霊界物語 第六四巻下 山河草木 卯の巻下
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六四巻下』愛善世界社
2004(平成16)年08月27日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年02月15日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |復活《ふくくわつ》|転活《てんくわつ》
第一章 |復活祭《ふくくわつさい》〔一八〇七〕
第二章 |逆襲《ぎやくしふ》〔一八〇八〕
第三章 |草居谷底《くさゐたにぞこ》〔一八〇九〕
第四章 |誤霊城《ごれいじやう》〔一八一〇〕
第五章 |横恋慕《よこれんぼ》〔一八一一〕
第二篇 |鬼薊《おにあざみ》の|花《はな》
第六章 |金酒結婚《きんしゆけつこん》〔一八一二〕
第七章 |虎角《こかく》〔一八一三〕
第八章 |擬侠心《ぎけふしん》〔一八一四〕
第九章 |狂怪戦《けうくわいせん》〔一八一五〕
第一〇章 |拘淫《こういん》〔一八一六〕
第三篇 |開花《かいくわ》|落花《らくくわ》
第一一章 |狂擬怪《きやうぎくわい》〔一八一七〕
第一二章 |開狂式《かいきやうしき》〔一八一八〕
第一三章 |漆別《うるしわけ》〔一八一九〕
第一四章 |花曇《はなぐもり》〔一八二〇〕
第一五章 |騒淫《さういん》ホテル〔一八二一〕
第四篇 |清風一過《せいふういつくわ》
第一六章 |誤辛折《ごしんせつ》〔一八二二〕
第一七章 |茶粕《ちやかす》〔一八二三〕
第一八章 |誠《まこと》と|偽《いつはり》〔一八二四〕
第一九章 |笑拙種《せうせつだね》〔一八二五〕
第二〇章 |猫鞍干《ねこぐらぼし》〔一八二六〕
第二一章 |不意《ふい》の|官命《くわんめい》〔一八二七〕
第二二章 |帰国《きこく》と|鬼哭《きこく》〔一八二八〕
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|序文《じよぶん》
|大正《たいしやう》|乙丑《きのとうし》|八月《はちぐわつ》|十四日《じふよつか》、|松村《まつむら》、|加藤《かとう》、|北村《きたむら》の|筆《ふで》の|勇者《ゆうしや》と、|田中《たなか》|艶子《つやこ》を|伴《ともな》ひ、|秋山彦《あきやまひこ》の|旧蹟地《きゆうせきち》なる|和知川《わちがは》の|下流《かりう》|由良《ゆら》の|港《みなと》に|安着《あんちやく》し、|海水浴《かいすゐよく》に|浸《ひた》り|乍《なが》ら、|寸暇《すんか》を|利用《りよう》して、|日下開山《ひのしたかいさん》の|続編《ぞくへん》を|口述《こうじゆつ》する|事《こと》と|致《いた》しました。
|北丹《ほくたん》|分所長《ぶんしよちやう》|嵯峨根《さがね》|民蔵《たみぞう》|氏《し》、|新舞鶴《しんまひづる》|支部長《しぶちやう》|村山《むらやま》|政光《まさみつ》|氏《し》の|厚情《こうじやう》に|依《よ》り、|銷夏《せうか》の|歓楽《くわんらく》に|浸《ひた》り|得《え》たることを|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|毎日《まいにち》|日本海《にほんかい》の|波《なみ》に|親《した》しみ、|大本《おほもと》に|最《もつと》も|由緒《ゆいしよ》の|深《ふか》き|男嶋《をしま》|女嶋《めしま》の|神域《しんゐき》を|拝《はい》し|乍《なが》ら、|心《こころ》|静《しづ》かに|述《の》べ|了《をは》りました。
大正十四年八月二十一日
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|山河草木《さんかさうもく》|日下開山《ひのしたかいさん》の|後編《こうへん》でありまして、ウラナイ|教《けう》の|神柱《かむばしら》、お|寅《とら》、|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》のローマンスや、ブラバーサの|聖地《せいち》に|於《お》ける|活動《くわつどう》の|状況《じやうきやう》を|述《の》べたものであります。ヘグレのヘグレのヘグレ|武者《むしや》の|妄動《まうどう》|振《ぶ》り、お|花《はな》の|意気地《いきぢ》、|守宮別《やもりわけ》の|奇妙《きめう》な|蠢動《しゆんどう》する|光景《くわうけい》などは|如実《によじつ》に|描《ゑが》き|出《だ》されてあります。
大正十四年八月二十一日
第一篇 |復活《ふくくわつ》|転活《てんくわつ》
第一章 |復活祭《ふくくわつさい》〔一八〇七〕
|十二日《じふににち》は|聖師《せいし》ウズンバラ・チヤンダーの|降誕日《かうたんび》に|相当《さうたう》するので、ブラバーサは|草庵《さうあん》を|立《た》つて|其《その》|吉辰《きつしん》を|祝《しゆく》すべく、|橄欖山《かんらんざん》の|聖地《せいち》に|参詣《さんけい》して、|熱烈《ねつれつ》なる|祈祷《きたう》を|捧《ささ》げ|了《をは》り、|今日《けふ》は|常《つね》よりも|緊張《きんちやう》した|気分《きぶん》で、|且《か》つ|敬虔《けいけん》な|態度《たいど》で|山《やま》を|下《くだ》り、アメリカンコロニーにも|立寄《たちよ》り、|聖師《せいし》に|会《あ》つて|神徳談《しんとくばなし》を|交換《かうくわん》し、|日没前《にちぼつぜん》|袂《たもと》を|別《わか》ち、|帰途《きと》カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルに|立寄《たちよ》つた。|恰《あたか》も|当日《たうじつ》は|聖《せい》キリストの|復活祭《ふくくわつさい》で|全基督教会《ぜんキリストけうくわい》は|之《これ》を|大聖日《だいせいじつ》として|一斉《いつせい》になる|祈祷《きたう》が|捧《ささ》げらるるのである。|旧教《きうけう》も|新教《しんけう》も|何《いづ》れの|教派《けうは》を|問《と》はず、|最《もつと》も|栄《さか》えある|福音《ふくいん》として|此《こ》の|聖日《せいじつ》を|迎《むか》へるのである。そして|旧教《きうけう》の|方面《はうめん》から|見《み》ると|当年《たうねん》は|聖年《せいねん》に|当《あた》つて|居《ゐ》るが、その|聖年中《せいねんちう》の|復活祭《ふくくわつさい》として|乙丑《きのとうし》の|四月《しぐわつ》|十二日《じふににち》を|最《もつと》も|祝福《しゆくふく》する|事《こと》に|成《な》つてゐる。|大体《だいたい》カトリック|教会《けうくわい》では|三月《さんぐわつ》|第三回目《だいさんくわいめ》の|水曜日《すいえうび》から|聖年《せいねん》は|四旬節《しじゆんせつ》に|入《い》つてゐるのである。|祈《いの》りと、|断食《だんじき》と、|苦行《くぎやう》との|節《せつ》が|初《はじ》まるのである。|即《すなは》ち|祈《いの》り、|苦行《くぎやう》、|断食《だんじき》|等《とう》の|犠牲《ぎせい》がこの|四旬節《しじゆんせつ》に|行《おこな》はれる。そして|四月《しぐわつ》に|入《い》ると|五日《いつか》から|十二日《じふににち》の|復活祭《ふくくわつさい》まで|是《これ》を|大週《たいしう》|又《また》は|聖週《せいしう》として|五日《いつか》を|聖《きよ》き|枝《えだ》の|主日《しゆのひ》、|又《また》は|棕櫚《しゆろ》の|主日《しゆのひ》と|云《い》ふのである。
『|弟子《でし》たち|往《ゆ》きてイエスの|命《めい》じ|給《たま》ひし|如《ごと》くに|為《な》し、|牝驢馬《めろば》とその|子《こ》とを|引《ひ》き|来《き》たり、|己《おの》が|衣服《いふく》を|其《その》|上《うへ》に|敷《し》き、イエスをこれにのせたるに、|群集《ぐんしふ》|夥《おびただ》しく|己《おの》が|衣服《いふく》を|道《みち》に|敷《し》き、ある|人々《ひとびと》は|樹《き》の|枝《えだ》を|切《き》りて|道《みち》に|敷《し》きたり。|先《さき》に|立《た》ち|従《したが》へる|群集《ぐんしふ》|呼《よ》ばはりて、ダヴイドの|裔《すゑ》にホザンナ、|主《しゆ》の|名《な》によりて|来《き》たるものは|祝《しゆく》せられ|給《たま》へ。いと|高《たか》きところまでホザンナを|言《い》ひ|居《を》れり』
|即《すなは》ちイエスがエルサレムに|入《はい》つた|時《とき》、|人々《ひとびと》は|道《みち》に|着物《きもの》や|木《き》の|枝《えだ》を|敷《し》いて|歓迎《くわんげい》した|其《その》|日《ひ》なのであるが、|四五日《しごにち》を|経《へ》てそれ|等《ら》の|人達《ひとたち》は|其《そ》のイエスを|十字架《じふじか》にかけたのである。
|九日《ここのか》は|聖《せい》の|木曜《もくえう》でイエスが|死没《しぼつ》の|前夜《ぜんや》、|弟子《でし》を|集《あつ》めて|最後《さいご》の|晩餐《ばんさん》を|催《もよほ》し|聖体《せいたい》の|秘蹟《ひせき》を|定《さだ》めた|日《ひ》である。この|日《ひ》|司教座《しけうざ》の|在《あ》る|聖堂《せいだう》では|聖香油《せいかうゆ》を|造《つく》ることに|成《な》つてゐる。
|十日《とをか》は|聖《せい》の|金曜《きんえう》であつて、イエスが|十字架《じふじか》に|上《のぼ》り|死刑《しけい》に|処《しよ》せられた|日《ひ》である。|米国《べいこく》あたりでは|午後《ごご》|一時《いちじ》から|三時《さんじ》まで、|即《すなは》ち|其《その》|刑《けい》の|執行《しつかう》|時間《じかん》を、|皆《みな》|店《みせ》を|閉《と》ぢ|商売《しやうばい》を|休《やす》む|習慣《しふくわん》の|所《ところ》もあると|云《い》ふことである。
|十一日《じふいちにち》は|聖《せい》の|土曜《どえう》で|復活《ふくくわつ》の|光明《くわうみやう》が|仄《ほの》かに|刺《さ》した|日《ひ》である。さうして、|十二日《じふににち》の|復活《ふくくわつ》|大祝日《だいしゆくじつ》となるのである。
『おそるること|勿《なか》れ。|汝等《なんぢら》は|十字架《じふじか》につけられ|給《たま》ひしナザレのイエスをたづぬれどもかれは|復活《ふくくわつ》し|給《たま》ひて、ここにはましまさず』
そして|此《こ》の|聖週《せいしう》が|終《をは》つても、|十三日《じふさんにち》を|復活《ふくくわつ》|第二《だいに》の|主日《しゆのひ》となし、
『|汝《なんぢ》|指《ゆび》をここに|入《い》れて、|我《わが》|手《て》を|見《み》よ。|手《て》を|延《の》べて|我《わ》が|脇《わきばら》に|入《い》れよ。|不信者《ふしんじや》とならずして|信者《しんじや》となれよ。トマス|答《こた》へて、「|主《しゆ》よ、わが|神《かみ》よ」と|言《い》ひしかば、イエスこれに|言《い》ひけるは、トマス|汝《なんぢ》はわれを|見《み》しによりて|信《しん》じたるか。|見《み》ずして|信《しん》ぜし|人々《ひとびと》こそ|福《さいはひ》なれ』
そして|十四日《じふよつか》をその|第三《だいさん》の|主日《しゆのひ》とするのである。
『|我《われ》は|又《また》この|檻《をり》に|属《ぞく》せざる|他《た》の|羊《ひつじ》をもてり。かれ|等《ら》をも|引《ひ》き|来《きた》らざるべからず。さて|彼等《かれら》|我《わが》|声《こゑ》をきき、かくて|一《ひと》つの|檻《をり》、|一《ひと》つの|牧者《ぼくしや》とならむ』
これらの|教《をしへ》を|各教会《かくけうくわい》に|於《おい》て|一斉《いつせい》に|説《と》かれて|居《ゐ》るのである。
ブラバーサが|立寄《たちよ》つた|僧院《そうゐん》ホテルの|別室《べつしつ》には|数多《あまた》のカトリック|教徒《けうと》が|集《あつ》まつて、|此《こ》の|聖日《せいじつ》を|祝《しゆく》すべく、|復活祭《ふくくわつさい》|第一《だいいち》の|主日《しゆのひ》の|祭典《さいてん》や|祈祷《きたう》を|行《おこな》つてゐた。
ブラバーサはルートバハーの|聖師《せいし》の|生誕日《せいたんび》に|当《あた》つて、|此《こ》の|僧院《そうゐん》に|厳粛《げんしゆく》なる|儀式《ぎしき》が|行《おこな》はれてゐる|事《こと》を|何《なん》となく|嬉《うれ》しく、|且《か》つ|神縁《しんえん》の|絡《から》まれたる|不思議《ふしぎ》さに|感歎《かんたん》しながら、|式《しき》の|終《をは》るを|待《ま》ち、|末座《まつざ》に|敬虔《けいけん》な|態度《たいど》で|祈祷《きたう》を|拝《ささ》げ、|感慨無量《かんがいむりやう》の|面持《おももち》であつた。
ホスビース・ノートルダム・フランスのこの|加特力《カトリック》|僧院《そうゐん》ホテルを|経営《けいえい》してゐる|司教《しけう》テルブソンは、|先頭《せんとう》に|立《た》つて|神《かみ》の|御前《みまへ》に|三拝《さんぱい》し、|一同《いちどう》の|信者《しんじや》と|異口同音《いくどうおん》に|左《さ》の|讃美歌《さんびか》を|唄《うた》ふた。
|御祖《みおや》はあれまし |道《みち》を|説《と》けり
なやみに|住《す》む|人《ひと》 |求《ま》ぎて|来《き》たれ
|智慧《さとり》のみはしら |世《よ》に|降《くだ》れり
よはき|人々《ひとびと》よ |来《き》たりまなべ。
|伊都《いづ》の|大神《おほかみ》は |世《よ》に|降《くだ》れり
よろづの|人々《ひとびと》 |来《き》たりたのめ
|身魂《みたま》をきよむる |神《かみ》の|清水《しみづ》
|汚《けが》されし|人《ひと》は |来《き》たりすすげ。
|美都《みづ》の|大神《おほかみ》 |世《よ》に|出《い》でます
なやめる|人々《ひとびと》 |来《き》たりたのめ
|生命《いのち》の|御親《みおや》は |世《よ》に|降《くだ》れり
つみにしみし|人《ひと》 |求《ま》ぎて|生《い》きよ。
|美都《みづ》の|御柱《みはしら》は |世《よ》に|生《うま》れぬ
うへした|諸共《もろとも》 |来《き》たり|斎《いつ》け
|天地《あめつち》のはしら |御世《みよ》に|降《くだ》る
すべてのものみな |勇《いさ》みうたへ。
|一同《いちどう》|美声《びせい》を|揃《そろ》へて|四辺《しへん》の|空気《くうき》を|清《きよ》めたる|讃美歌《さんびか》の|奉唱《ほうしやう》も|無事《ぶじ》|終了《しうれう》し、|司教《しけう》のテルブソンはさも|荘重《さうちよう》な|声《こゑ》にて|一場《いちぢやう》の|演説《えんぜつ》を|試《こころ》みた。
『|御一同様《ごいちどうさま》、|今日《こんにち》は|吾々《われわれ》|信者《しんじや》に|採《と》つて|最《もつと》も|慶《けい》すべき|吉辰《きつしん》で|厶《ござ》います。メシヤの|復活《ふくくわつ》あそばされて、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|世界《せかい》の|同胞《どうはう》に|垂《た》れさせ|給《たま》ひました|主《しゆ》の|日《ひ》で|厶《ござ》います。|就《つい》ては|主《しゆ》の|御約束《おやくそく》|遊《あそ》ばした|聖地《せいち》エルサレムへ|御再臨《ごさいりん》の|時期《じき》も|追々《おひおひ》と|近《ちか》づいた|様《やう》に|拝《はい》せられ、|吾々《われわれ》は|実《じつ》に|神様《かみさま》より|選《えら》まれたるピュリタンとして、|此《この》|上《うへ》の|光栄《くわうえい》は|在《あ》るまいと|思《おも》ひます。|皆様《みなさま》、|主《しゆ》は「|我《わ》が|来《きた》るは|平和《へいわ》を|出《いだ》さむ|為《ため》では|無《な》い。|刃《やいば》を|出《いだ》さむ|為《ため》に|来《きた》れり」と|仰《おほ》せられてゐるでは|在《あ》りませぬか。|吾々《われわれ》は|主《しゆ》|再臨《さいりん》の|好時期《かうじき》に|生《うま》れたものですから、|余程《よほど》の|覚悟《かくご》を|致《いた》さなくては|成《な》りますまい。|現代人《げんだいじん》の|多数《たすう》は|宗教《しうけう》の|力《ちから》に|依《よ》つて、|或《あるひ》は|絶対的《ぜつたいてき》|信仰《しんかう》の|力《ちから》に|依《よ》つて、|真善美《しんぜんび》の|行為《かうゐ》を|現《あら》はし、|家庭《かてい》の|円満《ゑんまん》を|企画《きくわく》し、|自己《じこ》の|人格《じんかく》を|向上《かうじやう》し、|社会《しやくわい》|国家《こくか》を|益《えき》せむものと|焦慮《せうりよ》してゐる|様《やう》で|厶《ござ》いますが|然《しか》し|私《わたくし》は|思《おも》ふ、ソンナ|怪智《けち》くさい|考《かんが》へを|以《もつ》て|信仰《しんかう》が|得《え》られませうか。|刃《やいば》を|出《いだ》す|覚悟《かくご》が|無《な》くては|再臨《さいりん》のキリストに|救《すく》はる|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|信仰《しんかう》の|為《ため》ならば、|地位《ちゐ》も、|財産《ざいさん》も、|親兄弟《おやきやうだい》も、|知己《ちき》も、|朋友《ほういう》も|一切《いつさい》|捨《す》てる|覚悟《かくご》が|無《な》くては|駄目《だめ》です。|信仰《しんかう》を|味《あぢ》はつて|家庭《かてい》を|円満《ゑんまん》にしようとか、|人格《じんかく》を|向上《かうじやう》させやうとか|云《い》ふやうな|功利心《こうりしん》や|自己愛《じこあい》の|精神《せいしん》では|堂《どう》して|宇宙大《うちうだい》に|開放《かいはう》された、|真《まこと》の|生《い》ける|信仰《しんかう》を|得《え》る|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|自分《じぶん》は|世《よ》の|終《をは》りまで|悪魔《あくま》だ、|地獄《ぢごく》|行《ゆ》きだ、|一生涯《いつしやうがい》|世間《せけん》の|人間《にんげん》に|歓《よろこ》ばれない。かうした|悲痛《ひつう》な|絶望的《ぜつばうてき》な|決心《けつしん》が|無《な》くては、|此《こ》の|洪大無辺《こうだいむへん》にして、|有難《ありがた》い|尊《たふと》い|大宇宙《だいうちう》の|真理《しんり》、|真《まこと》の|神様《かみさま》に|触《ふ》れる|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|某《ぼう》|聖者《せいじや》が|地獄《ぢごく》|一定《いちぢやう》と|曰《い》はれたのは|此処《ここ》にある。|某《ぼう》|聖者《せいじや》は|世《よ》を|終《をは》るまで|悪人《あくにん》たる|事《こと》を|覚悟《かくご》されてゐた。|主《しゆ》イエス・キリストも|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》とあれば|何事《なにごと》も|敢《あへ》て|辞《じ》さないと|曰《い》ふ|覚悟《かくご》を|持《も》つて|居《を》られたのであります。|一切《いつさい》の|囚《とら》はれより、|一切《いつさい》の|慾望《よくばう》より、|一切《いつさい》の|執着《しふちやく》より、|真《しん》に|離《はな》れ|去《さ》つた|時《とき》、それは|真《しん》に|胸中《きようちう》|無一物《むいちぶつ》、|空《くう》の|空《くう》であり|無《む》の|無《む》である。その|時《とき》の|心境《しんきやう》こそは|鏡《かがみ》の|如《ごと》く|晴《は》れ|渡《わた》り、|澄《す》み|切《き》り、|総《すべ》ての|事象《じしやう》は|如実《によじつ》にその|心境《しんきやう》に|移《うつ》り|来《きた》る。その|時《とき》こそは|真《しん》に|絶対《ぜつたい》の|自由《じいう》と|平安《へいあん》と、|幸福《かうふく》は|立《たち》どころに|与《あた》へられ、さうして|過去《くわこ》の|一切《いつさい》の|経験《けいけん》は|一《ひと》つの|偉大《ゐだい》なる|力《ちから》となつて、|現在《げんざい》の|一点《いつてん》に|躍動《やくどう》するものであります。|即《すなは》ちこの|瞬間《しゆんかん》の|一点《いつてん》を|踏《ふ》みしめ|踏《ふ》みしめ|凝乎《じつ》と|足許《あしもと》を|見極《みきは》めて|精進《せうじん》するやうになれば、そこに|所愛《しよあい》の|創造《さうざう》があり、|進化《しんくわ》があるのです。|私《わたし》は|平素《へいそ》この|精神《せいしん》を|以《もつ》て|信仰《しんかう》|生活《せいくわつ》を|終始《しうし》して|居《ゐ》るのです。|私《わたし》はこの|僧院《そうゐん》の|司教《しけう》として|斯《かか》る|信仰《しんかう》を|持《ぢ》し、|聖《せい》キリストの|再臨《さいりん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るのですが、|世間《せけん》の|一般《いつぱん》からは|外道《げだう》|悪魔《あくま》の|様《やう》に|批評《ひへう》されてゐます。|併《しか》し|乍《なが》ら|斯《かか》る|暗黒《あんこく》の|世《よ》の|中《なか》にも|私《わたし》|只《ただ》|一人《ひとり》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》ブラバーサ|様《さま》の|知己《ちき》あることを|光栄《くわうえい》と|存《ぞん》じて|居《を》ります。|兎《と》に|角《かく》キリスト|再臨《さいりん》の|間近《まぢか》く|迫《せま》つた|今日《こんにち》、|総《すべ》ての|因習《いんしふ》を|捨《す》て|神様《かみさま》の|愛《あい》に|向《むか》つて|猛進《まうしん》せなくては|成《な》りませぬ。|善《ぜん》だとか|悪《あく》だとか|天国《てんごく》|地獄《ぢごく》などに|囚《とら》はれて|居《ゐ》ない|私《わたし》は|皆《みな》さまに|向《むか》つて|何《なに》も|申上《まをしあ》げる|原料《げんれう》も|持説《ぢせつ》も|厶《ござ》いませぬ。|故《ゆゑ》に|今日《こんにち》は|主《しゆ》の|復活《ふくくわつ》|聖日《せいじつ》を|祝福《しゆくふく》し|皆《みな》さまと|共《とも》に|神《かみ》を|讃美《さんび》し|奉《まつ》ることに|止《とど》めておきます。アーメン』
と|合唱《がつしやう》し|降壇《かうだん》した。|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》は|急霰《きふさん》の|如《ごと》く|僧院《そうゐん》ホテルの|内外《ないぐわい》に|響《ひび》き|渡《わた》つた。
|次《つぎ》にスバツフオード|聖師《せいし》は|立《た》つて|一場《いちぢやう》の|演説《えんぜつ》を|試《こころ》みた。
『|皆様《みなさま》|今日《けふ》は|実《じつ》に|有難《ありがた》い|主《しゆ》イエス・キリストの|復活《ふくくわつ》あそばされた|聖年聖日《せいねんせいじつ》で|厶《ござ》いまして、|吾々《われわれ》は|斯《こ》の|立派《りつぱ》な|僧院《そうゐん》におきまして、|兄弟姉妹《きやうだいしまい》と|共《とも》に|主《しゆ》の|日《ひ》を|讃美《さんび》し|祝福《しゆくふく》することの|光栄《くわうえい》を|感謝《かんしや》せずには|居《ゐ》られないので|厶《ござ》います。|吾々《われわれ》|兄弟姉妹《きやうだいしまい》は、この|目出度《めでた》たき|聖日《せいじつ》をして|意義《いぎ》あるものたらしめねば|成《な》りませぬ。そして|伝統的《でんとうてき》ブルジョア|的《てき》|宗教《しうけう》や、|伝説《でんせつ》や|口碑《こうひ》に|因《よ》つて|飾《かざ》られたる|既成《きせい》|宗教《しうけう》の|殻《から》を|脱《ぬ》いで、|時代《じだい》を|指導《しだう》するに|足《た》る|宗教《しうけう》の|運動《うんどう》に|生《い》きなくては|成《な》りませぬ。|吾々《われわれ》の|団体《だんたい》は|創設《さうせつ》|以来《いらい》|数十年《すうじふねん》の|日子《につし》を|経過《けいくわ》いたしました。そして|聖《せい》キリストの|再臨《さいりん》を|待望《たいばう》して|参《まゐ》りました。やがて|待《ま》ち|焦《こが》れたるメシヤの|御再臨《ごさいりん》も|近《ちか》い|事《こと》と|考《かんが》へさして|頂《いただ》いて|居《を》ります。|今度《こんど》|顕《あら》はれたまふ|主《しゆ》エス・キリストは|時代《じだい》|相応《さうおう》の|理《り》に|依《よ》つて|屹度《きつと》|英雄的《えいゆうてき》|色彩《しきさい》を|濃厚《のうこう》に|持《も》つて|御降《おくだ》りになる|事《こと》と|信《しん》じます。
|熟々《つらつら》|現代《げんだい》の|世相《せさう》を|視《み》れば|一方《いつぱう》には|文学《ぶんがく》を|恥《は》ぢて|武勇《ぶゆう》を|好《この》むもの、|一方《いつぱう》には|文学《ぶんがく》に|耽溺《たんでき》して|武備撤回《ぶびてつくわい》を|主唱《しゆしやう》するもの、|仁義《じんぎ》の|士《し》を|賤《いや》しみ|且《か》つ|愚者《ぐしや》|扱《あつか》ひを|為《な》し、|権謀術数《けんぼうじゆつすう》に|長《ちやう》じたるものを|紳士《しんし》と|崇《あが》め、|治獄《ぢごく》の|吏《り》を|貴《たつと》み、|悪法《あくはふ》を|施行《しかう》し、|正言真語《せいげんしんご》を|唱《とな》ふるものを|以《もつ》て|誹謗者《ひばうしや》と|看做《みな》して|獄《ごく》に|投《とう》じ、|奸邪《かんじや》を|重用《ぢうよう》して|政事《まつりごと》の|枢機《すうき》に|列《れつ》せしめ、|過《あやま》ちを|防遏《ばうあつ》せむとするものは|之《これ》を|妖言者《えうげんしや》と|貶《けな》し、|流言浮説者《りうげんふせつしや》として|圧迫《あつぱく》を|加《くは》へ、|先聖《せんせい》の|法服《はふふく》|世《よ》に|用《もち》ひられず、|忠良功言《ちうりやうこうげん》|皆《みな》|胸中《きようちう》に|欝《うつ》し、|誉諛《よゆ》の|声《こゑ》は|日夜《にちや》|耳《みみ》に|満《み》ち、|虚栄《きよえい》と|美食心《びしよくこころ》を|薫《くん》じ、|実行《じつかう》なく、|口説《こうぜつ》のみ|盛《さか》んにして、|社会《しやくわい》の|滅亡《めつぼう》|眼前《がんぜん》に|迫《せま》るの|心地《ここち》が|致《いた》します。|斯《か》かる|時代《じだい》に|際《さい》して|一大英雄《いちだいえいゆう》|即《すなは》ち|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》が|無《な》かつたならば、|最早《もはや》|世《よ》は|暗黒《あんこく》より|道《みち》はないでせう。|神的《しんてき》|英雄《えいゆう》なるものは|国家《こくか》|又《また》は|社会《しやくわい》の|実体《じつたい》とも|曰《い》ふべきものであつて、|国家《こくか》も|社会《しやくわい》も|要《えう》するに|英雄《えいゆう》|理想《りさう》の|具現《ぐげん》の|形式《けいしき》であります。|凡《すべ》て|英雄《えいゆう》の|無《な》き|国家《こくか》|社会《しやくわい》は|精霊《せいれい》の|脱出《だつしゆつ》した|人間《にんげん》の|屍体《したい》も|同様《どうやう》であります。|精神《せいしん》の|脱出《だつしゆつ》した|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》が|恣意《しい》なる|五慾《ごよく》の|乱起《らんき》によつて|自《みづか》らの|破滅《はめつ》に|終《をは》るが|如《ごと》く|之《これ》を|大統《だいとう》する|神雄《しんゆう》|聖者《せいじや》の|欠如《けつじよ》は、|常《つね》に|国運《こくうん》の|衰弱《すゐじやく》、|否《いな》|死滅《しめつ》も|同様《どうやう》であらうと|思《おも》ひます。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|文化《ぶんくわ》の|低下《ていか》せしにもあらず、|生産《せいさん》の|減少《げんせう》にもあらず、|僧侶《そうりよ》|宣伝使《せんでんし》の|尠《すくな》きにもあらず、|兵備《へいび》の|整《ととの》はざるにもあらず、|然《しか》るに|昨日《さくじつ》の|隆盛《りうせい》も|今日《こんにち》の|沈衰《ちんすゐ》、|径庭《けいてい》かくの|如《ごと》く|甚《はなは》だしきものは|何《ど》の|理由《りいう》ぞ。|要《えう》するに|国家《こくか》|社会《しやくわい》|本来《ほんらい》の|意義《いぎ》を|体得《たいとく》した|大統的《だいとうてき》|偉材《ゐざい》の|欠乏《けつぼう》せるが|為《ため》で|厶《ござ》いませう。|故《ゆゑ》に|私《わたし》は|民衆的《みんしうてき》|力《ちから》をば|信《しん》ずることは|出来《でき》ませぬ。|独《ひと》り|神雄的《しんゆうてき》|聖救世主《せいきうせいしゆ》の|出現《しゆつげん》を|待《ま》つのみで|厶《ござ》います。
|主《しゆ》エス・キリストが|山上《さんじやう》に|訓《くん》を|垂《た》れさせ|玉《たま》ふや、|群集《ぐんしふ》は|其《そ》の|教《をしへ》に|驚《おどろ》き、|孔子《こうし》の|春秋《しゆんじう》を|作《つく》つて|発表《はつぺう》するや、|乱臣賊子《らんしんぞくし》をして|悚懼《しようく》せしめたでは|厶《ござ》いませぬか。そは|主《しゆ》キリストや|孔子《こうし》は|所謂《いはゆる》|学者《がくしや》|等《ら》の|如《ごと》くならずして、|権威《けんゐ》あるものの|如《ごと》くであつたからでありませう。|今《いま》や|世界《せかい》の|民《たみ》は|自《みづか》ら|驚《おどろ》かむことを|求《もと》めつつあります。|今日《こんにち》の|人民《じんみん》は|既《すで》に|自分等《じぶんら》が|不平《ふへい》の|代弁者《だいべんしや》の|饒舌《ぜうぜつ》に|倦《う》み|果《は》てて|居《を》ります。|今日《こんにち》の|人民《じんみん》が|鶴首《くわくしゆ》して|待《ま》つて|居《ゐ》るものは、|金切声《かなきりごゑ》を|搾《しぼ》つて|彼等《かれら》|自身《じしん》の|窮状《きうじやう》を|説明《せつめい》するものでは|無《な》くて、|神《かみ》の|如《ごと》き|威厳《ゐげん》を|以《もつ》て|其《そ》の|進路《しんろ》を|指《さ》すものの|出現《しゆつげん》であります。|神《かみ》に|於《おい》てはその|言《い》ふ|所《ところ》は|即《すなは》ち|行《おこな》ふ|所《ところ》となるのであります。|徒《いたづら》に|民《たみ》と|共《とも》に|叫《さけ》び、|民《たみ》と|共《とも》に|躍《をど》る|如《ごと》きは|是《こ》れ|雪上《せつじやう》|更《さら》に|霜《しも》を|加《くは》ふるの|類《るゐ》であつて、|吾々《われわれ》|真《しん》に|天下《てんか》の|重《おも》きを|以《もつ》て|任《にん》ずる|信者《しんじや》|諸士《しよし》の|深《ふか》く|恥《はづ》る|所《ところ》なのであります。|何卒《なにとぞ》|吾《わ》が|敬愛《けいあい》なる|神《かみ》の|御子《みこ》たちよ、|民衆《みんしう》の|煽動《せんどう》に|乗《じやう》ずること|無《な》く|隠忍自重《いんにんじちよう》して|以《もつ》て|神雄《しんゆう》|偉人《ゐじん》としての|聖《せい》キリストの|再臨《さいりん》を|待《ま》たうぢや|厶《ござ》いませぬか。アーメン』
と|結《むす》んで|演壇《えんだん》を|降《くだ》る。|急霰《きふさん》の|如《ごと》き|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》に|満堂《まんだう》|揺《ゆる》がむ|許《ばか》りの|光景《くわうけい》であつた。
ブラバーサは|壇上《だんじやう》に|悠々《いういう》と|立上《たちあが》り、|暗祈黙祷《あんきもくたう》の|後《のち》、|聴衆《ちやうしう》|一般《いつぱん》に|向《むか》つて|敬意《けいい》を|表《へう》し、コツプの|水《みづ》を|一杯《いつぱい》グイと|呑干《のみほ》し|乍《なが》ら、|咳一咳《がいいちがい》して|曰《いは》く、
『|皆様《みなさま》、|今日《けふ》は|実《じつ》に|目出度《めでた》き|主《しゆ》の|復活日《ふくくわつび》で|厶《ござ》いまして、|地球上《ちきうじやう》の|人民《じんみん》は、|老若男女《らうにやくなんによ》の|嫌《きら》ひなく、|此《この》|聖日《せいじつ》を|欣仰《きんかう》せない|者《もの》は|厶《ござ》いますまい。|殊《こと》に|吾々《われわれ》|御互《おたがひ》は|神様《かみさま》の|寵児《ちようじ》として、|親《した》しく|神様《かみさま》にお|任《つか》へさして|頂《いただ》いて|居《を》りまする|点《てん》からしても、|特《とく》に|讃仰《さんかう》せねばならないと|存《ぞん》じます。|思想界《しさうかい》の|悪潮流《あくてうりう》は|世界《せかい》に|氾濫《はんらん》し、|今《いま》や|地上《ちじやう》の|神《かみ》の|国《くに》は|破滅《はめつ》せむとするの|勢《いきほ》ひで|厶《ござ》います。|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|暗黒《あんこく》の|帳《とばり》を|開《ひら》いて、|明晃々《めいくわうくわう》たる|日出《ひので》の|御代《みよ》を|来《きた》すべく、|吾々《われわれ》は|努力《どりよく》せなくてはなりませぬ』
|斯《か》く|論《ろん》じ|来《きた》る|折《をり》、|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》よりやをら|身《み》を|起《おこ》し、|満面《まんめん》|朱《しゆ》を|濺《そそ》ぎ|乍《なが》ら、ツカツカと|壇上《だんじやう》に|上《のぼ》つて|来《き》た|婆《ばば》アは、|日出島《ひのでじま》からやつて|来《き》たお|寅《とら》であつた。お|寅《とら》はブラバーサに|向《むか》ひ、
『コレ、お|前《まへ》はブラバーサぢやないか。|今《いま》|聞《き》いてをれば、|一時《いちじ》も|早《はや》く|日出《ひので》の|御代《みよ》になる|様《やう》、|吾々《われわれ》は|努力《どりよく》せねばならぬと|云《い》つたぢやないか。|日出《ひので》の|御代《みよ》にするのは、|日出国《ひのでのくに》の|天職《てんしよく》ぢやぞえ。そして|日出《ひので》の|島《しま》から|現《あら》はれた|此《この》|日出《ひので》の|神《かみ》が|本当《ほんたう》の|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》だ。|日出《ひので》の|神《かみ》の|因縁《いんねん》が|聞《き》きたければ、|此《この》|御本尊《ごほんぞん》に|聞《き》いたが|一番《いちばん》|近道《ちかみち》だ。ひつこみてゐなさい。ヘン、|偉相《えらさう》に、|宣伝使面《せんでんしづら》をさげて、|何《なん》のこつちやいなア。コレ|皆《みな》さま、こんなバチ|者《もの》に|耳《みみ》をかす|必要《ひつえう》はありませぬ。|誠《まこと》の|救世主《きうせいしゆ》|日出《ひので》の|神《かみ》は|此《この》お|寅《とら》で|厶《ござ》いますぞや。|第一《だいいち》|此《この》ブラバーサなぞは、|面《つら》からしてなつてゐないぢやありませぬか。|梟鳥《ふくろどり》のやうな|目玉《めだま》をして、|土左衛門《どざゑもん》のやうに|青《あを》ぶくれた|面《つら》して、|此《この》ザマつて、|厶《ござ》いますまい』
|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》より、
『お|寅《とら》|婆《ばば》ア、|退却《たいきやく》だ|退却《たいきやく》だ、|引《ひき》ずりおろせ』
と|叫《さけ》ぶ|者《もの》がある。|又《また》|一方《いつぱう》よりは、
『ブラバーサ|聖師《せいし》、|確《しつか》り|頼《たの》みます』
と|叫《さけ》ぶ|者《もの》もあつた。お|寅《とら》はクワツと|怒《いか》り、|聴衆《ちやうしう》を|睨《ね》めつけ|乍《なが》ら、
『ヘン|盲《めくら》|聾《つんぼ》と|云《い》つても|余《あんま》りぢやないか。これでは|神様《かみさま》も|御苦労《ごくらう》ぢやわい。|警鐘《けいしよう》|乱打《らんだ》の|声《こゑ》も|雷霆《らいてい》|叱咤《しつた》の|響《ひび》きも、|耳《みみ》に|這入《はい》らぬといふ|御連中《ごれんちう》の|多《おほ》い|世《よ》の|中《なか》だから、|三千世界《さんぜんせかい》の|立替立直《たてかへたてなほ》しを|双肩《そうけん》に|担《にな》うた|此《この》|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》も、|本当《ほんたう》に|迷惑《めいわく》を|致《いた》しますわい。|此《この》ブラバーサといふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》は、お|前《まへ》さま|方《がた》|遠国《ゑんごく》の|事《こと》で|何《なに》も|知《し》らぬだらうが、|今《いま》|此《この》お|寅《とら》の|救世主《きうせいしゆ》が|素性《すじやう》をあかし、|皆《みな》さまのお|目《め》をさましてあげませう。ウズンバラチヤンダーなどと|申《まを》す|偽変性女子《にせへんじやうによし》の|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、キリスト|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》だなどと|自惚《うぬぼれ》して、ぬつけりこと|此《この》|聖地《せいち》に|参《まゐ》り、あらう|事《こと》か、あるまい|事《こと》か、|神聖《しんせい》にして|冒《おか》す|可《べか》らざる、オリブ|山《ざん》の|聖場《せいぢやう》に|於《おい》て、|夫《そ》れは|夫《そ》れはいふに|云《い》はれぬ、とくに|説《と》かれぬ、|話《はなし》にも|杭《くひ》にもかからぬ、|面白《おもしろ》い|怪体《けたい》な|乱痴気騒《らんちきさわ》ぎを|遊《あそ》ばすといふ|大紳士《だいしんし》で|厶《ござ》いますから、ホヽヽヽヽ。|余《あま》り|可笑《をか》しうて|臍《へそ》が|茶《ちや》を|沸《わか》しますぞや。ここ|迄《まで》いふたら、|大抵《たいてい》のお|歴々《れきれき》|方《がた》は|略《ほぼ》|肯《うなづ》かれませう、アメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》をとつてゐるといふマリヤさまと、それはそれは、ヘン……もう|後《あと》はいひますまい。|同席《どうせき》するも|汚《けが》らはしい。ブラバーサさま、|良心《りやうしん》があるならとつとと|退却《たいきやく》なされませ。ようマアぬつけりことこんな|所《ところ》へ、|横柄《わうへい》な|面《つら》をして|上《あが》られたものだな。|早《はや》くシオン|山《ざん》の|隠処《かくれが》へでもひつ|込《こ》んでゐなさい。|日出《ひので》の|国人《くにびと》の|可《よ》い|面《つら》よごしだよ』
ブラバーサはやをら|身《み》を|起《おこ》し|群衆《ぐんしう》に|対《むか》ひ、
『|皆《みな》さま、|私《わたし》は|折角《せつかく》の|此《この》|聖日《せいじつ》に|当《あた》りまして、|皆様《みなさま》と|共《とも》に|主《しゆ》の|日《ひ》を|祝《しゆく》し|奉《まつ》り、|尚《なほ》|将来《しやうらい》の|御相談《ごさうだん》を|致《いた》したいと|存《ぞん》じましたが、|斯《かく》の|如《ごと》く|邪魔《じやま》が|這入《はい》りましては、お|話《はなし》する|訳《わけ》にもゆかず、|又《また》|皆様《みなさま》も|喧嘩《けんくわ》をお|聞《き》きにお|出《い》でなさつたのぢや|厶《ござ》いませぬから、|私《わたし》は|一寸《ちよつと》|控《ひか》えますから、どうかお|寅《とら》さまの|演説《えんぜつ》を|聞《き》いて|上《あ》げて|下《くだ》さいませ。|匹夫《ひつぷ》の|言《げん》にも|得《う》る|所《ところ》ありといふ|事《こと》もありますし、まして|三千世界《さんぜんせかい》を|統一《とういつ》し、|且《かつ》|改良《かいりやう》するといふ|大責任《だいせきにん》を|自覚《じかく》して|厶《ござ》る|御方《おかた》ださうで|厶《ござ》いますから……』
『そら、|何《な》アんーと|仰有《おつしや》る、|匹夫《ひつぷ》の|言《げん》とは|誰《たれ》の|事《こと》だ。|大方《おほかた》|蛙《かへる》は|口《くち》から|自分《じぶん》の|事《こと》を|云《い》つてるのだらうな。|匹夫《ひつぷ》といへば|男《をとこ》のこと。|此《この》お|寅《とら》は、|淑女《しゆくぢよ》|否《いな》|神女《しんぢよ》だ。|神女《しんぢよ》と|匹夫《ひつぷ》と|混同《こんどう》するやうな|事《こと》で、どうして|宣伝使《せんでんし》が|勤《つと》まりますか』
ブラバーサは|耳《みみ》にもかけず、サツサと|降壇《かうだん》し、|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》に|交《まじ》つて、ハンケチで|汗《あせ》をふいてゐる。お|寅《とら》は|勝誇《がちほこ》つた|面持《おももち》にて、|稍《やや》|反《そ》り|身《み》になり|乍《なが》ら、コツプの|水《みづ》を|二三杯《にさんばい》つづけさまにグウグウとひつかけ、|余《あま》りあわてて、|水《みづ》が|気管支《きくわんし》の|中《なか》へ|浸入《しんにふ》し、コホンコホンと|咳払《せきばらひ》|止《や》まず、|目《め》から|一杯《いつぱい》|涙《なみだ》をこぼし、|卓《テーブル》にもたれて、しやがんで|了《しま》つた。そこへ|守宮別《やもりわけ》はお|寅《とら》の|演説《えんぜつ》を|補《おぎな》はむと、ヅブ|六《ろく》に|酔《よ》ひ|乍《なが》ら、ヒヨロリヒヨロリと|登壇《とうだん》し、
『|皆《みな》さま、お|寅《とら》さまは、|中途《ちゆうと》に|負傷《ふしやう》を|致《いた》しましたので、|拙者《せつしや》が|代《かは》つて|代理《だいり》を|勤《つと》めます。どうぞ|不悪《あしからず》|思召《おぼしめ》し|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|自転倒島《おのころじま》から|案内役《あんないやく》として、お|寅《とら》さまに|頼《たの》まれ|参《まゐ》つて|来《き》た|者《もの》で|厶《ござ》いますが、|別《べつ》にお|寅《とら》さまの|説《せつ》を|信《しん》じたのでもなければ、|神格《しんかく》に|感動《かんどう》したのでもありませぬ。|付《つ》いてはブラバーサ|君《くん》に|対《たい》しても|同様《どうやう》の|考《かんが》へを|持《も》つてをります。とに|角《かく》|世《よ》の|中《なか》は|偽救世主《にせきうせいしゆ》、|偽《にせ》キリスト、|偽予言者《にせよげんしや》の|横行濶歩《わうかうくわつぽ》する|最中《さいちう》ですから、どれがホン|物《もの》か|偽者《にせもの》か、|一寸《ちよつと》|判断《はんだん》に|苦《くるし》まざるを|得《え》ませぬ。キリストといふ|事《こと》は|日《ひ》の|出《で》の|国《くに》の|言葉《ことば》でいへば、……|油《あぶら》をそそぐ|者《もの》……とかいひますが、|油《あぶら》を|注《そそ》ぐ|事《こと》に|付《つ》いて|最《もつと》も|堪能《たんのう》なのは|此《この》お|寅《とら》さまですよ。|喧嘩《けんくわ》の|火《ひ》が|燃《も》え|盛《さか》つてる|所《ところ》へ、|薪《たきぎ》を|放《ほ》り|込《こ》み|油《あぶら》を|注《そそ》ぐやうな|事《こと》を|得意《とくい》で|為《なさ》います。それで|火《ひ》の|勢《いきほひ》が|益々《ますます》|強《つよ》くなるので、それで|火《ひ》の|出神《でのかみ》と|自称《じしよう》して|厶《ござ》るのであります。ヤソといふ|事《こと》はイエスともいひ、イエスは|癒《い》やすといふ|事《こと》にもなり、|要《えう》するに|薬《くすり》といふ|事《こと》です。くすりは【ヤク】となる、【ヤク】は|薬師如来《やくしによらい》です。ヤツコスです。それで|薬《くすり》の|最《もつとも》|秀《すぐ》れた|物《もの》は|酒《さけ》です。これ|位《ぐらゐ》|効験《かうけん》のある|神《かみ》は|世界《せかい》に|厶《ござ》いますまい。|一口《ひとくち》のみてもすぐに|頬《ほほ》にホンノリと|赤味《あかみ》が|出《で》て|来《く》る。|二口《ふたくち》|三口《みくち》と|呑《の》めばのむ|程《ほど》|心《こころ》が|浮《う》いて、|世《よ》の|中《なか》が|面白《おもしろ》くなつて|参《まゐ》ります。つまり|天国《てんごく》が|忽《たちま》ち|出現《しゆつげん》するのです。それに|何《なん》ぞや、|禁酒《きんしゆ》|禁煙《きんえん》だとかキリストの|信者《しんじや》はいつてゐますが、これ|位《くらゐ》|矛盾《むじゆん》した|事《こと》は|世《よ》の|中《なか》に|厶《ござ》いますまい』
などとヘベレケに|酔《よ》ふて|酒宣伝《さけせんでん》をやつてゐる。|其《その》|間《ま》にお|寅《とら》は|喉《のど》の|調子《てうし》が|直《なほ》つたとみえ|頭《かしら》を|擡《もた》げ、|守宮別《やもりわけ》の|側《そば》にゐるのを|見《み》て、|百万《ひやくまん》の|味方《みかた》を|得《え》た|如《ごと》き|気分《きぶん》になり、
『|皆《みな》さま|此《この》|方《かた》は|守宮別《やもりわけ》といひまして、|日《ひ》の|出《で》の|島《しま》|切《き》つての|聖人《せいじん》で|厶《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|少《すこ》し|許《ばか》り|今日《けふ》は|聖日《せいじつ》を|祝《しゆく》する|為《ため》に、お|神酒《みき》をあがつてゐられますから、チツト|許《ばか》り|脱線《だつせん》の|気味《きみ》があるかも|知《し》れませぬが、|脱線《だつせん》する|様《やう》な|人間《にんげん》でないと|正当《せいたう》な|事《こと》は|分《わか》りませぬ。|御覧《ごらん》なさい、|汽車《きしや》でさへ|余《あま》り|勢《いきほひ》よく|走《はし》ると、|勢《いきほひ》が|余《あま》つて|脱線《だつせん》するでせう。さうだから|其《その》|積《つも》りで|聞《き》いて|貰《もら》はんと、|取違《とりちがひ》されると|困《こま》りますから、|一寸《ちよつと》|御注意《ごちうい》を|与《あた》へておきます』
|聴衆《ちやうしう》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》よりワイワイと|騒《さわ》ぎ|立《た》ち、「|引《ひ》きずりおとせ……|放《ほ》り|出《だ》せ」と|呶鳴《どな》り|出《だ》したり。|演説《えんぜつ》を|聞《きき》に|来《き》てゐた、|回々教《フイフイけう》の|信者《しんじや》トンク、テク、ツーロの|三人《さんにん》は|矢庭《やには》に|壇上《だんじやう》に|駆上《かけあが》り、トンクはお|寅《とら》をかたげ、テク、ツーロは|守宮別《やもりわけ》をかたげて、ヨイシヨヨイシヨと|囃《はや》し|立《た》て|乍《なが》ら、|僧院《そうゐん》ホテルの|裏口《うらぐち》より|何処《いづこ》ともなく|駆出《かけだ》して|了《しま》ふた。|之《これ》よりブラバーサは|再《ふたたび》|壇上《だんじやう》に|立《た》ち、|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》に|関《くわん》する|演説《えんぜつ》や、|世界《せかい》|共通語《きやうつうご》の|必要《ひつえう》なる|所以《ゆゑん》を|説《と》き、|次《つい》でマリヤの|簡単《かんたん》なる|演説《えんぜつ》あり、|神前《しんぜん》に|拝礼《はいれい》を|了《をは》り、|茶菓《さくわ》の|饗応《きやうおう》あつて|目出度《めでた》く|此《この》|聖日祭《せいじつさい》を|閉《と》づる|事《こと》になつた。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第二章 |逆襲《ぎやくしふ》〔一八〇八〕
ブラバーサは|僧院《そうゐん》ホテルの|祝祭《しゆくさい》は|無事《ぶじ》に|済《す》んだが、|同《おな》じ|日出島《ひのでじま》から|出《で》て|来《き》たお|寅《とら》や|守宮別《やもりわけ》が、|乱暴《らんばう》|極《きは》まるアラブに|掻攫《かつさら》はれ|行衛《ゆくゑ》|不明《ふめい》となつたので、「|人情上《にんじやうじやう》、|捨《す》ておく|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。あく|迄《まで》|彼《かれ》を|探《さが》し|出《だ》し|救《たす》けねばなるまい」とマリヤと|相談《さうだん》の|上《うへ》、|十二日《じふににち》の|月光《げつくわう》を|浴《あ》び|乍《なが》ら、|夜《よ》の|十二時《じふにじ》|頃《ごろ》からエルサレムの|町《まち》をうろつき|初《はじ》めた。
|市街《しがい》の|十字路《じふじろ》、キラキラと|瓦斯灯《がすとう》のきらめく|側《そば》に|皺苦茶《しわくちや》の|婆《ばば》が|立《た》つて、
『|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|日出《ひので》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》の|所在《ありか》は|何処《いづこ》ぞ、|亡《ほろ》びむとするエルサレムの|民《たみ》よ、|早《はや》く|目《め》を|覚《さ》ませ。|天来《てんらい》の|救世主《きうせいしゆ》の|在処《ありか》を|求《もと》めよ』
と|叫《さけ》んでゐる。|神都《しんと》の|雑音《ざつおん》は|愈《いよいよ》ふくれ|広《ひろ》まつた。|荒々《あらあら》しい|獣《けだもの》のやうに|行人《かうじん》の|目先《めさき》を|掠《かす》めて、|夜分《やぶん》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら|左右《さいう》に|黄色《きいろ》い|砂塵《さぢん》に|包《つつ》まれた|電車《でんしや》や、プーと|不愉快《ふゆくわい》な|警笛《けいてき》をならし、|最後屁《さいごへ》を|放《ひ》り|乍《なが》ら|自動車《じどうしや》が|入《い》り|乱《みだ》れて|走《はし》り|交《ちが》ふ。どうしたものかエルサレムの|市中《しちう》は|俄《にはか》に|電燈《でんとう》が|消《き》えて、|闇《やみ》の|凝《かたまり》が|天《てん》から|落《お》ちて|来《き》た。ブラバーサもマリヤも|街路《がいろ》に|佇立《ちよりつ》し、|一心不乱《いつしんふらん》に|祈《いの》り|初《はじ》めた。
|電車《でんしや》も|自動車《じどうしや》も|馬車《ばしや》も|一時《いちじ》に|運転《うんてん》を|中止《ちゆうし》し、|水《みづ》を|打《う》つたる|如《ごと》く|俄《にはか》に|静寂《せいじやく》となつた。パツと|一時《いちじ》に|電燈《でんとう》がついた。|家々《いへいへ》の|店《みせ》の|大飾《おほかざ》り|窓《まど》に|火《ひ》がつくと、ここに|佇《たたず》んでゐた|二人《ふたり》は|俄《にはか》に|見分《みわけ》けのつかなかつた|黒暗《くらやみ》の|凝《かたまり》にとけて、その|面相《めんさう》が|判然《はんぜん》として|来《き》た。よくよく|見《み》れば|一人《ひとり》の|婆《ば》アさまは【あやめ】のお|花《はな》であつた。お|花《はな》は|俯向《うつむ》いてシクシクと|泣《な》いてゐる。ブラバーサはツカツカと|側《そば》により、
『ヤア、|貴女《あなた》はお|花《はな》さまぢやありませぬか。お|寅《とら》さまは、どこに|行《ゆ》かれたか|御存《ごぞん》じではありませぬか』
『ハイ、|所在《ありか》が|分《わか》るやうな|事《こと》なら、コンナ|処《ところ》に|誰《たれ》が|阿呆《あはう》らしい、|立《た》つて|居《を》りますか』
『|大変《たいへん》な|御立腹《ごりつぷく》ですな。|実《じつ》は|私《わたくし》もマリヤさまと|相談《さうだん》して、|同《おな》じ|日出島《ひのでじま》の|同胞《どうはう》でもあり、|打《うつ》ちやつておく|訳《わけ》にも|行《ゆ》かぬからウロウロと|尋《たづ》ねて|居《ゐ》るのですよ』
『それはどうも|御親切《ごしんせつ》ありがとう』
と|腮《あご》をつき|出《だ》す、その|面憎《つらにく》さ。|電燈《でんとう》の|火《ひ》に|二《ふた》つの|目《め》が|異様《いやう》にぎらついて|居《ゐ》る。
『|誠《まこと》に|思《おも》はぬ|御災難《ごさいなん》で|厶《ござ》いまして、あのトンク、テク、ツーロと|云《い》ふ|奴《やつ》、|実《じつ》に|仕方《しかた》のない、アラブですよ。|妾《わたし》がいつぞや|橄欖山《かんらんざん》に|行《ゆ》きました|際《さい》、|危《あぶ》なく|手込《てご》めにしようとするのを、このブラバーサさまに|救《たす》けられたのですよ。|実《じつ》に|険呑《けんのん》な|人物《じんぶつ》ですから|油断《ゆだん》はなりませぬワ』
『ハイ、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う。その|又《また》|悪《わる》い|奴《やつ》をお|使《つか》ひ|遊《あそ》ばす、|貴方等《あなたがた》の|御腕前《おうでまへ》、|感《かん》じ|入《い》りました。ようマア|企《たく》みたものですわい、ウフヽヽヽ』
と|又《また》もや|腮《あご》を|二三寸《にさんずん》つき|出《だ》して|見《み》せる。
『お|花《はな》さま、|貴女《あなた》は、|吾々《われわれ》に|何《なに》か|疑《うたがひ》をかけてゐらつしやるやうですが、|吾々《われわれ》は|迷惑《めいわく》に|存《ぞん》じます。この|通《とほ》り|電車《でんしや》や|自動車《じどうしや》の|往来《わうらい》が|多《おほ》いので|険呑《けんのん》でもあり、|通行係《つうかうがかり》がやつて|来《き》てゴタゴタ|云《い》はれるのもつまりませぬし、|何処《どこ》かの|座敷《ざしき》でも|借《か》つてトツクリと|御相談《ごさうだん》でもしませうか』
お|花《はな》はブラバーサがアラブを|予《あらかじ》め|頼《たの》んでおいて、お|寅《とら》をさらへさしたに|違《ちが》ひない、|何《いづ》れこの|二人《ふたり》をとつちめて|白状《はくじやう》させた|方《はう》が|近道《ちかみち》だと|思《おも》つたか、|俄《にはか》に|顔色《かほいろ》を|和《やは》らげ、
『ハイ、さう|願《ねが》へば|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますな。|何《なん》と|云《い》つても、きつてもきれぬ|同胞《どうはう》ですから、|海洋万里《かいやうばんり》を|渡《わた》つて|異境《いきやう》の|空《そら》に|神様《かみさま》のために|働《はたら》いてゐるものですから、かやうな|時《とき》は|常《つね》は|常《つね》として、|親切《しんせつ》を|尽《つく》すのが|神様《かみさま》に|対《たい》して|孝行《かうかう》と|云《い》ふもの、つきましては、|私《わたし》が|常日頃《つねひごろ》|心安《こころやす》くしてゐる|茶屋《ちやや》がありますから、それへ|参《まゐ》りませう。さア|私《わたし》について|来《き》て|下《くだ》さいませ』
と|早《はや》くも|南《みなみ》の|方《はう》を|指《さ》して|二三丁《にさんちやう》|許《ばか》り|細《ほそ》い|路地《ろぢ》を|潜《くぐ》つてトルコ|亭《てい》と|云《い》ふ|茶屋《ちやや》の|裏座敷《うらざしき》へ|案内《あんない》した。ブラバーサとマリヤは|黙《だま》つてお|花《はな》の|後《あと》について|行《ゆ》くと、ここはお|寅《とら》が|宣伝《せんでん》の|巣窟《さうくつ》と|見《み》えて|大《おほ》きな|看板《かんばん》がかかつてゐる。
『|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|大弥勒《おほみろく》の|生宮《いきみや》、|日出神《ひのでのかみ》の|御霊城《ごれいじやう》』
と|筆太《ふでぶと》に|掲《かか》げてある。さうして|神殿《しんでん》には|日《ひ》の|丸《まる》の|掛軸《かけじく》が|只《ただ》|一《ひと》つブラ|下《さげ》てある。
『ヤアこれはこれは|大弥勒様《おほみろくさま》の|御霊城《ごれいじやう》で|厶《ござ》いますか。|私《わたし》も|永《なが》らくエルサレムに|居《を》りますが、こんな|霊城《れいじやう》が|出来《でき》て|居《ゐ》ると|云《い》ふ|事《こと》は|今日《けふ》|初《はじ》めて|覚《さと》りました』
『ホヽヽヽヽ、|貴方《あなた》も|比較的《ひかくてき》ウツカリしてゐられますね。ポーランド|人《じん》、トルコ|人《じん》、ユダヤ|人《じん》|等《など》が|日々《にちにち》|沢山《たくさん》に|大弥勒《おほみろく》さまの|教《をしへ》を|聞《き》きに|参《まゐ》りますよ。|貴方《あなた》は|一体《いつたい》|信者《しんじや》が|幾人《いくにん》|許《ばか》り|出来《でき》ましたか、|到底《たうてい》|大弥勒《おほみろく》さまには|叶《かな》ひますまいがな』
『ナル|程《ほど》|私《わたし》|如《ごと》きは|到底《たうてい》お|側《そば》へも|寄《よ》れませぬ。|然《しか》し|乍《なが》らあまり、さうエルサレムの|町《まち》では|評判《ひやうばん》になつてゐないやうですが』
『そらさうでせうとも、……|灯台下《とうだいもと》は|真暗《まつくら》がり。|遠国《ゑんごく》から|分《わか》つて|来《く》る……と|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つたでせう。|遠《とほ》く|海《うみ》を|隔《へだ》て、エジプト、フランス、トルコ、|伊太利《イタリー》|等《とう》から|日々《にちにち》|数珠《じゆず》つなぎに|昼《ひる》は|参拝者《さんぱいしや》が|厶《ござ》いますよ。|何《なん》と|云《い》つても|大弥勒《おほみろく》さまの|御名《おんな》は|世界《せかい》に|響《ひび》いて|居《を》りますからな』
『ヘー、そりや|感心《かんしん》だ。|水《みづ》|清《きよ》うして|魚《うを》すまずとか|云《い》つて、ヤツパリ|濁《にご》つて|居《を》らねばいかぬのかいな。|私《わたし》も|一《ひと》つ|方針《はうしん》をかへようかな。|今迄《いままで》の|私《わたし》の|方針《やりかた》はあまり|清《きよ》らかで|効果《かうくわ》が|却《かへつ》てうすいのだらう、なあマリヤさま』
『さうで|厶《ござ》いますな。あまり|清浄潔白《せいじやうけつぱく》な|誠《まこと》|許《ばか》りをお|説《と》きになるものだから、|魚鱗《うろくづ》が|寄《よ》つて|来《こ》ないのでせう、|貴方《あなた》も|之《これ》から|少《すこ》し|許《ばか》り|方針《はうしん》をお|変《か》へなさるが|宜《よろ》しいでせう。アメリカンコロニーでも、あまり|教《をしへ》が|清《きよ》いものだから、|却《かへつ》て|発展《はつてん》して|居《を》りませぬわ。|四十年《しじふねん》もかかつてまだ|百人《ひやくにん》|位《ぐらゐ》ほか|出来《でき》ないのですからな』
『マアマアおかけなさいませ、|立話《たちばなし》は|足《あし》がしびれます』
と|籐《とう》の|椅子《いす》をあてがい、|丸《まる》い|机《つくゑ》を|真中《まんなか》において|三人《さんにん》は|鼎座《ていざ》となつた。お|花《はな》は|二人《ふたり》に|茶《ちや》を|汲《く》み|乍《なが》ら、
『|今《いま》ブラバーサさまの|仰有《おつしや》る|事《こと》を|聞《き》けば、|濁《にご》つて|居《ゐ》るから|人《ひと》が|寄《よ》ると|仰有《おつしや》つたが、|日出神《ひのでのかみ》のお|寅《とら》さまは、|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》ですよ。|水晶身魂《すいしやうみたま》ですから、|何処《どこ》から|何処《どこ》|迄《まで》|澄《すま》んで|居《を》りますよ。|世《よ》の|中《なか》が|濁《にご》つてゐるから|清《きよ》めに|来《こ》られたのですよ。|貴方《あなた》も、ソレ|橄欖山上《かんらんさんじやう》でマリヤさまと|云々《うんぬん》されるやうな|事《こと》で、どうして|神業《しんげふ》が|発展《はつてん》しますか。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいよ、|国許《くにもと》には|奥《おく》さまや|娘《むすめ》さまもあるぢやありませぬか。その|奥《おく》さまや|娘《むすめ》さまは|朝晩《あさばん》|水《みづ》をかぶつて|無事《ぶじ》に|神業《しんげふ》をつとめて|過失《あやまち》のないやうにと|祈《いの》つてゐるのに、|処《ところ》もあらうに|橄欖山《かんらんざん》で|天消地滅《てんせうちめつ》の|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎを|遊《あそ》ばすのだから、イヤモウ、その|凄《すご》い|腕前《うでまへ》には、いかな|守宮別《やもりわけ》さまだつて|舌《した》をまいてゐられますわい。オホヽヽヽ、イヤ|之《これ》は|失礼《しつれい》、どうかお|気《き》にさへて|下《くだ》さいますなや』
『お|花《はな》さま、|人《ひと》の|事《こと》を|云《い》はうと|思《おも》へば、|吾《わが》|頭《あたま》の|蜂《はち》から|払《はら》うてかからねばなりますまい。お|寅《とら》さまだつて|国《くに》には|大将軍《だいしやうぐん》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|夫《をつと》があり、お|子達《こたち》も|沢山《たくさん》あるぢやありませぬか。それに|何《なん》ぞや|守宮別《やもりわけ》さまとエルサレム|三界《さんがい》|迄《まで》|手《て》に|手《て》をとつてお|越《こ》しになり、|人《ひと》の|目《め》がだるいやうな|事《こと》|迄《まで》チヨイチヨイなさいますではありませぬか。この|事《こと》はエルサレムで|誰一人《たれひとり》|知《し》らぬものは|厶《ござ》いませぬよ』
『ホヽヽヽヽ、|神界《しんかい》の|分《わか》らぬ|人《ひと》はそれだから|困《こま》ると|云《い》ふのだ。お|寅《とら》さまと|守宮別《やもりわけ》さまは|切《き》るに|切《き》られぬ|神界《しんかい》の|御因縁《ごいんねん》があつて、ああしてゐられるのですよ。|俗人《ぞくじん》の|身《み》として、どうして|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》なる|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》が|分《わか》りますか。アレとコレとは【てんで】|根本《こんぽん》の|問題《もんだい》が|違《ちが》つてゐますよ。その|理由《りいう》は、|到底《たうてい》|一朝一夕《いつてういつせき》にはお|前《まへ》さまの|腹《はら》には|入《い》りますまいが、せめて|三週間《さんしうかん》なりと、|弁当持《べんたうもち》でお|通《かよ》ひなさい。|先《ま》づ|此《この》|問題《もんだい》から|解決《かいけつ》せねば|貴方等《あなたがた》の|得心《とくしん》が|行《ゆ》きますまい。その|代《かは》りこの|因縁《いんねん》が|分《わか》つたら、いかなる|鬼《おに》|大蛇《をろち》でも、|改心《かいしん》してアフンとして|開《あ》いた|口《くち》がすぼまりませぬぞよ、ビツクリして|暈《めまい》の|来《く》る|大問題《だいもんだい》ですよ。それはそれは|深《ふか》い|深《ふか》い|広《ひろ》い、|先《さき》の|分《わか》らぬ|三千世界《さんぜんせかい》のお|経綸《しぐみ》ですもの』
と|得意気《とくいげ》に|云《い》ふ。
『それは|又《また》ユツクリ|承《うけたま》はる|事《こと》としまして、ブラバーサとしては|焦眉《せうび》の|問題《もんだい》としてお|寅《とら》さまの|所在《ありか》を|探《さが》さねばなりますまい。お|花《はな》さま、|何《なに》か|心当《こころあた》りが|厶《ござ》いませうかな』
『ヘンよう|仰有《おつしや》いますわい。それは|私《わたし》の|方《はう》からお|尋《たづ》ねしたいと|思《おも》つてゐましたよ。|同《おな》じ|日出島《ひのでじま》の|同胞《どうはう》ぢやありませぬか、そんな|腹《はら》の|悪《わる》い|白々《しらじら》しい、トボケ|面《づら》せずに、アアした、コウしたとアツサリ|仰有《おつしや》つたらどうですか、あまり|罪《つみ》が|深《ふか》う|厶《ござ》いますよ』
『|之《これ》は|近頃《ちかごろ》|迷惑千万《めいわくせんばん》、|貴女《あなた》のお|口《くち》からかやうなお|言葉《ことば》を|聞《き》かうとは|夢想《むさう》だに|致《いた》しませぬでした』
『|私《わたし》もアヤメのお|花《はな》と|云《い》つて|難波《なには》の|里《さと》に|於《おい》ては|海千山千河千《うみせんやませんかはせん》と|云《い》はれた|女弁護士《をんなべんごし》ですよ。チヤンと|顔色《かほいろ》を|一目《ひとめ》|見《み》たら、お|前《まへ》さまの|腹《はら》の|中《なか》が|皆《みな》|分《わか》るのだから、サア、キツパリと|白状《はくじやう》しなさい。お|寅《とら》さまが|演説《えんぜつ》の|邪魔《じやま》したら、かつさらへて、どつかへつれて|行《い》つてくれと|金《かね》の|百両《ひやくりやう》もアラブに|与《あた》へて|置《お》いて|生捕《いけど》つたのでせう。そんな|事《こと》ア、チヤンとこのお|花《はな》の|天眼通《てんがんつう》に|映《えい》じて|居《を》りますわいな』
マリヤは|息《いき》をはずませ|乍《なが》ら、
『お|花《はな》さま、そら、あまりぢや|厶《ござ》いませぬか。|聖師《せいし》さまは、そんな|腹《はら》の|悪《わる》い|方《かた》ぢやありませぬよ』
『おだまりなさい。|好《す》きな|男《をとこ》の|御贔屓《ごひいき》をなさつても|私《わたし》の|前《まへ》では|通用《つうよう》しませぬよ。|二人《ふたり》がコツソリと|心《こころ》を|合《あは》し、|大《だい》それた|大陰謀《だいいんぼう》を|企《たく》らみ|乍《なが》ら、|知《し》らぬ|顔《かほ》の|半兵衛《はんべゑ》で|私《わたし》の|処《ところ》で|狐《きつね》の|七化《ななば》け、|狸《たぬき》の|八化式《やばけしき》に|親切《しんせつ》ごかしに|人《ひと》の|腹《はら》を|探《さぐ》らうとヤツて|来《き》ても、|尻尾《しつぽ》が|直《すぐ》に|見《み》えますから|駄目《だめ》ですよ。あのマア|迷惑《めいわく》さうな|顔《かほ》わいのう』
『マリヤさま、もう|帰《かへ》りませう。|到底《たうてい》このお|花《はな》さまには、|話《はなし》が|出来《でき》ませぬわい』
『コリヤコリヤ、マリヤ、ブランコ|両人《りやうにん》、|尻《しり》こそばゆくなつて|逃《に》げ|出《だ》すつもりか|知《し》らぬが、さうはさせませぬぞや。チヤンと|警察署《けいさつしよ》へ|届《とど》けておいたから、|待《ま》つて|下《くだ》さい。|今《いま》に|高等係《かうとうがかり》がやつて|来《き》て、お|前《まへ》を|拘引《こういん》するだらう。さうすりや|否《いや》でも|応《おう》でも|白状《はくじやう》せねばなりますまい。そんな|処《ところ》で|恥《はぢ》をかくよりも、ソツとアツサリ|私《わたし》の|前《まへ》で|白状《はくじやう》しなさい。さうすりや|警察《けいさつ》へは|私《わたし》の|方《はう》から|間違《まちが》ひだつたと、|願《ねが》ひ|下《さ》げをしてやるから、どうせ|嫌疑《けんぎ》のかかつたお|前《まへ》さまだから、|逃《のが》れつこはありませぬよ。フツフヽヽヽヽ。|身《み》から|出《で》た|錆《さび》、|己《おの》が|刀《かたな》で|己《おの》が|首《くび》、|自縄自縛《じじようじばく》とはお|前《まへ》さま|等《たち》の|今日《けふ》の|場合《ばあひ》だ。ようマアそんな|心《こころ》になれたものだと|思《おも》へば|可愛相《かはいさう》になつて|来《き》たわいのう、オーンオーンオーン』
と|泣《な》き|真似《まね》し|乍《なが》ら、ソツと|目《め》に|唾《つばき》をつける。その、|狡猾《ずる》さ。|酢《す》でも、|蒟蒻《こんにやく》でも|挺《てこ》にも|棒《ぼう》にも|大砲《たいはう》でも|行《ゆ》かぬ|代物《しろもの》である。ブラバーサは『|此方《こちら》の|方《はう》から|誣告《ぶこく》を|訴《うつた》へる』と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|憤然《ふんぜん》として|立上《たちあが》り、|細《ほそ》い|路地《ろぢ》を|潜《くぐ》つてマリヤと|共《とも》に|大道《だいだう》をまつしぐらに|己《おのれ》が|草庵《さうあん》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於由良海岸 北村隆光録)
第三章 |草居谷底《くさゐたにぞこ》〔一八〇九〕
トンク、テク、ツーロの|三人《さんにん》は|僧院《そうゐん》ホテルの|裏口《うらぐち》から|二人《ふたり》を|担《かつ》いだ|儘《まま》、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|道路《だうろ》、|田畑《たはた》の|嫌《きら》ひなくかけ|出《だ》し、キドロンの|谷《たに》|深《ふか》く|川辺《かはべ》を|伝《つた》ふて|登《のぼ》り|行《ゆ》き、|雨露《うろ》を|凌《しの》ぐ|許《ばか》りの|自分《じぶん》の|借家《かりや》へと|持《も》ち|運《はこ》び、|手荒《てあら》く|二人《ふたり》を|土《つち》の|上《うへ》に|投《な》げつけた。|守宮別《やもりわけ》はこの|間《あひだ》に|殆《ほとん》ど|酔《よひ》も|醒《さ》め、|丸《まる》い|目《め》をギヨロづかせ、ウンと|云《い》つた|限《き》り、|三人《さんにん》の|顔《かほ》を|睨《ね》めつけて|居《ゐ》る。お|寅《とら》は|勝気《かちき》の|女《をんな》とて|大地《だいち》に|投《な》げつけられた|際《さい》、|腰骨《こしぼね》をうち|乍《なが》ら|痛《いた》さを|耐《こら》へて、
『こりや、|三人《さんにん》のアラブ|共《ども》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロク、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|太柱《ふとばしら》お|寅《とら》さまの|肉体《にくたい》を、お|神輿《みこし》さまとして、|此処《ここ》|迄《まで》つれて|来《く》るのはいいが、なぜ|下《お》ろす|時《とき》にも|些《ちつ》と|気《き》をつけないのか、お|神輿《みこし》が|些《ちつ》と|許《ばか》り|損傷《いたん》だぞよ、|行儀《ぎやうぎ》も|作法《さはふ》も|知《し》らない|馬鹿野郎《ばかやらう》だなア。サア|私《わし》を|此処《ここ》まで|連《つ》れて|来《き》た|以上《いじやう》は、|何《なに》か|深《ふか》い|計画《たくみ》があつてのことだらう。きつぱりと|白状《はくじやう》したがよい。|何者《なにもの》に|頼《たの》まれたかその|訳《わけ》を|聞《き》かう。これこれ|守宮別《やもりわけ》さま|確《しつか》りせぬかいなア。|何《ど》の|為《た》めの|強力《がうりき》だいな。それだから|無茶苦茶《むちやくちや》に|酒《さけ》を|呑《の》みなさるなと|云《い》ふのぢや。お|前《まへ》さまはお|前《まへ》さまとした|所《ところ》で、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|生宮《いきみや》は|何《なに》をして|居《ゐ》るのだらう、ても|扨《さ》ても|気《き》の|利《き》かない|人足《にんそく》|許《ばか》りだなア。こりやアラブ、|早《はや》く|神《かみ》の|前《まへ》に|白状《はくじやう》|致《いた》さぬか、|神罰《しんばつ》が|当《あた》つて|脛腰《すねこし》が|立《た》たぬやうにしてもよいか』
トンクは、
『ハヽヽヽヽ。|気違《きちが》ひ|婆《ばば》、それや|何《な》アに|吐《ぬか》してけつかる。|誰《たれ》にも|頼《たの》まれはせぬ。|貴様《きさま》の|懐中《ふところ》にもつて|居《ゐ》るお|金《かね》が|目的《もくてき》ぢや。|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も|金《かね》|次第《しだい》ぢやからキリキリちやつと|渡《わた》したらよからう。グヅグヅ|致《いた》して|居《を》ると|生命《いのち》が|無《な》いぞよ。|一方《いつぱう》の|野郎《やらう》は|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》つて|脛腰《すねこし》は|立《た》たず。|高《たか》が|婆《ばば》の|一人《ひとり》|位《ぐらゐ》、|捻《ひね》り|漬《つぶ》すのは|宵《よひ》の|口《くち》ぢや。|金《かね》を|渡《わた》さにや|渡《わた》さぬでよい。|勝手《かつて》に|取《と》つてやる。サア|覚悟《かくご》せい』
と|猿臂《ゑんび》をのばして、|胸倉《むなぐら》をグツと|掴《つか》む。お|寅《とら》はその|刹那《せつな》|足《あし》を|上《あ》げてトンクの|睾丸《きんたま》を|力一《ちからいつ》ぱい|蹴《け》つた。トンクはウーンと|云《い》つた|切《き》り、|地上《ちじやう》に|大《だい》の|字《じ》となつて|了《しま》つた。テク、ツーロの|二人《ふたり》は|吃驚《びつくり》してトンクを|呼《よ》び|生《い》けようとする。|其《その》|隙《すき》を|考《かんが》へて|守宮別《やもりわけ》はテクの|足《あし》をグイと|引張《ひつぱ》り|俯向《うつむけ》にドンと|倒《たふ》す。お|寅《とら》はツーロの|首筋《くびすぢ》を|鷲掴《わしづか》みにしながら|挙骨《げんこつ》を|固《かた》めて|六《むつ》つ|七《なな》つ|撲《なぐ》り|打《う》ちに|打《う》ち|据《す》ゑる。ツーロはフラフラと|眼《め》が|暈《ま》うて|又《また》もやばたりと|其処《そこ》に|倒《たふ》れて|仕舞《しま》つた。
『サア、|守宮別《やもりわけ》さま、|其処《そこ》の|藤蔓《ふぢつる》をもつて|動《うご》かないやうに、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|今《いま》の|中《うち》に|縛《くく》つておきなさい。これからこれ|等《ら》|三人《さんにん》を|厳《きび》しく|詰問《きつもん》してブラバーサの|陰謀《いんぼう》を|白状《はくじやう》さしてやらねばなりますまい。|何《なん》と|気味《きみ》の|善《よ》い|事《こと》、|遉《さすが》は|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》だけあつて|偉《えら》いものだらう。これ|守宮別《やもりわけ》さま、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》には|感心《かんしん》したらうな、アラブの|千匹《せんびき》|万匹《まんびき》|来《きた》るとも、このお|寅《とら》が、フンと|一《ひと》つ|鼻息《はないき》するや|否《いな》や、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もバタバタと|東京《とうきやう》のバラツクに|二百十日《にひやくとをか》の|大風《おほかぜ》が|吹《ふ》いたやうにメチヤメチヤに|倒《たふ》れて|了《しま》ふのだよ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》も|聖地《せいち》へ|来《き》てから、だんだん|出世《しゆつせ》を|遊《あそ》ばし|偉《えら》い|御神徳《ごしんとく》の|出来《でき》たものだ。もう|此《この》|上《うへ》は|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》と|名乗《なの》つても|誰一人《たれひとり》|非難《ひなん》するものはあるまい、ヘヽヽヽ。てもさても|愉快《ゆくわい》の|事《こと》だわい。|苦《くるし》みの|果《はて》には|楽《たの》しみあり、|万難《ばんなん》を|排《はい》して|勝利《しようり》の|都《みやこ》に|達《たつ》するとかや。お|前《まへ》さまも|些《ちつ》と|酒《さけ》をやめて|心《こころ》の|底《そこ》から|私《わし》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くのだよ。|僧院《そうゐん》ホテルでお|前《まへ》さまは|何《なん》と|云《い》ふ|馬鹿気《ばかげ》た|演説《えんぜつ》をするのだえ。この|私《わたし》をブラバーサと|同《おな》じやうに|余《あま》り|信《しん》じないと|云《い》つたぢやないか。|肝腎要《かんじんかなめ》の|参謀長《さんぼうちやう》がそんな|考《かんが》へをもつて|居《ゐ》てどうしてこんな|大望《たいまう》が|成就《じやうじゆ》しますか。|些《ちつ》と|心得《こころえ》なされ。|余《あま》り|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かないと|小北山《こきたやま》のお|寅《とら》さまぢやないが、|鼻《はな》を|捻《ねぢ》ますぞや』
『イヤもう|改心《かいしん》|致《いた》しました。|朝顔形《あさがほがた》の|猪口《ちよく》がメチヤメチヤになつては|耐《たま》りませぬからな、ウフヽヽヽ』
トンクはウンウンと|唸《うめ》き|出《だ》した。お|寅《とら》はトンクの|髻《たぶさ》をグツと|握《にぎ》り、
『これやトンク、|恐《おそ》れ|入《い》つたか。|往生《わうじやう》|致《いた》したか。どうぢや、サア|誰《たれ》に|頼《たの》まれた|白状《はくじやう》|致《いた》せ』
『ハイ、ハヽ|白状《はくじやう》|致《いた》します。どうぞ|其《その》|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さい|髪《かみ》が|脱《ぬ》けます』
『ぬけたつて|何《なん》だ。お|前《まへ》の|頭《あたま》ぢやないか。|肉《にく》と|一緒《いつしよ》にコポンと|取《と》つてやる|積《つも》りだ。|苦《くる》しきや|白状《はくじやう》なさい。|魚心《うをごころ》あれば|水心《みづごころ》だ。|白状《はくじやう》さへすれば|今迄《いままで》の|罪《つみ》は|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》して|許《ゆる》してやる。そして|白状《はくじやう》した|褒美《ほうび》にお|金《かね》をやるから、トツトと|白状《はくじやう》したがよからうぞや。かう|見《み》えてもこのお|寅《とら》は、|虎《とら》でもなければ|狼《おほかみ》でもない、|三千世界《さんぜんせかい》の|氏子《うぢこ》を|助《たす》ける|生神様《いきがみさま》だからな。|敵《てき》たうて|来《き》たものには|鬼《おに》か|大蛇《をろち》になるお|虎《とら》であるけれど、|従《したが》つて|来《き》たものには|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|大歓喜天《だいくわんきてん》の|女神様《めがみさま》ぢやぞえ』
『ハイ、|白状《はくじやう》|致《いた》します。その|代《かは》りにテク、ツーロの|縛《いましめ》を|解《と》いてやつて|下《くだ》さい。|私《わし》だけ|助《たす》かつた|所《ところ》で|仕方《しかた》がありませぬから』
『これこれ|守宮別《やもりわけ》さま、|何《な》んぢやいな、|気楽《きらく》さうに|煙草《たばこ》ばかり|呑《の》みつづけて、ちつとお|手伝《てつだ》ひをなさらぬか。|気《き》の|利《き》かねえ|男《をとこ》だなア』
『|到底《たうてい》|神様《かみさま》のお|手伝《てつだ》ひは|人間《にんげん》として|出来《でき》ませぬわい。マア|悠《ゆつく》りと|見物《けんぶつ》でもさして|貰《もら》ひませうかい。あた|阿呆《あはう》らしい。|酒《さけ》も|無《な》いのにこんな|事《こと》を|見《み》て|居《ゐ》られませうか、お|寅《とら》さまも|仲々《なかなか》|気《き》が|荒《あら》いですなア』
『それや|荒《あら》いとも、アラブの|荒男《あらをとこ》を|三人《さんにん》|迄《まで》、|荒肝《あらぎも》を|取《と》つて|荒料理《あられうり》をせうと|云《い》ふのだもの。|随分《ずゐぶん》|霊験《あらたか》な|神様《かみさま》だよ。これアラブのトンク、|大略《あらまし》でよいから|早《はや》く|誰《たれ》に|頼《たの》まれたと|云《い》ふ|事《こと》を|白状《はくじやう》せぬか。|命《いのち》|取《と》られるのが|好《よ》いか。お|金《かね》を|貰《もら》ふのがよいか、どうぢや』
『|実《じつ》の|所《ところ》はお|前《まへ》さま|所《とこ》へ|始終《しじう》|出入《でいり》して|居《ゐ》るヤクさまに|頼《たの》まれました。ヤクさまが|金《かね》を|吾々《われわれ》|三人《さんにん》に|二十両《にじふりやう》|宛《づつ》|下《くだ》さいました。そしてお|寅《とら》さまが|剣呑《けんのん》になつて|来《き》た|時《とき》は|掻攫《かつさら》へて|僧院《そうゐん》の|裏《うら》から|何処《どこ》かへ|逃《に》げて|呉《く》れと|仰有《おつしや》つたのです』
『ホヽヽヽヽ、|甘《うま》い|事《こと》、どこ|迄《まで》も|云《い》ひ|含《ふく》めたものだなア。ブラバーサの|奴《やつ》、|反間苦肉《はんかんくにく》の|策《さく》をつかひよつて、ヤクに|頼《たの》まれたなぞと、|熱心《ねつしん》の|信者《しんじや》とこのお|寅《とら》と|喧嘩《けんくわ》させようと|思《おも》つて|居《ゐ》やがるのだな。どこどこ|迄《まで》も|油断《ゆだん》のならぬど|倒《たふ》しものだ。これやトンク|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》へ。ヤクさまぢやあるまいがな』
『イエ|滅相《めつさう》な|有体《ありてい》の|事《こと》を|申《まを》します。|御霊城《ごれいじやう》の|受付《うけつけ》をして|厶《ござ》るヤクさまが、お|前《まへ》さまが|僧院《そうゐん》で|演説《えんぜつ》をしられた|時《とき》、|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》へ|入《はい》つて|厶《ござ》つて、あまり|聴衆《ちやうしう》の|人気《にんき》が|悪《わる》く|殺気《さつき》が|立《た》ち、お|前《まへ》さまを|殺《ころ》してやらうと|迄《まで》ひそびそ|相談《さうだん》して|居《ゐ》たものが|有《あ》つたので、ヤクさまが|心配《しんぱい》して、|傍《そば》に|居《を》つた|私《わたし》|等《たち》|三人《さんにん》に|大枚《たいまい》|二十円《にじふゑん》|宛《づつ》をそつと|懐中《ふところ》に|入《い》れ、どうかお|寅《とら》さまと|守宮別《やもりわけ》さまを|担《かつ》いで|此《この》|場《ば》を|逃《に》げて|呉《く》れ。さうせぬとお|二人《ふたり》の|命《いのち》が|危《あやふ》いと|囁《ささや》きましたので、|二十円《にじふゑん》のお|金《かね》まうけにお|二人《ふたり》さまを|担《かつ》ぎ|出《だ》しました。さうするとお|前《まへ》さまの|懐中《くわいちう》に、ガチヤガチヤと|余《あま》り|沢山《たくさん》の|金《かね》が|入《はい》つて|居《ゐ》さうなので、|此処《ここ》|迄《まで》|来《き》てから|二重《にぢう》|儲《まう》けをせうと|思《おも》つて、|一寸《ちよつと》ごろついて|見《み》たのですよ。|何《ど》うか|耐《こら》へて|下《くだ》さい。しかし|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|無《な》かつたらお|前《まへ》さまの|生命《いのち》が|無《な》かつたかも|知《し》れませぬよ。これが|正直《しやうぢき》|正銘《しやうめい》|一文《いちもん》の|掛値《かけね》のない|所《ところ》の|白状《はくじやう》で|厶《ござ》います』
『フーン、さうかいな。ても|扨《さ》てもブラバーサと|云《い》ふ|奴《やつ》は|剣呑《けんのん》な|奴《やつ》だな。|矢張《やつぱ》り|彼奴《あいつ》が|此《この》|生宮《いきみや》を|殺《ころ》さうと|思《おも》つて、|聴衆《ちやうしう》の|中《なか》に|暴漢《ばうかん》を|匿《かく》まひ|置《お》きよつたのだなア。これトンクさま、お|前《まへ》さまはブラバーサをどう|思《おも》ひますか』
『さうですな、どうか|頭《あたま》を|放《はな》して|下《くだ》さい|痛《いた》くて|仕方《しかた》がありませぬわ。アイタヽヽヽヽ、|痛《いた》いがな』
『|余《あま》り|話《はなし》に|身《み》が|入《い》つてお|前《まへ》の|頭《あたま》をブラバーサだと|思《おも》ひ、|力一杯《ちからいつぱい》|痛《いた》めたのは|悪《わる》かつた、まア|耐《こら》へてお|呉《く》れ。これも|時《とき》の|災難《さいなん》だからな。これこれ|守宮別《やもりわけ》さま、|話《はなし》が|分《わか》つた|以上《いじやう》は、テク、ツーロの|縛《いましめ》を|解《と》いて|上《あ》げて|下《くだ》さい。|話《はなし》を|聴《き》いて|見《み》ねば|分《わか》らぬものだ、ほんに|気《き》の|毒《どく》だつたな。とは|云《い》ふものの|三人《さんにん》が|三人《さんにん》|乍《なが》ら、|俄《にはか》にこのお|寅《とら》を|脅迫《けふはく》した|罪《つみ》は|許《ゆる》されないから、|痛《いた》い|目《め》に|遇《あ》つたからといつて|怒《おこ》る|事《こと》は|出来《でき》まい、これで|帳消《ちやうけし》だ。サアこれから|改《あらた》めてお|前達《まへたち》|三人《さんにん》と|篤《とつくり》と|相談《さうだん》をしよう』
『|悪《あく》にかけたら|抜目《ぬけめ》のない|吾々《われわれ》|三人《さんにん》、|金《かね》になる|事《こと》ならドンナ|御相談《ごさうだん》にも|乗《の》ります。|私《わたし》だつてあのブラバーサには|深《ふか》い|深《ふか》い|遺恨《ゐこん》が|厶《ござ》います。マリヤの|奴《やつ》を|三人《さんにん》|寄《よ》つて|手籠《てごめ》になし、|念仏講《ねんぶつかう》でもやり、|楽《たの》しもうと|思《おも》つて|居《ゐ》た|所《ところ》へ|彼《あ》のブラバーサが、|仕様《しやう》も|無《な》い|歌《うた》を|歌《うた》つて|来《き》たものだから、|折角《せつかく》|仕組《しぐん》だ|芝居《しばゐ》も|肝腎《かんじん》の|所《ところ》でおジヤンになり、オチコ ウツトコ、ハテナの|願望《ぐわんまう》も|遂《と》げず、すごすごと|吾《わが》|家《や》に|帰《かへ》つたものだから|仲々《なかなか》|伜《せがれ》のやつ|承知《しようち》をしませぬ、オチコ、コテノとなつて、マストを|立《た》てそれはそれは|夜半《やはん》|大騒動《おほさうどう》|五人組《ごにんぐみ》が|駆《か》け|出《だ》すやら、|泥水《どろみづ》が|出《で》るやら、ヘヽヽヽヽン、いやもうラツチもない|事《こと》でした、アハヽヽヽ』
『ウフヽヽヽ、ソンナ|厚《あつ》い|唇《くちびる》で、|真黒《まつくろ》な|顔《かほ》して|居《を》つて|色《いろ》の【こひ】の|鮒《ふな》のつて、|些《ちつ》と|食《く》ひ|過《す》ぎて|居《ゐ》るわい。|併《しか》し|乍《なが》らブラバーサとマリヤに|対《たい》し、さう|云《い》ふ|経緯《いきさつ》があり|遺恨《ゐこん》が|残《のこ》つて|居《を》るとすれば|何《ど》うだ、|反対派《はんたいは》の|吾々《われわれ》の|仲間《なかま》に|入《はい》り、|幾何《いくら》でも|金《かね》はやるからエルサレムの|町《まち》に|出《で》て、ブラバーサ|攻撃《こうげき》の|大演説《だいえんぜつ》をやる|気《き》は|無《な》いか』
『ハイそれは|合《あ》ふたり|叶《かな》ふたり、|大《おほい》にやります。のうテク、ツーロお|前達《まへたち》も|賛成《さんせい》だらう』
『ウン|尤《もつと》もだ、テクさまの|恋《こひ》の|敵《かたき》のブラバーサ、|力一《ちからいつ》ぱい|面皮《めんぴ》を|剥《む》いてやり、|此《この》エルサレム|町《まち》に|居《を》れないやうにしてやるのも|痛快《つうくわい》だ、|腹癒《はらい》せだ、|溜飲《りういん》が|下《さが》るやうだ。ようし|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|面白狸《おもしろたぬき》の|腹鼓《はらつづみ》だ。|喃《のう》、ツーロ、|何程《なにほど》|辛《つら》うても、エルサレムの|通路《つうろ》を|縦横無尽《じうわうむじん》に【テク】ついてブラバーサの|罪状《ざいじやう》をトンクと|市民《しみん》に|分《わか》るやうに、|布留那《ふるな》の|弁《べん》を|揮《ふる》つて|吹聴《ふいちやう》|仕《し》やうぢやないか』
『ヤア|面白《おもしろ》い、|大《おほ》ミロクの|生宮《いきみや》、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》のお|寅《とら》さまを|大将軍《だいしやうぐん》と|仰《あふ》ぎ、|守宮別《やもりわけ》|様《さま》を|参謀総長《さんぼうそうちやう》とし、エルサレムの|町《まち》を|三方四方《さんぱうしはう》から|突撃《とつげき》と|出《で》かけようかい』
『これこれトンクさま、|決《けつ》してヤクに|頼《たの》まれたなどと|云《い》ふちやなりませぬよ。ブラバーサに|頼《たの》まれて、あんな|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》しましたが、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|御神力《ごしんりき》に|怖《おそ》れて|罪亡《つみほろ》ぼしに|白状《はくじやう》|致《いた》しましたと|大声《おほごゑ》に|云《い》ふのだよ。|分《わか》つたかな』
『ハイ、|事実《じじつ》を|曲《ま》げて|云《い》ふのは|間違《まちが》ひやすうて|些《ちつ》と|許《ばか》りやり|悪《にく》くて|困《こま》りますが、マア|成可《なるべ》く|貴女《あなた》の|為《ため》になるやうブラバーサを|攻撃《こうげき》|致《いた》しませう』
お|寅《とら》『ブラバーサ|憎《にく》む|心《こころ》はなけれども
|世人《よびと》のために|葬《はうむ》らむとぞ|思《おも》う。
|聖場《せいじやう》を|色《いろ》で|汚《けが》したマリヤ|姫《ひめ》を
|千里《せんり》の|外《そと》に|逐《おひ》やりて|見《み》む』
|守宮《やもり》『|吾《われ》は|唯《ただ》|薬師如来《やくしによらい》がましまさば
|如何《いか》な|悩《なや》みも|苦《くる》しからまじ。
|酒《さけ》|呑《の》めばいつも|心《こころ》は|春《はる》の|山《やま》
|笑《わら》ひ|乍《なが》らに|花《はな》は|咲《さ》くなり。
お|寅《とら》さまお|花《はな》さまでは|気《き》が|行《い》かぬ
|蒲萄酒《ぶだうしゆ》ビール|酒《さけ》が|好物《かうぶつ》。
キリストも|釈迦《しやか》も|孔子《こうし》も|神《かみ》さまも
|酒《さけ》に|比《くら》べりやしやうもない|奴《やつ》』
お|寅《とら》『|又《また》しても|守宮別《やもりわけ》さまの|罰当《ばちあた》り
|腸《はらわた》までが|腐《くさ》つて|居《を》るぞや』
|守宮《やもり》『くさつても|酒《さけ》と|鯛《たひ》とは|味《あぢ》がよい
|腐《くさ》らぬ|先《さき》に|呑《の》めばなほよし。
ドブ|貝《がひ》の|腐《くさ》つたやうな|香《にほ》ひより
|酒《さけ》の|腐《くさ》つた|香《にほひ》がよろしい』
お|寅《とら》『|虫《むし》の|喰《く》た|松茸《まつたけ》|股《また》にぶらさげて
|腐《くさ》れ|貝《がひ》とは|何《なに》を|云《い》ふぞや』
トンク『くさいやつ|三人《さんにん》|五人《ごにん》|集《あつ》まつて
|臭《くさ》い|相談《さうだん》|谷底《たにそこ》でするも』
テク『お|寅《とら》さま|手管《てくだ》の|糸《いと》を|繰返《くりかへ》し
マリヤの|腹《はら》を|突《つ》かむとぞする』
ツーロ『つらうても|彼《かれ》の|為《た》めなら|町《まち》に|出《で》て
|嫌《いや》な|演説《えんぜつ》せねばなるまい』
お|寅《とら》は、
『さア|早《はや》く|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|帰《かへ》りませう
お|花《はな》が|霊城《れいじやう》に|待《ま》つて|居《ゐ》るだろ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|吾《わが》|営所《たむろ》を|指《さ》して|一行《いつかう》|五人《ごにん》|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於由良秋田別荘 加藤明子録)
第四章 |誤霊城《ごれいじやう》〔一八一〇〕
お|花《はな》は|只《ただ》|一人《ひとり》、|日《ひ》の|丸《まる》の|掛軸《かけぢく》の|前《まへ》に|暗祈黙祷《あんきもくたう》し|乍《なが》ら、|両眼《りやうがん》から|雨《あめ》の|如《ごと》き|涙《なみだ》をたらし、|聖地《せいち》の|宣伝《せんでん》も|予期《よき》した|如《ごと》くに|行《ゆ》かず、|未《いま》だに|一人《ひとり》の|信徒《しんと》も|出来《でき》ぬ|矢先《やさき》、お|寅《とら》、|守宮別《やもりわけ》の|在所《ありか》が|分《わか》らなくなつたので、|太《ふと》い|吐息《といき》を|洩《も》らしてゐると、そこへ|受付《うけつけ》のヤクが|慌《あわた》だしく|帰《かへ》り|来《きた》り、
『コレもし、お|花《はな》さま、お|花《はな》さま』
と|何回《なんくわい》も|矢継早《やつぎばや》に|呼《よ》ばはれ|共《ども》、お|花《はな》はキヨロリとヤクの|顔《かほ》を|見乍《みなが》ら、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしてゐる。
『もしお|花《はな》さま、これ|丈《だけ》|私《わたし》が|呼《よ》んでゐるのに、なぜ|返事《へんじ》をして|下《くだ》さらぬのですか、|聾《つんぼ》になられたのですか、|余《あま》り|苛《ひど》いぢやありませぬか』
『ソンナ|人《ひと》は|居《ゐ》ないよ』
とプリンと|横《よこ》を|向《む》く。
『ハヽヽハア、コリヤ ヤクが|悪《わる》かつた。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまの|生宮様《いきみやさま》、あやめの|花子《はなこ》|殿《どの》、|一寸《ちよつと》こつちやを|向《む》いて|下《くだ》さい』
『お|前《まへ》はヤクかい。|何《なん》の|用《よう》だなア』
とすましてゐる。
『|何《なん》の|用《よう》もかんの|用《よう》もありますかいな。|乙姫《おとひめ》さまは|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》さまの|所在《ありか》が|知《し》れないのに、|何《なに》して|厶《ござ》るのですか』
『|何《なに》もして|居《ゐ》ないよ。おつつけ|帰《かへ》つて|厶《ござ》るといふ|御神示《ごしんじ》があつたから、|余《あま》り|慌《あわ》てるには|及《およ》びませぬワイ。チトお|前《まへ》さまも|落《おち》つきなさい。ここの|受付《うけつけ》になつてから、|殆《ほとん》ど|一年《いちねん》にも|成《な》りますが、|月給《げつきふ》|取《と》る|許《ばか》りで、|一人《ひとり》の|信者《しんじや》も|出来《でき》たでなし、|私《わたし》だつて|困《こま》るぢやないか、|些《ちつ》と|活動《くわつどう》して|下《くだ》さいな。|生宮様《いきみやさま》が|悪者《わるもの》に|攫《さら》はれて|行《ゆ》かれるのを|見《み》て|居《を》り|乍《なが》ら、|助《たす》けにも|行《ゆ》かぬといふやうな、ヤクザ|人足《にんそく》のヤクさまには、もう|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》も|相手《あひて》にはなりませぬワイな』
『|私《わたし》は|此処《ここ》の|受付《うけつけ》になつてから、|余《あま》り|暇《ひま》なので、これでは|堪《たま》らないと|思《おも》ひ、エルサレムの|町中《まちぢう》|歩《ある》いて|紳士紳商《しんししんしやう》を|一々《いちいち》|訪問《はうもん》し、ウラナイ|教《けう》の|宣伝《せんでん》をやり、|生宮様《いきみやさま》の|御威徳《ごゐとく》を|盛《さか》んに|吹聴《ふいちやう》して|居《を》ります。|何《いづ》れも|一旦《いつたん》は|感心《かんしん》して、|一辺《いつぺん》お|話《はなし》が|聞《き》きたい、|其《その》|上《うへ》で|信者《しんじや》になり|度《た》いなどと、|異口同音《いくどうおん》に|私《わたし》の|顔《かほ》に|免《めん》じて|賛成《さんせい》しては|下《くだ》さいますが、|何《なに》しろ|生宮様《いきみやさま》の|脱線《だつせん》がひどいので、|何時《いつ》も|駄目《だめ》になつて|了《しま》ふのですよ。|神様《かみさま》なら|神様《かみさま》らしう、|何時《いつ》もチヤンと|霊城《れいじやう》に|立籠《たてこ》もつて、|声《こゑ》なくして|人《ひと》を|呼《よ》ぶといふ|態度《たいど》をお|取《と》りになつて|居《を》れば|可《い》いのに、フンゾ|喰《くら》ひの、ドブ|酒《ざけ》|飲《の》みの|守宮別《やもりわけ》を|連《つ》れて、アトラスの|様《やう》な|面《つら》をして、|徳利《とくり》をブラ|下《さ》げた|様《やう》な|尻《けつ》をして、|市中《しちう》をブラつかれるものだから、あのスタイルでは、どうも|尊敬《そんけい》の|心《こころ》が|起《おこ》らない。そして|言《い》ふ|事《こと》が|徹底《てつてい》してゐないから、|要《えう》するに|日《ひ》の|出島《でじま》の|気違《きちがひ》だらうといふ|噂《うはさ》が|立《た》つて、|誰《たれ》も|聞《き》くものがありませぬ|哩《わい》。|毎日《まいにち》|日日《ひにち》、かう|受付《うけつけ》にチヨコナンとコマ|犬《いぬ》のやうに|坐《すわ》つて|居《を》つても|用《よう》は|無《な》し、ダンジヤコを|並《なら》べた|様《やう》な|筆先《ふでさき》を|写《うつ》さして|貰《もら》うて|居《を》つても、|余《あま》り|有難《ありがた》くはありませぬがな。お|前《まへ》さまも、ようマア、あんな|生宮《いきみや》さまと|一緒《いつしよ》にこんな|所《ところ》|迄《まで》やつて|来《き》て、|能《よ》う|嫌《いや》にならぬ|事《こと》ですな』
『コレ、ヤクさま、お|前《まへ》は|何《なん》といふ|勿体《もつたい》ない|事《こと》をいふのだい、どうも|霊《みたま》に|因縁《いんねん》のない|者《もの》は|仕方《しかた》のない|者《もの》だなア。あんな|立派《りつぱ》な|救世主《きうせいしゆ》が、お|前《まへ》さまも|矢張《やつぱ》り|世間並《せけんなみ》に|悪《わる》く|見《み》えるのかいな』
『ハイ、|何程《なにほど》|贔屓目《ひいきめ》にみても、|普通《あたりまへ》の|人間《にんげん》とより|見《み》えませぬわ。|第一《だいいち》|仰有《おつしや》る|事《こと》が|筋《すぢ》が|立《た》つてゐませぬもの。|教義《けうぎ》が|支離滅裂《しりめつれつ》で|掴《つか》まへ|所《どころ》が|無《な》くつて、|既成《きせい》|宗教《しうけう》の|方《はう》が、どれ|丈《だけ》|立派《りつぱ》だか|知《し》れませぬよ。|私《わたし》も|此《この》|間《あひだ》からいろいろと|就職口《しうしよくぐち》を|考《かんが》へて|居《を》りましたが、|半気違《はんきちがひ》の|生宮《いきみや》さま|所《とこ》に|居《を》つた|者《もの》だからといつて、だアれも|使《つか》つてくれないのです。それで|止《や》むを|得《え》ず、|不快《ふくわい》で|不快《ふくわい》でたまらないのを、|辛抱《しんばう》して|居《ゐ》るのです。|併《しか》し|乍《なが》ら、|躓《つまづ》く|石《いし》も|縁《えん》のはしとやら、|縁《えん》あればこそ|生宮様《いきみやさま》のお|側《そば》で|御用《ごよう》が|出来《でき》たものだと|思《おも》ひ、|昨夜《ゆうべ》も|昨夜《ゆうべ》とて、お|寅《とら》さまの|危難《きなん》を|救《すく》ふべく、|会計《くわいけい》の|金《かね》を|六十円《ろくじふゑん》|放《ほ》り|出《だ》してお|寅《とら》さまを|助《たす》ける|工夫《くふう》をしたのですよ。|其《その》|六十円《ろくじふゑん》の|金《かね》が|無《な》かつて|御《ご》ろうじ、|生宮《いきみや》さまは|其《その》|場《ば》で|袋叩《ふくろだだ》きに|会《あ》ひ、|半死半生《はんしはんしやう》になつて|居《ゐ》られるかも|知《し》れませぬよ。|夜前《やぜん》トツクにお|帰《かへ》りの|筈《はず》だのに、まだ|帰《かへ》つてゐられぬのは、チツト|不思議《ふしぎ》ですなア』
『ヘン、|能《よ》う|言《い》へます|哩《わい》、|現《げん》に|生宮《いきみや》さまがアラブに|取《と》つ|掴《つか》まへられた|時《とき》、お|前《まへ》さまはジツとして|見《み》て|居《を》つたぢやないか。そんな|嘘《うそ》を|云《い》つても、|私《わたし》がチヤンと|見《み》て|居《を》りますぞや』
『|乙姫《おとひめ》さま……だつて、ジツとして|見《み》て|厶《ござ》つたぢやありませぬか。|神様《かみさま》でさへ|手出《てだ》しのできぬ|乱暴者《らんばうもの》に、どうしてヤクが|手出《てだ》しが|出来《でき》ませうぞ。|其《その》|時《とき》の|事情《じじやう》をマア|聞《き》いて|下《くだ》さい。さうすれば|私《わたし》の|忠勤振《ちうきんぶり》がチツトは|分《わか》るでせう』
『ヘン、おいて|貰《もら》ひませうかい、|現在《げんざい》|目《め》の|前《まへ》に|主人《しゆじん》の|危難《きなん》を|見乍《みなが》ら、|手《て》も|足《あし》も|能《よ》う|出《だ》さぬクセに、|忠勤振《ちうきんぶる》なぞと|鼠《ねづみ》が|笑《わら》ひますぞや。|此《この》|上《うへ》|文句《もんく》があるなら|言《い》つて|御覧《ごらん》』
『あります|共《とも》、|真面目《まじめ》に|聞《き》いて|下《くだ》さい。|今夜《こんや》はキリストの|聖日《せいじつ》でもあり、|僧院《そうゐん》ホテルで|大演説会《だいえんぜつくわい》があり、|生宮《いきみや》さまも|大々的《だいだいてき》|獅子吼《ししく》をなさるといふ|事《こと》を|聞《き》いて|居《を》つたので、|万一《まんいち》を|慮《おもんばか》り、|警戒《けいかい》の|任《にん》に|当《あた》つて|居《を》りますと、|生宮様《いきみやさま》が|衆人《しうじん》|環視《くわんし》の|前《まへ》で、ブラバーサさまを|罵《ののし》り、|言語道断《ごんごどうだん》な|事《こと》を|仰有《おつしや》るので、|日頃《ひごろ》ブラバーサさまを|信頼《しんらい》してゐる|信者連《しんじやれん》が|腹《はら》を|立《た》て、あの|気違婆《きちがひばば》をやツつけてやらうかと、|私《わたし》が|居《ゐ》るとは|知《し》らずに、コソコソ|相談《さうだん》をやつてゐますので、|此奴《こいつ》アたまらぬ、|何《なん》とかして|生宮《いきみや》さまを|助《たす》け|出《だ》さねばなるまいと、|傍《かたはら》を|見《み》ればアラブが|三人《さんにん》|居《を》つたので、ソツと|金《かね》をわたし、|一時《いちじ》どつかへ|生宮《いきみや》を|隠《かく》してくれと|云《い》つた|所《ところ》、アラブは|早速《さつそく》|諾《うなづ》いて、あの|通《とほ》りお|二人《ふたり》の|危急《ききふ》を|救《すく》つたのです。|夕《ゆふ》べの|騒《さわ》ぎで|市中《しちう》は|喧《やかま》しい|噂《うはさ》が|立《た》ち、|警察《けいさつ》の|活動《くわつどう》となつて|居《ゐ》る|相《さう》ですから、|一時《いちじ》|生宮《いきみや》さまもイキリぬきにどつかへ|遊覧《いうらん》に|行《い》つてゐられるのでせう。これでも|私《わたし》の|忠勤振《ちうきんぶり》が|分《わか》りませぬかなア』
『ても|偖《さて》も、|何《な》んといふ|下手《へた》な|事《こと》をするのぢやいな。|何程《なにほど》ブラバーサの|信者《しんじや》が|手荒《てあら》い|事《こと》をせうと|思《おも》つても、|生宮様《いきみやさま》の|御神徳《ごしんとく》には|歯節《はぶし》は|立《た》ちませぬぞや。それに|猶更《なほさら》、|立派《りつぱ》な|警察《けいさつ》もあり、|人目《ひとめ》もあるのだから、そんな|心配《しんぱい》は|御無用《ごむよう》だ、お|前《まへ》さまは|永《なが》らく|生宮様《いきみやさま》の|側《そば》に|居《を》つて、あれ|丈《だけ》の|御神徳《ごしんとく》が|分《わか》らないのかな、ホンに|盲《めくら》|聾《つんぼ》といふ|者《もの》は|仕方《しかた》のない|者《もの》だなア』
『もし、お|花《はな》さま、イヤ、ドツコイ、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さま、|余《あま》り|盲々《めくらめくら》といふて|下《くだ》さいますな、|御神徳《ごしんとく》の|程度《ていど》を|知《し》つて|居《を》ればこそ、|私《わたし》が|案《あん》じて、ああいふ|手段《しゆだん》を|取《と》つたのですよ、|乙姫《おとひめ》さまは|日《ひ》の|出《で》さまの|御神力《ごしんりき》を|買《かひ》かぶつて|居《を》りますな』
『かもうて|下《くだ》さるな、お|前《まへ》さま|等《ら》のやうな|子供《こども》に|分《わか》つてたまるかな。|大《だい》それた、|大枚《たいまい》|六十円《ろくじふゑん》の|金《かね》をアラブにやるなぞと、|誰《たれ》に|許可《きよか》を|得《え》て|支出《ししゆつ》したのだえ。|生宮《いきみや》さまも|乙姫《おとひめ》も|許《ゆる》した|覚《おぼ》えはありませぬぞや。|其《その》|金《かね》こちらへ|返《かへ》して|下《くだ》さい、|返《かへ》すことが|出来《でき》にや|此《この》|月分《つきぶん》と|来月分《らいげつぶん》とで|勘定《かんぢやう》する。お|前《まへ》さまは|受付《うけつけ》だ、|支払《しはら》ひ|役《やく》は|命《めい》じて|無《な》い|筈《はず》だ。|委托金費消罪《いたくきんひせうざい》で|訴《うつた》へませうか』
『|二《ふた》つ|目《め》には|法律《はふりつ》をかへるとか、|警察《けいさつ》もいらぬよにするとか|仰有《おつしや》るクセに、|猫《ねこ》がクシヤミしたやうな|事《こと》でも|警察《けいさつ》へ|訴《うつた》へるのですか、|何《なん》とマア|偉《えら》い|神様《かみさま》ですな。お|前《まへ》さまは|最前《さいぜん》も|雪隠《せつちん》の|中《なか》から|聞《き》いて|居《を》れば、ブラバーサやマリヤさまに|向《むか》つて、|世界中《せかいぢう》から|数珠《じゆず》つなぎに|信者《しんじや》が|参《まゐ》つて|来《く》ると、エライ|駄法螺《だぼら》を|吹《ふ》いて|厶《ござ》つたが、ここ|一年程《いちねんほど》の|間《あひだ》に|猫《ねこ》の|子《こ》|一疋《いつぴき》|訪問《はうもん》した|事《こと》は|無《な》いぢやありませぬか。|誠一《まことひと》つで|開《ひら》くウラナイの|道《みち》だからと|云《い》ひ|乍《なが》ら、ようマア、あんな|嘘《うそ》が|言《い》へました。|霊城《れいじやう》なぞと|聞《き》いて|呆《あき》れます|哩《わい》』
『ホヽヽヽヽ、マア|何《なん》と|分《わか》らぬ|代物《しろもの》だこと、これ|程《ほど》|諸国《しよこく》の|霊《れい》が、|数珠《じゆず》つなぎになつて、|生宮《いきみや》さまの|神徳《しんとく》を|慕《した》つて|参拝《さんぱい》するのに|分《わか》らぬのかいな。それだから、|教会《けうくわい》とも|宣伝所《せんでんしよ》ともいはないで、|御霊城《ごれいじやう》と|書《か》いてあるのだよ』
『ソンナラ、|私《わたし》の|受付《うけつけ》は|必要《ひつえう》がないぢやありませぬか。|一体《いつたい》|何《なん》の|受付《うけつけ》をするのですか』
『|身魂相応《みたまさうおう》の|理《り》に|仍《よ》つて、|悪者《わるもの》が|出《で》て|来《き》たり、|詐欺漢《さぎかん》が|出《で》て|来《き》たりせぬ|様《やう》に、|番犬《ばんいぬ》の|御用《ごよう》がさしてあつたのだよ、|霊《れい》なんか|到底《たうてい》お|前等《まへたち》にや|分《わか》らないから、テンデそんなこた|当《あて》にしてゐないのだ。|頭《あたま》から|信用《しんよう》のないこた|分《わか》つて|居《ゐ》るのだからな』
『ソンナラ|何故《なぜ》|宣伝《せんでん》に|行《ゆ》け|行《ゆ》けと|私《わたし》に|仰有《おつしや》るのですか』
『|現幽一致《げんいういつち》の|御教《みをしへ》だから、|現界《げんかい》の|人間《にんげん》も|宣伝《せんでん》する|必要《ひつえう》があるのだ。けれ|共《ども》お|前《まへ》の|魂《たましひ》がテンで|物《もの》になつてゐないものだから|物《もの》にならないのだよ。|無用《むよう》の|長物《ちやうぶつ》|娑婆《しやば》ふさぎ、|穀潰《ごくつぶ》しの|糞造器《ふんざうき》とはお|前《まへ》の|事《こと》だ。こんな|糞造器《ふんざうき》でも|神様《かみさま》は|至仁《しじん》|至愛《しあい》だから、|助《たす》けてやらうと|思《おも》つて、|三十円《さんじふゑん》も|月給《げつきふ》を|出《だ》して|飼《か》つてやつて|居《ゐ》るのだよ。|世間《せけん》に|目《め》の|開《あ》いた|奴《やつ》があつたら……|何《なん》と|神様《かみさま》といふものは|偉《えら》い|者《もの》だ。エルサレム|中《ぢう》で|相手《あひて》にしてのない|蚰蜒《げぢげぢ》の|様《やう》な|男《をとこ》でも、|生神《いきがみ》さまならこされ、|三十円《さんじふゑん》も|月給《げつきふ》をやつておいて|置《お》けるのだ。|神《かみ》さまといふ|者《もの》は|偖《さて》も|偖《さて》も|感心《かんしん》な|者《もの》だ。……と|此《この》|様《やう》に|思《おも》うて|青《あを》い|鳥《とり》が|引《ひつ》かかつて|来《く》る|様《やう》に、つまり、おとりにおいて|有《あ》るのだ……オツトドツコイこりや|云《い》ふのぢやなかつた。コレ、ヤクさま、こりや|嘘《うそ》だよ。お|前《まへ》の|副守《ふくしゆ》が|一寸《ちよつと》|私《わたし》の|体内《たいない》を|借《か》つて|云《い》ふのだから、|屹度《きつと》|気《き》にさへて|下《くだ》さるなや、オホヽヽヽ』
『これで|貴女方《あなたがた》の|腹《はら》の|底《そこ》はすつかり|分《わか》りました。|私《わたし》も|可《よ》い|馬鹿《ばか》でした。|月給《げつきふ》も|何《なに》もいりませぬ。|気好《きよ》うお|暇《ひま》を|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|覚《おぼ》えてゐなさい。ヒヤツとする|様《やう》な|目《め》にあわして|上《あ》げますから。お|前《まへ》さま|方《がた》のカラクリを、これから、エルサレムの|町中《まちぢう》|演説《えんぜつ》して|歩《ある》きますから、|足許《あしもと》の|明《あか》るい|内《うち》トツトと|帰《かへ》りなさい。イヒヽヽヽヽ。ヤアこれで|一《ひと》つ|俺《おれ》も|活気《くわつき》が|出来《でき》て|来《き》た。|悪魔《あくま》|退治《たいぢ》の|張本人《ちやうほんにん》となり|正々堂々《せいせいだうだう》の|陣《ぢん》を|張《は》り、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》と|力比《ちからくら》べだ。|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い、ウツフヽヽヽ』
お|花《はな》は|顔《かほ》を|曇《くも》らせ|乍《なが》ら、
『コレ、ヤクさま、|皆《みな》|嘘《うそ》だよ。お|前《まへ》は|正直《しやうぢき》だから、|直《すぐ》に|腹《はら》を|立《た》てて|仕方《しかた》がない。|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》と|此《この》|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》が、|天《てん》にも|地《ち》にもない|大切《たいせつ》な|宝《たから》として、お|前《まへ》を|重宝《ちようほう》がつてるのだ。そんな|水臭《みづくさ》い|事《こと》をいふものぢやありませぬがな』
と|皺《しわ》の|寄《よ》つた|顔《かほ》の|目《め》を|細《ほそ》うして、ヤクの|背中《せなか》をポンと|叩《たた》く。|年《とし》は|老《と》つて|居《を》つても、|浪速《なには》の|水《みづ》で|洗《あら》ひさらした|肌《はだ》、まだ|何処《どこ》やらに|花《はな》の|香《か》が|残《のこ》つてゐる。|其《その》|手《て》でお|釈迦《しやか》の|顔撫《かほな》でた|式《しき》に、お|花《はな》の|色目《いろめ》につり|込《こ》まれ、ヤクはつり|上《あが》つた|眉毛《まゆげ》を|一寸《いつすん》|許《ばか》り|下《した》へおろし、|目尻《めじり》|迄《まで》|下《さ》げて、|時計《とけい》の|八時《はちじ》|二十分《にじふぶん》の|様《やう》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、
『ヘヽヽヽヽ、ソンナ|優《やさ》しいお|心《こころ》とは|知《し》らず、つい|副守《ふくしゆ》があんな|事《こと》を|囁《ささや》きました。どうぞ|生宮《いきみや》さまがお|帰《かへ》りになつても、|今《いま》の|様《やう》な|事《こと》は|言《い》はない|様《やう》にして|下《くだ》さいや』
『|何《なん》ぢやいな、ヤクさま、|眉毛《まゆげ》や|目尻《めじり》が|眠《ねむ》り|草《ぐさ》の|様《やう》に、サツパリ|下《さが》つて|了《しま》ひ、|七時《しちじ》|二十五分《にじふごふん》の|顔《かほ》ソツクリぢやないかい』
『|乙姫《おとひめ》さまのお|顔《かほ》にも|一時《いちじ》は|低気圧《ていきあつ》が|襲来《しふらい》し、|眉毛《まゆげ》が|十一時《じふいちじ》|五分《ごふん》になつて|居《ゐ》ましたよ』
『ソンナ|時計《とけい》の|話《はなし》や|何《ど》うでもよい、|人《ひと》の|顔《かほ》と|時計《とけい》とゴツチヤ|交《ま》ぜにしられちや|困《こま》るからなア』
|斯《か》く|話《はな》して|居《を》る|所《ところ》へ、ドヤドヤ|人《ひと》の|入《い》り|来《く》る|足音《あしおと》、ヤクは|素早《すばや》く|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》し、
『ヤ、これはお|寅様《とらさま》、|能《よ》くマアお|帰《かへ》り|下《くだ》さいました。|乙姫《おとひめ》さまが|大変《たいへん》なお|待《ま》ちかねで|厶《ござ》います。サアサアとつとと|奥《おく》へ|御通《おとほ》りなさいませ』
『お|前《まへ》はヤクザ|者《もの》のヤクぢやないかい。|妾《わし》がアンナ|目《め》に|会《あ》つて|居《ゐ》るのに|傍観《ばうくわん》してるとは|余《あんま》りぢやないか。|何程《なにほど》|名《な》はヤクでも、|役《やく》に|立《た》たぬ|代物《しろもの》だなア』
『ハイお|花《はな》さま……オツトドツコイ|乙姫《おとひめ》さまの|生宮《いきみや》さまに、|惨々《さんざん》そんな|事《こと》をいつて|油《あぶら》を|絞《しぼ》られて|居《を》つた|所《ところ》ですから、どうぞ|二重成敗《にぢうせいばい》は|勘弁《かんべん》して|下《くだ》さい』
といひ|乍《なが》ら|狭《せま》い|路地《ろぢ》を|伝《つた》うて|入《はい》つて|来《き》た。お|花《はな》は|嬉《うれ》しさうに|手《て》をつかへて、
『ヤ、これはこれは、|能《よ》う|帰《かへ》つて|下《くだ》さいました。|日出様《ひのでさま》、|大変《たいへん》|待《ま》ちかねて|居《を》りました。|今《いま》ヤクと|心配《しんぱい》して|居《を》つた|所《ところ》で|厶《ござ》いますよ』
『ヘン、|有難《ありがた》う、|感《かん》じ|入《い》りました。|貴女方《あなたがた》の|御親切《ごしんせつ》には……ブラバーサの|計略《けいりやく》にかかり、|谷底《たにぞこ》へつれ|込《こ》まれ、|命《いのち》を|取《と》られ|様《やう》と|致《いた》しましたが、|幸《さいはひ》に|日出神《ひのでのかみ》の|御神力《ごしんりき》によりまして、|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました。|乙姫《おとひめ》さま、さぞ|面《めん》くらつたでせう。ヤクと|二人《ふたり》|寄《よ》つて、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|居《を》らなくなつたのを|幸《さいは》ひ、|此《この》|霊城《れいじやう》の|主人《あるじ》となり、|一大《いちだい》|飛躍《ひやく》を|試《こころ》みむとして|厶《ござ》つた|所《ところ》を、|目的《もくてき》と|牛《うし》の|尻《しり》がひとは、|向《むか》ふから|外《はづ》れるとか|申《まを》しましてね……|誠《まこと》にお|気《き》の|毒《どく》さま。ヘン|巧言令色《かうげんれいしよく》、|偽善《ぎぜん》の|御挨拶《ごあいさつ》は|止《や》めて|貰《もら》ひませうかい』
お|花《はな》は|泣声《なきごゑ》を|出《だ》して、
『コレ、モウシ、お|寅《とら》さま、|余《あま》りぢや|厶《ござ》いませぬか、|私《わたし》の|心《こころ》が|分《わか》りませぬか。|余《あま》り|殺生《せつしやう》ぢや|厶《ござ》いませぬかい。|十年《じふねん》|此《この》|方《かた》|真心《まごころ》を|尽《つく》して、|世間《せけん》の|非難《ひなん》|攻撃《こうげき》を|受《う》け|乍《なが》ら、|身命《しんめい》を|賭《と》して、|貴女《あなた》に|付《つ》いて|来《き》た|私《わたし》ぢや|厶《ござ》いませぬか。|御冗談《ごじやうだん》|仰有《おつしや》るにも|程《ほど》がありますわ』
『|冗談《じやうだん》ぢやありませぬよ。|誠生粋《まこときつすゐ》の|日出神《ひのでのかみ》の|言葉《ことば》ですから、|慎《つつし》んでお|聞《き》きなさい。|私《わたし》の|心《こころ》が|分《わか》らぬか……と|仰有《おつしや》つたが、|分《わか》つて|居《を》らこそ、お|前《まへ》さまに|御礼《おれい》を|申《まを》して|居《ゐ》るぢやありませぬか。|第一《だいいち》の|証拠《しようこ》は……いつも|貴女《あなた》|言《い》ふて|居《を》つたでせう。|仮令《たとへ》|地獄《ぢごく》のドン|底《そこ》へでも、|命《いのち》を|的《まと》にお|伴《とも》|致《いた》しますと、|口癖《くちぐせ》の|様《やう》に、うるさい|程《ほど》、|百万遍《ひやくまんべん》をくる|様《やう》に、|云《い》つておき|乍《なが》ら、|人《ひと》の|危難《きなん》を|見《み》て、|助《たす》けようともせず、ヤクと|一緒《いつしよ》に、ぬつけりことして|霊城《れいじやう》にをさまり|返《かへ》り、|第二《だいに》の|計画《けいくわく》をやつて|居《を》つたのでせう、それに|違《ちがひ》ありますまい。お|前《まへ》さまの|様《やう》な|水臭《みづくさ》いお|方《かた》は、|主《しゆ》でもなけら、|家来《けらい》でもない。|又《また》|師匠《ししやう》でも|無《な》ければ|弟子《でし》でもありませぬ。|乙姫《おとひめ》さまなぞと、チヤンチヤラ|可笑《をか》しい、もう|之《これ》から|云《い》ふて|下《くだ》さるな』
『|私《わたし》は|素《もと》よりあやめのお|花《はな》といつて、|何《なに》も|知《し》らぬ|者《もの》で|厶《ござ》いましたが、|貴女《あなた》が|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》だと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さるので、それを|誠《まこと》と|信《しん》じ、|今日《けふ》|迄《まで》|乙姫《おとひめ》で|通《とほ》して|来《き》ましたが、|云《い》ふてくれるなと|仰有《おつしや》るのなら、モウ|之《これ》から|言《い》ひませぬ。さうすると、お|前《まへ》さまの|日出神《ひのでのかみ》さまも|可《い》いかげんなものぢや|厶《ござ》いませぬか。|誰《たれ》が|阿呆《あはう》らしい、|乙姫《おとひめ》の|生宮《いきみや》と|思《おも》へばこそ、|住《すみ》なれた|自転倒島《おのころじま》を|立《た》つて、コンナ|他国《たこく》で、|不自由《ふじゆう》な|生活《せいくわつ》を|辛抱《しんばう》してゐるのですよ』
ヤクは|鼻息《はないき》あらく、
『もしもし|乙姫《おとひめ》さま、|否《いな》お|花《はな》さまにしておきませう。コンナ|糞婆《くそばば》と|縁《えん》を|切《き》りなさいませ。|私《わたし》がお|前《まへ》さまの|参謀長《さんぼうちやう》となつて、お|寅《とら》さまの|向方《むかふ》を|張《は》り、|立派《りつぱ》に|一旗《ひとはた》|挙《あ》げて|御覧《ごらん》にいれませう、|私《わたし》がお|花《はな》さまの|赤心《まごころ》は|能《よ》う|知《し》つてゐます。|側《そば》から|聞《き》いてゐても|余《あま》り|無体《むたい》な|事《こと》いふ|婆《ばば》だから、|愛想《あいさう》が|尽《つ》きた。お|花《はな》さま、|可《よ》い|縁《えん》の|切時《きりどき》だから、|覚悟《かくご》なさいませ』
お|花《はな》は、
『サア、それでもナア』
と|首《くび》を|傾《かた》むけてゐる。
『コリヤ、ヤク、|何《なに》を|横槍《よこやり》|入《い》れるのだ。お|師匠様《ししやうさま》が|弟子《でし》に|向《む》かつて|意見《いけん》をしてるのに、ヤクザ|人足《にんそく》がゴテゴテいふと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、ひつ|込《こ》んで|居《ゐ》なさい、お|前《まへ》の|出《で》る|幕《まく》ぢやない。お|前《まへ》とお|花《はな》さまと|寄《よ》つて、|妾《わし》をあんな|目《め》に|会《あ》はしたのだろがな。チヤンと|此処《ここ》に|三人《さんにん》の|証拠人《しようこにん》が|連《つ》れて|来《き》てあるのだから……』
『アヽア、|分《わか》らずや|許《ばか》りの|所《ところ》に|居《を》つても|仕方《しかた》が|無《な》いワ。お|花《はな》さま、|左様《さやう》なら、|又《また》お|目《め》にかかりませう、お|寅《とら》|婆《ば》アさま|左様《さやう》なら、|守宮別《やもりわけ》と|精々《せいぜい》|意茶《いちや》つきなさい。|私《わたし》は|私《わたし》の|考《かんが》へを|以《もつ》て、|何処迄《どこまで》もお|前《まへ》さまの|目的《もくてき》の|妨害《ばうがい》をして|上《あ》げますから、イヒヽヽヽヽ』
と|腮《あご》をしやくり、そこにあつた|箒《はうき》を|一本《いつぽん》かたげたまま、|尻《しり》ひんまくり、|何処《どこ》ともなく|駆出《かけだ》して|了《しま》つた。|此奴《こいつ》|逃《に》がしてなるものかと、お|寅《とら》は|金切声《かなきりごゑ》を|張上《はりあ》げ、でつかいお|尻《しり》をプリンプリンと|振廻《ふりまは》し|乍《なが》ら、|埃《ごみ》に|汚《よご》れた|雑踏《ざつたふ》の|街《まち》を|人目《ひとめ》も|恥《は》ぢず|追《お》つかけて|行《ゆ》く。お|寅《とら》はヤツと|追付《おつつ》き、|首筋《くびすぢ》を|掴《つか》まむとするや、ヤクは|箒《はうき》で|大道《だいだう》の|砂埃《すなほこり》をまぜ|返《かへ》し、お|寅《とら》の|顔《かほ》をポンと|撲《なぐ》り|乍《なが》ら|又《また》もや|駆《か》け|出《だ》す、お|寅《とら》は|両眼《りやうがん》に|土埃《つちぼこり》を|浴《あ》び、|皺枯声《しわがれごゑ》を|張上《はりあ》げ、
『オーイオーイ|誰《たれ》でも|可《よ》いから、|其《その》ヤクを|掴《つか》まへて|呉《く》れ』
と|叫《さけ》んでゐる。|道《みち》|行《ゆ》く|人《ひと》は|黒山《くろやま》の|如《ごと》くお|寅《とら》の|周囲《まはり》を|取《とり》まき、|見世物《みせもの》でも|見《み》る|様《やう》に|口々《くちぐち》に|罵《ののし》り|居《ゐ》たりける。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第五章 |横恋慕《よこれんぼ》〔一八一一〕
ヤクの|後《あと》をおつかけて|夜叉《やしや》の|如《ごと》くにお|寅《とら》は|霊城《れいじやう》をとび|出《だ》して|終《しま》つた。トンク、テク、ツーロの|三人《さんにん》はお|寅《とら》の|後《あと》をおひ、|捜索《そうさく》がてらに|三人《さんにん》|三方《さんぱう》へ|手分《てわ》けをして|市中《しちう》の|大路小路《おほぢこぢ》をかけ|廻《まは》ることとなつた。|後《あと》にはお|花《はな》、|守宮別《やもりわけ》の|両人《りやうにん》が|丸《まる》い|卓《テーブル》を|囲《かこ》んで|籐椅子《とういす》に|尻《しり》をかけ|乍《なが》ら、ヤヽ|縛《しば》し|無言《むごん》の|儘《まま》、|顔《かほ》を|見合《みあは》して|居《ゐ》た。
|守宮別《やもりわけ》は|大欠伸《おほあくび》をし|乍《なが》ら、
『お|花《はな》さま』
と|云《い》ふ。
『|何《なん》ぞ|御用《ごよう》ですか』
『アーアン、お|花《はな》さま』
『|何《なん》ですか』
『アーアン、お|花《はな》さまツたら……』
『|何《なん》ですいな、アタ|辛気《しんき》|臭《くさ》い。|御用《ごよう》があるなら|云《い》つて|下《くだ》さいな』
『アーアン、|大概《たいがい》|分《わか》りさうなものだな、ホントニ ホントニ』
『|生宮《いきみや》さまが|居《ゐ》られないので|淋《さび》しいのですか、|嘸《さぞ》|御退屈《ごたいくつ》でせう』
『アーアン、これお|花《はな》さま、|分《わか》りませぬかい』
『|分《わか》りませぬな』
『ヘー、|私《わたし》がアーアンと|云《い》へば|大抵《たいてい》きまつてるでせう』
『いつも|守宮別《やもりわけ》さまが、アーアンと|云《い》つて|空《そら》むいて|欠伸《あくび》をされたが|最後《さいご》、クレリと|気《き》が|変《かは》つて|今迄《いままで》やつて|居《ゐ》た|仕事《しごと》も|打《うつ》ちやり、|漂然《へうぜん》として|何処《どこ》かへ|行《い》つて|了《しま》ひ、いつもお|寅《とら》さまの|気《き》をもますが、お|花《はな》では|一向《いつかう》|気《き》をもみませぬで|仕方《しかた》がありませぬね』
『アーア、サ……ケ……』
『ホヽヽヽヽ|酒《さけ》が|欲《ほ》しいと|仰有《おつしや》るのか、お|安《やす》い|御用《ごよう》。|然《しか》し|乍《なが》ら、お|寅《とら》さまの|留守中《るすちう》にお|酒《さけ》でも、|飲《の》まさうものなら、どれ|丈《だけ》|怒《おこ》られるか|知《し》れませぬ。それでなくても、アンナに|私《わたし》に|毒《どく》ついて|行《ゆ》かれたのですからマア|暫《しばら》く|辛抱《しんばう》しなさい。やがて|帰《かへ》られるでせうから』
『イヤ、もうお|寅《とら》さまの|自我心《じがしん》の|強《つよ》いこと、|無茶理窟《むちやりくつ》をこねる|事《こと》、|疑惑心《ぎわくしん》の|深《ふか》い|事《こと》には|愛想《あいそ》が|尽《つ》きました。もうお|寅《とら》さまは|今日《けふ》|限《かぎ》り|見限《みかぎ》るつもりです』
『ヘヽン、うまい|事《こと》|仰有《おつしや》いますわい。|寝《ね》ては|夢《ゆめ》、|起《お》きては|現《うつつ》、|一秒間《いちべうかん》も|忘《わす》れた|事《こと》がない|癖《くせ》に、よう、ソンナ|白々《しらじら》しい|事《こと》が、|仰有《おつしや》られますわい。|守宮別《やもりわけ》さまも|余程《よほど》の|苦労人《くらうにん》だな。○○の|道《みち》にかけては|千軍万馬《せんぐんばんば》の|劫《ごふ》を|経《へ》た、このお|花《はな》も|三舎《さんしや》を|避《さ》けて|降服《かうふく》|致《いた》しますわ』
『いや、|全《まつた》く、いやになりました。あのアーンの|欠伸《あくび》を|境界線《きやうかいせん》として、お|寅《とら》さまの|事《こと》はフツツリと|思《おも》ひ|切《き》りました。それよりも|純真《じゆんしん》な、|正直《しやうぢき》な|都育《みやこそだ》ちの|婦人《ふじん》が|欲《ほ》しいものですわ。チト|位《ぐらゐ》|年《とし》はとつてゐても|第一《だいいち》、|膚《はだ》が|違《ちが》ひますからな』
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、そんな|冗談《じやうだん》を|云《い》はれますと、お|寅《とら》さまに|又《また》|鼻《はな》を|捻《ねぢ》られますよ』
『もうお|寅《とら》さまだつて|縁《えん》をきつた|以上《いじやう》は|赤《あか》の|他人《たにん》だ。|鼻《はな》でも|捻《ねぢ》やうものなら、ダマツて|居《ゐ》ませぬ。|私《わたし》も|男《をとこ》ですもの、|直様《すぐさま》エルサレム|署《しよ》へ|訴《うつた》へてやりますからね』
『|本当《ほんたう》に|守宮別《やもりわけ》さま、いやになつたのですか、|嘘《うそ》でせう』
『|何《なに》、|真剣《しんけん》ですよ。|乙姫《おとひめ》さまの|前《まへ》ですもの、どうして|嘘《うそ》が|云《い》へませうか』
『|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》が|本当《ほんたう》なら|私《わたし》の|腹《はら》も|打明《うちあ》けますが、|此《この》お|花《はな》も|今日《けふ》と|云《い》ふ|今日《けふ》は、お|寅《とら》さまにスツカリ|愛想《あいそ》が|尽《つ》きたのですよ。これから|国許《くにもと》に|帰《かへ》らうかと|思案《しあん》してゐますの。が|然《しか》し、|長途《ちやうと》の|旅《たび》、|一人《ひとり》|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|外国人《ぐわいこくじん》との|話《はなし》も|出来《でき》ず|困《こま》つてゐますの。|貴方《あなた》のやうな|英語《えいご》の|出来《でき》る|方《かた》があれば、|一緒《いつしよ》にお|伴《とも》さして|貰《もら》へば|結構《けつこう》ですが、|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふやうにはならぬものでしてな』
『お|花《はな》さま、|帰《かへ》らうと|云《い》つたつて、|旅費《りよひ》が|要《い》りますが|一体《いつたい》いくら|許《ばか》り|持《も》つてゐますか』
『ハイ、|娘《むすめ》が|家《いへ》を|抵当《ていたう》に|入《い》れて|金《かね》を|拵《こしら》へたと|云《い》つて、|一万両《いちまんりやう》|許《ばか》り|送《おく》つて|来《き》ましたので、|当地《たうち》の|郵便局《ゆうびんきよく》に|預《あづ》けて|置《お》きましたから|旅費《りよひ》には|困《こま》りますまい』
|守宮別《やもりわけ》は、お|花《はな》が|一万両《いちまんりやう》|持《も》つてゐるのを|聞《き》いて、|猫《ねこ》のやうに|喉《のど》をならし、|目《め》を|細《ほそ》うし……
『ヤ、|此奴《こいつ》は|豪気《がうき》だ。|二千両《にせんりやう》もあれば|旅費《りよひ》には|沢山《たくさん》だ。|何《なん》とかしてその|他《ほか》の|金《かね》を|酒《さけ》の|飲《の》み|代《しろ》にすれば|一年《いちねん》や|二年《にねん》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|先《ま》づお|花《はな》の|歓心《くわんしん》を|得《う》るのが|上分別《じやうふんべつ》だ、お|寅《とら》に|丁度《ちやうど》|毒《どく》づかれて|居《ゐ》る|処《ところ》だから、ここでお|寅《とら》との|師弟《してい》|関係《くわんけい》を|絶《た》たせ、|自分《じぶん》が|世話《せわ》になつたり|世話《せわ》したりする|方《はう》が、よつぽどぼろい』
とニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、
『お|花《はな》さま、|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》があれば|今《いま》かへるのは|惜《おし》いぢやありませぬか、どうです、その|金《かね》で|一旗《ひとはた》|上《あ》げようぢやありませぬか。|何程《なにほど》お|寅《とら》さまを|大将《たいしやう》に|仰《あふ》いで、シヤチになつた|処《ところ》であの|脱線振《だつせんぶり》と|云《い》ひ、かう|人気《にんき》が|悪《わる》うなつちや、|駄目《だめ》でせう。|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまは|今迄《いままで》|慾《よく》なお|方《かた》で|宝《たから》を|貯《たくは》へてゐられたさうだが、|時節《じせつ》|参《まゐ》りて|艮《うしとら》の|金神《こんじん》さまが|三千世界《さんぜんせかい》の|太柱《ふとばしら》とおなり|遊《あそ》ばすについて、|第一《だいいち》に|宝《たから》を|投《な》げ|出《だ》し、|改心《かいしん》の|標本《へうほん》をお|見《み》せになつたお|方《かた》でせう。お|道《みち》のため|一万両《いちまんりやう》のお|金《かね》をオツ|放《ぽ》り|出《だ》す|考《かんが》へはありませぬかな。|何程《なにほど》お|寅《とら》さまに|肩入《かたい》れした|処《ところ》で、|塩《しほ》を|淵《ふち》に|投入《なげい》れるやうなものですよ。|何程《なにほど》お|金《かね》を|費《つひや》しても|無駄《むだ》に|使《つか》つては|何《なん》にもなりませぬからな』
『さうだと|云《い》つて|確《たしか》な|保証《ほしよう》を|握《にぎ》つておかねば、|此《この》|大切《たいせつ》なお|金《かね》を|貴方《あなた》のお|間《ま》に|合《あ》わせる|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ。お|寅《とら》さまとは|又《また》|特別《とくべつ》な|御関係《ごくわんけい》がおありなさるのだもの』
『いや、もう|愛想《あいそ》がつきました。あのアーアの|欠伸《あくび》を|境界線《きやうかいせん》としてプツツリ|思《おも》ひ|切《き》つたのですよ。お|寅《とら》さまがお|花《はな》さまだつたらなアと、このやうに|思《おも》つた|事《こと》は|幾度《いくど》あつたか|知《し》れませぬわい』
『ホヽヽヽ、あの|守宮別《やもりわけ》さまのお|上手《じやうづ》なこと、|流石《さすが》の|女殺《をんなごろし》、うまい|事《こと》|仰有《おつしや》いますわい、うつかり、のらうものなら、それこそ|谷底《たにぞこ》へおとされて、|身《み》の|破滅《はめつ》に|会《あ》ふかも|知《し》れませぬよ。
「きれたきれたは|世間《せけん》の|噂《うはさ》
|水《みづ》に|浮草《うきぐさ》|根《ね》は|切《き》れぬ」
「きれて|終《しま》へば|他人《たにん》ぢやけれど
|人《ひと》が|悪《わる》う|云《ゆ》や|腹《はら》が|立《た》つ」
とか|云《い》ふ|歌《うた》の|通《とほ》り、|何程《なにほど》うまい|事《こと》|仰有《おつしや》つても、そんな、あまい|口《くち》には|乗《の》ること、|出来《でき》ませぬわい、ホヽヽヽヽ』
『|何《なに》、お|花《はな》さま、|本真剣《ほんしんけん》ですよ。|私《わたし》は、かうして|十年《じふねん》|許《ばか》りもお|寅《とら》さまに|辛抱《しんばう》してついて|来《き》ましたが、|到底《たうてい》やりきれませぬから、もう|思《おも》ひ|切《き》りました。これが|違《ちが》ひましたら|一《ひと》つよりない|首《くび》を|十《とを》でも|二十《にじふ》でも|上《あ》げますわ』
『ホヽヽヽヽ、お|前《まへ》さまの|首《くび》を|貰《もら》つたつて、|首祭《くびまつり》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|莨入《たばこいれ》の|根付《ねつけ》には|大《おほ》きすぎるし、|枕《まくら》には|堅《かた》すぎるし、|何《なん》にもなりませぬわい。それよりお|前《まへ》さまの|誠《まこと》の|魂《たましひ》を|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
『いかにも、|魂《たましひ》あげませう。サア、どこからなりと、ゑぐつて、とつて|下《くだ》さい』
と|胸《むね》をつき|出《だ》す、
『|嘘《うそ》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
『|嘘《うそ》と|思《おも》はれるなら|此《この》|短刀《たんたう》で|私《わたし》の|胸《むね》を|切《き》り|裂《さ》いて|生肝《いきぎも》をとつて|下《くだ》さい。それが|第一《だいいち》|証拠《しようこ》ですわい。|男子《だんし》の|一言《いちごん》は|金鉄《きんてつ》より|堅《かた》いですよ』
『いや|分《わか》りました、|心底《しんてい》|見屈《みとど》けました。いかにも|御立派《ごりつぱ》な|御精神《ごせいしん》、ソンナラ……あの……それ……どこ|迄《まで》も|私《わたし》と○○を|締結《ていけつ》して|下《くだ》さるでせうね』
『|頭《あたま》の|先《さき》から|爪《つめ》の|先《さき》までお|花《はな》さまに|献《ささ》げました、|焚《た》いて|食《く》ふなと|焼《や》いて|喰《く》ふなと|御勝手《ごかつて》に|御使用《ごしよう》|下《くだ》さいませ。この|守宮別《やもりわけ》は|唯々諾々《ゐゐだくだく》として|乙姫《おとひめ》さまには|維命《これめい》これ|従《したが》ふ|迄《まで》です。|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》を|誓《ちか》ひます。その|代《かは》り|酒《さけ》|丈《だけ》は|飲《の》まして|下《くだ》さるでせうな』
『そらさうですとも、お|互《たがひ》さまですわ、|私《わたし》だつて、|貴方《あなた》に|要求《えうきう》すべき|事《こと》があるのですもの』
『とかく|浮世《うきよ》は|色《いろ》と|酒《さけ》……|何程《なにほど》|雪隠《せつちん》の|水《みづ》つきだ、|糞浮《ばばう》きだと|世間《せけん》の|人《ひと》が|云《い》はうとも、|惚《ほれ》た|私《わたし》の|目《め》から|見《み》れば|十七八《じふしちはち》のお|花《はな》さまですわ。|私《わたし》は|肉体《にくたい》に|惚《ほ》れたのぢやありませぬ。お|花《はな》さまの|精霊《せいれい》が|第一天国《だいいちてんごく》の|天人《てんにん》として、|華《はな》やかな|姿《すがた》でゐらつしやるのを、|霊眼《れいがん》を|通《とほ》して|見《み》て|心《しん》から|惚《ほ》れたのですもの。アヽお|花《はな》さまの|事《こと》を|思《おも》ふて|心臓《しんざう》の|鼓動《こどう》が|烈《はげ》しくなり、|息《いき》がつまる|様《やう》になつて|来《き》た。|何《なん》と|恋《こひ》と|云《い》ふものは|曲物《くせもの》だな。|何《なん》で、こんな|変《へん》な|気《き》になるのだらう』
『|恋《こひ》は|神聖《しんせい》だと|云《い》ふぢやありませぬか。|世《よ》の|中《なか》は|凡《すべ》て|理智《りち》|許《ばか》りでは|行《ゆ》きませぬ、|情《じやう》がなければ|此《この》|世《よ》の|中《なか》は|殺風景《さつぷうけい》なものですよ』
『|貴方《あなた》、|随分《ずいぶん》|恋愛《れんあい》|問題《もんだい》には|徹底《てつてい》してゐますね、|私《わたし》|感服《かんぷく》しましたよ』
『そら、さうですとも。|数十年間《すうじふねんかん》、|恋《こひ》の|巷《ちまた》に|育《そだ》ち、|数多《あまた》の|男女《だんぢよ》を|操《あやつ》つて|来《き》た|経験《けいけん》がありますから、|恋愛《れんあい》|問題《もんだい》にかけては|本家《ほんけ》|本元《ほんもと》ですわ。|親《おや》が|子《こ》を|慕《した》ひ、|子《こ》が|親《おや》に|会《あ》ひたいとあこがれるのが|恋《こひ》です。|又《また》|一切《いつさい》のものを|可愛《かあい》がるのが|愛《あい》です。|恋愛《れんあい》と|云《い》ふものは|一人《ひとり》|対《たい》|一人《ひとり》の|関係《くわんけい》で、|云《い》はば|極《きは》めて|狭隘《けふあい》な|集中的《しふちうてき》なものですわ。どうか|守宮別《やもりわけ》さま、|恋《こひ》と|愛《あい》とをかねて|私《わたし》に|集中《しふちう》して|下《くだ》さい。さうすれば|私《わたし》も|貴方《あなた》に|対《たい》し|愛《あい》と|恋《こひ》とを|集中《しふちう》します。ここに|於《おい》て|初《はじ》めて|恋愛《れんあい》の|神聖《しんせい》が|保《たも》たれるのですからな。かりにもお|寅《とら》さまの|事《こと》を|思《おも》つたら、|恋愛《れんあい》の|集中点《しうちうてん》が|狂《くる》ひ|恋愛《れんあい》が|千里先《せんりさき》に|遁走《とんそう》しますよ』
『|成程《なるほど》、|徹底《てつてい》したものだ、お|花《はな》さまのお|話《はなし》を|聞《き》けば|聞《き》く|程《ほど》、|益々《ますます》|集中的《しうちうてき》となつて|来《き》ますよ。|仮令《たとへ》|岩石《がんせき》が|流《なが》れて|空気球《くうきまり》が|沈《しづ》んでも|貴女《あなた》の|事《こと》は|忘《わす》れませぬわ』
『くどいやうですが、お|寅《とら》さまの|事《こと》は|忘《わす》れるでせうな』
『|勿論《もちろん》です。|今後《こんご》は|顔《かほ》|会《あ》はしても|物《もの》も|云《い》ひませぬから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
『|間違《まちが》ひありませぬな。もし|違《ちが》つたら|貴方《あなた》の|喉首《のどくび》を|喰《く》ひ|切《き》りますが|御承知《ごしようち》ですか』
『|恋愛《れんあい》を|味《あぢ》はふと|思《おも》へば|生命《いのち》がけだな。イヤ|心得《こころえ》ました、|承知《しようち》しました』
『ここ|迄《まで》|話《はなし》がまとまつた|以上《いじやう》は、|善《ぜん》は|急《いそ》げですから|一寸《ちよつと》|心祝《こころいはひ》に|媒介人《ばいかいにん》はないけど、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》さまと|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまを|仲介人《ちうかいにん》にし、|守宮別《やもりわけ》さまお|花《はな》さまの|肉体《にくたい》の|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》げようぢやありませぬか』
『|宜《よろ》しい、|早速《さつそく》|準備《じゆんび》して|下《くだ》さい』
お|花《はな》は|目《め》を|細《ほそ》くし|乍《なが》ら、
『ハイ』
と|一言《ひとこと》|襷《たすき》をかけ、|酒《さけ》の|燗《かん》にとりかかつた。|日《ひ》の|出《で》の|掛軸《かけぢく》の|前《まへ》でキチンと|坐《すわ》り|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》をやつてゐると、そこへ|足音《あしおと》|荒々《あらあら》しくお|寅《とら》が|帰《かへ》り|来《き》たり、
『マアーマアーマアー、お|二人《ふたり》さま、お|楽《たの》しみ、お|羨山吹《うらやまぶき》さま。これ、お|花《はな》さま、その|態《ざま》は|何《なん》ぢやいな。|人《ひと》の|留守中《るすちう》に|人《ひと》の|男《をとこ》をとらまへて|酒《さけ》を|飲《の》むとはあまりぢやないか。ここには|禁酒《きんしゆ》|禁煙《きんえん》の|制札《せいさつ》がかけてあるのを|何《なん》と|心得《こころえ》てゐますか。|内《うち》らから|規則《きそく》|破《やぶ》りをしてもいいのですか』
お|花《はな》は|平然《へいぜん》として|落《おち》つき|払《はら》ひ、
『お|寅《とら》さま、お|構《かま》ひ|御無用《ごむよう》です。|私《わたし》は|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》でもなければ|貴女《あなた》のお|弟子《でし》でもありませぬ。|貴女《あなた》の|方《はう》からキツパリとお|暇《ひま》を|下《くだ》さつたのだから、もはや|貴女《あなた》とは|路傍相会《ろばうあひあ》ふ|人《ひと》と|同《おな》じく|赤《あか》の|他人《たにん》です。それ|故《ゆゑ》お|前《まへ》さまの|意見《いけん》を|聞《き》く|必要《ひつえう》もなければ|遠慮《ゑんりよ》する|必要《ひつえう》も|厶《ござ》いませぬ。ラブ・イズ・ベストを|実行《じつかう》して、|只今《たつたいま》|守宮別《やもりわけ》さまと|二世三世《にせさんせ》は|愚《おろか》、|億万歳《おくまんさい》の|後《のち》までも|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》の|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》をした|所《ところ》で|厶《ござ》いますよ。チツト|許《ばか》りお|気《き》がもめるか|知《し》れませぬが|御免《ごめん》|下《くだ》さいませ、ホヽヽヽヽ』
お|寅《とら》は|満面《まんめん》|朱《しゆ》をそそぎ|半狂乱《はんきやうらん》の|如《ごと》くなつて、
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、お|前《まへ》は、|私《わたし》との|約束《やくそく》を|反古《ほぐ》になさるのかい、サア|約束《やくそく》|通《どほ》り|命《いのち》を|貰《もら》ひませう』
『ハツハヽヽヽ、お|寅《とら》さま|以上《いじやう》に|愛《あい》する|女《をんな》が|出来《でき》たものだから、|愛《あい》の|深《ふか》い|方《はう》へ|鞍替《くらがへ》したのですよ。それが|恋愛《れんあい》の|精神《せいしん》ですからな。どうか|今迄《いままで》の|悪縁《あくえん》と|諦《あきら》めて|下《くだ》さい。|酒《さけ》を|一杯《いつぱい》のんでもゴテゴテ|云《い》はれるやうな|不親切《ふしんせつ》な|女房《にようばう》では、やりきれませぬからな』
『こりやお|花《はな》のド|倒《たふ》しもの、|人《ひと》の|男《をとこ》を|寝《ね》とりよつて|思《おも》ひ|知《し》つたがよからうぞ』
と|云《い》ふより|早《はや》く、そこにあつた|角火鉢《かくひばち》を|頭上《づじやう》|高《たか》く|振《ふ》り|上《あ》げ、お|花《はな》と|守宮別《やもりわけ》との|真中《まんなか》を|目《め》がけて|投《な》げつけた。|灰《はひ》は|濛々《もうもう》と|立上《たちあが》り|咫尺暗澹《しせきあんたん》となつた。お|寅《とら》はあまりの|腹立《はらだた》しさに|気《き》も|狂乱《きやうらん》しドツと|尻餅《しりもち》をついたまま、|息《いき》がつまり|口《くち》をアングリ、|鮒《ふな》が|泥《どろ》に|酔《よ》ふたやうに|上唇《うはくちびる》、|下唇《したくちびる》をパクパクかち|合《あは》せてゐる、その|隙《すき》に|乗《じやう》じ|守宮別《やもりわけ》はお|花《はな》と|共《とも》に|永居《ながゐ》は|恐《おそ》れと、|細《ほそ》い|路地《ろぢ》を|潜《くぐ》つて|橄欖山《かんらんざん》の|方面《はうめん》さして|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於由良 北村隆光録)
第二篇 |鬼薊《おにあざみ》の|花《はな》
第六章 |金酒結婚《きんしゆけつこん》〔一八一二〕
|守宮別《やもりわけ》はお|花《はな》と|共《とも》に、お|寅《とら》の|霊城《れいじやう》を|逃《に》げ|出《だ》し|七八町《しちはつちやう》|来《き》た|横町《よこまち》のカフエーに|入《い》り、|此処迄《ここまで》|落《お》ち|延《の》びれば|先《ま》づ|安心《あんしん》と、コツプ|酒《さけ》をきこし|召《め》すべく、|嫌《いや》がるお|花《はな》の|手《て》を|引《ひ》いて|無理《むり》に|奥座敷《おくざしき》へ|通《とほ》り、
『オイ、|女房《にようばう》、イヤお|花《はな》、|肝腎《かんじん》の|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》の|最中《さいちう》に、お|寅《とら》の|極道《ごくだう》が|帰《かへ》つてうせたものだから、|恰度《ちやうど》|百花爛漫《ひやくくわらんまん》と|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|花《はな》の|林《はやし》に、|嵐《あらし》が|吹《ふ》いたやうなものだつた。|殺風景《さつぷうけい》|極《きは》まる。|折角《せつかく》お|前《まへ》の|注《つ》いで|呉《く》れた|酒《さけ》を|膝《ひざ》の|上《うへ》に|澪《こぼ》して|仕舞《しま》ひ、|気分《きぶん》が|悪《わる》くて|仕様《しやう》が|無《な》いから、|改《あらた》めて|此処《ここ》で|祝言《しうげん》の|心持《こころもち》で|一杯《いつぱい》やらうぢやないか』
『|如何《いか》にも、|妾《わたし》だつて|貴方《あなた》の|情《なさけ》のお|汁《つゆ》のお|神酒《みき》があまり|慌《あわ》てたものだから|皆《みな》|口《くち》の|外《そと》に|溢《こぼ》れて|仕舞《しま》ひ、|三分《さんぶん》の|一《いち》も|入《はい》つてをりませぬわ。ここ|迄《まで》|来《く》れば|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|悠《ゆつ》くりとやりませうか。|一生《いつしやう》|一代《いちだい》のお|祝《いはひ》ですからなア。|併《しか》しお|寅《とら》さまが|後《あと》|追《お》つかけてでも|来《き》たら、|一寸《ちよつと》|困《こま》りますがなア』
『ナアニ、|尻餅《しりもち》ついて|気絶《きぜつ》して|居《ゐ》るのだもの、|滅多《めつた》に|来《く》る|気遣《きづか》ひは|無《な》い。もし|来《き》たつて|何《な》んだ。|夫婦《ふうふ》が|盃《さかづき》をして|居《ゐ》るのにゴテゴテ|云《い》ふ|権利《けんり》もあるまい。そんな|事《こと》に|心配《しんぱい》して|居《ゐ》ては|悪魔《あくま》の|世《よ》の|中《なか》だ、|一日《いちにち》もぢつとして|居《ゐ》られ|無《な》い。|神様《かみさま》のお|道《みち》もお|道《みち》だが、|人間《にんげん》は|衣食住《いしよくぢう》の|道《みち》も|大切《たいせつ》だから、|吾々《われわれ》も|夫《そ》れ|相当《さうたう》にやらねばならぬからなア』
|斯《か》く|話《はな》して|居《を》る|所《ところ》へカフエーの|給仕《きふじ》が|真白《まつしろ》のエプロンを|掛《か》け、コーヒーを|運《はこ》んで|来《き》て、
『モシお|客《きやく》さま、|何《なに》を|致《いた》しませうかなア』
『ウン、|先《ま》づ|第一《だいいち》にお|酒《さけ》を|一本《いつぽん》つけて|呉《く》れ。さうして|鰻《うなぎ》の|蒲焼《かばやき》に|鯛《たひ》の|刺身《さしみ》、|淡泊《あつさり》した|吸物《すひもの》に|猪口《ちよく》を|一《ひと》つ|手軽《てがる》う|頼《たの》むよ』
『|芸者《げいしや》はお|呼《よ》びになりませぬか、|何《なん》なら|旦那《だんな》さまに|適当《てきたう》な|別品《べつぴん》が|厶《ござ》いますよ』
『ウーン、さうだなア』
『モシお|母《かあ》さま、|粋《すゐ》を|利《き》かして|上《あ》げて|下《くだ》さいな。|何《なん》と|云《い》つても、まだお|若《わか》いのですからな。|芸者《げいしや》が|無《な》いとお|酒《さけ》が|甘《うま》く|進《すす》みませぬからなア』
『ヤ、また|必要《ひつえう》が|有《あ》つたらお|願《ねが》ひしませう。|兎《と》も|角《かく》お|酒《さけ》を|願《ねが》ひませう』
と|稍《やや》プリンとして|居《ゐ》る。|女《をんな》は|足早《あしばや》に|表《おもて》へ|立《た》ち|去《さ》つた。お|花《はな》の|顔《かほ》には|暗雲《あんうん》が|漂《ただよ》ふた。
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、|一本《いつぽん》だけ|呑《の》んで|此処《ここ》を|立《た》ち|去《さ》りませうか、|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》にして|居《を》るぢやないか。|奥《おく》さまとも|云《い》はず、お|母《かあ》さまなぞと、|馬鹿《ばか》らしくて|居《を》られませぬワ』
『マア|好《い》いぢやないか、お|母《かあ》さまと|見《み》られたなら|尚《な》ほ|結構《けつこう》だよ。|人《ひと》は|老人《としより》に|見《み》える|程《ほど》|価値《ねうち》があるのだからなア』
『それだと|云《い》つて|余《あま》り|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》ますわ』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ|以前《いぜん》の|女《をんな》は|酒肴《さけさかな》の|用意《ようい》を|調《ととの》へ|運《はこ》び|来《きた》り、
『お|客様《きやくさま》|甚《えら》うお|待《ま》たせ|致《いた》しました。|御用《ごよう》が|厶《ござ》いましたら|何卒《どうぞ》|手《て》を|拍《う》つて|下《くだ》さい』
|守宮別《やもりわけ》はこの|女《をんな》の|何処《どこ》とも|無《な》しに|色《いろ》|白《しろ》く、|目許《めもと》|涼《すず》しく、|初《う》い|初《う》いしい|所《ところ》があるのに|気《き》を|取《と》られ、|口角《こうかく》から、|粘《ねば》つたものを|二三寸《にさんずん》|許《ばか》り|落《おと》しかけた。|此《この》|道《みち》へかけては|勇者《ゆうしや》のお|花《はな》、|何条《なんでう》|見逃《みのが》すべき、|女《をんな》の|立《た》ち|去《さ》るを|待《ま》つて|守宮別《やもりわけ》の|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り、|三《み》つ|四《よ》つ|揺《ゆ》すり、
『これや、|妄《わし》を|馬鹿《ばか》にするのかい、|見《み》つともない|目尻《めじり》を|下《さ》げたり|涎《よだれ》を|繰《く》つたり、アンナ|売女《ばいた》がそれ|程《ほど》|気《き》に|入《い》るのか、|腐《くさ》つた|霊魂《たましひ》だなア、サア|此《この》|短刀《たんたう》で|腹《はら》を|切《き》つて|貰《もら》ひませう』
『まあまあ|待《ま》つてくれ、さう|取《と》り|違《ちがひ》をしてくれると|困《こま》るよ。|涎《よだれ》を|繰《く》つたのは|喉《のど》の|虫《むし》が|催足《さいそく》して|待《ま》つて|居《を》つた|酒《さけ》を|呑《の》みたい|為《た》めだ。|目《め》を|細《ほそ》うしたのも|矢張《やつぱ》り|酒《さけ》が|呑《の》みたいからだ。|何《なん》の|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な、|神徳《しんとく》の|満《み》ち|充《み》ちた、|何《なに》ぬけ|目《め》のないお|花《はな》さまの|顔《かほ》を|見《み》て|居《ゐ》て、|何《ど》うして|外《ほか》に|心《こころ》が|散《ち》るものか。お|前《まへ》は|些《ちつ》とヒステリツクの|気《き》があるから|困《こま》るよ。さう|一々《いちいち》|疑《うたが》つて|貰《もら》つては|困《こま》る。お|寅《とら》だつて|其処《そこ》|迄《まで》の|疑惑《ぎわく》は|廻《まは》さなかつたよ』
『さうでせう、|矢張《やつぱ》りお|寅《とら》さまがお|気《き》に|入《い》るでせう。|私《わたし》は|余程《よほど》よい|間抜《まぬ》だからお|前《まへ》さまに|欺《だま》されてこんな|所《ところ》|迄《まで》|釣《つ》り|出《だ》されたのですよ。オヽ|怖《こは》や|怖《こは》や、こんな|男《をとこ》にうつかり|呆《はう》けて|居《を》らう|者《もの》なら、|折角《せつかく》|国許《くにもと》から|送《おく》つて|来《き》た|金《かね》を|皆《みな》|飲《の》み|倒《たふ》され、|売女《ばいた》の|買収費《ばいしうひ》に|取《と》られて|了《しま》ふのだつた。あゝいい|所《ところ》で|気《き》が|付《つ》いた。これも|全《まつた》く、|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》が|此《この》|男《をとこ》は|油断《ゆだん》がならぬぞよ、|何程《なにほど》|口《くち》で|甘《うま》い|事《こと》|申《まうし》ても|乗《の》るでないぞよ、|後《あと》の|後悔《こうくわい》|間《ま》に|合《あ》はぬぞよ、とお|知《し》らせ|下《くだ》さつたのだらう。あゝ|乙姫《おとひめ》|様《さま》|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|私《わたし》は|本当《ほんたう》に|馬鹿《ばか》で|厶《ござ》いました。オンオンオン』
と|泣《な》き|沈《しづ》む。
『こりやお|花《はな》、さうぷりぷりと|怒《おこ》つて|呉《く》れては|困《こま》るぢやないか。|疑《うたがひ》もよい|加減《かげん》に|晴《は》らしたら|好《よ》いぢやないか。|酒《さけ》の|上《うへ》で|云《い》ふた|事《こと》を|目《め》のつぼに|取《と》つて、さう|攻撃《こうげき》せられちや、|如何《いか》に|勇猛《ゆうまう》な|海軍《かいぐん》|中佐《ちうさ》でも|遣《や》り|切《き》れぬぢや|無《な》いか。|酒《さけ》の|上《うへ》で|云《い》ふた|事《こと》はマアあつさり|見直《みなほ》し|聞《き》き|直《なほ》すのぢやなア』
『まだ、|一口《ひとくち》も|呑《の》みもせぬ|癖《くせ》に|酒《さけ》の|上《うへ》とは|能《よ》う|云《い》へたものです|哩《わい》』
『「|顔《かほ》|見《み》た|許《ばか》りで|気《き》がいくならば……|酒《さけ》|呑《の》みや|樽《たる》|見《み》て|酔《よ》ふだらう」といふ|文句《もんく》をお|前《まへ》が|何時《いつ》も|唄《うた》つて|居《ゐ》るだらう。|併《しか》しあの|文句《もんく》は|実際《じつさい》とは|正反対《せいはんたい》だ。|私《わし》はお|前《まへ》の|顔《かほ》を|見《み》ると|気《き》が|変《へん》になつて|了《しま》ふのだ。それと|同《おな》じに|燗徳利《かんどくり》を|見《み》ると|恍惚《くわうこつ》として|微酔気分《ほろよひきぶん》になつて|了《しま》ふのだから、|如何《どう》かさう|御承知《ごしようち》|願《ねが》ひたい。さう|矢釜《やかま》しく|云《い》はれると|酒《さけ》の|味《あぢ》が|不味《まづ》くなつて|仕方《しかた》がない』
『それやサウでせうとも、カフエーの|白首《しらくび》を|見《み》た|目《め》で|皺苦茶《しわくちや》の|妾《わたし》の|顔《かほ》を|御覧《ごらん》になつたつて、お|酒《さけ》の|美味《おい》しい|筈《はず》が|厶《ござ》いませぬわ。サアサア|貴方《あなた》|悠《ゆつ》くりとお|酒《さけ》を|召上《めしあが》つて|代価《だいか》を|払《はら》つてお|帰《かへ》りなさい。|妾《わたし》はもう|斯《こ》んな|衒《てら》される|所《ところ》で|一時《いつとき》も|居《を》るのが|苦痛《くつう》ですわ。|貴方《あなた》はまるで、|妾《わたし》の|首《くび》を|裁《た》ち|割《わ》るやうな、えぐい|目《め》に|会《あ》はして|下《くだ》さいます。あゝこんな|事《こと》なら|約束《やくそく》をせなかつたら|宜《よ》かつたになア』
|守宮別《やもりわけ》は|自暴自棄糞《やけくそ》になり|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》を|放《ほ》る|積《つも》りで、|態《わざ》と|太《ふと》う|出《で》て|見《み》た。
『お|花《はな》さま、|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》を|取《と》り|消《け》したいと|仰有《おつしや》るのですか、|何程《なんぼ》|私《わし》が|可愛《かあい》と|思《おも》つても、お|前《まへ》さまの|方《はう》から|約束《やくそく》するぢやなかつたにと|云《い》ふやうな|愛想尽《あいそづ》かしが|出《で》る|以上《いじやう》は|取《と》り|消《け》し|度《た》いと|云《い》ふお|考《かんが》へでせう。|守宮別《やもりわけ》もお|花《はな》さまに|海洋万里《かいやうばんり》の|空《そら》で|見棄《みす》てられ|愛想《あいそ》|尽《つ》かされるのも|結句《けつく》|光栄《くわうえい》です。サアどうぞ|縁《えん》を|切《き》つて|下《くだ》さい。|些《ちつ》とも|御遠慮《ごゑんりよ》は|要《い》りませぬからなア』
『これ|気《き》の|早《はや》い|守宮別《やもりわけ》さま、|誰《たれ》が|縁《えん》を|切《き》ると|云《い》ひましたか、|今《いま》となつて|縁《えん》を|切《き》るやうな|浅《あさ》い|考《かんが》へで|約束《やくそく》は|致《いた》しませぬよ。そんな|事《こと》|云《い》つて|貴方《あなた》は|此《この》お|花《はな》が|嫌《いや》になつたものだから|逃《に》げ|出《だ》さうとするのでせう』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、お|前《まへ》の|方《はう》から|此処《ここ》を|逃《に》げ|出《だ》すと|云《い》つたぢやないか。|売女《ばいた》とお|楽《たの》しみなさいなぞと|散々《さんざん》|悪口《あくこう》をつき、|此《この》|夫《をつと》に|対《たい》し|愛想《あいそ》|尽《づか》しを|云《い》つたらう。|俺《おれ》も|軍人《ぐんじん》だ、|女々《めめ》しい|事《こと》は|云《い》はない。|嫌《いや》なものを|無理《むり》に|添《そ》ふてくれとは|要求《えうきう》せぬ。|此《この》|縁《えん》が|繋《つな》がると|繋《つな》がらぬとはお|前《まへ》の|心《こころ》|一《ひと》つぢやないか』
『やあ、それで|貴方《あなた》の|誠意《せいい》が|分《わか》りました。|何処迄《どこまで》も|妾《わたし》と|添《そ》ふて|下《くだ》さるでせうなあ、|本当《ほんたう》に|憎《にく》い|程《ほど》|可愛《かあい》いわ』
と|守宮別《やもりわけ》の|肩《かた》にぶら|下《さが》る。
『これや|無茶《むちや》をすな、お|酒《さけ》がこぼれるぢやないか、|余《あま》り|見《み》つとも|好《よ》くないぞ。それそれカフエーの|女中《ぢよちう》の|足音《あしおと》が|聞《きこ》えて|来《き》た』
『ヘン、|来《き》たつて|何《なん》です、|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦《ふうふ》ぢやありませぬか。カフエーの|女中《ぢよちう》にこのお|目出《めで》たいお|安《やす》うない|所《ところ》を|見《み》せつけてやるのが|痛快《つうくわい》ですわ。ほんとにお|母《かあ》さまなどと|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》るぢやないか。ねえ|守宮別《やもりわけ》さま、|妾《わたし》と|貴方《あなた》とは|仮令《たとへ》|天《てん》が|地《ち》となり|地《ち》が|天《てん》となり、|三千世界《さんぜんせかい》が|跡形《あとかた》もなく|壊滅《くわいめつ》しても、|心《こころ》と|心《こころ》のピツタリ|合《あ》ふた|恋《こひ》の|花実《はなみ》は|永久《とこしへ》に|絶《た》えませぬわネエ』
『ウン、それやさうだ、お|寅《とら》が|嘸《さぞ》|今頃《いまごろ》にや|死物狂《しにものぐるひ》になつて|俺《おれ》の|後《あと》を|探《さが》して|居《を》るだらうが、|実《じつ》に|痛快《つうくわい》ぢやないか』
『お|寅《とら》の|事《こと》は|一生《いつしやう》|云《い》はぬといつたぢやありませぬか。|矢張《やつぱ》り|未練《みれん》があると|見《み》えて、ちよいちよい|言葉《ことば》の|先《さき》に|現《あら》はれますなあ。エヽ|悔《く》やしい』
と|力一《ちからいつ》ぱい|頬辺《ほほべた》を|抓《つ》ねる。
『これや|無茶《むちや》をするな、|放《はな》せ|放《はな》せ|放《はな》さぬか』
『この|頬辺《ほほべた》がチ|切《ぎ》れる|所《とこ》|迄《まで》|放《はな》しませぬよ』
と|益々《ますます》|引《ひ》つ|張《ぱ》る。|守宮別《やもりわけ》は|目《め》から|鼻《はな》から|口《くち》から|液《しる》を|垂《た》らして、『アイタヽヽヽ』と|小声《こごゑ》で|叫《さけ》んで|居《ゐ》る。|其処《そこ》へ|女中《ぢよちう》の|足音《あしおと》がしたのでお|花《はな》はパツと|放《はな》した。
『あ|怖《おそ》ろしいお|前《まへ》は|女《をんな》だなあ、|今迄《いままで》コンナ|女《をんな》とは|知《し》らなかつたよ。|本当《ほんたう》に|猛烈《まうれつ》なものだなア』
『さうですとも、|人殺《ひとごろ》しのお|花《はな》と|異名《あだな》を|取《と》つた|強者《したたかもの》ですよ。|若《わか》い|時《とき》は|妾《わたし》のレツテルで|刃物《はもの》|持《も》たずと|幾人《いくにん》を|殺《ころ》したか|分《わか》りませぬもの』
と|意茶《いちや》づいて|居《ゐ》る。そこへ|女中《ぢよちう》が、
『お|客様《きやくさま》、お|代《かは》りは|如何《どう》ですか』
と|云《い》ひつつ|入《い》り|来《き》たる。|守宮別《やもりわけ》は|慌《あわ》ててハンカチーフで|顔《かほ》の|涙《なみだ》や|鼻液《はなじる》を|拭《ふ》きながら、
『アヽ|何《なん》でも|宜《よ》いからどつさり|持《も》つて|来《こ》い、|兵站部《へいたんぶ》は|此処《ここ》に|女房《にようばう》が|控《ひか》へて|居《ゐ》るからな……』
『どうか|熱燗《あつかん》で|沢山《どつさり》|淡泊《あつさり》したものか|何《なに》か|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》さい。お|金《かね》は|構《かま》ひませぬから、その|代《かは》り|芸者《げいしや》などは|駄目《だめ》ですよ、|女房《にようばう》の|妾《わたし》がついて|居《ゐ》ますから』
|女中《ぢよちう》はビツクリして、
『あゝこれはこれは|奥《おく》さまで|厶《ござ》いましたか。|先刻《せんこく》はお|母《かあ》さまなぞと|見《み》そこないしまして|失礼《しつれい》しました。それでは|芸者《げいしや》などの|必要《ひつえう》は|厶《ござ》いますまい。ホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|出《いで》て|行《ゆ》く。
『これお|花《はな》、|気《き》の|利《き》かない|事《こと》|夥《おびただ》しいではないか。お|前《まへ》と|私《わし》とは|年《とし》が|母子《おやこ》|程《ほど》|違《ちが》ふのだから、|女中《ぢよちう》がさう|云《い》へば|夫《そ》れでよいぢやないか。|俺《おれ》の|目《め》になんぼ|十七八《じふしちはち》に|見《み》えても|世間《せけん》から|見《み》れば|六十《ろくじふ》の|尻《しり》を|作《つく》つたお|婆《ば》アさまだからなア』
『|母子《おやこ》だナンテ、そんな|偽《いつは》りを|云《い》ふものぢやありませぬ。|又《また》|夫婦《ふうふ》だと|云《い》ふて|置《お》けば、|芸者《げいしや》なぞ|煩《うる》さい|世話《せわ》をせうと|申《まを》しませぬからなア』
『|如何《いか》にも|御尤《ごもつと》も、どうしてもお|花《はな》は|俺《おれ》とは|一枚《いちまい》|役者《やくしや》が|上《うへ》だわい、エヘヽヽヽ』
|表《おもて》には|労働者《らうどうしや》が、コツプ|酒《ざけ》をあふりながら|四辺《あたり》かまはず|喋《しやべ》つて|居《ゐ》る。
『オイ、トンク、ぼろい|事《こと》をやつたぢやないか。あのお|寅《とら》|婆《ば》アさまを|助《たす》けに|行《い》つて|大枚《たいまい》|二十円《にじふゑん》づつ。これで|十日《とをか》や|廿日《はつか》は|気楽《きらく》に|酒《さけ》が|呑《の》めると|云《い》ふものぢや。|時《とき》にあのお|寅《とら》について|居《ゐ》る、|蠑〓《いもり》とか|蜥蜴《とかげ》とか|云《い》ふ|男《をとこ》、あれはテツキリお|寅《とら》のレコかも|知《し》れないよ。お|寅《とら》の|奴《やつ》、|何時《いつ》も|自分《じぶん》の|弟子《でし》だ|弟子《でし》だと|吐《ぬか》してけつかるが、あれは|屹度《きつと》くつついてけつかるのだらう。その|証拠《しようこ》を|押《おさ》えて|一《ひと》つ|強請《ゆす》つてやつたら|又《また》|二十円《にじふゑん》や|三十円《さんじふゑん》は|儲《まう》かるだらうからなア』
『これテク、ソンナ|勿体《もつたい》ない|事《こと》を|云《い》ふな。|先方《むかふ》は|神様《かみさま》ぢやないか、おまけに|吾等《われら》|三人《さんにん》はお|寅《とら》さまの|神力《しんりき》に|一耐《ひとたま》りもなく|打《ぶ》つ|倒《たふ》され、|命《いのち》の|無《な》い|所《ところ》を|助《たす》けて|貰《もら》ひ、|其《その》|上《うへ》|重大《ぢうだい》の|使命《しめい》|迄《まで》|仰《おほ》せつかつて|居《ゐ》るのぢやないか。|金《かね》が|欲《ほ》しかつたらお|寅《とら》さまに|云《い》へば|幾何《いくら》でも|呉《く》れるよ。あの|時《とき》も|金《かね》が|欲《ほ》しけれや|幾何《いくら》でもやると|云《い》つたぢやないか』
『それやさうぢや、まあ|悠《ゆつ》くりとポツポツに|絞《しぼ》り|取《と》る|事《こと》にせうかい。|時《とき》にツーロは|何処《どこ》に|行《ゆ》きよつたのだらうかなア』
『|彼奴《あいつ》は|何《なん》だか、ヤクの|跡《あと》を|追《お》ふておつかけて|行《い》つたぢやないか。ヤクを|捉《つか》まへて、お|寅《とら》さまの|前《まへ》に|引《ひ》きずり|出《だ》し、|褒美《ほうび》の|金《かね》に|有《あ》り|付《つ》かうと|思《おも》つて、|抜目《ぬけめ》なく|駆《か》け|出《だ》しよつたのだよ』
『|併《しか》し、|裏《うら》の|座敷《ざしき》に|一寸《ちよつと》|俺《おれ》が|最前《さいぜん》|小便《せうべん》しに|行《い》つた|時《とき》、チラツと|目《め》についた|客《きやく》は、どうも|守宮別《やもりわけ》とお|花《はな》さまのやうだつたが、|箸《はし》まめの|守宮別《やもりわけ》さまの|事《こと》だから、お|寅《とら》さまの|目《め》を|忍《しの》んで、お|花《はな》さまと|内証《ないしよう》で、○○をやつて|居《ゐ》るのぢやなからうかな』
『|何《なに》、お|花《はな》さまと|守宮別《やもりわけ》が|裏《うら》に|居《を》ると|云《い》ふのか、あゝそいつは|面白《おもしろ》い。サア|復《また》|二十円《にじふゑん》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、トンク、テクの|両人《りやうにん》は|裏座敷《うらざしき》を|指《さ》して|忍《しの》び|行《ゆ》く。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於由良秋田別荘 加藤明子録)
第七章 |虎角《こかく》〔一八一三〕
|守宮別《やもりわけ》お|花《はな》の|二人《ふたり》は|奥《おく》の|一間《ひとま》で、|酒《さけ》|汲《く》みかはし|乍《なが》ら、|意茶《いちや》|付《つ》き|喧嘩《げんくわ》をやつて|居《ゐ》る|所《ところ》へ、トンク、テク|両人《りやうにん》は|盗人猫《ぬすとねこ》が|不在《るす》の|家《いへ》を|覗《のぞ》くやうなスタイルで、ヌーツと|顔《かほ》をつき|出《だ》した。お|花《はな》は|早《はや》くも|二人《ふたり》の|姿《すがた》を|見《み》てとり、
『ヤ、お|前《まへ》は、お|寅《とら》さまと|一所《いつしよ》に|霊城《れいじやう》へやつて|来《き》たトンク、テクの|両人《りやうにん》ぢやないかい、|何《なん》ぞ|御用《ごよう》があるのかな』
トンクは|右《みぎ》の|手《て》で|額《ひたひ》を|二《ふた》つ|三《みつ》つ|叩《たた》き|乍《なが》ら、
『イヤ、どうも、|誠《まこと》に|済《す》みませぬ。|些《ちつ》と|許《ばか》り|酒代《さかて》が|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したいので、……』
『お|前《まへ》はお|寅《とら》さまの|御家来《ごけらい》ぢやないか、|妾《わたし》に|些《ちつ》とも|関係《くわんけい》はありませぬよ、|酒代《さかて》が|欲《ほ》しけら、お|寅《とら》さまに|貰《もら》つて|来《き》なさい、ノコノコと|失礼《しつれい》な、|人《ひと》の|座敷《ざしき》へ|入《はい》つて|来《き》て、|盗猫《どろねこ》のやうに、|黒《くろ》ん|坊《ばう》のクセに|何《な》んぢやいな』
『お|前《まへ》さまに|直接《ちよくせつ》の|関係《くわんけい》はありますまいが、ここに|厶《ござ》る|守宮別《やもりわけ》さまには|深《ふか》い|深《ふか》い|関係《くわんけい》があるのです。……これはこれは|守宮別《やもりわけ》|様《さま》、|大変《たいへん》お|楽《たのし》みの|所《ところ》を、|不粋《ぶすゐ》な|黒《くろ》ん|坊《ばう》が|二人《ふたり》もやつて|来《き》まして、|嘸《さぞ》|御迷惑《ごめいわく》でも|厶《ござ》いませうが、チツと|許《ばか》り|口薬《くちぐすり》が|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したいので|厶《ござ》いますよ』
『|何《なに》、|口薬《くちぐすり》が|欲《ほ》しいと|云《い》ふのかい、|守宮別《やもりわけ》さまの|暗《くら》い|影《かげ》でも|掴《つか》んだといふのかい』
『ハツハヽヽヽ、|白々《しらじら》しい|事《こと》を|仰有《おつしや》いますな。|大変《たいへん》なローマンスを|見届《みとど》けてあればこそ、かうして|口薬《くちぐすり》を|頂戴《ちやうだい》に|参《まゐ》つたのです。ゴテゴテ|云《い》はずに、ザツと|二十円《にじふゑん》、|二人《ふたり》で|〆《しめ》て|四十円《よんじふゑん》、アツサリと|下《くだ》さいな、|安《やす》いものでせう』
お|花《はな》は|之《これ》を|聞《き》いて、|守宮別《やもりわけ》がお|寅《とら》|以外《いぐわい》に|女《をんな》でも|拵《こしら》へて|居《ゐ》るのではあるまいか。そこを|此《この》トンクに|見《み》つけられて、|弱点《じやくてん》を|握《にぎ》られてるのだらう、|何《なん》と|気《き》の|多《おほ》い|男《をとこ》だなア。……と|稍《やや》|嫉妬心《しつとごころ》が|起《おこ》り|出《だ》し、
『これ、|守宮別《やもりわけ》さま、お|前《まへ》さまは|又《また》しても|又《また》しても|箸《はし》まめな|事《こと》をして|厶《ござ》るのだろ、サ、トンクさまとやら、あつさりと|云《い》ふて|下《くだ》さい、さうすりや、お|金《かね》は|二十円《にじふゑん》はさておいて、|五十円《ごじふゑん》でも|百円《ひやくゑん》でも|上《あ》げます』
『コレお|花《はな》、コンナ|者《もの》に、さう|金《かね》をやる|必要《ひつえう》がどこにある。|相手《あひて》にしなさるな』
『そらさうでせう、|妾《わたし》がトンクさまを|相手《あひて》にすると、チト、あなたの|御都合《ごつがふ》が|悪《わる》いでせう。コレコレ、トンクさま、|遠慮《ゑんりよ》はいりませぬ、とつとと|守宮別《やもりわけ》さまのローマンスをスツパリと、|此《この》|場《ば》でさらけ|出《だ》して|下《くだ》さい』
『ハイ|有難《ありがた》う、|屹度《きつと》|百円《ひやくゑん》くれますな』
『|併《しか》し|二人《ふたり》に|百円《ひやくゑん》だよ。|取違《とりちがひ》して|貰《もら》ふと|困《こま》るからな』
『ハイ|宜《よろ》しあす、|此《この》|守宮別《やもりわけ》さまは、お|寅《とら》さまと|何時《いつ》も|師匠《ししやう》と|弟子《でし》のやうな|顔《かほ》をして、|殊勝《しゆしよう》な|事《こと》をいふてゐられますが、|其《その》|実《じつ》|内証《ないしよう》でくつついてゐるのですよ。|私《わたし》や、いつやらの|晩《ばん》、|橄欖山《かんらんざん》の|上《のぼ》り|口《ぐち》で、|怪体《けたい》な|所《ところ》を|見《み》て|置《お》きました。なア|守宮別《やもりわけ》さま、|其《その》|時《とき》あなた、|人《ひと》に|言《い》つちや|可《い》けないよ……と|云《い》つて|私《わたし》に|十円《じふゑん》|呉《く》れましたね』
『ウン|確《たし》かにやつた|覚《おぼえ》がある、|併《しか》しそれをどうしたといふのだ。ソンナこた、お|花《はな》さまの|前《まへ》で|言《い》つた|所《ところ》で|三文《さんもん》の|価値《かち》も|無《な》いぢやないか。お|花《はな》さまだつて、|今日《けふ》|迄《まで》の|俺《おれ》とお|寅《とら》さまとの|関係《くわんけい》は|御承知《ごしようち》だからなア』
『それでも、あなた、さういふ|事《こと》を|世間《せけん》へ|発表《はつぺう》せうものなら、|貴方《あなた》もチツトは|困《こま》るでせう』
『|阿呆《あはう》らしい、トンクさま、そんなことなら|聞《き》かして|貰《もら》はいでも|可《い》いのだよ。|此《この》|守宮別《やもりわけ》さまが、|外《ほか》の|女《をんな》と|怪《あや》しい|関係《くわんけい》があつたか|無《な》かつたか、それが|聞《き》かしてほしかつたのだよ。|確《たしか》な|証拠《しようこ》はなくても、どこの|家《うち》で|酒《さけ》を|呑《の》んで|居《を》つたとか、|意茶《いちや》ついて|居《を》つたとか、|夫《そ》れが|分《わか》れば|可《い》いのだからな』
『ヘ、|五十円《ごじふゑん》なら|申上《まをしあ》げます。エルサレムの|横町《よこちやう》のカフエーの|奥《おく》で、お|花《はな》さまと|守宮別《やもりわけ》さまが|一杯《いつぱい》やり|乍《なが》ら、|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》をしたり、|頬《ほつ》ぺたを|抓《つめ》つたり、|肩《かた》にブラ|下《さが》つたり、それはそれは|見《み》るに|見《み》られぬ|醜体《しうたい》を|演《えん》じてをられました、|事《こと》を|私《わたし》|許《ばか》りぢやなく、ここの|女中《じよちう》が|証人《しようにん》ですよ。それも|今月今日《こんげつこんにち》、サ|五十円《ごじふゑん》、|二人《ふたり》でシメて|百円《ひやくゑん》、|如何《どう》です|安《やす》いものでせうがな』
『フツフヽヽヽ、|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い。マ|一杯《いつぱい》やつたらどうだ』
とコツプをつき|出《だ》す、お|花《はな》は|眉《まゆ》を|逆立《さかだ》て、|声《こゑ》を|尖《とが》らし|乍《なが》ら、
『ヘン、あほらしい、|業々《げふげふ》し|相《さう》に、|何《なん》のこつちやいな。|五十両《ごじふりやう》もお|前《まへ》さま|等《ら》にやるやうな、|金《かね》があつたら、ヨルダン|川《がは》へでも|放《ほ》かしますわいな』
『|宜《よろ》しい、お|前《まへ》さまが|其《その》|了見《れうけん》なら、|直様《すぐさま》お|寅《とら》さまへ|注進《ちうしん》|致《いた》しますよ』
『どうぞ|注進《ちうしん》して|下《くだ》さい。そして|守宮別《やもりわけ》さまと|此《この》お|花《はな》との|交情《かうじやう》のこまやかな|所《ところ》を、お|寅《とら》さまにつぶさに|報告《はうこく》し、|忠勤振《ちうきんぶり》を|発揮《はつき》なさいませ。|最早《もはや》|此《この》お|花《はな》はお|寅《とら》さまと|手《て》を|切《き》り、|守宮別《やもりわけ》さまとは|天下《てんか》|晴《は》れて、|切《き》つても|切《き》れぬ|夫婦《ふうふ》ですよ。どうか、お|寅《とら》さまに|守宮別《やもりわけ》さま|夫婦《ふうふ》が|宜《よろ》しう|伝《つた》へたと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さい。そしてエルサレムの|市中《まちぢう》へ、|妾達《わたしたち》|夫婦《ふうふ》の|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》げた|事《こと》を、|駄賃《だちん》をよう|出《だ》しませぬが、|披露《ひろう》をして|下《くだ》さい』
『エー、クソ|面白《おもしろ》くもない。ようし、これから、|一《ひと》つお|寅《とら》にたきつけてやらう』
とテクと|共《とも》に|千鳥足《ちどりあし》し|乍《なが》ら、カフエーを|立出《たちい》で、お|寅《とら》の|霊城《れいじやう》へと|注進《ちうしん》の|為《ため》|忍《しの》び|行《ゆ》く。
お|寅《とら》は|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》の|打《う》つて|変《かは》つた|愛想《あいそ》づかしと|無情《むじやう》な|仕打《しうち》に、|憤慨《ふんがい》の|余《あま》り|逆上《ぎやくじやう》し、|暫《しばらく》|庭《には》の|土《つち》の|上《うへ》に|倒《たふ》れてゐたが、|漸《やうや》く|気《き》がつき、|辺《あた》りを|見《み》れば、|箱火鉢《はこひばち》は|腹《はら》を|破《やぶ》つて|木端微塵《こつぱみぢん》となり、そこらは|灰神楽《はひかぐら》で、|一分《いちぶ》|許《ばか》りの|畳《たたみ》の|目《め》もみえぬ|程《ほど》|黒《くろ》くなつてゐる。ブツブツ|小言《こごと》を|云《い》ひ|乍《なが》ら、|穂先《ほさき》の|薙刀《なぎなた》になつた|箒《はうき》でヤツトの|事《こと》、|灰《はひ》を|掃清《はききよ》め、ドスンと|団尻《だんじり》を|下《お》ろした|所《ところ》へ、ヒヨロヒヨロになつて、|一杯《いつぱい》|気嫌《きげん》の|鼻唄《はなうた》|諸共《もろとも》、トンク、テクの|両人《りやうにん》が|入《い》り|来《き》たり、トンクは|開口一番《かいこういちばん》に、
『これはこれは、|生宮様《いきみやさま》、お|一人《ひとり》で|嘸《さぞ》お|淋《さび》しいこつて|厶《ござ》いませう。ヤクの|後《あと》を|追《お》つかけて、|生宮様《いきみやさま》がお|駆出《かけだ》しになつたものですから、|人馬《じんば》の|行通《ゆきか》ふ|雑踏《ざつたふ》の|巷《ちまた》、|貴女《あなた》のお|身《み》の|上《うえ》が|険呑《けんのん》だと|思《おも》ひ、|三人《さんにん》が|手分《てわけ》を|致《いた》しまして、そこら|中《ぢう》を|捜《さが》しました|所《ところ》、お|行方《ゆくへ》が|分《わか》らず、|一層《いつそ》の|事《こと》ヤクを|取《と》つ|捉《つか》まへてお|目《め》にかけたいと|思《おも》ひ、エルサレムの|裏長屋《うらながや》|迄《まで》|捜《さが》して|見《み》ましたが、たうとう|幸《かう》か|不幸《ふかう》か、|姿《すがた》を|見失《みうしな》ひました。それから|横町《よこちやう》のカフエーに|立寄《たちよ》り、ブドー|酒《さけ》をテクと|二人《ふたり》|引《ひ》つかけてゐますと、それはそれは|天地転倒《てんちてんたう》と|云《い》はふか、|地震《ぢしん》ゴロゴロ|雷《かみなり》ピカピカ、いやもう、ドテライ、|貴女《あなた》のお|身《み》の|上《うへ》に|取《と》つて、|大事件《だいじけん》が|突発《とつぱつ》して|居《を》りましたので、|取《と》る|物《もの》も|取敢《とりあへ》ず、お|弟子《でし》になつた|御奉公《ごほうこう》の|初手柄《はつてがら》として|御報告《ごはうこく》に|参《まゐ》りました』
『それはどうも|有難《ありがた》う、お|前《まへ》ならこそ|報告《はうこく》に|来《き》て|呉《く》れたのだ、|大方《おほかた》ブラバーサが|暴力団《ばうりよくだん》でも|使《つか》つて、|此《この》お|寅《とら》を|国《くに》へ|追返《おひかへ》さうとでも|企《たく》んでゐるのぢやないか』
『イエ、|滅相《めつさう》な、ソンナ|小《ちひ》さい|事《こと》ですかいな。|貴女《あなた》のお|身《み》の|上《うへ》にとつて、|天変地異《てんぺんちい》これ|位《ぐらゐ》|大《おほ》きな|災《わざはひ》は|厶《ござ》いますまい、なあテク、|側《そば》から|見《み》て|居《を》つても、ムカつくぢやないか』
『|本当《ほんたう》にテクも、|腹《はら》が|立《た》つて、|歯《は》がギチギチ|云《い》ひよるわ、あのザマつたら、|論《ろん》にも|杭《くひ》にも|掛《かか》らぬわい。お|寅《とら》さまが|本当《ほんたう》にお|気《き》の|毒《どく》だ』
『コレ、|序文《じよぶん》|許《ばか》り|並《なら》べて|居《を》らずに、|短刀直入的《たんたうちよくにふてき》に|実地《じつち》|問題《もんだい》にかかつて|下《くだ》さい。|一体《いつたい》|大事件《だいじけん》とは|何事《なにごと》だいな』
トンクは、
『ヘー、これ|程《ほど》|大事《だいじ》な|事《こと》を|申上《まをしあ》げるのですから、|貴女《あなた》はお|喜《よろこ》びでせうが、|一方《いつぱう》の|為《ため》には|大変《たいへん》な|不利益《ふりえき》です。さうすれば、|貴女《あなた》に|喜《よろこ》ばれて、|一方《いつぱう》の|方《はう》からは|非常《ひじやう》な|怨恨《ゑんこん》を|買《か》ひ、|暗《やみ》の|晩《ばん》にでもなれば、うつかり|外《そと》は|歩《ある》けませぬわ。それだから、ヘヽヽヽ|一寸《ちよつと》は|容易《ようい》に|申上《まをしあ》げたうても|申上《まをしあ》げられませぬ。なあテク、|地獄《ぢごく》の|沙汰《さた》も○○だからなア』
『エー|辛気《しんき》|臭《くさ》い、お|金《かね》が|欲《ほ》しいのだらう。お|金《かね》ならお|金《かね》と|何故《なぜ》あつさり|言《い》はぬのだいな』
『ハイ、|仰《おほせ》に|従《したが》ひ、あつさりと|申上《まをしあ》げます。どうか|前金《ぜんきん》として、|二十円《にじふゑん》|程《ほど》|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したう|厶《ござ》います』
『ヨシヨシ、サ、あらためて|取《と》つてお|呉《く》れ』
と|其《その》|場《ば》に|投出《なげだ》せば、|二人《ふたり》はガキの|様《やう》に|引《ひ》つつかみ、ヤニハにポケツトへ|捻込《ねぢこ》んで|了《しま》ひ、
『ヤ、|有難《ありがた》う、|流石《さすが》はウラナイ|教《けう》のお|寅《とら》さま、|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロクの|生宮《いきみや》、|日出神《ひのでのかみ》のお|寅《とら》さま、ウラナイ|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》、|誠《まこと》に|感《かん》じ|入《い》りました』
『コレコレ、ソンナ|事《こと》|聞《き》かうと|思《おも》つて、お|金《かね》を|出《だ》したのでない。|大事件《だいじけん》の|秘密《ひみつ》を|早《はや》く|聞《き》かして|下《くだ》さい』
『ハイ、これからが|正念場《しやうねんば》です。どうか|吃驚《びつくり》せないやうに、|胴《どう》をすゑて|居《を》つて|下《くだ》さいや。エー、|実《じつ》の|所《ところ》は|横町《よこちやう》のカフエー|迄《まで》|一杯《いつぱい》|呑《の》みに|行《ゆ》きました|所《ところ》、|裏《うら》の|離《はな》れに|男女《だんぢよ》が|喋々喃々《てふてふなんなん》と、|甘《あま》つたるい|口《くち》で|囁《ささや》いたり、|頬《ほほ》べたを|抓《つめ》つたり、|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して、|意茶《いちや》ついてる|者《もの》があるぢやありませぬか』
『|成程《なるほど》、そら|大方《おほかた》ブラバーサとマリヤの|風俗《ふうぞく》|壊乱組《くわいらんぐみ》だらうがな。そんな|事《こと》がナニ|妾《わし》に|対《たい》して|大事件《だいじけん》だろ、|併《しか》し|乍《なが》らヨウ|報告《はうこく》して|下《くだ》さつた。|之《これ》から|彼方等《あいつら》を|力一杯《ちからいつぱい》|攻撃《こうげき》して、|再《ふたた》び|世《よ》に|立《た》てない|様《やう》、|社会的《しやくわいてき》に|葬《はうむ》つてやる|積《つもり》だから、そら|可《よ》い|材料《ざいれう》だ』
と|話《はなし》も|聞《き》かぬ|内《うち》から|早呑込《はやのみこ》みしてゐる。トンクは|言句《げんく》に|詰《つま》り、
『もし、お|寅《とら》さま、さう|早取《はやどり》して|貰《もら》ふと、|二《に》の|句《く》がつげませぬがな。オイ、テク、お|前《まへ》|之《これ》から|性念場《しやうねんば》を|些《ちつ》と|許《ばか》り|申上《まをしあ》げて|呉《く》れ。お|前《まへ》|廿両《にじふりやう》|貰《もら》ふた|冥加《みやうが》もあるからの』
『お|寅《とら》さま、ソンナ|気楽《きらく》な|事《こと》ですかいな、お|前《まへ》さまの|寝《ね》ても|醒《さ》めても|忘《わす》れない、|最愛《さいあい》のレコとあやめのお|花《はな》さまとが、それはそれは|目《め》だるい|事《こと》をやつていましたよ。|私《わたし》が|貴女《あなた》だつたら、あの|儘《まま》にはして|置《お》きませぬがな。|生首《なまくび》を|引抜《ひきぬ》いて|烏《からす》にこつかしてやらねば|虫《むし》が|癒《い》えませぬがな』
|之《これ》を|聞《き》くより、お|寅《とら》は|電気《でんき》にでも|打《う》たれた|如《ごと》く|打驚《うちおどろ》き、|暫《しば》しは|口《くち》を|尖《とが》らし、|目《め》を|剥《む》いて|言葉《ことば》も|出《で》なかつたが、|稍《やや》|暫時《しばらく》して、
『テヽテクさま、トヽトンクさま、そら|本当《ほんたう》かいな。|本当《ほんたう》とあれば、ジツとしては|居《を》られない、お|花《はな》の|奴《やつ》、|本当《ほんたう》にバカにしてる』
と|早《はや》くも|捻鉢巻《ねぢはちまき》をなし、|赤襷《あかたすき》をかけようとする。
『そら、マヽ|待《ま》つて|下《くだ》さい、さう|慌《あわ》てても、|話《はなし》が|分《わ》かりませぬ、たうとう|二人《ふたり》は|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》を|致《いた》しました。そして|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》もやり|直《なほ》したといふことですよ』
『ナヽナアニ、シユシユ|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》、そして|又《また》ドヽ|何処《どこ》の|家《うち》で、ソヽそんな|事《こと》を、ヤヽやつてゐるのだい』
『|横町《よこちやう》のカフエーの|奥座敷《おくざしき》ですがな、|併《しか》し|乍《なが》らトンクが|言《い》つたとは、|云《い》つて|貰《もら》へませんで、あとが|恐《おそ》ろしう|厶《ござ》いますからな』
『コリヤ、トンク、テク、お|前《まへ》も|妾《わし》の|家来《けらい》に|成《な》つたのぢやないか、|妾《わし》の|為《ため》には|何《なん》でも|聞《き》くだろ、|妾《わし》が|踏込《ふみこ》んで|生首《なまくび》|引抜《ひきぬ》くのも|易《やす》い|事《こと》だが、そんな|乱暴《らんばう》な|事《こと》すると、|日出神《ひのでのかみ》の|沽券《こけん》にかかはる。|妾《わし》はここで|辛抱《しんばう》するから、お|前《まへ》|代《かは》りにお|花《はな》の|生首《なまくび》|引抜《ひきぬ》いてヨルダン|川《がは》へ|投込《なげこ》みて|下《くだ》さい。さうすりや、|何《なん》ぼでもお|金《かね》は|上《あ》げるからな』
『|何程《なにほど》お|金《かね》に|成《な》りましても、ソンナこたア|私《わたし》に|出来《でき》ませぬワ。|暴力団《ばうりよくだん》|取締令《とりしまりれい》が|出《で》て|居《を》りますので、|二人《ふたり》|寄《よ》つても、|直《すぐ》にスパイが|後《あと》を|追《お》つかける|時節《じせつ》ですもの。そんなこたア、|御本人《ごほんにん》|直接《ちよくせつ》に|決行《けつかう》されたが|可《よ》いでせう。|刑務所《けいむしよ》へ|放《ほ》り|込《こ》まれて|臭《くさ》い|飯《めし》くはされても|約《つ》まりませぬからな、それとも|一万両《いちまんりやう》|下《くだ》さらばやつてみても|宜《よろ》しい』
『エーエー|腑甲斐《ふがひ》のない、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》もガラクタ|許《ばか》りだな。|守宮別《やもりわけ》さまは|決《けつ》してそんな|無情《むじやう》な|人《ひと》ぢやない。|酒《さけ》に|酔《よ》ふと、いろいろの|事《こと》を|仰有《おつしや》るが、|正直《しやうぢき》な|親切《しんせつ》な、|誠生粋《まこときつすゐ》な|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまの|生宮《いきみや》だ、スレツカラシのお|花《はな》の|奴《やつ》、たうとう|地金《ぢがね》を|放《ほ》り|出《だ》し、|男《をとこ》を|喰《く》はへて、ヌツケリコと|夫婦《ふうふ》|気取《きどり》で、そんな|所《ところ》へ|行《い》て|酒《さけ》をくらうて|居《ゐ》やがるのだらう。エーまどろしい、|暴力団《ばうりよくだん》|取締《とりしまり》が|何《なん》だ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》がお|花《はな》|位《ぐらゐ》に|敗北《ひけ》を|取《と》つてどうなるものか』
と|眉毛《まゆげ》は|逆立《さかだ》ち|目《め》は|血走《ちばし》り|鉢巻《はちまき》したまま、|襷《たすき》をかけたまま、|後先《あとさき》の|考《かんが》へも|無《な》く|腹立紛《はらだちまぎ》れに|飛出《とびだ》した。トンク、テクの|両人《りやうにん》は、『コラ|一大事《いちだいじ》』とお|寅《とら》の|後《あと》を|見《み》え|隠《かく》れに|付《つ》いて|行《ゆ》くと、|十字街頭《じふじがいとう》を|微酔機嫌《ほろよひきげん》で|守宮別《やもりわけ》がお|花《はな》の|手《て》を|引《ひ》いてヒヨロリヒヨロリとやつて|来《く》るのに|出会《でつくは》した。お|寅《とら》はアツと|言《い》つたきり、|其《その》|場《ば》に|悶絶《もんぜつ》して|了《しま》つた。|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》は|掛《かか》り|合《あひ》になつては|一大事《いちだいじ》と、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》し|乍《なが》ら、|橄欖山《かんらんざん》|目《め》がけて|逃《に》げてゆく。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於由良秋田別荘 松村真澄録)
(昭和一〇・三・一〇 於台湾草山別院 王仁校正)
第八章 |擬侠心《ぎけふしん》〔一八一四〕
『|僕《ぼく》の|人生《じんせい》はどこにある  |朝《あさ》から|晩《ばん》までタラタラと
|汗水《あせみづ》しぼつて|金儲《かねまう》け  しようと|思《おも》つて|人並《ひとなみ》に
|苦《くる》しみ|悶《もだ》え|汗膏《あせあぶら》  |殆《ほとん》ど|尽《つ》きた|此《この》|体《からだ》
|膏《あぶら》のやうに|絞《しぼ》られて  |身体《しんたい》|頓《とみ》に|骨立《こつりつ》し
|悲鳴《ひめい》をあぐるその|中《うち》に  |君《きみ》と|僕《ぼく》との|人生《じんせい》は
|深《ふか》く|潜《ひそ》んでゐるのだらう  |思《おも》へよ|思《おも》へ|友《とも》の|君《きみ》
|資本《しほん》|主義《しゆぎ》なる|世《よ》の|中《なか》は  キヤピタリズムを|唱《とな》ふれば
|大罪悪《だいざいあく》の|酵母《かうぼ》だよ  |殺人《さつじん》|強盗《がうたう》|強姦《がうかん》や
|詐偽《さぎ》に|窃盗《せつたう》|脅喝《けふかつ》や  まだあるまだある|沢山《たくさん》に
これもヤツパリ|吾々《われわれ》が  |人生《じんせい》に|処《ところ》する|余儀《よぎ》なき|手段《しゆだん》であるだらう
このやうな|事《こと》になつたのも  キヤピタリズムの|賜《たまもの》だ
|不労所得者《ふらうしよとくしや》の|賜《たまもの》だ  ガンヂガラミに|縛《しば》つてる
その|方法《はうはふ》は|警察《けいさつ》だ  |裁判所《さいばんしよ》だ|刑務所《けいむしよ》だ
も|一《ひと》つひどいのは|絞首台《かうしゆだい》  おまけに|憲兵《けんぺい》だ|軍隊《ぐんたい》だ
まだまだ|無数《むすう》に|手段《しゆだん》ある  |蜘蛛《くも》の|巣《す》よりも|巧妙《かうめう》に
|鋼鉄《かうてつ》よりも|頑強《ぐわんきやう》に  |無数《むすう》の|吸盤《きふばん》で|吾々《われわれ》の
|生血《いきち》を|吸《す》ふたり|膏《あぶら》をば  ねぶつて|喰《くら》ふ|資本《しほん》|主義《しゆぎ》
|制度《せいど》の|此《この》|世《よ》にある|限《かぎ》り  |君等《きみら》も|吾等《われら》も|助《たす》からぬ
|抑《そも》|人生《じんせい》のおき|所《どこ》が  |悪《わる》かつた|為《ため》に|吾々《われわれ》は
|膚《はだへ》は|寒《さむ》く|腹《はら》は|餓《う》ゑ  |終《しまひ》にや|縛《しば》られ|殺《ころ》される
|何《なん》とかせねばならうまい  |悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|此《この》|制度《せいど》
|打《う》てや、こらせやブル|階級《かいきふ》  |振《ふる》へよ、|起《た》てやプロレタリヤ
|立《た》つべき|時《とき》は|今《いま》なるぞ  |政治《せいぢ》|宗教《しうけう》|法律《はふりつ》や
|倫理《りんり》や|修身《しうしん》|何《なん》になる  |吾等《われら》は|命《いのち》を|的《まと》にかけ
|子孫《しそん》のために|悪制度《あくせいど》  |破壊《はくわい》せなくちや|人生《じんせい》の
|大本分《だいほんぶん》が|尽《つく》せない  |打《う》てや|懲《こら》せやブルジョアを』
と|四五人《しごにん》の|労働者《らうどうしや》が|赤《あか》い|旗《はた》を|立《た》てて|橄欖山麓《かんらんさんろく》を|歩《あゆ》んで|来《く》る。|待《ま》ち|構《かま》へて|居《ゐ》た|数名《すうめい》の|警官《けいくわん》は|有無《うむ》を|云《い》はせず|一人《ひとり》も|残《のこ》らずフン|縛《じば》つて|了《しま》つた。
|警官《けいくわん》『コリヤ、その|方《はう》は|今《いま》|何《なに》を|歌《うた》つてゐた。|不穏《ふおん》と|認《みと》めるから|捕縛《ほばく》したのだ。|調《しら》べる|事《こと》があるからエルサレム|署《しよ》|迄《まで》キリキリ|歩《あゆ》め』
その|中《うち》の|一人《ひとり》は|盛《さかん》に|首《くび》を|振《ふ》り|乍《なが》ら、
『オイ、ポリス、|馬鹿《ばか》にすな、|俺達《おれたち》はもとより|主義《しゆぎ》の|為《た》めに|生命《いのち》を|捨《す》ててゐるものだから、|拘引《こういん》|位《ぐらゐ》は|屁《へ》の|茶《ちや》とも|思《おも》つてゐないが、|然《しか》し|乍《なが》ら、|人民《じんみん》の|声《こゑ》を|聞《き》いて|省《かへりみ》たがよからうぞ。|貴様《きさま》は|何《なん》だ、|僅《わづ》かな|目《め》くされ|金《かね》を|貰《もら》ひやがつて|人民《じんみん》の|怨府《ゑんぷ》になり、|時代《じだい》|錯誤《さくご》の|張本人《ちやうほんにん》の|部下《ぶか》となつて、その|日《ひ》を|暮《くら》すとは|実《まこと》に|憐《あは》れつぽいものだのう。|俺《おれ》は、かう|見《み》えても|世界《せかい》で|有名《いうめい》なトロッキーだ。どうだ、|今《いま》|此《この》|際《さい》|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて|一同《いちどう》の|縛《ばく》を|解《と》くか、それとも|時代《じだい》に|目醒《めざ》めずして|俺等《おれたち》を|拘引《こういん》するか。|忽《たちま》ち|汝《なんぢ》が|頭上《づじやう》に|災《わざはひ》の|来《きた》るは|電光石火《でんくわうせきくわ》よりも|速《すみや》かだぞ。|此《この》|聖地《せいち》には|俺《おれ》の|部下《ぶか》が|殆《ほとん》ど|七八分《しちはちぶ》ある|筈《はず》だ。それだから|何程《なにほど》|法律《はふりつ》を|喧《やかま》しく|云《い》つても、|宗教《しうけう》を|叫《さけ》んでも|駄目《だめ》だ。|覚醒《かくせい》するなら|今《いま》だが、どうだ、|返答《へんたふ》を|聞《き》かう。それまでは|一寸《いつすん》だつて|吾々《われわれ》は|動《うご》かないぞ』
|警官《けいくわん》は|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、トロッキーと|聞《き》いて、|稍《やや》|恐怖心《きようふしん》に|懸《か》られてゐる。|警官《けいくわん》は|各《おのおの》|耳《みみ》に|口《くち》を|寄《よ》せ|善後策《ぜんごさく》について|協議《けふぎ》をやつてゐる。そこへ|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》の|両人《りやうにん》がホロ|酔《ゑひ》|機嫌《きげん》で|現《あら》はれ|来《き》たり、
|守宮《やもり》『オ、これはこれは|誰《たれ》かと|思《おも》へば|警官《けいくわん》、こなたで|厶《ござ》るか。さてもさても|沢山《たくさん》な|得物《えもの》が|厶《ござ》つたものだな。エー、|併《しか》し|乍《なが》ら、|御忠言《ごちうげん》で|恐《おそ》れ|入《い》りますが、|一寸《ちよつと》、|私《わし》の|言《い》ふ|事《こと》も|聞《き》いて|下《くだ》さい。|永《なが》くお|暇《ひま》はとりません。|何《なん》のために|労働者《らうどうしや》をお|縛《しば》りになつたのですか、|労働者《らうどうしや》は|抑《そもそ》も|国家《こくか》|生産《せいさん》|機関《きくわん》の|基礎《きそ》で|厶《ござ》いますよ』
トロッキー『イヤ、お|前《まへ》さまが|噂《うはさ》に|高《たか》い|日出島《ひのでじま》の|守宮別《やもりわけ》さまだな、そして、そこにゐるのは|有名《いうめい》なお|寅《とら》さまかい』
|守宮《やもり》『イヤ、お|寅《とら》さまは、|一寸《ちよつと》|様子《やうす》があつて|此《この》|頃《ごろ》|霊城《れいじやう》に|神界《しんかい》のため|立籠《たてこ》もつてゐられますよ。|私《わたし》はお|寅《とら》さまのお|弟子《でし》と、……エー……、|神界《しんかい》の|御用《ごよう》でお|山《やま》に|詣《まい》る|途中《とちう》ですが、|貴方等《あなたら》が|縛《しば》られとるのを|見《み》て、どうも、|黙過《もくくわ》する|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|今《いま》|警官《けいくわん》とかけあつてゐる|処《ところ》ですよ。|又《また》|何《なん》のために、こんな|目《め》にお|会《あ》ひになつたのですか』
トロッキー『|今日《けふ》は|全国《ぜんこく》の|農民《のうみん》が|労働《らうどう》を|祝福《しゆくふく》すると|共《とも》に、|暴逆《ばうぎやく》|極《きは》まる|資本《しほん》|主義《しゆぎ》の|搾取《さくしゆ》と|圧制《あつせい》に|対《たい》し、|一斉《いつせい》に|抗議《かうぎ》を|投《な》げつけるため、|世界《せかい》の|無産《むさん》|階級《かいきふ》のために|友情《いうじやう》を|示《しめ》し、|又《また》|吾々《われわれ》|団体《だんたい》の|決意《けつい》と|団結《だんけつ》の|一層《いつそう》|強固《きやうこ》ならむ|事《こと》を|誓《ちか》ふために、|示威運動《じゐうんどう》を|全国一斉《いつせい》に|行《おこな》ふ|日《ひ》です。|農民《のうみん》|組合員《くみあひゐん》は|一人《ひとり》も|洩《も》れ|落《お》ちなく、|婦人《ふじん》も|青年《せいねん》も、これに|加《くは》はつて|吾々《われわれ》の|無産《むさん》|階級《かいきふ》|団体《だんたい》を|作《つく》るための|運動《うんどう》|最中《さいちう》、わからずやのポリスに|引《ひつ》かかつたのですよ。|警官《けいくわん》が|何《なん》と|云《い》ふか|知《し》りませぬが|一同《いちどう》に|農民歌《のうみんか》を|歌《うた》はせますから、それを|聞《き》いて|農民《のうみん》の|苦境《くきやう》をお|覚《さと》り|下《くだ》さい』
『|農民歌《のうみんか》|始《はじ》め』と|号令《がうれい》するや|縛《しば》られた|六人《ろくにん》を|初《はじ》め、その|附近《ふきん》に|立《た》つて|居《ゐ》た|人々《ひとびと》も|口《くち》を|揃《そろ》へて|歌《うた》ひ|出《だ》した。|警官《けいくわん》は|呆気《あつけ》にとられて|黙《だま》つて|聞《き》いてゐる。
『|農《のう》に|生《うま》れて|農《のう》に|生《い》き  |土《つち》を|耕《たがや》し|土《つち》に|死《し》す
|痩《やせ》たる|土《つち》の|香《かを》りにも  |汗《あせ》と|涙《なみだ》に|生《い》きむとす
|吾《わが》|生活《せいくわつ》の|悲愴《ひさう》さは  ブルジョア|階級《かいきふ》の|夢《ゆめ》にだに
|感知《かんち》し|得《え》ざる|悲惨《ひさん》さよ  アヽ|吾《わが》|生命《せいめい》に|力《ちから》あれ
|吾《わが》|運動《うんどう》に|力《ちから》あれ。
|春《はる》|幾度《いくたび》か|廻《めぐ》れども  |富《と》みおごれるは|農民《のうみん》の
|吾々《われわれ》|老若男女等《らうにやくなんによら》が  |汗《あせ》と|膏《あぶら》の|賜物《たまもの》ぞ
|汗《あせ》とあぶらを|盃《さかづき》に  |汲《く》んでは|花《はな》にたわむれつ
|秋《あき》の|月《つき》をば|慰《なぐさ》めに  |酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》すブル|階級《かいきふ》
|寒《さむ》く|餓《う》ゑたる|同胞《はらから》を  |蔑《さげす》み|笑《わら》ひ|鞭《むちう》てり
|鬼《おに》か|大蛇《をろち》か|狼《おほかみ》か  |悪魔《あくま》のはばる|此《この》|世界《せかい》
|立替《たてかへ》せずにおくべきか  |吾等《われら》が|生命《いのち》に|力《ちから》あれ
|吾等《われら》が|運動《うんどう》に|力《ちから》あれ。
たぎるが|如《ごと》き|小山田《をやまだ》の  |真夏《まなつ》|真昼《まひる》も|孜々《しし》として
|滝《たき》なす|汗《あせ》をしぼるのも  |来《きた》らむ|秋《あき》の|八百穂《やほかい》の
|稲《いね》の|実《み》のりの|肥料《こやし》ぞと  |苦熱《くねつ》を|凌《しの》ぎ|草《くさ》とれば
|高楼絃歌《かうろうげんか》にさんざめく  |吾等《われら》は|命《いのち》を|的《まと》として
|此《この》|悪風《あくふう》を|根絶《こんぜつ》し  |吾等《われら》の|未来《みらい》を|救《すく》ふべし
|未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ  |吾《わが》|活動《くわつどう》に|力《ちから》あれ
|吾《わが》|生命《せいめい》に|力《ちから》あれ
|曙《あけぼの》|白《しろ》く|星《ほし》|寒《さむ》く  |刃《やいば》の|如《ごと》き|秋《あき》の|風《かぜ》
|山野《さんや》の|草《くさ》は|枯《か》れ|尽《つく》し  |地上《ちじやう》|一面《いちめん》|霜《しも》をおき
|鎌《かま》を|握《にぎ》れる|此《この》|手先《てさき》  |霜《しも》ふみしめし|足《あし》の|先《さき》
|罅《ひび》|凍傷《しもやけ》に|血走《ちばし》れど  |憩《いこ》はむ|暇《ひま》さへなかりしが
その|収穫《しうくわく》は|大部分《だいぶぶん》  |地主《ぢぬし》の|倉《くら》に|収《をさ》まりて
|淋《さび》しく|泣《な》ける|寒狐《かんぎつね》  |住《す》む|家《いへ》さへも|壁《かべ》は|落《お》ち
|見《み》るも|悲惨《ひさん》な|光景《くわうけい》ぞ  あゝ|人生《じんせい》はかくの|如《ごと》
|悲惨《ひさん》で|一生《いつしやう》を|通《とほ》すのか  |否々《いないな》|決《けつ》してさうでない
|天《てん》の|与《あた》へし|田種物《たなつもの》  |働《はたら》くものの|所有《しよいう》ぞや
|不労所得者《ふらうしよとくしや》の|権力《けんりよく》が  どこに|一点《いつてん》あるものか
|吾等《われら》の|運動《うんどう》に|力《ちから》あれ  |未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ。
|汗《あせ》と|涙《なみだ》と|血《ち》を|捧《ささ》げ  |地上《ちじやう》に|画《ゑ》がく|芸術《げいじゆつ》の
|誇《ほこ》りも|空《むな》しく|夢《ゆめ》と|消《き》え  |汗《あせ》と|涙《なみだ》に|汚《よご》れたる
|吾等《われら》が|辛苦《しんく》の|結晶《けつしやう》は  |奢侈逸楽《しやしいつらく》の|犠牲《にへ》となり
|飢《うゑ》と|寒《さむ》さに|子等《こら》は|泣《な》く  あゝこの|惨状《さんじやう》をいかにして
いつ|迄《まで》|看過《かんくわ》|出来《でき》やうか  |吾等《われら》の|命《いのち》に|力《ちから》あれ
|未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ。
|咄《とつ》|何者《なにもの》の|奸策《かんさく》ぞ  |正義《せいぎ》の|刃《やいば》に|血《ち》は|煙《けぶり》
|自由《じいう》の|剣《つるぎ》をとりて|立《た》つ  |雄々《をを》しき|勇士《ゆうし》といたはしき
|妻子《つまこ》の|上《うへ》に|迫害《はくがい》の  |魔《ま》の|手《て》は|下《くだ》れり|爪先《つまさき》を
|敏鎌《とかま》の|如《ごと》く|研《とぎ》すまし  |吾等《われら》が|大切《だいじ》の|玉《たま》の|緒《を》を
|斬《き》らむと|企《たく》むブル|階級《かいきふ》  |倒《たふ》さにやならぬ|吾々《われわれ》は
この|世《よ》この|儘《まま》|置《お》いたなら  |彼等《かれら》の|為《ため》に|亡《ほろ》ぼされ
|子孫《しそん》|断絶《だんぜつ》するだらう  |吾等《われら》の|生命《いのち》に|力《ちから》あれ
|吾等《われら》の|運動《うんどう》に|力《ちから》あれ  |未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ。
|壁《かべ》|落《お》ち|軒《のき》は|傾《かたむ》けど  |五尺《ごしやく》の|体《からだ》を|休養《きうやう》する
|為《ため》には|自由《じいう》の|誇《ほこ》りあり  |吾等《われら》|貧《まづ》しく|疲《つか》れしも
|抱《いだ》く|真理《しんり》に|光《ひかり》あり  |永《なが》き|搾取《さくしゆ》と|圧制《あつせい》に
|反逆《はんぎやく》すべく|起《た》てるなり  |未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ
|打《う》てよ|懲《こら》せよブル|階級《かいきふ》。
|君《きみ》よ|見《み》ざるや|農民《のうみん》を  |全土《ぜんど》を|覆《おほ》ひし|団結《だんけつ》を
|君《きみ》|聞《き》かざるや|農民《のうみん》を  |来《きた》れよ|友《とも》よと|呼《よ》ぶ|声《こゑ》を
あゝ|今《いま》|吾等《われら》|起《た》たずんば  |混沌《こんとん》の|世《よ》を|如何《いか》にせむ
|起《た》てよ|振《ふる》へよ|怒《いか》れよ|狂《くる》へ  |未来《みらい》は|吾等《われら》のものなるぞ』
トロッキー『|先《ま》づ|吾々《われわれ》の|主義《しゆぎ》は|此《この》|通《とほ》りで|厶《ござ》います、|永《なが》らくの|間《あひだ》、|農民《のうみん》は|地主《ぢぬし》|資本家《しほんか》のために|生血《いきち》を|絞《しぼ》られ、|痩衰《やせおとろ》へて|参《まゐ》りました。その|為《ため》|国家《こくか》の|大本《たいほん》たるべき|農民《のうみん》は|身体骨立《しんたいこつりつ》し|満足《まんぞく》な|働《はたら》きも|出来《でき》ないのです。これに|反《はん》して|不労所得者《ふらうしよとくしや》たるブル|階級《かいきふ》は|豚《ぶた》の|如《ごと》く、|象《ざう》の|如《ごと》く|肥太《こえふと》つて|居《を》ります。これも|皆《みな》|貧民《ひんみん》の|生血《いきち》を|搾取《さくしゆ》した|結果《けつくわ》です。|神《かみ》の|子《こ》と|生《う》まれたる|吾々《われわれ》|人間《にんげん》が、どうして|此《この》|惨状《さんじやう》を|真面目《まじめ》に|見《み》てゐる|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|如何《いか》に|宗教《しうけう》が|倫理《りんり》を|説《と》くとも、|天国《てんごく》を|説《と》くとも、|法律《はふりつ》が|八釜《やかま》しく|取締《とりしま》つても、パンなくして|人《ひと》は|世《よ》に|生活《せいくわつ》する|事《こと》は|出来《でき》ますまい。そのパンの|大部分《だいぶぶん》を|搾取《さくしゆ》する|鬼《おに》や|大蛇《をろち》の|階級《かいきふ》を|蕩滅《たうめつ》し、|平等愛《びやうどうあい》の|世界《せかい》に|作《つく》り|上《あ》げるのは、|吾々《われわれ》|志士《しし》たるものの|天職《てんしよく》ではありませぬか。|無論《むろん》|宗教《しうけう》は|精神的《せいしんてき》に|人類《じんるゐ》を|救《すく》ふでせうが、|焦眉《せうび》の|急《きふ》なる|衣食住《いしよくぢう》の|問題《もんだい》を|閑却《かんきやく》しては、|宗教《しうけう》の|権威《けんゐ》も|有難味《ありがたみ》も|厶《ござ》いますまい。そんな|手《て》ぬるい|手段《しゆだん》では、|今日《こんにち》の|世《よ》を|救《すく》ふ|事《こと》は|駄目《だめ》だと|思《おも》ひます』
|守宮《やもり》『|成程《なるほど》|尤《もつと》も|千万《せんばん》だ、|僕《ぼく》は|大賛成《だいさんせい》を|致《いた》します。もし|警官《けいくわん》どの、どうか|此《この》|憐《あは》れな|労働者《らうどうしや》を|解放《かいはう》して|下《くだ》さい。その|代《かは》り|拙者《せつしや》が|代人《だいにん》となり|括《くく》られませう』
お|花《はな》『これ、|守宮別《やもりわけ》さま、|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を、お|前《まへ》さまは|仰有《おつしや》るのだい。|人《ひと》の|罪《つみ》|迄《まで》|引受《ひきう》けると|云《い》ふ|事《こと》が、|何処《どこ》にありますか。|私《わたし》をどうして|下《くだ》さるおつもりですか』
|守宮《やもり》『ナザレのイエス・キリストでさへも|世界《せかい》|万民《ばんみん》のため|十字架《じふじか》にかかられたぢやないか。|俺《おれ》がいつも|酒《さけ》を|飲《の》んで|浮世《うきよ》を|三分五厘《さんぶごりん》で|暮《くら》してゐるのも、|社会《しやくわい》|人類《じんるゐ》のため|命《いのち》を|投《な》げ|出《だ》してゐるからだ。ブラバーサやお|寅《とら》さまの|様《やう》に|口《くち》ばつかり|云《い》つて|居《を》つても|誠《まこと》が|無《な》けりや|駄目《だめ》だ。|俺《おれ》は|之《これ》から|無産階級者《むさんかいきふしや》の|代表《だいへう》となつて|処刑《しよけい》を|受《う》けるつもりだ』
お|花《はな》『それも、さうで|厶《ござ》いませうが、これ|守宮別《やもりわけ》さま、お|前《まへ》さまが、そんな|処《ところ》へ|行《い》つた|後《あと》は、|妾《わたし》はどうするのですか』
|守宮《やもり》『お|前《まへ》は、|精《せい》|出《だ》してお|酒《さけ》の|差入《さしいれ》をするのだ』
お|花《はな》『|酒《さけ》なんか|差入《さしいれ》は|出来《でき》ますまい』
|守宮《やもり》『|出来《でき》いでかい。|今《いま》の|役人《やくにん》は|皆《みな》|飢《ひだ》る|腹《はら》をかかへてブリキを|佩《つ》つて|威張《ゐば》つてゐるから、ソツと|金《かね》さへやれや|何《なん》でも、|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くよ』
かかる|所《ところ》へ|俄《には》かに|四辺《あたり》|騒々《さうざう》しく|数百人《すうひやくにん》の、|暴漢《ばうかん》が|現《あら》はれて|警官《けいくわん》を|十重二十重《とへはたへ》にとりまき|袋叩《ふくろだた》きにして|了《しま》つた。トロッキーと|名乗《なのり》る|男《をとこ》、|及《およ》び|縛《ばく》されて|居《ゐ》た|連中《れんちう》は、この|隙《すき》に|各《おのおの》|繩目《なはめ》をとき|凱歌《がいか》をあげ|何処《どこ》ともなく|消《き》えて|了《しま》つた。|守宮別《やもりわけ》お|花《はな》は|得意《とくい》になり、|鼻歌《はなうた》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|橄欖山上《かんらんさんじやう》|目《め》がけて|登《のぼ》り|行《ゆ》くのであつた。
(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於丹後由良 北村隆光録)
第九章 |狂怪戦《けうくわいせん》〔一八一五〕
お|花《はな》『|有為転変《うゐてんぺん》は|世《よ》の|習《なら》ひ  |天《てん》が|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》と
|変《かは》る|浮世《うきよ》の|有様《ありさま》は  お|花《はな》と|貴方《あなた》の|事《こと》だらう
|寝《ね》ても|醒《さ》めても|夢現《ゆめうつつ》  |日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》に
|頭《あたま》の|先《さき》から|爪《つめ》の|端《はし》  |身《み》も|魂《たましひ》も|打《う》ちこみて
|惚《ほ》れて|厶《ござ》つたお|前《まへ》さま  どうした|風《かぜ》の|吹廻《ふきまは》しか
|私《わたし》とコンナ|仲《なか》となり  |二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|夫婦《ふうふ》|連《づ》れ
|此《この》|聖場《せいじやう》の|神様《かみさま》も  |嘸《さぞ》や|御嘉納《ごかなふ》なさるだらう
|何程《なにほど》|神《かみ》ぢや|仏《ほとけ》ぢやと  |高尚《かうしやう》な|事《こと》を|云《い》つたとて
|人《ひと》は|肉体《にくたい》ある|限《かぎ》り  |湧《わ》いて|出《で》て|来《く》る|性《せい》の|慾《よく》
|満《み》たす|事《こと》をば|知《し》らずして  |可惜《あたら》|月日《つきひ》を|送《おく》るのは
|天《てん》の|与《あた》へた|快楽《くわいらく》を  |蹂躪《じうりん》すると|云《い》ふものだ
ラブ・イズ・ベストをふり|廻《まは》し  |自由自在《じいうじざい》に|性《せい》の|慾《よく》
|遂《と》げた|処《ところ》で|神様《かみさま》の  |干渉《かんせう》すべき|理由《りいう》はない
あゝ|面白《おもしろ》やたのもしや  コンナ|尊《たふと》き|歓楽《くわんらく》を
お|寅《とら》|婆《ば》アさまにだまされて  |竜宮海《りうぐうかい》の|乙姫《おとひめ》の
|身魂《みたま》ぢや|改心《かいしん》せにやならぬ  もしも|男《をとこ》に|触《さは》つたら
|八万劫《はちまんごふ》の|罪咎《つみとが》が  |一度《いちど》に|現《あら》はれ|日《ひ》に|三度《さんど》
|極寒極暑《ごくかんごくしよ》の|苦《くる》しみを  |受《う》けると|甘《うま》く|騙《だま》かして
|私《わたし》を|十年《じふねん》|釣《つ》つて|呉《く》れた  ほんに|思《おも》へば|思《おも》ふ|程《ほど》
|妾《わたし》は|何《なん》と|云《い》ふ|馬鹿《ばか》だらう  |恋《こひ》に|目醒《めざ》めた|此《この》お|花《はな》
もはや|弓《ゆみ》でも|鉄砲《てつぱう》でも  びくとも|動《うご》かぬ|磐石心《ばんじやくしん》
|固《かた》めた|上《うへ》はお|前《まへ》さま  |浮気心《うはきごころ》を|払拭《ふつしき》し
どこどこ|迄《まで》も|偕老《かいらう》の  |契《ちぎり》を|結《むす》んで|下《くだ》されや
|命《いのち》も|宝《たから》もなげ|捨《す》てて  お|前《まへ》に|任《まか》した|此《この》|身体《からだ》
|焼《や》いて|喰《く》はふと|煮《に》て|喰《く》はふと  |決《けつ》して|不足《ふそく》は|云《い》ひませぬ
さはさりながら|旦那《だんな》さま  |貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|水《みづ》くさい
|二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|女房《にようばう》の  ある|身《み》で|居《ゐ》ながらうかうかと
|義侠心《ぎけふしん》をば|放《ほ》り|出《だ》して  トロッキーさまの|身替《みがは》りに
|警察署《けいさつしよ》の|門戸《もんこ》をば  |潜《くぐ》つてやらうと|仰有《おつしや》つた
|義侠《ぎけふ》も|仁侠《じんけふ》もよいけれど  ソンナ|無益《むえき》な|犠牲《ぎせい》をば
|払《はら》つて|居《を》つては|世《よ》の|中《なか》に  |生《いき》て|行《ゆ》く|事《こと》ア|出来《でき》ませぬ
これ|許《ばか》りは|旦那《だんな》さま  |私《わたし》が|可愛《かあい》と|思《おも》ふなら
|思《おも》ひとまつて|下《くだ》されや  |人気《にんき》の|悪《わる》い|世《よ》の|中《なか》は
|何時《いつ》|騒動《さうだう》が|起《おこ》るやら  |分《わか》つたものではありませぬ
|其《その》|度毎《たびごと》に|犠牲者《ぎせいしや》と  なつて|行《ゆ》かれちや|此《この》お|花《はな》
どうして|立《た》つ|瀬《せ》がありませう  |軍人《ぐんじん》さまを|夫《つま》にもち
|喜《よろこ》び|勇《いさ》む|間《ま》も|非《あら》ず  コンナ|苦《くる》しい|思《おも》ひをば
させられやうとは|知《し》らナンだ  |大和魂《やまとだましひ》か|知《し》らねども
|今後《こんご》は|止《や》めて|下《くだ》されや  |可愛《かあい》|女房《にようばう》が|手《て》を|合《あは》せ
|涙《なみだ》|流《なが》して|頼《たの》みます  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
ウラナイ|教《けう》の|大御神《おほみかみ》  |千変万化《せんぺんばんくわ》に|移動《いどう》する
|夫《をつと》の|心《こころ》を|喰《く》ひ|止《や》めて  |私《わたし》の|身魂《みたま》にピツタリと
|釘鎹《くぎかすがひ》を|打《う》つたやうに  |離《はな》れないやう|願《ねが》ひます
これが|一生《いつしやう》のお|願《ねが》ひだ  |縁《えん》と|云《い》ふもの|妙《めう》なもの
|海外万里《かいぐわいばんり》の|此《この》|国《くに》で  |何《なん》とも|思《おも》ふて|居《ゐ》なかつた
|守宮別《やもりわけ》さまが|恋《こひ》しうなり  |足許《あしもと》さへも|見《み》えぬ|迄《まで》
|恋《こひ》の|暗路《やみぢ》に|迷《まよ》ひました  |私《わたし》は|心《こころ》が|狂《くる》ふたのか
|吾《われ》と|吾《わが》|身《み》が|怪《あや》しうなり  |合点《がつてん》|行《ゆ》かぬよになりました
ホンに|女《をんな》と|云《い》ふものは  |男《をとこ》にかけたら|脆《もろ》いもの
|男《をとこ》の|一〓一笑《いつぴんいつせう》が  |胸《むね》に|五寸釘《ごすんぐぎ》|打《う》つやうに
|苦《くる》しい|思《おも》ひがして|来《き》ます  |頭《あたま》に|霜《しも》をちらちらと
|戴《いただ》く|身《み》ながら|村肝《むらきも》の  |心《こころ》は|元《もと》の|二八空《にはちぞら》
|胸《むね》はどきどき|息《いき》つまり  |恥《はぢ》も|外聞《ぐわいぶん》も|何《なん》のその
コンナ|心《こころ》になつたのも  |罪《つみ》なお|前《まへ》がある|故《ゆゑ》だ
|広《ひろ》い|天地《てんち》の|其《その》|間《あひ》に  たつた|一人《ひとり》のお|前《まへ》さま
|私《わたし》の|命《いのち》ぞ|力《ちから》ぞや  もしもお|前《まへ》が|死《し》んだなら
さつぱり|此《この》|世《よ》は|地獄《ぢごく》ぞや  |地獄《ぢごく》の|底《そこ》の|底《そこ》|迄《まで》も
|好《す》きな|貴方《あなた》と|諸共《もろとも》に  |落《お》ちて|行《ゆ》くなら|厭《いと》やせぬ
これ|程《ほど》|思《おも》ふて|居《ゐ》る|私《わし》を  すげなう|見捨《みす》てて|下《くだ》さるな
|見捨《みす》てられたる|其《その》|時《とき》は  |地震《ぢしん》|雷《かみなり》|火《ひ》の|雨《あめ》も
まだまだおろか|鬼《おに》となり  |大蛇《をろち》となりて|素首《そつくび》を
|引《ひ》きぬきますよ|旦那《だんな》さま  |先《さき》に|気《き》をつけおきまする
あゝ|頼《たの》もしや|頼《たの》もしや  |処《ところ》は|世界《せかい》の|中心地《ちうしんち》
|貴《たつと》き|神《かみ》のあれませる  |橄欖山《かんらんざん》の|聖城《せいじやう》で
|三四十年《さんしじふねん》も|若返《わかがへ》り  |嶮《けは》しき|御山《みやま》を|手《て》を|曳《ひ》いて
|詣《まゐ》る|心《こころ》は|天国《てんごく》の  |花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|楽園《らくゑん》を
|百《もも》のエンゼルに|導《みちび》かれ  |登《のぼ》つて|行《ゆ》くやうな|心地《ここち》ぞや
あゝあゝ|長生《ながい》きすればこそ  |年《とし》を|取《と》つてから|恋愛《れんあい》の
|本当《ほんたう》の|本当《ほんたう》の|味《あぢは》ひが  |分《わか》つて|来《き》たのだ|有難《ありがた》い
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》や|大《おほ》ミロク  |生宮《いきみや》さまの|前《まへ》だとて
コンナ|楽《たの》しい|潔《いさぎよ》い  |思《おもひ》を|今迄《いままで》せなかつた
ホンに|貴方《あなた》は|救世主《きうせいしゆ》  |天津御国《あまつみくに》のエンゼルよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
ホヽヽヽヽヽ、これ|守宮別《やもりわけ》の|旦那《だんな》さま、|私《わたし》の|思《おも》ひを|汲《く》み|取《と》つて|下《くだ》さつたら、|余《あま》り|憎《にく》ふは|厶《ござ》いますまい。どうかイターナルに|愛《あい》を|注《そそ》いで|下《くだ》さいな。|道草《みちぐさ》を|喰《く》つたり|横《よこ》を|向《む》ひたりしちや|嫌《きら》ひですよ。|私《わたし》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまがあるのに|元《もと》が|軍人《ぐんじん》|気質《かたぎ》だから|要《い》らざる|義侠心《ぎけふしん》を|出《だ》し、|暴悪無頼《ばうあくぶらい》のトロッキーなどの|身替《みがは》りにアタ|阿呆《あはう》らしい|警察《けいさつ》へ|縛《しば》られ|行《ゆ》くナンテ、そんな|事《こと》は|止《や》めて|下《くだ》されや。|何程《なにほど》|世《よ》の|中《なか》を|救《すくふ》と|云《い》つたとてキリストさまのやうに|磔刑《はりつけ》になつちやたまりませぬよ』
『お|前《まへ》と|一緒《いつしよ》に|磔刑《はりつけ》になつたらよいぢやないか、|万劫末代《まんごふまつだい》|名《な》が|残《のこ》るぞよ。お|前《まへ》とお|寅《とら》さまと|口癖《くちぐせ》のやうに、|世界《せかい》の|万民《ばんみん》を|助《たす》けたら|万劫末代《まんごふまつだい》|結構《けつこう》な|名《な》が|残《のこ》るといつて|居《ゐ》たぢやないか。|昔《むかし》キリストが|十字架《じふじか》にかかつて|万民《ばんみん》の|罪《つみ》を|贖《あがな》つたと|云《い》ふこのエルサレムで|世界《せかい》の|犠牲者《ぎせいしや》となり|末代《まつだい》の|名《な》を|残《のこ》すのも|人間《にんげん》としては|痛快事《つうくわいじ》だよ。なアお|花《はな》さま』
『|嫌《いや》ですよ、お|花《はな》さまなんて|他人《たにん》らしいソンナ|言葉《ことば》おいて|下《くだ》さい、|何程《なにほど》|名《な》が|残《のこ》ると|云《い》つたつて|命《いのち》が|無《な》くなつて|了《しま》へば|肉体的《にくたいてき》|歓楽《くわんらく》を|味《あぢ》はふ|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやありませぬか』
『|死《し》んで|未来《みらい》で|仲《なか》よく|添《そ》ふたら|好《よ》いぢやないか、さうすれやお|前《まへ》もお|寅《とら》さまに|取《と》りかへされる|心配《しんぱい》も|要《い》らず、|宇宙《うちう》|第一《だいいち》の|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》だよ。|俺《おれ》だつてトロッキーなどの|身替《みがは》りになるやうな|馬鹿《ばか》ぢやないが、|一寸《ちよつと》お|前《まへ》に|実《じつ》の|処《ところ》は……|義侠心《ぎけふしん》の|強《つよ》い|男《をとこ》だなア……とこのやうに|思《おも》はし|度《た》いので|芝居《しばゐ》をやつて|見《み》たのだ。|其《その》|上《うへ》|沢山《たくさん》の|農民《のうみん》|団体《だんたい》や|労働《らうどう》|団体《だんたい》が|傍《そば》にごろついて|居《ゐ》たものだから、|日《ひ》の|出島《でじま》の|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふ|男《をとこ》は|義侠心《ぎけふしん》に|富《と》んだ|男《をとこ》だ、|彼《あ》れこそ|真当《ほんたう》の|救世主《きうせいしゆ》だと|世界中《せかいぢう》に|名《な》を|広《ひろ》めやうと|思《おも》つた|私《わたし》の|策略《さくりやく》だよ。|兎角《とかく》|人間《にんげん》は|広《ひろ》く|名《な》を|知《し》られないと|仕事《しごと》が|出来《でき》ないからなア。あのウズンバラ・チヤンダーだつて|実際《じつさい》に|交際《つき》あつて|見《み》ればコンマ|以下《いか》の|人間《にんげん》だ。|俺《おれ》から|見《み》れば|小指《こゆび》の|端《はし》にも|足《た》らないやうな|小人物《せうじんぶつ》だ。そいつがふとした|事《こと》から|事件《じけん》を|捲《ま》き|起《おこ》し|世界中《せかいぢう》に|名《な》が|響《ひび》いたものだから、|世界《せかい》の|阿呆《あはう》|共《ども》がキリストの|再来《さいらい》だ、ミロクの|出現《しゆつげん》だ、メシヤだ、などと|担《かつ》ぐやうになつたのだ。|売名策《ばいめいさく》には|労働者《らうどうしや》の|中《なか》に|入《い》つて|一寸《ちよつと》|味《あぢ》をやるのが|一番《いちばん》|奥《おく》の|手《て》だよ、ハヽヽヽ』
『ホヽヽヽヽ、|何《なん》とまア|抜《ぬ》け|目《め》の|無《な》いお|方《かた》だ|事《こと》。それ|丈《だけ》の|知恵《ちゑ》がある|癖《くせ》に|今迄《いままで》どうしてお|寅《とら》さまのやうな、|没分暁漢《わからずや》に|食《くら》ひついて|入《い》らつしやつたのですか』
『お|寅《とら》さまは|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《ひつぽう》ぢやないか、|脱線《だつせん》だらけの|分《わか》らない|事《こと》を|喋《しや》べり|立《た》てて|居《ゐ》ても、|何《なん》と|云《い》ふても|系統《ひつぽう》だから、|三五教《あななひけう》の|没分暁漢連《わからずやれん》がコソコソとひつつきに|来《き》よる。そいつを|利用《りよう》して、つまり|要《えう》するに|三五教《あななひけう》の|転覆《てんぷく》を|企《くはだ》て、|変性女子《へんじやうによし》の|地位《ちゐ》に|取《と》つて|代《かは》らうと|云《い》ふ|大野心《だいやしん》を|持《も》つて|居《ゐ》たからだ』
『|何《なん》とまア|人《ひと》は|見《み》かけによらぬものだ|事《こと》、|夢《ゆめ》か|現《うつつ》の|守宮別《やもりわけ》さまと|播陽《ばんやう》さまでさへ|云《い》つて|居《ゐ》られた|位《くらゐ》だから、|酒《さけ》さへ|呑《の》ましておけばいい|男《をとこ》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たに、|聞《き》けば|聞《き》く|程《ほど》|頼《たの》もしい|何《なん》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|男《をとこ》だらう。|併《しか》しそれも|無理《むり》もない、|世界《せかい》の|事《こと》にかけたら|酸《すい》も|甘《あま》いも|辛《から》いも|悟《さと》りきつた|蹴爪《けづめ》の|生《は》えた、コケコツコウか、|尾《を》が|二《ふた》つに|分《わか》れた|山猫《やまねこ》のやうなアヤメのお|花《はな》を|蕩《とろ》かすと|云《い》ふ|腕《うで》があるのだもの、ホヽヽヽヽ。|油断《ゆだん》も|隙《すき》もならない|主人《しゆじん》だわ。|一《ひと》つ|守宮別《やもりわけ》さま、|否《いな》|旦那《だんな》さま|貴方《あなた》の|得意《とくい》な|鈴虫《すずむし》のやうな|声《こゑ》で|詩吟《しぎん》でもやつて|下《くだ》さいな。|私《わたし》ばつかりに|歌《うた》はしてあまり|平衡《へいかう》が|取《と》れませぬわ』
『よしよしお|望《のぞ》みとあれば|詩吟《しぎん》でも|何《なん》でもやらう』
と|銅羅声《どらごゑ》を|張《は》り|上《あ》げ|大口《おほぐち》をあけ、
『|月《つき》|落《お》ち|烏《からす》|啼《な》いて|霜《しも》|天《てん》に|満《み》つ
|暁《あかつき》に|見《み》る|千兵《せんぺい》の|大河《たいが》を|擁《よう》するを……  ゼスト……』
『これ|旦那《だんな》さま、ソンナ|旧《ふる》めかしい|詩吟《しぎん》ならもう|止《や》めて|下《くだ》さい。どうか|私《わたし》の|事《こと》を|謡《うた》つて|貰《もら》ひたいのですがなア』
『よしよし、それぢや|新派《しんぱ》で|一《ひと》つやつて|見《み》やう。|歯《は》の|浮《う》くやうな|艶《つや》つぽい|歌《うた》だよ、オホン。
|天《てん》を|背景《はいけい》となし
|地《ち》を|舞台《ぶたい》となし
|雲《くも》の|袖《そで》をふるつて
|大宇宙《だいうちう》に|活躍《くわつやく》す
あゝ|吾《われ》|人《ひと》と|生《うま》れて|人《ひと》に|非《あら》ず
さりとて|獣《けもの》にも|非《あら》ず
|又《また》|神《かみ》でもなければ|仏《ほとけ》にも|非《あら》ず
|広《ひろ》い|宇宙《うちう》に|只《ただ》|一点《いつてん》の|肉塊《にくくわい》として
|忽然《こつぜん》として|住《す》めるのみ
あゝ|天《てん》の|時《とき》|今《いま》や|到《いた》りて
|世界《せかい》の|中心地点《ちうしんちてん》
|日《ひ》の|出《で》の|島《しま》の|又《また》|中心《ちうしん》
|浪花《なには》の|遊里《いうり》に|初声《うぶごゑ》をあげたまひし
あやめの|君《きみ》と|懇親《こんしん》を|結《むす》ぶ
|吾《わが》|現世《げんせ》に|生誕《せいたん》して|初《はじ》めての|歓喜《くわんき》を|知《し》る
|医者《いしや》と|南瓜《かぼちや》はヒネたのがよい
|色《いろ》は|年増《としま》が|艮《とど》め|刺《さ》す
あゝ|何《なん》たる|幸福《かうふく》ぞや
お|寅《とら》の|如《ごと》きは|物《もの》の|数《かず》ならず
|其《その》|面貌《めんばう》はアトラスの|如《ごと》く
|其《その》|臀肉《でんにく》は|搗臼《ひきうす》の|如《ごと》し
アヤメの|君《きみ》とお|寅《とら》|婆《ばば》を|比較《ひかく》すれば
|天空《てんくう》に|輝《かがや》く|月光菩薩《げつくわうぼさつ》と
|地中《ちちう》に|潜《ひそ》む|泥亀《どろがめ》の|如《ごと》し
|加《くは》ふるにお|寅《とら》の|懐中《くわいちう》には
|僅《わづ》かに|千金《せんきん》を|剰《あま》すのみ
|黄金《わうごん》|万能《ばんのう》の|現世《げんせ》に|於《おい》て
|万金《まんきん》を|懐中《くわいちう》する
アヤメの|君《きみ》こそは
|富《とみ》においても|最大優者《さいだいいうしや》なり
この|夫人《ふじん》にしてこの|金《かね》あり
この|夫人《ふじん》にしてこの|夫《をつと》あり
|俗《ぞく》に|所謂《いはゆる》|鬼《おに》に|金棒《かなぼう》とは
|這般《しやはん》の|消息《せうそく》を|物語《ものがた》るものか
あゝ|愉快《ゆくわい》なりカンランの|山《やま》
|夫《をつと》となり|妻《つま》となつて|此《この》|艶姿《えんし》を|天地《てんち》の|万物《ばんぶつ》に|観覧《くわんらん》せしむ
|宇宙《うちう》の|幸福《かうふく》を|吾《われ》と|汝《なんぢ》と|独占《どくせん》して
|生《いき》|乍《なが》ら|幸福《かうふく》の|神《かみ》となり
|万劫末代《まんごふまつだい》|生通《いきどほ》しの|仙術《せんじゆつ》を|学《まな》び
|天地《てんち》と|共《とも》に|悠久《いうきう》に|生《いき》むとす
あゝたのもしきかな たのもしきかな
カンランの|神山《みやま》の|夕《ゆふべ》
|月《つき》は|皎々《かうかう》として|五色《ごしき》の|雲《くも》の|階段《かいだん》を|昇《のぼ》り
|星《ほし》は|燦爛《さんらん》として|金銀《きんぎん》の|光《ひかり》を|放《はな》つ
|天《てん》|清《きよ》く|地《ち》|又《また》|清《きよ》し
|吾《われ》|清《きよ》く|汝《なんぢ》|又《また》|清《きよ》し
|半日《はんにち》の|清遊《せいいう》|実《じつ》に|心胆《しんたん》を|洗《あら》ふの|思《おも》ひあり
|喝《かつ》。』
『あゝ|吃驚《びつくり》しましたよ、|狸《たぬき》のやうな|口《くち》あけて、|喝《かつ》なんて|何《なん》ですか。|喰《く》ひつかれるかと|思《おも》ひましたよ』
『あまりお|前《まへ》が|可愛《かあい》ので|頭《あたま》から|噛《か》ぶつてやらうと|思《おも》つたのだ、アハヽヽ』
『オホヽヽヽ、あのまア|旦那様《だんなさま》のほどのよい|事《こと》|哩《わい》のう。その|声《こゑ》で|蜥蜴《とかげ》|喰《くら》ふか|杜鵑式《ほととぎすしき》だから|一寸《ちよつと》も|油断《ゆだん》は|出来《でき》ないわ』
『おいお|花《はな》、もう|黙《だま》つて|行《ゆ》かう、どうやら、あの|木蔭《こかげ》に|人《ひと》が|居《ゐ》るやうだ、|些《ちつ》と|許《ばか》り|見《み》つともないからなア。お|前《まへ》は|二三間《にさんげん》|離《はな》れてついて|来《き》て|呉《く》れ。さうして|人《ひと》の|居《ゐ》る|所《ところ》で|旦那《だんな》さまなぞと|云《い》つて|貰《もら》つちや|困《こま》るよ』
『ハイ、|旦那《だんな》さまつて|今日《けふ》|限《かぎ》り|申《まをし》ませぬ。よう|気《き》の|変《かは》るお|方《かた》ですな』
と|早《は》や|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《はや》して|居《ゐ》る。
|守宮別《やもりわけ》は|小声《こごゑ》で、
『あゝ|女子《ぢよし》と|小人《せうじん》は|養《やしな》ひ|難《がた》しとは|能《よ》くいつたものだな。|柔《やさ》しく|云《い》つたら|自惚《うぬぼれ》る、|強《きつ》く|云《い》へば|吠《ほ》える、|殺《ころ》せば|化《ば》けて|出《で》ると|云《い》ふ|魔物《まもの》だからなア、アーア』
お|花《はな》は|小声《こごゑ》でハツキリわからねどアーアの|声《こゑ》を|聞《き》き、こいつは|又《また》|例《れい》の|心境《しんきやう》|変化《へんくわ》の|境界線《きやうかいせん》ではないかと|心配《しんぱい》のあまりサツト|顔色《かほいろ》|変《かは》り|蟇蛙《ひきがへる》の|鳴《な》き|損《そこ》ねたやうな|面《つら》をさらし|居《ゐ》る。
|路傍《みちばた》の|五六間先《ごろくけんさき》の|木《き》の|下《した》から|瓦《かはら》をぶちやけたやうな|笑《わら》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》え|来《きた》りける。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良 加藤明子録)
(昭和一〇・三・一〇 於台湾別院蓬莱殿 王仁校正)
第一〇章 |拘淫《こういん》〔一八一六〕
|橄欖山《かんらんざん》の|坂道《さかみち》の|木蔭《こかげ》に|四五人《しごにん》のドルーズ|人《じん》や、アラブや、|猶太人《ユダヤじん》が|労働服《らうどうふく》を|着《き》た|儘《まま》|面白相《おもしろさう》に|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》りゐる。その|中《なか》の|一人《ひとり》なるバルガンは、
『オイ、ガクシー、|汝《きさま》は|此《この》|間《あひだ》の|戦争《せんそう》に|行《い》つたといふ|話《はなし》だが、|金鵄勲章《きんしくんしやう》でも|貰《もら》つたのか。|花々《はなばな》しき|功名《こうみやう》|手柄《てがら》をして|帰《かへ》るなぞと|云《い》ひよつて、|近所合壁《きんじよがつぺき》に|送《おく》られ、|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》であつたが、|凱旋祝《がいせんいはひ》も|根《ね》つから|聞《き》いた|事《こと》もなし、いつの|間《ま》にか|吾々《われわれ》|労働者《らうどうしや》|仲間《なかま》に|舞戻《まひもど》つて|来《き》よつたが、|一体《いつたい》|戦《たたか》ひの|状況《じやうきやう》は|何《ど》うなつたのぢやい』
ガクシー『ドルーズ|族《ぞく》のあの|叛乱《はんらん》によつて|仏軍《ふつぐん》から|雇《やと》はれ、ジエーベル・ドルーズの|都《みやこ》、ジエールに|進軍《しんぐん》した|時《とき》、ドルーズ|族《ぞく》の|勢《いきほひ》|猖獗《しやうけつ》にして、|仏軍《ふつぐん》は|手《て》もなく|打破《うちやぶ》られ、みじめな|態《ざま》で|四方《しはう》|八方《はつぱう》へ、|一時《いちじ》は|散乱《さんらん》して|了《しま》つたのだ。|其《その》|時《とき》|俺《おれ》は|軍夫《ぐんぷ》として、|実《じつ》の|所《ところ》は|後《うしろ》の|方《はう》に|輸送《ゆそう》をやつてゐたが、|大砲《たいはう》の|弾《たま》が、|間近《まぢか》にドンドン|落《お》ちて|来《く》るので、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|腰《こし》を|抜《ぬ》かし、|肝腎《かんじん》の|軍夫《ぐんぷ》が、|兵隊《へいたい》に|担架《たんか》に|乗《の》せられて|運《はこ》ばれるといふ|惨《みぢ》めな|態《ざま》だつたよ』
『あれ|丈《だけ》|軍器《ぐんき》の|整《ととの》うたフランスの|精兵《せいへい》が、なぜ|又《また》|暴民団体《ばうみんだんたい》たるドルーズ|族《ぞく》に|脆《もろ》くも|打破《うちやぶ》られたのだ。チとバランスがとれぬぢやないか』
『そこが|所謂《いはゆる》|戦争《せんそう》は|水物《みづもの》といふのだ。|兵数《へいすう》の|多《おほ》い|方《はう》が|勝《か》つ|共《とも》、|武器《ぶき》の|整頓《せいとん》した|方《はう》が|勝《か》つとも、|又《また》は|武器《ぶき》の|調《ととの》はない|兵数《へいすう》の|少《すく》ない|方《はう》が|勝《か》つとも、それは|時《とき》の|運《うん》だから|分《わか》らないワ。|何《なに》しろドルーズ|族《ぞく》は|一兵卒《いつぺいそつ》に|至《いた》る|迄《まで》|地理《ちり》には|精通《せいつう》して|居《ゐ》る|上《うへ》、|人《ひと》の|和《わ》を|得《え》てる|上《うへ》、あれ|丈《だけ》の|人気《にんき》だつたから、|其《その》|虚勢《きよせい》|丈《だけ》ででも|勝《かつ》なねばならぬ|道理《だうり》だ。|僅《わづ》か|二万《にまん》|位《ぐらひ》の|叛乱軍《はんらんぐん》に|五万《ごまん》のフランス|兵《へい》が、|飛行機《ひかうき》も|大砲《たいはう》も|輜重車《しちようしや》も、|何《なに》もかも|打《うつ》ちやつて、|命《いのち》カラガラ|敗北《はいぼく》して|了《しま》ひ、ドルーズは|敵《てき》の|武器《ぶき》を|応用《おうよう》して、あく|迄《まで》も|頑強《ぐわんきやう》に|戦《たたか》ひを|続《つづ》けるものだから、|仏軍《ふつぐん》はたうとうジェーダの|首都《しゆと》を|占領《せんりやう》されて|了《しま》つたのだい。|本当《ほんたう》に|強《つよ》い|者《もの》の|弱《よわ》い、|弱《よわ》い|者《もの》の|強《つよ》い|時節《じせつ》になつたものだ』
『さうすると、|俺達《おれたち》も|社会《しやくわい》の|弱者《じやくしや》として、|地平線下《ちへいせんか》に|汗《あせ》にひたつて|蠢動《しゆんどう》してゐるのだが、|何時《いつ》か|又《また》|頭《あたま》をあげる|時《とき》があるだらうかな』
『あらいでかい、|有為転変《うゐてんぺん》の|世《よ》の|中《なか》だ。いつ|迄《まで》も|世《よ》は|持切《もちきり》にはさせぬと、どつかの|神《かみ》さまもいつてゐる|相《さう》だから、|未来《みらい》は|必《かなら》ず|吾々《われわれ》プロレタリヤの|天下《てんか》だ。まあまあクヨクヨ|思《おも》はずに、|暫《しばら》く|辛抱《しんばう》するのだな、|今日《けふ》も|今日《けふ》とて、エルサレムの|町《まち》を|温順《おとなし》う|歩《ある》いてゐると、|俺《おれ》の|風体《ふうてい》が|醜《みにく》いとか|怪《あや》しいとか|云《い》ひやがつて、スパイの|奴《やつ》、|何処迄《どこまで》も|尾行《びかう》してうせるのだ。そして|吐《ぬか》す|事《こと》にや……|君《きみ》はどつから|来《き》た、そして|何処《どこ》へ|行《ゆ》く。|何《なん》の|用《よう》だ。|年《とし》は|幾《いく》つだ。|姓名《せいめい》は|何《なん》といふ……などと|三文《さんもん》にもならぬ【おせつかい】を|遊《あそ》ばすのだから、|道《みち》も|安心《あんしん》して|歩《ある》けやしないワ。|丸《まる》で|上《うへ》に|立《た》つてゐる|役人《やくにん》|共《ども》は、|子供《こども》につつかれた|蜂《はち》の|巣《す》の|番兵蜂《ばんぺいばち》の|様《やう》な|神経過敏《しんけいくわびん》になつてゐやがるのだからのう』
『|本当《ほんたう》に|約《つま》らぬ|世《よ》の|中《なか》だの、|何時迄《いつまで》も|此《この》|儘《まま》にして|置《お》こうものなら、|世界《せかい》はメチヤメチヤになるだらうよ。どうしても|此《この》|調子《てうし》では|十年《じふねん》たたぬ|内《うち》に|大革命《だいかくめい》が|起《おこ》るだらうと|思《おも》つてゐるのだ』
『そらさうだ、|生活難《せいくわつなん》や|就職難《しうしよくなん》の|叫《さけ》びがこれ|丈《だけ》|喧《やかま》しくなつて|居《ゐ》るのだもの。ブル|階級《かいきふ》や|役人《やくにん》|共《ども》も|可《い》いかげんに|目《め》を|醒《さ》ましやがらぬと、たつた|今《いま》、|俺達《おれたち》と|地位《ちゐ》|転倒《てんたう》して|彼奴等《あいつら》は|惨《みじ》めな|態《ざま》になるだらうよ。|俺《おれ》や|其《その》|世《よ》が|来《く》る|迄《まで》は|死《し》んでも|死《し》なれないのだ。|先祖代々《せんぞだいだい》から|彼奴等《あいつら》に|虐《しひた》げられて|来《き》たのだもの、|祖先《そせん》の|恥《はぢ》を|雪《すす》ぐのは、|吾々《われわれ》|子孫《しそん》たる|者《もの》の|義務《ぎむ》だからなア。|最前《さいぜん》も|此《この》|山麓《さんろく》でトロッキーとかいふ|男《をとこ》が、|労働団《らうどうだん》や|農民団《のうみんだん》を|集《あつ》めて|過激《くわげき》な|演説《えんぜつ》をやつて|居《を》つたが、|聴《き》いてみれば|一《いち》から|十《じふ》|迄《まで》|御尤《ごもつと》も|至極《しごく》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら、あんな|事《こと》を|聞《き》いて|居《を》らうものなら、|蜘蛛《くも》の|巣《す》をはつた|如《ごと》き|警察《けいさつ》の|網《あみ》にかかつて、|厭応《いやおう》なしに、|暗《くら》い|所《ところ》へブチ|込《こ》まれちや|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|君子《くんし》は|危《あやふ》きに|近付《ちかづ》かずといふ|筆法《ひつぱふ》で、ここ|迄《まで》スタスタやつて|来《く》りや、|君《きみ》たち|御連中《ごれんちう》の|御集会《ごしふくわい》、|屹度《きつと》|今頃《いまごろ》にや、|何《なに》か|乱痴気騒《らんちきさわ》ぎが|始《はじ》まつてるかも|知《し》れないよ』
『|誰《たれ》でも|可《い》いから、|確《しつか》りした|犠牲者《ぎせいしや》が|現《あら》はれると|可《い》いのだがなア。さうすりや|俺達《おれたち》ア、|漁夫《ぎよふ》の|利《り》を|占《しめ》て|安楽《あんらく》に|暮《くら》せるのだけれど、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|小《こ》ざかしい|人間《にんげん》|許《ばか》りで、|自分《じぶん》の|身命《しんめい》を|賭《と》して|矢面《やおもて》に|立《た》つといふ|大馬鹿《おほばか》が|出《で》て|来《こ》んで、サツパリ|駄目《だめ》だ。かういふ|時《とき》にや、どうしても|大馬鹿《おほばか》でなけりや、|世界《せかい》の|改造《かいざう》が|出来《でき》ないからのう』
『そらさうだ。ドルーズ|族《ぞく》の|酋長《しうちやう》カンバスでさへも、|始《はじ》めは|大変《たいへん》な|勢《いきほひ》で|矢面《やおもて》に|立《た》ち、|二万《にまん》の|民衆《みんしう》に|武器《ぶき》を|携帯《けいたい》させ、フランス|軍《ぐん》と|勇敢《ゆうかん》に|戦《たたか》ひ、|一時《いちじ》は|大勝利《だいしようり》を|博《はく》しよつたが、いよいよ|茲《ここ》といふ|所《ところ》で、|俄《にはか》に|怖気立《おぢけだ》ち、|安全《あんぜん》|地帯《ちたい》に|身《み》を|逃《のが》れよつたものだから、|全軍《ぜんぐん》の|士気《しき》|頓《とみ》に|阻喪《そさう》し、|折角《せつかく》|取《と》つた|首都《みやこ》も|再《ふたた》び|仏軍《ふつぐん》の|手《て》に|帰《き》し、|重立《おもだ》つた|者《もの》は|何《いづ》れも|縛《ばく》につき、ドルーズ|族《ぞく》へは|莫大《ばくだい》な|賠償金《ばいしやうきん》を|云《い》ひ|付《つ》けられ、ヤツトの|事《こと》で、カンバスの|哀願《あいぐわん》に|仍《よ》つて、|大赦令《たいしやれい》を|布《し》かれ、|一件落着《いつけんらくちやく》するはしたものの、ドルーズは|酷《えら》い|破目《はめ》に|陥《おちい》つたものだ。|徹底的《てつていてき》にどこ|迄《まで》も|犠牲《ぎせい》になるといふ|奴《やつ》さへあれば、あんな|事《こと》は|無《な》いのだけれどな、|何《なん》と|云《い》つても|烏合《うがふ》の|衆《しう》だから、バラモンには|最後《さいご》|迄《まで》|敵《てき》する|事《こと》は|出来《でき》やしないワ。|之《これ》を|思《おも》ふと|吾々《われわれ》プロレタリヤの|前途《ぜんと》も|暗澹《あんたん》たるものだないか。|腹《はら》いせまぎれに、|夜中《やちう》|密《ひそ》かに|役所《やくしよ》の|門《もん》に|小便《せうべん》を|屁《ひ》りかけたり、|糞《くそ》を|垂《た》れた|位《くらゐ》では|何《なん》にも|効《かう》はないし、|大頭《おほあたま》の|一疋《いつぴき》や|二疋《にひき》|爆弾《ばくだん》でやつてみた|所《ところ》で、|飯《めし》の|上《うへ》の|蠅《はへ》を|追《お》ふやうなものだ。|先《せん》ぐり|先《せん》ぐり|次《つぎ》から|次《つぎ》へと、だんだん|悪《わる》い|奴《やつ》が|現《あら》はれて、|益々《ますます》|吾々《われわれ》に|対《たい》して|厳《きび》しい|法律《はふりつ》を|発布《はつぷ》したり、|三人《さんにん》|寄《よ》つて|話《はなし》をしても|拘引《こういん》するといふ、|石《いし》で|手《て》をつめたやうな|目《め》に|会《あ》はすのだから、|矢張《やつぱり》、|弱《よわ》い|者《もの》の|弱《よわ》い、|強《つよ》い|者《もの》の|強《つよ》い|時節《じせつ》だ……と|云《い》つても|仕方《しかた》がない。|強《つよ》い|者《もの》の|弱《よわ》い、|弱《よわ》い|者《もの》の|強《つよ》い|時節《じせつ》は|万年《まんねん》に|一度《いちど》|位《ぐらゐ》しか、|廻《めぐ》つて|来《く》るものぢやない。|何《なん》だか|日出島《ひのでじま》からブラバーサとかいふ|宣伝使《せんでんし》がやつて|来《き》て、|今《いま》に|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれるとか、|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》けするとか、|下《した》が|上《うへ》になり、|上《うへ》が|下《した》になるとか、ほざいてゐるやうだが、これも|一種《いつしゆ》の|宗教《しうけう》|拡《ひろ》めの|広告《くわうこく》に|過《す》ぎないだらう。|何程《なにほど》|宗教《しうけう》が|愛《あい》を|説《と》いても、パンを|与《あた》へてくれなくちや、|吾々《われわれ》は|生存権《せいぞんけん》を|保持《ほぢ》する|事《こと》が|出来《でき》ないのだからなア。……ヤ、|何《なん》だか|山下《やました》に|当《あた》つて、|騒《さわ》がしい|声《こゑ》がし|出《だ》したぞ。トロッキーの|奴《やつ》、どうやら|警官隊《けいくわんたい》と|格闘《かくとう》を|始《はじ》めたらしいワイ。ソロソロ|降《お》りて|壮快《さうくわい》な|戦闘《せんとう》|振《ぶ》りを|見物《けんぶつ》せうぢやないか。|獅子《しし》の|子《こ》か|何《なん》ぞのやうに、かう|木《き》かげに|潜伏《せんぷく》して、|世《よ》を|呪《のろ》ひ、|悲鳴《ひめい》をあげて|居《を》つても、|一文《いちもん》の|所得《しよとく》もなし、|愉快《ゆくわい》もないからのう』
『おけおけ、コンナ|時《とき》に|出《で》るものぢやない。|側杖《そばづゑ》をくつて|打《ぶ》ち|込《こ》まれちや|大変《たいへん》だ、|先《ま》づ|嵐《あらし》の|後《あと》の|静《しづ》けさを|見聞《けんぶん》するのが、|処世上《しよせいじやう》|悧巧《りかう》なやり|方《かた》だ。それよりも|腹《はら》いせに|何《なに》か|面白《おもしろ》い|話《はなし》をせうぢやないか』
『|俺達《おれたち》に|面白《おもしろ》い|話《はなし》があつて|堪《たま》らうかい、|朝《あさ》から|晩《ばん》までブル|階級《かいきふ》に|酷《こ》きつかはれ、|僅《わづか》な|賃銭《ちんせん》を|恵《めぐ》まれて、|孜々《しし》として|僅《わづか》に|露命《ろめい》をつないでる|悲惨《ひさん》な|境遇《きやうぐう》にあつては、|到底《たうてい》|面白《おもしろ》い|味《あぢ》も|分《わか》らず、|苦《くる》しい|事《こと》|許《ばか》りだ。|俺《おれ》が|五六年前《ごろくねんぜん》の|事《こと》だつたが、|仕方《しかた》がないので、|人力車夫《じんりきしやふ》をやつてゐると、|家主《やぬし》の|奴《やつ》、|人並《ひとなみ》よりも|高《たか》い|店賃《たなちん》を|取《と》り|乍《なが》ら、|従僕《じゆうぼく》か|何《なに》かのようにガクシーガクシーと|口《くち》ぎたなく|呼《よび》つけにしやがつて、|雪隠《せつちん》の|掃除《さうぢ》までいひ|付《つ》けくさる。|劫腹《ごふはら》でたまらないが、|恐《おこ》れば|家《いへ》を|出《で》て|行《ゆ》けと|云《い》ひやがるし、|裏店《うらだな》の|隅々《すみずみ》|迄《まで》|貧民《ひんみん》でつまつてゐる|此《この》|際《さい》、|此処《ここ》を|放《ほ》り|出《だ》されたが|最後《さいご》、|忽《たちま》ち|親子《おやこ》が|野宿《のじゆく》をせなくちやならず、|仕方《しかた》がないので|辛抱《しんばう》して|居《ゐ》ると、しまひの|果《はて》にや、おれの|嬶《かかあ》の|名《な》を|呼捨《よびすて》にさらすのだ。けつたいの|悪《わる》いの|胸糞《むねくそ》が|悪《わる》いのつて、|胸《むね》が|張裂《はりさ》ける|様《やう》だつた。そこで|俺《おれ》は|道路《だうろ》の|端《はた》に|餓《う》ゑて、|死《し》にかけてる|野良犬《のらいぬ》を|一疋《いつぴき》|拾《ひろ》つて|来《き》て、そいつに|家主《やぬし》の|名《な》を|付《つ》け、|大《おほ》きな|声《こゑ》で、……コラ|権州々々《ごんしうごんしう》……と|口汚《くちぎた》なく|喚《わめ》き|立《た》て、|其《その》|度《たび》|毎《ごと》に|拳骨《げんこつ》で|頭《あたま》を、|大家《おほや》の|権州《ごんしう》だと|思《おも》ひ、|撲《なぐ》りつけてやつた。|其《その》|時《とき》や、チツと|許《ばか》り|痛快《つうくわい》だつたが、|野良犬《のらいぬ》の|奴《やつ》、|大変《たいへん》な|大喰《おほぐらひ》をしよるので|女房《にようばう》|子供《こども》の|腮《あご》が|干上《ひあが》り|相《さう》になつた。|此奴《こいつ》にや|一《ひと》つ|俺《おれ》も|面《めん》くらはざるを|得《え》なかつたが、それでも|人間《にんげん》は|意地《いぢ》だ。こんな|所《ところ》で|屁古《へこ》たれちや、|男《をとこ》が|立《た》たないと、|要《い》らぬ|所《ところ》へ|力瘤《ちからこぶ》をいれ、|働《はたら》いても|働《はたら》いても、|皆《みな》|犬《いぬ》にしてやられる。|苦《くるし》み|果《は》ててる|矢先《やさき》へ、|大家《おほや》の|権州《ごんしう》|奴《め》、|大《おほ》きな|犬《いぬ》を|俄《には》かに|三疋《さんびき》も|飼《か》ひやがつて、|其奴《そいつ》に|俺《おれ》の|名《な》と|女房《にようばう》の|名《な》と|伜《せがれ》の|名《な》を|付《つ》けやがつて、|家内中《かないぢう》が|寄《よ》つて|集《たか》つて|呼《よ》びつけにしやがるので、|俺《おれ》もこんな|所《ところ》で|屁古垂《へこた》れちや|仕方《しかた》がない。もつと|犬《いぬ》を|集《あつ》めて|大家《おほや》の|家内中《かないぢう》の|名《な》をつけて、|呼《よび》つけにしてやらうと|思《おも》つたが、|能《よ》く|能《よ》く|考《かんが》へてみれば、|大《おほ》きな|家《うち》に|三夫婦《みふうふ》もけつかつて、|子《こ》や|孫《まご》|総計《そうけい》|二十八匹《にじふはちひき》も|居《ゐ》やがるものだから、たうとう|根負《こんまけ》して|旗《はた》をまき、|矛《ほこ》を|収《をさ》めて、|一時《いちぢ》ジェールの|都《みやこ》|迄《まで》|逃出《にげだ》して|了《しま》つたのだ。|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のないものだよ』
『ハヽヽヽヽ、そら|失敗《しつぱい》だつたね。さうだから、|昔《むかし》の|賢人《けんじん》とか|君子《くんし》とかいふ|阿呆者《あはうもの》が、|長《なが》い|者《もの》にまかれよ……とか、|衆寡《しうくわ》|敵《てき》せず……とか、ほざきよつたのだ。|何程《なんぼ》|面白《おもしろ》い|話《はなし》が|無《な》いといつても、|失敗《しつぱい》|許《ばか》りぢやあるまい。お|前《まへ》だつて、|永《なが》い|事《こと》|人力屋《じんりきや》をして|居《を》れば、|些《ちつ》と|位《ぐらゐ》ボロい|事《こと》もあつただらう』
『いやもう|失敗《しつぱい》だらけだ。エー、コーツと、|何時《いつ》やらの|夕《ゆふ》まぐれだつた。ジェールの|都《みやこ》の|郊外《かうぐわい》を|歩《ある》いてると、|大《おほ》きなデーツプリと|太《ふと》つた、|布袋《ほてい》のやうな|男《をとこ》がやつて|来《き》よつて、|俺《おれ》は|万民《ばんみん》に|福《ふく》を|与《あた》へる|福《ふく》の|神《かみ》だから、|一時間《いちじかん》|許《ばか》り|乗《の》せて|呉《く》れないか、……と|云《い》ひよつたので、お|金《かね》は|幾《いく》ら|下《くだ》さるか……といへば、お|前《まへ》に|金《かね》をやつては|福《ふく》が|退《い》ぬ。|俺《おれ》さへ|乗《の》せておけば、|屹度《きつと》|汝《そなた》の|内《うち》は|明日《あす》から|繁昌《はんじやう》すると|云《い》ひよつたので、|此奴《こいつ》ア|願《ねが》うてもない|事《こと》だ、|一時間《いちじかん》|許《ばか》り|無料働《ただばたらき》しても|構《かま》はぬ、|八卦《はつけ》みて|貰《もら》つても|三十銭《さんじつせん》|五十銭《ごじつせん》は|取《と》られるのだ……と|思《おも》ひ、クソ|重《おも》たい、|太《ふと》い|福《ふく》の|神《かみ》を|乗《の》せて、|町中《まちぢう》を|右《みぎ》へ|左《ひだり》へウロつきまはつた|所《ところ》、モウ|之《これ》で|可《い》いと|言《い》ひよつたので|梶棒《かぢぼう》|下《お》ろしよると、|一寸《ちよつと》|便所《べんじよ》へ|行《い》つて|来《く》ると|吐《ぬか》しよつてなア。|便所《べんじよ》へ|入《はい》ると|姿《すがた》が|見《み》えなくなつて|了《しま》つたので、それから|俺《おれ》も|便《べん》が|催《もよほ》したので|便所《べんじよ》に|入《はい》り、|沢山《たくさん》の|雪隠《せつちん》の|戸《と》を|開《あ》けて、|一々《いちいち》|点検《てんけん》してみたが、|影《かげ》も|形《かたち》もない。|此奴《こいつ》アいよいよ|福《ふく》の|神《かみ》だ、|姿《すがた》が|消《き》えたのだ。キツと|明日《あす》から|福《ふく》があるに|違《ちが》ひないと、|吾《わが》|家《や》へ|帰《かへ》り、|車《くるま》をしまはうとすると、そこへ|財布《さいふ》が|残《のこ》つてゐる。|下《さ》げてみると|中々《なかなか》|重《おも》い。ヤ|此奴《こいつ》アしめた。いかにも|福《ふく》の|神様《かみさま》だわイ。|有難《ありがた》う|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しますと|五六遍《ごろくぺん》|頭《あたま》の|上《うへ》へ|捧《ささ》げ、|神棚《かみだな》へまつり、|塩《しほ》をふつて、|其処辺中《そこらぢう》|清《きよ》め、|開《あ》けて|見《み》た|所《ところ》、|大枚《たいまい》|百両《ひやくりやう》の|丸金《まるきん》が|目《め》を|剥《む》いてけつかる。コリヤ、|祝《いはひ》をせにやなるまいと、|俥引《くるまひき》|友達《ともだち》や|近所合壁《きんじよがつぺき》を|集《あつ》めて、|其《その》|中《なか》の|金《かね》を|三十円《さんじふゑん》|許《ばか》りはり|込《こ》んだ|積《つも》りで、|百円《ひやくゑん》の|金《かね》を|料理屋《れうりや》に|見《み》せつけて|置《お》き、|仕出《しだ》しをさして、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|福《ふく》の|神《かみ》さまを|讃美《さんび》し、|呑《の》めや|唄《うた》への|大散財《おほさんざい》をやつて|居《を》ると、|昨夜《さくや》の|福《ふく》の|神《かみ》|奴《め》、ポリスと|共《とも》にやつて|来《き》よつて、|棚《たな》の|上《うへ》にある|財布《さいふ》に|目《め》をつけ、……これは|昨夜《さくや》|俥《くるま》の|上《うへ》に|忘《わす》れて|置《お》いた|金《かね》だとぬかし、|有難《ありがた》うとも|御苦労《ごくらう》とも|吐《ぬか》さず、ポリスの|奴《やつ》おまけに、|拾得物《しふとくぶつ》の|隠匿罪《いんとくざい》ででもあるやうな|面《つら》して、|睨《ね》めつけて|帰《かへ》つて|了《しま》ひやがつた。|怪体《けたい》が|悪《わる》いの|悪《わる》くないのつて、|其《その》|時《とき》|丈《だ》けは|女房《にようばう》にも|申訳《まをしわけ》|立《た》たず、|穴《あな》でもあれば|入《はい》りたい|様《やう》な|気《き》がしたよ。それから|料理屋《れうりや》の|奴《やつ》、|三十円《さんじふゑん》の|催促《さいそく》に|毎日《まいにち》|日日《ひにち》やつて|来《き》やがる。どれ|丈《だけ》|働《はたら》いたつて、|三十円《さんじふゑん》はおろか|三円《さんゑん》の|金《かね》も|出来《でき》ないので、|女房《にようばう》に|因果《いんぐわ》を|含《ふく》め、|又《また》もや|貧民窟《ひんみんくつ》の|端《はし》つぱへ|宿替《やどかへ》をしてやつたのだ。ホンの|一晩《ひとばん》ヌカ|喜《よろこ》びをした|丈《だけ》だつたよ。|運《うん》の|悪《わる》い|者《もの》といふ|奴《やつ》ア、する|事《こと》なす|事《こと》|悪《わる》いものだ。あゝあ、|本当《ほんたう》に|世《よ》の|中《なか》が|厭《いや》になつて|了《しま》つたワイ』
『ウツフヽヽ、|其《その》|時《とき》の|嬶《かか》の|顔《かほ》が|見《み》たかつたのう』
『|丸切《まるき》り|出来損《できそこな》ひの|今戸焼《いまどやき》のダルマみた|様《やう》な|顔《かほ》をしてふくれた|時《とき》にや、|俺《おれ》も|聊《いささ》か|面目玉《めんぼくだま》をつぶしたよ。エーエ、|怪体《けたい》の|悪《わる》い、|序《ついで》にも|一《ひと》つ|話《はな》してやろ。これも|人力《じんりき》|引《ひ》いてゐた|時《とき》の|話《はなし》だ。|日輪様《にちりんさま》が|西《にし》の|山《やま》の|端《は》に|半身《はんしん》を|隠《かく》された|時分《じぶん》、|一人《ひとり》のお|客《きやく》がやつて|来《き》て、……オイ|俥屋《くるまや》、|俺《おれ》はジェールの|都《みやこ》を|見物《けんぶつ》に|来《き》た|者《もの》だが、|人《ひと》の|顔《かほ》の|見《み》えぬ|様《やう》になる|迄《まで》、|十銭《じつせん》|与《や》るから|乗《の》せて|呉《く》れぬか、……と|吐《ぬか》すので、|此奴《こいつ》あボロい、|三町《さんちやう》か|五町《ごちやう》|歩《ある》きや、ズツポリと|日《ひ》が|暮《く》れるだろ。|其《その》|間《あひだ》に|十銭《じつせん》の|金《かね》まうけはボロいと、|二《ふた》つ|返事《へんじ》でお|客《きやく》を|乗《の》せ、ゴロゴロと|引張《ひつぱり》|出《だ》した|所《ところ》、|二時間《にじかん》たつても|三時間《さんじかん》たつても|下《お》りようとぬかさず、とうと、|夜明《よあ》け|頃《ごろ》|迄《まで》|俥《くるま》を|引《ひ》かされた。それでもまだ、|人《ひと》の|顔《かほ》が|見《み》えるぢやないか、とお|客《きやく》は|吐《ぬか》す。|可怪《をか》しいと|空《そら》を|仰《あふ》いで|見《み》ると、|何《なん》の|事《こと》だ、|十四日《じふよつか》の|月夜《つきよ》だつた』
『ハヽヽ|可《い》い|馬鹿《ばか》だな。どうで|運《うん》の|悪《わる》い|奴《やつ》のする|事《こと》はそんなものだ。おまけに|余程《よほど》の|頓馬《とんま》だからな、フヽヽヽ』
|四五人《しごにん》の|労働者《らうどうしや》も|共《とも》に|声《こゑ》を|揃《そろ》へてゲラゲラと|笑《わら》つてゐる。そこへ|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》の|両人《りやうにん》は|何《なん》だか|意茶《いちや》つき|乍《なが》ら|坂路《さかみち》を|上《のぼ》つて|来《き》た。
バルガン『オイオイ、|彼奴《あいつ》が|日出島《ひのでじま》からやつて|来《き》たといふ、フンゾ|喰《ぐら》ひの|泥酔《どろよひ》の|守宮別《やもりわけ》といふ|奴《やつ》だ。そしてあの|婆《ばば》は|石灰《いしばひ》ガマの|鼬《いたち》のやうにコテコテと|白粉《おしろい》をぬつて|若《わか》う|見《み》せてゐやがるが、お|寅《とら》といふ|気違婆《きちがひばば》に|違《ちがひ》ないよ。|一《ひと》つ|腹《はら》いせに|嬲《なぶ》つてやらうぢやないか』
ガクシー『なぶつたつて|仕方《しかた》がないぢやないか。|何《なん》とか|因縁《いんねん》をつけて、|懐《ふところ》の|金《かね》でも、おつぽり|出《だ》さすよにせなけや、|忽《たちま》ち|明日《あす》の|生計《せいけい》が|立《た》たないからの』
『それもさうだ、|一《ひと》つ|相手《あひて》になつてみよう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|守宮別《やもりわけ》の|前《まへ》にツカツカと|進《すす》み|寄《よ》り、
『エ、|一寸《ちよつと》|物《もの》をお|尋《たづ》ね|申《まをし》ますが、|日出島《ひのでじま》からお|越《こし》になつてゐる、|守宮別《やもりわけ》さまといふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》|様《さま》は|貴方《あなた》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
|守宮《やもり》『ウン、|俺《おれ》は|守宮別《やもりわけ》だ。|何《なん》ぞ|用《よう》かな』
バルガン『ハイ、|別《べつ》に|用《よう》といふては|厶《ござ》いませぬが』
『|何《なん》だい、|用《よう》がなけりや、アタ|邪魔《じやま》|臭《くさ》い、|尋《たづ》ねるに|及《およ》ばぬぢやないか』
『オイ、ガクシー、|之《これ》から|汝《きさま》の|番《ばん》だ。|何《なん》だか|尋《たづ》ねる|様《やう》な|事《こと》があるやうに|云《い》つてたぢやないか。ドンドンと、それ、|物《もの》になる|迄《まで》|尋《たづ》ねるのだぞ』
ガクシー『ヨシ|来《き》た。|之《これ》からが|俺《おれ》の|本舞台《ほんぶたい》だ。モシモシ|守宮別《やもりわけ》さま、|此《この》|御婦人《ごふじん》はお|寅《とら》さまでせうね。|最前《さいぜん》も|聞《き》いて|居《を》れば、|神聖《しんせい》にして|犯《をか》す|可《べか》らざる|此《この》|霊山《れいざん》へ、お|寅《とら》さまと|意茶《いちや》つきもつて、お|登《のぼ》りになつたが、|左様《さやう》な|事《こと》をやつて|貰《もら》ふと、|聖地《せいち》が|汚《けが》れますよ。エルサレムの|市民《しみん》がこんな|事《こと》を|聞《き》かうものなら、お|前《まへ》さま、どんな|事《こと》になるか|知《し》れませぬぜ』
『ハツハヽヽヽ、|妬《や》くない|妬《や》くない、アレは、あやめのお|花《はな》といつて、|日出島《ひのでじま》|切《き》つての|別嬪《べつぴん》だ。お|寅《とら》なンか|古《ふる》めかしいワ。|今日《けふ》|更《あらた》めて|結婚式《けつこんしき》をあげ、|此《この》|霊山《れいざん》へ|御礼参《おれいまゐ》り|傍《かたがた》、|新婚《しんこん》|旅行《りよかう》と|洒落《しやれ》てゐるのだ。|神《かみ》さまだつて、|聖場《せいぢやう》だつて、|夫婦《ふうふ》が|参《まゐ》るのを|咎《とが》める|理由《りいう》はあるまい。|自由《じいう》の|権《けん》だ。|放《ほ》つといてくれ』
『|放《ほ》つとけといつても、|放《ほ》つとけぬワイ』
『ソンナラ|何《ど》うするといふのだ』
『|汝《きさま》の|生命《いのち》を|頂戴《ちやうだい》するのだ、|覚悟《かくご》せい』
『ハヽヽヽヽ、おあいにくさま。|一《ひと》つより|無《な》い|大事《だいじ》な|大事《だいじ》な|生命《いのち》は、|新夫人《しんふじん》の|花子嬢《はなこぢやう》にサーツパリ|与《あた》へて|了《しま》うたのだ。モウ|此《この》|上《うへ》やらうといつたつて、やる|物《もの》がないワイ』
お|花《はな》『ホヽヽヽ、もしもし|皆様《みなさま》、|守宮別《やもりわけ》さまの|命《いのち》は|皆《みな》このお|花《はな》が|頂戴《ちやうだい》したのですよ』
ガクシー『エー、のろけよるない。ここを|何《なん》と|心得《こころえ》てゐやがる』
『ここはパレスチナの|中心地《ちうしんち》、エルサレムの|市街《しがい》を|下《した》に|見《み》る、キリスト|再臨《さいりん》に|名《な》も|高《たか》き、|橄欖山《かんらんざん》の|中腹《ちうふく》ですよ』
『そらなーんぬかしてけつかる。|誰《たれ》がソンナ|事《こと》を|聞《き》いてゐるかい。サ、|汝《きさま》の|命《いのち》と|守宮別《やもりわけ》の|命《いのち》と、|二《ふた》つ|乍《なが》ら|一緒《いつしよ》に|貰《もら》はう、サ|覚悟《かくご》せい』
『お|易《やす》い|御用《ごよう》、|何卒《どうぞ》、|生命《いのち》をお|取《と》りやしたら、|頼《たの》んでおきますが、|守宮別《やもりわけ》さまと|一緒《いつしよ》に|体《からだ》を|引括《ひつくく》つて|葬《はうむ》つて|下《くだ》さいや』
『エー、|此奴《こいつ》アたまらぬ、まだ|惚《のろ》けてゐやがる。|箸《はし》にも|棒《ぼう》にもかからぬ|代物《しろもの》だな』
『ホヽヽヽ、どうで、お|前《まへ》さま|方《がた》の|手《て》に|合《あ》ふやうな|女《をんな》ぢや|厶《ござ》いませぬワイな。お|前《まへ》さまは|其《そ》んな|事《こと》いつてお|金《かね》が|欲《ほ》しいのだろ。お|金《かね》が|欲《ほ》しけらほしいと、なぜ|男《をとこ》らしうスツパリ|言《い》はぬのだい』
『|斯《か》うしてここに|六人《ろくにん》も|待《ま》つてゐるのだから、|少々《せうせう》の|目《め》くされ|金《がね》|位《ぐらゐ》|貰《もら》つたつて|仕方《しかた》がないワ。とつとと|百両《ひやくりやう》|許《ばか》しよこせ、さうすりや、|無事《ぶじ》に|此《この》|関所《せきしよ》を|通過《つうくわ》さしてやるワ。|淫乱婆《いんらんばば》|奴《め》が……』
『ホヽヽ、|妾《わたし》は|衆生済度《しゆじやうさいど》の|為《ため》、|此《この》|世《よ》に|現《あら》はれた|真宗《しんしう》の|開山《かいざん》【いんらん】|上人《しやうにん》ですよ。|肉食《にくじき》|妻帯《さいたい》、|勝手《かつて》たるべしといふ|宗門《しうもん》を|開《ひら》いたのだから、|別《べつ》に|守宮別《やもりわけ》さまと|手《て》をつないで|聖地《せいち》を|歩《ある》いたつて、|霊山《れいざん》の|法則《はふそく》に|反《そむ》きも|致《いた》しますまい。アタ|甲斐性《かひしやう》のない。|大《おほ》きな|荒男《あらをとこ》が|六人《ろくにん》も|寄《よ》つて、|百両《ひやくりやう》|呉《く》れなんて、よくも|言《い》へたものだな、せめて|一万両《いちまんりやう》|出《だ》してくれと|何故《なぜ》|言《い》はぬのだい』
『|一万両《いちまんりやう》でも|十万両《じふまんりやう》でも、|請求《せいきう》するこたア|知《し》つてるが、|其《その》|面《つら》で|大《おほ》きな|事《こと》いつたつて、|持《も》つて|居《ゐ》|相《さう》な|事《こと》がない。それだから、|汝《そなた》の|風体相応《ふうていさうおう》に|百両《ひやくりやう》と|云《い》つたのだ』
『ヘン、ソンナ|貧乏《びんばふ》と|思《おも》つて|下《くだ》さるのかい。コレ|御覧《ごらん》、|此《この》|貯金帳《ちよきんちやう》にチヤンと|一万両《いちまんりやう》|付《つ》いてるでせう。|併《しか》し|乍《なが》ら|何程《なにほど》|請求《せいきう》したつて、やるやらぬは|此方《こつち》の|自由《じいう》だ。そんなら|仕方《しかた》がないから、|百円《ひやくゑん》|恵《めぐ》んで|上《あ》げませう。|今後《こんご》は|必《かなら》ず|必《かなら》ず|無心《むしん》を|云《い》つちやなりませぬよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|百円《ひやくゑん》|束《たば》を|放《ほ》り|出《だ》せば、
『ヤア、これはこれは|有難《ありがた》う、|三拝九拝《さんぱいきうはい》、|正《まさ》に|頂戴《ちやうだい》|仕《つかまつ》ります。どうか|又《また》|宜《よろ》しう|御願《おねがひ》|申《まを》します』
『|嫌《いや》だよ、もうこれつ|切《き》りだから、|覚悟《かくご》しなさい。サ、|守宮別《やもりわけ》さま、|早《はや》くお|山《やま》の|頂上《ちやうじやう》|迄《まで》|参《まゐ》りませう』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|十四五人《じふしごにん》の|武装《ぶさう》した|憲兵《けんぺい》|警官《けいくわん》|現《あら》はれ|来《きた》り、バルガン、ガクシーを|始《はじ》め|四人《よにん》の|労働者《らうどうしや》を|有無《うむ》をいはせず、ふん|縛《じば》り、|坂路《さかみち》を|引立《ひつた》てて|行《ゆ》く。お|花《はな》は|之《これ》を|見《み》るより|又《また》|守宮別《やもりわけ》が|下《くだ》らぬ|義侠心《ぎけふしん》を|出《だ》してくれては|面倒《めんだう》だと、|守宮別《やもりわけ》の|手《て》を|無理無体《むりむたい》に|引張《ひつぱ》り|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良秋田別荘 松村真澄録)
第三篇 |開花《かいくわ》|落花《らくくわ》
第一一章 |狂擬怪《きやうぎくわい》〔一八一七〕
|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》の|両人《りやうにん》は|漸《やうや》くにして|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|登《のぼ》り、|涼《すず》しい|樹蔭《こかげ》に|佇《たたず》み、|風《かぜ》に|面《おもて》をさらし|乍《なが》らくだけたやうな、|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》をして、|暫《しばら》く|抱擁《はうよう》キツスをやつてゐると、|後《うしろ》の|林《はやし》からバタバタバタと|妙《めう》な|音《おと》がしたので|二人《ふたり》はビツクリして|猫《ねこ》が|交尾《つる》むだあとのやうに|両方《りやうはう》にパツと|三間《さんげん》|許《ばか》り|分《わか》れて|了《しま》つた。
『|何《なん》だいな、|人《ひと》をビツクリさして、|私《わたし》は|又《また》、お|寅《とら》さまぢやないかと|思《おも》つたのに、|鷹《たか》の|奴《やつ》、|本当《ほんたう》に|私《わたし》の|肝玉《きもだま》をデングリかへしよつたわ』
『ハヽヽヽヽ、お|寅《とら》は|昔《むかし》の|高姫《たかひめ》の|身魂《みたま》の|再来《さいらい》だから、|鷹《たか》が|現《あら》はれてビツクリさせよつたのも、【マンザラ】|因縁《いんねん》のない|事《こと》もあるまい、フツフヽヽヽ』
『ア、いやらしい、あのタのつく|奴《やつ》に|碌《ろく》なものは|一《ひと》つもありやしないわ。|狸《たぬき》に|田吾作《たごさく》にタワケに|高姫《たかひめ》、まだまだタントタント、【タ】|印《じるし》はあるけれど、|気《き》に|喰《く》はないもの|許《ばか》りだわ、それに|一番《いちばん》いかない|奴《やつ》は|高歩貸《たかぶがし》、|猪飼野《いかひぬ》の|権《ごん》さまだつて、|到頭《たうとう》|鬼《おに》になつて|了《しま》つたぢやありませぬか』
『ウツフヽヽヽヽ、|同《おな》じ【タ】でも|高天原《たかあまはら》は、どうだい』
『その【タ】と|此《この》【タ】とはタの|種類《しゆるゐ》が|違《ちが》ひますわ』
『|叩《たた》き|潰《つぶ》して|喰《く》ふタはどうだい』
『|好《す》きな|人《ひと》に|叩《たた》き|潰《つぶ》され、|喰《く》はれるのは|満足《まんぞく》ですわ』
『タゴール|博士《はかせ》やスタール|博士《はかせ》はどうだい』
『|青目玉《あをめだま》の|赤髭《あかひげ》の|毛唐人《けたうじん》さまなんて、ネツカラ|虫《むし》が|好《す》きませぬわね。|初《はじ》めて|自転倒島《おのころじま》からお|寅《とら》さまと|一緒《いつしよ》に|来《き》た|時《とき》、|旦那《だんな》さまと|英語《えいご》でペチヤペチヤ|云《い》つてゐた|毛唐《けたう》さまも、|矢張《やつぱり》【タ】がついてゐたやうですな』
『ウン、ありやお|前《まへ》、|有名《いうめい》なお|札《ふだ》|博士《はかせ》のスタールさまと|云《い》ふシオン|大学《だいがく》の|先生《せんせい》だよ』
『|大学《だいがく》の|先生《せんせい》ナンテよい|加減《かげん》のものですな。|貴方《あなた》のやうな|立派《りつぱ》なお|方《かた》や、|私《わたし》のやうな|美人《びじん》を、よう|認《みと》めなかつたぢやありませぬか』
『|何《なん》と|云《い》つてもお|寅《とら》の、あのスタイルでは|一寸《ちよつと》|見《み》た|所《ところ》、|威厳《ゐげん》が|無《な》いからのう。|私《わたし》だつて|鉛《なまり》を|銀《ぎん》だと|云《い》ひ|鷺《さぎ》を|烏《からす》として|紹介《せうかい》するのは|大変《たいへん》に|苦《くる》しかつたよ。うすいうすいメツキのかかつた|救世主《きうせいしゆ》だもの、|直《すぐ》に|生地《きぢ》が|見《み》えるのだから、どうする|事《こと》も|出来《でき》なかつたよ。|然《しか》しお|前《まへ》なら|容易《ようい》に|生地《きぢ》は|見《み》えまい、|何《なん》と|云《い》つても|都育《みやこそだ》ちだからなア、お|寅《とら》のやうに|山《やま》のほ|寺《でら》の|荒屋《あばらや》|住《すま》ひで|年《とし》を|取《と》つた|代物《しろもの》とは、テンで|比《くら》べ|物《もの》にならないからな、あの|時《とき》お|前《まへ》が|日出神《ひのでのかみ》と|名乗《なの》つてゐたなら、うまくいつたかも|知《し》れないよ』
お|花《はな》は|嬉《うれ》しさうに、
『そら、さうでせうね、|何程《なにほど》|研《みが》いても|金《きん》は|金《きん》、|瓦《かはら》は|瓦《かはら》ですもの。もし|旦那《だんな》さま、これから|私《わたし》が|救世主《きうせいしゆ》と|名乗《なの》つても|成功《せいこう》するでせうかな』
『そりや|無論《むろん》の|事《こと》だ。お|前《まへ》なら|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|正札付《しやうふだつき》の|救世主《きうせいしゆ》だよ』
『これ、|旦那《だんな》さま、|物《もの》も|相談《さうだん》ぢやが、|一《ひと》つお|寅《とら》さまの|向《むか》ふを|張《は》り、ブラバーサの|面皮《めんぴ》をむく|為《ため》に、|新《しん》ウラナイ|教《けう》を|立《た》てようぢやありませぬか。そして|世界《せかい》|万民《ばんみん》の|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》がれて|見《み》ようぢや|厶《ござ》いませぬか』
『そら、|面白《おもしろ》からう、|然《しか》し|救世主《きうせいしゆ》の|役《やく》はお|前《まへ》か、|私《わたし》か、どちらにしたら|宜《よ》いか』
『そら、|云《い》はいでも、きまつてゐますがな。|天照大御神《あまてらすおほみかみ》|様《さま》でも|女《をんな》でせう。|平和《へいわ》の|男神《をがみ》と|云《い》ふものはありませぬからな』
『いかにも、さう|聞《き》けや、さうだ』
『キリスト|教《けう》だつて|聖母《せいぼ》マリヤがあしらつてあればこそ、その|宗教《しうけう》が|天下《てんか》に|拡《ひろ》まつてゐるのですよ。|仏教《ぶつけう》だつて|阿弥陀《あみだ》さま|丈《だけ》では|駄目《だめ》です。お|釈迦《しやか》さまを|産《う》んだ|麻耶《まや》|夫人《ふじん》もあり、|又《また》|三十三相《さんじふさんさう》|具備《ぐび》した|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》や|弁才天《べんざいてん》があしらつてあるものだから、|仏教《ぶつけう》は|燎原《れうげん》の|火《ひ》のやうに|世界《せかい》に|燃《も》え|拡《ひろ》がり、|三千年《さんぜんねん》も|立《た》つた|今日《こんにち》|迄《まで》|命脈《めいみやく》を|保《たも》つてゐるのですよ。|三五教《あななひけう》だつて|坤《ひつじさる》の|金神《こんじん》と|云《い》ふ|女神《めがみ》さまをあしらつてあるぢやありませぬか。どうしても|宗教《しうけう》を|開《ひら》かうと|思《おも》へや|女《をんな》をあしらはねば|駄目《だめ》ですわ』
『さうすると、|何《なん》だな、|世《よ》の|中《なか》はサツパリ|女尊男卑《ぢよそんだんぴ》にして|了《しま》ふのだな』
『そら、さうですとも、|三五教《あななひけう》でさへも|霊主体従《れいしゆたいじう》と|云《い》つてるでせう。|霊《れい》は|女性《ぢよせい》を|意味《いみ》し、|体《たい》は|男性《だんせい》を|意味《いみ》してるぢやありませぬか』
『いかにも、|御尤《ごもつと》も、|分《わか》つてる。ソンナラ、|之《これ》からお|前《まへ》をお|花《はな》|大明神《だいみやうじん》と|崇《あが》め|奉《まつ》らう』
『いやですよ、お|花《はな》なぞと、|私《わたし》は|難浪津《なにはづ》に|咲《さ》くや|此花《このはな》|冬籠《ふゆごも》り、|今《いま》を|春《はる》べと|咲《さ》くや|木花《このはな》と、|帰化人《きくわじん》の|王仁《わに》|博士《はかせ》が|歌《うた》つておいた、|難浪津《なにはづ》に|生《うま》れたチャキチャキのお|花《はな》ですもの、どうか|木花姫命《このはなひめのみこと》と|云《い》つて|下《くだ》さいな、あの|雲表《うんぺう》に|聳《そび》えてゐるシオン|山《ざん》を|御覧《ごらん》なさい、あの|山《やま》だつて|日出島《ひのでじま》の|富士山《ふじさん》に、よく|似《に》てるでせう。|世界《せかい》の|国人《くにびと》は、あの|山《やま》を|尊称《そんしよう》してシオンの|娘《むすめ》と|云《い》つてるぢやありませぬか』
『ナル|程《ほど》、どうしてもお|前《まへ》は|俺《わし》よりは|役者《やくしや》が|一枚《いちまい》|上《うへ》だ。そんなら|今日《けふ》から|改《あらた》めてお|前《まへ》をシオンの|娘《むすめ》、|木花姫命《このはなひめのみこと》、|新《しん》ウラナイ|教《けう》の|大教主《だいけうしゆ》と|尊称《そんしよう》を|奉《たてまつ》らうかな』
お|花《はな》は|嬉《うれ》しさうにニコニコし|乍《なが》らチツト|許《ばか》りスネ|気分《きぶん》になり、|体《たい》をプイとゆすつて|口《くち》に|手《て》をあて、
『ホヽヽヽ、|何《ど》うなと|御勝手《ごかつて》になさいませ』
『お|気《き》に|入《い》りましたかな、イヤ|重畳々々《ちようでふちようでふ》。これで|愈《いよいよ》|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》もきまり|新《しん》ウラナイ|教《けう》の|組織《そしき》も|出来《でき》たと|云《い》ふものだ。サア|之《これ》から|一万円《いちまんゑん》の|資本《しほん》を|以《もつ》て|大々的《だいだいてき》|活躍《くわつやく》を|試《こころ》みようかい』
『これ|旦那《だんな》さま、|又《また》しても|一万円《いちまんゑん》|一万円《いちまんゑん》と|仰有《おつしや》いますが、|此《この》|一万円《いちまんゑん》だつて|使《つか》つたら、|減《へ》つて|了《しま》ひますよ。|此《この》|金《かね》はマサカの|時《とき》の|用意《ようい》とし、|貴方《あなた》と|二人《ふたり》の|生活費《せいくわつひ》|位《ぐらゐ》は|新宗教《しんしうけう》の|所得《しよとく》で|補《おぎな》ふやうにせなくちや|駄目《だめ》ですよ』
『|何《なん》と、お|前《まへ》は|大変《たいへん》な|経済家《けいざいか》だのう』
『そら、さうですとも、|生馬《いきうま》の|目《め》をぬくやうな|競争《きやうそう》の|烈《はげ》しい|大都会《だいとくわい》の|真中《まんなか》で、|一文《いちもん》なしから|立派《りつぱ》な|家屋敷《いへやしき》を|買求《かひもと》め、【あやめ】のお|花《はな》と|云《い》つて|満都《まんと》の|有情男子《いうじやうだんし》の|肝《きも》を|焦《じ》らしたと|云《い》ふ|兵士《つはもの》ですもの。|世《よ》の|中《なか》は|経済《けいざい》を|知《し》らなくちや|何事《なにごと》も|成功《せいこう》しませぬよ。|金《かね》さへあればバカも|賢《かしこ》う|見《み》え、|貴族院《きぞくゐん》|議員《ぎゐん》だ、|衆議院《しうぎゐん》|議員《ぎゐん》だ、|国家《こくか》の|選良《せんりやう》だと、|持《も》て|囃《はや》されませうがな。|矛盾《ほことん》|議員《ぎゐん》だつて、|着炭《ちやくたん》|議員《ぎゐん》だつて、|楠《くす》の|子《こ》の|墓《はか》|議員《ぎゐん》だつて、|墓標《ぼへう》|議員《ぎゐん》だつて、ヤツパリお|金《かね》の|力《ちから》ですわ。|私《わたし》だつて|文《もん》なしの|素寒貧《すかんぴん》だつたら、|旦那《だんな》さまの|目《め》には|馬鹿《ばか》に|映《うつ》るでせう。|又《また》|一層《いつそう》、|顔《かほ》の|皺《しわ》が|深《ふか》く|見《み》えるでせう』
『|成程《なるほど》|感心《かんしん》だ、|然《しか》し|乍《なが》らこれから|新宗教《しんしうけう》を|樹立《じゆりつ》しようと|思《おも》へばチツト|許《ばか》りは|資本《しほん》が|要《い》るよ。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|政府《せいふ》に|運動《うんどう》して、|宗教《しうけう》|独立《どくりつ》の|認可《にんか》を|受《う》けねばならぬなり、|相当《さうたう》の|出資《しゆつし》は|覚悟《かくご》せなくちやなるまい。お|前《まへ》だつて|一足飛《いつそくと》びに|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》となるのだもの、|少《すこ》し|位《くらゐ》の|犠牲《ぎせい》は|覚悟《かくご》して|貰《もら》はなくちやならないよ』
『それや、チツト|許《ばか》り|運動費《うんどうひ》の|要《い》る|位《ぐらゐ》の|事《こと》は|私《わたし》だつて|知《し》つてゐますわ』
『○○|教《けう》が|独立《どくりつ》したのも|運動費《うんどうひ》の|百万円《ひやくまんゑん》は|要《い》つたさうだし、××|教《けう》の|独立《どくりつ》の|際《さい》も|五十万円《ごじふまんゑん》の|金《かね》を|撒《ま》いたと|云《い》ふ|事《こと》だ。|陣笠《ぢんかさ》|議員《ぎゐん》に|出《で》ようと|思《おも》つても|五万《ごまん》や|十万《じふまん》の|金《かね》は|飛《と》ぶのだからな。そして|万一《まんいち》、マンが|悪《わる》くて|落選《らくせん》でもして|見《み》よ。|十万円《じふまんゑん》の|金《かね》を|溝《どぶ》に|放《ほ》つたやうなものだ。そして、おまけに|落選者《らくせんしや》の|名《な》を|天下《てんか》に|吹聴《ふいちやう》されるのだ。その|事《こと》を|思《おも》へば|一万円《いちまんゑん》の|運動費《うんどうひ》|位《ぐらゐ》|費《つか》つた|処《ところ》で|落選《らくせん》する|事《こと》はないのだから|安《やす》いものだよ』
『|一万円《いちまんゑん》も|運動費《うんどうひ》を|費《つか》つて|教主《けうしゆ》になつた|所《ところ》でつまりませんわ。せめて|三千円《さんぜんゑん》|位《ぐらゐ》で|成功《せいこう》|出来《でき》ますまいかな』
『そら、さうだ。|表《おもて》から|運動《うんどう》と|出《で》かけりや、|到底《たうてい》|二万《にまん》や|三万《さんまん》の|端金《はしたがね》では|駄目《だめ》だが、そこは|運動《うんどう》の|方法《はうはふ》によつて|三千円《さんぜんゑん》でも|漕《こ》ぎつけない|事《こと》はない。|然《しか》し|此《この》|芸当《げいたう》は|俺《おれ》ぢやなくちや|打《う》てない|芝居《しばゐ》だ』
『そら、さうでせうとも。|貴方《あなた》、|手続《てつづ》きをどうしてするお|考《かんが》へですか』
『マア、さうだな。|幸《さいはひ》に|日出島《ひのでじま》へやつて|来《こ》られた|時《とき》、|懇意《こんい》になつたお|札《ふだ》|博士《はかせ》のスタールさまも、|此《この》|大学《だいがく》に|居《を》られるし、タゴール|博士《はかせ》も|今迄《いままで》|二三回《にさんくわい》も|文通《ぶんつう》をしておいたし、キツト|成功《せいこう》|疑《うたがひ》なしだよ。どうしても|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》はレツテルの|流行《はや》る|世《よ》の|中《なか》だから|博士《はかせ》とか|大臣《だいじん》とか|華族《くわぞく》とかの|名《な》を|列《なら》べて、|顧問《こもん》にせなくちや、|嘘《うそ》だからな』
『「|前車《ぜんしや》の|覆《くつが》へるのは|後車《こうしや》の|警《いまし》め」と|云《い》ふ|事《こと》が|厶《ござ》いませう。|何卒《どうぞ》|博士《はかせ》や|大臣《だいじん》、|華族《くわぞく》を|引張《ひつぱり》|込《こ》むのなら、|手段《しゆだん》として|止《や》むを|得《え》ませぬが、|人物《じんぶつ》のよしあしを|調《しら》べてかかつて|下《くだ》さいや。|三五教《あななひけう》の|変性女子《へんじやうによし》のやうに、シヤツチもない、ガラクタ|文学士《ぶんがくし》の|鼻野高三《はなのたかざう》さまや、|鼻野《はなの》|中将《ちうじやう》なぞ、ドテライ|爆裂弾《ばくれつだん》を|抱《かか》へ|込《こ》みて|数十万円《すうじふまんゑん》の|借金《しやくきん》を|負《お》はされ、|後足《あとあし》で|砂《すな》かけられるやうな|下手《へた》な|事《こと》になつちやつまりませぬからな』
『ソンナ|事《こと》に|抜目《ぬけめ》があるものかい。マア|安心《あんしん》したがよからう』
かく|話《はな》す|所《ところ》へシオン|大学《だいがく》の|教授《けうじゆ》を|終《をは》り、|白《しろ》い|帽子《ばうし》を|頭《あたま》に|頂《いただ》き|乍《なが》ら、|太《ふと》いステッキをついて|彼方《かなた》へ|向《むか》つてボツボツ|歩《あゆ》み|出《だ》す|紳士《しんし》があつた。|守宮別《やもりわけ》は|一目《ひとめ》|見《み》るより、
『ヤア、お|花《はな》、あれが|有名《いうめい》なタゴール|博士《はかせ》だよ。あの|人《ひと》に|頼《たの》めば|大丈夫《だいぢやうぶ》だからな。しかし、|運動費《うんどうひ》が|先立《さきだ》つから、お|前《まへ》|一寸《ちよつと》|三千円《さんぜんゑん》|許《ばか》り|貸《かし》てくれないか』
『|今《いま》、ここに|現金《げんきん》は|所持《しよぢ》して|居《を》りませぬ。|郵便局《ゆうびんきよく》に|行《い》つて|来《こ》にや、|間《ま》にあひませぬわ』
『いかにもさうだつたね。それでは|一《ひと》つ|俺《おれ》が|博士《はかせ》に|会《あ》つて|話《はな》して|見《み》るから、お|前《まへ》が|来《く》ると|却《かへつ》て、いかないから、|一寸《ちよつと》ここに|待《ま》つてゐてくれ。どうやら|西坂《にしざか》から|帰《かへ》られるやうだからね』
『この|機会《きくわい》を|逸《いつ》せず、|早《はや》くおつついて|掛合《かけあ》つてみて|下《くだ》さいな』
『よし、ソンナラ|行《い》つて|来《く》る。お|花《はな》、|暫《しばら》くここに|待《ま》つてゐてくれ。どこの|男《をとこ》が|通《とほ》つても|話《はな》しちやいけないよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|横《よこ》|向《む》いてペロリと|舌《した》を|出《だ》し、
『サア|愈《いよいよ》お|花《はな》の|懐《ふところ》から|三千円《さんぜんゑん》の|現《げん》ナマを|引出《ひきだ》す|手蔓《てづる》が|出来《でき》た』
とホクホクし|乍《なが》ら、タゴールの|後《あと》を|追《お》ふて|西坂《にしざか》の|下《くだ》り|口《ぐち》へと|駆《かけ》り|行《ゆ》く。お|花《はな》は|吉凶《きつきよう》|如何《いか》にと、|片唾《かたづ》をのんで|木蔭《こかげ》に|佇《たたず》み、のび|上《あが》り|乍《なが》ら|様子《やうす》を|見《み》てゐる。|守宮別《やもりわけ》はタゴールの|後《あと》から|坂《さか》を|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|二人《ふたり》の|白《しろ》い|帽子《ばうし》が|空中《くうちう》を|歩《ある》いてゐるやうに|見《み》えた。
『もし|貴方《あなた》はタゴール|博士《はかせ》ぢやありませぬか』
タゴールは|一寸《ちよつと》|立止《たちど》まり、|後《あと》|振《ふ》り|向《む》いて、
『ハイ、|拙者《せつしや》はタゴールです。|貴方《あなた》はどなたで|厶《ござ》りますか。ネツカラお|目《め》にかかつた|事《こと》は|厶《ござ》いませぬが?』
『ハイ、|私《わたし》は|日出島《ひのでじま》から|宗教《しうけう》|視察《しさつ》に|参《まゐ》りました|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふ|海軍《かいぐん》|軍人《ぐんじん》で|厶《ござ》います。シオン|大学《だいがく》も|仲々《なかなか》|立派《りつぱ》に|建築《けんちく》が|出来《でき》ましたね。これも|全《まつた》く|貴方等《あなたがた》のお|骨折《ほねをり》の|結果《けつくわ》で|厶《ござ》いませう』
『ハイ、|有難《ありがた》う、|仲々《なかなか》|学校《がくかう》|事業《じげふ》と|云《い》ふものは|思《おも》つたよりも|費用《ひよう》の|要《い》るもので、|容易《ようい》に|完備《くわんび》する|所《ところ》へは|行《ゆ》きませぬ。|貴方《あなた》も|宗教《しうけう》|視察《しさつ》においでになつたのなら、どうです、シオン|大学《だいがく》に|入学《にふがく》なさつては』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、|此《この》|頃《ごろ》|一寸《ちよつと》|許《ばか》り|脳《なう》を|痛《いた》めてゐますので、エルサレム|病院《びやうゐん》になりと|入院《にふゐん》|致《いた》し、|全快《ぜんくわい》しました|上《うへ》お|世話《せわ》になりませう。どうかその|時《とき》は|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|十分《じふぶん》の|便宜《べんぎ》を|図《はか》りますから|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
『ソンナラ、どうか|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します。|貴方《あなた》の|権威《けんゐ》と|勢望《せいばう》によつて|私《わたし》の|目的《もくてき》を|達成《たつせい》するやう|御尽力《ごじんりよく》|下《くだ》さいませ。お|願《ねが》ひ|致《いた》します』
『ハイ、|確《たしか》に|承《うけたま》はりました。|左様《さやう》なら』
と|軽《かる》き|挨拶《あいさつ》を|交《かは》し|坂道《さかみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|何事《なにごと》にも|疑《うたが》ひ|深《ぶか》い、あやめのお|花《はな》は|実否《じつぴ》を|探《さぐ》らむものと|差足《さしあし》、|抜足《ぬきあし》、|守宮別《やもりわけ》とタゴールの|問答《もんだふ》を|聞《き》かむものとやつて|来《き》たが『|頼《たの》む、|承知《しようち》した』の|一言《いちごん》を|耳《みみ》に|入《い》れ、やつと|安心《あんしん》しホクホクしてゐる。|守宮別《やもりわけ》は、
『サア、|之《これ》から、うまくお|花《はな》をちよろまかさう』
と|後《あと》|振《ふ》りかへり|見《み》れば|坂道《さかみち》の|木《き》の|茂《しげ》みからお|花《はな》がニユツと|顔《かほ》を|出《だ》した。|守宮別《やもりわけ》は……サア|失敗《しまつ》た……、とサツと|顔色《かほいろ》が|変《かは》つたが、|元来《ぐわんらい》の|横着物《わうちやくもの》、そしらぬ|顔《かほ》で、
『ヤア、お|花《はな》、お|前《まへ》ここへ|来《き》て|居《ゐ》たのか、|博士《はかせ》と|私《わし》の|話《はなし》を|残《のこ》らず|聞《き》いたのだらう』
『ハイ、|全部《ぜんぶ》は|聞《き》きませなかつたが、|流石《さすが》は|守宮別《やもりわけ》さま、|偉《えら》いお|腕前《うでまへ》、お|花《はな》も|感心《かんしん》|致《いた》しました、どうやら|博士《はかせ》が|承知《しようち》して|呉《く》れたやうですな』
|守宮別《やもりわけ》は|此《この》|言《げん》に|虎穴《こけつ》を|逃《のが》れたやうな|心持《こころもち》で、ソツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、|鼻《はな》の|先《さき》でフーンと|息《いき》し|乍《なが》ら、
『オイ、お|花《はな》、|俺《おれ》の|腕前《うでまへ》は|大《たい》したものだらう。かうなりや|三千円《さんぜんゑん》の|運動費《うんどうひ》は|出《だ》さねばなるまい。|又《また》お|前《まへ》の|懐《ふところ》をゑぐつて|済《す》まないけどな』
『|目的《もくてき》が|成就《じやうじゆ》する|為《ため》のお|金《かね》なら、たとへ|一万両《いちまんりやう》|要《い》つたつて|構《かま》ひませぬわ。サア|之《これ》からシオン|大学《だいがく》の|立派《りつぱ》な|建築《けんちく》を|拝見《はいけん》して|帰《かへ》りませうよ』
『|帰《かへ》らうと|云《い》つたつて、|霊城《れいじやう》を|飛《と》び|出《だ》した|以上《いじやう》|宿《やど》がないぢやないか。|一体《いつたい》どこへ|帰《かへ》るつもりなのだい』
『ホヽヽヽヽ、|守宮別《やもりわけ》さまの|初心《うぶ》な|事《こと》。あんなトルコ|亭《てい》の|路地《ろぢ》のやうな|処《ところ》にある|霊城《れいじやう》なんかに|居《を》つたつて、|世間《せけん》の|聞《き》きなれが|悪《わる》くて|仕方《しかた》がありませぬわ。|堂々《だうだう》と|僧院《そうゐん》ホテルの|間借《まが》りでもして|活動《くわつどう》にかからうぢやありませぬか』
『|成程《なるほど》、そいつは|面白《おもしろ》い。サア|早《はや》く|帰《かへ》らう、どうやら|機関《きくわん》の|油《あぶら》が|切《き》れさうだ。|酒《さけ》のタンクが|空虚《くうきよ》を|訴《うつた》へ|出《だ》した』
『ホテルに|行《い》つて、|又《また》シツポリ|御酒《ごしゆ》でも|頂《いただ》きませう、ホヽヽヽ』
と|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|橄欖山《かんらんざん》を|下《くだ》らむとするところへ、|霊城《れいじやう》の|受付《うけつけ》をやつてゐたヤクがスタスタとやつて|来《く》るのに|出会《であ》つた。ヤクは|息《いき》をはずませ|乍《なが》ら、
『ヤアお|二人様《ふたりさま》、|大変《たいへん》に|探《さが》して|居《を》りました、サア|帰《かへ》りませう』
『これ、ヤクさま、お|寅《とら》さまの|様子《やうす》を|聞《き》いただらうな』
『ハイ、エルサレムの|町《まち》を|貴方《あなた》の|行衛《ゆくゑ》を|尋《たづ》ねて、ブラついて|来《き》ますと|十字街頭《じふじがいとう》に|黒山《くろやま》の|如《ごと》き|人《ひと》の|影《かげ》、|何事《なにごと》の|珍事《ちんじ》が|突発《とつぱつ》せしかと、|人込《ひとごみ》の|中《なか》からソツと|窺《うかが》つて|見《み》ればお|寅《とら》さまが|目《め》をまかして|居《ゐ》る。|警察医《けいさつい》が|飛《と》んで|来《き》て|注射《ちうしや》したり、いろいろと|介抱《かいほう》をした|結果《けつくわ》、お|寅《とら》さまがたうとう|息《いき》を|吹《ふ》きかへしました。トンクとテクの|奴《やつ》、お|寅《とら》さまを|俥《くるま》に|乗《の》せ、|自分《じぶん》も|後前《あとさき》を|俥《くるま》で|警固《けいご》し|乍《なが》ら、|霊城《れいじやう》さして|帰《かへ》り|行《ゆ》く|姿《すがた》を|確《たしか》に|認《みと》めました。|又《また》|二三日《にさんにち》して|身体《からだ》がよくなつたら|煩《うる》さい|事《こと》でせうよ』
『これ、ヤクさま、お|前《まへ》は、あれ|丈《だけ》|私《わたし》に|毒《どく》ついておいて、|何《なに》しに|来《き》たのだい』
『|何《なに》しに|来《き》たつて、|貴方《あなた》の|家来《けらい》にして|貰《もら》はうと|思《おも》つたからですよ。|職業《しよくげう》|紹介所《せうかいじよ》へ|行《い》つて|就職口《しうしよくぐち》を|世話《せわ》して|貰《もら》はうと|思《おも》ひましたが、あまり|沢山《たくさん》な|希望者《きばうしや》で、|三百人《さんびやくにん》の|就職口《しうしよくぐち》に|五千人《ごせんにん》の|希望者《きばうしや》があるのですもの、|到底《たうてい》お|鉢《はち》が|廻《まは》りませぬわ。どうか|男一匹《をとこいつぴき》|助《たす》けると|思《おも》つて|使《つか》つて|下《くだ》さいな。その|代《かは》りに|碗給《わんきふ》で|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますから』
『|私《わたし》は|今日《けふ》|改《あらた》めて|守宮別《やもりわけ》さまと|結婚《けつこん》をしたのだから、その|積《つも》りで|居《を》つて|下《くだ》さいや。そしてお|寅《とら》さまの|動静《どうせい》|時々《ときどき》を|洞察《どうさつ》して|報告《はうこく》して|下《くだ》さい。それさへ|立派《りつぱ》につとまるのならば、|番犬《ばんけん》を|一匹《いつぴき》|飼《か》ふたと|思《おも》つて、|使《つか》つて|上《あ》げますわ、ホヽヽヽヽ』
『もしお|花《はな》さま、|否《いな》|奥《おく》さま、|番犬《ばんけん》とは|殺生《せつしやう》ぢやありませぬか、なア|旦那《だんな》さま』
と|守宮別《やもりわけ》の|顔《かほ》を|見《み》る。
『フヽヽヽヽ、マア|大切《たいせつ》にして|上《あ》げるよ。|私《わし》と|二人《ふたり》に|使《つか》はれて|見《み》なさい。お|寅《とら》さまのやうなヒドイ|使《つか》ひやうはせないからな』
『ハイ|有難《ありがた》う、お|役《やく》に|立《た》つ|事《こと》なら、どんな|事《こと》でも|致《いた》しませう』
ここに|三人《さんにん》は、|急《いそ》ぎ|橄欖山《かんらんざん》を|下《くだ》り、|僧院《そうゐん》ホテルに|宿《やど》をとるべく、|山麓《さんろく》より|自動車《じどうしや》をかつて|意気《いき》|揚々《やうやう》と|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良 北村隆光録)
第一二章 |開狂式《かいきやうしき》〔一八一八〕
|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》、ヤクの|三人《さんにん》は、|僧院《そうゐん》ホテルの|立派《りつぱ》なる|座敷《ざしき》を、|三間《みま》ぶつ|通《とほ》しに|借《か》り|切《き》り、|奥《おく》の|間《ま》には、|新《しん》ウラナイ|教《けう》の|御本尊《ごほんぞん》、シオンの|娘《むすめ》、|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》を|奉斎《ほうさい》し、その|生宮《いきみや》として、アヤメのお|花《はな》は|天晴《あつぱれ》|教主《けうしゆ》となり|済《す》ますこととした。|発起者《ほつきしや》は|夫婦《ふうふ》|主従《しゆじう》|〆《しめ》て|三人《さんにん》、|先《ま》づ|祭典《さいてん》も|無事《ぶじ》に|済《す》み、|直会《なほらひ》の|酒宴《しゆえん》に|移《うつ》つた。|守宮別《やもりわけ》は|新宗教《しんしうけう》|創立《さうりつ》を|祝《しゆく》する|為《た》め、|酒《さけ》に|酔《よ》つ|払《ぱら》つた|怪《あや》しい|口元《くちもと》から、|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。
『|天《てん》も|清浄《しやうじやう》|地《ち》も|清浄《しやうじやう》  |清浄無垢《しやうじやうむく》の|御霊体《ごれいたい》
アヤメの|君《きみ》は|今《いま》|此処《ここ》に  |三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》
|世界《せかい》に|名高《なだか》き|神《かみ》の|山《やま》  シオンの|娘《むすめ》|木《こ》の|花《はな》の
|咲耶《さくや》の|姫《ひめ》と|現《あ》れまして  |浮瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|民草《たみぐさ》を
|愛《あい》と|善《ぜん》との|神徳《しんとく》に  |御霊《みたま》を|包《つつ》み|信真《しんしん》の
|光《ひかり》を|世界《せかい》に|輝《かがや》かし  |天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》かむと
|現《あら》はれ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ  |扨《さ》ても|世界《せかい》の|初《はじ》まりは
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》  |神伊邪那美《かむいざなみ》の|大御神《おほみかみ》
|夫婦《ふうふ》の|神《かみ》が|現《あ》れまして  |天《あめ》の|御柱《みはしら》|国柱《くにばしら》
|見立《みたて》て|玉《たま》ひて|汝《な》は|右《みぎ》へ  |廻《めぐ》らせ|給《たま》へ|吾《あ》は|左《ひだり》
|廻《めぐ》り|合《あ》はむと|宣《の》り|給《たま》ひ  |婚《とつぎ》の|業《わざ》を|初《はじ》めまし
|諸多《あまた》の|御子《みこ》を|生《う》み|生《う》みて  |生《う》みの|果《は》てには|山川《やまかは》や
|草木《くさき》の|神《かみ》|迄《まで》|造《つく》りまし  |遂《つひ》には|光明《くわうみやう》|赫々《かくかく》と
|輝《かがや》き|渡《わた》る|大日婁女《おほひるめ》  |天照《あまて》る|神《かみ》を|生《う》み|給《たま》ひ
|広《ひろ》き|世界《せかい》に|神国《しんこく》を  |立《た》てさせ|給《たま》ひし|古事《ふるごと》に
|習《なら》ひまつりて|吾々《われわれ》は  |那岐那美《なぎなみ》|二尊《にそん》にかたどつて
アヤメの|君《きみ》と|盃《さかづき》を  いとり|交《かは》しつ|神《かみ》の|為《た》め
|世人《よびと》の|為《た》めに|聖場《せいじやう》を  これの|聖地《せいち》につき|堅《かた》め
|百《もも》の|人草《ひとぐさ》|草木《くさき》|迄《まで》  |救《すく》はむ|為《た》めのこの|祭《まつり》
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  アヤメの|君《きみ》があればこそ
ヤクの|奴《やつこ》が|居《を》ればこそ  |守宮別《やもりわけ》の|太柱《ふとばしら》
|添《そ》ふて|居《を》りやこそ|今日《けふ》のよな  |誠《まこと》に|誠《まこと》に|結構《けつこう》な
|新宗教《しんしうけう》の|創立《さうりつ》が  |完全無欠《くわんぜんむけつ》に|出来《でき》たのだ
もしもお|寅《とら》が|居《を》つたなら  |一《いち》から|百《ひやく》|迄《まで》|蕪《かぶら》から
|菜種《なたね》の|屑《くづ》に|至《いた》るまで  ごてごてごてとさし|出口《でぐち》
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》を  |振《ふ》り|廻《まは》されて|吾々《われわれ》は
|一生《いつしやう》|頭《あたま》が|上《あが》らない  これを|思《おも》へば|此間《こなひだ》の
|喧嘩《けんくわ》は|却《かへつ》て|吾々《われわれ》の  |大幸福《だいかうふく》となつたやうだ
|昔《むかし》の|古《ふる》い|諺《ことわざ》に  |人間万事塞翁《にんげんばんじさいをう》の
|馬《うま》の|糞《くそ》とはよく|云《い》つた  【わいが】の|烈《はげ》しい|女神《めがみ》さま
|何程《なにほど》|御神業《ごしんげふ》と|云《い》つたとて  |鼻持《はなもち》ならず|好物《かうぶつ》の
|酒《さけ》さへ|味《あぢ》が|悪《わる》くなる  シオンの|娘《むすめ》と|現《あ》れませる
アヤメのお|花《はな》の|教主《けうしゆ》さま  【わいが】も【とべら】も|有《あ》りはせぬ
|頭《あたま》に|霜《しも》は|見《み》ゆれども  |却《かへつ》て|雅趣《がしゆ》を|添《そ》へるよだ
これも|全《まつた》く|神《かみ》さまの  |水《みづ》も|漏《もら》さぬ|御仕組《おんしぐみ》
|守宮別《やもりわけ》も|二三十年《にさんじふねん》  |若返《わかがへ》りたる|心地《ここち》する
あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い  |何《なに》より|彼《か》より|第一《だいいち》に
|命《いのち》の|水《みづ》の|酒《さけ》|呑《の》みて  |昔《むかし》の|綺麗《きれい》なナイスをば
|座右《ざう》に|侍《はべ》らし|優姿《やさすがた》  |梅花《ばいくわ》のやうな|唇《くちびる》の
|間《あひ》からチヨイチヨイ|現《あら》はれる  |象牙《ざうげ》のやうな|歯《は》の|光《ひかり》
|瑪瑙《めなう》のやうな|爪《つめ》の|色《いろ》  |梅花《ばいくわ》のやうな|頬《ほほ》の|艶《つや》
|天地《てんち》の|幸福《かうふく》|一身《いつしん》に  |独占《どくせん》したやうな|気《き》がしよる
エヘヽヽヽヽエヘヽヽヽ  コンナ|所《ところ》をお|寅《とら》|奴《め》が
|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いた|事《こと》ならば  |嘸《さぞ》や|泣《な》くだろ|怒《おこ》るだろ
|二人《ふたり》の|髻《たぶさ》をひつ|掴《つか》み  |金切声《かなきりごゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|近所合壁《きんじよがつぺき》|大騒動《おほさうだう》  |燗徳利《かんどつくり》は|宙《ちう》に|舞《ま》ひ
お|膳《ぜん》や|茶碗《ちやわん》はがちやがちやと  |木端微塵《こつぱみじん》に|潰滅《くわいめつ》し
|嵐《あらし》の|跡《あと》の|花《はな》の|山《やま》  |見《み》る|影《かげ》も|無《な》き|惨状《さんじやう》を
|現出《げんしゆつ》するに|違《ちが》ひない  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|願《ね》ぎまつる』
『オホヽヽヽ、|遉《さすが》はこちの|人《ひと》、|何《なん》とまア|当意即妙《たういそくめう》の|結構《けつこう》なお|歌《うた》だ|事《こと》。|傍《そば》に|聞《き》いて|居《ゐ》ても|胸《むね》がすき、|頭《あたま》がせいせいとして|来《き》ますわ。なぜ|又《また》|旦那《だんな》さまはコンナ|知恵《ちゑ》を|持《も》つて|居《ゐ》ながら、|今迄《いままで》|隠《かく》して|居《ゐ》たのですか。|鼠《ねずみ》とる|猫《ねこ》は|爪《つめ》|隠《かく》すとは|能《よ》く|云《い》つたものだなア。アヤメのお|花《はな》の|一身《いつしん》に|対《たい》しては、|本当《ほんたう》に|旦那《だんな》さまは|好《い》い|掘《ほ》り|出《だ》しものだよ』
『これこれ|肉宮《にくみや》さま、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い、|放出《ほりだ》し|者《もの》だなどと|云《い》つて|貰《もら》ひますまいぞや。|二《ふた》つ|目《め》には|気《き》に|入《い》らぬと|云《い》ふて|放《ほ》り|出《だ》されては|耐《たま》らないからな』
『ホヽヽヽヽ。|妾《わたし》は|決《けつ》して|放《ほ》り|出《だ》しませぬよ。|旦那《だんな》さまの|方《はう》から|放《ほ》り|出《で》ないやうに|頼《たの》みますわ』
『よし、そのだんは|安心《あんしん》して|呉《く》れ。|棚池《たないけ》の|生洲《いけす》の|鼬《いたち》がついたやうなものだ。|命《いのち》のない|所《とこ》|迄《まで》|離《はな》れつこは|無《な》いからな』
『あれ|程《ほど》|大切《たいせつ》にして|居《を》られたお|寅《とら》さまでさへも、|弊履《へいり》を|捨《す》つるが|如《ごと》くに|思《おも》ひ|切《き》つて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|厶《ござ》るのだもの。|第二《だいに》のお|寅《とら》さまにしられちや|耐《たま》りませぬからね』
『そこ|迄《まで》|心配《しんぱい》しては|際限《さいげん》がない。|俺《おれ》がお|前《まへ》を|愛《あい》する|程度《ていど》といふものは、|丸切《まるき》り|砂糖《さたう》の|固《かたま》りに|蟻《あり》がついたやうなものだよ。も|一《ひと》つ|違《ちが》つたら、|蛙《かへる》を|狙《ねら》ふ|蛇《へび》のやうなものだ、どこ|迄《まで》も|徹底的《てつていてき》にくつついて|行《ゆ》くのだからなア』
『ホヽヽヽ、|砂糖《さたう》に|蟻《あり》がついたなぞと、|余《あま》り|有難《ありがた》くもありませぬわ』
『それでもお|花《はな》、いや|女房《にようばう》、|生宮《いきみや》さま、|有難《ありがた》いよ。|甘《あま》いものは【ありがたがる】、【えぐい】ものや|苦《にが》いものは【ありがたがらぬ】、と|云《い》ふ|事《こと》があらうがな』
『|旦那《だんな》さまは、|妾《わたし》を|余程《よほど》|甘《あま》いと|見縊《みく》びつて|厶《ござ》るのですな。|砂糖《さたう》に|譬《たとへ》るとは|余《あんま》りですわ』
『それやお|花《はな》は|甘《あま》いよ、|花《はな》と|云《い》ふ|奴《やつ》みな|甘《あま》い|蜜《みつ》を|持《も》つて|居《ゐ》るので、|蜜蜂《みつばち》やドカ|蜂《ばち》がブンブンと|喰《くら》ひつくぢやないか。|俺《おれ》だつてお|花《はな》の|蜜《みつ》を|吸《す》ひたくなるのは|当然《たうぜん》だよ。お|花《はな》は|砂糖《さたう》でもあり、|砂糖《さたう》よりまだ|甘《あま》い|佐渡《さど》の|土《つち》を|持《も》つて|居《ゐ》るから、|尚《な》ほ|俺《おれ》が|好《す》きなのだよ。エヘヽヽヽ』
『|又《また》しても|又《また》しても|佐渡《さど》の|土《つち》だナンテ、|旧《ふる》めかしい|文句《もんく》を|云《い》ふて|下《くだ》さいますな。ホヽヽヽヽ』
『これ|肉宮《にくみや》さま。|今日《けふ》は|創立《さうりつ》の|祝《いは》ひだから、|肝腎《かんじん》の|生宮《いきみや》さまから|宣言歌《せんげんか》を|歌《うた》つて|貰《もら》ひ|度《た》いものですな』
『なんだか|衒《て》れくさくて|歌《うた》へませぬわ』
『ヘン、|何《なに》を|云《い》ふのだい。|矢張《やつぱ》り|結婚《けつこん》すると、|娘《むすめ》のやうに|恥《はづ》かしさが|分《わか》るのかいな。|非《ひ》が|蛇《じや》でも、|蟻《あり》が|鯛《たひ》でも、|芋虫《いもむし》が|鯨《くぢら》でも、|山《やま》の|芋《いも》が|鰻《うなぎ》になつても、|笹《ささ》の|葉《は》が|鰌《どぢやう》になつても、|今日《けふ》|許《ばか》りは|宣言歌《せんげんか》をお|謡《うた》ひなさらにや|駄目《だめ》ですよ。その|歌《うた》をつけとめて|置《お》いて|印刷屋《いんさつや》へ|廻《まは》し、ビラを|作《つく》つて|自動車《じどうしや》に|乗《の》り、|市中《しちう》へバラ|撒《ま》かねばならぬからな』
『ナントまア。|救世主《きうせいしゆ》にならうと|思《おも》へば|気《き》の|張《は》る|事《こと》だわい。ソンナラ シオンの|娘《むすめ》、|木《こ》の|花姫《はなひめ》の|生宮《いきみや》が|宣言歌《せんげんか》を|謡《うた》ひませう。|一言《ひとこと》も|漏《も》れなくつけとめて|下《くだ》されや』
『エ、|宜《よろ》しい。|承《うけたま》はりました。|分《わか》つて|居《ゐ》る。|併《しか》し|乍《なが》ら、ヤクさまの|方《はう》が|余程《よほど》|筆《ふで》が|達者《たつしや》だからなア。ヤク、お|前《まへ》が|一《ひと》つ|筆記役《ひつきやく》になつて|呉《く》れないか』
『ハイ|謹《つつし》みて|御用《ごよう》|承《うけたま》はりませう』
『ウンよしよし、アこれで|謡《うた》ひ|役《やく》に、|聞《き》き|役《やく》、|書《か》き|役《やく》と、|三拍子《さんびやうし》|揃《そろ》ふた。|目出度《めでた》い|目出度《めでた》い、サア|生宮様《いきみやさま》、
|歌《うた》ひなされやお|歌《うた》ひなされ
|歌《うた》ふて|御器量《ごきりやう》は|下《さが》りやせぬ
あーコリヤコリヤ』
と|謡《うた》ふて|立《た》ち|上《あが》り|踊《をど》り|始《はじ》める。アヤメのお|花《はな》は|日《ひ》の|丸《まる》の|扇《あふぎ》を|両手《りやうて》に|持《も》ち、|長《なが》い|裾《すそ》を|引《ひ》きずつて、すらすらとお|手《て》のものの|踊《をどり》を|始《はじ》め|出《だ》したり。
『|此処《ここ》は|世界《せかい》の|中心地点《ちうしんちてん》  |暗《やみ》の|世界《せかい》もパレスチナの
|珍《うづ》の|都《みやこ》のエルサレム  |三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》
|一度《いちど》に|開《ひら》く|時《とき》は|来《き》て  |前代未聞《ぜんだいみもん》の|救世主《きうせいしゆ》
シオンの|娘《むすめ》|木花《このはな》の  |咲耶《さくや》の|姫《ひめ》が|再臨《さいりん》し
アヤメのお|花《はな》の|肉体《にくたい》を  |自由自在《じいうじざい》に|使用《しよう》して
お|寅《とら》|婆《ば》さまやブラバーサ  |訳《わけ》の|分《わか》らぬ|宣伝使《せんでんし》
|瞬《またた》く|間《うち》に|打《たた》きつけ  |至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|聖道《せいだう》を
|開《ひら》くも|尊《たふと》き|今日《けふ》の|宵《よひ》  |花《はな》も|匂《にほ》へよ|蝶《てふ》も|舞《ま》へ
|千歳《ちとせ》の|鶴《つる》も|舞《ま》ひ|込《こ》めよ  |亀《かめ》も|這《は》ひ|込《こ》んで|万歳《ばんざい》を
|祝《ことほ》ぎまつれ|神《かみ》の|家《いへ》  やがて|独立《どくりつ》|宗教《しうけう》の
|大看板《だいかんばん》を|掲《かか》げつつ  |三千世界《さんぜんせかい》の|民衆《みんしう》に
|歓喜《くわんき》の|雨《あめ》を|濺《そそ》ぎかけ  |正真正銘《しやうしんしやうめい》の|救世主《きうせいしゆ》
|生神《いきがみ》さまと|謡《うた》はるる  |其《その》|暁《あかつき》も|近《ちか》づいた
|竜宮海《りうぐうかい》の|乙姫《おとひめ》も  |今日《こんにち》|限《かぎ》り|暇《ひま》|呉《く》れて
|三十二相《さんじふにさう》|又《また》|三相《さんさう》  |具備《ぐび》し|給《たま》へる|木《こ》の|花《はな》の
|姫《ひめ》の|尊《みこと》の|肉《にく》の|宮《みや》  アヤメのお|花《はな》が|今《いま》|茲《ここ》に
シオンの|娘《むすめ》と|現《あら》はれて  |三千世界《さんぜんせかい》の|隅々《すみずみ》も
|漏《もら》さず|落《おと》さず|救《すく》ひ|行《ゆ》く  |実《げ》にも|目出度《めでた》き|今日《けふ》の|日《ひ》は
|天《てん》|澄《す》み|渡《わた》り|地《ち》の|上《うへ》は  |春《はる》の|青草《あをぐさ》|萠《も》え|出《い》でて
|開闢以来《かいびやくいらい》の|救《すく》ひ|主《ぬし》  |大降臨《だいかうりん》を|待《ま》つ|如《ごと》し
|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》や  |喜《よろこ》び|祝《いは》へ|百《もも》の|人《ひと》
|慕《した》ひまつれよ|救世主《きうせいしゆ》  アヤメのお|花《はな》の|肉宮《にくみや》を。
ホヽヽヽヽ、どうかこれ|位《くらゐ》で|耐《こ》らへて|頂戴《ちやうだい》な。|何《なん》だか|恥《はづ》かしくて|後《あと》が|続《つづ》きませぬもの』
『|妙々《めうめう》。|天晴々々《あつぱれあつぱれ》。|天下《てんか》の|救世主《きうせいしゆ》だなア。ヤク、お|前《まへ》も|感心《かんしん》しただらう。お|寅《とら》さまに|比《くら》べて、どちらが|立派《りつぱ》だと|思《おも》ふか』
『それやさうですな、|本当《ほんたう》にさうですよ』
『そりやさうですな、では|分《わか》らぬぢやないか、どちらが|優《すぐ》れて|居《ゐ》るかと|問《と》ふて|居《ゐ》るのだ』
『ヘエヘエ、それやもう、テンで|段《だん》が|違《ちが》ひますわい、|比《くら》べものになりませぬがな』
『これこれヤクさま、どちらが|優《すぐ》れて|居《ゐ》ると|云《い》ふのだい』
『ハイ、|何《なん》と|云《い》つても、かんと|云《い》つても|何《なん》ですな。それや|矢張《やつぱ》り、|優《すぐ》れて|居《ゐ》る|方《はう》が|優《すぐ》れて|居《ゐ》ますなア』
『|怪体《けつたい》な|事《こと》|云《い》ふ|男《をとこ》だな。ハツキリ|云《い》ひなさらぬかいな』
『|御本人《ごほんにん》の|前《まへ》ですもの、|大抵《たいてい》にして|御推量《ごすいりやう》|下《くだ》さいな』
お|花《はな》は|自分《じぶん》が|褒《ほ》められて|居《ゐ》るのだと|思《おも》ひ、|満面《まんめん》に|笑《ゑみ》を|湛《たた》へ、|目《め》を|細《ほそ》め、|横目《よこめ》でヤクの|顔《かほ》を|一寸《ちよつと》|見《み》ながら、
『ホヽヽヽ、|遉《さすが》はヤクさまは|目《め》が|高《たか》いわい。それでこそ|守宮別《やもりわけ》さまの|添《そ》へ|柱《ばしら》、|確《しつか》り|頼《たの》みますぞや』
|直会《なほらひ》の|式《しき》も|漸《やうや》く|終了《しうれう》し、お|花《はな》が|郵便局《ゆうびんきよく》から|出《だ》して|来《き》た|三千円《さんぜんゑん》の|現金《げんなま》を|懐中《くわいちう》しながら、|新宗教《しんしうけう》|独立《どくりつ》の|運動《うんどう》をして|来《く》ると|云《い》ひ|残《のこ》し、|守宮別《やもりわけ》は|漂然《へうぜん》としてホテルを|立《た》ち|出《い》で、タゴールの|館《やかた》へは|行《ゆ》かず、|駅前《えきまへ》の|青楼《せいろう》さして|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良秋田別荘 加藤明子録)
第一三章 |漆別《うるしわけ》〔一八一九〕
|昨日《さくじつ》の|暴動《ばうどう》|騒《さわ》ぎで、|憲兵《けんぺい》や|警官《けいくわん》が|血眼《ちまなこ》になり、|行交《ゆきか》ふ|人《ひと》を|一々《いちいち》|誰何《すいか》して、|主義者《しゆぎしや》の|入込《いりこ》まない|様《やう》と、|警戒網《けいかいまう》を|張《は》つてゐる。|守宮別《やもりわけ》は|新調《しんてう》の|洋服《やうふく》を|着《つ》け|乍《なが》ら、|駅《えき》の|棟《むね》が|仄《ほの》かに|見《み》える|地点《ちてん》までやつて|来《く》ると、|一人《ひとり》の|警官《けいくわん》がツカツカと|寄《よ》り|来《きた》り、
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。|身体《しんたい》|検査《けんさ》を|致《いた》しますから』
|守宮別《やもりわけ》は|警官《けいくわん》よりも|何《なに》よりも|恐《おそ》ろしいのは、|疑深《うたがひぶか》いお|花《はな》の|追跡《つゐせき》である。|余《あま》り|彼方此方《あちらこちら》をキヨロキヨロと|見廻《みまは》し|乍《なが》ら|歩《ある》いてゐたものだから、|警官《けいくわん》に|怪《あや》しまれて、|首尾《しゆび》よく|取《と》つ|捉《つか》まれたるなりき。
『|私《わたし》は|守宮別《やもりわけ》です。|警官《けいくわん》に|調《しら》べられる|理由《りいう》はありませぬ。これでも|日出島《ひのでじま》の|高等《かうとう》|武官《ぶくわん》ですよ。|余《あま》り|乱暴《らんばう》な|事《こと》をなさると、|帝国《ていこく》|公使館《こうしくわん》へ|訴《うつた》へて、エルサレム|署《しよ》の|暴状《ばうじやう》を|曝露《ばくろ》し、|国際《こくさい》|問題《もんだい》を|起《おこ》しますよ、そこ|放《はな》して|下《くだ》さい。|急用《きふよう》がありますから』
『さう|慌《あわ》てるには|及《およ》ばないぢやありませぬか。どうも|其処辺《そこら》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、おちつきの|無《な》い|貴方《あなた》の|歩《ある》き|方《かた》、|挙動《きよどう》|不審《ふしん》と|認《みと》めますから、|一応《いちおう》|身体《しんたい》を|取調《とりしら》べます』
『|取調《とりしら》べるなら|調《しら》べても|宜《よろ》しい。|後腹《あとばら》の|病《や》めないやうに|気《き》をつけなさいや、ヘン、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にしてゐる』
といひ|乍《なが》ら、|自分《じぶん》からボタンを|外《はづ》し、|大道《だいだう》のまん|中《なか》で、|赤裸《まつぱだか》となり、オチコもポホラのヌボも|丸出《まるだ》しにして|見《み》せる。
『イヤ、|宜《よろ》しい、エー|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しました。どうぞ|服《ふく》を|着《つ》けて|下《くだ》さい』
『|服《ふく》を|着《き》いと|言《い》はなくとも、|俺《おれ》の|服《ふく》だ、|勝手《かつて》に|着《き》るワイ。|要《い》らぬ【おとがい】を|叩《たた》くな』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、スラスラと|洋服《やうふく》を|着《つ》け、|十日《とをか》|程《ほど》|前《まへ》にチラツと|見《み》ておいた、|白首《しらくび》の|居《ゐ》る|青楼《せいろう》|指《さ》して、|一目散《いちもくさん》に|走《はし》り|行《ゆ》く。|裸《はだか》になつた|際《さい》、|三千円《さんぜんゑん》|入《い》りの|蟇口《がまぐち》を|落《おと》し、|気《き》がつかぬ|様子《やうす》なので、|警官《けいくわん》は|何《なに》か|秘密《ひみつ》|書類《しよるゐ》でもあるのではなかろか。|日出島《ひのでじま》の|高等《かうとう》|武官《ぶくわん》だと|云《い》ひよつたから、|軍事《ぐんじ》|探偵《たんてい》かも|知《し》れない。|軍備《ぐんび》に|関《くわん》する|秘密《ひみつ》|書類《しよるゐ》でもあらうものなら、|巡査部長《じゆんさぶちやう》は|忽《たちま》ち|警部《けいぶ》になれるだらうといふ、いろいろな|考《かんが》へから、ソツと|拾《ひろ》ひあげ、|本署《ほんしよ》へ|持帰《もちかへ》り|署長《しよちやう》の|前《まへ》で|中《なか》を|検《あらた》める|事《こと》とした。|守宮別《やもりわけ》は|確《たしか》にポケツトの|中《なか》に|蟇口《がまぐち》と|共《とも》に|三千円《さんぜんゑん》|入《はい》つてゐるものと|安心《あんしん》し、|鷹揚《おうやう》な|態度《たいど》で、|青楼《せいろう》の|段階子《だんばしご》を|上《のぼ》り、|三階《さんがい》の|見晴《みはし》よき|一間《ひとま》に|入《はい》つて、|頻《しき》りに|手《て》を|叩《たた》いてゐる。|階下《かいか》の|方《はう》に『ハーイ』といふ|甲走《かんばし》つた|女《をんな》の|声《こゑ》がしたと|思《おも》へば、|間《ま》もなく、トントントンと|段階子《だんばしご》を|轟《とどろ》かせ|上《あが》つて|来《き》たのは、|兼《かね》て|見《み》ておいた、|色白《いろじろ》の|十七八《じふしちはち》の|美人《びじん》である。|守宮別《やもりわけ》は|俄《にはか》に|口《くち》のはたの|泡《あわ》を|拭《ふ》いたり|目《め》ヤニを|取《と》つたり、|鼻《はな》をかみたりし|乍《なが》ら、|済《す》ました|顔《かほ》で|控《ひか》へてゐると、
『お|客《きやく》さま、コンチは、|今日《コンチ》はありー……』
『ホヽヽヽ、|何《なん》だ|今日《コンチ》は|有《あ》りーと|云《い》ふたつて|分《わか》らぬぢやないか。|俺《おれ》や|砂糖《さたう》ではないぞ、|佐渡《さど》の|土《つち》の|化身《けしん》だぞ。モツとハツキリ|言《い》はぬかい』
『ハイ、あテイは、|総理《そうり》|大臣《だいじん》に|呼《よ》ばれましても、|知事《ちじ》さまに|招《よ》ばれましても、|華族《くわぞく》さまによばれましても、|今日《こんち》はアリーで|通《とほ》るのですもの、|今《いま》のお|役人《やくにん》さまは、|官等《くわんとう》で|一級《いつきふ》|違《ちが》ふと、それはそれは|偉《えら》いものですがな。|局長《きよくちやう》さまの|所《ところ》へ|課長《くわちやう》さまがお|出《いで》になると、|直立《ちよくりつ》|不動《ふどう》の|姿勢《しせい》で、……ハ、ハ、ハヽヽと、かう|畏《かしこ》まつてゐやはります。|局長《きよくちやう》さまは|局長《きよくちやう》さまで、|不行儀《ふぎやうぎ》な|格好《かくかう》で、|椅子《いす》にのさばり|返《かへ》つて、……|何々《なになに》の|事務《じむ》は|何《ど》うなつたか、|巧《うま》くやつとけよ……と|仰有《おつしや》ひます。さうすると、|課長《くわちやう》さまは、……ハア、オチ|二三式《にさんしき》で、|怖《こは》い|様《やう》にして|下《さが》つて|行《い》かはりますワ。|其《その》|局長《きよくちやう》さまが|大臣《だいじん》の|側《そば》へ|行《ゆ》くと|前《まへ》の|課長《くわちやう》さまよりも、マ|一《ひと》つエライ|謹慎振《きんしんぶり》ですよ。|総理《そうり》|大臣《だいじん》と|来《き》ちや|剛勢《がうせい》なものですよ。|其《その》|総理《そうり》|大臣《だいじん》さまがチョコチョコ|妾《あたい》を|呼《よ》んで|呉《く》れやはりますが、イヤもう|女《をんな》にかけたら、ヤクタイなものですワ。おつもの|毛《け》を|握《にぎ》つたり、|鼻《はな》をつまみ、|頤髯《あごひげ》を|掴《つか》んでパクパクさして|上《あ》げても、|顔《かほ》の|相好《さうがう》を|崩《くづ》して……コリヤ|綾子《あやこ》、|無茶《むちや》をするない……かう|仰有《おつしや》るのですもの、|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|権威《けんゐ》を、|芸者《げいしや》といふものは|具備《ぐび》してゐますよ。それだから、お|客《きやく》さまに、アリー……といつたのは|余程《よほど》|光栄《くわうえい》だと|思《おも》つて|下《くだ》さい』
『|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い、|一寸《ちよつと》|話《はな》せるワイ。お|前《まへ》は|今《いま》|綾子《あやこ》といつたが、|本名《ほんみやう》は|何《なん》といふのだ』
『ハイ、|妾《あたい》の|本名《ほんみやう》も|綾子《あやこ》、|源氏名《げんじな》は|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》さまですよ』
『ナニ?|綾子《あやこ》に|菖蒲《あやめ》、|怪体《けつたい》な|事《こと》もあるものだな。|女《をんな》に|迷《まよ》ふと【あやめ】も|分《わ》かぬ|真《しん》の|暗《やみ》になるといふ|事《こと》だが、|俺《おれ》の|心《こころ》もチツと|許《ばか》り【あや】しうなつて|来《き》たぞ』
『お|客《きやく》さま、|何程《なにほど》【あやめ】が|分《わか》らなくなつても、|綾子《あやこ》しい|事《こと》さへ|無《な》けりや、|晴天白日《せいてんはくじつ》ですワ』
『イヤ、|実《じつ》ア|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》|綾子《あやこ》の|君《きみ》の|艶麗《えんれい》な|御容姿《ごようし》を|拝観《はいくわん》して、|心《こころ》の|土台《どだい》が【あや】しくグラ|付《つ》き|出《だ》したのだよ。オイ、|綾子《あやこ》、|素面《すめん》では|話《はなし》が|出来《でき》ない。|酒肴《さけさかな》を|金《かね》は|構《かま》はないから、|充分《じゆうぶん》|拵《こしら》へて|持《も》つて|来《き》てくれ。そして|此処《ここ》に|芸者《げいしや》が|何人《なんにん》|居《を》るか|知《し》らぬが、|仮令《たとへ》|百人《ひやくにん》|居《を》つても|結構《けつこう》だ』
『お|客《きやく》さま、ソンナ|訳《わけ》にや|行《ゆ》きませぬよ。|当地《たうち》の|規則《きそく》として、|一人《ひとり》のお|客《きやく》さまに|一人《ひとり》より|芸者《げいしや》は|出《だ》す|事《こと》が|出来《でき》ないですもの』
『フーンさうか、そら|仕方《しかた》がない。|今日《けふ》は|実《じつ》ア|三千円《さんぜんゑん》の|散財《さんざい》をせうと|思《おも》つて|来《き》たのだが、ナアンのこつちやい。|厭《いや》でも|応《おう》でも|流連《いつづけ》せねばならぬのか、どれ|丈《だけ》|使《つか》つたつて、|一人《ひとり》の|芸者《げいしや》に|三百円《さんびやくえん》は|使《つか》へまい。さうすりや、|十日《とをか》も|有明楼《ありあけろう》の|牢獄住居《らうごくずまゐ》かな、アハヽヽヽ』
『|牢獄住居《らうごくずまゐ》なぞと、|何《なに》|仰有《おつしや》います。|激戦場裡《げきせんぢやうり》に|立《た》つてゐる|紳士紳商《しんししんしやう》、|大臣《だいじん》|其《その》|他《た》の|男《をとこ》さまが、|命《いのち》の|洗濯《せんたく》を|遊《あそ》ばす|天国《てんごく》|浄土《じやうど》ですよ。どうかお|金《かね》さへあれば、|十日《とをか》なと|百日《ひやくにち》なと|千日《せんにち》なと、|流連《いつづけ》して|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|妾《あたい》が|手枕《てまくら》して|可愛《かあい》がつて|上《あ》げますワ』
『ヨーシ|来《き》た。|此奴《こいつ》ア|洒落《しやれ》てる、|吾《わが》|意《い》を|得《え》たりといふべしだ。|実《じつ》ア|綾子《あやこ》、|俺《おれ》はな|十日《とをか》|程《ほど》|以前《いぜん》、|此《この》|門先《かどさき》を|通《とほ》つた|時《とき》、お|前《まへ》の|姿《すがた》をチラツと|見初《みそ》めてから、|煩悩《ぼんなう》の|犬《いぬ》が|狂《くる》ひ|出《だ》し、|寝《ね》ても|醒《さめ》てもゐられないので、|国許《くにもと》へ|電報《でんぱう》を|打《う》ち、|金《かね》を|送《おく》つて|貰《もら》つて、お|前《まへ》の|顔《かほ》を|見《み》に|来《き》たのだ。|俺《おれ》の|心底《しんてい》もチツトは、|汲取《くみと》つて|呉《く》れなくては|困《こま》るよ』
『あ、さう|仰有《おつしや》いますと、|十日《とをか》|程《ほど》|以前《いぜん》に、あの|有名《いうめい》な|気違《きちがひ》|婆《ば》アさまのお|寅《とら》さまとかいふ|救世主《きうせいしゆ》のお|伴《とも》をして|歩《ある》いてゐられた、【ゐもり】とか、【とかげ】とかいふお|方《かた》ぢやありませぬか。|随分《ずゐぶん》|親密《しんみつ》|相《さう》な|態度《たいど》で|歩《ある》いてゐられましたね。あんな|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまがあるのに、|妾《あたい》のやうなお|多福《たふく》が|相手《あひて》になつて、もしやお|寅《とら》さまに|嗅付《かぎつ》けられては、|妾《あたい》の|命《いのち》がありませぬワ。どうか|今日《けふ》は|帰《かへ》つて|下《くだ》さいな。|一生《いつしやう》のお|願《ねがひ》ですもの』
『|馬鹿《ばか》いふな、|俺《おれ》は|三ケ月《さんかげつ》|以前《いぜん》、|国許《くにもと》を|出発《しゆつぱつ》し、スイスのゼネバへ、エスペラント|会議《くわいぎ》があつたので、|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》きに|行《い》つた|帰《かへ》りがけだ』
『|何時《いつ》ゼネバからお|帰《かへ》りになつたのですか』
『ウン|昨日《きのふ》|帰《かへ》つて|来《き》た|所《ところ》だ』
『ようマア、お|客《きやく》さま、ソンナ|嘘《うそ》つ|八《ぱち》が|言《い》はれたものですな、|現《げん》に|今《いま》|妾《あたい》に、|十日前《とをかまへ》に|妾《あたい》の|顔《かほ》を|見《み》たと|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか』
『そら|言《い》ふた。|確《たしか》に|言《い》ふた。|其《その》|十日前《とをかまへ》はゼネバへ|行《ゆ》く|道《みち》すがらだもの』
『|成程《なるほど》、ソンナラさうにしておきませう。|兎《と》も|角《かく》お|金《かね》さへ|払《はら》つて|貰《もら》へば、|商売《しやうばい》ですから、|金《かね》|丈《だけ》の|愛《あい》は|注《そそ》ぎますよ』
『オイ|早《はや》く|酒《さけ》を|持《も》つて|来《こ》ぬかい、|座《ざ》が|白《しら》けて|仕方《しかた》がないぢやないか』
と|云《い》つてゐる|時《とき》しも、トントントンと|階段《かいだん》を|上《のぼ》る|足音《あしおと》が|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
『お|客《きやく》さま、お|待兼《まちかね》のお|酒《さけ》が|来《き》た|様《やう》ですワ』
『ヤ、|其奴《そいつ》ア|豪気《がうき》だ。|早《はや》く|早《はや》く、|待兼山《まちかねやま》の|杜鵑《ほととぎす》だ』
|茲《ここ》に|両人《りやうにん》は|喋々喃々《てふてふなんなん》と|酒《さけ》|汲《く》み|交《か》はし、|下《くだ》らぬ|話《はなし》に|時《とき》を|費《つひや》したり。|守宮別《やもりわけ》も|綾子《あやこ》も|無敵《むてき》の|上戸連《じやうこれん》で|瞬《またた》く|間《うち》に|七八十本《しちはちじつぽん》の|燗徳利《かんとつくり》をこかして|了《しま》ひぬ。|綾子《あやこ》は|酒《さけ》に|酔《よ》ふたが|最後《さいご》、|仕《し》だらのない|女性《ぢよせい》で、|自分《じぶん》の|方《はう》から、お|膳《ぜん》を|据《す》ゑるといふ、したたか|者《もの》である。|守宮別《やもりわけ》は|益々《ますます》|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》り、
『アヽア、|一万円《いちまんゑん》の|金《かね》があれば、|一月《ひとつき》は|悠《ゆつ》くり|遊《あそ》べるのになア……』
と|私《ひそ》かに|歎息《たんそく》をもらし|乍《なが》ら、|会《あ》ふた|時《とき》に|笠《かさ》ぬげ|式《しき》で、|味《あぢ》の|悪《わる》い|蛤《はまぐり》を|食《く》つた|口直《くちなほ》しにと、|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》に|上《うへ》を|下《した》への|大活劇《だいくわつげき》をやり|出《だ》した。|到当《たうとう》|二人《ふたり》は|髪《かみ》の|毛《け》から|爪《つめ》の|先《さき》|迄《まで》|解《と》け|合《あ》ふて|了《しま》ひ、|切《き》つても|切《き》れぬ|恋仲《こひなか》となりにけり。
『オイ、|綾子《あやこ》、お|前《まへ》は|一体《いつたい》どこから|来《き》たのだい』
『ハイ|妾《あたい》はエルサレム|生《うま》れですよ。お|父《とう》さまが|極道《ごくだう》だものですから、たうとう|妾《あたい》をコンナ|所《ところ》へ|売《う》つて|了《しま》つたのです。|妾《あたい》の|生《うま》れた|時《とき》は|相当《さうたう》な|財産家《ざいさんか》だつたさうですが|間《ま》もなくお|母《かあ》さまが|亡《な》くなられたので、お|父《とう》さまが|後妻《ごさい》を|引入《ひきい》れ、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|酒池肉林《しゆちにくりん》の|大騒《おほさわ》ぎ、|何程《なにほど》|金《かね》が|有《あ》つても|働《はたら》かずに|食《く》つて|許《ばか》り|居《を》れば、|山《やま》さへ|無《な》くなる|道理《だうり》、たうとう|貧乏《びんばふ》のドン|底《ぞこ》に|落《お》ちて、|首《くび》がまはらぬので、|妾《あたい》を|十一《じふいち》の|年《とし》から、|此《この》|有明楼《ありあけろう》へ|十年《じふねん》|千円《せんゑん》の|約束《やくそく》で|売《う》つて|了《しま》つたのです。|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|親《おや》ですワ』
『フーン、|話《はなし》を|聞《き》けば|聞《き》く|程《ほど》|可哀相《かあいさう》だ。ヨーシ、|俺《おれ》がキツと|助《たす》けてやるから|心配《しんぱい》するな。お|前《まへ》のお|父《とう》さまといふのは|今《いま》|何《なに》してゐるのだ』
『ヘー、|気違《きちがひ》|婆《ば》アさまと|仇名《あだな》を|取《と》つた、お|寅《とら》さまとかいふ|方《かた》の、|玄関番《げんくわんばん》に|雇《やと》はれてるといふ|事《こと》ですが、どうなつたか|知《し》りませぬ。|此《この》|間《あひだ》も|旦那《だんな》さまによう|似《に》た|男《をとこ》ハンとお|寅《とら》さまと、|妾《あたい》のお|父《とう》さまと、ここの|門《かど》に|立《た》ち、|妾《あたい》を|指《ゆびさ》さしてゐました。アンナ|人《ひと》がお|父《とう》さまかと|思《おも》へば|恥《はづか》しうて|堪《たま》りませぬワ』
『ナニ、あのヤク、……』
といひかけて、|俄《にはか》に|口《くち》をつめ、
『ソリヤ、ヤク|介者《かいもの》だなア。お|前《まへ》の|心痛《しんつう》も|察《さつ》する。|併《しか》し|人間《にんげん》は|七転八起《ななころびやおき》といふから|心配《しんぱい》するには|当《あた》らないよ』
『ハイ|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|旦那《だんな》さま、|何《ど》う|考《かんが》へても、お|寅《とら》さまと|一緒《いつしよ》に|歩《ある》いて|居《を》られた、|守宮別《やもりわけ》さまのやうに|思《おも》へて|仕方《しかた》がありませぬワ』
『そら|世界《せかい》にや、|他人《たにん》の|空似《そらに》といつて、よく|似《に》た|者《もの》が|二人《ふたり》づつあるといふ|事《こと》だから。それ|程《ほど》|又《また》|私《わし》に|能《よ》う|似《に》た|男《をとこ》があつたかいな』
『|色《いろ》の|浅黒《あさぐろ》い、|口《くち》の|尖《とが》つた|所《ところ》、|目《め》の|丸《まる》い|所《ところ》、|鼻《はな》の|格好《かくかう》、|毛《け》の|伸《の》び|具合《ぐあひ》、どつから|何処《どこ》|迄《まで》|瓜二《うりふた》つですワ、|妙《めう》な|事《こと》があるものですな』
『|綾子《あやこ》、もうソンナこたア、|何《ど》うでも|可《い》いから、|一《ひと》つあつさり|唄《うた》はうぢやないか』
『どうか|一《ひと》つ|旦那《だんな》さまから|唄《うた》つて|下《くだ》さいな。そして、|旦那《だんな》さまのお|名《な》を|聞《き》かして|下《くだ》さいな。|旦那《だんな》さま|旦那《だんな》さまでは、|根《ね》つから|気《き》が|行《ゆ》きませぬからな』
『ウン、|俺《おれ》の|名《な》かい、|俺《おれ》の|名《な》は……ウン、さうだな、マア、ブラバーサにしておかうかい』
『|旦那《だんな》さまツたら、なまくらな。そら|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|名《な》ぢやありませぬか。|意茶《いちや》つかさずに|本当《ほんたう》の|名《な》を|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいな』
『さう|短兵急《たんぺいきふ》に|追及《ついきふ》されては、|早速《さつそく》に|名《な》が|出《で》て|来《こ》ぬワ。マテマテ、|急《せ》くな、|慌《あわ》てな、せいては|事《こと》を|仕損《しそん》ずるからなア』
『せかねば|事《こと》が|間《ま》に|合《あ》はず……とかいひましてね、ホヽヽヽヽ』
『|俺《おれ》の|名《な》を|聞《き》いて|驚《おどろ》くな。|吾《わ》れこそは、|日出《ひので》の|島《しま》にて|名《な》も|高《たか》き、ウヅンバラ・チヤンダーといふ|者《もの》だよ』
『|嘘《うそ》|許《ばか》り、ウヅンバラ・チヤンダーは|救世主《きうせいしゆ》ぢやありませぬか』
『|此奴《こいつ》ア|失敗《しま》つた。|実《じつ》は|漆別《うるしわけ》といふのだよ』
『|本当《ほんたう》ですか、|漆別《うるしわけ》か、うるさい|別《わけ》か|知《し》らぬけれど、|何《なん》だか|判然《はつきり》せぬお|名前《なまへ》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
『まア|何《ど》うでも|可《い》い。|目出度《めでたく》これで|帰敬式《ききやうしき》も|済《す》むだのだから、お|前《まへ》と|俺《おれ》とは|神《かみ》の|許《ゆる》した|夫婦《ふうふ》だ。|何《ど》うだ|嬉《うれ》しいか』
|綾子《あやこ》はプリンと|背《せ》を|向《む》けて、
『|知《し》りませぬ』
『ハヽア、|肝腎《かんじん》の|事《こと》を|忘《わす》れて|居《を》つたワイ。お|愛想《あいそ》をするのを……』
といひ|乍《なが》ら、ポケットに|手《て》を|入《い》れて|見《み》たが|蟇口《がまぐち》が|無《な》いので、|吃驚《びつくり》し、
『ヤ、|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ、|失敗《しま》つたア……』
『|漆別《うるしわけ》さま、|何《なに》かお|忘《わす》れになつたのですかい』
『|落《おと》したア……、|力《ちから》おとした……。|困《こま》つたなア……』
『そらお|困《こま》りですな。|警察《けいさつ》へお|届《とど》けになつたら|何《ど》うです。|正直《しやうぢき》な|拾《ひろ》ひ|主《ぬし》があつて|届《とど》けてるかも|知《し》れませぬよ』
『|実《じつ》ア、そこの|四辻《よつつじ》で|警官《けいくわん》に|怪《あや》しまれ、|身体《しんたい》|検査《けんさ》をやられた|時《とき》にや、|今《いま》|考《かんが》へてみると、|已《すで》に|有《も》つてゐなかつたやうだ。どつかで、チボにでもやられたのだろ。|併《しか》し|綾子《あやこ》、|俺《おれ》は|斯《か》う|見《み》えても、|国許《くにもと》では|百万《ひやくまん》|長者《ちやうじや》の|息子《むすこ》だから、|電報《でんぱう》|一《ひと》つ|打《う》てば、|一週間《いつしうかん》|経《た》たぬ|間《ま》に|電報《でんぽう》|為替《かはせ》で|送《おく》つてくるから、それまで|夫婦《ふうふ》になつたよしみで、お|前《まへ》の|金《かね》で、ここの|払《はら》ひを|済《す》ましておいて|呉《く》れないか』
『ハイ、|外《ほか》ならぬ|貴方《あなた》の|事《こと》ですから、|払《はら》つて|置《お》きませう。お|金《かね》が|来《き》たら、|屹度《きつと》|来《き》て|下《くだ》さいや』
『ヨシヨシ、お|前《まへ》を|忘《わす》れてなるものかい。|今日《けふ》|俺《おれ》が|此《この》|楼主《ろうしゆ》に|対《たい》して|赤恥《あかはぢ》をかく|所《ところ》を|助《たす》けてくれたお|前《まへ》だもの、|況《ま》して|切《き》つても|切《き》れぬ|仲《なか》となつたのだもの、|之《これ》を|忘《わす》れてたまるものかい。あゝ|仕方《しかた》がない。|之《これ》から|一寸《ちよつと》カンラン|山《ざん》を|見物《けんぶつ》して|来《く》るから、お|前《まへ》ここに|待《ま》つてゐてくれ』
『ソンナ|所《ところ》へお|出《いで》|遊《あそ》ばすにや|及《およ》ばぬぢやないですか。|妾《あたい》の|側《そば》に|居《ゐ》るより、|橄欖山《かんらんざん》の|方《はう》が|恋《こひ》しいのですか』
『ナニ、ソンナ|事《こと》があるものかい。お|前《まへ》の|側《そば》を|一刻《いつこく》も|離《はな》れ|度《た》くないのだけれど、|懐中無一物《くわいちうむいつぶつ》では、どうも|安心《あんしん》して、|世話《せわ》になつてる|訳《わけ》にはゆかぬぢやないか』
『|妾《あたい》と|貴方《あなた》の|仲《なか》ぢやもの、|三日《みつか》や|五日《いつか》|御逗留《ごとうりう》|遊《あそ》ばしたつて|構《かま》ひませぬワ。|衣裳《いしやう》を|質《しち》に|置《お》いてでも、|三日《みつか》や|五日《いつか》は|養《やしな》ひますもの、マア|安心《あんしん》して|下《くだ》さいな』
『ヨーシ、それでは|序《ついで》にモウ|二日《ふつか》|厄介《やくかい》にならう。|実《じつ》はな、|僧院《そうゐん》ホテルの|第一号室《だいいちがうしつ》を|借切《かりき》つてあるのだから、そこへ|行《い》つて|宿《とま》れば|金《かね》が|無《な》くても、|五日《いつか》や|十日《とをか》は|暮《くら》せるのだからな』
|斯《か》く|両人《りやうにん》は|心《こころ》から|打《うち》とけて|恋仲《こひなか》となり、|守宮別《やもりわけ》は|綾子《あやこ》の|云《い》つた|如《ごと》く、|二晩《ふたばん》|逗留《とうりう》して|三日目《みつかめ》の|昼頃《ひるごろ》ブラリブラリと、|何《なに》くはぬ|顔《かほ》して、|僧院《そうゐん》ホテルへ|帰《かへ》り|来《きた》りける。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良秋田別荘 松村真澄録)
第一四章 |花曇《はなぐもり》〔一八二〇〕
お|花《はな》はヤクと|共《とも》に、|次《つぎ》の|間《ま》に|端坐《たんざ》し|乍《なが》ら、|守宮別《やもりわけ》の|帰館《きくわん》を、|今《いま》やおそしと|待《ま》ち|構《かま》へ|居《ゐ》たり。
『これ、ヤクさまエ、|旦那《だんな》さまは|宗教《しうけう》|独立《どくりつ》|運動《うんどう》に|行《ゆ》くと|云《い》つて、ここを|出《で》られたきり、|今日《けふ》で|三日目《みつかめ》になるのに、まだお|姿《すがた》が|見《み》えないのは、チト|怪《あや》しいとは|思《おも》ひませぬか。もしやお|寅《とら》さまの|所《ところ》へでも、あの|金《かね》を|握《にぎ》つたのを|幸《さいは》ひ、ズボリ|込《こ》みてゐるのぢやなからうかな』
『|何《なに》おつしやいます。|旦那《だんな》さまに|限《かぎ》つて、ソンナバカなことなさいますか。あれ|程《ほど》お|寅《とら》さまに|愛想《あいそ》をつかして、ゲヂゲヂのやうに|云《い》つてゐられましたもの』
『それだつて、あの|旦那《だんな》さまはアーンと|欠伸《あくび》をなさつたら|険呑《けんのん》だよ。それを|境界線《きやうかいせん》として、いつも|心機一転《しんきいつてん》する|癖《くせ》があるのだもの。これから|旦那《だんな》さまが|外出《ぐわいしゆつ》される|時《とき》は、ヤクお|前《まへ》は|見《み》えかくれにでも、ついて|行《い》つて|貰《もら》はねばならないよ』
『それまで|夫婦間《ふうふかん》で|疑《うたが》つちや|駄目《だめ》ですよ。|夫《をつと》は|妻《つま》を|信《しん》じ|妻《つま》は|夫《をつと》を|信《しん》じなくちや|本当《ほんたう》の|夫婦《ふうふ》ぢやありませぬよ。|旦那《だんな》さまに|限《かぎ》つて、ソンナバカな|事《こと》はなさりやしませぬ。|此《この》ヤクがキツト|保証《ほしよう》しておきますわ』
かく|案《あん》じてゐる|所《ところ》へ、ボーイの|案内《あんない》につれてエルサレム|署《しよ》の|警官《けいくわん》が、
『|守宮別《やもりわけ》さまは|居《ゐ》られますか』
と|尋《たづ》ね|来《き》たりぬ。お|花《はな》は|警官《けいくわん》の|姿《すがた》を|見《み》て、
『ハハ|守宮別《やもりわけ》の|運動《うんどう》によつて|教会《けうくわい》の|独立《どくりつ》が|許可《きよか》になるのだらう。その|報告《はうこく》のため|上官庁《じやうくわんちやう》の|内命《ないめい》をおびて|調査《てうさ》に|来《き》たのだな。こりや|此《この》|際《さい》|十分《じふぶん》|高尚《かうしやう》に|構《かま》へて|居《を》らねばなるまい』
と|思案《しあん》を|定《さだ》め、|俄《にはか》にオチヨボ|口《ぐち》をし|乍《なが》ら、
『|妾《わらは》こそはシオンの|娘《むすめ》、|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》の|精霊《せいれい》を|宿《やど》した|大救世主《だいきうせいしゆ》、【あやめ】のお|花《はな》が|肉宮《にくみや》で|厶《ござ》るぞや。|警官《けいくわん》どの、サアサア|調《しら》べて|下《くだ》され。シオンの|娘《むすめ》に|間違《まちが》ひありませぬぞや。これ、ヤク|殿《どの》、|守宮別《やもりわけ》が|不在《ふざい》だによつて、そなた|代《かは》つて、|警官殿《けいくわんどの》のお|相手《あひて》をなさつたが|宜《よろ》しからうぞや』
『これはこれは|警官様《けいくわんさま》、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》います。あの、|何《なん》で|厶《ござ》いますか。|宗教《しうけう》|独立《どくりつ》の|許可《きよか》になつたので|厶《ござ》いますかな。|小身者《せうしんもの》のヤクも|鶴首《かくしゆ》して|吉報《きつぱう》を|待《ま》つて|居《ゐ》ました』
『いや、|左様《さやう》な|事《こと》で|来《き》たのぢやありませぬ。|実《じつ》は、|一昨日《おととひ》の|夕方《ゆふがた》、|停車場《ステイシヨン》|街道《かいだう》で|此方《こちら》の|主人《しゆじん》|守宮別《やもりわけ》|殿《どの》に|出会《であ》ひ、|挙動《きよどう》|不審《ふしん》と|認《みと》めて、|警戒《けいかい》の|巡査《じゆんさ》が|取調《とりしら》べた|所《ところ》、|別《べつ》に|怪《あや》しき|方《かた》でないと|判明《はんめい》し、|直《ただち》に|放免《はうめん》しました。その|後《あと》で、|大枚《たいまい》|三千円《さんぜんゑん》|入《い》りの|蟇口《がまぐち》が|落《お》ちてゐるので、|本署《ほんしよ》へ|届《とど》けて|来《き》ました。|署長《しよちやう》と|立会《たちあ》ひの|上《うへ》|調《しら》べて|見《み》ると、|僧院《そうゐん》ホテル|第一号《だいいちがう》、|二号《にがう》、|三号室《さんがうしつ》、|守宮別《やもりわけ》と|書《か》いた|名刺《めいし》が|這入《はい》つてゐましたので、|篤《とく》と|調《しら》べた|上《うへ》お|返《かへ》しに|参《まゐ》りました。どうか|此《この》|帳面《ちやうめん》に|印《いん》をおして|下《くだ》さい。|受取書《うけとりしよ》は、ここに|書《か》いて|来《き》ましたから』
|神《かみ》さまを|装《よそほ》つてゐたお|花《はな》は、|此《この》|事《こと》を|聞《き》いて|俄《にはか》に|神様《かみさま》の|形態《ぎやうてい》をくづして|了《しま》ひ、ツカツカと|警官《けいくわん》の|傍《そば》により、
『これはこれは|警官《けいくわん》さま、よう、マアおいで|下《くだ》さいました。|守宮別《やもりわけ》さまとした|事《こと》が、|大枚《たいまい》|三千円《さんぜんゑん》の|金《かね》を|落《おと》し、|言訳《いひわけ》がないと|思《おも》つて、どツかへ|逐電《ちくでん》なさつたのだらう。|何《なん》と|云《い》つても|気《き》の|良《よ》い|人《ひと》だからな。イヤ|確《たしか》に|受取《うけとり》ました。どうぞ|署長《しよちやう》さまに|宜《よろ》しくお|伝《つた》へ|下《くだ》さい。これ、ヤク、|門口《かどぐち》までお|見送《みおく》りせぬかいな』
|警官《けいくわん》は|受取書《うけとりしよ》に|印《いん》を|貰《もら》ひ、ヤクの|見送《みおく》りを|拒絶《きよぜつ》し|乍《なが》ら|足早《あしばや》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
お|花《はな》はヤクをつかまへて|積《つ》んだり、くづしたり、|守宮別《やもりわけ》の|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じてゐると、そこへ|守宮別《やもりわけ》はブラリブラリと|帰《かへ》つて|来《き》た。|流石《さすが》のお|花《はな》も|守宮別《やもりわけ》の|姿《すがた》を|見《み》て、『どうも|白粉《おしろひ》|臭《くさ》ひ|香《にほひ》がしてゐる、|此奴《こいつ》は|腹《はら》を|探《さぐ》つて|見《み》ねばなるまい』と|早《はや》くも|覚悟《かくご》を|極《き》めた。
『|女房《にようばう》、|今《いま》|帰《かへ》つたぞや。アーア、|酒《さけ》を|一本《いつぽん》つけて|呉《く》れないか』
『これはこれはよう|帰《かへ》つて|下《くだ》さつた、|大変《たいへん》に|暇《ひま》が|入《い》りましたな。|私《わたし》|心配《しんぱい》してゐましたよ。そして、タゴール|博士《はかせ》の|方《はう》は、どうなりましたか、|早《はや》く|吉報《きつぱう》を|聞《き》かして|下《くだ》さいませな』
『ウン、|大変《たいへん》|好都合《かうつがふ》だつたよ、あの|三千円《さんぜんゑん》の|金《かね》は、|随分《ずゐぶん》|働《はたら》いたものだ。|何《なん》と|云《い》つても|世界一《せかいいち》の、シオン|大学《だいがく》の|教授《けうじゆ》を|五人《ごにん》|迄《まで》|動《うご》かし、|愈《いよいよ》|独立《どくりつ》|運動《うんどう》の|許可《きよか》が|下《さが》る|処《ところ》|迄《まで》|漕《こ》ぎつけて|来《き》たのだから、マアお|花《はな》、|喜《よろこ》びてくれ』
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、|女《をんな》たらしの|後家倒《ごけたふ》しさま、|一体《いつたい》お|前《まへ》は、どこへ|行《い》つてゐたのだい』
『どこへ|行《い》つたつて?|大臣《だいじん》や|博士《はかせ》の|官宅《くわんたく》を|歴訪《れきはう》して|居《を》つたのだ。|三千円《さんぜんゑん》|位《ぐらゐ》|費《つか》つたつて|安《やす》いものだらう、|目的《もくてき》さへ|達成《たつせい》したらいいのだから』
『ヘン、|嘘《うそ》ばつかり|云《い》つたつて、ソンナ|事《こと》に|騙《だま》されるお|花《はな》ぢやありませぬよ。|貴方《あなた》の|頬辺《ほほべた》に|白粉《おしろい》がついてるぢやありませぬか。その|白粉《おしろい》はどうしてつけたのですかい。サアその|因縁《いんねん》を|聞《き》かして|下《くだ》さいな。|私《わたし》も|考《かんが》へが|厶《ござ》いますから』
『アーア、【おしろ】いへ|気《き》をつけたり、|前《まへ》へ|気《き》を|付《つ》けたりして|舎身活躍《しやしんくわつやく》をやつて、|今《いま》|塗《ぬ》り|立《た》ての|大学《だいがく》の|白壁《しろかべ》にブツつかつたものだから、|白《しろ》くついたのだよ。お|前《まへ》も|罰《ばち》があたるぞや。コンナ|夫《をつと》を|持《も》ち|乍《なが》ら|何《なに》をゴテゴテ|云《い》ふのだい』
『|白壁《しろかべ》の|香《にほひ》と、|白粉《おしろひ》の|香《にほひ》と、|嗅分《かぎわ》けぬやうなお|花《はな》ぢや|厶《ござ》いませぬよ。ソンナゴマかしは、お|寅《とら》さまには|利《き》くかは|知《し》れませぬが、|此《この》お|花《はな》には|駄目《だめ》ですよ。サア、キツパリ|白状《はくじやう》しなさい』
『これは|御明察《ごめいさつ》|恐《おそ》れ|入《い》りました。|実《じつ》は、|博士《はかせ》や|大臣《だいじん》をある|料亭《れうてい》へ|招待《せうたい》し、|目的《もくてき》|貫徹《くわんてつ》の|為《ため》、|心《こころ》にもない|白首《しらくび》を|招《よ》んでな、|杯盤《はいばん》の|間《あひだ》を|斡旋《あつせん》させたのだよ。そしたら、そそつかしいキーチャンの|奴《やつ》、|大臣《だいじん》と|俺《おれ》と|間違《まちが》へて|俺《おれ》の|頬辺《ほほべた》に|吸《す》ひつきよつたのだ。|大方《おほかた》、その|時《とき》、ついたのだらう』
『|何《なに》、キーチャンが|頬辺《ほほべた》に|吸《す》いついたと?』
と|早《はや》くもお|花《はな》の|顔《かほ》には|低気圧《ていきあつ》が|襲来《しふらい》したり。
『これ、|守宮別《やもりわけ》さま、|旦那《だんな》さまと|云《い》ひたいが、|今日《けふ》|限《かぎ》り|改《あらた》めますよ。その|積《つも》りでゐて|下《くだ》さいよ。|色情《いろ》の|道《みち》にかけては、オーソリチーの|私《わたし》をバカにしようと|思《おも》つても、その|手《て》は|喰《く》ひませぬぞや。|大方《おほかた》どつかのスベタ|女《をんな》と、くつついて|来《き》たのでせう。これは|一体《いつたい》|何《なん》ですか』
と|三千円《さんぜんゑん》の|蟇口《がまぐち》を|守宮別《やもりわけ》の|前《まへ》に|投《な》げ|出《だ》して|見《み》せる。
『お|花《はな》、これや|俺《おれ》の|紙入《かみいれ》ぢやないか』
『さうでせうとも、|中《なか》をあけて|御覧《ごらん》なさい。|手《て》のきれるやうな、|百円札《ひやくゑんさつ》が|三十枚《さんじふまい》|目《め》をむいて|居《を》りますよ。ヨウマア|大臣《だいじん》や|博士《はかせ》を|招待《せうたい》したなぞと、ソンナ|嘘《うそ》が|言《い》へたものですな。ツヒ、|先刻《さつき》、|警察《けいさつ》から|届《とど》けて|来《き》てくれたのですよ、お|前《まへ》さま、|街路《がいろ》|警戒《けいかい》の|警官《けいくわん》につかまへられて|身体《しんたい》|検査《けんさ》までやられたぢやありませぬか、これでも|抗弁《かうべん》なさいますか、これ|守宮別《やもりわけ》さま、お|花《はな》の|躰《からだ》にや|息《いき》が|通《かよ》つてゐますよ。|決《けつ》して|人形《にんぎやう》ぢやありませぬからね。お|前《まへ》さまの|玩弄《おもちや》になつて|堪《た》まりますかい。ヘン|阿呆《あはう》らしい、あまりの|事《こと》で、アフンが|宙《ちう》に|迷《まよ》ひますわ』
『|何《なに》、お|花《はな》、|確《たしか》に|三千円《さんぜんゑん》|運動費《うんどうひ》に|使《つか》つたのだ。|俺《おれ》がな|子母仙《しぼせん》と|云《い》つて|仙人《せんにん》の|使《つか》ふ|法《はふ》を|知《し》つてゐるのだよ。|此《この》|三千円《さんぜんゑん》に|一寸《ちよつと》|魔法《まはふ》をかけて|使《つか》つたのだから、もとの|蟇口《がまぐち》を|恋《こひ》しがつて、|帰《かへ》つて|来《き》たのだよ。|床《ゆか》の|下《した》に|不思議《ふしぎ》な|虫《むし》が|親子《おやこ》|棲《す》んでゐたのだ。その|親子《おやこ》の|虫《むし》をな、|俺《おれ》が|捕獲《ほくわく》して、|三十枚《さんじふまい》の|百円札《ひやくゑんさつ》には|子《こ》の|血《ち》を|塗《ぬ》り、|蟇口《がまぐち》には|親血《おやち》をぬつておいたのだ。それだから、|子《こ》の|血《ち》がついてゐる|百円札《ひやくゑんさつ》には、|子《こ》の|霊《れい》がかかつてゐるだらう。それだから|親《おや》の|血《ち》や|魂《たま》のかかつた|蟇口《がまぐち》を|慕《した》うて|帰《かへ》つて|来《き》たのだ、つまり|三千円《さんぜんゑん》のお|金《かね》を|三千円《さんぜんゑん》|使《つか》つて、あとに|三千円《さんぜんゑん》|残《のこ》つてゐるのだから、コンナ|結構《けつこう》な|仙術《せんじゆつ》はあるまい』
『どこの|床《ゆか》の|下《した》に、ソンナ|虫《むし》が|居《ゐ》たのですか』
『ソンナ|事《こと》ア|秘密《ひみつ》だ。|子母虫《しぼちう》が、……どうぞ|貴方《あなた》|限《かぎ》り、|秘密《ひみつ》にして|下《くだ》さい……、と|願《ねが》ひよつたからの。この|秘密《ひみつ》を|明《あ》かすと、これからの|仙術《せんじゆつ》が|利《き》かないから、|発表《はつぺう》を|見合《みあは》せておかう。|又《また》|三千円《さんぜんゑん》もうけねばならぬからのう』
お|花《はな》は|腮《あご》をつき|出《だ》し|乍《なが》ら、
『|子供《こども》か、|何《なん》ぞのやうに、ソンナ|嘘《うそ》は|喰《く》ひませぬよ。それが|本当《ほんたう》なら、|蟇口《がまぐち》はお|前《まへ》さまの|懐中《ふところ》にありさうなものだのに、それが|警察《けいさつ》にあるとは|不思議《ふしぎ》ぢやありませぬか』
『きまつた|事《こと》よ。|三千円《さんぜんゑん》の|運動費《うんどうひ》を|使《つか》つた|後《あと》、|俺《おれ》の|懐《ふところ》にある|母虫《ぼちう》の|霊《れい》が|呼《よ》んだので、|仔虫《しちう》の|霊《れい》のかかつた|金《かね》が、|帰《かへ》つて|来《き》たのだ。それをお|前《まへ》、|警官《けいくわん》に|真裸《まつぱだか》になつて|身体《しんたい》|検査《けんさ》をされた|時《とき》、ツヒ|落《おと》して|了《しま》ひ、|警官《けいくわん》に|拾《ひろ》はれたのだ』
『そのお|金《かね》は、いつ|落《おと》したのですか』
『さうだな、エー、|昨日《きのふ》、|一昨日《おととひ》と|昨夜《ゆふべ》と|大臣《だいじん》|博士《はかせ》を|招待《せうたい》して|費《つか》つて|了《しま》ひ、|朝《あさ》になると|俺《おれ》の|懐中《ふところ》の|蟇口《がまぐち》へお|金《かね》が|帰《かへ》つて|来《き》てゐたのだ。それを|落《おと》したのだよ』
『|嘘《うそ》|許《ばか》り|云《い》ひなさるな、|警官《けいくわん》に|調《しら》べられたのは、|一昨日《おととひ》の|夕方《ゆふがた》ぢやありませぬか。ここを|立出《たちで》て、ステーション|街道《かいだう》の|方《はう》へ|行《ゆ》きなさつたでせう』
『アーア、もうたまらぬ たまらぬ』
『これこれ|守宮別《やもりわけ》さま、その、アーアはまだ|早《はや》いぢやありませぬか。|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》つて|下《くだ》さい。|何《なん》と|云《い》つても、お|金《かね》がここへ|帰《かへ》つて|来《き》て|居《ゐ》るのだから、|少々《せうせう》の|欠点《けつてん》|位《ぐらゐ》あつたつて、|不足《ふそく》は|申《まを》しませぬわ』
『ア、さう|追撃《つゐげき》されては|落城《らくじやう》せざるを|得《え》ないわ。|実《じつ》はブチ|明《あ》けて|云《い》ふがな、お|花《はな》、タゴールさまのお|宅《たく》を|訪《たづ》ねようと|思《おも》つてホテルを|出《で》たものの|何《なん》と|云《い》つても、|秘密《ひみつ》|運動《うんどう》だから、お|邸《やしき》の|方《はう》へ|足《あし》を|向《む》けては|秘密《ひみつ》が|曝露《ばくろ》すると|思《おも》ひ、|廻《まは》り|道《みち》して、ステーションの|方《はう》へ|行《い》つた|所《ところ》、|警官《けいくわん》に|調《しら》べられ、そこで|落《おと》したのだ。|博士《はかせ》に|運動《うんどう》したと|云《い》つたのは|皆《みな》|嘘《うそ》だよ。お|前《まへ》に|申訳《まをしわけ》ないからヨルダン|川《がは》に|身《み》を|投《な》げようかと|思《おも》つたが、|水《みづ》が|冷《つめ》たいし、|樹《き》に|首《くび》を|吊《つ》らうかと|思《おも》つて|枝振《えだぶり》のよい|木《き》を|探《さが》したがよい|松《まつ》の|木《き》が|無《な》く、|一層《いつそう》、|鉄道《てつだう》|往生《わうじやう》しようかとレールを|枕《まくら》に|待《ま》つてゐると、|一里《いちり》も|二里《にり》も|先《さき》からレールがドンドンと|響《ひび》くので、|刻一刻《こくいつこく》、|死《し》に|近《ちか》づくと|思《おも》へば|恐《おそ》ろしくなり、エー、|死《し》ぬのなら|何時《いつ》でも|死《し》ねる、|一辺《いつぺん》|恋《こひ》しいお|前《まへ》の|顔《かほ》を|見《み》てから|死《し》んでやらうと、【このやうに】|思《おも》つて|帰《かへ》つて|来《き》たのだ。これが|誠《まこと》の|告白《こくはく》だ。どうか、さう、|苛《いぢ》めずにおいて|呉《く》れよ、|頼《たの》みだからな』
『ア、さうでしたか、それ|聞《き》いてチツト|許《ばか》り|安心《あんしん》しました。も|一《ひと》つ|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》がある、それを|聞《き》かして|貰《もら》ひませう』
『|合点《がつてん》が|行《ゆ》かぬ|事《こと》とは|何《なん》だい』
『お|前《まへ》さまの|頬辺《ほほべた》についてゐた|白粉《おしろい》の|因縁《いんねん》から|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『|何《なん》と|六《む》つかしい|事《こと》だな。ソンナラ|詳《つぶ》さに|言上《ごんじやう》|仕《つか》まつらう。|実《じつ》は、|鉄道《てつだう》|往生《わうじやう》しようと|思《おも》つて、レールの|上《うへ》をうろついてゐた|時《とき》、|機関車《きくわんしや》にはね|飛《と》ばされて、|傍《かたはら》の|草原《くさはら》に|気絶《きぜつ》して|居《を》つた|時《とき》、どこの|女中《ぢよちう》か|知《し》らぬが|通《とほ》り|合《あは》して、|殆《ほとん》ど|冷《ひえ》きつた|俺《おれ》の|身体《からだ》を|肉体《にくたい》で|温《ぬく》めて、|一旦《いつたん》|甦生《よみがへ》らして|下《くだ》さつたのだ。それが|本当《ほんたう》の|告白《こくはく》だよ。アー|眠《ね》むたい|眠《ね》むたい。|酒《さけ》も|碌《ろく》に|飲《の》まして|貰《もら》へず、お|白洲《しらす》の|訊問《じんもん》を|受《う》けて|居《を》つてもつまらぬわい』
『その|命《いのち》を|助《たす》けて|下《くだ》さつた|御婦人《ごふじん》は|何《なん》と|云《い》ふ|名《な》ですか。お|礼《れい》に|行《ゆ》かねがなりますまいからな』
『ウン、|何《なん》でも、あや|子《こ》とか、おや|子《こ》とか|云《い》ふ|名《な》だつたよ』
『お|処《ところ》は|聞《き》いておいたでせうね』
『ウン、|処《ところ》か。|処《ところ》が、その|処《ところ》を|聞《き》くのをスツクリ|忘《わす》れて|了《しま》つたのだ』
『|今《いま》、|旦那《だんな》さまに|承《うけたま》はれば、あや|子《こ》とか|仰有《おつしや》いましたね。この|広《ひろ》いエルサレムの|町《まち》に、あや|子《こ》と|云《い》ふ|名《な》は、|私《わたし》の|娘《むすめ》|一人《ひとり》ほかありませぬがな。|何《なん》とマア、|神《かみ》さまの|御因縁《ごいんねん》で|旦那《だんな》さまの|命《いのち》を|助《たす》けさして|頂《いただ》いたのでせう』
『これ、ヤクさま、お|前《まへ》は|一人者《ひとりもの》だと|思《おも》つてゐたのに|娘《むすめ》があるのかいナ』
『ヘーヘー、お|多福娘《たふくむすめ》が、|一人《ひとり》|厶《ござ》いますが、|今《いま》では|私《わたし》を|親《おや》のやうに|致《いた》しませぬので、|勘当《かんだう》|同様《どうやう》の|中《なか》になつて|居《を》りますわい』
『エーエもう、いい|加減《かげん》に|寝《ね》たらどうだい、ヤクの|奴《やつ》、やかましいわい。
|綾《あや》の|高天《たかま》の|聖場《せいじやう》で
|天人《てんにん》|天女《てんぢよ》が|舞《まひ》を|舞《ま》ふ。
お|花《はな》のやうなよい|美人《びじん》
あや|子《こ》も|糞《くそ》もあるものか。
あや|子《こ》のあやはあやめのあやよ
あやと|錦《にしき》の|機織虫《はたおりむし》が
やつて|来《き》たのはエルサレム
|何程《なにほど》|世界《せかい》の|美人《びじん》でも
あやの|名《な》のつくあやめさま
|生宮《いきみや》さまには|及《およ》ばない
ドツコイショ ドツコイショ
あゝ|今日《けふ》は|頭《あたま》が|痛《いた》いから|皆《みな》|揃《そろ》ふて|寝《ね》たり|寝《ね》たり』
と|布団《ふとん》を|被《かぶ》つて|空鼾《からいびき》をかき、お|花《はな》の|形勢《けいせい》|如何《いかん》と|考《かんが》へてゐる。お|花《はな》は|神前《しんぜん》に|額《ぬかづ》き、|神籤《みくじ》をとつたり、|卦《け》を|立《た》てたりし|乍《なが》ら、その|夜《よ》はマンジリともせず、コケコーの|鳴《な》く|迄《まで》|起《お》きて|居《ゐ》た。アヽ|此《この》|結果《けつくわ》はどう|治《をさ》まるだらうか。|暴風《ばうふう》|怒濤《どたう》の|襲来《しふらい》か、|地異天変《ちいてんぺん》か、|雷《かみなり》ユサユサ|地震《ぢしん》ゴロゴロの|大椿事《だいちんじ》の|突発《とつぱつ》か、|刮目《くわつもく》して|次章《じしやう》を|待《ま》たれむことを。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良 北村隆光録)
第一五章 |騒淫《さういん》ホテル〔一八二一〕
|守宮別《やもりわけ》はお|花《はな》の|形勢《けいせい》|如何《いかに》と、|息《いき》を|殺《ころ》して|考《かんが》へて|居《ゐ》たが、|余《あま》り|低気圧《ていきあつ》の|襲来《しふらい》もないので、|安心《あんしん》して|翌日《よくじつ》の|十時《じふじ》|過《すぎ》まで|潰《つぶ》れるやうに|寝《ね》て|了《しま》つた。お|花《はな》はどこやら|一《ひと》つ|腑《ふ》に|落《お》ちぬ|所《ところ》があるので、|一目《ひとめ》も|睡《ねむ》らず|角膜《かくまく》を|血《ち》ばしらして、|朝間《あさま》|早《はや》くから、ヤクをたたき|起《おこ》し、|次《つぎ》の|間《ま》に|座《ざ》をしめて、|稍《やや》|小声《こごゑ》になり、
『これ、ヤクさま、|昨夕《ゆふべ》お|前《まへ》は|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|娘《むすめ》があると|云《い》ひましたねえ』
ヤクは……ウツカリ|吾子《わがこ》の|事《こと》を|喋《しやべ》り、|若《も》し|守宮別《やもりわけ》との|関係《くわんけい》があらうものなら、|板挟《いたばさ》みになつて|此家《ここ》に|居《を》る|事《こと》が|出来《でき》ない。これや|呆《ほう》けるに|限《かぎ》る……と|腹《はら》をきめ、
『ハイ|云《い》ひました。|併《しか》しありや|嘘《うそ》ですよ。つい|座興《ざきよう》にアンナ|事《こと》|云《い》つて|見《み》たのですよ。ナアニ、|私《わたし》の|様《やう》な|者《もの》に|半分《はんぶん》でも|娘《むすめ》があつて|耐《たま》るものですか。|娘《むすめ》さへ|有《あ》りや、コンナ|難儀《なんぎ》はしませぬからな』
お|花《はな》は|長煙管《ながきせる》で|火鉢《ひばち》の|縁《ふち》を|叩《たた》き|乍《なが》ら、|頭《かしら》を|左右《さいう》に|振《ふ》り、
『イエイエ|駄目《だめ》ですよ。お|花《はな》の|目《め》で|一目《ひとめ》|睨《にら》みたら、|何程《なにほど》|隠《かく》しても|駄目《だめ》ですよ。サアちやつと|云《い》ふて|下《くだ》さい。|好《い》い|子《こ》だからなア』
『|何程《なにほど》|好《い》い|児《こ》だと|仰有《おつしや》つても|独身《どくしん》ものの|私《わたし》、|好《い》い|子《こ》も|悪《わる》い|子《こ》も、|嬶《かか》も|女房《にようばう》もカカンツも、|媽村屋《かかむらや》も|何《なに》もありませぬわい』
『|何《なん》と|云《い》つても、お|前《まへ》の|顔《かほ》は、|一寸《ちよつと》|渋皮《しぶかは》のむけた|姫殺《ひめころ》しだよ。|縦《たて》から|見《み》ても|横《よこ》から|見《み》ても、|女《をんな》にちやほやされるスタイルだ。|柳《やなぎ》の|眉毛《まゆげ》にキリリとした|目許《めもと》、|黒《くろ》ぐろしい|目《め》の|玉《たま》、|鼻《はな》の|恰好《かつかう》と|云《い》ひ|口許《くちもと》と|云《い》ひ、お|前《まへ》のやうな|美男子《びなんし》を、|捨《す》てる|女《をんな》があるものかいなア。|随分《ずゐぶん》|女殺《をんなごろし》をやつたやうな|顔《かほ》だよ。サアサアほんとに|云《い》つて|下《くだ》さい。|決《けつ》して|守宮別《やもりわけ》さまに|不足《ふそく》は|云《い》はない、お|前《まへ》の|迷惑《めいわく》になるやうな|事《こと》はせぬから。|守宮別《やもりわけ》さまのひいきばかりせずに、お|花《はな》のひいきも|些《ちつ》とはして|下《くだ》さつては|如何《どう》ぢやいな』
『アーアー|煩《うるさ》い|事《こと》だな。お|前《まへ》さまの|気《き》に|入《い》れば|旦那《だんな》さまの|気《き》に|入《い》らず、|旦那様《だんなさま》の|為《ため》を|思《おも》へばお|前《まへ》さまに|責《せ》められるなり、|私《わたし》も|立《た》つ|瀬《せ》がありませぬわ』
『ホヽヽヽ、|夫《そ》れ|御覧《ごらん》なさい。|蛙《かへる》は|口《くち》から、たうとう|白状《はくじやう》なさつたぢやありませぬか。|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|芸者《げいしや》は|一体《いつたい》|何処《どこ》に|置《お》いてあるのだい』
『ハイ、もう|仕方《しかた》がありませぬから|申《まをし》ますわ。|併《しか》し|私《わたし》が|云《い》つた|為《た》めに、|夫婦《ふうふ》|喧嘩《げんくわ》でもやられちや、|此処《ここ》を|飛《と》び|出《だ》すより|外《ほか》はありませぬ。さうすりや、|主人《しゆじん》を|失《うしな》つた|野良犬《のらいぬ》|同様《どうやう》、ルンペンするより|外《ほか》ありませぬ。さうすれや|可愛《かあい》い|娘《むすめ》の|恥《はぢ》にもなりますし、まさかの|時《とき》の|保証《ほしよう》をして|貰《もら》はにや|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
『ホヽヽヽ、|何《なん》と|如才《じよさい》の|無《な》い|男《をとこ》だこと。|併《しか》しお|前《まへ》の|立場《たちば》とすりや|無理《むり》もない|事《こと》だ。それなら、どつとはり|込《こ》みて|百円札《ひやくゑんさつ》|一枚《いちまい》|上《あ》げるから|何《なに》も|彼《か》も|云《い》ふのだよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、ヤクの|懐《ふところ》へ|蟇口《がまぐち》から|百円札《ひやくゑんさつ》を|一枚《いちまい》|取《と》り|出《だ》してそつと|捻込《ねじこ》む。
『ハ、|遉《さすが》はお|花《はな》さま、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、シオンの|娘《むすめ》、|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の|生宮《いきみや》、アヤメのお|花様《はなさま》、|有難《ありがた》く|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します。|帰命頂礼《きめいちやうらい》|謹請再拝《ごんじようさいはい》|謹請再拝《ごんじようさいはい》』
『これこれ|辛気《しんき》|臭《くさ》い、ソンナ|事《こと》どうでもよいぢやないか。|早《はや》く|事実《じじつ》を|云《い》つて|下《くだ》さいな。グヅグヅしとると|守宮別《やもりわけ》さまが|起《お》きて|来《く》るぢやないか』
『ハイ、それなら|申《まを》します。|確《たしか》に|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|娘《むすめ》が|厶《ござ》います。サアこれで|許《こら》へて|下《くだ》さい』
『それ|御覧《ごらん》、|娘《むすめ》があるだらう。|妾《わし》の|目《め》は|違《ちが》ふまいがな』
『いや|誠《まこと》にはや、|恐《おそ》れ|入《い》りまして|厶《ござ》います。|生宮様《いきみやさま》の|御明察《ごめいさつ》、|到底《たうてい》|匹夫下郎《ひつぷげらう》のわれわれには、|御心底《ごしんてい》を|測知《そくち》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬワイ、エヘヽヽヽ』
『その|綾子《あやこ》は|一《いつ》たい|何処《どこ》に|居《を》るのだい』
『ヘエ、|居所《ゐどころ》|迄《まで》|申上《まをしあげ》ると|約束《やくそく》はして|厶《ござ》いませぬがな』
『この|広《ひろ》い|世《よ》の|中《なか》、|確《たしか》に|娘《こ》があると|云《い》つた|所《ところ》で、|居所《ゐどころ》が|分《わか》らぬやうな|事《こと》で|何《なん》になりますか。さう|意茶《いちや》つかさずと、とつとと|云《い》つて|下《くだ》さいな』
『ソンナラドツとはり|込《こ》んで、|神秘《しんぴ》の|扉《とびら》を|開《ひら》きませう。|実《じつ》はその|何《なん》です。|或《ある》|所《ところ》に|勤《つと》め|奉公《ほうこう》をやつて|居《ゐ》ますよ。それはそれは|別嬪《べつぴん》ですよ。|親《おや》の|口《くち》より|云《い》ふのは|何《なん》ですが|失礼《しつれい》|乍《なが》らお|花《はな》さまのやうな|別嬪《べつぴん》でも|到底《たうてい》|傍《そば》へは|寄《よ》れませぬな』
『|何《なに》、|別嬪《べつぴん》だと、そりや|大変《たいへん》だ。その|別嬪《べつぴん》が|何処《どこ》に|居《を》ると|云《い》ふのだい』
『|或《ある》|所《ところ》に|確《たしか》に|居《を》りますがな』
『|或《ある》|所《ところ》と|云《い》つたつて、|地名《ちめい》を|云《い》はにや|分《わか》らぬぢやないか』
『|有《あ》る|所《ところ》に|居《ゐ》るに|定《きま》つてゐますがな。|無《な》い|所《ところ》に|居《を》りさうな|筈《はず》は|厶《ござ》いませぬもの』
『どこの|国《くに》の|何処《どこ》の|町《まち》に|居《を》ると|云《い》ふ|事《こと》を|云《い》つて|下《くだ》さい』
『|成程《なるほど》、|併《しか》しコンナ|事《こと》を|云《い》ひますと、|旦那様《だんなさま》におつ|放《ぽ》り|出《だ》されますわ。|其《その》|時《とき》の|用意《ようい》にモウ|百両《ひやくりやう》|下《くだ》さいな』
『エヽ|慾《よく》の|深《ふか》い|男《をとこ》だな、それ|百円《ひやくゑん》』
と|又《また》|放《ほ》り|出《だ》す。
『エヘヽヽヽヽ、|確《たしか》に|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しました。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|大《おほ》ミロクの|生宮《いきみや》』
『これこれヤク。ソンナ|長《なが》たらしい|事《こと》はどうでもよい。サ|早《はや》く|簡単《かんたん》に|所在《ありか》を|云《い》ふて|下《くだ》さいな。|助《たす》けて|貰《もら》つたお|礼《れい》にも|行《ゆ》かねばならぬからな』
『ハイ、パレスチナの|国《くに》に|居《を》ります』
『|成程《なるほど》、さうだろ さうだろ、|処《ところ》はどこだい』
『|所《ところ》ですかいな。|所《ところ》がお|前《まへ》さま、|所《ところ》をすつかり|忘《わす》れて|了《しま》つたのですよ』
『これヤク、|百円《ひやくゑん》|返《かへ》してお|呉《く》れ。もうお|前《まへ》のやうな|頼《たよ》りない|方《かた》とは|掛合《かけあ》つても|駄目《だめ》だ。これから|警察署《けいさつしよ》へ|行《い》つて|探《さが》して|貰《もら》う。|名《な》さへ|分《わか》ればよいのだから、|其《その》|百円《ひやくゑん》をお|返《かへ》し』
とグツと|胸倉《むなぐら》をつかむ。
『メヽヽヽ|滅相《めつさう》な、これや|私《わたし》の|金《かね》です。たとへ|天《てん》が|地《ち》になつてもこの|金《かね》は|渡《わた》しませぬ』
『それならもつと|詳《くは》しく|云《い》はないかいな』
『それならもう|百円《ひやくゑん》|下《くだ》さいな。|詳《くは》しく|云《い》ひますから』
『エヽ|仕方《しかた》がない、これで|三百円《さんびやくえん》だよ』
『|実《じつ》は、かう|云《い》ふて|千円《せんゑん》|許《ばか》りせしめようと|思《おも》ひましたが、|俄《にはか》に|良心《りやうしん》の|奴《やつ》|弱音《よわね》を|吹《ふ》いて、|肉体《にくたい》を|気《き》の|毒《どく》がらしますから、|三百円《さんびやくえん》で|辛抱《しんばう》しておきませう。|実《じつ》はステーション|街道《かいだう》の|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》と|云《い》つたら、|界隈《かいわい》|切《き》つての|美人《びじん》ですよ。サアもう|此処迄《ここまで》いつたら|耐《こら》へて|下《くだ》さい。もう|此《この》|上《うへ》は|材料《ざいれう》が|厶《ござ》いませぬからな』
『いや、よう|云《い》ふて|下《くだ》さつた。お|前《まへ》ならこそ、|三百円《さんびやくえん》は|安《やす》いものだよ。サアこれから|三百円《さんびやくえん》が【とこ】|守宮別《やもりわけ》をとつ|締《ち》めてやらねばなるまい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|他愛《たあい》もなく|寝《ね》て|居《ゐ》る|守宮別《やもりわけ》のポケットに|手《て》を|入《い》れて|探《さぐ》つて|見《み》ると|小《ちひ》さい|名刺《めいし》が|現《あら》はれた。お|花《はな》はそつと|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》り|老眼鏡《らうがんきやう》をかけてよく|見《み》れば、|六号《ろくがう》|活字《くわつじ》で、『|有明家《ありあけや》 |綾子《あやこ》』と|記《しる》してある、さうして|横《よこ》の|方《はう》に|小《ちひ》さい|写真《しやしん》がついてゐる。お|花《はな》は|俄《にはか》に|頭《かしら》へ|血《ち》がのぼり、|卒倒《そつたう》せむ|許《ばか》りに|打《う》ち|驚《おどろ》いたが|遉《さすが》の|豪傑女《がうけつをんな》、グツと|気《き》を|取《と》り|直《なほ》し、|手《て》を|振《ふる》はせ|乍《なが》ら|名刺《めいし》の|裏《うら》を|返《かへ》して|見《み》ると、|薄《うす》い|鉛筆《えんぴつ》|文字《もじ》で|何《なに》かクシヤクシヤと|記《しる》してある。お|花《はな》は|目《め》が|眩《くら》み、この|文字《もじ》を|読《よ》む|事《こと》が|出来《でき》ず、たうとう|其《その》|場《ば》に|卒倒《そつたう》して|仕舞《しま》つた。|其処《そこ》へボーイの|案内《あんない》につれて|十七八《じふしちはち》の|花《はな》を|欺《あざむ》く|美人《びじん》が|現《あら》はれ|来《きた》り、
『|漆別《うるしわけ》さまのお|部屋《へや》は|此方《こちら》で|厶《ござ》いますか。|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》が|一寸《ちよつと》お|目《め》にかかり|度《た》いとお|伝《つた》へ|下《くだ》さいませ』
ヤクは|一目《ひとめ》|見《み》るより|吃驚《びつくり》し、
『ヤ、お|前《まへ》は|綾子《あやこ》ぢやないか。オイ、コンナ|所《ところ》へ|来《き》て|呉《く》れては|大変《たいへん》だ。どうか|帰《かへ》つて|呉《く》れ|大変《たいへん》だからな』
『イエ、|妾《わたし》は|漆別《うるしわけ》さまに|用《よう》があつて|来《き》たのですもの。|何程《なんぼ》|親《おや》だとて、|娘《むすめ》の|恋愛《れんあい》|迄《まで》|圧迫《あつぱく》する|権利《けんり》は|厶《ござ》いますまい』
『これ|娘《むすめ》、|親《おや》の|云《い》ふ|事《こと》をなぜ|聞《き》かぬのか』
『ヘン、|偉《えら》さうに|親顔《おやがほ》して|下《くだ》さいますなや。お|母《かあ》さまが|亡《な》くなつてから|後妻《ごさい》を|貰《もら》つて|妾《わらは》をいぢめさせ、|沢山《たくさん》の|財産《ざいさん》を|皆《みな》|無《な》くして|仕舞《しま》つて、|一人《ひとり》の|娘《むすめ》に|高等《かうとう》|教育《けういく》も|受《う》けさせず、|十一《じふいち》やそこらで|茶屋《ちやや》へ|売飛《うりと》ばすと|云《い》ふやうな|無情《むじやう》|冷酷《れいこく》な|親《おや》が|何処《どこ》にありますか、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|妾《わたし》は|漆別《うるしわけ》さまに|会《あ》はねばなりませぬ』
『|漆別《うるしわけ》さまなぞと、ソンナお|方《かた》は|居《を》られないよ。アタ|見《み》つともない、|女《をんな》が|男《をとこ》を|尋《たづ》ねると|云《い》ふ|事《こと》が|有《あ》るか、|早《はや》く|帰《かへ》つて|呉《く》れ。のう、|私《わし》を|助《たす》けると|思《おも》つて』
『|漆別《うるしわけ》さまが|居《ゐ》なくても|構《かま》ひませぬ。|第一号室《だいいちがうしつ》のお|客《きやく》さまに|遇《あ》ひさへすればいいのですもの』
『|第一号室《だいいちがうしつ》は、|三千世界《さんぜんせかい》の|生神《いきがみ》、シオンの|娘《むすめ》、|木花咲耶姫《このはなさくやひめ》の|尊様《みことさま》が|祭《まつ》つてあるのだ。|人間《にんげん》なぞは|居《ゐ》ないから、サアサア、とつとと|帰《かへ》つて|呉《く》れ』
『|一号室《いちがうしつ》が|差支《さしつかへ》れや|二号室《にがうしつ》でも|三号室《さんがうしつ》でも|構《かま》ひませぬワ』
『あゝ|困《こま》つたな、お|花《はな》さまが|今《いま》|卒倒《そつたう》しとるので|好《い》やうなものの、コンナ|事《こと》になつて|来《き》たら、|何事《なにごと》が|起《おこ》るか|知《し》れやしないわ。アヽ|一層《いつそう》|面倒《めんだう》の|起《おこ》らぬ|中《うち》に|逃《に》げ|出《だ》さうかな』
『|逃《に》げ|出《だ》さうと|逃《に》げ|出《だ》すまいと、|貴方《あなた》の|勝手《かつて》になさいませ。|私《わたし》は|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》|迄《まで》した|漆別《うるしわけ》さまに|遇《あ》ひさへすれば|好《よ》いのですもの』
『|何《なに》、|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》|迄《まで》したと、ヤ、こいつは|困《こま》つたな。|蔭裏《かげうら》の|豆《まめ》も|時節《じせつ》が|来《く》れば|花《はな》が|咲《さ》く|油断《ゆだん》のならぬは|娘《むすめ》とはよく|云《い》つたものだわい』
『|定《きま》つた|事《こと》ですよ。|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|色餓鬼《いろがき》の|巷《ちまた》へ、お|父《とう》さまが|打《ぶ》ち|込《こ》んだのですもの、|修学院《しうがくゐん》の|雀《すずめ》は|蒙求《もうぎう》を|囀《さへづ》り、|門前《もんぜん》の|小僧《こぞう》は|学《まな》ばずに|経《きやう》を|読《よ》む|道理《だうり》、|妾《わたし》だつて|十三《じふさん》の|年《とし》から|恋愛《れんあい》は|悟《さと》つて|居《を》りますわ。ホヽヽ、エヽコンナ|没分暁漢《わからずや》のデモお|父《とう》さまに|掛合《かけあ》つても|駄目《だめ》だ。|二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|漆別《うるしわけ》さまに|遇《あ》へばよいのだよ』
と|矢庭《やには》にヤクの|手《て》を|振《ふ》り|放《はな》ち|三号室《さんがうしつ》に|侵入《しんにふ》した。|見《み》れば、|白粉《おしろい》をベツタリことつけた|五十《ごじふ》|余《あま》りの|婆《ば》アさまが|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れて|居《ゐ》る。
『|何《なん》だ、|怪体《けつたい》な|所《ところ》だな』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|第二号室《だいにがうしつ》のドアを|開《あ》けて|這入《はい》つて|見《み》ると、グウグウと|夜半《よは》の|夢《ゆめ》を|見《み》て|恋《こひ》しい|男《をとこ》が|睡《ねむ》つて|居《ゐ》るので、|綾子《あやこ》は|傍《そば》により、
『これ|申《もう》し|漆別《うるしわけ》|様《さま》、|綾子《あやこ》で|厶《ござ》います。どうか|起《おき》て|下《くだ》さい。もう|何時《なんどき》だと|思《おも》ふていらつしやるの』
|守宮別《やもりわけ》は|綾子《あやこ》の|艶《なまめか》しい|声《こゑ》が|耳《みみ》に|入《い》つたと|見《み》えてムクムクと|起《お》き|上《あが》り、
『ヤ、お|前《まへ》は|綾子《あやこ》だつたか、|怖《こは》い|夢《ゆめ》を|見《み》た。|一寸《ちよつと》|俺《おれ》はホテル|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《く》るわ』
『ホヽヽヽ、これ|旦那《だんな》さま、|何《なに》を|寝呆《ねぼ》けて|入《い》らつしやるの。|此処《ここ》はカトリック|僧院《そうゐん》ホテルの|第二号室《だいにがうしつ》ですよ』
『|成程《なるほど》さうだつたな。お|前《まへ》|又《また》どうして|尋《たづ》ねて|来《き》たのだい』
『|女房《にようばう》が|夫《をつと》の|所《ところ》へ|尋《たづ》ねて|来《く》るのが|悪《わる》う|厶《ござ》いますか、|貴方《あなた》も|余《あんま》り|妾《わたし》を|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さいますなや。どうも|貴方《あなた》の|挙動《きよどう》が|怪《あや》しいと|思《おも》つて|考《かんが》へて|来《き》て|見《み》れば、|次《つぎ》の|間《ま》に|怪物《くわいぶつ》のやうな|女《をんな》が|寝《ね》かしてあるのでせう。あれや|大方《おほかた》|貴方《あなた》のレコでせう。エー|悔《くや》しや|残念《ざんねん》やな』
と|守宮別《やもりわけ》の|顔面《がんめん》|目蒐《めが》けて|所《ところ》|構《かま》はず|掻《か》きむしる。|守宮別《やもりわけ》の|顔《かほ》には|長《なが》い|爪創《つめきづ》が|雨《あめ》の|脚《あし》の|様《やう》に|額口《ひたひぐち》から|咽喉《いんこう》にかけて|蚯蚓膨《みみずば》れが|出来《でき》て|了《しま》つた。
『あゝ|許《ゆる》せ|許《ゆる》せ、さう|掻《か》きむしられちや、|痛《いた》くて|耐《たま》らないぢやないか』
『エヽ、|年《とし》が|若《わか》い|未通娘《おぼこむすめ》だと|思《おも》つて、|妾《わたし》を|馬鹿《ばか》にしよつたな。サアもう|死物狂《しにものぐる》ひだ。|喉首《のどくび》に|喰《くら》ひついて、|命《いのち》を|取《と》らねばおきませぬぞや』
ヤクはドアの|外《そと》から|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《ゐ》たが、|何《なん》とはなしに|形勢《けいせい》|不穏《ふおん》なので、|開《あ》けて|入《はい》らうとすれど、|内部《ないぶ》より|錠《ぢやう》が|卸《おろ》してあるので、|一歩《いつぽ》も|進《すす》む|事《こと》が|出来《でき》ず、ドアの|外《そと》で|地団駄《ぢだんだ》|踏《ふ》んで|居《ゐ》る。|内部《ないぶ》では|守宮別《やもりわけ》|綾子《あやこ》の|両人《りやうにん》がチンチン|喧嘩《げんくわ》の|真最中《まつさいちう》、|守宮別《やもりわけ》は|種茄子《たねなす》を|力《ちから》|限《かぎ》り|締《し》めつけられ、……|勘忍々々《かんにんかんにん》|人殺《ひとごろし》……と|喚《わめ》きつつ、やつとの|事《こと》で|錠《ぢやう》を|外《はづ》し|第三号室《だいさんがうしつ》|迄《まで》|命《いのち》|辛々《からがら》|逃《に》げ|出《だ》した。|此《この》|物音《ものおと》に|卒倒《そつたう》して|居《ゐ》たお|花《はな》は|気《き》がつき|見《み》れば|守宮別《やもりわけ》が|若《わか》い|女《をんな》と|組《く》んづほぐれつ、|掴《つか》みあつて|居《ゐ》る。お|花《はな》は、かつと|怒《いか》り、
『コラすべた|女《をんな》|奴《め》、|人《ひと》の|男《をとこ》を|取《と》りよつて、|覚悟《かくご》せい。|此《この》お|花《はな》も|死物狂《しにものぐる》ひだ』
と|綾子《あやこ》の|髻《たぶさ》を|掴《つか》んで|引《ひき》づり|廻《まは》す。|綾子《あやこ》は|守宮別《やもりわけ》とお|花《はな》の|両方《りやうはう》から|苛嘖《さいな》まれ、
『|人殺々々《ひとごろしひとごろし》、お|父《とう》さま|助《たす》けてお|呉《く》れ』
と|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。|遉《さすが》のヤクも|吾《わが》|子《こ》の|危難《きなん》を|見《み》るに|忍《しの》びず、
『この|淫乱《いんらん》|婆々《ばば》|奴《め》』
と|拳《こぶし》を|固《かた》めお|花《はな》の|頭《かしら》と|顔《かほ》の|区別《くべつ》なく、|丁々発矢《ちやうちやうはつし》と|打《う》ち|据《す》ゑる。キヤーキヤー ガタガタ バタンバタン、ドタンドタンと|時《とき》ならぬ|異様《いやう》の|響《ひび》きに|僧院《そうゐん》ホテルのボーイ|連《れん》も、|吾先《われさき》にと|階段《かいだん》を|登《のぼ》り|来《きた》り、|此奴《こいつ》も|亦《また》|入《い》り|乱《みだ》れて|撲《なぐ》り|撲《なぐ》られ、いつ|果《は》つるとも|知《し》れざれば、ヤクは|一層《いつそう》の|事《こと》、|警察《けいさつ》へ|訴《うつた》へ|出《で》て|応援《おうゑん》を|請《こ》はむと、|階段《かいだん》を|駆《か》け|下《お》りる|折《をり》、|過《あやま》つて|転落《てんらく》し、|血《ち》を|吐《は》いて|蛙《かへる》をぶつつけたやうにフンノビて|仕舞《しま》ひける。
|此《この》|騒動《さうだう》も、ホテルの|支配人《しはいにん》が|中《なか》に|入《はい》つて、やつと|治《をさ》まり、|綾子《あやこ》は|有明家《ありあけや》へ|渡《わた》され、お|花《はな》は|暫《しば》し|負傷《ふしやう》の|癒《なほ》る|迄《まで》、エルサレムの|病院《びやうゐん》に|収容《しうよう》される|事《こと》となりにける。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於由良秋田別荘 加藤明子録)
第四篇 |清風一過《せいふういつくわ》
第一六章 |誤辛折《ごしんせつ》〔一八二二〕
トルコ|亭《てい》の|細《ほそ》い|路地《ろぢ》の|衝《つ》き|当《あた》りに、お|寅《とら》が|設立《せつりつ》しておいた|五六七《みろく》の|霊城《れいじやう》には、トンク、テクの|両人《りやうにん》が、お|寅《とら》と|共《とも》に、|三人《さんにん》|首《くび》を|鳩《あつ》めて、ヒソビソと|話《はなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
『コレ、トンクさま、|一体《いつたい》あの|守宮別《やもりわけ》さまとあやめのお|花《はな》は、どこへ|行《い》つたのか、お|前《まへ》どうしても|分《わか》らぬのかい』
『ハイ、|丸《まる》で|煙《けむり》のやうな、|魔者《まもの》のやうなお|方《かた》ですもの、サーッパリ、|見当《けんたう》がつきませぬがな。|併《しか》し|噂《うはさ》に|聞《き》けば、お|花《はな》さまは|守宮別《やもりわけ》さまと、|夫婦《ふうふ》|約束《やくそく》をしられたとかいふ|話《はなし》ですよ。|一昨日《おととひ》の|晩《ばん》|或《ある》|人《ひと》から|十字街頭《じふじがいとう》で|其《その》|話《はなし》を|聞《き》きましたので、|早速《さつそく》|報告《はうこく》しようと|思《おも》ひましたが、|生宮様《いきみやさま》の|御病中《ごびやうちう》、お|気《き》をもませましては……と|実《じつ》は|控《ひか》えてをりました』
お|寅《とら》は|顔色《かほいろ》を|変《か》へ、
『ナニ、|二人《ふたり》が|結婚《けつこん》した。ソラ|本当《ほんたう》かいな、ヨモヤ|本当《ほんたう》ぢやあるまい』
『イエイエ、|実際《じつさい》の|事《こと》|云《い》やア、|貴方《あなた》が、|何《なん》でせう。|二人《ふたり》よつて、|何《なん》でせう。|守宮別《やもりわけ》とお|花《はな》さまと|手《て》を|曳《ひ》いてやつて|来《く》る|所《ところ》を、ペツタリ|出会《でくは》し、|肚立《はらたち》|紛《まぎ》れに|卒倒《そつたう》なさつたのぢやありませぬか。|噂《うはさ》で|聞《き》いたと|云《い》ふのは|実《じつ》はお|正月《しやうぐわつ》|言葉《ことば》で、|実際《じつさい》、|私《わたし》も|睦《むつ》まじ|相《さう》にして|歩《ある》いてる|所《ところ》を|目撃《もくげき》したのですもの。なア、テク、さうだつたな』
『ウンさうともさうとも、あの|時《とき》|生宮《いきみや》さまがクワアッと|逆上《ぎやくじやう》して、|暈《めまひ》を|遊《あそ》ばし、|大地《だいち》に|転倒《てんたう》されたぢやないか、|警察医《けいさつい》がやつて|来《く》る、|群集《ぐんしふ》は|山《やま》の|如《ごと》くに|出《で》てくるし、もうエライ|乱痴気《らんちき》|騒《さわ》ぎで、やつとの|事《こと》|生宮《いきみや》さまの|気《き》がつき、|三台《さんだい》の|俥《くるま》で、|生宮《いきみや》さまの|警護《けいご》をし|乍《なが》ら、|此処《ここ》へ|帰《かへ》つて|来《き》たのですワ』
『なる|程《ほど》、さう|聞《き》くと、|夢《ゆめ》のやうにボーッと|記憶《きおく》に|浮《うか》んで|来《く》るやうだ。ハテナ、コンナ|大問題《だいもんだい》を|今迄《いままで》スツカリ|忘《わす》れて|居《ゐ》たのかいな』
『そらさうです|共《とも》、エライ|発熱《はつねつ》でしたよ。|昨日《さくじつ》|迄《まで》ウサ|言《ごと》|計《ばか》り|仰有《おつしや》つて、|吾々《われわれ》|二人《ふたり》はどれ|丈《だけ》|介抱《かいほう》したか|知《し》れやしませぬワ』
『いかにも、|憎《にく》い|憎《にく》いあやめのお|花《はな》|奴《め》、|十年《じふねん》が|間《あひだ》、|懇篤《こんとく》な|教育《けういく》をうけ|乍《なが》ら、|師匠《ししやう》の|私《わたし》に|揚壺《あげつぼ》をくはし、おまけに|人《ひと》の|男《をとこ》を|横領《わうりやう》して|出《で》て|行《ゆ》くとは、|犬畜生《いぬちくしやう》にも|劣《おと》つた|代物《しろもの》だ。これが|此《この》|儘《まま》|見逃《みのが》しておけるものか。|仮令《たとへ》|両人《りやうにん》|天《てん》を|駆《か》けり|地《ち》をくぐる|共《とも》、|此《この》|生宮《いきみや》が|命《いのち》のあらむ|限《かぎ》り、|岩《いは》をわつても|捜《さが》し|出《だ》し、|生首《なまくび》かかねがおくものか……』
と|面色《めんしよく》|朱《しゆ》をそそぎ、|握《にぎ》り|拳《こぶし》を|固《かた》めて、|二《ふた》つ|三《みつ》つ|自分《じぶん》の|胸《むね》をうち|乍《なが》ら、|又《また》もやパタリと|倒《たふ》れ|伏《ふ》しけり。
『オイ、テク|何《ど》うせうかな。しまひにや|気違《きちが》ひになつて|了《しま》やしまいかな』
『サ、さうだから、|守宮別《やもりわけ》、お|花《はな》の|事《こと》はいふないふなと|俺《おれ》が|注意《ちうい》するのに、トンク|汝《きさま》が|軽《かる》はずみな|事《こと》を|言《い》ふから、コンナ|事《こと》になつたのだよ。|男《をとこ》の|口《くち》の|軽《かる》いのも|困《こま》るぢやないか』
『それだと|言《い》つて、いつ|迄《まで》もかくしてゐる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、モウ|余程《よほど》|精神《せいしん》が|安定《あんてい》したとみたものだから、|一寸《ちよつと》|云《い》つてみたのだよ。|俺《おれ》だつて、コンナになると|思《おも》や、うつかり|喋《しやべ》るのぢやなかつたけれどなア』
『|兎《と》も|角《かく》、|冷水《ひやみづ》でも|汲《く》んで、|頭《あたま》を|冷《ひや》してやらうぢやないか。コンナ|所《ところ》で|死《し》なれて|見《み》よ、|俺達《おれたち》が|殺《ころ》した|様《やう》に|警察《けいさつ》から|睨《にら》まれたらつまらぬからな』
『|一層《いつそう》の|事《こと》、|今《いま》の|内《うち》にトンクトンク テクテクと|逃出《にげだ》したら|何《ど》うだ、|到底《たうてい》|駄目《だめ》だらうよ』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。ソンナ|事《こと》をせうものなら、|益々《ますます》|疑《うたが》はれて|了《しま》ふよ。|一樹《いちじゆ》の|蔭《かげ》の|雨宿《あまやど》り|一河《いちが》の|流《なが》れを|汲《く》んでさへ、|深《ふか》い|因縁《いんねん》があるといふぢやないか。|仮令《たとへ》|三日《みつか》でも|養《やしな》つて|貰《もら》つたお|寅《とら》さまを|見捨《みす》てて|帰《かへ》れるものか。そんな|不義理《ふぎり》な|事《こと》をすると、アラブ|一党《いつたう》の|面汚《つらよご》しになるぢやないか。|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》を|以《もつ》て|主義《しゆぎ》とする|回教《くわいけう》のピュリタンを|以《もつ》て|任《にん》ずる|吾々《われわれ》が、ソンナ|事《こと》がどうして|出来《でき》ようかい。お|天道《てんだう》さまが|御許《おゆる》し|遊《あそ》ばさないからの』
『そらーあ、さうだ。|天道様《てんだうさま》の|御弔《おとむら》ひだ、|空葬《そらさう》だ、|大《おほ》いに|悪《わる》かつた。ヨシ、|之《これ》からお|前《まへ》と|俺《おれ》と|両人《りやうにん》が|力《ちから》を|併《あは》せ|心《こころ》を|一《いつ》にして、|此《この》|生宮《いきみや》さまの|命《いのち》を|助《たす》け、|天晴《あつぱれ》|全快《ぜんくわい》して|貰《もら》つて、|此《この》|霊城《れいじやう》を|立派《りつぱ》に|開《ひら》かうぢやないか。|俺《おれ》ア|之《これ》から|橄欖山《かんらんざん》へお|寅《とら》さまの|病気《びやうき》|祈願《きぐわん》の|為《ため》|参《まゐ》つて|来《く》るから、お|前《まへ》|気《き》をつけて|介抱《かいほう》してあげてくれ』
『そら、|可《い》い|所《ところ》へ|気《き》がついた。サ、|早《はや》く|参《まゐ》つて|来《き》て|呉《く》れ。|後《あと》は|俺《おれ》が|引受《ひきう》けるからな』
『ヨーシ、ソンナラ|之《これ》からお|参《まゐ》りして|来《こ》うよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|夕日《ゆふひ》を|浴《あ》びて、|橄欖山《かんらんざん》へと|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|山上《さんじやう》の|祠《ほこら》の|前《まへ》に|来《き》て|見《み》れば、ブラバーサが|一生懸命《いつしやうけんめい》に|何事《なにごと》か|祈願《きぐわん》をこめてゐる。トンクは|傍《そば》により、
『もしもし|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
『ハイ、|左様《さやう》で|厶《ござ》います。|貴方《あなた》はトンクさまぢやありませぬか。|何時《いつ》やらはエライ|失礼《しつれい》を|致《いた》しました』
『イヤもう、|御挨拶《ごあいさつ》|痛《いた》み|入《い》ります。|全《まつた》く|私《わたし》が|悪《わる》かつたので|厶《ござ》いますから、どうぞモウソンナこたア|云《い》はないでおいて|下《くだ》さいませ』
『|時《とき》にお|寅《とら》さまは|御壮健《ごさうけん》にゐらつしやいますかな』
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|実《じつ》の|所《ところ》は、お|寅《とら》さまと、お|花《はな》さま|守宮別《やもりわけ》さまが|大喧嘩《おほげんくわ》をせられまして、|終局《しまひ》の|果《はて》にや、|守宮別《やもりわけ》さまはお|花《はな》さまと|一緒《いつしよ》に|結婚《けつこん》とか|何《なん》とか|云《い》つて、|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|面当《つらあて》に|霊城《れいじやう》を|飛《と》び|出《だ》して|了《しま》はれたものですから、|生宮《いきみや》さまの|御立腹《ごりつぷく》と|云《い》つたら、|夫《そ》れは|夫《そ》れは|言語《げんご》に|絶《ぜつ》する|有様《ありさま》で|厶《ござ》いました。そこへ|受付《うけつけ》にをつたヤクの|奴《やつ》、|生宮《いきみや》さまの|気《き》のもめてる|最中《さいちう》へ|毒舌《どくぜつ》を|揮《ふる》つたものですから、|生宮様《いきみやさま》がクワツとなり、ヤクを|叩《たた》きつけようと|遊《あそ》ばした|其《その》|刹那《せつな》、ヤクの|奴《やつ》、|庭箒《にはばうき》をひつかたげて|飛出《とびだ》し、|途中《とちう》で|生宮《いきみや》さまの|御面体《ごめんてい》を|泥箒《どろばうき》で|擲《なぐ》りつけたり、いろいろ|雑多《ざつた》の|侮辱《ぶじよく》を|加《くは》へたものですから、|疳《かん》の|強《つよ》い|生宮様《いきみやさま》はたうとう|逆上《ぎやくじやう》して|了《しま》ひ、それが|元《もと》となつて、|今《いま》では|発熱《はつねつ》し、ウサ|言《ごと》|許《ばか》り|云《い》つてゐられます。こんな|塩梅《あんばい》では、|生命《いのち》もどうやら|覚束《おぼつか》なからうと|存《ぞん》じ、テクに|介抱《かいほう》させておき、|私《わたくし》は|此《この》|祠《ほこら》へ|御祈願《ごきぐわん》に|参《まゐ》つた|所《ところ》で|厶《ござ》います。いやモウエライ|心配《しんぱい》で|困《こま》りますワイ』
『|話《はなし》を|承《うけたまは》れば、|実《じつ》にお|気《き》の|毒《どく》な|次第《しだい》です。コンナ|事《こと》を|聞《き》いて|聞逃《ききのが》す|訳《わけ》にも|行《ゆ》きませぬから、|平常《ふだん》は|平常《ふだん》として、|私《わたし》は|霊城《れいじやう》へ|参《まゐ》りませう。そして|一時《いつとき》も|早《はや》く|御全快《ごぜんくわい》なさる|様《やう》に|御祈願《ごきぐわん》をさして|貰《もら》ひませう』
『ハイ、そら|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う|厶《ござ》いますが、|常平生《つねへいぜい》から、|貴方《あなた》を|敵《かたき》の|様《やう》に|罵《ののし》つてゐられますから、|貴方《あなた》がお|出《いで》になつたのをみて、|益々《ますます》|逆上《ぎやくじやう》し、|上《あげ》も|下《おろ》しもならないやうになつちや|却《かへつ》て|御親切《ごしんせつ》が|無《む》になりますから、|何《なん》ならお|断《ことわ》りが|致《いた》したいので|厶《ござ》いますワイ』
『ハヽヽヽ|非常《ひじやう》な|御警戒《ごけいかい》ですな。|併《しか》し|人間《にんげん》といふ|者《もの》はさうしたものぢや|厶《ござ》いませぬよ。|災難《さいなん》の|来《き》た|時《とき》にや|互《たがひ》に|助《たす》け|合《あ》ふのが|人間《にんげん》の|義務《ぎむ》ですからな。|何程《なにほど》|我《が》の|強《つよ》いお|寅《とら》さまだつて、|滅多《めつた》に|私《わたし》の|親切《しんせつ》を|無《む》になさる|道理《だうり》はありますまい。キツと|喜《よろこ》んで|下《くだ》さるでせう。そして|之《これ》を|機会《きくわい》にお|寅《とら》さまの|心《こころ》を|和《やは》らげ、|同《おな》じ|日出島《ひのでじま》から|来《き》た|人間《にんげん》です。|和合《わがふ》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めたいと|思《おも》ひますから、たつて|御訪問《ごはうもん》を|致《いた》します』
『ヘーエ、|誠《まこと》に|以《もつ》て、お|志《こころざし》は|有難《ありがた》う|厶《ござ》いますが。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》は|知《し》りませぬで、どうか|生宮《いきみや》さまに、|私《わたし》から|病気《びやうき》の|次第《しだい》を|聞《き》いた、なんて|云《い》つて|貰《もら》つちや|困《こま》りますからな。|貴方《あなた》が|勝手《かつて》に|御越《おこ》しになつた|事《こと》にしておいて|頂《いただ》かねば、|後《あと》の|祟《たた》りが|面倒《めんだう》ですから』
『エ、それなら、|私《わたし》は|之《これ》から|霊城《れいじやう》を|訪問《はうもん》|致《いた》しますから、トンクさま、|貴方《あなた》はゆつくり|御祈願《ごきぐわん》をなし、エヽ|加減《かげん》に|時間《じかん》を|見計《みはか》らつて|何《なに》くはぬ|顔《かほ》で|御帰《おかへ》りなさい。そすりやお|寅《とら》さまだつて、|貴方《あなた》に|小言《こごと》はありますまいからな』
『あ、さう|願《ねが》へば|私《わたし》も|安心《あんしん》です。どうか|宜《よろ》しう|頼《たの》みませぬワ』
ブラバーサは|急《いそ》いで|山《やま》を|降《くだ》り、|何《なに》くはぬ|顔《かほ》して、トルコ|亭《てい》の|細《ほそ》い|路地《ろぢ》を|伝《つた》ひ、|霊城《れいじやう》へ|来《き》てみると、テクが|甲斐々々《かひがひ》しく|頭《あたま》を|冷《ひや》してゐる。
『ヤ、これはこれは、テクさまで|厶《ござ》いますか。|生宮《いきみや》さまは|御不例《ごふれい》にゐらつしやるのですかな』
『ハイ、|左様《さやう》です。そして|又《また》お|前《まへ》さまは|何《なん》の|御用《ごよう》で|御出《おいで》になりました。お|前《まへ》さまの|顔《かほ》|見《み》ると|生宮《いきみや》さまの|御機嫌《ごきげん》が|益々《ますます》|悪《わる》くなり、|病気《びやうき》が|又《また》|重《おも》くなりますから、トツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》され』
『|帰《かへ》らうと|思《おも》へば、さう|追立《おひた》てられなくても|返《かへ》りますよ。|併《しか》し|乍《なが》ら|同国人《どうこくじん》の|病気《びやうき》と|聞《き》いて、|宣伝使《せんでんし》たる|私《わたし》、|見逃《みのが》す|訳《わけ》に|行《い》きませぬから…』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|枕許《まくらもと》にツカツカとより、|熱誠《ねつせい》|籠《こ》めて|天《あま》の|数歌《かずうた》を|三唱《さんしやう》し、|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|助《たす》け|玉《たま》へ、|許《ゆる》し|玉《たま》へ…と|祈願《きぐわん》するや、|今迄《いままで》|火《ひ》の|如《ごと》き|発熱《はつねつ》に|苦《くる》しみてゐたお|寅《とら》は|嘘《うそ》ついた|様《やう》に|熱《ねつ》は|去《さ》り、|忽《たちま》ち|起《お》き|上《あが》り|座布団《ざぶとん》の|上《うへ》にキチンと|行儀《ぎやうぎ》よく|両手《りやうて》をのせ、
『ハ、これはこれは、|何方《どなた》かと|思《おも》へば、ブラバーサさまで|厶《ござ》いましたか。ようマ|御親切《ごしんせつ》に|来《き》て|下《くだ》さいましたね。|私《わたし》も|此《この》|間《あひだ》からチツと|許《ばか》り|風邪《ふうじや》の|気《き》で|臥《ふ》せつてをりましたが、|夜前《やぜん》あたりからスツパリと|全快《ぜんくわい》|致《いた》し、モウ|寝《ね》てゐるのも|何《なん》だか|辛気《しんき》|臭《くさ》くて|堪《たま》らないのですが、|日《ひ》の|出《で》さまの|御忠告《ごちうこく》に|仍《よ》つて、|養生《やうじやう》の|為《ため》、ねて|居《を》りました。|決《けつ》してお|前《まへ》さまの|算盤《そろばん》の|声《こゑ》で|直《なほ》つたのぢや|厶《ござ》いませぬから、ヘン、どうか|恩《おん》に|着《き》せて|下《くだ》さいますなや。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|霊城《れいじやう》へお|前《まへ》さまが|御参《おまゐ》りさして|頂《いただ》いたのも、ヤツパリ|神《かみ》さまのおかげだよ。|此《この》お|寅《とら》が|病気《びやうき》だといふ|噂《うはさ》をパーッと|立《た》たせておき、お|前《まへ》さまの|心《こころ》を|引《ひ》く|為《ため》に、|此《この》|生宮《いきみや》をチツと|許《ばか》り|苦《くる》しめ|遊《あそ》ばしたのだから、|必《かなら》ず|必《かなら》ず|仇《あだ》に|思《おも》つちやなりませぬよ。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》な|御霊城《ごれいじやう》さまへお|前《まへ》さまが|大《おほ》きな|顔《かほ》で|参拝《さんぱい》|出来《でき》たのも|此《この》お|寅《とら》がチツと|許《ばか》り|悪《わる》かつたおかげだ。|神様《かみさま》の|御仕組《おしぐみ》といふものは|偉《えら》いものだな。サ、|之《これ》からブラバーサさま、チツと|我《が》を|折《を》つて|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》を|認《みと》めて|下《くだ》さい。いつ|迄《まで》もいつ|迄《まで》も|変性女子《へんじやうによし》のガラクタ|身魂《みたま》にトチ|呆《はう》けて|居《を》つちやダメですよ。|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》に|近《ちか》よつた|此《この》|時節《じせつ》に、|何《なん》の|事《こと》ですいな。|早《はや》く|改心《かいしん》して、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|片腕《かたうで》となつて、ウラナイ|教《けう》を|開《ひら》き、|天下《てんか》|万民《ばんみん》を|塗炭《とたん》の|苦《く》より|救《すく》つて|下《くだ》さいや』
『ハイ、|又《また》|考《かんが》へておきませう。|先《ま》づ|先《ま》づ|御病気《ごびやうき》の|御本復《ごほんぷく》と|聞《き》いて|安心《あんしん》|致《いた》しました。|私《わたし》|一寸《ちよつと》|用《よう》が|厶《ござ》いますので、|之《これ》から|御暇《おいとま》を|致《いた》します』
『ホヽヽヽ、ヤツパリ|心《こころ》に|曇《くも》りがあると、|此《この》|霊城《れいじやう》が|苦《くる》しうて、ゐたたまらぬと|見《み》えますワイ。|第一霊国《だいいちれいごく》の|天人《てんにん》のお|住居《すまゐ》、どうして|八衢《やちまた》|人足《にんそく》がヌツケリコと|居《を》れるものかい、ウツフヽヽヽ』
『お|寅《とら》さま、|余《あま》りぢやありませぬか。どこ|迄《まで》も|貴方《あなた》は|私《わたし》を|敵《てき》にする|考《かんが》へですか』
『きまつた|事《こと》ですよ、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》の|生身魂《いくみたま》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》を|認《みと》めない|様《やう》な|妄昧頑固《まうまいぐわんこ》の|身魂《みたま》を|何《ど》うして|愛《あい》する|事《こと》が|出来《でき》ませうぞ。|日《ひ》の|出様《でさま》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|艱難辛苦《かんなんしんく》を|遊《あそ》ばして、|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な、|結構《けつこう》な、|心易《こころやす》い、|暮《くら》しよい、みろくの|大御代《おほみよ》を|建《た》てようと|遊《あそ》ばしてるのに、|悪魂《あくみたま》の|変性女子《へんじやうによし》にとぼけて、|此《この》|世《よ》を|乱《みだ》さうと|憂身《うきみ》をやつしてゐるお|前《まへ》さまだもの、|之《これ》|位《ぐらゐ》な|大《おほ》きな|敵《てき》は|世界《せかい》にありませぬぞや。|此《この》|神《かみ》は|従《したが》うて|来《く》れば|誠《まこと》に|結構《けつこう》な|愛《あい》のある|神《かみ》なれど、|敵対《てきた》うて|来《く》る|身魂《みたま》には|鬼《おに》か|大蛇《をろち》のやうになる|神《かみ》ざぞえ。お|前《まへ》さまの|心《こころ》|一《ひと》つで|楽《らく》に|立派《りつぱ》に|御用《ごよう》|致《いた》さうと、|苦《くる》しみてもがいて|地獄落《ぢごくおち》の|悪魔《あくま》の|用《よう》を|致《いた》さうと、|心次第《こころしだい》で|何《ど》うでもなるですよ。コンナ|事《こと》が|分《わか》らぬやうで、ヘン、|宣伝使《せんでんし》などと、|能《よ》う|言《い》はれたものですワイ。|改心《かいしん》なされ、|足元《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》ちますぞや』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|又《また》|後《ご》して|伺《うかが》ひますから|左様《さやう》なら』
『ホヽヽヽたうとう、|八衢人足《やちまたにんそく》|奴《め》、|生宮《いきみや》さまの|御威光《ごゐくわう》に|打《う》たれて、ドブにはまつた|鼠《ねずみ》のやうに、シヨンボリとした、みすぼらしい|姿《すがた》で、|尾《を》を|股《また》へはさみて|逃《に》げよつたぞ。ホヽヽヽ、コラ、テク、ブラバーサなんて|偉相《えらさう》に|云《い》つてるが、|私《わたし》にかかつたら|三文《さんもん》の|値打《ねうち》もなからうがな。|丸《まる》で|箒《はうき》で|押《おさ》へられた|蝶々《てふてふ》の|様《やう》に|命《いのち》カラガラ|逃《に》げていつたぢやないか、イツヒヽヽヽ』
『モシ|生宮《いきみや》さま、ヒドイですな、テクも|呆《あき》れましたよ』
『ひどからうがな。いかなお|前《まへ》でも|呆《あき》れただらう。|耄碌魂《もうろくだましひ》のヒョロ|小便使《せうべんし》めが、あの|逃《に》げて|行《ゆ》くザマつたらないぢやないか。それだから|此《この》|生宮《いきみや》の|神力《しんりき》を|信《しん》じなさいといふのだよ』
『|生宮《いきみや》さま、そら|違《ちが》やしませぬか。|今《いま》の|今迄《いままで》|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|御座《ござ》つたのを、ブラバーサさまがお|出《いで》になり、|指頭《しとう》から|五色《ごしき》の|霊光《れいくわう》を|発射《はつしや》して、お|前《まへ》さまの|病気《びやうき》を|助《たす》けて|下《くだ》さつたぢやありませぬか。それに|貴方《あなた》は、|昨夜《ゆふべ》から|病気《びやうき》が|直《なほ》つてたナンテ、ようマア|嘘《うそ》が|言《い》へたものですな。|私《わたし》は|其《その》|我慢心《がまんしん》の|強《つよ》いお|前《まへ》さまの|遣口《やりくち》に|呆《あき》れた、といふのですよ』
『お|黙《だま》りなさい。アラブの|黒《くろ》ン|坊《ばう》のクセに|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》が|分《わか》つてたまるかいな。ソンナ|事《こと》いつて、|此《この》|生宮《いきみや》に|敵《てき》たふやうな|人《ひと》はトツトと|帰《かへ》つて|貰《もら》ひませう。アタ|気分《きぶん》の|悪《わる》い。エーエーそこら|中《ぢう》がウソウソとして|来《き》た。これ、テク、|塩《しほ》をもつてお|出《い》で、お|前《まへ》の|体《からだ》に|悪魔《あくま》が|憑《つ》いてる、|之《これ》からスツパリと|払《はら》つて|上《あ》げるからな』
『イヤもう|結構《けつこう》です』
といつてる|所《ところ》へ、トンクはドンドンと|露地口《ろぢぐち》の|細路《ほそみち》を|威嚇《ゐかく》させ|乍《なが》ら|帰《かへ》り|来《きた》り、
『ヤア、これはこれは、|生宮様《いきみやさま》、いつの|間《ま》にさう|快《よ》くおなりなさいましたか。|私《わたし》は|心配《しんぱい》|致《いた》しまして、テクに|貴女《あなた》の|介抱《かいほう》を|命《めい》じおき、エルサレムの|宮《みや》へ|御病気《ごびやうき》|祈願《きぐわん》の|為《ため》に|御参拝《ごさんぱい》して|来《き》たのです。|何《なん》と|御神徳《ごしんとく》といふものは、アラ|高《たか》いものですな』
『それは|大《おほ》きに|御親切《ごしんせつ》|有難《ありがた》う……とかういつたらお|前《まへ》さまはお|気《き》に|入《い》るだらうが、ヘン|誰《たれ》がそんな|事《こと》お|前《まへ》さまに|頼《たの》みました。|大弥勒様《おほみろくさま》の|生宮《いきみや》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》さまの|肉体《にくたい》の、|病気《びやうき》を|直《なほ》すやうな|神様《かみさま》がどこにありますか、|可《い》い|加減《かげん》に|呆《とぼ》けておきなさいや』
『オイ、テク、チツと|可怪《あや》しいぢやないか、|病《や》み|呆《はう》けて|厶《ござ》るのだらうよ』
『マアマア|喧《やかま》しう|言《い》ふな、|何時迄《いつまで》|言《い》つたつて|限《かぎ》りがないからな。|何《なん》と|云《い》つても|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主様《きうせいしゆさま》だから、|維命《これめい》、|維従《これしたが》うてゐさへすりや|可《い》いのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|余《あま》り|相手《あひて》になるなといふ|意味《いみ》を|目《め》で|知《し》らした。お|寅《とら》は|布団《ふとん》を|頭《あたま》からひつかぶり、スヤスヤと|眠《ねむり》に|就《つ》きぬ。
(大正一四・八・二〇 旧七・一 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
第一七章 |茶粕《ちやかす》〔一八二三〕
ブラバーサの|親切《しんせつ》を|罵詈《ばり》と|叱咤《しつた》を|以《もつ》て|報《むく》ひ、|箒《はうき》で|掃出《はきだ》さむ|許《ばか》りの|待遇《たいぐう》をして|追返《おひかへ》した。その|翌日《よくじつ》、|狭苦《せまくる》しい|霊城《れいじやう》の|日《ひ》の|丸《まる》の|掛軸《かけぢく》の|前《まへ》に、オコリが|直《なほ》つたやうな|調子《てうし》でお|寅《とら》はチョコナンと|坐《すわ》り、|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めたり。
(祝詞)『|小北《こぎた》の|山《やま》を|始《はじ》めエルサレムの|霊城《れいじやう》に|神《かみ》つまります、|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》の|大神《おほかみ》、|日出神《ひのでのかみ》の|命《みこと》もちて、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》、|寅子姫命《とらこひめのみこと》、つまらぬ|餓鬼《がき》を|腹立《はらた》ち|連《れん》の、ヤクザ|身魂《みたま》の|為《ため》に、|身禊払《みそぎはら》ひ|玉《たま》はむとして、|現《あら》はれませる|荒井戸《あらゐど》の|四柱《よはしら》の|大神《おほかみ》、もろもろの|曲事《まがこと》|罪穢《つみけがれ》を|払《はら》ひ|玉《たま》へ|清《きよ》め|玉《たま》へ、ブラバーサ、お|花《はな》の|悪魔《あくま》を|退《しりぞ》け|玉《たま》へと|申《まを》す|事《こと》の|由《よし》を、|天《てん》の|大神《おほかみ》|地《ち》の|大神《おほかみ》、|底津岩根《そこついはね》の|神達《かみたち》|共《とも》に、|徳利《とくり》|聞《きこ》し|召《め》せと|畏《かしこ》みも|申《まを》す。ミロク|成就《じやうじゆ》の|大神様《おほかみさま》、|上義姫《じやうぎひめ》の|大神様《おほかみさま》、|義理天上日出大神《ぎりてんじやうひのでのおほかみ》|様《さま》、|大広木正宗彦命《おほひろきまさむねひこのみこと》|様《さま》、|木曽義仲姫命《きそよしなかひめのみこと》|様《さま》、|朝日《あさひ》の|豊阪昇《とよさかのぼ》り|姫命《ひめのみこと》|様《さま》、|岩根木根立彦命《いはねきねたちひこのみこと》|様《さま》、|天《あめ》の|岩倉放《いはくらはな》ち|彦命《ひこのみこと》|様《さま》、|厳《いづ》の|千別彦命《ちわきひこのみこと》|様《さま》、|四方《よも》の|国中彦命《くになかひこのみこと》|様《さま》、|荒《あら》ぶる|神様《かみさま》、|貞子姫命《さだこひめのみこと》|様《さま》、|言上姫命《ことじやうひめのみこと》|様《さま》、その|外《ほか》|世《よ》に|落《お》ちて|御苦労《ごくらう》|遊《あそ》ばした|神々様《かみがみさま》、|一時《いつとき》も|早《はや》く|世《よ》にお|出《で》まし|下《くだ》さいまして、|神政成就《しんせいじやうじゆ》、|万民安堵《ばんみんあんど》の|神世《かみよ》が|立《た》ちますやう、|偏《ひとへ》にお|願《ねがひ》|申《まを》します。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
ポンポンポンポンと|四拍手《しはくしゆ》し|終《をは》り、
『これトンクさま、もうお|茶《ちや》が|沸《わ》いただらうな』
『ハイ、|夜前《やぜん》から|沸《わ》いて|居《を》りますよ』
『さうかいな、ソンナラ|一寸《ちよつと》、ここへ|持《も》つて|来《き》ておくれ。|久《ひさ》し|振《ぶ》りで|大神様《おほかみさま》にお|祝詞《のりと》をあげたものだから、|喉《のど》が|渇《ひつ》ついて|仕方《しかた》がない。あんまり|熱《あつ》いと|舌《した》をやけどするから、そこは|飲《の》みかげんにして、トツトと|持《も》つて|来《き》ておくれや』
『ハイ、|今《いま》|持《も》つて|参《さん》じます。オイ、テクの|奴《やつ》、|早《はや》く|土瓶《どびん》をかけぬかい』
『|土瓶《どびん》をかけと|云《い》つたつて、|夕《ゆふ》べの|騒《さわ》ぎで、|天《てん》にも|地《ち》にも|掛替《かけがへ》のない|土瓶君《どびんくん》、|切腹《せつぷく》して|了《しま》つたぢやないか』
『エー、|気《き》の|利《き》かぬ、|今《いま》の|中《うち》に、それ|表《おもて》の|瀬戸物屋《せとものや》へ|行《い》つて|買《か》つて|来《く》るのだ。|同《おな》じ|事《こと》なら|白湯《さゆ》の|沸《わ》いたのがあつたら、|白湯《さゆ》ぐち|買《か》つて|来《く》ればいいぢやないか。サアサア、ソツトソツト、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせて』
テクは|小便《せうべん》しに|行《ゆ》くやうな|顔《かほ》してソツと|表《おもて》へ|出《で》て|了《しま》つた。
『これこれ、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるのだい。|早《はや》くお|茶《ちや》をおくれと|云《い》ふのに』
『ハイ、|今《いま》|差上《さしあ》げます。|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さいや』
『|何《なん》とまア、|早速《さつそく》|間《ま》に|合《あ》はぬ|男《をとこ》だこと。あまりの|愚図《ぐづ》で、|可笑《をか》しうて|臍《へそ》がお|茶《ちや》を|沸《わ》かしますぞや』
『|私《わたし》だつて|夕《ゆふ》べの|生宮様《いきみやさま》と、ブラバーサとの|掛合《かけあひ》を|聞《き》いて|居《を》つて、|臍《へそ》が|夕《ゆふべ》から|茶《ちや》を|沸《わ》かして|居《を》りますよ。|本当《ほんたう》にブラバーサの|態《ざま》つたら、なかつたぢやありませぬか』
トンクは|話《はなし》を|横道《よこみち》へ|外《そ》らし、|一寸《ちよつと》でも|暇《ひま》を|入《い》れて、テクが|帰《かへ》つて|来《く》る|時間《じかん》を|保《たも》とうとして|居《ゐ》る。お|寅《とら》はブラバーサの|攻撃《こうげき》らしい|事《こと》をトンクが|云《い》つたので、|喉《のど》の|渇《かわ》いたのも|忘《わす》れて|了《しま》ひ、
『そら、さうだろ。お|前《まへ》だつてのう、トンク、あの|態《ざま》を|見《み》たら|臍《へそ》がお|茶《ちや》を|沸《わ》かす|所《どころ》か、|睾玉《きんたま》まで|洋行《やうかう》するだらう』
『ヘーヘー、そらさうですとも。|肝《きも》が|潰《つぶ》れて、おつたまげる|所《どころ》か|睾丸《きんたま》はまひ|上《あが》る、お【へそ】は|腹《はら》がやける|程《ほど》、|熱《あつ》い|茶《ちや》を|沸《わ》かします。イヤ、モウ、|茶々無茶《ちやちやむちや》で|厶《ござ》いましたわい。チヤンチヤラ|可笑《をか》しい。|何程《なにほど》|偉《えら》さうに|云《い》つても|生宮様《いきみやさま》の|前《まへ》に|現《あら》はれたら、|丁度《ちやうど》|猫《ねこ》の|傍《そば》へ|鼠《ねずみ》が|来《き》たやうなものですが、【ニャーん】とも【チュ】のおろしやうが|厶《ござ》いませぬわい。エー、テクの|奴《やつ》、|気《き》の|利《き》かない|野郎《やらう》だな。|土瓶《どびん》を|折角《せつかく》|買《か》つて|来《き》た|処《ところ》で|湯《ゆ》が|沸《わ》く|間《ま》が|五分《ごふん》や|十分《じつぷん》かかるだらうし、|此《この》|間《あひだ》|何《なん》と|云《い》つてごまかしておかうかな』
と|口《くち》の|中《なか》で|呟《つぶや》いてゐる。
『これこれトンクさま、|今《いま》|小《ちひ》さい|声《こゑ》で|云《い》つた|事《こと》、いま|一度《いちど》、|云《い》つて|下《くだ》さい。ごまかすとは、ソラ、|誰《たれ》をごまかすのだい』
『ヘー、|何《なん》で|厶《ござ》います。ブラバーサも|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》だと|威張《ゐば》つてゐますが、|生宮様《いきみやさま》の|鼻《はな》の|息《いき》に、もろくも|散《ち》つた|処《ところ》を|考《かんが》へて|見《み》ますと、|籾粕《もみかす》か|胡麻《ごま》【かす】か、かるい|代物《しろもの》だなア……、とこのやうに|云《い》ふたのですわい』
『ホヽヽヽ、|籾粕《もみかす》ぢやのうて、|揉《も》み|消《け》すのだらう。|胡麻粕《ごまかす》ぢや|無《な》うて、うまい|事《こと》|生宮《いきみや》を、【ごまかす】|積《つも》りだらうがな。ソンナ|嘘《うそ》を|喰《く》ふやうな|生宮《いきみや》ぢや|厶《ござ》いませぬぞや』
『イエイエ、|決《けつ》して|決《けつ》して、|勿体《もつたい》ない、|大弥勒様《おほみろくさま》の|生宮《いきみや》を、ごまかすなぞと、|人民《じんみん》の|分際《ぶんざい》として、そんな|大《だい》それた|事《こと》が|出来《でき》ますものか。|第一《だいいち》、|私《わたし》の|頭《あたま》が|世《よ》の|中《なか》の|悪潮流《あくていりう》に、もみにもみ|潰《つぶ》され、|悪者《わるもの》|共《ども》に、ごまかされ、|脳髄《なうずゐ》が、ひつからびて、カスカスになつてゐますもの、どうして|生宮様《いきみやさま》のやうに|当意即妙《たういそくめう》の|智慧《ちゑ》が|出《で》ますものかい』
『これ、トンク、|早《はや》くお|茶《ちや》を、おくれぬかいな』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|実《じつ》の|処《ところ》は|土瓶《どびん》の|奴《やつ》、あの、|何《なん》です。ブラバーサの|態度《たいど》に|呆《あき》れたものと|見《み》えまして、|腮《あご》を|外《はづ》し、|腹《はら》|迄《まで》|破《やぶ》つて、【てこね】て|居《ゐ》るのですよ。それだから、|最《もつと》も|新《あたら》しい、|真新《まつさら》な、|清新《せいしん》な|土器《どき》を|買《か》つて|来《き》て、|今日《けふ》の|初水《はつみづ》を|沸《わ》かし、|進《しん》ぜ|度《た》いと|存《ぞん》じまして、|今《いま》テクに|買《か》ひにやつた|所《ところ》で|厶《ござ》います。どうぞ|一寸《ちよつと》、お|待《ま》ち|下《くだ》さいませ』
『いかにも、そりや|結構《けつこう》だ、いい|処《ところ》へ|気《き》がついた。|何《なん》と|云《い》つても|生宮様《いきみやさま》のお|飲《あが》り|遊《あそ》ばす|土瓶《どびん》と、トンク、テクの|奴連中《やつこれんちう》と、|今迄《いままで》のやうに|一《ひと》つの|土瓶《どびん》で|茶《ちや》を|沸《わ》かして|居《を》つたのが|間違《まちがひ》だ。|今日《けふ》から|新《あたら》しくなつて、イヤ|誠《まこと》に|結構《けつこう》だ。|神様《かみさま》もさぞ|御満足《ごまんぞく》|遊《あそ》ばすだらう』
『それに、|生宮様《いきみやさま》、よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|半狂人《はんきちがひ》の|曲彦《まがひこ》や、お|花《はな》さまが|使《つか》つてゐた|土瓶《どびん》ですもの。|夕《ゆふ》べの|騒《さわ》ぎで、|生宮様《いきみやさま》のお|臂《いど》を|使《つか》ひ、|神様《かみさま》がお|土瓶《どびん》|様《さま》を、|滅茶々々《メチヤメチヤ》にお|割《わ》り|遊《あそ》ばしたのだと、|私《わたし》はこのやうに、おかげを|頂《いただ》かして|貰《もら》ひますわ』
『|成程《なるほど》、お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り、|妾《わし》の|聞《き》く|通《とほ》り、チツとも|間違《まちがひ》ありますまい。ホヽヽヽ』
かかる|処《ところ》へ、テクは|青土瓶《あをどびん》をひつ|下《さ》げて|帰《かへ》り、
『イヤ、これはこれは、お|早《はや》う|厶《ござ》います。サアお|茶《ちや》が|沸《わ》きました。どうぞお|飲《あが》り|下《くだ》さいませ』
『これテクさま、|新《さら》の|土瓶《どびん》を|買《か》つて|来《き》て|下《くだ》さつて|誠《まこと》に|結構《けつこう》だが、|湯《ゆ》を|沸《わ》かすのなら、|何《なん》だよ、|初《はじ》めてだから、あまり|熱《あつ》いお|湯《ゆ》を|沸《わ》かすと、お|尻《しり》が|割《わ》れますぞや。そして|燻《くす》べぬやうにせないと、|直《すぐ》お|前《まへ》の|顔《かほ》のやうに|真黒《まつくろ》になるからな。|上等《じやうとう》の|炭火《すみび》で|沸《わ》かして|下《くだ》さいや』
『ヘー、|瀬戸物屋《せとものや》の|爺《おやぢ》、|仲々《なかなか》|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》で、|新《さら》の|土瓶《どびん》で|湯《ゆ》を|沸《わ》かすのは|仲々《なかなか》むつかしい、|商売柄《しやうばいがら》、|一《ひと》つ|教《をし》へてあげませう、と|云《い》ひましてな、それはそれは|立派《りつぱ》な|唐木《からき》で|作《つく》つた|角火鉢《かくひばち》の|上《うへ》に、ソツとのせて、|上等《じやうとう》のお|茶《ちや》をチヨツトつまみ、ガタガタガタと|沸《わ》かして|呉《く》れました。|本当《ほんたう》に|飲《の》み|加減《かげん》ださうで|厶《ござ》いますよ』
『そりや|仲々《なかなか》|気《き》が|利《き》いてゐる。サア|一《ひと》つこのコツプについで|下《くだ》さい』
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|路地口《ろぢぐち》でソツと|垂《た》れ|込《こ》んでゐた|小便《せうべん》の|汁《しる》を|七分《しちぶ》|許《ばか》りついで、|恭《うやうや》しく|手盆《てぼん》に|乗《の》せ、おち|付《つ》き|払《はら》つてお|寅《とら》の|前《まへ》につき|出《だ》す。お|寅《とら》は|喉《のど》が|渇《かわ》いてゐるので、|小便《せうべん》とは|気《き》が|付《つ》かず、|飛《と》びつくやうにして、グイグイグイと|飲《の》み|終《をは》り、
『ハ、|何《なん》だか、|妙《めう》な|香《にほひ》がするぢやないか』
『|何《なん》と|云《い》つても、|土瓶《どびん》が|新《さら》で|厶《ござ》いますから、|薬《くすり》の|香《にほひ》がチツトは|出《で》るさうです。どうです、も|一杯《いつぱい》、つぎませうか』
『イヤ、もう|結構《けつこう》だ、とは|云《い》ふものの、コンナ|結構《けつこう》なお|土瓶《どびん》のお|新《さら》のお|茶《ちや》をお|粗末《そまつ》にお|取扱《とりあつかひ》する|御訳《おわけ》にはお|行《ゆ》き|申《まを》さぬから、も|一杯《いつぱい》ついで|下《くだ》さい』
『ヘー|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|又《また》もやコツプに|今度《こんど》は|九分五厘《くぶごりん》|迄《まで》|注《つ》いで|見《み》た。
『ホヽヽヽヽ、|何《なん》と、|色《いろ》よう|出《で》てゐること、エー|今日《けふ》は|御褒美《ごほうび》に|大弥勒《おほみろく》の|太柱《ふとばしら》、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》のお|下《さが》りを、お|前《まへ》にも|飲《の》まして|上《あ》げやう。|結構《けつこう》な|結構《けつこう》なお|茶《ちや》|様《さま》ぢやぞえ。サア、テクさま、|頂《いただ》いて|下《くだ》さい。|滅多《めつた》に|生宮様《いきみやさま》の|口《くち》のついたお|茶碗《ちやわん》で|頂《いただ》くと|云《い》ふ|事《こと》は|出来《でき》ませぬよ』
『イヤ、もう|沢山《たくさん》で|厶《ござ》います。|今日《けふ》は|何《なん》だか|腹《はら》が|張《は》つて|居《を》りますので、|水気《みづけ》は|一切《いつさい》、|欲《ほ》しくは|厶《ござ》いませぬ』
『このお|茶《ちや》さまはな、|御供水《ごくすい》も|同然《どうぜん》だ。|生宮《いきみや》が|頂《いただ》けと|云《い》つたら、|反《そむ》く|事《こと》は|出来《でき》ませぬぞや』
『どうか、おかげを、トンクに|譲《ゆづ》つてやつて|下《くだ》さいませぬか』
トンクは、テクの|奴《やつ》どうも|怪《あや》しい、|途中《とちう》で|小便《せうべん》でもこいておきやがつたのぢやあるまいかと、やや|疑《うたが》ひ|初《はじ》めてゐた|最中《さいちう》なので、
『ヤー、|俺《おれ》も|結構《けつこう》だ。|今日《けふ》は|水気《みづけ》|一切《いつさい》|飲《の》み|度《た》くない。テク、お|前《まへ》が|生宮様《いきみやさま》から|頂《いただ》かして|貰《もら》つたのだから|一滴《ひとしづく》もこぼさず、|御神徳《おかげ》だ、グツと、|思《おも》ひ|切《き》つてやつておき|玉《たま》へ。|俺《おれ》としては、どうも、|何々《なになに》ぢや、マア|自業自得《じごうじとく》だ。サアサア|頂《いただ》いた|頂《いただ》いた』
『これほど|結構《けつこう》なお|茶《ちや》|様《さま》が、お|気《き》に|入《い》らぬのかいな。ソンナラ|仕方《しかた》がない、このお|茶《ちや》さまは、|下《さ》げて、あげる。イヤ、お|茶《ちや》さまは|放《ほ》かしなさい。そして、|土瓶《どびん》を|灰《はひ》でスツクリ|中《なか》から|外《そと》|迄《まで》|柄《え》|迄《まで》、|研《みが》いておくのだよ』
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|匆々《さうさう》に|裏口《うらぐち》の|溝溜《どぶたま》りへ|鼻《はな》に|皺寄《しわよ》せ|乍《なが》ら|打《ぶ》ちあけ、|灰《はい》と|水《みづ》と|簓《ささら》とで|大清潔法《だいせいけつはふ》を|行《おこな》ひ、チヤンと|走《はし》りの|棚《たな》に|安置《あんち》しておいた。
『これ、テク、トンクの|両人《りやうにん》、|俄《には》かに、|干瓢《かんぺう》が|欲《ほ》しくなつたから、|町《まち》へ|出《で》て|一斤《いつきん》|程《ほど》|買《か》つて|来《き》て|下《くだ》さいな』
『ハイ、エー、|私《わたし》|一人《ひとり》お|使《つかひ》に|参《まゐ》ります。お|気《き》に|入《い》りのトンクは、どうかお|側《そば》に|於《おい》てやつて|下《くだ》さい』
『イヤイヤお|前《まへ》のやうな|口穢《くちぎたな》いものは、|一人《ひとり》やると、|道《みち》で|干瓢《かんぺう》をしがみて|了《しま》ふから|目方《めかた》が|減《へ》つて|大変《たいへん》な|損害《そんがい》だ。|口近《くちちか》いものはヤツパリ|行儀《ぎやうぎ》のよい、トンクに|買《か》つて|来《き》て|貰《もら》はう。その|代《かは》りにお|前《まへ》は|一寸《ちよつと》|使《つかひ》に|行《い》つて|下《くだ》さい。エルサレムのお|宮《みや》へ、|私《わたし》の|病気《びやうき》が|本復《ほんぷく》したのでお|礼詣《れいまゐ》りにだよ』
テクとトンクは『ハイハイ』と|二《ふた》つ|返事《へんじ》で|小銭《こぜに》を、|引《ひ》ツつかみ|立《た》つて|行《ゆ》く。|干瓢《かんぺう》はツヒ|近《ちか》くの|店《みせ》にあるので、|十分《じつぷん》たたぬ|間《ま》にトンクは|一斤《いつきん》|程《ほど》|買求《かひもと》めて|帰《かへ》つて|来《き》た。
『|生宮様《いきみやさま》、えらう|遅《おそ》うなつて|済《す》みませぬ』
『おそい|所《どころ》か、お|前《まへ》は|夏《なつ》の|牡丹餅《ぼたもち》だよ。|本当《ほんたう》に|足《あし》が|早《はや》いぢやないか。|使《つかひ》|歩《ある》きは、お|前《まへ》に|限《かぎ》るよ。|今日《けふ》は、この|生宮《いきみや》が|干瓢《かんぺう》を|煮《た》いて|神様《かみさま》にお|供《そな》へをしたり、お|前《まへ》にも|頂《いただ》かしたいから|手《て》づから、お|料理《れうり》をしませう。テクの|奴《やつ》、エルサレムのお|宮《みや》へ|詣《まゐ》れと|云《い》つておいたのに、|又《また》どこに、|外《そ》れて|行《ゆ》くか|分《わか》らないから、お|前《まへ》、|御苦労《ごくらう》だが|一寸《ちよつと》|調《しら》べて|来《き》て|下《くだ》さらないか』
『|成程《なるほど》、|委細《ゐさい》|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|窮屈《きうくつ》の|皺苦茶婆《しわくちやばば》アの|小言《こごと》を|聞《き》いて|居《ゐ》るより、|外《そと》の|空気《くうき》に|触《ふ》れた|方《はう》が|面白《おもしろ》いと、|匆々《さうさう》に|出《い》でて|行《ゆ》く。その|後《あと》でお|寅《とら》は|干瓢《かんぺう》に|鰹《かつを》のだしを|入《い》れ、グツグツと|膨《ふく》れる|処《ところ》|迄《まで》|煮《た》き|上《あ》げ、|神様《かみさま》にもお|供《そな》へをし、|自分《じぶん》とトンクとの|分《ぶん》をしまひおき、あとの|残《のこ》つた|干瓢《かんぺう》を、|暫《しば》らく|水《みづ》に|浸《ひた》し、|甘味《あまみ》をぬいて|了《しま》ひ、|再《ふたた》び|土瓶《どびん》の|中《なか》へつツ|込《こ》み、シスセーナをやつて、|再《ふたた》び|火鉢《ひばち》に|土瓶《どびん》をかけ、グツグツグツとたぎらし、テクの|膳《ぜん》を|出《だ》して、|皿《さら》に|一杯《いつぱい》|盛《も》つておいた。|暫《しばら》くすると、トンク、テクは|怖《こは》さうに|帰《かへ》つて|来《き》た。
『もし|生宮様《いきみやさま》、エー|途中《とちう》でテクに|出会《であ》ひまして、|無事《ぶじ》に|帰《かへ》りまして|厶《ござ》います』
『アヽそれはそれは|御苦労《ごくらう》|千万《せんばん》、さア|腹《はら》が|減《へ》つただらう、|朝御飯《あさごはん》を|食《あが》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》もお|前《まへ》さまと|一緒《いつしよ》に|御飯《ごはん》を|食《あが》らうと|思《おも》つて、|空腹《すきばら》をかかへて|待《ま》つて|居《を》つたのだよ』
『それはそれは。|炊事《すゐじ》|迄《まで》|生宮様《いきみやさま》にさせまして、オイ、テク、|頂《いただ》かうぢやないか。|大弥勒様《おほみろくさま》のお|手《て》づからの|御料理《ごれうり》だ。コンナ|光栄《くわうえい》は、|滅多《めつた》にあるまいぞ』
『|今日《けふ》は|生宮《いきみや》が|炊事《すゐじ》をするけれど、|明日《あす》からはトンクさまに|願《ねが》ひますよ』
『はい、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|三人《さんにん》は|食卓《しよくたく》を|囲《かこ》み、|干瓢《かんぺう》の|副食物《ふくしよくぶつ》で、|朝飯《あさはん》をパクつき|初《はじ》めた。
『|何《なん》とマア、|干瓢《かんぺう》の|味《あぢ》がいいぢやありませぬか。|何《なん》ともかとも|知《し》れぬ|味《あぢ》が|致《いた》しますワ』
『ン、うまいな、|然《しか》し、チツと|臭《くさ》いぢやないか』
『|何《なに》、|臭《くさ》いのが|価値《ねうち》だ、|鰹《かつを》の|煮《に》【だし】の|香《かをり》だよ』
『さうだらうかな』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、お|寅《とら》もトンクも、|甘《うま》さうに|喰《く》つてゐるので、|自分《じぶん》も|怪《あや》しいと|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|一切《ひとき》れも|残《のこ》さず|平《たひら》げて|了《しま》つた。
『ホヽヽヽヽ、これテク、どうだつたい。お|前《まへ》には|特別《とくべつ》の|御守護《ごしゆご》が|与《あた》へてあるのだよ。|最前《さいぜん》の|返礼《へんれい》にな。チツと|許《ばか》り、お|報《むく》いしたのだから、|悪《わる》う|思《おも》つて|下《くだ》さるなや、ホヽヽヽヽ』
テクは|小田《をだ》の|蛙《かへる》の、|泣《な》きそこねたやうな|面《つら》をし|乍《なが》ら、ダマリ|込《こ》んで|了《しま》つた。そこへスタスタ|帰《かへ》つて|来《き》たのはツーロであつた。
『|御免《ごめん》なさい。えらう|遅《おそ》くなつて|済《す》みませぬ。|只今《ただいま》かへりました。ヤア、トンク、テクお|前《まへ》は、もう|帰《かへ》つてゐるのかい』
トンク『|貴様《きさま》、どこへ|行《い》つて|居《を》つたのだい。|生宮様《いきみやさま》は|大変《たいへん》に|立腹《りつぷく》して|厶《ござ》つたぞ。まるで|鉄砲玉《てつぱうだま》のやうな|奴《やつ》だな。|出《で》たら|帰《かへ》る|事《こと》を|知《し》らないのだから、|困《こま》つたものだよ』
『ナニ、|大変《たいへん》|暇《ひま》がいつて、すまなかつたが、その|代《かは》り|生宮様《いきみやさま》に|対《たい》し、ドツサリとお|土産《みやげ》を|持《も》つて|来《き》たのだ。お|釈迦様《しやかさま》でも|御存《ごぞん》じないやうな、|秘密《ひみつ》を|探《さぐ》つて|来《き》たのだからなア』
『これ、ツーロ、|妾《わし》におみやげとは、ドンナ|事《こと》ぢやいな。|大方《おほかた》お|花《はな》と|大広木《おほひろき》さまとの|秘密《ひみつ》でも|探《さぐ》つて|来《き》たのだらう』
『イヤ、|御賢察《ごけんさつ》|恐《おそ》れ|入《い》ります。|私《わたし》も|実《じつ》は、ヤクの|後《あと》をおつかけて|参《まゐ》りました|所《ところ》、|行衛《ゆくゑ》が|知《し》れないので|申訳《まをしわけ》がないと|存《ぞん》じ、|二三日《にさんにち》アメリカン・コロニーの|食客《しよくきやく》をやつてゐましたが、|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまとお|花《はな》さまとが、カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルで|新《しん》ウラナイ|教《けう》を|立《た》てられると|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》き、ソツと|見《み》に|行《い》つた|処《ところ》、ヤクの|奴《やつ》、|階子段《はしごだん》の|下《した》に|大《だい》の|字《じ》になつて、フンのびてゐるぢやありませぬか。|大勢《おほぜい》のボーイがよつて、ワイワイ|騒《さわ》いでゐる、|医者《いしや》が|出《で》て|来《く》る、|大変《たいへん》な|騒動《さうだう》でしたよ』
『|何《なん》と、マア|天罰《てんばつ》と|云《い》ふものは、|恐《おそ》ろしいものだな。|此《この》|生宮《いきみや》の|面態《めんてい》を|泥箒《どろばうき》でなぐつた|報《むく》ひだらうよ。それで|一寸《ちよつと》、|溜飲《りういん》が|下《さが》りました。どうも|神《かみ》さまと|云《い》ふものは、|偉《えら》いものだわい。そしてお|花《はな》や|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまの|様子《やうす》は|聞《き》いて|来《こ》なかつたかい』
『ヘーヘー、|聞《き》くの|聞《き》かぬのつて、|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》つて|居《を》ります。|守宮別《やもりわけ》の|大広木《おほひろき》さまはお|花《はな》さまと|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》げ、|新宗教《しんしうけう》を|樹《た》てやうとして|厶《ござ》つた|所《ところ》へ、|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|白首《しらくび》が|会《あ》ひに|来《き》たものですから、お|花《はな》さまと|大喧嘩《おほけんくわ》が|起《おこ》り、|大広木《おほひろき》さまは|種茄子《たねなす》を|引張《ひつぱ》られて|目《め》をまかすやら、お|花《はな》さまは|頭《あたま》を|殴《なぐ》られて|発熱《はつねつ》し、|囈言《うさごと》|許《ばか》り|云《い》ふので、|博愛《はくあい》|病院《びやうゐん》へ|入院《にふゐん》しました』
『ホヽヽヽ、|何《なん》とマア|神《かみ》さまは|偉《えら》いお|方《かた》だな。|誠《まこと》さへ|守《まも》りて|居《を》りたら|神《かみ》が|敵《かたき》を|打《う》つてやるぞよと、いつも|日出《ひので》さまが|仰有《おつしや》るが、ヤツパリ|悪《あく》は|善《ぜん》には|叶《かな》ひますまいがな、|然《しか》し|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|女《をんな》、|気《き》の|利《き》いた|奴《やつ》だ。|蹴爪《けづめ》の|生《は》えたお|花《はな》と|喧嘩《けんくわ》するなぞと、|本当《ほんたう》に|末頼《すゑたの》もしい。ドーレ、それでは、|守宮別《やもりわけ》さまの|御見舞《おみまひ》に|行《ゆ》かねばなるまい。|所在《ありか》が|分《わか》つた|以上《いじやう》は、|一刻《いつこく》も|猶予《いうよ》は|出来《でき》ぬ。トンク、テク、お|前《まへ》は|神妙《しんめう》にお|留守《るす》をしてゐて|下《くだ》さい。|必《かなら》ず|小便茶《せうべんちや》なぞを|沸《わ》かしてはなりませぬぞや。これツーロ、|案内《あんない》しておくれ』
『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|先《さき》に|立《た》ち|出《い》でて|行《ゆ》く。お|寅《とら》はダン|尻《じり》をプリンプリンと|中空《ちうくう》に、ブかつかせ|乍《なが》ら、|表街道《おもてかいだう》へ|出《で》て、ツーロと|共《とも》に|自動車《じどうしや》を|雇《やと》ひ、カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルを|指《さ》して|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二一 旧七・二 北村隆光録)
第一八章 |誠《まこと》と|偽《いつはり》〔一八二四〕
|僧院《そうゐん》ホテルの|第二号室《だいにがうしつ》には、|守宮別《やもりわけ》と|綾子《あやこ》の|二人《ふたり》が、|喋々喃々《てふてふなんなん》と|何事《なにごと》かしきりに|喋《しや》べり|立《た》てて|居《ゐ》る。
『これや、|綾子《あやこ》、|昨日《きのふ》は|俺《おれ》の|睾丸《きんたま》を|引張《ひつぱ》つて|締《し》め|殺《ころ》さうとしたぢやないか。それほど|憎《にく》い|俺《おれ》を、|再《ふたた》び|訪《たづ》ねて|来《く》るとは|合点《がつてん》がゆかぬ。|此《この》|間《あひだ》の|払《はら》ひでも|請求《せいきう》に|来《き》たのかな』
『|私《わたし》は|貴方《あなた》が、|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》をして|厶《ござ》るお|方《かた》だと|許《ばか》り|思《おも》つて|訪《たづ》ねて|来《き》ましたのに、|化物《ばけもの》のやうな|女《をんな》が|口《くち》の|間《ま》に|寝《ね》て|居《ゐ》るものですから、|嫉《や》けて|耐《たま》らず、|前後《ぜんご》を|忘《わす》れて|真《まこと》に|済《す》まない|事《こと》を|致《いた》しました。どうぞ|耐《こら》へて|下《くだ》さいませねえ』
『エー、よしよし、|過《す》ぎ|去《さ》つた|事《こと》は|仕方《しかた》が|無《な》いわ。あのお|花《はな》と|云《い》ふ|奴《やつ》、|見《み》かけによらぬ|淫乱《いんらん》|婆《ばば》アでね。|妙《めう》な|関係《くわんけい》になつて、|俺《おれ》も|鳥黐桶《とりもちおけ》に|足《あし》をつきこみたやうな|目《め》に|遇《あ》つて|居《ゐ》たのだ。|幸《さいは》ひお|前《まへ》が|来《き》て|喧嘩《けんくわ》して|呉《く》れたおかげで、お|花《はな》も|諦《あきら》めがついてよいと、|実《じつ》は|喜《よろこ》びて|居《ゐ》るのだ』
『|私《わたし》だつて|昨夕《ゆうべ》はゆつくり|貴方《あなた》と|語《かた》り|明《あか》さうと|思《おも》ひ、|親方《おやかた》さまにお|暇《ひま》を|願《ねが》ひ|折角《せつかく》やつて|来《き》ましたのに、あの|騒《さわ》ぎで|恋《こひ》しい|貴方《あなた》と|引《ひ》きわけられ、|有明楼《ありあけろう》に|送《おく》り|返《かへ》された|時《とき》の|残念《ざんねん》さ。|昨夜《ゆうべ》は|一目《ひとめ》も|眠《やす》めなかつたのですよ。|幸《さいは》ひ|私《わたし》の|父《ちち》が|怪我《けが》をして|床《とこ》について|居《ゐ》るものですから、|見舞《みまひ》にやらして|呉《く》れと|親方《おやかた》にねだり、やつとの|事《こと》で|恋《こひ》しい|貴方《あなた》のお|側《そば》に|来《く》る|事《こと》が|出来《でき》たのですわ。|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》に|罪《つみ》な|方《かた》ですね。|本当《ほんたう》は|守宮別《やもりわけ》さまで|在《あ》り|乍《なが》ら、|私《わたし》に|漆別《うるしわけ》だなぞと、よう|胡麻化《ごまくわ》されたものですなア。お|寅《とら》さまとも|深《ふか》い|関係《くわんけい》があるなり、お|花《はな》さまとも|関係《くわんけい》があり、|其《その》|上《うへ》|又《また》|私《わたし》とも|関係《くわんけい》をつけ、|女《をんな》に|気《き》を|揉《も》まして|喜《よろこ》んで|居《ゐ》ると|云《い》ふ、|女蕩《をんなたら》しの、|後家倒《ごけたふ》しの|勇者《ゆうしや》だから、|本当《ほんたう》に|私《わたし》も|安心《あんしん》が|出来《でき》ませぬわ。コンナ|気《き》の|多《おほ》い|人《ひと》、ふツつりと|思《おも》ひ|切《き》らうかと、|幾度《いくど》か|思《おも》ひ|返《かへ》して|見《み》ましたが、どうしたものか|罪《つみ》な|貴方《あなた》が、|可愛《かは》ゆうて|可愛《かは》ゆうて、|忘《わす》れられないのですよ。どうか|私《わたし》を|下女《げぢよ》になつと|使《つか》つて、お|傍《そば》において|下《くだ》さいな。|本妻《ほんさい》にならうなどと、ソンナ|慾望《よくばう》は|起《おこ》しませぬからな』
『|何《なん》と|云《い》ふお|前《まへ》は|立派《りつぱ》な|女《をんな》だらう。お|前《まへ》の|父親《てておや》のヤクは、|仕方《しかた》の|無《な》い|代物《しろもの》だが、|何《なん》で|又《また》アンナ|男《をとこ》の|胤《たね》に、お|前《まへ》のやうな|立派《りつぱ》な|淑女《しゆくぢよ》が|生《うま》れたのだらうかな。まるきり|雀《すずめ》が|鷹《たか》を|生《う》みたやうなものだよ』
『ホヽヽヽヽ、|私《わし》を|讃《ほ》めて|下《くだ》さるのは|嬉《うれ》しう|厶《ござ》いますが、|肝腎《かんじん》のお|父《とう》さまをさうこき|下《おろ》して|貰《もら》ふと、|些《ちつ》と|許《ばか》りお|腹《なか》の|虫《むし》が|騒《さわ》ぎますよ。ねえ|旦那《だんな》さま』
『ヤアこれは|失礼《しつれい》、|誠《まこと》に|悪《わる》かつた。お|前《まへ》のやうな|女《をんな》を|女房《にようばう》にしたら、|一生《いつしやう》の|幸福《かうふく》だらうよ。|良妻賢母《りやうさいけんぼ》の|模範《もはん》になるかも|知《し》れないよ』
『|今日《こんにち》の|所謂《いはゆる》|良妻賢母《りやうさいけんぼ》にや|成《な》りたくはありませぬわ。|良妻賢母《りやうさいけんぼ》などと|云《い》つて、|孔子《こうし》とか|孟子《まうし》とか|云《い》ふ|唐《から》の|聖人《せいじん》が、|女《をんな》の|道徳《だうとく》|許《ばか》り|説《と》いて、|男《をとこ》の|事《こと》は|些《ちつ》とも|云《い》つて|居《ゐ》ないぢやありませぬか。|第一《だいいち》に|良妻《りやうさい》とはドンナ|型《かた》の|婦人《ふじん》を|指《さ》すのか、それから|定《き》めて|置《お》かねばつまりませぬわ。|此《この》|事《こと》についちや、|女子《ぢよし》|大学《だいがく》の|先生《せんせい》だつて、|的確《てきかく》な|説明《せつめい》は|出来《でき》ますまい。|夫《をつと》は|晩酌《ばんしやく》の|相手《あひて》や|飯焚《めした》き|許《ばか》りさしておいて、|良妻《りやうさい》だと|云《い》つて|居《を》りますが、|私《わたし》に|云《い》はすと、|忠実《ちうじつ》な|下女《げぢよ》たる|事《こと》を|強要《きやうえう》して|居《ゐ》るものでせう。|小供《こども》が|悪戯《いたづら》をすれば、お|前《まへ》の|躾《しつけ》が|悪《わる》いからと|妻君《さいくん》を|叱《しか》りつける|許《ばか》りで、|賢母《けんぼ》の|何《なん》たる|事《こと》を|弁《わきま》へない|男《をとこ》が|多《おほ》いのですわねえ』
『|如何《いか》にもそれやさうだ。|仲々《なかなか》|利口《りこう》な|事《こと》を|云《い》ふわい。それが|所謂《いはゆる》|良妻賢母《りやうさいけんぼ》になるべき|資格《しかく》を|持《も》つて|居《ゐ》るからだ。オイ|綾子《あやこ》、|三千世界《さんぜんせかい》にお|前《まへ》より|外《ほか》に、|私《わし》は|好《す》きな|女《をんな》はないのだからな。どうだ、これから|一《ひと》つ|千辛万難《せんしんばんなん》を|排《はい》し、|恋《こひ》の|勇者《ゆうしや》となつて|善良《ぜんりやう》な|夫婦《ふうふ》の|模範《もはん》とならうぢやないか』
『|私《わたし》は|善良《ぜんりやう》なる|妻《つま》として、どこ|迄《まで》も|仕《つか》へますが、|旦那《だんな》さまのやうに、|沢山《たくさん》な|細女《くわしめ》をお|持《も》ちなさつては、|善良《ぜんりやう》な|夫《をつと》とは|世間《せけん》から|云《い》つて|呉《く》れますまい』
『それやさうぢや、|実《じつ》に|困《こま》つた|事《こと》をしたものだよ。あの|執念深《しふねんぶか》いお|寅《とら》だつて、お|花《はな》だつて、|仲々《なかなか》この|儘《まま》にしておいて|呉《く》れる|道理《だうり》もなし、|一層《いつそう》の|事《こと》|病院《びやうゐん》で|死《し》んで|呉《く》れるといいのだけれどなア』
『|旦那《だんな》さま、ソンナ|無情《むじやう》な|事《こと》が|厶《ござ》いますか。|私《わたし》も|昨夜《ゆうべ》は|嚇《くわつ》と|腹《はら》が|立《た》ちましたが、|家《うち》にかへり、よく|考《かんが》へてみましたが、どれ|程《ほど》|旦那《だんな》さまが|恋《こひ》しうても、あれ|程《ほど》|年《とし》をとられたお|寅《とら》さまや、お|花《はな》さまがいらつしやるのに、|若《わか》い|私《わたし》が|独占《どくせん》すると|云《い》ふ|訳《わけ》にはいけますまい。|何程《なにほど》|旦那《だんな》さまが|私《わたし》を|愛《あい》して|下《くだ》さつても、お|二人《ふたり》の|方《かた》に|対《たい》してすみませぬもの。|私《わたし》の|若《わか》い|年《とし》や|美貌《びばう》で、|恋《こひ》を|争《あらそ》ふのなら、|何程《なにほど》お|寅《とら》さまやお|花《はな》さまが、【かにここ】をこいて|気張《きば》られても|耐《こた》へませぬ。きつと|月桂冠《げつけいくわん》は|私《わたし》が|取《と》りますが、|併《しか》し|人間《にんげん》と|云《い》ふものは、そんな|我儘《わがまま》|勝手《かつて》は|出来《でき》ますまい。どうか、お|寅《とら》さまと、お|花《はな》さまの|仲《なか》を|和合《わがふ》させ、|仲好《なかよ》う|暮《くら》して|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|下女《げぢよ》となつて|忠実《ちうじつ》に|勤《つと》めさせて|頂《いただ》きますから』
|守宮別《やもりわけ》は|綾子《あやこ》の|言葉《ことば》の|意外《いぐわい》なるに|驚歎《きやうたん》し【まじ】まじと|顔《かほ》を|打《う》ち|守《まも》り|乍《なが》ら、
『ヤア|綾子《あやこ》、お|前《まへ》は|本当《ほんたう》に|神様《かみさま》だよ。しかも|平和《へいわ》の|女神様《めがみさま》だ、|俺《おれ》も|今迄《いままで》の|心《こころ》をすつぱり|改《あらた》めて、|善良《ぜんりやう》なる|夫《をつと》となるから、どうぞ|見捨《みす》てて|呉《く》れな』
『ハイ、どうして|見捨《みす》てませう。|併《しか》し|旦那《だんな》さま、|私《わたし》だつてお|花《はな》さまだけの|年《とし》を|取《と》つて|居《を》りましたら、きつとお|花《はな》さまのやうに|見捨《みす》てられたかも|知《し》れませぬよ。それを|思《おも》ふと、お|花《はな》さまや、お|寅《とら》さまに|気《き》の|毒《どく》で|耐《たま》りませぬわねえ』
かく|話《はなし》して|居《ゐ》る|所《ところ》へ|夜叉《やしや》の|如《ごと》き|面貌《めんぼう》で、ツーロの|案内《あんない》につれ|登《のぼ》つて|来《き》たのはお|寅《とら》であつた。
『ハイ|御免《ごめん》なさいませ。|憎《にく》まれ|者《もの》のお|寅《とら》が、お|一寸《ちよつと》お|邪魔《じやま》を|致《いた》しましたが、どうか|暫《しばら》くでよろしいから、|守宮別《やもりわけ》|様《さま》に|御面会《ごめんくわい》が|願《ねが》ひとう|厶《ござ》います』
と|三号室《さんがうしつ》に|立《た》ちはだかつて|呶鳴《どな》つて|居《ゐ》る。|守宮別《やもりわけ》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》いて|肝《きも》を|潰《つぶ》し、|夜具《やぐ》を|頭《あたま》から|引《ひ》つかぶつて、
『ヤア|大変《たいへん》だ、お|寅《とら》がやつて|来《き》た』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|身体《からだ》をビリビリふるはして|居《ゐ》る。
『ホヽヽヽヽ、あのまア|旦那《だんな》さまの|気《き》の|弱《よわ》い|事《こと》。お|寅《とら》さまが|御訪問《ごはうもん》|下《くだ》さつたぢやありませぬか。|別《べつ》にこれと|云《い》ふ|悪事《あくじ》を|遊《あそ》ばしたのでもなし、|正々堂々《せいせいだうだう》とお|会《あ》ひなさつたらどうですか』
『ヤ、|煩《うる》さい|煩《うる》さい。|留守《るす》だと|云《い》つて|逐帰《おひかへ》して|呉《く》れ、|頼《たの》みだから』
『|留守《るす》でもないのにソンナ|嘘《うそ》が|申《まを》されますか。ソンナラ|私《わたし》が|代《かは》りにお|目《め》にかかりませうか』
『おけおけ、|又《また》|撲《なぐ》りつけられて、|病院行《びやうゐんゆき》をせなくてはならないやうになるぞ。アンナ|狂人婆《きちがひばば》には|誰《たれ》だつて|叶《かな》はない。|况《まし》てお|前《まへ》の|美《うつく》しい|顔《かほ》を|見《み》よつたら、|悋気《りんき》の|角《つの》がますます|尖《とが》つて、ドンナ|目《め》に|遇《あ》はすか|知《し》れやしないわ』
『ホヽヽヽヽ、|何《なに》を|仰有《おつしや》います。|女《をんな》|一人《ひとり》と、|女《をんな》|一人《ひとり》、|何程《なにほど》|強《つよ》いとて|知《し》れたものぢや|厶《ござ》いませぬか。それなら|私《わたし》がお|寅《とら》さまに|御挨拶《ごあいさつ》に|行《い》つて|来《き》ます。どうか|折《をり》を|見《み》て|御挨拶《ごあいさつ》に|出《い》つて|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ひ|乍《なが》らドアを|開《あ》け、|三号室《さんがうしつ》に|悠々《いういう》と|現《あら》はれ|見《み》れば、お|寅《とら》は|火鉢《ひばち》の|前《まへ》に|座《ざ》を|占《しめ》て、すぱりすぱりと|煙草《たばこ》を|燻《くゆ》らして|居《ゐ》る。
『アヽこれはこれはお|寅《とら》さまで|厶《ござ》いますか。|好《よ》くこそ|旦那《だんな》さまを|訪《たづ》ねて|上《あ》げて|下《くだ》さいました。ちつと|許《ばか》り|御不快《ごふくわい》でやすみて|居《ゐ》られますので、|私《わたし》が|代《かは》つて|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げます。|私《わたし》は|有明家《ありあけや》の|賤《いや》しい|勤《つと》めをして|居《を》ります|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|芸者《げいしや》で|厶《ござ》います。ふとした|事《こと》から|守宮別《やもりわけ》さまの|御贔屓《ごひいき》に|預《あづ》かり、お|世話《せわ》になつて|居《を》ります。どうかお|見捨《みす》てなく、|宜《よろ》しうお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|両手《りやうて》をついて|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》をする。
『お|前《まへ》があの|評判《ひやうばん》の|高《たか》い|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》さまですかい。|見《み》れば|見《み》る|程《ほど》お|綺麗《きれい》なお|子《こ》ですこと。|成程《なるほど》|守宮別《やもりわけ》さまが|首《くび》つ|丈《たけ》はまつて、|呆《はう》けられるのも|無理《むり》は|厶《ござ》いますまい』
『|素性《すじやう》の|賤《いや》しい|女《をんな》で|厶《ござ》いますから、|到底《たうてい》|神様《かみさま》の|御用《ごよう》をして|入《い》らつしやるお|方《かた》のお|傍《そば》へは、|寄《よ》りつけないのですけれど、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》されて、|赦《ゆる》されて|居《ゐ》るのです。|私《わたし》の|父《ちち》がひどく|御厄介《ごやくかい》になりましたさうで、|有難《ありがた》う|御礼《おれい》|申上《まをしあ》げます』
『お|前《まへ》のお|父《とう》さまと|仰有《おつしや》るのは、|誰人《どなた》の|事《こと》だい』
『ハイ、あの|酒喰《さけくら》ひの|仕方《しかた》のないヤクで|厶《ござ》います』
『ナントまア、|縁《えん》と|云《い》ふものは|不思議《ふしぎ》なものだなア。さう|聞《き》くとヤクさまの|目許《めもと》にお|前《まへ》さまの|目《め》はよく|似《に》て|居《ゐ》ますわ。どうして|又《また》ヤクさまのやうな|男《をとこ》に、コンナ|娘《むすめ》が|出来《でき》たものだらうかな。|時《とき》に|綾子《あやこ》さま、お|前《まへ》さまは|噂《うはさ》に|聞《き》けばお|花《はな》さまを|逐出《おひだ》したと|云《い》ふ|事《こと》だが、|私《わたし》はそれを|聞《き》いて|本当《ほんたう》に|痛快《つうくわい》に|思《おも》ひましたよ。どうか|精々《せいぜい》|死力《しりよく》を|尽《つく》して、あの|悪魔《あくま》を|排除《はいじよ》して|下《くだ》さい。|守宮別《やもりわけ》さまの|御身《おみ》の|為《ため》だからなア』
『お|寅《とら》さま、|承《うけたま》はりますれば|貴方《あなた》は、|守宮別《やもりわけ》|様《さま》とは|師弟《してい》|以外《いぐわい》の|深《ふか》い|深《ふか》い|御関係《ごくわんけい》がお|有《あ》り|遊《あそ》ばしたと|云《い》ふ|事《こと》ですが、それや|本当《ほんたう》で|厶《ござ》いますか』
『|本当《ほんたう》だとも、|神様《かみさま》から|結《むす》ばれた|御魂《みたま》の|夫婦《ふうふ》だよ』
『それに|又《また》お|花《はな》さまにお|譲《ゆづ》り|遊《あそ》ばしたのですかい』
『|決《けつ》して|譲《ゆづ》りませぬ。お|花《はな》の|奴《やつ》いろいろと|奸策《かんさく》を|弄《ろう》し|守宮別《やもりわけ》さまをちよろまかし、|私《わたし》の|男《をとこ》を|横取《よこどり》したのですよ。|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|売女《ばいた》ですよ』
『そりや|大変《たいへん》お|気《き》が|揉《も》める|事《こと》で|厶《ござ》いませうね。|御心中《ごしんちう》お|察《さつ》し|申《まを》します。|私《わたし》だつてやつぱし|守宮別《やもりわけ》さまを|横取《よこどり》したやうになりますわ』
『そらさうでせう。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》の|男《をとこ》を|貴方《あなた》は|取《と》つたのぢやない。|私《わたし》の|男《をとこ》はお|花《はな》が|取《と》つたのだ。お|花《はな》の|男《をとこ》を|又《また》お|前《まへ》さまが|取《と》つたのだ。それだから|私《わたし》はお|前《まへ》さまに|対《たい》して|感謝《かんしや》こそすれ|恨《うら》みなどは|些《ちつ》とも|懐《いだ》いては|居《ゐ》ませぬよ。お|前《まへ》さまがあつたらこされ、|私《わたし》の|胸《むね》が|晴《は》れたのですよ。|本当《ほんたう》に|御器量《ごきりやう》と|云《い》ひ、スタイルと|云《い》ひ、お|賢《かしこ》い|処《ところ》と|云《い》ひ、|守宮別《やもりわけ》さまには|打《う》つてすげたやうな|御夫婦《ごふうふ》ですわ、オホヽヽヽ』
『|誠《まこと》にすみませぬ、|畏《おそ》れ|入《い》りました』
『これ|綾子《あやこ》さま、お|花《はな》は|博愛《はくあい》|病院《びやうゐん》へ|入院《にふゐん》して|居《ゐ》るさうだが、|彼奴《あいつ》が|帰《かへ》つて|来《き》ても|負《ま》けちやいけませぬよ。お|前《まへ》さまの|美貌《びばう》と|愛嬌《あいけう》とで|守宮別《やもりわけ》さまを|蕩《とろ》かし、お|花《はな》の|方《はう》へは|一瞥《いちべつ》もくれないやうに、|守宮別《やもりわけ》さまの|心《こころ》を|翻《ひるがへ》して|下《くだ》さい。|私《わたし》も|力一杯《ちからいつぱい》お|前《まへ》さまに|応援《おうゑん》しますからなア』
|綾子《あやこ》『|私《わたし》は|貴女《あなた》に|会《あ》はす|顔《かほ》が|厶《ござ》いませぬ』
と|差俯向《さしうつむ》いて|顔《かほ》をかくす。|守宮別《やもりわけ》は|最前《さいぜん》から|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《ゐ》たが|余《あま》りお|寅《とら》の|話《はなし》ぶりが|穏《おだや》かなのでやつと|安心《あんしん》し、アアと|欠伸《あくび》をしながら、|三号室《さんがうしつ》に|出《い》で|来《きた》り、
『ヤ、これはこれはお|寅《とら》さま、ようまあ|来《き》て|下《くだ》さいました。|些《ちつ》と|許《ばか》り|私《わたし》はお|花《はな》の|奴《やつ》に|睾丸《きんたま》を|締《し》め|上《あ》げられ、|此《この》|通《とほ》り|顔《かほ》は|掻《か》きむしられ、|蚯蚓膨《みみづばれ》が|出来《でき》ましたので、|臥《ふ》せつて|居《を》りました。さアどうぞお|茶《ちや》なと|呑《あが》つて|下《くだ》さい』
『ホヽヽヽ、|妙《めう》な|顔《かほ》だこと。あまり|箸豆《はしまめ》なものだから、|天罰《てんばつ》が|当《あた》るのですよ。|全《まつた》く|日《ひ》の|出《で》さまがお|花《はな》の|手《て》を|借《か》りて、|貴方《あなた》を|御折檻《ごせつかん》なされたのだ。よい|加減《かげん》に|御改心《ごかいしん》なさらぬと、|怖《こは》い|事《こと》が|出来《でき》ますよ。|又《また》なんであんな|色《いろ》の|黒《くろ》いお|花《はな》に|呆《とぼ》けたのです。|大方《おほかた》|悪魔《あくま》に|魅《みい》られたのでせう』
『お|二人様《ふたりさま》のお|話《はなし》の|邪魔《じやま》になるといけないから、|一寸《ちよつと》|失礼《しつれい》さして|頂《いただ》きます。|父《ちち》が|病室《びやうしつ》を|其《そ》の|間《ま》に|見舞《みま》ふてやりますから』
と|粋《すゐ》を|利《き》かして|此《この》|場《ば》を|退《しりぞ》いた。
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、なぜお|花《はな》のやうな【ガラクタ】|霊《みたま》にお|前《まへ》さまは|呆《とぼ》けるのだい。|私《わたし》と|約束《やくそく》した|事《こと》を、お|前《まへ》さまは|反古《ほご》にする|気《き》かい』
と|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》つて|揺《ゆ》する。
『ヤお|寅《とら》さま、|御立腹《ごりつぷく》は|尤《もつと》もだが、これには|深《ふか》い|深《ふか》い|訳《わけ》があるのだから、|決《けつ》してお|寅《とら》さまを|捨《す》てはせぬから、まアとつくりと|私《わたし》の|腹《はら》を|聞《き》いて|下《くだ》さい』
『ヘン、また|例《れい》の|慣用《くわんよう》|手段《しゆだん》を|弄《ろう》し、お|寅《とら》を|胡麻化《ごまくわ》さうと|思《おも》つたつて、|今日《けふ》は|其《その》|手《て》には|乗《の》りませぬよ。サ|一伍一什《いちぶしじふ》を|白状《はくじやう》しなさい。|大《だい》それた|結婚《けつこん》するなぞと、あまりぢやありませぬか』
『まアお|寅《とら》、|気《き》を|落《お》ちつけて|私《わたし》の|云《い》ふ|事《こと》を|一通《ひととほ》り|聞《き》いて|呉《く》れ。|実《じつ》はな、お|前《まへ》と|私《わし》と、かうして|日々《にちにち》|宣伝《せんでん》をやつて|居《ゐ》ても、|軍用金《ぐんようきん》があまり|豊富《ほうふ》でないものだから、|立派《りつぱ》な|家《いへ》を|借《か》る|訳《わけ》にもゆかず、あんな|狭《せま》い|露地《ろぢ》の|家《いへ》で、ミロクの|御霊城《ごれいじやう》だと|何程《なにほど》|叫《さけ》んで|見《み》た|処《ところ》で|駄目《だめ》だから、そこでお|花《はな》の|懐中《くわいちう》にある|一万円《いちまんゑん》の|金《かね》を|此方《こちら》へひつたくり、お|前《まへ》とホテルでも|借《か》り、お|前《まへ》と|大々的《だいだいてき》|宣伝《せんでん》をやらうと|思《おも》つて、|甘《うま》くお|花《はな》の|喉許《のどもと》に|入《はい》り、|八九分《はちくぶ》|成功《せいこう》して|居《ゐ》る|所《ところ》だから、さう|慌《あわ》てずに|暫《しばら》く|見《み》て|居《ゐ》て|呉《く》れ。さうすれやお|前《まへ》も|私《わし》の|誠意《せいい》が|分《わか》るだらうから、|何《なん》と|云《い》つても|金《かね》の|世《よ》の|中《なか》だからのう』
『なる|程《ほど》、それで|分《わか》りました。|併《しか》し|祝言《しうげん》の|盃《さかづき》したのは、チツと|怪《あや》しいぢやありませぬか』
『|誰《たれ》が|心《こころ》の|底《そこ》から|祝言《しうげん》なんかするものかい。そこ|迄《まで》して|見《み》せぬとお|花《はな》が|安心《あんしん》せないからだ』
『|成程《なるほど》、|滅多《めつた》に|守宮別《やもりわけ》さまに、ソンナ|馬鹿《ばか》な|事《こと》があらうとは|思《おも》はなかつたですよ。|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》さまも|矢張《やつぱり》|偉《えら》いわい。|仰有《おつしや》つた|通《とほ》りだもの』
|守宮別《やもりわけ》は、
『ハヽヽヽ、|仕様《しやう》もない』
お|寅《とら》『|併《しか》し|乍《なが》ら、これ|守宮別《やもりわけ》さま、|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》に、お|前《まへ》さまは|有頂天《うちやうてん》になつて|居《ゐ》るぢやないか』
『なに、お|花《はな》の|気《き》を|揉《も》まして、|悋気《りんき》の|角《つの》を|生《は》やさせ、|二人《ふたり》に|競争《きやうそう》させて、お|花《はな》の|懐中《くわいちゆう》の|一万円《いちまんゑん》をおつ|放《ぽ》り|出《だ》させる|算段《さんだん》だ。あの|綾子《あやこ》は|決《けつ》して|俺《おれ》との|間《あひだ》に|妙《めう》な|関係《くわんけい》は|結《むす》びて|居《ゐ》ない。|彼奴《あいつ》は|芸者《げいしや》だから、|金《かね》さへ|遣《や》れや、どんな|芝居《しばゐ》でも|打《う》つ|代物《しろもの》だから、|俺《おれ》に|惚《ほれ》たやうな|顔《かほ》をして、お|花《はな》に|競争心《きやうそうしん》を|起《おこ》させ、ますますあれの|愛着心《あいちやくしん》を|強《つよ》うさせ、|一万両《いちまんりやう》をおつぽり|出《だ》させ、お|前《まへ》にそつと|渡《わた》すと|云《い》ふ|俺《おれ》の|六韜三略《りくたうさんりやく》だよ。|何《なん》と|甘《うま》いものだらう』
『|遉《さすが》は|軍人《ぐんじん》|育《そだ》ち|丈《だけ》あつて、|軍略《ぐんりやく》にかけたら|偉《えら》いものだ。|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》も|守宮別《やもりわけ》の|神謀奇策《しんぼうきさく》には|舌《した》を|捲《ま》きませうわいホヽヽヽ』
(大正一四・八・二一 旧七・二 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
第一九章 |笑拙種《せうせつだね》〔一八二五〕
ブラバーサ、マリヤの|両人《りやうにん》は、キリスト|再臨《さいりん》の|一日《いちにち》も|早《はや》からむ|事《こと》を|祈願《きぐわん》すべく、|手《て》を|携《たづさ》へて、|早朝《さうてう》より|橄欖山《かんらんさん》の|祠《ほこら》の|前《まへ》に|端坐《たんざ》して|祈願《きぐわん》をこらしてゐる。そこへヤコブ、サロメの|両人《りやうにん》が|無我《むが》の|声《こゑ》といふ|歌《うた》を|唄《うた》ひ|乍《なが》ら|登《のぼ》り|来《きた》り、ブラバーサの|姿《すがた》を|見《み》て、サロメは、
『ヤ、これはこれは|神縁《しんえん》|浅《あさ》からずとみえて、|又《また》|此《この》|聖地《せいち》でお|目《め》にかかりましたワ。|何《ど》うで|厶《ござ》います、|其《その》|後《ご》の|御消息《ごせうそく》は。|一度《いちど》|御訪《おたづ》ね|致《いた》したいと|思《おも》つてゐましたが、|貴方《あなた》にお|別《わか》れしてから、アーメニヤ|方面《はうめん》へヤコブさまと、|世間《せけん》がうるさいものですから|転居《てんきよ》して|居《を》りました。|先《ま》づ|御壮健《ごさうけん》なお|顔《かほ》を|拝《はい》し、|何《なに》よりお|目出度《めでた》う|存《ぞん》じます』
ブラバーサは、
『ヤア、お|珍《めづら》しう|厶《ござ》います。サロメさま、|其《その》|後《ご》は|打絶《うちた》えて|御無沙汰《ごぶさた》を|致《いた》しました。|先《ま》づ|先《ま》づ|貴女《あなた》も|御壮健《ごさうけん》で|何《なに》よりで|厶《ござ》います。|何時《いつ》やらもエルサレムの|書店《しよてん》で、|貴女《あなた》のお|書《かき》になつた「|鳳凰《ほうわう》|天《てん》に|摶《う》つ」といふ|小説《せうせつ》を|拝見《はいけん》|致《いた》しまして、|親《した》しく|貴女《あなた》にお|目《め》にかかつた|様《やう》な|思《おも》ひが|致《いた》しましたよ。|中々《なかなか》|御上手《おじやうず》になられましたね』
『ハイ、お|恥《はづ》かしう|厶《ござ》います。どうも|此《この》|頃《ごろ》は|不景気《ふけいき》で|書物《しよもつ》が|売《うれ》ないので、どこの|書店主《しよてんしゆ》もコボして|居《を》ります。いつもだつたら|随分《ずゐぶん》|沢山《たくさん》の|原稿料《げんかうれう》もくれるのですけれど、ホンの|鼻糞《はなくそ》|許《ばか》りよりくれないので、|原稿《げんかう》|稼《かせ》ぎも|約《つま》りませぬワ』
『サロメさま、ヤコブさま、|久《ひさ》しうお|目《め》にかかりませぬ。|貴女《あなた》の|小説《せうせつ》を|拝見《はいけん》|致《いた》しましたが、マリヤが|考《かんが》へますに、あの|材料《ざいれう》はどうやら|橄欖山《かんらんざん》を|中心《ちうしん》として|取《と》られた|様《やう》で|厶《ござ》いますな』
『ハイ、|実《じつ》ア、|貴女《あなた》とブラバーサさまのローマンスを|骨子《こつし》とし、|私《わたし》とヤコブさまの|苦労話《くらうばなし》をそこへ|拵《こしら》へてみたのですが、|中々《なかなか》|思《おも》ふ|様《やう》には|行《ゆ》かないのですもの、|本当《ほんたう》にお|恥《はづか》しう|厶《ござ》いますワ』
『サロメさま、|私《わたし》やブラバーサさまを|材料《ざいれう》にするなぞと、|殺生《せつしやう》ですワ』
『そら|御互様《おたがひさま》ですよ。ブラバーサさまだつて、|日下開山《ひのしたかいざん》をお|出《だ》しになつたでせう。|私《わたし》あれを|読《よ》んで、|顔《かほ》がパツと|赤《あか》くなり、ヤコブさまにどれ|程《ほど》|気兼《きがね》したか|知《し》れませぬワ、ホヽヽヽ』
『|何《なん》と|云《い》つても、|一流《いちりう》の|文士《ぶんし》|許《ばか》りがよつてゐられるのだから、いつも|吾々《われわれ》は|槍玉《やりだま》に|上《あ》げられるのですよ。|私《わたし》も|筆《ふで》さへ|立《た》たば、マリヤさまとブラバーサさまのお|安《やす》うない|御関係《ごくわんけい》を|素破抜《すつぱぬ》きたいのですけれどなア、アハヽヽヽ。|実《じつ》の|所《ところ》は|此《この》|姫神《ひめがみ》さまがマ|一度《いちど》|橄欖山《かんらんざん》へ|登《のぼ》り、|小説《せうせつ》の|材料《ざいれう》を|拵《こしら》へたいと|御託宣《ごたくせん》|遊《あそ》ばすものですから、|何《なに》か|可《い》い|種《たね》がないかと、はるばるアーメニヤからやつて|参《まゐ》りました。|今朝《けさ》の|六時《ろくじ》にエルサレム|駅《えき》に|安着《あんちやく》し、|有明家《ありあけや》で|一寸《ちよつと》|一服《いつぷく》して、|今《いま》|此処《ここ》へ|登《のぼ》つたとこで|厶《ござ》います』
『ヤ、|険呑《けんのん》|険呑《けんのん》、モウ マリヤの|事《こと》なんか、|書《か》かない|様《やう》に|願《ねが》ひますよ』
『|新聞《しんぶん》|記者《きしや》だつて、|口止料《くちどめれう》が|要《い》るでせう。サロメに|対《たい》して|幾《いく》ら|出《だ》しますか』
『これは|恐《おそ》れ|入《い》りました。|嘘八百万円《うそはつぴやくまんゑん》|許《ばか》り|進上《しんじやう》|致《いた》しませう。ホヽヽヽ』
『オイ、|姫神《ひめがみ》さま』
『|厭《いや》ですよ、ヤコブさま、|姫神《ひめがみ》さまなんて。なぜサロメといつて|下《くだ》さらぬのですか』
『ソンならサロメさま』
『【さま】なぞと、ソンナ|事《こと》|厭《いや》ですよ』
『ソンナラ|橄欖山《かんらんざん》で|宜《よろ》しいかな』
『ソラ サロメの|雅号《ががう》ですよ』
マリヤは、
『ホヽヽヽ、お|仲《なか》の|好《よ》い|事《こと》、|丸切《まるき》り|一幅《いつぷく》の|小説《せうせつ》みた|様《やう》だワ。あの|紅葉山人《もみぢやまひと》の|金色夜叉《きんいろよまた》を、|私《わたし》|読《よ》みましたが、|随分《ずゐぶん》|面白《おもしろ》いですね、|恋《こひ》に|破《やぶ》れて、|金《かね》に|勝《か》つといふ|仕組《しぐみ》ですもの』
サロメは、
『ありや、|紅葉山人《もみぢやまひと》ぢやなくて|紅葉山人《こうえふさんじん》とよむのですよ。そしてあの|小説《せうせつ》の|名《な》は|金色夜叉《こんじきやしや》といふ|方《はう》が|穏当《おんたう》だと|思《おも》ひますワ』
『|著者《ちよしや》の|名義《めいぎ》や|書物《しよもつ》の|読方《よみかた》|位《ぐらゐ》は、|何程《なにほど》|無学《むがく》なマリヤだつて|存《ぞん》じてをりますが、|一寸《ちよつと》|洒落《しやれ》に|言《い》つて|見《み》た|許《ばか》しですワ、オホヽヽヽ』
『|貴方《あなた》は|今日《けふ》、|有明家《ありあけや》で|一服《いつぷく》して|来《き》たといはれましたが、|有明家《ありあけや》には|綾子《あやこ》といふ|大変《たいへん》な|美人《びじん》が|居《を》りますよ。あの|綾子《あやこ》を|主人公《しゆじんこう》として、|一《ひと》つ|小説《せうせつ》を|仕組《しぐ》まれたら|大変《たいへん》|面白《おもしろ》い|物《もの》が|出来《でき》るでせう。|一時《いちじ》は|幽霊《いうれい》|小説《せうせつ》や|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|幾分《いくぶん》|加味《かみ》したものが|流行《りうかう》しましたが、|現今《げんこん》では|艶《つや》つぽい|恋物語《こひものがたり》が|一般《いつぱん》の|気《き》に|向《む》く|様《やう》ですね。|人心《じんしん》は|非常《ひじやう》に|悪化《あくくわ》し、|真心《まごころ》の|土台《どだい》が|動揺《どうえう》し、|生活難《せいくわつなん》の|叫《さけ》びが|盛《さか》んなる|今日《こんにち》では、|一層《いつそう》の|事《こと》、|肩《かた》の|凝《こ》らない、|面白《おもしろ》い、|恋愛《れんあい》を|加味《かみ》した|読物《よみもの》が|時代《じだい》に|能《よ》く|向《む》く|様《やう》です』
『ブラバーサ|様《さま》、|私《わたし》もさう|考《かんが》へまして、|実《じつ》は|材料《ざいれう》の|蒐集《しうしふ》に、|久《ひさ》し|振《ぶ》りでやつて|参《まゐ》りましたのよ』
かく|話《はなし》してゐる|所《ところ》へ、|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》が|一人《ひとり》の|箱屋《はこや》をつれて、しなしなと|登《のぼ》つて|来《き》た。
ブラバーサは|一目《ひとめ》|見《み》るより、
『もし、サロメさま、|的《てき》さまがやつて|来《き》ましたよ。|頗《すこぶ》る|尤物《いうぶつ》でせうがな』
『|成程《なるほど》、あれ|位《くらゐ》な|美人《びじん》だつたら、|余程《よほど》もてるでせう。|併《しか》し|乍《なが》らヤコブさまやブラバーサさまに、あゝいふ|美人《びじん》を|見《み》せるのは|目《め》の|毒《どく》ですワ、ねえマリヤさま』
『そらさうですね、|併《しか》しあの|綾子《あやこ》といふ|女《をんな》は|評判《ひやうばん》の|酒《さけ》くらひで、|酔《よ》つたが|最後《さいご》、|前後《ぜんご》を|忘《わす》れて|醜体《しうたい》を|現《あら》はすのださうです。|併《しか》し|乍《なが》ら|義理固《ぎりがた》い|事《こと》はエルサレム|第一《だいいち》との|評判《ひやうばん》ですワ』
『|綾子《あやこ》に|付《つ》いて|何《なに》か|御聞《おきき》|及《およ》びの|事《こと》が|厶《ござ》いましたら、サロメに|聞《き》かして|下《くだ》さいませぬか』
『|大《おほ》いに|厶《ござ》いますよ。|日出島《ひのでじま》から|来《き》てゐる、|守宮別《やもりわけ》さまとの|関係《くわんけい》に|付《つ》いて|面白《おもしろ》いローマンスがあるさうです。|守宮別《やもりわけ》といふ|男《をとこ》、|女《をんな》にかけたら|仕方《しかた》のない|人物《じんぶつ》で、|三角《さんかく》|関係《くわんけい》はまだ|愚《おろ》か、|四角《しかく》|関係《くわんけい》の|実演《じつえん》をやつてゐるさうですワ』
『ヤ、そりや|面白《おもしろ》いでせう。サロメも|一《ひと》つ|探索《たんさく》してみませうかなア』
『どうやら、あの|綾子《あやこ》も|此《この》|祠《ほこら》へ|参《まゐ》る|様子《やうす》ですから、|吾々《われわれ》は|傍《そば》の|樹蔭《こかげ》に|控《ひか》えようぢやありませぬか』
とヤコブは|樹蔭《こかげ》に|忍《しの》び|入《い》る。
『|宜《よろ》しかろ』と、|一同《いちどう》は|十間《じつけん》|許《ばか》り|隔《へだた》つた|橄欖樹《かんらんじゆ》の、コンモリとした|樹蔭《こかげ》に|立寄《たちよ》り、|橄欖《かんらん》の|梢《こずゑ》を|折《を》つて|敷物《しきもの》となし、|此処《ここ》に|尻《しり》を|卸《おろ》した。|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》は|何《なん》の|気《き》もなく、あたり|憚《はばか》らず、|祠《ほこら》の|前《まへ》に|祈願《きぐわん》をこめ|出《だ》した。
『|神様《かみさま》、|私《わたし》は|大変《たいへん》な|罪《つみ》を|重《かさ》ねまして|厶《ござ》います。どうぞ|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。ぢやと|申《まを》しまして、どうしてもあの|男《をとこ》を|思《おも》ひ|切《き》る|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|併《しか》し|乍《なが》らあの|男《をとこ》には|五十《ごじふ》の|坂《さか》をこえた|熱心《ねつしん》な|恋女《こひをんな》が|二人《ふたり》も|厶《ござ》いますから、|到底《たうてい》|妾《わたくし》は|楯《たて》つく|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|又《また》|楯《たて》ついて|人《ひと》を|困《こま》らせ、|自分《じぶん》が|勝利《しようり》を|得《え》ようとは|思《おも》ひませぬが、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|三人《さんにん》の|女《をんな》が|心《こころ》の|底《そこ》から|解合《とけあ》うて、|守宮別《やもりわけ》さまを|保護《ほご》|致《いた》しますやう、さうして|妾《わたくし》はどこ|迄《まで》も|守宮別《やもりわけ》に|見捨《みす》てられぬやう|願《ねが》ひます。そして|父《ちち》のヤクは|怪我《けが》を|致《いた》しまして、カトリック|僧院《そうゐん》ホテルに|寝《ね》てゐますが、|之《これ》も|早《はや》くおかげを|頂《いただ》いて|元《もと》の|健全《けんぜん》な|身体《からだ》になります|様《やう》、|御願《おねが》ひ|致《いた》します。|又《また》あやめのお|花《はな》さまも、|今《いま》|御入院中《ごにふゐんちう》で|厶《ござ》いますが、|一日《いちにち》も|早《はや》く|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばす|様《やう》、|妾《わたくし》の|為《ため》にお|花《はな》さまはあの|様《やう》な|目《め》にお|会《あ》ひになつたので|厶《ござ》います。|又《また》|守宮別《やもりわけ》さまの|心《こころ》を|迷《まよ》はしたのも|妾《わたくし》の|罪《つみ》で|厶《ござ》います。どうぞ|之《これ》もお|許《ゆる》し|願《ねが》ひます』
と|祈願《きぐわん》してゐる|所《ところ》へ、|入院《にふゐん》して|苦《くる》しみてる|筈《はず》のお|花《はな》が|比較的《ひかくてき》|元気《げんき》よい|勢《いきほ》ひで、ステッキをつき|乍《なが》らあわただしく|登《のぼ》り|来《きた》り、|綾子《あやこ》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》してゐる|姿《すがた》を|見《み》て……|何《なん》だか|不思議《ふしぎ》な|女《をんな》がゐるワイ………と|首《くび》をひねつて|考《かんが》へてゐたが、|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》といふ|事《こと》が|分《わか》つたので、クワツと|逆上《のぼ》せ|上《あが》り、|首筋《くびすぢ》に|手《て》をかけ、|猫《ねこ》をつまみたやうにひつさげ、|右《みぎ》の|手《て》の|拳骨《げんこつ》を|固《かた》めてポカンポカンと|打据《うちす》ゑ、
『コーラ、|淫売女《ばいた》め、ようもようも、|人《ひと》の|夫《をつと》を|寝取《ねと》りよつたな。|汝《きさま》の|為《ため》に|頭《あたま》を|傷《きず》つけ、|私《わたし》は|病院《びやうゐん》へやられたのだ。ヤツトの|事《こと》で|全快《ぜんくわい》し、お|礼《れい》|参《まゐ》りに|来《き》て|見《み》れば、|何《なん》の|事《こと》だい。|此《この》スベタめ、|私《わたし》を|祈《いの》り|殺《ころ》さうと|思《おも》つて……|図太《づぶと》い|女《あま》だ。さ、どうぢや、|守宮別《やもりわけ》を|思《おも》ひ|切《き》るか、|返答《へんたふ》を|致《いた》せ』
|綾子《あやこ》はビツクリして、
『どうぞお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|私《わたし》が|悪《わる》かつたので|厶《ござ》います』
『ヘン、|悪《わる》かつたで|事《こと》がすむと|思《おも》ふか。|男泥棒《をとこどろぼう》め、|盗猫《どろねこ》め、サ、ここであやまり|証文《しようもん》を|書《か》け』
『ハイ、|仰《おほせ》に|従《したが》ひ、|如何《いか》|様《やう》|共《とも》|致《いた》します。|併《しか》し|乍《なが》ら|鉛筆《えんぴつ》が|厶《ござ》いませぬから、|又《また》|後《ご》して|書《か》かして|頂《いただ》きませう』
『エ、|甘《うま》い|事《こと》をいふな、ここに|万年筆《まんねんひつ》がある、|紙《かみ》も|貸《かし》てやる。お|前《まへ》の|手《て》で|判然《はつき》りと|書《か》け。|立派《りつぱ》に……|守宮別《やもりわけ》さまとは|関係《くわんけい》|致《いた》しませぬ……といふ|事《こと》を|書《か》きさへすりや、|褒美《はうび》として|金《かね》を|百両《ひやくりやう》やる。どうぢや、|得心《とくしん》だらうの』
『|仮令《たとへ》|百万両《ひやくまんりやう》|貰《もら》ひましたつて、コンナ|事《こと》は|金《かね》づくでは|書《か》きたくはありませぬ。|余《あま》りお|前《まへ》さまの|心《こころ》が|可哀相《かあいさう》だから、|書《か》いて|上《あ》げようかと|思《おも》つてゐるのですよ』
『ナニツ、|此《この》|淫売女《ばいた》|奴《め》、へらず|口《ぐち》を|叩《たた》くな。わづか|一円《いちゑん》や|二円《にゑん》の|金《かね》で|転《ころ》ぶぢやないか』
|木蔭《こかげ》に|潜《ひそ》みて|見《み》てゐた|四人《よにん》は、|見《み》るに|見兼《みか》ねバラバラと|側《そば》により、
『ヤ、|貴方《あなた》はお|花《はな》さまぢやありませぬか。かかる|聖場《せいぢやう》で|人《ひと》を|擲《なぐ》つたり、ソンナ|乱暴《らんばう》な|事《こと》をなさつては|可《い》けませぬよ』
『|誰《たれ》かと|思《おも》へば、お|前《まへ》は|女惚《をんなのろ》けのブラブラぢやないか。コンナ|所《ところ》へ|出《で》て|来《く》る|幕《まく》ぢやない、すつ|込《こ》んでゐなさい。|何《なん》ぢや、ヤコブにサロメ、マリヤ、ホヽヽヽ、|色《いろ》とぼけのガラクタ|許《ばか》りが、ようマア|寄《よ》つたものだなア』
マリヤは、
『もしお|花《はな》さま、|貴女《あなた》も|色呆《いろとぼ》けぢやありませぬか。|此《この》|喧嘩《けんくわ》も|元《もと》は|色《いろ》からでせう』
『ヘン、|構《かま》うて|下《くだ》さるな。|此奴《こいつ》ア|大事《だいじ》の|大事《だいじ》の|私《わたし》の|夫《をつと》を|寝取《ねと》つた、|男泥棒《をとこどろばう》だから、|今《いま》|談判《だんぱん》をしてゐる|所《ところ》だ。|門外漢《もんぐわいかん》のお|前《まへ》さま|達《たち》が|容喙《ようかい》する|所《ところ》ぢやない。すつ|込《こ》んで|下《くだ》さい』
ヤコブ『お|花《はな》さま、|貴女《あなた》は|独身者《どくしんもの》と|聞《き》いてをつたのに、|何時《いつ》の|間《ま》に|夫《をつと》を|有《も》つたのですかい。|何《なん》と|人間《にんげん》といふ|者《もの》は|妙《めう》な|者《もの》ですな』
お|花《はな》は|腮《あご》を|二三寸《にさんずん》|前《まへ》へつき|出《だ》し|乍《なが》ら、
『ヤコブ|様《さま》、|妙《めう》でせうがな。|女《をんな》に|男《をとこ》、|男《をとこ》に|女《をんな》、|両方《りやうはう》から|引《ひ》つついて、|天地《てんち》の|神業《しんげふ》を|勤《つと》めるのは、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|法則《はふそく》ですよ。お|前《まへ》さまだつて、サロメさまに|現《うつ》つをぬかしたぢやないか。ブラバーサだつて、マリヤに|首《くび》つ|丈《たけ》はまつて、|女房《にようばう》の|有《あ》る|身《み》で|居《ゐ》|乍《なが》ら|呆《とぼ》けてゐるのだないか。|此《この》お|花《はな》が|守宮別《やもりわけ》を|夫《をつと》に|持《も》つたつて、|何《なに》がそれ|程《ほど》|不思議《ふしぎ》なのだい』
『|不思議《ふしぎ》ですがな。|守宮別《やもりわけ》さまは|貴方《あなた》のお|師匠《ししやう》さまの|夫《をつと》ぢやないか。|弟子《でし》のお|前《まへ》さまが|師匠《ししやう》の|夫《をつと》を|横領《わうりやう》するといふやうな、|不人情《ふにんじやう》な|事《こと》が|何処《どこ》にありますか』
『ヘン、|放《ほう》つといて|下《くだ》さい。|之《これ》には|深《ふか》い|訳《わけ》があるのだ。お|前《まへ》さま|達《たち》の|知《し》つたこつちやない。|此《この》|問題《もんだい》は|当人《たうにん》と|当人《たうにん》でなければ|分《わか》らないのだ。いらぬ|御節介《おせつかい》をするより、サロメさまとしつぽり|意茶《いちや》つきなさい。それがお|前《まへ》さまの|性《しやう》に|合《あ》ふとりますわいな、イヒヽヽヽ』
と|小面憎相《こづらにくさう》に|又《また》|腮《あご》をしやくつて|見《み》せる。|綾子《あやこ》は|此《この》|間《ま》にお|花《はな》の|隙《すき》を|伺《うかが》ひ、|逸早《いちはや》く|箱屋《はこや》と|共《とも》に、|木蔭《こかげ》へ|身《み》を|隠《かく》して|了《しま》つた。お|花《はな》は|綾子《あやこ》の|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたのに|気《き》がつき、
『ヤア、【すべた】|奴《め》、|何処《どつか》に|逃《に》げよつた。|生首《なまくび》|引抜《ひきぬ》かねばおかぬ……』
と|地団太《ぢだんだ》ふみ|乍《なが》ら、|四人《よにん》の|止《とど》むるのもふり|放《はな》し、|一生懸命《いつしやうけんめい》、|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し、|西坂《にしざか》をトントントンと|地響《ぢひびき》うたせ|乍《なが》ら|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|四人《よにん》は|一度《いちど》に|岩石《がんせき》でも|砕《くだ》けた|様《やう》な|調子《てうし》で『ワハツハヽヽヽ』と|笑《わら》ひこける。|橄欖山《かんらんざん》の|木《き》の|茂《しげ》みから|山鳩《やまばと》が『ウツフ ウツフ、ウツフヽヽヽ』と|啼《な》いてゐる。
(大正一四・八・二一 旧七・二 於由良海岸秋田別荘 松村真澄録)
第二〇章 |猫鞍干《ねこぐらぼし》〔一八二六〕
お|寅《とら》は|守宮別《やもりわけ》、トンク、テク、ツーロと|共《とも》に|自動車《じどうしや》に|乗《の》り、|市中《しちう》の|大宣伝《だいせんでん》を|始《はじ》め|出《だ》した。そして|妙《めう》な|宣伝歌《せんでんか》を|刷《す》つたビラをバラまき|乍《なが》ら、|自分等《じぶんら》も|自動車《じどうしや》の|上《うへ》から|声《こゑ》を|揃《そろ》へて|唄《うた》つてゐる。
『|澆季末法《げうきまつぽふ》の|此《この》|世《よ》には  |諸善《しよぜん》|竜宮《りうぐう》に|入《い》り|玉《たま》ふ
あちら|此方《こちら》に|神柱《かむばしら》  |沢山《たくさん》|現《あら》はれ|来《きた》る|共《とも》
|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|偽神《にせがみ》だ  |特《とく》に|烈《はげ》しき|偽神《にせがみ》は
|日《ひ》の|出《で》の|島《しま》に|現《あら》はれた  |変性女子《へんじやうによし》の|瑞御霊《みづみたま》
ウズンバラチヤンダといふ|奴《やつ》だ  |其奴《そいつ》の|教《をし》へを|受《うけ》ついで
|海洋万里《かいやうばんり》を|打渡《うちわた》り  |神《かみ》の|集《あつ》まる|聖場《せいじやう》に
|恥《はぢ》も|外分《ぐわいぶん》も|知《し》らばこそ  ヌツケリコーと|現《あら》はれて
|国《くに》には|妻《つま》や|子《こ》もあるに  |道義《だうぎ》を|知《し》らぬブラバーサ
アメリカンコロニーで|名《な》も|高《たか》き  |阿婆擦女《あばずれをんな》のマリヤをば
|女房《にようばう》|気取《きどり》で|手《て》を|曳《ひ》いて  |宣伝《せんでん》なぞとはおぞましや
さめよ|悟《さと》れよエルサレム  |老若男女《らうにやくなんによ》の|人々《ひとびと》よ
アンナ ガラクタ|宣伝使《せんでんし》  |何《なに》をいふやらミカンやら
|坊主頭《ばうずあたま》にキンカンのせて  |走《はし》つてゐるより|危《あや》ふい|教《をしへ》
ソンナ|事《こと》|聞《き》いたとて|何《なん》になる  |正真正銘《しやうしんしやうめい》の|救世主《きうせいしゆ》
|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》  |日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》が
|下《くだ》つて|厶《ござ》るのを|知《し》らないか  |天地《てんち》|開《ひら》けた|始《はじ》めより
|澆季末法《げうきまつぽふ》の|今《いま》の|世《よ》に  かけて|誠《まこと》の|救世主《きうせいしゆ》
|一人《ひとり》も|出《で》て|来《き》たことは|無《な》い  ナザレのイエス・キリストも
|僅《わづか》|三年《さんねん》|布教《ふけう》して  |学者《がくしや》とパリサイ|人《びと》の|為《ため》
|無惨《むざん》の|最後《さいご》をとげたぢやないか  ソンナ|神柱《かむばしら》が|何《なん》になる
|此《この》|世《よ》を|救《すく》はうと|思《おも》ふたら  |水《みづ》に|溺《おぼ》れず|火《ひ》に|焼《や》けず
|弓《ゆみ》も|鉄砲《てつぱう》も|大砲《たいはう》も  たてつかないやうな|神力《しんりき》が
なければ|誠《まこと》の|救世主《きうせいしゆ》  |神《かみ》の|柱《はしら》とはいはれない
|眠《ねむ》りをさませよエルサレム  |必《かなら》ず|迷《まよ》ふなとぼけるな
いよいよ|時節《じせつ》が|到来《たうらい》し  アフンと|致《いた》さなならぬぞや
|皆《みな》の|足元《あしもと》から|鳥《とり》が|立《た》つ  |此《この》|世《よ》は|上《うへ》が|下《した》になり
|下《した》が|却《かへつ》て|上《うへ》となる  |誠《まこと》|一《ひと》つのウラナイの
|神《かみ》によらねば|助《たす》からぬ  |三千世界《さんぜんせかい》の|立替《たてかへ》ぢや
|政治《せいぢ》|宗教《しうけう》の|立直《たてなほ》し  |此《この》|大任《たいにん》を|双肩《そうけん》に
|担《にな》うて|現《あら》はれ|来《き》た|者《もの》は  |日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》と
|守宮別《やもりわけ》より|外《ほか》にない  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|蒙《かうむ》れよ  |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|誠《まこと》|一《ひと》つの|此《この》|柱《はしら》  |此《この》|世《よ》にあれます|其《その》|間《うち》は
|助《たす》けにやおかぬ|神《かみ》の|教《のり》  |来《きた》れよ|来《きた》れ|皆《みな》|来《きた》れ
みたまの|清水《しみづ》にかわく|人《ひと》  |日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》の
|尊《たふと》い|教《をしへ》に|蘇返《よみがへ》り  |三千世界《さんぜんせかい》の|太柱《ふとばしら》
|人《ひと》の|神《かみ》ぢやと|仰《あふ》がれて  |万古末代《まんごまつだい》|名《な》を|残《のこ》せ
|橄欖山《かんらんさん》は|高《たか》くとも  シオンの|山《やま》はさかし|共《とも》
|日出神《ひのでのかみ》の|神力《しんりき》に  |比《くら》べて|見《み》れば|屁《へ》でもない
|来《きた》れよ|来《きた》れ|皆《みな》|来《きた》れ  |北《きた》も|南《みなみ》も|東《ひがし》も|西《にし》も
|誠《まこと》の|神《かみ》の|声《こゑ》|聞《き》いて  |吾《わが》|霊城《れいじやう》にあつまれよ
|春《はる》は|花《はな》|咲《さ》き|夏《なつ》|茂《しげ》り  |秋《あき》の|稔《みのり》も|豊《ゆたか》なる
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|生《い》き|返《かへ》り  |万古末代《まんごまつだい》|生《い》き|通《どほ》し
|栄《さかえ》を|見《み》むと|思《おも》ふなら  |凡《すべ》ての|教《をしへ》をふりすてて
|誠《まこと》|一《ひと》つの|大和魂《やまとだま》  ビク|共《とも》|動《うご》かぬ|此《この》|道《みち》に
|皆《みな》さまさつさと|入《い》るが|可《よ》い』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|四方《しはう》|八方《はつぱう》を|駆巡《かけめぐ》つて|居《ゐ》る。そこへ、|夜叉《やしや》の|如《ごと》き|勢《いきほひ》で、あやめのお|花《はな》が|走《はし》つて|来《く》る。|守宮別《やもりわけ》は|自動車《じどうしや》をヒラリと|飛《と》びおり、お|花《はな》の|後《あと》を|逐《お》ふて、|一万円《いちまんゑん》せしめむものと|車《くるま》をお|寅《とら》にあづけおき、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|追《お》つかけて|行《ゆ》く。お|寅《とら》は|気《き》が|気《き》でならず、うつかりと、ハンドルを|握《にぎ》るや|否《いな》や|自動車《じどうしや》はまつしぐらに|駆出《かけだ》し、|瀬戸物屋《せとものや》の|店先《みせさき》さして、ドンと|許《ばか》りに|衝突《しようとつ》した|途端《とたん》に、|自動車《じどうしや》は|逆立《さかだ》ちとなり、|大道《だいだう》の|真中《まんなか》へ|転覆《てんぷく》し、トンク、テク、ツーロの|三人《さんにん》は|三間《さんげん》|許《ばか》り、はね|飛《と》ばされ、ウーンと|許《ばか》り、|或《あるひ》は|気絶《きぜつ》し、|或《あるひ》は|悲鳴《ひめい》をあげて|苦《くる》しみてゐる。お|寅《とら》も|大道《だいだう》の|正中《まんなか》へはね|飛《と》ばされ、|大《おほ》きなポホラやウットコを|牛《うし》の|猫鞍《ねこくら》を|日向《ひなた》に|乾《ほ》したやうな|塩梅式《あんばいしき》で、のけぞつて|了《しま》つた。あまたの|群集《ぐんしふ》は、『|自動車《じどうしや》だ、|転覆《てんぷく》だ、|気違《きちがひ》|婆《ばば》アの|遭難《さうなん》だ……』と|瞬《またた》く|間《ま》に|交通《かうつう》|止《ど》めになる|所《ところ》まで|人垣《ひとがき》を|築《きづ》いて|了《しま》つた。|急報《きふはう》に|仍《よ》つて|警官《けいくわん》は|警察医《けいさつい》を|伴《とも》なひ、|此《この》|場《ば》に|走《は》せ|来《きた》り、|一先《ひとま》づ|四人《よにん》の|負傷者《ふしやうしや》を|警察用《けいさつよう》の|自動車《じどうしや》にのせ、|博愛《はくあい》|病院《びやうゐん》さして、|砂煙《すなけぶり》を|立《た》て|乍《なが》らブウブウブウと|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二一 旧七・二 於由良海岸秋田別荘 松村真澄録)
第二一章 |不意《ふい》の|官命《くわんめい》〔一八二七〕
カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルの|第三号室《だいさんがうしつ》には、ヤクが|身体《からだ》の|傷《きず》も|八九分《はちくぶ》|通《どほ》り|全快《ぜんくわい》したのでチョコナンとして|一人《ひとり》|留守番《るすばん》をしてゐる。そこへ|慌《あわ》ただしく|帰《かへ》つて|来《き》たのは、あやめのお|花《はな》であつた。
『ヤ、お|前《まへ》はヤク、よう、マア|神妙《しんめう》に|留守《るす》をしてゐて|下《くだ》さつたな。|私《わたし》の|留守中《るすちう》に、お|寅《とら》や|綾子《あやこ》は|来《こ》なかつたかな』
『ハイ|鼠《ねずみ》|一匹《いつぴき》、|生物《いきもの》と|云《い》つては、|来《き》たものは|厶《ござ》いませぬ』
『|守宮別《やもりわけ》さまは、どこへ|行《い》つたのだい』
『ヘー』とヤクは|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
『|奥様《おくさま》の|御入院中《ごにふゐんちう》、お|寅《とら》さまがおいでになり、|何《なん》だか|嬉《うれ》しさうにコソコソと|話《はなし》をして|居《を》られましたよ』
『ナーニ、お|寅《とら》が|来《き》た?』
と|早《はや》くも|顔《かほ》に|血《ち》を|上《あ》げて|逆上《ぎやくじやう》しさうになる。
『もしもし|奥《おく》さま、|来《く》るは|来《き》ましたがね、|旦那《だんな》さまに|小《こつ》ぴどく|肘鉄《ひぢてつ》を|喰《か》まされて、|実《じつ》は、コソコソと|逃《に》げて|去《い》にましたよ。ソリヤ、どうも|気持《きもち》がよいの、よくないのつて、|溜飲《りういん》が|三斗《さんと》|許《ばか》り|下《さが》つたやうでしたがな』
『イエイエ、そら、|嘘《うそ》だよ。|先《さき》の|嬶《かか》は|嘘《うそ》つかぬと|云《い》つてな、お|前《まへ》が|初《はじ》めに|云《い》つた|言葉《ことば》が|事実《じじつ》だらうがな。ソンナ|気休《きやす》め|文句《もんく》にごまかされて、|機嫌《きげん》を|直《なほ》すやうなお|花《はな》ですかいな。ヘン、お|前《まへ》|迄《まで》がグルになつて、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さるなや』
『ハイ、トツト、モウ、ネツカラ、ハイ、|何《なん》ですな。ソノ、アノ、それそれ、あの|何《なん》ですわい』
『これ、ヤク』
と|云《い》ひ|乍《なが》らお|花《はな》は、|煙管《きせる》で|火鉢《ひばち》の|框《かまち》をカンと|叩《たた》き、
『お|前《まへ》のやうなガラクタ|人間《にんげん》はトツトと|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|月給《げつきふ》をやる|所《どころ》か、ここの|支払《しはら》ひもチヤンとして|帰《かへ》りなさいや。もうお|前《まへ》には|用《よう》はないからなア』
とツンとして|横《よこ》を|向《む》く。ヤクは|俯向《うつむ》いて|頭《あたま》をガシガシとかいてゐると、|階段《かいだん》をトントンと|響《ひび》かせ|乍《なが》ら、|帰《かへ》つて|来《き》たのは|守宮別《やもりわけ》である。お|花《はな》は|一目《ひとめ》|見《み》るより|武者振《むしやぶ》りつきグツと|胸倉《むなぐら》を|取《と》り、|声《こゑ》をふるはせ|乍《なが》ら、
『コヽヽこりや、|真極道《しんごくだう》|奴《め》、|人《ひと》を|馬鹿《ばか》にするにも|程《ほど》があるぢやないか。こりやガラクタ、|今日《けふ》は、どこへ、うろついて|居《を》つた。あからさまに|白状《はくじやう》せぬかい』
『こりやこりや、お|花《はな》、さうやかましう|云《い》つても|仕様《しやう》がないぢやないか。マアそこ|放《はな》してくれ。|俺《おれ》やお|前《まへ》が|橄欖山《かんらんざん》へ|詣《まゐ》つたと|聞《き》いて、|後《あと》を|追《お》つかけて|来《き》たのだが、ネツカラ|姿《すがた》が|見《み》えないので、ここへ|帰《かへ》つて|来《き》たのだ。それより|外《ほか》は、どつこへも|行《い》つては|居《ゐ》ないのだからな』
お|花《はな》は|胸倉《むなぐら》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|掴《つか》み、こつき|乍《なが》ら、
『こりや|極道《ごくだう》、|人《ひと》を|盲《めくら》にするにも|程《ほど》がある。お|寅《とら》と|自動車《じどうしや》に|乗《の》り、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》つてけつかつたぢやないか。エーエ、|辛気《しんき》|臭《くさ》い、|私《わし》やもう|之《これ》から|国許《くにもと》へ|帰《かへ》る。お|寅《とら》と|意茶《いちや》ついてお|暮《くら》しなさい』
『そら、さうだ。|俺《おれ》も|実《じつ》は|自動車《じどうしや》に|乗《の》る|事《こと》は|乗《の》つた。|然《しか》し、|之《これ》には|曰《いは》く|因縁《いんねん》があるのだ。お|寅《とら》の|奴《やつ》、|失敬《しつけい》|千万《せんばん》な、|俺《おれ》とお|前《まへ》が|結婚《けつこん》したのを|遺恨《ゐこん》に|持《も》ちよつてな、お|前《まへ》と|俺《おれ》との|宣伝歌《せんでんか》を|作《つく》つて、|歌《うた》つてるので、|業腹《ごふはら》で|堪《た》まらぬから、|自動車《じどうしや》からつき|落《おと》してやらうとヒラリと|乗《の》つた|所《ところ》、お|前《まへ》の|姿《すがた》を|見《み》たものだから、|町《まち》をあちこちと|探《さが》して|帰《かへ》つて|来《き》たのだよ。さう|悪気《わるぎ》をまはしちや、|俺《おれ》だつてやりきれないぢやないか』
『|成程《なるほど》、さう|聞《き》きやさうかも|知《し》れませぬね』
とパツと|手《て》を|放《はな》す。
『ア、これで|先《ま》づ|先《ま》づ|無罪《むざい》|放免《はうめん》だ。お|花《はな》|大明神《だいみやうじん》、|否々《いないな》|木花咲耶姫命《このはなさくやひめのみこと》|様《さま》、ようマア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》う|感謝《かんしや》|致《いた》します』
『オホヽヽヽ、そしてその|宣伝《せんでん》ビラは、お|前《まへ》さま|持《も》つてゐるのかい』
『イヤ、|慌《あわ》てて|一枚《いちまい》も、ヨウ、とつて|来《こ》なかつたのだ。|然《しか》し|歌《うた》の|文句《もんく》は|覚《おぼ》えてゐるよ』
『|何分《なにぶん》|記憶《きおく》のよい|守宮別《やもりわけ》さまだから、|覚《おぼ》えてゐらつしやるのでせう。|一寸《ちよつと》ここで|歌《うた》ふて|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『よしよし、|腹《はら》|立《た》てなよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|口《くち》から|出鱈目《でたらめ》の|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》つて|見《み》せる。
『|打《う》てよ|懲《こら》せよ|守宮別《やもりわけ》を、  |打《う》てよ|懲《こら》せよ、あやめのお|花《はな》
|彼奴《あいつ》|二人《ふたり》のガラクタは  この|世《よ》を|乱《みだ》す|悪神《あくがみ》だ
と、このやうな|事《こと》を|吐《ぬか》しよるのだよ。|怪《け》しからぬぢやないか。|一体《いつたい》お|寅《とら》の|奴《やつ》、|半狂乱《はんきやうらん》になつてゐるのだからなア』
『|成程《なるほど》、ひどい|事《こと》を|云《い》ひますね、サアその|次《つぎ》を|聞《き》かして|下《くだ》さいな』
『|守宮別《やもりわけ》の|大広木《おほひろき》  |偽乙姫《にせおとひめ》のお|花《はな》|奴《め》が
|大《おほ》きな|山子《やまこ》を|企《たく》らみて  |新《しん》ウラナイの|教《をしへ》をば
|立《た》てて|誠《まこと》のウラナイ|教《けう》  この|霊城《れいじやう》を|覆《くつが》へし
|天下《てんか》を|取《と》らうと|企《なく》みゐる  |鬼《おに》より|蛇《じや》よりひどい|奴《やつ》
|覚《さ》めよ|悟《さと》れよエルサレム  |老若男女《らうにやくなんによ》の|人々《ひとびと》よ
|誠《まこと》の|誠《まこと》の|神柱《かむばしら》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》より|外《ほか》にない
と、コンナ|事《こと》を|吐《ぬか》しよつてな、|本当《ほんたう》に|腹《はら》が|立《た》つたものだから、|一寸《ちよつと》|自動車《じどうしや》に|乗《の》りこみ|談判《だんぱん》してゐたのだ。お|寅《とら》の|奴《やつ》、|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でもいく|奴《やつ》ぢやないわ』
『|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも、いかぬ、そのお|寅《とら》さまが|恋《こひ》しいのだもの、|私《わたし》が|知《し》らぬかと|思《おも》つてコツソリと|密約《みつやく》を|締結《ていけつ》したのでせう。|何程《なにほど》|孫呉《そんご》の|兵法《へいはふ》を|用《もち》ゐて、お|花《はな》さまをちよろまかさうと|思《おも》つても、|此《この》|一万円《いちまんゑん》は|一文《いちもん》の|生中《きなか》も|渡《わた》しませぬよ。ホヽヽヽ。この|宣伝《せんでん》ビラはどうです』
と|懐《ふところ》から|四五枚《しごまい》、|放《ほう》り|出《だ》して|見《み》せる。
『|成程《なるほど》、こりや……お|寅《とら》の……|撒《ま》いたのぢやなからう、|文句《もんく》が|違《ちが》ふぢやないか』
『お|寅《とら》が|撒《ま》いたのぢやありませぬよ。|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふガラクタが|撒《ま》いたのですよ。サアこれでも|返答《へんたふ》が|厶《ござ》いますかな、イヒヽヽヽヽ』
『イヤ、|降参《かうさん》した、お|前《まへ》にやもう|叶《かな》はぬわい。|堪《こら》へてくれ、|今日《けふ》|限《かぎ》り|改心《かいしん》するからな』
『ヘン、どうなつと、|勝手《かつて》になさいませ。|改心《かいしん》せうと|慢心《まんしん》せうと、お|前《まへ》さまの|魂《たましひ》だもの、|私《わたし》はもう|愛想《あいそ》が|尽《つ》きました。|以後《いご》はモウ|関係《くわんけい》は|致《いた》しませぬ。これから|国《くに》へ|帰《かへ》つて、お|前《まへ》やお|寅《とら》さまの|脱線振《だつせんぶり》を、|傘《かさ》に|傘《かさ》をかけて|吹聴《ふいちやう》しますから、その|積《つも》りで|居《を》つて|下《くだ》さい、ホヽヽヽヽ』
|守宮別《やもりわけ》は|言句《げんく》も|出《いで》ず、|当惑《たうわく》してゐると、そこへ|自動車《じどうしや》を|横《よこ》づけにして|登《のぼ》つて|来《き》たのは、お|寅《とら》である。お|寅《とら》は|一時《いちじ》|気絶《きぜつ》してゐたが、|医師《いし》の|看護《かんご》によつて|忽《たちま》ち|全快《ぜんくわい》し、|又《また》もやお|花《はな》が|守宮別《やもりわけ》を|捉《とら》へて、|脂下《やにさが》つてゐないかと、|取《と》る|物《もの》もとり|敢《あへ》ず、やつて|来《き》たのである。
お|寅《とら》は|此《この》|態《てい》を|見《み》て、
『これはこれはお|花《はな》さ|迄《まで》|厶《ござ》いますか、|何《なん》とマアお|仲《なか》のよいこと、ホヽヽヽ、|実《じつ》にお|羨《うらや》ましう|厶《ござ》いますわいな』
お|花《はな》は|悪胴《わるどう》を|据《す》ゑ、お|寅《とら》を|尻目《しりめ》にかけ|乍《なが》ら、
『お|寅《とら》さま、|何程《なにほど》|愛嬌《あいけう》をふりまいて|下《くだ》さつても|駄目《だめ》ですよ。|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》は|私《わたし》のものですから、|御用《ごよう》に|立《た》てる|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬわい。ようマア|守宮別《やもりわけ》さまと、ここ|迄《まで》|深《ふか》く|企《たく》んで|下《くだ》さいましたね。|流石《さすが》は|私《わたし》の|師匠《ししやう》に|一旦《いつたん》なつて|下《くだ》さつた|生宮様《いきみやさま》|丈《だけ》あつて、|凄《すご》い|腕前《うでまへ》、|実《じつ》に|感服《かんぷく》|致《いた》しました。サアサアこの|動物《どうぶつ》を、|勝手《かつて》に|喰《く》わへて|帰《かへ》りて|下《くだ》さい、|私《わたし》には、チツとも|未練《みれん》が|厶《ござ》いませぬから』
|守宮別《やもりわけ》は「この|動物《どうぶつ》」と|云《い》はれたのを|耳《みみ》に、はさみ、ムツト|腹《はら》を|立《た》て、
『コーリヤ、|従順《おとなし》くしてゐればつけあがり、|一人前《いちにんまへ》の|男子《だんし》をば、|動物《どうぶつ》とは|何《なん》だ』
と|拳固《げんこ》をかためて|打《う》つてかからむとする。お|花《はな》は|平然《へいぜん》として、
『ホヽヽヽ、|弥之助《やのすけ》|人形《にんぎやう》の|空踊《からおど》り、|鬼《おに》の|面《めん》を|被《かぶ》つて|人《ひと》を|驚《おどろ》かすやうな|下手《へた》な|真似《まね》はなさいますなや。アタ|阿呆《あはう》らしい。ソンナ|事《こと》でヘコたれるお|花《はな》ですかいな。お|寅《とら》|婆《ばば》と|一緒《いつしよ》に|企《たく》みた|芝居《しばゐ》も、かう|楽屋《がくや》が|見《み》えては、ヘン、お|気《き》の|毒《どく》さま。むしろ|私《わたし》の|方《はう》から|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》を|注《そそ》ぎますわいな。イヒヽヽヽヽ』
『これ、お|花《はな》さま、あまりぢや|厶《ござ》いませぬか。|十年《じふねん》も|私《わたし》の|側《そば》に|居《を》つて、まだ、|私《わたし》の|心《こころ》が|分《わか》らないのですか』
『どうも|分《わか》りませぬな。|手練手管《てれんてくだ》のあり|丈《だけ》を|尽《つく》し、|千変万化《せんぺんばんくわ》にヘグレてヘグレておへぐれ|遊《あそ》ばすヘグレ|武者《むしや》、へぐれのへぐれのヘグレ|神社《じんじや》の|生宮《いきみや》さまだもの』
|斯《か》く|互《たがひ》に|毒《どく》ついてゐる|所《ところ》へ、エルサレム|署《しよ》の|高等係《かうとうがかり》が|二人《ふたり》の|巡査《じゆんさ》と|共《とも》に|入《い》り|来《きた》り、
『|守宮別《やもりわけ》さまに、|一寸《ちよつと》お|目《め》にかかり|度《た》いから|取次《とりつ》いで|下《くだ》さい』
|階下《かいか》にシヤガンでゐたボーイは、|米搗《こめつき》バツタ|宜《よろ》しく、もみ|手《て》をしたり、|腰《こし》を|幾度《いくど》も|屈《かが》め|乍《なが》ら、
『ハイ、|畏《かしこ》まりました』
と|先《さき》に|立《た》ち|三号室《さんがうしつ》へ|案内《あんない》した。
『エー、ン、お|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|本署《ほんしよ》より|守宮別《やもりわけ》さま、お|寅《とら》さま、お|花《はな》さまに|対《たい》し、|聖地《せいち》の|退去《たいきよ》|命令《めいれい》が|出《で》ましたから、どうか|此《この》|書面《しよめん》に|受印《うけいん》をして|下《くだ》さい』
『コリヤ|怪《け》しからぬ、|退去《たいきよ》|命令《めいれい》を|受《う》けるやうな|悪《わる》い|事《こと》をした|覚《おぼ》えは|厶《ござ》いませぬがな』
『|兎《と》も|角《かく》、この|指令書《しれいしよ》を|読《よ》んで|御覧《ごらん》なさい。……|聖地《せいち》の|風儀《ふうぎ》を|紊《みだ》し、|治安《ちあん》に|妨害《ばうがい》ありと|認《みと》むるを|以《もつ》て、|三日《みつか》|以内《いない》に|聖地《せいち》を|退却《たいきやく》すべし。|万一《まんいち》|拒《こば》むに|於《おい》ては|刑務所《けいむしよ》に|三年間《さんねんかん》|投入《とうにふ》すべきものなり。……と|記《しる》されてあります。お|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|用意《ようい》をして|貰《もら》はねばなりませぬ』
と|三人《さんにん》から|受印《うけいん》を|取《と》り、|靴音《くつおと》|高《たか》く|階段《かいだん》を|下《くだ》りかへり|行《ゆ》く。
(大正一四・八・二一 旧七・二 於由良秋田別荘 北村隆光録)
第二二章 |帰国《きこく》と|鬼哭《きこく》〔一八二八〕
ブラバーサはスバツフオードの|厚意《こうい》により、アメリカンコロニーを|根拠《こんきよ》として、マリヤと|共《とも》に|三五教《あななひけう》の|大宣伝《だいせんでん》をなし、|其《その》|名《な》を|遠近《ゑんきん》に|轟《とどろ》かし、|数多《あまた》の|信者《しんじや》を|集《あつ》めて|居《ゐ》た。|然《しか》るに|日《ひ》の|出島《でじま》における|救世主《きうせいしゆ》の|名声《めいせい》は、|地球上《ちきうじやう》|隈《くま》なく|知《し》れ|渡《わた》り、|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》で、エルサレムに|来《き》た|各国人《かくこくじん》は、|何《いづ》れも|競《きそ》ふてブラバーサの|話《はなし》を|聞《き》かむと、このコロニーへ|日一日《ひいちにち》と|数多《かずおほ》く|集《あつ》まつて|来《き》た。スバツフオードも|非常《ひじやう》に|乗《の》り|気《き》になり、アメリカンコロニーを|三五教《あななひけう》の|出張所《しゆつちやうじよ》となし、|自《みづか》ら|陣頭《ぢんとう》に|立《た》つて|遠近《をちこち》の|布教《ふけう》に|出《で》かけて|居《ゐ》た。|之《これ》に|反《はん》してお|寅《とら》|婆《ばば》アの|日夜《にちや》の|活躍《くわつやく》も|寸効《すんかう》なく、|一人《ひとり》の|信者《しんじや》も|出来《でき》ず、|唯《ただ》|徒《いたづら》に|狂人婆《きちがひばば》アの|評判《ひやうばん》を|売《う》つたのみ、|市民《しみん》の|笑《わら》ひを|買《か》つたのみが|収穫《しうくわく》であつた。|加《くは》ふるに|守宮別《やもりわけ》、お|寅《とら》、お|花《はな》との|三角《さんかく》|関係《くわんけい》が|祟《たた》つて、|遂《つひ》には|其《その》|筋《すぢ》の|耳《みみ》に|入《い》り|退去《たいきよ》|命令《めいれい》を|受《う》くる|事《こと》になり、|三日《みつか》の|後《のち》には|聖地《せいち》を|後《あと》に|本国《ほんごく》へ|帰《かへ》る|事《こと》になつたので、ブラバーサは|俄《にはか》に|気《き》をいらち、あんな|狂人《きちがひ》が|国《くに》へ|帰《かへ》らうものなら、どんな|噂《うはさ》を|撒《ま》くかも|知《し》れない。|自分《じぶん》は|止《や》むを|得《え》ずマリヤと|関係《くわんけい》した|欠点《けつてん》もある。|放《ほ》つておけば|自分《じぶん》の|信用《しんよう》|迄《まで》メチャメチャにせらるるは|火《ひ》を|睹《み》るよりも|明《あきら》かだ。これやかうしては|居《ゐ》られない。|一度《いちど》|聖師《せいし》にも|会《あ》つて|見《み》たいし、|又《また》|妻子《さいし》にも|安心《あんしん》させ|度《た》いから、|彼等《かれら》に|先《さき》だち|急《いそ》いで|帰国《きこく》|仕度《した》いものだと、スバツフオードに|相談《さうだん》して|見《み》た。スバツフオードは|一々《いちいち》|諾《うな》づいて、
『|成程《なるほど》|一度《いちど》お|帰《かへ》りになつた|方《はう》がよいかも|知《し》れませぬな。|肝腎《かんじん》の|根拠地《こんきよち》を|蹂躙《じうりん》せらるる|恐《おそ》れが|有《あ》りますから。|併《しか》しマリヤさまをどうなされますか』
『ハイ、マリヤさまには|夜前《やぜん》|篤《とく》と|事情《じじやう》を|打《う》ち|明《あ》けました|処《ところ》、|快《こころよ》く|承知《しようち》して|下《くだ》さいました。|遉《さすが》は|信仰《しんかう》|生活《せいくわつ》に|生《い》きて|居《を》らるる|丈《だけ》あつて、|変《かは》つた|方《かた》ですわい。これこの|通《とほ》り|私《わたし》の|為《た》めに|離縁状《りえんじやう》を|書《か》いて|下《くだ》さつたから|安心《あんしん》を|願《ねが》ひます』
『|一寸《ちよつと》|拝読《はいどく》さして|頂《いただ》いても|宜敷《よろし》う|厶《ござ》いますか』
『ハイ、|宜敷《よろし》う|厶《ござ》います。マリヤさまの|誠意《せいい》がお|分《わか》りになつて、|互《たがひ》の|便宜《べんぎ》で|厶《ござ》いませうから』
スバツフオード|聖師《せいし》は|徐《おもむろ》に|読《よ》み|初《はじ》めた、
一、|私事《わたくしこと》、|神様《かみさま》の|御縁《ごえん》に|依《よ》りまして、|心《こころ》にもなき|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》し、|今日《こんにち》|迄《まで》|貴方様《あなたさま》の|第二《だいに》|夫人《ふじん》として|仕《つか》へて|参《まゐ》りましたが、|併《しか》しこれも|貴方様《あなたさま》に|悪魔《あくま》の|憑依《ひようい》しない|様《やう》、|神様《かみさま》からの|御命令《ごめいれい》を|遵奉《じゆんぼう》して|来《き》たものです。|最早《もはや》|御帰国《ごきこく》に|際《さい》しましては、|私《わたし》の|使命《しめい》もいよいよ|果《はた》されたと|考《かんが》へますから、|後日《ごじつ》の|証拠《しようこ》として|此《この》|書《しよ》を|書《か》いて|貴方《あなた》にお|渡《わた》し|致《いた》しておきます。|本国《ほんごく》へお|帰《かへ》りになり、お|寅《とら》さまや、|守宮別《やもりわけ》さまや、|魔我彦《まがひこ》さまやお|花《はな》さまなどが|私《わたし》と|貴方《あなた》の|関係《くわんけい》について、いろいろと|悪《わる》く|吹聴《ふいちやう》せらるるかも|知《し》れませぬ。|万一《まんいち》|左様《さやう》な|場合《ばあひ》が|厶《ござ》いましたら、この|書面《しよめん》を|聖師様《せいしさま》にお|見《み》せなさいませ、|貴方《あなた》と|私《わたし》との|間《あひだ》は|何《なん》の|雲霧《くもきり》もなく、|清浄潔白《せいじやうけつぱく》の|間柄《あひだがら》で|厶《ござ》います。|互《たがひ》に|愛《あい》し|愛《あい》され|抱擁《はうよう》キッスなどは|致《いた》しましたが、|未《いま》だ|肉交《にくかう》を|行《おこな》つた|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ。これは|大神様《おほかみさま》がよく|御存《ごぞん》じですから、|別《べつ》に|弁解《べんかい》する|必要《ひつえう》もなからうかと|存《ぞん》じます。
|年《ねん》 |月《ぐわつ》 |日《ひ》
アメリカンコロニーのマリヤより
|恋《こひ》しき|恋《こひ》しきブラバーサ|様《さま》
『なる|程《ほど》|立派《りつぱ》な|御両人《ごりやうにん》のお|志《こころざ》し、ヤ、|私《わたし》もこれ|程《ほど》|潔白《けつぱく》な|間柄《あひだがら》とは|存《ぞん》じて|居《を》りませ|何《なん》だ。|矢張《やはり》|私《わたし》の|心《こころ》が|汚《きた》なかつたのでせう、ハヽヽヽ。サアサアこれからマリヤさまに|来《き》て|貰《もら》つて、|私《わたし》と|三人《さんにん》|送別会《そうべつくわい》を|開《ひら》きませう。さうして、コロニーの|信者《しんじや》へもお|神酒《みき》を|一杯《いつぱい》|披露《ひろう》の|為《ため》|振《ふ》れ|舞《ま》ふ|事《こと》に|致《いた》しませう』
『|長《なが》らく|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かりまして|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|何《いづ》れ|又《また》|近《ちか》い|中《うち》に|上《のぼ》つて|参《まゐ》ります。|其《その》|時《とき》は|日《ひ》の|出島《でじま》の|再臨《さいりん》のキリストの|現《あら》はれたまふ|時《とき》かと|存《ぞん》じます。どこ|迄《まで》も|幾久《いくひさ》しく|御厚情《ごこうじやう》を|願《ねが》ひませう。|随分《ずいぶん》お|壮健《まめ》で|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》して|下《くだ》さいませ』
『|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》はマリヤさまが|担任《たんにん》|致《いた》しますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
と|挨拶《あいさつ》して|居《ゐ》る|所《ところ》へマリヤは|衣紋《えもん》を|繕《つくろ》ひ、|出《い》で|来《きた》り、|恭《うやうや》しく|両手《りやうて》をつき、
『|聖師様《せいしさま》|浅《あさ》からぬ|御神縁《ごしんえん》によりまして、いたらぬ|妾《わたくし》、|長《なが》らくお|世話《せわ》に|預《あづ》かりました。|貴方《あなた》が|御帰国《ごきこく》|遊《あそ》ばしましても、|御教《みをしへ》の|御趣旨《ごしゆし》は|私《わたくし》が|代《かは》つて|飽迄《あくまで》|宣伝《せんでん》|致《いた》します。|又《また》|信者《しんじや》に|対《たい》しても、|貴方《あなた》から|教《をしへ》はつた|教理《けうり》を|懇々《こんこん》と|説《と》き|諭《さと》し、|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|為《た》め|尽《つく》しますから、どうぞ|御心配《ごしんぱい》なくお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ』
『ヤ、|実《じつ》に|長《なが》らく|見《み》ず|不知《しらず》の|土地《とち》へ|参《まゐ》りまして、お|世話《せわ》に|預《あづ》かりました。|何《いづ》れ|又《また》|出直《でなほ》して|参《まゐ》りますから、どうぞお|身体《からだ》を|大切《たいせつ》に|御用《ごよう》を|勤《つと》めて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ。|明後日《みやうごにち》のトルコ|丸《まる》でお|寅《とら》さま|一行《いつかう》は|帰国《きこく》されるさうですから、|私《わたし》は|一足先《ひとあしさき》に|今晩《こんばん》の|汽船《きせん》アラビヤ|丸《まる》に|乗《の》つて|帰《かへ》らうと|存《ぞん》じます。どうか|御一同様《ごいちどうさま》へ|宜《よろ》しくお|伝《つた》へ|下《くだ》さいませ。|序《ついで》にマリヤさまにお|願《ねが》ひしておきたいので|厶《ござ》いますが、|駅前《えきまへ》の|有明家《ありあけや》の|綾子《あやこ》と|云《い》ふ|芸者《げいしや》は、|一旦《いつたん》|守宮別《やもりわけ》と|妙《めう》な|関係《くわんけい》が|結《むす》ばれたと|云《い》ふ|事《こと》で|厶《ござ》います。|守宮別《やもりわけ》が|帰国《きこく》の|事《こと》となれば、|嘸《さぞ》|悲観《ひくわん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|女《をんな》の|小《ちひ》さい|心《こころ》から、|無分別《むふんべつ》の|事《こと》をするかも|知《し》れませぬ。|万一《まんいち》そんな|事《こと》があつては、|日《ひ》の|出島《でじま》から|参《まゐ》りました、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》の|責任《せきにん》が|済《す》みませぬから、|何卒《どうぞ》|貴女《あなた》から|一度《いちど》|訪問《はうもん》して|慰《なぐさ》めて|上《あ》げて|下《くだ》さい。きつとあの|方《かた》は|貴女《あなた》のお|弟子《でし》になるだらうと|思《おも》ひます』
『ハイ、|畏《かしこ》まりました。|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな』
『どうやら|出帆《しゆつぱん》|時刻《じこく》|迄《まで》に、|一時間《いちじかん》より|厶《ござ》いませぬから、|今《いま》|自動車《じどうしや》を|雇《やと》ふておきました。どうか|早《はや》く|乗《の》つて|下《くだ》さい、|私《わたし》も|船場《ふなば》|迄《まで》|送《おく》りますから』
『ハイ、|有難《ありがた》う』とブラバーサは|自分《じぶん》の|古《ふる》い|着物《きもの》や|手道具《てだうぐ》|其《その》|他《た》の|日用品《にちようひん》を、コロニーの|人々《ひとびと》に|分与《ぶんよ》すべく|頼《たの》みおき、|三人《さんにん》|自動車《じどうしや》に|乗《の》つて|渡船場《とせんば》へと|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一四・八・二一 旧七・二 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
(昭和九・五・二七 王仁訂正)
(昭和一〇・三・一〇 於台湾草山別院 王仁校正)
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霊界物語 第六四巻下 山河草木 卯の巻下
終り