霊界物語 第六四巻上 山河草木 卯の巻上
出口王仁三郎
--------------------
●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第六四巻上』愛善世界社
2004(平成16)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年02月15日作成
2008年06月23日修正
-------------------------
●目次
|序《じよ》
|総説《そうせつ》
第一篇 |日下開山《ひのしたかいさん》
第一章 |橄欖山《かんらんざん》〔一六三〇〕
第二章 |宣伝使《せんでんし》〔一六三一〕
第三章 |聖地夜《せいちよ》〔一六三二〕
第四章 |訪問客《はうもんきやく》〔一六三三〕
第五章 |至聖団《しせいだん》〔一六三四〕
第二篇 |聖地《せいち》|巡拝《じゆんぱい》
第六章 |偶像都《ぐうざうのみやこ》〔一六三五〕
第七章 |巡礼者《じゆんれいしや》〔一六三六〕
第八章 |自動車《じどうしや》〔一六三七〕
第九章 |膝栗毛《ひざくりげ》〔一六三八〕
第一〇章 |追懐念《ついくわいねん》〔一六三九〕
第三篇 |花笑蝶舞《くわせうてふぶ》
第一一章 |公憤《こうふん》|私憤《しふん》〔一六四〇〕
第一二章 |誘惑《いうわく》〔一六四一〕
第一三章 |試練《しれん》〔一六四二〕
第一四章 |荒武事《あらぶごと》〔一六四三〕
第一五章 |大相撲《おほずまふ》〔一六四四〕
第一六章 |天消地滅《てんせうちめつ》〔一六四五〕
第四篇 |遠近不二《ゑんきんふじ》
第一七章 |強請《ゆすり》〔一六四六〕
第一八章 |新聞種《しんぶんだね》〔一六四七〕
第一九章 |祭誤《さいご》〔一六四八〕
第二〇章 |福命《ふくめい》〔一六四九〕
第二一章 |遍路《へんろ》〔一六五〇〕
第二二章 |妖行《えうかう》〔一六五一〕
第五篇 |山河《さんが》|異涯《いがい》
第二三章 |暗着《あんちやく》〔一六五二〕
第二四章 |妖蝕《えうしよく》〔一六五三〕
第二五章 |地図面《アトラスめん》〔一六五四〕
第二六章 |置去《おきざり》〔一六五五〕
第二七章 |再転《さいてん》〔一六五六〕
------------------------------
|序《じよ》
|大本三代《おほもとさんだい》の|結婚《けつこん》|問題《もんだい》や|瑞月《ずゐげつ》|全集《ぜんしふ》の|校正《かうせい》その|他《た》|天声社《てんせいしや》の|改革《かいかく》|等《とう》にて、|四月《しぐわつ》より|本月《ほんげつ》まで|口述《こうじゆつ》するの|閑暇《かんか》もなく、|又《また》|身体《からだ》も|非常《ひじやう》に|疲労《ひらう》したるため|本書《ほんしよ》の|著作《ちよさく》の|捗《はかど》らざりし|事《こと》を|甚《はなは》だ|遺憾《ゐかん》に|思《おも》ひます。|本巻《ほんくわん》は|特別篇《とくべつへん》として|現代《げんだい》のエルサレムを|背景《はいけい》に|小説的《せうせつてき》に|口述《こうじゆつ》したもので|他《た》の|巻《まき》とは|大《おほい》に|趣《おもむき》を|異《こと》にして|居《を》ります。|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》を|脚色《きやくしよく》したもので|果《はた》して|之《これ》が|事実《じじつ》として|将来《しやうらい》に|実現《じつげん》するや|否《いな》やは、|口述者《こうじゆつしや》|自身《じしん》に|取《と》つて|判《わか》らないのであります。
大正十二年七月十三日 旧五月三十日
|総説《そうせつ》
|物質界《ぶつしつかい》の|凡《すべ》ての|欲望《よくばう》を|脱却《だつきやく》し|一意専心《いちいせんしん》|神霊《しんれい》|世界《せかい》の|建設《けんせつ》に|没頭《ぼつとう》せる|救世主《きうせいしゆ》が、|数多《あまた》の|部下《ぶか》の|誤《あやま》れる|信仰《しんかう》のために|種々《しゆじゆ》の|苦難《くなん》を|嘗《な》め、|精神的《せいしんてき》に|孤独《こどく》となりし|淋《さび》しさに、|日出嶋《ひのでじま》を|跡《あと》にして|神《かみ》の|選《えら》みたまひし|聖地《せいち》に|再臨《さいりん》すべく、その|準備《じゆんび》として、|秘蔵《ひざう》の|弟子《でし》を|選《えら》みてはるばる|出立《しゆつたつ》せしめたる|所《ところ》へ、ユラリ|教《けう》の|教主《けうしゆ》|自称《じしよう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》のお|寅婆《とらば》アさまが|三人《さんにん》の|弟子《でし》を|伴《ともな》ひ、その|跡《あと》を|追《お》ひて|極力《きよくりよく》|妨害《ばうがい》を|試《こころ》み、|自《みづか》ら|救世主《きうせいしゆ》と|名乗《なの》りて|獅子奮迅《ししふんじん》の|躍動《やくどう》をなす|至極《しごく》|滑稽《こつけい》な|物語《ものがたり》であります。
大正十二年七月十三日 旧五月三十日
第一篇 |日下開山《ひのしたかいさん》
第一章 |橄欖山《かんらんざん》〔一六三〇〕
エルサレムの|郊外《かうぐわい》にアメリカン・コロニーと|云《い》ふ|宏壮《くわうさう》な|建築物《けんちくぶつ》があつて、|雲《くも》を|圧《あつ》して|聳《そび》え|立《た》つて|居《ゐ》る。|今《いま》より|四十年《しじふねん》ばかり|以前《いぜん》に、アメリカからスバツフオードと|云《い》ふ|猶太人《ユダヤじん》が、|基督《キリスト》の|再臨《さいりん》が|近《ちか》づいて、その|場所《ばしよ》は|橄欖山《かんらんざん》の|頂上《ちやうじやう》だといつて|基督《キリスト》を|迎《むか》へる|準備《じゆんび》のために|来《き》て|居《を》つたのが|抑《そもそも》の|始《はじま》りで、|其《その》|後《ご》は|国籍《こくせき》や|人種《じんしゆ》の|異同《いどう》を|問《と》はず、|基督《キリスト》|再臨《さいりん》を|信《しん》ずる|人々《ひとびと》が|是《これ》に|加《くは》はつて、|自分等《じぶんら》の|財産《ざいさん》を|全部《ぜんぶ》|提出《ていしゆつ》して|共同《きようどう》|生活《せいくわつ》を|行《や》つて|居《ゐ》る。|各自《かくじ》がその|分《ぶん》に|相応《さうおう》して|働《はたら》いて|得《え》た|利益《りえき》は、|之《これ》を|共同《きようどう》|生活《せいくわつ》の|為《ため》に|使用《しよう》すると|云《い》ふ|基督教的《キリストけうてき》の|精神《せいしん》に|基《もとづ》く|一《ひと》つの|団体《だんたい》が|組織《そしき》さるるに|致《いた》つた。その|創立《さうりつ》の|最初《さいしよ》には、|人々《ひとびと》は|非常《ひじやう》に|狂信的《きやうしんてき》で、|自分《じぶん》の|年頃《としごろ》になつた|時《とき》も|結婚《けつこん》さへしなかつたものだが、|現時《げんじ》は|人々《ひとびと》の|考《かんが》へ|方《かた》が|余程《よほど》|自由《じいう》になり、|団体員《だんたいゐん》の|中《なか》で|結婚《けつこん》をする|様《やう》になり、|幾組《いくくみ》かの|家庭《かてい》が|出来《でき》て|今《いま》の|団体員《だんたいゐん》は|第二《だいに》の|時代《じだい》の|人々《ひとびと》である。|全体《ぜんたい》で|約《やく》|壱百人《いつぴやくにん》ばかりで、|互《たがひ》に|兄妹《きやうだい》と|呼《よ》び|合《あ》つて|居《ゐ》る。|国籍《こくせき》は|種々《いろいろ》で、|一番《いちばん》に|多《おほ》いのがスエーデン|人《じん》である。そしてアメリカンコロニーと|云《い》ふ|名称《めいしよう》が|附《ふ》されてある。|創立者《さうりつしや》が|亜米利加人《アメリカじん》であつたから|此《この》|名《な》を|附《ふ》すことになつた。|現今《げんこん》ではアメリカ|人《じん》は|数名《すうめい》に|過《す》ぎない。ユダヤ|人《じん》は|十数名《じふすうめい》|集《あつま》つて|居《ゐ》る。
|創立者《さうりつしや》の|子息《しそく》スバツフオードは|熱烈《ねつれつ》な|信仰者《しんかうしや》で、マグダラのマリヤと|云《い》ふ|猶太人《ユダヤじん》の|婦人《ふじん》が|加《くは》はつて|居《ゐ》る。この|婦人《ふじん》は、|殆《ほとん》どスバツフオードと|相並《あひなら》びて、アメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》を|採《と》り|大活動《だいくわつどう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》る。そして|三十歳《さんじつさい》を|過《す》ぎたるにも|拘《かかは》らず|独身《セリバシー》|生活《せいくわつ》をやつて|居《ゐ》る。この|団体員《だんたいゐん》は、|何《いづ》れも|身《み》の|一切《いつさい》を|主《す》の|神《かみ》に|任《まか》せ|切《き》つて|居《ゐ》る|態度《たいど》と|云《い》ひ、|人類《じんるゐ》に|対《たい》する|愛《あい》の|発現《はつげん》と|云《い》ひ、|到底《たうてい》|他《た》で|見《み》る|事《こと》の|出来《でき》ない|美《うつく》しさである。|凡《すべ》ての|猶太人《ユダヤじん》は、この|神《かみ》の|広《ひろ》い|教旨《けうし》を|聞《き》いて|居《ゐ》るに|関《かか》はらず、|民族的《みんぞくてき》|偏見《へんけん》に|囚《とら》はれ、|彼等《かれら》は|特有《とくいう》な、いい|意味《いみ》のヂレツタント|的《てき》の|性質《せいしつ》から|此《こ》の|域《ゐき》まで|深《ふか》く|達《たつ》し|得《う》る|者《もの》の|少《すくな》いのに、|彼《かれ》|団体員《だんたいゐん》は|神意《しんい》を|克《よ》くも|体得《たいとく》し、|抱擁帰一《はうようきいつ》|博愛《はくあい》|平等《べうどう》の|大精神《だいせいしん》を|有《いう》して|居《ゐ》る|公平《こうへい》|無私《むし》な|態度《たいど》には、|感歎《かんたん》せざるを|得《え》ないのである。
スバツフオードは|朝《あさ》|早《はや》くから、|一間《ひとま》に|立籠《たてこも》り|熱心《ねつしん》に|神《かみ》の|宣示《せんじ》を|祈《いの》つて|居《ゐ》る。そこへマグダラのマリヤが、|少《すこ》し|顔色《かほいろ》を|赤《あか》らめながら|忙《いそが》しげに|走《はし》り|来《き》たり、|両手《りやうて》を|突《つ》いて、
『|聖師様《せいしさま》、|妾《わたし》は|何《なん》だか|昨夕《ゆうべ》から|身体《からだ》の|様子《やうす》が|変《かは》つて|来《き》た|様《やう》で|御座《ござ》いますが、|一《ひと》つ|何神《なにがみ》の|帰神《かむがかり》なりや、ただしはサタンの|襲来《しふらい》なりや、|厳重《げんぢう》なる|審判神《さには》をして|戴《いただ》き|度《た》う|御座《ござ》います』
|聖師《せいし》はマリヤを|一瞥《いちべつ》して、|眉《まゆ》をひそめながら、
『|成程《なるほど》、|貴女《あなた》は|御様子《ごやうす》が|変《へん》ですよ。どうれ、|私《わたくし》が|及《およ》ばず|乍《なが》ら|審神者《さには》を|勤《つと》めさして|頂《いただ》きませう。|随分《ずゐぶん》|強烈《きやうれつ》な|感《かん》じ|方《かた》ですわ』
マリヤは、
『|何分《なにぶん》よろしく|御願《おねが》ひ|申上《まをしあ》げます』
と|言《い》つた|限《き》り、|聖師《せいし》の|前《まへ》に|座《ざ》を|占《し》め|両手《りやうて》をキチンと|胸《むね》のあたりに|組合《くみあは》せ、
『この|方《はう》は|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》、|八岐大蛇《やまたをろち》の|守護神《しゆごじん》であるぞよ。|汝《なんぢ》スバツフオードよつく|聞《き》け、メシヤの|再臨《さいりん》を|夢想《むさう》して、|今日《こんにち》まで|殆《ほとん》ど|四十年間《しじふねんかん》|数多《あまた》の|愚人《ぐじん》を|誑惑《けうわく》し|来《きた》つた|横道者《わうだうもの》|奴《め》、メシヤなぞがこの|聖地《せいち》に|降《くだ》つて|何《なに》になるか』
『|是《これ》は|怪《け》しからぬ。|汝《なんぢ》は|今《いま》|自白《じはく》いたした|八岐大蛇《やまたをろち》の|化神《けしん》|悪神《あくがみ》の|張本《ちやうほん》、|吾《わ》が|言霊《ことたま》の|神剣《しんけん》の|威力《ゐりよく》を|知《し》らぬか』
『アハヽヽヽ、|今《いま》|此《この》|方《はう》が|憑依《ひようい》して|居《ゐ》るマリヤなるものは、|汝《なんぢ》と|同様《どうやう》に|無智迷矇《むちめいもう》の|婦人《をんな》|到底《たうてい》|度《ど》し|難《がた》き|代物《しろもの》なれ|共《ども》、|憑《うつ》るべき|身魂《みたま》なき|故《ゆゑ》に、|不満足《ふまんぞく》ながらも|此《この》|方《はう》が|御用《ごよう》に|使《つか》つたのだ。この|婦人《をんな》はユダヤの|生《うま》れ、|神《かみ》の|選民《せんみん》と|申《まを》して|威張《ゐば》つて|居《ゐ》るに|由《よ》つて、|懲《こら》しめの|為《ため》この|肉体《にくたい》を|臨時《りんじ》|苦《くる》しい|用《よう》に|使《つか》つたのだ。|其《その》|方《はう》も|東方《とうはう》の|星《ほし》とか、メシヤが|日出島《ひのでじま》より|再臨《さいりん》するとか|申《まを》して、|夢幻《むげん》の|境遇《きやうぐう》にさまよふ|馬鹿者《ばかもの》、この|方《はう》の|託宣《たくせん》を|耳《みみ》を|洗《あら》つて|謹《つつし》みて|承《うけたま》はれ。|今《いま》より|三千年《さんぜんねん》|以前《いぜん》に、パレスチナの|本国《ほんごく》を|他民族《たみんぞく》に|奪《うば》はれ、|世界《せかい》|到《いた》る|処《ところ》に|於《おい》て|虐《しひた》げ|苦《くる》しめられ、|無籍者《むせきもの》の|癖《くせ》に|吾々《われわれ》は|天《てん》の|選民《せんみん》なりと|主張《しゆちやう》し、メシヤを|待《ま》ち|望《のぞ》みて|居《ゐ》るではないか。|左様《さやう》な|根拠《こんきよ》もなき|妄想《もうさう》に|耽《ふけ》るよりも、|心《こころ》を|改《あらた》めてこの|方《はう》の|言葉《ことば》を|承《うけたま》はり、|汝《なんぢ》ら|民族《みんぞく》のために|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》す|心《こころ》はなきや』
『|現代《げんだい》の|如《ごと》き|常闇《とこやみ》の|世《よ》となれば、|到底《たうてい》|今日《こんにち》までの|宗教《しうけう》や|政治《せいぢ》の|行《や》り|方《かた》では|駄目《だめ》だから、|吾々《われわれ》は|大聖主《だいせいしゆ》メシヤの|再臨《さいりん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るのだ。|聖書《せいしよ》の|中《なか》にも、|吾々《われわれ》|猶太《ユダヤ》|民族《みんぞく》が|天下《てんか》を|支配《しはい》すべき|神権《しんけん》を|保有《ほいう》することは|明《あきら》かに|示《しめ》されてある。|故《ゆゑ》に|吾々《われわれ》はこの|予言《よげん》の|実現《じつげん》すべきことは|確信《かくしん》して|居《ゐ》る。|然《しか》し|乍《なが》ら、この|世界《せかい》は|神《かみ》の|保護《ほご》を|離《はな》れては|無事《ぶじ》|泰平《たいへい》なることは|出来得《できえ》ない。|就《つい》ては|超人間的《てうにんげんてき》の|大偉人《だいゐじん》|即《すなは》ちメシヤが|現《あら》はれなくては|如何《いかん》とも|成《な》すことは|出来《でき》ない。それ|故《ゆゑ》に|吾々《われわれ》は|神《かみ》を|信《しん》じ|神《かみ》を|愛《あい》し、|何事《なにごと》も|惟神《かむながら》に|任《まか》せて|行動《かうどう》して|居《ゐ》るのだ。|汝《なんぢ》|何《いづ》れの|魔神《まがみ》かは|知《し》らねども、|吾々《われわれ》の|信仰《しんかう》に|対《たい》して|妨害《ばうがい》を|加《くは》へむとするか。|悪神《あくがみ》の|覇張《はば》つた|世《よ》の|中《なか》は|今迄《いままで》の|事《こと》だ。|今日《こんにち》は|最早《もはや》メシヤ|再臨《さいりん》の|時期《じき》に|近《ちか》づいたのだから、|悪神《あくがみ》の|出《で》て|威張《ゐば》る|時《とき》ではない。|一時《いちじ》も|早《はや》くマリヤの|肉体《にくたい》より|退出《たいしゆつ》いたせ』
と|威丈高《ゐたけだか》に|詰問《きつもん》すれば、マリヤの|憑霊《ひようれい》は|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《かうせう》し、
『アハヽヽヽ|愚《ぐ》なり|汝《なんぢ》スバツフオード、|汝《なんぢ》の|四十年来《しじふねんらい》|待《ま》ち|焦《こが》れて|居《ゐ》るメシヤと|称《しよう》するものは、|無抵抗主義《むていかうしゆぎ》を|標榜《へうぼう》せる|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|申《まを》す|腰抜《こしぬけ》|人物《じんぶつ》だ。この|方《はう》の|幕下《ばくか》の|神《かみ》のために|散々《さんざん》に|苦《くる》しめられ、|聖場《せいぢやう》を|破壊《はくわい》され、|身《み》の|置《お》き|所《どころ》を|失《うしな》つて|仕方《しかた》なしに、|此《この》パレスチナの|国《くに》へ|逃《に》げ|来《き》たらむとして|居《ゐ》る|狼狽《うろた》へものだ。|手具脛《てぐすね》|曳《ひ》いて|待《ま》つて|居《ゐ》る|大黒主《おほくろぬし》|山田颪《やまたのをろち》の|此《この》|方《はう》の|繩張内《なはばりない》へウカウカ|来《きた》る|大馬鹿《おほばか》ものだ。|左様《さやう》なものをメシヤと|称《しよう》して|待《ま》つて|居《ゐ》る|其《その》|方等《はうら》の|心根《こころね》が|可憐《いぢら》しいわい。アハヽヽヽ、|兎角《とかく》|現世《げんせ》は|権力《けんりよく》と|金《かね》の|世界《せかい》だ。|黄金《わうごん》|万能《ばんのう》|主義《しゆぎ》だ。|世界《せかい》の|富《とみ》を|七分《しちぶ》まで|占領《せんりやう》いたして|居《ゐ》るユダヤ|人《じん》は|大黒主《おほくろぬし》の|何《いづ》れも|幕下《ばくか》だ。|汝《なんぢ》は|同《おな》じユダヤに|生《せい》を|享《う》けながら|不心得《ふこころえ》|千万《せんばん》、|高砂島《たかさごじま》のメシヤを|待望《たいばう》するとは|何《なん》の|事《こと》|真正《しんせい》のメシヤはこの|方《はう》|山田颪様《やまたのをろちさま》だ。|世界《せかい》の|所在《あらゆる》|強大国《きやうだいこく》を|片端《かたつぱし》から|崩壊《ほうくわい》させたのは、|皆《みな》この|方《はう》の|三千年来《さんぜんねんらい》の|経綸《けいりん》の|賜《たまもの》だ。|今《いま》にモ|一《ひと》つの|高砂島《たかさごじま》を|崩壊《ほうくわい》すれば、|三千世界《さんぜんせかい》は|大黒主《おほくろぬし》|山田颪《やまたのをろち》の|意《い》の|儘《まま》だ。|諺《ことわざ》にも|時《とき》の|天下《てんか》に|従《したが》へ、|長《なが》いものには|巻《ま》かれよと|申《まを》すではないか。|三千年《さんぜんねん》|以来《いらい》|結構《けつこう》な|神《かみ》の|国《くに》をキリスト|教国《けうこく》に|占領《せんりやう》せられ、|神《かみ》の|選民《せんみん》は|所在《あらゆる》|軽蔑《けいべつ》と|迫害《はくがい》とを|蒙《かうむ》つて|来《き》たユダヤの|元《もと》の|聖地《せいち》を|取返《とりかへ》したのも|皆《みな》|此《この》|方《はう》が|経綸《けいりん》の|現《あら》はれ|口《ぐち》、サア|是《これ》よりは|山田颪様《やまたのをろちさま》の|天下《てんか》だ。|汝等《なんぢら》も|今《いま》の|間《あひだ》に|改心《かいしん》|致《いた》してメシヤ|再臨《さいりん》の|妄想《もうさう》を|止《や》めないと、|軈《やが》ては|呑噬《どんぜい》の|悔《くい》を|遺《のこ》すであらう』
『|吾々《われわれ》は|国籍《こくせき》は|仮令《たとへ》ユダヤに|置《お》くとも、|真《しん》の|神《かみ》の|選民《せんみん》である。|汝等《なんぢら》の|如《ごと》き|悪神《あくがみ》の|選民《せんみん》では|無《な》い。|今日《こんにち》のユダヤ|人《じん》は|真《しん》の|神《かみ》を|忘《わす》れ|汝《なんぢ》|如《ごと》き|邪神《じやしん》の|幕下《ばくか》となり、|体主霊従的《たいしゆれいじうてき》|行動《かうどう》を|以《もつ》て、|九分九厘《くぶくりん》まで|世界《せかい》を|惑乱《わくらん》いたして|来《き》よつたが、モハヤ|悪神《あくがみ》の|運《うん》の|尽《つ》きだ|早《はや》く|改心《かいしん》|致《いた》したが|良《よ》からうぞ』
『テモ|扨《さ》ても|愚鈍《ぐどん》な|奴《やつ》だなア。|汝《なんぢ》は|愛国心《あいこくしん》のない|大痴漢《だいちかん》だ。|汝等《なんぢら》の|祖先《そせん》は|何《いづ》れもキリスト|教国《けうこく》に|圧迫《あつぱく》され、アラビヤの|荒野《くわうや》に|四十年《しじふねん》の|艱苦《かんく》を|嘗《な》めた|事《こと》を|知《し》らぬか。|今迄《いままで》は|彼《か》のキリスト|教国《けうこく》の|天下《てんか》であつたが、|世《よ》は|廻《まは》り|持《も》ちだ。|何時《いつ》までも|持《も》ち|切《き》りには|為《さ》せられないぞ。|今《いま》に|山田颪《やまたのをろち》の|守《まも》るユダヤ|民族《みんぞく》が|全世界《ぜんせかい》を|支配《しはい》いたすのだ。|丑寅《うしとら》の|金神《こんじん》なぞが|種々《いろいろ》と|此《この》|方《はう》の|仕組《しぐみ》の|邪魔《じやま》を|致《いた》したるに|由《よ》つて、|高砂島《たかさごじま》へ|追《お》ひやつたのも|一《ひと》つの|仕組《しぐみ》だ。|大江山《おほえやま》の|酒呑童子《しゆてんどうじ》と|現《あら》はれて、|一時《いちじ》|活動《くわつどう》を|続《つづ》けたのも|矢張《やは》り|此《この》|方《はう》|大黒主《おほくろぬし》|山田颪様《やまたのをろちさま》だ。|然《しか》し|乍《なが》ら|時期《じき》|未《いま》だ|来《きた》らずと|感《かん》じ、|一旦《いつたん》|引揚《ひきあ》げ、このパレスチナに|於《おい》て|万事《ばんじ》|抜目《ぬけめ》なき|計画《けいくわく》を|廻《めぐ》らし、|漸《やうや》くパレスチナの|本国《ほんごく》を|手《て》に|入《い》れた|以上《いじやう》は、|如何《いか》に|天下《てんか》|広《ひろ》しと|雖《いへど》も、モハヤ|此《この》|方《はう》の|自由《じいう》だ。シオン|団《だん》の|活動《くわつどう》も、ユダヤ|民族《みんぞく》の|熱烈《ねつれつ》なる|信仰力《しんかうりよく》も|皆《みな》この|方《はう》の|守護《しゆご》のためだ。アハヽヽヽ』
『シオンとは|日《ひ》の|下《もと》|又《また》は|日向《ひむか》と|云《い》ふ|意味《いみ》では|無《な》いか。|日《ひ》の|下《もと》は|神《かみ》の|国《くに》だ。その|神《かみ》の|国《くに》は|高砂島《たかさごじま》だ。|神《かみ》の|国《くに》よりメシヤを|迎《むか》へるのは|当然《たうぜん》ぢやないか。|其《その》|方《はう》の|言葉《ことば》は|実《じつ》に|自家撞着《じかどうちやく》の|甚《はなは》だしきものだ。|最早《もはや》|吾々《われわれ》に|用《よう》は|無《な》い。|早《はや》くマリヤの|肉体《にくたい》より|脱出《だつしゆつ》いたさぬか』
『アハヽヽヽ|日《ひ》の|下《もと》とは|即《すなは》ちパレスチナの|事《こと》だ。|太陽《たいやう》は|東《ひがし》より|昇《のぼ》り、|中天《ちうてん》に|来《き》た|所《ところ》を|日《ひ》の|下《もと》といふではないか。|高砂島《たかさごじま》は|東《ひがし》の|国《くに》|即《すなは》ち|日《ひ》の|出島《でじま》だ。|世界《せかい》の|中心《ちうしん》は|太陽《たいやう》の|真下《ました》だ。|試《こころ》みにパレスチナを|中心《ちうしん》として、|約《やく》|七千哩《しちせんマイル》、|八千哩《はつせんマイル》の|半径《はんけい》を|以《もつ》て|大《おほ》きな|円環《ゑんくわん》を|引廻《ひきまは》して|見《み》よ。|八千哩《はつせんマイル》|東《ひがし》に|当《あた》つて|高砂島《たかさごじま》がある。|西《にし》|八千哩《はつせんマイル》にメキシコあり、|北《きた》|六千八百哩《ろくせんはつぴやくマイル》に、ナウルエーが|皆《みな》|這入《はい》つて|居《ゐ》る。|世界《せかい》に|於《お》ける|国《くに》と|云《い》ふ|国《くに》は|皆《みな》この|円環《ゑんくわん》の|内《うち》に|這入《はい》つて|居《ゐ》る。|斯《かか》る|尊《たふと》きパレスチナこそ|世界《せかい》の|中心《ちうしん》だ、|日《ひ》の|下《もと》だ、|日向《ひむか》の|国《くに》だ。|爰《ここ》に|国《くに》を|建《た》てたのは|即《すなは》ち|此《この》|方《はう》の|仕組《しぐみ》だ。|何《なに》を|苦《くるし》みて、|高砂島《たかさごじま》から|雲《くも》に|乗《の》つて|来《く》るとかいふキリスト|教《けう》の|神《かみ》を|待《ま》つ|必要《ひつえう》があるか。|馬鹿《ばか》だのう』
と|怒鳴《どな》り|立《た》てる。
|聖師《せいし》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|大神《おほかみ》に|祈願《きぐわん》をなし、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》するや、|流石《さすが》の|大黒主《おほくろぬし》|山田颪《やまたのをろち》も|聖師《せいし》の|言霊《ことたま》の|威力《ゐりよく》に|打《う》たれマリヤの|肉体《にくたい》を|其《その》|場《ば》に|倒《たふ》して|逃《に》げ|去《さ》つて|了《しま》つた。マリヤは|初《はじ》めて|正気《しやうき》になり、
『|聖師様《せいしさま》、|妾《わたし》には|何《なん》だか|憑依《ひようい》して|居《ゐ》たやうで|御座《ござ》いましたなア。|善神《ぜんしん》でせうか|邪神《じやしん》でせうかなア』
『イヤ|最《も》う、|大変《たいへん》な|元気《げんき》な|事《こと》を|言《い》ふ|神《かみ》で|御座《ござ》いましたが、|私《わたし》の|祈願《きぐわん》に|依《よ》つて|漸《やうや》く|貴女《あなた》の|体《たい》を|退却《たいきやく》しました。|油断《ゆだん》のならぬことに|成《な》つて|来《き》ました。|悪神《あくがみ》の|仕組《しぐみ》も|余程《よほど》|進《すす》みて|居《を》りますから、|吾々《われわれ》|団員《だんゐん》は|余程《よほど》しつかり|致《いた》さねばなりませぬ。|然《しか》し|乍《なが》ら|誠《まこと》の|大神様《おほかみさま》が|邪神《じやしん》と|化《な》つて、|吾々《われわれ》の|信仰《しんかう》をお|試《ため》しになつたのでは|有《あ》るまいかと|俄《にはか》にソンナ|気分《きぶん》になつて|来《き》ました』
『|吾々《われわれ》は|何処《どこ》までもメシヤの|再臨《さいりん》を|信《しん》じて|父祖《ふそ》|以来《いらい》|待《ま》つて|居《ゐ》るのですから、|今《いま》になつて|心《こころ》を|変《か》へることは|到底《たうてい》|出来《でき》ませぬからなア』
『|左様《さやう》です。お|互《たがひ》にその|心《こころ》で|居《を》りませう』
『|聖師様《せいしさま》、|妾《わたし》は|何《なん》だか|俄《にはか》に|橄欖山《かんらんざん》へ|登《のぼ》りたくなりましたから、|一寸《ちよつと》|参拝《さんぱい》して|参《まゐ》ります。|何《なん》だかメシヤ|様《さま》に|遇《あ》はれる|様《やう》な|心持《こころもち》がいたしますから』
『|貴女《あなた》は|平素《へいそ》から|立派《りつぱ》な|霊感者《れいかんしや》だから、|何《なに》か|神様《かみさま》の|御都合《ごつがふ》があるのかも|知《し》れませぬ。|早《はや》く|参《まゐ》つてお|出《い》でなさいませ』
『ハイ|有難《ありがた》う。|後《あと》は|宜敷《よろし》くお|願《ねが》ひいたします』
といそいそとして|軽装《けいさう》の|儘《まま》、エルサレムの|停車場《ていしやぢやう》へと|知《し》らず|知《し》らず|何《なに》ものにか|引《ひ》かるる|心地《ここち》して|駅前《えきまへ》に|着《つ》きける。
(大正一二・七・一〇 旧五・二七 出口鮮月録)
第二章 |宣伝使《せんでんし》〔一六三一〕
カンタラ|駅《えき》からスエズ|運河《うんが》を|横《よこ》ぎつて、エルサレム|行《ゆき》の|軍用《ぐんよう》|列車《れつしや》に|乗《の》り|込《こ》みし|一人《ひとり》の|東洋人《とうやうじん》ありき。|汽車《きしや》は|茫々《ばうばう》たる|大砂漠《だいさばく》の|真中《まんなか》を|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》で|馳走《ちそう》して|居《ゐ》る。|窓外《そうぐわい》は、|森林《しんりん》も|田畑《たはた》も、|河川《かせん》も|村落《そんらく》も|人《ひと》の|影《かげ》さへも、|眼《め》に|入《い》らない|寂寥《せきれう》さである。|所々《ところどころ》に|小屋《こや》の|様《やう》な、|殺風景《さつぷうけい》な|停車場《ていしやぢやう》が|黙々《もくもく》として|建《た》つて|居《ゐ》る。シナイ|山《ざん》は|遥《はるか》の|遠方《ゑんぱう》にボンヤリと|霞《かすみ》んでゐる。ユデヤの|高地《かうち》に|掛《かか》つたと|見《み》えて、|丘《をか》が|刻々《こくこく》に|急勾配《きふこうばい》になつて、|橄欖《かんらん》の|樹《き》が|窓外《そうぐわい》に|追々《おひおひ》と|見《み》えて|来《く》る。|四十歳《しじつさい》|前後《ぜんご》の、|一人《ひとり》の|眼《め》のクルリとした|色《いろ》の|浅黒《あさぐろ》い、|何処《どこ》ともなしに|凛々《りり》しい|東洋人《とうやうじん》らしき|宣伝使《せんでんし》は、|高砂島《たかさごじま》から|派遣《はけん》されて|数十日間《すうじふにちかん》の|海洋《かいやう》を|渡《わた》り、メシヤ|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》として|神《かみ》の|命《めい》により|遥々《はるばる》|出《で》て|来《き》たルートバハーの|教主《けうしゆ》ウヅンバラ・チヤンダーに|先《さき》だつて|来《き》た、ブラバーサと|云《い》ふ|紳士《しんし》なり。
ブラバーサは|世界《せかい》|各国《かくこく》の|言語《げんご》にも|通《つう》じ、|且《か》つ|近来《きんらい》|流行《りうかう》のエスペラント|語《ご》にも|精通《せいつう》し|居《ゐ》たり。それ|故《ゆゑ》|特《とく》にルートバハーの|宣伝使《せんでんし》として|抜擢《ばつてき》され、|万里《ばんり》の|海洋《かいやう》を|打渡《うちわた》り、|異域《いゐき》の|空《そら》に|聖跡《せいせき》を|尋《たづ》ねてメシヤ|再臨《さいりん》の|先鋒《せんぽう》として|赴任《ふにん》したのである。このブラバーサには|郷国《きやうこく》|高砂島《たかさごじま》に|一人《ひとり》の|妻《つま》と|一人《ひとり》の|愛娘《まなむすめ》が|残《のこ》つて|居《ゐ》る。ブラバーサは|窓外《そうぐわい》の|際限《さいげん》もなく|広《ひろ》く|展開《てんかい》せる|砂漠《さばく》を|眺《なが》めて、|聖者《せいじや》の|古《いにしへ》の|事蹟《じせき》を|思《おも》ひ|浮《うか》べ、|感慨《かんがい》|無量《むりやう》の|体《てい》で|吐息《といき》を|漏《も》らし|居《ゐ》たり。
|隣席《りんせき》に|控《ひか》えてシガーを|燻《くゆ》らして|居《ゐ》た|白髪《はくはつ》の|老紳士《らうしんし》は、ブラバーサの|傍近《そばちか》く|寄《よ》つて、さも|馴々《なれなれ》しげに|握手《あくしゆ》を|求《もと》めた。ブラバーサは|海洋万里《かいやうばんり》の|不見不識《みずしらず》の|国《くに》で|同《おな》じ|車上《しやじやう》に|於《おい》て|握手《あくしゆ》を|求《もと》められたのは|実《じつ》に|意外《いぐわい》の|歓《よろこ》びに|打《う》たれざるを|得《え》なかつた。ブラバーサは|直《ただち》に|立《た》つて|老紳士《らうしんし》と|握手《あくしゆ》を|交《まじ》へた|一刹那《いつせつな》、|百年《ひやくねん》の|知己《ちき》に|逢《あ》つた|様《やう》な|懐《なつか》しさを|覚《おぼ》えた。
|老紳士《らうしんし》は|馴《な》れ|馴《な》れしく、
『|私《わたし》はバハイ|教《けう》のバハーウラーと|申《まを》すものですが、メシヤの|再臨《さいりん》の|近《ちか》づきし|事《こと》を|神様《かみさま》より|承《うけたまは》り、|老躯《らうく》を|提《ひつさ》げて|常世国《とこよのくに》から|今日《けふ》|漸《やつ》と|茲《ここ》まで|無事《ぶじ》|到着《たうちやく》|致《いた》しました。|貴師《あなた》は|何《いづ》れより|御越《おこ》しで|御座《ござ》いますか。|一寸《ちよつと》|拝顔《はいがん》しただけでも|普通《ふつう》の|御人《ごじん》とは|見《み》えませぬ。|聖者《せいじや》と|御見受《おみうけ》いたしますが、|御差支《おさしつかへ》なくば|御話《おはな》しを|願《ねが》ひたいものですなア』
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたし》も|貴師《あなた》の|様《やう》な|聖者《せいじや》に、|異域《いゐき》の|空《そら》で|而《しか》も|同《おな》じ|車中《しやちう》に|御眼《おめ》にかかり、|互《たがひ》に|御道《おみち》の|談《はなし》を|交換《かうくわん》さして|致《いた》だくのは|望外《ばうぐわい》の|幸《さいは》ひで|御座《ござ》います。|実《じつ》は|私《わたし》は|高砂島《たかさごじま》の|中心地点《ちうしんちてん》に|宮柱太敷《みやばしらふとしき》|立《た》てて|鎮《しづ》まりたまふ、|大国治立大神《おほくにはるたちのおほかみ》の|御許《みもと》に|仕《つか》へ|奉《まつ》るプロパガンディストで、ブラバーサと|申《まを》すもので|御座《ござ》いますが、|暫《しばら》くエルサレムの|霊気《れいき》に|触《ふ》れ、|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|一端《いつたん》に|奉仕《ほうし》いたしたきものと|神命《しんめい》のまにまに|遥々《はるばる》|出向《しゆつかう》|致《いた》しましたものです。|何分《なにぶん》|宗教《しうけう》や|信仰《しんかう》には、|国籍《こくせき》や|人種別《じんしゆべつ》などの|忌《いま》はしき|障壁《しやうへき》は|御座《ござ》いませぬから、|何卒《なにとぞ》|同胞《どうばう》として|親交《しんかう》を|願《ねが》ひます』
『イヤ、お|互様《たがひさま》に|御懇親《ごこんしん》を|願《ねが》ひませう。|私《わたし》は|現代《げんだい》の|宗教家《しうけうか》の|態度《たいど》に|飽《あ》き|足《た》らない|一人《いちにん》で|御座《ござ》います。|同《おな》じ|太陽《たいやう》の|光《ひかり》の|下《もと》に|生育《せいいく》する|吾々《われわれ》|人類《じんるゐ》は、|何処《どこ》までも|神様《かみさま》の|最愛《さいあい》の|御子《みこ》として、|相愛《あひあい》し|相助《あひたす》け|合《あ》つて|行《ゆ》かねばなりませぬ。そして|凡《すべ》ての|迷信《めいしん》から|脱離《だつり》した|宗教《しうけう》、|過去《くわこ》の|死神死仏《ししんしぶつ》は|言《い》ふ|迄《まで》も|無《な》く、|黴《かび》の|生《せい》えた|形式《けいしき》から|解放《かいはう》された|宗教《しうけう》、|宗派《しうは》|根性《こんじやう》を|超越《てうゑつ》した|真善美愛《しんぜんびあい》に|徹底《てつてい》した|宗教《しうけう》、|種々《しゆじゆ》の|伝説《でんせつ》や|附会《ふくわい》や|迷信《めいしん》を|交《まじ》へた|上《うへ》に|紛雑《ふんざつ》した|教理《けうり》と|註釈《ちうしやく》に|織込《おりこ》まれた|曼陀羅的《まんだらてき》の|教典《けうてん》から|離脱《りだつ》した|宗教《しうけう》、|名実一致《めいじついつち》、|霊肉一体《れいにくいつたい》、|神人合一《しんじんがふいつ》、|聖凡不二《せいぼんふじ》を|実現《じつげん》した|宗教《しうけう》、|其《その》|時代《じだい》に|必要《ひつえう》あつて|起《おこ》れる|教祖《けうそ》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|救世主《きうせいしゆ》となし、|教祖《けうそ》の|教示《けうじ》を|万世不易《ばんせいふえき》の|聖言《せいげん》となす|偏狭固陋《へんけふころふ》なる|牢獄的《らうごくてき》|信仰《しんかう》の|束縛《そくばく》を|解《と》いて、|万聖《ばんせい》の|大集会《だいしふくわい》|即《すなは》ち≪|世界《せかい》の|国会開《こくくわいびら》き≫を|出現《しゆつげん》せしむる|宏大無辺《かうだいむへん》の|宗教《しうけう》、|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|大道《たいだう》を|明示《めいじ》した|宗教《しうけう》、|世間《せけん》と|出世間《しゆつせけん》の|障壁《しやうへき》を|除却《ぢよきやく》して、|真《しん》に|一実在《いちじつざい》の|生《い》ける|道《みち》を|教《をし》ふる|宗教《しうけう》、|善《ぜん》と|悪《あく》、|信者《しんじや》と|不信者《ふしんじや》、|救済《きうさい》と|罪悪《ざいあく》、|天界《てんかい》と|地獄《ぢごく》とを|区別《くべつ》して|争論《そうろん》の|種《たね》を|蒔《ま》く|狭隘《けふあい》な|宗教《しうけう》から|脱却《だつきやく》して、|心底《しんてい》から|親愛《しんあい》の|目的《もくてき》として|凡《すべ》ての|人類《じんるゐ》を|見《み》る|所《ところ》の|真《しん》の|救世《きうせい》の|宗教《しうけう》、|国語《こくご》、|労働《らうどう》、|国際《こくさい》|等《とう》の|問題《もんだい》、|学術《がくじゆつ》と|宗教《しうけう》との|問題《もんだい》|等《とう》|一切《いつさい》を|解決《かいけつ》し、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》をして|平等《べうどう》に|光明世界《くわうみやうせかい》の|住民《ぢうみん》たらしむる|権威《けんゐ》ある|宗教《しうけう》の|必要《ひつえう》に|迫《せま》られて、|数十年間《すうじふねんかん》あらゆる|迫害《はくがい》や|艱苦《かんく》と|戦《たたか》つて|来《き》たもので|御座《ござ》いますから、|貴師《あなた》もルートバハーの|神使《しんし》として|聖地《せいち》へ|御出張《ごしゆつちやう》|遊《あそ》ばした|以上《いじやう》は、|互《たがひ》に|神《かみ》の|子《こ》の|兄弟《きやうだい》として|相提携《あひていけい》し、|万国《ばんこく》の|民《たみ》を|天界《てんかい》に|救《すく》ふため、|持《も》ちつ|持《も》たれつの|親交《しんかう》を|願《ねが》ひたきものです』
『バハーウラー|様《さま》、|只今《ただいま》|貴師《あなた》の|御言葉《おことば》には|実《じつ》に|感服《かんぷく》いたしました。|私《わたし》が|奉《ほう》ずるルートバハーも、その|主義《しゆぎ》|精神《せいしん》に|於《おい》て|寸毫《すんがう》の|相違点《さうゐてん》をも|見出《みいだ》す|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|高砂島《たかさごじま》に|於《お》けるルートバハーの|教《をしへ》と、|貴教《きけう》とは|東西《とうざい》|符節《ふせつ》を|合《がつ》する|如《ごと》くで|御座《ござ》いますよ。|何《ど》うか|今後《こんご》は|姉妹教《シスターけう》として|永遠《ゑいゑん》の|親交《しんかう》をお|願《ねが》ひいたしたく|存《ぞん》じます』
『|何卒《なにとぞ》よろしく|御願《おねが》ひいたします。|時《とき》にブラバーサ|様《さま》、|現今《げんこん》|世界《せかい》の|有様《ありさま》は|如何《どう》でせう。|吾々《われわれ》|人類《じんるゐ》のために、|天《てん》の|神様《かみさま》より|懲戒的《ちようかいてき》|大鉄槌《だいてつつい》を|下《くだ》される|様《やう》な|形勢《けいせい》になつて|来《き》たぢや|在《あ》りませぬか』
『|昨日《きのふ》も|船中《せんちう》でロンドンタイムスを|読《よ》んで|見《み》ましたが、|其《その》|中《なか》に|吾々《われわれ》としては|依然《いぜん》として|落着《おちつ》いて|居《を》られない|様《やう》な|記事《きじ》が|載《の》つて|居《ゐ》ましたよ。ルートバハーの|教《をしへ》と|全然同一《そつくり》でしたワ』
『ドンナ|記事《きじ》が|載《の》つて|居《ゐ》ましたか』
『|表題《へうだい》が|二号《にがう》|活字《くわつじ》で|麗々《れいれい》しく「|死《し》んだ|新聞王《しんぶんわう》の|霊《れい》が|探偵《たんてい》|小説家《せうせつか》のコナン・ドイル|氏《し》に|世界《せかい》の|大災厄《だいさいやく》が|来《きた》ると|云《い》ふことを|囁《ささや》いた」と|出《で》て|居《を》りましたよ。|今《いま》|懐《ふところ》に|持《も》つて|居《を》りますから|朗読《らうどく》いたしませう』
と|云《い》ひつつ、|懐《ふところ》より|細《こま》かく|折《を》つた|新聞《しんぶん》を|取《と》り|出《だ》し、|押《お》し|開《ひら》いて、
『|目下《もくか》|米国《べいこく》にあるコナン・ドイル|氏《し》は、|三十一日《さんじふいちにち》、|桑港《サンフランシスコ》に|於《おい》て|左《さ》の|奇抜《きばつ》な|発表《はつぺう》をなした。|曰《いは》く「|新聞王《しんぶんわう》|故《こ》ノース・クリフ|卿《きやう》の|霊《れい》が|余《よ》に|囁《ささや》くに、「|汝等《なんぢら》の|生存中《せいぞんちゆう》この|世界《せかい》に|一大《いちだい》|災厄《さいやく》が|来《く》る。|若《も》し|人間《にんげん》が|霊的《れいてき》に|改造《かいざう》されて、この|災厄《さいやく》を|除《のぞ》かなければ、|千九百十四年《せんきうひやくじふよねん》の|世界《せかい》|大戦《たいせん》よりも|更《さら》に|恐《おそ》ろしい|運命《うんめい》に|陥《おちい》る」|一体《いつたい》○|国人《こくじん》は|余《あま》り|齷齪《あくせく》し|過《す》ぎる。|余《よ》も|生存中《せいぞんちゆう》|同様《どうやう》の|誤謬《ごびう》を|敢《あへ》てしたが、|物質的《ぶつしつてき》|進歩《しんぽ》の|競争《きやうそう》のため、|人間《にんげん》の|智慮《ちりよ》は|滅《ほろ》び|遂《つひ》に|災厄《さいやく》が|来《きた》るものであると|云《い》ふことを|初《はじ》めて|理解《りかい》するに|至《いた》つたと、ドイル|氏《し》は|全《まつた》く|真剣《しんけん》に|真面目《まじめ》に|右《みぎ》の|言明《げんめい》をして|居《ゐ》る』|云々《うんぬん》
と|読《よ》み|了《をは》り、
『|吾々《われわれ》の|信仰《しんかう》いたしますルートバハーも|亦《また》|同様《どうやう》の|神示《こと》を|三十年《さんじふねん》|以前《いぜん》から|主張《しゆちやう》して|来《き》ましたが、|物質的《ぶつしつてき》|研究《けんきう》にのみ|焦心《せうしん》して|居《を》る|世界《せかい》の|学者《がくしや》も、|其《その》|他《た》の|同胞《どうばう》も|容易《ようい》に|信《しん》じて|呉《く》れないのみか、|流言浮説《りうげんふせつ》をなして|人《ひと》を|誑惑《けうわく》するものだと|言《い》つて|聖主《せいしゆ》を|始《はじ》め|信者《しんじや》は|所在《あらゆる》|社会《しやくわい》|上下《じやうか》の|圧迫《あつぱく》を|受《う》けて|来《き》ました。|聖主《せいしゆ》の|教《をしへ》にも、|右同様《みぎどうやう》に|人心《じんしん》の|悪化《あくくわ》は|宇宙《うちう》に|邪気《じやき》を|発生《はつせい》し、|遂《つひ》には|地異天変《ちいてんぺん》を|招来《せうらい》するものだと|説《と》かれてあります。|天地《てんち》が|今《いま》に|覆《かへ》るぞよ。|吃驚箱《びつくりばこ》が|開《あ》くぞよ。|脚下《あしもと》から|鳥《とり》が|飛《た》つぞよ。|霊魂《みたま》を|研《みが》いて|改心《かいしん》|致《いた》して|下《くだ》されよ。|神《かみ》は|世界《せかい》の|人民《じんみん》は|皆《みな》|最愛《さいあい》の|我子《わがこ》であるから、|一人《ひとり》なりとも|助《たす》けてやり|度《た》いのが|胸《むね》|一杯《いつぱい》であるから、|永《なが》らく|予言者《よげんしや》の|口《くち》と|手《て》に|由《よ》りて|世界《せかい》の|人民《じんみん》に|気《き》を|付《つ》けて|居《を》るなれど、|余《あま》り|今《いま》の|人民《じんみん》は|科学《がく》に|凝《こ》り|固《かた》まりて|神《かみ》の|申《まを》す|真誠《まこと》の|教《をしへ》が|耳《みみ》に|這入《はい》らぬので、|神《かみ》も|大変《たいへん》に|心《こころ》を|砕《くだ》いて|居《を》るぞよと|仰《おほ》せられて|居《ゐ》ます』
『|如何《いか》にも、|真《まこと》に|結構《けつこう》な|御神示《ごしんじ》ですなア。それに|寸毫《すんがう》の|間違《まちが》ひも|御座《ござ》いますまい。|私《わたし》も|神示《しんじ》よつて、|貴師《あなた》の|御説《おせつ》と|同様《どうやう》のことを|承《うけたま》はりましたので、バハイ|教《けう》を|開《ひら》いて|世界《せかい》の|同胞《どうはう》に|警告《けいこく》を|与《あた》へて|居《を》るのです。|最早《もはや》メシヤの|再臨《さいりん》も|余《あま》り|長《なが》くは|有《あ》りますまい』
『|左様《さやう》です。メシヤの|再臨《さいりん》は|世界《せかい》の|九分九厘《くぶくりん》に|成《な》つて、|此《この》エルサレムの|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|出現《しゆつげん》されることと|確信《かくしん》いたして|居《を》ります。|既《すで》にメシヤは|高砂島《たかさごじま》の|桶伏山麓《をけぶせさんろく》に|再誕《さいたん》されて|居《を》りますよ。|再誕《さいたん》と|再臨《さいりん》とは|少《すこ》しく|意義《いぎ》が|違《ちが》ひますからなア』
『|救世主《きうせいしゆ》が|最早《もはや》|再誕《さいたん》されたと|仰有《おつしや》るのですか。|大聖主《だいせいしゆ》メシヤたる|可《べ》き|神格者《しんかくしや》には|九箇《きうこ》の|大資格《だいしかく》が|必要《ひつえう》ですが、|左様《さやう》な|神格者《しんかくしや》は|容易《ようい》に|得《え》られますまい。|先《ま》づ|第一《だいいち》に、
一、|大聖主《だいせいしゆ》は|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|教育者《けういくしや》たること
二、|其《その》|教義《けうぎ》は|世界的《せかいてき》にして|人類《じんるゐ》に|教化《けうくわ》を|齎《もたら》すもの|成《な》ること
三、|其《その》|智識《ちしき》は|後天的《こうてんてき》のものに|非《あら》ずして|自湧的《じゆうてき》にして|自在《じざい》なる|可《べ》きこと
四、|彼《かれ》は|所在《あらゆる》|賢哲《けんてつ》の|疑問《ぎもん》に|明答《めいたふ》を|与《あた》へ、|世界《せかい》の|所在《あらゆる》|問題《もんだい》を|決定《けつてい》し、|而《しか》して|迫害《はくがい》と|苦痛《くつう》を|甘受《かんじゆ》す|可《べ》きものなること
五、|彼《かれ》は|歓喜《くわんき》の|給与者《きふよしや》にして、|幸福《かうふく》の|王国《わうこく》の|報導者《はうだうしや》なる|可《べ》きこと
六、|彼《かれ》の|智識《ちしき》は|無窮《むきう》にして、|理解《りかい》し|得《う》べきものなる|可《べ》きこと
七、|其《その》|言説《げんせつ》は|徹底《てつてい》し、|其《その》|威力《ゐりよく》は|最悪《さいあく》なる|敵《てき》をも|折伏《しやくふく》するに|足《た》るの|人格者《じんかくしや》なる|可《べ》きこと
八、|悲《かな》しみと|厄難《やくなん》は、|以《もつ》て|彼《かれ》を|悩《なや》ますに|足《た》らず、その|勇気《ゆうき》と|裁断《さいだん》は|神明《しんめい》の|如《ごと》く、|而《しか》して|彼《かれ》は|日々《にちにち》に|堅実《けんじつ》を|加《くは》へ、|熱烈《ねつれつ》の|度《ど》を|増《ます》|可《べ》きこと
九、|彼《かれ》は|世界《せかい》|共通《きやうつう》の|文明《ぶんめい》の|完成者《くわんせいしや》、|所在《あらゆる》|宗教《しうけう》の|統一者《とういつしや》にして、|世界《せかい》|平和《へいわ》の|確定《かくてい》と|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|最《もつと》も|崇高卓絶《すうかうたくぜつ》したる|道徳《だうとく》の|体現《たいげん》をなす|可《べ》き|人格《じんかく》を|有《いう》すること |以上《いじやう》
「|爾等《なんぢら》が|此等《これら》の|条件《でうけん》を|具備《ぐび》したる|人格者《じんかくしや》を|世《よ》に|求《もと》むる|時《とき》には、|初《はじ》めて|彼《かれ》によつて|嚮導《きやうだう》をうけ|光照《くわうせう》を|被《かうむ》るを|得《え》む」と|吾《わが》バハーの|聖主《せいしゆ》アブデユル・バハーは|仰有《おつしや》いました。|果《はた》して|右《みぎ》|九箇《きうこ》の|大資格《だいしかく》を|備《そな》へた|聖主《せいしゆ》が|再誕《さいたん》されて|在《あ》るとすれば、|吾々《われわれ》は|実《じつ》に|至幸《しかう》|至福《しふく》の|身《み》の|上《うへ》で|御座《ござ》います。|併《しか》し|人《ひと》|各《おのおの》|信仰《しんかう》に|異同《いどう》のあるものですから、|私《わたし》はアブデユル・バハーこそ|大聖主《だいせいしゆ》と|信《しん》じて|居《を》るものであります』
『|成程《なるほど》|大聖主《だいせいしゆ》はアブデユル・バハー|様《さま》でせうが、|最早《もはや》|現界《げんかい》に|生存《せいぞん》|遊《あそ》ばさない|上《うへ》は、|如何《いか》に|九箇《きうこ》の|大資格《だいしかく》を|備《そな》へたまふとも、|今《いま》や|来《きた》らむとする|世界《せかい》の|救済《きうさい》|事業《じげふ》に|対《たい》しては、|御手《みて》の|下《くだ》し|様《やう》がありますまい。|勿論《もちろん》|聖主《せいしゆ》の|教《をしへ》を|汲《く》みて、|後《あと》の|弟子達《でしたち》が|完成《くわんせい》さるれば|兎《と》も|角《かく》もですが』
『|貴師《あなた》の|仰有《おつしや》るメシヤの|平素《へいそ》の|言心行《げんしんかう》について、|一応《いちおう》|御話《おはなし》を|承《うけたま》はり|度《た》いものですな』
『|先《さき》に|貴師《あなた》は|九箇《きうこ》の|大資格《だいしかく》を|羅列《られつ》して|説明《せつめい》|下《くだ》さいましたが、|其《その》|大資格者《だいしかくしや》に|私《わたし》は|朝夕《てうせき》|接従《せつじゆう》して|居《を》りましたから、|大略《たいりやく》|申《まを》し|上《あ》げて|見《み》ませう。|虚構《きよこう》も|誇張《こちやう》も|方便《はうべん》も|有《あ》りませぬから、そのおつもりでお|聞《き》きを|願《ねが》ひます』
バハーウラーは|襟《えり》を|正《ただ》し、さも|謹厳《きんげん》な|態度《たいど》で、ブラバーサの|談話《だんわ》を|耳《みみ》を|傾《かたむ》けて|聞《き》き|初《はじ》めた。
|汽車《きしや》は|早《はや》くもユデヤの|高丘《かうきう》を|足《あし》|重《おも》たげに|刻《きざ》みて|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
『|私《わたし》のメシヤと|云《い》ふ|人格者《じんかくしや》は|目下《もくか》|高砂島《たかさごじま》の|下津岩根《したついはね》に|諸種《しよしゆ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へて|居《を》られます。そして|其《その》|名《な》はウヅンバラ・チヤンダーと|謂《い》つて、|実《じつ》に|慈悲博愛《じひはくあい》の|権化《ごんげ》とも|称《しよう》すべき|神格者《しんかくしや》です。|世界《せかい》|人類《じんるゐ》に|対《たい》して、|必須《ひつす》の|教育《けういく》を|最《もつと》も|平易《へいい》に|懇切《こんせつ》に、|施《ほどこ》し|玉《たま》ひつつあるのです。|故《ゆゑ》に|宗教家《しうけうか》も|教育家《けういくか》も、|政治家《せいぢか》も、|経済学者《けいざいがくしや》も、|天地文学者《てんちもんがくしや》も|軍人《ぐんじん》も|職工《しよくこう》も|農夫《のうふ》も|皆《みな》|訪《たづ》ね|来《きた》つてそれ|相応《さうおう》の|教《をしへ》を|受《う》け、|歓《よろこ》んでその|机下《きか》に|蝟集《ゐしふ》して|居《ゐ》ます。|如何《いか》なる|難問《なんもん》にも|当意即妙《たういそくめう》な|答《こたへ》を|与《あた》へられ、|何《いづ》れも|満足《まんぞく》して|居《を》ります。|是《これ》が|只今《ただいま》|貴師《あなた》の|仰《おほ》せられた|第一《だいいち》の|資格《しかく》たる
「|大聖主《だいせいしゆ》は|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|教育者《けういくしや》たるべきこと」の|条項《でうかう》に|匹敵《ひつてき》するやうに|思《おも》ひます』
『|成程《なるほど》|御尤《ごもつと》もです』
と|頭《あたま》を|三《み》ツ|四《よ》ツ|振《ふ》つてうつむく。
『ツルク|大聖主《だいせいしゆ》が|伊都《いづ》の|御魂《みたま》と|顕《あら》はれ|玉《たま》ふて、|三千大千世界《さんぜんだいせんせかい》|一度《いちど》に|開《ひら》く|梅《うめ》の|花《はな》の|大獅子吼《だいししく》を|遊《あそ》ばしましたが、|此《この》|御方《おかた》は|約《つま》りヨハネの|再臨《さいりん》だと|信《しん》じられて|居《を》られます。そして|基督《キリスト》とも|謂《い》ふべき|美都《みづ》の|御魂《みたま》の|神柱《かむばしら》、ウヅンバラ・チヤンダーと|云《い》ふ|聖主《せいしゆ》が|現《あら》はれて、|世界的《せかいてき》の|大教義《だいけうぎ》を|宣布《せんぷ》し、|凡《すべ》ての|人類《じんるゐ》に|教化《けうくわ》を|与《あた》へたまひ、|今《いま》や|高砂島《たかさごじま》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|海外《かいぐわい》の|諸国《しよこく》から|各種《かくしゆ》の|宗教団体《しうけうだんたい》の|教主《けうしゆ》や|代表者《だいへうしや》が、|聖主《せいしゆ》を|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》いで|参《まゐ》り、|其《その》|教義《けうぎ》の|公明正大《こうめいせいだい》にして|且《か》つ|公平《こうへい》|無私《むし》なるに|感化《かんくわ》され、|日《ひ》に|月《つき》に|笈《きふ》を|負《お》ふてその|門下《もんか》に|集《あつ》まつて|来《き》て|居《を》ります。|今《いま》|貴師《あなた》の|仰《おほ》せになつた|第二《だいに》の|大資格《だいしかく》たる
「その|教義《けうぎ》は|世界的《せかいてき》にして|人類《じんるゐ》に|教化《けうくわ》を|齎《もたら》す|可《べ》きものなること」の|条項《でうかう》に|合致《がつち》するものでは|有《あ》りますまいか』
『|御尤《ごもつと》もです。|第三《だいさん》の|資格《しかく》に|合致《がつち》した|点《てん》の|御説明《ごせつめい》を|願《ねが》ひます』
『|我《わが》|聖主《せいしゆ》ウヅンバラ・チヤンダー|様《さま》は、|小学校《せうがくかう》へ|通《かよ》ふこと|僅《わづ》かに|三年《さんねん》で、しかも|世界《せかい》|智識《ちしき》の|宝庫《はうこ》とまで|言《い》はるる|程《ほど》の|智識《ちしき》を|有《いう》し|玉《たま》ひ、|天地《てんち》|万有一切《ばんいういつさい》の|物《もの》に|対《たい》して|深遠《しんゑん》なる|理解《りかい》を|有《いう》し、|三世《さんぜ》を|洞観《どうくわん》し、|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》の|由来《ゆらい》より|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》に|渉《わた》りて、|如何《いか》なる|質問《しつもん》にも|尠《すこ》しも|遅滞《ちたい》せず|即答《そくたふ》を|与《あた》へ、|且《か》つ|苦集滅道《くしふめつだう》を|説《と》き|道法礼節《だうはふれいせつ》を|開示《かいじ》し、|泉《いづみ》の|如《ごと》く|淆々《こんこん》として|湧出《ゆうしゆつ》するその|智識《ちしき》には、|如何《いか》なる|反対者《はんたいしや》と|雖《いへど》も|感服《かんぷく》して|居《を》りますよ。|天文《てんもん》に|地文《ちもん》に、|政治《せいぢ》に|宗教《しうけう》に、|道徳《だうとく》に|芸術《げいじゆつ》に、|医学《いがく》に|暦法《れきはふ》に、|詩歌《しいか》に|文筆《ぶんぴつ》に|演説《えんぜつ》|等《とう》、|何《いづ》れも|自湧的《じゆうてき》に|無限《むげん》に|其《その》|真《しん》を|顕《あら》はし|得《う》ると|云《い》ふ|稀代《きだい》の|神人《しんじん》であります。|幼時《えうじ》より|八《や》ツ|耳《みみ》、|神童《しんどう》|又《また》は|地獄耳《ぢごくみみ》などの|仇名《あだな》を|取《と》つて|居《ゐ》た|方《かた》ですからなア。|今《いま》も|猶《なほ》、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神策《しんさく》に|関《くわん》する|神秘的《しんぴてき》|神示《しんじ》を|昼夜《ちうや》|執筆《しつぴつ》されつつあります。|世界《せかい》|各国《かくこく》の|国語《こくご》と|雖《いへど》も、|未《いま》だ|一度《いちど》も|学《まな》んだ|事《こと》の|無《な》いお|方《かた》が、|凡《すべ》ての|国《くに》の|言語《げんご》が|習《なら》はずして|口《くち》から|出《で》て|来《く》るのですから、|吾々《われわれ》はどうしても|凡人《ぼんじん》だとは|思《おも》ひませぬ。|何人《なにびと》も|聖主《せいしゆ》を|指《さ》して|生神《いきがみ》だ|生宮《いきみや》だと|崇《あが》めて|居《を》りますよ。|所謂《いはゆる》|貴師《あなた》の|仰《おほ》せに|成《な》つた
「その|智識《ちしき》は|後天的《こうてんてき》のものに|非《あら》ずして、|自湧的《じゆうてき》なる|可《べ》きこと」に|合致《がつち》するぢやありませぬか』
『ヘエー、|何《なん》と|不思議《ふしぎ》な|方《かた》ですな。それこそ|真正《しんせい》の|大聖主《だいせいしゆ》メシヤですな』
『それから|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|聖主《せいしゆ》は、あらゆる|賢人《けんじん》|哲人《てつじん》の|疑問《ぎもん》に|対《たい》し、|即答《そくたふ》を|与《あた》へて|徹底的《てつていてき》に|満足《まんぞく》せしめ、|且《か》つ|世界《せかい》に|所在《あらゆる》|種々《しゆじゆ》の|大問題《だいもんだい》に|対《たい》し|決定《けつてい》を|与《あた》へ、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|迫害《はくがい》と|苦痛《くつう》を|甘受《かんじゆ》し、|常《つね》に|平然《へいぜん》として|心魂《しんこん》にも|止《とど》めず、|部下《ぶか》の|罪科《ざいくわ》を|一身《いつしん》に|負担《ふたん》して|泰然自若《たいぜんじじやく》、|日夜《にちや》|感謝《かんしや》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》つて|居《を》られるのです。|如何《いか》なる|迫害《はくがい》も|苦痛《くつう》も|聖主《せいしゆ》に|対《たい》しては、|暴威《ばうゐ》を|振《ふる》ふ|事《こと》は|出来《でき》ないと|見《み》えます。|是《これ》が|第四《だいし》の|条件《でうけん》に|匹敵《ひつてき》せる|大聖主《だいせいしゆ》の|資格《しかく》の|一《ひとつ》ではありますまいか』
『なる|程《ほど》|感心《かんしん》いたしました。それから|第五《だいご》の|条件《でうけん》は|如何《いかが》で|御座《ござ》いますか』
『|聖主《せいしゆ》は|実《じつ》に|歓喜《くわんき》の|給与者《きふよしや》とも|云《い》ふべきウーピーなお|方《かた》です。|如何《いか》なる|憂愁《いうしう》の|雲《くも》に|閉《とざ》されたる|時《とき》にも、|聖主《せいしゆ》の|御側《おそば》に|在《あ》れば|忽《たちま》ち|歓喜《くわんき》の|心《こころ》の|花《はな》が|開《ひら》きます。そのお|言葉《ことば》を|聞《き》けば|直《ただ》ちに|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|聞《き》く|如《ごと》く、|楽園《らくゑん》に|遊《あそ》ぶが|如《ごと》く、|何事《なにごと》も|一切万事《いつさいばんじ》|忘却《ばうきやく》し、|歓喜《くわんき》の|情《じやう》に|溢《あふ》れ、|病人《びやうにん》は|忽《たちま》ち|病《やまひ》|癒《い》え、|失望落胆《しつばうらくたん》の|淵《ふち》に|沈《しづ》むものは|希望《きばう》と|栄光《えいくわう》に|充《み》たされ、|一刻《いつこく》と|雖《いへど》も|御側《おそば》を|離《はな》るる|事《こと》が|出来《でき》ない|様《やう》な|気分《きぶん》になつて|了《しま》ひます。|又《また》|身魂《しんこん》|共《とも》に|至幸《しかう》|至福《しふく》の|花園《はなぞの》に|遊《あそ》び、|天国《てんごく》を|吾《わが》|身内《みうち》に|建設《けんせつ》する|様《やう》になつて|了《しま》ひます。|実《じつ》に|仁慈《じんじ》と|栄光《えいくわう》との|権化《ごんげ》とも|云《い》ふべき|神人《しんじん》で|御座《ござ》いますよ。|斯《か》くてこそ|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》だと|思《おも》ひます。|次《つぎ》に|第六《だいろく》の|資格《しかく》としては、|聖主《せいしゆ》の|深遠宏大《しんゑんかうだい》なる|内分的《ないぶんてき》|智識《ちしき》です。その|深遠《しんゑん》なる|智識《ちしき》に|由《よ》つて、|無限無窮《むげんむきう》に|人類《じんるゐ》の|身魂《みたま》を|活躍《くわつやく》せしめ、|老若男女《らうにやくなんによ》|智者愚者《ちしやぐしや》の|区別《くべつ》なく、|直《ただち》に|受《う》け|入《い》るる|事《こと》の|出来《でき》る|自湧《じゆう》の|智識《ちしき》と|言霊《ことたま》を|用《もち》ゐて|衆生《しゆじやう》を|済度《さいど》されます。それ|故《ゆゑ》、|一度《いちど》|聖主《せいしゆ》に|面接《めんせつ》し|又《また》はお|言葉《ことば》を|聞《き》いたものは、|決《けつ》して|忘《わす》れる|様《やう》な|事《こと》はなく、|且《か》つ|時々《ときどき》|思《おも》ひ|出《だ》して|歓喜《くわんき》に|酔《よ》ふのです。|婦女《ふぢよ》や|愚人《ぐじん》にも|理解《りかい》し|易《やす》く、|且《か》つ|宏《ひろ》く|深《ふか》き|真理《しんり》を、|平易《へいい》に|御開示《ごかいじ》|下《くだ》さいます。
また|第七《だいしち》の|資格《しかく》としては、|過去《くわこ》|現在《げんざい》|未来《みらい》に|渉《わた》る|一切万事《いつさいばんじ》の|解説《かいせつ》は、|終始《しうし》|克《よ》く|徹底《てつてい》し、|前人未発《ぜんにんみはつ》の|教義《けうぎ》を|極《きは》めて|平易《へいい》に|簡単《かんたん》に|了解《れうかい》し|易《やす》く|説示《せつじ》し、|内外《ないぐわい》|種々《しゆじゆ》の|反抗者《はんかうしや》や|圧迫者《あつぱくしや》に|対《たい》しても、|凡《すべ》て|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|雅量《がりやう》と|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》の|神意《しんい》に|従《したが》ひ|敵《てき》を|愛《あい》して、|終《つひ》には|敵《てき》をして|心底《しんてい》より|悦服《えつぷく》せしめ、|善言美詞《ぜんげんびし》の|言霊《ことたま》を|以《もつ》て|克《よ》く|言向和《ことむけやは》し、|春野《はるの》を|風《かぜ》の|渡《わた》るが|如《ごと》くその|眼前《がんぜん》に|来《きた》れるものは、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|善道《ぜんだう》に|導《みちび》きたまひ、|自己《じこ》に|対《たい》して|種々《しゆじゆ》の|妨害《ばうがい》を|加《くは》へ|災厄《さいやく》を|齎《もたら》したる|悪人《あくにん》に|対《たい》しても、|聊《いささ》かの|怨恨《ゑんこん》を|含《ふく》まず、|貴賤老幼《きせんらうえう》の|別《べつ》なく|慈眼《じがん》を|以《もつ》て|見給《みたま》ふ|所《ところ》は、|第七《だいしち》の|大資格《だいしかく》に|合致《がつち》して|居《を》られる|様《やう》に|思《おも》ひます。
また|第八《だいはち》の|資格《しかく》として|茲《ここ》に|申上《まをしあ》げますれば、|聖主《せいしゆ》は|暗黒《あんこく》なる|社会《しやくわい》|又《また》は|宗教《しうけう》|方面《はうめん》より|非常《ひじやう》な|圧迫《あつぱく》を|受《う》け、|終《つひ》には|今《いま》や|八洲《やす》の|川原《かはら》の|誓約《うけひ》の|厄《やく》に|逢《あ》ひ、|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせられ、|髭《ひげ》を|根底《ねそこ》よりむしられ、|手足《てあし》の|生爪《なまづめ》まで|抜《ぬ》き|取《と》られ、|血《ち》と|涙《なみだ》とを|以《もつ》て|五濁《ごぢよく》の|世《よ》を|洗《あら》ひつつ、あらゆる|困苦《こんく》と|艱難《かんなん》に|当《あた》つて|益々《ますます》|勇気《ゆうき》を|振《ふ》り|起《おこ》し、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》のために|大活躍《だいくわつやく》を|昼夜《ちうや》|間断《かんだん》なく|続《つづ》けられて|居《を》られます。|又《また》|諸事物《しよじぶつ》に|対《たい》しては|神明《しんめい》の|如《ごと》く|明確《めいかく》なる|裁断《さいだん》を|下《くだ》し、|即座《そくざ》に|解決《かいけつ》を|与《あた》へ、|且《か》つその|信念《しんねん》は|日《ひ》に|月《つき》に|堅実《けんじつ》を|増《ま》し、|熱烈《ねつれつ》の|度《ど》を|加《くは》へ、|今《いま》や|官海《くわんかい》|方面《はうめん》より|強烈《きやうれつ》なる|圧迫《あつぱく》を|受《う》けつつ|泰然自若《たいぜんじじやく》として|天下万民《てんかばんみん》のために|心力《しんりよく》を|傾注《けいちう》し、|五六七神政《みろくしんせい》の|福音《ふくいん》を|口《くち》に|筆《ふで》に|開示《かいじ》されつつあります。|開闢《かいびやく》|以来《いらい》|深《ふか》く|閉《とざ》されつつあつた|神秘《しんぴ》の|門《もん》も、|漸次《ぜんじ》|聖主《せいしゆ》に|由《よ》つて|開放《かいはう》されつつあります。|何《いづ》れの|世《よ》にも|勝《すぐ》れたるものは、|世界《せかい》の|圧迫《あつぱく》を|一度《いちど》は|受《う》けるものですが、|我《わが》|聖主《せいしゆ》の|如《ごと》きは、|十字架《じふじか》を|負《お》ひ|玉《たま》ひし|基督《キリスト》の|贖罪《しよくざい》にも|優《まさ》つた|程《ほど》の|世《よ》の|圧迫《あつぱく》と|疑惑《ぎわく》と|嘲罵《てうば》とを|浴《あび》せかけられて|少《すこ》しも|撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず、|殆《ほとん》ど|旅人《りよじん》の|春《はる》の|野《の》を|行《ゆ》く|如《ごと》き|状態《じやうたい》で|身《み》を|処《しよ》し、|能《よ》く|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》つて|忍耐《にんたい》されつつ|居《を》られます』
『どうも|有難《ありがた》う。|貴師《あなた》のお|談《はなし》によつて|私《わたし》も|大《おほい》に|心強《こころづよ》さを|感《かん》じました。|何《ど》うか|今一《いまひと》つ|第九《だいく》の|資格《しかく》に|就《つ》いて、|聖主《せいしゆ》の|御行動《ごかうどう》に|関《くわん》する|御説示《ごせつじ》を|願《ねが》ひます』
『|聖主《せいしゆ》は|人類愛善《じんるゐあいぜん》は|言《い》ふに|及《およ》ばず、|山河草木《さんかさうもく》|禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》の|端《はし》に|至《いた》るまで|博《ひろ》く|愛《あい》し|玉《たま》ふことは、|平素《へいそ》の|行動《かうどう》に|由《よ》つて|一般《いつぱん》|信者《しんじや》の|崇敬《すうけい》|感謝《かんしや》|措《お》く|能《あた》はざる|所《ところ》です。|凡《すべ》ての|宗教《しうけう》に|対《たい》し|該博《がいはく》なる|観察力《くわんさつりよく》を|以《もつ》て|深《ふか》く|真解《しんかい》を|施《ほどこ》し、|生命《せいめい》を|与《あた》へ、|以《もつ》て|世界《せかい》の|宗教《しうけう》の|美点《びてん》を|揚《あ》げ、|抱擁帰一《はうようきいつ》の|大精神《だいせいしん》を|以《もつ》て|対《たい》したまひますが|故《ゆゑ》に、|凡《すべ》ての|宗教家《しうけうか》の|白眉《はくび》たる|人士《じんし》は|雲《くも》の|如《ごと》く|膝下《しつか》に|集《あつ》まり、|何《いづ》れも|皆《みな》|満足《まんぞく》をしてその|教《をしへ》を|乞《こ》ふて|居《を》ります。|世界《せかい》|平和《へいわ》の|確定《かくてい》と|宗教《しうけう》の|統一《とういつ》、|世界《せかい》|共通的《きようつうてき》|文明《ぶんめい》の|建設者《けんせつしや》にして、|最《もつと》も|卓絶《たくぜつ》したる|真善美《しんぜんび》の|道徳《だうとく》|体現者《たいげんしや》だと|信《しん》じます。やがて|時《とき》|来《きた》らば、|天晴《あつぱれ》メシヤとして|万人《まんにん》に|仰《あふ》がれ|玉《たま》ふ|時《とき》が|来《く》るであろうと、|私共《わたくしども》は|固《かた》く|信《しん》じて|疑《うたが》ひませぬ。アブデユル・バハー|大聖主《だいせいしゆ》の|再来《さいらい》か、その|聖霊《せいれい》の|再現《さいげん》か、|何《いづ》れにしても|暗黒無明《あんこくむみやう》なる|現社会《げんしやくわい》の|光明《くわうみやう》だと|信《しん》じて|止《や》まないので|御座《ござ》います』
『いろいろと|御懇切《ごこんせつ》なる|御説示《ごせつじ》に|預《あづ》かりまして、|私《わたし》も|大《おほい》に|得《う》る|所《ところ》が|御座《ござ》いました。どうやらエルサレムに|着車《ちやくしや》した|様《やう》ですから、|茲《ここ》で|御別《おわか》れ|致《いた》しませう。|私《わたし》はパレスタインの|或《あ》る|高丘《かうきう》に、|大聖主《だいせいしゆ》の|後嗣《こうし》が|居《を》られますので、|一寸《ちよつと》|御訪《おたづ》ねいたし、|再《ふたた》び|橄欖山上《かんらんざんじやう》にお|目《め》にかかり、|結構《けつこう》なる|御説示《おせつじ》を|蒙《かうむ》り|度《た》いと|存《ぞん》じて|居《を》りますから、|今後《こんご》|宜敷《よろし》く|御指導《ごしだう》を|願《ねが》ひます。そして|私《わたし》はアメリカンコロニーへ|訪問《はうもん》したいと|思《おも》つて|居《を》ります』
『|私《わたし》も|貴師《あなた》と|同道《どうだう》を|願《ねが》ひたいものですが、|少《すこ》しばかり|神命《しんめい》を|帯《お》びて|来《き》て|居《を》りますので、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|橄欖山《かんらんざん》へ|参《まゐ》り、|神様《かみさま》の|御都合《ごつがふ》に|由《よ》つてアメリカンコロニーや|貴師《あなた》の|御在所《ございしよ》を|御訪《おたづ》ねするかも|知《し》れませぬから、|何分《なにぶん》にも|宜敷《よろし》く|御願《おねがひ》|申上《まをしあ》げます』
と、|茲《ここ》に|両人《りやうにん》は|又《また》もや|固《かた》き|握手《あくしゆ》を|交換《かうくわん》し、|互《たがひ》に|車窓《しやそう》を|急《いそ》いでプラツトホームへ|出《いで》たり。
|三千世界《さんぜんせかい》の|人類《じんるゐ》や  |禽獣虫魚《きんじうちうぎよ》に|至《いた》るまで
|救《すく》ひの|御船《みふね》を|差向《さしむ》けて  |誠《まこと》の|教《のり》をさとし|行《ゆ》く
|神幽現《しんいうげん》の|大聖師《だいせいし》  |太白星《たいはくせい》の|東天《とうてん》に
|閃《ひらめ》く|如《ごと》く|現《あら》はれぬ  |一切万事《いつさいばんじ》|救世《きうせい》の
|誠《まこと》の|智慧《ちゑ》を|胎蔵《たいざう》し  |世間《せけん》のあらゆる|智者学者《ちしやがくしや》
|凡《すべ》ての|権威《けんゐ》に|超越《てうゑつ》し  |迫害《はくがい》|苦痛《くつう》を|一身《いつしん》に
|甘受《かんじゆ》し|世界《せかい》を|助《たす》け|行《ゆ》く  |歓喜《くわんき》と|平和《へいわ》を|永遠《ゑいゑん》に
|森羅万象《しんらばんしやう》に|供給《きようきふ》し  |至幸《しかう》|至福《しふく》の|神恵《しんけい》の
|精神上《せいしんじやう》の|王国《わうごく》を  |斯《こ》の|土《ど》の|上《うへ》に|建設《けんせつ》し
|無限《むげん》の|仁慈《じんじ》を|経《たて》となし  |無窮《むきう》の|智識《ちしき》を|緯《ぬき》として
|小人弱者《せうじんじやくしや》の|耳《みみ》に|克《よ》く  |理解《りかい》し|易《やす》き|明教《めいけう》を
|徹底的《てつていてき》に|唱導《しやうだう》す  |如何《いか》なる|悪魔《あくま》も|言霊《ことたま》の
|威力《ゐりよく》に|言向和《ことむけやは》しつつ  |寄《よ》せ|来《く》る|悲哀《ひあい》と|災厄《さいやく》を
|少《すこ》しも|心《こころ》に|掛《か》けずして  |所信《しよしん》を|飽《あ》くまで|貫徹《くわんてつ》し
|裁制断割《さいせいだんかつ》の|道《みち》|極《きは》め  |神人和合《しんじんわがふ》の|境《きやう》に|立《た》ち
|悪魔《あくま》の|敵《てき》に|会《あ》ふ|毎《ごと》に  |心《こころ》は|益々《ますます》|堅実《けんじつ》に
|信仰熱度《しんかうねつど》を|日《ひ》に|加《くは》へ  |三千世界《さんぜんせかい》に|共通《きやうつう》の
|真《しん》の|文明《ぶんめい》を|完成《くわんせい》し  |世界《せかい》|雑多《ざつた》の|宗教《しうけう》や
|凡《すべ》ての|教義《けうぎ》を|統一《とういつ》し  |崇高至上《すうかうしじやう》の|道徳《だうとく》を
|不言実行《ふげんじつかう》|体現《たいげん》し  |暗黒無道《あんこくぶだう》の|社会《しやくわい》をば
|神《かみ》の|教《をしへ》と|神力《しんりき》に  |照破《せうは》し|尽《つく》し|天津日《あまつひ》の
|光《ひかり》を|四方《よも》に|輝《かがや》かす  |仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|神業《しんげふ》に
|奉仕《ほうし》するこそ|世《よ》を|救《すく》ふ  |大神人《だいしんじん》の|任務《にんむ》なれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》|坐《まし》ませよ。
(大正一二・七・一〇 旧五・二七 加藤明子録)
第三章 |聖地夜《せいちよ》〔一六三二〕
ブラバーサはエルサレムの|停車場《ていしやぢやう》でバハーウラーに|袂別《けつべつ》し、プラツトホームを|出《い》で、|稍《やや》|広《ひろ》き|街道《かいだう》を|散歩《さんぽ》し|初《はじ》めた。|既《すで》に|黄昏《たそがれ》|近《ちか》くなつた|近辺《きんぺん》の|山々《やまやま》の|背景《はいけい》を、|美《うつく》しい|夕日《ゆふひ》が|五色《ごしき》の|雲《くも》の|線《せん》を|曳《ひ》いて|色彩《いろど》つて|居《ゐ》る。|併《しか》し|何《なん》となく|寂《さび》し|気《げ》な|印象《いんしやう》が|刻《きざ》まれて|来《く》る。シオンの|城《しろ》を|正面《しやうめん》に|控《ひか》へながら、|路《みち》の|両側《りやうがは》の|畑丘《はたをか》に|映《は》えて|居《ゐ》る|落付《おちつ》いた|緑色《みどりいろ》の|葉《は》が、|痛々《いたいた》しげに|塵埃《ぢんあい》のために|灰白色《くわいはくしよく》に|化《な》つて|居《ゐ》る|橄欖《かんらん》の|木《き》を|懐《なつ》かしみながら、|車馬《しやば》の|往来《わうらい》|繁《しげ》き|大通《おほどおり》をエルサレムの|市街《しがい》へと|進《すす》む。
|後《うしろ》の|方《はう》から『モシモシ』と|呼《よ》ぶ|婦人《をんな》の|声《こゑ》が|聞《きこ》える。ブラバーサは|後《あと》|振《ふ》り|返《かへ》り、|立止《たちとど》まつてその|婦人《ふじん》の|近《ちか》づくのを|待《ま》つとはなしに|待《ま》つて|居《ゐ》た。|見《み》れば|曼陀羅《まんだら》|模様《もよう》のある|厚《あつ》いブエールで|顔《かほ》|全部《ぜんぶ》を|覆《おほ》ふて|居《ゐ》るユダヤの|婦人《ふじん》で、|死《し》の|国《くに》からでも|逃《に》げて|来《き》た|様《やう》な|気味《きみ》の|悪《わる》い|姿《すがた》であつた。ブラバーサは|月光《げつくわう》の|下《もと》に、|初《はじ》めて|此《この》|市中《しちう》に|於《おい》て|声《こゑ》を|掛《かけ》られたユダヤの|婦人《ふじん》の|姿《すがた》を|見《み》て、ギヨツとしながら|例《れい》の|丸《まる》い|眼《まなこ》を|嫌《いや》らしく|光《ひか》らした。
『|見《み》ず|知《し》らずの|賤《いや》しき|婦女《をんな》の|身《み》として、|尊《たふと》き|聖師様《せいしさま》を|御呼《およ》び|止《と》め|致《いた》しまして|済《す》まないことで|御座《ござ》いますが、|妾《わたくし》はアメリカンコロニーの|婦女《をんな》で、マグダラのマリヤと|申《まを》す|基督《キリスト》|信者《しんじや》で|御座《ござ》います。|神様《かみさま》の|御摂理《ごせつり》に|由《よ》つて|貴師《あなた》の|爰《ここ》に|御降《おくだ》り|遊《あそ》ばす|事《こと》を|前知《ぜんち》し、|急《いそ》いで|聖地《せいち》の|御案内《ごあんない》を|兼《か》ね、|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を|承《うけたま》はり|度《た》く|罷《まかり》|出《い》でました|者《もの》で|御座《ござ》います。|決《けつ》して|決《けつ》して|怪《あや》しき|婦女《をんな》では|御座《ござ》いませぬから、|何《ど》うぞ|妾《わたし》に|聖地《せいち》の|案内《あんない》を|命《さ》せて|下《くだ》さいませぬか』
と|真心《まごころ》を|面《おもて》に|現《あら》はして|頼《たの》む|様《やう》に|云《い》ふ。
ブラバーサは|土地《とち》|不案内《ふあんない》のこの|市中《しちう》で、|思《おも》はぬ|親切《しんせつ》な|婦人《ふじん》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて|打喜《うちよろこ》びながら、
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|私《わたし》は|高砂島《たかさごじま》より|遥々《はるばる》と|神命《しんめい》に|由《よ》つて、|聖地《せいち》へ|参向《さんかう》のために|来《き》たものですが、|何分《なにぶん》|初《はじ》めての|事《こと》ですから|土地《とち》も|一向《いつかう》|不案内《ふあんない》の|処《ところ》へ、|貴婦《あなた》が|案内《あんない》をして|遣《や》らふと|仰有《おつしや》るのは、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御引合《おひきあ》はせで|御座《ござ》いませう。|併《しか》し|最早《もはや》|今日《こんにち》は|夜分《やぶん》になりましたから、|何処《どこ》かのホテルへ|一泊《いつぱく》|致《いた》し、|明朝《みやうてう》|緩《ゆつ》くりと|橄欖《かんらん》|登山《とざん》|致《いた》し|度《た》きもので|御座《ござ》いますが、|適当《てきたう》なホテルを|御示《おしめ》し|下《くだ》さいますまいか』
『|貴師《あなた》も|定《さだ》めて|御疲労《おつかれ》で|御座《ござ》いませうから、|今晩《こんばん》はホテルに|御一泊《ごいつぱく》なさるが|宜《よろ》しいでせう。|聖地《せいち》|巡礼者《じゆんれいしや》のために|設《まう》けられた|大仕掛《おほじかけ》なホスビース・ノートルダム・ド・フランスと|云《い》ふ|加持力《カトリツク》の|僧院《そうゐん》が|御座《ござ》いまして、|其《その》|設備《せつび》は|一切《いつさい》ホテルと|少《すこ》しも|変《かは》りなく、|且《か》つ|大変《たいへん》|親切《しんせつ》で|宿料《しゆくれう》も|一宿《いつしゆく》が|一《いつ》ポンド|内外《ないぐわい》ですから、それへ|御案内《ごあんない》|致《いた》しませうか』
『カトリックの|僧院《そうゐん》ですか。|夫《そ》れは|願《ねが》ふても|無《な》き|結構《けつこう》な|所《ところ》、どうか|其処《そこ》へ|案内《あんない》を|願《ねが》ひませう』
『ハア|左様《さやう》なさいませ。|妾《わたし》も|貴師《あなた》と|今晩《こんばん》は|同宿《どうしゆく》して、|種々《いろいろ》の|珍《めづ》らしい|高砂島《たかさごじま》の|御話《おはなし》を|承《うけたま》はりたう|御座《ござ》います』
と|先導《せんだう》に|立《た》ち、カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルへと|案内《あんない》され、|今宵《こよひ》は|爰《ここ》に|一宿《いつしゆく》する|事《こと》となつた。|両人《りやうにん》は|二階《にかい》の|一室《いつしつ》に|案内《あんない》され、|夕餉《ゆふげ》を|済《す》ませ、|窓外《そうぐわい》を|遠《とほ》く|見《み》やると、|折《をり》しも|十六夜《じふろくや》の|満月《まんげつ》が|皎々《かうかう》として|下界《げかい》を|隈《くま》なく|照《て》らして|居《ゐ》る。|大《おほ》きな|僧院《そうゐん》にも|似《に》ず|宿泊者《しゆくはくしや》は|僅《わづ》かに|四五人《しごにん》で、|何《いづ》れも|各宗《かくしう》の|僧侶《そうりよ》であつた。マリヤはブラバーサに|向《む》かひ、
『|聖師様《せいしさま》、|今晩《こんばん》の|月《つき》は|亦《また》|格別《かくべつ》|美《うる》はしき|空《そら》に|澄《す》み|切《き》つて|聖師《せいし》の|御来着《ごらいちやく》を|祝《しゆく》して|居《ゐ》るやうですなア。|斯様《かやう》な|良《よ》い|月《つき》の|夜《よ》を|室内《しつない》に|明《あ》かす|事《こと》は、|少《すこ》し|計《ばか》り|勿体《もつたい》ないぢや|有《あ》りませぬか。|何《ど》うでせう、|一《ひと》つ|月明《つきあ》かりに|散歩《さんぽ》でもして|御寝《おやす》みになりましたら、|妾《わたし》もこの|月《つき》を|見《み》ては|室内《しつない》|計《ばか》りに|蟄居《ちつきよ》する|気《き》になりませぬわ』
『|成《な》る|程《ほど》|良《よ》い|月《つき》です。|高砂島《たかさごじま》で|見《み》た|月《つき》も|今《いま》この|聖地《せいち》で|見《み》る|月《つき》も、|余《あま》り|変《かは》りはありませぬが、|何《なん》だか|月《つき》が|懐《なつ》かしくなつて|参《まゐ》りました。|無為《むゐ》に|一夜《いちや》を|明《あ》かすのも|神界《しんかい》へ|対《たい》して|済《す》まない|様《やう》な|心地《ここち》がします。|何《ど》うか|案内《あんない》を|願《ねが》ひませうかなア』
『ハイ|宜《よろ》しう|御座《ござ》います』
と|早《はや》くもマリヤは|二階《にかい》の|階段《かいだん》を|下《お》りかけた。ブラバーサもマリヤの|後《あと》からホテルを|忍《しの》ぶ|様《やう》にして|門外《もんぐわい》に|出《で》た。|両人《りやうにん》は|市街《しがい》の|外側《そとがは》を|西《にし》の|城壁《じやうへき》に|添《そ》ふてダマスカスの|門《もん》を|目当《めあて》に|歩《ほ》を|運《はこ》ぶ。|上部《じやうぶ》が|凹凸《あふとつ》になつた|厳《いか》めしいこの|城壁《じやうへき》や|門《もん》は、|皆《みな》|中世《ちうせい》に|造《つく》られたものだが、|何《なん》となく|古《ふる》い|市街《しがい》には|応《ふさ》はしい|感覚《かんかく》を|与《あた》へる。この|門《もん》からダマスカスへの|道路《だうろ》が|通《つう》じて|居《ゐ》る。|両人《りやうにん》は|月光《げつくわう》を|浴《あ》びながら、|門《もん》を|潜《くぐ》つて|市街《しがい》の|北部《ほくぶ》を|横断《わうだん》し、|聖《せい》ステフアンの|門《もん》へと|出《で》た。|荒《あら》い|敷石《しきいし》の|道路《だうろ》は、|所々《ところどころ》に|低《ひく》いトンネル|様《やう》のアルカードで|覆《おほ》はれて|居《ゐ》て、|月光《げつくわう》の|輝《かがや》く|下《した》では|内部《ないぶ》の|深《ふか》い|深《ふか》い|暗黒面《あんこくめん》が|殊更《ことさら》|寂《さび》しく|物《もの》すごく|感《かん》じられた。|道路《だうろ》の|両側《りやうがは》の|所々《ところどころ》に、|赤《あか》いトルコ|帽《ばう》を|被《かぶ》つたアラブが|小《ちひ》さい|茶碗《ちやわん》で|濃《こ》いコーヒーを|呑《の》んだり、フラスコ|様《やう》の|大仕掛《おほじかけ》な|装置《さうち》で|水《みづ》を|通過《つうくわ》させて|長《なが》いゴム|管《くわん》で|吸入《きふにふ》する|強《つよ》い|煙草《たばこ》をのん|気《き》さうに|呑《の》み|乍《なが》ら、|両人《りやうにん》の|方《はう》へ|迂散《うさん》な|奴《やつ》が|来《き》よつたなアと|云《い》つた|様《やう》な|顔付《かほつき》きで|睨《にら》んで|居《ゐ》た。
『|彼《か》の|男《をとこ》は|吾々《われわれ》の|姿《すがた》を|見《み》て、|異様《いやう》の|眼《まなこ》を|光《ひか》らして|居《ゐ》ましたが、|何《なに》かの|信仰《しんかう》を|以《もつ》て|来《き》て|居《ゐ》るのですか』
『|彼《あ》の|人等《ひとら》は|極端《きよくたん》なアセイズムを|主唱《しゆしやう》する|人々《ひとびと》で、|妾《わたし》が|聖地《せいち》を|巡拝《じゆんぱい》するのを|見《み》て、ボリセイズムだと|云《い》つて|嘲《あざけ》つて|居《ゐ》るのですよ。|物質文明《ぶつしつぶんめい》にかぶれてアセイズム|者《しや》と|成《な》つて|居《ゐ》るのですから、|容易《ようい》に|信仰《しんかう》に|導《みちび》くことは|出来難《できがた》い|人達《ひとたち》ですわ』
『|斯《かか》る|聖地《せいち》にも|依然《やつぱり》アセイズム|者《しや》が|入込《いりこ》んで|居《ゐ》るのですか』
『アセイズム|者《しや》は|愚《おろ》か、ソシアリストもコンミユニストもアナーキストもニヒリストも|沢山《たくさん》に|入込《いりこ》んで|来《き》て|居《を》ります。そして|此《この》|聖地《せいち》に|詣《まう》で|来《く》る|信徒《しんと》に|対《たい》して|種々《しゆじゆ》の|嘲罵《てうば》を|浴《あ》びせます。|妾《わたし》も|何《なん》とかして|神様《かみさま》の|尊《たふと》き|御道《おみち》に|救《すく》ひたいと|思《おも》つて、|毎日毎夜《まいにはまいや》エルサレムの|市街《しがい》に|立《た》つて、|声《こゑ》をからして|演説《えんぜつ》をいたしましたが、|彼等《かれら》は|神《かみ》の|力《ちから》の|声《こゑ》を|聞《き》いても|立腹《りつぷく》いたします。そして|大変《たいへん》な|強迫的《きやうはくてき》|態度《たいど》に|出《い》で、|遂《つひ》には|鉄拳《てつけん》の|雨《あめ》を|降《ふ》らすのです。|印度《いんど》の|釈尊《しやくそん》も|縁《えん》なき|衆生《しゆじやう》は|度《ど》し|難《がた》しと|仰有《おつしや》つた|相《さう》ですが、|現界《げんかい》から|既《すで》に|已《すで》に|身魂《みたま》の|籍《せき》を|地獄《ぢごく》に|置《お》いて|居《ゐ》る|人達《ひとたち》には、|如何《いか》なる|神《かみ》の|福音《ふくいん》も|到底《たうてい》|耳《みみ》には|入《い》りませぬ。|夫《そ》れ|故《ゆゑ》|妾《わたし》の|団体《だんたい》アメリカンコロニーの|人々《ひとびと》は、|迷信者《めいしんじや》|扱《あつか》ひを|受《う》け、|人間《にんげん》らしく|附合《つきあ》つて|呉《く》れないのです。モウ|此《この》|上《うへ》は|聖《せい》メシヤの|再臨《さいりん》を|待《ま》つより|仕方《しかた》がありませぬわ』
『|高砂島《たかさごじま》でも、|依然《いぜん》|今《いま》の|貴女《あなた》の|御話《おはなし》と|同様《どうやう》に、|吾々《われわれ》の|信奉《しんぽう》するルートバハーの|教《をしへ》やその|信者《しんじや》を|迷信者《めいしんじや》|扱《あつか》ひをなし、あらゆる|圧迫《あつぱく》と|妨害《ばうがい》を|加《くは》へ、|大聖主《だいせいしゆ》までも|邪神《じやしん》|扱《あつか》ひに|致《いた》して、|上下《じやうげ》の|民衆《みんしう》が|挙《こぞ》つて|反抗的《はんかうてき》|態度《たいど》に|出《で》ると|云《い》ふ|有様《ありさま》です。|然《しか》し|是《これ》も|時節《じせつ》の|力《ちから》で|解決《かいけつ》が|付《つ》くものと|私《わたし》は|堅《かた》く|信《しん》じて|居《を》ります。メシヤが|聖地《せいち》へ|雲《くも》に|乗《の》つて|御降《おくだ》りになる|暁《あかつき》は、|如何《いか》なる|智者《ちしや》|学者《がくしや》も|悪人《あくにん》も|太陽《たいやう》の|前《まへ》の|星《ほし》の|如《ごと》く|影《かげ》を|隠《かく》し、|屹度《きつと》メシヤの|膝下《しつか》に|跪付《ひざまづ》くやうになるでせう。|今《いま》|暫《しば》らくの|辛抱《しんばう》ですよ』
『|一時《いちじ》も|早《はや》くメシヤの|降臨《かうりん》を|仰《あふ》ぎ|度《た》きもので|御座《ござ》います。|真正《しんせい》のメシヤは|何時《いつ》の|頃《ころ》になつたら|出現《しゆつげん》されるでせうか』
『|既《すで》に|已《すで》にメシヤは、|或《あ》る|聖地《せいち》に|降誕《かうたん》されて|諸種《しよしゆ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へて|居《を》られますから|余《あま》り|長《なが》い|間《あひだ》でもありますまい。|併《しか》しメシヤは|只今《ただいま》の|処《ところ》では|十字架《じふじか》の|責苦《せめく》に|逢《あ》つて、|万民《ばんみん》の|為《た》めに|苦《くる》しみて|居《を》られますが、|軈《やが》て|電《いなづま》の|東天《とうてん》より|西天《せいてん》に|閃《ひらめ》く|如《ごと》く|現《あら》はれたまふでせう。|私《わたし》はメシヤ|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》として|参《まゐ》つたものです』
『それは|何《なに》より|耳《みみ》|寄《よ》りの|御話《おはな》し|緩《ゆつく》りと|橄欖山上《かんらんざんじやう》に|於《おい》て|承《うけたまは》り|度《た》いものですなア』
『|是非《ぜひ》|聞《き》いて|戴《いただ》かねばなりませぬ』
『|聖師様《せいしさま》、|是《これ》が|有名《いうめい》な|聖《せい》ステフアンの|門《もん》で|御座《ござ》いますよ』
『|聖者《せいじや》が|曳《ひ》き|出《だ》され|石《いし》で|打《う》ち|殺《ころ》されたといふ、|伝説《でんせつ》のある|聖《せい》ステフアンの|門《もん》ですか。ヘエー』
と|首《くび》を|傾《かたむ》けて|少時《しばし》|憂愁《いうしう》に|沈《しづ》む。
『|妾《わたし》は|此《この》|門《もん》を|通過《つうくわ》する|毎《ごと》に、|聖者《せいじや》の|熱烈《ねつれつ》なる|信仰力《しんかうりよく》を|追想《つゐさう》して、|益々《ますます》|信仰《しんかう》の|熱度《ねつど》を|加《くは》へたので|御座《ござ》います』
と|稍《やや》|傾首《うつむい》て|涙《なみだ》ぐむ。
『アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|信仰力《しんかうりよく》|弱《よわ》きこのブラバーサをして、|無限《むげん》の|力《ちから》を|御与《おあた》へ|下《くだ》さいませ。|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《み》イ|四《よ》、|五《い》ツ|六《む》ユ|七《なな》|八《や》|九《ここの》|十《たり》|百《もも》|千《ち》|万《よろづ》』
と|天《あま》の|数歌《かずうた》を|奏上《そうじやう》し、|暫《しば》し|感歎《かんたん》|止《や》まなかつた。
|聖《せい》ステフアンの|門《もん》を|潜《くぐ》ると、|少《すこ》しく|下《くだ》り|坂《ざか》になつて|居《ゐ》る。マリヤの|後《あと》に|従《つ》いてゲツセマネの|有名《いうめい》な|園《その》に|近《ちか》づいた。|橄欖山《かんらんざん》は|呼《よ》べば|答《こた》ふる|様《やう》に|近《ちか》くなつて|来《き》た。|分《ぶ》の|厚《あつ》い|丈《た》けの|高《たか》い、|石造《せきざう》の|垣《かき》で|厳重《げんぢう》に|囲《かこ》まれて|居《ゐ》るのがゲツセマネの|園《その》である。|処々《ところどころ》にサイブレスの|木《き》が|頭《あたま》を|出《だ》して|居《ゐ》るのが|見《み》えるばかりで、|一見《いつけん》して|外側《そとがは》からは|墓地《ぼち》のやうな|感《かん》じを|与《あた》へる。|夜《よる》の|事《こと》とて|門扉《もんぴ》が|固《かた》く|鎖《とざ》され、|内部《ないぶ》は|見《み》ることが|出来《でき》ない。そこから|団子石《だんごいし》のゴロ|付《つ》いて|居《ゐ》る|峻《けは》しい|坂路《さかみち》を|攀《よぢ》て、|目的《もくてき》の|橄欖山《かんらんざん》へ|登《のぼ》るのである。|反対側《はんたいがは》の|山《やま》の|頂《いただき》に|王座《わうざ》して|居《ゐ》る|月光《げつくわう》に|由《よ》つて|装《よそは》れたエルサレムの|市街《しがい》、|美《うつく》しい|気高《けだか》いシオンの|娘《むすめ》の|姿《すがた》は|眼前《がんぜん》に|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。その|美《うつく》しさは|現実《げんじつ》に|存在《そんざい》して|居《ゐ》るのか、|夫《そ》れともキリストに|伴《ともな》ふ|聯想《れんさう》が|幻影《げんえい》を|造《つく》り|出《だ》したのかと、ブラバーサの|想像《さうざう》は|瞬間《しゆんかん》に|世界《せかい》|歴史《れきし》の|全体《ぜんたい》を|通《とほ》つて|走《はし》る。|丁度《ちやうど》、|高砂島《たかさごじま》の|聖地《せいち》|桶伏山《をけふせやま》の|蓮華台上《れんげだいじやう》の|廃墟《はいきよ》の|前《まへ》に|立《た》つた|時《とき》と|同様《どうやう》に、|然《しか》しその|二《ふた》つの|感想《かんさう》は、ブラバーサに|取《と》つては|名状《めいじやう》しがたきコントラストであつた。キリスト|教《けう》とヘレニズムの|葛藤《かつとう》、|夫《そ》れは|過去《くわこ》|二千年間《にせんねんかん》の|人類《じんるゐ》の|歴史《れきし》を|解《と》くための|悲哀《ひあい》なる|鍵《かぎ》となるのであつた。
そして|此《この》マリア|婦人《ふじん》を|始《はじ》め、コロニーの|人達《ひとたち》や、|純真《じゆんしん》なる|数多《あまた》の|奉道者《ほうだうしや》が|今《いま》に|至《いた》るまで|神《かみ》を|求《もと》め、|真善《しんぜん》を|極《きは》め|美《び》に|焦《こ》がるる|純《じゆん》な|心《こころ》を|痛《いた》めて|来《き》た|事《こと》を|思《おも》ひ|浮《う》かべては、そぞろに|涙《なみだ》の|溢《あふ》るるのも|覚《おぼ》えなくなつて|了《しま》つた。アヽこの|悲哀《ひあい》なる|不調和《ふてうわ》は|一時《いちじ》も|早《はや》く|取《と》り|除《のぞ》きたいものだ。キリスト|教《けう》は|何処《どこ》までも|現世界《げんせかい》を|灰色《はひいろ》に|染《そめ》なければ|止《や》まないであらうか。アクロポリスに|踵《きびす》を|向《む》ける|事《こと》なしにエルサレムに|巡礼《じゆんれい》する|事《こと》には|成《な》らぬのであらうか。|何故《なにゆゑ》|神様《かみさま》は、|此《こ》の|世《よ》をモウ|少《すこ》し|調和的《てうわてき》に|造《つく》り|玉《たま》はなかつたのであらうかと、|今更《いまさら》の|如《ごと》く|愚痴《ぐち》と|歎息《たんそく》を|漏《も》らさざるを|得《え》なかつた。
ブラバーサは|黙然《もくねん》として|追懐《つゐくわい》|久《ひさし》うして|居《ゐ》る。
『|聖師様《せいしさま》、|何《なに》か|頻《しき》りに|考《かんが》へ|込《こ》んで|居《ゐ》らつしやる|様《やう》ですが、|妾《わたし》の|行動《かうどう》に|就《つ》いて|御気《おき》に|召《め》さない|事《こと》が|御座《ござ》いますか。|遠慮《ゑんりよ》なく|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ。|如何様《いかやう》にも|悪《あし》き|点《てん》は|改《あらた》めますから』
『イエイエ、|決《けつ》して|決《けつ》して|貴女《あなた》に|対《たい》して|気《き》に|合《あ》はない|道理《だうり》が|御座《ござ》いませうか。|只々《ただただ》|私《わたし》はこの|聖地《せいち》の|状況《じやうきやう》を|見《み》るに|付《つ》け、|古《いにしへ》の|歴史《れきし》が|胸《むね》に|浮《う》かびて|参《まゐ》りまして、|感慨《かんがい》|無量《むりやう》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》たのです』
マリヤは|軽《かる》く、
『そりやさうでせう|共《とも》、|妾《わたし》だつて|幾度《いくど》|聖地《せいち》に|来《き》てから、|古《いにしへ》の|歴史《れきし》を|追懐《つゐくわい》して|泣《な》いたか|分《わか》りませぬわ。|然《しか》し|今晩《こんばん》は|夜《よ》も|更《ふ》けましたから、ホテルへ|一先《ひとま》づ|引返《ひきかへ》し、|又《また》|明日《みやうにち》はゆるゆる|案内《あんない》さして|頂《いただ》きませう』
と|先《さき》に|立《た》つていそいそと|歩《あゆ》み|出《だ》した。|爰《ここ》にブラバーサ、マリヤの|二人《ふたり》は|月光《げつくわう》の|下《した》をキドロンの|谷《たに》をエルサレムの|側《がは》へ|渡《わた》り、|市街《しがい》の|東南隅《とうなんぐう》の|城壁《じやうへき》に|添《そ》ふて、ダング・ゲート(|汚物《をぶつ》の|門《もん》)へ|進《すす》んで|来《き》た。
ダング・ゲートは|昔《むかし》|此《この》|門《もん》から|汚物《をぶつ》を|運《はこ》び|去《さ》つた|所《ところ》と|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。シロアムの|村《むら》が|眼下《がんか》に|展開《てんかい》して|居《ゐ》る。その|門《もん》を|這入《はい》つてユダヤ|人街《じんがい》とマホメツト|教徒《けうと》|街《がい》との|間《あひだ》を|通過《つうくわ》し、ジヤツフアの|門《もん》へと|出《で》た。
|現今《げんこん》のエルサレムの|市街《しがい》はアラブ、ユダヤ|人《じん》、アルメニヤ|人《じん》の|住《す》みて|居《ゐ》る|三《みつ》ツの|区域《くゐき》によつて|仕切《しき》られて|居《ゐ》る。
|神殿《しんでん》の|跡《あと》に|近《ちか》い|暗《くら》いアルカードの|傍《かたはら》に、|二三人《にさんにん》のアラブが|立《た》つて|居《ゐ》て、|手真似《てまね》で|訳《わけ》の|分《わか》らない|言葉《ことば》で|両人《りやうにん》を|呼《よ》び|止《と》めた。|両人《りやうにん》は|気味《きみ》|悪《わ》る|相《さう》に|聞《き》かぬ|風《ふう》を|装《よそほ》ひスタスタと|足《あし》を|早《はや》めた。
ダマスカス、|聖《せい》ステフアン、ゲツセマネと|斯《か》う|云《い》ふ|名《な》は|熱烈《ねつれつ》な|信仰者《しんかうしや》の|胸《むね》に|深刻《しんこく》な|感動《かんどう》を|与《あた》へるものである。ブラバーサは|傾首《うつむ》きながら|一足一足《ひとあしひとあし》|指《ゆび》の|尖《さき》に|力《ちから》を|入《い》れ、ウンウンと|独《ひと》り|心《こころ》に|囁《ささや》きながら、マリヤの|後《あと》について|行《ゆ》く。
|然《しか》し|現代《げんだい》の|多数《たすう》の|基督《キリスト》|教徒《けうと》、それ|等《ら》に|対《たい》して|宗教《しうけう》は|無意味《むいみ》な|形式《けいしき》、|死《し》し|去《さ》つた|伝統《トラヂシオン》に|過《す》ぎない。|呑気《のんき》な|基督《キリスト》|教徒《けうと》|中《ちう》に|真《しん》にダマスカスの|道《みち》にある|使徒《しと》パウロの|心《こころ》を|自身《じしん》に|体験《たいけん》し、キリストのゲツセマネの|園《その》における|救世主《きうせいしゆ》の|御悩《おなや》みの|一端《いつたん》だに|汲《く》み|得《う》る|信徒《しんと》が|幾人《いくにん》あるであらうか、と|慨歎《がいたん》の|涙《なみだ》に|暮《く》れて|知《し》らず|識《し》らずにマリヤに|半町《はんちやう》ばかりも|遅《おく》れてしまつた。
(大正一二・七・一〇 旧五・二七 北村隆光録)
第四章 |訪問客《はうもんきやく》〔一六三三〕
ブラバーサは、マリヤの|姿《すがた》を|見失《みうしな》ひしより|止《や》むを|得《え》ず、|只《ただ》|一人《ひとり》にてカトリックの|僧院《そうゐん》に|帰《かへ》つて|見《み》れば、|四辺《あたり》は|寂《せき》として|静《しづ》まりかへり、|只《ただ》|耳《みみ》に|入《い》るものは|自分《じぶん》の|行歩《かうほ》に|疲《つか》れた|苦《くる》しげな|鼻息《はないき》と、その|足音《あしおと》のみなりき。|幸《さいは》ひ|表《おもて》の|門《もん》が|開《あ》け|放《はな》しになつて|居《ゐ》たので、|与《あた》へられた|二階《にかい》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》り、ソフアの|上《うへ》に|横《よこ》たはりて|前後《ぜんご》も|知《し》らず|夢幻《むげん》の|国《くに》へと|突進《とつしん》したりける。
ガンガンと|響《ひび》く|僧院《そうゐん》の|梵鐘《ぼんしよう》の|声《こゑ》に|夢《ゆめ》を|破《やぶ》られ、ツト|身《み》を|起《おこ》して|見《み》れば|四辺《あたり》はカラリと|明《あ》け|放《はな》れ、|午前《ごぜん》|八時《はちじ》の|時計《とけい》が|階下《かいか》に|響《ひび》いて|居《ゐ》た。ブラバーサは|時計《とけい》の|音《おと》を|指《ゆび》を|折《を》つて|数《かぞ》へつつ、
『アヽもう|八時《はちじ》だ。|克《よ》くもマア|寝込《ねこ》んだものだ。それにしても|昨夜《さくや》のマリヤさまは|此《この》ホテルには|来《き》て|居《ゐ》ないだらうか。|何処《どこ》とはなしに|神経質《しんけいしつ》な|感傷的《かんしやうてき》な|婦女《をんな》だつたが、|帰神《かむがかり》の|婦女《をんな》によく|在《あ》る|習《なら》ひ、|俄《にはか》に|神《かみ》の|命《めい》とか|言《い》つて|心機一転《しんきいつてん》してアメリカンコロニーへ|還《かへ》つて|了《しま》つたのだらうか。|余《あま》り|気持《きもち》の|良《い》い|婦女《をんな》では|無《な》かつたが、その|熱烈《ねつれつ》な|信念《しんねん》と|親切《しんせつ》な|態度《たいど》には|実《じつ》に|感謝《かんしや》の|至《いた》りだ』
と|独語《ひとりごち》つつ|洗面所《せんめんじよ》に|入《い》り|用《よう》を|足《あし》して|再《ふたた》び|自分《じぶん》の|居間《ゐま》に|帰《かへ》り|来《き》たり。
|見《み》れば|食卓《しよくたく》の|上《うへ》には|二人前《ににんまへ》の|膳部《ぜんぶ》が|並《なら》んで|居《ゐ》て、ボーイらしき|者《もの》も|居《ゐ》ない。ブラバーサは|此《この》|態《てい》を|見《み》て、
『ボーイは|其処等《そこら》に|見当《みあた》らないが、|二人前《ににんまへ》の|膳部《ぜんぶ》が|吾《わが》|居間《ゐま》に|運《はこ》ばれて|在《あ》ることを|思《おも》へば、どうやらマリヤさまも|外《ほか》の|居間《ゐま》に|寝《ね》て|居《ゐ》たのかも|知《し》れない。ハテ|不思議《ふしぎ》だなア』
と|首《くび》を|頻《しき》りに|振《ふ》つて|居《ゐ》る。
そこへ|徐々《しづしづ》として|這入《はい》つて|来《き》たのは|年《とし》の|若《わか》い|美《うつく》しいボーイであつた。ブラバーサは、
『ボーイさま、|夜前《やぜん》の|相客《あひきやく》たる|一人《ひとり》の|婦人《ふじん》は|何処《どこ》に|居《を》られますかな』
『ハイ、|昨夜《さくや》は|貴下《あなた》と|御一緒《ごいつしよ》に|此《こ》の|室《ま》で|御休《おやす》みになつた|事《こと》だと|思《おも》つてお|二人《ふたり》の|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》んで|来《き》たので|御座《ござ》います。|別《べつ》に|外《ほか》には|居《を》られませぬ』
『ハテナ、|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》だ。|併《しか》し|何《なに》は|兎《と》もあれ|朝飯《あさめし》を|済《す》まさむ』
と|食卓《しよくたく》に|就《つ》いて、|半時《はんとき》ばかりの|間《あひだ》に|掻《か》き|込《こ》む|様《やう》にして|朝《あさ》の|食事《しよくじ》を|済《す》ませて|了《しま》つた。ボーイは|是非《ぜひ》なくマリヤの|膳部《ぜんぶ》をブツブツ|小言《こごと》を|云《い》ひながら|片付《かたづ》けて|了《しま》ひ、ブラバーサの|手《て》から|応分《おうぶん》のポチを|受取《うけと》り、|嬉々《きき》として|次《つぎ》の|室《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。
ブラバーサは|椅子《いす》に|依《よ》りかかつて、|二階《にかい》の|窓《まど》からエルサレムの|市街《しがい》を|心床《こころゆか》しげに|瞰下《かんか》し|無限《むげん》の|情想《じやうさう》を|漲《みなぎ》らし|居《ゐ》たり。
そこへ『|御免《ごめん》|下《くだ》さい』と|静《しづか》に|声《こゑ》をかけて|扉《ドア》をたたいたのは、|猶太人《ユダヤじん》らしき|品格《ひんかく》の|高《たか》い|人《ひと》|好《ず》きのしさうな|老紳士《らうしんし》なりける。
『|何《いづ》れの|方《かた》かは|存《ぞん》じませぬが、|先《ま》づ|御這入《おはいり》|下《くだ》さいませ』
と|自《みづか》ら|立《た》つて|快《こころよ》く|扉《ドア》を|開《ひら》いて|吾《わが》|室《しつ》へと|迎《むか》へ|入《い》れる。
|老紳士《らうしんし》はさも|満足気《まんぞくげ》にブラバーサの|手《て》を|握《にぎ》つて、その|顔《かほ》を|熟々《つくづく》ながめ、|早《はや》くも|両眼《りやうがん》から|涙《なみだ》さへ|流《なが》し|居《ゐ》たり。
『|貴師《あなた》は|何《いづ》れの|方《かた》で|御座《ござ》いますか。|何《なん》となく|懐《なつ》かしくなつて|参《まゐ》りました』
『ハイ、|私《わたくし》はアメリカンコロニーの|執事《しつじ》でスバツフオードと|申《まを》す|瘠浪人《やせらうにん》で|御座《ござ》います。|昨夜《さくや》はマリヤさまが、|大変《たいへん》な|失礼《しつれい》をしたので|再《ふたた》び|御顔《おかほ》を|拝《はい》する|訳《わけ》には|行《ゆ》かないから、|私《わたし》に|一度《いちど》この|僧院《そうゐん》の|二階《にかい》の|第九番《だいくばん》に|御逗留《ごとうりう》だから|謝罪《しやざい》に|行《い》つて|下《くだ》さるまいかと|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》して|居《を》られますので、|私《わたし》はその|御無礼《ごぶれい》の|御詫《おわび》を|兼《か》ねて|尊《たふと》い|貴師《あなた》に|拝顔《はいがん》の|栄《えい》を|得《え》たいと|存《ぞん》じ、|朝《あさ》|早《はや》くから|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しました』
『アヽ|貴師《あなた》がマリヤ|様《さま》と|御一緒《ごいつしよ》にコロニーを|司宰《しさい》|遊《あそ》ばすスバツフオード|様《さま》で|御座《ござ》いましたか。|良《よ》くマア|御尋《おたづ》ね|下《くだ》さいました。サア|何《ど》うか|此方《こちら》へ』
と|椅子《いす》を|進《すす》める。|老紳士《らうしんし》は、
『ハイ|有難《ありがた》う』
と|与《あた》へられた|椅子《いす》に|腰打《こしうち》かけ、|香《かを》りの|強《つよ》い|煙草《たばこ》を|燻《くゆ》らし|初《はじ》めたり。
『マリヤ|様《さま》は|親切《しんせつ》に|聖地《せいち》の|案内《あんない》をして|下《くだ》さいましたので、|大変《たいへん》な|便宜《べんぎ》を|得《え》ましたのです。|私《わたし》の|方《はう》から|御礼《おれい》に|参《まゐ》らねばならないのですが、|夜前《やぜん》|突然《とつぜん》|御姿《おすがた》を|見失《みうしな》つたものですから、ツイ|失礼《しつれい》を|致《いた》して|居《を》りましたが、コロニーへ|御帰《おかへ》りに|成《な》つて|居《を》らるると|承《うけたま》はり、それで|私《わたし》もヤツと|胸《むね》が|落着《おちつ》きました』
『|何分《なにぶん》マリヤさまは|霊感者《れいかんしや》ですから、|時々《ときどき》|脱線的《だつせんてき》|行動《かうどう》を|初《はじ》められ、|後《のち》になつて|毎時《いつ》も|自分《じぶん》で|心配《しんぱい》をされるのです。コンナ|事《こと》は|今日《けふ》に|初《はじ》まつた|事《こと》ではありませぬ。|私《わたし》はマリヤさまの|弁解《べんかい》と|詫役《わびやく》とにいつも|使《つか》はれて|居《ゐ》るのです。アハヽヽヽ』
『マリヤ|様《さま》は|途中《とちう》に|於《おい》て|何物《なにもの》かを|霊視《れいし》されたのでせうか』
『|話《はなし》によれば、|貴師《あなた》の|眉間《みけん》より|最《もつと》も|強烈《きやうれつ》なる|光輝《くわうき》が|放出《はうしゆつ》し、|神威《しんゐ》に|打《う》たれて|同行《どうかう》する|事《こと》が|出来《でき》なくなり、|思《おも》はず|知《し》らず|恐怖心《きようふしん》に|追《お》はれて|尊《たふと》き|貴師《あなた》を|見捨《みすて》て|逃《に》げ|帰《かへ》つたと|申《まを》して|居《を》られました。|私《わたし》はコリヤきつと|邪神《じやしん》の|憑依《ひようい》だらうと|思《おも》つて|審神《さには》を|行《おこな》つて|見《み》た|所《ところ》、|案《あん》に|違《たが》はず|山田颪《やまたのをろち》の|悪霊《あくれい》が|憑依《ひようい》して|居《を》りまして、|貴師《あなた》の|聖地《せいち》へ|来《こ》られた|事《こと》を|大層《たいそう》|恐《おそ》れ|且《か》つ|嫌《きら》つて|居《を》るのです。|悪霊《あくれい》の|退散《たいさん》した|後《のち》のマリヤ|様《さま》は|立派《りつぱ》な|方《かた》ですが、|余《あま》り|貴師《あなた》にすまないからと|言《い》つて|心《こころ》を|痛《いた》め、|私《わたし》に|謝罪《しやざい》に|行《い》つて|来《こ》よとの|事《こと》で|御座《ござ》いました』
『ハア|決《けつ》して|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬから|何《ど》うか|宜敷《よろし》く|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ』
『ハイそのお|言葉《ことば》を|伝《つた》へますれば、マリヤさまも|大《おほい》に|喜《よろこ》ばれませう。|昨夜《さくや》|貴師《あなた》の|御案内《ごあんない》を|為《な》すべく|夫《そ》れも|神示《しんじ》によつてコロニーを|立《た》つて|行《ゆ》かれたのです。どうか|聖師様《せいしさま》、|一度《いちど》コロニーまで|玉歩《ぎよくほ》を|枉《ま》げて|戴《いただ》けますまいか』
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|是非是非《ぜひぜひ》|御世話《おせわ》にあづかりたう|御座《ござ》います。|時《とき》にスバツフオード|様《さま》、イスラエル|民族《みんぞく》たる|猶太人《ユダヤじん》も|三千年《さんぜんねん》の|艱苦《かんく》を|忍《しの》びて|漸《やうや》く|故国《ここく》を|取《と》り|還《かへ》しましたねー。|時節《じせつ》の|力《ちから》と|云《い》ふものは|実《じつ》に|恐《おそ》ろしいものですなア』
『ハイ|有難《ありがた》う。|私等《わたしら》も|依然《やつぱり》イスラエル|民族《みんぞく》で|御座《ござ》いますが、|漸《やうや》くにして|自分《じぶん》の|公然《こうぜん》たる|国《くに》が|小《ちひ》さいながら|立《た》つ|様《やう》になりました。|世界《せかい》の|三大強国《さんだいきやうこく》が|何《いづ》れも|必死《ひつし》の|勢《いきほ》ひでこのパレスチナを|手《て》に|入《い》れやうとして、|終《つひ》には|御承知《ごしようち》の|世界《せかい》|戦争《せんそう》までおつ|初《ぱじ》めたのですもの。|夫《そ》れが|放浪《はうらう》の|民《たみ》たる|吾々《われわれ》|民族《みんぞく》のものに|還《かへ》つて|来《き》たと|云《い》ふのは|全《まつた》く|天祐《てんゆう》と|申《まを》すより|外《ほか》はありませぬ。|要《えう》するにメシヤ|再臨《さいりん》の|準備《じゆんび》として、|神様《かみさま》が|吾々《われわれ》に|国《くに》を|持《も》たして|下《くだ》さつたのだと|思《おも》ひます』
『|地球《ちきう》の|中心《ちうしん》|即《すなは》ちシオンの|国《くに》ですから、|独英米《どくえいべい》なぞの|強国《きやうこく》は|欲《ほ》しがるのも|無理《むり》はありますまい』
『|独逸《ドイツ》の|造《つく》つたバクダツト|鉄道《てつだう》や、|英国《えいこく》の|拵《こしら》へたアフリカ|鉄道《てつだう》、アメリカが|拵《こしら》へかけて|居《ゐ》るサイベリヤ|経由《けいいう》の|大鉄道《だいてつだう》も|皆《みな》このパレスチナを|目標《もくへう》として|居《ゐ》るのですが、|斯《か》うなる|以上《いじやう》は|是等《これら》の|大鉄道《だいてつだう》も|又《また》イスラエル|民族《みんぞく》たる|吾々《われわれ》の|為《ため》に|利用《りよう》さるることと|成《な》つて|了《しま》ひました。|此《こ》の|鉄道《てつだう》さへ|利用《りよう》すればユダヤ|民族《みんぞく》が|世界《せかい》を|統一《とういつ》し|得《う》ることは|明白《めいはく》な|事実《じじつ》であります。|然《しか》し|今日《こんにち》の|猶太人《ユダヤじん》は|物質慾《ぶつしつよく》が|強《つよ》きため、|肝心《かんじん》の|神様《かみさま》を|忘《わす》れて|居《ゐ》る|者《もの》が|多《おほ》いので|困《こま》ります。|人間《にんげん》の|智慧《ちゑ》や|力量《りきりやう》では|九分九厘《くぶくりん》までは|何事《なにごと》でも|成功《せいこう》いたしますが、|最後《さいご》の|艮《とど》めは|何《ど》うしても|神様《かみさま》の|力《ちから》でなくては|成《な》りませぬ、|夫《そ》れ|故《ゆゑ》|吾々《われわれ》は|大神《おほかみ》の|表現神《へうげんしん》たるメシヤの|再臨《さいりん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るので|御座《ござ》います。|昔《むかし》パレスチナが|神《かみ》の|選民《せんみん》と|称《とな》へられたイスラエル|人《じん》の|手《て》に|与《あた》へられた|当時《たうじ》は、|蜜《みつ》|滴《したた》り|乳《ちち》|流《なが》るると|言《い》はるるカナンの|国《くに》でサフラン|薫《くん》じ|橄欖《かんらん》|匂《にほ》ふ|聖場《せいぢやう》と|詩人《しじん》に|謳《うた》はれた|麗《うるは》しい|景色《けしき》の|好《よ》い|所《ところ》でありましたが、|今日《こんにち》となつては|其《その》|面影《おもかげ》も|無《な》く|荒《あ》れ|果《は》てて|了《しま》つたのですが、|其《その》パレスチナが|再《ふたた》びユダヤ|人《じん》の|手《て》に|戻《もど》つて|昔《むかし》の|橄欖山《かんらんざん》の|美《うつく》しい|景色《けしき》が|段々《だんだん》と|出《で》て|来《く》るやうになつて|来《き》ました。|天《てん》に|坐《ま》します|神様《かみさま》はメシヤの|再臨《さいりん》に|先《さき》だち、パレスチナを|御自分《ごじぶん》の|選《えら》みたまひました|所《ところ》のユダヤ|人《じん》に|御任《おまか》せにならむが|為《ため》に、|数千年前《すうせんねんぜん》から|此《この》|美《うる》はしい|使命《しめい》を|与《あた》へて|選民《せんみん》たるの|資格《しかく》を|備《そな》へしめむとして|四十年間《しじふねんかん》|三百万《さんびやくまん》の|人間《にんげん》を|苦《くる》しめ|給《たま》ふたのです。|三百万《さんびやくまん》の|者《もの》が|飲《の》むに|水《みづ》|無《な》く、|食《く》ふに|食物《しよくもつ》の|出来《でき》ない|所《ところ》で、|或《あるひ》は|親《おや》が|死《し》に|子《こ》が|死《し》に、|何代《なんだい》も|続《つづ》いて|四十年間《しじふねんかん》|苦行《くぎやう》を|嘗《な》めさせ|玉《たま》ふたのも、イスラエル|帝国《ていこく》の|国民性《こくみんせい》を|養《やしな》はむが|為《ため》の|御経綸《ごけいりん》であつたのだと|考《かんが》へらるるのです』
『|猶太人《ユダヤじん》はキリストを|殺《ころ》した|為《ため》に、|他民族《たみんぞく》から|排斥《はいせき》され、|種々《しゆじゆ》の|困難《こんなん》を|嘗《な》めて|来《き》たのでは|在《あ》りますまいか。さうすれば|若《も》しも|有力《いうりよく》なる|猶太人《ユダヤじん》が|現《あら》はれて|世界《せかい》を|統一《とういつ》した|時《とき》に|於《おい》て、|凡《すべ》ての|異教国《いけうこく》の|人民《じんみん》に|対《たい》して|復仇的《ふくきうてき》|態度《たいど》に|出《い》づる|様《やう》なことは|有《あ》りますまいかなア』
『|多《おほ》くの|同胞《どうはう》の|中《なか》には|左様《さやう》な|考《かんが》へを|持《も》つて|居《ゐ》る|者《もの》があるかも|知《し》れませぬが、イスラエル|人《じん》は|比較的《ひかくてき》|善良《ぜんりやう》な|民族《みんぞく》ですから、|一時《いちじ》は|仮令《たとへ》|過激《くわげき》な|行動《かうどう》に|出《い》づるやも|知《し》れませぬが、|何《なん》と|言《い》つても|神《かみ》に|従《したが》ふ|心《こころ》が|深《ふか》いのですから、|誠《まこと》のメシヤが|判《わか》りて|来《き》ましたら、|屹度《きつと》|其《その》|命《めい》に|従《したが》ふものだと|吾々《われわれ》は|国民性《こくみんせい》の|上《うへ》から|判断《はんだん》を|致《いた》しまして、メシヤの|再臨《さいりん》を|待《ま》ち|望《のぞ》んで|居《を》るので|御座《ござ》います。そして|猶太人《ユダヤじん》は|世界《せかい》を|統一《とういつ》してシオン|帝国《ていこく》を|建設《けんせつ》する|事《こと》があつても、|自《みづか》ら|帝王《ていわう》に|成《な》らうなぞとは|夢想《むさう》だも|為《し》て|居《を》りませぬ。|只《ただ》|聖書《せいしよ》の|予言《よげん》を|確信《かくしん》し、メシヤは|東《ひがし》の|空《そら》より|雲《くも》に|乗《の》りて|降臨《かうりん》すべきもの、|又《また》|吾等《われら》の|永遠《ゑいゑん》に|奉仕《ほうし》すべき|帝王《ていわう》は|日出《ひので》の|嶋《しま》より|現《あら》はれ|玉《たま》ふべきものたる|事《こと》を|確信《かくしん》して|居《を》りますよ。イスラエル|民族《みんぞく》は|此《この》|信仰《しんかう》の|下《もと》に|数千年間《すうせんねんかん》の|艱苦《かんく》や|迫害《はくがい》を|忍《しの》んで|来《き》たのですからなア』
『|私《わたし》はそのメシヤも|帝王《ていわう》も|皆《みな》|高砂島《たかさごじま》にチヤンと|準備《じゆんび》され、|数千年《すうせんねん》の|昔《むかし》から|今日《こんにち》の|世《よ》のために|保存《ほぞん》されて|在《あ》るといふことを|信《しん》じて|居《を》ります。|一天一地一君《いつてんいつちいつくん》の|治《をさ》め|玉《たま》ふ|仁慈《みろく》の|神代《かみよ》は|既《すで》に|已《すで》に|近《ちか》づきつつあるやうに|思《おも》ひます。|併《しか》しそれ|迄《まで》には|如何《どう》しても|一《ひと》つの|大峠《おほたうげ》が|世界《せかい》に|出現《しゆつげん》するだらうと|思《おも》ひます』
『なる|程《ほど》、|吾々《われわれ》も|貴師《あなた》と|同意見《どういけん》です、|天《てん》の|神様《かみさま》がいよいよ|地上《ちじやう》に|現《あら》はれて|善悪正邪《ぜんあくせいじや》を|立別《たてわ》け|立直《たてなほ》し|玉《たま》ふは|聖言《せいげん》の|示《しめ》したまふ|所《ところ》です。|一日《いちにち》も|早《はや》く|身魂《みたま》を|研《みが》いて|神心《かみごころ》になり|世《よ》の|終《をは》りの|準備《じゆんび》にかからねば|成《な》りませぬ。そして|高砂島《たかさごじま》からメシヤと|帝王《ていわう》が|現《あら》はれたまふと|云《い》ふ|貴師《あなた》の|御説《おせつ》には|私《わたし》は|少《すこ》しも|疑《うたがひ》ませぬ。サア|長《なが》らくお|手《て》を|止《と》めまして|済《す》みませなんだ。|如何《どう》です、|一度《いちど》アメリカンコロニーまで|御足労《ごそくらう》を|願《ねが》はれますまいか』
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|然《しか》らば|御言葉《おことば》に|従《したが》ひ|御供《おとも》を|致《いた》しませう』
と|僧院《そうゐん》の|監督《かんとく》に|其《その》|旨《むね》を|明《あ》かし|置《お》き、|老紳士《らうしんし》の|跡《あと》に|従《したが》つてコロニーへと|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一〇 旧五・二七 加藤明子録)
第五章 |至聖団《しせいだん》〔一六三四〕
ブラバーサはスバツフオードに|伴《ともな》はれて、アメリカンコロニーへと|歩《ほ》を|運《はこ》んだ。|百人《ひやくにん》ばかりの|信者《しんじや》が、|祭壇《さいだん》の|前《まへ》で|一生懸命《いつしやうけんめい》になつて|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らす|最中《さいちう》であつたので、|老紳士《らうしんし》と|共《とも》に|末席《まつせき》の|方《はう》から|礼拝《れいはい》をなし、|天下万民《てんかばんみん》の|為《ため》に|一日《いちにち》も|早《はや》く|聖主《せいしゆ》の|降臨《かうりん》されて|神業《しんげふ》を|開《ひら》きたまふ|日《ひ》の|来《きた》れかしと|祈《いの》りつつありけり。
|一同《いちどう》|礼拝《れいはい》を|終《をは》つて、|珍《めづ》らしき|客《きやく》のスバツフオードの|傍《かたはら》に|端座《たんざ》せるを|見《み》て|不思議《ふしぎ》の|眉《まゆ》を|潜《ひそ》めて|眺《なが》めて|居《ゐ》る。スバツフオードは|一同《いちどう》に|向《むか》ひ、|言葉《ことば》|静《しづか》に、
『|皆《みな》さま、|此《この》|御方《おかた》は|高砂島《たかさごじま》から|神命《しんめい》を|奉《ほう》じて|遥々《はるばる》お|越《こ》しになつたブラバーサと|云《い》ふ|聖師《せいし》ですよ。|僧院《そうゐん》ホテルに|御宿泊《ごしゆくはく》の|方《かた》だが、メシヤ|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》として|御出張《ごしゆつちやう》になつたのですから、お|互《たがひ》に|親《した》しく|交際《かうさい》をさして|戴《いただ》かうぢやありませぬか』
|一同《いちどう》はこの|言葉《ことば》に|生《い》き|復《かへ》つた|様《やう》な|面色《かほいろ》を|浮《うか》べて、|異口同音《いくどうおん》に『サンキウサンキウ』と|連呼《れんこ》するのであつた。
ブラバーサは|一同《いちどう》に|向《む》かひ|厚《あつ》く|礼《れい》を|復《かへ》し、|且《か》つ|一場《いちぢやう》の|挨拶的《あいさつてき》|演説《えんぜつ》を|始《はじ》めかけた。
『|御一同様《ごいちどうさま》、|私《わたくし》は|最前《さいぜん》|聖師《せいし》の|御紹介《ごせうかい》|下《くだ》さつた|如《ごと》く、|高砂島《たかさごじま》から|神命《しんめい》を|帯《お》びてメシヤ|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》として|派遣《はけん》されましたルート・バハー|団《だん》の|宣伝使《せんでんし》ブラバーサと|申《まを》す|者《もの》で|御座《ござ》います。|八千哩《はつせんまいる》の|海洋《かいやう》を|渡《わた》り|漸《やうや》く|昨日《きのふ》の|夕方《ゆふがた》、|尊《たふと》きエルサレムの|停車場《ていしやぢやう》へと|安着《あんちやく》いたしました|処《ところ》が、|初《はじ》めての|当地《たうち》の|到着《たうちやく》にて|土地《とち》の|勝手《かつて》も|分《わか》らず、|如何《いか》にして|橄欖山《かんらんざん》へ|行《ゆ》かうかと|心配《しんぱい》しながら、|夕暮《ゆふぐれ》れの|大道《だいだう》を|歩《あゆ》んで|居《を》りますと、|貴団《きだん》の|信者《しんじや》マリヤ|様《さま》に|図《はか》らずも|途中《とちう》に|御目《おめ》に|掛《かか》り、カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルへ|案内《あんない》して|頂《いただ》きました|上《うへ》、|夜分《やぶん》にも|拘《かか》はらず|市中《しちう》の|案内《あんない》までして|頂《いただ》き、|慕《した》はしき|橄欖山《かんらんざん》まで|参拝《さんぱい》さして|貰《もら》ひましたのは、|全《まつた》く|貴団《きだん》の|公平無私《こうへいむし》にして|克《よ》く|神様《かみさま》の|大御心《おほみこころ》を|体得《たいとく》し|遊《あそ》ばしたその|賜《たまもの》と、|深《ふか》く|深《ふか》く|感謝《かんしや》いたした|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|加《くは》ふるに|御親切《ごしんせつ》なるスバツフオード|聖師《せいし》までが、|態々《わざわざ》ホテルまで|御訪問《ごはうもん》|下《くだ》さいまして、|種々《いろいろ》と|結構《けつこう》な|御教訓《ごけうくん》を|承《うけたま》はり、|貴団《きだん》の|純《じゆん》なる|信仰《しんかう》の|模様《もやう》と|愛《あい》の|結晶《けつしやう》とも|云《い》ふべき|美《うる》はしき|生活《せいくわつ》の|有様《ありさま》を|拝聴《はいちやう》しまして、|感涙《かんるい》に|咽《むせ》びました。|悪魔《あくま》|横行《わうかう》の|暗黒《あんこく》なる|世界《せかい》にも、|貴団《きだん》の|如《ごと》き|真善美愛《しんぜんびあい》の|聖《せい》なる|団体《だんたい》が|造《つく》られてあるかと|思《おも》へば、|神様《かみさま》の|仁慈《じんじ》の|大御心《おほみこころ》と|周到《しうたう》なる|御経綸《ごけいりん》とには|感謝《かんしや》せざるを|得《え》なく|成《な》つて|参《まゐ》りました。|私《わたくし》も|今日《けふ》は|神様《かみさま》の|仁愛《じんあい》の|光《ひかり》に|照《て》らされまして、|大神《おほかみ》の|愛《あい》の|深《ふか》く|尊《たふと》き|事《こと》を|悟《さと》りましたが、|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》はイザ|知《し》らず、|私《わたくし》の|出生《しゆつせい》した|高砂島《たかさごじま》などは|今《いま》より|五十年前《ごじふねんぜん》までは、|御話《おはなし》するさへも|恥《はづ》かしい|様《やう》な|状態《じやうたい》で|御座《ござ》いました。|基督《キリスト》の|愛《あい》、|孔子《こうし》の|仁《じん》、|仏陀《ぶつだ》の|慈悲《じひ》なぞ|申《まを》す|事《こと》は、|私《わたくし》|共《ども》に|取《と》つては|非常《ひじやう》に|神秘的《しんぴてき》な|了解《れうかい》し|難《がた》い、|到底《たうてい》|凡人《ただびと》の|手《て》の|届《とど》かぬ|高遠《かうゑん》なものの|様《やう》に|教《をし》へられて|来《き》たもので|御座《ござ》います。|各宗《かくしう》|各教《かくけう》の|宣教者《せんけうしや》が|余《あま》りに|神仏《しんぶつ》の|教《をしへ》に|勿体《もつたい》を|付《つ》け|過《す》ぎて、|仁《じん》だの|愛《あい》だの|慈悲《じひ》なぞの|神理《しんり》を|此《この》|世《よ》の|外《ほか》のものの|様《やう》に|仕《し》て|了《しま》つたのです。|然《しか》るに|天運循環《てんうんじゆんくわん》の|神律《しんりつ》に|由《よ》つて、|神《かみ》の|御国《みくに》と|称《とな》へられた|極東《きよくとう》の|高砂島《たかさごじま》に|厳瑞《げんずゐ》|二柱《ふたはしら》の|救世主《きうせいしゆ》あらはれ|玉《たま》ひて、|高大博遠《かうだいはくゑん》なる|愛《あい》は|私《わたくし》|共《ども》に|極《きは》めて|手近《てぢか》いもの|親《した》しきものにして、|日々《にちにち》の|生活《せいくわつ》から|放《はな》さうとしても|放《はな》され|得《え》ないものと|成《な》つたのです。|何《なん》と|有難《ありがた》い|尊《たふと》いことで|御座《ござ》いませう。|御一同様《ごいちどうさま》も、|又《また》|愛《あい》の|真諦《しんたい》を|能《よ》く|体得《たいとく》|遊《あそ》ばされ、キリストの|再臨《さいりん》を|誠心誠意《せいしんせいい》|待望《たいばう》されつつ|国籍《こくせき》と|宗教《しうけう》の|障壁《しやうへき》を|脱却《だつきやく》して|聖団《せいだん》を|創立《さうりつ》されました|事《こと》は、|天下万民《てんかばんみん》のために|実《じつ》に|洪大《こうだい》|無限《むげん》の|大神業《だいしんげふ》だと|考《かんが》へまして、|貴団《きだん》の|御精神《ごせいしん》のある|事《こと》に|感謝《かんしや》|措《お》かない|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|自国《じこく》の|恥《はぢ》を|申《まを》し|上《あ》げるではありませぬが、|今日《こんにち》は|国籍《こくせき》や|宗教《しうけう》の|如何《いかん》に|関係《くわんけい》なく、|世界《せかい》|人類愛《じんるゐあい》の|上《うへ》より|御参考《ごさんかう》の|為《ため》|一言《いちごん》|申上《まうしあ》げ|度《た》いと|思《おも》ひます。|貴団《きだん》の|方々《かたがた》や|現今《げんこん》の|若《わか》い|人達《ひとたち》には、|殆《ほとん》ど|想像《さうざう》も|出来《でき》ない|程《ほど》に|我《わが》|生国《せいこく》|高砂島《たかさごじま》は、|三百諸侯《さんびやくしよこう》の|小《ちひ》さい|敵国《てきこく》に|分割《ぶんかつ》されて|居《を》りましたのが、|今《いま》より|僅《わづ》かに|五十年《ごじふねん》|以前《いぜん》の|状態《じやうたい》でありました。|甲州《かふしう》と|乙州《おつしう》とはおろか、|同《おな》じ|乙州《おつしう》でもアールとセンダーに|於《おい》ても、シエルとアンターとの|間《あひだ》に|於《おい》ても、|全《まつた》く|敵国《てきこく》の|状態《じやうたい》で、|所謂《いはゆる》|郷関《きやうくわん》を|一歩《いつぽ》|出《い》づるが|最後《さいご》、|生命《せいめい》の|保証《ほしよう》が|出来《でき》ないやうな|実状《じつじやう》で|御座《ござ》いました。そればかりか、|各自《かくじ》|腰《こし》に|秋水《しうすゐ》を|帯《お》び|家《いへ》を|出《い》づれば|男子《だんし》は|七人《しちにん》の|敵《てき》ありと|覚悟《かくご》して|居《ゐ》るのが|武士道《ぶしだう》の|尊《たふと》い|所《ところ》と|謂《ゐ》はれ、|神国魂《しんこくみたま》の|精華《せいくわ》としられて|居《を》りました。|又《また》|武士《ぶし》は|切捨《きりすて》|御免《ごめん》と|言《い》つて、|平民《へいみん》を|切《き》り|殺《ころ》す|位《ぐらゐ》なことは|武士《ぶし》の|普通《ふつう》の|特権《とくけん》とさへ|見《み》られて|居《を》つたのです。|現《げん》に|今《いま》より|三十年前《さんじふねんぜん》に|有《あ》つても、|甲州人《かふしうじん》とか|乙州人《おつしうじん》とか|言《い》ふ|言語《げんご》には、|如何《いか》にもヨソヨソしい|意味《いみ》を|以《もつ》て|居《を》つたのです。|又《また》|今日《こんにち》と|雖《いへど》も|官吏《くわんり》とか、|平民《へいみん》とか|云《い》ふ|言葉《ことば》には、|一種《いつしゆ》の|強固《きやうこ》な|障壁《しやうへき》が|築《きづ》かれてある|様《やう》な|感《かん》じを|与《あた》へて|居《を》ります。|私共《わたくしども》の|父《ちち》|即《すなは》ち|維新《ゐしん》の|戦《たたか》ひに|参加《さんか》した|人達《ひとたち》は、|常《つね》に|私共《わたくしども》の|子供《こども》の|時代《じだい》を|見《み》て、|今日《こんにち》の|青年《せいねん》や|子供《こども》は|大変《たいへん》に|柔順《じうじゆん》になつたと|言《い》つて|驚《おどろ》いた|位《くらゐ》です。|私共《わたくしども》の|子供《こども》の|時分《じぶん》はそれでも|他《た》の|町村内《ちやうそんない》の|子供《こども》に|対《たい》しては|一種《いつしゆ》の|敵意《てきい》を|持《も》つて|町村《ちやうそん》と|町村《ちやうそん》との|子供《こども》の|喧嘩《けんくわ》は|余《あま》り|珍《めづ》らしいものではありませぬでした。|他町村《たちやうそん》の|子供《こども》を|見《み》て|石瓦《いしかはら》を|投《な》げ|付《つ》け、|怪我《けが》をさせて|快哉《くわいさい》を|叫《さけ》ぶ|事《こと》なぞは|普通《ふつう》の|事《こと》としられて|居《を》りました。それ|位《ぐらゐ》だから、|維新前《ゐしんぜん》|即《すなは》ち|三百諸侯《さんびやくしよこう》の|各地《かくち》に|割拠《かつきよ》して|絶《た》えず|争《あらそ》つて|居《ゐ》た|時代《じだい》は、|中々《なかなか》|殺伐《さつばつ》なもので|有《あ》つた|事《こと》は、|古老《こらう》の|談話《だんわ》を|聞《き》いて|見《み》れば|驚《おどろ》かされる|位《くらゐ》であります。それが|今日《こんにち》では|子供《こども》の|喧嘩《けんくわ》でさへ|頗《すこぶ》る|珍《めづ》らしくなつて|来《き》ました。|町村《ちやうそん》の|子供《こども》と|町村《ちやうそん》の|子供《こども》とが|互《たがひ》に|敵視《てきし》する|様《やう》なことは、|今日《こんにち》の|子供《こども》には|想像《さうざう》が|付《つ》かない|様《やう》になりました。|是《これ》は|何《なん》の|為《ため》かと|考《かんが》へて|見《み》れば、|高砂島《たかさごじま》の|三百諸侯《さんびやくしよこう》の|我利我利連《がりがりれん》が|一天万乗《いつてんばんじやう》の|大君《おほぎみ》の|思召《おぼしめし》によつて|何《いづ》れも|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|帰順《きじゆん》の|誠《まこと》を|輸《いた》して|大君《おほぎみ》の|下《もと》に|畏服《ゐふく》し、|一切《いつさい》を|投《な》げ|出《だ》して|了《しま》つたからでありませう。それが|為《ため》に|人心《じんしん》|大《おほい》に|和《やは》らぎ、|四方平等的《しはうべうどうてき》の|精神《せいしん》が|国民《こくみん》の|間《あひだ》に|貫流《くわんりう》する|様《やう》になつたので|御座《ござ》います。|何《なに》が|野蛮《やばん》だと|言《い》つても、|互《たがひ》に|敵意《てきい》を|持《も》つて|争《あらそ》ふ|程《ほど》|野蛮《やばん》なことは|有《あ》りますまい。|故《ゆゑ》に|野蛮人《やばんじん》とは|其《その》|親愛《しんあい》の|範囲《はんゐ》の|極《きは》めて|狭小《けふせう》なるものを|意味《いみ》し、|文明人《ぶんめいじん》とは|親愛《しんあい》の|範囲《はんゐ》の|極《きは》めて|広大《くわうだい》なるを|意味《いみ》するものとすれば、|貴団《きだん》の|如《ごと》きは|実《じつ》に|世界《せかい》に|先《さき》んじて|文明《ぶんめい》の|中《なか》の|大文明《だいぶんめい》の|花《はな》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ふたものと、|衷心《ちうしん》より|感謝《かんしや》に|堪《た》へない|次第《しだい》で|御座《ござ》います。|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|大神様《おほかみさま》は|全地上《ぜんちじやう》の|世界《せかい》をして、|天国《てんごく》|浄土《じやうど》と|為《な》し、|万民《ばんみん》に|安息《あんそく》と|栄光《えいくわう》を|与《あた》へむが|為《ため》に|三千年《さんぜんねん》の|御経綸《ごけいりん》を|遊《あそ》ばして、|今《いま》や|高砂島《たかさごじま》に|聖跡《せいせき》を|垂《た》れ|玉《たま》ひました。そして|大神《おほかみ》の|元《もと》の|御屋敷《おやしき》たる|此《この》エルサレムに|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばす、その|準備《じゆんび》として|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|聖主《せいしゆ》を|下《くだ》し、|万民《ばんみん》の|罪《つみ》を|贖《あがな》ひたまふこととなつたので|御座《ござ》います。|又《また》|神《かみ》の|選民《せんみん》たるイスラエル|民族《みんぞく》の|方々《かたがた》が|主唱者《しゆしやうしや》となつて|各国《かくこく》の|人々《ひとびと》をこの|聖地《せいち》に|集《あつ》め、メシヤの|再臨《さいりん》を|信《しん》じてアメリカンコロニーの|如《ごと》き|立派《りつぱ》な|殿堂《でんだう》を|作《つく》られて|居《を》られる|事《こと》は、|私《わたくし》に|採《と》りまして|実《じつ》に|何《なん》とも|言《い》へぬ|有難《ありがた》い|嬉《うれ》しい|頼《たの》もしい|事《こと》だか|判《わか》りませぬ。|願《ねが》はくは|私《わたくし》もこの|聖団員《せいだんゐん》の|一人《ひとり》に|加《くは》へて|頂《いただ》きますれば、|身《み》の|光栄《くわうえい》|是《これ》に|過《す》ぎませぬ。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|拍手《はくしゆ》の|内《うち》に|勇《いさ》まし|気《げ》に|降壇《かうだん》した。|老紳士《らうしんし》は|直《ただち》に|登壇《とうだん》して、
『|只今《ただいま》|聖師《せいし》のお|話《はなし》によつて、|今回《こんくわい》の|聖地《せいち》|御出向《ごしゆつかう》も|了解《れうかい》いたしました。この|団員《だんゐん》も|定《さだ》めて|私《わたくし》と|同《おな》じ|御意見《ごいけん》だと|思《おも》ひます。|個々《ここ》|分立《ぶんりつ》して|日《ひ》に|夜《よ》に|争闘《さうとう》の|絶間《たえま》が|無《な》かつたと|云《い》ふ|高砂島《たかさごじま》が、|今《いま》より|五十年《ごじふねん》|以前《いぜん》に|於《おい》て|統一《とういつ》せられ、|又《また》|厳瑞《げんずゐ》|二柱《ふたはしら》の|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれたまふたのも、メシヤ|再臨《さいりん》|世界一体《せかいいつたい》の|大神様《おほかみさま》の|深遠《しんゑん》なる|御経綸《ごけいりん》で|御座《ござ》いませう。|国内《こくない》の|凡《すべ》ての|障壁《しやうへき》が|取《と》り|除《のぞ》かるる|事《こと》によつて、|今日《こんにち》の|向上《かうじやう》と|繁栄《はんゑい》を|来《き》たす|事《こと》になつた|以上《いじやう》は、|猶《なほ》も|進《すす》んで|世界中《せかいぢう》が|争闘《そうとう》を|止《や》めて|相親愛《あひしんあい》し、|各国《かくこく》|各人種《かくじんしゆ》などと|云《い》ふ|根本的《こんぽんてき》|敵愾心《てきがいしん》を|取《と》り|去《さ》る|事《こと》によつて、|人類《じんるゐ》の|文化《ぶんくわ》は|神聖《しんせい》なものとなり|之《これ》と|同時《どうじ》にその|福利《ふくり》の|程度《ていど》も|大変《たいへん》に|高《たか》めらるること|疑《うたがひ》なき|真理《しんり》であります。|要《えう》するに|吾々《われわれ》お|互《たがひ》の|親愛《しんあい》の|範囲《はんゐ》の|大小《だいせう》によつて、|野蛮《やばん》ともなり|文明《ぶんめい》ともなるのです。|世界《せかい》の|平和《へいわ》を|来《きた》さむがため、|即《すなは》ち|五六七《みろく》の|神政《しんせい》|出現《しゆつげん》のためには、|各国《かくこく》|国民間《こくみんかん》の|有形《いうけい》と|無形《むけい》の|大障壁《だいしやうへき》を|第一着《だいいちちやく》に|取《と》り|除《のぞ》かねば|駄目《だめ》です。この|挙《きよ》に|出《いで》ずして|世界《せかい》の|平和《へいわ》、|五六七神政《みろくしんせい》の|成就《じやうじゆ》を|夢《ゆめ》みるは|恰《あたか》も|器具《きぐ》を|別々《べつべつ》にして、|水《みづ》の|融合《ゆうがふ》を|来《きた》さうとするものと|同様《どうやう》の|愚挙《ぐきよ》では|有《あ》りますまいか。それ|故《ゆゑ》、|吾々《われわれ》|団体員《だんたいゐん》は|世界《せかい》に|率先《そつせん》して|平和《へいわ》の|真諦《しんたい》を|示《しめ》し、メシヤ|再臨《さいりん》の|準備《じゆんび》に|従事《じゆうじ》して|居《を》るもので|御座《ござ》います。|今日《こんにち》は|高砂島《たかさごじま》の|聖師《せいし》の|御来着《ごらいちやく》によつて、|私《わたくし》は|神界《しんかい》の|御経綸《ごけいりん》の|洪大無辺《こうだいむへん》なるに|感喜《かんき》の|余《あま》り、|茲《ここ》に|一言《いちごん》|蕪辞《ぶじ》を|述《の》べ|御挨拶《ごあいさつ》に|代《か》へました。|何《ど》うか|団員《だんゐん》|諸氏《しよし》もこの|聖師《せいし》と|共《とも》に|空前絶後《くうぜんぜつご》の|大神業《だいしんげふ》の|完成《くわんせい》に|尽《つく》されむ|事《こと》を|希望《きばう》いたします』
と|悠然《いうぜん》として|演壇《えんだん》を|下《くだ》つた。|団員《だんゐん》|一同《いちどう》は|拍手《はくしゆ》してスバツフオード|聖師《せいし》の|説《せつ》に|賛同《さんどう》し|和気藹々《わきあいあい》として|堂《だう》に|溢《あふ》るるばかりであつた。|今迄《いままで》うつむき|勝《がち》で|感涙《かんるい》に|咽《むせ》んで|居《ゐ》たマグダラのマリヤは、やをら|身《み》を|起《おこ》してツカツカと|演壇《えんだん》の|上《うへ》に|立《た》ち|上《あが》り、|謹厳《きんげん》な|態度《たいど》を|以《もつ》て|一場《いちぢやう》の|演説《えんぜつ》を|始《はじ》めかけた。|一同《いちどう》は|拍手《はくしゆ》してマリヤの|講演《かうえん》を|迎《むか》へた。
『|妾《わたし》は|只今《ただいま》|両《りやう》|聖師《せいし》の|御演説《ごえんぜつ》を|承《うけたま》はりまして、|大《おほい》に|心強《こころづよ》く|感《かん》じました。|海洋万里《かいやうばんり》の|遠方《ゑんぱう》から|遥々《はるばる》|御越《おこ》しになり、エルサレムの|停車場《ていしやぢやう》|前《まへ》の|街路《がいろ》に|於《おい》て|妾《わたし》と|会合《くわいがふ》されました|事《こと》は|実《じつ》に|奇蹟中《きせきちう》の|奇蹟《きせき》だと|考《かんが》へます。ブラバーサ|様《さま》は|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御使命《ごしめい》を|帯《お》び、メシヤ|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》として|御光来《ごくわうらい》になつた|事《こと》は|寸毫《すんがう》も|疑《うたが》ふ|余地《よち》は|御座《ござ》いませぬ。|妾《わたし》は|皆《みな》さまと|共《とも》に|世界《せかい》|万民《ばんみん》の|為《ため》に、|聖師《せいし》の|光臨《くわうりん》を|祝《しゆく》し|且《か》つ|満腔《まんこう》の|喜悦《きえつ》に|堪《た》へないので|御座《ござ》います。メシヤの|降臨《かうりん》キリストの|再臨《さいりん》、|五六七神政《みろくしんせい》|成就《じやうじゆ》とは|名称《めいしよう》こそ|変《かは》つて|居《を》りますが、|要《えう》するに|同《おな》じ|意味《いみ》だと|考《かんが》へます。|斯《かか》る|目出度《めでた》き|世界《せかい》になるのも|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》で|御座《ござ》いますが、その|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|生宮《いきみや》が|現《あら》はれなくては|成《な》りませぬ。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|生宮《いきみや》たる|吾々《われわれ》は、|世界《せかい》にあらゆる|有形《いうけい》|無形《むけい》この|二《ふた》つの|大《だい》なる|障壁《しやうへき》を|取《と》り|除《のぞ》かねばなりませぬ。|有形的《いうけいてき》|障害《しやうがい》の|最大《さいだい》なるものは|対外的《たいぐわいてき》|戦備《せんび》≪|警察的《けいさつてき》|武備《ぶび》は|別《べつ》≫と|国家的《こくかてき》|領土《りやうど》の|閉鎖《へいさ》とであります。|又《また》|無形《むけい》の|障壁《しやうへき》の|最大《さいだい》なるものとは、|即《すなは》ち|国民《こくみん》|及《およ》び|人種間《じんしゆかん》の|敵愾心《てきがいしん》だと|思《おも》ひます。|又《また》|宗教団《しうけうだん》と|宗教団《しうけうだん》との|間《あひだ》の|敵愾心《てきがいしん》だと|思《おも》ひます。|此《この》|世界的《せかいてき》の|有形《いうけい》の|大障壁《だいしやうへき》を|除《のぞ》く|為《ため》には|先《ま》づ|無形《むけい》の|障壁《しやうへき》から|取《と》り|除《のぞ》いて|掛《かか》らねば|成《な》らないと|思《おも》ひます。|聖《せい》キリストは|天国《てんごく》は|爾曹《なんぢら》の|内《うち》に|在《あ》りと|言《い》はれて|居《ゐ》ます。|聖《せい》アブデユル・バハーは|世界《せかい》の|平和《へいわ》の|人々《ひとびと》の|心《こころ》の|内《うち》に|建《た》てられねば|成《な》らぬと|教《をし》へられて|居《ゐ》ます。|仏陀《ぶつだ》は|慈悲《じひ》の|心《こころ》を|十方世界《じつぱうせかい》に|拡《ひろ》めて|限界《げんかい》を|設《まう》けるなと|教《をし》へられて|居《ゐ》ます。ツルク|聖主《せいしゆ》の|御示教《ごじけう》も|先《ま》づ|第一《だいいち》に|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|和合《わがふ》を|以《もつ》て|五六七神政《みろくしんせい》|成就《じやうじゆ》の|絶対《ぜつたい》|条件《でうけん》として|居《を》られます。|神聖《しんせい》とか|精神《せいしん》とか|霊的《れいてき》とか|申《まを》すことは、|別《べつ》に|不可思議《ふかしぎ》な|神秘《しんぴ》なものでは|無《な》く、|人類愛《じんるゐあい》の|心《こころ》|即《すなは》ち|他《た》の|国民《こくみん》や|人種《じんしゆ》に|対《たい》して|少《すこ》しの|障壁《しやうへき》も|築《きづ》かず、|胸襟《きようきん》を|披《ひら》いて|自分《じぶん》の|友人《いうじん》に|対《たい》すると|同様《どうやう》に|友愛《いうあい》の|心《こころ》を|持《も》つ|事《こと》で|御座《ござ》います。この|障壁《しやうへき》をなす|唯一《ゆゐいつ》の|根元《こんげん》は|自己心《じこしん》と|自我心《じがしん》です。|幸《さいはひ》に|我《わが》|聖団《せいだん》は|自己《じこ》|自愛《じあい》の|心《こころ》を|脱却《だつきやく》し、|唯《ただ》|何事《なにごと》も|大神様《おほかみさま》の|御心《みこころ》に|任《まか》す|人々《ひとびと》の|集《あつ》まりで|御座《ござ》いますから、|大神様《おほかみさま》も|御嘉賞《ごかしやう》|遊《あそ》ばして|遥々《はるばる》と|高砂島《たかさごじま》から|聖師《せいし》を|招《まね》き、|我々《われわれ》の|聖団《せいだん》に|与《あた》へて|下《くだ》さつたものと|厚《あつ》く|深《ふか》く|感謝《かんしや》する|次第《しだい》であります。アーメン』
マリヤは|茲《ここ》まで|演《えん》じ|了《をは》り、|一同《いちどう》に|向《むか》つて|軽《かる》く|一礼《いちれい》しながら|壇《だん》を|降《くだ》る。|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》は|急霰《きふさん》の|如《ごと》く|場《ぢやう》の|外《そと》まで|響《ひび》き|渡《わた》つて|居《ゐ》る。
アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・七・一〇 旧五・二七 北村隆光録)
第二篇 |聖地《せいち》|巡拝《じゆんぱい》
第六章 |偶像都《ぐうざうのみやこ》〔一六三五〕
ブラバーサ、マリヤの|二人《ふたり》は|又《また》もやエルサレムの|市街《しがい》を|巡覧《じゆんらん》し|始《はじ》め、|市内《しない》で|一番《いちばん》|重要《ぢうえう》なモニユーメントになつて|居《ゐ》る|聖《せい》セバルタン|寺院《じゐん》を|見《み》るべく|寺門《じもん》を|潜《くぐ》りぬ。
『|聖師様《せいしさま》、|此《この》お|寺《てら》は|聖《せい》キリスト|様《さま》を|磔刑《はりつけ》に|処《しよ》した|場所《ばしよ》で、ゴルゴタの|地《ち》の|上《うへ》に|建《た》てられてあるのだと|伝《つた》へられて|居《を》りますが、|併《しか》し|聖書《せいしよ》に|由《よ》つて|考《かんが》へてみると、ゴルゴタは|市《し》の|外部《ぐわいぶ》に|存在《そんざい》して|居《ゐ》なければ|成《な》らぬ|筈《はず》です。|若《も》しも|現在《げんざい》の|城壁《じやうへき》が|当時《たうじ》のものよりも|拡張《くわくちやう》して|居《ゐ》るものとすれば、|問題《もんだい》にも|成《な》り|得《う》るでせうが、|同一《どういつ》の|場所《ばしよ》にありとすれば、ダマスカスの|門《もん》の|外《そと》にある|一見《いつけん》|頭骸骨状《づがいこつじやう》の|目下《もくか》|墓地《ぼち》になつて|居《ゐ》る|岩丘《がんきう》を|以《もつ》て、ゴルゴタの|地《ち》と|認《みと》めなければ|成《な》らないと|思《おも》ひますわ』
『|吾々《われわれ》|人間《にんげん》としては|到底《たうてい》|真偽《しんぎ》は|判《わか》りませぬ。|大聖主《だいせいしゆ》が|御降臨《ごかうりん》の|上《うへ》|御定《おさだ》めなさることでせう。|時《とき》に、この|寺院《じゐん》の|由来《ゆらい》を|聞《き》かして|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
『このお|寺《てら》の|由来《ゆらい》を|申《まを》せば、コンスタンチン|帝《てい》の|命令《めいれい》に|由《よ》つて|発掘《はつくつ》された|結果《けつくわ》、キリスト|様《さま》の|埋葬《まいさう》され|遊《あそ》ばした|洞窟《どうくつ》が|発見《はつけん》せられましたので、|帝《みかど》の|母上《ははうへ》なる|聖《せい》ヘレナ|様《さま》がエルサレムに|巡礼《じゆんれい》して|来《こ》られ、|爰《ここ》でキリストの|十字架《じふじか》を|発見《はつけん》しられたので、|弥《いよいよ》この|地《ち》をゴルゴタの|聖蹟《せいせき》と|認《みと》めて、|紀元《きげん》|三百三十六年《さんびやくさんじふろくねん》|初《はじ》めてここに|寺院《じゐん》を|建立《こんりふ》されたと|云《い》ふことですが、それを|又《また》|六百十四年《ろくぴやくじふよねん》に|波斯人《ペルシヤじん》のために|焼亡《やきほろ》ぼされた|為《ため》、|直《ただち》に|改築《かいちく》をされましたと|云《い》ふことです。その|後《のち》に|於《おい》ても|幾度《いくたび》となく|破壊《はくわい》|改築《かいちく》|修繕《しうぜん》|等《とう》|相次《あひつ》ぎ|今日《こんにち》に|至《いた》つたのだと|聞《き》いて|居《を》ります。|一度《いちど》お|寺《てら》の|内部《ないぶ》を|拝観《はいくわん》なさいませぬか。|妾《わたし》が|御案内《ごあんない》いたしますから』
『ハイ|有難《ありがた》う』
とマリヤの|後《あと》より|寺内《じない》へ|深《ふか》く|進《すす》み|入《い》る。
|寺院内《じゐんない》へ|這入《はい》つて|見《み》ると、|迷宮《めいきう》の|様《やう》な|構造《こうざう》で|随分《ずゐぶん》|複雑《ふくざつ》して|居《ゐ》て、|加《くは》ふるに|太陽《たいやう》の|光線《くわうせん》が|十分《じふぶん》|徹《とほ》らない|薄暗闇《うすくらがり》で、|何《な》んとなく|寂《さび》しい|感《かん》じがする。それぞれ|手《て》に|蝋燭《らふそく》を|携帯《けいたい》せなければ|成《な》らなくなつて|居《ゐ》る。|寺内《じない》の|空気《くうき》は|重《おも》くしめり|勝《がち》で|余《あま》り|気分《きぶん》の|良《い》い|所《ところ》ではない。|敷石《しきいし》は|全部《ぜんぶ》|湿気《しつき》で|濡《ぬ》れて|居《ゐ》るため、ウカウカして|居《ゐ》ると|脚下《あしもと》が|辷《すべ》つて|転倒《てんたう》せむとすること|屡《しばしば》である。|平和《へいわ》にして|清潔《せいけつ》なるものは|寺院《じゐん》だと|思《おも》つて|居《ゐ》た|高砂島《たかさごじま》の|明《あか》るい|生活《せいくわつ》に|馴《な》れたブラバーサの|心《こころ》に|取《と》つては|意外《いぐわい》の|感《かん》じに|襲《おそ》はれ、|危険《きけん》がチクチクと|身《み》に|迫《せま》る|様《やう》に|何《なん》となく|不安《ふあん》の|雲《くも》に|包《つつ》まれにける。
|外《そと》のユダヤ|人街《じんがい》から|来《く》るのか、|内部《ないぶ》から|発《はつ》したのか|知《し》らぬが、|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|厭《いや》な|臭気《しうき》が|襲《おそ》つて|来《く》る。そして|内部《ないぶ》は|凡《すべ》てキリストの|磔刑《たくけい》に|関《くわん》するあらゆる|由緒《ゆいしよ》ある|場所《ばしよ》に|由《よ》つて|充《みた》されて|居《ゐ》て、|何《なん》となく|物悲《ものかな》しい|寂《さび》しい|感《かん》じを|与《あた》へる。|精霊《せいれい》が|八衢《やちまた》を|越《こ》えて|地獄《ぢごく》の|入口《いりぐち》に|達《たつ》した|時《とき》の|様《やう》な|気分《きぶん》になつて|来《く》る。
マリヤはブラバーサを|顧《かへり》みながら|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、さも|愁《うれ》た|気《げ》に、
『|聖師様《せいしさま》、この|長方形《ちやうはうけい》の|石《いし》はニコデモがキリスト|様《さま》の|体《からだ》に|油《あぶら》の|布《ぬの》を|以《もつ》て|捲《ま》くために|御身体《ごしんたい》をのせたと|伝《つた》へられるもので|御座《ござ》います。これがヨセフの|墓《はか》で|此方《こちら》がアリマヂエの|墓《はか》で、その|少《すこ》し|向《むか》ふにあるのはニコデモの|墓《はか》で|御座《ござ》いますよ。そして|彼所《あすこ》がキリストの|復活《ふくくわつ》された|後《のち》|母《はは》の|眼《め》に|現《あら》はれたまふたといふ|聖所《せいしよ》ですよ』
キリストを|刺《さ》した|鎗《やり》、キリストを|投入《とうにふ》した|牢獄《らうごく》、|兵卒《へいそつ》がキリストの|衣《きぬ》をわかつた|場所《ばしよ》なぞ|一々《いちいち》|叮嚀《ていねい》に|指《さ》し|示《しめ》すのであつた。
『|天下《てんか》|万民《ばんみん》のために|犠牲《ぎせい》とお|成《な》り|下《くだ》さつた|救世主《きうせいしゆ》の|御遺跡《ごゐせき》を|拝観《はいくわん》いたしまして、|何《なん》とも|言《い》ひ|得《え》ない|程《ほど》|私《わたくし》は|御神徳《ごしんとく》を|頂《いただ》きました。|何時《いつ》の|世《よ》にも|善人《ぜんにん》は|俗悪《ぞくあく》|世界《せかい》の|人間《にんげん》から|迫害《はくがい》されると|云《い》ふ|事《こと》は|古今一徹《ここんいつてつ》ですな。ルート・バハーの|大聖主《だいせいしゆ》も|肉体《にくたい》こそ|保存《ほぞん》されて|在《あ》りますが、|精神的《せいしんてき》に|牢獄《らうごく》に|投《な》げ|込《こ》まれ|銃剣《じうけん》にて|突《つ》き|刺《さ》され、あらゆる|社会《しやくわい》の|侮辱《ぶじよく》と|嘲罵《てうば》とを|浴《あ》びせられ、|且《か》つ|大悪人《だいあくにん》の|如《ごと》く|扱《あつか》はれて|居《を》られますが、|何《ど》うか|一日《いちにち》も|早《はや》く|天晴《あつぱ》れ|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》が|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》を|認《みと》める|様《やう》になつて|欲《ほ》しいもので|御座《ござ》いますよ。ツルク|大聖主《だいせいしゆ》の|墓《はか》は|官憲《くわんけん》の|手《て》に|暴破《あばか》れ|聖壇《せいだん》は|破壊《はくわい》され|数多《あまた》の|聖教徒《せいけうと》は|圧迫《あつぱく》に|堪《た》へ|兼《か》ねて|四方《しはう》に|離散《りさん》し、|今《いま》は|純信《じゆんしん》な|神《かみ》に|生命《せいめい》を|捧《ささ》げたものばかりが|殉教的《じゆんけうてき》|精神《せいしん》を|以《もつ》てウヅンバラ・チヤンダー|聖主《せいしゆ》|夫妻《ふさい》を|唯一《ゆゐいつ》の|力《ちから》と|頼《たの》んで、|天下《てんか》|万民《ばんみん》のために|熱烈《ねつれつ》なる|信仰《しんかう》を|続《つづ》けて|居《ゐ》るのです。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
マリヤは|涙《なみだ》に|暮《く》れながら、|聖師《せいし》の|先《さき》に|立《た》つてキリストの|十字架《じふじか》を|建《た》てた|正確《せいかく》な|地点《ちてん》や、|聖母《せいぼ》のマリヤが|十字架《じふじか》から|降《お》ろされたキリストの|亡骸《なきがら》を|受取《うけと》つた|場所《ばしよ》を|案内《あんない》するのであつた。|是等《これら》の|地点《ちてん》には、それぞれそれに|因《ちな》んだ|名《な》を|附《ふ》したチヤペル(|礼拝堂《れいはいだう》)が|設《まう》けられありぬ。
『|是《これ》がアダムの|墓《はか》で|御座《ござ》いますが、|一番《いちばん》に|聖地《せいち》でも|不思議《ふしぎ》と|呼《よ》ばれて|居《を》ります。そしてキリストの|聖《きよ》き|御血《おんち》が|岩《いは》の|裂《わ》れ|目《め》からその|頭《あたま》に|浸《し》み|込《こ》むや|否《いな》や、この|原人《げんじん》アダムは|忽《たちま》ち|蘇生《そせい》したと|言《い》ひ|伝《つた》へられて|居《を》るのですよ』
と|少《すこ》しく|怪《あや》し|気《げ》に|笑《わら》つて|居《ゐ》る。
ブラバーサは|感慨《かんがい》|無量《むりやう》の|思《おも》ひに|充《み》ちて|一言《ひとこと》も|発《はつ》せず、マリヤの|後《あと》から|心臓《しんざう》の|動悸《どうき》を|高《たか》め|乍《なが》ら|従《つ》いて|行《ゆ》く。|寺院《じゐん》の|東《ひがし》の|端《はし》の|方《はう》には|聖《せい》ヘレナの|礼拝堂《れいはいだう》が|建《た》つて|居《ゐ》る。|北《きた》の|神壇《しんだん》はキリストと|共《とも》に|十字架《じふじか》に|釘付《くぎつ》けられた|一人《ひとり》の|悔改《くいあらた》めたる|盗人《ぬすびと》のために|捧《ささ》げられたものだと|伝《つた》へて|居《ゐ》る。|主《おも》なる|神壇《しんだん》は|皇后《くわうごう》|聖《せい》ヘレナのために|捧《ささ》げられたものと|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。その|側面《そくめん》を|地下《ちか》へ|十三段《じふさんだん》|下《くだ》つた|処《ところ》に、|又《また》|十字架《じふじか》|発見《はつけん》のチヤペルが|建《た》てられて|居《ゐ》る。|茲《ここ》に|聖《せい》ヘレナが|夢《ゆめ》の|啓示《けいじ》に|由《よ》つて|三《みつ》つの|十字架《じふじか》を|発見《はつけん》したと|云《い》ふ。
『|聖《せい》ヘレナ|様《さま》が|夢《ゆめ》の|啓示《けいじ》に|由《よ》つて|三《みつ》つの|十字架《じふじか》を|発見《はつけん》されまして、|爰《ここ》にチヤペルをお|建《た》てになつたのですが、その|発見《はつけん》された|三《みつ》つの|内《うち》でも|何《いづ》れがキリストの|架《か》けられた|十字架《じふじか》だか|分《わか》らなかつたので、そこで|一《ひと》つ|一《ひと》つ|大病人《だいびやうにん》に|触《ふ》れさせて|試《こころ》みた|所《ところ》、その|中《なか》の|一《ひと》つが|病人《びやうにん》を|癒《なほ》したのでそれをキリストのものとして|保存《ほぞん》されてあると|云《い》ふ|事《こと》で|御座《ござ》います。そしてキリストの|縛《しば》り|付《つ》けられなさつた|円柱《ゑんちう》が|在《あ》るのですが、|併《しか》しそれは|神壇《しんだん》の|壁《かべ》の|奥《おく》に|深《ふか》く|隠《かく》れて|居《ゐ》るので|容易《ようい》に|拝《はい》することは|出来《でき》ないのです。|所《ところ》がその|壁《かべ》には|丸《まる》い|穴《あな》があいて|居《ゐ》て、|信心《しんじん》の|深《ふか》い|礼拝者《れいはいしや》はそこにおいてある|摺子木《すりこぎ》|様《やう》の|棒《ぼう》をその|穴《あな》に|差《さ》し|込《こ》み、その|円柱《ゑんちゆう》にふれて|棒《ぼう》に|接吻《せつぷん》するのです。サア|是《これ》からキリスト|様《さま》の|御墓《おはか》を|御案内《ごあんない》|申《まを》し|上《あ》げませう』
とマリアは|前導《ぜんだう》に|立《た》ちて|奥《おく》へ|奥《おく》へと|進《すす》み|入《い》る。
|寺《てら》の|中央《ちうあう》に|独立《どくりつ》した|長方形《ちやうはうけい》の|大理石《だいりせき》で|造《つく》られたキリストの|墓《はか》の|前《まへ》についた。|両人《りやうにん》は|恭敬礼拝《きようけいらいはい》|稍《やや》|久《ひさ》しふして|救世主《きうせいしゆ》を|追慕《つゐぼ》する|念《ねん》に|打《う》たれ、|思《おも》はず|知《し》らず|落涙《らくるい》して|居《ゐ》る。|沢山《たくさん》な|古風《こふう》を|帯《おび》た|燭灯《しよくとう》に|由《よ》つて|照《てら》され、|十八本《じふはちほん》の|柱《はしら》から|成《な》つた|円形《ゑんけい》の|建築《けんちく》の|中《なか》に|置《お》かれてある。そこに|一人《ひとり》の|番僧《ばんそう》が|居《ゐ》て、
『|良《よ》くこそ|御参拝《ごさんぱい》に|成《な》りました。どうかキリスト|様《さま》の|御墓《おはか》へ|御賽銭《おさいせん》をお|上《あ》げ|成《な》さいませ。|後生《ごしやう》のため|現世《げんせ》の|幸福《かうふく》のためで|御座《ござ》います』
と|抜目《ぬけめ》なき|言葉《ことば》でお|賽銭《さいせん》を|強要《きやうえう》して|居《ゐ》る。
ブラバーサは|心《こころ》の|内《うち》にて、
『アヽ|聖《せい》キリスト|様《さま》もお|気《き》の|毒《どく》だ。|賤《いや》しき|番僧《ばんそう》|等《たち》の|糊口《ここう》の|種《たね》に|使《つか》はれたまふか。|世《よ》は|実《じつ》に|澆季末法《げうきまつぽふ》だなア』
と|歎息《たんそく》しながら|懐中《くわいちう》を|探《さぐ》つて|少《すこ》しばかりの|賽銭《さいせん》を|墓《はか》の|前《まへ》に|捧《ささ》げた。|番僧《ばんそう》は|餓虎《がこ》の|如《ごと》く|其《その》|場《ば》で|賽銭《さいせん》を|拾《ひろ》ひ|上《あ》げ、|懐中《くわいちゆう》へ|隠《かく》して|了《しま》つた。
『この|寺院内《じゐんない》の|各種《かくしゆ》のチヤペルや|墓《はか》や、|神壇《しんだん》や|其《その》|他《た》|寺内《じない》の|各部分《かくぶぶん》、|又《また》は|聖《きよ》き|墓《はか》を|照《てら》して|居《ゐ》るランプに|至《いた》るまで、ギリシヤ・オルソドツクス|及《およ》びローマ・カトリックや|其《その》|他《た》アルメニヤ|派《は》の|間《あひだ》にそれぞれ|所有《しよいう》がきまつて|居《ゐ》るのです。それは|此《この》お|寺《てら》ばかりでは|無《な》く、エルサレムの|内外《ないぐわい》に|散在《さんざい》して|居《ゐ》る|宗教上《しうけうじやう》の|由緒《ゆいしよ》ある|場所《ばしよ》に|付《つ》いても|同様《どうやう》です。|実《じつ》に|皮肉《ひにく》なアイロニーぢやありませぬか。そしてこのお|寺《てら》が|彼《か》の|有名《いうめい》な|十字軍《じふじぐん》の|戦争《せんそう》の|目的物《もくてきぶつ》であつたのです。「|聖墓《せいぼ》を|記憶《きおく》せよ」との|声《こゑ》は、|第二回《だいにくわい》|十字軍《じふじぐん》の|出征《しゆつせい》に|際《さい》して|欧羅巴《ヨーロツパ》|諸国《しよこく》の|町々《まちまち》や|村落《そんらく》を|通《つう》じての|叫《さけ》びだつたので|御座《ござ》います』
『|欧州《おうしう》の|国々《くにぐに》が|聖墓《せいぼ》を|慕《した》つて|十字軍《じふじぐん》まで|起《おこ》した|時代《じだい》は、その|信仰《しんかう》も|至《いた》つて|熱烈《ねつれつ》なものだつた|様《やう》ですが、|今日《こんにち》では|最早《もはや》|信仰《しんかう》も|堕落《だらく》して|了《しま》つて|物質的《ぶつしつてき》|観念《かんねん》のみ|盛《さか》んになつて|来《き》ました|為《ため》に、|斯《かか》る|聖地《せいち》の|聖蹟《せいせき》も|余《あま》り|世人《せじん》に|顧《かへり》みられない|様《やう》ですなア。|時節《じせつ》には|神《かみ》も|叶《かな》はぬとルート・バハーの|教《をしへ》にも|示《しめ》されて|在《あ》りますが、|一時《いちじ》も|早《はや》く|聖《せい》キリストの|再臨《さいりん》されて|聖地《せいち》をして|太古《たいこ》の|隆盛《りうせい》に|復活《ふくくわつ》させ、|世界《せかい》|万民《ばんみん》を|安養浄土《あんやうじやうど》の|悦落《えつらく》に|浴《よく》せしめ、キリストの|恩恵《おんけい》を|悟《さと》らせ|度《た》きものですなア』
『|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|妾《わたし》の|加入《かにふ》して|居《ゐ》ます|聖団《せいだん》は|只々《ただただ》キリスト・メシヤの|再臨《さいりん》のみを|待《ま》つて|居《ゐ》るのです。|一時《いちじ》も|早《はや》く|高砂島《たかさごじま》とやらに|再誕《さいたん》されたメシヤの|此《この》|地《ち》に|再臨《さいりん》して|下《くだ》さる|事《こと》が|待《ま》ち|遠《どほ》しく|成《な》つて|参《まゐ》りましたわ』
|是《これ》より|両人《りやうにん》は|寺門《じもん》を|出《で》て|市街《しがい》を|歩行《ほかう》し|初《はじ》めた。|肉屋《にくや》や|野菜物店《やさいものてん》や、|其《その》|他《た》|土地《とち》にふさはしい|物《もの》を|売《う》つて|居《ゐ》る|雑貨店《ざつくわてん》|等《とう》が、みつしりと|軒《のき》を|並《なら》べて|居《ゐ》る|狭《せま》いオリエルタルな|通《とほ》りを|過《す》ぎて|所謂《いはゆる》「|苦痛《くつう》の|路《みち》」へ|出《で》た。
『|聖師様《せいしさま》、ここは|苦痛《くつう》の|路《みち》と|謂《い》つてキリスト|様《さま》がピラトの|宮殿《きうでん》からゴルゴタの|地《ち》|即《すなは》ち|今《いま》の|聖《せい》セバルクル|迄《まで》|歩《あゆ》ませられたと|伝《つた》ふる|旧蹟《きうせき》で|御座《ござ》います。そして|此《この》|路《みち》の|上《うへ》には|十四《じふし》の|地点《ちてん》が|指定《してい》されてあります。サア|是《これ》から|一々《いちいち》|御案内《ごあんない》|申《まを》しませう』
と|前《まへ》に|立《た》ちて|進《すす》む。
ブラバーサは「|成《な》る|程《ほど》|成《な》る|程《ほど》」とうなづき、|趣味《しゆみ》|深《ふか》く|味《あぢ》はひながらついて|行《ゆ》く。
『|爰《ここ》がキリスト|様《さま》が|磔刑《はりつけ》の|宣告《せんこく》を|受《う》けたまふた|悲《かな》しい|場所《ばしよ》で|御座《ござ》います。その|次《つぎ》が|十字架《じふじか》を|負《お》はせ|奉《まつ》つた|場所《ばしよ》です。この|東側《ひがしがは》のチヤペルを|拝《はい》して|御覧《ごらん》なさいませ。|其《その》|時《とき》の|光景《くわうけい》がチヤンと|浮彫《うきぼり》で|以《もつ》て|現《あら》はしてあります』
と|話《はな》しながらズンズンと|歩《あゆ》みを|進《すす》め、
『|爰《ここ》がキリスト|様《さま》が|母上様《ははうへさま》に|会見《くわいけん》|遊《あそ》ばした|所《ところ》で、|熱烈《ねつれつ》な|信徒《しんと》の|立止《たちど》まつて|動《うご》かない|地点《ちてん》で|御座《ござ》います。|彼所《あすこ》に「|此《この》|人《ひと》を|見《み》よ」のアーチが|御座《ござ》いませう。あれはピラトの|訊問《じんもん》を|受《う》けた|後《あと》にキリスト|様《さま》がユダヤ|人《じん》の|群集《ぐんしふ》の|前《まへ》に|引出《ひきいだ》され|種々《しゆじゆ》の|迫害《はくがい》と|嘲罵《てうば》とを|受《う》けたまふた|所《ところ》です』
と|涙《なみだ》ぐまし|気《げ》にそろそろと|歩《あゆ》みながら、|後《あと》ふり|返《かへ》つてはブラバーサの|顔《かほ》を|見詰《みつ》めて、
『イエス|荊《いばら》の|冕《かんむり》を|被《か》ぶり|紫《むらさき》の|袍《はう》を|着《き》て|外《そと》に|出《い》づ。ピラト|彼等《かれら》に|曰《い》ひけるは「|見《み》よ|是《これ》|人《ひと》の|子《こ》|也《なり》」と|馬太伝《またいでん》に|誌《しる》されてある|事実《じじつ》で、キリスト|様《さま》が|二度目《にどめ》に|倒《たふ》れたまふた|地点《ちてん》は|爰《ここ》だと|云《い》ふ|事《こと》です。そしてキリスト|様《さま》に|従《したが》つて|来《き》たと|話《はな》された|地点《ちてん》は|爰《ここ》ですわ。このチヤペルにチヤンと|彫込《ほりこ》んであります』
と|叮嚀《ていねい》|親切《しんせつ》に|案内《あんない》したりける。
キリスト|教《けう》の|偶像《ぐうざう》を|以《もつ》て|飾《かざ》られたる|聖地《せいち》エルサレムは、|異教徒《いけうと》の|場合《ばあひ》よりも|勝《まさ》つてブラバーサの|心《こころ》を|痛《いた》めしめたのは、|後世《こうせい》の|僧侶《そうりよ》|輩《はい》が|聖書《せいしよ》に|録《しる》されたる|一々《いちいち》の|場所《ばしよ》や|由緒《ゆいしよ》なぞを|捏造《ねつざう》して、|巡礼者《じゆんれいしや》の|財布《さいふ》をねらつて|居《ゐ》ることである。|一寸《ちよつと》|見《み》ると|単純《たんじゆん》なる|信仰《しんかう》の|発露《はつろ》だらうと、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|宣《の》り|直《なほ》すことも|吾々《われわれ》に|採《と》つては|出来得《できえ》ない|事《こと》も|無《な》いが、|一般《いつぱん》の|信仰《しんかう》なき|民衆《みんしう》やデモ|基督《キリスト》|教徒《けうと》の|眼《まなこ》には|却《かへ》つて|不快《ふくわい》に|感《かん》ずるものたる|事《こと》を|恐《おそ》れたのである。|又《また》|後世《こうせい》の|僧侶《そうりよ》や|信者《しんじや》がその|内部的《ないぶてき》|知識《ちしき》に|空《くう》なるがため、|外部《ぐわいぶ》に|徴《しるし》を|求《もと》めむとして|居《ゐ》る|事《こと》の|嘆《たん》ずべき|一《ひと》つの|証拠《しようこ》では|有《あ》るまいか。アヽ|後世《こうせい》まで|唯一《ゆゐいつ》の|遺宝《ゐはう》たる|福音書《ふくいんしよ》の|中《なか》に|彼《か》れ|自身《じしん》の|姿《すがた》を|認《みと》め、それから|霊泉《れいせん》を|汲《く》み|得《う》ることの|出来《でき》ない|信徒等《しんとら》の|心《こころ》の|淋《さび》しさより、|斯様《かやう》な|偶像《ぐうざう》を|作《つく》り|出《だ》してせめてもの|慰安《ゐあん》の|料《れう》にして|居《ゐ》るのでは|有《あ》るまいか、なぞと|又《また》もや|心《こころ》の|内《うち》にて|長大嘆息《ちやうだいたんそく》をして|居《ゐ》る。
『|聖師様《せいしさま》、|沢山《たくさん》の|偶像的《ぐうざうてき》|事物《じぶつ》を|御覧《ごらん》になつて|非常《ひじやう》に|嘆息《たんそく》されて|居《ゐ》る|様《やう》で|御座《ござ》いますが、|何時《いつ》の|世《よ》にも|聖《せい》キリスト|様《さま》は|正《ただ》しくは|信仰《しんかう》され、|又《また》|理解《りかい》されなかつた|様《やう》で|御座《ござ》います。キリスト|様《さま》が|迫害《はくがい》されなさつた|当時《たうじ》と、|今日《こんにち》とを|問《と》はず、|世間《せけん》から|誤解《ごかい》されて|居《を》られます。そして|普《あまね》く|世界《せかい》から|崇敬《すうけい》され|玉《たま》ふ|様《やう》になつた|後《のち》の|世《よ》は|真《しん》のキリスト|様《さま》では|無《な》くて|人間《にんげん》が|勝手《かつて》にキリスト|様《さま》に|似《に》せて|作《つく》つた|偶像《ぐうざう》を|崇《あが》め、キリスト|教《けう》そのものを|信《しん》ずる|代《かは》りに、それから|流《なが》れ|出《い》づる|美《うつく》しい|果実《くわじつ》のみを|夫《それ》と|誤認《ごにん》して|了《しま》ひ、|終《つひ》にキリスト|教《けう》は|肝心《かんじん》の|精神《せいしん》を|失《うしな》ひ|神《かみ》の|国《くに》の|教《をしへ》である|代《かは》りにそれは|良《よ》き|意味《いみ》に|於《おい》てではありますが、|地上《ちじやう》の|幸福《かうふく》をもたらす|手段《しゆだん》と|堕落《だらく》して|了《しま》つたので|御座《ござ》います。|夫《そ》れゆゑ|妾《わたし》も|此《こ》の|聖地《せいち》が|偶像《ぐうざう》のみにて|充《み》たされ|飾《かざ》られ、|真《しん》のキリスト|様《さま》を|認識《にんしき》し|得《え》ない|事《こと》の|矛盾《むじゆん》を|悲《かな》しむので|御座《ござ》います』
と|悔《く》やみながらマリヤは|猶《なほ》も|市中《しちう》を|歩《あゆ》み|続《つづ》ける。
(大正一二・七・一一 旧五・二八 加藤明子録)
第七章 |巡礼者《じゆんれいしや》〔一六三六〕
マリヤは|再《ふたた》び|寺院《じゐん》を|辞《じ》して、ユダヤ|人《じん》クオーターの|西端《せいたん》なる|所謂《いはゆる》ユダヤ|人《じん》『|慟哭《どうこく》の|壁《かべ》』を|見《み》に|行《ゆ》かうでは|有《あ》りますまいかとブラバーサを|顧《かへり》みた。ブラバーサは|余《あま》り|気乗《きの》りがせなかつたけれども、|折角《せつかく》の|案内《あんない》でもあり|又《また》|一度《いちど》は|参考《さんかう》のために|是非《ぜひ》|調《しら》べて|置《お》きたいと|思《おも》つたのでマリヤに|一任《いちにん》して|従《つ》いて|行《ゆ》く。|荒《あら》い|大《おほ》きい|石《いし》で|築《きづ》き|上《あ》げた|壁《かべ》の|間《あひだ》を|迷宮《めいきう》の|様《やう》に|廻《まは》つて|行《ゆ》くと、『|神殿《しんでん》の|広場《ひろば》』のふもとの|丈《たけ》の|高《たか》い|壁《かべ》に|突《つ》き|当《あた》つた。|石畳《いしだたみ》になつた|路《みち》は|壁《かべ》に|引添《ひきそ》ふて|三十間《さんじつけん》ばかり|走《はし》つて|居《ゐ》て、|其《その》|先《さき》はピタツと|行詰《ゆきつま》りになつて|居《ゐ》る。|其《その》|周囲《しうゐ》は|何《なん》となく|恐《おそ》ろしい|様《やう》な|気味《きみ》の|悪《わる》い|感《かん》じを|与《あた》へる。|茲《ここ》でユダヤ|人《じん》は|滅亡《めつぼう》したエルサレムの|為《ため》に|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|号泣《がうきふ》するのである。|何時《いつ》も|幾何《いくばく》かのユダヤ|人《じん》が|爰《ここ》に|出《で》て|来《き》て、|頻《しき》りに|祈祷《きたう》を|捧《ささ》げたり|聖書《せいしよ》を|拝誦《はいしよう》してユダヤ|民族《みんぞく》の|過去《くわこ》の|光栄《くわうえい》を|思《おも》ひ|浮《う》かべて|泣《な》くのである。そして|金曜日《きんえうび》と|土曜日《どえうび》との|夕刻《ゆふこく》には、|最《もつと》も|多人数《たにんずう》が|集《あつ》まつて|来《く》るのである。|又《また》ベツスオーウー(渝越節)の|様《やう》なユダヤ|人《じん》の|祭典日《さいてんび》には、|老若男女《ろうにやくだんぢよ》|凡《すべ》ての|階級《かいきふ》の|人々《ひとびと》が|集《あつ》まつてその|中《なか》の|長老《ちやうらう》らしきものが、
|壊《こは》たれたる|宮《みや》のために
と|歌《うた》ふと|群集《ぐんしふ》は|異口同音《いくどうおん》に、
|吾等《われら》はひとり|坐《ざ》して|泣《な》く
と|答《こた》へて|歌《うた》ふ|其《その》|有様《ありさま》は、|実《じつ》に|物凄《ものすご》い|感《かん》じを|両人《りやうにん》の|心《こころ》に|与《あた》へた。また、
|毀《こは》たれたる|宮《みや》のために
|潰《つひ》えたる|城壁《じやうへき》のために
|過《す》ぎ|去《さ》りし|偉大《ゐだい》のために
われ|等《ら》は|死《し》せる|偉人《ゐじん》のために
|焼《や》かれたる|宝玉《はうぎよく》のために
と|云《い》ふ|風《ふう》に|謡《うた》ふと|群衆《ぐんしう》は|同《おな》じ|様《やう》に、
われ|等《ら》はひとり|坐《ざ》して|泣《な》く
と|答《こた》へて|涙《なみだ》をしぼつて|居《ゐ》る。
|壁《かべ》にはユダヤ|時代《じだい》、ローマ|時代《じだい》、アラブ|時代《じだい》に|築《きづ》き|上《あ》げられた|部分《ぶぶん》が|明瞭《めいれう》に|見分《みわけ》けられて、|一番《いちばん》|下層《かそう》の|大石《おほいし》はユダヤ|時代《じだい》の|物《もの》だと|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。それ|等《ら》の|年代《ねんだい》と|人々《ひとびと》の|触接《しよくせつ》との|関係《くわんけい》とに|由《よ》つて|非常《ひじやう》に|黒《くろ》ずんで|汚《きた》なくなり、その|表面《へうめん》にヘブリユーの|文字《もんじ》が|無数《むすう》に|書《か》き|録《しる》されてある。またその|大石《おほいし》には|方々《はうばう》に|沢山《たくさん》の|釘《くぎ》が|打込《うちこ》んであるが、|是《これ》|等《ら》は|諸国《しよこく》に|散在《さんざい》して|居《ゐ》る|信仰《しんかう》|強《つよ》きユダヤ|人《じん》が|祖先《そせん》の|地《ち》を|訪《おとづ》れて|遥々《はるばる》と|爰《ここ》に|来《き》た|時《とき》に|打込《うちこ》んだ|釘《くぎ》で、それが|石《いし》に|確《しつか》りと|刺《ささ》つて|居《を》れば|居《を》るほど、|神様《かみさま》が|彼等《かれら》を|捕《とら》へて|居《を》らるることが|確《たしか》だとの|信仰《しんかう》に|基《もと》づくものである。
|両人《りやうにん》は|爰《ここ》に|停立《ていりつ》して|往時《わうじ》の|追懐《つゐくわい》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》た。そこへ|十二三人《じふにさんにん》の|人《ひと》が|集《あつ》まつて|来《き》て、|其《その》|壁《かべ》に|頭《あたま》をつけて|接吻《せつぷん》し|初《はじ》め|出《だ》した。ブラバーサは|此《この》|態《さま》を|見《み》て|一種《いつしゆ》|名状《めいじやう》すべからざる|感《かん》じに|襲《おそ》はれた。それは|勿論《もちろん》|宗教的《しうけうてき》のものでも|無《な》く、また|憐愍《れんみん》や|同情《どうじやう》に|由来《ゆらい》するものでも|無《な》く、また|普通《ふつう》のキリスト|教徒《けうと》のユダヤ|人《じん》に|対《たい》して|有《も》つて|居《ゐ》る|反感《はんかん》から|来《きた》る|応報的《おうはうてき》|感《かん》じでは|勿論《もちろん》ない。それは|気味《きみ》|悪《わる》い|程《ほど》|根深《ねぶか》いもので、たとへば|執拗《しつえう》な|運命《うんめい》に|対《たい》する|恐《おそ》れとでも|言《い》つたら|良《よ》ささうな|本能的《ほんのうてき》のものである。この|光景《くわうけい》を|見《み》た|両人《りやうにん》は、|他《た》の|英米人《えいべいじん》のやうに|微笑《びせう》しながら|平気《へいき》で|彼等《かれら》の|動作《どうさ》を|見《み》つづけたり、|其《その》|光景《くわうけい》を|撮影《さつえい》したりする|様《やう》な|事《こと》は|到底《たうてい》|出来《でき》ない|悲哀《ひあい》に|閉《と》ざされて|了《しま》つた。|一分間《いつぷんかん》と|雖《いへど》もそこに|立止《たちど》まつて|傍観《ばうくわん》するに|堪《た》へずなり、|仔細《しさい》に|其《その》|有様《ありさま》や|壁《かべ》などの|歴史的《れきしてき》|構造《こうざう》にも|注目《ちうもく》してゐる|暇《ひま》なく、|顔《かほ》を|背《そむ》けてマリヤと|共《とも》にその|場《ば》を|逸早《いちはや》く|立去《たちさ》つた。
|爰《ここ》は|実《じつ》にエルサレムに|於《お》ける|最《もつと》も|深刻味《しんこくみ》の|湧《わ》いて|来《く》る|場所《ばしよ》である。『|永劫《えいごふ》のユダヤ|人《じん》』と|云《い》ふ|声《こゑ》が|何処《どこ》からともなく|耳《みみ》に|響《ひび》いて|来《く》る。|是等《これら》の|干涸《ひから》びた|老人等《らうじんら》は、|何《いづ》れもアブラハムの|裔《すゑ》ダビデの|裔《すゑ》である|神《かみ》より|選《えら》ばれたるイスラエル|民族《みんぞく》の|代表者《だいへうしや》である|彼等《かれら》の|中《なか》から|全人類《ぜんじんるゐ》の|救《すく》ひ|主《ぬし》イエス・キリストが|生《うま》れたまうたのだ。|彼等《かれら》は|二千六百年《にせんろくぴやくねん》の|間《あひだ》、|祖先《そせん》の|光栄《くわうえい》と|正反対《せいはんたい》に|人《ひと》の|世《よ》の|中《なか》の|一番《いちばん》|擯斥《ひんせき》せられ、|軽蔑《けいべつ》せらるるものとして、その|落着《おちつ》くべき|祖国《そこく》を|有《も》たずして|世界《せかい》を|漂浪《へうらう》して|居《ゐ》たのである。|欧洲《おうしう》|大戦《たいせん》|後《ご》このパレスチナの|故国《ここく》は|漸《やうや》くユダヤ|人《じん》のものと|成《な》つたが、|未《いま》だ|世界《せかい》に|漂浪《へうらう》して|居《ゐ》るものがその|大部分《だいぶぶん》を|占《し》めて|居《ゐ》るといふ|有様《ありさま》である。|是《これ》もキリストを|十字架《じふじか》に|付《つ》けた|彼等《かれら》の|祖先《そせん》の|罪業《ざいごふ》の|報《むく》いとも|言《い》ふべきものだらうか。|夫《そ》れにしては|余《あま》り|残酷《ざんこく》|過《す》ぎると|思《おも》ふ。キリストを|釘付《くぎつ》けにしたのは|彼等《かれら》ばかりで|無《な》く、|人類《じんるゐ》|全体《ぜんたい》なのである。キリストを|救世主《きうせいしゆ》と|仰《あふ》がなかつたものは|彼《かれ》ユダヤ|人《じん》ばかりで|無《な》く、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|大多数《だいたすう》である。|聖書《せいしよ》の|予言《よげん》にかなはせむが|為《ため》とは|云《い》へ、|余《あま》りに|可哀相《かあいさう》だ。|彼等《かれら》はキリストの|懐《ふところ》に|帰《かへ》つて|罪《つみ》の|赦《ゆる》しを|乞《こ》ふこと|無《な》しに、|何時《いつ》までメシヤを|待望《たいばう》して|世界《せかい》を|放浪《はうらう》するのであらうか。それにしてもアメリカンコロニーの|人達《ひとたち》は、|早《はや》くも|目《め》を|醒《さ》ましてユダヤ|人《じん》にも|似《に》ずキリストの|再臨《さいりん》を|神妙《しんめう》に|生命《せいめい》、|財産《ざいさん》その|他《た》|一切《いつさい》を|捧《ささ》げて|待《ま》つて|居《ゐ》る|信念《しんねん》の|力《ちから》の|強《つよ》いのには、|感激《かんげき》の|至《いた》りだとブラバーサの|心《こころ》は|忽《たちま》ちコロニーへと|走《はし》つて|了《しま》つた。
マリヤに|導《みちび》かれて『|汚物《をぶつ》の|門《もん》』を|出《い》で、シロアムの|谷《たに》を|見下《みお》ろしながら|城壁《じやうへき》に|添《そ》ふて|歩《あゆ》み|出《だ》した。キリストが|盲者《まうじや》の|目《め》を|癒《なほ》されたシロアムの|池《いけ》や、バアージンが|水《みづ》を|汲《く》んだ|泉《いづみ》や、ユダがキリストを|売《う》つた|金《かね》で|買《か》ひ|求《もと》めた『|血《ち》の|畑《はた》』や、そのくびれた|木《き》なぞの|所在《ありか》を|案内《あんない》されつつダビデ|王《わう》の|墓《はか》の|在《あ》る|所《ところ》からシオンの|門《もん》を|入《い》り、ダビデ|塔《たふ》の|下《した》を|通《とほ》つて|漸《やうや》くマリヤと|共《とも》に|一先《ひとま》づカトリックの|僧院《そうゐん》ホテルに|帰《かへ》つて|息《いき》を|休《やす》め、|夕餉《ゆふげ》を|済《す》ませることとした。
ホテルの|食卓《しよくたく》では|英米人《えいべいじん》|四五人《しごにん》と|同席《どうせき》せなければ|成《な》らなかつた。|紳士《しんし》を|装《よそほ》つて|威厳《ゐげん》を|持《ぢ》した|長《なが》い|沈黙《ちんもく》と、|無意味《むいみ》なあたり|障《さはり》の|無《な》い|会話《くわいわ》とには|流石《さすが》のブラバーサも|堪《た》へ|得《え》られなくなり、|今《いま》|親切《しんせつ》に|二度《にど》までも|案内《あんない》して|呉《く》れたユダヤの|婦人《ふじん》マリヤとの|対照《たいせう》を|思《おも》つて、|宗教《しうけう》|信者《しんじや》と|非信者《ひしんじや》との|温情《をんじやう》の|程度《ていど》に|雲泥《うんでい》の|相違《さうゐ》あることを|感得《かんとく》したのである。
|食堂《しよくだう》の|何十《なんじふ》と|云《い》ふ|顔《かほ》の|何《いづ》れを|見《み》ても、|本当《ほんたう》の|信仰《しんかう》に|燃《も》え|立《た》つた|巡礼《じゆんれい》の|心《こころ》に|駆《か》られてこの|聖地《せいち》に|参《まゐ》つて|居《ゐ》ると|思《おも》ふやうな|人《ひと》は|一人《ひとり》も|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》なかつた。|彼等《かれら》は|何《いづ》れも|物見遊山的《ものみゆさんてき》の|心《こころ》でやつて|来《き》て、|万事《ばんじ》に|贅沢《ぜいたく》を|尽《つく》し、|六《ろく》コースもある|様《やう》な|食事《しよくじ》を|一日《いちにち》に|二度《にど》もしながら、それに|自《みづか》ら|疑問《ぎもん》を|抱《いだ》き|謙遜《けんそん》な|心持《こころもち》になる|事《こと》なしに、|満足《まんぞく》し|切《き》つて|盲滅法的《めくらめつぱふてき》に|暮《くら》して|居《ゐ》る|酔生夢死《すゐせいむし》の|徒《と》とよりは|見《み》えなかつた。
ブラバーサは|曾《かつ》て|耽読《たんどく》した『|二人《ふたり》の|巡礼者《じゆんれいしや》』と|云《い》ふトルストイの|童話《どうわ》を|思《おも》ひ|出《だ》して、なつかしまずには|居《を》られなかつた。|二人《ふたり》の|敬虔《けいけん》なロシアの|百姓《ひやくしやう》は、|一生《いつしやう》かかつて|其《その》|目的《もくてき》のために|働《はたら》いて|貯《たくは》へた|金《かね》で|聖地《せいち》の|巡礼《じゆんれい》に|出《で》かけたが、|其《その》|中《なか》の|一人《ひとり》は|途中《とちう》で|不図《ふと》したことから|一家《いつか》|全体《ぜんたい》が|疫病《えきびやう》になやんだ。|他《た》の|一人《ひとり》は|途《みち》すがら|全家《ぜんか》|挙《こぞ》つて|疫病《えきびやう》にかかつて|居《ゐ》た|不幸《ふかう》な|全員《ぜんゐん》を|介抱《かいほう》し|初《はじ》めた|為《ため》に、|友《とも》とはぐれて|旅費《りよひ》に|持《も》つて|来《き》た|金《かね》はその|為《ため》に|残《のこ》らず|使《つか》つて|了《しま》ひ、|結局《けつきよく》|目的《もくてき》の|巡礼《じゆんれい》を|為《な》し|遂《と》げずして|故郷《こきやう》に|帰《かへ》つた。|第一《だいいち》の|巡礼者《じゆんれいしや》は|彼《かれ》の|友《とも》に|逢《あ》つて|巡礼《じゆんれい》をしなかつた|彼《かれ》の|友《とも》の|方《はう》が、|自分《じぶん》よりも|却《かへ》つて|本当《ほんたう》の|巡礼者《じゆんれいしや》であつたことを|認《みと》めたと|云《い》ふ|文句《もんく》を|心中《しんちう》に|繰返《くりかへ》しつつ、|食卓《しよくたく》を|離《はな》れて|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》り、|長椅子《ながいす》の|上《うへ》に|横《よこ》たはつた。マリヤは|又《また》もや|例《れい》の|帰神《かむがかり》|気分《きぶん》になり、ブラバーサに|軽《かる》く|挨拶《あいさつ》を|交《か》はし、|周章《あわて》て|再会《さいくわい》を|約《やく》し|乍《なが》らアメリカンコロニーをさして|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
ブラバーサは|大神《おほかみ》の|神号《しんがう》を|唱《とな》へ|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|終《をは》り、|窓外《そうぐわい》の|家々《いへいへ》の|薄明《うすあ》かるい|灯火《とうくわ》を|見下《みお》ろしながら、|草臥《くたび》れてソフアの|上《うへ》に|白川夜舟《しらかはよふね》を|漕《こ》ぐこととなりぬ。
(大正一二・七・一一 旧五・二八 北村隆光録)
第八章 |自動車《じどうしや》〔一六三七〕
マリヤはその|翌早朝《よくさうてう》から|又《また》もやブラバーサを|訪問《はうもん》して、|聖地《せいち》エルサレム|市街《しがい》|附近《ふきん》の|案内《あんない》を|為《な》すべく、|愴惶《さうくわう》として|僧院《そうゐん》ホテルへやつて|来《き》た。ブラバーサも|聖地《せいち》|附近《ふきん》の|様子《やうす》を|一応《いちおう》|調査《てうさ》しておく|必要《ひつえう》もあり、|高砂島《たかさごじま》の|故国《ここく》へも|報告《はうこく》せなくてはならないので、|此《この》|婦人《ふじん》の|親切《しんせつ》な|案内《あんない》|振《ぶり》を|非常《ひじやう》に|感謝《かんしや》の|誠意《せいい》を|以《もつ》て|迎《むか》へたのである。マリヤもブラバーサの|人格《じんかく》には|非常《ひじやう》に|尊敬《そんけい》の|念《ねん》を|払《はら》つて|居《ゐ》た。|独身者《どくしんもの》のマリヤに|取《と》つては|実《じつ》にブラバーサこそ|唯一《ゆゐいつ》の|心《こころ》の|友《とも》であり|力《ちから》となりしなり。
ブラバーサは|今日《けふ》も|早朝《さうてう》からマリヤに|導《みちび》かれて、|聖地《せいち》の|巡覧《じゆんらん》にホテルを|立《た》ち|出《い》づる|事《こと》となつた。ジヤツフア|門外《もんぐわい》から|出発《しゆつぱつ》する|乗合《のりあひ》|自動車《じどうしや》でベツレヘムに|往復《わうふく》する|事《こと》とした。|自動車《じどうしや》は|土埃《つちほこり》を|立《た》てながらゲヘンナの|谷《たに》へと|降《くだ》つて|行《ゆ》く。
|元《もと》はエルサレムの|市《し》の|西南《せいなん》にあつて、|北《きた》はシオンの|山《やま》、|南《みなみ》は|岡《をか》で|以《もつ》て|区画《くくわく》された|深《ふか》い|細長《ほそなが》い|谷《たに》である。|此処《ここ》は|昔《むかし》ユダヤとベニヤミン|族《ぞく》の|境《さかひ》になつて|居《ゐ》て、ソロモン|以後《いご》、ここで|恐《おそ》ろしい|人《ひと》の|犠牲《いけにへ》が|行《おこな》はれたが、その|後《ご》は|屍体《したい》や|市《し》の|汚穢物《をゑぶつ》を|捨《すて》る|場所《ばしよ》となつて|了《しま》つたのである。|悪人《あくにん》の|運命《うんめい》に|付《つ》けて、『ゲヘンナに|投《な》げ|入《い》れらるべし』と|云《い》はれて|居《ゐ》るのは|即《すなは》ち|此処《ここ》である。
|急《いそ》がしく|馳走《ちそう》しつつ|自動車《じどうしや》は|高《たか》みになつた|豊饒《ほうぜう》な|平野《へいや》を|横《よこ》ぎる。|古《ふる》い|橄欖樹《かんらんじゆ》の|植《う》わつた|野《の》や|小丘《せうきう》である。|道路《だうろ》は|九十九折《つくもをり》になつて、|緩勾配《くわんこうばい》の|坂道《さかみち》を|上《のぼ》つて|行《ゆ》く。|左手《ひだりて》の|遠方《ゑんぱう》に|前景《ぜんけい》ときはだつて|違《ちが》つた|長《なが》い|一列《いちれつ》の|山脈《さんみやく》が|見《み》える。その|麓《ふもと》の|深《ふか》き|所《ところ》に、|竹熊《たけくま》の|終焉所《しうえんしよ》なる|有名《いうめい》な|死海《しかい》が|照《て》つて|居《ゐ》るのである。
|自動車《じどうしや》が|小高《こだか》い|丘《をか》の|上《うへ》に|来《き》たので、|窓《まど》から|首《くび》を|出《だ》して|眺《なが》めると|死海《しかい》の|面《おもて》が|強烈《きやうれつ》な|太陽《たいやう》の|光《ひかり》を|受《う》けてキラキラと|輝《かがや》いて|居《ゐ》るのが|見《み》える。|驢馬《ろば》や|駱駝《らくだ》に|乗《の》つた|田舎人《いなかびと》の|群《むれ》が|幾組《いくくみ》ともなく|通《とほ》つて|居《ゐ》る。
|自動車《じどうしや》を|丘《をか》の|上《うへ》に|停《と》めて、ブラバーサとマリヤの|二人《ふたり》は|四方《よも》の|景色《けしき》を|瞰下《かんか》しながら、|沿道《えんだう》の|色々《いろいろ》の|伝説《でんせつ》や|場所《ばしよ》に|就《つい》て|問答《もんだふ》を|始《はじ》め|出《だ》した。
『マリヤ|様《さま》、|聖地《せいち》|附近《ふきん》の|色々《いろいろ》の|歴史《れきし》や|伝説《でんせつ》を|聞《き》かして|頂《いただ》きたいものですなア』
『この|丘《をか》の|上《うへ》で|四方《しはう》を|見晴《みは》らしながら、|聖地《せいち》|案内《あんない》の|物語《ものがたり》も|又《また》|一興《いつきよう》だと|思《おも》ひます。|妾《わたし》が|記憶《きおく》の|限《かぎ》り|申上《まをしあ》げませう。|伝説《でんせつ》や|口碑《こうひ》と|云《い》ふものは|随分《ずゐぶん》|間違《まちが》つた|事《こと》が|多《おほ》いものですから、|万一《まんいち》|間違《まちが》つて|居《を》りましてもそれは|妾《わたし》の|責任《せきにん》では|御座《ござ》いませぬ。|伝説《でんせつ》や|口碑《こうひ》が|悪《わる》いのですから』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|何分《なにぶん》|宜敷《よろし》くお|願《ねが》ひいたしませう』
『|有名《いうめい》なマヂの|泉《いづみ》から|発端《ほつたん》として|申上《まをしあ》げます。マヂの|泉《いづみ》は|一名《いちめい》マリアの|泉《いづみ》と|云《い》つて|居《ゐ》ます。その|前《まへ》の|名《な》の|由来《ゆらい》は|幼児《えうじ》キリストを|拝《はい》すべく、|星《ほし》の|導《みちび》きを|便《たよ》りに|遥々《はるばる》と|尋《たづ》ねて|来《き》た|東方《とうはう》の|博士《はかせ》|等《ら》は|爰《ここ》まで|来《き》て|其《その》|星《ほし》を|見失《みうしな》ひ、|途方《とはう》に|暮《く》れて|居《ゐ》たところ、この|井戸《ゐど》の|水《みづ》を|汲《く》み、|疲労《ひらう》を|癒《い》やさむと|立止《たちとど》まつた|時《とき》に、|案内《あんない》に|立《た》つた|星《ほし》が|泉《いづみ》の|水《みづ》に|反映《はんえい》して|居《ゐ》るのを|見付《みつ》け、|歓喜《くわんき》に|充《み》たされて|彼等《かれら》は|再《ふたた》びこれに|従《したが》つて|進《すす》んだのでマヂの|泉《いづみ》と|称《とな》へられたと|云《い》ひます。|第二《だいに》の|名《な》は|聖《せい》なる|家族《かぞく》がベツレヘムの|道《みち》に|爰《ここ》に|息《いこ》つたと|想像《さうざう》される|処《ところ》から、マリアの|泉《いづみ》と|称《とな》へられたと|伝《つた》はつて|居《ゐ》るので|御座《ござ》います。またこの|丘《をか》を|下《くだ》る|途中《とちう》の|右側《みぎがは》の|小石《こいし》が|無数《むすう》に|沢山《たくさん》ゴロ|付《つ》いて|居《ゐ》る|小豆《こまめ》の|原《はら》が|御座《ござ》いますが、|伝説《でんせつ》に|拠《よ》るとキリストが|或《ある》|時《とき》この|場所《ばしよ》を|御通《おとほ》りになると、|一人《ひとり》の|野良男《のらをとこ》が|畑《はた》で|働《はたら》いて|居《ゐ》たので、キリストがお|前《まへ》は|今《いま》|何《なに》を|蒔《ま》いて|居《ゐ》るかと|問《と》はれたら、|彼《か》の|男《をとこ》は|豆《まめ》を|蒔《ま》いて|居《ゐ》ながら|石《いし》を|蒔《ま》いて|居《を》るのだと|答《こた》へた、それから|後《のち》|収穫時《しうくわくどき》になつて|彼《か》の|男《をとこ》は|豆《まめ》の|代《かは》りに|石《いし》ばかりを|収穫《しうくわく》しなければ|成《な》らなかつたと|云《い》ふ|事《こと》で|御座《ござ》います』
『|高砂島《たかさごじま》にも|空海《くうかい》の|事蹟《じせき》に|就《つい》て|石芋《いしいも》なぞの|伝説《でんせつ》もあります。|凡《すべ》て|伝説《でんせつ》と|云《い》ふものは|古今東西《ここんとうざい》|相似《さうじ》のものの|多《おほ》いのは|不可思議《ふかしぎ》と|云《い》ふより|外《ほか》はありませぬ。|何《なに》かこの|小豆ケ原《こまめがはら》にも|神秘的《しんぴてき》の|意味《いみ》が|含《ふく》まれて|在《あ》るのかも|知《し》れませぬから、|伝説《でんせつ》だと|云《い》つて|余《あま》り|馬鹿《ばか》にも|成《な》りますまい、アハヽヽヽ。|時《とき》にマリアの|泉《いづみ》に|映《うつ》つた|星《ほし》は、|高砂島《たかさごじま》に|今日《こんにち》も|現《あら》はれて|玉《たま》の|井《ゐ》の|水《みづ》に|影《かげ》をうつし、|万民《ばんみん》の|罪穢《ざいゑ》を|洗《あら》ひ|清《きよ》めて|居《を》られます。|私《わたくし》はこのマリアの|泉《いづみ》の|御話《おはなし》を|聞《き》いて|何《なん》となく|崇高《すうかう》|偉大《ゐだい》なる|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|聖主《せいしゆ》の|俤《おもかげ》が|偲《しの》ばれてなりませぬわ。|一度《いちど》|玉《たま》の|井《ゐ》の|水《みづ》を|汲《く》み|取《と》るものは、|直《ただ》ちに|天国《てんごく》の|門《もん》に|進《すす》み|得《う》る|良《よ》い|手蔓《てづる》に|取《と》り|付《つ》くことが|出来《でき》るのです』
『ウヅンバラチヤンダー|聖主《せいしゆ》が|一日《いちにち》も|早《はや》くこの|聖地《せいち》に|降臨《かうりん》されて、|霊《れい》の|清水《しみづ》にかわいた|吾々《われわれ》に|生命《いのち》の|露《つゆ》の|恵《めぐ》みを|与《あた》へ|玉《たま》ふ|日《ひ》が|待《ま》ち|遠《ど》ほしく|御座《ござ》います』
『マリヤ|様《さま》、|有名《いうめい》なラケルの|墓《はか》は|何《いづ》れの|方面《はうめん》に|御座《ござ》いますか』
『ラケルの|墓《はか》ですか。それはこの|道端《みちばた》の|小《ちひ》さい|近代的《きんだいてき》の|建築物《けんちくぶつ》でありますが、そこにヤコブが|愛妻《あいさい》の|亡骸《なきがら》を|葬《はうむ》つたと|伝《つた》へられて|居《を》ります。それよりも|美《うつく》しい|物語《ものがたり》ののこつて|居《ゐ》るのはダビデの|泉《いづみ》ですわ』
『その|美《うつく》しい|物語《ものがたり》を|拝聴《はいちやう》いたしたいものですなア』
『|或《あ》る|時《とき》ダビデが|敵軍《てきぐん》に|取《と》り|囲《かこ》まれ、|疲《つか》れ|果《は》てて|彼《かれ》の|故郷《こきやう》なるベツレヘムの|門外《もんぐわい》にある|此《この》|清泉《せいせん》の|一杯《いつぱい》の|水《みづ》を|渇望《かつばう》して|止《や》まなかつた。|所《ところ》が|忠実《ちうじつ》なる|部下《ぶか》の|一人《ひとり》がダビデのこの|泉水《せんすゐ》を|渇望《かつばう》して|居《ゐ》る|事《こと》を|探知《たんち》して、|黙《だま》つて|一人《ひとり》で|出《で》かけて|非常《ひじやう》なる|危険《きけん》を|冒《をか》した|後《のち》、|漸《やうや》く|少《すこ》しばかりの|水《みづ》を|汲《く》んで|帰《かへ》つて|来《き》たのです。ダビデは|部下《ぶか》のものが|自分《じぶん》に|対《たい》する|真心《まごころ》の|愛《あい》から、|種々《しゆじゆ》の|危険《きけん》を|賭《と》してこの|霊水《れいすゐ》を|汲《く》み|得《え》て|帰《かへ》つて|来《き》たその|辛苦《しんく》を|思《おも》ふて、その|水《みづ》をば|一介《いつかい》の|人間《にんげん》の|飲《の》み|物《もの》にするには|余《あま》り|勿体《もつたい》ないから|神様《かみさま》の|供物《くもつ》にせむと、|恭《うやうや》しく|神《かみ》に|感謝《かんしや》を|捧《ささ》げた|上《うへ》、|大地《だいち》にそそいで|了《しま》つたと|云《い》ひ|伝《つた》へて|居《を》ります。|信仰《しんかう》も|其処《そこ》まで|行《ゆ》かないと|駄目《だめ》ですなア』
『|信仰《しんかう》の|力《ちから》は|山嶽《さんがく》をも|移《うつ》すとか|申《まを》しまして、|世《よ》の|中《なか》に|信仰心《しんかうしん》ほど|強《つよ》く|清《きよ》く|且《か》つ|尊《たふと》いものは|有《あ》りませぬなア』
『|左様《さやう》です、|信仰《しんかう》の|力《ちから》ほど|偉大《ゐだい》なものは|有《あ》りませぬわ。|妾《わたし》だつて|三十《さんじふ》の|坂《さか》を|越《こ》え|乍《なが》ら|未《いま》だセリバシー|生活《せいくわつ》に|甘《あま》んじて|居《を》りますのも、|依然《やつぱり》|信仰心《しんかうしん》のためですもの。ベツレヘムの|町《まち》が|幾《いく》つもの|丘《をか》の|上《うへ》に|美《うつく》しく|位《くらゐ》して|居《を》りますが、|彼《かれ》は|世界《せかい》に|於《お》ける|最《もつと》も|小《ちひ》さきものとしられて|居《を》ります。|併《しか》しながら|妾《わたし》は|決《けつ》して|小《ちひ》さきものとは|思《おも》ひませぬ。|何故《なぜ》ならば|信仰《しんかう》の|対照物《たいせうぶつ》いな|御本尊《ごほんぞん》なるエスキリストを、イスラエル|民族《みんぞく》のみならず|世界《せかい》|全人類《ぜんじんるい》|救《すく》ひのために|主《しゆ》を|産《う》み|出《だ》しましたからです』
『|如何《いか》にも|救世主《きうせいしゆ》を|現《あら》はしたこのパレスチナの|聖地《せいち》は|偉大《ゐだい》です。いな|荘厳味《そうごんみ》が|津々《しんしん》として|湧《わ》くやうです。|再臨《さいりん》のキリストを|出《だ》した|綾《あや》の|聖地《せいち》も|亦《また》、|偉大《ゐだい》と|云《い》はねばなりませぬわ』
『この|聖地《せいち》には|近代的《きんだいてき》の|教会《けうくわい》やホスピースや|僧院《そうゐん》が|諸所《しよしよ》に|沢山《たくさん》|建《た》つて|居《を》りまして、まだ|古《ふる》い|古《ふる》いユダヤ|人街《じんがい》が|彼方《あちら》|此方《こちら》に|残《のこ》つて|居《を》りますので、|妾《わたし》はそこを|通行《つうかう》する|度《たび》|毎《ごと》にキリストの|当時《たうじ》を|偲《しの》ぶので|御座《ござ》います。アレ|彼《あ》の|通《とほ》り、|往来《わうらい》の|真中《まんなか》に|駱駝《らくだ》が|呑気《のんき》さうに|寝《ね》そべつて|噛《か》みなほしをやつて|居《ゐ》ます。サア|是《これ》から|車《くるま》は|止《や》めにして、|徐々《そろそろ》テクル|事《こと》に|致《いた》しませうか。|自動車《じどうしや》で|素通《すどほ》りばかり|致《いた》しましても|余《あま》り|有益《いうえき》な|見学《けんがく》にもなりませぬからなア』
ブラバーサは|何事《なにごと》も|一切《いつさい》マリヤに|任《まか》して|居《ゐ》たので、|言《い》ふが|儘《まま》にマリヤの|後《あと》から|従《つ》いて|行《ゆ》くのであつた。|二人《ふたり》は|後《あと》になり|前《さき》になりしながら|道《みち》を|行《ゆ》くと、|相貌《さうばう》の|品《ひん》の|良《よ》いユダヤ|人《じん》に|幾人《いくにん》も|出逢《であ》ふた。
ブラバーサは|心《こころ》の|中《うち》にて、
『|成程《なるほど》イスラエルの|流《なが》れを|汲《く》んだユダヤ|人《じん》は|何処《どこ》ともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い、|犯《をか》し|難《がた》い|処《ところ》がある、|是《これ》では|神《かみ》の|選民《せんみん》だと|言《い》つても|余《あま》り|過言《くわごん》では|無《な》い。|吾《わが》|身《み》は|名《な》に|負《お》ふ|高砂《たかさご》の|神《かみ》の|国《くに》から|遥々《はるばる》|出《で》て|来《き》たものだが、|神《かみ》の|選民《せんみん》と|称《しよう》するユダヤ|人《じん》の|気品《きひん》の|高《たか》い|所《ところ》を|見《み》て、|何《なん》だか|俄《にはか》にユダヤ|人《じん》|崇敬《すうけい》の|気分《きぶん》が|頭《あたま》を|擡《もた》げて|来《き》さうだ。そして|神《かみ》の|独子《ひとりご》と|称《しよう》するキリストの|聖跡《せいせき》を|尋《たづ》ねて|居《ゐ》る|自分《じぶん》は、|層一層《そういつそう》|神様《かみさま》より|重大《ぢうだい》なる|使命《しめい》を|与《あた》へられて|居《を》るやうだ』
と|心《こころ》に|種々《しゆじゆ》の|感想《かんさう》を|抱《いだ》いて|居《ゐ》る。
『|聖師様《せいしさま》、|聖地《せいち》に|於《おい》て|第一番《だいいちばん》に|見《み》るべきものが|御座《ござ》います。それは|聖誕《せいたん》の|場所《ばしよ》に|建《た》てられたと|称《しよう》して|居《ゐ》る「|聖降誕《せいかうたん》の|寺院《じゐん》」です。|是《これ》から|其《その》|寺院《じゐん》へ|拝観《はいくわん》に|参《まゐ》りませう。|現今《げんこん》にては、ローマ・カトリックやギリシヤ・オルソドツクスやアルメニヤ|教会《けうくわい》の|分有《ぶんいう》になつて|居《ゐ》ます。そして|此《この》|寺院《じゐん》も|昔《むかし》にコンスタンチン|帝《てい》が|建立《こんりふ》されたものだと|云《い》ふことです。その|当時《たうじ》は|金銀《きんぎん》や|大理石《だいりせき》もモザイツクで|贅沢《ぜいたく》に|飾《かざ》られて|居《ゐ》たさうです。|今《いま》ではモザイツクが|少《すこ》しばかり|残《のこ》つて|居《を》りますが、|妙《めう》に|冷《ひや》やかな|荒廃《くわうはい》した|厭《いや》な|感《かん》じを|与《あた》へます』
と|云《い》ひながら、|漸《やうや》くにして|寺《てら》の|門前《もんぜん》に|着《つ》いた。
|背《たけ》の|低《ひく》い、|肩先《かたさき》までも|届《とど》かぬ|様《やう》な|長方形《ちやうはうけい》の|石《いし》の|入口《いりぐち》を|潜《くぐ》ると、コリント|式《しき》のカピタルを|持《も》つた|十本《じつぽん》づつ|四列《よれつ》の|円柱《ゑんちう》が|寺院《じゐん》の|内部《ないぶ》を|仕切《しき》つて|居《ゐ》て、|質素《しつそ》な|様《やう》だが|何《なん》となく|荘厳《さうごん》な|感《かん》じがする。このバシリクは|実《じつ》に|現在《げんざい》に|残《のこ》つて|居《を》るキリスト|教《けう》の|建築物《けんちくぶつ》の|中《なか》では|最《もつと》も|古《ふる》きものだらうと|謂《い》はれて|居《を》るのである。|大神壇《だいしんだん》の|下《した》には|聖誕《せいたん》の|洞窟《どうくつ》があつて、チヤペルに|造《つく》られ|三十二箇《さんじふにこ》の|小《ちひ》さいランプで|薄暗《うすぐら》く|照《て》らされてゐる。|誕生《たんじやう》の|地点《ちてん》は|神壇《しんだん》の|下《した》に|大理石《だいりせき》を|据《す》ゑ、|其《その》|上《うへ》を|銀《ぎん》の|浮彫《うきぼり》でキリスト|聖誕《せいたん》の|地《ち》と|云《い》ふ|事《こと》が|録《しる》されてある。この|地点《ちてん》は|聖地《せいち》における|他《た》の|何《いづ》れの|場所《ばしよ》よりもズツと|古《ふる》くして、|最《もつと》も|信憑《しんぴよう》に|足《た》ると|云《い》ふことである。|何故《なぜ》なればこの|場所《ばしよ》は|紀元前《きげんぜん》|四世紀《よんせいき》の|頃《ごろ》に|生《い》きて|居《ゐ》た|聖《せい》ジエロームよりも、|二百年《にひやくねん》|以上《いじやう》も|前《まへ》から|既《すで》にキリスト|教徒《けうと》によつて|非常《ひじやう》に|畏敬《ゐけい》されて|居《ゐ》たからである。
|其《その》|他《た》|寺院《じゐん》の|地下《ちか》には|色々《いろいろ》な|由緒《ゆいしよ》を|附《ふ》したチヤペルが|散在《さんざい》してゐる。|馬槽《ばさう》のチヤペルもその|一《ひと》つである。その|馬槽《ばさう》は|大理石《だいりせき》で|立派《りつぱ》なものが|出来《でき》て|居《ゐ》るが、|幼児《えうじ》キリストがその|中《なか》に|置《お》かれたマヂ|礼拝《らいはい》の|神壇《しんだん》──|幼児《えうじ》のチヤペル──その|場所《ばしよ》へ|母達《ははたち》が|隠《かく》しておいた|幼児《えうじ》をヘロデが|殺《ころ》さしめた|聖《せい》ヨセフのチヤペル──その|場所《ばしよ》で|彼《かれ》がエヂプトに|避難《ひなん》せよとの|夢《ゆめ》の|啓示《けいじ》を|受《う》けた。その|他《た》|聖《せい》ジエロームの|住居《すまゐ》であつた|所《ところ》に|設《まう》けられたジエロームのチヤペル、|及《およ》び|岩《いは》の|中《なか》に|掘《ほ》られたこの|聖者《せいじや》の|墓《はか》などが|黙然《もくねん》として|三千年《さんぜんねん》の|昔《むかし》を|物語《ものがた》り|居《ゐ》るなり。
(大正一二・七・一一 旧五・二八 加藤明子録)
第九章 |膝栗毛《ひざくりげ》〔一六三八〕
この|寺院《じゐん》の|東南《とうなん》の|方《はう》、|少《すこ》し|隔《へだ》たつて『|乳《ちち》の|洞窟《どうくつ》』と|云《い》ふのがある。これもチヤペルに|成《な》つて|居《ゐ》て、|入口《いりぐち》の|上《うへ》に|聖母《せいぼ》が|幼児《えうじ》キリストに|乳《ちち》を|呑《の》ませて|居《ゐ》る|立像《りつざう》が|置《お》かれてある。|伝説《でんせつ》に|由《よ》れば、このチヤペルの|洞穴《どうけつ》に|聖《せい》なる|家族《かぞく》が|隠《かく》れたと|云《い》ふ。|聖母《せいぼ》の|乳《ちち》の|滴《したた》りが|今《いま》でも|洞穴《どうけつ》の|石灰石《せきくわいせき》に|印《いん》せられて|居《ゐ》る。|婦女《ふぢよ》がそれへ|参詣《さんけい》をすれば|乳《ちち》が|良《よ》く|出《で》る|様《やう》になると|信《しん》じられてゐる。
|両人《りやうにん》は|寺院《じゐん》を|辞《じ》して|少《すこ》しく|先《さき》へ|進《すす》んだ。さうすると、ヨルダンの|谷《たに》に|向《むか》つた|方面《はうめん》の|広《ひろ》い|眺望《てうばう》が|展開《てんかい》する|橄欖《かんらん》の|樹《き》の|植《う》わつた|平野《へいや》……それは『|羊飼《ひつじかひ》の|野《の》』といふ|名称《めいしよう》が|附《ふ》せられてゐる。|天界《てんかい》の|天使《てんし》が|羊飼《ひつじかひ》にあらはれて、
『われ|万民《ばんみん》に|関《かか》はりたる|大《だい》なるよろこびの|音信《おとづれ》を|爾曹《なんぢら》に|告《つ》ぐべし』
とてキリストの|降誕《かうたん》を|告《つ》げ、|多《おほ》くの|天軍《てんぐん》が|天《てん》の|使《つかひ》と|倶《とも》に、
『|天上《いとたかき》ところには|栄光《えいくわう》|神《かみ》にあれ。|地《ち》には|平安《へいあん》、|人《ひと》には|恩沢《めぐみ》あれ』
と|神《かみ》を|讃美《さんび》し、|羊飼達《ひつじかひたち》がベツレヘムへと|急《いそ》いだのは、|此《こ》の|辺《あた》りだと|云《い》はれてゐるが、この|話《はな》しに|応《ふさ》はしい|美《うつく》しい|気分《きぶん》の|良《よ》い|場所《ばしよ》である。|場所《ばしよ》の|真偽《しんぎ》は|問題《もんだい》となすに|及《およ》ばぬ、|仮令《たとへ》|少々《せうせう》|違《ちが》つて|居《を》つても、|此《この》|所《ところ》であつた|事《こと》にしておき|度《た》いものだとブラバーサは|心《こころ》の|中《うち》に|思《おも》ふのであつた。
|両人《りやうにん》は|同《おな》じ|道《みち》を|歩《あゆ》んでエルサレム|市街《しがい》のホテルへ|帰《かへ》らうとする|時《とき》、|今《いま》まで|清朗《せいらう》なりし|大空《おほぞら》は|俄《にはか》に|墨《すみ》を|流《なが》した|如《ごと》く|真黒《まつくろ》になつた。|両人《りやうにん》は|世《よ》の|終《をは》りの|近《ちか》づいた|様《やう》な|気分《きぶん》に|襲《おそ》はれて|居《ゐ》ると、ノアの|大洪水《だいこうずゐ》を|思《おも》ひ|出《だ》させるやうな|大雨《おほあめ》が|土砂降《どしやぶ》りに|降《ふ》つて|来《き》て|容易《ようい》に|止《や》みさうにもない。|然《しか》し|暫時《しばらく》の|間《あひだ》に|雨《あめ》は|小《ちひ》さく|成《な》つて|稍《やや》|安心《あんしん》する|事《こと》を|得《え》た。|斯《こ》んな|事《こと》なら|自動車《じどうしや》を|返《かへ》さなかつたが|宜《よ》かつたにと、|今更《いまさら》の|如《ごと》く|後悔《こうくわい》しても|後《あと》の|祭《まつ》りであつた。この|大雨《たいう》は|恐《おそ》らく|半年《はんねん》の|日照《ひで》りの|終《をは》りを|画《くわく》する|祝福《しゆくふく》された|最初《さいしよ》の|慈雨《じう》であつたに|相違《さうゐ》ない。|雨《あめ》が|止《や》むと|紅塵万丈《こうぢんばんぢやう》の|往来《わうらい》は、スツカリ|洗《あら》つた|様《やう》に|爽快《さうくわい》な|坦道《たんだう》と|変《かは》つて|了《しま》つた。|丘《をか》の|上《うへ》にはエルサレムの|市街《しがい》が|雨《あめ》あがりの|空《そら》に|其《その》|美《うつく》しい|姿《すがた》を|現《あら》はしてゐる。|天《てん》の|一方《いつぱう》の|嵐《あらし》の|名残《なごり》の|雲《くも》には、エホバの|御約束《おやくそく》の|証拠《しようこ》とも|称《とな》ふべき|虹《にじ》が|美《うる》はしく|七色《しちしよく》に|映《は》えて|高《たか》く|長《なが》くかかつて|居《ゐ》る。ブラバーサは、
『われ|聖域《せいゐき》なる|新《あたら》しきエルサレム|備《そな》へ|整《ととの》ひ、|神《かみ》の|所《ところ》を|出《い》で|天《てん》より|降《くだ》るを|見《み》る。その|状《さま》は|新婦新郎《しんぷしんらう》を|迎《むか》へむ|為《ため》に|飾《かざ》りたるが|如《ごと》し』
とある|黙示録《もくしろく》の|言《げん》を|心《こころ》の|中《なか》に|繰《く》り|返《かへ》すのであつた。|次《つい》で|両人《りやうにん》は|雨《あめ》の|晴《は》れたるを|幸《さいは》ひとして、|勇気《ゆうき》を|鼓《こ》して|又《また》もやハラム・エク・ケリフの|神殿《しんでん》を|拝観《はいくわん》せむと|歩《ほ》を|運《はこ》ぶのであつた。エルサレムの|町《まち》の|東南隅《とうなんぐう》キドロンの|谷《たに》を|隔《へだ》てて、|橄欖山《かんらんざん》に|面《めん》して|居《ゐ》る|長方形《ちやうはうけい》の|場所《ばしよ》に|着《つ》いた。|今《いま》この|広場《ひろば》には|回回教《フイフイけう》の|二《ふた》つのモスクが|建《た》てられてある。|昔《むかし》ダビデが|神壇《しんだん》を|設《まう》けたのもやはり|此処《ここ》である。
『|彼《かれ》はここに|荘厳無比《さうごんむひ》なる|大神殿《だいしんでん》を|建築《けんちく》する|心算《つもり》で、|沢山《たくさん》な|建築《けんちく》の|材料《ざいれう》まで|蒐集《しうしふ》したが、|尊《たふと》き|清《きよ》き|神《かみ》の|宮殿《きうでん》を|建《た》てるのには|平和《へいわ》|仁愛《じんあい》の|人《ひと》でなくては|神慮《しんりよ》に|叶《かな》はないのに、|彼《かれ》は|戦《たたか》ひの|人《ひと》として|多《おほ》くの|血《ち》を|流《なが》したので|神様《かみさま》から|其《その》|任《にん》でないとして|差止《さしと》められ、|其《その》|子《こ》のソロモンが|初《はじ》めて|父《ちち》の|準備《じゆんび》しておいた|豊富《ほうふ》な|材料《ざいれう》を|以《もつ》て|七ケ年《しちかねん》の|日子《につし》を|費《つひ》やして、|神殿《しんでん》|及《およ》び|外囲《そとがこ》ひや|内庭《ないてい》|並《なら》びに|僧院《そうゐん》を|完成《くわんせい》することとなつた。その|他《た》に|彼《かれ》は|十三ケ年《じふさんかねん》もかかつて|附近《ふきん》の|地《ち》を|卜《ぼく》し、|自分《じぶん》のために|一《ひと》つ、|猶《なほ》それに|面《めん》して|自分《じぶん》の|妻《つま》フアラオの|娘《むすめ》のためにもモ|一《ひと》つの|宮殿《きうでん》を|建《た》てたのである。|僧院《そうゐん》はソロモン|時代《じだい》の|神殿《しんでん》の|広場《ひろば》を|取《と》り|囲《かこ》んで|居《ゐ》た。|外壁《ぐわいへき》には|東《ひがし》に|黄金門《わうごんもん》あり、|南《みなみ》に|単門《たんもん》、|二重門《にぢうもん》|及《およ》び|三重門《さんぢうもん》が|付《つ》いて|居《ゐ》たと|云《い》ふ。|其《その》|外《ほか》に|猶《なほ》エルサレムの|城壁《じやうへき》が|在《あ》つたのだが、|今日《こんにち》の|処《ところ》では|跡方《あとかた》も|無《な》き|有様《ありさま》である。ダビデは|主《しゆ》のために|建《た》てらるべき|宮《みや》は|比類《ひるゐ》なく|荘麗《さうれい》にして、|万国《ばんこく》を|通《つう》じての|光栄《くわうえい》で|無《な》ければ|成《な》らぬと|言《い》つて|居《ゐ》たが、ソロモンの|建《た》てた|神殿《しんでん》は|実《じつ》にダビデの|言《い》つた|通《とほ》りの|荘麗《さうれい》な|宮殿《きうでん》であつた。この|神聖《しんせい》なる|丘《をか》の|上《うへ》に|純白《じゆんぱく》な|大理石《だいりせき》で|成《な》り|黄金《わうごん》で|飾《かざ》られ、|要塞《えうさい》や|宮殿《きうでん》で|取囲《とりかこ》まれ、|其《その》|美観《びくわん》は|世界《せかい》に|鳴《な》り|響《ひび》いて|居《ゐ》たのである。その|後《ご》の|神殿《しんでん》はユダヤ|人《じん》の|崇拝《すうはい》の|中心《ちうしん》となり、アツシリア|王《わう》ネブカドネザルのために|破壊《はくわい》され、ユダヤ|人《じん》はバビロンに|捕虜《ほりよ》として|連《つ》れ|去《さ》られて|了《しま》つた。それは|紀元前《きげんぜん》|五百八十五年《ごひやくはちじふごねん》|頃《ごろ》のことであつた。ユダヤ|人《じん》は|捕虜《ほりよ》から|免《まぬが》れて|帰《かへ》り、|種々《いろいろ》と|苦辛《くしん》して|建《た》てた|第二回目《だいにくわいめ》の|神殿《しんでん》は|第一回《だいいつくわい》のものよりは|遥《はるか》に|劣《おと》つたものであつた。その|後《ご》キリスト|降誕《かうたん》の|少《すこ》し|以前《いぜん》に、ヘロデ|王《わう》はソロモンの|神殿《しんでん》に|匹敵《ひつてき》する|様《やう》な|第三回目《だいさんくわいめ》の|立派《りつぱ》な|宮殿《きうでん》を|建《た》てたのである。|以上《いじやう》|三《みつ》ツの|神殿《しんでん》は|全《まつた》く|同《おな》じ|場所《ばしよ》に|位置《ゐち》を|占《し》めて|居《ゐ》た。キリストが|幼児《えうじ》として|参詣《さんけい》せられ、|学者達《がくしやたち》の|間《あひだ》に|立《た》つて|問答《もんだふ》し、|兌銀者《だぎんしや》や|商人《せうにん》を|追《お》ひ|出《だ》し|神《かみ》の|道《みち》を|宣《の》べ|伝《つた》へたのも、|此《この》ヘロデの|神殿《しんでん》に|於《おい》てであつた。その|後《ご》|紀元《きげん》|七十年《しちじふねん》、ローマ|皇帝《くわうてい》チツスに|由《よ》るエルサレムの|破壊《はくわい》と|共《とも》に|神殿《しんでん》も「|一《ひと》つの|石《いし》も|石《いし》の|上《うへ》に|〓《たほ》されずしては|遺《のこ》らじ」との|言葉通《ことばどほり》の|運命《うんめい》を|見《み》るに|至《いた》つたのである。|百三十年《ひやくさんじふねん》にハドリアン|帝《てい》がここに|異端《いたん》の|神《かみ》ジユピテルの|大神殿《だいしんでん》を|建《た》てたが、それは|六百八十八年《ろくぴやくはちじふはちねん》に|又《また》|回々教《フイフイけう》のモスクに|変《か》へられて|了《しま》つたのである』
|両人《りやうにん》は|先《ま》づ|広場《ひろば》の|南端《なんたん》にあるモスケ・エル・アクサの|地下《ちか》になつて|居《ゐ》る|宏大《くわうだい》な|基礎《きそ》|建築《けんちく》を|見《み》た。|無数《むすう》の|四角《しかく》な|石柱《せきちう》が|高《たか》く|広々《ひろびろ》した|空間《くうかん》を|仕切《しき》つて|居《ゐ》る。その|角柱《かくばしら》の|上部《じやうぶ》は|穹状《きうじやう》を|為《な》してお|互《たがひ》に|連《つらな》り|合《あ》つて|居《ゐ》る。|明《あ》かりは|南方《なんぱう》の|壁《かべ》に|小《ちひ》さい|窓《まど》から|少《すこ》し|漏《も》れて|来《く》るばかりで、|内部《ないぶ》は|物《もの》すごい|程《ほど》うす|暗《ぐら》い。|是《これ》は|俗《ぞく》にソロモンの|廐《うまや》と|云《い》はれてゐる。マリヤはソロモンの|神殿《しんでん》やヘロデの|神殿《しんでん》の|猶《なほ》|残《のこ》つて|居《ゐ》る|石垣《いしがき》を|示《しめ》しながら、
『この|場所《ばしよ》はローマとの|戦《たたか》ひにあたり、ユダヤ|人《じん》が|避難《ひなん》した|所《ところ》です。|又《また》|十字軍《じふじぐん》の|時《とき》にも|廐《うまや》となつたと|云《い》ふことで|御座《ござ》います』
と|諄々《じゆんじゆん》として|由緒《ゆいしよ》を|説《と》き、ヱスの|揺藍《えうらん》、|二重門《にぢうもん》|等《とう》の|由来《ゆらい》を|細々《こまごま》と|説明《せつめい》するのであつた。
『モスケ・エル・アクサはマホメツト|教《けう》に|関《くわん》して|色々《いろいろ》の|由緒《ゆいしよ》が|在《あ》るやうですな』
『ハイ、マホメツトが|天使《てんし》ガブリエルに|導《みちび》かれ、|不思議《ふしぎ》な|白馬《はくば》にまたがつてメツカ|市《し》から|一夜《いちや》の|間《うち》にエルサレムに|来《き》た|所《ところ》として、|回教徒《くわいけうと》に|取《と》つて|極《きは》めて|神聖《しんせい》な|場所《ばしよ》の|一《ひと》つになつて|居《ゐ》るので|御座《ござ》います』
と|云《い》ひながらマリヤは|後振《あとふ》り|返《かへ》りつつ|奥《おく》に|入《い》る。
|広《ひろ》い|本堂《ほんだう》には|円柱《ゑんちう》が|無数《むすう》に|立《た》つて|在《あ》り、|床《ゆか》は|一面《いちめん》に|贅沢《ぜいたく》な|毛氈《まうせん》が|敷詰《しきつ》められ、|所々《ところどころ》にムスルマンが|坐《すわ》つて|祈祷《きたう》を|捧《ささ》げてゐる。|其《その》|後部《こうぶ》に|岩《いは》が|有《あ》つて|其《その》|岩《いは》の|上《うへ》にキリストの|足跡《あしあと》が|印《いん》せられて|居《ゐ》ると|云《い》ふのも|可笑《をか》しいものである。ムスルマンに|取《と》つてキリストはアブラハムやモーゼと|共《とも》に|予言者《よげんしや》の|一人《ひとり》に|数《かぞ》へられて|居《ゐ》るが|故《ゆゑ》に、|彼等《かれら》はキリストに|就《つい》ての|由緒《ゆいしよ》をも|斯《か》くの|如《ごと》く|尊崇畏敬《そんすうゐけい》して|止《や》まないのである。
|次《つぎ》に|両人《りやうにん》は|広場《ひろば》の|中央《ちうあう》にある|大《おほ》きな、クボラをいただく|八角堂《はちかくだう》のクーベツト・エスサクラ(|亦《また》は|岩《いは》のクボラ)を|見物《けんぶつ》した。この|伽藍《がらん》は|大《おほ》きい|岩《いは》の|土台《どだい》の|上《うへ》に|建《た》てられて|居《ゐ》て、その|上部《じやうぶ》は|内部《ないぶ》に|自然《しぜん》の|儘《まま》|露出《ろしゆつ》して|居《ゐ》る。この|岩上《がんじやう》に|於《おい》てアブラハムが|其《その》|子《こ》のイサクを|神《かみ》への|犠牲《ぎせい》にしやうとしたと|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。|回教徒《くわいけうと》は|犠牲《ぎせい》に|成《な》らうとしたのは、イサクで|無《な》くてその|長子《ちやうし》イスマエルだと|主張《しゆちやう》してゐる。|何《なん》となればイスマエルはアラブの|種族《しゆぞく》の|先祖《せんぞ》になつてゐると|云《い》はれてゐるからだ。また|回教徒《くわいけうと》の|伝説《でんせつ》に|由《よ》ればマホメツトは|彼《かれ》の|不思議《ふしぎ》の|夜《よ》の|旅行《りよかう》に|於《おい》て、この|場所《ばしよ》から|天《てん》へ|昇《のぼ》つた。|彼《かれ》の|昇天《しようてん》の|際《さい》、この|岩《いは》は|予言者《よげんしや》に|従《したが》つて|共《とも》に|昇《のぼ》らうとしたが、|併《しか》し|神《かみ》は|世界《せかい》がこの|神聖《しんせい》な|記念物《きねんぶつ》を|失《うしな》ふことを|欲《ほつ》しないで|天使《てんし》ガブリエルを|残《のこ》しその|力強《ちからづよ》い|手《て》でその|岩《いは》をおさへた|故《ゆゑ》に|今《いま》でもその|両端《りやうたん》に|天使《てんし》の|指《ゆび》の|跡《あと》が|残《のこ》つて|居《ゐ》るとか|唱《とな》えられてゐる。サラセン|式《しき》に【しつつこく】|飾《かざ》られたステーンド・グラツスの|窓《まど》のために|内部《ないぶ》は|蝋燭《らふそく》を|灯《とも》さなくては|歩行《あるけ》ない|程《ほど》|暗《くら》かつた。|広場《ひろば》の|東北端《とうほくたん》に|大仕掛《おほじかけ》に|発掘《はつくつ》された|場所《ばしよ》がある。|地《ち》の|面《めん》から|階段《かいだん》をいくつも|下《くだ》つて|行《ゆ》くと、セメントや|石《いし》で|縁《へり》を|取《と》つた|大《おほ》きな|貯水池《ちよすゐち》|様《やう》のものの|一端《いつたん》に|達《たつ》する。ここはヨハネ|伝《でん》に|録《しる》してあるベチスダのプール(|池《いけ》)だと|云《い》ふことで、|三十八年間《さんじふはちねんかん》|病《や》みたるものが|爰《ここ》で|池水《ちすい》の|動《うご》くのを|待《ま》つて|居《ゐ》て、キリストに|由《よ》つて|癒《なほ》された|所《ところ》ですよと、マリヤはこの|由緒《ゆいしよ》は|根拠《こんきよ》がありますと|強《つよ》く|言《い》つて|証明《しようめい》した。
|終日《しうじつ》|雨《あめ》が|降《ふ》つたり|止《や》んだりして|居《ゐ》た。|夕方《ゆふがた》の|空《そら》は|美《うる》はしく|晴《は》れて|紺碧《こんぺき》の|雲《くも》の|肌《はだ》を|露《あら》はして|居《ゐ》る。|神殿《しんでん》の|広場《ひろば》の|角《かど》にある|燭台《しよくだい》の|様《やう》な|形《かたち》をした|塔《ミナレツト》の|上《うへ》では、アラブがメツカの|方角《はうがく》を|向《むか》ひて|頻《しき》りに|手《て》を|挙《あ》げて|日没前《にちぼつまへ》の|祈祷《きたう》をしてゐた。その|長《なが》く|響《ひび》くオリエンタルなメロデイーはエルサレムには|応《ふさ》はしく|無《な》いと|感《かん》じながら、|両人《りやうにん》は|急《いそ》いでアメリカンコロニーを|指《さ》して|帰路《きろ》に|就《つ》きける。
(大正一二・七・一一 旧五・二八 北村隆光録)
第一〇章 |追懐念《ついくわいねん》〔一六三九〕
その|翌日《よくじつ》も|亦《また》、スバツフオード|及《およ》びマリヤと|共《とも》にブラバーサは|自動車《じどうしや》を|雇《やと》つて、|死海《しかい》、ヨルダン、エリコ|等《とう》の|地方《ちはう》|見物《けんぶつ》に|出《で》かけたりける。
ジヤツフアの|門《もん》からダマスカスの|門《もん》、ヘロデの|門《もん》の|前《まへ》を|通《とほ》つてキドロンの|谷《たに》からエリコの|道《みち》へと|出《で》た。|自動車《じどうしや》がしばらく|走《はし》ると、|橄欖山《かんらんざん》の|東南《とうなん》ベタニヤの|村《むら》を|通《とほ》る。ベタニヤはアラブの|名《な》ではエル・アザリエと|云《い》つて|居《ゐ》る。この|名《な》はラザロから|来《き》たので、アラブはラザロの|L《エル》を|冠詞《くわんし》と|認《みと》めて|省略《しやうりやく》したのだといふことである。ラザロは|回教徒《くわいけうと》の|間《あひだ》に|於《おい》ても|聖者《せいじや》として|尊敬《そんけい》されて|居《ゐ》るのである。ベタニアの|村《むら》はキリストに|関《くわん》する|種々《しゆじゆ》の|美《うつく》しい|物語《ものがたり》で|充《み》ちて|居《ゐ》て、その|名《な》を|聞《き》いただけでも|心《こころ》が|暖《あたた》かく|成《な》つて|来《く》る。|癩者《らいしや》シモンの|家《いへ》、そこで|昔《むかし》マグダラのマリヤがキリストの|足《あし》を|涙《なみだ》にて|湿《しめ》し、|頭髪《とうはつ》を|以《もつ》てぬぐひ|香油《かうゆ》をこれに|塗《ぬ》つた。マルタ、マリヤの|姉妹《しまい》の|家《いへ》も|爰《ここ》にあつたと|云《い》ふ。ラザロが|死後《しご》|四日《よつか》を|経《へ》て|蘇《よみが》へらせられた|所《ところ》も|亦《また》ここで|在《あ》つたといふ。|今《いま》はミゼラブルな|四五十《しごじふ》の|回教徒《くわいけうと》の|家《いへ》が、|其処《そこ》|此処《ここ》に|散在《さんざい》して|居《ゐ》るに|過《す》ぎないのである。
|三人《さんにん》は|下車《げしや》してラザロの|墓《はか》やシモン、マルタ、マリヤの|家《いへ》の|廃趾《はいし》と|称《しよう》せられて|居《ゐ》るものを|見物《けんぶつ》した。ラザロの|墓《はか》と|云《い》はれて|居《ゐ》るものは|非常《ひじやう》に|大規模《だいきぼ》なもので、|滑《すべ》りさうな|階段《かいだん》を|地下《ちか》へ|向《む》かつて|二十二段《にじふにだん》も|下《くだ》つて|行《ゆ》かねばならぬ。|内部《ないぶ》は|穴蔵《あなぐら》のやうに|真《ま》つ|暗《くら》で、|持《も》つて|行《い》つた|蝋燭《らふそく》で|照《てら》して|見《み》なければ|成《な》らなかつた。|丁度《ちやうど》|桶伏山麓《をけぶせさんろく》の|神苑内《しんゑんない》の|地下《ちか》の|修行室《しうぎやうしつ》をブラバーサは|思《おも》ひ|出《だ》さずには|居《を》られ|無《な》かつた。|村《むら》のアラブの|子供等《こどもら》が「バクシツシユ」(|小銭《こぜに》のこと)と|叫《さけ》びながら、|車《くるま》の|周囲《しうゐ》に|群《むら》がつて|来《き》てブラバーサ|一行《いつかう》の|興《きよう》を|醒《さ》ますのであつた。
ベタニアの|南《みなみ》でこれに|対《たい》して|居《ゐ》る|丘《をか》の|上《うへ》にベツフアージエの|村《むら》がある。ここで|使徒《しと》たちがキリストの|指示《しじ》のままに|木《き》につながれた|一頭《いつとう》の|牡《めん》の|驢馬《ろば》を|見付《みつ》け、キリストはそれに|乗《の》つて|都《みやこ》へのり|込《こ》んだと|伝《つた》ふる|所《ところ》である。
ベタニアを|出《で》て|少《すこ》しばかり|歩《あゆ》むと、|路傍《ろばう》に|小《ちひ》さいチヤペルが|建《た》つて|居《ゐ》る。|馭者《ぎよしや》は|主《しゆ》を|迎《むか》へに|来《き》たマルタが|爰《ここ》で|彼《かれ》に|逢《あ》つた|所《ところ》だと|説明《せつめい》する。|道《みち》は|段々《だんだん》と|谷《たに》に|下《くだ》つて|行《ゆ》く。|到《いた》る|処《ところ》|岩《いは》の|山《やま》ばかりで|薄《うす》く|覆《おほ》はれた|土《つち》は|橄欖《かんらん》は|勿論《もちろん》|灌木《くわんぼく》や|草類《くさるゐ》さへも|生《しやう》じない。|自然《しぜん》は|全《まつた》く|死《し》んだ|様《やう》でその|光景《くわうけい》は|物《もの》すごい|位《くらゐ》である。|所々《ところどころ》に|駱駝《らくだ》の|群《むれ》が|飼放《かひはな》しにしてあるのは、|今《いま》まで|他所《よそ》で|見受《みう》けなかつた|光景《くわうけい》である。マリヤはよくエルサレムと|聖者《せいじや》キリストとの|関係《くわんけい》を|熟知《じゆくち》せるものの|如《ごと》く、|頻《しき》りに|新約《しんやく》の|文句《もんく》を|引出《ひきだ》して|説明《せつめい》して|居《ゐ》る。
|三人《さんにん》はエリコとエルサレムとの|中間《ちうかん》まで|出《で》て|来《き》た。|道路《だうろ》は|再《ふたた》び|上《のぼ》り|坂《ざか》となる。|自然《しぜん》は|全《まつた》く|荒《あ》れ|果《は》てて|居《ゐ》て、|生物《せいぶつ》らしきものは|何一《なにひと》つ|見当《みあた》らない。|伝説《でんせつ》によれば|良《よ》きサマリア|人《びと》の|話《はなし》は|此《この》あたりだとか、|小山《こやま》の|頂《いただき》にサマリア|人《じん》の|旅宿《りよしゆく》と|名《な》の|付《つ》いた、|小《ちひ》さい|建物《たてもの》のルインが|寂《さび》し|気《げ》に|立《た》つて|居《ゐ》る。
それより|前《さき》は|道路《だうろ》が|山々《やまやま》の|中腹《ちうふく》を|縫《ぬ》ふて|死海《しかい》の|谷《たに》へと|急転直下《きふてんちよくか》するばかりである。|道《みち》で|時々《ときどき》|羊《ひつじ》の|群《むれ》に|逢《あ》つた。その|群《むれ》の|中《なか》には、|今《いま》|生《うま》れたばかりの|二三匹《にさんびき》の|羊《ひつじ》の|児《こ》を|荒《あら》いメリケン|粉《こ》の|袋《ふくろ》に|入《い》れて、|背負《せお》はされた|驢馬《ろば》が|交《まじ》つて|居《ゐ》るのは、|何《なん》となく|可憐《かれん》な|光景《くわうけい》であつた。|下《した》の|方《はう》に|時々《ときどき》|谷《たに》の|木《こ》の|間《ま》から|死海《しかい》の|面《おもて》が|輝《かがや》いて|見《み》えて|来《く》る。
|三人《さんにん》は|遂《つひ》にヨルダンの|谷《たに》に|下《くだ》つた。|両側《りやうがは》の|山《やま》は|削《けづ》つた|様《やう》に|屹立《きつりつ》して|居《ゐ》るが、|中《なか》は|広々《ひろびろ》として|居《ゐ》て、これが|地中海面《ちちうかいめん》|以下《いか》|四百《よんひやく》メートルの|谷底《たにそこ》にあるとは|到底《たうてい》|受《う》けとれない|位《くらゐ》である。|葦草《あしぐさ》が|所々《ところどころ》に|生《は》えて|泥路《どろみち》と|砂地《すなぢ》の|中《なか》を|死海《しかい》の|浜《はま》へと|向《む》かつた。|野生《やせい》の|鶴《つる》や|放《はな》ち|飼《がひ》の|駱駝《らくだ》に|途々《みちみち》|出会《であ》ふ。
|浜《はま》に|近《ちか》く|塩《しほ》を|採《と》るための|水溜《みづたま》りがあつて、|端《はし》には|真白《まつしろ》の|結晶《けつしやう》が|附着《ふちやく》して|居《ゐ》る。そして|二三《にさん》の|見《み》すぼらしいアラブの|小屋《こや》が|荒《あら》い|砂《すな》の|上《うへ》に|立《た》つて|居《を》るばかりで、|驢馬《ろば》や|駱駝《らくだ》の|縛《つな》ぎ|場《ば》になつて|居《ゐ》るので|恐《おそ》ろしい|程《ほど》|不潔《ふけつ》で|厭《いや》な|臭気《しうき》が|鼻《はな》を|突《つ》く。|水面《すゐめん》は|全《まつた》く|波浪《はらう》なく|朝《あさ》の|麗《うらら》かな|日光《につくわう》にかがやいて|居《ゐ》て、|死海《しかい》と|云《い》ふ|恐《おそ》ろしい|名称《めいしよう》は|応《ふさ》はしく|無《な》いやうに|思《おも》はれる。|水《みづ》には|強度《きやうど》の|混和物《こんわぶつ》が|在《あ》るために|多少《たせう》の|濁《にご》りを|帯《お》びて|居《ゐ》る。|水《みづ》を|指頭《しとう》につけて|味《あぢ》はつて|見《み》ると|強烈《きやうれつ》な|苦《にが》みがかつた|塩辛《しほから》い|鉱物質《くわうぶつしつ》を|含蓄《がんちく》して|居《ゐ》る。|鉱物質《くわうぶつしつ》の|割合《わりあは》は|百分《ひやくぶん》の|二十四《にじふし》|乃至《ないし》|二十六《にじふろく》で|塩分《えんぶん》は|百分《ひやくぶん》の|七《しち》だと|云《い》ふことである。|水《みづ》が|重《おも》いので|泳《およ》がうとしても、|身体《しんたい》が|全部《ぜんぶ》|水面《すゐめん》に|浮《う》かみでて|了《しま》つて|泳《およ》ぐことが|出来《でき》ぬのである。|生卵子《なまたまご》でも|三分《さんぶ》の|一《いち》は|水面《すゐめん》に|浮《う》かみ|出《で》ると|云《い》ふ|事《こと》である。|死海《しかい》の|水《みづ》は|一種《いつしゆ》の|滑《なめら》かな|膚《はだ》ざはりを|与《あた》へるが、|容易《ようい》に|一旦《いつたん》|人《ひと》の|身《み》に|触《ふ》れた|以上《いじやう》は|塩気《しほけ》が|離《はな》れないので|気持《きもち》ちが|悪《わる》い。
|三人《さんにん》はそれよりヨルダン|河《がは》へと|向《む》かつて|進《すす》んだ。|広《ひろ》い|平野《へいや》は|一面《いちめん》に|黒《くろ》ずんだ|土《つち》で、|一見《いつけん》した|処《ところ》|非常《ひじやう》に|豊饒《ほうぜう》らしく|思《おも》はれるが、|土地《とち》は|含《ふく》まれて|居《ゐ》る|塩分《えんぶん》のために|全然《ぜんぜん》|不毛《ふまう》の|地《ち》となつて|耕作物《かうさくぶつ》は|駄目《だめ》なのである。
しばらくあつて|三人《さんにん》は、|身《み》の|丈《たけ》|以上《いじやう》もある|葦《あし》の|中《なか》をすれずれに|通《とほ》りながらヨルダンの|河畔《かはん》マハヂツト・ハヂレと|云《い》ふポプラや|柳《やなぎ》の|生《は》えて|居《ゐ》る|渡船場《とせんば》の|様《やう》な|場所《ばしよ》に|到着《たうちやく》した。|細《ほそ》い|木《き》の|枝《えだ》を|組合《くみあは》せ|葦《あし》で|屋根《やね》をふき、|湿気《しつき》を|防《ふせ》ぐため|細《ほそ》い|材木《ざいもく》で|一丈《いちぢやう》ばかりを|床《ゆか》を|高《たか》め、|梯子様《はしごやう》の|階段《かいだん》でのぼつて|行《ゆ》くやうにした|南洋風《なんやうふう》の|土人《どじん》の|原始的《げんしてき》の|小屋《こや》と|木蔭《こかげ》に|旅客《りよきやく》の|休憩《きうけい》のため|二三《にさん》のベンチとがある。イタリー|語《ご》を|話《はな》すスペイン|人《じん》の|二三《にさん》のフランチエスカンの|坊《ばう》さまが、そこで|休憩《きうけい》して|居《ゐ》た。|今日《けふ》は|日曜日《にちえうび》の|事《こと》とて、|朝《あさ》|早《はや》くからここへ|来《き》て|野天《のてん》でメスをしましたと|話《はな》して|居《ゐ》た。
|木立《こだ》ちの|下《した》から|河《かは》の|水面《すゐめん》が|見《み》える。|平常《へいじやう》から|濁《にご》つて|居《ゐ》る|筈《はず》の|水《みづ》は|昨日《きのふ》の|大雨《おほあめ》のために|猶更《なほさら》|黄色《きいろ》になつて|居《ゐ》た、|水量《すゐりやう》は|多《おほ》くして|併《しか》も|流《なが》れは|急《きふ》である。|有名《いうめい》なのに|似気《にげ》なく|小《ちひ》さいと|聞《き》いて|居《ゐ》た|通《とほ》りで、|河《かは》の|幅《はば》は|一百尺《いつぴやくしやく》|前後《ぜんご》の|程度《ていど》である。ここは|巡礼《じゆんれい》の|人々《ひとびと》の|浴場《よくぢやう》になつて|居《ゐ》てキリストが|洗礼者《せんれいしや》のヨハネから|洗礼《せんれい》を|受《う》けられた|所《ところ》と|伝《つた》へられて|居《ゐ》る。|昔《むかし》のキリスト|教徒《けうと》の|間《あひだ》にはヨルダン|河《がは》で|洗礼《せんれい》を|受《う》ける|事《こと》を|非常《ひじやう》に|大切《たいせつ》な|事《こと》とし、|多勢《おほぜい》の|巡礼者《じゆんれいしや》はアラブの|案内者《あんないしや》に|引率《いんそつ》されて|羊《ひつじ》の|群《むれ》の|様《やう》にヨルダンの|谷《たに》をここ|迄《まで》|下《くだ》つて|来《き》たものである。それから|当時《たうじ》この|場所《ばしよ》は|河岸《かがん》が|大理石《だいりせき》でおほはれて|居《ゐ》たと|云《い》ふことだ。
|馭者《ぎよしや》は|特《とく》にロシアよりの|巡礼者《じゆんれいしや》の|敬虔《けいけん》な|態度《たいど》に|就《つ》いて|話《はな》した。|彼等《かれら》は|所在《あらゆる》|窮乏《きうばふ》を|忍《しの》んで|茶《ちや》とパンとのみで|旅行《りよかう》を|続《つづ》け、その|持《も》つて|来《き》た|金《かね》を|全部《ぜんぶ》|寺々《てらでら》に|捧《ささ》げて|了《しま》ふのだと|云《い》ふ。ブラバーサはエルサレムの|方々《はうばう》の|寺《てら》でロシア|人《じん》の|奉献《ほうけん》したと|云《い》ふ|金銀《きんぎん》や|宝玉《はうぎよく》づくしの|聖母《せいぼ》の|像《ざう》を|見受《みう》けた|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》して、|高砂島《たかさごじま》の|聖地《せいち》に|於《お》ける|信者《しんじや》の|態度《たいど》に|比較《ひかく》し|長大嘆息《ちやうだいたんそく》を|禁《きん》じ|得《え》ないので|在《あ》つた。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》|厳《いづ》の|御魂《みたま》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|神柱《かむばしら》に|現在《げんざい》に|面会《めんくわい》の|便宜《べんぎ》ある|高砂島《たかさごじま》のルートバハーの|信徒《しんと》の|態度《たいど》は、このロシア|人《じん》の|信仰《しんかう》に|比《くら》べては|実《じつ》に|天地霄壤《てんちせうぜう》の|差《さ》ある|事《こと》を|深《ふか》く|嘆《たん》じたのである。ヨルダン|河《かは》|及《およ》び|死海《しかい》から|程遠《ほどとほ》からぬ|所《ところ》にエリコがある。|現在《げんざい》のものは|旧新約時代《きうしんやくじだい》のエリコとは|違《ちが》つてゐる。|是《これ》から|多少《たせう》ヨルダンの|中央部《ちうあうぶ》の|方《はう》へ|離《はな》れて|居《ゐ》る。|見《み》すぼらしい|小《ちひ》さい|村落《そんらく》で、|土人《どじん》の|家屋《かをく》と|質素《しつそ》な|教会《けうくわい》やモスクが|二三《にさん》|見《み》えるばかりである。|谷底《たにぞこ》に|位《くらゐ》して|居《ゐ》るので|気温《きをん》は|非常《ひじやう》に|高《たか》く、|蒸《む》し|暑《あつ》く|植物《しよくぶつ》は|皆《みな》|准熱帯的《じゆんねつたいてき》のものである。|無花果《いちぢく》や|棗《なつめ》や|芭蕉実《ばなな》の|外《ほか》、|黄色《わうしよく》の|香《かを》りの|良《い》いミモザが|咲《さ》き|頻《しき》つて|居《ゐ》る。
|三人《さんにん》は|新《しん》エリコの|村落《そんらく》を|通《とほ》つて|西方《せいはう》の|山《やま》の|近《ちか》くの|発掘《はつくつ》された|新約《しんやく》のエリコを|見《み》に|行《い》つた。|爰《ここ》にヘロデ|王《わう》が|其《その》|宮殿《きうでん》を|建《た》てたとの|話《はなし》がある。その|一角《いつかく》は|今《いま》より|十余年前《じふよねんぜん》ドイツ|人《じん》の|手《て》によつて|発掘《はつくつ》されて|居《ゐ》た。|旧約《きうやく》のエリコの|所在《ありか》は|其処《そこ》とは|違《ちが》つて、|現在《げんざい》のエリコから|東北《とうほく》の|方《はう》|徒歩《とほ》|二十五分《にじふごふん》ばかりの|所《ところ》にある。
エリコからエルサレムの|方角《はうがく》の|断崖《だんがい》になつて|居《ゐ》る|岩山《いはやま》の|眺望《てうばう》は|物《もの》すごい|様《やう》である。|中腹《ちうふく》にギリシヤ|正教《せいけう》の|一《いち》|僧院《そうゐん》が|建《た》つて|居《ゐ》る。その|背後《はいご》の|山《やま》はそこでキリストが|悪魔《あくま》の|誘惑《いうわく》を|受《う》けた|所《ところ》から「|誘惑《いうわく》の|山《やま》」と|云《い》ふ|名《な》が|付《つ》いてゐる。|四十日《しじふにち》|四十夜《しじふや》の|断食《だんじき》の|荒野《あらの》もこの|先《さき》の|方《はう》にあると|馭者《ぎよしや》の|話《はな》しであつた。
|三人《さんにん》は|帰路《きろ》についた|途中《とちう》、|橄欖山《かんらんざん》の|麓《ふもと》にあるゲツセマネの|園《その》と|聖母《せいぼ》の|寺《てら》とを|訪《おとづ》れて|見《み》た。ゲツセマネの|園《その》は|三方《さんぱう》が|道《みち》で|囲《かこ》まれ|不規則《ふきそく》な|四角形《しかくけい》を|為《な》し、|厚《あつ》い|石壁《いしかべ》を|以《もつ》て|囲《めぐ》らされて|居《ゐ》てフランチエスカンの|所有《しよいう》に|成《な》つてゐる。ここを|新約《しんやく》のゲツセマネと|定《さだ》めたのは|四世紀《しせいき》|以前《いぜん》のことだと|云《い》ふ。|門《もん》の|外《そと》には|自然《しぜん》の|岩《いは》の|頭《あたま》が|地上《ちじやう》に|現《あら》はれてゐてその|上《うへ》でペテロ、ヤコブ|及《およ》びヨハネが|眠《ねむ》つたのだと|伝《つた》へられてゐる。|園内《ゑんない》には|非常《ひじやう》に|古《ふる》い|数本《すうほん》の|橄欖《かんらん》の|老樹《らうじゆ》が|植《う》わつて|居《ゐ》て、その|時《とき》からの|物《もの》だと|云《い》われてゐる。|橄欖樹《かんらんじゆ》は|人間《にんげん》が|触《ふ》れさへしなければ|幹《みき》が|枯《か》れた|後《のち》でも、|其《その》|根《ね》から|新《あたら》しい|芽生《めばえ》が|出《で》て|斯《かく》して|世紀《せいき》から|世紀《せいき》へと|生延《いきの》びると|云《い》ふ|事《こと》であるから、この|伝説《でんせつ》は|或《あるひ》は|事実《じじつ》に|近《ちか》いものかも|知《し》れない。|其《その》|他《た》ユダがキリストに|接吻《せつぷん》した|地点《ちてん》まで|明示《めいじ》されて|居《ゐ》る。エルサレムや|橄欖山《かんらんざん》の|地位《ちゐ》からしてゲツセマネの|園《その》が|此《この》|辺《あた》りに|在《あ》つたことは|事実《じじつ》らしい。|併《しか》し|七十歩《しちじつぽ》|四方《しはう》ばかりの|狭《せま》い|土地《とち》を|重《おも》くるしい|石垣《いしがき》で|囲《かこ》んで|其《その》|中《なか》を|墓地《ぼち》のやうに、また|近代的《きんだいてき》の|庭園《ていえん》のやうに|飾《かざ》つて|是《これ》をゲツセマネの|園《その》と|為《な》すことは、|無限《むげん》の|大《おほ》きさと|深《ふか》さを|持《も》つたものを|無残《むざん》にも|限《かぎ》り|有《あ》るものの|中《なか》に|閉《と》ぢ|込《こ》めて|置《お》くことは|実《じつ》に|残念《ざんねん》である。ブラバーサは|凡《すべ》ての|在来《ざいらい》の|法則《はふそく》を|破《やぶ》つて|霊《れい》のみで|画《ゑが》かれた|様《やう》なロンドンのナシヨナル・ガラリーにあるエル・グレコの|筆《ふで》を|思《おも》ひ|浮《う》かべて、|此《こ》の|物足《ものた》りない|感《かん》じを|補《おぎな》つて|居《ゐ》た。
|聖母《せいぼ》の|寺《てら》はゲツセマネの|園《その》に|対《たい》して|居《ゐ》る|紀元《きげん》|五世紀《ごせいき》|以来《いらい》|存在《そんざい》してゐる|古《ふる》い|寺院《じゐん》である。その|主要《しゆえう》|部分《ぶぶん》は|地下《ちか》に|成《な》つて|居《ゐ》て|大理石《だいりせき》の|階段《かいだん》を|四五十《しごじふ》|下《くだ》つて|行《ゆ》くとマリアの|棺《くわん》、その|両親《りやうしん》の|棺《くわん》、ヨセフの|墓《はか》、キリストの|血《ち》の|汗《あせ》を|流《なが》された|場所《ばしよ》|等《とう》がある。
ケドロンの|谷《たに》をシロアムの|村《むら》の|方《はう》へ|少《すこ》しばかり|下《くだ》ると、|山《やま》の|麓《ふもと》に|奇妙《きめう》な|三《みつ》つの|建築物《けんちくぶつ》が|並《なら》んで|居《ゐ》てアラブが|住《す》んでゐる。
ブラバーサは|初《はじ》めて|此《こ》の|地《ち》に|来《き》たり、|親切《しんせつ》なるアメリカンコロニーの|人々《ひとびと》に|沢山《たくさん》の|聖書上《せいしよじやう》の|由緒《ゆいしよ》ある|場所《ばしよ》を|案内《あんない》され|満足《まんぞく》の|態《てい》であつた。アヽ|聖地《せいち》エルサレムそれは|学者《がくしや》とパリサイ|人《じん》の|都《みやこ》、|死《し》せる|儀礼《ぎれい》の|中枢《ちうすう》また|死海《しかい》|及《およ》びヨルダン、それは|荒野《あらの》に|叫《さけ》ぶ|洗礼者《せんれいしや》ヨハネの|国《くに》すべてが|単調《たんてう》で|乾《かわ》き|切《き》つて|死《し》んで|居《ゐ》る|国《くに》、ルナンをして|世界《せかい》に|於《おい》て|最《もつと》も|悲《かな》しき|地方《ちはう》と|云《い》はしめたエルサレムの|近郊《きんかう》よ。|一時《いちじ》も|早《はや》くキリストの|再臨《さいりん》を|得《え》てこの|聖地《せいち》を|太古《たいこ》の|光栄《くわうえい》の|都《みやこ》に|復活《ふくくわつ》し、|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|神願《しんぐわん》を|達成《たつせい》せしめ|度《た》きものであるとブラバーサは|内心《ないしん》|深《ふか》く|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らしつつ|一先《ひとま》づ|三人《さんにん》はアメリカンコロニーへと|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
その|翌日《よくじつ》|又《また》もやブラバーサはマリヤに|案内《あんない》されて、|湖《みづうみ》の|水《みづ》|清《きよ》き|山々《やまやま》に|翠《みどり》の|影《かげ》|濃《こ》く|美《うつく》しく|花《はな》|咲《さ》き|小鳥《ことり》の|声《こゑ》の|絶《た》えない|自然《しぜん》|全体《ぜんたい》が|笑《わら》つて|居《ゐ》る、さうして|其《その》|湖《みづうみ》のほとりでキリストが|黙想《もくさう》し|祈祷《きたう》し|且《か》つ|教《をしへ》を|垂《た》れられたガリラヤの|地《ち》へと|進《すす》んだ。エルサレムとガリラヤ、それはキリスト|教《けう》の|示《しめ》す|二元《にげん》|主義《しゆぎ》の|象徴《しやうちやう》である。|死《し》を|経験《けいけん》すること|無《な》しに|生《せい》の|恩恵《おんけい》は|分《わか》らない、|律法《りつぱう》に|依《よ》りて|死《し》し|信仰《しんかう》によりて|生《いく》ること、この|転換《てんくわん》こそ|宗教《しうけう》そのものの|奇蹟的《きせきてき》|力《ちから》であるべきものなり。
(大正一二・七・一一 旧五・二八 加藤明子録)
第三篇 |花笑蝶舞《くわせうてふぶ》
第一一章 |公憤《こうふん》|私憤《しふん》〔一六四〇〕
|夏風《なつかぜ》に|青葉《あをば》のそよぐ|橄欖山《かんらんざん》の|頂上《ちやうじやう》に|三人《さんにん》のアラブが|立《た》つて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる。キドロンの|谷《たに》からは|白《しろ》い|煙《けぶり》のやうな|雲《くも》がしづしづと|橄欖山上《かんらんざんじやう》|目《め》がけて|襲《おそ》うて|来《く》る。ユダヤ|人《じん》の|計画《けいくわく》したシオン|大学《だいがく》の|基礎《きそ》|工事《こうじ》は|殆《ほとん》ど|落成《らくせい》に|近付《ちかづ》き、|樵夫《きこり》や|大工《だいく》や|手伝《てつだひ》が|幾十人《いくじふにん》となく|忙《いそが》しげに|活動《くわつどう》を|為《な》し|居《ゐ》たり。
アラブはテク、トンク、ツーロと|云《い》ふ|三人《さんにん》である。
テク『オイ、|吾々《われわれ》は|回々教《フイフイけう》のピユリタンとして|朝夕《あさゆふ》|忠実《ちうじつ》に|神《かみ》に|仕《つか》へ、そして|僅《わづか》の|賃金《ちんぎん》を|貰《もら》つて|異教徒《いけうと》の|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、|駱駝《らくだ》のやうにこき|使《つか》はれてゐるのも、|余《あま》り|気《き》が|利《き》かぬぢやないか。たうとうユダヤ|人《じん》|奴《め》、パレスチナの|本国《ほんごく》を|取返《とりかへ》し、|此《この》|聖地《せいち》を|吾物顔《わがものがほ》に|振舞《ふるま》ひ、おれ|達《たち》の|仲間《なかま》を|見《み》ると、|丸《まる》で|奴隷《どれい》の|様《やう》に|虐待《ぎやくたい》するだないか、|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|同《おな》じ|様《やう》に|働《はたら》いて、ユダヤ|人《じん》は|一弗《いちドル》の|俸給《ほうきふ》を|貰《てら》ひ、おれ|達《たち》は|半弗《はんドル》よりくれやがらぬのだから……|本当《ほんたう》に|亡国《ばうこく》の|民《たみ》になりたくないものだなア』
ツーロ『|何《なん》と|云《い》つても|仕方《しかた》がないサ。|強《つよ》い|者《もの》の|強《つよ》い|弱《よわ》い|者《もの》の|弱《よわ》い|時節《じせつ》だからなア。ユダヤ|人《じん》だつて、|二千六百年《にせんろくぴやくねん》が|間《あひだ》、|亡国《ばうこく》の|民《たみ》として|今迄《いままで》|苦《くるし》んで|来《き》たのだから|仕方《しかた》がないよ。チツとは|威張《ゐば》らしてやつてもよかろ。なア、トンク』
トンク『|彼奴《あいつ》ア、|世界《せかい》|統一《とういつ》を|夢《ゆめ》みてゐやがつたのだが、|到頭《たうとう》|時節《じせつ》が|到来《たうらい》して|神《かみ》の|選《えら》まれたパレスチナの|本国《ほんごく》を|吾《わが》|手《て》に|入《い》れたのだから、|何《なん》といつても|世界《せかい》の|覇者《はしや》だ。|長《なが》い|物《もの》に|巻《ま》かれ……と|云《い》ふのだから、おれ|達《たち》の|身《み》の|安全《あんぜん》を|計《ばか》らうと|思《おも》へばマア|辛抱《しんばう》するのだな。|半分《はんぶん》でも|月給《げつきふ》くれるのはまだしも|得《とく》だよ、|贅沢《ぜいたく》さへしなけりや、|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けて|行《ゆ》けるのだからなア。さう|不平《ふへい》を|云《い》ふものだないワ、|何事《なにごと》も|有難《ありがた》い|有難《ありがた》いで|暮《くらし》さへすれば|世《よ》の|中《なか》は|無事《ぶじ》|泰平《たいへい》だ。|神様《かみさま》の|為《ため》に|働《はたら》くと|思《おも》へば|何程《なにほど》|月給《げつきふ》が|安《やす》くても|待遇《たいぐう》に|差別《さべつ》があつても|構《かま》はぬぢやないか。それを|忍《しの》ぶのが|回々教《フイフイけう》のピユリタンたる|務《つと》めだからなア』
テク『|何《なん》と|云《い》つても、おれは|不平《ふへい》でたまらないワ。おれは|自分《じぶん》|一人《ひとり》の|生活《せいくわつ》が|何《ど》うだのかうだのと|云《い》つて、ソンナケチなことをボヤクのだない、アラブ|一党《いつたう》の|為《ため》に|此《この》|差別的《さべつてき》|待遇《たいぐう》を|憤慨《ふんがい》するのだ。|不平《ふへい》にも|色々《いろいろ》の|色合《いろあひ》があつて、|公憤《こうふん》と|私憤《しふん》がある。おれたちのは|決《けつ》して|私憤《しふん》ではない|天下《てんか》の|公憤《こうふん》だよ』
ツーロ『|何程《なんぼ》|公憤《こうふん》だと|云《い》つても、|蚯蚓《みみづ》が|土中《どちう》でないてるよなもので、|何《なん》の|影響《えいきやう》も|及《およ》ぼすまい、おれ|達《たち》だつてテクの|言《ことば》|位《ぐらゐ》には|興奮《こうふん》し、|大《おほい》にアラブの|為《ため》に|気焔《きえん》を|吐《は》く|所《ところ》|迄《まで》は|行《ゆ》かない。|何事《なにごと》も|時節《じせつ》だからなア』
テク『|貴様《きさま》はそれだから、|何時迄《いつまで》もラクダの|尻叩《けつたた》き|計《ばか》りして|居《を》らねばならぬのだ。|公憤《こうふん》のないやうな|人間《にんげん》は|最早《もはや》|人間《にんげん》の|資格《しかく》がないのだ』
ツーロ『ヘン、|汝《おまへ》のは|余《あま》り|公憤《こうふん》でもあるまいぢやないか。|大体《だいたい》の|問題《もんだい》が|僅《わづか》|半弗《はんドル》の|喰違《くひちが》ひから|起《おこ》つたのだらう、そんな|所《ところ》へ|公憤《こうふん》を|使《つか》つて|貰《もら》つちや、|公憤《こうふん》が|落涙《らくるい》するだらう。|抑《そもそ》も|公憤《こうふん》とは|社会《しやくわい》とか|団体《だんたい》とか、|国家《こくか》とか|云《い》ふ|大問題《だいもんだい》に|対《たい》して、|自分《じぶん》の|主張《しゆちやう》を|充《み》たすに|到《いた》らない|場合《ばあひ》に|起《おこ》す|意気《いき》の|発動《はつどう》であつて、|極《きは》めて|愉快《ゆくわい》な|面白《おもしろ》い|男性的《だんせいてき》|気分《きぶん》を|有《いう》したものでなくてはなるまい。|自己《じこ》の|慾望《よくばう》を|満《み》たすに|足《た》りないと|云《い》つて、|発動《はつどう》する|所《ところ》の|感情《かんじやう》の|動作《どうさ》といふものは|所謂《いはゆる》|私憤《しふん》だ。そんな|女性的《ぢよせいてき》|気分《きぶん》に|充《み》たされたことを|云《い》ふと、ユダヤ|人《じん》が|聞《き》いたら|馬鹿《ばか》にするぞ。|国家《こくか》|社会《しやくわい》を|憂慮《いうりよ》する|念《ねん》|最《もつと》も|強《つよ》しと|雖《いへど》も、|時代《じだい》は|其《その》|意志《いし》を|容《い》れてくれず、|感慨《かんがい》|措《お》く|能《あた》はずして|切腹《せつぷく》する|如《ごと》き、|或《あるひ》は|社会《しやくわい》を|思《おも》ふの|情《じやう》|急激《きふげき》にして|刻苦勉励《こくくべんれい》|能《よ》く|其《その》|用《よう》をなし、|社会《しやくわい》に|尽《つく》す|如《ごと》き、|時《とき》に|自分《じぶん》が|他人《たにん》に|冷笑《れいせう》されて|大《おほい》に|憤慨《ふんがい》する|所《ところ》あり、|日夜《にちや》|自分《じぶん》の|向上《こうじやう》に|勉励《べんれい》して、|以《もつ》て|能《よ》く|社会的《しやくわいてき》|立場《たちば》を|作《つく》る|如《ごと》き、|此等《これら》は|皆《みな》|公憤《こうふん》に|属《ぞく》するもので|男《をとこ》らしい|面白《おもしろ》い|不平《ふへい》だ。|天《てん》の|配剤《はいざい》|其《その》|妙《めう》を|得《え》ず|嬶《かかあ》の|待遇《たいぐう》|其《その》|当《たう》を|得《え》ざるに|憤激《ふんげき》し、|吾《わが》|家《や》を|飛出《とびだ》し、|青楼《せいろう》に|上《のぼ》つて、|酒《さけ》と|女《をんな》で|其《その》|不平《ふへい》を|忘《わす》れむとする|如《ごと》き、|又《また》|夕食《ゆふしよく》の|膳部《ぜんぶ》がお|粗末《そまつ》だといつて、|膳《ぜん》を|投《な》げたり、|茶碗《ちやわん》を|破壊《はくわい》する|如《ごと》き、|或《あるひ》は|自分《じぶん》のズボラを|棚《たな》に|上《あ》げ|他人《ひと》の|賃金《ちんぎん》の|多《おほ》きに|反感《はんかん》を|抱《いだ》き|不平《ふへい》を|起《おこ》す|如《ごと》き、|又《また》は|主人《しゆじん》の|乱倫《らんりん》に|不平《ふへい》を|起《おこ》し、|妻君《さいくん》が|役者狂《やくしやぐるひ》をする|如《ごと》き、|又《また》|妻君《さいくん》の|乱行《らんぎやう》に|主人《しゆじん》が|自暴自棄《じばうじき》となり、|芸者買《げいしやがひ》をなすが|如《ごと》き、|或《あるひ》は|世人《せじん》に|冷笑嘲罵《れいせうてうば》されて|不平《ふへい》のやり|所《どころ》なく、|自宅《うち》へ|帰《かへ》つて、|嬶《かかあ》の|頭《あたま》や|窓硝子《まどがらす》を|叩《たた》きわるが|如《ごと》きは、|皆《みな》|私憤《しふん》に|属《ぞく》するものだ。それよりも|怒《おこ》るなら、ドツトはり|込《こ》んで|天地《てんち》の|怒《いか》りを|発《はつ》したら|何《ど》うだ。|汝《おまへ》のやうにホイト|坊主《ばうず》が|貰《もら》ひ|酒《ざけ》をこぼしたやうに、あはれつぽい|声《こゑ》を|出《だ》して|涙《なみだ》|交《まじ》りにボヤいてをるやうなことでどうならうかい。|卑屈《ひくつ》|極《きは》まる|行動《かうどう》だ。それだからおれ|達《たち》は|時勢《じせい》を|見《み》るの|明《めい》があるから、ここ|暫《しばら》くは|隠忍《いんにん》してゐるのだ。|何《いづ》れ|日出島《ひのでじま》から|救世主《きうせいしゆ》が|降臨《かうりん》になれば、|上下運否《じやうかうんぷ》のなき|様《やう》|桝《ます》かけ|引《ひき》ならして、おれ|達《たち》|迄《まで》も|安心《あんしん》さして|下《くだ》さるのだからなア』
『|実際《じつさい》そんな|事《こと》があるだらうか。おれ|達《たち》はキリストの|再臨《さいりん》を、|聖書《せいしよ》に|仍《よ》つて|先祖代々《せんぞだいだい》から|待《ま》ちあぐみ、|到頭《たうとう》|此《この》|聖地《せいち》で|年《とし》をよらして|了《しま》つたのだが、これ|丈《だけ》の|不公平《ふこうへい》の|世《よ》の|中《なか》を|神様《かみさま》がなぜ|公憤《こうふん》を|起《おこ》して、|早《はや》く|平等《べうどう》な|愛《あい》の|世界《せかい》にして|下《くだ》さらぬのだらう……と|私《ひそ》かに|公憤《こうふん》をもらして|居《を》つたのだ』
トンク『アハヽヽヽ』
ツーロ『|私《ひそ》かの|公憤《こうふん》が|聞《き》いて|呆《あき》れるワイ。|併《しか》し|乍《なが》ら|天道様《てんだうさま》の|不平《ふへい》といふのは、|暴風《ばうふう》を|起《おこ》し、|豪雨《がうう》を|降《ふ》らして|大洪水《だいこうずゐ》とし、|地《ち》の|不平《ふへい》は|地震《ぢしん》を|起《おこ》して、|山川草木《さんせんさうもく》を|転覆《てんぷく》させ、|悪人《あくにん》を|亡《ほろ》ぼし、|大掃除《おほさうぢ》をなさるのが、|天地《てんち》の|公憤《こうふん》だ、|汝《きさま》の|公憤《こうふん》とは|大分《だいぶ》|違《ちが》うだろ。|窓硝子《まどがらす》の|一枚《いちまい》|位《ぐらゐ》|壊《め》いでみた|所《ところ》で、|余《あま》り|世界《せかい》の|改造《かいざう》も|出来《でき》ぬぢやないか』
テク『|一体《いつたい》|此《この》シオン|大学《だいがく》とか|云《い》ふのは|何《なに》をするのだらうな。|又《また》してもユダヤ|人《じん》が|頭《あたま》をもちやげて、おれ|達《たち》を|圧迫《あつぱく》する|機関《きくわん》だあるまいか。それだとすれば、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》の|為《ため》におれ|達《たち》は|節義《せつぎ》を|重《おも》んじ、|仮令《たとへ》|半日《はんにち》でも|人足《にんそく》に|使《つか》はれる|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬだないか、|鷹《たか》は|飢《うゑ》ても|穂《ほ》をつまぬといふからなア』
ツーロ『|世界《せかい》の|所在《あらゆる》|哲学者《てつがくしや》を|集《あつ》めて|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|基礎《きそ》を|固《かた》めるのだ。|此《この》シオンの|国《くに》は|太陽《たいやう》の|天《てん》に|冲《ちう》した|真下《ました》に|当《あた》る|霊国《れいごく》だから、|云《い》はば|時計《とけい》の|竜頭《りうづ》のやうなものだ。|茲《ここ》に|於《おい》て|世界《せかい》を|支配《しはい》するのは|最《もつと》も|天地《てんち》の|経綸上《けいりんじやう》|適当《てきたう》の|場所《ばしよ》だから、さう|心配《しんぱい》するには|及《およ》ばないよ、おれ|達《たち》だつて、やつぱり|其《その》|恩恵《おんけい》に|浴《よく》する|時《とき》が|来《く》るのだから、|辛抱《しんばう》せい、|回々教《フイフイけう》だとか|基督教《キリストけう》だとか|猶太教《ユダヤけう》だとか、|自分《じぶん》の|心《こころ》の|中《なか》に|障壁《しやうへき》を|設《まう》けてひがむから|妙《めう》な|不平《ふへい》が|起《おこ》るのだ。|誠《まこと》の|神様《かみさま》は|唯一柱《ただひとはしら》よりないのだ。|人間《にんげん》を|相手《あひて》にする|必要《ひつえう》はない。|何事《なにごと》も|皆《みな》|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》だからなア』
テク『それでも|余《あま》りユダヤ|人《じん》がイバリちらすだないか。それが|俺《おれ》は|気《き》にくはないのだ。チツタ|不平《ふへい》も|起《おこ》らうかい』
ツーロ『ユダヤ|人《じん》にも|種々《いろいろ》あつて、ポンポンぬかす|奴《やつ》ア、カスピンのコンマ|以下《いか》の|代物《しろもの》だよ。|丁度《ちやうど》おれ|達《たち》と|同《おな》じ|様《やう》な|境遇《きやうぐう》にゐる|劣等《れつとう》|人種《じんしゆ》が|威張《ゐば》るのだ。あんな|者《もの》を|数《かず》に|入《い》れて|不平《ふへい》をもらすやうな|馬鹿《ばか》があるかい。キリスト|再臨《さいりん》の|近付《ちかづ》いた|今日《こんにち》、そんな|偏狭《へんけふ》な|心《こころ》はスツカリ|放擲《はうてき》して|天空海濶《てんくうかいくわつ》|日月《じつげつ》と|心《こころ》を|斉《ひと》しうする|襟度《きんど》にならぬか。アラブの|為《ため》にいい|面汚《つらよご》しだぞ。|所《ところ》は|世界《せかい》の|中心地《ちうしんち》、エルサレムの|橄欖山上《かんらんざんじやう》に|身《み》をおき|乍《なが》ら|不平《ふへい》を|云《い》ふ|奴《やつ》がどこにあるかい。のうトンク』
トンク『ウン、そらさうだ。|人《ひと》は|何事《なにごと》も|思《おも》ひ|様《やう》が|肝腎《かんじん》だ。おれ|達《たち》のやうな|労働者《らうどうしや》は|労働者《らうどうしや》らしくして|居《を》つたらいいのだ、|紳士《しんし》の|真似《まね》をせうたつて、|到底《たうてい》|出来《でき》ないからな、あの|紳士《しんし》だつて、|元《もと》は|俺達《おれたち》と|同様《どうやう》|労働者《らうどうしや》だつたのだ、|精神的《せいしんてき》|労働《らうどう》をやるか、|肉体的《にくたいてき》|労働《らうどう》をやるか|丈《だけ》の|違《ちが》ひだ。|仮令《たとへ》アラブでも|紳士紳商《しんししんせう》となればユダヤ|人《じん》を|頤《あご》で|使《つか》ふことが|出来《でき》るからなア』
テク『|俺《おれ》は|紳士《しんし》なんか|大嫌《だいきら》ひだ。|本物《ほんもの》の|紳士《しんし》は|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》には|一人《ひとり》もない。|皆《みな》|我利々々紳士《がりがりしんし》ばかりだよ。|虚偽的《きよぎてき》|生活《せいくわつ》に|甘《あま》んじて|紳士《しんし》なんて|云《い》つてる|奴《やつ》の|面《つら》を|見《み》るとなぐり|度《た》くなつてくるワ、|先《ま》づ|今日《こんにち》|紳士《しんし》といふ|奴《やつ》は|第一《だいいち》、|美装《びさう》をなすこと、|第二《だいに》、|大建造物《だいけんざうぶつ》に|住居《ぢうきよ》すること、|第三《だいさん》、|一箇所《いつかしよ》|以上《いじやう》の|別荘《べつさう》を|有《いう》すること、|第四《だいし》、|妾宅《せふたく》を|設《まう》くる|事《こと》、|第五《だいご》、|物見遊山《ものみゆさん》のしげきこと、|第六《だいろく》、|一切《いつさい》の|労働《らうどう》を|禁《きん》じ、|茶《ちや》|一《ひと》つ|自分《じぶん》の|手《て》より|汲《く》まぬこと、|第七《だいしち》、|一日《いちにち》に|何回《なんくわい》となく|宴会《えんくわい》に|列《れつ》して、|妖婦《えうふ》を|枕頭《ちんとう》に|侍《はべ》らし、|妖婦《えうふ》の|膝《ひざ》を|枕《まくら》に|痛飲馬食《つういんばしよく》して、|其《その》|胃袋《ゐぶくろ》に|差支《さしつか》へなき|程度《ていど》のものたること……|此《この》|位《くらゐ》のものだ。どこに|紳士《しんし》の|本領《ほんりやう》があるかい』
ツーロ『そりや|汝《きさま》の|云《い》ふ|紳士《しんし》と、|俺《おれ》の|云《い》ふ|紳士《しんし》とは|大《おほい》に|趣《おもむき》が|違《ちが》ふ。|俺《おれ》の|云《い》ふ|紳士《しんし》は……|第一《だいいち》、|人格《じんかく》の|最《もつと》も|高《たか》きこと、|第二《だいに》、|慈悲心《じひしん》に|富《と》めること、|第三《だいさん》、|礼儀《れいぎ》を|守《まも》ること、|第四《だいし》、|政治慾《せいぢよく》を|断《た》ち|社会《しやくわい》の|為《ため》に|私財《しざい》を|擲《なげう》つて|貢献《こうけん》すること、|第五《だいご》、|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制《せい》を|遵奉《じゆんぽう》すること、|第六《だいろく》、|沢山《たくさん》な|住宅《ぢうたく》を|有《も》ち|無料《むれう》にて|他人《ひと》に|自由《じいう》に|使用《しよう》せしむること、|第七《だいしち》、|神《かみ》を|信《しん》じ、|家内《かない》|睦《むつま》じく|感謝《かんしや》の|生活《せいくわつ》を|送《おく》ること……マアこんなものだ。これを|称《しよう》して|紳士《しんし》といふのだ』
トンク『そんな|紳士《しんし》が|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》に|一人《ひとり》でも|半分《はんぶん》でもあるだらうかな』
ツーロ『ないから|尊《たふと》いのだ。ダイヤモンドだつて|金《きん》だつて、ヨルダン|河《がは》の|砂礫《しやれき》のやうにそこらにごろついてあつてみよ、|誰《たれ》だつて|貴重品《きちようひん》|扱《あつか》ひはしてくれないよ。|無《な》いから|尊《たふと》いよ、|太陽《たいやう》だつて|一《ひと》つだから|皆《みな》が|拝《をが》むのだよ。あの|星《ほし》みい、|誰《たれ》も|一《ひと》つホシイといふ|奴《やつ》がないだないか』
テク『オイ、ツーロ、ソンナ ツーロくせぬことをいふない。それよりも|現代《げんだい》の|紳士《しんし》を|標準《へうじゆん》として|考《かんが》へるのが|適確《てきかく》だ、|其《その》|紳士《しんし》といふ|奴《やつ》を、|俺達《おれたち》が|労働《らうどう》|総同盟《そうどうめい》でも|起《おこ》して、|警告《けいこく》を|与《あた》へ|改良《かいりやう》さしてやるのだなア。|今日《こんにち》の|紳士《しんし》の|資格《しかく》を|考《かんが》へてみると、|妾宅《せふたく》の|数《かず》|如何《いかん》に|仍《よ》つて、|紳士《しんし》|仲間《なかま》の|等級《とうきふ》に|差別《さべつ》を|生《しやう》じ、|宴会《えんくわい》の|度数《どすう》と|妖婦相識《えうふさうしき》の|数《すう》|如何《いかん》は|人気《にんき》に|大《だい》なる|関係《くわんけい》を|及《およ》ぼすのだ。これが|今日《こんにち》の|所謂《いはゆる》|紳士《しんし》|規定《きてい》だ。|何《なん》と|不道理《ふだうり》な|見解《けんかい》だないか。|今日《こんにち》の|彼等《かれら》が|健康《けんかう》|状態《じやうたい》は|日夜《にちや》|刻々《こくこく》に|害《がい》されつつあるのだ。|殊《こと》に|性慾《せいよく》の|随時《ずいじ》|随所《ずいしよ》でみたさるるその|半面《はんめん》を|考《かんが》へて|見《み》よ。|幾多《いくた》の|忌《いま》はしい|病毒《びやうどく》の|為《ため》に|睾丸内《かうぐわんない》に|発生《はつせい》する|精虫《せいちう》は|追々《おひおひ》と|減殺《げんさつ》され、|子孫《しそん》は|漸次《ぜんじ》|減少《げんせう》するに|至《いた》るの|種《たね》を|蒔《ま》いてゐるのだ。|彼奴等《きやつら》の|乱淫乱行《らんいんらんかう》は|益々《ますます》|民力《みんりよく》を|減殺《げんさつ》せしむるのみならず、|家庭《かてい》の|妻女《さいぢよ》は|其《その》|反動《はんどう》で、|狂気的《きやうきてき》に|異性《いせい》の|男子《だんし》を|求《もと》め、|性慾《せいよく》の|満足《まんぞく》と|反感《はんかん》の|慰安《ゐあん》に|家《うち》を|外《よそ》にして|飛出《とびだ》し、|役者《やくしや》|部屋《べや》へ|這《は》ひ|込《こ》むのだ。|紳士《しんし》の|家庭《かてい》の|妻女《さいぢよ》といふものに|婦徳《ふとく》や|貞節《ていせつ》は|薬《くすり》にしたくも|無《な》い|位《くらゐ》だ。そして|冷《つめた》い|深窓《しんそう》に、|男《をとこ》も|女《をんな》も|呻吟《しんぎん》してゐるのだ。|体質《たいしつ》の|貧弱《ひんじやく》なる|彼奴等《きやつら》の|子孫《しそん》は|世《よ》の|中《なか》に|立《た》つて|何事《なにごと》もなすの|力《ちから》なく、|遂《つひ》には|子孫《しそん》が|滅亡《めつぼう》するより|途《みち》は|無《な》い。だと|云《い》つて|之《これ》も|自業自得《じごふじとく》だから|仕方《しかた》があるまい。|今《いま》の|内《うち》に|彼奴等《きやつら》が|目《め》をさまし、|共同《きようどう》の|友《とも》や|同族《どうぞく》の|友《とも》と|共《とも》に|働《はたら》くの|妙味《めうみ》を|見出《みいだ》し、|貧民《ひんみん》と|共《とも》に|今迄《いままで》の|態度《たいど》を|改《あらた》めて|社会《しやくわい》に|活動《くわつどう》する|様《やう》にならなくちや、|彼奴等《きやつら》も|最早《もはや》|世《よ》の|終《をは》りだ。いつ|迄《まで》も|世《よ》は|持切《もちき》りにはさせぬと、どこやらの|神《かみ》さまが|仰有《おつしや》つたからなア』
トンク『オイ、|俺達《おれたち》はまだ|時間《じかん》が|来《き》てゐないのに、|此《この》|木《き》の|小蔭《こかげ》でさぼつてゐるのだから、ユダヤ|人《じん》と|同《おな》じよに|月給《げつきふ》をくれないといつて|不平《ふへい》を|云《い》ふ|訳《わけ》に|行《ゆ》かない。ユダヤ|人《じん》は|勤勉《きんべん》だから、|仕事《しごと》の|能率《のうりつ》が|倍《ばい》|以上《いじやう》になるのだから、|汝《きさま》たちのやうに|俸給《ほうきふ》の|額《たか》のみで|不平《ふへい》を|云《い》つたつて|駄目《だめ》だ。サア、チツト|働《はたら》かう。|土木《どぼく》|監督《かんとく》に|見付《みつか》つたら|大変《たいへん》だぞ』
テク『エヽ|仕方《しかた》がないなア、|食《く》はぬが|悲《かな》しさかい』
とスコツプを|手《て》に|提《さ》げ|乍《なが》ら、|作事場《さくじば》の|方《はう》へ|厭《いや》|相《さう》に|進《すす》んで|行《ゆ》く。|日《ひ》は|漸《やうや》く|暮《く》れ|果《は》て、|労働《らうどう》|終結《しうけつ》のラツパが|橄欖山《かんらんざん》の|峰《みね》に|轟《とどろ》いて|来《き》た。|三人《さんにん》はスコツプをかたげた|儘《まま》|逸早《いちはや》く|団子石《だんごいし》のゴロゴロした|坂路《さかみち》を|嬉《うれ》しさうに|下《くだ》つて|行《ゆ》く。
|数多《あまた》の|大工《だいく》や|手伝《てつだひ》|人足《にんそく》は、|単縦陣《たんじうぢん》を|張《は》つて|黒蟻《くろあり》のやうに|各《かく》|家路《いへぢ》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|此等《これら》の|連中《れんちう》は|皆《みな》エルサレムの|街《まち》に|寄宿《きしゆく》してゐるユダヤ|人《じん》が|大多数《だいたすう》を|占《し》めてゐた。そこへ|金剛杖《こんがうづゑ》をついて|上《のぼ》つて|来《く》る|一人《ひとり》の|男《をとこ》があつた。これは|日出島《ひのでのしま》から|遥々《はるばる》|聖地《せいち》へ、キリスト|再臨《さいりん》の|先駆《せんく》としてやつて|来《き》た、ルートバハーの|宣伝使《せんでんし》ブラバーサであつた。ブラバーサは|山上《さんじやう》の|最《もつと》も|見《み》はらしよき|地点《ちてん》に|停立《ていりつ》し、|居柄《をりから》|輝《かがや》く|八日《やうか》の|月《つき》を|眺《なが》め、
『|仰《あふ》ぎ|見《み》れば、|月《つき》は|真空《まそら》を|稍《やや》|過《す》ぎて
あたり|輝《かがや》く|星《ほし》のかずかず
たまさかの|月《つき》の|夜《よ》なればこもりゐの
たへ|難《がた》くして|登《のぼ》り|来《きた》りぬ』
かく|歌《うた》ひて、|月《つき》の|光《ひかり》にエルサレムの|街《まち》を|見《み》おろし|乍《なが》ら|懐郷《くわいきやう》の|念《ねん》に|駆《か》られてゐる。そこへ|慌《あわた》だしく|上《のぼ》り|来《き》たる|一《ひと》つの|影《かげ》がある。|果《はた》して|何人《なにびと》ならむか。
(大正一二・七・一二 旧五・二九 松村真澄録)
第一二章 |誘惑《いうわく》〔一六四一〕
ブラバーサは|蒼空《さうくう》の|月《つき》を|眺《なが》め|乍《なが》ら|只一人《ただひとり》シヨンボリと|立《た》つてゐる。そこへスタスタやつて|来《き》た|女《をんな》は、|一ケ月《いつかげつ》|以前《いぜん》から|真心《まごころ》をこめて|聖地《せいち》の|案内《あんない》をしてくれたマリヤであつた。
『|聖師様《せいしさま》、あなたお|一人《ひとり》で|御座《ござ》りますか。|妾《わたし》は|又《また》サロメ|様《さま》と|御一緒《ごいつしよ》かと|思《おも》つてゐました』
『あゝ|貴女《あなた》はマリヤ|様《さま》で|御座《ござ》りましたか。|貴女《あなた》もお|一人《ひとり》で|夜分《やぶん》によくお|出《いで》になりましたな』
『ハイ、あなたのお|後《あと》を|慕《した》つて|御迷惑《ごめいわく》とは|存《ぞん》じ|乍《なが》らコロニーをソツと|脱《ぬ》け|出《だ》して|参《まゐ》りましたのですよ。|折角《せつかく》サロメ|様《さま》とシツポリ|話《はな》さうと|思《おも》つて|御座《ござ》る|所《ところ》へ、エライ|邪魔者《じやまもの》が|参《まゐ》りまして、お|気《き》を|揉《も》ませます。|月《つき》に|村雲《むらくも》、|花《はな》に|嵐《あらし》とやら、|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふ|様《やう》に|行《ゆ》かないもので|御座《ござ》いますよ。ホヽヽヽヽ』
『これは|又《また》、|妙《めう》なお|言葉《ことば》を|承《うけたま》はります。サロメ|様《さま》も|時々《ときどき》|当山《たうざん》へお|参《まゐ》りになり、|私《わたし》も|二三回《にさんくわい》|此《この》|山上《さんじやう》で|偶然《ぐうぜん》お|目《め》にかかりましたが、|別《べつ》にサロメ|様《さま》と|内密《ないみつ》で|話《はな》さねばならぬやうな|訳《わけ》もありませぬから、|何卒《どうぞ》|気《き》をもみて|下《くだ》さいますな。|私《わたし》は|貴女《あなた》の|御親切《ごしんせつ》な|態度《たいど》に|満心《まんしん》の|感謝《かんしや》を|捧《ささ》げて|居《を》ります』
『|聖師《せいし》は|嘘《うそ》を|仰有《おつしや》らぬもの、|其《その》お|言葉《ことば》に|間違《まちがひ》なくば|妾《わたし》も|安心《あんしん》|致《いた》しました。|時《とき》に|一《ひと》つお|願《ねが》ひし|度《た》い|事《こと》が|御座《ござ》いますが、|聞《き》いて|貰《もら》ふ|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬか。|此《この》|間《あひだ》|差上《さしあ》げました|手紙《てがみ》はお|読《よみ》|下《くだ》さつたでせうな』
『|成《な》る|程《ほど》|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》にアラブが|貴女《あなた》からの|手紙《てがみ》だと|云《い》つてカトリックの|僧院《そうゐん》|迄《まで》|届《とど》けて|呉《く》れましたが、その|儘《まま》、まだ|開封《かいふう》もせずに|懐《ふところ》に|持《も》つて|居《を》ります』
『|貴方《あなた》は|私《わたし》の|真心《まごころ》がお|分《わか》りにならぬのでせう。いやお|嫌《きら》ひ|遊《あそ》ばすのでせう。|海洋万里《かいやうばんり》を|越《こ》えて|遥々《はるばる》|聖地《せいち》にお|越《こ》し|遊《あそ》ばし、|清《きよ》きお|身体《からだ》に|黴菌《ばいきん》が|附着《ふちやく》した|様《やう》に|思召《おぼしめ》して、|穢《きたな》い|女《をんな》の|手紙《てがみ》なんか、|読《よ》まないと|云《い》ふ|御精神《ごせいしん》でせう。それならそれで|宜《よろ》しい、|妾《わたし》は|一《ひと》つ|考《かんが》へねばなりませぬから、|読《よ》んで|貰《もら》はない|手紙《てがみ》なら、|貴方《あなた》に|差上《さしあ》げても|無駄《むだ》ですから|返《かへ》して|下《くだ》さい』
『マリヤさまさう|立腹《りつぷく》して|貰《もら》つちや|困《こま》りますよ。|別《べつ》にそんな|考《かんが》へがあつたのぢやありませぬ。あまり|聖地《せいち》の|研究《けんきう》に|没頭《ぼつとう》してゐましたので|遂《つひ》|失念《しつねん》して|居《を》つたのです』
『|妾《わたし》の|手紙《てがみ》を|忘《わす》れられる|位《くらゐ》なら|妾《わたし》|等《など》は|念頭《ねんとう》に|無《な》いのでせうな、アヽ|悔《くや》しい!』
『マリヤさま、どうして|貴女《あなた》を|忘《わす》れませう。エルサレムの|停車場《ていしやぢやう》へ|着《つ》くと|匆々《さうさう》、あの|街道《かいだう》で|貴女《あなた》にお|目《め》にかかり、|見知《みし》らぬ|異郷《いきやう》の|空《そら》で|思《おも》はぬ|貴女《あなた》とお|会《あ》ひした、あの|時《とき》の|印象《いんしやう》は|一生《いつしやう》|私《わたし》は|忘《わす》れませぬ。どうぞ|悪《わる》くは|思《おも》つて|下《くだ》さいますな』
『|貴方《あなた》は|聖地《せいち》|巡覧《じゆんらん》の|折《をり》、どこ|迄《まで》も|妾《わたし》を|愛《あい》すると|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。|妾《わたし》はその|温《あたた》かいお|言葉《ことば》が|骨身《ほねみ》に|浸《し》み|渡《わた》り、もはや|今日《けふ》となつては|恋《こひ》の|曲物《くせもの》に|捕《とら》はれ、どうする|事《こと》も|出来《でき》ませぬ。|妾《わたし》の|命《いのち》は|貴方《あなた》の|掌中《しやうちう》に|握《にぎ》られたも|同様《どうやう》で|御座《ござ》ります。|何卒《どうぞ》その|手紙《てがみ》を|月影《つきかげ》に|照《て》らし|一度《いちど》|読《よ》んで|下《くだ》さいませ。そしてキツパリと|御返事《ごへんじ》を|承《うけたま》はり|度《た》いもので|御座《ござ》ります』
『|左様《さやう》ならば|折角《せつかく》の|御思召《おぼしめし》、お|言葉《ことば》に|従《したが》ふか、|従《したが》はぬかは|後《のち》の|問題《もんだい》として、|兎《と》も|角《かく》もここで|拝見《はいけん》しませう』
と|懐《ふところ》より|信書《しんしよ》を|取《と》り|出《だ》し、|封《ふう》|押《お》し|切《き》つて、|胸《むね》|轟《とどろ》かせ|乍《なが》ら|読《よ》み|初《はじ》めた………………
|一《ひとつ》、|吾《わが》|最《もつと》も|敬愛《けいあい》するルートバハーの|聖師《せいし》ブラバーサ|様《さま》に|一書《いつしよ》を|差上《さしあ》げ、|切《せつ》なる|妾《わらは》が|心《こころ》の|丈《たけ》を|告白《こくはく》|致《いた》します。|聖師様《せいしさま》、あなたは|全世界《ぜんせかい》の|人類《じんるゐ》や|凡《すべ》てのものの|為《ため》に|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なにお|苦《くる》しみ|遊《あそ》ばすのは|実《じつ》に|尊《たふと》く|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。そこへ|又《また》|妾《わたし》のやうな|大罪人《だいざいにん》がお|近《ちか》づきになりまして|益々《ますます》お|苦《くる》しみを|増《まし》なさる|事《こと》を|深《ふか》く|謝罪《しやざい》|致《いた》します。|妾《わたし》は|初《はじ》めてお|目《め》にかかつてより|云《い》ふに|云《い》はれぬ|愛《あい》の|情動《じやうだう》にからまれ、|日夜《にちや》|苦悶《くもん》を|続《つづ》けて|居《を》ります。|此《この》|苦《くる》しみを|免《まぬが》れむと|朝夕《あさゆふ》|神様《かみさま》に|祈《いの》り、|大勇猛心《だいゆうまうしん》を|発揮《はつき》し|自《みづか》ら|心《こころ》を|警《いまし》め、|幾度《いくたび》か|鞭《むち》をうつてもうつても|粉《こ》にして|砕《くだ》いても、|此《この》|猛烈《まうれつ》な|情熱《じやうねつ》の|煩悩火《ぼんなうくわ》は|弱《よわ》い|女《をんな》の|意志《いし》では|消《け》す|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|妾《わたし》は|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》の|淵《ふち》に|沈《しづ》み、|心《こころ》の|鬼《おに》に|責《せめ》られて|居《を》ります。あゝ|此《この》|妾《わたし》の|霊肉共《れいにくとも》に|救《すく》うて|下《くだ》さるものは|誰人《たれびと》で|御座《ござ》りませうか。|聖師様《せいしさま》の|尊《たふと》い|温《あたた》かい|愛《あい》より|外《ほか》には|何物《なにもの》もありませぬ。|妾《わたし》はどこ|迄《まで》も|聖師様《せいしさま》の|愛情《あいじやう》の|籠《こ》もつた、|寛《ゆた》かな|御懐《みふところ》に|抱《いだ》かれ|度《た》いので|御座《ござ》ります。|身《み》も|魂《たましひ》も|全部《ぜんぶ》を|捧《ささ》げ|奉《まつ》つて、さうして|暫《しばら》く|無意識《むいしき》|状態《じやうたい》になつて|眠《ねむ》つて|見《み》たう|御座《ござ》ります。|聖師様《せいしさま》は、はしたない|賤《いや》しき|女《をんな》と|思召《おぼしめ》さるるでせうが、|貴方《あなた》に|抱《いだ》かるるのは|妾《わたし》の|生命《いのち》を|生《い》かし、|妾《わたし》をして|間《ま》もなく、|美《うつく》しい|芽《め》を|吹《ふ》き|大活動《だいくわつどう》をさして|下《くだ》さる|準備《じゆんび》となるのではありますまいか。|妾《わたし》の|霊《れい》も|体《たい》も|恋《こひ》の|焔《ほのほ》の|為《ため》に|疲《つか》れきつて|居《を》ります。もはや|玉《たま》の|緒《を》の|火《ひ》の|消《き》えむばかりになりました。|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|聖師様《せいしさま》、|妾《わたし》と|云《い》ふものを、どうか、も|一度《いちど》|甦《よみがへ》らせて|下《くだ》さいませ。あまり|人《ひと》の|来《こ》ない|閑寂《かんじやく》な|処《ところ》で、シンミリと|聖師様《せいしさま》の|温《あたた》かい|愛《あい》の|御手《みて》に|抱《だ》きしめて|復活《ふくくわつ》せしめて|下《くだ》さいませ。|万一《まんいち》それがために|仮令《たとへ》|幾万《いくまん》の|敵《てき》を|受《う》けるとも、|幾万人《いくまんにん》の|罵詈嘲笑《ばりてうせう》を|受《う》くるとも|決《けつ》して|恐《おそ》るるものではありませぬ。|之《これ》も|神様《かみさま》の|何《なに》か|一《ひと》つの|御旨《みむね》だと|信《しん》じます。そして|妾《わたし》を|生《い》かして|働《はたら》かしめて|下《くだ》さる|事《こと》は|聖師様《せいしさま》が|天下《てんか》に|活躍《くわつやく》して|下《くだ》さる|事《こと》になるのではありますまいか。|聖師様《せいしさま》の|苦《くるし》みは|妾《わたし》の|苦《くるし》みであると|共《とも》に|妾《わたし》の|苦《くるし》みは|聖師様《せいしさま》の|苦《くるし》みであるに|相違《さうゐ》ありませぬ。|可憐《かれん》なる|女《をんな》の|一人《ひとり》を|生《い》かさうと|殺《ころ》さうと、お|心《こころ》|一《ひと》つにあるので|御座《ござ》りますから。|又《また》|妾《わたし》の|死《し》は|師《し》の|君《きみ》の|死《し》でなくてはなりませぬ。エルサレムの|停車場《ていしやぢやう》で|海洋万里《かいやうばんり》を|隔《へだ》てた|男女《だんぢよ》がお|目《め》にかかつたのは|実《じつ》に|不可思議《ふかしぎ》な|何者《なにもの》かが|両人《りやうにん》の|間《あひだ》に|結《むす》びついて、どうしても|一体《いつたい》とならねばならぬやうな、|前世《ぜんせ》からの|約束《やくそく》だと|信《しん》じます。|妾《わたし》は|貴方《あなた》と|妾《わたし》と|息《いき》を|合《あは》せて|神業《しんげふ》に|奉仕《ほうし》する|事《こと》を|以《もつ》て、|全《まつた》く|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》だと|固《かた》く|信《しん》じて|居《を》ります。|弥勒《みろく》の|神政《しんせい》|建設《けんせつ》の|為《ため》ならば|神様《かみさま》の|御旨《みむね》とある|以上《いじやう》、|如何《いか》なる|事《こと》にても|従《したが》ひまつらねばなりますまい。|妾《わたし》が|師《し》の|君《きみ》を|恋愛《れんあい》する|事《こと》は|決《けつ》して|決《けつ》して|罪悪《ざいあく》だとは|考《かんが》へられませぬ。|何卒《どうぞ》|絶対《ぜつたい》の|愛《あい》を|以《もつ》て|妾《わたし》を|愛《あい》して|下《くだ》さいませ。|決《けつ》して|永久《えいきう》の|愛《あい》を|要求《えうきう》するのでは|御座《ござ》りませぬ。もはや|妾《わたし》の|霊肉《れいにく》ともに|一変《いつぺん》すべき|時機《じき》が|近《ちか》づいたのです。|仮令《たとへ》|一分間《いつぷんかん》でも|貴方《あなた》の|温《あたた》かき|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれさへすれば|善《よ》いので|御座《ござ》ります。|妾《わたし》は|身命《しんめい》を|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》のために|師《し》の|君様《きみさま》へ|差上《さしあ》げて|居《ゐ》るので|御座《ござ》ります。|何卒《どうぞ》|色《いろ》よい|返事《へんじ》を|至急《しきふ》に|願《ねが》ひ|度《た》いもので|御座《ござ》ります。
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》   マリヤより
|師《し》の|君様《きみさま》へ
ブラバーサは|一巡《いちじゆん》|読《よ》み|了《を》はり、ハツと|吐息《といき》をつき|無言《むごん》のまま|双手《もろて》を|組《く》んで|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。
『|師《し》の|君様《きみさま》、|可憐《かれん》な|妾《わたし》の|心《こころ》、|妾《わたし》の|願《ねがひ》をキツと|聞《き》いて|下《くだ》さるでせうな』
『|貴方《あなた》の|真心《まごころ》はよく|諒解《りようかい》|致《いた》しました。|併《しか》し|乍《なが》ら|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制度《せいど》のやかましいルートバハーの|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|宣伝使《せんでんし》として、|何程《なにほど》|貴女《あなた》が|熱烈《ねつれつ》に|愛《あい》して|下《くだ》さらうとも|恋愛《れんあい》|関係《くわんけい》を|結《むす》ぶ|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ、どうぞこればかりは|見直《みなほ》し|宣直《のりなほ》し|下《くだ》さいませ』
『さう|仰有《おつしや》いますと、|貴方《あなた》は|妾《わたし》を|見殺《みごろ》しにせうと|仰有《おつしや》るのですか。|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|制度《せいど》も|亦《また》|人倫《じんりん》の|大本《たいほん》もよく|存《ぞん》じて|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら、それは|理性的《りせいてき》の|見解《けんかい》で|御座《ござ》りまして、|愛《あい》の|情動《じやうだう》はそんな|規則張《きそくば》つたものぢや|御座《ござ》りませぬ。|恋《こひ》にやつれ|息《いき》もたえだえになつて|居《ゐ》る|此《この》|女《をんな》をして|悶死《もんし》せしめ|玉《たま》ふので|御座《ござ》りますか。|貴方《あなた》に|会《あ》ひさへしなければ|妾《わたし》はこんな|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》は|起《おこ》らないので|御座《ござ》ります。|貴方《あなた》は|妾《わたし》を|日出島《ひのでじま》から|亡《ほろ》ぼしにお|越《こ》しなさつた|悪魔《あくま》だと|思《おも》ひますわ。|神様《かみさま》は|吾々《われわれ》に|恋愛《れんあい》と|云《い》ふ|貴重《きちよう》なものを|与《あた》へて|下《くだ》さつたのです。もし|此《この》|恋愛《れんあい》を|自由《じいう》に|働《はたら》かす|事《こと》が|出来《でき》なければ、|日夜《にちや》|神《かみ》に|仕《つか》へる|妾《わたし》にどうして|此《こ》んな|考《かんが》へを|起《おこ》さしめられたでせうか。そんな|事《こと》|仰有《おつしや》らず|一滴《いつてき》|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》あらば、|妾《わたし》の|願《ねがひ》を|叶《かな》へさして|下《くだ》さいませ。|決《けつ》して|乱倫乱行《らんりんらんぎやう》の|罪《つみ》にもなりますまい。|貴方《あなた》の|奥《おく》さまにして|頂《いただ》きたいとは|申《まを》しませぬ。|今《いま》ここで|貴方《あなた》に|素気《すげ》なく|刎《は》ねられたが|最後《さいご》、|妾《わたし》はガリラヤの|海《うみ》を|最後《さいご》の|場所《ばしよ》と|致《いた》します。さすれば|貴方《あなた》の|名誉《めいよ》でもありますまい。それ|故《ゆゑ》|妾《わたし》の|死《し》は|貴方《あなた》の|死《し》ではあるまいかと|此《この》|手紙《てがみ》に|記《しる》したので|御座《ござ》ります』
ブラバーサは|双手《もろて》を|組《く》み|吐息《といき》をつき|乍《なが》ら、
『あゝ、|誘惑《いうわく》の|魔《ま》の|手《て》はどこ|迄《まで》も|廻《まは》つてゐるものだな。|岩石《がんせき》に|等《ひと》しき|固《かた》き|男《をとこ》の|心《こころ》も|僅《わづ》か|女《をんな》|一人《ひとり》の|心《こころ》に|打砕《うちくだ》かれむとするのか。|寸善尺魔《すんぜんしやくま》の|世《よ》の|中《なか》とはよく|云《い》つたものだ。あゝどうしたら、|宜《よ》からうかな』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|深《ふか》き|思《おも》ひに|沈《しづ》む。マリヤは|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》くブラバーサに|背後《はいご》より|喰《くら》ひつき|満身《まんしん》の|力《ちから》をこめて|抱《だ》きしめた。ブラバーサは|驚《おどろ》き|乍《なが》ら|心《こころ》の|中《うち》に|思《おも》ふやう、
『あゝ|仕方《しかた》がない、|此《この》|通《とほ》り|猛烈《まうれつ》な|恋《こひ》におちた|女《をんな》を|素気《すげ》なく|振《ふ》り|放《はな》せばキツと|過《あやま》ちがあるだらう。|天則違反《てんそくゐはん》か|知《し》らねども|暫《しばら》く|彼女《かれ》の|云《い》ふ|通《とほ》り|任《まか》せおき、|徐《おもむろ》に|道理《だうり》を|説《と》き|目《め》を|覚《さ》ましてやらねばなるまい』
と|心《こころ》に|頷《うな》づき|乍《なが》ら|言葉《ことば》を|改《あらた》めて、
『いや、マリヤ|様《さま》、よくそこ|迄《まで》|思《おも》つて|下《くだ》さいます。|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|私《わたし》はここに|参《まゐ》りましてから、|一ケ月《いつかげつ》に|足《た》りませぬ。|私《わたし》はあと|七十日《しちじふにち》の|間《あひだ》|身体《からだ》を|清潔《せいけつ》にして|或《ある》|使命《しめい》は|果《はた》さねばなりませぬから|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》を|済《す》ます|迄《まで》、|何卒《どうぞ》|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ひます』
『ソンナ|気休《きやす》めを|云《い》つて|妾《わたし》をお|騙《だま》しなさるのぢやありませぬか。その|場《ば》|逃《のが》れの|言《い》ひ|訳《わけ》とより|思《おも》へませぬ。どうか|的確《てきかく》なお|言葉《ことば》を|賜《たま》はりたいもので|御座《ござ》ります』
ブラバーサは|吐息《といき》をつき|乍《なが》ら|永《なが》い|沈黙《ちんもく》に|陥《おちい》つた。マリヤも|暫《しばら》く|無言《むごん》の|儘《まま》|打慄《うちふる》ふてゐたが、|思《おも》ひきつたやうに|口《くち》を|開《ひら》いてブラバーサの|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、
『|妾《わたし》は|貴方《あなた》に|初《はじ》めてお|目《め》にかかつてから|今日《けふ》で|殆《ほとん》ど|一ケ月《いつかげつ》、どうしたものかセリバシー|生活《せいくわつ》をやつて|来《き》た|身《み》であり|乍《なが》ら、その|時《とき》から|恋《こひ》におち、|此《この》|一月《ひとつき》の|間《あひだ》も|殆《ほとん》ど|千年《せんねん》のやうに|長《なが》きを|感《かん》じました。|妾《わたし》のあまり|永《なが》い|沈黙《ちんもく》の|恋《こひ》は|妾《わたし》の|頭脳《づなう》を|腐《くさ》らし|破《やぶ》つて|了《しま》ひました。そして|妾《わたし》は|今《いま》|恋《こひ》の|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》を|味《あぢ》はつてゐます。|私《わたし》は|之《これ》を|何時迄《いつまで》も|秘密《ひみつ》として|葬《はうむ》り|去《さ》る|事《こと》が|出来《でき》ないのです。|何卒《どうぞ》|一人《ひとり》の|女《をんな》を|救《すく》ふと|思《おも》つて|妾《わたし》の|恋《こひ》を|諒解《りやうかい》して|下《くだ》さい。|此《この》|猛烈《まうれつ》な|恋愛《れんあい》を|笑《わら》ふなら|笑《わら》つて|下《くだ》さい。|又《また》|誹《そし》るなら|誹《そし》つて|下《くだ》さい。もはや|妾《わたし》は|恋《こひ》に|悩《なや》む|狂人《きちがひ》です。|妾《わたし》の|目《め》に|浮《う》かぶものは|山川草木《さんせんさうもく》|一切《いつさい》が|恋《こひ》しい|師《し》の|君《きみ》のお|姿《すがた》になつて|見《み》えるのですもの、|狂《くる》つてるのかも|知《し》れませぬ。あゝ|苦《くる》しい、こんな|不思議《ふしぎ》な|恋《こひ》を|誰《たれ》がさせたので|御座《ござ》いませうか。エルサレムの|町《まち》でお|目《め》にかかつてから|妾《わたし》はスツカリ|恋《こひ》の|捕虜《とりこ》となつて|了《しま》ひました。|妾《わたし》は|神様《かみさま》から|与《あた》へられた|恋《こひ》だと|思《おも》つて|居《を》ります。|恋《こひ》を|与《あた》へられた|時《とき》は|思《おも》ひきり|恋《こひ》を|味《あぢ》はひつつ|生《いき》るもので|御座《ござ》いませう。|妾《わたし》が|師《し》の|君《きみ》を|恋《こ》ふる|事《こと》は|決《けつ》して|不合理《ふがふり》でも|不道徳《ふだうとく》でも|御座《ござ》いますまい。|神様《かみさま》の|御旨《みむね》だと|信《しん》ぜられてなりませぬ。|厳粛《げんしゆく》な|神聖《しんせい》な|恋《こひ》が|変《かは》つて|博愛《はくあい》となつた|時《とき》は、|尊《たふと》さと|偉大《ゐだい》さと|美《うつく》しさとを|知《し》る|事《こと》が|出来《でき》ませう。ルートバハーの|御教《みをしへ》の|人類愛《じんるゐあい》は|斯様《かやう》な|意味《いみ》を|云《い》ふのではありますまいか。|人類愛《じんるゐあい》そのものを|愛《あい》するの|愛《あい》、それは|神様《かみさま》の|愛《あい》で、|即《すなは》ち|自分《じぶん》を|見出《みいだ》だす|為《た》めの|愛《あい》であり、|自分《じぶん》|自身《じしん》を|建設《けんせつ》すべき|天国《てんごく》に|昇《のぼ》るべき|愛《あい》の|初《はじ》めであり|終《をは》りでありませう。|師《し》の|君《きみ》が|妾《わたし》を|理解《りかい》して|下《くだ》さらぬ|事《こと》は|実《じつ》に|絶大《ぜつだい》なる|悲《かな》しみで|御座《ござ》います。|妾《わたし》もアメリカンコロニーに|籍《せき》をおき、|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》を|待《ま》ち、|全世界《ぜんせかい》|救済《きうさい》の|使命《しめい》を|持《も》ち|乍《なが》ら、どうして|戯《たはむ》れの|恋《こひ》に|浮《う》かれて|居《を》れませうか。|妾《わたし》は|師《し》の|君《きみ》の|手《て》によつて|新《あらた》に|生《うま》れなくてはならないのです。|霊肉《れいにく》ともに|復活《ふくくわつ》せねばならぬのです。|師《し》の|君《きみ》と|愛《あい》し|愛《あい》され、|貴方《あなた》と|結《むす》ぶ|事《こと》によつて|新《あらた》に|力《ちから》を|与《あた》へらるるので|御座《ござ》ります。もし|此《この》|妾《わたし》の|恋愛《れんあい》が|不合理《ふがふり》だと|仰有《おつしや》るのならば|貴方《あなた》の|神力《しんりき》で|取去《とりさ》つて|下《くだ》さいませ。とは|云《い》ふものの|一度《いちど》|恋《こ》ひ|慕《した》ふた|師《し》の|君《きみ》の|温《あたたか》い|御顔《おんかんばせ》とそのやさしいお|言葉《ことば》は|妾《わたし》の|全身《ぜんしん》に|流《なが》れて|血《ち》となつて|居《を》ります』
『|私《わたし》は|厳粛《げんしゆく》なる|神様《かみさま》の|御命令《ごめいれい》を|頂《いただ》き|神聖《しんせい》にして|犯《をか》すべからざる|此《この》|聖地《せいち》に|於《おい》て|恋愛《れんあい》|問題《もんだい》にぶつかるとは|夢《ゆめ》にも|思《おも》ひませぬでした。|然《しか》し|愛《あい》の|情動《じやうどう》は|何《いづ》れの|国《くに》の|人《ひと》も|変《かは》らないものと|見《み》えますなア。|貴女《あなた》の|御親切《ごしんせつ》を|決《けつ》して|葬《はうむ》り|去《さ》るやうな|勇気《ゆうき》も|厶《ござ》いませぬ。|然《しか》し|乍《なが》ら|怪《あや》しき|関係《くわんけい》を|結《むす》ばなくても|心《こころ》と|心《こころ》と|融《と》け|合《あ》ひさへすれば、それで|恋愛《れんあい》は|完全《くわんぜん》に|保《たも》たれて|行《ゆ》くぢやありませか。|凡《すべ》て|霊主体従《れいしゆたいじう》の|教《をしへ》を|奉《ほう》ずる|吾々《われわれ》……|然《しか》らば|霊的《れいてき》の|恋仲《こひなか》となりませう。さあ|何卒《どうぞ》その|手《て》を|放《はな》して|下《くだ》さいませ』
『いえいえ|妾《わたし》はいつ|迄《まで》も|師《し》の|君様《きみさま》の|愛《あい》の|御手《みて》に|昼《ひる》も|夜《よる》も|抱《だ》いて|慰《なぐさ》めて|欲《ほ》しいので|御座《ござ》います。いつも|尊《たふと》い|懐《ふところ》に|抱《いだ》かれ|微笑《ほほゑみ》つつ|恋《こひ》を|歌《うた》つて|見《み》たいのです。……あゝ|妾《わたし》の|恋《こひ》しい|慕《した》はしい|師《し》の|君《きみ》の|御上《おんうへ》に|幸《さち》|多《おほ》かれ……と』
『|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|御座《ござ》いますが、|何卒《どうぞ》|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》が|済《す》む|迄《まで》は|触《さは》らないで|下《くだ》さい。|怪《あや》しい|考《かんが》へが|起《おこ》つては|修行《しうぎやう》の|邪魔《じやま》になりますからな』
『|貴方《あなた》の|御身辺《ごしんぺん》に|厄《あぶな》い|事《こと》が|迫《せま》つて|来《き》た|事《こと》がお|分《わか》りになりませぬか。|妾《わたし》はそれが|心配《しんぱい》でならないのです。それ|故《ゆゑ》アメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》を|握《にぎ》る|妾《わたし》と|締結《ていけつ》して|下《くだ》さるのならば|貴方《あなた》の|危難《きなん》を|逃《のが》れるのは|当然《たうぜん》ですよ。ユダヤ|人《じん》は|同化《どうくわ》し|難《がた》い|人種《じんしゆ》ですからな』
『|何《なに》か|私《わたし》の|身《み》の|上《うへ》について|危険《きけん》が|迫《せま》つて|居《ゐ》るのですか。|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|敵《てき》が|来《き》ても|神様《かみさま》にお|任《まか》せした|私《わたし》、|左様《さやう》な|事《こと》に|驚《おどろ》く|事《こと》はありませぬから、|先《ま》づ|安心《あんしん》して|下《くだ》さい』
『|貴方《あなた》は、さう|楽観《らくくわん》して|居《を》られますが、|貴方《あなた》の|周囲《しうゐ》には|沢山《たくさん》の|悪魔《あくま》が|取囲《とりかこ》んで|居《を》りますよ。|今《いま》|妾《わたし》は|師《し》の|君《きみ》の|言葉《ことば》に|従《したが》ひ|恋愛《れんあい》を|思《おも》ひきり|路傍《ろばう》|相逢《あひあ》ふ|人《ひと》の|如《ごと》き|態度《たいど》を|採《と》らうと|思《おも》つても、それが|出来《でき》ないのです。|貴方《あなた》のお|身《み》の|上《うへ》を|思《おも》へば|涙《なみだ》が|出《で》てたまりませぬ。それで|貴方《あなた》の|側《そば》を|離《はな》れたくはありませぬ』
『マリヤさま、そんな|事《こと》|云《い》つて|強迫《きやうはく》するのぢやありませぬか。|随分《ずゐぶん》|悪辣《あくらつ》な|手段《しゆだん》を|廻《めぐ》らして|恋《こひ》の|慾望《よくばう》を|遂《と》げむとなさるのではあるまいかと|思《おも》はれてなりませぬわ』
『いえいえどうしてどうして|誠《まこと》の|神様《かみさま》の|教《をしへ》を|信《しん》ずるピユリタンの|一人《ひとり》として|嘘《うそ》|偽《いつは》りが|申《まを》されませうか。|神様《かみさま》の|冥罰《めいばつ》が|恐《おそ》ろしう|御座《ござ》います。|妾《わたし》は|師《し》の|君様《きみさま》の|身辺《しんぺん》を|守《まも》るため|仮令《たとへ》|恋《こひ》せなくても|離《はな》れ|度《た》くはないのです。|此《この》エルサレムの|町《まち》へ|貴方《あなた》がおいでになつてから、|日《ひ》の|出島《でじま》の|聖師々々《せいしせいし》と|云《い》つて|貴方《あなた》に|帰順《きじゆん》する|人《ひと》が|沢山《たくさん》|出来《でき》ましたが、|真《しん》に|貴方《あなた》を|愛《あい》する|人《ひと》が|果《はた》して|幾人《いくにん》ありませうか。|凡《すべ》ての|人《ひと》が|師《し》の|君《きみ》に|対《たい》して|力一杯《ちからいつぱい》|敬《けい》して|居《ゐ》るやうですが、|然《しか》し|妾《わたし》は|案《あん》ぜられてならないのです。また|此方《こちら》へおいでになつてから|間《ま》もなく、|土地《とち》|人情《にんじやう》もお|分《わか》りになつてゐないのですからな』
『|然《しか》らば|貴女《あなた》の|御意見《ごいけん》に|任《まか》します。どうなつとして|下《くだ》さいませ。|然《しか》し|乍《なが》らここ|七十日《しちじふにち》の|間《あひだ》は|特《とく》に|猶予《いうよ》を|願《ねが》ひ|度《た》いので|御座《ござ》います。|貴女《あなた》の|要求《えうきう》を|容《い》れました|上《うへ》は|相対的《さうたいてき》に|私《わたし》の|要求《えうきう》も|容《い》れて|貰《もら》はねばなりませぬからな』
『どうも|仕方《しかた》がありませぬ。|然《しか》らば|隠忍《いんにん》|致《いた》します。どうぞ|注意《ちうい》をして|外《ほか》の|女《をんな》に|相手《あひて》にならぬやうに|願《ねが》ひます。サロメさまにお|会《あ》ひになつても|言葉《ことば》をお|交《かは》しになつちやいけませぬよ。|貴方《あなた》のお|身《み》の|上《うへ》に|危険《きけん》が、そのため|襲来《しふらい》してはなりませぬからな』
『ハヽヽヽヽ|最前《さいぜん》からマリヤさまが|私《わたし》の|身辺《しんぺん》に|悪魔《あくま》が|狙《ねら》つてゐる、|危険《きけん》が|襲《おそ》ふてゐると|仰有《おつしや》つたのは、|分《わか》りました。いや|随分《ずゐぶん》|抜《ぬ》け|目《め》のない……|貴女《あなた》も|女《をんな》ですな、アツハヽヽヽ』
『エツヘヽヽヽ|何《なん》なつと|勝手《かつて》に|仰有《おつしや》いましな。|然《しか》し|呉々《くれぐれ》もお|気《き》をつけなさいませや。さあ|之《これ》から|妾《わたし》と|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》りませう』
『ソンナラ|私《わたし》はお|山《やま》を|一《ひと》まはりして|帰《かへ》りますから|貴女《あなた》は|一足先《ひとあしさき》にお|帰《かへ》り|下《くだ》さい。|七十日《しちじふにち》さへ|経《た》てば|夜《よる》も|昼《ひる》も|駱駝《らくだ》のやうに|二人連《ふたりづれ》で|歩《ある》かして|頂《いただ》きませう。アハヽヽヽ』
『お|気《き》に|入《い》らないものはお|先《さき》へ|帰《かへ》りませう。|夜《よ》が|明《あ》けるまでお|待《ま》ちなさいませ。|夜鷹《よたか》でも|参《まゐ》りませうから』
と|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》し|橄欖山《かんらんざん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|後《あと》|見送《みおく》つてブラバーサは|吐息《といき》をつき|乍《なが》ら|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、
『あゝ|困《こま》つたものだな。どうして|此《この》|難関《なんくわん》を|切《き》り|抜《ぬ》けやうか。これも|大方《おほかた》|神様《かみさま》のお|試《ため》しだらう。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|様《さま》、|何卒《なにとぞ》|悪魔《あくま》の|誘惑《いうわく》に|陥《おちい》らぬやう|御守護《ごしゆご》を|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ります。|心《こころ》の|弱《よわ》き|私《わたくし》に|対《たい》し|絶対力《ぜつたいりよく》をお|授《さづ》け|下《くだ》さいませ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて|天地《てんち》に|向《む》かつて|拝謝《はいしや》し|乍《なが》ら|橄欖山《かんらんざん》の|頂《いただき》を|隈《くま》なく|逍遥《せうえう》し|初《はじ》めた。|古《ふる》ぼけた|小《ちひ》さい|祠《ほこら》の|前《まへ》に|一《ひと》つの|影《かげ》が|蠢《うごめ》いてゐる。|月《つき》は|薄雲《はくうん》の|帳《とばり》を|被《かぶ》つて|昼《ひる》ともなく|夜《よる》ともなく|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|光《ひかり》を|地上《ちじやう》に|投《な》げて|居《ゐ》る。
(大正一二・七・一二 旧五・二九 北村隆光録)
第一三章 |試練《しれん》〔一六四二〕
ブラバーサは|祠《ほこら》の|前《まへ》の|人影《ひとかげ》を|見《み》て、
『|御祠《みやしろ》の|御前《みまへ》に|居《ゐ》ます|物影《ものかげ》は
いづれの|人《ひと》か|聞《き》かまほしけれ
|吾《われ》こそは|日《ひ》の|出《で》の|島《しま》を|立《た》ち|出《い》でて
|登《のぼ》り|来《き》ませるプロパガンディストぞや』
|一人《ひとり》の|男《をとこ》
『アメリカンコロニー|守《まも》る|神司《かむづかさ》
スバツフオードの|翁《おきな》なるぞや
|大空《おほぞら》の|月《つき》|淡雲《あはくも》に|包《つつ》まれて
|君《きみ》の|御姿《みすがた》|見擬《みまが》ひぬるかな』
『|貴方《あなた》は、スバツフオード|様《さま》で|御座《ござ》いましたか、これはこれは|失礼《しつれい》|致《いた》しました。|御老体《ごらうたい》として|今頃《いまごろ》に|唯《ただ》お|一人《ひとり》|伴《とも》をも|連《つ》れずにお|出《いで》なさいましたには、|何《なに》か|理由《りいう》が|御座《ござ》いませうなア』
『いやもう、|年《とし》はとつても|心《こころ》は|矢張《やはり》|元《もと》の|十八《じふはち》、どこともなしに|愛熱《あいねつ》に|浮《う》かされてコンナ|所《ところ》|迄《まで》|引張《ひつぱ》られて|参《まゐ》りました。アハヽヽヽ、|何程《なにほど》|大神様《おほかみさま》の|道《みち》を|遵奉《じゆんぽう》し、|女《をんな》に|目《め》をかけまいと|思《おも》つても|心《こころ》に|潜《ひそ》む|心猿意馬《しんゑんいば》と|云《い》ふ|曲者《くせもの》が、|五尺《ごしやく》の|男子《だんし》を|自由自在《じいうじざい》に|翻弄《ほんろう》|致《いた》します。|人間《にんげん》と|云《い》ふものは|本当《ほんたう》に|意志《いし》の|弱《よわ》いものですよ。|一挙手《いつきよしゆ》|三軍《さんぐん》を|叱咤《しつた》する|勇将《ゆうしやう》も、|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|一瞥《いつべつ》に|会《あ》つて|忽《たちま》ち|骨《ほね》も|肉《にく》も|砕《くだ》いて|仕舞《しま》ふ|世《よ》の|中《なか》で|御座《ござ》いますからなア。アハヽヽヽ』
ブラバーサはハツと|胸《むね》をつき……|最前《さいぜん》からのマリヤとの|話《はなし》をもしや|此《この》|老人《らうじん》に|聞《き》かれたのではあるまいか|意味《いみ》ありげの|今《いま》の|言葉《ことば》、はて|恥《はづ》かしい|事《こと》だわい、かう|老人《らうじん》の|方《はう》から|先鞭《せんべつ》をつけられては|何《なに》も|云《い》ふ|事《こと》が|無《な》くなつて|了《しま》つた。|罰《ばち》は|覿面《てきめん》だ、なぜあの|時《とき》マリヤの|脅迫《けふはく》を|郤《しりぞ》けなかつたのだらう、|吾《われ》ながら|意志《いし》の|弱《よわ》いのにはあきれた。いやいや|決《けつ》して|意志《いし》の|弱《よわ》いのではない、|心《こころ》の|中《なか》の|曲者《くせもの》の|為《ため》だ。|八千哩《はつせんマイル》を|隔《へだ》てた|日《ひ》の|出《で》の|島《しま》に|妻子《さいし》を|残《のこ》し、|一人身《ひとりみ》の|淋《さび》しさをつくづくと|感《かん》じ|絶対《ぜつたい》|無限《むげん》の|神様《かみさま》の|力《ちから》を|頼《たよ》る|事《こと》を|忘《わす》れて|居《ゐ》た|為《ため》に、|吾《わが》|心中《しんちゆう》に|悪魔《あくま》が|擡頭《たいとう》してあのやうな|弱《よわ》い|一時逃《いちじのが》れの|偽《いつは》りを|云《い》つたのだ。あゝ|済《す》まない|事《こと》をした。|何《なん》と|云《い》つてこの|翁《おきな》に|答《こた》へやうかなア……
と|双手《もろて》を|組《く》んで|俯向《うつむ》いて|居《ゐ》る。
『アハヽヽヽ、ブラバーサ|様《さま》、|仮《かり》にもルートバハーの|宣伝使《せんでんし》として|一時逃《いちじのが》れの|言葉《ことば》を|用《もち》ゆるやうな|事《こと》はなさいますまいなア、|女《をんな》と|云《い》ふものは|比較的《ひかくてき》|正直《しやうぢき》なもので|御座《ござ》いますから、|男《をとこ》の|言葉《ことば》を|真面目《まじめ》に|信《しん》ずるものです。|若《も》し|男子《だんし》の|言葉《ことば》に|一言《いちげん》たりとも|偽《いつは》りある|事《こと》を|発見《はつけん》した|時《とき》には、それこそ|命《いのち》がけになるものです。|貴方《あなた》は|誰《たれ》か|女《をんな》と|約束《やくそく》を|為《な》さつた|事《こと》はありませぬか』
『ハイ、エー|何《なん》で|御座《ござ》います。|止《や》むを|得《え》ず|一寸《ちよつと》|約束《やくそく》を|致《いた》しました。|本当《ほんたう》にお|恥《はづ》かしい|事《こと》です。|貴方《あなた》は|吾々《われわれ》の|秘密話《ひみつばなし》をすつかりお|聞《きき》なさつたのですか』
『アハヽヽヽ、|年《とし》は|寄《よ》つても|耳《みみ》は|未《ま》だ|隠居《いんきよ》を|致《いた》しませぬ、あれだけ|大《おほ》きな|声《こゑ》で、|情約《じやうやく》や|談判《だんぱん》をして|居《を》られたものですから、|手《て》に|取《と》るが|如《ごと》く|聞《きこ》えました。|一伍一什《いちぶしじふ》|承《うけたま》はりましたよ。|随分《ずゐぶん》|貴方《あなた》も|思《おも》はれたものですなあ。アハヽヽヽ』
『|実《じつ》に|困《こま》りましたよ、|九寸五分《くすんごぶ》を|咽喉《のど》もとへつきつけられての|談判《だんぱん》|同様《どうやう》ですから、|私《わたし》としてはあれより|応戦《おうせん》の|仕方《しかた》がないので|思《おも》はぬ|事《こと》を|申《まを》しました。|決《けつ》して|心《こころ》から|宣伝使《せんでんし》の|身《み》として|女《をんな》なんかに|恋着《れんちやく》|致《いた》しませうか』
『さうすると|貴方《あなた》はあのマリヤさまに|対《たい》し|偽《いつは》りを|云《い》つたのですか。|実《じつ》に|怪《け》しからぬぢやありませぬか。|日《ひ》の|出島《でじま》の|人間《にんげん》は|嘘《うそ》つきだ、|油断《ゆだん》がならぬと|聞《き》いて|居《を》りましたが、まさか|誠《まこと》の|道《みち》を|宣伝《せんでん》する|貴方《あなた》に|限《かぎ》り|塵《ちり》|程《ほど》も|偽《いつは》りはあるまいと|思《おも》ひましたが、|宣伝使《せんでんし》にして|斯《かく》の|如《ごと》しとすれば|日《ひ》の|出島《でじま》の|人間《にんげん》は|一人《ひとり》も|信用《しんよう》する|事《こと》が|出来《でき》ますまい。|左様《さやう》な|所《ところ》からどうして|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれませう。あゝ|心細《こころぼそ》い|事《こと》だなア』
『イエイエ|決《けつ》して|決《けつ》して|日《ひ》の|出島《でじま》だと|云《い》つて|嘘言者《うそつき》ばかりではありませぬ。|私《わたし》は|止《や》むを|得《え》ずあの|女《をんな》を|助《たす》けるため|心《こころ》にもない|事《こと》を|云《い》つたのです。|恋《こひ》に|熱《ねつ》しきつた|彼《か》の|女《ぢよ》をたつた|一時《いつとき》でも|安心《あんしん》させたいと、|止《や》むを|得《え》ず|予約《よやく》をしたので|御座《ござ》います』
『ソンナ|意志《いし》の|弱《よわ》い|事《こと》でどうして|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|神業《しんげふ》が|勤《つと》まりませうか。|其方《そなた》も|見《み》かけによらない|意志《いし》の|弱《よわ》い|方《かた》ですな。|吾々《われわれ》ユダヤ|人《じん》は|二千六百年《にせんろくぴやくねん》|以前《いぜん》に|国《くに》を|滅《ほろぼ》され|亡国《ばうこく》の|民《たみ》となつて|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》より|土芥《どかい》の|如《ごと》く|卑《いや》しめられ|漸《やうや》く|二千六百年《にせんろくぴやくねん》の|辛苦《しんく》を|経《へ》て|神様《かみさま》の|賜《たまは》つたパレスチナの|地《ち》を|恢復《くわいふく》したので|御座《ござ》います。ユダヤ|人《じん》には|一人《ひとり》として|貴方《あなた》のやうな|意志《いし》の|弱《よわ》い|人間《にんげん》は|御座《ござ》いませぬよ』
『ヤ、|恐《おそ》れ|入《い》りました。さう|云《い》はれては|一言《いちごん》の|辞《じ》も|御座《ござ》いませぬ。これから|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し、|誠一《まことひと》つを|立《た》て|貫《ぬい》てユダヤ|人《じん》に|負《まけ》ない|熱烈《ねつれつ》さと|信仰力《しんかうりよく》を|養《やしな》ひませう』
『|貴方《あなた》は|今《いま》マリヤさまに|仰有《おつしや》つた|言葉《ことば》を|反古《ほご》となさず、|実行《じつかう》なさるでせうな。ユダヤ|人《じん》の|女《をんな》に|嘘《うそ》でも|仰有《おつしや》らうものならそれこそ|大変《たいへん》ですよ。|貴方《あなた》の|御身《おんみ》のため、|道《みち》のために|老婆心《らうばしん》ながら|御注意《ごちうい》を|申《まを》し|上《あ》げて|置《お》きまする。|実際《じつさい》の|所《ところ》は|貴方《あなた》にマリヤさまが|遇《あ》ふてから|後《あと》と|云《い》ふものは|恋《こひ》に|陥《お》ち、|朝夕《あさゆふ》|吐息《といき》を|漏《も》らし|見《み》るに|見《み》られぬ|憐《あは》れさ、どうかして|私《わたし》が|仲媒《なかうど》をせうと|思《おも》ふて|一足先《ひとあしさき》へ|廻《まは》りお|二人《ふたり》の|談判《だんぱん》を|伺《うかが》ふて|居《ゐ》たので|御座《ござ》います。どうか|約束《やくそく》を|違《ちが》へないやうにしてやつて|貰《もら》ひたいものです。|彼《か》の|女《ぢよ》はほんたうに|信仰《しんかう》の|強《つよ》い|赤心《まごころ》の|女《をんな》で|御座《ござ》いますから、もし|違約《ゐやく》でもなさらうものなら|神様《かみさま》を|偽《いつは》つたも|同様《どうやう》で|御座《ござ》います。あなたの|御身《おんみ》に|忽《たちま》ち|禍《わざはひ》が|報《むく》ふて|来《く》るかも|知《し》れませぬ。サアどうかキツパリと|私《わたし》に、も|一度《いちど》|云《い》つて|下《くだ》さいませ。さすれば|七十日《しちじふにち》の|間《あいだ》マリヤさまに|私《わたし》が|申付《まをしつ》けて|貴方《あなた》の|行《ぎやう》の|邪魔《じやま》にならないやうに|致《いた》しますから』
ブラバーサは|退《の》つ|引《びき》ならぬ|翁《をう》の|言葉《ことば》に|胸《むね》を|痛《いた》め|如何《いかが》はせむと|案《あん》じ|煩《わづら》つて|居《ゐ》る。|暫《しばら》くあつて|種々《しゆじゆ》と|思案《しあん》の|結果《けつくわ》|思《おも》ひ|切《き》つたやうに、
『ハイ、キツと|約束《やくそく》を|守《まも》ります。マリヤさまにも|安心《あんしん》なさるやうに|云《い》つて|下《くだ》さいませ』
『|貴方《あなた》はさうすると|日《ひ》の|出島《でじま》でも|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》をして|居《を》られたのでせうな。さうで|無《な》ければたとへ|女《をんな》が|恋《こひ》したからつて|冗談《じやうだん》にも|約束《やくそく》を|結《むす》ぶ|道理《だうり》はありますまい。マリヤが|貴方《あなた》を|慕《した》ふやうに、もし|貴方《あなた》に|妻女《さいぢよ》がありとすればその|妻女《さいぢよ》はきつと|貴方《あなた》を|慕《した》つて|居《を》られるでせう。|神《かみ》の|道《みち》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》として|仮《かり》にもそんな|無慈悲《むじひ》、いや|不貞《ふてい》の|事《こと》はなさいますまいな』
ブラバーサは|進退《しんたい》|茲《ここ》に|谷《きは》まつて|返《かへ》す|言葉《ことば》もなく、|一層《いつそう》のこと|云《い》ひ|訳《わけ》の|為《た》めガリラヤの|海《うみ》へ|身《み》を|投《とう》じ|苦痛《くつう》を|免《まぬ》がれむかと|思案《しあん》に|暮《く》れて|居《ゐ》る。スバツフオードは|大声《おほごゑ》をあげて|打《う》ち|笑《わら》ひ、
『アハヽヽヽガリラヤの|海《うみ》へ|投身《とうしん》した|所《ところ》で|貴方《あなた》の|偽《いつはり》の|罪《つみ》は|消《き》えるものではありませぬよ。サアどうなさいますか』
『あゝ|仕方《しかた》がない、こんな|羽目《はめ》に|陥《おちい》らうとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らす、|一時逃《いちじのが》れにマリヤさまをたらして|帰《かへ》したのが|悪《わる》かつた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》|許《ゆる》したまへ』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|詫《わび》|入《い》る。|暫《しばら》くあつて|首《くび》をあぐれば|以前《いぜん》の|老人《らうじん》は|姿《すがた》も|見《み》えず、|月《つき》は|淡雲《あはくも》の|衣《きぬ》の|綻《ほころ》びより|皎々《かうかう》と|古《ふる》き|祠《ほこら》の|屋根《やね》を|照《てら》して|居《ゐ》る。ブラバーサは|訝《いぶ》かりながら|祠《ほこら》に|拝礼《はいれい》をなし、スタスタと|元来《もとき》し|道《みち》へ|引返《ひきかへ》し|吾《わが》|身《み》の|暗愚《あんぐ》を|嘆《なげ》きつつ|橄欖山《かんらんざん》を|下《くだ》り|僧院《そうゐん》ホテルを|指《さ》して|帰《かへ》り|往《ゆ》く。
|因《ちなみ》に|云《い》ふ。|祠《ほこら》の|前《まへ》に|現《あら》はれた、スバツフオードと|見《み》えた|老人《らうじん》は|国治立大神《くにはるたちのおほかみ》の|化身《けしん》であつた。
|大神《おほかみ》はブラバーサの|身魂《みたま》を|錬《きた》へむと、|化相《けさう》をもつて|現《あら》はれ|訓誡《くんかい》を|垂《た》れたまふたのである。
ゲツセマネの|園《その》の|壁際《かべぎは》|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《き》た|時《とき》に|白《しろ》い|淡《うす》い|被衣《かつぎ》を|被《かぶ》つて|背《せ》のすらりと|高《たか》い、|色《いろ》の|飽迄《あくまで》|白《しろ》い|一人《ひとり》の|美人《びじん》が|急《いそ》ぎやつて|来《く》るのに|出遇《であ》つた。ブラバーサは|立《た》ちとまり|何《いづ》れの|女《をんな》かと|丸《まる》い|目《め》をむいて|眺《なが》めて|居《ゐ》ると、|女《をんな》はつかつかと|遠慮気《ゑんりよげ》もなく|傍《そば》に|寄《よ》り|来《き》たり、|無雑作《むざふさ》にブラバーサの|手《て》を|握《にぎ》り|二《ふた》つ|三《み》つゆすりながら、
『|今日《けふ》はえらう|早《はや》う|御座《ござ》いましたねえ。|妾《わたし》は|未《ま》だ|貴方《あなた》がお|山《やま》に|居《を》られるかと|思《おも》ふて|急《いそ》いで|参《まゐ》りました、マリヤさまはもうお|帰《かへ》りになりましたか』
ブラバーサは|其《その》|声《こゑ》を|聞《き》いてサロメなる|事《こと》を|知《し》つた。さうしてマリヤの|名《な》を|呼《よ》ばれて|今日《けふ》はいつになく|胸《むね》を|躍《をど》らせ|頬《ほほ》を|紅《くれなゐ》に|染《そ》めた。サロメは|層一層《そういつそう》|固《かた》く|手《て》を|握《にぎ》りしめ、
『|遉《さすが》は|日《ひ》の|出島《でじま》の|宣伝使《せんでんし》、|貴方《あなた》の|御名望《ごめいばう》はエルサレム|市中《しちう》に|誰一人《たれひとり》|知《し》らぬものはありませぬよ。|妾《わたし》だつて|貴方《あなた》のやうな|人気《にんき》のあるお|方《かた》の|傍《そば》へ|唯《ただ》|一時《いつとき》でも|置《お》いて|欲《ほ》しう|御座《ござ》いますわ』
『|貴方《あなた》はサロメ|様《さま》では|御座《ござ》いませぬか。|姫君様《ひめぎみさま》のあられもない|貴族《きぞく》のお|姫様《ひめさま》の|身《み》をもつて|何《なん》と|云《い》ふ|冗談《じやうだん》を|仰有《おつしや》います、どうぞよい|加減《かげん》に|揶揄《からか》つて|置《お》いて|下《くだ》さいませ。|随分《ずゐぶん》|貴女《あなた》も|悪戯《いたづら》がお|上手《じやうづ》ですね』
『ホヽヽヽヽ、|悪戯《いたづら》のお|上手《じやうづ》なのは|貴方《あなた》ぢや|御座《ござ》いませぬか。|男《をとこ》と|云《い》ふものは|随分《ずいぶん》|女《をんな》を|玩具《おもちや》のやうに|扱《あつか》ふものですが、|女《をんな》の|恋《こひ》は|真剣《しんけん》ですよ、|一《ひと》つ|違《ちが》へばお|腹《なか》が|膨《ふく》れ|命《いのち》がけですからな。|女《をんな》に|冗談《じやうだん》や|戯《たはむ》れはありませぬ。|貴方《あなた》もマリヤさまをどうか|末長《すゑなが》う|可愛《かあい》がつて|上《あ》げて|下《くだ》さいませや。もし|貴方《あなた》がマリヤさまに|対《たい》し|約束《やくそく》を|破《やぶ》るやうな|事《こと》をなさいませうものなら、ユダヤ|人《じん》は|団結《だんけつ》が|固《かた》う|御座《ござ》いますから、|貴方《あなた》を|恨《うら》んでどんな|事《こと》をするか|分《わか》りませぬよ。|御注意《ごちうい》なさいませ』
『ハイ|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|未《ま》だ|別《べつ》に|堅《かた》い|約束《やくそく》をしたと|云《い》ふのでもなく、ほんの|予備《よび》|行為《かうゐ》をたつた|今《いま》やつた|所《ところ》で|御座《ござ》います。マリヤさまだつてどうして|吾々《われわれ》のやうなものに|恋慕《れんぼ》される|筈《はず》が|御座《ござ》いませう。|橄欖山《かんらんざん》は|霊地《れいち》で|御座《ござ》いますから|神様《かみさま》がマリヤさまとなつて|私《わたくし》の|気《き》を|引《ひ》かれたのかと|思《おも》ひます。いやもう|結構《けつこう》な|所《ところ》の|恐《おそ》ろしい|所《ところ》で|御座《ござ》いますわ。|貴女《あなた》も|是《これ》からお|一人《ひとり》で|橄欖山《かんらんざん》にお|登《のぼ》りなさるので|御座《ござ》いますか、よくまあ|御信神《ごしんじん》が|出来《でき》ますなあ』
『|妾《わたし》が|橄欖山《かんらんざん》へ|女《をんな》の|身《み》で|唯《ただ》|一人《ひとり》|参《まゐ》りますのも|聖師《せいし》にお|目《め》にかかり|度《た》いばかりで|御座《ござ》います。|貴方《あなた》がお|帰《かへ》りとあれば|妾《わたし》も|一所《いつしよ》に|登山《とざん》はやめてお|宿《やど》|迄《まで》|送《おく》らせて|頂《いただ》きませう。|気《き》の|多《おほ》い|貴方《あなた》に|滅多《めつた》に|情約《じやうやく》|締結《ていけつ》を|迫《せま》るやうな|事《こと》は|致《いた》しませぬから、|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ。オホヽヽヽ』
『これこれサロメ|様《さま》、あまり|揶揄《からか》つて|下《くだ》さいますな。ほんたうに|姫様《ひめさま》にも|似合《にあ》はず、お|意地《いぢ》が|悪《わる》いでは|御座《ござ》いませぬか』
『それでも|貴方《あなた》、アラブのクリーと|手《て》を|繋《つな》いで|歩《ある》くより|私《わたし》と|手《て》を|繋《つな》ぐ|方《はう》が|幾分《いくぶん》かお|心持《こころもち》がよいでせう』
『いやもう|結構《けつこう》で|御座《ござ》います。どうか|放《はな》して|下《くだ》さい、もう|沢山《たくさん》です。アイタヽヽ|指《ゆび》が|痺《しび》れさうで|御座《ござ》いますわ』
『さうでせうともマリヤさまには|指《ゆび》の|二本《にほん》や|三本《さんぼん》は|切《き》つてお|与《あた》へなさつても|痛《いた》くはありますまいが、|私《わたし》の|手《て》が|触《ふ》れるとそれだけ|御気分《ごきぶん》が|悪《わる》いのでせう。|私《わたし》も|女《をんな》の|意地《いぢ》です。|滅多《めつた》にマリヤさまには|選挙《せんきよ》|競争《きやうそう》をして|負《まけ》るやうな|事《こと》は|御座《ござ》いませぬよ。|御覚悟《おかくご》なさいませ。ほんとに|海洋万里《かいやうばんり》を|渡《わた》つて|二人《ふたり》の|女《をんな》に|恋慕《れんぼ》される|貴方《あなた》は|天下《てんか》の|幸福者《かうふくもの》ですよ。オホヽヽヽ』
『そのオホヽヽヽが|気《き》に|入《い》りませぬわい。|本当《ほんたう》に|六尺《ろくしやく》の|男子《だんし》を、|腹《はら》の|悪《わる》い|玩具《おもちや》になさいますのか、ユダヤ|人《じん》は|油断《ゆだん》がなりませぬなア』
『|油断《ゆだん》がならぬからユダヤ|人《じん》と|云《い》ふのですよ。ホヽヽヽヽ』
『ヤア|此奴《こいつ》は|些《ちつと》|怪《あや》しいぞ、|化州《ばけしう》だな。|本当《ほんたう》のサロメさまがどうしてこんなお|転婆式《てんばしき》の|事《こと》を|仰有《おつしや》るものか。|大方《おほかた》|金毛九尾《きんまうきうび》|白面《はくめん》の|悪狐《あくこ》が|瞞《だま》して|居《ゐ》るのだらう。|今《いま》|山上《さんじやう》で|大神様《おほかみさま》に|叱《しか》られて|来《き》た|所《ところ》だ』
と|眉毛《まゆげ》に|唾《つばき》をつけて|居《ゐ》る。
『もし|聖師様《せいしさま》、|眉毛《まゆげ》に|唾《つばき》をつけたりして|貴方《あなた》は|妾《わたし》を|侮辱《ぶじよく》するのですか、|狐《きつね》や|狸《たぬき》ではありませぬ。|正真正銘《しやうしんしやうめい》のサロメです。|余《あま》り|見違《みちが》ひをして|下《くだ》さいますな』
『ヘン、|何程《なにほど》|甘《うま》く|化《ばけ》たつて|駄目《だめ》だ。|日《ひ》の|出島《でじま》から|選抜《せんばつ》されて|来《く》るやうな、プロバガンディストだから|其《その》|手《て》には|乗《の》らないのだ。|今《いま》に|尻尾《しつぽ》を|現《あら》はしてやらう。ド|狐《ぎつね》|奴《め》』
と|後《あと》の|一言《ひとこと》を|雷《らい》の|如《ごと》く|呶鳴《どな》りつけた。サロメは、
『オホヽヽヽ』
とお【ちよぼ】|口《ぐち》で|笑《わら》ひながらクレツと|尻《しり》を|捲《まく》つた|途端《とたん》に|毛《け》の|生《は》えた|真白《まつしろ》の|狐《きつね》となり、|箒《はうき》のやうな|尾《を》をプリプリと|振《ふ》り|乍《なが》らのそりのそりと|這《は》ひ|出《だ》した。ブラバーサは|匆徨《さうくわう》として|慄《ふる》ひ|乍《なが》ら、カトリックの|僧院《そうゐん》に|立《た》ち|帰《かへ》り、ソフアの|上《うへ》に|横《よこた》はり|漸《やうや》く|寝《しん》についた。
(大正一二・七・一二 旧五・二九 加藤明子録)
第一四章 |荒武事《あらぶごと》〔一六四三〕
アメリカンコロニーの|奥《おく》の|一室《いつしつ》には、スバツフオードとマリヤが|煙草盆《たばこぼん》を|中《なか》において、ヒソビソ|話《はなし》に|耽《ふけ》つてゐる。
『マリヤさま、あなた|此《この》|頃《ごろ》は|何《なん》となしにソハソハしてゐるぢやありませぬか。|沈着《ちんちやく》な|貴女《あなた》に|似《に》ず、|此《この》|頃《ごろ》の|様子《やうす》と|云《い》つたら、|丸《まる》で|恋《こひ》に|狂《くる》ふた|野良犬《のらいぬ》のやうだと、|団体員《だんたいゐん》が|言《い》つてゐましたよ。チと|心得《こころえ》て|貰《もら》はないと、コロニーの|統一《とういつ》が|出来《でき》ないだありませぬか。|私《わたくし》はかうして|老人《らうじん》であるし、|何時《いつ》|昇天《しようてん》するか|知《し》れませぬ。さうするとあなたが|一人《ひとり》でコロニーを|背負《せお》つて|立《た》たねばなりませぬ。|噂《うはさ》に|聞《き》けが|貴女《あなた》は|日出島《ひのでじま》から|来《き》てる|聖師《せいし》に|大変《たいへん》|恋慕《れんぼ》してゐられるさうだが、あの|方《かた》はお|国《くに》に|妻子《さいし》があるといふことだ。|妻子《さいし》のある|方《かた》に|恋慕《れんぼ》したつて、|目的《もくてき》は|達《たつ》しませぬよ。|今迄《いままで》|何程《なにほど》よい|縁《えん》があつても、|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》|迄《まで》は|夫《をつと》は|持《も》たない、|男《をとこ》に|目《め》はくれないと、|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》を|主張《しゆちやう》した|貴女《あなた》に|似合《にあ》はず、|変《へん》だと|皆《みな》の|者《もの》がヒソビソ|話《はな》してゐますよ。|何程《なにほど》|強《つよ》いことを|言《い》ふてもヤハリ|女《をんな》といふ|者《もの》は|弱《よわ》い|者《もの》ですな。|狐独《こどく》の|淋《さび》しみに|堪《た》へられないと|見《み》えますワイ。モウ|少時《しばらく》の|所《ところ》だから、チツと|辛抱《しんばう》をして|貰《もら》はねばなりますまい。キツと|貴女《あなた》のお|気《き》に|入《い》る|適当《てきたう》な|夫《をつと》が|現《あら》はれて|来《く》るでせう。|神様《かみさま》は|最後《さいご》|迄《まで》|忍《しの》ぶ|者《もの》は|救《すく》はるべし……と|仰有《おつしや》るだありませぬか』
『ハイ、|妾《わたし》は|最後《さいご》|迄《まで》|忍《しの》んで|来《き》たのですよ。モウ|此《この》|上《うへ》|忍《しの》ぶ|事《こと》は|生命《いのち》に|関《くわん》しますもの……そんなこと|仰有《おつしや》るのは、チト|残酷《ざんこく》ですワ。|妾《わたし》は|神様《かみさま》の|御摂理《ごせつり》によつて|夫《をつと》を|定《さだ》めましたから、どうぞ|御承諾《ごしようだく》を|願《ねが》ひたう|御座《ござ》います』
『さうすると、|人《ひと》の|噂《うはさ》といふものはバカにならぬものだなア。そして|其《その》|夫《をつと》といふのはどこの|何《なん》と|云《い》ふ|方《かた》だなア、ヨモヤ、|妻子《さいし》のある|日出島《ひのでじま》の|聖師《せいし》ではあろまいなア』
『あの……|妾《わたし》は……|聖師《せいし》……|否々《いえいえ》|生死《せいし》を|共《とも》にせうと|約《やく》したお|方《かた》が|御座《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》らネームを|告《つ》げる|丈《だけ》は|少時《しばらく》|猶予《いうよ》を|願《ねが》ひたう|御座《ござ》います』
『|心機一転《しんきいつてん》も|甚《はなは》だしいぢやありませぬか。お|前《まへ》さまはブラバーサ|様《さま》に|恋《こひ》してゐるのだらう。|何《なん》と|云《い》つても|其《その》|顔《かほ》に|現《あら》はれてゐる、|年寄《としより》の|目《め》で|睨《にら》んだら、メツタに|間違《まちが》ひはありますまい。|左様《さやう》なことをなさつては、アメリカンコロニーも|破滅《はめつ》に|陥《おちい》らねばなるまい。あゝ|何《なん》とした|悪魔《あくま》が|魅入《みい》れたものだらうなア』
『ソリヤ|何《なに》を|仰有《おつしや》います。|女《をんな》が|夫《をつと》をもてないと|云《い》ふ|道理《だうり》が|何処《どこ》に|御座《ござ》いませう。|妾《わたし》も|最早《もはや》|三十《さんじふ》、いい|加減《かげん》に|夫《をつと》を|有《も》たなくちや|御子生《みこう》みの|御神業《ごしんげふ》が|勤《つと》まらぬぢやありませぬか、グヅグヅしてゐると、|歳月《さいげつ》は|妾《わたし》をすてて|省《かへり》みず、|年《とし》がよつてから、|何程《なにほど》|夫《をつと》をあさつてみた|所《ところ》で、|乞食《こじき》だつて|来《き》てくれは|致《いた》しませぬワ。|花《はな》も|半開《はんかい》の|中《うち》が|値打《ねうち》があるのです。|妾《わたし》の|花《はな》は|最早《もはや》|満開《まんかい》、|一《ひと》つ|風《かぜ》が|吹《ふ》いても|散《ち》らうとしてる|所《ところ》です。|散《ち》らない|中《うち》に|夫《をつと》を|持《も》たなくちや|人生《じんせい》の|本分《ほんぶん》を、|何《ど》うして|尽《つく》すことが|出来《でき》ませう』
『モウ|永《なが》いことぢやない。やがてキリストの|再臨《さいりん》があるのだから、そこ|迄《まで》|待《ま》つても|余《あま》りおそくはあらうまい。あのサロメさまを|御覧《ごらん》なさい。|貴族《きぞく》の|家《いへ》に|生《うま》れ、どんな|夫《をつと》と|添《そ》はうとママな|身《み》を|持《も》ち|乍《なが》ら、キリストの|再臨《さいりん》を|待《ま》ちかね、|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》をつづけてゐられるだありませぬか』
『あの|方《かた》は|再臨《さいりん》のキリストを|理想《りさう》の|夫《をつと》として|空想《くうさう》を|画《ゑが》いてをるのですから、|別物《べつもの》ですよ。|妾《わたし》は|左様《さやう》な|野心《やしん》は|御座《ござ》いませぬから、|相当《さうたう》の|夫《をつと》を|有《も》たうと|思《おも》ふので|御座《ござ》います。そんな|開《ひら》けないこを|言《い》はずに、コロニーの|連中《れんちう》に、あなたから|一口《ひとくち》、|神界《しんかい》の|都合《つがふ》に|依《よ》つて、|斯《か》う|斯《か》うだと|発表《はつぺう》して|下《くだ》さいませ。さうすれば、|団体員《だんたいゐん》は|仏《ぶつ》が|法《ほふ》とも|小言《こごと》を|云《い》ふ|者《もの》は|御座《ござ》いますまい』
『コレ、マリヤさま、お|前《まへ》さまも|天《てん》の|選民《せんみん》たるユダヤ|人《じん》の|女《をんな》だないか。なぜ|今《いま》となつて、モウ|一息《ひといき》といふ|所《ところ》の|辛抱《しんばう》が|出来《でき》ないのですか』
『ハイ、|之《これ》から|七十日《しちじふにち》が|間《あひだ》|辛抱《しんばう》|致《いた》します。|七十日《しちじふにち》|経《た》ちさへすれば、|仮令《たとへ》|貴師《あなた》が|何《なん》と|仰有《おつしや》らうとも、|大神様《おほかみさま》がお|姿《すがた》を|現《あら》はしてお|叱《しか》り|遊《あそ》ばさう|共《とも》、|最早《もはや》|私《わたし》の|意志《いし》の|自由《じいう》に|致《いた》す|考《かんが》へで|御座《ござ》います。どうぞ|広《ひろ》き|心《こころ》に|見直《みなほ》して|御承諾《ごしようだく》を|願《ねが》ひたいもので|御座《ござ》いますワ』
『|七十日《しちじふにち》? ソレヤ|又《また》|何《ど》うしてさう|云《い》ふ|日限《にちげん》を|切《き》つたのだなア、|人《ひと》の|噂《うはさ》も|七十五日《しちじふごにち》と|聞《き》いてゐるが、|七十日《しちじふにち》とは|何《なに》か|意味《いみ》があり|相《さう》だ。コレ、マリヤさま、|七十日《しちじふにち》の|因縁《いんねん》を|聞《き》かして|下《くだ》さい』
『|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》の|上《あが》りに|夫婦《ふうふ》になつてやらうと|仰有《おつしや》いました。それで|七十日《しちじふにち》と|云《い》つたので|御座《ござ》います』
『ハヽヽヽヽ、てつきり、|日出島《ひのでじま》の|聖師《せいし》と|約束《やくそく》をしたのだなア。いかにも|聖師《せいし》は|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》をすると|仰有《おつしや》つたが|已《すで》に|三十日《さんじふにち》を|経過《けいくわ》した。|併《しか》し|乍《なが》ら|聖師《せいし》ともあらう|者《もの》が、そんなことを|約束《やくそく》さるる|道理《だうり》が……ないがなア、コレ、マリヤさま、お|前《まへ》だまされてゐるのだなからうな』
『|決《けつ》して|決《けつ》して、|大磐石《だいばんじやく》ですよ。|妾《わたし》も|女《をんな》のはしくれ、|男《をとこ》に|欺《あざむ》かれるやうなヘマは|致《いた》しませぬ』
『ハーテナ、|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬことを|云《い》ふぢやないか。|貴女《あなた》は|何《ど》うかしてゐますね』
『|何程《なにほど》|同化《どうくわ》し|難《がた》きユダヤ|人《じん》でも、|女《をんな》と|男《をとこ》ですもの、|同化《どうくわ》もしませうかい。どうぞ|此《この》|結婚《けつこん》|問題《もんだい》ばかりは|本人《ほんにん》の|自由《じいう》|意志《いし》に|任《まか》して|下《くだ》さいませ。|貴師《あなた》のやうに|年《とし》が|老《よ》つて|血《ち》も|情《じやう》も|乾《かわ》き|切《き》つた、|聖《きよ》きお|方《かた》と、|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|若《わか》い|女《をんな》とは、|同日《どうじつ》に|語《かた》る|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬからねえ』
『アハヽヽヽ、こなひだから|余《あま》り|陽気《やうき》が|悪《わる》うて、|空気《くうき》の|流通《りうつう》が|悪《わる》く、|蒸《む》すので、|年老《としより》の|私《わたし》も|頭《あたま》がポカポカとして|来《き》た。|大方《おほかた》お|前《まへ》は|精神《せいしん》に|異状《いじやう》を|来《きた》して|居《を》るのだあるまいかな。さうで|無《な》ければ|鬼《おに》の|霊《れい》にでも|憑依《ひようい》されたのだらう。|此《この》|頃《ごろ》ゲツセマネの|園《その》の|近辺《きんぺん》に|悪《わる》い|狐《きつね》がウロつくといふことだが、|其奴《そいつ》の|霊《れい》にでも|憑依《ひようい》されたのであるまいかな。これマリヤさまチツと|用心《ようじん》なさいよ。キツと|狐《きつね》の|霊《れい》ですよ。コンコンさまにつままれたのですよ』
『ホヽヽヽヽ、|信心堅固《しんじんけんご》な|妾《わたし》、|何《ど》うしてさやうな|者《もの》につままれませうか。ケツでもコンでも|構《かま》ひませぬ、|妾《わたし》はケツコンさへすれば|可《い》いのですもの、ホヽヽヽヽ』
『アヽ、|何《なん》となく|怪体《けつたい》な|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《き》たぞ。あゝ|一《ひと》つ|窓《まど》でも|開《あ》けて|気《き》を|晴《は》らさうかな』
『ホヽヽヽヽ、あのスバツフオードさまの|仰有《おつしや》ることワイノ。|窓《まど》を|開《あ》けたつて、ついてゐない|狐《きつね》はメツタに|飛出《とびだ》す|気遣《きづかひ》はありませぬよ』
『|丸《まる》で|春情期《しゆんじやうき》の|犬《いぬ》の|様《やう》だなア』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》く。マリヤはスバツフオードに|向《むか》ひ、
『モシ|老師様《らうしさま》、|妾《わたし》は|之《これ》から|聖地《せいち》の|巡拝《じゆんぱい》に|行《い》つて|参《まゐ》ります。どうぞお|留守《るす》を|願《ねが》ひますよ。|前《まへ》|以《もつ》て|申《まを》しておきますが、|妾《わたし》も|女《をんな》です。|七十日《しちじふにち》の|間《あひだ》メツタにブラバーサ|様《さま》のホテルを|訪《たづ》ねるやうなことは|致《いた》しませぬから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|予防線《よばうせん》を|張《は》り|早《はや》くも|門口《もんぐち》に|飛出《とびだ》した。
|橄欖山《かんらんざん》の|中腹《ちうふく》、|橄欖樹《かんらんじゆ》の|下《もと》に|腰《こし》|打《う》ちかけて|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐる|三人《さんにん》のアラブがあつた。|各《おのおの》|手《て》にスコツプを|持《も》ち|乍《なが》ら、|木《き》の|株《かぶ》に|腰打《こしうち》かけ、
テク『オイ、|此《この》|頃《ごろ》、アメリカンコロニーのマリヤといふ|女《をんな》、チツと|様子《やうす》が|変《へん》だないか、|目《め》も|何《なに》も|釣上《つりあが》つてゐるやうだなア』
ツーロ『|彼奴《あいつ》ア|有名《いうめい》な|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》の|女《をんな》だが、ヤツパリ|性慾《せいよく》は|押《おさ》へ|切《き》れないとみえて、|橄欖山《かんらんざん》へ|参拝《さんぱい》を|標榜《へうばう》し、|男《をとこ》をあさつてゐるのかも|知《し》れないよ。|何《ど》うだ|一《ひと》つ|彼奴《あいつ》を|甘《うま》く|抱《だ》き|込《こ》んで、|俺達《おれたち》の|者《もの》にしたら|面白《おもしろ》からうぞ。アラブアラブとユダヤの|奴《やつ》に|軽蔑《けいべつ》されてゐるのだから、ユダヤ|人《じん》のカンカンを|甘《うま》くおとさうものなら、それこそアラブ|全体《ぜんたい》の|面目《めんぼく》を|輝《かがや》かすといふものだ。やがて|来《く》る|時分《じぶん》だから、|何《なん》とか|一《ひと》つ|工夫《くふう》をせうだないか』
トンク『ソリヤ|面白《おもしろ》からう、|併《しか》し|乍《なが》ら|三人《さんにん》の|男《をとこ》に|一人《ひとり》の|女《をんな》、|此奴《こいつ》ア|紛擾《ふんぜう》の|種《たね》をまくやうなものだから、|先《ま》づ|此《この》|計画《けいくわく》は|中止《ちゆうし》した|方《はう》が|安全《あんぜん》かも|知《し》れないよ。ラマ|教《けう》ならば|多夫一妻《たふいつさい》でよからうが、|吾々《われわれ》はそんなことしたら|天則違反《てんそくゐはん》で|神様《かみさま》から|罰《ばつ》せられるからなア』
テク『さう|心配《しんぱい》するな、|俺達《おれたち》のやうな|色《いろ》の|黒《くろ》い、|唇《くちびる》の|厚《あつ》い|醜男《ぶをとこ》|人種《じんしゆ》が、|何程《なにほど》あせつたつて、|一瞥《いちべつ》も|投《な》げてくれないのは|当然《たうぜん》だ。|先《ま》づ|相手《あひて》にならぬ|方《はう》が|安全《あんぜん》かも|知《し》れないよ』
ツーロ『|気《き》の|弱《よわ》いことを|云《い》ふな、|断《だん》じて|行《おこな》へば|鬼神《きしん》も|之《これ》をさく。|躊躇逡巡《ちうちよしゆんじゆん》するは|男子《だんし》の|執《と》らざる|所《ところ》だ。|今《いま》にもやつて|来《き》よつたら、|大勇猛心《だいゆうまうしん》を|発揮《はつき》して|獅子奮迅《ししふんじん》の|活動《くわつどう》をやるのだ。|一人《ひとり》は|足《あし》をさらへ、|一人《ひとり》は|猿轡《さるぐつわ》をはませ、|一人《ひとり》はかついでキドロンの|谷底《たにそこ》へでもつれて|行《ゆ》き、|厭応《いやおう》|云《い》はせず|此方《こつち》のものにするのだ』
テク『オイ、|汝《きさま》は|酒《さけ》の|気《け》のある|時《とき》ばかり、そんな|強《つよ》いことを|言《い》ひやがるが、|酔《ゑひ》のさめた|時《とき》|何《ど》うだい、|其《その》|元気《げんき》をどこ|迄《まで》も|持続《ぢぞく》することが|出来《でき》れば、おれだつて|汝《きさま》と|同盟《どうめい》して|決行《けつかう》せないことはないが、|何分《なにぶん》|弱味噌《よわみそ》だから、|先《さき》が|案《あん》じられて、する|気《き》にもなれないワ。のうトンク、さうだないか』
トンク『ナアニ|成敗《せいはい》は|時《とき》の|運《うん》だ。|一《ひと》つ|肝玉《きもだま》をおつぽり|出《だ》して|決行《けつかう》と|出《で》かけやう。ゴテゴテいつたらこの|聖地《せいち》を|立去《たちさ》り、アラビヤの|本国《ほんごく》へ|帰《かへ》れば|可《い》いだないか。|聖地《せいち》に|居《を》らなくても|救《すく》はれる|者《もの》は|救《すく》はれるのだからなア、|俺達《おれたち》がマリヤを|何々《なになに》せうといふのは|決《けつ》して|肉慾《にくよく》の|為《ため》だない。|大《おほい》にアラブの|気前《きまへ》を|見《み》せる|為《ため》だ。|言《い》はば|四千万《よんせんまん》のアラブ|人《じん》を|代表《だいへう》してのアラブ|仕事《しごと》だから、|大《たい》したものだぞ。|親譲《おやゆづ》りのハンドルが|利《き》かぬとこ|迄《まで》こき|使《つか》はれて、|僅《わづか》に|半弗《はんドル》より|貰《もら》はれぬのだからバカげて|仕方《しかた》がないワ。|婦人《ふじん》|国有《こくいう》の|議論《ぎろん》さへ、|独逸《ドイツ》では|起《おこ》つたでないか。|何《なに》、かまふものかい、|三人《さんにん》|同盟《どうめい》でマリヤを|国有《こくいう》にせうぢやないか、サア|斯《か》うきまつた|以上《いじやう》は、|速《すみやか》に|決行《けつかう》と|出《で》かけやう』
テク『どこへ|出《で》かけやうと|云《い》ふのだい。コロニーには|百人《ひやくにん》ばかりの|団体《だんたい》がゐるだないか』
トンク『そんな|所《ところ》へ|行《ゆ》かなくても、キツと|此処《ここ》へやつて|来《く》るのだ』
と|云《い》つてゐる。そこへソンナこととは|夢《ゆめ》にも|知《し》らぬマリヤは|細《ほそ》い|杖《つゑ》を|力《ちから》に、|九十九折《つくもをり》の|坂《さか》をソロソロと|登《のぼ》つて|来《き》た。|三人《さんにん》は|互《たがひ》に|目《め》くばせし、|物《もの》をも|言《い》はず、マリヤの|体《からだ》に|喰《くら》ひつき、|担《かつ》ぎ|出《だ》した。マリヤは|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げて、「|人殺《ひとごろ》し|人殺《ひとごろ》し」と|叫《さけ》ぶ。|斯《か》かる|折《をり》しもあたりの|木魂《こだま》を|響《ひび》かして|宣伝歌《せんでんか》の|声《こゑ》|聞《きこ》え|来《き》たりぬ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立分《たてわ》ける
|時世時節《ときよじせつ》は|近《ちか》づきぬ  オレゴン|星座《せいざ》を|立《たち》はなれ
ウヅの|聖地《せいち》に|雲《くも》に|乗《の》り  |降《くだ》らせ|玉《たま》ふキリストの
|御声《みこゑ》は|近《ちか》く|聞《きこ》えけり  |日出《ひので》の|島《しま》に|日《ひ》の|神《かみ》の
|現《あら》はれまして|中天《ちうてん》に  |光《ひか》り|輝《かがや》き|進《すす》むごと
|暗夜《あんや》も|漸《やうや》く|開《あ》け|近《ちか》く  |夜《よる》の|守護《しゆご》は|忽《たちま》ちに
|光明《くわうみやう》|世界《せかい》と|進《すす》み|行《ゆ》く  あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり  |自転倒島《おのころじま》を|立出《たちい》でて
|万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|打渡《うちわた》り  |音《おと》に|名高《なだか》きエルサレム
|神《かみ》の|定《さだ》めし|聖場《せいぢやう》に  |下《くだ》り|来《きた》りし|吾《われ》こそは
|救《すく》ひの|神《かみ》の|先走《さきばし》り  |名《な》さへ|目出度《めでた》きブラバーサ
いかなる|神《かみ》の|経綸《けいりん》か  ユダヤの|女《をんな》に|恋慕《れんぼ》され
|進退《しんたい》|維《ここ》に|谷《きは》まりて  |首《くび》もまはらぬ|破目《はめ》となり
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|橄欖《かんらん》の  |山《やま》に|詣《まう》でて|禍《わざはひ》を
|除《のぞ》かむ|為《ため》に|登《のぼ》り|行《ゆ》く  |国治立大御神《くにはるたちのおほみかみ》
|神素盞嗚大御神《かむすさのをのおほみかみ》  |何卒《なにとぞ》|吾身《わがみ》の|災《わざはひ》を
|厳《いづ》と|瑞《みづ》との|御光《みひかり》に  |救《すく》はせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる  |朝日《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くる|共《とも》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》  |仮令《たとへ》|野《の》の|末《すゑ》|山《やま》の|奥《おく》
|屍《かばね》をさらす|苦《くるし》みも  |何《なに》か|厭《いと》はむ|道《みち》の|為《ため》
|国《くに》に|残《のこ》せし|妻《つま》や|子《こ》は  いかに|此《この》|世《よ》を|送《おく》るらむ
|聖地《せいち》にいます|師《し》の|君《きみ》の  あらはれませる|日《ひ》は|何時《いつ》ぞ
|神《かみ》の|集《あつ》まるエルサレム  |聖《きよ》き|都《みやこ》と|聞《き》き|乍《なが》ら
|何《なん》とはなしに|村肝《むらきも》の  |心《こころ》|淋《さび》しくなりにけり
|思《おも》へば|思《おも》へば|人《ひと》の|身《み》の  |果敢《はか》なき|弱《よわ》き|有様《ありさま》を
|今《いま》|目《ま》のあたり|悟《さと》りけり  |恵《めぐ》ませ|玉《たま》へ|三五《あななひ》の
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に  |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる』
|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|三人《さんにん》はマリヤを|其《その》|場《ば》に|投棄《なげす》て、|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|去《さ》りにけり。
マリヤは|余《あま》りの|驚《おどろ》きと|大地《だいち》に|投《な》げられたはずみに|気絶《きぜつ》して|了《しま》ひ、|坂路《さかみち》に|大《だい》の|字《じ》となつてふん|伸《の》びてゐる。ブラバーサは|魔法瓶《まほふびん》から|清水《せいすゐ》を|出《だ》し、|倒《たふ》れたる|女《をんな》の|顔《かほ》に|注《そそ》ぎかけた。よくよく|見《み》れば|自分《じぶん》を|恋《こ》ひ|慕《した》ふてゐるマリヤであつた。ブラバーサはマリヤの|気《き》のついたのを|幸《さいは》ひ、|顔《かほ》をかくして|一生懸命《いつしやうけんめい》にかけ|出《いだ》す。マリヤは|後姿《うしろすがた》を|見《み》て、それと|悟《さと》つたか、|苦痛《くつう》を|忘《わす》れ、|尻《しり》|端折《はしを》つて|夜叉《やしや》の|如《ごと》く|後《あと》を|追《お》つかけ|進《すす》み|行《ゆ》く。ブラバーサは|林《はやし》の|繁《しげ》みに|身《み》をかくしマリヤの|通《とほ》り|過《す》ぎたあとで、ホツと|息《いき》をつぎ、|両手《りやうて》を|合《あは》せ、
『あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
(大正一二・七・一二 旧五・二九 松村真澄録)
第一五章 |大相撲《おほずまふ》〔一六四四〕
カトリックの|僧院《そうゐん》ホテルに|滞在《たいざい》してゐるブラバーサの|居間《ゐま》を|訪《たづ》ねて|来《き》た|一人《ひとり》の|老紳士《らうしんし》があつた。|之《これ》はバハイ|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》バハーウラーである。ボーイの|案内《あんない》につれてブラバーサの|居間《ゐま》に|通《とほ》り、
『|御免《ごめん》なさいませ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|軽《かる》く|一礼《いちれい》を|施《ほどこ》した。ブラバーサは|手《て》づから|椅子《いす》をとりよせて、
『やあ、|貴方《あなた》は|汽車中《きしやちう》でお|目《め》にかかつたバハーウラー|様《さま》で|御座《ござ》いましたか。|一度《いちど》お|訪《たづ》ねしたいと|存《ぞん》じて|居《を》りましたが、|何分《なにぶん》|処慣《ところな》れないものですから|彼方《あちら》|此方《こちら》と|見学《けんがく》して|居《を》りました。よう|御訪《おたづ》ね|下《くだ》さいました』
と|挨拶《あいさつ》すればバハーウラーはテーブルを|中《なか》におき、|両方《りやうはう》から|向《むか》ひ|合《あ》ひとなり、
『ハイ、|私《わたし》も|一度《いちど》お|訪《たづ》ねしたいと|思《おも》つてゐましたが、|何《なん》だか|彼是《かれこれ》ととり|紛《まぎ》れ|漸《やうや》く|今日《けふ》となりました。どうです|聖地《せいち》においでになつてからの|貴方《あなた》の|御感想《ごかんさう》は?』
『ハイ、|見《み》るもの、|聞《き》くものが|日《ひ》の|出島《でじま》と|違《ちが》つて|居《を》りますので|面喰《めんくら》ひましたよ。|漸《やうや》く|地理《ちり》も|分《わか》り|空気《くうき》にも|慣《なれ》ましたと|見《み》え、|少《すこ》し|計《ばか》り|落付《おちつ》いて|参《まゐ》りました』
『|成程《なるほど》、|私《わたし》も|同感《どうかん》ですよ。|常世《とこよ》の|国《くに》から|此処《ここ》までやつて|来《き》ましたが、いやもう|見《み》るもの|聞《き》くもの|変《かは》つた|事《こと》ばかり、かやうな|処《ところ》へ|救世主《きうせいしゆ》がお|降《くだ》りにかるかと|思《おも》へば|何《なん》だか|奇異《きい》の|感《かん》にうたれます。|国《くに》に|居《を》ります|時《とき》は|聖地《せいち》エルサレムエルサレムと|云《い》つて|日夜《にちや》|憧憬《どうけい》して|居《ゐ》ましたが、|古《ふる》く|荒《すさ》びた|神都《しんと》の|跡《あと》、|何《いづ》れも|涙《なみだ》の|種《たね》ならぬはありませぬ。|黄金《こがね》の|花《はな》が|咲《さ》き|匂《にほ》ふてゐると|思《おも》つた|私《わたし》の|期待《きたい》はスツカリ|裏切《うらぎ》られて|了《しま》ひましたよ。アハヽヽヽヽ』
『|都会《とくわい》は|人《ひと》が|作《つく》り、|田舎《ゐなか》は|神《かみ》が|作《つく》るとか|申《まを》しまして、かやうな|田舎《ゐなか》びた|処《ところ》でないと|到底《たうてい》|神様《かみさま》はお|降《くだ》りになりますまい。|紅塵万丈《こうぢんばんぢやう》の|巷《ちまた》に、|霊肉《れいにく》ともに|穢《けが》してゐる|人《ひと》の|集《あつ》まつてる|処《ところ》へは|救世主《きうせいしゆ》はお|降《くだ》りになる|筈《はず》はありませぬ』
『|成程《なるほど》、さう|承《うけたま》はればさうかも|知《し》れませぬな。|数年《すうねん》|以前《いぜん》、バルカン|半島《はんたう》に|現《あら》はれた|一朶《いちだ》の|黒煙《こくえん》は|燎原《れうげん》を|焼《や》く|勢《いきほ》ひで|全欧羅巴《ぜんヨーロツパ》に|蔓延《まんえん》し|全世界《ぜんせかい》の|地《ち》をして|戦雲《せんうん》に|包《つつ》んで|了《しま》ひましたが、|為《ため》に|其《その》|後《ご》の|人心《じんしん》は|益々《ますます》|悪化《あくくわ》し、|二進《につち》も|三進《さつち》も|行《ゆ》かなくなつて|来《き》たぢやありませぬか。かやうな|処《ところ》へ|救世主《きうせいしゆ》が|御降臨《ごかうりん》になつた|処《ところ》で|足《あし》|一《ひと》つ|踏《ふ》み|込《こ》まれる|処《ところ》はありますまいな。|一人《ひとり》でも|多《おほ》く|心《こころ》を|研《みが》き|魂《みたま》を|研《みが》いて|神心《かみごころ》となつて|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》を|待《ま》たねばなりませぬ。|実《じつ》に|常暗《とこやみ》の|世《よ》の|中《なか》となつたもので|御座《ござ》いますわい』
『ルートバハーの|教祖《けうそ》ヨハネの|教《をしへ》にも|三千世界《さんぜんせかい》の|大戦《おほたたか》ひが|初《はじ》まるぞよと|三十年《さんじふねん》|以前《いぜん》から|仰《おほ》せられましたが、|到頭《たうとう》|世界《せかい》の|大戦争《だいせんそう》が|起《おこ》りました。さうしてヨハネの|教祖《けうそ》は|先達《せんだつて》の|世界《せかい》|戦争《せんそう》の|開戦《かいせん》|期間《きかん》の|日数《につすう》|一千五百六十七日《いつせんごひやくろくじふしちにち》を|終《をは》り|平和《へいわ》|条約《でうやく》が|締結《ていけつ》された|其《その》|朝《あさ》、|即《すなは》ち|自転倒島《おのころじま》で|云《い》へば|大正《たいしやう》|七年《しちねん》(|旧《きう》)|十月《じふぐわつ》|三日《みつか》の|朝《あさ》|昇天《しようてん》されました。その|後《のち》と|云《い》ふものは|実《じつ》に|世《よ》の|中《なか》は|目《め》もあけて|居《ゐ》られないやうな|惨怛《さんたん》たる|現状《げんじやう》で|御座《ござ》ります』
『|先達《せんだつて》の|戦争《せんそう》について|交戦国《かうせんこく》の|総面積《そうめんせき》を|調《しら》ぶれば、四千三百四十万二千七百六十二|平方哩《へいはうマイル》|即《すなは》ち|世界《せかい》|面積《めんせき》の|七割《しちわり》|五分《ごぶ》|八厘《はちりん》にあまり、|又《また》|其《その》|戦争《せんそう》に|参加《さんか》した|人員《じんゐん》の|数《かず》は|無慮《むりよ》十六億一千百九十二|万人《まんにん》に|達《たつ》し|世界《せかい》|人口《じんこう》の|九割《きうわり》|二分《にぶ》|五厘《ごりん》に|相当《さうたう》する|空前《くうぜん》の|大戦争《だいせんそう》で|御座《ござ》りました。|恰《あたか》も|秋霜烈日《しうさうれつじつ》の|大威力《だいゐりよく》を|示《しめ》して|満天下《まんてんか》の|草木《さうもく》を|一夜《いちや》の|中《うち》に|凋落《てうらく》せしめて|了《しま》ひました。|只《ただ》|常磐木《ときはぎ》のみ|巍然《ぎぜん》として|聳《そび》え、|又《また》、|別《べつ》に|数種《すうしゆ》の|紅黄紫青《あかきむらさきあを》|等《など》の|僅《わづ》かに|艶《えん》を|競《きそ》ふて|世《よ》の|終末《しうまつ》の|美《び》を|暫時《ざんじ》|誇《ほこ》つてゐる|位《くらゐ》であります。あゝ|恐《おそ》るべき|世界《せかい》の|大戦争《だいせんそう》はもはや|之《これ》で|根絶《こんぜつ》したで|御座《ござ》いませうか。|大戦後《たいせんご》の|世界《せかい》は|何処《いづこ》の|果《は》てを|見《み》ましても|平和《へいわ》の|象徴《しやうちやう》を|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ぬぢやありませぬか。|到《いた》る|処《ところ》|小戦争《せうせんそう》は|行《おこな》はれ、|餓鬼《がき》|畜生《ちくしやう》|修羅《しゆら》の|惨状《さんじやう》を|遺憾《ゐかん》なく|曝露《ばくろ》してるぢやありませぬか。ハルマゲドンの|戦争《せんそう》とは、|先達《せんだつ》ての|戦争《せんそう》を|云《い》つてるのぢやありますまいか。ハルマゲドンの|戦争《せんそう》が|済《す》めば|世《よ》の|終《をは》りが|近《ちか》づくとの|聖書《せいしよ》の|教《をしへ》、どうも|物騒《ぶつそう》になつて|来《き》ました。|暑《あつ》い|時《とき》に|寒《さむ》い|風《かぜ》が|吹《ふ》き|作物《さくもつ》は|思《おも》ふやうに|発達《はつたつ》せず、|到《いた》る|処《ところ》|火山《くわざん》は|爆発《ばくはつ》し、|地震《ぢしん》|洪水《こうずゐ》の|悩《なや》み、|強盗《がうたう》|殺人《さつじん》に|諸種《しよしゆ》の|面白《おもしろ》からぬ|運動《うんどう》、|到底《たうてい》|人間《にんげん》として|此《この》|世《よ》を|如何《どう》する|事《こと》も|出来《でき》ますまい。もうこの|上《うへ》は|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》を|仰《あふ》ぐより|外《ほか》に|道《みち》は|御座《ござ》いますまいなア』
『|救世主《きうせいしゆ》は|屹度《きつと》|御降臨《ごかうりん》になつて|世界《せかい》を|無事《ぶじ》|太平《たいへい》に|治《をさ》めて|下《くだ》さる|事《こと》を|私《わたし》は|確信《かくしん》してゐます。|然《しか》しそれ|迄《まで》に|一《ひと》つ|大峠《おほたうげ》が|出《で》て|来《く》るでせう。ハルマゲドンの|戦争《せんそう》は|私《わたし》は|今後《こんご》に|勃発《ぼつぱつ》するものと|思《おも》ひます。|今日《こんにち》は|世界《せかい》に|二大勢力《にだいせいりよく》があつて|虎視眈々《こしたんたん》として|互《たがひ》に|狙《ねら》ひつつある|現状《げんじやう》ですから、|到底《たうてい》|此《この》|儘《まま》では|治《をさ》まりますまい。|世《よ》の|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》しは|今日《こんにち》の|人間《にんげん》の|力《ちから》つき|鼻柱《はなばしら》が|折《を》れ、|手《て》の|施《ほどこ》す|余地《よち》がなくなつてからでなくては|開始《かいし》|致《いた》しますまい。|九分九厘《くぶくりん》、|千騎一騎《せんきいつき》になつて|救世主《きうせいしゆ》が|降臨《かうりん》なされるのが|神様《かみさま》の|経綸《けいりん》と|存《ぞん》じます』
『|成程《なるほど》|御同感《ごどうかん》です。そして|貴方《あなた》の|二大勢力《にだいせいりよく》とは|何《なに》を|指《さ》して|仰《おほ》せらるるのですか』
『|今日《こんにち》|此《この》|地球上《ちきうじやう》に|於《おい》て|二《ふた》つの|大勢力《だいせいりよく》が|互《たがひ》に|暗々裡《あんあんり》に|争《あらそ》つてゐますのは|貴方《あなた》も|大抵《たいてい》|御承知《ごしようち》の|事《こと》だと|思《おも》ひます。|一方《いつぱう》には|強大《きやうだい》なる|一新勢力《いちしんせいりよく》を|発揮《はつき》し、|全世界《ぜんせかい》に|活動《くわつどう》|飛躍《ひやく》を|試《こころ》み|傍若無人的《ばうじやくぶじんてき》の|振舞《ふるまひ》をなし、|不自然《ふしぜん》|極《きは》まる|人為的《じんゐてき》|暴圧力《ばうあつりよく》によつて|膨脹《ばうちやう》|拡大《くわくだい》し、|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》を|以《もつ》て|唯一《ゆゐいつ》の|国是《こくぜ》となせる|強大《きやうだい》なる|国家《こくか》があり、|一方《いつぱう》には|鎖国《さこく》|攘夷《じやうい》の|夢《ゆめ》を|破《やぶ》り|一躍《いちやく》して|全世界《ぜんせかい》の|舞台《ぶたい》に|現《あら》はれ、|列強《れつきやう》と|相伍《あひご》し、|再躍《さいやく》して|世界《せかい》の|一大強国《いちだいきやうこく》となつた|国家《こくか》が|御座《ござ》います。|世界《せかい》|万民《ばんみん》は|此《この》|二大勢力《にだいせいりよく》に|対《たい》して|驚異《きやうい》の|眼《まなこ》を|以《もつ》てのぞみ、|茫然自失《ばうぜんじしつ》の|体《てい》で|御座《ござ》います。その|発展《はつてん》|振《ぶ》りたるや|前古未聞《ぜんこみもん》の|大事実《だいじじつ》で|御座《ござ》いますけれども、|而《しか》もその|発展《はつてん》は|頗《すこぶ》る|公明正大《こうめいせいだい》と|唱《とな》へられて|居《ゐ》るので|御座《ござ》います。|一方《いつぱう》はピラミツドの|如《ごと》く|極《きは》めて|壮観《さうくわん》なれども|真《しん》の|生命《せいめい》なき|建築物《けんちくぶつ》であり、|一方《いつぱう》は|喬木《けうぼく》の|如《ごと》く|生々《いきいき》としその|壮観《さうくわん》の|度《ど》に|於《おい》ては|到底《たうてい》|彼《か》のピラミツドの|建築《けんちく》には|及《およ》びませぬけれども、|真《しん》に|生命《せいめい》ある|成長《せいちやう》を|遂《と》げつつあるのであります。そして|此《この》|二大勢力《にだいせいりよく》は|一《ひと》つは|極東《きよくとう》の|一小孤島《いちせうこたう》、|一《ひと》つは|極西《きよくせい》の|一大大陸《いちだいたいりく》です。|一《ひと》つは|現今《げんこん》に|於《お》ける|最古《さいこ》の|国《くに》、|一《ひと》つは|列強中《れつきやうちう》の|最《もつと》も|新《あたら》しき|国《くに》、|一《いつ》は|建国《けんこく》|以来《いらい》の|王国《わうこく》、|一《いつ》は|建国《けんこく》|以来《いらい》の|民国《みんこく》、|一《いつ》は|万世一系《ばんせいいつけい》の|皇統《くわうとう》を|誇《ほこ》り、|一《いつ》は|四年《よねん》|交代《かうたい》の|主権《しゆけん》を|誇《ほこ》り、|一《いつ》は|天孫《てんそん》の|稜威《みいづ》を|本位《ほんゐ》とし、|一《いつ》は|億兆烏合《おくてううがふ》の|民権《みんけん》を|本位《ほんゐ》としてゐます。そして|其《その》|国民性《こくみんせい》たるや、|一《いつ》は|義《ぎ》につき|一《いつ》は|利《り》につき|一《いつ》は|強国《きやうこく》と|云《い》ひ|乍《なが》ら|神国《しんこく》と|自称《じしよう》し、|一《いつ》は|基督教国《キリストけうこく》と|云《い》ひ|乍《なが》ら|民国《みんこく》と|自称《じしよう》し、|一《いつ》は|親子《おやこ》の|経的関係《けいてきくわんけい》を|以《もつ》て|家庭《かてい》の|本位《ほんゐ》となし、|一《いつ》は|夫婦《ふうふ》の|緯的関係《ゐてきくわんけい》を|以《もつ》て|家庭《かてい》の|本位《ほんゐ》とし、|一《いつ》は|男尊女卑《だんそんじよひ》の|関係《くわんけい》を|以《もつ》て|人倫《じんりん》の|本位《ほんゐ》とし、|一《いつ》は|女尊男卑《ぢよそんだんぴ》の|関係《くわんけい》を|以《もつ》て|人倫《じんりん》の|本位《ほんゐ》とし、|一《いつ》は|太陽《たいやう》を|以《もつ》て|国章《こくしやう》となし、|一《いつ》は|星《ほし》を|以《もつ》て|国章《こくしやう》となしてゐる。|故《ゆゑ》に|自《おのづか》らその|国情《こくじやう》と|使命《しめい》に|於《おい》て|相容《あひい》れないのは|当然《たうぜん》ではありませぬか』
『|成程《なるほど》|今《いま》|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》つたのは|実《じつ》に|時代《じだい》を|達観《たつくわん》した|宣言《せんげん》だと|思《おも》ひます。|一方《いつぱう》は|日出国《ひのでこく》|一方《いつぱう》は|常世《とこよ》の|国《くに》と|世界《せかい》に|相対立《あひたいりつ》してゐる|現状《げんじやう》をお|示《しめ》しになつたのでせうな。|諺《ことわざ》にも|両雄《りやうゆう》|相戦《あひたたか》はば|勢《いきほ》ひ|共《とも》に|全《まつた》からずとか|申《まを》しまして、どちらか|一方《いつぱう》に|統一《とういつ》されねばなりますまい。|実《じつ》に|困《こま》つた|世《よ》の|中《なか》になつたもので|御座《ござ》いますな。|政治《せいぢ》と|云《い》ひ|経済《けいざい》と|云《い》ひ|思想《しさう》と|云《い》ひ、|宗教《しうけう》と|云《い》ひ|何《なに》も|彼《か》も|一切《いつさい》|今日《こんにち》|程《ほど》|行《ゆき》つまりの|世《よ》の|中《なか》は|御座《ござ》りますまい。どうしても|此《この》|悩《なや》みは|何処《どこ》かで|破裂《はれつ》せなくてはおかない|道理《だうり》で|御座《ござ》いますな』
『さうです。|斯《か》くの|如《ごと》く|今《いま》や|東西《とうざい》の|大関《おほぜき》が|世界《せかい》の|大土俵上《だいどへうじやう》に、|褌《まはし》を|〆《し》めて|腕《うで》を|鳴《な》らせ|肉《にく》を|躍《をど》らせて|相対《あひたい》するの|奇観《きくわん》を|呈《てい》してる|以上《いじやう》は、|一方《いつぱう》が|屈服《くつぷく》するか、|但《ただ》しは|引込《ひきこ》まない|以上《いじやう》は、|早晩《さうばん》|虎搏撃壤《こはくげきじやう》の|幕《まく》が|切《き》つて|落《おと》されるは|火《ひ》を|睹《み》るより|明《あきら》かでせう。ハルマゲドン、|即《すなは》ち|世界《せかい》|最後《さいご》の|戦争《せんそう》は|到底《たうてい》|免《まぬが》れなくなつてゐます。それで|大神様《おほかみさま》は|地上《ちじやう》をして|天国《てんごく》の|讃美郷《さんびきやう》に|安住《あんぢう》せしめむが|為《た》めに、ヨハネ、キリストの|身魂《みたま》を|世《よ》に|降《くだ》して、|天国《てんごく》の|福音《ふくいん》を|普《あまね》く|万民《ばんみん》に|伝《つた》へしめられつつあるのです。さり|乍《なが》ら|常暗《とこやみ》の|世《よ》になれきつた|地上《ちじやう》の|人類《じんるゐ》は|一人《いちにん》として|此《この》|大神様《おほかみさま》の|御真意《ごしんい》を|悟《さと》り|得《う》る|者《もの》なく、|只《ただ》|僅《わづ》かに|忠実《ちうじつ》なる|神《かみ》の|僕《しもべ》が|誠《まこと》を|尽《つく》し、|神《かみ》を|念《ねん》じて|待《ま》つてゐるばかり、|実《じつ》に|世界《せかい》は|惨《みじ》めな|有様《ありさま》で|御座《ござ》います。かやうな|邪悪《じやあく》に|満《み》ちた|三千世界《さんぜんせかい》を|立替《たてかへ》|立直《たてなほ》し|遊《あそ》ばす|神様《かみさま》の|御神業《ごしんげふ》も|実《じつ》に|大謨《たいもう》では|御座《ござ》いますまいか』
『|此《この》|世界《せかい》の|人類《じんるゐ》は、|皆《みな》|神様《かみさま》の|同《おな》じ|御水火《みいき》より|生《うま》れたる|尊《たふと》い|御子《みこ》で|御座《ござ》いますから、|吾々《われわれ》|人類《じんるゐ》は|皆《みな》|兄弟《きやうだい》で|御座《ござ》ります。|然《しか》し|乍《なが》ら|今日《こんにち》の|状態《じやうたい》では|到底《たうてい》|吾々《われわれ》|宗教家《しうけうか》が|何程《なにほど》あせつた|所《ところ》で|駄目《だめ》で|御座《ござ》いませう。|偉大《ゐだい》なる|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれて|整理《せいり》して|下《くだ》さらねば|乱麻《らんま》の|如《ごと》き|世界《せかい》は|到底《たうてい》|収拾《しうしふ》する|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|然《しか》し|此《この》|二大勢力《にだいせいりよく》は|一旦《いつたん》、どちらが|天下《てんか》を|統一《とういつ》するとお|考《かんが》へになりますか。|常世《とこよ》の|国《くに》でせうか、|日出島《ひのでじま》で|御座《ござ》いませうか。|貴方《あなた》のお|考《かんが》へを|承《うけたま》はり|度《た》いもので|御座《ござ》いますが』
『|到底《たうてい》|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として|神様《かみさま》の|御経綸《ごけいりん》は|分《わか》りませぬが、|私《わたし》がルートバハーの|教示《けうじ》により、おかげを|頂《いただ》いて|居《を》りますのは、|将来《しやうらい》の|国家《こくか》を|永遠《ゑいゑん》に|統御《とうぎよ》すべき|人種《じんしゆ》は|決《けつ》して|常世《とこよ》の|国人《こくじん》ではなからうと|思《おも》ひます。|二千六百年《にせんろくぴやくねん》、|亡国《ばうこく》の|民《たみ》となつて|居《を》つた|讃美郷《さんびきやう》の|人々《ひとびと》は|先達《せんだつて》の|大戦争《だいせんそう》によつて|神《かみ》から|賜《たま》はつたパレスチナを|回復《くわいふく》し、|今《いま》や|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほひ》で|御座《ござ》います。そしてその|人種《じんしゆ》の|信仰力《しんかうりよく》、|忍耐力《にんたいりよく》|並《ならび》に|霊覚力《れいかくりよく》と|云《い》ふものは、|到底《たうてい》|世界《せかい》に|比《くら》ぶべきものが|御座《ござ》いませぬ。|私《わたし》は|先申《せんまう》しました|二大勢力《にだいせいりよく》よりも、も|一《ひと》つ|奥《おく》に|大勢力《だいせいりよく》が|潜《ひそ》み|最後《さいご》の|世界《せかい》を|統一《とういつ》するものと|神示《しんじ》によつて|確信《かくしん》して|居《を》ります。ユダヤ|人《じん》は|七《なな》つの|不思議《ふしぎ》があります、それは、
|第一《だいいち》、|万世一系《ばんせいいつけい》の|皇統《くわうとう》を|戴《いただ》きつつ|自《みづか》ら|其《その》|国《くに》を|亡《ほろ》ぼした|事《こと》、
|第二《だいに》は|亡国《ばうこく》|以来《いらい》|二千六百年《にせんろくぴやくねん》なるにも|拘《かかは》らず、|今日《こんにち》も|尚《なほ》|依然《いぜん》として|吾等《われら》は|神《かみ》の|選民《せんみん》|也《なり》と|自認《じにん》してゐる|事《こと》、
|第三《だいさん》は|二千六百年《にせんろくぴやくねん》|来《らい》の|亡国《ばうこく》を|復興《ふくこう》して、|仮令《たとへ》|小《せう》なりと|雖《いへど》もパレスチナに|国家《こくか》を|建設《けんせつ》した|事《こと》、
|第四《だいし》は|自国《じこく》の|言語《げんご》を|忘却《ばうきやく》し、|国語《こくご》を|語《かた》るものを|大学者《だいがくしや》と|呼《よ》びなす|迄《まで》になつて|居《を》つてもその|国《くに》を|忘《わす》れず、|信仰《しんかう》をまげない|事《こと》、
|第五《だいご》は|如何《いか》なる|場合《ばあひ》にも|決《けつ》して|他《た》の|国民《こくみん》と|同化《どうくわ》せない|事《こと》、
|第六《だいろく》には|亡国人《ばうこくじん》の|身《み》を|持《も》ち|乍《なが》ら|不断的《ふだんてき》に|世界《せかい》の|統一《とういつ》を|計画《けいくわく》してゐる|事《こと》、
|第七《だいしち》は|今日《こんにち》の|世界《せかい》|全体《ぜんたい》は|政治上《せいぢじやう》、|経済上《けいざいじやう》、|学術上《がくじゆつじやう》、ユダヤ|人《じん》の|意《い》のままに|自由自在《じいうじざい》に|展開《てんかい》しつつある|事《こと》です』
『|成程《なるほど》それは|実《じつ》に|驚《おどろ》くべきもので|御座《ござ》いますわ。|如何《いか》にも|神《かみ》の|選民《せんみん》と|称《とな》へられる|丈《だけ》ありて|偉《えら》いもので|御座《ござ》いますわい。それから、|一方《いつぱう》の|奥《おく》の|勢力《せいりよく》とは|何《なん》で|御座《ござ》いますか』
『それは|日出島《ひのでじま》の|七不思議《ななふしぎ》で|御座《ござ》います。
|先《ま》づ|第一《だいいち》に|万世一系《ばんせいいつけい》の|皇統《くわうとう》を|戴《いただ》き|終始一貫《しうしいつくわん》|義《ぎ》を|以《もつ》て|立《た》ち、|一度《いちど》も|他《た》の|侵略《しんりやく》を|受《う》けず、|国家《こくか》|益々《ますます》|隆昌《りうしやう》に|赴《おもむ》きつつある|事《こと》、
|第二《だいに》は|自《みづか》ら|神洲《しんしう》と|唱《とな》へ|乍《なが》ら|自《みづか》ら|神《かみ》の|選民《せんみん》|又《また》は|神民《しんみん》と|称《とな》ふるものの|尠《すくな》い|事《こと》、
|第三《だいさん》は|王政《わうせい》|復古《ふくこ》の|経歴《けいれき》を|有《いう》するも|未《いま》だ|一度《いちど》も|国《くに》を|再興《さいこう》したる|事《こと》なき|事《こと》、
|第四《だいし》は|国語《こくご》を|進化《しんくわ》せしめたるも|之《これ》を|死語《しご》とせし|事《こと》もなく、|従《したが》つて|国語《こくご》を|復活《ふくくわつ》せしめた|事《こと》のなき|事《こと》、
|第五《だいご》は|同化《どうくわ》し|難《がた》い|国民《こくみん》のやうに|見《み》ゆれどもその|実《じつ》、|何《いづ》れの|国《くに》の|風俗《ふうぞく》にも|同化《どうくわ》し|易《やす》く、|且《かつ》|何《いづ》れの|思想《しさう》も|宗教《しうけう》も|抱擁帰一《はうようきいつ》し、ややもすれば|我《わが》|生国《せいごく》を|忘《わす》れむとする|国民《こくみん》の|出《い》づる|事《こと》、
|第六《だいろく》は|一方《いつぱう》|常世《とこよ》の|国《くに》は|世界《せかい》|統一《とういつ》の|為《ため》には|手段《しゆだん》を|選《えら》ばざるも、|日出島《ひのでじま》は|常《つね》に|正義公道《せいぎこうだう》|即《すなは》ち|惟神《かむながら》によつて|雄飛《ゆうひ》せむとする|事《こと》、
|第七《だいしち》は|世界《せかい》は|寄《よ》つてかかつて|日出島《ひのでじま》を|孤立《こりつ》せしめむと|計画《けいくわく》しつつあれども|日出島《ひのでじま》は|未《いま》だ|世界的《せかいてき》の|計画《けいくわく》を|持《も》たず、ユダヤとは|趣《おもむき》を|異《こと》にしてゐる|事《こと》であります。
|之《これ》を|考《かんが》へて|見《み》ればどうしても、|此《この》|日出島《ひのでじま》とパレスチナとは|何《なに》か|一《ひと》つの|脈絡《みやくらく》が|神界《しんかい》から|結《むす》ばれてあるやうに|思《おも》はれます。|一方《いつぱう》は|言向和《ことむけやは》すを|以《もつ》て|国《くに》の|精神《せいしん》となし、|征伐《せいばつ》|侵略《しんりやく》|等《など》は|夢想《むさう》だもせざる|神国《しんこく》であり、|二千六百年《にせんろくぴやくねん》|前《ぜん》に|建国《けんこく》の|基礎《きそ》が|確立《かくりつ》し、ユダヤは|又《また》|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》り|二千六百年《にせんろくぴやくねん》|前《ぜん》に|国《くに》を|亡《ほろ》ぼし、そして|今《いま》やその|亡国《ばうこく》は|漸《やうや》く|建国《けんこく》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めたぢやありませぬか。|私《わたし》は|屹度《きつと》|此《この》エルサレムが|救世主《きうせいしゆ》の|現《あら》はれ|給《たま》ふ|聖地《せいち》と|固《かた》く|信《しん》じ|万里《ばんり》の|海《うみ》を|渡《わた》り|雲《くも》に|乗《の》つて|神業《しんげふ》のために|参《まゐ》つたので|御座《ござ》います』
『|今《いま》|貴方《あなた》は|雲《くも》に|乗《の》つて|来《き》たと|仰《おほ》せられましたが|飛行機《ひかうき》の|事《こと》ぢやありませぬか』
『いえ|雲《くも》と|申《まを》しますのは|自転倒島《おのころじま》の|古言《こげん》で|舟《ふね》の|事《こと》で|御座《ござ》いますよ。|雲《くも》も|凹《くぼ》に|通《かよ》ひますから|舟《ふね》に|乗《の》つて|来《く》るのを|雲《くも》に|乗《の》つて|来《く》ると|聖書《せいしよ》に|現《あら》はれてるのですよ』
『|成程《なるほど》、それで|救世主《きうせいしゆ》の|雲《くも》に|乗《の》つてお|降《くだ》りになると|云《い》ふ|事《こと》も|諒解《りようかい》|致《いた》しました。いや|有難《ありがた》う|御座《ござ》いました。お|邪魔《じやま》を|致《いた》しまして……|又《また》お|目《め》にかかりませう。ちつと|御寸暇《ごすんか》にお|訪《たづ》ね|下《くだ》さいませ。ヨルダン|川《がは》の|辺《ほとり》に|形《かたち》ばかりの|館《やかた》を|作《つく》つて|吾々《われわれ》の|信者《しんじや》が|集《あつ》まつて|居《を》りますから……』
『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|何《いづ》れ|近《ちか》い|中《うち》にお|邪魔《じやま》を|致《いた》します。|左様《さやう》ならば|之《これ》にてお|別《わか》れ|致《いた》しませう』
(大正一二・七・一二 旧五・二九 北村隆光録)
第一六章 |天消地滅《てんせうちめつ》〔一六四五〕
『|晴《は》れもせず|曇《くも》りも|果《は》てぬ|橄欖山《かんらんざん》の
|月《つき》の|御空《みそら》に|無我《むが》の|声《こゑ》する
|行先《ゆくさき》は|無我《むが》の|声《こゑ》する|所《ところ》まで
|無我《むが》の|声《こゑ》あてに|旅立《たびだ》つ|法《のり》の|道《みち》
|父母《ちちはは》の|愛《あい》にも|勝《まさ》る|無我《むが》の|声《こゑ》
ほんに|可愛《いと》しいあの|人《ひと》の
|恋《こひ》しなつかし|此《この》|手紙《てがみ》
|涙《なみだ》で|別《わか》れた|其《その》|夜《よ》から
どこにどうして|御座《ござ》るかと
|寝《ね》た|間《ま》も|忘《わす》れず|居《を》つたのに
なんぼなんでも|余《あんま》りな
|今更《いまさら》|切《き》れとは|何《なに》かいな
|情《なさけ》けないやら|悔《くや》しいやら
|無情《つれな》いお|方《かた》になりました
ほんにいとしい|彼方《あのかた》と
|思《おも》へば|泣《な》いても|泣《な》き|切《き》れず
|諦《あきら》められぬこの|手紙《てがみ》
いとしいとしと|思《おも》ふ|程《ほど》
|憎《にく》い|言葉《ことば》のあの|人《ひと》が
|妾《わたし》はほんとに|懐《なつ》かしい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|橄欖山《かんらんざん》の|頂上《ちやうじやう》をウロついて|居《ゐ》る|一人《ひとり》の|女《をんな》がある。これはアメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》を|取《と》つて|居《ゐ》るマリヤであつた。ブラバーサはマリヤの|女難《ぢよなん》を|避《さ》けむ|為《ため》、|逸早《いちはや》くも|僧院《そうゐん》ホテルを|立《た》ち|出《いで》てシオン|山《ざん》の|渓谷《けいこく》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び|隠《かく》れて|居《ゐ》たのである。マリヤは|斯《かく》の|如《ごと》く|歌《うた》つて|恋《こひ》に|憔《やつ》れ|乍《なが》ら、ブラバーサの|後《あと》を|探《さが》して|居《ゐ》るのである。かかる|所《ところ》へ|橄欖山上《かんらんさんじやう》の|木《き》の|茂《しげ》みから|優《やさ》しき|女《をんな》の|歌《うた》ひ|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。
『|緑《みどり》の|風《かぜ》に|花《はな》は|散《ち》り  |逝《ゆ》く|春《はる》の|宵《よひ》|歎《なげ》きつつ
|己《おのれ》が|心《こころ》に|夏《なつ》は|来《き》ぬ  |夕《ゆふべ》|胡蝶《こてふ》の|床《とこ》に|臥《ふ》し
|晨《あした》|輝《かがや》く|花《はな》|思《おも》ふ  |悩《なや》ましの|夢《ゆめ》|今《いま》さめぬ
|現実《げんじつ》の|月《つき》|空《そら》|高《たか》く  |青葉《あをば》は|光《ひか》る|橄欖《かんらん》の|山《やま》に
せめて|憩《いこ》はむ|吾《わ》が|心《こころ》』
と|歌《うた》ひつつ|静々《しづしづ》|朧《おぼろ》の|月夜《つきよ》に|浮《う》いたやうに|出《で》て|来《き》たのはサロメであつた。|折々《をりをり》|両人《りやうにん》は|此《この》|山上《さんじやう》で|月下《げつか》に|出会《でくは》すのである。されど|互《たがひ》に|余《あま》り|心易《こころやす》くもせず、|又《また》|沁々《しみじみ》と|話《はな》した|事《こと》もない。|双方《さうはう》とも|期《き》せずして|同情《どうじやう》の|念《ねん》にかられ、|何物《なにもの》にか|惹《ひ》かるる|如《ごと》く|二人《ふたり》は|朧月夜《おぼろづきよ》にもハツキリ|顔《かほ》の|分《わか》る|所《ところ》|迄《まで》|近《ちか》づいた。
マリヤ『|行《ゆく》|水《みづ》の|帰《かへ》らむよしもなし
|散《ち》る|花《はな》を|止《とど》めむよしもなし』
サロメ『|桜《さくら》の|花《はな》の|盛《さか》りこそ
|君《きみ》と|睦《むつ》みし|月日《つきひ》なり
|月《つき》は|幾度《いくたび》かはれども
|日《ひ》は|幾日《いくにち》か|重《かさ》なれど
|君《きみ》に|遇《あ》ふべきよしもない』
マリヤ『|涙《なみだ》の|中《うち》に|夏《なつ》は|来《き》ぬ
|夜《よ》|毎《ごと》に|飛《と》び|交《か》ふ|螢《ほたる》こそ
こがるる|吾《わが》|身《み》に|似《に》たるかな』
サロメ『|今《いま》は|悲《かな》しき|思《おも》ひ|出《で》の
|夜《よ》|毎《ごと》に|飛《と》び|交《か》ふ|螢《ほたる》こそ
|焦《こが》るる|吾《わが》|身《み》に|似《に》たるかな』
かく|両人《りやうにん》は|意気《いき》|投合《とうがふ》して|何《いづ》れも|恋《こひ》の|敗者《はいしや》となりし|述懐《じゆつくわい》を|打明《うちあ》け|歌《うた》つた。|是《これ》よりマリヤ、サロメの|両人《りやうにん》は|姉妹《しまい》の|如《ごと》く|親《した》しくなり、|互《たがひ》に|心胸《しんきよう》を|打《う》ち|明《あ》けて|語《かた》り|合《あ》ふ|事《こと》となつた。
『マリヤ|様《さま》、|貴女《あなた》の|今《いま》のお|歌《うた》によりまして|妾《わたし》の|境遇《きやうぐう》とソツクリだと|云《い》ふ|事《こと》を|悟《さと》りました。ほんたうに|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふやうにならないもので|御座《ござ》いますなア』
『ハイ、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。もはや|此《この》|世《よ》の|中《なか》が|嫌《いや》になつて|参《まゐ》りました。|思《おも》ひ|込《こ》んだ|男《をとこ》に|捨《す》てられ、もはや|此《この》|世《よ》に|何《なん》の|楽《たの》しみも|御座《ござ》いませぬ。オリオン|星座《せいざ》よりキリストが|現《あら》はれたまふとも|人間《にんげん》として|恋《こひ》に|破《やぶ》れた|以上《いじやう》は、もはや|何《なん》の|楽《たの》しみも|御座《ござ》いませぬ。キリストの|再臨《さいりん》なんか|物《もの》の|数《かず》では|御座《ござ》いませぬわ』
と|半狂乱《はんきやうらん》の|如《ごと》くになつて|居《ゐ》る。
『あなたは|永《なが》らく|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》を|続《つづ》けなさつたのも、キリスト|再臨《さいりん》を|待《ま》つ|為《ため》では|無《な》かつたのですか』
『|妾《わたし》の|待望《たいばう》して|居《ゐ》るキリストは|左様《さやう》な|高遠《かうゑん》な|神様《かみさま》では|御座《ござ》いませぬ。|妾《わたし》の|愛《あい》の|慾望《よくばう》を|満《みた》して|下《くだ》さる|愛情《あいじやう》の|深《ふか》い|清《きよ》らかな|男子《をとこ》で|御座《ござ》います。|妾《わたし》の|一身《いつしん》に|取《と》つてキリストと|仰《あふ》ぐのは|日出《ひので》の|島《しま》からお|出《いで》になつた、ブラバーサ|様《さま》で|御座《ござ》います』
『|妾《わたし》だつてキリストの|再臨《さいりん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るですよ。|併《しか》し|乍《なが》ら|自分《じぶん》の|心《こころ》を|満《みた》して|呉《く》れる|愛情《あいじやう》の|深《ふか》い|方《かた》があれば、|其《その》|方《かた》こそ|妾《わたし》に|対《たい》して|本当《ほんたう》のキリストで|御座《ござ》いますわ。|乾《かわ》き|切《き》つたる|魂《たましひ》に|清泉《せいせん》の|水《みづ》を|与《あた》へ、|朽果《くちは》てむとする|心《こころ》に|生命《せいめい》を|与《あた》へて|下《くだ》さる|方《かた》が|所謂《いはゆる》キリストですわ。さうしてブラバーサ|様《さま》は|何処《どちら》へお|出《いで》になつたか|分《わか》らないのですか』
『ハイ|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》をすると|云《い》つて|聖地《せいち》を|巡覧《じゆんらん》|遊《あそ》ばして|居《を》られましたが、|百日《ひやくにち》も|立《た》たない|中《うち》にお|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたのですよ。あの|方《かた》は|雲《くも》に|乗《の》つて|来《き》たと|云《い》つて|居《を》られましたから、|竹取《たけとり》|物語《ものがたり》の|香具耶姫《かぐやひめ》|様《さま》のやうにオリオン|星座《せいざ》へでもお|帰《かへ》りになつたのではあるまいかと、|毎晩々々《まいばんまいばん》|空《そら》を|仰《あふ》いで|其《その》|御降臨《ごかうりん》を|待《ま》つて|居《ゐ》るので|御座《ござ》いますよ。|本当《ほんたう》にあの|方《かた》は|普通《ふつう》の|人《ひと》ではありませぬ、きつと|神様《かみさま》の|化身《けしん》ですわ』
『|何程《なにほど》これと|目星《めぼし》をつけた|男《をとこ》でも、|神様《かみさま》の|化身《けしん》では|仕方《しかた》|無《な》いではありませぬか。どれ|程《ほど》あなたがモウ|一度《いちど》|下《くだ》つて【ほし】ほしと|毎日《まいにち》|天《てん》を|仰《あふ》いで|居《ゐ》たつて|駄目《だめ》で|御座《ござ》いませう。そんな|遠《とほ》い|天《てん》の|星《ほし》を|望《のぞ》むよりも|間近《まぢか》にオリオン|星座《せいざ》があるではありませぬか。この|地《ち》も|天《てん》に|輝《かがや》く|星《ほし》の|一《ひと》つでせう。ドンと|四股《しこ》を|踏《ふ》んでも|直《す》ぐと|答《こた》へて|呉《く》れるのは|地球《ちきう》と|云《い》ふこの|星《ほし》ぢやありませぬか。きつと|此《この》|星《ほし》の|中《なか》に|貴女《あなた》の|恋人《こひびと》は|隠《かく》れて|居《ゐ》ませう。どこ|迄《まで》も|探《さが》し|出《だ》してユダヤ|婦人《ふじん》の|体面《たいめん》を|保《たも》つて|貰《もら》はねば、|妾《わたし》だつて|世界《せかい》へ|合《あ》はす|顔《かほ》がありませぬわ。|妾《わたし》も|一旦《いつたん》|相思《さうし》の|恋人《こひびと》が|御座《ござ》いましたが、|花《はな》はいつ|迄《まで》も|梢《こずゑ》に|留《とど》まらぬが|如《ごと》く、|夜《よる》の|嵐《あらし》に|吹《ふ》かれ、たうとう|生木《なまき》を|裂《さ》くやうな|悲惨《ひさん》な|目《め》に|会《あ》ひ、それからと|云《い》ふものは|恋《こひ》に|狂《くる》ふて、この|霊地《れいち》にお|参《まゐ》りするのをせめてもの|心《こころ》|慰《なぐさ》めとして|居《を》るので|御座《ござ》います。|貴女《あなた》の|恋人《こひびと》と|仰有《おつしや》るブラバーサ|様《さま》は、|三四回《さんしくわい》も|此《この》お|山《やま》でお|目《め》にかかりましたが、ほんとに|神様《かみさま》の|様《やう》なお|方《かた》でした。|妾《わたし》だつて|貴女《あなた》の|恋人《こひびと》でなければキツト|捕虜《ほりよ》にして|居《ゐ》るのですけれども、|人《ひと》の|恋人《こひびと》を|取《と》つたと|云《い》はれてはユダヤ|婦人《ふじん》の|体面《たいめん》にかかると|思《おも》ふて、どれだけ|恋《こひ》の|悪魔《あくま》と|戦《たたか》つたか|知《し》れはしませぬわ。|自分《じぶん》の|好《す》く|人《ひと》、|又《また》|人《ひと》が|好《す》くと|云《い》ひまして、|男《をとこ》らしい|男《をとこ》は|誰《たれ》にも|好《す》かれるものですなア。さうかと|云《い》つて|今後《こんご》ブラバーサ|様《さま》を|発見《はつけん》しても、|決《けつ》して|妾《わたし》は|指一本《ゆびいつぽん》さえない|事《こと》を|誓《ちか》つておきますから|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ』
『あなたの|恋人《こひびと》と|仰《おほ》せらるるのはヤコブ|様《さま》ぢや|御座《ござ》いませぬか。|薄々《うすうす》|噂《うはさ》に|承《うけたま》はつて|居《を》りました』
『ヤコブ|様《さま》と|妾《わたし》の|中《なか》には|何《なん》の|障壁《しやうへき》もなく、|極《きは》めて|円満《ゑんまん》に|清《きよ》い|仲《なか》で|御座《ござ》いましたが|無理解《むりかい》な|両親《りやうしん》が|中《なか》に|入《い》つて|引《ひ》き|分《わ》けてしまつたので|御座《ござ》います。かうなつて|別《わか》れると|妙《めう》なもので|恋《こひ》の|意地《いぢ》が|募《つの》り、どこ|迄《まで》も|添《そ》ひ|遂《と》げねばおかないと|云《い》ふ|敵愾心《てきがいしん》が|起《おこ》つて|来《き》たのですよ。|貴女《あなた》もユダヤ|婦人《ふじん》としてどこまでも|奮闘《ふんとう》なさいませ。|妾《わたし》も|此《この》|儘《まま》|泣《な》き|寝入《ねい》るのでは|御座《ござ》いませぬからなア。かうして|二人《ふたり》も|失恋《しつれん》の|女《をんな》が、|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|出遇《であ》はすと|云《い》ふのも|何《なに》かの|因縁《いんねん》で|御座《ござ》いませうよ』
『サロメ|様《さま》、|妾《わたし》は|夜《よ》も|更《ふ》けましたから、|今晩《こんばん》はこれで|帰《かへ》らうと|思《おも》ひます。コロニーのスバツフオード|様《さま》が|余《あま》り|遅《おそ》くなると|大変《たいへん》|矢釜《やかま》しく|仰有《おつしや》いますから、|又《また》|明日《あす》ここで|貴女《あなた》と|楽《たの》しくお|目《め》にかかりませう』
『|左様《さやう》ならば|一歩先《ひとあしさき》へ|帰《かへ》つて|下《くだ》さいませ。|妾《わたし》はもう|暫《しばら》く|祈願《きぐわん》してお|山《やま》を|下《くだ》る|事《こと》と|致《いた》しませう』
と|別《わか》れをつげ、サロメはシオン|大学《だいがく》の|基礎《きそ》|工事《こうじ》の|施《ほどこ》してある|傍《かたはら》の|作事場《さくじば》に|行《い》つて|腰《こし》を|下《お》ろし、|暫《しばら》く|身体《からだ》をやすめ、|再《ふたた》び|祈願《きぐわん》にかかつて|居《ゐ》た。
シオンの|谷《たに》に|恋《こひ》の|鋭鋒《えいほう》をさけて|隠《かく》れて|居《ゐ》たブラバーサは、もはや|夜《よ》も|深更《しんかう》になつたればマリヤがよもや|来《き》て|居《ゐ》る|筈《はず》は|無《な》からうと|高《たか》を|括《くく》り|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|於《おい》てキリストの|無事《ぶじ》|再臨《さいりん》を|祈《いの》るべく|登《のぼ》つて|来《き》た。|作事場《さくじば》の|中《なか》に|優《やさ》しい|女《をんな》の|祈《いの》り|声《ごゑ》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。ブラバーサはもしやあの|声《こゑ》はマリヤであるまいか、もしマリヤであつたら|又《また》とつつかまへられて|五月蠅《うるさ》い|事《こと》であらう、|併《しか》しあれだけ|慕《した》ふて|来《く》る|女《をんな》をむげに|捨《す》てるのも|残酷《ざんこく》のやうであり、さればとて|彼《かれ》の|意志《いし》に|従《したが》へば|罪悪《ざいあく》を|犯《をか》したやうな|心持《こころもち》がするなり、|大神様《おほかみさま》の|御化身《ごけしん》からは|叱《しか》られ、|吁《あゝ》どうしたらよからう、|辛《つら》い|事《こと》だな。マテマテ|世界《せかい》|万民《ばんみん》を|救《すく》ふのも|一人《ひとり》の|女《をんな》を|救《すく》ふのも|救《すく》ひに|二《ふた》つはない、|一人《ひとり》の|女《をんな》を|見殺《みごろ》しにして|世界《せかい》の|人民《じんみん》を|助《たす》けたつて|最善《さいぜん》の|行方《やりかた》で|無《な》いかも|知《し》れない。|吁《あゝ》、|私《わたし》は|自己愛《じこあい》に|陥《お》ちて|居《ゐ》たのかも|知《し》れない、|仮令《たとへ》あの|女《をんな》を|助《たす》けるために|地獄《ぢごく》に|陥《お》ちてもあの|女《をんな》を|助《たす》けるが|赤心《まごころ》だ。エーもうかうなれば|善《ぜん》も|悪《あく》もない、シオンの|谷《たに》に|身《み》を|隠《かく》し|女《をんな》に|罪《つみ》を|作《つく》らせるよりも|自分《じぶん》が|罪人《ざいにん》となつて、マリヤを|助《たす》けてやらう、それが|男子《だんし》たるものの|本分《ほんぶん》だ。|自分《じぶん》が|居《ゐ》なくても、|又《また》|失敗《しくじ》つてもウヅンバラチヤンダーの|再臨《さいりん》の|邪魔《じやま》にはなるまい。キリストは|万民《ばんみん》のために|十字架《じふじか》に、おかかりなされたのだ。|国《くに》に|残《のこ》した|妻《つま》には|済《す》まないが、|妻《つま》だつて|宣伝使《せんでんし》の|妻《つま》だ。その|位《くらゐ》の|犠牲《ぎせい》は|忍《しの》ぶだらう、エーもう|構《かま》はぬ、これだけ|熱烈《ねつれつ》の|女《をんな》を|見殺《みごろ》しにするのも|余《あま》り|善《ぜん》ではあるまいと|心《こころ》の|中《うち》に|問《と》ひつ|答《こた》へつ|思案《しあん》を|定《さだ》め、|作事小屋《さくじごや》の|中《なか》に|進《すす》み|入《い》つた。
ブラバーサは|斯《か》く|決心《けつしん》をきめた|上《うへ》は、もはや|宇宙間《うちうかん》に|何者《なにもの》も|無《な》くなつて|了《しま》つた。|此《この》|広《ひろ》い|世界《せかい》にマリヤの|姿《すがた》が|唯一《ただひと》つあるのみである。|今迄《いままで》|聞《きこ》えて|居《ゐ》た|山鳩《やまばと》の|声《こゑ》も|虫《むし》の|音《ね》も|無《な》く、|一切万事《いつさいばんじ》|何処《どこ》かへ|消《き》えて|了《しま》ひ、|天《てん》もなく|地《ち》もなく|心《こころ》にうつるものはマリヤの|姿《すがた》のみとなつて|了《しま》つた。それ|故《ゆゑ》サロメの|姿《すがた》がすつかりマリヤと|見《み》えて|了《しま》つて、どうしても|他《た》の|人《ひと》と|考《かんが》へ|直《なほ》す|暇《ひま》は|微塵《みぢん》も|無《な》かつた。
|一方《いつぱう》サロメはヤコブの|事《こと》を|思《おも》ひ|乍《なが》ら|祈願《きぐわん》をこらして|居《ゐ》たが、|心《こころ》の|中《うち》に|思《おも》ふやう、
『たとへ|両親《りやうしん》が|何《なん》と|云《い》はうとも、|世間《せけん》の|人《ひと》が|堕落女《だらくをんな》と|譏《そし》らうとも、そんな|事《こと》に|構《かま》ふものか。|自分《じぶん》の|恋《こひ》を|自分《じぶん》が|味《あぢ》はふに|何《ど》の|構《かま》ふ|事《こと》があるものか。あの|人《ひと》の|為《ため》には|天《てん》も|無《な》く|地《ち》も|無《な》い。|森羅万象《しんらばんしやう》をすべて|葬《はうむ》り|去《さ》つても|吾《わが》|心《こころ》を|生《いか》すものはヤコブさまより|無《な》いのだ、|地位《ちゐ》や、|名誉《めいよ》が|何《なん》になる、|貴族《きぞく》の|生《うまれ》が|何《なん》だ。|鳥《とり》や|獣《けもの》でも|自由《じいう》に|恋《こひ》を|味《あぢ》はつて|居《ゐ》る。|万物《ばんぶつ》の|霊長《れいちやう》たる|人間《にんげん》が|恋《こひ》を|味《あぢ》はふに|何《なん》の|不道理《ふだうり》があらう|筈《はず》がない。|草《くさ》を|分《わ》けても|捜《さが》し|出《だ》し、ヤコブ|様《さま》を|見《み》つけ|出《だ》して、|地位《ちゐ》や|名誉《めいよ》を|投《な》げ|出《だ》して|今迄《いままで》のお|詫《わび》をせう。|妾《わたし》の|意志《いし》が|弱《よわ》かつた|為《ため》ヤコブ|様《さま》に|思《おも》はぬ|歎《なげき》をかけた……。ヤコブ|様《さま》|許《ゆる》して|下《くだ》さいませ。|仮令《たとへ》|地獄《ぢごく》に|堕《お》ちた|所《ところ》で|貴方《あなた》との|約束《やくそく》を|実行《じつかう》|致《いた》しませう。それが|女《をんな》の|本領《ほんりやう》で|御座《ござ》いますから……』
と|傍《かたはら》に|人《ひと》|無《な》きを|幸《さいは》ひ、|知《し》らず|知《し》らず|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》して|了《しま》つた。
ブラバーサは、サロメがヤコブのことを|云《い》つて|居《ゐ》るのを|聞《き》いてゐながら、やつぱりマリヤとしか|思《おも》へなかつた。|二人《ふたり》の|男女《だんぢよ》は|一所《いつしよ》に|集《あつ》まつて|互《たがひ》にかたく|抱《だ》き|締《し》めた。そして|天《てん》も|地《ち》も、|橄欖山《かんらんざん》も|自分《じぶん》の|体《からだ》もどこかへ|消滅《せうめつ》したやうな|無我《むが》の|域《ゐき》に|入《い》つて|了《しま》つた。|暫《しばら》くあつてサロメは、ホツト|気《き》がついたやうに、
『あゝヤコブ|様《さま》、ヨウ|来《き》て|下《くだ》さいました。|妾《わたし》の|一念《いちねん》が|貴方《あなた》の|魂《たましひ》に|通《つう》じたので|御座《ござ》りませう。もう|此《この》|上《うへ》は|身《み》も|魂《たま》もあなたに|捧《ささ》げまして|決《けつ》して|外《ほか》へは|心《こころ》を|散《ち》らしませぬから|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
ブラバーサはヤコブと|云《い》ふ|声《こゑ》を|聞《き》いて|大《おほい》に|怒《いか》り、
『こりや|不貞腐《ふていくさ》れのマリヤ|奴《め》、よう|私《わたし》を|翻弄《ほんろう》して|呉《く》れたなア。お|前《まへ》の|熱愛《ねつあい》して|居《ゐ》るヤコブの|代理《だいり》に|己《おれ》を|使《つか》ふとは、|馬鹿《ばか》にするのも|程《ほど》があるではないか。|己《おれ》はマリヤより|外《ほか》に|愛《あい》する|女《をんな》は|無《な》いのだと|思《おも》つて|居《ゐ》たのにエヽ|汚《けが》らはしい、|勝手《かつて》にどうなとしたがよからう。|俺《おれ》もこれで|胸《むね》の|迷《まよ》ひが|取《と》れた。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
サロメはやつぱり|現《うつつ》になつてブラバーサをヤコブと|思《おも》ひつめて|居《ゐ》た。マリヤより|愛《あい》する|女《をんな》が|無《な》いと|云《い》ふのを|聞《き》いて、
『エヽ|悪性男《あくしやうをとこ》のヤコブ|奴《め》、ようもようも|此《この》サロメを|馬鹿《ばか》にしよつたなア。|命《いのち》を|捨《す》てた|此《この》|体《からだ》、もう|此《この》|上《うへ》は|破《やぶ》れかぶれ|思《おも》ひ|知《し》つたがよからう』
と|護身用《ごしんよう》の|短刀《たんたう》を|抜《ぬ》いて|切《き》つてかかる。ブラバーサはマリヤ|待《ま》つた|待《ま》つたと|作事小屋《さくじごや》のぐるりを|逃《に》げ|廻《まは》つて|居《ゐ》る。かかる|所《ところ》へ|疑《うたが》ひ|深《ぶか》いマリヤは、サロメがアンナ|事《こと》をいつて、ブラバーサを|隠《かく》して|居《ゐ》るのでなからうかと、|中途《ちうと》より|引返《ひきかへ》し|来《きた》り、|此《この》|体《てい》を|見《み》て|打驚《うちおどろ》き、
『もしサロメ|様《さま》、マア|待《ま》つて|下《くだ》さいませ』
と|腕《うで》に|食《くら》ひつく。サロメは|夜叉《やしや》の|如《ごと》くに|怒《いか》り|狂《くる》ひ、
『エヽ|恋《こひ》の|敵《かたき》マリヤ|奴《め》、ヤコブを|取《と》りよつた|恨《うらみ》だ、|覚悟《かくご》を|致《いた》せ』
と|猛《たけ》り|狂《くる》ふ。|其処《そこ》へ|又《また》|現《あら》はれて|来《き》たのはサロメの|後《あと》を|追《お》ふてやつて|来《き》た|失恋男《しつれんをとこ》のヤコブであつた。ヤコブは|大声《おほごゑ》をあげて、
『これこれサロメさまお|気《き》が|狂《くる》ふたのか|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》はヤコブで|御座《ござ》います』
サロメは|此《この》|声《こゑ》に|勢《いきほひ》|抜《ぬ》け|茫然《ばうぜん》として|短刀《たんたう》を|握《にぎ》つたまま|衝立《つつた》つて|居《ゐ》る。|月《つき》は|皎々《かうかう》として|山《やま》の|端《は》を|照《て》らし|初《はじ》めた。|四人《よにん》の|顔《かほ》は|一度《いちど》にハツキリして|来《き》た。マリヤは|慄《ふる》ふて|居《ゐ》るブラバーサの|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、
『|聖師様《せいしさま》|何処《どこ》へ|行《い》つてゐらしたの。|妾《わたし》どの|位《くらゐ》たづねて|居《ゐ》たのか|分《わか》りませぬのよ』
『ウンお|前《まへ》がマリヤであつたか。|夜中《やちう》の|事《こと》とて|甚《えら》い|人違《ひとちが》ひをしたものだ。あの|活劇《くわつげき》を|見《み》て|居《を》つたであらうなア』
マリヤは、
『ホヽヽヽヽ』
サロメも、
『ホヽヽヽヽ』
『|何《なん》だ|人違《ひとちが》ひか、サア、サロメさま、ヤコブはどこ|迄《まで》も|貴女《あなた》と|離《はな》れませぬから|覚悟《かくご》して|下《くだ》さい、|命《いのち》がけですよ』
『|妾《わたし》だつて|命《いのち》がけですわ。ブラバーサ|様《さま》があなたに|見《み》えたので|甚《えら》い|間違《まちが》ひを|致《いた》しました。マア|無事《ぶじ》で|怪我《けが》が|無《な》くて|何《なに》より|結構《けつこう》で|御座《ござ》いました。|皆様《みなさま》|茲《ここ》で|神様《かみさま》に|感謝《かんしや》を|致《いた》しませう』
と|男女《だんぢよ》|四人《よにん》は|地上《ちじやう》に|端座《たんざ》し、|恋《こひ》の|成功《せいこう》を|感謝《かんしや》した。ヨルダン|川《がは》の|流《なが》れも|峰《みね》|吹《ふ》く|風《かぜ》の|音《おと》も|天《てん》も|地《ち》も|漸《やうや》く|四人《よにん》の|前《まへ》に|開展《かいてん》して|来《き》た。あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・七・一二 旧五・二九 加藤明子録)
第四篇 |遠近不二《ゑんきんふじ》
第一七章 |強請《ゆすり》〔一六四六〕
シオン|山《ざん》の|谷間《たにあひ》に|草庵《さうあん》を|結《むす》んで、|恋《こひ》の|鋭鋒《えいほう》を|避《さ》けて|居《ゐ》たブラバーサの|隠家《かくれが》へ|慌《あわた》だしくやつて|来《き》たのは|三人《さんにん》のアラブである。ブラバーサは|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|於《おい》て、ゆくりなくもマリヤの|愛情《あいじやう》に|絆《ほだ》され、|自分《じぶん》も|何時《いつ》の|間《ま》にやら|恋《こひ》の|虜《とりこ》となり、|夫婦《ふうふ》の|約束《やくそく》をしたものの、|今《いま》となつて|考《かんが》へてみれば、|何《なん》とはなしに|重罪《ぢうざい》を|犯《をか》したやうな|心持《こころもち》がして|来出《きだ》した。……あゝなぜ|私《わたし》は|之丈《これだけ》|愚昧《ぐまい》だらう。|一度《いちど》ならず|二度《にど》|迄《まで》も|恋《こひ》の|誘惑《いうわく》におち、はるばる|聖地《せいち》から|万里《ばんり》の|海《うみ》を|渡《わた》りてここ|迄《まで》|来《き》|乍《なが》ら、かやうなことで|何《ど》うして|神様《かみさま》に|申訳《まをしわけ》が|立《た》たう。|又《また》ルートバハーの|教主《けうしゆ》に|対《たい》しても|言訳《いひわけ》がない。|困《こま》つたことになつたものだ。……と|朝《あさ》|早《はや》うから|草庵《さうあん》の|中《なか》に|端座《たんざ》して|悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》にくれてゐた。そこへ|三人《さんにん》のアラブが|柴《しば》の|戸《と》|押《おし》あけドヤドヤと|入来《いりきた》り、
テク『ヤ、お|早《はや》う。わつちは|何時《いつ》も|橄欖山《かんらんざん》のシオン|大学《だいがく》の|工事《こうじ》に|使《つか》はれてゐるアラブだが、|夜前《やぜん》|一寸《ちよつと》|面白《おもしろ》いことを|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|見《み》たので|御相談《ごさうだん》に|参《まゐ》りやした』
『して|又《また》あなた|方《がた》が|私《わたし》の|草庵《さうあん》を|訪《たづ》ねて|下《くだ》さつたのは、|何《なに》か|変《かは》つたことが|御座《ござ》いますかな』
『ヘン、トボケまいぞ。|夕《ゆふ》べの|活劇《くわつげき》は|何《ど》うだい。|誰《たれ》も|知《し》らぬかと|思《おも》つてゐても、|天《てん》|知《し》る|地《ち》|知《し》ると|言《い》つて、チヤンと|吾々《われわれ》|三人《さんにん》さまの|耳《みみ》につつぬけるほど|響《ひび》いたのだ。イヤ|耳《みみ》ばかりでない、|此《この》|二《ふた》つの|黒《くろ》い|眼《め》で、|作事場《さくじば》の|隅《すみ》から|覗《のぞ》いておいたのだ。|二組《ふたくみ》の|男女《だんぢよ》が|随分《ずゐぶん》|立派《りつぱ》な|活劇《くわつげき》をやつたでせう。|之《これ》でも|違《ちが》ひますかな』
『|之《これ》は|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》、|拙者《せつしや》は|此《この》|草庵《さうあん》よりここ|二三日《にさんにち》、|一歩《いつぽ》も|出《で》たこともありませぬ。ソリヤ|大方《おほかた》|何《なに》かの|間違《まちが》ひでせう』
と|聞《き》くよりトンクは、
『ヘン、|馬鹿《ばか》にするない。おれは|聾《つんぼ》でも|盲《めくら》でもないぞ。お|前《まへ》も|日《ひ》の|出島《でじま》からやつて|来《き》たルートバハーの|宣伝使《せんでんし》だといふことだが、|宣伝使《せんでんし》はウソを|云《い》つて|可《い》いのか。|此《この》|聖地《せいち》へ|各国《かくこく》の|人々《ひとびと》が|出《で》て|来《き》てるが、ウソをつく|奴《やつ》アお|前《まへ》ばかりだ。お|前《まへ》は|日《ひ》の|出島《でじま》の|代表者《だいへうしや》とも|認《みと》めらるべき|者《もの》だ。|其《その》|代表者《だいへうしや》が|嘘《うそ》つきとあれば|日《ひ》の|出《で》|島《しま》の|人間《にんげん》は|一体《いつたい》に|嘘《うそ》つきと|定《きま》つて|了《しま》ふが|夫《そ》れでも|可《い》いのか。キリストの|再臨《さいりん》に|間《ま》もなき|今日《こんにち》、|嘘《うそ》を|云《い》ふ|国民《こくみん》は|世界《せかい》の|連盟《れんめい》から|排斥《はいせき》され、|今迄《いままで》のユダヤ|人《じん》の|様《やう》に|放浪《はうらう》の|民《たみ》とならねばならないぞ。しつかり|性念《しやうねん》を|据《す》ゑ、|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》つたら|何《ど》うだ。お|前《まへ》|一人《ひとり》の|嘘《うそ》が|日出島《ひのでじま》|全体《ぜんたい》の|嘘《うそ》になるのだ。ここには|都新聞《みやこしんぶん》も|聖地新報《せいちしんぽう》も|亦《また》|回々教《フイフイけう》|新聞《しんぶん》も|発刊《はつかん》されてゐるから、|俺達《おれたち》が|記者《きしや》に|会《あ》うて|夕《ゆふ》べの|実状《じつじやう》を|喋《しやべ》らうものなら、|汝《おめえ》は|此処《ここ》に|居《を》るこた|出来《でき》ないのだ。ユダヤの|女《をんな》をチヨロまかしやがつて……ユダヤ|人《じん》|全体《ぜんたい》の|敵《かたき》としてハリツケに|会《あ》はなならぬが、それでも|可《い》いか。|汝《てめえ》の|出様《でやう》によつて|此《この》|方《はう》にも|考《かんが》へがある、サアどうだ。|判然《はつきり》と|返答《へんたふ》を|聞《き》かして|貰《もら》はうかい』
『|此奴《こいつ》ア|近頃《ちかごろ》|迷惑《めいわく》の|至《いた》りだ。|拙者《せつしや》はソンナ|覚《おぼえ》は|決《けつ》して|御座《ござ》らぬ』
『|馬鹿《ばか》|云《い》ふない。|汝《おめえ》が|隠《かく》したつて|駄目《だめ》だ。サロメにもヤコブにもチヤンとテクが|調《しら》べ|上《あ》げて|来《き》てあるのだ。グヅグヅしてると、|四人《よにん》の|奴《やつ》ア、ユダヤ|人《じん》の|怨府《ゑんぷ》となつて、|忽《たちま》ち|寂滅為楽《じやくめつゐらく》の|運命《うんめい》に|陥《おちい》るが、それが|可哀相《かあいさう》だと|思《おも》つて、おれ|達《たち》|三人《さんにん》が|談判《だんぱん》に|来《き》たのだ』
『|何《ど》うすれば|可《い》いと|云《い》ふのだ』
『ザマア|見《み》やがれ、ヤツパリ|覚《おぼえ》があるだらう。|汝《おめえ》の|命《いのち》とつり|替《か》への|一万両《いちまんりやう》、ここへオツぽり|出《だ》せ。さうすりやおれ|達《たち》や|沈黙《ちんもく》を|守《まも》つてやる。|俺達《おれたち》|三人《さんにん》の|外《ほか》にやお|月《つき》さまより|見《み》たものはないのだから、お|月《つき》さまが|仰有《おつしや》らぬ|限《かぎ》り|分《わか》る|気遣《きづかひ》はない。こんな|事《こと》を|都新聞《みやこしんぶん》の|記者《きしや》にでも|話《はな》さうものなら、|二万両《にまんりやう》や|三万両《さんまんりやう》の|報酬《ほうしう》を|呉《く》れるに|違《ちが》ひない。|何《なに》しろ|一方《いつぱう》はルートバハーの|宣伝使《せんでんし》、|一方《いつぱう》は|貴族《きぞく》の|娘《むすめ》サロメさまといふのだからな……|何《なに》しろ|可《い》い|金儲《かねまうけ》の|種《たね》を|見《み》つけたものだ。イヒヽヽヽ』
『ナアニ、|一万両《いちまんりやう》|到底《たうてい》ソンナことは|出来《でき》ない、アヽそこは|世界《せかい》|同胞《どうはう》のよしみで、|一封《いつぷう》|包《つつ》むことにして|辛抱《しんばう》して|呉《く》れ。|又《また》|何《なに》か……|埋合《うめあは》せをすることもあらうから……』
『|一封《いつぷう》だと|云《い》つても、|一銭《いつせん》でも|一封《いつぷう》だ。|十千万両《とちまんりやう》でも|一封《いつぷう》だ。|一封《いつぷう》なら|一封《いつぷう》で|可《い》いからいくらと|云《い》ふ|事《こと》を|表《おもて》へ|現《あら》はして|貰《もら》はうかい』
ツーロは、
『オイ、テク、さう|尻《しり》から|火《ひ》のついたやうに|喧《やかま》しく|云《い》はなくても|可《い》いワ。|何《なん》と|云《い》つてもサロメ、マリヤといふ|別嬪《べつぴん》を|自由自在《じいうじざい》に|翻弄《ほんろう》するといふ|抜目《ぬけめ》のない|宣伝使《せんでんし》だから、そこは|俺達《おれたち》の|面《つら》の|潰《つぶ》れるよなことはなさる|筈《はず》はない。マア|聖師《せいし》の|意志《いし》に|任《まか》す|方《はう》が|可《よ》からうぞ』
『ソンナラ、お|任《まか》せせう。テクの|面《つら》のつぶれないやうに|頼《たの》みますぜ』
ブラバーサは|是非《ぜひ》なく|百円《ひやくゑん》を|包《つつ》んで、|前《まへ》につき|出《だ》し、
『サア|之《これ》で|辛抱《しんばう》してくれ。おれも|災難《さいなん》だ。|別《べつ》に|自分《じぶん》の|方《はう》から|恋《こひ》したのでもなし、|自然《しぜん》の|成行《なりゆき》であのやうな|災難《さいなん》に|会《あ》うたのだから……』
テクは|其《その》|包《つつみ》を|受取《うけと》り、
『|成《な》る|程《ほど》エライ|災難《さいなん》に|会《あ》うたものだなア。|俺達《おれたち》もアンナ|災難《さいなん》に|幾度《いくど》も|会《あ》うてみたいものだワイ……モシモシ|聖師《せいし》さま……エー|一寸《ちよつと》ここで|中《なか》をあらためて|見《み》ましても|宜《よろ》しいだらうな』
『どうぞ|御勝手《ごかつて》に|開《ひら》いて|下《くだ》さい』
テクは|包《つつみ》をほどいて|見《み》て、ふくれ|面《づら》、
『エーツ、|馬鹿《ばか》にするない。たつたの|百両《ひやくりやう》|位《ぐらゐ》な|目《め》くされ|金《がね》に|誰《たれ》がコンナイヤな|事《こと》を|云《い》うて|来《く》るものかい』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら|其《その》|場《ば》にブツつけたり。
『|大切《たいせつ》なお|金《かね》、|必要《ひつえう》がなければ|元《もと》へ|納《をさ》めておきませう』
と|手早《てばや》く|拾《ひろ》うて|懐《ふところ》に|入《い》れる。トンクは、
『オイ、テク、ツーロ、コンナ|奴《やつ》に|相手《あひて》になつて|居《を》つても|駄目《だめ》だ。|命《いのち》より|金《かね》が|惜《をし》いとみえるワイ。モウ|構《かま》ふことはない、|都新聞《みやこしんぶん》へ|行《い》つてドツサリと|褒美《はうび》を|貰《もら》うて|来《こ》う。|此奴《こいつ》とあとの|三人《さんにん》には|気《き》の|毒《どく》だが|自業自得《じごふじとく》だから|仕方《しかた》があるまいサア|帰《かへ》らう』
ツーロは|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
『オイ、|一寸《ちよつと》|待《ま》て。おれ|達《たち》は|金《かね》のよなものが|目的《もくてき》だない。|夫《そ》れよりもマリヤを|此方《こちら》へ|渡《わた》してさへ|貰《もら》へば|可《い》いのだ、……オイ|先生《せんせい》、|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》の|代《かは》りにチツと|高《たか》いけれどマリヤを|此方《こちら》へ|渡《わた》すといふ|証文《しようもん》を|書《か》いて|貰《もら》はうかい。|無《な》い|懐《ふところ》をしぼつて|出《だ》すよりも、お|前《まへ》もそれの|方《はう》が|可《い》いだらう』
『マリヤは|拙者《せつしや》の|女《をんな》ではない。|又《また》|仮令《たとへ》|自分《じぶん》の|女房《にようばう》にした|所《ところ》で、|彼女《かのぢよ》の|意志《いし》を|無視《むし》してお|前達《まへたち》にやるといふ|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい、マア|二三日《にさんにち》|考《かんが》へさしてくれ』
『ヘン|何《なに》をぬかしやがるのだい。マリヤをとらうと|取《と》ろまいとテクの|勝手《かつて》だよ。こないだも|橄欖山《かんらんざん》の|上《うへ》でマリヤを|物《もの》にせうとしてる|所《ところ》へ、|汝《てめえ》がせうもない|事《こと》|吐《ぬか》しやがるものだから、|役人《やくにん》が|来《き》たと|思《おも》つて|逃《にげ》たが|後《あと》で|汝《てめえ》と|分《わか》り、|歯《は》がみをしたのだ。オイ|兄弟《きやうだい》、|此奴《こいつ》を|縛《しば》りシオンの|谷《たに》へ|葬《はうむ》つて|了《しま》へば、マリヤは|此方《こちら》の|者《もの》だ。サアやつて|了《しま》へ|一《ひ》イ|二《ふ》ウ|三《み》ツだ』
『ヨーシ|来《き》た』
と|両人《りやうにん》は|手《て》ンでに|棍棒《こんぼう》を|打振《うちふ》りブラバーサに|打《う》つてかかる。ブラバーサは|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》した。|三人《さんにん》は|其《その》|言霊《ことたま》に|打《う》たれ、『エー|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ』とこけつ|転《まろ》びつ|先《さき》を|争《あらそ》ひ|逃《に》げ|散《ち》りて|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 松村真澄録)
第一八章 |新聞種《しんぶんだね》〔一六四七〕
ヨルダン|河《がは》の|河縁《かはべり》に|新《あたら》しく|建《た》つたバハイ|教《けう》のチヤーチがある。そこには、バハーウラーが|足《あし》を|止《とど》めて、|各国人《かくこくじん》に|対《たい》し、バハイ|教《けう》を|宣伝《せんでん》してゐた。|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|聞《き》き|伝《つた》へて|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》の|如《ごと》く、|聖地《せいち》に|集《あつ》まる|各国人《かくこくじん》はその|教《をしへ》を|聴《き》かむと、|昼《ひる》となく|夜《よ》となく|可《か》なりに|集《あつ》まつて|来《き》た。サロメもヤコブとの|恋愛《れんあい》|関係《くわんけい》より|両親《りやうしん》と|意見《いけん》|合《あ》はず、|此《この》チヤーチに|隠《かく》れてバハイの|教《をしへ》を|研究《けんきう》してゐた。
ヨルダン|河《かは》は|朝霧《あさぎり》|立《た》ち|昇《のぼ》り、|余《あま》り|広《ひろ》からぬ|向《むか》ふ|岸《ぎし》の|樹木《じゆもく》さへも|見《み》えない|迄《まで》に|濃霧《のうむ》に|包《つつ》まれてゐる。|川《かは》べりの|窓《まど》をあけて|水《みづ》の|流《なが》れを|打見《うちみ》やりながら、バハーウラーと|共《とも》に|世間話《せけんばなし》に|耽《ふけ》つてゐる。サロメは、
『|聖師様《せいしさま》、|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|最《もつと》も|幸福《かうふく》な|人《ひと》と|云《い》へば|如何《いか》なる|人《ひと》で|御座《ござ》いませうか』
『|一般《いつぱん》の|人《ひと》は|一国《いつこく》の|主権者《しゆけんしや》となり、|或《あるひ》は|貴族《きぞく》|生活《せいくわつ》をして|道《みち》を|行《ゆ》くにも|馬車《ばしや》|自動車《じどうしや》に|乗《の》り、|何一《なにひと》つ|不自由《ふじゆう》なく|安楽《あんらく》に|暮《くら》す|者《もの》を|最《もつと》も|幸福者《かうふくもの》として|居《を》りますが、|私《わたし》なんかは、|世界《せかい》|人類《じんるゐ》を|救済《きうさい》する|聖《きよ》き|神《かみ》の|使《つかひ》となる|位《くらゐ》、|世《よ》の|中《なか》に|幸福《かうふく》な|者《もの》はないと|思《おも》ひます。そして|夫婦《ふうふ》|睦《むつ》まじく、|二三人《にさんにん》の|子《こ》を|生《う》んで|其《その》|子《こ》も|親《おや》も|同《おな》じ|神《かみ》さまの|道《みち》に、|一身《いつしん》を|捧《ささ》げて|信仰《しんかう》する|人《ひと》の|家庭《かてい》|位《くらゐ》|幸福《かうふく》なものはなからうと|考《かんが》へます』
『|成程《なるほど》、|妾《わたし》も|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|貴族《きぞく》の|家《いへ》に|生《うま》れ、ウルサイ|虚礼虚式《きよれいきよしき》に|束縛《そくばく》され、|少《すこ》しも|自由《じいう》の|行動《かうどう》は|出来《でき》ず、|殆《ほとん》ど|慈悲《じひ》の|牢獄《らうごく》に|投《とう》ぜられたやうなもので|御座《ござ》いました。|其《その》|苦痛《くつう》に|堪《た》へかねて、|筆墨《ひつぼく》に|親《したし》み、|下《くだ》らぬ|小説《せうせつ》を|書《か》いたり|歌《うた》などをよんで、|悶々《もんもん》の|情《じやう》を|消《け》さむと|努《つと》めてゐましたが、|小説《せうせつ》を|一《ひと》つ|書《か》いても|身《み》の|生《うま》れが|貴族《きぞく》の|為《ため》に、あちらにつかへ、|此方《こちら》につかへ、|思《おも》ふやうに|筆《ふで》を|走《はし》らすことも|出来《でき》ないので、|本当《ほんたう》に|人生《じんせい》|貴族《きぞく》となる|勿《なか》れといふ|事《こと》を|深《ふか》く|味《あぢ》はひました。それから|無理解《むりかい》な|親兄弟《おやきやうだい》の|圧迫《あつぱく》によつて、|素性《すじやう》|卑《いや》しく|毘舎《びしや》の|妻《つま》として|追《おひ》やられ、|十年《じふねん》が|間《あひだ》あるにあられぬ|苦痛《くつう》と|不愉快《ふゆくわい》を|忍《しの》んで|参《まゐ》りましたが、とうと|居《ゐ》たたまらなくなつて、|毘舎《びしや》の|家《いへ》を|飛《と》び|出《だ》し、|自分《じぶん》に|同情《どうじやう》をしてくれる|男《をとこ》の|方《はう》へ|走《はし》つたので|御座《ござ》いますが、|之《これ》も|又《また》ウルサイこつて|御座《ござ》います。どうしたら|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦《ふうふ》になれるであらうかと、いろいろと|心《こころ》を|痛《いた》めましたが、モウ|此《この》|上《うへ》は|神様《かみさま》のお|力《ちから》を|借《か》りるより|仕方《しかた》がないと|存《ぞん》じまして、バハイ|教《けう》の|教《をしへ》を|信仰《しんかう》することになつたので|御座《ござ》います。|本当《ほんたう》に|不運《ふうん》な|生付《うまれつき》で|御座《ござ》います』
『|成程《なるほど》、|貴女《あなた》のお|考《かんが》へも|強《あなが》ち|無理《むり》ではありますまい。|併《しか》し|乍《なが》ら|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》は|分《わか》らずやが|多《おほ》くて、|誤解《ごかい》する|者《もの》ばかりですから、|余程《よほど》|心得《こころえ》なくちやなりますまい。あなたもシオンの|女王《ぢよわう》として|随分《ずゐぶん》|新聞紙《しんぶんし》に|喧《やかま》しく|書《か》き|立《た》てられましたなア』
『|世界中《せかいぢう》へ|醜名《しうめい》を|拡《ひろ》めてくれました。ルートバハー|教《けう》のウヅンバラチヤンダーさまと|東西《とうざい》|相並《あひなら》んで|新聞種《しんぶんだね》の|巨壁《きよへき》となりましたよ。オホヽヽヽ』
『あなたが|普通《ふつう》の|平民《へいみん》の|生《うま》れであつたならあれ|位《くらゐ》な|事《こと》は、|六号《ろくがう》|活字《くわつじ》で|人《ひと》の|気《き》のつかないやうな|所《ところ》へ、ホンの|二行《にぎやう》か|三行《さんぎやう》のせるのですけれど、|何《なん》と|云《い》つても|伯爵家《はくしやくけ》のお|嬢《ぢやう》さまだから|新聞屋《しんぶんや》の|阿呆《あはう》|奴《め》が、|針小棒大《しんせうぼうだい》に|書《か》き|立《た》てたのでせう。ウヅンバラチヤンダーさまだつて、やつぱり、ルートバハー|教《けう》といふ|背景《はいけい》がなければ、あれ|程《ほど》|喧《やまか》しくならなかつたでせう。|本当《ほんたう》に|新聞《しんぶん》|記者《きしや》|位《くらゐ》|悪《わる》い|奴《やつ》はありませぬなア』
『|新聞《しんぶん》|記者《きしや》に|狙《ねら》はれたが|最後《さいご》、|助《たす》かりつこはありませぬよ。|丸《まる》で|胡麻《ごま》の|縄《はへ》の|様《やう》なもので、|何処《どこ》へ|隠《かく》れて|居《を》つても|探《さが》し|出《だ》して、おマンマの|種《たね》を|拵《こしら》へやうとするのですからねえ』
『|時《とき》にサロメさま、|此《この》|頃《ごろ》|日出島《ひのでじま》から、|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》が|聖地《せいち》へ|見《み》えて|居《を》りますが、お|聞《きき》|及《およ》びで|御座《ござ》いますか』
『ハイ、|存《ぞん》じて|居《を》ります。|本当《ほんたう》に|立派《りつぱ》な|方《かた》で|御座《ござ》いますねエ』
『あなたは|此処《ここ》へお|出《いで》になつてから|殆《ほとん》ど|二ケ月《にかげつ》になりますさうですが、どこでお|会《あ》ひになつたのですか。|根《ね》つから|貴女《あなた》が|其《その》|方《かた》にお|会《あ》ひになる|機会《きくわい》がなかつたやうに|思《おも》ひますが……』
『ハイ、|妾《わたし》は|橄欖山《かんらんざん》へ|夜分《やぶん》にお|参《まゐ》りする|時《とき》、チヨコチヨコ|山上《さんじやう》や|坂《さか》の|途中《とちう》に|於《おい》て、お|目《め》にかかり、お|話《はな》しもさして|頂《いただ》いて|居《を》ります。それ|故《ゆゑ》あの|方《かた》の|人格《じんかく》も|思想《しさう》もよく|存《ぞん》じて|居《を》ります』
バハーウラーは|微笑《びせう》を|泛《うか》べ|乍《なが》ら、
『ヤコブさまに|比《くら》べては、あなたどちらが|良《よ》いと|思《おも》ひますか』
『お|尋《たづ》ねまでもありませぬワ、ホヽヽヽヽ』
かかる|所《ところ》へ『|御免《ごめん》なさいませ』と|言《い》ひ|乍《なが》ら|受付《うけつけ》に|案内《あんない》されて|這入《はい》つて|来《き》たのは、ブラバーサであつた。ブラバーサは、
『これはこれは|聖師様《せいしさま》、|此《この》|間《あひだ》は|御親切《ごしんせつ》にお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいまして、|有難《ありがた》う|御座《ござ》います。|今日《けふ》は|折入《をりい》つて、サロメ|様《さま》に|御相談《ごさうだん》|致《いた》したいことがあつて、お|伺《うかが》ひ|致《いた》しました』
『ヤ、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。|呼《よ》ぶより|誹《そし》れとか|云《い》つて、|今《いま》も|今《いま》とて|貴方《あなた》のことを|話《はな》して|居《を》つた|所《ところ》です。サロメさまに|御用《ごよう》とあれば|私《わたし》は|席《せき》を|外《はづ》します。どうぞゆつくりお|話《はな》し|下《くだ》さいませ、……モシ、サロメさま、ヤコブさまのことを|忘《わす》れちや|可《い》けませぬよ』
とニツコリと|笑《わら》ひ、|気《き》を|利《き》かして|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》りぬ。
『ブラバーサさま、|能《よ》くマア|訪《たづ》ねて|下《くだ》さいました。|一昨夜《いつさくや》はエライ|失礼《しつれい》を|致《いた》しましたね。|妾《わたし》|思《おも》ひ|出《だ》しても|恥《はづか》しうなつて|参《まゐ》りましたワ』
『イヤもう|失礼《しつれい》は|御互《おたがひ》で|御座《ござ》います。|併《しか》しサロメさま、|今日《こんにち》|参《まゐ》りましたのは|外《ほか》のことだ|御座《ござ》りませぬ、|吾々《われわれ》の|身《み》の|上《うへ》に|関《くわん》して|大変《たいへん》なことが|起《おこ》つて|居《ゐ》るので|御座《ござ》います』
『|大変《たいへん》とはソリヤドンナことで|御座《ござ》いますか。どうぞ|早《はや》く|聞《き》かして|下《くだ》さいませ。|何《なん》だか|妾《わたし》も|胸《むね》が|騒《さわ》いでなりませぬワ』
ブラバーサは|眉《まゆ》をひそめ|乍《なが》ら|言《い》ひ|憎《にく》|相《さう》にして、
『|実《じつ》の|所《ところ》は|一昨夜《いつさくや》の|山上《さんじやう》の|活劇《くわつげき》を|三人《さんにん》のアラブがスツカリ|見《み》て|居《を》つたと|見《み》えまして、|私《わたし》の|草庵《さうあん》を|訪《たづ》ね、|一万両《いちまんりやう》の|金《かね》を|出《だ》さねば、|新聞《しんぶん》へ|出《だ》すとか|言《い》つて、|強請《ゆすり》に|参《まゐ》りました。|私《わたし》だつて|遠国《ゑんごく》から|参《まゐ》つた|者《もの》で|御座《ござ》いますから、|夫《そ》れ|程《ほど》の|大金《たいきん》は|持《も》つてゐる|筈《はず》もなし、|已《や》むを|得《え》ず|百両《ひやくりやう》|包《つつ》んでやつた|所《ところ》、|忽《たちま》ち|大地《だいち》にぶつつけて、|之《これ》から|新聞社《しんぶんしや》へ|行《い》つて|二三万両《にさんまんりやう》の|金《かね》を|貰《もら》つて|来《く》る、さうすりやお|前達《まへたち》|四人《よにん》はユダヤ|人《じん》の|怨府《ゑんぷ》となり|磔刑《はりつけ》に|会《あ》ふだらうと|捨台詞《すてぜりふ》を|残《のこ》して|帰《かへ》りました。グヅグヅしてゐて|新聞《しんぶん》にでも|出《だ》されちや|大変《たいへん》ですから、|何《なに》か|貴女《あなた》によいお|考《かんがへ》はなからうかと|御相談《ごさうだん》に|参《まゐ》りました』
|聞《き》くよりサロメは|目《め》を|丸《まる》うし、|面色《かほいろ》|迄《まで》|変《か》へて|稍《やや》|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》になり、
『ヤ、|其奴《そいつ》ア|大変《たいへん》です。|何《ど》うしませうかなア』
『|何《ど》うも|仕方《しかた》がありませぬ。|恥《はづか》し|乍《なが》ら、|何《いづ》れ|分《わか》ることですから、バハーウラーさまに|一伍一什《いちぶしじふ》|打《うち》あけて、|何《なに》かよい|智慧《ちゑ》を|借《か》らうぢやありませぬか』
『だつてマサカ、ソンナ|恥《はづか》しいことが|言《い》へぬぢやありませぬか。あゝ|困《こま》つたことですねえ』
|斯《かか》る|所《ところ》へ|聖師《せいし》バハーウラーは|少《すこ》しく|苦々《にがにが》しい|顔《かほ》をし|乍《なが》ら|現《あら》はれ|来《きた》り、
『モシお|二人《ふたり》さま、|都新聞《みやこしんぶん》の|記者《きしや》があなた|方《がた》にお|目《め》にかかりたいと|云《い》つて|参《まゐ》りましたが、|何《ど》う|致《いた》しませうかね』
『ハテ、|困《こま》りましたねえ』
『モウ|斯《か》うなつては|隠《かく》れたつて|駄目《だめ》でせう。|此方《こちら》の|方《はう》から|面会《めんくわい》して、|何《なに》もかも|事情《じじやう》を|云《い》つてやりませう。それの|方《はう》が|却《かへつ》て|良《よ》いかも|知《し》れませぬよ。|新聞《しんぶん》|記者《きしや》に|隠《かく》れると、|憶測《おくそく》で|針小棒大《しんせうぼうだい》に|何《なに》を|書《か》き|立《た》てるか|知《し》れませぬからな』
サロメは|胴《どう》を|据《す》ゑて、
『ソンナラさう|致《いた》しませう。|聖師様《せいしさま》、|記者様《きしやさま》をどうか|此方《こちら》へお|出《い》で|下《くだ》さる|様《やう》に|云《い》つて|下《くだ》さいませぬか』
バハーウラーは『|宜《よろ》しい』と|諾《うなづ》き|乍《なが》ら|表《おもて》へ|出《い》で|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 松村真澄録)
第一九章 |祭誤《さいご》〔一六四八〕
|高城山《たかしろやま》の|峰《みね》つづき、|小北山《こぎたやま》の|松林《まつばやし》を|切《き》り|開《ひら》いて|沢山《たくさん》な|小宮《こみや》やチヤーチを|建《た》てたルートバハーの|脱走教《だつそうけう》があつた。ここの|主人《しゆじん》を|虎嶋《とらしま》|久之助《ひさのすけ》と|云《い》ひ、|女房《にようばう》は|虎嶋《とらしま》|寅子《とらこ》と|云《い》ふ。|生《うま》れつき|自我心《じがしん》の|強《つよ》い|女《をんな》であつたが|変性男子《へんじやうなんし》の|系統《けいとう》と|云《い》ふのを|奇貨《きくわ》としてユラリ|教《けう》と|云《い》ふ|変則的《へんそくてき》なる|教団《けうだん》をたてユラリ|彦命《ひこのみこと》を|祀《まつ》つて、|盛《さか》んにルートバハーの|教主《けうしゆ》ウヅンバラチヤンダーに|反抗的《はんかうてき》|態度《たいど》をとつてゐる。そして|自分《じぶん》は|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|自称《じしよう》し、|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|皺枯声《しわがれごゑ》を|出《だ》して|濁《にご》つた|言霊《ことたま》で|四辺《あたり》の|空気《くうき》を|灰色《はひいろ》に|染《そめ》て|居《ゐ》る。ここへ|集《あつま》る|信徒《しんと》の|中《なか》には|随分《ずゐぶん》|色々《いろいろ》な|変《かは》り|者《もの》があつて、|中《なか》にも|最《もつと》も|寅子《とらこ》の|信任《しんにん》を|得《え》たのは、|善《よし》も|悪《あし》きも|難波江《なにはえ》の|菖蒲《あやめ》のお|花《はな》と|云《い》ふ、あまり|色《いろ》の|白《しろ》くない|背《せ》の|低《ひく》い|横太《よこぶと》い|年増婆《としまば》アさまである。そして|寅子《とらこ》の|最《もつと》も|信任《しんにん》してゐるのは|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふ|海軍《かいぐん》の|士官《しくわん》|上《あが》りの|外国語《ぐわいこくご》をよく|囀《さへづ》る|男《をとこ》であつた。|寅子《とらこ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》と|自称《じしよう》し|乍《なが》ら|此《この》|守宮別《やもりわけ》と|共《とも》に|宅《うち》を|外《そと》にして|曲霊軍《きよくれいぐん》の|襷《たすき》を|掛《か》け、|日《ひ》の|出島《でじま》の|東西南北《とうざいなんぼく》を|隈《くま》なく|巡教《じゆんけう》し、|軍艦《ぐんかん》|布教《ふけう》までやつてヤンチヤ|婆《ば》アさまの|名《な》を|売《う》つた、したたか|者《もの》である。|守宮別《やもりわけ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|腹《はら》を|合《あは》せ|如何《いか》にしても|変性女子《へんじやうによし》のウヅンバラチヤンダーを|社会《しやくわい》の|廃物《はいぶつ》となし、|自分《じぶん》|等《たち》がとつて|代《かは》らむと|苦心《くしん》の|結果《けつくわ》、|守宮別《やもりわけ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|反対《はんたい》|運動《うんどう》を|開始《かいし》し、|終《つひ》には|六六六《ろくろくろく》の|獣《けだもの》を|使《つか》つてウヅンバラチヤンダーの|肉体《にくたい》の|自由《じいう》まで|奪《うば》つた|剛《がう》の|者《もの》である。
|目《め》の|上《うへ》の|瘤《こぶ》として|居《ゐ》た|人物《じんぶつ》を、うまく|圧倒《あつたふ》した|上《うへ》は、もはや|天下《てんか》に|恐《おそ》るべきものなしと、|菖蒲《あやめ》のお|花《はな》を|筆頭《ひつとう》に|守宮別《やもりわけ》、|曲彦《まがひこ》、|木戸口《きどぐち》、お|松《まつ》|等《など》の|連中《れんちう》と|謀《はか》り|小北山《こぎたやま》に|拝殿《はいでん》を|建《た》て、|一時《いちじ》も|早《はや》く|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》|致《いた》しますやうと|祈願《きぐわん》をこらして|居《ゐ》た。さうして|地《ち》の|高天原《たかあまはら》へ|乗込《のりこ》んで|一切《いつさい》の|教権《けうけん》を|握《にぎ》らむと|聖地《せいち》の|古《ふる》い|役員《やくゐん》をたらし|込《こ》み、|九分九厘《くぶくりん》と|云《い》ふ|所《ところ》へウヅンバラチヤンダーが|帰《かへ》つて|来《き》たので、|肝《きも》をつぶしホウボウの|態《てい》にて|再《ふたた》び|小北山《こぎたやま》へ|逃《に》げ|帰《かへ》り|守宮別《やもりわけ》は|海外《かいぐわい》に|逃《に》げ|出《だ》し、|後《あと》に|寅子姫《とらこひめ》、お|花《はな》、|曲彦《まがひこ》の|三人《さんにん》は|首《くび》を|鳩《あつ》めて|第二《だいに》の|策戦《さくせん》|計画《けいくわく》にとりかかつた。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|筆先《ふでさき》を|書《か》いてルートバハーの|信者《しんじや》を|籠絡《ろうらく》し、|変性女子《へんじやうによし》の|勢力《せいりよく》を|失墜《しつつゐ》せむものと|難波《なには》の|里《さと》の|高山某《たかやまぼう》に|軍用金《ぐんようきん》を|寄附《きふ》させ、|日出島《ひのでじま》|全体《ぜんたい》の|神社《じんじや》|仏閣《ぶつかく》を|巡回《じゆんくわい》し、|身魂調《みたましら》べと|称《しよう》し、|口碑伝説《こうひでんせつ》を|探《さぐ》つていろいろの|因縁《いんねん》をつけ、|筆先《ふでさき》を|作《つく》つて|誠《まこと》しやかに|少数《せうすう》の|信徒《しんと》を|誤魔《ごま》かして|居《ゐ》る。
|今日《けふ》は|春季《しゆんき》|大祭《たいさい》の|為《ため》|五六十人《ごろくじふにん》の|信徒《しんと》が|集《あつま》つて|来《き》た。|祭典《さいてん》は|無事《ぶじ》に|済《す》んで|信者《しんじや》は|各《おのおの》|家《いへ》に|帰《かへ》つた。あとには|曲彦《まがひこ》、|寅子《とらこ》、|菖蒲《あやめ》のお|花《はな》、|久之助《ひさのすけ》、|高山彦《たかやまひこ》|等《など》が|首《くび》を|鳩《あつ》めて|協議《けふぎ》を|凝《こら》して|居《ゐ》る。|曲彦《まがひこ》は|先《ま》づ|第一《だいいち》に|口《くち》を|開《ひら》いて、
『|皆《みな》さま、お|神徳《かげ》によりまして|春季《しゆんき》|大祭《たいさい》も|無事《ぶじ》|終了《しうれう》|致《いた》し、さしもに|広《ひろ》き|霊場《れいぢやう》も|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なき|迄《まで》に|信者《しんじや》が|集《あつ》まらず、|却《かへつ》て、|込《こ》みあはずお|神徳《かげ》を|頂《いただ》きました。|之《これ》も|日頃《ひごろ》|熱心《ねつしん》に|御布教《ごふけう》して|下《くだ》さる|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》を|初《はじ》め|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|御活動《ごくわつどう》の|結果《けつくわ》と|有難《ありがた》く|感謝《かんしや》|致《いた》します。|就《つ》いては|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り、|吾々《われわれ》がかねて|計画《けいくわく》してゐた|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》の|御結婚《ごけつこん》もたうとう|此《この》|世《よ》を|乱《みだ》す|悪神《あくがみ》の|憑《うつ》つた|瑞《みづ》の|霊《みたま》の|為《ため》に|挙行《きよかう》されて|了《しま》ひ、|本当《ほんたう》に|苦辛《くしん》した|甲斐《かひ》もなく|誠《まこと》にお|目出度《めでた》う|御座《ござ》いませぬわい。|貴方《あなた》はいつもいつも|此《この》|結婚《けつこん》は|変性女子《へんじやうによし》には|指一本《ゆびいつぽん》さえさせぬ、|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|許《ゆる》して|天晴《あつぱ》れ|結婚《けつこん》をさし、ルートバハーの|教《をしへ》を|立直《たてなほ》すと|仰有《おつしや》いましたが、|一体《いつたい》どうなつたので|御座《ござ》います』
|寅子《とらこ》は、
『ソレハ|神界《しんかい》の|都合《つがふ》によつてお|仕組《しぐみ》を|変《か》へたのだよ。|玉照彦《たまてるひこ》、|玉照姫《たまてるひめ》もたうとう|変性女子《へんじやうによし》の|悪霊《あくれい》に|感染《かんせん》して|了《しま》ひ、|水晶魂《すゐしやうみたま》が|泥魂《どろみたま》になりかけました。さあ|之《これ》から|吾々《われわれ》の|正念場《しやうねんば》だ。グヅグヅしてゐては|駄目《だめ》ですよ。もはや|期待《きたい》してゐた|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》も|駄目《だめ》だから|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が、もう|一働《ひとはたら》きやらねば|到底《たうてい》|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》は|出来《でき》ませぬぞや。|神様《かみさま》は|控《ひか》えは|何程《なんぼ》でもあるぞよ、|肝腎《かんじん》の|事《こと》は|系統《ひつぽう》にさしてあるぞよとお|筆《ふで》に|出《だ》してゐられませうがな。その|系統《ひつぽう》は|誰《たれ》の|事《こと》だと|思《おも》ひますか。|金勝要神《きんかつかねのかみ》の|身魂《みたま》もサツパリ|駄目《だめ》だし、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|居《を》らなくては、もう|此《この》|三千世界《さんぜんせかい》の|立替立直《たてかへたてなほ》しは|出来《でき》ますまい。|艮金神《うしとらのこんじん》、|坤金神《ひつじさるのこんじん》、|金勝要神《きんかつかねのかみ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》、|四魂《しこん》|揃《そろ》ふて|御用《ごよう》を|致《いた》さすぞよ、とお|筆《ふで》に|出《で》てゐるでせう。|艮金神《うしとらのこんじん》の|御魂《みたま》はもはや|御昇天《ごしようてん》|遊《あそ》ばし、|坤金神《ひつじさるのこんじん》の|生宮《いきみや》は|悪霊《あくれい》にワヤにされて|了《しま》ひ、|金勝要神《きんかつかねのかみ》は|我《が》の|強《つよ》い|神《かみ》で|役員《やくゐん》|達《たち》に|祭《まつ》り|込《こ》まれて|慢心《まんしん》|致《いた》し、|到底《たうてい》|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》どころか、ルートバハーの|維持《ゐぢ》も|出来《でき》ませぬ。|四魂《しこん》の|中《うち》、|三魂《さんこん》|迄《まで》|役《やく》に|立《た》たねば、|九分九厘《くぶくりん》の|処《ところ》で|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》でクレンと|覆《かへ》すとお|筆《ふで》に|出《で》てゐるでせう。それだから|此《こ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|一厘《いちりん》のところで|掌《てのひら》をかへすのですよ。|宜《よろ》しいかな。|取違《とりちが》ひを|致《いた》しなさるなや』
『それほど|変性女子《へんじやうによし》の|霊《みたま》が|曇《くも》つとるのなら、|何故《なぜ》|大祭《たいさい》|毎《ごと》に|頼《たの》みさがして、|変性女子《へんじやうによし》に|来《き》て|貰《もら》ふのですか。チツと|矛盾《むじゆん》ぢやありませぬか』
『エー、|分《わか》らぬ|人《ひと》ぢやな。|変性女子《へんじやうによし》さへ|詣《まゐ》らしておけばルートバハーの|信者《しんじや》が「ヤツパリ|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》は|因縁《いんねん》があるに|違《ちが》ひない。あれだけ|悪《わる》く|云《い》はれても|変性女子《へんじやうによし》が|頭《あたま》を|下《さ》げに|行《ゆ》くから、|矢張《やつぱり》|偉《えら》い|神様《かみさま》だ」と|思《おも》はせる……|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》をしてるのだよ。|神《かみ》の|仕組《しぐみ》は|人間《にんげん》に|分《わか》りませぬよ。|神謀鬼策《しんぼうきさく》の|仕組《しぐみ》を|遊《あそ》ばすのが|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|御神策《ごしんさく》だよ』
『ヤア、それで|貴女《あなた》の|権謀術数《けんぼうじゆつすう》、|悪《あく》にかけたら|抜目《ぬけめ》のない、やり|方《かた》が|分《わか》りましたよ。ヘン|糞面白《くそおもしろ》くもない』
とあとは|小声《こごゑ》で|呟《つぶや》く。
『ヘン、|措《お》いて|下《くだ》され、|私《わたし》が|悪《あく》に|見《み》えますかな。|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》は|悪《あく》に|見《み》えて|善《ぜん》を|遊《あそ》ばすのだよ。|何《なに》もかも|昔《むかし》からの|根本《こつぽん》の|因縁《いんねん》を|十万億土《じふまんおくど》のドン|底《ぞこ》まで|行《い》つて|調《しら》べて|来《き》た|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|何程《なにほど》お|前《まへ》さまは|賢《かしこ》うても|軍人《ぐんじん》|上《あが》りぢやないか。|軍人《ぐんじん》が|神界《しんかい》の|事《こと》が|分《わか》りますかい。お|前《まへ》さまは|早《はや》く|女子《によし》の|留守《るす》の|中《うち》に|拝殿《はいでん》を|建《た》て、|事務所《じむしよ》を|建《た》て、そして|費用《ひよう》は|何《なん》ぼでも|出《だ》すと|云《い》ひ|乍《なが》ら|愈《いよいよ》となれば、スツタモンダと|云《い》つて|一円《いちゑん》の|金《かね》も|出《だ》さぬぢやないか、そんな|事《こと》でゴテゴテ|云《い》ふ|資格《しかく》がありますかい。スツ|込《こ》んで|居《を》りなさい』
『ヤア、どうも|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御威勢《ごゐせい》には|楯《たて》つく|事《こと》は|出来《でき》ませぬわい。|何《なん》と|云《い》つても|一寸先《いつすんさき》の|見《み》えぬ|人民《じんみん》ですから、|何《なん》と|口答《くちごた》へする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、マア|時節《じせつ》を|待《ま》ちませう』
『あ、それが|宜《よ》いそれが|宜《よ》い、|何事《なにごと》も|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》の|申《まを》す|通《とほ》りに|致《いた》さねば|神界《しんかい》の|仕組《しぐみ》がおくれて|仕方《しかた》がない。これ|久之助《ひさのすけ》さま、お|前《まへ》さまも|私《わたし》のハズバンドなら、|少《すこ》しシツカリしなさらぬかい。|菖蒲《あやめ》さまも|何《なに》して|御座《ござ》る。|曲彦《まがひこ》にアンナ|事《こと》を|云《い》はして|黙《だま》つてる|事《こと》がありますかいな』
『|私《わたし》も|間《ま》がな|隙《すき》がな、|曲彦《まがひこ》さまに|御意見《ごいけん》を|申《まを》して|居《を》りますが、|何《なん》と|云《い》つても|若《わか》い|人《ひと》だから|到底《たうてい》|婆《ばば》の|云《い》ふ|事《こと》は|聞《き》いて|下《くだ》さいませぬ。|然《しか》し|乍《なが》ら|寅子姫《とらこひめ》さま、|私《わたし》は|一《ひと》つ|妙《めう》な|事《こと》を|聞《き》きましたが、それが|本当《ほんたう》とすれば、かうしてグヅグヅしてゐる|訳《わけ》にも|行《ゆ》きますまい』
『お|前《まへ》さまの|妙《めう》な|事《こと》と|云《い》ふのは|一体《いつたい》ドンナ|事《こと》かいな。|差支《さしつかへ》なくば|云《い》つて|下《くだ》さい。|此方《こちら》にも|考《かんが》へがありますから』
『それなら|申《まを》しませうが、|変性男子《へんじやうなんし》のお|筆《ふで》に|西《にし》と|東《ひがし》にお|宮《みや》を|建《た》てて|神《かみ》がうつりて|守護《しゆご》を|致《いた》すぞよと|出《で》て|居《を》りませう。|東《ひがし》と|西《にし》のお|宮《みや》とは、あなた|一体《いつたい》どこの|事《こと》だと|思《おも》つて|居《を》りますか』
『オツホヽヽヽヽ、お|花《はな》さま、お|前《まへ》は|何《なに》を|恍《とぼ》けてゐるのだい。|東《ひがし》のお|宮《みや》といふのは|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》ぢやないか。|人間《にんげん》の|初《はじま》り、|五穀《ごこく》の|初《はじま》りは|所謂《いはゆる》|此《この》|小北山《こぎたやま》ですよ。そして|西《にし》のお|宮《みや》と|云《い》ふのは|聖地《せいち》の|桶伏山《をけぶせやま》ぢやありませぬか。|桶伏山《をけふせやま》の|神殿《しんでん》はあの|通《とほ》り|叩《たた》きつぶされましたが、|東《ひがし》のお|宮《みや》は|旭日昇天《きよくじつしようてん》の|勢《いきほ》ひで|誰一人《たれひとり》|指一本《ゆびいつぽん》|支《さ》へるものがないぢやありませぬか。これを|見《み》ても|神徳《しんとく》があるかないか|分《わか》るぢやありませぬか。ルートバハーの|信者《しんじや》は|馬鹿《ばか》だから|変性女子《へんじやうによし》の|為《ため》に|騙《だま》され、|壊《こは》された|宮《みや》の|跡《あと》へ|集《あつ》まつて、
|壊《こは》たれる|宮《みや》の|為《ため》に
|過《す》ぎ|去《さ》りし|偉大《ゐだい》のために
|吾等《われら》は|地《ち》に|伏《ふ》して|泣《な》く
あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》
なぞと、|憐《あは》れつぽい|声《こゑ》を|出《だ》して|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|吠面《ほえづら》かわいてゐるぢやありませぬか。それを|見《み》ても|神様《かみさま》が|居《を》られるか、|居《を》られないか|分《わか》るでせう。|善《ぜん》の|道《みち》の|分《わか》るのはおそいと|神《かみ》は|云《い》はれますが、|今《いま》は|此《この》|小北山《こぎたやま》はルートバハーの|信者《しんじや》からは|馬鹿《ばか》にされて|居《を》りますが、|今《いま》に|金色燦爛《こんじきさんらん》たるお|宮《みや》が|建《た》つて|桶伏山《をけぶせやま》|尻《けつ》でも|喰《くら》へと|云《い》ふ|様《やう》になるのですよ。それだからお|前《まへ》さま|等《たち》しつかりなされと|云《い》ふのですよ。イツヒヽヽヽヽ』
『|寅子《とらこ》さま、|西《にし》と|東《ひがし》にお|宮《みや》を|建《た》てると|云《い》ふのはチツと|見当《けんたう》|違《ちが》ひぢやありませぬか。|私《わたし》は|桶伏山《をけぶせやま》の|御神殿《ごしんでん》こそ|東《ひがし》のお|宮《みや》と|思《おも》ひます。|神様《かみさま》の|御仕組《おしぐみ》はそんな|小《ちひ》さいものぢやありますまい』
『ホヽヽヽヽ、|日輪様《にちりんさま》のおでましになるのが|東《ひがし》、お|隠《かく》れになる|方《はう》を|西《にし》と|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つてるぢやありませぬか。|小北山《こぎたやま》が|西《にし》ぢやと|思《おも》ひますか。|貴女《あなた》も|分《わか》らぬ|方《かた》だな。お|前《まへ》も|桶伏山《をけふせやま》の|山麓《さんろく》に|蟄居《ちつきよ》してゐたので、|女子《によし》の|悪霊《あくれい》に|憑《うつ》られてソロソロ|恍《とぼ》けかけましたね。ウツフヽヽヽヽ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|洋服姿《やうふくすがた》の|守宮別《やもりわけ》は|忙《いそ》がしげに|帰《かへ》り|来《き》たるを|見《み》て|一同《いちどう》は|嬉《うれ》しさうに、
『ヤア、|守宮別《やもりわけ》さま、|御苦労《ごくらう》で|御座《ござ》いました。|外国《ぐわいこく》のお|仕組《しぐみ》はどうで|御座《ござ》りましたな。|定《さだ》めし|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》のお|仕組《しぐみ》も|行渡《ゆきわた》つて|居《ゐ》るでせうな』
『|兎《と》も|角《かく》お|酒《さけ》を|一杯《いつぱい》|出《だ》して|下《くだ》さい。お|神酒《みき》を|頂《いただ》きもつて、|守宮別《やもりわけ》がゆつくり|物語《ものがた》りを|致《いた》しませう』
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 北村隆光録)
第二〇章 |福命《ふくめい》〔一六四九〕
|虎島《とらしま》|寅子《とらこ》は|待《ま》ち|焦《こが》れてゐた|守宮別《やもりわけ》が|瓢然《へうぜん》と|帰《かへ》つて|来《き》たので、|雀躍《こをど》りをし|乍《なが》ら、いそいそと|座敷中《ざしきちう》を|舞《ま》ひ|歩《ある》き、
『サアお|花《はな》さま、お|酒《さけ》の|用意《ようい》だ。|曲彦《まがひこ》さま、お|肴《さかな》の|用意《ようい》だよ。コレ|久之助《ひさのすけ》さま、|何《なに》をグヅグヅしてる、|大広木正宗《おほひろきまさむね》さまののお|帰《かへ》りだよ。|男《をとこ》と|云《い》ふものは|気《き》の|利《き》かぬ|者《もの》だな』
と|口汚《くちぎたな》く|指図《さしづ》してゐる。バタバタゴトゴトガタガタチヤランチヤランと|音《おと》をさせ|乍《なが》ら、|漸《やうや》く|酒肴《しゆかう》の|用意《ようい》が|出来《でき》た。|守宮別《やもりわけ》は|洋服《やうふく》を|脱《ぬ》ぎ|棄《す》て、|洗濯物《せんたくもの》の|袷《あはせ》と|着替《きか》へて、ドンと|胡座《あぐら》をかき、つり|上《あが》つた|目《め》を|一入《ひとしほ》|小《ちひ》さうしてキユウキユウと|喉《のど》を|鳴《な》らせ|乍《なが》ら|盛《さかん》に|左《ひだり》を|利《き》かしてゐる。|守宮別《やもりわけ》は|酒《さけ》に|酔《よ》へば|何《なに》もかも|忘《わす》れて|了《しま》ふ|困《こま》つた|男《をとこ》である。|酔《よひ》が|廻《まは》つて、そろそろ|唄《うた》ひ|出《だ》した。|菖蒲《あやめ》のお|花《はな》もお|寅《とら》も|曲彦《まがひこ》も|車座《くるまざ》となつて「ヤートコセイ、ヨーイヤナー」で|唄《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》のお|頼《たの》みで  |世界《せかい》の|端々《はしばし》きはめむと
|乞食《こじき》のやうな|姿《すがた》して  |一人《ひとり》の|女《をんな》をちよろまかし
|香港《ホンコン》|上海《シヤンハイ》|北京《ペキン》まで  うろつき|廻《まは》つて|尋《たづ》ねて|見《み》たが
|寅子姫《とらこひめ》さまの|云《い》ふやうな  |肉体《にくたい》|持《も》つた|日《ひ》の|出《で》さま
|根《ね》つから|見当《みあた》り|申《まを》さ|何《なん》だ  |懐《ふところ》ダンダン|淋《さび》しうなり
|飲《の》み|度《た》い|酒《さけ》まで|飲《の》めぬやうに  なつて|来《き》たので|是非《ぜひ》もなく
|自分《じぶん》の|惚《ほ》れたクリスチヤンの  |黒《くろ》い|顔《かほ》した|別嬪《べつぴん》と
|再《ふたた》び|支那《チヤイナ》の|上海《シヤンハイ》に  せうことなしに|引返《ひきかへ》し
いろいろ|雑多《ざつた》の|各国《かくこく》の  |人《ひと》の|話《はなし》を|聞《き》いて|見《み》たが
|如何《どう》しても|斯《か》うしても|分《わか》らない  |此奴《こいつ》ア|駄目《だめ》だと|決心《けつしん》し
|転覆丸《てんぷくまる》に|乗《の》り|込《こ》んで  |日出《ひので》の|島《しま》へ|帰《かへ》つて|見《み》れば
|過激団《くわげきだん》から|一万両《いちまんりやう》  |金《かね》を|貰《もら》ふたに|違《ちが》ひない
ちよいと|此方《こちら》に|出《で》て|来《こ》いと  |可憐《かはい》い|女《をんな》と|一所《ひととこ》に
|暗《くら》い|処《ところ》に|放《ほ》り|込《こ》まれ  いろいろ|雑多《ざつた》と|調《しら》べられ
|今《いま》は|晴天白日《せいてんはくじつ》の  |身《み》となつて|帰《かへ》つて|参《まゐ》りました
ホンに|外国《ぐわいこく》|行《ゆ》きと|云《い》ふ|事《こと》は  |気骨《きぼね》の|折《を》れた|事《こと》だわい
|俺《おれ》はもう|之《これ》から|外国《ぐわいこく》は  |仮令《たとへ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが
|行《ゆ》けと|云《い》つても|行《ゆ》きはせぬ  ホンに|馬鹿《ばか》をば|見《み》て|来《き》たものだ
|今日《けふ》はドツサリ|酒《さけ》|飲《の》んで  |旅《たび》の|疲《つか》れを|直《なほ》さねば
|腹《はら》の|虫《むし》|奴《め》が|承知《しようち》せぬ  ヤツトコサのウントコシヨ
ウントコ、ドツコイお|寅《とら》さま  ヤツトコ、ドツコイお|花《はな》さま
|世界《せかい》が|転覆《てんぷく》したとても  |酒《さけ》さへあれば|守宮別《やもりわけ》は
|誠《まこと》に|天下《てんか》は|太平《たいへい》だ  |飲《の》めよ|騒《さわ》げよ|一寸先《いつすんさき》や|暗《やみ》だ
|暗《やみ》の|後《あと》には|月《つき》が|出《で》る  |月《つき》はつきぢやが|運《うん》のつき
|愛想《あいそ》のつきた|瑞《みづ》の|月《つき》  お|前等《まへら》の|知《し》らぬその|中《うち》に
|西《にし》の|都《みやこ》のエルサレム  |橄欖山《かんらんざん》の|山麓《さんろく》に
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|再臨《さいりん》が  |間近《まぢか》くなつたと|云《い》ひ|乍《なが》ら
|桶伏山《をけぶせやま》の|聖地《せいち》から  チヤンダーさまの|内命《ないめい》で
ブラバーサが|行《い》つたと|云《い》ふ  |新聞《しんぶん》|記事《きじ》を|上海《シヤンハイ》で
|私《わたし》は|一寸《ちよつと》|見《み》て|来《き》たよ  グヅグヅしてるとチヤンダーに
|折角《せつかく》|仕組《しぐ》んだ|計画《けいくわく》を  |打壊《ぶちこは》されるに|違《ちが》ひない
|皆《みな》さま|気《き》をつけ|成《な》されませ  ウントコ、ドツコイ、ドツコイシヨ
ドツコイ|辷《すべ》つて|灰小屋《はひごや》へ  |転《ころ》げて|倒《たふ》れて|灰《はひ》まぶれ
アフンとしたとて|仕様《しやう》がない  |夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟《ふくろどり》
|六《むつ》かし|顔《かほ》をせぬやうに  |忠告《ちうこく》しやうと|思《おも》た|故《ゆゑ》
|荒波《あらなみ》|渡《わた》つて|遥々《はるばる》と  ここ|迄《まで》|帰《かへ》つて|来《き》ましたよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |目玉《めだま》|飛出《とびだ》しましませよ
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |此《この》|結構《けつこう》なお|仕組《しぐみ》を
|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|知《し》らぬとは  |世間《せけん》へ|顔出《かほだ》しなるまいぞ
|早《はや》く|用意《ようい》をするがよい  アハヽヽハツハ|阿呆《あはう》らしい
イヒヽヽヒツヒ|異国《いこく》まで  ウフヽヽフツフ、ウロウロと
エヘヽヽヘツヘえらまれて  オホヽヽホツホ|恐《おそ》ろしい
カカヽヽカツカ|過激派《くわげきは》の  キキヽヽキツキ|危険《きけん》をば
ククヽヽクツク|潜《くぐ》り|抜《ぬ》け  ケケヽヽケツケ|怪体《けたい》の|悪《わる》い
ココヽヽコツコ|困窮《こんきう》して  ササヽヽサツサ|探《さぐ》り|行《ゆ》き
シシヽヽシツシしみじみと  ススヽヽスツスすかぬたらしい
セセヽヽセツセ|攻《せ》められて  ソソヽヽソツソ|底抜《そこぬ》けの
タタヽヽタツタたわけをば  チチヽヽチツチ|力《ちから》の|限《かぎ》り
ツツヽヽツツツ|尽《つく》しました  テテヽヽテツテ|天手古舞《てんてこま》ひ
トトヽヽトツト|遠《とほ》い|国《くに》で  ナナヽヽナツナ|難儀《なんぎ》して
ニニヽヽニツニ|二年《にねん》の|間《あひだ》  ヌヌヽヽヌツヌ|盗人《ぬすびと》が
ネネヽヽネツネ|寝息《ねいき》をば|覗《うかが》ひすまして  ノノヽヽノツノ|喉《のど》|締《し》める|様《やう》な|悪性《あくしやう》な
ハハヽヽハツハ|放《はな》れ|業《わざ》  ヒヒヽヽヒツヒ|昼夜《ひるよる》も
フフヽヽフツフ|不断《ふだん》の|活動《くわつどう》やつて|来《き》た  ヘヘヽヽヘツヘ|屁古《へこ》|垂《た》れて
ホホヽヽホツホほろほろと  ママヽヽマツマまごつき|乍《なが》ら
ミミヽヽミツミ|身《み》の|苦《くる》しみも  ムムヽヽムツム|無理《むり》に|忍《しの》んで
メメヽヽメツメ|名誉《めいよ》の|為《ため》に  モモヽヽモツモ|唐土《もろこし》の|空《そら》まで
ヤヤヽヽヤツヤやつとの|事《こと》で  イイヽヽイツイ|行《い》て|来《き》た|私《わたし》
ユユヽヽユツユ|夢《ゆめ》にだも  エエヽヽエツエ|会得《ゑとく》の|出来《でき》ないお|仕組《しぐみ》を
ヨヨヽヽヨツヨよく|探《さぐ》り  ラリルレロの|濁《にご》り|水《みづ》
ワワヽヽワツワ|渡《わた》つて|越《こ》えて  ヰヰヽヽヰツヰ|今《いま》ここへ
ウウヽヽウツウ|嬉《うれ》しくも  ヱヱヽヽヱツヱヱンヤラヤツト
ヲヲヽヽヲツヲお|帰《かへ》りなさつた|守宮別《やもりわけ》  |大切《だいじ》にせないと|冥加《めうが》が|悪《わる》い
アヽ|燗酒《かんざけ》ぢや|燗酒《かんざけ》ぢや  |冷酒《ひやざけ》よりも|燗《かん》がよい
|塩辛肴《しほからざかな》を|出《だ》すよりも  |甘鯛《ぐじ》の|一塩《ひとしほ》|買《か》ふて|来《き》て
アツサリ|飲《の》ましたら、どうだいのう  ウントコドツコイドツコイシヨ』
とソロソロ|酔《よひ》がまはつて|立《た》ち|上《あが》り|唄《うた》ひ|出《だ》し、|徳利《とくり》や|皿鉢膳《さらはちぜん》|等《など》を|踏《ふ》み|潰《つぶ》し、バタリとその|場《ば》に|倒《たふ》れグウグウと|鼾《いびき》をかいて|寝《ね》て|了《しま》つた。
|寅子《とらこ》、お|花《はな》の|両人《りやうにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|守宮別《やもりわけ》を|別室《べつしつ》に|担《かつ》ぎ|込《こ》み、|足《あし》を|撫《な》でたり、|団扇《うちは》で|煽《あふ》いだり、あらむ|限《かぎ》りの|誠《まこと》を|尽《つく》し、|介抱《かいほう》を|為《な》しゐたりけり。
|小北山《こぎたやま》の|松《まつ》の|木《き》の|欝蒼《こんもり》とした|枝《えだ》から|梟《ふくろ》が、「|愚迂《ぐう》|々々《ぐう》|々々《ぐう》|々々《ぐう》|々々《ぐう》、|阿呆《あはう》|々々《あはう》|々々《あはう》」と|啼《な》いてゐる。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 北村隆光録)
第二一章 |遍路《へんろ》〔一六五〇〕
お|寅《とら》、お|花《はな》の|両人《りやうにん》は|溝傍《みぞばた》に|立《た》つた|長屋《ながや》の|窓《まど》をあけて|額《ひたひ》を|集《あつ》め、|六ケ《むつか》しい|顔《かほ》をして|何《なに》かブツブツ|囁《ささや》き|居《ゐ》たる|処《ところ》へ、|編笠《あみがさ》を|目深《まぶか》に|被《かぶ》つた|一人《ひとり》の|男《をとこ》が|訪《と》ひ|来《き》たり、|涼《すず》しい|声《こゑ》で|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|初《はじ》めける。
『【い】まも|昔《むかし》も|変《かは》りなく  【ろ】んより|実《じつ》は|責《せめ》がたし
【は】はと|妻《つま》とを|兼《か》ぬる|身《み》の  【に】よ|子《し》の|教《をしへ》の|第一《だいいち》は
【ほ】かには|非《あら》ず|淑徳《しゆくとく》ぞ  【へ】い|常《じやう》|父母《ふぼ》を|天《てん》として
【と】つがば|夫《をつと》を|天《てん》とせよ  【ち】ちと|母《はは》とに|引《ひき》かへて
【り】よう|人《じん》|舅姑《しゆうと》に|尽《つく》すべし  【ぬ】い|針《はり》|洗濯《せんたく》|怠《おこた》らず
【る】|守《す》は|一層《いつそう》つつしみて  【を】んなの|務《つと》めを|全《まつた》うし
【わ】が|儘《まま》|気儘《きまま》のことをせず  【か】よわき|女《をんな》の|腕《うで》ながら
【よ】の|為《た》め|人《ひと》のためとのみ  【た】だ|一筋《ひとすぢ》に|尽《つく》すべし
【れ】いを|見倣《みなら》ふ|幼子《をさなご》の  【そ】の|行末《ゆくすゑ》の|善悪《ぜんあく》は
【つ】ひに|育《そだ》ての|母《はは》になる  【ね】んには|念《ねん》を|加《くは》へつつ
【な】ににつけても|物事《ものごと》を  【ら】うを|厭《いと》はず|努《つと》むべし
【む】|益《えき》の|驕《おごり》を|誡《いま》しめて  【う】ちの|小者《こもの》に|目《め》をかけよ
【ゐ】なか|者《もの》とて|侮《あなど》るな  【の】うある|高《たか》ひめ|爪《つめ》かくす
【お】もひの|儘《まま》に|言《い》ふなかれ  【く】ちは|禍《わざはひ》の|門《かど》ぞかし
【や】さしく|素直《すなほ》に|慎《つつし》みて  【ま】げの|操《みさを》ぞいや|高《たか》き
【け】がれぬ|身《み》こそ|尊《たふと》けれ  【ふ】|徳《とく》の|名《な》をば|世《よ》にたてず
【こ】こを|吾《わが》|縁《えん》とせし|上《うへ》は  【え】んを|二度《にど》とは|求《もと》むなよ
【て】い|操《さう》かはらぬ|姫小松《ひめこまつ》  【あ】らしに|雪《ゆき》に|逢《あ》ふとても
【さ】かゆる|色《いろ》こそ|目出《めで》たけれ  【き】ん|銀《ぎん》|瑪瑙《めなう》|瑠璃《るり》【しやこ】も
【ゆ】めと|見《み》るまの|不義《ふぎ》の|富《とみ》  【め】をばかくまじ|望《のぞ》むまじ
【み】なその|為《ため》に|昔《むかし》より  【し】にし|貞女《ていぢよ》も|数多《かずおほ》し
【ゑ】|得《とく》せよかし|女達《をんなたち》  【ひ】との|鑑《かがみ》と|仰《あふ》がれて
【も】も|年《とせ》|千年《ちとせ》の|後《のち》|迄《まで》も  【せ】|間《けん》に|名《な》をば|知《し》られよと
【す】ゑの|末《すゑ》|迄《まで》|祈《いの》るべし』
|此《この》|歌《うた》を|聞《き》いて、お|寅《とら》は|大変《たいへん》に|御機嫌《ごきげん》な|顔《かほ》をしながら、
『これ、|遍路《へんろ》さま、お|前《まへ》さまは|乞食《こじき》にも|似《に》ずホントに|身魂《みたま》の|研《みが》けた|人《ひと》と|見《み》えますわい、ちやつと|上《あが》つて|一服《いつぷく》して|下《くだ》さい。コレコレお|花《はな》さま、|今《いま》の|歌《うた》を|聞《き》きましたか、「|能《のう》ある|高姫《たかひめ》|爪《つめ》かくす」といつたでせう。|私《わたし》の|守護神《しゆごじん》は|高姫《たかひめ》と|云《い》つて|昔《むかし》の|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》には|随分《ずいぶん》|尽《つく》したものですからなア。|今《いま》|私《わたし》がかう|爪《つめ》を|隠《かく》して|柔和《おとな》しくして|居《ゐ》るのは|曰《いは》く|因縁《いんねん》があることですよ。|見違《みちが》ひをしては|困《こま》りますよ。|今《いま》もお|遍路《へんろ》さまの|云《い》ふやうに|百年《ひやくねん》|千年《せんねん》の|後《のち》|迄《まで》も|世間《せけん》に|名《な》をば|知《し》られると|云《い》つたでせう。お|前《まへ》はこの|高姫《たかひめ》の|生《うま》れ|変《かは》りの|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》お|寅《とら》にむかつて、|爪揚子《つまやうじ》の|先《さき》で|重箱《ぢうばこ》の|隅《すみ》をほじくるやうに|詰問《きつもん》をしなさるが、ちと|了見《れうけん》が|違《ちが》ひはしませぬかい。お|前《まへ》さまも|前世《ぜんせ》には、|黒姫《くろひめ》さまと|云《い》つて|随分《ずゐぶん》|妾《わたし》の|為《ため》に|活動《くわつどう》した|因縁《いんねん》によつて、|又《また》|一緒《いつしよ》に|集《よ》つてかうして|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|活動《くわつどう》をして|居《ゐ》るのぢやありませぬか』
お|花《はな》『ソンナ|事《こと》は|今更《いまさら》|改《あらた》めて|聞《き》かずとも|耳《みみ》が|蛸《たこ》になる|程《ほど》|聞《き》かして|貰《もら》つて|居《ゐ》ますワ。|能《のう》ある|高姫《たかひめ》と|云《い》ふたのではなく|能《のう》ある|鷹《たか》は|爪《つめ》かくすと|云《い》つたのですよ。ねえ、|遍路《へんろ》さま|高姫《たかひめ》ぢやありますまい』
『ちつと|位《ぐらゐ》|違《ちが》つたつて|構《かま》はぬぢやありませぬか。|的《てつ》きり|妾《わたし》の|身魂《みたま》の|性来《しやうらい》を|歌《うた》つて|下《くだ》さつたのだから、|高姫《たかひめ》だと|思《おも》つて|居《を》ればよいのですよ』
『|今《いま》のお|歌《うた》に|嫁《とつ》がば|夫《をつと》を|天《てん》とせよと|仰有《おつしや》いましたが、|貴女《あなた》は、|夫《をつと》に|対《たい》してテンと|貞操《ていさう》を|尽《つく》して|居《ゐ》ないぢやありませぬか。|久之助《ひさのすけ》さまがあれ|丈《だけ》|矢釜《やかま》しくお|止《と》めなさるのも|聞《き》かず、|守宮別《やもりわけ》さまと|年《ねん》が|年中《ねんぢう》そこら|中《ぢう》を|飛《と》び|廻《まは》つて|居《を》られたではありませぬか。|貴女《あなた》は|自分《じぶん》に|都合《つがふ》のよい|所《ところ》ばかりとつてゐらつしやるのですなア』
『ヘン|神界《しんかい》の|御用《ごよう》と|人間界《にんげんかい》と|一所《いつしよ》にして|貰《もら》ふてたまりますかい。|一家《いつか》の|婦人《ふじん》としてなれば|兎《と》に|角《かく》、このお|寅《とら》は|三千世界《さんぜんせかい》の|立替立直《たてかへたてなほ》しの|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|御用《ごよう》をする|生宮《いきみや》ですよ。|神《かみ》の|柱《はしら》と|人間《にんげん》と|一所《いつしよ》にしてたまりますか。お|前《まへ》さまも|永《なが》らく|日《ひ》の|出《で》さまの|教《をしへ》を|聞《き》きながら、|何《なん》と|云《い》ふ|分《わか》らぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》るのです』
『ハイハイ、とても|貴女《あなた》のお|口《くち》にはお|花《はな》も|叶《かな》ひませぬから、|沈黙《ちんもく》|致《いた》しませう』
『もう|此《この》|後《ご》はお|寅《とら》の|事《こと》に|就《つい》ては|何《なに》も|云《い》つて|下《くだ》さるな。|何程《なにほど》|竜宮《りうぐう》の|乙姫《おとひめ》|様《さま》の|生宮《いきみや》だと|云《い》つても、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》に|比《くら》ぶれば|主人《しゆじん》と|奴《やつこ》|程《ほど》|違《ちが》ふのですからなア。モシモシ|遍路《へんろ》さま、|這入《はい》つて|一服《いつぷく》して|下《くだ》さいませ』
|門《かど》に|立《た》つた|男《をとこ》は『ハイ|有難《ありがた》う』と|深編笠《ふかあみがさ》をぬぎ|捨《す》て、つかつかと|入《い》り|来《き》たり、よくよく|見《み》れば、どこともなしに|見覚《みおぼ》えのある|顔《かほ》なり。
『ご|免《めん》なさいませ、|暫《しばら》くお|目《め》にかかりませぬが、|私《わたし》は|竹彦《たけひこ》で|御座《ござ》いますよ』
『|成程《なるほど》|竹《たけ》さまかいな。それならそれで|何故《なぜ》|名乗《なのり》つて|這入《はい》らぬのだい。|一年《いちねん》ばかりも|顔《かほ》を|見《み》せなさらぬと|思《おも》へば、|一体《いつたい》どこへ|行《い》つて|居《ゐ》ましたか』
『ハイ、|別《べつ》に|何処《どこ》へも|行《い》つて|居《を》りませぬ。|余《あま》り|貴女方等《あなたがたら》の|仰有《おつしや》る|事《こと》がクレクレ|変《かは》るので|信仰《しんかう》を|破《やぶ》り|今《いま》は|浪華《なには》の|土地《とち》で|大道会《おほみちくわい》と|云《い》ふものを|開《ひら》き、パンフレツトを|発行《はつかう》し、ルートバハーの|別働隊《べつどうたい》として|活動《くわつどう》して|居《ゐ》るのですよ。|此《この》|頃《ごろ》|守宮《やもり》さまが|外国《ぐわいこく》から|帰《かへ》られたと|云《い》ふ|事《こと》を|一寸《ちよつと》|新聞《しんぶん》で|見《み》ましたから、お|出《い》でになつて|居《を》りはすまいかと|思《おも》つて|一寸《ちよつと》|偵察《ていさつ》に|来《き》たのです。まだ|見《み》えて|居《を》りませぬかな』
『|竹《たけ》さま、|随分《ずゐぶん》|久《ひさ》し|振《ぶり》ぢやありませぬか。お|前《まへ》もちつと|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|教《をしへ》を|聞《き》いたらどうです。|守宮別《やもりわけ》さまも|来《き》て|居《ゐ》られますよ』
お|寅《とら》は|慌《あわて》てお|花《はな》の|口《くち》に|手《て》をあて、
『これお|花《はな》さま、|何呆《なにとぼ》けた|事《こと》を|云《い》ふのだい。|守宮別《やもりわけ》さまはまだお|出《いで》にならぬぢやないか。|大方《おほかた》|夢《ゆめ》でも|見《み》たのでせう。|夢《ゆめ》の|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふからなア』
『ソンナラ|矢張《やつぱり》|夢《ゆめ》にして|置《お》きませうかいなあ』
『ハヽヽヽヽ、さうすると|矢張《やつぱ》り|御大《おんたい》は|帰《かへ》つて|来《き》てゐるのだな。そいつは|面白《おもしろ》い、|一《ひと》つ|大道会《おほみちくわい》の|会員《くわいいん》となつて、パンフレツトも|書《か》いて|貰《もら》はうかなあ』
『これこれ|竹《たけ》さま、それはなりませぬぞや。|水晶《すゐしやう》|身魂《みたま》の|守宮別《やもりわけ》さまにその|様《やう》な|物質的《ぶつしつてき》のパンフレツトの|話《はな》しをして|貰《もら》つて|堪《たま》りますか。|守宮別《やもりわけ》さまはパンよりもお|酒《さけ》が|好《す》きなのですよ。お|前《まへ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|教《をしへ》を|捨《すて》てお|蔭《かげ》をおとしたパンフレツトだよ。ちつと|改心《かいしん》なされ』
『お|寅《とら》さま、お|前《まへ》さまの|云《い》ふ|事《こと》は|何《なに》が|何《なに》やらちつとも|分《わか》らないぢやないか。パンフレツトと|云《い》ふ|事《こと》は|小冊子《せうさつし》と|云《い》ふ|事《こと》だよ。|薄《うす》い|雑誌《ざつし》を|発行《はつかう》して|変性女子《へんじやうによし》の|教《をしへ》を|世界《せかい》に|拡《ひろ》めるのですよ』
『エヽ【ざつし】もない|何《なん》と|云《い》ふ|馬鹿《ばか》な|真似《まね》をするのだい。お|前《まへ》さまはこれだけ|曇《くも》つた|三千世界《さんぜんせかい》をまだ|此《この》|上《うへ》に|曇《くも》らさうとするのかい。ちと|改心《かいしん》して|貰《もら》はぬと|世界《せかい》の|人民《じんみん》の|苦《くる》しみが|長《なが》くなるぢやありませぬか。これだから|変性女子《へんじやうによし》の|教《をしへ》を|聞《き》くと|碌《ろく》な|事《こと》が|出《で》けぬと|云《い》ふのだ。あゝどいつもこいつも|誠《まこと》の|人《ひと》は|一人《ひとり》も|無《な》いわい。|日《ひ》の|出《で》さまも|嘸《さぞ》|骨《ほね》の|折《を》れる|事《こと》だらう。|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロク|様《さま》のお|心《こころ》がおいとしい|哩《わい》のう』
と、|豆絞《まめしぼり》の|手拭《てぬぐひ》で|涙《なみだ》をふく。
かかる|所《ところ》へ|守宮別《やもりわけ》は|酔《よ》ひがさめ「アヽヽヽヽ」と|大《おほ》きな|欠伸《あくび》をしながらノコノコと|出《い》で|来《き》たる。|竹彦《たけひこ》は|飛《と》びつくやうな|声《こゑ》で、
『よう、|守宮別《やもりわけ》さまか、ヤア|都合《つがふ》のよい|所《ところ》でお|目《め》にかかつた。これお|寅《とら》さま、|嘘《うそ》は|云《い》へますまい。|直《すぐ》この|通《とほ》り|後《あと》から|化《ばけ》が|現《あら》はれますからなあ』
お|花《はな》は|小気味《こきみ》|良《よ》ささうに、
『フヽヽヽヽ』
お|寅《とら》はツンとし、
『エヽさうかいなア、アタ|矢釜《やかま》しい』
と|頤《あご》をしやくり|居《ゐ》たりけり。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 加藤明子録)
第二二章 |妖行《えうかう》〔一六五一〕
|守宮別《やもりわけ》は、|竹彦《たけひこ》の|顔《かほ》を|見《み》て|嬉《うれ》しさうに、
『ヤア|竹彦《たけひこ》さま、よう|来《き》て|下《くだ》さいました。|相変《あひかは》らず|日《ひ》の|出神《でのかみ》|崇拝《すうはい》をやつて|居《を》られますかな』
『ハイ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|崇拝《すうはい》は|層一層《そういつそう》|熱烈《ねつれつ》にやつて|居《ゐ》ます。|併《しか》し|日《ひ》の|出神《でのかみ》にもいろいろありましてねえ、|私《わたくし》は|此《この》|頃《ごろ》|真《しん》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|発見《はつけん》しましたので|大道会《おほみちくわい》と|云《い》ふのを|開《ひら》きパンフレツト|宣伝《せんでん》をやつて|居《ゐ》ます』
『|成程《なるほど》そいつは|今日《こんにち》の|時代《じだい》に|適《てき》した|適当《てきたう》のやり|方《かた》でせう。|些《ちつ》と|売《う》れますかな』
『ハイ、|地黙社《ちもくしや》で|毎号《まいがう》|一千部《いつせんぶ》ばかり|印刷《いんさつ》して|居《ゐ》ますが、|羽根《はね》が|生《は》えて|飛《と》んで|行《ゆ》きますよ。お|寅《とら》さまのお|筆先《ふでさき》とは|余程《よほど》|効力《かうりよく》があるやうですわ。アハヽヽヽ』
『どうか|私《わたくし》も|一《ひと》つ|使《つか》つて|頂《いただ》き|度《た》いものですなア。|実《じつ》の|所《ところ》はこんな|古《ふる》めかしい|宣伝法《せんでんはふ》はお|寅《とら》さまの|前《まへ》だが|嫌《いや》になつたのですよ。|目先《めさき》の|見《み》えぬ|盲滅法《めくらめつぱふ》のやり|方《かた》では|労《ろう》して|効《かう》なく|時勢《じせい》におくれるばかりで|約《つま》りませぬもの』
お|寅《とら》は|面《つら》|膨《ふく》らし、【かつか】になつて|声《こゑ》せわしく、
『これ|竹《たけ》さま、|横田《よこた》はりもの|奴《め》、|守宮別《やもりわけ》さまを|喰《くは》へて|往《い》のうと|思《おも》つても、いつかないつかな|此《この》お|寅《とら》が|離《はな》しませぬぞや。お|前《まへ》さまは|精《せい》|出《だ》して|勝手《かつて》にパンなと|売《う》りなさい。これ|守宮別《やもりわけ》さま、|取違《とりちがひ》してはいけませぬよ。|悪神《わるがみ》が、お|蔭《かげ》を|落《おと》させやうと|思《おも》つて、いろいろと|化《ば》けて|変性女子《へんじやうによし》の|系統《ひつぽう》が|来《き》て|居《ゐ》るのですよ。グヅグヅして|居《ゐ》ると、|尻《しり》の|毛《け》|迄《まで》ぬかれて|了《しま》ひますよ。お|前《まへ》さまはそんなに|移《うつ》り|気《ぎ》だから|困《こま》るのだ』
『これお|寅《とら》さま、|何《なん》と|云《い》ふ|開《ひら》けない|事《こと》を|云《い》ふのだい。お|前《まへ》さまも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ぢやないか。|世《よ》の|中《なか》は|日《ひ》|流《なが》れ|月《つき》|行《ゆ》き|星《ほし》|移《うつ》ると|云《い》ふぢやないか、|天地《てんち》|惟神《かむながら》に|移《うつ》つて|往《ゆ》くのが|天地《てんち》の|教《をしへ》ぢやないか。|守宮別《やもりわけ》の|自由《じいう》|意志《いし》|迄《まで》|束縛《そくばく》して|貰《もら》つちや|困《こま》りますよ』
『お|寅《とら》さまも|守宮別《やもりわけ》さまがをられなくなつたので、|些《ちつ》とは|我《が》が|折《を》れただらうと|思《おも》つて|居《を》つたのに、|矢張《やつぱ》り、ちつとも|動《うご》いて|居《を》りませぬなア。|水《みづ》でも|余《あま》り|一所《ひとところ》に|停滞《ていたい》して|居《ゐ》ると【ぼうふら】がわきますよ』
『こりや|横田《よこた》はり|者《もの》の|竹公《たけこう》、|何《なに》を【つべこべ】と|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|向《むか》つて|小言《こごと》を|吐《ほざ》くのだ。|人民《じんみん》の|知《し》つた|事《こと》かい。パン|屋《や》がこんな|所《ところ》へ|来《く》る|所《ところ》ぢやない。|雑誌《ざつし》も|無《な》い|事《こと》を|云《い》ふと|御神業《ごしんげふ》の|邪魔《じやま》になるからトツトと|去《い》んで|下《くだ》さい』
『|私《わたし》は|守宮別《やもりわけ》さまに|用《よう》があつて|来《き》たのだ。|上海《シヤンハイ》から|手紙《てがみ》を|貰《もら》つたので|今《いま》か|今《いま》かと|待《ま》つて|居《ゐ》たのだ。|構《かま》うて|下《くだ》さるな。|私《わたし》は|守宮別《やもりわけ》さまに|会《あ》ひさへすればよいのだ』
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、お|前《まへ》さまは|横田《よこた》はり|者《もの》の|竹公《たけこう》の|所《ところ》へ|行《ゆ》く|気《き》か。これお|花《はな》さま、お|前《まへ》も|何《なん》とかして|加勢《かせい》をせぬかいな。|竹公《たけこう》の|奴《やつ》、|喰《くは》へて|行《ゆ》かうとしよるだないか』
『|横田《よこた》、おつとどつこい|竹彦《たけひこ》さま、ちつと|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまの|仰有《おつしや》る|事《こと》も|聞《き》いて|置《お》きなさるがよからうぞえ、|後《あと》で|後悔《こうくわい》してもお|花《はな》は|知《し》りませぬからなア』
『ヘン、|構《かま》うて|下《くだ》さいますな。どうせ|横役《よこやく》の|先走《さきばし》りを|勤《つと》めて|居《ゐ》る|横田《よこた》はり|者《もの》だから、お|寅《とら》さまの|気《き》に|入《い》りさうな|事《こと》はありませぬわい。|又《また》お|寅《とら》さまの|乾児《こぶん》になつた|所《ところ》で|末《すゑ》の|見込《みこみ》が|無《な》いから|約《つま》りませぬでなア。それよりも|守宮別《やもりわけ》さま、|貴方《あなた》は|永《なが》らく|世界《せかい》|漫遊《まんいう》をして|居《を》られたのだから、|何《なに》か|珍《めづら》しい|話《はなし》を|聞《き》かして|下《くだ》さい。パンフレツトの|材料《ざいれう》にしたいのですからなア』
『ハイ、|是非《ぜひ》|聞《き》いて|貰《もら》はなければならない|事《こと》が|御座《ござ》いますよ』
と|云《い》はうとするのを、お|寅《とら》は|守宮別《やもりわけ》の|口《くち》に|手《て》を|当《あ》て、
『これはしたり、さうズケズケとこんな|奴《やつ》に|喋《しやべ》るぢやありませぬぞ。|秘密《ひみつ》はどこ|迄《まで》も|秘密《ひみつ》です。これ|竹公《たけこう》さま、|守宮別《やもりわけ》さまをパンの|材料《ざいれう》にせうとは|余《あま》り|虫《むし》がよ|過《す》ぎるぢやありませぬか。お|前《まへ》さまが|此処《ここ》に|居《を》ると|空気《くうき》|迄《まで》が|汚《けが》れる。|此処《ここ》を|何《なん》と|思《おも》ふて|御座《ござ》る。|誠生粋《まこときつすゐ》の|水晶身魂《すいしやうみたま》の|居《を》る|小北山《こぎたやま》の|霊地《れいち》で|御座《ござ》るぞ。|四足身魂《よつあしみたま》の|来《く》る|所《ところ》では|御座《ござ》いませぬぞや』
『アハヽヽヽ、|此奴《こいつ》は|面白《おもしろ》い、ま|一杯《いつぱい》|酒《さけ》を|飲《の》んで、|此《この》|活劇《くわつげき》を|見《み》たら|甘《うま》からうなア。|時《とき》に|竹彦《たけひこ》さま、|上海《シヤンハイ》で|新聞《しんぶん》を|見《み》た|所《ところ》、|小《せう》アジアのエルサレムにはキリストの|再臨《さいりん》が|近《ちか》づいた。|日出島《ひのでじま》から|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれるとか|云《い》つて、|大変《たいへん》|騒《さわ》いで|居《ゐ》るさうですよ。|斯《か》ういふ|事《こと》をパンフレツトにお|出《だ》しになれば、ずいぶん|売《う》れるでせう』
『ヤ、そいつはよい|事《こと》を|聞《き》かして|貰《もら》ひました。どうか|詳《くは》しく|原稿《げんかう》を|書《か》いて|下《くだ》さいな、|酒手《さかて》|位《ぐらゐ》は|出《だ》しますから』
『|承知《しようち》|致《いた》しました。|二三日中《にさんにちぢう》に|書《か》いて|郵送《ゆうそう》|致《いた》しませう』
お|寅《とら》は|聞耳《ききみみ》たてて、
『|何《なに》、|救世主《きうせいしゆ》が|聖地《せいち》へ|下《くだ》るとな。そして|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|現《あら》はれるとな。そしてそれはどこの|国《くに》から|現《あら》はれると|云《い》つて|居《ゐ》ましたか』
『|何《なん》でも|上海《シヤンハイ》で|見《み》た、ロンドンタイムスの|記事《きじ》によると、|日出島《ひのでじま》の|桶伏山《をけぶせやま》が|東《ひがし》のお|宮《みや》、パレスチナのエルサレムが|西《にし》の|宮《みや》だと|云《い》ふ|事《こと》です。そして|其《その》|西《にし》の|宮《みや》に|救世主《きうせいしゆ》が|御降臨《ごかうりん》になると|云《い》つて|大変《たいへん》|騒《さわ》いで|居《ゐ》ます。ミロクの|世《よ》も|余程《よほど》|接近《せつきん》したと|見《み》えますわい』
『そして|其《その》|救世主《きうせいしゆ》の|名《な》は|分《わか》つて|居《ゐ》るのかい』
『|分《わか》つて|居《を》ります。その|先走《さきばし》りとして|聖地《せいち》からブラバーサが|疾《と》うの|昔《むかし》に|往《い》つて|居《を》るさうです。やがてウヅンバラチヤンダーさまが|救世主《きうせいしゆ》として|現《あら》はれるのでせう』
『ヤアそれは|大変《たいへん》だ。アンナ|者《もの》が|救世主《きうせいしゆ》にならうものなら|世界《せかい》は|闇《やみ》だ。|肝腎要《かんじんかなめ》の|救世主《きうせいしゆ》は|底津岩根《そこついはね》の|大《おほ》ミロク|様《さま》|日《ひ》の|出神《でのかみ》より|無《な》いのだ。エヽ|気《き》が|利《き》かぬ|人《ひと》だなア。|上海《シヤンハイ》|迄《まで》|行《い》つて|居《ゐ》るのなら、モウ|一歩《ひとあし》だ。|一歩先《ひとあしさき》に|行《い》つて|救世主《きうせいしゆ》は、|小北山《こぎたやま》に|現《あら》はれて|居《ゐ》るとなぜ|演説《えんぜつ》をして|来《き》なかつたのかい。|酒《さけ》ばかり|喰《くら》つて|女《をんな》に|呆《はう》けて|居《を》るからこんな|事《こと》になるのだ。アヽ|大事《だいじ》の|事《こと》は|矢張《やつぱ》り|人任《ひとまか》せではいけない。サア|是《これ》から、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|救世主《きうせいしゆ》として|現《あら》はれませう。お|花《はな》さま、|曲彦《まがひこ》さま、|守宮別《やもりわけ》さま、サア|私《わたくし》に|従《つ》いて|来《き》なさい。|馬関《ばくわん》から|船《ふね》に|乗《の》り|朝鮮《てうせん》、|支那《しな》を|通《とほ》りシベリヤを|横断《わうだん》して|早《はや》く|参《まゐ》りませう。グヅグヅして|居《を》ると|又《また》|横役《よこやく》にアフンとする|様《やう》な|目《め》に|遭《あ》はされますよ。エヽ|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だわい』
『どうか|私《わたし》も|連《つ》れて|往《い》つて|下《くだ》さい』
『|御同道《ごどうだう》を|願《ねが》へば|結構《けつこう》ですな』
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、コンナ|奴《やつ》を|連《つ》れていつてどうなりますか。|絶対《ぜつたい》にお|伴《とも》はなりませぬ』
『ハヽヽヽ、|済《す》まんけれど|吾々《われわれ》の|兄弟分《きやうだいぶん》がチヤンと|先《さき》に|行《い》つて|居《を》るのだから、|別《べつ》につれて|往《い》つて|貰《もら》はなくてもよろしい。|瑞《みづ》の|御霊《みたま》のお|供《とも》して|堂々《だうだう》と|乗《の》り|込《こ》みませうかい。お|寅《とら》さま、エルサレム|迄《まで》|行《い》つて|赤恥《あかはぢ》を|掻《か》いて|来《き》なさい。|我《が》もそこ|迄《まで》|張《は》ると|徹底《てつてい》して|面白《おもしろ》い。|滑稽味《こつけいみ》があつて|面白《おもしろ》い。ウフヽヽヽ』
お|寅《とら》は|夜叉《やしや》の|如《ごと》くになり、
『エヽ|横田《よこた》はり|者《もの》の|曲竹《まがたけ》|奴《め》、|汚《けが》らはしいわい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|棕櫚箒《しゆろばうき》で|掃《は》き|出《だ》しプツプツと|唾《つば》を|吐《は》きかける|真似《まね》をする。|竹彦《たけひこ》は|余《あま》りの|事《こと》に|開《あ》いた|口《くち》もすぼまらず、クツクツ|笑《わら》ひ|乍《なが》ら|深編笠《ふかあみがさ》を|被《かぶ》つて|聖地《せいち》に|参《まゐ》るべく|小北山《こぎたやま》の|停車場《ていしやぢやう》へと|歩《ほ》を|急《いそ》いだ。|後《あと》にお|寅《とら》は|不用《ふよう》の|衣類《いるゐ》や|道具《だうぐ》や、|世界《せかい》の|大門《おほもん》と|誌《しる》した|鋳物《いもの》の|大火鉢《おほひばち》|迄《まで》|売飛《うりと》ばし、|兵站部《へいたんぶ》を|勤《つと》めて|居《ゐ》る|高山某《たかやまぼう》から|若干《じやくかん》の|旅費《りよひ》を|受取《うけと》り、|漸《やうや》く|旅費《りよひ》を|調《ととの》へてお|寅《とら》、お|花《はな》、|守宮別《やもりわけ》、|曲彦《まがひこ》の|四人《よにん》は|小北山《こぎたやま》の|停車場《ていしやぢやう》へと|急《いそ》ぎける。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 加藤明子録)
第五篇 |山河《さんが》|異涯《いがい》
第二三章 |暗着《あんちやく》〔一六五二〕
|名利《めいり》の|慾《よく》に|捉《とら》はれし  |男女《なんによ》|四人《よたり》の|醜魂《しこたま》は
うろたへ|騒《さわ》ぎ|小北山《こぎたやま》  |後《あと》に|見《み》すてて|汽車《きしや》の|窓《まど》
|勢《いきほ》ひ|込《こ》んで|乗込《のりこ》めば  |轍《わだち》の|音《おと》も|轟々《ごうごう》と
|大地《だいち》をビリビリふるはせて  |何《なん》の|当途《あてど》も|嵐山《あらしやま》
|花園《はなぞの》|二条《にでう》|京都駅《きやうとえき》  |西《にし》へ|西《にし》へと|向日町《むかふまち》
|上《のぼ》る|山崎《やまざき》|高槻《たかつき》や  |大阪駅《おほさかえき》も|乗越《のりこ》えて
|出《い》でゆく|先《さき》は|広島《ひろしま》や  |馬関《ばくわん》の|関《せき》に|立向《たちむか》ひ
|転覆丸《てんぷくまる》に|身《み》を|乗《の》せて  |漸《やうや》く|釜山《ふざん》に|上陸《じやうりく》し
|京城《けいじやう》|平壌《へいぜう》|鴨緑《あふりよく》の  |橋《はし》を|渡《わた》つて|満洲《まんしう》の
|広軌《くわうき》|鉄道《てつだう》スクスクと  |夜《よ》を|日《ひ》についで|進《すす》み|行《ゆ》く
|二十余日《にじふよにち》の|汽車《きしや》の|上《うへ》  |漸《やうや》く|聖地《せいち》に|安着《あんちやく》し
|音《おと》に|名高《なだか》きエルサレム  |市中《しちう》をウロウロ|迂路《うろ》|付《つ》きつ
|一目散《いちもくさん》に|橄欖《かんらん》の  |山《やま》を|目《め》がけて|駆上《かけあが》り
|四辺《あたり》の|景色《けしき》を|見《み》まはして  |胸《むね》を|躍《をど》らせ|呆《あき》れゐる。
お|寅《とら》はほつと|息《いき》をつぎ、
『アヽヤレヤレ、ヤツトの|事《こと》で、|八千哩《はつせんマイル》の|水陸《すゐりく》を|渡《わた》り、|目的地点《もくてきちてん》へ|達《たつ》しました。|何《なん》とマア|桶伏山《をけぶせやま》によく|似《に》た|所《ところ》ですな。|併《しか》し|乍《なが》ら|山《やま》の|具合《ぐあひ》と|云《い》ひ|木《き》の|具合《ぐあひ》と|云《い》ひ、どうも|日《ひ》の|出島《でじま》の|桶伏山《をけふせやま》とはどこ|共《とも》なしに|物淋《ものさび》しいやうな|気《き》がするではありませぬか。|又《また》|外国身魂《ぐわいこくみたま》を|盛《さか》んに|教育《けういく》せうと|思《おも》つて、|大《おほ》きな|学校《がくかう》を|建《た》ててゐるだありませぬか。|練瓦《れんぐわ》や|石《いし》をたたんで、|此《この》|結構《けつこう》な|霊場《れいぢやう》をワヤにする|奴《やつ》は、|何処《どこ》の|四《よ》つ|足《あし》|人種《じんしゆ》だらうかなア』
|守宮別《やもりわけ》は|迷惑顔《めいわくがほ》にて、
『コレコレお|寅《とら》さま、さう|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》ふものぢやありませぬよ。あれはシオン|大学《だいがく》と|云《い》つて、|世界《せかい》の|学者《がくしや》を|集《あつ》めて、|世界《せかい》の|思想界《しさうかい》を|改良《かいりやう》しやうといふ|所《ところ》ですよ。つまり|日《ひ》の|出《での》|守護《しゆご》にせうと|云《い》つて、ユダヤの|学者《がくしや》や|世界《せかい》の|博士《はかせ》|等《たち》が|寄《よ》つて|経営《けいえい》してるのですよ。|日《ひ》の|出島《でじま》なら|何《なに》を|云《い》つて|居《を》つても|笑《わら》ひませぬが、|言葉《ことば》の|通《つう》じない|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|来《き》て|仕様《しやう》もない|事《こと》を|云《い》つては|困《こま》りますからな。あなたは|外国語《ぐわいこくご》が|分《わか》らぬのだから、|何事《なにごと》も|私《わたし》の|言《い》ふやうにして|下《くだ》さい』
『ヘン、|外国語《ぐわいこくご》が、|何《なに》|夫程《それほど》|有難《ありがた》いのだい。|変性男子《へんじやうなんし》さまは|此《この》|世《よ》の|中《なか》をイロハ|四十八文字《しじふはちもじ》で|何《なに》もかも|治《をさ》めると|仰有《おつしや》つたのぢやありませぬか。|之《これ》から|外国人《ぐわいこくじん》に|改心《かいしん》さしてイロハ|四十八文字《しじふはちもじ》の|日《ひ》の|出島《でじま》の|言葉《ことば》を|覚《おぼ》えさしたら|可《い》いだありませぬか。それ|丈《だけ》の|権威《けんゐ》がなくて|何《ど》うして|三千世界《さんぜんせかい》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》となれますか。お|前《まへ》さまも|余程《よほど》|分《わか》らぬことを|云《い》ふぢやありませぬか。オホヽヽヽ』
『|又《また》【はしや】がれるのかなア。|併《しか》し|何《なん》ぼ【はしや】いでも、|外国人《ぐわいこくじん》に|日本語《にほんご》の|分《わか》る|人《ひと》が|少《すくな》いからマア|結構《けつこう》だ。サア|是《これ》からシオン|大学《だいがく》の|建築《けんちく》|工事《こうじ》でも|見《み》せて|貰《もら》ひませうかい』
『コレ|守宮別《やもりわけ》さま、そんな|気楽《きらく》なことをいつてる|時《とき》だありますまい。|早《はや》く、|桶伏山《をけぶせやま》からソツと|隠《かく》れて|来《き》てゐるといふブラバーサの|所在《ありか》を|捜《さが》し、|談判《だんぱん》せねば|思惑《おもわく》が|立《た》ちませぬぞや』
かく|話《はな》す|所《ところ》へシオン|大学《だいがく》の|創立者《さうりつしや》たるスバール|博士《はかせ》が、ステツキをつき|乍《なが》らやつて|来《き》た。|守宮別《やもりわけ》は|得意《とくい》の|英語《えいご》で|何《なん》だかペラペラと|話《はな》しかけた。|博士《はかせ》も|極《きは》めて|愉快気《ゆくわいげ》に|守宮別《やもりわけ》と|握手《あくしゆ》し|乍《なが》ら|半時《はんとき》ばかり|話《はな》してゐた。|其《その》|要点《えうてん》は……|守宮別《やもりわけ》が|日《ひ》の|出島《でじま》から|救世主《きうせいしゆ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|送《おく》つて|来《き》たといふ|大体《だいたい》の|話《はなし》であつた。スバール|博士《はかせ》は|真面目《まじめ》に|聞《き》いてゐたが、しまひには|吹出《ふきいだ》してニタツと|笑《わら》ひ|袂《たもと》を|別《わか》つたのである。|守宮別《やもりわけ》は|此《この》|博士《はかせ》に|認《みと》められなければ|日《ひ》の|出神《でのかみ》もダメだと|思《おも》つたが、そ|知《し》らぬ|面《つら》して|平気《へいき》を|装《よそほ》ふてゐた。お|寅《とら》はスバール|博士《はかせ》の|姿《すがた》が|見《み》えなくなつたのを|幸《さいは》ひ、|又《また》もや|喋《しやべ》り|出《だ》したり。
『コレ、|守宮別《やもりわけ》さま、チーチク、パーパーと|雀《すずめ》のよなことをいつてゐたが、|一体《いつたい》|何《なに》をいつてゐたのだい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|救世主《きうせいしゆ》が|御降臨《ごかうりん》だといふことをお|前《まへ》さまは|言《い》はなかつたのかい』
『ソンナことに|如才《じよさい》がありますか。その|為《ため》にはるばる|来《き》たのではありませぬか。|確《たしか》に|云《い》ひましたよ。あの|方《かた》はスバール|博士《はかせ》といふて|世界《せかい》で|有名《いうめい》な|学者《がくしや》ですよ。あの|人《ひと》さへ|分《わか》れば|世界中《せかいぢう》の|人間《にんげん》があなたを|救世主《きうせいしゆ》と|認《みと》めてくれますよ』
『|何《なん》とマア|神様《かみさま》のお|仕組《しぐみ》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだなア。ここへ|着《つ》くが|早《はや》いか、スバール|博士《はかせ》に|会《あ》ふて|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|認《みと》めて|貰《もら》ふとは|本当《ほんたう》に|神《かみ》さまも|偉《えら》いワイ。ヘン、ブラバーサなんて、|抜《ぬけ》がけの|功名《こうみやう》をせうと|思《おも》つて|先《さき》へ|来《き》|乍《なが》ら、|何処《どこ》の|隅《すみ》に|居《ゐ》るかとも|云《い》はれてゐないとみえて、|橄欖山《かんらんざん》に|姿《すがた》も|見《み》えぬぢやないか。どつかへ|消滅《せうめつ》したと|見《み》える。オホヽヽヽあた|気味《きみ》の|可《よ》い、だから|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|従《したが》へ……といふのだ。コレ|曲彦《まがひこ》さま、お|花《はな》さま、|御神力《ごしんりき》が|分《わか》りましたかな』
『|今《いま》|来《き》たばかりで|根《ね》つから|何《なに》も|分《わか》りませぬ』
『エヽ、|何《なん》といふ|盲《めくら》だいな。お|花《はな》さま、お|前《まへ》は|分《わか》つただらうな』
『|何《なに》を|云《い》ふても|英語《えいご》を|知《し》らないものだから|不便《ふべん》で|御座《ござ》いますワイ』
『そこが|御神力《ごしんりき》でいくのだよ。イロハ|四十八文字《しじふはちもじ》さへ|使《つか》へば|三千世界《さんぜんせかい》に|通用《つうよう》するのだからな』
『|曲彦《まがひこ》が|考《かんが》へると、|現《げん》に|此処《ここ》では|日《ひ》の|出島《でじま》の|言葉《ことば》が|通用《つうよう》せぬぢやありませぬか。イロハ|四十八文字《しじふはちもじ》も|可《い》い|加減《かげん》なものですな』
『コレ、|守宮別《やもりわけ》さま、|二人《ふたり》の|分《わか》らずやに、|今《いま》の|博士《はかせ》のことをトツクリと|合点《がつてん》の|行《ゆ》くやうに|言《い》ふて|上《あ》げて|下《くだ》さい。さうするとチツとは、|目《め》がさめるでせうから、|今《いま》あの|博士《はかせ》が|去《い》んだから、やがて|旗《はた》を|立《た》てて|大勢《おほぜい》で|迎《むか》へに|来《く》るだらう。エヘヽヽヽ』
『コレお|寅《とら》さま、ダメですよ。さう|今《いま》から|喜《よろこ》んで|貰《もら》ふと|困《こま》りますがな』
『エヽ?|何《なに》がダメだい。|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれて|来《き》てるだないか。|世界《せかい》の|学者《がくしや》ともあるものが、ソンナことが|分《わか》らぬと|云《い》ふことがあるものか。お|前《まへ》はそんなこと|云《い》つて【いちやつ】かすのだらう、|本当《ほんたう》のこと|云《い》つて|下《くだ》さいな』
『|本当《ほんたう》の|事《こと》|云《い》つたら、あなたビツクリしますよ。サア|当山《たうざん》を|下《くだ》つて、どつかのホテルへ|這入《はい》りませう』
『そして|博士《はかせ》は|何《なん》と|云《い》つたのだい』
『モウ|云《い》ひますまい。|偽予言者《にせよげんしや》、|偽救世主《にせきうせいしゆ》が|沢山《たくさん》に|来《く》る|世《よ》の|中《なか》だから、お|前《まへ》さまも|可《い》い|加減《かげん》に|目《め》を|醒《さ》ませと|云《い》ひました。|何《ど》うもあの|博士《はかせ》の|云《い》ふことには|真理《しんり》があるやうです。こんな|所《ところ》|迄《まで》|来《き》て|恥《はぢ》を|掻《か》きました。|何《なに》しろ|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|偽救世主《にせきうせいしゆ》ですからなア』
『エヽ|馬鹿《ばか》にしなさるな。お|前《まへ》さまの|云《い》ひ|様《やう》が|悪《わる》いからだ。チーパーチーパーと|小鳥《ことり》の|鳴《な》く|様《やう》なこと|云《い》つて、|何《なに》|分《わか》るものか。なぜモツと|分《わか》る|様《やう》に|仰有《おつしや》らぬのだい。|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|人《ひと》だなア』
『|何《ど》つかでウヰスキーでも|一杯《いつぱい》やらぬと|元気《げんき》が|出《で》ませぬワ。|一遍《いつぺん》エルサレムの|町《まち》|迄《まで》|行《ゆ》きませう、そこでゆつくり|話《はな》しませう』
『|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい、|何処《どこ》ぞ|此処《ここ》らにブラバーサが|潜伏《せんぷく》して|居《ゐ》るか|知《し》れぬから、|一遍《いつぺん》|彼奴《あいつ》に|会《あ》うて|面《つら》の|皮《かは》をヒンむいてやらむことにや|仕方《しかた》がない。|何《なん》でも|彼奴《あいつ》がシオン|大学《だいがく》の|博士等《はかせら》に|会《あ》うて|邪魔《じやま》をして|居《ゐ》るに|違《ちがひ》ない。サアサア|曲彦《まがひこ》さま、お|花《はな》さま、|此《この》|山《やま》を|小口《こぐち》から|捜《さが》すのだよ』
『お|寅《とら》さま、ブラバーサだつて、コンナ|山《やま》ばかりに|居《を》り|相《さう》なことはない。|朝《あさ》とか|晩《ばん》とかに|一遍《いつぺん》づつ|参《まゐ》る|位《くらゐ》でせう。キツと|何《ど》つかの|宿《やど》に|居《を》るに|違《ちがひ》ありませぬワ』
『|折角《せつかく》|此処《ここ》|迄《まで》|来《き》たのだから、ソンナラ|此処《ここ》で|一《ひと》つ|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまを|御祈願《ごきぐわん》して、|歌《うた》でも|詠《よ》んで、それからエルサレム|迄《まで》|一先《ひとま》づ|行《ゆ》くことにしませう』
『モシお|寅《とら》さま、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|拝《をが》めと|云《い》ひなさるが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|貴女《あなた》とは|違《ちが》ひましたかいな』
『エー|合点《がつてん》の|悪《わる》い、|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》へば|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》さまを|拝《をが》めと|云《い》ふことだがな。|一《いち》を|聞《き》いたら|十《じふ》を|悟《さと》るのが|大和魂《やまとだましひ》ですよ。|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》|教《をし》へてやらねばならぬといふのは、|困《こま》つた|男《をとこ》を|連《つ》れて|来《き》たものだなア』
『それでもお|寅《とら》さまの|選《より》によつた|水晶魂《すゐしやうみたま》が|来《き》たのだもの、さう|小言《こごと》を|云《い》つて|貰《もら》ひますまいか。アタ|阿呆《あはう》らしい、こんな|遠《とほ》い|所《ところ》|迄《まで》ついて|来《き》て、いきなり|小言《こごと》を|聞《き》かうとは|夢《ゆめ》にも|思《おも》ひませぬワイ、なアお|花《はな》さま、|本当《ほんたう》にバカらしいぢやありませぬか。|歌《うた》もロクによむ|気《き》になりませぬがな』
『コレ|曲彦《まがひこ》さま、ここへ|来《き》た|上《うへ》はモウ|仕方《しかた》がない、|守宮別《やもりわけ》さまとお|寅《とら》さまの|仰有《おつしや》る|通《とほ》りにするのだよ。|言葉《ことば》も|分《わか》らず、|神徳《しんとく》の|足《た》らぬ|者《もの》は|何《なん》と|云《い》つたつてダメだらう……|神力《しんりき》の|高《たか》いお|寅《とら》さまと|外国語《ぐわいこくご》の|分《わか》つた|守宮別《やもりわけ》さまに|絶対《ぜつたい》|服従《ふくじゆう》するより|途《みち》がありませぬワイ』
『|何《なん》と|云《い》つても|此処《ここ》へ|来《く》れば|此《この》|守宮別《やもりわけ》さまの|天下《てんか》だ。お|寅《とら》さまもチツと|我《が》を|折《を》つて|私《わたし》の|云《い》ふことを|聞《き》きなされ。イロハ|四十八文字《しじふはちもじ》も|此処《ここ》へ|来《き》ては|余《あま》り|権威《けんゐ》がありますまいがな。アハヽヽヽ』
『これ|丈《だけ》|立派《りつぱ》な|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|日《ひ》の|出島《でじま》から|御降臨《ごかうりん》になつてゐるのに、|分《わか》らぬ|奴《やつ》ばかりとみえて、|一人《ひとり》も|歓迎《くわんげい》に|来《こ》ぬぢやないか。コレ|守宮《やもり》さま、お|前《まへ》さまの|談判《だんぱん》が|悪《わる》いからだ。モ|一遍《いつぺん》|宣直《のりなほ》して|来《き》なさい。それが|厭《いや》ならブラバーサを|捜《さが》して、|彼奴《あいつ》を|博士《はかせ》の|前《まへ》であやまらすが|宜《よろ》しい。さうすりや|一遍《いつぺん》に|信用《しんよう》が|回復《くわいふく》しますぞや』
お|寅《とら》『|海山《うみやま》をはるばる|越《こ》えて|来《き》て|見《み》れば
|聞《き》きしに|違《たが》ふ|橄欖《かんらん》の|山《やま》』
お|花《はな》『|思《おも》ひきや|長《なが》い|鉄路《てつろ》を|渡《わた》り|来《き》て
|山《やま》の|上《うへ》にて|小言《こごと》|聞《き》くとは』
『コレお|花《はな》さま、|何《なん》といふ|不足《ふそく》らしい|歌《うた》をいふのだい。|宣《の》り|直《なほ》しなさい』
『ハイハイ、|宣直《のりなほ》さうと|云《い》つたつて、|乗車《じやうしや》|切符《きつぷ》もなし、|何《ど》うするのですかい』
『エー|合点《がつてん》の|悪《わる》い、|歌《うた》を|言《い》ひ|直《なほ》しなさいと|云《い》ふのだがなア』
お|花《はな》『|果《は》てしなき|海山《うみやま》|越《こ》えてこがれたる
|聖地《せいち》にやうやうつきの|空《そら》かな』
『|又《また》ソンナことを|言《い》ひなさる、つきの|空《そら》なぞと|私《わたし》は|月《つき》は|嫌《きら》ひだと|何時《いつ》も|云《い》ふぢやないか。|丸《まる》くなつたり|虧《か》けたり、|細《ほそ》くなつたり、|出《で》たり|出《で》なかつたりするやうな、|変性女子的《へんじやうによしてき》の|月《つき》のことをいつて|下《くだ》さるな。|何《なん》で|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|歌《うた》ひなさらぬか。コレ|曲彦《まがひこ》さま、お|前《まへ》|一《ひと》つ|歌《うた》つて|御覧《ごらん》……』
|曲彦《まがひこ》『|日《ひ》の|出島《でじま》あとに|見《み》すてて|火《ひ》の|車《くるま》
|乗《の》りて|来《き》たのは|橄欖《かんらん》の|山《やま》』
『ソリヤ|何《なん》ぢやいなア。ソンナ|腰抜歌《こしぬけうた》がありますか』
『それでも|私《わたし》は|力《ちから》|一《いち》パイ、|知恵《ちゑ》を|絞《しぼ》り|出《だ》してよんだのだから、|余《あま》り|笑《わら》ふて|貰《もら》ひますまいかい』
『エー、|下手《へた》でも|上手《じやうず》でもよい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》のことを|歌《うた》ふのだよ』
|曲彦《まがひこ》は、
『|日《ひ》|出《い》づる|国《くに》の|御空《みそら》を|立出《たちで》たる
お|寅《とら》|婆《ば》さまは|目《め》から|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》となる』
『|何《なん》といふバカだらうかな。エーエー|仕方《しかた》がない、|何事《なにごと》も|人《ひと》を|力《ちから》にするな、|杖《つゑ》につくなと|神様《かみさま》が|仰有《おつしや》つた|筈《はず》だ。ドレ|私《わたし》が|自《みづか》ら|詠《よ》んでみませう……
|烏羽玉《うばたま》の|暗《やみ》をてらしてさし|上《のぼ》る
|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|光《ひかり》|尊《たふと》し
と、かういふのだよ』
『あなたのいふ|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまは|日天《につてん》さまのこつちや|御座《ござ》いませぬか、チツと|可笑《をか》しいぢや|御座《ござ》いませぬかい』
お|寅《とら》『コラ|曲彦《まがひこ》、よく|聞《き》きなさい。|此《この》|世界《せかい》は|元《もと》は|一天《いつてん》さまがお|造《つく》り|遊《あそ》ばしたのだ。そして|一天様《いつてんさま》のお|子様《こさま》に|日天《につてん》|月天《ぐわつてん》とあるのだ。それを|御三体《ごさんたい》の|大神《おほかみ》といふのだ。|併《しか》し|月天《ぐわつてん》さまといふのは|盈虧《みちかけ》のあるお|月様《つきさま》だないよ。|月天《ぐわつてん》が|行《ゆ》きましたかな。|次《つぎ》が|鍾馗《しようき》さまの|霊《みたま》、|其《その》|次《つぎ》が|東方朔《とうはうさく》の|身魂《みたま》、|此《この》|五《いつ》つを|合《あは》せて|此《この》|世《よ》を|五苦楽《ごくらく》といふのだ。|大《だい》の|字《じ》の|端々《はしばし》に|○《まる》をつけて|御覧《ごらん》なさい、ヤツパリ|五《いつ》つになりませうがな』
『|末代《まつだい》|日《ひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》さまやユラリ|彦《ひこ》さま、ミロク|成就《じやうじゆ》の|大神《おほかみ》さまは|何《ど》うなつたのですか。|東方朔《とうはうさく》なことを|仰有《おつしや》いますな。それでも|正気《しやうき》で|仰有《おつしや》るのですか。|日天《につてん》|月天《ぐわつてん》が|行《ゆ》きませぬワイ。オツホヽヽヽ』
『|日《ひ》の|出島《でじま》の|言葉《ことば》とは|此処《ここ》の|言葉《ことば》は|違《ちが》ふから|名《な》を|変《か》へたのだよ。|英語《えいご》を|使《つか》ふ|国《くに》へ|来《き》たら|英語《えいご》で|言《い》はなならぬからなア』
『ヘーエ、それでも|英語《えいご》ですかいな、|曲彦《まがひこ》には|合点《がてん》が|承知《しようち》しませぬワ』
『エーエ、ゴテゴテいひなさるな、サア|一《ひと》つ|守宮別《やもりわけ》さまも|歌《うた》ひなさい』
『|私《わたし》は|英語《えいご》で|一《ひと》つ|歌《うた》つてみませう。|極簡単《ごくかんたん》によく|分《わか》るやうにいひますから、|気《き》をつけて|聞《き》いて|下《くだ》さいや……
ヂヤパニース、セウホクザンノ、ヤンチヤアバーサン、オー、トラワー、キンモーキウビニー、ダー、マサレテー、ウミヤマヲコエ、ココマデヤツテキタノワー、カワイ、ソー、ダゾヨー、オレモ、スバールハカセニアウテ、ニセモノトイフコトガワカリタノダゾヨ、ソレデアイソガツーキターダカラ、ハライセニサケデモノンデヤロート、オモツテイルノダー、アータ、アホラシ、バカニ、シラレ、タゾヨ、イヒ、イヒヽヽヽヽ、あゝ|英語《えいご》の|歌《うた》も|一寸《ちよつと》|六《む》つかしいワイ』
『コレ、|守宮《やもり》さま、|人《ひと》が|知《し》らぬかと|思《おも》ふて|何《なん》といふ|悪口《わるくち》をいふのだい。ヘン、そんな|英語《えいご》|位《くらゐ》|分《わか》つて|居《を》りますぞや。|私《わたし》だつてその|位《くらゐ》の|英語《えいご》は|立派《りつぱ》に|使《つか》つてみせますぞや。お|前《まへ》さまはヤケになつて|酒《さけ》を|呑《の》むと|云《い》つただらう。|呑《の》むと|云《い》つたつて、お|金《かね》がなければ|呑《の》めますまい。チヤンと|私《わたし》が|懐《ふところ》にしめこみてゐるのだから、|一合《いちがふ》づつ|呑《の》まして|上《あ》げやう。お|前《まへ》さまに|酒《さけ》を|呑《の》ますと、|泥《どろ》に|酔《よ》ふた|鮒《ふな》の|様《やう》になつてチツとも|間《ま》に|合《あ》はぬからなア…………エー|気分《きぶん》が|悪《わる》うなつて|来《き》た。|兎《と》も|角《かく》エルサレムの|何《ど》つかで|宿《やど》をとることにせうかい………|皆《みな》さま、ついて|来《き》なされや』
と|肩《かた》や|尻《しり》をプリンプリンとふり|乍《なが》ら|不機嫌《ふきげん》な|面《かほ》して|山《やま》を|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 松村真澄録)
第二四章 |妖蝕《えうしよく》〔一六五三〕
お|寅《とら》|外《ほか》|三人《さんにん》は|漸《やうや》くにしてカトリックの|僧院《そうゐん》ホテルの|二階《にかい》に|宿泊《しゆくはく》する|事《こと》となつた。|折柄《をりから》チンチンと|鈴《リン》の|音《おと》、けたたましく|配達《はいたつ》して|来《き》た|新聞《しんぶん》を|一枚《いちまい》|買《か》つて|守宮別《やもりわけ》は|読《よ》んで|見《み》た。
『ヤアお|寅《とら》さま、えらい|事《こと》が|出《で》て|居《ゐ》ますよ。|救世主《きうせいしゆ》の|再臨《さいりん》に|先立《さきだ》つて|日《ひ》の|出島《でじま》からブラバーサがやつて|来《き》たと|云《い》ふ|記事《きじ》が|見《み》えて|居《ゐ》ますわい。|随分《ずゐぶん》もてたものですわい。こりやグヅグヅしてゐると|吾々《われわれ》は|駄目《だめ》ですよ』
『|何《なに》?ブラバーサの|事《こと》が|出《で》て|居《ゐ》るのかい。|大方《おほかた》|女《をんな》にでも|相手《あひて》になつて、しくじつた|記事《きじ》ででもなからうかな』
『|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|伯爵《はくしやく》の|娘《むすめ》サロメと|云《い》ふ|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》とアメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》を|握《にぎ》つてるマリヤと|云《い》ふ|女《をんな》が|橄欖山《かんらんざん》の|上《うへ》でブラバーサを|引張凧《ひつぱりだこ》にしてる|記事《きじ》ですわ』
『|一《いつ》ぺん|読《よ》んで|下《くだ》さいな』
『|読《よ》んでも|英語《えいご》で|書《か》いてあるのだからお|前《まへ》さまには|分《わか》りますまい。バカに|褒《ほ》めて|書《か》いてあるからな。エーもう|措《お》きませうかい』
『|分《わか》らいでもお|前《まへ》さまは、そこをうまく|訳《やく》して、わし|等《たち》の|耳《みみ》に|分《わか》るやうに|読《よ》むのだよ』
『エー、|仕方《しかた》がない。それでは|訳《やく》して|読《よ》みませう。|面倒《めんだう》|臭《くさ》いな』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|新聞《しんぶん》をお|寅《とら》の|前《まへ》におき、
『エー、|二号《にがう》|活字《くわつじ》で|見出《みだ》しが「|橄欖山上《かんらんさんじやう》の|聖劇《せいげき》」と|書《か》いてありますわい』
『|聖劇《せいげき》と|云《い》ふのは|何《なん》の|事《こと》ぢやい?それを|細《こま》こう|説《と》いて|下《くだ》さい』
『|聖劇《せいげき》といつたら|聖劇《せいげき》ぢやありませぬか。|一旦《いつたん》|日本語《にほんご》に|訳《やく》して|又《また》|日本語《にほんご》に|訳《やく》さねばならぬと|大変《たいへん》|手間《てま》がとれますからな』
『ソンナ|聖劇《せいげき》なんて……それは、|英語《えいご》でせう。|日本《やまと》|言葉《ことば》にソンナ|言葉《ことば》はない|筈《はず》だ』
『エー、|仕方《しかた》がないな。お|寅《とら》さま、|聖劇《せいげき》と|云《い》ふのは|結構《けつこう》な|神《かみ》さまのお|芝居《しばゐ》と|云《い》ふ|事《こと》だよ』
『|成程《なるほど》、さうすると|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|降《くだ》つて|来《き》たと|云《い》ふ|事《こと》ぢやな』
『マア|黙《だま》つて|聞《き》いて|下《くだ》さい。エー、○|月《ぐわつ》○|日《にち》の|夜《よ》、|十二時《じふにじ》|頃《ごろ》|橄欖山上《かんらんさんじやう》に|於《おい》て|前代《ぜんだい》|未聞《みもん》の|聖劇《せいげき》が|演《えん》ぜられた、その|登場《とうぢやう》|役者《やくしや》と|云《い》ふのは|基督《キリスト》の|再臨《さいりん》に|先《さき》だつて|日《ひ》の|出島《でじま》より|派遣《はけん》されたる|神力無双《しんりきむそう》の|神人《しんじん》、ブラバーサと|云《い》ふ|紳士《しんし》、ルートバハーの|宣伝使《せんでんし》として|聖地《せいち》エルサレムに|数十日《すうじふにち》|以前《いぜん》に|到着《たうちやく》され、|今《いま》はシオン|山《ざん》の|麓《ふもと》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び|聖業《せいげふ》を|朝夕《あさゆふ》|修行《しうぎやう》せるもの、|又《また》|一人《ひとり》の|男《をとこ》は|基督教《キリストけう》の|有名《いうめい》なる|宣伝使《せんでんし》、ヤコブと|云《い》ふ|眉目清秀《びもくせいしう》の|青年《せいねん》である。|女《をんな》は|某《ぼう》|伯爵《はくしやく》の|令嬢《れいぢやう》サロメ|姫《ひめ》の|君《きみ》にて、|基督《キリスト》|再臨《さいりん》を|前知《ぜんち》し、ヨルダン|川《がは》の|辺《ほとり》に|建《た》てるバハイ|教《けう》のチヤーチに|参詣《さんけい》し、バハーウラー|聖師《せいし》の|教《をしへ》を|受《う》け|居《を》れる|淑女《しゆくぢよ》である。|又《また》|一人《ひとり》の|女《をんな》はアメリカンコロニーの|牛耳《ぎうじ》を|執《と》れるマリヤと|云《い》ふサロメ|姫《ひめ》に|劣《おと》らぬ|容色端麗《ようしよくたんれい》なる|美人《びじん》である。|此《この》|四人《よにん》は|日出島《ひのでじま》より|救世主《きうせいしゆ》の|降臨《かうりん》する|事《こと》を|前知《ぜんち》し、|深夜《しんや》に|期《き》せずして、|橄欖山《かんらんざん》(|霊山会場《れいざんゑぢやう》の|蓮華台《れんげだい》)に|現《あら》はれ、|神政《しんせい》|成就《じやうじゆ》の|大神業《だいしんげふ》を|修《しう》されたり。|是等《これら》の|二男《になん》|二女《にぢよ》は|天下《てんか》に|先立《さきだ》つて|基督《キリスト》の|再臨《さいりん》を|前知《ぜんち》したる|聖哲《せいてつ》なれば、|決《けつ》してその|言《げん》に|詐《いつは》りあるべしとも|思《おも》はれず、|品行《ひんかう》|極《きは》めて|方正《はうせい》にして|万人《ばんにん》の|模範《もはん》となるべき|人格者《じんかくしや》である。ブラバーサの|云《い》ふ|所《ところ》を|綜合《そうがふ》すれば|基督《キリスト》の|再臨《さいりん》も|最早《もはや》|遠《とほ》からずとの|事《こと》なり、|神縁《しんえん》|深《ふか》きエルサレムの|市民《しみん》は|此《この》|四人《よにん》の|努力《どりよく》に|感謝《かんしや》せざるべからず。|実《じつ》に|稀代《きだい》の|神人《しんじん》と|云《い》ふべし。|因《ちなみ》に|云《い》ふ。ブラバーサは|今《いま》やシオンの|山麓《さんろく》に|草庵《さうあん》を|結《むす》び、|神業《しんげふ》に|修行《しうぎやう》されつつあるは|前記《ぜんき》の|如《ごと》し。またサロメ|姫《ひめ》はバハイ|教《けう》のバハーウラーの|別室《べつしつ》に|著述《ちよじゆつ》に|耽《ふけ》りつつあり。ヤコブは|今《いま》や|僧院《そうゐん》ホテルに|滞在中《たいざいちう》なり。マリヤはアメリカンコロニーにあつて|数多《あまた》の|信徒《しんと》を|教養《けうやう》しつつあり。|基督《キリスト》|再臨《さいりん》に|就《つ》いて|教《をしへ》を|乞《こ》はむとするものは|此《この》|四人《よにん》の|居所《きよしよ》を|訪《たづ》ねらるべし』
と|読《よ》み|終《をは》り、
『お|寅《とら》さま、|何《なん》とブラバーサは|偉《えら》い|信用《しんよう》を|受《う》けたものぢやありませぬか。もう|日《ひ》の|出神《でのかみ》も|斯《か》うなつちや|駄目《だめ》ですよ』
『|何《なに》、それが|御仕組《おしぐみ》だよ。これからそのサロメ、マリヤとやらを、うまく|説《と》き|伏《ふ》せ、ブラバーサの|所在《ありか》をつきとめて、ウーンと|云《い》ふ|程《ほど》|往生《わうじやう》さしておけば、ブラバーサが|救世主《きうせいしゆ》は|此《この》お|方《かた》ですと|云《い》へば、|何《なに》もかも|埒《らち》が|明《あ》くのだよ。|御神業《ごしんげふ》と|云《い》ふものは|凶《きよう》を|変《へん》じて|吉《きち》となし、|過《くわ》を|転《てん》じて|福《ふく》となし、|敵《てき》を|味方《みかた》にするのが|一厘《いちりん》の|仕組《しぐみ》だよ』
『さう、|貴方《あなた》の|考《かんが》へ|通《どほ》り、うまく|行《ゆ》くでせうかな』
『|行《ゆ》かいでかな。「|成《な》せば|成《な》る、|成《な》さねばならぬ|世《よ》の|中《なか》にならぬと|思《おも》ふ|人《ひと》の|愚《おろか》さ」と|云《い》ふ|古歌《こか》があるだらう。さあこれから|千騎一騎《せんきいつき》の|活動《くわつどう》だ。|時《とき》おくれては|一大事《いちだいじ》だ。|何《なに》は|兎《と》もあれ、アメリカンコロニーとやらに|行《い》つて、そのマリヤに|会《あ》ふて|来《こ》やう。さうすればブラバーサの|様子《やうす》が|大概《たいがい》|分《わか》るだらう』
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまなら、その|位《くらゐ》の|事《こと》は|尋《たづ》ねなくても|様子《やうす》が|分《わか》りさうなものですな』
『エー、やかましいわいな。|又《また》しても|小理窟《こりくつ》を|云《い》ふのかいな。サーサ、|行《ゆ》きませう。ブラバーサに|先《さき》にしてやられちや|駄目《だめ》ですよ』
|曲彦《まがひこ》はそばより、
『これお|寅《とら》さま、|天《てん》からきまつた|救世主《きうせいしゆ》なら、さう|騒《さわ》がなくても|向《む》かふから|歓迎《くわんげい》してくれますよ。|此方《こちら》から|自家《じか》|広告《くわうこく》しても|人《ひと》が|用《もち》ゐなければ|駄目《だめ》ですがな』
『コリヤ|曲彦《まがひこ》、そりや|何《なに》を|云《い》ふのだい。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|自家《じか》|広告《くわうこく》が|肝腎《かんじん》だよ。|自分《じぶん》の|事《こと》は|自分《じぶん》で|現《あら》はさねば、|自分《じぶん》の|事《こと》は|誰《たれ》も|認《みと》めて|呉《く》れませぬよ。|死《し》んでから|千年《せんねん》も|万年《まんねん》も|経《た》つて|認《みと》めて|呉《く》れても|駄目《だめ》だからな。これ、お|花《はな》さま、お|前《まへ》もシツカリして|下《くだ》さらぬと、ここは|戦場《せんぢやう》ですよ』
かかる|処《ところ》へボーイが|西洋《せいやう》|料理《れうり》を|持《も》つて|来《き》た。|守宮別《やもりわけ》はボーイに「ビールを|一打《いちダース》ばかり|持《も》つて|来《こ》い」と|命《めい》じた。|暫《しばら》くすると、|沢山《たくさん》の|皿《さら》やコツプや、ビールを|先繰《せんぐ》り|持《も》つて|来《く》る。|守宮別《やもりわけ》は|目《め》を|細《ほそ》うし|乍《なが》ら、|涎《よだれ》をくつてビールの|喇叭飲《ラツパの》みをやつて|居《ゐ》る。お|寅《とら》は|今迄《いままで》|喰《く》つた|事《こと》のない|西洋《せいやう》|料理《れうり》を|見《み》て|顔《かほ》をしかめ|乍《なが》ら、|先繰《せんぐ》り|先繰《せんぐ》り|喰《く》つてしまひ、
『あゝ、バタ|臭《くさ》い、コンナ|聖地《せいち》に|牛《うし》の|乳《ちち》を|飲《の》ましたり、|牛肉《ぎうにく》を|喰《く》はしたりするから|駄目《だめ》だわい。もう|今日《けふ》|限《かぎ》り、|皆《みな》さま|西洋《せいやう》|料理《れうり》を|喰《く》はぬ|様《やう》にして|下《くだ》されや。|宜《よろ》しいかな。|何《なん》だか|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつて|来《き》ましたよ。|人間《にんげん》は|人間《にんげん》の|喰《く》ふもの、|馬《うま》は|馬《うま》の|喰《く》ふもの、|猫《ねこ》は|猫《ねこ》の|喰《く》ふ|物《もの》ときまつてゐるのだ。|馬《うま》や|猫《ねこ》の|喰《く》ふものを|人間《にんげん》が|喰《く》ふのはチツと|無理《むり》だわい。まして|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》にはこんなものは|喰《く》はれませぬわい。コレ、|守宮別《やもりわけ》さま、もつと|清潔《せいけつ》な|食物《くひもの》を|次《つぎ》から|持《も》つて|来《く》る|様《やう》に|云《い》つて|下《くだ》さい。|今度《こんど》はこれで|宜《い》いが、もう、こんな|汚《きたな》いものは|喰《く》ひませぬからな』
『ソンナ|事《こと》|云《い》つたつて、ここではこれより|喰《く》ふ|物《もの》がないのですよ。|辛抱《しんばう》しなさい』
『あゝ|仕方《しかた》がない、ソンナラこれからサア|皆《みな》さま、コロニーとかへ|行《ゆ》きませう。さうして、ヤコブやマリヤに|会《あ》ふて|一《ひと》つブラバーサの|様子《やうす》を|聞《き》きませう』
『ブラバーサはシオン|山《ざん》の|麓《ふもと》にゐると|書《か》いてあるぢやありませぬか。ソンナ|処《ところ》に|行《ゆ》かずに、|直《すぐ》にブラバーサの|処《ところ》に|行《い》つては|如何《どう》ですか』
『ハーテ|分《わか》らぬ|曲《まが》だな。なぜ|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|云《い》ふ|通《とほ》りになさらぬのかい。サーサ、|小荷物《こにもつ》をここに|預《あづ》けて|出掛《でかけ》ませう。これ|守宮別《やもりわけ》さま、いい|加減《かげん》に|飲《の》んでおきなさい。また|酔《よ》ひつぶれては|肝腎《かんじん》の|通弁《つうべん》が|出来《でき》ませぬぢやありませぬか』
『ママ|待《ま》つて|下《くだ》さい。このうまいビールを|飲《の》まずには|行《ゆ》けませぬ。|折角《せつかく》|遠《とほ》い|所《ところ》から|来《き》たのですから、ユツクリして|明日《あす》|又《また》|訪《たづ》ねる|事《こと》にしませう』
『エー|仕方《しかた》のない、ド|倒《たふ》しものだな。|褌《ふんどし》の|川流《かはなが》れぢやないが【くひ】にかかつたら、チツとも|離《はな》れはせぬわ』
|守宮別《やもりわけ》はお|寅《とら》の|言葉《ことば》を|耳《みみ》にもかけず、グイグイと|喇叭飲《ラツパの》みを|初《はじ》め、|十二本《じふにほん》のビールをスツカリ|飲《の》んで|了《しま》ひ、|又《また》|手《て》を|拍《う》つてボーイを|呼《よ》んだ。ボーイは|慌《あわた》だしく、|段梯子《だんばしご》を|上《のぼ》つて|来《き》た。
『お|客《きやく》さま、|何《なん》ぞ|御用《ごよう》ですか』
|守宮別《やもりわけ》は|英語《えいご》で、
『ビール、もう|一打《いちダース》もつて|来《こ》い、|初《はじ》めはおいしかつたが、|後《のち》ほどまづい|奴《やつ》を|持《も》つて|来《き》て、|太《ふと》い|奴《やつ》だ。もつとうまい|奴《やつ》を|持《も》つて|来《こ》い』
『うまいのなら|何程《なんぼ》でもありますがチツと|高価《たか》いですよ』
『|高《たか》いと|云《い》つても|知《し》れたものだ。うまい|奴《やつ》を|持《も》つて|来《こ》い。|兵站部《へいたんぶ》はお|寅《とら》さまがついてゐるからな。|滅多《めつた》に|逃《に》げも|隠《かく》れもせぬわい。あゝ|酔《よ》うた|酔《よ》うた|早《はや》く|持《も》つて|来《こ》い。おい|曲彦《まがひこ》、|貴様《きさま》もチツとやつたらどうだ。そんな|貧相《ひんさう》な|顔《かほ》してると|誰《たれ》も|買手《かひて》がなくて|貧乏神《びんばふがみ》と|間違《まちが》へられるぞ』
と|酔《よ》ふてソロソロ【ワヤ】|口《ぐち》をたたき|初《はじ》めける。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 北村隆光録)
第二五章 |地図面《アトラスめん》〔一六五四〕
|守宮別《やもりわけ》は|酔《ゑひ》がまはるにつれて|一人《ひとり》ようがつて|何《なに》もかも|打忘《うちわす》れ、|喋《しやべ》り|出《だ》したり。
『おい、|高姫《たかひめ》の|再来《さいらい》のお|寅《とら》さま、|真黒々姫《まつくろくろひめ》の|再来《さいらい》のお|花《はな》さま、|曲彦《まがひこ》の|再来《さいらい》の、ヤツパリ|曲彦《まがひこ》さま、どうだい。ちつとビールでも|飲《の》んで|浮《う》く|気《き》はないか。エー、|何《なん》だ、|青《あを》い|青《あを》い|顔《かほ》して|心配《しんぱい》さうに。|酒《さけ》|飲《の》めば|何時《いつ》も|心《こころ》が|春《はる》めきて、|借金取《しやくきんとり》も|鶯《うぐひす》の|声《こゑ》。|酒《さけ》|位《くらゐ》|笑顔《ゑがほ》のよいものはないわ。|土堤《どて》ぎり、ここで|散財《さんざい》やつたらどうだい。|自分《じぶん》だけ|飲《の》んでも|糞面白《くそおもしろ》くもないわい。チヤンダーをソレ……○○へ|押込《おしこ》んだ|時《とき》、|住《すみ》の|江《え》|神社《じんしや》へ|詣《まゐ》つて|茶屋《ちやや》で|祝《いは》ひ|酒《ざけ》を|飲《の》んだ|時《とき》のやうに、|一《ひと》つ【はしや】がぬかい。お|寅《とら》さまとお|花《はな》さま、お|前《まへ》さまも|日《ひ》の|出島《でじま》で、|玉照彦《たまてるひこ》|様《さま》、|玉照姫《たまてるひめ》|様《さま》の|御結婚《ごけつこん》の|後《あと》でチヤンダーが、|調《しら》べられてゐる|留守《るす》の|間《ま》にでもやつたぢやないか。あの|時《とき》|位《くらゐ》|愉快《ゆくわい》の|事《こと》はなかつたさうぢや。|運《うん》|悪《わる》く|俺《おれ》はその|時《とき》アよう|行《ゆ》かなかつたけれど、お|寅《とら》さまの|話《はなし》に|一寸《ちよつと》|聞《き》いた。どうだ、|一《ひと》つ|此処《ここ》でその|時《とき》の|気分《きぶん》になつて、やらうぢやないか』
『コレ、お|寅《とら》さま、どうしませうか。|肝腎《かんじん》の|通弁《つうべん》が、こんな|態《ざま》では、|私《わたし》|等《たち》はどうする|事《こと》も|出来《でき》ぬぢやありませぬか。|一層《いつそう》の|事《こと》シオン|山《ざん》とかへ|行《い》つて、ブラバーサに|会《あ》つて|来《き》た|方《はう》が|近道《ちかみち》かも|知《し》れませぬぜ』
『そりやいけませぬ。|神《かみ》が|一言《ひとこと》|申《まを》したら|何時《いつ》になつても|変《かは》らぬと|仰有《おつしや》るのだから、|人民《じんみん》が|勝手《かつて》に|予定《よてい》を|変更《へんかう》する|事《こと》は|大変《たいへん》なお|気障《きざは》りですよ』
『だと|云《い》つて、|守宮別《やもりわけ》の|酔《ゑひ》が|覚《さ》めるのをまつて|居《を》れば|何時《いつ》になるか|知《し》れませぬわ』
『アハヽヽヽヽ|駄目《だめ》だよ|駄目《だめ》だよ、|此《この》|新聞《しんぶん》を|見《み》ても|分《わか》つてるぢやないか。ブラバーサの|信用《しんよう》と|云《い》ふものは|大《たい》したものだ。|到底《たうてい》|之《これ》を|転覆《てんぷく》させる|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|又《また》スバール|博士《はかせ》もお|前《まへ》さまを|偽救世主《にせきうせいしゆ》と|云《い》つてゐたから、|何程《なにほど》シヤチになつても、アキませぬわい。それだから、ヤケ|糞《くそ》になつてビールを|飲《の》んでゐるのだ。オイ|曲彦《まがひこ》、|貴様《きさま》も|飲《の》めぬ|口《くち》ではなし、|一《ひと》つ|飲《の》んだらどうだい。エー、|訓狐《きんこ》と|云《い》ふ|獣《けもの》は、|夜《よさり》になると|微塵《みぢん》の|虫《むし》でも|見《み》えるが、|白昼《はくちう》になると|目《め》がくらむで|大山《たいざん》さへ|見《み》ることが|出来《でき》ぬと|云《い》ふ|奴《やつ》だが、お|寅《とら》さまは|何《なん》といつても|金毛九尾《きんまうきうび》の|訓狐《きんこ》さまだから|駄目《だめ》だよ。もういい|加減《かげん》に|思《おも》ひきつたらどうだ』
と|悪胴《わるどう》を|据《す》ゑて、ぐぜり|出《だ》した。お|寅《とら》はいろいろとすかしなだめつ、|守宮別《やもりわけ》の|手《て》を|引張《ひつぱ》つて|町外《まちはづ》れのアメリカンコロニーさして|訪《たづ》ね|行《ゆ》く|事《こと》となつた。|行歩蹣跚《かうほまんさん》として|大道《だいだう》|狭《せま》しと|二人《ふたり》に|両手《りやうて》を|引《ひ》かれ、|漸《やうや》くコロニーの|門口《かどぐち》まで|着《つ》いた。|数多《あまた》の|老若男女《ろうにやくなんによ》は|怪訝《けげん》な|顔《かほ》して|見《み》つめてゐる。|守宮別《やもりわけ》は、
『エー|御免《ごめん》なさい。|拙者《せつしや》は|日出島《ひのでじま》から|救世主《きうせいしゆ》|日《ひ》の|出神《でのかみ》のお|供《とも》をして、ここ|迄《まで》やつて|来《き》た|者《もの》で|御座《ござ》います。ここには|天下無双《てんかむそう》のナイス、マリヤさまと|云《い》ふ|方《かた》がゐられますかな。そして|色男《いろをとこ》のヤコブさまといふ|方《かた》が|見《み》えてゐるやうに|今日《けふ》|都新聞《みやこしんぶん》で|承《うけたま》はりましたが、|御在宅《ございたく》ならば|一寸《ちよつと》|会《あ》はして|貰《もら》ひ|度《た》いものです』
マリヤは|門口《かどぐち》の|騒々《さうざう》しいのに、|何事《なにごと》ならむと|立出《たちい》で|見《み》れば|見慣《みな》れぬ|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》が|門口《かどぐち》に|立《た》つて|何事《なにごと》か|囁《ささや》いてゐる。マリヤはブラバーサに|会《あ》つて|余程《よほど》|日出島《ひのでじま》の|言葉《ことば》を|覚《おぼ》えてゐた。それ|故《ゆゑ》|大体《だいたい》の|意味《いみ》は|分《わか》るやうになつてゐた。
『|貴方《あなた》は|何処《どこ》からおいでになりました?|支那《しな》からですか?|朝鮮《てうせん》からですか?お|見受《みう》け|申《まを》しますと、よほど|遠方《ゑんぱう》の|方《かた》と|見《み》えますが』
お|寅《とら》は|肩《かた》を|聳《そび》やかし|乍《なが》ら、|稍《やや》|反身《そりみ》になり、
『|妾《わたし》は|日下開山《ひのしたかいさん》、|日出島《ひのでじま》の|小北山《こぎたやま》の|聖場《せいじやう》に|天降《あまくだ》つた|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒様《おほみろくさま》の|化身《けしん》で|御座《ござ》いますよ。|貴方《あなた》|達《たち》は|日出島《ひのでじま》から|救世主《きうせいしゆ》が|此《この》|聖地《せいち》へ|降《くだ》るといつて|何十年《なんじふねん》も|待《ま》つてゐられるさうですが、その|救世主《きうせいしゆ》と|云《い》ふのは|此《この》|肉《にく》の|宮《みや》ですから、その|積《つもり》で|居《を》つて|下《くだ》さいや。そしてお|前《まへ》さまは、あの|身魂《みたま》の|曇《くも》つたブラバーサと|云《い》ふ|男《をとこ》を|大変《たいへん》|信用《しんよう》してゐられるさうだが、あの|男《をとこ》は【バチ】|者《もの》ですよ。うつかり|相手《あひて》にならうものならドエライ|事《こと》になりますよ。|女殺《をんなごろ》しの|後家倒《ごけたふ》しと|名《な》をとつた|悪性男《あくしやうをとこ》ですからな。|今日《けふ》も|新聞《しんぶん》で|見《み》ますれば|勿体《もつたい》ない……|橄欖山上《かんらんさんじやう》で|何《なに》か|芝居《しばゐ》をなさつたさうですが、ようもあのド|倒《たふ》し|者《もの》と、|阿呆《あはう》らしい|事《こと》をなさいますな。オツホヽヽヽヽ』
マリヤはムツとして|稍《やや》|顔色《かほいろ》を|変《か》へ|乍《なが》ら、
『|放《ほ》つといて|下《くだ》さいませ。ブラバーサ|様《さま》は|貴女《あなた》のやうな|偽救主《にせすくひぬし》ぢやありませぬよ。|今日《けふ》の|新聞《しんぶん》を|御覧《ごらん》になつたでせう。あんな|聖人君子《せいじんくんし》はメツタにありませぬわいな』
『えらう|又《また》、|御贔屓《ごひいき》ですな。|大方《おほかた》|性《しやう》の|悪《わる》い|男《をとこ》だから、|世間《せけん》|見《み》ずのお|前《まへ》さまを○○したのぢやありますまいかな。あゝあ|不品行《ふひんかう》の|奴《やつ》が|来《く》るから|日出島《ひのでじま》の|名誉《めいよ》に|関《くわん》する|事《こと》をしてるかも|知《し》れない。コレ|守宮別《やもりわけ》さま、お|前《まへ》さま、どう|思《おも》ひますか』
『どうも|思《おも》ひませぬわい。ラブ・イズ・ベストの|流行《はや》る|世《よ》の|中《なか》だからな』
『それ|又《また》、|何故《なぜ》ソンナ|怪体《けたい》な|事《こと》を|云《い》ひますか。もう、チーチーパーパーは|止《や》めて|下《くだ》さい。|外国魂《ぐわいこくだま》のマリヤさまでさへも、|妾《わたし》|等《たち》に|分《わか》る|言葉《ことば》を|使《つか》つてるぢやないか。それだからいろは|四十八文字《しじふはちもじ》で|通用《つうよう》すると、|変性男子《へんじやうなんし》のお|筆《ふで》に|出《で》てゐるのですよ。スバール|博士《はかせ》なんて、つまらぬ|事《こと》を|云《い》つていろは|四十八文字《しじふはちもじ》が|分《わか》らぬのかいな。|本当《ほんたう》に|学者《がくしや》といふものは|訳《わけ》の|分《わか》らぬものだわい。コレ、ブラバーサをここに|隠《かく》してあるのでせう。うまい|事《こと》、シオン|山《ざん》の|麓《ふもと》に|居《ゐ》る|等《など》と|新聞《しんぶん》に|書《か》かしたのでせう。|新聞《しんぶん》に|何程《なにほど》よく|書《か》いたとて、アテになりますかい。|握《にぎ》らせさへすれば、よく|書《か》きますよ。|今《いま》の|人間《にんげん》は|皆《みな》|新聞《しんぶん》に|騙《だま》されてゐるのだからな』
マリヤ『それでも|新聞《しんぶん》は|社会《しやくわい》の|耳目《じもく》といひますからね。|間違《まちがひ》はありますまい』
『さあ、|社会《しやくわい》の|耳目《じもく》だから、いかぬのだよ。|今日《こんにち》の|社会《しやくわい》の|奴等《やつら》の|耳《みみ》や|目《め》は|皆《みな》、|死《し》んだも|同然《どうぜん》だ。|目《め》があつても|誠《まこと》が|見《み》えず、|耳《みみ》があつても|誠《まこと》が|聞《きこ》えず、|善《ぜん》が|悪《あく》に|見《み》えたり|聞《きこ》えたり、|悪《あく》が|善《ぜん》に|見《み》えたり|聞《きこ》えたりするのだから|新聞《しんぶん》の|記事《きじ》なんか、アテになりますかい。そんな|事《こと》いはずにトツトと|出《だ》して|下《くだ》さい。グヅグヅしてゐると|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》が|踏《ふ》み|込《こ》んで|家探《やさが》しを|致《いた》しますぞや』
|守宮別《やもりわけ》はヒヨロヒヨロし|乍《なが》ら、
『もうお|寅《とら》さま、|去《い》にませうかい。|駄目《だめ》ですよ。どうも、ここにや|居《を》りさうにありませぬわい。それよりもホテルへ|帰《かへ》つてユツクリと|一杯《いつぱい》やりませう。こんな|処《ところ》へ|立《た》つて|談判《だんぱん》してるのも、|気《き》がきかぬぢやありませぬか。エー、グー、ウーウーあゝ|苦《くる》しい|苦《くる》しい、|何《なん》と|因果《いんぐわ》な|婆《ば》アさまだらうかな。|宿屋《やどや》に|居《を》れば|皆《みな》が|慕《した》つて|来《く》るのにな。あゝ|一《いち》も|取《と》らず|二《に》も|取《と》らずだ。あゝ|苦《くる》しい|苦《くる》しい、こんな|事《こと》して|一人《ひとり》の|男《をとこ》の|後《あと》を|追《お》はねばならぬとは|困《こま》つた|事《こと》だな』
マリヤは|眉毛《まゆげ》を|逆立《さかだ》て、
『エ、お|寅《とら》さまとやら、お|前《まへ》さまはブラバーサさまの【レコ】ですか、それで|遥々《はるばる》と|後《あと》|追《お》つて|来《き》たのでせう。|何《なん》とブラバーサさまも|年《とし》とつた【レコ】を|持《も》たれたものだな。エーエ、|妾《わたし》も|今迄《いままで》|騙《だま》されてゐたのか、クヽヽヽ|口惜《くや》しい!トツトと|去《い》んで|下《くだ》され』
『ホヽヽヽヽ|阿呆《あはう》らしい、|誰《たれ》があんな|四足魂《よつあしみたま》の|後《あと》|追《お》ふて、|惚《ほれ》て|来《く》る|奴《やつ》がありませうか。|私《わたし》には|済《す》みませぬが|守宮別《やもりわけ》……オツトドツコイ|虎島《とらしま》|久之助《ひさのすけ》と|云《い》ふ|大将軍様《だいしやうぐんさま》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|肉《にく》の|宮《みや》が|御座《ござ》いますぞや。ヘン、|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さるなや。ネーお|花《はな》さま、|貴女《あなた》も|一寸《ちよつと》|証明《しようめい》して|下《くだ》さいな』
『もしマリヤさま、|初《はじ》めてお|目《め》にかかります。|私《わたし》が|今度《こんど》|日《ひ》の|出神《でのかみ》のお|伴《とも》して|来《き》たのは|決《けつ》してブラバーサさまを|慕《した》ふて|来《き》たのぢやないから|安心《あんしん》して|下《くだ》さい。|然《しか》し|一度《いちど》|会《あ》ふて|話《はな》しせねばならぬ|事《こと》があるので|来《き》たのですよ。ブラバーサは|何《なん》と|云《い》つてるか|知《し》りませぬが、あの|男《をとこ》はウヅンバラチヤンダーと|云《い》ふ|濁《にご》つた|魂《みたま》の|教《をしへ》を|受《う》けた|枉魂《まがみたま》ですから、|何《なに》|云《い》ふか|分《わか》りませぬ。あんな|男《をとこ》の|云《い》ふ|事《こと》を|本当《ほんたう》にしてゐれば、|世間《せけん》に|顔出《かほだ》しが|出来《でき》ぬ|様《やう》になりますよ。|一寸《ちよつと》|老婆心《らうばしん》|乍《なが》ら|忠告《ちゆうこく》して|置《お》きます。|本当《ほんたう》の|救世主《きうせいしゆ》は|今《いま》ここに|居《ゐ》る|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》さまですよ。ようお|顔《かほ》を|拝《をが》んで|御覧《ごらん》なさい。どこともなしに|違《ちが》つて|居《を》りませうがな』
『ホヽヽヽヽホンに|違《ちが》つた|所《ところ》がありますわ。アトラスの|様《やう》な……お|顔《かほ》に|縦横《たてよこ》の|皺《しわ》がよつて|宛然《まるで》|地球儀《ちきうぎ》の|様《やう》で|御座《ござ》いますわ』
『マリヤさま、お|前《まへ》さまは|余程《よつぽど》|身魂《みたま》が|研《みが》けて|居《を》りますな。|私《わたし》の|顔《かほ》が|地球儀《ちきうぎ》に|見《み》えますかな。あ、さうでせうとも、|全地球《ぜんちきう》を|救済《きうさい》する|底津岩根《そこついはね》の|大弥勒《おほみろく》ですものね。それだけ|身魂《みたま》が|研《みが》けて|居《を》れば|神政成就《しんせいじやうじゆ》の|太柱《ふとばしら》になれますぞや』
と、|自分《じぶん》の|顔《かほ》を|地球儀《ちきうぎ》と|悪口《あくこう》|云《い》はれて|居《を》り|乍《なが》らも|善意《ぜんい》に|解《かい》したのは|面白《おもしろ》い。
『これお|寅《とら》さま、|此《こ》の|女《をんな》はお|前《まへ》さまの|悪口《わるくち》を|云《い》つたのですよ。チツト|怒《おこ》りなさらぬのかいな』
『それでもオトラスの|顔《かほ》と|云《い》ふたぢやないか。オトラスの|顔《かほ》は|地球儀《ちきうぎ》の|様《やう》だと|仰有《おつしや》つたのは|地球《ちきう》|一般《いつぱん》に|顔《かほ》がうれると|云《い》ふ|謎《なぞ》ですよ。|何事《なにごと》も|善意《ぜんい》に|解《かい》さなくては|駄目《だめ》ですぞや』
|曲彦《まがひこ》は|吹《ふ》き|出《だ》し、
『アツハヽヽヽ』
お|寅《とら》は、
『これこれ|曲《まが》やん、|何《なに》を|笑《わら》ふのだい。チツト、たしなまぬかいな』
|曲彦《まがひこ》は|又《また》もこらへ|切《き》れず|吹《ふ》き|出《だ》し、
『アハヽヽヽヽイヒヽヽヽヽ』
|守宮別《やもりわけ》も|又《また》、
『ウツフヽヽヽヽエヘヽヽヽヽ』
マリヤは|呆《あき》れて、
『ホヽヽヽヽ|何《なん》とまア、よう|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|救世主《きうせいしゆ》だ|事《こと》、|定《さだ》めて|聖地《せいち》の|人々《ひとびと》は|尊敬《そんけい》されるでせう。|左様《さやう》なら、|又《また》|来《き》て|下《くだ》さいませと|申上《まをしあ》げたいが……|二度《にど》と|来《き》て|下《くだ》さいますなや』
とピシヤツと|戸《と》を|締《し》め|中《なか》から|突張《つつぱり》をかけて|奥《おく》へ|姿《すがた》をかくしたりけり。
|四人《よにん》は|是非《ぜひ》なくブツブツ|小言《こごと》を|云《い》ひ|乍《なが》ら、ヨルダン|川《がは》の|辺《ほとり》のチヤーチを|指《さ》して|尋《たづ》ね|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 北村隆光録)
第二六章 |置去《おきざり》〔一六五五〕
|守宮別《やもりわけ》|一行《いつかう》は、|路地《ろぢ》や|町《まち》はづれの|野路《のぢ》を|辿《たど》りながら、|漸《やうや》くにしてヨルダン|河《がは》の|辺《ほとり》につきぬ。
『これお|寅《とら》さま、あのやかましいヨルダン|河《がは》と|云《い》ふのは|此《この》|河《かは》ですよ。よく|見《み》ておきなさい』
『|何《なん》とまあ|汚《きたな》い|河《かは》だこと。ヨルダン|河《がは》ヨルダン|河《がは》と|云《い》ふからもつと|広《ひろ》い|河《かは》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たのに、|是《これ》では|小北山《こぎたやま》の|麓《ふもと》を|流《なが》るる|大井川《おほゐがは》の|傍《そば》へもよれませぬよ。そして|大井川《おほゐがは》の|水《みづ》は|綺麗《きれい》だが、この|水《みづ》とした|事《こと》が|話《はなし》にも|何《なん》にもなりませぬわ』
|曲彦《まがひこ》は|小才《こさい》らしく、
『|大井川《おほゐがは》は|大《おほ》きいから|大井川《おほゐがは》と|云《い》ふのですよ』
『これ|曲《まが》やん、|何《なに》を【つべこべ】とやかましく|云《い》ふのだえ。ソンナラヨルダン|河《がは》の|訳《わけ》を|知《し》つて|居《ゐ》ますか』
『ヨルダン|河《がは》といつたら、ヨハネがバプテスマをキリストに|施《ほどこ》した|所《ところ》ですよ。それだからヨハネのヨの|字《じ》を|取《と》つてヨルダン|河《がは》といふのですよ』
『アハヽヽヽ、ヨルダン|河《がは》と|云《い》ふのは|訛《なま》りだ。|本当《ほんたう》はヨロダン|河《がは》と|云《い》ふのだよ。かうして|守宮別《やもりわけ》がよろよろと|歩《ある》いて、ダンダンとバハイ|教《けう》のチヤーチへ|進《すす》んで|往《ゆ》くと|云《い》ふ|河《かは》だ。それだからヨロダン|河《がは》だ。アヽ|何《なん》だか|酒《さけ》がさめて|来《き》よつたやうだ。どこぞ、ここらにコツプ|酒《ざけ》でも|売《う》つて|居《ゐ》る|所《ところ》はないかなア』
『エヽまたしてもまたしても|酒々《さけさけ》と|何《なん》ぢやいな。|又《また》|用《よう》が|済《す》みたらとつくりと|飲《の》まして|上《あ》げるから|辛抱《しんばう》しなさい』
『エヽ|仕方《しかた》がない、|女王《ぢよわう》さまの|命令《めいれい》を|遵奉《じゆんぽう》せうかなア。|何《なん》だ|鳥《とり》の|巣《す》か|何《なん》ぞのやうに、|木《き》の|上《うへ》に|家《いへ》を|建《た》てて|居《を》るわい。あれは|天狗《てんぐ》の|家《いへ》かも|知《し》れないよ。あまり|小北山《こぎたやま》の|天狗《てんぐ》が|沢山《たくさん》|来《き》たものだから、|天狗《てんぐ》の|奴《やつ》|気《き》を|利《き》かしてあんな|家《いへ》|迄《まで》|建《た》てて|吾々《われわれ》を|歓迎《くわんげい》して|居《を》るわい。
|小北《こきた》の|山《やま》の|大天狗《だいてんぐ》  |万里《ばんり》の|波濤《はたう》を|乗《の》り|越《こ》えて
|聖地《せいち》をさしてやつて|来《く》る  あつちやこつちやで|頭《あたま》うち
|天狗《てんぐ》の|鼻《はな》の|高姫《たかひめ》も  |今《いま》はさつぱり|駄目《だめ》ぢやぞえ
|同《おな》じ|仲間《なかま》の|天狗《てんぐ》|奴《め》が  いささか|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》して
ヨルダン|河《がは》の|並木《なみき》の|枝《えだ》に  |巣《す》をかけよつたに|相違《さうゐ》ない
ホンに|世界《せかい》に|鬼《おに》はない  |天狗《てんぐ》ばかりの|世《よ》の|中《なか》だ
ドツコイシヨドツコイシヨー。
|些《ちつ》と|確《しつか》りせなくてはなるまい。あすこに|家《いへ》がある。あれが|大方《おほかた》バハイ|教《けう》のお|館《やかた》だらう。これお|花《はな》さま、|今度《こんど》はお|前《まへ》の|番《ばん》だよ。|肝要《かんえう》の|救世主《きうせいしゆ》に|喋《しやべ》らしておくと|品格《ひんかく》が|下《さが》るからな。もしもし|女王様《ぢよわうさま》、いやお|寅《とら》|婆《ば》アさま、|今度《こんど》は|沈黙《ちんもく》を|守《まも》りなさい。お|花《はな》さまと|曲彦《まがひこ》さまが|十分《じふぶん》|奮闘《ふんとう》するのだな』
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、お|寅《とら》|婆《ば》アさまなどと|云《い》ふて|貰《もら》ふまい。|徹頭徹尾《てつとうてつび》|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》ふのだよ』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。あゝ|六ケ敷《むつかしい》|事《こと》だなア』
と|云《い》ひながら|早《はや》くもチヤーチの|前《まへ》に|着《つ》いた。|団扇《うちは》を|片手《かたて》にもつて|絶世《ぜつせい》の|美人《びじん》が|門口《かどぐち》に|石竹《せきちく》の|花《はな》を|弄《いぢ》りながら|遊《あそ》んで|居《ゐ》る。これは|有名《いうめい》のサロメ|姫《ひめ》であつた。|守宮別《やもりわけ》、|曲彦《まがひこ》|両人《りやうにん》は|艶麗《えんれい》な|女《をんな》の|姿《すがた》を|見《み》て|目《め》を|細《ほそ》うし、|口《くち》をポカンと|開《あ》けて|涎《よだれ》をたらたらと|流《なが》し、|顔《かほ》の|括約筋《くわつやくきん》をすつかりほどいて|居《ゐ》る。|曲彦《まがひこ》はド|拍子《びやうし》のぬけた|妙《めう》な|声《こゑ》で、
『モシモシそれなる|御女中《おぢよちう》、|貴女《あなた》は|有名《いうめい》なサロメさまぢや|御座《ござ》いませぬか』
『ハイ、|左様《さやう》で|御座《ござ》います。|貴方方《あなたがた》は|遠国《ゑんこく》のお|方《かた》と|見《み》えますが、このサロメに|何《なに》か|御用《ごよう》でも|御座《ござ》いますかな』
お|花《はな》は|横柄《わうへい》な|面《つら》をして、
『|御用《ごよう》があればこそ|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》、|三千世界《さんぜんせかい》の|救世主《きうせいしゆ》がお|前《まへ》さまを|遥々《はるばる》お|訪《たづ》ね|下《くだ》さつたのです。サア|御案内《ごあんない》なさい』
『ハイ、さうしてその|救世主《きうせいしゆ》はいつ|来《こ》られますかな』
『それ、ここにお|出《いで》で|御座《ござ》います、|此《この》|方《かた》です』
『ヘエ、|此《この》|方《かた》が|救世主《きうせいしゆ》で|御座《ござ》いますか。|何《なん》とマア|意外《いぐわい》のお|方《かた》で|御座《ござ》いますなア』
お|寅《とら》は|爰《ここ》ぞと|斗《ばか》りシヤシヤリ|出《い》で、
『|意外《いぐわい》でせうがな「|意外《いぐわい》の|時《とき》に|意外《いぐわい》の|人《ひと》が|現《あら》はれて|意外《いぐわい》の|御用《ごよう》を|致《いた》すぞよ」と|昔《むかし》から|予言《よげん》が|御座《ござ》いませうがな。その|予言《よげん》に|応《かな》はせむが|為《ため》に、|意外《いぐわい》の|救世主《きうせいしゆ》が|意外《いぐわい》に|貴女《あなた》を|訪問《はうもん》したのですよ。|時《とき》にサロメさま、|今日《けふ》|新聞《しんぶん》を|拝見《はいけん》しましたが|淑女《しゆくぢよ》の|身分《みぶん》をして、ド|倒《たふ》し|者《もの》の、|大《おほ》きな|目玉《めだま》の、|梟《ふくろ》のやうな|顔《かほ》をしたブラバーサとやらと、|聖劇《せいげき》を|遊《あそ》ばしたさうですね。その|事《こと》について|御意中《ごいちう》を|承《うけたま》はりたいと|思《おも》つて|訪問《あが》つたのですよ。そして|貴女《あなた》は、|本当《ほんたう》に|誰《たれ》が|救世主《きうせいしゆ》だと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つてお|出《いで》でせうね。それが|分《わか》らぬやうでは、|何時《いつ》|迄《まで》|此処《ここ》で|修業《しうげふ》して|居《ゐ》たつて|駄目《だめ》ですよ』
『|此処《ここ》は|門口《かどぐち》ですから|奥《おく》へお|這入《はい》り|下《くだ》さい。|此処《ここ》にはバハーウラー|様《さま》と|云《い》ふ|聖師《せいし》がお|出《いで》で|御座《ござ》います。|其《その》|方《かた》にお|目《め》にかかつてとつくりお|聞《き》き|下《くだ》さいませ』
『お|前様《まへさま》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|此《この》|救世主《きうせいしゆ》を|認《みと》めますか。お|認《みと》めなされば|入《はい》つてもよろしい。それの|分《わか》らぬやうな|色盲《しきまう》なら|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》はさう|軽々《かるがる》と|這入《はい》りませぬぞや。お|前《まへ》さまの|出《で》やうによつては|這入《はい》らぬ|事《こと》もない。|又《また》お|前《まへ》さまの|這入《はい》りやうによつては|出《で》ぬ|事《こと》もない』
『ホヽヽヽヽ、|貴女《あなた》はどうかして|居《ゐ》ますね。|余《あま》り|此《この》|頃《ごろ》は|陽気《やうき》が|悪《わる》う|御座《ござ》いますから|御用心《ごようじん》なさいませ。|癲狂院《てんきやうゐん》|迄《まで》は|随分《ずいぶん》|遠《とほ》う|御座《ござ》いますからねえ』
『|癲狂院《てんきやうゐん》は|日出島《ひのでじま》では|一番《いちばん》|高《たか》い|山《やま》で|御座《ござ》います。|日出島《ひのでじま》では|天教山《てんけうざん》と|申《まを》します。その|結構《けつこう》な|高天原《たかあまはら》から|天降《あまくだ》つて|来《き》た|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》ですからよく|調《しら》べて|下《くだ》さい。|何《なん》と|云《い》つても|地球儀《ちきうぎ》そつくりの|私《わたし》の|顔《かほ》だから……|三千世界《さんぜんせかい》を|自由自在《じいうじざい》にすると|云《い》ふ|私《わたし》の|顔《かほ》だから|一目《ひとめ》|御覧《ごらん》になつたら|分《わか》るでせう』
サロメは|吹《ふ》き|出《だ》し、
『オホヽヽヽヘヽヽヽヽ』
|曲彦《まがひこ》は|耐《こら》へ|切《き》れないやうになつて、
『|何《なん》とまあ|綺麗《きれい》な|別嬪《べつぴん》だなア。まるで|天教山《てんけうざん》の|木《こ》の|花姫《はなひめ》|様《さま》のやうだ……|高姫《たかひめ》さまよりこの|方《かた》が|救世主《きうせいしゆ》のやうだ。ナンボ|高姫《たかひめ》さまが|救世主《きうせいしゆ》でも|個人《こじん》としては|何《なん》の|関係《くわんけい》もない。もしも|此《この》|方《かた》が|曲彦《まがひこ》の|手《て》でも|握《にぎ》つて|下《くだ》さつたら|本当《ほんたう》に|救世主様《きうせいしゆさま》だ。|私《わたし》は|蘇《よみがへ》るのだが』
お|花《はな》はムツとして|言《ことば》あらあらしく、
『|何《なん》と|云《い》ふ|不躾《ぶしつけ》の|事《こと》を|云《い》ふのだ。|日《ひ》の|出《で》さまの|教《をしへ》にソンナ|事《こと》が|有《あ》りますか。|些《ち》つと|窘《たしな》みなさい。アタ|態《ざま》の|悪《わる》い……コレコレサロメさまとやら、あのド|倒者《たふしもの》のブラバーサは|此《この》|家《うち》に|居《を》りませうなア。|貴女《あなた》と|一所《いつしよ》に|聖劇《せいげき》とやらをやつたと|云《い》ふ|事《こと》だから、きつと|隠《かく》して|居《ゐ》るのでせう』
『ホヽヽヽ|何《なに》を|仰有《おつしや》います。あのお|方《かた》はシオン|山《ざん》の|麓《ふもと》に|居《を》られます。|橄欖山上《かんらんさんじやう》で|四五回《しごくわい》お|目《め》にかかつただけで|御座《ござ》いますわ。どうかシオン|山《ざん》をお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいませ。|左様《さやう》なら』
とサロメは|煩《うる》さく|思《おも》つたか、|門内《もんない》に|入《い》り|中《なか》から|手早《てばや》く|閂《かんぬき》をかけて|了《しま》つた。
『お|寅《とら》さま、もう|帰《かへ》りませうかい。どうしてもこいつはシオン|山《ざん》に|定《きま》つて|居《ゐ》ますよ。それよりも|早《はや》く|帰《かへ》つて、|守宮別《やもりわけ》はビールでもやらねば|体《からだ》がもてませぬわい』
『そりやさうかも|知《し》れませぬ。サア|帰《かへ》りませう。グヅグヅして|居《を》ると|日《ひ》が|暮《く》れます。……|今日《けふ》はかういふておとなしく|帰《かへ》りそつと|様子《やうす》を|考《かんが》へに|来《く》るのだよ。あのブラバーサの|極道《ごくだう》|奴《め》、きつと|此《この》|家《や》に|隠《かく》れて|居《を》るに|相違《さうゐ》ない。|彼奴《あいつ》をとつつかまへてあの|女《をんな》の|前《まへ》でギウギウ|云《い》はせ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|救世主《きうせいしゆ》で|御座《ござ》いますと|証言《しようげん》させねばならぬ。|併《しか》し|今日《けふ》はもはや|遅《おそ》いから|一《いつ》たん|帰《かへ》り|確《しつか》りと|作戦《さくせん》|計画《けいくわく》を|定《さだ》めて、|又《また》|参《まゐ》りませう。|曲《まが》やん、お|前《まへ》はその|叢《くさむら》の|中《なか》に|隠《かく》れて|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》るのだよ。そして|様子《やうす》を|報告《はうこく》するのだよ』
『お|寅《とら》さま、そいつは|殺生《せつしやう》です。|私《わたし》だつて|一《いつ》たん|宿《やど》に|帰《かへ》り|晩餐《ばんさん》に|有付《ありつ》かねばやり|切《き》れないぢやありませぬか』
『エヽ|弱虫《よわむし》だなア、|仕方《しかた》がない、ソンナラ|帰《かへ》りませう』
|茲《ここ》に|四人《よにん》は|日没《ひのくれ》|頃《ごろ》|僧院《そうゐん》に|帰《かへ》つて|来《き》た。
『ヤレヤレ|辛《しん》どい|事《こと》だつた。|嫌《いや》な|洋食《やうしよく》の|晩餐《ばんさん》でも|食《た》べてゆつくり|相談《さうだん》しませう。コレ|守宮別《やもりわけ》さま、ビールを|飲《の》むなとは|云《い》はないが、せめて|半《はん》ダース|位《くらゐ》で|辛抱《しんばう》しなさい。|今朝《けさ》のやうに|二《に》ダースもやられると|貧弱《ひんじやく》の|私《わたし》の|懐《ふところ》が|乾《かわ》いて|了《しま》ひますよ』
|守宮別《やもりわけ》は|手《て》を|打《う》つてボーイを|呼《よ》んだ。ボーイはハイと|答《こた》へて|忽《たちま》ち|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれた。
『|早《はや》く|晩餐《ばんさん》の|用意《ようい》をして|呉《く》れ。そしてビールを|半《はん》ダース、|又《また》|半《はん》ダース|持《も》つて|来《く》るのだよ』
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。|然《しか》しビールは|高《たか》う|御座《ござ》いますから|今朝《けさ》の|勘定《かんぢやう》を|願《ねが》ひます。あの|勘定《かんぢやう》が|済《す》まなくては|後《あと》を|持《も》つて|来《く》る|訳《わけ》には|行《い》きませぬ』
『サア|勘定《かんぢやう》は|幾何《いくら》だな』
『ヘイ|些《ちつ》と|高《たか》う|御座《ござ》いますが、あれは|二百年《にひやくねん》|以前《いぜん》から|貯《たくは》へてある|最《もつと》も|貴重《きちよう》な|高価《かうか》なもので|御座《ござ》いまして、|一本《いつぽん》が|百《ひやく》ポンドより|安価《やす》く|出来《でき》ませぬ。どうか|二千四百《にせんよんひやく》ポンド|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したう|御座《ござ》います』
『|何《なん》と|高《たか》いものだなア。|道理《だうり》で|甘《うま》いと|思《おも》つた。サアお|寅《とら》さま、お|金《かね》を|出《だ》して|下《くだ》さい』
『|二千四百《にせんよんひやく》ポンドとは|二銭《にせん》を|四百《よんひやく》かな。さうすると|八円《はちえん》になるぢやないか。|高《たか》いものだなア』
『モシモシボーイさま、|冗談《じやうだん》いつちやいけませぬよ。|二千四百《にせんよんひやく》ポンドと|云《い》へば|二万四千両《にまんよんせんりやう》ぢやないか』
『ハイ|左様《さやう》で|御座《ござ》います』
『エーイ、シヽ|知《し》らぬわいな。ソンナ|金《かね》がどこに|御座《ござ》いますか。お|前《まへ》さまもなぜ|先《さき》に|値《ね》を|聞《き》いて|飲《の》まぬのかいな。もう|愛想《あいそ》がつきて|了《しま》つた。|二万四千両《にまんよんせんりやう》なんて|一《いつ》ぺんに|飲《の》んで|了《しま》ふものが|何処《どこ》にありますか』
『それでもそれだけの|価値《ねうち》はありますよ。お|蔭《かげ》で|十年《じふねん》|位《ぐらゐ》|寿命《じゆみやう》が|延《の》びますわ』
『ヘン|置《お》きなさい。お|前《まへ》さまの|寿命《じゆみやう》|位《くらゐ》|延《の》びたつて|縮《ちぢ》んだつて|構《かま》ひますか。なぜ|懐《ふところ》と|相談《さうだん》して|飲《の》みなさらぬのだえ』
『|懐《ふところ》と|相談《さうだん》せうたつて|無一物《むいちぶつ》だ。お|前《まへ》さまが|皆《みな》|金《かね》は|握《にぎ》つて|居《を》るのだから|仕方《しかた》がないぢやないか』
『アヽ|仕方《しかた》がない、そんなら|払《はら》つて|上《あ》げませう。これこれボーイさま、|今直《います》ぐに|上《あ》げますから、もう|半《はん》ダース|程《ほど》|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》さい。|一寸《ちよつと》|出《だ》すのが|大層《たいそう》だから、その|間《あひだ》に|出《だ》しますからなア』
『ソンナラ|支配人《しはいにん》と|相談《さうだん》|致《いた》して|見《み》ませう。さうして|支配人《しはいにん》が|持《も》つて|往《い》つてもよいと|申《まを》しましたら|持《も》つて|参《まゐ》りませう』
とボーイは|階下《かいか》に|降《くだ》り|行《ゆ》く。|後《あと》にお|寅《とら》は|面《つら》|膨《ふく》らし、
『これ|守宮別《やもりわけ》さま、|余《あんま》りぢやないか。|私《わたし》に|恥《はぢ》を|掻《か》かすのか』
『|三千世界《さんぜんせかい》を|自由《じいう》にする|日《ひ》の|出神《でのかみ》ぢやありませぬか。いつも|金《かね》|位《ぐらゐ》|何《なん》だと|仰有《おつしや》りますから、|張《は》りこみて|飲《の》んだのですよ』
『それだつて|勿体《もつたい》ないぢやないか。なアお|花《はな》さま』
『えらい|剥《は》ぐ|所《ところ》だなア。|私《わたし》|吃驚《びつくり》|致《いた》しました』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ、ボーイはビールを|一《いち》ダースさげて|来《き》た。
『|今《いま》|支配人《しはいにん》に|申《まを》しましたら「|滅多《めつた》にお|金《かね》に|差支《さしつか》へある|方《かた》ではなからうから」と|申《まを》しましたから|持《も》つて|参《まゐ》りました』
『よしよしそこへ|置《お》いて|呉《く》れ』
『|又《また》|御用《ごよう》がありましたら|呼《よ》んで|下《くだ》さい。|晩餐《ばんさん》の|用意《ようい》がありますから』
と|階段《かいだん》を|下《くだ》つて|往《ゆ》く。|守宮別《やもりわけ》は|一《いち》ダースのビールを|喉《のど》をグウグウ|鳴《な》らしながら|鯨《くぢら》が|潮《しほ》を|飲《の》むやうに|飲《の》み|干《ほ》し、|其《その》|場《ば》にぐたりと|倒《たふ》れて|寝《ね》て|了《しま》つた。
『これ|曲《まが》やん、お|花《はな》さま、|二万四千両《にまんよんせんりやう》の|金《かね》はどうしても|無《な》い。やうやく|懐《ふところ》に|三百円《さんびやくえん》しかない。サア|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》ては|大変《たいへん》だから|裏門《うらもん》からそつと|逃《に》げるのですよ』
『|守宮別《やもりわけ》さまはどうするのですか』
『どうせうたつて|仕方《しかた》がないではないか。|金《かね》が|無《な》ければ|腹《はら》の|中《なか》にビールが|入《い》つて|居《を》るのだから|皆《みな》|出《だ》すだらう。お|花《はな》さまや|私《わたし》は|一滴《ひとしづく》も|飲《の》まぬのだから、|払《はら》ふ|義務《ぎむ》はない、サアサア|今《いま》の|中《うち》にここを|逃《に》げ|出《だ》し、シオン|山《ざん》のブラバーサの|所《ところ》へでも|逃《に》げて|行《ゆ》かうではないか』
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまが|食《く》ひ|逃《に》げを|遊《あそ》ばすのかなア』
『エヽどうでもよい。|嫌《いや》ならここに|居《を》りなさい』
と|云《い》ひながら|慌《あわ》てて|三百円《さんびやくえん》の|財布《さいふ》を|置忘《おきわす》れ、|裏口《うらぐち》から|逃《に》げ|出《だ》して|了《しま》つた。|守宮別《やもりわけ》は|夜中時分《よなかじぶん》に|目《め》をさまし|四辺《あたり》を|見《み》れば、お|寅《とら》|其《その》|他《た》の|姿《すがた》が|見《み》えぬので|小便《こよう》にでも|行《い》つたのかと|思《おも》ふて|又《また》もやグウグウ|寝《ね》て|了《しま》つた。|朝《あさ》になつても|三人《さんにん》の|姿《すがた》が|見《み》えないので、|手《て》を|打《う》つてボーイを|呼《よ》んだ。
ボーイはペコペコしながら|入《い》り|来《き》たり、
『お|客《きやく》さま|何《なに》か|御用《ごよう》で|御座《ござ》いますか』
『|私《わたし》の|連《つれ》の|三人《さんにん》はどこへ|行《い》つたかな』
『|昨夜《さくや》|裏口《うらぐち》から|出《で》て|行《ゆ》かれました。こいつは|食逃《くひに》げではないかと|思《おも》ひましたが|三百両《さんびやくりやう》の|大金《たいきん》が|残《のこ》されて|居《ゐ》ましたから、|先《ま》づ|其《その》|儘《まま》にして|置《お》きました』
『ハテ、|昨夜《さくや》のビールのお|金《かね》をどうして|払《はら》はうかなア』
『お|客《きやく》さま|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|夜前《やぜん》|一本《いつぽん》が|百《ひやく》ポンドと|云《い》つたのは|洒落《しやれ》ですよ。|実《じつ》は|一本《いつぽん》が|半《はん》ドルですから、どうぞ|十二《じふに》ドル|下《くだ》さいませ。そして|昨夜《さくや》のと|一所《いつしよ》にして|一八《じふはち》ドル|下《くだ》さればそれですみますからな』
『ハヽヽヽ|何《なん》の|事《こと》だイ、|皆《みな》|払《はら》つてやらう。お|前《まへ》にもポチをやるから|何《なん》ぼでも|掴《つか》んで|往《ゆ》け。サア|此《この》|金《かね》が|無《な》くなる|迄《まで》|此処《ここ》に|宿《とま》るのだから|大切《たいせつ》に|世話《せわ》をするのだよ』
|守宮別《やもりわけ》は|又《また》|一夜《いちや》を|此処《ここ》に|明《あ》かし|宿《やど》の|勘定《かんぢやう》を|済《す》ませ、|三人《さんにん》の|所在《ありか》をたづねてブラリブラリとシオン|山《ざん》の|谷底《たにそこ》めがけて|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 加藤明子録)
第二七章 |再転《さいてん》〔一六五六〕
シオン|山《ざん》の|谷間《たにあひ》のブラバーサが|草庵《さうあん》に|靴音《くつおと》|高《たか》く|訪《たづ》ねて|来《き》た|一人《ひとり》の|紳士《しんし》は、シカゴ|大学《だいがく》の|教授《けうじゆ》スバール|博士《はかせ》であつた。|博士《はかせ》は「|御免《ごめん》なさいませ」と|柴《しば》の|戸《と》を|排《はい》して|這入《はい》つて|来《き》た。ブラバーサは|嬉《うれ》しげに|出《い》で|迎《むか》へ、|狭《せま》い|座敷《ざしき》の|奥《おく》へ|通《とほ》しけり。
『ヤアあなたは|橄欖山上《かんらんさんじやう》でお|目《め》にかかりました|博士《はかせ》で|御座《ござ》いますか。かやうな|草庵《さうあん》を|能《よ》くマア|訪《たづ》ねて|下《くだ》さいました』
『ハイ|一寸《ちよつと》お|伺《うかが》ひし|度《た》いことが|御座《ござ》いますので|参《まゐ》りました。|実《じつ》の|所《ところ》は|私《わたし》もシカゴ|大学《だいがく》の|教授《けうじゆ》を|致《いた》して|居《を》りますが、|今度《こんど》シオン|大学《だいがく》の|建設《けんせつ》に|就《つい》て|委員《ゐゐん》に|選《えら》まれ|監督《かんとく》の|為《ため》に|茲《ここ》|二ケ月《にかげつ》ばかり|以前《いぜん》から|参《まゐ》つて|居《を》るので|御座《ござ》います。|付《つ》いては|私《わたし》は|日《ひ》の|出島《でじま》は|隅《すみ》から|隅《すみ》|迄《まで》|二三回《にさんくわい》も|旅行《りよかう》を|致《いた》し、|神社《じんじや》|仏閣《ぶつかく》を|巡拝《じゆんぱい》しお|札《ふだ》|博士《はかせ》と|名《な》を|取《と》つた|男《をとこ》で|厶《ござ》いますよ。あなたは|桶伏山《をけぶせやま》の|聖地《せいち》から|来《き》たと|仰《おほ》せられましたが、|私《わたし》も|一度《いちど》ルートバハーの|本山《ほんざん》に|参拝《さんぱい》|致《いた》し|教主《けうしゆ》に|直接《ちよくせつ》お|目《め》にかかり、|言霊閣《ことたまかく》に|於《おい》てお|世話《せわ》になつた|事《こと》が|厶《ござ》います。|何《なん》だかルートバハーの|宣伝使《せんでんし》と|承《うけたま》はりますればなつかしいやうな|気《き》が|致《いた》しまして、|一度《いちど》お|尋《たづ》ね|申《まを》したいお|尋《たづ》ね|申《まを》したいと|思《おも》うてゐましたが、|忙《いそが》しい|為《ため》つい|其《その》|機《き》を|得《え》ませぬでした。|然《しか》るに|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》の|夕方《ゆふがた》、|日《ひ》の|出島《でじま》より|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふ|男《をとこ》が|三人《さんにん》の|男女《だんぢよ》を|従《したが》へ|参《まゐ》りまして、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|救世主《きうせいしゆ》だとか、|大《おほ》ミロク|様《さま》だとか|何《なん》とか|申《まを》し、そして|貴方《あなた》のことを|偽宣伝使《にせせんでんし》だなどと|悪《わる》く|云《い》つてゐましたよ。そこで|私《わたし》がいろいろとあなたの|為《ため》に|弁解《べんかい》を|致《いた》しておきましたが、|何《なん》と|云《い》つても|聞《き》かないものですから、|相手《あひて》にならずに|別《わか》れた|次第《しだい》ですが、ありや|一体《いつたい》ドンナ|人《ひと》で|厶《ござ》いますか。|一遍《いつぺん》お|尋《たづ》ね|致《いた》したいと|思《おも》つてゐましたが、|今日《けふ》は|幸《さいは》ひ|日曜日《にちえうび》のことでもありお|邪魔《じやま》を|致《いた》しました|次第《しだい》で|厶《ござ》います』
『ハテナ、|守宮別《やもりわけ》と|云《い》ふ|男《をとこ》が|来《き》て|居《ゐ》ましたか、ソリヤ|大方《おほかた》お|寅《とら》といふ|五十格好《ごじふかくかう》の|婆《ば》アさまと|一所《いつしよ》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
『|何《なん》でもお|寅《とら》さまにお|花《はな》さま、|曲彦《まがひこ》とか|言《い》はれたやうに|覚《おぼ》えて|居《を》ります。そして|再臨《さいりん》のキリスト、ミロクの|再生《さいせい》は|此《こ》の|婆《ば》アさまだと|言《い》つて、|守宮別《やもりわけ》さまが|固《かた》く|固《かた》く|主張《しゆちやう》して|居《を》りました。|余程《よほど》あの|連中《れんちう》さまは|変《かは》つて|居《を》りますなア』
『|大方《おほかた》|私《わたし》が|此方《こちら》へ|来《き》たことをかぎつけて|邪魔《じやま》しに|来《き》たのでせう。どこ|迄《まで》も|執念深《しふねんぶか》い|連中《れんちう》です。|本当《ほんたう》に|困《こま》りますワ』
『さぞお|困《こま》りで|厶《ござ》いませう。|併《しか》しあなたはキリストの|再臨《さいりん》に|就《つい》てお|出《いで》になつたといふ|先達《せんだつて》のお|話《はな》しでしたが、|私《わたし》は|世界《せかい》|各国《かくこく》を|廻《まは》りましたが、|印度《いんど》にも|支那《しな》にも|日本《にほん》にも|露国《ろこく》にも|又《また》|南米《なんべい》、メキシコにも|救世主《きうせいしゆ》が|現《あら》はれてをりますよ。|何《いづ》れどつかの|或《ある》|地点《ちてん》に|救世主《きうせいしゆ》がお|集《あつ》まりになつて|国会開《こくくわいびら》きをお|始《はじ》めにならなくては|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》が|人間《にんげん》としては|分《わか》らないと|思《おも》ひます。あなたは|何《ど》う|思《おも》ひますか』
『|兎《と》も|角《かく》|世界《せかい》の|救世主《きうせいしゆ》が|一所《ひとところ》へお|集《あつ》まりになり、|其《その》|中《なか》で|最《もつと》も|公平《こうへい》|無私《むし》にして|仁慈《じんじ》に|富《と》める|御方《おかた》が|真《しん》の|救世主《きうせいしゆ》と|選《えら》ばれるでせう。イスラエルの|十二《じふに》の|流《なが》れから|一人《ひとり》づつ|救世主《きうせいしゆ》が|出《で》るといふことですから、|其《その》|中《なか》から|大救世主《だいきうせいしゆ》が|出現《しゆつげん》されることと|思《おも》ひます』
『|成程《なるほど》それは|公平《こうへい》なる|見解《けんかい》です。そして|御降臨《ごかうりん》の|場所《ばしよ》はどこだとお|考《かんが》へですか』
『|無論《むろん》|私《わたし》はエルサレムだと|思《おも》つて|遥々《はるばる》|茲《ここ》へ|参《まゐ》つたので|厶《ござ》います』
『|成程《なるほど》|聖書《せいしよ》の|予言《よげん》によりますればエルサレムでせうが、|併《しか》し|救世主《きうせいしゆ》は|何処《どこ》へお|降《くだ》りになるか|分《わか》りますまい。|私《わたし》は|決《けつ》してエルサレムと|限《かぎ》つたものとは|思《おも》ひませぬ。|或《あるひ》は|日出島《ひのでじま》へ|現《あら》はれ|玉《たま》ふかも|知《し》れませぬ』
『さうかも|分《わか》りませぬなア』
かく|話《はな》して|居《ゐ》る|所《ところ》へスタスタやつて|来《き》たのはお|寅《とら》、お|花《はな》、|曲彦《まがひこ》の|三人《さんにん》なりける。
『あゝ、どうやらかうやら|隠《かく》れ|家《が》を|見《み》つけた。これも|矢張《やはり》|日《ひ》の|出神《でのかみ》のお|導《みちび》き、ヤレ|御免《ごめん》なされ、お|前《まへ》さまはブラバーサさまだな。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|救世主《きうせいしゆ》が|二三日《にさんにち》|以前《いぜん》から|橄欖山《かんらんざん》に|御降臨《ごかうりん》になつたのを|御存《ごぞん》じですかな。ヤ、そこに|居《を》る|毛唐《けたう》さまは|此《こ》の|間《あひだ》|橄欖山上《かんらんさんじやう》で|守宮別《やもりわけ》とチーチーパーパー|云《い》ふて|居《ゐ》た|博士《はかせ》だ|厶《ござ》いませぬか。マアマア|因縁《いんねん》といふものはエライものだな。|又《また》こんな|所《ところ》で|会《あ》はうとは|思《おも》ひもよりませなんだ。コレ|毛唐《けたう》さま、お|前《まへ》さま|又《また》|此《この》ブラバーサにだまされて|来《き》なさつたのかな。チト|用心《ようじん》なさいませや』
スバールはうるさ|相《さう》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、|日出島《ひのでじま》の|言葉《ことば》を|使《つか》つて、
『ヤアお|前《まへ》さまはルートバハーの|教《をしへ》をまぜ|返《かへ》しに|廻《まは》つてる、あの|有名《いうめい》な|小北山《こぎたやま》のお|寅《とら》|婆《ば》アさまだな。そして|一人《ひとり》は|曲彦《まがひこ》、それからお|花《はな》といふ|剛《がう》の|者《もの》だらう、イヽかげんに|落着《おちつ》きなさらぬと|此《こ》の|聖地《せいち》には|相手《あひて》になる|者《もの》がなくなりますよ』
『|何《なん》とマア|流石《さすが》に|博士《はかせ》だワイ。イロハ|四十八文字《しじふはちもじ》の|言葉《ことば》が|使《つか》へるやうになりましたな。|此《この》|間《あひだ》|迄《まで》|四足《よつあし》か|鳥《とり》のやうにチーチーパーパー|云《い》ふて|居《を》つたのに、|日《ひ》の|出神《でのかみ》に|一目《ひとめ》|会《あ》ふたお|蔭《かげ》に|真人間《まにんげん》の|言葉《ことば》が|使《つか》へるやうになつたのかな。コレお|花《はな》さま、|曲《まが》やん、これでも|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|神力《しんりき》が|分《わか》りましたらうがなア』
『|何《なに》しろ|夜抜《よぬけ》|食逃《くひに》げの|張本人《ちやうほんにん》だから|偉《えら》いものですワイ』
『コレ|曲《まが》、ソリヤ|何《なん》といふ|事《こと》をいふのだえ』
『それだつて|事実《じじつ》は|事実《じじつ》ですもの、|仕方《しかた》がありませぬワ。もし、ブラバーサさま、どうぞ|私《わたし》をあなたの|弟子《でし》にして|下《くだ》さいな。|実《じつ》の|所《ところ》はお|寅《とら》さまがお|金《かね》をおとし、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|無一物《むいつぶつ》ですから、|二進《につち》も|三進《さつち》も|仕方《しかた》がないのです』
ブラバーサはニタリと|笑《わら》ひ|乍《なが》ら、
『|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》も、お|金《かね》がないとヤツパリ、お|困《こま》りですかな。|私《わたし》も|淋《さび》しい|懐《ふところ》だからお|金《かね》を|貸《か》して|上《あ》げる|訳《わけ》にも|行《ゆ》きませぬが、マア|暫《しばら》く|茲《ここ》にをつて、|味《あぢ》ないものでも|喰《た》べてお|金《かね》の|来《く》る|迄《まで》お|待《ま》ちなさいませ。|電報《でんぱう》さへうてば|二十日《はつか》も|立《た》たん|内《うち》に|届《とど》きますからな』
『ヤア|大変《たいへん》|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しました。|何《いづ》れ|今度《こんど》の|日曜《にちえう》にはトツクリとお|目《め》にかかり|御話《おはなし》をさして|頂《いただ》きませう。|今日《けふ》は|用事《ようじ》もあり|少《すこ》し|急《いそ》ぎますから|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう』
『|折角《せつかく》お|越《こ》し|下《くだ》さいまして、|何《なん》の|御愛想《おあいそ》も|致《いた》さず|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。|今度《こんど》お|足《あし》を|運《はこ》ばしてはすみませぬから、|私《わたし》の|方《はう》からお|訪《たづ》ね|致《いた》します』
|博士《はかせ》は、
『|左様《さやう》ならば|後日《ごじつ》お|目《め》にかかりませう。|皆《みな》さま、|御《ご》ゆつくりなさいませ』
と|早《はや》くも|此《この》|場《ば》をスタスタと|立去《たちさ》つた。
お|寅《とら》、お|花《はな》、|曲彦《まがひこ》の|三人《さんにん》は|異郷《いきやう》の|空《そら》に|懐《ふところ》|空《むな》しく|何《なん》となく|淋《さび》しくなり、|知己《ちき》と|云《い》ふて|別《べつ》になければ、|反対《はんたい》で|憎《にく》うてならぬブラバーサの|寓居《ぐうきよ》に|世話《せわ》にならうと|覚悟《かくご》をきわめワザとにおとなしく、ブラバーサの|言《げん》に|従《したが》ひ、|何事《なにごと》もヘーヘーハイハイと|猫《ねこ》をかぶつて、|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》した|如《ごと》く|見《み》せかけてゐた。|其《その》|翌日《よくじつ》の|日《ひ》の|暮《くれ》|頃《ごろ》|守宮別《やもりわけ》は|二百五十円《にひやくごじふゑん》の|金《かね》を|懐《ふところ》にねぢ|込《こ》んで|茲《ここ》へ|訪《たづ》ねて|来《き》た。
『|御免《ごめん》なさいませ。ブラバーサ|様《さま》のお|宅《たく》はここで|厶《ござ》いますかな』
『ハイどなたか|知《し》りませぬがお|這入《はい》りなさいませ』
『あの|声《こゑ》は|守宮別《やもりわけ》さまぢやないか、サアサア|早《はや》うお|這入《はい》りなさい』
『あゝ|御免《ごめん》なさいませ、お|寅《とら》さま、あなたはヒドイですな。|本当《ほんたう》に|油断《ゆだん》のならぬ|悪性《あくしやう》な|人《ひと》だ。オイ|曲彦《まがひこ》、お|花《はな》さま、|人《ひと》を|置去《おきざり》にして|余《あま》り|友情《いうじやう》がなさすぎるだないか』
|両人《りやうにん》は|一言《いちごん》もなくウツムク。
『ヽヽヽヽヽ』
『それだと|云《い》つて、|二万四千両《にまんよんせんりやう》の|金《かね》が|何《ど》うして|払《はら》へるものか。お|前《まへ》は|又《また》|夜脱《よぬ》けをして|来《き》たのかな。よう|出《で》られたものだなア』
『お|前《まへ》さまが|財布《さいふ》をおいといてくれたおかげで、スツカリ|勘定《かんぢやう》をすまして|帰《かへ》つて|来《き》ましたよ。サア|茲《ここ》に|二百五十両《にひやくごじふりやう》|計《ばか》り|残《のこ》つてるからお|前《まへ》さまに|返《かへ》します』
『あのお|金《かね》は|何《ど》うして|勘定《かんぢやう》したのだい』
『|何分《なにぶん》|一《いち》ダースが|六弗《ろくドル》よりせないものだから、|何《なに》もかもお|前《まへ》さまの|分《ぶん》まで|払《はら》うて|二十五弗《にじふごドル》ですみましたよ』
『あゝさうだつたかいな。|何《なん》とした、あの|奴《やつこ》さまは|間違《まちが》つた|事《こと》を|云《い》つたのだらう。マア|二百五十両《にひやくごじふりやう》あれば|少時《しばらく》|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|国許《くにもと》へ|電報《でんぱう》かけさへすれば|送《おく》つてくれるからな。ヘン、|今迄《いままで》|耳《みみ》の|痛《いた》い|話《はなし》を、|御無理《ごむり》|御尤《ごもつと》もでブラバーサさまに|聞《き》いてゐたが、モウ|誰《たれ》が|聞《き》くものか。コレ、ブラバーサさま、|救世主《きうせいしゆ》は|瑞《みづ》の|御霊《みたま》だといひましたが、あんな|奴《やつ》が|救世主《きうせいしゆ》になつてたまりますかい。キユキユ|世《よ》の|中《なか》を|苦《くるし》める|救世主《きうせいしゆ》のキウの|字《じ》は|貧窮《ひんきう》の|窮《きう》の|字《じ》でせう。オホヽヽヽ』
とソロソロメートルを|上《あ》げ|出《だ》した。
『|何《ど》うなつと|勝手《かつて》になさいませ。|事実《じじつ》が|証明《しようめい》|致《いた》しますからな』
『サア|三人《さんにん》の|御連中《ごれんちう》、コンナ|所《ところ》に|居《を》らぬと|早《はや》く|聖地《せいち》へ|行《ゆ》きませう。そして|最早《もはや》エルサレムの|町《まち》に|誰《たれ》|憚《はばか》る|所《ところ》ないのだから、|私《わたし》は|之《これ》から|橄欖山《かんらんざん》に|登《のぼ》つて|救世主《きうせいしゆ》になるから、お|前《まへ》たち|三人《さんにん》は|町中《まちぢう》をふれて|歩《ある》くのだよ。|左様《さやう》なら、|何《いづ》れ|事実《じじつ》が|証明《しようめい》しますからな。なア、ブラバーサさま』
とプリンプリンと|大《おほ》きな|団尻《だんじり》をふり|羽《は》ばたきし|乍《なが》ら|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・七・一三 旧五・三〇 松村真澄録)
(昭和一〇・三・九 於台湾航路吉野丸船室 王仁校正)
-----------------------------------
霊界物語 第六四巻上 山河草木 卯の巻上
終り