんわん》を|振《ふ》るふ|北村《きたむら》|隆光《たかてる》、|蒙古入《もうこいり》に|参加《さんか》せむとして、|資金《しきん》の|募集《ぼしふ》に|東奔西走《とうほんせいそう》し、|東京《とうきやう》に|出《い》でて|乗馬《じやうば》の|稽古《けいこ》をなし、|遥《はるか》に|奉天《ほうてん》まで|出《で》かけて|種々《しゆじゆ》の|障害《しやうがい》に|会《あ》ひ、|脾肉《ひにく》の|歎《たん》を|残《のこ》して、|心《こころ》なくも|帰国《きこく》したる|女豪傑《をんながうけつ》|加藤《かとう》|明子《はるこ》の|三人《さんにん》である。|本巻《ほんくわん》は|何《いづ》れも|蒙古気分《もうこきぶん》の|漂《ただよ》つてゐる|口述者《こうじゆつしや》や|筆者《ひつしや》の|物《もの》したものだから、どこともなしに|英雄的《えいゆうてき》|気分《きぶん》を|含《ふく》んだ|物語《ものがたり》となつてゐるのは、|止《や》むを|得《え》ない|道理《だうり》である。
大正十三年十二月二十九日 於祥雲閣
|総説《そうせつ》
|言霊別命《ことたまわけのみこと》の|化身《けしん》にして、|照国別《てるくにわけ》の|従者《じうしや》と|変化《へんげ》したる|梅公《うめこう》|宣伝使《せんでんし》が、オーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》つて、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》の|統一《とういつ》を|夢《ゆめ》みてゐた|山賊《さんぞく》の|張本《ちやうほん》、ヨリコ|姫《ひめ》、シーゴー、ならびに|悪僧《あくそう》|玄真坊《げんしんばう》を|言向和《ことむけやは》し、シーゴーはサンダー、スガコを|助《たす》け、|両人《りやうにん》が|親《おや》の|所有地《しよいうち》を|托《たく》されて、|開墾《かいこん》の|事業《じげふ》に|数千《すうせん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|着手《ちやくしゆ》し、|玄真坊《げんしんばう》は|再《ふたた》び|悪化《あくくわ》して、|三百《さんびやく》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|姿《すがた》を|晦《くら》まし、ヨリコ|姫《ひめ》および|其《そ》の|妹《いもうと》なる|花香《はなか》は|梅公司《うめこうつかさ》に|導《みちび》かれて、|照国別《てるくにわけ》の|隊《たい》に|合《がつ》すべく、オーラ|山《さん》の|間道《かんだう》を|渉《わた》り、ハルの|湖《みづうみ》の|岸辺《きしべ》に|着《つ》き、|波切丸《なみきりまる》に|身《み》を|任《まか》せ、スガの|港《みなと》へ|渡《わた》る|途中《とちう》、|海賊《かいぞく》の|襲来《しふらい》や、|浮島《うきしま》の|嶺《みね》の|陥没《かんぼつ》や、|船長《せんちやう》とスガの|港《みなと》の|富豪《ふうがう》の|娘《むすめ》ダリヤ|姫《ひめ》との、|数奇《すうき》きはまる|関係《くわんけい》などを|描写《べうしや》し、つぎにタラハン|国《ごく》カラピン|王《わう》に|対《たい》する|種々《しゆじゆ》の|奇怪《きくわい》な|物語《ものがたり》や、|左守司《さもりのかみ》たりしシャカンナが、タニグク|山《やま》の|山麓《さんろく》の|岩窟《いはや》に|立籠《たてこも》つて、|二百人《にひやくにん》の|部下《ぶか》を|集《あつ》め、|大望《たいもう》を|企《くはだ》ててゐるところへ、|悪僧《あくそう》|玄真坊《げんしんばう》がダリヤ|姫《ひめ》を|拐《かどは》かして|乗《の》り|込《こ》んで|来《く》る|場面《ばめん》、|並《なら》びにカラピン|王《わう》の|太子《たいし》が、|新左守司《しんさもりのかみ》の|伜《せがれ》アリナと|共《とも》に、|山野《さんや》の|遊覧《いうらん》に|出《で》かけ、|山奥《やまおく》に|迷《まよ》ひ|込《こ》み、|旧臣《きうしん》のシャカンナに、|計《はか》らずも|山奥《やまおく》にて|邂逅《かいこう》し、|絶世《ぜつせい》の|美女《びぢよ》スバール|嬢《ぢやう》に|会《あ》つて、|太子《たいし》が|恋慕《れんぼ》の|情《じやう》を|起《おこ》し、その|艶麗《えんれい》な|姿《すがた》を|絵《ゑ》に|写《うつ》して|帰城《きじやう》したる|顛末《てんまつ》や、|太子《たいし》が|行方不明《ゆくへふめい》のために、|王《わう》をはじめ|重臣《ぢうしん》どもの|狼狽《らうばい》の|有様《ありさま》|等《とう》|千変万化《せんぺんばんくわ》の|経緯《いきさつ》を、きはめて|簡明《かんめい》に|口述《こうじゆつ》しておきました。|入蒙《にふもう》に|際《さい》し|最《もつと》も|因縁《いんねん》|深《ふか》き、|並松《なみまつ》の|祥雲閣《しやううんかく》において、|本巻《ほんくわん》を|編《あ》み|了《をは》つたのも、|何《なに》かの|因縁《いんねん》が|結《むす》ばれてゐるのだらうと|思《おも》ひます。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十三年十二月二十九日 於祥霊閣
この|日《ひ》|教主殿《けうしゆでん》の|床《とこ》の|間《ま》に|安置《あんち》したる|紅葉宝石《こうえふはうせき》、|盛《さか》んに|水《みづ》を|噴《ふ》き|出《だ》す。|早速《さつそく》|神示《しんじ》により|隣室《りんしつ》|床《とこ》の|間《ま》に|遷《うつ》す。
第一篇 |美山梅光《びざんばいくわう》
第一章 |梅《うめ》の|花香《はなか》〔一七〇三〕
オーラ|山《さん》の|曲《まが》の|企《たく》みも|大杉《おほすぎ》の|怪《あや》しき|夜這星《よばひぼし》は|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|吹《ふ》き|消《け》され、|一《いつ》たん|包《つつ》みし|木下暗《こしたやみ》、|晴《は》れては|清《きよ》き|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花香《はなか》、|峰《みね》の|尾上《をのへ》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》もサラリと|散《ち》りて、|宇宙晴《うちうば》れの|大広原《だいくわうげん》、|真夜中《まよなか》の|空《そら》には、|宝石《はうせき》を|鏤《ちりば》めたやうな|一面《いちめん》の|星光《せいくわう》|瞬《またた》き、|鬼《おに》の|囁《ささや》き、|猛獣《まうじう》の|健《たけ》び、|狐狸《こり》の|鳴《な》き|声《ごゑ》も|虫《むし》の|音《ね》も、ピタリと|止《と》まつて|天地静寂《てんちせいじやく》、あたかもふくらむだ|庭《には》の|砂《すな》に、ほどほどに|水《みづ》を|打《う》つたるが|如《ごと》く、|一点《いつてん》の|風塵《ふうぢん》もなく、|雲霧《うんむ》もなし。|微風《びふう》おもむろに|人《ひと》の|面《おもて》を|吹《ふ》き、|五臓六腑《ござうろくぷ》に|静涼《せいりやう》の|気《き》しみ|渡《わた》る。|諸行無常《しよぎやうむじやう》の|鐘《かね》の|声《こゑ》、|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》の|杜鵑《とけん》の|啼《な》く|音《ね》、|生滅滅已《しやうめつめつい》の|梟《ふくろ》の|叫《さけ》び、いづれも|寂滅為楽《じやくめつゐらく》の|清浄界《しやうじやうかい》となり|果《は》てぬ。
|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》、|木蓮《もくれん》の|莟《つぼみ》のごとき|鼻《はな》の|格好《かくかう》、|黒豆《くろまめ》に|露《つゆ》を|帯《お》びたやうな|優《やさ》しく|床《ゆか》しく|光《ひか》る|二《ふた》つの|眼《まなこ》、|地蔵《ぢざう》の|眉《まゆ》、あらゆる|美《び》の|極《きよく》、|善《ぜん》の|極《きよく》、|愛嬌《あいけう》を|満面《まんめん》にしたたらして、|心《こころ》に|豺狼《さいらう》の|爪牙《さうが》を|蔵《ざう》し、|天下《てんか》を|掌握《しやうあく》せむと、|昼夜《ちうや》|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》いて、|外面如菩薩《げめんによぼさつ》|内心如夜叉《ないしんによやしや》、|羅刹《らせつ》|悪鬼《あくき》の|権化《ごんげ》ともたとふべき|山賊《さんぞく》の|大頭目《だいとうもく》、ヨリコ|姫《ひめ》|女帝《によてい》は、|梅公《うめこう》が|口《くち》より|迸《ほとばし》る|天性《てんせい》の|神気《しんき》に|打《う》たれて、|忽《たちま》ち|心内《しんない》に|天変地妖《てんぺんちえう》を|起《おこ》し、|胸《むね》には|革新軍《かくしんぐん》の|喇叭《らつぱ》の|音《ね》|響《ひび》き、|五臓六腑《ござうろつぷ》|一度《いちど》に|更生的《かうせいてき》|活動《くわつどう》を|起《おこ》して、|専制《せんせい》と|強圧《きやうあつ》と|尊貴《そんき》を|願《ねが》ふ|慾念《よくねん》と、|自己愛《じこあい》の|兇党連《きようたうれん》は|俄《には》かに|影《かげ》を|潜《ひそ》め、|惟神《かむながら》の|本性《ほんせい》、|生《うま》れ|赤児《あかご》の|真心《まごころ》に|立《た》ちかへり、|一身《いつしん》の|利慾《りよく》を|忘《わす》れ、|神《かみ》に|従《したが》ひ|神《かみ》を|愛《あい》し、|人《ひと》を|愛《あい》し|万有一切《ばんいういつさい》を|愛《あい》するの|宇宙的《うちうてき》|大恋愛心《だいれんあいしん》に|往生《わうじやう》したのである。
かくヨリコ|姫《ひめ》が|心《こころ》に|悔悟《くわいご》の|花《はな》|開《ひら》き、|愛善《あいぜん》の|果実《くわじつ》みのり、|信真《しんしん》の|光輝《くわうき》と、|慈味《じみ》に|浴《よく》したる|刹那《せつな》において、その|真心《まごころ》は|天地《てんち》に|感応《かんおう》し、|天《てん》は|高《たか》く|清《きよ》く|澄《す》みわたり、|一点《いつてん》の|雲《くも》もなく、|七宝《しちほう》を|鏤《ちりば》めたるがごとき|星《ほし》の|大空《おほぞら》をボカして、|見渡《みわた》す|東《あづま》の|原野《げんや》より|千草《ちぐさ》を|分《わ》けて|昇《のぼ》り|来《き》たる|上弦《じやうげん》の|月光《げつくわう》、あたかも|切《き》れ|味《あぢ》のよい|庖丁《はうちやう》をもつて、|円満具足《ゑんまんぐそく》せる|西瓜《すいくわ》を|真中《まんなか》より|二《ふた》つに|手際《てぎは》よく|切《き》りわけしごとき、|輪廓《りんくわく》の|判然《はつきり》とした|白銀《はくぎん》の|半玉《はんぎよく》、たちまち|天地《てんち》を|照《て》り|輝《かがや》かし、|地上《ちじやう》に|往来《わうらい》する|蟻《あり》の|姿《すがた》さへも|明瞭《めいれう》に|見《み》えてきた。
|白髪《はくはつ》|童顔《どうがん》の|山賊《さんぞく》の|巨頭《きよとう》、|修験者《しゆげんじや》と|化《ば》けすまし、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|使役《しえき》し、|豺狼《さいらう》の|慾《よく》を|逞《たくま》しうし、ヨリコ|姫《ひめ》を|謀師《ぼうし》と|仰《あふ》ぎ、|大親分《おほおやぶん》と|崇《あが》め、|大胆不敵《だいたんふてき》にもハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》を|征伐《せいばつ》し、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》の|覇権《はけん》を|握《にぎ》らむと、|霜《しも》の|晨《あした》|雨《あめ》の|夕《ゆふべ》、|夢寐《むび》にも|忘《わす》れぬ|胸裡《きようり》の|秘密《ひみつ》|深《ふか》く|包《つつ》んで、|雲《くも》に|聳《そび》えたオーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》り、|霧《きり》を|帯《おび》にし、|靄《もや》を|被衣《かづき》となし、|木《こ》の|葉《は》のそよぎを|扇《あふぎ》の|風《かぜ》と|見做《みな》し、|青空《あをぞら》を|天井《てんじやう》と|定《さだ》め、|草《くさ》を|褥《しとね》となし、|髑髏《どくろ》を|仮睡《うたたね》の|枕《まくら》となし、|虎《とら》|狼《おほかみ》|獅子《しし》|熊《くま》の|肉《にく》を|嗜《たしな》み、|阿修羅王《あしゆらわう》のごとく|魔王《まわう》のごとく、|時《とき》あつては|彗星《すゐせい》のごとく、|妖邪《えうじや》の|気《き》を|四方《しはう》に|吐《は》き|散《ち》らし、|一本《いつぽん》の|錫杖《しやくじやう》に|四海《しかい》を|征服《せいふく》し、|心《こころ》に|秘《ひ》めた|魔法《まはふ》の|剣《つるぎ》に、|諸天諸善《しよてんしよぜん》を|悩《なや》ませ|苦《くる》しめ、わがままを|振舞《ふるま》ひ、|天地《てんち》を|自由《じいう》に|攪乱《かくらん》せむものと、|夢《ゆめ》のごとき、|虹《にじ》のごとき|蜃気楼《しんきろう》のごとき|空中楼閣的《くうちうろうかくてき》|妄念《まうねん》を|抱《いだ》いて、|得々《とくとく》として、その|無謀《むぼう》なる|目的《もくてき》に|心身《しんしん》を|傾注《けいちう》したるかれシーゴーは、|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》|梅公《うめこう》が|言霊《ことたま》にその|心胆《しんたん》を|奪《うば》はれ、|五臓六腑《ござうろつぷ》の|汚濁《をじよく》を|払拭《ふつしき》され、|彼《かれ》が|神気《しんき》に|打《う》たれ、|心気《しんき》たちまち|一転《いつてん》して、|夜嵐《よあらし》にそよぐ|枯尾花《かれをばな》の|手振《てぶ》りにも|驚《おどろ》きふるふ、いとも|弱《よわ》き|落武者《おちむしや》とならむとする|一刹那《いつせつな》、|力《ちから》と|頼《たの》みしヨリコ|姫《ひめ》の|打《う》つて|変《かは》つた|言行《げんかう》に、|今《いま》はなほさら|反抗《はんかう》の|勇気《ゆうき》もなく、|今《いま》まで|包《つつ》みし|心天《しんてん》の|黒雲《こくうん》はオーラ|山《さん》の|荒風《あらかぜ》に|吹《ふ》き|散《ち》らされて、|心《こころ》も|清《きよ》き|上弦《じやうげん》の|月《つき》、たちまち|大地《だいち》にひれ|伏《ふ》して、その|慈愛《じあい》と|温雅《をんが》と|清楚《せいそ》なる|月神《げつしん》の|美影《みかげ》に|渇仰《かつかう》|憧憬《どうけい》し、|本然《ほんぜん》の|性《せい》に|立《た》ち|返《かへ》り、|悪魔《あくま》はたちまち|煙《けぶり》と|消《き》え、|胸《むね》の|奥《おく》|深《ふか》きところに|神《かみ》の|囁《ささや》きを|聞《き》き、その|霊光《れいくわう》に|触《ふ》れ、|信真《しんしん》なる|愛《あい》の|情味《じやうみ》に|接《せつ》し、|全《まつた》く|別人《べつじん》のごとくなり、|白《しろ》き|長《なが》きかれの|髪《かみ》は|白金《はくきん》の|色《いろ》、ますます|艶《あで》やかに、その|顔色《かんばせ》は|天上《てんじやう》の|女神《めがみ》かと|疑《うたが》はるるばかり|純化《じゆんくわ》|遷善《せんぜん》し、|罪《つみ》もなく|穢《けがれ》もなく、|一点《いつてん》の|憎悪心《ぞうをしん》もなく、|慾望《よくばう》の|雲霧《うんむ》もなし。|只《ただ》この|上《うへ》は|天地神明《てんちしんめい》の|加護《かご》により、|誠《まこと》の|道《みち》を|踏《ふ》み、|誠《まこと》の|業《げふ》を|行《おこな》ひ、|戦々恟々《せんせんきようきよう》として|神《かみ》を|畏《おそ》れ|神《かみ》を|愛《あい》し、|日夜《にちや》|心力《しんりよく》を|神《かみ》に|捧《ささ》げむことを|希求《ききう》するに|至《いた》つた。
つぎに|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、オーラ|山《さん》の|活神《いきがみ》と|揚言《やうげん》し、|毒舌《どくぜつ》を|揮《ふる》つて|天下万民《てんかばんみん》を|誑惑《けうわく》し、|悪事《あくじ》の|限《かぎ》りを|尽《つく》さむとしたる、|奸侫邪智《かんねいじやち》の|曲者《くせもの》、|玄真坊《げんしんばう》、|天下《てんか》|唯一《ゆゐいつ》の|色餓鬼《いろがき》、|情慾《じやうよく》の|焔《ほのほ》に|苦《くる》しめられ、|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|結果《けつくわ》、|恥《はぢ》を|忘《わす》れて|獣畜《じうちく》の|行為《かうゐ》に|及《およ》ばむとせし、|偽救世主《にせきうせいしゆ》、|偽予言者《にせよげんしや》なる、かれ|売僧《まいす》は、|三五教《あななひけう》の|神光《しんくわう》に|打《う》たれ、|正義心《せいぎしん》の|神卒《しんそつ》に|攻《せ》め|立《た》てられ、|遂《つひ》に|悔悟《くわいご》して、|大頭目《だいとうもく》のヨリコ|姫《ひめ》およびシーゴーと|行動《かうどう》を|共《とも》にせむことを|誓《ちか》ふに|至《いた》つた。
オーラ|河《がは》の|水《みづ》は|緩《ゆるや》かに|流《なが》れ、|深《ふか》く|青《あを》くして|底《そこ》さへ|見《み》えぬ|河《かは》の|面《おも》にきらめく|星《ほし》の|大空《おほぞら》を|映《うつ》し、そよと|吹《ふ》く|小波《さざなみ》に|月光如来《げつくわうによらい》の|千々《ちぢ》に|砕《くだ》くる|慈愛《じあい》の|御影《みかげ》を|宿《やど》して、|天地燦爛《てんちさんらん》|光明界《くわうみやうかい》の|現象《げんしやう》を|泛《うか》ばせたり。|東《あづま》の|大空《おほぞら》は|紅《くれなゐ》の|雲《くも》、|紫《むらさき》の|霞《かすみ》|棚引《たなび》き|初《そ》め、|木々《きぎ》の|百鳥《ももどり》は|千代千代《ちよちよ》と|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|前途《ぜんと》を|寿《ことほ》ぎ、せせらぎの|音《ね》は|何事《なにごと》か|宇宙《うちう》の|神秘《しんぴ》を|語《かた》るがごとく、|風《かぜ》の|響《ひび》きにさへも|神《かみ》の|御声《みこゑ》の|宿《やど》るかと|疑《うたが》はる。ヨリコ|姫《ひめ》をはじめ、その|他《た》の|兇党《きようたう》が|心《こころ》の|天地《てんち》|忽然《こつぜん》として|蓮《はちす》の|花《はな》の|開《ひら》くがごとく、|薫《かを》り|初《そ》めたる|一刹那《いつせつな》、|五色《ごしき》の|雲《くも》を|押《お》し|分《わ》けて、|忽《たちま》ち|昇《のぼ》らせ|給《たま》ふ|黄金鴉《こがねからす》、|旗雲《はたぐも》の|中《なか》にまん|丸《まる》き|日《ひ》の|丸《まる》を|印《いん》し、いよいよ|日《ひ》の|出《で》の|神代《かみよ》の|祥兆《しやうてう》を|天地《てんち》|万有《ばんいう》に|示《しめ》したまふ。|瑞祥《ずゐしやう》|開《ひら》く|聖《ひじり》の|御代《みよ》の|魁《さきがけ》とぞ、|神《かみ》も|人《ひと》も、|此《こ》の|山《やま》に|集《あつ》まれる|曲人《まがびと》も|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》も、|一斉《いつせい》に|五六七《みろく》の|御世《みよ》を|寿《ことほ》ぎまつる|思《おも》ひあり。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
○
|現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》を|浄《きよ》め、|天地開闢《てんちかいびやく》の|昔《むかし》の|祥代《しやうだい》に|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》し、|神人万有《しんじんばんいう》を|黄金世界《わうごんせかい》の|恩恵《おんけい》に|浴《よく》せしめ、|宇宙《うちう》|最初《さいしよ》の|大意志《だいいし》を|実行《じつかう》せむと|天《てん》より|降《くだ》りて|厳《いづ》の|御霊《みたま》と|現《げん》じ、|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》と|現《あら》はれて|神業《しんげふ》を|開始《かいし》し|給《たま》ひし、|宇宙《うちう》|唯一《ゆゐいつ》の|生神《いきがみ》、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|諄々《じゆんじゆん》として|神人万有《しんじんばんいう》を|導《みちび》きたまふ。|愛善《あいぜん》と|信真《しんしん》の|大神教《だいしんけう》を|天下《てんか》に|布衍《ふえん》し、|五六七神政《みろくしんせい》|出現《しゆつげん》の|実行《じつかう》に|着手《ちやくしゆ》せむと、ウブスナ|山《やま》に|聖蹟《せいせき》を|垂《た》れ、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《げん》じて|三界《さんかい》の|不浄《ふじやう》を|払拭《ふつしき》し、|清浄無垢《しやうじやうむく》の|新天地《しんてんち》を|樹立《じゆりつ》せむと、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は、|世界《せかい》|各山《かくざん》|各地《かくち》の|霊場《れいぢやう》に|御霊《みたま》を|止《とど》め、|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|教養《けうやう》し、これを|天下四方《てんかしはう》に|派遣《はけん》し|給《たま》ひぬ。
|派遣《はけん》されたる|神柱《かむばしら》の|一人《いちにん》、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》の|従者《じうしや》となり、ハルナの|都《みやこ》の|魔神《まがみ》の|言向《ことむ》け|戦《せん》に|従軍《じうぐん》したる|梅公司《うめこうつかさ》は、|勇気《ゆうき》|凛々《りんりん》たる|壮者《さうしや》にして、その|心鏡《しんきやう》は|惶々《くわうくわう》として|照《て》りわたり、よく|神《かみ》に|通《つう》じ、|万民《ばんみん》が|心《こころ》の|奥底《おくそこ》まで、|玻璃《はり》を|通《とほ》して|伺《うかが》ふがごとく、|通観《つうくわん》して|過《あやま》らず、かつ|心《こころ》は|清浄潔白《しやうじやうけつぱく》にして|神律《しんりつ》を|弁《わきま》へ、|道理《だうり》に|通《つう》じ、|挙措《きよそ》|常《つね》に|軽快《けいくわい》にして|且《か》つ|軽《かる》からず|重《おも》からず、|中庸《ちうよう》を|得《え》たる|好漢《かうかん》なり。かれの|行《ゆ》く|所《ところ》、|百花爛漫《ひやくくわらんまん》として|咲《さ》き|満《み》ち、|地獄《ぢごく》はたちまち|天国《てんごく》と|化《くわ》し、|猛獣《まうじう》の|猛《たけ》る|原野《げんや》は|鳥《とり》|唄《うた》ひ|蝶《てふ》|舞《ま》ふ|百花爛漫《ひやくくわらんまん》の|天国《てんごく》と|化《くわ》するの|慨《がい》あり。|精神《せいしん》|剛直《がうちよく》にして|富貴《ふうき》に|阿《おもね》らず|威武《ゐぶ》に|屈《くつ》せず、|常《つね》にその|職《しよく》に|甘《あま》んじ、|何事《なにごと》も|神意《しんい》と|解《かい》して、いかなる|境遇《きやうぐう》にあるも|不平《ふへい》を|洩《も》らさず、|悲《かな》しまず、いかなる|悲境《ひきやう》に|沈淪《ちんりん》するも|悲観《ひくわん》せず、|悠々閑々《いういうかんかん》として|自《みづか》ら|楽《たの》しみ、|自《みづか》ら|喜《よろこ》び、|災《わざはひ》の|来《き》たる|時《とき》は、これ|天《てん》の|恩恵《おんけい》の|鞭《むち》となし、|喜《よろこ》びの|来《き》たる|時《とき》は|天《てん》の|誡《いましめ》と|警戒《けいかい》し、|寸毫《すんがう》も|油断《ゆだん》なく、かつ|楽天主義《らくてんしゆぎ》をもつて|世《よ》に|処《しよ》す。|実《じつ》に|神人《しんじん》の|典型《てんけい》、|宣伝使《せんでんし》の|模範《もはん》、|言心行《げんしんかう》いづれの|方面《はうめん》より|見《み》るも、|一点《いつてん》の|批評《ひひやう》をさしはさむの|間隙《かんげき》だになし。かれは|照国別《てるくにわけ》に|従《したが》つて、よく|師弟《してい》の|情誼《じやうぎ》を|守《まも》り、|自分《じぶん》の|師《し》に|優《すぐ》れる|数多《あまた》の|美点《びてん》を|隠《かく》して、その|徳《とく》を|長上《ちやうじやう》に|譲《ゆづ》り、|同情《どうじやう》に|富《と》み、|僚友《れういう》をよく|愛《あい》し、|目《め》にふるる|者《もの》、|耳《みみ》に|入《い》る|物《もの》、いづれも|彼《かれ》が|感化《かんくわ》の|徳《とく》に|浴《よく》せざるはなし。
|元来《ぐわんらい》|梅公《うめこう》は|大神《おほかみ》より|特《とく》に|選《えら》まれたる|神柱《かむばしら》にして、|無限《むげん》の|秘密《ひみつ》を|蔵《ざう》し、|神妙秘門《しんめうひもん》の|鍵《かぎ》を|授《さづ》かり、|宇宙間《うちうかん》|一《いつ》の|怖《おそ》るる|者《もの》なき|大神人《だいしんじん》なり。それゆゑ|彼《かれ》は|平然《へいぜん》として|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》に|単騎《たんき》|出入《しゆつにふ》し、|豺狼《さいらう》の|群《むれ》に|入《い》つて、|機《き》に|臨《のぞ》み|変《へん》に|処《しよ》し、|一男二女《いちなんにぢよ》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、かつ|他《た》の|宣伝使《せんでんし》のごとく、|千言万語《せんげんばんご》を|費《つひ》やすの|要《えう》なく、さしも|兇悪《きようあく》なる|悪神《あくがみ》の|巨頭《きよとう》、ヨリコ|姫《ひめ》|等《ら》の|一派《いつぱ》を|翻然《ほんぜん》として|悔悟《くわいご》せしめたる|英雄《えいゆう》なり。|彼《かれ》が|師《し》の|照国別《てるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》も、|彼《かれ》が|神格《しんかく》の|一部分《いちぶぶん》を|窺知《きち》することさへ|出来《でき》なかつた。しかしながら|彼《かれ》は|和光同塵的《わくわうどうぢんてき》|態度《たいど》をもつて、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》の|劣《おと》れる|照国別《てるくにわけ》を|神《かみ》の|経綸《けいりん》として、|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》と|尊敬《そんけい》し、|照公《てるこう》その|他《た》の|同僚《どうれう》に|対《たい》しても、|常《つね》に|後輩者《こうはいしや》として|行動《かうどう》せむことを|望《のぞ》んでゐた。はたして|梅公司《うめこうつかさ》は|魔《ま》か|神《かみ》か|真人《しんじん》か、ただしは|大神《おほかみ》の|化身《けしん》か、|今後《こんご》の|物語《ものがたり》によつて|読者《どくしや》の|自《みづか》ら|判知《はんち》されむことを|望《のぞ》む。
これよりヨリコ|姫《ひめ》は|梅公《うめこう》、|花香《はなか》の|勧《すす》めにより、タライの|村《むら》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|母《はは》のサンヨに|面会《めんくわい》し、|今《いま》までの|不孝《ふかう》|不始末《ふしまつ》の|罪《つみ》を|謝《しや》し、|今後《こんご》は|悔《く》い|改《あらた》めて、|老後《らうご》の|母《はは》の|心《こころ》を|安《やす》んじ、かつ|神《かみ》の|御《おん》ため|世《よ》のために、|愛善《あいぜん》の|道《みち》に|生涯《しやうがい》を|投《とう》ぜむ|事《こと》を|誓《ちか》つた。|母《はは》のサンヨは|二人《ふたり》の|姉妹《しまい》が|梅公司《うめこうつかさ》の|艱難辛苦《かんなんしんく》の|結果《けつくわ》と|慈愛心《じあいしん》の|発露《はつろ》によつて、|無事《ぶじ》|母子《おやこ》の|対面《たいめん》が|出来《でき》たことを|涙《なみだ》|片手《かたて》に|感謝《かんしや》し、|梅公《うめこう》を|真《まこと》の|生神《いきがみ》として|尊敬《そんけい》して|止《や》まなかつた。
|次《つぎ》にシーゴー|坊《ばう》や|玄真坊《げんしんばう》の|両人《りやうにん》はサンダーの|家《いへ》に|至《いた》り、|彼《かれ》が|両親《りやうしん》に|向《む》かつて、|今日《こんにち》までの|悪業《あくごふ》を|謝《しや》し、かつ|悔《く》ひ|改《あらた》めて|天下万民《てんかばんみん》のために|神業《しんげふ》の|一部《いちぶ》に|奉仕《ほうし》せむことを|誓《ちか》つた。サンダーの|両親《りやうしん》は|夢《ゆめ》かとばかり|喜《よろこ》んで、|梅公《うめこう》その|他《た》に|対《たい》し、|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》を|調理《てうり》してこれを|饗応《きやうおう》し、かつシーゴーには|数多《あまた》の|所有地《しよいうち》を|与《あた》へ、|開拓《かいたく》の|事業《じげふ》に|従事《じうじ》せしむることとなつた。かれシーゴーはサンダー、スガコ|姫《ひめ》に|従《したが》ひ、|両人《りやうにん》を|主人《しゆじん》と|仰《あふ》ぎ、スガコ|姫《ひめ》が|父《ちち》のジャンクが|所有《しよいう》せる|無限《むげん》の|山林田畑《さんりんでんばた》を|開墾《かいこん》し、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》をして|之《これ》に|従事《じうじ》せしめ、|大都会《だいとくわい》を|造《つく》つて……………|新《あたら》しき|村《むら》を|経営《けいえい》し、タライの|村《むら》の|真人《しんじん》と|謳《うた》はれて|生涯《しやうがい》を|送《おく》つた。
|父《ちち》のジャンクは|遥《はる》かにサンダー、スガコの|無事《ぶじ》に|帰宅《きたく》せしこと、|梅公司《うめこうつかさ》に|救《すく》はれしこと、およびシーゴーを|一《いち》の|番頭《ばんとう》となし、|数千《すうせん》の|部下《ぶか》を|使役《しえき》して|開墾《かいこん》の|業《げふ》に|従事《じうじ》せしめ、|日々《にちにち》|事業《じげふ》の|発展《はつてん》しつつある|事《こと》を|聞知《ぶんち》し、|大《おほ》いに|喜《よろこ》んで、|全《まつた》く|神《かみ》の|恩恵《おんけい》となし、|一生《いつしやう》を|神《かみ》に|捧《ささ》げ、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|屍《かばね》をさらすまで、|吾《わ》が|郷里《きやうり》に|帰《かへ》らなかつた。そしてジャンクは|義勇軍《ぎゆうぐん》の|勇士《ゆうし》としてバルガン|城下《じやうか》に|驍名《げうめい》を|走《は》せた。
|一旦《いつたん》|悔《く》い|改《あらた》めたる|玄真坊《げんしんばう》は|再《ふたた》び|悪化《あくくわ》して、シーゴーと|論争《ろんそう》し、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》の|中《うち》、|不平組《ふへいぐみ》|三百余名《さんびやくよめい》を|引率《いんそつ》し、オーラの|峰《みね》を|渉《わた》つて|民家《みんか》を|掠奪《りやくだつ》しながら、|地教山《ちけうざん》|方面《はうめん》|指《さ》して|姿《すがた》を|隠《かく》したのである。
|惟神《かむながら》|神《かみ》の|心《こころ》は|白梅《しらうめ》の
|旭《あさひ》に|匂《にほ》ふ|姿《すがた》なりけり
|梅《うめ》の|花《はな》|香《にほ》ひ|初《そ》めたる|如月《きさらぎ》の
|空《そら》に|瞬《またた》く|珍《うづ》の|星影《ほしかげ》
|何事《なにごと》も|神《かみ》の|教《をしへ》にヨリコ|姫《ひめ》
|世《よ》の|神柱《みはしら》となりし|雄々《をを》しさ
|現世《うつしよ》の|罪《つみ》をば|恐《おそ》れシーゴー(|死後《しご》)を
|思《おも》ひて|神《かみ》に|帰《かへ》るつはもの
サンダーやスガコは|生《うま》れし|己《お》のが|村《むら》に
|帰《かへ》りて|新村《にひむら》|永久《とは》に|開《ひら》きぬ
|光暗《ひかりやみ》|行《ゆ》きかふ|曲《まが》の|玄真《げんしん》は
|心《こころ》|変《かは》りて|鬼《おに》となりぬる
|村肝《むらきも》の|心《こころ》|曇《くも》りし|曲人《まがひと》と
|山野《やまの》に|迷《まよ》ふ|玄真《げんしん》の|果《はて》
(大正一三・一一・二三 新一二・一九 於教主殿 松村真澄録)
第二章 |思想《しさう》の|波《なみ》〔一七〇四〕
|梅公《うめこう》はヨリコ|姫《ひめ》、|花香姫《はなかひめ》を|伴《ともな》ひ|駒《こま》に|跨《また》がり|轡《くつわ》を|並《なら》べて|照国別《てるくにわけ》の|隊《たい》に|合《がつ》すべく、|間道《かんだう》を|選《えら》んでオーラ|山《さん》の|谷間《たにあひ》を|川《かは》に|添《そ》ひ、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》や|猿《ましら》の|健《たけ》びに|驚《おどろ》かされつつ、|草《くさ》を|褥《しとね》とし、|立木《たちき》を|屋根《やね》となして|幾夜《いくや》を|重《かさ》ね、オーラ|山脈《さんみやく》の|東南麓《とうなんろく》に|無遠慮《ぶゑんりよ》に|展開《てんかい》せるハルの|湖《みづうみ》の|岸辺《きしべ》に|着《つ》いた。
この|湖水《こすゐ》は|高原地帯《かうげんちたい》の|有名《いうめい》なる|大湖水《だいこすゐ》にして|東西《とうざい》|二百里《にひやくり》、|南北《なんぽく》|三百里《さんびやくり》と|称《とな》へられてゐる。|湖中《こちう》には|無数《むすう》の|大小島《だいせうたう》が|星《ほし》のごとくに|配置《はいち》され、|各島嶼《かくたうしよ》いづれもパインの|木《き》が|密生《みつせい》して|世界一《せかいいち》の|風景《ふうけい》と|称《とな》へられてゐる。
|梅公《うめこう》は|数日間《すうじつかん》オーラ|山《さん》の|事件《じけん》や、その|他《た》について|日《ひ》を|費《つひ》やしたので、この|湖水《こすゐ》を|渡《わた》り|近道《ちかみち》を|選《えら》んで|師《し》の|軍《いくさ》に|追付《おひつ》かむがためであつた。
|岸辺《きしべ》には|七八艘《しちはつさう》の|渡湖船《とこせん》が|浮《う》かんでゐる。|一行《いつかう》|三人《さんにん》は|最《もつと》も|新《あたら》しき「|波切丸《なみきりまる》」といふ|巨船《きよせん》に|乗《の》り|移《うつ》つた。|波切丸《なみきりまる》には|数百人《すうひやくにん》の|乗客《じやうきやく》があつた。|折《を》りから|吹《ふ》きくる|北風《きたかぜ》に|真帆《まほ》を|孕《はら》ませながら、|男波女波《をなみめなみ》をかき|別《わ》けて|船足《ふなあし》|静《しづ》かに|音《おと》もなく|進《すす》み|行《ゆ》く。
|漸《やうや》くにして|船《ふね》は|岸《きし》の|見《み》えぬ|地点《ちてん》まで|滑《すべ》つて|来《き》た。|印象《いんしやう》|深《ふか》きオーラの|山脈《さんみやく》はこの|湖水《こすゐ》を|境界《きやうかい》として|東西《とうざい》に|長《なが》く|延長《えんちやう》し、|中腹《ちうふく》に|霞《かすみ》の|帯《おび》をしめ、その|頂《いただき》は|雲《くも》の|帽子《ばうし》をかぶつて、|梅公《うめこう》|一行《いつかう》の|勇者《ゆうしや》を|見送《みおく》るの|慨《がい》があつた。|船中《せんちう》の|無聊《むれう》を|慰《なぐさ》むるために、|数多《あまた》の|乗客《じやうきやく》は|大部分《だいぶぶん》|甲板《かんばん》に|出《い》で、|四方《よも》の|風光《ふうくわう》を|打《う》ち|眺《なが》めて、|歌《うた》を|詠《よ》んだり、|詩《し》を|吟《ぎん》じたり、|三々五々《さんさんごご》|首《かうべ》を|鳩《あつ》めて|時事談《じじだん》に|他愛《たあい》もなく|耽《ふけ》つてゐる。
|梅公《うめこう》ほか|二人《ふたり》は|興味《きようみ》をもつて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して、|乗客《じやうきやく》|各自《かくじ》が|思《おも》ひ|思《おも》ひの|出鱈目話《でたらめばなし》や|脱線《だつせん》だらけの|噂《うはさ》などをニコニコしながら|聞《き》いてゐた。|乗客《じやうきやく》の|一人《いちにん》は、
|甲《かふ》『もしもしお|前《まへ》さまは|大変《たいへん》に|元気《げんき》さうな|人《ひと》だが、|今度《こんど》の|戦《いくさ》には|召集《せうしふ》されなかつたのですかい』
|乙《おつ》『エー、|私《わたし》は|二十五才《にじふごさい》の|男盛《をとこざか》りですが、|悲《かな》しいことにや|不具者《ふぐしや》だから|徴兵《ちようへい》を|免除《めんぢよ》され、|宅《うち》にくすぶつてゐましたが、どうも|大抵《たいてい》のものは|皆《みな》|従軍《じうぐん》し、あとに|残《のこ》つてゐるものは|子供《こども》や|爺嬶《ぢぢかか》、それも|綺麗《きれい》な|女房《にようばう》や|娘《むすめ》はバラモン|軍《ぐん》が|掻《か》ツさらへて|行《い》つた|後《あと》だから、|後《あと》に|残《のこ》された|人間《にんげん》は|婆《ばば》か、お|多福《たふく》か、|不具《かたは》の|男子《だんし》、|独眼《めかんち》に|跛《びつこ》、|腰抜《こしぬけ》、|睾丸潰《きんたまつぶ》し、いやもう|埒《らつち》もない|屑物《くづもの》ばかりで|糞面白《くそおもしろ》くもないので、バルガンの|都《みやこ》へ|行《ゆ》けば、|私《わたし》の|姉《あね》の|家《うち》があつて|立派《りつぱ》な|商売《しやうばい》して|暮《くら》してゐるとのこと、|一遍《いつぺん》|遊《あそ》びに|来《こ》い|遊《あそ》びに|来《こ》いと|言《い》つて|来《き》たが|行《ゆ》く|暇《ひま》がなかつたが、|聞《き》けば|大足別《おほだるわけ》の|軍隊《ぐんたい》が|都《みやこ》に|攻《せ》め|入《い》つたとかいふこと、いづれ|戦場《せんぢやう》となれば|住民《ぢうみん》の|困難《こんなん》|狼狽《らうばい》、|名状《めいじやう》すべからざるものがございませう。ついては|姉《あね》の|身《み》の|上《うへ》も|案《あん》じられますし、|見舞《みま》ひがてら、|避難《ひなん》がてら、|遊《あそ》びがてら、|行《い》つて|見《み》やうと|思《おも》つて、|痩馬《やせうま》に|跨《また》がり、オーラ|山《さん》の|間道《かんだう》を|通《とほ》つて、ヤツとのことでこの|船《ふね》に|間《ま》にあつたのです』
『ア、さうですか、そりや|大変《たいへん》なことですな。|見舞《みま》ひがてら|遊《あそ》びに|行《ゆ》くとおつしやつたが、さうすると、お|前《まへ》さまの|考《かんが》へでは、|姉《ねえ》さまは|先《ま》づ|無事《ぶじ》だといふ|予想《よさう》がついてるとみえますな』
『なに、|他家《よそ》(|予想《よさう》)も|宅《うち》もありませぬが、|私《わたし》の|姉《あね》といふ|奴《やつ》アなかなかこすい|奴《やつ》で、この|十年前《じふねんまへ》に|大戦《おほいくさ》のあつた|時《とき》もチヤンと|一日前《いちにちまへ》に|嗅《か》ぎ|知《し》り、オーラ|山《さん》へ|逃《に》げて|難《なん》を|免《まぬか》れたこともございます。それはそれは|抜目《ぬけめ》のない|姉《あね》ですよ。|私《わたし》の|兄弟《きやうだい》は|五人《ごにん》ありましたが|一人《ひとり》は|早《はや》く|死《し》に、|二人《ふたり》の|妹《いもうと》は|今度《こんど》のバラモン|軍《ぐん》に|掻《か》ツさらはれてしまつたのです。|何《なん》とかして|大足別《おほだるわけ》の|陣中《ぢんちう》を|窺《うかが》ひ、|妹《いもうと》の|所在《ありか》も|一《ひと》つは|探《さが》したいと|思《おも》つて|跛《びつこ》ながらも|痩馬《やせうま》に|跨《また》がり、ヤツとここまで|出《で》て|来《き》た|次第《しだい》です。|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》は、こんな|事《こと》|思《おも》ふと、|厭《いや》になつてしまひますよ』
『かふいふ|時《とき》に|天地《てんち》の|間《あひだ》に|神様《かみさま》があつたなら|救世主《きうせいしゆ》を|世《よ》に|降《くだ》し、|人民《じんみん》|塗炭《とたん》の|苦《く》を|助《たす》けて|下《くだ》さるだらうに、|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》を|旱天《かんてん》の|雲霓《うんげい》を|望《のぞ》むごとく、|待《ま》つてをつても、こんな|大国難《だいこくなん》の|場合《ばあひ》に|現《あら》はれ|給《たま》はぬ|以上《いじやう》は、|神《かみ》はないものだと|認《みと》めるより|仕方《しかた》はありませぬな』
『|世《よ》は|末法《まつぱふ》に|近《ちか》づき、|悪魔《あくま》はますます|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》し、|良民《りやうみん》は|日《ひ》に|月《つき》に|虐《しひた》げられ、まるつきり|阿鼻叫喚《あびけふくわん》、|地獄《ぢごく》のやうなものです。|偽救《にせすく》ひ|主《ぬし》、|偽弥勒《にせみろく》、|偽《にせ》キリストなどは|所《ところ》どころに|現《あら》はれますが、|彼等《かれら》は|要《えう》するに|善《ぜん》の|仮面《かめん》をかぶつた|悪魔《あくま》ですからな。バラモン|軍《ぐん》よりも|山賊《さんぞく》よりも|一層《いつそう》|恐《おそ》ろしい|代物《しろもの》だから、うつかり|相手《あひて》になれませぬ』
|丙《へい》『しかし|貴方《あなた》がた、|私《わたし》はヒルナの|都《みやこ》の|傍《ほとり》に|住《す》むものですが、|途々《みちみち》|承《うけたまは》れば、あのオーラ|山《さん》には|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|御化身《ごけしん》、|玄真坊《げんしんばう》とかいふ|活神様《いきがみさま》が|出現《しゆつげん》|遊《あそ》ばし、お|星様《ほしさま》までが、|有《あ》りがたいお|説教《せつけう》を|毎晩《まいばん》|聴聞《ちやうもん》のため、|有名《いうめい》な|大杉《おほすぎ》にお|降《くだ》り|遊《あそ》ばし、|燦爛《さんらん》たる|光明《くわうみやう》を|放《はな》つてゐるといふ|事《こと》ぢやありませぬか。|貴方《あなた》がたはオーラのお|方《かた》と|聞《き》きましたが、|御参詣《ごさんけい》なさつたのぢやありませぬか。ずゐぶんヒルナの|辺《へん》まで|偉《えら》い|評判《ひやうばん》ですよ』
|乙《おつ》『なに、あいつは|偽救主《にせすくひぬし》で、|売僧坊主《まいすばうず》が|山子《やまこ》をやつてるに|違《ちが》ひないです。おほかたバラモン|軍《ぐん》の|間諜《まはしもの》かも|知《し》れないといふ|噂《うはさ》です。|私《わたし》の|村《むら》の|者《もの》は|一時《いちじ》は|誰《たれ》も|彼《かれ》も|信《しん》じて|詣《まゐ》りましたが、あまり|御利益《ごりやく》がないので|誰《たれ》も|詣《まゐ》らなくなりました。かへつて|遠国《ゑんごく》の|方《はう》が|信仰心《しんかうしん》が|強《つよ》く、|何十里《なんじふり》、|何百里《なんびやくり》といふ|所《ところ》から、|馬《うま》や|牛《うし》に|沢山《たくさん》の|穀物《こくもつ》を|積《つ》んでゾロゾロやつて|参《まゐ》りますが、|妙《めう》なものですわ。|皆《みな》|遠《とほ》くから|詣《まゐ》つて|来《く》るものはお|神徳《かげ》を|頂《いただ》くといふことです』
|丙《へい》『「|燈台《とうだい》|下《もと》|暗《くら》し」といつて、どうも|近《ちか》くの|人《ひと》は|本当《ほんたう》の|信仰《しんかう》に|入《い》らないものです。|大体《だいたい》|人間《にんげん》が|神《かみ》の|教《をしへ》をする|人《ひと》に|偽救主《にせすくひぬし》とか|売主《まいす》だとか、|廃品《ばち》ものだとかいつて|批評《ひひやう》するのは、|信仰《しんかう》そのものの|生命《せいめい》が|已《すで》にすでに|失《うしな》はれてゐるのですからお|神徳《かげ》のありさうな|事《こと》はありませぬよ。|鰯《いわし》の|頭《あたま》も|信心《しんじん》からといふ|譬《たとへ》の|通《とほ》り、たとへオーラ|山《さん》の|救《すく》ひ|主《ぬし》が|偽《にせ》であらうが、|泥棒《どろばう》の|化《ば》けたものであらうが、|信仰《しんかう》するものは、つまり、その|神柱《かむばしら》を|通《つう》じて|誠《まこと》の|神《かみ》に|縋《すが》つてゐるのですから、たとへ|取次《とりつぎ》は|曲神《まがかみ》であらうと、|信仰《しんかう》そのものが|生《い》きてゐる|限《かぎ》り、キツとその|誠《まこと》は|天《てん》に|通《つう》じ|御利益《ごりやく》のあるものと|存《ぞん》じます。|取次《とりつぎ》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|批評《ひひやう》してる|間《あひだ》は、まだ|研究的《けんきうてき》|態度《たいど》、|批判的《ひはんてき》、|調査的《てうさてき》|態度《たいど》ですから、|信仰《しんかう》の|規範《きはん》に|一歩《いつぽ》も|入《い》つてゐないのです。それで|私《わたし》は|売主《まいす》が|現《あら》はれて|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|名《な》のらうとも、「|天帝《てんてい》の|化身《けしん》」といふ、その|名《な》を|信《しん》じさへすれば|良《い》いのです。さうでなくちや、|絶対的《ぜつたいてき》|帰依心《きえしん》は|起《おこ》らないものです。なにほど|偉《えら》い|神様《かみさま》でも、|不完全《ふくわんぜん》な|人間《にんげん》を|使《つか》つて|宇宙《うちう》|全体《ぜんたい》の|意志《いし》を|伝達《でんたつ》|遊《あそ》ばし、また|神徳《しんとく》の|幾部分《いくぶぶん》を|仲介者《ちうかいしや》を|通《つう》じて|下《くだ》さるのです。|吾々《われわれ》は|橋《はし》なき|川《かは》は|渡《わた》れぬ|道理《だうり》、どこまでも|信仰《しんかう》は|信仰《しんかう》ですから|信《しん》じなくては|駄目《だめ》です。|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》といふ|名《な》において|初《はじ》めて|神《かみ》の|神徳《しんとく》を|授《さづ》かり、|暖《あたた》かき|神《かみ》の|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれ|得《う》るのだと|考《かんが》へます』
|甲《かふ》『|成《な》るほど、さう|承《うけたまは》れば、いかにもと|合点《がつてん》が|参《まゐ》りました。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|物質主義《ぶつしつしゆぎ》の|学説《がくせつ》や|主義《しゆぎ》が|盛《さか》んに|流行《りうかう》しますので、たとへ|神様《かみさま》だつて|現《げん》に|吾々《われわれ》|凡夫《ぼんぷ》の|目《め》の|前《まへ》に|姿《すがた》を|現《あら》はし、あるひは|奇蹟《きせき》を|現《げん》じ、|即座《そくざ》に|霊験《れいけん》を|見《み》せて|下《くだ》さらねば|信《しん》じないといふ|極悪《ごくあく》の|世《よ》の|中《なか》になつてゐるのですからな。しかしながら|此《この》|頃《ごろ》は|学者《がくしや》の|鼻高連《はなだかれん》も、|少《すこ》し|眼《まなこ》が|醒《さ》めかけたとみえて、|太霊道《たいれいだう》とか|霊学研究会《れいがくけんきうくわい》だとか、あるひは|神霊科学研究会《しんれいくわがくけんきうくわい》だとか、いろいろの|幽霊研究《いうれいけんきう》が|起《おこ》りかけましたが、これも|時勢《じせい》の|力《ちから》でせう。ここ|十年前《じふねんぜん》までは|如何《いか》なる|大新聞《だいしんぶん》にも|大雑誌《だいざつし》にも|単行本《たんかうぼん》にも、|霊《れい》とか、|神《かみ》とかいふ|字《じ》は|一字《いちじ》も|現《あら》はれてゐなかつたのですが、|斎苑《いそ》の|館《やかた》とかの|生神様《いきがみさま》が|此《この》|世《よ》に|現《あら》はれ、|御神徳《ごしんとく》が|世間《せけん》に|輝《かがや》き|亘《わた》るにつれ、|霊《れい》とか|神《かみ》とかいふ|文字《もじ》がチヨコチヨコ|現《あら》はれて|来《き》ました。それがダンダンと|日《ひ》を|追《お》うて|濃厚《のうこう》の|度《ど》を|増《ま》し、さすがの|物質学者《ぶつしつがくしや》もソロソロ|我《が》を|折《を》つて、|神霊科学研究会《しんれいくわがくけんきうくわい》といふやうになつたのでせう。しかしながら|科学《くわがく》と|神霊学《しんれいがく》とは|出発点《しゆつぱつてん》が|違《ちが》ひ、かつ|畑《はたけ》が|違《ちが》ふのですから、|茄子畑《なすばたけ》で|南瓜《かぼちや》や|西瓜《すいくわ》を|得《え》やうとしても|駄目《だめ》ですわ。ダンダン|人間《にんげん》や|学者《がくしや》の|目《め》が|醒《さ》めて、|霊《れい》とか|神《かみ》とかを|云々《うんぬん》するやうになりましたが、|要《えう》するに|学問《がくもん》の|行《ゆ》き|詰《つま》り|飯《めし》の|食《く》ひ|詰《づめ》となつて、しやう|事《こと》なしに|有名《いうめい》の|学者《がくしや》の|一二人《いちににん》が、|霊学《れいがく》とか|神霊《しんれい》とかを|唱道《しやうだう》し|出《だ》すと、|訳《わけ》の|分《わか》らぬくせに|先《さき》を|争《あらさ》うて、|自分《じぶん》も|霊《れい》を|説《と》き|神《かみ》を|語《かた》らねば|世《よ》に|遅《おく》れた|古《ふる》い|頭《あたま》と|言《い》はれるだらう、|社会《しやくわい》の|嗜好《しこう》に|投《とう》じないだらうと|曲学阿世《きよくがくあせい》の|徒《いたづら》が、|極力《きよくりよく》【アセ】ツた|結果《けつくわ》だらうと|思《おも》ひますわ』
|丙《へい》『お|説《せつ》の|通《とほ》りです。|本当《ほんたう》に|現代《げんだい》の|学者《がくしや》ぐらゐ、|没分暁漢《わからずや》はありませぬな。|三百年前《さんびやくねんぜん》に|外国《ぐわいこく》で|流行《りうかう》した|学説《がくせつ》を|翻訳《ほんやく》して、それを|新《あたら》しい|学者《がくしや》のやうに|思《おも》つて|憶面《おくめん》もなく|堂々《だうだう》と|発表《はつぺう》するのですから|堪《たま》りませぬわ』
|乙《おつ》『そら、|貴方《あなた》たちのお|説《せつ》も|尤《もつと》もだが、|何《なん》といつても、|今《いま》は|証拠《しようこ》がなければ|一切《いつさい》|人民《じんみん》が|承知《しようち》せない|世《よ》の|中《なか》です。さうして、|証拠《しようこ》や|物体《ぶつたい》を|無視《むし》して、|無声無形《むせいむけい》の|霊《れい》とか|神《かみ》とかに|精神《せいしん》を|集中《しふちう》するくらゐ、この|世《よ》の|中《なか》に|危険《きけん》の|大《だい》なるものはなからうかと|思《おも》ひます。|現《げん》に、オーラ|山《さん》の|救世主《きうせいしゆ》といつてをつた|玄真坊《げんしんばう》といふ|奴《やつ》ア、|私《わたし》の|村《むら》の|御家婆《ごけば》アさまの|娘《むすめ》、ヨリコ|姫《ひめ》を|拐《かど》はかし、それを|女帝《によてい》として、|自分《じぶん》は|生神《いきがみ》さまと|成《な》りすまし、|沢山《たくさん》な|山賊《さんぞく》を|連《つ》れて、|悪《わる》い|事《こと》ばかり|仕出《しで》かし、|一方《いつぱう》は|神《かみ》さまとなつて|人《ひと》の|懐《ふところ》を|睨《ねら》つてゐたところ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とかに|看破《かんぱ》され、|手品《てじな》をあばかれ、たうとう|何処《どこ》かへ|逃《に》げ|散《ち》つたといふことです。こんな|代物《しろもの》が|世《よ》の|中《なか》に|沢山《たくさん》|現《あら》はれて、|神仏《しんぶつ》の|名《な》をかり、|人民《じんみん》をごまかすのだから、|神《かみ》ならぬ|身《み》の|吾々《われわれ》|人間《にんげん》は、|確《たし》かなる|証拠《しようこ》を|掴《つか》まぬ|事《こと》にや|安心《あんしん》して|信仰《しんかう》が|出来《でき》ませぬからな。それで|稍《やや》|常識《じやうしき》に|富《と》んだ|人間《にんげん》どもが、|今《いま》までの|宗教《しうけう》では|慊《あきた》らず、それだといつて|新《あたら》しい|信憑《しんびよう》すべき|宗教《しうけう》も|現《あら》はれず、やむを|得《え》ずして、どこかに|慰安《ゐあん》の|道《みち》を|求《もと》めむとし、|科学《くわがく》に|立脚《りつきやく》したる|神霊《しんれい》の|研究《けんきう》をなさむと|焦慮《あせ》るのも、あながち|無理《むり》ではありませぬよ』
|丙《へい》『|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》は|昔《むかし》の|人《ひと》とは|違《ちが》つて、|外面《ぐわいめん》は|非常《ひじやう》に|開《ひら》けてゐるやうですが、|肝腎要《かんじんかなめ》の|霊界《れいかい》の|知識《ちしき》といふものは、からつきし|駄目《だめ》ですから、|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれてゐるのですけど、|自分《じぶん》の|暗愚《あんぐ》の|心《こころ》や|邪曲《じやきよく》なる|思《おも》ひに|比《くら》べて|誠《まこと》の|神《かみ》を|誠《まこと》とせないですからな。それ|故《ゆゑ》、チヨコチヨコと|偽神《にせがみ》に|欺《あざむ》かれ、|大変《たいへん》な|災《わざはひ》に|会《あ》ひ、|終《しま》ひの|果《はて》にや|神《かみ》の【カ】の|字《じ》を|聞《き》いても|恐怖《きようふ》|戦慄《せんりつ》するやうに、いぢけて|了《しま》ふのです。「|羮《あつもの》にこりて|膾《なます》を|吹《ふ》く」の|譬《たとへ》、|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》が|目《め》の|前《まへ》に|出現《しゆつげん》してござつても、「また|偽神《にせがみ》ではなからうか、|騙《だま》すのではあるまいか、|触《さは》らぬ|神《かみ》に|祟《たた》りなし、|近寄《ちかよ》つては|大変《たいへん》だ」といつて|誠《まこと》の|神様《かみさま》を|悪魔扱《あくまあつか》ひになし、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|反抗《はんかう》を|試《こころ》みるやうになるものです。しかしながら|私《わたし》は|真《まこと》の|生神様《いきがみさま》のもはや|此《この》|世《よ》に|降臨《かうりん》されたことを|認《みと》めてゐます。|今度《こんど》の|戦《たたか》ひなども|十年《じふねん》も|前《まへ》から|神様《かみさま》から|覚《さと》らしてもらつてゐましたよ。「|国《くに》|乱《みだ》れて|忠臣《ちうしん》|現《あら》はれ、|家《いへ》|貧《まづ》しうして|孝子《かうし》|出《い》で、|天下《てんか》|道《みち》なくして|真人《しんじん》|現《あら》はる」と|申《まを》しますが、|暗黒無道《あんこくぶだう》の|此《この》|世《よ》の|中《なか》を|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神様《かみさま》は|決《けつ》してお|見捨《みす》て|遊《あそ》ばすはずはありませぬ。|今日《こんにち》の|学者《がくしや》どもは|誠《まこと》の|三五《あななひ》の|大神様《おほかみさま》に|対《たい》し、|邪神《じやしん》だとか、|大国賊《だいこくぞく》だとか、|大色魔《だいしきま》だとか、|詐偽師《さぎし》だとか、いろいろの|悪罵嘲笑《あくばてうせう》を|逞《たくま》しふし、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|凡夫《ぼんぷ》どもは|学者《がくしや》の|説《せつ》や|大新聞《だいしんぶん》の|説《せつ》に|誑惑《きやうわく》され、|附和雷同《ふわらいどう》して|誠《まこと》の|真人《しんじん》を|圧迫《あつぱく》し|恐怖《きようふ》し、|悪魔《あくま》のごとく|嫌《きら》つて|近寄《ちかよ》らないのです。|実《じつ》に|憐《あは》れむべき|世態《せたい》ぢやありませぬか。そのくせ、|大真人《だいしんじん》の|首唱《しゆしやう》された|世《よ》の|立替《たてか》へ|立直《たてなほ》し、|改造《かいざう》、|霊主体従《れいしゆたいじう》、|体主霊従《たいしゆれいじう》、|建主造従《けんしゆざうじう》、|陽主陰従《やうしゆいんじう》|等《とう》の|熟語《じゆくご》を|使《つか》ひ、|得々《とくとく》として|自分《じぶん》が|発明《はつめい》したやうに|言《い》つてるのです。つまり|大真人《だいしんじん》を|誹謗《ひばう》しながら、|大真人《だいしんじん》の|説《せつ》を|応用《おうよう》してゐるのだから、ツマリ|渇仰《かつかう》|憧憬《どうけい》してゐるのぢやありませぬか。|本当《ほんたう》に、これほどな|矛盾《むじゆん》が|世《よ》の|中《なか》にありませうかな』
|甲《かふ》『あなたのお|話《はなし》を|聞《き》いて|見《み》ると、どうやら|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》のやうですが、|違《ちが》ひますかな』
|丙《へい》『お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|私《わたし》は|三五教《あななひけう》|信者《しんじや》のチヤキチヤキです。|燈火《とうくわ》を|点《てん》じて|床下《ゆかした》に|隠《かく》すものはありませぬ。|卑怯《ひけふ》な|三五《あななひ》の|信者《しんじや》は|世間《せけん》の|圧迫《あつぱく》や|非難《ひなん》や|軽侮《けいぶ》を|苦《く》にして、|人《ひと》に|尋《たづ》ねられると|自分《じぶん》は|三五教《あななひけう》ぢやないといふものが|九分九厘《くぶくりん》です。|心《こころ》で|神《かみ》を|信《しん》じ|口《くち》に|詐《いつは》るものは|所謂《いはゆる》|神《かみ》を|殺《ころ》すものです。こんな|信仰《しんかう》は|到底《たうてい》|実《み》を|結《むす》びませぬ。また|自分《じぶん》の|位置《ゐち》や|名誉《めいよ》を|毀損《きそん》されるかと|思《おも》つて、|信者《しんじや》たることを|隠《かく》す|卑怯者《ひけふもの》が|多《おほ》いのです。|私《わたし》は、そんな|曖昧《あいまい》な|信仰《しんかう》は|致《いた》しませぬ。|天下《てんか》に|誤解《ごかい》されるほどの|神《かみ》の|教《をしへ》ならばキツと|好《い》いに|違《ちが》ひありませぬ。|盲《めくら》|千人《せんにん》の|世《よ》の|中《なか》、|盲《めくら》が|象《ざう》を|評《ひやう》する|如《ごと》き|人々《ひとびと》の|噂《うはさ》や、|誹《そしり》や|批評《ひひやう》なんかに|躊躇《ちうちよ》してるやうな|事《こと》では、いつまで|経《た》つても|神様《かみさま》を|世《よ》に|現《あら》はすことは|出来《でき》ませぬ。また|天下《てんか》を|救《すく》ふ|事《こと》も|出来《でき》ないでせう。|私《わたし》は、さういふ|信仰《しんかう》のもとに|三五教《あななひけう》の|神柱《かむばしら》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》は、|天地《てんち》の|大先祖《おほせんぞ》たる|国常立尊《くにとこたちのみこと》|様《さま》の|御神教《ごしんけう》を|伝達《でんたつ》|遊《あそ》ばす|世界《せかい》|唯一《ゆゐいつ》の|神柱《かむばしら》と|堅《かた》く|信《しん》じてゐるのです』
|乙《おつ》『お|前《まへ》さまの|信仰《しんかう》も、そこまで|行《ゆ》けば|徹底《てつてい》してるやうだが、しかしながら|用心《ようじん》しなさいや、あの|蛙《かはづ》といふ|奴《やつ》、|背中《せなか》に|目《め》がついてるから|現在《げんざい》|自分《じぶん》を|呑《の》まむとする|蛇《へび》の|背《せな》に、|晏然《あんぜん》として|鼾《いびき》をかいてゐる。さうして、|終《しま》ひの|果《は》てにや、その|蛇《へび》に|尻尾《しりつぽ》でまかれ、ガブリと|呑《の》まれて|命《いのち》を|捨《す》てるのです。|鮟鱇主義《あんかうしゆぎ》、|海月主義《くらげしゆぎ》の|偽救《にせすく》ひ|主《ぬし》が、|彼方《あちら》こちらに|現《あら》はれる|世《よ》の|中《なか》ですから、|信仰《しんかう》も|結構《けつこう》ではありますが、そこは|十分《じふぶん》|気《き》をつけて、あんまり|固《かた》くならぬやうに、|片寄《かたよ》らないやう、|迷信《めいしん》に|陥《おちい》らぬやう|御注意《ごちうい》なさるが|結構《けつこう》でせう』
|丙《へい》『|御注意《ごちうい》は|有《あ》りがとうございます。|迷信《めいしん》に|陥《おちい》らないやうにと|仰有《おつしや》いましたが、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》に|迷信《めいしん》に|陥《おちい》らないものが|一人《ひとり》もございませうか。|政治万能主義《せいぢばんのうしゆぎ》に|迷信《めいしん》し、|黄金万能主義《わうごんばんのうしゆぎ》に|迷信《めいしん》し、|共産主義《きやうさんしゆぎ》に|迷信《めいしん》し、|社会主義《しやくわいしゆぎ》に|迷信《めいしん》し、|過激主義《くわげきしゆぎ》に|迷信《めいしん》し、|医者《いしや》に|迷信《めいしん》し、|弁護士《べんごし》に|迷信《めいしん》し、|哲学《てつがく》に|迷信《めいしん》し、|一切《いつさい》の|科学《くわがく》に|迷信《めいしん》し、|宇宙学《うちうがく》に|迷信《めいしん》してゐるものばかりです。|各自《めいめい》に|猿《さる》の|尻笑《しりわら》ひで、|自分《じぶん》の|思《おも》つてることは|正信《せいしん》だ、|他人《ひと》のやつてることは|迷信《めいしん》だと|考《かんが》へるは、ヤツパリ|迷信《めいしん》です。|私《わたし》が|三五教《あななひけう》を|信仰《しんかう》してるのも、ヤツパリ|迷信《めいしん》かも|知《し》れませぬ。|大神様《おほかみさま》の|地位《ちゐ》に|立《た》つてこそ、|初《はじ》めて|真信《しんしん》とか|正信《せいしん》とか|言《い》へるでせうが、|紙《かみ》|一枚《いちまい》|隔《へだ》てて|向《む》かふの|見《み》えない|人間《にんげん》の|智力《ちりよく》や|眼力《がんりよく》でどうして|正信者《せいしんじや》となることが|出来《でき》ませう。それだから、|吾々《われわれ》はあくまでも|迷信《めいしん》して|神様《かみさま》といふその|名《な》に|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》するのみです。これが|吾々《われわれ》にとつて|唯一《ゆゐいつ》の|慰安者《ゐあんしや》となり、|天国《てんごく》|開設《かいせつ》の|基礎《きそ》となり、|生命《せいめい》の|源泉《げんせん》となり、|無事長久《ぶじちやうきう》の|基《もとい》となり、|天下《てんか》|太平《たいへい》の|大本《たいほん》となり、|家内和合《かないわがふ》|産業《さんげふ》|発達《はつたつ》の|大根源《だいこんげん》となるものだと|迷信《めいしん》するより|仕方《しかた》ありませぬわ、ハハハハハ』
|梅公《うめこう》はヨリコ|姫《ひめ》に|向《む》かひ|小声《こごゑ》にて、
『|人々《ひとびと》の|言葉《ことば》の|端《はし》に|知《し》られけり
|常暗《とこやみ》の|世《よ》の|枉《まが》の|心《こころ》を』
ヨリコ『|光《ひか》り|暗《やみ》|行《ゆ》き|交《か》ふ|現世《うつしよ》の|中《なか》に
|裏《うら》と|表《おもて》の|規《のり》を|聞《き》くかな』
|花香《はなか》『|花《はな》|薫《かを》る|人《ひと》の|心《こころ》に|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》は|宿《やど》れり』
(大正一三・一一・二三 新一二・一九 於教主殿 北村隆光録)
第三章 |美人《びじん》の|腕《うで》〔一七〇五〕
|満天《まんてん》の|星光《せいくわう》|燦爛《さんらん》としてハルの|湖面《こめん》に|金砂《きんしや》|銀砂《ぎんしや》を|沈《しづ》めしごとく、|月《つき》の|光《ひかり》はなけれども|名《な》に|背《せ》ふ|大湖水《だいこすゐ》の|空《そら》は|赤《あか》く、|銀河《ぎんが》はオーラ|山《さん》の|頂《いただき》より、バルガン|城《じやう》の|空《そら》に|向《む》かつて|清《きよ》く|流《なが》れてゐる。|東天《とうてん》を|仰《あふ》ぎ|見《み》れば、スバル|星《せい》はオレオン|星座《せいざ》を|重《おも》たげに|牽引《けんいん》して|頭上《づじやう》|高《たか》く|進《すす》んで|来《く》るやうに|見《み》える。|太白星《たいはくせい》は|今《いま》やオーラ|山《さん》の|山頂《さんちやう》の|老木《らうぼく》の|木蔭《こかげ》を|宿《やど》として、|木《こ》の|葉《は》をすかしてピカリピカリと|覗《のぞ》いてゐる。|帆《ほ》は|痩《や》せて|音《おと》もなく|船《ふね》の|歩《あゆ》みもいと|遅《おそ》く、ほとんど|停船《ていせん》せしかと|思《おも》ふばかりの|静《しづ》けさである。|湖中《こちう》に|散在《さんざい》する|大小《だいせう》|無数《むすう》の|島嶼《たうしよ》は、パインの|木《き》に|包《つつ》まれてこんもりと|静《しづ》かに|浮《うか》んでゐる。|時々《ときどき》|赤児《あかご》の|泣《な》くやうな|海鳥《うみどり》の|声《こゑ》、アンボイナの|翅《はね》の|羽《は》たたきのみ|一同《いちどう》の|耳朶《じだ》を|打《う》つ。|天《てん》は|静寂《せいじやく》にして|声《こゑ》|無《な》く、|海面《かいめん》|穏《おだや》かにして|呼吸《こきふ》せず、あたかも|活力《くわつりよく》を|失《うしな》ひし|睡《ねむ》れる|海《うみ》を|往《ゆ》く|心地《ここち》。|船客《せんきやく》|一同《いちどう》は|甲板《かんばん》に|出《い》で|夜露《よつゆ》を|浴《あ》びながら、あなたこなたに|煙管《きせる》の|雁首《がんくび》から|微《かすか》な|火《ひ》の|粉《こ》を|飛《と》ばしてゐる。この|時《とき》|八挺艪《はつちやうろ》を|漕《こ》ぎながら、|矢《や》のごとく|波切丸《なみきりまる》に|向《む》かつて|猛犬《まうけん》のごとく|噛《か》みついて|来《き》た|一艘《いつさう》の|船《ふね》には、|十四五人《じふしごにん》の|海賊《かいぞく》が|乗《の》つてゐた。たちまち|舷《ふなばた》に|繩梯子《なはばしご》をヒラリと|投《な》げかけ、アハヤといふ|間《ま》もなく|大刀《だいたう》を|提《ひつさ》げ|上《のぼ》つて|来《き》たのは、この|湖上《こじやう》にて|鬼賊《きぞく》と|恐《おそ》れられてゐるコーズといふ|頭目《とうもく》であつた。|彼《かれ》は|甲板《かんばん》に|立《た》ちはだかり、|十四五人《じふしごにん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に|抜刀《ばつたう》のまま、|呶鳴《どな》つてゐる。
『|此《この》|方《はう》はハルの|湖水《こすゐ》の|主人公《しゆじんこう》、|海賊《かいぞく》の|頭目《とうもく》コーズの|君《きみ》だ。もはや|俺《おれ》の|現《あら》はれた|以上《いじやう》は|文句《もんく》はいらぬ。|持物《もちもの》|一切《いつさい》|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|貴賤貧富《きせんひんぷ》の|区別《くべつ》なく、|吾《わ》が|前《まへ》に|献上《けんじやう》せよ。|四《し》の|五《ご》の|申《まを》して|拒《こば》むにおいては、|汝《なんぢ》が|素首《そつくび》|一々《いちいち》|引《ひ》きちぎり|繩《なは》をとほして|数珠《じゆず》を|作《つく》り、ハルナの|都《みやこ》の|大雲山《だいうんざん》に|献納《けんなふ》してやる。どうだ|返答《へんたふ》を|聞《き》かせ』
と|傍若無人《ばうじやくぶじん》に|強託《がうたく》を|並《なら》べ|出《だ》した。|一同《いちどう》の|乗客《じやうきやく》は、|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いて|船底《せんてい》に|潜《ひそ》むもの、あるひは|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げてデツキの|上《うへ》を|右往左往《うわうさわう》するもの、|声《こゑ》さへも|打《う》ち|立《た》てず|打《う》ち|慄《ふる》ふもの、|見《み》るも|悲惨《ひさん》の|光景《くわうけい》であつた。コーズは|部下《ぶか》に|命《めい》じ|乗客《じやうきやく》を|一々《いちいち》|赤裸体《まつぱだか》となし、|用意《ようい》の|綱《つな》を|取《と》り|出《だ》し|掠奪品《りやくだつひん》を|一纒《ひとまと》めとなし、|吾《わ》が|船《ふね》に|今《いま》や|投《な》げ|込《こ》まむとする|一刹那《いつせつな》、|船底《せんてい》より【ヌツ】と|表《あら》はれて|来《き》た|名人《めいじん》の|画伯《ぐわはく》が|描《ゑが》いたやうな|天成《てんせい》の|美人《びじん》、|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》を|慄《ふる》はせながら、|生蝋《きらふ》のごとき|白《しろ》き|腕《かひな》を|薄暗《うすやみ》の|中《なか》に|輝《かがや》かせつつ、
|女《をんな》『|汝《なんぢ》はハルの|湖水《こすゐ》の|主《あるじ》と|聞《き》こえたるコーズと|覚《おぼ》えたり。|懲《こら》しめくれむ』
といふより|早《はや》く、|仁王《にわう》のごとき|荒男《あらをとこ》の|襟髪《えりがみ》を|掴《つか》んで、エイと|一声《いつせい》|海上《かいじやう》めがけて|投《な》げ|込《こ》めば、|不意《ふい》を|打《う》たれて、さすがのコーズも|空中《くうちう》を|二三回《にさんくわい》|上手《じやうず》に|回転《くわいてん》しながら、|自分《じぶん》の|船《ふね》にドスンと|落《お》ちて|尻餅《しりもち》をついた。|他《た》の|乾児《こぶん》どもは|驚《おどろ》いて|前後左右《ぜんごさいう》に|逃《に》げ|廻《まは》るを、……エエ|木葉《こわつぱ》ども|面倒《めんだう》なり……と|将棋倒《しやうぎだふ》しに|掴《つか》んでは|投《な》げ、|掴《つか》んでは|投《な》げ、|瞬《またた》くうちにデッキの|大掃除《おほさうぢ》を|終《をは》つてしまつた。|美人《びじん》は|白《しろ》き|歯《は》を|現《あら》はしながらさも|愉快《ゆくわい》げに「オホホホホ」とかすかに|笑《わら》ひ、|悠々《いういう》として|階段《かいだん》を|下《くだ》り、|何《なに》|喰《く》はぬ|顔《かほ》をして|吾《わ》が|寝室《ねま》に|入《い》り、|腕《うで》を|枕《まくら》に|熟睡《じゆくすゐ》の|夢《ゆめ》に|入《い》つた。|乗客《じやうきやく》|一同《いちどう》は|怪《あや》しき|女《をんな》のどこともなく|現《あら》はれて、|悪漢《わるもの》を|海中《かいちう》に|投《な》げ|込《こ》みし|噂《うはさ》のみにて|喧々囂々《けんけんがうがう》と|囁《ささや》き|合《あ》ふのみであつた。
|梅公《うめこう》はウツラウツラ|睡《ねむ》りつつありしが、|人々《ひとびと》の|囁《ささや》く|声《こゑ》にフツと|目《め》を|醒《さ》まし、|何事《なにごと》ならむと|耳《みみ》を|澄《す》まして|聞《き》きゐれば、|諸人《もろびと》の|声《こゑ》……|助《たす》けの|神《かみ》が|現《あら》はれた……とか、……|海《うみ》の|竜神《りうじん》の|化身《けしん》が|吾等《われら》を|救《すく》つてくれたのだ……とか、オーラ|山《さん》の|天狗《てんぐ》の|娘《むすめ》だ……とか、……|海《うみ》の|女《をんな》だ……とか、|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》の|憶測《おくそく》を|逞《たくま》しふしてゐる。|船長《せんちやう》はやつと|安心《あんしん》せしもののごとく、|怖《おそ》る|怖《おそ》るデッキの|上《うへ》から|海面《かいめん》を|見渡《みわた》せば、コーズの|船《ふね》は|見《み》えねども、|遥《はる》かに|遠《とほ》き|島影《しまかげ》に|十数艘《じふすうさう》の|賊船《ぞくせん》が|波切丸《なみきりまる》の|前途《ぜんと》を|要《えう》し、|手具脛《てぐすね》|引《ひ》いて|待《ま》つもののごとく|思《おも》はれてならなかつた。|船長《せんちやう》のアリーは|双手《もろて》を|組《く》んで|思《おも》ふやう……|今《いま》の|船路《せんろ》を|取《と》らば|必《かなら》ずやコーズの|手下《てした》の|奴《やつ》に|再《ふたた》び|脅《おびや》かされむ。|迂回《うくわい》ではあるが、|船首《せんしゆ》を|東《ひがし》に|転《てん》じ、|岸辺《きしべ》に|近《ちか》づきつつ|進《すす》み|行《ゆ》かむものと……、|部下《ぶか》の|水夫《すゐふ》に|令《れい》を|下《くだ》し、|艪《ろ》を|操《あやつ》り、|櫂《かい》を|漕《こ》ぎながら|一生懸命《いつしやうけんめい》に、|鏡《かがみ》のごとき|海面《かいめん》に|俄《には》かの|波紋《はもん》を|描《ゑが》きつつ、|力《ちから》かぎりに|駈《か》け|出《だ》した。|船《ふね》はたちまち|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げ、|船底《せんてい》はガラガラガラ バチバチバチと|怪《あや》しき|音《おと》を|立《た》て|船客《せんきやく》|一同《いちどう》の|肝《きも》を|潰《つぶ》した。たちまち|阿鼻叫喚《あびけうくわん》、「|助《たす》けてくれい|助《たす》けてくれい」と|悲鳴《ひめい》の|声《こゑ》、|船《ふね》の|全面《ぜんめん》より|聞《き》こえ|来《く》る。|梅公《うめこう》はたちまち|舷頭《げんとう》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し、|音吐《おんと》|朗々《らうらう》として|神《かみ》に|対《たい》して|救助《きうじよ》|祈願《きぐわん》の|歌《うた》を|奉《たてまつ》つた。
『|浪《なみ》も|静《しづ》かなハルの|湖《うみ》 |御空《みそら》は|清《きよ》く|水《みづ》|清《きよ》く
|天《あま》の|河原《かはら》を|空《そら》に|見《み》て |漕《こ》ぎゆく|御船《みふね》は|棚機《たなばた》の
|神《かみ》を|斎《いつ》きし|玉船《たまふね》ぞ |守《まも》らせたまへ|和田《わだ》の|原《はら》
|所領《うしは》ぎたまふ|竜神《たつかみ》よ |吾等《われら》は|睡《ねむ》りに|入《い》りながら
|花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|天国《てんごく》の |清《きよ》き|御園《みその》に|遊《あそ》びつつ
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |魂《みたま》を|清《きよ》むる|神《かみ》の|御子《みこ》
|波切丸《なみきりまる》に|身《み》を|任《まか》せ |果《はて》しも|知《し》らぬ|雲《くも》の|上《うへ》
|諸人《もろびと》ともに|進《すす》むなり |大空《おほぞら》|渡《わた》るこの|船《ふね》に
|暗礁《あんせう》の|艱《なや》みのあるべきか |如何《いか》なる|神《かみ》の|計《はか》らひか
はかりかぬれど|皇神《すめかみ》の |教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》
|天降《あも》りて|守《まも》りある|上《うへ》は |如何《いか》なる|曲《まが》のさやるべき
|神《かみ》の|救《すく》ひの|船《ふね》にのり |救《すく》ひの|道《みち》を|伝《つた》へ|行《ゆ》く
|天地《てんち》の|神《かみ》の|御《おん》|為《ため》に |誠《まこと》を|尽《つく》す|梅公《うめこう》が
|今日《けふ》の|難《なや》みをみそなはし |吾《わ》が|言霊《ことたま》の|勢《いきほ》ひに
|天津空《あまつそら》より|科戸辺《しなどべ》の |神《かみ》の|伊吹《いぶき》を|投《な》げたまひ
|湖《うみ》の|睡《ねむり》を|醒《さ》まさせて |海馬《かいば》は|鬣《たてがみ》|打《う》ち|振《ふる》ひ
|海底《うなそこ》|深《ふか》く|潜《ひそ》みたる |竜神《りうじん》たちは|立《た》ち|上《あが》り
|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》を|呼《よ》び|起《おこ》し |隠《かく》れし|岩《いは》に|乗《の》りあげし
これの|御船《みふね》を|中天《ちうてん》に |捲《ま》き|上《あ》げながら|暗礁《あんせう》の
|難《なん》より|救《すく》ひたまへかし たとへ|海賊《かいぞく》|幾万《いくまん》の
|部下《てした》を|従《したが》へ|攻《せ》め|来《く》とも |吾《われ》には|神《かみ》の|守《まも》りあり
さはさりながら|諸人《もろびと》は |不浄《ふじやう》の|人《ひと》の|混《まぢ》はりて
|神《かみ》の|怒《いか》りを|招《まね》くらむ アア|皇神《すめかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|吾《わ》が|玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》をば |召《め》させたまふもいとはまじ
|諸人《もろびと》たちの|命《いのち》をば |救《すく》はせたまへ|惟神《かむながら》
|三五教《あななひけう》の|梅公《うめこう》が |一生《いつしやう》|一度《いちど》の|御願《おんねが》ひ
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ |大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも
|皇大神《すめおほかみ》の|御《おん》ために |珍《うづ》の|御霊《みたま》を|世《よ》に|照《て》らし
|千代万代《ちよよろづよ》も|限《かぎ》りなく |現幽神《げんいうしん》の|三界《さんかい》に
|出入《しゆつにふ》なして|神《かみ》の|子《こ》の |吾《われ》は|命《いのち》を|守《まも》るべし
|召《め》させたまへよ|吾《わ》が|身体《からだ》 |肉《にく》の|命《いのち》は|滅《ほろ》ぶとも
|御魂《みたま》の|命《いのち》のある|限《かぎ》り |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を
|謹《つつし》み|仕《つか》へまつるべし |救《すく》はせたまへ|諸人《もろびと》を
|浮《うか》ばせたまへ|此《こ》の|船《ふね》を』
と|声《こゑ》|高々《たかだか》と|謡《うた》ふをりしも、|東北《とうほく》の|天《てん》に|一塊《いつくわい》の|黒雲《こくうん》|起《おこ》り、|見《み》る|見《み》る|拡張《くわくちやう》して|満天《まんてん》の|星光《せいくわう》を|呑《の》み、|次《つ》いでハルの|湖《うみ》を|呑《の》んでしまつた。|轟々《ぐわうぐわう》たる|颶風《ぐふう》の|響《ひび》き、|波濤《はたう》の|音《おと》、たちまち|波切丸《なみきりまる》は、|木《こ》の|葉《は》のごとく、|高《たか》まる|浪《なみ》に|中空《ちうくう》に|捲《ま》き|上《あ》げられ、その|刹那《せつな》、|船底《せんてい》は|暗礁《あんせう》を|離《はな》れて|浪《なみ》に|半《なか》ば|呑《の》まれつつ、|可《か》なり|大《おほ》きい|島影《しまかげ》に|期《き》せずして|運《はこ》ばれた。|浪《なみ》|静《しづ》かなる|風裏《かざうら》の|島影《しまかげ》に|船《ふね》を|浮《う》かべてホツと|一息《ひといき》する|間《ま》もなく、たちまち|満天《まんてん》|拭《ぬぐ》ふがごとく|晴《は》れ|渡《わた》り|風《かぜ》|凪《な》ぎ|浪《なみ》|静《しづ》まりて、|余《あま》りの|変化《へんくわ》の|早《はや》さに|夢《ゆめ》かとばかり|驚《おどろ》かぬはなかつた。
『|惟神《かむながら》|神《かみ》の|伊吹《いぶき》の|御恵《みめぐ》みに
|玉《たま》の|御船《みふね》は|救《すく》はれにけり
|吾《わ》が|魂《たま》は|中空《ちうくう》に|飛《と》び|吾《わ》が|船《ふね》は
|浪《なみ》の|谷間《たにま》に|浮《う》き|沈《しづ》みせり
|真心《まごころ》を|籠《こ》めて|祈《いの》りし|甲斐《かひ》ありて
|一息《ひといき》つきぬ|波切《なみきり》の|船《ふね》
|曲神《まがかみ》はいづこを|指《さ》して|逃《に》げにけむ
|大海原《おほうなばら》に|影《かげ》だに|見《み》せず
|天《てん》を|呑《の》み|島《しま》をも|呑《の》みし|暗《やみ》の|幕《まく》
|跡《あと》かたもなく|晴《は》れし|嬉《うれ》しさ
|百鳥《ももどり》の|声《こゑ》もやうやく|聞《き》こえけり
|浪《なみ》の|響《ひびき》の|治《をさ》まりてより
|青《あを》ざめし|人《ひと》の|顔《かんばせ》やうやくに
みかえし|初《そ》めし|夜《よる》の|湖《うみ》かな
|天《てん》はさけ|地《ち》は|破《やぶ》れむと|怪《あや》しみし
|荒風《あらかぜ》|浪《なみ》もおさめます|神《かみ》
くしびなる|神《かみ》の|力《ちから》を|見《み》るにつけ
|人《ひと》の|力《ちから》の|小《ちひ》さきを|恥《は》づ
|師《し》の|君《きみ》はバルガン|城《じやう》に|打《う》ち|向《む》かひ
メラオンナにて|吾《われ》|待《ま》たすらむ
シャカンメラ|鬣《たてがみ》|振《ふる》ひ|吾《わ》が|船《ふね》に
かみつきし|時《とき》|吾《われ》もふるひぬ
|鬣《たてがみ》を|振《ふ》つて|立《た》てるシャカンメラ
|大海原《おほうなばら》の|底《そこ》に|入《い》りけむ
うたかたの|泡《あわ》と|消《き》えたるシャカンメラ
|御船《みふね》を|守《まも》れ|神《かみ》の|国《くに》まで』
|何処《どこ》ともなく|柔《やさ》しき|女《をんな》の|唄《うた》ふ|声《こゑ》。
『ハルの|湖《うみ》|往《ゆ》き|来《き》の|人《ひと》を|悩《なや》ませる
|曲《まが》を|払《はら》ひし|時《とき》の|嬉《うれ》しさ
|皇神《すめかみ》の|珍《うづ》の|力《ちから》にヨリコ|姫《ひめ》
いま|初《はじ》めてぞ|人《ひと》を|助《たす》けし
|今《いま》までは|醜《しこ》の|醜業《しこわざ》のみなして
|罪《つみ》を|造《つく》りし|事《こと》の|悔《く》やしさ
|罪《つみ》|深《ふか》き|吾《われ》ある|故《ゆゑ》に|海《うみ》の|神《かみ》は
いましめ|給《たま》ふかと|驚《おどろ》きてけり
|梅公《うめこう》の|珍《うづ》の|司《つかさ》の|言霊《ことたま》に
|奇《くし》の|御救《みすく》ひ|現《あら》はれにけり
|惟神《かむながら》いざ|今日《けふ》よりは|大道《おおほみち》に
|進《すす》まむ|身《み》こそ|楽《たの》しかりけり』
|海賊《かいぞく》の|難《なん》を|避《さ》けむとして|誤《あやま》つて|暗礁《あんせう》に|乗《の》り|上《あ》げたる|波切丸《なみきりまる》も、|梅公《うめこう》が|熱誠《ねつせい》を|籠《こ》めたる|祈願《きぐわん》と|言霊《ことたま》に、|神《かみ》も|愍《あは》れみたまひしか、|海浪《かいらう》|躍動《やくどう》して|固着《こちやく》せる|船底《せんてい》を|浮《う》け|放《はな》し、やうやく|沈没《ちんぼつ》|破壊《はくわい》の|難《なん》を|免《まぬ》がれしめ|給《たま》ひぬ。|船長《せんちやう》をはじめ|乗客《じやうきやく》|一同《いちどう》は、|梅公《うめこう》の|前《まへ》に|跪《ひざまづ》いてその|神徳《しんとく》を|讃《ほ》め|称《たた》へ、かつ|大神《おほかみ》に|感謝《かんしや》の|誠《まこと》を|捧《ささ》げた。|漸《やうや》くにして|夜《よ》はホンノリと|明《あ》け|放《はな》れ、|再《ふたた》び|魚鱗《ぎよりん》の|浪《なみ》を|湛《たた》へたる|蒼味《あをみ》だつた|水面《すゐめん》を|南《みなみ》に|南《みなみ》に|辷《すべ》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一一・二三 新一二・一九 於教主殿 加藤明子録)
第四章 |笑《わらひ》の|座《ざ》〔一七〇六〕
|湖神《こしん》|白馬《はくば》の|鬣《たてがみ》を|揮《ふる》つて、|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》を|起《おこ》し、ほとんど|天《てん》をも|呑《の》まむとする|勢《いきほ》ひなりし|湖上《こじやう》の|荒《すさ》びも、|癲癇《てんかん》が|治《をさ》まつたやうに、まるつきり|嘘《うそ》をついたやうにケロリと|静《しづ》まつて、|水面《すゐめん》はあたかも|畳《たたみ》の|目《め》のごとく、|縮緬皺《ちりめんじわ》をよせてゐる。|島影《しまかげ》を|漕《こ》ぎ|出《だ》した|波切丸《なみきりまる》は、|〓乃《ふなうた》|豊《ゆた》かに|舳《へさき》を|南方《なんぱう》に|向《む》けていざり|出《だ》した。
この|地方《ちはう》の|風習《ふうしふ》として、|人《ひと》びと|何《いづ》れも|閑散《かんさん》な|時《とき》には|無聊《むれう》を|慰《なぐさ》むるために、|笑《わら》ひの|座《ざ》といふものが|催《もよほ》されることがある。|笑《わら》ひの|座《ざ》に|参加《さんか》する|者《もの》は、|何《いづ》れも|黒《くろ》い|布《ぬの》で|面部《めんぶ》を|包《つつ》み、|何人《なにびと》か|分《わか》らぬやうにしておいて、|上《うへ》は|王公《わうこう》より|下《しも》は|下女《げぢよ》|下男《げなん》の|噂《うはさ》や、|国家《こくか》の|現状《げんじやう》や|人情《にんじやう》の|機微《きび》などを|話《はな》し、|面白《おもしろ》く|可笑《をか》しく、|罵詈嘲笑《ばりてうせう》を|逞《たくま》しうして、|笑《わら》ひこけ、|互《たが》ひに|修身斉家《しうしんせいか》の|羅針盤《らしんばん》とするのである。さすが|権力《けんりよく》|旺盛《わうせい》なる|大黒主《おほくろぬし》といへども、この|笑《わら》ひの|座《ざ》のみには|一指《いつし》を|染《そ》むることも|出来《でき》なかつた。|笑《わら》ひの|座《ざ》は|庶民《しよみん》が|国政《こくせい》に|参与《さんよ》することのない|代《かは》りに、その|不平《ふへい》や|鬱憤《うつぷん》を|洩《も》らし、あるひは|政治《せいぢ》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》や、|国家《こくか》の|利害得失《りがいとくしつ》までも、|怯《お》めず|臆《おく》せず|何人《なにびと》の|前《まへ》にても|喋々喃々《てふてふなんなん》と|吐露《とろ》することを、|不文律的《ふぶんりつてき》に|許《ゆる》されてゐたのである。
|日《ひ》は|麗《うらら》かに、|風《かぜ》|暖《あたた》かく、|波《なみ》は|静《しづ》かに、|舟《ふね》の|歩《あゆ》みもはかばかしからず、はるかの|湖面《こめん》には|陽炎《かげろふ》が|日光《につくわう》に|瞬《またた》いてゐる。その|有様《ありさま》はあたかも|湖面《こめん》の|縮緬皺《ちりめんじわ》が|空中《くうちう》に|反映《はんえい》したかのやうに|思《おも》はれた。さも|恐《おそ》ろしかりし|海賊《かいぞく》の|難《なん》や|暴風怒濤《ばうふうどたう》の|悩《なや》み、ほとんど|難破《なんぱ》に|瀕《ひん》したる|波切丸《なみきりまる》の|暗礁《あんせう》の|難《なん》を|免《まぬが》れたる|嬉《うれ》しさに、いづれも|天地《てんち》の|神《かみ》を|礼拝《らいはい》し、|感謝《かんしや》の|辞《じ》を|捧《ささ》ぐること|半時《はんとき》ばかり、そのあとは|三々伍々《さんさんごご》デッキの|上《うへ》に|円《ゑん》を|描《ゑが》いて、|笑《わら》ひの|座《ざ》が|開《ひら》かれた。
|甲《かふ》『|諸君《しよくん》、どうです、この|穏《おだや》かな|湖面《こめん》を|眺《なが》めて、|旅情《りよじやう》を|慰《なぐさ》むるために、|天下御免《てんかごめん》の|笑《わら》ひの|座《ざ》を|催《もよほ》したらどうでせう』
|乙《おつ》『イヤそりや|面白《おもしろ》いでせう。チツとばかり、|言論機関《げんろんきくわん》たる|天《あま》の|瓊矛《ぬほこ》を|運用《うんよう》させても|宜《よろ》しからうかと|考《かんが》へてゐたところです。|何《なに》か|面白《おもしろ》い|話《はなし》を|聞《き》きたいものですなア』
『|皆《みな》さま、|黒布《くろぬの》をお|被《かぶ》りなさい。これも|此《こ》の|国《くに》の|神世《かみよ》から|定《き》まつた|不文律《ふぶんりつ》ですから。その|代《かは》りに|目《め》の|前《まへ》にゐる|貴方《あなた》がたの|悪口雑言《あくこうざふごん》をいふかも|知《し》れませぬが……|笑《わら》ひの|座《ざ》の|規則《きそく》として|御立腹《ごりつぷく》のなきやうに|予《あらかじ》め|願《ねが》つておきますよ、アハハハハ』
『サアサア|自分《じぶん》の|顔《かほ》の【しみ】は|見《み》えないものだから、|俺《おれ》は|偉《えら》い|偉《えら》い、|世間《せけん》の|奴《やつ》は|馬鹿《ばか》だとか、|間抜《まぬ》だとか、|腰抜《こしぬけ》だとか|思《おも》つてゐるものです。|自分《じぶん》が|自分《じぶん》を|理解《りかい》するやうになれば、|人間《にんげん》も|一人前《いちにんまへ》の|人格者《じんかくしや》ですが、|燈台《とうだい》|下《もと》|暗《くら》しとかいつて、|自分《じぶん》の|事《こと》は|解《わか》らないものですからな。どうか|忌憚《きたん》なく、お|気付《きづ》きになつたことは|批評《ひひやう》して|下《くだ》さい。それが|私《わたし》に|取《と》つて|処世上《しよせいじやう》の|唯一《ゆゐいつ》の|力《ちから》となりますから』
『|宜《よろ》しい、|倒徳利《こけどつくり》の|詰《つめ》が|取《と》れた|以上《いじやう》は、|味《あぢ》の|悪《わる》い|濁酒《どぶざけ》を|吐《は》き|出《だ》して、|諸君《しよくん》を|酔生夢死《すゐせいむし》せしむるやうな|迷論濁説《めいろんだくせつ》が|際限《さいげん》もなく|迸出《へいしゆつ》するかも|知《し》れませぬよ』
『サアサア|是非《ぜひ》|願《ねが》ひませう。|自分《じぶん》の|頭《あたま》や|顔面《がんめん》が|見《み》え、また|自分《じぶん》の|首《くび》や|背中《せなか》が|見《み》えるやうな|人間《にんげん》ならば、|自己《じこ》の|欠点《けつてん》が|判然《はんぜん》と|解《わか》るでせうが、|不完全《ふくわんぜん》に|造《つく》られた|吾々《われわれ》|人間《にんげん》は、|到底《たうてい》|暗黒面《あんこくめん》のあるのは、やむを|得《え》ないです。その|暗黒面《あんこくめん》を|親《した》しき|友《とも》から、|破羅剔抉《はらてきけつ》して|注意《ちうい》を|与《あた》へてもらふことは、|無上《むじやう》の|幸福《かうふく》でせう。しかしお|前《まへ》さまの|暗黒面《あんこくめん》も|素破抜《すつぱぬ》きますが、|御承知《ごしようち》でせうな』
『それは|相身互《あひみたが》ひです。そんなら|私《わたし》から|発火《はつか》しませう。……エー、あなた|此《この》|頃《ごろ》|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》から|大変《たいへん》な|偉《えら》い|職名《しよくめい》を|与《あた》へられたといふ|事《こと》だが|一体《いつたい》どんな|御気分《ごきぶん》がしますか、|竹寺官《ちくじくわん》といへば|腰弁《こしべん》とは|違《ちが》つて、|役所《やくしよ》へ|通《かよ》ふのにも|馬《うま》とか|車《くるま》とか|相当《さうたう》な|準備《じゆんび》も|要《い》るでせう。|随分《ずゐぶん》|愉快《ゆくわい》でせうな』
『|実《じつ》は|某役所《ぼうやくしよ》の|執事《しつじ》に|栄進《えいしん》したのです。しかしながら|赤門《あかもん》を|出《で》てから|官海《くわんかい》に|遊泳《いうえい》すること|殆《ほと》んど|十五年《じふごねん》、どうやらかうやら|執事《しつじ》まで|昇《のぼ》つたのです。|吾々《われわれ》の|学友《がくいう》は|大抵《たいてい》|小名《せうみやう》から|大名《だいみやう》、|納言級《なごんきふ》に|昇《のぼ》つた|連中《れんちう》もありますが、|私《わたし》は|阿諛諂佞《あゆてんねい》とか|追従《つゐしよう》とか|低頭平身《ていとうへいしん》などの|行為《かうゐ》が|嫌《きら》いなので、|相当《さうたう》の|実力《じつりよく》を|持《も》ちながら|漸《やうや》く|某役所《ぼうやくしよ》の|執事《しつじ》になつたぐらゐなものです。|本当《ほんたう》に|十五年間《じふごねんかん》も|孜々兀々《ししこつこつ》として|役所《やくしよ》の|門《もん》を|潜《くぐ》り、|今《いま》に|借家住居《しやくやずまゐ》をして|色々《いろいろ》の|雅号《ががう》を|頂《いただ》いたところで|一銭《いつせん》の|金《かね》が|月給《げつきふ》の|外《ほか》に|湧《わ》いて|来《く》るでもなし、|一握《ひとにぎ》りの|米《こめ》が|生《うま》れるでもなし、まるつきり|高等《かうとう》ルンペンのやうなものです。それでも|公式《こうしき》の|場所《ばしよ》へは|他《た》の|連中《れんちう》が|嬉《うれ》しさうに|雅号《ががう》のついたレツテルをぶらさげて|行《ゆ》きよるものだから、|私《わたし》も|心《こころ》に|染《そ》まないけれど、|何《なん》だかひけを|取《と》るやうな|気分《きぶん》がするので、いやいやながらレツテルをはつて|行《ゆ》くのですよ。アハハハハハ』
『|嫌《いや》なものを|張《は》つて|行《ゆ》くとは|言《い》はれましたが、しかし|貴方《あなた》の|本心《ほんしん》としてはまつたく|嫌《いや》で|叶《かな》はないのぢやありますまい。|嫌《いや》ないやな|毛虫《けむし》が|胸《むね》にくつついてゐたら|誰《たれ》しも|之《これ》を|払《はら》ひ|落《お》とすでせう。そこが|貴方《あなた》の|闇黒面《あんこくめん》で、いはゆる|偽善《ぎぜん》といふものです。|爵位《しやくゐ》|何物《なにもの》ぞ、|権勢《けんせい》|何物《なにもの》ぞ、|富貴《ふうき》|何《なに》ものぞ、ただ|吾々《われわれ》は|天下《てんか》の|志士《しし》だと|人《ひと》に|思《おも》はせたいための|飾《かざ》り|言葉《ことば》でせう。|虚礼虚飾《きよれいきよしよく》を|以《も》つて|唯一《ゆゐいつ》の|処生法《しよせいはふ》と|為《な》し、|交際上《かうさいじやう》の|武器《ぶき》と|信《しん》じてゐられるのでせう。さういふお|方《かた》が|上流《じやうりう》に|浮游《ふいう》してゐる|間《あひだ》は、|神様《かみさま》の|神政成就《しんせいじやうじゆ》も|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|私《わたし》は|米搗《こめつき》バツタといふものを|見《み》る|度《たび》に、|何《なん》となく|嫌忌《けんき》の|情《じやう》が|胸《むね》に|湧《わ》いて|来《く》るのです。しかし|過言《くわごん》は|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つておきませう。|何《なん》といつても|笑《わら》ひの|座《ざ》での|言葉《ことば》でございますからな』
『ヤ、あなたもなかなかの|批評家《ひひやうか》ですね。|実《じつ》は|私《わたし》も|米搗《こめつき》バツタにはなりたくないのです。これを|辞《や》めれば|忽《たちま》ち|妻子《さいし》が|路頭《ろとう》に|迷《まよ》ひ、|生存難《せいぞんなん》におびやかされるから|長者《ちやうじや》に|膝《ひざ》を|屈《くつ》し|腰《こし》を|曲《ま》げ、バツタや|蓄音機《ちくおんき》の|悲境《ひきやう》に|沈淪《ちんりん》しながらも|陰忍自重《いんにんじちよう》して、あたら|月日《つきひ》を|送《おく》つてゐるのです。|今日《こんにち》の|米搗《こめつき》ぐらゐ|卑劣《ひれつ》な、|暗愚《あんぐ》な|狭量《けふりやう》な、そして|高慢心《かうまんしん》の|強《つよ》い|代物《しろもの》はありませぬわ。|何《なに》かよい|商売《しやうばい》でもあつたら、|男《をとこ》らしく|辞職《じしよく》をしてみたいのです。そして|辞表《じへう》を|長官《ちやうくわん》の|面前《めんぜん》へ|投《な》げつけてやりたいと、|切歯扼腕《せつしやくわん》|慷慨悲憤《かうがいひふん》の|涙《なみだ》にくれることは|幾度《いくど》だか|知《し》れませぬよ。|卑劣《ひれつ》な、|暗愚《あんぐ》な、おべつか|主義《しゆぎ》の|小人物《せうじんぶつ》はドシドシ|執事《しつじ》にもなり、|小名《せうみやう》にもなり、|大名《だいみやう》にもなつて、|時《とき》めき|渡《わた》ることができますが、|私《わたし》のやうな|硬骨漢《かうこつかん》になると、|上流《じやうりう》の|奴《やつ》、|彼奴《あいつ》ア|頑迷《ぐわんめい》だとか、|剛腹《がうふく》だとか、|融通《ゆうづう》が|利《き》かないとか、|野心家《やしんか》だとか、|過激主義《くわげきしゆぎ》だとか、|反抗主義《はんかうしゆぎ》だとか、|生意気《なまいき》だとか、|猪口才《ちよこざい》だとか、|何《なん》とかかんとか、|種々《しゆじゆ》の|称号《しやうがう》をつけて、|頭《あたま》を|抑《おさ》へるのみならず、グヅグヅしてゐると|寒海《かんかい》から|放《ほ》り|出《だ》されて|了《しま》ふのですから、|人生《じんせい》、|米搗虫《こめつきむし》ぐらゐ|惨《みじ》めな|者《もの》はありませぬよ。|実《じつ》に|悲哀《ひあい》きはまる|者《もの》は|官吏生活《くわんりせいくわつ》ですよ。ハハハハ』
『|全体《ぜんたい》、|月《つき》の|国《くに》の|人間《にんげん》は、|国《くに》は|大《おほ》きうても、|小人物《せうじんぶつ》ばかりで、|到底《たうてい》|世界《せかい》の|強国《きやうこく》の|班《はん》に|列《れつ》するの|光栄《くわうえい》を|永続《えいぞく》することは|不可能《ふかのう》でせう。|外交《ぐわいかう》はカラツキシなつてゐないし、|強国《きやうこく》の|鼻息《はないき》を|伺《うかが》ふことばかりに|汲々乎《きふきふこ》とし、|内政《ないせい》は|人民《じんみん》の|自由意志《じいういし》を|圧迫《あつぱく》し、|少《すこ》しく|骨《ほね》のある|人間《にんげん》は、|何《なん》とかカンとか|言《い》つては、|牢獄《らうごく》へブチ|込《こ》み、|天人若《アマンジヤク》ばかりを|登用《とうよう》して|顕要《けんえう》の|地位《ちゐ》に|就《つ》かしめ、|己《おの》れに|諛《こ》び|諂《へつ》らふ|者《もの》のみ|抜擢《ばつてき》して、|愚者《ぐしや》、|卑劣漢《ひれつかん》のみが|高《たか》いところに|蠢動《しゆんどう》してゐるのだから、|到底《たうてい》|国家《こくか》の|存立《そんりつ》も|覚束《おぼつか》ないではありませぬか。|今《いま》の|時《とき》に|当《あた》つて、|本当《ほんたう》に|国家《こくか》を|思《おも》ふ|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、または|愛善《あいぜん》の|徳《とく》にみちた|大真人《だいしんじん》が|現《あら》はれなくちや|駄目《だめ》でせうよ』
『さうですなア、|私《わたくし》の|考《かんが》へでは、ここ|二三年《にさんねん》の|間《あひだ》には、|月《つき》の|国《くに》の|大国難《だいこくなん》が|襲来《しふらい》するだらうと|思《おも》ひます。|大番頭《おほばんとう》も、その|他《た》の|納言《なごん》も、どうも|怪《あや》しい|怪《あや》しいと|何時《いつ》も|芝生《しばふ》に|頭《あたま》を|鳩《あつ》めて、|青息吐息《あをいきといき》で|相談《さうだん》をやつてゐますが、|何《いづ》れも|策《さく》の|施《ほどこ》しやうがないと|言《い》つてをります。|何《なん》といつても|今《いま》の|世情《せじやう》は、|宗教《しうけう》を|邪魔物扱《じやまものあつか》ひし、|物質本能主義《ぶつしつほんのうしゆぎ》を|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》し、|何事《なにごと》も|世《よ》の|中《なか》は|黄金《わうごん》さへあれば|解決《かいけつ》がつくやうに|誤解《ごかい》してゐたものですから、|従《したが》つて|国民教育《こくみんけういく》も|全部《ぜんぶ》|物質主義《ぶつしつしゆぎ》に|傾《かたむ》き、|国民信仰《こくみんしんかう》の|基礎《きそ》がぐらついて、ほとんど|精神的《せいしんてき》|破産《はさん》に|瀕《ひん》してゐるのですから、|到底《たうてい》この|頽勢《たいせい》を|挽回《ばんくわい》する|望《のぞ》みはありますまい。|今《いま》に|世界《せかい》は|七大強国《しちだいきやうこく》となり、|十数年《じふすうねん》の|後《のち》には、|世界《せかい》は|二大強国《にだいきやうこく》に|分《わか》れるといふ|趨勢《すうせい》ですが、どうかして|印度《つき》の|国《くに》も、|二大強国《にだいきやうこく》の|一《ひとつ》に|入《い》りたいものですが、|今日《こんにち》の|頭株《あたまかぶ》の|施政方針《しせいはうしん》では、|亡国《ばうこく》より|道《みち》はありませぬ。|物価《ぶつか》は|高《たか》く、|官吏《くわんり》は|多《おほ》く、|比較的《ひかくてき》|人民《じんみん》も|多《おほ》くして、|生存難《せいぞんなん》は|日《ひ》に|日《ひ》に|至《いた》り、|強盗《がうたう》|殺人《さつじん》|騒擾《さうぜう》なども、|無道的《むだうてき》|行為《かうゐ》は|到《いた》る|処《ところ》に|瀕発《ひんぱつ》し、|仁義《じんぎ》|道徳《だうとく》|地《ち》に|堕《お》ち、|人心《じんしん》は|虎狼《こらう》のごとく|相荒《あひすさ》び、|親子《おやこ》|兄弟《きやうだい》の|間《あひだ》も|利害《りがい》のためには|仇敵《きうてき》もただならざる|人情《にんじやう》、|教育《けういく》の|力《ちから》も|宗教《しうけう》の|力《ちから》も、サツパリ|零《ぜろ》です。|否《いな》|宗教《しうけう》はますます|悪人《あくにん》を|養成《やうせい》し、|経済学《けいざいがく》は|国家《こくか》|民人《みんじん》を|貧窮《ひんきう》に|陥《おとしい》れ、|法律《はふりつ》は|善人《ぜんにん》を|疎外《そぐわい》し、|智者《ちしや》を|採用《さいよう》し、|医学《いがく》は|人《ひと》の|生命《せいめい》を|縮《ちぢ》め、|道徳《だうとく》は|悪人《あくにん》が|虚偽的《きよぎてき》|生活《せいくわつ》の|要具《えうぐ》となり、|商業《しやうげふ》は|公然《こうぜん》の|詐偽師《さぎし》となり、|一《いつ》として|国家《こくか》を|維持《ゐぢ》し|国力《こくりよく》を|進展《しんてん》せしむるものは|見当《みあた》りませぬ。それだから|私《わたし》も|一《ひと》つ|奮発《ふんぱつ》して、|国家《こくか》の|滅亡《めつぼう》を|未然《みぜん》に|防《ふせ》ぎたいと|焦慮《せうりよ》してをりますが、|何分《なにぶん》|衣食住《いしよくぢう》に|追《お》はれてゐるものですから|手《て》の|出《だ》しやうがありませぬ。|米搗虫《こめつきむし》の|地位《ちゐ》を|利用《りよう》して|賄賂《わいろ》でもどしどし|取《と》れば、また|寒海《かんかい》を|辞《じ》した|時《とき》、|社会《しやくわい》に|活動《くわつどう》するの|余祐《よゆう》も|出来《でき》るでせうが、それは|私《わたし》には|到底《たうてい》|出来《でき》ない|芸当《げいたう》です。とやせむかくやせむと|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|思《おも》ひ、|日夜《にちや》|肺肝《はいかん》を|砕《くだ》いてをりますが、|心《こころ》ばかり|焦《あせ》つて、その|実行《じつかう》の|緒《いとぐち》につくことが|出来《でき》ないのは|遺憾千万《ゐかんせんばい》でございます』
『|今《いま》あなたは、|官《くわん》を|辞《じ》したら、|衣食住《いしよくぢう》に|忽《たちま》ち|困《こま》るから、|国家《こくか》の|大事《だいじ》を|前途《ぜんと》に|控《ひか》へながら、|活動《くわつどう》することが|出来《でき》ないといはれましたが、それは|貴方《あなた》の|薄志弱行《はくしじやくかう》といふものです。|徒《いたづら》に|切歯扼腕《せつしやくわん》|慷慨悲憤《かうがいひふん》の|涙《なみだ》にくれてゐたところで、|社会《しやくわい》に|対《たい》して|寸効《すんかう》も|上《あが》らないでせう。|納言《なごん》になるだけの|腕《うで》を|持《も》つた|貴方《あなた》なれば、|民間《みんかん》に|下《くだ》つて|何事業《なにじげふ》をせられても|屹度《きつと》|相当《さうたう》の|収益《しうえき》もあり、また|成功《せいこう》もするでせう。|人《ひと》は|断《だん》の|一字《いちじ》が|肝腎《かんじん》ですよ。|空中《くうちう》を|翔《かけ》る|鳥《とり》でさへも、|何《なん》の|貯《たくは》へもしてをりませぬが、|天地《てんち》の|神《かみ》は、|彼《かれ》らを|安全《あんぜん》に|養《やしな》つてゐるだありませぬか。|窮屈《きうくつ》な|不快《ふくわい》な|寒吏生活《かんりせいくわつ》を|罷《や》めて、|正々堂々《せいせいだうだう》と|自由自在《じいうじざい》に、|何《なに》か|事業《じげふ》をおやりなさつたら|何《ど》うです。|活動《くわつどう》はきつと|衣食住《いしよくぢう》を|生《う》み|出《だ》すものです。|何《なに》を|苦《くる》しんで|官費《くわんぴ》に|可惜《あたら》|貴重《きちよう》な|生命《せいめい》を|固持《こじ》する|必要《ひつえう》がありますか』
『お|説《せつ》は|一応《いちおう》ご|尤《もつと》もですが、|吾々《われわれ》は|悲《かな》しいことには|父母《ふぽ》の|膝《ひざ》をかぢつて、|小学《せうがく》、|中学《ちうがく》、|大学《だいがく》と|一通《ひととほ》りの|学問《がくもん》の|経路《けいろ》を|越《こ》え、|学窓生活《がくさうせいくわつ》のみに|日《ひ》を|送《おく》り|社会一般《しやくわいいつぱん》の|事情《じじやう》に|通《つう》ぜず、また|苦労《くらう》をしたこともなし、|今《いま》となつては|乗馬《じやうめ》おろしの|様《やう》なもので、|寒海《かんかい》を|離《はな》れたならば、|何一《なにひと》つ|社会《しやくわい》に|立《た》つて|働《はたら》く|仕事《しごと》がありませぬ。|新聞記者《しんぶんきしや》にでもなるか、|或《あるひ》は|三百代言《さんびやくだいげん》の|毛《け》の|生《は》えたやうな|者《もの》になるより|行《や》り|場《ば》がない|厄介者《やくかいもの》ですからな』
『すべて|人民《じんみん》の|風上《かざかみ》に|立《た》つ|役人《やくにん》たる|者《もの》は、|何《なに》から|何《なに》まで、|之《これ》が|一《ひと》つ|出来《でき》ないといふことのないところまで、|経験《けいけん》を|積《つ》まねばならず、また|人情《にんじやう》にも|通《つう》じてゐなくてはならないはずだのに、|今日《こんにち》の|官吏《くわんり》なる|者《もの》は、すべて|社会《しやくわい》と|没交渉《ぼつかうせふ》で、|何一《なにひと》つの|芸能《げいのう》もなく、|無味乾燥《むみかんさう》な|法律学《はふりつがく》のみに|頭《あたま》を|固《かた》めてゐるのだから、|風流《ふうりう》とか|温雅《をんが》とか、|思《おも》いやりとかの|美徳《びとく》が|備《そな》はつてゐない。そんな|連中《れんちう》が|世話《せわ》の|衝《しよう》に|当《あた》つてゐるのだから、|民衆《みんしう》が|号泣《がうきふ》の|声《こゑ》も|塗炭《とたん》の|苦《くる》しみも|目《め》に|入《い》らず|耳《みみ》に|聞《き》こえず、|世《よ》はますます|悪化《あくくわ》するばかり、これでは|一《ひと》つ|天地《てんち》の|神《かみ》の|大活動《だいくわつどう》を|待《ま》たねば、|到底《たうてい》|暗黒社会《あんこくしやくわい》の|黎明《れいめい》を|期待《きたい》することは|難《むつか》しいでせう。アア|困《こま》つた|世態《せたい》になつたものだなア』
『|仮《かり》に|私《わたし》が|官《くわん》を|辞《じ》し、|民間《みんかん》に|降《くだ》るとすれば、どうでせう、|何職業《なにしよくげふ》を|選《えら》むべきでせうか。どうか|一《ひと》つ|知恵《ちゑ》を|貸《か》していただきたいものですな』
『あなた|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|人《ひと》に|智恵《ちゑ》を|借《か》つてやるよなことでは、|何事業《なにじげふ》だつて、|成功《せいこう》するものだありませぬよ。|自分《じぶん》が|自分《じぶん》を|了解《れうかい》してゐられないのだから、……|先《ま》づ……かういふと|失礼《しつれい》だが……あなたの|適業《てきげふ》と|言《い》へば|山賊《さんぞく》でせう』
『これは|怪《け》しからぬ。|私《わたし》がそれほど|悪人《あくにん》に|見《み》えますか。|私《わたし》も|印度男子《いんどだんし》です。|腐《くさ》つても|鯛《たい》、|苟《いやしく》も|納言《なごん》の|地位《ちゐ》に|登《のぼ》つた|紳士《しんし》の|身《み》でありながら、|山賊《さんぞく》が|適任《てきにん》とは、あまりご|過言《くわごん》ではありますまいか』
『ハハハ、|納言《なごん》となれば|何《いづ》れ|数百人《すうひやくにん》の|小泥棒《こどろぼう》を|監督《かんとく》してゐられたでせう。さうすれば|貴方《あなた》は|今日《こんにち》まで、|立派《りつぱ》な|役人《やくにん》と|表面上《へうめんじやう》|見《み》えてをつても|寒賊《かんぞく》の|親分《おやぶん》だ、|寒賊《かんぞく》が|山賊《さんぞく》になるのは、|適材《てきざい》を|適所《てきしよ》に|用《もち》ふるといふものです。あのオーラ|山《さん》のヨリコ|姫《ひめ》、シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》などを|御覧《ごらん》なさい。|堂々《だうだう》と|山寨《さんさい》に|立籠《たてこも》り、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|指揮《しき》し、|王者然《わうじやぜん》と|控《ひか》へてゐたではありませぬか。|表面《へうめん》|納言《なごん》などと、こけ|威《おど》しの|看板《かんばん》を|掲《かか》げ、レツテルを|吊《つ》らくつて|人民《じんみん》の|膏血《かうけつ》をしぼり、|賄賂《わいろ》をとり、|弱者《じやくしや》を|苦《くる》しめ、|強者《きやうしや》の|鼻息《はないき》を|窺《うかが》ひ、|旦《か》つ|上長《じやうちやう》の|機嫌《きげん》を|取《と》り、|女性的《ぢよせいてき》|卑劣《ひれつ》きはまる|偽善的《ぎぜんてき》|泥棒《どろぼう》を|行《や》つてゐるよりも、シーゴーのやうに|堂々《だうだう》と|泥棒《どろばう》の|看板《かんばん》を|掲《かか》げてやつてる|方《はう》が、よほど|男《をとこ》らしいだありませぬか。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|上《うへ》から|下《した》まで|泥棒《どろばう》ばかりです。まして|泥棒《どろばう》をせない|官吏《くわんり》は|一人《ひとり》もないでせう。|人権蹂躙《じんけんじうりん》の|張本《ちやうほん》、|圧迫《あつぱく》の|権化《ごんげ》、|鬼《おに》の|再来《さいらい》、|幽霊《いうれい》の|再生《さいせい》、|骸骨《がいこつ》の|躍動《やくどう》、|女房《にようばう》の|機嫌《きげん》とり、|寒商《かんしやう》の|番頭《ばんとう》などをやつてゐるよりも、|幾数倍《いくすうばい》か|山賊《さんぞく》の|方《はう》が|男性的《だんせいてき》でせう、ハハハハハ。イヤ|失礼《しつれい》、|天性《てんせい》の|皮肉屋《ひにくや》、|悪口屋《あくこうや》ですから、どうぞ|大目《おほめ》にみて|下《くだ》さい……イヤ|大耳《おほみみ》に|聞《き》いて|下《くだ》さい』
シーゴーは|二人《ふたり》の|話《はなし》を、|背《せ》をそむけながら、|耳《みみ》をすまして|聞《き》いてゐた。そして|時々《ときどき》|微笑《びせう》したり、|溜息《ためいき》をついたり、ある|時《とき》は|肩《かた》をそびやかしたり、|平手《ひらて》で|額口《ひたひぐち》を|打《う》つたり、|両方《りやうはう》の|手《て》で|顔《かほ》を|拭《ぬぐ》うたり、|頭《あたま》を|掻《か》いたりしてゐた。そして|彼《かれ》シーゴーは|自分《じぶん》が|今《いま》まで、オーラ|山《さん》でヨリコ|姫《ひめ》を|謀師《ぼうし》とし、|山賊《さんぞく》の|大頭目《だいとうもく》として|豺狼《さいらう》のごとき|悪人輩《あくにんばら》を|使役《しえき》してゐたのは、あまり|良心《りやうしん》に|恥《は》づる|行動《かうどう》でもなかつた、|印度男子《いんどだんし》の|典型《てんけい》は|俺《おれ》だ、|如何《いか》にも|寒狸《かんり》といふ|奴《やつ》、|卑怯未練《ひけふみれん》な|小泥棒《こどろぼう》だ、|到底《たうてい》|俺《おれ》の|敵《てき》ではない。ヤツパリ|俺《おれ》は|偉《えら》いワイ、|三五教《あななひけう》の|梅公《うめこう》さまの|威徳《ゐとく》に|打《う》たれて、|神《かみ》の|道《みち》に|改悛《かいしゆん》|帰順《きじゆん》を|表《へう》したものの、|今《いま》となつて|考《かんが》へてみれば|実《じつ》に|措《を》しいことをした。もはや|六日《むゆか》の|菖蒲《あやめ》|十日《とをか》の|菊《きく》だ。しかしながら|俺《おれ》が|偉《えら》いのではない、ヨリコ|姫《ひめ》|女帝《によてい》の|縦横《じうわう》の|智略《ちりやく》、|権謀術数的《けんぼうじゆつすうてき》|妙案《めうあん》|奇策《きさく》が|与《あづか》つて|力《ちから》あつたのだ。ヨリコさま|女帝《によてい》もこの|話《はなし》は|耳《みみ》に|入《い》つただろ、どうか|自分《じぶん》と|同様《どうやう》に|心《こころ》を|翻《ひるが》へしてくれないか|知《し》らん。|大黒主《おほくろぬし》だつて|大泥棒《おほどろばう》だ、|勝《か》てば|善神《ぜんしん》、|負《ま》くれば|悪神《あくがみ》だ。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|要《えう》するに|優勝劣敗《いうしようれつぱい》の|称号《しやうがう》だ。なまじひ、|菩提心《ぼだいしん》を|起《おこ》し、|宗教《しうけう》なんかに|溺没《できぼつ》したのは|一生《いつしやう》の|不覚《ふかく》だつた。|今《いま》の|話《はなし》で|聞《き》くと、|宗教家《しうけうか》だつてヤツパリ|一種《いつしゆ》の|泥棒《どろばう》だ。|世《よ》の|中《なか》に|顔《かほ》だとか、|恥《はぢ》だとかいつて|気《き》にかけてるよな|小人物《せうじんぶつ》では、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|激烈《げきれつ》なる|現代《げんだい》に|立《た》つて、|生存《せいぞん》するこた|出来《でき》ない。アアどうしたら|可《よ》からうかな。|一旦《いつたん》|男《をとこ》の|口《くち》から|神仏《しんぶつ》に|誓《ちか》つて|悔《く》い|改《あらた》めますと|言《い》つた|以上《いじやう》、この|宣誓《せんせい》を|撤回《てつくわい》する|訳《わけ》にもいかない。それでは|男子《だんし》たるの|資格《しかく》はゼロになつてしまふ……と|吐息《といき》をついてゐる。
ヨリコ|姫《ひめ》は|微笑《びせう》を|泛《う》かべながら、シーゴーの|前《まへ》に|進《すす》み|来《き》たり、
『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|空《そら》に|雲《くも》|立《た》ちて
|月日《つきひ》は|暗《やみ》に|包《つつ》まれにける
|右《みぎ》やせむ|左《ひだり》やせむとシーゴーが
|動《うご》く|心《こころ》の|浅《あさ》ましきかな
|男子《をのこ》てふものの|心《こころ》の|弱《よわ》きをば
|今《いま》|目《ま》のあたり|見《み》るぞうたてき
|惟神《かむながら》|神《かみ》のまにまに|進《すす》みゆけ
|救《すく》ひの|舟《ふね》に|乗《の》りし|身《み》なれば』
シーゴー『|煩悩《ぼんなう》の|犬《いぬ》に|追《お》はれて|吾《われ》は|今《いま》
あはや|地獄《ぢごく》に|堕《お》ちなむとせり
うるはしき|汝《なれ》が|言霊《ことたま》|聞《き》くにつけ
|胸《むね》の|雲霧《くもきり》|晴《は》れわたりける』
ヨリコ『み|救《すく》ひの|神船《みふね》に|乗《の》りし|吾々《われわれ》は
|神《かみ》のまにまに|世《よ》を|渡《わた》りなむ』
ヨリコ|姫《ひめ》はシーゴーの|手《て》を|執《と》り、|船舷《ふなばた》に|立《た》ち、|東方《とうはう》に|向《む》かつて|折《を》りから|昇《のぼ》る|旭《あさひ》を|拝《はい》し、|梅公《うめこう》に|導《みちび》かれて|宣伝《せんでん》の|旅《たび》に|着《つ》きたることを|感謝《かんしや》し、かつ|天地《てんち》に|向《む》かつて|次《つぎ》のごとき|誓《ちか》ひを|立《た》てた。
『|一《いち》、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|充《み》ち|智慧証覚《ちゑしようかく》の|源泉《げんせん》に|坐《ま》す、|天地《てんち》の|太祖《たいそ》|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》の|御神格《ごしんかく》に|帰依《きえ》し|奉《まつ》り、|天下《てんか》の|蒼生《さうせい》と|共《とも》に|無上《むじやう》|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》を|歩《あゆ》まむことを|祈願《きぐわん》し|奉《たてまつ》る。
|二《に》、|大祖神《だいそしん》の|宣示《せんじ》し|給《たま》ひし|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》を|遵奉《じゆんぽう》し、|愛善信真《あいぜんしんしん》の|諸光徳《しよくわうとく》に|住《ぢう》し、|大海《だいかい》の|如《ごと》き|智慧証覚《ちゑしようかく》の|内流《ないりう》を|拝《はい》し、|天下《てんか》の|蒼生《さうせい》と|共《とも》にこの|大道《だいだう》を|遵奉《じゆんぽう》し、|三界《さんかい》を|通《つう》じて|神子《しんし》たるの|本分《ほんぶん》を|完全《くわんぜん》に|保持《ほぢ》し、|神《かみ》の|任《よ》さしの|神業《かむわざ》に|奉仕《ほうし》せむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》し|奉《たてまつ》る。
|三《さん》、|天下《てんか》の|蒼生《さうせい》を|愛撫《あいぶ》し、|神業《しんげふ》を|完成《くわんせい》し、|厳瑞《げんずゐ》|二霊《にれい》の|大神格《だいしんかく》を|一身《いつしん》に|蒐《あつ》め、|神世復古《しんせいふくこ》|万有愛《ばんいうあい》の|実行《じつかう》に|就《つ》かせ|給《たま》ふ|伊都能売神柱《いづのめのかむばしら》の|神格《しんかく》に|帰依《きえ》し、|絶対的《ぜつたいてき》|服従《ふくじう》の|至誠《しせい》をもつて|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し、|大神《おほかみ》の|聖慮《せいりよ》に|叶《かな》ひ|奉《まつ》り、|一切無碍《いつさいむげ》の|神教《しんけう》を|普《あまね》く|四海《しかい》に|宣伝《せんでん》し、|斯道《しだう》の|大本《たいほん》をもつて|暗黒無明《あんこくむみやう》の|現代《げんだい》を|照暉《せうき》し、|神《かみ》の|御子《みこ》たるの|本分《ほんぶん》を|尽《つく》し|奉《まつ》らむことを|誓《ちか》ひ|奉《たてまつ》り、|罪悪《ざいあく》の|身《み》を|清《きよ》め|免《ゆる》し|給《たま》ひて、|神業《しんげふ》の|一端《いつたん》に|使役《しえき》されむことを|祈願《きぐわん》し|奉《たてまつ》る』
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
第五章 |浪《なみ》の|皷《つづみ》〔一七〇七〕
|波切丸《なみきりまる》の|甲板《かんばん》の|上《うへ》にて|笑《わら》ひの|座《ざ》が|開《ひら》かれ、|甲《かふ》|乙《おつ》|二人《ふたり》の|問答《もんだふ》を|聞《き》いて、|今《いま》までの|悪業《あくごふ》を|改《あらた》め|三五《あななひ》の|道《みち》に|翻然《ほんぜん》として|帰順《きじゆん》したるシーゴーは、|又《また》もや|御霊《みたま》の|土台《どだい》がグラつき|出《だ》し、|再《ふたた》びもとの|山賊《さんぞく》に|立《た》ち|帰《かへ》り、あくまで|大胆不敵《だいたんふてき》に|山賊万能主義《さんぞくばんのうしゆぎ》を|発揮《はつき》せむかと|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》をきはめ、|良心《りやうしん》たちまち|邪鬼《じやき》となり、|悪魔《あくま》となり|大蛇《をろち》とならむとせし|危機一髪《ききいつぱつ》の|刹那《せつな》、ヨリコ|姫《ひめ》が|誡《いまし》めの|歌《うた》に|悔悟《くわいご》し、|地獄《ぢごく》|陥落《かんらく》の|危険《きけん》を|免《まぬが》れた。ヨリコ|姫《ひめ》はタライの|村《むら》に|開墾事業《かいこんじげふ》に|従事《じうじ》してゐると|思《おも》つてゐたシーゴーが、いつの|間《ま》にか|波切丸《なみきりまる》に|乗《の》り|込《こ》み|吾《わ》が|傍《かたはら》に|在《あ》りしを|見《み》て|怪訝《くわいが》の|念《ねん》に|打《う》たれながら、|言葉《ことば》しづかに|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》を|開《ひら》いてやや|微笑《びせう》を|泛《う》かべながら、
『|其方《そなた》はシーゴーさまぢやないか。タライの|村《むら》に|堅気《かたぎ》となつて、|開墾事業《かいこんじげふ》に|従事《じうじ》してゐらるるだらうと|思《おも》つてゐたのに、いつの|間《ま》に|其方《そなた》は|吾《わ》が|船《ふね》に|乗《の》り|込《こ》んでゐたのだい』
シーゴー『ハイ、|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》が、ハルの|湖《うみ》を|渡《わた》つてバルガン|城《じやう》へお|出《い》でになると|聞《き》き、どうかしてスガの|港《みなと》までお|送《おく》りしたいと|存《ぞん》じ、|先《さき》へ|廻《まは》つて|波切丸《なみきりまる》の|船底《ふなぞこ》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|蔭《かげ》ながら|御保護《ごほご》の|任《にん》に|当《あた》つてゐたのです。この|湖《うみ》は|沢山《たくさん》の|海賊《かいぞく》がゐますので、もし|途中《とちう》に|御難《ごなん》があつてはと|存《ぞん》じ、|改心《かいしん》と|報恩《はうおん》のために|窃《ひそ》かに|御同船《ごどうせん》を|願《ねが》つたのでございます』
ヨリコ『これシーゴーさま、|御親切《ごしんせつ》は|有《あ》りがたいが、|何《なん》といつても|猪喰《ししく》つた|犬《いぬ》のヨリコが|乗《の》り|込《こ》んでゐる|以上《いじやう》|大丈夫《だいぢやうぶ》です。そのお|心遣《こころづか》ひは|御無用《ごむよう》にして、|一日《いちにち》も|早《はや》く|民衆《みんしう》|幸福《かうふく》のために|開墾事業《かいこんじげふ》にかかつて|下《くだ》さい。さうして|其方《そなた》は|今《いま》|二人《ふたり》の|船客《せんきやく》の|話《はなし》を|聞《き》いて、|折角《せつかく》|黎明《れいめい》に|向《む》かつた|霊《たま》を|暗黒界《あんこくかい》へ|投《な》げ|入《い》れやうとしてゐたではないか。|万一《まんいち》|妾《わたし》が|傍《そば》にゐなかつたなら、そなたは|再《ふたた》び|天地《てんち》|容《い》れざる|大悪魔《だいあくま》となつて|身《み》を|滅《ほろ》ぼし、|来世《らいせ》の|地獄《ぢごく》を|作《つく》るところだつたよ。|男子《だんし》は|一旦《いつたん》|決心《けつしん》した|事《こと》を|翻《ひるがへ》すものではありませぬよ。ちつと|考《かんが》へて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|其方《そなた》のために|大変《たいへん》に|気《き》を|揉《も》んでゐるのだから』
『ハイ|有難《ありがた》うございます。|動《やや》もすれば|押《おさ》へつけておいた|心《こころ》の|鬼《おに》が|頭《あたま》をもたげ|出《だ》し、「|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|神《かみ》も|仏《ほとけ》もあるものか。|善《ぜん》だとか|愛《あい》だとか、|信仰《しんかう》だとか、|誠《まこと》だとかいふものは、|偽善者《ぎぜんしや》どもが|世《よ》の|中《なか》を|誑《たば》かる|道具《だうぐ》に|過《す》ぎないのだ。|女々《めめ》しいことを|思《おも》ふな。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》だ。|勝《か》てば|官軍《くわんぐん》|負《ま》くれば|賊《ぞく》、|強者《きやうしや》はいつも|善人《ぜんにん》と|呼《よ》ばれ、|弱者《じやくしや》は|悪人視《あくにんし》せらるるのが|現代《げんだい》の|趨勢《すうせい》だ。|何《なに》を|苦《くる》しんで|男《をとこ》らしくもない|改心《かいしん》などをするのだ。なぜ|徹底的《てつていてき》に|悪《あく》を|遂行《すゐかう》しないか。|畢竟《ひつけう》、|善《ぜん》といひ|悪《あく》といふのも|世《よ》の|中《なか》の|一種《いつしゆ》の|標語《へうご》だ。|善《ぜん》も|悪《あく》もあつたものか」と|囁《ささや》きますので、|開墾事業《かいこんじげふ》などは【まどろ】しくなつて、「やはり|遊《あそ》んで|大親分《おほおやぶん》となつて|暮《くら》す|山賊事業《さんぞくじげふ》が|壮快《さうくわい》でもあり、|男性的《だんせいてき》でもあり|英雄的《えいゆうてき》でもある」と、|時々《ときどき》|良心《りやうしん》の|奴《やつ》がグラついて|来《く》るのです。しかしながら|女帝《によてい》の|御訓戒《ごくんかい》によつて|漸《やうや》く|危険区域《きけんくゐき》を|脱出《だつしゆつ》したやうです。|何分《なにぶん》|悪《あく》に|慣《な》れた|私《わたし》のことですから、スガの|港《みなと》までどうぞお|伴《とも》をさして|下《くだ》さい。さうしてその|間《あひだ》に|宣伝使《せんでんし》や|貴女《あなた》の|御薫陶《ごくんたう》を|受《う》け、|快濶《くわいくわつ》に|善《ぜん》のために|活動《くわつどう》したいものでございます』
『アアそれは|善《よ》いところへ|気《き》がついた。|妾《わたし》も|一安心《ひとあんしん》をしましたよ。|宣伝使《せんでんし》の|梅公様《うめこうさま》がこんなことをお|聞《きき》になつたならばキツと|笑《わら》はれるでせう。|妾《わたし》も、さう|心《こころ》のグラつくお|前《まへ》さまを|今《いま》まで|使《つか》つてゐたかと|思《おも》はれては|赤面《せきめん》のいたりですからなア』
シーゴーは|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|腮辺《しへん》に|垂《た》らしながら、|黙々《もくもく》としてヨリコ|姫《ひめ》に|向《む》かひ|合掌《がつしやう》してゐる。|海《うみ》の|静寂《せいじやく》を|破《やぶ》つて、|梅公《うめこう》の|口《くち》より|音吐《おんと》|朗々《らうらう》と|独唱《どくしやう》する「|神仏無量寿経《しんぶつむりやうじゆきやう》」が|甲板上《かんばんじやう》に|響《ひび》き|渡《わた》つた。
|神仏無量寿経《しんぶつむりやうじゆきやう》
|第一神王《だいいちしんのう》|伊都能売《いづのめ》の|大神《おほかみ》の|大威徳《だいゐとく》と|大光明《だいくわうみやう》は|最尊《さいそん》|最貴《さいき》にして|諸神《しよしん》の|光明《くわうみやう》の|及《およ》ぶところにあらず。あるひは|神光《しんくわう》の|百神《ひやくしん》の|世界《せかい》、あるひは|万神《ばんしん》の|世界《せかい》を|照明《せうめい》するあり。|要《えう》するに|東方《とうはう》|日出《ひので》の|神域《しんゐき》を|照《て》らし、|南西北《なんざいほく》、|四維上下《しいゆゐじやうげ》も|亦《また》|復《また》かくの|如《ごと》し。アア|盛《さか》んなるかな、|伊都能売《いづのめ》と|顕現《けんげん》したまふ|厳瑞《げんずゐ》|二霊《にれい》の|大霊光《だいれいくわう》、この|故《ゆゑ》に|天之御中主大神《あめのみなかぬしのおほかみ》、|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》、|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》、|伊都能売《いづのめ》の|大神《おほかみ》、|弥勒大聖御稜威《みろくだいせいみいづ》の|神《かみ》、|大本大御神《おほもとおほみかみ》、|阿弥陀仏《あみだぶつ》、|無礙光如来《むげくわうによらい》、|超日月光仏《てうにちぐわつくわうぶつ》と|尊称《そんしよう》し|奉《たてまつ》る。
それ|蒼生《さうせい》にしてこの|神光《しんくわう》に|遭《あ》ふものは、|三垢消滅《さんくせうめつ》し|身意柔軟《しんいにうなん》に|歓喜踊躍《くわんぎゆうやく》して、|愛善《あいぜん》の|至心《ししん》を|生《しやう》ず。|三途勤苦《さんづごんく》の|処《ところ》にありて、この|神《かみ》の|大光明《だいくわうみやう》を|拝《はい》し|奉《たてまつ》らば、いづれも|安息《あんそく》を|得《え》て、また|一《ひと》つの|苦悩《くなう》|無《な》く、|生前死後《せいぜんしご》を|超越《てうゑつ》し、|坐《ざ》しながら|安楽境《あんらくきやう》に|身《み》を|置《お》き、|天国《てんごく》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》ることを|得《う》べし。
この|神《かみ》の|大光明《だいくわうみやう》は|顕赫《けんかく》にして、|宇内《うだい》|諸神諸仏《しよしんしよぶつ》の|国土《こくど》を|照明《せうみやう》したまひて|聞《き》こえざることなし。ただ|吾《わ》が|今《いま》その|神光霊明《しんくわうれいみやう》を|称《たた》へ|奉《まつ》るのみならず、|一切《いつさい》の|諸神諸仏《しよしんしよぶつ》、|清徒《しやうと》|声聞《しやうもん》|求道者《きゆだうしや》|縁覚《えんがく》|諸々《もろもろ》の|宣伝使《せんでんし》、|諸々《もろもろ》の|菩薩衆《ぼさつしう》、|咸《ことごと》く|共《とも》に|歎称悦服《たんしようえつぷく》|帰順《きじゆん》し|玉《たま》ふこと|亦《また》|復《また》かくの|如《ごと》し。もし|蒼生《さうせい》ありてその|光明《くわうみやう》の|稜威《みいづ》と|洪徳《こうとく》を|聞《き》きて|日夜《にちや》|称説《しようせつ》し|信奉《しんぽう》して、|至心《ししん》にして|断《だん》えざれば、|心意《しんい》の|願《ねが》ふところに|随《したが》ひて、|天国《てんごく》の|楽土《らくど》に|復活《ふくくわつ》することを|得《う》べし。|諸々《もろもろ》の|宣伝使《せんでんし》、|菩薩《ぼさつ》、|清徒声聞《しやうとしやうもん》の|大衆《だいしう》のために、|共《とも》に|歎誉《たんによ》せられてその|洪徳《こうとく》を|称《たた》へられ、そのしかる|後《のち》に|成道内覚《じやうだうないかく》を|得《う》る|時《とき》にいたり、|普《あまね》く|三界十方《さんかいじつぱう》の|諸神諸仏《しよしんしよぶつ》、|宣伝使《せんでんし》、|菩薩《ぼさつ》のために、その|光明《くわうみやう》を|歎称《たんしよう》せられむこと|亦《また》|今《いま》の|如《ごと》くなるべし。アア|我《わ》が|伊都能売《いづのめ》の|大神《おほかみ》の|神光霊明《しんくわうれいみやう》の|巍々《ぎぎ》として|殊妙《しゆめう》なることを|説《と》かむに、|昼夜《ちうや》|一劫《いちごふ》すとも|尚《なほ》|未《いま》だ|尽《つく》すこと|能《あた》はず。|爾今《じこん》の|諸天人《しよてんにん》および|後世《ごせ》の|人《ひと》びと、|神明仏陀《しんみやうぶつだ》の|神教経語《しんけうきやうご》を|得《え》て|当《まさ》につらつら|之《これ》を|思惟《しゆゐ》し、よく|其《そ》の|中《なか》において|心魂《しんこん》を|端《ただ》し、|行為《かうゐ》を|正《ただ》しうせよ。|瑞主聖王《づゐしゆせいわう》、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》を|修《しう》して、その|下《しも》|万民《ばんみん》を|率《ひき》ひ、うたた|相神令《あひしんれい》して、おのおの|自《みづか》ら|正《ただ》しく|守《まも》り、|聖者《せいじや》を|尊《たふと》び、|善徳者《ぜんとくしや》を|敬《うやま》ひ、|仁慈博愛《じんじはくあい》にして、|聖語神教《しやうごしんけう》を|遵奉《じゆんぽう》し、|敢《あへ》て|虧負《きふ》することなく、まさに|度世《とせい》を|求《もと》めて、|生死衆悪《しやうじしうあく》の|根源《こんげん》を|抜断《ばつだん》すべし。まさに|天《あめ》の|八衢《やちまた》、|三途無限《さんづむげん》の|憂畏苦痛《いうゐくつう》の|逆道《ぎやくだう》を|離脱《りだつ》すべし。
|爾等《なんぢら》、|是《ここ》において|広《ひろ》く|愛善《あいぜん》の|徳本《とくほん》を|植《う》ゑ、|慈恩《じおん》を|布《し》き、|仁恵《じんけい》を|施《ほど》こして、|神禁道制《しんきんだうせい》を|犯《をか》すこと|無《な》く、|忍辱精進《にんにくしやうじん》にして|心魂《しんこん》を|帰一《きいつ》し、|智慧証覚《ちゑしようかく》をもつて|衆生《しゆじやう》を|教化《けうけ》し、|徳《とく》を|治《をさ》め、|善《ぜん》を|行《おこな》ひ、|心魂《しんこん》を|浄《きよ》め、|意志《いし》を|正《ただ》しうして、|斎戒清浄《さいかいしやうじやう》なること|一日一夜《いちにちいちや》なれば、|則《すなは》ち|無量寿《むりやうじゆ》の|天国《てんごく》に|在《あ》りて、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》を|治《をさ》むること|百年《ひやくねん》なるに|勝《すぐ》れり。いかんとなれば|彼《か》の|神仏《しんぶつ》の|国土《こくど》には、|無為自然《むゐじねん》に、|皆《みな》|衆善大徳《しうぜんだいとく》を|積《つ》みて|毫末《がうまつ》の|不善不徳《ふぜんふとく》だも|無《な》ければなり。|此《ここ》において|善徳《ぜんとく》を|修《をさ》め|信真《しんしん》に|住《ぢう》すること|十日十夜《じふにちじふや》なれば、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》において|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》し、|信真《しんしん》の|光明《くわうみやう》に|浴《よく》すること、|千年《せんねん》の|日月《じつげつ》に|勝《まさ》れり。それ|故《ゆゑ》|如何《いかん》となれば、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》には|善者《ぜんしや》|多《おほ》く、|不善者《ふぜんしや》|少《すく》なく、|智慧証覚《ちゑしようかく》に|充《み》たされ、|造悪《ざうあく》の|余地《よち》|存《そん》せざればなり。ただ|自然界《しぜんかい》、|即《すなは》ち|現界《げんかい》のみ|悪業《あくごふ》|多《おほ》くして、|惟神《かむながら》の|大道《だいだう》に|背反《はいはん》し、|勤苦《ごんく》して|求慾《ぐよく》し、|転《うた》た|相欺《あひあざむ》き|心魂《しんこん》|疲《つか》れ、|形体《ぎやうたい》|困《くる》しみ、|苦水《くすゐ》を|呑《の》み、|毒泉《どくせん》を|汲《く》み、|害食《がいしよく》を|喰《くら》ひ、かくの|如《ごと》く|怱務《そうむ》して、|未《いま》だ|嘗《かつ》て|寧息《ねいそく》すること|無《な》し。
|我《われ》|爾等《なんぢら》|蒼生《さうせい》の|悲境苦涯《ひきやうくがい》を|哀《あは》れみ、|苦心《くしん》|惨澹《さんたん》|誨諭《くわいゆ》して|教《をし》へて|善道《ぜんだう》を|修《をさ》めしめ、|器《うつは》に|応《おう》じて|開導《かいだう》し、|神教経語《しんけうきやうご》を|授与《じゆよ》するに|承用《しようよう》せざることなく、|意志《いし》の|願《ねが》ふところに|在《あ》りて|悉皆《しつかい》|得道《とくだう》せしむ。|聖神仏陀《しやうしんぶつだ》の|遊履《いうり》するところ、|国邑《こくいふ》|丘聚《くじう》|化《くわ》を|蒙《かうむ》らざることなし。|天下和順《てんかわじゆん》し、|日月清明《じつげつしやうみやう》、|五風十雨《ごふうじふう》、|時《とき》に|順《したが》ひ、|十愁八歎《じふしうはつたん》なく、|国土《こくど》|豊《ゆた》かにして、|民衆安穏《みんしうあんおん》なり。|兵戈《へいくわ》|用《よう》なく、|善徳《ぜんとく》を|崇《たつと》び、|仁恵《じんけい》を|興《おこ》し、|努《つと》めて|礼譲《れいじやう》を|修《をさ》む。
|我《われ》|爾等《なんぢら》|諸天《しよてん》、および|地上蒼生《ちじやうさうせい》を|哀愍《あいみん》すること|父母《ふぼ》のごとく、|愛念旺盛《あいねんわうせい》にして|無限《むげん》なり。|今《いま》|我《われ》この|世間《せけん》において、|伊都能売《いづのめ》の|神《かみ》となり、|仏陀《ぶつだ》と|現《げん》じ|基督《キリスト》と|化《な》り、メシヤと|成《な》りて、|五悪《ごあく》を|降下《かうか》し、|五痛《ごつう》を|消除《せうぢよ》し、|五焼《ごせう》を|絶滅《ぜつめつ》し、|善徳《ぜんとく》を|以《もつ》て、|悪逆《あくぎやく》を|改《あらた》めしめ、|生死《しやうじ》の|苦患《くげん》を|抜除《ばつぢよ》し、|五徳《ごとく》を|獲《え》せしめ、|無為《むゐ》の|安息《あんそく》に|昇《のぼ》らしめむとす。|瑞霊《づゐれい》|世《よ》を|去《さ》りて|後《のち》、|聖道《しやうだう》|漸《やうや》く|滅《ほろぼ》せば、|蒼生《さうせい》|諂偽《てんぎ》にして、|復《また》|衆《しう》|悪《あく》を|為《な》し、|五痛五焼《ごつうごせう》|還《かへ》りて|前《まへ》の|法《はふ》のごとく|久《ひさ》しきを|経《へ》て、|後《のち》|転《うた》た|劇烈《げきれつ》なるべし。|悉《ことごと》く|説《と》くべからず。|吾《われ》は|唯《ただ》|衆生一切《しゆじやういつさい》のために|略《りやく》して|之《これ》を|言《い》ふのみ。
|爾等《なんぢら》|各《おのおの》|善《よ》く|之《これ》を|思《おも》ひ、|転《うた》た|相教誨《あひけうくわい》し|聖神教語《しやうしんけうご》を|遵奉《じゆんぽう》して|敢《あへ》て|犯《をか》すことなかれ。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
|伊都能売《いづのめ》の|大神《おほかみ》 |謹請再拝《こんじやうさいはい》
○
ヨリコ|姫《ひめ》もシーゴーも|花香《はなか》も|船客《せんきやく》|一同《いちどう》も、|襟《えり》を|正《ただ》し|甲板上《かんばんじやう》に|坐《すわ》り|直《なほ》して、|合掌《がつしやう》しながら|感涙《かんるい》にむせびつつ、|梅公《うめこう》|宣伝使《せんでんし》の|読経《どきやう》を|恭《うやうや》しく|聴聞《ちやうもん》した。|梅公《うめこう》は|一同《いちどう》に|目礼《もくれい》しながら|階段《かいだん》を|下《くだ》り、|吾《わ》が|居間《ゐま》に|入《い》つて|休息《きうそく》した。ヨリコ|姫《ひめ》、|花香《はなか》、シーゴーもおのおの|自分《じぶん》の|船室《せんしつ》に|入《い》り、ドアーを|固《かた》く|鎖《とざ》して|瞑想《めいさう》に|耽《ふけ》つてゐる。ヨリコ|姫《ひめ》は|吾《わ》が|居間《ゐま》にあつて|神恩《しんおん》の|高《たか》きを|思《おも》ひ、|暗黒《あんこく》の|淵《ふち》より|黎明《れいめい》の|天地《てんち》に|救《すく》はれたる|歓喜《くわんき》の|思《おも》ひに|満《み》ちながら、|声《こゑ》も|静《しづ》かに|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》してゐる。その|歌《うた》、
|子《ね》
|伊都《いづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》 |出現《しゆつげん》ませし|其《そ》の|日《ひ》より
|早《はや》|三十年《みそとせ》を|経《へ》たまへり |法身光明《ほつしんくわうみやう》きはもなく
|暗黒世界《あんこくせかい》を|照《て》らし|給《たま》ふ
|丑《うし》
|愛《あい》と|信《しん》との|光明《くわうみやう》は |無明《むみやう》の|暗《やみ》を|照《て》らしつつ
|一念《いちねん》|歓喜《くわんぎ》し|信頼《しんらい》し まつらふ|人《ひと》を|天国《てんごく》の
|真楽園《しんらくゑん》に|生《しやう》ぜしめ|給《たま》ふ
|寅《とら》
|皇大神《すめおほかみ》の|霊暉《れいき》より |無碍光《むげくわう》|威徳《ゐとく》|洪大《こうだい》の
|信《しん》と|愛《あい》とを|摂受《せつじゆ》して |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|向上《かうじやう》し
|菩提《ぼだい》の|清水《しみづ》を|汲《く》ませ|給《たま》ふ
|卯《う》
|愛《あい》と|善《ぜん》との|神徳《しんとく》と |虚偽《きよぎ》と|悪《あく》との|逆業《ぎやくごふ》は
|水《みづ》と|氷《こほり》の|如《ごと》くにて |氷《こほり》|多《おほ》きに|水《みづ》|多《おほ》し
|障《さはり》|多《おほ》きに|徳《とく》|多《おほ》し
|辰《たつ》
|五濁悪世《ごじよくあくせ》の|万衆《ばんしう》の |選択神《せんじやくかみ》に|在《ま》しますと
|信《しん》じまつれば|不可称辞《ふかしようじ》 |不可説《ふかせつ》|不可思議《ふかしぎ》もろもろの
|御徳《みとく》は|爾《なんぢ》の|身《み》に|充《み》たむ
|巳《み》
|愛《あい》と|善《ぜん》との|大徳《だいとく》と |信《しん》と|真《しん》との|大慈光《だいじくわう》
|蒙《かか》ぶる|神《かみ》の|道《みち》の|子《こ》は |法悦道《ほふえつだう》に|進《すす》み|入《い》り
|安養《あんやう》|世界《せかい》に|帰命《きみやう》せむ
|午《うま》
|生死《しやうじ》の|苦海《くかい》は|極《きは》みなし |久永《とは》に|沈《しづ》める|蒼生《さうせい》は
|伊都能売主神《いづのめすしん》の|御船《みふね》のみ |吾《われ》らを|乗《の》せて|永遠《とことは》の
|天津御苑《あまつみその》へ|渡《わた》すなり
|未《ひつじ》
|五六七如来《みろくによらい》の|大作願《だいそぐわん》 |苦悩《くなう》の|有情《うじやう》を|捨《す》てずして
|万有愛護《ばんいうあいご》の|御誓《おんちか》ひ |信真光《しんしんくわう》をば|主《しゆ》となして
|愛善心《あいぜんしん》をば|成就《じやうじゆ》せり
|申《さる》
|五六七如来《みろくによらい》の|神号《しんがう》と それの|光徳智証《くわうとくちしよう》とは
|無明長夜《むみやうちやうや》の|暗《あん》を|破《は》し |所在《あらゆる》|一切《いつさい》|万衆《ばんしう》の
|志願《しぐわん》を|充《み》たせ|給《たま》ふなり
|酉《とり》
|吾《わ》が|罪業《ざいごふ》を|信知《しんち》して |瑞霊《ずゐれい》の|教《をしへ》に|乗《じやう》ずれば
すなはち|汚穢《をゑ》の|身《み》は|清《きよ》く |全天界《ぜんてんかい》に|昇往《しようわう》し
|法性常楽《ほふしやうじやうらく》|証《しよう》せしめ|給《たま》ふ
|戌《いぬ》
|厳瑞《げんづゐ》|慈悲《じひ》の|大海《だいかい》は |智愚正邪《ちぐせいじや》の|波《なみ》もなし
|神《かみ》の|誓《ちか》ひの|御船《おんふね》に |乗《の》りて|苦界《くかい》を|渉《わた》り|行《ゆ》く
その|身《み》は|愛風《あいふう》に|任《まか》せたり
|亥《ゐ》
|多生曠劫《たしやうこうごふ》|斯《こ》の|世《よ》まで |愛護《あいご》を|受《う》けし|此《こ》の|身《み》なり
|厳瑞二霊《げんづゐにれい》に|真心《しんしん》を |捧《ささ》げ|奉《まつ》りて|神徳《しんとく》の
|高《たか》きを|称《たた》へ|奉《まつ》るべし。
|花香姫《はなかひめ》は|梅公《うめこう》|宣伝使《せんでんし》の|広大無辺《くわうだいむへん》なる|神格《しんかく》や|艶麗《えんれい》にして|犯《をか》すべからざる|神格《しんかく》の|備《そな》はれる|其《そ》の|容貌《ようばう》の|尊《たふと》さを|胸《むね》に|浮《う》かべながら、|神《かみ》の|化身《けしん》ならずやと|憧憬《どうけい》のあまり|大神《おほかみ》の|神徳《しんとく》を|讃美《さんび》した。その|歌《うた》、
|子《ね》
|暗黒無明《あんこくむみやう》の|現界《げんかい》を |憐《あは》れみ|玉《たま》ひて|伊都能売《いづのめ》の
|神《かみ》の|慈光《じくわう》の|極《きは》みなく |無碍光如来《むげくわうによらい》と|現《あら》はれて
|安養世界《あんやうせかい》を|建《た》て|玉《たま》ふ
|丑《うし》
|伊都能売霊魂《いづのめみたま》の|光《ひかり》には |歓喜清浄《くわんきしやうじやう》|愛《あい》と|信《しん》
|充満《じうまん》なしてその|智証《ちしよう》 |顕神幽《けんしんいう》に|貫徹《くわんてつ》し
|天人《てんじん》|地人《ちじん》を|息《やす》ましむ
|寅《とら》
|顕神幽《けんしんいう》の|三界《さんがい》の |天人《てんにん》および|蒼生《さうせい》は
|厳瑞二霊《げんづゐにれい》|伊都能売《いづのめ》の |御名《みな》に|依《よ》りて|信真《しんしん》の
|大光明《だいくわうみやう》に|喜悦《きえつ》せむ
|卯《う》
|金剛不壊的《こんがうふゑてき》|信仰《しんかう》の |定《さだ》まる|時《とき》を|待《ま》ち|得《え》てぞ
|伊都能売御魂《いづのめみたま》の|聖霊光《せいれいくわう》 |普《あまね》く|照護《せうご》し|永遠《とことは》に
|生死《しやうじ》を|超越《てうゑつ》させたまふ
|辰《たつ》
|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》との|逆徳《ぎやくとく》に |遮断《しやだん》せられて|摂取《せつしゆ》の
|大光明《だいくわうみやう》は|見《み》えねども |愛《あい》の|全徳《ぜんとく》|幸《さち》はひて
|常《つね》に|吾《わ》が|身《み》を|照《て》らすなり
|巳《み》
|東西両洋《とうざいりやうやう》の|聖師《せいし》たち |哀愍摂受《あいみんせつじゆ》を|怠《おこた》らず
|愛《あい》と|信《しん》とを|世《よ》に|拡《ひろ》め |天下《てんか》の|蒼生《さうせい》|隔《へだ》てなく
|信楽境《しんらくきやう》に|入《い》らしめよ
|午《うま》
|救世《ぐぜい》の|聖主《せいしゆ》に|遇《あ》ひ|難《がた》く |瑞霊《ずゐれい》の|教《をしへ》|聞《き》きがたし
|神使《しんし》の|勝法《しようほふ》|聞《き》くことも |稀《まれ》なりといふ|暗《やみ》の|世《よ》に
|聴《き》くは|嬉《うれ》しき|伊都能法《いづののり》
|未《ひつじ》
|三千世界《さんぜんせかい》|一同《いちどう》に |輝《かがや》く|光明《くわうみやう》かしこみて
|神《かみ》の|御名《おんな》とおん|教《をしへ》 |聴《き》く|得《う》る|人《ひと》は|常永《とこしへ》に
|不退転位《ふたいてんゐ》に|進《すす》むなり
|申《さる》
|聖名不思議《しやうみやうふしぎ》の|海水《かいすゐ》は |悪逆無道《あくぎやくぶだう》|法謗《ほふばう》の
|屍体《したい》も|止《と》めず|衆悪《しうあく》の |万河《ばんか》|一《ひと》つに|帰《き》しぬれば
|功徳《くどく》の|潮水《てうすゐ》に|道味《だうみ》あり
|酉《とり》
|伊都能売御魂《いづのめみたま》の|御神徳《ごしんとく》 |尽十方無礙《じんじつぱうむげ》なれば
|愛《あい》と|信《しん》との|海水《かいすゐ》に |煩悩不脱《ぼんなうふだつ》の|衆流《しうりう》も
|遂《つひ》に|無限《むげん》の|道味《だうみ》あり
|戌《いぬ》
|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》とに|充《み》たされし |吾《われ》らは|神《かみ》にまつろひて
|愛《あい》と|善《ぜん》との|徳《とく》にをり |信《しん》と|真《しん》との|光明《くわうみやう》に
|浴《よく》して|御国《みくに》に|昇《のぼ》り|得《え》む
|亥《ゐ》
|聖教権仮《しやうけうごんけ》の|方便《はうべん》に |万衆《ばんしう》|久《ひさ》しく|止《とど》まりて
|三界流転《さんがいるてん》の|身《み》とぞなる |神《かみ》に|信従《しんじう》する|身魂《たま》は
|一乗帰命《いちじやうきみやう》す|天津国《あまつくに》。
○
にはかに|湖面《こめん》は|北風《きたかぜ》おもむろに|起《おこ》つて|白帆《しらほ》を|膨《ふく》らませ、|波上《はじやう》をほどほどに|辷《すべ》りだした。|舷《ふなばた》を|打《う》つ|浪《なみ》の|音《おと》は、|御世《みよ》|太平《たいへい》を|謡《うた》ふ|皷《つづみ》の|如《ごと》く、|穏《おだや》かに|聞《き》こえて|来《く》る。あたかも|救世《ぐぜい》の|御船《みふね》に|乗《の》つて|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|楽園《らくゑん》に|進《すす》むの|思《おも》ひがあつた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 加藤明子録)
第二篇 |春湖波紋《しゆんこはもん》
第六章 |浮島《うきしま》の|怪猫《くわいべう》〔一七〇八〕
|波切丸《なみきりまる》は|万波洋々《ばんぱやうやう》たる|湖面《こめん》を、|西南《せいなん》を|指《さ》して、|船舷《ふなばた》に|皷《つづみ》を|打《う》ちながら、いともゆるやかに|進《すす》んでゐる。|天気《てんき》|清朗《せいらう》にして|春《はる》の|陽気《やうき》|漂《ただよ》ひ、あるひは|白《しろ》くあるひは|黒《くろ》くあるひは|赤《あか》き|翼《つばさ》を|拡《ひろ》げた|海鳥《かいてう》が、あるひは|百羽《ひやくぱ》、|千羽《せんば》と|群《むれ》をなし、|怪《あや》しげな|声《こゑ》を|絞《しぼ》つて|中空《ちうくう》を|翔《か》けめぐり、あるひは|波間《なみま》に|悠然《いうぜん》として、|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ、|魚《うを》を|漁《あさ》つてゐる。アンボイナは|七八尺《しちはつしやく》の|大翼《たいよく》を|拡《ひろ》げて|一文字《いちもんじ》に|空中滑走《くうちうくわつそう》をやつてゐる。その|長閑《のどか》さは|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|遊《あそ》ぶの|思《おも》ひがあつた。
|前方《ぜんぱう》につき|当《あた》つたハルの|湖水《こすゐ》|第一《だいいち》の、|岩《いは》のみを|以《もつ》て|築《きづ》かれた|高山《かうざん》がある。|国人《くにびと》はこの|島山《しまやま》を|称《しよう》して|浮島《うきしま》の|峰《みね》と|称《とな》へてゐる。|一名《いちめい》|夜光《やくわう》の|岩山《いはやま》ともいふ。|船《ふね》は|容赦《ようしや》もなくこの|岩山《いはやま》の|一浬《いちかいり》ばかり|手前《てまへ》まで|進《すす》んで|来《き》た。|船客《せんきやく》は|何《いづ》れもこの|岩島《いはしま》に|向《む》かつて、|一斉《いつせい》に|視線《しせん》を|投《な》げ、この|島《しま》に|関《くわん》する|古来《こらい》の|伝説《でんせつ》や|由緒《ゆいしよ》について、|口々《くちぐち》に|批評《ひひやう》を|試《こころ》みてゐる。
|甲《かふ》『|皆《みな》さま、|御覧《ごらん》なさい。|前方《ぜんぱう》に|雲《くも》を|凌《しの》いで|屹立《きつりつ》してゐる、あの|岩島《いはじま》は、ハルの|湖《うみ》|第一《だいいち》の|高山《かうざん》で、いろいろの|神秘《しんぴ》を|蔵《ざう》してゐる|霊山《れいざん》ですよ。|昔《むかし》は|夜光《やくわう》の|岩山《いはやま》といつて、|岩《いは》の|頂辺《てつぺん》に|日月《じつげつ》のごとき|光《ひかり》が|輝《かがや》き、|月《つき》のない|夜《よ》の|航海《かうかい》には|燈明台《とうみやうだい》として|尊重《そんちよう》されたものです。あのスツクと|雲《くも》を|抜《ぬ》き|出《で》た|山容《さんよう》の|具合《ぐあひ》といひ、|全山《ぜんざん》|岩《いは》をもつて|固《かた》められた|金剛不壊《こんがうふゑ》の|容姿《ようし》といひ、|万古不動《ばんこふどう》の|霊山《れいざん》です。この|湖水《こすゐ》を|渡《わた》る|者《もの》はこの|山《やま》を|見《み》なくつちや、|湖水《こすゐ》を|渡《わた》つたといふことは|出来《でき》ないのです』
|乙《おつ》『|成《な》るほど、|見《み》れば|見《み》るほど|立派《りつぱ》な|山《やま》ですな。しかしながら、|今《いま》でも|夜《よる》になると、|昔《むかし》と|同《おな》じやうに|光明《くわうみやう》を|放《はな》つてゐるのですか』
『この|湖水《こすゐ》をハルの|湖《うみ》といふくらゐですもの、|暗《やみ》がなかつたのです。しかしながらだんだん|世《よ》の|中《なか》が|曇《くも》つた|所為《せゐ》か、|年《とし》と|共《とも》に|光《ひかり》がうすらぎ、|今《いま》ではほとんど|光《ひか》らなくなつたのです。そして|湖水《こすゐ》の|中心《ちうしん》に|聳《そび》え|立《た》つてゐたのですが、いつの|間《ま》にやら、その|中心《ちうしん》から|東《ひがし》へ|移《うつ》つてしまつたといふことです。|万古不動《ばんこふどう》の|岩山《いはやま》も|根《ね》がないと|見《み》えて|浮島《うきじま》らしく、あまり|西風《にしかぜ》が|烈《はげ》しかつたと|見《み》えて、チクチクと|中心《ちうしん》から|東《ひがし》へ|寄《よ》つたといふことです』
『なるほど|文化《ぶんくわ》は|東漸《とうぜん》するとかいひますから、|文化風《ぶんくわかぜ》が|吹《ふ》いたのでせう。しかし|日月星辰《じつげつせいしん》|何《いづ》れもみな|西《にし》へ|西《にし》へと|移《うつ》つて|行《ゆ》くのに、あの|岩山《いはやま》に|限《かぎ》つて、|東《ひがし》へ|移《うつ》るとは|少《すこ》し|天地《てんち》の|道理《だうり》に|反《はん》してゐるぢやありませぬか。|浮草《うきぐさ》のやうに|風《かぜ》に|従《したが》つて|浮動《ふどう》するやうな|島《しま》ならば、|何《なに》ほど|岩《いは》で|固《かた》めてあつても、|何時《いつ》|沈没《ちんぼつ》するか|知《し》れませぬから、うつかり|近寄《ちかよ》るこた|出来《でき》ますまい』
『あの|山《やま》の|頂《いただき》を|御覧《ごらん》なさい。ほとんど|枯死《こし》せむとするやうなひねくれた、ちつぽけな|樹木《じゆもく》が|岩《いは》の|空隙《くうげき》に|僅《わづ》かに|命脈《めいみやく》を|保《たも》つてゐるでせう。|山《やま》|高《たか》きが|故《ゆゑ》に|尊《たふと》からず、|樹木《じゆもく》あるを|以《もつ》て|尊《たふと》しとす……とかいつて、なにほど|高《たか》い|山《やま》でも|役《やく》に|立《た》たぬガラクタ|岩《いは》で|固《かた》められ、|肝心《かんじん》の|樹木《じゆもく》がなくては、|山《やま》の|山《やま》たる|資格《しかく》はありますまい。せめて|燈明台《とうみやうだい》にでもなりや、|山《やま》としての|価値《かち》も|保《たも》てるでせうが、|大《おほ》きな|面積《めんせき》を|占領《せんりやう》して、|何一《なにひと》つ|芸能《げいのう》のない|岩山《いはやま》ではサツパリ|話《はなし》になりますまい。それも|昔《むかし》のやうに|暗夜《やみよ》を|照《て》らし|往来《わうらい》の|船《ふね》を|守《まも》つて、|安全《あんぜん》に|彼岸《ひがん》に|達《たつ》せしむる|働《はたら》きがあるのなれば|岩山《いはやま》も|結構《けつこう》ですが、|今日《こんにち》となつては|最早《もはや》|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》ですな。|昔《むかし》はあの|山《やま》の|頂《いただき》に|特《とく》に|目立《めだ》つて、|仁王《にわう》のごとく|直立《ちよくりつ》してゐる|大岩石《だいがんせき》を、アケハルの|岩《いは》と|称《とな》へ、|国《くに》の|守《まも》り|神《がみ》|様《さま》として、|国民《こくみん》が|尊敬《そんけい》してゐたのです。それが|今日《こんにち》となつては、|少《すこ》しも|光《ひかり》がなく、おまけに|其《そ》の|岩《いは》に、|縦《たて》に|大《おほ》きなヒビが|入《い》つて、|何時《いつ》|破壊《はくわい》するか|分《わか》らないやうになり、|今《いま》は|大黒岩《おほくろいは》と|人《ひと》が|呼《よ》んでをります。|世《よ》の|中《なか》は|之《これ》を|見《み》ても、|此《こ》のままでは|続《つづ》くものではありますまい。|天《てん》の|神様《かみさま》は|地《ち》に|不思議《ふしぎ》を|現《あら》はして|世《よ》の|推移《すゐい》をお|示《しめ》しになるといひますから、これから|推考《すゐかう》すれば、|大黒主《おほくろぬし》の|天下《てんか》も|余《あま》り|長《なが》くはありますまいな』
『あの|岩山《いはやま》には|何《なに》か|猛獣《まうじう》でも|棲《す》んでゐるでせうか』
『|妙《めう》な|怪物《くわいぶつ》が|沢山《たくさん》|棲息《せいそく》してゐるといふ|事《こと》です。そしてその|動物《どうぶつ》は|足《あし》に|水《みづ》かきがあり、|水上《すゐじやう》を|自由自在《じいうじざい》に|游泳《いうえい》したり、|山《やま》を|駈《か》け|登《のぼ》ることの|速《はや》さといつたら、まるきり、|風船《ふうせん》を|飛翔《ひしよう》したやうなものだ……とのことです。|昔《むかし》は|日《ひ》の|神《かみ》、|月《つき》の|神《かみ》|二柱《ふたはしら》が、|天上《てんじやう》より|御降臨《ごかうりん》になり、|八百万神《やほよろづのかみ》を|集《つど》ひて|日月《じつげつ》の|如《ごと》き|光明《くわうみやう》を|放《はな》ち、この|湖水《こすゐ》は|素《もと》より、|印度《つき》の|国《くに》|一体《いつたい》を|照臨《せうりん》し、|妖邪《えうじや》の|気《き》を|払《はら》ひ、|天下万民《てんかばんみん》を|安息《あんそく》せしめ、|神様《かみさま》の|御神体《ごしんたい》として、|国人《くにびと》があの|岩山《いはやま》を|尊敬《そんけい》してゐたのですが、おひおひと|世《よ》は|澆季末法《げうきまつぽふ》となり、|何時《いつ》しかその|光明《くわうみやう》も|光《ひかり》を|失《うしな》ひ、|今《いま》や|全《まつた》く|虎《とら》とも|狼《おほかみ》とも|金毛九尾《きんまうきうび》とも|大蛇《だいじや》とも|形容《けいよう》し|難《がた》い|怪獣《くわいじう》が|棲息所《せいそくしよ》となつてゐるさうです。それだから|吾々《われわれ》|人間《にんげん》が、その|島《しま》に|一歩《いつぽ》でも|踏《ふ》み|入《い》れやうものなら、|忽《たちま》ち|狂悪《きやうあく》なる|怪獣《くわいじう》の|爪牙《さうが》にかかつて、|血《ち》は|吸《す》はれ、|肉《にく》は|喰《く》はれ|骨《ほね》は|焼《や》かれて|亡《ほろ》びるといつて|恐《こは》がり、|誰《たれ》も|寄《よ》りつかないのです。|風波《ふうは》が|悪《わる》くつて、もしも|船《ふね》があの|岩島《いはじま》にブツかからうものなら、それこそ|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|再《ふたた》び|生《い》きて|還《かへ》る|事《こと》は|出来《でき》ないので、このごろでは、ひそびそとあの|島《しま》を|悪魔島《あくまたう》と|言《い》つてゐます。しかし|大《おほ》きな|声《こゑ》でそんなこと|言《い》はうものなら、|怪物《くわいぶつ》がその|声《こゑ》を|聞《き》き|付《つ》けて、どんな【わざ】をするか|分《わか》らぬといふことですから、|誰《たれ》も|彼《かれ》も|憚《はばか》つて、|大黒岩《おほくろいは》に|関《くわん》する|話《はなし》は|口《くち》を|閉《と》じて|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》を|祈《いの》つてゐるのです。あの|島《しま》があるために、|少《すこ》し|暴風《ばうふう》の|時《とき》は|大変《たいへん》な|大波《おほなみ》を|起《おこ》し、|小《ちひ》さい|舟《ふね》は|何時《いつ》も|覆没《ふくぼつ》の|難《なん》に|会《あ》ふのですからなア。|何《なん》とかして、|天《てん》の|大《おほ》きな|工匠《こうしやう》がやつて|来《き》て|大鉄槌《だいてつつゐ》を|振《ふる》ひ、|打《う》ち|砕《くだ》いて、|吾々《われわれ》の|安全《あんぜん》を|守《まも》つてくれる、|大神将《だいしんしやう》が|現《あら》はれさうなものですな』
『|何《なん》と、|権威《けんゐ》のある|岩山《いはやま》ぢやありませぬか。つまりこの|湖面《こめん》に|傲然《がうぜん》と|突《つ》つ|立《た》つて、あらゆる|島々《しまじま》を|睥睨《へいげい》し、|強持《こはも》てに|持《も》ててゐるのですな』
『あの|岩山《いはやま》は|時々《ときどき》|大鳴動《だいめいどう》を|起《おこ》し、|噴煙《ふんえん》を|吐《は》き|散《ち》らし、|湖面《こめん》を|暗《やみ》に|包《つつ》んでしまふ|事《こと》があるのですよ。その|噴煙《ふんえん》には|一種《いつしゆ》の|毒瓦斯《どくガス》が|含有《がんいう》してゐますから、その|煙《けぶり》に|襲《おそ》はれた|者《もの》はたちまち|禿頭病《とくとうびやう》になり、あるひは|眼病《がんびやう》を|煩《わづら》ひ、|耳《みみ》は|聞《き》こえなくなり、|舌《した》は|動《うご》かなくなるといふ|事《こと》です。そして|肚《はら》のすくこと、|咽喉《のど》の|渇《かわ》くこと、|一通《ひととほ》りぢやないさうです。そんな|魔風《まかぜ》に、をりあしく|出会《でつくは》した|者《もの》はいい|災難《さいなん》ですよ』
『|丸《まる》つ|切《き》り|蚰蜒《げぢげぢ》か、|蛇蝎《だかつ》のやうな|恐《おそ》ろしい|厭《いや》らしい|岩山《いはやま》ですな。なぜ|天地《てんち》の|神《かみ》さまは|人民《じんみん》を|愛《あい》する|心《こころ》より、|湖上《こじやう》の|大害物《だいがいぶつ》を|取《と》り|除《の》けて|下《くだ》さらぬのでせうか。あつて|益《えき》なく、なければ|大変《たいへん》、|自由自在《じいうじざい》の|航海《かうかい》が|出来《でき》て|便利《べんり》だのに、|世《よ》の|中《なか》は、|神様《かみさま》といへど、ある|程度《ていど》までは|自由《じいう》にならないとみえますな』
『|何事《なにごと》も|時節《じせつ》の|力《ちから》ですよ。|金輪奈落《こんりんならく》の|地底《ちてい》からつき|出《で》てをつたといふ、あの|大高《おほたか》の|岩山《いはやま》が、|僅《わづ》かの|風《かぜ》ぐらゐに|動揺《どうえう》して、|東《ひがし》へ|東《ひがし》へと|流《なが》れ|移《うつ》るやうになつたのですから、もはやその|根底《こんてい》はグラついてゐるのでせう。|一《ひと》つレコード|破《やぶ》りの|大地震《だいぢしん》でも|勃発《ぼつぱつ》したら、|手《て》もなく、|湖底《こてい》に|沈《しづ》むでしまふでせう。オ、アレアレ|御覧《ごらん》なさい。|頂上《ちやうじやう》の|夫婦岩《めうといは》が、|何《なん》だか|怪《あや》しく|動《うご》き|出《だ》したぢやありませぬか』
『|風《かぜ》も|吹《ふ》かないのに、|千引《ちびき》の|岩《いは》が|自動《じどう》するといふ|道理《だうり》もありますまい。|舟《ふね》が|動《うご》くので|岩《いは》が|動《うご》くように|見《み》えるのでせう』
『ナニ、さうではありますまい。|舟《ふね》が|動《うご》いて|岩《いは》が|動《うご》くやうに|見《み》えるのなれば、|浮島《うきじま》|全部《ぜんぶ》が|動《うご》かねばなりますまい。|他《ほか》に|散在《さんざい》してゐる|大小《だいせう》|無数《むすう》の|島々《しまじま》も、|同《おな》じやうに|動《うご》かねばなりますまい。|岩山《いはやま》の|頂上《ちやうじやう》に|限《かぎ》つて|動《うご》き|出《だ》すのは、ヤツパリ|船《ふね》の|動揺《どうえう》の|作用《さよう》でもなければ、|変視《へんし》|幻視《げんし》の|作用《さよう》でもありますまい。キツとこれは|何《なに》かの|前兆《ぜんてう》でせうよ』
『そう|承《うけたまは》れば、いかにも|動《うご》いてをります。あれあれ、そろそろ|夫婦岩《めうといは》が|頂《いただき》の|方《はう》から|下《した》の|方《はう》へ|向《む》かつて|歩《ある》き|始《はじ》めたぢやありませぬか』
『なるほど|妙《めう》だ。|段々《だんだん》|下《くだ》つて|来《く》るぢやありませぬか。|岩《いは》かと|思《おも》へば|虎《とら》が|這《は》うてゐるやうに|見《み》え|出《だ》してきたぢやありませぬか』
『いかにも|大虎《おほとら》ですワイ。アレアレ|全山《ぜんざん》が|動揺《どうえう》し|出《だ》しました。こいつア|沈没《ちんぼつ》でもせうものなら、それだけ|水量《みづかさ》がまさり、|大波《おほなみ》が|起《おこ》つて、|吾々《われわれ》の|船《ふね》も|大変《たいへん》な|影響《えいきやう》をうけるでせう。|危《あぶ》ない|事《こと》になつて|来《き》たものですワイ』
かく|話《はな》す|内《うち》、|波切丸《なみきりまる》は|浮島《うきじま》の|岩山《いはやま》の|間近《まぢか》に|進《すす》んだ。|島《しま》の|周囲《しうゐ》は|何《なん》となく|波《なみ》が|高《たか》い。|虎《とら》と|見《み》えた|岩《いは》の|変化《へんげ》は|磯端《いそばた》に|下《くだ》つて|来《き》た。よくよく|見《み》れば|牛《うし》のやうな|虎猫《とらねこ》である。|虎猫《とらねこ》は|波切丸《なみきりまる》を|目《め》をいからして|睨《にら》みながら、|逃《に》げるが|如《ごと》く|湖面《こめん》を|渡《わた》つて|夫婦連《めうとづ》れ、|西方《せいはう》|指《さ》して|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ|逃《に》げて|行《ゆ》く。にはかに|浮島《うきしま》は|鳴動《めいどう》をはじめ、|前後左右《ぜんごさいう》に|全山《ぜんざん》は|揺《ゆ》れて|来《き》た。チクリチクリと|山《やま》の|量《かさ》は|小《ちひ》さくなり|低《ひく》くなり、|半時《はんとき》ばかりの|内《うち》に|水面《すゐめん》にその|影《かげ》を|没《ぼつ》してしまつた。あまり|沈没《ちんぼつ》の|仕方《しかた》が|漸進的《ぜんしんてき》であつたので、|恐《おそ》ろしき|荒波《あらなみ》も|立《た》たず、|波切丸《なみきりまる》を|前後左右《ぜんごさいう》に|動揺《どうえう》するくらゐですむだ。
|一同《いちどう》の|船客《せんきやく》はこの|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて、|何《いづ》れも|顔色《がんしよく》|青《あを》ざめ、「|不思議《ふしぎ》|不思議《ふしぎ》」と|連呼《れんこ》するのみであつた。この|時《とき》|船底《せんてい》に|横臥《わうぐわ》してゐた|梅公《うめこう》|宣伝使《せんでんし》は、|船《ふね》の|少《すこ》しく|動揺《どうえう》せしに|目《め》を|醒《さ》まし、ヒヨロリヒヨロリと|甲板《かんばん》に|上《あが》つて|来《き》た。さしもに|有名《いうめい》な|大高《おほたか》の|岩山《いはやま》は|跡形《あとかた》もなく|水泡《みなわ》と|消《き》えてゐた。そして|船客《せんきやく》が|口々《くちぐち》に|陥没《かんぼつ》の|記念所《きねんしよ》を|話《はなし》してゐる。|梅公《うめこう》は|船客《せんきやく》の|一人《ひとり》に|向《む》かつて、
『|風《かぜ》もないのに、|大変《たいへん》な|波《なみ》ですな。どつかの|島《しま》が|沈没《ちんぼつ》したのぢやありませぬか』
|甲《かふ》『ハイ、あなた、あの|大変事《だいへんじ》を|御覧《ごらん》にならなかつたのですか。ずゐぶん|見物《みもの》でしたよ。|昔《むかし》から|日月《じつげつ》の|如《ごと》く|光《ひか》つてゐた|頂上《ちやうじやう》の|夫婦岩《めうといは》は|俄《には》かに|揺《ゆ》るぎ|出《だ》し、|終《しま》ひの|果《はて》には|大《おほ》きな|虎《とら》となり、|磯端《いそばた》へ|下《くだ》つて|来《き》た|時分《じぶん》には|猫《ねこ》となり、|波《なみ》の|間《あひだ》を|浮《う》きつ|沈《しづ》みつ、|西《にし》の|方《はう》へ|逃《に》げて|行《い》つたと|思《おも》へば、チクリチクリと|島《しま》が|沈《しづ》み|出《だ》し、たうとう|無《な》くなつてしまひました。こんな|事《こと》は|昔《むかし》から|見《み》た|事《こと》はありませぬ。コリヤ|何《なん》かの|天《てん》のお|知《し》らせでせうかな』
|梅《うめ》『どうも|不思議《ふしぎ》ですな。しかしながら|人間《にんげん》から|見《み》れば|大変《たいへん》な|事《こと》のやうですが、|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》を|創造《さうざう》し|玉《たま》うた|神様《かみさま》の|御目《おんめ》から|見《み》れば、|吾々《われわれ》が|頬《ほほ》に|吸《す》ひついた|蚊《か》を|一匹《いつぴき》|叩《たた》き|殺《ころ》すやうなものでせう。しかしながら|吾々《われわれ》はこれを|見《み》て、|自《みづか》ら|戒《いまし》め、|悟《さと》らねばなりませぬ』
|乙《おつ》『あなたは|何教《なにけう》かの|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のやうですが、|一体全体《いつたいぜんたい》|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|何《ど》うなるでせうか。|吾々《われわれ》は|不安《ふあん》で|堪《たま》らないのです。つい|一時間前《いちじかんまへ》まで|泰然《たいぜん》として|湖中《こちう》に|聳《そび》えてゐた、あの|岩山《いはやま》が|脆《もろ》くも|湖底《こてい》に|沈没《ちんぼつ》するといふよな|不祥《ふしやう》な|世《よ》の|中《なか》ですからなア』
|梅《うめ》『|今日《こんにち》は|妖邪《えうじや》の|気《き》、|国《くに》の|上下《じやうげ》に|充《み》ちあふれ、|仁義《じんぎ》だの、|道徳《だうとく》だのといふ|美風《びふう》は|地《ち》を|払《はら》ひ、|悪《あく》と|虚偽《きよぎ》との|悪風《あくふう》|吹《ふ》き|荒《すさ》び、|世《よ》はますます|暗黒《あんこく》の|淵《ふち》に|沈淪《ちんりん》し、|聖者《せいじや》は|野《の》に|隠《かく》れ、|愚者《ぐしや》は|高《たか》きに|上《のぼ》つて|国政《こくせい》を|私《わたくし》し、|善《ぜん》は|虐《しひた》げられ|悪《あく》は|栄《さか》えるといふ|無道《むだう》の|社会《しやくわい》ですから、|天地《てんち》も|之《これ》に|感応《かんのう》して、|色々《いろいろ》の|不思議《ふしぎ》が|勃発《ぼつぱつ》するのでせう。|今日《こんにち》の|人間《にんげん》は|何《いづ》れも|堕落《だらく》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|卑劣心《ひれつしん》のみ|頭《あたま》を|擡《もた》げ、|有為《いうゐ》の|人材《じんざい》は|生《うま》れ|来《きた》らず、|末法《まつぽふ》|常暗《とこやみ》の|世《よ》となり|果《はて》てゐるのですから、|吾々《われわれ》は|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神柱《かむばしら》、|主《ス》の|神《かみ》の|救世的《きうせいてき》|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》し、|天下《てんか》の|暗雲《あんうん》を|払《はら》ひ、|悲哀《ひあい》の|淵《ふち》に|沈《しづ》める|蒼生《あをひとぐさ》を|平安《へいあん》|無事《ぶじ》なる|楽郷《らくきやう》に|救《すく》はむがために、あらゆる|艱難辛苦《かんなんしんく》をなめ、|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》して、|神教《しんけう》を|伝達《でんたつ》してゐるのです。まだまだ|世《よ》の|中《なか》は、これくらゐな|不思議《ふしぎ》では|治《をさ》まりませぬよ。ここ|十年《じふねん》|以内《いない》には、|世界的《せかいてき》、|又々《またまた》|大戦争《だいせんそう》が|勃発《ぼつぱつ》するでせう。|今日《こんにち》ウラル|教《けう》とバラモン|教《けう》との|戦争《せんそう》が|始《はじ》まらむとしてをりますが、こんなことはホンの|児戯《じぎ》に|等《ひと》しきもので、|世界《せかい》の|将来《しやうらい》は、|実《じつ》に|戦慄《せんりつ》すべき|大禍《たいくわ》が|横《よこ》たはつてをります。それゆゑ、|吾々《われわれ》は|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|満《み》ち|玉《たま》ふ|大神様《おほかみさま》の|御神諭《ごしんゆ》を|拝《はい》し、|普《あまね》く|天下《てんか》の|万民《ばんみん》を|救《すく》はむがために、|草《くさ》のしとね、|星《ほし》の|夜具《やぐ》、|木《き》の|根《ね》を|枕《まくら》として、|天下《てんか》|公共《こうきよう》のために|塵身《ぢんしん》を|捧《ささ》げてゐるのです』
|甲《かふ》『なるほど|承《うけたまは》れば|承《うけたまは》るほど、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|不安《ふあん》の|空気《くうき》が|漂《ただよ》うてゐるやうです。|今《いま》の|人間《にんげん》は|神仏《しんぶつ》の|洪大無辺《こうだいむへん》なる|御威徳《ごいとく》を|無視《むし》し、|暴力《ばうりよく》と|圧制《あつせい》とをもつて|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》とする|大黒主《おほくろぬし》の|前《まへ》に|拝跪渇仰《はいきかつかう》し、|世《よ》の|中《なか》に|尊《たふと》き|者《もの》はハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》より|外《ほか》にないものだと|誤解《ごかい》してゐるのだから、|天地《てんち》の|怒《いかり》に|触《ふ》れて、|世《よ》の|中《なか》は|一旦《いつたん》|破壊《はくわい》さるるのは|当然《たうぜん》でせう。|私《わたし》はウラル|教《けう》の|信者《しんじや》でございますが、|第一《だいいち》、|教主様《けうしゆさま》からして、……|神《かみ》を|信《しん》ずるのは|科学的《くわがくてき》でなくては|可《い》かない。|神秘《しんぴ》だとか|奇蹟《きせき》だとかを|以《もつ》て|信仰《しんかう》を|維持《ゐぢ》してゐたのは、|太古《たいこ》|未開《みかい》の|時代《じだい》の|事《こと》だ。|日進月歩《につしんげつぽ》、|開明《かいめい》の|今日《こんにち》は、そんなゴマカシは|世人《せじん》が|受入《うけい》れない……と|言《い》つてゐらつしやるのですもの、まるきり|神様《かみさま》を|科学扱《くわがくあつか》ひにし、|御神体《ごしんたい》を|分析《ぶんせき》|解剖《かいばう》して|色々《いろいろ》の|批評《ひひやう》を|下《くだ》すといふ|極悪世界《ごくあくせかい》ですもの、こんな|世《よ》の|中《なか》が|出《で》て|来《く》るのは|寧《むし》ろ|当然《たうぜん》でせう。あなたは|何教《なにけう》の|宣伝使《せんでんし》でございますか。|神様《かみさま》に|対《たい》する|御感想《ごかんさう》を|承《うけたまは》りたいものでございますな』
|梅《うめ》『|最前《さいぜん》も|申《まを》し|上《あ》げた|通《とほ》り、|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|大神様《おほかみさま》は|三五教《あななひけう》をお|開《ひら》きになつたのです。そして|私《わたし》は|同教《どうけう》の|宣伝使《せんでんし》|照国別《てるくにわけ》|様《さま》といふお|方《かた》の|従者《じうしや》となつて、|宣伝《せんでん》の|旅《たび》に|立《た》つたものでございます。それゆゑ|貴方《あなた》|等《がた》のお|尋《たづ》ねに|対《たい》し、|立派《りつぱ》な|答《こた》へは|到底《たうてい》できませぬ。しかしながら|神様《かみさま》は|昔《むかし》の|人《ひと》のいつたやうに、|超然《てうぜん》として|人間《にんげん》を|離《はな》れたものではありませぬ。|神人合一《しんじんがふいつ》の|境《きやう》に|入《い》つて|始《はじ》めて、|神《かみ》の|神《かみ》たり、|人《ひと》の|人《ひと》たる|働《はたら》きが|出来得《できう》るのです。ゆゑに|三五教《あななひけう》にては、|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》と|称《とな》へ、|舎身的《しやしんてき》|大活動《だいくわつどう》を、|天下万民《てんかばんみん》の|為《ため》にやつてゐるのです』
『|何《なに》か|御教示《ごけうじ》について、|極《ごく》|簡単《かんたん》|明瞭《めいれう》に、|神《かみ》と|人《ひと》との|関係《くわんけい》を|解《わか》らしていただく|事《こと》は|出来《でき》ますまいか』
『ハイ、|私《わたし》にもまだ|修業《しうげふ》が|未熟《みじゆく》なので、|判然《はつきり》した|事《こと》は|申《まを》し|上《あ》げ|兼《か》ねますが、|吾《わ》が|宣伝使《せんでんし》の|君《きみ》から|教《をそ》はつた|一《ひと》つの|格言《かくげん》がございますから、これを|貴方《あなた》にお|聞《き》かせいたしませう。
|神力《しんりき》と|人力《じんりよく》
一、|宇宙《うちう》の|本源《ほんげん》は|活動力《くわつどうりよく》にして|即《すなは》ち|神《かみ》なり。
一、|万物《ばんぶつ》は|活動力《くわつどうりよく》の|発現《はつげん》にして|神《かみ》の|断片《だんぺん》なり。
一、|人《ひと》は|活動力《くわつどうりよく》の|主体《しゆたい》、|天地経綸《てんちけいりん》の|司宰者《しさいしや》なり。|活動力《くわつどうりよく》は|洪大無辺《こうだいむへん》にして|宗教《しうけう》、|政治《せいぢ》、|哲学《てつがく》、|倫理《りんり》、|教育《けういく》、|科学《くわがく》、|法律《はふりつ》|等《とう》の|源泉《げんせん》なり。
一、|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|生宮《いきみや》なり。|而《しか》して|又《また》|神《かみ》と|成《な》り|得《う》るものなり。
一、|人《ひと》は|神《かみ》にしあれば|神《かみ》に|習《なら》ひて|能《よ》く|活動《くわつどう》し、|自己《じこ》を|信《しん》じ、|他人《たにん》を|信《しん》じ、|依頼心《いらいしん》を|起《おこ》すべからず。
一、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》のために|苦難《くなん》を|意《い》とせず、|真理《しんり》のために|活躍《くわつやく》し|実行《じつかう》するものは|神《かみ》なり。
一、|神《かみ》は|万物普遍《ばんぶつふへん》の|活霊《くわつれい》にして、|人《ひと》は|神業《しんげふ》|経綸《けいりん》の|主体《しゆたい》なり。|霊体一致《れいたいいつち》して|茲《ここ》に|無限無極《むげんむきよく》の|権威《けんゐ》を|発揮《はつき》し、|万世《ばんせい》の|基本《きほん》を|樹立《じゆりつ》す』
『イヤ|有難《ありがた》う。|御教示《ごけうじ》を|聞《き》いて|地獄《ぢごく》から|極楽浄土《ごくらくじやうど》へ|転住《てんぢう》したやうな|法悦《ほふえつ》に|咽《むせ》びました。なるほど|人間《にんげん》は|神様《かみさま》の|分派《ぶんぱ》で、いはば|小《せう》なる|神《かみ》でございますなア。|今《いま》までウラル|教《けう》で|称《とな》へてをりました|教理《けうり》に|比《くら》ぶれば、その|内容《ないよう》において、その|尊《たふと》さにおいて、|真理《しんり》の|徹底《てつてい》したる|点《てん》において、|天地霄壌《てんちせうじやう》の|差《さ》がございます。|私《わたし》はスガの|港《みなと》の|小《ちひ》さい|商人《せうにん》でございますが、|宅《うち》にはウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》を|奉斎《ほうさい》してをります。しかしながら|之《これ》は|祖先《そせん》|以来《いらい》|伝統的《でんとうてき》に|祀《まつ》つてゐるので、|言《い》はば|葬式《さうしき》などの|便利上《べんりじやう》、ウラル|教徒《けうと》となつてゐるのに|過《す》ぎませぬ。|既成宗教《きせいしうけう》は|已《すで》に|命脈《めいみやく》を|失《うしな》ひ、ただその|残骸《ざんがい》を|止《とど》むるのみ。|吾々《われわれ》|人民《じんみん》は|信仰《しんかう》に|飢《う》ゑ|渇《かわ》き、|精神《せいしん》の|道《みち》に|放浪《はうらう》し、|一日《いちにち》として、この|世《よ》を|安心《あんしん》に|送《おく》ることが|出来《でき》なかつたのです。|旧道徳《きうだうとく》は|既《すで》に|已《すで》に|世《よ》にすたれて、|新道徳《しんだうとく》も|起《おこ》らず、また|偉大《ゐだい》なる|新宗教《しんしうけう》も|勃起《ぼつき》せないといつて、|日夜《にちや》|悔《くや》んでをりましたが、かやうな|崇高《すうかう》な|偉大《ゐだい》な|真宗教《しんしうけう》が|起《おこ》つてゐるとは、|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつたのです。|計《はか》らずも|波切丸《なみきりまる》の|船中《せんちう》において、かかる|尊《たふと》き|神様《かみさま》のお|使《つかひ》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ、|起死回生《きしくわいせい》の|御神教《ごしんけう》を|聞《き》かしていただくとは、|何《なん》たる、|私《わたし》は|幸福《かうふく》でございませう。|私《わたし》の|宅《うち》は、|誠《まこと》に|手狭《てぜま》でございますが、スガの|港《みなと》のイルクといつて、|多少《たせう》|遠近《ゑんきん》に|名《な》を|知《し》られた|小商人《こあきんど》でございます。どうか、|私《わたし》の|宅《たく》へも|蓮歩《れんぽ》を|枉《ま》げ|下《くだ》さいまして、|家族一同《かぞくいちどう》に、|尊《たふと》き|教《をしへ》をお|授《さづ》け|下《くだ》さいますやうにお|願《ねが》ひいたします。そして|私《わたし》はこの|結構《けつこう》な|御神徳《ごしんとく》を|独占《どくせん》せず、|力《ちから》のあらむ|限《かぎ》り、|万民《ばんみん》に|神徳《しんとく》を|宣伝《せんでん》さしていただく|考《かんが》へでございますから、|何卒《なにとぞ》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます』
『|実《じつ》に|結構《けつこう》なる|貴方《あなた》のお|心掛《こころが》け、これも|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神様《おほかみさま》のお|引合《ひきあは》せでございませう。これを|御縁《ごえん》に、|私《わたし》もスガの|港《みなと》へ|船《ふね》がつきましたら、あなたのお|宅《たく》へ|立《た》ちよらしていただきませう。
|思《おも》ひきや|神《かみ》の|仕組《しぐみ》の|真人《まさびと》は
|御船《みふね》の|中《なか》にもくばりあるとは
|此《こ》の|船《ふね》は|神《かみ》の|救《すく》ひの|船《ふね》ぞかし
|世《よ》の|荒波《あらなみ》を|分《わ》けつつ|進《すす》めり』
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
第七章 |武力鞘《ぶりきざや》〔一七〇九〕
ヨリコ|姫《ひめ》は|甲板《かんばん》に|立《た》つて、|平和《へいわ》な|湖面《こめん》をうち|眺《なが》め、|声《こゑ》も|涼《すず》しく|歌《うた》ふ。
『|久方《ひさかた》の|大空《おほぞら》|高《たか》く|聳《そび》えたる オーラの|山《やま》は|霞《かす》みけり
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》もハルの|湖《うみ》 うつ|小波《さざなみ》の|音《ね》も|清《きよ》く
|吾《わ》が|船舷《ふなばた》に|皷《つづみ》うつ |千波万波《せんぱばんぱ》の|皺《しわ》の|湖《うみ》
|伸《の》べ|行《ゆ》く|波切丸《なみきりまる》の|上《うへ》 |天《てん》より|高《たか》く|咲《さ》く|花《はな》の
|聖《きよ》き|御教《みのり》を|聞《き》きながら |彼方《あなた》の|岸《きし》に|進《すす》み|行《ゆ》く
|心《こころ》|曇《くも》りしヨリコ|姫《ひめ》も |村雲《むらくも》はらす|時津風《ときつかぜ》に
|心《こころ》の|暗《やみ》を|払《はら》はれて |澄《す》みわたりたる|湖《うみ》の|上《うへ》
|小鳥《ことり》は|千代《ちよ》を|唄《うた》ひつつ |翼《つばさ》|拡《ひろ》げてアンボイナ
|神《かみ》に|輝《かがや》く|頭上《づじやう》をば |前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》びかへて
わが|行手《ゆくて》をば|守《まも》るごと |見《み》ゆるも|床《ゆか》し|波《なみ》の|上《うへ》
|大《おほ》き|小《ちひ》さき|島々《しまじま》は パインの|木蔭《こかげ》を|宿《やど》しつつ
|彼方《あなた》|此方《こなた》に|漂《ただよ》ひて |眺《なが》めも|清《きよ》き|今日《けふ》の|旅《たび》
たちまち|来《き》たる|夜嵐《よあらし》の |猛《たけ》びに|船《ふね》は|中天《ちうてん》に
|捲《ま》き|上《あ》げられて|暗礁《あんせう》の |苦難《くなん》を|逃《のが》れ|玉《たま》の|緒《を》の
|命《いのち》を|無事《ぶじ》に|保《たも》ちしも |三五教《あななひけう》に|仕《つか》へたる
|梅公《うめこう》の|君《きみ》の|御恵《おんめぐ》み |神《かみ》の|稜威《みいづ》の|目《ま》のあたり
|顕《あら》はれませし|尊《たふと》さよ |船《ふね》は|行《ゆ》く|波《なみ》は|静《しづ》かに|立《た》ち|並《なら》ぶ
|魚鱗《ぎよりん》は|静《しづ》かにまたたきて |天津日影《あまつひかげ》を|宿《やど》しつつ
|世《よ》の|太平《たいへい》を|謳《うた》ふなり |類《たぐひ》|稀《まれ》なる|師《し》の|君《きみ》の
|優《やさ》しき|言葉《ことば》に|導《みちび》かれ |根底《ねそこ》の|国《くに》を|後《あと》にして
|常磐《とは》の|花《はな》|咲《さ》く|天津神《あまつかみ》 |鎮《しづ》まりゐます|御国《おんくに》へ
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|心地《ここち》こそ わが|身《み》この|世《よ》に|生《うま》れてゆ
まだ|例《ためし》なき|喜《よろこ》びの |涙《なみだ》に|袖《そで》はうるほひぬ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|守《まも》らすこの|船《ふね》は
スガの|港《みなと》に|渡《わた》るてふ げにスガスガし|吾《わ》が|心《こころ》
|何《なに》に|譬《たとへ》む|物《もの》もなし |二八《にはち》の|春《はる》の|花盛《はなざか》り
|心《こころ》の|嵐《あらし》|吹《ふ》きすさび よからぬ|人《ひと》と|手《て》を|引《ひ》いて
|枉《まが》の|醜業《しこわざ》|企《たく》らみつ オーラの|山《やま》の|砦《とりで》をば
|千代《ちよ》の|住家《すみか》と|定《さだ》めつつ |罪《つみ》を|重《かさ》ねし|悔《くや》しさよ
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|浅《あさ》からず |吾《わ》が|身《み》の|運《うん》の|尽《つ》きずして
かくも|目出《めで》たき|神教《みをしへ》に |進《すす》み|入《い》りしは|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|恵《めぐ》みと|畏《かしこ》みて |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|怠《おこた》らず
その|御徳《おんとく》を|感謝《かんしや》しつ |晴《は》れ|渡《わた》りたる|胸《むね》の|空《そら》
|大日《おほひ》は|清《きよ》く|照《て》り|渡《わた》り |月影《つきかげ》|清《きよ》く|澄《す》みきりて
|星《ほし》の|瞬《またた》きいと|妙《たへ》に |風《かぜ》は|不断《ふだん》の|音楽《おんがく》を
|奏《かな》でまつりて|神々《かみがみ》の |深《ふか》き|稜威《みいづ》を|現《あら》はせり
|時《とき》しもあれや|大高島《おほたかじま》 |如何《いか》なる|神《かみ》の|計《はか》らひか
|下津岩根《したついはね》の|底《そこ》|深《ふか》く つき|立《た》ちたりと|聞《き》こえしが
|何《なん》の|苦《く》もなく|見《み》るうちに |水泡《みなわ》と|消《き》えて|跡《あと》もなく
その|頂《いただき》に|永久《とこしへ》に |立《た》ち|並《なら》びたる|夫婦岩《めうといは》
にはかに|獣《けもの》と|身《み》を|変《へん》じ |高《たか》き|岩座《いはくら》|相放《あひはな》れ
|屠所《としよ》に|曳《ひ》かるる|羊《ひつじ》なす |憐《あは》れな|姿《すがた》トボトボと
|岩《いは》の|虚隙《きよげき》を|伝《つた》ひつつ |猿捕荊《さるとりいばら》に|身《み》を|破《やぶ》り
|或《あるひ》は|転《ころ》げまた|倒《たふ》れ |頭《かしら》を|下《した》に|尾《を》を|上《うへ》に
やうやく|磯辺《いそべ》に|降《くだ》りつき |波《なみ》を|渡《わた》つて|逃《に》げ|失《う》せぬ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 オーラの|山《やま》に|永久《とこしへ》に
|神《かみ》を|詐《いつは》り|世《よ》の|人《ひと》を |欺《あざむ》き|悩《なや》め|吾《わ》が|威勢《ゐせい》
|四方《よも》に|張《は》らむと|思《おも》ひしを |思《おも》ひ|返《かへ》せば|愚《おろ》かなる
|企《たく》みとこそは|知《し》られけり |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
|常磐堅磐《ときはかきは》にこの|湖《うみ》の |光《ひかり》ともなり|花《はな》となり
|湖中《こちう》の|王《わう》と|敬《うやま》はれ |万民《ばんみん》|憧憬《どうけい》の|的《まと》となり
|時《とき》めき|渡《わた》りし|岩島《いはじま》も |忽《たちま》ち|天《てん》の|時《とき》|到《いた》らば
かくも|無残《むざん》に|失《う》せにける これを|思《おも》へば|人《ひと》の|身《み》は
|尚《なほ》さら|果敢《はか》なきものならむ |大黒主《おほくろぬし》の|勢《いきほ》ひは
|天地《てんち》に|貫《つらぬ》く|威《ゐ》ありとも |神《かみ》の|戒《いまし》め|下《くだ》りなば
|旭《あさひ》に|霜《しも》の|消《き》ゆるごと |夏《なつ》の|氷《こほり》の|解《と》くるごと
はかなく|消《き》えむ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|力《ちから》の|恐《おそ》ろしや
シーゴーの|司《つかさ》は|幸《さいは》ひに |神《かみ》の|大道《おほぢ》に|進《すす》み|入《い》り
|曲《まが》の|関所《せきしよ》を|乗《の》り|越《こ》えて |今《いま》は|高天《たかま》の|花苑《はなぞの》に
|通《かよ》ふ|旅路《たびぢ》となりにけり |吾《わ》が|妹《いもうと》の|花香姫《はなかひめ》
|教《をしへ》の|君《きみ》に|伴《ともな》はれ |千里《せんり》の|波濤《はたう》を|打《う》ち|渡《わた》り
|万里《ばんり》の|広野《くわうや》を|跋渉《ばつせう》して |神《かみ》の|御《おん》ため|世《よ》のために
|尽《つく》さむ|身《み》とはなりにけり われも|妹《いもうと》も|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》に|救《すく》はれて |旭《あさひ》のただ|刺《さ》す|神国《かみくに》へ
|勇《いさ》み|行《ゆ》くこそ|嬉《うれ》しけれ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|慎《つつし》みて |吾等《われら》が|前途《ぜんと》に|幸《さち》あれと
|天地《てんち》に|向《む》かつて|願《ね》ぎ|奉《まつ》る |畏《かしこ》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
|花香姫《はなかひめ》『|湖《うみ》の|面《おも》を|飛《と》び|交《か》ふ|鳥《とり》の|翼《つばさ》こそ
|花《はな》か|蝶《てふ》かと|見《み》まがひにける
|大高島《おほたかじま》|音《おと》さへ|立《た》てず|湖底《うなそこ》に
|沈《しづ》みしを|見《み》て|世《よ》の|移《うつ》るをさとる
うつり|行《ゆ》く|御代《みよ》に|扇《あふぎ》の|末《すゑ》|広《ひろ》く
|栄《さか》ゆる|春《はる》の|花香《はなか》をぞ|待《ま》つ』
シーゴー『|島々《しまじま》は|泰然自若《たいぜんじじやく》|波《なみ》に|浮《う》くを
|大高島《おほたかしま》の|憐《あは》れはかなさ
|行《ゆ》きかひの|船《ふね》を|悩《なや》めし|岩島《いはじま》も
あへなく|失《う》せて|水泡《みなわ》となりぬ
|吾《わ》が|胸《むね》に|巣《す》ぐひし|曲《まが》も|岩島《いはじま》の
あはれを|見《み》ては|水泡《みなわ》ときえぬ
|天地《あめつち》の|中《なか》はら|渡《わた》るこの|船《ふね》は
|神《かみ》の|救《すく》ひの|御梯《みはし》とぞ|思《おも》ふ
|常世《とこよ》|行《ゆ》く|暗《やみ》を|照《て》らせし|島山《しまやま》も
|今《いま》は|根底《ねそこ》に|沈《しづ》みけるかな
|高《たか》きより|低《ひく》きにおつる|世《よ》のならひ
|吾《われ》もオーラの|山《やま》を|下《くだ》りつ
|水平《すゐへい》の|波《なみ》|漕《こ》ぎ|渡《わた》るこの|船《ふね》は
|皇大神《すめおほかみ》の|御姿《みすがた》なるらむ
|惟神《かむながら》|水平線《すゐへいせん》を|辷《すべ》り|行《ゆ》く
|波切丸《なみきりまる》の|姿《すがた》|勇《いさ》まし』
|梅公《うめこう》『|見《み》わたせば|波間《はかん》にきらめく|御光《みひかり》は
|千々《ちぢ》に|砕《くだ》くる|神影《みかげ》なるらむ
|四海《しかい》|波《なみ》いとも|静《しづ》かにをさまりて
|大高山《おほたかやま》の|影《かげ》だにもなし
|大高山《おほたかやま》|雲間《くもま》に|高《たか》く|波《なみ》の|上《へ》に
うかびて|人《ひと》を|悩《なや》ませにける
|日《ひ》も|月《つき》も|大高山《おほたかやま》の|頂《いただき》に
|蔽《おほ》はる|悩《なや》みなきぞ|嬉《うれ》しき』
|梅公《うめこう》、ヨリコ|姫《ひめ》、|花香姫《はなかひめ》、シーゴーは|階段《かいだん》を|下《くだ》り、|各自《かくじ》の|船室《せんしつ》に|入《い》つて|肱《ひぢ》を|枕《まくら》に|横《よこ》たはつた。
デッキの|上《うへ》には|色々《いろいろ》の|雑談《ざつだん》が|始《はじ》まつてゐる。|見《み》るからに|目《め》のくるりとした|色《いろ》の|黒《くろ》い、|一癖《ひとくせ》|有《あ》りさうな|大男《おほをとこ》、|十数人《じふすうにん》の|船客《せんきやく》の|中《なか》に|胡坐《あぐら》をかき、|傍若無人的《ばうじやくぶじんてき》に|武術《ぶじゆつ》の|自慢話《じまんばなし》をやつてゐる。
バラック『もし、お|前《まへ》さまは|一見《いつけん》したところ、なかなかの|豪勇《がうゆう》と|見《み》えるが、お|角力《すまう》さまですか、ただしは|武術家《ぶじゆつか》ですか』
ドラック『|俺《おれ》かい、|俺《おれ》は|若《わか》い|時《とき》や、|角力《すまう》も|随分《ずゐぶん》|取《と》つたものだ。そして|日下開山《ひのしたかいさん》|横綱《よこづな》を、|一度《いちど》は|張《は》つたものだよ。ハルナの|都《みやこ》の|大相撲《おほずまう》の|時《とき》にやずゐぶん|面白《おもしろ》かつたね。|十日《とをか》の|角力《すまう》に|十日《とをか》まで|地《つち》つかずで、|大変《たいへん》な|人気《にんき》だつたよ。|数万《すうまん》の|見物人《けんぶつにん》の|血《ち》を|躍《をど》らせた|事《こと》といつたら、|前古未曽有《ぜんこみぞう》といふ|評判《ひやうばん》だつた。お|前《まへ》も|聞《き》いてゐるだらうが、|日下開山《ひのしたかいさん》ドラック|山《やま》といふのは|俺《おれ》の|事《こと》だ。これ|見《み》|玉《たま》へ、|俺《おれ》の|腕《かひな》は|丸《まる》で|鉄《てつ》のやうだ。なにほど|強《つよ》い|男《をとこ》でも、グツと|一《ひと》つ|握《にぎ》るが|最後《さいご》、|息《いき》がつまり|胸《むね》がつかへ、|青《あを》くなつてしまふのだ。そして|物《もの》が|言《い》へなくなるのだ。あまり|力《ちから》が|強《つよ》いので、どの|力士《りきし》もこの|力士《りきし》もドラック|山《やま》にかかつちや|勝目《かちめ》がないといふので、|終《しま》ひの|果《はて》にや|相手《あひて》がなくなつたのだ。|相手《あひて》なしに|一人角力《ひとりずまう》とる|訳《わけ》にもゆかず、やむを|得《え》ず|力士《りきし》を|廃業《はいげふ》して、|今《いま》は|剣道《けんだう》の|師範《しはん》|兼《けん》|柔術《じうじゆつ》の|師範《しはん》になつたのだよ』
『|成《な》るほど、いかにも|強《つよ》さうな|腕《うで》つ|節《ぷし》ですなア。しかしながらそれほど|強《つよ》いお|前《まへ》さまが、|海賊《かいぞく》の|親分《おやぶん》コーズが|襲来《しふらい》した|時《とき》に、なぜ|彼奴《あいつ》をとつつめて|下《くだ》さらなかつたのですか。いはゆる|宝《たから》の|持《も》ちぐさりぢやありませぬか』
『その|時《とき》にや、|自分《じぶん》の|船室《せんしつ》で|安楽《あんらく》な|夢《ゆめ》を|見《み》てゐたものだから、チツとも|知《し》らなかつたよ。|腕《うで》がなつて、|血《ち》が|湧《わ》いて、|相手《あひて》がほしくつて、|脾肉《ひにく》の|歎《たん》にたえない|俺《おれ》だもの、|海賊《かいぞく》の|親玉《おやだま》が|襲《おそ》うて|来《き》たと|聞《き》きや、どうして|俺《おれ》が|見逃《みのが》すものか。あとから、|本当《ほんたう》に|人《ひと》の|噂《うはさ》を|聞《き》いて、|取返《とりかへ》しのつかない|末代《まつだい》の|損《そん》をしたものだと、|心《こころ》ひそかに|悔《くや》んでゐたのだよ』
『あなたのやうな|豪勇《がうゆう》と|同船《どうせん》してをれば、|私《わたし》も、この|航海《かうかい》は|安心《あんしん》いたしますワ。これも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|恵《めぐ》みだと|感謝《かんしや》せざるを|得《え》ませぬ』
『ウン、|何《なに》も|心配《しんぱい》はいらぬ。|剣術《けんじゆつ》は|世界中《せかいぢう》|俺《おれ》に|勝《か》つ|者《もの》は、マア、|現代《げんだい》では|一人《ひとり》もなからうよ。|角力《すまう》では、|雷電為右衛門《らいでんためうゑもん》、|小野川《をのがは》、|谷風《たにかぜ》、|梅ケ谷《うめがだに》、|常陸山《ひたちやま》ぐらゐは|束《そく》にゆふて|来《き》ても、てんで、|角力《すまう》にならぬのだからな。また|剣道《けんだう》や|柔術《じうじゆつ》にかけたら、ゴライヤスに|宮本武蔵《みやもとむさし》、|塚原卜伝《つかはらぼくでん》、|野見《のみ》の|宿弥《すくね》に|塙団右衛門《ばんだんうゑもん》、|岩見重太郎《いはみぢうたらう》、|荒木又右衛門《あらきまたうゑもん》などが|束《そく》に|結《むす》ふて|来《き》ても|足許《あしもと》へもよりつけぬのだから|大《たい》したものだよ。しかしながらあまり|強《つよ》すぎて|相手《あひて》のないのも|淋《さび》しいものだ。|何《なん》とかして|強《つよ》い|相手《あひて》にブツつかりたいものだが、タカが|海賊《かいぞく》の|親分《おやぶん》ぐらゐでは、|実際《じつさい》の|事《こと》いふと、|歯《は》ごたへがしないのだからな』
バラックは|呆気《あつけ》にとられ、|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|舌《した》をまいてゐる。|大勢《おほぜい》の|船客《せんきやく》はドラックの|大法螺《おほぼら》を|真《ま》にうけ、|肩《かた》をいからしながら|豪勇談《がうゆうだん》に|興味《きようみ》をもち、チクリチクリと|膝《ひざ》をにじりよせ、|何時《いつ》の|間《ま》にか、ドラックを|取《と》り|巻《ま》いて|貝細工《かひざいく》で|作《つく》つた|洋菊《やうぎく》の|花《はな》のやうにしてしまつた。
チエックといふ|一人《ひとり》の|商人風《せうにんふう》の|男《をとこ》は|恐《おそ》る|恐《おそ》る、ドラックに|向《む》かつて、
『モシ、|先生《せんせい》それほど|強《つよ》いお|方《かた》なら、|世《よ》の|中《なか》に|恐《おそ》るべきものは|一《ひと》つもないでせうな』
ドラック『そらさうだ。|弓《ゆみ》でも|鉄砲《てつぱう》でも、|大砲《たいはう》でも|何《なん》でも|彼《か》でも、|俺《おれ》にかかつちや|駄目《だめ》だ。この|拳骨《げんこつ》で、|一《ひと》つグワンと、この|帆柱《ほばしら》でもなぐらうものなら、|根元《ねもと》からポクリと|折《を》れてしまふよ。それだから、|天下《てんか》に|敵《てき》なしといふのだ。マア|君達《きみたち》も|安心《あんしん》したまへ。|俺《おれ》がこの|船《ふね》に|乗《の》つてゐる|以上《いじやう》は、たとへ|千人万人《せんにんまんにん》の|海賊《かいぞく》が|来《き》たつて、|屁《へ》|一《ひと》つひつたらしまひだ。ドラックの|名《な》を|聞《き》いてさへも|縮《ちぢ》み|上《あが》つてしまふからな』
チエック『|何《なん》とマア、|私《わたし》|達《たち》は|仕合《しあは》せなものでせう。それほど|力《ちから》の|強《つよ》い、|武術《ぶじゆつ》の|達者《たつしや》なお|客《きやく》さまと|同船《どうせん》するとは、|全《まつた》く|先祖様《せんぞさま》のお|手引《てび》きでせう。|安心《あんしん》して|国許《くにもと》へ|帰《かへ》らしていただきます。|本当《ほんたう》に|貴方《あなた》は|活神《いきがみ》さまのようなお|方《かた》ですな。しかし|夜前《やぜん》コーズの|頭目《とうもく》がこの|船《ふね》に|上《あが》つて|来《き》た|時《とき》、うす|暗《くら》がりの|中《なか》から、|繊弱《かよわ》い|女《をんな》が|現《あら》はれて、|恐《おそ》ろしい|海賊《かいぞく》を、|皆《みな》|湖中《こちう》へ|投込《なげこ》んでしまひ、|吾々《われわれ》の|着物《きもの》を|取《と》り|返《かへ》して|下《くだ》さつたのは、|本当《ほんたう》に|有難《ありがた》い|事《こと》でした。あの|方《かた》は|貴方《あなた》のお|弟子《でし》ぢやございませぬか』
ドラ『ウン、|総《すべ》て|少《すこ》し|手《て》の|利《き》いた|奴《やつ》ア、|皆《みな》|俺《おれ》の|教育《けういく》をうけてるのだ。あまり|沢山《たくさん》な|弟子《でし》だから、スツカリ、|顔《かほ》も|名《な》も|覚《おぼ》えてゐないが、|月《つき》の|国《くに》|七千余国《しちせんよこく》の|武術家《ぶじゆつか》は|皆《みな》|俺《おれ》の|部下《ぶか》といつても|差支《さしつか》へなからうよ。|各取締所《かくとりしまりしよ》の|捕手連《とりてれん》は|全部《ぜんぶ》|俺《おれ》に|剣術《けんじゆつ》や|柔術《じうじゆつ》を|学《まな》んだのだからな。そしてその|女《をんな》といふのは|何者《なにもの》だか、お|前《まへ》たちは|知《し》つてゐるだらうな。|名《な》は|聞《き》いておいたか』
バラック『|何《なん》でも|天《てん》から|俄《には》かに|下《くだ》つて|来《き》た|女神《めがみ》さまが、|吾々《われわれ》の|危難《きなん》を|救《すく》つて|下《くだ》さつたのだらうと、|一般《いつぱん》の|噂《うはさ》だ。なにほど|武術《ぶじゆつ》が|達者《たつしや》だといつても、|人間《にんげん》なれば、|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、あんな|離《はな》れ|業《わざ》は|出来《でき》ないからな』
チエ『それでも、バラックさま、|暫《しばら》くすると|暗《やみ》の|中《なか》に|現《あら》はれた|美人《びじん》と|同《おな》じやうなスタイルの|女《をんな》が、|甲板《かんばん》の|上《うへ》へあがつて|来《き》て、ヨリコ|姫《ひめ》だとか|何《なん》とかいつて、|自分《じぶん》が|助《たす》けたやうな|事《こと》を|唄《うた》つてゐましたよ』
バラ『ナアニ、|人《ひと》の|手柄《てがら》を|横取《よこどり》せうと|思《おも》ふ|奴《やつ》の|多《おほ》い|時節《じせつ》だから、あんな|事《こと》いつて、|吾《われ》の|信用《しんよう》をつながうとしよつた|奸策《かんさく》だよ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》の|奴《やつ》ア、|口《くち》では|立派《りつぱ》な|強《つよ》さうな|事《こと》を|吐《ぬか》す|奴《やつ》ばかりで、サア|鎌倉《かまくら》となつたら、|手足《てあし》はガタガタ|胸《むね》はドキドキ|唇《くちびる》ビルビル、ヘコタレ|腰《ごし》になつて、|逃《に》げまはすといふ|代物《しろもの》ばかりだからな。ともかく|大言壮語《たいげんさうご》のはやる|時節《じせつ》だ。そして|今日《こんにち》は|昔《むかし》と|違《ちが》ひ、……|桃季《たうり》|物《もの》いはざれども、|自《おのづか》ら|小径《せうけい》をなす……といふような、まどろしい|事《こと》は|誰《たれ》も|考《かんが》へてゐない。|自家広告《じかくわうこく》を|盛《さか》んにやる|時節《じせつ》だから、お|手際《てぎは》を|拝見《はいけん》しなくちや、|誰《たれ》だつて|信用《しんよう》するこた|出来《でき》やしないワ、アツハハハハ』
ドラ『コレコレ、バラックさま、|俺《おれ》の|前《まへ》で、そんな|悪口《あくこう》をつくといふ|事《こと》があるものか。お|前《まへ》は|俺《おれ》の|最前《さいぜん》いつた|事《こと》を|大言壮語《たいげんさうご》だと|思《おも》つてゐるのだなア。|俺《おれ》|達《たち》は、|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》だから、|決《けつ》して|嘘《うそ》は|言《い》はないよ。|嘘《うそ》と|思《おも》ふなら、|一寸《ちよつと》その|腕《うで》を|貸《か》し|玉《たま》へ、|一《ひと》つ|握《にぎ》つて|見《み》せてやらう』
バラ『イヤもう、|恐《おそ》れ|入《い》りました。|決《けつ》して|決《けつ》して、お|前《まへ》さまを|信用《しんよう》せないのぢやありませぬ。|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》のお|前《まへ》さまとは|実《じつ》に|見上《みあ》げたものだ。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|口《くち》と|心《こころ》がスツカリ|反対《はんたい》になつてゐる|者《もの》ばかりだから、せめて|言心《げんしん》|一致《いつち》ならまだしもだが、|詐《いつはり》と|高慢《かうまん》との|流行《りうかう》する|悪社会《あくしやくわい》ですからな』
ドラ『|俺《おれ》の|豪勇《がうゆう》たる|事《こと》がお|前《まへ》|達《たち》に|合点《がつてん》がいつたとあらば|許《ゆる》してやる。|毛筋《けすぢ》の|横巾《よこはば》ほどでも、|疑惑《ぎわく》をさし|挟《はさ》むのなら、|論《ろん》より|証拠《しようこ》|言心行《げんしんかう》|一致《いつち》と|出《で》かけて、|腕《うで》なり|肩《かた》なり、|一握《ひとにぎ》り|握《にぎ》つてみせてやるつもりだつたが、まづ|骨《ほね》の|砕《くだ》けるのが|助《たす》かつて、お|前《まへ》も|仕合《しあは》せだつたよ、アツハハハハ』
と|傍若無人《ばうじやくぶじん》に|笑《わら》ふ。
かく|話《はな》すをりしも|数隻《すうせき》の|海賊船《かいぞくせん》、|島影《しまかげ》より|現《あら》はれ|来《き》たり、|波切丸《なみきりまる》を|前後左右《ぜんごさいう》より|取囲《とりかこ》み|繩梯子《なはばしご》を|投《な》げかけ、|兇器《きようき》を|携《たづさ》へながら、コーズが|指揮《しき》の|下《もと》に、|数十人《すうじふにん》、バラバラと|甲板《デッキ》に|上《のぼ》つて|来《き》た。
チエ『ヤ、|先生《せんせい》、|海賊《かいぞく》がやつて|来《き》ました。どうか|天下無双《てんかむさう》の|豪力《がうりき》を|出《だ》して、|海賊《かいぞく》を|懲《こ》らしめて|下《くだ》さい』
バラ『サア、|先生《せんせい》、|今《いま》が|先生《せんせい》のお|力《ちから》の|現《あら》はれ|時《どき》です。|私《わたし》もお|手伝《てつだ》ひしますから、やつて|下《くだ》さいな』
ドラ『アイタタタタタ。あ、にはかに|腹痛《ふくつう》がいたし、|腰《こし》が|立《た》たなくなつたワイ。|運《うん》の|悪《わる》い|時《とき》や|悪《わる》いものだ。エ、|残念《ざんねん》だな。|肚《はら》さへ|痛《いた》くなくば、|海賊《かいぞく》の|百疋《ひやつぴき》や|千疋《せんびき》ひねりつぶしてやるのだけどなア』
とガタガタと|唇《くちびる》を|紫色《むらさきいろ》に|染《そ》めて|慄《ふる》ひ|戦《をのの》いてゐる。
コーズは|数十人《すうじふにん》の|手下《てした》を|指揮《しき》しながら、まづ|甲板《デッキ》より|逃《に》げ|惑《まど》ふ|船客《せんきやく》を|引《ひ》つつかまへて|赤裸《まつぱだか》となし、ドラックもまた|同様《どうやう》に、|持物《もちもの》|一切《いつさい》を|掠奪《りやくだつ》され、|赤裸《まつぱだか》にむかれてしまつた。コーズは|勢《いきほ》ひに|乗《じやう》じ、|階段《かいだん》を|降《くだ》つて、|船室《せんしつ》に|進《すす》み|入《い》つた。デッキの|上《うへ》は|老若男女《らうにやくなんによ》が|右往左往《うわうさわう》に|駈《か》けまわり、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|地獄道《ぢごくだう》を|現出《げんしゆつ》してゐた。
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
第八章 |糸《いと》の|縺《もつ》れ〔一七一〇〕
|海賊《かいぞく》の|頭目《とうもく》コーズは|数十人《すうじふにん》の|手下《てした》と|共《とも》に、|甲板上《かんばんじやう》に|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐた|船客《せんきやく》を|一々《いちいち》|赤裸《まつぱだか》となし、|勢《いきほ》ひに|乗《じやう》じて|階段《かいだん》を|下《くだ》り、|船室《せんしつ》にバラバラと|侵入《しんにふ》して|来《き》た。さうして|数多《あまた》の|船客《せんきやく》に|向《む》かひ|大刀《だいたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いたまま、|例《れい》の|脅《おど》し|文句《もんく》を|並《なら》べ、
『|持物《もちもの》|一切《いつさい》を|提供《ていきよう》せよ。|否応《いやおう》|申《まを》すにおいては、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|刃《やいば》の|錆《さび》だ』
と|脅迫《けふはく》してをる。|老若男女《らうにやくなんによ》は|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》びながら、|右往左往《うわうさわう》に|逃《に》げ|廻《まは》る。|船室内《せんしつない》は|俄《には》かの|大暴風《だいばうふう》に|見舞《みま》はれて、|秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》の|散《ち》り|乱《みだ》るるがごとき|光景《くわうけい》となつて|来《き》た。|特別室《とくべつしつ》に|睡《ねむ》つてゐたシーゴーは|怪《あや》しの|物音《ものおと》に|目《め》を|覚《さま》し、よくよく|見《み》れば|海賊《かいぞく》の|張本《ちやうほん》コーズが|数十人《すうじふにん》の|部下《てした》と|共《とも》に、|今《いま》や|哀《あは》れな|船客《せんきやく》に|掠奪《りやくだつ》の|手《て》を|恣《ほしいまま》にしてゐる|真最中《まつさいちう》であつた。シーゴーは|大喝《たいかつ》|一声《いつせい》、
『オイ、コラツ、|貴様《きさま》はコーズぢやないか。この|船《ふね》に|俺《おれ》が|居《を》る|限《かぎ》り|掠奪《りやくだつ》は|許《ゆる》さないぞ。サア|掠奪品《りやくだつひん》をスツカリとお|客人《きやくじん》に|返戻《へんれい》してお|断《こと》わりを|申《まを》せ』
この|声《こゑ》にコーズは|怪《あや》しみながらよくよくその|面体《めんてい》を|見《み》れば、|日頃《ひごろ》|大親分《おほおやぶん》と|頼《たの》むシーゴーであつた。このコーズはシーゴーの|部下《ぶか》で|別働隊《べつどうたい》となり、|軍用品調達《ぐんようひんてうたつ》のために|大活動《だいくわつどう》をつづけてゐたのである。さうして|海賊《かいぞく》が|最《もつと》も|安全《あんぜん》で、かつ|収獲《しうくわく》の|多《おほ》いことを|知《し》つたので、|沢山《たくさん》の|海賊《かいぞく》を|部下《ぶか》に|従《したが》へ、|羽振《はぶ》りを|利《き》かしてゐたのである。オーラ|山《さん》に|立《た》て|籠《こも》つて|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|支配《しはい》してゐると|思《おも》つたシーゴーが、|今《いま》この|船《ふね》に|乗《の》つてゐたのに|驚《おどろ》き、|大刀《だいたう》をその|場《ば》に|投《な》げ|捨《す》て|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をついて、
『これはこれは|大親分《おほおやぶん》シーゴー|様《さま》でございましたか。|思《おも》はぬ|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|私《わたし》は|親分《おやぶん》のために|斯《か》くの|如《ごと》く|危険《きけん》を|冒《をか》して|大活動《だいくわつどう》をやつてをるのに、なぜお|止《と》めなさいますか』
シー『|貴様《きさま》の|不審《ふしん》を|持《も》つのは|尤《もつと》もだが、|俺《おれ》は|最早《もはや》|堅気《かたぎ》になつたのだ。|今日《けふ》のシーゴーは|先日《せんじつ》のシーゴーではない。|正真正銘《しやうしんしやうめい》の|真人間《まにんげん》だ。|神様《かみさま》の|御子《みこ》だ。|神《かみ》の|精霊《せいれい》の|宿《やど》り|給《たま》ふ|生宮《いきみや》だ。|貴様《きさま》もよい|加減《かげん》に|足《あし》を|洗《あら》つて|俺《おれ》と|同様《どうやう》に|善心《ぜんしん》に|立《た》ち|帰《かへ》り、|今《いま》までの|罪業《ざいごふ》を|謝《しや》するために、|粉骨砕心《ふんこつさいしん》|天下救済《てんかきうさい》の|大神業《だいしんげふ》に|帰順《きじゆん》してはどうだ。|人間《にんげん》と|生《うま》れて|山賊《さんぞく》または|海賊《かいぞく》をやるくらゐ|不利益《ふりえき》な、そして|引《ひ》き|合《あ》はない|危険《きけん》な|商売《しやうばい》はないぢやないか』
コーズは|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|高笑《たかわら》い、
『アハハハハ。てもさても|異《い》な|事《こと》を|承《うけたまは》るものかな。|一旦《いつたん》|男子《だんし》が|決心《けつしん》した|事業《じげふ》に|対《たい》し|中途《ちうと》に|屁古《へこ》たれるとは、てもさても|親分《おやぶん》に|似合《にあは》ぬお|言葉《ことば》、もはや|今日《けふ》となつてはシーゴー|殿《どの》は|足《あし》を|洗《あら》ひ|真人間《まにんげん》になられたとのこと、このコーズは|断《だん》じて|道《みち》は|変《か》へませぬ。かうなる|上《うへ》は|貴方《あなた》と|私《わたし》は|親分《おやぶん》|乾児《こぶん》の|関係《くわんけい》も|自然《しぜん》と|消《き》えた|道理《だうり》だ。お|前《まへ》さまの|言葉《ことば》に|服従《ふくじう》する|義務《ぎむ》は|毛頭《まうとう》ないはずだ。コーズはコーズとしての|商売《しやうばい》を|勉強《べんきやう》せなくてはならない。どうか|邪魔《じやま》をして|下《くだ》さるな。オイ|部下《てした》ども、|何《なに》を|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》してゐるか。|片《かた》つ|端《ぱし》から|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|剥《む》いてしまへ』
と|下知《げち》すれば、|部下《ぶか》|一同《いちどう》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|又《また》もや|掠奪《りやくだつ》を|擅《ほしいまま》にせむとする。|老弱男女《らうじやくなんによ》はまたもや|悲鳴《ひめい》をあげて|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。その|惨状《さんじやう》|目《め》も|当《あ》てられぬばかりなりける。
シー『これやコーズ、どうしても|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》をきかぬのか。いや|改心《かいしん》せぬのか。|天道《てんだう》は|恐《おそ》ろしくないのか』
コー『エエかまうてくれない。|今《いま》までは|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|有《いう》する|大親分《おほおやぶん》だと|思《おも》つて、|尊敬《そんけい》もし|服従《ふくじう》もしてゐたのだが、|何《なに》に|感《かん》じてか|男《をとこ》らしくもない、|俄《には》かに|屁古《へこ》たれよつて|菩提心《ぼだいしん》を|起《おこ》すやうな|奴《やつ》は、|吾々《われわれ》|盗賊社会《たうぞくしやくわい》の|恥辱《ちじよく》だ。|貴様《きさま》もついでに|剥《む》いてやるから|覚悟《かくご》をせい』
シー『アツハハハハ、|猪口才千万《ちよこざいせんばん》な。それほど|剥《む》きたければ|剥《む》かしてやらう。サアどつからなと|剥《む》け。その|代《かは》りに|一《ひと》つより|無《な》い|命《いのち》を|要心《えうじん》せよ』
コー『なに|減《へ》らず|口《ぐち》を|叩《たた》きやがる。|貴様《きさま》の|部下《ぶか》になつてゐた|最初《さいしよ》には|僅《わづ》かに|四五人《しごにん》の|部下《ぶか》しか|無《な》かつたが、|今日《こんにち》はハルの|湖《うみ》に|出没《しゆつぼつ》する|五百人《ごひやくにん》の|海賊《かいぞく》の|大親分《おほおやぶん》だぞ。サア|神妙《しんめう》に|裸《はだか》になつて|持物《もちもの》|一切《いつさい》をコーズさまに|引《ひ》きつげ。|腰抜野郎《こしぬけやらう》|奴《め》』
かかる|折《を》りしも、|特等室《とくとうしつ》の|一隅《いちぐう》より|天地《てんち》も|割《わ》るるばかりの|生言霊《いくことたま》が|聞《き》こえ|来《き》たる。
『|一《ひと》|二《ふた》|三《み》|四《よ》|五《いつ》|六《むゆ》|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》ウーウーウーウー』
この|言霊《ことたま》に|不意《ふい》を|打《う》たれたコーズは|真青《まつさを》となつて、|数十《すうじふ》の|味方《みかた》と|共《とも》にこの|場《ば》を|逃《に》げ|出《だ》し、|甲板《かんばん》に|架《か》け|渡《わた》した|繩梯子《なはばしご》を|伝《つた》つて|吾《わ》が|船《ふね》に|飛《と》び|乗《の》り、|命《いのち》からがら|湖面《こめん》に|俄《には》かに|波《なみ》を|打《う》たせながら、|八挺艪《はつちやうろ》を|漕《こ》いで|雲《くも》を|霞《かす》みと|逃《に》げて|行《ゆ》く。シーゴーは|一般《いつぱん》の|船客《せんきやく》に、「|怪我《けが》はなかつたか、|持物《もちもの》は|安全《あんぜん》か」と|一々《いちいち》|尋《たづ》ね|廻《まは》り、|幸《さいは》ひ|一物《いちぶつ》をも|紛失《ふんしつ》してゐないのに|安心《あんしん》し、|拍手再拝《はくしゆさいはい》して|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》せり。ここに|梅公《うめこう》、ヨリコ|姫《ひめ》、|花香姫《はなかひめ》はニコニコしながら|現《あら》はれ|来《き》たり、|船客《せんきやく》|一同《いちどう》の|遭難《さうなん》を|慰問《ゐもん》したるが、|船客《せんきやく》|一同《いちどう》はシーゴーその|他《た》を|生神《いきがみ》のごとくに|尊敬《そんけい》し、|大難《だいなん》を|救《すく》はれし|事《こと》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》する。
シー『ハルの|湖《うみ》|往来《ゆきき》の|人《ひと》を|脅《おびや》かす
|曲《まが》のコーズは|脆《もろ》くも|逃《に》げける
|吾《わ》が|霊《たま》に|神《かみ》の|御光《みひかり》|幸《さち》はいて
|人《ひと》の|艱《なや》みを|救《すく》はせたまひぬ
アア|神《かみ》よ|守《まも》らせ|給《たま》へこの|船《ふね》を
スガの|港《みなと》の|埠頭《はと》につくまで
|梅公《うめこう》の|神《かみ》の|司《つかさ》の|言霊《ことたま》に
|脆《もろ》く|失《う》せけり|百《もも》の|醜神《しこがみ》』
|梅公《うめこう》『ありがたし|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|幸《さち》はひは
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|助《たす》けなりけり
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ひなば
|何《なに》をか|恐《おそ》れむ|醜《しこ》の|荒浪《あらなみ》』
ヨリコ|姫《ひめ》『|君《きみ》こそは|神《かみ》にますらむ|曲神《まがかみ》も
ただ|一言《ひとこと》に|逃《に》げ|失《う》せにけり
|吾《われ》は|今《いま》かかる|尊《たつと》き|師《し》の|君《きみ》に
|従《したが》ひて|往《ゆ》く|事《こと》の|嬉《うれ》しさ
|目《ま》の|当《あた》り|生言霊《いくことたま》の|神力《しんりき》を
|拝《をが》みまつりて|心《こころ》も|勇《いさ》む』
|花香姫《はなかひめ》『|勇《いさ》ましき|吾《わ》が|背《せ》の|君《きみ》の|言霊《ことたま》に
|滅《ほろ》び|失《う》せけり|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》も
かくばかり|神《かみ》の|御稜威《みいづ》の|高《たか》きをば
|悟《さと》り|得《え》ざりし|吾《われ》の|愚《おろ》かさ
|今《いま》はただ|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に
|身《み》も|霊魂《たましひ》も|任《まか》さむとぞ|思《おも》ふ』
かかる|所《ところ》へ|甲板《かんばん》に|縛《しば》られてゐたバラックは、|赤裸《まつぱだか》のまま|階段《かいだん》を|下《お》り|来《き》たつて、
『もし|誰《たれ》か|甲板《かんばん》に|来《き》て|下《くだ》さいませぬか。|誰《たれ》も|彼《か》も|赤裸《まつぱだか》に|繋《つな》がれてゐます。|私《わたし》はやうやく|綱《つな》を|切《き》つて|此所《ここ》に|参《まゐ》りましたが、|何《なに》か|刃物《はもの》がなけねば、|丸結《まるむす》びにしてございますから|解《ほど》くことが|出来《でき》ませぬ』
シーゴー『なに、デッキの|上《うへ》にも|船客《せんきやく》が|縛《しば》られてゐるといふのか。それや|可哀《かあい》さうだ。ヨシヨシ|今《いま》|俺《おれ》が|助《たす》けてやる』
といふより|早《はや》くバラックと|共《とも》に|甲板《かんばん》に|立《た》ち|出《い》でて|見《み》れば、|数十人《すうじふにん》の|船客《せんきやく》は|手足《てあし》を|厳《きび》しく|縛《いまし》められ、|所《ところ》どころにカスリ|傷《きず》を|負《お》い、|呻吟《しんぎん》してゐた。シーゴーは|手早《てばや》く|懐剣《くわいけん》の|鞘《さや》を|払《はら》つて|一人《ひとり》も|残《のこ》らず、|縛《いましめ》の|繩《なは》を|切《き》り|放《はな》ち、|衣服《いふく》|持物《もちもの》などを|念入《ねんい》りに|取調《とりしら》べて|各自《めいめい》に|渡《わた》してやつた。|一同《いちどう》の|船客《せんきやく》はシーゴーを|神《かみ》のごとく|尊敬《そんけい》し、|感《かん》|極《きは》まりて|嗚咽《をえつ》するものさへあつた。
|船長室《せんちやうしつ》には|船長《せんちやう》のアリーと|一人《ひとり》の|美人《びじん》が|何事《なにごと》かひそびそと|掛《か》け|合《あ》つてゐる。
アリー『|其《その》|方《はう》はどうしても|吾輩《わがはい》の|妻《つま》になつてくれないのか。|生殺与奪《せいさつよだつ》の|権《けん》を|握《にぎ》つたこの|俺《おれ》に|背《そむ》けば、お|前《まへ》の|為《ため》にはならないぞ。|性念《しやうねん》を|据《す》ゑてキツパリと|返答《へんたふ》をしろ』
ダリヤ『ハイ、|何《なん》と|仰《おほ》せられましても|私《わたし》は|親《おや》の|許《ゆる》しのない|以上《いじやう》は|御意《ぎよい》に|応《おう》ずる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。まして|私《わたし》は|母《はは》に|早《はや》く|別《わか》れ|今《いま》は|父《ちち》|一人《ひとり》。|私《わたし》の|帰《かへ》るのを|今《いま》か|今《いま》かと|待《ま》つてゐるでございませうから、|何卒《なにとぞ》こればかりはお|許《ゆる》しを|願《ねが》ひたいものです』
『お|前《まへ》は|俺《おれ》を|普通《ふつう》の|船長《せんちやう》と|思《おも》うてをるか。|俺《おれ》は|表面《へうめん》|波切丸《なみきりまる》の|船長《せんちやう》となつてゐるものの、|実《じつ》は|海賊《かいぞく》だ。お|前《まへ》を|部下《ぶか》のコークスに|掻《か》つ|攫《さら》はしたのは|大《おほ》いに|目的《もくてき》があつてのことだ。お|前《まへ》の|父《ちち》はアリスといつたであろう。スガの|港《みなと》の|薬種問屋《やくしゆどひや》であらうがな』
『どうして|又《また》、|貴方《あなた》はそんな|詳《くは》しい|事《こと》を|御存《ごぞん》じでございますか』
『|知《し》るも|知《し》らぬもあるものか。お|前《まへ》の|父《ちち》は|吾《わ》が|父母《ふぼ》の|仇《かたき》だ。|不倶戴天《ふぐたいてん》の|仇《あだ》とつけ|狙《ねら》ひ、どうかお|前《まへ》の|父《ちち》の|命《いのち》を|取《と》つて|親《おや》の|仇《あだ》を|報《むく》いたいのだが、あまり|警戒《けいかい》が|厳《きび》しきため|近寄《ちかよ》る|事《こと》が|出来《でき》ず、|遂《つひ》には|海賊《かいぞく》となり、|船長《せんちやう》と|化《ば》け|済《す》まして、お|前達《まへたち》|父子《おやこ》がこの|湖《うみ》を|渡《わた》る|時《とき》を|待《ま》つてゐたのだ。しかしながら|悪運《あくうん》の|強《つよ》い|其方《そなた》の|父《ちち》アリスは、|吾《わ》が|船《ふね》に|未《いま》だ|一度《いちど》も|乗《の》り|込《こ》んだ|事《こと》がないので|仇討《あだうち》の|望《のぞ》みも|達《たつ》せず、|怏々《おうおう》として|日夜《にちや》|煩悶《はんもん》してゐたのだ。お|前《まへ》の|母《はは》といふのはアンナと|言《い》つたであらうがな』
『ハイ|左様《さやう》でございました。どうしてまた|私《わたし》の|父《ちち》が|貴方様《あなたさま》の|親《おや》の|仇《あだ》でございますか。|詳《くはし》い|事《こと》をお|聞《き》かせ|下《くだ》さいませ』
『|俺《おれ》は|実《じつ》のところお|前《まへ》を|女房《にようばう》にしたくはない、なぜならば|父《ちち》の|仇《かたき》の|娘《むすめ》と|一緒《いつしよ》に|暮《くら》すのは|良心《りやうしん》がとがめ、かつ|親《おや》の|霊《れい》に|対《たい》して|済《す》まないからだ。|夫《それ》よりもお|前《まへ》の|首《くび》を|取《と》つて|父《ちち》の|墓前《ぼぜん》に|供《そな》へ、|父《ちち》の|修羅《しゆら》の|妄執《まうしふ》を|晴《は》らしさへすれば|俺《おれ》はそれで|満足《まんぞく》だ。しかしながらお|前《まへ》の|命《いのち》を|取《と》るに|先立《さきだ》つて|深《ふか》い|因縁《いんねん》を|聞《き》かしておかう。|恨《うら》んでくれな。|実《じつ》はかうだ、|俺《おれ》の|父《ちち》は|極貧《ごくまづ》しい|生活《せいくわつ》をしてゐたアリスタンといふ|売薬《ばいやく》の|行商人《ぎやうしやうにん》であつたが、|俺《おれ》の|母《はは》すなはちお|前《まへ》を|生《う》んだ|母《はは》のアンナは、|吾《わ》が|父《ちち》の|恋女房《こひにようばう》であつた。お|前《まへ》の|父《ちち》が|吾《わ》が|父《ちち》の|留守宅《るすたく》へやつて|来《き》て、|色々雑多《いろいろざつた》と|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らし、|吾《わ》が|母《はは》を|連《つ》れ|帰《かへ》つて|蔵《くら》の|中《なか》へ|閉《と》ぢ|込《こ》めおき、|否応《いやおう》いはさず、|無理往生《むりわうじやう》に|女房《にようばう》となし、その|中《なか》に|生《うま》れたのがお|前《まへ》だ。|父《ちち》は|女房《にようばう》を|取《と》られた|残念《ざんねん》さに、この|湖《みづうみ》に|身《み》を|投《な》げて|死《し》んだのだ。いはばお|前《まへ》は|胤異《たねちが》いの|兄妹《きやうだい》だ。|然《しか》しながら|吾《わ》が|母《はは》のアンナはお|前《まへ》の|父《ちち》に|愛情《あいじやう》を|濺《そそ》いでゐなかつた。お|前《まへ》には|母《はは》の|愛情《あいじやう》が|注《そそ》がれゐるのぢや|無《な》い。|狂暴《きやうばう》なる|父《ちち》の|悪血《あくち》が|固《かたま》つて|吾《わ》が|母《はは》の|体内《たいない》に|因果《いんぐわ》の|種《たね》が|宿《やど》つたのだ。お|前《まへ》のその|美《うつく》しい|顔《かほ》を|見《み》る|毎《ごと》にお|前《まへ》の|父《ちち》を|思《おも》ひ|出《だ》し、どうしても|殺《ころ》さねば|承知《しようち》ならないのだから、|殺《ころ》す|俺《おれ》も、|殺《ころ》されるお|前《まへ》も|因果《いんぐわ》だ、|諦《あきらめ》てくれ。|俺《おれ》は|父《ちち》に|対《たい》する|義務《ぎむ》がすまないからなあ、|哀《あは》れと|思《おも》はないではないが、|心《こころ》を|鬼《おに》にしてお|前《まへ》の|生命《いのち》を|取《と》るのだから』
ダリヤは|船長《せんちやう》の|物語《ものがたり》を|聞《き》いて|大《おほ》いに|驚《おどろ》き、|溜息《ためいき》をつきながら、
『アリー|様《さま》、|貴方《あなた》の|御立腹《ごりつぷく》は|御尤《ごもつと》もでございます。どうか|私《わたし》を|殺《ころ》して|下《くだ》さいませ、さうしてお|父上《ちちうへ》に|孝養《かうやう》をおつくし|下《くだ》さいませ。|同《おな》じ|腹《はら》から|生《うま》れた|兄《あに》に|殺《ころ》されると|思《おも》へば、|私《わたし》も|得心《とくしん》して、|成仏《じやうぶつ》いたします。|南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》』
と、|両掌《りやうて》を|合《あは》せ|紅涙《こうるゐ》|滴々《てきてき》として|祈願《きぐわん》してゐるその|不愍《ふびん》さ。さすがのアリーも|可憐《かれん》なる|妹《いもうと》の|姿《すがた》を|眺《なが》めては|首《くび》|切《き》りおとす|勇気《ゆうき》もなく、|燃《も》へさかる|胸《むね》の|炎《ほのほ》を|消《け》しかねて、|両手《りやうて》を|組《く》み|吐息《といき》をついてゐる。
『|咲《さ》き|匂《にほ》ふダリヤの|花《はな》も|木枯《こがらし》の
|冷《つめた》き|風《かぜ》に|散《ち》るぞ|悲《かな》しき』
『アアお|前《まへ》の|姿《すがた》を|見《み》るにつけ、|又《また》その|決心《けつしん》を|聞《き》くにつけ、|日頃《ひごろ》|仇《かたき》とつけ|狙《ねら》うた|俺《おれ》の|心《こころ》も|折《を》れ、|刃《やいば》を|下《くだ》す|勇気《ゆうき》もなくなつた。しかしお|前《まへ》と|俺《おれ》とは|腹《はら》は|一《ひと》つでも|霊《たま》は|一《ひと》つでない。|愛情《あいじやう》なき|母《はは》の|体内《たいない》には|愛情《あいじやう》のない|霊《れい》と|肉《にく》とが|宿《やど》つてをる。お|前《まへ》はお|前《まへ》の|父《ちち》の|片身《へんしん》だ。どうしてもお|前《まへ》を|討《う》たねばならぬ、どうか|勘忍《かんにん》してくれ。しかしながら|今日《けふ》はどうもお|前《まへ》を|討《う》つ|勇気《ゆうき》が|出《で》て|来《こ》ない、いつもの|密室《みつしつ》に|暫《しばら》く|監禁《かんきん》して|置《お》くから、|決《けつ》して|自害《じがい》などしてはならないぞ、|俺《おれ》の|手《て》にかかつて|死《し》んでくれ』
『ハイ、どうぞ|貴方《あなた》のお|好《す》きになさいませ。|私《わたし》は|最早《もはや》|命《いのち》は|惜《を》しみませぬ。|父《ちち》はスガの|港《みなと》に|私《わたし》の|帰《かへ》りを|待《ま》つてゐませうが、そんな|悪魔《あくま》と|聞《き》いては、もはや|父《ちち》の|家《いへ》に|帰《かへ》る|心《こころ》も|起《おこ》りませぬ。また|貴方《あなた》のお|心《こころ》を|聞《き》いては、|潔《いさぎ》よう|貴方《あなた》のお|手《て》にかかつて|死《し》にたうございます。たとへ|母《はは》の|血《ち》と|霊《れい》とが|私《わたし》の|体内《たいない》に|宿《やど》つて|居《ゐ》ないとしても、|貴方《あなた》は|私《わたし》の|兄上《あにうへ》に|違《ちが》ひありませぬ』
かくする|内《うち》に|夜《よ》の|帳《とばり》は|下《おろ》された。アリーはダリヤの|手《て》を|曳《ひ》いて|密《ひそ》かに|密室《みつしつ》に|導《みちび》き|入《い》れ、|堅《かた》く|錠前《ぢやうまへ》をおろしておいた。
ダリヤは|密室《みつしつ》に|繋《つな》がれ|死《し》を|覚悟《かくご》し、|健気《けなげ》にも|辞世《じせい》の|歌《うた》を|声《こゑ》も|静《しづ》かに|歌《うた》つてゐる。
『アア|味気《あぢき》なき|人《ひと》の|世《よ》や |天地《あめつち》の|間《あひ》に|人《ひと》と|生《うま》れ|出《い》でて
|二八《にはち》の|今日《けふ》の|春《はる》までも |蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《はぐ》くまれ
スガの|港《みなと》の|名花《めいくわ》ぞと |謳《うた》はれゐたる|吾《わ》が|身《み》にも
|夜嵐《よあらし》の|襲《おそ》ひ|来《く》るものか アア|懐《なつか》しき|吾《わ》が|母上《ははうへ》は
アリーが|父《ちち》のいとも|愛《あい》せる|恋人《こひびと》なりしと |初《はじ》めて|聞《き》きし|身《み》の|驚《おどろ》き
また|吾《わ》が|父上《ちちうへ》の|富《とみ》の|力《ちから》に|任《まか》かせつつ |道《みち》ならぬ|道《みち》を|歩《あゆ》ませ|給《たま》ひ
|人《ひと》|妻《つま》を|手《て》に|入《い》れて |恋《こひ》てふ|心《こころ》の|曲者《くせもの》に
|囚《とら》はれ|給《たま》ひし|悲《かな》しさよ |父《ちち》と|父《ちち》とは|敵同士《てきどうし》
|一人《ひとり》の|母《はは》の|胎内《たいない》ゆ |生《うま》れ|出《い》でたる|兄妹《おとどい》は
|又《また》もや|浮世《うきよ》の|敵《てき》と|敵《てき》 |如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|悪業《あくごふ》が
|吾《わ》が|身《み》の|上《うへ》に|廻《めぐ》り|来《こ》しぞ |思《おも》へば|思《おも》へば|味気《あぢき》なき
|浮世《うきよ》の|雲《くも》をいかにして |払《はら》はむ|由《よし》も|泣《な》くばかり
|継母《けいぼ》の|腹《はら》より|生《うま》れたる |吾《わ》が|兄《あに》|一人《ひとり》|在《ま》しませど
|何《なん》とはなしに|睦《むつ》まじからず |妾《わらは》は|今《いま》まで|吾《わ》が|兄《あに》の
|吾《われ》に|対《たい》する|情《つれ》なさを |怪《あや》しみゐたりしが
|今《いま》やアリーの|物語《ものがたり》 |聞《き》くに|及《およ》びて|吾《わ》が|兄《あに》は
|吾《わ》が|父上《ちちうへ》の|先妻《せんさい》が |腹《はら》に|宿《やど》りし|珍《うづ》の|子《こ》と
|悟《さと》りし|上《うへ》は|是非《ぜひ》もなや |最早《もはや》この|世《よ》に|生《い》きながらへて
|何《なに》をか|楽《たの》しまむ |同《おな》じ|母《はは》から|生《うま》れたる
アリーの|君《きみ》の|手《て》にかかり |情《つれ》なき|浮世《うきよ》を|後《あと》にして
|恋《こひ》しき|父《ちち》と|母上《ははうへ》の |居《ゐ》ます|霊界《みくに》に|進《すす》むべし
|吾《わ》が|垂乳根《たらちね》の|母上《ははうへ》は |先《さき》の|夫《をつと》ともろともに
|吾等《われら》を|待《ま》たせたまふべし |血潮《ちしほ》の|因縁《いんねん》はなけれども
|母《はは》の|夫《をつと》となりましし アリーの|父《ちち》は|吾《わ》が|義父《ちち》ぞ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされて
|三途《せうづ》の|川《かは》も|剣《つるぎ》の|山《やま》も |安《やす》く|越《こ》えさせ|給《たま》へかし
|六道《ろくだう》の|辻《つじ》|天《あめ》の|八衢《やちまた》の |関所《せきしよ》も|無事《ぶじ》に|過《よぎ》りて
|恋《こひ》しき|父母《ちちはは》の|坐《ま》します |天津御国《あまつみくに》に|至《いた》らせ|給《たま》へ
ひとへに|祈《いの》り|奉《たてまつ》る ひとへに|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る』
と|祈願《きぐわん》を|籠《こ》むる|時《とき》しもあれ、|密《ひそ》かに|錠前《ぢやうまへ》をコトリコトリと|捻《ね》じあけて、|覆面《ふくめん》|頭巾《づきん》のまま|忍《しの》び|入《い》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》ありけり。
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 加藤明子録)
第九章 ダリヤの|香《か》〔一七一一〕
ダリヤは|船底《せんてい》の|密室《みつしつ》に|監禁《かんきん》され、この|船《ふね》がスガの|港《みなと》へ|着《つ》くまでには、アリーが|暴虐《ばうぎやく》の|手《て》にかかつて|死《し》ぬるものと|決心《けつしん》してゐた。そして|健気《けなげ》にも|辞世《じせい》の|歌《うた》などを|詠《よ》んで、|死期《しき》の|至《いた》るを|待《ま》つてゐた。そこへコツコツと|忍《しの》び|足《あし》に|錠前《ぢやうまへ》をねぢあけて|這入《はい》つて|来《き》たのは、|自分《じぶん》が|小舟《こぶね》に|乗《の》つて|離《はな》れ|島《じま》へ|遊《あそ》びに|行《い》つた|帰《かへ》りがけ、かつさらはれたコークスであつた。コークスは|小声《こごゑ》になつて、
『コレ、ダリヤさま、お|前《まへ》さまはこの|船《ふね》が|遅《おそ》くとも、|明日《あす》の|日《ひ》の|暮《くれ》にはスガの|港《みなと》へ|着《つ》くのだから、|今夜中《こんやぢう》に|殺《ころ》されますよ。どうです、|私《わたし》が|小舟《こぶね》を|卸《おろ》してお|前《まへ》さまを|乗《の》せ、|離《はな》れ|島《じま》へ|漕《こ》ぎつけて|助《たす》けて|上《あ》げやうと|思《おも》つてゐるのだから、|物《もの》も|相談《さうだん》だが、|私《わし》の|女房《にようばう》になつて|下《くだ》さるでせうなア』
と|糞蛙《くそがへる》が|泣《な》きそこねたやうな|面《つら》から、|臭《くさ》い|臭《くさ》いドブ|酒《ざけ》の|息《いき》を|吹《ふ》きかけながら|口説《くど》きかけた。ダリヤは|柳眉《りうび》を|逆立《さかだ》て、|蜂《はち》を|払《はら》ふやうな|素振《そぶ》りをして、
『エー、|汚《けが》らはしい。|今《いま》さら|親切《しんせつ》ごかしに|妾《わたし》を|助《たす》け|出《だ》し、それを|恩《おん》に|着《き》せて、|女房《にようばう》になつてくれなどと、ようマアそんな|厚《あつ》かましい|事《こと》が|言《い》へましたなア。|妾《わたし》がこんな|破目《はめ》に|陥《おちい》つたのも、|皆《みな》お|前《まへ》さまのなす|業《わざ》ぢやないか。いはばお|前《まへ》さまは|妾《わたし》の|敵《かたき》だ。|妾《わたし》の|命《いのち》をおとすのも、お|前《まへ》さまの|為《ため》ぢやないか。なにほど|命《いのち》が|惜《を》しいといつても、そんな|悪党《あくたう》な|卑劣《ひれつ》な|泥棒根性《どろばうこんじやう》のお|前《まへ》さま|等《ら》に|靡《なび》くものがありますか。エ、|汚《けが》らはしい、とつとと、サア|彼方《あつち》へ|行《い》つて|下《くだ》さい。|胸《むね》がムカムカして|来《き》ましたよ。|一体《いつたい》お|前《まへ》さまの|名《な》は|何《なん》といふのだい。|冥途《めいど》の|土産《みやげ》に|聞《き》いておきたいからなア』
コークス『|俺《おれ》はな、アリー|親分《おやぶん》の|片腕《かたうで》と|聞《き》こえたるコークスといふ|哥兄《にい》さまだ。|何《なん》といつても|命《いのち》が|資本《もとで》だから、そんな|悪《わる》い|了簡《れうけん》を|出《だ》さずに、|俺《わし》の|言《い》ふことを|聞《き》いた|方《はう》が|可《よ》からうぜ。なにほど|名花《めいくわ》だつて、|梢《こずゑ》から|散《ち》りおつれば|三文《さんもん》の|価値《かち》もない。お|前《まへ》さまの|容貌《ようばう》は|天下《てんか》に|稀《まれ》なる|美貌《びばう》だ。|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》、|柳《やなぎ》の|眉《まゆ》、|日月《じつげつ》の|眼《まなこ》、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても|惚《ほ》れぼれするスタイルぢやないか。この|名花《めいくわ》をムザムザと|散《ち》らすのは|国家《こくか》のために|大《だい》なる|損害《そんがい》だ。|否《いな》|天下《てんか》の|美人《びじん》を|可惜《あたら》|地上《ちじやう》に|失《うしな》ふといふものだ。|俺《おれ》は|天下《てんか》のために、お|前《まへ》の|今晩《こんばん》|散《ち》る|事《こと》を|惜《を》しむのだ。どうだ、|物《もの》も|相談《さうだん》だが、|私《わし》と|一緒《いつしよ》に|逃《に》げ|出《だ》す|気《き》はないか。そして|私《わし》と|夫婦《ふうふ》になつて|睦《むつ》まじう|暮《くら》したら|何《ど》うだい。|何《なに》|程《ほど》この|顔《かほ》はヒヨツトコでも、メツカチでも、いふにいはれぬ|味《あぢ》が、どつかには|含《ふく》んでゐますよ。あの|鯣《するめ》をみなさい。|干《ひ》つからびた|皺苦茶《しわくちや》だらけ、みつともない|姿《すがた》をしてゐるが、【しがん】でみるとずゐぶん|甘《うま》い|味《あぢ》がしますよ。|何《なん》とも|言《い》へぬ|風味《ふうみ》が|含《ふく》まれてゐる。それを|一寸《ちよつと》|遠火《とほび》に|焼《や》くと、なほさら|味《あぢ》がよくなる。どうだい、このコークスの|意《い》に|従《したが》ふ|気《き》はないかな。お|前《まへ》さまも|命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》に|立《た》つてゐるのだから、ちつとばかり|男《をとこ》が|悪《わる》うても|辛抱《しんばう》するのだな。|何《なん》といつても|辛抱《しんばう》は|金《かね》だから、|悪《わる》い|事《こと》は|言《い》はない。お|前《まへ》の|為《ため》だ。|一《ひと》つは|俺《おれ》の|為《ため》だ。いいか、ちつとは|道理《だうり》が|分《わか》つたかい』
ダリヤ『ホホホホホ、いかにもコークスといふだけで、|黒《くろ》い|顔《かほ》だこと。お|前《まへ》さまは|舟《ふね》の|燃料《ねんれう》になるのが|天職《てんしよく》だよ。|天成《てんせい》の|美人《びじん》ダリヤ|姫《ひめ》に|向《む》かつて、|恋《こひ》の|鮒《ふな》のと、しなだれかかるのは|身分不相応《みぶんふさうおう》といふもの。いいかげんに|断念《だんねん》したが|可《よ》からうぞや。あたイケ|好《す》かない、ケチな|野郎《やらう》だな』
『オイオイ、ダリヤ|姫《ひめ》。さう|芋虫《いもむし》のようにピンピンはねるものぢやない。|人《ひと》は|愛情《あいじやう》がなくては、|木石《ぼくせき》も|同様《どうやう》だ。|折角《せつかく》|人間《にんげん》に|生《うま》れて、|木石《ぼくせき》に|等《ひと》しい|冷血漢《れいけつかん》になつちや、もはや|人間《にんげん》の|資格《しかく》はありませぬよ。お|前《まへ》さまも|人間《にんげん》らしい。|女《をんな》らしい|返答《へんたふ》をしたら|何《ど》うだい』
『ホホホホ、|人間《にんげん》に|対《たい》しては|人間《にんげん》らしい|事《こと》をいひ、|獣《けだもの》に|対《たい》しては|獣《けだもの》らしいことをいふのが|天地《てんち》の|道理《だうり》でせう。それが|相応《さうおう》の|理《り》による|惟神《かむながら》のお|道《みち》ですよ。お|前《まへ》さま、それでも|普通《ふつう》の|人間《にんげん》だと|思《おも》つてゐるのかい』
『オイ、あまツちよ。|失敬《しつけい》な|事《こと》をいふな。|今《いま》|首《くび》のとぶ|分際《ぶんざい》でゐながら、|何《なん》といふ|御託《ごうたく》を|吐《ほざ》くのだ。|人間《にんげん》を|超越《てうゑつ》して、|三間《さんげん》|四間《しけん》|権現《ごんげん》さまの|生《うま》れ|代《かは》りだ。あまり|見違《みちが》ひをすると、お|為《ため》にならないぞ。この|鉄棒《てつぼう》が|一《ひと》つ、お|前《まへ》の|横《よこ》ツ|面《つら》へお|見舞《みま》ひ|申《まを》すが|最後《さいご》、キヤツと|一声《ひとこゑ》この|世《よ》の|別《わか》れだ。|好《す》きでもない|冥土《めいど》へ|死出《しで》の|旅《たび》と|出《で》かけにやならぬぞ。オイそんな|馬鹿《ばか》な|考《かんが》へをすてて、|俺《おれ》の|言《い》ふ|通《とほ》り、そツと|此処《ここ》を|脱《ぬ》け|出《だ》さうぢやないか。そして、|俺《おれ》の|女房《にようばう》になる|成《な》らんは|後《あと》の|事《こと》だ。ぐづぐづしとるとお|前《まへ》の|命《いのち》が|失《な》くなつちや、さつきも|言《い》ふ|通《とほ》り|地上《ちじやう》の|損害《そんがい》だからな』
『ホホホホホ、|大《おほ》きにお|世話《せわ》さま。|妾《わたし》はアリーさまのお|手《て》にかかつて|殺《ころ》されるのを|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》としてゐますよ。|同《おな》じ|殺《ころ》されるにしても、お|前《まへ》さまのような、|人間《にんげん》だか|狸《たぬき》だか|鼬鼠《いたち》だか|正体《しやうたい》の|分《わか》らぬ|妖怪野郎《えうくわいやらう》に、たとへ|殺《ころ》されなくつても、ゴテゴテ|言《い》はれるのが|苦《くる》しい。|況《いは》んや|夫婦《ふうふ》にならうの、|助《たす》けてやらうのと、|何《なん》といふ|高慢《かうまん》をつくのだい。サアサア|早《はや》くお|帰《かへ》りお|帰《かへ》り。こんな|所《とこ》を|船長《せんちやう》に|見付《みつ》けられたが|最後《さいご》、お|前《まへ》さまの|笠《かさ》の|台《だい》が|宙空《ちうくう》に|飛《と》びますよ』
『|実《じつ》のところはお|前《まへ》さまと|一緒《いつしよ》に|殺《ころ》されたら|得心《とくしん》だ。やがて|船長《せんちやう》が、お|前《まへ》さまを|殺《ころ》しに|来《く》るだらうから、どうか、お|前《まへ》さま|一緒《いつしよ》に|死《し》んで|下《くだ》さらないか。せめても、それを|心《こころ》の|慰安《ゐあん》として、どこまでも|冥土《めいど》のお|伴《とも》をする|積《つも》りだから』
『エ、|頭《あたま》が|痛《いた》い、|厭《いや》な|事《こと》をいふ|野郎《やらう》だな。サアサア|早《はや》く|出《で》て|下《くだ》さい。シーツ シーツ シーツ。|一昨日《をととひ》|来《こ》ひ|一昨日《をととひ》|来《こ》ひ。ぐづぐづしてゐなさると|線香《せんかう》を|立《た》てますよ』
『まる|切《き》り、|人《ひと》を|青大将《あをだいしやう》か|蜘蛛《くも》のように|思《おも》つてゐるのだな。|箒《はうき》を|逆《さか》さまに|立《た》てて|頬冠《ほほかぶ》りをさしたつて、いつかないつかな、このコークスは|動《うご》かないのだ。お|前《まへ》さまも|可《い》いかげん|我《が》を|折《を》つて、ウンと|一口《ひとくち》|言《い》はツしやい。ウンといふ|一声《ひとこゑ》がお|前《まへ》さまの|運《うん》の|定《さだ》め|時《どき》だ』
『|誰《たれ》がお|前《まへ》さま|等《ら》に|向《む》かつて、ウンだのスンだのいふ|馬鹿《ばか》がありますか。チツとお|前《まへ》さまの|顔《かほ》と|相談《さうだん》しなさい。いな|知恵《ちゑ》と|相談《さうだん》なさつたが|可《よ》からう。|何程《なんぼ》お|前《まへ》さまが|手折《たを》らうと|思《おも》つたつて、|高嶺《たかね》に|咲《さ》いた|松《まつ》の|花《はな》だほどに、スツパリと|諦《あきら》めて、|釜《かま》たきなつとやりなさい。お|前《まへ》さまの|顔《かほ》は|猿《さる》によく|似《に》てゐる。|猿猴《ゑんこう》が|水《みづ》にうつつた|月《つき》を|掴《つか》まうとするような|非望《ひばう》を|止《や》めて、|船長殿《せんちやうどの》に|忠実《ちうじつ》にお|仕《つか》へなさい。そしたらまた|正月《しやうぐわつ》になつたら、おくびなりの|餅《もち》の|一切《ひとき》れや|二切《ふたき》れは|食《く》はしてもらはうとママですよ、ホホホホ』
コークスは|到底《たうてい》|言論《げんろん》ではダメだ、|直接行動《ちよくせつかうどう》に|限《かぎ》ると|決心《けつしん》したものか、|猛虎《まうこ》の|勢《いきほ》ひを|出《だ》して、|矢庭《やには》にダリヤを|其《その》|場《ば》に|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せ、オチコ、ウツトコ、ハテナを|決行《けつかう》せんとした。ダリヤは|一生懸命《いつしやうけんめい》の|声《こゑ》を|絞《しぼ》つて「アレー|助《たす》けてくれ|助《たす》けてくれ」と|身《み》をもだえながら、|生命《いのち》かぎりに|叫《さけ》んだ。|船長《せんちやう》のアリーは、をりから|監禁室《かんきんしつ》の|前《まへ》を|通《とほ》り、|怪《あや》しき|声《こゑ》がすると|思《おも》つてドアに|手《て》をかくれば、|何者《なにもの》かが|已《すで》に|入《い》つてるとみえ、かぎもかけずにパツと|開《あ》いた。みれば|右《みぎ》の|有様《ありさま》である。アリーは|懐剣《くわいけん》を|閃《ひらめ》かして|後《あと》からコークスの|背部《はいぶ》を|骨《ほね》も|通《とほ》れとつきさした。コークスはアツと|悲鳴《ひめい》をあげ、|空《くう》を|掴《つか》んでその|場《ば》に|黒血《くろち》を|吐《は》いて|倒《たふ》れてしまつた。
アリー『ダリヤさま、|危《あや》ふい|事《こと》でございましたな』
ダリヤ『ハイ、|誰《たれ》かと|思《おも》へば|船長《せんちやう》さまでございましたか。よう|来《き》て|下《くだ》さいました。あなたの|折角《せつかく》のお|楽《たの》しみを、|此奴《こやつ》が|横領《わうりやう》せんとし、|乱暴《らんばう》に|及《およ》んだところ、をりよく|来《き》て|下《くだ》さいまして、まづあなたの|為《ため》には|好都合《かうつがふ》でございましたね。|私《わたし》は|貴方《あなた》のお|手《て》にかかつて|死《し》なねばならぬ|身《み》の|上《うへ》でございますから、あなたが、|私《わたし》を|嬲《なぶ》り|殺《ごろ》しにして、お|楽《たの》しみなさるのを、|私《わたし》も|楽《たの》しみにしてまつてゐたのでございますよ』
『ダリヤさま、|私《わたし》も|心機一転《しんきいつてん》しました。どうぞ|卑怯者《ひけふもの》と|笑《わら》つて|下《くだ》さいますな。デッキの|上《うへ》でも|上《あが》つて、|星影《ほしかげ》でも|見《み》て|楽《たの》しみませう』
『これはまた|御卑怯《ごひけふ》な、なぜ|一旦《いつたん》|決心《けつしん》した|事《こと》を|掌《てのひら》を|返《かへ》すごとくにお|変《か》へなさつたのですか。|妾《わたし》は|不賛成《ふさんせい》です。サア、どうぞ、|始《はじ》めの|御意見《ごいけん》の|通《とほ》り、スツパリと|殺《ころ》して|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》も|一旦《いつたん》|死《し》を|決《けつ》した|以上《いじやう》は、|初心《しよしん》を|曲《ま》げるのは|心《うら》|恥《は》づかしう|存《ぞん》じます。あなたが|妾《わたし》を|殺《ころ》さないのならば、|妾《わたし》の|方《はう》から|自刃《じじん》して|果《は》てます』
といふより|早《はや》く、アリーの|懐剣《くわいけん》をもぎ|取《と》り、|吾《わ》が|喉《のど》につきあてむとする|一刹那《いつせつな》、アリーは|驚《おどろ》いて、その|手《て》に|飛付《とびつ》き、|短刀《たんたう》をもぎとつた。|其《そ》のはずみに、アリーは|自分《じぶん》の|親指《おやゆび》を|一本《いつぽん》おとしてしまつた。ダリヤは|驚《おどろ》いてその|指《ゆび》を|拾《ひろ》ひあげ、アリーの|手《て》にひつつけ、|自分《じぶん》の|下帯《したおび》を|解《と》いて、クルクルと|繃帯《ほうたい》した。|鮮血《せんけつ》|淋漓《りんり》として|銅張《あかがねは》りの|船底《せんてい》を|染《そ》めた。
ドアの|開《あ》いた|口《くち》から、さも|流暢《りうちやう》な|歌《うた》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。アリー、ダリヤの|二人《ふたり》は|耳《みみ》をすまして、ゆかしげにその|歌《うた》を|聞《き》いてゐる。
『ハルの|湖水《こすゐ》の|小波《さざなみ》よする スガの|港《みなと》の|片《かた》ほとり
|薬《くすり》を|四方《よも》にひさぎつつ |彼方《あなた》こなたとかけめぐり
|妹《いもうと》の|所在《ありか》を|尋《たづ》ねむと |神《かみ》に|願《ねが》ひをかけまくも
|畏《かしこ》き|恵《めぐ》みの|御露《おんつゆ》に |浴《よく》せむものとハルの|湖《うみ》
|彼方《あなた》|此方《こなた》とかけめぐり |何《いづ》れの|船《ふね》を|調《しら》べても
|恋《こひ》しきいとしき|吾《わ》が|妹《いもうと》の |影《かげ》だに|見《み》えぬ|悲《かな》しさに
|天《てん》に|哭《こく》し|地《ち》に|歎《なげ》き |波切丸《なみきりまる》の|甲板《かんばん》に
|涙《なみだ》を|絞《しぼ》る|折《を》りもあれ |三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|梅公別《うめこうわけ》の|神徳《しんとく》に |今《いま》は|包《つつ》まれ|吾《わ》が|母《はは》や
|行方《ゆくへ》も|知《し》れぬ|妹《いもうと》の ただ|冥福《めいふく》を|祈《いの》りつつ
|家《いへ》に|帰《かへ》れば|改《あらた》めて |三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》を
|斎《いつき》まつりて|遠近《をちこち》の |世人《よびと》|救《すく》はむ|吾《わ》が|覚悟《かくご》
うべなひ|給《たま》へ|惟神《かむながら》 |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|敬《うやま》ひねぎまつる |大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》はみつとも|虧《か》くるとも |救《すく》ひの|神《かみ》に|身《み》を|任《まか》せ
|救《すく》ひの|船《ふね》に|乗《の》せられて |浮世《うきよ》を|渡《わた》る|身《み》にしあれば
|如何《いか》なる|悩《なや》みの|来《き》たるとも |恐《おそ》るる|事《こと》のあるべきや
アアさりながら|妹《いもうと》は ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|諾《うべ》なひて |身《み》の|幸《さち》はひを|祈《いの》りしが
いかなる|魔神《まがみ》の|計《はか》らひか |島《しま》の|遊《あそ》びの|帰《かへ》り|路《ぢ》に
|心《こころ》も|荒《あら》き|海賊《かいぞく》の |群《むれ》におそはれ|其《そ》の|行方《ゆくへ》
|命《いのち》のほども|計《はか》られず |悲《かな》しき|破目《はめ》と|成果《なりは》てぬ
|日頃《ひごろ》|信《しん》ずるウラル|教《けう》の |神《かみ》を|祈《いの》りて|妹《いもうと》の
なやみを|救《すく》ひ|助《たす》けむと |家《いへ》のなりはひ|打《う》ちすてて
|彼方《あなた》|此方《こなた》とさまよへる |吾《わ》が|心根《こころね》を|知《し》らせたい
|何処《いづこ》の|人《ひと》の|憐《あは》れみを うけて|命《いのち》を|保《たも》つやら
|但《ただ》しはあの|世《よ》に|落《お》ちゆきしか |心《こころ》|許《もと》なき|吾《わ》が|思《おも》ひ
|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|大御神《おほみかみ》 |救《すく》はせ|給《たま》へ|三五《あななひ》の
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の |御前《みまへ》にすがり|奉《たてまつ》る』
と|歌《うた》ひながら、チクリチクリと|此方《こなた》に|向《む》かつて|近《ちか》より|来《き》たる。ダリヤ|姫《ひめ》はどこやらに|聞覚《ききおぼ》えのある|声《こゑ》だなア……とアリーの|負傷《ふしやう》を|介抱《かいはう》しながら、|耳《みみ》を|傾《かたむ》けてゐたが、いよいよ|兄《あに》のイルクと|確信《かくしん》し、|監禁室《かんきんしつ》の|中《なか》から、|細《ほそ》い|声《こゑ》を|出《だ》して、
『モシ、あなたはお|兄《あに》いさまぢやございませぬか。|妾《わたし》はダリヤでございますが』
この|声《こゑ》にイルクは|狂喜《きやうき》しながら、ドアのすきから|室内《しつない》を|覗《のぞ》き|込《こ》み、アツと|言《い》つたきり|少時《しばし》は|声《こゑ》さへ|発《はつ》し|得《え》なかつた。
ダリヤ『お|兄《あに》いさま、|最前《さいぜん》のお|歌《うた》を|聞《き》きますれば、|不束《ふつつか》な|妹《いもうと》をすて|給《たま》はず、|家業《かげふ》を|他所《よそ》にして、|妾《わたし》の|所在《ありか》を|捜《さが》してゐて|下《くだ》さつたさうですが、そんな|親切《しんせつ》なお|心《こころ》とは|知《し》らず、|今《いま》まで|腹違《はらちが》ひの|兄《あに》さまのやうに|思《おも》ひ、おろそかに|致《いた》してゐました|妾《わたし》の|罪《つみ》を|許《ゆる》して|下《くだ》さい。そんな|清《きよ》い|美《うる》はしいお|心《こころ》を|知《し》らず、ひがみ|根性《こんじやう》を|出《だ》して、お|恨《うら》み|申《まを》し、いつも|憂《うさ》はらしに|島《しま》へ|遊覧《いうらん》に|行《い》つたその|帰《かへ》りに、|冥罰《めいばつ》が|当《あた》つて|海賊《かいぞく》に|捉《とら》へられ、かやうな|所《ところ》に|押込《おしこ》められ、ここに|殺《ころ》されてるコークスといふ|悪性男《あくしやうをとこ》に|操《みさを》を|破《やぶ》られむとしてるところを、この|船長《せんちやう》さまに|救《すく》はれたところでございます。どうぞ|兄《にい》さまから|船長様《せんちやうさま》へ、よろしくお|礼《れい》を|言《い》つて|下《くだ》さいませ』
イルク『アアさうであつたか、|怖《こは》いところだつたな。イヤ|船長《せんちやう》さま、どうも|妹《いもうと》が|大《いか》いお|世話《せわ》になりました。|何《なに》からお|礼《れい》を|申《まを》してよいやら、あまり|有難《ありがた》くつて、お|礼《れい》の|言葉《ことば》も|存《ぞん》じませぬ』
アリー『イヤ|決《けつ》して、|私《わたし》はダリヤを|助《たす》けるような|良《い》い|心《こころ》はもつてゐなかつたのですが、|何《なん》だか|不思議《ふしぎ》なもので、つい|助《たす》ける|気《き》になつたのですよ。あなたのお|父《とう》さまは、|私《わたし》の|仇敵《あだかたき》、|何《なん》とかして|仇《かたき》を|打《う》ちたいと|思《おも》ひ、たうとう|海賊《かいぞく》になつて|敵討《かたきう》ちの|時機《じき》を|狙《ねら》つてゐたのです。しかるところ|手下《てした》のコークスが|貴方《あなた》の|妹《いもうと》を|甘《うま》く|生捕《いけど》つて|来《き》てくれたので、せめてはこの|娘《むすめ》を|殺《ころ》し、|亡父《ぼうふ》の|霊魂《れいこん》を|聊《いささ》か|慰《なぐさ》めたいと|思《おも》ひ、ダリヤさまを|殺《ころ》す|計画《けいくわく》をきめたのですが、あまり|立派《りつぱ》なお|志《こころざし》とその|落着《おちつ》いた|挙動《きよどう》に|感服《かんぷく》し、|今《いま》は|全《まつた》く|恨《うら》みも|何《なに》もサラリと|晴《は》れて、|却《かへ》つてダリヤさまのお|味方《みかた》をするようになつたのです。それのみならず、この|通《とほ》り、|拇指《おやゆび》を|切《き》り|落《お》とし、|困《こま》つてゐたところ、ダリヤさまの|介抱《かいはう》でやうやくウヅキも|止《と》まり、かへつてお|礼《れい》は|私《わたし》の|方《はう》から|申《まを》し|上《あ》げねばならないのです』
と|自分《じぶん》の|母《はは》のアンナが、イルクの|父《ちち》に|無理往生《むりわうじやう》に|操《みさを》を|破《やぶ》らせられ、|泣《な》きの|涙《なみだ》で|女房《にようばう》になつたことや、また|自分《じぶん》の|父《ちち》がこれを|恨《うら》んでハルの|湖《うみ》に|身《み》を|投《な》げて|死《し》んだことなどを、|涙《なみだ》と|共《とも》に|物語《ものがた》つた。イルクは|始終《しじう》の|話《はなし》を|聞《き》いて、|深《ふか》い|吐息《といき》をつきながら|黙然《もくぜん》として|二人《ふたり》の|顔《かほ》を|見《み》つめてゐた。これよりアリーは|梅公《うめこう》の|懇篤《こんとく》なる|神《かみ》の|教《をしへ》を|受《う》け、|悪心《あくしん》を|翻《ひるがへ》し、|海賊《かいぞく》をサラリと|止《や》め、この|湖水《こすゐ》を|渡航《とかう》する|船客《せんきやく》の|守《まも》り|神《がみ》となつて、その|美名《びめい》を|永《なが》く|世《よ》に|謳《うた》はれた。
|翌日《よくじつ》の|夕暮《ゆふぐれ》ごろ、|波切丸《なみきりまる》は|無事《ぶじ》にスガの|港《みなと》へ|横着《よこづ》けとなりにけり。
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
第一〇章 スガの|長者《ちようじや》〔一七一二〕
|港《みなと》の|家々《いへいへ》の|点燈《ともしび》は|湖水《こすゐ》に|映《うつ》り、あたかも|不夜城《ふやじやう》のごとくにみえた。|天空《てんくう》|冴《さ》え|渡《わた》り、|星光《せいくわう》きらめき|亘《わた》つて、えも|言《い》はれぬ|清新《せいしん》の|空気《くうき》が|漂《ただよ》うた。|数百人《すうひやくにん》の|乗客《じやうきやく》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|棧橋《さんばし》を|渡《わた》り、おのおの|家路《いへぢ》に|帰《かへ》る|者《もの》、|宿《やど》を|求《もと》めて|行《ゆ》く|者《もの》、|一時《いちじ》は|非常《ひじやう》な|雑鬧《ざつたう》を|極《きは》めた。|梅公《うめこう》|一行《いつかう》は|今《いま》や|船《ふね》をおりんとする|時《とき》、|船長《せんちやう》のアリーはあわただしく|梅公司《うめこうつかさ》の|前《まへ》に|跪《ひざまづ》き、|熱《あつ》い|涙《なみだ》を|流《なが》しながら、
『|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|思《おも》はぬ|御縁《ごえん》によりまして、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|聞《き》かして|頂《いただ》き、また|日頃《ひごろ》の|妄執《まうしふ》もサラリと|晴《は》れました。これよりは|父《ちち》の|仇《あだ》を|報《はう》ずる|代《かは》りに、|往来《ゆきき》の|人《ひと》を|吾《わ》が|子《こ》のごとくに|愛護《あいご》し、|善一筋《ぜんひとすぢ》に|立《た》ち|返《かへ》ります。どうか|私《わたし》たちの|身《み》の|上《うへ》に、|平和《へいわ》と|喜《よろこ》びの|幸《さち》あらむ|事《こと》をお|守《まも》り|下《くだ》さいませ。この|船《ふね》が|無《な》ければ、|私《わたし》は|何処《どこ》までもお|伴《とも》が|願《ねが》ひたいのでございますが、|今日《こんにち》の|事情《じじやう》|許《ゆる》しませぬから、|残念《ざんねん》ながらお|別《わか》れ|申《まを》します。どうぞ|途中《とちう》|無事《ぶじ》に|神業成就《しんげふじやうじゆ》して、|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|凱旋《がいせん》|遊《あそ》ばすやう、|私《わたし》も|朝夕《あさゆふ》お|祈《いの》り|致《いた》してをります。|次《つぎ》にダリヤさま、イルクさま、|私《わたし》は|今《いま》まであなたの|家庭《かてい》を|仇敵《きうてき》として|附《つ》け|狙《ねら》つてをりましたが、|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては|三五《あななひ》の|神風《かみかぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》はれ、|心中《しんちう》|一点《いつてん》の|塵《ちり》も|止《と》めない|清浄無垢《せいじやうむく》の|霊身《れいしん》に|立《た》ち|返《かへ》つたやうな|精神《せいしん》がいたします。|恨《うら》み、|妬《ねた》みも|憤怒《ふんど》の|念《ねん》もございませぬから、どうぞ|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。そしてダリヤさまは|私《わたし》と|同《おな》じ|母《はは》の|胎内《たいない》より|生《うま》れた、いはば|私《わたし》の|妹《いもうと》も|同様《どうやう》ですから、どうか|今後《こんご》は|親《した》しく|御交際《ごかうさい》を|願《ねが》ひたうございます。お|父《とう》さまにも|宜《よろ》しくおつしやつて|下《くだ》さいませ』
イルク『|何事《なにごと》も|因縁事《いんねんごと》でございませう。|私《わたし》も|今《いま》の|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》を|聞《き》いて|安心《あんしん》いたしました。|実《じつ》のところは、|今《いま》まで|貴方《あなた》が|私《わたし》の|父《ちち》を|附狙《つけねら》つてゐられるといふ|事《こと》を、|方々《はうばう》の|人々《ひとびと》から|内聞《ないぶん》|致《いた》しまして、|内々《ないない》|心配《しんぱい》してゐたところでございますが、|最早《もはや》そのお|言葉《ことば》を|聞《き》く|上《うへ》は、|私《わたし》も|此《この》|世《よ》の|中《なか》が|広《ひろ》くなつたやうな|心持《こころも》ちがいたします。ダリヤに|対《たい》して|貴方《あなた》は|兄上《あにうへ》さま、また|私《わたし》もダリヤに|対《たい》しては|兄《あに》でございますから、どうか|三人兄妹《さんにんきやうだい》となつて、|仲《なか》よう|神様《かみさま》の|恵《めぐ》みに|抱《いだ》かれて、|世《よ》の|中《なか》を|渡《わた》らうぢやございませぬか』
アリ『ハイ|有難《ありがた》うございます。こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は、|生《うま》れてから|一度《いちど》も|味《あぢ》はつた|事《こと》はございませぬ。どうか|親子兄妹《おやこきやうだい》|仲《なか》よう|暮《く》らして|下《くだ》さいませ。|時《とき》にダリヤさま、|私《わたし》は|月《つき》に|一回《いつくわい》づつこの|港《みなと》へ|参《まゐ》りますから、またどうぞ|遊《あそ》びに|来《き》て|下《くだ》さい』
ダリ『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|貴方《あなた》もこの|港《みなと》へお|着《つ》きになつたならば、キツと|私《わたし》の|宅《たく》をお|訪《たづ》ね|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|本当《ほんたう》の|兄《にい》さまのように|存《ぞん》じてをりますから』
アリー『|有難《ありがた》し|皇大神《すめおほかみ》の|御恵《みめぐ》みに
|日頃《ひごろ》の|胸《むね》の|雲霧《くもきり》はれぬる』
ダリヤ『|一度《ひとたび》は|恐《こ》はしと|思《おも》ひ|一度《ひとたび》は
|恋《こひ》しと|思《おも》ひし|人《ひと》に|別《わか》るる
|恋雲《こひぐも》も|吾《わ》が|兄上《あにうへ》と|聞《き》きしより
|拭《ぬぐ》ふがごとく|晴《は》れにけるかな』
アリー『|胤違《たねちが》ひ|吾《わ》が|妹《いもうと》と|知《し》りながら
|恋《こひ》のきづなに|縛《しば》られにける
アアされど|神《かみ》の|教《をしへ》の|畏《かしこ》ければ
|道《みち》ならぬ|道《みち》|行《ゆ》くすべもなし』
|梅公《うめこう》『|大空《おほぞら》の|星《ほし》|冴《さ》えわたり|両人《りやうにん》が
きよき|心《こころ》を|照《て》りあかしぬる』
ヨリコ|姫《ひめ》『いざさらばアリーの|君《きみ》に|別《わか》れなむ
|安《やす》くましませ|湖《うみ》の|浪路《なみぢ》を』
アリー『ヨリコ|姫《ひめ》|珍《うづ》の|言霊《ことたま》おだやかに
|吾《わ》が|魂《たましひ》を|打《う》ちぬきにける』
|花香姫《はなかひめ》『|惟神《かむながら》|厳《いづ》の|道芝《みちしば》ふみしより
いとさまざまの|色《いろ》をみる|哉《かな》』
かく|互《たが》ひに|別《わか》れの|歌《うた》を|歌《うた》ひながら、|軒燈《けんとう》|輝《かがや》くスガの|港《みなと》の|市中《しちう》をイルクが|館《やかた》を|指《さ》して、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。
スガの|港《みなと》の|百万長者《ひやくまんちやうじや》と|聞《き》こえたるアリスの|館《やかた》は|広大《くわうだい》なる|土塀《どべい》をめぐらし、|数十棟《すうじつとう》の|麗《うるは》しき|邸宅《ていたく》や|倉庫《さうこ》が|建《た》ち|並《なら》び、|天《てん》を|封《ふう》じて|鬱蒼《うつさう》たる|庭木《にはき》が|彼方《あなた》|此方《こなた》に|立《た》ち|並《なら》び、|自然《しぜん》の|森《もり》をなしてゐた。|表門《おもてもん》には|二人《ふたり》の|門番《もんばん》が、|若主人《わかしゆじん》や|姫君《ひめぎみ》の|帰宅《きたく》なきに|心《こころ》を|痛《いた》め、|酒《さけ》を|呑《の》みながら|小声《こごゑ》に|囁《ささや》いてゐる。
|甲《かふ》『オイ、アル、|嬢様《ぢやうさま》は|今日《けふ》で|半月《はんつき》ばかりになるのに、まだお|帰《かへ》りにならないが、|一体《いつたい》どうなさつたのだらう。|離《はな》れ|島《じま》へ|御遊覧《ごいうらん》の|帰《かへ》り|路《みち》に|海賊《かいぞく》にさらはれ|遊《あそ》ばしたきり、|何《なん》の|音沙汰《おとさた》もないのだから、|親旦那《おほだんな》も|此《この》|頃《ごろ》の|御心配《ごしんぱい》さうな|顔《かほ》といつたら、|見《み》るもお|気《き》の|毒《どく》のやうだ。それに|若旦那《わかだんな》はまた|十日前《とをかまへ》から、お|嬢《ぢやう》さまの|行方《ゆくへ》を|探《さが》して|来《く》ると|言《い》つて|行《ゆ》かれたきり、これも|何《なん》の|音沙汰《おとさた》もないぢやないか。まるで|木乃伊取《みいらと》りが|木乃伊《みいら》になつたやうなものだなア』
アル『|何《なん》といつても、|目付役《めつけやく》が|無能《むのう》だからね。まして|海賊《かいぞく》に|捉《とら》はれたなんて|言《い》はうものなら、|真青《まつさを》な|顔《かほ》をして|慄《ふる》うてゐるのだから、たまつたものだないワ。|鼠取《ねずみと》らぬ|猫《ねこ》は|飼《か》うとく|必要《ひつえう》はないのだけれどなア』
カル『|本当《ほんたう》に|汝《きさま》のいふ|通《とほ》りだよ。|去年《きよねん》の|春《はる》だつたが、この|珍館《うづやかた》へ|泥棒《どろばう》が|忍《しの》び|込《こ》んだ|時《とき》、|俺《おれ》が|一目散《いちもくさん》に|目付役《めつけやく》へ|飛込《とびこ》んで、|目付役《めつけやく》に、|今《いま》|泥棒《どろばう》が|這入《はい》つてゐますから、|今《いま》すぐに|来《き》てしばつて|下《くだ》さいと|言《い》つたら、|目付役《めつけやく》の|奴《やつ》、|真青《まつさを》な|面《つら》しやがつて、|地震《ぢしん》の|孫《まご》のやうにビリビリとふるうてばかりゐやがつて、|早速《さつそく》に|出《で》て|来《こ》やうとしやがらぬ。そこに|七八人《しちはちにん》の|部下《ぶか》の|目付《めつけ》がコクリコクリと|夜舟《よぶね》をこいでゐたが、|俺《おれ》が|泥棒《どろばう》が|入《はい》つたといふ|声《こゑ》を|聞《き》いて、ビツクリ|目《め》をさまし、|梟《ふくろ》のよな|目《め》をさらし、|泥棒《どろばう》の|人相《にんさう》はどうだ、|何人連《なんにんづ》れか、|年《とし》はいくつくらゐだ、どこから|入《はい》つたか、|着物《きもの》の|縞柄《しまがら》はどうだ、|男《をとこ》か|女《をんな》か、|老人《らうじん》か|子供《こども》か、|跛《びつこ》か|眼《め》つかちかなど|聞《き》かいでもよいことを|聞《き》きやがつて、グヅグヅ|時間《じかん》をのばし、よいかげん|泥棒《どろばう》が|帰《かへ》つたころ、ブリキをちやらつかせてやつて|来《こ》やうといふ|算段《さんだん》だ。|案《あん》の|定《ぢやう》、|帰《かへ》つて|来《く》ると、|泥棒《どろばう》がグツスリ|仕事《しごと》をして|帰《かへ》つて|了《しま》つた|跡《あと》だつた。|本当《ほんたう》に|盲目付《めくらめつけ》の|状態《じやうたい》だ。|到底《たうてい》|吾々《われわれ》はこんな|泥棒《どろばう》の|蔓延《まんえん》する|世《よ》の|中《なか》に、|安心《あんしん》して|暮《くら》すこた|出来《でき》ないワ、|目付《めつけ》といふ|者《もの》は|間《ま》に|合《あ》はぬものだね』
アル『それもさうだらうかい。わづかな|月給《げつきふ》をもらつて、|夜《よ》も|昼《ひる》もこき|使《つか》はれ、|命《いのち》がけの|仕事《しごと》をせいと|言《い》はれちや、|誰《たれ》だつて|尻込《しりご》みするよ。|目付《めつけ》になる|奴《やつ》ア、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|社会《しやくわい》の|落伍者《らくごしや》ばかりだからな。チツとばかり|気骨《きこつ》のある|者《もの》なら、|誰《たれ》がそんなつまらぬ|役《やく》を|勤《つと》めるものかい、|小学校《せうがくかう》の|教員《けうゐん》には|学《がく》が|足《た》らずしてなれず、|商売《しやうばい》せうにも|資本《しほん》はなし、|働《はたら》くのは|厭《いや》なり、つまり|堕落書生上《だらくしよせいあ》がりが|食《く》はむが|悲《かな》しさに|奉職《ほうしよく》してゐるのだから、チツタ、|大目《おほめ》に|見《み》てやらねばなろまいよ』
カル『しかし、|目付《めつけ》は|月給《げつきふ》が|安《やす》いから、まづ|大目《おほめ》にみるとしたところで、|目付頭《めつけがしら》の|奴《やつ》、エラさうに|大将面《たいしやうづら》をさげてをりながら、|泥棒《どろばう》と|聞《き》いて、|腰《こし》を|抜《ぬ》かさむばかりに|驚《おどろ》くのだから|恐《おそ》れ|入《い》るぢやないか。|今時《いまどき》の|役者《やくしや》にロクな|奴《やつ》がありさうなこたないけれど、|人民保護《じんみんほご》の|任《にん》にある|目付役《めつけやく》がこんなザマでは、|天下《てんか》はますます|紛乱《ふんらん》するばかりだ。|呑舟《どんしう》の|魚《うを》は|法網《はふまう》を|破《やぶ》つて|逃《のが》れ、|小魚《こうを》やモロコは|皆《みな》ふん|縛《じば》られて|獄中《ごくちう》に|呻吟《しんぎん》してゐる|世《よ》の|中《なか》だから、|到底《たうてい》お|規定《きて》をたよりに、|吾々《われわれ》は|安閑《あんかん》と|暮《くら》すわけには|行《ゆ》かぬ。|自守団《じしゆだん》でも|組織《そしき》して|自《みづか》ら|守《まも》るより|途《みち》はないだないか』
などと|目付役《めつけやく》の|悪口《あくこう》をついてゐる。そこへイルク、ダリヤの|兄妹《きやうだい》は|宣伝使《せんでんし》に|送《おく》られて|悠々《いういう》と|帰《かへ》つて|来《き》た。アル、カルの|両人《りやうにん》は|夢《ゆめ》かとばかり|狂喜《きやうき》しながら、
アル『これはこれは、|若旦那様《わかだんなさま》、お|嬢《ぢやう》さま、|待《ま》ちかねましてございます』
カル『マアマアマア、|無事《ぶじ》でよう|帰《かへ》つて|下《くだ》さいました。これで|私《わたし》|達《たち》も|睾丸《きんたま》のしわが|伸《の》びました。|親旦那様《おほだんなさま》のお|顔《かほ》のしわも|今日《けふ》からのんびりとする|事《こと》でございませう。ヤ、|沢山《たくさん》なお|連《つれ》さまでございますな』
イルク『さぞお|父《とう》さまが|待《ま》つてゐられただらうな。サア|早《はや》く|案内《あんない》してくれ。イヤ、お|父《とう》さまに|二人《ふたり》が|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つたと|申《まを》し|上《あ》げてくれ。その|間《あひだ》に|足《あし》でも|洗《あら》つてゐるから』
「ハイ|畏《かしこ》まりました」とカルを|門《もん》に|残《のこ》しおき、アルはアリスの|居間《ゐま》に|急《いそ》ぎかけ|込《こ》んだ。|主人《あるじ》のアリスは|奥《おく》の|一間《ひとま》にウラル|彦《ひこ》の|神《かみ》を|念《ねん》じ|終《をは》り、|煙草《たばこ》をくゆらしながら、|首《くび》を|傾《かたむ》け、|独《ひと》り|言《ごと》をいつてゐる。
『アア|私《わし》ほど|型《かた》の|悪《わる》い|者《もの》が|世《よ》にあらうか。|親《おや》|代々《だいだい》から|沢山《たくさん》な|財産《ざいさん》は|譲《ゆづ》られて、|生活上《せいくわつじやう》の|困難《こんなん》は|少《すこ》しも|感《かん》じないが、|肝腎《かんじん》の|女房《にようばう》はイルクを|生《う》んだまま、|産後《さんご》の|肥立《ひだ》ち|悪《わる》く、|冥土黄泉《めいどくわうせん》の|客《きやく》となり、|三年《さんねん》が|間《あひだ》|空閨《くうけい》を|守《まも》つて|妻《つま》の|菩提《ぼだい》を|弔《とむら》うてゐた。|思《おも》ひまはせば|吾《わ》が|家《や》へ|古《ふる》くより|出入《でいり》する|売薬行商人《ばいやくぎやうしやうにん》の|女房《にようばう》が|自分《じぶん》の|亡《な》くなつた|妻《つま》にその|容貌《ようばう》そつくりなので、|忽《たちま》ち|煩悩《ぼんなう》の|犬《いぬ》に|逐《お》はれ、|道《みち》ならぬこととは|知《し》りながら、|女房《にようばう》の|側《そば》へ|主人《しゆじん》の|不在《ふざい》を|考《かんが》へて、|幾度《いくど》となく|言《い》いよつてみたが、どうしても|頑《ぐわん》として|応《おう》じてくれぬ。|恋《こひ》の|炎《ほのほ》は|吾《わ》が|身《み》をこがさんばかりに|燃《も》え|立《た》つて、|到底《たうてい》こばり|切《き》れないので、|無理《むり》と|知《し》りつつ|彼《か》の|女房《にようばう》アンナを|手《て》だてを|以《もつ》て、|吾《わ》が|館《やかた》へ|引張《ひつぱ》り|込《こ》み、|倉《くら》の|中《なか》へ|閉《と》ぢこめておいて、|無理往生《むりわうじやう》に|女房《にようばう》となし、|遂《つひ》に|妹《いもうと》のダリヤを|生《う》んだが、|又《また》もやアンナは|先妻《せんさい》と|同様《どうやう》|産後《さんご》の|肥立《ひだ》ちが|悪《わる》く、|先妻《せんさい》の|命日《めいにち》に|亡《な》くなつて|了《しま》つた。そして|彼《かれ》の|夫《をつと》は|女房《にようばう》をとられたのが|残念《ざんねん》さに、ハルの|湖水《こすゐ》に|身《み》を|投《な》げて|死《し》んで|了《しま》つた、|思《おも》へば|思《おも》へば|自分《じぶん》の|運《うん》の|悪《わる》いのも|天《てん》の|為《な》す|業《わざ》であらう。|杖《つゑ》とも|力《ちから》とも|柱《はしら》とも|頼《たの》む|二人《ふたり》の|愛児《あいじ》は、|又《また》もや|行方不明《ゆくへふめい》となり、ただ|一人《ひとり》|巨万《きよまん》の|富《とみ》を|抱《かか》へて、この|世《よ》に|残《のこ》つてゐても、|何一《なにひと》つの|楽《たの》しみもなく、それだといつて、|死《し》ぬにも|死《し》なれず、|現世《げんせ》において|犯《をか》した|罪《つみ》の|報《むく》いによつて、|死後《しご》は|必《かなら》ず|地獄《ぢごく》のドン|底《ぞこ》に|落《お》とされるだらう。それを|思《おも》へば|淋《さび》しながらも、|一日《いちにち》でも|此《この》|世《よ》に|永《なが》らへてをりたいやうな|気《き》もする。アアどうしたら、この|苦患《くげん》から|逃《のが》れる|事《こと》ができるだらう。ウラル|彦《ひこ》の|神様《かみさま》を|念《ねん》じながら、|心《こころ》の|底《そこ》を|神様《かみさま》に|見透《みす》かされるやうな|気《き》がして、|何《なん》だか|恐《おそ》ろしいやうだ。|神様《かみさま》の|前《まへ》へ|出《で》るのでさへもおづおづして|来《く》る。アア|淋《さび》しいことだ。もはや|二人《ふたり》の|吾《わ》が|子《こ》は、|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|来《く》る|気遣《きづか》ひはあるまい。アアどうしたら|可《よ》からうかなア』
と|首《くび》をうな|垂《だ》れて、|悔《くや》み|涙《なみだ》にくれてゐた。そこへ|門番《もんばん》のアルが|慌《あわ》ただしく、ニコニコとして|現《あら》はれ|来《き》たり、
『|大旦那様《おほだんなさま》、お|喜《よろこ》びなさいませ。お|二人様《ふたりさま》が|無事《ぶじ》お|帰《かへ》りになりました』
アリス『ナニ、|二人《ふたり》が|帰《かへ》つたか。そしてどちらも|機嫌《きげん》ようしてゐるか』
アル『ハイ、シヤンシヤンしてゐられますよ。|何《なん》だか|四人《よにん》ばかりお|伴《つ》れがあるやうでございます。|詳《くは》しいことは|存《ぞん》じませぬが、|若旦那様《わかだんなさま》もお|嬢様《ぢやうさま》も、あの|方々《かたがた》に|助《たす》けられてお|帰《かへ》りになつたのぢやなからうかと|思《おも》ひます。|今《いま》お|足《あし》を|洗《あら》つてゐられますから、やがてここへお|出《い》でになりませう』
アリス『それは|何《なに》より|嬉《うれ》しい|事《こと》だ。|私《わし》はこれからウラルの|神様《かみさま》へお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げるから、お|前《まへ》たちは|番頭《ばんとう》や|下女《げぢよ》にさう|言《い》つてくれ。|早《はや》く|夕飯《ゆふげ》の|用意《ようい》をせよ』
アル『ハイ、|畏《かしこ》まりました。|左様《さやう》ならば|旦那様《だんなさま》』
と|言《い》ひながら、|勝手元《かつてもと》をさして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。アリスは|神殿《しんでん》に|向《む》かひ|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》してゐる。
『|天地《てんち》|万有《ばんいう》の|大司宰神《だいしさいじん》たるウラル|彦《ひこ》の|大神《おほかみ》の|御前《おんまへ》に、スガの|里《さと》の|薬屋《くすりや》の|主人《あるじ》、アリス|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ、|感謝《かんしや》の|辞《ことば》を|捧《ささ》げます。|日《ひ》に|夜《よ》に|罪悪《ざいあく》を|重《かさ》ね|来《き》たりし、|悪魔《あくま》に|等《ひと》しき|吾々《われわれ》が|身魂《みたま》をも|見《み》すて|給《たま》はず、|最愛《さいあい》なる|吾《わ》が|伜《せがれ》、|吾《わ》が|娘《むすめ》を|安全《あんぜん》|無事《ぶじ》に、|吾《わ》が|家《や》に|帰《かへ》させ|給《たま》ひし、その|広《ひろ》き|厚《あつ》き|御恩徳《ごおんとく》を、|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》いたします。|今日《こんにち》まで、|吾《わ》が|身《み》は|貪瞋痴《どんしんち》の|三毒《さんどく》にあてられ、|五逆十悪《ごぎやくじふあく》の|巷《ちまた》に|迷《まよ》ひ、|人《ひと》の|貧苦困窮《ひんくこんきう》を|意《い》に|介《かい》せず、|利己一片《りこいつぺん》の|利《り》に|走《はし》り、|大神《おほかみ》の|御子《みこ》たる|数多《あまた》の|人民《じんみん》を|苦《くる》しめまつり、|加《くは》ふるに|人《ひと》の|妻女《さいぢよ》を|奪《うば》ひ、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》して|参《まゐ》りました。|極重悪人《ごくぢうあくにん》の|私《わたくし》をも|見《み》すて|給《たま》はず、|御恵《おんめぐ》み|下《くだ》さいましたその|広大無辺《くわうだいむへん》の|御仁慈《ごじんじ》に|対《たい》し、|感謝《かんしや》にたへませぬ。アア|神様《かみさま》、|私《わたくし》は|今日《こんにち》より|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|改《あらた》め、|祖先《そせん》より|伝《つた》はりし|一切《いつさい》の|財産《ざいさん》をあなたに|奉《たてまつ》り、スガ|山《やま》の|山元《やまもと》に|清浄《しやうじやう》の|地《ち》を|選《えら》み、|荘厳《さうごん》なる|社殿《しやでん》を|営《いとな》み、わが|罪悪《ざいあく》の|万分一《まんぷんいつ》をつぐなひ、|来世《らいせ》の|冥福《めいふく》を|与《あた》へられむことを|祈《いの》り|奉《たてまつ》ります。どうか|吾《わ》が|願《ねが》ひを|平《たひ》らけく|安《やす》らけく、|相《あひ》うべなひ|下《くだ》さいまして、|子孫《しそん》|永久《えいきう》に|立《た》ち|栄《さか》え、|大神《おほかみ》の|御恩徳《ごおんとく》に|永久《とこしへ》に|浴《よく》し|得《う》るやう、|御守護《ごしゆご》あらむことを、ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》ませ』
と|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》をこぼしながら、|感謝《かんしや》と|哀願《あいぐわん》の|祈願《きぐわん》をこめてゐる。そこへ|兄《あに》のイルクを|先頭《せんとう》にダリヤ|姫《ひめ》、|梅公《うめこう》、ヨリコ|姫《ひめ》、|花香姫《はなかひめ》、シーゴーの|六人連《ろくにんづ》れ、|悠々《いういう》として|這入《はい》つて|来《き》た。
アリス『ヤ、そなたは|伜《せがれ》か、……|娘《むすめ》か、ようマア|無事《ぶじ》で|帰《かへ》つて|来《き》た。|父《ちち》はここ|半月《はんつき》の|間《あひだ》、|夜《よ》の|目《め》もロクに|寝《ね》ず、|神様《かみさま》におすがり|申《まを》してゐた。そのおかげで、|今日《けふ》はお|前《まへ》たちの|無事《ぶじ》な|顔《かほ》を|見《み》ることを|得《え》たのだ。モウ|私《わし》はこれつきり、この|世《よ》を|去《さ》つても|心残《こころのこ》りはない。……|何《いづ》れの|方《かた》かは|知《し》りませぬが、よくマア|吾《わ》が|子《こ》を|送《おく》つて|来《き》て|下《くだ》さいました。|謹《つつし》んでお|礼《れい》を|申《まを》し|上《あ》げます』
|梅公《うめこう》『|初《はじ》めてお|目《め》にかかります、|私《わたし》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》に|仕《つか》へる|梅公《うめこう》と|申《まを》す|者《もの》でございますが、|波切丸《なみきりまる》の|船中《せんちう》において、イルクさまと|眤懇《じつこん》になり、|一夜《いちや》の|宿《やど》を|御無心《ごむしん》にあがりました。どうか|宜《よろ》しうお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
アリス『それは|能《よ》うこそお|出《い》で|下《くだ》さいました。|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|茅屋《あばらや》でございますが、|家《いへ》は|広《ひろ》うございますから、|幾人《いくにん》さまたりともお|泊《とま》り|下《くだ》さいませ』
ダリヤ『お|父様《とうさま》、この|神司様《かむつかささま》に|妾《わたし》は|助《たす》けて|頂《いただ》いたのですよ。この|方《かた》の|御神徳《ごしんとく》によつて、|妾《わたし》は|危《あや》ふいところを|助《たす》けられたやうなものですから、どうぞお|礼《れい》を|申《まを》して|下《くだ》さい。それから、この|奇麗《きれい》なお|方《かた》は、|宣伝使《せんでんし》|様《さま》のお|伴《とも》で、ヨリコ|姫《ひめ》さま|花香姫《はなかひめ》さまといふお|方《かた》でございます。また|白髪《はくはつ》のお|方《かた》はシーゴー|様《さま》といふ|俄《には》か|道心様《だうしんさま》でございますが、|本当《ほんたう》に|心意気《こころいき》のよい|方《かた》ですから、|無事《ぶじ》に|吾《わ》が|家《や》へ|帰《かへ》られた|喜《よろこ》びを|兼《か》ね、|家《いへ》の|祈祷《きたう》をして|頂《いただ》かうと|思《おも》つて、お|伴《とも》したのでございます』
アリス『それはそれは、|何《いづ》れも|方様《がたさま》、ようこそお|越《こ》し|下《くだ》さいました。サアどうぞ、くつろいで|下《くだ》さいませ。|御遠慮《ごゑんりよ》は|少《すこ》しもいりませぬから』
|梅公《うめこう》『ハイ|有難《ありがた》うございます。お|言葉《ことば》に|従《したが》ひ、|性来《しやうらい》の|気儘者《きままもの》、|自由《じいう》にさして|頂《いただ》きます。サア|皆《みな》さま、|御主人《ごしゆじん》のお|許《ゆる》しが|出《で》たのだから、|体《からだ》の|疲《つか》れを|癒《い》するため|横《よこ》におなりなさい』
ダリヤ『お|父《とう》さま、この|方々《かたがた》は|本当《ほんたう》の|活神様《いきがみさま》ですから、|粗忽《そこつ》があつては|可《い》けませぬ。どうぞ|私《わたし》にお|世話《せわ》を|任《まか》して|下《くだ》さいませぬか』
アリス『よしよし、|私《わし》もお|前《まへ》|達《たち》の|帰《かへ》つたのを|見《み》て、にはかに|体《からだ》がガツカリと|草労《くたび》れて|来《き》たやうだ。|皆《みな》さまに|失礼《しつれい》だけれど、|離室《はなれ》へ|行《い》つてゆつくり|休《やす》まして|頂《いただ》くから、|手落《てお》ちのないやう、|御無礼《ごぶれい》のないやう、おもてなしをしておくれや』
と|言《い》ひながら、エビのやうに|曲《まが》つた|腰《こし》を|右《みぎ》の|掌《てのひら》で|二《ふた》つ|三《み》つ|打《う》ちながら、
『|皆様《みなさま》、|左様《さやう》なら、|失礼《しつれい》いたします』
と|一言《いちごん》を|残《のこ》し、|離室《はなれ》の|座敷《ざしき》に|身《み》をかくした。この|時《とき》|南方《なんぱう》の|空《そら》に|向《む》かつて|鬧《とき》の|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。|梅公《うめこう》はヨリコ|姫《ひめ》と|共《とも》に|庭先《にはさき》に|立《た》ち|出《い》で、|音《おと》する|方《はう》を|眺《なが》むれば、|大空《おほぞら》は|大変《たいへん》な|雲焼《くもやけ》がしてゐる。これはバルガン|城《じやう》へ|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》の|軍隊《ぐんたい》が|攻《せ》め|入《い》つて、|市街《しがい》を|焼《や》き|払《はら》うた|大火焔《だいくわえん》が、|空《そら》の|色《いろ》を|染《そ》めてゐたのである。
(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
第三篇 |多羅煩獄《たらはんごく》
第一一章 |暗狐苦《あんこく》〔一七一三〕
デカタン|高原《かうげん》の|西南方《せいなんぽう》に|当《あた》つてタラハン|国《ごく》といふ、|人口《じんこう》|二十万《にじふまん》を|有《いう》する|地味《ちみ》の|肥《こ》えた|産物《さんぶつ》の|豊《ゆた》かな|国土《こくど》がある。|国王《こくわう》はカラピン|王《わう》といひ、|国《くに》の|中心地点《ちうしんちてん》なるタラハン|市《し》に|宏大《くわうだい》なる|城廓《じやうくわく》を|構《かま》へ、ウラル|教《けう》を|信《しん》じて|十数代《じふすうだい》を|継続《けいぞく》した。その|時《とき》の|国王《こくわう》の|名《な》をカラピン|王《わう》といひ|王妃《わうひ》をモンドル|姫《ひめ》といふ。|二人《ふたり》の|中《なか》には|太子《たいし》スダルマン、および|王女《わうぢよ》バンナの|二子《にし》を|挙《あ》げてゐた。
|王妃《わうひ》のモンドル|姫《ひめ》は|銀毛八尾《ぎんまうはつぴ》の|悪狐《あくこ》の|霊《れい》に|憑依《ひようい》され、|残忍性《ざんにんせい》を|帯《お》び、|常《つね》に|妊婦《にんぷ》の|腹《はら》を|裂《さ》き、|胎児《たいじ》を|抉《えぐ》り|出《だ》して、|丸焚《まるた》きとなし|舌皷《したつづみ》を|打《う》つてゐた。|国民《こくみん》|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|国内《こくない》に|充《み》ち|溢《あふ》れ、|何時《なんどき》|騒動《さうだう》の|起《おこ》るやも|知《し》れざる|形勢《けいせい》となつて|来《き》た。しかしながらカラピン|王《わう》は|王妃《わうひ》の|容色《ようしよく》に|恋着《れんちやく》し、|王妃《わうひ》の|言《げん》ならば、|如何《いか》なる|無理難題《むりなんだい》も|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|承認《しようにん》するといふ|惚《とぼ》けかたである。
|左守《さもり》の|司《かみ》のシャカンナは|民心《みんしん》|日《ひ》に|月《つき》に|国家《こくか》を|離《はな》るるを|憂《うれ》ひ、かつ|何時《いつ》|革命《かくめい》の|狼火《のろし》のあがるや|知《し》れざる|形勢《けいせい》を|憂慮《いうりよ》し、|常《つね》に|死《し》を|決《けつ》して|王《わう》および|王妃《わうひ》に|直諫《ちよくかん》した。されども|王《わう》は|少《すこ》しも|左守《さもり》の|言《げん》を|用《もち》ひず、|遂《つひ》には|左守《さもり》の|登城《とじやう》するを|見《み》るや、|奥殿《おくでん》|深《ふか》く|身《み》を|忍《しの》んで|面会《めんくわい》をさけた。|右守《うもり》の|司《かみ》ガンヂーは|心《こころ》よからぬ|痴者《しれもの》にて|常《つね》に|王妃《わうひ》を|煽動《せんどう》し、|左守《さもり》を|退《しりぞ》け、|自分《じぶん》が、とつて|代《かは》つて|左守《さもり》の|職《しよく》につき、タラハン|国《ごく》の|主権《しゆけん》を|吾《わ》が|手《て》に|握《にぎ》らむ|事《こと》を|希求《ききう》してゐた。|右守《うもり》のガンヂーが|内面的《ないめんてき》|応援《おうゑん》によつて、|王妃《わうひ》の|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|行為《かうゐ》はますます|残虐《ざんぎやく》の|度《ど》を|加《くは》へ、|民心《みんしん》ますます|離反《りはん》して|所《ところ》どころに|百姓一揆《ひやくしやういつき》が|勃発《ぼつぱつ》して|来《き》た。
|或時《あるとき》モンドル|姫《ひめ》は、|寵臣《ちようしん》の|右守《うもり》ガンヂーおよびその|妻《つま》アンチーと|共《とも》に|十数人《じふすうにん》の|侍女《じぢよ》を|伴《ともな》ひ、カルモン|山《ざん》の|風景《ふうけい》を|探《さぐ》るべく|遊覧《いうらん》を|試《こころ》みた。|何処《いづこ》ともなく|白羽《しらは》の|矢《や》が|飛《と》んで|来《き》てモンドル|姫《ひめ》の|額《ひたひ》に|命中《めいちう》し、|姫《ひめ》は|悲鳴《ひめい》を|挙《あ》げて|谷底《たにぞこ》に|転倒《てんたう》し、つひに|絶命《ぜつめい》して|了《しま》つた。この|事《こと》|四方《しはう》に|喧伝《けんでん》するや、|国民《こくみん》はひそかに|大杯《たいはい》をあげて|国家《こくか》の|前途《ぜんと》の|光明《くわうみやう》を|祝《しゆく》するといふ|勢《いきほ》ひであつた。
カラピン|王《わう》は|王妃《わうひ》に|対《たい》する|愛着《あいちやく》の|念《ねん》|去《さ》り|難《がた》く、つひには|狂乱《きやうらん》のごとくなり、|近臣《きんしん》を|手討《てうち》になし、|王妃《わうひ》のごとく|又《また》もや|妊婦《にんぷ》を|裂《さ》き|胎児《たいじ》を|丸焚《まるた》きにして|舌皷《したつづみ》を|打《う》つやうになつて|来《き》た。|左守《さもり》の|司《かみ》のシャカンナは、|王家《わうけ》および|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》と|死《し》を|決《けつ》して、|妻《つま》のハリスタ|姫《ひめ》と|共《とも》に|王宮《わうきう》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》り、|王《わう》に|改心《かいしん》を|迫《せま》り、|且《か》つ|国民《こくみん》の|怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》|喧《かまびす》しく、いつ|擾乱《ぜうらん》の|勃発《ぼつぱつ》するやも|知《し》れぬ|事《こと》を|説明《せつめい》した。|最愛《さいあい》の|王妃《わうひ》を|失《うしな》ひ、|心《こころ》の|荒《すさ》びきつたるカラピン|王《わう》は、|到底《たうてい》|忠誠《ちうせい》なる|左守《さもり》の|諫言《かんげん》を|耳《みみ》にするに|至《いた》らなかつた。|忽《たちま》ち|大刀《だいたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく|左守《さもり》に|向《む》かつていふ、
『モンドル|姫《ひめ》の|横死《わうし》は|必《かなら》ず|汝《なんぢ》が|手下《てした》の|処為《しよゐ》ならむ。|王妃《わうひ》の|仇《あだ》だ、|観念《くわんねん》せよ。|手討《てう》ちにして|呉《く》れむ』
と|阿修羅王《あしゆらわう》のごとく|左守《さもり》に|斬《き》りつけむとした。|左守《さもり》の|妻《つま》ハリスタ|姫《ひめ》は|王《わう》と|左守《さもり》の|間《あひだ》に|立《た》ち|塞《ふさ》がつて、
『|恐《おそ》れながら|王様《わうさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。|忠臣《ちうしん》をお|斬《き》りになるのは|御自分《ごじぶん》の|片腕《かたうで》をお|斬《き》り|遊《あそ》ばすも|同様《どうやう》でございます。|国家《こくか》の|柱石《ちうせき》なくして、どうしてタラハン|国《ごく》が|保《たも》てませうか。まづまづ|心《こころ》|静《しづ》かにお|考《かんが》へ|下《くだ》さいませ、もし|左守《さもり》の|司《かみ》を、どうしても|殺《ころ》さねばならぬのならば、どうか|私《わたし》を|身代《みがは》りに|立《た》てて|下《くだ》さい』
と|涙《なみだ》を|両眼《りやうがん》に|滴《したた》らしながら|陳弁《ちんべん》した。|王《わう》は|怒髪《どはつ》|天《てん》を|衝《つ》いていふ、
『エー、さかしき|女《をんな》の|差出口《さしでぐち》、|聞《き》く|耳《みみ》もたぬ。|殺《ころ》してくれなら|殺《ころ》してやる。|汝《なんぢ》のみならず、シャカンナも|共《とも》に|刀《かたな》の|錆《さび》だ。|観念《くわんねん》せよ』
と|言《い》ひながら、ハリスタ|姫《ひめ》の|左《ひだり》の|肩《かた》から|右《みぎ》の|脇《わき》へ|袈裟掛《けさが》けに、|切《き》れ|味《あぢ》のよい|銘刀《めいたう》にてスパリとその|場《ば》に|斬《き》り|倒《たふ》した。|次《つ》いで|左守《さもり》を|打殺《うちころ》さむと|阿修羅王《あしゆらわう》のごとくに|追掛《おつか》ける。|左守《さもり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|裏門《うらもん》より|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|出《だ》し、|当年《たうねん》|六才《ろくさい》になつたスバール|嬢《ぢやう》を|背《せな》に|負《お》ひ、|何処《いづく》ともなく|身《み》を|隠《かく》した。
|右守《うもり》のガンヂーは|左守《さもり》となり、|妻《つま》アンチーの|仲《なか》に|生《うま》れた|一人息子《ひとりむすこ》のアリナと|共《とも》に|得意《とくい》な|日月《じつげつ》を|送《おく》つてゐた。さうして|右守家《うもりけ》の|家令《かれい》サクレンスを|抜擢《ばつてき》して|右守《うもり》に|任《にん》じた。
|新左守《しんさもり》のガンヂーは|左守《さもり》の|地位《ちゐ》を|得《え》て|国政改革《こくせいかいかく》を|標榜《へうばう》し、|前左守家《ぜんさもりけ》|伝来《でんらい》の|巨万《きよまん》の|富《とみ》を|没収《ぼつしう》し、|国内《こくない》の|貧民《ひんみん》に|慈善《じぜん》を|施《ほどこ》し、|吾《わ》が|声名《せいめい》のあがらむ|事《こと》にのみ|焦慮《せうりよ》し、|漸《やうや》くタラハン|国《ごく》は|小康《せうかう》を|得《え》た。カラピン|王《わう》は|一切《いつさい》の|政務《せいむ》を|左守《さもり》のガンヂーに|一任《いちにん》し、|自分《じぶん》は|茶《ちや》の|湯《ゆ》、|俳諧《はいかい》などに|心《こころ》を|傾《かたむ》け、|風流三昧《ふうりうざんまい》を|事《こと》としてゐた。
カラピン|王《わう》の|太子《たいし》スダルマンは|十八才《じふはつさい》の|春《はる》を|迎《むか》へ、|王女《わうぢよ》バンナは|十六才《じふろくさい》の|春《はる》を|迎《むか》へた。|太子《たいし》のスダルマンは|宮中《きうちう》|深《ふか》く|閉《と》ぢ|籠《こ》もり、|何《なん》となく|精神《せいしん》|憂鬱《いううつ》として|楽《たの》しまず、|父《ちち》の|言葉《ことば》は|言《い》ふも|更《さら》なり、|左守《さもり》|右守《うもり》、その|他《た》|重臣《ぢうしん》に|対《たい》しても、|拝謁《はいえつ》を|乞《こ》ふ|度《たび》|毎《ごと》に|面白《おもしろ》からぬ|面《おもて》を|現《あら》はし、ただ|一口《ひとくち》の|言葉《ことば》も|発《はつ》せず|鬱々《うつうつ》として|書斎《しよさい》に|籠《こも》つてゐた。カラピン|王《わう》をはじめ|左守《さもり》|右守《うもり》の|重臣連《ぢうしんれん》の|憂慮《いうりよ》は|一方《ひとかた》でなかつた。|日夜《にちや》|神仏《しんぶつ》を|念《ねん》じ、|又《また》は|面白《おもしろ》き|楽器《がくき》を|弾《ひ》きならして|太子《たいし》を|慰《なぐさ》め、|憂鬱病《いううつびやう》を|治《なほ》さむと、|相談《さうだん》の|結果《けつくわ》、|国内《こくない》の|美人《びじん》を|召集《せうしふ》し|太子《たいし》の|御殿《ごてん》に|侍《はべ》らしめた。|百余名《ひやくよめい》の|嬋妍窈窕《せんけんえうてう》たる|美人《びじん》は|燦爛《さんらん》と|咲《さ》き|乱《みだ》れたる|桜花《あうくわ》のごとく、|蝶《てふ》の|如《ごと》くその|美《うる》はしさ、たとふるに|物《もの》なきが|如《ごと》くであつた。されど|太子《たいし》はこれらの|美人《びじん》に|対《たい》し|一瞥《いちべつ》もくれず、ますます|奥殿《おくでん》に|閉《と》ぢ|籠《こも》り|深《ふか》く|憂鬱《いううつ》に|陥《おちい》るのみであつた。ただ|太子《たいし》の|気《き》に|入《い》るのは|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナ|一人《いちにん》のみである。それゆゑアリナは|常《つね》に|太子《たいし》に|召《め》されて|話相手《はなしあひて》となり、|時々《ときどき》|城内《じやうない》を|逍遥《せうえう》し、|太子《たいし》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》めてゐた。
|太子《たいし》の|最《もつと》も|心《こころ》を|慰《なぐさ》むるものはアリナと|共《とも》に|絵《ゑ》を|描《か》くことであつた。|太子《たいし》もアリナも|日々《にちにち》|絵筆《ゑふで》を|弄《もてあそ》び、|人物《じんぶつ》などを|描《か》く|時《とき》はほとんど|実物《じつぶつ》に|等《ひと》しきまで|上達《じやうたつ》した。ある|時《とき》|太子《たいし》はアリナに|向《む》かひ、
『オイ、アリナ、どうだ|今日《けふ》はお|前《まへ》と|何処《どこ》かへ|行《い》つて|写生《しやせい》でもやらうぢやないか。|狭《せま》い|城内《じやうない》では、もはや|写生《しやせい》の|種《たね》もつきてしまつたから』
とツイにない|外出《ぐわいしゆつ》の|意《い》を、ほのめかしたので、アリナは……この|機《き》|逸《いつ》すべからず、|御意《ぎよい》のかはらぬ|内《うち》、|太子《たいし》のお|伴《とも》をなし、|太子《たいし》のお|好《す》きな|山水《さんすゐ》の|写生《しやせい》でも|遊《あそ》ばしたら、|日《ひ》ごろの|憂鬱症《いううつしやう》が|癒《なほ》るかも|知《し》れぬ。|王家《わうけ》に|対《たい》し、|国家《こくか》に|対《たい》し、これぐらゐ|結構《けつこう》な|事《こと》はない……と|決心《けつしん》し、|両手《りやうて》を|支《つか》へて|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら、
『|太子様《たいしさま》、|願《ねが》うてもなき|御催《おんもよほ》しでございます。どうか|私《わたし》もお|伴《とも》さしていただけば|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》でございます。|山《やま》|青《あを》く|水《みづ》|清《きよ》く|飛沫《ひまつ》をとばす|谷川《たにがは》の|景色《けしき》などは、|胸《むね》に|万斛《ばんこく》の|涼味《りやうみ》を|味《あぢ》はつたやうな|気《き》がいたしますよ。さすれば|父《ちち》の|左守《さもり》に|申《まを》し|伝《つた》へましてお|伴《とも》の|用意《ようい》を|致《いた》させませう。なにほど|微行《びかう》と|申《まを》しても|一国《いつこく》の|太子様《たいしさま》、|二三十人《にさんじふにん》の|護衛《ごゑい》は|威厳《ゐげん》を|保《たも》つ|上《うへ》に|必要《ひつえう》でございませうから』
|太子《たいし》は|頭《かしら》を|左右《さいう》に|振《ふ》りながら、さも|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》にて、
『この|城中《じやうちう》においてお|前《まへ》|一人《ひとり》より、|余《よ》の|気《き》に|入《い》るものはない。その|外《ほか》にただ|一人《いちにん》たりとも|召使《めしつかひ》をつれる|事《こと》は|嫌《いや》だ。そんな|大層《たいそう》な|事《こと》をするなら、もう|郊外《かうぐわい》の|散歩《さんぽ》は|止《や》めにする。|余《よ》の|病気《びやうき》は、かやうな|窮屈《きうくつ》な|殿中生活《でんちうせいくわつ》が|嫌《いや》になつて、その|為《た》め|起《おこ》つたのだ。|普通《ふつう》|人民《じんみん》のごとく、|極《ごく》|手軽《てがる》にお|前《まへ》と|二人《ふたり》|散歩《さんぽ》してみたいのだ』
『|左様《さやう》|仰《おほ》せられますれば|是非《ぜひ》はございませぬ。しかしながら|太子様《たいしさま》をひそかに|郊外《かうぐわい》にお|連《つ》れ|申《まを》したとあつては、|王様《わうさま》をはじめ|吾《わ》が|父《ちち》の|怒《いか》りは、いかばかりか|分《わか》りませぬが、|私《わたし》は|太子様《たいしさま》のために、たとへ|親《おや》に|勘当《かんだう》を|受《う》けてもかまひませぬ。|半時《はんとき》でも|太子様《たいしさま》のお|心《こころ》が|安《やす》まればそれで|満足《まんぞく》でございます。しからば|明日《あす》|払暁《ふつげう》|裏門《うらもん》より|窃《ひそか》に|脱出《だつしゆつ》し、|半日《はんにち》の|御清遊《ごせいいう》にお|伴《とも》をいたしませう』
『ア、それで|満足《まんぞく》した。|余《よ》の|病気《びやうき》も|全快《ぜんくわい》するだらう。|貴族生活《きぞくせいくわつ》に|飽《あ》き|果《は》てた|余《よ》は、|庶民《しよみん》の|山野《さんや》に|働《はたら》く|実況《じつきやう》も|見《み》たいし、|自然《しぜん》の|風物《ふうぶつ》に|対《たい》し、|天恵《てんけい》を|味《あぢ》はひたい。それではアリナ、きつと|頼《たの》むぞ』
『ハイ、|畏《かしこ》まつてございます。それでは|一切《いつさい》の|用意《ようい》をいたしておきます』
|太子《たいし》は|地獄《ぢごく》の|餓鬼《がき》が|天国《てんごく》に|救《すく》はれたやうな|心持《こころもち》になつて、|翌日《あくるひ》の|未明《よあけ》を|一時千秋《いちじせんしう》の|思《おも》ひで|待《ま》つてゐた。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 北村隆光録)
第一二章 |太子微行《たいしびかう》〔一七一四〕
スダルマン|太子《たいし》は|左守《さもり》の|一子《いつし》アリナと|共《とも》に、|窮屈《きうくつ》な|殿内生活《でんないせいくわつ》を|逃《のが》れて|心《こころ》の|駒《こま》の|進《すす》むまま|膝栗毛《ひざくりげ》に|鞭《むち》うち、タラハン|城《じやう》の|東北《とうほく》に|当《あた》る|樹木《じゆもく》|鬱蒼《うつさう》たる|城山《しろやま》を|目指《めざ》して|進《すす》み|入《い》つた。|今《いま》まで|見《み》たことも、|聞《き》いたこともない|麗《うる》はしき|羽翼《うよく》を|拡《ひろ》げた|百鳥《ももどり》、|木《こ》の|間《ま》にチユンチユンと|囀《さへづ》り、デカタン|高原《かうげん》|名物《めいぶつ》の|風《かぜ》は|今日《けふ》はことさら|穏《おだや》かに|吹《ふ》き|渡《わた》り|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|山野《さんや》の|草木《くさき》は|惟神的《かむながらてき》|舞踏《ぶたふ》を|演《えん》じ、|谷川《たにがは》の|流《なが》れは|激湍飛沫《げきたんひまつ》の|絶景《ぜつけい》を|現《げん》じ、|太子《たいし》の|目《め》には|一《ひと》つとして|奇《き》ならざるなく、|珍《ちん》ならざるはなかつた。
|太子《たいし》『オイ、アリナ、お|前《まへ》のお|蔭《かげ》で|俺《おれ》も|窮屈《きうくつ》な|殿内《でんない》をやつとの|事《こと》で|脱走《だつそう》し、|造化《ざうくわ》の|技巧《ぎかう》をこらした|天然《てんねん》の|風光《ふうくわう》に|親《した》しく|接《せつ》し、|山野《さんや》の|草木《くさき》や|禽獣《きんじう》を|友《とも》として、|気楽《きらく》に|逍遥《せうえう》する|心持《こころもち》は|余《よ》が|生《うま》れてから|未《いま》だ|初《はじ》めてだ。|見《み》れば|見《み》るほど、|考《かんが》へれば|考《かんが》へるほど、|天然《てんねん》といふものはなんとした|結構《けつこう》なものだらう。|人間《にんげん》の|造《つく》つた|美術《びじゆつ》や|絵画《くわいぐわ》とは|違《ちが》つて、|言《い》ふにいはれぬ|風韻《ふうゐん》が|籠《こも》つてゐるではないか。|余《よ》は|不幸《ふかう》にして|王族《わうぞく》に|生《うま》れ、|十八年《じふはちねん》の|今日《こんにち》まで|狭苦《せまくる》しい|殿中生活《でんちうせいくわつ》に|苦《くる》しめられ、かかる|広大《くわうだい》なる|原野《げんや》に|天地《てんち》を|友《とも》として、|悠然《いうぜん》として|観光《くわんくわう》する|余裕《よゆう》がなかつた。アア|平民《へいみん》の|境遇《きやうぐう》が|羨《うらや》ましい。|人生《じんせい》|貴族《きぞく》に|生《うま》るるほど|不幸《ふかう》|不運《ふうん》のものはないぢやないか。|余《よ》は|何《なん》の|天罰《てんばつ》でかやうな|窮屈《きうくつ》な|身《み》の|上《うへ》に|生《うま》れて|来《き》たのだらう。そしてお|前《まへ》は|左守《さもり》の|伜《せがれ》で、|貴族《きぞく》の|家《いへ》に|生《うま》れたといつても|余《よ》に|比《くら》ぶればよほどの|自由《じいう》がある。|余《よ》は|王族《わうぞく》といふ|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられ、かかる|無限《むげん》の|天地《てんち》の|恩恵《おんけい》に|浴《よく》することの|出来《でき》ないのは|実《じつ》に|残念《ざんねん》だ。|代《かは》れるものならお|前《まへ》と|代《かは》つてもらひたい、アアアア』
と|溜息《ためいき》をつき|感慨無量《かんがいむりやう》の|体《てい》であつた。
アリナ『|若君様《わかぎみさま》、さう|思召《おぼしめ》すのも|御尤《ごもつと》もでございませうが、なにほど|苦《くる》しくつても、そこを|辛抱《しんばう》して|頂《いただ》かねばなりませぬ。|殿下《でんか》は|一国《いつこく》の|親《おや》ともなり、|師《し》ともなり、|主《しゆ》ともお|成《な》り|遊《あそ》ばして|国民《こくみん》を|愛撫《あいぶ》し、|指導《しだう》し、|監督《かんとく》なさらねばならない|天《てん》よりの|御職掌《ごしよくしやう》でございますから、|御境遇《ごきやうぐう》には|同情《どうじやう》いたしますが、どうぞ|左様《さやう》な|事《こと》を|仰《おほ》せられずに、|父王様《ちちわうさま》の|跡《あと》をお|継《つ》ぎ|遊《あそ》ばし|天下《てんか》に|君臨《くんりん》して|頂《いただ》かねばなりませぬ。|私《わたし》はどこまでも|殿下《でんか》のためには|身命《しんめい》を|賭《と》して|働《はたら》きませう。|又《また》なるべく|御窮屈《ごきうくつ》でないやうに|取計《とりはか》らひますでございませう』
『ウン、それもさうだな。|余《よ》は|残念《ざんねん》に|思《おも》ふわい』
『|殿下《でんか》|如何《いかが》でございませう、この|絶景《ぜつけい》を|殿下《でんか》の|妙筆《めうひつ》で|描写《べうしや》なさいましては。|殿中《でんちう》に|居《ゐ》られます|時《とき》とは、よほど|変《かは》つた|立派《りつぱ》なものが|出来《でき》るでせう。そしてお|心《こころ》が|安《やす》まるでございませうから』
『いや、|余《よ》はもう|絵筆《ゑふで》を|捨《す》てた。|殿中《でんちう》ばかりに|居《を》つて|園内《ゑんない》の|景色《けしき》を|今《いま》まで|得意《とくい》になつて|写生《しやせい》してゐたが、かう|山野《さんや》に|出《で》て|造化《ざうくわ》の|芸術《げいじゆつ》を|目撃《もくげき》しては、もう|筆《ふで》を|揮《ふる》ふ|気《き》にはなれない。なにほど|丹精《たんせい》を|凝《こ》らしても|万分一《まんぷんいつ》の|真景《しんけい》をも|描写《べうしや》することは|出来《でき》ぬぢやないか。これだけ|雄大《ゆうだい》な|山川草木《さんせんさうもく》が|目《め》の|前《まへ》に|横《よこ》たはつてゐては、どこから|筆《ふで》を|下《お》ろしてよいやら、その|端緒《たんちよ》さへ|認《みと》むるに|苦《くる》しむぢやないか。ただ|一本《いつぽん》の|樹木《じゆもく》を|描写《べうしや》するにも|余程《よほど》の|丹精《たんせい》を|凝《こ》らさねばならぬ。|際限《さいげん》もなき|山野草木《さんやさうもく》、|渺茫《べうばう》として|天《てん》に|続《つづ》く|大高原《だいかうげん》、どうしてこれが|人間《にんげん》の|筆《ふで》に|描《ゑが》き|出《だ》されるものか。|王者《わうじや》だとか|貴族《きぞく》だとか、|高位《かうゐ》|高官《かうくわん》だとか、|国民《こくみん》に|対《たい》し|威張《ゐば》つてみたところで、|神《かみ》の|力《ちから》、|自然《しぜん》の|風光《ふうくわう》に|比《くら》ぶればほとんど|物《もの》の|数《かず》でもない。|児戯《じぎ》に|等《ひと》しいものだ。|天地万有《てんちばんいう》は、|余《よ》に|対《たい》しては|唯一《ゆゐいつ》の|経文《きやうもん》で|無上《むじやう》の|教《をしへ》だ。これを|見《み》ても|人間《にんげん》たるものの|腑甲斐《ふがひ》なさに|呆《あき》れ|返《かへ》らざるを|得《え》ぬではないか』
『|左様《さやう》でございますな。|殿下《でんか》は|観察眼《くわんさつがん》が|非常《ひじやう》に|優《すぐ》れてゐられます。|私《わたし》は|幸《さいは》ひ|小臣《せうしん》の|伜《せがれ》、|自由自在《じいうじざい》に|山野《さんや》を|逍遥《せうえう》し|得《う》るの|便宜《べんぎ》がございますので、|時々《ときどき》|自然《しぜん》の|風光《ふうくわう》に|接《せつ》し、|日月《じつげつ》の|光《ひかり》を|浴《あ》びて、|自由《じいう》の|天地《てんち》に|遊《あそ》ぶ|事《こと》が|出来《でき》ますためか、|造化《ざうくわ》の|芸術《げいじゆつ》に|見慣《みな》れてしまひ、さまで|雄大《ゆうだい》だとも、|絶妙《ぜつめう》だとも|考《かんが》へませなんだ。|一木《いちぼく》|一草《いつさう》の|片《はし》に|至《いた》るまで|心《こころ》を|留《と》めて|眺《なが》めた|時《とき》には、|如何《いか》にも|不可思議千万《ふかしぎせんばん》の|現象《げんしやう》でございます』
『どうぢやアリナ、この|山《やま》を|向《む》かふへ|越《こ》えて|些《すこ》しく|珍《めづ》らしい|風景《ふうけい》を|眺望《てうばう》して|来《こ》うぢやないか』
『ハイ、お|伴《とも》を|致《いた》しませう。しかしながら|余《あま》り|遠方《ゑんぱう》へお|出《で》ましになると|帰《かへ》りが|遅《おそ》くなり、|頑迷《ぐわんめい》なる|役人《やくにん》どもに|見《み》つけられては、|警戒《けいかい》がますます|厳《げん》になり、|殿下《でんか》とかう|気楽《きらく》に|自由《じいう》に|散歩《さんぽ》する|事《こと》が|出来《でき》ないやうになるかも|知《し》れませぬ。さうすればお|互《たが》ひの|迷惑《めいわく》でございますから、|今日《こんにち》は|殿下《でんか》の|仰《おほ》せの|場所《ばしよ》まで|急《いそ》ぎ|足《あし》に|参《まゐ》り、また|急《いそ》いで|殿中《でんちう》に|帰《かへ》りませう』
『ヨシヨシ、お|前《まへ》の|意見《いけん》にも|従《したが》はなくちやなるまい。そんなら|急《いそ》いで|城山《しろやま》を|北《きた》に|越《こ》え、|観光《くわんくわう》を|恣《ほしいまま》にしやうぢやないか。サア|行《ゆ》かう』
と|早《はや》くも|太子《たいし》は|先《さき》に|立《た》つて|歩《ほ》を|進《すす》めた。アリナは|写生《しやせい》に|要《えう》する|一切《いつさい》の|道具《だうぐ》を|背《せ》に|負《お》ひながら、|木《こ》の|間《ま》を|潜《くぐ》つて|余《あま》り|高《たか》からぬ|城山《しろやま》の|頂上《ちやうじやう》にあえぎあえぎ|登《のぼ》つていつた。|太子《たいし》は|山《やま》の|頂《いただき》に|立《た》つて|四方《よも》を|見渡《みわた》しながら、
『オイ、アリナ、タラハンの|市街《しがい》はタラハンの|首府《しゆふ》といつて、|随分《ずゐぶん》|広《ひろ》い|広《ひろ》いと|誰《たれ》も|彼《か》も|褒《ほ》めてゐるが、わづか|三万《さんまん》の|人口《じんこう》。また|広大《くわうだい》なる|王城《わうじやう》も、かう|山《やま》の|上《うへ》から|瞰下《みおろ》して|見《み》れば、|実《じつ》に|宇宙《うちう》の|断片《だんぺん》に|過《す》ぎないぢやないか。かかる|小《ちひ》さい|物《もの》の|数《かず》にも|足《た》らぬ|王城《わうじやう》に、|余《よ》は|十八年《じふはちねん》も|窮屈《きうくつ》の|生活《せいくわつ》をやつてゐた|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》して、|心《こころ》|恥《は》づかしくなつて|来《き》た。この|雄大《ゆうだい》なる|天《てん》に|続《つづ》いた|大広野《だいくわうや》の|中《なか》にチラチラ|見《み》える|人家《じんか》は、まるでハルの|湖水《こすゐ》に|船《ふね》が|浮《う》かんでゐるやうぢやないか。|山野《さんや》の|草木《さうもく》はソロソロ|芽《め》ぐみ|出《だ》し、|緑《みどり》、|紅《くれなゐ》、|黄《き》、|白《しろ》などの|花《はな》は|至《いた》る|所《ところ》に|咲《さ》き|満《み》ち、|白紙《はくし》を|散《ち》らしたやうに|所《ところ》どころに|池《いけ》や|沼《ぬま》が|日光《につくわう》に|照《て》つてゐる。この|風光《ふうくわう》は|実《じつ》に|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|移写《いしや》のやうだ。|名《な》も|知《し》らぬ|珍《めづら》しい|鳥《とり》はこの|通《とほ》り|前後左右《ぜんごさいう》に|飛《と》び|交《か》ひ、|微妙《びめう》な|声《こゑ》を|放《はな》つて|天下《てんか》の|春《はる》を|唄《うた》つてゐる。|余《よ》も|人間《にんげん》と|生《うま》れて|心《こころ》ゆくまで|天然《てんねん》の|恩恵《おんけい》に|浴《よく》したく|思《おも》ふ。|籠《かご》の|鳥《とり》の|境遇《きやうぐう》にある|余《よ》にとつては、この|天地《てんち》は|実《じつ》に|唯一《ゆゐいつ》の|慰安所《ゐあんしよ》だ。|命《いのち》の|洗濯場《せんたくば》だ。アア|何時《いつ》までも|此所《ここ》にかうして|遊《あそ》んでゐたいやうだ。たとへ|老臣《らうしん》が|何《なん》と|小言《こごと》を|言《い》はうともかまはぬぢやないか。グヅグヅいつたら|太子《たいし》の|位《くらゐ》を|捨《す》て、|山《やま》に|入《い》り|杣人《そまびと》となつて、お|前《まへ》と|二人《ふたり》|簡易《かんい》の|生活《せいくわつ》をやつてもよいぢやないか。|余《よ》は|再《ふたた》び|以前《いぜん》のやうな|貴族生活《きぞくせいくわつ》はやりたくない』
『|長《なが》らく|窮屈《きうくつ》な|生活《せいくわつ》に|苦《くる》しみ|遊《あそ》ばした|殿下《でんか》としては、|御無理《ごむり》もございませぬ。しかしながら|世《よ》の|中《なか》に|満足《まんぞく》といふ|事《こと》は|到底《たうてい》|無《な》いものでございますから、どうぞ|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》して|一先《ひとま》づ|殿中《でんちう》にお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。あまり|遅《おそ》くなるとまた|老臣《らうしん》どもが|騒《さわ》ぎ|立《た》てますから』
『お|前《まへ》は|余《よ》の|言《い》ふ|事《こと》なら|命《いのち》までも|捨《す》てますと|常《つね》に|誓《ちか》つてゐるぢやないか。|老臣《らうしん》どもの|小言《こごと》がそれほどお|前《まへ》は|怖《おそ》ろしいのか。やつぱり|人間並《にんげんな》みに|小《ちひ》さい|私慾《しよく》に|目《め》が|眩《くら》んでゐるのだらう。|帰《かへ》りたくばお|前《まへ》|勝手《かつて》に|帰《かへ》つたがよい。|余《よ》はこの|山頂《さんちやう》において|今夜《こんや》の|月《つき》を|賞《しやう》し、|宝石《はうせき》のごとく|輝《かがや》く|星《ほし》の|空《そら》を|心《こころ》ゆくまで|眺《なが》めて|帰《かへ》るつもりだ。|十八年《じふはちねん》の|今日《こんにち》まで|未《ま》だ|一回《いつくわい》も|見《み》たこともない|満天《まんてん》の|星光《せいくわう》、|円満具足《ゑんまんぐそく》なる|三五《さんご》の|月《つき》、その|月《つき》の|玉《たま》より|滴《したた》る|白露《しらつゆ》を|身《み》に|浴《あ》びて、|人間《にんげん》の|真味《しんみ》を|味《あぢ》はつて|見《み》たいのだ。|汝《なんぢ》はこれより|急《いそ》ぎ|殿中《でんちう》に|帰《かへ》つてくれ。|余《よ》はもう|一《ひと》つ|向《む》かふの|山《やま》を|踏査《たふさ》して|見《み》るつもりだ。|左様《さやう》なら』
と|言《い》ひながらスタスタと|尾上《をのへ》を|伝《つた》うて|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|往《ゆ》かむとす。アリナは|途方《とはう》にくれながら|帰《かへ》らねばならず、それだといつて|太子《たいし》を|山《やま》に|残《のこ》して|帰《かへ》るのは|尚《なほ》|悪《わる》し、|仕方《しかた》なく|太子《たいし》の|足跡《あしあと》を|踏《ふ》んで|北《きた》へ|北《きた》へと|進《すす》み|往《ゆ》くこととなりける。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 加藤明子録)
第一三章 |山中《さんちう》の|火光《くわくわう》〔一七一五〕
|太子《たいし》は|物《もの》めづらしげに|四方《よも》の|広原《くわうげん》を|瞰下《みおろ》しながら、|尾上《をのへ》の|風《かぜ》に|吹《ふ》かれつつ、|心《こころ》の|向《む》かふままドンドンと|進《すす》み|行《ゆ》く。|日《ひ》は|西山《せいざん》にズツポリと|沈《しづ》んで、ソロソロ|暗《やみ》の|帳《とばり》が|下《お》りて|来《き》た。|百鳥《ももどり》は|老木《おいき》の|梢《こずゑ》に|宿《やど》を|求《もと》めてチユンチユンと|鈴《すず》のやうな|声《こゑ》で|囀《さへづ》つてゐる。をりから|昇《のぼ》る|月光《げつくわう》はことさら|美《うるは》しく、|一点《いつてん》の|雲翳《うんえい》もなき|大空《たいくう》を、|隈《くま》なく|照《て》らしてゐる。ここはタラハン|国《こく》にて|有名《いうめい》なるトリデ|山《やま》といふ。|太子《たいし》はトリデ|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》に|突立《つつた》つた|大岩石《だいがんせき》の|上《うへ》に|安坐《あんざ》しながら、|空《そら》の|景色《けしき》を|眺《なが》めて、その|雄大《ゆうだい》なる|自然《しぜん》の|姿《すがた》に|憧憬《どうけい》してゐる。
|太子《たいし》『|如意宝珠《によいほつしゆ》|玉《たま》をかざして|大空《おほぞら》を
|昇《のぼ》る|月《つき》こそ|憧《あこが》れの|国《くに》
|宝石《はうせき》を|撒《ま》きちらしたる|大空《おほぞら》は
|神《かみ》の|力《ちから》の|現《あら》はれなるらむ
|尾上《をのへ》をば|渡《わた》る|松風《まつかぜ》|音《ね》も|清《きよ》く
なにか|神秘《しんぴ》を|語《かた》るべらなり
|瞰下《みおろ》せば|四方《よも》の|原野《げんや》は|月光《つきかげ》の
|露《つゆ》を|浴《あ》びつつ|妙《たへ》に|光《ひか》れる
|今《いま》|吾《われ》はトリデの|山《やま》の|山《やま》の|上《へ》に
|千代《ちよ》の|命《いのち》の|清水《しみづ》|汲《く》むなり
|月《つき》の|露《つゆ》|吾《わ》が|身魂《みたま》をば|霑《うるほ》して
|甦《よみがへ》りたる|心地《ここち》せしかな』
アリナ『|若君《わかぎみ》の|御後《みあと》に|従《したが》ひ|来《き》て|見《み》れば
トリデの|山《やま》は|殊《こと》に|麗《うるは》し
|若君《わかぎみ》のたたせたまへるこの|巌《いはほ》
|千代《ちよ》に|動《うご》かぬ|名《な》をば|残《のこ》さむ
|吾《わ》が|父《ちち》はさぞ|今《いま》ごろは|若君《わかぎみ》の
|所在《ありか》たづねて|騒《さわ》ぎをるらむ
|大君《おほぎみ》のいづの|御心《みこころ》|思《おも》ひやり
|父《ちち》を|思《おも》ひて|涙《なみだ》にしたる』
|太子《たいし》『|天地《あめつち》の|生《い》ける|姿《すがた》を|眺《なが》めては
|死《し》せる|館《やかた》へ|帰《かへ》りたくなし
|吾《わ》が|宿《やど》に|立《た》ち|帰《かへ》りなば|父君《ちちぎみ》の
|隔《へだ》ての|垣《かき》は|高《たか》くなるべし
|花《はな》|香《にほ》ひ|木《こ》の|実《み》は|豊《ゆた》に|実《みの》るなる
この|神山《かみやま》に|住《す》みたくぞ|思《おも》ふ』
|太子《たいし》は|夜半《やはん》にもかかはらず|又《また》もや|立《た》つて|月《つき》の|光《ひかり》を|頼《たよ》りに|谷《たに》に|下《くだ》り、あるひは|峰《みね》を|越《こ》え、|何処《どこ》を|当《あて》ともなく|進《すす》み|行《ゆ》く。アリナは|是非《ぜひ》なく|小声《こごゑ》で|呟《つぶや》きながら、|太子《たいし》の|姿《すがた》を|見失《みうしな》はじと|五六歩《ごろくぽ》の|間隔《かんかく》を|保《たも》つて|従《したが》ひ|行《ゆ》く。|十五夜《じふごや》の|月《つき》は|早《はや》くも|高山《たかやま》にかくれて|大《おほ》きな|山影《やまかげ》が|襲《おそ》うて|来《き》た。|二人《ふたり》は|数里《すうり》の|山野《さんや》をパンも|持《も》たずに|果物《くだもの》に|喉《のど》を|霑《うるほ》はしながら、|当所《あてど》もなくやつて|来《き》たので|身体《しんたい》|繩《なは》のごとく|疲《つか》れ、|密樹《みつじゆ》の|下《した》に|横《よこ》たはつたまま|熟睡《じゆくすゐ》してしまつた。|二人《ふたり》の|自然《しぜん》に|目《め》の|醒《さ》めたころは|翌日《よくじつ》の|午後《ごご》の|八《や》つ|時《どき》であつた。|太子《たいし》は|目《め》をこすりながら、
『オイ、アリナ、|一体《いつたい》|此処《ここ》は|何《なん》といふ|所《ところ》だ。あまり|疲《つか》れたと|見《み》えて|前後《ぜんご》も|知《し》らず|寝忘《ねわす》れ、もはや|翌日《よくじつ》の|八《や》つ|時《どき》らしいぢやないか。お|父上《ちちうへ》や|左守《さもり》、|右守《うもり》はさぞ|余《よ》の|姿《すがた》の|見《み》えないのに|驚《おどろ》いて|騒《さわ》ぎ|立《た》ててゐることだらう。|一先《ひとま》づ|帰《かへ》つてやらうぢやないか』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました。|一時《いちじ》も|早《はや》く|帰《かへ》らねばなりますまい。さうして|殿中《でんちう》へ|帰《かへ》れば、きつと|大君様《おほぎみさま》や|吾《わ》が|父《ちち》なぞの|怒《いか》りに|触《ふ》れる|事《こと》でございませうが、|責任《せきにん》は|私《わたし》が|一切《いつさい》|負《お》ひますから、どうぞお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
『なに、|責任《せきにん》をお|前《まへ》に|負《お》はしては|余《よ》が|済《す》まない。|何《なん》といつても|余《よ》は|一国《いつこく》の|太子《たいし》だ。|父上《ちちうへ》には|余《よ》から|好《よ》きやうにお|詫《わ》びをしておく。そしてお|前《まへ》の|身《み》の|上《うへ》にお|咎《とが》めの|来《こ》ないやう|命《いのち》にかけても|弁解《べんかい》してやるから|安心《あんしん》せよ』
『|殿下《でんか》に|御心配《ごしんぱい》をかけては|済《す》みませぬ。みな|私《わたし》が|悪《わる》いのでございますから、サア|参《まゐ》りませう』
と|今度《こんど》はアリナが|案内役《あんないやく》となつて|帰路《きろ》についた。どう|道《みち》を|踏《ふ》み|迷《まよ》うたものか、|往《ゆ》けども|往《ゆ》けども|帰《かへ》り|道《みち》が|分《わか》らない。|山《やま》は|幾千百《いくせんひやく》ともなく|彼方《あなた》|此方《こなた》に|聳《そび》へ、|谷底《たにぞこ》を|見《み》れば|蒼味《あをみ》だつた|水《みづ》が|緩《ゆる》やかに|流《なが》れてゐる。
アリナ『|殿下《でんか》、|大変《たいへん》な|所《ところ》へ|参《まゐ》りました。|私《わたし》もこの|辺《へん》の|山路《やまみち》は|初《はじ》めてでございますので、|何方《どちら》へ|歩《あゆ》んだら|帰《かへ》れるやら、|見当《けんたう》が|取《と》れませぬ。|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》をいたしました』
|太子《たいし》『なに、|心配《しんぱい》するな。|道《みち》が|分《わか》らねば|山住居《やまずまゐ》をすりやそれで|好《よ》いぢやないか。よほど|空腹《くうふく》にはなつたが、|余《よ》とお|前《まへ》と|二人《ふたり》の|食料《しよくれう》ぐらゐは|木《こ》の|実《み》を|取《と》つて|食《く》つてゐても|続《つづ》くだらう、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》すがよからうぞ』
『ハイ、しかし|斯様《かやう》な|山奥《やまおく》のしかも|深《ふか》い|谷間《たにあひ》に|迷《まよ》ひ|込《こ》みましては|方角《はうがく》も|碌《ろく》に|分《わか》りませぬ。とも|角《かく》、この|杖《つゑ》を|立《た》てて|見《み》て、|杖《つゑ》のこけた|方《はう》に|進《すす》むことに|致《いた》しませうか』
『ウン、それも|一策《いつさく》だらう。なに|心配《しんぱい》することが|要《い》るものか。|山《やま》は|青《あを》く|谷水《たにみづ》は|清《きよ》く、|鳥《とり》は|歌《うた》ひ|新緑《しんりよく》は|茂《しげ》り、|珍《めづら》しき|花《はな》は|彼方《あなた》こなたに|艶《えん》を|競《きそ》い|芳香《はうかう》を|薫《くん》じ、|陽気《やうき》は|温《あたた》かく、こんな|愉快《ゆくわい》の|事《こと》はないぢやないか。|余《よ》は|一層《いつそう》、|十日《とをか》も|二十日《はつか》も|山《やま》の|中《なか》に|迷《まよ》うてみたいわ、アハハハハ』
『|何《なん》と|殿下《でんか》はお|気楽《きらく》でございますな。|私《わたし》のやうな|小心者《せうしんもの》はもはや|耐《た》へ|切《き》れなくなつて|参《まゐ》りました』
『ハハハハハ。ずゐぶん|弱音《よわね》を|吹《ふ》く|男《をとこ》だな。あの|草木《さうもく》を|見《み》よ。こんな|嶮《けは》しい|山《やま》に|荒《あら》い|風《かぜ》に|揉《も》まれながら、|泰然自若《たいぜんじじやく》として|非時《ときじく》|花《はな》を|開《ひら》き|実《み》を|結《むす》び、|天然《てんねん》を|楽《たの》しんでゐるぢやないか。|鳥《とり》は|気楽《きらく》に|春《はる》を|歌《うた》ひ、|山猿《やまざる》はあのとほり|梢《こずゑ》に|集《あつ》まつて|嬉《うれ》し|気《げ》に|遊《あそ》び|戯《たはむ》れてゐる。たとへ|小《せう》なりと|雖《いへど》も|吾々《われわれ》は|人間《にんげん》ぢやないか。どこに|居《を》つても|生活《せいくわつ》のできない|道理《だうり》はない。|神《かみ》の|恩恵《おんけい》の|懐中《ふところ》に|抱《いだ》かれ、|自然《しぜん》と|親《した》しく|交《まじ》はり、|天地《てんち》を|父母《ふぼ》として、|誰人《たれ》に|遠慮《ゑんりよ》もなく|気兼《きが》ねもなく、かうしてゐる|吾々《われわれ》は|実《じつ》に|幸福《かうふく》な|境遇《きやうぐう》に|置《お》かれてゐるぢやないか。|何《なに》を|悔《く》やむのだ。その|心配《しんぱい》さうな|顔《かほ》は|何事《なにごと》ぞ。ちつと|気《き》を|取《と》り|直《なほ》し|元気《げんき》をつけて|勇《いさ》んだらどうだ。|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》|天地《てんち》の|花《はな》と|誇《ほこ》つてゐる|人間《にんげん》の|身《み》として、|山河草木《さんかさうもく》|禽獣《きんじう》に|対《たい》し|恥《は》づかしくは|思《おも》はないか』
『|殿下《でんか》の|大胆不敵《だいたんふてき》なるお|言葉《ことば》には、|小心者《せうしんもの》のアリナも|驚倒《きやうたう》するより|外《ほか》はございませぬ。|何《なん》とした|殿下《でんか》は|大人格者《だいじんかくしや》でございませう。|今《いま》まで|殿中《でんちう》|雲《くも》|深《ふか》き|所《ところ》にお|育《そだ》ち|遊《あそ》ばし、|隙間《すきま》の|風《かぜ》にも|当《あ》てられぬ|高貴《かうき》の|御生活《ごせいくわつ》、|蒲柳《ほりう》の|御体質《ごたいしつ》、|荒風《あらかぜ》に|一度《いちど》お|当《あた》り|遊《あそ》ばしても|忽《たちま》ち|病気《びやうき》にお|悩《なや》み|遊《あそ》ばすかと、|内々《ないない》|心配《しんぱい》いたしてをりましたに、|只今《ただいま》の|殿下《でんか》のお|元気《げんき》、|勇壮活溌《ゆうさうくわつぱつ》なる|御精神《ごせいしん》には、アリナも|舌《した》を|巻《ま》きました。「|王侯《わうこう》に|種《たね》なし」といふ|諺《ことわざ》は|殿下《でんか》によつて|全然《ぜんぜん》|裏切《うらぎ》られてしまひました。|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》にも「|誠《まこと》の|種《たね》を|吟味《ぎんみ》いたすは|今度《こんど》の|事《こと》ぞよ。|種《たね》さへよければ、どんな|立派《りつぱ》な|御用《ごよう》でも|出来《でき》るぞよ。|今度《こんど》は|元《もと》の|種《たね》を|世《よ》に|現《あら》はして|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|御用《ごよう》に|使《つか》ふぞよ」と|出《で》てゐますが、|如何《いか》にもその|通《とほ》りだと|思《おも》ひます。|殿下《でんか》は|決《けつ》してただ|人《びと》ではありませぬ。|末《すゑ》にはきつと|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》の|王者《わうじや》となられるでせう。アア|私《わたし》は|何《なん》の|幸福《かうふく》でかやうな|立派《りつぱ》な|殿下《でんか》のお|側付《そばづき》に|選《えら》ばれたのでせうか』
『アハハハハハ、オイ、アリナ、|仕様《しやう》もない|事《こと》を|言《い》うてくれるな。|余《よ》は|印度《いんど》の|王者《わうじや》などは|眼中《がんちう》にないのだ。それよりも|宇宙《うちう》の|断片《だんぺん》|一介《いつかい》の|人間《にんげん》となつて|普《あまね》く|天下《てんか》を|遍歴《へんれき》し、|自由自在《じいうじざい》に|天地《てんち》の|恩恵《おんけい》に|親《した》しみ、|人間《にんげん》らしい|生活《せいくわつ》が|送《おく》つてみたいのだ。|天《てん》から|生《いき》た|精霊《せいれい》を|与《あた》へられたる|人間《にんげん》として、|人形《にんぎやう》のやうに|簾《みす》を|垂《た》れ|有象無象《うざうむざう》に|祭《まつ》り|込《こ》まれ、|尊敬《そんけい》され、|礼拝《らいはい》されて、それが|何《なに》|嬉《うれ》しい。|何《なん》の|名誉《めいよ》になるか。|虚偽《きよぎ》|虚飾《きよしよく》をもつて|充《み》たされたる|現代《げんだい》の|人間《にんげん》のやり|方《かた》には|余《よ》は|飽《あ》き|果《は》ててゐる。|決《けつ》して|再《ふたた》び|殿中《でんちう》に|帰《かへ》るやうな|馬鹿《ばか》な|真似《まね》はすまい。|草《くさ》を|組《く》んで|蓑《みの》となし、|木《こ》の|葉《は》を|編《あ》んで|笠《かさ》となし、これからお|前《まへ》と|無銭旅行《むせんりよかう》と|出《で》かけたらどうだ。そこまでお|前《まへ》の|誠意《せいい》があるか、それを|聞《き》かしてもらいたいものだ。お|前《まへ》もそれだけの|苦労《くらう》はようせないといふであらう』
『どんな|苦労《くらう》でも|殿下《でんか》とならば|致《いた》しますが、|雲上《うんじやう》の|御身《おんみ》の|上《うへ》をもつて、|物好《ものず》きにも|乞食《こじき》の|真似《まね》をして|無銭旅行《むせんりよかう》などとは|御酔興《ごすゐきよう》にも|程《ほど》があります。|決《けつ》して|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》し|上《あ》げませぬ。どうか|冷静《れいせい》にお|考《かんが》へ|下《くだ》さいませ。タラハン|国《こく》の|人情《にんじやう》や、|大王様《だいわうさま》の|御心中《ごしんちう》や|臣下《しんか》の|胸中《きようちう》もすこしは|顧慮《こりよ》|下《くだ》さいまして、|一《ひと》まづ|御帰城《ごきじやう》を|願《ねが》ひます』
『|余《よ》は|決《けつ》して|帰城《きじやう》しないとは|言《い》はないよ。しかしながら|帰《かへ》らうと|思《おも》へば|思《おも》ふほど、|山《やま》|深《ふか》く|迷《まよ》ひ|込《こ》み|帰《かへ》り|途《みち》が|分《わか》らぬぢやないか。それだから|余《よ》は、これも|全《まつた》く|天《てん》の|命《めい》と|信《しん》じ、|無銭旅行《むせんりよかう》の|覚悟《かくご》を|定《き》めたのだ。アハハハハハハ、どこまでも|気《き》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だなア』
『いや|私《わたし》も|殿下《でんか》の|雄々《をを》しきお|志《こころざし》に|励《はげ》まされ、|一切万事《いつさいばんじ》を|天地神明《てんちしんめい》に|任《まか》せました。|無事《ぶじ》に|殿中《でんちう》に|帰《かへ》り|得《う》るのも、また|山《やま》|深《ふか》く|迷《まよ》ひ|込《こ》み、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|餌食《ゑじき》となるのも|天命《てんめい》と|心得《こころえ》ます。サア|杖《つゑ》のこけた|方《はう》に|進《すす》んでみませう』
と|言《い》ひながら、|携《たづさ》へ|来《き》たりし|杖《つゑ》を|真直《まつす》ぐに|立《た》てパツと|手《て》を|放《はな》した。|杖《つゑ》はアリナが|立《た》つてゐる|左《ひだり》の|方《はう》へパタリとこけた。
アリナ『|殿下《でんか》、この|通《とほ》りでございます。|左《ひだり》の|方《はう》へ|参《まゐ》りませう。これも|神様《かみさま》のお|知《し》らせでございませうから』
|太子《たいし》『よし、|杖《つゑ》の|倒《こ》けた|方《はう》を|杖《つゑ》とも|力《ちから》とも|頼《たの》んでモウ|一息《ひといき》|跋渉《ばつせう》して|見《み》よう。ヤア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
と|言《い》ひながら、|太子《たいし》は|先《さき》に|立《た》つて|山《やま》の|中腹《ちうふく》を|左《ひだり》へ|左《ひだり》へと|忙《いそ》がはしげに|走《はし》り|往《ゆ》く。|往《ゆ》けども|往《ゆ》けども|山《やま》また|山《やま》の|方角《はうがく》も|分《わか》らばこそ、その|日《ひ》もズツポリと|暮《く》れてしまつた。|主従《しゆじう》|二人《ふたり》は|木《こ》の|葉《は》を|折《を》つて|敷物《しきもの》となし、|空腹《くうふく》をかかへながら|夜《よ》の|明《あ》けるを|待《ま》つてゐた。|前方《ぜんぱう》の|谷間《たにま》よりライオンの|声《こゑ》、|峰《みね》の|木霊《こだま》を|響《ひび》かして|物凄《ものすご》く|聞《き》こえて|来《く》る。アリナはこの|物凄《ものすご》き|獅子《しし》の|声《こゑ》に|戦慄《せんりつ》し、|唇《くちびる》を|紫色《むらさきいろ》に|染《そ》め、|蒼白色《さうはくしよく》の|顔《かほ》を|月光《げつくわう》に|曝《さら》し|慄《ふる》ひ|戦《ゐのの》いてゐる。
アリナ『モモもし、デデ|殿下《でんか》、タタ|大変《たいへん》な|事《こと》になつて|参《まゐ》りました。ココ|今夜《こんや》ドドどうやら|喰《く》はれてしまふかもシシ|知《し》れませぬ。これといふのも|全《まつた》く|私《わたし》が|悪《わる》いのでございます。デデ|殿下《でんか》の|御身《おんみ》の|上《うへ》に|難儀《なんぎ》のかかるやうな|事《こと》があつては、|大王様《だいわうさま》や、|数多《あまた》の|御家来衆《ごけらいしう》や、また|国民《こくみん》に|対《たい》してもモモ|申《まを》し|訳《わけ》がございませぬ。ドドどうか|私《わたし》の|大罪《だいざい》をお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|早《はや》くも|泣《な》いてゐる。スダルマン|太子《たいし》は|平然《へいぜん》として|些《すこ》しも|騒《さわ》がず、
『アハハハハ、オイ、アリナ、その|態《ざま》はなんだ。|獅子《しし》がそれほど|怖《こは》いのか。あいつは|獣類《けだもの》ぢやないか。|神《かみ》の|生宮《いきみや》ともいふべき|人間《にんげん》が、|獅子《しし》や|虎《とら》や|狼《おほかみ》ぐらゐに|怖《おそ》れ|戦《をのの》くとは|何《なん》のことだ。|獅子《しし》の|奴《やつ》、|余《よ》の|姿《すがた》を|見《み》て|反対《はんたい》に|戦《をのの》き|怖《おそ》れ|悲鳴《ひめい》を|挙《あ》げてゐるのだよ。
|天地《あめつち》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》|出《い》でましを
|眺《なが》めて|獅子《しし》の|吼《ほ》ゆるなるらむ
|獅子《しし》|熊《くま》も|虎《とら》|狼《おほかみ》もなにかあらむ
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人《ひと》の|身《み》なれば
|天地《あめつち》の|深《ふか》き|恵《めぐ》みを|稟《う》けながら
|何《なに》を|恐《おそ》るか|獣《けもの》の|声《こゑ》に』
アリナ『|若君《わかぎみ》と|共《とも》にありなば|獅子《しし》|熊《くま》の
|健《たけ》びも|怖《こは》しと|思《おも》はざりけり
さりながら|獅子《しし》の|咆哮《はうかう》|聞《き》くごとに
|身《み》は|自《おのづか》ら|打《う》ち|慄《ふる》ふなり』
|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|百雷《ひやくらい》のごとく|聞《き》こえ|来《き》たる。|左手《ゆんで》の|谷底《たにぞこ》を|見《み》れば|珍《めづら》しや、|一〓《いつしゆ》の|火光《くわくわう》が|木《こ》の|間《ま》を|透《す》かして|瞬《またた》いてゐた。|太子《たいし》は|目敏《めざと》くもこれを|見《み》て、アリナの|背《せな》を|二《ふた》つ|三《み》つ|平手《ひらて》で|叩《たた》きながら、
『オイ、|弱虫《よわむし》の|隊長《たいちやう》、アリナの|先生《せんせい》、|安心《あんしん》せよ。あの|火光《くわくわう》を|見《み》よ。|決《けつ》して|妖怪《えうくわい》の|火《ひ》でもあるまい。あれは|確《たし》かに|陽光《やうくわう》だ。どうやら|人間《にんげん》が|住《す》まゐをしてゐるらしい。あの|火光《くわくわう》を|目当《めあて》に|人家《じんか》を|尋《たづ》ね|飲食《おんじき》にありつかうぢやないか』
アリナは|太子《たいし》の|言葉《ことば》に|頭《かしら》を|上《あ》げ|指《ゆび》さす|方《はう》を|瞰下《みおろ》せば、|如何《いか》にも|力強《ちからづよ》い|火《ひ》の|光《ひかり》が|瞬《またた》いてゐる。にはかに|元気《げんき》|恢復《くわいふく》し、|声《こゑ》も|勇《いさ》ましく、
『ヤ、いかにも|殿下《でんか》の|仰《おほ》せの|通《とほ》り|火光《くわくわう》が|見《み》えます。|全《まつた》く|天《てん》の|御恵《みめぐ》みでございませう。|一時《いちじ》も|早《はや》くあの|火《ひ》を|目当《めあて》に|下《くだ》りませう。サア|私《わたし》が|蜘蛛《くも》の|巣開《すびら》きをいたしますから、どうか|後《あと》について|来《き》て|下《くだ》さいませ』
『ウンよし、お|前《まへ》も|俄《には》かに|強《つよ》くなつたやうだ。|俺《おれ》もそれで|心強《こころづよ》くなつた』
と|言《い》ひながら、|灌木《くわんぼく》|茂《しげ》る|木《こ》の|間《ま》を|分《わ》けて|下《くだ》り|往《ゆ》く。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 加藤明子録)
第一四章 |獣念気《じうねんき》〔一七一六〕
タラハン|城市《じやうし》を|去《さ》る|正北《せいほく》|十里《じふり》の|地点《ちてん》に、タニグク|山《やま》といふ|高山《かうざん》が|聳《そび》えてゐる。|南西北《なんせいほく》の|三方《さんぱう》は|嶮峻《けんしゆん》なる|高山《かうざん》に|包《つつ》まれ、わづかに|東《ひがし》の|一方《いつぱう》に|細《ほそ》い|入口《いりぐち》があつて、|淙々《そうそう》たる|谷水《たにみづ》はこの|東口《ひがしぐち》より|流出《りうしゆつ》するやうになつてゐる。タニグク|山《やま》の|山麓《さんろく》には|天然《てんねん》の|大岩窟《だいがんくつ》が|穿《うが》たれてゐる。カラピン|王《わう》を|諫《いさ》めて|吾《わ》が|妻《つま》を|殺《ころ》され、|自分《じぶん》もまた|刃《やいば》の|錆《さび》とならむとせし|危機一髪《ききいつぱつ》の|難《なん》を|遁《のが》れ、|太子《たいし》スダルマンの|妃《きさき》とまで|内定《ないてい》してゐた|当時《たうじ》|六才《ろくさい》の|娘《むすめ》スバール|姫《ひめ》を|背《せな》に|負《お》ひ、|都《みやこ》を|後《あと》にこの|岩窟《がんくつ》に|潜《ひそ》んで、|遠近《ゑんきん》の|無頼漢《ぶらいかん》を|集《あつ》め、|自《みづか》ら|山賊《さんぞく》の|張本《ちやうほん》となり、|右守《うもり》の|司《かみ》たりしガンヂーならびに|彼《かれ》が|部下《ぶか》のサクレンスの|奸者《かんじや》を|払《はら》ひ、|君側《くんそく》を|清《きよ》めむと、|日夜《にちや》|肺肝《はいかん》を|砕《くだ》いてゐた|彼《かれ》は、カラピン|王《わう》に|仕《つか》へてゐた|左守《さもり》のシャカンナであつた。|古《いにしへ》より|獅子《しし》の|棲処《すみか》と|称《とな》へられ、|誰一人《たれひとり》この|山奥《やまおく》に|足《あし》を|入《い》るる|者《もの》がなかつた。シャカンナは|年《とし》と|共《とも》に|沢山《たくさん》の|部下《ぶか》が|殖《ふ》えて|来《き》た。そしてその|部下《ぶか》を|夜《よる》ひそかにタラハンの|城下《じやうか》をはじめ|各地《かくち》に|派遣《はけん》し、|富者《ふうしや》の|家《いへ》を|狙《ねら》つて|財物《ざいぶつ》を|奪《うば》ひ、ガンヂー|討伐《たうばつ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へてゐた。|六才《ろくさい》の|時《とき》|伴《ともな》うて|来《き》た|娘《むすめ》のスバールは|今年《ことし》|漸《やうや》く|十五才《じふごさい》の|春《はる》を|迎《むか》へた。シャカンナは|岩窟《がんくつ》の|奥《おく》の|間《ま》に|大胡坐《おほあぐら》をかき|脇息《けうそく》にもたれながら、|数多《あまた》の|乾児《こぶん》どもの|報告《はうこく》を|聞《き》いてゐた。
シャカンナ『オイ、バルギー、この|頃《ごろ》は|根《ね》つからお|前《まへ》の|組《くみ》は|働《はたら》きが|足《た》らぬぢやないか。チツと|確《しつか》りしてくれないと、|折角《せつかく》|蓄《たくは》へた|軍需品《ぐんじゆひん》までが|無《な》くなつてしまひ、|何時《いつ》になつたら|目的《もくてき》を|達《たつ》するやら|殆《ほと》んど|見当《けんたう》がつかぬぢやないか』
バルギー『ハイ、|仰《おほ》せではございますが、このごろはバラモン|軍《ぐん》が|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》いたしますので、|思《おも》はしい|仕事《しごと》が|出来《でき》ませず、チツと|物《もの》のありさうな|家《いへ》は|皆《みな》バラモン|軍《ぐん》にしてやられ、わづかに|二十《にじふ》や|三十《さんじふ》の|手下《てした》を|連《つ》れて、あの|大軍隊《だいぐんたい》を|向《む》かふにまはし|戦《たたか》ふわけにもゆきませず、|残念《ざんねん》ながら|軍隊《ぐんたい》の|退却《たいきやく》するまで|時機《じき》を|考《かんが》へてゐるのでございます。|少《すこ》しばかり、この|頃《ごろ》は|食《く》ひ|込《こ》みになるやうでございますが、|少《すこ》しお|待《ま》ち|下《くだ》さいますれば、きつと|大《おほ》きな|活動《はたらき》をしてお|目《め》にかけます。|私《わたし》も|精々《せいぜい》|部下《ぶか》を|督励《とくれい》してをりますなれど、|何《なん》といつても|夜《よる》ばかりの|仕事《しごと》で、|思《おも》ふやうに|捗《はかど》りませぬ。この|十里《じふり》の|山路《やまみち》を|忍《しの》び|変装《へんさう》して、バルガン|市《し》に|出《い》でまた|夜《よる》の|間《うち》に|帰《かへ》つて|来《こ》なくちやならないのでございますから、|肝腎《かんじん》の|働《はたら》く|間《あひだ》は、ホンの|半時《はんとき》か|四半時《しはんとき》ばかりでございますから、|乾児《こぶん》どもも|大変《たいへん》に|困《こま》つてをります』
『エー|仕方《しかた》がないなア。マアともかく、|精々《せいぜい》|働《はたら》くやうにいつてくれ。そしてガンヂーの|屋敷《やしき》の|様子《やうす》は|何《ど》うぢや、|判然《はつきり》|分《わか》つたか』
『ハイ、このごろはバラモン|軍《ぐん》が|襲来《しふらい》するとかいつて、|塀《へい》を|高《たか》くし、|不寝番《ねずのばん》の|兵士《へいし》が|七八十人《しちはちじふにん》ばかり、|裏表《うらおもて》の|門《もん》を|警護《けいご》してをりますので、|近《ちか》よる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『さうか、それも|仕方《しかた》がない。もう|暫《しばら》く|計画《けいくわく》を|延《の》ばさうかな』
『どうか、さう|願《ねが》へますれば|結構《けつこう》でございます』
『|今日《けふ》はわが|女房《にようばう》が|城中《じやうちう》において、|大王《だいわう》の|手《て》にかかり、|命《いのち》をすてた|命日《めいにち》だから、コルトンに|言《い》ひつけ、いい|修験者《しゆげんじや》を、どつかで|求《もと》めて|来《き》て、|回向《ゑかう》をしてもらひたいと|思《おも》ひ、|二三日前《にさんにちまへ》から|派遣《はけん》したのだが、|今日《けふ》|帰《かへ》つて|来《き》ぬやうな|事《こと》では、|到底《たうてい》|間《ま》に|合《あ》はない。|困《こま》つた|事《こと》だワイ。しかしながらコルトンは|義《ぎ》の|固《かた》い|奴《やつ》だから、|屹度《きつと》どつかで|修験者《しゆげんじや》を|探《さが》して|来《く》るだらう。それについては、|馴走《ちそう》の|用意《ようい》をしておけ。それから|今日《けふ》は|二百《にひやく》の|乾児《こぶん》に|腹一杯《はらいつぱい》|馳走《ちそう》を|食《く》はせ、|酒《さけ》を|鱈腹《たらふく》|振舞《ふるま》つてやるが|可《よ》からうぞ』
『ハイ、|今朝来《こんてうらい》|部下《ぶか》を|督励《とくれい》し、|馳走《ちそう》の|準備《じゆんび》やお|祭《まつり》の|用意《ようい》はチヤンと|整《ととの》つてをります。どうぞその|点《てん》だけは|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。さりながらコルトンが|帰《かへ》つて|来《こ》ないとすれば、|折角《せつかく》の|馳走《ちそう》も|無駄《むだ》になる|道理《だうり》でございます。もし|帰《かへ》つて|来《こ》なかつたら、どう|致《いた》しませうか』
『そんな|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。もし|彼《かれ》が|帰《かへ》つて|来《こ》なかつたならば、やむを|得《え》ず|俺《おれ》が|霊前《れいぜん》において|経文《きやうもん》を|唱《とな》へ、|十年忌《じふねんき》を|済《す》ます|考《かんが》へだ。|売僧坊主《まいすばうず》の|読経《どきやう》よりも、|夫《をつと》の|俺《おれ》が|直接《ちよくせつ》の|読経《どきやう》が|却《かへ》つて|故人《こじん》のためには|可《い》いかも|知《し》れぬ。|日《ひ》の|内《うち》は|彼《かれ》も|帰《かへ》るのを|憚《はばか》るだらう。いづれ|夜《よる》の|事《こと》だらう』
『|今晩《こんばん》の|四《よ》つ|時《どき》まで|待《ま》つ|事《こと》にいたしませう。それで|帰《かへ》らねば、もはや|断念《だんねん》|遊《あそ》ばして、|御大《おんたい》|自《みづか》ら|比丘《びく》のお|勤《つと》めをなさいませ。|及《およ》ばずながら|此《こ》のバルギーも|子供《こども》の|時《とき》はウラル|教《けう》の|小僧《こぞう》を|勤《つと》めてをりました|経験《けいけん》がございますから、|経文《きやうもん》の|素知《そし》り|走《ばし》りぐらゐは|覚《おぼ》えてをりますから……』
『|俺《おれ》は|今日《けふ》は|何《なん》だか|体《からだ》が|疲《つか》れたやうだ。コルトンが|帰《かへ》つて|来《く》るまで|休息《きうそく》するから、お|前《まへ》は|部下《ぶか》の|奴《やつ》によく|気《き》をつけ、|監督《かんとく》を|怠《おこた》らないやうにしてくれ』
と|言《い》ひのこし、わが|寝室《しんしつ》なる|岩窟《がんくつ》を|指《さ》して|身《み》を|隠《かく》した。
|黄昏《たそがれ》|過《す》ぐるころコルトンは、|威風堂々《ゐふうだうだう》たる|一人《ひとり》の|修験者《しゆげんじや》や|彼《かれ》の|妻《つま》か|娘《むすめ》か|知《し》らねども、|天女《てんによ》のやうな|十七八《じふしちはち》の|美人《びじん》を|伴《ともな》ひ、|二三《にさん》の|部下《ぶか》と|共《とも》に、|肩《かた》をそびやかし|凱旋将軍《がいせんしやうぐん》のやうな|意気込《いきご》みで、|悠々《いういう》と|帰《かへ》つて|来《き》た。バルギーはコルトンの|姿《すがた》を|見《み》るより、あわてて|出迎《でむか》ひ、
『ヤ、|兄弟《きやうだい》、お|手柄《てがら》お|手柄《てがら》。|何《なん》とマア|立派《りつぱ》な|比丘《びく》をつれて|来《き》たものだなア。|親分《おやぶん》さまが|大変《たいへん》なお|待兼《まちか》ねだ。|用意《ようい》|万端《ばんたん》チンと|整《ととの》つてゐるのだ。|亡《な》き|奥様《おくさま》もさぞお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばすだらう。かういふ|事《こと》はお|前《まへ》にかぎるワイ』
コルトン『ヤア、サウ|褒《ほ》めてくれちや、|物《もの》が|言《い》へなくなる。しかしながら|彼方《あちら》こちらとかけまはり、|名僧《めいそう》|知識《ちしき》を|尋《たづ》ね|廻《まは》つたところ、このごろはバラモン|軍《ぐん》の|襲来《しふらい》で、|比丘《びく》も|修験者《しゆげんじや》もどつかへ|影《かげ》をかくし、|容易《ようい》に|見当《みあた》らなかつたのだ。そして|寺《てら》を|有《も》つてゐる|坊主《ばうず》を|頼《たの》んぢや、このかくれ|家《が》が|世《よ》の|中《なか》へ|発覚《はつかく》する|虞《おそ》れがあるものだから、|風来者《ふうらいもの》の|神力《しんりき》の|強《つよ》い、|徳《とく》の|高《たか》い|比丘《びく》をと|思《おも》つたものだから、|今日《けふ》で|三日《みつか》|捜索《そうさく》にかかり、やうやく|今朝《けさ》、こんな|立派《りつぱ》な|修験者《しゆげんじや》いな|天帝《てんてい》の|化身様《けしんさま》に|出会《でつくは》し、|事情《じじやう》を|申《まを》し|上《あ》げたところ、|快《こころよ》く|承諾《しようだく》して|下《くだ》さつたものだから、お|伴《とも》して|来《き》たのだよ』
バルギー『あ、それは|好都合《かうつがふ》だつた。マ、|奥《おく》へ|行《い》つて|休《やす》んでくれ。……これはこれは|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|様《さま》、はじめてお|目《め》にかかります。|私《わたし》は|当館《たうやかた》の|番頭《ばんとう》を|致《いた》す|者《もの》でバルギーと|申《まを》します。|何分《なにぶん》かやうな|山中《さんちう》でございますから、|充分《じうぶん》の|御待遇《ごたいぐう》も|出来《でき》ませず、|不都合《ふつがふ》ばかりでございますけれど、そこは|何《なに》とぞ|寛大《くわんだい》なるお|心《こころ》に|見直《みなほ》し、|聞直《ききなほ》し|下《くだ》さいまして、|亡《な》き|奥様《おくさま》の|御回向《ごゑかう》を|願《ねが》ひたうございます。|失礼《しつれい》ながら|御姓名《ごせいめい》は|何《なん》と|申《まを》されますか。|主人《しゆじん》へ|報告《はうこく》の|都合《つがふ》もございますから|承《うけたまは》りたいものでございます』
|修験者《しゆげんじや》はさも|鷹揚《おうやう》にそり|身《み》になり、
『ヤ、そなたは|当家《たうけ》の|番頭《ばんとう》バルギー|殿《どの》でござつたかのう。コルトン|殿《どの》に|其方《そなた》の|才子《さいし》たる|事《こと》はよく|聞《き》いてゐる。しかしながら|当家《たうけ》は|普通《ふつう》の|家《いへ》ではあるまい。コルトン|殿《どの》の|巧《うま》き|口《くち》に|乗《の》せられ、この|山奥《やまおく》へ|連《つ》れ|込《こ》まれ、|四辺《あたり》の|様子《やうす》を|見《み》れば、どうやら|山賊《さんぞく》の|住家《すみか》とみえる。そなたは|親玉《おやだま》に|仕《つか》へてゐる|小頭《こがらし》であらうがな』
『ハイ、|恐《おそ》れ|入《い》ります。いかにも|貴方《あなた》の|御明察《ごめいさつ》には|感服《かんぷく》|仕《つかまつ》りました。もはや|今《いま》となつては|隠《かく》しても|駄目《だめ》でございます。|吾々《われわれ》は|山賊《さんぞく》の|小頭《こがしら》を|致《いた》してをります。|大親分《おほおやぶん》はシャカンナと|申《まを》し、|大変《たいへん》な|豪傑《がうけつ》でございます。|失礼《しつれい》ながら、|重《かさ》ねてお|名《な》をお|聞《き》き|申《まを》したうございますが……』
『アハハハハ、|吾《わ》が|名《な》を|聞《き》いて|何《なん》と|致《いた》すか。|人間《にんげん》ならば|名《な》もある、|苗字《めうじ》もある。|拙僧《せつそう》こそは|天《てん》を|父《ちち》となし|地《ち》を|母《はは》といたし、|天帝《てんてい》の|精気《せいき》|凝《こ》つて、|茲《ここ》に|人体《じんたい》を|現《あら》はし、|衆生済度《しゆじやうさいど》を|致《いた》す|者《もの》、たつて|吾《わ》が|名《な》を|言《い》はば|天帝《てんてい》の|化身《けしん》とでも|名《な》づけておかうかい、アツハハハハ』
『いかにも、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、|威厳《ゐげん》の|備《そな》はつた|御神格《ごしんかく》、|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》でございませう。アア、|奥様《おくさま》は|何《なん》たる|幸福《かうふく》な|方《かた》だらう。そして|其処《そこ》にゐらつしやる|御婦人《ごふじん》は|奥様《おくさま》でございますか、あるひはお|娘子《むすめご》でございますか』
『アハハハハ、|妻《つま》もなければ|娘《むすめ》もない、この|御方《おんかた》は|天極紫微宮《てんごくしびきう》より、|万民済度《ばんみんさいど》のため、このたび|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばした|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》でござるぞや』
『いかにも、さう|承《うけたまは》りますれば、|地《ち》の|上《うへ》に|臍《へそ》の|緒《を》|切《き》つた|御人《ごじん》とは|見《み》えませぬ。いふに|言《い》はれぬ|御気品《ごきひん》の|高《たか》い、お|綺麗《きれい》なお|姿《すがた》、|私《わたし》は|一目《ひとめ》|拝《をが》んで|目《め》がくらむやうでございます。サア、どうか、|主人《しゆじん》が|待兼《まちか》ねてをりますから、|奥《おく》へお|通《とほ》り|下《くだ》さいませ』
『しからば|案内《あんない》めされ。|主人《しゆじん》に|会《あ》うて、とくと|天地《てんち》の|道理《だうり》を|聞《き》かしてやらう』
バルギーは……|天地《てんち》の|道理《だうり》を|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》に|聞《き》かされちや|大変《たいへん》だ。|愛善《あいぜん》を|以《もつ》て|旨《むね》とする|神様《かみさま》の|化身《けしん》と、|人《ひと》を|脅《おど》かし|金銭物品《きんせんぶつぴん》を|捕《と》る|大親分《おほおやぶん》とはそりが|合《あ》ふまい。コルトンも|気《き》の|利《き》かねい、|何故《なぜ》こんな|神様《かみさま》の|化身《けしん》などを|引《ひつ》ぱつて|来《き》やがつたらう……と|口《くち》の|中《うち》で|呟《つぶや》きながら、シャカンナの|巣《す》ごもつてゐる|立派《りつぱ》な|岩窟《がんくつ》の|中《なか》へ|案内《あんない》した。
バルギー『|旦那様《だんなさま》、|只今《ただいま》コルトンが|修験者《しゆげんじや》|否《いな》モツト モツト モツト、|尊《たふと》い|尊《たふと》い|偉《えら》いお|方様《かたさま》をお|伴《とも》いたして|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました。|此《この》|方《かた》は|人間《にんげん》ぢやないさうです。|天帝《てんてい》の|御化身《ごけしん》、またモ|一人《ひとり》の|御方《おんかた》は|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》ぢやといふことでございます。どうぞ|不都合《ふつがふ》のないやう、|御無礼《ごぶれい》のないやう、|御注意《ごちうい》を|下《くだ》さいませ』
シャカンナ『なに、コルトンが、|神《かみ》の|化身《けしん》をつれて|来《き》たといふのか、ヤ、それは|重畳重畳《ちようでふちようでふ》。まづその|神《かみ》の|化身《けしん》とやらに|会《あ》うてみやう』
バル『|只今《ただいま》ここへお|伴《とも》して|参《まゐ》りました。どうか|起《お》きて|下《くだ》さい。|失礼《しつれい》でございますぞ』
シャカンナはガハとはね|起《お》き、|居《ゐ》ずまゐを|直《なほ》し|天帝《てんてい》の|化身《けしん》と|称《しよう》する|男《をとこ》の|顔《かほ》を|熟視《じゆくし》しながら、ニヤリと|打笑《うちわら》ひ、
シヤ『イヨー、|能《よ》く|化《ば》けたものだなア。|売僧《まいす》もそれだけ|立派《りつぱ》な|衣服《いふく》をつけ、|尊大《そんだい》ぶつてをれば、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》とも、|素人《しろうと》の|目《め》には|見《み》えるだらう。しかし|俺《おれ》の|目《め》では|山子坊主《やまこばうず》とより|見《み》えないワ、アハハハハ。オイ、|狸坊主《たぬきばうず》、|汝《きさま》は|一体《いつたい》|何処《どこ》の|者《もの》だい』
|修《しゆ》『これは|怪《け》しからぬ。|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》たる|拙僧《せつそう》に|向《む》かつて、|狸坊主《たぬきばうず》とはあまりの|暴言《ばうげん》ではないか。|左様《さやう》な|挨拶《あいさつ》を|承《うけたまは》るべく、はるばるかやうな|山奥《やまおく》へは|参《まゐ》り|申《まを》さぬ。お|気《き》に|入《い》らぬとあれば、|拙僧《せつそう》はこのまま|帰《かへ》るでござらう』
『アハハハハ、オイ|坊主《ばうず》、さう|怒《おこ》るものぢやないよ。|糞尿《ふんねう》の|身《み》を|錦《にしき》に|包《つつ》み、|夜叉《やしや》の|心《こころ》を|菩薩《ぼさつ》の|仮衣《かりぎぬ》に|装《よそほ》うて、|天下万民《てんかばんみん》を|困惑《こんわく》せしめむとする|大野心《だいやしん》を|有《いう》する|者《もの》が、|此《この》|方《はう》の|一言《いちごん》に|恐《おそ》れ、|早《はや》|逃《に》げ|仕度《じたく》を|致《いた》すとは|何《なん》の|事《こと》だ。オイ|坊主《ばうず》、|汝《なんぢ》は|虚勢《きよせい》を|張《は》つて|強《つよ》さうに|偉《えら》さうに|構《かま》へてゐるが、|心《こころ》の|中《うち》はビクビクものだらう。|甘《うま》い|鳥《とり》が|見《み》つかつたと|思《おも》つて、コルトンの|野郎《やらう》にマンマと|騙《だま》し|込《こ》まれ、|来《き》て|見《み》れば|意外《いぐわい》な|硬骨爺《こうこつおやぢ》、さぞ|驚《おどろ》いたであらう』
『ますます|以《もつ》て|怪《け》しからぬお|言葉《ことば》、|拙者《せつしや》は|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》し、|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|充《み》ち、|智慧証覚《ちゑしようかく》の|輝《かがや》き|亘《わた》る|天帝《てんてい》の|化身《けしん》に|間違《まちが》ひござらぬぞや。|年《とし》をとられて、そなたは|眼力《がんりき》がうすくなり、|拙僧《せつそう》の|神格《しんかく》|容貌《ようばう》|並《なら》びに|威光《ゐくわう》が|分《わか》らぬのでござらう。チツとばかり|手洗《てうず》を|使《つか》つて|来《き》なさい。|寝《ね》とぼけ|眼《まなこ》で|神人《しんじん》を|見《み》やうとは、|身分不相応《みぶんふさうおう》でござらうぞ』
『アハハハハ、てもさても|面白《おもしろ》い|狸坊主《たぬきばうず》だ。オイ|売僧《まいす》、その|格好《かくかう》は|何《なん》だ、|肩《かた》を|四角《しかく》にしよつて、チツと|削《けづ》りおとしてやらうか。|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》の|天降《あまくだ》りだとか|何《なん》とか|申《まを》して、|良家《りやうか》の|娘《むすめ》をチヨロまかして|来《き》たのだらう。どうだ、|俺《おれ》の|眼力《がんりき》が、これでも|衰《おとろ》へてをると|申《まを》すか。いいかげんに|我《が》を|折《を》り、|正体《しやうたい》を|現《あら》はせ』
『アハハハハ、そこまで|看破《かんぱ》されちや、モウ|仕方《しかた》がない。オイ|爺《おやぢ》、しつかり|聞《き》け、|俺《おれ》こそはトルマン|国《ごく》の|有名《いうめい》なオーラ|山《さん》に|立《た》てこもり、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と|名乗《なの》つてゐた|玄真坊《げんしんばう》の|成《な》れの|果《はて》だ。|悪《わる》い|事《こと》にかけては、|決《けつ》して|人後《じんご》に|落《お》ちない|積《つも》りだ。|悪鬼《あくき》も|羅刹《らせつ》も、|大蛇《をろち》も|狼《おほかみ》も、|俺《おれ》の|声《こゑ》を|聞《き》いたら|跣《はだし》で|逃《に》げ|出《だ》すといふ、|天下無双《てんかむさう》の|英雄豪傑《えいゆうがうけつ》だぞ。オイ|爺《おやぢ》、|汝《きさま》は|山賊《さんぞく》の|張本《ちやうほん》とはいひながら、|何《なに》か|善《よ》からぬ|目的《もくてき》を|抱《かか》へて|此《こ》の|山砦《さんさい》に|立籠《たてこ》もり、|天下《てんか》を|狙《ねら》つてゐる|曲者《くせもの》であらうがな。いな|国盗人《くにぬすびと》であらうがな。|爺《おやぢ》の|計画《けいくわく》は|実《じつ》に|天下《てんか》の|壮図《さうと》だ。しかしながら|惜《を》しい|事《こと》には、|爺《おやぢ》には|棟梁《とうりやう》の|真価《かち》がない。いな|立派《りつぱ》な|参謀《さんぼう》がない。|痩馬《やせうま》の|蕨《わらび》のやうな|代物《しろもの》ばかり、|幾《いく》ら|集《あつ》めたところで、|何《なん》の|役《やく》にも|立《た》つものか。こんなヒヨロヒヨロ|部下《ぶか》を|集《あつ》めて、そんな|大望《たいまう》が|成就《じやうじゆ》すると|思《おも》うてゐるのか、てもさても|迂愚《うぐ》の|骨頂《こつちやう》だな、アハハハハ。|爺《おやぢ》の|心根《こころね》がおいとしいワイ、イツヒヒヒヒ』
『ヤア、こいつア|面白《おもしろ》い|糞坊主《くそばうず》だ、|話《はな》せるワイ。オイ|狸《たぬき》、|腕《うで》まくりでもして、|胡坐《あぐら》をかけ。そんな|業々《げふげふ》しいコケおどしの|法服《ほふふく》を|纒《まと》うてゐると、|何《なん》だか|俺《おれ》も|心《こころ》から|打《う》ちとけられない|気《き》がするワ。|鬼《おに》と|蛇《じや》との|会合《くわいがふ》だ。|今夜《こんや》はゆつくり|語《かた》り|明《あ》かし、|幸《さいは》ひに|肝胆《かんたん》|相照《あひて》らすを|得《え》ば、どうだ|一《ひと》つ、|天下取《てんかと》りの|大《おほ》バクチを|打《う》つてみやうぢやないか』
|玄真《げんしん》『ヤア、そいつアしやれてる。ワリとは|気《き》の|利《き》いた|爺《おやぢ》だ。しかし|俺《おれ》を|狸坊主《たぬきばうず》といつたが、|狸《たぬき》の|称号《しやうがう》だけは|正《まさ》に|返上《へんじやう》する、|受取《うけと》つてくれ。|序《ついで》に|売僧坊主《まいすばうず》の|尊称《そんしよう》も|返上《へんじやう》しておかう、|糞坊主《くそばうず》などいはれるのは|沙汰《さた》のかぎりだ、|無礼《ぶれい》の|極《きよく》だ。コラ|爺《おやぢ》、これからきめておかないと|本当《ほんたう》の|話《はなし》が|出来《でき》ないワ。そして|爺《おやぢ》の|女房《にようばう》の|十年忌《じふねんき》だといつて、|俺《おれ》をコルトンが|引張《ひつぱ》つて|来《き》よつたのだが、お|経《きやう》なんか|邪魔臭《じやまくさ》いからやめたら|何《ど》うだい。|心《こころ》に|豺狼《さいらう》の|慾《よく》を|逞《たくま》しうし、|鬼《おに》の|剣《けん》を|含《ふく》んで|毒気《どくき》を|吐《は》いたところで|仏《ほとけ》は|喜《よろこ》ぶまいぞ』
シヤ『ウン、|汝《きさま》の|言《い》ふ|通《とほ》りだ。|女房《にようばう》の|回向《ゑかう》をしてやつたところで、|有難《ありがた》いとも|嬉《うれ》しいともいふぢやないし、また|汝《そなた》のやうな|売僧坊主《まいすばうず》の|読経《どきやう》を|聞《き》いたところで|何《なん》の|役《やく》にも|立《た》つまい。|英雄《えいゆう》と|英雄《えいゆう》が、|女房《にようばう》の|十年忌《じふねんき》の|命日《めいにち》に|会合《くわいがふ》したのは、|女房《にようばう》の|霊《れい》が|残《のこ》つてをればさぞ|喜《よろこ》ぶだらう。これが|何《なに》よりの|回向《ゑかう》だ。|幸《さいは》ひ|今日《けふ》は|沢山《たくさん》の|馳走《ちそう》が|拵《こしら》へてある。|坊主《ばうず》|鉢巻《はちまき》でもして、|大《おほ》いに|鯨飲馬食《げいいんばしよく》でもやつたらどうだ』
『そら|面白《おもしろ》からう、|大《おほ》いに|吾《わ》が|意《い》を|得《え》てゐる。しかしながら|今《いま》|俺《おれ》を|売僧坊主《まいすばうず》といつたね、どうか|其《そ》れだけは|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りたいものだよ』
『|狸坊主《たぬきばうず》、|糞坊主《くそばうず》の|称号《しやうがう》は|返還《へんくわん》を|受《う》けたが、まだ|売僧坊主《まいすばうず》の|返上《へんじやう》はなかつたやうだね。|売僧坊主《まいすばうず》が|厭《いや》なら|山子坊主《やまこばうず》といはうか、|一層《いつそう》、|鞘坊主《たこばうず》は|何《ど》うだ、アツハハハハハハ』
『エー、どこまでも|俺《おれ》を|馬鹿《ばか》にするのか、|天帝《てんてい》の|化身様《けしんさま》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるのだい』
『|鼬《いたち》の|化身《けしん》か|貂《てん》の|化身《けしん》か|猿《さる》の|化身《けしん》か|知《し》らぬけれど、ずゐぶん|偉《えら》い|馬力《ばりき》だな。メートルもそこまで|上《あ》げたら|天下無敵《てんかむてき》だらうよ、ウツフフフフ』
『オイ|爺《おやぢ》、お|前《まへ》と|俺《おれ》との|仲《なか》だから、|狸《たぬき》といはうが、|汝《きさま》と|言《い》はうが|差支《さしつか》へないやうなものだが、ここで|一《ひと》つ|大芝居《おほしばゐ》を|打《う》たうと|思《おも》へば、|俺《おれ》をヤツパリ|天帝《てんてい》の|化身《けしん》にしておかねば、|甘《うま》く|大望《たいまう》が|成功《せいこう》しないよ。その|称号《しやうがう》から|一《ひと》つ|定《き》めておかうぢやないか』
『|実《じつ》にシャカンナ|勢《いきほ》ひだのう。よしよし、それでは|汝《きさま》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|玄真坊《げんしんばう》だから|頭字《かしらじ》と|尻《しり》の|字《じ》を|取《と》つて、|天真坊様《てんしんばうさま》と|言《い》つたら|何《ど》うだ、あまり|天真燗漫《てんしんらんまん》な|身魂《みたま》でもないけれどな。|世《よ》の|中《なか》を|欺《あざむ》くには|格好《かくかう》の|名称《めいしよう》だらう』
『ヤ、さすがは|山賊《さんぞく》の|親分《おやぶん》だけあつて、いい|所《ところ》へ|気《き》がつくワイ。|天真《てんしん》なる|哉《かな》|天真《てんしん》なる|哉《かな》、|只今《ただいま》から|天真坊《てんしんぼう》さまだぞ、いいか』
『そんなら|天真坊様《てんしんぼうさま》、|何《なに》とぞ|何《なに》とぞ、|天下経綸《てんかけいりん》の|為《ため》にやつがれが|謀師《ぼうし》となり、|機略縦横《きりやくじうわう》の|神策《しんさく》を|教《をし》へて|下《くだ》さい。そして|現界《げんかい》は|言《い》ふも|更《さら》なり、|死後《しご》の|世界《せかい》までも|吾《わ》が|身《み》の|幸福《かうふく》ならむ|事《こと》を|御守護《ごしゆご》|下《くだ》さいませ。ひとへに|懇願《こんぐわん》し|奉《たてまつ》ります。|帰命頂礼《きみやうちやうらい》、|謹請再拝《ごんぜうさいはい》』
『コリヤコリヤ|爺《おやぢ》、さう|俄《には》かに|改《あらた》まつちや、|俺《おれ》も|何《なん》だか、ウーン……|馬鹿《ばか》にされてるような|気《き》がしてならないワ。しかし|丁寧《ていねい》な|言葉《ことば》を|使《つか》はれると、からかはれてるとは|知《し》りながら、あまり|気分《きぶん》の|悪《わる》くないものだ。|言霊《ことたま》は|神《かみ》|也《なり》、とは|実《じつ》によく|言《い》つたものだな、アハハハハ』
『|天真坊様《てんしんぼうさま》、|御意《ぎよい》に|召《め》しましたかな。ヤ、やつがれも|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》でございます。|壮健《さうけん》なる|御尊顔《ごそんがん》を|拝《はい》し、やつがれ|身《み》にとり|欣喜雀躍《きんきじやくやく》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ、アツハハハハ』
『オイ、そのアツハハハハだけをのけてくれないか』
『ハイ|承知《しようち》いたしました。アツハハハハ、ヤ、このアツハハハハは|撤回《てつくわい》いたします、アツハハハ。エー、どこまでもアツハハハの|奴《やつ》、|追撃《つゐげき》しやがる。コリヤ|決《けつ》して、このシャカンナが|言《い》つたのぢやない。|悪《あ》しからず|御勘弁《ごかんべん》を|願《ねが》ひたい。イツヒヒヒ、エー、またイツヒヒヒヒの|奴《やつ》、|尾行《びかう》し|出《だ》したな、イツヒヒヒヒ』
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 松村真澄録)
第一五章 |貂心暴《てんしんばう》〔一七一七〕
|一方《いつぱう》バルギーは|沢山《たくさん》の|部下《ぶか》に|酒《さけ》|肴《さかな》および|美食《びしよく》を|与《あた》へ、「|今日《けふ》は|奥様《おくさま》の|十年祭《じふねんさい》だから、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|呑《の》め|喰《く》へ」と|命令《めいれい》しおき、コルトンと|共《とも》にシャカンナの|居間《ゐま》に|細長《ほそなが》い|干瓢頭《かんぺうあたま》をニユツと|突《つ》き|出《だ》した。
バルギー『エー|親方様《おやかたさま》、|室外《しつぐわい》にて|承《うけたまは》れば、|今晩《こんばん》は|最早《もはや》|読経《どきやう》はお|廃《よ》しになるとのこと、……|英雄《えいゆう》と|英雄《えいゆう》との|会合《くわいがふ》が|何《なに》よりの|御回向《ごゑかう》になる……と|仰《おほ》せられたのを|承《うけたまは》り、|部下《ぶか》に|用意《ようい》の|酒《さけ》|肴《さかな》を|与《あた》へておきました。|大変《たいへん》な|御機嫌《ごきげん》でございますな』
シャカンナ『ウーン、|今日《けふ》はどこともなく|天気《てんき》も|好《よ》し、|気分《きぶん》の|好《い》い|日《ひ》だ。コルトン、|汝《きさま》の|骨折《ほねを》りで、|俺《おれ》の|片腕《かたうで》を|拾《ひろ》つて|来《き》てくれたやうなものだ。ヤ、|感謝《かんしや》する。マア|一杯《いつぱい》やれ』
コルトン『エー、|親方様《おやかたさま》、|合点《がつてん》のいかぬ|事《こと》おつしやいますな。|何時《いつ》も|貴方《あなた》はコルトンは|右《みぎ》の|腕《うで》、バルギーは|左《ひだり》の|腕《うで》とおつしやいましたが、この|修験者《しゆげんじや》が|片腕《かたうで》とならば、|一体《いつたい》どうなるのでございます。|三本《さんぼん》の|腕《かひな》は|根《ね》つから|必要《ひつえう》ないやうに|考《かんが》へますがな』
シヤ『ウーン、それで|可《い》いのだ。コルトン、バルギー|二人《ふたり》を|合《あは》して|左《ひだり》の|腕《うで》とする、そしてこの|天真坊殿《てんしんばうどの》を|右《みぎ》の|腕《うで》とするのだ。これから、さう|心得《こころえ》たが|可《よ》からうぞ』
コル『ハイ、|仕方《しかた》がありませぬ。のうバルギー、それで|辛抱《しんばう》せうかな』
バル『ウーン、|到頭《たうとう》|二《ふた》つ|一《いち》だ。ずゐぶん|相場《さうば》が|下落《げらく》したものぢやないか。|早晩《さうばん》こんな|事《こと》が|突発《とつぱつ》すると|思《おも》うてゐたのだ。|汝《きさま》が|仕様《しやう》もない|修験者《しゆげんじや》を|引張《ひつぱ》つてくるものだから、こんな|破目《はめ》になつたのだ。エー、|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》に|対《たい》し、|俺《おれ》は|今日《けふ》から|半人前《はんにんまへ》になつたなどと、どうしていはれるものか。|狼《おほかみ》のやうな|連中《れんちう》を、|親分《おやぶん》の|片腕《かたうで》といひ、|威喝《ゐかつ》して、やうやく|治《をさ》めてきたのだのに、|半片腕《はんかたうで》となつちや|部下《ぶか》の|統制《とうせい》も|出来《でき》まい。あーあ|仕方《しかた》がないなア』
|玄《げん》『ワツハハハハハ、オイ、コルトン、バルギー、|何《なん》といふ|情《なさ》けない|面《つら》をするんだいエエン。よく|考《かんが》へてみろ、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と、たとへ|半分《はんぶん》にもせよ、|肩《かた》を|並《なら》べるといふことは|汝達《きさまたち》にとつては、|無上《むじやう》の|光栄《くわうえい》ぢやないか。|何《なん》だその|不足《ふそく》さうな|面《つら》は……まるきり|梟鳥《ふくろどり》が|夜食《やしよく》に|外《はづ》れたといはうか、せつかく|苦心《くしん》して|盗《ぬす》んで|来《き》た|松魚節《かつをぶし》を|犬《いぬ》に|取《と》られた|猫《ねこ》のやうに、つまらぬ|面付《つらつ》きして|半泣《はんな》きになつてるぢやないか。チツとしつかりせぬかい。そんな|腰抜《こしぬけ》を|友達《ともだち》に|持《も》つたと|思《おも》へば、|俺《おれ》も|泣《な》きたくなつて|来《く》るワイ。ウツフフフフ、|情《なさ》けない|顔《かほ》だのう。それでも|元《もと》の|通《とほ》りになるだらうか。|耆婆扁鵲《きばへんじやく》でも|頼《たの》んで|来《こ》ねば、|快復《くわいふく》は|到底《たうてい》|覚束《おぼつか》ないだらう。|俺《おれ》の|診察《しんさつ》するところに|依《よ》れば、|予後不良《よごふりやう》だ。|瀕死《ひんし》の|重病《ぢうびやう》だ、アハハハハ』
シャ『オイ、お|前《まへ》|達《たち》、|兄弟喧嘩《きやうだいげんくわ》はみつともないぞ。ともかく|俺《おれ》に|免《めん》じて|仲良《なかよ》うしてくれ。|少々《せうせう》の|不平《ふへい》や|不満《ふまん》は|隠忍《いんにん》するが、|俺《おれ》に|対《たい》する|忠義《ちうぎ》だ。|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》なら、|何《なん》でも|聞《き》きますと、いつも|言《い》つてるぢやないか。|自分《じぶん》の|都合《つがふ》の|好《よ》い|事《こと》は|二《ふた》つ|返詞《へんじ》で|早速《さつそく》|聞《き》くなり、チツとばかり|面白《おもしろ》くないといつて、そんな|怪体《けたい》な|面《つら》をするものぢやない。あまり|肝玉《きもだま》が|小《ちひ》さうすぎるぢやないか。それよりも|玄真殿《げんしんどの》のつらつて|来《き》た|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》の|柔《やは》らかいお|手々《てて》でお|酌《しやく》でもしてもらつて、|機嫌《きげん》を|直《なほ》したら|可《よ》からう』
コル『エ、|何《なん》と|親方《おやかた》|仰《おほ》せられます。こんな|奇麗《きれい》なお|方《かた》に……|酒《さけ》をついでもらつて|呑《の》め……と|仰有《おつしや》るのですか、ヤ、|有難《ありがた》い。さすがは|親分《おやぶん》だ。|気《き》が|利《き》いてる。のうバルギー、こんな|事《こと》があるから、|親分《おやぶん》には|放《はな》れられないといふのだ、エヘヘヘヘ』
バル『オイ、コルトン、みつともないぞ。|何《なん》だ、|汝《きさま》の|口《くち》から|光《ひか》つた|糸《いと》のやうなものが、|下《さが》つてゐるぢやないか。たぐれ たぐれ』
コル『ナアニ、コリヤ|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》が|錦《にしき》の|御機《みはた》をお|織《お》り|遊《あそ》ばす|玉《たま》の|糸《いと》だ。|粘液性《ねんえきせい》に|富《と》み、そして|光沢《くわうたく》が|鮮《あざや》かだらう、イツヒヒヒヒ』
|玄《げん》『オイ、コルトン、バルギー、|今日《けふ》から|俺《おれ》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》、|玄真坊《げんしんばう》の|頭尾《とうび》を|取《と》つて、|天真坊《てんしんばう》と|改名《かいめい》したのだから、|今後《こんご》は|天真坊様《てんしんばうさま》と|呼《よ》んでくれよ。その|代《かは》りに、|天真爛漫《てんしんらんまん》たる|棚機姫《たなばたひめ》さまの|柔《やはら》かいお|手《て》々で、お|酒《さけ》のお|給仕《きふじ》を、|今日《けふ》|一席《いつせき》に|限《かぎ》り|許《ゆる》してやらう。どうぢや|有難《ありがた》いか』
コル『さう|恩《おん》にきせられると、|根《ね》つから|有難《ありがた》くもありませぬワ。のうオイ、バルギー、あまり|勿体《もつたい》なくて|目《め》が|潰《つぶ》れると|困《こま》るから、|男《をとこ》らしく|平《ひら》に|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》らうぢやないか』
バル『|俺《おれ》や、|何《なん》といつても|有難《ありがた》いワ。|盃《さかづき》に|一滴《いつてき》でも|可《い》いから|注《つ》いでもらひたいな。キツとこんな|女神様《めがみさま》に|酒《さけ》をついでもらふと、その|徳《とく》にあやかつて|出世《しゆつせ》するよ。そしてこんな|美《うつく》しい|女房《にようばう》が|持《も》てるかも|知《し》れないからな』
コル『ヘン|仰有《おつしや》いますワイ。|反古《ほぐ》の|紙撚《かみより》で|編《あ》みあげた|羅漢《らかん》のやうな|面《つら》しやがつて、|美人《びじん》の|女房《にようばう》も|午蒡《ごばう》もあつたものかい。チツと|汝《きさま》の|面《つら》と|相談《さうだん》したら|可《よ》からうぞ、ウツフフフフ』
|女《をんな》『もし、|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》、あなたは|妾《わたし》がスガの|山《やま》に|参拝《さんぱい》いたしました|時《とき》、|天《てん》から|降《くだ》つたと|仰有《おつしや》いまして、……お|前《まへ》の|母《はは》は|決《けつ》して|死《し》んでゐない。|生《い》きてをるから|会《あ》はしてやらう……と|仰有《おつしや》つたぢやございませぬか。それを|誠《まこと》と|信《しん》じ、|此処《ここ》までお|伴《とも》をして|参《まゐ》りましたのに……|泥棒《どろばう》の|酒《さけ》の|酌《しやく》をせよ……とはお|情《なさ》けないお|言葉《ことば》ではございませぬか。そして|貴方《あなた》は|最前《さいぜん》から|聞《き》いてをれば、この|世《よ》を|許《いつは》る|悪魔《あくま》の|玄真坊《げんしんばう》さまとやら、オーラ|山《さん》に|立籠《たてこも》り|数多《あまた》の|人間《にんげん》をゴマ|化《くわ》してござつた|太《ふと》いお|方《かた》のやうです。|私《わたし》はモウ|愛想《あいそ》が|尽《つ》きましたからモウ|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》つて|独《ひと》りで|帰《かへ》ります。どうぞこれまでの|御縁《ごえん》と|思《おも》ひ|諦《あきら》め|下《くだ》さいませ。あなたの|素性《すじやう》が|判《わか》つた|以上《いじやう》は、|半時《はんとき》だつて|側《そば》にをれませぬ。そして|皆様《みなさま》に|申《まを》し|上《あ》げておきますが、|只今《ただいま》、|玄真坊様《げんしんばうさま》に……これまでの|御縁《ごえん》と|思《おも》ひ|諦《あきら》めて|下《くだ》さい……と|言《い》つたのは、|決《けつ》して|怪《あや》しい|関係《くわんけい》のある|意味《いみ》ではございませぬ。スガの|山《やま》から|此処《ここ》まで|連《つ》れて|来《こ》られたことを|言《い》ふのでございますからね。|一樹《いちじゆ》の|影《かげ》の|雨宿《あまやど》り、|一河《いつか》の|流《なが》れを|汲《く》むさへも|他生《たしやう》の|縁《えん》、といひませう。どうか、|誤解《ごかい》のないやうに|御賢察《ごけんさつ》を|願《ねが》ひます、ホホホホホ。アタ|阿呆《あはう》らしい、|妾《わたし》は|何《なん》といふ|馬鹿《ばか》だらう。こんな|売僧坊主《まいすばうず》に|誘惑《いうわく》されて、|自分《じぶん》で|自分《じぶん》に|愛想《あいさう》がつきて|来《き》た。|左様《さやう》なら。|皆《みな》さま、ゆつくり|御酒《ごしゆ》でもおあがりなさい』
とツツと|立《た》つて|帰《かへ》らうとする。|玄真坊《げんしんばう》は|毛《け》だらけの|猿臂《ゑんび》を|伸《の》ばし、グツと|力《ちから》を|入《い》れて|女《をんな》の|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》み、その|場《ば》に|捻伏《ねぢふ》せながら、|川瀬《かはせ》の|乱杭《らんぐひ》のやうな|歯《は》を|見《み》せ、|大口《おほぐち》を|開《ひら》いて、
『アハハハハ、てもさても|可《い》い|頓馬《とんま》だなア。この|玄真坊様《げんしんばうさま》の|舌三寸《したさんずん》に|操《あやつ》られ、こんな|岩窟《いはや》までおびき|出《だ》されたのは、|其方《そち》の|不覚《ふかく》だ。モウかうなる|以上《いじやう》は、なにほど|帰《かへ》らうといつても|帰《かへ》すものか。お|前《まへ》を|此処《ここ》へ|連《つ》れて|来《き》たのは|深《ふか》い|企《たく》みのある|事《こと》だ。|因果《いんぐわ》を|定《さだ》めて|服従《ふくじう》した|方《はう》が|其方《そち》の|身《み》の|為《ため》だらう。てもさても|可愛《かはい》ものだなア』
|女《をんな》『エー、|汚《けが》らはしい、|悪魔《あくま》の|口《くち》から|可愛《かはい》い|者《もの》だなどと、そんな|同情的《どうじやうてき》な|悪言《あくげん》はやめて|下《くだ》さい。|妾《わたし》は|憚《はばか》りながら、スガの|港《みなと》の|百万長者《ひやくまんちやうじや》アリスの|娘《むすめ》、ダリヤ|姫《ひめ》でございますよ。|吾《わ》が|家《や》へ|帰《かへ》れば|何《なに》|不自由《ふじゆう》なく|安心《あんしん》にゆけるものを、|何《なに》を|苦《くる》しんでこんな|不便《ふべん》な|土地《とち》へ|参《まゐ》り、イケ|好《す》かない|売僧坊主《まいすばうず》のお|前《まへ》に|従《したが》ふやうな|馬鹿《ばか》な|事《こと》は|致《いた》しませぬから、|思《おも》ひ|切《き》つて、|男《をとこ》らしう|私《わたし》を|帰《かへ》らして|下《くだ》さい』
|玄《げん》『さう|片意地《かたいぢ》を|張《は》るものぢやない。|人間《にんげん》は|浮《う》き|沈《しづ》み|七度《ななたび》といつて、いろいろの|波風《なみかぜ》に|当《あた》らねば|人生《じんせい》の|真《しん》の|幸福《かうふく》は|味《あぢ》はへないものだ。なにほど|百万長者《ひやくまんちやうじや》の|娘《むすめ》でも、|一日《いちにち》に|一斗《いつと》の|米《こめ》を|食《く》ふわけにもいかず、|着物《きもの》の|十枚《じふまい》も|二十枚《にじふまい》も|着《き》るわけにはゆこうまい。お|前《まへ》の|宅《うち》にをつても|此処《ここ》にをつても、|食《く》ふだけのことは|食《く》はしてやる。|決《けつ》して|不自由《ふじゆう》はさせぬ。どうだ、|出家《しゆつけ》に|肌《はだ》を|触《ふ》るれば、|子孫《しそん》|七代《しちだい》|繁栄《はんえい》するといふぢやないか。その|上《うへ》、|七代前《しちだいぜん》の|先祖《せんぞ》までが|地獄《ぢごく》の|苦《く》を|逃《のが》れ|極楽浄土《ごくらくじやうど》へ|登《のぼ》るといふ|功徳《くどく》がある。よく|祖先《そせん》や|子孫《しそん》の|幸福《かうふく》を|思《おも》つて、|俺《おれ》の|言《い》ひ|条《でう》につくが、アリス|家《け》の|為《ため》だらうよ。どうだ、|合点《がつてん》がいつたか。|目《め》から|鼻《はな》へ|突《つ》き|抜《ぬ》けるやうな|賢《かしこ》いお|前《まへ》の|事《こと》だから、キツと|俺《おれ》の|言《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つただらうなア』
ダリヤ『エー|汚《けが》らはしい、ようそんな|事《こと》をおつしやいますな。|貴方《あなた》は|山賊《さんぞく》の|親分《おやぶん》と|結託《けつたく》し、オーラ|山《さん》の|焼直《やきなほ》しをやるお|考《かんが》へでせう。そんな|危《あぶ》ない|事《こと》はおよしなさいませ。|今度《こんど》はお|命《いのち》が|亡《な》くなりますよ』
|玄《げん》『アハハハハ、お|前《まへ》のために|命《いのち》の|亡《な》くなるのは|本望《ほんまう》だ。|一層《いつそ》のこと、お|前《まへ》のその|優《やさ》しい|手《て》で|殺《ころ》して|欲《ほ》しい。コレ、ダリヤ、これだけ|思《おも》ひ|込《こ》んだ|男《をとこ》、さう|無下《むげ》に|振《ふ》り|払《はら》ふものぢやない。|男冥加《をとこめうが》に|尽《つ》きるぞよ』
ダリ『エエ|何《なん》なつとおつしやいませ、|私《わたし》は|知《し》りませぬ。この|上《うへ》|貴方《あなた》に|対《たい》し|言葉《ことば》をかはしませぬ』
|玄《げん》『エ、さてもさても|渋太《しぶと》い|女《あま》だなア』
コル『アハハハハ、|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》も|女《をんな》にかけたら|脆《もろ》いものだな。オイ、バルギー、こんなデレ|助《すけ》と|兄弟分《きやうだいぶん》になるとは、あまり|有難《ありがた》すぎるぢやないか。|親分《おやぶん》も|親分《おやぶん》だ。どこに|見込《みこみ》があるのかな』
バル『|久米《くめ》の|仙人《せんにん》でさへも、|女《をんな》の|白《しろ》い|腿《もも》をみて|通力《つうりき》を|失《うしな》ひ、|天《てん》からおちたといふぢやないか。なにほど|天帝《てんてい》の|御化身《ごけしん》だつて、こんな|美《うつく》しいシャンの|面《つら》を|見《み》りや、|堕落《だらく》するのは|当然《あたりまへ》だよ、ウフフフフ』
シャ『オイ、コルトン、バルギー、|酒《さけ》を|注《つ》いでくれ。|何《なん》だか|天真様《てんしんさま》のチンチン|喧嘩《げんくわ》で、|座《ざ》が|白《しら》けたやうだ。|一杯《いつぱい》|呑《の》んで|大《おほ》いに|踊《をど》つてくれないか』
コル『ハイ、|已《すで》に|已《すで》に|胸《むね》が|踊《をど》つてをります。そしてこの|天帝《てんてい》の|化身《けしん》さまは、|棚機姫《たなばたひめ》さまに|余程《よほど》【おどつて】をりますね。いな|劣《おと》つてゐるぢやありませぬか』
シャ『オイ、いらぬ|事《こと》をいふな。|天真坊様《てんしんぼうさま》の|御機嫌《ごきげん》を|損《そこ》ねちや|大変《たいへん》だぞ』
|玄《げん》『オイ、シャカンナ|殿《どの》、こんな|小童武者《こわつぱむしや》は|相手《あひて》にしなさるな。|男《をとこ》が|下《さが》るから……』
コル『ヘン|男《をとこ》が|下《さが》るのは|玄真《げんしん》さまぢやないか。|俺《おれ》|達《たち》の|前《まへ》で、タカが|女《をんな》の|一疋《いつぴき》や|半疋《はんびき》に|肱鉄《ひぢてつ》をかまされ、|赤恥《あかはぢ》をかかされ、シヤアつく|洒蛙々々然《しあしあぜん》として|蛙《かはづ》の|面《つら》に|水《みづ》、|馬耳東風《ばじとうふう》よろしく、といふ|鉄面皮《てつめんぴ》だからなア。|男《をとこ》のさがることも|恥《は》づかしい|事《こと》も、お|判《わか》りならないのだらう』
バル『そらさうだとも、|恥《はぢ》といふことを|知《し》らぬ|者《もの》に|恥《は》づかしいといふ|観念《くわんねん》があるものか、|人間《にんげん》もここまで|徹底《てつてい》すれば、|結句《けつく》、|面白《おもしろ》いだらう、ウツフフフフ』
ダリヤは|因果《いんぐわ》を|定《さだ》めたか、|平然《へいぜん》として|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、シャカンナや|玄真坊《げんしんばう》に|愛嬌《あいけう》をふりまきながら、|酌《しやく》をしてゐる。|玄真坊《げんしんばう》は|心《こころ》の|中《うち》にて、
『ヤア|占《し》めた、ヤツパリ|俺《おれ》は|色男《いろをとこ》だ。ダリヤの|奴《やつ》、|人中《ひとなか》だと|思《おも》つて、ワザとにあんな|事《こと》を|吐《ぬか》してゐやがつたのだな。ウンよしよし、ダリヤがその|心《こころ》なら、|俺《おれ》もこれから|特別《とくべつ》|大切《だいじ》にしてやらう。|愛《あい》はすべて|相対的《さうたいてき》だから、なにほど|此方《こつち》が|愛《あい》してやらうと|思《おも》つても、|先方《むかふ》がその|愛《あい》を|受《う》けないとどうする|事《こと》も|出来《でき》ない。ヤア|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》だ』
と|思《おも》はず|知《し》らず|小声《こごゑ》で|口走《くちばし》つた。ダリヤはこれを|聞《き》いて、「ホホホホ」と|小《ちひ》さく|笑《わら》ひ、せつせと|四人《よにん》の|男《をとこ》に|酒注《さけつ》ぎをやつてゐる。|玄真坊《げんしんばう》は|得意然《とくいぜん》として|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|世《よ》の|中《なか》に |酒《さけ》より|大事《だいじ》の|物《もの》はない
|酒《さけ》より|大事《だいじ》の|物《もの》がある それは|何《なに》よと|尋《たづ》ぬれば
|花《はな》の|顔容《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》 |天女《てんによ》のやうなダリヤ|姫《ひめ》
|天《あま》の|矛鉾《ぬほこ》を|回転《くわいてん》し ウマンマこれの|山奥《やまおく》に
おびき|出《だ》したる|吾《わ》が|手柄《てがら》 |鬼神《きじん》もさぞや|驚《おどろ》かむ
|呑《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》よ |暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る
|月《つき》より|花《はな》より|雪《ゆき》よりも |一層《いつそう》きれいなこのシャンは
|玄真《げんしん》さまの|宿《やど》の|妻《つま》 |思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》い
これを|思《おも》へば|人間《にんげん》は |完全無欠《くわんぜんむけつ》の|大知識《だいちしき》
|甘《うま》く|活用《くわつよう》せにやならぬ |知恵《ちゑ》と|言葉《ことば》の|余徳《よとく》にて
|棚機姫《たなばたひめ》にもまがふなる |姿《すがた》の|優《やさ》しいダリヤさま
タニグク|山《やま》の|山麓《さんろく》に |岩窟《いはや》を|構《かま》へしシャカンナの
|珍《うづ》の|御殿《ごてん》に|現《あら》はれて |鈴《すず》のやうなる|声《こゑ》しぼり
|愛嬌《あいけう》たつぷりふり|蒔《ま》いて お|酌《しやく》をなさる|手際《てぎは》よさ
|姫《ひめ》のたたむき|眺《なが》むれば |象牙細工《ざうげざいく》のやうな|艶《つや》
|爪《つめ》の|色《いろ》をば|調《しら》ぶれば |瑪瑙《めなう》のやうな|光《ひか》りかた
こんな|美人《びじん》がまたと|世《よ》に |二人《ふたり》とあらうかあらうまい
ホンに|吾《わ》が|身《み》は|何《なん》として こんな|幸福《かうふく》が|見舞《みま》ふのか
|昔《むかし》の|昔《むかし》の|神代《かみよ》から |善《ぜん》をば|助《たす》け|悪人《あくにん》を
|戒《いまし》め|来《き》たりし|余徳《よとく》だらう こんなナイスと|添《そ》ふからは
ヤツパリ|俺《おれ》の|魂《たましひ》も |万更《まんざら》すてたものでない
|昔《むかし》の|神代《かみよ》は|天国《てんごく》の |尊《たふと》き|神《かみ》の|御身魂《おんみたま》
|澆季末法《げうきまつぽふ》の|世《よ》を|憂《うれ》ひ |神《かみ》の|命令《みこと》を|畏《かしこ》みて
この|地《ち》の|上《うへ》に|降臨《かうりん》し |衆生済度《しゆじやうさいど》を|励《はげ》むべく
|命《めい》をうけたる|御魂《みたま》だらう ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|吾《われ》は|神《かみ》なり|彼《かれ》も|神《かみ》 |神《かみ》と|神《かみ》との|睦《むつ》び|合《あ》ひ
よき|日《ひ》よき|時《とき》|相《あひ》えらび シャカンナさまの|仲介《なかうど》で
|天《あめ》の|御柱《みはしら》めぐり|合《あ》ひ |山川草木《さんせんさうもく》|生《う》み|並《なら》べ
|尊《たふと》き|神《かみ》の|子《こ》|大空《おほぞら》の |星《ほし》の|数《かず》ほど|産《う》みおとし
いよいよ|誠《まこと》の|救《すく》ひ|主《ぬし》 |生神様《いきがみさま》とあがめられ
この|世《よ》に|永久《とは》の|命《いのち》をば |保《たも》ちて|世人《よびと》を|救《すく》ひゆく
|誠《まこと》の|神《かみ》となつてみやう シャカンナさまの|企《くはだ》てを
これから|夫婦《ふうふ》が|相助《あひたす》け |悪人輩《あくにんばら》を|平《たひ》らげて
タラハン|国《ごく》の|災《わざはひ》を |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹払《ふきはら》ひ
|天晴《あつぱ》れ|真《まこと》の|生神《いきがみ》と |天地《てんち》と|共《とも》に|芳名《はうめい》を
|千代万代《ちよよろづよ》に|照《て》らすべし ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|嬉《うれ》しい|事《こと》になつて|来《き》た これも|梵天自在天《ぼんてんじざいてん》
ウラルの|神《かみ》や|八百万《やほよろづ》 |神々様《かみがみさま》の|御恵《おんめぐ》み
ホンに|嬉《うれ》しい|頼《たの》もしい ダリヤの|姫《ひめ》の|玉《たま》の|手《て》に
|首《くび》をまかれてスヤスヤと |白川夜舟《しらかはよぶね》の|旅《たび》をなし
たちまち|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|空《そら》へ |一夜《いちや》の|中《うち》に|参《まゐ》りませう
コルトン バルギー|両人《りやうにん》よ こんな|所《ところ》を|見《み》せられて
さぞやさぞさぞお|心《こころ》が もめるであらうが|辛抱《しんばう》せよ
やがてお|前《まへ》も|時《とき》|来《く》れば |目鼻《めはな》のついた|女房《にようばう》を
|俺《おれ》が|世話《せわ》してやるほどに |末《すゑ》の|末《すゑ》をば|楽《たの》しんで
キツと|悋気《りんき》をしてくれな ダリヤは|俺《おれ》の|女房《にようばう》だ
|夢《ゆめ》にも|秋波《しうは》を|送《おく》るなよ ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |天真坊《てんしんばう》が|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げまつつて|両人《りやうにん》が ダリヤの|色香《いろか》に|迷《まよ》はぬやう
お|守《まも》り|下《くだ》さる|其《そ》の|由《よし》を ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る』
シャ『アハハハハ、イヤもう|偉《えら》いところをみせつけられ、この|爺《ぢい》も|二十年《にじふねん》ばかり|気《き》が|若《わか》くなつて|来《き》た。|天真坊殿《てんしんばうどの》のお|得意《とくい》、|思《おも》ふべしだな、アハハハハ』
|玄《げん》『エヘヘヘヘ、なア、ダリヤ、イヒヒヒヒ』
ダリ『……………』
コル『ヘン、|馬鹿《ばか》にしてゐやがる。|俺《おれ》だつて、さう|軽蔑《けいべつ》したものぢやないワ。おつつけ、|立派《りつぱ》な|女房《にようばう》をどつかで|掠奪《りやくだつ》して|来《き》て、|天真坊《てんしんぼう》さまの|御目《おんめ》の|前《まへ》にブラつかして|見《み》せてやるワイ。のうバルギー、さうなとしなくちや、|俺《おれ》|達《たち》の|面《つら》が|丸潰《まるつぶ》れだからな』
バル『フン、フン』
ダリ『ハルの|湖《うみ》|酒《さけ》の|嵐《あらし》の|吹《ふ》きあれて
|醜《しこ》の|荒波《あらなみ》|立《たち》さわぐかな』
シャ『うるはしきダリヤの|花《はな》は|山風《やまかぜ》に
|吹《ふ》かれて|遂《つひ》に|打《う》ち|靡《なび》きける』
|玄《げん》『|月《つき》も|日《ひ》もよりて|仕《つか》ふる|吾《われ》なれば
ダリヤの|姫《ひめ》の|慕《した》ふも|宜《むべ》よ。エヘヘヘヘ』
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 松村真澄録)
第一六章 |酒艶《しゆえん》の|月《つき》〔一七一八〕
|玄真坊《げんしんばう》はダリヤ|姫《ひめ》が、にはかにやさしくなり、どうやら|自分《じぶん》にゾッコン|惚《ほ》れて|来《き》たやうな|気分《きぶん》がしたのでますます|得意《とくい》となり、|顔《かほ》の|相好《さうがう》を|崩《くづ》し、|身知《みし》らずに|左《ひだり》の|手《て》から|川端《かはばた》の|乱杭《らんぐひ》のやうな|歯《は》の|口《くち》へ|盃《さかづき》を|運《はこ》んでゐる。
|玄真《げんしん》『オイ、ダリヤ、さう|夫《をつと》ばかりに|酒《さけ》をつぐものぢやない。エー、チツと|人《ひと》さまの|手前《てまへ》もあらうぞや。どうだ、チツと|親方《おやかた》にも|注《つ》がないか』
ダリヤ『ホホホホホ、あのマア|憎《にく》たらしいこと|仰有《おつしや》いますわいのう。|何《なん》ぼ|親方《おやかた》が|大切《たいせつ》だとて、|一生《いつしやう》|身《み》を|任《まか》した|夫《をつと》を|後《あと》にする|事《こと》が|出来《でき》ますか。|妾《わたし》もチツと|酒《さけ》に|酔《よ》うてゐますから、|御無礼《ごぶれい》な|事《こと》を|申《まを》すか|知《し》れませぬが、そこは、はしたない|女《をんな》と|思召《おぼしめ》してお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませや』
|玄《げん》『ウンウンヨシヨシ、お|前《まへ》の|白《しろ》いお|手々《てて》で|燗徳利《かんどくり》を|握《にぎ》つた|姿《すがた》といつたら|天下無類《てんかむるゐ》だよ。エヘヘヘヘヘ。|酔《よ》うて|能《よ》うて、うまうて|能《よ》うて、|気分《きぶん》が|冴《さ》えて|能《よ》うて、|腹《はら》にたまらいで|能《よ》うて、ヨイヨイヨイの|宵《よひ》の|口《くち》から、|夜《よ》の|明《あ》けるまで、しつぽりと|夫婦《ふうふ》が|酒《さけ》|汲《く》み|交《か》はし、|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》ふのは、またとない|天下《てんか》の|愉快《ゆくわい》だ。|月《つき》か|雪《ゆき》か|花《はな》かともいふべき|美人《びじん》のお|前《まへ》に|好《す》かれる|俺《おれ》は、|何《なん》といふ|果報者《くはほうもの》だらう。これこれシャカンナ|殿《どの》、|羨《けな》るうはござらぬか、エー。|今夜《こんや》にかぎり|吾《わ》が|妻《つま》の|弁才天《べんざいてん》をして、|貴下《きか》のお|酒《さけ》の|相手《あひて》を|命《めい》じますから、いささか|拙僧《せつそう》の|好意《かうい》を|買《か》つて|下《くだ》さるでせうな。ゲー、アフフフフアーア。|何《なん》とよくまはる|酒《さけ》だらう。まだ|一二合《いちにがふ》より|飲《の》んでゐない|積《つも》りだのに』
シャカンナ『アハハハハ、|拙者《せつしや》も|大変《たいへん》|酩酊《めいてい》してござる。|花《はな》に|嘘《うそ》つくダリヤ|姫様《ひめさま》の|顔《かんばせ》を|拝《をが》みながら、|芳醇《はうじゆん》な|酒《さけ》をひつかける|心持《こころもち》といつたら、|春《はる》の|花見《はなみ》よりも|秋《あき》の|月見《つきみ》、|紅葉見《もみぢみ》、|地上《ちじやう》|一面《いちめん》の|銀世界《ぎんせかい》を|現《げん》じた|雪見《ゆきみ》の|宴《えん》よりも、なにほど|爽快《さうくわい》だか|知《し》れませぬわい』
|玄《げん》『いかにも、|左様《さやう》でござらう。これも|拙者《せつしや》の|貴下《きか》に|対《たい》する|好意《かうい》の|賜物《たまもの》でござるぞ。|感謝《かんしや》せなくちや、バババ|罰《ばち》が|当《あた》りますよ』
シャ『イヤ、モウお|目出《めで》たいところを|沢山《たくさん》に|拝見《はいけん》いたし、シャカンナも|満足《まんぞく》いたしました。この|光景《くわうけい》を|眺《なが》めて、|霊前《れいぜん》から|亡《な》き|女房《にようばう》の|霊《れい》が|喜《よろこ》んでることでせう。|南無幽霊頓生菩提《なむいうれいとんしやうぼだい》……うまい|酒《さけ》を|飲《の》む|阿弥陀仏《あみだぶつ》だ。|噛《か》む|阿弥陀仏《あみだぶつ》だ。アツハハハハ』
ダリ『オツホホホホホ、|親方《おやかた》さまといひ、|吾《わ》が|夫《つま》|天真坊様《てんしんばうさま》といひ、ずゐぶん|面白《おもしろ》いお|方《かた》ですこと。|妾《あたい》こんなお|方《かた》|大好《だいす》きよ。|妾《あたい》どうしてまた|気《き》の|軽《かる》い、|人《ひと》の|好《よ》い|立派《りつぱ》な|男《をとこ》さまに|添《そ》ふ|事《こと》が|出来《でき》るのでせう。さうしてシャカンナさまのやうに|腮髭《あごひげ》の|生《は》えた|勇《いさ》ましい、|猛々《たけだけ》しいお|顔立《かほだち》ち、あたいは|天地《てんち》の|幸福《かうふく》を|一身《いつしん》に|集《あつ》めたやうな|嬉《うれ》しい|気分《きぶん》がいたします。オホホホホ』
シャ『ハハハハ、どうも|感心《かんしん》だ。ダリヤ|姫《ひめ》さまは|交際家《かうさいか》だな。|外交官《ぐわいかうくわん》にでもしたら、きつと|凄《すご》い|腕《うで》を|現《あら》はすだらう。|惜《を》しい|事《こと》には|女性《ぢよせい》だから|仕方《しかた》がないわ』
ダリ『ホホホホ、あのマア|親方様《おやかたさま》の|仰有《おつしや》る|事《こと》わいのう。|女《をんな》だつて|外交官《ぐわいかうくわん》になれない|事《こと》はございませぬよ。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|女《をんな》が|活躍《くわつやく》せなくちや、|夫《をつと》が|世《よ》に|出《で》る|事《こと》は|出来《でき》ないぢやありませぬか。|今日《こんにち》の|小名《せうみやう》だとか|大名《だいみやう》だとかいふ|役人《やくにん》さま|達《たち》は|皆《みな》|奥《おく》さまの|外交《ぐわいかう》が|巧《うま》いから、あそこまでの|地位《ちゐ》を|得《え》たのですよ。|女《をんな》が|裏口《うらぐち》からソツと|這入《はい》つて|上役《うはやく》の|奥《おく》さまに|一寸《ちよつと》、やさしい|事《こと》を|言《い》ひ、|阿諛《おべつか》を|振《ふ》りまき、|反物《たんもの》の|一《ひと》つでも|贈《おく》つておくと、|直《す》ぐさま、その|夫《をつと》は|一月《ひとつき》も|経《た》たぬ|中《うち》に|役《やく》が|上《あ》がるのですもの。なにほど|男《をとこ》さまが|力《ちから》があるといつても、|知恵《ちゑ》があるといつても、|妻《つま》に|外交《ぐわいかう》の|腕《うで》がなくては|駄目《だめ》ですよ。ネー|天真坊様《てんしんぼうさま》、あなた、どう|思《おも》ひますか』
|玄《げん》『ウツフフフフ、お|前《まへ》の|言《い》ふ|通《とほ》りだ。|見《み》かけによらぬ、お|前《まへ》は|立派《りつぱ》な|女《をんな》だな。|器量《きりやう》ばかりかと|思《おも》へば|仲々《なかなか》の|知恵《ちゑ》もあり|腕《うで》もあるやうだ。なほなほ、|俺《おれ》はお|前《まへ》が|慕《した》はしく|恋《こ》ひしくなつて|来《き》たよ。「|此《こ》の|夫《をつと》にして|此《こ》の|妻《つま》あり」とは、よく|言《い》つたものだ。さすがは|天真坊様《てんしんぼうさま》のお|嬶《かか》になるだけあつて、|何《なに》かに|気《き》が|利《き》いてゐるわい、えらいものだな。|俺《おれ》はもう、スツカリお|前《まへ》に|惚《ほ》れたよ。|本当《ほんたう》によく|惚《ほ》れたよ、エヘヘヘヘ』
『ホホホホ、あのマア|天真坊様《てんしんぼうさま》のおつしやることわいな、まるつきり|井戸掘《ゐどほり》の|検査《けんさ》のやうだわ。|掘《ほ》れた|掘《ほ》れた、よう|掘《ほ》れたとおつしやいましたね。これでは|何《なん》とか|賞与金《しやうよきん》をいただかなくちやなりますまい』
『いや、ますます|惚《ほ》れた。きつと|賞与金《しやうよきん》を|渡《わた》してやらう、ウンと|張込《はりこ》んでやらうぜ』
『いくら|下《くだ》さいますか。うそ|八百円《はつぴやくゑん》は|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りますよ』
『ウン、もつとやる、|千円《せんゑん》やるつもりだ』
『エー|今日《けふ》やらう、|明日《あす》やらう、もう|暫《しばら》くしてからやらう、と|遷延《せんえん》また|遷延《せんえん》、どこまでもズルズルベツタリ|引伸《ひきの》ばして|人《ひと》をつらくる|考《かんが》へでせう。そんな|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|言霊《ことたま》は|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませう』
『てもさても、|小《こ》むつかしいお|嬶《かか》だな。そんなら、いくら|与《や》つたら|好《い》いのだ』
『お|嬶《かか》お|嬶《かか》と、よう|仰有《おつしや》いますな、あまりみつともないぢやありませぬか。|俥夫《しやふ》、|馬丁《ばてい》の|女房《にようばう》ぢやあるまいし、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天真坊様《てんしんばうさま》の|奥方《おくがた》ぢやございませぬか。もし|賞与金《しやうよきん》を|下《くだ》さるのなら、この|奥方《おくがた》に|対《たい》して、あなたの|誠意《せいい》のあるだけを|放《ほ》り|出《だ》して|下《くだ》さい』
『ヤー|困《こま》つたな、|誠意《せいい》のあるだけと|出《で》られちや|一寸《ちよつと》|面喰《めんくら》はざるを|得《え》ない。|俺《おれ》の|誠意《せいい》は|百億円《ひやくおくゑん》でもやりたいのだが、さうは|懐《ふところ》が|許《ゆる》さない。|奥様《おくさま》の|初《はじ》めての|御要求《ごえうきう》だから、|力一杯《ちからいつぱい》|与《あた》へたいが、|何分《なにぶん》|経済界《けいざいかい》の|行詰《ゆきつま》りでおれの|懐《ふところ》もチツとばかり|秋風《あきかぜ》が|吹《ふ》いてゐる。どうか|三百円《さんびやくえん》ぐらゐで|今日《けふ》の|所《ところ》は|耐《こら》へてもらひたいものだな』
『ホホホホ、|天帝《てんてい》の|化身《けしん》|天真坊様《てんしんばうさま》の|奥方《おくがた》が、タツタ|三百円《さんびやくえん》の|枕金《まくらがね》とは|安《やす》いものぢやございませぬか。あまり|殺生《せつしやう》だわ、ネー、シャカンナの|親分様《おやぶんさま》』
シャ『ハハハハ、そこは|夫婦《めをと》の|仲《なか》だ。どつと|張込《はりこ》んで、|負《ま》けておきなさい。|実際《じつさい》|女房《にようばう》に|金《かね》を|出《だ》すやうなデレ|助《すけ》は、|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》にはありませぬよ。|諸物価《しよぶつか》の|極端《きよくたん》に|騰貴《とうき》した|今日《こんにち》でも、|最《もつと》も|安《やす》いものは|女房《にようばう》ですよ。|藁《わら》の|上《うへ》から|蝶《てふ》よ|花《はな》よと|育《そだ》て|上《あ》げ、|中等《ちうとう》|以上《いじやう》の|家庭《かてい》になれば|小学校《せうがくかう》から|女学校《ぢよがくかう》、|女子大学《ぢよしだいがく》と|沢山《たくさん》な|金《かね》を|投《とう》じた|上《うへ》、|箪笥《たんす》だ、|長持《ながもち》だ、イヤ|三重《みつがさね》だ、|何《なん》だ|彼《か》だと、|家《いへ》の|棟《むね》が|歪《ゆが》むほど、|拵《こしら》へして、「|不調法《ぶてうはふ》の|女《をんな》だけど|宜《よろ》しく」といつて、|只《ただ》|呉《く》れる|世《よ》の|中《なか》だから、|何《なに》が|安《やす》いといつても|嫁《よめ》の|相場《さうば》ぐらゐ|安《やす》いものはない。それだから、ダリヤさま|三百円《さんびやくえん》もらつたら、お|前《まへ》さまは|天下一《てんかいち》の|手柄者《てがらもの》だ。|天真坊《てんしんぼう》が、ぞつこん、|首《くび》つたけ|惚《ほ》れてゐるのだから|大枚《たいまい》|三百円《さんびやくえん》を、おつ|放《ぽ》り|出《だ》さうといふのだよ。アーア、|酔《よ》うた|酔《よ》うた。|何《なん》だか|宙《ちう》に|浮《う》いてるやうだ。こんな|時《とき》に|女房《にようばう》があつたら、|私《わし》も|気楽《きらく》に|膝枕《ひざまくら》でもして|寝《ね》るのだけどな。まさか|天真坊様《てんしんぼうさま》の|奥方《おくがた》の|膝枕《ひざまくら》を|借《か》るわけにもゆかず、エーエ|羨《うらや》ましい|事《こと》だわい』
ダリ『ホホホホ、いい|加減《かげん》に|弄《から》かつておいて|下《くだ》さい。しかし|親方《おやかた》さまのお|話《はなし》によりまして、|妾《わたし》は|本当《ほんたう》に|世界一《せかいいち》の|幸福女《かうふくをんな》だと|覚《さと》りました。|何《なん》とマア|天真坊様《てんしんぼうさま》といふ|方《かた》は|結構《けつこう》なお|方《かた》でせう。それを|承《うけたまは》るとますます|可愛《かはい》うなつて|来《き》ましたよ、ネー|天真坊様《てんしんぼうさま》。「|古《ふる》くなつたから、もう|要《い》らぬ」などと|言《い》つて、|破《やぶ》れた|靴《くつ》を|棄《す》てるやうな|無情《むじやう》な|事《こと》を|為《な》さつちや、|嫌《いや》ですよ。……お|椀《わん》|百《ひやく》まで、|箸《はし》や|九十九《くじふく》まで、ともに|朱塗《しゆぬり》の|剥《は》げるまで……|仲《なか》よう|添《そ》うて|下《くだ》さるでせうね。そして|妾《てかけ》なんか、|持《も》たないやうにして|下《くだ》さいね。あたい、|気《き》を|揉《も》みますからね』
|玄《げん》『ウンウンヨシヨシ、そんな|心配《しんぱい》は|御無用《ごむよう》だ。お|前《まへ》は、まだ|俺《わし》の|誠意《せいい》が|分《わか》らぬと|見《み》えて|先《さき》の|先《さき》まで|心配《しんぱい》するのだな。|可愛《かはい》いお|前《まへ》を|棄《す》てて、どうして|外《ほか》の|女《をんな》に|心《こころ》を|移《うつ》すことが|出来《でき》やうか。オイ、ダリヤ、シャカンナさまには|済《す》まないが|一《ひと》つ|膝《ひざ》を|借《か》してくれないか』
ダリ『サアサア|夫《をつと》が|女房《にようばう》の|膝《ひざ》にお|眠《ねむ》り|遊《あそ》ばすのが、なに|遠慮《ゑんりよ》が|要《い》りませう。「|膝《ひざ》を|借《か》してくれ」などとお|頼《たの》み|遊《あそ》ばす、その|水臭《みづくさ》いお|言葉《ことば》が、|妾《あてエ》、かへつて|憎《にく》らしいわ』
シャ『ヤア、どうも|堪《たま》らぬ|堪《たま》らぬ。|天真坊殿《てんしんぼうどの》、|怪《け》しからぬぢやござらぬか』
|玄《げん》『ヤ、|之《これ》は|失礼《しつれい》でござる。しかしながらは|拙者《せつしや》の|自由権利《じいうけんり》を|行使《かうし》するのに、|別《べつ》に|遠慮《ゑんりよ》も|要《い》りますまい、|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ、|失礼《しつれい》』
と|言《い》ひながらダリヤの|膝《ひざ》に、|胡麻入《ごまい》りの|頭《あたま》を|安置《あんち》した。
ダリ『ホホホホ、|酒《さけ》|臭《くさ》いこと。そしてお|頭《つむ》の|毛《け》の|香《にほひ》、|妾《あてエ》、|鼻《はな》が|歪《ゆが》むやうだわ。オヤ、マア|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》が|御出現《ごしゆつげん》|遊《あそ》ばしてござるわ、ホホホホホ』
|玄《げん》『オイ、ダリヤ、|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》は|子供《こども》が|好《す》きで|頭《かしら》に|沢山《たくさん》の|童子《どうじ》をのせてござるだらう。|俺《わし》はその|観世音《くわんぜおん》を|沢山《たくさん》に|頭《かしら》に|頂《いただ》いてゐるのだから、|大抵《たいてい》|俺《わし》の|神徳《しんとく》も|解《わか》つただらうのう』
『ア、それで|天帝《てんてい》の|御化身様《ごけしんさま》といふ|事《こと》が|判然《はんぜん》いたしましたわ。もし|天真坊様《てんしんぼうさま》、あなたのお|頭《つむり》は、ちやうど|胡麻煎《ごまい》りのやうですね』
|玄《げん》『オイオイ|無茶《むちや》をいふない。|胡麻煎《ごまい》りなら|持《も》つ|処《ところ》がありさうなものだ。|柄《え》がないぢやないか』
『|何事《なにごと》も|改良《かいりやう》の|流行《はや》る|時節《じせつ》ですから、あなたの|胡麻煎《ごまい》り|頭《あたま》は|柄《え》はありませぬが、その|代用《だいよう》として|鍋《なべ》のやうに|二《ふた》つの|耳《みみ》がついてゐますよ。この|耳《みみ》をかう、|二《ふた》つ|下《さ》げて|胡麻《ごま》を|煎《い》つたら、|素敵《すてき》でせうね。|観音《くわんおん》さまの|胡麻煎《ごまい》りが|出来《でき》るでせう、ホホホホ』
コル『これこれダリヤ|姫《ひめ》さまとやら、こんな|席《せき》で、さう|意茶《いちや》ついてもらつちや、|吾々《われわれ》|独身者《どくしんもの》はやりきれぬぢやないですか。チツとは|徳義《とくぎ》といふ|事《こと》を|考《かんが》へてもらはなくちや|堪《た》まりませぬよ』
ダリ『ホホホホ、|何《なん》とマア|妙《めう》なことを|承《うけたまは》るものですな。|山賊《さんぞく》の|仲間《なかま》にも|徳義《とくぎ》などといふ|言葉《ことば》が|流行《はや》つてゐますか』
コル『|無論《むろん》です。|泥棒《どろばう》でなくとも|今日《こんにち》の|人間《にんげん》を|御覧《ごらん》なさい。|上《うへ》から|下《した》まで、|徳義《とくぎ》だとか、|仁義《じんぎ》だとか、|慈善《じぜん》だとか、|博愛《はくあい》だとか、いろいろの|雅号《ががう》を|並《なら》べて、|愚人《ぐじん》の|目《め》を|晦《くら》ませ、|耳《みみ》を|痺《しび》らせ、ソツと|裏《うら》の|方《はう》から|甘《うま》い|汁《しる》を|吸《す》うてるぢやありませぬか。|徳義《とくぎ》といふ|事《こと》は|泥棒《どろばう》にとつては|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》ですよ、アハハハハ』
『なるほど、さう|承《うけたまは》れば、いかにも|御尤《ごもつと》も、なかなか|泥棒学《どろばうがく》も|修養《しうやう》が|要《い》りますな』
『さうですとも、|泥棒《どろばう》が|泥棒《どろばう》の|看板《かんばん》をうつて、どうして|仕事《しごと》が|出来《でき》ませう。すぐ|目付《めつけ》に|捕《つか》まつてしまひますよ。|表面《うはべ》は|善《ぜん》を|飾《かざ》りつつソツと|悪事《あくじ》をやるのが|当世《たうせい》ですからね』
『ヤア、これは|大変《たいへん》な|知識《ちしき》を|得《え》ました。サアお|気《き》に|召《め》しますまいが……|一杯《いつぱい》|注《つ》ぎませう。|妾《わたし》の|杯《さかづき》でも|受《う》けて|下《くだ》さるでせうね』
『ヘイヘイ、|受《う》ける|段《だん》ぢやございませぬ。|三杯《さんぱい》|九杯《きうはい》、|百杯《ひやくぱい》でも|千杯《せんぱい》でも|頂《いただ》きますわ、エヘヘヘヘ』
『これこれコルトンさま、さう|杯《さかづき》を|近《ちか》く|持《も》つて|来《き》ちや|旦那《だんな》さまの|顔《かほ》にかかつたら|大変《たいへん》ですよ。もつと、そちらに|引《ひ》きなさいよ。その|代《かは》り|妾《あてエ》の|方《はう》から|力一杯《ちからいつぱい》|手《て》を|伸《の》ばして|注《つ》ぎますよ』
『イヤ|有難《ありがた》う。オツトトトト|零《こぼ》れます|零《こぼ》れます、もう|沢山《たくさん》でございます。しかし、これ|一杯《いつぱい》で|沢山《たくさん》といふのぢやありませぬよ。また、|後《あと》をお|願《ねが》ひいたしますよ、エヘヘヘヘ。オイ、バルギー、どうだい、|色男《いろをとこ》といふものは、こんなものだよ。|岩窟《いはや》の|女帝様《によていさま》のお|手《て》づからお|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》したのだからな、イヒヒヒヒ。|貴様《きさま》もチツとあやかつたら、どうだい。|蜴《とかげ》|奴《め》、|何《なに》を|燻《くす》ぼつてゐやがるのだい』
バル『ヤア、|俺《おれ》や|下戸《げこ》だ。ホンのお|交際《つきあい》に|席《せき》に|列《つら》なつてるだけだ。|酒《さけ》なんか|飲《の》みたくはないわ』
|玄真坊《げんしんばう》は|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れてグタリと|前後《ぜんご》も|知《し》らず|眠《ねむ》つてしまつた。ダリヤ|姫《ひめ》はソツと|膝《ひざ》を|外《はづ》し、|木《き》の|枕《まくら》を|胡麻煎《ごまい》り|頭《あたま》に|支《ささ》へておき、|細《ほそ》い|涼《すず》しい|声《こゑ》でコルトンに|一杯《いつぱい》|注《つ》ぎながら、
ダリ『|酒《さけ》を|飲《の》む|人《ひと》|心《しん》から|可愛《かは》い
|酔《よ》うて|管捲《くだま》きやなほ|可愛《かは》い
サアサアコルトンさま、|男《をとこ》らしうお|過《す》ごしなさいませ。この|通《とほ》り|天真《てんしん》さまもお|眠《やす》みになりました。どうやら|親方《おやかた》さまも|眠《やす》まれたやうです。|妾《あてエ》がこれから|貴方《あなた》を|酔《よ》ひ|潰《つぶ》して|上《あ》げますわ。バルギーさまはお|下戸《げこ》なり、|二人《ふたり》の|親分《おやぶん》さまはお|眠《やす》みになつたし、もう、|妾《あてエ》とコルトンさまとの|天下《てんか》だわ』
コル『エヘヘヘヘ、イヤ|有難《ありがた》う、これも|酒《さけ》|飲《の》むお|蔭《かげ》だ。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまが|運上《うんじやう》をとりに|来《く》るやうな|美《うつく》しいお|姫《ひめ》さまと|杯《さかづき》を|汲《く》み|交《かは》すとは、まるで|夢《ゆめ》のやうだ。ヤアお|姫《ひめ》さま、|私《わたし》も|男《をとこ》です。いくら|下《くだ》さつても|後《あと》には|退《ひ》きませぬ。|私《わたし》の|飲《の》みぶりを|見《み》て|下《くだ》さい』
ダリ『|何《なん》とマア|立派《りつぱ》な|飲《の》みぶりだこと、|本当《ほんたう》に|男《をとこ》らしいわ。|妾《あてエ》こんな|方《かた》と|夫婦《ふうふ》になりたいのだけどな。|天真坊《てんしんばう》さまと|内約《ないやく》したものだから、もう|抜《ぬ》き|差《さ》しならぬやうになつてしまつたわ』
とわざと|小声《こごゑ》にいふ。コルトンは|本当《ほんたう》に|姫《ひめ》が|自分《じぶん》に|惚《ほ》れたと|思《おも》ひ、ますます|図《づ》に|乗《の》つて|豪傑振《がうけつぶ》りを|見《み》せ、|姫《ひめ》の|心《こころ》を|自分《じぶん》の|方《はう》へ|傾《かたむ》けねばおかぬと、あまり|好《す》きでもない|酒《さけ》を|調子《てうし》にのつて|無性《むしやう》やたらに|飲《の》み|干《ほ》した。
ダリ『オホホホホ、|何《なん》と|美事《みごと》なこと。なんぼ|召上《めしあが》つても、チツともお|酔《よ》ひなさらぬのね。そこが|男子《だんし》の|値打《ねうち》ですよ。チツとばかりの|酒《さけ》を|飲《の》んで|倒《たふ》れるやうなことぢや、まさかの|時《とき》の|役《やく》に|立《た》ちませぬからね』
コル『それは、さうですとも。|一斗桝《いつとます》の|隅飲《すみの》みをやつても、ビクともせぬといふ、|有名《いうめい》な|酒豪《しゆがう》ですからな』
こんな|調子《てうし》にコルトンはダリヤに|盛《も》り|潰《つぶ》され、|目《め》を|白黒《しろくろ》にして|我慢《がまん》をつづけてゐたが、|堪《た》へきれずして|其《そ》の|場《ば》に|他愛《たあい》もなく|倒《たふ》れてしまつた。バラック|式《しき》の|小屋《こや》には|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》どもが|菰《こも》を|敷《し》いて、|喧々囂々《けんけんがうがう》と|囀《さへづ》りながら、ヘベレケに|酔《よ》うて、|泣《な》く、|笑《わら》ふ、|鉄拳《てつけん》をとばすなどの|乱痴気騒《らんちきさわ》ぎを|極端《きよくたん》に|発揮《はつき》してゐる。
ダリヤ|姫《ひめ》は|三人《さんにん》の|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れたのを|見《み》すまし、バルギーの|首《くび》に|白《しろ》い|腕《かひな》を|捲《ま》きつけながら|小声《こごゑ》になつて、
『もし、バルギー|様《さま》、|本当《ほんたう》に|済《す》まない|事《こと》を|致《いた》しましたな。あなたはチツともお|酒《さけ》を|召《め》し|上《あが》らないので|本当《ほんたう》に|行儀《ぎやうぎ》が|崩《くづ》れないで、|床《ゆか》しうございますわ。|妾《あてエ》、あなたのやうなお|方《かた》が|本当《ほんたう》に|好《す》きなのよ。あれ|御覧《ごらん》なさい。|三人《さんにん》とも、|酒《さけ》に|酔《よ》うて|口《くち》から|泡《あわ》を|吹《ふ》いたり、|涎《よだれ》をくつたり、|本当《ほんたう》に|見《み》られた|態《ざま》ぢやございませぬね。もしバルギーさま、あなた|妾《わたし》を|憎《にく》いと|思《おも》ひますか』
バルギーは|意外《いぐわい》の|感《かん》に|打《う》たれながら、|嬉《うれ》しさうに|涎《よだれ》をくり、|両《りやう》の|手《て》で|慌《あわ》てて|手繰《たぐ》つてゐる。そして|小声《こごゑ》になつて、
『|姫様《ひめさま》、いい|加減《かげん》に|玩弄《おもちや》にしておいて|下《くだ》さい。|俺《わし》でも|男《をとこ》の|端《はし》くれですからな。あなたはお|酒《さけ》に|酔《よ》うてゐらつしやるのでせう』
ダリ『|妾《わたし》だつて、|人間《にんげん》ですもの、お|酒《さけ》を|飲《の》めば、チツとは|酔《よ》ひますよ。しかしながら|三人《さんにん》さまのやうに|本性《ほんしやう》を|失《うしな》ふところまで|酔《よ》つてはゐませぬ。|妾《あてエ》の|言《い》ふことを、あなたは|疑《うたが》つてゐるのですか、エー|憎《にく》らしい』
と|言《い》ひながらバルギーの|頬《ほほ》をギユツと|抓《つめ》つた。
バル『アイタタタタ、|決《けつ》して|姫様《ひめさま》、|疑《うたが》ひませぬよ、|真剣《しんけん》に|承《うけたまは》ります。どうぞ、その|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さい。|顔《かほ》が|歪《ゆが》んでしまひますわ』
ダリ『|本当《ほんたう》に|妾《あてエ》の|言《い》ふことを|信《しん》じますか』
『|全部《ぜんぶ》|信《しん》じますよ、|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
『そんなら、|妾《あてエ》の、これだけ|思《おも》つてる|心《こころ》を|汲《く》みとつて|下《くだ》さるでせうね。どうか|妾《あてエ》を|連《つ》れて|逃《に》げ|出《だ》して|下《くだ》さいませぬか。|妾《あてエ》の|宅《たく》はスガの|里《さと》の|百万長者《ひやくまんちやうじや》でございますから、こんな|泥棒《どろばう》なんかしてゐるより、よほど|気《き》が|利《き》いてゐますよ。そして|妾《あてエ》の|夫《をつと》になつて|下《くだ》さいましな』
『ヘヘヘヘヘ、|願《ねが》うてもないお|頼《たの》み、イヤ|委細《ゐさい》|承知《しようち》しました。|今夜《こんや》のやうな、|好《い》い|機会《きくわい》は|又《また》とありませぬ。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れてゐますから、あなたと|私《わたし》と|手《て》に|手《て》をとつて|一《ひと》まづ|此処《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》しませうよ』
ダリヤは|嬉《うれ》しさうに、
『それでは|吾《わ》が|夫様《つまさま》、どこまでも、お|伴《とも》をさして|下《くだ》さいませね』
バルギーは|俄《には》かに|足装束《あししやうぞく》をこしらへ、ダリヤにも|草鞋《わらぢ》を|与《あた》へて|逃走《たうそう》の|準備《じゆんび》をさせた。……|神《かみ》ならぬ|身《み》の|三人《さんにん》は|他愛《たあい》もなく|酔《よ》ひ|倒《たふ》れてゐる。ダリヤは|筆《ふで》に|墨《すみ》を|染《そ》ませ、|天真坊《てんしんばう》の|額《ひたひ》に「ネンネコ」と|記《しる》し、シャカンナの|額《ひたひ》に「モー、イヌ」と|記《しる》し、コルトンの|額《ひたひ》に「サル、カヘル」と|落書《らくがき》し、「ホホホホホ」と|一笑《ひとわら》ひを|後《あと》に|残《のこ》し、|抜道《ぬけみち》の|勝手《かつて》を|知《し》つたバルギーに|案内《あんない》され、|首尾《しゆび》よく|此《こ》の|場《ば》を|逃《に》げ|去《さ》つてしまつた。
|月夜《つきよ》の|寝呆《ねぼ》け|烏《からす》が|四辺《あたり》の|大木《たいぼく》の|枝《えだ》に|止《と》まつて、「アホウアホウ」と|鳴《な》いてゐる。|岩窟《がんくつ》の|中《なか》は|雷《らい》のごとき|鼾《いびき》の|音《おと》に、ダンダンと|夜《よ》は|更《ふ》けてゆく。|無心《むしん》の|月《つき》は|二人《ふたり》の|逃《に》げ|道《みち》をニコニコしながら|照《て》らしてゐる。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 北村隆光録)
第一七章 |晨《あした》の|驚愕《きやうがく》〔一七一九〕
|十四日《いざよひ》の|月《つき》は|空《そら》に|白《しら》けて|星影《ほしかげ》|薄《うす》く、カアカアと|鳴《な》く|烏《からす》の|声《こゑ》に|東《あづま》の|空《そら》は|白《しら》み|初《そ》めた。コルトンはふつと|目《め》を|醒《さ》まし|四辺《あたり》を|見《み》れば|緋縮緬《ひぢりめん》を|白《しろ》い|薄絹《うすぎぬ》で|包《つつ》んだやうなダリヤ|姫《ひめ》の|影《かげ》もなく、|羅漢面《らかんづら》の|醜男《ぶをとこ》バルギーの|姿《すがた》も|見《み》えない。はて|不思議《ふしぎ》だと|訝《いぶ》かしみながら、|大親分《おほおやぶん》シャカンナの|寝顔《ねがほ》を|見《み》れば|額《ひたひ》に【モーイヌ】と|片仮名《かたかな》で|記《しる》してある。|玄真坊《げんしんばう》はと|振《ふ》り|返《かへ》つて|額《ひたひ》を|見《み》ればこれまた【ネンネコ】と|女《をんな》の|筆蹟《ふであと》で|記《しる》してある。コルトンは|直《ただ》ちに|玄真坊《げんしんばう》を|揺《ゆ》り|起《おこ》し、
『もしもし、|天真坊様《てんしんばうさま》、|奥《おく》さまが|見《み》えなくなりました。どうぞ|起《お》きて|下《くだ》さい。……|親分様《おやぶんさま》、|大変《たいへん》です|早《はや》く|起《お》きて|下《くだ》さい。|大騒動《おほさうどう》が|起《おこ》りましたよ』
|玄《げん》『なに、|奥《おく》が|見《み》えなくなつたといふのか、そりや|大変《たいへん》だ。おほかたパサパーナにでも|行《い》つてゐるのぢやないか、よく|調《しら》べて|来《こ》い』
コル『それでも|親分様《おやぶんさま》の|顔《かほ》には、モーイヌと|女《をんな》の|筆蹟《ふであと》で|記《しる》してあり、あなたのお|顔《かほ》にはネンネコと|書《か》いてありますよ』
|玄《げん》『ヤ、いかにもシャカンナの|額《ひたひ》には【モーイヌ】、お|前《まへ》の|額《ひたひ》にも【サル】、【カヘル】と|書《か》いてある。|俺《おれ》の|顔《かほ》に【ネンネコ】、ハテな。よく|寝《ね》て|居《ゐ》るまに|此処《ここ》を【サル】、【イヌ】、【カヘル】といふ|謎《なぞ》だな。これや、|大変《たいへん》だ。あいつを|逃《に》がしては、|岩窟《がんくつ》の|一大事《いちだいじ》だ。|秘密《ひみつ》の|漏洩《ろうえい》するおそれがある。オイ、コルトン、|乾児《こぶん》どもを|督励《とくれい》して|後《あと》を|追《お》つかけてくれ』
コル『ハイ|承知《しようち》いたしました。|大親分《おほおやぶん》さま、あなたどう|考《かんが》へられますか』
シャ『|彼奴《あいつ》に|逃《に》げられては|俺《おれ》もちつと|面喰《めんくら》はざるを|得《え》ない。なぜ|貴様《きさま》|監督《かんとく》をしてゐないのだ。【アタ】|卑《いや》しい、|酒《さけ》を|喰《くら》ひやがつて|同《おな》じやうに|寝《ね》るといふ|事《こと》があるものか』
コルトンは|頭《あたま》を|掻《か》きながら、さも|言《い》ひ|悪《にく》さうに、
『ヘイ、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|僕《ぼく》、|拙者《せつしや》、|此《この》|方《はう》、|私《わたくし》、やつがれは|酒《さけ》の|嫌《きら》いな|下戸《げこ》でございますが、あの|奇麗《きれい》な|天真坊《てんしんぼう》の|奥様《おくさま》ダリヤ|姫様《ひめさま》が、コルトンさまコルトンさまと|妙《めう》な|目《め》をして|笑顔《ゑがほ》を|作《つく》り|桃色《ももいろ》の|頬辺《ほほぺた》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、|白《しろ》い|綺麗《きれい》な|象牙細工《ざうげざいく》のやうな、お|手々《てて》で……コルトンさま、さア|一杯《いつぱい》お|過《す》ごしなさい……と|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつたものですから、ヘヘヘヘイ、つい……その|調子《てうし》に|乗《の》つて|男振《をとこぶ》りを|見《み》せてやらうと|思《おも》うて、つい、ぐいぐいとやりました、いや|呑《の》みました。さうしたら|前後《ぜんご》も|知《し》らずに|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れて|寝《ね》てしまつたのです。どうぞ|御勘弁《ごかんべん》、|御了簡《ごれうけん》、|御赦免《ごしやめん》を、どうぞ|一重《ひとへ》に|二重《ふたへ》によろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げます。|慎《つつし》んで|歎願《たんぐわん》いたします』
シャ『エエ、|貴様《きさま》はまだ|酔《よ》つてゐるのか、|何《なに》を|言《い》ふのだ。|一体《いつたい》|姫《ひめ》をどうしたのだ』
コル『エーどうも|斯《か》うもありませぬ。どうしたか|解《わか》るやうなら、|決《けつ》して|取《と》り|逃《のが》しはいたしませぬ。|何《なん》でもバルギーと|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|遁走《とんそう》して|逃《に》げ|出《だ》したかも|知《し》れませぬよ』
|玄《げん》『チエ、エエさても|気《き》の|利《き》かぬ|野郎《やらう》だな。サア|早《はや》く|乾児《こぶん》どもを|叩《たた》き|起《おこ》し、|四方《しはう》に|手配《てくば》りをなし、ダリヤ|姫《ひめ》を|連《つ》れて|帰《かへ》つてくれ』
コル『ヘン、えらさうに|言《い》うない。お|前《まへ》と|俺《おれ》とは|同役《どうやく》ぢやないか。|自分《じぶん》の|嬶《かか》が|逐電《ちくでん》して|飛《と》び|出《だ》したというて、さう|俺《おれ》にケンケンと|言《い》ふものぢやないわ。|嬶《かか》が|探《さが》して|欲《ほ》しけれや、……どうか|兄弟《きやうだい》|捜索《そうさく》して|探《さが》しに|行《い》つてくれないか……と、|御依頼《ごいらい》して|頼《たの》まないのだ。|俺《おれ》は、この|方《はう》は、|拙者《せつしや》は、|僕《ぼく》はお|前《まへ》の|命令《めいれい》の|言《い》ひつけは|聞《き》いて|承《うけたまは》る|権利《けんり》|義務《ぎむ》が|無《な》いのだ。|俺《おれ》は、|僕《ぼく》は、|拙者《せつしや》は|大親分《おほおやぶん》の|命令《めいれい》の|言《い》ひつけを|聞《き》いて|活動《くわつどう》して|働《はたら》くのみだ。|大親分《おほおやぶん》の|命令《めいれい》の|言《い》ひつけさへあれば|何時《いつ》|何時《なんどき》でも、|尻《しり》をからげて|出発《しゆつぱつ》して|出《で》かけるのだ。ヘン、|偉《えら》さうに|言《い》ふない。|頓馬野郎《とんまやらう》|奴《め》、|嬶取《かかと》られの|腰抜《こしぬ》け|奴《め》、|阿呆《あはう》、|馬鹿《ばか》、|頓痴気野郎《とんちきやらう》』
シャ『オイ、コルトン、|貴様《きさま》は|未《ま》だ|酔《よひ》が|醒《さ》めてゐないと|見《み》える。しかしながら、かうしては|居《ゐ》られまい。|早《はや》く|部下《ぶか》を|叩《たた》き|起《おこ》し、|捜索《そうさく》だ|捜索《そうさく》だ』
コル『もし|親分《おやぶん》、|親方《おやかた》、|旦那《だんな》、|大頭目《だいとうもく》、それほど|御心配《ごしんぱい》にや|及《およ》びますまい。|親分《おやぶん》の|女房《にようばう》の|嬶《かか》が|逃走《たうそう》して|逃《に》げたのぢやあるまいし、|嬶《かか》の|所在《ありか》を|捜索《そうさく》して|探《さが》すのは、|天帝《てんてい》の|化神《けしん》、|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|天真坊《てんしんばう》さまの|双肩《さうけん》の|両肩《りやうかた》にふりかかつてゐる|責任《せきにん》でせう』
シャ『チヨツ、|仕方《しかた》のない|野郎《やらう》だな。それだから|常《つね》から|酒《さけ》を|喰《くら》ふなと|言《い》ふのだ。|貴様《きさま》は|酒《さけ》を|呑《の》まないといふから、|抜擢《ばつてき》して|重《おも》く|用《もち》ゐてゐたのに|何《なん》の|態《ざま》だ。ダリヤ|姫《ひめ》の|手《て》で|額《ひたひ》にサル、カヘルといふ|字《じ》を|書《か》かれるまで|知《し》らずに|寝《ね》るといふ|事《こと》があるか、|馬鹿《ばか》』
コル『|馬鹿《ばか》でも|何《なん》でもよろしい、あんな|美人《びじん》に|優《やさ》しう|言《い》うてもらへば、|男子《だんし》たるもの|天下《てんか》の|馬鹿《ばか》にならざるを|得《え》ぬぢやありませぬか。それよりも|親分《おやぶん》、お|前《まへ》さまの|額部《がくぶ》の|額口《ひたひぐち》にモーイヌとダリヤさまの|筆蹟《ふであと》で|大書《たいしよ》して|書《か》いてありますぜ。そんな|悪戯《いたづら》をしられても|分《わか》らぬところまで、なぜ|親方《おやかた》も|熟睡《じゆくすゐ》して|睡《ねむ》つてゐるのですか。|天真《てんしん》さまだつてさうぢやないか。あんな|美人《びじん》のシャンの|奥《おく》、|女房《にようばう》の|嬶《かか》を|持《も》ちながら|心《こころ》をゆるし|安心《あんしん》して|脂下《やにさが》つて|惚《のろ》けてゐるものだから、アタ|阿呆《あはう》らしい、|馬鹿《ばか》らしい、ネンネコなんどと|落書《らくが》きされ、まるで|顔面《がんめん》の|顔《かほ》は|幼稚園《えうちえん》の|生徒《せいと》の|草紙《さうし》|見《み》たやうなものだ。ちつと|確《しつか》りなさいませ』
|玄《げん》『エエ|仕方《しかた》がない、かうなれや|自分《じぶん》もグヅグヅしてはをれまい。サアこれから|御大《おんたい》|自《みづか》ら|捜索《そうさく》と|出《で》かけやう。シャカンナ|殿《どの》、どうか|部下《てした》をお|貸《か》し|下《くだ》さい』
コル『それや|天真《てんしん》さま、|御尤《ごもつと》もです。|肝腎《かんじん》の|奥《おく》、|女房《にようばう》の|嬶《かか》が|韜晦《とうくわい》して|姿《すがた》を|隠《かく》してゐるのに、さう|依然《いぜん》とじつとしてはをれますまい。サア|私《わたし》も|手伝《てつだ》ひますからダリヤさまの|所在《ありか》を|捜索《そうさく》に|出《で》かけませう。あの|優《やさ》しい|顔《かほ》を、|僕《ぼく》、|俺《おれ》、|私《わたし》だつて|今一度《いまいちど》|拝顔《はいがん》して|拝《をが》みたいからな、イヒヒヒヒ』
シャカンナは|部下《ぶか》の|集《あつ》まつてゐるバラック|建《だて》の|土間《どま》に|這入《はい》つて|見《み》ると、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|落花狼藉《らくくわうらうぜき》、|徳利《とくり》を|枕《まくら》にしてゐるもの、|盃《さかづき》を|噛《か》んで|喰《く》はへて|寝《ね》てゐるもの、オチコやポホラを|丸出《まるだ》しにしてふん|延《の》びてゐるもの、|全然《まるきり》|子供《こども》の|玩具箱《おもちやばこ》をぶち|開《あ》けたやうな|光景《くわうけい》である。シャカンナは|大喝《だいかつ》|一声《いつせい》、やや|怒気《どき》を|含《ふく》みながら、
『これや、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|起《お》きぬか。もう|夜《よ》が|明《あ》けてゐるぢやないか。この|有様《ありさま》は|何《なん》だ。お|館《やかた》には|大変《たいへん》な|事《こと》が|突発《とつぱつ》してゐるぞ。|早《はや》く|目《め》を|醒《さ》まして、|起《お》きた|起《お》きた』
コルトンは|言葉《ことば》の|尾《を》について|威猛高《ゐたけだか》になり、|肩《かた》まで|四角《しかく》にして、まだ|昨夜《ゆうべ》の|酒気《しゆき》が|残《のこ》つて|舌《した》の|根《ね》が|自由《じいう》に|運転《うんてん》し|兼《か》ねる|奴《やつ》を|無理《むり》に|使《つか》ひながら、
『これや、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|何《なに》をしてゐるのか。いつまで|睡眠《すゐみん》して|睡《ねむ》つてゐるのか。この|態《ざま》は|何《なん》だ。|早《はや》く|起床《きしやう》して|起《お》きぬか。|困《こま》つた|野郎《やらう》だな。もはや|暁天《げうてん》の|夜明《よあ》けだぞ。|昨夜《ゆうべ》お|出《い》でになつた|天真坊《てんしんばう》の|天帝《てんてい》の|化身《けしん》の|奥《おく》、|女房《にようばう》の|嬶《かか》が|逃走《たうそう》して|逃《に》げ|出《だ》し、|行方不明《ゆくへふめい》に|分《わか》らなくなつたのだ。サア|早《はや》く|早《はや》く|用意《ようい》|用意《ようい》』
この|声《こゑ》に|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|鼈《すつぽん》に|尻《けつ》をいかれたやうな、|寝《ね》てゐる|間《ま》に|睾丸《きんたま》を|抜《ぬ》かれたやうな|妙《めう》な|面付《つらつき》をして、アアアアと|焜爐《こんろ》のやうな|口《くち》を|開《あ》けて|猫《ねこ》のやうな|手水《てうづ》をつかつたり、|狼狽《うろた》へて|徳利《とくり》を|抱《かか》へ|外《そと》へ|飛《と》び|出《だ》す|奴《やつ》、|着物《きもの》を|逆《さか》さまに|着《き》て|狼狽《うろた》へる|奴《やつ》、|何《なん》とも|形容《けいよう》し|難《がた》い|光景《くわうけい》であつた。
|玄真坊《げんしんばう》は|二百《にひやく》の|部下《ぶか》を|借《か》り|受《う》け|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|手配《てくば》りながら、ダリヤ|姫《ひめ》の|行方《ゆくへ》を|捜索《そうさく》すべく|顔《かほ》に|血《ち》を|漲《みなぎ》らして|出《い》でて|行《ゆ》く。|後《あと》にはシャカンナと、|今年《こんねん》|十五才《じふごさい》になつた|娘《むすめ》のスバール|姫《ひめ》とコルトンの|三人《さんにん》であつた。
シャ『オイ、コルトン、|過《す》ぎ|去《さ》つた|事《こと》は|何《なに》ほど|小言《こごと》をいつても|詮《せん》|無《な》い|事《こと》だが、|約《つ》まらぬ|事《こと》を|仕出《しで》かしたぢやないか。さうして、バルギーはお|前《まへ》どうなつたと|思《おも》ふ。あいつ|反逆心《はんぎやくしん》を|起《おこ》してダリヤを|何処《どこ》かへ|連《つ》れ|出《だ》し、|自分《じぶん》が|天真坊《てんしんぼう》の|女房《にようばう》を|横取《よこどり》りする|考《かんが》へであるまいかノー』
コル『ヤ、|親方様《おやかたさま》、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》の|御心遣《おこころづか》ひは|要《い》りませぬ。|何《なに》ほどナイスの|美人《びじん》のシャンのダリヤ|姫《ひめ》だつて、あんな【ヒヨツトコ】|面《づら》には|恋慕《れんぼ》して|惚《ほ》れる|気遣《きづか》ひはありませぬよ。また|仮《か》りに、よしんばバルギーが|恋慕《れんぼ》して|惚《ほ》れたところで、ダリヤ|姫《ひめ》は|諾《うん》と|首《くび》を|縦《たて》に|振《ふ》つて|承諾《しようだく》して|靡《なび》く|気遣《きづか》ひはありませぬ。|必《かなら》ずきつと|要《えう》するに|約《つ》まり|即《すなは》ちダリヤ|姫《ひめ》に|甘《うま》く|誑《だま》され、|荷物《にもつ》でも|持《も》たされて|随行《ずゐかう》してお|伴《とも》に|行《ゆ》きよつたのですよ。|何《なん》だか|彼女《あいつ》の|視線《しせん》の|目遣《めつか》ひが|可怪《をか》しいと|思《おも》つてをりました』
『オイ、もう|斯《か》うなつちや|此処《ここ》に|居《を》ることは|出来《でき》ない。まさかの|時《とき》の|用意《ようい》としてあの|山奥《やまおく》に|建《た》ておいたあの|庵《いほり》に|行《い》つて|匿《かく》れやうではないか。|天真坊《てんしんばう》だつてあの|女《をんな》の|居《ゐ》ないかぎり、|此処《ここ》へ|帰《かへ》つて|来《く》る|気遣《きづか》ひはない。さうすりや、よしやダリヤが|言《い》はないだつても|天真坊《てんしんぼう》が|言《い》ふに|定《きま》つてゐる。さうして|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》が|居《ゐ》ても|碌《ろく》な|奴《やつ》は|一人《ひとり》も|無《な》い。|中《なか》にも|少《すこ》し【まし】なのは|貴様《きさま》とバルギーぐらゐの|者《もの》だが、それでさへ、こんな【へま】をやるのだから、|俺《おれ》の|大望《たいまう》も|到底《たうてい》|成功《せいこう》しない。グヅグヅしてゐるとカラピン|王《わう》の|耳《みみ》に|入《い》り、|俺《おれ》の|命《いのち》まで|取《と》りに|来《く》るかも|知《し》れない。サアこのバラック|式《しき》の|建物《たてもの》に|火《ひ》をつけて|焼払《やきはら》ひ、|貴様《きさま》と|俺《おれ》とこの|娘《こ》の|三人《さんにん》、|三里《さんり》|山奥《やまおく》の|隠家《かくれが》に|行《ゆ》かう』
『ハイ、|大変《たいへん》な|事《こと》になつたものですな。しかし|天真坊《てんしんぼう》は|天真坊《てんしんぼう》として|自由行動《じいうかうどう》の|勝手《かつて》なやり|方《かた》をするとしたところで、|彼奴《あいつ》は|放任《はうにん》して|打《う》つちやつておけばよろしいが、|二百人《にひやくにん》の|部下《ぶか》の|手下《てした》どもはたちまち|路頭《ろとう》に|迷《まよ》ふぢやありませぬか。|親分《おやぶん》は|部下《ぶか》の|生命《せいめい》の|命《いのち》を|守《まも》つてやる|決心《けつしん》のお|心《こころ》はないのですか』
『もはや|今日《こんにち》となつては|可哀《かあい》さうでも|仕方《しかた》がない。|第一《だいいち》|俺《おれ》の|生命《いのち》が|危《あや》ふくなる。サア|貴様《きさま》と|俺《おれ》と|娘《むすめ》と|三人《さんにん》この|館《やかた》に|火《ひ》をつけて|此処《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》さう。さうすれば、たとへカラピン|王《わう》が|沢山《たくさん》の|兵《へい》を|持《も》つて|攻《せ》めて|来《き》ても|拍子《ひやうし》ぬけがして、「ヤア|山賊《さんぞく》は|何処《どこ》かへ|逃《に》げた」ぐらゐで|帰《かへ》るだらう。|乾児《こぶん》の|奴等《やつら》も|帰《かへ》つて|見《み》たところで|住家《すみか》が|無《な》ければ、|自然《しぜん》に|何処《どこ》かへ|散《ち》るだらう』
『|親分《おやぶん》、たとへ|家屋《かをく》の|家《いへ》は|焼棄《せうき》して|焼《や》いてしまつたところで、|岩窟《いはや》の|岩窟《がんくつ》が|残《のこ》つてゐる|以上《いじやう》は、また|乾児《こぶん》の|奴等《やつら》が|帰《かへ》つて|来《き》て|住居《ぢうきよ》して|住《す》むかも|知《し》れませぬ。|岩屋《いはや》の|岩窟《がんくつ》を|破壊《はくわい》して|叩《たた》き|破《やぶ》るわけにもゆきますまい。|焼棄《せうき》して|焼《や》くわけにもゆきますまい。この|点《てん》は|如何《いかが》してどうしたらよいのでせう』
『|後《あと》は|野《の》となれ|山《やま》となれだ。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く、|吾《わ》が|身《み》が|危《あぶ》ない、|此処《ここ》を|立《た》ち|去《さ》らう。オイ、スバール、お|父《とう》さまは、いつもの|隠《かく》れ|家《が》へ|転宅《てんたく》するから、お|前《まへ》もその|用意《ようい》をせい』
スバール『お|父《とう》さま、|妾《わたし》いつまでも|此処《ここ》に|居《を》りたいのよ。|山水《さんすゐ》の|景色《けしき》が|好《よ》いからねえ』
シャ『ウン』
コル『これこれお|嬢様《ぢやうさま》、|千騎一騎《せんきいつき》のこの|場合《ばあひ》、そんな|緩慢《くわんまん》な|緩《ゆつく》りした|事《こと》を|言《い》つてもらつちや|誠《まこと》に|困難《こんなん》して|困《こま》りますよ。|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|出立《しゆつたつ》して|立《た》ち|出《い》でる|事《こと》にしませう。|向《む》かふの|朝倉谷《あさくらだに》に|往《ゆ》けば、|此処《ここ》よりも|幾層倍《いくそうばい》|勝《ま》して|風景《ふうけい》の|景色《けしき》がよろしい。サア|参《まゐ》りませう』
スバ『お|父《とう》さま、どうしても|行《ゆ》かなくちやならないの。|私《わたし》もう|暫《しばら》く|此処《ここ》に|居《を》りたいのだけどなア。もう|十日《とをか》もすればダリヤの|花《はな》が|咲《さ》くのだもの。あの|美《うつく》しいダリヤの|花《はな》の|唇《くちびる》に|吸《す》ひついて|遊《あそ》びたいのよ』
『エエお|嬢《ぢやう》さま、|何《なん》といふ|気楽《きらく》な|事《こと》をおつしやるのだ。グヅグヅしてゐると|吾々《われわれ》|三人《さんにん》の|生命《せいめい》の|命《いのち》が|無《な》くなつてしまひますがな』
『|何故《なぜ》それ|程《ほど》、お|父《とう》さまやお|前《まへ》は|怖《こは》がるの、|二百人《にひやくにん》の|乾児《こぶん》がゐるぢやないか。|何《なに》が|来《き》たつて|是《これ》だけ|居《を》れば|防《ふせ》げるぢやないか。あんな|山奥《やまおく》の|小《ちひ》さい|庵《いほり》へ|行《い》つて|住《す》むのは|嫌《いや》だわ』
『|家《いへ》が|小《ちひ》さうて|嫌《いや》なら、|大《おほ》きな|家屋《かをく》の|家《いへ》を、|僕《ぼく》、|私《わたし》、|拙者《せつしや》が|建築《けんちく》して|建《た》てて|上《あ》げますわな』
『そんなら、|一寸《ちよつと》まアお|父《とう》さまと|一緒《いつしよ》に|行《い》つて|見《み》ませう。|嫌《いや》になつたら|又《また》ここへ|帰《かへ》つて|来《き》ますよ』
『ヤア、しめた。|親分《おやぶん》さま、もう|大丈夫《だいぢやうぶ》です。お|嬢《ぢやう》さまの|娘《むすめ》さまが|行《ゆ》くと|仰有《おつしや》いました。どうぞ|歓喜《くわんき》して|喜《よろこ》んで|下《くだ》さい』
これより|手近《てぢか》の|必要品《ひつえうひん》を|取《と》りまとめ、コルトンは|大風呂敷《おほぶろしき》に|包《つつ》んで|背《せ》に|負《お》ひながら、|主従《しゆじう》|三人《さんにん》|嶮《けは》しき|谷川《たにがは》の|辺《ほとり》を|辿《たど》つて、|三里《さんり》|山奥《やまおく》の|茅屋《ばうをく》に|隠《かく》れる|事《こと》となつた。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 加藤明子録)
第四篇 |山色連天《さんしよくれんてん》
第一八章 |月下《げつか》の|露《つゆ》〔一七二〇〕
シャカンナはタニグクの|山《やま》の|麓《ふもと》なる|岩窟《いはや》に|附属《ふぞく》せる|建物《たてもの》を|全部《ぜんぶ》|焼《や》き|払《はら》ひ、スバール|姫《ひめ》とコルトンを|従《したが》へ、|朝倉谷《あさくらだに》へ|隠《かく》れ、|世《よ》を|忍《しの》んで|一ケ月《いつかげつ》ばかりも|淋《さび》しき|月日《つきひ》を|送《おく》つた。|十五夜《じふごや》の|満月《まんげつ》は|頭上《づじやう》|高《たか》く|輝《かがや》いてゐる。シャカンナおよびスバール|姫《ひめ》は|室内《しつない》に|横《よこ》たはり、|早《はや》くも|鼾《いびき》の|声《こゑ》さへ|屋外《をくぐわい》に|聞《き》こえてゐる。コルトンは|気《き》が|立《た》つて|眠《ねむ》られず、|谷川《たにがは》の|流《なが》れに|月《つき》の|影《かげ》が|映《うつ》つて、|面白《おもしろ》く|砕《くだ》けて|流《なが》るる|様《さま》を|見《み》て|興《きよう》に|入《い》つてゐた。そこへ|上《うへ》の|方《はう》の|山《やま》から、|小柴《こしば》をペキペキ|踏《ふ》み|折《を》りながら、うら|若《わか》い|二人《ふたり》の|貴公子《きこうし》が|降《くだ》つて|来《き》た。
|貴公子《きこうし》『エ、ちよつと|物《もの》をお|尋《たづ》ね|申《まを》しますが、ここは|何《なん》といふ|処《ところ》でございますか』
コルトン『ここは|山奥《やまおく》だ。そして|谷川《たにがは》の|畔《ほとり》だ。|昔《むかし》から|人《ひと》の|来《き》た|事《こと》のない|場所《ばしよ》だから、|名前《なまへ》などあるものか。マア、【ココ】と|名《な》をつけておけば|可《い》いのだ。|一体《いつたい》|今《いま》ごろにウロウロと、この|山奥《やまおく》に|何《なに》してゐるのだ。そしてお|前《まへ》は|何《なん》といふ|名《な》だ。|聞《き》かしてくれ』
『ハイ|私《わたし》はアリナと|申《まを》します。モ|一人《ひとり》の|方《かた》は|私《わたくし》の|御主人《ごしゆじん》でございますが、つい|山野《さんや》の|風光《ふうくわう》に|憧《あこが》れて、|知《し》らず|識《し》らずに|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|迷《まよ》ひ|込《こ》み、この|山《やま》の|上《うへ》で|因果腰《いんぐわごし》をきめて|野宿《のじゆく》をせうと|思《おも》うてをりましたところ、|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》は|切《しき》りに|聞《き》こえて|来《く》る。コリヤかうしては|居《を》られないと|谷底《たにぞこ》を|見《み》れば、|木《こ》の|間《ま》に|幽《かす》かな|火影《ほかげ》がまたたいてゐたので、これは|確《たし》かに|人《ひと》の|住居《すまゐ》してゐる|家《いへ》だらう。|何《なに》はともあれ、あの|火《ひ》を|目当《めあて》に|辿《たど》りついて、|一夜《いちや》の|宿《やど》を|願《ねが》ひたいと、|主従《しゆじう》|二人《ふたり》が|茨《いばら》にひつかかり|足《あし》を|傷《きず》づけ、あるひは|辷《すべ》り|転《ころ》げなどしてヤツと|此所《ここ》まで|参《まゐ》りました。どうか|一夜《いちや》の|宿《やど》をお|願《ねが》ひ|申《まを》したうございます』
『ここは|杣小屋《そまごや》だから、|俺《おれ》の|外《ほか》|誰《たれ》もゐないのだ。そして|一夜《ひとよさ》の|宿《やど》を|宿泊《しゆくはく》さして|泊《と》めてくれと|言《い》つたところで、|食物《しよくもつ》の|食《く》ふ|物《もの》もなし、|夜具《やぐ》の|蒲団《ふとん》もなし、どうする|事《こと》も|出来《でき》やしない。こんな|穢苦《むさくる》しい|家《うち》で|厄介《やくかい》になるよりも|三里《さんり》ばかり、ここを|東《ひがし》へ|向《む》かつて|行《い》かつしやい。|其処《そこ》には|大《おほ》きな|岩窟《いはや》があるといふ|事《こと》だ。|平《ひら》に|真平《まつぴら》|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りますワ』
『|左様《さやう》ではございませうなれど、|今日《けふ》で|三日三夜《みつかみよさ》、|碌《ろく》に|食物《しよくもつ》もとらず、|身体《しんたい》|繩《なは》のごとく|疲《つか》れ|果《は》て、|命《いのち》カラガラ、このあかり|目当《めあて》に|参《まゐ》つたのでございます。ここで|貴方《あなた》に|断《こと》わられては、|大変《たいへん》に|御主人《ごしゆじん》が|力《ちから》を|落《お》とされます。|私《わたし》だつて、もはや|一歩《いつぽ》も|進《すす》む|勇気《ゆうき》はございませぬ。どうか|杣小屋《そまごや》の|中《なか》で|一夜《いちや》お|泊《と》め|下《くだ》さいませぬか』
『エー、しつこい|男《をとこ》だな。|厭《いや》といつたら、どこまでも|厭《いや》だ。お|前《まへ》のやうな|天狗《てんぐ》の|狗賓《ぐひん》を|泊《と》めてたまるものか。サアサアとつとと|帰宅《きたく》して|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|茅屋《あばらや》なれど|即《すなは》ち|要《えう》するに、|取《とり》も|直《なほ》さず、この|家屋《かをく》の|家《いへ》は、|俺《おれ》の|拙者《せつしや》の|僕《ぼく》の|住居《ぢうきよ》の|住《すま》ひ|場所《ばしよ》だ』
|太子《たいし》は「ハハハハ」と|力《ちから》なき|声《こゑ》に|笑《わら》ふ。
コル『オイ|天狗《てんぐ》の|狗賓《ぐひん》、|何《なに》が|可笑《をか》しうございますか。|別《べつ》に|面白《おもしろ》い|生活《せいくわつ》の|暮《くら》しでもなし、|杣《そま》の|木挽《こびき》のただ|一人《ひとり》、|独《ひと》りで、|営々《えいえい》と|稼《かせ》いでをるのですよ。アタいやらしい|笑《わら》ひをして|下《くだ》さるな。エー、|一月前《ひとつきまへ》から|碌《ろく》なこた、チツとも|出来《でき》やしないワ。|玄真坊《げんしんばう》がやつて|来《き》やがつて、それからあんな|悲惨《ひさん》なみじめな|態《ざま》になり、ヤツと|此処《ここ》まで|遁走《とんそう》して|逃《に》げて|来《き》て、|厭世《えんせい》して|隠《かく》れてをれば、お|山《やま》の|天狗《てんぐ》の|狗賓《ぐひん》がソロソロかぎつけて、|一夜《いちや》の|一夜《ひとよさ》を、|宿泊《しゆくはく》させて|泊《と》めてくれなんて、たまつたものぢやありませぬ。|玄真坊《げんしんばう》を|一夜《いちや》|泊《と》めたばかりで、あんな|大騒動《おほさうどう》の|大騒《おほさわ》ぎが|起《おこ》つたのだ。モウ|客人《きやくじん》の|人《ひと》を|泊《と》めるのはコリコリだ。どうか、|外《ほか》をお|尋《たづ》ね|下《くだ》さい。|私《わたし》は|僕《ぼく》は|拙者《せつしや》はこれから|就寝《しうしん》して|寝《ね》ます。|左様《さやう》なら……』
と|言《い》ふより|早《はや》く|杣小屋《そまごや》の|中《うち》に|姿《すがた》をかくし、|中《なか》から|突《つ》つ|張《ぱり》をかうてしまつた。
|二人《ふたり》は|最早《もはや》|歩行《ほかう》する|勇気《ゆうき》もなく、|空《そら》を|仰《あふ》いで|月《つき》の|面《おもて》を|眺《なが》めながら、|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》つてゐる。
|太子《たいし》『|大空《おほぞら》に|三五《さんご》の|月《つき》は|輝《かがや》けど
|心《こころ》の|空《そら》は|雲《くも》に|包《つつ》まる
いかにせむ|火影《ほかげ》|頼《たの》みて|来《き》てみれば
げにもすげなき|杣《そま》の|目《め》はぢき』
アリナ『アアわれは|太子《たいし》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
この|山奥《やまおく》に|亡《ほろ》びむとぞする
|腹《はら》はすき|足《あし》はだるみて|力《ちから》なく
|月《つき》の|影《かげ》のみ|力《ちから》とぞ|思《おも》ふ
この|宿《やど》の|主《あるじ》に|心《こころ》あるならば
|今宵《こよひ》は|安《やす》く|息《いき》つがむものを』
|太子《たいし》『アア、アリナ、|私《わたし》も|張詰《はりつ》めた|勇気《ゆうき》が、どこへやら|消《き》え|失《う》せ、ガツカリとして|来《き》た。|世《よ》の|中《なか》は|何《なん》といふ|無情《むじやう》なものだらうな』
アリ『ご|尤《もつと》もでございます。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》はおちぶれ|者《もの》と|見《み》れば、|足《あし》げにして|通《とほ》るといふ|極悪世界《ごくあくせかい》でございますから、|人情《にんじやう》うすきこと|紙《かみ》のごとく、|到底《たうてい》この|家《や》にも、|泊《と》めてはくれますまい。しかしながら|最早《もはや》|一歩《いつぽ》も|歩《あゆ》めませぬから、|谷川《たにがは》の|流《なが》れを|眺《なが》めながら|月下《げつか》に|眠《ねむ》りませう』
|屋内《をくない》にはシャカンナの|声《こゑ》、
シャ『オイ、コルトン、|汝《きさま》、|今《いま》|外《そと》で、|何《なに》|独《ひと》り|言《ごと》を|言《い》つてゐたのだ』
コル『ヘー、|別《べつ》に|独《ひと》り|言《ごと》|言《い》つてゐたのぢやございませぬ。|天狗《てんぐ》の|狗賓《ぐひん》が|二人《ふたり》もやつて|来《き》ましてアダをするし、|宿泊《しゆくはく》さして|泊《と》めてくれの、|何《なん》のと|言《い》ふものですから、|極力《きよくりよく》|力《ちから》|限《かぎ》り|拒否《きよひ》して|拒《こば》んでゐたのです。なかなか|執拗《しつえう》なしぶとい、|代物《しろもの》でございましたよ』
『それでも、|汝《きさま》、|人間《にんげん》の|声《こゑ》で|物《もの》を|言《い》つてゐたぢやないか。よもや|天狗《てんぐ》ぢやあるまい。とも|角《かく》、|泊《と》めてやつたらどうだ』
『メメめつさうな、あんな|怪物《くわいぶつ》の|化物《ばけもの》を|屋内《をくない》の|家《いへ》の|中《なか》へ|入《い》れてたまりますか。|恐怖心《きようふしん》が|恐《おそ》ろしがつて、|手足《てあし》が|戦慄《せんりつ》して|慄《ふる》ひます。どうか、そんな|事《こと》を|言《い》はないやうにして|下《くだ》さい』
『|待《ま》て|待《ま》て、|俺《おれ》が|一遍《いつぺん》|査《しら》べて|来《く》る。|汝《きさま》では|訳《わけ》が|分《わか》らぬ』
と|言《い》ひながら、|粗末《そまつ》な|柴《しば》の|戸《と》を|押《お》しあけ、|屋外《をくぐわい》に|出《で》て|見《み》れば、|雪《ゆき》を|欺《あざむ》く|白面《はくめん》の|青年《せいねん》が|二人《ふたり》、|顔面《がんめん》を|月《つき》に|照《て》らされながら|早《はや》くも|横《よこ》たはつてゐる。
シャ『いづれの|方《かた》かは|知《し》らぬが、そんな|所《ところ》に|寝《ね》てゐては、|夜露《よつゆ》がかかつて、|身体《からだ》の|衛生《ゑいせい》によくない。むさ|苦《くる》しい|茅屋《あばらや》なれど、おかまひなくば、お|泊《とま》りなさつたら|何《ど》うです』
この|声《こゑ》に|二人《ふたり》は|天使《てんし》の|救《すく》ひの|御声《みこゑ》のごとく|打《う》ち|喜《よろこ》び、やをら|身《み》を|起《おこ》し、|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、|力《ちから》なき|声《こゑ》にて、
アリ『|私《わたくし》はタラハン|城《じやう》に|住《す》んでゐる|若者《わかもの》でございますが、つい|山野《さんや》の|風光《ふうくわい》に|憬《あこが》れ、|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|景勝《けいしよう》を|探《さぐ》る|内《うち》、|道《みち》に|踏《ふ》み|迷《まよ》うて|今日《けふ》で|三日《みつか》が|間《あひだ》パンも|食《く》はず、この|山中《さんちう》に|迷《まよ》ひ|込《こ》み、やうやく|幽《かす》かな|火光《くわくわう》を|認《みと》めて、ここまで|辿《たど》りつ|来《き》ましたのでございます。|当家《たうけ》の|若《わか》い|方《かた》にいろいろとお|願《ねが》ひいたしましたけれど、|手厳《てきび》しく|拒絶《きよぜつ》されましたので、|主従《しゆじう》が|困果腰《いんぐわごし》をすゑ、お|庭先《にはさき》で|休《やす》まして|頂《いただ》いてをつたところでございます』
シャ『なに、タラハン|市《し》の|住人《ぢうにん》とな。フーン、しかしながらともかく|泊《とま》つて|下《くだ》さい。お|腹《なか》がすいてをれば、パンの|一片《ひときれ》や|二片《ふたきれ》はありますから、それを|進《しん》ぜませう。|茶《ちや》も|幸《さいは》ひあつう|沸《わ》いてをります』
|二人《ふたり》の|喜《よろこ》びは|例《たと》ふるに|物《もの》なく、その|親切《しんせつ》を|簡単《かんたん》に|感謝《かんしや》しながら、|主《あるじ》の|後《あと》に|跟《つ》いて|極《きは》めて|小《ちひ》さき|茅屋《ばうをく》の|入口《いりぐち》を|潜《くぐ》り、ヤツと|安心《あんしん》して|木《き》であんだ|床《ゆか》の|上《うへ》に|萱《かや》の|敷《し》いてある|座敷《ざしき》へ|腰《こし》を|打《う》ちかけ、ホツと|一息《ひといき》をついた。
シャ『オイ、スバール、この|二人《ふたり》の|方《かた》にパンをあげてくれ。そして|松明《たいまつ》の|火《ひ》を|明《あか》くしてあげてくれ。お|茶《ちや》も|汲《く》むのだよ』
スバールは「ハイ」と|言《い》ひながら、|恥《は》づかしげにパンを|取出《とりだ》し、|麗《うるは》しい|玉《たま》のやうな|掌《てのひら》にのせて、|二人《ふたり》の|前《まへ》に|突《つ》き|出《だ》した。|二人《ふたり》は、「ハイ|有難《ありがた》う」といふより|早《はや》く、|餓鬼《がき》のごとくに|頬《ほほ》ばつてしまつた。スバールは|茶《ちや》を|汲《く》んで|前《まへ》におきながら、|柴《しば》で|編《あ》んだ|衝立《ついたて》の|蔭《かげ》にかくれてしまつた。
シャ『お|前《まへ》さまは、|最前《さいぜん》タラハン|市《し》の|住人《ぢうにん》だと|言《い》つたが、このごろの|人気《にんき》はどんな|物《もの》ですかな』
アリ『ハイ、どうも|不景気風《ふけいきかぜ》が|吹《ふ》きまくつて、|経済界《けいざいかい》はほとんど|行詰《ゆきづま》りです。それに|金価《きんか》が|三割《さんわり》も|暴騰《ばうとう》したものですから、|紙幣《しへい》が|下落《げらく》し、|経済界《けいざいかい》の|混乱《こんらん》といつたら、|実《じつ》にみじめなものです。|大《おほ》きな|商店《しやうてん》がバタバタと|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|倒《たふ》れて|行《ゆ》く|有様《ありさま》です。そこへバラモン|軍《ぐん》が|近《ちか》い|内《うち》に|攻《せ》めて|来《く》るといふ|噂《うはさ》で|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》として、|上《うへ》を|下《した》への|大混雑《だいこんざつ》でございます』
『この|方《かた》は|女《をんな》のやうな|綺麗《きれい》な、|気品《きひん》の|高《たか》い|御人《ごじん》だが、ヤハリ、タラハン|市《し》のお|生《うま》れですかな』
『ハイ、|私《わたくし》の|主人《しゆじん》でございます』
『お|名《な》は|何《なん》と|言《い》ふかな』
『ヘーエ、この|方《はう》はアリナさまと|申《まを》します。そして|私《わたし》の|名《な》はバイタと|申《まを》します』
『ハハア、アリナさまにバイタさま。|何《なん》と|良《い》い|名《な》ですこと、|時《とき》にカラピン|王様《わうさま》は|壮健《さうけん》にしてゐられますか』
『あなたはこんな|山奥《やまおく》に|居《を》つて、カラピン|王様《わうさま》のことを|御存《ごぞん》じでございますか』
『|何《なに》ほど|山奥《やまおく》といつても、|此所《ここ》はヤツパリ、カラピン|王様《わうさま》の|御領分《ごりやうぶん》だ。その|領分《りやうぶん》に|住《す》んでゐる|人間《にんげん》として、|王様《わうさま》の|御名《おんな》を|知《し》らいでなるものか、ハハハハ』
『|何《なん》と、|王《わう》の|威勢《ゐせい》といふものは|偉《えら》いものでございますな。こんな|所《ところ》まで|御威勢《ごゐせい》が|届《とど》いてゐるとは|夢《ゆめ》にも|存《ぞん》じませなんだ。|今晩《こんばん》|此処《ここ》で|御厄介《ごやくかい》になるのも、カラピン|王様《わうさま》の|御余光《ごよくわう》に|浴《よく》したやうなものでございますな』
『さうですとも、「|普天《ふてん》の|下《もと》|率土《そつど》の|浜《ひん》、|皆《みな》|王身《わうしん》|王土《わうど》にあらざるなし」と|言《い》ふぢやありませぬか』
『|王様《わうさま》の|御布令《ごふれい》が、かやうな|山奥《やまおく》まで、とどいてゐるのでございますか』
『ナアニ、|王様《わうさま》の|御布令《ごふれい》が|届《とど》かなくつても、|王様《わうさま》ある|事《こと》を|心《こころ》にとめてをりさへすればそれで|天下《てんか》は|太平《たいへい》だ。かやうな|猛獣《まうじう》の|吠《ほ》え|猛《たけ》る|山奥《やまおく》に|淋《さび》しい|生活《せいくわつ》をしてをつても、|心強《こころづよ》うその|日《ひ》を|送《おく》つて|行《ゆ》くのは、タラハン|城《じやう》に|王様《わうさま》がゐられるといふ|事《こと》を|力《ちから》にしてゐるから|住《す》んで|行《ゆ》けるのですよ。|時《とき》に|左守《さもり》のガンヂー|殿《どの》や、|右守《うもり》のサクレンス|殿《どの》は|達者《たつしや》にしてゐられますか』
『よくマア|詳《くは》しいことを|御承知《ごしようち》でございますな。|私《わたし》は|実《じつ》のところ、|左守《さもり》の|伜《せがれ》でございます』
シャカンナは|打《う》ち|驚《おどろ》いたやうな|面《かほ》して、|声《こゑ》を|震《ふる》はせながら、
『ナアニ、お|前《まへ》があの|左守《さもり》の|伜《せがれ》であつたか。フーム、|心《こころ》|汚《きたな》き|左守《さもり》にも|似《に》ず、お|前《まへ》の|容貌《ようばう》といひ、|声《こゑ》の|色《いろ》といひ、|実《じつ》に|見上《みあ》げたものだ。ちやうど|鳶《とび》が|鷹《たか》を|生《う》んだやうなものだなア。そしてお|前《まへ》の|御主人《ごしゆじん》といつた|以上《いじやう》は、このお|方《かた》はカラピン|王《わう》の|太子様《たいしさま》におはさぬか。どこともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い、お|姿《すがた》だから……』
『イヤ、もうかうなれば、|何《なに》もかも|申《まを》し|上《あ》げます。お|察《さつ》しの|通《とほ》りでございます。そして|貴方《あなた》は|何方《どなた》でございますか』
『|十年以前《じふねんいぜん》には、カラピン|王様《わうさま》の|左守《さもり》と|仕《つか》へてゐた、|私《わたし》はシャカンナだ。|王妃《わうひ》の|君《きみ》が|悪霊《あくれい》に|誑惑《けうわく》され、|日々《ひび》|残虐《ざんぎやく》な|行為《かうゐ》を|遊《あそ》ばされ、|国民《こくみん》の|怨府《ゑんぷ》となり、すでにクーデターまで|起《おこ》らむとした。その|危機《きき》を|救《すく》はむために、|女房《にようばう》と|共《とも》に、|死《し》を|冒《をか》して|直諫《ちよくかん》し|奉《たてまつ》つたところ、カラピン|王様《わうさま》は|大変《たいへん》に|御立腹《ごりつぷく》|遊《あそ》ばし、|大刀《だいたう》を|引《ひ》き|抜《ぬ》いて、この|左守《さもり》を|切《き》りすてむと|遊《あそ》ばした|刹那《せつな》、わが|女房《にようばう》が|身代《みがは》りとなつて、その|場《ば》に|命《いのち》をおとし、|私《わたし》は|城《しろ》の|裏門《うらもん》より|逃《に》げ|出《だ》し、やうやう|六才《ろくさい》になつた|娘《むすめ》を|背《せ》に|負《お》うて、この|山《やま》に|逃《に》げ|込《こ》んで、|時《とき》の|至《いた》るを|待《ま》つてゐたのだ。お|前《まへ》の|側《そば》で、こんなことは|言《い》ひたくないが、お|前《まへ》の|父《ちち》のガンヂーは|右守《うもり》となつて|仕《つか》へてゐたが、|残虐非道《ざんぎやくひだう》の|行為《かうゐ》を|遊《あそ》ばす|王妃様《わうひさま》をおだて|上《あ》げ、ますます|国難《こくなん》を|招《まね》き、ほとんど|収拾《しうしふ》すべからざる、|国家《こくか》は|破目《はめ》に|陥《おちい》つたのだ。|今《いま》は|私《わたし》の|後《あと》を|襲《おそ》うて|左守《さもり》の|司《かみ》となり、|国民《こくみん》に|道《みち》を|布《し》いて、|大変《たいへん》な|人気《にんき》ださうだ。それを|聞《き》いて|自分《じぶん》も、|少《すこ》しばかり|国家《こくか》のために|安心《あんしん》はしてゐるが、|何《なん》とかしてガンヂーを|戒《いまし》め、モウ|一層《いつそう》、|善《い》い|人間《にんげん》になつて、|国政《こくせい》をとらせたいと、そればかりを|念《ねん》じてゐるのだ』
『|承《うけたまは》れば|承《うけたまは》るほど、|恐《おそ》れ|入《い》つた|事《こと》ばかり、|驚《おどろ》きに|堪《た》へませぬ。あなたのお|説《せつ》の|通《とほ》り、|私《わたし》の|父《ちち》はあまり|心《こころ》の|好《よ》い|人《ひと》だとは|存《ぞん》じませぬ。しかしながら|大王様《だいわうさま》の|御親任《ごしんにん》|厚《あつ》きがために、やうやく|沢山《たくさん》の|役人《やくにん》どもを|統一《とういつ》し、|国家《こくか》もあまり|大《おほ》きな|騒動《さうだう》もなく、|細々《ほそぼそ》と|治《をさ》まつてをります。しかしながら|何時《いつ》|事変《じへん》が|突発《とつぱつ》するか|分《わか》らないといつて、|若君様《わかぎみさま》と|私《わたし》とが|始終《しじう》|歎《なげ》いてゐるのでございます』
『|若君様《わかぎみさま》、ムサ|苦《くる》しい|所《ところ》でございますけれど、どうかおくつろぎ|下《くだ》さいませ。|誠《まこと》に|失礼《しつれい》をいたしました』
|太子《たいし》『イヤ|余《よ》は|結構《けつこう》だ。どうぞ|心配《しんぱい》をしてくれな』
シャ『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|時《とき》にアリナさま、お|前《まへ》は|親《おや》にも|似《に》ず、|誠忠無比《せいちうむひ》の|青年《せいねん》だ。どうか、|私《わたし》はこのやうに|世捨人《よすてびと》になり、もはや|国政《こくせい》に|参与《さんよ》することは|出来《でき》ないから、お|前《まへ》は|若君様《わかぎみさま》を|助《たす》けて、|立派《りつぱ》な|政治《せいぢ》をやつて|下《くだ》さい』
アリ『いろいろと|御親切《ごしんせつ》なお|言葉《ことば》、さぞ|私《わたし》の|父《ちち》は|貴方《あなた》に|御迷惑《ごめいわく》をかけたでございませうが、そのお|怒《いか》りもなく、|私《わたし》に|対《たい》しかやうな|親切《しんせつ》な|言葉《ことば》をおかけ|下《くだ》さいまする、|公平無私《こうへいむし》な|貴方《あなた》の|赤心《まごころ》、|実《じつ》に|感謝《かんしや》にたへませぬ』
シャ『|夜《よる》も|余程《よほど》|更《ふ》けたやうでもあり、|若君様《わかぎみさま》もお|疲《つか》れだらうから、|今晩《こんばん》はゆつくり|泊《とま》つて|頂《いただ》いて、|明日《あす》ゆるゆるとお|話《はなし》を|聞《き》かして|頂《いただ》きませう。サア、|若君様《わかぎみさま》、お|寝《やす》み|下《くだ》さいませ』
|太《たい》『アアお|前《まへ》が|忠臣《ちうしん》の|誉《ほまれ》を|今《いま》に|残《のこ》してゐる|左守《さもり》のシャカンナであつたか。|天《てん》は|未《いま》だタラハン|国《ごく》を|捨《す》てさせ|玉《たま》はぬと|見《み》える。どうぢや。お|前《まへ》、モウ|一度《いちど》|思《おも》ひ|直《なほ》して、|今《いま》や|亡《ほろ》びむとするタラハン|国《ごく》を|救《すく》うてくれる|気《き》はないか』
シャ『|御勿体《ごもつたい》ない、|太子《たいし》の|君《きみ》のお|言葉《ことば》。かやうな|老骨《らうこつ》、|最早《もはや》お|間《ま》には|合《あ》ひませぬ。それよりもこのアリナを|重《おも》く|用《もち》ひ|遊《あそ》ばして、|王家《わうけ》の|基礎《きそ》を|固《かた》め、|国家《こくか》を|泰山《たいざん》の|安《やす》きにおいて|下《くだ》さいませ。それが、せめてもの|私《わたくし》の|老後《らうご》の|頼《たの》みでございます』
|太《たい》『アアともかく、あまりくたぶれたから|寝《やす》ましてもらはう。シャカンナ、|許《ゆる》せよ』
と|言《い》ひながら、ゴロリと|横《よこ》になり、|早《はや》くも|雷《らい》のごとき|鼾《いびき》をかいてゐる。コルトンはこの|話《はなし》を|聞《き》いて|吃驚《びつくり》し、|床《ゆか》の|下《した》にもぐり|込《こ》んで|蜘蛛《くも》の|巣《す》だらけになつて、|一眠《ひとねむ》りも|得《え》せず|夜《よ》をあかしてしまつた。|十個《じつこ》の|鼻口《はなくち》より|出入《しゆつにふ》する|空気《くうき》の|音《おと》は、あなかも|鍛冶師《かぢし》の|鞴《ふいご》のやうに|聞《き》こえてゐた。|春《はる》の|夜《よ》は|容赦《ようしや》もなく|更《ふ》けてゆく。|大空《おほぞら》の|月《つき》は|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へて、この|不思議《ふしぎ》なる|主従《しゆじう》の|数奇《すうき》きはまる|邂逅《かいごう》を|清《きよ》く|照《て》らしてゐる。
(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 松村真澄録)
第一九章 |絵姿《ゑすがた》〔一七二一〕
|十八年《じふはちねん》のお|慈悲《じひ》の|牢《らう》をやうやく|脱出《だつしゆつ》し、|寵臣《ちようしん》のアリナと|共《とも》に、|心《こころ》ゆくまで|山野《さんや》の|清遊《せいいう》を|試《こころ》み、その|嬉《うれ》しさと|愉快《ゆくわい》さに|帰路《きろ》を|忘《わす》れ、|一切《いつさい》を|忘却《ばうきやく》し、|心《こころ》の|駒《こま》に|打《う》ちまかせて、|思《おも》はぬ|深山《みやま》の|奥《おく》へ|迷《まよ》ひこんだタラハン|城《じやう》の|太子《たいし》も、また|太子《たいし》の|意《い》を|迎《むか》へて|山野《さんや》に|案内《あんない》し、|方向《はうかう》に|迷《まよ》ひ、|帰路《きろ》を|尋《たづ》ねて|連山重畳《れんざんちようでふ》たる|谷川《たにがは》を|瞰下《みおろ》す|山腹《さんぷく》に|月光《げつくわう》を|浴《あ》びながら、ライオンの|声《こゑ》に|心胆《しんたん》を|奪《うば》はれ、たちまち|恐怖心《きようふしん》にかられ、|顔色《がんしよく》|青《あを》ざめ、|生《い》きたる|心地《ここち》もなく、|体内《たいない》の|地震《ぢしん》を|勃発《ぼつぱつ》したる|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナも、|山麓《さんろく》にやうやく|一〓《いつしゆ》の|火光《くわくわう》を|認《みと》めて|死線《しせん》に|立《た》つて|救《すく》ひの|神《かみ》に|出会《でつくは》したるがごとく、にはかに|勇気《ゆうき》|百倍《ひやくばい》し、|太子《たいし》を|導《みちび》いて|小柴《こしば》を|分《わ》け、やうやく|一《ひと》つの|隠《かく》れ|家《が》に|辿《たど》りつき、|主人《あるじ》の|情《なさ》けに|仍《よ》つて、|形《かたち》ばかりの|萱葺《かやぶ》きの|掘込建《ほりこみだて》に|一夜《いちや》の|宿泊《しゆくはく》を|許《ゆる》され、いろいろと|物語《ものがたり》の|末《すゑ》、|十年《じふねん》|以前《いぜん》カラピン|王《わう》に|仕《つか》へたる|重臣《ぢうしん》なりし|事《こと》を|悟《さと》り、あるひは|喜《よろこ》びあるひは|驚《おどろ》きつつも、ヤツと|心《こころ》が|落着《おちつ》き、|綿《わた》のごとく|労《つか》れ|切《き》つたる|身《み》を|横《よこ》たへて、ここに|露《つゆ》の|滴《したた》るごとき|美青年《びせいねん》は|前後《ぜんご》も|知《し》らず|露《つゆ》の|宿《やど》りについた。アアこの|主従《しゆじう》|二青年《にせいねん》は、その|夜《よ》は|如何《いか》なる|夢路《ゆめぢ》を|辿《たど》つたであらうか。|数奇《すうき》な|運命《うんめい》に|見舞《みま》はれて、|喜怒哀楽《きどあいらく》の|風《かぜ》に|翻弄《ほんろう》され、|天人《てんにん》たちまち|地《ち》に|降《くだ》り、|土中《どちう》に|潜《ひそ》む|地虫《ぢむし》は|羽翼《うよく》を|生《しやう》じて、|喬木《けうぼく》の|枝《えだ》に|春《はる》を|歌《うた》ふ|人生《じんせい》の|七変化《ななへんげ》。|口述者《こうじゆつしや》も|筆者《ひつしや》も|読者《どくしや》も|興味《きようみ》をもつて、|主従《しゆじう》|二人《ふたり》が|夢《ゆめ》の|成行《なりゆき》を|聞《き》かむと|欲《ほつ》するところである。
|雲上《うんじやう》|高《たか》く|翼《つばさ》をうつ|鳳凰《ほうわう》も、|霞《かすみ》の|天海《てんかい》を|浮游《ふいう》する|丹頂《たんちやう》の|鶴《つる》も、|土中《どちう》に|潜《ひそ》む|虫《むし》けらも、|恋《こひ》には|何《なん》の|区別《くべつ》もなく、|情《なさ》けの|淵《ふち》に|七度《ななたび》|八度《やたび》、|浮沈《ふちん》するは|世《よ》のならひ、|花《はな》にも|月《つき》にも|譬《たと》へ|難《がた》きタラハン|城内《じやうない》の|太子《たいし》と、|背《せ》は|少《すこ》しく|低《ひく》く、|色《いろ》は|少《すこ》しく|赤《あか》みを|帯《お》びたれど、その|容貌《ようばう》は|見《み》まがふばかり|酷似《こくじ》せる|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナが、|死力《しりよく》を|尽《つく》しての|珍《めづら》しきローマンス。|大正《たいしやう》|甲子《きのえね》の|霜月《しもつき》の|空《そら》に、|祥雲閣《しやううんかく》に|例《れい》のごとく|横臥《わうぐわ》しながら、よく|語《かた》り、よく|写《うつ》し、|山色《さんしよく》|雲《くも》に|連《つら》なる|黎明《あけがた》の|空《そら》を|眺《なが》めつつ、|言霊車《ことたまくるま》に|万年筆《まんねんひつ》の|機関銃《きくわんじう》を|備《そな》へつけながら、|出口《でぐち》、|松村《まつむら》、|北村《きたむら》、|加藤《かとう》の|四魂《しこん》|揃《そろ》うて、|丹波《たんば》|名物《めいぶつ》の|霧《きり》の|海原《うなばら》|分《わ》けてゆく。
シャカンナは|珍《めづら》しき|客《きやく》、ただ|空《そら》の|月日《つきひ》を|友《とも》となし、|松籟《しようらい》を|世《よ》の|音《おと》づれとして、|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》と|共《とも》に、|一切《いつさい》の|計画《けいくわく》を|放擲《はうてき》し、|年来《ねんらい》の|志望《しばう》を|断念《だんねん》して、|娘《むすめ》を|力《ちから》に|深山《みやま》の|奥《おく》に|打《う》ちはてむものと|覚悟《かくご》のをりから、|三代相恩《さんだいさうおん》の|主君《しゆくん》の|寵子《ちようし》が、|吾《わ》が|身《み》に|辛《つら》く|当《あた》りし|左守《さもり》の|伜《せがれ》と|共《とも》に|夢《ゆめ》の|庵《いほり》を|訪《と》はれ、かつ|喜《よろこ》びかつ|驚《おどろ》き、|太子《たいし》に|会《あ》うた|嬉《うれ》しさに、|十年《じふねん》|以前《いぜん》の|左守《さもり》ガンヂーが|吾《わ》が|身《み》に|対《たい》せし|冷酷《れいこく》なる|振舞《ふるま》ひに|出《い》でしを|酬《むく》ゐむとせし|敵愾心《てきがいしん》も、|忠義《ちうぎ》のためにスラリと|忘《わす》れ、|思《おも》ひもよらぬ|珍客《ちんきやく》と、|夜《よ》の|目《め》も|碌《ろく》に|眠《ねむ》り|得《え》ず、|朝《あさ》まだき|篝火《かがりび》を|要《えう》する|刻限《こくげん》より、スバール|姫《ひめ》と|共《とも》に、まめまめしく|朝餉《あさげ》の|用意《ようい》に|取《と》りかかり、せめては|旧恩《きうおん》の|万分一《まんぶんいち》に|報《むく》ゐむと、|貧弱《ひんじやく》なる|材料《ざいれう》をもつて|力《ちから》|限《かぎ》りの|馳走《ちそう》を、|僕《しもべ》のコルトンにも|言《い》ひつけず、|自《みづか》ら|調理《てうり》して|献《たてまつ》らむものと、|心《こころ》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し、|朝餉《あさげ》の|調理《てうり》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》してゐた。コルトンは|今朝《けさ》に|限《かぎ》つて、|炊事《すゐじ》の|業《わざ》を|免《めん》ぜられ、|木《き》の|枝《えだ》で|作《つく》つた|箒《はうき》でもつて、|茅屋《ばうをく》のまはりや|庭先《にはさき》を|掃《は》き|清《きよ》め、あたかも|氏神《うぢがみ》の|祭礼《さいれい》の|前日《ぜんじつ》か、|大晦日《おほつもごり》の|田舎《いなか》の|庭先《にはさき》のやうに、|掃目《はきめ》|正《ただ》しく、|破《やぶ》れ|草鞋《わらぢ》のごとくに|隅《すみ》から|隅《すみ》まで|掃《は》きちぎつてゐる。
コルトン『あーあ、|何《なん》といふ|不思議《ふしぎ》なことが|出来《でき》たのだらう。|一ケ月《いつかげつ》|以前《いぜん》に|玄真坊《げんしんばう》とか|天真坊《てんしんばう》とかいふ|糞蛸坊主《くそたこばうず》が、|女神様《めがみさま》のやうな|女《をんな》と|共《とも》に、タニグク|山《やま》の|岩窟《がんくつ》に|乗《の》り|込《こ》んで|来《き》て、|大酒《おほざけ》を|喰《くら》ひ、|酔《ゑ》ひつぶれたその|隙《すき》に、|俺《おれ》に|優《やさ》しい|言葉《ことば》をかけ、チツとばかり|秋波《しうは》を|送《おく》つてくれた|美人《びじん》のナイスのシャンに、イヌだの、サルだの、カヘルだの、ネンネコだのと、|仕様《しやう》もない|悪戯《いたづら》をされ、すつぱぬきを|喰《く》はされた|時《とき》の|三人《さんにん》の|面付《つらつき》が、|今《いま》も|俺《おれ》の|目《め》にや|有《あ》り|有《あ》りと|残《のこ》つてゐる。あの|桃色縮緬《ももいろちりめん》を|白《しろ》い|薄絹《うすぎぬ》を|通《とほ》して|眺《なが》めるやうな|美人《びじん》の|顔色《かんばせ》、|白玉《しらたま》で|拵《こしら》へたやうな|細《ほそ》い|麗《うるは》しい|肌理《きめ》のこまかい|美人《びじん》の|手《て》から、|鹿《しか》の|巻筆《まきふで》ではないが、|棕梠《しゆろ》の|毛《け》で|造《つく》つた|手製《てせい》の|筆《ふで》に、|墨《すみ》をすらせ、|俺《おれ》の|額《ひたひ》にサル、カヘルと|記念《きねん》の|文字《もじ》を|残《のこ》して|帰《かへ》りよつた。|俺《おれ》はいつまでもこの|記念《きねん》は|吾《わ》が|額《ひたひ》に|止《とど》まれかし、|一層《いつそう》のこと|肉《にく》に|食《く》ひ|入《い》つて、|美人《びじん》が|情《なさ》けの|筆《ふで》の|跡《あと》、たとへサルといはれやうが、カヘルと|言《い》はれやうが、そんなことに|頓着《とんちやく》はない。どうぞ|何時《いつ》までも|消《き》えずにあれと|祈《いの》つた|甲斐《かひ》もなく、いつの|間《ま》にやら、スツカリと|足《あし》がはへて、サル、カヘルといふつれなき|羽目《はめ》に|会《あ》はされ、|有情男子《ゆうじやうだんし》の|俺《おれ》もいささか|罪《つみ》を|造《つく》つたが、|日《ひ》を|重《かさ》ぬると|共《とも》に、|煩悩《ぼんなう》の|犬《いぬ》はどつかへ|逃《に》げ|失《う》せ、|本心《ほんしん》に|立《た》ちカヘルやうになつたところだ。それに|又《また》また|同《おな》じ|十五夜《じふごや》に、|天女《てんによ》にも|擬《まが》ふやうなる|白面郎《はくめんらう》が、|二人《ふたり》も|揃《そろ》うてこの|門口《かどぐち》へ|降《ふ》つて|来《き》た|時《とき》の|驚《おどろ》きといつたら、まだ|生《うま》れてから|経験《けいけん》をつんだ|事《こと》がない。あまりの|吃驚《びつくり》で、|天狗《てんぐ》の|孫《まご》ではあるまいかと、いろいろ|言葉《ことば》をかまへ、|帰《かへ》らしめむと、|死力《しりよく》を|尽《つく》して|拒《こば》んでみた。それが|何《なん》ぞや、|親分《おやぶん》|御大《おんたい》の|旧主人《きうしゆじん》だとか、タラハン|城《じやう》の|太子様《たいしさま》だとか、|左守《さもり》の|伜《せがれ》だとか、|聞《き》くに|及《およ》んで|二度《にど》|吃驚《びつくり》、|三度《さんど》|吃驚《びつくり》、|五臓六腑《ござうろくぷ》はデングリ|返《がへ》り、|何《なん》とはなく|恐《おそ》ろしさ|勿体《もつたい》なさに、|昨夜《ゆうべ》は|床《ゆか》の|上《うへ》に|休《やす》むのも|勿体《もつたい》なくなり、|土間《どま》に|四這《よつば》ひとなつて、イヌ、カヘルの|境遇《きやうぐう》に|甘《あま》んじ、ヤツと|一夜《ひとよ》を|明《あ》かし、|御大《おんたい》に|小言《こごと》を|頂戴《ちやうだい》するかと|案《あん》じてゐたが、|世《よ》の|中《なか》は|杏《あんず》よりも|桃《もも》が|安《やす》いとかいつて、|幸《さいは》ひに|御大《おんたい》の|光《ひか》る|目玉《めだま》の|一睨《ひとにら》みも、|秋霜烈日《しうさうれつじつ》のごとき|言霊《ことたま》も、どうやら|斯《か》うやら|赦《ゆる》されたらしい。しかしながら|内《うち》のお|嬢《ぢやう》さまも、|子供《こども》とはいひ、モウ|十五《じふご》の|春《はる》を|迎《むか》へてゐらつしやるのだ。そして|夕《ゆふ》べの|話《はなし》によれば、|御大《おんたい》は|十年以前《じふねんいぜん》まで、カラピン|王《わう》の|左守《さもり》の|司《かみ》だつたやうだ。さすがお|嬢《ぢやう》さまも|由緒《ゆいしよ》ある|家《いへ》の|生《うま》れとて、|見《み》れば|見《み》るほど|気品《きひん》の|高《たか》い、そして|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》だ。|太子《たいし》と|嬢《ぢやう》さまとの|中《なか》に、|何《なん》だか|妙《めう》な|経緯《いきさつ》が|出来《でき》はせまいかな、どうも|怪《あや》しく|思《おも》はれる。|法界恪気《ほふかいりんき》ぢやなけれども、|何《なん》だか|腹立《はらだ》たしいような、|可怪《をか》しい|気分《きぶん》がして|来《き》だしたワイ。|俺《おれ》も|今《いま》まで、|御大《おんたい》の|気《き》に|入《い》り、|何《なん》とかして|養子《やうし》にならうと、お|嬢《ぢやう》さまの|成人《せいじん》を|待《ま》つてゐたのだが、|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては、どうやら|怪《あや》しくなつて|来《き》た。|俺《おれ》の|日頃《ひごろ》の|忠勤振《ちうきんぶ》りも、|嬢《ぢやう》さまに|対《たい》する|親切《しんせつ》も、サツパリ|峰《みね》の|薄雲《うすぐも》と|消《き》え|去《さ》りさうだ。|百日《ひやくにち》の|説法《せつぽふ》|屁《へ》|一《ひと》つの|効果《かうくわ》も|上《あが》らないのか、エー|残念《ざんねん》|至極《しごく》だ。|雨《あめ》の|晨《あした》|風《かぜ》の|夕《ゆふ》べ、お|嬢《ぢやう》さまお|嬢《ぢやう》さまと|言《い》つて、その|成人《せいじん》を|待《ま》ち、タニグク|山《やま》の|名花《めいくわ》を|手折《たを》らむものと|楽《たの》しみ|暮《くら》したこともサツパリ|夢《ゆめ》となつたか。アア|残念《ざんねん》や|腹立《はらだ》たしや、|何《なに》ほど|俺《おれ》が|悧巧《りかう》でも、|一方《いつぱう》は|王《わう》の|太子《たいし》、しかも|旧御主人《きうごしゆじん》、その|上《うへ》|玉《たま》のやうな|美青年《びせいねん》と|来《き》てるから、たうてい|俺《おれ》の|敵《てき》ではない。|地位《ちゐ》|名望《めいぼう》からいつても、|最早《もはや》だめだ。エー、テレくさい、こんな|所《ところ》に|何《なに》を|苦《くる》しんで、|不便《ふべん》な|生活《せいくわつ》を|続《つづ》ける|必要《ひつえう》があるか。|手《て》に|持《も》つ|箒《はうき》さへも|自然《しぜん》に|手《て》がだるくなつて|放《はな》れさうだ。エー、|小鳥《ことり》の|声《こゑ》までが、|俺《おれ》を|馬鹿《ばか》にしてるやうに、|今朝《けさ》は|聞《き》こえて|来《く》る。|微風《びふう》をうけて|騒《さわ》いでゐる|木《こ》の|葉《は》も、|今朝《けさ》は|俺《おれ》の|失恋《しつれん》を|嘲笑《あざわら》つてゐるやうにみえる。|潺湲《せんくわん》たる|谷川《たにがは》の|流《なが》れの|音《おと》も、|昨日《きのふ》までは|天女《てんによ》の|音楽《おんがく》のごとく|楽《たの》しく|聞《き》こえたが、|今朝《けさ》は|何《なん》だか|亡国《ばうこく》の|哀音《あいおん》に|聞《き》こえて|来《き》た。|希望《きばう》にみちた|俺《おれ》の|平生《へいぜい》に|比《くら》べて、|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|淵《ふち》におちこんだ|今日《こんにち》の|俺《おれ》は、|最早《もはや》|天《てん》も|地《ち》も、|大親分《おほおやぶん》も、|可憐《かれん》なお|嬢《ぢやう》さまも、|俺《おれ》を|見《み》すてたやうな|気《き》がする。エー|馬鹿《ばか》らしい。|今《いま》の|間《うち》に|密林《みつりん》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、どつかの|空《そら》へ|随徳寺《ずゐとくじ》をきめ|込《こ》んでやらう。オオさうぢや さうぢや、エエけつたいの|悪《わる》い』
と|呟《つぶや》きながら、|満腔《まんこう》の|不平《ふへい》を|箒《はうき》に|転《てん》じ、「エーこん|畜生《ちくしやう》ツ」といひながら、|谷川《たにがは》めがけて|力《ちから》をこめて|投《な》げやり、|黒《くろ》い|尻《しり》をひきまくり、|二《ふた》つ|三《み》つ|打《う》ち|叩《たた》きながら、|体《からだ》を【く】の|字《じ》に|曲《ま》げ、|腮《あご》を|前《まへ》の|方《はう》に|突《つ》き|出《だ》し、|田螺《たにし》のやうな|歯《は》を|出《だ》して、|二三回《にさんくわい》「イン イン イン」としやくりながら、|早《はや》くも|此《こ》の|場《ば》より|姿《すがた》を|隠《かく》した。
|太陽《たいやう》の|高《たか》く|頭上《づじやう》に|輝《かがや》く|頃《ころ》、|太子《たいし》、アリナの|主従《しゆじう》はやうやく|目《め》を|醒《さ》ました。
|太子《たいし》『アア|爺《ぢい》、お|蔭《かげ》で|昨夜《さくや》は|気楽《きらく》に|寝《やす》ましてもらつた。どうやらこれで|元気《げんき》が|回復《くわいふく》し、|人間心地《にんげんごこち》になつたやうだ。|白湯《さゆ》を|一杯《いつぱい》くれないか』
シャカンナ『|若君様《わかぎみさま》、|最早《もはや》お|目醒《めざめ》でございますか。どうぞゆつくりとお|寝《やす》み|下《くだ》さいませ』
|太子《たいし》『や、もうこれで|充分《じうぶん》だ』
アリナ『|昨夜《さくや》はお|蔭《かげ》で、|太子様《たいしさま》のお|招伴《せうばん》をいたし、|気楽《きらく》に|寝《やす》まして|頂《いただ》きました。この|御恩《ごおん》はどこまでも|忘《わす》れませぬ』
シャ『オイ、コルトン、お|客様《きやくさま》にお|湯《ゆ》を|汲《く》んで|来《こ》い。コルトンは|何《なに》をしてゐる』
|幾度《いくたび》|呼《よ》んでもコルトンの|返詞《へんじ》がせぬ。|干瓢頭《かんぺうあたま》も|見《み》せない。そこへスバール|姫《ひめ》がやや|小綺麗《こぎれい》な|衣服《いふく》を|着替《きか》へ、|髪《かみ》の|紊《みだ》れを|解《と》き|上《あ》げ、|花《はな》のやうな|麗《うるは》しい|顔《かほ》に|笑《ゑみ》を|含《ふく》んで、
スバール『|若君様《わかぎみさま》、お|早《はや》うございます。|御家来《ごけらい》のお|方様《かたさま》、|夜前《やぜん》は|寝《やす》まれましたか。ご|存《ぞん》じの|通《とほ》りの|茅屋《あばらや》でございますから、|嘸《さぞ》さぞお|二人様《ふたりさま》とも、お|寝《やす》みにくからうかと、|案《あん》じ|参《まゐ》らせてをりました。サアどうか|渋茶《しぶちや》をあがつて|下《くだ》さいませ』
と|言《い》ひながら、|手元《てもと》をふるはせ、やや|顔《かほ》をそむけ|気味《ぎみ》に、|恭《うやうや》しく|太子《たいし》に|茶《ちや》を|汲《く》んでささげた。|太子《たいし》は……|床《ゆか》しき|者《もの》よ、|麗《うるは》しいものよ……と|思《おも》ひながら、|静《しづ》かに|手《て》を|伸《の》べて、スバールが|差出《さしだ》す|茶《ちや》を|受《う》け|取《と》り、|二三回《にさんくわい》フーフーと|吹《ふ》きながら、|静《しづ》かに|呑《の》み|干《ほ》した。
スバ『|若君様《わかぎみさま》、モ|一《ひと》つ|何《ど》うでございますか』
|太子《たいし》『ヤ、かまうてくれな、|余《よ》が|勝手《かつて》に|頂《いただ》くから』
シャ『コラコラ、コルトン、|何処《どこ》へ|行《い》つたのだ。|早《はや》く|太子様《たいしさま》に|御挨拶《ごあいさつ》を|申《まを》し|上《あ》げぬか』
スバ『お|父《とう》さま、コルトンは|一時《いつとき》ばかし|前《まへ》に|飛《と》び|出《だ》しましたよ。|最早《もはや》|帰《かへ》つて|来《く》る|気遣《きづか》ひはございませぬ』
『ナニ、コルトンが|逃《に》げたといふのか、なぜお|前《まへ》はその|時《とき》とめないのだ』
『お|父《とう》さま、|妾《あたし》、いい|蚰蜒《げぢげぢ》が|逃《に》げたと|思《おも》つて、とめなかつたのですよ。いつも|妙《めう》な|事《こと》をいつたり、|厭《いや》らしい|目付《めつけ》をして|妾《わたし》を|見《み》るのですもの。|何《なん》だかその|度《たび》ごとに|悪魔《あくま》に|襲《おそ》はれるような|気《き》がいたしまして、|何時《いつ》も|胸《むね》が|戦《をのの》いてゐたのです。これでモウ|親《おや》と|子《こ》との|水入《みづい》らずで、こんな|気楽《きらく》な|事《こと》はございませぬ。お|父《とう》さま、コルトンがゐなくても|妾《わたし》が|炊事万端《すゐじばんたん》を|致《いた》しますから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
『アハハハハ、|到頭《たうとう》、コルトンも|山中生活《さんちうせいくわつ》に|飽《あ》いて|逃亡《たうばう》したかなア、|無理《むり》もない。|若《わか》い|奴《やつ》が|何《なに》|楽《たの》しみもなく、こんな|髭武者爺《ひげむしやぢい》と|辛抱《しんばう》してゐたのは、|実《じつ》に|感心《かんしん》な|者《もの》だつた。|逃《に》げたとあらば|追跡《つゐせき》の|必要《ひつえう》もない。かれの|自由《じいう》に|任《まか》しておいてやらう。アハハハハ』
『お|父《とう》さま、コルトンは|何時《いつ》も、こんな|事《こと》を|言《い》つてゐましたよ、……こんな|山奥《やまおく》に|不自由《ふじゆう》な|生活《せいくわつ》をしてゐるのは、|若《わか》い|男《をとこ》として|本当《ほんたう》に|約《つま》らないのだけれど、|私《わし》が|帰《かへ》れば|忽《たちま》ちお|父《とう》さまが|困《こま》らつしやるだらう。しかしながら|一日《いちにち》も、こんな|山住居《やまずまゐ》はしたくないのだけれど、スバールさまのその|美《うつく》しい|顔《かほ》を、|朝夕《あさゆふ》|見《み》るのが、|唯一《ゆゐいつ》の|慰安《ゐあん》だ、|命《いのち》の|種《たね》だ。それだから|淋《さび》しい|山奥《やまおく》も、|淋《さび》しいと|思《おも》はず|喜《よろこ》んで|親方《おやかた》さまの|御用《ごよう》をしてゐるのだ……と、|何時《いつ》も|申《まを》しましたよ』
『アハハハハ、|女《をんな》の|子《こ》といふ|者《もの》は|油断《ゆだん》のならぬものだな。|美《うつく》しい|花《はな》には|害虫《がいちう》がつき|易《やす》い|習《なら》ひ、|娘《むすめ》を|有《も》つた|親《おや》はなかなか|油断《ゆだん》は|出来《でき》ぬワイ』
『お|父《とう》さま、そんな|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。なにほど|初心《うぶ》こい|娘《むすめ》だつて、|子供上《こどもあが》りだつて、あんな|男《をとこ》の|言《い》ふ|事《こと》を|諾《き》く|者《もの》がございますか。|太子様《たいしさま》の……』
『アハハハハ、|蔭裏《かげうら》の|豆《まめ》も|時節《じせつ》が|来《く》れば|花《はな》が|咲《さ》くとやら、|不思議《ふしぎ》なものだなア』
アリ『モシ、|前左守様《ぜんさもりさま》、かうして|太子様《たいしさま》のお|伴《とも》をして、|一夜《いちや》の|雨宿《あまやど》りをさしていただいたのも、|深《ふか》い|縁《えにし》の|結《むす》ばれた|事《こと》でございませう。タラハン|国《ごく》の|窮状《きうじやう》を|救《すく》ふため、|太子様《たいしさま》のお|伴《とも》をして、|今一度《いまいちど》|都《みやこ》へ|出《い》で、|国家《こくか》の|為《ため》に|一肌《ひとはだ》ぬいで|下《くだ》さるわけには|参《まゐ》りますまいか。|嬢様《ぢやうさま》も|都見物《みやこけんぶつ》を|遊《あそ》ばしたら、またお|目《め》が|新《あたら》しくなつて|嘸《さぞ》お|喜《よろこ》びでございませうから』
シャ『イヤ|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、たとへ|太子様《たいしさま》のお|慈悲《じひ》の|言葉《ことば》に|甘《あま》え、|都《みやこ》へ|出《で》たところで、もはや|一切《いつさい》の|権利《けんり》は|其方《そなた》の|父《ちち》が|掌握《しやうあく》してゐる。|十年《じふねん》も|山住居《やまずまゐ》をして、|世《よ》の|開明《かいめい》の|風《かぜ》に|後《おく》れた|骨董品《こつとうひん》、たうてい|国政《こくせい》の|衝《しよう》に|当《あた》るなどとは、|思《おも》ひもよらぬことだ。かへつて|大王様《だいわうさま》のお|心《こころ》を|揉《も》ませるやうなものだから、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》いが、|私《わたし》はモウこの|山奥《やまおく》で、|娘《むすめ》と|共《とも》に|朽《く》ちはてる|積《つも》りだ。|断《だん》じて|都入《みやこいり》は|致《いた》しませぬ』
『それはさうと、かかる|名花《めいくわ》を|山奥《やまおく》に|老《お》いさせるのは|実《じつ》に|勿体《もつたい》ないぢやありませぬか。あなたも|娘《むすめ》の|出世《しゆつせ》は|望《のぞ》まれるでせう。|何時《いつ》までもこの|山奥《やまおく》にござつては、あなたは|老後《らうご》を|楽《たの》しんで|花鳥風月《くわてうふうげつ》を|友《とも》とし、この|山奥《やまおく》に|簡易生活《かんいせいくわつ》を|楽《たの》しみ|暮《くら》されるとしたところで、|莟《つぼみ》の|花《はな》のスバールさまを、このまま|此処《ここ》で|一生《いつしやう》を|終《をは》らせるのは、どう|思《おも》うても|勿体《もつたい》ない。そんな|事《こと》を|仰《おほ》せられずに、|太子様《たいしさま》を|蔭《かげ》ながら|守《まも》るために|都《みやこ》へ|出《で》て|下《くだ》さい。そして|政治《せいぢ》がお|厭《いや》なれば、どつかの|家《いへ》に|身《み》を|忍《しの》び、お|嬢《ぢやう》さまを|守《も》り|立《た》て、|立派《りつぱ》な|花《はな》になさつたら|何《ど》うですか』
『|何《なん》と|仰《おほ》せられても、|元来《ぐわんらい》|頑固《ぐわんこ》な|生《うま》れつき、|一度《いちど》|厭《いや》と|申《まを》せば|何処《どこ》までも|厭《いや》でござる』
|太《たい》『|左守《さもり》、|余《よ》の|頼《たの》みだから、|余《よ》と|共《とも》にタラハン|城《じやう》へ|帰《かへ》つてくれる|気《き》はないか』
シャ『ハイ、|何《なん》と|仰《おほ》せられましても、こればかりは|平《ひら》に|御免《ごめん》を|被《かうむ》りたうござります』
『ウン、さうか、それほど|厭《いや》がる|者《もの》を、|無理《むり》に|伴《つ》れ|帰《かへ》るのは、|却《かへ》つて|無慈悲《むじひ》かも|知《し》れない。そんなら|其方《そなた》の|意志《いし》に|任《まか》す。|帰《かへ》つたらこのアリナに|珍《めづら》しい|物《もの》でも|持《も》たして、お|礼《れい》に|参《まゐ》らすから……|永《なが》らくお|世話《せわ》になつた。|惜《を》しいけれども、|帰《かへ》らねばなるまい。しかしシャカンナ、その|方《はう》に|一《ひと》つの|頼《たの》みがある。|聞《き》いては|呉《く》れまいかなア』
『ハイ、|如何《いか》なる|事《こと》でも、|最前《さいぜん》お|断《こと》わり|申《まを》した|外《ほか》の|事《こと》ならば、|力《ちから》の|及《およ》ぶかぎり、|御恩報《ごおんほう》じのために|承《うけたまは》りませう』
『ヤ、|早速《さつそく》の|承引《しよういん》、|満足々々《まんぞくまんぞく》、|外《ほか》でもないが、スバール|嬢《ぢやう》の|姿《すがた》が|絵《ゑ》に|写《うつ》したい』
『ナニ、スバールの|姿《すがた》を|撮《と》ると|仰《おほ》せられるのですか、|金枝玉葉《きんしぎよくえふ》の|御身《おんみ》をもつて、|卑《いや》しき|私《わたし》どもの|娘《むすめ》の|姿《すがた》をお|描《ゑが》き|遊《あそ》ばすとは、あまり|勿体《もつたい》ないお|言葉《ことば》。|之《これ》ばかりは|平《ひら》にお|断《こと》わり|申《まを》し|上《あ》げませう。|冥加《みやうが》に|尽《つ》きますから』
『なに、さう|遠慮《ゑんりよ》するには|及《およ》ばぬ。どうか|余《よ》の|頼《たの》みぢや、|絵姿《ゑすがた》を|描《か》かしてくれ』
スバ『お|父《とう》さま、|若君様《わかぎみさま》のお|言葉《ことば》、お|否《いな》みなさるのは|却《かへ》つて|御無礼《ごぶれい》でございませう。|妾《わたし》は|若君様《わかぎみさま》のお|筆《ふで》に|描《ゑが》かれたうございますワ』
アリ『ヤ、お|嬢《ぢやう》さま、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、|出《で》かされました。|御本人《ごほんにん》の|承諾《しようだく》ある|限《かぎ》りは、モウこつちの|物《もの》だ。サア|若君様《わかぎみさま》、|日頃《ひごろ》の|妙筆《めうひつ》をお|揮《ふる》ひ|遊《あそ》ばせ。|私《わたし》が|墨《すみ》をすりませう』
シャ『アハハハ、|到頭《たうとう》|娘《むすめ》も|太子様《たいしさま》のお|眼鏡《めがね》に|叶《かな》ひ、|絵姿《ゑすがた》を|取《と》つて|頂《いただ》くのか。てもさても|幸福《かうふく》な|奴《やつ》だなア』
スバールはいそいそとして、|一張羅《いつちやうら》の|美服《びふく》に|着替《きか》へ、|門《かど》に|出《い》で、|面白《おもしろ》い|形《かたち》をした|岩《いは》の|傍《そば》にもたれかかつて、|太子《たいし》の|描写《べうしや》に|任《まか》せた。|太子《たいし》はせつせと|筆《ふで》を|運《はこ》ばせ、ほとんど|一時《ひととき》ばかりにして、|実物《じつぶつ》と|見《み》まがふやうな|立派《りつぱ》な|絵姿《ゑすがた》を|描《か》き|上《あ》げた。
|太《たい》『ヤア、これで|国許《くにもと》への|土産《みやげ》が|出来《でき》た。これを|床《とこ》の|間《ま》にかけて、|朝夕《あさゆふ》|楽《たの》しまう。ヤ、|爺《ぢい》、ちよつと|見《み》てくれ、スバールに|似《に》てゐるかな』
シャカンナは「ハイ」と|答《こた》へて、|屋内《をくない》から|駈《か》け|出《だ》し、
『ヤ、|若君様《わかぎみさま》、|最早《もはや》お|描《か》き|上《あ》げになりましたか。……|何《なん》とマア|立派《りつぱ》なお|腕前《うでまへ》、|感《かん》じ|入《い》りましてございます』
|太《たい》『ハハハハ、スバールに|似《に》てゐるかな』
シャ『どちらが|実物《じつぶつ》だか、|親《おや》の|私《わたし》でさへ|見分《みわけ》けがつかないくらゐ、よく|描《か》けてをります。|太子様《たいしさま》は|大変《たいへん》な|美術家《びじゆつか》でございますなア』
|太《たい》『ハハハハハ』
アリ『|学問《がくもん》といひ、|芸術《げいじゆつ》といひ、|文才《ぶんさい》といひ、|博愛慈善《はくあいじぜん》の|御心《みこころ》といひ、|勇壮活溌《ゆうさうくわつぱつ》な|御気象《ごきしやう》といひ、またと|一人《ひとり》|天下《てんか》に|肩《かた》を|並《なら》ぶる|者《もの》はありませぬよ。|何《なに》から|何《なに》まで|完全無欠《くわんぜんむけつ》な|御人格《ごじんかく》を|備《そな》へてゐられます』
シャカンナは|首《くび》を|傾《かたむ》けて、|絵画《くわいぐわ》とスバールとを|見比《みくら》べながら、|感歎《かんたん》|久《ひさ》しうして|舌《した》を|巻《ま》いてゐる。|主従《しゆじう》は|午後《ごご》|八《や》つ|時《どき》、パンを|用意《ようい》し、|惜《を》しき|別《わか》れを|告《つ》げて、|一《ひと》まづこの|庵《いほり》を|去《さ》ることとなつた。|太子《たいし》は|後振返《あとふりかへ》り|振返《ふりかへ》り、|名残《なごり》|惜気《をしげ》に|父娘《おやこ》の|姿《すがた》を|眺《なが》めてゐる。シャカンナの|父娘《おやこ》はまた|太子《たいし》、アリナの|後《うし》ろ|姿《すがた》を|首《くび》を|伸《の》ばして|見送《みおく》つてゐた。シャカンナは|思《おも》はず|知《し》らず|十間《じつけん》ばかり|後《あと》を|逐《お》うてゐた。|二人《ふたり》の|姿《すがた》は|山裾《やますそ》の|突《つ》き|出《で》た|小丘《せうきう》に|隔《へだ》てられ、|遂《つひ》に|互《たが》ひの|視線《しせん》は|全《まつた》く|離《はな》れてしまつた。
|主従《しゆじう》は|元気《げんき》よく|坂路《さかみち》を|東《ひがし》へ|東《ひがし》へと|谷川《たにがは》の|流《なが》れに|沿《そ》ひ|下《くだ》つて|行《ゆ》くと、|途中《とちう》に|日《ひ》はズツポリと|暮《く》れた。やむを|得《え》ず、|路端《みちばた》の|突《つ》き|出《で》た|石《いし》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|息《いき》を|休《やす》めてゐると、|何者《なにもの》とも|知《し》れず、|突然《とつぜん》|後方《こうはう》より|現《あら》はれて|太子《たいし》の|頭上《づじやう》を|目当《めあて》に、|堅《かた》い|沙羅双樹《さらさうじゆ》の|幹《みき》で|作《つく》つた|杖《つゑ》をもつて、|骨《ほね》も|砕《くだ》けと|打《う》ち|下《おろ》す。|太子《たいし》は|惟神的《かむながらてき》に|体《たい》をかはした。その|途端《とたん》に|的《まと》が|外《はづ》れて、|曲者《くせもの》は|二人《ふたり》の|前《まへ》に|杖《つゑ》を|握《にぎ》つたまま|地《ち》を|叩《たた》いて、ひつくり|返《かへ》り、|頭《かしら》を|打《う》つて|悲鳴《ひめい》をあげた。よくよく|見《み》れば|豈計《あにはか》らむや、シャカンナの|僕《しもべ》コルトンであつた。|主従《しゆじう》はコルトンを|労《いた》はり|起《おこ》し、いろいろと|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》し、|将来《しやうらい》を|戒《いまし》めて、また|夜《よる》の|路《みち》をトボトボと|帰途《きと》に|就《つ》いた。
(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 松村真澄録)
第二〇章 |曲津《まつ》の|陋呵《ろうか》〔一七二二〕
タラハン|城内《じやうない》カラピン|王《わう》の|御前《みまへ》に|左守《さもり》、|右守《うもり》を|初《はじ》めとし、|数多《あまた》の|重臣《ぢうしん》が|薬鑵頭《やくわんあたま》に|湯気《ゆげ》をたて|太子《たいし》が|知《し》らぬ|間《ま》に|殿内《でんない》より|姿《すがた》を|隠《かく》し、|踪跡《そうせき》をくらました|大椿事《だいちんじ》につき、いろいろと|干《ひ》からびた|頭《あたま》から|下《くだ》らぬ|知恵《ちゑ》を|絞《しぼ》り|出《だ》して、|小田原評定《をだはらひやうぢやう》が|初《はじ》まつてゐる。
|王《わう》『|時《とき》に|左守殿《さもりどの》、|日頃《ひごろ》|憂鬱《いううつ》に|沈《しづ》んだ|吾《わ》が|太子《たいし》は|今日《けふ》で|三日《みつか》になつても、まだ|帰《かへ》つて|来《こ》ないのは、どうしたものだらう。|何《なに》か、いい|考《かんが》へはつかないかのう』
|左守《さもり》『ハイ、|誠《まこと》に|恐《おそ》れ|入《い》つた|次第《しだい》でござります。|殿中監督《でんちうかんとく》の|任《にん》にありながら、この|老臣《らうしん》、|大王《だいわう》に|対《たい》し|奉《たてまつ》り、|死《し》をもつて|謝《しや》するより|外《ほか》に|道《みち》はございませぬ』
|王《わう》『|其方《そち》の|伜《せがれ》も、まだ|帰《かへ》つて|来《こ》ぬか。|余《よ》は|思《おも》ふに、|日頃《ひごろ》|太子《たいし》の|気《き》に|入《い》り、|其方《そち》が|伜《せがれ》とどつかの|山奥《やまおく》へ|踏《ふ》み|迷《まよ》うてゐるのではあるまいかのう』
|左《さ》『|不束《ふつつか》な|伜《せがれ》|奴《め》、|太子様《たいしさま》のお|言葉《ことば》に|甘《あま》へ、いつも|恐《おそ》れ|多《おほ》くも|友人気取《いうじんきど》りになつて|振《ふ》れ|舞《ま》ひます。その|不遜《ふそん》な|行為《かうゐ》を、|臣《しん》は|常《つね》に|憂《うれ》ひ、いろいろと|折檻《せつかん》も|致《いた》し|警告《けいこく》も|与《あた》へてをりますが、|二《ふた》つ|目《め》には|薬鑵頭《やくわんあたま》だの、|骨董品《こつとうひん》だの、|床《とこ》の|置物《おきもの》だのと、|罵詈嘲笑《ばりてうせう》を|逞《たくま》しふし、|太子様《たいしさま》の|御寵愛《ごちようあい》を|傘《かさ》に|着《き》て|親《おや》の|言《い》ふ|事《こと》を|聞《き》きませぬ。|誠《まこと》に|困《こま》つた|不忠不義《ふちうふぎ》の|痴者《しれもの》でございます。もし|今度《こんど》|幸《さいは》ひに|伜《せがれ》が|帰《かへ》りますれば|密室《みつしつ》に|監禁《かんきん》し、よく|物《もの》の|道理《だうり》を|説《と》き|聞《き》かせ、それでも|聞《き》き|入《い》れねば、ただ|一人《ひとり》の|伜《せがれ》なれども|王家《わうけ》のため|国家《こくか》のため、|臣《しん》が|手《て》にかけて|伜《せがれ》が|命《いのち》を|絶《た》ち、|国《くに》の|災《わざは》ひを|除《のぞ》く|覚悟《かくご》でございます。どうか|暫《しばら》く|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます。|何《いづ》れその|中《うち》には|無事《ぶじ》|御帰城《ごきじやう》|遊《あそ》ばすでございませうから』
|王《わう》『ヤ、そちの|伜《せがれ》も|新教育《しんけういく》とやらを|受《う》け、よほど|性質《たち》が|悪《わる》くなつて|来《き》たやうだ。しかし、|吾《わ》が|太子《たいし》も|太子《たいし》だ。|平民主義《へいみんしゆぎ》だとか、|平等主義《べうどうしゆぎ》だとか、|国体《こくたい》に|合《あは》ない|囈言《たはごと》を|申《まを》し、|貴族生活《きぞくせいくわつ》が|気《き》に|入《い》らぬ|等《など》と|駄々《だだ》をこね、|日夜《にちや》|不足《ふそく》さうな|面貌《めんばう》を|現《あら》はし、|吾《わ》が|注意《ちうい》を|馬耳東風《ばじとうふう》と|聞《き》き|流《なが》し、|手《て》におへない|人物《じんぶつ》となつてしまつた。これも|全《まつた》く|余《よ》が|一時《いちじ》|悪霊《あくれい》に|魂《たましひ》を|魅《み》せられ、|天地《てんち》に|容《い》れざる|残虐《ざんぎやく》の|罪《つみ》を|犯《をか》したその|報《むく》いで、|老後《らうご》の|身《み》をもつて、あるにあられぬ|心《こころ》の|苦労《くらう》をさせられてゐるのだらう。アアどうなり|行《ゆ》くも|宿世《すぐせ》の|因縁《いんねん》だ。もう|左守殿《さもりどの》、あまり|頭《あたま》を|痛《いた》めてくれな。|余《よ》も|太子《たいし》の|事《こと》は|只今《ただいま》かぎり|断念《だんねん》する』
|左《さ》『|恐《おそ》れ|多《おほ》き|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》、|臣下《しんか》の|吾々《われわれ》、|何《なん》と|申《まを》してお|詫《わび》をすれば|宜《よ》いやら、|実《じつ》に|恐懼《きようく》の|至《いた》りでございます』
|王《わう》『|右守殿《うもりどの》、|太子《たいし》が|帰《かへ》らぬとすれば、|何《なん》とか|善後策《ぜんごさく》を|講《かう》じなくてはなるまい。|其方《そち》の|意見《いけん》を|聞《き》きたいものだ。かかる|一大事《いちだいじ》の|場合《ばあひ》、|少《すこ》しも|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らないから、|其方《そなた》が|心《こころ》の|底《そこ》を|忌憚《きたん》なく|打明《うちあ》けてくれよ』
|右守《うもり》『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》りましてございます。|太子様《たいしさま》の|御出奔《ごしゆつぽん》|以来《いらい》、|家中《かちう》の|面々《めんめん》を|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|派《は》し、|殿下《でんか》のお|行衛《ゆくゑ》を|捜索《そうさく》いたさせましたが、|今《いま》に|何《なん》の|吉報《きつぱう》も|得《え》ませぬ。|今日《けふ》で|三日三夜《みつかみよさ》、この|右守《うもり》も|心《こころ》を|痛《いた》め|胸《むね》をなやまし、|食事《しよくじ》も|碌《ろく》にとれませぬ。|翻《ひるがへ》つて|国内《こくない》の|事情《じじやう》を|顧《かへり》みれば、|到《いた》る|所《ところ》に|民衆《みんしう》|不平《ふへい》の|声《こゑ》、いつ|大事《だいじ》が|勃発《ぼつぱつ》するかも|知《し》れない|形勢《けいせい》になつてをります。|加《くは》ふるにバラモン|軍《ぐん》が|襲来《しふらい》するとの|噂《うはさ》|喧《かまび》すしく、|人心《じんしん》|恟々《きようきよう》として|山川草木《さんせんさうもく》|色《いろ》を|失《うしな》ひ、|将《まさ》に|阿鼻叫喚地獄《あびけうくわんぢごく》を|現出《げんしゆつ》せむとするの|形勢《けいせい》でございます。かくの|如《ごと》く|国家《こくか》|多事多難《たじたなん》の|際《さい》に|太子《たいし》の|君《きみ》が|御出奔《ごしゆつぽん》|遊《あそ》ばされたことは、|我《わ》が|国家《こくか》にとつては、|痩児《やせご》に|蓮根《はすね》と|申《まを》さうか、|泣面《なきづら》に|蜂《はち》と|申《まを》さうか、|実《じつ》に|恐《おそ》れ|多《おほ》き|次第《しだい》でございます。|風前《ふうぜん》の|燈火《ともしび》にも|等《ひと》しきタラハン|国《ごく》の|形勢《けいせい》、|国家《こくか》を|未倒《みたう》に|救《すく》ひ、|大廈《たいか》の|崩《くづ》れむとするを|支《ささ》ふるのは、|倒底《たうてい》|一木一柱《いちぼくいつちう》のよくすべきところではございませぬ。|何分《なにぶん》にもこの|際《さい》には|上下一致《しやうかいつち》、|億兆一心《おくてういつしん》、あらむ|限《かぎ》りの|誠心《まごころ》を|捧《ささ》げて|国難《こくなん》に|殉《じゆん》ずる|覚悟《かくご》が|吾々《われわれ》はじめ、なくては|叶《かな》ひませぬ。かかる|危急存亡《ききうそんばう》の|際《さい》に、|太子《たいし》の|君《きみ》を|唆《そその》かし|奉《たてまつ》り、|殿内《でんない》より|誘《おび》き|出《だ》したる|左守殿《さもりどの》の|伜《せがれ》アリナこそは、|天地《てんち》も|赦《ゆる》さぬ|大逆無道《だいぎやくぶだう》の|悪臣《あくしん》でござる。まづ|国家《こくか》|民心《みんしん》を|治《をさ》むるには|親疎《しんそ》の|情《じやう》を|去《さ》り、|上下《じやうげ》の|区別《くべつ》を|撤廃《てつぱい》し、|真《しん》を|真《しん》とし、|偽《ぎ》を|偽《ぎ》とし、|悪《あく》を|悪《あく》とし、|公平無私的《こうへいむしてき》|態度《たいど》をもつて|賞罰《しやうばつ》を|明《あき》らかにし、|天下《てんか》に|善政《ぜんせい》の|模範《もはん》を|示《しめ》さなくてはなりますまい。|恐《おそ》れながら、|臣《しん》は|先《ま》づ|第一着手《だいいちちやくしゆ》として、|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナの|処分《しよぶん》をなさねばならないだらうと|考《かんが》へます。ついてはその|父《ちち》たる|左守殿《さもりどの》はこの|際《さい》|責任《せきにん》を|感知《かんち》し、|闕下《けつか》に|罪《つみ》を|謝《しや》し、|下《しも》は|国民《こくみん》に|対《たい》する|言《い》ひ|訳《わけ》のため、|進《すす》んで|骸骨《がいこつ》をお|乞《こ》ひなさるが|時宜《じぎ》に|適《てき》したる|最善《さいぜん》の|処為《しよゐ》と|考《かんが》へます。|否《いな》、|国法《こくはふ》の|教《をし》ふるところと|確信《かくしん》いたします。|殿下《でんか》、なにとぞ|賢明《けんめい》なる|御英断《ごえいだん》をもつて、|官規《くわんき》を|振粛《しんしゆく》し|頑迷無恥《ぐわんめいむち》の|官吏《くわんり》を|退《しりぞ》け、|以《もつ》て|国民《こくみん》に|殿下《でんか》の|名君《めいくん》たる|事《こと》を|周知《しうち》せしめたく|存《ぞん》じまする』
|王《わう》『イヤ、|右守《うもり》の|言《げん》も|一応《いちおう》|尤《もつと》もだが、|今日《けふ》は|未《ま》だ|太子《たいし》の|行衛《ゆくゑ》も|分《わか》らず、またアリナの|所在《ありか》も|分《わか》らぬ|混沌《こんとん》の|際《さい》だから、|左守《さもり》の|処分《しよぶん》は、さう|急《いそ》ぐには|及《およ》ぶまい』
|右《う》『|殿下《でんか》の|仰《おほ》せではございまするが、|国家《こくか》|危急存亡《ききふそんばう》の|際《さい》、さやうな|緩慢《くわんまん》の|御処置《ごしよち》は|却《かへ》つて|国家《こくか》を|危《あや》ふくするものと|考《かんが》へます。なにとぞ|御英断《ごえいだん》をもつて|疾風迅雷的《しつぷうじんらいてき》に|解決《かいけつ》し、|快刀乱麻《くわいたうらんま》を|断《た》つの|快挙《くわいきよ》に|出《い》でられむ|事《こと》を、|右守《うもり》、|謹《つつし》んで|言上《ごんじやう》|仕《つかまつ》ります』
|王《わう》『|汝《なんぢ》|右守《うもり》のサクレンス、|汝《なんぢ》は|王家《わうけ》を|思《おも》ひ|国家《こくか》を|思《おも》ふ、その|熱誠《ねつせい》は|実《じつ》に|余《よ》は|嘉賞《かしやう》する。しかしながら|我《わ》が|国家《こくか》は|余《よ》に|及《およ》んで|十五代《じふごだい》、|王統連綿《わうとうれんめん》として|何《なん》の|瑕瑾《かきん》もなく、|国民《こくみん》|尊敬《そんけい》の|中心《ちうしん》となり、たとへ|小《せう》なりといへどタラハンの|国家《こくか》を|維持《ゐぢ》して|来《き》たものだ。しかるに|今《いま》|太子《たいし》が|貴族生活《きぞくせいくわつ》を|嫌《きら》ひ、|殿内《でんない》を|飛《と》び|出《だ》すやうになつては、もはや|王政《わうせい》も|専制政治《せんせいせいぢ》も|到底《たうてい》|永続《えいぞく》することは|出来《でき》ない。たとへ|太子《たいし》が|帰城《きじやう》するにしても、|彼《かれ》は|余《よ》が|後《あと》をついでタラハン|国《ごく》に|君臨《くんりん》する|事《こと》は|好《この》まないだらう。|一層《いつそ》のこと、|王女《わうぢよ》のバンナを|後継者《こうけいしや》となし、|適当《てきたう》なる|養子《やうし》を|入《い》れて、|王家《わうけ》を|継承《けいしよう》させたいと|思《おも》ふが、|左守《さもり》、|右守《うもり》その|他《た》の|重臣《ぢうしん》|共《ども》は、どう|考《かんが》へるかな』
|左《さ》『|殿下《でんか》の|宸襟《しんきん》を|悩《なや》ませ|奉《たてまつ》り、|臣《しん》として、ノメノメ|生命《いのち》を|長《なが》らへ、|殿下《でんか》の|御心配《ごしんぱい》を|坐視《ざし》し|奉《たてまつ》るに|忍《しの》びませぬ。|右守《うもり》の|言《い》はるる|通《とほ》り、|実《じつ》に|臣《しん》といひ|伜《せがれ》といひ、|王家《わうけ》の|仇《あだ》|国家《こくか》の|潰滅者《くわいめつしや》でございますれば、|申《まを》し|訳《わけ》のため|今《いま》|御前《ごぜん》において|皺《しわ》ツ|腹《ぱら》をかき|切《き》り、|万死《ばんし》の|罪《つみ》を|謝《しや》し|奉《まつ》ります。|右守殿《うもりどの》、|何卒《なにとぞ》|国家《こくか》のため|忠勤《ちうきん》を|励《はげ》んで|下《くだ》さい。|殿下《でんか》、|左様《さやう》ならば』
といふより|早《はや》く|用意《ようい》の|短刀《たんたう》、|鞘《さや》を|払《はら》つて|左《ひだり》の|脇腹《わきばら》につき|立《た》てむとする|一刹那《いつせつな》、|王女《わうぢよ》バンナ|姫《ひめ》は|慌《あわ》ただしく、|簾《みす》の|中《なか》より|走《はし》り|出《い》で、
『|左守《さもり》ガンヂー|早《はや》まるな。|今《いま》|死《し》ぬる|命《いのち》を|永《なが》らへ、|王家《わうけ》のため|国家《こくか》のために|何故《なぜ》|誠《まこと》を|尽《つく》さないのか。|死《し》んで|忠義《ちうぎ》になると|思《おも》ふか、|言《い》ひ|訳《わけ》が|立《た》つと|思《おも》ふか。|血迷《ちまよ》ふにも|程《ほど》があるぞや』
と|鶴《つる》の|一声《ひとこゑ》、|左守《さもり》はハツとばかりに|両手《りやうて》をつき、|白髪頭《しらがあたま》を|床《ゆか》にすりつけながら|声《こゑ》を|振《ふる》はせ|涙《なみだ》を|絞《しぼ》り、|述《の》ぶる|言葉《ことば》もきれぎれに、
|左《さ》『ハイ、|誠《まこと》に|無作法《ぶさはふ》な|狼狽《うろた》へた|様《さま》をお|目《め》にかけまして|申《まを》し|訳《わけ》がございませぬ。なにとぞ、|御宥恕《ごいうじよ》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります』
|右《う》『アハハハハ、|左守殿《さもりどの》、|御卑怯《ごひけふ》ではござらぬか。|一旦《いつたん》|男子《だんし》が|決死《けつし》の|覚悟《かくご》、たとへ|王女様《わうぢよさま》のお|言葉《ことば》なればとて、|卑怯末練《ひけふみれん》にも|死《し》を|惜《を》しみ、|生《せい》の|執着《しふちやく》に|憧《あこが》れ|給《たま》ふか。|左様《さやう》な|女々《めめ》しき|魂《たましひ》をもつて、よくも|今《いま》まで|左守《さもり》の|職《しよく》が|勤《つと》まりましたな。チツとは|恥《はぢ》を|知《し》りなされ』
と|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|右守《うもり》のサクレンスは、|左守《さもり》の|自殺《じさつ》を|慫慂《しやうよう》してゐる。|彼《かれ》は|十年《じふねん》|以前《いぜん》までは|左守《さもり》のガンヂーが|右守《うもり》として|仕《つか》へてゐた|頃《ころ》、|家令《かれい》に|抜擢《ばつてき》され、|右守《うもり》が|左守《さもり》に|栄進《えいしん》すると|共《とも》に、|自分《じぶん》も|抜擢《ばつてき》されて|右守《うもり》の|重職《ぢうしよく》に|就《つ》いたのである。|今日《こんにち》の|地位《ちゐ》を|得《え》たのは、|全《まつた》く|現左守《げんさもり》の|斡旋《あつせん》によるものであつた。しかるに|心《こころ》|汚《きたな》き|右守《うもり》は、|大恩《だいおん》あるガンヂーを|邪魔物扱《じやまものあつか》ひになし、|今度《こんど》の|失敗《しつぱい》につけ|込《こ》み|左守《さもり》に|詰腹《つめばら》を|切《き》らせ、|自分《じぶん》がとつて|左守《さもり》に|代《かは》り|国政《こくせい》を|自由自在《じいうじざい》に|攪《か》き|乱《みだ》し、|時節《じせつ》を|待《ま》つて|王女《わうぢよ》バンナ|姫《ひめ》に|自分《じぶん》の|弟《おとうと》エールを|娶《めあ》はせ、|吾《わ》が|一族《いちぞく》をもつて|国家《こくか》を|左右《さいう》し、|自分《じぶん》は|外戚《ぐわいせき》となつて|権勢《けんせい》を|天下《てんか》に|輝《かがや》かし、|日頃《ひごろ》の|非望《ひばう》を|達《たつ》せむと|企《くはだ》てたのである。
カラピン|王《わう》は|右守《うもり》のサクレンスに|右《みぎ》のごとき|野心《やしん》あるとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|危機一髪《ききいつぱつ》の|際《さい》、|国家《こくか》を|救《すく》ふは|数多《あまた》の|重臣《ぢうしん》の|中《うち》、この|右守《うもり》の|外《ほか》なしと、ますます|信任《しんにん》の|度《ど》を|厚《あつ》うした。
されども|流石《さすが》に|吾《わ》が|弟《おとうと》のエールを|王位《わうゐ》に|上《のぼ》せ、バンナ|姫《ひめ》と|相並《あひなら》んで|王家《わうけ》を|継《つ》がせ、|万機《ばんき》の|政治《せいぢ》を|総統《そうとう》させる|事《こと》は|口《くち》には|出《だ》し|得《え》なかつた。そこで|彼《かれ》は、ワザとに|次《つぎ》のやうな|事《こと》を|御前会議《ごぜんくわいぎ》の|席《せき》で|喋々喃々《てふてふなんなん》と|喋《しやべ》りたて、|王《わう》をはじめ|重臣《ぢうしん》|共《ども》の|腹《はら》を|探《さぐ》らうとした。
|右《う》『|殿下《でんか》に|申《まを》し|上《あ》げます。「|今日《こんにち》は|国家《こくか》のため|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|言上《ごんじやう》せよ」との|御令旨《ごれいし》、|参考《さんかう》のために、|殿下《でんか》をはじめ|一同《いちどう》の|重役《ぢうやく》|達《たち》にわが|意見《いけん》を|吐露《とろ》いたします。|御採用《ごさいよう》|下《くだ》さらうと、|下《くだ》さるまいと、それは|少《すこ》しも|臣《しん》の|意《い》に|介《かい》するところではございませぬ。つらつら|天下《てんか》の|情勢《じやうせい》を|考《かんが》へまするのに、|世界《せかい》の|王国《わうこく》は|次第々々《しだいしだい》に|倒《たふ》れ、|何《いづ》れも|民衆政治《みんしうせいぢ》、|共和政体《きようわせいたい》と|代《かは》り|行《ゆ》く|現代《げんだい》の|趨勢《すうせい》でございます。|加《くは》ふるに|肝腎要《かんじんかなめ》の|太子《たいし》の|君《きみ》は|平民主義《へいみんしゆぎ》がお|好《す》きでもあり、|常《つね》に|共産主義《きやうさんしゆぎ》を|唱道《しやうだう》されてゐるやうでございます。|開国《かいこく》|以来《いらい》、|十五代《じふごだい》|継続《けいぞく》|遊《あそ》ばしたこの|王家《わうけ》をして|万代不易《ばんだいふえき》の|基礎《きそ》を|固《かた》め、|王家《わうけ》の|繁栄《はんゑい》は|日月《じつげつ》と|共《とも》に|永遠無窮《えいゑんむきう》に、|月《つき》の|国《くに》の|一角《いつかく》に|光《ひか》り|輝《かがや》くべく|日夜《にちや》|祈願《きぐわん》をこらしてゐましたが、|最早《もはや》|今日《こんにち》となつては、どうも|覚束《おぼつか》ないやうな|気分《きぶん》がいたします。|殿下《でんか》を|初《はじ》め|奉《まつ》り、|諸君《しよくん》の|御意見《ごいけん》は|如何《いかが》でございませうかな』
この|意外《いぐわい》なる|言葉《ことば》に|王《わう》を|初《はじ》め|左守《さもり》、その|他《た》の|重臣《ぢうしん》は|水《みづ》を|打《う》つたるごとく|黙然《もくねん》として、|大《おほ》きな|息《いき》さへせなかつた。|暫《しばら》くあつてカラピン|王《わう》は|顔面《がんめん》|筋肉《きんにく》を|緊張《きんちやう》させながら、
『|意外千万《いぐわいせんばん》なる|右守《うもり》が|言葉《ことば》、|天《てん》の|命《めい》を|受《う》けて|君臨《くんりん》したる|我《わ》が|王室《わうしつ》を|廃《はい》し、|共和政治《きようわせいぢ》を|布《し》かうなどとは|不臣不忠《ふしんふちう》の|至《いた》りだ。|右守《うもり》、|汝《なんぢ》も|時代《じだい》の|悪風潮《あくふうてう》に|感染《かんせん》し、|良心《りやうしん》の|基礎《どだい》がぐらつき|出《だ》したと|見《み》える。|左様《さやう》な|精神《せいしん》で、どうして|我《わ》が|国家《こくか》を|支《ささ》へることが|出来《でき》るか。よく|考《かんが》へて|見《み》よ』
この|言葉《ことば》に|並《な》みゐる|老臣等《らうしんたち》はやや|愁眉《しうび》を|開《ひら》き、|一斉《いつせい》に|口《くち》を|揃《そろ》へて|王《わう》の|宣言《せんげん》に|賛意《さんい》を|表《へう》した。|左守《さもり》は|憤然《ふんぜん》として|立《た》ち|上《あが》り|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《うか》べながら、|右守《うもり》の|側《そば》|近《ちか》くニジリ|寄《よ》り|短刀《たんたう》の|柄《つか》に|手《て》をかけ、|声《こゑ》を|慄《ふる》はせながら、
『|汝《なんぢ》|右守《うもり》のサクレンス、|徒《いたづら》に|侫弁《ねいべん》を|揮《ふる》ひ、|表《おもて》に|忠臣義士《ちうしんぎし》を|粧《よそほ》ひ、|心《こころ》に|豺狼《さいらう》の|爪牙《さうが》を|蔵《ざう》する|悪逆無道《あくぎやくぶだう》|不忠不義《ふちうふぎ》の|曲者《くせもの》|奴《め》、|万代不易《ばんだいふえき》の|王政《わうせい》を|撤回《てつくわい》し|共和政体《きようわせいたい》に|変革《へんかく》せむとは|何《なん》の|囈言《たはごと》、|不臣不忠《ふしんふちう》の|至《いた》り、もう|此《こ》の|上《うへ》は|左守《さもり》が|死物狂《しにものぐる》ひ、|汝《なんぢ》が|一命《いちめい》を|断《た》つて|国家《こくか》の|禍根《くわこん》を|絶滅《ぜつめつ》せむ、|覚悟《かくご》いたせ』
と|言《い》ふより|早《はや》く|右守《うもり》に|向《む》かつて|飛《と》びつかむとする。|王女《わうぢよ》のバンナは|又《また》もや|声《こゑ》をかけ、
『|左守《さもり》、しばらく|待《ま》て、|王様《わうさま》の|御前《ごぜん》であらうぞ。|殿中《でんちう》の|刃物三昧《はものざんまい》は|国法《こくはふ》の|厳禁《げんきん》するところ、|血迷《ちまよ》うたか、|狼狽《うろた》へたか。|左守《さもり》、|冷静《れいせい》に|善悪理非《ぜんあくりひ》を|弁《わきま》へよ』
|左守《さもり》は|声《こゑ》を|励《はげ》まして、
『|王女様《わうぢよさま》の|厳命《げんめい》なれども、もとより|不忠不義《ふちゆうふぎ》なるこの|左守《さもり》、|死《し》して|万死《ばんし》の|罪《つみ》を|謝《しや》し|奉《まつ》る。ついては|御法度《ごはつと》を|破《やぶ》る|恐《おそ》れはございませうが、この|右守《うもり》を|残《のこ》しておかば|王家《わうけ》を|亡《ほろ》ぼし|国家《こくか》を|亡《ほろ》ぼす|大逆者《だいぎやくしや》でござれば、|右守《うもり》の|命《いのち》を|絶《た》つ|考《かんが》へでございます。|何卒《なにとぞ》この|儀《ぎ》はお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|又《また》もや|斬《き》つてかかる。|右守《うもり》は|打《う》ち|驚《おどろ》き|松《まつ》の|廊下《らうか》の|師直《もろなほ》よろしく、
『|左守殿《さもりどの》、|殿中《でんちう》でござる |殿中《でんちう》でござる』
と|連呼《れんこ》しながら|彼方此方《かなたこなた》へ|逃《に》げまはる。|重臣《ぢうしん》のハルチンは|加古川本蔵《かこがはほんざう》よろしく、|左守《さもり》の|後《うしろ》よりグツと|強力《がうりき》に|任《まか》せて|抱《だ》きかかへ|羽抱絞《はがいじ》めにしてしまつた。|左守《さもり》は、
『エー、|放《はな》せ、|邪魔《じやま》|召《め》さるな。|王家《わうけ》の|一大事《いちだいじ》だ。|国家《こくか》の|禍根《くわこん》を|払《はら》ふのは|此《この》|時《とき》でござる』
とあせれど|藻掻《もが》けど、|強力《がうりき》のハルチンに|抱《だ》きつかれ、|無念《むねん》の|歯噛《はが》みしながらバタリと|短刀《たんたう》を|床上《しやうじやう》に|落《お》とした。|右守《うもり》はこの|隙《すき》に|乗《じやう》じて|雲《くも》を|霞《かす》みと|卑怯未練《ひけふみれん》にも|逃《に》げ|出《だ》してしまつた。
かく|騒《さわ》ぎの|最中《さいちう》へ|太子《たいし》の|君《きみ》はアリナと|共《とも》に|悠然《いうぜん》として|城門《じやうもん》を|潜《くぐ》つた。|今《いま》や|生命《いのち》からがら|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し、|逃《に》げ|出《だ》して|来《き》た|右守《うもり》のサクレンスは|狼狽《らうばい》のあまり|門口《もんぐち》にてアリナの|胸《むね》にドンとばかりつきあたり、|二人《ふたり》は|共《とも》に|門前《もんぜん》の|階段《かいだん》から、|二三間《にさんげん》ばかり|下《した》の|街道《かいだう》へ|転《ころ》げ|落《お》ちた。|幸《さいは》ひにアリナは|何《なん》の|負傷《ふしやう》もせなかつたが、|右守《うもり》のサクレンスは|脛《すね》を|折《を》りノタノタと|四這《よつば》ひとなり、|生命《いのち》カラガラ|吾《わ》が|家《や》を|指《さ》して|猫《ねこ》に|追《お》はれた|鼠《ねずみ》よろしく|逃《に》げ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 北村隆光録)
第二一章 |針灸思想《しんきうしさう》〔一七二三〕
|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナは、|評議《ひやうぎ》の|結果《けつくわ》|一ケ月《いつかげつ》の|謹慎《きんしん》を|命《めい》ぜられ、|父《ちち》の|館《やかた》に|閉《と》ぢ|籠《こ》められてゐた。|左守司《さもりつかさ》のガンヂーも|別《べつ》に|王《わう》からの|咎《とが》めはなけれども、|殿中《でんちう》を|騒《さわ》がし|右守《うもり》と|刃傷《にんじやう》したその|責任《せきにん》を|負《お》ひ、|自《みづか》ら|門《もん》を|閉《と》ぢ|謹慎《きんしん》を|守《まも》つてゐた。
ガンヂー『オイ|伜《せがれ》、|貴様《きさま》は|何《なん》といふ|不埒《ふらち》な|事《こと》を|致《いた》したのだ。|貴様《きさま》がいつも|太子《たいし》の|君《きみ》を|煽《おだ》て|上《あ》げ、|共産主義《きやうさんしゆぎ》だとか、|人類愛善《じんるいあいぜん》だとか、ハイカラ|的《てき》の|新思想《しんしさう》を|吹《ふ》き|込《こ》むものだから、あんな|御精神《ごせいしん》におなり|遊《あそ》ばされ、|万代不易《ばんだいふえき》の|王統《わうとう》を|継《つ》ぐ|事《こと》をお|嫌《きら》いなされ、|殿内《でんない》を|飛《と》び|出《だ》し、|上《うへ》は|大王殿下《だいわうでんか》を|始《はじ》め|奉《たてまつ》り、この|父《ちち》や|老臣《らうしん》|共《ども》に|心配《しんぱい》をかけ、|上下《じやうげ》を|騒《さわ》がしたその|罪《つみ》はなかなか|浅《あさ》くはないぞ。これから|心《こころ》を|改《あらた》むればよし、|今《いま》までの|料簡《りやうけん》でゐるならば|太子《たいし》のお|側付《そばづき》は|許《ゆる》されない。さうして|吾《わ》が|家《や》にも|置《お》く|事《こと》は|出来《でき》ない。ちつとは|親《おや》の|心《こころ》にもなつて|見《み》てくれ。|王様《わうさま》の|宸襟《しんきん》を|悩《なや》まし|奉《たてまつ》り、|老臣《らうしん》|共《ども》に|心配《しんぱい》をさせ、|殿内《でんない》を|騒《さわ》がしたぢやないか』
アリナ『ハイ、いかにも|父上《ちちうへ》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》り、|大王様《だいわうさま》に|御心配《ごしんぱい》をかけ、|老臣《らうしん》を|驚《おどろ》かせ|殿内《でんない》を|騒《さわ》がしましたのは|事実《じじつ》でございます。しかし|私《わたし》は|同《おな》じ|殿内《でんない》を|騒《さわ》がしても、|父上《ちちうへ》のやうな|刃傷《にんじやう》などの|乱暴《らんばう》は|致《いた》しませぬ。お|父《とう》さま、|私《わたし》に|御意見《ごいけん》|下《くだ》さるのならば、|先《ま》づ|貴方《あなた》のお|尻《しり》を|拭《ぬぐ》ひ、|自分《じぶん》の|顔《かほ》に|留《と》まつた|蜂《はち》を|払《はら》ひ、|真面目《まじめ》になつて|御教訓《ごけうくん》を|願《ねが》ひます。|此《こ》の|親《おや》にして|此《こ》の|子《こ》あり、|親子《おやこ》が|一致《いつち》して、|大王殿下《だいわうでんか》の|宸襟《しんきん》を|悩《なや》まし|奉《たてまつ》り|殿内《でんない》を|騒《さわ》がしたのも、|何《なに》かの|因縁《いんねん》でございませうよ』
『エエ、ツベコベと|訳《わけ》も|知《し》らずに|屁理窟《へりくつ》を|言《い》ふな。お|前《まへ》と|俺《おれ》とは|同《おな》じ|殿内《でんない》を|騒《さわ》がしたにしても|訳《わけ》が|違《ちが》ふのだ。|天地霄壤《てんちせうじやう》、|黒白《こくびやく》、|月鼈《げつべつ》の|差違《さゐ》があるのだ。かれ|右守《うもり》のサクレンス|奴《め》、|王家《わうけ》の|専制政治《せんせいせいぢ》を|廃《はい》し、|共和政治《きようわせいぢ》を|立《た》てやうなどと、|大《だい》それた|国賊的《こくぞくてき》|機略《きりやく》を|弄《ろう》し、|殿下《でんか》の|宸襟《しんきん》を|悩《なや》ませ|奉《たてまつ》つたによつて、|俺《おれ》は|命《いのち》を|的《まと》に|奸賊《かんぞく》を|誅伐《ちうばつ》せむと|彼《か》れ|右守《うもり》に|斬《き》りつけたのだ。|貴様《きさま》のやうに、|大切《たいせつ》な|太子《たいし》に|種々《いろいろ》のハイカラ|的《てき》|思想《しさう》を|注入《ちうにふ》し、|太子《たいし》の|精神《せいしん》を|惑乱《わくらん》し、|遂《つひ》には|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》を|惹起《じやくき》せむとするやうな|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|行為《かうゐ》とは|比《くら》べものにならぬのだ。|確《しつか》りと|性念《しやうねん》を|据《す》ゑて|父《ちち》の|言葉《ことば》を|聞《き》いたらよからうぞ。|大王様《だいわうさま》は|金枝玉葉《きんしぎよくえふ》の|御身《おんみ》をもつて、|汝《なんぢ》|一人《ひとり》の|為《ため》に|有《あ》るにあられぬ|御苦心《ごくしん》|遊《あそ》ばしてござるのだ。その|伜《せがれ》の|父《ちち》たるこのガンヂーが、どうしてノメノメと|生《い》きてをられやうか。お|前《まへ》がどうしても|悔《く》い|改《あらた》めて、|太子《たいし》の|御心《みこころ》を|翻《ひるがへ》さぬにおいては、もはやこの|父《ちち》は|自害《じがい》して|申《まを》し|訳《わけ》を|立《た》てねばならぬ|羽目《はめ》となつてゐるのだ。|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|極悪人《ごくあくにん》とは|貴様《きさま》の|事《こと》だ。どうしてまアこんな|極悪人《ごくあくにん》が|俺《おれ》の|胤《たね》から|生《うま》れたものだらうなア』
『アハハハハ、お|父《とう》さま|好《よ》く|自分《じぶん》の|今《いま》までの|行動《かうどう》を|顧《かへり》みて|御覧《ごらん》なさい。さう、|堂々《だうだう》と|私《わたし》に|向《む》かつて、|御意見《ごいけん》は|出来《でき》ますまい。お|父《とう》さまは|私《わたし》が|幼年《えうねん》の|時《とき》までは、|右守《うもり》の|司《かみ》と|仕《つか》へてゐらつしやつたのでせう。その|時《とき》に|忠誠無比《ちうせいむひ》のシャカンナといふ|左守《さもり》の|司様《かみさま》が|国政《こくせい》を|料理《れうり》してござつたでせう。|亡《な》くなられた|王妃様《わうひさま》は|悪魔《あくま》に|魅《み》いられ、|日《ひ》に|夜《よ》に|残虐性《ざんぎやくせい》が|募《つの》り、|遂《つひ》には|無辜《むこ》の|民《たみ》を|虐《しひた》げ、|憐《あは》れなる|妊婦《にんぷ》の|腹《はら》を|割《さ》いて|胎児《たいじ》を|剔《え》ぐり|出《だ》し、|丸煮《まるに》にして|食膳《しよくぜん》に|上《のぼ》せ|舌皷《したつづみ》を|打《う》つてござつたにも|拘《かかは》らず、|死《し》を|決《けつ》して|直諫《ちよくかん》し|奉《たてまつ》る|事《こと》も|知《し》らず、|却《かへ》つて|王妃《わうひ》に|媚《こ》び|諂《へつら》ひ、|残忍性《ざんにんせい》をしてますます|増長《ぞうちやう》せしめられたぢやございませぬか。|国民《こくみん》の|怨嗟《ゑんさ》の|白羽《しらは》の|矢《や》が|王妃《わうひ》の|狩《かり》の|遊《あそ》びの|砌《みぎり》、|天《てん》の|一方《いつぱう》より|飛《と》び|来《き》たつて|王妃《わうひ》の|額《ひたひ》を|射《い》ぬきその|場《ば》で|絶命《ぜつめい》し、|国民《こくみん》は|是《これ》を|聞《き》いて|却《かへ》つて|喜《よろこ》んで|密《ひそ》かに|祝賀会《しゆくがくわい》を|開《ひら》いた|事《こと》があるぢやございませぬか。それほど|国民《こくみん》の|怨嗟《ゑんさ》の|的《まと》となつてゐる|王妃《わうひ》を|嗾《そその》かした|上《うへ》、|大王様《だいわうさま》にまでいろいろの|悪《わる》い|知恵《ちゑ》を|吹《ふ》き|込《こ》み……|天誅《てんちう》の|白羽《しらは》の|矢《や》を|左守《さもり》の|部下《ぶか》が|射放《いはな》つたものだ……などと|無実《むじつ》の|罪《つみ》を|着《き》せ、|大王《だいわう》の|手《て》をかつて|左守《さもり》の|妻《つま》ハリスタ|姫《ひめ》を|斬《き》り|殺《ころ》し、なほ|飽《あ》き|足《た》らず|左守《さもり》の|命《いのち》を|取《と》らむとして|果《はた》さず、|遂《つひ》に|自分《じぶん》が|取《と》つて|代《かは》つてしやあしやあ|然《ぜん》として|左守《さもり》の|職《しよく》につかれたぢやありませぬか。それさへあるに|左守家《さもりけ》の|巨万《きよまん》の|財産《ざいさん》を|全部《ぜんぶ》|没収《ぼつしう》し、|自分《じぶん》が|国民《こくみん》に|信用《しんよう》を|繋《つな》がんがために|頭《あたま》の|揉《も》めない、|腹《はら》の|痛《いた》まない、かれの|財産《ざいさん》を|国民《こくみん》に|与《あた》へ、|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》り、|悪行《あくかう》を|遂行《すゐかう》した|極重悪人《ごくぢうあくにん》ぢやございませぬか。お|父《とう》さまのためにシャカンナは|可憐《かれん》な|娘《むすめ》と|共《とも》に|天下漂浪《てんかへうらう》の|旅《たび》に|出《い》で、|今《いま》にその|行方《ゆくへ》さへ|知《し》れないといふぢやありませぬか。あなたの|前《まへ》にては|誰《たれ》も|彼《かれ》も|阿諛諂侫《あゆてんねい》|追従《つゐしよう》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りを|尽《つく》し、お|髯《ひげ》の|塵《ちり》を|払《はら》はむとする|役人《やくにん》ばかりでございますが、|彼等《かれら》は|面従腹背《めんじうふくはい》、|蔭《かげ》では、いづれも|後《うし》ろ|向《む》いては|舌《した》を|出《だ》し、|言葉《ことば》を|極《きは》めてお|父《とう》さまの|悪逆無道《あくぎやくぶだう》を|罵《ののし》り、かつ|憎《にく》んでをりますよ。タラハン|国《ごく》が|今日《こんにち》のごとく|乱《みだ》れかかつて|来《き》たのも|皆《みな》、お|父《とう》さまの|責任《せきにん》ですよ。|圧制《あつせい》と|強圧《きやうあつ》と|専制《せんせい》に|便利《べんり》な|時代不相応《じだいふさうおう》の|法律《はふりつ》を|作《つく》り、|軍隊《ぐんたい》や|警察《けいさつ》や|監獄《かんごく》の|力《ちから》で、|今《いま》までお|父《とう》さまは|国民《こくみん》の|頭《あたま》を|抑《おさ》へつけ、|思想《しさう》を|圧迫《あつぱく》し、あらむ|限《かぎ》りの|吾儘勝手《わがままかつて》を|振舞《ふるま》つて|来《き》たぢやありませぬか。お|父《とう》さまの|悪徳《あくとく》が|子供《こども》に|報《むく》いて|遂《つひ》に|累《わづらひ》を|王家《わうけ》に|及《およ》ぼし、|今日《こんにち》の|悲惨《ひさん》の|有様《ありさま》になつたのぢやございませぬか。お|父《とう》さまこそ|私《わたし》の|意見《いけん》を|聞《き》いて|翻然《ほんぜん》と|悔《く》い、|忠誠《ちうせい》の|赤心《まごころ》と|愛善《あいぜん》の|行《おこな》ひに|立《た》ちかへつてもらひたいものです。|私《わたし》はお|父《とう》さまの|口《くち》から|御意見《ごいけん》を|聞《き》くのは、ちやうど|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》が|擦鉦《すりがね》を|叩《たた》いて|念仏《ねんぶつ》を|唱《とな》へてゐるやうで|滑稽《こつけい》でたまりませぬわ。いやむしろ|抱腹絶倒《はうふくぜつたう》の|至《いた》りでございます、アハハハハ』
『これや|伜《せがれ》、|何《なん》といふ|口巾《くちはば》の|広《ひろ》い|事《こと》を|申《まを》すか。かりそめにも|子《こ》として|父《ちち》の|行為《かうゐ》を|云々《うんぬん》し、くだらぬ|意見口《いけんぐち》を|叩《たた》くといふ|事《こと》は、|天地転倒《てんちてんたう》も|甚《はなは》だしいではないか。「|親《おや》と|主人《しゆじん》は|無理《むり》を|言《い》ふものと|思《おも》へ」との|格言《かくげん》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるか。|何《なん》というても|親父《おやぢ》ぢやないか。|善悪正邪《ぜんあくせいじや》にかかはらず、|親《おや》に|反抗《はんかう》する|奴《やつ》は|天下《てんか》の|不孝者《ふかうもの》だ。|貴様《きさま》も|最早《もはや》|十八《じふはち》、ちつとは|孝行《かうかう》といふ|事《こと》を|知《し》れ。いな|忠義《ちうぎ》の|道《みち》を|弁《わきま》へねばなるまいぞ』
『お|父《とう》さま、|貴方《あなた》は|親《おや》といふ|名《な》の|下《もと》に|私《わたし》を|圧迫《あつぱく》するのですか。|吾《わ》が|子《こ》になればどんな|無理難題《むりなんだい》を|吹《ふ》きかけても、それで|道理《だうり》が|立《た》つと|思《おも》ひますか。そんな|古《ふる》い|道徳主義《だうとくしゆぎ》は|三百年《さんびやくねん》も|過去《くわこ》の|事《こと》ですよ。こんな|流義《りうぎ》で|国政《こくせい》に|当《あた》られては、|数多《あまた》の|役人《やくにん》や|国民《こくみん》どもの|迷惑《めいわく》が|思《おも》ひやられます。|私《わたし》はお|父《とう》さまの|所謂《いはゆる》、|不孝者《ふかうもの》、|不忠者《ふちうもの》になりたうございます。「|大孝《だいかう》は|不孝《ふかう》に|似《に》たり。|大忠《だいちう》は|大逆《だいぎやく》に|似《に》たり」と|古《いにしへ》の|聖人《せいじん》も|言《い》つたぢやございませぬか。|大義親《たいぎしん》を|滅《めつ》するとかいふ|諺《ことわざ》もございます。|私《わたし》は|大義明分《たいぎめいぶん》のためには|親《おや》を|捨《す》てます。|何時《いつ》までもその|精神《せいしん》をお|変《か》へ|下《くだ》さらぬ|以上《いじやう》は、|親《おや》でも|無《な》ければ|子《こ》でもありませぬ。|私《わたし》の|方《はう》から|貴方《あなた》に|向《む》かつて|勘当《かんだう》をいたしますよ』
『これ|伜《せがれ》、|言《い》はしておけば|何処《どこ》までもつけ|上《あが》り|親《おや》を|親《おや》とも|思《おも》はぬその|暴言《ばうげん》、|手打《てう》ちに|致《いた》してくれるぞ』
『お|父《とう》さま、よいかげんに|血迷《ちまよ》つておきなさいませ。|何《なに》を|狼狽《らうばい》してをられるのです。アリナの|身体《からだ》は|最早《もはや》|貴方《あなた》の|自由《じいう》にはなりませぬ。|私《わたし》の|身体《からだ》は|太子様《たいしさま》の|杖柱《つゑはしら》とお|頼《たの》み|遊《あそ》ばす、タラハン|城《じやう》に|無《な》くてはならない|国宝《こくはう》ですよ。もしお|手打《てう》ちに|遊《あそ》ばす|御所存《ごしよぞん》ならば、|大王殿下《だいわうでんか》および|太子殿下《たいしでんか》のお|許《ゆる》しを|得《え》た|上《うへ》になさいませ。|太子殿下《たいしでんか》の|寵臣《ちようしん》を、|何《なに》ほど|左守《さもり》だつて|自由《じいう》にする|事《こと》は|出来《でき》ますまい。それこそ|貴方《あなた》は|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|大逆賊《だいぎやくぞく》となるでせう』
『|不忠不義《ふちゆうふぎ》とは|何《なん》たる|暴言《ばうげん》ぞ。|貴様《きさま》こそ|万代不易《ばんだいふえき》の|王家《わうけ》を|覆《くつが》へさむとする|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|曲者《くせもの》だ。|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|逆賊《ぎやくぞく》だ。|共産主義《きやうさんしゆぎ》や|平民主義《へいみんしゆぎ》を|太子殿下《たいしでんか》に|日夜《にちや》|吹《ふ》き|込《こ》んだ|売国奴《ばいこくど》め、|黙言《だまり》おろう』
『お|父《とう》さま、|天帝《てんてい》より|賦与《ふよ》された|私《わたし》の|言論機関《げんろんきくわん》を|行使《かうし》するのは、|私《わたし》の|自由《じいう》の|権利《けんり》でございます。|今日《こんにち》の|不完全《ふくわんぜん》|極《きは》まる|貴方《あなた》の|作《つく》つた|法律《はふりつ》でさへも、|言論《げんろん》|集会《しふくわい》の|自由《じいう》を|認《みと》めてゐるぢやございませぬか。|左様《さやう》な|解《わか》らぬ|事《こと》をおつしやいましては、|耄碌爺《まうろくおやぢ》といはれても|弁解《べんかい》の|辞《じ》はありますまい。|矛盾混沌《むじゆんこんとん》、|自家撞着《じかどうちやく》もここに|至《いた》つて|極《きは》まれりといふべしです。あなたは|一体《いつたい》|個人《こじん》の|人格《じんかく》を|無視《むし》せむとしてゐられますが、|国民《こくみん》としても、|個人《こじん》としてもその|個性《こせい》を|十分《じふぶん》|発達《はつたつ》させ、|天地《てんち》の|分霊《わけみたま》としての|働《はたら》きを|十二分《じふにぶん》に|発揮《はつき》させ、その|自由《じいう》の|権《けん》を|十分《じふぶん》|行使《かうし》させねばならぬぢやありませぬか。それだのに、あなたは|圧迫《あつぱく》や|威喝《ゐかつ》をもつて|之《これ》を|妨《さまた》げむとするのは、|時代《じだい》に|疎《うと》い|癲狂痴呆者《てんきやうちはうしや》といはねばなりますまい』
『お|前《まへ》は|年《とし》が|若《わか》いから|政治《せいぢ》の|枢機《すうき》に|参加《さんか》した|事《こと》がないから、|左様《さやう》な|小理窟《こりくつ》をこねるのだ。しかしながら|理論《りろん》と|実際《じつさい》とは|大《おほ》いに|違《ちが》ふものだ。|今《いま》|頃《ごろ》の|政治家《せいぢか》を|見《み》よ、|野《や》にある|時《とき》は|時《とき》の|政府《せいふ》の|施設《しせつ》に|対《たい》し、どうのかうのと|極力《きよくりよく》|反対《はんたい》を|試《こころ》み、|民衆《みんしう》を|煽《おだ》て|上《あ》げ|遂《つひ》に|政府《せいふ》を|乗《の》つ|取《と》り、さて|国政《こくせい》を|執《と》つてみると|俄然《がぜん》と|調子《てうし》が|変《かは》つてきて、|野《や》にあつて|咆哮《はうかう》した|主義《しゆぎ》|主張《しゆちやう》もケロリと|捨《す》て、いな|放擲《はうてき》せなくてはならぬやうになるものだ。それだから|世《よ》の|中《なか》は|議論《ぎろん》と|実際《じつさい》とは|大《おほ》いに|径庭《けいてい》のあるものだ。その|間《かん》の|消息《せうそく》も|知《し》らずに|青二才《あをにさい》の|分際《ぶんざい》として、|小田《をだ》の|蛙《かわづ》の|鳴《な》くやうにゴタゴタいうても|納《をさ》まらないぞ。|総《すべ》て|政治《せいぢ》の|秘訣《ひけつ》は|圧迫《あつぱく》に|限《かぎ》るのだ』
『どこまでもお|父《とう》さまは|解《わか》らないのですな。|理窟《りくつ》はどんなにでもつくものですよ。|専制《せんせい》と|圧迫《あつぱく》を|唯一《ゆゐいつ》の|武器《ぶき》として|治《をさ》めてゐたスラブはどうです。チヤイナはどうですか。|既《すで》に|已《すで》に|滅亡《めつぼう》したではありませぬか。|世界各国《せかいかくこく》|競《きそ》うて|共和主義《きようわしゆぎ》をもつて|治国《ちこく》の|主義《しゆぎ》となし、|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|王政《わうせい》が|亡《ほろ》びてゆく|趨勢《すうせい》を|見《み》ても、|時代《じだい》の|潮流《てうりう》は|共和主義《きようわしゆぎ》に|向《む》かつて、|急速力《きふそくりよく》を|以《も》つて|進《すす》んでゐるぢやありませぬか、|個人《こじん》|個人《こじん》を|無視《むし》するやうで、どうして|国家《こくか》を|治《をさ》める|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|賢明《けんめい》なる|太子殿下《たいしでんか》は|早《はや》くもこの|点《てん》に|気付《きづ》かれ、|王位《わうゐ》を|去《さ》つて|庶民《しよみん》となり、|個人《こじん》として、|人間《にんげん》らしい|生活《せいくわつ》をやつてみたいと|望《のぞ》んでゐらつしやるのですよ。もうお|父《とう》さま、あなたも|好《よ》い|加減《かげん》に|骸骨《がいこつ》をお|乞《こ》ひなさい。あなたが|一日《いちにち》|国政《こくせい》を|料理《れうり》さるればさるるだけ、それだけ|国家《こくか》は|滅亡《めつぼう》に|向《む》かふのです。|国民《こくみん》の|多《おほ》くは……|頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|左守《さもり》が、|一日《いちにち》も|早《はや》くこの|世《よ》を|去《さ》れば、|一日《いちにち》だけ|国家《こくか》の|利益《りえき》だ……と|言《い》うてをりますよ』
『お|前《まへ》は|個人《こじん》|個人《こじん》というて|盛《さか》んに|個人主義《こじんしゆぎ》をまくし|立《た》てるが、|個人主義《こじんしゆぎ》が|発達《はつたつ》すればするほど|専制政治《せんせいせいぢ》が|必要《ひつえう》ぢやないか。|完全《くわんぜん》なる|個人主義《こじんしゆぎ》が|発達《はつたつ》し、|生活《せいくわつ》し|得《う》る|力《ちから》が|出来《でき》たところで、ほんの|小《ち》つぽけな|砂《すな》のやうなものだ。|二十万《にじふまん》の|国民《こくみん》が、|二十万粒《にじふまんつぶ》の|砂《すな》になつたやうなものだ。|個々別々《ここべつべつ》になつた|砂《すな》は|何《なに》ほど|堅固《けんご》でも|団結力《だんけつりよく》はあるまい。|個人《こじん》としてはよからうが、|国家《こくか》および|団体《だんたい》としては|実《じつ》につまらぬものぢや。そこで、カラピン|王家《わうけ》といふ|大《おほ》きな|革袋《かはぶくろ》が|必要《ひつえう》なのだ。この|革袋《かはぶくろ》に|二十万粒《にじふまんりう》の|砂《すな》を|入《い》れ|袋《ふくろ》の|口《くち》を|固《かた》く|縛《しば》り、|横槌《よこづち》などで|強《つよ》く|叩《たた》きつけてこそ|初《はじ》めて|一《ひと》つの|国家団体《こくかだんたい》が|固《かた》まるのぢやないか。|革包《かはつつみ》の|破《やぶ》れた|袋《ふくろ》はいはゆる|支離滅裂《しりめつれつ》|何《なん》の|力《ちから》もない。それを|貴様《きさま》は|破《やぶ》らうとする|極重悪人《ごくぢうあくにん》だ。|賢明《けんめい》なる|殿下《でんか》のそれくらゐの|道理《だうり》のお|解《わか》りにならない|筈《はず》はないのだが、|貴様《きさま》が|常《つね》に|悪《わる》い|思想《しさう》を|吹《ふ》き|込《こ》むものだから、あのやうな|悪《わる》い|精神《せいしん》におなりなされたのだ。いはば|貴様《きさま》はタラハン|国《ごく》を|覆《くつが》へす|悪魔《あくま》の|張本《ちやうほん》だ。アアもう|仕方《しかた》がない。|死《し》ぬにも|死《し》なれず、|伜《せがれ》は|何《なに》ほど|説《と》き|聞《き》かしても|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》にして|時代《じだい》を|解《かい》せず、|政治《せいぢ》を|知《し》らず、|何《なん》とした|苦《くる》しい|立場《たちば》であらう』
『お|父様《とうさま》、|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|今日《こんにち》の|境遇《きやうぐう》、|私《わたし》も|同情《どうじやう》いたしますが、しかしながら|心《こころ》の|持《も》ちやう|一《ひと》つでございますよ。ちつと|郊外《かうぐわい》の|散歩《さんぽ》でもして、|天地《てんち》の|芸術《げいじゆつ》を|御覧《ごらん》なさいませ、さうすれば|些《ちつ》とは|胸《むね》も|開《ひら》けて|新《あたら》しい|思想《しさう》が|生《うま》れて|来《く》るでせう』
|左守《さもり》は|青息吐息《あをいきといき》しながら、
『アアアアとやせむ|角《かく》や|線香《せんかう》の|煙《けむり》となつて、タラハンの|国家《こくか》は|滅《ほろ》ぶのかなア』
(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 加藤明子録)
第二二章 |憧憬《どうけい》の|美《び》〔一七二四〕
|太子《たいし》は|吾《わ》が|館《やかた》の|奥《おく》|深《ふか》く|潜《ひそ》みながら、スバール|姫《ひめ》の|画姿《ゑすがた》を|床《とこ》の|間《ま》に|掛《か》け、|朝夕《あさゆふ》|天真《てんしん》の|美貌《びばう》に|憧憬《どうけい》し、|思《おも》ひを|遠《とほ》く|朝倉谷《あさくらだに》の|賤《しづ》が|伏家《ふせや》に|通《かよ》はせてゐた。|寵臣《ちようしん》のアリナは|三十日《さんじふにち》の|監禁《かんきん》を|命《めい》ぜられ、|話相手《はなしあいて》もなく、|実《じつ》に|淋《さび》しき|思《おも》ひに|悩《なや》んでゐたが、スバール|嬢《ぢやう》の|画姿《ゑすがた》を|見《み》ては、|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|炎《ほのほ》を|消《け》してゐた。
『しかし|今日《けふ》は|最早《もはや》アリナが|赦《ゆる》されて|自由《じいう》の|身《み》となる|当日《たうじつ》だ。|彼《かれ》も|会《あ》ひたいだらう。|自分《じぶん》も|早《はや》くアリナに|会《あ》ひたいものだ』
と|独《ひと》り|語《ご》ちつつ、|憂愁《いうしう》に|沈《しづ》んでゐる。そこへ|重臣《ぢうしん》のハルチンは|恐《おそ》る|恐《おそ》る|罷《まか》り|出《い》で、
『|太子殿下《たいしでんか》には|相変《あひかは》らせられず、|御壮健《ごさうけん》なる|神顔《しんがん》を|拝《はい》し|奉《たてまつ》り、ハルチン|身《み》に|取《と》り|恐悦至極《きようえつしごく》に|存《ぞん》じます』
|太子《たいし》『ヤア、そなたはハルチンか。|先日《せんじつ》|殿内《でんない》において|大椿事《だいちんじ》|突発《とつぱつ》の|際《さい》、そなたは|危険《きけん》を|冒《をか》して|左守《さもり》を|抱《だ》きとめ、|右守《うもり》の|難《なん》を|救《すく》つたとかいふ|事《こと》、|実《じつ》に|神妙《しんめう》の|至《いた》りだ。|近《ちか》く|寄《よ》つて|何《なに》か|面白《おもしろ》い|快活《くわいくわつ》な|話《はなし》を|聞《き》かしてくれないか』
ハル『ハイ|恐《おそ》れ|入《い》り|奉《たてまつ》ります。|微臣《びしん》は|微臣《びしん》として|尽《つく》すべき|道《みち》を|尽《つく》したまででございますから、お|褒《ほ》めの|言葉《ことば》をいただいては|汗顔《かんがん》の|至《いた》りに|堪《た》へませぬ。|一度《いちど》|御伺《おんうかが》ひ|申《まを》し|上《あ》げたいと|存《ぞん》じましたが、あまり|恐《おそ》れ|多《おほ》いと|存《ぞん》じまして、|今日《けふ》まで|控《ひか》えてをりました。|殿下《でんか》には|左守《さもり》の|伜《せがれ》アリナを|殊《こと》の|外《ほか》|御寵愛《ごちようあい》|遊《あそ》ばされ、|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、お|側《そば》に|侍《はべ》らせ|玉《たま》ひ、|誠《まこと》に|結構《けつこう》|至極《しごく》の|至《いた》りにござりますが、しかしながら|一人《ひとり》の|家来《けらい》ばかりを|御信用《ごしんよう》なさいますと、|大変《たいへん》な|過《あやま》ちが|出来《でき》まするから、そこは|賢明《けんめい》なる|殿下《でんか》の|御聖慮《ごせいりよ》をもつて、|他《た》の|臣下《しんか》をもどうかお|近《ちか》よせ|下《くだ》さいまするやう、お|願《ねが》ひ|申《まを》し|上《あ》げまする』
『アハハハハ、|沢山《たくさん》な|臣下《しんか》はウヨウヨとしてゐるが、|余《よ》の|気《き》に|入《い》る|人間《にんげん》らしい|臣下《しんか》がないので、やむを|得《え》ず|淋《さび》しいながらも、アリナを|近付《ちかづ》けてゐるのだ。お|前《まへ》はアリナの|人物《じんぶつ》を|何《なん》と|思《おも》うてゐるか。|忌憚《きたん》なく|余《よ》の|前《まへ》に|感想《かんさう》を|吐露《とろ》しろ』
『ハイ、|殿下《でんか》の|御寵臣《ごちようしん》を|彼《か》れ|此《こ》れ|申《まを》し|上《あ》げまするは、|臣下《しんか》の|身分《みぶん》として|恐懼《きようく》に|堪《た》へませぬ。どうか|之《これ》ばかりはお|赦《ゆる》し|願《ねが》ひたいものでございます』
『ナニ、そんな|躊躇《ちうちよ》が|要《い》るものか。お|前《まへ》の|思《おも》つてるだけの|事《こと》をいつてみてくれ。|余《よ》もアリナの|行動《かうどう》に|対《たい》し、そなたの|意見《いけん》を|聞《き》いて、|不都合《ふつがふ》と|認《みと》めた|時《とき》は、|今後《こんご》の|出入《でいり》を|差《さ》しとめるつもりだから』
『ハイ、さすがは|御賢明《ごけんめい》なる|太子様《たいしさま》、それでこそタラハンの|国家《こくか》は|万代不易《ばんだいふえき》、|微臣《びしん》の|私《わたし》も|旱天《かんてん》に|雨《あめ》を|得《え》たるごとく、|喜《よろこ》びに|堪《た》へませぬ。|然《しか》らば|申《まを》し|上《あ》げますが、かれアリナは|父《ちち》にも|似合《にあ》はぬ|生意気《なまいき》な|男《をとこ》で、|何事《なにごと》も|文化《ぶんくわ》|文化《ぶんくわ》と|申《まを》して|新《あたら》しがり、|国家《こくか》の|基礎《きそ》が|危《あや》ふくならうが、|王家《わうけ》がどうならうがチツともかまはない|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|悪魔《あくま》でございます。|殿下《でんか》が|何時《いつ》までも|彼《かれ》がごとき|者《もの》を|近《ちか》よせ、|御信用《ごしんよう》|遊《あそ》ばしては、|王家《わうけ》のため、|国家《こくか》のため、|一大事《いちだいじ》が|突発《とつぱつ》せないとも|限《かぎ》りますまい。どうか|賢明《けんめい》なる|聖慮《せいりよ》に|見直《みなほ》し|下《くだ》さいまして、|臣《しん》が|言葉《ことば》も|少《すこ》しは|御採用《ごさいよう》|下《くだ》されませ。|王家《わうけ》のため、|国家《こくか》のため、|已《や》むを|得《え》ず|死《し》を|決《けつ》して、このハルチンは|殿下《でんか》のお|怒《いか》りを|存《ぞん》じながら|直諫《ちよくかん》に|参《まゐ》りました』
|太《たい》『ウーム、さうか、アリナといふ|奴《やつ》、それほどお|前《まへ》の|目《め》から|悪人《あくにん》と|見《み》えるかのう。|時代《じだい》に|目醒《めざ》めた|新《あたら》しき|主義《しゆぎ》を|唱《とな》へる|者《もの》が、|王家《わうけ》|国家《こくか》を|亡《ほろ》ぼすとは、チツと|受取《うけと》れぬではないか。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|今《いま》までのごとく、|強圧的《きやうあつてき》|専制的《せんせいてき》|方法《はうはふ》をもつて|人民《じんみん》を|治《をさ》めることは|出来《でき》ないよ。|時代《じだい》に|順応《じゆんおう》してそれ|相当《さうたう》の|政治《せいぢ》を|行《おこな》はねば、かへつて|国家《こくか》は|危《あや》ふいだらう』
『|殿下《でんか》の|御令旨《ごれいし》、ご|尤《もつと》もではございますが、|大王殿下《だいわうでんか》の|御心配《ごしんぱい》も、|重臣《ぢうしん》|一同《いちどう》の|徹夜《てつや》の|煩悶《はんもん》も、|元《もと》を|糺《ただ》せば、かれ|青二才《あをにさい》が|殿下《でんか》に|媚《こ》びへつらひ、|尊貴《そんき》の|御身《おんみ》をば|恐《おそ》れ|多《おほ》くも、|猛獣《まうじう》|猛《たけ》る|山野《さんや》におびき|出《だ》し|奉《たてまつ》り、いろいろの|苦労《くらう》をさせましたからでございます。かかる|不忠不義《ふちゆうふぎ》の|逆臣《ぎやくしん》を、お|側《そば》|近《ちか》くおよせなさつては、お|為《ため》になりますまい。どうぞ|之《これ》ばかりはお|考《かんが》へを|願《ねが》ひたいもので、ございます』
『アア|父上《ちちうへ》といひ、|左守《さもり》、|右守《うもり》といひ、お|前《まへ》といひ、よくもマア|亡国《ばうこく》の|因虫《いんちう》がタラハン|城《じやう》にはびこつたものだのう。イヤ|余《よ》は|左様《さやう》な|言葉《ことば》は|聞《き》きたくない。それよりもお|前《まへ》は|左守《さもり》、|右守《うもり》の|頑迷連《ぐわんめいれん》に|盲従《まうじう》して、|国家《こくか》|滅亡《めつぼう》のために|精々《せいぜい》|力《ちから》を|尽《つく》すがよからうぞ』
『これはまた、|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》とも|覚《おぼ》えませぬ。|国家《こくか》|滅亡《めつぼう》のために|力《ちから》を|尽《つく》せよとは、|臣下《しんか》の|心胸《しんきよう》をお|察《さつ》し|下《くだ》さらぬのにも、|程《ほど》があるぢやござりませぬか。|私《わたし》は|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》を|耳《みみ》にしてお|怨《うら》み|申《まを》します』
『ハハハ、お|恨《うら》み|申《まを》すのは|相身互《あひみたが》ひだ。|余《よ》は|国家《こくか》を|泰山《たいざん》の|安《やす》きにおき、|国民《こくみん》をして|平和《へいわ》な|幸福《かうふく》な|生活《せいくわつ》を|送《おく》らしめ、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》を|移《うつ》さむがため、|昼夜《ちうや》|肝胆《かんたん》を|砕《くだ》いてゐるのだ。|何《いづ》れの|臣下《しんか》も|権勢《けんせい》に|阿《おもね》り、|富貴《ふうき》に|媚《こ》び、|自己《じこ》の|名利栄達《めいりえいたつ》のみに|全心《ぜんしん》を|傾注《けいちう》し、|王家《わうけ》のため、|国家《こくか》のためと、|表面《へうめん》|立派《りつぱ》に|唱《とな》へながら、その|内心《ないしん》をエッキス|光線《くわうせん》に|照《て》らしてみれば、|何《いづ》れも|自己愛《じこあい》の|外《ほか》に|何物《なにもの》もない。|実《じつ》にかかる|臣下《しんか》を|持《も》つて、|政治《せいぢ》をとられてゐるタラハン|国家《こくか》は、|危《あや》ふい|哉《かな》である。|余《よ》は|一人《いちにん》も|知己《ちき》もなく、|師匠《ししやう》もない。|日夜《にちや》|寂寥《せきれう》の|空気《くうき》に|身辺《しんぺん》を|包《つつ》まれ、|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|淵《ふち》に|漂《ただよ》うてゐるのだ。|諺《ことわざ》にも……|溺《おぼ》れ|死《し》せむとする|者《もの》は、|一茎《いつけい》の|藁《わら》にも|縋《すが》る……とかや、|吾《わ》が|心中《しんちう》を|洞察《どうさつ》した|左守《さもり》の|一子《いつし》アリナのみを|唯一《ゆゐいつ》の|友《とも》となし、|力《ちから》となして、どうか|国家《こくか》を|未倒《みたう》に|救《すく》はむと、|昼夜《ちうや》|焦慮《せうりよ》してゐるのだ。アリナを|排斥《はいせき》するのは|即《すなは》ち|余《よ》を|排斥《はいせき》するも|同然《どうぜん》だ。|余《よ》を|苦《くる》しめたく|思《おも》はば、アリナを|汝等《なんぢら》|重役《ぢうやく》どもが|鳩首《きうしゆ》|凝議《ぎようぎ》して、|如何《いか》なる|圧迫《あつぱく》なりと、|排斥《はいせき》なりと|加《くは》へたが|可《よ》からう』
『|殿下《でんか》には|重臣《ぢうしん》の|中《うち》において、|一人《いちにん》も|真《しん》に|王家《わうけ》を|思《おも》ひ|国家《こくか》を|愛《あい》する|者《もの》はなく、|何《いづ》れも|自己愛《じこあい》の|奴隷《どれい》のやうに|仰《おほ》せられましたが、それはあまり|殺生《せつしやう》と|申《まを》すもの。|王家《わうけ》を|思《おも》ひ、|国家《こくか》の|前途《ぜんと》を|憂《うれ》ふればこそ、|吾々《われわれ》|臣下《しんか》どもは、|夜《よ》の|目《め》も|寝《ね》ずに|心《こころ》を|痛《いた》めてゐるのではございませぬか。|少《すこ》しは|御推量《ごすゐりやう》を|願《ねが》はしく|存《ぞん》じます』
『お|前《まへ》|達《たち》の|王家《わうけ》|国家《こくか》を|思《おも》ふといふのは、|要《えう》するに|自己保護《じこほご》の|為《ため》だ。|何者《なにもの》かの|外敵《ぐわいてき》に|我《わ》が|国《くに》を|亡《ほろ》ぼされ、|王家《わうけ》も|共《とも》にスラブのやうに|亡《ほろ》んだ|時《とき》は、ただ|一人《いちにん》|余《よ》が|身辺《しんぺん》を|保護《ほご》する|者《もの》はあるまい。|細々《こまごま》ながらも、|国《くに》の|主《あるぢ》、|王族《わうぞく》として|君臨《くんりん》してゐるのだから、お|前《まへ》|達《たち》も|王家《わうけ》を|利用《りよう》して|種々《いろいろ》の|便宜《べんぎ》を|得《う》るためだらう。|王家《わうけ》の|亡《ほろ》ぶのは|即《すなは》ち|汝等《なんぢら》の|亡《ほろ》ぶのだ。それだから、|王家《わうけ》だ、|国家《こくか》だと、|忠義面《ちうぎづら》して|騒《さわ》いでゐるのだ。アハハハハ』
かかるところへ、アリナは|三十日《さんじふにち》の|監禁《かんきん》を|赦《ゆる》され、|意気《いき》|揚々《やうやう》として|案内《あんない》もなく、|太子《たいし》の|居間《ゐま》へ|這入《はい》つて|来《き》た。|太子《たいし》は|見《み》るより、
『ヤ、アリナか、よう|来《き》てくれた。|三十日《さんじふにち》の|監禁《かんきん》もずゐぶん|困《こま》つただらうね』
アリナは|両手《りやうて》をつきながら、
『|殿下《でんか》には|何時《いつ》も|変《かは》らせられず、|御壮健《ごさうけん》なお|顔《かほ》を|拝《はい》し、|歓喜《くわんき》にたへませぬ。|三十日《さんじふにち》の|間《あひだ》|監禁《かんきん》され、|親《した》しく|父《ちち》と|意見《いけん》の|交換《かうくわん》をする|便宜《べんぎ》を|得《え》まして、|大変《たいへん》|好都合《かうつがふ》でございました。さすが|頑迷固陋《ぐわんめいころう》の|父《ちち》も|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、やうやく|時勢《じせい》に|目《め》が|醒《さ》め、|殿下《でんか》の|御心中《ごしんちう》を|察《さつ》し|参《まゐ》らせ、|今後《こんご》は|何事《なにごと》も|殿下《でんか》のなさる|事《こと》については、|容喙《ようかい》しないと|誓《ちか》ひましてございます』
|太《たい》『ハハハハ、さうか、そりやお|手柄《てがら》だつた。マア|結構々々《けつこうけつこう》、|今《いま》ここに|一人《ひとり》の|頑迷屋《ぐわんめいや》がやつて|来《き》てな、いろいろと|下《くだ》らぬ|事《こと》を|言《い》つてくれるので、|実《じつ》ア|困《こま》つてゐたところだ。しかしながら|此《この》ハルチンはお|前《まへ》の|父《ちち》が|殿中《でんちう》で|騒《さわ》いだ|時《とき》、|後《うし》ろからだきとめて、|大事《だいじ》を|防《ふせ》いだ|殊勲者《しゆくんしや》だから、お|前《まへ》も|褒《ほ》めてやらねばなるまいぞ』
アリ『ヤ、ハルチン|様《さま》、お|久《ひさ》し|振《ぶ》りでございます。|先日《せんじつ》は|父《ちち》が、|大変《たいへん》な|御厄介《ごやつかい》になつたさうです。お|蔭《かげ》さまで、|大事《だいじ》を|未然《みぜん》に|防《ふせ》ぎ、|右守《うもり》の|司《つかさ》も、|惜《を》しい|命《いのち》を|救《すく》はれたといふもの、|右守《うもり》は|貴宅《きたく》へお|礼《れい》に|上《あが》つたでせうな』
|太《たい》『|余《よ》が|山野《さんや》の|遊《あそ》びから|帰《かへ》つて|来《き》た|時《とき》、|右守《うもり》は|血相《けつさう》を|変《か》へて、|表門《おもてもん》へ|飛《と》び|出《だ》す|際《さい》、アリナにつき|当《あた》り、|階段《かいだん》から|転《ころ》げ|落《お》ち|脛《すね》をくぢいて、はふはふの|体《てい》で|帰《かへ》つた|時《とき》は、ずゐぶん|気《き》の|毒《どく》だつた。|一度《いちど》|見舞《みまひ》に|誰《たれ》かを|遣《つか》はしたいのだけれど、|余《よ》もあまり|心《こころ》が|塞《ふさ》いでゐたので、つい|手遅《ておく》れしたのだ。オイ、ハルチン、お|前《まへ》は|右守《うもり》の|司《つかさ》に|会《あ》うたら、|余《よ》が|宜《よろ》しくいつてゐたと|伝《つた》へてくれ』
ハル『ハイ、|仁慈《じんじ》の|籠《こも》つた|殿下《でんか》のお|言葉《ことば》、|右守《うもり》の|司《つかさ》も、さぞ|喜《よろこ》ばれるでございませう。|時《とき》にアリナさま、|今《いま》|承《うけたまは》れば、お|父上《ちちうへ》は|殿下《でんか》の|御心《みこころ》に|従《したが》ふ、|何事《なにごと》も|干渉《かんせう》はせないと|仰有《おつしや》つたやうでございますが、それは|実際《じつさい》でございますか』
アリ『|実際《じつさい》も|実際《じつさい》、|極真面目《ごくまじめ》に|言《い》つてゐましたよ。その|代《かは》り、|三十日《さんじふにち》の|間《あひだ》、|僕《ぼく》もずゐぶん|舌《した》の|根《ね》がただれるところまで|奮闘《ふんとう》しました。さすがの|頑固爺《ぐわんこおやぢ》も、たうとう|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで、|少《すこ》しばかり|霊《みたま》の|錆《さび》が|除《と》れ、|黎明《れいめい》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めたやうです。|親爺《おやぢ》が|第一《だいいち》|改心《かいしん》してくれないと、タラハンの|国家《こくか》が|持《も》てないですからなア』
ハル『ア、|左様《さやう》でございますか。|左守《さもり》の|司様《つかささま》がお|考《かんが》へは|日月《じつげつ》の|光明《くわうみやう》も|同様《どうやう》でございます。|然《しか》らば|私《わたし》もこれから|殿下《でんか》の|御意志《ごいし》に|服従《ふくじう》いたしますれば、なにとぞ|今《いま》までの|御無礼《ごぶれい》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|権勢《けんせい》に|媚《こ》びへつらひ、|自己《じこ》の|栄達《えいたつ》のみを|念《ねん》としてゐるハルチンは、|如才《じよさい》のない|事《こと》を|言《い》つてゐる。
|太《たい》『ハハハ|今《いま》まで|余《よ》を|殿下《でんか》|殿下《でんか》と|尊敬《そんけい》してゐたが、|今《いま》のハルチンの|言葉《ことば》の|端《はし》から|考《かんが》へてみると、|余《よ》に|対《たい》しては|絶対《ぜつたい》|信用《しんよう》をおいてゐなかつたのだなア。それがハルチンの|偽《いつは》らざる|告白《こくはく》だらう。|否《いな》ハルチンのみならず、|一般《いつぱん》の|重臣《ぢうしん》どもは|同《おな》じ|考《かんが》へを|持《も》つてゐたのだらう。それだから|余《よ》は|気《き》に|入《い》らなかつたのだ。ハルチンも|如才《じよさい》のない|男《をとこ》だのう。|余《よ》はアリナに|相談《さうだん》があるから、また|今度《こんど》|会《あ》はう、|速《すみ》やかに|帰《かへ》つてくれ』
ハル『ハイ、|御意《ぎよい》に|従《したが》ひ|罷《まか》り|下《さが》るでございませう。|何分《なにぶん》にも|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|米搗《こめつ》き|螽斯《ばつた》よろしく、この|場《ば》を|辞《じ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
|太《たい》『アハハハ、|到頭《たうとう》、|偽善者《きぜんしや》が|一人《ひとり》、|退却《たいきやく》しよつた。サアこれから|余《よ》とお|前《まへ》と|水入《みづい》らずだ。|何《なに》か|面白《おもしろ》い|感想《かんさう》はないかな』
アリ『ハイ、|別《べつ》に|変《かは》つた|感想《かんさう》も|浮《うか》びませぬが、あの|頑固爺《ぐわんこおやぢ》|奴《め》、|何《なん》といつても|目《め》が|醒《さ》めないのです。|頑固党《ぐわんこたう》のハルチンが|御前《ごぜん》に|控《ひか》へてをりましたので、ワザとにあんな|事《こと》|言《い》つて|気《き》を|引《ひ》いてみたのでございます。なかなか|何《ど》うして|何《ど》うして、|頑固爺《ぐわんこおやぢ》の|頭《あたま》は|駄目《だめ》でございますよ』
『アハハハ、お|前《まへ》も|面白《おもしろ》い|芸当《げいたう》をうつ|男《をとこ》だな。ハルチンが|掌《てのひら》を|返《かへ》したやうに|賛成《さんせい》した|時《とき》の|可笑《をか》しさ。|余《よ》も|大《おほ》いに|人情《にんじやう》の|機微《きび》について|研究《けんきう》をしたよ。|時《とき》にアリナ、この|画像《ぐわざう》を|見《み》よ。|何時《いつ》もこの|掛物《かけもの》から|浮出《うきだ》して|来《き》て|余《よ》にものを|言《い》ふやうだ。お|前《まへ》が|監禁中《かんきんちう》はこの|画像《ぐわざう》を|唯一《ゆゐいつ》の|伴侶《はんりよ》として、|煩悶《はんもん》の|焔《ほのほ》を|消《け》してゐたのだ。|実《じつ》に|麗《うるは》しいものぢやないか』
『|殿下《でんか》、それほどスバール|嬢《ぢやう》がお|気《き》に|召《め》しましたか』
『ウン、ズツと|気《き》に|入《い》つた。|寝《ね》ても|醒《さ》めてもスバール|嬢《ぢやう》の|姿《すがた》が|吾《わ》が|目《め》にちらつき、|恥《は》づかしながら、|硬骨無情《かうこつむじやう》の|余《よ》も|恋《こひ》といふ|曲者《くせもの》に|捉《とら》はれたやうだ。|何《なに》ほど|画姿《ゑすがた》をみてゐても、|殿下《でんか》とも|何《なん》とも|言《い》つてくれない。|何《なん》とかしてモ|一度《いちど》|実物《じつぶつ》に|会《あ》つてみたいものだが、この|頃《ごろ》の|厳重《げんぢう》な|警戒線《けいかいせん》は|到底《たうてい》|破《やぶ》る|事《こと》は|出来《でき》まい。こればかりが|実《じつ》は|煩悶《はんもん》の|種《たね》だ。|察《さつ》してくれ』
『|殿下《でんか》、それほどまで|思召《おぼしめ》しますなら、|私《わたし》が|彼《か》れシャカンナを|説《と》き|伏《ふ》せ、スバール|姫《ひめ》をタラハン|市《し》まで、|迎《むか》へて|来《き》ませうか』
『さうして|貰《もら》へば|有難《ありがた》いが、しかし|何《ど》うして|殿中《でんちう》へ|入《い》れることが|出来《でき》やうぞ』
『たうてい|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|殿中《でんちう》へお|呼《よ》び|寄《よ》せになることはチツと|困難《こんなん》でございませうが、|日頃《ひごろ》|殿中《でんちう》へお|出入《でいり》を|致《いた》す、|生花《いけばな》の|宗匠《そうしやう》タールチンを、|黄金《わうごん》の|轡《くつわ》をはめて|買収《ばいしう》し、|彼《かれ》が|離室《はなれ》にスバール|嬢様《ぢやうさま》をかくまはせ、|隙《すき》を|窺《うかが》つて|殿中《でんちう》を|脱《ぬ》け|出《い》だし、|時々《ときどき》お|会《あ》ひ|遊《あそ》ばして、お|楽《たの》しみなされては|如何《いかが》でございませうか』
『そんならよきに|取計《とりはか》らつてくれ。どうにもかうにも、|余《よ》は|堪《た》へ|切《き》れなくなつて|来《き》たのだ』
『キツと|目的《もくてき》を|達《たつ》して|帰《かへ》ります。どうか|凱旋《がいせん》の|時《とき》をお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 松村真澄録)
(昭和一〇・六・二三 王仁校正)
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霊界物語 第六七巻 山河草木 午の巻
終り