霊界物語 第六六巻 山河草木 巳の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六十六巻』天声社
1971(昭和46)年04月18日 第二刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年11月16日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |月《つき》の|高原《かうげん》
第一章 |暁《あかつき》の|空《そら》〔一六八三〕
第二章 |祖先《そせん》の|恵《めぐ》み〔一六八四〕
第三章 |酒浮気《さけいうけい》〔一六八五〕
第四章 |里庄《りしやう》の|悩《なやみ》〔一六八六〕
第五章 |愁雲退散《しううんたいさん》〔一六八七〕
第六章 |神軍義兵《しんぐんぎへい》〔一六八八〕
第二篇 |容怪変化《ようくわいへんげ》
第七章 |女白浪《をんなしらなみ》〔一六八九〕
第八章 |神乎魔乎《かみかまか》〔一六九〇〕
第九章 |谷底《たにぞこ》の|宴《えん》〔一六九一〕
第一〇章 |八百長劇《やほちやうげき》〔一六九二〕
第一一章 |亞魔《あま》の|河《かは》〔一六九三〕
第三篇 |異燭獣虚《いしよくじうきよ》
第一二章 |恋《こひ》の|暗路《やみぢ》〔一六九四〕
第一三章 |恋《こひ》の|懸嘴《かけはし》〔一六九五〕
第一四章 |相生松風《あひおひまつかぜ》〔一六九六〕
第一五章 |喰《く》ひ|違《ちが》ひ〔一六九七〕
第四篇 |恋連愛曖《れんれんあいあい》
第一六章 |恋《こひ》の|夢路《ゆめぢ》〔一六九八〕
第一七章 |縁馬《えんば》の|別《わかれ》〔一六九九〕
第一八章 |魔神《まがみ》の|囁《ささやき》〔一七〇〇〕
第一九章 |女《をんな》の|度胸《どきよう》〔一七〇一〕
第二〇章 |真鬼姉妹《まきじまい》〔一七〇二〕
あとがき
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|序文《じよぶん》
|霊界物語《れいかいものがたり》もいよいよ|六十八巻《ろくじふはちくわん》となりました。|昨年《さくねん》|六月《ろくぐわつ》|以来《いらい》|口述《こうじゆつ》を|中止《ちうし》し、エスペラントの|輸入《ゆにふ》や、|紅卍字会《こうまんじくわい》との|提携《ていけい》などにて|閑暇《かんか》を|得《え》ず、とんで|本年《ほんねん》|一月《いちぐわつ》、|静養《せいやう》のため、|道後温泉《だうごをんせん》に|遊《あそ》び、その|際《さい》|六十六巻《ろくじふろくくわん》(編者註・発行は六十九巻)を|編述《へんじゆつ》したきり、|本年《ほんねん》|十二月《じふにぐわつ》|一日《いちじつ》まで|口述《こうじゆつ》を|中止《ちうし》してゐたのです。|同《どう》|一日《いちにち》より|物語《ものがたり》|六十七巻《ろくじふしちくわん》(編者註・発行は特別編)として|蒙古入《もうこいり》の|真相《しんさう》を|口述《こうじゆつ》|編纂《へんさん》し、|次《つ》いで|十五《じふご》、|十六《じふろく》、|十七《じふしち》の|三日間《みつかかん》を|費《つひ》やして、|漸《やうや》く|六十八巻《ろくじふはちくわん》に|当《あた》る|山河草木《さんかさうもく》|未《ひつじ》の|巻《まき》を|口述《こうじゆつ》し|了《を》へました。この|十八日《じふはちにち》といふ|日数《につすう》は|弥勒《みろく》の|証兆《しようてう》であつて、|本物語《ほんものがたり》|口述《こうじゆつ》|最初《さいしよ》の|日《ひ》に|相当《さうたう》します。|出来得《できう》べくんば、|旧本年中《きうほんねんぢう》に|山河草木《さんかさうもく》|全部《ぜんぶ》を|完成《くわんせい》したい|考《かんが》へであります。
|本巻《ほんくわん》よりは|照国別《てるくにわけ》のいよいよ|活動《くわつどう》となり、やや|軍事的《ぐんじてき》|趣味《しゆみ》を|帯《お》ぶることとなりました。|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》が|軍事《ぐんじ》に|関《くわん》する|行動《かうどう》を|執《と》るのは、|少《すこ》しく|矛盾《むじゆん》のやうに|考《かんが》へる|人《ひと》もあらうかと|思《おも》ひますが、|混沌《こんとん》たる|社会《しやくわい》においては、ある|場合《ばあひ》には|武力《ぶりよく》を|用《もち》ふるの|止《や》むなき|場合《ばあひ》もあります。|三千世界《さんぜんせかい》の|父母《ふぼ》ともいふべき|阿弥陀如来《あみだによらい》でさへも、|慈悲《じひ》を|以《もつ》て|本体《ほんたい》としながら、|右《みぎ》の|手《て》にて|折伏《しやくぶく》の|剣《けん》を|有《も》ち、|左手《ゆんで》には|摂受《せつじゆ》の|玉《たま》を|抱《かか》へて、|衆生済度《しゆじやうさいど》の|本願《ほんぐわん》を|達《たつ》せむとしてゐるのです。|回々教《フイフイけう》の|教祖《けうそ》マホメットも|右手《めて》に|剣《つるぎ》を|持《も》ち、|左手《ゆんで》に|経典《コーラン》を|抱《かか》へて、アラビヤ|広原《くわうげん》に|精神的《せいしんてき》|王国《わうこく》を|建設《けんせつ》した|事《こと》を|思《おも》へば、|人智《じんち》|未開《みかい》の|時代《じだい》においては、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》といへども|軍事《ぐんじ》に|関係《くわんけい》せないわけには|行《ゆ》かないでせう。|読者《どくしや》はこの|間《かん》の|消息《せうそく》を|推知《すゐち》して|神《かみ》の|意《い》の|在《あ》るところを|諒解《りやうかい》せられむことを|希望《きばう》します。
大正十三年十二月十八日   於教主殿
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》はフサの|国《くに》|葵《あふひ》の|沼《ぬま》の|畔《ほとり》にて、|斎苑《いそ》の|館《やかた》より|派遣《はけん》されたる、|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》が、|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》の|両宣伝使《りやうせんでんし》と|袂《たもと》を|左右《さいう》に|別《わか》つてから、|照国別《てるくにわけ》はバラモン|軍《ぐん》の|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》が|後《あと》を|追《お》うて、|地教山《ちけうざん》|方面《はうめん》に|向《む》かふところの|物語《ものがたり》であります。
|特《とく》に|本巻《ほんくわん》|記載《きさい》の|事実《じじつ》を|摘記《てつき》すれば、|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》が、タライの|村《むら》の|老婆《らうば》が|家《いへ》に|至《いた》り、|瀕死《ひんし》の|状態《じやうたい》にあるサンヨを|救《すく》ひ、かつ|二人《ふたり》の|娘《むすめ》の|家出《いへで》せし|消息《せうそく》を|聞《き》いて、|従者《じうしや》なる|梅公《うめこう》が|義侠心《ぎけふしん》を|発露《はつろ》させ、|次《つ》いで|同《おな》じ|村《むら》の|里庄《りしやう》ジャンクの|一人娘《ひとりむすめ》や、|隣村《となりむら》のサンダーといふ|美男子《びだんし》の|行方《ゆくへ》を|捜索《そうさく》し|救《すく》ひ|出《だ》さむとする|一条《いちでう》から、|国王《こくわう》の|命《めい》に|依《よ》りて、トルマン|国《ごく》の|首府《しゆふ》バルガン|城《じやう》を|守《まも》るべく|義勇軍《ぎゆうぐん》を|起《おこ》し、ジャンク|並《なら》びに|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》は|馬《うま》に|跨《また》がり、|大広原《だいくわうげん》を|進《すす》み|行《ゆ》く|目《め》ざましい|場面《ばめん》や、|梅公《うめこう》がただ|一人《ひとり》|列《れつ》を|放《はな》れてオーラ|山《さん》に|向《む》かふ|途中《とちう》、ゆくりなくもサンヨの|妹娘《いもとむすめ》|花香《はなか》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|二人《ふたり》|同《おな》じ|駿馬《しゆんめ》に|跨《また》がり、|宝石《はうせき》を|縷《ちりば》めたやうな|星《ほし》の|空《そら》を、|男女《だんぢよ》|二人《ふたり》が|誰《たれ》|憚《はばか》らず|甘《あま》い|囁《ささや》きを|恣《ほしいまま》にしながら、オーラ|山《さん》に|進《すす》む|歯《は》のうくようなローマンスや、|山賊《さんぞく》の|大頭目《だいとうもく》ヨリコ|姫《ひめ》の|岩窟《がんくつ》に|突入《とつにふ》し、|詐術《さじゆつ》をもつて|人《ひと》を|迷《まよ》はせゐたる|大杉《おほすぎ》の|上《うへ》の|怪《あや》しき|光《ひかり》を|吹消《ふきけ》し、|天狗《てんぐ》の|仮声《こわいろ》を|使《つか》つて、シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》などの|悪党《あくたう》どもの|肝《きも》を|奪《うば》ひし|所《ところ》へ、|大胆不敵《だいたんふてき》なる|女頭目《をんなとうもく》ヨリコ|姫《ひめ》がやつて|来《き》て、|樹上《じゆじやう》に|梅公《うめこう》や|花香《はなか》のゐることを|看破《かんぱ》し、|繩梯子《なはばしご》の|結《むす》び|目《め》をといて、|二人《ふたり》を|地上《ちじやう》に|転落《てんらく》させ、|隙《すき》を|窺《うかが》つて|二人《ふたり》を|厳《きび》しく|縛《ばく》し、|岩窟内《がんくつない》に|投《な》げこむ|一条《いちでう》や、サンダー、スガコの|両人《りやうにん》と|同岩窟内《どうがんくつない》で|思《おも》はず|面会《めんくわい》する|奇縁《きえん》から、つひにはヨリコ|姫《ひめ》、|花香姫《はなかひめ》|姉妹《きやうだい》の|名乗《なの》りをなすなどの|波瀾重畳《はらんちようでふ》たる|面白《おもしろ》き|物語《ものがたり》であります。その|間《かん》には|種々雑多《しゆじゆざつた》の|世情《せじやう》|人情《にんじやう》|等《とう》が|織《お》りこまれ、|処世上《しよせいじやう》の|羅針盤《らしんばん》として、|強《あなが》ち|無価値《むかち》でないことを|信《しん》じます。
大正十三年十二月十八日(旧十一月二十二日)   於教主殿
第一篇 |月《つき》の|高原《かうげん》
第一章 |暁《あかつき》の|空《そら》〔一六八三〕
|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》  |泥《どろ》にまみれし|現世《うつしよ》を
|洗《あら》ひ|清《きよ》むる|瑞御霊《みづみたま》  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|堅磐常磐《かきはときは》に|鎮《しづ》まれる  ウブスナ|山《やま》の|大霊場《だいれいぢやう》
|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|神柱《かむばしら》  |八島《やしま》の|主《ぬし》の|命《めい》を|受《う》け
|此《この》|世《よ》の|運命《うんめい》|月《つき》の|国《くに》  ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》を|三五《あななひ》の  |誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて
|世界《せかい》の|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》を  |来《き》たさむ|為《ため》の|宣伝使《せんでんし》
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》も|照国《てるくに》の  |別命《わけのみこと》は|国公《くにこう》や
|梅公《うめこう》|照公《てるこう》ともなひて  |荒風《あらかぜ》すさぶ|河鹿山《かじかやま》
|霜《しも》にふるへる|冬木立《ふゆこだち》  |神《かみ》の|使命《しめい》を|畏《かしこ》みて
スタスタ|登《のぼ》り|下《くだ》りつつ  |数多《あまた》の|敵《てき》の|屯《たむろ》せる
|難所《なんしよ》を|漸《やうや》く|突破《とつぱ》して  |水底《みなそこ》までも|澄《す》み|渡《わた》る
|葵《あふひ》の|沼《ぬま》の|月影《つきかげ》も  |清照姫《きよてるひめ》や|黄金姫《わうごんひめ》の
|教司《をしへつかさ》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ  ここに|袂《たもと》を|別《わか》ちつつ
|神《かみ》の|依《よ》さしの|宣伝歌《せんでんか》  |声《こゑ》も|涼《すず》しく|唄《うた》ひつつ
|東南《ひがしみなみ》を|指《さ》して|行《ゆ》く  |月日《つきひ》|重《かさ》ねて|漸《やうや》くに
デカタン|国《こく》の|高原地《かうげんち》  タライの|村《むら》の|棒鼻《ぼうばな》の
|茶屋《ちやや》の|表《おもて》に|着《つ》きにけり。
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》、|葵《あふひ》の|沼《ぬま》もずゐぶん|広《ひろ》いものですな。|清照姫《きよてるひめ》|様《さま》、|黄金姫《わうごんひめ》|様《さま》にお|別《わか》れしてから、|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほ》ひで、|人造《じんざう》テクシーに|乗《の》つて、ずゐぶん|駆《か》け|出《だ》したつもりですが、たうとう|夜《よ》が|明《あ》けたぢやありませぬか。|速力《そくりよく》といひ、|時間《じかん》から|考《かんが》へて|見《み》れば、まづ|二十里《にじふり》は|確《たし》かに|突破《とつぱ》したでせう。その|間《あひだ》は|一方《いつぱう》は|湖面《こめん》の|月《つき》、|一方《いつぱう》は|茫々《ばうばう》たる|原野《げんや》、|人家《じんか》も|無《な》く、|時々《ときどき》|怪獣《くわいじう》の|逃《に》げ|出《だ》す|音《おと》に|驚《おどろ》かされ、やツと|此処《ここ》で|人家《じんか》を|見《み》つけ、|休息《きうそく》しやうとすれば、どの|家《いへ》もこの|家《いへ》も|戸《と》を|締《し》めて|静《しづ》まり|返《かへ》つてゐるぢやありませぬか』
|照国《てるくに》『ウン、|旭《あさひ》のガンガンとお|照《て》り|遊《あそ》ばすのに、|気楽《きらく》な|所《ところ》と|見《み》えるわい。|茫漠《ばうばく》たる|原野《げんや》に|人口《じんこう》|稀薄《きはく》と|来《き》てゐるのだから、|生存競争《せいぞんきやうそう》だとか、|生活難《せいくわつなん》だとかいふ|忌《い》まはしい|騒《さわ》ぎも|起《おこ》らず、|太平《たいへい》の|夢《ゆめ》を|貪《むさぼ》つてゐるこの|国人《くにびと》は、|実《じつ》に|羨《うらや》ましいぢやないか』
『しかし|先生《せんせい》、|私《わたくし》の|考《かんが》へでは|各戸《かくこ》|戸締《とじ》めをして|静《しづ》まり|返《かへ》つてゐるのは、あなたの|仰有《おつしや》る|太平《たいへい》の|夢《ゆめ》ぢやありますまい。コレ|御覧《ごらん》なさい、ここには|血汐《ちしほ》が|流《なが》れてをります。この|血《ち》は|決《けつ》して|犬《いぬ》や|豚《ぶた》の|血《ち》ぢやありますまい。|大足別《おほだるわけ》の|部下《ぶか》が|人民《じんみん》を|殺害《さつがい》したり、いろいろの|兇悪《きやうあく》な|事《こと》を|行《や》つた|記念《きねん》ではありますまいか。|私《わたくし》の|考《かんが》へでは、|人民《じんみん》が|恐《おそ》れて|戸《と》をしめて、|息《いき》を|殺《ころ》してゐるのだらうと|思《おも》ひますがな』
『|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》がどうやら|此処《ここ》を|通過《つうくわ》したらしいから、あるひは|掠奪《りやくだつ》、|強盗《がうたう》、|強姦《がうかん》、|殺戮《さつりく》など、あらゆる|悪業《あくごふ》をやりよつたかも|知《し》れないなア。|実《じつ》にバラモン|軍《ぐん》といふ|奴《やつ》は|乱暴《らんばう》な|代物《しろもの》だ、ともかく|此《こ》の|家《いへ》を|叩《たた》き|起《おこ》して|様子《やうす》を|聞《き》いてみようぢやないか』
『|何《なん》だか|私《わたくし》は|体内《たいない》の|憤怒《ふんぬ》といふ|怪物《くわいぶつ》が|頭《あたま》をもたげ|出《だ》し、|胸中《きようちう》いささか|不穏《ふおん》になつて|来《き》ました。ヒヨツとしたら、この|家《いへ》の|中《なか》にはバラモンの|頭株《かしらかぶ》が|潜伏《せんぷく》してるのではありますまいか。|里人《さとびと》は|已《すで》にすでに|家《いへ》を|捨《す》てて|逃《に》げ|去《さ》り、その|後《あと》へバラモンの|奴《やつ》、ぬつけりこと|住《す》み|込《こ》んで、|吾々《われわれ》を|騙《だま》し|討《う》ちする|計画《けいくわく》かも|知《し》れませぬぜ』
『ともかく、|戸《と》を|叩《たた》いて|呼《よ》び|起《おこ》し、|内部《ないぶ》の|秘密《ひみつ》を|調査《てうさ》してみようぢやないか』
『オイ、|照《てる》さま、|君《きみ》は|何《なに》をふさぎ|込《こ》んでゐるのだ。こんな|所《ところ》でへこたれて|何《ど》うするのだい。これからが|千騎一騎《せんきいつき》の|性念場《しやうねんば》だぞ。|神軍《しんぐん》の|勇士《ゆうし》が、その|青《あを》ざめた|面《つら》は|何《なん》だい』
|照公《てるこう》『|別《べつ》に|欝《ふさ》ぎ|込《こ》んでゐるのぢやない』
|梅公《うめこう》『そんなら|何《なん》だ。|心《こころ》の|戸締《とじ》めをやつて、この|家《いへ》の|主人《しゆじん》のごとく、|家《いへ》の|隅《すま》くたで|慄《ふる》うてゐるのだらう。|何時《いつ》も|偉《えら》さうに|云《い》つてゐる|刹那心《せつなしん》はどこで|紛失《ふんしつ》してしまつたのだ』
『まづこの|家《いへ》を|開《あ》けて|見給《みたま》へ、|誰《たれ》も|居《ゐ》ないだらう。|人間《にんげん》の|住《す》んでゐる|家《いへ》は|屋根《やね》の|棟《むね》を|見《み》ても|活々《いきいき》してゐる。ここはキツと|空家《あきや》だよ』
『|馬鹿《ばか》いふな、|何《なに》ほど|不景気《ふけいき》でも|家賃《やちん》が|高《たか》くつても、かう|五軒《ごけん》も|六軒《ろくけん》も|空家《あきや》が|並《なら》ぶ|道理《だうり》がない。また|空家《あきや》なれば、はすかいピシヤンがありさうなものだ。|斜《はす》かい|紙《がみ》の|貼《は》つてないとこを|見《み》れば、|人《ひと》がゐるに|定《きま》つてゐるワ』
『|斜《はす》かひピシヤンつて、|何《なん》の|事《こと》だい』
|梅公《うめこう》『ハハハハハ|世情《せじやう》に|通《つう》じない|坊《ぼ》んさまだなア。|斜《はす》かいピシヤンといふことは、|白《しろ》い|紙《かみ》に|貸家《かしや》と|書《か》いて、|戸《と》をピシヤンと|締《し》め、それを|斜交《はすか》ひに|貼《は》ることだ。それのしてない|所《ところ》はキツと|人《ひと》がゐるのだ。ともかく|戸《と》を|叩《たた》いてやらうかい。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、その|救世主《きうせいしゆ》のお|使《つかひ》が|門《かど》に|立《た》つてゐるのに、|心《こころ》の|盲《めくら》、|心《こころ》の|聾《つんぼ》は|門《もん》を|開《ひら》いて|迎《むか》へ|入《い》れ|奉《たてまつ》り|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》とを|味《あぢ》はふことを|知《し》らないものだ』
と|言《い》ひながら、ドンドンドンと|拳《こぶし》を|固《かた》めて、メツタやたらに、|戸《と》の|破《わ》れるほど|叩《たた》きつけた。|幾《いく》ら|打《う》つても|叩《たた》いても、|鼠《ねずみ》の|声《こゑ》|一《ひと》つ|聞《きこ》えてこない。
|梅公《うめこう》『どうも|不思議《ふしぎ》だなア。|不在《るす》の|中《うち》へ|無理《むり》に|這入《はい》れば|空巣狙《あきすねら》ひと|誤解《ごかい》されるなり、|又《また》たとへ|人《ひと》が|居《を》つてもお|入《はい》りなさいと|言《い》はない|限《かぎ》りは、|家宅侵入罪《かたくしんにふざい》となるなり、コリヤ|断念《だんねん》して、どつか|外《ほか》の|家《うち》へ|行《い》つて|休息《きうそく》することにしよう。|先生《せんせい》、さう|願《ねが》つたら|何《ど》うでせうか』
|照国《てるくに》『ウン、お|前《まへ》のいふのも|一応《いちおう》|尤《もつと》もだが、|思《おも》ひ|切《き》つて|戸《と》を|叩《たた》き|破《わ》つてでも|這入《はい》らうぢやないか』
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》の|御命令《ごめいれい》とあればやつつけませう』
と|無理《むり》に|戸《と》を|引《ひ》き|開《あ》け、|屋内《をくない》に|三人《さんにん》は|進《すす》み|入《い》つた。|見《み》ればあまり|広《ひろ》からぬ|座敷《ざしき》の|隅《すみ》に、|雁字《がんじ》がらめに|縛《くく》られ、|額口《ひたひぐち》から|血《ち》を|出《だ》して、|虫《むし》の|息《いき》になつた|老婆《らうば》が|一人《ひとり》|横《よこ》たはつてゐる。
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》、ヤツパリ|空家《あきや》ではありませぬワ。|可哀《かあい》さうにこんな|老人《としより》が、しかも|眉間《みけん》に|傷《きず》をうけ、|雁字搦《がんじがら》めにくくられてゐるではありませぬか。この|婆《ばあ》さまを|助《たす》けて、|事情《じじやう》を|聞《き》きませうか』
|照国《てるくに》『アアともかく|神様《かみさま》にお|願《ねが》ひしよう。サアお|前《まへ》|達《たち》も|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》しよう』
「ハイ|畏《かしこ》まりました」と|梅《うめ》、|照《てる》の|両人《りやうにん》は|音吐《おとと》|朗々《らうらう》として|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|数回《すうくわい》|繰《く》り|返《かへ》した。|老婆《らうば》は|初《はじ》めて|気《き》のついたかの|如《ごと》く、|秋《あき》の|虫《むし》の|霜《しも》に|悩《なや》みしごとき|細《ほそ》き|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて、
『|何《いづ》れの|方《かた》かは|知《し》りませぬが、よくマアお|助《たす》け|下《くだ》さいました。どうぞ、お|慈悲《じひ》にこの|縄《なは》を|解《と》いて|下《くだ》さいませ』
|梅公《うめこう》『お|前《まへ》が|頼《たの》まなくても|助《たす》けに|来《き》たのだ』
と|言《い》ひながら、|短刀《たんたう》を|取《と》り|出《だ》し|縄目《なはめ》をプツと|切《き》つて、
『サアサアお|婆《ばあ》さま、|安心《あんしん》なさい。モウ|吾々《われわれ》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|虎《とら》でも|狼《おほかみ》でも|獅子《しし》でも|恐《おそ》るるに|足《た》らない。ここにゐられる|先生《せんせい》は|照国別《てるくにわけ》といつて、|神力無双《しんりきむそう》の|勇士《ゆうし》だよ。これには|何《なに》か|深《ふか》い|理由《わけ》があるだらう。|一度《いちど》|話《はな》して|下《くだ》さらぬか』
|老婆《らうば》『ハイ|有難《ありがた》うございます。|喉《のど》が|渇《かわ》いてをりますから、|恐《おそ》れながら|水《みづ》|一杯《いつぱい》いただけますまいか』
|梅公《うめこう》『ヨシヨシ|水《みづ》は|無代《ただ》だ。お|前《まへ》が|青息吐息《あをいきといき》をついてる|九死一生《きうしいつしやう》の|場合《ばあひ》を、|葵《あふひ》の|沼《ぬま》で|無料《むれう》で|購入《こうにふ》して|来《き》た|水筒《すゐとう》の|水《みづ》、サアサア|遠慮《ゑんりよ》はいらぬ、|幾《いく》らなつと|呑《の》|見《み》なさい。|一杯《いつぱい》で|足《た》りなけりや、|若《わか》い|者《もの》の|足《あし》だ、|幾《いく》らでも|汲《く》んで|来《き》てやらう』
と|水筒《すゐとう》を|老婆《らうば》の|口《くち》にあてた。|老婆《らうば》は|飢《う》え|渇《かわ》いた|餓鬼《がき》のごとく、クツクツと|喉《のど》を|鳴《な》らし、|瞬《またた》く|間《ま》に|水筒《すゐとう》を|空《から》にしてしまつた。
|梅公《うめこう》『これがいはゆる|命《いのち》の|清水《しみづ》だ、|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|御利益《ごりやく》だ。|婆《ばあ》さま、しつかりしなさいや』
|老婆《らうば》『ハイ|有難《ありがた》うございます。あなたに|頂《いただ》いたこの|清水《しみづ》、|五臓六腑《ござうろつぷ》に|浸《し》みわたり、|体中《からだぢう》が|活々《いきいき》として|参《まゐ》りました。そして|俄《には》かに|温《あたた》かくなつて|参《まゐ》りました。|有難《ありがた》うございます』
|照公《てるこう》『|時《とき》に|梅公《うめこう》、このお|婆《ばあ》さまの|額口《ひたひぐち》にはエライ|傷《きず》が|出来《でき》てるぢやないか。この|傷《きず》をば|直《なほ》してやらなくちやならうまい』
|梅公《うめこう》『オイ|照《てる》さま、お|土《つち》だ お|土《つち》だ』
|照公《てるこう》は「なるほど」とうなづきながら、|表《おもて》へ|駈《か》け|出《だ》し、|一握《ひとにぎ》りの|黄色《きいろ》い|真土《まつち》を|取《と》つて|来《き》て、|婆《ばあ》さまの|疵口《きづぐち》に|塗《ぬ》り、|繃帯《ほうたい》で|鉢巻《はちまき》をさせ、|二三回《にさんくわい》|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し、
『サアお|婆《ばあ》さま、これですぐ|平癒《へいゆ》するよ』
|老婆《らうば》『ハイ、おかげさまで|最早《もはや》|痛《いた》みがとまりました。|人《ひと》を|悩《なや》める|神《かみ》もあれば、|人《ひと》を|助《たす》ける|神《かみ》もあるとは、よく|言《い》つたことでございます。あなたは|本当《ほんたう》に|救世主《きうせいしゆ》でございます。この|御恩《ごおん》は|決《けつ》して|忘《わす》れはいたしませぬ。|私《わたくし》はサンヨと|申《まを》す|者《もの》で、|若《わか》い|時《とき》から|夫《をつと》に|離《はな》れ、|二人《ふたり》の|娘《むすめ》と|細《ほそ》い|煙《けぶり》を|立《た》てて|暮《くら》してをりましたが、|姉《あね》の|方《はう》は|性質《せいしつ》が|悪《わる》く、|十八《じふはち》の|春《はる》、|私《わたし》の|宅《うち》に|泊《とま》つた|修験者《しゆげんじや》に|拐《かどは》かされ、|行衛《ゆくゑ》は|知《し》れず、あとに|残《のこ》つた|一人《ひとり》の|妹《いもうと》を|力《ちから》として、|余命《よめい》をつないでをりましたところ、バラモン|軍《ぐん》の|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》がやつて|参《まゐ》りまして、|私《わたし》の|娘《むすめ》を|掠奪《りやくだつ》しようと|致《いた》しますので、|命《いのち》に|代《か》へても|渡《わた》されないと|拒《こば》みましたところ、|何《なん》といつても|老人《としより》の|非力《ひりき》、|一方《いつぱう》は|血気盛《けつきざか》りの|命知《いのちし》らずの|軍人《いくさびと》、|五六人《ごろくにん》の|奴《やつ》に、あなたの|御覧《ごらん》の|通《とほ》り、|手足《てあし》を|雁字《がんじ》り|巻《まき》に|縛《しば》られ、|刀《かたな》の【むね】で|額《ひたひ》を|打《う》たれ、|致死期《ちしご》の|際《さい》に、あなたに|助《たす》けられたのでございますが、どうか|貴方《あなた》がたの|御神力《ごしんりき》によりまして、|誠《まこと》につけ|上《あ》がりのした|願《ねが》ひなれど、モ|一度《いちど》|娘《むすめ》に|会《あ》はせて|下《くだ》さることは|出来《でき》ますまいかなア』
と|老《おい》の|涙《なみだ》に|膝《ひざ》をぬらしてゐる。|照国別《てるくにわけ》は|気《き》の|毒《どく》さに|堪《た》へず「ウン」と|言《い》つた|切《き》り、|両眼《りやうがん》を|塞《ふさ》いで、|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》をこらしてゐる。|照公《てるこう》も|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|浮《う》かべ、|老婆《らうば》の|痩《や》せこけた|哀《あは》れな|面《かほ》を|見《み》つめてゐた。|老婆《らうば》は|一行《いつかう》の|面《かほ》をうち|仰《あふ》ぎながら、|宣伝使《せんでんし》の|返答《へんたふ》いかにと|待《ま》ち|佗面《わびがほ》である。|少時《しばし》は|沈黙《ちんもく》の|幕《まく》が|四人《よにん》の|間《あひだ》におりた。
|梅公《うめこう》『|婆《ばあ》アさま、そのさらはれた|娘《むすめ》といふのは|年頃《としごろ》は|幾《いく》つだな』
サンヨ『|数《かぞ》へ|年《どし》|十八歳《じふはちさい》でございます』
『|年《とし》は|二八《にはち》か|二九《にく》からぬ、|花《はな》の|莟《つぼみ》の|真娘《まなむすめ》、|人《ひと》もあらうに、バラモン|軍《ぐん》にさらはれるとは|因果《いんぐわ》な|母娘《おやこ》だなア。ヨーシ、|私《わたし》も|人《ひと》を|救《すく》ふ|宣伝使《せんでんし》の|卵《たまご》だ。|男子《だんし》が|一旦《いつたん》こんなことを|聞《き》いた|以上《いじやう》、どうして|見逃《みのが》すことが|出来《でき》よう。|義侠心《ぎけふしん》とかいふ|奴《やつ》、|私《わたし》の|肚《はら》の|中《なか》でソロソロ|動員令《どうゐんれい》を|発布《はつぷ》しさうだ。|婆《ばあ》さま、|安心《あんしん》なさい。キツと|私《わたし》が|取《と》り|返《かへ》してみよう、|男子《だんし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はありませぬぞや』
『|有難《ありがた》うございます。|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》いたような|気分《きぶん》になりました。|私《わたし》の|生命《いのち》は|何《ど》うなつても|惜《を》しみませぬから、どうかあの|娘《むすめ》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さいませ。そして|私《わたし》はもはや|老齢《らうれい》、|此《この》|世《よ》に|少《すこ》しも|未練《みれん》はございませぬが、|姉《あね》といひ|妹《いもうと》といひ、|行衛《ゆくゑ》が|知《し》れないのでございます。どうぞ|貴方《あなた》がどちらかにお|会《あ》ひ|下《くだ》さらば、|娘《むすめ》の|身《み》の|上《うへ》をお|任《まか》せいたします』
『お|婆《ばあ》さま、お|前《まへ》の|娘《むすめ》とあらば|随分《ずゐぶん》|別嬪《べつぴん》だらうな。お|前《まへ》の|面立《おもだ》ちも|一《ひと》しほ|気品《きひん》が|高《たか》く、|昔《むかし》は|花《はな》にウソつく|美人《びじん》であつたらう。その|俤《おもかげ》がまだ|残《のこ》つてゐるよ』
『ホホホホ|御冗談《ごじようだん》ばかり|仰有《おつしや》いまして……|私《わたし》はこの|通《とほ》り|皺苦茶《しわくちや》だらけの|狸婆《たぬきばば》でございますが、|親《おや》の|口《くち》から|申《まを》すと|何《なん》だか|自慢《じまん》のやうにございませうが、この|里《さと》きつての|美人《びじん》だと、|娘《むすめ》は|言《い》はれてをりました』
『さうだらう、|美人《びじん》と|聞《き》けばなほさら|憐《あは》れを|一層《いつそう》|増《ま》すやうだ。お|婆《ばあ》さま、|心配《しんぱい》なさいますな。キツとこの|梅公《うめこう》が|助《たす》けて|見《み》せませう』
『|何分《なにぶん》よろしう|願《ねが》ひます』
|照公《てるこう》『オイ|梅公《うめこう》、|美人《びじん》と|聞《き》いて、にはかに|貴様《きさま》の|顔色《かほいろ》がよくなつたぢやないか、ハツハハハ』
|梅公《うめこう》『|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅公《うめこう》の|花嫁《はなよめ》だ。キツと|俺《おれ》のムニヤムニヤムニヤ』
|照公《てるこう》『ハハハハハ、たうとうあとをボカしてしまひよつたな。しかし|先生《せんせい》、|梅公《うめこう》が|軽率《けいそつ》にも、|美人《びじん》と|聞《き》いて|安請合《やすうけあひ》に|請合《うけあひ》ましたが、どうでせう、ここの|娘《むすめ》も|気《き》の|毒《どく》だが、|大足別《おほだるわけ》の|部下《ぶか》が|行《ゆ》く|先《さき》ざきであらゆる|悪虐無道《あくぎやくぶだう》をやつてゐると|思《おも》へば、ここの|娘《むすめ》の|一人《ひとり》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》すわけにも|行《ゆ》きますまい。あなたと|私《わたし》は|一時《いちじ》も|早《はや》くこの|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》り、ここの|娘《むすめ》の|一件《いつけん》は|梅公《うめこう》に|一任《いちにん》しておこうぢやありませぬか』
|照国《てるくに》『いや、|心配《しんぱい》はいらぬ。|何事《なにごと》も|吾々《われわれ》の|耳《みみ》に|入《い》つた|以上《いじやう》は、キツと|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せだから、|娘《むすめ》さまの|所在《ありか》も|分《わか》るだらう。またお|婆《ばあ》さまもますます|壮健《さうけん》になり、|千歳《ちとせ》の|命《いのち》を|保《たも》つであらう。ともかく|三人《さんにん》が|肚《はら》を|合《あは》せ、|御神業《ごしんげふ》のために|進《すす》まうぢやないか。コレコレお|婆《ばあ》さま、|照国別《てるくにわけ》が|呑《の》み|込《こ》んだ、キツと|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|助《たす》けて|上《あ》げませう』
サンヨ『ハイ|有難《ありがた》うございます。|何分《なにぶん》よろしくお|慈悲《じひ》を|願《ねが》ひます』
と、とめどもなく|涙《なみだ》にひたつてゐる。
かかるところへ|門口《かどぐち》のあいたのを|幸《さいは》ひ、|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|慌《あわ》ただしく|入《い》り|来《き》たり、
|甲《かふ》『オイ|婆《ばあ》さま、お|前《まへ》の|宅《うち》は|別状《べつじやう》ないかなア』
|乙《おつ》『|実《じつ》ア、|婆《ばあ》さま|一人《ひとり》、|娘《むすめ》|一人《ひとり》、バラモン|軍《ぐん》の|襲来《しふらい》で|困《こま》つてゐるだらうから、|助《たす》けに|来《き》たいと|思《おも》うたが、なにぶん|俺《おれ》の|女房《にようばう》まで|取《と》りさらへられて|取返《とりかへ》すことの|出来《でき》ないやうな|場合《ばあひ》で、|残念《ざんねん》だつた。どうぢや、|花香《はなか》さまは、|御無事《ごぶじ》だつたかなア』
サンヨ『アアお|前《まへ》は、タクソン、エルソンのお|二人《ふたり》さまか、ようマア|親切《しんせつ》に|来《き》て|下《くだ》さつた。|残念《ざんねん》ながら|娘《むすめ》の|花香《はなか》はバラモン|軍《ぐん》にかつさらはれました。オンオンオン』
と|村人《むらびと》の|親切《しんせつ》な|言葉《ことば》を|聞《き》いて|恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》も|忘《わす》れて|泣《な》き|倒《たふ》れる。
タクソン『お|婆《ばあ》さま、|心配《しんぱい》するな。キツと、バラモンの|神様《かみさま》の|御守護《ごしゆご》で、|時節《じせつ》をまつてをれば、|親子《おやこ》の|対面《たいめん》をさして|下《くだ》さるだらう。|私《わたし》だつて|女房《にようばう》を|取《と》られ、|財産《ざいさん》をボツたくられ、|実《じつ》に|悲《かな》しい|目《め》に|会《あ》うたけれど、|日頃《ひごろ》|信仰《しんかう》のおかげで|何事《なにごと》も|神様《かみさま》に|任《まか》せ、|慰《なぐさ》めてゐるのだ。アーア』
と|吐息《といき》をつく。
サンヨ『|私《わたし》は|娘《むすめ》を|取《と》られ、|吾《わ》が|身《み》は|雁字搦《がんじがら》みにしばられ、|剣《つるぎ》の【むね】にて|眉間《みけん》を|打《う》たれ、|虫《むし》の|息《いき》になつてゐたところを、この|先生方《せんせいがた》が|御親切《ごしんせつ》にお|尋《たづ》ね|下《くだ》さつて、いろいろと|介抱《かいはう》なし|下《くだ》さつたおかげで、|甦《よみがへ》つたのだよ。どうか、この|方々《かたがた》にお|礼《れい》を|申《まを》して|下《くだ》さい』
タクソン『ヤ、あまりあわててゐるので、|三人《さんにん》のお|方《かた》に|御挨拶《ごあいさつ》も|忘《わす》れてゐた。……コレハコレハお|三人《さんにん》さま、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》をいたしました。そして|貴師《あなた》はバラモンの|宣伝使《せんでんし》でございますか』
|梅公《うめこう》『イヤ、|吾々《われわれ》はバラモンではない。|斎苑《いそ》の|館《やかた》の|瑞《みづ》の|御霊大神《みたまのおほかみ》の|神勅《しんちよく》を|奉《ほう》じ、|天下《てんか》を|救済《きうさい》に|廻《めぐ》つてゐる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》だ』
タクソン、エルソンの|二人《ふたり》は「ハツ」と|驚《おどろ》き|両手《りやうて》をついて、|落涙《らくるい》しながら|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》してゐる。|高原《かうげん》を|吹《ふ》きわたる|名物《めいぶつ》の|大風《おほかぜ》は|窓《まど》の|戸《と》をガタつかせながら、ヒユーヒユーと|怪《あや》しき|声《こゑ》を|立《た》てて|北《きた》から|南《みなみ》へ|渡《わた》つて|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 松村真澄録)
第二章 |祖先《そせん》の|恵《めぐ》み〔一六八四〕
デカタン|高原《かうげん》の|大暴風《だいばうふう》は|岩石《がんせき》を|飛《と》ばし|樹木《じゆもく》を|捻《ね》ぢ|倒《たふ》し、|棟《むね》の|低《ひく》いこの|家《いへ》までもキクキクと|梁《うつばり》を|鳴《な》らしてゐる。しかしながら|老婆《らうば》のサンヨは|日課《につくわ》のごとく|吹《ふ》きくる|大風《おほかぜ》に|馴《な》れて|少《すこ》しも|意《い》に|介《かい》せず、|前後左右《ぜんごさいう》に|揺《ゆ》れる|家《いへ》の|中《なか》に|平然《へいぜん》たるものであつた。|照国別《てるくにわけ》、|照公《てるこう》、|梅公《うめこう》、タクソン、エルソンは|車坐《くるまざ》となつて、バラモン|軍《ぐん》の|荒《あら》したる|跡《あと》の|実況談《じつきやうだん》につき|問答《もんだふ》を|始《はじ》めてゐた。
|梅公《うめこう》『|何《なん》とマア|素敵滅法界《すてきめつぱふかい》に|強烈《きやうれつ》な|風《かぜ》が|吹《ふ》くぢやないか。お|婆《ばあ》さま、お|前《まへ》さまはこんな|風《かぜ》が|吹《ふ》いても|平然《へいぜん》としてゐるが、|恐《おそ》ろしい|事《こと》はないかい』
サンヨ『この|風《かぜ》はデカタン|高原《かうげん》の|名物《めいぶつ》でございます。|年《ねん》に|一度《いちど》や|二度《にど》は|家《いへ》も|空中《くうちう》に|吹《ふ》き|上《あ》げるやうな|強風《きやうふう》が|吹《ふ》きます。それ|故《ゆゑ》、いづれの|家《うち》も|地下室《ちかしつ》を|掘《ほ》り|避難《ひなん》することになつてゐます。こんな|風《かぜ》はまだまだ|宵《よひ》の|口《くち》です。それよりも|恐《おそ》ろしいのはバラモンの|風《かぜ》でございます』
|梅公《うめこう》『フン、|非常《ひじやう》な|風《かぜ》の|荒《あら》い|国《くに》だな。これがいはゆる|風国強塀《ふうこくきやうへい》といふのだらう、アツハハハハ』
|照公《てるこう》『バラモン|風《かぜ》といふのは、どんな|風《かぜ》が|吹《ふ》くのですかな』
サンヨ『ジフテリヤよりもインフルエンザよりもひどい|風《かぜ》でございます。|家《いへ》を|焼《や》き、|財物《ざいぶつ》を|奪《うば》ひ、|人家《じんか》へ|這入《はい》つて|女房《にようばう》や|娘《むすめ》の|嫌《きら》ひなく、みな|何処《どこ》かへ、|攫《さら》つて|行《ゆ》く|鬼風《おにかぜ》でございますよ。|何《なに》よりも、かよりも、これくらゐ|恐《おそ》ろしい|風《かぜ》はございませぬ』
|梅公《うめこう》『なるほど、|弱味《よわみ》につけ|込《こ》む|風《かぜ》の|神《かみ》といふ|謎《なぞ》だな。これこれタクソンさま、エルソンさま、バラモンの|嵐《あらし》の|跡《あと》の|実況《じつきやう》を|聞《き》かして|下《くだ》さらないか。|吾々《われわれ》にも|対抗策《たいかうさく》があるからなア』
タクソン『ハイ、お|尋《たづ》ねなくとも|逐一《ちくいち》|事情《じじやう》を|申《まを》し|上《あ》げ、お|助《たす》けを|乞《こ》ひたいと|思《おも》つてゐたところでございます。|私《わたし》の|妻《つま》はミールと|申《まを》しますが、まだ|二十才《はたち》の|花盛《はなざか》り、|数日《すうじつ》|以前《いぜん》にバラモン|軍《ぐん》がこの|里《さと》に|駐屯《ちうとん》いたし、|老若男女《らうにやくなんによ》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|一切《いつさい》の|食料《しよくれう》や|金銭《きんせん》などを|奪《うば》ひ、|私《わたし》の|女房《にようばう》なり、|村中《むらぢう》の|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》と|見《み》れば|全部《ぜんぶ》かツ|攫《さら》へて|参《まゐ》りました。それのみならず、これから|数里《すうり》|隔《へだ》てたオーラ|山《さん》の|山《やま》つづき、シノワ|谷《だに》といふ|所《ところ》には|馬賊《ばぞく》の|団体《だんたい》が|数千人《すうせんにん》|割拠《かつきよ》して、|時々《ときどき》|遠近《ゑんきん》の|村落《そんらく》に|入《い》り|来《き》たり、|金品《きんぴん》を|徴発《ちようはつ》し、|女房《にようばう》|娘《むすめ》の|嫌《きら》ひなく|皆《みな》かツ|攫《さら》へて|参《まゐ》りますので、われわれ|人民《じんみん》は|一日《いちにち》も|枕《まくら》を|高《たか》くして|眠《ねむ》ることが|出来《でき》ないのでございます。シノワ|谷《だに》の|馬賊《ばぞく》を|退治《たいぢ》して|下《くだ》さるかと|思《おも》へば、バラモン|軍《ぐん》の|大足別《おほだるわけ》は|馬賊《ばぞく》に|勝《まさ》る|悪逆無道《あくぎやくぶだう》、|吾々《われわれ》バラモン|信者《しんじや》は|最早《もはや》|生活《せいくわつ》の|途《みち》もきれ、|塗炭《とたん》の|苦《くる》しみを|嘗《な》め、|不運《ふうん》に|泣《な》いてをります。どうか|三五教《あななひけう》の|御神徳《ごしんとく》によつて、この|苦難《くなん》を|免《まぬが》れさして|頂《いただ》きたうございます』
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》、|聞《き》けば|聞《き》くほど|気《き》の|毒《どく》ぢやありませぬか。|現《げん》、|幽《いう》、|神《しん》の|三界《さんかい》を|救済《きうさい》すべき|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》として|看過《かんくわ》できないぢやありませぬか。アア|血《ち》は|湧《わ》き|腕《うで》は|躍《をど》る。いよいよ|自分《じぶん》の|活動舞台《くわつどうぶたい》が|開《ひら》かれたやうぢやございませぬか』
|照国《てるくに》『なるほど、お|前《まへ》のいふ|通《とほ》りだ。いよいよ|真剣《しんけん》に|自分等《じぶんら》の|活動《くわつどう》すべき|舞台《ぶたい》を|与《あた》へられたのだな。しかしながら|梅公《うめこう》、あまり|事《こと》を|軽率《けいそつ》にやつては|失敗《しつぱい》するから、ここは|一切万事《いつさいばんじ》を|神様《かみさま》にお|任《まか》せして、|徐《おもむろ》に|神策《しんさく》を|進《すす》めて|行《ゆ》くのが|万全《ばんぜん》の|策《さく》だらうよ』
|梅公《うめこう》『なるほど、ごもつとも|千万《せんばん》、|水《みづ》も|漏《も》らさぬ|貴方《あなた》のお|考《かんが》へ。しかしながらこの|惨状《さんじやう》を|聞《き》いては、あまり|泰然自若《たいぜんじじやく》と|済《す》まし|込《こ》んでるわけにも|行《ゆ》かぬぢやありませぬか。オイ、タクソン|君《くん》、|君《きみ》も|掛替《かけが》へのない|一人《ひとり》の|女房《にようばう》をバラモン|軍《ぐん》に|掠奪《りやくだつ》されて、|男《をとこ》らしくもない|涙《なみだ》をこぼしてゐるよりも、どうだ、|俺《おれ》の|家来《けらい》となつて|女房奪回戦《にようばうだつくわいせん》に|参加《さんか》する|気《き》はないか。|精神《せいしん》|一到《いつたう》|何事《なにごと》か|成《な》らざらむやだ。お|前《まへ》に|信仰《しんかう》と|熱心《ねつしん》と|勇気《ゆうき》とさへあらば、キツとこの|目的《もくてき》は|達《たつ》し|得《え》られるだらうよ』
タクソン『ハイ、|有難《ありがた》うございます。しかしながら|女房《にようばう》を|取《と》られたといつて|男《をとこ》の|目《め》から|涙《なみだ》を|流《なが》してゐるのぢやありませぬ。|天下万民《てんかばんみん》のため|涙《なみだ》を|濺《そそ》いでゐるのです』
『ハハハハハ、ヤア|大《おほ》きく|出《で》よつたな。さうなくては|男子《だんし》はかなはぬ、|見上《みあ》げた|男《をとこ》だ、いよいよ|気《き》に|入《い》つた。|梅公別《うめこうわけ》の|弟子《でし》にしてやるから、|吾輩《わがはい》のいふ|事《こと》を|忠実《ちうじつ》に|守《まも》るのだよ』
『イヤ、|有難《ありがた》うございます。しかしながら|私《わたし》は|先生《せんせい》の|家来《けらい》にして|頂《いただ》きたいのです。あなたには|先生《せんせい》があるでせう』
|梅公《うめこう》『|先生《せんせい》はあまり|御神徳《ごしんとく》も|高《たか》く|智慧証覚《ちゑしようかく》の|程度《ていど》も、お|前《まへ》とは|非常《ひじやう》に|距離《きより》があるから、|直々《ぢきぢき》のお|弟子《でし》には|勿体《もつたい》ない。|罰《ばち》が|当《あた》るぞ。それより|身魂相応《みたまさうおう》の|理《り》によつて|俺《おれ》の|弟子《でし》にしてやる。|神《かみ》は|順序《じゆんじよ》だからな。|順序《じゆんじよ》を|離《はな》れて|神《かみ》もなく|道《みち》もない。なア|先生《せんせい》、|暫《しばら》く|私《わたし》の|直接《ちよくせつ》の|弟子《でし》にしても|宜《よ》いでせう』
|照国《てるくに》『|信仰《しんかう》は|自由《じいう》だ。とも|角《かく》タクソンさまの|意志《いし》に|任《まか》すがよからう。|相応《さうおう》の|理《り》によつてなア』
|照公《てるこう》『ハハハハ、オイ|梅《うめ》さま、どうですか、|先生《せんせい》のお|目《め》から|見《み》れば|君《きみ》とタクソン|君《くん》とは|甲乙《かふおつ》の|区別《くべつ》がつかないやうだよ。バラモン|教《けう》でよほど|魂《みたま》が|研《みが》いてあると|見《み》えて、どこもなしに|面貌《めんばう》に|光《ひかり》が|輝《かがや》いてゐるやうだ。さすが|先生《せんせい》は|偉《えら》いわい』
|梅公《うめこう》『そんなら、タクソン|君《くん》、|君《きみ》の|意志《いし》に|任《まか》す。オイ、エルソン|君《くん》、|君《きみ》は|相応《さうおう》の|理《り》によつて|僕《ぼく》の|弟子《でし》にしてやる。|満足《まんぞく》だらうなア』
エルソン『ハイ、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うございます。しかしながら|私《わたし》は|年《とし》は|若《わか》うても、|神様《かみさま》のお|道《みち》はいささか、|学《まな》んでをりまする。たとへバラモン|教《けう》でも|誠《まこと》の|教《をしへ》には|二《ふた》つはございますまい。|私《わたし》はタクソンと|竹馬《ちくば》の|友《とも》でございますから、|行動《かうどう》を|共《とも》にする|考《かんが》へです。|何卒《どうぞ》あなたは|教《をしへ》の|道《みち》の|兄弟《きやうだい》となつて|下《くだ》さいな』
|梅公《うめこう》『ハハハハハ、|偉《えら》い|馬力《ばりき》だな』
|照公《てるこう》『また|梅公《うめこう》、|凹《へこ》まされたのか、それだから「|吾《われ》ほどのものなきやうに|思《おも》うて|偉《えら》さうに|申《まを》してをると、スカタン|喰《く》ふぞよ」と|御神諭《ごしんゆ》にお|示《しめ》しになつてゐるのだ。|梅《うめ》え|事《こと》|考《かんが》へてをつても、さう|梅《うめ》え|事《こと》には|問屋《とひや》が|卸《おろ》さないよ。マアこのたびは|御両人《ごりやうにん》の|兄弟分《きやうだいぶん》となつて|仲良《なかよ》く|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するがよからう。|俺《おれ》|等《たち》は|少《すこ》しも|乾児《こぶん》は|欲《ほ》しくない。|兄弟分《きやうだいぶん》が|欲《ほ》しいのだ』
|梅公《うめこう》『|親分《おやぶん》、|乾児《こぶん》の|関係《くわんけい》ならば、マサカの|時《とき》には|命令《めいれい》が|行《おこな》はれ|秩序《ちつじよ》|整然《せいぜん》と、|物事《ものごと》の|埓《らち》があきよいが、|兄弟《きやうだい》といふものは|水臭《みずくさ》いものだよ。「|兄弟《きやうだい》は|他人《たにん》の|初《はじ》まり」といふからな』
|照公《てるこう》『|馬鹿《ばか》いふな。「|兄弟《きやうだい》は|他人《たにん》が|初《はじ》まり」といふのだ。|他人《たにん》|同士《どうし》が|寄《よ》つて|兄弟《きやうだい》の|約束《やくそく》を|結《むす》ぶのだ。それで|特《とく》に|義兄弟《ぎきやうだい》といふのだ。|四海《しかい》|兄弟《きやうだい》も、ここから|始《はじ》まるのだ。|兄弟《きやうだい》|力《ちから》を|合《あは》せて|弱小《じやくせう》な|団体《だんたい》も|遂《つひ》には|強大《きやうだい》となるのだ。アア|強大《きやうだい》なるかな|強大《きやうだい》なるかな。|兄弟《きやうだい》(【|鏡台《きやうだい》】)はいはゆる|鏡《かがみ》の|台《だい》だ。たがひに|勇《いさ》み|交《かは》して|短所《たんしよ》を|補《おぎな》ひ|長所《ちやうしよ》を|採《と》り、|悪《あく》を|去《さ》り|善《ぜん》をとり、|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》するのが|所謂《いはゆる》|四海《しかい》|兄弟《きやうだい》、|天下《てんか》|同胞《どうはう》の|義務《ぎむ》だよ』
|梅公《うめこう》『イヤ、|重々《ぢうぢう》の|御説法《ごせつぽふ》、|豁然《かつぜん》として|白蓮華《びやくれんげ》の|咲《さ》き|香《にほ》ふがごとく、|胸中《きようちう》の|新天地《しんてんち》が|開《ひら》けたやうだ。そんならこれから|吾々《われわれ》|四人《よにん》は|親友《しんいう》|兼《けん》|兄弟《きやうだい》となつて、|世界《せかい》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|明《あき》らかに|裁《さば》くところの|鑑《かがみ》とならうぢやないか。|国公《くにこう》は|親子《おやこ》|対面《たいめん》の|嬉《うれ》しさにアーメニヤに|帰《かへ》つてしまひ、|三人《さんにん》の|兄弟《きやうだい》が|二人《ふたり》になつて、やや|寂寥《せきれう》の|気分《きぶん》にうたれてゐたところだ。ここに|天《てん》より|二人《ふたり》の|補充《ほじう》|兄弟《きやうだい》を|与《あた》へられ、いよいよ|四魂《しこん》|揃《そろ》うて|轡《くつわ》を|並《なら》べてハルナの|都《みやこ》へ|進軍《しんぐん》と|出掛《でか》けようかい』
|婆《ばあ》さまは|勝手《かつて》|覚《おぼ》へし|家《いへ》の|中《なか》、|真黒気《まつくろけ》に|燻《くすぶ》つた|土瓶《どびん》に|白湯《さゆ》を|沸《わ》かし、|天然竹《てんねんだけ》を|切《き》つたそのままの|竹製《たけせい》の|茶碗《ちやわん》に|湯《ゆ》をなみなみと|注《つ》いで|一行《いつかう》に|饗応《きやうおう》し、|裏《うら》の|瀬戸口《せとぐち》に|枝《えだ》もたわわに|実《な》つてゐた|棗《なつめ》の|実《み》をむしり|来《き》たり、
『|折角《せつかく》おこし|下《くだ》さいまして、|何《なん》のお|愛想《あいそ》もございませぬ。これはこの|里《さと》にて|有名《いうめい》な|棗《なつめ》でございますが、この|間《あひだ》バラモン|軍《ぐん》がやつてきて|大方《おほかた》|毟《むし》りとりましたが、わづか|残《のこ》つてゐるのを、さらへて|持《も》つて|参《まゐ》りました。|何卒《どうぞ》お|食《あが》り|下《くだ》さいませ』
|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》は、
『|美事《みごと》な|大《おほ》きな|棗《なつめ》だ。|頂戴《ちやうだい》しませう』
と|各自《めいめい》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|食《く》ひはじめた。
|梅公《うめこう》『|何《なん》と、うまい|果物《くだもの》だな。|種《たね》は|小《ちひ》さく|実《み》は|大《おほ》きく、まるつきり|林檎《りんご》を|喰《く》つてるやうだ。|婆《ばあ》さま、この|村《むら》にはこの|棗《なつめ》は|沢山《たくさん》あるだらうなア』
サンヨ『ハイ、この|村《むら》の|名物《めいぶつ》でございますが、|今年《ことし》はよほど|不作《ふさく》でございました。しかしながら|二人《ふたり》や|三人《さんにん》の|年中《ねんぢう》の|食料《しよくれう》は、どうなりかうなり|続《つづ》けるでございませう』
|梅公《うめこう》『|天然《てんねん》の|恩恵《おんけい》だな。|肥料《こやし》もやらず|世話《せわ》もせず、|神様《かみさま》から|実《な》らして|下《くだ》さる|実《み》を|勝手《かつて》に|食《く》はして|貰《もら》つていいのか。それでは、あまり|冥加《みやうが》がよくないだらう。|人間《にんげん》が|遊惰《いうだ》になるのも|無理《むり》がないわい』
サンヨ『この|棗《なつめ》はコーラン|国《ごく》から|取《と》り|寄《よ》せたものでございまして、この|村《むら》にも|余《あま》り|沢山《たくさん》はございませぬ。さうして|日々《にちにち》|虫取《むしと》りに|骨《ほね》を|折《を》らねば、|一日《いちにち》|油断《ゆだん》すればその|虫《むし》が|繁殖《はんしよく》して|葉《は》を|一枚《いちまい》も|残《のこ》らず|噛《か》んでしまひます。|葉《は》が|無《な》くなれば|木《き》が|枯《か》れるのです。なかなか|油断《ゆだん》はできませぬよ。なかなか|生活《みすぎ》は|楽《らく》ぢやありませぬ』
|梅公《うめこう》『さうかな、ヤツパリ|天然《てんねん》に|生《は》える|果物《くだもの》でも|世話《せわ》が|要《い》るものかいな。その|代《かは》り|肥料《ひれう》は|要《い》らないだらう。この|辺《へん》は|地《ち》が|肥《こ》えてゐるから』
サンヨ『この|棗《なつめ》を|頂《いただ》く|家《うち》は|祖先《そせん》の|恩恵《おんけい》によるのです。さうですから、あまり|何処《どこ》にも、|沢山《たくさん》はありませぬ』
|梅公《うめこう》『|祖先《そせん》の|恩恵《おんけい》といふが、その|祖先《そせん》といふのは|神様《かみさま》を|指《さ》していふのか、|或《あるひ》は|此《こ》の|家《や》の|祖先《そせん》をいふのか。|世《よ》の|中《なか》の|人間《にんげん》はいづれも|神祖《しんそ》、|人祖《じんそ》の|恩恵《おんけい》を|受《う》けないものはない|筈《はず》だ。この|棗《なつめ》に|限《かぎ》つて|先祖《せんぞ》の|恩恵《おんけい》とは、チツと|受《う》け|取《と》れぬぢやないか』
サンヨ『この|棗《なつめ》を|植《う》ゑる|時《とき》には|犠牲《いけにへ》が|要《い》ります。|私《わたし》の|大祖先《だいそせん》は|子孫《しそん》を|愛《あい》するために|自分《じぶん》の|腹《はら》を|切《き》り、その|血潮《ちしほ》に|根《ね》を|染《そ》め、|肉体《にくたい》は|木《き》の|根《ね》に|葬《はうむ》らせ、|祖先《そせん》の|霊肉《れいにく》ともにこの|棗《なつめ》の|肥料《こやし》となり、|万古末代《まんごまつだい》|子孫《しそん》|安楽《あんらく》のために|守《まも》つて|下《くだ》さるのです。それ|故《ゆゑ》、この|棗《なつめ》は|生命《いのち》と|申《まを》しまして、あまり|沢山《たくさん》はございませぬ。|今《いま》お|食《あが》りに|成《な》つたでせうが、この|棗《なつめ》は|酸《すつ》ぱくて|甘《あま》いでせう。これは|人間《にんげん》の|血液《けつえき》や|肉《にく》の|味《あぢ》でございます。|吾々《われわれ》は|祖先《そせん》の|血《ち》を|啜《すす》り、|肉《にく》を|食《た》べて|安全《あんぜん》に|暮《くら》してゐるのですから、いはば、あの|棗《なつめ》は|先祖《せんぞ》の|肉体《にくたい》も|同様《どうやう》でございます』
|梅公《うめこう》『|何《なん》と|先祖《せんぞ》の|恩《おん》といふものは|尊《たふと》いものだな。|吾々《われわれ》の|祖先《そせん》も|国《くに》を|肇《はじ》め|徳《とく》を|樹《た》て、|道《みち》を|開《ひら》き、|子孫《しそん》を|安住《あんぢう》させむため|苦労《くらう》をして|下《くだ》さつたのだ。|三五《あななひ》の|教《をしへ》も|実《じつ》のところは|祖先崇拝教《そせんすうはいけう》だ。|人類愛《じんるゐあい》の|神教《しんけう》だ。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と、さすが|洒脱《しやだつ》な|梅公《うめこう》も|思《おも》はず|知《し》らず|感涙《かんるゐ》に|咽《むせ》んでゐる。
|照国別《てるくにわけ》『|遠津御祖《とほつみおや》|神《かみ》の|恵《めぐ》みは|雨《あめ》となり
|土《つち》となりてぞ|子孫《みこ》をば|救《すく》ふ
|親《おや》々の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|生《い》きながら
|親《おや》を|忘《わす》るる|邪神《まがかみ》もあり
|親《おや》の|恩《おん》|忘《わす》れし|時《とき》は|身《み》も|魂《たま》も
|亡《ほろ》びに|向《む》かふはじめなりけり』
サンヨ『|春夏《はるなつ》の|別《わか》ちなくしてこの|棗《なつめ》
|実《みの》るも|祖先《おや》の|恵《めぐ》みなりけり
|親々《おやおや》の|恵《めぐ》み|忘《わす》れし|酬《むく》いにや
|今日《けふ》の|歎《なげ》きの|身《み》にふりかかる
|今《いま》よりは|心《こころ》の|柱《はしら》|樹《た》て|直《なほ》し
|祖先《みおや》の|祭《まつり》|厚《あつ》く|仕《つか》へむ』
|梅公《うめこう》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》|一度《いちど》に|開《ひら》けゆく
|白梅《しらうめ》の|花《はな》|咲《さ》き|初《そ》めてより
|梅《うめ》|林檎《りんご》|棗《なつめ》の|味《あぢ》も|皆《みな》|同《おな》じ
|主《ス》の|大神《おほかみ》の|恵《めぐ》みなりせば』
|照公《てるこう》『この|家《いへ》の|祖先《おや》の|恵《めぐ》みを|居《ゐ》ながらに
|受《う》けし|吾等《われら》は|神《かみ》の|賜物《たまもの》
|親々《おやおや》の|踏《ふ》みてし|道《みち》を|辿《たど》りつつ
|世《よ》の|犠牲《いけにへ》にならむとぞ|思《おも》ふ』
タクソン『|吾《わ》が|家《や》にも|祖先《おや》の|恵《めぐ》みの|棗《なつめ》あり
いざこれよりは|詫言《わびごと》やせむ
|御恵《みめぐ》みを|忘《わす》れ|果《は》てたる|酬《むく》いにや
|吾《わ》が|恋妻《こひづま》は|攫《さら》はれにけり』
エルソン『|吾《わ》が|恋《こ》ふる|妹《いも》は|枉霊《まがひ》に|奪《うば》はれて
|袖《そで》の|涙《なみだ》の|乾《かわ》く|間《ま》もなし
|如何《いか》にして|姫《ひめ》の|所在《ありか》を|探《さぐ》らむと
ただ|思《おも》ふより|外《ほか》なかりけり』
タクソン『|御一同様《ごいちどうさま》に|申《まを》し|上《あ》げたうございますが、このタライの|村《むら》の|里庄《りしやう》ジャンク|様《さま》の|娘《むすめ》、スガコ|姫《ひめ》は|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》でございますが、バラモンの|軍隊《ぐんたい》が|出《で》てくる|数日《すうじつ》|以前《いぜん》に、|何者《なにもの》にか|掻《か》つ|攫《さら》はれ、|今《いま》まで|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》りませぬので、ジャンク|一家《いつか》の|歎《なげ》きは|一通《ひととほ》りぢやございませぬ。|私《わたくし》もジャンク|様《さま》の|家《いへ》の|子《こ》として、|先祖代々《せんぞだいだい》|仕《つか》へてゐますが、|家《いへ》の|宝《たから》をとられ、|嬢様《ぢやうさま》の|行衛《ゆくゑ》を|探《さが》す|暇《ひま》もなく、|女房《にようばう》の|行衛《ゆくゑ》について|頭《あたま》を|悩《なや》めてゐます。どうぞ|貴方《あなた》のお|伴《とも》となつて、|嬢様《ぢやうさま》や|女房《にようばう》の|行衛《ゆくゑ》を|探《さが》したうございますが、どうか、お|伴《とも》にお|加《くは》へ|下《くだ》さいますまいか』
|照国《てるくに》『|委細《ゐさい》|承知《しようち》しました。|御心底《ごしんてい》お|察《さつ》し|申《まを》します。|何事《なにごと》も|神《かみ》にお|任《まか》せなさいませ』
タクソン『ハイ、|有難《ありがた》うございます。これで|私《わたし》も|甦《よみがへ》つたやうな|心持《こころも》ちがいたします』
エルソン『|先生《せんせい》、|私《わたし》もお|願《ねが》ひいたします。|何卒《どうぞ》お|伴《とも》にお|引連《ひきつ》れを、|強《た》つてお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|独身者《どくしんもの》でございますから、|家《いへ》に|系累《けいるゐ》もなく|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》には|最適任者《さいてきにんしや》と|存《ぞん》じます』
|照国《てるくに》『よしよし、お|前《まへ》も|一緒《いつしよ》に|来《く》るがよからう』
|梅公《うめこう》『オイ、エルソン|君《くん》、|君《きみ》は|何《なん》だか|心《こころ》に|秘密《ひみつ》を|抱《いだ》いてゐるやうだな』
エルソン『ハイ、|私《わたくし》も|相思《さうし》の|女《をんな》がございました。その|女《をんな》の|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ね、このお|婆《ばあ》さまに|会《あ》はして|上《あ》げねばなりませぬ』
|梅公《うめこう》『ハハハハハ、さうすると|当家《たうけ》の|妹娘《いもうとむすめ》と|以心伝心《いしんでんしん》とか、|相思《さうし》とか、の|経緯《いきさつ》があるのだな。これ、お|婆《ばあ》さま、あなたはこのエルソンに|娘《むすめ》を|与《や》らうと|言《い》つたのですか。さい|前《ぜん》、|私《わたし》に|娘《むすめ》の|身《み》の|上《うへ》を|依頼《いらい》すると|仰有《おつしや》つたでせう』
サンヨ『ホホホホホ|油断《ゆだん》のならぬのは|娘《むすめ》でございます。|何時《いつ》の|間《ま》にかこのエルソンさまと|親《おや》に|秘密《ないしよ》で|約束《やくそく》をしたのかも|知《し》れませぬ。|宅《うち》の|娘《むすめ》は|年《とし》をとつても|子供《こども》だ|子供《こども》だと|思《おも》つてゐましたが、|油断《ゆだん》のならぬのは|娘《むすめ》でございます。これこれエルソンさま、お|前《まへ》は|娘《むすめ》の|花香《はなか》と|何《なに》か|約束《やくそく》でもなさつたのかい』
エルソン『ハイ……イーエ……エー……まだ|予定《よてい》でございます』
『お|前《まへ》さまの|方《はう》で|定《き》めてゐるのだらう。|娘《むすめ》の|花香《はなか》はお|前《まへ》さまから|一回《いつくわい》の|交渉《かうせふ》も|受《う》けてゐないのだらうなア』
『|花香《はなか》さまに|対《たい》し、どうせう、こうせう(|交渉《かうせう》)と|胸《むね》を|痛《いた》めてゐる|最中《さいちう》、お|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らなくなつたので、|私《わたし》も|憤慨《ふんがい》の|極《きよく》に|達《たつ》し、おのれバラモン|軍《ぐん》、|吾《わ》が|愛人《あいじん》の|仇《あだ》だ、たとへ|天《てん》をかけり|地《ち》をくぐる|妙術《めうじゆつ》|彼《かれ》にありとも、|恋愛《れんあい》|至上《しじやう》の|真心《まごころ》は|金鉄《きんてつ》も|熔《とろ》かす|勢《いきほ》ひ、あくまでも|花香様《はなかさま》を|奪《うば》ひかへし、|私《わたし》の|赤心《まごころ》を|買《か》つてもらふ|考《かんが》へでございます。どうかお|婆《ばあ》さま、|私《わたし》が|花香《はなか》さまを|無事《ぶじ》に|連《つ》れて|帰《かへ》りましたら、その|御褒美《ごほうび》として|当家《たうけ》の|養子《やうし》にして|下《くだ》さるでせうな』
サンヨ『ホホホホホ|何《なん》とマア|抜目《ぬけめ》のない|男《をとこ》だこと、|仲々《なかなか》お|前《まへ》さまも|隅《すみ》には|置《お》けませぬわい』
|梅公《うめこう》『ハハハハハそれで|一切《いつさい》|事情《じじやう》が|判然《はんぜん》して|来《き》た。|世《よ》の|中《なか》には|変則的《へんそくてき》|恋愛《れんあい》に|熱中《ねつちう》する|連中《れんぢう》もあるものだな。オイ、エルソン|君《くん》、それだけの|熱心《ねつしん》があればキツと|成功《せいこう》するよ。|実《じつ》のところは|俺《おれ》がお|婆《ばあ》さまの|委託《ゐたく》を|受《う》け、|舐《ねぶ》つて|喰《く》はうと|焚《た》いて|喰《く》はうと|自由自在《じいうじざい》との|事《こと》だつたが、それだけお|前《まへ》に|執着心《しふちやくしん》があるのを|聞《き》くと、|何《なん》だか|俺《おれ》も|君《きみ》の|心理情態《しんりじやうたい》が|憐《あは》れになつてきた。|僕《ぼく》は|花香姫《はなかひめ》に|対《たい》する|一切《いつさい》の|権利《けんり》を|君《きみ》に|譲渡《じやうと》するよ。なアお|婆《ばあ》さま、それで|宜《い》いでせう。いはば|生死不明《せいしふめい》の|美人《びじん》を|托《たく》されたのだから、お|婆《ばあ》さまだとてエルソンさまの|女房《にようばう》にするのに|不足《ふそく》はありますまい』
サンヨ『エルソンさまも|村中《むらぢう》の|褒《ほ》めものなり、|模範青年《もはんせいねん》と|言《い》はれてゐるから、キツと|娘《むすめ》も|喜《よろこ》ぶでせう。この|事《こと》については|私《わたし》は|何《なに》も|申《まを》しませぬ、|梅公《うめこう》さまにお|任《まか》せいたします』
|梅公《うめこう》『|比較的《ひかくてき》|開《ひら》けたお|婆《ばあ》さまだ、いや|感心々々《かんしんかんしん》。これお|婆《ばあ》さま、これから|三五《あななひ》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》も|聞《き》きなさい。しかしバラモンの|神様《かみさま》を|捨《す》てよとは|言《い》はないからなア』
サンヨ『ハイ|有難《ありがた》うございます。|貴方《あなた》がたの|吾《わ》が|家《や》においで|下《くだ》さつたのをいい|機会《きくわい》として、|今日《けふ》から|信仰《しんかう》に|入《い》れていただきませう』
タクソン『もし|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、どうかお|邪魔《じやま》でもございませうが、|一度《いちど》|私《わたし》の|主人《しゆじん》と|会《あ》ふため、|里庄《りしやう》の|宅《うち》へお|立寄《たちよ》り|下《くだ》されますまいか。|里庄《りしやう》はキツと|喜《よろこ》ぶでございませうから』
|照国《てるくに》『|里庄《りしやう》の|宅《うち》もさぞ|御心配《ごしんぱい》してござるだらう。とも|角《かく》お|尋《たづ》ねすることにしよう。さア|一同《いちどう》|出立《しゆつたつ》の|用意《ようい》をなされ……、イヤお|婆《ばあ》さま、|永《なが》らくお|邪魔《じやま》をいたしました。もう|大丈夫《だいぢやうぶ》ですから|御安心《ごあんしん》なさいませ』
と|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|里庄《りしやう》の|宅《たく》に|向《む》かつて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら|進《すす》み|行《ゆ》く。|老婆《らうば》サンヨは|杖《つゑ》にすがりながら|門《かど》の|外《そと》まで|見送《みおく》り、|名残《なごり》|惜《を》しげに|一行《いつかう》の|姿《すがた》の|見《み》えぬまで|見送《みおく》つてゐた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 北村隆光録)
第三章 |酒浮気《さけいうけい》〔一六八五〕
タライの|村《むら》の|里庄《りしやう》ジャンクの|家《うち》の|表門《おもてもん》には、|甲《かふ》|乙《おつ》|二人《ふたり》の|門番《もんばん》が|胡坐《あぐら》をかいて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐた。
|甲《かふ》『オイ、バンコ、どうも|此《こ》のごろぐらゐ|怪体《けたい》な|時候《じこう》はないぢやないか。|朝《あさ》も|早《はや》くから|日《ひ》の|丸様《まるさま》がカンカンとお|照《て》りなさるかと|思《おも》へば、|直《す》ぐさま|西《にし》の|方《はう》から|黒雲《くろくも》がやつて|来《き》て|日《ひ》の|丸《まる》を|呑《の》んでしまひ、お|月様《つきさま》が|照《て》るかと|思《おも》へば、|雲《くも》に|呑《の》まれ、この|暑《あつ》い|国《くに》も|底冷《そこつめ》たい|風《かぜ》が|吹《ふ》き、|何《なん》とはなしに|悪魔《あくま》に|襲《おそ》はれさうな|気分《きぶん》で、|酒《さけ》でも|飲《の》まなければやりきれぬぢやないか』
バンコ『オイ、アンコ、それは|何《なに》をいふのだ。|酒《さけ》どころかい、|大事《だいじ》な|大事《だいじ》な|一人娘《ひとりむすめ》のお|姫様《ひめさま》はお|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らず、ジャンクの|旦那様《だんなさま》が|日々《にちにち》|青息吐息《あをいきといき》で、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》に|火物断《ひものだ》ちをし|艱難苦労《かんなんくらう》をしてござるのに、その|家《いへ》の|子《こ》の|吾々《われわれ》が|安閑《あんかん》と|酒《さけ》を|呑《の》むやうな|不始末《ふしまつ》ができやうか。|姫様《ひめさま》がお|帰《かへ》りになつたら|三日《みつか》なりと|五日《いつか》なりとお|祝《いは》ひの|酒《さけ》をいただかうとままだ。|旦那様《だんなさま》が|火物断《ひものだ》ちをしてござるのに、|吾々《われわれ》は|結構《けつこう》なお|扶持《ふち》をいただき|安閑《あんかん》と|門番《もんばん》をさして|頂《いただ》いてゐるのぢやないか。|勿体《もつたい》ない、|冥加《みやうが》に|尽《つ》きるぞよ』
アンコ『それだつて|人間《にんげん》はさう|悲観《ひくわん》ばかりするものぢやない。|天地《てんち》の|道理《だうり》を|考《かんが》へて|見《み》よ、|黒雲《くろくも》は|日月《じつげつ》を|呑《の》み、|大蛇《をろち》は|人《ひと》を|呑《の》み、|蛇《へび》は|蛙《かへる》を|呑《の》み、|大魚《たいぎよ》は|小魚《せうぎよ》を|呑《の》み、|暴君《ばうくん》は|人《ひと》の|国家《こくか》を|呑《の》み、|英雄《えいゆう》は|天下《てんか》を|呑《の》み、|女房《にようばう》は|夫《をつと》を|呑《の》み、|大工《だいく》の|宝《たから》は|槌《つち》と|鑿《のみ》、|人間《にんげん》は|酒《さけ》を|呑《の》み、|茶《ちや》を|呑《の》み、|水《みづ》を|呑《の》み、|芸者《げいしや》は|人《ひと》の|家倉《いへくら》を|呑《の》み、おまけに|床《とこ》の|下《した》から|這《は》い|上《あが》つて|来《き》て|吾々《われわれ》を|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|噛《か》んで|血《ち》を|啜《すす》る|奴《やつ》は|蚤《のみ》だ。それだから|門番《もんばん》【のみ】に|心力《しんりよく》を|費《つひ》やし|謹慎《きんしん》|謹慎《きんしん》と|謹慎《きんしん》【のみ】に|日《ひ》を|送《おく》つてゐるやうなことで、どうして|人間様《にんげんさま》の|生命《いのち》が|保《たも》たれやうか。|人間《にんげん》は|生活《せいくわつ》するために|生《い》きてゐるのぢやないか』
『|馬鹿《ばか》いふな、|今《いま》の|人間《にんげん》に|生活《せいくわつ》なんてあるものか。|生活《せいくわつ》と|言《い》ふやつは|生々《いきいき》として|社会《しやくわい》に|最善的《さいぜんてき》|活動《くわつどう》をなし、|神《かみ》の|御子《みこ》として|世《よ》のため、|人《ひと》のため|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》し、|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|浴《よく》して、|善美《ぜんび》なる|生涯《しやうがい》を|送《おく》るものを|称《しよう》して|生活者《せいくわつしや》といふのだ。どいつも、こいつも|生活難《せいくわつなん》がどうだの、|生命《せいめい》がどうだのと|学者《がくしや》ぶつて|吐《ほざ》いてゐるが、|生命《せいめい》がどこにあるか。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|機械人形《きかいにんぎやう》のやうに、ウヨウヨと|蠢動《しゆんどう》して|暗黒界《あんこくかい》に|堕落《だらく》し、|虫《むし》の|息《いき》で|半死半生《はんしはんしやう》の|境遇《きやうぐう》にありながら、|新生命《しんせいめい》だとか|何《なん》とか|言《い》つてゐるのが、をかしいわい。|生活難《せいくわつなん》ではなくて|生存難《せいぞんなん》のことを|言《い》ふのだらう』
『|生存難《せいぞんなん》に|打《う》ち|勝《か》ち|半死半生《はんしはんしやう》の|境涯《きやうがい》を|脱却《だつきやく》しやうとして|吾々《われわれ》は|活動《くわつどう》をしてゐるのだ、それだから|生活《せいくわつ》といふのだ。|今日《こんにち》の|種々《いろいろ》の|主義者《しゆぎしや》を|見《み》よ、|彼奴《あいつ》だつて…………………、|左《ひだり》に|傾《かたむ》いているのぢやないか。|左《ひだり》に|傾《かたむ》くのは|酒《さけ》に|限《かぎ》る。それだから|左傾《さけい》(|酒《さけ》)|党《たう》といふのぢや、アア|酒《さけ》なるかな、|酒《さけ》は|百薬《ひやくやく》の|長《ちやう》だ。|万民愛護《ばんみんあいご》の|神様《かみさま》だ、|平和《へいわ》の|曙光《しよくわう》だ』
『オイオイ アンコ、さう|脱線《だつせん》しては|困《こま》るぢやないか、|酒《さけ》と|左傾党《さけいたう》とを|混同《こんどう》してるぢやないか』
『|定《きま》つたことだ。|酒《さけ》に|酔《よ》うた|上《うへ》に|管《くだ》を|巻《ま》き、|終《しま》ひの|果《はて》には|気《き》に|入《い》らない|嬶《かか》の|横面《よこづら》をはり|倒《たふ》し、|家《いへ》から|追出《おひだ》して|新規播直《しんきまきなほ》しに|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|富《と》み、|信真《しんしん》の|光《ひかり》に|満《み》ちた|女神様《めがみさま》を|入《い》れるのが|酒《さけ》の|徳《とく》だよ。これを|称《しよう》して|万民愛《ばんみんあい》の|世界改革酒断《せかいかいかくしゆだん》(|手段《しゆだん》)といふのだ。|左傾党《さけいたう》だつて|同《おな》じやうなものだ。|古《ふる》い|社会《しやくわい》を|立替《たてか》へて|新《あたら》しい|平和《へいわ》の|社会《しやくわい》を|立直《たてなほ》さうとするのだから、いづれ|一度《いちど》は|酒《さけ》の|酔《よひ》と|同様《どうやう》に、|落花狼藉《らくくわらうぜき》|乱離骨敗《らんりこつぱい》、|矛盾《むじゆん》|混沌《こんとん》の|暗黒界《あんこくかい》を|来《き》たさないとも|限《かぎ》らない。|破壊《はくわい》のための|破壊《はくわい》でなく、|建設《けんせつ》のための|破壊《はくわい》だよ。さあさうだから|僕《ぼく》はたとへ|主人《しゆじん》がどうあらうとも、|僕《ぼく》は|僕《ぼく》として|酒《さけ》に|信頼《しんらい》するのだ』
『それやさうかも|知《し》れぬが、|避《さ》けうる|限《かぎ》り|酒《さけ》は|避《さ》けたいものだなア』
『|山《やま》はさけ|海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも
|酒《さけ》に|心《こころ》は|離《はな》れざりけり
といふ|古歌《こか》があるだらう。さうだから|僕《ぼく》は|酒《さけ》を|止《や》めることは|出来《でき》ないのだ。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もな【さけ】ない|顔《かほ》をして|忠義面《ちうぎづら》を|振《ふ》り|廻《まは》し、|世《よ》の|潮流《てうりう》に|漂《ただよ》ひ、|時代《じだい》の|風《かぜ》に|吹《ふ》きまくられて|戦慄《せんりつ》してゐるのだからなア、|困《こま》つたものだよ。|酒《さけ》の|反対《はんたい》は|浮《う》けだ、「|酒《さけ》を|呑《の》め|呑《の》め|呑《の》んだら|浮《う》けよ」といふぢやないか。なにほど|浮《う》け|浮《う》け|浮《う》いて|浮世《うきよ》を|暮《くら》せと|言《い》つたつて|瓢箪《へうたん》ぢやあるまいし、|酒《さけ》も|呑《の》まずに|浮《う》けるものか。|左傾《さけい》|即《そく》|右傾《うけい》(|酒《さけ》|即《そく》|浮《う》け)なりといふ|這般《しやはん》の|真理《しんり》を|知《し》らない|唐変木《たうへんぼく》は、|現代《げんだい》の|世《よ》に|処《しよ》することは|出来《でき》やせないぞ』
『オイそんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|左傾《さけい》|左傾《さけい》といふものぢやないわ。このごろはバラモンのスパイが|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく|往来《わうらい》してゐるぞ、すこし|危険《きけん》の|言語《げんご》は|避《さ》けたら|好《よ》からうぞ。|大黒主《おほくろぬし》から|御発布《ごはつぷ》になつた|法律《はふりつ》をお|前《まへ》は|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるか』
『|法律《はふりつ》といふものは、|正邪《せいじや》|善悪《ぜんあく》を|蹂躙《じうりん》して|立《た》つ、|暴君《ばうくん》の|専政《せんせい》を|謳歌《おうか》する|唯一《ゆゐいつ》に|機関《きくわん》に|過《す》ぎないのだ。|強者《きやうしや》は|益々《ますます》|強《つよ》く|弱者《じやくしや》はますます|弱《よわ》く、|悪徳《あくとく》の|蔓延《まんえん》する|悪魔《あくま》の|機関《きくわん》だ。|今日《こんにち》の|法学者《はふがくしや》だつて|奸吏《かんり》だつてみんな|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》り、あくまでも|悪《あく》を|遂行《すゐかう》しやうとしてゐるのぢやないか。それだから|暗黒無明《あんこくむみやう》の|世界《せかい》だといふのだよ。|現代《げんだい》の|悲境《ひきやう》を|救《すく》ふのには|酒《さけ》でも|呑《の》んで|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》ひ、|恍惚《くわうこつ》としてその|心魂《しんこん》は|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|遊《あそ》ぶためだ。|世《よ》の|中《なか》にこれに|増《ま》したる|救世主《きうせいしゆ》があらうか。アア|酒《さけ》なるかな|酒《さけ》なるかな。|僕《ぼく》はあくまで|酒党《さけたう》だ。|酒党《さけたう》は|即《すなは》ち|浮《う》け|党《たう》。どうだ、|僕《ぼく》の|教説《けうせつ》が、【うけ】|取《と》れたかな』
『|右《みぎ》|確《たし》かに【うけ】とり|不申候《まうさずさふらふ》だ、アハハハハ。しかし|貴様《きさま》は|臭《くさ》いぢやないか』
『|馬鹿《ばか》いふな、|俺《おれ》は|二十八才《にじふはつさい》だ、|壮年《さうねん》の|花盛《はなざか》りだよ。|正《まさ》に|男子《だんし》として|美《び》の|頂点《ちやうてん》に|達《たつ》したところだ。スガコ|姫《ひめ》さまだつて|俺《おれ》にはチヨイ|惚《ぼ》れだつたのだからなア。|俺《おれ》もスガコさまのお|顔《かほ》をチヨイチヨイ|拝《をが》むのが|楽《たの》しみに、こんな|卑《いや》しい|門番《もんばん》になつたのだ。|蛟竜《かうりよう》|池中《ちちう》に|潜《ひそ》むとも、|何時《いつ》までか|池中《いけなか》のものならむや。|一朝《いつてう》|風雲《ふううん》を|得《う》れば|天地《てんち》に|蟠《わだかま》つて|日月《じつげつ》を|呑吐《どんと》する|底《てい》の|神力《しんりき》を|有《いう》する|怪男児《くわいだんじ》だよ』
『ハハハハハ、デカタン|風《かぜ》のやうに、|好《よ》くも|吹《ふ》いたものだなア。スガコ|姫様《ひめさま》に|愛《あい》してもらはうと|思《おも》へば|門番《もんばん》ぢや|気《き》が|利《き》かねえ。なぜ|貴様《きさま》のいふ|通《とほ》り|天地《てんち》に|蟠《わだかま》つて|風雲《ふううん》を|捲《ま》き|起《おこ》し、|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》と|謳《うた》はれないのだ。|天下一《てんかいち》の|人気男《にんきをとこ》となつて|見《み》たまへ。スガコ|姫《ひめ》|以上《いじやう》の|美人《びじん》が|煩《うる》さいほど|貴様《きさま》の|周囲《しうゐ》に|集《あつ》まつて|来《く》るやうになるわ。こんな|門番《もんばん》ぐらゐやつてゐてスガコ|姫様《ひめさま》に|対《たい》し、|恋《こひ》ぢやの|愛《あい》ぢやの|吐《ぬか》すのは|片腹痛《かたはらいた》いわ、アハハハハ。|御主人《ごしゆじん》の|心《こころ》も|知《し》らず、|懐《ふところ》の|中《なか》に|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒器《しゆき》を|隠《かく》しやがつて、|人《ひと》の|目《め》を|盗《ぬす》んでチヨイチヨイと|引《ひ》つかけてゐるといふケチな|根性《こんじやう》だから、いつまでも|頭《あたま》が|上《あが》らないのだ、ハハハハハ』
『これやバンコ、|俺《おれ》の|金《かね》で|俺《おれ》が|呑《の》むのに|何《なに》が|悪《わる》い。|貴様《きさま》は|俺《おれ》の|先輩《せんぱい》ぢや|上役《うはやく》だといつも|威張《ゐば》りよるが、そんな|事《こと》で|人《ひと》が|使《つか》へるか。コセコセと|何《なん》だい。|部下《ぶか》の|行動《かうどう》をゴテゴテいふやうなことでどうして|世《よ》が|治《をさ》まるか。|吾々《われわれ》は|圧迫《あつぱく》すりやするほど|頭《かしら》をもたげるのだ。|反抗《はんかう》と|抗議《かうぎ》と|革命《かくめい》は|吾輩《わがはい》の|生命《せいめい》だ。チエー|貴様《きさま》もいまのうちに|目《め》が|覚《さ》めないとアンコ|主義者《しゆぎしや》の|暴動《ばうどう》が|起《おこ》り|貴様《きさま》の|地位《ちゐ》を|転覆《てんぷく》し、バンコ|末代《まつだい》|浮《う》かべぬようになるかも|知《し》れないぞ、エーン。|懐中《くわいちう》に|呑《の》んでゐたこの|酒徳利《さけどくり》を|貴様《きさま》に|看破《かんぱ》された|以上《いじやう》、もはや|何《なん》の|躊躇《ちうちよ》が|要《い》るものか。|焼糞《やけくそ》だ、やけ|酒《ざけ》だ、|言論《げんろん》では|追付《おつつ》かない。|示威行動《じゐかうどう》だ』
と|言《い》ひながら|鬼《おに》の|蕨《わらび》を|固《かた》めてバンコの|頭《あたま》を|首《くび》も|飛《と》べよと|擲《なぐ》りつけた。バンコは「アツ」と|叫《さけ》んでその|場《ば》に|倒《たふ》れた。
かかるところへジャンクの|家《うち》の|下僕《しもべ》セールは|慌《あわ》ただしく|走《はし》り|来《き》たり、
『オイ、|何《なん》だ|何《なん》だ、|妙《めう》な|悲鳴《ひめい》が|聞《き》こえたぢやないか』
アンコ『アハハハハ、アンコさまが|国家安固《こくかあんこ》のために、バンコ|平和《へいわ》の|基礎《きそ》を|作《つく》るため、|日頃《ひごろ》の|主義《しゆぎ》|主張《しゆちやう》(|酒義《しゆぎ》|酒張《しゆちやう》)の|実行《じつかう》と|出《で》かけたのだ。てもさても|脆《もろ》いものぢやわい、イヒヒヒヒ』
セール『オイ、アンコ、そんな|気楽《きらく》な|事《こと》を|言《い》つてゐる|所《どころ》かい。バンコが|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つてゐるぢやないか』
『アハハハハ|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》るのも|天《てん》の|然《しか》らしむるところじや。|此奴《こやつ》は|自分《じぶん》の|事《こと》ばかり|考《かんが》へて|人事《じんじ》を|省《かへり》みないから|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つたのだ。そのくせ|人《ひと》の|頭《あたま》に|上《あが》つて|不正《ふせい》の|事《こと》ばかりやりやがつて、|唯一《ゆゐいつ》の|吾々《われわれ》の|娯楽《ごらく》にしてゐる|酒《さけ》をどうだの、かうだのと|頭《あたま》から|圧迫《あつぱく》しやがるものだから、|酒《さけ》の|霊《れい》が|聯盟《れんめい》して|茲《ここ》に|直接行動《ちよくせつかうどう》となつたのだ、アハハハ』
『チエツ、|酒呑《さけの》みと|言《い》ふものは|仕方《しかた》のないものぢやなア。どうれ|介抱《かいはう》してやらねばなるまい』
とセールは|清《きよ》らかな|湯水《ゆみづ》を|汲《く》み|来《き》たり、|頭部《とうぶ》|面部《めんぶ》の|嫌《きら》ひなく|伊吹《いぶき》の|狭霧《さぎり》を|吹《ふ》きかけ、「バラモン|自在天《じざいてん》|救《すく》ひたまへ|助《たす》けたまへ」と|流汗淋漓《りうかんりんり》として|祈願《きぐわん》をこめた。|半時《はんとき》ばかりたつとバンコは|息《いき》|吹《ふ》きかえし、セールに|手《て》を|引《ひ》かれ、ヒヨロリヒヨロリと|吾《わ》が|居間《ゐま》を|指《さ》して|導《みちび》かれ|行《ゆ》く。
|後《あと》|見送《みおく》つてアンコは|怪《あや》しき|笑《わら》ひをうかべ、
『チヨツ、エエ|反古《ほご》の|紙撚《こより》で|造《つく》つた|羅漢《らかん》のやうな|面《つら》|曝《さら》しやがつて、|酒《さけ》がどうのかうのと|何《なん》だい。またセールもセールだ。|闇《くらがり》で|蛙《かはづ》を|踏《ふ》み|潰《つぶ》したやうな|声《こゑ》を|出《だ》しやがつて、|吾輩《わがはい》に|意見《いけん》がましいことを|吐《こ》きやがつた。ヘン|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|古《ふる》い|頭《あたま》だな。しかし|俺《おれ》も、ちつとは|好《よ》くないかも|知《し》れぬ。あまり|直接行動《ちよくせつかうどう》が|早《はや》すぎたからなア。しかし|当家《たうけ》の|旦那様《だんなさま》もさういふもののお|気《き》の|毒《どく》だ。|一人《ひとり》よりないお|嬢《ぢやう》さまは|悪漢《わるもの》に|夜《よる》の|間《ま》に|奪《うば》はれ|今《いま》にお|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らず、そこへ|向《む》けてバラモン|軍《ぐん》の|大将《たいしやう》|大足別《おほだるわけ》|奴《め》、|沢山《たくさん》の|部下《ぶか》を|引《ひ》きつれ|闖入《ちんにふ》し|来《き》たり、|金銀珠玉《きんぎんしゆぎよく》を|奪《うば》ひ|取《と》り|帰《かへ》つた|後《あと》だから、|旦那様《だんなさま》も|御心配《ごしんぱい》なさるのも|御無理《ごむり》はあるまい。アア|思《おも》へば|思《おも》へばお|気《き》の|毒様《どくさま》だ』
と|独《ひと》り|語《ご》ちつつ|又《また》もや|懐《ふところ》から|酒徳利《さけどつくり》を|出《だ》し、|額《ひたひ》をピシヤピシヤと|右《みぎ》の|手《て》で|叩《たた》きながら、|左《ひだり》の|手《て》で|徳利《とくり》の|口《くち》を|自分《じぶん》の|口《くち》へ|運《はこ》んでゐる。
そこへ|慌《あわ》ただしく|門《もん》を|潜《くぐ》つて|入《い》り|来《き》たる|一人《ひとり》の|男《をとこ》があつた。アンコは|目敏《めざと》くこれを|見《み》て、
『オイオイオイ、どこへ|行《ゆ》くのだ。ここに|門番《もんばん》がござるぞ。この|関所《せきしよ》を|越《こ》えるのにや|吾輩《わがはい》の|許可《きよか》を|受《う》けねばなるまい。|一体《いつたい》|貴様《きさま》の|名《な》は|何《なん》といふか』
|男《をとこ》『ハイ|私《わたし》は|隣村《となりむら》の|百姓《ひやくしやう》でインカと|申《まを》します。ジャンクの|旦那様《だんなさま》に|御報告《ごほうこく》のため|取急《とりいそ》ぎ|参《まゐ》りました。|何卒《なにとぞ》お|通《とほ》し|下《くだ》さいませ』
アンコ『ハハハハハ。お|前《まへ》の|名《な》はインカといふのか。そんなら|門《もん》の|通過《つうくわ》を|允可《いんか》してやらんでもないが、|貴様《きさま》は|右傾党《うけいたう》か|左傾党《さけいたう》か、どちらだ。|左傾党《さけいたう》ならこの|酒《さけ》を|飲下《いんか》して|進《すす》むのだな』
インカ『イヤ|有難《ありがた》う、|私《わたし》は|酒《さけ》の|話《はなし》を|聞《き》くとどんな|大切《たいせつ》な|用《よう》でも|忘《わす》れてしまふのです。どうか|帰《かへ》りに|呑《の》まして|下《くだ》さい』
アンコ『ナランナラン、|人《ひと》の|志《こころざし》を|無《む》にすると|言《い》ふことがあるか。まづ|一《いつ》ぱいグツと|飲下《いんか》して|而《しか》して|後《のち》に|君《きみ》の|使命《しめい》をジャンクの|主《あるじ》に|報告《はうこく》すれば|可《い》いのだ。さうクシヤクシヤと|世《よ》の|中《なか》を|狭《せま》く|小《ちひ》さく|暮《くら》すものぢやないよ。まア|一口《ひとくち》やりたまへ』
とインカの|口許《くちもと》へ|突《つ》きつける。インカは|目《め》を|細《ほそ》うしてガブガブと|音《おと》を|立《た》て|嬉《うれ》しげに|呑《の》み|干《ほ》した。
アンコ『オイ、コラコラ|貴様《きさま》が|皆《みな》|呑《の》んでしまつたぢやないか。|俺《おれ》をどうしてくれるのだ』
インカ『|誠《まこと》にすみませぬ、あまり|美味《おい》しい|酒《さけ》で|口《くち》を|離《はな》さうと|思《おも》つたのですが、|副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》、|空《から》になるまで|離《はな》してくれなかつたのです。どうぞ|過《す》ぎ|去《さ》つたことは|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さいな』
『よし、それぢや|俺《おれ》のいふ|事《こと》を|聞《き》いてくれるか、|聞《き》いてくれりや|了簡《れうけん》する』
『どんな|事《こと》でございますか、ともかく|聞《き》かしていただきませう』
『|俺《おれ》の|名《な》はアンコだ。しかしながら|俺《おれ》の|地位《ちゐ》はあまり|安固《あんこ》でない。|今《いま》バンコに|対《たい》して|蛮行《ばんかう》をやつたものだから、どうやら|首《くび》が|飛《と》びさうだ。だから|此所《ここ》をスタコラヨイヤサと|三十六計《さんじふろくけい》の|奥《おく》の|手《て》を|出《だ》さうとしてゐたとこだが、ここを|出《だ》されちや|居所《ゐどころ》に|困《こま》る。|浮浪罪《ふらうざい》で|捕《つか》まつては|大変《たいへん》だから、|暫《しばら》くお|前《まへ》の|家《うち》に|養《やしな》つてもらひたいものだなア』
『|何《なん》の|事《こと》かと|思《おも》へばそんな|御用《ごよう》ですか。ヘイよろしい、|私《わたし》もコマの|村《むら》の|侠客《けふかく》ぢや。|男《をとこ》が|頼《たの》まれちや|後《あと》には|引《ひ》けませぬ、|安心《あんしん》なさい。きつと|引受《ひきう》けますよ』
『やア|有難《ありがた》い、それでちよつと|安心《あんしん》した。しかし|君《きみ》、|慌《あわ》ただしうやつて|来《き》たのは|何《なん》の|用《よう》だ。ちよつと|端緒《たんちよ》だけでもよいが、|僕《ぼく》に|内報《ないはう》してくれまいか』
『や、|実《じつ》のところは|自分《じぶん》の|村《むら》に|大変《たいへん》な|騒動《さうだう》が|起《おこ》つたのだ。|里庄《りしやう》の|伜《せがれ》サンダーさまが|当家《たうけ》のお|嬢様《ぢやうさま》スガコ|様《さま》にゾツコン、ラブしてござつたところ、お|前《まへ》も|知《し》つての|通《とほ》りスガコさまが|行衛不明《ゆくゑふめい》になつたのだ。サンダーさまが|失望《しつばう》|落胆《らくたん》のため|発狂《はつきやう》したと|見《み》え、この|間《あひだ》から|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らぬのだ。それがために|村中《むらぢう》は|山《やま》といはず|谷《たに》といはず|広《ひろ》い|野原《のはら》まで、|返《かへ》せ|戻《もど》せと|鉦《かね》や|太鼓《たいこ》で|探《さが》して|見《み》たのだが、|今《いま》に|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らぬので|許嫁《いひなづけ》のある|当家《たうけ》へ|無音信《だま》つてゐる|訳《わけ》にはゆかないので、|里庄《りしやう》に|頼《たの》まれ|使《つか》ひに|来《き》たのだ。|自分《じぶん》も|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》を|使《つか》つて|昼夜兼行《ちうやけんかう》で|探《さが》してゐるのだが|今《いま》にわからないのだよ。|実《じつ》に|気《き》の|毒《どく》なことが|出来《でき》たものだ。それのみならず、バラモン|軍《ぐん》が|通過《つうくわ》の|際《さい》|村中《むらぢう》の|婦女《ふぢよ》を|誘拐《いうかい》し、|村民《そんみん》は|大変《たいへん》に|困《こま》つてゐる、|何《なん》とかして|一時《いちじ》も|早《はや》く|所在《ありか》を|探《さが》さねば、このインカだつて|男《をとこ》の|顔《かほ》が|立《た》たないんだ』
『アーさうか、それや|気《き》の|毒《どく》だ。|俺《おれ》もお|前《まへ》の|兄弟分《きやうだいぶん》となつて、|一《ひと》つ|捜索隊《さうさくたい》の|御用《ごよう》でも|努《つと》めようかなア、アハハハハ』
インカ『ヤア、とも|角《かく》も|奥《おく》へ|往《い》つて|報告《はうこく》を|済《す》まして|来《く》るから、また|後《あと》でゆつくり|話《はな》さうか』
と|言《い》ひながら|足早《あしばや》にジャンクの|館《やかた》をさしてかけり|往《ゆ》く。
かかるところへ|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、やつて|来《き》たのは|照国別《てるくにわけ》の|一行《いつかう》|五人《ごにん》であつた。アンコが|厳重《げんぢう》に|鎖《とざ》した|門《もん》の|外《そと》に|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》は|立《た》ちながら、
|照国《てるくに》『お|頼《たの》み|申《まを》す、お|頼《たの》み|申《まを》す』
アンコ『ナナ|何《なん》だ、バラモン|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》はお|断《こと》わりだ。|宣伝使《せんでんし》なんかに|用《よう》はない。トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|当家《たうけ》は|心配事《しんぱいごと》ができて|上《うへ》を|下《した》へと|大騒動《おほさうどう》だ。そんな|気楽《きらく》さうな|歌《うた》を|歌《うた》つて|来《く》る|乞食《こじき》の|潜《くぐ》る|門《もん》ぢやない。トツトと|帰《い》んでもらひませうかい』
|梅公《うめこう》『|主《す》の|神《かみ》は|此《この》|家《や》の|嘆《なげ》きを|救《すく》はむがために、|教《をしへ》の|御子《みこ》を|遣《つか》はし|門外《もんぐわい》に|立《た》たせ|給《たま》へども、|奸悪《かんあく》なる|世《よ》はこの|御使《みつかひ》を|迎《むか》へ|入《い》れ|救《すく》はるる|事《こと》を|知《し》らず、|実《じつ》に|憐《あは》れむべきの|至《いた》りだ』
と|大声《おほごゑ》に|叱呼《しつこ》した。
タクソン『オイ|門番《もんばん》、アンコにバンコ、|俺《おれ》は|主人《しゆじん》にお|気《き》に|入《い》りのタクソンさまだぞ。お|屋敷《やしき》の|難儀《なんぎ》を|救《すく》ふべく|三五教《あななひけう》の|活神様《いきがみさま》をお|迎《むか》へ|申《まを》して|来《き》たのだ。|何《なに》をグヅグヅしてゐるか。サア|早《はや》く|開《あ》けたり、|開《あ》けたり』
アンコ『エイ、|嬶盗《かかぬす》まれのタクソン|奴《め》、|偉《えら》さうに|吐《ぬか》しやがる。|仕方《しかた》がない、|開《あ》けてやらう』
とつぶやきながら、|閂《かんぬき》を|外《はづ》し、パツと|門《もん》を|開《ひら》いた。
タクソン『ヤア|御苦労《ごくらう》、いつも|元気《げんき》な|顔《かほ》をしてゐるなア、|結構々々《けつこうけつこう》』
といひながら|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》を|案内《あんない》し|邸内《ていない》|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 加藤明子録)
第四章 |里庄《りしやう》の|悩《なやみ》〔一六八六〕
タライの|村《むら》の|里庄《りしやう》ジャンクは|重《かさ》なる|悲運《ひうん》に|悄然《せうぜん》として|奥《おく》の|間《ま》に|火物断《ひものだ》ちをなし、|顔色《がんしよく》|青《あを》ざめ、ほとんど|此《この》|世《よ》の|人《ひと》とは|見《み》えぬまでにやつれながら、|二絃琴《にげんきん》を|弾《だん》じて|心《こころ》の|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》を|慰《なぐさ》めてゐた。
『|久方《ひさかた》の|空《そら》すみ|渡《わた》り|日月《じつげつ》の  |光《ひかり》は|清《きよ》く|万有《ばんいう》を
|照《て》らし|玉《たま》へど|醜神《しこがみ》の  その|勢《いきほ》ひの|猛《たけ》くして
|真澄《ますみ》の|空《そら》も|瞬間《しゆんかん》に  |墨《すみ》を|流《なが》せし|常暗《とこやみ》の
|淋《さび》しき|世《よ》とはなりにけり  |地《ち》には|百草《ももぐさ》|繁茂《はんも》して
|紫《むらさき》|紅《くれなゐ》|赤《あか》|白《しろ》の  |目出《めで》たき|花《はな》は|遠近《をちこち》と
|所《ところ》|狭《せ》きまで|咲《さ》き|匂《にほ》ふ  さながら|花《はな》の|莚《むしろ》をば
|布《し》きし|如《ごと》くに|見《み》ゆれども  |天《てん》に|叢雲《むらくも》|花《はな》に|嵐《あらし》
|静《しづ》かな|波《なみ》も|風《かぜ》|吹《ふ》かば  |海《うみ》の|底《そこ》ひも|白波《しらなみ》の
|立髪《たてがみ》ふるひ|大津辺《おほつべ》の  |岸《きし》に|噛《か》みつく|世《よ》の|習《なら》ひ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》と|頼《たの》みてし  タライの|村《むら》の|吾《わ》が|家《いへ》も
|世《よ》の|変遷《へんせん》にもれずして  |柱《はしら》と|頼《たの》む|吾《わ》が|妻《つま》は
|十年《ととせ》の|前《まへ》に|病気《いたづき》の  |身《み》を|横《よこ》たへて|幽界《かくりよ》に
|果敢《はか》なき|旅《たび》をなせしより  |忘《わす》れがたみの|一人娘《ひとりご》を
|家《いへ》の|杖《つゑ》とし|力《ちから》とし  |這《は》へば|立《た》て|立《た》てば|歩《あゆ》めと|朝宵《あさよひ》に
|心《こころ》を|配《くば》り|育《はぐ》くみて  |漸《やうや》く|二九《にく》の|春《はる》|迎《むか》へ
ヤレ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふ|間《ま》も  なくなく|醜《しこ》の|荒風《あらかぜ》に
|吹《ふ》きまくられて|情《つれ》なくも  |後《あと》に|残《のこ》りし|吾《われ》|独《ひと》り
|天《てん》に|歎《なげ》き|地《ち》に|哭《こく》し  |呼《よ》べど|叫《さけ》べど|行方《ゆくへ》さへ
|空《そら》|白雲《しらくも》の|当《あて》もなく  |無限《むげん》の|涙《なみだ》|干《ひ》もやらず
|憂《う》きに|苦《くる》しむ|吾《わ》が|不運《ふうん》  |憐《あは》れみ|玉《たま》へ|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|御前《おんまへ》に  ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
この|家《や》の|柱《はしら》と|頼《たの》みてし  スガコの|姫《ひめ》は|今《いま》いづこ
|雨《あめ》の|夕《ゆふ》べや|霜《しも》の|朝《あさ》  |心《こころ》|痛《いた》むる|足乳根《たらちね》の
|父《ちち》の|心《こころ》を|思《おも》ひ|出《で》て  |胸《むね》に|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》をば
|湛《たた》へて|苦《くる》しみゐるならむ  さは|去《さ》りながら|吾《わ》が|娘《むすめ》
|如何《いか》なる|曲《まが》に|捉《とら》はれて  |苦《くる》しみ|悩《なや》みあるとても
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|玉《たま》の|緒《を》の  |命《いのち》の|此《この》|世《よ》に|在《あ》る|限《かぎ》り
|日頃《ひごろ》|頼《たの》みし|家《いへ》の|子《こ》を  |四方《よも》に|遣《つか》はし|所在《ありか》をば
|尋《たづ》ね|出《い》だして|老《おい》の|身《み》の  |涙《なみだ》にぬれし|衣手《ころもで》を
|天津御空《あまつみそら》の|日《ひ》のかげに  |乾《かわ》かし|喜《よろこ》ぶ|事《こと》もあらむ
それを|一途《いちづ》の|望《のぞ》みとし  |老《おい》の|命《いのち》を|永《なが》らへて
|味《あぢ》なき|月日《つきひ》を|送《おく》るなり  |憐《あは》れみたまへ|自在天《じざいてん》
たとへ|天地《てんち》は|失《う》するとも  |忘《わす》れ|難《がた》きは|恩愛《おんあい》の
|吾《わ》が|子《こ》を|思《おも》ふ|赤心《まごころ》に  まさりしものはあらざらむ
アアなつかしやなつかしや  |夢《ゆめ》になりともスガコ|姫《ひめ》
|恋《こひ》しき|父《ちち》よと|一言《ひとこと》の  |言《こと》あげせよや|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐ》みの|深《ふか》ければ  |又《また》も|逢瀬《あふせ》の|川波《かはなみ》の
|会《あ》うて|流《なが》るる|愛《あい》の|海《うみ》  |救世《ぐぜい》の|舟《ふね》に|救《すく》はれて
|父《ちち》の|館《やかた》へイソイソと  |帰《かへ》り|来《き》ませよ|吾《あ》は|汝《なれ》の
|身魂《みたま》の|幸《さち》を|祈《いの》りつつ  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|歎《なげ》くなり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
かかる|折《を》りしも|玄関番《げんくわんばん》に|導《みちび》かれて|隣村《となりむら》の|侠客《けふかく》インカが、|隔《へだ》ての|襖《ふすま》を|押《お》しあけ|丁寧《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
『エー|旦那様《だんなさま》、|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ』
この|声《こゑ》にジャンクは|琴《こと》の|手《て》を|止《や》めて、|涙《なみだ》をかくしながら、
『ヨー、ア、|其方《そなた》は、|音《おと》に|名高《なだか》き|隣村《となりむら》の|侠客《けふかく》インカ|親分《おやぶん》であつたか、ヨウ、マア|来《き》て|下《くだ》さつた。そして|御用《ごよう》の|筋《すぢ》はどんな|事《こと》かなア、|早《はや》く|聞《き》かしてもらひたい』
インカ『ハイ、お|嬢様《ぢやうさま》のお|行方《ゆくへ》を|探《さが》し|求《もと》め、|一日《いちにち》も|早《はや》く|旦那様《だんなさま》に|喜《よろこ》んで|頂《いただ》かうと|思《おも》ひ、|五十人《ごじふにん》の|手下《てした》を|遠近《ゑんきん》|四方《しはう》に|間《ま》くばり、|大捜索《だいさうさく》をいたしましたが、|今《いま》にお|所在《ありか》は|分《わか》らず|面目《めんぼく》|次第《しだい》はござりませぬ。あなたの|御心中《ごしんちう》はこのインカお|察《さつ》し|申《まを》します』
ジャンク『ア、それはお|心《こころ》を|煩《わづら》はし、|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》がありませぬ。いづれ|貴方《あなた》の|御威光《ごゐくわう》と|御親切《ごしんせつ》によつて、|娘《むすめ》のスガコはやがて|帰《かへ》るでございませう。|何卒々々《なにとぞなにとぞ》よろしう|願《ねが》ひます』
『ハイ、|承知《しようち》いたしました。|面目《めんぼく》|次第《しだい》もございませぬが、|痩《や》せてもこけても、|遠近《ゑんきん》に|名《な》を|売《う》つた|侠客《けふかく》の|私《わたし》、|力《ちから》のかぎり|活動《くわつどう》をいたし、お|心《こころ》に|副《そ》ふやう|努《つと》めるでございませう。しかしかかるお|歎《なげ》きの|央《なかば》へ、|又《また》もや|御心配《ごしんぱい》の|事《こと》を|申上《まをしあ》げるのは|私《わたし》の|身《み》に|取《と》つて、|実《じつ》に|心苦《こころぐる》しい|次第《しだい》でございますが、お|嬢《ぢやう》さまの|許嫁《いひなづけ》のサンダー|様《さま》は、|日夜《にちや》|怏々《おうおう》として|楽《たの》しまず、|遂《つひ》にはお|行方《ゆくへ》が|分《わか》らなくなり、お|父上《ちちうへ》マルク|様《さま》より|私《わたし》に|捜索方《さうさくかた》を|依頼《いらい》され、これも|又《また》|二三日前《にさんにちまへ》から|骨《ほね》を|折《を》つて|探《さが》してゐますが、どうもお|行方《ゆくへ》が|分《わか》りませぬので、|私《わたし》の|顔《かほ》も|台《だい》なしでございます』
『なに、マルクさまの|御子息《ごしそく》が、|行方不明《ゆくへふめい》とな。|左様《さやう》な|事《こと》が……|出来《でき》てゐるのなら、これほど|眤懇《じつこん》な|間柄《あひだがら》、なぜに|直《す》ぐに|知《し》らしに|来《き》て|下《くだ》さらなかつたのだらう。サテ|不思議《ふしぎ》な|事《こと》だなア』
『|実《じつ》のところは、マルクの|旦那様《だんなさま》も|直《す》ぐさま|御通知《ごつうち》|遊《あそ》ばすはずでございましたが、|旦那様《だんなさま》が|嬢様《ぢやうさま》の|事《こと》について|御心配《ごしんぱい》の|最中《さいちう》へ、こんな|話《はなし》を|申上《まをしあ》げたら、さぞお|力《ちから》おとしをなさるだらうと|思召《おぼしめ》され、ソツと|人知《ひとし》れず|捜索《そうさく》を|始《はじ》められ、|御子息《ごしそく》のサンダー|様《さま》がお|帰《かへ》りになりさへすれば、それで|貴方様《あなたさま》に|御心配《ごしんぱい》をかけるに|及《およ》ばないと、|今《いま》まで|包《つつ》んでゐられましたのでございますが、どうしても|行方《ゆくへ》が|分《わか》らぬとすれば、|当家《たうけ》の|御養子《ごやうし》と|定《き》まつたサンダーさまの|事《こと》でございますから、|旦那様《だんなさま》に|報告《はうこく》せずにはをられないので、|今日《こんにち》は|私《わたし》に「ちよつと、お|使《つか》ひに|行《い》つて|来《き》てくれぬか」とのお|頼《たの》み、|罷《まか》り|出《い》でました|次第《しだい》でございます』
ジャンク『|何《なん》と、|憂《うれひ》が|重《かさ》なれば|重《かさ》なるものだなア。|吾《わ》が|娘《むすめ》の|紛失《ふんしつ》といひ、|許嫁《いひなづけ》の|養子《やうし》サンダーの|行方不明《ゆくへふめい》といひ、アア|天道《てんだう》は|是《ぜ》か|非《ひ》か。かくまで|歎《なげ》きの|打《う》ち|重《かさ》なるものだらうか、|如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|罪業《ざいごふ》かは|知《し》らねども、これは|又《また》あんまり|惨酷《ざんこく》だ、アア』
と|吐息《といき》をつき|差俯《さしうつ》むき、|熱《あつ》い|涙《なみだ》をポロリポロリとおとしてゐる。
インカ『お|歎《なげ》きは|御無理《ごむり》もございませぬが、|歎《なげ》いて|事《こと》のすむものでもございませぬ。まづ|心《こころ》を|落《お》ちつけなさいませ。きツと|神様《かみさま》がお|助《たす》け|下《くだ》さるでせう』
『ヤ、|有難《ありがた》う、|悔《く》やんでかへらぬことを、|又《また》しても|年老《としよ》りの|愚痴《ぐち》、つい|涙《なみだ》がこぼれるのだ、アハハハハハハ。これもしインカさま、サンダーはバラモン|軍《ぐん》に|捉《とら》はれたのではありますまいか』
『|神《かみ》ならぬ|身《み》の|吾々《われわれ》、どうとも|申上《まをしあ》げかねますが、サンダー|様《さま》は|何時《いつ》も|女装《ぢよさう》をしてゐられますから、|大足別《おほだるわけ》の|軍勢《ぐんぜい》が|女《をんな》と|過《あやま》つてつれ|帰《かへ》つたのかも|知《し》れませぬ。|私《わたし》も|一身《いつしん》を|賭《と》して、バラモンの|陣中《ぢんちう》に|駆《か》け|込《こ》み、|実否《じつぴ》を|査《しら》べむかと|存《ぞん》じますけれど、|何《なに》をいうても|目《め》に|余《あま》る|大軍《たいぐん》、|血《ち》に|飢《う》ゑたる|虎狼《こらう》どもの|群《むれ》、|可惜《あたら》|犬死《いぬじ》にを|致《いた》すよりも……と|存《ぞん》じ、|卑怯《ひけふ》かは|知《し》りませぬが、|何《なん》とかして|安全《あんぜん》にお|救《すく》ひ|申《まを》したいと|苦心《くしん》|惨澹《さんたん》の|最中《さいちう》でございます。|義《ぎ》を|見《み》ては|命《いのち》を|惜《を》しまぬ|侠客《けふかく》なれど、|目的《もくてき》も|達《たつ》せずに|犬死《いぬじ》にするは、|男子《だんし》の|意気《いき》でもございますまい。|湧《わ》きかへる|胸《むね》を|抑《おさ》へて、|時《とき》を|待《ま》つてをるような|次第《しだい》でございます。しかし|邪《じや》は|正《せい》に|勝《か》つものぢやございませぬ。きつとお|嬢様《ぢやうさま》もサンダー|様《さま》も|無事《ぶじ》にお|帰《かへ》りなさるでせう。|心丈夫《こころぢやうぶ》にお|待《ま》ちなさいませ』
『ハイ、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》の|暗《やみ》の|世《よ》の|中《なか》、|誰《たれ》にたよる|術《すべ》もなき|腑甲斐《ふがひ》なき|里庄《りしやう》の|身《み》、ただ|貴方様《あなたさま》を|唯一《ゆゐいつ》の|助《たす》け|神《がみ》として、|細《ほそ》き|息《いき》の|根《ね》をつないでをります。|何分《なにぶん》よろしく|願《ねが》ひます』
かく|話《はな》すところへ|旧臣《きうしん》のタクソンは|慌《あわ》ただしく|入《い》り|来《き》たり、|頭《あたま》を|畳《たたみ》にすりつけながら、
『|旦那様《だんなさま》、|御愁傷《ごしうしやう》のほどお|察《さつ》し|申《まを》し|上《あ》げます。まだ|嬢様《ぢやうさま》のお|行方《ゆくへ》は|何《なん》の|便《たよ》りもございませぬか』
ジャンク『ア、|其方《そなた》はタクソンか、よう|来《き》て|下《くだ》さつた。|娘《むすめ》の|行方《ゆくへ》について、|今《いま》インカ|親分《おやぶん》と|相談《さうだん》をしてゐたところだ。お|前《まへ》も|大切《だいじ》な|女房《にようばう》を|取《と》られ、さぞ|心配《しんぱい》してゐるだらう』
タクソン『|旦那様《だんなさま》、|勿体《もつたい》ないそのお|言葉《ことば》。|私《わたし》の|女房《にようばう》なんか、|物《もの》の|数《かず》でもございませぬが、|大切《たいせつ》な、ただお|一人《ひとり》の|嬢様《ぢやうさま》を、お|捕《と》られ|遊《あそ》ばした|旦那様《だんなさま》のお|心《こころ》、|立《た》つても|居《ゐ》てもゐられないでございませう。|早速《さつそく》お|見舞《みまひ》に|参《まゐ》り、|嬢様《ぢやうさま》の|御在所《おんありか》を|探《さが》し|出《だ》さねば|済《す》まないのでございますが、バラモン|軍《ぐん》の|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》のために、|吾《わ》が|女房《にようばう》はかつさらはれ、また|村《むら》の|妻女《さいぢよ》は|残《のこ》らず|毒手《どくしゆ》にかかり、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|地獄《ぢごく》の|有様《ありさま》でございますから、|旦那様《だんなさま》にはすまぬ|事《こと》とは|知《し》りながら、その|方《はう》に|手《て》をとられ、いろいろ|善後策《ぜんごさく》を|講《かう》じ、つい、|御無沙汰《ごぶさた》をいたしました』
ジャンク『ナニ、そんな|心配《しんぱい》はしてくれな。お|前《まへ》も|村人《むらびと》のために|非常《ひじやう》に|力《ちから》を|尽《つく》してゐるといふ|事《こと》を|聞《き》いて、|蔭《かげ》ながら|私《わたし》も|感涙《かんるい》にむせんでゐたのだ。|私《わたし》の|娘《むすめ》はどうでもよい。|村《むら》の|災難《さいなん》を|救《すく》ひさへすれば、これにまさつた|喜《よろこ》びはないのだ』
『|旦那様《だんなさま》の|慈愛《じあい》に|深《ふか》き|其《そ》のお|言葉《ことば》を、|村人《むらびと》が|聞《き》いたなら、さぞ|喜《よろこ》ぶ|事《こと》でございませう。|私《わたし》も|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》は|神《かみ》の|慈言《じげん》のやうに|心《こころ》にしみ|渡《わた》り、|有難《ありがた》さ|勿体《もつたい》なさ、|自然《しぜん》に|落涙《らくるい》をいたします。アア|時《とき》にインカの|親分《おやぶん》さま、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うございます。どうかお|嬢様《ぢやうさま》のために|一臂《いつぴ》の|力《ちから》をお|添《そ》へ|下《くだ》さいますよう、|旦那様《だんなさま》に|代《かは》り、お|願《ねが》ひ|申《まを》します』
インカも|涙《なみだ》ぐみながら、|許嫁《いひなづけ》のサンダーが|又《また》もやさらはれたといへば、|歎《なげ》きの|上《うへ》に|歎《なげ》きをかさねる|道理《だうり》だ。このタクソンには|知《し》らさない|方《はう》がいいだらうと|思《おも》つたから、サンダーのことは|口《くち》にせず、
『お|嬢様《ぢやうさま》の|事《こと》は|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。キツと|神様《かみさま》がお|救《すく》ひ|下《くだ》さるでせう。また|私《わたし》も|神様《かみさま》のお|力《ちから》に|仍《よ》つて|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》さして|頂《いただ》きませう』
タクソン『ハイ|有難《ありがた》うございます。モウかうなれば、|神様《かみさま》に|何事《なにごと》もおすがりするより|途《みち》がございませぬ。|時《とき》に、|旦那様《だんなさま》、インカ|様《さま》、お|喜《よろこ》び|下《くだ》さいませ。|斎苑《いそ》の|館《やかた》より|派遣《はけん》されたる|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》、|照国別《てるくにわけ》といふ|活神様《いきがみさま》がこの|村《むら》にお|出《い》でになり、サンヨの|家《いへ》にお|立寄《たちよ》り|下《くだ》さいまして、|婆《ばあ》さまの|危難《きなん》をお|救《すく》ひ|下《くだ》され、その|上《うへ》、バラモンの|悪神《あくがみ》を|言向《ことむ》け|和《やは》してやらうと|仰有《おつしや》いましたので、|吾々《われわれ》の|奉《ほう》ずる|宗旨《しうし》は|違《ちが》ひますけれど、|神《かみ》の|助《たす》けに|二《ふた》つはないと|存《ぞん》じ、お|願《ねが》ひいたしまして、ただいま|当家《たうけ》の|玄関《げんくわん》までお|伴《とも》を|致《いた》しました。|宣伝使《せんでんし》にお|尋《たづ》ねになつたならば、|嬢様《ぢやうさま》の|所在《ありか》も|判然《はんぜん》するだらうかと|存《ぞん》じましたので、|旦那様《だんなさま》に|照会《せうくわい》もせず、だしぬけに、|失礼《しつれい》ながら|御案内《ごあんない》|申《まを》して|参《まゐ》りました』
ジャンク『ナニ、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》を|御案内《ごあんない》|申《まを》して|来《き》たといふのか。あ、|何《なに》はともあれ|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》のお|引合《ひきあは》せだらう。サアサア|玄関《げんくわん》にお|待《ま》たせ|申《まを》してはすまない。|早《はや》く|奥《おく》へ|通《とほ》つて|頂《いただ》くやうに……セールは|居《を》らぬか、セール セール』
|呼《よ》ばはれば「ハイ」と|答《こた》へて、セールはこの|場《ば》に|現《あら》はれ、
『|旦那様《だんなさま》、|何《なん》の|御用《ごよう》でございますか』
ジャンク『お|前《まへ》は、|玄関《げんくわん》にお|客様《きやくさま》が|見《み》えてゐるのを|知《し》らぬのか、|早《はや》くお|迎《むか》へ|申《まを》して|来《こ》い。|玄関番《げんくわんばん》もせずにどこへ|行《い》つてをつたのだ』
セール『ハイ、|誠《まこと》に|不都合《ふつがふ》をいたしました。|実《じつ》は|表門《おもてもん》に|当《あた》つて、|騒々《さうざう》しい|声《こゑ》がしますので|取《と》る|物《もの》も|取《と》り|敢《あへ》ず|行《い》つてみれば、アンコ、バンコの|大喧嘩《おほげんくわ》、バンコは|鉄拳《てつけん》をくらつて|気絶《きぜつ》いたしましたので、いろいろと|介抱《かいはう》をいたし、|漸《やうや》く|蘇生《そせい》させましたが、どうやらすると|再《ふたた》び|昏睡状態《こんすゐじやうたい》に|入《い》りさうなので、|目《め》も|放《はな》されず|介抱《かいはう》いたしてをりました。|旦那様《だんなさま》のお|歎《なげ》きの|央《なか》ばへ、かやうな|下《くだ》らぬ|門番《もんばん》の|争《あらそ》ひ|事《ごと》まで|申上《まをしあ》げては|済《す》まないと|存《ぞん》じ、さし|控《ひか》えてをりました』
ジャンク『そりや|怪《け》しからぬ|奴《やつ》だ。アンコといふ|奴《やつ》は、|酒《さけ》くせの|悪《わる》い|男《をとこ》だからなア。しかし|何《なに》はともあれ、|宣伝使《せんでんし》を|御案内《ごあんない》|申《まを》して|来《こ》い』
「ハイ」と|答《こた》へて、セールは|玄関《げんくわん》に|立《た》ち|現《あら》はれ、|一同《いちどう》を|案内《あんない》した。|照国別《てるくにわけ》はじめ|梅公《うめこう》、|照公《てるこう》、エルソンの|四人《よにん》はジャンクの|居間《ゐま》に、|一礼《いちれい》を|施《ほどこ》し|座《ざ》についた。
ジャンク『これはこれは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|賤《しづ》が|伏家《ふせや》をよくお|訪《たづ》ね|下《くだ》さいました。|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひ|申《まを》します。|私《わたし》はこの|村《むら》の|里庄《りしやう》を|勤《つと》むるジャンクと|申《まを》す|者《もの》でございます』
|照国《てるくに》『お|初《はつ》にお|目《め》にかかります。この|村《むら》の|入口《いりぐち》にてタクソンさまにお|目《め》にかかり、|承《うけたまは》ればお|館《やかた》にはお|取込《とりこ》みのお|有《あ》りなさるといふこと、それを|聞《き》いては|宣伝使《せんでんし》の|吾々《われわれ》、|聞捨《ききず》てにもなりませぬから、お|邪魔《じやま》をいたし、|御機嫌《ごきげん》を|伺《うかが》ひに|参《まゐ》りました。|何分《なにぶん》|神力《しんりき》の|足《た》らぬ、|修業中《しうげふちう》の|吾々《われわれ》でございますから、|何《なに》もお|間《ま》に|合《あ》ひませぬが、|神様《かみさま》のお|力《ちから》によりて、|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|尽《つく》さして|頂《いただ》きたいと|思《おも》ひます』
『|尊《たふと》き|有難《ありがた》きそのお|言葉《ことば》、|老木《おいき》も|若芽《わかめ》を|吹《ふ》き|出《だ》し、|花《はな》にあふ|春陽《しゆんやう》の|気《き》が|漂《ただよ》ふやうでございます。|此処《ここ》にござるお|方《かた》はインカ|親分《おやぶん》といつて|隣村《となりむら》の|侠客《けふかく》でございますが、|此《この》|方《かた》にもいろいろと|御心配《ごしんぱい》にあづかつて|居《ゐ》るのでございます』
|照国《てるくに》『アア、これはこれは、お|初《はつ》にお|目《め》にかかります。あなたが|有名《いうめい》な|侠客《けふかく》のインカ|親分《おやぶん》でございましたか。|何卒《なにとぞ》お|見知《みし》りおかれまして、|今後《こんご》は|御眤懇《ごじつこん》に|願《ねが》ひます』
インカ『|貴方様《あなたさま》は、|今《いま》|承《うけたまは》れば|尊《たふと》き|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》。ならず|者《もの》の|取締《とりしまり》をいたす|野郎《やらう》でございます。どうか|私《わたし》のやうなケチな|奴《やつ》でも、|男《をとこ》のはしくれと|思召《おぼしめ》し、|何《なに》とぞお|目《め》をかけ|下《くだ》さいませ』
かかる|所《ところ》へセールはあわただしく|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、
『|旦那様《だんなさま》に|申《まを》し|上《あ》げます、|今《いま》|国王様《こくわうさま》のお|使《つかひ》がみえましてございます。|如何《いかが》|取《とり》はからひませうや』
ジャンク『ハテ|国王様《こくわうさま》のお|使《つかひ》とは|何事《なにごと》だらう。|何《なに》はともあれ、|別殿《べつでん》に|御案内《ごあんない》|申《まを》せ。すぐさまお|目《め》にかかるから……』
『ハイ|畏《かしこ》まりました』
とセールは|足早《あしばや》に|玄関《げんくわん》|指《さ》して|出《い》でてゆく。|一同《いちどう》は|面《かほ》|見合《みあは》せ、|何事《なにごと》の|起《おこ》りしならむかと|不審《ふしん》の|眉《まゆ》をひそめてゐた。
|照国別《てるくにわけ》『|三五《あななひ》の|神《かみ》のあれます|上《うへ》からは
いかなる|事《こと》もゆめな|憂《うれ》ひそ
|世《よ》の|中《なか》は|相身互《あひみたが》ひ、まして|四海《しかい》|兄弟《きやうだい》と|申《まを》しますれば、|何《なに》とぞ|御眤懇《ごじつこん》に|願《ねが》ひませう』
ジャンクは|小声《こごゑ》で「ハハハハハハ」と|笑《わら》いながら、
『|先生様《せんせいさま》、しばらく|失礼《しつれい》をいたします。オイ、タクソン、お|使《つかひ》にお|目《め》にかかつて|来《く》るから、お|前《まへ》は|宣伝使《せんでんし》|様《さま》の|接待《せつたい》をしてゐてくれ』
タクソン『ハイ|承知《しようち》いたしました。|勝手《かつて》|覚《おぼ》えしお|家《いへ》の|中《なか》、|御安心《ごあんしん》なさいませ』
ジャンク『タクソン、|落度《おちど》のないよう、|御無礼《ごぶれい》をせぬやうに|頼《たの》んでおくぞや』
と|言葉《ことば》を|残《のこ》し、|別室《べつしつ》に|入《はい》つて|礼服《れいふく》を|着用《ちやくよう》し、|別殿《べつでん》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 松村真澄録)
第五章 |愁雲退散《しううんたいさん》〔一六八七〕
トルマン|国《ごく》バルガン|城《じやう》の|国王《こくわう》トルカ|王《わう》より|勅使《ちよくし》として、ジャンクの|家《いへ》に|入《い》り|来《き》たりし|二人《ふたり》の|男《をとこ》はオール、コースといふ。オールは|厳然《げんぜん》として|正座《しやうざ》に|直《なほ》り、|里庄《りしやう》のジャンクに|国王《こくわう》の|令《れい》を|伝《つた》へた。
『|吾《わ》がトルマン|国《ごく》は|建国《けんこく》|以来《いらい》、|上下一致《しやうかいつち》、|王《わう》と|民《たみ》との|間《あひだ》は|親子《しんし》のごとく|兄弟《きやうだい》のごとく|夫婦《ふうふ》の|如《ごと》し。|天恵《てんけい》|豊《ゆた》かにして|地味《ちみ》は|肥《こ》え、|印度《いんど》|全国《ぜんこく》の|宝庫《はうこ》|楽園《らくゑん》と|称《しよう》せられ、|国民和楽《こくみんわらく》し、|太平《たいへい》の|夢《ゆめ》を|結《むす》びたること|茲《ここ》に|三千年《さんぜんねん》なり。しかるに|図《はか》らざりき、|今回《こんくわい》ハルナの|都《みやこ》に|君臨《くんりん》し|玉《たま》ふ|大黒主《おほくろぬし》の|命《みこと》の|軍勢《ぐんぜい》、ウラル|教《けう》|征伐《せいばつ》のため、はるばる|軍卒《ぐんそつ》を|派遣《はけん》したまふ。しかるに|全軍《ぜんぐん》の|将《しやう》たる|大足別《おほだるわけ》は|性質《せいしつ》|暴戻《ばうれい》にして|虎狼《こらう》のごとく、|吾《わ》が|国内《こくない》の|民《たみ》を|苦《くる》しめ、|婦女《ふぢよ》を|姦《かん》し|財物《ざいぶつ》を|掠奪《りやくだつ》し、|甚《はなはだ》しきは|民家《みんか》を|焼《や》き、|暴状《ばうじやう》|至《いた》らざるなく、|勢《いきほ》ひに|乗《じやう》じてトルマン|国《ごく》の|首府《しゆふ》バルガン|城《じやう》を|攻略《こうりやく》せむとす。|汝等《なんぢら》|忠良《ちうりやう》の|民《たみ》、|忠勇義烈《ちうゆうぎれつ》の|赤心《せきしん》を|発揮《はつき》し、|前古未曽有《ぜんこみぞう》の|大国難《だいこくなん》を|救《すく》ふべく、|凡《すべ》ての|男子《だんし》は|十八才《じふはつさい》|以上《いじやう》|六十才《ろくじつさい》|以下《いか》は|各《おのおの》|武器《ぶき》を|携帯《けいたい》し|王城《わうじやう》の|救援《きうゑん》に|向《む》かふべし。|汝等《なんぢら》が|祖先《そせん》の|開《ひら》きし|国土《こくど》を|守《まも》るは|此《こ》の|時《とき》なるべし。|汝《なんぢ》|里庄《りしやう》、|村民《そんみん》に|吾《わ》が|意《い》のあるところを|伝達《でんたつ》し、|時《とき》を|移《うつ》さず|軍《いくさ》に|従《したが》ふべし。トルマン|国《ごく》、バルガン|城《じやう》トルカ|王《わう》の|使者《ししや》オール、コース、|国王《こくわう》|殿下《でんか》の|聖旨《せいし》を|伝達《でんたつ》するもの|也《なり》』
と|読《よ》み|聞《き》かすや、|里庄《りしやう》ジャンクは|謹《つつし》んで|席《せき》を|下《くだ》り、
『|力《ちから》なき|吾々《われわれ》には|候《さふら》へど、|御勅命《ごちよくめい》に|従《したが》ひ|速《すみ》やかに|義勇軍《ぎゆうぐん》を|召集《せうしふ》し、|王城《わうじやう》ならびに|国家《こくか》の|危難《きなん》に|殉《じゆん》じ|奉《たてまつ》りませう』
|勅使《ちよくし》オール、コースの|両人《りやうにん》は「|満足々々《まんぞくまんぞく》」と|笑《ゑみ》を|洩《も》らし|挨拶《あいさつ》しながら、ジャンクが|勧《すす》むる|茶《ちや》も|呑《の》まず、|急《いそ》いで|玄関口《げんくわんぐち》に|立《た》ち|出《い》でて、|待《ま》たせおいたる|十数名《じふすうめい》の|士卒《しそつ》と|共《とも》にヒラリと|駒《こま》に|跨《また》がり、|紅《くれなゐ》の|手綱《たづな》ゆたかに、|蹄《ひづめ》の|音《おと》もカツカツカツと|隣村《りんそん》さして|進《すす》みゆく。
ジャンクは|照国別《てるくにわけ》|一行《いつかう》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》り|来《き》たり、|稍《やや》|緊張《きんちやう》したる|面色《おももち》にて、
『|御一同様《ごいちどうさま》、えらい|失礼《しつれい》をいたしました』
|照国《てるくに》『いや、どう|致《いた》しまして、|勅使《ちよくし》の|趣《おもむき》、|如何《いかが》でございましたか。|実《じつ》は|御心配《ごしんぱい》|申《まを》し|上《あ》げてをりました』
ジャンク『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|私《わたし》も、もはや|国家《こくか》のため|一家一命《いつかいちめい》を|棄《す》てねばならぬ|時《とき》が|参《まゐ》りました』
と|憂愁《いうしう》に|沈《しづ》み、|意気銷沈《いきせうちん》しきつたる|老人《らうじん》にも|似合《にあ》はず、どこともなく|決心《けつしん》の|色《いろ》が|現《あら》はれてゐる。
|照国《てるくに》『|一身一家《いつしんいつか》を|棄《す》てねばならぬとは|何事《なにごと》でございますか』
ジャンク『|只今《ただいま》バルガン|城《じやう》のトルカ|王様《わうさま》よりの|御勅使《ごちよくし》によれば、「|印度《いんど》の|国《くに》を|守《まも》るべき|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》の|軍隊《ぐんたい》|大足別《おほだるわけ》|将軍《しやうぐん》なるもの、トルマン|国《ごく》の|城下《じやうか》の|民《たみ》を|脅《おびや》かし、|民家《みんか》を|焼《や》き|婦女子《ふぢよし》を|奪《うば》ひ|人種《ひとだね》を|絶《た》やし、なほ|飽《あ》き|足《た》らず|王城《わうじやう》を|攻《せ》め|落《お》とし、|国王《こくわう》を|放逐《はうちく》せむとする|勢《いきほ》ひでございますれば、この|際《さい》|国民《こくみん》は|男子《だんし》は|十八才《じふはつさい》より|六十才《ろくじつさい》|以下《いか》のもの、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|国難《こくなん》に|殉《じゆん》ずべし」との|御厳命《ごげんめい》でございますれば、|私《わたし》も|本年《ほんねん》は|五十八才《ごじふはちさい》、|老耄《おいぼれ》たりとはいへ、まだ|適齢《てきれい》がかかつてゐます。もはや|娘《むすめ》の|事《こと》は|断念《だんねん》いたしました。|華々《はなばな》しく|軍《いくさ》に|従《したが》ひ、|国家《こくか》のために|屍《かばね》を|山野《さんや》に|曝《さら》す|覚悟《かくご》でございます』
『なるほど、|承《うけたまは》れば|承《うけたまは》るほど、お|気《き》の|毒《どく》でございます。|国王《こくわう》の|御命令《ごめいれい》とあらば|国民《こくみん》として、この|際《さい》お|起《た》ちなさるのが|義務《ぎむ》でございませう。|私《わたし》も|宣伝使《せんでんし》として|天下《てんか》の|害《がい》を|除《のぞ》くべく、|遙々《はるばる》|月《つき》の|国《くに》へ|神命《しんめい》を|受《う》けて|参《まゐ》つたのでございますから、どうか|参加《さんか》させて|頂《いただ》きたいものでございますな』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|何分《なにぶん》よろしく』
|梅公《うめこう》『ア、|先生《せんせい》、よくお|考《かんが》へなさいませ。|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て、あらゆる|万民《ばんみん》を|言向《ことむ》け|和《や》す|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》の|三五教《あななひけう》ではございませぬか。|殺伐《さつばつ》なる|軍隊《ぐんたい》に|参加《さんか》し、|砲煙弾雨《はうえんだんう》の|中《うち》に|馳駆《ちく》するのは|決《けつ》して|宣伝使《せんでんし》の|本分《ほんぶん》ぢやございますまい。|三五教《あななひけう》は|決《けつ》して|軍国主義《ぐんこくしゆぎ》ではございませぬよ』
|照国《てるくに》『ハハハハハ、|吾々《われわれ》はお|前《まへ》のいふ|通《とほ》り、|決《けつ》して|敵《てき》を|憎《ぬく》まない。また|殺伐《さつばつ》な|人為的《じんゐてき》|戦争《せんそう》はやりたくない。|義勇軍《ぎゆうぐん》に|参加《さんか》しやうといふのは|傷病者《しやうびやうしや》を|救《すく》ひ、|敵味方《てきみかた》の|区別《くべつ》なく|誠《まこと》の|道《みち》を|説《と》き|諭《さと》し、|平和《へいわ》に|解決《かいけつ》し、このトルマン|国《ごく》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》の|国民《こくみん》を|神《かみ》の|慈恩《じおん》に|浴《よく》せしむるためだ。その|第一歩《だいいつぽ》として|従軍《じうぐん》を|願《ねが》つてゐるのだ』
|梅公《うめこう》『ヤア、それなら|分《わか》りました。|別《べつ》に|文句《もんく》もありませぬが、しかしながら|当家《たうけ》の|娘《むすめ》スガコ|嬢《ぢやう》やサンダーさまはどうなさる|考《かんが》へですか。この|方々《かたがた》も|見捨《みす》てるわけには|参《まゐ》りますまい』
|照国《てるくに》『ア、それも|気《き》にかかるが、それはインカ|親分《おやぶん》にお|願《ねが》ひしたらどうだ』
|梅公《うめこう》『それもさうですな。もしジャンク|様《さま》、|先生《せんせい》は、アア|仰有《おつしや》いますから|貴方《あなた》と|一緒《いつしよ》に|従軍《じうぐん》を|遊《あそ》ばすなり、|私《わたし》どもはサンヨの|妹娘《いもうとむすめ》|花香《はなか》さまも|救《すく》はねばならず、|当家《たうけ》のスガコさまもサンダーさまも|見殺《みごろ》しにするわけにも|行《ゆ》かないから、この|捜策《さうさく》は|拙者《せつしや》にお|任《まか》せ|下《くだ》さいませぬか』
ジャンク『|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》うございますが、もはや|今日《こんにち》となつては、|娘《むすめ》の|事《こと》など|言《い》つてる|場合《ばあひ》ぢやありませぬ。|国王様《こくわうさま》のため|国家《こくか》のために|全身《ぜんしん》の|力《ちから》を|尽《つく》さねばなりませぬ。どうか|貴方《あなた》も|照国別《てるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|行動《かうどう》を|一《ひとつ》にして|下《くだ》さいませ。|自分《じぶん》の|娘《むすめ》のために|宣伝使《せんでんし》|様《さま》を|頼《たの》んだ、といはれては|末代《まつだい》の|恥《はぢ》でございます。ついてはインカの|親分《おやぶん》さま、あなたも|国民《こくみん》の|一部《いちぶ》、|義勇軍《ぎゆうぐん》の|将《しやう》となり、|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|出陣《しゆつぢん》|下《くだ》さいませ。|娘《むすめ》のことやサンダーのことは|次《つぎ》の|次《つぎ》でございますから』
インカ『|成程《なるほど》、|天晴《あつぱ》れ|見上《みあ》げたお|志《こころざし》、それでなくては|里庄様《りしやうさま》とは|申《まを》されますまい。|私《わたし》だつて|弱《よわ》きを|扶《たす》け、|強《つよ》きを|挫《くじ》く|侠客渡世《けふかくとせい》、|国王様《こくわうさま》のお|達示《たつし》を|聞《き》いて、これが|安閑《あんかん》として|居《を》られませうか。お|言葉《ことば》に|従《したが》ひ|従軍《じうぐん》いたしませう』
タクソン『もし、ジャンク|様《さま》、イヤ|御主人様《ごしゆじんさま》、|私《わたし》もお|伴《とも》いたしませうか』
ジャンク『イヤ、|其方《そなた》は、もはや|承《うけたまは》れば|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》になるといふ|約束《やくそく》をしたさうだ。トルマン|国《ごく》の|男子《だんし》の|一言《いちごん》は|金鉄《きんてつ》も|同様《どうやう》だ。|照国別《てるくにわけ》|様《さま》のお|弟子《でし》として|参加《さんか》して|下《くだ》さい』
エルソン『もし|里庄様《りしやうさま》、|私《わたし》も|照国別《てるくにわけ》のお|弟子《でし》となりましたが、|国民《こくみん》の|一部《いちぶ》として|里庄様《りしやうさま》と|共《とも》に|軍《いくさ》に|従《したが》ひませうか』
『イヤイヤそなたも、もはや|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|部下《ぶか》だ。タクソンと|行動《かうどう》を|一《ひとつ》にするが|宜《よ》からう』
『ハイ|有難《ありがた》うございます。しからば|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》をいたし、|剣《つるぎ》を|持《も》たず|只《ただ》コーランを|手《て》にして、|天下万民《てんかばんみん》のために|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》さして|頂《いただ》きませう』
ジャンク『ア、よしよし、それで|私《わたし》も|安心《あんしん》した。もし|照国別《てるくにわけ》|様《さま》、どうか|両人《りやうにん》の|身《み》の|上《うへ》を|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
|照国《てるくに》『ヤ、|感《かん》じ|入《い》つたる|皆様《みなさま》のお|志《こころざし》、|委細《ゐさい》|承知《しようち》いたしました』
|門番《もんばん》のバンコや|受付《うけつけ》のセールに|命《めい》じ、|村内《そんない》|一同《いちどう》に|国王《こくわう》の|令《れい》を|伝《つた》へ、|明朝《みやうてう》を|期《き》して|出陣《しゆつぢん》すべく|伝達《でんたつ》せしめた。|村内《そんない》は|俄《には》かに|騒然《さうぜん》として|火事場《くわじば》のごとく|殺気《さつき》|漲《みなぎ》つて|来《き》た。ジャンクは|村《むら》の|男子《だんし》を|軍隊《ぐんたい》に|仕立《した》て、|自《みづか》ら|将《しやう》として|出陣《しゆつぢん》することとなつた。
インカ『|吾《わ》が|村《むら》にも|必《かなら》ずや|同様《どうやう》の|命令《めいれい》|下《くだ》りしならむ。お|先《さき》へ|御免《ごめん》』
と|言《い》ひながら|一同《いちどう》へ|挨拶《あいさつ》をなし、|尻《しり》|引《ひ》きまくり|大地《だいち》をドンドン|響《ひび》かせながら、|飛《と》ぶがごとくに|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
ここに|一同《いちどう》は|三五《あななひ》の|大神《おほかみ》、バラモンの|大神《おほかみ》に|前途《ぜんと》の|勝利《しようり》を|得《え》むためとて|一大祈願《いちだいきぐわん》を|凝《こ》らし、|首途《かどで》の|祝《いは》ひとして|夜《よ》の|明《あ》くるまで、|直会《なほらひ》の|宴《えん》を|催《もよほ》した。|何《いづ》れも|勇気《ゆうき》|頓《とみ》に|加《くは》はり、|山河《さんか》を|呑《の》むの|勢《いきほ》ひである。|祭典《さいてん》も|終《をは》り、いよいよ|直会《なほらひ》の|宴《えん》に|移《うつ》り、|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》して|室内《しつない》は|和気《わき》|靄々《あいあい》あたかも|春《はる》のごとき|空気《くうき》が|漂《ただよ》うた。
ジャンクはホロ|酔《よ》ひ|機嫌《きげん》になつて|声《こゑ》も|涼《すず》しく|二絃琴《にげんきん》を|弾《だん》じつつ|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
『|千早《ちはや》|振《ふ》る|皇大神《すめおほかみ》の|造《つく》らしし  トルマン|国《ごく》の|目出《めで》たさは
|時《とき》じく|花《はな》の|香《か》に|匂《にほ》ひ  |果物《くだもの》|豊《ゆたか》かに|実《みの》りつつ
|五穀《ごこく》は|栄《さか》え|民《たみ》は|肥《こ》え  |牛《うし》|馬《うま》|駱駝《らくだ》|羊《ひつじ》|豚《ぶた》
|鷄《にはとり》までもよく|肥《ふと》り  |天《あめ》の|下《した》|四方《よも》の|国々《くにぐに》|安《やす》らけく
いと|平《たひ》らけく|治《をさ》まりて  |神代《かみよ》のままの|人心《ひとごころ》
|何《いづ》れの|家《いへ》も|押《お》し|並《な》べて  |怒《いか》り|妬《ねた》み|悲《かな》しみの
|声《こゑ》さへもなく|日《ひ》に|夜《よる》に  |歓《えら》ぎ|楽《たの》しむ|天津国《あまつくに》
|常世《とこよ》の|春《はる》を|喜《よろこ》びしが  |天津御空《あまつみそら》の|日《ひ》の|影《かげ》は
|漸《やうや》く|光《ひかり》|褪《あ》せ|給《たま》ひ  |月《つき》の|面《おもて》も|薄曇《うすぐも》り
|星《ほし》のみ|独《ひと》りキラキラと  |瞬《またた》き|初《そ》めて|何《なん》となく
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》は|騒《さわ》がしく  |鳥《とり》の|声《こゑ》さへ|悲《かな》しげに
|謡《うた》ふ|御代《みよ》とはなりにける  |月日《つきひ》は|進《すす》み|星《ほし》|移《うつ》り
|天《あめ》の|下《した》なる|民草《たみぐさ》の  |心《こころ》は|漸《やうや》く|曇《くも》り|果《は》て
|強《つよ》きは|強《つよ》く|弱《よわ》きもの  |虐《しひた》げられて|秋《あき》の|夜《よ》の
|霜《しも》に|悩《なや》める|虫《むし》のごと  |怨嗟《ゑんさ》の|声《こゑ》は|満《み》ち|満《み》ちぬ
|人《ひと》の|心《こころ》は|日《ひ》に|月《つき》に  ますます|悪《あ》しく|曇《くも》り|果《は》て
|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|河《かは》の|瀬《せ》に  |荒《あら》ぶる|神《かみ》の|屯《たむろ》して
|又《また》もや|民家《みんか》を|苦《くる》しめつ  |人《ひと》の|妻女《さいぢよ》を|奪《うば》ひ|取《と》り
|悪《あ》しき|災《わざは》ひ|日《ひ》に|月《つき》に  |相重《あひかさ》なりて|国人《くにびと》は
|薄《うす》き|氷《こほり》を|踏《ふ》むごとく  |涙《なみだ》に|咽《むせ》ぶ|折《を》りもあれ
|大足別《おほだるわけ》の|率《ひき》ゐたる  |醜《しこ》の|曲霊《まがひ》の|軍人《いくさびと》
|弥《いや》ますますに|醜業《しこわざ》の  |募《つの》り|来《き》たりてトルマンの
|国《くに》をば|荒《あ》らし|国主《こきし》まで  |打《う》ち|滅《ほろ》ぼして|慾望《よくばう》を
|遂《と》げむとするぞ|忌々《ゆゆ》しけれ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|此《この》|世《よ》に|在《ま》すならば  |吾《わ》が|国民《くにたみ》の|災《わざは》ひを
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|除《のぞ》きませよ  バルガン|城《じやう》は|永久《とこしへ》に
トルカの|国主《こきし》は|幾千代《いくちよ》も  |寿《ことぶき》|長《なが》く|栄《さか》えまし
トルマン|国《ごく》を|包《つつ》みたる  |醜《しこ》の|雲霧《くもきり》|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|再《ふたた》び|天土《あめつち》|晴明《せいめい》の  |珍《うづ》の|世界《せかい》に|還《かへ》しませ
|吾《われ》は|老木《おいき》の|行末《ゆくすゑ》の  いとも|短《みじか》き|身《み》なれども
|一《ひと》つの|生命《いのち》を|国《くに》のため  |君《きみ》の|御《おん》ため|献《たてまつ》り
|万民安堵《ばんみんあんど》の|道《みち》のため  |捧《ささ》げ|奉《まつ》らむ|吾《わ》が|生命《いのち》
|諾《うべ》なひたまへ|三五《あななひ》の  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》
|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》  |大国彦《おほくにひこ》の|大御神《おほみかみ》
ひとへに|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|照国別《てるくにわけ》はまた|謡《うた》ふ。
『|蒼空《さうくう》|一点《いつてん》|雲《くも》もなく  |日月星辰《じつげつせいしん》|明《あき》らかに
|輝《かがや》き|亘《わた》る|世《よ》の|中《なか》も  |天《てん》に|風雨《ふうう》のなやみあり
|地《ち》には|地震《ないふる》|洪水《こうずゐ》の  |百《もも》の|災《わざは》ひ|湧《わ》き|来《き》たる
|浪《なみ》|静《しづ》かなる|大海《おほうみ》も  ただ|一塊《いつくわい》の|雨雲《あまぐも》の
|中《なか》より|吹《ふ》き|来《く》る|荒風《あらかぜ》に  |波《なみ》|立《た》ち|騒《さわ》ぎ|島々《しまじま》を
|呑《の》まむ|例《ためし》もあるものを  |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|住《す》む|人《ひと》は
|如何《いか》で|悩《なや》みのなかるべき  |天変地妖《てんぺんちえう》あるごとに
|世《よ》は|晦冥《くわいめい》に|進《すす》み|行《ゆ》く  かかる|汚《けが》れし|世《よ》の|中《なか》は
|一度《ひとたび》|天地《てんち》の|大神《おほかみ》の  |大活動《だいくわつどう》を|要《えう》すべし
バラモン|軍《ぐん》や|醜神《しこがみ》の  |醜《しこ》の|猛《たけ》びは|強《つよ》くとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|光《ひかり》に|敵《てき》すべき
|心《こころ》|安《やす》けくましませよ  |大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |天《てん》は|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》に
|上《のぼ》る|激変《げきへん》あるとても  ただ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|任《まか》せし|身《み》にしあれば  いかなる|事《こと》も|恐《おそ》れむや
|仰《あふ》ぎ|敬《うやま》へ|神《かみ》の|徳《とく》  |祝《いは》へよ|祝《いは》へ|神《かみ》の|恩《おん》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり  |神《かみ》は|汝等《なれら》と|倶《とも》に|在《ま》す
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |誠《まこと》の|神《かみ》に|敵《てき》すべき
|曲霊《まがひ》の|如何《いか》で|来《き》たるべき  アア|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
いま|神軍《しんぐん》の|首途《かどいで》に  ジャンクの|君《きみ》を|初《はじ》めとし
|梅公《うめこう》|照公《てるこう》タクソンや  エルソン|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|慴伏《ひれふ》して  |前途《ぜんと》の|幸《さち》を|祈《いの》るこそ
|実《げ》に|壮快《さうくわい》の|至《いた》りなり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|梅公《うめこう》『|思《おも》ひきや|軍《いくさ》の|庭《には》に|立《た》たむとは
|今《いま》の|今《いま》までさとらざりけり
さりながら|吾《われ》は|神軍《しんぐん》|言霊《ことたま》の
|武器《ぶき》より|外《ほか》に|持《も》つものはなし』
|照公《てるこう》『|大空《おほぞら》に|日《ひ》は|照公《てるこう》の|吾《われ》なれば
あわ【てる】ことは|一《ひと》つも|要《い》らず
|照国《てるくに》の|別《わけ》の|命《みこと》に|従《したが》ひて
|道照公《みちてるこう》の|吾《われ》は|進《すす》まむ』
タクソン『|照国別《てるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》の|御威勢《ごゐせい》に
|吾《われ》は|全《まつ》【たくそん】|敬《けい》をぞする
おめで【たくそん】|厳《げん》|無比《むひ》の|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|幸《さち》を|祈《いの》るうれしさ』
エルソン『|常暗《とこやみ》の|世《よ》を|立替《たてか》へて|神《かみ》の|代《よ》に
|開《ひら》かむ|人《ひと》ぞ|人《ひと》の|人《ひと》なる
|沸《わ》きか【えるそん】|内《ない》|一同《いちどう》の|騒《さわ》ぎをば
いかに|静《しづ》めむ|由《よし》もなきかな』
ジャンク『|天津日《あまつひ》を|隠《かく》さむとする|村雲《むらくも》を
|払《はら》はむための|今日《けふ》の|神軍《みいくさ》
|老《お》いぬれど|吾《わ》が|魂《たましひ》は|若々《わかわか》と
|甦《よみがへ》りつつ|出陣《しゆつぢん》やせむ
|白髪《しらがみ》を|染《そ》めて|軍《いくさ》に|向《む》かひたる
|武士《もののふ》もあり|吾《われ》も|習《なら》はむ
|国難《こくなん》に|殉《じゆん》ずる|吾《われ》と|白髪《しらがみ》の
|輝《かがや》きを|見《み》て|驚《おどろ》くならむ』
|照国別《てるくにわけ》『|面白《おもしろ》し|神《かみ》の|任《よ》さしの|神業《かむわざ》の
|一歩《いつぽ》を|進《すす》むる|時《とき》は|来《き》にけり
オーラ|山《さん》|嵐《あらし》はいかに|強《つよ》くとも
|神《かみ》の|御息《みいき》に|吹《ふ》き|払《はら》ふべし
|小夜《さよ》|更《ふけ》て|武士《つはもの》どもが|語《かた》り|合《あ》ふ
|軍《いくさ》の|庭《には》の|心地《ここち》するかな
|明《あ》けぬれば|百《もも》の|軍人《いくさ》を|率連《ひきつ》れて
バルガン|城《じやう》に|駒《こま》を|進《すす》めむ』
|梅公《うめこう》『|駒《こま》|並《な》めて|大野ケ原《おほのがはら》を|進《すす》み|行《ゆ》く
|勇士《ゆうし》の|姿《すがた》|吾《わ》が|目《め》に|躍《をど》るも』
|照公《てるこう》『|早《はや》すでにバルガン|城《じやう》の|敵軍《てきぐん》を
|討《う》ち|払《はら》ひたる|心地《ここち》しにけり』
タクソン『|面白《おもしろ》し|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
|神《かみ》の|軍《いくさ》の|功績《いさをし》や|立《た》てむ』
エルソン『|恋雲《こひぐも》もいつしか|晴《は》れて|国《くに》のため
|世人《よびと》のために|尽《つく》さむとぞ|思《おも》ふ』
|漸《やうや》くにしてコケコツコーとテイハ(|鷄《にはとり》)の|声《こゑ》、|四隣《あたり》より|聞《き》こえ|来《く》る。ジャンクは|先《ま》づ|立上《たちあ》がり、
『もはや|鷄鳴《けいめい》、|皆様《みなさま》、|御用意《ごようい》なされませ。いよいよ|出陣《しゆつぢん》の|時《とき》|近《ちか》づきました』
と|勇気《ゆうき》|凛々《りんりん》|雄健《をたけ》びしながら、マサカの|時《とき》の|用意《ようい》と|蓄《たくは》へおきたる|具足《ぐそく》をとり|出《だ》し|武装《ぶさう》に|着手《ちやくしゆ》した。
かかる|所《ところ》へ|白髪異様《はくはついやう》の|老翁《らうをう》|現《あら》はれ|来《き》たり、「|頼《たの》まう|頼《たの》まう」と|玄関口《げんくわんぐち》より|呶鳴《どな》つてゐる。|果《は》たしてこの|老翁《らうをう》は|何者《なにもの》だらうか。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 北村隆光録)
第六章 |神軍義兵《しんぐんぎへい》〔一六八八〕
|玄関口《げんくわんぐち》に|立《た》ちはだかり「|頼《たの》まう、|頼《たの》まう」と|呼《よ》ばはつてゐる|白髪異様《はくはついやう》の|老人《らうじん》は、さも|横柄《わうへい》にこの|家《や》の|下女《げぢよ》に|向《む》かひ、
『オイ、お|下女《さん》どの、|当家《たうけ》の|主人《しゆじん》はどう|致《いた》してをるか。|吾《われ》はオーラ|山《さん》の|修験者《しゆげんじや》、シーゴーと|申《まを》す|者《もの》だ。|当家《たうけ》の|主人《しゆじん》に|申《まを》し|上《あ》げたい|事《こと》あれば、|面倒《めんだう》ながら|案内《あんない》をしてくれやれ』
|下女《げぢよ》『ハイ、|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、|旦那様《だんなさま》は|俄《には》かの|御出陣《ごしゆつぢん》で|上《うへ》を|下《した》への|大騒動《おほさうどう》、どうか|又《また》|出直《でなほ》して|来《き》て|下《くだ》さい。|何分《なにぶん》|御多忙《ごたばう》でいらつしやいますから』
|老人《らうじん》『アハハハハハ|当家《たうけ》にかかはる|大難《だいなん》を|救《すく》はむがため、はるばるオーラ|山《さん》より|救世主《きうせいしゆ》の|使《つかひ》として|現《あら》はれ|来《き》たりし|修験者《しゆげんじや》だ。|何《なに》はともあれ、|主人《しゆじん》に|面会《めんくわい》いたしたい』
かくいふ|所《ところ》へ、|武装《ぶさう》をつけた|主人《しゆじん》のジャンクは|現《あら》はれ|来《き》たり、|老翁《らうをう》に|向《む》かひ、
『いづれの|方《かた》かは|知《し》りませぬが、|今《いま》は|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》、|館《やかた》は|番頭《ばんとう》どもに|任《まか》せおき、|今早朝《こんそうてう》より|出陣《しゆつぢん》せなくてはなりませぬ。|何《なに》|御用《ごよう》か|存《ぞん》じませぬが、もはや|一身一家《いつしんいつか》の|事《こと》にかかはる|場合《ばあひ》ではありませぬ。どうかお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
シーゴー『アハハハハハ。|拙僧《せつそう》がオーラ|山《さん》を|立《た》ち|出《い》で、|草《くさ》|茫々《ばうばう》たる|夜途《よみち》を|露《つゆ》に|濡《ぬ》れながら|夜《よ》も|明《あ》けぬうち|尋《たづ》ねて|来《き》たのは、|大神《おほかみ》の|御命令《ごめいれい》、|国家《こくか》を|救《すく》ふも|一家《いつか》を|救《すく》ふも、|神《かみ》ならでは|叶《かな》はぬ|事《こと》、その|方《はう》も|国家《こくか》を|救《すく》はむとして、|義勇《ぎゆう》の|軍《ぐん》に|出陣《しゆつぢん》なさるならば、|拙者《せつしや》の|一言《いちごん》をお|聞《き》きなされ。|唯《ただ》|一回《いつくわい》ぐらゐ|耳《みみ》を|借《か》したところで、あまり|損《そん》にはなりますまい』
ジャンク『|国家《こくか》を|救《すく》ふ|方法《はうはふ》がありとすれば|何《なに》より|結構《けつこう》、|既《すで》に|出陣《しゆつぢん》の|間際《まぎは》なれども、|聞《き》き|逃《のが》すわけにはゆきますまい。ここは|玄関口《げんくわんぐち》、サアサア|奥《おく》へお|進《すす》み|下《くだ》さい。|篤《とく》とお|話《はなし》を|承《うけたまは》りませう』
シーゴー『しからば|御免《ごめん》、まかり|通《とほ》るであらう』
と|錫杖《しやくぢやう》をつきながら、|横柄《わうへい》な|面《つら》をして|離《はな》れの|別殿《べつでん》に|伴《ともな》はれ|往《ゆ》き、|丸《まる》き|机《つくゑ》を|中《なか》に|置《お》き、|主客《しゆきやく》|向《む》かひ|合《あは》せとなつて|談話《だんわ》が|始《はじ》まつた。
ジャンク『あなたは|神《かみ》のお|使《つかひ》、|修験者《しゆげんじや》と|承《うけたまは》りましたが、|国家《こくか》を|救《すく》ふ|要道《えうだう》をお|示《しめ》し|下《くだ》さるとのこと、|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|何《なに》とぞ|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひます』
シーゴー『|拙僧《せつそう》はオーラ|山《さん》の|生神《いきがみ》、|玄真坊《げんしんばう》の|高弟《かうてい》シーゴー|坊《ばう》と|申《まを》すもの、このたび|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》|玄真坊《げんしんばう》におかせられては、トルマン|国《ごく》の|危急《ききふ》を|救《すく》ひ、|民《たみ》の|苦《く》を|免《まぬが》れしめ、かつ|小《せう》にしては|一家一人《いつかいちにん》の|危難《きなん》を|免《まぬが》れしめむと、|連日《れんじつ》|連夜《れんや》の|修業《しうげふ》を|遊《あそ》ばし、|一切《いつさい》の|苦難《くなん》を|救《すく》ひたまふ、その|霊験《れいけん》の|著《いちじる》しきこと、|古今《ここん》|絶無《ぜつむ》でござる。|天地《てんち》の|神明《しんめい》も|吾《わ》が|師《し》の|高徳《かうとく》を|慕《した》ひ、|教《をしへ》を|受《う》けむとし、|毎夜《まいよ》オーラ|山《さん》の|大杉《おほすぎ》の|樹《き》に、|天《てん》より|棚機姫《たなばたひめ》の|星体《せいたい》|下《くだ》らせたまひ、|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|教理《けうり》を|聞《き》かせたまふといふ|御威勢《ごゐせい》、|如何《いか》にバラモン|軍《ぐん》が|跋扈跳梁《ばつこてうりやう》するとも、|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》の|祈祷《きたう》によりて、|煙散霧消《えんさんむせう》するは|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明《あき》らかである。ついては|当家《たうけ》の|娘御《むすめご》は|行衛不明《ゆくゑふめい》との|事《こと》、|必《かなら》ずやバラモン|軍《ぐん》の|間諜者《まわしもの》に|捉《とら》へられ|給《たま》ひしに|相違《さうゐ》なし、あなたは|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|依頼《いらい》して、|最愛《さいあい》の|娘御《むすめご》を、|救《すく》つてもらふ|御精神《ごせいしん》はござらぬか』
ジャンクは|怪《あや》しみながら、|頭《かうべ》を|垂《た》れ、|稍《やや》|思案《しあん》に|暮《く》れてゐた。
『シーゴー|様《さま》とやら、|遠路《ゑんろ》の|所《ところ》|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うございます。|然《しか》しながら|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|娘《むすめ》の|事《こと》などに|心《こころ》を|悩《なや》ます|場合《ばあひ》ではございませぬ。|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》を|救《すく》ふ|御道《おんみち》あらばお|示《しめ》しに|預《あづ》かりたい』
シーゴー『アハハハハ、あなたも|偽善者《きぜんしや》の|一人《ひとり》でござるな。|何《なに》ほど|国家《こくか》の|為《ため》だといつても、|天《てん》にも|地《ち》にも|掛《か》け|替《が》へのない|娘《むすめ》が|危難《きなん》を|救《すく》はれたいといふ|精神《せいしん》は、|十分《じふぶん》にお|持《も》ちでせう。|吾《わ》が|子《こ》を|愛《あい》せない|親《おや》は、|人君《じんくん》として、|或《あるひ》は|里庄《りしやう》としての|資格《しかく》はございますまい』
ジャンク『いや、あなたの|御明察《ごめいさつ》、|恐《おそ》れ|入《い》りました。|天《あめ》が|下《した》に|子《こ》を|思《おも》はぬ|親《おや》が|何処《どこ》にございませう。しかしながら|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》は、|小《せう》なる|愛《あい》を|捨《す》て、|国家《こくか》|国王《こくわう》といふものに|向《む》かつて、|大《だい》なる|愛《あい》を|注《そそ》ぐべきでございます。|国家《こくか》も|国王様《こくわうさま》のお|身《み》の|上《うへ》も、すでに|焦頭爛額《せうとうらんがく》の|危機《きき》に|瀕《ひん》してをりますれば、たとへ|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》を|犠牲《ぎせい》といたしても、|大《だい》なる|愛《あい》のために|心力《しんりよく》を|傾注《けいちう》したい|考《かんが》へでございます』
『あなたは|大切《たいせつ》な|娘御《むすめご》を|犠牲《ぎせい》としてでも、|国家《こくか》を|助《たす》けたいといふ|思召《おぼしめし》、|実《じつ》に|感心《かんしん》いたしました。もし|国家《こくか》、|国王《こくわう》、ならびに|貴方《あなた》の|愛児《あいじ》がお|助《たす》かりになるのなら、|当家《たうけ》の|財産《ざいさん》に|執着《しふちやく》はございますまいなア』
『|勿論《もちろん》のことです。|吾《わ》が|娘《むすめ》は|行方《ゆくへ》|知《し》れず、|生死《せいし》もさだかならず、|加《くは》ふるに|老躯《らうく》を|引提《ひつさ》げて、|剣光《けんくわう》|閃《ひらめ》く|戦場《せんぢやう》に|進《すす》むこの|身《み》、|元《もと》より|死《し》は|覚悟《かくご》してゐます。|吾《わ》が|死《し》したる|後《のち》は、|巨万《きよまん》の|財産《ざいさん》も|何《なん》の|必要《ひつえう》がございませう』
『|成《な》るほど|立派《りつぱ》なお|志《こころざし》|感《かん》じ|入《い》りました。しからば|一《ひと》つ|御相談《ごさうだん》を|申上《まをしあ》げたいが、|国王《こくわう》、|国家《こくか》、およびお|娘御《むすめご》を|救《すく》ふため、この|財産《ざいさん》をオーラ|山《さん》の|師《し》の|君《きみ》|玄真坊《げんしんばう》に|奉《たてまつ》るお|気《き》はございませぬか。|山《やま》も|川《かは》も、|草木《くさき》も|天《てん》の|星《ほし》まで|其《そ》の|徳《とく》を|慕《した》ひ|寄《よ》り|来《き》たるといふ|古今無双《ここんむそう》の|生神様《いきがみさま》に、お|上《あ》げなさつたならば、|第一《だいいち》は|祖先《そせん》のため、|国家《こくか》のため|最善《さいぜん》の|功徳《くどく》と|考《かんが》へますがな』
かかるところへ|受付《うけつけ》のセールはあわただしく|入《い》り|来《き》たり、
『|旦那様《だんなさま》、|村中《むらぢう》の|用意《ようい》が|調《ととの》ひました。|早《はや》く|御出陣《ごしゆつぢん》をと、|村人《むらびと》が|武装《ぶさう》のままお|願《ねが》ひに|参《まゐ》りました。お|馬《うま》の|用意《ようい》も|出来《でき》ましたから……』
ジャンク『アアさうか、すぐに|往《ゆ》くからと|申《まを》してくれ』
セール『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
と、あわただしく|立《た》ち|去《さ》つた。
シーゴー『|如何《いかが》でございますか、|御決心《ごけつしん》は……』
ジャンク『|国家《こくか》のため、|国王様《こくわうさま》のためならば、|吾《わ》が|財産《ざいさん》を|全部《ぜんぶ》|玄真坊様《げんしんばうさま》に|差上《さしあ》げませう』
『いや|流石《さすが》は|明察《めいさつ》の|里庄殿《りしやうどの》、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、しからば|後日《ごじつ》のため、あなたのお|手《て》より、|一切《いつさい》の|財産《ざいさん》を|差上《さしあ》げるとの|証文《しようもん》を|認《したた》めて|下《くだ》さい』
『|男子《だんし》の|一言《いちごん》は|鉄石《てつせき》の|如《ごと》し、|面倒《めんだう》|臭《くさ》い|証文《しようもん》などは|要《い》りますまい。これが|人《ひと》と|人《ひと》との|交渉《かうせふ》なら|兎《と》も|角《かく》も、|善知識《ぜんちしき》の|活神様《いきがみさま》に|差上《さしあ》げるのだから、かへつて|証文《しようもん》など|差上《さしあ》げるのは|失礼《しつれい》でございませう』
『|成《な》るほど、ご|尤《もつと》もの|話《はなし》だ。|現《げん》に|拙者《せつしや》が|生証文《いきじようもん》でござる。|梵天帝釈自在天様《ぼんてんたいしやくじざいてんさま》も|御照覧《ごせうらん》あれ、|決《けつ》して|二言《にごん》はございますまいなア』
『エ、|執拗《しつこう》ござる。|苟《いやし》くも|義勇軍《ぎゆうぐん》の|総司令《そうしれい》、|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はござらぬ』
『しからば|今日《こんにち》|只今《ただいま》より、この|財産《ざいさん》は|吾《わ》が|師《し》|玄真坊《げんしんばう》の|所有《しよいう》に|帰《き》しました。|御承知《ごしようち》であらうなア』
『|吾《わ》が|財産《ざいさん》を|善用《ぜんよう》し、|国家《こくか》のため、|国王様《こくわうさま》のため、|娘《むすめ》のため、|神様《かみさま》を|鄭重《ていちよう》に|祭《まつ》り|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めて|下《くだ》さい。|時刻《じこく》も|切迫《せつぱく》いたしますれば、|拙者《せつしや》はこれよりお|別《わか》れ|申《まを》す』
シーゴー『ヤ|拙僧《せつそう》もこの|吉報《きつぱう》を|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|申《まを》し|上《あ》げ、|早速《さつそく》|祈願《きぐわん》に|取《と》りかかりませう』
と|言《い》ひながら、|揚々《やうやう》として|帰《かへ》り|往《ゆ》く。|梅公《うめこう》は|二人《ふたり》の|問答《もんだふ》を|訝《いぶ》かりながら、ひそかに|立聞《たちぎ》きしてゐた。
ジャンクは|照国別《てるくにわけ》の|居間《ゐま》に|入《い》り|来《き》たり、
『いやどうもお|待《ま》たせいたしました、サアこれから|出陣《しゆつぢん》をいたしませう』
|梅公《うめこう》は|次《つぎ》の|間《ま》より|慌《あわ》ただしく|入《い》り|来《き》たり、
『もしもしジャンク|様《さま》、|御用心《ごようじん》なさいませ、あの|修験者《しゆげんじや》といふ|老人《らうじん》は|曲者《くせもの》でございます。あの|人相《にんさう》には|剣難《けんなん》の|相《さう》が|漂《ただよ》ひ、|悪相《あくさう》が|顔面《がんめん》に|満《み》ちてゐます。|貴方《あなた》はこの|財産《ざいさん》を|玄真坊《げんしんばう》とやらに|全部《ぜんぶ》|提供《ていきよう》なさつたやうですが、|今《いま》の|中《うち》にお|取消《とりけ》しなさつたがよからう、ちよつと|御忠告《ごちうこく》|申上《まをしあ》げます』
ジャンク『イヤ、|有難《ありがた》う。|私《わたし》も|怪《あや》しい|事《こと》だとは|思《おも》つたが、|何《なん》というても|国王様《こくわうさま》や|国家《こくか》を|助《たす》けるといふのだから、この|言葉《ことば》に|免《めん》じ|怪《あや》しいとは|思《おも》ひながら|財産《ざいさん》|全部《ぜんぶ》を|提供《ていきよう》しました。もはや|男子《だんし》の|口《くち》に|出《だ》した|以上《いじやう》は|撤回《てつくわい》は|出来《でき》ませぬ。これが|撤回《てつくわい》|出来《でき》るやうなら|地上《ちじやう》に|吐《は》いた|痰唾《たんつば》を|再《ふたた》び|呑《の》むやうなものです。もう|私《わたし》も|覚悟《かくご》を|定《き》めました。サアサア|御苦労《ごくらう》ながら|出陣《しゆつぢん》いたしませう』
|梅公《うめこう》『チヨツ、|曲津神《まがつかみ》の|奴《やつ》、|偉《えら》い|事《こと》をしやがつたな。こいつはきつと|何《なに》かの|秘密《ひみつ》があるに|相違《さうゐ》ない。あんな|事《こと》を|吐《ぬか》して、|自分《じぶん》が|当家《たうけ》の|娘《むすめ》を|何処《どこ》かに|隠《かく》してをるのだらう。こんなことを|聞《き》いては|見逃《みのが》す|事《こと》は|出来《でき》ない。|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》が|何《なん》といはれても、オーラ|山《さん》とやらに|踏《ふ》み|込《こ》んで|正体《しやうたい》を|調《しら》べてやらう、オウ、さうぢや さうぢや』
と|独語《どくご》しながら、|照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひジャンクと|共《とも》に|三角旗《さんかくき》を|風《かぜ》に|翻《ひるがへ》し、|数百《すうひやく》の|義勇軍《ぎゆうぐん》と|共《とも》に|旗鼓堂々《きこだうだう》とバルガン|城《じやう》を|指《さ》して、|法螺《ほら》の|声《こゑ》も|勇《いさ》ましく「ブウブウ」と|四辺《あたり》の|邪気《じやき》を|清《きよ》めながら|隊伍《たいご》を|調《ととの》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
|数百人《すうひやくにん》の|騎兵隊《きへいたい》は、|手《て》に|手《て》に|槍《やり》|長刀《なぎなた》などを|携《たづさ》へ、|果《はて》しもなき|広原《くわうげん》を|進《すす》み|行《ゆ》く。|風《かぜ》は|幸《さいは》ひ|追風《おひて》にて|進軍《しんぐん》にも|最《もつと》も|便利《べんり》であつた。ジャンクは|馬上《ばじやう》ながら|進軍歌《しんぐんか》を|謡《うた》ふ。
『|神代《かみよ》の|昔《むかし》|皇神《すめかみ》の  |開《ひら》きたまひし|神《かみ》の|国《くに》
トルマン|国《ごく》の|若者《わかもの》よ  |国《くに》と|君《きみ》とに|尽《つく》すべき
よき|日《ひ》は|今《いま》や|来《き》たりけり  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|神軍《みいくさ》よ
|進《すす》めよ|進《すす》め|百軍《ももいくさ》  |敵《てき》は|幾万《いくまん》ありとても
|如何《いか》でか|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の  トルマン|男子《だんし》の|魂《たましひ》は
|金鉄《きんてつ》よりも|猶《なほ》|堅《かた》し  |国《くに》に|仇《あだ》なす|曲津神《まがつかみ》
|払《はら》へよ|払《はら》へよおつ|払《ぱら》へ  |骨身《ほねみ》は|積《つ》みて|山《やま》をなし
|血潮《ちしほ》は|流《なが》れて|河《かは》となり  |屍《かばね》を|野辺《のべ》に|曝《さら》すとも
|神《かみ》の|御《おん》ため|君《きみ》のため  |御国《みくに》のために|進《すす》むなる
|吾等《われら》は|貴《うづ》の|神軍《みいくさ》ぞ  |撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|進《すす》み|行《ゆ》け
ジャンクの|率《ひき》ゆる|義勇軍《ぎゆうぐん》  |後《おく》れを|取《と》るなひるむなよ
|神《かみ》の|守《まも》りのある|上《うへ》は  |汝《なんぢ》の|前途《ぜんと》は|坦々《たんたん》と
|蓮華《はちす》の|華《はな》の|開《ひら》くごと  |真楽園《しんらくゑん》が|開《ひら》かれむ
|進《すす》めよ|進《すす》めよ|快男子《くわいだんじ》  |進《すす》めよ|進《すす》めよ|神軍《みいくさ》よ
|神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり  |吾等《われら》は|神《かみ》の|選《えら》みたる
|御国《みくに》を|守《まも》る|神軍《しんぐん》ぞ  |吾《わ》が|神軍《しんぐん》の|往《ゆ》く|道《みち》に
|塞《さや》らむ|曲《まが》のあるべきぞ  アア|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
|国《くに》を|救《すく》ひのこの|軍《いくさ》  |民《たみ》の|守《まも》りの|神軍《みいくさ》ぞ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》の|大稜威《おほみいづ》  |吾《わ》が|身《み》の|上《うへ》に|輝《かがや》きて
|忠義一途《ちうぎいちづ》に|固《かた》まりし  |軍《いくさ》を|守《まも》りたまへかし
|勝利《しようり》の|都《みやこ》は|近《ちか》づきぬ  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|快男子《くわいだんじ》
|進《すす》めよ|進《すす》めよ|神軍《みいくさ》よ』
|照国別《てるくにわけ》はまた|謡《うた》ふ。
『|吾《われ》は|神軍《しんぐん》|照国《てるくに》の  |別《わけ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|伝《つた》へむと
|進《すす》み|来《き》たれる|折《を》りもあれ  タライの|村《むら》のジャンクさまが
|館《やかた》に|立《た》ち|入《い》りこの|度《たび》の  |軍《いくさ》の|話《はなし》を|聞《き》きしより
|吾《われ》も|義軍《ぎぐん》に|加《くは》はりて  |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|尽《つ》くるまで
あるひは|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ひつ  |神《かみ》の|建《た》てたる|神《かみ》の|国《くに》
|御空《みそら》に|塞《さや》る|黒雲《くろくも》を  |伊吹《いぶき》|払《はら》ひに|払《はら》ふべし
|勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|神軍《みいくさ》よ  |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》にあり
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |神《かみ》に|敵《てき》する|曲《まが》はなし
|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》  |大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》を
|敬《うやま》ひまつり|三五《あななひ》の  |教《をしへ》を|守《まも》りたまふなる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |御稜威《みいづ》を|力《ちから》と|頼《たの》みつつ
|生死《せいし》の|境《さかひ》に|超越《てうゑつ》し  |神《かみ》の|御《おん》ため|国《くに》のため
|国王《こきし》と|民《たみ》を|救《すく》うため  |身《み》もたなしらに|進《すす》むべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》の|尊《たふと》さよ
|進《すす》めよ|進《すす》めよ|神軍士《しんぐんし》  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|軍人《いくさびと》
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
|梅公《うめこう》はまた|謡《うた》ふ。
『|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて  |風《かぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》ぶ|河鹿山《かじかやま》
やうやく|越《こ》えて|千万《ちよろづ》の  |曲《まが》の|難《なや》みを|払《はら》ひつつ
|葵《あふひ》の|沼《ぬま》に|来《き》て|見《み》れば  |月《つき》|照《て》り|渡《わた》る|水《みづ》の|面《おも》
|空《そら》に|輝《かがや》く|清照《きよてる》の  |姫《ひめ》の|命《みこと》や|黄金《わうごん》の
|姫《ひめ》の|命《みこと》の|宣伝使《せんでんし》  |右《みぎ》と|左《ひだり》に|袂《たもと》をば
|別《わか》ちてタライの|村《むら》の|口《くち》  |進《すす》み|来《き》たれる|折《を》りもあれ
バラモン|軍《ぐん》の|暴状《ばうじやう》を  |耳《みみ》にせしより|腕《うで》は|鳴《な》り
|血《ち》は|躍《をど》りつつどこまでも  |世人《よびと》の|難《なや》みを|救《すく》はむと
|思《おも》ひきはめし|雄心《をごころ》の  |大和心《やまとごころ》のやりばなく
|如何《いかが》はせむと|思《おも》ふをり  ジャンクの|率《ひき》ゆる|義勇軍《ぎゆうぐん》
|従軍《じうぐん》せよとの|師《し》の|君《きみ》の  |言葉《ことば》に|否《いな》み|兼《か》ねつつも
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》と  |仰《あふ》ぎまつりて|進《すす》み|往《ゆ》く
さはさりながらスガコ|姫《ひめ》  |難《なや》みに|遇《あ》ひしと|聞《き》くよりも
これが|見捨《みす》てておかれようか  |戦《いくさ》の|場《には》に|立《た》ちながら
|心《こころ》にかかるは|姫《ひめ》の|事《こと》  |一旦《いつたん》|救《すく》ひ|助《たす》けむと
|思《おも》ひ|定《さだ》めし|吾《わ》が|胸《むね》は  いつか|晴《は》れなむ|大空《おほぞら》を
|包《つつ》みし|雲《くも》の|如《ごと》くなり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ  |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|強《つよ》くとも
|敵《てき》の|勢《いきほ》ひ|猛《たけ》くとも  |神《かみ》にある|身《み》はどこまでも
|如何《いか》でか|恐《おそ》れためらはむ  アア|面白《おもしろ》し|面白《おもしろ》し
|敵《てき》を|千里《せんり》に|退《しりぞ》けて  トルマン|国《ごく》を|永久《とこしへ》に
|神《かみ》の|教《をしへ》に|守《まも》るべく  |進《すす》まむ|身《み》こそ|楽《たの》しけれ
|進《すす》めよ|進《すす》めよ|神軍《みいくさ》よ  |勇《いさ》めよ|勇《いさ》めよ|諸人《もろびと》よ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
|照公《てるこう》はまた|謡《うた》ふ。
『|風《かぜ》よ|吹《ふ》け|吹《ふ》け|科戸《しなど》の|風《かぜ》よ  |砂《すな》よ|立《た》て|立《た》て|天《てん》まで|立《た》てよ
|吾《われ》は|神軍《しんぐん》|照公《てるこう》の  |神《かみ》の|司《つかさ》よ|乗《の》る|駒《こま》の
|蹄《ひづめ》の|音《おと》も|戛々《かつかつ》と  |如何《いか》なる|山路《やまぢ》も|恐《おそ》れなく
|神《かみ》のまにまに|進《すす》むべし  デカタン|国《ごく》の|高原《かうげん》に
|駒《こま》に|鞭《むち》うつ|吾々《われわれ》は  |三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》
|鳥《とり》|獣《けだもの》や|草木《くさき》まで  |救《すく》ひ|助《たす》けむ|職掌《しよくしやう》ぞ
|大足別《おほだるわけ》の|曲軍《まがいくさ》  バルガン|城《じやう》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》
|取《と》り|囲《かこ》むとも|何《なに》かあらむ  |神《かみ》のよさしの|言霊《ことたま》を
|力《ちから》|限《かぎ》りに|射放《いはな》ちて  |敵《てき》と|味方《みかた》の|隔《へだ》てなく
|言向《ことむ》け|和《やは》すは|案《あん》の|中《うち》  |刃《やいば》に|血《ち》をば|塗《ぬ》らずして
|軍《いくさ》をおさむる|神《かみ》の|徳《とく》  アア|勇《いさ》ましし|勇《いさ》ましし
|前途《ぜんと》に|光明《くわうみやう》|輝《かがや》きぬ  |恐《おそ》るる|勿《なか》れ|神軍士《しんぐんし》
|進《すす》めよ|進《すす》めよ|皆《みな》|共《とも》に  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|地《ち》の|上《うへ》に
|完全無欠《くわんぜんむけつ》に|開《ひら》くまで  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はへましませよ』
と|声《こゑ》|勇《いさ》ましく|謡《うた》ひながら、|千里《せんり》の|広野《くわうや》を|駒《こま》の|蹄《ひづめ》に|砂塵《しやぢん》を|捲《ま》き|上《あ》げながら、|途々《みちみち》|参加《さんか》する|兵士《へいし》を|合《がつ》し、|数千人《すうせんにん》の|団隊《だんたい》となつてバルガン|城《じやう》を|目《め》がけ、|勢《いきほ》ひ|猛《たけ》く|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一五 旧一一・一九 於祥雲閣 加藤明子録)
第二篇 |容怪変化《ようくわいへんげ》
第七章 |女白浪《をんなしらなみ》〔一六八九〕
デカタン|高原中《かうげんちう》の|最高地《さいかうち》、しかも|地味《ちみ》|最《もつと》も|肥《こ》えたるトルマン|国《ごく》の|西北端《せいほくたん》に、|雲《くも》に|聳《そび》えた|大高山《だいかうざん》がある。|樹木《じゆもく》|密生《みつせい》して|昼《ひる》なほ|暗《くら》く、|猛獣毒蛇《まうじうどくだ》の|棲息《せいそく》するもの|最《もつと》も|多《おほ》しと|伝《つた》へられてゐる。これがオーラ|山《さん》である。オーラ|山《さん》といふのは、|沢山《たくさん》の|山《やま》が|同《おな》じ|形《かたち》に|並《なら》んでゐる|意味《いみ》であつて、|数百里《すうひやくり》に|延長《えんちやう》し、この|区域《くゐき》をオーラ|山脈地帯《さんみやくちたい》と|称《しよう》してゐる。|谷々《たにだに》より|流《なが》れ|出《い》づる|水《みづ》は|何《いづ》れもオーラ|河《がは》に|注《そそ》ぎ、|印度《いんど》を|縦断《じうだん》して|印度洋《いんどやう》に|注《そそ》ぐ|有名《いうめい》な|大河《たいが》である。
|元《もと》バラモン|教《けう》の|修験者《しゆげんじや》たりしシーゴー|坊《ばう》は、|片腕《かたうで》と|頼《たの》む|玄真坊《げんしんばう》と|共《とも》にこの|山脈《さんみやく》の|中心地《ちうしんち》、すなはちオーラ|山《さん》に|根拠《こんきよ》を|構《かま》へ、|時《とき》の|到《いた》るを|待《ま》つて、まづバルガン|城《じやう》を|占領《せんりやう》し、|勢《せい》を|集《あつ》めてハルナの|都《みやこ》に|押《お》し|寄《よ》せ、|大黒主《おほくろぬし》を|征伐《せいばつ》し、|印度《いんど》|一国《いつこく》の|覇権《はけん》を|握《にぎ》らむと、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|引連《ひきつ》れて|山寨《さんさい》を|造《つく》り、オーラ|河《がは》を|利用《りよう》し、|一切《いつさい》の|挙兵《きよへい》|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》してゐた。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|必要《ひつえう》なのは|軍資金《ぐんしきん》である。|彼《かれ》はあらゆる|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》を|講《かう》じて|金品《きんぴん》|穀類《こくるゐ》ならびに|武器《ぶき》を|蒐集《しうしふ》することに|腐心《ふしん》してゐた。オーラ|山《さん》の|中腹《ちうふく》には|稍《やや》|広《ひろ》き|平地《へいち》があつて、|数里《すうり》を|隔《へだ》てた|遠方《ゑんぱう》から、|幾抱《いくかか》えとも|知《し》れぬ|大杉《おほすぎ》のコンモリとした|枝《えだ》が|目立《めだ》つて|見《み》えてゐる。シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》の|二人《ふたり》は|首《くび》を|鳩《あつ》め、|秘密会《ひみつくわい》を|開《ひら》いた。
シーゴー『オイ|玄真《げんしん》、|計画《けいくわく》もおひおひ|緒《ちよ》につき、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》は|集《あつ》まつたが、しかしながら|食料《しよくれう》の|欠乏《けつぼう》といひ、|武器《ぶき》の|不足《ふそく》といひ、|到底《たうてい》このままに|経過《けいくわ》すれば、|折角《せつかく》の|計画《けいくわく》も|画餅《ぐわへい》に|帰《き》するより|途《みち》はない。また|豺狼《さいらう》のごとき|部下《ぶか》を|統一《とういつ》せむとすれば、|食糧《しよくりやう》が|豊富《ほうふ》でなくては、|吾々《われわれ》の|命令《めいれい》も|聞《き》かなくなつて|了《しま》ふ。|何《なん》ぞ|可《い》い|工夫《くふう》はあるまいかなア』
|玄真《げんしん》『|左様《さやう》でございますなア。|私《わたし》もいろいろと|思案《しあん》を|致《いた》してをりますが、|何《なん》といつてもバラモンの|信仰《しんかう》をもつて|固《かた》まつた|此《こ》の|国《くに》、|一《ひと》つの|奇瑞《きずゐ》を|現《あら》はし、|人心《じんしん》を|収攬《しうらん》し、|信仰《しんかう》の|力《ちから》によつて、|金銭物品《きんせんぶつぴん》その|他《た》の|武器《ぶき》を|献上《けんじやう》させては|如何《いかが》でございませう。|私《わたし》はこれより|外《ほか》に|可《い》い|方法《はうはふ》はなからうかと|存《ぞん》じます』
『なるほど、いいところへ|気《き》がついた。|俺《おれ》も|永《なが》らくバラモンの|修験者《しゆげんじや》をやつてゐながら、|宗教的《しうけうてき》|信仰《しんかう》をもつて|人心《じんしん》を|収攬《しうらん》し、|大望《たいまう》を|達《たつ》せむとする|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》は|気《き》がつかなかつた。しかしながら|斯《か》かる|山奥《やまおく》に|在《あ》つて、|人《ひと》を|集《あつ》むるは|容易《ようい》の|事《こと》ではあるまい』
『サアその|事《こと》について、|私《わたし》も|頭《あたま》を|悩《なや》めてをります。|里《さと》|近《ちか》く|出《い》づれば|人《ひと》の|寄《よ》りは|宜《よろ》しいが、|秘密《ひみつ》の|漏洩《ろうえい》する|虞《おそ》れがある。この|山奥《やまおく》に|居《を》れば|安全《あんぜん》ではありますが、|人《ひと》を|集《あつ》めることは|容易《ようい》ではありますまい。よほどの|離《はな》れ|業《わざ》をして|見《み》せむ|事《こと》には、この|山奥《やまおく》へ|愚夫愚婦《ぐふぐふ》をおびきよせる|事《こと》は|難《むつ》かしいでせう』
『|俺《おれ》もいろいろ|雑多《ざつた》と|考《かんが》へてはみたが、|第一《だいいち》|食糧《しよくりやう》の|窮乏《きうばふ》を|告《つ》げるやうな|事《こと》ではこの|大望《たいまう》は|成就《じやうじゆ》せない。|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》に|泥棒《どろばう》ばかりさせてゐても、|結局《けつきよく》|統一《とういつ》が|出来《でき》なくなり、つひには|国民《こくみん》の|嫌悪《けんを》を|買《か》ひ|怨府《ゑんぷ》となり、|大業《たいげふ》の|妨害《ばうがい》を|来《き》たすであらう。|何《なん》とか|可《い》い|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》を|捻《ひね》り|出《だ》せないものかなア』
|両人《りやうにん》は|首《くび》を|傾《かたむ》け|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。そこへ|岩窟《いはや》の|戸《と》を|開《あ》けて|次《つぎ》の|岩窟《いはや》から|這入《はい》つて|来《き》たのは|玄真坊《げんしんばう》の|妻《つま》ヨリコ|姫《ひめ》であつた。
『アアこれはこれは|親方様《おやかたさま》、|旦那様《だんなさま》、|何《なに》か|可《い》いお|話《はなし》が|出来《でき》てゐるやうですなア。どうか|私《わたし》にもお|招伴《せうばん》さして|下《くだ》さいませ』
シーゴー『ウーン、イヤ、|何《なん》でもない。あまり|大原野《だいげんや》の|風景《ふうけい》が|佳《い》いので、|玄真殿《げんしんどの》と|眺望《てうばう》を|恣《ほしいまま》にしてゐたところだ』
ヨリコ『ホホホホ|妙《めう》なことを|仰有《おつしや》いますな。|岩窟《いはや》の|戸《と》を|閉《し》めきつておきながら、|大原野《だいげんや》をみはらすの、|眺望《てうばう》が|佳《よ》いのと、|子供《こども》を|騙《だま》すやうなお|言葉《ことば》、|何《なに》ほどお|隠《かく》しなさつても、あなたがたの|心《こころ》の|奥《おく》まで|看破《かんぱ》してをりますよ』
|玄真《げんしん》『ナアニ、|本当《ほんたう》に|見《み》てゐたのだよ。|今《いま》お|前《まへ》が|来《く》る|一寸《ちよつと》|前《まへ》に|戸《と》を|閉《し》めたところだ』
『ホホホホ|嘘《うそ》ばつかり、そんな|白々《しらじら》しい|事《こと》が|仰有《おつしや》られますわい。|貴方《あなた》がたは|妾《わらは》を|女《をんな》と|侮《あなど》り、いつもコソコソとよからぬ|御相談《ごさうだん》ばかりしてゐられますが、|小《ちひ》さい|悪《あく》をするよりも|一層《いつそう》|男《をとこ》らしう|大悪《だいあく》をなさつたらどうですか。|大悪《だいあく》は|大善《だいぜん》に|似《に》たり……といふことがあるぢやありませぬか』
『|女神《めがみ》のやうな|優《やさ》しいお|前《まへ》にも|似《に》ず、|今日《けふ》は|又《また》|太《ふと》いことを|言《い》ふぢやないか。|人間《にんげん》も|変《かは》れば|変《かは》るものだなア』
『そらさうですとも、|朱《しゆ》に|交《まじ》はれば|赤《あか》くなり、|麻《あさ》につれる|蓬《よもぎ》、|門前《もんぜん》の|小僧《こぞう》|習《なら》はずに|経《きやう》を|読《よ》み、|勧学院《くわんがくゐん》の|雀《すずめ》は|蒙求《もうぎう》を|囀《さへづ》るとやら、|日日《ひにち》|毎日《まいにち》|悪党哲学《あくたうてつがく》の|実習《じつしふ》を|受《う》けてゐるのですもの、|悪《あく》にかけたら、|出藍《しゆつらん》の|誉《ほまれ》ともいふべき|妾《わたし》ですよ。もはや|妾《わたし》はタライの|村《むら》|時代《じだい》のヨリコ|嬢《ぢやう》ではありませぬ。|比較的《ひかくてき》|大悪党《だいあくたう》の|玄真坊様《げんしんばうさま》が|宿《やど》の|妻《つま》、ホホホホずゐぶん|発達《はつたつ》したものでせう』
シーゴー『|何《なん》とマア|感心《かんしん》だなア。オイ|玄真《げんしん》、お|前《まへ》も|最早《もはや》|安心《あんしん》だよ。こんな|有力《いうりよく》な|後援者《こうゑんしや》が|出来《でき》たのだから、|鬼《おに》に|鉄棒《かなぼう》だ。ついては|俺《おれ》も|百万《ひやくまん》の|後楯《うしろだて》を|得《え》たやうだ。アア|愉快《ゆくわい》|愉快《ゆくわい》、オツホホホホ』
と|肩《かた》をゆすつて|笑《わら》ふ。
|玄真《げんしん》『なるほど、|親方《おやかた》の|仰《おほ》せの|通《とほ》り、ずゐぶん|悪化《あくくわ》したものですわい。オイ、ヨリコ、|実《じつ》のところは|親方《おやかた》や|自分《じぶん》たちの|大望《たいまう》をお|前《まへ》に|打《う》ち|明《あ》けて、|後援《こうゑん》してもらひたいと|喉元《のどもと》まで|出《で》てゐたが、|何《なん》といつても|名人《めいじん》の|画《ゑ》から|抜《ぬ》け|出《で》たやうな、|嬋娟窈窕《せんけんえうてう》たる|其方《そなた》、|霊体一致《れいたいいつち》の|関係《くわんけい》から|見《み》ても、|優美《いうび》な|高尚《かうしやう》な|正直《しやうぢき》なお|前《まへ》の|心《こころ》、こんな|悪党《あくたう》な|企《たく》らみを、うつかりお|前《まへ》に|聞《き》かせて、|愛想《あいそ》をつかされ、|三年《さんねん》の|恋《こひ》は|一度《いちど》に|醒《さ》め、|俺《おれ》を|振《ふ》りすてて|逃《に》げ|帰《かへ》るか、ただしは|自害《じがい》でもしてくれちや|大変《たいへん》だと、|今日《けふ》の|日《ひ》まで|秘密《ひみつ》を|心《こころ》に|包《つつ》んでゐたのだが、お|前《まへ》にそれだけの|悪度胸《わるどきよう》があるとすれば、|俺《おれ》も|最早《もはや》|大安心《だいあんしん》だ。|天下《てんか》は|吾《わ》が|意《い》のごとく|軈《やが》てなるだらう。テもさても|愉快《ゆくわい》な|事《こと》だわい、アツハハハハ』
ヨリコ『|夫《をつと》に|連添《つれそ》ふ|女房《にようばう》ぢやございませぬか。タライの|村《むら》の|吾《わ》が|家《や》へお|泊《とま》り|下《くだ》さつた|時《とき》、どつかに|一癖《ひとくせ》のある|御目《おんま》なざし、|此《この》|方《かた》は|何《いづ》れは|善《ぜん》か|悪《あく》かは|知《し》らねども、|大業《たいげふ》を|企《くはだ》てる|快男子《くわいだんじ》だと|直覚《ちよくかく》しましたので、|大恩《だいおん》ある|母《はは》を|捨《す》て、|可愛《かはい》い|妹《いもうと》に|放《はな》れて、あなたに|心中立《しんぢうだて》をしたのでございます。ここまで|打明《うちあ》けた|以上《いじやう》は|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なく、|一切万事《いつさいばんじ》|私《わたし》も|相談《さうだん》に|乗《の》せて|下《くだ》さいませ』
|玄真《げんしん》『|何《なん》とマア、|女《をんな》といふ|者《もの》は|分《わか》らぬものだなア。いな、|恐《おそ》ろしい|者《もの》だなア、まるきり|化物《ばけもの》だ。よくマア、こんな|極悪《ごくあく》|美人《びじん》を|抱《だ》いて|寝《ね》て、|寝首《ねくび》をかかれなかつた|事《こと》だワイ、アツハハハハ』
シーゴー『ウツフフフフフフ、ますます|面白《おもしろ》くなつて|来《き》た。|鬼《おに》の|夫《をつと》に|蛇《じや》の|女房《にようばう》……とはよく|言《い》つたものだ、エツヘヘヘヘ』
ヨリコ『もし|親方様《おやかたさま》、|珍《めづら》しさうに|何《なん》でございますか、|女《をんな》は|魔物《まもの》と|昔《むかし》からいふぢやありませぬか。|私《わたし》も|玄真坊様《げんしんばうさま》と|三年《さんねん》が|間《あひだ》|暮《くら》してゐる|間《ま》に、|時々《ときどき》|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》を|言《い》つたり、|世《よ》をはかなんだりなさる|度毎《たびごと》に、……エーエ|腰抜野郎《こしぬけやらう》だな、|一層《いつそう》のこと、|寝首《ねくび》をかいてやらうか。イヤ|待《ま》て|待《ま》て|現代《げんだい》の|男《をとこ》といふ|奴《やつ》、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰抜《こしぬけ》ばかりだ。|善《ぜん》を|徹底的《てつていてき》に|行《おこな》ふでもなければ、|悪《あく》を|徹底的《てつていてき》に|遂行《すゐかう》する|快男児《くわいだんじ》もない。|世間《せけん》の|男《をとこ》から|比《くら》べて|見《み》れば、この|玄真坊様《げんしんばうさま》は|幾分《いくぶん》か|偽善《ぎぜん》と|悪辣《あくらつ》との|手腕《しゆわん》が、チツとばかり|優《まさ》つてゐるやうに|思《おも》つたので、|自分《じぶん》の|意《い》には|充《み》たないけれど|将来《しやうらい》|何《なに》か|使《つか》つてやる|時《とき》もあらうと、|今《いま》まで|辛抱《しんばう》してゐたのですよ、オツホホホホ。|玄真様《げんしんさま》、|誠《まこと》に|済《す》みませぬが、|決《けつ》して|悪《わる》く|思《おも》つて|下《くだ》さいますな。|妾《わたし》だつて|時々《ときどき》|愛《あい》は|注《そそ》いでゐるでせう。|何《なん》といつても|人体自然《じんたいしぜん》の|理《り》に|依《よ》つて|月《つき》に|一度《いちど》や|二度《にど》は、|発情期《はつじやうき》が|出《で》て|来《き》ますからねえ。ひだるい|時《とき》のまづい|物《もの》なし、|喉《のど》の|渇《かわ》いた|時《とき》は、|泥田《どろた》の|水《みづ》も|呑《の》めば|甘露《かんろ》の|味《あぢ》がするとやら、|本当《ほんたう》に|貴郎《あなた》は、|妾《わたし》が|唯一《ゆゐいつ》の|慰安者《ゐあんしや》でしたよ、|小《せう》なる|救世主《きうせいしゆ》でしたよ。ホツホホホホ』
|玄真《げんしん》『チエツー、|馬鹿《ばか》にしてゐる。さうするとお|前《まへ》は|俺《おれ》の|威力《ゐりよく》に|恐《おそ》れて、|心《こころ》ならずも|服従《ふくじう》してゐたのだな。そして|時々《ときどき》|情慾《じやうよく》の|炎《ほのほ》を|消《け》すポンプに|使《つか》つてゐたのだらう』
『あなたのポンプは|人並《ひとな》み|勝《すぐ》れて|馬《うま》|並《な》みでしたよ。しかしながらそのお|蔭《かげ》でウツトコの|孔口《こうこう》が|拡大《くわくだい》し、|東経《とうけい》|百度《ひやくど》、|北緯《ほくゐ》|二百度《にひやくど》といふ|大竜門洞《だいりうもんどう》が|形作《かたちづく》られたのですもの、ホツホホホホ』
『エー、お|前《まへ》は|男子《だんし》を|嘲弄《てうろう》するのか』
『ホホホホさうですとも、|聖人《せいじん》の|言葉《ことば》にも、|長老《ちやうらう》を|敬《うやま》へといふぢやありませぬか。いはゆる、あなたに|対《たい》して|嘲弄《てうろう》するのは|結局《けつきよく》|敬意《けいい》を|表《へう》してゐたのですワ。それに|時々《ときどき》|女《をんな》の|腐《くさ》つたやうな、チヨロ|臭《くさ》い|泣言《なきごと》をおつしやるのを|聞《き》く|度毎《たびごと》に、|胸《むね》がムカムカいたしましたよ。|和尚《おしやう》の|屁《へ》は|長老臭《ちやうらうくさ》いといひますからね。|時々《ときどき》まるで|水《みづ》の|中《なか》で|屁《へ》をひつたやうな、|掴《つか》まへどころのない|計画《けいくわく》をしては|失敗《しつぱい》をなさるのだもの、カラツキシ|信用《しんよう》がおけないぢやありませぬか』
『アーア、|大変《たいへん》な|女帝様《によていさま》を|女房《にようばう》に|持《も》つたものだなア』
『コリヤ|面白《おもしろ》い、|妾《わたし》を|女帝様《によていさま》と|言《い》ひましたね。|敬《うやま》ひ|過《す》ぐれば|礼《れい》を|失《しつ》するとか|申《まを》しまして、あなたは|妾《わたし》に|対《たい》し、|軽侮《けいぶ》|嘲笑《てうせう》の|的《まと》としてござるのでせう。しかしながら|愚弄的《ぐろうてき》にもせよ、|軽侮的《けいぶてき》にもせよ、|女帝《によてい》といはれたその|言霊《ことたま》は、|妾《わたし》に|取《と》つては|身魂相応《みたまさうおう》、|実《じつ》に|感謝《かんしや》いたします、ホツホホホホ』
シーゴー『コレコレ|女帝《によてい》さま、|大変《たいへん》な|馬力《ばりき》ぢやありませぬか』
ヨリコ『ハイ、|馬力《ばりき》どころか、|象力《ざうりき》ですよ。|大象《だいざう》も|女《をんな》の|黒髪《くろかみ》|一筋《ひとすぢ》にて|曳《ひ》かれると|言《い》ふぢやありませぬか。|男子《だんし》は|馬力《ばりき》、これを|詳説《しやうせつ》すれば|馬鹿力《ばかりき》といひ、|女《をんな》はいはゆる|象力《ざうりき》です。|象《ざう》は|憎《ぞう》に|通《つう》じ、|飽《あ》くまで|男子《だんし》を|憎悪《ぞうを》してをつても|女子《ぢよし》の|精神《せいしん》を|知《し》らず、|俺《おれ》に|惚《ほ》れてゐるに|違《ちが》ひないと|大変《たいへん》な|馬鹿力《ばかりき》を|出《だ》し【|象憎悪《ぞうぞお》】しくも、|主人面《しゆじんづら》をさげて|納《をさ》まり|返《かへ》つてゐるのが|世間一般《せけんいつぱん》の|男子《だんし》の|病患《びやうくわん》ですワ。|本当《ほんたう》に|男子《だんし》といふ|者《もの》は|憐《あは》れな|代物《しろもの》ですよ。ホツホホホ』
『これは|怪《け》しからぬ、|天下無双《てんかむさう》の|勇士《ゆうし》|二人《ふたり》を|手玉《てだま》に|取《と》つて|罵詈嘲弄《ばりてうろう》を|擅《ほしいまま》にし、|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》な|侮辱《ぶじよく》を|与《あた》へるとは|言語道断《ごんごだうだん》な|代物《しろもの》だ。キツと|敵《かたき》を|取《と》つて|上《あ》げますから、その|覚悟《かくご》をなさるが|可《よ》からう』
『ホホホホホお|気《き》に|障《さは》りましたら、|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ。この|女帝《によてい》は|世間《せけん》|普通《ふつう》|一般《いつぱん》のガラクタ|男子《だんし》に|対《たい》し、|万丈《ばんぢやう》の|気焔《きえん》を|吐《は》いたまでです。あなたのやうな|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》、|天晴《あつぱ》れ|偉丈夫《ゐぢやうふ》に|対《たい》しては|例外《れいぐわい》ですワ。|私《わたし》、|実《じつ》のところはシーゴー|様《さま》が|本当《ほんたう》に|好《す》きなのよ、ねー、シーゴー|様《さま》、|頭《かしら》に|純白《じゆんぱく》の|雪《ゆき》を|頂《いただ》きながら、その|艶々《つやつや》しいお|面《かほ》、これが|世《よ》のいはゆる|白髪《はくはつ》|童顔《どうがん》とでも|申《まを》しませうか。まるつきり|劫《ごふ》を|経《へ》た|狒々公《ひひこう》のやうですワ。ヒヒヒヒ』
『これはしたり、|怪《け》しからぬ|女帝《によてい》のお|言葉《ことば》、|益々《ますます》もつて|八尺《はちしやく》の|男子《だんし》を、|讒誣嘲笑《ざんぶてうせう》なさるか』
『|滅相《めつさう》もない、ここに|玄真坊様《げんしんばうさま》がゐらつしやるぢやありませぬか』
『エヘヘヘヘヘヘ、|褒《ほ》めたり、くさしたり、|上《あ》げたり|下《お》ろしたり、|何《なに》が|何《なん》だかチツとも|訳《わけ》が|分《わか》らない。|瞹昧《あいまい》|模糊《もこ》として|竜《りう》のごとく|霞《かすみ》のごとく、|吾々《われわれ》の|馬力《ばりき》では|到底《たうてい》その|首尾《しゆび》を|捕捉《ほそく》することは|出来《でき》ぬワイ、エツヘヘヘヘヘヘ』
『|妾《わたし》はその|白髪《はくはつ》|童顔《どうがん》が|大変《たいへん》に|気《き》に|入《い》つてますのよ。|大政党《だいせいたう》を|率《ひき》つれ、|平民大臣《へいみんだいじん》として|時《とき》めきわたり|遊《あそ》ばす|大資格《だいしかく》が|備《そな》はつてゐるのですもの。しかしながら|用心《ようじん》なさいませよ。|停車場《ていしやぢやう》や|人《ひと》ごみの|中《なか》を、いつ|中岡艮一《なかおかこんいち》が|現《あら》はれるか|知《し》れませぬからね、オツホホホホ』
『|未来《みらい》における|自転倒島《おのころじま》の|総理大臣《そうりだいじん》とは|縁起《えんぎ》が|可《い》い。しかしながら、|刺客《しかく》に|会《あ》ふことだけは|真平《まつぴら》だ』
『そらさうですとも、|古今無双《ここんむそう》のナイスに|惚《ほ》れられて、その|上《うへ》|権力《けんりよく》は|天下《てんか》に|並《なら》びなく、|酔《よ》うては|眠《ねむ》る|窈窕美人《えうてうびじん》の|膝《ひざ》、|醒《さ》めては|握《にぎ》る|堂々《だうだう》|天下《てんか》の|権《けん》……と|酒《さけ》の|機嫌《きげん》で|唄《うた》つてゐると、そこへキツと|刺客《しかく》が|現《あら》はれやうまいものでもありませぬよ。|恋《こひ》の|仇《かたき》とやらいふ|曲神《まがかみ》が|現《あら》はれましてね』
『その|刺客《しかく》といふのは、|一体《いつたい》どんな|奴《やつ》だ』
ヨリコ『ホホホホホホ、ここでは|一寸《ちよつと》|差支《さしつか》へますが、ゲのつく|色男《いろをとこ》さまですよ。|御用心《ごようじん》なさいませ』
|玄真《げんしん》『コリヤ|女帝《によてい》、|何《なん》といふ|暴言《ばうげん》を|吐《は》くのだ。|亭主《おやぢ》を|馬鹿《ばか》にするのか。モウ|今日《こんにち》かぎり、|貴様《きさま》のやうな|気《き》の|多《おほ》い|不卓腐《ふていくさ》れには|暇《ひま》を|遣《つか》はさぬワイ』
ヨリコ『ホホホホ、あのマア|妙《めう》な|面《かほ》ワイの、まるつきり|古狸《ふるだぬき》の|化《ば》け|損《そこな》つたやうだワ』
シーゴー『|何時《いつ》までも|女帝《によてい》さまに|嘲弄《からかわ》れてをつても|事務《じむ》が|進捗《しんせふ》せない。サア、これはこれで|切上《きりあ》げて、|本問題《ほんもんだい》の|討議《たうぎ》にかからうぢやないか。なア|玄真坊《げんしんばう》』
|玄真《げんしん》『|左様《さやう》でございます。|女帝《によてい》は|女帝《によてい》として、|雲《くも》|深《ふか》く|祭《まつ》り|上《あ》げておき、|親分《おやぶん》さまと|私《わたし》と|肝胆《かんたん》|相照《あひて》らし、|唇歯輔車的《しんしほしやてき》|関係《くわんけい》をますます|密接《みつせつ》にし、|空前《くうぜん》の|大業《たいげふ》につき|最善《さいぜん》の|方法《はうはふ》を|協議《けふぎ》いたさうぢやありませぬか』
シーゴー『よからう。しかしヨリコさまに|居《を》つてもらつちや|聊《いささ》か|憚《はばか》るやうだ。|失礼《しつれい》ながら|御退席《ごたいせき》を|願《ねが》ひませうか』
ヨリコ『ホホホ|頓馬野郎《とんまやらう》ばかりが|首《くび》を|鳩《あつ》めて、|何《なに》ほどメートルを|上《あ》げたつて、|馬力《ばりき》をかけたつて、|到底《たうてい》|碌《ろく》な|相談《さうだん》は|纒《まと》まりますまい。|今日《こんにち》までの|貴方《あなた》がたの|御手腕《ごしゆわん》は|念入《ねんい》りに|拝見《はいけん》さして|頂《いただ》いてをりますワ。……|女賢《をんなさか》しうして|牛売《うしう》り|損《そこな》ふとやら、あるひは|女子《ぢよし》と|小人《せうじん》は|養《やしな》ひ|難《がた》しとやら、|七人《しちにん》の|子《こ》はなすとも、|女《をんな》に|大事《だいじ》をあかすなとやら、|女《をんな》は|嫉妬《しつと》の|権化《ごんげ》だとか、|悪魔《あくま》の|化身《けしん》だとか、|婦女子《ふぢよし》の|言《げん》|信《しん》ずべからず……とか|今時《いまどき》の|男子《だんし》は|自分《じぶん》の|馬鹿《ばか》を|棚《たな》に|上《あ》げて、|交際場裡《かうさいぢやうり》の|花《はな》ともいふべき|婦人《ふじん》に|対《たい》し|冷笑《れいせう》|軽侮《けいぶ》を|以《もつ》て|迎《むか》へてをりますが、|女《をんな》だつてさう|捨《す》てたものではありませぬよ。|本当《ほんたう》の|英雄《えいゆう》は|女《をんな》にあるのですからなア。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい、|釈迦《しやか》も|孔子《こうし》もキリストも|皆《みな》|女《をんな》の|玉門《ぎよくもん》から|吐《は》き|出《だ》されたものぢやありませぬか。|妾《わたし》がここに|居《を》りまして、お|邪魔《じやま》になるとは|聞《き》こえませぬよ。|実《じつ》のところを|言《い》へば、|表面《へうめん》あなたがたに|親方様《おやかたさま》……とか、|御主人様《ごしゆじんさま》とかいつて|面従《めんじう》してをりますが、うしろ|向《む》いては|舌《した》を|出《だ》し、……|取《と》るに|足《た》らない、|腑甲斐《ふがひ》ない、ケチな|野郎《やらう》だなア……と、|何時《いつ》も|子供扱《こどもあつか》ひにしてゐるのですよ。どうですか、|貴方《あなた》がた、|妾《わたし》を|知恵《ちゑ》の|宝庫《はうこ》として|尊重《そんちよう》し、この|大望《たいまう》を|成就《じやうじゆ》する|考《かんが》へはございませぬか。|馬鹿野郎《ばかやらう》や、|下司《げす》の|知恵《ちゑ》で|到底《たうてい》|天下《てんか》は|取《と》れませぬよホホホホ。|雑言無礼《ざふごんぶれい》の|段《だん》|御勘弁《ごかんべん》を|願《ねが》ひます』
と|傍若無人《ばうじやくぶじん》なヨリコ|姫《ひめ》の|言葉《ことば》に、さしも|兇悪《きようあく》なる|二人《ふたり》は|呆《あき》れはて、しばし|言葉《ことば》も|出《で》なかつた。
ヨリコ『ホホホホホホ|大胆不敵《だいたんふてき》の|女《をんな》と|思召《おぼしめ》すでせうが、このくらゐな|事《こと》で|驚《おどろ》くような|貴方《あなた》がたなれば|最早《もはや》|取《と》るには|足《た》らない、|目《め》なつと|噛《か》んで|死《し》んだ|方《はう》が、よつぽど|男《をとこ》らしいですよ』
シーゴー『イヤ、|女帝様《によていさま》、|今日《けふ》から|貴女《あなた》の|部下《ぶか》にして|下《くだ》さい。キツと|御命令《ごめいれい》に|服従《ふくじう》いたします』
『|決《けつ》して|間違《まちが》ひはありますまいな』
『バラモン|男子《だんし》の|一言《いちごん》は|岩石《がんせき》のごとく|動《うご》きませぬ』
『よろしい、そんなら|今日《けふ》から|女帝《によてい》の|部下《ぶか》ですよ。|今《いま》までは|親方《おやかた》|親方《おやかた》と|尊敬《そんけい》してゐましたが、|今日《けふ》からはシーゴーと|呼《よ》びつけを|致《いた》しますから、そのお|覚悟《かくご》をなさいませ』
『ハイ、|一切万事《いつさいばんじ》、|徹頭徹尾《てつとうてつび》、|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》を|誓《ちか》ひます』
『ホホホホ、|善哉善哉《ぜんざいぜんざい》。コレコレ|玄真《げんしん》さま、お|前《まへ》は|何《ど》うする|考《かんが》へだい』
|玄真《げんしん》『お|前《まへ》が|大親分《おほおやぶん》になつて、シーゴーさまを|乾児《こぶん》とした|以上《いじやう》は、|俺《おれ》はお|前《まへ》の|夫《をつと》だ。お|前《まへ》の|地位《ちゐ》が|高《たか》まると|共《とも》に|俺《おれ》の|地位《ちゐ》も|高《たか》まるのが|当然《たうぜん》の|帰結《きけつ》ぢやないか。|馬鹿《ばか》な|質問《しつもん》をするものぢやないワ、アツハハハハハ』
ヨリコ『ホホホホホ|何時《いつ》までも|虫《むし》のよい、|唐変木《たうへんぼく》だこと、ものが|分《わか》らぬと|言《い》つても、あまりぢやないか。|最前《さいぜん》からの|女帝《によてい》の|言葉《ことば》にチヨコチヨコと|現《あら》はれてゐるのが、お|前《まへ》は|気《き》がつかないのかい。もはや|今日《けふ》となつては、ヨリコ|女帝《によてい》の|部下《ぶか》ですよ』
『コリヤコリヤ|女帝《によてい》、まだ|三行半《みくだりはん》を|渡《わた》した|事《こと》もなし、さうお|前《まへ》の|方《はう》できめて|貰《もら》つても|此方《こちら》の|方《はう》に|承諾《しようだく》はしてゐないぢやないか』
『|三行半《みくだりはん》も|四行半《よくだりはん》も|要《い》りますか、|承諾《しようだく》も|妄宅《せふたく》もあつたものですか。お|前《まへ》もモチツと|勉強《べんきやう》してこの|女帝《によてい》をへこますだけの|実力《じつりよく》が|具備《ぐび》したならば、|再《ふたた》び|夫婦《ふうふ》になつて|上《あ》げませう。それまでは|夫婦《ふうふ》たる|権利《けんり》は|撤回《てつくわい》しますよ』
『コレ、シーゴーさま、あんな|事《こと》を|言《い》ひますワ、チツと|可《い》い|挨拶《あいさつ》をして|下《くだ》さいな』
シーゴー『エー、|君《きみ》、|断念《だんねん》し|玉《たま》へ、|君《きみ》の|夫婦《ふうふ》は|提灯《ちやうちん》に|釣鐘《つりがね》だ。|到底《たうてい》|知恵《ちゑ》と|言《い》ひ、|力《ちから》といひ、|不相応《ふさうおう》な|夫婦《ふうふ》の|関係《くわんけい》は|永続《えいぞく》はむつかしいよ。それよりも|一層《いつそう》のこと、この|女帝《によてい》を|謀師《ぼうし》とし、|日頃《ひごろ》の|大望《たいまう》を|成就《じやうじゆ》させやうぢやないか。|女帝《によてい》の|承諾《しようだく》もなしに|形式的《けいしきてき》の|夫婦《ふうふ》だなんて|愛《あい》のない|夫婦関係《ふうふくわんけい》は|険難《けんのん》だよ。|最前《さいぜん》も|女帝《によてい》が|言《い》つただらう、……|幾度《いくど》も|幾度《いくど》もこの|頓馬野郎《とんまやらう》、|寝首《ねくび》をかいてやらうと|思《おも》つたか|知《し》れぬ……との|御託宣《ごたくせん》、あれを|聞《き》いた|時《とき》や、|俺《おれ》も|体内地震《たいないぢしん》が|勃発《ぼつぱつ》したよ。|本当《ほんたう》に|腕《うで》の|凄《すご》い、|豪胆《がうたん》な|女帝様《によていさま》だ、モウ|諦《あきら》めてしまへ。それよりも|沢山《たくさん》な|乾児《こぶん》に|命《めい》じ、|世界《せかい》の|美人《びじん》を|誘拐《いうかい》して|来《き》て、|選《よ》り|取《ど》り|見取《みど》り、|不義《ふぎ》の|快楽《けらく》に|耽《ふけ》つた|方《はう》が|何《なに》ほど|男《をとこ》らしいか|知《し》れないよ。ヨリコ|女帝《によてい》ばかりが|女《をんな》ぢやあるまいし、|男子《だんし》はモウ|少《すこ》し|心《こころ》を|広《ひろ》く|持《も》たないと|駄目《だめ》だよ』
|玄真《げんしん》『エー、|仕方《しかた》がない、|思《おも》ひ|切《き》つて、|夫《をつと》の|権利《けんり》を|放棄《はうき》します。どうか|女帝様《によていさま》、|今日《こんにち》|只今《ただいま》よりシーゴーの|親分《おやぶん》|同様《どうやう》に|可愛《かはい》がつて|使《つか》つて|下《くだ》さい』
ヨリコ『ヨシヨシ、シーゴーは|左守《さもり》、|玄真《げんしん》は|右守《うもり》、|三位一体《さんみいつたい》となつて、|天下《てんか》の|経綸《けいりん》を|行《おこな》ひませう』
ここに|二人《ふたり》はヨリコ|姫《ひめ》に|絶対的《ぜつたいてき》|権利《けんり》を|賦与《ふよ》し、いろいろ|大陰謀《だいいんぼう》の|計画《けいくわく》にかかる|事《こと》となつた。|密議《みつぎ》の|次第《しだい》は|次章《じしやう》において|明《あき》らかになるであらう。
オーラ|山《さん》の|醜《しこ》の|嵐《あらし》の|強《つよ》くして
|四方《よも》の|草木《くさき》は|悩《なや》み|伏《ふ》しなむ
|女《をんな》てふものの|強《つよ》きを|今《いま》ぞ|知《し》る
|醜《しこ》の|曲霊《まがつ》のまつらふみれば
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 松村真澄録)
第八章 |神乎魔乎《かみかまか》〔一六九〇〕
|美《び》の|化身《けしん》、|愛《あい》の|権化《ごんげ》、|善《ぜん》の|極致《きよくち》、|真情《しんじやう》の|発露《はつろ》にして|平和《へいわ》の|女神《めがみ》と|渇仰《かつかう》|憧憬《どうけい》さるる|天成《てんせい》の|美人《びじん》も、|一度《ひとたび》|霜雪《さうせつ》を|踏《ふ》み|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》の|中《なか》に|漂《ただよ》ひ、あらゆる|危険《きけん》と|罪悪《ざいあく》との|渦《うづ》に|巻《ま》かれて、その|精神内《せいしんない》に|急激《きふげき》なる|変調《へんてう》を|来《き》たした|時《とき》は、たちまち|鬼女《きぢよ》となり|悪魔《あくま》となり、|竜蛇《りうだ》となり|国《くに》を|傾《かたむ》け|城《しろ》を|覆《くつが》へし、あらゆる|男子《だんし》の|心胆《しんたん》をとろかし、|男子《だんし》の|稜々《りようりよう》たる|気骨《きこつ》も、|肉離《にくばな》れのするところまで|魔《ま》の|手《て》を|伸《の》ばすものである。|実《げ》にも|女《をんな》は|外道《げだう》の|骨頂《こつちやう》、|鬼畜《きちく》の|親玉《おやだま》、|悪魔《あくま》の|集合場《しふがふぢやう》、|暗黒無明《あんこくむみやう》の|張本《ちやうほん》となつて|天下《てんか》を|混乱《こんらん》し、あらゆる|害毒《がいどく》を|流布《るふ》するに|至《いた》る。かれヨリコ|姫《ひめ》は|梅花《ばいくわ》の|唇《くちびる》、|柳《やなぎ》の|眉《まゆ》、|鈴《すず》をはつたやうな|眼《め》、|白《しろ》い|顔《かほ》の|中央《ちうあう》に、こんもりとした|恰好《かつかう》のよい|鼻《はな》、|白珊瑚《しろさんご》の|歯《は》の|色《いろ》、|背《せ》は|高《たか》からず|低《ひく》からず、|地蔵《ぢざう》の|肩《かた》、ふつくりとして|恰好《かつかう》のよい|乳房《ちぶさ》、|滑《なめ》らかな|玉《たま》の|肌《はだ》、|髪《かみ》は|漆《うるし》のごとく|瑠璃《るり》のごとく|黒《くろ》き|艶《つや》を|腮辺《しへん》に|放《はな》ち、|象牙細工《ざうげざいく》のやうな|手首《てくび》、|指《ゆび》の|先《さき》、|瑪瑙《めなう》のやうな|爪《つめ》の|色《いろ》、|歩行《ほかう》する|姿《すがた》は|春《はる》の|花《はな》の|微風《びふう》に|揺《ゆ》れるがごとく、|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、どこに|点《てん》の|打《う》ちどころのない|嬋娟窈窕《せんけんえうてう》たる|傾国《けいこく》の|美人《びじん》であつた。|彼《かれ》はタライの|村《むら》の|吾《わ》が|家《いへ》にある|頃《ころ》より、その|美貌《びばう》が|災《わざは》ひして、あらゆる|男子《だんし》に|恋《こひ》の|矢玉《やだま》を|集中《しふちう》されたが、かれヨリコ|姫《ひめ》の|意思《いし》に|合《あ》つた|賢明《けんめい》にして|勇壮《ゆうさう》なる|男子《だんし》の|本領《ほんりやう》を|具備《ぐび》した|恋人《こひびと》が|見付《みつ》からなかつた。さうして|彼《かれ》は|蜥蜴面《とかげづら》、|蛙面《かはづづら》、|閻面《えんまづら》、|南瓜面《かぼちやづら》、|瓢箪面《へうたんづら》、|瓜実顔《うりざねがほ》、|茄子《なすび》のやうな|黒《くろ》い|顔《かほ》|等《とう》の|悪性男《あくしやうをとこ》に|包囲《はうゐ》|攻撃《こうげき》され、|日夜《にちや》|男子《だんし》たるものの|弱点《じやくてん》を|知《し》り、|嘔吐《おうと》を|催《もよほ》す|思《おも》ひに|十六《じふろく》の|春《はる》より|三年《さんねん》の|光陰《くわういん》を|味気《あぢき》なく|情《なさ》けなく|感《かん》じつつ|暮《くら》してゐた。|世《よ》の|中《なか》の|男子《だんし》といふ|男子《だんし》は|一人《ひとり》として|碌《ろく》なものはない、ちよつと|見《み》ては|才子《さいし》と|見《み》え|勇者《ゆうしや》と|見《み》え、|或《あるひ》は|人情《にんじやう》|深《ふか》き|有徳者《いうとくしや》と|見《み》え、|間然《かんぜん》するところなき|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》だと|世《よ》の|誉《ほまれ》を|専《もつぱ》らにする|男子《だんし》に|接《せつ》して|見《み》ても、その|魂《たましひ》を|包《つつ》んだ|肉体《にくたい》といふ|表皮《へうひ》を|破羅剔抉《はらてきけつ》して|精神《せいしん》のドン|底《ぞこ》を|洞察《どうさつ》すると、いづれも|悪臭《あくしう》|蝟集《ゐしふ》して|恰《あたか》も|塵捨場《ごみすてば》のごとく、|糞尿《ふんねう》の|堆積《たいせき》せるがごとくに|感《かん》じ、|恋《こひ》てふものの|到底《たうてい》、|完全《くわんぜん》に|味《あぢ》はふべからざる|事《こと》を|知《し》つた。かれヨリコ|姫《ひめ》は|比較的《ひかくてき》|他《た》の|女《をんな》に|比《くら》べて|理智《りち》に|富《と》んでゐた。|凡《すべ》てが|男性的《だんせいてき》であつた。それ|故《ゆゑ》なまめかしい|香油《かうゆ》の|香《にほひ》や|白粉《おしろい》の|香《にほひ》で、ごまかしてゐるハイカラ|男子《だんし》を|見《み》ては|蛇蝎《だかつ》のごとくに|忌《い》み|嫌《きら》うた。さうして|男子《だんし》てふものの|卑怯《ひけふ》さ、|腑甲斐《ふがひ》なさ、|女《をんな》に|対《たい》して|無力《むりよく》なる|真理《しんり》を|悟《さと》つた。|彼《かれ》は|如何《いか》にもして|自分《じぶん》に|勝《まさ》る|逞《たくま》しい、|雄々《をを》しい|男子《だんし》と|結婚《けつこん》して|見《み》たいとの|念慮《ねんりよ》を|離《はな》さなかつた。
|時《とき》しもあれ、バラモン|教《けう》の|修験者《しゆげんじや》|玄真坊《げんしんばう》なるもの、|荒風《あらかぜ》|吹《ふ》き|捲《ま》くる|或日《あるひ》の|夕《ゆふべ》、|門口《かどぐち》に|立《た》つて|一夜《いちや》の|宿《やど》を|乞《こ》うた。かれヨリコ|姫《ひめ》は|戸《と》の|節穴《ふしあな》より|修験者《しゆげんじや》を|垣間見《かいまみ》れば、|帽子《ばうし》を|深《ふか》く|被《かぶ》つてゐるためその|面体《めんてい》は|確《しか》と|分《わか》らねど、どこともなしに|逞《たくま》しい、|男《をとこ》らしい|男《をとこ》だと|直覚《ちよくかく》した。そこで|彼《かれ》は|心《こころ》よく|戸《と》を|開《ひら》いて|修験者《しゆげんじや》を|呼《よ》び|入《い》れ、いろいろと|世《よ》の|有様《ありさま》を|徹宵《てつせう》して|語《かた》り|合《あ》ひ、|玄真坊《げんしんばう》の|普通人《ふつうじん》とは|異《こと》なり、どこともなく|山気《やまけ》のあるに|心《こころ》を|傾《かたむ》け、|不満足《ふまんぞく》ながらも……|普通《ふつう》の|男子《だんし》に|比《くら》ぶればチツとは|男《をとこ》らしい|処《ところ》もある、|盈《み》つれば|虧《か》くる|世《よ》の|習《ならひ》、|到底《たうてい》|明暗《めいあん》|行交《ゆきか》ふ|世《よ》の|中《なか》には、|円満《ゑんまん》とか|具足《ぐそく》とか|完全《くわんぜん》とかいふ|事《こと》は|望《のぞ》まれなからう、エーままよ、この|男《をとこ》と、|母《はは》と|妹《いもうと》にはすまないが|共《とも》に|手《て》を|携《たづさ》へ、|吾《わ》が|家《や》を|抜《ぬ》け|出《い》だし、|一《ひと》つ|天下《てんか》を|驚《おどろ》かすやうな|大賭博《おほばくち》が|打《う》つて|見《み》たい。のるか、そるかだ、|事《こと》の|成功《せいこう》|不成功《ふせいこう》は|問《と》ふところでない。|一度《いちど》|死《し》んだら|二度《にど》とは|死《し》なぬ。|何事《なにごと》も|死《し》を|決《けつ》して|断行《だんかう》すれば|鬼神《きしん》も|避《さ》くるとかや、アア|断行《だんかう》|断行《だんかう》……と|首肯《うなづ》きながら|自分《じぶん》の|方《はう》から|玄真坊《げんしんばう》を|口説《くど》き|落《お》とし、あくる|日《ひ》の|真夜中頃《まよなかごろ》、|両人《りやうにん》|手《て》に|手《て》を|執《と》つて、|十八年《じふはちねん》|住《す》みなれし|故郷《こきやう》を|後《あと》に、あちらこちらと|漂浪《さまよ》ひながら、つひに|十八才《じふはつさい》の|暮《くら》、このオーラ|山《さん》に|立《た》て|籠《こも》り|大陰謀《だいいんぼう》|実行《じつかう》の|第一歩《だいいつぽ》を|進《すす》めんとしたのである。
|彼女《かのぢよ》は|時期《じき》の|至《いた》るまで|表面《うはべ》に|柔順《じうじゆん》と|貞淑《ていしゆく》を|粧《よそほ》ひ|豺狼《さいらう》の|心《こころ》を|深《ふか》く|胸《むね》に|包《つつ》み、おひおひ|月日《つきひ》が|経《た》つに|従《したが》つて、|鼻持《はなも》ちのならぬ|香《にほひ》を|感《かん》じて|来《き》た|玄真坊《げんしんばう》に、|表面《へうめん》あらゆる|媚《こび》を|呈《てい》し、|夫婦《ふうふ》となつて|時《とき》の|至《いた》るを|待《ま》ちつつあつた。|彼《かれ》は、もはや|躊躇《ちうちよ》すべき|時《とき》に|非《あら》ず、シーゴー|坊《ばう》や|玄真坊《げんしんばう》の|部下《ぶか》に|集《あつ》まる|三千人《さんぜんにん》の|悪党輩《あくたうばら》を|利用《りよう》してトルマン|国《ごく》を|吾《わ》が|手《て》に|入《い》れ、バルガン|城《じやう》を|根拠《こんきよ》として|月《つき》の|国《くに》|七千余国《ななせんよこく》の|大女帝《だいによてい》となり、|驍名《げうめい》を|天下《てんか》に|輝《かがや》かさむ|事《こと》を|日夜《にちや》|神《かみ》に|祈《いの》つてゐたのである。それゆゑ|彼《かれ》は|今《いま》まで|塗《ぬ》つてゐた|金箔《きんぱく》を|剥《は》がし|生地《きぢ》を|表《あら》はして、シーゴー、|玄真《げんしん》の|二巨頭《にきよとう》に|向《む》かひ|思《おも》ひ|切《き》つた|言動《げんどう》に|出《い》でたのである。|果《はた》して|二巨頭《にきよとう》は|彼《かれ》の|大胆不敵《だいたんふてき》なる|言《げん》と、その|度胸《どきよう》に|心胆《しんたん》を|奪《うば》はれ、|旭《あさひ》に|霜《しも》の|当《あた》つて|消《き》ゆるが|如《ごと》く、もろくも|彼《かれ》が|前《まへ》に|甲《かぶと》を|脱《ぬ》ぎ、|彼《かれ》を|女帝《によてい》と|仰《あふ》ぎ|謀主《ぼうしゆ》となし、|遂《つひ》に|幕下《ばくか》となる|事《こと》を|甘諾《かんだく》したのである。
シーゴー『|女帝様《によていさま》、|吾々《われわれ》が|日頃《ひごろ》の|望《のぞ》みを|遂行《すゐかう》するためには、|如何《いか》なる|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》をとれば、いいでせうか。|御指導《ごしだう》を|仰《あふ》ぎたいものでございます』
ヨリコ『お|前《まへ》たち|両人《りやうにん》は|妾《わらは》の|言《げん》に|背《そむ》きはせないか。まづ、それから|定《き》めておかう』
『|今《いま》となつて|何《なに》しにお|言葉《ことば》に|背《そむ》きませう』
『よしよし、|玄真坊《げんしんばう》はどうだ』
|玄真《げんしん》『|私《わたし》もシーゴーと|同意見《どういけん》でございます』
ヨリコ『そんなら、|妾《わらは》が|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大計画《だいけいくわく》、|神算鬼謀《しんさんきぼう》の|奥《おく》の|手《て》を|教《をし》へてやらう。まづ|当山《たうざん》に|古《ふる》くより|祀《まつ》られある|天王《てんわう》の|社《やしろ》を|策源地《さくげんち》と|定《さだ》め、|玄真坊《げんしんばう》は|表面《へうめん》|天《てん》より|降《くだ》りし|救世主《きうせいしゆ》となり、シーゴーは|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|統率《とうそつ》し、|妾《わらは》は|天《てん》より|降《くだ》りし|棚機姫《たなばたひめ》の|化神《けしん》となつて|天下《てんか》の|万民《ばんみん》を|誑惑《けふわく》し、まづ|第一《だいいち》に|挙兵《きよへい》|準備《じゆんび》のため|金品《きんぴん》、|糧食《りやうしよく》、|軍器《ぐんき》を|徴集《ちようしふ》することに|着手《ちやくしゆ》せねばならぬ』
シーゴー『|成《な》るほど、|先立《さきだ》つものは|金銭《かね》と|糧食《りやうしよく》と|武器《ぶき》でございます。それを|無事《ぶじ》に|蒐集《しうしふ》する|方法《はうはふ》は|如何《いかが》いたしたら|宜《よろ》しうございますか』
『まづ|玄真坊《げんしんばう》は|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》と|揚言《やうげん》し、|当山《たうざん》の|有名《いうめい》なる|大杉《おほすぎ》の|上《うへ》に、|日夜《にちや》|天《てん》の|星《ほし》|下《くだ》つて|救世主《きうせいしゆ》の|教《をしへ》を|聞《き》くと|遠近《をちこち》に|触《ふ》れまはり、ギャマンの|中《なか》に|油《あぶら》を|注《そそ》ぎ、これに|火《ひ》を|点《てん》じ、|昼《ひる》の|中《うち》より|杉《すぎ》の|木《き》の|梢《こずゑ》に|十五六ケ《じふごろくこ》ばかり|火《ひ》を|点《てん》じ|遠近《ゑんきん》の|民《たみ》を|驚《おどろ》かせ、|天王《てんわう》の|社《やしろ》を|信仰《しんかう》の|中心《ちうしん》と|定《さだ》めるのだ。|一方《いつぱう》シーゴーは|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|使役《しえき》し、あらゆる|富豪《ふうがう》の|家《いへ》に|忍《しの》び|入《い》り、|美人《びじん》を|奪《うば》ひ|帰《かへ》り、|当山《たうざん》の|天然岩窟《てんねんがんくつ》に|幽閉《いうへい》しおき、|而《しか》して|後《のち》、シーゴーは|救世主《きうせいしゆ》|玄真坊《げんしんばう》の|高弟《かうてい》と|称《しよう》し、|娘《むすめ》を|奪《うば》はれし|家々《いへいへ》に|修験者《しゆげんじや》となつて|立《た》ち|現《あら》はれ|頻《しき》りに|宣伝《せんでん》をなし、|幸《さいは》ひに|之《これ》を|信《しん》じて|来《き》たるものには|天地《あめつち》|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》を|招待《せうたい》し、|神助《しんじよ》を|願《ねが》ふため、|信者《しんじや》の|財産《ざいさん》の|高《たか》に|応《おう》じ|一戸《いつこ》につき|金子《きんす》|五十両《ごじふりやう》|乃至《ないし》|五百両《ごひやくりやう》、|之《これ》に|加《くは》ふるに|穀物《こくもつ》は|一俵《いつぺう》|乃至《ないし》|百俵《ひやくぺう》を|神《かみ》に|献《たてまつ》らしめ、|夜《よる》の|間《ま》に、オーラ|川《がは》の|谷間《たにあひ》に|鉄線《てつせん》を|通《つう》じ、|滑車《くわつしや》を|以《もつ》て|谷底《たにそこ》に|輸送《ゆそう》し、|数多《あまた》の|部下《ぶか》は|沢山《たくさん》の|運送船《うんそうせん》を|造《つく》り、|米麦《こめむぎ》は|船《ふね》にて|八里《はちり》の|下流《かりう》ホーロの|谷間《たにあひ》まで|輸送《ゆそう》し、バルガン|城《じやう》|攻撃《こうげき》の|時《とき》の|糧食《りやうしよく》にあて、|妾《わらは》は|天王《てんわう》の|社《やしろ》に|身《み》を|潜《ひそ》め、|迷信《めいしん》|深《ふか》き|愚夫愚婦《ぐふぐふ》に|神託《しんたく》を|伝《つた》へ、|出師《すゐし》の|準備《じゆんび》を|致《いた》さうではないか。これに|勝《ま》したる|巧妙《かうめう》な|手段《しゆだん》はあるまいと|思《おも》ふ。|両人《りやうにん》、|吾《わ》が|神策《しんさく》には|恐《おそ》れ|入《い》つたであらう』
『|成程《なるほど》、|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|御計画《ごけいくわく》、いや、もう|感心《かんしん》|仕《つかまつ》りました。オイ|玄真坊《げんしんばう》、|知識《ちしき》の|源泉《げんせん》たる|天来《てんらい》の|女傑《ぢよけつ》、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|及《およ》ぶところではない。どうだ、お|前《まへ》も|感心《かんしん》しただらうのう』
|玄真《げんしん》『イヤ、もうズツと|感心《かんしん》した。それでは|一《ひと》つ|大芝居《おほしばゐ》にとりかからう』
これよりシーゴーは|谷間《たにあひ》の|大木《たいぼく》を|伐《き》り|倒《たふ》し、|沢山《たくさん》な|舟《ふね》を|造《つく》り、|兵糧《ひやうらう》|運搬《うんぱん》の|用《よう》に|供《きよう》すべく|数多《あまた》の|部下《ぶか》を|使役《しえき》して、|昼夜兼行《ちうやけんかう》して|舟《ふね》の|建造《けんざう》に|着手《ちやくしゆ》し、|玄真坊《げんしんばう》は|大杉《おほすぎ》の|木《き》に|縄梯子《なはばしご》をかけ、ギャマンのランプを|樹上《じゆじやう》|高《たか》く|輝《かがや》かすことに|苦心《くしん》した。
|附近《ふきん》の|村民《そんみん》はオーラ|山《さん》の|大杉《おほすぎ》の|木《き》に、|夜《よ》な|夜《よ》な|燦爛《さんらん》たる|光《ひかり》のとどまり|輝《かがや》くのを|見《み》て|何《いづ》れも|不審《ふしん》の|眉《まゆ》を|潜《ひそ》め、|日《ひ》の|暮《く》るるを|待《ま》つて|村人《むらびと》が|花火《はなび》を|見《み》るごとくワイワイと|囃《はや》し|立《た》て、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|批評《ひひやう》を|下《くだ》してゐた。シーゴーは|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》の|中《なか》より|力《ちから》の|強《つよ》い|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》を|百人《ひやくにん》ばかり|選《えら》み、|遠近《ゑんきん》の|村落《そんらく》に|放《はな》ち、あわよくば|直接《ちよくせつ》|金品《きんぴん》を|奪《うば》ひ、|或《あるひ》は|富豪《ふうがう》の|娘《むすめ》を|掻攫《かつさら》ひ、ひそかにオーラ|山《さん》に|連《つ》れ|帰《かへ》り|数多《あまた》の|天然岩窟《てんねんがんくつ》に|押込《おしこ》めおく|事《こと》にとりかかつた。|遠近《ゑんきん》の|村民《そんみん》は|盗賊《たうぞく》|横行《わうかう》し、|娘《むすめ》や|妻《つま》を|奪《うば》はれるといふ|噂《うはさ》が、それからそれへと|伝《つた》はり、いづれも|夜分《やぶん》になると|戸《と》を|鎖《とざ》し、|遂《つひ》には|樹上《じゆじやう》の|梢《こずえ》の|光《ひかり》を|見物《けんぶつ》するものもなくなつた。シーゴーは|修験者《しゆげんじや》に|化《ば》けすまし、|遠近《ゑんきん》の|村落《そんらく》を、
『|諸行無常《しよぎやうむじやう》、|是生滅法《ぜしやうめつぽふ》、|生滅滅已《しやうめつめつい》、|寂滅為楽《じやくめつゐらく》、|本来無東西《ほんらいむとうざい》、|何所有南北《かしようなんぼく》、|迷故三界城《めいこさんかいじやう》、|悟故十方空《ごこじつぱうくう》、|生者必滅《しやうじやひつめつ》、|会者定離《ゑしやぢやうり》、|南無《なむ》|波羅門帝釈自在天《ばらもんたいしやくじざいてん》、|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|謹上再拝《ごんじやうさいはい》』
と|錫杖《しやくぢやう》を|振《ふ》りながら、|村々《むらむら》の|目星《めぼ》しき|門戸《もんこ》に|立《た》つて|順礼《じゆんれい》した。この|宣伝《せんでん》は|大《おほ》いに|効《かう》を|奏《そう》し、いづれも|戦々恟々《せんせんきようきよう》として|悲歎《ひたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》む|人《ひと》は、オーラ|山《さん》の|救世主《きうせいしゆ》を|頼《たよ》り|一切《いつさい》の|災厄《さいやく》を|免《まぬが》れむことを|希求《ききう》するに|至《いた》つた。シーゴーは|部下《ぶか》を|修験者《しゆげんじや》に|仕立《した》て|遠近《ゑんきん》を|巡錫《じゆんしやく》せしめ、
『オーラ|山《さん》には|天来《てんらい》の|大救世主《だいきうせいしゆ》|出現《しゆつげん》し|玉《たま》ひ、|山河草木《さんかさうもく》、|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》はいふも|更《さら》なり、|万有愛護《ばんいうあいご》の|教《をしへ》を|垂《た》れさせ|玉《たま》ひ、|遂《つひ》には|天地《てんち》の|神明《しんめい》もその|徳《とく》に|感《かん》じ、|夜《よ》な|夜《よ》な|救世主《きうせいしゆ》のまします|珍《うづ》の|聖場《せいぢやう》の|傍《かたはら》に|立《た》てる|大杉《おほすぎ》の|梢《こずゑ》に|天降《あまくだ》り、|燦爛《さんらん》たる|光明《くわうみやう》を|放《はな》ち|救世主《きうせいしゆ》の|教《をしへ》を|聞《き》かせ|玉《たま》ふ。|前古未曽有《ぜんこみぞう》の|瑞祥《ずゐしやう》なり』
と|言葉《ことば》たくみに|宣伝《せんでん》をしたので、|娘《むすめ》を|失《うしな》ひしもの、|妻《つま》を|失《うしな》ひしもの、|病《やまひ》に|苦《くる》しめるものは、|吾《われ》も|吾《われ》もと|先《さき》を|争《あらそ》ひオーラ|山《さん》の|救世主《きうせいしゆ》に|面会《めんくわい》せむと、|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふがごとく|参詣《さんけい》することとなつた。
|今《いま》まで|人跡《じんせき》さへ|絶《た》えたるオーラ|山《さん》は|救世主《きうせいしゆ》|出現《しゆつげん》ありとの|評判《ひやうばん》に、|老若男女《らうにやくなんによ》の|嫌《きら》ひなく|金銭《きんせん》、|物品《ぶつぴん》、|穀物《こくもつ》はいふも|更《さら》なり、|家《いへ》の|重宝《ぢうはう》として|保存《ほぞん》しありし|槍《やり》|薙刀《なぎなた》などの|武器《ぶき》までも|神器《しんき》と|称《しよう》して|奉納《ほうなふ》することとなり、|瞬《またた》く|間《うち》に|穀物《こくもつ》の|山《やま》、|矛《ほこ》の|林《はやし》が|築《きづ》かれた。|玄真坊《げんしんばう》は|処《ところ》|狭《せ》きまで|集《あつ》まり|来《き》たる|人《ひと》びとに|向《む》かひ、|大杉《おほすぎ》の|大木《たいぼく》を|小楯《こだて》にとり、さも|応揚《おうやう》なる|口調《くてう》にて、
『|汝等《なんぢら》|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》、|善男善女《ぜんなんぜんによ》、|吾《わ》が|教《をし》ふる|言《げん》を|聞《き》け。|吾《われ》は|父《ちち》なく|母《はは》なく|天《てん》を|以《もつ》て|父《ちち》となし|地《ち》を|以《もつ》て|母《はは》となす|宇宙《うちう》|唯一《ゆゐいつ》の|天帝《てんてい》の|再来《さいらい》なるぞ。|先《ま》づ|吾《われ》を|信《しん》ずるものは|躄《あしなへ》は|立《た》ち、|盲《めくら》は|明《あか》りを|見《み》、|聾《みみしい》は|聞《き》き、|癩病《らいびやう》は|清《きよ》まり、|身体《しんたい》|壮健《さうけん》にして|無限《むげん》の|長寿《ちやうじゆ》を|保《たも》ち、|富貴繁昌《ふうきはんぜう》し、|死《し》しては|天国《てんごく》に|上《のぼ》り、|百花爛漫《ひやくくわらんまん》|芳香《はうかう》|馥郁《ふくいく》たる|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|無限《むげん》|無極《むきよく》に|歓喜《くわんき》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》り、|求《もと》めずして|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》を|給《きふ》せられ、|不老不死《ふらうふし》なるべし。|汝等《なんぢら》かかる|美《うる》はしき|天国《てんごく》に|至《いた》らむことを|望《のぞ》まば|吾《わ》が|救世主《きうせいしゆ》の|言《げん》を|聞《き》け。|汝等《なんぢら》が|花婿《はなむこ》をとり、|花嫁《はなよめ》をとるにも、|相当《さうたう》の|結納《ゆひなふ》が|要《い》るだらう、|金銭《かね》なり、|物品《ぶつぴん》なり、|箪笥《たんす》、|長持《ながもち》、|旗《はた》、|指物《さしもの》、|武器《ぶき》などは|嫁入《よめい》りに|要《えう》する|肝腎要《かんじんかなめ》の|結納《ゆひなふ》なるべし。|汝等《なんぢら》|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|至《いた》り|天人《てんにん》と|結婚《けつこん》をなし、|平和《へいわ》の|生涯《しやうがい》を|永遠《ゑいゑん》に|送《おく》らむとせば、まづ|神《かみ》の|御前《みまへ》に|結納金《ゆひなふきん》を|献上《けんじやう》すべし。|金銀《きんぎん》|珠玉《しゆぎよく》|米穀《べいこく》その|他《た》あらゆる|武器《ぶき》を|天帝《てんてい》の|化神《けしん》たる|吾《わ》が|前《まへ》に|奉《たてまつ》り、|永遠無窮《えいゑんむきう》の|幸福《かうふく》を|得《え》よ。|汝等《なんぢら》の|知《し》るごとく、|吾《われ》を|天帝《てんてい》の|化身《けしん》として|久方《ひさかた》の|天津空《あまつそら》より|天《てん》の|星《ほし》|下《くだ》らせ|玉《たま》ひ、|吾《わ》が|徳《とく》を|慕《した》ひ、|吾《わ》が|説法《せつぱふ》を|聴聞《ちやうもん》し|玉《たま》ふ。その|証拠《しようこ》には|毎夜《まいよ》この|神木《しんぼく》に|星光燦爛《せいくわうさんらん》たるを|見《み》るならむ。|決《けつ》して|疑《うたが》ふこと|勿《なか》れ。|怪《あや》しむこと|勿《なか》れ。|疑《うたが》ひは|信仰《しんかう》の|門《もん》を|破《やぶ》り、|疑《うたが》ひは|地獄《ぢごく》を|造《つく》り、|暗黒《あんこく》を|作《つく》り、|滅亡《めつぼう》を|招《まね》くものぞ。|愛善《あいぜん》なる|神《かみ》に|対《たい》するには|愛《あい》と|善《ぜん》を|以《もつ》てせよ。|信真《しんしん》なる|神《かみ》に|対《たい》するには|信《しん》と|真《まこと》とを|以《もつ》てせよ。|神《かみ》は|相応《さうおう》の|理《り》に|住《ぢう》し|玉《たま》ひ、|内面《ないめん》|外面《ぐわいめん》ともに|汝等《なんぢら》の|行為《かうゐ》を|調査《てうさ》し|玉《たま》ふ。|神《かみ》の|愛《あい》するは|即《すなは》ち|吾《わ》が|身《み》を|愛《あい》し|吾《わ》が|家《いへ》を|愛《あい》し、|国土《こくど》を|愛《あい》するの|謂《ゐ》ひなり。|疑《うたが》ふこと|勿《なか》れ。|善男善女《ぜんなんぜんによ》よ、|一切《いつさい》の|衆生《しゆじやう》よ、|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|神道加持《しんだうかぢ》、|謹上再拝《ごんじやうさいはい》|謹上再拝《ごんじやうさいはい》』
|日々《ひび》|集《つど》ひくる|愚夫愚婦《ぐふぐふ》に|対《たい》し、|右《みぎ》の|言葉《ことば》を|繰《く》り|返《かへ》し、|鼻《はな》をすすらせ|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をこぼさせ|軍資《ぐんし》の|蒐集《しうしふ》に|心力《しんりよく》を|注《そそ》いでゐた。さうして|大切《たいせつ》な|娘《むすめ》や|妻《つま》を|紛失《ふんしつ》したるものに|対《たい》しては|特別《とくべつ》の|祈祷《きたう》と|称《しよう》し、|沢山《たくさん》の|金品《きんぴん》を|献納《けんなふ》せしめ、ヨリコ|姫《ひめ》の|贋棚機姫《にせたなばたひめ》が|忍《しの》びゐる|天王《てんわう》の|社《やしろ》に|伴《ともな》ひゆき、|神勅《しんちよく》を|受《う》けしめつつあつた。|何《いづ》れも|深山《しんざん》のこととて|朝《あさ》は|夜明《よあ》けごろより|参来《まゐき》|集《つど》ふものあれども、|玄真坊《げんしんばう》の|託宣《たくせん》により、|七《なな》つ|下《さが》れば|一人《ひとり》も|残《のこ》らずこの|山《やま》を|下《くだ》らせた。その|理由《りいう》は、
『|七《なな》つ|時《どき》|以後《いご》は|天神地祇《てんしんちぎ》|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》、|毎夜《まいよ》|下《くだ》り|玉《たま》ひて、|天下救済《てんかきうさい》のために|玄真坊《げんしんばう》の|説法《せつぱふ》を|聞《き》かせ|玉《たま》ふ。それゆゑ|智慧証覚《ちゑしようかく》の|劣《おと》れる|凡人《ぼんじん》は|遠慮《ゑんりよ》すべし。|万一《まんいち》|強《し》ひて|止《とど》まらむとするものは|神罰《しんばつ》たちまちに|至《いた》るべし』
と|脅威《けふゐ》し、|信徒《しんと》の|帰《かへ》り|去《さ》つた|後《あと》は、あらゆる|美味《びみ》を|食《くら》ひ、|酒《さけ》を|飲《の》み、ヨリコ|姫《ひめ》を|真中《まんなか》にシーゴー、|玄真坊《げんしんばう》は|三《みつ》つ|巴《どもゑ》となり、その|他《た》の|頭分《かしらぶん》は|傍《かたはら》に|侍《じ》して|暴飲《ばういん》|暴食《ばうしよく》に|舌鼓《したづつみ》を|打《う》つてゐたのである。
ヨリコ『シーゴー|殿《どの》、|随分《ずゐぶん》お|骨折《ほねを》りと|見《み》えて、|非常《ひじやう》な|効果《かうくわ》が|上《あが》りましたよ。|世界《せかい》の|愚夫愚婦《ぐふぐふ》どもは|蟻《あり》の|如《ごと》くに|集《あつ》まり|来《き》たり、|沢山《たくさん》な|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》をこのきつい|山《やま》も|顧《かへり》みず|送《おく》つて|来《く》るやうになつたのは|全《まつた》くお|前《まへ》のお|骨折《ほねを》りだ。この|調子《てうし》で|六ケ月《ろくかげつ》も|続《つづ》いたならば、|最早《もはや》|兵糧《ひやうらう》は|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ。たとへ|十万《じふまん》の|部下《ぶか》といへども、|容易《ようい》に|養《やしな》ふことが|出来《でき》るだらう。|汝《なんぢ》の|天晴《あつぱ》れな|働《はたら》きはまさに|勲一等《くんいつとう》|功一級《こういつきふ》だよ』
シーゴーは|得意《とくい》な|顔《かほ》して、さも|嬉《うれ》しさうに、
『|不束《ふつつか》な|吾々《われわれ》の|微弱《びじやく》なる|働《はたら》き、|女帝様《によていさま》のお|褒《ほ》めに|預《あづ》かりまして|身《み》にあまる|光栄《くわうえい》でございます。なほこの|上《うへ》は|粉骨砕身《ふんこつさいしん》、|犬馬《けんば》の|労《らう》を|厭《いと》ひませぬ。どうか|大望《たいまう》|成就《じやうじゆ》の|上《うへ》は|宜《よろ》しくお|引立《ひきた》てをお|願《ねが》ひいたします』
ヨリコ『そんなことは、|言《い》はいでも|分《わか》つてゐるよ。お|前《まへ》は|妾《わし》の|右《みぎ》の|腕《うで》だ、|腕《うで》なしには|働《はたら》きは、どんな|英雄《えいゆう》だつて|豪傑《がうけつ》だつて|出来《でき》はせないよ。|乾児《こぶん》あつての|親分《おやぶん》、|親分《おやぶん》あつての|乾児《こぶん》だ』
シーゴー『エヘヘヘヘ|有難《ありがた》うございます、|鹿猪《ろくちよ》|尽《つ》きて|猟犬《れふけん》|煮《に》らる……と|言《い》ふやうな|惨《みじ》めな|目《め》に|会《あ》はしちや、いけませぬよ』
ヨリコ『ホホホホホいづれ|悪党《あくたう》と|悪党《あくたう》との|結合《けつがふ》だもの、それも|保証《ほしよう》の|限《かぎ》りではなからうよ、ホホホホ』
|玄真《げんしん》『|女帝様《によていさま》、|私《わたし》の|働《はたら》きはどうでございますか』
ヨリコ『お|前《まへ》の|働《はたら》きは|又《また》|格別《かくべつ》だ。|何《なん》といつても|天帝《てんてい》の|化身《けしん》だからね』
『どちらの|功績《いさをし》が|大《おほ》きうございますか。それを|聞《き》かして|頂《いただ》かないと、ネツカラ|励《はげ》みがつきませぬがな。そして|競争心《きやうそうしん》が|一向《いつかう》|起《おこ》りませんがな。|凡《すべ》て|物事《ものごと》は|競争《きやうそう》によつて|進歩《しんぽ》し|発達《はつたつ》するのですからな』
『お|前《まへ》は|左《ひだり》の|手《て》だよ。|右《みぎ》の|手《て》も|必要《ひつえう》なれば|左《ひだり》の|手《て》も|必要《ひつえう》だ。お|前《まへ》たち|両人《りやうにん》は|何《いづ》れも|兄《けい》たり|難《がた》く|弟《てい》たり|難《がた》しといふ|間柄《あひだがら》だ。|決《けつ》して|手柄《てがら》に|甲乙《かふおつ》はない。|妾《わらは》の|手柄《てがら》はお|前《まへ》たち|二人《ふたり》の|手柄《てがら》、いや|部下《ぶか》|一同《いちどう》の|手柄《てがら》、お|前等《まへたち》はじめ|部下《ぶか》|一般《いつぱん》の|手柄《てがら》は|妾《わらは》の|手柄《てがら》、|上下一致《じやうかいつち》|不離不即《ふりふそく》の|鞏固《きようこ》の|関係《くわんけい》が|結《むす》ばれてゐるのだ。いづれも|協心戮力《けふしんりくりよく》して|印度《いんど》|統一《とういつ》のために|活動《くわつどう》して|下《くだ》さい。|今日《けふ》は|部下《ぶか》|一般《いつぱん》にも|祝《いは》ひの|酒《さけ》を|与《あた》へたがよからうぞよ』
シーゴー『ハイ、|承知《しようち》いたしました。|部下《ぶか》も|喜《よろこ》ぶでございませう』
かかる|所《ところ》へ|小頭《こがしら》のパンクといふ|男《をとこ》、|恐々《こはごは》|現《あら》はれ|来《き》たり、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|両手《りやうて》を|突《つ》き、
『お|頭様《かしらさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》りました。どうかシーゴー|様《さま》にでも|来《き》てもらつて|取《と》り|押《おさ》へてもらはなくては、|到底《たうてい》パンクの|腕《うで》では|解決《かいけつ》がつきませぬ』
ヨリコ『パンク、どんな|事《こと》が|起《おこ》つたのか』
パンク『ハイ|申《まを》し|上《あ》げ|兼《か》ねますが、|部下《ぶか》|共《ども》が|食糧《しよくりやう》の|事《こと》について|叱事《こごと》を|申《まを》し、もうお|暇《ひま》をもらつて|国《くに》に|帰《かへ》り|正業《せいげふ》につくとか|申《まを》しまして、|二百人《にひやくにん》ばかり|同盟軍《どうめいぐん》を|組織《そしき》しました。なるべく、こんな|内輪揉《うちわも》めはお|頭《かしら》に|聞《き》かしたくはありませぬが、もう|駄目《だめ》でございます。|彼等《かれら》の|主張《しゆちやう》するところによれば、お|頭《かしら》や|頭株《あたまかぶ》は|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》に|舌鼓《したつづみ》をうち、|俺《おれ》たちは|高梁《かうりやん》や|炒米《ちよみ》の|味《あぢ》ないものに|甘《あま》んじ|菜葉《なつぱ》ばかり|食《く》はして、|骨《ほね》から|肉離《にくばな》れがして、|到底《たうてい》|動《うご》けないから|帰《かへ》らう|帰《かへ》らうと|言《い》つてゐるのです』
ヨリコ『|成《な》るほど、それも|尤《もつと》もだらう。これシーゴーさま、|一時《いちじ》も|早《はや》く|今《いま》、|妾《わらは》の|言《い》つたとほり|酒《さけ》を|一般《いつぱん》にふれまひ、かう|沢山《たくさん》|集《あつ》まつた|御馳走《ごちそう》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》たしてやつて|下《くだ》さい。|獅子《しし》、|狼《おほかみ》、|虎《とら》、|山犬《やまいぬ》なども|腹《はら》さへよけりや|人《ひと》に|噛《か》みつかぬものだから、ホホホホホ』
シーゴーはパンクと|共《とも》に、|谷底《たにぞこ》の|部下《ぶか》の|集団《しふだん》を|目《め》がけてヨリコの|命《めい》を|伝《つた》ふべく|縄梯子《なはばしご》に|乗《の》つて|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 北村隆光録)
第九章 |谷底《たにぞこ》の|宴《えん》〔一六九一〕
オーラ|山《さん》の|谷間《たにあひ》には|蒼味《あをみ》だつた|水《みづ》が、かなり|広《ひろ》い|流《なが》れをなして|静《しづ》かに|流《なが》れてゐる。これより|七八丁《しちはつちやう》|上《うへ》に|登《のぼ》ると|非常《ひじやう》に|嶮《けは》しい|滝《たき》のごとき|水流《すゐりう》であるが、もはやこの|地点《ちてん》は|水《みづ》の|流《なが》れも|緩《ゆる》やかにして|底《そこ》も|深《ふか》く、|深《ふか》い|池水《いけみづ》のやうな|調子《てうし》である。この|河《かは》には|新旧《しんきう》|数多《あまた》の|船《ふね》が|無数《むすう》に|浮《う》かべられ|運搬用《うんぱんよう》に|供《きよう》されてゐた。|日々《にちにち》|四方《しはう》より|持《も》ち|運《はこ》び|来《き》たる|物品《ぶつぴん》を|鉄線《てつせん》と|滑車《くわつしや》との|作用《さよう》によりて、|天王《てんわう》の|森《もり》の|祠《ほこら》の|床下《ゆかした》から|逆落《さかお》としに|谷間《たにあひ》へ|落《お》とし、これを|船《ふね》に|満載《まんさい》してホールの|隠《かく》れ|家《や》に|送《おく》るのを|乾児《こぶん》どもの|仕事《しごと》としてゐた。|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》どもは|奔命《ほんめい》に|疲《つか》れやや|倦怠《けんたい》の|気分《きぶん》を|生《しやう》じ、そろそろ|食料《しよくれう》の|粗悪《そあく》なるを|憤《いきどほ》り、|二百名《にひやくめい》ばかり|同盟《どうめい》|脱退《だつたい》を|謀《はか》つてゐた。|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》の|七分通《しちぶどほ》りは|各地《かくち》へいろいろのよからぬ|用務《ようむ》を|帯《お》びて|散《ち》らばつてゐたのである。そこへシーゴーの|親分株《おやぶんかぶ》がパンクと|共《とも》に、|沢山《たくさん》の|珍味《ちんみ》|佳肴《かかう》や|豊醇《ほうじゆん》の|酒《さけ》をつり|下《おろ》した。ニコニコしながらシーゴーは|一同《いちどう》に|向《む》かつていふ。
『|皆《みな》の|乾児《こぶん》ども、お|前《まへ》たちには|大変《たいへん》な|骨《ほね》を|折《を》らした。|実《じつ》に、|女帝様《によていさま》を|初《はじ》め|吾々《われわれ》|幹部《かんぶ》は|感謝《かんしや》をしてゐるのだ。|今日《けふ》は|幸《さいは》ひ|沢山《たくさん》のお|供《そな》へ|物《もの》があつたから、|腹一杯《はらいつぱい》|美味《びみ》|佳肴《かかう》を|喰《く》ひ、|酒《さけ》でも|呑《の》んで|元気《げんき》をつけ|大活動《だいくわつどう》をやつてもらひたい。|女帝様《によていさま》からも|皆《みな》の|者《もの》によろしく|伝《つた》へてくれとおつしやつたぞ』
この|声《こゑ》に|一同《いちどう》は|今《いま》までの|不平面《ふへいづら》は|何処《どこ》へやら、|酒肴《しゆかう》と|聞《き》いて|恵比須《ゑびす》のやうな|顔《かほ》になり、|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》は|谷《たに》の|木魂《こだま》を|響《ひび》かせ、|雷《かみなり》の|落《お》つる|如《ごと》き|勢《いきほ》ひであつた。
パンク『オイ、|皆《みな》の|奴《やつ》、お|前《まへ》|達《たち》やア ブツブツと|不平《ふへい》を|漏《も》らしてゐたが、|女帝《によてい》さまだつて|親分《おやぶん》さまだつて、お|前《まへ》たちの|苦労《くらう》はよく|御存《ごぞん》じだ。|今日《けふ》は|女帝様《によていさま》の|思召《おぼしめ》しで、|見《み》たこともないやうな|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》くのだから、|感謝《かんしや》したらよからうぞ』
|甲《かふ》『オイ、パンクさま、お|前《まへ》の|骨折《ほねを》りで|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|結構《けつこう》な|飲食《おんじき》にありつくのだ。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|粟《あは》や|黍《きび》で|口腹《こうふく》を|満《み》たしてゐても、|骨離《ほねばな》れがしさうで|思《おも》ふやうな|活動《くわつどう》が|出来《でき》なんだが、かう|結構《けつこう》な|油《あぶら》をさしてもらへば、|機関《きくわん》が|円滑《ゑんくわつ》に|運転《うんてん》するだらう。|女帝《によてい》さまに|宜《よろ》しく|申《まを》してくれ。|一同《いちどう》を|代表《だいへう》してお|礼《れい》を|申《まを》しておく』
パンク『ヨシヨシ、キツと|伝《つた》へておかう、|女帝様《によていさま》もお|前《まへ》たちの|機嫌《きげん》の|好《よ》い|顔《かほ》を|御覧《ごらん》になつたら、きつと|満足《まんぞく》なさるだらう。シーゴー、|玄真坊様《げんしんばうさま》の|親分《おやぶん》も|御満足《ごまんぞく》なり、|俺《おれ》|達《たち》も|満足《まんぞく》だ。|貴様達《きさまたち》も|大《おほ》いに|満足《まんぞく》だらうアハハハハ』
と|笑《わら》ひつつ|女帝《によてい》の|居室《きよしつ》をさして|急坂《きふはん》を|登《のぼ》りゆく。|鯨飲馬食《げいいんばしよく》の|宴《えん》は|無雑作《むざふさ》に|開《ひら》かれた。|酒《さけ》がなければ|悄気返《せうげかへ》り、|青《あを》い|顔《かほ》をしてブツブツ|不平《ふへい》を|漏《も》らし、|酒《さけ》に|飲《くら》ひ|酔《よ》ひ|腹《はら》が|充《み》つれば|又《また》もや|怒《おこ》つたり、|泣《な》いたり|叫喚《わめ》いたり|擲《なぐ》り|合《あひ》をしたり、どうにもかうにも|始末《しまつ》におへぬガラクタばかりが|集《あつ》まつてゐるのだから、|容易《ようい》なことで|統御《とうぎよ》はできない。|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》になるのも、アア|又《また》|難《かた》い|哉《かな》である。そろそろ|酔《よ》ひが|廻《まは》り|出《だ》すと|彼処《あちら》にも|此処《こちら》にも|濁《にご》りきつた|言霊戦《ことたません》が|開始《かいし》された。
|甲《かふ》『オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、いい|加減《かげん》に|喰《くら》うとかぬか、|何《なん》だ、アタいやらしい、チヨンチヨンと|舌打《したう》ちをしやがつて、おまけに|皿《さら》を|嘗《な》めたり|箸《はし》を|舐《ね》ぶつたり、まるきり|乞食《こじき》の|所作《しよさ》ぢやないか、エーン、|卑《いや》しいものだなア。オーラ|川《がは》の|杭《くひ》ぢやないが、|大食《おほぐひ》の|長食《ながぐひ》とは|貴様等《きさまら》のことだ。|褌《ふんどし》の|河流《かはなが》れで、【|食《く》ひ】にかかつたら|離《はな》れぬといふ|代物《しろもの》だからなア。|餓鬼《がき》みたやうな|奴《やつ》と|行動《かうどう》を|共《とも》にするのは、|本当《ほんたう》に|情《なさ》けないわ。チヨツ、|嫌《いや》になつてしまふ』
|乙《おつ》『ナナナ|何《なん》だ、|何《なに》が|卑《いや》しいのだい。|苟《いやし》くもオーラ|山《さん》の|山寨《さんさい》に|割拠《かつきよ》するヨリコ|女帝様《によていさま》の|吾々《われわれ》は|輩下《はいか》だ。まるで|塵埃《ちりほこり》を|箒《はうき》で|掃《は》くやうな|事《こと》を|吐《ぬか》すと、|此方《こつち》にも|了簡《れうけん》があるぞ』
|甲《かふ》『アハハハハ、その|了簡《れうけん》を|聞《き》かしてもらはうかい』
|丙《へい》『(浄瑠璃)|計略《けいりやく》といひ|義心《ぎしん》といひ、かほどの|臣《けらい》を|持《も》ちながら、|了簡《れうけん》もあるべきに、|浅《あさ》き|企《たく》みの|塩谷殿《えんやどの》、|今《いま》の|忠義《ちうぎ》を|戦場《せんぢやう》の、|御馬前《おんうまさき》にて|尽《つく》さばやと、|思《おも》へば|無念《むねん》に|閉《と》ぢふさがる、|胸《むね》は|七重《ななへ》の|門《もん》の|戸《と》も、|漏《も》るるは|涙《なみだ》ばかりなり、ジヤン、ジヤンジヤン、アハハハ。オイ|甲《かふ》、|乙《おつ》、|歌《うた》でも|謡《うた》つて|機嫌《きげん》を|直《なほ》したらどうだ。|結構《けつこう》な|酒《さけ》をいただいて|小言《こごと》をいふと|言《い》ふ|事《こと》があるものか、|冥加《みやうが》|知《し》らずの|奴《やつ》だなア。|女帝様《によていさま》のお|志《こころざし》を|何《なん》と|心得《こころえ》てゐるんだ』
|甲《かふ》『エー、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。|女帝《によてい》の|志《こころざし》が|聞《き》いて|呆《あき》れるわ。|自分《じぶん》が|計略《けいりやく》をもつて|愚夫愚婦《ぐふぐふ》の|懐中《くわいちう》を|捲《ま》きあげ、そして|俺《おれ》|達《たち》に|振舞《ふるま》つてやるのなんのとは【おとまし】いわい。|自分《じぶん》が|汗膏《あせあぶら》を|流《なが》して|造《つく》つた|飲食《おんじき》でもあるまいし、たとへて|言《い》へば、この|川《かは》の|中《なか》に|入《はい》つて、お|前《まへ》と|俺《おれ》とが|水《みづ》を|浴《あ》びてゐる|時《とき》、その|手許《てもと》から|水《みづ》を|掬《すく》つて|俺《おれ》の|口《くち》へ|入《い》れてくれたやうなものだ』
|丙《へい》『そんな|水臭《みづくさ》いことをいふない。|女帝様《によていさま》に|聞《き》こえたらどうするのだ』
|甲《かふ》『|聞《き》こえたらどうだい。|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もそつと|物《もの》した|物《もの》を、|俺《おれ》|達《たち》にものして|呉《く》れるだけの|事《こと》ぢやないか。いつも|俺《おれ》|達《たち》に|働《はたら》かしてその|上前《うはまへ》をとり、|大将然《たいしやうぜん》と|構《かま》へて|居《を》るのだから、|地部下《ぢぶした》の|俺《おれ》|達《たち》はたまらないわ。たまに|酒《さけ》の|一杯《いつぱい》や|二杯《にはい》|呑《の》まして|呉《く》れたつて|恩《おん》に|着《き》る|理由《りいう》もなし、また|恩《おん》に|着《き》せる|理由《りいう》も|無《な》いのだ。つまり、|要《えう》するに、|結局《けつきよく》|俺《おれ》|達《たち》が|物《もの》して|来《き》た|物《もの》を|俺《おれ》|達《たち》が|喰《く》うやうなものぢや。|部下《ぶか》に|命掛《いのちが》けの|仕事《しごと》をさしておいて、|自分《じぶん》は|高《たか》い|所《ところ》にとまり、|吾々《われわれ》を|頤《あご》で|使《つか》ひ、|女帝《によてい》だの|何《なん》のとほんとに|忌々《いまいま》しいぢやないか。|鰌《どぢやう》か|何《なん》ぞのやうに|俺《おれ》|達《たち》の|不平《ふへい》の|虫《むし》を|酒《さけ》で|殺《ころ》さうと|思《おも》つたつて、そんな|奸策《かんさく》に|乗《の》る|奴《やつ》があるか。|俺《おれ》や、|酒《さけ》を|呑《の》めと|吐《ぬか》しやがつた|時《とき》にや、|腹《はら》の|中《なか》の|癇癪《かんしやく》の|虫《むし》がグルグルと|喉元《のどもと》で|鳴《な》りやがつて、|手《て》を|出《だ》しよつたのだ。アタ|味《あぢ》なくもない|酒《さけ》を|滅多《めつた》やたらに|強《し》ひられて、|俺《おれ》だつて|耐《たま》つたものぢやない。そこらの|山《やま》も|木《き》も|岩《いは》も|草《くさ》も、|天手古舞《てんてこま》ひをさらすなり、|俺《おれ》の|体《からだ》は|宙《ちう》に|捲《ま》き|上《あ》げらるるなり、|本当《ほんたう》にひどい|目《め》に|会《あ》はすぢやないか。エエ|怪体《けつたい》の|悪《わる》い、もうこれから|酒《さけ》などは|一杯《いつぱい》も|呑《の》んでやらぬわい、とは|言《い》はぬわい』
|乙《おつ》『エヘヘヘヘ、|何《なん》だか|知《し》らぬが、|俺《おれ》は|結構《けつこう》な|酒《さけ》に|酔《よ》ひ、|脂肪濃《あぶらつこ》い|御馳走《ごちそう》に|預《あづ》かつて|何《なん》ともいへぬ|気分《きぶん》だ。しかしながら|脂肪気《あぶらけ》の|多《おほ》い|食物《しよくもつ》はちつと【ひつこい】な』
|丙《へい》『さうだ、|一寸《ちよつと》【ひつこい】はひつこいが、しかしひつこう|甘《うま》いぢやないか、|俺《おれ》はもうグンドサが|破裂《はれつ》しさうだ。どうれ、パサパーナでもやつてこうかな』
といひながら|立《た》ち|上《あが》らうとして|目《め》が|眩《くら》み、|又《また》もやドスンとその|場《ば》に|腰《こし》を|下《お》ろした。
|甲《かふ》『|何《なん》だその|態《ざま》ア、|腰《こし》も|何《なに》も|抜《ぬ》けてゐるぢやないか』
|丙《へい》『なに、|今《いま》|御輿《みこし》を|下《お》ろした|所《ところ》だ。しかしながら、かう|足《あし》の|立《た》たぬところまで|結構《けつこう》な|酒肴《しゆかう》を|頂《いただ》いて、|精神《せいしん》|正《まさ》に|恍惚《くわうこつ》とし、|天国《てんごく》に|遊《あそ》ぶやうな|気分《きぶん》になつたのも、みんな|女帝様《によていさま》のお|蔭《かげ》だよ。よく|考《かんが》へて|見《み》よ、シーゴーの|奴《やつ》が|大親分《おほおやぶん》として|威張《ゐば》つてけつかつた|時《とき》は|自分《じぶん》ばかり|喰《く》つて、|手下《てした》の|奴《やつ》には|酒《さけ》|一杯《いつぱい》も|飲《の》めとは|吐《ぬか》しやがらなかつたぢやないか。ヨリコ|姫様《ひめさま》が|大親分《おほおやぶん》に|取《と》つて|代《かは》られてから、すぐさまかふいふ|結構《けつこう》な|御馳走《ごちそう》を|下《くだ》さつたのだ。それを|思《おも》へば|今度《こんど》の|女帝様《によていさま》は、|吾々《われわれ》に|対《たい》する|慈母《じぼ》だ。|拝《をが》み|奉《たてまつ》らぬと|罰《ばち》が|当《あた》るぞよ、ババ|罰《ばち》が……』
|甲《かふ》『なに、さう|有難《ありがた》がるには|及《およ》ばないわ。あいつ|等《ら》は|鮟鱇《あんかう》に|海月《くらげ》に|鰐《わに》の|集合《しふがふ》|団体《だんたい》だから、|終《しま》ひの|果《はて》には|吾々《われわれ》をよい|食物《くひもの》にしやがるのだ。それだから|俺《おれ》が|最初《さいしよ》に、もう|脱退《だつたい》しやうと|言《い》つたぢやないか』
|乙《おつ》『|三人《さんにん》の|親分《おやぶん》が、|鮟鱇《あんかう》だとか|鰐《わに》だとか|海月《くらげ》だとか|貴様《きさま》はいふが、|一体《いつたい》|鮟鱇《あんかう》といふのは|誰《たれ》だい』
|甲《かふ》『ヘン、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だなア、|女帝《によてい》が|鮟鱇《あんかう》で、|玄真坊《げんしんばう》が|鰐《わに》でシーゴーの|奴《やつ》が|海月《くらげ》だ。|鮟鱇《あんかう》といふ|奴《やつ》はな、|沼《ぬま》の|底《そこ》や|海《うみ》の|底《そこ》にじつと|潜伏《せんぷく》しやがつて、|頭《あたま》から|細《ほそ》い|細《ほそ》い|糸《いと》のやうな|物《もの》を|水面《すゐめん》にニユツと|泛《う》かべ、その|先《さき》に|花《はな》とも|虫《むし》とも|分《わか》らぬやうな|肉塊《にくくわい》をつけ、いろいろの|魚《うを》が|好《い》い|餌《ゑ》があると|思《おも》つてその|肉塊《にくくわい》を|喰《く》ひにゆくと、チクチクと|綱《つな》を|手繰《たぐ》り、|自分《じぶん》の|口《くち》に|来《き》た|時《とき》にガブリとやるのだ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》にはこの|鮟鱇《あんかう》に|似《に》たやうな|奴《やつ》が、|女帝《によてい》のみならず|沢山《たくさん》ゐるよ。さういふ|代物《しろもの》を|称《しよう》して|鮟鱇主義《あんかうしゆぎ》の|生活《せいくわつ》といふのだ』
|乙《おつ》『ハハハハハ、そいつは|面白《おもしろ》い。そして|玄真坊《げんしんばう》の|鰐《わに》の|理由《りいう》を|聞《き》かしてくれい』
|甲《かふ》『ヨシ、|聞《き》かしてやらう、|何《なん》でも|世《よ》の|中《なか》に|分《わか》らない|事《こと》があつたら、|俺《おれ》に|聞《き》くのだな。そもそも|鰐《わに》といふ|奴《やつ》は、|体《からだ》にも|似合《にあ》はぬ|大《おほ》きな|口《くち》をしやがつてその|口《くち》の|中《なか》に|木《き》の|片《はしくれ》や|枯枝《かれえだ》なんかを|一《いつ》ぱい|詰《つ》め、|小魚《こうを》どもがよい|隠《かく》れ|家《が》があると|思《おも》つて|悠々《いういう》と|這入《はい》つて|来《く》る|奴《やつ》をソツと|舌《した》を|出《だ》してグイグイと|腹《はら》の|中《なか》へ|引《ひ》つ|張《ぱ》り|込《こ》み、|自分《じぶん》の|腹《はら》を|肥《こ》やす|奴《やつ》だ。あの|大杉《おほすぎ》の|木《き》の|下《した》に|陣《ぢん》を|構《かま》へて、|寄《よ》つて|来《く》る|有象無象《うざうむざう》や、|小雑魚《こざこ》などを|引張《ひつぱ》り|込《こ》むやり|方《かた》といふものは、まるで|鰐《わに》そつくりぢやないか』
|乙《おつ》『ウンなるほど、こいつは|面白《おもしろ》い、|序《ついで》に、シーゴー|親分《おやぶん》が|海月《くらげ》だといふ|因縁《いんねん》を|聞《き》かして|貰《もら》はうかい』
|甲《かふ》『|海月《くらげ》といふ|奴《やつ》は|骨《ほね》もなければ、ロクに|顔《かほ》もない|奴《やつ》だ。そして|長《なが》たらしい|尾《を》を|幾条《いくすぢ》も|幾条《いくすぢ》も|引《ひ》きづりやがつて|浪《なみ》のまにまに|漂《ただよ》ひながら、|俺《おれ》|達《たち》のやうな|小雑魚《こざこ》を|沢山《たくさん》に|丸《まる》い|笠《かさ》の|下《した》に|隠《かく》し、|親分《おやぶん》|気取《きど》りで|保護《ほご》してゐやがるのだ。さうすると|些《ちつと》ばかり|大《おほ》きな|魚《うを》が、その|小魚《こうを》を|取《と》らうと|思《おも》つて|海月《くらげ》に|近《ちか》づいてくるのだ。さうすると|海月《くらげ》の|奴《やつ》ぬるぬるとした|紐《ひも》でクルクルとしめつけ、|頭《あたま》から|食《く》うといふ|代物《しろもの》だ。そこで|小雑魚《こざこ》は|海月《くらげ》の|奴《やつ》に|守《まも》られ、すこし|大《おほ》きな|魚《うを》は|海月《くらげ》の|奴《やつ》に|喰《く》はれるのだ。|吾々《われわれ》だつて|今《いま》は|小雑魚《こざこ》の|身分《みぶん》だから|親分《おやぶん》の|傘下《さんか》に|保護《ほご》されてゐるのだが、すこし|大《おほ》きくなつて|頭《あたま》を|擡《もた》げて|見《み》い、きつと|唯《ただ》では|置《お》かない。|親分《おやぶん》だつて、これを|思《おも》ふと|前途《ぜんと》|闇黒《あんこく》になつて、|嫌《いや》になつて|仕舞《しまひ》ふわ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|形式《けいしき》こそ|変《かは》れ、こんな|奴《やつ》ばかりだ。|海月生活《くらげせいくわつ》、|鰐生活《わにせいくわつ》、|鮟鱇生活《あんかうせいくわつ》と|人《ひと》のいつてゐるのは、|大略《だいりやく》|右様《みぎやう》のやりかたをやる|人間《にんげん》のことだ。エエ|怪体《けつたい》の|悪《わる》い、|折角《せつかく》|呑《の》んだ|酒《さけ》まで|醒《さ》めてしまつた。オイ|乙《おつ》、|一杯《いつぱい》|俺《おれ》につがないか』
|乙《おつ》『サアサア、|呑《の》んだり|呑《の》んだり』
|甲《かふ》『オツトツトツトツ、こぼれるこぼれる。やつぱり|酒《さけ》の|香《か》は|有難《ありがた》いものだなア。イヒヒヒヒヒ』
と|肩《かた》を|揺《ゆ》する。|一方《いつぱう》の|方《はう》には|泣《な》いたり|笑《わら》つたり|怒《おこ》つたり、|廻《まは》らぬ|舌《した》の|面白《おもしろ》い|歌《うた》が|始《はじ》まつてゐる。
『オーラの|山《やま》に|鬼《おに》が|出《で》た  |出《で》た|出《で》た|出《で》た|出《で》た|鬼《おに》が|出《で》た
このまた|鬼《おに》の|素性《すじやう》をば  |調《しら》べて|見《み》れば|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだかま》る  |妖幻坊《えうげんばう》の|片腕《かたうで》と
|羽振《はぶ》り|利《き》かした|曲津神《まがつかみ》  |玄真坊《げんしんばう》やシーゴーの
|両親分《りやうおやぶん》に|取《と》りついて  バルガン|城《じやう》をば|占領《せんりやう》し
|天下《てんか》を|乱《みだ》し|人種《ひとだね》を  |絶《た》やして|曲津《まがつ》の|世《よ》の|中《なか》に
|転覆《てんぷく》せむとの|企《たく》み|事《ごと》  さはさりながら|俺《おれ》もまた
|今《いま》は|曲津《まがつ》の|御厄介《ごやくかい》  |百姓《ひやくしやう》するにも|道具《だうぐ》なし
|商売《しやうばい》するにも|資本《もとで》なし  |肝腎要《かんじんかなめ》の|妻《つま》も|子《こ》も
|親《おや》さへもなき|吾々《われわれ》は  |一層《いつそう》|気楽《きらく》な|泥棒業《どろばうげふ》
|元《もと》から|悪《あく》とは|知《し》りながら  |食《く》はず|呑《の》まぬが|悲《かな》しさに
|善《ぜん》の|心《こころ》を|立直《たてなほ》し  |悪魔《あくま》の|乾児《こぶん》となり|下《さが》り
|一寸先《いつすんさき》は|暗《やみ》の|夜《よ》で  その|日《ひ》その|日《ひ》を|送《おく》るのだ
バラモン|教《けう》の|教《をしへ》には  |人《ひと》の|物《もの》をば|盗《ぬす》んだり
|人《ひと》を|痛《いた》めておいたなら  |未来《みらい》は|地獄《ぢごく》に|落《お》ちるぞと
|聞《き》いてをれども|如何《いか》にせむ  |背《せ》に|腹《はら》は|替《か》へられぬ
ウントコドツコイドツコイシヨ  ヨイトサノサヨーイヤサだ』
|甲《かふ》『ダダダ|誰《たれ》だい、そんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|不穏《ふおん》な|事《こと》を|申《まを》すと、|鮟鱇《あんかう》さまに|申《まを》し|上《あ》げるぞ』
|丁《てい》『ナナ|何《なん》だ。|喧《やかま》しういふない。おれや|今日《けふ》かぎり|脱退《だつたい》するのだから、もはや|女帝《によてい》の|権力《けんりよく》も|俺《おれ》にや|及《およ》ぶまい。いひたい|事《こと》をいうて|酒《さけ》を|呑《の》まなけりや、|日頃《ひごろ》の|欝憤《うつぷん》が|晴《は》れないぢやないか、|貴様《きさま》は|何時《いつ》までも|鮟鱇《あんかう》に|盲従《まうじゆう》するつもりか、よい|馬鹿《ばか》ぢやなア、エヘヘヘヘ』
|数多《あまた》の|部下《ぶか》は|思《おも》ひ|思《おも》ひの|小言《こごと》をつきながら、|日《ひ》の|暮《く》るるまでこの|谷間《たにあひ》に|酒《さけ》に|浸《ひた》り、|思《おも》はぬ|睾丸《きんたま》の|皺《しわ》のばしをやつてゐた。
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 加藤明子録)
第一〇章 |八百長劇《やほちやうげき》〔一六九二〕
ヨリコ|姫《ひめ》の|大頭目《だいとうもく》を|始《はじ》め、シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》の|三人《さんにん》は|酒《さけ》|汲《く》み|交《か》はし、いろいろと|面白《おもしろ》からぬ|協議《けふぎ》に|耽《ふけ》つてゐた。そこへ|慌《あわ》ただしく|手下《てした》の|一人《ひとり》|現《あら》はれ|来《き》たり、
『|親分《おやぶん》に|申《まを》し|上《あ》げます』
ヨリコ『|慌《あわ》ただしきその|様子《やうす》、|何事《なにごと》が|起《おこ》つたのかなア、お|前《まへ》はコリぢやないか』
コリ『ハイ、|左様《さやう》でございます。シーゴー|親分様《おやぶんさま》の|御命令《ごめいれい》により、タライの|村《むら》の|里庄《りしやう》が|家《いへ》に|十数人《じふすうにん》を|率《ひき》つれ、|夜陰《やいん》に|乗込《のりこ》み、たうとう|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》スガコ|姫《ひめ》を|引《ひ》つ|捉《とら》へて|帰《かへ》り、|狼谷《シノワだに》の|入口《いりぐち》において、|吾々《われわれ》|同僚《どうれう》が|芝居《しばゐ》をやつてゐる|所《ところ》でございますから、どうか|救世主《きうせいしゆ》として、お|一人《ひとり》|現《あら》はれ|下《くだ》さいませ』
『ソリヤいい|事《こと》をした。あしこの|娘《むすめ》ならば|随分《ずゐぶん》|美人《びじん》だらう。そして|沢山《たくさん》の|金《かね》も|要求《えうきう》|出来《でき》るだらう。ヤ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い。オイ、コリ、あの|娘《むすめ》をかつさらへるについての|殊勲者《しゆくんじや》は|誰《たれ》だ』
『ハイ、ともかく|私《わたし》が|引率《いんそつ》して|参《まゐ》つたのですから、|誰《たれ》がかつさらへても、ヤツパリ|私《わたし》の|凡《すべ》ての|画策《くわくさく》よろしきを|得《え》た|結果《けつくわ》でございますから、まづ|月桂冠《げつけいくわん》はこのコリに|帰《き》すべきものと|存《ぞん》じます』
『|自分《じぶん》が|生《うま》れた|村《むら》の|娘《むすめ》と|聞《き》けば、|何《なん》だか|恥《は》づかしいようだ。そして|面《かほ》を|見《み》られちや|大変《たいへん》だから、|妾《わたし》は|天王《てんわう》の|社《やしろ》の|床下《ゆかした》なる|地下室《ちかしつ》に|住居《ぢうきよ》を|移《うつ》さう。|玄真坊《げんしんばう》、コリ、お|前《まへ》|両人《りやうにん》|寄《よ》つて、よきに|取計《とりはか》らふたが|宜《よ》からう』
|両人《りやうにん》は「ハイ」と|頭《かしら》を|下《さ》げ、よい|椋鳥《むくどり》が|捉《つか》まつた……と|俯向《うつむ》いたまま、ホクソ|笑《ゑ》んでゐる。
ヨリコ『コレ、シーゴー|殿《どの》、|吾《わ》が|居間《ゐま》に|跟《つ》いて|来《き》て|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまには|又《また》|別《わけ》の|用《よう》があるから』
と|言《い》ひながら、シーゴーを|伴《ともな》ひ、|地下室《ちかしつ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|玄真坊《げんしんばう》は|厳《いかめ》しき|法服《はふふく》をつけ、|錫杖《しやくぢやう》をガチヤガチヤと|響《ひび》かせながら、|七《なな》つ|下《さが》りの|山路《やまみち》を|法螺貝《ほらがひ》を|吹《ふ》き|立《た》て|吹《ふ》き|立《た》て|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|狼谷《シノワだに》の|入口《いりぐち》に|十五六人《じふごろくにん》の|手下《てした》どもが、|一人《ひとり》の|美人《びじん》を|中《なか》におき、
|甲《かふ》『オイ、|女《をんな》、|汝《きさま》は|今《いま》まで|栄燿栄華《えいえうえいぐわ》に、|何《なに》|不自由《ふじゆう》なく、|里庄《りしやう》の|娘《むすめ》として|暮《くら》して|来《き》た|奴《やつ》だが、もはや|汝《きさま》の|運命《うんめい》も【ツキ】の|国《くに》だ。サアこれから|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》めて、この|方《はう》の|女房《にようばう》になるか、|厭《いや》と|吐《ぬか》さばこの|方《はう》が|刀《かたな》の|錆《さび》、|性念《しやうねん》をすゑてシツカリ|返答《へんたふ》をいたすが|可《よ》からうぞ』
|女《をんな》『お|前《まへ》さまは、この|山《やま》に|割拠《かつきよ》してゐる|小盗児《こぬすと》サンだな。|同《おな》じ|人間《にんげん》に|生《うま》れながら、なぜ|又《また》こんな|卑怯《ひけふ》な|商売《しやうばい》をしてゐるのだい。|自在天様《じざいてんさま》の|御冥罰《ごめいばつ》が|怖《おそ》ろしくはありませぬか』
『アツハハハハ、|大自在天《だいじざいてん》がこはくつて、こんな|商売《しやうばい》が|出来《でき》るか、|馬鹿《ばか》な|事《こと》をいふな。どうだ|一《ひと》つ、|改心《かいしん》して|泥棒様《どろばうさま》の|奥様《おくさま》になり、|女盗賊《をんなたうぞく》の|頭目《とうもく》として|羽振《はぶ》りを|利《き》かす|気《き》はないか』
『エー、|汚《けが》らはしい、|小泥棒《こどろばう》の|分際《ぶんざい》として|貴婦人《きふじん》に|向《む》かつて|何《なに》をいふのだ。さがりおらう!』
『アツハハハハ、チヨツクとやりよるワイ。さすがは|里庄《りしやう》の|娘《むすめ》だけあつて、どこともなく|魂《たましひ》が|出来《でき》てゐる、ヤ、|感心々々《かんしんかんしん》。その|魂《たましひ》を|見込《みこ》んで、この|方《はう》が|惚《ほ》れたのだ。お|前《まへ》は|俺《おれ》を|小盗児《こぬすと》といふが、|決《けつ》して|其《その》|様《やう》な|者《もの》ではない。トルマン|国《ごく》のバルガン|城下《じやうか》に|生《うま》れたショールさまといふ|立派《りつぱ》な|男《をとこ》だよ。|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》といはれた|哥兄《あにき》だ。|俺《おれ》が|腮《あご》の|振《ふ》りかたで、お|前《まへ》の|命《いのち》が|助《たす》からうと|助《たす》かるまいと、|自由自在《じいうじざい》の|権力《けんりよく》をもつ|男《をとこ》だ。どうだ、|一《ひと》つ|考《かんが》へ|直《なほ》して、|俺《おれ》の|奥《おく》になる|気《き》はないか』
|乙《おつ》『ショールさま、エ、|邪魔臭《じやまくさ》い、こんな|尼《あま》ツチヨに|相手《あひて》になつてたら、|日《ひ》が|暮《く》れますよ。サ、たたんだりたたんだり。コリの|親分《おやぶん》が|帰《かへ》つて|来《き》たら、|何《なん》と|言《い》つて|小言《こごと》をつかれるか|分《わか》らぬ。こんな|婦女《あま》の|一疋《いつぴき》や|半疋《はんぴき》に|手古《てこ》ずツたとあつちや|男《をとこ》が|立《た》たねえ。オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、やツつけろ』
「ヨーシ|合点《がつてん》だ」と|一同《いちどう》は|柄物《えもの》を|取《と》つて、|一人《ひとり》の|女《をんな》に|向《む》かひ|打《う》つてかかる。|女《をんな》も|強者《しれもの》、|身構《みがま》へなし、|柳眉《りうび》を|逆立《さかだ》て、
『タカが|小泥棒《こどろばう》の|十人《じふにん》や|二十人《にじふにん》、|何《なん》の|怖《おそ》るる|事《こと》あらむや。|日頃《ひごろ》|覚《おぼ》えし|柔術《じうじゆつ》の|妙技《めうぎ》を|現《あら》はすはこの|時《とき》だ。サア|来《こ》い、|来《き》たれ』
と|大手《おほで》を|拡《ひろ》げて|待《ま》つてゐる。
『なに|猪口才《ちよこざい》な』
と|一同《いちどう》は、|武者振《むしや》ぶりついて|手《て》を|取《と》り|足《あし》を|取《と》り、|忽《たちま》ち|地上《ちじやう》に|捻伏《ねぢふ》せてしまつた。
ショール『コリヤ|女《をんな》、ジタバタしてもモウ|駄目《だめ》だ。サア|俺《おれ》の|心《こころ》に|従《したが》ふか、|何《ど》うだ。その|方《はう》の|一言《いちごん》に|依《よ》つて、|汝《きさま》の|生死《せいし》が|分《わか》るるのだ』
|女《をんな》『エー、|汚《けが》らはしい、|妾《わらは》はタライの|村《むら》の|里庄《りしやう》が|娘《むすめ》スガコ|姫《ひめ》だ。|汝《なんぢ》がごとき|心《こころ》|汚《けが》れし|小泥棒《こどろぼう》に|靡《なび》くやうな|女《をんな》ではないぞ。|殺《ころ》したくば|殺《ころ》したがよい。|惜《を》しまれて|散《ち》るのが|花《はな》の|値打《ねうち》だ。サア|殺《ころ》せ|殺《ころ》せ』
と|呼《よ》ばはつてゐる。ショールも……|早《はや》く|玄真坊《げんしんばう》が|来《き》て|呉《く》れないかなア……とやや|手持《ても》ち|無沙汰《ぶさた》の|気味《きみ》でまつてゐると、ブーブーと|法螺《ほら》を|吹《ふ》きたてながら、ガチヤリガチヤリと|急坂《きふはん》を|下《くだ》つて|来《く》る|男《をとこ》がある。かれはコリの|注進《ちうしん》によりて、この|芝居《しばゐ》の|処置《しよち》をつけむため、|修験者《しゆげんじや》の|法服《はふふく》を|纒《まと》うてやつて|来《き》た|玄真坊《げんしんばう》である。|玄真坊《げんしんばう》はあたりに|響《ひび》く|大音声《だいおんじやう》にて、
『われこそは、|天《てん》の|命《めい》を|受《う》け、オーラ|山《さん》に|天降《あまくだ》りたる|玄真坊《げんしんばう》の|大救世主《だいきうせいしゆ》だ。|見《み》ればかよわき|女《をんな》を|拐《かどは》かし、|乱暴狼藉《らんばうらうぜき》を|働《はたら》きをる、こわつぱの|企《たく》みと|見《み》えたり。|待《ま》てツ、|今《いま》に|神譴《しんけん》を|加《くは》へくれむ、そこ|動《うご》くなツ』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に、ショールはじめ|部下《ぶか》の|者共《ものども》は、ヤレ|幸《さいは》ひと、|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすがごとく、バラバラバツと|逃《に》げ|出《だ》し|遠《とほ》く|姿《すがた》をかくした。スガコ|姫《ひめ》は|余《あま》りの|無念《むねん》さ、|残念《ざんねん》さに|白歯《しらは》をくひしばり、|嗚咽《をえつ》|涕泣《ていきふ》してゐる。|玄真坊《げんしんばう》は|側《そば》|近《ちか》くより|来《き》たり、|静《しづ》かに|姫《ひめ》の|頭《あたま》や|背中《せなか》を|撫《な》で、|一入《ひとしほ》|静《しづ》かなやさしみのある|声《こゑ》で、
『どこのお|女中《ぢよちう》か|知《し》らぬが、えらい|御災難《ごさいなん》でござつたのう。もはや|拙僧《せつそう》の|現《あら》はれた|上《うへ》は|御安心《ごあんしん》なさい。テもさても|危《あぶ》ない|所《ところ》でござつたワイ』
スガコ『|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、|妾《わらは》の|命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。あなたは|何《いづ》れの|神様《かみさま》でございますか、|恐《おそ》れながら|御名《おな》を|承《うけたまは》りたうございます』
『|拙僧《せつそう》は|天《てん》を|父《ちち》となし、|地《ち》を|母《はは》となし、|宇宙《うちう》の|主宰《しゆさい》となり、トルマン|国《ごく》を|救済《きうさい》の|為《ため》このオーラ|山《さん》に|聖蹟《せいせき》を|止《とど》め、かくのごとく|修験者《しゆげんじや》と|変化《へんげ》して|衆生済度《しゆじやうさいど》をいたす|者《もの》、もはや|吾《わ》が|目《め》にかかりし|上《うへ》は、|如何《いか》なる|曲神《まががみ》といへど、あなたが|体《からだ》に|一指《いつし》だもそへる|事《こと》は|出来《でき》ない。ご|安心《あんしん》なさい』
『どうも|有難《ありがた》うございます。あなたが|噂《うはさ》に|高《たか》きオーラ|山《さん》の|玄真坊様《げんしんばうさま》でございますか、これも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|引合《ひきあは》せ、|何《なに》かの|御縁《ごえん》でございませう。|妾《わらは》はタライの|村《むら》の|里庄《りしやう》が|娘《むすめ》、|親《おや》|一人《ひとり》|子《こ》|一人《ひとり》の|憐《あは》れな|者《もの》でございますが、|昨夜《さくや》|泥棒《どろばう》の|団体《だんたい》に|踏《ふ》み|込《こ》まれ、|猿轡《さるぐつわ》を|篏《は》められて|広《ひろ》い|原野《げんや》を|引《ひ》き|廻《まは》され、|今《いま》|又《また》この|処《ところ》において|泥棒頭《どろぼうがしら》が|無体《むたい》の|恋慕《れんぼ》、かれが|意《い》に|従《したが》はざるため、|妾《わらは》が|命《いのち》を|取《と》らむといたし、|大勢《おほぜい》|寄《よ》つてかかつて|捻《ね》ぢ|伏《ふ》せてをりました|一刹那《いつせつな》、|尊《たふと》き|法螺貝《ほらがひ》の|声《こゑ》が|聞《き》こえたかと|思《おも》へば、|救世主様《きうせいしゆさま》の|御来臨《ごらいりん》、おかげで|危《あや》ふい|所《ところ》を|助《たす》けて|頂《いただ》きました、|幾重《いくへ》にも|御礼《おんれい》|申《まを》し|上《あ》げます』
『イヤ、お|礼《れい》を|言《い》はれては|困《こま》る。|天《あめ》が|下《した》の|万民《ばんみん》は|皆《みな》|吾《わ》が|子《こ》だ、|吾《わ》が|弟子《でし》だ。|親《おや》が|子《こ》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふのは|当然《たうぜん》だ、|決《けつ》して|礼《れい》をいふにや|及《およ》ばぬ。サアこれからこの|方《はう》と|共《とも》に、オーラ|山《さん》の|聖場《せいぢやう》へ|行《い》つて|休《やす》まうぢやないか』
『ハイ|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》うございますが、|吾《わ》が|家《や》におきましては、|父《ちち》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|家《いへ》の|子《こ》どもが|上《うへ》を|下《した》へと、|妾《わらは》を|探《たづ》ねて|心配《しんぱい》をしてをりませうから、|何《なに》とぞ|父《ちち》の|家《いへ》まで|送《おく》つて|頂《いただ》くわけには|参《まゐ》りますまいか。そして|十日《とをか》も|二十日《はつか》も|百日《ひやくにち》も|御逗留《ごとうりう》|下《くだ》さいまして、|里人《さとびと》に|結構《けつこう》な|恵《めぐ》みをお|与《あた》へ|下《くだ》さいますまいか』
『そなたの|望《のぞ》み、|聞《き》いてやりたいは|山々《やまやま》なれど、この|玄真坊《げんしんばう》は|七《なな》つ|下《さが》ると、|天地《てんち》の|神々《かみがみ》と|相談《さうだん》を|致《いた》さねばならず、|星《ほし》は|天《てん》より|下《くだ》り|大杉《おほすぎ》の|梢《こずゑ》に|止《とど》まつて、|吾《わ》が|教説《けうせつ》を|聞《き》きに|来《く》る……といふやうな|次第《しだい》であるから、|今《いま》|少時《しばし》|里方《さとがた》へ|出《で》るわけに|行《ゆ》かぬ。さうだと|言《い》つて、お|前《まへ》を|一人《ひとり》、このまま|帰《かへ》せば、|又《また》もや|泥棒《どろばう》の|難《なん》に|会《あ》はぬとも|保証《ほしよう》し|難《がた》い。それゆゑ|今《いま》|少時《しばし》、この|方《はう》と|共《とも》にオーラ|山《さん》の|聖場《せいぢやう》に|詣《まう》でて、|天王《てんわう》の|社《やしろ》に|感謝《かんしや》|祈願《きぐわん》の|誠《まこと》を|捧《ささ》げ、|少時《しばし》|逗留《とうりう》いたしたが|可《よ》からう。そなたの|父上《ちちうへ》には、この|方《はう》より|人《ひと》をつかはし、|報告《はうこく》をしておくから|軈《やが》て|迎《むか》へにみえるだらう。|救世主《きうせいしゆ》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はない。サアサア|此《この》|方《はう》に|従《つ》いてお|出《い》でなされ』
『さう|御親切《ごしんせつ》に|仰有《おつしや》つて|下《くだ》されば、|否《いな》む|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ。|左様《さやう》なれば|不束《ふつつか》な|妾《わらは》、しばし|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かりませう』
『ウン、ヨシヨシ、さすがは|明察《めいさつ》の|淑女《しゆくぢよ》、いな|賢女《けんぢよ》だ』
とほめそやしながら、スガコの|手《て》を|引《ひ》いて、コツリコツリと|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り、おのが|住家《すみか》へと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|早《はや》くも|日《ひ》は|山《やま》の|頂《いただき》に|没《ぼつ》し、|四辺《あたり》は|薄暗《うすぐら》く、|大杉《おほすぎ》の|梢《こずゑ》には|燦爛《さんらん》なる|妖星《えうせい》の|光《ひかり》が|輝《かがや》いてゐた。|玄真坊《げんしんばう》は|頭上《づじやう》の|光《ひかり》を|指《ゆび》ざし、|笑《ゑみ》を|満面《まんめん》に|湛《たた》へながら、
『コレコレお|女中《ぢよちう》、あの|梢《こずゑ》を|御覧《ごらん》なさい、あの|通《とほ》り、|日《ひ》の|暮《く》れるが|最後《さいご》、|天《てん》からお|星様《ほしさま》がお|降《くだ》りになり、|救世主《きうせいしゆ》の|教説《けうせつ》を|聞《き》かんとお|待《ま》ちかねだ』
スガコは|頭上《づじやう》を|打仰《うちあふ》ぎながら、|目《め》も|眩《まばゆ》き|光《ひかり》の|梢《こずゑ》に|散在《さんざい》せるを|見《み》て、|且《か》つ|驚《おどろ》き|且《か》つ|怪《あや》しみながら、|青《あを》い|面《かほ》して|慄《ふる》うてゐる。|玄真坊《げんしんばう》はこの|態《さま》を|見《み》て|高笑《たかわら》ひ、
『アハハハハ、さすがは|深窓《しんさう》に|育《そだ》つたお|嬢《ぢやう》さまだなア。|天《てん》からお|降《くだ》りになつたお|星様《ほしさま》がこはいと|見《み》える。その|青《あを》い|顔《かほ》……』
『|玄真坊様《げんしんばうさま》、あまりの|御神徳《ごしんとく》の|高《たか》さに、|妾《わらは》は|肝《きも》をとられました。|何《なん》と|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものでございますなア。|天地開闢《てんちかいびやく》|以来《いらい》、お|星様《ほしさま》が|降《くだ》つて|教《をしへ》を|聞《き》かれるといふ|事《こと》は、|言置《いひおき》にも|書置《かきおき》にもございませぬ。|思《おも》へば|思《おも》へば|貴方様《あなたさま》は|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|神権《しんけん》を|備《そな》へていらつしやる|活神様《いきがみさま》の|御化身《ごけしん》でございませう、あまり|有難《ありがた》くつてお|礼《れい》の|申《まを》しやうもございませぬ』
『お|前《まへ》は|実《じつ》に|見上《みあ》げた|才媛《さいゑん》だ、この|方《はう》の|魂《みたま》の|素性《すじやう》をよくもそこまで|看破《かんぱ》したなア。お|前《まへ》は|尋常《ただ》の|人間《にんげん》ではない。|尊《たふと》きある|女神様《めがみさま》の|化身《けしん》だよ』
『ホホホホ、|勿体《もつたい》ない、|妾《わらは》のごとき|賤《いや》しき|女《をんな》に|向《む》かひ|女神《めがみ》の|化身《けしん》だなどとは、|玄真坊《げんしんばう》さま、|御冗談《ごじやうだん》も|程《ほど》がございますよ、あなたも|人《ひと》が|悪《わる》うございますな。さう|揶揄《からか》つていただきますと、|知《し》らず|知《し》らずに|慢心《まんしん》いたしますからなア』
『イヤ|決《けつ》して|揶揄《からか》ふのではない、|救世主《きうせいしゆ》の|言葉《ことば》には|嘘詐《うそいつは》りはない|筈《はず》だ。|拙僧《せつそう》の|言葉《ことば》は|神《かみ》の|言葉《ことば》だ。スガコ|殿《どの》、|安心《あんしん》をなされよ』
『ハイ|有難《ありがた》うございます、そんなら|少時《しばらく》、|魂《みたま》の|素性《すじやう》が|分《わか》るまで、あなたのお|側《そば》において|頂《いただ》きたいものでございますなア』
『ヨシヨシ、それが|可《よ》からう、お|前《まへ》は|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》の|天降《あまくだ》りだ。|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》にいひつけて、|天国《てんごく》の|身許調《みもとしら》べをしてやらう。ここ|一週間《いつしうかん》の|中《うち》には、お|前《まへ》の|素性《すじやう》が|判然《はつきり》と|分《わか》るだらう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます、|何分《なにぶん》よろしくお|願《ねが》ひいたします』
スガコは|相当《さうたう》の|教育《けういく》もあり、|凡人《ぼんじん》にすぐれた|知恵《ちゑ》も|有《も》つてゐた、そして|天性《てんせい》の|美人《びじん》であつた。しかしながら|何《なに》ほど|賢明《けんめい》な|婦人《ふじん》でも|思《おも》はぬ|厄難《やくなん》に|会《あ》ひ、|九死一生《きうしいつしやう》の|場合《ばあひ》、|思《おも》はぬ|人《ひと》に|助《たす》けられ、その|人《ひと》から……お|前《まへ》は|立派《りつぱ》な|女神《めがみ》さまだの、|化身《けしん》だの……と|言《い》はれては、|如何《いか》なる|明智《めいち》の|女《をんな》でも|迷《まよ》はざるを|得《え》ないのである。スガコは|到頭《たうとう》|彼等《かれら》|悪人輩《あくにんぱら》の|待《ま》ち|受《う》けた|穽《わな》に|陥《おちい》り、|玄真坊《げんしんばう》を|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》と|信《しん》じ、|虎《とら》|狼《おほかみ》の|窟《あな》に|入《い》るとは|知《し》らず、|欣然《きんぜん》として|妖僧《えうそう》の|後《あと》に|従《したが》ひ、やうやく|大杉《おほすぎ》の|下《もと》、|玄真坊《げんしんばう》が|居間《ゐま》に|導《みちび》かるることとなつた。アアスガコの|今後《こんご》の|身《み》の|上《うへ》は|何《ど》うなるであらうか。
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 松村真澄録)
第一一章 |亞魔《あま》の|河《かは》〔一六九三〕
スガコはオーラ|山《さん》の|岩窟《がんくつ》に|玄真坊《げんしんばう》につれ|込《こ》まれ、|天国《てんごく》における|神《かみ》の|族籍《ぞくせき》を|査《しら》ぶるためと|称《しよう》し、|一週間《いつしうかん》も|待《ま》たされてゐた。|彼《かれ》はその|間《あひだ》に|無聊《ぶれう》を|慰《なぐさ》むるため、|望郷《ばうきやう》の|歌《うた》を|唄《うた》つてゐた。
『オーラの|峰《みね》は|高《たか》くとも  この|谷川《たにがは》は|深《ふか》くとも
|吾《わ》が|身《み》を|育《そだ》てはぐくみし  |誠《まこと》の|親《おや》の|御恵《みめぐ》みに
|比《くら》べまつれば|九牛《きうぎう》の  |一毛《いちまう》だにも|如《し》かざらむ
|夜《よ》な|夜《よ》な|通《かよ》ふ|風《かぜ》の|足《あし》  |吾《わ》が|垂乳根《たらちね》の|父上《ちちうへ》の
|居間《ゐま》の|雨戸《あまど》を|訪《おとづ》れて  さやぎまつれど|如何《いか》にせむ
|風《かぜ》に|霊《れい》なく|言葉《ことば》なく  |吾《わ》が|言霊《ことたま》をまつぶさに
|伝《つた》へむ|由《よし》もなくばかり  |父《ちち》は|吾《わ》が|身《み》の|行《ゆ》く|末《すゑ》を
|案《あん》じわづらひ|玉《たま》ひつつ  |歎《なげ》きに|沈《しづ》み|朝夕《あさゆふ》の
|食物《たべもの》さへも|進《すす》まずに  |吐息《といき》をつかせ|玉《たま》ふらむ
アア|恋《こひ》しや|父《ちち》の|御顔容《おんかんばせ》  |妻《つま》に|別《わか》れて|只《ただ》|一人《ひとり》
|浮世《うきよ》の|風《かぜ》にもまれつつ  |妾《わらは》を|杖《つゑ》とし|力《ちから》とし
|後添《のちぞえ》さへも|持《も》たせられず  |恵《めぐ》みはぐくみ|玉《たま》ひしを
|夜《よる》の|嵐《あらし》に|誘《さそ》はれて  |一人《ひとり》の|娘《むすめ》は|雲《くも》がくれ
|探《たづ》ねむ|由《よし》も|荒風《あらかぜ》の  |野原《のはら》を|亘《わた》る|声《こゑ》ばかり
|悲《かな》しみ|玉《たま》ふ|有様《ありさま》を  |今《いま》|目《ま》のあたり|見《み》る|心地《ここち》
|吾《わ》が|身《み》に|翼《つばさ》あるならば  この|岩窟《いはやど》を|脱《ぬ》け|出《い》でて
|帰《かへ》らむものとは|思《おも》へども  |玄真坊《げんしんばう》のいぶかしき
そのまなざしにいとめられ  |進《すす》みもならず|退《しりぞ》きも
ならぬ|苦《くる》しき|果敢《はか》なさよ  |玄真坊《げんしんばう》といへる|人《ひと》
|自《みづか》ら|天《てん》の|神様《かみさま》の  |化身《けしん》といへど|訝《いぶ》かしや
|別《べつ》に|変《かは》りしこともなく  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|吾《わ》が|側《そば》に
い|寄《よ》り|添《そ》ひ|来《き》て|厭《いや》らしき  |目色《めいろ》を|注《そそ》ぎ|忌《い》まはしき
|言葉《ことば》の|端《はし》の|何《なん》となく  いとも|卑《いや》しく|思《おも》ほゆる
|醜《しこ》の|曲霊《まがひ》の|取憑《とりかか》り  |世《よ》を|紊《みだ》さむと|企《たく》らみて
かかる|悪戯《いたづら》なすならむ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》  |大国彦《おほくにひこ》の|大御神《おほみかみ》
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|吾《わ》が|胸《むね》の  |雲《くも》を|晴《は》らさせ|玉《たま》へかし
|大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
たとへ|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |神《かみ》の|御恵《みめぐ》み|父《ちち》の|恩《おん》
|一日《ひとひ》|片時《かたとき》|忘《わす》れむや  |神《かみ》の|形《かたち》に|造《つく》られし
|妾《わらは》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  |神《かみ》に|等《ひと》しきこの|身《み》にも
|曲《まが》の|雲霧《くもきり》かかるとは  |実《げ》に|訝《いぶ》かしき|世《よ》の|様《さま》よ
あはれみ|玉《たま》へ|天地《あめつち》の  |誠《まこと》の|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎまつる。
|思《おも》ひきや|誠《まこと》の|神《かみ》と|思《おも》ひしに
|吾《わ》が|身《み》を|恋《こ》ふる|神司《かむづかさ》とは
いと|聖《きよ》き|神《かみ》の|柱《はしら》と|思《おも》ひしに
|怪《あや》しきことの|多《おほ》き|人《ひと》かな
このままに|仇《あだ》に|月日《つきひ》を|過《す》ごしなば
|妾《わらは》も|曲《まが》の|餌食《ゑじき》とならむ』
かく|歌《うた》つてゐる|所《ところ》へ、|玄真坊《げんしんばう》は|鍵《かぎ》をもつて|錠《ぢやう》をねぢあけ、ソツと|入来《いりき》たり、
『スガコ|殿《どの》、どうも|忙《いそ》がしいことでござつた。|今日《けふ》はことさら|沢山《たくさん》な|参詣者《さんけいじや》で、この|方《はう》も|実《じつ》に|多忙《たばう》をきはめたよ。しかしながら|最早《もはや》|七《なな》つ|下《さが》り、やうやく|人《ひと》は|家路《いへぢ》に|帰《かへ》つたから、|先《ま》づお|前《まへ》の|美《うつく》しい|顔容《かんばせ》を|見《み》て、|一日《いちにち》の|疲《つか》れを|休《やす》めやうと|思《おも》ふのだ。|何《なん》とマア|美《うつく》しい|顔《かほ》だなア』
と|厭《いや》らしげな|笑《ゑみ》をたたへ、|川瀬《かはせ》の|乱杭《らんぐひ》のような|歯《は》をニユツと|出《だ》して、スガコの|頬《ほほ》にキッスをしようとする。スガコは|驚《おどろ》いて「アレまあ」と|言《い》ひながら、|象牙細工《ざうげざいく》のような|白《しろ》い|美《うつく》しい|手《て》で、|玄真坊《げんしんばう》の|額《ひたひ》をグツと|押《お》した。
|玄真《げんしん》『アツハハハハ、|怖《こは》いか、|可笑《をか》しいか、|恥《は》づかしいか。テもさても|初心《うぶ》な|者《もの》だなア。オイ、スガコ、|今日《けふ》はじめて|天《てん》から|使《つかひ》が|来《き》て、お|前《まへ》の|神籍《しんせき》を|査《しら》べて|見《み》たところ、マア|喜《よろこ》べよ、|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》で、しかも|此《この》|方《はう》の|女房《にようばう》の|霊《みたま》だつたよ。それだから、|相応《さうおう》の|理《り》によつて|天《てん》に|在《あ》つては|比翼《ひよく》の|鳥《とり》、|地《ち》に|在《あ》つては|連理《れんり》の|枝《えだ》、どうあつても|天地《てんち》|相応《さうおう》の|真理《しんり》により、そなたと|夫婦《ふうふ》にならなくちや、やり|切《き》れない|因縁《いんねん》が|結《むす》ばれてあるのだ。|何《なん》だか|其方《そなた》の|危難《きなん》を|救《すく》つた|時《とき》から、|床《ゆか》しい|女《をんな》だと|思《おも》つてゐたが、よくよく|査《しら》べて|見《み》れば、|右《みぎ》の|通《とほ》り、どうぢや、|姫《ひめ》、|嬉《うれ》しいか』
スガコは|真青《まつさを》な|顔《かほ》をして、|唇《くちびる》を|紫色《むらさきいろ》に|染《そ》め、|声《こゑ》を|慄《ふる》はせながら、
『エー、|残念《ざんねん》やな、|妾《わらは》は|貴方《あなた》に|謀《はか》られました。どうしたら|可《よ》からうかな。|梵天帝釈自在天様《ぼんてんたいしやくじざいてんさま》、どうぞこの|急場《きふば》をお|助《たす》け|下《くだ》さいませ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
『アハハハハ、さすがは|少女《をとめ》だ、ヤツパリ|恥《は》づかしいのだな。はじめの|間《うち》は|三番叟《さんばそう》でも|後《のち》には|深《ふか》くなるものだ。アアイヤイヤイヤ、オーハ、カツタカタ、つひには、カツタカタと|埒《らち》のあくもんだて、|結局《けつきよく》|男子《だんし》の|方《はう》が|恋《こひ》にカツタカツタだ、アハハハハ』
スガコは|忌《いま》いましさうな|顔《かほ》をし、|眉《まゆ》のあたりに|皺《しわ》をよせながら、
『モシ|玄真様《げんしんさま》、どうぞ|妾《わらは》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。その|代《かは》りに|外《ほか》の|事《こと》ならどんな|御用《ごよう》でもいたします』
『ヤア、お|前《まへ》は|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》だから、|卑《いや》しい|炊事《すゐじ》や|掃除《さうぢ》などは、|霊《みたま》に|不相応《ふさうおう》だ。ただ|拙僧《せつそう》の|神業《しんげふ》すなはち|神生《かみう》み、|人生《ひとう》みの|御用《ごよう》さへすれば、こけた|箒《はうき》を|起《おこ》すこともいらない。さてもさても|幸運《かううん》な|生《うま》れつきだのう』
と|玄真坊《げんしんばう》はスガコに|内兜《うちかぶと》を|見透《みすか》され、|蚰蜒《げぢげぢ》のごとく|嫌《きら》はれてゐるのを、|恋《こひ》に|晦《くら》んだ|眼《まなこ》には|盲滅法界《めくらめつぽふかい》、あやめも|分《わか》ず、|恋《こひ》の|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれ、|得意《とくい》になつて、うるさく|口説《くど》きたててゐるのである。スガコは|一《ひと》つ|困《こま》らしてやらうと|思《おも》ひ、|平気《へいき》の|面《かほ》を|装《よそほ》ひながら、|微笑《びせう》を|浮《う》かべて、
『|妾《わらは》が|最《もつと》も|敬愛《けいあい》する|師《し》の|君様《きみさま》、|貴方様《あなたさま》は|妾《わらは》の|危《あや》ふき|生命《いのち》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして、|天《てん》にも|地《ち》にも|代《か》へ|難《がた》き|御高恩《ごかうおん》、|万劫末代《まんごまつだい》、ミロクの|代《よ》までも|忘《わす》れはいたしませぬ。その|上《うへ》|妾《わらは》の|神籍《しんせき》までお|調《しら》べ|下《くだ》さるとは、|何《なん》たる|勿体《もつたい》ない|事《こと》でございませう。|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》の|霊《みたま》と|仰《おほ》せられましたが、もしや|妾《わらは》は|棚機姫《たなばたひめ》の|命《みこと》ではございませぬかい』
『ヤアさすがは|偉《えら》い|者《もの》だ。そなたのいふごとく|全《まつた》く|棚機姫命《たなばたひめのみこと》のお|前《まへ》は|霊《みたま》だよ。|星《ほし》さまでいへば|天《あま》の|川《かは》を|隔《へだ》てた、|右側《うそく》の|姫星様《ひめほしさま》だ。そしてこの|方《はう》は|彦星《ひこぼし》だ』
『ヤ、それで|分《わか》りました。|棚機様《たなばたさま》は|年《ねん》に|一度《いちど》の|逢瀬《あふせ》とやら|申《まを》しますが、それは|事実《じじつ》でございませうか』
『そらさうだ、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|動《うご》かすべからざる|天律《てんりつ》によつて、|万劫末代《まんごまつだい》きまつてゐる、|本当《ほんたう》に|仲《なか》のよい|夫婦《ふうふ》だよ。|天《あま》の|川《かは》を|隔《へだ》てて、|年《ねん》が|年中《ねんぢう》、|互《たが》ひに|面《かほ》を|見合《みあは》せてゐらつしやる|神様《かみさま》の、|吾々《われわれ》は|霊《みたま》だからなア。だから|私《わし》とお|前《まへ》は、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|面《かほ》を|見合《みあは》せ、|仲《なか》よう|暮《くら》さねばならぬ|因縁《いんねん》があるのだ』
『なるほど、|左様《さやう》でございますな。しからば、|妾《わらは》と|師《し》の|君様《きみさま》とは、|天《てん》において|夫婦《ふうふ》の|霊《みたま》、|年《とし》に|一度《いちど》の|逢瀬《あふせ》とやら、|仰《おほ》せご|尤《もつと》も。|妾《わらは》も|天地《てんち》|相応《さうおう》の|理《り》によりまして、|七月七日《しちぐわつなぬか》の|夜《よ》まで|師《し》の|君様《きみさま》と|夫婦《ふうふ》になることは|出来《でき》ませぬなア。まして|貴方様《あなたさま》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》とやら、|天帝《てんてい》からして|神律《しんりつ》をお|紊《みだ》しなさるやうなことはございますまい。どうか、この|谷川《たにがは》を|天《あま》の|川《かは》と|見《み》なし、|川向《かはむ》かふへ|妾《わらは》をおいて|下《くだ》さらば、それこそ|天地合体《てんちがつたい》|合《あは》せ|鏡《かがみ》ぢやございませぬか』
と|巧《うま》く|言《い》ひぬけてしまつた。|玄真坊《げんしんばう》は……うつかり、|口糸《くちいと》をたぐられ、|取返《とりかへ》しのつかぬことになつて|了《しま》つた……と|一時《いちじ》はギヨツとしたが、なかなかの|曲者《くせもの》、「アハハハハ」と|大口《おほぐち》をあけ、|無雑作《むざふさ》に|笑《わら》ひながら、
『オイ、スガコ|姫《ひめ》、|本当《ほんたう》は|棚機姫《たなばたひめ》|様《さま》ぢやない、モツトモツトモツト|奥《おく》の|奥《おく》の|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|神様《かみさま》だ』
『ヘーエ、そりや|又《また》どういふ|神様《かみさま》でございますか』
『マアさうだなア、お|前《まへ》の|霊《みたま》は|木花姫《このはなひめ》の|大神様《おほかみさま》、そして|俺《おれ》の|霊《みたま》は|岩長姫命《いはながひめのみこと》だ。それだから、|何《ど》うしてもかうしても|夫婦《ふうふ》にならなくちやなるまい。その|玄真坊《げんしんばう》は|岩《いは》のごとく|頑《ぐわん》として|威厳《ゐげん》の|備《そな》はつた|修験者《しゆげんじや》。|常磐堅磐《ときはかきは》に、さざれ|石《いし》の|巌《いはほ》となりて|苔《こけ》のむすまで、この|世《よ》を|守《まも》る|下津岩根《したついはね》の|大《おほ》ミロク|様《さま》も|同様《どうやう》だ。そしてお|前《まへ》の|霊《みたま》は|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》|様《さま》だから|嬋娟窈窕《せんけんえうてう》たる|花《はな》のごとき|美人《びじん》、いな|花《はな》にも|優《まさ》る|美人《びじん》、|柔《じう》よく|剛《がう》を|制《せい》するといつてな、お|前《まへ》は|柔《じう》、|俺《わし》は|剛《がう》だ。しかし|剛《がう》また|柔《じう》を|制《せい》すといふことあり。|剛中柔《がうちうじう》あり、|柔中剛《じうちうがう》あり、|不離不即《ふりふそく》、|密接固漆《みつせつこしつ》の|関係《くわんけい》があるのだから、|何《なん》といつても|天地《てんち》から|結《むす》ばれたる|夫婦《ふうふ》の|間柄《あひだがら》だよ』
『ホホホホあのマア|師《し》の|君様《きみさま》のヨタを|仰有《おつしや》いますこと。|岩長姫《いはながひめ》は|御女体《ごによたい》、|木花姫《このはなひめ》|様《さま》も|御女体《ごによたい》、そして|天《てん》の|神様《かみさま》ではなくて、|国津神《くにつかみ》|様《さま》の|御娘子《おんむすめご》、お|二人様《ふたりさま》は|姉妹《きやうだい》の|間柄《あひだがら》ぢやございませぬか。|愚昧《ぐまい》な|妾《わらは》だと|思召《おぼしめ》し、いいかげんに|嘲弄《てうろう》しておいて|下《くだ》さいませ。|天《てん》を|以《もつ》て|父《ちち》となし、|地《ち》を|以《もつ》て|母《はは》となし、|八百万《やほよろづ》の|神《かみ》に|御説法《ごせつぽふ》をなさる|貴《たつと》き|御身《おんみ》をもつて、|月《つき》に|七日《なぬか》の|汚《けが》れある|女《をんな》の|妾《わらは》におからかひ|遊《あそ》ばすとは|御冗談《ごじやうだん》にも|程《ほど》がございますよ、ホツホホホホホ』
『イヤもう|何《なに》から|何《なに》まで、|目《め》から|鼻《はな》、|耳《みみ》から|口《くち》へつきぬけるばかりの|大学出《だいがくで》の|才媛《さいゑん》だ。|天地《てんち》を|父母《ふぼ》とするこの|玄真坊《げんしんばう》も、そなたには|一本《いつぽん》|参《まゐ》つたワイ、アツハハハハ』
『ソレ|御覧《ごらん》なさい。|師《し》の|君様《きみさま》は|妾《わらは》に|対《たい》し|冗談《じようだん》を|言《い》つてゐらつしやつたのでせう。|神様《かみさま》に|似合《にあ》はず、お|人《ひと》が|悪《わる》いぢやありませぬか』
『イヤ、ナニナニ|嘲弄《からかひ》どころか、|冗談《じようだん》どころか、|真実真《しんじつしん》の|一生懸命《いつしやうけんめい》だ。お|前《まへ》の|為《ため》なら、|一《ひと》つよりない|命《いのち》をすてても|構《かま》はないといふ|覚悟《かくご》だ。|決《けつ》して|嘘言《うそ》はつかない、|冗談《じようだん》は|言《い》はない。|万一《まんいち》この|方《はう》の|言葉《ことば》に|詐《いつは》りがあつたら、|一《ひと》つよりない|首《くび》でもお|前《まへ》に|与《や》るワ』
『ホホホホホホそんな|首《くび》、もらつたつても、|煙草入《たばこいれ》の|根付《ねつ》けにもなるぢやなし、|仕方《しかた》がありませぬワ。|髑髏《しやれかうべ》にして|枕《まくら》にしたところで|格好《かくかう》が|悪《わる》くつて、|不釣合《ふつりあひ》なり、|廃物《はいぶつ》|利用《りよう》の|利《き》かぬ|首《くび》つ|玉《たま》ですからね』
『コリヤ|姫《ひめ》、|何《なん》といふ、|姫御前《ひめごぜん》の|優《やさ》しい|面《かほ》にも|似《に》ず、|無茶《むちや》なことをいふのだ。お|前《まへ》は|私《わし》のいふことを|誤解《ごかい》してゐるな。よく|考《かんが》へてみよ。この|玄真坊《げんしんばう》は|神様《かみさま》に|仕《つか》へる|時《とき》は|即《すなは》ち|天帝《てんてい》の|化身《けしん》であり、|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|休《やす》んだ|時《とき》は|一介《いつかい》の|修験者《しゆげんじや》だ。|神《かみ》の|籍《せき》においては|神《かみ》の|活動《はたらき》をなし、|人《ひと》の|籍《せき》においては|人《ひと》の|活動《はたらき》をなし、|変現出没《へんげんしゆつぼつ》|自由自在《じいうじざい》、|或時《あるとき》は|天《てん》に|蟠《わだか》まる|竜《りう》となり、|或時《あるとき》は|古池《ふるいけ》になく|蛙《かはず》となり、|時《とき》ありては|蠑〓《いもり》|蚯蚓《みみづ》になる。これが|即《すなは》ち|神《かみ》の|神《かみ》たる|所以《ゆゑん》だ。ここの|道理《だうり》をトツクリと|考《かんが》へて、いさぎよい|返事《へんじ》をしてくれ、なあスガコ』
『アア|左様《さやう》でございますか、あなたは|神《かみ》となつたり、|人《ひと》となつたり、|甚《はなは》だしきは|蛙《かはず》となつたり、|蠑〓《いもり》、|蚯蚓《みみづ》となつたり、|何《なん》とマア|器用《きよう》なお|方《かた》ですこと、しかしながら|玄真坊様《げんしんばうさま》、|私《わたし》はますます|貴方《あなた》が|怖《こは》いらしくなつて|参《まゐ》りましたよ。そして|夫婦《ふうふ》になれと|仰有《おつしや》るやうですが、|私《わたくし》も|月《つき》に|七日《なぬか》の|障《さはり》ある|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》、|神様《かみさま》と|添《そ》ふわけにはゆかず、また|修験者《しゆげんじや》は|女《をんな》に|接《せつ》する|時《とき》は|死後《しご》|仏罰《ぶつばつ》に|仍《よ》つて|七万有尋《しちまんいうじん》の|大蛇《だいじや》となり、かつ|修験者《しゆげんじや》に|犯《をか》された|女《をんな》は|八万地獄《はちまんぢごく》に|墜《お》ちるといふバラモンの|教《をしへ》、かう|考《かんが》へてみますれば、|修験者《しゆげんじや》としての|貴方《あなた》の|妻《つま》になることは|絶対《ぜつたい》に|厭《いや》でございます。|況《いは》んや|人間《にんげん》と|生《うま》れながら、|蛙《かはず》、|蠑〓《いもり》、|蚯蚓《みみづ》などと|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》は|到底《たうてい》できませぬ。どうか|悪《あ》しからずこの|理由《りいう》を|御賢察《ごけんさつ》|下《くだ》されまして、|忌《い》まはしい|夫婦関係《ふうふくわんけい》などには|言及《げんきふ》なさらないよう、お|願《ねが》ひ|申《まを》します。その|代《かは》り|妾《わらは》はどこまでも、|貴方様《あなたさま》を|師《し》の|君様《きみさま》と|尊崇《そんすう》し、|敬愛《けいあい》し、|誠《まこと》を|尽《つく》しますから、|貴方《あなた》も|妾《わらは》を|愛《あい》して|下《くだ》さいませ。そして|結構《けつこう》な|経文《きやうもん》を|教《をし》へて|下《くだ》さい。お|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『マアマア|今日《けふ》はこれくらゐにしておかう、お|前《まへ》も|神経《しんけい》|昂奮《かうふん》してゐるから、|何《なに》を|言《い》つても|耳《みみ》に|入《い》るまい。|女《をんな》といふ|者《もの》は|一日《いちにち》に|七度《ななたび》も|心《こころ》が|変《かは》るといふから、|水《みづ》の|出《で》ばなに|何《なに》をいつても|駄目《だめ》だ。また|風向《かぜむ》きのよい|時《とき》にゆつくり|話《はな》さうほどに。|左様《さやう》ならスガコ|殿《どの》、ゆつくりお|休《やす》みなさい』
といひながら、やや|悄気気味《せうげぎみ》になつて、|岩《いは》の|戸《と》をあけ、|吾《わ》が|居間《ゐま》なる|次《つぎ》の|岩窟《がんくつ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》くのであつた。|後《あと》にスガコ|姫《ひめ》はハツと|吐息《といき》をつきながら、|独《ひと》り|言《ごと》。
『アア|情《なさ》けないことになつたものだなア。かやうな|所《ところ》へ|拐《かどは》かされ、|悪人輩《あくにんばら》の|恋《こひ》の|犠牲《ぎせい》に|供《きよう》せられむとするのか。|一度《いちど》は|拒《こば》んでみても、かれ|玄真坊《げんしんばう》の|燃《も》ゆるがごとき|恋《こひ》の|炎《ほのほ》は|容易《ようい》に|消《け》すことは|出来《でき》まい。|何《なん》とか|彼《か》とか|言《い》つて|一日送《いちにちおく》りに|日《ひ》を|送《おく》り、|助《たす》け|人《びと》の|来《く》るまで|時節《じせつ》を|待《ま》つより|仕方《しかた》がない。アア|父上《ちちうへ》はさぞ、|妾《わらは》の|行方《ゆくへ》について|御心配《ごしんぱい》してござるだらう。|何《なん》とマア|不運《ふうん》な|父娘《おやこ》だらう。|悩《なや》み|禍《わざは》ひの|浮世《うきよ》とは|言《い》ひながら、ジャンクの|家《いへ》にはこれほどまでに|禍《わざは》ひの|見舞《みま》ふものか。テもさても、|残酷《ざんこく》な|世《よ》の|中《なか》だなア。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|天地《てんち》の|大神《おほかみ》あはれみ|玉《たま》へ|救《すく》ひ|玉《たま》へ』
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 松村真澄録)
第三篇 |異燭獣虚《いしよくじうきよ》
第一二章 |恋《こひ》の|暗路《やみぢ》〔一六九四〕
コマの|村《むら》の|里庄《りしやう》が|二男《じなん》サンダーは、|許嫁《いひなづけ》のジャンクの|娘《むすめ》スガコの|行衛不明《ゆくゑふめい》となりしより|怏々《おうおう》として|楽《たの》しまず、|日夜《にちや》|煩悶苦悩《はんもんくなう》の|結果《けつくわ》、|神経病《しんけいびやう》を|起《おこ》して|一室《ひとま》に|閉《と》ぢ|籠《こも》り、|人《ひと》に|会《あ》ふのを|嫌《きら》ふやうになつた。|両親《りやうしん》はサンダーの|憂欝《いううつ》に|沈《しづ》める|状態《じやうたい》を|見《み》ていろいろに|心《こころ》を|苦《くる》しめ、|医者《いしや》よ、|薬《くすり》よ、|修験者《しゆげんじや》よと|騒《さわ》ぎまはれども、サンダーは|一切《いつさい》の|医薬《いやく》を|排《はい》し|且《か》つ|修験者《しゆげんじや》の|祈祷《きたう》を|嫌《きら》ひ、|一室《ひとま》に|潜《ひそ》んで|時々《ときどき》|自分《じぶん》の|髪《かみ》の|毛《け》を|毟《むし》つたり|耳《みみ》を|掻《か》いたり、|体中《からだぢう》を|自分《じぶん》の|爪《つめ》で|掻《か》きむしり、|半狂乱《はんきやうらん》のごとくになつてゐた。さうして|時々《ときどき》|怪《あや》しげな|声《こゑ》で|述懐《じゆつくわい》をのべてゐる。
『ジャンクの|家《いへ》に|生《うま》れたる  トルマン|国《ごく》に|名《な》も|高《たか》き
|美人《びじん》と|聞《き》こえしスガコさま  |結《むす》ぶの|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ
いつかは|合《あ》うて|妹《いも》と|背《せ》の  |赤《あか》き|縁《えにし》を|結《むす》び|昆布《こぶ》
|苦労《くらう》するめの|夫婦《ふうふ》ぞと  |楽《たの》しみ|待《ま》つた|甲斐《かひ》もなく
|世《よ》は|味気《あぢき》なき|諸行無常《しよぎやうむじやう》  |今《いま》に|行衛《ゆくゑ》も|白雲《しらくも》の
|何処《いづこ》の|果《はて》にましますか  |柳《やなぎ》の|眉毛《まゆげ》|涼《すず》しき|目許《めもと》
つんもりしたる|鼻貌《はなかたち》  |紅《べに》の|唇《くちびる》|花《はな》の|口《くち》
|耳《みみ》にかけたる|七宝《しつぽう》や  |時々《ときどき》|光《ひか》る|夜光石《やくわうせき》
|髪《かみ》は|烏《からす》の|濡羽色《ぬればいろ》  |起居物腰《たちゐものごし》しとやかに
|棚機姫《たなばたひめ》の|大空《おほぞら》ゆ  |天降《あも》りましたる|風情《ふぜい》にて
この|世《よ》に|人《ひと》と|生《うま》れまし  |吾《わ》が|恋妻《こひづま》となり|玉《たま》ふ
|間近《まぢか》き|空《そら》に|果敢《はか》なくも  |秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》と|散《ち》り|果《は》てて
|何処《どこ》のいづこに|在《ま》しますか  |但《ただ》しは|猛《たけ》き|獣《けだもの》の
|餌食《ゑじき》とならせ|玉《たま》ひしか  |思《おも》へば|思《おも》へば|味気《あぢき》なき
|憂世《うきよ》に|残《のこ》されいつまでも  |長《なが》らふことの|恥《は》づかしさ
|吾等《われら》も|男《を》の|子《こ》の|端《はし》なれば  |恋《こひ》しき|妻《つま》を|奪《うば》はれて
いかでこのまま|泣《な》き|止《や》まむ  |吾《わ》が|玉《たま》の|緒《を》のある|限《かぎ》り
|雲《くも》を|分《わ》けても|探《さが》し|出《だ》し  |容貌《みめ》|美《うる》はしき|姫《ひめ》の|顔《かほ》
|再《ふたた》びまみえ|村肝《むらきも》の  |心《こころ》の|奥《おく》を|語《かた》り|合《あ》ひ
|互《たが》ひに|手《て》に|手《て》を|取《と》り|交《かは》し  この|世《よ》を|広《ひろ》く|楽《たの》もしく
|暮《くら》さむものと|思《おも》ふより  |頭《あたま》は|痛《いた》み|胸《むね》つかへ
|日月《じつげつ》|空《そら》に|輝《かがや》けど  いとも|暗《くら》けき|心地《ここち》して
|闇夜《やみよ》を|渡《わた》る|如《ごと》くなり  アア|如何《いか》にせむ|千秋《せんしう》の
|怨《うら》みはつきじトルマンの  |国《くに》に|塞《ふさ》がる|雲《くも》の|空《そら》
|空《そら》|行《ゆ》く|雁《かり》の|心《こころ》しあらば  |恋《こひ》しき|姫《ひめ》の|在所《ありか》をば
|尋《たづ》ね|求《もと》めて|吾《わ》が|恋《こ》ふる  |心《こころ》を|伝《つた》へ|呉《く》れよかし
|儘《まま》ならぬ|世《よ》と|言《い》ひながら  |神《かみ》や|仏《ほとけ》に|見放《みはな》され
かかる|憂目《うきめ》を|味《あぢ》あふか  |親《おや》の|罪《つみ》とは|誰《たれ》がいふ
|誠《まこと》の|神《かみ》は|親々《おやおや》の  |重《おも》き|罪《つみ》をば|生《う》みの|子《こ》の
|身魂《みたま》にまでも|厳《おごそ》かに  |加《くは》へますべき|道理《だうり》なし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |天地《てんち》の|間《あひ》に|神《かみ》まさば
|吾《わ》が|胸先《むなさき》の|苦《くる》しさを  いと|速《すみや》かに|科戸辺《しなどべ》の
|風《かぜ》に|払《はら》はせ|玉《たま》へかし  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|姫《ひめ》の|身《み》の
いと|安《やす》かれと|真心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る』
かく|歌《うた》ひ|了《をは》り、サンダーは|力《ちから》なげに|気晴《きば》らしのためとて|郊外《かうぐわい》に|出《い》で|往来《ゆきき》の|人《ひと》を|眺《なが》めてゐた。サンダーは|国内《こくない》きつての|美男子《びだんし》で|白面《はくめん》の|青年《せいねん》、|常《つね》に|女装《ぢよさう》を|好《この》み、|何人《なにびと》も|相会《あひあ》ふ|人《ひと》はこれを|男子《だんし》と|認《みと》むるものはなきほどの|美貌《びばう》を|備《そな》へてゐた。|彼《かれ》は|門口《もんぐち》に|立《た》つて|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》をポカンとして|眺《なが》めてゐると、そこへ|錫杖《しやくぢやう》をガチヤンガチヤンと|音《おと》させながら|現《あら》はれ|来《き》たる|白髪異様《はくはついやう》の|修験者《しゆげんじや》、|彼《かれ》が|美貌《びばう》を|見《み》て、その|前《まへ》に|錫杖《しやくぢやう》を|止《とど》め、|顔色《かほいろ》を|和《やは》らげながら、
『これこれお|嬢《ぢやう》さま、|貴女《あなた》は|顔色《かほいろ》が|悪《わる》いやうだが、|何《なに》か|心配事《しんぱいごと》がござるかな。|若《わか》い|娘《むすめ》に、よくあるラブといふ|病《やまひ》ではなからうか。それならばオーラ|山《さん》に|現《あら》はれ|玉《たま》ふ|救世主《きうせいしゆ》の|許《もと》に|参拝《さんぱい》し|御祈願《ごきぐわん》を|籠《こ》めなされ。|必《かなら》ず|霊験《れいけん》がありますよ。|拙僧《せつそう》はオーラ|山《さん》の|活神《いきがみ》|玄真坊様《げんしんばうさま》の|高弟《かうてい》でシーゴー|坊《ばう》と|申《まを》すもの、|人助《ひとだす》けのために|各地《かくち》を|遍歴《へんれき》いたす|修験者《しゆげんじや》でござる。いかなる|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》も、オーラ|山《さん》の|玄真坊《げんしんばう》さまに|伺《うかが》へば|忽《たちま》ち|煙散霧消《えんさんむせう》し、|平和《へいわ》と|幸福《かうふく》の|太陽《たいやう》が、|貴女《あなた》の|心天《しんてん》に|輝《かがや》くであらう。|帰妙頂礼《きめうちやうらい》|神道加持《しんだうかぢ》|謹上再拝《ごんじやうさいはい》』
と|厳《おごそ》かに|呪文《じゆもん》を|唱《とな》へる。サンダーは|今《いま》まで|修験者《しゆげんじや》の|祈祷《きたう》を|両親《りやうしん》から|勧《すす》められ、また|出入《でい》りの|者《もの》からも|勧《すす》められてゐたが、チツとも|気《き》が|向《む》かなかつた。しかるに|今《いま》|目《ま》のあたり、|威儀《ゐぎ》|厳然《げんぜん》たる|修験者《しゆげんじや》に|会《あ》ひ、どこともなく|頼《たの》もしき|言葉《ことば》に|釣《つ》り|込《こ》まれ、|少《すこ》しく|心《こころ》が|動《うご》き|出《だ》した。
『もし、|修験者様《しゆげんじやさま》、|私《わたし》はあるにあられぬ|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》んでをります。もはや|此《この》|世《よ》が|嫌《いや》になり、|一層《いつそう》|天国《てんごく》の|旅《たび》をなさむかと|只今《ただいま》|思案《しあん》にくれてゐたところでござりますが、いかなる|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》も|玄真坊《げんしんばう》といふ|活神様《いきがみさま》に|願《ねが》へばお|助《たす》け|下《くだ》さるでせうか』
シーゴー『あなたは、まだお|聞《き》きなさらぬか。|御霊験《ごれいけん》の|顕著《けんちよ》なること|日月《じつげつ》の|如《ごと》く、オーラ|山《さん》に|向《む》かつて|参拝《さんぱい》する|善男《ぜんなん》|善女《ぜんによ》は|蟻《あり》の|甘《あま》きに|集《つど》ふごとく、|明六《あけむ》つより|午後《ごご》の|七《なな》つ|時《どき》までは|引《ひき》もきらぬ|群集《ぐんしふ》、|各自《めいめい》|神徳《しんとく》を|頂《いただ》いて|帰《かへ》りますよ。|中《なか》には|妻《つま》を|失《うしな》ひ、|娘《むすめ》を|失《うしな》ひいろいろ|心配《しんぱい》してをられた|方《かた》が、|玄真坊《げんしんばう》の|天眼力《てんがんりき》によつて、|所在《ありか》|分《わか》り|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》に|浴《よく》してゐられる|方《かた》も|沢山《たくさん》ござります。まづ|一度《いちど》お|詣《まゐ》りなさいませ』
『あらたかな|神様《かみさま》がオーラ|山《さん》に|現《あら》はれたといふ|事《こと》はチヨコチヨコ|承《うけたまは》つてゐますが、|偽救主《にせきうしゆ》、|偽《にせ》キリストが|雨後《うご》の|筍《たけのこ》のごとく|現《あら》はれる|時節《じせつ》ですから、|又《また》その|種類《しゆるゐ》と|存《ぞん》じ、|僕《しもべ》どもの|忠告《ちうこく》をも|聞《き》かず|今《いま》まで|疎《うと》んじてをりましたが、あなたのお|話《はなし》を|聞《き》いてどうやら|心《こころ》が|動《うご》き|出《だ》してきました。しからば|近《ちか》い|中《うち》、|気分《きぶん》のよい|日《ひ》を|考《かんが》へて|参拝《さんぱい》いたすでござりませう』
『や、それは|結構《けつこう》です、きつと|後利益《ごりやく》がありますよ。|一日《いちにち》も|早《はや》くお|詣《まゐ》りなさいませ』
と|言《い》ひながら、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|又《また》もや|錫杖《しやくぢやく》をガチヤつかせながら|遠《とほ》く|彼方《かなた》へ|進《すす》み|行《ゆ》く。
サンダーは|暗夜《あんや》に|一縷《いちる》の|光明《くわうみやう》を|得《え》たるごとき|心地《ここち》して、その|日《ひ》の|夕暮《ゆふぐれ》よりソツと|吾《わ》が|家《や》を|抜《ぬ》け|出《い》でオーラ|山《さん》の|大杉《おほすぎ》の|星《ほし》の|光《ひかり》を|目《め》あてとし、|道々《みちみち》|歌《うた》を|歌《うた》ひながら|夜風《よかぜ》に|吹《ふ》かれつつトボトボと|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
『|天津御空《あまつみそら》は|澄《す》み|渡《わた》り  |草《くさ》より|出《い》でし|日《ひ》の|神《かみ》は
|又《また》もや|草《くさ》に|入《い》りまして  あとに|輝《かがや》く|望《もち》の|月《つき》
|星《ほし》の|光《ひかり》は|疎《まばら》にて  |気《き》は|澄《す》み|渡《わた》る|大野原《おほのはら》
|吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》に|百草《ももくさ》の  そよぎの|音《おと》も|騒《さわ》がしく
|犬《いぬ》の|泣《な》き|声《ごゑ》かしましく  |彼方《あなた》|此方《こなた》の|村々《むらむら》ゆ
|聞《き》こえ|来《き》たるぞ|恐《おそ》ろしき  スガコの|姫《ひめ》の|所在《ありか》をば
|探《たづ》ねむものと|足乳根《たらちね》の  |父《ちち》と|母《はは》との|目《め》を|忍《しの》び
|夜《よる》に|紛《まぎ》れて|一人旅《ひとりたび》  |淋《さび》しき|野路《のぢ》も|誰故《たれゆゑ》ぞ
|生命《いのち》に|代《か》へて|愛《あい》したる  スガコの|君《きみ》があればこそ
スガコの|姫《ひめ》よスガコさま  お|前《まへ》は|何処《いづこ》の|空《そら》にゐる
|無言霊話《むげんれいわ》があるならば  ここに|居《ゐ》ますと|一言《ひとこと》の
|音信《おとづれ》|吾《われ》に|送《おく》りませ  |吾《わ》が|魂《たましひ》は|夜《よ》な|夜《よ》なに
|汝《なれ》が|所在《ありか》を|探《たづ》ねむと  |中有《ちうう》に|迷《まよ》へど|限《かぎ》りなき
|此《この》|地《ち》の|上《うへ》の|弥広《いやひろ》さ  |何《なん》の|手掛《てがか》りなくばかり
|涙《なみだ》に|袖《そで》をしぼりつつ  |夜《よる》は|淋《さび》しき|一人寝《ひとりね》の
|枕《まくら》に|通《かよ》ふ|虫《むし》の|音《ね》も  |汝《なれ》が|命《みこと》の|囁《ささや》きと
|思《おも》ひ|迷《まよ》ふぞ|果敢《はか》なけれ  |此《この》|世《よ》に|神《かみ》の|在《ゐ》ますなら
|恋《こひ》し|焦《こ》がれし|二人仲《ふたりなか》  |結《むす》ぶの|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ
|必《かなら》ず|会《あ》はせ|給《たま》ふとは  |思《おも》ひ|慰《なぐさ》めゐるなれど
|心《こころ》も|暗《くら》き|吾《わ》が|思《おも》ひ  |汲《く》ませ|給《たま》へよスガコ|姫《ひめ》
|呼《よ》べど|叫《さけ》べど|荒風《あらかぜ》の  |中《なか》を|遮《さへぎ》る|悲《かな》しさに
|吾《わ》が|真心《まごころ》も|汝《な》が|耳《みみ》に  |直《ただ》に|入《い》らぬが|口惜《くちを》しや
|夢《ゆめ》になりとも|会《あ》はま|欲《ほ》しと  |思《おも》ひ|寝《いぬ》れば|夢《ゆめ》に|入《い》り
|恋《こひ》しき|汝《なれ》が|訪《おとな》ひの  |声《こゑ》かと|見《み》れば|雨《あめ》の|音《おと》
|風《かぜ》の|野原《のはら》を|渡《わた》る|声《こゑ》  |汝《なれ》を|松虫《まつむし》|鈴虫《すずむし》や
|実《げ》にもはかなき|蓑虫《みのむし》の  |日《ひ》に|日《ひ》に|細《ほそ》る|霜《しも》の|下《した》
|実《げ》にも|淋《さび》しき|吾《わ》が|心根《むね》を  |汲《く》みとりませよスガコ|姫《ひめ》
|汝《なれ》に|会《あ》はむと|朝夕《あさゆふ》に  |思《おも》ふ|恋路《こひぢ》の|募《つの》り|来《き》て
|今《いま》は|全《まつた》く|病気《いたづき》の  ままならぬ|身《み》となりにけり
さはさりながら|汝《なれ》|思《おも》ふ  |恋《こひ》の|力《ちから》の|不思議《ふしぎ》なる
|病躯《びやうく》を|起《おこ》して|野路《のぢ》|山路《やまぢ》  |区別《けじめ》|白露《しらつゆ》|分《わ》けて|行《ゆ》く
オーラの|山《やま》の|活神《いきがみ》の  |稜威《みいづ》を|受《う》けて|妹《いも》と|背《せ》の
|汝《なれ》に|会《あ》はむが|楽《たの》しみに  |冷《つめ》たき|夜風《よかぜ》を|浴《あ》びながら
|露《つゆ》の|芝草《しばぐさ》|踏《ふ》みしめて  |心《こころ》の|空《そら》の|明《あか》りをば
|杖《つゑ》や|力《ちから》と|頼《たの》みつつ  |吾《われ》はイソイソ|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|吾《われ》はイソイソ|上《のぼ》り|行《ゆ》く』
サンダーはトボトボと|夜露《よつゆ》|滴《したた》る|高原《かうげん》を、オーラ|山《さん》|目《め》あてに|進《すす》みしが、|途中《とちう》においてガラリと|夜《よ》を|明《あか》してしまつた。|身体《しんたい》|綿《わた》のごとく|疲《つか》れはて|路傍《みちばた》の|方形《はうけい》の|岩《いは》に|腰《こし》をかけ、|息《いき》を|休《やす》め|遂《つひ》には|眠《ねむ》りについた。|音《おと》に|名高《なだか》き|美青年《びせいねん》、|色《いろ》はあくまで|白《しろ》く、|玉《たま》の|肌《はだへ》、|衣《きぬ》を|通《とほ》して|光《ひか》るがごとく、|眉《まゆ》|涼《すず》しうして|鼻筋《はなすぢ》|通《とほ》り、|歯《は》は|象牙細工《ざうげざいく》のごとく|白《しろ》くして|光沢《くわうたく》あり、|黒目勝《くろめが》ちの|露《つゆ》を|帯《お》びたる|目《め》、|誰《たれ》が|目《め》にも|女《をんな》とより|見《み》えなかつた。|大画伯《だいぐわはく》の|精根《せいこん》を|凝《こ》らして|成《な》れる|絵《ゑ》の|中《なか》より|抜《ぬ》け|出《で》て|来《き》たごとき|美人《びじん》、|四辺《あたり》に|芳香《はうかう》|薫《くん》じ、|音楽《おんがく》|聞《き》こゆるがごとき|思《おも》ひに|満《み》たされる。かかる|美男子《びだんし》が|女装《ぢよさう》したまま、|頬杖《ほほづゑ》をついて|路傍《ろばう》の|岩《いは》に|腰《こし》|打《う》ちかけ|眠《ねむ》つてゐる|其《そ》の|風情《ふぜい》は|海棠《かいだう》の|雨《あめ》に|萎《しほ》るるごとく、|梅花《ばいくわ》の|旭《あさひ》に|匂《にほ》へるがごとく、|一見《いつけん》|人《ひと》をして|恍惚《くわうこつ》たらしめ、|心魂《しんこん》をして|宙《ちう》に|飛《と》ばしむるごとき|光景《くわうけい》である。
そこへシーゴーの|部下《ぶか》なる、ショール、コリ|等《ら》は|十七八名《じふしちはちめい》の|手下《てした》を|従《したが》へ、|髯《ひげ》に|露《つゆ》を|浮《う》かせ、|尻切《しりき》れ|草鞋《わらぢ》をパサつかせながら|此《こ》の|場《ば》に|現《あら》はれ|来《き》たり、サンダーの|眠《ねむ》れる|姿《すがた》を|見《み》て|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|将《はた》また|天女《てんによ》の|降臨《かうりん》か。|魔《ま》か|女《をんな》かとアツケにとられ、|少時《しばし》|佇《たたず》んでゐた。
ショールはしきりに|首《くび》を|振《ふ》りながら、|左右《さいう》の|部下《ぶか》を|顧《かへり》み、
『|何《なん》と、|綺麗《きれい》なものだなア。オイ、まともから|拝《をが》むと、|目《め》がマクマクするぢやないか。あれは|果《はた》して|人間《にんげん》だらうか、もし|人間《にんげん》とすればこの|間《あひだ》のやうに、|何《なん》とか|一芝居《ひとしばゐ》をして|玄真坊様《げんしんばうさま》の|岩窟《いはや》に|引張《ひつぱ》り|込《こ》まうぢやないか。さうすりやキツと|御褒美《ごほうび》に、また|甘《うま》い|酒《さけ》でもふれまつてもらうと、ままだよ。なあコリ、|貴様《きさま》どう|考《かんが》へるか』
コリ『ウン|全《まつた》くだ』
『なにが|全《まつた》くだい。|全《まつた》くでは|意味《いみ》が|分《わか》らぬぢやないか』
『ウンウン|何《なに》しろ|全《まつた》くだ。|全《まつた》く|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りたいわい。|彼奴《あいつ》ア、キツと|化衆《ばけしう》だ。|此《この》|世《よ》の|中《なか》にあんな|美人《びじん》があらう|筈《はず》がない、|相手《あひて》になるな。この|間《あひだ》の|美人《びじん》だつて|神徳《しんとく》|高《たか》き|玄真坊様《げんしんばうさま》が|何程《なんぼ》|口説《くど》いてもたらしても、お|挺《てこ》にあはないのだもの。|俺《おれ》|達《たち》のやうな|小盗児連《せうとるれん》は、まづ|相手《あひて》にならぬ|方《はう》がましだよ。いらはぬ|神《かみ》に|祟《たた》りなしだ。|何時《いつ》、|尻尾《しつぽ》を|出《だ》すか|知《し》れない、サア|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
とがやがや|立《た》ち|騒《さわ》ぐ。この|声《こゑ》にサンダーはフツと|目《め》を|覚《さ》まし、|四辺《あたり》を|見《み》れば|森《もり》の|烏《からす》はカアカアと|清《きよ》く|鳴《な》きわたり、|小鳥《ことり》はチユンチユン ジヤンジヤンと|鼓膜《こまく》を|揺《ゆ》るがせる。サンダーはショール、コリの|一隊《いつたい》に|向《む》かひ|徐《おもむろ》に|口《くち》を|開《ひら》いて、
『もし、そこに|居《を》らるる|方々《かたがた》、|物《もの》をお|尋《たづ》ね|致《いた》しますがオーラ|山《さん》の|修験者《しゆげんじや》、|玄真坊《げんしんばう》のお|住居《すまゐ》は|何処《いづこ》でございますか。|遠方《ゑんぱう》から|大杉《おほすぎ》を|見当《けんたう》に|参《まゐ》りましたが、|麓《ふもと》にかかつてより|目標《めじるし》を|見失《みうしな》ひ、|行手《ゆくて》に|悩《なや》んでをります。どうか|御案内《ごあんない》|下《くだ》さいますまいか』
ショールはこの|声《こゑ》にやつと|安心《あんしん》し、
『ヤツパリ|人間《にんげん》だ』
と|小声《こごゑ》に|囁《ささや》きながら、
『ハイ、|私《わたし》はこの|辺《へん》をうろついてゐる|泥棒《どろばう》でございますが、|玄真坊様《げんしんばうさま》の|処《ところ》へ|案内《あんない》せよと|仰有《おつしや》いますけど、|私《わたし》のやうな|悪人《あくにん》は|到底《たうてい》お|側《そば》へも|寄《よ》れませぬ。この|間《あひだ》も|玄真坊《げんしんばう》に|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》にあひ、|吾々《われわれ》|一同《いちどう》はコリコリ|致《いた》してをります。のうコリ、|痛《いた》かつたな。|又《また》もや、こんな|処《ところ》にうろついて|居《ゐ》るところを|玄真坊様《げんしんばうさま》に|見付《みつ》けられたならば、「これ|貴様《きさま》はあれほど|戒《いまし》めてゐるのに、ショールコリもせず|小盗児《せうとる》をやつてるか」と、いかいお|目玉《めだま》を|頂《いただ》いては|睾丸《きんたま》が|縮《ちぢ》み|上《あ》がります。この|道《みち》をスツと|一直線《いつちよくせん》に|三十町《さんじつちやう》ばかりお|上《あ》がりになれば、そこが|玄真坊様《げんしんばうさま》のお|館《やかた》です。|分《わか》らな、|暫《しばら》く|待《ま》つて|下《くだ》さい。もう|半時《はんとき》もすれば|沢山《たくさん》な|参詣者《さんけいしや》がここを|通《とほ》りますよ。さうすれば|一緒《いつしよ》にお|上《あ》がりになれば|御案内《ごあんない》もいりますまい』
サンダー『|泥棒《どろばう》が|泥棒《どろばう》と|名乗《なの》るのは|今《いま》が|聞《き》き|初《はじ》めだ。そんな|正直《しやうぢき》なことで|泥棒《どろばう》|渡世《とせい》が|出来《でき》るのか』
ショール『ハイ、あなたに|対《たい》してのみ、こんな|正直《しやうぢき》な|事《こと》を|申《まを》したのです。|隠《かく》したつて|貴下《あなた》のその|眼孔《がんこう》には、|直《す》ぐ|看破《かんぱ》されますからな。|大方《おほかた》お|嬢《ぢやう》さまはシーゴー|様《さま》の|修験者《しゆげんじや》に|聞《き》いてお|詣《まゐ》りになつたのでせう』
『アアさうです。|修験者《しゆげんじや》が|私《わたし》の|門前《もんぜん》を|通《とほ》り、あらたかな|神様《かみさま》があるから|詣《まゐ》れと|言《い》つて|下《くだ》さつたので、とるものも|取《と》り|敢《あ》へず|夜《よる》の|道《みち》を|急《いそ》いで、やつて|来《き》たのですよ』
『|男《をとこ》のやうな|言葉《ことば》づかひもあり、|女《をんな》のやうな|言葉《ことば》づかひもあり、|私《わたし》としては、お|前《まへ》さまの|正体《しやうたい》は|分《わか》りませぬが、あなたはそんな|事《こと》|言《い》つて|吾々《われわれ》の|行動《かうどう》を|調《しら》べてゐらつしやるのでせう。|大親分《おほおやぶん》のヨリコ|姫《ひめ》|女帝様《によていさま》でせうがな』
サンダーは……|女装《ぢよさう》をしてゐることなり、ヤツパリ|彼奴等《あいつら》は|女《をんな》と|見《み》てをる、|今《いま》ヨリコ|姫《ひめ》|女帝《によてい》と|言《い》うたのは|何《なに》か|山賊《さんぞく》の|親分《おやぶん》の|名《な》かも|知《し》れない。ああいふ|木端盗人《こつぱぬすと》は|親分《おやぶん》の|顔《かほ》を|見《み》ることの|出来《でき》ないものだ。キツと|数千《すうせん》の|団体《だんたい》を|抱《かか》へてゐる|大親分《おほおやぶん》だらう。|此奴《こいつ》を|一《ひと》つ|計略《けいりやく》にかけ、|疲《つか》れた|足《あし》を|歩《あゆ》むのを|助《たす》かるため|舁《かつ》がして|上《あが》つて|見《み》やうかな……と|俄《には》かに|大胆《だいたん》な|心《こころ》を|起《おこ》しワザとおチヨボ|口《ぐち》をしながら、
『オホホホホ、お|前《まへ》は|妾《わらは》の|乾児《こぶん》と|見《み》えるな、お|前《まへ》の|察《さつ》し|通《どほ》りヨリコ|姫《ひめ》|女帝《によてい》だよ。|玄真坊《げんしんばう》さまのお|側《そば》へ|案内《あんない》してくれや。|妾《わらは》の|体《からだ》を|大切《たいせつ》に、|荒男《あらをとこ》がよつてこの|坂道《さかみち》を|舁《か》き|上《あ》げるのだよ。サア|御褒美《ごほうび》にこれを|与《あ》げよう』
と|懐《ふところ》より|小判《こばん》をとり|出《だ》し、ばらばらと|大地《だいち》に|投《な》げつけた、|小盗児連《せうとるれん》は|先《さき》を|争《あらそ》うて|拾《ひろ》ひ|懐《ふところ》に|捻《ね》ぢ|込《こ》み、サンダーを|大親分《おほおやぶん》と|思《おも》ひ、お|手車《てぐるま》に|乗《の》せて、きついきつい|赤土《あかつち》の|滑《すべ》る|坂道《さかみち》を|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しながら|大杉《おほすぎ》の|下《した》、|玄真坊《げんしんばう》が|所在《ありか》へと|送《おく》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 北村隆光録)
第一三章 |恋《こひ》の|懸嘴《かけはし》〔一六九五〕
サンダーは、|泥棒《どろばう》の|小頭《こがしら》ショール、コリなどの|連中《れんちう》に|手車《てぐるま》に|乗《の》せられ、|約《やく》|一里《いちり》ばかりの|坂道《さかみち》を|送《おく》られて|大杉《おほすぎ》の|麓《ふもと》の|玄真坊《げんしんばう》の|館《やかた》の|前《まへ》についた。|玄真坊《げんしんばう》はコリ、ショールに|目配《めくば》せすれば、|態《わざ》とに|驚《おどろ》いたやうな|顔《かほ》をして、|屋根《やね》から【バラス】をぶちあけたやうにバラバラと|坂道《さかみち》を|倒《こ》けつ|転《まろ》びつ|逃《に》げて|往《ゆ》く。|玄真坊《げんしんばう》は|其所《そこ》に|立《た》つてゐるサンダーの|美貌《びばう》に|見惚《みと》れながら|態《わざ》と|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして、
『アハハハハ、|小泥棒《こどろぼう》|奴《め》、この|玄真坊《げんしんばう》が|法力《ほふりき》に|恐《おそ》れ、|睨《にら》みに|会《あ》うて|驚愕《きやうがく》し|蜘蛛《くも》の|子《こ》を|散《ち》らすが|如《ごと》くに|逃《に》げよつた、アハハハハ。てもさても|困《こま》つた|奴《やつ》どもだなア。や、そこにござるお|女中《ぢよちう》、そなたは|彼等《かれら》のために|拐《かどは》かされ|此所《ここ》まで|担《かつ》がれて|来《き》たやうだが、まづまづ|結構《けつこう》、|玄真坊《げんしんばう》の|威力《ゐりよく》と|法力《ほふりき》により|小泥棒《こどろぼう》どもは|其方《そなた》に|暴力《ばうりよく》を|加《くは》ふることもせず|逃《に》げ|去《さ》つたのは、|全《まつた》く|吾《わ》が|法力《ほふりき》のいたすところ、サアサア|奥《おく》へお|入《はい》りなさい』
サンダー『|初《はじ》めてお|目《め》にかかります。|私《わたし》はサンダーと|申《まを》すこの|村《むら》の|里庄《りしやう》の|娘《むすめ》でございますが、|玄真坊様《げんしんばうさま》とやらいふ|活神様《いきがみさま》が|当山《たうざん》に|天降《あまくだ》りたまひ、あらゆる|万民《ばんみん》の|困難《こんなん》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さると|聞《き》き、|父母《ふぼ》の|目《め》を|忍《しの》び|信仰《しんかう》のため|夜《よ》の|道《みち》をトボトボ|参《まゐ》りました|所《ところ》、|何《なん》と|申《まを》しても|病気《びやうき》に|難《なや》む|身《み》の|上《うへ》、|足《あし》の|運《はこ》びも|思《おも》ひにまかせず、|当山《たうざん》の|麓《ふもと》において|夜《よ》が|明《あ》けました。|踏《ふみ》も|習《なら》はぬ|孱弱《かよわ》き|女《をんな》の|足並《あしな》み、グツタリと|疲《つか》れはて、|進退《しんたい》|谷《きは》まつて|路傍《ろばう》の|石《いし》の|上《うへ》に|息《いき》を|休《やす》め、うつらうつらと|居眠《ゐねむ》るをりしも、|盗人《ぬすびと》の|群《むれ》だといつて|現《あら》はれた|十五六人《じふごろくにん》の|男《をとこ》、|私《わたし》に|向《む》かつていふやう、「そなたは|吾々《われわれ》の|親分《おやぶん》ヨリコ|姫《ひめ》の|女帝様《によていさま》ぢやないか」とかう|申《まを》しましたので、|何事《なにごと》か|分《わか》りませぬがつい|諾《うな》づいたところ、|私《わたし》を|大勢《おほぜい》の|者《もの》が|舁《か》ついで|此処《ここ》まで|連《つ》れて|来《き》て|下《くだ》さつたのですよ、どうか|玄真坊様《げんしんばうさま》に|一目《ひとめ》|会《あ》はして|下《くだ》さいませぬか』
|玄真《げんしん》『|貴女《あなた》のお|尋《たづ》ねなさる|玄真坊《げんしんばう》と|申《まを》すは|拙僧《せつそう》でござる。|女《をんな》の|孱弱《かよわ》き|身《み》をもつて、ようまあ|一人《ひとり》|御参詣《ごさんけい》が|出来《でき》ました、さぞお|疲《つか》れでせう。どうか|私《わたし》の|居間《ゐま》にゆつくりと、おくつろぎなさいませ』
『ハア、|貴方様《あなたさま》が|噂《うはさ》に|高《たか》き|活神様《いきがみさま》、あの、|玄真坊様《げんしんばうさま》でございましたか。えらい|失礼《しつれい》をいたしました』
『アハハハハ。やがて|沢山《たくさん》の|老若男女《ろうにやくなんによ》が|参拝《さんぱい》する|時刻《じこく》だから、|私《わたくし》もこれから|忙《いそ》がしいが、それまでに|御用《ごよう》の|趣《おもむ》きを|聞《き》かう。まづ|私《わたくし》の|居間《ゐま》にお|出《い》でなさい』
『ハイ|有難《ありがた》うございます』
と、サンダーは|立派《りつぱ》な|岩窟《いはや》の|中《なか》に|姿《すがた》を|没《ぼつ》した。|室内《しつない》には|経机《きやうづくゑ》が|一脚《いつきやく》きちんと|据《す》ゑられ|二三冊《にさんさつ》の|金《きん》で|縁《へり》を|取《と》つた|経書《きやうしよ》が|行儀《ぎやうぎ》よく|飾《かざ》られてある。|一方《いつぱう》の|隅《すみ》には|払子《ほつす》や|独鈷《どくこ》、|金椀《かなわん》などの|仏具《ぶつぐ》が|飾《かざ》つてあつた。|玄真坊《げんしんばう》は|一種《いつしゆ》の|色情狂《しきじやうきやう》である。|三年間《さんねんかん》|添《そ》うて|来《き》たヨリコ|姫《ひめ》には|見放《みはな》され、その|情《なさ》けによつて|僅《わづ》かに|二《に》の|弟子《でし》となり、いささか|不平《ふへい》な|月日《つきひ》を|送《おく》つてゐた。そこで|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》スガコを|甘《うま》く|誤魔化《ごまくわ》し、|一室《いつしつ》に|閉《と》じ|込《こ》めて、|吾《わ》が|慾望《よくばう》を|達《たつ》せむと、|暇《いとま》あるごとに|口説立《くどきた》つれど、|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かばこそ、|何時《いつ》も|肱鉄《ひじてつ》や|後足砲《あとあしはう》の|乱射《らんしや》を|受《う》け、|意気《いき》|消沈《せうちん》してゐた。その|矢先《やさき》ヨリコ|姫《ひめ》よりもスガコよりも|幾層倍《いくそうばい》|増《ま》した、|天稟《てんぴん》の|美貌《びばう》を|有《いう》するサンダーが|訪《たづ》ねて|来《き》たので、これ|幸《さいは》ひ|天《てん》の|与《あた》へと|雀躍《こをどり》し、この|度《たび》こそはあらゆる|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》して|戦《たたか》ひ、|天晴《あつぱ》れ|勝利《しようり》の|月桂冠《げつけいくわん》を|得《え》むものと|固唾《かたづ》を|呑《の》んで|力《りき》みかへり、わざとやさしき|声《こゑ》にて、
『そなたはサンダーとか|言《い》つたね。|当山《たうざん》へ|女《をんな》の|身《み》として|唯《ただ》|一人《ひとり》|物騒《ぶつそう》な|夜《よる》の|路《みち》を|参詣《さんけい》して|来《く》るについては|何《なに》か|深《ふか》い|仔細《しさい》があるであらう。|三千世界《さんぜんせかい》の|一切《いつさい》を|救《すく》ふ|私《わたし》は|救世主《きうせいしゆ》だから、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》なく|願《ねが》ひ|事《ごと》はお|話《はな》しなさい。|如何《いか》なる|事《こと》も|貴女《あなた》の|願《ねが》ひは|聞《き》き|届《とど》けてあげるから』
サンダー『ハイ、|仁慈《じんじ》の|籠《こも》つたそのお|言葉《ことば》|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|私《わたくし》には|一人《ひとり》の|妹《いもうと》がございまして、その|妹《いもうと》が|行方不明《ゆくへふめい》となりましたので、いろいろと|手《て》を|廻《まは》し|下僕共《しもべども》や|村人《むらびと》に|捜索《そうさく》してもらひましたが、|何《ど》うしても|所在《ありか》が|分《わか》りませぬ。|承《うけたまは》りますれば、|貴方様《あなたさま》は|天《てん》からお|下《くだ》り|遊《あそ》ばし、|万民《ばんみん》をお|助《たす》け|下《くだ》さるとのこと、それゆゑ|妹《いもうと》の|所在《ありか》もお|尋《たづ》ね|申《まを》せば|教《をし》へて|下《くだ》さると|思《おも》ひ、|失礼《しつれい》ですけれど、お|尋《たづ》ねに|参《まゐ》つた|次第《しだい》でございます』
と、どこまでも|女《をんな》になり|済《す》ましてゐる。さうして……この|活神《いきがみ》が|自分《じぶん》の|男《をとこ》だといふことを|看破《かんぱ》せないやうなら|山子坊子《やまこばうず》だ、|売僧《まいす》だ。これやどこまでも|一《ひと》つ、|女《をんな》に|化《ば》けすましてをらねばならぬ……と、|思案《しあん》をしてゐたのである。|玄真坊《げんしんばう》は|細《ほそ》い【まぶい】やうな|目《め》をしてサンダーの|顔《かほ》をヂロリヂロリと|見《み》るその|気分《きぶん》の|悪《わる》さ。されどサンダーは……もしや|吾《わ》が|恋《こひ》するスガコ|姫《ひめ》がこの|坊主等《ばうずら》のために|計《はか》られて、どこかに|隠《かく》されてゐるのではあるまいか……といふ|気《き》が、|咄嗟《とつさ》の|中《うち》に|起《おこ》つたので、あくまで|女《をんな》でやり|通《とほ》さうと|考《かんが》へた。|玄真坊《げんしんばう》はまた、サンダーを|天成《てんせい》の|女《をんな》と|思《おも》ひ|込《こ》み、|夢《ゆめ》にも|男《をとこ》などとは|気付《きづ》かなかつたのである。
『あの|修験者様《しゆげんじやさま》、|私《わたし》は|妹《いもうと》に|会《あ》ひたさにお|願《ねが》ひに|参《まゐ》つたのでございますが、どうでせう、|遇《あ》はしていただくことは|出来《でき》ますまいか。|私《わたし》の|妹《いもうと》の|名《な》はスガコと|申《まを》しまして|年《とし》は|十八《じふはち》、この|妹《いもうと》に|遇《あ》はしてさへ|頂《いただ》けば、|私《わたし》はどんな|御用《ごよう》でも|否《いな》みませぬ』
|玄真坊《げんしんばう》は、スガコがこの|女《をんな》の|妹《いもうと》だと|聞《き》いて、|胸《むね》に|動悸《どうき》を|打《う》たせ|些《すこ》しは|驚《おどろ》いたが、|元来《ぐわんらい》の|曲者《くせもの》、|轟《とどろ》く|胸《むね》をグツと|押《おさ》へ|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して、
『アアお|前《まへ》の|妹《いもうと》はスガコといふのかな。ウン|会《あ》はしてやらう。しかしながら|先《ま》づ|妹《いもうと》に|会《あ》はすについて、|私《わし》にも|交換的《かうくわんてき》にお|前《まへ》に|相談《さうだん》がある。それを|聞《き》いてさへ|呉《く》れれば|法力《ほふりき》をもつてスガコ|姫《ひめ》を|此処《ここ》に|引《ひ》き|寄《よ》せ、|姉妹《きやうだい》の|対面《たいめん》をさして|上《あ》げませう』
サンダーは、いよいよ|此奴《こいつ》|売僧《まいす》と|見《み》て|取《と》つたので、ますます|空呆《そらとぼ》け、
『|師《し》の|君様《きみさま》、どんな|御用《ごよう》でございますか。|私《わたし》の|身《み》に|叶《かな》ふ|事《こと》ならば、|何《なん》なりと|仰《おほ》せつけ|下《くだ》さいませ』
|玄真《げんしん》『ヨシヨシ、そんなら|私《わし》の|方《はう》から|提案《ていあん》を|持《も》ち|出《だ》さう。|外《ほか》でもない、|拙僧《せつそう》は|天《てん》の|命《めい》を|受《う》け、|天下救済《てんかきうさい》のためにこの|聖地《せいち》に|降《くだ》つた|者《もの》だ。それについては、|最奥第一霊国《さいあうだいいちれいごく》の|月《つき》の|大神様《おほかみさま》より、|今朝《こんてう》|神勅《しんちよく》が|下《くだ》り、|今《いま》より|半時《はんとき》の|後《のち》|汝《なんぢ》に|天成《てんせい》の|美人《びじん》を|与《あた》ふる。その|美人《びじん》こそ|最奥第一天国《さいあうだいいちてんごく》の|姫神《ひめがみ》、|玉野姫《たまのひめ》|様《さま》の|御化身《ごけしん》だ。その|方《かた》と|時《とき》を|移《うつ》さず|夫婦《ふうふ》となり、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》せよとの|思召《おぼしめ》しでござつた。そなたも|知《し》らるる|通《とほ》り、|拙僧《せつそう》は|修験者《しゆげんじや》の|身《み》の|上《うへ》、|女房《にようばう》を|持《も》つとは、|実《じつ》に|古来《こらい》の|旧慣《きうくわん》を|破《やぶ》るに|似《に》たれども、|日進月歩《につしんげつぽ》、|百度維新《ひやくどゐしん》の|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》、|神界《しんかい》の|規則《きそく》も|変《かは》つたと|見《み》え、まづ|拙僧《せつそう》より|天下《てんか》に|模範《もはん》を|示《しめ》すべく、|霊魂《みたま》の|合《あ》うた|夫婦《ふうふ》を|命《めい》ぜられたのです。お|前《まへ》さまが|俄《には》かに|此処《ここ》へ|参《まゐ》つて|来《き》たくなつたのも、お|前《まへ》さまに|守護《しゆご》してござる、|玉野姫《たまのひめ》さまの|精霊《せいれい》が|導《みちび》いてござつたのですよ。お|前《まへ》さまも|若《わか》い|身《み》をもつて、|年《とし》の|違《ちが》ふ|拙僧《せつそう》と|夫婦《ふうふ》となる|事《こと》は、さぞ|驚《おどろ》くでせう。しかしながら|天《てん》の|命《めい》は|拒《こば》むべからず。サンダーさま、|分《わか》りましたかな』
サンダーはあまりの|可笑《をか》しさに、|吹《ふ》き|出《だ》すばかり|思《おも》はれるのをグツとこらへ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|笑《ゑみ》を|含《ふく》みながら、
『|何事《なにごと》の|御用《ごよう》かと|思《おも》ひましたら|思《おも》ひもかけぬ|神縁《しんえん》の|御説明《ごせつめい》、|妾《わらは》のごとき|汚《けが》れた|肉体《にくたい》がどうして、|尊《たふと》き|御身《おんみ》の|妻《つま》となる|事《こと》が|出来《でき》ませう。そんな|御冗談《ごじやうだん》はやめて|下《くだ》さい、どうしても|妾《わらは》は|信《しん》ずる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|玄真坊《げんしんばう》はここぞ|一生懸命《いつしやうけんめい》と、|全身《ぜんしん》の|智勇《ちゆう》を|推倒《すゐたう》し|熱血《ねつけつ》をそそいで、|身体《しんたい》を|前《まへ》に|乗《の》りだし、サンダーの|手《て》をグツと|握《にぎ》つて|二《ふた》つ|三《み》つ|揺《ゆ》すり、
『これこれお|嬢《ぢやう》さま、|御不思議《ごふしぎ》は|尤《もつと》もながら、|決《けつ》して|神《かみ》に|偽《いつは》りはありませぬよ。あなたは|妹《いもうと》にも|会《あ》ひ、また|神界《しんかい》における|誠《まこと》の|夫《をつと》に|遇《あ》ふ|事《こと》が|出来《でき》るのですから、こんな|幸福《かうふく》はありますまい。あなたが|天《てん》の|命《めい》に|従《したが》つて、|私《わたくし》の|妻《つま》にお|成《な》りなさるのなら|屹度《きつと》|神様《かみさま》はお|妹《いもうと》に|遇《あ》はして|下《くだ》さらうし、また|貴女《あなた》が|神様《かみさま》の|思召《おぼしめ》しに|背《そむ》き、|拙僧《せつそう》が|妻《つま》となるのを|否《いな》まるるに|於《おい》ては、|神様《かみさま》もお|妹御《いもうとご》に|会《あ》はしては|下《くだ》さいますまい。サア、ここが|思案《しあん》の|仕処《しどころ》だ、よい|返事《へんじ》をするがよいぞや』
『|不束《ふつか》なる、|繊弱《かよわ》き|経験《けいけん》なき|妾《わらは》に|対《たい》し、|神様《かみさま》か|何《なに》か|知《し》りませぬが、|有難《ありがた》い|思召《おぼしめ》しをおかけ|下《くだ》さいますのは|冥加《みやうが》にあまつて|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。しかしながら|妾《わらは》は|妹《いもうと》に|先《さき》に|会《あ》はしてもらはねば、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|御命令《ごめいれい》に|従《したが》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|信仰《しんかう》の|浅《あさ》き|吾々《われわれ》、まだ|貴方様《あなたさま》に|対《たい》して|神様《かみさま》の|御化身《ごけしん》とも|信《しん》ずる|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。それゆゑ|絶対的《ぜつたいてき》|服従《ふくじう》も|出来《でき》ないのでございます。しかしながら|今《いま》|逢《あ》つてお|目《め》にかかつたばかりの|私《わたくし》、|不思議《ふしぎ》の|御神徳《ごしんとく》も|見《み》せてもらはないのですから、|疑《うたが》つて|済《す》みませぬが、どうかそこは|大目《おほめ》に|見《み》て|下《くだ》さいませ』
『|今《いま》まで|神《かみ》のかの|字《じ》も|知《し》らなかつたお|前《まへ》さまだもの、|早速《さつそく》に|信用《しんよう》できないのも|無理《むり》とは|言《い》はぬ。しかしながら、ここまで|大勢《おほぜい》の|人《ひと》が|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》き、|随喜《ずゐき》|渇仰《かつかう》してゐるのだから、そこはそれ、|神《かみ》か|神《かみ》でないか|賢明《けんめい》なる|其女《そなた》、|推察《すいさつ》したがよからうぞ』
『どうしてもスガコ|姫《ひめ》に|会《あ》はしては|下《くだ》さいませぬか』
『|天《てん》の|命《めい》を|聞《き》かない|其女《そなた》には|会《あ》はす|事《こと》は|絶対《ぜつたい》に|出来《でき》ない。|妹《いもうと》に|会《あ》ひたくば|神《かみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|拙僧《せつそう》と|夫婦《ふうふ》になりますか。|拙僧《せつそう》だとて、|年《とし》が|寄《よ》つてから|女房《にようばう》なんか|持《も》つのは|迷惑《めいわく》だが、|天《てん》の|命《めい》には|背《そむ》き|難《がた》く、|国家《こくか》|万民《ばんみん》のため、|今《いま》まで|汚《けが》した|事《こと》のない|清浄無垢《しやうじやうむく》のこの|体《からだ》を|犠牲《ぎせい》に|供《きよう》するのだ。|未来《みらい》のキリストとやらも|十字架《じふじか》を|背《せ》おつて|万民《ばんみん》を|救《すく》つたぢやないか、そなたも|世《よ》のために|犠牲《ぎせい》になる|誠心《まごころ》はないか。それでは|最奥第一《さいあうだいいち》の|天国《てんごく》|玉野姫《たまのひめ》の|御霊《みたま》とは|申《まを》されませぬぞ』
『|妾《わらは》は|玉野姫《たまのひめ》の|御霊《みたま》であらうが、|狸姫《たぬきひめ》の|御霊《みたま》であらうが、|霊界《れいかい》のことは|些《すこ》しも|意《い》に|介《かい》しませぬ。ただただ|貴方様《あなたさま》の|御神徳《ごしんとく》によつて、|妹《いもうと》に|遇《あ》はして|下《くだ》さいますれば、それで|満足《まんぞく》でございます。どうしても|会《あ》はして|下《くだ》さらぬなら、|是非《ぜひ》がありませぬ、|仰《おほ》せに|従《したが》つて|貴方《あなた》の|妻《つま》になりませう。しかしながら|妾《わたし》は|大切《たいせつ》な|生《うみ》の|母《はは》に|別《わか》れてから|僅《わづ》かに|六ケ月《ろくかげつ》、|忌中《きちう》の|身《み》でございますから、|一年《いちねん》|結婚式《けつこんしき》をお|延《の》ばし|下《くだ》さい。それをお|許《ゆる》し|下《くだ》さればこの|身体《からだ》を|神様《かみさま》に|差《さ》し|上《あ》げます。いな|貴方《あなた》の|御自由《ごじいう》に|任《まか》します』
『ア|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|満足々々《まんぞくまんぞく》。しかしサンダー|姫様《ひめさま》、いや|女房殿《にようばうどの》、さう|固苦《かたくる》しく|一年《いちねん》も|待《ま》たないでも|好《よ》いぢやないか。|天《てん》の|神様《かみさま》のお|許《ゆる》しだもの、|世《よ》は|禁厭《まじなひ》といつて|形《かた》さへすればよいのだ。もう|六ケ月《ろくかげつ》も|暮《く》れたのだから、そんなにせなくても|好《よ》からう。この|夫《をつと》に|任《まか》しておいたらよろしからう。なア、サンダー|姫《ひめ》』
と、|声《こゑ》の|色《いろ》までかへて|背《せ》を|撫《な》でるその|嫌《いや》らしさ。
『もし、|玄真坊様《げんしんばうさま》、あなたの|妻《つま》になる|事《こと》を|約《やく》しました|以上《いじやう》は、|早晩《さうばん》|結婚《けつこん》を|致《いた》さねばなりますまい。どうか|一時《いちじ》も|早《はや》く|妹《いもうと》に|一目《ひとめ》|会《あ》はして|下《くだ》さいませぬか、きつと|最愛《さいあい》の|妻《つま》の|願《ねが》ひ|事《ごと》、|聞《き》いて|下《くだ》さらないやうな|夫《をつと》ではございますまいなア』
『ウム、|会《あ》はしてやりたいは|山々《やまやま》なれど、|実《じつ》のところはスガコ|姫《ひめ》は、ちよつと|俺《おれ》に|関係《くわんけい》があるのだ。それだから|第一夫人《だいいちふじん》と、|第二夫人《だいにふじん》が|目《め》をむき|合《あ》ひ|胸倉《むなぐら》の|掴《つか》み|合《あ》ひをせられては、|俺《おれ》も|一寸《ちよつと》|困《こま》るから|会《あ》はさないと|言《い》ふのだ。|会《あ》はしても、よもや|嫉妬《しつと》は|致《いた》すまいな。|嫉妬《しつと》さへ|無《な》くば|何時《いつ》でも|会《あ》はしてやらう』
『ハイ、|有難《ありがた》うございます。|何《なん》といつても|元《もと》が|姉妹《きやうだい》ですもの、|何《なに》、|嫉妬《しつと》なんかしますものか。たとへ|妹《いもうと》が|気儘《きまま》な|事《こと》を|申《まを》しましても、|私《わたし》が|仲裁《ちうさい》をいたし|貴方様《あなたさま》の|御意《おこころ》に|添《そ》ふやう、|取計《とりはか》らつて|上《あ》げますわ』
『エヘヘヘヘ、|何《なん》でもお|前《まへ》は|姉《あね》の|権力《けんりよく》をもつて、|妹《いもうと》を|説《と》き|付《つ》けてくれると|言《い》ふのか、それは|結構《けつこう》だ。|実《じつ》のところは|吾《わ》が|女房《にようばう》とはいふものの、スガコは、|辷《すべ》つたの、|転《ころ》んだのというて、まだ|吾《わ》が|要求《えうきう》に|応《おう》ぜないのだ。しかし|其方《そなた》はスガコに|比《くら》ぶれば|幾層倍《いくそうばい》の|美人《びじん》だ、|其方《そなた》の|顔《かほ》を|見《み》てから、スガコに|対《たい》する|恋着心《れんちやくしん》もどこかへ|往《い》つてしまつたやうだ』
『|可哀《かはい》さうに、そんな|水臭《みづくさ》い|事《こと》を|仰《おほ》せられますと|妹《いもうと》が|泣《な》きますよ。ほんに|水臭《みづくさ》い|旦那様《だんなさま》だこと。|妾《わらは》だつてまた|妾《わらは》に|勝《まさ》る|美人《びじん》が|見《み》つかつた|時《とき》は、キツと|又《また》さう|仰有《おつしや》るでせう。そんなことを|思《おも》うと|憎《にく》らしくなつて|来《き》ましたわ』
と、|玄真坊《げんしんばう》の|鼻《はな》を|思《おも》ふざま|捻《ね》ぢ|上《あ》げた。|玄真坊《げんしんばう》は|現《うつつ》になつてゐるのだから、|眼《め》から|涙《なみだ》が|出《で》るところまで|鼻《はな》を|捻《ね》ぢ|上《あ》げられながら、サンダーが|惚《ほ》れてゐるのだと|思《おも》ひ|垂涎《よだれ》と|涙《なみだ》を|一緒《いつしよ》に|垂《た》らし、
『オイ、サンダー|姫《ひめ》、|何《なに》をするのだ。ほんに|痛《いた》い|目《め》に|会《あ》はすぢやないか』
『それやさうですとも、|可愛《かあい》さ|剰《あま》つて|憎《にく》さが|百倍《ひやくばい》ですよ。|早《はや》く|妹《いもうと》に|会《あ》ひたいものだなア。|妹《いもうと》に|会《あ》つて|思《おも》ふ|存分《ぞんぶん》|鼻《はな》が|抓《つめ》つて|見《み》たいわ』
『スガコだつて、さう|鼻《はな》を|抓《つま》んでは|可哀《かあい》さうだよ。どうか|可愛《かあい》がつてやつて|呉《く》れ。さうして|悋気《りんき》をしないやうにのう』
『なに、あなた|悋気《りんき》をしてなりますものか。|一方《いつぱう》は|可愛《かあい》い|可愛《かあい》い|夫《をつと》、|一方《いつぱう》は|可愛《かあい》い|可愛《かあい》い|妹《いもうと》ですもの、その|可愛《かあい》い|妹《いもうと》を|慰《なぐさ》めて|下《くだ》さる|夫《をつと》はなほさら|可愛《かあい》いなり、また|可愛《かあい》い|夫《をつと》を|慰《なぐさ》めてくれる|妹《いもうと》はなほなほ|可愛《かあい》いぢやありませぬか』
『なるほど|貴女《そなた》は|開《ひら》けたものだ。|天晴《あつぱ》れの|女丈夫《ぢよぢやうぶ》だ。|愛《あい》の|三角関係《さんかくくわんけい》と|言《い》へば|三方《さんぽう》に|角《かど》の|立《た》つて|居《ゐ》るものだが、お|前《まへ》のやうに|出《で》てくれれば|三角関係《さんかくくわんけい》も|円満具足《ゑんまんぐそく》、|望月《もちづき》のやうな|立派《りつぱ》な|家庭《かてい》が|営《いとな》まれるであらう。ヤ、|目出度《めでた》い|目出度《めでた》い』
『|杵《きね》|一本《いつぽん》に|臼《うす》|二挺《にちやう》、これさへあれや|立派《りつぱ》な|餅《もち》が|搗《つ》けませう。
このよをば|吾《わ》が|世《よ》ぞと|思《おも》ふ|望月《もちづき》の
|虧《か》けたる|事《こと》のなしと|思《おも》へば
とかいふ|歌《うた》の|通《とほ》り、|円満《ゑんまん》なホームを|作《つく》つて|楽《たの》しみませうよ。アア|早《はや》く|妹《いもうと》に|会《あ》ひたいものだなア』
(大正一三・一二・一六 旧一一・二〇 於祥雲閣 加藤明子録)
第一四章 |相生松風《あひおひまつかぜ》〔一六九六〕
サンダー、スガコの|両人《りやうにん》は|玄真坊《げんしんばう》の|要求《えうきう》を|何《なん》とか|彼《か》とか|言《い》つて、ハツキリと|承諾《しようだく》せぬので、|玄真坊《げんしんばう》もやや|自暴自棄気味《やけぎみ》になり、モウこの|上《うへ》は|食責《しよくぜ》めに|会《あ》はして、|往生《わうじやう》させ|吾《わ》が|意志《いし》に|従《したが》はしめむと|厳重《げんぢう》な|錠前《ぢやうまへ》をおろし、|両人《りやうにん》を|取《と》り|込《こ》めておいた。|二人《ふたり》は|相思《さうし》の|間柄《あひだがら》とて、かかる|岩窟《がんくつ》に|食物《しよくもつ》も|与《あた》へられず|閉《と》ぢ|込《こ》められても|余《あま》り|苦《くる》しいとは|思《おも》はず、|恋《こひ》しき|人《ひと》に|会《あ》はれたのをば|唯一《ゆゐいつ》の|楽《たの》しみとして、いろいろの|話《はなし》を|交換《かうくわん》してゐた。
スガコ『サンダーさま、あなたは|何《ど》うしてまたかやうな|所《ところ》へ|捕《とら》はれてお|出《い》でになりましたの』
サンダー『お|前《まへ》の|行方《ゆくへ》が|分《わか》らなくなつたものだから、それが|心配《しんぱい》になり、|一時《いちじ》は|憂欝症《いううつしやう》に|陥《おちい》り、|自分《じぶん》も|今度《こんど》は|到底《たうてい》|命《いのち》はないだらうと|思《おも》つたくらゐ|苦《くる》しんだのです。|医者《いしや》はたうてい|駄目《だめ》だといふなり、|両親《りやうしん》は|心配《しんぱい》するなり、よくよく|其方《そなた》とは|縁《えん》のないものだと|諦《あきら》めながら、どうしても|思《おも》ひ|切《き》れぬ|恋《こひ》の|暗《やみ》に|包《つつ》まれて、|日夜《にちや》|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》をつづけてをりました。しかるにオーラ|山《さん》の|修験者《しゆげんじや》だとかいつて、|白髪異様《はくはついやう》の|老人《らうじん》が|吾《わ》が|門前《もんぜん》を|通《とほ》り、いろいろの|効能書《かうのうがき》を|並《なら》べ|立《た》てたものだから、|一時《いちじ》は|怪《あや》しみもしたが、なにぶん|恋《こひ》に|心《こころ》を|奪《うば》はれた|弱味《よわみ》で、|神徳《しんとく》によつて|其方《そなた》の|所在《ありか》を|知《し》らして|貰《もら》はむと|両親《りやうしん》の|目《め》を|忍《しの》び、|夜《よる》の|路《みち》をやつて|来《き》たところ、|玄真坊《げんしんばう》の|使《つか》つてゐる|手下《てした》の|小盗人《こぬすと》どもとみえ、|自分《じぶん》を|巧《うま》く|担《かつ》いで、この|岩窟《がんくつ》に|連《つ》れて|来《き》たのですよ。しかし|今日《けふ》は|恋《こひ》しい|其方《そなた》に|会《あ》うて、|何《なん》とも|知《し》れぬ|喜《よろこ》びです。もはや|此処《ここ》で|私《わたし》は|死《し》んでも|満足《まんぞく》です』
と|言《い》ひながら|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ふ。
スガコ『|妾《わらは》のやうな|者《もの》でも、ようそこまで|思《おも》つて|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》うございます。あなたはトルマン|国《ごく》|切《き》つての|美男子《びだんし》、|両親《りやうしん》の|許嫁《いひなづけ》とは|言《い》ひながら、|到底《たうてい》|妾《わらは》のごとき|者《もの》を、まさかの|時《とき》には|相手《あひて》にしては|下《くだ》さるまいと|思《おも》ひまして、|平素《へいそ》から|諦《あきら》めてをりました。それだけ|貴郎《あなた》に|篤《あつ》いお|恵《めぐ》みがあるとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|時々《ときどき》|貴郎《あなた》をお|怨《うら》み|申《まを》して|暮《くら》して|来《き》ました|妾《わらは》の|罪《つみ》、どうぞお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
サンダー『ともかく|相思《さうし》の|男女《だんぢよ》が、かやうな|所《ところ》で|会《あ》はうとは、|実《じつ》に|奇縁《きえん》です。|玄真坊《げんしんばう》のいつたのには、|両人《りやうにん》とも|自分《じぶん》のいふことを|聞《き》かねば|食責《しよくぜ》めにするとのこと、たとへ|食責《しよくぜ》めに|会《あ》うても、|恋《こひ》しい|其方《そなた》に|会《あ》うた|以上《いじやう》は、|互《たが》ひに|手《て》を|取《と》り、|真《まこと》の|神《かみ》のまします|天国《てんごく》の|旅行《りよかう》を|神《かみ》に|祈《いの》りませう。|最早《もはや》それより|吾々《われわれ》は|開《ひら》くべき|道《みち》はありませぬからなア』
『ご|尤《もつと》もでございます。|三途《せうづ》の|川《かは》も|死出《しで》の|山《やま》も、|天《あめ》の|八衢《やちまた》も、あなたと|一緒《いつしよ》に|参《まゐ》りますならば、|何《なん》の|苦《くる》しみもございませぬ。どうか|一時《いつとき》も|早《はや》く|此《この》|世《よ》を|去《さ》りたいものでございます。アア|一人《ひとり》の|父上《ちちうへ》を|後《あと》に|遺《のこ》し|先立《さきだ》ちまする|不孝《ふかう》の|罪《つみ》、どうぞ|赦《ゆる》して|下《くだ》さいませ』
と|死《し》ぬ|覚悟《かくご》を|決《き》めたスガコはホロリと|涙《なみだ》を|膝《ひざ》の|上《うへ》に|落《お》とした。
『かうなれば、|互《たが》ひに|覚悟《かくご》をいたしませう。|此《この》|世《よ》の|別《わか》れに|臨《のぞ》み、|歌《うた》でも|詠《よ》んで|潔《いさぎよ》く|死期《しき》を|待《ま》ちませう』
『ハイ、|現世《げんせ》の|名残《なごり》に|妾《わらは》も|歌《うた》を|詠《よ》まして|頂《いただ》きませう、まづ|貴郎《あなた》からお|聞《き》かせ|下《くだ》さいませ』
サンダー『|天《てん》は|蒼々《さうさう》として|高《たか》し
|地《ち》は|漠々《ばくばく》として|限《かぎ》りなく|広《ひろ》し
アア|吾《われ》は
|天地《てんち》の|御子《みこ》として
|明暗《めいあん》ゆき|交《か》ふ
うつし|世《よ》の|人《ひと》と|生《うま》れ|来《き》ぬ
|幸《かう》か|不幸《ふかう》か
|里庄《りしやう》の|家《いへ》の|子《こ》となり
|年《とし》|若《わか》くして|未《いま》だ|世情《せじやう》に|通《つう》ぜず
|艱苦《かんく》の|味《あぢ》はひを|知《し》らず
|漸《やうや》く|十八才《じふはつさい》の|春《はる》を|迎《むか》へて
|恋海《れんかい》の|浪《なみ》に|漂《ただよ》ひ
|激浪《げきらう》|怒濤《どたう》に|呑《の》まれ
|舟《ふね》|将《まさ》に|覆《くつが》へらむとす
アア|如何《いか》にせむ
あが|恋《こ》ふる
|玉《たま》の|舟《ふね》の
|渦巻《うづま》く|波《なみ》に|翻弄《ほんろう》されて
|今《いま》は|何処《いづく》の|空《そら》に|彷徨《さまよ》ふか
|探《さぐ》り|当《あ》てむと|朝夕《あさゆふ》に
|天《てん》に|訴《うつた》へ|地《ち》に|哭《こく》し
|心《こころ》は|千々《ちぢ》にかき|乱《みだ》れて
|身体《しんたい》|日《ひ》に|夜《よ》に|細《ほそ》りゆく
|恋《こひ》に|悩《なや》みし|心《こころ》の|苦《くる》しさ
いかに|艱苦《かんく》の|世《よ》とはいへ
|吾《わ》が|身《み》にふりかかりし
|恋《こひ》のなやみの
|激《はげ》しきには|及《およ》ばむや
アア|如何《いか》にせむ
なれが|命《みこと》の|行方《ゆくへ》をと
|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》に|心《こころ》を|移《うつ》し
あるひは|夕《ゆふ》べの|虫《むし》の|音《ね》に
|汝《なれ》が|面影《おもかげ》を|浮《うか》び|出《い》でては
|夜《よ》も|夜《よる》ならず|昼《ひる》も|昼《ひる》ならず
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》に|迷《まよ》ふが|如《ごと》し
むしろ|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》し
|味気《あぢき》なき|浮世《うきよ》を|去《さ》つて
|天国《てんごく》に|昇《のぼ》り
|永久《とこしへ》の|生命《いのち》を|保《たも》たむやと
|静《しづ》かに|門《かど》を|立出《たちい》でて
|野辺《のべ》の|景色《けしき》を|眺《なが》むるをりしも
|現《あら》はれ|来《き》たる
|白髪異様《はくはついやう》の|修験者《しゆげんじや》
われに|向《む》かつて|宣《の》らすやう
オーラの|山《やま》の|聖場《せいぢやう》に
|神力無双《しんりきむさう》の|救世主《きうせいしゆ》
|現《あら》はれ|玉《たま》ふと|教《をし》へしゆ
|汝《なれ》を|思《おも》ふの|余《あま》り
もしやと|一縷《いちる》の|望《のぞ》みを|起《おこ》し
|病《やまひ》にやつれし|身《み》をも
|恋《こひ》の|力《ちから》に|支《ささ》へつつ
|漸《やうや》く|登《のぼ》り|岩窟《いはやど》に
つくづく|思案《しあん》のをりもあれ
|心《こころ》|汚《きたな》き|玄真坊《げんしんばう》が
|恋《こひ》の|擒《とりこ》となり|果《は》てて
|身動《みうご》きならぬ|破目《はめ》となり
|言葉《ことば》を|左右《さいう》に|托《たく》しつつ
|一日一日《ひとひひとひ》と|今日《けふ》までも
|送《おく》り|来《き》たりし|果敢《はか》なさよ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|梵天《ぼんてん》|帝釈《たいしやく》|自在天《じざいてん》
|何《なに》とぞ|吾《われ》らが|窮状《きうじやう》を
|憐《あは》れみ|玉《たま》ひて|逸早《いちはや》く
|二人《ふたり》の|身《み》をば|明《あか》るみに
|救《すく》はせ|玉《たま》へと
|願《ね》ぎまつる。
うつし|世《よ》をあとに|見《み》すてて|久方《ひさかた》の
|天津御国《あまつみくに》に|吾《われ》は|進《すす》まむ
|大神《おほかみ》の|御許《みゆる》しうけてわれは|今《いま》
スガコと|共《とも》に|天国《みくに》に|行《ゆ》かむ
|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|合《あ》ひし|二人連《ふたりづ》れ
うべなひ|玉《たま》はむ|天津御神《あまつみかみ》も
|醜神《しこがみ》の|魔手《ましゆ》を|遁《のが》れて|天津国《あまつくに》
|登《のぼ》り|行《ゆ》く|身《み》ぞ|楽《たの》しかるらむ
われ|行《ゆ》かばさぞ|醜神《しこがみ》は|驚《おどろ》きて
|足《あ》がきなすらむ|岩窟《いはや》の|中《なか》に
|玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》の|糸《いと》も|刻々《こくこく》に
|切《き》れなむとす|神国《みくに》|待《ま》たるる』
スガコは|声低《こゑびく》に|歌《うた》ふ。
『|天津空《あまつそら》よりいと|高《たか》き  |神《かみ》の|御恵《みめぐ》み|父《ちち》の|恩《おん》
|海《うみ》より|深《ふか》き|母《はは》の|恩《おん》  |父《ちち》と|母《はは》とにはぐくまれ
|二八《にはち》の|春《はる》の|今日《けふ》までも  |月《つき》よ|花《はな》よと|育《そだ》てられ
|足《た》らはぬ|事《こと》のなきまでも  |此《この》|世《よ》の|幸《さち》を|身《み》に|受《う》けて
|月《つき》より|清《きよ》き|御姿《みすがた》の  サンダーの|君《きみ》を|背《せ》となして
タライの|村《むら》の|花《はな》となり  |月《つき》ともなりて|世《よ》の|人《ひと》に
|羨《うらや》まれつつ|天国《てんごく》の  |楽《たの》しき|御代《みよ》を|送《おく》らむと
|思《おも》ひゐたるも|水《みづ》の|泡《あわ》  |醜《しこ》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれつつ
|身《み》は|常暗《とこやみ》の|巌《いはほ》の|中《なか》  |悪神《あくがみ》どもに|囚《とら》はれて
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|厭《いや》らしき  |醜《しこ》の|司《つかさ》の|恋《こひ》の|鞭《むち》
|受《う》くるたびごと|身体《からたま》も  |吾《わ》が|魂《たましひ》も|千万《ちよろづ》に
|砕《くだ》くるばかりの|苦《くる》しさよ  |如何《いか》なる|宿世《すぐせ》の|罪業《ざいごふ》が
|吾《わ》が|身《み》にめぐり|来《き》たりしか  |仰《あふ》いで|天《てん》に|叫《さけ》べども
|天《てん》は|答《こた》へず|地《ち》に|伏《ふ》して  |歎《なげ》けど|地《ち》には|声《こゑ》もなし
オーラの|山《やま》の|山颪《やまおろし》  |時《とき》じく|吹《ふ》けど|吾《わ》が|魂《たま》は
|父《ちち》の|御側《みそば》に|通路《かよひぢ》の  ひたと|断《た》たれし|悩《なや》ましさ
せめては|父《ちち》の|御夢《おんゆめ》に  |吾《わ》が|魂《たましひ》の|苦《くる》しみを
|告《つ》げさせ|玉《たま》へと|祈《いの》れども  |祈《いの》りし|甲斐《かひ》やあら|悲《かな》し
|朝夕《あさゆふ》|幾《いく》つ|重《かさ》ねつつ  |待《ま》てど|暮《くら》せど|音沙汰《おとさた》も
|只《ただ》|泣《な》く|声《こゑ》は|猿《ましら》のみ  |木魂《こだま》に|響《ひび》く|鳥《とり》の|声《こゑ》
アア|是非《ぜひ》もなや|是非《ぜひ》もなや  |一層《いつそ》|此《この》|世《よ》に|暇乞《いとまご》ひ
|霊《みたま》となりて|父上《ちちうへ》や  |恋《こひ》しき|汝《なれ》の|御側《おんそば》に
|通《かよ》はむものと|思《おも》ふをり  |不思議《ふしぎ》や|恋《こひ》しき|汝《なれ》の|声《こゑ》
|巌《いはほ》の|戸口《とぐち》に|耳《みみ》を|寄《よ》せ  |様子《やうす》|洩《も》れなく|聞《き》く|折《を》りもあれ
|夢《ゆめ》か|現《うつつ》か|幻《まぼろし》か  |恋《こひ》しき|人《ひと》の|声《こゑ》すなり
|天《てん》をば|拝《はい》し|地《ち》を|拝《はい》し  |喜《よろこ》ぶ|間《ま》もなく|岩《いは》の|戸《と》を
|開《ひら》いて|入《い》り|来《く》る|玄真坊《げんしんばう》  |恋《こひ》しき|人《ひと》の|手《て》を|取《と》つて
これの|岩窟《いはや》に|投《な》げ|込《こ》みつ  |憎々《にくにく》しげに|睨《にら》みつけ
|立去《たちさ》りしこそ|忌《いま》はしき  アアさり|乍《なが》らさり|乍《なが》ら
こがれ|慕《した》ひし|背《せ》の|君《きみ》の  |気高《けだか》き|姿《すがた》|目《ま》のあたり
|拝《をが》みしことの|嬉《うれ》しさよ  たとへ|飢死《うゑじに》なすとても
|高天原《たかあまはら》に|昇《のぼ》りなば  |霊《みたま》の|糧《かて》は|沢々《さはさは》に
|神《かみ》の|御国《みくに》の|御倉《おんくら》に  |蓄《たくは》へありて|汝《な》とあれに
|与《あた》へ|給《たま》はむ|厳《いづ》の|神《かみ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の
|慈愛《じあい》に|充《み》つる|顔容《かんばせ》を  |今《いま》|目《ま》のあたりたしたしに
|拝《をが》みまつりし|心地《ここち》する  サンダーの|君《きみ》よ|背《せ》の|君《きみ》よ
たとへ|如何《いか》なる|事《こと》あるも  たがひに|心《こころ》を|結《むす》びつけ
|後《のち》の|命《いのち》を|玉《たま》の|緒《を》の  |縁《えにし》の|糸《いと》にしかと|結《むす》び
いづくの|空《そら》に|至《いた》るとも  |二人《ふたり》|離《はな》れぬ|常磐木《ときはぎ》の
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|青松葉《あをまつば》  おちて|枯《か》れても|二人連《ふたりづ》れ
|常磐《ときは》の|契《ちぎり》|今《いま》よりも  |誓《ちか》はせ|給《たま》へ|背《せ》の|御君《みきみ》
われは|汝《なれ》をば|力《ちから》とし  |生命《いのち》となして|現世《うつしよ》や
|幽界《かくりよ》|共《とも》に|活《い》くるなり  |汝《なれ》をば|恋《こ》ふる|吾《わ》が|心《こころ》
これを|除《のぞ》きて|生命《せいめい》の  |泉《いづみ》の|何処《いづこ》にあるものぞ
|憐《あは》れみたまへ|天津神《あまつかみ》  |愛《あい》させ|給《たま》へ|吾《あ》が|背《せ》の|君《きみ》
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御神《みかみ》に|任《まか》せ|奉《たてまつ》る。
|恋雲《こひぐも》の|漸《やうや》くはれて|大空《おほぞら》に
|輝《かがや》きわたるみづの|月影《つきかげ》
|醜神《しこがみ》の|醜《しこ》の|館《やかた》に|囚《とら》はれて
|心《こころ》は|清《きよ》き|御空《みそら》に|遊《あそ》ぶ
|身体《からたま》は|岩窟《いはや》の|中《なか》にまかるとも
|霊《みたま》は|広《ひろ》く|宇宙《うちう》に|遊《あそ》ぶ
オーラ|山《やま》|曲《まが》の|砦《とりで》に|忍《しの》び|入《い》り
|恋《こひ》しき|人《ひと》に|只《ひた》に|会《あ》ふ|哉《かな》
|背《せ》の|君《きみ》と|天国《みくに》に|行《ゆ》くは|嬉《うれ》しけれど
|心《こころ》は|残《のこ》る|父《ちち》の|身《み》の|上《うへ》
|父《ちち》なくば|妾《わらは》も|心《こころ》|痛《いた》めまじ
|恋《こひ》の|勝利《しようり》を|得《え》たる|身《み》なれば
|現世《うつしよ》はよし|添《そ》へずとも|天津国《あまつくに》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|永久《とは》に|栄《さか》えむ』
サンダー『|天津国《あまつくに》|昇《のぼ》り|得《え》ずして|八衢《やちまた》に
よし|彷徨《さまよ》ふも|二人《ふたり》|楽《たの》しき
|根《ね》の|国《くに》によしおつるとも|吾《あ》と|汝《なれ》と
|二人《ふたり》なりせば|楽《たの》しかるらむ
|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》を|無事《ぶじ》に|通《とほ》りぬけ
|恋《こひ》の|花《はな》さく|神国《みくに》に|至《いた》らむ
|月花《つきはな》に|譬《たと》ふべらなる|吾《あ》と|汝《なれ》は
|天八衢《あめやちまた》の|栄《さか》えなるらむ』
スガコ『|八衢《やちまた》によし|迷《まよ》ふとも|何《なに》かあらむ
|恋《こひ》しき|汝《なれ》を|光《ひかり》と|思《おも》へば
|常暗《とこやみ》の|根底《ねそこ》の|国《くに》に|落《お》つるとも
|月《つき》の|光《ひかり》の|汝《なれ》としあらば
|月影《つきかげ》を|仰《あふ》ぎみるたび|思《おも》ふかな
いつも|清《きよ》けき|君《きみ》の|姿《すがた》を』
サンダー『|春夏《はるなつ》の|野《の》に|咲《さ》く|花《はな》を|眺《なが》めては
|君《きみ》の|御姿《みすがた》|思《おも》ひうかべつ
|山百合《やまゆり》の|花《はな》に|微風《びふう》の|当《あた》るさま
|汝《な》がスタイルによくも|似《に》しかな
|世《よ》の|中《なか》のすべての|事《こと》を|打《う》ち|忘《わす》れ
|只《ただ》|君《きみ》のみに|心《こころ》|注《そそ》ぎぬ』
スガコ『たらちねの|親《おや》と|親《おや》との|許嫁《いひなづけ》
なりとし|聞《き》けどいとも|恥《は》づかし
|仰《あふ》ぎ|見《み》る|高根《たかね》の|花《はな》か|大空《おほぞら》の
|月《つき》にひとしき|君《きみ》にありせば
|手折《たを》られて|君《きみ》が|館《やかた》の|床《とこ》のべに
かをらむものと|思《おも》ひけるかな』
かく|両人《りやうにん》は|述懐《じゆつくわい》や|辞世《じせい》をよんで、|身《み》の|餓《う》ゑ|疲《つか》れを|忘《わす》れ、|霊《たま》を|天国《てんごく》の|楽園《らくゑん》に|馳《は》せゐるをりしも、ガチンと|錠前《ぢやうまへ》を|外《はづ》して、|悠々《いういう》と|入来《いりき》たりしは|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》が|蚰蜒《げぢげぢ》の|如《ごと》く|嫌《きら》つてゐた|玄真坊《げんしんばう》であつた。|玄真坊《げんしんばう》は|両人《りやうにん》の|痩《や》せこけた|姿《すがた》を|見《み》て、さも|愉快《ゆくわい》げに|打笑《うちゑ》みながら、
『アハハハハ、オイどうだ|両人《りやうにん》、もはや|覚悟《かくご》はついたか、|其方《そなた》たちの|生命《いのち》は、この|玄真坊《げんしんばう》が|手《て》の|内《うち》に|握《にぎ》つてゐるのだ。|生命《いのち》あつての|物種《ものだね》、いつまでも|頑固《ぐわんこ》な|事《こと》を|申《まを》さずに、ウンと|靡《なび》いたが、|其方《そなた》の|身《み》の|得《とく》、|命《いのち》の|鍵《かぎ》、|返答《へんたふ》を|聞《き》かしてくれ』
サンダー、スガコの|両人《りやうにん》は|既《すで》に|死《し》を|決《けつ》してゐたものの、まだ|何処《どこ》やらに|生《せい》の|執着心《しふちやくしん》が|残《のこ》つてゐた。……|何《なん》とかゴマかして|一日《いちにち》でも|生命《いのち》を|保《たも》ちをらば、|両人《りやうにん》がこの|岩窟《いはや》を|無事《ぶじ》に|逃《に》げ|出《だ》し、|天下《てんか》|晴《は》れて、|此《この》|世《よ》で|添《そ》ひ|遂《と》げる|事《こと》が|出来《でき》るであらう。|何《なに》はともあれ、|迷《まよ》ひきつたこの|売僧《まいす》、|口《くち》の|先《さき》にてゴマかしやらむ……と|期《き》せずして|両人《りやうにん》の|胸《むね》に|泛《うか》んだ。
サンダー『|玄真坊様《げんしんばうさま》、|妾《わらは》も|決心《けつしん》を|致《いた》しました。おかげに|依《よ》りまして、|利害得失《りがいとくしつ》を|悟《さと》り|得《え》ましたから、|今《いま》までの|頑固《ぐわんこ》|一点《いつてん》の|態度《たいど》を|改《あらた》め、なるべく|御意《ぎよい》に|従《したが》ひませう。どうか|空腹《くうふく》に|悩《なや》んでをりますから、パンをお|与《あた》へ|下《くだ》さいませ』
|玄真坊《げんしんばう》はこの|言葉《ことば》に|飛立《とびた》つばかり|打喜《うちよろこ》びながら、ワザと|素知《そし》らぬ|渋《しぶ》り|切《き》つた|顔《かほ》して、
『ウン、|気《き》が|付《つ》いたならば、そち|共《ども》の|幸福《かうふく》だ。|断食《だんじき》といふものは|精神《せいしん》が|落付《おちつ》いて、|悟《さと》りを|開《ひら》く|第一《だいいち》の|修行《しゆぎやう》の|要訣《えうけつ》だ。|決《けつ》してこの|玄真坊《げんしんばう》は|汝等《なんぢら》|両人《りやうにん》を|干《ほ》し|殺《ころ》さうと|思《おも》つて|食《しよく》を|与《あた》へないのではない。|断食《だんじき》の|修行《しうぎやう》をさせて、|誠《まこと》の|真理《しんり》を|悟《さと》らしてやりたいといふ、|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|心《こころ》より|斯《か》く|取計《とりはか》らつたのだ。どうだ、|吾《わ》が|慈悲心《じひしん》が|分《わか》つたか』
サンダー『ハイ|確《たし》かに|分《わか》りましてございます。|結構《けつこう》な|修行《しうぎやう》をさしていただきました。いかにも|貴方《あなた》は|天《てん》の|選《えら》みし|救世主《きうせいしゆ》だと|悟《さと》らしていただきました』
|玄真《げんしん》『アハハハハ、さうなくては|叶《かな》はぬこと、これこれスガコ、そちは|何《ど》うだ。|少《すこ》し|真理《しんり》が|分《わか》つたか、この|玄真坊《げんしんばう》が|真心《まごころ》を|悟《さと》つたか』
スガコ『ハイ、|悟《さと》らしていただきました』
『どう|悟《さと》つたのだ』
『ハイ、|師《し》の|君様《きみさま》の|魔心《まごころ》をスツカリ|悟《さと》らしてもらひました』
『アハハハハ、|悟《さと》りが|開《ひら》けたならば、この|方《はう》の|申《まを》すことは|絶対服従《ぜつたいふくじゆう》するだらうな。ヨモヤ|両人《りやうにん》、|違背《ゐはい》は|致《いた》すまいのう』
サンダー『どうかパンをお|与《あた》へ|下《くだ》さい。|最早《もはや》お|答《こた》へする|勇気《ゆうき》が|出《で》て|参《まゐ》りませぬ』
|玄真《げんしん》『なるほど|無理《むり》もない。まてまて|拙僧《せつそう》が|自《みづか》ら|飲食《おんじき》を|調理《てうり》し、|可愛《かあい》い|其方等《そなたたち》に|食《く》はしてやらう』
とニコニコしながら、|戸《と》をピシヤリと|締《し》め、|再《ふたた》び|錠《ぢやう》をおろして|立《た》ち|去《さ》つた。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 松村真澄録)
第一五章 |喰《く》ひ|違《ちが》ひ〔一六九七〕
|玄真坊《げんしんばう》は、サンダー、スガコの|二人《ふたり》の|美人《びじん》に|現《うつつ》をぬかし、いかにもして|両手《りやうて》に|花《はな》をかかへた|色男《いろをとこ》たらむと、|七《なな》つ|下《さが》りになつて|数多《あまた》の|信者《しんじや》の|帰《かへ》つて|行《い》つたのを|幸《さいは》ひ、|自《みづか》ら|庖丁《はうちやう》を|手《て》にして|両人《りやうにん》の|喜《よろこ》びさうな|珍味《ちんみ》|佳肴《かかう》の|料理《れうり》にとりかかり、ホクホクもので|捻鉢巻《ねぢはちまき》、|襷《たすき》がけで|板場《いたば》を|稼《かせ》いでゐる。そこへ|附近《ふきん》|村落《そんらく》の|宣伝《せんでん》ををへて|頭目《とうもく》のシーゴー|坊《ばう》が|錫杖《しやくぢやう》をガチヤつかせながら、ドシンドシンと|帰《かへ》つて|来《き》た。
シーゴー『これはこれは|玄真坊殿《げんしんばうどの》、|沢山《たくさん》の|部下《ぶか》のあるにも|拘《かかは》らず、お|手《て》づから|炊事《すゐじ》をなさるとは|不思議千万《ふしぎせんばん》、|人《ひと》は|重《おも》からざれば|威《ゐ》あらず|敬《けい》せられずとか|言《い》つて、さう|軽々《かるがる》しうされちや|部下《ぶか》を|治《をさ》むる|重鎮《ぢうちん》の|貫目《くわんめ》が|零《ぜろ》になりますよ。サアサア|早《はや》く|部下《ぶか》にいひつけて|料理《れうり》をさせ、|貴僧《きそう》はヨリコ|姫《ひめ》|御女帝《ごによてい》の|前《まへ》に|伺候《しこう》なされ。|拙者《せつしや》もこれから|女帝《によてい》の|御前《おんまへ》に|宣伝《せんでん》の|模様《もやう》を|報告《はうこく》いたすござらう』
|玄真坊《げんしんばう》は、
「|悪《わる》い|所《ところ》へシーゴーが|帰《かへ》つて|来《き》やがつた」
といささか|面喰《めんくら》つたが、さすがの|曲者《くせもの》、さあらぬ|態《てい》にて、
『アハハハハ、これはこれはシーゴー|殿《どの》、|永《なが》らくの|間《あひだ》の|宣伝《せんでん》、|御苦労《ごくらう》でござつた。|貴殿《きでん》の|昼夜《ちうや》|不断《ふだん》の|御尽力《ごじんりよく》によつて|愚夫愚婦《ぐふぐふ》の|寄《よ》り|来《く》ること|層一層《そういつそう》|多《おほ》く、|人山《ひとやま》を|日々《にちにち》|築《きづ》き|拙僧《せつそう》も|随分《ずゐぶん》|疲労《ひらう》いたしてござれば、|今日《こんにち》は|自《みづか》ら|料理《れうり》をなし、|快《こころ》よく|一杯《いつぱい》やつて|浩然《こうぜん》の|気《き》を|養《やしな》はむと|思《おも》つた|処《ところ》でござる。サア|早《はや》く|女帝《によてい》のお|側《そば》へ|行《い》つてお|休《やす》み|下《くだ》さい。|拙者《せつしや》はキツとあとからお|伺《うかが》ひ|致《いた》すでござらう』
シーゴー『|拙者《せつしや》も|随分《ずゐぶん》|疲労《ひらう》いたしました。|貴僧《きそう》のお|手料理《てれうり》を|賞翫《しやうがん》するのも|亦《また》|結構《けつこう》でござらう。どうか|精々《せいぜい》と|御馳走《ごちそう》を|願《ねが》ひたいものですわい。|時《とき》に|玄真殿《げんしんどの》、コマの|村《むら》の|里庄《りしやう》が|娘《むすめ》サンダーといふ|花《はな》に|嘘《うそ》つく|美人《びじん》が|当山《たうざん》へ|来《き》てゐるはずですが|御存《ごぞん》じでせうな。|拙者《せつしや》|思《おも》ふところあり|山住《やまず》まひの|無聯《むれう》を|慰《なぐさ》めむとて、|懸河《けんが》の|弁《べん》を|揮《ふる》ひ、|当山《たうざん》までおびきつけたはずでござる。|御存《ごぞん》じならば|一目《ひとめ》、|彼《かれ》に|会《あ》はして|貰《もら》ひたい、アハハハハ』
|玄真坊《げんしんばう》はこの|言葉《ことば》にヒヤリと|頭《あたま》から|冷水《ひやみづ》を|浴《あ》びせかけられたやうな|気《き》がしたが、もはや|隠《かく》す|訳《わけ》にもゆかず、|思《おも》ひ|切《き》つて、
『|成程《なるほど》、チツとばかり|渋皮《しぶかは》のむけた|美人《びじん》が|先日《せんじつ》|参《まゐ》りました』
シーゴー『その|美人《びじん》は|今《いま》|何処《どこ》にゐますか。|是非《ぜひ》|一目《ひとめ》|会《あ》ひたいものです。かう|身体《しんたい》|縄《なは》のごとく|疲《つか》れはてては、|酒《さけ》の|一杯《いつぱい》や|二杯《にはい》|飲《の》んだところで|到底《たうてい》|元気《げんき》は|恢復《くわいふく》いたさぬ。|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》の|花《はな》の|顔《かんばせ》を|眺《なが》め、|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》より|静《しづ》かに|出《い》づる|言《こと》の|葉《は》を|耳《みみ》に|聴聞《ちやうもん》するが|唯一《ゆゐいつ》の|力《ちから》でござる。|美人《びじん》の|笑《ゑ》みは|所謂《いはゆる》|生命《いのち》の|源泉《げんせん》となるものだから、|実《じつ》は|拙者《せつしや》の|命《いのち》の|洗濯用《せんたくよう》にもと|存《ぞん》じ、|布婁那《ふるな》の|弁《べん》をもつて|当山《たうざん》へ|差《さ》し|向《む》けおいた|次第《しだい》、|如才《じよさい》のない|貴僧《きそう》の|事《こと》であるから、キツと|大切《だいじ》にしておいて|下《くだ》さつたでせう。あなたのお|手料理《てれうり》は|所謂《いはゆる》、かの|美人《びじん》たちに|勧《すす》むる|為《ため》でござらう。イヤハヤ|感謝《かんしや》いたしますよ。|貴殿《きでん》も|自《みづか》ら|料理《れうり》なんかなさるやうな|方《かた》ではないが、|恋愛《れんあい》といふ|曲物《くせもの》に|取《と》り|挫《ひし》がれては、からつきし|駄目《だめ》ですな。|恋《こひ》の|奴《やつこ》となり、|甘《あま》んじて|下郎《げらう》の|役《やく》を|遊《あそ》ばすと|見《み》える。|世《よ》の|中《なか》に|何《なに》が|強《つよ》いといつても|恋《こひ》といふ|奴《やつ》ほど、|無限力《むげんりよく》をもつてゐる|奴《やつ》はない。|鬼《おに》を|欺《あざむ》く|髯武者《ひげむしや》の|男子《だんし》、しかもこの|白髪首《しらがくび》も|蕾《つぼみ》の|花《はな》の|綻《ほころ》びむとする|優姿《やさすがた》を|眺《なが》め、|馥郁《ふくいく》たる|香気《かうき》を|嗅《か》いだ|時《とき》は、もとの|昔《むかし》に|返《かへ》つたやうでござる、アハハハハ』
|玄真坊《げんしんばう》は|二人《ふたり》の|美人《びじん》を|永《なが》らく|食料攻《しよくれうぜ》めにして|苦《くる》しめおき、|今日《けふ》ヤツと|両人《りやうにん》が|香《かん》ばしい|言葉《ことば》を|出《だ》したので|恋《こひ》の|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》と、なるべく|味《あぢ》のよい|加減《かげん》のよい|食物《しよくもつ》を|与《あた》へ、|層一層《そういつそう》|二人《ふたり》の|歓心《くんわしん》を|得《え》むものと|心《こころ》を|砕《くだ》き|力《ちから》を|尽《つく》し、|汗《あせ》を|絞《しぼ》つてやうやく|馳走《ちそう》を|拵《こしら》へたところへ、シーゴーが|帰《かへ》つて|来《き》て、いろいろと|耳《みみ》の|痛《いた》い|事《こと》を|聞《き》かされ、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟鳥《ふくろどり》か、|小田《をだ》の|蛙《かはず》が|蛇《へび》に|追《お》はれて|泣《な》きそこねたやうな|面《つら》をして、ブツブツと|口《くち》の|奥《おく》にて|小言《こごと》をいひながら、|匆々《さうさう》に|膳部《ぜんぶ》を|拵《こしら》へ、シーゴーをして|早《はや》くこの|場《ば》を|立去《たちさ》らしめむと、いろいろと|謎《なぞ》をかけるけれども、|意地《いぢ》の|悪《わる》いシーゴーはこの|場《ば》に|立《た》ち|塞《ふさ》がつて|女帝《によてい》の|側《そば》へ|伺《うかが》ひに|行《ゆ》かうとはせぬ。
シーゴー『ハハハハ、この|膳部《ぜんぶ》は|三人前《さんにんまへ》でござるな、なるほど、|女帝様《によていさま》と|拙者《せつしや》と|貴殿《きでん》とでござるか、ヤ、|貴僧《きそう》ばかりに|骨《ほね》を|折《を》らせても|済《す》まない。|拙者《せつしや》が|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》びませう』
|玄真《げんしん》『イヤ、お|構《かま》ひ|下《くだ》さるな。|徹頭徹尾《てつとうてつび》、|拙者《せつしや》が|取扱《とりあつか》ひいたしませう。サア|早《はや》く|貴僧《きそう》は|女帝様《によていさま》の|御機嫌《ごきげん》を|伺《うかが》つて|来《き》て|下《くだ》さい。|女帝様《によていさま》も|先日《せんじつ》より|貴僧《きそう》のお|帰《かへ》りをお|待《ま》ち|兼《か》ねですからな』
シーゴー『しからばこれより|女帝様《によていさま》に|御挨拶《ごあいさつ》に|参《まゐ》りませう。|幸《さいは》ひ|拙者《せつしや》も|空腹《くうふく》なり、|時分《じぶん》もよし、|女帝様《によていさま》もお|腹《なか》が|空《す》いてゐるでせう。|貴僧《きそう》が|丹精《たんせい》をこらして|手《て》づから|拵《こしら》へになつた|百味《ひやくみ》の|飲食《おんじき》を|三人《さんにん》で|頂《いただ》くのも|愉快《ゆくわい》でござらう。いや|楽《たの》しい|事《こと》でござる』
|玄真坊《げんしんばう》は|二人《ふたり》の|美人《びじん》を|喜《よろこ》ばせ、|自分《じぶん》も|一緒《いつしよ》に|舌鼓《したつづみ》を|打《う》つて|二人《ふたり》の|嬉《うれ》しい|顔《かほ》を|見《み》ながら|一杯《いつぱい》やらうと|思《おも》つてゐるたのに、|九分九厘《くぶくりん》の|処《ところ》にシーゴーに|帰《かへ》つて|来《こ》られ、
『どうせ|御馳走《ごちそう》はあて|外《はづ》れの|処《ところ》へ|持《も》つて|運《はこ》ばねばならぬやうになつて|来《き》た。|加《くは》ふるに、|苦心惨憺《くしんさんたん》して|吾《わ》が|意《い》に|八九分《はちくぶ》|靡《なび》かせたサンダーは、どうやら、シーゴーが|懸想《けさう》してゐるらしい。|今《いま》のシーゴーの|言葉《ことば》から|考《かんが》へて|見《み》れば、|彼《かれ》は|自分《じぶん》の|妻《つま》にしようと|思《おも》つて、ここへ|詣《まゐ》らせたのに|違《ちが》ひない。イヤたしかに|目的《もくてき》があつて|弁舌《べんぜつ》にまかせ、|彼《かれ》サンダーを、ここへよこしたのだ。ハテ|気《き》の|揉《も》めることだわい。|三人前《さんにんまへ》の|馳走《ちそう》をシーゴーに|見《み》つけられた|以上《いじやう》は、どうしても|女帝様《によていさま》に|奉《たてまつ》らねばなるまい。|自分《じぶん》の|分《ぶん》だけを|残《のこ》して|二人前《ににんまへ》、|送《おく》るとしたところで|二人《ふたり》の|女《をんな》に|一人前《いちにんまへ》の|膳部《ぜんぶ》とは|可笑《をか》しい、また|女帝様《によていさま》の|命令《めいれい》で……|三人《さんにん》|揃《そろ》うて|一杯《いつぱい》やらう……|等《など》と|言《い》はれちや|一人前《いちにんまへ》の|膳部《ぜんぶ》も|助《たす》からない。アさうすりや|二人《ふたり》の|美人《びじん》にこの|玄真坊《げんしんばう》はますます|信用《しんよう》を|落《お》とす|道理《だうり》だ。……|人《ひと》を|騙《だま》した|残酷《ざんこく》な|奴《やつ》だ……と、|層一層《そういつそう》|怨《うら》まれるやうになつちや|恋《こひ》の|目的《もくてき》は|達成《たつせい》しない。チヨツ、えらいジレンマにかかつたものだわい。アーアー、こちら|立《た》てれば、あちらが|立《た》たぬ、あちら|立《た》てればこちらが|立《た》たぬ。|両方《りやうはう》|立《た》つれば|身《み》が|立《た》たぬ……とは|自分《じぶん》の|事《こと》だ。アーア』
と|吐息《といき》をついてゐる。そこへ|慌《あわ》ただしく、パンクが|女帝《によてい》の|使《つかひ》として、やつて|来《き》た。
『もしもし|玄真坊様《げんしんばうさま》、|女帝様《によていさま》のお|使《つか》ひで|参《まゐ》りましたが、|今《いま》シーゴー|様《さま》が|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|宣伝《せんでん》を|終《を》へお|帰《かへ》りになりましたので、|女帝様《によていさま》も|非常《ひじやう》にお|喜《よろこ》び|遊《あそ》ばし、あなたにも|来《き》てもらつて|女帝様《によていさま》、|左守《さもり》、|右守《うもり》のお|三方《さんかた》が|祝酒《いはひざけ》を|飲《の》み、|御馳走《ごちそう》をお|食《あが》り|遊《あそ》ばすので、|私《わたし》に|女帝様《によていさま》が「|料理《れうり》をせよ」と|仰《おほ》せられました|所《ところ》、シーゴーさまの|仰有《おつしや》るのには、「イヤ|女帝様《によていさま》、|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。いま|玄真坊様《げんしんばうさま》は|天眼通《てんがんつう》をもつて、|拙者《せつしや》の|帰《かへ》るのを|前知《ぜんち》し、|三人分《さんにんぶん》の|馳走《ちそう》を|拵《こしら》へてゐられますから、それさへここへ|運《はこ》んで|来《く》れば、いい」との|事《こと》、さすがの|女帝様《によていさま》も「|玄真坊様《げんしんばうさま》は|何《なん》と、|偉《えら》い|奴《やつ》だな」と、|舌《した》をまいて|感心《かんしん》|遊《あそ》ばしましたよ。サア、|何卒《どうぞ》お|待《ま》ちかねですから、|女帝様《によていさま》のお|居間《ゐま》へお|越《こ》し|下《くだ》さい。お|膳部《ぜんぶ》は|私《わたし》が|運《はこ》ばして|頂《いただ》きます』
|玄真坊《げんしんばう》は|是非《ぜひ》なく|溝狸《どぶだぬき》が|頭《あたま》から|煮茶《にえちや》を|被《かぶ》せられたやうな|不足《ふそく》な|顔《かほ》して、|二人《ふたり》の|女《をんな》に|心《こころ》を|残《のこ》しつつ|天王《てんわう》の|社《やしろ》の|床下《ゆかした》に|築《きづ》かれた|地下室《ちかしつ》、|女帝《によてい》の|居間《ゐま》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|女帝《によてい》は|一段《いちだん》|高《たか》い|床《とこ》の|上《うへ》に|座《ざ》を|占《し》め、シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》は|少《すこ》し|下《さが》つて|鼎座《かなへざ》となり、|酒《さけ》を|汲《く》み|交《か》はしながら|手柄話《てがらばなし》に|花《はな》を|咲《さ》かした。パンクは|酒注《さけつ》ぎ、|飯《めし》つぎの|役《やく》を|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》めてゐる。|何《なに》を|言《い》つても|山賊《さんぞく》の|親分《おやぶん》だから、あまり|小《こ》むつかしい|行儀《ぎやうぎ》もない。|酒《さけ》|飲《の》みながら、|喰《く》ひながら、|諄々《じゆんじゆん》と|話《はなし》をつづけて|言《い》ふ。
ヨリコ『シーゴー|殿《どの》、|永《なが》らくの|宣伝《せんでん》、|御苦労《ごくらう》であつた。その|効果《かうくわ》|空《むな》しからず、|神様《かみさま》は|大変《たいへん》な|御繁昌《ごはんじやう》だよ。ずゐぶん|骨《ほね》を|折《を》つたでせうな。その|影響《えいきやう》として|玄真殿《げんしんどの》も、|大変《たいへん》に|多忙《たばう》を|極《きは》めてゐたやうだ。そなたが|帰《かへ》つたら、|一度《いちど》|慰労会《ゐらうくわい》を|催《もよほ》したいと|思《おも》つてゐたところだ。サア|飲《の》みながら|食《く》ひながら、そなたの|活動振《くわつどうぶり》りを|聞《き》かしてもらはう』
シーゴー『ハイ、まづ|顕著《けんちよ》なる|私《わたし》の|働《はたら》きと|言《い》へばタライの|村《むら》の|美人《びじん》スガコを|初《はじ》め、コマの|村《むら》の|美人《びじん》サンダー|姫《ひめ》を、うまく|此方《こなた》へ|引寄《ひきよ》せおき、なほも|宣伝《せんでん》をつづくる|中《うち》、ハルナの|都《みやこ》より|地教山《ちけうざん》に|向《む》かふバラモン|軍《ぐん》の|勇将《ゆうしやう》|大足別《おほだるわけ》の|部下《ぶか》が|附近《ふきん》|村落《そんらく》に|宿営《しゆくえい》をなし、|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》を|掠奪《りやくだつ》し、|婦女《ふぢよ》を|姦《かん》し|甚《はなはだ》しきは|美人《びじん》を|持《も》ち|去《さ》り|家《いへ》を|焼《や》くなど、|乱暴狼籍《らんばうらうぜき》|至《いた》らざるなく、|吾等《われら》が|縄張《なはばり》を|荒《あら》すこと|甚《はなはだ》しく、|人心《じんしん》は|恟々《きようきよう》として、|天《てん》の|救《すく》ひを|求《もと》むる|好時節《かうじせつ》、この|機《き》|逸《いつ》してなるものかと、|獅子奮迅《ししふんじん》の|勢《いきほ》ひにて|昼夜《ちうや》を|分《わか》たず|宣伝《せんでん》を|致《いた》しました。|中《うち》にも|最《もつと》も|愉快《ゆくわい》なるはタライの|村《むら》の|里庄《りしやう》ジャンクは|義勇軍《ぎゆうぐん》を|起《おこ》し、バルガン|城《じやう》に|向《む》かふ|事《こと》となり、|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》は|行衛《ゆくゑ》|知《し》れず、|自分《じぶん》が|今《いま》|戦場《せんぢやう》に|向《む》かふ|上《うへ》はもとより|生《い》きて|帰《かへ》る|事《こと》は|思《おも》ひも|寄《よ》らず、|可惜《あたら》|巨万《きよまん》の|財産《ざいさん》を|相続《さうぞく》するものがないといふ|破目《はめ》、これぞ|天《てん》の|与《あた》へ、|拾《ひろ》はずんばあるべからずと、|修験者《しゆげんじや》の|仮装《かさう》を|幸《さいは》ひ、|彼《かれ》が|出陣《しゆつぢん》の|間際《まぎは》に|彼《かれ》を|訪《おとな》ひ、ほとんど|応接《おうせつ》の|遑《いとま》なき|多忙《たばう》をつけ|込《こ》み、「オーラ|山《さん》に|降《くだ》り|玉《たま》ふ|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》、|玄真坊《げんしんばう》に|全部《ぜんぶ》|財産《ざいさん》を|奉《たてまつ》れよ」と|掛合《かけあ》つたところ、ジャンクの|申《まを》すには「|一人《ひとり》の|娘《むすめ》は|生死《せいし》も|分《わか》らぬ|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|吾《われ》また|戦場《せんぢやう》に|向《む》かはば|屍《かばね》を|山野《さんや》に|曝《さら》す|覚悟《かくご》、|財産《ざいさん》の|必要《ひつえう》はない、|神様《かみさま》に|奉《たてまつ》るから|天下万民《てんかばんみん》のため、|善用《ぜんよう》せよ」との|頼《たの》み、イヤハヤ|大成功《だいせいこう》でござる、アハハハハ』
ヨリコ『|今《いま》に|初《はじ》めぬ|其方《そなた》の|働《はたら》き、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、マサカの|時《とき》の|軍資《ぐんし》にあつる|事《こと》が|出来《でき》るであらう。さすがはシーゴー|殿《どの》、ヤツパリ|猪《しし》|食《く》た|犬《いぬ》は|猪《しし》|食《く》た|犬《いぬ》だ。それでこそ|三千人《さんぜんにん》の|頭目《とうもく》として|恥《は》づかしからぬ|頭目《とうもく》だ』
としきりに|褒《ほ》めそやかす。シーゴーは|満面《まんめん》の|得意《とくい》に|大口《おほぐち》を|開《あ》けて|笑《わら》ひながら|肩《かた》を|揺《ゆ》すつて|玄真坊《げんしんばう》に|向《む》かひ、
『|玄真殿《げんしんどの》、|拙者《せつしや》の|腕前《うでまへ》はザツとこんなものでござる。|貴殿《きでん》も|一寸《ちよつと》、おあやかりなさい。|女帝様《によていさま》のお|褒《ほ》めの|言葉《ことば》を|頂《いただ》いて、もはや|天下《てんか》を|握《にぎ》つたやうな|気分《きぶん》が|致《いた》すでござる、アハハハハ』
と|酔《ゑひ》ひに|紛《まぎ》らし|威丈高《ゐだけだか》に|笑《わら》ふ。|玄真坊《げんしんばう》は|折角《せつかく》|二人《ふたり》のナイスを|喜《よろこ》ばせやうと|思《おも》ひ、|丹精《たんせい》|凝《こ》らして|料理《れうり》した|膳部《ぜんぶ》は|捲《ま》き|上《あ》げられ、|田舎《いなか》の|爺《ぢい》が|三里《さんり》もある|豆腐屋《とうふや》に|行《い》つて、|油揚《あげ》を|買《か》つて|帰《かへ》りに|鳶《とび》に|攫《さら》はれたやうな|気《き》のぬけた|面《つら》をさらし、|半泣《はんな》きの|態《てい》にて、
『|拙僧《せつそう》だとて、なかなかの|苦労《くらう》がござる。|相手《あひて》|変《かは》れど|主《ぬし》|変《かは》らず、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|雲霞《うんか》のごとく|集《あつ》まり|来《き》たる|老若男女《らうにやくなんによ》に|対《たい》して|一々《いちいち》|何《なん》とか、かんとか、ごまかさねばならず、|中《なか》には|骨《ほね》のある|奴《やつ》があつて「そんな|筈《はず》がない」とか「|理《り》が|合《あ》はぬ」とか、|難《むつ》かしい|哲学《てつがく》を|楯《たて》に|取《と》つて|理窟《りくつ》をこねる|事《こと》もあり、|日《ひ》に|幾度《いくたび》、ヒヤヒヤ、アブアブ、する|事《こと》があるか|知《し》れないのですよ。その|度毎《たびごと》に|冷汗《ひやあせ》は|出《で》る、|心臓《しんざう》は|躍《をど》る、|腹《はら》はデングり|返《がへ》る。なにほど|小便《せうべん》が|張《は》りきつてをつても、|活神様《いきがみさま》が|中途《ちうと》に|便所《べんじよ》に|行《ゆ》くわけにもゆかず、|大便《だいべん》は|尚更《なほさら》のこと、|真青《まつさを》な|顔《かほ》して、|高座《かうざ》に|上《のぼ》つてゐる|時《とき》の|苦《くる》しさ。シーゴー|殿《どの》のやうに|自由自在《じいうじざい》に|広《ひろ》い|原野《げんや》を|横行《わうかう》|濶歩《くわつぽ》するのと|違《ちが》い、その|苦《くる》しさは|幾層倍《いくそうばい》かも|知《し》れませぬぞ。|拙者《せつしや》の|活動《くわつどう》は|地味《ぢみ》ではあるが、|最《もつと》も|苦《くる》しく|且《か》つ|功績《こうせき》も|多《おほ》い。シーゴー|殿《どの》の|活動《くわつどう》はいはば|外的《ぐわいてき》で|花々《はなばな》しくて、|愉快《ゆくわい》で、|加《くは》ふるに|功労《こうらう》は|一々《いちいち》|目《め》に|見《み》えるのだから、|拙者《せつしや》よりも|余《よ》ほど|勲功《くんこう》が|高《たか》いやうに|一寸《ちよつと》は|見《み》えるが、どうしてどうして、|拙僧《せつそう》の|苦心《くしん》に|比《くら》ぶれば|九牛《きうぎう》の|一毛《いちもう》にも|如《し》かないだらう』
シーゴー『ヘン、|何《なに》ほど|苦《くる》しいと|言《い》つても、|七《なな》つ|下《さが》れば|上跨《あげまた》を|打《う》つて|美《うつく》しい|女《をんな》を|口説《くど》きながら、|休《やす》んでゐられるのだから|楽《らく》なものだ。|拙者《せつしや》のごときは|昼夜《ちうや》の|区別《くべつ》なく、|荒風《あらかぜ》に|吹《ふ》き|捲《ま》くられ、|時々《ときどき》ポリスの|追跡《つゐせき》をうけ、バラモン|軍《ぐん》に|追《お》ひまくられ、|犬《いぬ》には|吠《ほ》えつかれ、|猛獣《まうじう》にも|脅《おびや》かされ、おまけに|露《つゆ》の|弾丸《たま》、|霜《しも》の|剣《つるぎ》を|身《み》に|浴《あ》びて、|荒涼《くわうりやう》たる|原野《げんや》の|中《なか》を|縦横無尽《じうわうむじん》に|馳駆《ちく》する|苦《くる》しさ。たうてい|岩窟《いはや》の|中《なか》に|蟄居《ちつきよ》する|守宮《やもり》さまの、|想像《さうざう》し|得《う》るところではない。エー、|時《とき》に|拙者《せつしや》が|弁舌《べんぜつ》を|振《ふる》ひ、|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘術《ひじゆつ》を|尽《つく》して|当山《たうざん》へ|差《さ》し|向《む》けたるスガコ、サンダーの|二人《ふたり》の|美人《びじん》は|如何《いかが》なされたか。|男《をとこ》ばかりの|酒宴《しゆえん》ではネツカラ|興《きよう》がござらぬ。|玄真坊殿《げんしんばうどの》、どうか|両人《りやうにん》をこれへ|引出《ひきだ》し、|酒《さけ》の|相手《あひて》に|歌《うた》でも|謡《うた》はせては|如何《いかが》でござるな』
|玄真《げんしん》『|如何《いか》にも、|尤《もつと》もながら、|彼《かれ》は|今《いま》|断食《だんじき》の|修業中《しうげふちう》でござれば、たとへ|呼《よ》び|出《だ》したところで、お|間《ま》には|合《あ》ひますまい。|顔色《がんしよく》|憔悴《せうすゐ》して|土《つち》のごとく、ほとんど|此《この》|世《よ》の|人《ひと》ではあるまいごとき|窶《やつ》れた|姿《すがた》、むしろ|見《み》ないが|花《はな》でござらう』
シーゴー『|然《しか》らば|修業《しうげふ》が|済《す》んだ|上《うへ》、|拙者《せつしや》も、ユルユル|女神様《めがみさま》にお|目《め》にかからう。もし|女帝様《によていさま》、|私《わたし》の|御褒美《ごほうび》にサンダーといふ|女《をんな》を|頂《いただ》きたいものでございます』
ヨリコ『サンダーといひ、スガコといひ、いづれも|其方《そなた》の|苦心惨澹《くしんさんたん》の|結果《けつくわ》、|引寄《ひきよ》せたものだから、そなたの|自由《じいう》にしたが|宜《よ》からう。|妾《わらは》は|女《をんな》の|事《こと》でもあり|美人《びじん》の|必要《ひつえう》はないから、|其方《そなた》の|勇気《ゆうき》をつなぐため、|自由《じいう》にしたが|宜《よ》からうぞや。|玄真坊《げんしんばう》は|天帝《てんてい》の|化身《けしん》だから、ここ|暫《しばら》くは|女《をんな》なんかに|心《こころ》は|寄《よ》せず、あくまで|聖者《せいじや》と|成《な》りすまし、|目的《もくてき》の|成就《じやうじゆ》までは|辛抱《しんばう》してもらひたいものだ。のう|玄真坊《げんしんばう》、そちもそれくらゐの|考《かんが》へはあるだらう』
|玄真坊《げんしんばう》は|頭《あたま》をかきながら、
『ハイ、エー、|何《なん》でございます。エー、|拙僧《せつそう》もあくまで|聖者《せいじや》を|気取《きど》り、なるべく|活神《いきがみ》としての|信用《しんよう》を|保《たも》ちたく、|昼夜《ちうや》に|心《こころ》を|揉《も》んでゐますが、|何《なん》といつても|二人《ふたり》の|美人《びじん》、|拙僧《せつそう》に|恋慕《れんぼ》いたし、|明《あ》けても|暮《く》れても|玄真《げんしん》|玄真《げんしん》と|言《い》つて、|夢現《ゆめうつつ》となり|恋《こひ》にやつれて|今《いま》は|見《み》る|影《かげ》もなき|有様《ありさま》、この|両人《りやうにん》をこのままにしておけば、もはや|命《いのち》は|亡《ほろ》ぶるより|道《みち》はありませぬ。この|両人《りやうにん》こそは|音《おと》に|聞《き》こえし|富豪《ふがう》の|娘《むすめ》、どこまでも|生命《いのち》を|保《たも》たせ|人質《ひとじち》となし、|彼《かれ》が|親《おや》の|財産《ざいさん》を|捲《ま》き|上《あ》げて、|軍資金《ぐんしきん》の|充実《じうじつ》を|図《はか》らねばならぬからと|存《ぞん》じ、|燃《も》ゆるがごとき|二人《ふたり》の|恋慕《れんぼ》を|煩《うる》さいながら、|柳《やなぎ》に|風《かぜ》と|受《う》け|流《なが》し、タワタワと|濡《ぬ》れ|畔《あぜ》を|渡《わた》るやうにして、|今日《けふ》が|日《ひ》まで、|彼等《かれら》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》め|将来《しやうらい》に|望《のぞ》みを|抱《いだ》かせておきましたが、|拙者《せつしや》が|顔《かほ》を|見《み》せない|時《とき》は|彼《かれ》は|焦《こ》がれ|死《に》にをいたします。それで|拙者《せつしや》は|彼《かれ》が|犠牲《ぎせい》となつて|日夜《にちや》|真理《しんり》を|説《と》きさとし、|不離不即《ふりふそく》の|態度《たいど》を|持《ぢ》し、|彼《かれ》の|元気《げんき》が|恢復《くわいふく》するまで、|時々《ときどき》|慰《なぐさ》めてやる|考《かんが》へでございますれば、これから|拙者《せつしや》が|彼《かれ》の|岩窟《いはや》に|訪《おとな》うとも|決《けつ》して|怪《あや》しまないやうにお|願《ねが》ひいたします。|彼等《かれら》|二人《ふたり》の|元気《げんき》|恢復《くわいふく》して|元《もと》の|身体《からだ》となるまでは、たとへシーゴー|殿《どの》といへども|彼《かれ》の|室《へや》に|出入《しゆつにふ》せぬやう、|女帝様《によていさま》より|厳《きび》しく|御申《おんまを》し|付《つ》け|下《くだ》さいますやうに……』
と|虫《むし》のよい|予防線《よばうせん》を|張《は》つていふ。
シーゴーは|肩《かた》を|揺《ゆ》すつて|高笑《たかわら》ひ、
『アハハハハ、|玄真殿《げんしんどの》の|予防線《よばうせん》、いな|鉄条網《てつでうまう》、イヤハヤ、シーゴー、|感奮《かんぷん》|仕《つかまつ》つた。それだけの|腕《うで》がなくては|美人《びじん》に|対《たい》し、|云々《うんぬん》する|資格《しかく》はござるまい。|玄真坊《げんしんばう》は|年《とし》も|若《わか》く|男前《をとこまへ》もいい。|拙者《せつしや》は|御覧《ごらん》のごとく|頭《かしら》に|霜雪《さうせつ》を|頂《いただ》き、|到底《たうてい》|若《わか》き|女《をんな》の|好《この》む|面付《つらつき》ではござらぬ。この|点《てん》においては|玄真坊殿《げんしんばうどの》に|対《たい》し|一歩《いつぽ》を|譲《ゆづ》らねばなりませぬ。しかしながら、|玄真殿《げんしんどの》、この|御馳走《ごちそう》は|女帝様《によていさま》や|吾々《われわれ》の|口《くち》に|這入《はい》るべき|物《もの》ではなかつたのでせう。|断食《だんじき》をしてゐるといふ|修業者《しうげふしや》に|向《む》かつての|献立《こんだて》、おほかた|影膳《かげぜん》にお|作《つく》りなさつたのであらう。|拙者《せつしや》はお|蔭《かげ》を|頂《いただ》いて|御馳走《ごちそう》を|鱈腹《たらふく》いただいたが、さぞ|二人《ふたり》の|断食者《だんじきしや》は|待《ま》ちかねてゐる|事《こと》でせう。サア|玄真殿《げんしんどの》、|御苦労《ごくらう》ながら、|炊事場《すゐじば》に|行《い》つて|二人前《ににんまへ》、|否《いな》|三人前《さんにんまへ》の|料理《れうり》を|調進《てうしん》|召《め》され。てもさても、|器用《きよう》なお|方《かた》でござる。アハハハハ』
とあてこすられ、|玄真坊《げんしんばう》は|今戸焼《いまどやき》の|出来《でき》そこなうた|布袋《ほてい》のやうな|面《つら》をして、しやちこばつてゐる。
ヨリコ『|面白《おもしろ》し|玄真坊《げんしんばう》の|面《おも》ざしは
|泣《な》きそこねたる|羅漢面《らかんづら》かな』
|玄真坊《げんしんばう》『これはしたり|羅漢面《らかんづら》とは|訝《いぶ》かしや
|女帝《によてい》の|言葉《ことば》と|覚《おぼ》えざりけり』
シーゴー『|岩《いは》の|戸《と》に|立《た》て|籠《こ》みおきし|艶人《あでびと》に
|心《こころ》|揉《も》みてや|汝《なれ》のをののき』
|玄真坊《げんしんばう》『|何《なん》なりと|誹《そし》れば|誹《そし》れ|吾《われ》は|只《ただ》
|神《かみ》のまにまに|進《すす》むのみなる』
ヨリコ『|何事《なにごと》も|水《みづ》に|流《なが》せよ|盃《さかづき》の
|中《なか》にも|澄《す》める|望《もち》の|月影《つきかげ》』
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 北村隆光録)
第四篇 |恋連愛曖《れんれんあいあい》
第一六章 |恋《こひ》の|夢路《ゆめぢ》〔一六九八〕
|梅公《うめこう》『|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|神《かみ》の|教《のり》
|開《ひら》いて|散《ち》りて|実《み》を|結《むす》ぶ  |月日《つきひ》と|大地《だいち》の|恩《おん》を|知《し》れ
|此《この》|世《よ》を|清《きよ》むる|生神《いきがみ》は  |高天原《たかあまはら》に|神集《かむつど》ふ
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |黒雲《くろくも》|包《つつ》む|天地《あめつち》を
|厳《いづ》の|伊吹《いぶき》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ  |瑞《みづ》の|清水《しみづ》に|清《きよ》めつつ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|永久《とこしへ》に  この|地《ち》の|上《うへ》に|建設《けんせつ》し
|百八十国《ももやそくに》の|民草《たみぐさ》を  |常住不断《じやうぢうふだん》の|信楽《しんらく》に
|救《すく》はむものと|遠近《をちこち》に  |神《かみ》のよさしの|宣伝使《せんでんし》
まくばり|給《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ  |照国別《てるくにわけ》に|従《したが》ひて
|産砂山《うぶすなやま》の|霊場《れいぢやう》を  |後《あと》に|眺《なが》めて|河鹿山《かじかやま》
|沐雨櫛風《もくうしつぷう》の|苦《く》を|忍《しの》び  |夜《よ》を|日《ひ》に|継《つ》いでデカタンの
|風《かぜ》も|激《はげ》しき|高原地《かうげんち》  トルマン|国《ごく》に|来《き》て|見《み》れば
ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる  |八岐大蛇《やまたをろち》の|悪霊《あくれい》に
|左右《さいう》されたる|曲津神《まがつかみ》  |大黒主《おほくろぬし》の|軍勢《ぐんぜい》が
|人《ひと》の|住家《すみか》を|焼《や》き|払《はら》ひ  |金銀物資《きんぎんぶつし》を|掠奪《りやくだつ》し
|人妻《ひとづま》|娘《むすめ》の|分《わか》ちなく  |魔手《ましゆ》を|延《の》ばして|掻《か》ツ|攫《さら》ひ
|深山《みやま》の|奥《おく》へと|忍《しの》び|行《ゆ》く  この|国民《くにたみ》は|戦《をのの》きて
|夜《よ》も|日《ひ》も|碌《ろく》に|寝《ね》むられぬ  |塗炭《とたん》の|苦《くる》しみ|見《み》るにつけ
|如何《いか》にもなして|救《すく》はむと  |心《こころ》の|駒《こま》はあせれども
|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》の|御許《みゆる》しを  |得《え》ざる|悲《かな》しさ|村肝《むらきも》の
|心《こころ》の|駒《こま》をおさへつつ  |義勇《ぎゆう》の|軍《いくさ》に|従《したが》ひて
バルガン|城《じやう》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |士気《しき》は|俄《には》かに|昂舞《かうぶ》して
その|勢《いきほ》ひは|天《てん》を|衝《つ》く  |吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》やジャンクさま
これの|軍《いくさ》を|指揮《しき》なして  |進《すす》ませ|給《たま》へばバラモンの
|勇士《ゆうし》は|如何《いか》に|多《おほ》くとも  |荒野《あらの》を|風《かぜ》の|渡《わた》るごと
|服《まつろ》ひ|来《き》たるは|目《ま》の|当《あた》り  |吾《わ》が|梅公《うめこう》は|唯《ただ》|一人《ひとり》
|軍《いくさ》に|在《あ》らうが|有《あ》るまいが  この|全局《ぜんきよく》の|戦《たたか》ひに
いくらの|影響《えいきやう》あるべきぞ  |師《し》の|御心《みこころ》に|叛《そむ》くとは
|吾《われ》も|覚悟《かくご》の|上《うへ》ながら  はやりきつたる|魂《たましひ》は
タライの|村《むら》の|花香姫《はなかひめ》  スガコの|姫《ひめ》やサンダーさま
|三人《みたり》の|哀《あは》れな|境遇《きやうぐう》を  |救《すく》ひ|出《い》だして|天国《てんごく》の
|花《はな》|咲《さ》き|香《にほ》ふ|喜《よろこ》びに  |救《すく》はにやおかぬと|雄健《をたけ》びし
|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》の|目《め》を|忍《しの》び  |夜陰《やいん》に|紛《まぎ》れて|戛々《かつかつ》と
|駒《こま》に|鞭《むち》うち|今《いま》|此処《ここ》に  |限《かぎ》りも|知《し》らぬ|荒野原《あれのはら》
|目的《あてど》もなしに|来《き》たりけり  オーラの|峰《みね》を|見渡《みわた》せば
|夜《よ》な|夜《よ》な|光《ひか》る|妖光《えうくわう》は  |曲神共《まがかみども》の|集《あつ》まりて
|醜《しこ》の|企《たく》みをなしつつも  |世人《よびと》を|苦《くる》しめゐるならむ
|心《こころ》のせいかは|知《し》らねども  オーラの|山《やま》が|気《き》にかかり
|寝《ね》ても|醒《さ》めても|忘《わす》られぬ  |命《いのち》を|的《まと》にただ|一騎《いつき》
|駒《こま》の|蹄《ひづめ》の|続《つづ》くまで  |如何《いか》に|山途《やまみち》|嶮《けは》しとも
|如何《いか》でひるまむ|大和魂《やまとだま》  |思《おも》ひつめたる|鉄石《てつせき》の
|心《こころ》の|征矢《そや》ははや|既《すで》に  |真弓《まゆみ》の|弦《つる》を|放《はな》れたり
|最早《もはや》|返《かへ》らぬ|吾《わ》が|意気地《いくぢ》  |彼等《かれら》|三人《みたり》のあで|人《びと》を
まんまと|救《すく》はせたまへかし  |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる』
|梅公《うめこう》はジャンクの|家《いへ》に|宿《とま》つた|時《とき》、スガコやサンダーの|何者《なにもの》にか|攫《さら》はれた|事《こと》を|聞《き》き、|何《なん》となくオーラ|山《さん》に|悪漢《わるもの》のために|閉《と》ぢ|籠《こ》められてゐるやうな、|暗示《あんじ》を|何者《なにもの》にか|与《あた》へられた。さうして|婆《ば》アさまの|家《いへ》を|訪《たづ》ねた|時《とき》、サンヨの|娘《むすめ》|花香《はなか》がバラモン|軍《ぐん》に|捉《とら》はれたと|聞《き》いた|時《とき》、これも|何処《どこ》かの|山奥《やまおく》に|隠《かく》されてゐるやうな|気《き》がした。|自分《じぶん》は|恋《こひ》でもなく|色《いろ》でもなく|何《なん》となく|同情心《どうじやうしん》に|駆《か》られ、この|可憐《かれん》な|女《をんな》を|助《たす》けてやりたいと|義侠心《ぎけふしん》に|充《み》たされてゐた。けれども|自分《じぶん》は|照国別《てるくにわけ》の|従者《じうしや》であり、|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|列《れつ》を|離《はな》れることは|出来《でき》ぬ。|如何《いか》がはせむかと とつおひつ|思案《しあん》に|暮《く》れながら、|照国別《てるくにわけ》、ジャンクの|義勇軍《ぎゆうぐん》に|従《したが》ひ、|駒《こま》に|鞭《むち》|打《う》つて|渺茫《べうばう》たる|大広原《だいくわうげん》を|駈《か》け|出《だ》したが、|黄昏時《たそがれどき》になり、|自分《じぶん》の|乗馬《じやうば》は|何《なに》ほど|鞭《むち》|打《う》つても【いましめ】ても|一歩《いつぽ》も|前《まへ》に|進《すす》まうとはしない。その|間《あひだ》に|数多《あまた》の|義勇軍《ぎゆうぐん》は|梅公《うめこう》を|大広原《だいくわうげん》の|中《なか》に|残《のこ》し、|馬《うま》の|蹄《ひづめ》に|砂塵《しやぢん》を|捲《ま》き|上《あ》げながら|暴風《ばうふう》のごとき|勢《いきほ》ひにてバルガン|城《じやう》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。|梅公《うめこう》は|馬上《ばじやう》にて|双手《もろて》を|組《く》み|暫《しば》し|思案《しあん》に|暮《く》れてゐたが……|吾《わ》が|馬《うま》に|限《かぎ》つて|何故《なぜ》|進《すす》まぬのだらう、|何《なに》か|深《ふか》き|御神慮《ごしんりよ》のましますならむ……と|試《こころ》みに|右《みぎ》の|手綱《たづな》を|一寸《ちよつと》|引《ひ》けば|駒《こま》は|頭《かしら》を|西《にし》に|立直《たてなほ》し、|星明《ほしあか》りの|原野《げんや》をあてどもなく|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほ》ひで|駈《か》け|出《だ》した。|梅公《うめこう》は……アア|師《し》の|君《きみ》には|済《す》まない、しかしながら|肝腎《かんじん》の|駒《こま》が|進《すす》まないのは|何《なに》か|特別《とくべつ》の|使命《しめい》が|神界《しんかい》から|下《くだ》つたのだらう。|今《いま》となつては|何事《なにごと》も|神《かみ》のまにまに|行動《かうどう》するのみ……と|決心《けつしん》の|臍《ほぞ》を|固《かた》めた。|乗馬《じやうば》はやうやく|梅公《うめこう》の|心《こころ》を|知《し》つたかの|如《ごと》く、フサフサとした|太《ふと》い|長《なが》い|尾《を》を|左右《さいう》に|振《ふ》りながら、|勇《いさ》ましく|高《たか》く|嘶《いなな》きつつポカリポカリと|静《しづ》かに|歩《あゆ》み|出《だ》した。
|蒼《あを》ずんだ|空《そら》に|金銀色《きんぎんしよく》の|星《ほし》は|金箔《きんぱく》を|打《う》つたるごとくキラリキラリと|輝《かがや》いて、|梅公《うめこう》の|行動《かうどう》を|監視《かんし》するものの|如《ごと》くに|思《おも》はれた。|天《てん》は|高《たか》くして|静《しづ》かに、|地《ち》は|際限《さいげん》なき|茫々《ばうばう》たる|原野《げんや》、|猛獣《まうじう》の|声《こゑ》も|聞《き》こえず、【そよ】と|吹《ふ》く|風《かぜ》の|響《ひびき》もなし、ただ|駒《こま》の|鼻呼吸《はないき》、|蹄《ひづめ》の|音《おと》のみ|砂地《すなぢ》の|草《くさ》ツ|原《ぱら》を|駈《か》け|行《ゆ》く|音《おと》が|柔《やは》らかにポカポカと|聞《き》こゆるのみであつた。|左手《ゆんで》の|方《かた》の、コンモリとした|小山《こやま》をみれば|木立《こだち》の|間《あひだ》からチヨロチヨロと|火《ひ》が|燃《も》えてゐる。|梅公《うめこう》は……あの|山麓《さんろく》に|人家《じんか》あり、|何《なに》はともあれ|立《た》ち|寄《よ》つて|様子《やうす》を|探《さぐ》りみむ……と|左手《ゆんで》に|馬首《ばしゆ》を|廻《めぐ》らせば、|駒《こま》は|勢《いきほ》ひ|込《こ》んで|驀進《まつしぐら》に|進《すす》みゆく。|梅公《うめこう》は|火《ひ》を|目当《めあて》に|駒《こま》の|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせながら、|木蔭《こかげ》に|近《ちか》づき|眺《なが》むれば、バラモンの|落武者《おちむしや》と|見《み》えて|四五人《しごにん》の|荒《あら》くれ|男《をとこ》、|一人《ひとり》の|美人《びじん》を|後手《うしろで》に|縛《しば》り、|何事《なにごと》か|荒々《あらあら》しく|叫《さけ》びながら|女《をんな》の|体《からだ》を|所《ところ》かまはず|鞭《むち》にて|打《う》ち|据《す》ゑてゐる。その|度毎《たびごと》に|女《をんな》はヒイヒイと|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げ、|髪《かみ》|振《ふ》り|乱《みだ》し、|無念《むねん》の|歯《は》を|喰《くひ》しばり|美人《びじん》ながらも|形相《ぎやうさう》|凄《すさま》じく、さすがの|梅公《うめこう》も|肝《きも》を|潰《つぶ》すばかりであつた。|梅公《うめこう》は……|如何《いか》にもして|彼女《かのぢよ》を|助《たす》けてやりたい。|今《いま》や|彼《かれ》は|血《ち》に|餓《う》ゑたる|豺狼《さいらう》の|餌食《ゑじき》たらむとするのであるか、アア|不愍《ふびん》なものだ。しかしながら|敵《てき》は|数人《すうにん》の|荒武者《あらむしや》、|自分《じぶん》は|一人《ひとり》だ。されど、|千里《せんり》の|駿足《しゆんそく》を|力《ちから》として|万一《まんいち》|失敗《しつぱい》した|時《とき》は|一目散《いちもくさん》に|逃《に》げ|出《だ》せばよい。|一《ひと》つ|試《ため》しに|脅《おど》かして|見《み》む……と、|密樹《みつじゆ》の|蔭《かげ》に|駒《こま》を|寄《よ》せ|馬上《ばじやう》より|大音声《だいおんじやう》、
『ウハハハハ、|某《それがし》はオーラ|山《さん》に|鎮《しづ》まる|天降坊《てんかうばう》と|申《まを》す|大天狗《だいてんぐ》だ。|汝等《なんぢら》|不届《ふとど》き|至極《しごく》にも、|繊弱《かよわ》き|婦人《ふじん》を|弄《もてあそ》び、|無体《むたい》の|恋慕《れんぼ》を|企《くはだ》て、|非望《ひばう》を|遂《と》げむとする|憎《につく》き|曲者《くせもの》、|今《いま》や|当山《たうざん》の|眷族《けんぞく》どもが|報告《はうこく》により、|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》の|悪人《あくにん》どもを|征伐《せいばつ》せむため、|今《いま》|此処《ここ》に|立《た》ち|向《む》かふたり、|不届者《ふとどきもの》|奴《め》、|其処《そこ》|動《うご》くな、ウーウー』
と|唸《うな》り|立《た》つるや、|寝耳《ねみみ》に|水《みづ》のバラモン|共《ども》は|忽《たちま》ち|度《ど》を|失《うしな》ひ、|女《をんな》を|捨《す》てて、
『|天狗《てんぐ》だ|天狗《てんぐ》だ』
と|呼《よ》ばはりながら|軍服《ぐんぷく》や|帽《ばう》や|靴《くつ》、|剣《けん》などを|其《そ》の|場《ば》に|捨《す》ておき、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|逃《に》げ|散《ち》つてしまつた。
|梅公《うめこう》『アハハハハ。|案《あん》に|相違《さうゐ》の|弱虫《よわむし》|共《ども》、|吾《わ》が|言霊《ことたま》に|辟易《へきえき》して|脆《もろ》くも|逃《に》げ|散《ち》つたるその|可笑《をか》しさ。てもさても|愉快《ゆくわい》な|事《こと》だわい』
と|独語《ひとりご》ちつつ|駒《こま》の|手綱《たづな》を|引《ひ》きしめ|引《ひ》きしめ|女《をんな》の|傍《かたはら》に|進《すす》みより、ヒラリと|駒《こま》を|飛《と》び|降《お》りて|女《をんな》の|縄目《なはめ》を|解《と》き|水筒《すゐとう》の|水《みづ》を|口《くち》に|含《ふく》ませ、|二《ふた》つ|三《み》つ|背《せな》を|叩《たた》けば、「ウン」と|女《をんな》は|呼吸《いき》|吹《ふ》きかへし、|梅公《うめこう》の|顔《かほ》を|星影《ほしかげ》に|透《す》かし|見《み》て、
『どうかお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|許嫁《いひなづけ》がございますから、|身《み》を|汚《けが》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。こればかりは|御勘弁《ごかんべん》を|願《ねが》ひます。いくらお|責《せ》め|下《くだ》さいましても|命《いのち》にかへても|操《みさを》を|守《まも》らねばなりませぬ』
と|掌《て》を|合《あは》す。
|梅公《うめこう》『これこれお|女中《ぢよちう》、|拙者《せつしや》は|決《けつ》してバラモン|軍《ぐん》ではない。|三五教《あななひけう》の|梅公《うめこう》といふ|神《かみ》の|使《つかひ》だ。お|前《まへ》さまが|大勢《おほぜい》の|男《をとこ》に|責《せ》められてをるのを|見《み》るに|忍《しの》びず、|命《いのち》を|的《まと》に|敵《てき》を|追《お》ひ|散《ち》らしてやつたのだ。|安心《あんしん》しなさい。|決《けつ》して|操《みさを》を|破《やぶ》るやうなことを|申《まを》さないから、|安心《あんしん》なさいませ。こんな|所《ところ》に|長居《ながゐ》してゐては|又《また》もや|敵《てき》が|引返《ひきかへ》して|来《く》るかも|知《し》れぬ。|詳《くは》しき|話《はなし》は|途々《みちみち》|承《うけたまは》りませう。|吾《わ》が|馬《うま》にお|乗《の》りなさい』
と|言《い》ひながら|女《をんな》を|抱《かか》へて|自分《じぶん》と|共《とも》に|駒《こま》の|背《せ》に|跨《また》がり、|再《ふたた》び|元《もと》の|高原《かうげん》を|西《にし》へ|西《にし》へと|進《すす》み|行《ゆ》く。|梅公《うめこう》は|馬上《ばじやう》ながら|女《をんな》に|向《む》かつて|遭難《さうなん》の|顛末《てんまつ》を|尋《たづ》ねた。
|梅公《うめこう》『これお|女中《ぢよちう》さま、お|前《まへ》さまは、どうして|又《また》、こんな|所《ところ》へ|誘拐《かどわか》されて|来《き》たのだ。|何《なに》か|深《ふか》い|訳《わけ》があらう。|差支《さしつか》へない|限《かぎ》り、|一伍一什《いちぶしじふ》を|話《はな》してもらひたいものだなア』
|女《をんな》『ハイ、|御親切《ごしんせつ》にあづかりまして、お|蔭様《かげさま》で|危難《きなん》を|免《まぬが》れました。|妾《わたし》はタライの|村《むら》の|花香《はなか》と|申《まを》す|娘《むすめ》でございますが、|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》バラモンの|軍人《ぐんじん》が|吾《わ》が|村《むら》に|屯営《とんえい》いたし、その|際《さい》|母《はは》を|縛《しば》り|上《あ》げ、|妾《わたし》を|無理無体《むりむたい》に|縛《しば》つて|馬《うま》の|背《せ》に|乗《の》せ、|其処辺中《そこらぢう》を|引《ひ》き|廻《まは》し、|遂《つひ》にはあの|洞ケ丘《ほらがをか》の|森林《しんりん》に|誘《おび》き|出《だ》し、|寄《よ》つてかかつて|獣慾《じうよく》を|遂《と》げむとして|居《ゐ》ました|所《ところ》、|貴方様《あなたさま》がお|出《い》で|下《くだ》さつて|危《あや》ふい|所《ところ》を|救《すく》はれ、|何《なん》ともお|礼《れい》の|申《まを》しやうがございませぬ』
|梅公《うめこう》『|何《なに》、お|前《まへ》さまが、|花香《はなか》さまか、|何《なん》と|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものだ。|実《じつ》は|一昨朝《きのうのあさ》のこと、お|前《まへ》の|家《いへ》へ|立《た》ち|寄《よ》つて|見《み》ればサンヨさまは、|雁字搦《がんじがら》みに|縛《しば》りつけられ、|眉間《みけん》から|血《ち》を|出《だ》して、|虫《むし》の|息《いき》になつて|居《ゐ》られた|所《ところ》、|吾《わ》がお|師匠様《ししやうさま》の|照国別《てるくにわけ》|様《さま》|一行《いつかう》がお|救《すく》ひ|申《まを》し、|漸《やうや》く|全快《ぜんくわい》された。その|時《とき》にお|前《まへ》さまの|話《はなし》を|聞《き》いたのだ。サンヨさまの|仰有《おつしや》るには「|娘《むすめ》は|到底《たうてい》|命《いのち》の|無《な》いものと|諦《あきら》めてゐます。しかしながら、あなたの|御神徳《ごしんとく》で|娘《むすめ》を|救《すく》うて|下《くだ》さつたならば、|娘《むすめ》の|身《み》の|上《うへ》を|一切《いつさい》お|任《まか》せする」と|頼《たの》まれました。しかしながらお|前《まへ》さまにはエルソンといふ|意中《いちう》の|男《をとこ》があるでせう』
|花香《はなか》は|驚《おどろ》いて、
『ハイ、|母《はは》までが|豪《えら》いお|世話《せわ》になりましてお|礼《れい》の|申《まを》しやうもございませぬ。そして|母《はは》が|妾《わらは》の|身《み》の|上《うへ》を|貴方様《あなたさま》にお|任《まか》せ|申《まを》しますと|申《まを》しましてございますか』
|梅公《うめこう》『たしかに|頼《たの》まれましたが、しかしながら|其処《そこ》へエルソンさまが|見舞《みまひ》に|見《み》えてサンヨさまに|心《こころ》のたけを|打《う》ち|明《あ》けられたので、|大変《たいへん》にサンヨさまもお|喜《よろこ》びになり、お|前《まへ》さまが|無事《ぶじ》で|帰《かへ》つたなら、きつと|夫婦《ふうふ》にしてやらうといふお|約束《やくそく》が|出来《でき》てゐますよ』
|花香《はなか》『あれまア、|母《はは》がそんな|事《こと》を|申《まを》しましたか。|貴方様《あなたさま》に|妾《わたし》の|身《み》の|上《うへ》をお|任《まか》せすると|言《い》つたぢやございませぬか。どうも|母《はは》の|言葉《ことば》として|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|任《まか》すといふのは|合点《がつてん》が|参《まゐ》り|兼《か》ねます』
『ハハハハハ。これ|花香《はなか》さま、さう|深《ふか》く|考《かんが》へてはいけない。|私《わたし》は|宣伝使《せんでんし》、|天下《てんか》を|股《また》にかけて|旅行《りよかう》するもの、サンヨさまが、|私《わたし》に|任《まか》すと|言《い》つたのは、そんな|夫婦関係《ふうふくわんけい》のやうな|深《ふか》い|意味《いみ》ぢやない。|要《えう》するに……|娘《むすめ》を|救助《きうじよ》してくれ……といふ|意味《いみ》だ。エルソンさまに|言《い》はれた|事《こと》と|私《わたし》に|言《い》はれた|事《こと》とは|大《おほ》いに|意味《いみ》が|違《ちが》ひますよ』
『ハイ、|分《わか》りました。えらい|御厄介《ごやくかい》をかけまして|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》でございます。しかしながら|妾《わたし》は|貴方《あなた》が|何《なん》だか|恋《こひ》しく|思《おも》はれてなりませぬわ』
『これこれ|花香《はなか》さま、さう|脱線《だつせん》してはいけませぬよ。|今《いま》|貴女《あなた》が|悪漢《わるもの》にさいなまれてゐた|時《とき》、|木蔭《こかげ》に|隠《かく》れて|聞《き》いてをれば、どこまでも……|女《をんな》の|操《みさを》を|破《やぶ》らない……と|言《い》うて、|命《いのち》に|代《か》へて|操《みさを》を|守《まも》つたぢやありませぬか。それはきつとエルソンのためでせう』
『いいえ、エルソンなんか|一回《いつくわい》も|約束《やくそく》した|事《こと》はありませぬ。あちらの|方《はう》から|何《なん》とか|彼《か》とか|言《い》うて|幾度《いくたび》となく|言《い》ひ|寄《よ》られた|事《こと》はございますが、いつとても|体《てい》よくお|断《こと》わりを|申《まを》してゐるのです』
『そんなら、あなたの|恋人《こひびと》はまだ|外《ほか》にあるのですか』
『ハイ、|立派《りつぱ》なお|方《かた》が|唯《ただ》|一人《ひとり》ございます』
『その|恋人《こひびと》といふのは|今《いま》|何《なに》をしてをられるのですか』
『ハイ、お|恥《は》づかしながら|今《いま》|妾《わたし》と|一緒《いつしよ》に|馬《うま》に|乗《の》つてをられます』
『ハハハハハ。これ|花香《はなか》さま、|冗談《じようだん》|言《い》つちやいけませぬよ。|貴女《あなた》は|私《わたし》を|揶揄《からか》つてゐるのですな』
『イエイエ|勿体《もつたい》ない、|命《いのち》の|恩人《おんじん》、|神《かみ》の|与《あた》へた|恋人《こひびと》に|対《たい》し、どうして|揶揄《からか》ひなんぞいたしませう。|妾《わたし》の|言葉《ことば》は|熱血《ねつけつ》より|迸《ほとばし》つてをりますの』
『どうも|合点《がつてん》のゆかぬことを|言《い》ひますね』
『|妾《わらは》は|夜《よ》な|夜《よ》な|夢《ゆめ》に|麗《うるは》しき|神人《しんじん》と|遇《あ》つてをります。そのお|方《かた》はいつも|馬《うま》に|跨《また》がり、|妾《わたし》を|山野《さんや》に|導《みちび》いていろいろの|教訓《けうくん》をして|下《くだ》さいますが、|今《いま》あなたのお|顔《かほ》を|拝《をが》みまして、|初《はじ》めて|夢《ゆめ》の|中《なか》の|恋人《こひびと》に|遇《あ》へたと|思《おも》つて|喜《よろこ》びにたへませぬ。|妾《わたし》は|夢《ゆめ》の|中《なか》なる|恋人《こひびと》と|深《ふか》く|契《ちぎり》を|結《むす》びました。その|夢《ゆめ》に|現《あら》はれた|方《かた》は|貴方《あなた》にそつくりです。お|顔《かほ》といひお|声《こゑ》といひ、|馬《うま》の|乗《の》りかたといひ、この|馬《うま》までがそつくりですもの。これが|何《ど》う|疑《うたが》はれませう』
|梅公《うめこう》は|吐息《といき》をつきながら、
『ハテナ、これや|夢《ゆめ》ではあるまいか。どうも|合点《がてん》のゆかぬ|事《こと》があるものだ。|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》をしながら|女房《にようばう》を|連《つ》れて|歩《ある》く|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たものだなア』
|花香《はなか》『もし|貴方《あなた》は|梅《うめ》さまと|言《い》ふ|名《な》ぢやございませぬか。いつも|夢《ゆめ》の|中《なか》で、|梅公《うめこう》さま|梅公《うめこう》さまと|言《い》つて|交際《つきあ》つてゐましたよ』
|梅公《うめこう》『なるほど|私《わし》の|名《な》は|梅公《うめこう》だ。さうしてお|前《まへ》さまの|名《な》は|花香《はなか》。|三千世界《さんぜんせかい》|一時《いちじ》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》の|香《かを》りといふ|所《ところ》だなー、ハハハハハ。|何《なん》だか|訳《わけ》が|分《わか》らなくなつてきましたわい』
『あなたは……|二人《ふたり》の|仲《なか》は|神《かみ》の|定《さだ》めた|真《まこと》の|夫婦《ふうふ》だ……とお|感《かん》じになりませぬか』
『まア|悠《ゆつく》り|思案《しあん》さして|下《くだ》さい。|馬上《ばじやう》では|分《わか》りませぬわ。|何処《どこ》かへ|下《お》りて|悠《ゆつく》りと|考《かんが》へませう。や、|幸《さいは》ひ|此処《ここ》に、|好《よ》い|場所《ばしよ》がある。|花香《はなか》さま、|貴女《あなた》はこのまま|馬《うま》に|乗《の》つてゐて|下《くだ》さい。|私《わたし》は|一寸《ちよつと》|鎮魂《ちんこん》をして|神勅《しんちよく》を|伺《うかが》つて|見《み》ませう』
と|言《い》ひながら|馬《うま》をヒラリと|飛《と》びおりた。
|花香《はなか》『もし|梅公様《うめこうさま》、|女《をんな》が|馬《うま》に|乗《の》つてゐるのは、|何《なん》といふ|謎《なぞ》でございませうかな、ちよつと|考《かんが》へて|下《くだ》さいな』
|梅公《うめこう》『|女《をんな》に|馬《うま》、フン、なるほど、|媽《かか》といふ|洒落《しやれ》だな。かかる|不思議《ふしぎ》な|事《こと》は|開闢以来《かいびやくいらい》|誰《たれ》も|味《あぢ》はうたものはあるまい』
と|言《い》ひながら|双手《もろて》を|組《く》み|瞑目《めいもく》して|鎮魂《ちんこん》の|行《ぎやう》に|入《い》つた。|花香《はなか》も|馬《うま》をヒラリと|飛《と》び|下《お》り|傍《かたはら》に|同《おな》じく|座《ざ》して|鎮魂《ちんこん》の|姿勢《しせい》を|取《と》つた。|無心《むしん》の|馬《うま》は|目《め》を|閉《つむ》つて|四辺《あたり》の|草《くさ》をむしつてゐる。|暫《しばら》くあつて|梅公《うめこう》も|花香《はなか》も|互《たが》ひに|何《なん》とも|言《い》はず、|再《ふたた》び|相乗《あひの》り|馬《うま》にて|際限《さいげん》もなき|広野《ひろの》をオーラ|山《さん》の|峰《みね》を|目《め》がけて、|野嵐《のあらし》に|吹《ふ》かれながら|進《すす》み|行《ゆ》くのであつた。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 加藤明子録)
第一七章 |縁馬《えんば》の|別《わかれ》〔一六九九〕
|梅公《うめこう》は|花香《はなか》と|共《とも》に|相乗馬《あひのりうま》にて、|風《かぜ》|吹《ふ》き|亘《わた》る|高原《かうげん》を、オーラ|山《さん》を|目当《めあて》となして、カツカツと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|花香《はなか》『モシ|梅公様《うめこうさま》、あなたは|鎮魂《ちんこん》なさつた|際《さい》、|大神様《おほかみさま》のお|告《つ》げがあつたでせう。|私《わたし》の|申《まを》し|上《あ》げたことは|御神意《ごしんい》に|叶《かな》つてゐるでせうがな』
|梅公《うめこう》『さうイライラと、|追求《つゐきう》されては|堪《た》まりませぬワイ。|天機《てんき》|容易《ようい》に|洩《も》らすべからず。|先《ま》づ|先《ま》づ|後《のち》の|楽《たの》しみとして、|記憶帳《きおくちやう》につけとめておきませう』
『その|記憶帳《きおくちやう》を|一寸《ちよつと》|私《わたし》に|拝見《はいけん》さしてもらへませぬか。|私《わたし》も|御神勅《ごしんちよく》によつて|概略《がいりやく》は|存《ぞん》じてをります。そしてまた|私《わたし》も|記憶帳《きおくちやう》にいろいろの|神秘《しんぴ》を|記載《きさい》しておきました。あなたの|記憶帳《きおくちやう》を|一寸《ちよつと》ばかりお|洩《も》らし|下《くだ》さらば、|私《わたし》の|記憶帳《きおくちやう》もお|目《め》にかけますがなア』
『ハハハハハあなたもぬかりがありませぬな。|記憶帳《きおくちやう》どころか、|気遅《きおく》れがして、|何《なに》も|申《まを》し|上《あ》げられませぬワイ、ハハハイハイハイ』
と|手綱《たづな》を|引締《ひきし》めながら|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、
『|花香《はなか》さま、|確《しつか》り|掴《つか》まへて|下《くだ》さいよ。これからチツと|飛《と》ばしますから』
|花香《はなか》『|幾《いく》らなつと、お|飛《と》ばしなさいませ。|後《うし》ろから|貴郎《あなた》の|腰《こし》を|心《こころ》|行《ゆ》くばかり、|抱《だ》き|締《し》めますワ。サアお|飛《と》ばしなさい』
と|息《いき》が|詰《つ》まるほど|抱《だ》き|締《し》めた。
|梅公《うめこう》『あ、|痛《いた》い|痛《いた》い、モチツとお|手柔《てやは》らかに|願《ねが》ひます。|息《いき》が|切《き》れますよ。|思《おも》ふやうに|手綱《たづな》が|使《つか》へないと、あなたと|一緒《いつしよ》に|落馬《らくば》しちやすみませぬからな』
|花香《はなか》『ホホホそんな|気遣《きづか》ひはいりませぬよ。|落馬《らくば》しさうになつたら、|私《わたし》が|抱《かか》へて、|馬《うま》の|背《せ》から|飛《と》んで|上《あ》げますワ。たとへおちて|頭《あたま》をうち|絶命《ぜつめい》したところで、あなたと|二人《ふたり》ならば|満足《まんぞく》ですもの。この|馬《うま》に|乗《の》つて|三途《せうづ》の|川《かは》を|渡《わた》るのも|一興《いつきよう》でございませうよ』
『コレコレ|花香《はなか》さま、そんな|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》をいふものでない。|三途《せうづ》の|川《かは》どころか、|自分《じぶん》は|二人《ふたり》の|美人《びじん》を|助《たす》けたいがために、|一途《いちづ》になつて|行《ゆ》くのだ』
『|二人《ふたり》の|美人《びじん》を|助《たす》けたいとは、ソリヤ|何方《どなた》の|事《こと》でございますか』
『|何方《どなた》でも|宜《よろ》しい。|後《あと》になりや|分《わか》るでせう。ともかく|私《わたし》は|神《かみ》の|使命《しめい》によりて、|目的《もくてき》の|人々《ひとびと》がオーラ|山《さん》に|捉《とら》へられてをるやうな|暗示《あんじ》を|与《あた》へられました。あなたも|一緒《いつしよ》にオーラ|山《さん》にお|登《のぼ》りになつたらどうですか。お|厭《いや》なら、お|宅《たく》まで|貴女《あなた》を|送《おく》り|届《とど》け、|単騎《たんき》|私《わたし》が|救援隊《きうゑんたい》に|向《む》かふつもりですから……』
『|私《わたし》はどこまでも|貴郎《あなた》のお|伴《とも》を|致《いた》します。たとへ|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》でも|地獄《ぢごく》のドン|底《ぞこ》でもお|伴《とも》さして|下《くだ》さい。|女房《にようばう》は|夫《をつと》の|附物《つきもの》ですからな』
『コレはしたり、|花香《はなか》さま、|又《また》しても|夫《をつと》だの、|女房《にようばう》だのと、みつともないぢやありませぬか』
『ハイ|私《わたし》はみつともない|女《をんな》でございます。|到底《たうてい》あなたのお|気《き》にはいりますまい。|悪魔《あくま》の|巣窟《さうくつ》まで|美人《びじん》を|助《たす》けに|行《ゆ》くと|仰有《おつしや》るくらゐですもの。どんな|立派《りつぱ》な|方《かた》が|貴方《あなた》を、|待《ま》つてゐらつしやるか|知《し》れませぬもの。しかし|私《わたし》は|神様《かみさま》より|夢《ゆめ》の|中《なか》に|許《ゆる》された、あなたは|夫《をつと》ですもの、|私《わたし》は|貴郎《あなた》の|先取権《せんしゆけん》を|握《にぎ》つてますワ。こんな|事《こと》を|申《まを》すと|悋気《りんき》するやうですが、|決《けつ》して|悋気《りんき》なんか|致《いた》しませぬ。|私《わたし》が|貴郎《あなた》に|危急《ききふ》を|救《すく》はれて|嬉《うれ》しかつたやうに、あなたの|意中《いちう》の|人《ひと》も、あなたに|危急《ききふ》を|救《すく》はれるのは|殊更《ことさら》|嬉《うれ》しいでせう。そして|貴郎《あなた》を|愛《あい》する|女《をんな》の|方々《かたがた》は|如何《いか》なる|人《ひと》か、|一遍《いつぺん》お|顔《かほ》も|拝《をが》みたうございますから、|是非《ぜひ》お|伴《とも》をさしていただきたうございます』
『|何《なん》だか|妙《めう》なところへ、|言霊《ことたま》の|矢《や》が|向《む》きましたな。|疑《うたが》ひを|晴《は》らすため、|一層《いつそう》のこと、|打明《うちあ》けて|申《まを》しませう。|実《じつ》は|花香《はなか》さま、お|前《まへ》さまの|不在宅《るすたく》でタライの|村《むら》のタクソンさまに|出会《であ》ひ、|里庄《りしやう》のジャンクさまが|館《やかた》に|行《い》つたところ、お|嬢《ぢやう》さまのスガコ|姫様《ひめさま》が|悪者《わるもの》に|掻《か》つ|攫《さら》はれ|行方《ゆくへ》が|不明《ふめい》との|事《こと》で|非常《ひじやう》な|御心配《ごしんぱい》。それにまた|許嫁《いひなづけ》のサンダーさままでが|家出《いへで》をなされ、|大変《たいへん》に|両家《りやうけ》の|御心配《ごしんぱい》、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》として|看過《かんくわ》するわけには|行《ゆ》きますまい。|折《を》りも|折《を》りとて、トルカ|王様《わうさま》の|勅使《ちよくし》|来《き》たり、|里庄《りしやう》のジャンクさまは|義勇軍《ぎゆうぐん》を|組織《そしき》し|一隊《いつたい》を|率《ひき》ゐて、バラモン|軍《ぐん》|征伐《せいばつ》のため、|王城《わうじやう》|守護《しゆご》のために|出陣《しゆつぢん》をなさつたのですよ。|私《わたし》もその|軍《ぐん》に|従《したが》つて|途中《とちう》まで|参《まゐ》りましたが、どうしても|馬《うま》が|動《うご》かないので、これは……お|二人《ふたり》を|助《たす》けよ……との|神様《かみさま》のお|示《しめ》しと|直覚《ちよくかく》し、|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し、|馬《うま》の|進《すす》むがままに|駈《か》け|出《だ》したところ、|折《を》りよくも|貴女《あなた》の|危難《きなん》を|救《すく》ふことが|出来《でき》たのです』
『アア|左様《さやう》でございますか、それを|承《うけたまは》つて|安心《あんしん》をいたしました。スガコさまとサンダーさまは|已《すで》に|許嫁《いひなづけ》の|夫婦《ふうふ》でございますから、|何卒《どうぞ》|助《たす》けて|上《あ》げて|下《くだ》さいませ。しかしオーラ|山《さん》にゐられるでせうかな』
『ハハハハ、これで|貴女《あなた》も|御安心《ごあんしん》の|態《てい》とみえますな。チツとばかり|妬《や》いてゐましたね。オーラ|山《さん》に|居《ゐ》られるか|居《ゐ》られぬかといふ|事《こと》は、|私《わたし》としては|判然《はつき》りとした|事《こと》は|分《わか》らないですが、どうも|居《ゐ》られるやうな|直覚《ちよくかく》をするのです』
『|毎晩《まいばん》|毎晩《まいばん》オーラ|山《さん》には、お|星《ほし》さまがお|降《くだ》りになるといふ|事《こと》です。|天《てん》から|救世主《きうせいしゆ》がお|降《くだ》りになり、|万民《ばんみん》の|苦難《くなん》を|救《すく》ひ|下《くだ》さるといつて、|偉《えら》い|評判《うはさ》ですが、|何《なん》だか|私《わたし》は|虫《むし》が|好《す》かないので|一度《いちど》も|参《まゐ》つた|事《こと》はございませぬ。|天《てん》から|星《ほし》が|降《くだ》つて|救世主《きうせいしゆ》の|教《をしへ》を|聞《き》かれるなんて、そんな|事《こと》が|実際《じつさい》あるものでせうかな』
『さアそれが|第一《だいいち》|不思議《ふしぎ》の|点《てん》だ。……あんな|事《こと》いたして、|売僧《まいす》どもが|山子《やまこ》してゐるのではなからうか、|人《ひと》の|妻女《さいぢよ》を|奪《うば》ひ|取《と》り、どつかへ|隠《かく》しておいて、|金品《きんぴん》を|強要《きやうえう》し、|商売《しやうばい》の|種《たね》に|使《つか》つてをるのではなからうか……と、|思《おも》はれてならないのです。さうでなくては|私《わたし》だつて、オーラ|山《さん》へ|目《め》はつけないのですからな。これからボツボツ|参《まゐ》れば|丁度《ちやうど》|酉《とり》の|刻《こく》には|麓《ふもと》までは|着《つ》けるでせう。|歌《うた》でも|唄《うた》つて|参《まゐ》りませうか、あなたのお|優《やさ》しい|声《こゑ》で|旅《たび》の|憂《う》さを|慰《なぐさ》めるため、|一口《ひとくち》|聞《き》かしてもらひたいものですな』
『ハイ|畏《かしこ》まりました。どうかお|笑《わら》ひ|下《くだ》さいませぬやうに……』
『|上手《じやうず》に|面白《おもしろ》くお|唄《うた》ひになれば、|自然《しぜん》|笑《わら》ひますよ。お|歌《うた》が|下手《へた》だつたら、|畏《かしこ》まつて|承《うけたまは》りませう』
『あなたはキツと|笑《わら》ふつもりでせう。|甘《うま》いこと|言《い》つて|予防線《よばうせん》を|張《は》つてゐらつしやるのですもの。
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》にかをる|神《かみ》の|道《みち》
|梅公《うめこう》さまと|花香《はなか》とは  |神《かみ》の|定《さだ》めし|縁《えにし》にて
|名《な》さへ|目出《めで》たき|梅《うめ》の|花《はな》  |香《かを》りを|送《おく》る|春《はる》の|風《かぜ》
|駒《こま》のいななき|蹄《つめ》の|音《ね》も  |何《なん》とはなしに|勇《いさ》ましく
その|鼻息《はないき》はフーフーと  |頭《かしら》をあげて|勇《いさ》みゐる
|今《いま》|乗《の》る|馬《うま》は|神《かみ》の|馬《うま》  |吾等《われら》が|赤縄《えにし》を|結《むす》ぶなる
|馬頭観世音《ばとうくわんぜおん》の|化身《けしん》ぞや  |同《おな》じ|一《ひと》つの|馬《うま》に|乗《の》り
|人目《ひとめ》の|関《せき》も|突破《とつぱ》して  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大野原《おほのはら》
|進《すす》み|行《ゆ》くこそ|芽出《めで》たけれ  |私《わたし》と|貴郎《あなた》は|昔《むかし》から
|結《むす》びの|神《かみ》の|引合《ひきあは》せ  |生《うま》れし|国《くに》は|隔《へだ》つとも
|霊《みたま》は|同《おな》じ|神《かみ》の|前《まへ》  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|御許《みゆる》しうけて|結《むす》ばれし  |千代《ちよ》の|縁《えにし》に|違《ちが》ひない
|悪者《わるもの》どもに|取巻《とりま》かれ  |今《いま》や|操《みさを》を|汚《けが》さむと
|責《せ》めさいなまれたる|時《とき》もあれ  |天狗《てんぐ》のような|高《たか》い|声《こゑ》
|森《もり》の|中《なか》より|聞《き》こえ|来《く》る  |一度《いちど》は|驚《おどろ》き|肝《きも》つぶし
|如何《いか》に|吾《わ》が|身《み》はなるかやと  |慄《ふる》ひ|戦《をのの》きゐたりしが
よくよくみれば|汝《な》が|命《みこと》  |花《はな》の|顔容《かんばせ》|月《つき》の|眉《まゆ》
|水際《みぎは》に|匂《にほ》ふ|梅《うめ》が|香《か》の  |花《はな》にもまがふ|背《せ》の|君《きみ》に
|会《あ》うた|嬉《うれ》しさ|懐《なつか》しさ  |凡《すべ》ての|事《こと》を|打忘《うちわす》れ
たつた|一人《ひとり》の|母様《ははさま》の  |淋《さび》しくお|暮《くら》し|遊《あそ》ばすを
|訪《と》ひまつらむと|思《おも》へども  あなたに|心《こころ》|引《ひ》かされて
|次《つ》ぎになしたる|恋《こひ》の|暗《やみ》  |憐《あは》れみ|玉《たま》へ|背《せ》の|君《きみ》よ
たとへ|野《の》の|末《すゑ》|山《やま》のおく  |大海原《おほうなばら》の|底《そこ》までも
|吾《わ》が|玉《たま》の|緒《を》のある|限《かぎ》り  |駒《こま》の|蹄《ひづめ》の|続《つづ》くまで
|御伴《みとも》に|仕《つか》へまつるべし  |天《てん》にたとへし|背《せ》の|君《きみ》と
|大地《だいち》にたとへし|妻《つま》の|身《み》の  いかで|離《はな》るる|事《こと》あらむ
|天地《てんち》の|間《あひだ》に|人《ひと》となり  まして|有情《うじやう》の|女子《をみなご》が
|如何《いか》でか|恋《こひ》を|忘《わす》るべき  |山野《やまの》にすだく|虫《むし》の|音《ね》も
|梢《こずゑ》に|囀《さへづ》る|百鳥《ももどり》も  |恋《こひ》を|歌《うた》はぬものはなし
|恋《こひ》し|恋《こひ》しの|背《せ》の|君《きみ》と  |魔風《まかぜ》|恋風《こひかぜ》|面《おも》にうけ
|魔神《まがみ》の|集《つど》ふオーラ|山《さん》  |勇《いさ》み|進《すす》んで|出《い》でて|行《ゆ》く
|吾《わ》が|魂《たましひ》は|奮《ふる》ひ|立《た》ち  |血汐《ちしほ》は|躍《をど》り|魂《たま》|光《ひか》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  イドムの|神《かみ》よどこまでも
|二人《ふたり》が|仲《なか》を|永久《とこしへ》に  |結《むす》ばせ|玉《たま》へ|万世《よろづよ》の
|国《くに》の|礎《いしずゑ》|固《かた》めむと  |出《い》で|立《た》ちたまふ|宣伝使《せんでんし》
|夫《をつと》にもちて|吾《われ》は|今《いま》  |魔神《まがみ》の|征途《せいと》に|進《すす》むなり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》かけ|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|大日《おほひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|魔神《まがみ》の|力《ちから》|強《つよ》くとも  |神《かみ》に|任《まか》せしこの|身体《からだ》
|吾《わ》が|背《せ》の|君《きみ》のある|限《かぎ》り  いかでひるまむ|神《かみ》の|御子《みこ》
|守《まも》らせ|玉《たま》へと|願《ね》ぎまつる』
|梅公《うめこう》『アハハハハハ、|天晴《あつぱ》れ|天晴《あつぱ》れ、ヤ、モウ|梅公《うめこう》、|感《かん》じ|入《い》りました。かやうな|名歌《めいか》を|聞《き》かされては|怖気《おぢけ》がついて、|私《わたし》は|唄《うた》ふ|事《こと》が|出来《でき》なくなつて|来《き》た。どうか|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りたいものだな』
|花香《はなか》『オホホホホホ、ようそんな|卑怯《ひけふ》な|事《こと》が|仰有《おつしや》られますな。あなた|男《をとこ》ぢやありませぬか、サア、どうか|歌《うた》つて|下《くだ》さいませ』
|梅公《うめこう》『|大野ケ原《おほのがはら》を|駒《こま》の|背《せ》に  |跨《また》がり|進《すす》むこのナイス
|月雪花《つきゆきはな》か|将《はた》|神《かみ》か  |天女《てんによ》のやうなお|姫《ひめ》さま
かをり|床《ゆか》しく|咲《さ》き|匂《にほ》ふ  |梅公《うめこう》さまの|腰《こし》の|辺《べ》に
|白《しろ》きただむき|淡雪《あはゆき》の  |若《わか》やる|胸《むね》を|素《そ》だたきつ
|大和《やまと》|男《を》の|子《こ》の|雄心《をごころ》を  |砕《くだ》き|玉《たま》ふぞ|果敢《はか》なけれ
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|出《い》でしより  |神《かみ》の|教《をしへ》を|畏《かしこ》みて
ハルナの|都《みやこ》の|神業《しんげふ》を  |成《な》しとぐるまで|夢《ゆめ》にだも
をみなに|縁《えにし》は|結《むす》ばじと  |思《おも》ひつめしが|如何《いか》にして
かくも|弱《よわ》けくなりしぞや  |岩《いは》をも|射《い》ぬく|桑《くは》の|弓《ゆみ》
|虎《とら》|狼《おほかみ》も|恐《おそ》れねど  |敵《てき》しかねたるたよわ|女《め》の
|細《ほそ》き|腕《うで》には|捲《ま》かれけり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|許《ゆる》させ|玉《たま》へ【いそ】の|上《かみ》  |古《ふる》き|神代《かみよ》の|古《いにしへ》は
|天教山《てんけうざん》の|中腹《ちうふく》に  |諾冊《なぎなみ》|二尊《にそん》|現《あ》れまして
|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を|開《ひら》きまし  |百《もも》の|神々《かみがみ》|百人《ももびと》や
|草木《くさき》の|種《たね》まで|生《う》み|玉《たま》ふ  その|古事《ふるごと》を|思召《おぼしめ》し
|恋《こひ》の|罪《つみ》をば|許《ゆる》しませ  |心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り
|恋《こひ》の|矢玉《やだま》を|防《ふせ》げども  もはや|力《ちから》も|尽《つ》き|果《は》てて
|花香《はなか》の|姫《ひめ》に|玉《たま》|打《う》たれ  |恋《こひ》の|奴《やつこ》となりにけり
|吾《わ》が|師《し》の|君《きみ》がこの|様《さま》を  |風《かぜ》の|便《たよ》りに|聞《き》きまさば
さぞや|怒《いか》らせ|玉《たま》ふらむ  |月日《つきひ》も|空《そら》に|照公《てるこう》や
タクソンさまは|嘸《さぞ》やさぞ  |二人《ふたり》の|間《なか》の|睦言《むつごと》を
|聞《き》いた|時《とき》には|呆然《ばうぜん》と  |空《そら》を|仰《あふ》いで|歎《なげ》くだらう
|日頃《ひごろ》こがれしエルソンの  |君《きみ》の|心《こころ》はいかにぞや
|花香《はなか》の|姫《ひめ》は|梅公《うめこう》の  |宿《やど》の|妻《つま》よと|知《し》るならば
|折角《せつかく》これまで|張《は》り|詰《つ》めし  |心《こころ》の|弓《ゆみ》はひた|曲《まが》り
|矢《や》さへ|楯《たて》さへたまるまい  |思《おも》へば|思《おも》へば|罪《つみ》|深《ふか》き
|吾《わ》が|身《み》の|上《うへ》と|思《おも》へども  |花香《はなか》の|姫《ひめ》の|懇《ねもごろ》な
|切《せつ》なき|恋《こひ》に|責《せ》められて  |逃《のが》れむ|由《よし》も|夏《なつ》の|野辺《のべ》
|馬耳東風《ばじとうふう》と|進《すす》み|行《ゆ》く  |許《ゆる》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|詫《わ》びまつる』
|花香《はなか》『モシモシ|梅公《うめこう》さま、|大変《たいへん》に|御心配《ごしんぱい》をかけまして|済《す》みませぬな。|御迷惑《ごめいわく》お|察《さつ》し|申《まを》します。ハルナの|都《みやこ》へ|大任《たいにん》を|帯《お》びてお|出《い》で|遊《あそ》ばす|途中《とちう》に、|悪《わる》い|虫《むし》がつきまして|嘸《さぞ》お|困《こま》りでございませう。|大根《だいこん》の|葉《は》にネチがついたやうに|思召《おぼしめ》すでせうが、これも|因縁《いんねん》と|諦《あきら》めて、|私《わたし》をどこまでも|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいませ。|何《なに》ほど|厭《いや》でも|除虫液《ぢよちうえき》などかけないやうにお|願《ねが》ひ|申《まを》しますよ、ホホホホホ』
|梅公《うめこう》『|何《なん》だか|大変《たいへん》な|罪悪《ざいあく》を|犯《をか》したやうな|気《き》がしてなりませぬが、|私《わたし》も|因果腰《いんぐわごし》を|定《き》めました。モウかくなる|以上《いじやう》は|互《たが》ひに|力《ちから》を|協《あは》せ、|世《よ》のため|道《みち》のために、あらむ|限《かぎ》りの|力《ちから》を|尽《つく》しませう』
『ハイ|有難《ありがた》う。それを|承《うけたまは》つて|甦《よみがへ》りました。どうやら|麓《ふもと》の|森林《しんりん》へ|近《ちか》づきましたやうです。これから|上《うへ》は|険峻《けんしゆん》で|駒《こま》も|進《すす》みますまい。サア、|下《お》りませう』
と|花香《はなか》はヒラリと|飛《と》び|下《お》りた。|梅公《うめこう》も|次《つ》いで|飛《と》び|降《お》り、|駒《こま》の|首《くび》を|撫《な》でながら、
『オイ|馬《うま》さま、|御苦労《ごくらう》だつた。サア|休《やす》んで|下《くだ》さい。お|前《まへ》はジャンクさまの|内《うち》の|馬《うま》だから、あまり|遠《とほ》くもないし、|道《みち》は|知《し》つてゐるだらう。|御苦労《ごくらう》ながら|独《ひと》り|帰《かへ》つてくれ。これでお|別《わか》れする。お|前《まへ》の|鬣《たてがみ》に|手紙《てがみ》をつけておくから、|主人《しゆじん》は|不在《ふざい》でも|番頭《ばんとう》がゐるだらう。キツとこれを|渡《わた》してくれ』
と|人《ひと》に|言《い》ふごとく|話《はな》しながら、
『|自分《じぶん》はどうしてもオーラ|山《さん》に、|嬢《ぢやう》さまが|捉《とら》はれてるやうだから、|救《すく》ひ|出《だ》しに、|危険《きけん》を|冒《をか》して|上《のぼ》つた。|何《いづ》れ|近《ちか》い|内《うち》に|吉左右《きちさう》を|報告《はうこく》する』
と|記《しる》したまま、|駒《こま》に|別《わか》れを|告《つ》げ、|花香《はなか》と|共《とも》に、|成《な》るべく|人通《ひとどほ》りのない、|夕暗《ゆふやみ》の|路《みち》を|大杉《おほすぎ》の|上《うへ》に|輝《かがや》く|光《ひかり》を|目当《めあて》に|辿《たど》り|行《ゆ》く。|馬《うま》は|後《あと》ふり|返《かへ》りふり|返《かへ》り、|二人《ふたり》に|名残《なごり》を|惜《を》しむが|如《ごと》くヒンヒンヒンと|高《たか》く|嘶《いなな》いて|一目散《いちもくさん》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 松村真澄録)
第一八章 |魔神《まがみ》の|囁《ささやき》〔一七〇〇〕
|玄真坊《げんしんばう》はサンダー、スガコの|幽閉《いうへい》してある|岩窟《いはや》の|中《なか》にニコニコしながら|入《い》り|来《き》たり、
『オイ、サンダー、スガコ|両人《りやうにん》、|大変《たいへん》|待《ま》たして|済《す》まなかつた。|腹《はら》が|空《へ》つただらうのう。すぐさま|捻鉢巻《ねぢはちまき》で|御馳走《ごちそう》を|拵《こしら》へ、お|前等《まへたち》を|喜《よろこ》ばさうと|思《おも》つた|所《ところ》、この|山《やま》に|働《はたら》く|大泥棒《おほどろばう》シーゴーの|奴《やつ》、|突然《とつぜん》ここへ|帰《かへ》りやがつてその|御馳走《ごちそう》に|目《め》をかけ、|喉《のど》をゴロゴロさせながら、「|永《なが》い|間《あひだ》|宣伝《せんでん》に|働《はたら》いたから|俺《おれ》も|大分《だいぶ》|疲《つか》れた。お|頭分《かしらぶん》のヨリコ|女帝《によてい》の|前《まへ》でお|前《まへ》と|三人《さんにん》|御馳走《ごちそう》を|喰《た》べやうぢやないか」と|誅求《ちうきう》するものだから、|折角《せつかく》お|前《まへ》と|三人《さんにん》|食《く》ひたいと|思《おも》つた|御馳走《ごちそう》を、たうとう|女帝《によてい》の|前《まへ》に|提出《ていしゆつ》せざるを|得《え》なくなつたのだ。お|前《まへ》も|永《なが》い|間《あひだ》|断食《だんじき》をし、さぞお|腹《なか》も|空《す》いたらうと|思《おも》ひ、|俺《わし》は|同情心《どうじやうしん》が|起《おこ》り、|気《き》が|気《き》でないのだが、さういふ|訳《わけ》だから|打割《うちわ》つていふ|訳《わけ》にもゆかず、|第一線《だいいつせん》をシーゴーの|親分《おやぶん》に|占領《せんりやう》されてしまつたのだ。それで|再《ふたた》びお|前《まへ》|達《たち》が|可愛《かあい》さうになり|御馳走《ごちそう》を|拵《こしら》へて|来《き》たのだ。|決《けつ》して|気《き》を|悪《わる》くして|呉《く》れな。|仲々《なかなか》もつて|等閑《とうかん》に|附《ふ》したわけぢやないからのう』
サンダー『どうも|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》うございます。しかしながら|今《いま》|承《うけたまは》ればこの|山《やま》に|働《はたら》く|親分《おやぶん》のシーゴー|様《さま》だとか、も|一《ひと》つ|親分《おやぶん》のヨリコだとかおつしやつたが、|妾《わたし》は|此処《ここ》は|天地《てんち》の|大神《おほかみ》のお|降《くだ》り|遊《あそ》ばす|聖場《せいぢやう》と|思《おも》ひましたところ、|泥棒《どろばう》の|親分《おやぶん》と|御交際《ごかうさい》があるとは|一向《いつかう》に|合点《がつてん》が|参《まゐ》りませぬ。|何《なに》ほど|恋《こ》ひ|慕《した》うた|貴方《あなた》でも|泥棒《どろばう》に|関係《くわんけい》があると|思《おも》へば、|三年《さんねん》の|恋《こひ》も|一時《いちじ》に|醒《さ》めるやうでござります。|折角《せつかく》の|御馳走《ごちそう》だけど|妾《わたし》は|頂《いただ》きませぬ。なあスガコさま、あなたどう|思《おも》ひますか』
スガコ『|本当《ほんたう》に|恐《おそ》ろしい|方々《かたがた》ですね。ここは|天地《てんち》の|生神様《いきがみさま》の|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばす|霊場《れいぢやう》だとか、|玄真坊《げんしんばう》さまは|天帝《てんてい》の|化身《けしん》だとか|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》だとかおつしやいますが、つらつらその|御行動《ごかうどう》を|考《かんが》へますと、|妾《わたし》は|全《まつた》く|此《この》|世《よ》を|詐《いつは》る|山賊《さんぞく》の|巣窟《さうくつ》とより|外《ほか》|思《おも》ひませぬ。ねー|玄真坊様《げんしんばうさま》、それに|間違《まちが》ひはございますまいね』
|玄真坊《げんしんばう》は|驚《おどろ》いて、「ウツカリと|秘密《ひみつ》を|喋《しやべ》つてしまつた。こりや|大変《たいへん》だ。|到頭《たうとう》、|内兜《うちかぶと》を|見《み》すかされたやうだ。|何《なん》とか|考《かんが》へて|捻《ねぢ》を|戻《もど》さねばなるまい」と|冷汗《ひやあせ》を|流《なが》しながら、ワザと|高笑《たかわら》ひ、
『アツハハハハ、|嘘《うそ》だ|嘘《うそ》だ、ちよつとお|前《まへ》の|肝玉《きもだま》を|調《しら》べてみたのだ。こんな|所《ところ》に|泥棒《どろばう》がをつてたまらうかい。|泥棒《どろばう》のゐるやうな|山《やま》へ、どうして|神様《かみさま》がお|降《くだ》り|遊《あそ》ばすものか。そんな|恐《おそ》ろしい|処《ところ》へ、あんな|沢山《たくさん》の|老若男女《らうにやくなんによ》が|詣《まゐ》つて|来《く》るものか、みな|嘘《うそ》だから|安心《あんしん》したが|宜《よ》からう。まアそんな|小《ちひ》さい|事《こと》に|気《き》をかけず、この|御馳走《ごちそう》を|早《はや》く|早《はや》くお|食《あが》りなさい。|私《わたし》もお|相伴《せうばん》するから、|滅多《めつた》に|毒《どく》は|入《はい》つてゐないよ』
サンダー『|何《なん》だか|恐《おそ》ろしくなつて|来《き》ました。|師《し》の|君様《きみさま》の|御顔《おんかほ》までも、どこともなしに|泥棒《どろばう》めいたやうになつて|来《き》ましたのですもの。お|腹《なか》は|空《す》いてゐるし、|食《た》べたいのは|山々《やまやま》だけど……|渇《かつ》しても|盗泉《たうせん》の|水《みづ》は|飲《の》まず……といふ|諺《ことわざ》もあるし、|泥棒《どろばう》のこしらへた|飲食《おんじき》は|妾《わたし》、どうしても|食《く》ふ|気持《きもち》は|致《いた》しませぬの』
スガコ『あたいだつて、さうだわ。|玄真坊様《げんしんばうさま》のお|姿《すがた》が|何《なん》とはなしに、|泥棒《どろばう》のやうに|見《み》えて|仕方《しかた》がないのだもの。もし|玄真坊様《げんしんばうさま》、この|山《やま》に|泥棒《どろばう》がゐるのでせう。|妾《あて》イよく|聞《き》いてゐますよ。シーゴー|坊《ばう》といふ|白髪《はくはつ》|童顔《どうがん》の|大泥棒《おほどろばう》がゐるでせう。さうして|天王《てんわう》の|社《やしろ》の|中《なか》に|棚機姫《たなばたひめ》といふ|女神《めがみ》さまがをられるのでせう。あの|方《かた》が|貴方《あなた》|等《がた》の|崇《あが》めなさる|大親分《おほおやぶん》でせう。|妾《わたし》、|夢《ゆめ》に|聞《き》きましたよ』
|玄真《げんしん》『アハハハハハ、お|前《まへ》は|神経《しんけい》|興奮《こうふん》してゐるから、そんな、しやうもない|夢《ゆめ》を|見《み》るのだ。しかしながら|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|皆《みな》|泥棒《どろばう》だよ。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》。どこやらの|国《くに》の|王様《わうさま》だつて、もとは|海賊《かいぞく》|上《あが》りだよ。|満州王《まんしうわう》の|張作霖《ちやうさくりん》だつて|支那《しな》|各地《かくち》の|督軍《とくぐん》だつて、|大抵《たいてい》|皆《みな》|馬賊上《ばぞくあが》りだよ。××|大臣《だいじん》や|伴食《ばんしよく》××が|何百万円《なんびやくまんゑん》、|何千万円《なんぜんまんゑん》といふ|財産《ざいさん》を|持《も》つてゐるでせう。|終身《しうしん》|総理《そうり》××になつてゐたところで、さう|何千万円《なんぜんまんゑん》の|月給《げつきふ》を|貰《もら》へるはずもなし、|皆《みな》|泥棒《どろばう》して|貯《た》めたのだよ。|自転倒島《おのころじま》の|富豪《ふうがう》だつて|難爵《なんしやく》をもらつて|威張《ゐば》つてゐるが、あれでも、ヤツパリ|贋札《にせさつ》を|拵《こしら》へたり、|今《いま》でも|外国紙幣《ぐわいこくしへい》を|盛《さか》んに|贋造《がんざう》してゐるぢやないか。さうだから|泥棒《どろばう》を、ようせないやうな|男子《だんし》は、|世《よ》の|中《なか》に|立《た》つことの|出来《でき》ないものだ。しかしながら、さういふ|悪人《あくにん》に|天地《てんち》の|大道《だいだう》を|説《と》いて|聞《き》かせ|心《こころ》|改《あらた》めしめるのが、|救世主《きうせいしゆ》の|天《てん》よりの|使命《しめい》だ。それでこの|玄真坊《げんしんばう》は|泥棒《どろばう》の|張本人《ちやうほんにん》なる××|大臣《だいじん》や|伴食《ばんしよく》××を|初《はじ》め|紳士紳商《しんししんしやう》|等《など》いふ|獣《けだもの》を|此処《ここ》へ|集《あつ》めて、|天地《てんち》の|大道《だいだう》を|説《と》き|聞《き》かせ|地獄的《ぢごくてき》|精神《せいしん》を|改善《かいぜん》せしめ、|永遠無窮《えいゑんむきう》の|生命《せいめい》を|保《たも》つて|栄《さか》えと|喜《よろこ》びに|満《み》ちた|天国《てんごく》へ|救《すく》つてやるために|救世主《きうせいしゆ》として|現《あら》はれてゐるのだから、|馬賊《ばぞく》の|頭目《とうもく》だつて|山賊《さんぞく》だつて、|自分《じぶん》の|教《をしへ》を|聞《き》きに|来《く》るのは|当然《たうぜん》だ。あのシーゴーだつて、|元《もと》は|大変《たいへん》な|大泥棒《おほどろばう》の|頭目《とうもく》だつたが|俺《わし》の|説教《せつけう》を|聞《き》いて|悔《く》い|改《あらた》め、|今《いま》では|猫《ねこ》のやうにおとなしくなつてゐるのだよ。さうしてこの|玄真坊《げんしんばう》の|唯一《ゆゐいつ》の|弟子《でし》として|神様《かみさま》にお|仕《つか》へしてゐるのだ。また|女帝様《によていさま》は|女帝《によてい》で、あれは|女盗賊《をんなたうぞく》の|大頭目《だいとうもく》だつたが|俺《わし》の|感化《かんくわ》によつて、|今《いま》はスツクリ|悔《く》い|改《あらた》め、|天王《てんわう》の|社《やしろ》の|神司《かむづかさ》となつて|仕《つか》へてゐるのだよ。|何《なに》ほど|元《もと》は|泥棒《どろばう》だつて|改心《かいしん》すれば|真人間《まにんげん》だ。|何《なに》も|恐《おそ》ろしい|事《こと》はない。|安心《あんしん》してここに|居《ゐ》るがよい。お|前《まへ》も|救世主《きうせいしゆ》の|見出《みいだ》しにあづかり、|妻《つま》となり|妾《てかけ》となるのは|無上《むじやう》の|幸福《かうふく》だよ。どうだ|分《わか》つたかな』
スガコ『|女帝様《によていさま》もシーゴー|様《さま》も|貴方《あなた》のお|弟子《でし》ならば、|折角《せつかく》お|拵《こしら》へ|遊《あそ》ばした|御馳走《ごちそう》を|強圧的《きやうあつてき》に|奪《と》られる|筈《はず》はないぢやありませぬか。それを|考《かんが》へますと、どうやら|女帝《によてい》やシーゴーの|幕下《ばくか》になつてゐられるやうな|心持《こころもち》が|致《いた》しますがな』
|玄真《げんしん》『アハハハハハ、そこが|救世主《きうせいしゆ》の|救世主《きうせいしゆ》たるところだ。|光《ひかり》を|和《やは》らげ|塵《ちり》に|交《まじ》はり|衆生《しゆじやう》を|済度《さいど》するのだから、|威張《ゐば》る|奴《やつ》は|威張《ゐば》らしておくなり、|観自在天様《くわんじざいてんさま》の|働《はたら》きをしてゐるのだ。|観自在天様《くわんじざいてんさま》は|泥棒《どろばう》を|改心《かいしん》させやうと|思《おも》へば|泥棒《どろばう》となり、|賭博打《ばくちう》ちを|改心《かいしん》させやうと|思《おも》へば、|自《みづか》から|賭博打《ばくちう》ちとおなり|遊《あそ》ばし、|或時《あるとき》は|非人《ひにん》となり、|或《あるひ》は|病人《びやうにん》となり、また|或時《あるとき》は|蠑〓《いもり》となり|蚯蚓《みみづ》ともなり、|竜《りう》となり|馬《うま》となり、|獅子《しし》、|虎《とら》、|狼《おほかみ》となり、|宇宙《うちう》|一切《いつさい》をお|救《すく》ひ|遊《あそ》ばすのだから、まして|天帝《てんてい》の|化身《けしん》たる|玄真坊《げんしんばう》においてをやだ。そこが|神《かみ》の|神《かみ》たる|処《ところ》、|救世主《きうせいしゆ》の|救世主《きうせいしゆ》たる|処《ところ》だ。|何《なん》と、|神様《かみさま》のお|慈悲《じひ》といふものは|勿体《もつたい》ないものだらうがなア。|到底《たうてい》|人心小智《じんしんせうち》の|窺知《きち》し|得《う》るところではない。それで|人間《にんげん》は|救世主《きうせいしゆ》を|信《しん》じて|少《すこ》しも|疑《うたが》はず|怪《あや》しまず、|維命維従《これめいこれしたが》ふ、といふ|絶対服従心《ぜつたいふくじゆうしん》がなくてはならないよ』
サンダー『ハイ、|重《かさ》ね|重《がさ》ねの|御教訓《ごけうくん》、|有難《ありがた》うございます。お|蔭様《かげさま》で、|根《ね》ツから、|葉《は》ツから、よく|分《わか》りました。ホホホホホ』
『これこれサンダー、|根《ね》ツから、|葉《は》ツからよく|分《わか》つた……とは、|怪体《けたい》な|言《い》ひ|分《ぶん》ぢやないか、|一体《いつたい》|分《わか》つたのか、|分《わか》らないのか』
『ハイ、|分《わか》つたやうでもあり、|分《わか》らぬやうでもございます』
『さうだろさうだろ、|神《かみ》の|道《みち》は|分《わか》らぬものだといふ|事《こと》が|分《わか》つたら、それが|所謂《いはゆる》|分《わか》つたのだ。|神様《かみさま》のお|心《こころ》が|分《わか》つたと|言《い》ふものは、|何《なに》も|分《わか》つてゐないのだ。マアマアそれくらゐならば|上等《じやうとう》の|部《ぶ》だ。サアサア|遠慮《ゑんりよ》は|要《い》らぬ、|二人《ふたり》とも、この|飲食《おんじき》を|頂戴《ちやうだい》するがよい。|俺《わし》もこれからお|交際《つきあひ》に|毒味《どくみ》かたがたお|前《まへ》の|美《うつく》しい|顔《かほ》を|見《み》ながらお|招伴《せうばん》するからのう』
|二人《ふたり》の|美人《びじん》は|何分《なにぶん》|空腹《くうふく》に|悩《なや》んでゐる|事《こと》とて|已《や》むを|得《え》ず|箸《はし》をとつた。|玄真坊《げんしんばう》はこれを|見《み》てニヤリと|笑《わら》ひながら、さも|愉快気《ゆくわいげ》に、
『ハハハハどうだ、|両人《りやうにん》、|美味《うま》いだらう』
サンダー『ハイ、|誠《まこと》にお|加減《かげん》が|宜《よろ》しうございます』
|玄真《げんしん》『スガコ、お|前《まへ》はどうだ』
スガコ『ハイ、|何《なん》とも|知《し》れぬお|加減《かげん》のよいお|料理《れうり》でございます』
|玄真《げんしん》『ハハハハハ、そら、さうだろて、この|玄真《げんしん》が|魂《たましひ》をこめて|拵《こしら》へた|馳走《ちそう》だもの。この|料理《れうり》の|中《なか》には|玄真《げんしん》の|魂《たましひ》が|這入《はい》つてゐるのだよ。』
サンダー『|左様《さやう》でございますか、|何《なん》だか|存《ぞん》じませぬが|言《い》ふに|言《い》はれぬ|風味《ふうみ》がございますわ』
|玄真《げんしん》『|飯《めし》|一《ひと》つ|焚《た》くにしても、|釜《かま》の|下《した》に|薪《たきぎ》をくべたなり、|外《ほか》の|仕事《しごと》をしてゐるやうな|事《こと》ぢや|魂《たましひ》が|入《はい》らない。|甘《あま》い|汁《しる》を|外《そと》へ|零《こぼ》さぬやう、|釜《かま》の|下《した》を|燻《くす》べないやうに、|或時《あるとき》は|火力《くわりよく》を|強《つよ》め、|或時《あるとき》は|火《ひ》の|力《ちから》を|弱《よわ》めたり、|一秒時間《いちべうじかん》も|御飯《おまんま》の|出来《でき》るまで|心《こころ》を|外《はづ》してはいけない。そして|途中《とちう》に|鍋蓋《なべぶた》をとつては、|味《あぢ》がぬけていけない。|蓋《ふた》をとつて|見《み》て、ボツボツと|豆粒《まめつぶ》のやうな|穴《あな》があいてをつたら、もはやお|飯《まんま》が|加減《かげん》よく|出来《でき》たところだ。しかしその|蓋《ふた》をとつちやいけない。|蓋《ふた》の|上《うへ》から、そのボツボツが|見《み》えるやうに|魂《たましひ》が|入《はい》らぬと、|折角《せつかく》|焚《た》いた|御飯《ごはん》がおいしくないのだ。そのほかの|煮〆《にしめ》だつて|魚《さかな》だつてさうだ。|一秒間《いちべうかん》だつて|外《ほか》に|心《こころ》を|移《うつ》すやうでは|何《なん》だつて、おいしい|料理《れうり》は|出来《でき》ないんだからなア。ここまで|気《き》をつけてお|前等《まへたち》|両人《りやうにん》に、おいしいものを|食《く》はしてやらうといふ|親切《しんせつ》、よもや、|無《む》には|致《いた》すまいのう。どうだ、も|一杯《いつぱい》|食《く》はないか』
サンダー『ハイ、|有難《ありがた》うございます、もうこれで|充分《じうぶん》いただきました』
スガコ『|妾《わたし》も|沢山《たくさん》にいただきました、|大《おほ》きに|御馳走様《ごちそうさま》』
|玄真《げんしん》『ウン、さうかさうか。みな|甘《うま》さうに|食《く》つてくれたので|俺《わし》も|骨折《ほねを》りがひがあつた。|折角《せつかく》|骨《ほね》を|折《を》つて|味《あぢ》ない|顔《かほ》して|食《く》はれると、|根《ね》ツから|骨折《ほねを》りがひがないけど|猫《ねこ》が|鰹節《かつをぶし》を|見《み》たやうに|飛《と》びついて|食《く》つたのを|見《み》た|時《とき》は、この|玄真坊《げんしんばう》も|本当《ほんたう》に|愉快《ゆくわい》だつたよ。サア、|御膳《ごぜん》が|済《す》んだら、これから|俺《わし》の|要求《えうきう》を|聞《き》いて|貰《もら》ふのだ。|否《いな》この|玄真坊《げんしんばう》にお|前《まへ》たち|両人《りやうにん》から|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》くのだ。|人《ひと》に|招《よ》ばれたらキツと|招《よ》び|返《かへ》すのは|世間《せけん》|普通《ふつう》の|礼儀《れいぎ》だからのう』
サンダー『ハイ、|何《なに》か|御馳走《ごちそう》を|差上《さしあ》げたうございますが、|妾《わたし》としては|何《なに》も|材料《ざいれう》がありませぬから、お|礼《れい》の|返《かへ》しやうがござりませぬわ』
スガコ『|妾《わたし》だつてお|礼《れい》を|致《いた》さねば|済《す》まないのだけど、かやうの|処《ところ》へ|閉《と》ぢ|込《こ》められてゐるのだから、|何一《なにひと》つ|所持品《しよぢひん》もなし、|玄真坊様《げんしんばうさま》にお|愛想《あいさう》の|仕方《しかた》がありませぬわ。どうか|時節《じせつ》をお|待《ま》ち|下《くだ》さいませ。キツとお|礼《れい》を|申《まを》しますから』
|玄真《げんしん》『|俺《わし》の|馳走《ちそう》といふのは、そんなものぢやない。|稀代《きたい》の|珍味《ちんみ》、しかも、そなたが|所持《しよぢ》する|畑《はたけ》で|掘《ほ》つた×だ。それを、この|玄真坊《げんしんばう》に|一口《ひとくち》|賞玩《しやうぐわん》させて|貰《もら》ひたい。その|代《かは》りに|又《また》|秋山《あきやま》の|名物《めいぶつ》、|常磐《ときは》の|松《まつ》の|精《せい》から|生《うま》れた××の|御馳走《ごちそう》を|進《しん》ぜよう。あんまり|悪《わる》くはあるまい、エヘヘヘヘ』
サンダー『オホホホホ、|御冗談《ごじやうだん》ばかり|仰有《おつしや》いまして、あなたは|要《えう》するに|妾《わらは》に|対《たい》し、オチコ、ウツトコ、ハテナを|御要求《ごえうきう》なさるのでせう。あなたもよほどオホノ、トルッテですね』
|玄真《げんしん》『オイ、そんな|蒙古語《もうこご》を|使《つか》つても、ネツから|分《わか》らぬぢやないか。サンスクリットでいはないか』
サンダー『|妾《あて》エ、サンスクリット|忘《わす》れたのよ。あなたのやうなこと|仰有《おつしや》いますと、ポホラのヌホが|呆《あき》れますよ。ポホラからパサヌーですわ。|鼬《いたち》の|最後屁《さいごべ》、オンクス、アルテチウンヌルテですわ。ホホホホホ』
|玄真《げんしん》『エー|分《わか》らぬ|事《こと》をいふ|女《をんな》だな。|言論《げんろん》よりも|実行《じつかう》だ。オイ、スガコ、そこに|待《ま》つてをらう。サンダーの|方《はう》から|御馳走《ごちそう》をしてやらう』
と|言《い》ひながら、アワヤ|猥褻《わいせつ》なる|行為《かうゐ》に|出《い》でむとした。|二人《ふたり》は……こりや|堪《たま》らぬと……|一生懸命《いつしやうけんめい》に、「|助《たす》けてくれ|助《たす》けてくれ」と|叫《さけ》んだ。をりから|戸《と》の|外《そと》を|通《とほ》り|合《あは》したシーゴーが、|妙《めう》な|声《こゑ》がすると|思《おも》ひ、パツと|戸《と》を|開《ひら》いて|入《い》り|来《き》たりこの|態《てい》を|見《み》て、
『|玄真坊殿《げんしんばうどの》、この|不仕鱈《ふしだら》は|何《なん》の|事《こと》でござる。|万民《ばんみん》の|模範《もはん》となり、|神《かみ》の|福音《ふくいん》を|宣《の》べ|伝《つた》ふる|身《み》でゐながら、|可憐《かれん》な|女《をんな》を|一室《いつしつ》に|監禁《かんきん》し、|強圧的《きやうあつてき》に|醜行《しうかう》を|遂《と》げむとなさるは、|貴下《きか》にも|不似合《ふにあひ》な|事《こと》、おたしなみなさい』
|玄真坊《げんしんばう》は|頭《あたま》をかきながら、
『アイヤー、シーゴー|殿《どの》、|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さるな。ツイあなたと|最前《さいぜん》お|酒《さけ》を|呑《の》んで|酔《よひ》がまはり、|酒《さけ》の|奴《やつ》め、つい|斯《か》やうなホテテンゴを|致《いた》してござる。|酒《さけ》といふ|奴《やつ》は|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|悪魔《あくま》でござるわい』
シーゴー『これこれ|二人《ふたり》のお|女中《ぢよちう》、|危《あぶ》ない|事《こと》でござつたな。ヤアそなたはコマの|村《むら》のサンダー|姫《ひめ》ぢやないか』
サンダー『ハイ、あなたは|妾《わらは》の|門前《もんぜん》において、お|目《め》にかかつた|修験者様《しゆげんじやさま》でございましたか』
シーゴー『いかにも|左様《さやう》、よくお|詣《まゐ》りなさつた。しかし|目的《もくてき》の|捜索物《さうさくぶつ》は|分《わか》りましたかな』
サンダー『ハイ、お|蔭様《かげさま》で|分《わか》つたでもなし、|分《わか》らぬでもなし、この|岩窟《いはや》で|玄真坊様《げんしんばうさま》のお|慈悲《じひ》により、|永《なが》らく|断食《だんじき》の|行《ぎやう》をさせて|頂《いただ》きました。|玄真坊様《げんしんばうさま》は|見《み》かけによらぬ、シトラ(|鬼《おに》)でございますな』
|玄真《げんしん》『アハハハハハ、|何《なん》でもかんでも、【シツトル】ワイ。|天地《てんち》の|間《あひだ》の|事《こと》を【シツトラ】いで、|万民《ばんみん》を|導《みちび》く|事《こと》は|出来《でき》ないからのう』
とサンダーに|鬼《おに》と|言《い》はれし|事《こと》を|少《すこ》しも|知《し》らず|鼻《はな》|高々《たかだか》と|嘯《うそぶ》いてゐる。
かくして|夜《よ》はダンダンと|更《ふ》けわたり、オーラ|山《さん》の|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》る|松風《まつかぜ》の|音《おと》は|颯々《さつさつ》と|聞《き》こえ|来《き》たる。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 北村隆光録)
第一九章 |女《をんな》の|度胸《どきよう》〔一七〇一〕
|梅公《うめこう》、|花香《はなか》の|両人《りやうにん》は|密《ひそか》に|大杉《おほすぎ》の|麓《ふもと》に|忍《しの》び|寄《よ》り、よくよく|調《しら》べて|見《み》れば、|鉄線《てつせん》の|梯子《はしご》がタワタワと|木《き》の|上《うへ》から|下《さが》つてゐる。
|梅公《うめこう》『ハハア|曲神《まがかみ》の|奴《やつ》どもこの|梯子《はしご》を|上《あが》つて|木《き》の|上《うへ》に|火《ひ》を|点《とも》し、|天《てん》から|星《ほし》が|降《くだ》るなどと|世《よ》の|中《なか》を|誑《たば》かつてゐるのだらう。ヤ、|面白《おもしろ》い、|曲神《まがかみ》の|唯一《ゆゐいつ》の|力《ちから》と|頼《たの》むこの|光《ひかり》を|先《ま》づ|消《け》してやらう』
と|言《い》ひながら|花香《はなか》と|共《とも》に|梯子《はしご》を|伝《つた》うて|大杉《おほすぎ》の|梢《こずゑ》に|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り、|十六《じふろく》の|燈《あかり》を|一個《いつこ》も|残《のこ》らず|吹《ふ》き|消《け》して|仕舞《しま》つた。|昼《ひる》を|欺《あざむ》く|杉《すぎ》の|根本《ねもと》は|俄《には》かに|闇《やみ》の|幕《まく》が|下《お》りた。|玄真坊《げんしんばう》、シーゴーは|俄《には》かに|火《ひ》の|消《き》えたのに|不審《ふしん》を|起《おこ》し|樹下《じゆか》に|佇《たたず》んで、
シーゴー『オイ|玄真坊《げんしんばう》、|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものぢやないか。まだ|油《あぶら》が|断《き》れる|時《とき》でもなし、また|十六個《じふろくこ》が|十六個《じふろくこ》とも|消《き》えるのは|不思議《ふしぎ》ぢやなア。|附近《ふきん》の|人民《じんみん》はこの|大杉《おほすぎ》の|巨燈《きよとう》を|見《み》て|天《てん》の|星《ほし》と|信《しん》じ、|渇仰《かつかう》|憧憬《どうけい》してゐるのに、|唯《ただ》|一時《いちじ》でも|光《ひかり》が|消《き》えたとすれば、|信仰《しんかう》の|土台《どだい》がぐらつくはずだ。さうすれば|吾々《われわれ》の|目的《もくてき》は|到底《たうてい》|達《たつ》せられない。|別《べつ》に|強《つよ》い|風《かぜ》が|吹《ふ》いたのでもなし、どうしたのだらうかなア』
|玄真《げんしん》『どうも|不思議《ふしぎ》でございます。こんな|事《こと》が|有《あ》らう|筈《はず》がありませぬ。|十分《じふぶん》|調《しら》べて|油《あぶら》もついでおきましたなり、|何《なに》かこの|山《やま》に|住《す》む|天狗《てんぐ》の|業《わざ》ではございますまいか。|何《いづ》れにしても|不思議《ふしぎ》な|事《こと》でござる』
と|二人《ふたり》しきりに|心配《しんぱい》をしてゐると、|木《き》の|上《うへ》から|割《わ》るるが|如《ごと》き|大声《おほごゑ》で、
『ウゥー、ウゥー、ウゥー、ウゥー、ウゥー』
と|連続的《れんぞくてき》に|唸《うな》り|声《ごゑ》が|聞《き》こえて|来《く》る。その|怖《おそ》ろしさといつたら|五臓六腑《ござうろくぷ》に|浸《し》みわたり、|両人《りやうにん》の|身体《からだ》には|体内地震《たいないぢしん》が|突発《とつぱつ》した。|又《また》もや|樹上《じゆじやう》より、
『オーラ|山《さん》に|立《た》て|籠《こ》もり、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|企《くはだ》てを|致《いた》す|汝《なんぢ》シーゴー、|玄真坊《げんしんばう》、よツく|聞《き》け。この|方《はう》は、オーラ|山脈《さんみやく》|一体《いつたい》を|昔《むかし》より|住家《すみか》と|致《いた》す、|真《しん》の|玄真坊《げんしんばう》|大天狗《だいてんぐ》だ。|汝《なんぢ》|不都合千万《ふつがふせんばん》にも|吾《わ》が|名《な》を|騙《かた》り|玄真坊《げんしんばう》と|称《しよう》し、|大杉《おほすぎ》の|枝《えだ》に|燈火《とうくわ》を|点《てん》じ、|天《てん》より|星《ほし》|下《くだ》つて|汝《なんぢ》が|説法《せつぱふ》を|聴聞《ちやうもん》すると|佯《いつは》り、|天下万民《てんかばんみん》を|誑惑《たぶら》かし、|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》はいふも|更《さら》なり、|人《ひと》の|妻《つま》や|娘《むすめ》を|誘拐《かどわか》し、|金穀《きんこく》を|強奪《がうだつ》する|不届者《ふとどきもの》。もはや|汝《なんぢ》の|天命《てんめい》つきたれば、|一時《いちじ》も|早《はや》く|悔《く》い|改《あらた》め、|解散《かいさん》を|致《いた》さばよし、|何時《いつ》までも|悪事《あくじ》を|続行《ぞくかう》するに|於《おい》ては、|玄真坊《げんしんばう》|大天狗《だいてんぐ》、|汝等《なんぢら》の|素首《そつくび》を|引《ひ》き|抜《ぬ》きくれむ。|返答《へんたふ》はいかに、ウゥーウゥーウゥー』
これを|聞《き》くより|両人《りやうにん》は|顔色《かほいろ》をかへ、ビリビリ|慄《ふる》へながら、
シーゴー『オイオイ|玄真《げんしん》、えらい|事《こと》になつたぢやないか。あんな|事《こと》を|天狗《てんぐ》が|言《い》ふわい。|折角《せつかく》ここまで|仕組《しぐ》んだ|狂言《きやうげん》を|中途《ちうと》に|止《や》めるのは|惜《を》しいけれど、|命《いのち》にや|代《か》へられぬぢやないか』
|玄真坊《げんしんばう》は|慄《ふる》ひながら、
『ソソソそれぢやと|言《い》つて、|今《いま》にはかに|止《や》める|訳《わけ》にはゆかず、|沢山《たくさん》の|乾児《こぶん》もある|事《こと》なり、|何《なん》とか|天狗《てんぐ》さまにお|願《ねが》ひ|申《まを》し、|暫《しばら》くの|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》はうぢやないか』
シーゴー『ウン、それもさうだ。|俺《おれ》|達《たち》はどうなつてもよいが、|今《いま》にはかに|解散《かいさん》するとなると|沢山《たくさん》の|部下《ぶか》が|忽《たちま》ち|路頭《ろとう》に|迷《まよ》ふからなア。まア|一《ひと》つお|願《ねが》ひして|見《み》ようかい』
|玄真《げんしん》『もしもし、|樹上《じゆじやう》の|玄真坊《げんしんばう》|大天狗様《だいてんぐさま》、|誠《まこと》に|申訳《まうしわけ》のない|事《こと》ではございますが、|今《いま》にはかに|解散《かいさん》いたしましては、|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》が|忽《たちま》ち|路頭《ろとう》に|迷《まよ》ひ、|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|散《ち》り|乱《みだ》れて、ますます|悪《あく》を|逞《たくま》しうするかも|知《し》れませぬ。さうなれば|国民《こくみん》の|難儀《なんぎ》は|層一層《そういつそう》|甚《はなはだ》しくなるかも|知《し》れませぬ。どうか|改心《かいしん》いたしますから、|部下《ぶか》を|取纒《とりまと》め、|貴方様《あなたさま》の|御教訓《ごけうくん》を|篤《とつく》と|言《い》ひ|聞《き》かせ|郷里《きやうり》に|帰《かへ》しますから、それまで|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます。|私《わたくし》のみの|難儀《なんぎ》ではございませぬ、|部下《ぶか》|三千《さんぜん》の|難儀《なんぎ》でございますから』
|声《こゑ》に|応《おう》じて|樹上《じゆじやう》より、
『ウゥーウゥー、ならぬならぬ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|退散《たいさん》いたせ。|三千人《さんぜんにん》の|小泥棒《こどろぼう》が|苦《くる》しむのは|自業自得《じごふじとく》だ。|積悪《せきあく》の|酬《むく》いだ。|汝等《なんぢら》は|無辜《むこ》の|良民《りやうみん》を|苦《くる》しめ|苛責《さいな》み、|良家《りやうか》の|婦女《ふぢよ》を|誘拐《かどわか》し|岩窟《がんくつ》に|閉《と》ぢこめおき、|肉慾《にくよく》を|逞《たくま》しふせむとする|不届《ふとど》き|者《もの》。この|霊山《れいざん》を|汚《けが》せしにより、これよりレコード|破《やぶ》りの|山風《やまかぜ》を|起《おこ》し|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》を|天空《てんくう》|高《たか》く|捲《ま》き|上《あ》げ、その|身体《しんたい》を|木《こ》ツ|端微塵《ぱみぢん》に|打《う》ち|砕《くだ》き、|懲《こ》らしてくれむ』
|次《つぎ》に|女《をんな》の|優《やさ》しき|声《こゑ》にて、
『|妾《わらは》は|天《てん》より|下《くだ》りし、|誠《まこと》の|棚機姫命《たなばたひめのみこと》であるぞ。|汝《なんぢ》|玄真坊《げんしんばう》、シーゴー|坊《ばう》とやら、よく|承《うけたまは》れ。|今《いま》やトルマン|国《ごく》はバラモン|軍《ぐん》に|攻《せ》め|悩《なや》まされ、バルガン|城《じやう》は|十重廿重《とへはたへ》に|囲《かこ》まれ、|国王《こくわう》のトルカは|将《まさ》に|捕虜《ほりよ》にせられむとする|大国難《だいこくなん》の|際《さい》なるぞ。その|虚《きよ》に|乗《じやう》じて|汝等《なんぢら》はあらゆる|良民《りやうみん》を|誑《たぶ》らかし、|金銭《きんせん》を|奪《うば》ひ|取《と》り、|武備《ぶび》を|整《ととの》へてバルガン|城《じやう》を|囲《かこ》みトルマン|国《ごく》を|占領《せんりやう》し、ひいて|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》を|蹂躙《じうりん》せむとする、|極悪無道《ごくあくぶだう》の|外道畜生《げだうちくしやう》|奴《め》。|一時《いちじ》も|早《はや》く|悔《く》い|改《あらた》めて|神《かみ》に|謝《しや》せよ』
シーゴー『ハイ、どうも|恐《おそ》れ|入《い》りましてございます。キツと|心得《こころえ》ますから、|私《わたし》を|初《はじ》め|部下《ぶか》の|命《いのち》だけはお|助《たす》け|下《くだ》さいますやうに』
|樹上《じゆじやう》より、
『ウハハハハ、|恐《おそ》れ|入《い》つたか、|往生《わうじやう》いたしたか。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|解散《かいさん》の|実《じつ》を|示《しめ》せよ』
シーゴー『ハイ|唯今《ただいま》、|大親分《おほおやぶん》のヨリコ|姫《ひめ》|女帝《によてい》に|申《まを》し|上《あ》げ|直《す》ぐに|解散《かいさん》いたします。|暫《しばら》くお|待《ま》ちを|願《ねが》ひます』
と|言《い》ひながら、ヨリコ|姫《ひめ》の|居間《ゐま》に|駈《か》けつけ|右《みぎ》の|次第《しだい》を|詳細《つぶさ》に|物語《ものがた》つた。ヨリコ|姫《ひめ》は|一伍一什《いちぶしじふ》を|聞《き》き|取《と》り、ニツコと|笑《わら》ひながら、
『あれほど|沢山《たくさん》|油《あぶら》がさしてあり、|風《かぜ》も|吹《ふ》かぬに|火《ひ》の|消《き》える|道理《だうり》もなし、また|樹《じゆ》の|上《うへ》に|天狗《てんぐ》がとまつて|託宣《たくせん》するのもをかしい。また|棚機姫《たなばたひめ》が|下《くだ》つて|宣示《せんじ》するとはますます|怪《あや》しいではないか。さういふ|事《こと》に|騙《だま》されるやうでこの|大望《たいまう》が|成就《じやうじゆ》するものか。ちと|確《しつ》かりなさい。|玄真坊《げんしんばう》はどうしてをるのか』
シーゴー『ハイ、|玄真《げんしん》は|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|樹下《じゆか》に|倒《たふ》れてしまひました』
ヨリコ『ホホホホ、|何《なん》とした|腰抜《こしぬ》けだらう。|天狗《てんぐ》なんか|何《なに》が|怖《おそ》ろしい。きつと|何者《なにもの》かの|悪戯《いたづら》だらう。よく|調《しら》べて|来《き》なさい』
『ハイ、もうこの|上《うへ》|調《しら》べやうはございませぬ。|一《ひと》つ|唸《うな》られやうものなら、|五臓六腑《ござうろくぷ》が|慄《ふる》ひ|戦《をのの》き、|立《た》つても|居《ゐ》てもをられなくなります。|人間《にんげん》がどうして、あんな|大《おほ》きな|声《こゑ》が|出《で》ませう。きつと|天狗《てんぐ》に|間違《まちが》ひはありませぬ』
『これシーゴーさま、お|前《まへ》もずゐぶん|経験《けいけん》を|積《つ》んだ|悪党《あくたう》ぢやないか。|天狗《てんぐ》がそれほど|怖《こは》いのか。そして|天狗《てんぐ》の|声《こゑ》は|陰性《いんせい》だから、|決《けつ》して|人《ひと》の|体《たい》に|響《ひび》くものでない。おほかた|酒《さけ》にでも|酔《よ》うて|乾児《こぶん》の|奴《やつ》どもが|口《くち》に|竹筒《たけづつ》でも|当《あ》てて、お|前《まへ》|達《たち》の|胆試《きもだめ》しをやつてゐるのかも|知《し》れませぬよ』
『イエイエ、|決《けつ》して|決《けつ》して|竹筒《たけづつ》の|声《こゑ》ぢやありませぬ。|人間《にんげん》の|声《こゑ》でもなし、|大変《たいへん》な|強力《がうりき》な|声《こゑ》でございます』
『ハテ、|妙《めう》な|事《こと》を|言《い》ふぢやないか。どれ|自分《じぶん》が|行《い》つて|調《しら》べて|見《み》ませう』
と|落付《おちつ》き|払《はら》つた|風《ふう》でボツボツと|着衣《ちやくい》を|整理《せいり》し、|悠然《いうぜん》としてシーゴーの|後《うし》ろから、|大杉《おほすぎ》の|下《もと》へとやつて|来《き》た。
ヨリコ『そこに|居《ゐ》るのは|玄真坊《げんしんばう》ぢやないか。|何《なん》だい、|天狗《てんぐ》ぐらゐに|慄《ふる》つてゐるのかい』
|玄真《げんしん》『ハイ、|女帝様《によていさま》、どうかお|助《たす》け|下《くだ》さいませ。|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《でき》て|来《き》ました。もう|私《わたし》も|年貢《ねんぐ》の|納《をさ》め|時《どき》です。|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》して|身動《みうご》きが|出来《でき》なくなりました』
ヨリコ『ホホホホ、まアよい|腰抜《こしぬ》けだこと。どれ、これから|妾《わらは》が|樹上《じゆじやう》の|天狗《てんぐ》とやらを|取《と》つちめてやりませう』
この|時《とき》|樹上《じゆじやう》より|又《また》もや、
『ウゥーウゥーウゥー』
と|千匹《せんびき》|狼《おほかみ》が|一度《いちど》に|唸《うな》り|出《だ》したやうな|怖《おそ》ろしい|声《こゑ》が|聞《き》こえて|来《き》た。シーゴー、|玄真《げんしん》は|耳《みみ》をかかへて|打《う》ち|慄《ふる》ひ|其《その》|場《ば》に【パタリ】と|打《う》ち|伏《ふ》してしまつた。ヨリコ|姫《ひめ》は|平然《へいぜん》として|樹上《じゆじやう》を|打《う》ち|仰《あふ》ぎながら、
『オイ、|樹上《じゆじやう》に|居《ゐ》る|怪物《くわいぶつ》は|何物《なにもの》だ。いい|加減《かげん》に|悪戯《いたづら》を|致《いた》しておけ。ヨリコ|姫《ひめ》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|如何《いか》なる|汝《なんぢ》が|奸策《かんさく》も|根底《こんてい》より|看破《かんぱ》してやらうぞや。その|方《はう》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|供《とも》をいたす|木《こ》ツ|端《ぱ》|武者《むしや》だらう』
この|落付《おちつ》き|払《はら》つたヨリコの|声《こゑ》を|聞《き》いて、さすがの|梅公《うめこう》も|舌《した》を|捲《ま》いた。|樹上《じゆじやう》の|花香《はなか》はヨリコ|姫《ひめ》といふ|声《こゑ》を|聞《き》き……|何《なん》となく|聞《き》き|覚《おぼ》えもあり、もしか|三年前《さんねんまへ》に|吾《わ》が|家《や》を|飛《と》び|出《だ》した|姉上《あねうへ》ではあるまいか、てもさても|不思議《ふしぎ》な|事《こと》だなア……と|首《くび》を|傾《かたむ》けてゐた。|樹上《じゆじやう》より、
『|某《それがし》は|実《じつ》のところは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|梅公別命《うめこうわけのみこと》である。|汝等《なんぢら》|悪党《あくたう》どもオーラ|山《さん》に|立《た》てこもり、よからぬ|事《こと》をいたすと|聞《き》き、|神命《しんめい》を|奉《ほう》じ、|汝等《なんぢら》|一同《いちどう》に|改心《かいしん》を|迫《せま》るべく、その|第一着手《だいいちちやくしゆ》として|汝等《なんぢら》が|詐術《さじゆつ》の|根元《こんげん》たる|樹上《じゆじやう》の|諸燈《しよとう》を|吹《ふ》き|消《け》し、|大天狗《だいてんぐ》として|訓戒《くんかい》を|与《あた》へてやつたのだ。どうだ、かく|事《こと》の【ばれ】たる|上《うへ》はスツカリ|改心《かいしん》をいたすか、|是《これ》でもまだ|継続《けいぞく》して|悪事《あくじ》をいたす|覚悟《かくご》か、|返答《へんたふ》|聞《き》かう』
|玄真坊《げんしんばう》は|初《はじ》めて|人間《にんげん》と|知《し》り|俄《には》かに|強《つよ》くなり、|樹上《じゆじやう》を|打《う》ち|仰《あふ》ぎながら、
『アハハハハ、|猪口才千万《ちよこざいせんばん》な|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|玉子《たまご》|奴《め》、いらざる【ほててんごう】を|致《いた》して|後悔《こうくわい》するな。|吾々《われわれ》には|三千《さんぜん》の|部下《ぶか》がある。|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|木《こ》ツ|端《ぱ》|武者《むしや》、たとへ|鬼神《きじん》を|挫《ひし》ぐ|勇《ゆう》あるも|寡《くわ》をもつて|衆《しう》に|敵《てき》することは|出来《でき》まい。|要《い》らざる【せつかい】を|止《や》めて|樹上《じゆじやう》を|下《くだ》り、|一時《いちじ》も|早《はや》く|吾《わ》が|前《まへ》に|謝罪《しやざい》をいたせ』
この|間《あひだ》にシーゴーは|繩梯子《なはばしご》の|縛《くくり》を|解《と》いたから|耐《たま》らない。|梅公《うめこう》、|花香《はなか》の|両人《りやうにん》は|急転直下《きふてんちよくか》の|勢《いきほ》ひで、ズルズルズルドスンと|樹下《じゆか》に|落《お》ちて|来《き》た。ヨリコ|姫《ひめ》は|手早《てばや》く|女《をんな》を|引《ひ》つ|捉《とら》へ|後手《うしろで》に|縛《しば》り|上《あ》げた。|梅公《うめこう》はいささか|腰《こし》を|打《う》つて|気《き》が|遠《とほ》くなつてゐた|間《ま》にシーゴーの|部下《ぶか》のパンクに|高手小手《たかてこて》に|縛《しば》られ、サンダー、スガコの|幽閉《いうへい》してある|石室《いしむろ》の|中《なか》に|男女《だんぢよ》とも|投《な》げ|込《こ》まれて|了《しま》つた。
ヨリコ『ホホホホ、いらざる|構《かま》へ|立《だ》てをして|縛《いまし》めにつくとは|情《なさ》けない|奴《やつ》だなア。|飛《と》んで|火《ひ》に|入《い》る|夏《なつ》の|虫《むし》。ヨリコ|女帝《によてい》の|威勢《ゐせい》には|如何《いか》なる|者《もの》も|敵《かな》うまいがな。これ、|玄真《げんしん》、シーゴー|確《しつか》りなさらないのか。こんな|事《こと》で|肝《きも》を|潰《つぶ》すやうでは、バルガン|城《じやう》を|占領《せんりやう》し、|次《つ》いで|印度《いんど》|七千余国《しちせんよこく》を|掌握《しやうあく》するやうな|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ますまいぞや』
|玄真《げんしん》『|私《わたし》も|人間《にんげん》と|知《し》れば|別《べつ》に|驚《おどろ》かないのです。|人間《にんげん》なればたとへ|何万《なんまん》|押《お》し|寄《よ》せて|来《く》るともビクとも|致《いた》さぬ|某《それがし》ですが、|中有界《ちううかい》の|魔神《まがみ》と|聞《き》いては|一寸《ちよつと》|面喰《めんく》らはないではゐられませぬ。しかし|人間《にんげん》だと|言《い》うたつてこの|山《やま》は|天狗《てんぐ》の|巣窟《さうくつ》と|聞《き》いて|居《ゐ》ますから、|本当《ほんたう》の|天狗《てんぐ》が|来《き》たら|困《こま》るでせう。その|時《とき》の|用意《ようい》を|今《いま》から|講究《かうきう》しておかねばなりますまい』
『これ|玄真坊《げんしんばう》、|何《なに》を|呆《ほう》けてゐるのだ。たとへ|中有界《ちううかい》の|魔《ま》であらうが、|天界《てんかい》の|鬼神《きじん》であらうと、|地獄《ぢごく》の|鬼《おに》であらうと、|獅子《しし》、|虎《とら》、|熊《くま》、|大蛇《をろち》であらうが、|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たる|人間《にんげん》と|生《うま》れて|何《なに》|怖《おそ》るべき|事《こと》があらうぞ。|人間《にんげん》は|万有《ばんいう》を|支配《しはい》するの|権能《けんのう》を|神《かみ》から|与《あた》へられてをるのだ。ちつと|確《しつか》りしなさい』
『ハイハイ|確《しつか》りいたします。|何分《なにぶん》よろしうお|願《ねが》ひ|申《まを》します。|到底《たうてい》かふいふ|時《とき》には|貴女《あなた》でなければ|解決《かいけつ》がつきませぬ』
ヨリコ『ホホホホ、|天帝《てんてい》の|化身様《けしんさま》でも|真実《ほんま》ものの|天狗《てんぐ》には|敵《かな》ひませぬかな。これシーゴー|殿《どの》、|年《とし》にも|似合《にあは》ぬ、お|前《まへ》も|随分《ずゐぶん》|狼狽《うろた》へましたね。ちと|恥《はぢ》をお|知《し》りなさい。|何《なん》ですか、|高《たか》が|男《をとこ》の|一匹《いつぴき》や|二匹《にひき》に|肝《きも》を|潰《つぶ》して、こんな|事《こと》でどうして|今後《こんご》の|大望《たいまう》が|成就《じやうじゆ》|致《いた》しますか』
シーゴー『ハイ、|面目《めんぼく》|次第《しだい》もございませぬ。なにぶん|突然《とつぜん》の|事《こと》と|言《い》ひ、|消《き》ゆべき|筈《はず》のない|火《ひ》が|消《き》え、|大木《たいぼく》の|上《うへ》から|不思議《ふしぎ》な|声《こゑ》がいたすものだからちよつと|面喰《めんくら》ひましたので、|日頃《ひごろ》|沈着《おちつき》のある|私《わたくし》も、|玄真坊《げんしんばう》の|狼狽病《らうばいびやう》が|伝染《でんせん》いたしまして、つい|気後《きおく》れ|病《びやう》が|突発《とつぱつ》|致《いた》しました。|女帝様《によていさま》の|懇切《こんせつ》|周到《しうたう》なる|外科手術《げくわしゆじゆつ》によつて、やつと|全快《ぜんくわい》したやうでございます』
『ホホホホ、まア|全快《ぜんくわい》が|出来《でき》て|結構々々《けつこうけつこう》、|薬礼《やくれい》は|幾何《いくら》|出《だ》しますかな』
『ハイ、|先《ま》づさうですな、|薬《やく》、|窮戦窮百九重九怨《きうせんきうひやくきうぢうきうゑん》ばかり|差上《さしあ》げませう。アハハハ』
『|九死一生《きうしいつしやう》の|場合《ばあひ》を|女帝《によてい》さまに|救《すく》はれたのだからな、そのくらゐはお|出《だ》しになつてもよろしからう、ホホホホ。しかしながらあの|怪《あや》しき|男《をとこ》と|女《をんな》をよく|取調《とりしら》べて|後《のち》ほど|報告《はうこく》してもらひたい。|私《わたし》はこれから|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|暫《しばら》く|休息《きうそく》するから』
『ハイ、|承知《しようち》いたしました。|玄真坊《げんしんばう》と|相談《さうだん》いたし、とつくと|実否《じつぴ》を|調《しら》べ、|改《あらた》めて|御報告《ごほうこく》|申上《まをしあ》げます。どうか|明朝《みやうてう》まで|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
ヨリコはニコニコしながら|打《う》ちうなづき、|足早《あしばや》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 於祥雲閣 加藤明子録)
第二〇章 |真鬼姉妹《まきじまい》〔一七〇二〕
サンダー、スガコの|二人《ふたり》は|玄真坊《げんしんばう》の|強圧的《きやうあつてき》|恋《こひ》の|請求《せいきう》に|手古摺《てこず》つてゐた|処《ところ》へ、またもや|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》が|投《な》げ|込《こ》まれて|来《き》たのを|見《み》て、サンダーは|思《おも》はず|知《し》らず「アツ」と|叫《さけ》んだ。|女《をんな》もまたサンダーやスガコの|面《かほ》を|見《み》て、「マアマア」と|言《い》つたきり、|口《くち》を|噤《つぐ》んだ。
|梅公《うめこう》は|洒蛙洒蛙然《しあしあぜん》として|平気《へいき》に|笑《わら》ひながら、
『たうとう|猿《さる》も|木《き》から|落《お》ちるの|喩《たとへ》、オーラ|山《さん》の|大天狗《だいてんぐ》も|芝居《しばゐ》のやり|損《ぞこな》ひをやつて、|舞台《ぶたい》から|墜落《つゐらく》し、|名《な》もない|奴《やつ》にふん|縛《じば》られ、かやうな|女護《によご》の|島《しま》へ|落《お》ち|込《こ》んで|来《き》た。|何《なん》とマア|不思議《ふしぎ》な|事《こと》もあればあるものだ。|人間万事塞翁《にんげんばんじさいをう》の|馬《うま》の|糞《くそ》とはよく|言《い》つたものだ。|揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》、しかし|吾《わ》が|妻君《さいくん》は|例外《れいぐわい》として……お|二人《ふたり》の|姫御前《ひめごぜ》、|貴女《あなた》は|何《なん》の|理由《りいう》あつて、かやうな|所《ところ》へ|鎮座《ちんざ》ましますのですかなア』
サンダー『ハイ|私《わたし》はコマの|村《むら》のサンダーと|申《まを》す|者《もの》でございます。この|方《かた》は、タライの|村《むら》のジャンクさまの|娘《むすめ》でスガコ|姫様《ひめさま》でございます。|悪者《わるもの》に|拐《かどは》かされ、|日々《にちにち》|苦《くる》しい|目《め》に|会《あ》はされてゐるのです。あなたは|又《また》どうしてこんな|所《ところ》へお|越《こ》しになりましたか』
|梅公《うめこう》はタライの|村《むら》のサンヨに|話《はなし》を|聞《き》いて、|花香《はなか》を|救《すく》はむとの|決心《けつしん》を|起《おこ》したことや、ジャンクの|家《いへ》に|泊《とま》つて、スガコ|姫《ひめ》の|行方不明《ゆくへふめい》になつたこと、サンダーの|失踪《しつそう》したことなどを|聞《き》き、|義勇軍《ぎゆうぐん》に|従《したが》ひながら、どうしてもこの|三人《さんにん》を|救《すく》ひ|出《だ》したいといふ|真心《まごころ》から、|師匠《ししやう》に|別《わか》れて、ひそかにオーラ|山《さん》へ|向《む》かつて|駒《こま》に|鞭《むち》うち|駈《か》けこむ|途中《とちう》、|花香《はなか》の|危難《きなん》を|救《すく》ひ、|相伴《あひともな》うて|当山《たうざん》に|登《のぼ》り、|大杉《おほすぎ》に|攀《よ》ぢ、|彼等《かれら》が|魔術《まじゆつ》の|奥《おく》の|手《て》たる|燈火《ともしび》を|吹《ふ》き|消《け》し、|天狗《てんぐ》の|声色《こはいろ》を|使《つか》ひ、|化《ばけ》が|現《あら》はれて、|取《と》つ|捉《つかま》へられた|事《こと》などを、|逐一《ちくいち》|話《はな》し|聞《き》かせた。サンダー、スガコの|両人《りやうにん》はこの|話《はなし》を|聞《き》いて、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|袖《そで》をしぼりながら、
サンダー『|見《み》ず|知《し》らずの|貴方様《あなたさま》が、それほどまで|吾々《われわれ》を|助《たす》けやうと|思召《おぼしめ》し、|御苦労《ごくらう》|下《くだ》さいました|事《こと》は、|何《なん》ともお|礼《れい》の|申上《まをしあ》げやうがございませぬ。|実《じつ》は|私《わたし》は、お|聞及《ききおよ》びでもございませうが、|女《をんな》に|化《ば》けてゐますが、|男《をとこ》でございます。これなるスガコと|夫婦《ふうふ》となるべく、|両親《りやうしん》の|許嫁《いひなづけ》でございますが、スガコの|行方《ゆくへ》を|尋《たづ》ねむために|当山《たうざん》へ|参拝《さんぱい》いたし、|今日《けふ》まで|玄真坊《げんしんばう》のために|閉《と》ぢ|込《こ》められてをつたのでございます。なにとぞ|御推量《ごすゐりやう》|下《くだ》さいませ』
と|力《ちから》なげにいふ。
|梅公《うめこう》『ヤ、それで|何《なに》もかも|判《わか》りました。ナアニ|心配《しんぱい》いりませぬ。こんな|岩窟《いはや》ぐらゐ、|叩《たた》きわるかつて、|朝飯前《あさめしまへ》ですワ。モシモシ スガコさまとやら、|必《かなら》ず|心配《しんぱい》なされますな。キツと|私《わたし》が|救《すく》ひ|出《だ》して|上《あ》げますよ』
スガコ『ハイ|有難《ありがた》うございます。|不運《ふうん》な|身《み》の|上《うへ》でございますから、|貴方《あなた》のお|助《たす》けを|頂《いただ》かねば|到底《たうてい》|遁《のが》れる|道《みち》はございませぬ』
|花香《はなか》『モシ、お|嬢様《ぢやうさま》、|私《わたし》はサンヨの|娘《むすめ》|花香《はなか》でございます。お|嬢様《ぢやうさま》が|何者《なにもの》にか|攫《さら》はれ、お|行方《ゆくへ》が|分《わか》らぬと|言《い》うて、|村中《むらぢう》の|大騒動《おほさうどう》でございましたが、|少時《しばらく》すると、バラモンの|軍人《いくさびと》が|参《まゐ》りまして、|私《わたし》を|掻《か》つ|攫《さら》へ、|母《はは》に|手疵《てきず》を|負《お》はせ、ホラが|丘《をか》の|森林《しんりん》へ|連《つ》れ|込《こ》み、|其所辺中《そこらぢう》を|引《ひ》きまはし、|操《みさを》を|破《やぶ》らむと|致《いた》しましたなれど、|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》によつて、|漸《やうや》くその|難《なん》を|免《まぬが》れ、|最後《さいご》に|至《いた》つて|今《いま》や|辱《はづかし》められむとする|所《ところ》へ、このお|方《かた》がお|出《い》で|下《くだ》されましてお|助《たす》け|下《くだ》さつたのでございます。|因縁《いんねん》と|申《まを》すものは|妙《めう》なものでございますなア。|私《わたし》には|一人《ひとり》の|姉《あね》がございましたが、ある|夜《よ》のこと|修験者《しゆげんじや》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|家《いへ》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、もはや|三年《さんねん》にもなりますが、どうしてゐる|事《こと》やら、|皆目《かいもく》|行方《ゆくへ》が|分《わか》らぬのです。それに|不思議《ふしぎ》な|事《こと》には、あの|玄真坊《げんしんばう》といふ|男《をとこ》、|何処《どこ》かに|見覚《みおぼ》えがあるやうに|思《おも》へてなりませぬ。|暗《くら》がりでハツキリ|分《わか》りませぬが、|身体《からだ》の|恰好《かつかう》といひ、|声《こゑ》といひ、どうも|彼奴《あいつ》ぢやないかと|思《おも》ふのでございます』
|梅公《うめこう》『あーあ、|話《はなし》が|理《り》におちて|気《き》が|欝《ふさ》いで|仕方《しかた》がない。どうです|皆《みな》さま、|二男二女《になんにぢよ》がよつてこの|岩窟《いはや》が|割《わ》れるやうな|声《こゑ》で|歌《うた》でも|唄《うた》つてやりませうか。|私《わたし》が……|何《なん》なら|歌《うた》ひますから|手《て》を|拍《う》つて|囃《はや》して|下《くだ》さい』
サンダー『どうかお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|梅公《うめこう》はヤケクソになり、|大声《おほごゑ》を|出《だ》して|唄《うた》ひ|出《だ》した。
『|歌《うた》へよ|歌《うた》へよく|唄《うた》へ  |岩戸《いはと》の|唐戸《からと》の|割《わ》れるまで
|玄真坊《げんしんばう》は|言《い》ふも|更《さら》  シーゴーとかいふ|親玉《おやだま》も
これに|従《したが》ふ|三千《さんぜん》の  |泥棒《どろばう》の|頭《あたま》が|割《わ》れるまで
|歌《うた》へよ|唄《うた》へよく|唄《うた》へ  |歌《うた》うて|器量《きりやう》は|下《さが》りやせぬ
|美人《びじん》のまします|岩《いは》の|中《なか》  ここは|竜宮《りうぐう》か|天国《てんごく》か
|丹花《たんくわ》の|唇《くちびる》|月《つき》の|眉《まゆ》  |月日《つきひ》に|等《ひと》しき|目《め》の|光《ひかり》
こんなナイスと|一夜《ひとよ》さの  |宴《うたげ》をするのも|面白《おもしろ》い
|酒《さけ》はなけれど|美人《びじん》さへ  |前《まへ》にゐませば|満足《まんぞく》だ
|玄真坊《げんしんばう》|奴《め》が|涎《よだれ》くり  |何《なん》だかんだと|朝夕《あさゆふ》に
|口説《くど》き|立《た》てたがザマを|見《み》よ  |肱鉄砲《ひぢてつぱう》や|後足《あとあし》の
|砂《すな》の|礫《つぶて》を|浴《あ》びせられ  |口《くち》アングリと|悄気返《せうげかへ》り
|又《また》もや|天狗《てんぐ》に|肝《きも》|潰《つぶ》し  |弱腰《よわごし》|抜《ぬ》かした|可笑《をか》しさよ
ここの|大将《たいしやう》といふ|奴《やつ》は  たしかにヨリコと|言《い》ひよつた
もしや|姉《あね》ではあるまいか  |花香《はなか》の|姉《あね》も|又《また》ヨリコ
|同《おな》じ|名前《なまへ》は|世《よ》の|中《なか》に  |沢山《たくさん》あれ|共《とも》どこやらに
|彼奴《あいつ》の|声《こゑ》がよく|似《に》てる  アア|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》でこの|岩窟《いはや》  やつて|来《き》たのは|天地《あめつち》の
|神々様《かみがみさま》の|御心《みこころ》だ  |早《はや》くこの|戸《と》を|開《あ》けてくれ
|玄真坊《げんしんばう》よシーゴーよ  |一《ひと》つの|秘密《ひみつ》を|言《い》うてやろ
|何《なに》ほど|心《こころ》を|砕《くだ》きつつ  |天下《てんか》を|狙《ねら》つて|見《み》たとこで
お|前《まへ》の|知恵《ちゑ》では|及《およ》ばない  |肝心要《かんじんかなめ》の|救世主《きうせいしゆ》
|此処《ここ》にござるを|知《し》らないか  |玄真坊《げんしんばう》やシーゴーの
|腰抜《こしぬ》け|身魂《みたま》ぢや|駄目《だめ》だぞよ  |俺《おれ》のいふこと|分《わか》らねば
|女帝《によてい》のヨリコを|招《よ》んで|来《こ》い  |女帝《によてい》であらうが|何《なん》だろが
|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|一節《ひとふし》に  |言向和《ことむけやは》して|見《み》せてやろ
|神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》にあり  |吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
いかなる|曲《まが》の|健《たけ》びさへ  おめず|恐《おそ》れぬ|神司《かむづかさ》
|見違《みちが》へするな|早《はや》あけよ  スガコの|姫《ひめ》や|吾《わ》がワイフ
|女《をんな》に|化《ば》けたサンダーさま  |揃《そろ》ひも|揃《そろ》うて|美《うつく》しい
|月《つき》|雪《ゆき》|花《はな》が|待《ま》つてゐる  |俺《おれ》は|梅公《うめこう》|宣伝使《せんでんし》
どんな|事《こと》でも|聞《き》いてやろ  |安全《あんぜん》|無事《ぶじ》の|神《かみ》の|教《のり》
こんな|悪事《あくじ》が|何時《いつ》までも  |続《つづ》くと|思《おも》つちや|間違《まちが》ひだ
|早《はや》く|改心《かいしん》するがよい  |女帝《によてい》のヨリコを|始《はじ》めとし
|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もやつて|来《き》て  |吾《わ》が|御前《おんまへ》にひれ|伏《ふ》せよ
|吾《われ》は|救《すく》ひの|神《かみ》なるぞ  |天教山《てんけうざん》にあれませる
|木花姫《このはなひめ》のみことのり  |神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の
|教《をしへ》を|畏《かしこ》み|月《つき》の|国《くに》  ハルナの|都《みやこ》に|出向《いでむ》かふ
|尊《たふと》き|神《かみ》の|珍柱《うづばしら》  |早《はや》くも|迎《むか》へ|奉《たてまつ》れ
|開《あ》けよ|開《あ》けよ|早《はや》|開《あ》けよ  |開《あ》けるが|厭《いや》ならブチ|割《わ》ろか
|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|神力《しんりき》に  オーラの|山《やま》も|野《の》つ|原《ぱら》も
|忽《たちま》ちガタガタ ビシヤビシヤと  |顛覆《てんぷく》させるは|夢《ゆめ》の|間《ま》だ
|俺《おれ》の|力《ちから》が|解《わか》つたら  |一時《いちじ》も|早《はや》く|開《あ》けに|来《こ》い
もはや|夜明《よあけ》に|近《ちか》づいた  あけて|嬉《うれ》しい|玉手箱《たまてばこ》
|竜宮海《りうぐうかい》の|乙姫《おとひめ》が  |三人《さんにん》ここにまつて|居《ゐ》る
お|面《かほ》が|拝《をが》みたうないのかい  |唐変木《たうへんぼく》にも|程《ほど》がある
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |叶《かな》はぬからあけてくれ
アツハハハハハ オツホホホホ』
と|魔神《まがみ》の|岩窟《いはや》に|閉《と》ぢ|込《こ》められたのを|知《し》らず|面《がほ》に|笑《わら》つてゐる。
|玄真坊《げんしんばう》は|戸口《とぐち》にソツと|耳《みみ》を|当《あ》て、|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐたが……、
『|梅公《うめこう》の|歌《うた》の|中《なか》に、どうやら|今《いま》やつて|来《き》た|女《をんな》は|女帝《によてい》の|妹《いもうと》らしい。コリヤうつかりしては|居《を》れない。また|二人《ふたり》の|女《をんな》は|女帝《によてい》の|妹《いもうと》が|眤懇《じつこん》な|奴《やつ》と|見《み》える。あの|天狗《てんぐ》のマネをして|失敗《しくじ》つた|男《をとこ》は、|妹《いもうと》の|婿《むこ》らしいぞ。|何《なん》とかして|大切《たいせつ》に|扱《あつか》はねば、|姉妹《きやうだい》の|対面《たいめん》が|事実《じじつ》になつたならば、その|時《とき》は|俺《おれ》もサツパリ、ワヤ|苦茶《くちや》だ。|忠義《ちうぎ》を|尽《つく》すは|今《いま》の|時《とき》だ。|旗色《はたいろ》のよい|方《はう》へつく|方《はう》が|当世《たうせい》だ。シーゴーとは|俺《おれ》の|方《はう》が、どうやら|旗色《はたいろ》が|悪《わる》くなつたやうだ。|今《いま》の|内《うち》に|勢力《せいりよく》のある|方《はう》へ|加担《かたん》するのが|最善《さいぜん》の|行方《やりかた》だ……』
と|独語《ひとりご》ちながら|吾《わ》が|居間《ゐま》へ|帰《かへ》り、|酒《さけ》や|煙草《たばこ》や|珍《めづら》しき|果物《くだもの》などを|持《も》ち|出《だ》し|来《き》たり、|面色《かほいろ》を|和《やは》らげて、
『ハア、これはこれはお|客様方《きやくさまがた》、|山奥《やまおく》の|茅屋《あばらや》へよくも|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。|何《なに》か|差上《さしあ》げたいのでございますけれど、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|不便《ふべん》の|土地《とち》。これが|私《わたくし》の|力一杯《ちからいつぱい》の|御馳走《ごちそう》です。どうか|精一杯《せいいつぱい》おあがり|下《くだ》さいませ。|私《わたし》もヨリコ|女帝様《によていさま》の|御厄介《ごやくかい》になつてるツマらぬ|男《をとこ》ですから、どうか、|末永《すえなが》く|可愛《かあい》がつて|頂《いただ》きたうございます』
|梅公《うめこう》『ハイ|有難《ありがた》う。|思召《おぼしめ》しは|受《う》けますが、|今《いま》はお|肚《なか》が|膨《ふく》れてをりますから|頂戴《ちやうだい》いたしませぬ』
|玄真《げんしん》『|何《なに》かお|腹立《はらだち》でもございませうかなれど、|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》して、|私《わたくし》の|心《こころ》をおあがり|下《くだ》さいませ。メツタに|天然《てんねん》の|果然《くだもの》に|毒《どく》などは|入《はい》つてをりませぬから……』
『それでも|余《あま》り、|気《き》の【|毒《どく》】だから、|御遠慮《ごゑんりよ》いたしませう』
『|滅相《めつさう》もない。【キ】が|毒《どく》になりましたら、|箸《はし》で|飯《めし》はくへませぬ。どうか、キの|毒《どく》とか|灰《はひ》の|毒《どく》だとか|言《い》はず、キようおあがり|下《くだ》さいませ。あなた|方《がた》は|水入《みづい》らずの|間柄《あひだがら》と|思《おも》ひますから』
『|水入《みづい》らず……ではなくて、|猫入《ねこい》らずかも|知《し》れませぬぞ、アハハハハ。|沢山《たくさん》な|鼠賊《そぞく》が|横行《わうかう》して|居《を》りますから。チツた|猫入《ねこい》らずも|当家《たうけ》には|買《か》ひ|込《こ》んでございませうね』
|花香《はなか》『ア、お|前《まへ》さまは、|三年前《さんねんまへ》に|吾《わ》が|家《や》に|泊《とま》り、|姐《ねえ》さまを|拐《かどは》かしていんだ|修験者《しゆげんじや》ぢやありませぬか。マアマアマアマアよく|似《に》てること……』
|玄真《げんしん》『ハハハハ、ヤ、|実《じつ》のところは|其《その》|時《とき》にお|前《まへ》の|内《うち》に|泊《とま》つたのは|私《わたし》だ。|何《なん》とマア|大《おほ》きくなつたね。どこともなくヨリコさまに|似《に》てるワイ。お|母《か》アさまも|随分《ずゐぶん》|面立《かほだち》のよい|人《ひと》だつたが、お|前《まへ》さまも|姉《ねえ》さまに|劣《おと》らぬ|美人《びじん》だ。これも|何《なに》かの|因縁《いんねん》だらう。マアよう|来《き》て|下《くだ》さつた。お|前《まへ》さまが|御姉妹《ごきやうだい》と|分《わか》つた|以上《いじやう》、|女帝《によてい》さまに|黙《だま》つてる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬ。これから|一《ひと》つ|女帝様《によていさま》に|申上《まをしあ》げて|来《く》る。また|何《なに》か|御馳走《ごちそう》をして|下《くだ》さるだらうから』
|花香《はなか》『|一寸《ちよつと》、|玄真坊《げんしんばう》さまにお|断《こた》へ|致《いた》しておきますが、この|凛々《りり》しい|男《をとこ》らしい|方《かた》は|三五教《あななひけう》の|梅公別《うめこうわけ》さまと|言《い》つて|宣伝使《せんでんし》ですよ。そして|私《わたし》の|大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|夫《をつと》でございますから、|大切《たいせつ》に|扱《あつか》つて|下《くだ》さいや。|私《わたし》が|姉《ねえ》さまの|姉妹《きやうだい》とあれば、ここの|女帝《によてい》さまの|弟《おとうと》ですから、|粗略《そりやく》な|扱《あつか》ひは|出来《でき》ますまい、ホホホホホ』
と|稍《やや》|顔《かほ》を|赤《あか》くし、|袖《そで》に|隠《かく》す。
|玄真坊《げんしんばう》は|倉皇《さうくわう》として|女帝《によてい》の|居間《ゐま》に|駈《か》けつけ、|声《こゑ》まであわただしく、
『|女帝様《によていさま》に|申《まを》し|上《あ》げます。タタ|大変《たいへん》なお|悦《よろこ》びが|出来《でき》ました』
ヨリコ『|大変《たいへん》なお|悦《よろこ》びとは、どんな|事《こと》が|出来《でき》たのだえ』
|玄真《げんしん》『ハイ、あなたのお|妹御《いもうとご》の|花香《はなか》さまが、お|婿《むこ》さまを|連《つ》れてお|出《い》でになつたのですよ。あの|大杉《おほすぎ》の|上《うへ》から|落《お》ちて|来《き》た|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》が|其《そ》の|方《かた》です。|何《なん》と|驚《おどろ》くぢやありませぬか』
『オホホホ、あのマア|玄真坊殿《げんしんばうどの》の|慌《あわ》て|方《かた》ワイの。|妾《わらは》は|杉《すぎ》の|木《き》から|落《お》ちた|時《とき》、|已《すで》に|妹《いもうと》だと|看破《かんぱ》してゐたのだ。|仕様《しやう》もない|者《もの》がやつて|来《き》て、|折角《せつかく》の|仕組《しぐみ》が|破《やぶ》れはせぬかと|心配《しんぱい》してるのだ。しかし|妹《いもうと》と|分《わか》つては|手《て》にかける|訳《わけ》にもいかず、|同《おな》じ|母《はは》の|体内《たいない》から|出《で》た、|同《おな》じ|血筋《ちすぢ》だから、|何《なん》とかしてやらねばなるまい。そしてあの|男《をとこ》は|妹《いもうと》の|婿《むこ》らしいが、|中々《なかなか》あれはシーゴーやお|前《まへ》のやうな|弱虫《よわむし》ではない。グヅグヅしてゐると|岩窟退治《いはやたいぢ》をやられるか|知《し》れませぬよ。しかし|打《うち》やつておく|訳《わけ》にもゆくまいから、|女帝《によてい》|自《みづか》ら|出馬《しゆつば》して、|姉妹《きやうだい》の|名乗《なのり》をしてやりませう、ホホホホホ』
|玄真《げんしん》『サ、お|伴《とも》いたしませう。エ、シーゴーの|奴《やつ》どこへ|行《い》きやがつたのだらう。|右守司《うもりのかみ》ばかり|居《を》つても、|左守《さもり》が|居《を》らなくちや、|女帝様《によていさま》の|権式《けんしき》が|上《あが》らない。どつかへ|潜伏《せんぷく》してゐるだらう』
と|呟《つぶや》いてゐる。シーゴーは|次《つぎ》の|間《ま》からヌーツと|面《かほ》を|出《だ》し、
『アハハハ、オイ|玄真《げんしん》、|何《なに》を|慌《あわ》ててゐるのだ。もうかうなりや、|毒《どく》を|以《もつ》て|毒《どく》を|制《せい》する|法《はふ》を|講《かう》じなくちや|仕方《しかた》がないよ。うまく|宣伝使《せんでんし》を|抱《だ》き|込《こ》んで|吾々《われわれ》の|味方《みかた》となし、|女帝様《によていさま》の|謀師《ぼうし》と|仰《あふ》ぎ、|俺《おれ》|達《たち》や|一段《いちだん》|下《した》へさがつて、|日頃《ひごろ》の|大望《たいまう》を|成就《じやうじゆ》することに|努《つと》めねばなるまいぞ。|女帝様《によていさま》に|余《あま》り|口《くち》を|叩《たた》かしちや|権威《けんゐ》がおちるから、そこは|能《よ》く|心得《こころえ》てをるのだ。しかし|貴様《きさま》は|肝心《かんじん》の|時《とき》になると、|慌《あわ》てるから、すぐに|内兜《うちかぶと》を|見透《みす》かされる。この|談判《だんぱん》の|衝《しよう》にはシーゴーが|当《あた》るから、むしろお|前《まへ》は|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つてる|方《はう》が|奥床《おくゆか》しくてよからう。そしてサンダーといふお|前《まへ》の|恋《こひ》してゐた|女《をんな》は、コマの|村《むら》の|里庄《りしやう》の|息子《むすこ》だ、|一人《ひとり》は|彼《かれ》の|許嫁《いひなづけ》のスガコ|姫《ひめ》だ。|主《ぬし》ある|花《はな》を|手折《たを》らうと|思《おも》つたつて|到底《たうてい》|駄目《だめ》だから|今《いま》の|中《うち》にスツパリ|思《おも》ひ|切《き》つておくがよからう。|妙《めう》な|目遣《めづか》ひをしてもらうと|俺《おれ》たちの|面《かほ》にかかる。|第一《だいいち》|女帝様《によていさま》の|権威《けんゐ》にかかはる。エエか、|心得《こころえ》たか』
|玄真坊《げんしんばう》はスツカリ|恋《こひ》の|夢《ゆめ》も|醒《さ》め、|豆狸《まめだぬき》が|小便壺《せうべんつぼ》へおちたやうな|面《つら》をして|膨《ふく》れてゐる。この|時《とき》|一天《いつてん》を|包《つつ》みし|黒雲《くろくも》は、|折《を》りから|吹《ふ》き|来《く》る|山嵐《やまあらし》に|晴《は》れ、|大空《おほぞら》は|梨地色《なしぢいろ》に|星光《せいくわう》|燦爛《さんらん》として|輝《かがや》き|初《そ》めて|来《き》た。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一三・一二・一七 旧一一・二一 松村真澄録)
(昭和一〇・六・一七 王仁校正)
あとがき
一、|本巻《ほんくわん》は|序文《じよぶん》にもある|通《とほ》り|御口述《ごこうじゆつ》の|順序《じゆんじよ》よりすれば|第六十八巻《だいろくじふはちくわん》(|山河草木《さんかさうもく》|未之巻《ひつじのまき》)に|当《あた》ります。|然《しか》し|御都合《ごつがふ》にて|第六十六巻《だいろくじふろくくわん》(|高砂島《たかさごじま》に|於《お》ける|国依別《くによりわけ》の|子《こ》|国照別《くにてるわけ》の|物語《ものがたり》)|第六十七巻《だいろくじふしちくわん》(|聖師様《せいしさま》の|蒙古入物語《もうこいりものがたり》)に|先《さき》んじて|本巻《ほんくわん》を|第六十六巻《だいろくじふろくくわん》として|発行《はつかう》さるることとなりました。|右《みぎ》|二巻《にくわん》はいづれも|独立《どくりつ》した|物語《ものがたり》であります。
一、|本巻《ほんくわん》は|昨春《さくしゆん》|金沢《かねざは》にて|発行《はつかう》さるる『|北国夕刊新聞《ほくこくゆふかんしんぶん》』に『|月《つき》の|出潮《でしほ》』として|連載《れんさい》されたものであります。
大正十五年六月十五日
編輯者識
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霊界物語 第六六巻 山河草木 巳の巻
終り