霊界物語 第五五巻 真善美愛 午の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第五五巻』愛善世界社
2006(平成18)年04月02日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年10月09日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説歌《そうせつか》
第一篇 |奇縁万情《きえんばんじやう》
第一章 |心転《しんてん》〔一四〇九〕
第二章 |道謡《だうえう》〔一四一〇〕
第三章 |万民《まんみん》〔一四一一〕
第四章 |真異《まちがひ》〔一四一二〕
第五章 |飯《めし》の|灰《はひ》〔一四一三〕
第六章 |洗濯使《せんたくし》〔一四一四〕
第二篇 |縁三寵望《えんさんちようばう》
第七章 |朝餉《あさげ》〔一四一五〕
第八章 |放棄《はうき》〔一四一六〕
第九章 |三婚《みこん》〔一四一七〕
第一〇章 |鬼涙《おになみだ》〔一四一八〕
第三篇 |玉置長蛇《たまきちやうだ》
第一一章 |経愕《きやうがく》〔一四一九〕
第一二章 |霊婚《れいこん》〔一四二〇〕
第一三章 |蘇歌《そか》〔一四二一〕
第一四章 |春陽《しゆんよう》〔一四二二〕
第一五章 |公盗《こうたう》〔一四二三〕
第一六章 |幽貝《いうかひ》〔一四二四〕
第四篇 |法念舞詩《ほふねんぶし》
第一七章 |万巌《まんがん》〔一四二五〕
第一八章 |音頭《おんど》〔一四二六〕
第一九章 |清滝《きよたき》〔一四二七〕
第二〇章 |万面《まんめん》〔一四二八〕
第二一章 |嬉涙《うれしなみだ》〔一四二九〕
第二二章 |比丘《びく》〔一四三〇〕
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|序文《じよぶん》
|(明)《あ》けく|治《をさ》まる|御代《みよ》の|三十一年《みそまりひととせ》|春《はる》は|如月《きさらぎ》の|九日《ここのか》|天教山《てんけうざん》に|鎮座《ちんざ》したまふ|木花姫命《このはなひめのみこと》の|神使《しんし》|斯世《このよ》を
|(治)《をさ》めむと|神々《かみがみ》の|協議《けふぎ》の|結果《けつくわ》をもたらし|坐《まし》|丹波《たんば》の|国《くに》|曽我部《そがべ》の|村《むら》に|牛《うし》|飼《か》ふ|牧童《ぼくどう》の|辛未《かのえひつじ》の|年《とし》|生《うま》れ
|(三)《み》ツの|御魂《みたま》に|因縁《ゆかり》ある|三葉彦命《みつばひこのみこと》の|再生《さいせい》なる|神柱《かむばしら》に|三千世界《さんぜんせかい》の|修理固成《しうりこせい》の|神業《しんげふ》の|先駆《せんく》を|命《めい》じ
|(十)字架《じふじか》を|負《お》はしめたまひしより|今年《こんねん》|大正《たいしやう》の|十二年《じふにねん》|正月《しやうぐわつ》|十八日《じふはちにち》まで|満《まん》|二十五年間《にじふごねんかん》|出口王仁《でぐちおに》は
|(一)心不乱《いつしんふらん》に|神国《しんこく》|成就《じやうじゆ》のために|舎身的《しやしんてき》|活動《くわつどう》を|続《つづ》けて|宇宙《うちう》|万有《ばんいう》|一切《いつさい》の|為《ため》に|心身《しんしん》を|焦《こ》がし|奉《まつ》り|十《じふ》
|(年)《ねん》|一日《いちじつ》の|如《ごと》く|三千世界《さんぜんせかい》の|諸天人民《しよてんじんみん》に|至上《しじやう》の|心《こころ》を|持《ぢ》せしめ|神《かみ》の|御国《みくに》に|安住《あんぢう》せしめむと|妙法真《めうはふしん》
|(如)《によ》の|光明《くわうみやう》を|顕彰《けんしやう》し|暗黒《あんこく》|社会《しやくわい》を|照破《せうは》すべく|変性男子《へんじやうなんし》の|精霊《せいれい》と|倶《とも》に|綾《あや》の|聖場《せいぢやう》|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|現《あらは》れ
|(月)光菩薩《げつくわうぼさつ》の|神業《しんげふ》に|心事《しんじ》し|家《いへ》を|捨《す》て|慾《よく》を|棄《す》てて|神《かみ》の|僕《しもべ》となり|微妙真心《びめうしんしん》を|発《お》こし|一向《ひたすら》に|我《わが》|神国《しんこく》
|(九)山八海《きうざんはつかい》の|諸神《しよしん》を|念願《ねんぐわん》し|諸《もろもろ》の|功徳《くどく》を|修《しう》して|高天原《たかあまはら》に|万人《ばんにん》を|救《すく》はむことを|希《こひねが》ふ|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》
|(日)《ひ》の|大神《おほかみ》|月《つき》の|大神《おほかみ》は|神《かみ》を|愛《あい》し|神《かみ》を|理解《りかい》し|信真《しんしん》の|徳《とく》に|充《み》たされたる|者《もの》を|天界《てんかい》に|救《すく》ふべく|最《い》と
|(高)《たか》き|神人《しんじん》を|率《ひき》ゐて|霊肉脱離《れいにくだつり》の|際《さい》に|来迎《らいがう》し|直《ただ》ちに|宝座《ほうざ》の|前《まへ》に|導《みちび》きて|七宝《しつぱう》の|花《はな》の|台《うてな》に|成道《じやうだう》し|虎《とら》
|(熊)《くま》|狼《おほかみ》などの|悪獣《あくじう》をも|恐《おそ》れざる|不退転《ふたいてん》の|地位《ちゐ》に|住《ぢう》して|智慧勇猛《ちゑゆうもう》|神通自在《じんつうじざい》ならしめ|玉《たま》ふ|噫《ああ》|天教《てんけう》
|(山)《ざん》に|現《あら》はれたまふ|木花姫《このはなひめ》の|無上《むじやう》の|神心《しんしん》に|神習《かむなら》ひ|大功徳《だいくどく》を|修行《しうぎやう》して|顕幽《けんいう》|両界《りやうかい》の|神柱《かむばしら》となり|人《ひと》
(の)|人《ひと》たる|本分《ほんぶん》を|尽《つく》さしめ|玉《たま》ふ|伊都《いづ》の|御魂《みたま》の|大御心《おほみこころ》の|有難《ありがた》さ|瑞月《ずゐげつ》は|多年《たねん》の|間《あひだ》|千難万苦《せんなんばんく》を|排《はい》し
|(修)行《しうぎやう》の|効《かう》を|了《を》え|漸《やうや》く|神界《しんかい》より|赦《ゆる》されて|爰《ここ》に|謹《つつし》み|畏《かし》こみ|三世一貫《さんぜいつくわん》の|物語《ものがたり》を|口述《こうじゆつ》するを|得《え》たり
|(行)《ぎやう》して|神使《しんし》となること|能《あた》はずとも|当《まさ》に|無上《むじやう》の|神心《しんしん》を|発《おこ》し|一向《ひたすら》に|天地《てんち》の|大祖神《だいそしん》を|祈願《きぐわん》し|真心《まごころ》
(よ)り|可成的《かせいてき》|善行《ぜんかう》を|修《しう》して|斎戒《さいかい》を|奉持《ぶぢ》し|神《かみ》の|聖社《せいしや》を|建立《こんりふ》するの|一端《いつたん》に|仕《つか》え|神使《しんし》に|飲食《おんじき》を|心《こころ》よ
(り)|供養《くやう》し|神号輻《しんがうふく》を|祀《まつ》り|灯火《とうくわ》を|献《けん》じ|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し|神《かみ》の|御前《みまへ》に|拝跪《はいき》せば|天界《てんかい》に|生《うま》れしめ|玉《たま》はむ
|(今)生《こんじやう》は|云《い》ふも|更《さら》なり|来世《らいせ》に|到《いた》りて|智慧証覚《ちゑしようかく》を|全《まつた》ふし|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》して|身《み》に|光明《くわうみやう》を|放射《はうしや》し|兆《てう》
|(年)《ねん》の|久《ひさ》しき|第二《だいに》の|天国《てんごく》に|安住《あんぢう》し|得《う》べし|又《また》|十方世界《じつぱうせかい》の|諸天人民《しよてんじんみん》にして|至心《ししん》ありて|天国《てんごく》|浄土《じやうど》に
|(大)往生《だいわうじやう》を|遂《と》げむと|欲《ほつ》するものは|譬《たと》え|諸《もろもろ》の|功徳《くどく》を|成《な》す|能《あた》はずと|雖《いへど》も|常《つね》にこの|物語《ものがたり》を|信《しん》じ|無上《むじやう》
|(正)覚《しやうかく》を|得《え》て|一向《ひたすら》に|厳瑞二神《げんずゐにしん》を|一意専念《いちいせんねん》せば|神徳《しんとく》いつとなく|身《み》に|具足《ぐそく》して|現幽両界《げんいうりやうかい》|共《とも》に|完全《くわんぜん》
|(十)足《じゆつそく》の|生涯《しやうがい》を|楽《たのし》み|送《おく》ることを|得《う》べしこの|深遠《しんゑん》なる|教理《けうり》を|真解《しんかい》して|歓喜《くわんき》し|信楽《しんらく》して|疑惑《ぎわく》せず
|(二)心《にしん》を|断《た》ち|一向《いつかう》に|神教《しんけう》と|神助《しんじよ》を|信《しん》じ|至誠一貫《しせいいつくわん》|以《もつ》て|天国《てんごく》に|復活《ふくくわつ》せむ|事《こと》を|願《ねが》ふ|時《とき》は|臨終《りんじう》に|際《さい》し
|(正)《まさ》に|夢《ゆめ》の|如《ごと》くに|厳瑞二神《げんずゐにしん》|即《すなは》ち|日月《じつげつ》の|神《かみ》を|見《み》たてまつりて|至美《しび》|至楽《しらく》の|第三天国《だいさんてんごく》に|復活《ふくくわつ》すべし
|(月)神《げつしん》の|信真《しんしん》によりて|智慧証覚《ちゑしようかく》の|光明《くわうみやう》を|受《う》くること|第二《だいに》|即《すなは》ち|中間天国《ちうかんてんごく》の|天人《てんにん》の|如《ごと》くなるべし
|(十)方世界《じつぱうせかい》の|無量無辺《むりやうむへん》|不可思議《ふかしぎ》の|聖徳《せいとく》を|具有《ぐいう》する|諸神諸仏如来《しよしんしよぶつによらい》|宣伝天使《せんでんてんし》は|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》の|徳《とく》
|(八)荒《はつくわう》に|輝《かがや》き|給《たま》ふを|称讃《しようさん》して|其《そ》の|出現《しゆつげん》|聖場《せいぢやう》たる|蓮華台上《れんげだいじやう》に|集《あつま》り|給《たま》ひ|無量《むりやう》|無数《むすう》の|菩薩《ぼさつ》や|衆生《しうじやう》は
|(日)月《じつげつ》の|光《ひかり》を|仰《あふ》ぎ|奉《まつ》りてここに|往詣《わうげい》して|洪大無辺《こうだいむへん》の|神徳《しんとく》に|浴《よく》し|克《よ》く|恭敬《くげふ》|礼拝《らいはい》し|供物《くもつ》を|献《けん》じた
(ま)ひて|神慮《しんりよ》を|慰《なぐさ》め|且《か》つ|五六七神政《みろくしんせい》の|胎蔵経《たいざうきやう》たる|経緯《けいゐ》の|神諭《しんゆ》と|聖《せい》なる|霊界物語《れいかいものがたり》を|歓喜《くわんき》|聴受《ちやうじゆ》し
(て)|顕幽二界《けんいうにかい》の|消息《せうそく》に|通《つう》じ|天下《てんか》の|蒼生《さうせい》に|至上《しじやう》の|神理《しんり》を|宣布《せんぷ》し|東西南北《とうざいなんぼく》|四維上下《しゆいじやうげ》を|光輝《くわうき》し|月光《げつくわう》
|(満)《み》ちて|一切《いつさい》の|神人《しんじん》|各自《かくじ》に|天界《てんかい》の|妙華《めうげ》と|宝香《ほうかう》と|無価《むか》の|神衣《しんい》とを|以《もつ》て|無量《むりやう》の|証覚《しようかく》を|供養《くやう》し|顕幽《けんいう》
|(二)大世界《にだいせかい》は|咸然《かんぜん》として|天楽《てんがく》を|奏《そう》し|和雅《わげ》の|音《こえ》を|暢発《てうはつ》し|最勝最妙《さいしよさいめう》と|大神柱《だいかむばしら》を|謳歎《おうたん》し|神徳《しんとく》を|覚《さと》り
|(十)方無碍《じつぱうむげ》の|神通力《じんつうりき》と|智慧《ちゑ》とを|究達《くだつ》して|深法界《じんぽうかい》の|門《もん》に|遊入《いうにふ》し|功徳蔵《くどくざう》を|具足《ぐそく》して|妙智《めうち》|等《とう》|倫《りん》|無《な》く
|(五)逆《ごぎやく》|消滅《せうめつ》して|慧日《ゑにち》|世間《せけん》を|照《て》らし|生死《しやうじ》の|雲《くも》を|消除《せうぢよ》し|給《たま》ふべし|嗚呼《ああ》|惟神《かむながら》の|霊光《れいくわう》|天《てん》に|輝《かがや》く|月《つき》と|日《じつ》
|(星)《せい》の|如《ごと》くにして|荘厳《しやうごん》|清浄《しやうじやう》の|天国《てんごく》を|現《げん》じたまふ|霊主体従《れいしゆたいじゆう》の|至上心《しじやうしん》を|発揮《はつき》し|神《かみ》に|奉仕《ほうし》する|時《とき》は
|(霜)雪《さうせつ》の|寒気《かんき》も|忽《たちま》ち|変《へん》じて|春陽《しゆんやう》の|生気《せいき》と|化《くわ》し|三界《さんかい》|一時《いちじ》に|容《かたち》を|動《うご》かして|欣笑《ごんせう》の|声《こゑ》を|発《はつ》し|無限光《むげんくわう》
(を)|出《いだ》して|十方世界《じつぱうせかい》を|照《て》らさせ|玉《たま》ふ|霊光《れいくわう》を|以《もつ》て|身《み》を|囲繞《ゐげう》せしめ|円相《ゑんさう》を|具《ぐ》し|天人《てんにん》と|倶《とも》に|踊躍《ゆやく》し
|(経)緯《けいゐ》の|神人《しんじん》に|由《よ》つて|大歓喜《だいくわんき》の|心境《しんきやう》に|遊入《いうにふ》すべし|若《も》し|人《ひと》にして|善徳《ぜんとく》なき|時《とき》は|此《こ》の|神啓《しんけい》の|神書《しんしよ》
(た)るを|覚《さと》らず|且《か》つ|理解《りかい》し|得《え》ざるべし|清浄無垢《しやうじやうむく》にして|小児《せうに》の|如《ごと》き|心境《しんきやう》に|在《あ》る|者《もの》にして|根本《こんぽん》よ
(り)|其《その》|真実味《しんじつみ》を|聞《き》くことを|獲《う》べし|驕慢《きやうまん》と|悪《あ》しき|弊《へい》と|懈怠《けたい》とは|容易《たやす》く|神示《しんじ》に|成《な》り|就《なり》たる|是《こ》の
|(霊)語《れいご》|神声《しんせい》を|信《しん》ずる|事《こと》|能《あた》はざるべし|心身《しんしん》|清浄《しやうじやう》にして|能《よ》く|神《かみ》を|信《しん》じ|克《よ》く|神《かみ》に|仕《つか》え|神《かみ》を|愛《あい》し|精霊《せいれい》
|(界)《かい》の|諸消息《しよせうそく》を|探知《たんち》したるものは|歓喜雀躍《くわんきじやくやく》してこの|神言《しんごん》|霊教《れいけう》を|聴聞《ちやうもん》し|聖心《せいしん》を|極《きは》めて|一切《いつさい》の|事《じ》
|(物)《ぶつ》を|開導《かいだう》するに|至《いた》るべし|神界《しんかい》の|主神《すしん》たる|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》の|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光明《くわうみやう》は|弥広《いやひろ》く|言《げん》
|(語)《ご》の|尽《つく》し|得《う》る|所《ところ》にあらず|二乗《にじやう》の|測知《そくち》し|得《う》る|限《かぎ》りにあらず|只《ただ》|大神《おほかみ》|自身《じしん》のみ|独《ひと》り|明瞭《めいれう》にこの|間《かん》
(の)|経緯《けいゐ》|真相《しんさう》を|知悉《ちしつ》したまふ|而已《のみ》たとへ|一切《いつさい》の|人《ひと》にして|智慧証覚《ちゑしようかく》を|具備《ぐび》して|道《みち》を|悟《さと》りこれを
(|口《くち》)に|手《て》に|現《あら》はさむと|欲《ほつ》するも|又《また》|本空《ほんぐう》の|真理《しんり》を|知《し》り|万億劫《まんおくごふ》の|神智《しんち》を|有《いう》する|共《とも》|到底《たうてい》これを|口《くち》に
|(述)《の》ぶること|能《あた》はざる|可《べ》し|神《かみ》の|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》には|辺際《へんざい》なく|絶対《ぜつたい》なりアア|愚眛頑固《ぐまいぐわんこ》なる|人間智《にんげんち》を
(|開《ひら》)きて|最奥第一《さいあうだいいち》の|天界《てんかい》は|云《い》ふも|更《さら》なりせめて|第三《だいさん》の|下層天界《かそうてんかい》の|消息《せうそく》を|覚《さと》らしめ|無限絶対《むげんぜつたい》|無《む》
|(始)《し》|無終《むしう》の|神徳《しんとく》に|浴《よく》せしめむとする|吾人《ごじん》の|苦衷《くちう》|何時《いつ》の|世《よ》にかこの|目的《もくてき》を|達《たつ》し|得《え》むや|口述《こうじゆつ》|開始《かいし》
(よ)り|既《すで》に|十五ケ月《じふごかげつ》|未《いま》だ|神諭《しんゆ》に|目覚《めざ》めたる|人士《じんし》の|極《きは》めて|少数《せうすう》にして|偶々《たまたま》|信《しん》ずる|者《もの》あるも|元《もと》よ
(り)|上根《じやうこん》の|人《ひと》にあらざれば|僅《わづ》かにその|門口《かどぐち》に|達《たつ》したる|迄《まで》の|状態《じやうたい》にありアア|如何《いか》にせむ|神将《しんしやう》|三《さん》
|(十)三相《じふさんさう》を|具備《ぐび》し|玉《たま》へる|観世音菩薩《くわんぜおんぼさつ》|最勝妙如来《さいしようめうによらい》の|道化《だうけ》の|妙法《めうほふ》|瑞《みづ》の|御魂《みたま》の|千変万化《せんぺんばんくわ》の|大活動《だいくわつどう》|三《あな》
|(五)教《なひけう》の|大本《たいほん》|五六七《みろく》の|仁慈《じんじ》に|浴《よく》して|各自《かくじ》にその|智慧《ちゑ》を|充《み》たせ|深《ふか》く|神諭《しんゆ》の|深奥《しんあう》に|分《わ》け|入《い》りて|箇《こ》
|(箇)《こ》の|神性《しんしやう》を|照《てら》し|神理《しんり》の|妙要《めうえう》を|究暢《くてう》し|神通無礙《じんづうむげ》の|境地《きやうち》に|入《い》りて|諸根《しよこん》を|明利《めいり》ならしめたまへと
|(月)光如来《げつくわうによらい》の|聖前《せいぜん》に|拝跪《はいき》して|鈍根劣機《どんこんれつき》の|男女《なんによ》をして|神意《しんい》を|識《し》らしめ|五濁《ごぢよく》|悪世《あくせ》に|生《しやう》じて|常《つね》に|執《しふ》
|(着)《じやく》の|妖雲《えううん》に|包《つつ》まれ|苦《くる》しめる|蒼生《さうせい》をして|清《きよ》く|正《ただ》しく|理解《りかい》するの|神力《しんりき》を|与《あた》え|金剛法身《こんがうほつしん》を|清《きよ》め|両《りやう》
|(手)《て》に|日月《じつげつ》の|光《ひかり》を|握《にぎ》らせ|玉《たま》え|鈍根《どんこん》|劣機《れつき》|痴愚《ちぐ》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》りつつある|神《かみ》の|僕《しもべ》の|瑞月《ずゐげつ》が|謹《つつし》み|畏《かし》こみ
|(日)《ひ》に|夜《よ》に|真心《まごころ》を|捧《ささ》げて|天下万民《てんかばんみん》のために|大前《おほまへ》に|祈願《きぐわん》し|奉《まつ》る|三五教《あななひけう》の|聖場《せいぢやう》|五六七《みろく》の|大神殿《だいしんでん》に
|(数)多《あまた》の|聖教徒《せいけうと》|日夜《にちや》に|参集《さんしふ》して|道教《だうけう》を|宣伝《せんでん》し|妙法《めうほう》を|演暢《えんちやう》したまふ|神使《しんし》の|言《げん》に|歓喜《くわんき》し|心解《しんげ》し|得《え》
(は)|四方《しはう》より|自然《しぜん》に|神風《しんぷう》|起《おこ》りて|普《あまね》く|松柏《しようはく》の|宝樹《はうじゆ》を|吹《ふ》き|鳴《な》らし|五大父音《ごだいふおん》の|神声《しんせい》を|出《いだ》して|天下《てんか》|無《む》
|(二)《に》の|妙華《めうげ》を|降《ふ》らし|風《かぜ》に|随《したが》つて|宇内《うだい》を|周遍《しうへん》し|天《あま》の|岩戸開《いはとびら》きの|神業《しんげふ》は|易々《いい》として|天地主宰神《てんちしゆさいしん》|八《や》
|(百)万《ほよろづ》の|神《かみ》と|倶《とも》に|宇都《うづ》の|神業《しんげふ》は|大成《たいせい》され|神示《しんじ》の|許《もと》になれる|是《これ》の|神書《しんしよ》|霊界物語《れいかいものがたり》を|著《あら》はしたる|連《れん》
|(日)《じつ》の|辛苦《しんく》も|稍々《やや》その|光明《くわうみやう》を|輝《かがや》かし|得《う》るに|至《いた》る|可《べ》し|大聖《たいせい》|五六七《みろく》の|神霊《しんれい》|地上《ちじやう》に|降臨《かうりん》して|宇宙間《うちうかん》
(に)|羅列《られつ》|棊布《きふ》せる|一切万有《いつさいばんいう》を|済度《さいど》し|玉《たま》ふその|仁慈《じんじ》は|大海《だいかい》の|如《ごと》く|慧光《ゑくわう》また|明浄《みやうじやう》にして|日月《じつげつ》の|如《ごと》
(し)|清白《せいはく》の|神法《しんぽふ》|具足《ぐそく》して|円満《ゑんまん》|豊備《ほうび》せること|天教山《てんけうざん》の|如《ごと》く|諸《もろもろ》の|神徳《しんとく》を|照《て》らし|玉《たま》ふこと|等一《とういつ》にし
(て)|浄《きよ》きこと|大地《だいち》の|如《ごと》し|浄穢好悪《じやうゑかうお》|等《とう》の|異心《いしん》なきが|故《ゆゑ》に|猶《な》ほ|清浄《しやうじやう》なる|泉《いづみ》の|如《ごと》く|塵労《ぢんらう》もろもろの
|(五)逆十悪《ごぎやくじふあく》を|洗除《せんぢよ》し|玉《たま》ふが|故《ゆゑ》に|猶《な》ほ|火王《くわわう》の|如《ごと》く|一切《いつさい》|煩悩《ぼんなう》の|薪《たきぎ》を|焼滅《せうめつ》し|玉《たま》ふこと|猶《なほ》|大風《たいふう》の|如《ごと》く
|(十)方世界《じつぱうせかい》を|行《ゆ》くに|障礙《しやうげ》なきが|故《ゆゑ》に|猶《な》ほ|虚空《こくう》の|如《ごと》く|一切《いつさい》の|有《う》に|於《おい》て|執着《しふちやく》|無《な》きが|故《ゆゑ》に|蓮《はちす》の|如《ごと》く
|(五)濁《ごぢよく》の|汚染《わぜん》なく|真《しん》に|月《つき》の|皎々《かうかう》として|蒼天《さうてん》に|輝《かがや》くが|如《ごと》し|之《こ》れ|月《つき》の|大神《おほかみ》の|真相《しんさう》にして|霊界物語《れいかいものがたり》
|(編)述《へんじゆつ》する|時《とき》の|吾人《ごじん》の|心境《しんきやう》なりアア|何時迄《いつまで》も|志勇《しゆう》|精進《せうじん》にして|心神《しんしん》|退弱《たいじやく》せず|世《よ》の|灯明《とうみやう》となり|暗《やみ》
(を)|照《て》らし|常《つね》に|導師《だうし》となりて|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》し|正《ただ》しきに|処《しよ》して|万民《ばんみん》を|安《やす》んじ|三垢《さんく》の|障《さは》りを|滅《めつ》し
|(終)身《しうしん》|三界《さんがい》のために|大活躍《だいくわつやく》せしめ|玉《たま》ひて|口述者《こうじゆつしや》を|始《はじ》め|筆録者《ひつろくしや》の|真心《まごころ》を|永遠《ゑいゑん》に|輝《かがや》かし|玉《たま》へと|祈《いの》
(る)も|嬉《うれ》し|五十五編《ごじふごへん》の|霊界物語《れいかいものがたり》|茲《ここ》に|慎《つつし》み|畏《かしこ》み|神助《しんじよ》|天祐《てんいう》の|厚《あつ》きを|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》るアア|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ちはへ》|坐世《ませ》
大正十二年三月五日 旧正月十八日
|総説歌《そうせつか》
|待《ま》ちに|待《ま》つたる|三月三日《さんぐわつみつか》  |三《み》ツの|御魂《みたま》の|開《ひら》け|口《ぐち》
|大《ひろ》く|正《ただ》しき|正月《しやうぐわつ》の  |中《なか》の|六日《むゆか》の|朝日影《あさひかげ》
|東《ひがし》の|空《そら》を|彩《いろど》りて  |書斎《しよさい》の|窓《まど》を|射照《いて》らしつ
|奇《く》しき|尊《たふと》き|神《かみ》ツ|代《よ》の  |顕幽神《けういうしん》の|物語《ものがたり》
|守《まも》らせたまふ|神《かみ》の|家《いへ》  |言霊車《ことたまぐるま》の|軋《きし》る|音《おと》
|只《ただ》|一言《ひとこと》も|漏《も》らさじと  |息《いき》をこらして|松村《まつむら》|加藤《かとう》
いよいよ|五十《ごじふ》と|五《ご》の|坂《さか》を  スタスタ|登《のぼ》り|北村《きたむら》の
|隆《たか》く|光《ひか》れる|日《ひ》の|本《もと》の  |国《くに》の|真秀良場《まほらば》|畳並《たたな》はる
|青垣山《あをがきやま》に|包《つつ》まれし  |綾《あや》の|聖地《せいち》の|竜宮館《りうぐうやかた》
|四《よ》ツ|尾《を》の|霊山《れいざん》|桶伏《をけぶせ》の  |山《やま》を|左右《さいう》に|眺《なが》めつつ
|写《うつ》すも|嬉《うれ》し|印度《ツキ》の|国《くに》  ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》の|悪霊《あくれい》を  |神《かみ》の|稜威《みいづ》に|守《まも》られて
|言向和《ことむけや》はす|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|亀彦《かめひこ》が  |常磐《ときは》の|松《まつ》の|心《こころ》より
|五六七《みろく》の|御代《みよ》を|松彦《まつひこ》や  |教《をしへ》を|四方《よも》に|竜彦《たつひこ》の
|珍《うづ》の|司《つかさ》の|波斯《フサ》の|国《くに》  |猪倉山《ゐのくらやま》に|割拠《かつきよ》せる
|婆羅門教《ばらもんけう》の|宣伝使《せんでんし》  |軍《いくさ》の|司《つかさ》を|兼《か》ね|居《ゐ》たる
|鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》の  |醜《しこ》のゼネラル|始《はじめ》とし
スパール、エミシのカーネルを  |神《かみ》の|誠《まこと》の|言霊《ことたま》に
|助《たす》けて|玉置《たまき》の|村司《むらつかさ》  テームス|首陀《しゆだ》の|愛娘《まなむすめ》
|二人《ふたり》を|救《すく》ひ|救援《きうゑん》に  |向《むか》ひて|敵《てき》に|捕《とら》はれし
|道晴別《みちはるわけ》やシーナまで  |救《すく》ひ|出《いだ》して|立《た》ち|帰《かへ》り
|万公《まんこう》の|徒弟《とてい》にスガール|姫《ひめ》  |配《めあは》し|姉《あね》のスミエルを
シーナの|妻《つま》と|定《さだ》めつつ  |茲《ここ》に|目出度《めでたく》|結婚《けつこん》の
|儀式《ぎしき》をすませ|一同《いちどう》に  |神《かみ》の|教《をしへ》を|克《よ》く|諭《さと》し
|松彦《まつひこ》|竜彦《たつひこ》|従《したが》えて  |神《かみ》のまにまに|月《つき》の|国《くに》
ハルナを|差《さ》して|進《すす》み|行《ゆ》く  |後《あと》に|残《のこ》りしバラモンの
マーシヤル|鬼春別司《おにはるわけつかさ》  |久米彦《くめひこ》スパール、エミシ|等《ら》が
|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|堪《た》えかねて  |髪《かみ》を|剃《おと》して|比丘《びく》となり
ビクトル|山《さん》の|谷間《たにあひ》に  |庵《いほり》を|結《むす》び|三五《あななひ》の
|珍《うづ》の|教《をしへ》に|真心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|清《きよ》く|仕《つか》えたる
|尊《たふと》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》  |述《の》べ|始《はじ》めたる|今日《けふ》こそは
|心《うら》|楽《たの》もしき|春《はる》の|空《そら》  |四方《よも》の|山辺《やまべ》も|雪《ゆき》|解《と》けて
|和知《わち》の|流《なが》れも|滔々《たうたう》と  |水量《みづかさ》|増《まさ》るみづ|御魂《みたま》
|心《こころ》を|洗《あら》ふ|如《ごと》くなり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御魂《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
大正十二年三月三日 旧正月十六日
第一篇 |奇縁万情《きえんばんじやう》
第一章 |心転《しんてん》〔一四〇九〕
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる
|天地《てんち》の|造主《つくりぬし》とます  |大国常立大御神《おほくにとこたちおほみかみ》
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》を|分《わ》け|玉《たま》ひ  |霊国《れいごく》にては|月《つき》の|神《かみ》
|天国《てんごく》にては|日《ひ》の|神《かみ》と  |現《あら》はれまして|天地《あめつち》の
|百《もも》の|霊《みたま》を|悉《ことごと》く  |荘厳無比《さうごんむひ》の|天界《てんかい》に
|助《たす》けむものと|御心《みこころ》を  |配《くば》らせ|玉《たま》ひ|三五《あななひ》の
|教《をしへ》を|天地《てんち》に|拡充《くわくじゆう》し  |百《もも》の|神々《かみがみ》|選《え》り|出《だ》して
|三千世界《さんぜんせかい》の|宣伝使《せんでんし》  |代表神《だいへうしん》となし|玉《たま》ふ
|百《もも》の|司《つかさ》を|統一《とういつ》し  |黄金山《わうごんざん》や|四尾山《よつをやま》
コーカス|山《ざん》やウブスナの  |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|神柱《かむばしら》
|堅磐《かきは》に|常磐《ときは》に|立《た》て|玉《たま》ひ  |世人《よびと》を|導《みちび》き|玉《たま》ひつつ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|地《ち》の|上《うへ》に  |築《きづ》かせ|玉《たま》ふ|尊《たふと》さよ
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|緑《みどり》もスクスクと  |天《てん》に|向《むか》つて|伸《の》びて|行《ゆ》く
|厳《いづ》の|御霊《みたま》や|瑞御霊《みづみたま》  |三五《さんご》の|月《つき》は|大空《おほぞら》に
|丸《まる》き|姿《すがた》を|現《あら》はして  |下界《げかい》を|覗《のぞ》き|玉《たま》ふ|夜半《よは》
|猪倉山《ゐのくらやま》の|渓谷《けいこく》を  |右《みぎ》へ|飛《と》び|越《こ》え|左《ひだり》へ|渡《わた》り
バラモン|教《けう》の|曲軍《まがいくさ》  |三千余騎《さんぜんよき》の|屯《たむろ》せる
|岩窟《がんくつ》さして|登《のぼ》り|行《ゆ》く  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|受《う》けて  |醜《しこ》の|雲霧《くもきり》|悉《ことごと》く
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が  |昼《ひる》|尚《なほ》|暗《くら》き|松林《まつばやし》
|心《こころ》も|清《きよ》き|松彦《まつひこ》や  |聖地《せいち》を|後《あと》に|竜彦《たつひこ》の
|司《つかさ》と|共《とも》にスタスタと  |辿《たど》りて|登《のぼ》る|夜《よる》の|道《みち》
|万公司《まんこうつかさ》は|肩肱《かたひぢ》を  |張《は》つて|先頭《せんとう》に|立《た》ち|乍《なが》ら
|尾《を》の|上《へ》を|渡《わた》る|風《かぜ》の|如《ごと》  |谷《たに》の|流《なが》れの|速《はや》き|如《ごと》
|習《なら》ひ|覚《おぼ》えし|宣伝歌《せんでんか》  |四辺《あたり》の|山彦《やまびこ》|威喝《ゐかつ》して
|勢込《いきほひこ》んで|登《のぼ》り|行《ゆ》く  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》の
|軍《いくさ》の|君《きみ》に|捉《とら》はれて  |岩窟《いはや》の|中《なか》の|陥穽《おとしあな》
|聞《き》くも|悲惨《ひさん》な|境遇《きやうぐう》に  おかれし|四人《よにん》の|肉体《にくたい》を
|救《すく》ひ|出《いだ》すは|此《この》|時《とき》と  |岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふ》みさくみ
|漸《やうや》く|岩窟《いはや》に|辿《たど》り|着《つ》き  |治国別《はるくにわけ》と|諸共《もろとも》に
|神《かみ》の|力《ちから》に|守《まも》られて  |軍《いくさ》の|君《きみ》を|言向《ことむ》けつ
|四人《よにん》を|救《すく》ひスタスタと  |猪倉山《ゐのくらやま》を|駆《か》け|下《くだ》り
|玉木《たまき》の|村《むら》のテームスが  |館《やかた》を|指《さ》して|帰《かへ》り|行《ゆ》く
|五十五巻《ごじふごくわん》の|物語《ものがたり》  |天津日《あまつひ》の|神《かみ》|中空《ちうくう》に
|輝《かがや》き|玉《たま》へど|風《かぜ》|寒《さむ》き  |竜宮館《りうぐうやかた》に|横《よこ》たはり
|十一日《じふいちにち》の|四《よ》つ|時《どき》に  |四角《しかく》な|火鉢《ひばち》を|横《よこ》におき
|焜爐《こんろ》のゴトゴト|沸《たぎ》る|音《おと》  いと|面白《おもしろ》く|聞《き》き|乍《なが》ら
|四角《しかく》の|炬燵《こたつ》に|潜《もぐ》りこみ  |四角《しかく》な|座布団《ざぶとん》|積《つ》み|重《かさ》ね
|枕《まくら》となして|述《の》べて|行《ゆ》く  |吾《あが》|言霊《ことたま》の|発射《はつしや》をば
|万年筆《まんねんひつ》を|手《て》に|握《にぎ》り  |四角《しかく》な|机《つくゑ》に|寄《よ》りかかり
|只《ただ》|一言《ひとこと》も|洩《も》らさじと  |手具脛《てぐすね》ひいて|松村《まつむら》|氏《し》
|心《こころ》|真澄《ますみ》の|空《そら》|清《きよ》く  いとスクスクと|記《しる》し|行《ゆ》く
|五六七《みろく》の|神《かみ》の|物語《ものがたり》  いよいよ|茲《ここ》につけとむる
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし
|花《はな》|咲《さ》き|鳥《とり》は|君ケ代《きみがよ》の  |栄《さか》えを|唄《うた》ふ|春《はる》|過《す》ぎて
|青葉《あをば》もそよぐ|初夏《しよか》の|風《かぜ》  |川《かは》の|流《なが》れも|泡《あわ》|立《た》ちて
ライオン|河《がは》に|上《のぼ》る|鮎《あゆ》  |小鮒《こぶな》や|鰻《うなぎ》|鯰《なまず》まで
ピンピンシヤンと|溌《は》ね|乍《なが》ら  |一瀉千里《いつしやせんり》に|遡《さかのぼ》る
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|物語《ものがたり》  |今《いま》より|三十五万年《さんじふごまんねん》
|三五教《あななひけう》の|神人《かみびと》の  |舎身苦行《しやしんくぎやう》の|有様《ありさま》を
|述《の》べゆく|今日《けふ》こそ|楽《たの》しけれ  |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|吾《あが》|言霊《ことたま》の|寿《ことぶき》は  |幾万年《いくまんねん》の|末《すゑ》までも
|堅磐常磐《かきはときは》に|失《う》せざらむ  |此《この》|世《よ》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》の
|貴《うづ》の|言霊《ことたま》|滔々《たうたう》と  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|流《なが》れゆく
|其《その》|水上《みなかみ》の|一滴《ひとしづく》  |万年筆《まんねんひつ》の|切先《きつさき》に
|滴《したた》る|露《つゆ》の|御恵《おんめぐみ》  |渇《かわ》き|果《は》てたる|霊《みたま》をば
|霑《うるほ》ひ|活《い》かす|物語《ものがたり》  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|御稜威《みいづ》も|高《たか》き|大八洲彦《おほやしまひこ》  |神《かみ》の|命《みこと》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる。
|敗軍《はいぐん》の|大将《たいしやう》、|退却《たいきやく》の|名人《めいじん》、|色情狂《しきじやうきやう》に|等《ひと》しき|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は、|今度《こんど》こそは|如何《いか》なる|敵《てき》の|襲来《しふらい》も|恐《おそ》るる|事《こと》なき|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》と、|心《こころ》を|許《ゆる》し、|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》に、|玉木《たまき》の|村《むら》の|豪農《がうのう》テームスの|娘《むすめ》、スミエル、スガールの|二女《にぢよ》を|誘拐《いうかい》し、|権威《けんゐ》に|任《まか》せ、|獣慾劣情《じうよくれつじやう》を|発揮《はつき》せむと|軍務《ぐんむ》を|打忘《うちわす》れ、|両将軍《りやうしやうぐん》は|互《たがひ》に|恋《こひ》を|争《あらそ》ひつつ、|心《こころ》を|悩《なや》ませ、|競争《きやうそう》の|真最中《まつさいちう》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|道晴別《みちはるわけ》に|踏《ふ》み|込《こ》まれ、|周章狼狽《しうしやうらうばい》の|結果《けつくわ》|奇計《きけい》を|以《もつ》て|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》を|深《ふか》き|陥穽《おとしあな》に|投込《なげこ》み、|又《また》もや|何《いづ》れかの|婦女《ふぢよ》を|誘拐《いうかい》し、|恋《こひ》の|欲望《よくばう》を|達《たつ》せむと、|心《こころ》を|悩《なや》ます|折《をり》もあれ、|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》に、|夜中《やちう》|踏《ふ》み|込《こ》まれ、|二度《にど》ビツクリの|結果《けつくわ》、いよいよ|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い|丸腰《まるごし》となつて、|治国別《はるくにわけ》に|謝罪《しやざい》をなし、|卑怯《ひけふ》|未練《みれん》にも|山寨《さんさい》を|捨《す》てて、|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》を|負《お》ひ、|玉木村《たまきむら》のテームスが|館《やかた》に、|恐《おそ》る|恐《おそ》る|謝罪《しやざい》を|兼《かね》て|行《ゆ》く|事《こと》となつた。
|治国別《はるくにわけ》は|鬼春別《おにはるわけ》|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》に|向《むか》ひ、
|治国《はるくに》『ゼネラルの|御威勢《ごゐせい》、|御芳名《ごはうめい》は|予《かね》て|承《うけたま》はつて|居《を》りましたが、|親《した》しくお|目《め》にかかるのは|今日《けふ》が|初《はじ》めてで|厶《ござ》います。|先《ま》づ|先《ま》づ|御両所《ごりやうしよ》|共《とも》、|御壮健《ごさうけん》にてお|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。|斯《か》くなる|上《うへ》は|四海同胞《しかいどうはう》、|元《もと》より|拙者《せつしや》とゼネラルとの|間《あひだ》に|於《おい》て、|何《なん》の|怨恨《えんこん》もなければ|面倒《めんだう》なる|経緯《いきさつ》もありませぬ。|同《おな》じ|天地《てんち》の|間《あひだ》に|生《せい》を|享《う》けたる|神《かみ》の|御子《みこ》、どうか、|今後《こんご》は|宜《よろ》しく|互《たがひ》に|御懇親《ごこんしん》を|願《ねが》ひたう|厶《ござ》います。|敵《てき》なきに|軍隊《ぐんたい》を|動《うご》かし、|或《あるひ》は|小《ちひ》さき|慾望《よくばう》の|為《ため》、|一人《ひとり》の|暴虐者《ぼうぎやくしや》の|為《ため》に|従僕《じゆうぼく》となつて、|豺狼《さいらう》に|等《ひと》しき|戦《たたかひ》に|従《したが》ふは、|人間《にんげん》として|之《これ》|以上《いじやう》の|悲惨事《ひさんじ》はありますまい。|人生《じんせい》|僅《わづ》か|三百年《さんびやくねん》、|此《この》|短《みじか》き|生命《せいめい》の|間《うち》に、|不老不死《ふらうふし》なる|第二《だいに》の|霊界《れいかい》に|於《お》ける|生涯《しやうがい》の|為《ため》に、|遺憾《ゐかん》なき|準備《じゆんび》をしておかねば、|人間《にんげん》として|現世《げんせ》に|生《うま》れ|来《きた》りし|本分《ほんぶん》を|永遠《ゑいゑん》に|保持《ほぢ》する|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|人《ひと》は|遷善改過《せんぜんかいくわ》の|神性《しんしやう》を|惟神的《かむながらてき》に、|神《かみ》より|賦与《ふよ》されて|居《を》りますから、|今《いま》|此《この》|時《とき》に|於《おい》て|懺悔《ざんげ》の|生活《せいくわつ》に|入《い》り、|神《かみ》の|御子《みこ》たる|本分《ほんぶん》を|発揮《はつき》されむ|事《こと》を|希望《きばう》|致《いた》します』
|鬼春《おにはる》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|今日《こんにち》となつて|吾々《われわれ》も|始《はじ》めて|天地開明《てんちかいめい》の|気分《きぶん》になりました。|尊《たふと》き|有難《ありがた》き|神《かみ》の|慈光《じくわう》に|照《て》らされて、|今《いま》|迄《まで》|為《な》し|来《きた》りし|暴虐無道《ばうぎやくぶだう》の|行動《かうどう》が、|俄《にはか》に|恐《おそ》ろしくなり、|広《ひろ》い|天地《てんち》に|身《み》の|置《お》き|所《どころ》なき|苦《くるし》みに|悶《もだ》えて|居《を》ります。|一日《いちじつ》も|早《はや》く|悔《く》い|改《あらた》め、|誠《まこと》の|道《みち》に|立帰《たちかへ》りたう|厶《ござ》ります。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御指導《ごしだう》を|御願《おねがひ》|致《いた》します』
|久米《くめ》『|治国別《はるくにわけ》の|神司様《かむつかささま》を|始《はじ》め、|御一同様《ごいちどうさま》に|謹《つつし》んで、|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》|同様《どうやう》に、|吾《わが》|身《み》を|御指導《ごしだう》|下《くだ》さらむ|事《こと》を|懇願《こんぐわん》|致《いた》します。|実《じつ》に|只今《ただいま》の|拙者《せつしや》の|心《こころ》は|闇《やみ》を|離《はな》れて|旭《あさひ》に|向《むか》つた|様《やう》な|気分《きぶん》になりました。そして|神様《かみさま》の|神力《しんりき》に|打《う》たれて、|身《み》の|置《お》き|所《どころ》もなき|程《ほど》|恥《はづか》しく|苦《くる》しくなつてきました。|何卒《なにとぞ》|三五《あななひ》の|尊《たふと》き|教《をしへ》を|御指導《ごしだう》あらむ|事《こと》を、|謹《つつし》んでお|願《ねがひ》|致《いた》します』
|万公《まんこう》『モシ|先生《せんせい》、|眉毛《まゆげ》に|唾《つば》をつけてお|聞《き》きなさいませや、|第二《だいに》の|高姫《たかひめ》かも|知《し》れませぬぞや。……|怖《こは》さ|苦《くる》しさの|改心《かいしん》は|何《なん》にもならぬぞよ。|心《こころ》から|発根《ほつこん》の|改心《かいしん》でなければ、すぐに|後《あと》へ|戻《もど》るから、|何程《なにほど》うまい|事《こと》を|申《まを》しても、メツタに|乗《の》るではないぞよ……とお|筆先《ふでさき》に|出《で》て|居《を》りますぞや。|万公《まんこう》が|一寸《ちよつと》|御注意《ごちゆうい》を|致《いた》します』
|竜公《たつこう》『コリヤ|万公《まんこう》、お|前《まへ》の|分《わか》る|事《こと》ぢやない。|黙《だま》つて|控《ひか》えて|居《ゐ》なさい』
|万公《まんこう》『ヘン、|偉相《えらさう》に|仰有《おつしや》いますなア。|夢《ゆめ》の|内《うち》に|第一天国《だいいちてんごく》を|探険《たんけん》したと|思《おも》うて、さう|威張《ゐば》るものぢやありませぬぞや』
|治国《はるくに》『ゼネラル|様《さま》、|然《しか》らば|之《これ》より|四人《よにん》の|男女《だんぢよ》が|少《すこ》し|許《ばか》り|負傷《ふしやう》して|居《を》りますれば、|兎《と》も|角《かく》|玉木村《たまきむら》のテームス|館《やかた》|迄《まで》|送《おく》らねばなりますまい、|貴方《あなた》も|一緒《いつしよ》に|参《まゐ》りませう』
|鬼春《おにはる》『ハイ、|是非《ぜひ》お|供《とも》をさして|頂《いただ》きませう。|付《つ》いては|四人《よにん》を|負傷《ふしやう》さしましたのも、|全《まつた》く|吾々《われわれ》で|厶《ござ》いますから、|此《この》|山阪《やまさか》を|背《せ》に|負《お》ひ|申《まを》して|送《おく》らして|貰《もら》ひませう』
|治国《はるくに》『|左様《さやう》な|事《こと》をなさらいでも、|貴方《あなた》の|家来《けらい》も|沢山《たくさん》あるでせう』
|鬼春《おにはる》『イエイエ|何程《なにほど》|家来《けらい》があつても、|家来《けらい》の|知《し》つた|事《こと》ではありませぬ。|又《また》|今日《こんにち》|只《ただ》|今《いま》|改心《かいしん》を|致《いた》しました|上《うへ》は、|一人《いちにん》の|家来《けらい》も|持《も》ちませぬ。|何卒《どうぞ》|罪亡《つみほろ》ぼしに、|道晴別《みちはるわけ》|様《さま》の|馬《うま》となつて|背《せ》に|乗《の》せ、|送《おく》り|届《とど》けさして|貰《もら》ひませう。|之《これ》がせめてもの|拙者《せつしや》の|罪亡《つみほろ》ぼし、|枉《ま》げてお|許《ゆる》しを|願《ねが》ひます』
|治国《はるくに》『|然《しか》らばお|望《のぞ》みに|任《まか》しませう』
|久米《くめ》『|拙者《せつしや》はシーナさまを|背《せ》に|負《お》ひ、お|供《とも》を|致《いた》しませう』
|万公《まんこう》『|拙者《せつしや》はスガールさまを|背《せ》に|負《お》うてお|送《おく》り|致《いた》しませう』
|久米《くめ》『ヤ、|滅相《めつさう》な、スガールさまはエミシに|負《お》はせませう』
|鬼春《おにはる》『オイ、スパール、お|前《まへ》も|責任《せきにん》がないとは|言《い》へぬ。|何卒《どうぞ》スミエルさまを|背《せ》に|負《お》うてお|送《おく》り|申《まを》すやうにしてくれ』
|万公《まんこう》『モシ|先生《せんせい》、|何程《なにほど》|改心《かいしん》したと|云《い》つても、こんな|半獣的《はんじうてき》|豪傑《がうけつ》に|女《をんな》を|渡《わた》すのは|剣呑《けんのん》です。|一人《ひとり》は|背《せ》に|負《お》ひ、|一人《ひとり》は|拙者《せつしや》が|手《て》を|曳《ひ》いて、|送《おく》りますから、|婦人部《ふじんぶ》は|此《この》|万公《まんこう》に|御委任《ごゐにん》を|願《ねが》ひます。|油断《ゆだん》のならぬ|男《をとこ》|許《ばか》りですからなア』
|治国《はるくに》『アハハハ、|万公《まんこう》なら、|尚《なほ》|剣呑《けんのん》だ。|兎《と》も|角《かく》|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》の|御意見《ごいけん》に|任《まか》す|事《こと》にする』
|万公《まんこう》『ヘーエ、さうですかなア、……コレ|松彦《まつひこ》さま、|貴方《あなた》|何《ど》う|考《かんが》へますか、どうもマ|一《ひと》つ|此《この》|万公《まんこう》は|油断《ゆだん》がならないやうな|気《き》がしますがなア』
|松彦《まつひこ》『さうだ、|万公《まんこう》|位《くらゐ》|油断《ゆだん》のならぬ|男《をとこ》はないだらう、アハハハ』
|鬼春別《おにはるわけ》はシヤム、マルタのカーネルを|招《よ》んで|自分《じぶん》が|愈《いよいよ》|前非《ぜんぴ》を|後悔《こうくわい》し、|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し、|普通《ふつう》の|信者《しんじや》となつて、|神《かみ》の|為《ため》|世《よ》の|為《ため》に|相当《さうたう》の|働《はたら》きをなし、|世《よ》に|隠《かく》るる|事《こと》を|告《つ》げ、|軍隊《ぐんたい》|一般《いつぱん》に|向《むか》つて|其《その》|由《よし》を|伝達《でんたつ》せしめ、|且《か》つ|何《いづ》れも|本国《ほんごく》に|帰《かへ》つて、|正道《せいだう》につき|各《おのおの》|其《その》|家業《かげふ》を|励《はげ》むべき|事《こと》を|伝達《でんたつ》せしめた。|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》は|案《あん》に|相違《さうゐ》の|命令《めいれい》に|呆《あき》れ|果《は》て、|喜《よろこ》んで|帰《かへ》るものもあり、|又《また》ブツブツ|小言《こごと》を|云《い》つて|自由自在《じいうじざい》に|本国《ほんごく》へは|帰《かへ》らず、|思《おも》ひ|思《おも》ひの|事業《じげふ》を|考《かんが》へ、|身《み》の|振方《ふりかた》を|定《さだ》むるもあり、|種々雑多《しゆじゆざつた》の|方向《はうかう》に|向《むか》つて|別《わか》れ|行《ゆ》く|事《こと》となつた。されど|素《もと》より|烏合《うがふ》の|衆《しう》のみなれば|残党《ざんたう》を|集《あつ》めて、|今《いま》|一戦《ひといくさ》を|起《おこ》し、バラモンの|教主《けうしゆ》|大黒主《おほくろぬし》の|為《ため》に|一肌《ひとはだ》|脱《ぬ》がむとする|勇者《ゆうしや》も|出《で》なかつたのは、|天下《てんか》の|為《ため》に|幸《さいはひ》である。
|治国別《はるくにわけ》は|先《ま》づ|第一《だいいち》に|岩窟《がんくつ》を|出《い》で、|数多《あまた》の|軍人《ぐんじん》が|各《かく》|解散《かいさん》の|命《めい》を|受《う》けて、|一言《ひとこと》も|呟《つぶや》かず|抵抗《ていかう》もせず|素直《すなほ》に|帰《かへ》り|行《ゆ》くを|見《み》て、|全《まつた》く|大神《おほかみ》の|御神力《ごしんりき》と、|大地《だいち》に|静座《せいざ》し、|三五教《あななひけう》を|守《まも》り|玉《たま》ふ|大神《おほかみ》を|始《はじ》め、バラモン|神《しん》|及《および》|盤古神王《ばんこしんわう》の|厚《あつ》き|守護《しゆご》を|感謝《かんしや》し、|愈《いよいよ》|猪倉山《ゐのくらやま》を|一行《いつかう》|十二人《じふににん》|降《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二六 旧一・一一 於竜宮館 松村真澄録)
第二章 |道謡《だうえう》〔一四一〇〕
|鬼春別《おにはるわけ》ほか|三人《さんにん》はチェニェクもホーレージ・キャップも|取外《とりはづ》し、クリーケース|気分《きぶん》に|離《はな》れて、|性来《しやうらい》の|本心《ほんしん》にシンブリ・フヰケーシャンし|乍《なが》ら、|生《うま》れ|赤児《あかご》の|様《やう》な|気《き》になつて、|治国別《はるくにわけ》と|共《とも》にゴロゴロした|岩《いは》と|岩《いは》との|間《あひだ》を|伝《つた》うて、|重《おも》い|男《をとこ》を|背《せな》に|負《お》ひ、|一歩々々《ひとあしひとあし》、|三五教《あななひけう》の|祝詞《のりと》は|分《わか》らぬ|為《ため》、バラモンの|御経《おきやう》を|唱《とな》へ|乍《なが》ら、|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》して|下《くだ》り|行《ゆ》く。|鬼春別《おにはるわけ》は|今《いま》|迄《まで》のゼネラル|生活《せいくわつ》に|似《に》もやらず、|苦力《クーリー》の|様《やう》な|御用《ごよう》を|志願《しぐわん》し、せめてもの|罪亡《つみほろ》ぼしと|覚悟《かくご》をきわめ、|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
『|東方《とうはう》には|降三世明王《ごうさんぜみやうわう》。|南方《なんぱう》には|軍荼利夜叉明王《ぐんだりやしやみやうわう》。|西方《さいはう》には|大威徳明王《だいゐとくみやうわう》。|北方《ほつぱう》には|金剛夜叉明王《こんがうやしやみやうわう》。|中央《ちうあう》には|大日大聖不動明王《だいにちだいしやうふどうみやうわう》。|〓呼〓々々《おんころころ》、|旋荼利摩登枳《せんだりまとうぎ》、|〓阿毘羅吽見娑婆呵《おんあびらうんけんそはか》、|吽多羅屯干〓《うんたらたかんまん》、|見我身者《けんがしんじや》、|発菩提心《ほつぼだいしん》、|見我身者《けんがしんじや》、|発菩提心《ほつぼだいしん》、|聞我名者《もんがみやうじや》、|断悪修善《だんあくしうぜん》、|聴我説者《ちやうがせつしや》、|得大智慧《とくだいちゑ》、|知我心者《ちがしんしや》、|即身成仏《そくしんじやうぶつ》、|知我心者《ちがしんしや》、|即身成仏《そくしんじやうぶつ》、|阿褥多羅三貘三菩提心《あのくたらさんみやくさんぼだいしん》、|帰命頂礼《きめうちやうらい》、|修法加持《しうほふかぢ》、|南無波羅門大尊天《なむばらもんだいそんてん》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈《いの》つてゐる。|久米彦《くめひこ》も|負《まけ》ず|劣《おと》らず、|鬼春別《おにはるわけ》の|顰《ひん》に|傚《なら》うて、|経文《きやうもん》を|称《とな》へむとしたが、|余《あま》りの|苦《くる》しさに|言句《げんく》つまり、|一生《いつしやう》の|肝玉《きもだま》を|放《ほ》り|出《だ》して、|三五教《あななひけう》の|讃美歌《さんびか》を|捻《ひね》り|出《だ》し|歌《うた》つて|見《み》た。|不思議《ふしぎ》にも|三五教《あななひけう》の|歌《うた》なれば、|水《みづ》の|流《なが》るる|如《ごと》く、|惟神的《かむながらてき》にほとばしり、|身体《からだ》の|苦痛《くつう》も|何時《いつ》しか|忘《わす》れて|了《しま》つた。
|久米《くめ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あらは》れて  |善神《ぜんしん》|邪神《じやしん》を|立別《たてわ》ける
|何《なに》|猪口才《ちよこざい》な|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|使《つかひ》が|如何《いか》にして
|神力《しんりき》|無限《むげん》の|自在天《じざいてん》  |大国彦《おほくにひこ》に|敵《てき》し|得《え》む
|馬鹿《ばか》を|尽《つく》すも|程《ほど》がある  |只《ただ》|一息《ひといき》に|攻《せ》め|寄《よ》せて
|三五教《あななひけう》の|神柱《かむばしら》  |一泡《ひとあわ》|吹《ふ》かしくれむずと
はるばるハルナを|立出《たちい》でて  |夜《よ》を|日《ひ》についで|大野原《おほのはら》
|険《けは》しき|山《やま》を|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り  |沼河《ぬまかは》|数多《あまた》|打渡《うちわた》り
|浮木《うきき》の|森《もり》に|屯《たむろ》して  |吾《わ》れは|片彦将軍《かたひこしやうぐん》と
|馮河暴虎《ひようがばうこ》の|勢《いきほひ》で  |河鹿峠《かじかたうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く
|神《かみ》の|守《まも》りし|此《この》|軍《いくさ》  いかでか|敵《てき》に|破《やぶ》れむや
|進《すす》め|進《すす》めと|下知《げち》しつつ  |河鹿峠《かじかたうげ》の|八合目《はちがふめ》
|進《すす》む|折《をり》しも|宣伝使《せんでんし》  |治国別《はるくにわけ》が|現《あらは》れて
|生言霊《いくことたま》を|打出《うちいだ》し  |其《その》|神力《しんりき》に|圧倒《あつたう》され
|全体《ぜんたい》くづれ|逃出《にげいだ》す  |其《その》|光景《くわうけい》の|惨《みぢ》めさよ
おぢけついたる|吾々《われわれ》は  |進《すす》みもならず|退《しりぞ》くも
|吾《わが》|神軍《しんぐん》の|体面《たいめん》に  |拘《かかは》り|来《きた》る|一大事《いちだいじ》
|暫《しばら》くここで|痩我慢《やせがまん》  |張《は》つて|時節《じせつ》を|待《ま》つべしと
|鬼春別《おにはるわけ》の|将軍《しやうぐん》に  |謀《はか》りて|来《きた》るビクトリヤ
|渠《かれ》が|居城《きよじやう》を|襲撃《しふげき》し  |凱《かちどき》|挙《あ》げたる|其《その》|時《とき》に
|天津乙女《あまつおとめ》か|天人《てんにん》か  |但《ただし》は|神《かみ》の|御化身《ごけしん》か
|譬方《たとへがた》なきヒルナ|姫《ひめ》  カルナの|姫《ひめ》の|両《りやう》ナイス
|駕籠《かご》に|舁《かつ》がれ|出《い》で|来《きた》り  |吾等《われら》|二人《ふたり》をいろいろと
|恋《こひ》の|魔《ま》の|手《て》にあやなして  |吾《わが》|全軍《ぜんぐん》を|紊《みだ》しけり
|神《かみ》ならぬ|身《み》の|吾々《われわれ》は  |女《をんな》と|思《おも》ひ|気《き》を|許《ゆる》し
いと|残酷《ざんこく》な|恥《はぢ》をかき  |男《をとこ》の|面《かほ》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》り
|悔《くや》しまぎれに|猪倉《ゐのくら》の  |山《やま》の|岩窟《いはや》に|立籠《たてこも》り
|玉木《たまき》の|村《むら》のテームスが  |館《やかた》に|美人《びじん》ありと|聞《き》き
|部下《ぶか》の|兵士《つはもの》|遣《つか》はして  |苦《く》もなく|奪《うば》ひ|帰《かへ》らせつ
|千変万化《せんぺんばんくわ》の|秘術《ひじゆつ》をば  |尽《つく》して|挑《いど》み|戦《たたか》へど
|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かない  |意想外《いさうぐわい》なるスガール|姫《ひめ》の
|清《きよ》き|誠《まこと》の|剛情《がうじやう》に  |流石《さすが》の|吾等《われら》も|辟易《へきえき》し
|持《もち》あぐみたる|時《とき》もあれ  |道晴別《みちはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》
シーナと|共《とも》に|現《あらは》れて  |言霊車《ことたまくるま》|押出《おしだ》せば
|味方《みかた》は|一時《いちじ》に|驚《おどろ》いて  |一時《ひととき》のがれの|窮策《きうさく》に
|前後《あとさき》|見《み》ずにふん|縛《じば》り  |千尋《ちひろ》の|深《ふか》き|陥穽《かんせい》に
|押込《おしこ》みたるぞ|浅《あさ》ましき  |又《また》もや|第二《だいに》の|候補者《こうほしや》を
あさりて|軍《いくさ》の|無聊《ぶれう》をば  |慰《なぐさ》めやらむと|謀《はか》る|内《うち》
|再《ふたた》び|聞《きこ》ゆる|宣伝歌《せんでんか》  |雷《らい》の|如《ごと》くに|響《ひび》き|来《く》る
|吾《わが》|身《み》に|巣《す》ぐふ|曲神《まがかみ》は  |驚《おどろ》き|慌《あわ》てふためきて
|肉体《にくたい》|見《み》すてて|逃《に》げ|出《いだ》す  それより|吾等《われら》は|夢《ゆめ》も|醒《さ》め
|曇《くも》り|切《き》つたる|魂《たましひ》に  |忽《たちま》ち|日月《じつげつ》|輝《かがや》きて
|吾《わが》|身《み》の|愚眛《ぐまい》を|自覚《じかく》しぬ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》は|吾々《われわれ》を  |未《いま》だ|棄《す》てさせ|玉《たま》はぬと
|悟《さと》つた|時《とき》の|有難《ありがた》さ  |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》
|一旦《いつたん》|神《かみ》に|従《したが》ひし  |此《この》|久米彦《くめひこ》はどこ|迄《まで》も
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|為《ため》に|身《み》をつくし
|心《こころ》を|砕《くだ》き|只管《ひたすら》に  |真《まこと》の|務《つと》めに|仕《つか》ふべし
|先《ま》づ|第一《だいいち》に|吾々《われわれ》は  |神《かみ》に|帰順《きじゆん》の|首途《かどいで》と
シーナの|司《つかさ》を|背《せな》に|負《お》ひ  |此《この》|急阪《きふはん》を|下《くだ》りつつ
|行《ゆ》かれる|道《みち》ぢやなけれ|共《ども》  |鍋《なべ》をかぶつてテームスの
|館《やかた》に|進《すす》み|今《いま》|迄《まで》の  |百《もも》の|罪《つみ》をば|謝罪《しやざい》して
|三五教《あななひけう》の|信徒《まめひと》と  |仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|惟神《かむながら》
|許《ゆる》させ|玉《たま》へ|大御神《おほみかみ》  |国治立《くにはるたち》の|大前《おほまへ》に
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる』
と|述懐《じゆつくわい》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|下《くだ》り|行《ゆ》く。|松彦《まつひこ》は|先頭《せんとう》に|立《た》ち、|心《こころ》|静《しづか》に|小声《こごゑ》で|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|松彦《まつひこ》『|音《おと》に|名高《なだか》き|猪倉《ゐのくら》の  |山《やま》の|砦《とりで》に|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|司《つかさ》|四人連《よにんづれ》  スミエル、スガール|両人《りやうにん》を
|救《すく》はむ|為《ため》に|出《い》でませし  |道晴別《みちはるわけ》の|宣伝使《せんでんし》
シーナの|司《つかさ》を|救《すく》はむと  |玉木《たまき》の|村《むら》のテームスが
|依頼《いらい》を|受《う》けて|登《のぼ》り|行《ゆ》く  バラモン|教《けう》の|軍人《いくさびと》
|三千余騎《さんぜんよき》が|立籠《たてこも》り  |天地《てんち》も|震《ふる》ふ|勢《いきほひ》に
おめず|恐《おそ》れず|惟神《かむながら》  |神《かみ》のまにまに|出《い》でゆけば
|無人《むじん》の|野辺《のべ》をゆく|如《ごと》く  |足《あし》も|安々《やすやす》|気《き》も|軽《かる》く
|事《こと》なく|岩窟《いはや》に|立向《たちむか》ひ  |思《おも》ひもよらぬゼネラルが
|清《きよ》き|心《こころ》の|御光《みひかり》に  |吾等《われら》の|胸《むね》も|晴《は》れ|渡《わた》り
|敵《てき》と|味方《みかた》の|隔《へだ》てをば  |科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹払《ふきはら》ひ
|恨《うらみ》も|夏《なつ》の|山路《やまみち》を  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》に|濡《ぬ》れ
|下《くだ》りて|来《きた》る|勇《いさ》ましさ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|猪倉山《ゐのくらやま》の|谷水《たにみづ》は  いや|永久《とこしへ》に|淙々《そうそう》と
|飛沫《ひまつ》をとばし|水晶《すいしやう》の  |玉《たま》を|岩間《いはま》にかざしつつ
|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》|相奏《あひかな》で  |吾等《われら》|一行《いつかう》の|凱旋《がいせん》を
|宛然《さながら》|祝《しゆく》する|如《ごと》くなり  |木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|青々《あをあを》と
|天津御風《あまつみかぜ》に|吹《ふ》かれつつ  |清《きよ》き|音楽《おんがく》|合唱《がつしやう》し
|彼方此方《あなたこなた》に|鳴《な》き|渡《わた》る  |山時鳥《やまほととぎす》|声《こゑ》|清《きよ》く
|名《な》さへも|知《し》れぬ|諸鳥《もろどり》が  |歓喜《くわんき》の|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|天《あま》の|岩戸《いはと》の|御前《おんまへ》に  |楽《がく》を|奏上《そうじやう》したる|如《ごと》
|勇《いさ》みの|声《こゑ》は|遠近《をちこち》に  |耳《みみ》をすまして|聞《きこ》え|来《く》る
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|真相《しんさう》を  |今《いま》|目《ま》のあたりみる|心地《ここち》
げにも|楽《たの》しき|次第《しだい》なり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|包《つつ》まれて  |四人《よにん》の|難《なん》を|救《すく》ひつつ
|玉木《たまき》の|村《むら》を|指《さ》して|行《ゆ》く  |今日《けふ》の|旅路《たびぢ》の|楽《たの》しさよ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|成功《せいこう》を
|慎《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
|万公《まんこう》は|一行《いつかう》の|最後《さいご》より、|山道《やまみち》を|下《くだ》り|乍《なが》ら、|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
|万公《まんこう》『|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》は  |世《よ》に|聞《きこ》えたる|大魔窟《だいまくつ》
|鬼《おに》が|棲《す》みしと|世《よ》の|人《ひと》の  |怖《おそ》れてよらぬも|無理《むり》ならず
|鬼雲彦《おにくもひこ》の|大棟梁《だいとうりやう》  |大黒主《おほくろぬし》に|仕《つか》へたる
|鬼将軍《おにしやうぐん》と|聞《きこ》えたる  |鬼春別《おにはるわけ》が|陣取《ぢんど》つて
|鬼《おに》か|大蛇《をろち》か|曲津見《まがつみ》か  |八岐大蛇《やまたをろち》のする|様《やう》な
|人《ひと》の|娘《むすめ》を|誘拐《かどわか》し  |酒《さけ》の|肴《さかな》に|朝夕《あさゆふ》に
|供《そな》へむものと|企《たく》みたる  |其《その》|計略《けいりやく》も|曝露《ばくろ》して
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が
|案内《あない》もなしに|穴《あな》の|中《なか》  |穴面白《あなおもしろ》や|面白《おもしろ》や
【あんな】を|狙《ねら》うた|蛇蛙《へびがへる》  |今《いま》や|呑《の》まむとする|時《とき》に
ヌツと|現《あら》はれ|万公司《まんこうし》  |捻鉢巻《ねぢはちまき》もいかめしく
ドンドンドンとつめよつて  |鬼春別《おにはるわけ》のゼネラルの
|肝《きも》を|冷《ひや》した|健気《けなげ》さよ  ああ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや
これから|万公神司《まんこうかむつかさ》  |玉木《たまき》の|里《さと》に|立向《たちむか》ひ
|手柄話《てがらばなし》を|打明《うちあ》けて  テームス|夫婦《ふうふ》を|驚《おどろ》かせ
|其《その》|軍功《ぐんこう》を|誇《ほこ》りつつ  |金鵄勲章《きんしくんしやう》の|代用《だいよう》に
スガール|姫《ひめ》を|頂戴《ちやうだい》し  |夫婦《ふうふ》が|手《て》に|手《て》を|取《とり》かはし
|御伴《みとも》の|役《やく》を|辞職《じしよく》して  |玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》とし
|傍《かたはら》|神《かみ》を|念《ねん》じつつ  |安《やす》く|一生《いつしやう》を|送《おく》らむと
|期待《きたい》したりし|吾《わが》|願《ねがひ》  |漸《やうや》く|成就《じやうじゆ》の|暁《あかつき》に
|向《むか》つて|来《き》たか|有難《ありがた》や  |神《かみ》の|御為《おんため》|道《みち》の|為《ため》
お|菊《きく》の|奴《やつ》を|思《おも》ひ|切《き》り  |又《また》もやダイヤを|諦《あきら》めて
|三遍《さんべん》|蛇《じや》の|子《こ》のスガール|姫《ひめ》  |如何《いか》に|無情《むじやう》な|師《し》の|君《きみ》も
|今度《こんど》は|聞《き》いてくれるだろ  |万公《まんこう》の|様《やう》な|人格者《じんかくしや》
|神《かみ》の|司《つかさ》は|荷《に》が|重《おも》い  |霊相応《みたまさうおう》といふことを
|考《かんが》へ|遊《あそ》ばし|治国《はるくに》の  |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》よ|改《あらた》めて
|此《この》|縁談《えんだん》の|斡旋《あつせん》を  すすめて|下《くだ》さい|頼《たの》みます
|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》  |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |此《この》|事《こと》|聞《き》いて|下《くだ》さらば
|霊相応《みたまさうおう》の|働《はたら》きを  |致《いた》してお|目《め》にかけませう
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  キツと|願望成就《ぐわんまうじやうじゆ》して
|里庄《りしやう》の|家《うち》の|婿《むこ》となり  |名《な》を|末代《まつだい》に|輝《かがや》かし
|村人達《むらびとたち》を|三五《あななひ》の  |誠《まこと》の|道《みち》に|救《すく》ひやり
|三五教《あななひけう》の|神徳《しんとく》を  |堅磐常磐《かきはときは》にあらはさむ
|許《ゆる》させ|玉《たま》へ|師《し》の|君《きみ》よ  |金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》
イドムの|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |今《いま》から|願《ねが》ひおきまする』
と|自分勝手《じぶんかつて》な|脱線歌《だつせんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|山路《やまみち》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。|道晴別《みちはるわけ》、シーナ、スミエル、スガールは|万公《まんこう》の|歌《うた》を|聞《き》いて|吹《ふ》き|出《だ》し、|背《せな》に|負《お》はれ|乍《なが》ら|負傷《ふしやう》の|苦《く》を|忘《わす》れて、『アハハハ、オホホホ』と|笑《わら》ひ|出《だ》した。|併《しか》し|乍《なが》ら|万公《まんこう》の|此《この》|外《ほか》のいろいろ|面白《おもしろ》き、|間断《かんだん》なき|歌《うた》に、|一同《いちどう》は|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|笑《わら》ひに|紛《まぎ》れ、いつとはなしに|玉木《たまき》の|村《むら》のテームスが|門前《もんぜん》に|無事《ぶじ》に|帰《かへ》ることを|得《え》た。
(大正一二・二・二六 旧一・一一 於竜宮館 松村真澄録)
第三章 |万民《まんみん》〔一四一一〕
|鬼将軍《おにしやうぐん》と|世《よ》の|人《ひと》に  |恐《おそ》れられたるバラモンの
|鬼春別《おにはるわけ》は|漸《やうや》くに  |心《こころ》に|悔悟《くわいご》の|花《はな》|開《ひら》き
|前非《ぜんぴ》を|悔《く》いて|大神《おほかみ》の  |尊《たふと》き|恵《めぐみ》を|覚《さと》りつつ
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神徳《しんとく》は  |汲《く》めども|尽《つ》きぬ|久米彦《くめひこ》が
スパール、エミシと|諸共《もろとも》に  |心《こころ》の|空《そら》も|治国別《はるくにわけ》の
|神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》に  |帰順《きじゆん》しまつり|常磐木《ときはぎ》の
|動《うご》かぬ|心《こころ》の|松彦《まつひこ》や  |醜《しこ》の|岩窟《いはや》を|竜彦《たつひこ》の
|司《つかさ》と|共《とも》に|阪道《さかみち》を  スタスタ|帰《かへ》る|神司《かむつかさ》
|道晴別《みちはるわけ》やシーナをば  |背《せな》に|負《お》ぶつて|許々多久《ここたく》の
|罪《つみ》や|穢《けが》れの|贖《あがなひ》と  |川《かは》の|流《なが》れもスミエルの
|谷間《たにま》を|渉《わた》り|大神《おほかみ》に  |誠《まこと》を|捧《ささ》げてスガール|姫《ひめ》
|万公司《まんこうつかさ》に|送《おく》られて  |屠所《としよ》の|羊《ひつじ》のトボトボと
|悄気返《せうげかへ》りたる|足許《あしもと》も  |漸《やうや》く|茲《ここ》に|玉木村《たまきむら》
テームス|館《やかた》の|門前《もんぜん》に  |月《つき》|照《て》る|空《そら》の|夕間暮《ゆふまぐ》れ
|首《くび》を|傾《かたむ》け|汗《あせ》|流《なが》し  |息《いき》もせきせき|帰《かへ》り|着《つ》く。
|万公《まんこう》は|表《おもて》に|立《た》ち|止《と》まり  |大音声《だいおんじやう》を|張《は》り|上《あ》げて
『|玉木《たまき》の|村《むら》のテームスよ  それに|仕《つか》ふる|僕《しもべ》|等《たち》
|一時《いちじ》も|早《はや》く|凱旋《がいせん》の  |宣伝将軍《せんでんしやうぐん》|迎《むか》へ|入《い》れ
|歓喜《くわんぎ》の|涙《なみだ》に|浴《よく》すべし  そも|吾々《われわれ》は|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》の|宣伝使《せんでんし》  |治国別《はるくにわけ》の|一《いち》の|弟子《でし》
|万公別《まんこうわけ》の|命《みこと》ぞや  |猪倉山《ゐのくらやま》に|立籠《たてこ》もる
バラモン|軍《ぐん》のゼネラルと  |羽振《はぶ》り|利《き》かした|大将《たいしやう》を
|箒木《はうき》で|蝶《てふ》を|叩《たた》く|様《やう》に  いと|容易《やすやす》と|生捕《いけど》つて
|芽出度《めでた》く|凱旋《がいせん》なしにけり  【くめ】ども|尽《つ》きぬ|久米彦《くめひこ》の
|悪業《あくごふ》|多《おほ》き|身魂《みたま》をば  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》に
|谷《たに》の|流《なが》れに|洗《あら》はれて  |今《いま》は|誠《まこと》の|人《ひと》となり
スツパリもとの|生身魂《いくみたま》  スパール、エミシのカーネルが
|万公別《まんこうわけ》のお|伴《とも》して  |二人《ふたり》の|姫《ひめ》を|送《おく》りつつ
|此処《ここ》にお|詫《わび》を|致《いた》さむと  いと|殊勝《しゆしよう》にも|来《きた》りけり
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》|諸共《もろとも》に
|尊《たふと》き|司《つかさ》にましませど  |万公別《まんこうわけ》が|居《を》らなけりや
|如何《どう》しても|斯《か》うしても|此《この》|戦《いくさ》  これ|程《ほど》うまく|行《ゆ》きはせぬ
|喜《よろこ》び|玉《たま》へテームスよ  ベリシナ|姫《ひめ》のお|婆《ば》アさま
|早《はや》く|此《この》|門《もん》|開《あ》けなされ  |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》を|何時《いつ》|迄《まで》も
これ|程《ほど》|蚊《か》の|喰《く》ふ|門《もん》の|前《まへ》  |立《た》たせて|置《お》くは|失礼《しつれい》ぢや
|万公別《まんこうわけ》もちと|困《こま》る  |開《ひら》けよ|開《ひら》け|表門《おもてもん》
|常夜《とこよ》の|暗《やみ》も|一時《いつとき》に  |明《あ》け|放《はな》れたる|岩戸口《いはとぐち》
|歌舞音楽《かぶおんがく》を|調《ととの》へて  |吾等《われら》|一行《いつかう》の|英雄《えいゆう》を
|早《はや》く|歓迎《くわんげい》|致《いた》すべし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|代《かは》りて|万公別《まんこうわけ》  |館《やかた》の|主《あるじ》に|気《き》をつける』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|門《もん》の|戸《と》が|割《わ》れる|程《ほど》|殴《なぐ》つて|居《ゐ》る。|門番《もんばん》の|乙《おつ》|丙《へい》は|万公《まんこう》の|歌《うた》を|聞《き》いて|胸《むね》を|轟《とどろ》かせ、バラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》が、|又《また》もや、あんな|事《こと》を|云《い》つて|門《もん》を|開《ひら》かせ|倉《くら》につないで|置《お》いた|両人《りやうにん》を|奪還《とりかへ》しに|来《き》たのではあるまいかと|案《あん》じ|案《あん》じ|奥《おく》の|間《ま》に|駆《か》け|込《こ》んで、テームスの|前《まへ》に……|数多《あまた》の|人々《ひとびと》が|門外《もんぐわい》へ|押寄《おしよ》せ|来《き》たれり……、と|報告《はうこく》した。テームスは……|物騒《ぶつそう》な|世《よ》の|中《なか》|油断《ゆだん》はならぬ……と|身仕度《みじたく》をなし|槍《やり》を|小脇《こわき》に|抱《かか》へ|乍《なが》ら、|兎《と》も|角《かく》|様子《やうす》を|窺《うかが》はむと|密《ひそ》かに|門口《かどぐち》に|立現《たちあら》はれ、|門《もん》の|戸《と》に|隔《へだ》てられて|一行《いつかう》の|姿《すがた》は|見《み》えねども……|何《なん》だか|娘《むすめ》の|帰《かへ》つた|様《やう》な|気配《けはい》がする、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|娘《むすめ》を|助《たす》けて|帰《かへ》つて|下《くだ》さつたのではあるまいか。|但《ただ》しは|敵《てき》に|捕《と》らはれ|玉《たま》ひ|悲惨《ひさん》な|憂目《うきめ》に|会《あ》はせ|玉《たま》うたのではなからうか。|敵《てき》は|勢《いきほひ》に|乗《じやう》じて|吾《わが》|館《やかた》を|打滅《うちほろぼ》さむと|押寄《おしよ》せ|来《きた》りしには|非《あら》ずや……と、とつおいつ|思案《しあん》に|暮《く》れて|暫《しば》し|佇《たたず》み|考《かんが》へてゐる。
シーナは|傷《きず》だらけの|頭《あたま》をふり|乍《なが》ら、|苦《くる》しさうな|声《こゑ》で、
シーナ『|旦那様《だんなさま》、シーナで|厶《ござ》ります。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|助《たす》けによつてお|嬢《ぢやう》さまと|共《とも》に|無事《ぶじ》に|皈《かへ》りました。|何卒《どうぞ》|此《この》|門《もん》|開《あ》けて|下《くだ》さいませ』
と|呶鳴《どな》つて|見《み》たが、どうしても|厚《あつ》い|門扉《もんぴ》に|隔《へだ》てられて|中《なか》へは|聞《きこ》えなかつた。|万公《まんこう》はもどかしがり|大声《おほごゑ》にて、
|万公《まんこう》『|吾《われ》こそは、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|片腕《かたうで》と|仕《つか》へまつる、|天下無双《てんかむさう》の|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》、|万公別命《まんこうわけのみこと》で|厶《ござ》る。|館《やかた》の|主《あるじ》テームス|殿《どの》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|表門《おもてもん》を|開《ひら》かれよ。|某《それがし》の|申《まを》す|言葉《ことば》に|間違《まちがひ》は|厶《ござ》らぬ』
と|呶鳴《どな》り|立《た》てた。テームスは|万公《まんこう》の|声《こゑ》を|聞《き》いてヤツと|安心《あんしん》し、|急《いそ》ぎ|門扉《もんぴ》を|開《ひら》き、|半信半疑《はんしんはんぎ》|乍《なが》らよくよく|見《み》れば|月夜《つきよ》の|事《こと》とて、ハツキリは|分《わか》らねど、どうやら、シーナを|始《はじ》め|二人《ふたり》の|娘《むすめ》が|背《せな》に|負《お》はれて|皈《かへ》つて|来《き》た|様子《やうす》に|思《おも》はず|知《し》らず|門外《もんぐわい》へ|走《はし》り|出《い》でた。シーナは|背中《せなか》から、
シーナ『もし|旦那様《だんなさま》、お|蔭《かげ》で|助《たす》けて|頂《いただ》きました。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|云《い》ふ|声《こゑ》に、テームスは|驚喜《きやうき》し|乍《なが》ら、
テームス『やア|皆様《みなさま》、|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》りました。さア|何卒《どうぞ》|奥《おく》へお|這入《はい》り|下《くだ》さいませ。まあまあ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、よう|娘《むすめ》をあの|峻《きつ》い|阪《さか》を|負《お》うて|帰《かへ》つて|来《き》て|下《くだ》さいました。|嘸《さぞ》お|疲《つか》れで|厶《ござ》りませう』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》と|共《とも》に|感謝《かんしや》する。|治国別《はるくにわけ》は|一同《いちどう》の|先《さき》に|立《た》つて|門内《もんない》に|入《い》る。|十二人《じふににん》はテームスの|後《あと》に|従《したが》ひ|僕《しもべ》に|灯火《あかり》を|以《もつ》て|案内《あんない》され、|奥《おく》の|広《ひろ》き|一間《ひとま》に|進《すす》み|入《い》る。
テームス、ベリシナの|夫婦《ふうふ》は|余《あま》りの|嬉《うれ》しさに、|下女《げぢよ》や|下男《げなん》に|命《めい》じ、|座敷《ざしき》を|掃《は》いたり|座布団《ざぶとん》を|出《だ》したり、|煙草盆《たばこぼん》を|並《なら》べなどしてキリキリ|舞《ま》ひをしてゐる。
|万公《まんこう》『テームス|殿《どの》、|必《かなら》ずお|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな。まア|御緩《ごゆつく》りなさいませ。|吾々《われわれ》が|勝手《かつて》にそこらを|片《かた》づけて|休息《きうそく》させて|頂《いただ》きます。もう|斯《か》うなれば|親子《おやこ》も|同然《どうぜん》ですから……』
と|早《はや》くも|養子《やうし》になつた|気分《きぶん》に|馴々《なれなれ》しく|云《い》ひ|出《だ》した。
テームス『ハイ、|貴方様《あなたさま》は|命《いのち》の|親《おや》で|厶《ござ》ります。|御礼《おれい》は|何《ど》う|申《まを》してよいやら|分《わか》りませぬ』
|万公《まんこう》『いや|舅殿《しうとどの》、|若《わか》いものが|控《ひか》えて|居《を》りますれば、|貴方《あなた》は|御老体《ごらうたい》、|何卒《どうぞ》|緩《ゆつく》りとなさいませ。|併《しか》し|乍《なが》ら|道晴別《みちはるわけ》、シーナ、スミエル|様《さま》を|始《はじ》めスガールが|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》に|堕《おと》され|余程《よほど》|体《からだ》を|痛《いた》めて|居《を》りますから|何卒《どうぞ》|寝床《ねどこ》を|拵《こしら》へてやり|度《た》いものです。|夜具《やぐ》や|蚊帳《かや》の|用意《ようい》をせねばなりませぬが、|何分《なにぶん》|私《わたし》はホヤホヤで|今《いま》|来《き》た|所《ところ》ですから|家《いへ》の|勝手《かつて》は|分《わか》りませぬから|一寸《ちよつと》|教《をし》へて|下《くだ》さいませ』
テームス『ハイ、|勿体《もつたい》ない。|左様《さやう》な|事《こと》を|貴方《あなた》にさせて|済《す》みますか。|何卒《どうぞ》|御緩《ごゆつく》りして|下《くだ》さいませ』
|万公《まんこう》『|舅殿《しうとどの》、そりや|何《なに》を|仰有《おつしや》る。|若《わか》いものが|働《はたら》かいで|誰《たれ》が|働《はたら》くものですか。|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》の|宣伝使《せんでんし》には|私《わたし》が|名代《みやうだい》として|十分《じふぶん》にお|礼《れい》を|申《まを》して|置《お》きます。おい|春《はる》チヤン、|久米《くめ》チヤン、スーチヤン、エーチヤン、|病人《びやうにん》を……いや|負傷者《ふしやうしや》を|早《はや》く|卸《おろ》して|下《くだ》さい。お|前《まへ》さまも|御苦労《ごくらう》でした。こんな|時《とき》や|図体《づうたい》の|大《おほ》きい|奴《やつ》は|重宝《ちようほう》なものだな』
|四人《よにん》は|下女《げぢよ》の|案内《あんない》によつて|負傷者《ふしやうしや》を|一室《ひとま》に|連《つ》れ|行《ゆ》き|夜具《やぐ》を|敷《し》いて|其《その》|上《うへ》にソツと|寝《ね》かせ、|下女《げぢよ》に|介抱《かいほう》を|頼《たの》みおき、もとの|居間《ゐま》へ|帰《かへ》つて|来《き》た。|治国別《はるくにわけ》は|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》と|共《とも》に|離《はな》れの|間《ま》に|下女《げぢよ》に|案内《あんない》され、|一先《ひとま》づ|息《いき》を|休《やす》め、|大神《おほかみ》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|終《をは》つて|茶菓《さくわ》を|喫《きつ》し|息《いき》を|休《やす》めてゐた。|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシ、|万公《まんこう》は、|奥《おく》の|一室《ひとま》にグツタリとして|足《あし》を|伸《の》ばせ|自分按摩《じぶんあんま》を|頻《しき》りにやつてゐる。|四人《よにん》は|況《ま》して|重《おも》い|人間《にんげん》を|背負《せお》つて|来《き》たのだから、|足《あし》も|疲《つか》れ|体《からだ》も|弱《よわ》り、|繩《なは》の|様《やう》になつて|腕枕《うでまくら》に|横《よこ》たはつて|居《ゐ》る。
テームスベリシナの|夫婦《ふうふ》は|娘《むすめ》の|帰《かへ》つた|嬉《うれ》しさに、|治国別《はるくにわけ》に|礼《れい》|云《い》ふ|事《こと》も|忘《わす》れ、|室内《しつない》をウロウロし|乍《なが》ら|四人《よにん》の|負傷者《ふしやうしや》が|寝《ね》て|居《ゐ》る|居間《ゐま》へ|駆《か》け|込《こ》み、ベリシナは|二人《ふたり》の|娘《むすめ》の|介抱《かいほう》にかかり、テームスは|道晴別《みちはるわけ》、シーナの|枕許《まくらもと》に|坐《すわ》つて|体《からだ》を|擦《さす》り|労《いたは》つて|居《ゐ》る。|何《いづ》れも|深《ふか》い|穴《あな》へ|吊《つ》り|下《お》ろされ|体《からだ》を|何処《どこ》ともなく|痛《いた》めて|思《おも》ふやうに|動《うご》かないのを、やつと|安心《あんしん》したので|気《き》も|緩《ゆる》みグツタリとなつて、|物《もの》をも|云《い》はずベツドの|上《うへ》で|苦《くる》しげな|息《いき》を|吐《つ》いて|居《ゐ》る。|両親《りやうしん》は|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|親切《しんせつ》を|尽《つく》して|介抱《かいほう》に|余念《よねん》なく、|治国別《はるくにわけ》の|事《こと》を|殆《ほとん》ど|忘《わす》れて|居《ゐ》た。|万公《まんこう》は|老夫婦《らうふうふ》が|娘《むすめ》|二人《ふたり》と|道晴別《みちはるわけ》、シーナを|何処《どこ》かへ|連《つ》れて|行《い》つたきり、|顔《かほ》をも|出《だ》さぬのでチツとばかり|癪《しやく》に|触《さは》つたと|見《み》え、|大《おほ》きな|声《こゑ》でそこらにウロウロしてゐる|下女《げぢよ》を|捉《とら》まへ、『|茶《ちや》を|汲《く》め、|足《あし》を|揉《も》め、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》してゐるか』と|早《はや》くも|若主人気取《わかしゆじんきどり》になつて|呶鳴《どな》りまはして|居《ゐ》る。
|万公《まんこう》『|肝腎《かんじん》の|娘《むすめ》|番頭《ばんとう》を|助《たす》けられ
テームス|老爺《おやぢ》|礼《れい》さへ|云《い》はず。
|愛《いと》し|娘《ご》の|帰《かへ》りたるより|狼狽《うろた》へて
|俺《おれ》やお|客《きやく》を|忘《わす》れよつたか。
|万公《まんこう》はスガール|姫《ひめ》の|主人公《しゆじんこう》
|神《かみ》が|許《ゆる》した|仲《なか》と|知《し》らぬか。
|僕《しもべ》|共《ども》|早《はや》く|主人《あるじ》を|呼《よ》んで|来《き》て
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|愛相《あいさう》せぬかい。
|此《この》|様《やう》な|大《おほ》きな|家《いへ》に|住《す》み|乍《なが》ら
|何故《なぜ》|俺等《おれたち》を|馬鹿《ばか》にするのか』
|下女《げぢよ》『テームスの|主人《あるじ》の|君《きみ》は|姉妹《おとどい》の。
|姿《すがた》|眺《なが》めて|狼狽《うろた》へ|玉《たま》ひぬ。
|今《いま》|少時《しば》し|待《ま》たせ|玉《たま》へよ|神司《かむづかさ》
|水《みづ》の|出鼻《でばな》は|詮術《せんすべ》もなし』
|万公《まんこう》『それだとて|義理人情《ぎりにんじやう》は|知《し》るだらう。
|救《すく》ひの|神《かみ》を|袖《そで》にするのか』
|下女《げぢよ》『|私《わたくし》はお|民《たみ》と|申《まを》す|賤女《はしため》よ。
そんなむつかしい|事《こと》は|知《し》らない。
|三四日前《さんよつかまへ》に|出《で》て|来《き》た|下女《げぢよ》なれば
|宅《うち》の|様子《やうす》が|分《わか》りませうか。
その|様《やう》な|駄々《だだ》を|捏《こ》ねずに|今晩《こんばん》は
おとなしうして|寝《やす》み|遊《あそ》ばせ。
|姫様《ひめさま》が|千騎一騎《せんきいつき》の|苦《くる》しみを
|如何《どう》して|親《おや》が|見捨《みす》てられよか。
テームスの|主人《あるじ》の|君《きみ》は|愛《いと》し|娘《ご》に
|心《こころ》|悩《なや》ませ|煩《わづら》ひ|玉《たま》ふ。
お|前《まへ》さま|屈強《くつきやう》な|身《み》をば|持《も》ち|乍《なが》ら
チツとハキハキ|働《はたら》きなされ。
|俺《わし》だとて|之《これ》|程《ほど》|広《ひろ》い|家中《いへなか》を
|手《て》の|廻《まは》りさうな|事《こと》がないぞえ。
|緩《ゆつく》りと|今夜《こんや》は|此処《ここ》に|落着《おちつ》いて
|夜《よ》が|明《あ》けたなら|噪《はつしや》ぎなされ』
|万公《まんこう》『こりやお|民《たみ》|女《をんな》の|癖《くせ》に|益良夫《ますらを》を。
|嘲弄《てうろう》|致《いた》すか|迂愚者《うつけもの》|奴《め》が』
お|民《たみ》『|此《この》|家《いへ》に|来《く》ると|匆々《さうさう》|若主人《わかしゆじん》
|気取《きど》りて|厶《ござ》る|人《ひと》の|可笑《をか》しき。
|心《こころ》よきお|嬢《ぢやう》さまだと|云《い》つたとて
お|好《す》き|遊《あそ》ばす|筈《はず》はないぞや。
|何故《なぜ》なればお|前《まへ》の|姿《すがた》は|阿呆面《あはうづら》
|顔《かほ》の|紐《ひも》まで|解《ほど》けてる|故《ゆゑ》』
|万公《まんこう》『|賤女《はしため》の|癖《くせ》にべらべらたたく|奴《やつ》
|腮《あご》|外《はづ》さうか|神《かみ》の|力《ちから》で』
|万公《まんこう》は|斯《こ》んな|下女《げぢよ》に|相手《あひて》になつて|居《を》つてもつまらない、|兎《と》も|角《かく》|主人《しゆじん》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》し、|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|挨拶《あいさつ》をさせなくちや|済《す》まないと、お|民《たみ》を|案内《あんない》させて、|四人《よにん》の|寝《ね》て|居《ゐ》る|居間《ゐま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|見《み》れば|夫婦《ふうふ》は|四人《よにん》の|負傷者《ふしやうしや》を|交《かは》る|代《がは》る|親切《しんせつ》に|介抱《かいほう》してゐる。
|万公《まんこう》『やア|御主人《ごしゆじん》、|介抱《かいほう》は|私《わたし》が|引受《ひきう》けてやります。|何卒《どうぞ》|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》|御一行《ごいつかう》にお|礼《れい》の|御挨拶《ごあいさつ》に|御入来《おいで》|下《くだ》さいませ。|彼処《あちら》に|待《ま》つて|居《ゐ》られますから』
テームス『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。あまり|嬉《うれ》しいのと、|娘《むすめ》の|介抱《かいほう》に|気《き》をとられ、|肝腎《かんじん》の|命《いのち》の|親様《おやさま》に|一言《ひとこと》の|御礼《おれい》を|申《まを》すのも|忘《わす》れてゐました』
ベリシナ『|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》で|厶《ござ》りました。そんなら|老爺《おやぢ》どの、あなた、|済《す》まないけれど|治国別《はるくにわけ》|様《さま》|御一行《ごいつかう》に、|取敢《とりあへ》ずお|礼《れい》を|云《い》つて|来《き》て|下《くだ》さい。|私《わたし》はここで|介抱《かいほう》して|居《を》りますから』
テームスは|肯《うなづ》き|乍《なが》ら、|慌《あわ》ただしく|廊下《らうか》を|渡《わた》つて|治国別《はるくにわけ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|万公《まんこう》は|一生懸命《いつしやうけんめい》にスガールの|横顔《よこがほ》を|覗《のぞ》き|乍《なが》ら、|道晴別《みちはるわけ》、シーナの|介抱《かいほう》を|甲斐々々《かひがひ》しくやつて|居《ゐ》た。
(大正一二・二・二六 旧一・一一 於竜宮館 北村隆光録)
第四章 |真異《まちがひ》〔一四一二〕
バラモン|教《けう》のゼネラルと  |羽振《はぶり》|利《き》かした|久米彦《くめひこ》や
|鬼春別《おにはるわけ》を|初《はじ》めとし  スパール、エミシの|四人連《よにんづ》れ
|玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》の|家《いへ》に  |四人《よにん》の|手負《ておひ》を|送《おく》りつけ
|心《こころ》を|痛《いた》め|声《こゑ》|潜《ひそ》め  |悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》に|暮果《くれは》てて
|青息吐息《あをいきといき》|吐《つ》きながら  |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|唱《とな》ふる|声《こゑ》も|口《くち》の|中《うち》  |悄気《せうげ》かへり|居《を》る|其《その》|席上《せきじやう》へ
|廊下《らうか》の|板《いた》の|間《ま》|轟《とどろ》かし  |現《あら》はれ|来《きた》るテームスは
|日影《ひかげ》も|細《ほそ》き|部屋《へや》の|内《うち》  |鬼春別《おにはるわけ》の|敵将《てきしやう》が
|帰順《きじゆん》し|来《きた》るを|知《し》らずして  |娘《むすめ》|二人《ふたり》を|救《すく》ひたる
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》と  |老《おい》の|眼《まなこ》に|見誤《みあやま》り
|四人《よにん》の|前《まへ》に|手《て》をついて  いと|慇懃《いんぎん》に|挨拶《あいさつ》を
|初《はじ》めかけしぞ|可笑《をか》しけれ。
|仄暗《ほのぐら》き|行灯《あんどう》の|光《ひかり》に|主《あるじ》のテームスは、|鬼春別《おにはるわけ》|一行《いつかう》とは|知《し》らず、|叮嚀《ていねい》に|両手《りやうて》を|支《つか》へ、
テームス『これはこれは|皆様《みなさま》よくまア|助《たす》けてやつて|下《くだ》さいました。さうして|貴方《あなた》は|誰人《どなた》で|厶《ござ》いましたかなア』
と|鬼春別《おにはるわけ》の|顔《かほ》をそつと|覗《のぞ》いた。|鬼春別《おにはるわけ》は|言句《げんく》につまり、|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|鬼春《おにはる》『ハイ、|私《わたし》は……|春別《はるわけ》で|厶《ござ》いまする。イヤ、もう|偉《えら》い|御心配《ごしんぱい》をかけました』
テームス『どう|致《いた》しまして、|此方《こなた》の|方《はう》から|甚《えら》い|心配《しんぱい》をかけ|何《なん》とも|申訳《まをしわけ》が|厶《ござ》いませぬ。|貴方《あなた》は|治国別《はるくにわけ》さまと|承《うけたま》はりましたが、|今《いま》|承《うけたま》はれば|春別《はるわけ》と|仰有《おつしや》いました。アアこれはこれは|失礼《しつれい》|致《いた》しました。|何分《なにぶん》|年《とし》がよつて|記憶《きおく》が|悪《わる》いので|人《ひと》の|名《な》|迄《まで》|忘《わす》れます。いやもう|年《とし》は|取《と》り|度《た》くはありませぬ。|時《とき》に|春別《はるわけ》|様《さま》、|随分《ずいぶん》|苦心《くしん》で|厶《ござ》いましたでせうなア。お|骨折《ほねをり》お|察《さつ》し|申《まを》します』
|鬼春《おにはる》『いやもう|其《その》|御挨拶《ごあいさつ》には|痛《いた》み|入《い》ります』
テームス『|何《なん》と|云《い》つてもバラモン|教《けう》の|悪神《あくがみ》、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》と|云《い》ふ|鬼《おに》のやうな|悪党《あくたう》に|捕《とら》へられたのですから、|嘸《さぞ》|娘《むすめ》もえぐい|目《め》に|遇《あ》つたで|厶《ござ》いませう。さうして、|奥眼《おくめ》とか|久米彦《くめひこ》とか|云《い》ふ|狒々《ひひ》のやうな|男《をとこ》がついて|居《ゐ》るのだから|定《さだ》めし|娘《むすめ》は|操《みさを》を|汚《けが》されたで|厶《ござ》いませうなア』
|鬼春《おにはる》『いや|決《けつ》して|其《その》|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。|仲々《なかなか》|貴方《あなた》の|娘《むすめ》さまだけあつて|確《しつか》りしたものです。それは|私《わたし》が|保証《ほしよう》|致《いた》します』
テームス『|仮令《たとへ》|身《み》を|汚《けが》されても|命《いのち》さへ|持《も》つて|帰《かへ》れば|結構《けつこう》だと|思《おも》うて|居《を》りましたが、|少々《せうせう》|怪我《けが》をして|居《を》りますけれど|肝腎《かんじん》のものに|別状《べつじやう》さへなくば、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ。|何分《なにぶん》|養子《やうし》をせねばならぬ|娘《むすめ》ですから、|親《おや》としても|随分《ずいぶん》|心配《しんぱい》で|厶《ござ》います』
|鬼春《おにはる》『|成程《なるほど》|御心配《ごしんぱい》お|察《さつ》し|致《いた》します。|実《じつ》は|拙者《せつしや》はあの|何《なん》で|厶《ござ》います……。やつぱり……|春別《はるわけ》で|厶《ござ》いました。|兎《と》も|角《かく》|無事《ぶじ》に|治《をさ》まつたので|厶《ござ》いますから、これも|神様《かみさま》の|何彼《なにか》の|思召《おぼしめ》しとお|諦《あきら》めなさるがよろしう|厶《ござ》いませう』
|久米《くめ》『|初《はじ》めてお|目《め》にかかります。|貴方《あなた》は|此《この》|家《や》の|主様《あるじさま》で|厶《ござ》いますか。|誠《まこと》に|申訳《まをしわけ》のない|事《こと》を|致《いた》しました。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|蔭《かげ》により|神様《かみさま》の|道《みち》に|救《すく》はれ、こんな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ。|貴方《あなた》も|嘸《さぞ》お|喜《よろこ》び、お|目出度《めでた》う|厶《ござ》います』
テームス『イヤ|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|第一《だいいち》|春別《はるわけ》|様《さま》のお|骨折《ほねを》り、|次《つぎ》には|貴方方《あなたがた》のお|助《たす》けによりて、あの|意地《いぢ》の|悪《わる》い|鬼春別《おにはるわけ》や、|久米彦《くめひこ》の、|泥棒将軍《どろばうしやうぐん》に|拐《かどわ》かされた|所《ところ》を|助《たす》けて|頂《いただ》き、|天《てん》にも|昇《のぼ》る|心持《こころもち》で|厶《ござ》います。もし|春別《はるわけ》|様《さま》、|娘《むすめ》をお|助《たす》け|下《くだ》さいまして|実《じつ》にお|礼《れい》の|申《まを》しやうが|厶《ござ》りませぬが、|又《また》あの|泥棒将軍《どろばうしやうぐん》が、|貴方《あなた》のお|帰《かへ》りになつた|後《あと》は|沢山《たくさん》の|雑兵《ざふひやう》を|引《ひ》き|連《つ》れ、|娘《むすめ》を|取《と》り|返《かへ》しに|来《く》るやうな|事《こと》は|厶《ござ》いますまいか、それが|第一《だいいち》|気《き》にかかります』
|久米《くめ》『|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|治国別《はるくにわけ》さま、|松彦《まつひこ》さま、|竜彦《たつひこ》さま、|万公《まんこう》さまが、すつかり|岩窟退治《いはやたいぢ》を|遊《あそ》ばし、|二人《ふたり》の|頭《かしら》に|大鉄槌《だいてつつい》を|喰《くら》はし、|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》を|解散《かいさん》し、|後顧《こうこ》の|患《うれひ》のなきやうにして|此処《ここ》にお|帰《かへ》りになりましたから、|御安心《ごあんしん》なさいませ』
テームス『|遉《さすが》は|春別《はるわけ》|様《さま》、|其《その》|外《ほか》のお|弟子様《でしさま》、|実《じつ》に|御神徳《ごしんとく》と|云《い》ふものは|偉《えら》いもので|厶《ござ》いますな。|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|分《わ》けると|仰有《おつしや》いましたが、やつぱり|善《ぜん》は|最後《さいご》までゆけば|勝《か》つもので|厶《ござ》います。そして|鬼春別《おにはるわけ》や、|久米彦《くめひこ》の|泥棒人足《どろばうにんそく》は、|首《くび》でも|吊《つ》つて|死《し》にましたか、|但《ただ》しは|切腹《せつぷく》でも|致《いた》しましたか、それが|一《ひと》つお|土産話《みやげばなし》に|聞《き》かして|頂《いただ》き|度《た》う|厶《ござ》います』
|鬼春別《おにはるわけ》は|頭《かしら》を|掻《か》き|乍《なが》ら、
|鬼春《おにはる》『ヘイ|将軍《しやうぐん》としての|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》は|最早《もはや》|消滅《せうめつ》|致《いた》しました。やがて|生《うま》れ|変《かは》つて|貴方《あなた》にお|目《め》にかかりに|来《く》るでせう。|其《その》|時《とき》は|悪人《あくにん》と|憎《にく》まず|言葉《ことば》をかけてやつて|下《くだ》さいませ』
テームス『|貴方《あなた》のお|言葉《ことば》なれば|背《そむ》く|訳《わけ》にはゆきませぬが、|彼《あ》のやうな|悪党《あくたう》が|何程《なにほど》|天地《てんち》が|覆《かへ》つて、|謝罪《あやま》つて|来《き》ましても|一口《ひとくち》|言葉《ことば》をかける|所《どころ》か、|門内《もんない》にも|入《い》れませぬ。|肉《にく》を|削《けづ》り|血《ち》を|啜《すす》り、|骨《ほね》をはたいて|食《く》つても|虫《むし》の|納《をさま》らない|悪党《あくたう》で|厶《ござ》いますが、|何《なん》とかして|神様《かみさま》のお|力《ちから》で|痕跡《あとかた》もなく|亡《ほろ》ぼしたいもので|厶《ござ》います』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》は|下女《げぢよ》の|案内《あんない》によつて|現《あら》はれ|来《きた》り、
|治国《はるくに》『イヤ、テームス|殿《どの》、|私《わたし》は|治国別《はるくにわけ》で|厶《ござ》います。|悠《ゆつく》りと|休《やす》まして|頂《いただ》きました。|何《ど》うですかな、|四人《よにん》|共《とも》|少《すこ》しく|気分《きぶん》はよいやうですか』
テームス『ヤ、|貴方《あなた》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、ハテナ、|今《いま》|此処《ここ》に|厶《ござ》るお|方《かた》を|貴方様《あなたさま》と|思《おも》つて|御挨拶《ごあいさつ》を|申上《まをしあ》げた|所《ところ》で|厶《ござ》います。ハテナ、どうも|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ|事《こと》だなア』
|治国《はるくに》『|此《この》|方《かた》は|有名《いうめい》な|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》の|両将軍《りやうしやうぐん》|及《および》スパール、エミシのカーネルさまですよ』
テームスは|倒《こ》けぬ|許《ばか》りに|驚《おどろ》いて、|顔《かほ》を|真青《まつさを》にしながら|慄《ふる》ひ|声《ごゑ》を|出《だ》し、
テームス『モシ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|早《はや》く|何処《どこ》かへ|帰《い》なして|下《くだ》さいませ。|何故《なぜ》こんな|奴《やつ》が|知《し》らぬ|間《ま》に|入《はい》つて|来《き》たのでせう』
|治国《はるくに》『|此《この》|四人《よにん》の|方《かた》が、すつかり|御改心《ごかいしん》の|結果《けつくわ》、|貴方方《あなたがた》のお|嬢《ぢやう》さまを|背中《せなか》に|負《お》うて|此処《ここ》|迄《まで》|送《おく》つて|来《こ》られたのですよ。もはや|今《いま》|迄《まで》の|将軍《しやうぐん》では|厶《ござ》いませぬ、|治国別《はるくにわけ》の|弟子《でし》ですから|御安心《ごあんしん》なさいませ』
テームスはやつと|胸《むね》を|撫《な》で、
テームス『ヤアそれで|一寸《ちよつと》|安心《あんしん》|致《いた》しました。モシ|春別《はるわけ》|様《さま》、|随分《ずいぶん》|貴方《あなた》は|腹《はら》が|悪《わる》いですな。なぜ|鬼春別《おにはるわけ》だと|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さらぬのです』
|鬼春《おにはる》『|余《あま》りお|恥《はづ》かしうて|合《あは》す|顔《かほ》がありませぬので|春別《はるわけ》と|申《まを》しました。|併《しか》し|最早《もはや》|鬼《おに》は|取《と》れましたから|矢張《やつぱり》|春別《はるわけ》で|厶《ござ》います。|随分《ずいぶん》|私《わたし》の|悪《あく》を|並《なら》べられた|時《とき》には|五臓六腑《ござうろつぷ》を|抉《えぐ》られるやうに|苦《くる》しう|厶《ござ》いました。|此処《ここ》に|居《ゐ》るのは|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》、スパール、エミシの|改心党《かいしんたう》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|今《いま》|迄《まで》の|恨《うらみ》を|去《さ》つて、|通常《あたりまへ》の|人間《にんげん》として|御交際《ごかうさい》を|願《ねが》ひます』
テームス『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|厶《ござ》る|間《あひだ》は|御交際《ごかうさい》をさして|頂《いただ》きませうが、|又《また》|何時《なんどき》|引《ひつ》くりかへらるるやら|分《わか》りませぬから、|成《な》るべくは|帰《かへ》つて|頂《いただ》き|度《た》いもので|厶《ござ》います』
|治国《はるくに》『|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|此《この》|方方《かたがた》の|腹《はら》の|底《そこ》|迄《まで》|見透《みす》かして|居《を》りますから、|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》で|厶《ござ》います』
|鬼春別《おにはるわけ》『|醜神《しこがみ》に|取《と》り|憑《つ》かれたる|鬼春別《おにはるわけ》も
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|人《ひと》となりぬる。
テームスの|里庄《りしやう》の|君《きみ》よ|惟神《かむながら》
|神《かみ》のまにまに|赦《ゆる》したまはれ』
|久米彦《くめひこ》『|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》は|深《ふか》し|瑞御霊《みづみたま》
|河瀬《かはせ》の|水《みづ》を|久米彦《くめひこ》の|吾《われ》に。
|汲《く》めど|汲《く》めど|尽《つ》きせぬ|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》は
|流《なが》れて|霊《たま》を|洗《あら》ひましぬる』
テームス『|有難《ありがた》や|醜雲《しこぐも》|四方《よも》に|晴《は》れ|渡《わた》り
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|月《つき》を|見《み》るかな。
|三五《あななひ》の|月《つき》の|教《をしへ》を|守《まも》りつつ
いや|永久《とこしへ》に|神《かみ》に|仕《つか》へませ』
|鬼春別《おにはるわけ》『|曲鬼《まがおに》の|霊《みたま》を|隈《くま》なく|追《お》ひ|散《ち》らし
|空晴別《そらはるわけ》となりし|今日《けふ》なり。
|猪《ゐ》の|倉《くら》の|砦《とりで》に|潜《ひそ》む|曲神《まがかみ》も
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|吹《ふ》き|散《ち》りにけり。
|曲神《まがかみ》の|去《さ》りにし|後《あと》の|久米彦《くめひこ》は
|心《こころ》|真澄《ますみ》の|空《そら》の|月《つき》かも』
スパール『バラモンの|軍《いくさ》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
カーネルとなりし|吾《われ》ぞうたてき。
|大神《おほかみ》の|救《すく》ひの|喇叭《らつぱ》に|醒《さま》されて
|今《いま》は|誠《まこと》の|道《みち》に|覚《さ》めける』
テームス『|有難《ありがた》き|神《かみ》の|恵《めぐみ》は|醜草《しこぐさ》も
|薙《な》ぎ|払《はら》はずに|救《すく》ひますかも』
エミシ『|吾《われ》こそはエミシの|司《つかさ》|三五《あななひ》の
|光《ひかり》を|浴《あ》びてエミシ|吾《われ》なり。
|姉妹《おとどひ》の|二人《ふたり》の|御子《みこ》をいろいろと
|悩《なや》ませまつりし|吾《われ》ぞうたてき。
ゼネラルや、スパール|司《つかさ》の|罪《つみ》ならず
エミシ|一人《ひとり》が|犯《おか》せし|醜業《しこわざ》』
|鬼春別《おにはるわけ》『|友垣《ともがき》の|罪《つみ》をかくして|一人《ひとり》|負《お》ふ
エミシの|司《つかさ》は|真人《まびと》なりけり』
|久米彦《くめひこ》『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|罪《つみ》に|責《せ》められて
|吾《われ》は|言《い》ふべき|言《こと》の|葉《は》もなし』
|治国別《はるくにわけ》『|猪《ゐ》の|倉《くら》の|山《やま》の|黒雲《くろくも》|空《そら》|晴《は》れて
|立《た》ちも|及《およ》ばぬ|谷《たに》の|川霧《かはぎり》』
|松彦《まつひこ》『|松《まつ》の|世《よ》の|魁《さきがけ》として|現《あ》れませる
|木花姫《このはなひめ》の|恵《めぐみ》かしこし。
|木《こ》の|花姫《はなひめ》|神《かみ》の|命《みこと》の|在《まさ》ざらば
いかで|救《すく》へむこの|姉妹《おとどひ》を』
|竜彦《たつひこ》『|大神《おほかみ》の|宣《のり》のまにまにビクの|国《くに》
|早《は》や|竜彦《たつひこ》の|今日《けふ》の|嬉《うれ》しさ。
|大空《おほぞら》に|輝《かがや》きわたる|月《つき》|見《み》れば
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|御霊《みたま》とぞ|思《おも》ふ』
|鬼春別《おにはるわけ》『|許々多久《ここたく》の|罪《つみ》や|汚《けが》れを|委曲《まつぶさ》に
|宣《の》り|直《なほ》したる|治国別《はるくにわけ》の|司《つかさ》。
|天《あめ》が|下《した》|四方《よも》の|国《くに》には|仇《あだ》もなし
|神《かみ》の|教《をしへ》に|任《まか》す|身《み》なれば』
テームス『|治国別《はるくにわけ》|司《つかさ》を|初《はじ》め|百人《ももびと》よ
|今宵《こよひ》は|早《はや》く|寛《くつろ》ぎませよ。
|吾《あ》が|娘《むすめ》|父《ちち》をたづねて|待《ま》つならむ
|許《ゆる》させたまへ|出《い》で|行《ゆ》く|吾《われ》を』
|治国別《はるくにわけ》『|親《おや》と|子《こ》の|情《なさけ》を|思《おも》ふ|益良雄《ますらを》は
いかでとがめむ|汝《なれ》の|言葉《ことば》を』
テームス『|有難《ありがた》し|百《もも》の|司《つかさ》よいざさらば
くつろぎたまへ|心《こころ》|安《やす》けく』
と|挨拶《あいさつ》しながら、|後《あと》に|心《こころ》を|残《のこ》しつつ、|奥《おく》の|一間《ひとま》に|馳《か》けて|行《ゆ》く。お|民《たみ》は|下女《げぢよ》|下男《げなん》の|調理《てうり》せし|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》び|来《きた》り、|酒《さけ》なぞを|添《そ》へて|一同《いちどう》の|前《まへ》に|据《す》ゑ、
お|民《たみ》『|皆様《みなさま》、お|嬢様《ぢやうさま》が、いかいお|世話《せわ》になられまして|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。|何分《なにぶん》|私《わたし》は|此処《ここ》へ|雇《やと》はれて|参《まゐ》りまして、まだ|日日《ひにち》も|浅《あさ》う|厶《ござ》いまして|家《いへ》の|勝手《かつて》も|分《わか》りませず、|不都合《ふつがふ》だらけですが「どうぞ|悠《ゆつく》り|召《め》し|上《あが》つて|貰《もら》へ」との|主人《しゆじん》の|云《い》ひつけで|厶《ござ》います。|何《なに》も|厶《ござ》いませぬが|何卒《どうぞ》|腹《はら》|一杯《いつぱい》|召《め》し|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|竜彦《たつひこ》『お|取《と》り|込《こ》みの|中《なか》、|御叮嚀《ごていねい》な|御馳走《ごちそう》、イヤもう|大変《たいへん》なお|骨折《ほねをり》で|厶《ござ》いませう。|然《しか》らば|遠慮《ゑんりよ》なく|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう。サア|先生《せんせい》、|春別《はるわけ》|様《さま》、|皆様《みなさま》|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませうか』
|治国《はるくに》『|御叮嚀《ごていねい》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|此方《こちら》は|勝手《かつて》に|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しますから、|何卒《どうぞ》お|民《たみ》さまとやらお|構《かま》ひ|下《くだ》さいますな』
お|民《たみ》『ハイ|不調法者《ぶしようもの》がお|給仕《きふじ》を|致《いた》すよりも|御自由《ごじいう》にして|下《くだ》さる|方《はう》が|結構《けつこう》で|厶《ござ》います』
と|挨拶《あいさつ》もそこそこに|御馳走《ごちそう》を|並《なら》べ|終《をは》り|炊事場《すゐじば》へさして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。|万公《まんこう》はテームスと|交替《かうたい》に、|道晴別《みちはるわけ》、シーナの|介抱《かいほう》より|離《はな》れ|空腹《くうふく》を|抱《かか》へて|声《こゑ》をしるべに|現《あら》はれ|来《きた》り、
|万公《まんこう》『ああ|先生《せんせい》、|大変《たいへん》な|御馳走《ごちそう》が|出《で》て|居《を》りますなア。|一《ひと》つ|二《ふた》つ|三《み》つ|四《よ》つ|五《いつ》つ|六《む》つ|七《なな》つヤ|一膳《いちぜん》|足《た》らぬぞ。|万公司《まんこうつかさ》のお|膳《ぜん》はどこにあるのかなア』
|竜彦《たつひこ》『オイ|万公《まんこう》、お|前《まへ》は|既《すで》に|御馳走《ごちそう》を|頂戴《ちやうだい》しただらう。スガールさまのお|顔《かほ》さへ|見《み》て|居《を》れば|無上《むじやう》の|御馳走《ごちそう》だ。|飯《めし》の|一日《いちにち》や|二日《ふつか》|食《く》はなくても|辛抱《しんばう》が|出来《でき》るだらう』
|万公《まんこう》『ヘン|大《おほ》きに|憚《はばか》り|様《さま》、|木仏《きぶつ》|金仏《かなぶつ》でない|限《かぎ》り、|矢張《やつぱり》|食慾《しよくよく》が|一人前《いちにんまへ》は|厶《ござ》いますから、|何《なん》ならお|前《まへ》の|分《ぶん》を|拙者《せつしや》が|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませうかい』
|竜彦《たつひこ》『ヤお|前《まへ》は|別《べつ》に|席《せき》が|拵《こしら》へてあるのだらう、|主人側《しゆじんがは》だからなア。|俺達《おれたち》はお|客《きやく》さまだ|何《なん》と|云《い》つてもテームス|家《け》の|新養子様《しんやうしさま》だから、|些《ちつ》と|俺達《おれたち》にお|給仕《きふじ》でもしたらよからう』
|万公《まんこう》『ウンさうだつた。お|前《まへ》もさう|思《おも》うて|居《ゐ》るか、さうすると|俺《おれ》の|考《かんが》へもちつとも|違《ちが》はぬ、それでは|気楽《きらく》にお|客《きやく》さま|面《づら》もして|居《を》れまい、|下女《げぢよ》に|云《い》ひつけ|沢山《どつさり》|御馳走《ごちそう》をして|上《あ》げる。………|何分《なにぶん》|取込《とりこ》んで|居《ゐ》るので|御馳走《ごちそう》をして|上《あ》げたいと|思《おも》ひましたが|俄《にはか》には|出来《でき》ませぬ。|又《また》|明日《あす》になつたら、|何《なん》とか|小甘《こうま》いものでもして|上《あ》げませう。まアお|客様《きやくさま》|御悠《ごゆつ》くり|召《め》し|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
と|慌《あわて》て|柱《はしら》や|襖《ふすま》にゆき|当《あた》りながら|炊事場《すゐじば》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二六 旧一・一一 於竜宮館 加藤明子録)
第五章 |飯《めし》の|灰《はひ》〔一四一三〕
テームス|夫婦《ふうふ》は|下僕《しもべ》のアーシスと|共《とも》に、|四人《よにん》の|介抱《かいほう》に|全力《ぜんりよく》を|尽《つく》して|居《ゐ》た。|治国別《はるくにわけ》|以下《いか》|八人《はちにん》のお|客《きやく》に|対《たい》してはアヅモスを|以《もつ》て|接待係《せつたいがかり》となし、|治国別《はるくにわけ》の|急《いそ》ぎ|此処《ここ》を|出立《しゆつたつ》せむとするを|聞《き》いて|打驚《うちおどろ》き、せめて|道晴別《みちはるわけ》の|病気《びやうき》|全快《ぜんくわい》する|迄《まで》、|吾《わが》|家《や》にとどまり|玉《たま》はむ|事《こと》をと、|頻《しき》りに|懇願《こんぐわん》した。|治国別《はるくにわけ》は|止《や》むを|得《え》ず、|四方《しはう》|庭先《にはさき》をめぐらした、|可《か》なり|広《ひろ》き|別宅《べつたく》に|入《い》りて、バラモン|組《ぐみ》の|連中《れんぢう》に|三五《あななひ》の|教理《けうり》を|日夜《にちや》|説《と》き|諭《さと》してゐた。|万公《まんこう》は|此《この》|家《いへ》に|到着《たうちやく》し|一度《いちど》|顔《かほ》を|合《あは》したきり、|台所《かつて》の|方《はう》に|廻《まは》つて、|下女《げぢよ》のお|民《たみ》を|主人気取《しゆじんきどり》で|使役《しえき》し、|家事《かじ》|万端《ばんたん》に|注意《ちうい》を|与《あた》へてゐた。
|万公《まんこう》『オイお|民《たみ》、|汝《きさま》も|俺《おれ》の|家《うち》へ|来《き》てからまだ|間《ま》もないのだから、|勝手《かつて》も|分《わか》るまい、そして|田舎出《いなかで》のホヤホヤで、どこ|共《とも》なしに|土臭《つちくさ》い。これから|家事《かじ》|万端《ばんたん》の|事《こと》を、|若主人《わかしゆじん》の|万公別《まんこうわけ》が|教《をし》へてやるから、|其《その》|心算《つもり》で、|何事《なにごと》もハイハイと|服従《ふくじゆう》|致《いた》すのだぞ』
お|民《たみ》『|万公別《まんこうわけ》さまとやら、|根《ね》ツから|御結婚《ごけつこん》の|話《はなし》も|聞《きき》ませぬし、|一体《いつたい》|何方《どなた》のお|婿《むこ》さまになられたのですか。|何《なん》だか|主人《しゆじん》の|様《やう》な|気《き》がせなくてなりませぬワ。|又《また》|大家《たいけ》の|主人《しゆじん》たる|者《もの》が|炊事場《すゐじば》へやつて|来《き》て、|下女《げぢよ》をつかまへて|指図《さしづ》をするといふやうな|卑劣《けち》な|事《こと》では、|下男《げなん》や|下女《げぢよ》はケチ|臭《くさ》い|主人《しゆじん》だと|云《い》つて、|排斥《はいせき》しますよ』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》を|言《い》ふな。|隅《すみ》から|隅《すみ》|迄《まで》|気《き》がつかなくては、|一家《いつけん》の|主人《あるじ》たる|資格《しかく》がない。|今《いま》|迄《まで》のやうな|主人面《しゆじんづら》をして|居《を》つては、|之《これ》|丈《だけ》|税金《ぜいきん》のかかる|時節《じせつ》、どうしても|会計《くわいけい》が|持《も》てぬぢやないか、それだから|上下一致《しやうかいつち》して、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|家内《かない》の|整理《せいり》を|按排《あんばい》し、|而《しか》して|後《のち》|外部《ぐわいぶ》の|仕事《しごと》にかかるのだ』
お|民《たみ》『お|嬢《ぢやう》さまを|始《はじ》めお|客《きやく》さまの|病気《びやうき》で、|御主人《ごしゆじん》は|御手《おて》が|引《ひ》けず、アヅモス、アーシスのお|二人《ふたり》は|病人《びやうにん》やお|客《きやく》さまに|係《かか》つてゐるなり、さう|八釜《やかま》しう|言《い》つて|貰《もら》つても、|何程《なにほど》|千手観音《せんじゆくわんおん》さまだつて、|女《をんな》|一人《ひとり》で、こんな|広《ひろ》い|内《うち》がどう|甘《うま》く|行《ゆ》きますものか。チツと|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。アオスから|晩《ばん》まで、|独楽《こま》の|様《やう》な|目《め》にあはされてキリキリ|舞《まひ》をしてゐるのですよ、|喧《やか》ましう|云《い》つて|下《くだ》さるな。お|前《まへ》さまは|贋主人《にせしゆじん》でせう。そんなこと|云《い》つてもあきませぬよ』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|汝《きさま》|一人《ひとり》で|忙《いそが》しいから|俺《おれ》が|主人《しゆじん》の|身《み》をも|省《かへり》みず、|汝《きさま》の|苦衷《くちう》を|察《さつ》して|手伝《てつだひ》に|来《き》てやつたのだ。チツとそこらの|掃除《さうぢ》をせぬかい、|此《この》|散《ち》らけ|様《やう》は|何《なん》だ』
お|民《たみ》『|掃除《さうぢ》どもする|間《ま》がありますか、|庫《くら》の|中《なか》に|居《を》るバラモンのお|客《きやく》さまには|握《にぎ》り|飯《めし》を|放《ほ》り|込《こ》んでやらねばならず、|水《みづ》を|持《も》つて|行《ゆ》かねばならず、|夫《そ》れに|俄《にはか》の|沢山《たくさん》のお|客《きやく》さま、チツとお|前《まへ》さまも|手伝《てつだ》ひなされ』
|万公《まんこう》『ナニ、バラモンのお|客《きやく》さまが|庫《くら》に|居《を》るとは|此奴《こいつ》ア|妙《めう》だ、|何《なん》と|云《い》ふ|奴《やつ》だ』
お|民《たみ》『|何《なん》でもフエルとかベツトとかいふ|男《をとこ》ですよ』
|万公《まんこう》『ウン|其奴《そいつ》ア|面白《おもしろ》い、|臨時《りんじ》|其奴《そいつ》を|下男《げなん》として|使《つか》つてやらう。さうすればベツト、フエルも|喜《よろこ》ぶだらう、オイお|民《たみ》、|庫《くら》の|鍵《かぎ》を|貸《か》せ』
お|民《たみ》『|本当《ほんたう》に|万公《まんこう》さま、|貴方《あなた》は|若主人《わかしゆじん》ですか。|主人《しゆじん》に|間違《まちが》ひなければ|鍵《かぎ》を|渡《わた》します。サア|之《これ》を|持《も》つてお|行《ゆ》きやす。|東《ひがし》から|三《みつ》つ|目《め》の|庫《くら》ですよ』
と|庫《くら》の|鍵《かぎ》を|抽出《ひきだし》から|取出《とりだ》して|万公《まんこう》に|渡《わた》した。|万公《まんこう》はイソイソとして|鍵《かぎ》を|携《たづさ》へ、|庫《くら》の|戸《と》をあけ、|怖《こは》|相《さう》に|中《なか》を|一寸《ちよつと》|覗《のぞ》いてみると、フエル、ベツトも|又《また》ブルブルもので|庫《くら》の|隅《すみ》に|抱《だ》き|合《あ》うて|縮《ちぢ》かみゐる。
|万公《まんこう》『オイ、バラモンの|大将《たいしやう》、|俺《おれ》は|当家《たうけ》の|若主人《わかしゆじん》だ。|今日《けふ》は|許《ゆる》してやるから|下男《げなん》の|代《かは》りに|家内《かない》の|掃掃除《はきさうぢ》をするのだ。|随分《ずいぶん》お|客《きやく》が|俄《にはか》に|殖《ふ》えたのだから……ヨモヤ|厭《いや》とは|申《まを》すまいな』
フエル『ハイ、|若主人様《わかしゆじんさま》の|御仁慈《ごじんじ》|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。どんな|事《こと》でも|致《いた》しますから、|何卒《どうぞ》お|使《つか》ひ|下《くだ》さいませ』
|二人《ふたり》は|万公《まんこう》を|本当《ほんたう》の|若主人《わかしゆじん》だと|信《しん》じて|了《しま》つた。
|万公《まんこう》『サ、|先《ま》づ|座敷《ざしき》の|掃除《さうぢ》からやるのだ。オイ、フエル、ベツトの|両人《りやうにん》、|随分《ずいぶん》|広《ひろ》い|間《ま》だから|一寸《ちよつと》|骨《ほね》が|折《を》れるぞ。|骨《ほね》|折《を》ると|云《い》つても|障子《しやうじ》の|骨《ほね》|折《を》つちや、|忽《たちま》ち|幾分《いくぶん》かの|損害《そんがい》だから、|充分《じゆうぶん》|注意《ちゆうい》をして|貰《もら》はねばならぬ、|先《ま》づ|掃除《さうぢ》の|仕方《しかた》から|教《をし》へてやらう、……|一番《いちばん》に|戸障子《としやうじ》を|開《あ》け|放《はな》つて|了《しま》ひ、どうしても|動《うご》かす|事《こと》の|出来《でき》ぬ|大切《たいせつ》な|品物《しなもの》は|被物《おほひ》をかけておくのだ。それから|払塵《はたき》のかけ|方《かた》は|天井《てんじやう》のスミズミから|戸障子《としやうじ》|腰張《こしば》りといふ|順序《じゆんじよ》に、|上《うへ》からダンダンと|払塵《はたき》の|先《さき》で|品《しな》よくハタくやうにするのだ。|一寸《ちよつと》|今《いま》|俺《おれ》が|標本《へうほん》を|見《み》せてやる……コレ|此《この》|通《とほ》りだ。|腕《うで》をニユツと|伸《の》ばし、|手首《てくび》を|下向《したむ》けるやうにしてやりさへすれば、|棧《さん》に|柄《え》が|当《あた》らず、|埃《ほこり》は|甘《うま》く|散《ち》つて|了《しま》ふ。ハタキが|済《す》むと|今度《こんど》は|箒《はうき》を|使《つか》ふのだ』
フエル『ハイ|有難《ありがた》う、|箒《はうき》|使《つか》ふ|位《くらゐ》はよく|知《し》つてゐます。オイ、ベツト、|汝《きさま》も|此《この》|箒《はうき》を|以《もつ》て|掃《は》くのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|両人《りやうにん》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|畳《たたみ》を|掃《は》き|出《だ》した。
|万公《まんこう》『コラコラそんな|掃《は》き|様《やう》があるか。|箒《はうき》の|使方《つかひかた》は|畳《たたみ》の|目《め》に|添《そ》うて|掃《は》かないと、|塵《ちり》がスツカリ|畳《たたみ》の|中《なか》へ|入《い》つて|了《しま》ふぢやないか、|汝《きさま》のやうに|箒《はうき》の|先《さき》を|上《あ》げよつて|使《つか》ひよると、|埃《ほこり》がそこらへ|飛《と》びさがして、|箒《はうき》は|損《いた》むなり、|又《また》|元《もと》の|障子《しやうじ》の|棧《さん》へ|止《と》まつて|了《しま》ふぢやないか。そんな|中央《まんなか》の|方《はう》|斗《ばか》り|掃《は》いたつて|何《なん》になる、|隅々《すみずみ》をよく|掃《は》きさへすれば、|中央《まんなか》は|独《ひと》り|美《うつく》しうなるのだ。そして|掃掃除《はきさうぢ》が|済《す》んだら、|箒《はうき》を|吊《つ》つておくのだ、|立《た》てておくと、すぐに|薙刀《なぎなた》の|穂先《ほさき》のやうに|曲《まが》つて|了《しま》ふぞ。|掃除《さうぢ》がスツカリすんだ|後《あと》は、|先《さき》に|付《つ》いてをる|塵《ちり》を|除《と》つておくのだ』
フエル『モシ、|御主人様《ごしゆじんさま》、|随分《ずいぶん》|貴方《あなた》は|能《よ》う|気《き》がつきますな、|丸《まる》で|女《をんな》みた|様《やう》ですワ』
|万公《まんこう》『きまつた|事《こと》だ、|変性女子《へんじやうによし》の|瑞霊《みづのみたま》だ、サ、|之《これ》から|水《みづ》の|御用《ごよう》だ。|箒《はうき》がすんだら、|雑巾《ざふきん》がけをやるのだ。|雑巾《ざふきん》は|能《よ》く|水《みづ》につけ|揉《も》み|出《だ》して、|可《か》なり|固《かた》く|絞《しぼ》り、|力《ちから》を|入《い》れて|拭《ふ》かないと、|却《かへつ》て|縁板《えんいた》が|汚《きたな》くなるぞ。バケツの|水《みづ》も|度々《たびたび》|取替《とりか》へぬと|駄目《だめ》だ。|雑巾《ざふきん》のかけ|方《かた》は|板《いた》の|目《め》に|添《そ》うて、|雑巾《ざふきん》をよく|折返《をりかへ》して|拭《ふ》くのだよ。|椽《えん》の|隅《すみ》は|雑巾《ざふきん》を|三角形《さんかくがた》に|折《を》つて|拭《ふ》くと、スミ|迄《まで》|綺麗《きれい》になる。ニス、|漆《うるし》の|上等《じやうとう》の|材木《ざいもく》などは、|湿《しめ》つた|雑巾《ざふきん》をかけては|却《かへつ》て|悪《わる》くなるものだ。|乾《かわ》いた|雑巾《ざふきん》を|根《こん》に|任《まか》して|使《つか》ふのだ。|朝晩《あさばん》の|拭掃除《ふきさうぢ》も|門掃《かどはき》も|硝子研《がらすみが》きも、|雑巾掛《ざふきんがけ》も|皆《みな》|人格《じんかく》の|修養《しうやう》だ、そして|社会奉仕《しやくわいほうし》の|一《ひと》つだ。あああ|主人《しゆじん》になつても、|並《なみ》や|大抵《たいてい》の|事《こと》ぢやないわい。コリヤコリヤ、バケツの|水《みづ》が|汚《よご》れてゐるぢやないか、なぜ|新《あたら》しいのと|汲《く》み|替《か》へぬのだ。そんな|泥《どろ》のやうな|水《みづ》で|雑巾《ざふきん》を|絞《しぼ》るものだから、これみい、|板《いた》の|間《ま》に|白《しろ》い|筋《すぢ》がついてるぞ』
フエル『オイ、ベツト、|難《むつか》しい|主人《しゆじん》だな、やり|切《き》れぬぢやないか』
|万公《まんこう》『|一寸《ちよつと》|主人《しゆじん》に|跟《つ》いて|来《こ》い、|之《これ》から|飯焚《めしたき》を|仰付《おほせつ》けてやる』
フエル『ヘーヘー、|仕方《しかた》がありませぬ。|永《なが》らく|庫《くら》へ|放《ほ》り|込《こ》まれ、|折角《せつかく》|外《そと》へ|出《だ》して|貰《もら》うたと|思《おも》へば、|煙草《たばこ》|一服《いつぷく》せぬ|前《さき》に、|下男《げなん》や|下女《げぢよ》の|役目《やくめ》を|仰付《おほせつ》けられ、|実《じつ》に|光栄《くわうえい》です』
|万公《まんこう》『ゴテゴテ|申《まを》さず、|俺《おれ》の|後《うしろ》へ|跟《つ》いて|来《く》るのだ』
と|大手《おほて》をふり|乍《なが》らお|民《たみ》の|飯焚場《めしたきば》へやつて|来《き》た。
|万公《まんこう》『オイお|民《たみ》、|鍵《かぎ》をしまつておいてくれ、サア|之《こ》れだ。|新参者《しんざんもの》の|男衆《をとこしう》が|二人《ふたり》|出来《でき》たから|汝《きさま》も|心易《こころやす》うしてやつてくれ。|但《ただし》|心易《こころやす》うせいと|云《い》つても|程度《ていど》|問題《もんだい》だ。|併《しか》し|汝《きさま》の|頬《ほほ》ベタは|赤《あか》いから、いかな|物好《ものずき》でも、つまみ|喰《ぐ》ひする|奴《やつ》はあるまいから、マア|安心《あんしん》だ』
お|民《たみ》『ヘン、|放《ほ》つといて|下《くだ》さいませ、|怪《け》ツ|体《たい》な|旦那様《だんなさま》だなア』
|万公《まんこう》『オイお|民《たみ》、|四《よつ》つも|五《いつ》つも|一度《いちど》に|竃《かま》に|火《ひ》をつけてるが、|一体《いつたい》|何《なに》を|焚《た》いてるのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|鍋《なべ》の|蓋《ふた》を|一々《いちいち》|取《と》つてみて、
|万公《まんこう》『ヤア|此奴《こいつ》ア|飯《めし》だ、……|此奴《こいつ》ア|副食物《おかず》だ、……コリヤコリヤお|民《たみ》、|飯《めし》が|煮《に》え|立《た》つた|後《あと》は、|火《ひ》をズーツと|弱《よわ》めるのだぞ。そして|白《しろ》い|泡《あわ》を|外《そと》へこぼさない|様《やう》にするのだ、|米《こめ》の|甘味《あまみ》がスツカリ|帰《い》んで|了《しま》ふからな。|火《ひ》を|焚《た》く|時《とき》には|仕事《しごと》の|手順《てじゆん》を|考《かんが》へて、ズツと|続《つづ》けて|用《もち》ふる|方《はう》が、|火力《くわりよく》の|経済《けいざい》となるから、|汝《きさま》のやうに|一遍《いつぺん》に|冷《つめ》たい|竃《かま》をぬくめようとすると、|大変《たいへん》な|損《そん》だぞ。|余《あま》つた|火《ひ》を|次《つぎ》へ|廻《まは》しまわしすれば、|何程《なにほど》|経済上《けいざいじやう》|利益《りえき》かも|知《し》れぬ。|火《ひ》を|焚《た》く|時《とき》はよく|調節《てうせつ》して、|炎《ほのほ》の|先《さき》が|鍋《なべ》の|底《そこ》に|当《あた》る|程度《ていど》のものにしておけば、それ|以上《いじやう》|外《そと》へ|火《ひ》がねぶる|様《やう》な|事《こと》では|焚物《たきもの》が|無駄《むだ》になる。オイ、フエル、ベツト、|汝《きさま》も|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》をよう|聞《き》いておけ。|第一《だいいち》テームス|家《け》の|損《そん》になる|事《こと》だからな。|奉公人根性《ほうこうにんこんじやう》と|云《い》つて、|主人《しゆじん》の|居《を》らぬ|時《とき》にや、|不経済《ふけいざい》な|事《こと》|許《ばか》りしよるから、|今《いま》までとはチツと|違《ちが》うぞ。|今度《こんど》の|主人《しゆじん》は|経済学者《けいざいがくしや》だからなア』
お|民《たみ》『ホホホホ|主人《しゆじん》が|鍋《なべ》の|蓋《ふた》をあけて|調《しら》べる|様《やう》になつたら、|最早《もはや》|其《その》|家《いへ》は|駄目《だめ》ですよ。|余程《よほど》|家《いへ》の|財政《ざいせい》が|苦《くる》しいとみえますなア』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|冥加《みやうが》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》らんか。オイ、ベツト、フエル、お|前《まへ》はこれからお|客《きやく》が|多《おほ》いのだから、お|民《たみ》の|仕事《しごと》を|手伝《てつだ》つてやつてくれ。|第一《だいいち》|経済《けいざい》を|重《おも》んじて、|薪《たきぎ》や|炭《すみ》を|粗末《そまつ》にせない|様《やう》に|頼《たの》むぞ。よく|乾《かわ》いた|薪《たきぎ》を|用《もち》ゐ、|無暗《むやみ》に|沢山《たくさん》|釜《かま》の|下《した》へ|捻《ね》ぢ|込《こ》むと、|却《かへつ》て|燃《も》えが|悪《わる》く、|燻《くすぶ》つて|了《しま》ふ。|割木《わりき》なら、|太《ふと》い|奴《やつ》を|四本《しほん》|位《ぐらゐ》くべるのだ。そして|薪《たきぎ》と|薪《たきぎ》とが|重《かさ》ならぬやうに|組合《くみあは》さないと、|燃《も》えにくいぞ。そして|物《もの》が|煮《に》え|上《あが》つたら、|使《つか》ひさしの|薪《たきぎ》はすぐに|消《け》すのだ。|火消壺《ひけしつぼ》へつつ|込《こ》むか|水《みづ》をかけるかしてなア……』
フエル『ハイハイ|畏《かしこ》まりました。オイ、お|民《たみ》さま、|俺《おれ》も|少《すこ》しは|陣中《ぢんちう》で|飯焚《めしたき》もやつた|事《こと》がある。チツと|俺《おれ》が|標本《へうほん》をみせてやらう』
お|民《たみ》『アタ|暑《あつ》いのに|困《こま》つてをつた|所《ところ》ですよ。マア、チツと|此処《ここ》で|腰《こし》でも|下《おろ》してお|前《まへ》のお|手際《てぎわ》を|拝見《はいけん》しませう』
|万公《まんこう》『オイ、お|民《たみ》、|焦《こ》げ|臭《くさ》いぢやないか、|早《はや》く|焚物《たきもの》を|引《ひ》かぬかい』
お|民《たみ》『|余《あま》り|俄旦那《にはかだんな》さまが|喧《やかま》しう|仰有《おつしや》るものだから、|外《ほか》へ|気《き》を|取《と》られてお|飯《まんま》が|焦《こ》げついたのですよ、|黒《くろ》くなつたら、フエル、ベツトに|食《く》はしたら|宜《よろ》しいワ、ホホホホ』
|万公《まんこう》『オイ|両人《りやうにん》、|何《なん》とかせぬかい、|鍋《なべ》がペチペチ|云《い》ふとるぢやないか』
フエルは|手桶《てをけ》の|水《みづ》を|慌《あわ》てて|竃《かまど》の|下《した》へぶちやけた|拍子《ひやうし》に、ブーと|灰《はひ》が|一面《いちめん》に|立上《たちあが》り、|炊事場《すゐじば》は|真黒《まつくろ》になつて|了《しま》つた。そして|体中《からだぢう》|灰《はひ》まぶれになり、|鼻《はな》をつまんで、|四人《よにん》とも|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》し、|空気《くうき》を|吸《す》うてゐる。
アヅモスは|朝飯《あさめし》が|遅《おそ》いので|腹《はら》をへらし、|炊事場《すゐじば》の|様子《やうす》を|考《かんが》へに|来《く》ると、そこら|一面《いちめん》|灰煙《はひけむり》が|立《た》つてゐる。アヅモスは|大声《おほごゑ》で、……『お|民《たみ》お|民《たみ》』と|呼《よ》んだ。お|民《たみ》は|外《そと》から……
お|民《たみ》『ハイ、|二《に》の|番頭《ばんとう》さまですか、|何《なん》ぞ|御用《ごよう》ですかい』
アヅモス『|何《なに》をキヨロキヨロしてゐるのだ、|早《はや》く|御飯《ごはん》を|持《も》つて|来《こ》んかい、|皆《みな》お|客《きやく》さまがお|腹《なか》がすいてるぢやないか』
お|民《たみ》『エ、お|前《まへ》は|男《をとこ》の|癖《くせ》に、|喧《やかま》しう|言《い》ふものぢやありませぬ。|今《いま》|若旦那《わかだんな》さまと|一生懸命《いつしやうけんめい》に、|御飯《ごはん》をたいてゐた|所《ところ》ですよ』
アヅモス『|当家《たうけ》に|若旦那《わかだんな》のある|筈《はず》がない、|何《なに》を|呆《とぼ》けてゐるのだ。|此処辺《ここら》スツカリ|灰《はひ》まぶれぢやないか、チツと|掃除《さうぢ》をせぬかい』
|万公《まんこう》は|裏口《うらぐち》から|灰《はひ》だらけの|炊事場《すゐじば》へ|帰《かへ》り|来《きた》り、
|万公《まんこう》『ア、お|前《まへ》はアヅモスか、|俺《おれ》は|若主人《わかしゆじん》の|万公別《まんこうわけ》だ。|今《いま》お|民《たみ》に|炊事《すゐじ》の|教授《けうじゆ》をしてゐた|所《ところ》だ。たつた|今《いま》|調理《てうり》して|新参者《しんざんもの》のフエル、ベツトに|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》ばすから、|病人《びやうにん》の|介抱《かいほう》を|神妙《しんめう》にして|来《こ》い。そして|舅姑殿《しうとしうとめどの》にもチツと|遅《おそ》うなつてすみませぬが、たつた|今《いま》、|持《も》つて|参《まゐ》りますと……さう|云《い》つといてくれ』
アヅモス『ヘーエ、|妙《めう》ですな。|貴方《あなた》|何時《いつ》の|間《ま》に|御養子《ごやうし》になられたのですか』
|万公《まんこう》『そんなこた|尋《たづ》ねる|丈《だけ》|野暮《やぼ》だ。スガールに|聞《き》いてみよ、それで|分《わか》らな、|今度《こんど》|出《で》て|来《き》た|俺等《おれたち》の|家来《けらい》の|竜彦《たつひこ》に|聞《き》いて|見《み》りや|分《わか》るのだ。エエ|男《をとこ》が|炊事場《すゐじば》へ|出《で》て|来《く》るものぢやない、|若主人《わかしゆじん》の|言《い》ひ|付《つけ》だ、|早《はや》く|彼方《あちら》へ|行《ゆ》け』
アヅモスは|怪訝《けげん》な|顔《かほ》をしてスゴスゴと|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|病室《びやうしつ》に|引返《ひきかへ》した。
|万公《まんこう》、お|民《たみ》、|外《ほか》|二人《ふたり》は|箒《はうき》や|雑巾《ざふきん》やハタキで|再《ふたた》び|大掃除《おほさうぢ》をなし、|鍋蓋《なべぶた》の|隙《すき》から、|這入《はい》つた|飯《めし》の|上《うへ》の|灰《はひ》を|杓子《しやくし》で|削《けづ》り|取《と》り、|水桶《みづをけ》の|中《なか》へ|落《おと》して|洗《あら》ひ、
|万公《まんこう》『|此《この》|家《うち》は|俄《にはか》に|客《きやく》がフエールの
|飯焚男《めしたきをとこ》|泡《あわ》を|吹《ふ》くなり。
|泡《あわ》ふいた|飯《めし》も|知《し》らずに|焦《こ》げつかし
|心《こころ》を|焦《こ》がす|四人連《よにんづ》れかな』
フエル『|若主人《わかしゆじん》|掃除万端《さうぢばんたん》|指図《さしづ》して。
|飛《と》び|廻《まは》りたる|灰神楽《はひかぐら》かな。
|灰神楽《はひかぐら》かぶつて|体《からだ》は|泥《どろ》まぶれ
|飯《めし》の|灰《はひ》をば|払《はら》ふ|可笑《をか》しさ。
|払《はら》うても|又《また》|払《はら》うても|飛《と》んで|来《く》る
|灰《はひ》は|四隅《よすみ》に|立《た》ち|上《あが》りつつ。
お|民《たみ》さま|胸《むね》を|焦《こ》がして|居《ゐ》るとみえ
|飯《めし》の|焦《こ》げたも|知《し》らぬ|熱情《ねつじやう》。
|若夫婦《わかふうふ》、|夫婦《ふうふ》|々々《ふうふ》と|泡《あわ》を|吹《ふ》く
|声《こゑ》|聞付《ききつ》けて|飯《めし》を|焦《こ》がしつ。
|胸《むね》|焦《こ》がし|飯《めし》を|焦《こ》がして|灰《はひ》まぶれ
|此《この》|御馳走《ごちそう》を|配膳《はいぜん》と|云《い》ふ』
|斯《か》く|馬鹿口《ばかぐち》を|叩《たた》き|乍《なが》ら、|灰《はひ》まぶれの|膳部《ぜんぶ》を|拵《こしら》へ、|慌《あわ》ただしく|朝飯《あさめし》を|客間《きやくま》と|病室《びやうしつ》に|持運《もちはこ》んで|行《ゆ》く。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 松村真澄録)
第六章 |洗濯使《せんたくし》〔一四一四〕
|治国別《はるくにわけ》の|居間《ゐま》へはフエル、アヅモスの|両人《りやうにん》が|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》び、|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をし|乍《なが》ら、フエルの|方《はう》は|慄《ふる》うてゐる。フエルは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》とアヅモスに|聞《き》いたので、|俄《にはか》に|恐《おそ》ろしくなつたのである。|併《しか》し|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》は|一面識《いちめんしき》もないので、|此《この》|家《や》の|下男《げなん》とのみ|考《かんが》へてゐた。フエルは|鬼春別《おにはるわけ》|以下《いか》|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》て、|様子《やうす》は|分《わか》らず、|不思議《ふしぎ》|相《さう》に|俯《うつむ》いたまま|横目《よこめ》で|四人《よにん》の|顔《かほ》を|見比《みくら》べてゐた。エミシは|早《はや》くもフエルの|姿《すがた》を|見《み》て、
エミシ『オオお|前《まへ》はフエルぢやないか。|何《ど》うして|此処《ここ》へ|来《き》たのだ』
フエル『|貴方《あなた》はカーネル|様《さま》で|厶《ござ》いましたか、|能《よ》うマア……|何《ど》うしてお|出《い》でになりました。|私《わたし》は|貴方《あなた》の|命令《めいれい》に|仍《よ》つて、シメジ|峠《たうげ》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|閉塞隊《へいそくたい》を|勤《つと》めて|居《ゐ》る|矢先《やさき》、|道晴別《みちはるわけ》|宣伝使《せんでんし》に|霊縛《れいばく》をかけられ、|当家《たうけ》の|庫《くら》に|放《ほ》り|込《こ》まれ、ヤツと|今朝《けさ》ここの|若主人《わかしゆじん》に|解放《かいはう》され、|炊事《すゐじ》や|掃除《さうぢ》の|役《やく》を|仰《おほ》せ|付《つ》けられて|居《を》ります』
エミシ『お|前《まへ》|一人《ひとり》か』
フエル『イエ、ベツトと|二人《ふたり》で|厶《ござ》います。ベツトも|私《わたし》と|同様《どうやう》に|早朝《さうてう》から|大活動《だいくわつどう》をやつて|居《を》ります』
エミシは|鬼春別《おにはるわけ》を|指《ゆび》ざし、
『オイ、|此《この》お|方《かた》を|知《し》つてゐるか』
フエル『ハイ、ゼネラル|様《さま》ぢや|厶《ござ》いませぬか、どうしてマア|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》と、かやうな|所《ところ》へお|出《いで》になりました。|又《また》|霊縛《れいばく》にかかつてぢや|厶《ござ》いませぬか』
|鬼春《おにはる》『アハハハ、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|霊縛《れいばく》にかけられ、たうとうゼネラルを|棒《ぼう》にふつて、|今日《けふ》は|三五教《あななひけう》の|一兵士《いちへいし》となつたのだよ』
フエル『|思《おも》ひきやゼネラル|様《さま》が|此《この》|家《いへ》に
お|越《こ》しあるとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず。
|夢《ゆめ》の|世《よ》に|夢《ゆめ》を|見《み》るてふ|人《ひと》の|世《よ》は
はかなきものと|今《いま》や|悟《さと》りぬ』
|鬼春別《おにはるわけ》『|三五《あななひ》の|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて
|暗《やみ》は|晴《は》れけり|心《こころ》の|闇《やみ》も』
|治国別《はるくにわけ》『テームスの|珍《うづ》の|館《やかた》に|落合《おちあ》ひて
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|味《あぢ》はふ|今日《けふ》かな』
アヅモス『|客人《まらうど》よいと|平《たひら》けく|聞召《きこしめ》せ
|万公別《まんこうわけ》が|献立《こんだて》の|味《み》を』
|竜彦《たつひこ》『|万公《まんこう》の|姿《すがた》|見《み》えぬと|思《おも》ひしに
|早《はや》|飯焚《めしたき》となりにけるかな』
|松彦《まつひこ》は|飯《めし》の|少《すこ》しく|色《いろ》の|変《かは》つたのを|見《み》て、
|松彦《まつひこ》『|此《この》|飯《めし》は|何《なん》とはなしに|色《いろ》づきぬ
|灰《はひ》カラ|女《をんな》のたきしものにや』
アヅモス『|色付《いろづ》きし|万公別《まんこうわけ》の|献立《こんだて》と
|思《おも》へば|何《なん》の|不思議《ふしぎ》かはある。
さり|乍《なが》ら|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|今日《けふ》|一朝《ひとあさ》は|忍《しの》ばせ|玉《たま》へ』
|松彦《まつひこ》『|何《なん》となくゲヂゲヂゲヂと|歯《は》はきしり
|砂《すな》を|噛《か》むよな|飯《めし》の|味《あぢ》かな』
|竜彦《たつひこ》『|万公《まんこう》が|主人気取《しゆじんきどり》となりよつて
|灰《はひ》カラ|飯《めし》を|炊《たき》しなるらむ』
|治国別《はるくにわけ》は、
『|皆《みな》さま、|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう。お|先《さき》へ|御免《ごめん》』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|一口《ひとくち》|口《くち》に|含《ふく》んで|目《め》を|白黒《しろくろ》し、|吐《は》き|出《だ》す|訳《わけ》にも|行《い》かず、|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》らグツと|呑《の》み|込《こ》んで|了《しま》つた。|白《しろ》い|飯《めし》の|上《うへ》に|所々《ところどころ》|灰《はひ》が|黒《くろ》く|塊《かたま》つてゐた。
|治国別《はるくにわけ》『|黒胡麻《くろごま》のふりかけ|飯《めし》と|思《おも》ひきや
|目《め》も|白黒《しろくろ》と|麦粟《むぎあは》をふく』
|松彦《まつひこ》『|麦飯《むぎめし》の|色《いろ》にもまがふ|灰飯《はひめし》に
|黍悪《きびわる》|相《さう》に|粟《あは》を|吹《ふ》くかな』
|竜彦《たつひこ》『オイ|番頭《ばんとう》さま、|偶々《たまたま》のお|客《きやく》さまに、こんな|飯《めし》を|食《く》はすといふ|事《こと》があるか、|余《あま》りヒドイぢやないか』
アヅモス『ハイ、|万公別《まんこうわけ》の|若旦那《わかだんな》が|御指図《おさしづ》で、お|炊《たき》になつたので|厶《ござ》いますから、|何卒《どうぞ》|今朝《けさ》|丈《だけ》は|御辛抱《ごしんばう》|下《くだ》さいませ。それはそれは|炊事場《すゐじば》は|偉《えら》い|灰埃《はひぼこり》で|厶《ござ》いました。|飯《めし》の|奴《やつ》、|鍋山《なべやま》が|噴火《ふんくわ》して|灰《はひ》を|降《ふ》らし、そこら|一面《いちめん》|灰《はひ》の|山《やま》となりましたので、|知《し》らず|知《し》らずの|間《あひだ》に|厚《あつ》い|鍋蓋《なべふた》を|潜《くぐ》つて、|灰《はひ》が|浸入《しんにふ》したので|厶《ござ》いませう。|何《なん》なら|鬼春別《おにはるわけ》さま、|久米彦《くめひこ》さまにあがつて|頂《いただ》きまして、お|腹《なか》がすきませうが、|暫《しばら》く|待《ま》つてゐて|下《くだ》さいませ。|更《あらた》めておいしい|御飯《ごはん》を|炊《た》いて|参《まゐ》りますから……』
|治国《はるくに》『イヤ、|誰《たれ》だつて|同《おな》じ|事《こと》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|折角《せつかく》の|志《こころざし》、|無《む》にするのも|済《す》まないから|一度《いちど》|之《これ》をスツカリ|清水《せいすい》に|洗《あら》つて|日《ひ》に|乾《かわ》かし、お|茶漬《ちやづけ》にしてよばれませう。サ、お|膳《ぜん》を|引《ひ》いて|下《くだ》さい。|誰《たれ》だつて|此《この》|御飯《ごはん》|許《ばか》りは|勿体《もつたい》ない|事《こと》|乍《なが》ら|喉《のど》へは|通《とほ》りませぬから……』
アヅモス『|左様《さやう》ならば|一先《ひとま》づ|膳《ぜん》をひきませう
|待《ま》たせ|玉《たま》へよ|暫《しばら》くの|間《うち》。
フエルさまお|前《まへ》も|共《とも》に|炊事場《すゐじば》へ
|急《いそ》ぎ|御飯《ごはん》を|炊《た》いてくるのよ』
フエル『|炊《た》き|様《やう》に|依《よ》つてお|米《こめ》はフエルさまだ。
サア|是《これ》からが|一生懸命《いつしやうけんめい》。
|生命《せいめい》の|綱《つな》と|聞《きこ》えし|此《この》|飯《めし》を
|灰《はひ》にまぶせし|吾《わ》れはハイカラ。
|万公別《まんこうわけ》|主人《あるじ》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
|腕《うで》に|撚《より》かけむし|返《かへ》しみむ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、アヅモス、フエルの|両人《りやうにん》は|急《いそ》いで|膳部《ぜんぶ》を|片付《かたづ》け、|幾度《いくたび》も|謝罪《しやざい》し|乍《なが》ら、|炊事場《すゐじば》に|引返《ひつかへ》して|来《き》た。|見《み》れば|万公《まんこう》はお|民《たみ》をつかまへて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|指図《さしづ》をしてゐる。
|万公《まんこう》『オイお|民《たみ》、|火消壺《ひけしつぼ》の|蓋《ふた》は|何時《いつ》もキチンと|出来《でき》てるか、|底《そこ》の|方《はう》に|火《ひ》がまわりはせぬかと|能《よ》く|気《き》をつけるのだぞ。コンロの|下《した》の|灰《はひ》を|一遍々々《いつぺんいつぺん》|捨《す》てる|事《こと》を|忘《わす》れるな。|井戸《ゐど》の|水《みづ》はどんなとこへ|使《つか》へば|危険《きけん》でないか。|煮物《にもの》、|炊物《たきもの》、|沸《わ》かして|呑《の》む|水《みづ》|等《など》の|外《ほか》、|決《けつ》して|生水《なまみづ》は|呑《の》んでは|可《い》かぬぞ。|此《この》|頃《ごろ》は|梅雨《つゆ》だから、|水《みづ》に|塩気《しほけ》があつて、|妙《めう》な|黴菌《ばいきん》が|生《わ》いてゐるから|充分《じゆうぶん》に|沸《たぎ》らして、|水《みづ》が|呑《の》みたけりや|冷《ひや》して|呑《の》め、|生水《なまみづ》を|使《つか》ふのは|手洗水《てうづ》か|雑巾水《ざふきんみづ》より|外《ほか》にはならぬぞ』
お|民《たみ》『|流《なが》しを|洗《あら》うたり、|食器類《しよくきるゐ》や|爼板《まないた》を|洗《あら》ふのは|何《ど》うしたら|可《い》いのですか。ヤツパリ|之《これ》も|湯《ゆ》を|沸《わ》かすのですか』
|万公《まんこう》『エー、そんな|事《こと》|迄《まで》|指図《さしづ》せなくちや|分《わか》らぬのかナ、|其奴《そいつ》ア|水《みづ》で|辛抱《しんばう》するのだ。そして|水壺《みづつぼ》に|何時《いつ》も|水《みづ》を|用意《ようい》して、|非常《ひじやう》の|時《とき》の|用意《ようい》に|備《そな》へておくのだ。そして|毎日《まいにち》|新《あたら》しい|水《みづ》と|取《とり》かへるのだぞ。|柄杓《ひしやく》などを|水《みづ》の|中《なか》へつけておくと、|水《みづ》の|味《あぢ》もかわるし、|杓《しやく》もホトびて|損《いた》むから、|一遍々々《いつぺんいつぺん》|外《そと》へ|出《だ》して|乾《かわ》かしておくのだよ。そして|井戸《ゐど》は|使《つか》つたあとは|蓋《ふた》をしておくのだ。|釣瓶繩《つるべなは》の|新《あたら》しいのを|使《つか》う|時《とき》は、ようスゴいて|使《つか》はないと、クロロを|脱線《だつせん》するから|気《き》をつけよ』
お|民《たみ》『|贋旦那《にせだんな》さま、|指図《さしづ》|計《ばか》りして|居《を》らずと、|貴方《あなた》も|一《ひと》つ|手伝《てつだ》うて|下《くだ》さいナ。ここは|井戸《ゐど》ぢやありませぬよ。|水道《すいだう》の|水《みづ》を|使《つか》つて|居《ゐ》るのですよ』
|万公《まんこう》『|水道《すいだう》でも|井戸《ゐど》でも|同《おんな》じ|事《こと》だ。|痳病《りんびやう》やみが|小便《せうべん》をたれるやうに、いつもジヨウジヨウと|洩《もら》しておいては|公徳上《こうとくじやう》すまないから、|水道《すいだう》の|栓《せん》は、|使《つか》つたら|固《かた》く|締《し》めておくのだ。そして|朝《あさ》|水道《すいだう》の|水《みづ》はバケツに|一杯《いつぱい》|丈《だけ》は|使水《つかひみづ》とし、|余《あま》りは|滌《すす》ぎ|水《みづ》にして|外《ほか》へ|利用《りよう》するのだ。お|水《みづ》を|粗末《そまつ》にすると、|月《つき》の|大神《おほかみ》さまの|神罰《しんばつ》が|当《あた》るぞ』
お|民《たみ》『ハイハイ。|能《よ》うゴテゴテと|構《かま》ふ|人《ひと》ですな。そんな|事《こと》|位《ぐらひ》|知《し》らいで、|大家《たいけ》の|下女《げぢよ》が|勤《つと》まりますか』
|万公《まんこう》『コリヤ|主人《しゆじん》に|口答《くちごたへ》するといふ|事《こと》があるか。|何《なん》だ|灰《はひ》だらけの|飯《めし》を|炊《たき》やがつて、おまけに|火《ひ》のいつた|黒《くろ》い|黒《くろ》い|飯《めし》を|沢山《たくさん》|拵《こしら》へたぢやないか』
お|民《たみ》『あんたが|出《で》て|来《き》て|喧《やか》ましう|差出《さしで》なさるものだから、つい|気《き》を|取《と》られてお|前《まへ》さまの|顔《かほ》|計《ばか》り|見《み》て|居《を》つたら、|焦《こ》げついたのですよ』
|万公《まんこう》『ヘヘヘヘ、|気《き》を|取《と》られて|俺《おれ》の|顔《かほ》|計《ばか》りみとつたといふのか、|其奴《そいつ》ア|駄目《だめ》だ。|諦《あきら》めたがよからう、|下女《げぢよ》を|女房《にようばう》にする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|又《また》|汝《きさま》の|赤《あか》い|頬《ほほ》ぺたでは、|如何《いか》に|物食《ものぐ》ひのよい|万公別《まんこうわけ》でも、|一寸《ちよつと》は|三舎《さんしや》を|避《さ》けるからのう』
お|民《たみ》『ホツホホホ、|誰《たれ》が|主人《しゆじん》だつて、|貴方《あなた》の|様《やう》なお|顔《かほ》に|惚《ほれ》ますか。|余《あま》り|奇妙《きめう》な|顔《かほ》だと|思《おも》つて、|気《き》を|取《と》られてゐたのですよ。モウ|可《い》いかげん|彼方《あちら》へ|行《い》つて|下《くだ》さいな』
|万公《まんこう》『|今日《けふ》はどうやら|日和《ひより》もよささうだから、お|客《きやく》さまの|着物《きもの》が|大分《だいぶん》|汗《あせ》じゆんでゐる。|着替《きがへ》を|出《だ》して|着《き》て|貰《もら》つて、|其《その》お|装束《しやうぞく》を|洗濯《せんたく》するのだな』
お|民《たみ》『ハイハイ|飯《めし》を|焚《た》かねばならず、|洗濯《せんたく》もせにやならず、|本当《ほんたう》に|忙《いそが》しい|事《こと》だ。|私《わたし》はここへ|飯焚《めした》き|女《をんな》に|雇《やと》はれて|来《き》たのだから、|洗濯《せんたく》は|約束《やくそく》|以外《いぐわい》ですワ、|洗濯《せんたく》さすのなら|二人前《ににんまへ》の|給料《きふれう》をくれますか。お|前《まへ》さまは|俄主人《にはかしゆじん》だから|私《わたし》の|約束《やくそく》を|知《し》らぬのだらう。|庭掃《にはは》きとも|座敷《ざしき》の|掃除番《さうぢばん》とも|云《い》つて、|雇《やと》はれて|来《き》たのぢや|厶《ござ》りませぬよ』
|万公《まんこう》『|下女《げぢよ》と|云《い》ふ|者《もの》は|家《いへ》の|内《うち》|一切《いつさい》を|構《かま》ふものだ。|飯焚《めした》きといへば|一切《いつさい》の|事《こと》が|含《ふく》んでをるのだ。|融通《ゆうづう》の|利《き》かぬ|奴《やつ》だなア』
お|民《たみ》『そんなこた|分《わか》つてをりますよ。|併《しか》し|余《あま》り|融通《ゆうづう》を|利《き》かすと、|忙《いそが》しい|計《ばか》りで|身体《からだ》が|疲《つか》れて|損《そん》ですワ。|目《め》のない|主人《しゆじん》に|使《つか》はれて|居《を》つては、|何程《なにほど》|骨《ほね》を|折《を》つても|椽《えん》の|下《した》の|舞《まひ》だから、マアやめておきませうかい。お|前《まへ》さま|若主人《わかしゆじん》だなんて、|勝手《かつて》にきめてるのだらう、そんなこたチヤンとお|民《たみ》の|目《め》に|映《うつ》つてをりますよ。|宣伝使《せんでんし》の|褌持《ふんどしもち》ぢやありませぬか、オホホホホ、チツと|何《ど》うかしてますねえ』
|万公《まんこう》『エー、お|上《かみ》の|事《こと》が|下《しも》に|分《わか》るものかい。サア|是《これ》から|洗濯《せんたく》だ。|洗濯《せんたく》の|仕方《しかた》は|分《わか》つとるかなア』
お|民《たみ》『|洗濯《せんたく》と|云《い》つたら、|河《かは》へ|持《も》つて|行《い》つて、|浅瀬《あさせ》に|石《いし》を|一々《いちいち》|乗《の》せて、|漬《つ》けておけば|可《い》いのでせう。そして|十日《とをか》|程《ほど》して|行《ゆ》けば|自然《しぜん》に|垢《あか》が|除《と》れてますワ。|万公《まんこう》さま、ここに|古《ふる》い|褌《まわし》や|湯巻《ゆまき》の|古手《ふるて》が|沢山《たくさん》つつ|込《こ》んであるから、お|前《まへ》さま|抱《かか》えて|猪倉川《ゐのくらがは》|迄《まで》|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》さらぬか』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|主人候補者《しゆじんこうほしや》の|俺《おれ》に|向《むか》つて、チツと|失礼《しつれい》ぢやないか。ここの|背戸口《せとぐち》で|盥《たらひ》に|水《みづ》や|湯《ゆ》を|汲《く》んでバサバサとやれば|可《い》いのだ。【きめ】の|粗《あら》い|水《みづ》だとみた|時《とき》は、|始《はじ》めに|曹達《さうだ》を|能《よ》く|溶《と》かして|使《つか》へばキツト|美《うつく》しうおちる、さうすると|石鹸《せつけん》と|時間《じかん》とが|経済《けいざい》になる。そして|滌《すす》ぎ|水《みづ》は|奇麗《きれい》に|濁《にご》らなくなる|迄《まで》|何遍《なんべん》も|変《か》へないといふと、|生地《きぢ》が|早《はや》くいたむぞ。そして|水《みづ》で|洗《あら》うて|可《い》いものと、|湯《ゆ》で|洗《あら》うて|可《い》いものとある。それを|第一《だいいち》|心得《こころえ》ておかないと|洗濯婆《せんたくばば》にはなれぬぞ。|俺《おれ》は|世界《せかい》の|人民《じんみん》の|霊《みたま》を|洗濯《せんたく》する|三五教《あななひけう》の|洗濯使《せんたくし》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|今日《けふ》は|譲歩《じやうほ》して、|汝《おまへ》に|衣類《いるゐ》の|洗濯方法《せんたくはうはふ》を|教《をしへ》てやるのだから、|能《よ》く|忘《わす》れぬやうに|覚《おぼ》えておけ。|洗方《あらひかた》に|注意《ちゆうい》せないと、|折角《せつかく》の|結構《けつこう》な|衣類《いるゐ》が|台無《だいな》しになつて|了《しま》ふものだ。|絹物《きぬもの》や|毛織物《けおりもの》や|色物《いろもの》は|熱《あつ》い|湯《ゆ》につけて|洗《あら》うと|駄目《だめ》だ。|又《また》|毛織物《けおりもの》は|冷《つめ》たい|水《みづ》に|漬《つ》けても|悪《わる》い。そして|絹物《きぬもの》、|毛織物《けおりもの》、|麻織物《あさおりもの》は|強《つよ》く|揉《も》んでは|駄目《だめ》だぞ。|曹達《さうだ》(|灰汁《あく》)や|悪《わる》い|石鹸《せつけん》で、|絹物《きぬもの》はキツと|洗《あら》つてはならない、|色物《いろもの》は|猶更《なほさら》だ。そして|色物《いろもの》は|皆《みな》|陰干《かげぼし》にせなくては、|日向《ひなた》に|出《だ》したら|皆《みな》|色《いろ》が|褪《あ》せて|了《しま》ふ。|干《ほ》す|時《とき》は|竿《さを》か|繩《なは》を|通《とほ》して、|木《き》から|木《き》へ|掛《か》けておくのだ。|白《しろ》い|物《もの》を|色物《いろもの》の|竿《さを》にかけると、|色《いろ》がついて|台《だい》なしになつて|了《しま》ふぞ。あああ|宣伝使《せんでんし》も|何《なに》から|何《なに》|迄《まで》|知《し》つてをらねば|勤《つと》まらぬ、|本当《ほんたう》に|難《むつか》しい|職掌《しよくしやう》だなア』
お|民《たみ》『ハハア、さうするとお|前《まへ》さまは|若《わか》い|時《とき》から|洗濯屋《せんたくや》の|番頭《ばんとう》をして|居《を》つたのだなア。|男《をとこ》の|癖《くせ》にそんな|事《こと》を|知《し》つて|居《ゐ》るものは、|首陀《しゆだ》の|内《うち》だつてありませぬワ。モウ|余《あま》り|喋《しやべ》りなさるな、お|里《さと》が|見《み》えると、|折角《せつかく》の|縁談《えんだん》もフイになりますよ。ホツホホホホ』
|万公《まんこう》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|女子大学《ぢよしだいがく》|家政科《かせいくわ》の|卒業生《そつげふせい》だ。それだから|何《なに》もかも|知《し》つてるのだ』
お|民《たみ》『ホホホホ、|女子大学《ぢよしだいがく》へ|男《をとこ》が|行《ゆ》くのですか。さうするとお|前《まへ》さまは|男《をとこ》の|腐《くさ》つた|女《をんな》の|屑《くず》だな。|道理《だうり》でクヅクヅ|云《い》うと|思《おも》つてゐた』
|万公《まんこう》『|女《をんな》は|口《くち》を|慎《つつし》むが|第一《だいいち》だ。|男子《だんし》に|抗弁《かうべん》するといふ|事《こと》が|何処《どこ》にあるか、らしうせよといふ|言《こと》を|知《し》つてゐるか』
お|民《たみ》『|其《その》|位《くらゐ》のこた、とうの|昔《むかし》に|御存《ごぞん》じのお|民《たみ》ですよ。|主人《しゆじん》は|主人《しゆじん》らしう、|奴《やつこ》は|奴《やつこ》らしう、|下女《げぢよ》は|下女《げぢよ》らしう、|宣伝使《せんでんし》は|宣伝使《せんでんし》らしう、|居候《ゐさふらふ》は|居候《ゐさふらふ》らしうせよと|云《い》ふ|事《こと》でせうがな。お|前《まへ》さまも|若主人《わかしゆじん》なら、なぜ|若主人《わかしゆじん》らしうせぬのだい。|私《わたし》が|一寸《ちよつと》|考《かんが》へてみると、お|前《まへ》さまは、|馬鹿《ばか》らしう、ケレ|又《また》らしう、|自惚男《うぬぼれをとこ》らしう、|腰抜《こしぬけ》らしう、デレ|助《すけ》らしう、|雲雀《ひばり》らしう、|九官鳥《きうくわんてう》らしう、まだも|違《ちが》うたら|鸚鵡《おうむ》らしうみえますよ、ホツホホホホ』
かかる|所《ところ》へアヅモス、フエルの|両人《りやうにん》はツマらぬ|顔《かほ》をして、|入《い》り|来《きた》り、
アヅモス『オイ、お|民《たみ》、|何《なん》といふ|飯《めし》を|炊《た》きやがるのだ。|偶々《たまたま》のお|客《きやく》さまに|灰飯《はひめし》を|食《く》はしやがつて、マ|一遍《いつぺん》|炊《た》き|直《なほ》さぬかい。サ、|早《はや》う、|何《なに》をグズグズしてゐるのだ。ハハア|此《この》お|客《きやく》さまにうつつをぬかしやがつて、|飯《めし》の|焦《こげ》たのも|知《し》らず、|灰《はひ》の|這入《はい》つたのも|気《き》がつかなかつたのだなア』
お|民《たみ》『モシ|二《に》の|番頭《ばんとう》さま、|此《この》|人《ひと》、どつかへ|伴《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さい、|蕪《かぶら》から|大根《だいこん》|菜種《なたね》のはしに|至《いた》る|迄《まで》ゴテゴテ|云《い》つて|構《かま》ふのですもの、|骨折《ほねを》つて|炊事《すゐじ》も|出来《でき》やしませぬワ』
アヅモス『ヤア|貴方《あなた》は|夜前《やぜん》のお|客様《きやくさま》、|何卒《どうぞ》|奥《おく》へお|入《はい》り|下《くだ》さいませ。|先生《せんせい》が|御待《おま》ち|兼《かね》で|厶《ござ》います』
|万公《まんこう》『ウン、お|前《まへ》が|番頭《ばんとう》のアヅモスだなア。スガールやシーナが|病気《びやうき》で|伏《ふ》せつて|居《を》るので、お|前《まへ》も|忙《いそが》しい|事《こと》だらう。|併《しか》し|乍《なが》らここ|二三日《にさんにち》|辛抱《しんばう》してくれ、|其《その》|代《かは》りに|褒美《はうび》は|又《また》|此《この》|若主人《わかしゆじん》がドツサリ|使《つか》はすから』
アヅモス『ヘーエ、|妙《めう》ですな。|貴方《あなた》|何時《いつ》の|間《ま》にここの|主人《しゆじん》になられましたか』
|万公《まんこう》『|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》から、|霊《みたま》の|因縁《いんねん》でここの|主人《しゆじん》ときまつて|居《を》るのだ。|俺《おれ》は|今《いま》の|主人《しゆじん》の|父親《てておや》のテームスの|生《うま》れ|変《がは》りだぞ』
アヅモス『ヘーエ、|貴方《あなた》のお|年《とし》は、|一寸《ちよつと》|見《み》た|所《ところ》で|四十《しじふ》|近《ちか》いぢやありませぬか、|御主人《ごしゆじん》のお|父《とう》さまは|亡《な》くなつてから、まだ|五六年《ごろくねん》よりなりませぬがな』
|万公《まんこう》『|其《その》モ|一《ひと》つ|親《おや》だ、|親《おや》と|云《い》つたら|先祖《せんぞ》をすべて|親《おや》といふのだ。それで|遠津御祖《とほつみおや》|代々《よよ》の|親等《おやたち》と|祝詞《のりと》にもいうてあるぢやないか。|祖父《ぢい》さまだの、|曾祖父《ひぢい》さまだのと、|人間《にんげん》は|云《い》ふか|知《し》らぬが、|神《かみ》の|方《はう》では|一口《ひとくち》に|親《おや》と|云《い》へば、それで|可《い》いのだ。ゴテゴテ|言《い》はずに、お|民《たみ》に|飯《めし》の|炊方《たきかた》から|洗濯《せんたく》の|方法《はうはふ》まで|教《をし》へてあるから、|能《よ》く|聞《き》いて|早《はや》く|膳部《ぜんぶ》を|拵《こしら》へ、|珍客《ちんきやく》さまを|待遇《もてな》すやうに|致《いた》さぬか』
アヅモス『モシ、|若旦那《わかだんな》の|候補生様《こうほせいさま》、|之《これ》から|吾々《われわれ》が|骨《ほね》を|折《を》つて|御飯《ごはん》を|拵《こしら》へますから、|何卒《どうぞ》|治国別《はるくにわけ》さまのお|居間《ゐま》へいつて、|暫《しばら》くお|客《きやく》さまの|待遇《もてなし》をして|居《を》つて|下《くだ》さいませぬか』
|万公《まんこう》『|主人《しゆじん》が|番頭《ばんとう》の|言《い》ひ|付《つけ》を|聞《き》く|法《はふ》はないけれ|共《ども》、|暫《しばら》く|折角《せつかく》のお|客様《きやくさま》だから、|主人《しゆじん》が|出《で》ないのも|却《かへつ》て|失礼《しつれい》になる、そんなら|能《よ》く|気《き》をつけて|万事《ばんじ》|抜目《ぬけめ》のないやうにやつてくれ。……お|民《たみ》、|汝《きさま》も、|今度《こんど》は|性念《しやうねん》|入《い》れて|飯《めし》を|焚《た》くのだぞ』
と|言《い》ひ|捨《す》て、|広《ひろ》い|家《いへ》を|迷《まよ》ひさがし|乍《なが》ら、|漸《やうや》くにして|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》の|陣取《ぢんど》つてゐる|庭園内《ていゑんない》の|建物《たてもの》を|見《み》つけて|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 松村真澄録)
第二篇 |縁三寵望《えんさんちようばう》
第七章 |朝餉《あさげ》〔一四一五〕
|万公《まんこう》は|炊事場《すゐじば》をあとに|治国別《はるくにわけ》の|居間《ゐま》に|駆《か》け|入《い》り、|頭《あたま》に|灰《はひ》を|被《かぶ》り|乍《なが》ら|顔《かほ》に|黒《くろ》い|汗《あせ》を|滲《にじ》らせ、
|万公《まんこう》『これはこれは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》を|初《はじ》め|奉《たてまつ》り|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシのお|歴々様《れきれきさま》、|女房《にようばう》がいかいお|世話《せわ》になりまして|家内一統《かないいつとう》の|喜《よろこ》びは|筆紙《ひつし》に|尽《つく》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|何《なん》とお|礼《れい》を|申《まを》してよいやら、あまり|突然《とつぜん》の|事《こと》とて|狼狽《らうばい》を|致《いた》して|居《を》ります。|二三日《にさんにち》しましたら|稍《やや》|落《お》ち|着《つ》きますから、とつくりと|調理法《てうりはふ》も|調《ととの》へお|口《くち》にあふものを|差上《さしあ》げ|度《た》いと|存《ぞん》じます。|何分《なにぶん》|下女《げぢよ》が|来《き》たてで|厶《ござ》りますなり、|下男《げなん》も|漸《やうや》く|蔵《くら》から|引張《ひつぱり》|出《だ》して|初《はじ》めての|修行《しうぎやう》をさしたのですから、|何事《なにごと》も|意《い》の|如《ごと》くなりませぬので、|万事《ばんじ》|不始末《ふしまつ》|計《ばか》りで|厶《ござ》ります、|何卒《なにとぞ》|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しまして|暫《しば》らくの|御容赦《ごようしや》をお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
|鬼春《おにはる》『アハハハハ、|万公別《まんこうわけ》さま、|貴方《あなた》|何時《いつ》の|間《ま》に、|此処《ここ》の|主人《しゆじん》になりましたか。まだ|御披露《ごひろう》もあつた|様《やう》にも|思《おも》ひませぬが』
|万公《まんこう》『|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。|披露《ひろう》や|婚姻《こんいん》の|儀式《ぎしき》|等《など》は|何日《いつ》でも|宜《よろ》しう|厶《ござ》ります。|兎《と》に|角《かく》|霊《みたま》と|霊《みたま》とが|密着不離《みつちやくふり》の|関係《くわんけい》を|持《も》つてさへ|居《を》れば、|最早《もはや》|動《うご》かない|大盤石《だいばんじやく》の|様《やう》なものですからな』
|治国《はるくに》『|万公《まんこう》さま、どうやら|今度《こんど》はものになりさうだな。|吾々《われわれ》に|斡旋《あつせん》の|労《らう》を|執《と》らさうと|思《おも》へばチツと【|優待《いうたい》】せぬと|駄目《だめ》だよ』
|万公《まんこう》『|滅相《めつさう》もない、こんな|良縁《りやうえん》を【|勇退《ゆうたい》】して|堪《た》まりますか。|仮令《たとへ》【|幽体《いうたい》】になつても|勇退《ゆうたい》しませぬわ。エツヘヘヘヘ』
|治国《はるくに》『|優待《いうたい》と|云《い》ふ|事《こと》は|大切《たいせつ》に【もてなす】と|云《い》ふ|事《こと》だ。|待遇《もてなし》が|悪《わる》いと|不成功《ふせいこう》に|終《をは》るかも|知《し》れないぞ』
|万公《まんこう》『|先生《せんせい》、|縁起《えんぎ》の|悪《わる》い|事《こと》|云《い》つて|下《くだ》さいますな。【もてなし】|所《どころ》か|大《おほ》【もてあり】です』
|松彦《まつひこ》『アハハハハ、|先生《せんせい》、こいつは|一寸《ちよつと》|逆上《ぎやくじやう》してる|様《やう》ですな』
|治国《はるくに》『うん、|頭《あたま》から|冷水《れいすい》でもぶつかけてやらなくちや|大変《たいへん》な|逆上《のぼ》せ|方《かた》だ。おい、|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》の|頭《あたま》は|何《なん》だ、|大変《たいへん》|心配《しんぱい》したと|見《み》えて|髪《かみ》の|毛《け》が|真白《まつしろ》になつたぢやないか』
|竜彦《たつひこ》『|自分《じぶん》の【はい】ぐう(配偶)について|心《こころ》を|悩《なや》ましてゐるものだから、|頭《あたま》の|毛《け》|迄《まで》|灰《はひ》を|被《かぶ》つた|様《やう》にしてるのですよ。|之《これ》では|万公《まんこう》さまもゼロ【ハイ】(零敗)だ』
|万公《まんこう》『もし、|竜彦《たつひこ》のお|客《きやく》さま、ゼロ【ハイ】(零敗)でも|何《なん》でもありませぬよ。|万公山《まんこうざん》が|噴火《ふんくわ》して|降灰《かうはひ》をやつた|所《ところ》です』
|竜彦《たつひこ》『ハハハハハまるつきり|灰猫《はひねこ》|同様《どうやう》だ。|一体《いつたい》|何《なに》をして|居《ゐ》たのかな』
|万公《まんこう》『|炊事場《すゐじば》へ|行《い》つて|下女《げぢよ》|下男《げなん》に|対《たい》して、さい【はい】(采配)をふつて|居《ゐ》たものだから、|此《この》|通《とほ》り|灰殻頭《はひからあたま》になつたのですよ』
|竜彦《たつひこ》『|万公別《まんこうわけ》さま、お|前《まへ》は|大変《たいへん》|腹《はら》が|悪《わる》いぢやないか。|俺等《おれたち》に|灰《はひ》まぶれの|飯《めし》を|食《た》べさせやうとしたぢやないか』
|万公《まんこう》『|何分《なにぶん》|家庭《かてい》の|様子《やうす》がテンと|分《わか》らぬものですから、|思《おも》はぬ|失《しつ》【ぱい】(敗)を|致《いた》しました。|併《しか》し|御心《ごしん》【ぱい】(配)|下《くだ》さいますな。|屹度《きつと》|今《いま》に|御飯《ごはん》を|焚《た》き|直《なほ》し|僕《しもべ》|共《ども》が【はい】ぜん(配膳)をもつて|参《まゐ》ります』
|久米《くめ》『|万公別《まんこうわけ》さま、|随分《ずいぶん》|敏《すば》しこうやりますね。|何時《いつ》の|間《ま》にスガールさまと|情約締結《じやうやくていけつ》をしましたか。|随分《ずいぶん》|凄《すご》い|腕《うで》ですな』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|云《い》つても|三五教《あななひけう》の|万公別《まんこうわけ》ですよ。
|音《おと》に|名高《なだか》きフサの|国《くに》  |猪倉山《ゐのくらやま》の|山砦《さんさい》に
|此《この》|世《よ》を|乱《みだ》す|曲津神《まがつかみ》  |八岐大蛇《やまたをろち》の|懸《かか》りたる
|大黒主《おほくろぬし》の|醜柱《しこばしら》  これに|仕《つか》ふる|数多《あまた》の|魔神《まがみ》
|中《なか》にも|別《わ》けて  |鬼将軍《おにしやうぐん》と|仇名《あだな》をとつた
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|鬼春別《おにはるわけ》  |久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》が
|金城鉄壁《きんじやうてつぺき》と|恃《たの》み  |数万《すうまん》の|軍勢《ぐんぜい》を|引率《ひきつ》れて
いとも|堅固《けんご》に|守《まも》りたる  |醜《しこ》の|陣屋《ぢんや》を|打亡《うちほろ》ぼし
|天下《てんか》の|害《がい》を|除《のぞ》かむと  |万公別《まんこうわけ》が|部下《ぶか》の|勇将《ゆうしやう》
|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》を|引率《ひきつ》れ  |旗鼓堂々《きこだうだう》と
|敵《てき》の|陣屋《ぢんや》へ|攻《せ》めかくる  |三五教《あななひけう》の|神将《しんしやう》と
|世《よ》に|聞《きこ》えたる|某《それがし》が  |生言霊《いくことたま》に|辟易《へきえき》し
|流石《さすが》の|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》も  |兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぎ|剣《けん》を|投《な》げ|出《だ》し
|丸腰《まるごし》となつて|紅涙滴々《こうるいてきてき》  |五臓六腑《ござうろつぷ》を|転覆《てんぷく》させ|乍《なが》ら
|啜《すす》り|泣《な》きつつ  |脆《もろ》くも|降参《かうさん》したりけり
|逃《に》ぐるを|追《お》はず  |謝罪《あやま》る|様《やう》な|腰抜者《こしぬけ》を
|頭《あたま》の|一《ひと》つも|殴《なぐ》つた|所《ところ》で  |何《なん》の|利益《りえき》かあるべきと
ここは|寛仁大度《くわんじんたいど》の  |本性《ほんしやう》を|発揮《はつき》し
|醜《しこ》の|魔神《まがみ》を|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に  |見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|百千万《ももちよろづ》の|過失《あやまち》を|宣《の》り|直《なほ》し  |救《すく》ひ|助《たす》くるは|天《てん》の|道《みち》と
|瞬《またた》く|間《うち》に|至清《しせい》|至潔《しけつ》の|身魂《みたま》に|感《かん》じ  |無事《ぶじ》にその|儘《まま》|事済《ことず》みとなり
|敵《てき》の|大将《たいしやう》を|霊縛《れいばく》し|乍《なが》ら  |凱歌《がいか》を|奏《そう》して|谷《たに》を|飛《と》び|越《こ》え
|岩間《いはま》を|潜《くぐ》り|杉《すぎ》の|木立《こだち》を|掻《か》き|分《わ》けて  |青葉《あをば》|茂《しげ》る|大野原《おほのはら》を
|声《こゑ》は|聞《き》けども|姿《すがた》は|見《み》えぬ  |山時鳥《やまほととぎす》に|送《おく》られて
|玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》が|館《やかた》  テームス|方《かた》へと|凱旋《がいせん》したりけり
かかる|智勇《ちゆう》の|神将《しんしやう》なれば  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》を
|蚰蜒《げじげじ》の|如《ごと》くに|嫌《きら》ひたる  |天下無双《てんかむさう》のスガール|美人《びじん》
|忽《たちま》ち|吾《われ》に|懸想《けさう》して  |電光石火《でんくわうせきくわ》
|目《め》にもとまらぬ|急速力《きふそくりよく》で  |吾《わが》|両眼《りやうがん》に|視線《しせん》を|投《な》げ
|以心伝心《いしんでんしん》  |忽《たちま》ち|情意投合《じやういとうがふ》し
|神界《しんかい》|晴《は》れての|誠《まこと》の|夫婦《ふうふ》  テームス|館《やかた》の|若主人《わかしゆじん》
|万公別《まんこうわけ》となりにけり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|常平生《つねへいぜい》に|三五《あななひ》の  |神《かみ》に|仕《つか》へし|甲斐《かひ》ありて
|嬉《うれ》しき|今日《けふ》の|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》  |夢《ゆめ》ではないかと|折々《をりをり》に
|吾《われ》と|吾《わが》|手《て》に|頬《ほほ》を|抓《つめ》り  |鼻《はな》を|捻《ねぢ》つて|伺《うかが》へば
やつぱり|苦痛《くつう》を|感《かん》じ|入《い》る  |治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》よ
|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|教子《をしへご》の  |万公別《まんこうわけ》に|暇《いとま》を|賜《たま》はり
|二人《ふたり》が|仲《なか》の|媒酌《ばいしやく》を  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|結《むす》ばせ|給《たま》へ
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る。  |小北《こぎた》の|山《やま》で|十七《じふしち》の
|娘《むすめ》お|菊《きく》に|弾《はぢ》かれて  |男《をとこ》を|下《さ》げた|万公《まんこう》も
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》のお|蔭《かげ》にて  |漸《やうや》く|男《をとこ》を|作《つく》り|上《あ》げ
ビクトリヤ|城《じやう》に|立向《たちむか》ひ  |再《ふたた》び|神力《しんりき》|現《あら》はして
ダイヤの|姫《ひめ》を|救《すく》ひ|出《だ》し  |左守《さもり》の|司《かみ》に|遮《さへぎ》られ
いささか|閉口《へいこう》の|為態《ていたらく》  |然《しか》るに|何《なん》ぞ|図《はか》らむや
|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》  イドムの|神《かみ》の|御恵《おんめぐみ》
|漸《やうや》くここに|相思《さうし》の|男女《なんによ》が  |程遠《ほどとほ》からぬ|其《その》|間《うち》に
|合衾式《がふきんしき》を|挙《あ》げむとす  |今《いま》は|万公別《まんこうわけ》にとり
|最《もつと》も|大切《だいじ》の|正念場《しやうねんば》  |治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》よ
|私《わたし》の|結婚《けつこん》|済《す》むまでは  |何卒々々《なにとぞなにとぞ》|辛抱《しんばう》して
|万公別《まんこうわけ》の|弟子《でし》なりと  |人目《ひとめ》を|繕《つく》ろひ|一生《いつしやう》に
|一度《いちど》の|願《ねがひ》を|快《こころよ》く  |何卒《なにとぞ》|聞《き》いて|下《くだ》さんせ
|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》|始《はじ》めとし  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》の
ゼネラルさんよカーネルの  スパール、エミシ|両人《りやうにん》よ
ここはお|前《まへ》も|辛抱《しんばう》して  |万公別《まんこうわけ》に|花《はな》|持《も》たせ
そこはそれそれ|都合《つがふ》よく  バツを|合《あは》して|下《くだ》さんせ
|偏《ひとへ》にお|願《ねが》ひ|申《まを》します  |人《ひと》に|手柄《てがら》をさそと|思《おも》や
|自分《じぶん》は|何《なん》と|云《い》はれても  |辛抱《しんばう》するのが|男《をとこ》ぞえ
|男《をとこ》に|中《なか》の|男《をとこ》とは  |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》を|初《はじ》めとし
|皆《みな》さま|等《がた》の|事《こと》だらう  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊幸《みたまさきは》ひましませよ』
|一同《いちどう》『アハハハハハ』
|鬼春《おにはる》『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|大変《たいへん》に|万公別《まんこうわけ》さまは|春情立《にわだ》つてるぢやありませぬか。|気《き》の|毒《どく》なものですな』
|竜彦《たつひこ》『|三五教《あななひけう》の|大宣伝使《だいせんでんし》|英雄《えいゆう》|豪傑《がうけつ》の|万公別《まんこうわけ》|様《さま》、スガール|様《さま》の|御容態《ごようだい》は|如何《いかが》で|厶《ござ》りますか。|一度《いちど》お|尋《たづ》ね|致《いた》したいとも|思《おも》ひ、|脈《みやく》も|見《み》てお|上《あ》げし|度《た》いと|存《ぞん》じて|居《を》りますが、|何《なん》と|云《い》つても|男《をとこ》が|女《をんな》に|手《て》を|触《ふ》れると|云《い》ふのは|剣呑《けんのん》ですからな。もしや|拙者《せつしや》の|顔《かほ》を|見《み》て「やつぱり|万公別《まんこうわけ》|様《さま》よりも|貴方《あなた》の|方《はう》がどこともなしに|男《をとこ》らしう|厶《ござ》いますわ。ネー|貴方《あなた》」などとやられちや|当家《たうけ》の|若主人《わかしゆじん》に|対《たい》して|失礼《しつれい》ですから、まア|控《ひか》へて|居《を》りませうかい』
|万公《まんこう》『や、|有難《ありがた》う。|何卒《どうぞ》、さう|願《ねが》ひます。|何《いづ》れ|主人《しゆじん》の|私《わたし》が|親《した》しく|見舞《みま》つてやれば|勢《いきほひ》がついて、|直《す》ぐに|全快《ぜんくわい》するでせうが、|何《なん》だか|女《をんな》に【でれ】てゐる|様《やう》に|舅《しうと》|姑《しうとめ》に|思《おも》はれても|面白《おもしろ》くないと|思《おも》ひ、|控《ひか》へて|居《ゐ》るのですよ』
|竜彦《たつひこ》『それだと|云《い》つて|吾々《われわれ》は|御祈願《ごきぐわん》もし、|鎮魂《ちんこん》もしてやらなくちやなるまい、なア|松彦《まつひこ》さま。|一《ひと》つ|先生《せんせい》にお|願《ねが》ひして|直接《ちよくせつ》|鎮魂《ちんこん》をやつて|来《こ》うぢやないか』
|治国《はるくに》『さア、|夫婦《ふうふ》も|御心配《ごしんぱい》だらうし、|道晴別《みちはるわけ》も|苦《くる》しんでるだらうから、お|前等《まへたち》|二人《ふたり》に|鎮魂《ちんこん》を|願《ねが》ひ|度《た》いものだな』
|竜彦《たつひこ》『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。さア|松彦《まつひこ》さま、|師《し》の|君《きみ》のお|許《ゆる》しが|出《で》た。|之《これ》から|第一着手《だいいちちやくしゆ》としてスガールさまの|身体検査《しんたいけんさ》をしようぢやないか。エツヘヘヘヘ』
と|故意《わざ》とデレ|声《ごゑ》を|出《だ》して|笑《わら》うて|見《み》せた。
|万公《まんこう》『いや、その|御心配《ごしんぱい》には|及《およ》びませぬ。お|前《まへ》さま|等《たち》に|拙者《せつしや》の|女房《にようばう》を|鎮魂《ちんこん》して|貰《もら》ひましては|剣呑《けんのん》です。|乳吸鎮魂《ちちすひちんこん》、|接吻鎮魂《きつすちんこん》、|裸鎮魂《はだかちんこん》などをやられちや|困《こま》りますからな』
|竜彦《たつひこ》『|私《わたし》は|誠《まこと》の|宣伝使《せんでんし》だ、|決《けつ》して|心配《しんぱい》して|下《くだ》さるな。|偽宣伝使《にせせんでんし》のガラクタ|役員《やくゐん》の|様《やう》な|脱線的《だつせんてき》|鎮魂《ちんこん》はやらないからな』
|万公《まんこう》『それでも|廿世紀《にじつせいき》の○○|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》がチヨコチヨコやつて|家《いへ》を|追《お》ひ|出《だ》されたり、|本山《ほんざん》から|電報《でんぱう》で|呼《よ》び|戻《もど》されたりした|例《ためし》もあるのだから|大切《だいじ》の|女房《にようばう》を|任《まか》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬわい、イツヒヒヒヒ』
|治国《はるくに》『|万公別《まんこうわけ》さまが、あまり|心配《しんぱい》をするから|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》は|少時《しばら》く|御遠慮《ごゑんりよ》して|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|様《さま》に|御苦労《ごくらう》になりませうかな』
|万公《まんこう》『いえいえ|滅相《めつさう》もない。スガールは|何卒《どうぞ》|放《ほ》つといて|下《くだ》さい。|此《この》|万公別《まんこうわけ》が|不断的《ふだんてき》に|遠隔鎮魂《ゑんかくちんこん》をやつてゐますから、やがて|全快《ぜんくわい》するでせう』
|竜彦《たつひこ》『|大変《たいへん》|気《き》が|揉《も》めると|見《み》えますな。とらぬ|狸《たぬき》の|皮算用《かはざんによう》ぢやありませぬか。どうも|前途《ぜんと》|暗澹《あんたん》|不有望《ふいうばう》の|気配《けはい》が|漂《ただよ》うてゐる|様《やう》ですな。|先生《せんせい》』
かかる|処《ところ》へアヅモスはフエルと|共《とも》に|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》び|来《きた》り|両手《りやうて》をついて、
アヅモス『|皆様《みなさま》、|先程《さきほど》は|誠《まこと》に|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|致《いた》しました。|何分《なにぶん》|俄主人《にはかしゆじん》が|采配《さいはい》をなさつたものですから、|到頭《たうとう》|何《なに》も|彼《か》も|灰《はひ》まぶれになりまして|申訳《まをしわけ》が|厶《ござ》りませぬ。|今度《こんど》は|改《あらた》めて|支度《したく》を|致《いた》しましたから、|何卒《どうぞ》お|食《あが》り|下《くだ》さいませ』
|治国《はるくに》『どうもお|手数《てかず》をかけて|済《す》みませぬ。さア|皆《みな》さま|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう。|随分《ずいぶん》お|腹《なか》が|空《す》いたでせう』
|万公《まんこう》『いや、アヅモス、フエル、|御苦労《ごくらう》だつた。|之《これ》から|拙者《せつしや》が|皆様《みなさま》にお|給仕《きふじ》を|致《いた》すから、お|前《まへ》は|彼方《あちら》へ|行《い》つて|其処辺《そこら》を|片付《かたつ》けるのだ。グヅグヅしてゐると、しやうもない|屑《くづ》が|出《で》ると|困《こま》るからな』
アヅモス『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。ここにお|酒《さけ》が|沢山《たくさん》に|厶《ござ》りますから、|何卒《どうぞ》|馬鹿旦那様《ばかだんなさま》……ア、イヤイヤ|若旦那様《わかだんなさま》、お|客様《きやくさま》に|充分《じゆうぶん》お|召《あが》り|下《くだ》さる|様《やう》、お|勧《すす》め|下《くだ》さいませ。|左様《さやう》ならば|皆様《みなさま》、|緩《ゆつく》りと|召《めし》あがり|下《くだ》さいませ』
とフエルと|共《とも》に|恐《おそ》る|恐《おそ》る|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り|再《ふたた》び|炊事場《すゐじば》に|皈《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》は|万公《まんこう》の|酌《しやく》で|一座《いちざ》も|賑《にぎは》ひ|一同《いちどう》|舌鼓《したつづみ》をうつて|朝飯《あさはん》を|済《す》ましたりける。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 北村隆光録)
第八章 |放棄《はうき》〔一四一六〕
アヅモスはフエルと|共《とも》に|炊事場《すゐじば》に|帰《かへ》り、|下女《げぢよ》のお|民《たみ》を|捉《つか》まへてそろそろ|小言《こごと》を|云《い》ひ|初《はじ》めた。
アヅモス『オイ、お|民《たみ》、|貴様《きさま》が|確《しつか》りしないものだから|大変《たいへん》な|恥《はぢ》を|掻《か》いたぢやないか。|何《なん》の|為《ため》に|炊事《すゐじ》の|御用《ごよう》をして|居《ゐ》るのだ。|女《をんな》と|云《い》ふものは|飯焚《めした》きが|肝腎《かんじん》だ。|折角《せつかく》の|珍客《ちんかく》さまに|灰《はひ》まぶれの|飯《めし》を|食《く》はさうとしたぢやないか、ちと|心得《こころえ》ないと|当家《ここ》には|置《お》く|事《こと》は|出来《でき》ぬぞ』
お|民《たみ》『アヅモスの|番頭《ばんとう》さま、さう|注文通《ちうもんどほり》に|御飯《ごはん》が|焚《た》けるものぢやありませぬよ、|今日《こんにち》の|日天様《につてんさま》でも|照《て》つたり|曇《くも》つたり|遊《あそ》ばすぢやありませぬか、…………
|朝夕《あさゆふ》の|飯《めし》さへこわし|柔《やはら》かし
|兎角《とかく》【まま】にはならぬ|世《よ》の|中《なか》……
と|云《い》ふ|歌《うた》さへあるぢやありませぬか。さう|小言《こごと》を|仰有《おつしや》ると|此方《こちら》の|方《はう》から|尻《しり》をからげて「|左様《さやう》なら」と|出《で》かけませうか。|此《この》|頃《ごろ》は|彼方《あちら》や|此方《こちら》に|沢山《たくさん》の|工場《こうぢやう》が|出来《でき》て|女《をんな》は|払底《ふつてい》ですよ。こんな|月給《げつきふ》の|安《やす》い|下女《げぢよ》になるものは|滅多《めつた》にありませぬよ。|私《わたし》が|此家《ここ》の|下女《げぢよ》に|来《き》て|上《あ》げたのは、|恩恵的《おんけいてき》に|社会奉仕《しやくわいほうし》の|一端《いつたん》だと|思《おも》うて|来《き》て|居《を》るのですよ。|万公別《まんこうわけ》と|云《い》ひ、お|前《まへ》さまと|云《い》ひ|全然《まるきり》|女《をんな》の|腐《くさ》つた|様《やう》な|男《をとこ》だな。|女《をんな》の|事《こと》を|構《かま》ふ|腰抜《こしぬ》けは|目《め》なつと|噛《か》んで|死《し》んだがよろしいわいなア、これでも|家政学校《かせいがくかう》を|卒業《そつげふ》した【シヤン】ですからねえ、ヘン|余《あま》り|構《かま》うて|貰《もら》ひますまいかい』
アヅモス『|偉《えら》さうに|云《い》うて|居《ゐ》るが、|今朝《けさ》の|料理《れうり》の|仕方《しかた》は|一体《いつたい》|何《なん》だ。あんな|加減《かげん》の|悪《わる》いものが|食《く》へると|思《おも》ふか、|偉《えら》さうに|云《い》ふない』
お|民《たみ》『|食《く》へなけりや|食《く》はいでもよいぢやないか。お|前達《まへたち》は|料理法《れうりはふ》を|知《し》らないものだからゴテゴテ|云《い》ふのだらう、|下司口《げすぐち》だからなア。|松魚節《かつを》の|煮汁《だし》か、|昆布《こぶ》の|煮汁《だし》か、|雑魚《ざこ》の|煮汁《だし》か、|味《あぢ》の|素《もと》を|使《つか》つたか|弁別《べんべつ》のつかないやうな|下司口《げすぐち》が、|料理《れうり》の|小言《こごと》を|云《い》ふ|資格《しかく》がありますか』
アヅモス『|偉《えら》さうに|云《い》ふない、|何《なん》だその|風《ふう》は、のめのめと|売女《ばいた》の|出来損《できぞこな》い|見《み》たやうな|風《ふう》をしやがつて、そんな|事《こと》で|立派《りつぱ》な|料理《れうり》が|出来《でき》ると|思《おも》ふか。|抑《そもそも》|料理《れうり》に|取《と》りかかるには|襷《たすき》をかけるか、エプロンを|着《つ》けるかして|身仕度《みじたく》をきちんとして|髪《かみ》の|毛《け》もバラバラせぬやうに、そして|苔《こけ》の|生《は》えたやうな|手《て》を、|曹達《さうだ》ででも|洗《あら》つて|清潔《せいけつ》にしなければ、|折角《せつかく》の|御馳走《ごちそう》に|黴菌《ばいきん》が|伝染《うつ》るぢやないか。そして|米《こめ》を|磨《と》ぐにも|砂《すな》を|注意《ちうい》して|取《と》るのだ、クレクレと|揺《ゆす》つて|居《を》ると|砂《すな》は|底《そこ》にイサルから|容易《ようい》なものだ。|今朝《けさ》のやうに|灰《はひ》や|砂《すな》の|混《まじ》つた|飯《めし》は|誰《たれ》だつて|食《く》はれぬぢやないか。さうして|洗《あら》ふにもお|米《こめ》を|砕《くだ》かないやうにして、|水《みづ》が|澄《す》みきり|白水《しろみづ》がないとこ|迄《まで》|洗《あら》ふのだぞ』
お|民《たみ》『エエ|八釜《やかま》しい|番頭《ばんとう》ぢやな。お|前《まへ》さまは|何処《どこか》でボーイでもやつて|居《ゐ》たのかな、|好《よ》うこせこせと|釜《かま》の|下《した》までゴテづく|吝嗇坊《けちんばう》だなア』
アヅモス『|別《べつ》に|構《かま》ひたい|事《こと》は|無《な》いけれど、|余《あま》り|貴様《きさま》が|分《わか》らぬから、|一応《いちおう》|料理法《れうりはふ》を|教《をし》へて|置《お》くのだ。|総《すべ》て|小鳥《ことり》や|魚《さかな》を|串《くし》にさして|焼《や》く|時《とき》は|火《ひ》を|遠《とほ》くし、そして|強火《つよび》にした|方《はう》が、|美味《おい》しう|焼《や》けるものだ。|魚《さかな》は|身《み》の|方《はう》から、|小鳥《ことり》は|皮《かは》の|方《はう》から|焼《や》くのだよ。|昔《むかし》から|魚身鳥皮《ぎよしんてうひ》といふからなア、|充分《じゆうぶん》|焼《や》いてから|裏《うら》がへさないと|不味《まづく》なる。さうして|網《あみ》や|串《くし》の|焼《や》けた|後《あと》で|肉《にく》を|載《の》せるのだ。それから|煮《に》る|時《とき》には|醤油《しやうゆ》や|水《みづ》を|十分《じふぶん》|煮立《にた》たして|置《お》いて、|其《その》|後《あと》に|入《い》れないと|甘《うま》い|汁《しる》が|出《で》て|仕舞《しま》ふのだ。|野菜《やさい》は|真青《まつさを》に|茹《ゆで》るには|湯《ゆ》に|塩《しほ》を|少《すこ》し|入《い》れて|蓋《ふた》をせずに|茹《ゆで》ると|其《その》|儘《まま》の|色《いろ》を|保《たも》つて|居《ゐ》る。さうして|茹《ゆだ》つたら|直《すぐ》|冷《つめ》たい|水《みづ》に|入《い》れるのだ。|牛蒡《ごばう》や、|蕗《ふき》や、|筍《たけのこ》や、|百合根《ゆりね》|等《など》の|灰汁《あく》の|強《つよ》いものは|一《いつ》たん|湯掻《ゆが》いてから|煮《た》くのだ。さうして|使《つか》うた|道具《だうぐ》はいつも|定《きま》つた|場所《ばしよ》へキチンと|置《お》いて|置《お》くのだ、|清潔《きれい》に|磨《みが》いて|元《もと》の|所《ところ》へちやんと|戻《もど》して|置《お》かぬとまさかの|時《とき》に|間《ま》に|合《あ》はぬぞ。|棚《たな》の|上《うへ》に|塵《ちり》が|溜《たま》つて|居《を》るか|居《を》らぬかそれも|考《かんが》へて|網《あみ》や|串《くし》や、|薄鍋《うすなべ》を|置《お》いて|置《お》くのだ。そして|余《あま》つた|食物《たべもの》は|蠅不入《はいいらず》に|入《い》れるか、|布巾《ふきん》をかけて|置《お》くのだぞ』
お|民《たみ》『エエ|矢釜《やかま》しい、お|前《まへ》さまは|土方《どかた》の|飯焚《めした》きでも|仕《し》て|居《ゐ》たのだらう。|余《あま》り|喋《しやべ》るとお|里《さと》が|見《み》えますぞや』
アヅモス『これやお|民《たみ》、|土方《どかた》の|飯焚《めした》きとは|何《なん》だ。|女《をんな》と|思《おも》うて|容赦《ようしや》をすれば|何《なに》を|吐《ぬか》すか|分《わか》つたものぢやない、|不調法《ぶてうはふ》しておきやがつて|何《なに》を|口答《くちごた》へをするのぢや、これでも|一家《いつか》の|総理大臣《そうりだいじん》だぞ』
お|民《たみ》『ホホホホ。|総理大臣《そうりだいじん》なんて|尻《けつ》が|呆《あき》れますわい。|当家《たうけ》の|総理大臣《そうりだいじん》はシーナさまぢやありませぬか、お|前《まへ》さまは|二《に》の|番頭《ばんとう》だ。そこらの|隅《すみ》くたを|掃除大臣《さうぢだいじん》だ。ごたごた|云《い》はずと|箒《はうき》なともつて|次《つぎ》の|間《ま》を|掃《は》いて|来《き》なさい。|万公山《まんこうやま》が|破裂《はれつ》して|大変《たいへん》な|灰《はひ》が|降《ふ》つて|居《ゐ》ますぞよ。|箒《はうき》を|使《つか》つたらチヤンと|釘《くぎ》にかけて|置《お》くのですよ。|其処辺《そこら》に|立《た》てて|置《お》くと|箒《はうき》の|先《さき》がサツパリ|薙刀《なぎなた》のやうになつて|仕舞《しま》ひますぞや。そしてハタキは|手首《てくび》を|下《さ》げて、|天井裏《てんじやううら》から|障子《しやうじ》の|棧《さん》と|上《うへ》から|下《した》へパタパタとはたくのですよ。どうしても|動《うご》かせない|道具《だうぐ》は|被物《おほひ》をしておいて|隅《すみ》から|掃《は》いて|来《く》るのです。そして|畳《たたみ》の|目《め》に|逆《さか》らうと、|塵埃《ほこり》が|皆《みんな》|畳《たたみ》の|目《め》に|滲《にじ》んで|仕舞《しま》ひますよ。|箒《はうき》の|先《さき》を|跳《は》ねんやうにしてソツソツと|掃《は》くのですよ、それが|済《す》んだら|椽側《えんがは》の|掃除《さうぢ》をしなさい。|雑巾《ざふきん》を|緩《ゆる》う|堅《かた》う|絞《しぼ》つて、|板《いた》の|目《め》なりに|力《ちから》を|入《い》れて|拭《ふ》くのだよ。|角《すみ》の|所《ところ》は|雑巾《ざふきん》を|三角《さんかく》にして|拭《ふ》けば|綺麗《きれい》になりますわ。|夫《それ》からニス、|漆《うるし》や、|桧《ひのき》の|柱《はしら》は|乾布巾《からぶきん》で|念入《ねんい》れに|拭《ふ》くのですよ。きつと|濡《ぬ》れた|雑巾《ざふきん》で|拭《ふ》いてはなりませぬぞえ』
アヅモス『これお|民《たみ》、|何《なん》だ|下女《げぢよ》の|癖《くせ》に|番頭《ばんとう》に|指揮《さしづ》すると|云《い》ふ|事《こと》があるか』
お|民《たみ》『ヘン|私《わたし》が|下女《げぢよ》なら、お|前《まへ》は|下男《げなん》ぢや、|余《あま》り|偉《えら》さうに|云《い》うて|貰《もら》ひますまいか。これこれフエルさま お|前《まへ》が|灰撒《はひまき》の|発頭人《ほつとうにん》だ。|何《なに》をグヅグヅして|居《ゐ》るのだ、|早《はや》くアヅモスの|下男《げなん》と|一緒《いつしよ》に|掃除《さうぢ》をしなさらぬかいなア』
フエル『さう|矢釜《やかま》しゆ|云《い》ふない。|俺《おれ》だつて|今朝《けさ》|迄《まで》|庫《くら》の|中《なか》へ|罪人《ざいにん》|同様《どうやう》|突込《つつこ》まれて|居《ゐ》たのだから、|些《ちつ》とは|休養《きうやう》しなければやりきれぬぢやないか』
お|民《たみ》は、
『エエこの|女郎男《めらうをとこ》の|腰抜《こしぬけ》|奴《め》』
と|云《い》ふより|早《はや》く|柄杓《ひしやく》に|水《みづ》を|汲《く》んで|二人《ふたり》にぶツかけた。アヅモス、フエルは|真赤《まつか》になつて、
『これやお|民《たみ》、|馬鹿《ばか》にしやがるな、これを|喰《くら》へ』
と|双方《さうはう》から|鉄拳《てつけん》を|振《ふる》つて|一人《ひとり》の|女《をんな》を|叩《たた》き|付《つ》けて|居《ゐ》る。お|民《たみ》は|荒男《あらをとこ》|二人《ふたり》に|叩《たた》きつけられ、|悲鳴《ひめい》を|上《あ》げて『|人殺《ひとごろし》ー|人殺《ひとごろし》ー』と|叫《さけ》び|出《だ》した。|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いてアーシスは|走《はし》り|来《きた》り、いきなりアヅモスの|首《くび》に|手拭《てぬぐ》ひを|後《うしろ》からパツと|引《ひ》つかけグツと|引《ひ》き|倒《たふ》した。フエルはこの|権幕《けんまく》に|驚《おどろ》いて|裏口《うらぐち》から|細《ほそ》くなつて|逃《に》げ|出《だ》しけり。
お|民《たみ》『アーシスさま|好《よ》う|来《き》て|下《くだ》さいました。|此奴《こいつ》|偉《えら》さうに|云《い》やがつて|仕方《しかた》がないので|水《みづ》をかけてやりましたら、|男《をとこ》らしうもない、|女《をんな》|一人《ひとり》に|二人《ふたり》の|荒男《あらをとこ》が|鉄拳《てつけん》を|振《ふる》つて|喧嘩《けんくわ》を|買《か》ひに|来《き》よつたのですよ』
アーシス『|本当《ほんたう》に|無茶《むちや》の|事《こと》をする|男《をとこ》ですね。オイ、アヅモス|何《なん》だ、|下女《げぢよ》を|捉《つか》まへて|余《あま》り|大人気《おとなげ》ないぢやないか』
アヅモス『エーチヨツ、|横合《よこあひ》から|飛《と》んで|来《き》やがつて【ちよつかい】を|出《だ》しやがるものだから、|折角《せつかく》の|折檻《せつかん》がワヤになつて|仕舞《しま》つた。コリヤ、アーシス、|俺《おれ》の|喉《のど》を|締《し》めてどうするのだ、これ|見《み》よ、|痕《かた》がついて|居《ゐ》るぢやないか』
アーシス『|喧嘩《けんくわ》の|結末《かた》がついたらそれでよいぢやないか。アー|偉《えら》い|畳中《たたみぢう》が|灰《はひ》だらけだ。ちと|箒《はうき》なと|持《も》つて|其処辺《そこら》|中《ぢう》を|掃除《さうぢ》して|来《こ》い。これだけお|客《きやく》さまで|忙《いそが》しいのに、|女《をんな》を|相手《あひて》にして|居《ゐ》る|所《どころ》かい』
アヅモス『|此奴《こいつ》もお|民《たみ》が|感染《かんせん》したと|見《み》えて|箒持《はうきも》て|箒持《はうきも》てと|吐《ぬか》しやがるな。|箒《はうき》に|憚《はばか》りさまだ』
アーシス『|貴様《きさま》は|何時《いつ》も【ほうき】の|守《かみ》だといつて|威張《ゐば》つて|居《ゐ》たぢやないか。|箒持《はうきも》つのは|貴様《きさま》の|性《しやう》に|合《あ》うて|居《ゐ》るわ。サア|早《はや》く|掃《は》いたり|掃《は》いたり』
アヅモスは|庭箒《にははうき》を|取《と》るより|早《はや》く、アーシスの|頭《かしら》を|目蒐《めが》けて、
アヅモス『コリヤ、|伯耆《はうき》の|守《かみ》さまが、|貴様《きさま》の|頭《かしら》を|播磨《はりま》の|守《かみ》さまだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》らピシヤピシヤと|撲《なぐ》りつけ|尻《しり》に|帆《ほ》をかけて|此《この》|場《ば》を|逃《に》げ|去《さ》つた。アーシスは|怒《いか》つてアヅモスの|後《あと》を|追《お》つ|駆《か》けようとするのを、お|民《たみ》はグツと|抱《だ》き|止《と》め|声《こゑ》を|慄《ふる》はして、
お|民《たみ》『もしもし|貴方《あなた》、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ、これだけ|沢山《たくさん》のお|客《きやく》さまでお|取《と》り|込《こ》みでもあり、|病人《びやうにん》さまもあるのに、|番頭《ばんとう》|同士《どうし》が|喧嘩《けんくわ》なさつては|家《うち》の|親方《おやかた》に|済《す》みませぬ。|又《また》スガールさまやスミエルさまの|病気《びやうき》に|障《さは》るといけませぬからなア』
アーシス『さうだと|云《い》つて|此《この》|儘《まま》にする|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬぢやないか、|後《のち》の|為《ため》にならぬからなア』
お|民《たみ》『まアまア|今日《けふ》は|辛抱《しんばう》して|下《くだ》さいませ、|親方《おやかた》や|娘《むすめ》さまが|心配《しんぱい》なさいますからな』
アーシス『ウンそれもさうだ。そんならお|前《まへ》の|意見《いけん》に|従《したが》つて|今日《けふ》は|忘《わす》れる|事《こと》にせう。|併《しか》しお|前《まへ》も|此《この》|家《うち》へ|来《き》たらチツと|言葉《ことば》を|改《あらた》めて|呉《く》れぬと|困《こま》るよ。|御主人様《ごしゆじんさま》を|親方《おやかた》と|云《い》つたり、お|嬢様《ぢやうさま》の|名《な》を|呼《よ》んだりすると|云《い》ふ|事《こと》があるか』
お|民《たみ》『そんなら|何《なん》と|云《い》つたらよいのですか』
アーシス『お|上《かみ》の|方《かた》をお|呼《よ》びするには|御主人様《ごしゆじんさま》を|旦那様《だんなさま》と|云《い》ふのだ。|奥様《おくさま》はお|部屋様《へやさま》とか|奥様《おくさま》とか|云《い》つてよい。さうして|御老人《ごらうじん》は|御隠居様《ごいんきよさま》とか、|大旦那様《おほだんなさま》とか|申上《まをしあげ》るのだよ。|男《をとこ》のお|子様《こさま》なれば|坊様《ばうさま》、|女《をんな》のお|子《こ》はお|嬢様《ぢやうさま》、|或《あるひ》は|坊《ばう》ちやま、お|嬢《ぢやう》さまなど|云《い》つたらよい。|二人《ふたり》|以上《いじやう》の|時《とき》は|大《おほ》きな|坊《ばう》ちやま、|小《ちひ》さいお|嬢様《ぢやうさま》と|云《い》ふのだ。そして|自分《じぶん》の|事《こと》は|私《わたくし》と|云《い》ひ、【ウチ】だとか、【アテ】だとか、【ワタシ】などは|見《み》つともないから|云《い》はぬがいい。さうして|受《う》け|答《ごた》へは【ヘエ】なんと|云《い》つてはいけない、【ハイ】と|云《い》ふのだよ。|朝《あさ》|起《お》きたらお|上《かみ》へ|御挨拶《ごあいさつ》をするのに「お|早《はや》う|厶《ござ》います」と|云《い》ひ、|晩《ばん》は「お|寝《やす》み|遊《あそ》ばせ」、|外出《ぐわいしゆつ》の|時《とき》には「|行《い》つて|参《まゐ》ります」、|自分《じぶん》の|用事《ようじ》で|外出《ぐわいしゆつ》する|時《とき》は「|一寸《ちよつと》やつて|頂《いただ》きます」と|云《い》ふのだ。|帰宅《きたく》の|時《とき》は「|唯今《ただいま》|帰《かへ》りました」、|御飯《ごはん》の|時《とき》は「|頂《いただ》きます」とか、「|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します」とか|云《い》ふのだ。そして|旦那様《だんなさま》の|外出《ぐわいしゆつ》の|時《とき》は「|行《い》つていらつしやいませ」、お|帰《かへ》りになつた|時《とき》には「お|帰《かへ》り|遊《あそ》ばしませ」と、かう|叮嚀《ていねい》に|云《い》ふのだよ。|総《すべ》て|言葉使《ことばづかひ》はハツキリと|叮嚀《ていねい》にさうして|柔《やさ》しみのあるやうに|注意《ちゆうい》するのだ。|使《つかひ》に|往《い》つて|来《き》たら、|必《かなら》ず|直様《すぐさま》|復命《ふくめい》しなくてはならない。|後《あと》から|序《ついで》に|申上《まをしあげ》ますと|云《い》ふやうな|懶惰事《ずるいこと》をやつて|居《を》ると|何時《いつ》の|間《ま》にか|肝腎《かんじん》の|用《よう》を|忘《わす》れて|仕舞《しま》ふからなア』
お|民《たみ》『|何《なん》とまア|此処《ここ》の|内《うち》の|男衆《をとこしう》は|俄旦那様《にはかだんなさま》を|初《はじ》め、|誰人《たれ》も|彼《か》れも|女《をんな》みたやうな|事《こと》を|云《い》ふ|人《ひと》が|集《よ》つたものだ、オホホホホ、これで|私《わたし》も|大分《だいぶん》に|勉強《べんきやう》を|致《いた》しました』
アーシス『お|民《たみ》さま、お|前《まへ》はどこともなしに|下女《げぢよ》に|似合《にあ》はぬ|垢抜《あかぬけ》がして|居《ゐ》るが、|実際《じつさい》は|何処《どこ》から|来《き》たのだ。|一寸《ちよつと》|聞《き》かして|貰《もら》ひ|度《た》いものだな』
お|民《たみ》『|私《わたし》はビクの|城下《じやうか》に|生《うま》れた|者《もの》で|厶《ござ》いますが、|一寸《ちよつと》|様子《やうす》があつて|親《おや》の|名《な》を|名乗《なの》る|事《こと》が|出来《でき》ないのですよ』
アーシス『ウンさうすると|父《てて》なし|子《ご》だな』
お|民《たみ》『まアそんなものでせう。|併《しか》し|父親《てておや》なしに|出来《でき》る|子《こ》は|広《ひろ》い|世界《せかい》に|一人《ひとり》もありますまいから|何処《どこ》かにあるでせう』
アーシス『お|前《まへ》の|父親《てておや》と|云《い》ふのは|一体《いつたい》|誰《たれ》だ』
お|民《たみ》『|私《わたし》は|血沼《ちぬ》の|村《むら》の|卓助《たくすけ》と|云《い》ふ|人《ひと》に|育《そだ》てられた|者《もの》ですが、|私《わたし》のお|父《とう》さまは|立派《りつぱ》な|方《かた》だと|云《い》ふ|事《こと》です。|私《わたし》の|母《はは》が|奉公《ほうこう》に|行《い》つて|居《を》つて|腹《おなか》が|膨《ふく》れ、|奥様《おくさま》が|八釜《やかま》しいので|父《ちち》が|金《かね》をつけて|卓助《たくすけ》の|家《うち》にやつたのださうですが、|養家《やうか》の|両親《りやうしん》も|既《すで》に|亡《な》くなつて|仕舞《しま》ひ、|只《ただ》の|一人《ひとり》ぼつちで|仕方《しかた》がないので|其処辺《そこら》|中《ぢう》を|奉公《ほうこう》し|歩《ある》き、|二三日前《にさんにちまへ》に|此処《ここ》に|雇《やと》はれたのです』
アーシス『|実《じつ》の|事《こと》は|俺《おれ》もビクトリヤ|城下《じやうか》の|生《うま》れだが、そいつは|妙《めう》だなア』
お|民《たみ》『ヘエ|貴方《あなた》もビクトリヤ|城下《じやうか》ですか、さうしてお|父《とう》さまは|何《なん》と|云《い》ふ|方《かた》です』
アーシス『これは|秘密《ひみつ》だから|云《い》はれないのだが、|人《ひと》に|云《い》はなければ|知《し》らしてやらう。|俺《おれ》も|実《じつ》はこの|村《むら》へ、そつと|里子《さとご》にやられたのだ。|俺《おれ》の|父《ちち》といふのは|左守《さもり》の|司《かみ》のキユービツトと|云《い》ふお|方《かた》だ。|何《なん》でも|下女《げぢよ》との|中《なか》に|俺《おれ》が|生《うま》れたので、|藁《わら》の|上《うへ》から|此《この》|村《むら》の|首陀《しゆだ》の|家《うち》へやつて|仕舞《しま》つたと|云《い》ふ|事《こと》だ。どうかして|一遍《いつぺん》|遇《あ》ひたいのだけれど、|名乗《なの》る|訳《わけ》にもゆかず|困《こま》つたものだよ。さうして|一体《いつたい》お|前《まへ》は|誰《たれ》の|子《こ》だい』
お|民《たみ》『|私《わたし》のお|母《かあ》さまは|皐月《さつき》と|云《い》ひました。ビクトリヤ|城内《じやうない》へ|御奉公《ごほうこう》に|上《あが》つて|居《ゐ》る|時《とき》、|刹帝利様《せつていりさま》のお|手《て》が|掛《か》かつて|腹《おなか》が|膨《ふく》れ、それが|為《ため》にそつと|卓助《たくすけ》の|家《うち》へ|下《くだ》されたのださうです。こんな|事《こと》|云《い》つて|貰《もら》うと|私《わたし》の|命《いのち》が|無《な》くなりますから、どうぞ|秘密《ひみつ》に|頼《たの》みますよ』
アーシス『|成程《なるほど》|道理《だうり》でどこともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い|所《ところ》がある。ヤア|恐《おそ》れ|入《い》りました』
お|民《たみ》『|斯《か》う|双方《さうはう》から|何事《なにごと》も|打《う》ち|合《あ》けた|以上《いじやう》は、|一層《いつそ》の|事《こと》|貴方《あなた》と|夫婦《ふうふ》になつたらどうでせう、さうすれば|互《たがひ》に|秘密《ひみつ》が|守《まも》れますからなア』
アーシス『そりや|有難《ありがた》いが|何《なん》だか|勿体《もつたい》|無《な》いやうな|気《き》がしてならないわ、|世《よ》が|世《よ》ならお|前《まへ》は|立派《りつぱ》な|王女様《わうぢよさま》だ。|私《わたし》は|臣《けらい》の|身分《みぶん》だからなア』
お|民《たみ》『そんな|斟酌《しんしやく》が|要《い》りますか、サア|手《て》つ|取《と》り|早《ばや》く|相談《さうだん》を|定《き》めやうぢやありませぬか』
|斯《か》く|二人《ふたり》が|話《はなし》して|居《を》る|次《つぎ》の|間《ま》に|何人《なにびと》とも|知《し》れず|足音《あしおと》がスウスウと|次第《しだい》に|細《ほそ》く|消《き》えてゆく。これはアヅモスが|二人《ふたり》の|話《はなし》を|立《た》ち|聞《ぎ》きして|居《ゐ》たのである。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 加藤明子録)
第九章 |三婚《みこん》〔一四一七〕
|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》の|祈願《きぐわん》に|依《よ》つて|四人《よにん》の|負傷者《ふしやうしや》は|三日《みつか》の|後《のち》|全快《ぜんくわい》する|事《こと》を|得《え》た。テームス|夫婦《ふうふ》は|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》の|神徳《しんとく》を|感謝《かんしや》し|娘《むすめ》の|本服祝《ほんぷくいはひ》をなさむと、|治国別《はるくにわけ》を|始《はじ》め|番頭《ばんとう》|下女《げぢよ》の|端《はし》に|至《いた》るまで|祝宴《しゆくえん》に|列《れつ》せしめた。|治国別《はるくにわけ》は|正座《しやうざ》に|坐《すわ》り、|左側《ひだりがは》の|上座《じやうざ》には|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》が|座《ざ》を|占《し》め、|右側《みぎがは》にはバラモン|組《ぐみ》の|六人《ろくにん》がズラリと|列《なら》んだ。
|道晴別《みちはるわけ》、シーナ|及《およ》びスミエル、スガールの|病気全快組《びやうきぜんくわいぐみ》は、|治国別《はるくにわけ》と|向《むか》ひ|合《あ》つて|下座《げざ》に|坐《すわ》り、テームス|夫婦《ふうふ》|及《およ》びアヅモス、アーシスと|順序《じゆんじよ》を|作《つく》り、|祝《いは》ひの|宴《えん》を|開《ひら》く|事《こと》となつた。
|是《これ》より|前《さき》|治国別《はるくにわけ》|外《ほか》|一同《いちどう》は|神前《しんぜん》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、|鄭重《ていちよう》なる|祭典《さいてん》を|行《おこな》つた|事《こと》は|辞《ことわ》つて|置《お》く。テームスは|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》ひ、さも|嬉《うれ》しげに|両手《りやうて》をついて、
テームス『|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|何《なに》から|御礼《おんれい》を|申上《まをしあ》げて|宜《よろ》しきやら、|余《あんま》り|有難《ありがた》くて|言葉《ことば》も|出《で》ませぬ』
|治国《はるくに》『|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》によりまして、|道晴別《みちはるわけ》も|救《たす》けて|頂《いただ》き、|貴方《あなた》|方《がた》のお|嬢《ぢやう》さま、|番頭《ばんとう》さままで|今日《こんにち》|此処《ここ》で|御無事《ごぶじ》な|顔《かほ》を|見《み》せて|頂《いただ》く|事《こと》になりましたのは、|全《まつた》く|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|守《まも》らせ|給《たま》ふ|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》を|始《はじ》め|奉《たてまつ》り、|数多《あまた》の|神々様《かみがみさま》のお|蔭《かげ》で|厶《ござ》ります。|決《けつ》して|吾々《われわれ》の|力《ちから》では|厶《ござ》りませぬ。|御礼《おれい》を|言《い》はれましては、|吾々《われわれ》は|神様《かみさま》の|神徳《しんとく》を|自己《じこ》のものとする|事《こと》になつて|困《こま》ります。|何卒《どうぞ》|礼《れい》なんか|云《い》はない|様《やう》に|願《ねが》ひます』
テームス『ハイ、|神様《かみさま》|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。よくまア|治国別《はるくにわけ》|様《さま》|一行《いつかう》の|体《からだ》を|通《とほ》して、|吾々《われわれ》|一家《いつか》に|御神徳《ごしんとく》をお|与《あた》へ|下《くだ》さいまして|有難《ありがた》う|御礼《おんれい》|申上《まをしあ》げます』
ベリシナ『|三五教《あななひけう》の|先生方《せんせいがた》|御一同《ごいちどう》、|今《いま》|主人《しゆじん》が|申上《まをしあ》げた|通《とほ》り、|実《じつ》に|感謝《かんしや》に|堪《た》へませぬ。|二人《ふたり》の|娘《むすめ》もコレにてヤツと|安心《あんしん》|致《いた》しました。|道晴別《みちはるわけ》|様《さま》も|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばしまして、コンな|嬉《うれ》しい|事《こと》は|厶《ござ》りませぬ』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》す。
スミエル『|三五教《あななひけう》の|先生様《せんせいさま》、|悪神《わるがみ》のために|捕《と》らへられ、|九死一生《きうしいつしやう》の|処《ところ》を|御助《おたす》け|下《くだ》さいまして、|御礼《おれい》の|申上様《まをしあげやう》は|厶《ござ》いませぬ。|是《これ》も|全《まつた》く|治国別《はるくにわけ》|様《さま》|御一同《ごいちどう》の|御親切《ごしんせつ》のいたす|所《ところ》で|厶《ござ》います』
スガール『|暗《くら》い|岩窟内《がんくつない》に|押《おし》こめられ、|再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|明《あか》りを|見《み》る|事《こと》は|出来《でき》ないものと、|決死《けつし》の|覚悟《かくご》をいたして|居《を》りました|所《ところ》を、|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》で|助《たす》けて|頂《いただ》きました。|何卒《どうぞ》|御緩《ごゆつく》り|御逗留《ごとうりう》|遊《あそ》ばしまして、|結構《けつこう》な|御話《おはなし》を|御伝《おつた》へ|下《くだ》さいます|様《やう》|偏《ひとへ》に|御願《おねが》ひ|申《まを》します。|夫《それ》に|就《つい》ても|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》|外《ほか》|御一同《ごいちどう》の|方々《かたがた》に|御苦労《ごくらう》をかけました|事《こと》を|有難《ありがた》く|御礼《おれい》|申《まを》します。|何卒《どうぞ》|御一同様《ごいちどうさま》|御緩《ごゆる》りと、|何《なに》も|厶《ござ》いませぬが|御酒《おさけ》を|召《め》し|上《あが》り|下《くだ》さいませ』
|万公《まんこう》『|何《なに》か|御馳走《ごちそう》を|差上《さしあ》げたいと|存《ぞん》じ、|種々《いろいろ》と|致《いた》しましたが、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|山間僻地《さんかんへきち》の|事《こと》で|厶《ござ》いますから、|御口《おくち》に|合《あ》ふ|様《やう》な|物《もの》は|厶《ござ》いませぬ。|何卒《どうぞ》|緩《ゆつく》り|御召上《おめしあが》りを|願《ねが》ひます。|舅《しうと》|姑《しうとめ》を|始《はじ》め、|姉《あね》のスミエル、|並《ならび》にスガールに|代《かは》つて、|万公別《まんこうわけ》|謹《つつし》んで|御礼《おんれい》|申上《まをしあ》げます。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|治国《はるくに》『これはこれは|若主人様《わかしゆじんさま》で|厶《ござ》いましたか。イヤモウ|大層《たいそう》な|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》きまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
テームスは|不思議《ふしぎ》|相《さう》な|顔《かほ》をして、ベリシナを|見返《みかへ》り、|小声《こごゑ》になつて、
テームス『コレ、ベリシナ、|私《わし》の|知《し》らぬ|間《ま》にお|前《まへ》|此《この》|宣伝使《せんでんし》を|婿《むこ》に|貰《もら》ふ|約束《やくそく》をしたのかい。|何故《なぜ》|一口《ひとくち》|俺《わし》に|云《い》つて|呉《く》れぬのか。|藁《わら》でつくねた|様《やう》な|男《をとこ》でも、|矢張《やつぱり》|一軒《いつけん》の|主人《しゆじん》だから、|何程《なにほど》|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》でも|主人《しゆじん》の|私《わし》に|無断《むだん》で|決《き》めるとは、|些《ちつ》と|越権《ゑつけん》ぢやないか』
ベリシナ『イエ|私《わたし》は|何《なん》にも|存《ぞん》じませぬ。|大方《おほかた》|貴方《あなた》が|御決《おき》めなさつただらうかと、|今《いま》の|今《いま》|迄《まで》|思《おも》つて|居《を》りました』
テームス『ハテナ、モシ|治国別《はるくにわけ》の|先生様《せんせいさま》、コリヤ|何《ど》うした|訳《わけ》で|厶《ござ》りませうかなア』
|治国《はるくに》『イヤ|私《わたし》もテント|存《ぞん》じませぬ。|万公別《まんこうわけ》の|大宣伝使《だいせんでんし》が|何時《いつ》の|間《ま》に|弟子《でし》の|吾々《われわれ》にも|無断《むだん》で|御養子《ごやうし》になられましたかと|怪《あや》しんで|居《を》つたのです』
|万公《まんこう》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|神《かみ》の|結《むす》びし|縁《えにし》なれば
|人《ひと》の|知《し》るべき|事柄《ことがら》で|無《な》し。
|霊《たま》|幸《ち》はふ|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》ひて
スガール|姫《ひめ》の|夫《やど》となりぬる』
テームス『いぶかしや|神《かみ》の|言葉《ことば》と|云《い》ひ|乍《なが》ら。
|親《おや》の|吾等《われら》が|知《し》らぬ|間《あひだ》に』
ベリシナ『|何事《なにごと》もイドムの|神《かみ》の|計《はか》らひに。
|結《むす》び|玉《たま》ひし|縁《えにし》なるらむ。
さり|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》
|此《この》|縁《えにし》をば|如何《いか》に|思《おぼ》しめすか』
|万公《まんこう》『|何事《なにごと》も|神《かみ》の|心《こころ》に|任《まか》すこそ。
|人《ひと》の|人《ひと》たる|道《みち》とこそ|知《し》れ。
|吾《われ》とても|心《こころ》に|染《そ》まぬ|縁《えにし》なれど
|神《かみ》の|言葉《ことば》は|背《そむ》かれもせず』
|松彦《まつひこ》『|面白《おもしろ》き|例《ため》しもきかぬ|此《この》えにし。
|媒介《なかだち》も|無《な》き|今日《けふ》の|驚《おどろ》き』
|竜彦《たつひこ》『|今《いま》の|世《よ》は|男《をとこ》|女《をみな》の|別《わか》ちなく
|自由自在《じいうじざい》にえにしを|結《むす》ぶ。
|斯《か》くの|如《ごと》|乱《みだ》れ|果《は》てたる|世《よ》の|様《さま》を
イドムの|神《かみ》は|如何《いか》に|思《おぼ》すか』
|万公《まんこう》『|美《うる》はしき|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|惟神《かむながら》。
|神《かみ》にしませば|許《ゆる》し|玉《たま》はむ』
テームス『|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》よ|此《この》えにし。
|如何《いか》になさむか|教《をし》へたまはれ』
|治国別《はるくにわけ》『|千早《ちはや》|振《ふ》る  |遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より
|男女《をのこをみな》の|嫁《とつ》ぎの|道《みち》を  |開《ひら》き|玉《たま》ひし|神柱《かむばしら》
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》は  |筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|立花《たちばな》の
|小戸《をど》の|青木ケ原《あはぎがはら》にまし  |身《みま》の|穢《けが》れを|清《きよ》めつつ
|自転倒島《おのころじま》に|天降《あも》りまし  |夫婦《めをと》の|道《みち》を|開《ひら》きてゆ
|海河山野《うみかはやまの》|百《もも》の|神《かみ》  |数多《あまた》|生《う》みまし|葦原《あしはら》の
|千五百《ちいほ》の|秋《あき》の|瑞穂国《みづほのくに》を  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|開《ひら》き|治《をさ》めて
|百人《ももびと》|千人《ちびと》|万人《よろづひと》を  |此《こ》の|地《ち》の|上《うへ》に|生《う》み|殖《ふや》し
|珍《うづ》の|神事《かむごと》|終《を》へ|給《たま》ふ  |其《その》|喜《よろこ》びの|目《ま》の|当《あた》り
|憂《うれ》ひに|沈《しづ》みし|此《この》|館《やかた》に  |現《あら》はれ|来《きた》る|目出度《めでた》さよ
|男女《をのこをみな》の|嫁《とつ》ぎの|道《みち》は  |天《あめ》にます|神《かみ》|八百万《やほよろづ》
|地《くに》にます|神《かみ》|八百万《やほよろづ》の  |神《かみ》のよさしの|其《その》|儘《まま》に
|定《さだ》まるものと|知《し》るからは  |必《かなら》ず|心《こころ》を|煩《わづら》はし|玉《たま》ふ|勿《なか》れ
シーナの|君《きみ》は|家《いへ》の|子《こ》と  |永《なが》く|此《この》|家《や》に|仕《つか》へまし
いとまめまめしくも|朝夕《あさゆふ》に  |心《こころ》を|配《くば》り|身《み》を|砕《くだ》き
|仕《つか》へ|玉《たま》ひし|信徒《まめひと》よ  |抑《そもそ》も|此《この》|家《や》の|栄《さか》えをば
|祈《いの》り|玉《たま》はば|第一《だいいち》に  |姉《あね》の|御子《おんこ》とあれませる
スミエル|姫《ひめ》を|娶合《めあは》して  |水《みづ》も|洩《も》らさぬ|妹《いも》と|背《せ》の
|縁《えにし》を|結《むす》ばせ|玉《たま》ふべし  |次《つぎ》に|生《うま》れしスガール|姫《ひめ》は
|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |生命《いのち》の|親《おや》にましませば
これと|妹背《いもせ》の|契《ちぎり》をば  |結《むす》ばせ|玉《たま》へば|天地《あめつち》の
|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》ふらむ  |又《また》アーシスの|家《いへ》の|子《こ》は
|容貌《みめ》|美《うる》はしきお|民《たみ》の|方《かた》と  |妹背《いもせ》の|契《ちぎ》り|永久《とこしへ》に
|結《むす》ばせ|給《たま》ひて|三五《あななひ》の  |珍《うづ》の|教《をしへ》を|朝夕《あさゆふ》に
|清《きよ》く|守《まも》りて|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》に|仕《つか》へ|玉《たま》ひなば
|玉置《たまき》の|村《むら》のテームスが  |家門《いへかど》|高《たか》く|富《と》み|栄《さか》へ
|生《う》みの|子《こ》の|八十連《やそつづ》き  |五十橿《いかし》|八桑枝《やくはえ》の|如《ごと》
|茂木栄《むくさか》に|栄《さか》えまさむ  テームス、ベリシナ|二柱《ふたはしら》
|万公別《まんこうわけ》やシーナさま  アーシス|司《つかさ》を|始《はじ》めとし
スミエル|姫《ひめ》や、スガール|姫《ひめ》  お|民《たみ》の|御方《おかた》も|千早《ちはや》|振《ふ》る
|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》ひて  |此処《ここ》に|目出度《めでたく》|妹《いも》と|背《せ》の
|縁《えにし》を|結《むす》ばせ|玉《たま》ふべし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |斎苑《いそ》の|館《やかた》に|仕《つか》へたる
|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》  |赤心《まごころ》|籠《こ》めて|勧《すす》め|奉《まつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |印度《ツキ》の|海《うみ》はあするとも
これの|縁《えにし》の|詳細《まつぶさ》に  |結《むす》び|了《を》へたる|上《うへ》からは
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|変《かは》りなく  |玉《たま》の|緒《を》の|生命《いのち》も|永《なが》く
|何時《いつ》|迄《まで》も  |堅磐常磐《かきはときは》に|栄《さか》えかし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|赤心《まごころ》を
|照《て》らして|誓《ちか》ひ|奉《たてまつ》る』
スミエルは|嬉《うれ》しさうな|輝《かがや》いた|顔《かほ》をしながら、
スミエル『|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|神代《かみよ》が|廻《めぐ》り|来《き》て  |常世《とこよ》の|春《はる》となりにけり
|玉置《たまき》の|村《むら》のテームスが  |家《いへ》に|生《うま》れしスミエルは
|祖先《そせん》の|家《いへ》を|守《まも》るため  |家《いへ》の|子《こ》とますシーナさま
わが|背《せ》の|君《きみ》と|定《さだ》めつつ  |父《ちち》の|館《やかた》を|守《まも》りなば
|家《いへ》はますます|富《と》み|栄《さか》え  |子孫《しそん》はますます|繁栄《はんゑい》して
テームス|司《つかさ》の|家《や》の|内《うち》は  |忽《たちま》ち|天国浄土《てんごくじやうど》をば
|開《ひら》かむものと|思《おも》ひつめ  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神様《かみさま》に
|祈《いの》りし|甲斐《かひ》や|現《あら》はれて  |三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|治国別《はるくにわけ》の|御媒介《おとりもち》  |実《げ》に|有難《ありがた》き|今宵《こよひ》かな
|頑固一途《ぐわんこいちづ》の|父母《ちちはは》も  |妾《わらは》|二人《ふたり》が|生命《いのち》をば
|助《たす》け|玉《たま》ひし|恩人《おんじん》の  |言葉《ことば》に|如何《いか》で|背《そむ》くべき
|治国別《はるくにわけ》の|御言葉《みことば》は  |金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》
イドムの|神《かみ》の|勅《みことのり》  |心《こころ》を|鎮《しづ》め|慎《つつし》みて
|清《きよ》き|尊《たふと》き|御言葉《みことば》に  |従《したが》ひ|玉《たま》へ|足乳根《たらちね》の
いとも|恋《こひ》しき|父母《ちちはは》よ  |神《かみ》の|御前《みまへ》にスミエルが
|頸根突抜《うなねつきぬ》き|赤心《まごころ》を  あかして|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
テームス『|三五《あななひ》の|神《かみ》の|司《つかさ》の|言《こと》の|葉《は》を
いかで|背《そむ》かむ|吾等《われら》|夫婦《ふうふ》は』
ベリシナ『|有難《ありがた》し|生命《いのち》も|魂《たま》も|救《すく》ひます
|教司《をしへつかさ》の|珍《うづ》の|御言葉《みことば》』
スガールは|又《また》|歌《うた》ふ、
スガール『|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |常磐《ときは》の|松《まつ》の|松彦《まつひこ》や
|清《きよ》き|教《をしへ》を|竜彦《たつひこ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》の|御媒介《おとりもち》
|諾《うべな》ひ|玉《たま》ひし|足乳根《たらちね》の  |父《ちち》と|母《はは》との|御光《みひか》りは
|吾等《われら》を|照《て》らす|真寸鏡《ますかがみ》  |実《げ》に|有難《ありがた》き|限《かぎ》りなり
|万公別《まんこうわけ》の|神司《かむづかさ》  |足《た》らはぬ|吾等《われら》を|憐《あはれ》みて
|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に|永久《とこしへ》に  |妹背《いもせ》の|道《みち》を|結《むす》びまし
|父《ちち》のまします|此《この》|館《やかた》  |堅《かた》く|守《まも》らせ|給《たま》へかし
|妾《わらは》は|女《をんな》の|身《み》なれども  |心《こころ》はかたき|楠《くす》の|幹《みき》
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|大神《おほかみ》を  |祈《いの》りて|尊《たふと》き|父母《ちちはは》に
|赤心《まごころ》|以《もつ》てよく|仕《つか》へ  |兄《あに》の|君《きみ》をば|敬《うやま》ひて
|日々《ひび》の|勤《つと》めをいそしみつ  |僕《しもべ》の|端《はし》に|至《いた》るまで
|心《こころ》を|尽《つく》してよく|勤《つと》め  |神《かみ》の|許《ゆる》せし|縁《えにし》をば
|喜《よろこ》び|仕《つか》へ|守《まも》るべし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
イドムの|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
|万公《まんこう》『スガールの|姫《ひめ》の|命《みこと》の|赤心《まごころ》を
|嬉《うれ》しみ|奉《まつ》る|万公別司《まんこうわけつかさ》。
|今《いま》よりは|父《ちち》と|母《はは》とを|敬《うやま》ひつ
|汝《なれ》が|命《みこと》を|慈《いつくし》むべし。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》の|師《し》の|君《きみ》に
|報《むく》ふ|術《すべ》なき|今日《けふ》の|嬉《うれ》しさ』
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 外山豊二録)
第一〇章 |鬼涙《おになみだ》〔一四一八〕
アーシスは|治国別《はるくにわけ》の|歌《うた》に|対《たい》し、|自分《じぶん》とお|民《たみ》との|結婚《けつこん》を|承諾《しようだく》したりとの|意《い》を|歌《うた》を|以《もつ》て|答《こた》へたりける。|其《その》|歌《うた》、
『|科戸《しなど》の|風《かぜ》もフサの|国《くに》  |猪倉山《ゐのくらやま》の|山麓《さんろく》に
|群《むら》がり|立《た》てる|玉置郷《たまききやう》  テームス|館《やかた》に|使《つか》はれて
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|家政《かせい》をば  |統轄《とうかつ》したるアーシスは
|賤《いや》しき|首陀《しゆだ》の|胤《たね》ならず  |由緒《ゆいしよ》も|深《ふか》きビクの|国《くに》
|左守《さもり》の|司《かみ》のキユービツトが  |其《その》|落胤《らくいん》と|聞《きこ》えたる
|此《この》|世《よ》を|忍《しの》ぶ|独身者《ひとりもの》  |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて  ビクの|国《くに》をば|知召《しろしめ》す
|刹帝利様《せつていりさま》や|左守司《さもりがみ》  |父《ちち》の|危難《きなん》を|救《すく》ひまし
|神《かみ》の|宮居《みやゐ》を|建《た》て|玉《たま》ひ  |又《また》もや|此処《ここ》に|現《あら》はれて
スミエル|嬢《ぢやう》やスガール|嬢《ぢやう》  |道晴別《みちはるわけ》やシーナ|迄《まで》
|救《すく》はせ|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ  |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》  |星《ほし》は|空《そら》より|墜《お》つるとも
テームス|一家《いつけ》を|救《すく》はれし  |此《この》|高恩《かうおん》は|何時《いつ》の|世《よ》か
|忘《わす》るる|事《こと》のあるべきぞ  |賤《いや》しき|下女《げぢよ》と|住《す》み|込《こ》みし
お|民《たみ》の|方《かた》の|系統《けいとう》も  |矢張《やつぱ》りビクの|国《くに》|生《うま》れ
|左守司《さもりのかみ》の|家系《かけい》より  |秀《すぐ》れて|高《たか》き|人《ひと》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|珍《うづ》の|御子《みこ》  チヌの|里《さと》なる|卓助《たくすけ》が
|里子《さとご》となりて|世《よ》を|送《おく》る  |果敢《はか》なき|身《み》にも|荒風《あらかぜ》の
|吹《ふ》き|荒《すさ》び|来《き》て|両親《りやうしん》は  |最早《もはや》あの|世《よ》の|人《ひと》となり
よるべ|渚《なぎさ》の|捨小舟《すてをぶね》  |彼方此方《あなたこなた》と|彷徨《さまよ》ひて
|艱《なや》みの|果《は》ては|今《いま》|茲《ここ》に  テームス|館《やかた》の|下女《げぢよ》と|迄《まで》
なり|下《さが》りたる|痛《いた》ましさ  お|民《たみ》の|素性《すじやう》を|知《し》るものは
アーシス|一人《ひとり》を|除《のぞ》いては  |今《いま》|迄《まで》|誰《たれ》もあらざりし
かくも|尊《たふと》き|人《ひと》の|子《こ》と  |生《うま》れましたるお|民《たみ》さま
|如何《いか》なる|神《かみ》の|取持《とりもち》か  |吾《わ》れと|妹背《いもせ》の|契《ちぎり》をば
|結《むす》ばせ|玉《たま》ふ|事《こと》となり  |首陀《しゆだ》の|館《やかた》で|合衾《がふきん》の
いよいよ|式《しき》を|挙《あ》げむとは  |思《おも》ひもよらぬ|二人仲《ふたりなか》
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  イドムの|神《かみ》が|現《あら》はれて
|治国別《はるくにわけ》に|懸《かか》りまし  |吾等《われら》が|素性《すじやう》を|委曲《まつぶさ》に
|明《あ》かさせ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ  さはさり|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は
|世《よ》に|捨《す》てられし|日蔭者《ひかげもの》  |二人《ふたり》の|父《ちち》は|坐《ま》しませど
|名乗《なの》らむ|術《すべ》もなくばかり  |歎《かこ》ち|暮《くら》した|苦《くる》しさも
|今《いま》は|漸《やうや》く|薄《うす》らぎて  |暁《あかつき》|告《つ》ぐる|鳥《とり》の|声《こゑ》
|旭《あさひ》|間近《まぢか》き|心地《ここち》せり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|皇大神《すめおほかみ》や|治国《はるくに》の  |別《わけ》の|司《つかさ》の|御前《おんまへ》に
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|真心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
お|民《たみ》は|歌《うた》ふ。
お|民《たみ》『|神《かみ》の|恵《めぐみ》も|足乳根《たらちね》の  |父《ちち》と|母《はは》とはあり|乍《なが》ら
|浮《う》き|世《よ》の|雲《くも》に|隔《へだ》てられ  |名乗《なのり》もならぬ|身《み》の|因果《いんぐわ》
|雲井《くもゐ》に|高《たか》き|刹帝利《せつていり》  ビクトリヤ|王《わう》の|珍《うづ》の|子《こ》と
|生《うま》れ|出《い》でたる|吾《わが》|身《み》なれ|共《ども》  |后《きさい》の|宮《みや》の|御憤《おんいきどほ》り
いと|烈《はげ》しくましましければ  |母《はは》の|皐月《さつき》と|諸共《もろとも》に
フサの|御国《みくに》の|山野里《やまのさと》  チヌの|村《むら》なる|卓助《たくすけ》が
|館《やかた》に|母子《おやこ》|預《あづ》けられ  |悲《かな》しき|浮世《うきよ》を|送《おく》りしも
|月《つき》に|村雲《むらくも》|花《はな》には|嵐《あらし》  |吹《ふ》き|荒《すさ》ぶなる|世《よ》の|中《なか》の
ためしに|漏《も》れず|養《やしな》ひの  |父《ちち》は|此《この》|世《よ》を|早《はや》く|去《さ》り
|母《はは》と|妾《わらは》は|味気《あぢき》なき|月日《つきひ》を  |山《やま》の|畔《ほとり》に|送《おく》る|折《をり》しも
バラモン|教《けう》の|軍人《いくさびと》  |夜陰《やいん》に|乗《じやう》じて|入《い》り|来《きた》り
|雨戸《あまど》を|蹴立《けた》てて|踊《をど》り|入《い》り  |妾《わらは》と|母《はは》を|取《と》り|違《ちが》へ
|凱《かちどき》あげて|連《つ》れ|帰《かへ》りしが  |老《お》いさらばひし|母上《ははうへ》と
|知《し》るよりも  |情《なさけ》けを|知《し》らぬ|悪神《あくがみ》は
|悔《くや》しや|恋《こひ》しき|母上《ははうへ》を  |野中《のなか》の|井戸《ゐど》へ|蹴落《けお》として
|玉《たま》の|緒《を》の|命《いのち》を|奪《うば》ひし|恨《うら》めしさ  |妾《わらは》は|後《あと》に|残《のこ》されて
|彼方《あなた》の|家《いへ》に|三日《みか》|四日《よつか》  |永《なが》きは|五日《いつか》と|彷徨《さまよ》ひつ
どこの|家《いへ》でも|追《お》ひ|出《だ》され  |漸々《やうやう》ここにテームスの
|主人《あるじ》の|君《きみ》に|助《たす》けられ  |水仕奉公《みづしぼうこう》を|励《はげ》む|折《をり》
|天《あめ》の|八重雲《やへぐも》かき|分《わ》けて  |降《くだ》りましたる|神《かみ》の|教《をしへ》の|司《つかさ》たち
|主人《あるじ》の|家《いへ》の|愛娘《まなむすめ》  スミエル|姫《ひめ》やスガール|姫《ひめ》を
|救《すく》ひやらむと|雄健《をたけ》びし  |魔神《まがみ》のたけぶ|猪倉山《ゐのくらやま》を|駆《か》け|登《のぼ》り
|出《い》で|行《ゆ》きませし|其《その》|後《あと》に  |妾《わらは》は|両手《りやうて》を|合《あは》しつつ
|凱《かちどき》あげて|帰《かへ》ります  |生日《いくひ》の|吉《よ》き|日《ひ》を|待《ま》つ|折《をり》もあれ
|軍《いくさ》の|君《きみ》を|引率《ひきつ》れて  |四人《よたり》の|人《ひと》を|助《たす》けつつ
|帰《かへ》らせ|玉《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ  |神《かみ》の|司《つかさ》の|其《その》|中《なか》で
|恋《こひ》に|心《こころ》を|焦《こが》したる  |万公別《まんこうわけ》の|神司《かむづかさ》
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》か|知《し》らね|共《ども》  |忽《たちま》ち|主人《しゆじん》となりすまし
|上《うへ》から|下《した》まで|気《き》を|付《つ》けて  |竃《かまど》の|下《した》や|鍋《なべ》の|蓋《ふた》
|彼方此方《あなたこなた》の|拭掃除《ふきさうぢ》  |火《ひ》を|焚《た》くわざ|迄《まで》|懇《ねもごろ》に
|教《をし》へ|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ  うるさい|事《こと》はなけれ|共《ども》
|何《なん》だか|知《し》らぬがゴテゴテと  |言《い》はるる|度《たび》に|気《き》が|立《た》ちて
|遂《つひ》には|思《おも》はぬ|灰神楽《はひかぐら》  どこも|彼処《かしこ》も|泥《どろ》の|海《うみ》
|足《あし》|踏《ふ》む|場所《ばしよ》もなき|迄《まで》に  |汚《よご》れたるこそ|是非《ぜひ》なけれ
|折角《せつかく》|心《こころ》を|尽《つく》し|身《み》を|尽《つく》し  |漸《やうや》く|煮《に》えた|飯《めし》さへも
|喉《のど》を|通《とほ》らぬ|灰《はひ》まぶれ  ハツと|顔《かほ》をば|赤《あか》らめて
|胸《むね》を|痛《いた》むる|折《をり》もあれ  アヅモス|司《つかさ》|現《あら》はれて
|又《また》いろいろと|御教訓《ごけうくん》  |虫《むし》の|居所《ゐどころ》|悪《わる》かりしか
フエル|奴《やつこ》と|謀《はか》らひて  |栄螺《さざえ》の|如《ごと》き|拳《こぶし》を|固《かた》め
|所《ところ》かまはず|打《う》ち|据《す》ゑ  |嘖《さいな》み|居《ゐ》たる|折《をり》もあれ
アーシス|司《つかさ》は|忽《たちま》ちに  |此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ|来《きた》りまし
|荒《あ》れ|狂《くる》ひゐたる|両人《りやうにん》を  |手《て》もなくグツと|押《おさ》へつけ
|救《すく》ひ|玉《たま》ひし|有難《ありがた》さ  |情《なさけ》は|人《ひと》の|為《ため》ならずと
|世《よ》の|諺《ことわざ》も|目《ま》のあたり  |夫《そ》れより|妾《わらは》はアーシスの
|司《つかさ》を|尊《たふと》み|敬《うやま》ひて  |世《よ》が|世《よ》であらば|吾《わが》|夫《つま》と
|仕《つか》へむものと|村肝《むらきも》の  |胸《むね》をば|焦《こ》がす|折《をり》もあれ
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》の|治国別《はるくにわけ》が
|尊《たふと》き|聖《きよ》き|勅《みことの》り  |妹背《いもせ》の|道《みち》を|契《ちぎ》れよと
|教《をし》へ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》を  |慎《つつし》み|畏《かしこ》み|諾《うべな》ひて
いとしき|司《つかさ》のアーシスと  |茲《ここ》に|目出《めで》たく|婚姻《こんいん》の
|儀式《みのり》を|結《むす》ぶ|事《こと》の|由《よし》  |確《たしか》に|諾《うべな》ひ|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |上《かみ》は|大国治立《おほくにはるたち》の|大神《おほかみ》を|始《はじ》めとし
|縁《えにし》を|結《むす》びの|神柱《かむばしら》  |金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》
イドムの|神《かみ》と|現《あ》れませる  |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|貴《うづ》の|恵《めぐみ》を|慎《つつし》みて  |感謝《かんしや》の|詞《ことば》|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし』
|鬼春別《おにはるわけ》は|一杯《いつぱい》|機嫌《きげん》になつて、|今《いま》|迄《まで》|遠慮《ゑんりよ》してゐた|心《こころ》が|稍《やや》|太《ふと》くなつたと|見《み》え、|銅羅声《どらごゑ》を|張上《はりあ》げて|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|吾《わ》れは|大国彦《おほくにひこ》の|神《かみ》  |大国別《おほくにわけ》に|仕《つか》へたる
バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》  |大黒主《おほくろぬし》の|部下《ぶか》となり
|三五教《あななひけう》の|本陣《ほんぢん》と  |世《よ》に|聞《きこ》えたる|斎苑館《いそやかた》
|只《ただ》|一戦《いつせん》に|屠《ほふ》らむと  |数多《あまた》の|軍兵《ぐんぴよう》|引率《いんそつ》し
|山野《さんや》を|渡《わた》り|谷川《たにがは》を  |越《こ》えて|漸《やうや》く|枯尾花《かれをばな》
|茂《しげ》り|合《あ》ひたる|浮木《うきき》の|里《さと》に  |広《ひろ》き|陣屋《ぢんや》を|造《つく》りつつ
|久米彦《くめひこ》|片彦将軍《かたひこしやうぐん》を  |先鋒《せんぽう》に|立《た》てて|戦況《せんきやう》を
|窺《うかが》ひゐたる|折《をり》もあれ  |治国別《はるくにわけ》の|神司《かむづかさ》
|厳《いづ》の|御水火《みいき》に|打出《うちいだ》す  |其《その》|言霊《ことたま》に|肝《きも》|打《う》たれ
|脆《もろ》くも|破《やぶ》れ|逃《に》げ|帰《かへ》る  |其《その》|浅《あさ》ましき|態《ざま》を|見《み》て
とても|叶《かな》はぬ|此《この》|戦《いくさ》  |進《すす》みもならず|退《しりぞ》きも
ならぬ|苦《くる》しき|破目《はめ》となり  |三千余騎《さんぜんよき》を|従《したが》へて
|浮木《うきき》の|陣屋《ぢんや》を|立《た》ち|別《わか》れ  ライオン|河《がは》を|横切《よこぎ》りて
|古《ふる》き|尊《たふと》きビクの|国《くに》  ビクトル|山《さん》の|麓《ふもと》にて
|又《また》も|陣屋《ぢんや》を|構《かま》へつつ  |軍《いくさ》を|進《すす》むる|折《をり》もあれ
|魔性《ましやう》の|女《をんな》に|欺《あざむ》かれ  |遠《とほ》く|逃《に》げ|行《ゆ》く|大原野《だいげんや》
シメジ|峠《たうげ》を|乗越《のりこ》えて  |猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》に
|城《しろ》を|構《かま》へて|遠近《をちこち》の  |国《くに》を|従《したが》へ|靡《なび》かせつ
バラモン|国《こく》を|建設《けんせつ》し  |一旗《ひとはた》|挙《あ》げむと|思《おも》ふ|折《をり》
|心《こころ》の|曲《まが》に|誘《さそ》はれて  テームス|館《やかた》の|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を
|家来《けらい》の|者《もの》に|言《い》ひつけて  |攫《さら》ひ|帰《かへ》らせいろいろと
|脅《おど》しつすかしつ|掛合《かけあ》へど  |気丈《きぢやう》の|女《をんな》どこ|迄《まで》も
|操《みさを》|汚《けが》さぬけなげさに  |舌《した》を|巻《ま》きつつ|久米彦《くめひこ》は
|執念深《しふねんぶか》くも|吾《わが》|物《もの》と  なさむとあせり|一室《いつしつ》に
しまひおきたる|時《とき》もあれ  |道晴別《みちはるわけ》の|神司《かむづかさ》
シーナを|従《したが》へ|出《い》で|来《きた》り  |言霊車《ことたまぐるま》|押出《おしだ》せば
|流石《さすが》の|勇士《ゆうし》も|驚《おどろ》いて  |右往左往《うわうさわう》に|散乱《さんらん》し
|周章狼狽《しうしやうらうばい》|其《その》|果《は》ては  |一先《ひとま》づ|四人《よにん》を|岩窟《がんくつ》の
|千尋《ちひろ》の|底《そこ》に|投《な》げ|堕《おと》し  |言《い》ふにいはれぬ|無礼《ぶれい》をば
|加《くは》へし|事《こと》の|恥《はづ》かしさ  |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》に
またも|攻《せ》められ|吾々《われわれ》は  |執着心《しふちやくしん》の|夢《ゆめ》も|醒《さ》め
|三千余騎《さんぜんよき》の|兵士《つはもの》を  |瞬《またた》く|内《うち》に|解散《かいさん》し
|四人《よにん》の|真人《まびと》を|送《おく》りつつ  |漸《やうや》く|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば
|豈計《あにはか》らむやフエル、ベツトの|両人《りやうにん》が  |御庫《みくら》の|中《なか》に|押込《おしこ》まれ
|苦《くるし》みゐたるぞ|不思議《ふしぎ》なれ  |悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|将軍《しやうぐん》も
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて  |今《いま》は|誠《まこと》の|人《ひと》となり
|此《この》|家《や》に|仇《あだ》せし|身《み》|乍《なが》らも  |治国別《はるくにわけ》の|御影《おかげ》にて
|目出《めで》たき|今日《けふ》の|宴席《えんせき》に  |恥《はぢ》を|忍《しの》びて|列《つらな》るも
|縁《えにし》の|糸《いと》のどこ|迄《まで》も  |結《むす》ぼれゐたる|為《ため》ならむ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|宣《の》り|直《なほ》されてテームスよ  ベリシナ|姫《ひめ》よ|二人《ふたり》の|姫御子《ひめみこ》
|汝《なれ》に|加《くは》へし|嘖《さいな》みの  |罪《つみ》を|赦《ゆる》させ|玉《たま》へかし
|旭《あさひ》はてる|共《とも》|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くる|共《とも》
|一旦《いつたん》|神《かみ》に|目醒《めざ》めたる  |鬼春別《おにはるわけ》はどこ|迄《まで》も
|誠《まこと》の|為《ため》に|身《み》を|尽《つく》し  |世人《よびと》を|救《すく》ふ|真心《まごころ》に
|復《かへ》りてテームス|夫婦《ふうふ》が|身《み》の|幸《さち》を  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|祈《いの》るべし
|赦《ゆる》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》に|誓《ちか》ひて|詫《わ》びまつる』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|一同《いちどう》に|向《むか》つて|恭《うやうや》しく|感謝《かんしや》した。されど|疑深《うたがひぶか》きテームス|夫婦《ふうふ》は、|鬼春別《おにはるわけ》が|心《こころ》の|底《そこ》よりの|悔悟《くわいご》も|謝罪《しやざい》も|信《しん》ずる|事《こと》が|出来《でき》なかつた。それ|故《ゆゑ》|夫婦《ふうふ》は|此《この》|歌《うた》に|対《たい》しても、|一言《いちごん》の|答《こたへ》さへせなかつた。|此《この》|外《ほか》|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシなどの|歌《うた》も|沢山《たくさん》あれ|共《ども》、|余《あま》り|長《なが》ければ|是《こ》れにて|言霊車《ことたまぐるま》を|停止《ていし》する。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 松村真澄録)
第三篇 |玉置長蛇《たまきちやうだ》
第一一章 |経愕《きやうがく》〔一四一九〕
テームスは、|悔悟《くわいご》して|其《その》|精魂《せいこん》|全《まつた》く|純化《じゆんくわ》し、|真《しん》の|真人《しんじん》たるの|心境《しんきやう》に|迄《まで》|到達《たうたつ》せる、|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》を|始《はじ》め|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシの|四人《よにん》を|心底《しんてい》より|信《しん》ずる|事《こと》が|出来《でき》なかつたので|表面《へうめん》|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》にては|相当《さうたう》の|取《と》り|扱《あつか》ひをしてゐた。けれどもその|心中《しんちう》は|蚰蜒《げじげじ》の|如《ごと》く|嫌《きら》ひ、|且《か》つ|恐《おそ》れて|居《ゐ》た。|何処《どこ》とも|無《な》く|排斥気分《はいせききぶん》が|現《あら》はれて|来《く》る。|鬼春別《おにはるわけ》は|忍耐《にんたい》に|忍耐《にんたい》を|加《くは》え|所在《あらゆる》|侮辱《ぶじよく》をも|克《よ》く|我慢《がまん》し|得《う》る|事《こと》が|出来《でき》た。|鬼春別《おにはるわけ》は|別室《べつしつ》に|入《い》つて|婆羅門《ばらもん》の|経典《きやうてん》を|読誦《どくじゆ》した。|自分《じぶん》の|一《いつ》は|改心《かいしん》のため、|一《いつ》はテームスの|悪心《あくしん》|自愛心《じあいしん》の|猛火《まうくわ》を|消滅《せうめつ》せむが|為《ため》であつた。テームスの|家《いへ》は|祖先代々《そせんだいだい》|里庄《りしやう》を|勤《つと》め|随分《ずいぶん》「|地頭《ぢとう》に|法《はふ》なし」と|人民《じんみん》より|憎《にく》まれて|来《き》たものである。|巨万《きよまん》の|富《とみ》を|抱《いだ》いてゐるのも|皆《みな》|多数《たすう》|人民《じんみん》の|膏血《かうけつ》を|搾《しぼ》つたものと|一般《いつぱん》に|評判《ひやうばん》され、|地位《ちゐ》は|村人《むらびと》の|上位《じやうゐ》を|占《し》めてゐるが|人望《じんばう》は|殆《ほとん》ど|地《ち》に|堕《お》ち、|旃陀羅《せんだら》の|様《やう》に|卑《いや》しめられてゐた。|鬼春別《おにはるわけ》は|此《こ》の|頑固爺《ぐわんこおやぢ》のテームスを|悔《く》い|改《あらた》めしめむと、|態《わざ》とに|大声《おほごゑ》にて|読経《どきやう》を|始《はじ》めた。その|経文《きやうもん》に|曰《い》ふ。
|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|謹上再拝《きんじやうさいはい》
|重《かさ》ねて|此《こ》の|義《ぎ》を|宣《の》べんと|欲《ほつ》して、|偈《げ》を|説《と》いて|言《い》はく、
『|譬《たと》へば|長者《ちやうじや》、|一《いつ》の|大宅《だいたく》|有《あ》らむ。|其《そ》の|宅《たく》|久《ひさ》しく|故《ふ》りて、|而《しか》も|復《ま》た|頓弊《やぶれ》、
|堂舎《だうしや》|高《たか》く|危《あやふ》く、|柱根《ちうこん》|摧《くだ》け|朽《く》ち、|梁棟《りやうとう》|傾《かた》むき|斜《ゆ》がみ、|基陛《きへい》|潰《くづ》れ|毀《やぶ》れ、
|墻壁《しやうへき》|〓《やぶ》れ|拆《さ》け、|泥塗《ないづ》|褫《あば》け|落《お》ち、|覆苫《ふせん》|乱《みだ》れ|墜《お》ち、|椽梠《たるのき》|差《たが》ひ|脱《ぬ》け、
|周障《しうしやう》|屈曲《くつきよく》して、|雑穢《ざふゑ》|充〓《じゆうへん》せり、|五百人《ごひやくにん》|有《あ》つて、|其《そ》の|中《なか》に|止住《しぢう》す。
|鴟《とび》、|梟《ふくろ》、|〓《くまたか》、|鷲《わし》、|烏《からす》、|鵲《かささぎ》、|鳩《やまばと》、|鴿《いへばと》、|〓蛇《からすへび》、|蝮《くちばみ》、|蠍《さそり》、|蜈蚣《むかで》、|蚰蜒《げじげじ》、|守宮《やもり》、|百足《をさむし》、|鼬《いたち》、|貍《たぬき》、|〓《あまくち》、|鼠《ねづみ》、|諸々《もろもろ》の|悪虫《あくちう》の|輩《ともがら》、|交横馳走《かうわうちそう》す、
|屎尿《しねう》の|臭《くさ》き|処《ところ》、|不浄《ふじやう》|流《なが》れ|溢《み》ち、|蛆《うぢ》、|〓《くそむし》、|諸虫《しよちう》、|而《しか》も|其《そ》の|上《うへ》に|集《あつ》まれり。
|狐《きつね》、|狼《おほかみ》、|野干《のぎつね》、|咀嚼《くらいかみ》|践《ふみ》|踏《ふみ》なし、|死屍《しかばね》を|〓齧《かみくら》ひて、|骨肉《こつにく》|狼藉《らうぜき》し、|是《こ》れに|由《よ》つて|羣狗《ぐんぐ》、|競《きそ》ひ|来《きた》つて|搏撮《うちとり》し、|飢羸《うゑつかれ》|〓惶《まごつき》て、|処々《しよしよ》に|食《しよく》を|求《もと》め、
|闘《たたかい》|諍《あらそい》、|〓《つかみ》|掣《ひきさ》き、|啀《いがみ》|〓《はがみ》|〓《おほいに》|吠《ほ》ゆ。|其《そ》の|舎《いへ》の|恐怖《くふ》、|変状《へんじやう》|是《かく》の|如《ごと》し。
|処々《しよしよ》に|皆《みな》、|魑魅魍魎《ちみまうりやう》|有《あ》り。|夜叉《やしや》|悪鬼《あくき》、|人《ひと》の|肉《にく》を|食〓《じきだん》す。(|魑魎《ちみ》は|山中《さんちう》|木石《ぼくせき》の|精怪《せいくわい》。|魍魎《もうりやう》は|水中《すいちう》に|住《す》む|精怪《せいくわい》)
|毒虫《どくちう》の|属《たぐひ》、|諸々《もろもろ》の|悪禽獣《あくきんじう》、|孚乳産生《ふにふさんしやう》して、|各《おのおの》|自《みづか》ら|蔵《かく》し|護《まも》る。
|夜叉《やしや》|競《きそ》ひ|来《きた》つて、|争《あらそ》ひ|取《と》つて|之《こ》れを|食《じき》す。|之《これ》を|食《じき》すること|既《すで》に|飽《あ》きぬれば、|悪心《あくしん》|転《うた》た|熾《さか》んにして、
|闘諍《とうさう》の|声《こゑ》、|甚《はなは》だ|怖畏《ふゐ》す|可《べ》し。|鳩槃《クネバーンダ》、|荼鬼《ビンヤーチヤカ》、|土〓《どだ》に|蹲踞《そんきよ》せり。
|或時《あるとき》は|地《ち》を|離《はな》るること、|一尺《いつしやく》|二尺《にしやく》、|往返《わうへん》|遊行《いうぎやう》し、|縦逸《じういつ》に|嬉戯《きぎ》す。
|狗《いぬ》の|両足《りやうそく》を|捉《と》つて、|撲《う》つて|声《こゑ》を|失《うしな》はしめ、|脚《あし》を|以《もつ》て|頸《くび》に|加《くは》へて、|狗《いぬ》を|怖《を》どして|自《みづか》ら|楽《たの》しむ。
|復《また》|諸々《もろもろ》の|鬼《おに》|有《あ》り、|其《そ》の|身《み》|長大《ちやうだい》に、|裸形《らぎやう》|黒痩《こくしゆ》にして、|常《つね》に|其《そ》の|中《なか》に|住《ぢう》せり。
|大悪声《だいあくせい》を|発《はつ》して、|叫《さけ》び|呼《よ》んで|食《じき》を|求《もと》む。|復《また》|諸々《もろもろ》の|鬼《おに》|有《あ》り、|其《そ》の|咽鍼《のんどはり》の|如《ごと》し。
|復《また》|諸々《もろもろ》の|鬼《おに》|有《あ》り、|首《かうべ》|牛頭《ごづ》の|如《ごと》し。|或《あるひ》は|人《ひと》の|肉《にく》を|食《じき》し、|或《あるひ》は|復《また》|狗《いぬ》を|〓《くら》ふ。
|頭髪《づはつ》|蓬乱《ぶらん》して、|残害《ざんがい》|兇険《くけん》なり、|饑渇《きかつ》に|逼《せ》められて、|叫喚《けうくわん》|馳走《ちそう》す。
|夜叉《やしや》|餓鬼《がき》、|諸々《もろもろ》の|悪鳥獣《あくてうじう》、|饑《うゑ》|急《きふ》にして|四《よも》に|向《む》かひ、|窗〓《そうゆう》を|窺《うかが》ひ|看《み》る。
|是《かく》の|如《ごと》き|諸難《しよなん》、|恐畏無量《くゐむりやう》なり。|是《こ》の|朽《く》ち|故《ふ》りたる|宅《いへ》は、|一人《いちにん》に|属《ぞく》せり。
|其《そ》の|人《ひと》|近《ちか》く|出《いで》て、|未《いま》だ|久《ひさ》しからざるの|間《あひだ》に、|後《のち》に|宅舎《たくしや》に、|忽然《こつねん》|火《ひ》|起《おこ》り、
|四面《しめん》|一時《いちじ》に、|其《そ》の|焔《ほのほ》|倶《とも》に|熾《さか》んなり。|棟梁《とうりやう》|椽柱《えんちう》、|爆《はた》めく|声《こゑ》|震《ふる》ひ|裂《さ》け、
|摧《くぢ》け|折《を》れ|堕《お》ち|落《お》ちて、|墻壁《しやうへき》|崩《くづ》れ|倒《たふ》る。|諸々《もろもろ》の|鬼神等《きじんら》、|声《こゑ》を|揚《あ》げて|大《おほい》に|叫《さけ》び、
|〓鷲《てうじう》|諸鳥《しよてう》、|鳩槃荼等《くはんだとう》、|周〓惶怖《しうしようくわうふ》して、|自《みづか》ら|出《い》づること|能《あた》はず。
|悪獣毒虫《あくじうどくちう》、|孔穴《くけつ》に|蔵《かく》れ|竄《かく》れ、|毘舎闍鬼《びしやじやき》、|亦《また》|其《そ》の|中《なか》に|住《ぢう》せり。
|福徳《ふくとく》|薄《うす》きが|故《ゆゑ》に、|火《ひ》に|逼《せ》められ、|共《とも》に|相《あ》ひ|残害《ざんがい》して、|血《ち》を|飲《の》み|肉《にく》を|〓《くら》ふ。
|野干《やかん》の|属《たぐひ》、|並《ならび》に|已《すで》に|前《さ》きに|死《し》す。|諸々《もろもろ》の|大悪獣《だいあくじう》、|競《きそ》ひ|来《きた》つて|食〓《じきだん》す。
|臭煙《しうえん》|蓬〓《ぶぼつ》して、|四面《しめん》に|充塞《じゆうそく》す。|蜈蚣蚰蜒《ごくゆえん》、|毒蛇《どくぢや》の|類《たぐひ》、
|火《ひ》に|焼《や》かれて、|争《あらそ》ひ|走《はし》つて|穴《あな》を|出《い》づ。|鳩槃荼鬼《くはんだき》、|随《したが》ひ|取《と》つて|而《しか》も|食《くら》ふ。
|又《また》|諸々《もろもろ》の|餓鬼《がき》、|頭上《づじやう》に|火《ひ》|燃《も》へ、|飢渇熱悩《げかつねつをう》して|周〓悶走《しうしやうもんそう》す。
|其《そ》の|宅《いへ》|是《かく》の|如《ごと》く、|甚《はなは》だ|怖畏《ふゐ》す|可《べ》し。|毒害火災《どくがいくわさい》、|衆難《しゆなん》|一《いつ》に|非《あら》ず。
|是《こ》の|時《とき》に|宅主《たくしゆ》、|門外《もんげ》に|在《あ》つて|立《た》つて、|有《あ》る|人《ひと》の|言《ことば》を|聞《き》く、
「|汝《なんぢ》が|諸子等《しよしら》、|先《さ》きに|遊戯《いうげ》せるに|因《よ》つて、|此《こ》の|宅《たく》に|来入《らいにふ》し、
|稚小《ちせう》|無知《むち》にして、|歓娯楽著《くわんごげうぢやく》せり」と。|長者《ちやうじや》|聞《き》き|已《をは》つて、|驚《おどろ》いて|火宅《くわたく》に|入《い》る、
|方《ま》さに|宜《よろし》く|救済《きうさい》して、|焼害《せうがい》|無《な》から|令《し》むべし。|諸子《しよし》に|告喩《こくゆ》して、|衆《もろもろ》の|患難《くわんなん》を|説《と》く、
「|悪鬼毒虫《あくきどくちう》、|災火《さいくわ》|蔓莚《まんえん》せり、|衆苦《しうく》|次第《しだい》に、|相続《さうぞく》して|絶《た》えず。
|毒蛇《どくじや》|〓蝮《ぐわんぷく》、|及《およ》び|諸々《もろもろ》の|夜叉《やしや》、|鳩槃荼鬼《くはんだき》、|野干狐狗《やかんこく》、|〓鷲鵄梟《てうじゆちけう》、|百足《ひやくそく》の|属《ぞく》、|飢渇《けかつ》の|悩《なや》み|急《きふ》にして、|甚《はなは》だ|怖畏《ふゐ》す|可《べ》し。
|此《こ》の|苦《く》すら|処《しよ》し|難《がた》し、|況《いはん》や|復《また》|大火《たいくわ》をや」と。
|諸子《しよし》|無知《むち》にして、|父《ちち》の|誨《をしへ》を|聞《き》くと|雖《いへど》も、|猶故《なほ》|楽著《ぎやうぢやく》して、|嬉戯《きぎ》すること|已《や》まず。
|是《こ》の|時《とき》に|長者《ちやうじや》、|而《しか》も|是《こ》の|念《ねん》を|作《な》さく、「|諸子《しよし》|此《かく》の|如《ごと》く、|我《わ》が|愁悩《しうなう》を|益《ま》す。
|今《いま》|此《こ》の|舎宅《しやたく》は、|一《いつ》として|楽《たのし》む|可《べ》き|無《な》し。|而《しか》るに|諸子等《しよしら》、|嬉戯《きぎ》に|耽湎《たんめん》して、
|我《わ》が|教《をしへ》を|受《う》けず、|将《まさ》に|火《ひ》に|害《がい》せられむとす」と。|即便《すなは》ち|思惟《しゆゐ》して、|諸《もろもろ》の|方便《はうべん》を|設《まう》けて、|諸子等《しよしら》に|告《つ》ぐ「|我《われ》に|種々《しゆじゆ》の、|珍玩《ちんぐわん》の|具《ぐ》の、|妙宝《めうほう》の|好車《かうしや》|有《あ》り、
|羊車《やうしや》|鹿車《ろくしや》、|大牛《たいご》の|車《くるま》なり。|今《いま》|門外《もんげ》に|在《あ》り、|汝等《なんぢら》|出《い》で|来《きた》れ、
|吾《われ》|汝等《なんぢら》が|為《ため》に、|此《こ》の|車《くるま》を|造作《ざうさ》せり。|意《こころ》の|所楽《しよぎよう》に|随《したが》つて、|以《もつ》て|遊戯《いうぎ》す|可《べ》し。」
|諸子《しよし》、|此《かく》の|如《ごと》き|諸々《もろもろ》の|車《くるま》を|説《と》くを|聞《き》いて、|即時《そくじ》に|奔競《ほんきやう》し、|馳走《ちそう》して|出《い》で、|空地《くうち》に|到《いた》つて、|諸々《もろもろ》の|苦難《くなん》を|離《はな》る。
|長者《ちやうじや》|子《こ》の、|火宅《くわたく》を|出《い》づることを|得《え》て、|四衢《しく》に|住《ぢう》するを|見《み》て、|師子《しし》の|座《ざ》に|坐《ま》せり。
|而《しか》も|自《みづか》ら|慶《よろこ》びて|言《い》はく、「|我《われ》|今《いま》|快楽《けらく》なり。|此《こ》の|諸子等《しよしら》、|生育《しやういく》すること|甚《はなは》だ|難《かた》し。
|愚小無知《ぐせうむち》にして、|而《しか》も|険宅《けんたく》に|入《い》れり。|諸々《もろもろ》の|毒虫《どくちう》|多《おほ》く、|魑魅《ちみ》|畏《おそ》る|可《べ》し。
|大火猛焔《だいくわまうえん》、|四面《しめん》に|倶《とも》に|起《おこ》れり。|而《しか》るに|此《こ》の|諸子《しよし》、|嬉戯《きぎ》に|貪著《どんぢやく》せり。
|我《われ》|已《すで》に|之《こ》れを|救《すく》ひて、|難《なん》を|脱《まぬが》るることを|得《え》せしめたり。|是《こ》の|故《ゆゑ》に|諸人《しよにん》、|我《われ》|今《いま》|快楽《けらく》なり」と。
|爾《そ》の|時《とき》に|諸子《しよし》、|父《ちち》の|安坐《あんざ》せるを|知《し》つて、|皆《みな》|父《ちち》の|所《ところ》に|詣《いた》つて、|而《しか》も|父《ちち》に|白《まを》して|言《まを》さく、
「|願《ねが》はくは|我等《われら》に、|三種《さんしゆ》の|宝車《ほうしや》を|賜《たま》へ。|前《さ》きに|許《ゆる》したまふ|所《ところ》の|如《ごと》き、|諸子《しよし》|出《い》で|来《きた》れ、|当《まさ》に|三車《さんしや》を|以《もつ》て、|汝《なんぢ》が|所欲《しよよく》に|随《したが》ふべしと。|今《いま》|正《ま》さに|是《こ》れ|時《とき》なり、|唯《た》だ|給与《きふよ》を|垂《た》れたまへ」
|長者《ちやうじや》|大《おほい》に|富《と》みて、|庫蔵《こざう》|衆多《しゆた》なり。|金銀瑠璃《きんぎんるり》、|〓〓《しやこ》|瑪瑙《めなう》、
|衆《もろもろ》の|宝物《ほうもつ》を|以《もつ》て、|諸《もろもろ》の|大車《たいしや》を|造《つく》れり。|荘校厳飾《しやうけうごんじき》し、|周匝《しうそう》して|欄楯《らんじゆん》あり。
|四面《しめん》に|鈴《すず》を|懸《か》け、|金繩絞絡《こんじようけうらく》せり。|真珠《しんじゆ》の|羅網《らまう》、|其《そ》の|上《うへ》に|張《は》り|施《ほどこ》し、
|金華《こんげ》の|諸纓《しよやう》、|処々《しよしよ》に|垂《た》れ|下《く》だせり、|衆彩雑飾《しうさいざふじき》し、|周匝囲繞《しうそうゐねう》せり。
|柔軟《にうなん》の|繪絋《そくわう》、|以《もつ》て|茵褥《しとね》と|為《な》し、|上妙《じやうめう》の|細〓《さいでう》、|価直《かぢき》|千億《せんのく》にして、
|鮮白浄潔《せんはくじやうけつ》なる、|以《もつ》て|其《そ》の|上《うへ》に|覆《おほ》へり。|大白牛《たいびやくご》|有《あ》り、|肥壮多力《ひさうたりき》にして、
|形体《ぎやうたい》|〓好《しうかう》なり、これを|以《もつ》て|宝車《ほうしや》を|駕《が》せり。|諸々《もろもろ》の|賓従《ひんじゆう》|多《おほ》くして、|而《しか》も|之《こ》れを|侍衛《じゑい》せり。
|是《こ》の|妙車《めうしや》を|以《もつ》て、|等《ひと》しく|諸子《しよし》に|賜《たま》ふ。|諸子《しよし》|是《こ》の|時《とき》、|歓喜踊躍《くわんきゆうやく》して、|是《こ》の|宝車《ほうしや》に|乗《の》つて、|四方《しはう》に|遊《あそ》び|嬉戯快楽《きぎけらく》して、|自在無礙《じざいむげ》ならむが|如《ごと》し。
|舎利弗《しやりほつ》に|告《つ》ぐ、|我《われ》も|亦《また》|是《かく》の|如《ごと》し、|衆聖《しうぜう》の|中《なか》の|尊《そん》、|世間《せけん》の|父《ちち》なり。
|一切衆生《いちさいしゆじやう》は、|皆《みな》|是《こ》れ|吾《わが》|子《こ》なり。|深《ふか》く|世楽《せぎよう》に|著《ぢやく》して、|慧心《ゑしん》|有《あ》ること|無《な》し。
|三界《さんがい》は|安《やす》きこと|無《な》し、|猶《な》ほ|火宅《くわたく》の|如《ごと》し。|衆苦充満《しうくじゆうまん》して、|甚《はなは》だ|怖畏《ふゐ》す|可《べ》し。
|常《つね》に|生老《しやうらう》、|病死《びやうし》の|憂患《いうくわん》|有《あ》り。|是《かく》の|如《ごと》き|等《とう》の|火《ひ》、|熾然《しねん》として|息《や》まず。
|如来《によらい》は|已《すで》に、|三界《さんがい》の|火宅《くわたく》を|離《はな》れて、|寂然《じやくねん》として|閑居《かんこ》し、|林野《りんや》に|安処《あんしよ》せり。
|今《い》ま|此《こ》の|三界《さんがい》は、|皆《み》な|是《こ》れ|我《わ》が|有《いう》なり。|其《そ》の|中《なか》の|衆生《しうじやう》は、|悉《ことごと》く|是《こ》れ|吾《わ》が|子《こ》なり。
|而《しか》も|今《い》ま|此《こ》の|処《ところ》は、|諸々《もろもろ》の|患難《くわんなん》|多《おほ》し。|唯《ただ》|我《われ》|一人《いちにん》のみ、|能《よ》く|救護《きうご》を|為《な》す。
|復《ま》た|教詔《けうせう》すと|雖《いへど》も、|而《しか》も|信受《しんじゆ》せず、|諸々《もろもろ》の|欲染《よくぜん》に|於《おい》て、|貪著《とんぢやく》|深《ふか》きが|故《ゆゑ》に。
|是《ここ》を|以《もつ》て|方便《はうべん》して、|為《ため》に|三乗《さんじよう》を|説《と》き、|諸々《もろもろ》の|衆生《しゆじやう》をして、|三界《さんがい》の|苦《く》を|知《し》らしめ、
|出世間《しゆつせけん》の|道《みち》を、|開示《かいじ》し|演説《えんぜつ》す。|是《こ》の|諸子等《しよしら》、|若《も》し|心《こころ》|決定《けつぢやう》しぬれば、
|三明《さんみやう》、|及《およ》び|六神通《ろくじんつう》を|具足《ぐそく》し、|縁覚《えんかく》、|不退《ふたい》の|菩薩《ぼさつ》を|得《う》ること|有《あ》り。
|汝《なんぢ》|舎利弗《しやりほつ》、|我《われ》|衆生《しうじやう》の|為《ため》に、|此《こ》の|譬喩《ひゆ》を|以《もつ》て、|一仏乗《いちぶつじやう》を|説《と》く。
|汝等《なんぢら》|若《も》し|能《よ》く、|是《こ》の|語《ご》を|信受《しんじゆ》せば、|一切《いつさい》|皆《みな》|当《まさ》に、|仏道《ぶつだう》を|成《じやう》ずることを|得《う》べし。
|是《こ》の|乗《じやう》は|微妙《びめう》にして、|清浄《しやうじやう》|第一《だいいち》なり。|諸《もろもろ》の|世間《せけん》に|於《おい》て、|為《た》めに|上《かみ》|有《あ》ること|無《な》し。
|仏《ぶつ》の|悦可《えつか》したまふ|所《ところ》、|一切衆生《いつさいしうじやう》の、|応《ま》さに|称讃《しようさん》し、|供養《くやう》し、|礼拝《らいはい》すべき|所《ところ》なり。
|無量億千《むりやうおくせん》の、|諸力解脱《しよりきげだつ》、|禅定智慧《ぜんぢやうちゑ》、|及《およ》び|仏《ぶつ》の|余《よ》の|法《ほふ》あり。
|是《かく》の|如《ごと》きの|乗《じよう》を|得《え》せしめて、|諸子等《しよしら》をして、|日夜《にちや》|劫数《ごうすう》に、|常《つね》に|遊戯《いうぎ》することを|得《え》、
|諸々《もろもろ》の|菩薩《ぼさつ》、|及《およ》び|声聞衆《しやうもんしう》と、|此《こ》の|宝乗《ほうじよう》に|乗《じよう》じて、|直《ただ》ちに|道場《だうぢやう》に|至《いた》らしむ。
|是《こ》の|因縁《いんねん》を|以《もつ》て、|十方《じつぱう》に|諦《あきらか》に|求《もと》むるに、|更《さら》に|余乗《よじよう》|無《な》し、|仏《ぶつ》の|方便《はうべん》を|除《のぞ》く。
|舎利弗《しやりほつ》に|告《つ》ぐ、|汝《なんぢ》|諸人等《しよにんら》は、|皆《み》な|是《こ》れ|吾《わ》が|子《こ》なり、|我《われ》は|則《すなは》ち|是《こ》れ|父《ちち》なり。
|汝等《なんぢら》|累劫《るゐごう》に、|衆苦《しうく》に|焼《や》かる。|我《われ》|皆《み》な|済抜《さいばつ》して、|三界《さんがい》を|出《い》でしむ。
|我《われ》|先《さき》に、|汝等《なんぢら》|滅度《めつど》すと|説《と》くと|雖《いへど》も、|但《ただし》|生死《しやうし》を|尽《つ》くして、|而《しか》も|実《じつ》には|滅《めつ》せず。|今《いま》の|応《まさ》に|作《な》すべき|所《ところ》は、|唯《ただ》|仏《ぶつ》の|智慧《ちゑ》なり。
|若《も》し|菩薩《ぼさつ》|有《あ》らば、|是《こ》の|衆《しう》の|中《なか》に|於《おい》て、|能《よ》く|一心《いつしん》に、|諸仏《しよぶつ》の|実法《じつぽふ》を|聴《き》け。
|諸神《しよしん》|世尊《せそん》は、|方便《はうべん》を|以《もつ》てしたまふと|雖《いへど》も、|所化《しよけ》の|衆生《しゆじやう》は、|皆《み》な|是《こ》れ|菩薩《ぼさつ》なり。
|若《も》し|人《ひと》|小智《せうち》にして、|深《ふか》く|愛欲《あいよく》に|著《ぢやく》せる、|此《こ》れ|等《ら》の|為《ため》の|故《ゆゑ》に、|苦諦《くたい》を|説《と》きたまふ。
|衆生《しうじやう》|心《しん》|喜《よろこ》びて、|未曾有《みぞう》なることを|得《え》。|聖者《しやうじや》の|説《と》きたまふ|苦諦《くたい》は、|真実《しんじつ》にして|異《い》|無《な》し。
|若《も》し|衆生《しうじやう》|有《あ》つて、|苦《く》の|本《もと》を|知《し》らず。|深《ふか》く|苦《く》の|因《いん》に|著《ぢやく》して、|暫《しばら》くも|捨《す》つること|能《あた》はず、
|是《こ》れ|等《ら》の|為《ため》の|故《ゆゑ》に、|方便《はうべん》して|道《みち》を|説《と》きたまふ。|諸苦《しよく》の|所因《しよいん》は、|貪欲《どんよく》|為《こ》れ|本《もと》なり。
|若《も》し|貪欲《どんよく》を|滅《めつ》すれば、|依止《えし》する|所《ところ》|無《な》し、|諸苦《しよく》を|滅尽《めつじん》するを、|第三《だいさん》の|諦《たい》と|名《な》づく。
|滅諦《めつたい》の|為《ため》の|故《ゆゑ》に、|道《みち》を|修行《しうぎやう》す。|諸《もろもろ》の|苦縛《くばく》を|離《はな》るるを、|解脱《げだつ》を|得《う》と|名《な》づく。
|是《こ》の|人《ひと》|何《なん》に|於《おい》てか、|而《しか》も|解脱《げだつ》を|得《う》る、|但《ただし》|虚妄《きよまう》を|離《はな》るるを、|名《な》づけて|解脱《げだつ》と|為《な》す。
|其《そ》れ|実《じつ》には|未《いま》だ、|一切《いつさい》の|解脱《げだつ》を|得《え》ず。|聖者《しやうじや》|是《こ》の|人《ひと》は、|未《いま》だ|実《じつ》に|滅度《めつど》せずと|説《と》きたまふ。
|斬《こ》の|人《ひと》|未《いま》だ、|無上道《むじやうだう》を|得《え》ざるが|故《ゆゑ》に、|我《わ》が|意《こころ》にも、|滅度《めつど》に|至《いた》らしめたりと|欲《おも》はず。
|我《われ》は|為《こ》れ|法王《ほふわう》、|法《ほふ》に|於《おい》て|自在《じざい》なり、|衆生《しうじやう》を|安穏《あんのん》ならしめんが|故《ゆゑ》に、|世《よ》に|現《げん》ず。
|汝《なんぢ》|舎利弗《しやりほつ》、|我《わ》が|此《こ》の|法印《ほふいん》は、|世間《せけん》を|利益《りやく》せむと、|欲《ほつ》するが|為《ため》の|故《ゆゑ》に|説《と》く。
|所遊《しよいう》の|方《はう》に|在《あ》つて、|妄《みだ》りに|宣伝《せんでん》すること|勿《なか》れ。|若《も》し|聞《き》くこと|有《あ》らむ|者《もの》、|随喜《ずゐき》し|頂受《ちやうじゆ》せば、
|当《まさ》に|知《し》るべし|是《こ》の|人《ひと》は、|阿惟越致《アイニバルタニーヤ》なり(不退転)。|若《も》し|此《こ》の|経法《きやうほふ》を、|信受《しんじゆ》すること|有《あ》らむ|者《もの》は、
|是《こ》の|人《ひと》は|已《すで》に|曾《かつ》て、|過去《くわこ》の|仏《ほとけ》を|見《み》たてまつつて、|恭敬供養《くぎやうくやう》し、|亦《また》|是《こ》の|法《ほふ》を|聞《き》けるなり。
|若《も》し|人《ひと》|能《よ》く、|汝《なんぢ》が|所説《しよせつ》を|信《しん》ずること|有《あ》らむは、|則《すなは》ち|為《こ》れ|我《われ》を|見《み》、|亦《また》|汝《なんぢ》、|及《およ》び|比丘僧《びくそう》|並《なら》びに|諸《もろもろ》の|菩薩《ぼさつ》を|見《み》るなり。
|斬《こ》の|法経《ほつきやう》は、|深智《しんち》の|為《た》めに|説《と》く。|浅識《せんしき》は|之《これ》を|聞《き》いて、|迷惑《めいわく》して|解《さと》らず。
|一切《いつさい》の|声聞《しようもん》、|及《およ》び|辟支仏《びやくしぶつ》は、|此《こ》の|経《きやう》の|中《なか》に|於《おい》て、|力《ちから》|及《およ》ばざる|所《ところ》なり。
|汝《なんぢ》|舎利弗《しやりほつ》、|尚《な》ほ|此《こ》の|経《きやう》に|於《おい》ては、|信《しん》を|以《もつ》て|入《い》ることを|得《え》たり、|況《いはん》や|余《よ》の|声聞《しようもん》をや。
|其《そ》の|余《よ》の|声聞《しようもん》も、|聖語《しやうご》を|信《しん》ずるが|故《ゆゑ》に、|此《こ》の|経《きやう》に|随順《ずいじゆん》す、|己《おの》が|智分《ちぶん》に|非《あら》ず。
|又《また》|舎利弗《しやりほつ》、|嬌慢懈怠《けうまんけたい》、|我見《がけん》を|計《けい》する|者《もの》には、|此《こ》の|経《きやう》を|説《と》くこと|莫《なか》れ。
|凡夫《ぼんぷ》の|浅識《せんしき》にして、|深《ふか》く|五欲《ごよく》に|著《ぢやく》せるは、|聞《き》くとも|解《さと》ること|能《あた》はじ、|亦《また》|為《ため》に|説《と》くこと|勿《なか》れ。
|若《も》し|人《ひと》|信《しん》ぜずして、|此《こ》の|経《きやう》を|毀謗《きばう》せば、|則《すなは》ち|一切《いつさい》、|世間《せけん》の|聖種《しやうしゆ》を|断《だん》ぜむ。
|或《あるひ》は|復《また》|顰蹙《ひんしゆく》して、|而《しか》も|疑惑《ぎわく》を|懐《いだ》かむ、|汝《なんぢ》|当《まさ》に、|此《こ》の|人《ひと》の|罪報《ざいはう》を|説《と》くを|聴《き》くべし。
「|若《も》しは|仏《ほとけ》の|在世《ざいせい》にもあれ、|若《も》しは|滅度《めつど》の|後《のち》にもあれ、|其《そ》れ|斯《かく》の|如《ごと》き、|経典《きやうてん》を|誹謗《ひぼう》すること|有《あ》らむ。
|経《きやう》を|読誦《どくじゆ》し、|書持《しよち》すること|有《あ》らむ|者《もの》を|見《み》て、|軽賤憎嫉《けいせんぞうしつ》して、|而《しか》も|結恨《けつこん》を|懐《いだ》かむ。
|此《この》|人《ひと》の|罪報《ざいはう》を、|汝《なんぢ》|今《いま》|復《また》|聴《き》くべし。|其《その》|人《ひと》|命終《みやうじう》して、|阿鼻獄《あびごく》に|入《い》らむ。
|一劫《いちごう》を|具足《ぐそく》して、|劫《ごう》|尽《つ》きなば|更《さら》に|生《うま》れむ。|是《かく》の|如《ごと》く|展転《てんでん》して、|無数劫《むすうごう》に|至《いた》らむ。
|地獄《ぢごく》より|出《い》でば、|当《まさ》に|畜生《ちくしやう》に|堕《お》つべし。|若《も》し|狗野干《いぬやかん》としては、|其《そ》の|形《かたち》|〓痩《こつしう》し、
|〓〓《りたん》|疥癩《けらい》にして、|人《ひと》に|触〓《そくねう》せられ、|又《また》|復《また》|人《ひと》に、|悪賤《をせん》せられむ。|常《つね》に|饑渇《けかつ》に|困《くるし》みて、|骨肉《こつにく》|枯竭《こかつ》せむ。
|生《い》きては|楚毒《そどく》を|受《う》け、|死《し》しては|瓦石《がしやく》を|被《かうむ》らむ。|聖種《せうしゆ》を|断《だん》ずるが|故《ゆゑ》に、|斬《こ》の|罪報《ざいはう》を|受《う》けむ。
|若《も》しは|駱駝《らくだ》と|作《な》り、|或《あるひ》は|驢《ろ》の|中《なか》に|生《う》まれて、|身《み》に|常《つね》に|重《おも》きを|負《お》ひ、|諸《もろもろ》の|杖捶《ぢやうすゐ》を|加《くは》へられむ。
|但《ただ》|水草《すいさう》を|念《おも》うて、|余《よ》は|知《し》る|所《ところ》|無《な》けむ。|斬《こ》の|経《きやう》を|謗《ばう》ずるが|故《ゆゑ》に、|罪《つみ》を|獲《う》ること|是《かく》の|如《ごと》し。
|有《ある》ひは|野干《やかん》と|作《な》つて、|聚落《じゆらく》に|来入《らいにふ》せば、|身体《しんたい》|疥癩《けらい》にして、|又《また》|一目《いちもく》|無《な》からむ。
|諸《もろもろ》の|童子《どうじ》に、|打擲《ちやうちやく》せられ、|諸《もろもろ》の|苦痛《くつう》を|受《う》けて、|或時《あるとき》は|死《し》を|致《いた》さむ。
|此《ここ》に|死《し》し|已《おは》つて、|更《さら》に|蟒身《まうしん》を|受《う》けむ。|其《そ》の|形《かたち》|長大《ちやだい》にして、|五百由旬《ごひやくゆじゆん》ならむ。
|聾〓無足《るがいむそく》にして、|蜿転腹行《ゑんてんふくぎやう》し、|諸《もろもろ》の|小虫《せうちう》に、|〓食《さふじき》せられて、
|昼夜《ちうや》|苦《く》を|受《う》くるに、|休息《くそく》|有《あ》ること|無《な》けむ。|斬《こ》の|経《きやう》を|謗《ばう》ずるが|故《ゆゑ》に、|罪《つみ》を|獲《う》ること|是《かく》の|如《ごと》し。
|若《も》し|人《ひと》と|為《な》る|事《こと》を|得《え》ては、|諸根《しよこん》|闇鈍《あんどん》にして、|〓陋攣躄《ざるれんびやく》、|盲聾背傴《まうるはいう》ならむ。
|言説《ごんぜつ》する|所《ところ》|有《あ》らむに、|人《ひと》|信受《しんじゆ》せず、|口《くち》の|気《いき》|常《つね》に|臭《くさ》く、|鬼魅《きみ》に|著《ぢやく》せられむ。
|貧窮下賤《びんきうげせん》にして、|人《ひと》に|使《つか》はれ、|多病《たびやう》|〓痩《せうしゆ》にして、|依古《えこ》する|所《ところ》|無《な》く。
|人《ひと》に|親《しん》|附《ぷ》すと|雖《いへど》も、|人《ひと》|意《こころ》に|在《お》かず。|若《も》し|所得《しよとく》|有《あ》れば、|尋《つ》いで|復《また》|忘失《まうしつ》せむ。
|若《も》し|医道《いだう》を|修《しう》して、|方《はう》に|順《じゆん》じて|病《やまひ》を|治《ぢ》せば、|更《さら》に|他《た》の|疾《やまひ》を|増《ま》し、|或《あるひ》は|復《また》|死《し》を|致《いた》さむ。
|若《も》し|自《みづか》ら|病《やまひ》|有《あ》らば、|人《ひと》の|救療《くれう》するもの|無《な》く、
|設《たと》ひ|良薬《らうやく》を|服《ふく》すとも、|而《しか》も|復《また》|増劇《ぞうぎやく》せむ。
|若《も》しは|他《た》の|反逆《はんぎやく》し、|抄劫《せうこふ》し|竊盗《せつたう》せむ、|是《かく》の|如《ごと》き|等《ら》の|罪《つみ》、|横《よこ》さまに|其《そ》の|殃《わざはひ》に|罹《かか》らむ。
|斯《かく》の|如《ごと》き|罪人《ざいにん》、|永《なが》く|仏《ほとけ》、|衆聖《しうしやう》の|王《わう》の、|説法教化《せつぽふけうけ》したまふを|見《み》たてまつらず。
|斯《かく》の|如《ごと》き|罪人《ざいにん》は、|常《つね》に|難処《なんしよ》に|生《う》まれ。|狂聾心乱《がうるしんらん》にして、|永《なが》く|法《ほふ》を|聞《き》かず。
|無数劫《むしゆこう》の、|恒河沙《ごうがしや》の|如《ごと》きに|於《おい》て、|生《う》まれては|輙《すなは》ち|聾唖《るあ》にして、|諸根不具《しよこんふぐ》ならむ。
|常《つね》に|地獄《ぢごく》に|処《を》ること、|園観《をんくわん》に|遊《あそ》ぶが|如《ごと》く。|余《よ》の|悪道《あくだう》に|在《あ》ること、|己《おの》が|舎宅《しやたく》の|如《ごと》く。
|〓驢猪狗《だろちよく》、|是《こ》れ|其《そ》の|行処《ぎやうしよ》ならむ。|斯《こ》の|経《きやう》を|謗《ばう》するが|故《ゆゑ》に、|罪《つみ》を|獲《う》ること|是《かく》の|如《ごと》し。
|若《も》し|人《ひと》と|為《な》ることを|得《え》ては、|聾盲音唖《ろふまうおんあ》にして、|貧窮諸衰《びんぐうしよすゐ》、これを|以《もつ》て|自《みづか》ら|荘厳《しやうごん》し、|水腫乾〓《すいしゆかんせう》、|疥癩癰疽《けらいおうそ》、|是《かく》の|如《ごと》き|等《ら》の|病《やまひ》、これを|以《もつ》て|衣服《えぶく》となさむ。
|身《み》|常《つね》に|臭《くさ》き|処《ところ》にして、|垢穢不浄《くゑふじやう》に、|深《ふか》き|我見《がけん》に|著《ぢやく》して、|瞋恙《しんい》を|増益《ぞうやく》し。
|婬欲熾盛《いんよくしじやう》にして、|禽獣《きんじう》を|択《えら》ばず。|斯《こ》の|経《きやう》を|謗《ばう》ずるが|故《ゆゑ》に、|罪《つみ》を|獲《う》ること|是《かく》の|如《ごと》し。」
|舎利弗《しやりほつ》に|告《つ》ぐ、|斯《こ》の|経《きやう》を|謗《ばう》ぜむ|者《もの》、|若《も》し|其《そ》の|罪《つみ》を|説《と》かむに、|劫《こふ》を|窮《きは》むとも|尽《つ》きじ。
|是《こ》の|因縁《いんねん》を|以《もつ》て、|我《われ》|故《ことさら》に|汝《なんぢ》に|語《かた》る、「|無智《むち》の|人《ひと》の|中《なか》に、|此《こ》の|経《きやう》を|説《と》くこと|莫《な》かれ。
|若《も》し|利根《りこん》にして、|智慧明了《ちゑみやうれう》に、|多聞強識《たもんがうしき》にして、|聖道《しやうだう》を|求《もと》むる|者《もの》|有《あ》らむ。
|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。|若《も》し|人《ひと》|曾《かつ》て、|億百千《おくひやくせん》の|覚者《かくしや》を|見《み》たてまつりて、|諸《もろもろ》の|善本《ぜんぽん》を|植《う》ゑ、|深心堅固《じんしんけんご》ならむ。|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。
|若《も》し|人《ひと》|精進《しやうじん》して、|常《つね》に|慈心《じしん》を|修《しう》し、|身命《しんみやう》を|惜《をし》まざらむに、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》くべし。
|若《も》し|人《ひと》|恭敬《くぎよう》して、|異心《いしん》|有《あ》ること|無《な》く、|諸《もろもろ》の|凡愚《ぼんぐ》を|離《はな》れて、|独《ひと》り|山沢《せんたく》に|処《しよ》せむ。
|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。|又《また》|舎利弗《しやりほつ》、|若《も》し|人《ひと》|有《あ》つて、
|悪智識《あくちしき》を|捨《す》てて、|善友《ぜんう》に|親近《しんごん》するを|見《み》む。|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。
|若《も》し|聖子《しやうし》の、|持戒清潔《ぢかいしやうけつ》にして、|浄明珠《じやうみやうじゆ》の|如《ごと》くにして、|大乗経《だいじようきやう》を|求《もと》むるを|見《み》む。
|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。|若《も》し|人《ひと》|瞋《いか》り|無《な》く、|質直柔軟《しちぢきじうなん》にして、
|常《つね》に|一切《いつさい》を|愍《あは》れみ、|諸聖《しよしやう》を|恭敬《くぎよう》せむ、|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。
|復《また》|聖子《しやうし》の、|大衆《だいしう》の|中《なか》に|於《おい》て、|清浄《しやうじやう》の|心《こころ》を|以《もつ》て、|種々《しゆじゆ》の|因縁《いんねん》、
|譬喩言辞《ひゆごんじ》をもつて、|説法《せつぽふ》すること|無礙《むげ》なる|有《あ》らむ。|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。
|若《も》し|比丘《びく》の、|一切智《いつさいち》の|為《ため》に、|四方《しはう》に|法《はふ》を|求《もと》めて、|合掌《がつしやう》し|頂受《ちやうじゆ》し、
|但《ただ》|楽《ねが》つて、|大乗経典《だんじようきやうてん》を|受持《じゆぢ》して、|乃至《ないし》、|余経《よきやう》の|一偈《いちげ》をも|受《う》けざる|有《あ》らむ。
|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》く|可《べ》し。|人《ひと》の|至心《ししん》に、|聖舎利《しやうしやり》を|求《もと》むるが|如《ごと》く、
|是《かく》の|如《ごと》く|経《きやう》を|求《もと》め、|得《え》|已《をは》つて|頂受《ちやうじゆ》せむ、|其《そ》の|人《ひと》|復《また》、|余経《よきやう》を|志求《しぐ》せず、
|亦《また》|未《いま》だ|曾《かつ》て、|外道《げだう》の|典籍《てんじやく》を|念《ねん》ぜず。|是《かく》の|如《ごと》きの|人《ひと》に、|乃《すなは》ち|為《ため》に|説《と》くべし」
|舎利弗《しやりほつ》に|告《つ》ぐ、|我《われ》|是《こ》の|相《さう》にして、|聖道《しやうだう》を|求《もと》むる|者《もの》を|説《と》かむに、|劫《こふ》を|窮《きは》むとも|尽《つ》くさじ。
|是《かく》の|如《ごと》き|等《ら》の|人《ひと》は、|則《すなは》ち|能《よ》く|信解《しんげ》せむ。
|帰命頂礼《きみやうちやうらい》|霊法加持《れいはふかぢ》|一切苦厄《いちさいくやく》|解除退散《げぢよたいさん》 |惟神《かむながら》 |霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》 |惟神《かむながら》 |霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じてゐる。テームスはこの|聖経《しようぎやう》の|始終《しじう》を|聞《き》いてハツと|自《みづか》ら|胸《むね》を|抱《いだ》き|其《そ》の|場《ば》にガタリと|打《う》ち|倒《たふ》れ|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》つて|了《しま》つた。|治国別《はるくにわけ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|直《ただ》ちに|神《かみ》の|大前《おほまへ》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らした。
(大正一二・三・三 旧一・一六 於竜宮館 出口伊佐男録)
第一二章 |霊婚《れいこん》〔一四二〇〕
|四辺暗澹《しへんあんたん》として|日月星辰《じつげつせいしん》の|光《ひかり》もなく|肌《はだ》を|劈《つんざ》く|如《ごと》き|寒風《かんぷう》は|上下左右《じやうげさいう》より|吹雪《ふぶき》となつて|吹《ふ》き|来《きた》る。|魑魅魍魎《ちみまうりやう》の|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》、|山《やま》の|尾《を》の|上《へ》や|川《かは》の|底《そこ》より|嫌《いや》らしく|聞《きこ》え|来《く》る。|身体《しんたい》|兀立《こつりつ》し、|痩《や》せ|衰《おとろ》へた|一人《ひとり》の|男《をとこ》、|杖《つゑ》を|力《ちから》にトボトボと|崎嶇《きく》たる|隧道《ずいだう》を|当途《あてど》もなしに|下《くだ》り|行《ゆ》く。ややホンノリと|明《あか》るくなつたと|見《み》れば|野中《のなか》に|立《た》てる|大《だい》なる|家屋《かをく》の|前《まへ》、|何処《いづく》の|果《はて》かは|知《し》らねども、かかる|淋《さび》しき|一人旅《ひとりたび》、|何《なに》は|兎《と》もあれ、|立寄《たちよ》つて|一夜《いちや》の|宿《やど》を|乞《こ》はむものと|門《もん》を|潜《くぐ》つて|入《い》り|見《み》れば、|柱《はしら》は|虫《むし》|喰《く》ひ、|処々《ところどころ》に|壁《かべ》|破《やぶ》れ、|高《たか》き|堂舎《だうしや》も|柱根《ちうこん》|砕《くだ》け|朽《く》ち、|梁棟《りやうとう》|傾《かたむ》き|歪《ゆが》み、|垂木梠《たるきこまい》、|脱《ぬ》け|落《お》ち、|得《え》も|云《い》はれぬ|臭気《しうき》|四辺《しへん》に|充《み》ち|満《み》ちたり。|熊《くま》、|鷹《たか》、|鷲《わし》、|〓蛇《からすへび》、|蟒《うはばみ》、|蝮《まむし》、|蜈蚣《むかで》、|蚰蜒《げじげじ》、|百虫《おさむし》、|貉《むじな》を|始《はじ》め|名《な》も|知《し》れぬ|悪虫《あくちう》の|輩《ともがら》、|屋内《をくない》を|前後左右《ぜんごさいう》に|往来《わうらい》し、|屎尿《しねう》の|臭《にほひ》|鼻《はな》をつき、|蛆虫《うじむし》、|糞虫《くそむし》、|足許《あしもと》に|集《あつ》まり|来《きた》る|其《その》|嫌《いや》らしさ。テームスは|途方《とはう》に|暮《く》れて|此《この》|家《や》を|立去《たちさ》らむと|思《おも》ふ|折《をり》しも|山犬《やまいぬ》の|群《むれ》、|幾百《いくひやく》ともなく|現《あら》はれ|来《きた》りて、|左右《さいう》よりテームスを|取囲《とりかこ》み、|飢《うゑ》|疲《つか》れたる|様《さま》にてテームスを|噛《か》み|喰《く》らはむと|吠猛《ほえたけ》る。テームスは|命《いのち》|限《かぎ》りに|此《この》|家《や》を|立出《たちい》で|救《すく》ひを|呼《よ》べど|如何《いかが》はしけむ、|声調《せいてう》|乱《みだ》れて|吾《われ》|乍《なが》ら|其《その》|何《なに》を|云《い》へるやを|弁《べん》じ|難《がた》き|迄《まで》になつて|来《き》た。されど|恐怖心《きようふしん》に|駆《か》られて|萱草《かやくさ》の|生《は》えたる|薄暗《うすぐら》き|野路《のぢ》を、|杖《つゑ》を|力《ちから》に|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ|逃《に》げ|出《だ》せば|前方《ぜんぱう》より|夜叉《やしや》、|悪鬼《あくき》、|二人《ふたり》の|女《をんな》を|追《お》ひ|駆《か》け|来《きた》る。|女《をんな》はテームスが|前《まへ》に|躓《つまづ》き|倒《たふ》れた。よくよく|見《み》れば|吾《わが》|子《こ》のスミエル、スガールの|二人《ふたり》である。|夜叉《やしや》、|悪鬼《あくき》は|忽《たちま》ち|追《おつ》つき、|苦《くる》しむ|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|忽《たちま》ち|四肢《しし》を|引《ひ》きちぎりテームスが|面前《めんぜん》にて|噛《か》み|喰《く》らう、その|嫌《いや》らしさ。|目《ま》の|前《あたり》|吾《わが》|子《こ》の|危難《きなん》を|見《み》る、|身《み》も|世《よ》もあられぬ|心《こころ》の|苦《くるし》み、|神《かみ》を|念《ねん》じ、せめては|吾《わが》|身《み》なりと|救《すく》はれむと|合掌《がつしやう》せむと|焦《あせ》れども|如何《いかが》はしけむ|身体《しんたい》|強直《きやうちよく》し、|自由《じいう》の|利《き》かぬ|浅間《あさま》しさ。こりやかうしては|居《を》られぬと|八九分《はちくぶ》|迄《まで》も|喰《く》ひ|尽《つく》された|娘《むすめ》の|首《くび》を|眺《なが》め、これ|今生《こんじやう》の|見《み》おさめと|転《こ》けつ|輾《まろ》びつ、|北《きた》へ|北《きた》へと|走《はし》れども、|何者《なにもの》か|足《あし》にまつばる|心地《ここち》して、|焦《あせ》れば|焦《あせ》る|程《ほど》|進《すす》み|得《え》ざるぞ|悲《かな》しけれ。|後《うしろ》の|方《かた》より|幾百万《いくひやくまん》とも|数《かぞ》へ|難《がた》き|程《ほど》の|夜叉《やしや》、|悪鬼《あくき》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》、
|悪鬼《あくき》『ヤアヤアそれへ|逃《に》げ|行《ゆ》くテームスの|爺《おやじ》、|一時《いちじ》も|早《はや》く|引捉《ひつとら》へ|吾等《われら》の|食《しよく》に|供《きよう》せむ』
と|呼《よ》ばはる|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて|空《そら》|打仰《うちあふ》げば|空中《くうちう》に|六面八臂《ろくめんはつぴ》の|妖怪《えうくわい》、|妻《つま》のベリシナの|頭髪《とうはつ》を|掴《つか》み|空中《くうちう》にブラ|下《さ》げてゐる。ベリシナは|悲鳴《ひめい》をあげて、
ベリシナ『テームス|殿《どの》、|助《たす》けておくれ』
と|呼《よ》ぶ|声《こゑ》、|五臓六腑《ござうろつぷ》に|沁《し》み|渡《わた》り、|煩悶《はんもん》|苦悩《くなう》やるせなく|進退《しんたい》ここに|谷《きは》まつて、|因果《いんぐわ》を|定《さだ》め|佇《たたず》む|折《をり》しも、|以前《いぜん》の|妖怪《えうくわい》は|数千人《すうせんにん》の|曲鬼《まがおに》を|率《ひき》ゐて、テームスが|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、|雷《らい》の|如《ごと》き|声《こゑ》を|放《はな》つて|言葉《ことば》|鋭《するど》く、
|妖怪《えうくわい》『|吾《われ》は|兇党界《きようたうかい》の|大魔王《だいまわう》、|妖幻坊《えうげんばう》を|使役《しえき》せる|羅刹《らせつ》なり。|汝《なんぢ》が|家《いへ》は|祖先代々《そせんだいだい》より|民《たみ》の|膏血《かうけつ》を|絞《しぼ》り、|巨万《きよまん》の|財《ざい》を|積《つ》み|乍《なが》ら、|饑餓凍餒《きがとうたい》の|民《たみ》を|救《すく》ふ|事《こと》を|知《し》らず、|貪婪悪徳《どんらんあくとく》|日《ひ》に|月《つき》に|重《かさ》なり|罪障《ざいしやう》|滅《めつ》する|時《とき》なく、ここに|汝《なんぢ》が|祖先《そせん》は|冥罰《めいばつ》を|蒙《かうむ》り、かくの|如《ごと》き|夜叉《やしや》|悪鬼《あくき》となり、|屎尿《しねう》を|飲食《おんじき》し、|悪獣《あくじう》|悪虫《あくちう》を|餌食《ゑじき》となし、|極熱《ごくねつ》|極寒《ごくかん》の|苦《くるし》みに|日《ひ》に|幾回《いくくわい》となく|悩《なや》められ|悲惨《ひさん》の|生涯《しやうがい》を|送《おく》りつつあり。|然《しか》るに|汝《なんぢ》、|此《この》|度《たび》|弥勒神政《みろくしんせい》の|太柱神《ふとばしらかみ》、|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》の|守《まも》らせ|玉《たま》ふ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|助《たす》けにより|最愛《さいあい》の|娘《むすめ》が|危難《きなん》を|救《すく》はれ、|一時《いちじ》は|命《いのち》の|親《おや》と|喜《よろこ》び|崇《あが》め、|三五教《あななひけう》の|信者《しんじや》とならむとまで|誓《ちか》ひたりしに、|汝《なんぢ》の|精霊《せいれい》|頑愚鈍慳《ぐわんぐどんけん》にして|心中《しんちう》|已《すで》に|三五教《あななひけう》を|忌避《きひ》し|居《を》るに|非《あら》ずや。|又《また》バラモン|教《けう》の|宣伝将軍《せんでんしやうぐん》|鬼春別《おにはるわけ》|以下《いか》の|司《かみ》に|救《すく》はれ|赦《ゆる》されたる|真人《まびと》に|対《たい》し、その|言葉《ことば》に、|行《おこな》ひに|無限《むげん》の|悔蔑《ぶべつ》を|表《あら》はし|人々《ひとびと》の|精霊《せいれい》を|悩《なや》ます|罪《つみ》、|万死《ばんし》も|尚《なほ》|及《およ》ぶべからず。|汝《なんぢ》|今《いま》の|間《あひだ》に|心《こころ》を|改《あらた》めざれば、これより|極寒地獄《ごくかんぢごく》に|突堕《つきおと》し、|無限《むげん》の|永苦《えいく》を|与《あた》ふべし。|早《はや》く|来《きた》れ』
と|手《て》を|執《と》つて|北《きた》へ|北《きた》へ|無理無体《むりむたい》に|引摺《ひきず》り|行《ゆ》く。
テームスが|祖先《そせん》と|聞《きこ》えたる|夜叉《やしや》、|悪鬼《あくき》の|数々《かずかず》は|後《あと》より|嫌《いや》らしき|声《こゑ》を|一斉《いつせい》に|放《はな》ちて|追《おつ》かけ|来《きた》る|浅間《あさま》しさ。|骨肉《こつにく》|相食《あひは》む|地獄道《ぢごくだう》の|此《この》|惨状《さんじやう》にテームスは|人心地《ひとごこち》もせず、|魔王《まわう》がなす|儘《まま》に|泣《な》き|叫《さけ》び|乍《なが》ら、|際限《さいげん》もなき|枯野ケ原《かれのがはら》の|石道《いしみち》を|真裸足《まつぱだし》のまま、|足《あし》を|破《やぶ》り|血《ち》を|路上《ろじやう》に|染《そめ》つつ|無我夢中《むがむちう》になつて|曳《ひ》かれ|行《ゆ》く。
|何時《いつ》とはなしにテームスは|薄暗《うすぐら》い|険峻《けんしゆん》な|山《やま》の|麓《ふもと》に|着《つ》いてゐた。|以前《いぜん》の|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|影《かげ》は|煙《けぶり》の|如《ごと》く|消《き》え、|四方《よも》の|山《やま》の|上《へ》へ|悲《かな》しげな|叫《さけ》び|声《ごゑ》が、|間歇的《かんけつてき》に|風《かぜ》のまにまに|聞《きこ》えてゐる。|火《ひ》の|様《やう》な|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|体《からだ》を|焦《こが》すかと|思《おも》へば、|凍《い》てつく|様《やう》な|寒風《かんぷう》が|忽《たちま》ち|吹《ふ》き|返《かへ》し、|氷柱《つらら》の|雨《あめ》|火《ひ》の|雨《あめ》|交《かは》る|代《がは》る|頭上《づじやう》に|集中《しふちう》し|下《くだ》り|来《く》る。|漸《やうや》くにして|目《め》を|開《ひら》き|四辺《しへん》を|眺《なが》むれば|虎《とら》、|狼《おほかみ》、|熊《くま》、|獅子《しし》|等《など》が|食物《しよくもつ》に|飢《うゑ》たる|如《ごと》き|様子《やうす》にて|幾百《いくひやく》とも|限《かぎ》りなく|一人《ひとり》のテームスの|肉《にく》を|食《は》まむと|狙《ね》めつけて|居《ゐ》る|恐《おそ》ろしさ。|忽《たちま》ち『キヤツ』と|女《をんな》の|叫《さけ》び|声《ごゑ》、よくよく|見《み》れば|妻《つま》のベリシナが|獅子《しし》、|虎《とら》の|群《むれ》に|両方《りやうはう》より|足《あし》を|啣《くは》へられ|吾《わが》|目《め》の|前《まへ》にて|青竹割《あをだけわ》れにされ、|群獣《ぐんじう》は|忽《たちま》ち|寄《よ》り|集《たか》つてバリバリと|音《おと》を|立《た》て、|残《のこ》らずいがみ|合《あ》ひ|乍《なが》ら|食《く》つて|了《しま》つた。
テームスは|進退《しんたい》|谷《きは》まつて|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》せ、|観念《くわんねん》の|眼《まなこ》を|閉《と》ぢて|居《ゐ》る。|暑《あつ》さと|寒《さむ》さに|殆《ほとん》ど|人心地《ひとごごち》もなかつた。|忽《たちま》ち|雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》き|電光《でんくわう》|閃《ひらめ》き|渡《わた》り、テームスの|身体《からだ》は|空中《くうちう》に|捲《ま》き|上《あ》げられ、フワリフワリと|幾百里《いくひやくり》とも|知《し》れぬ|山河《さんか》を|下《した》に|眺《なが》め、|火焔《くわえん》の|濛々《もうもう》と|立上《たちのぼ》る|山《やま》の|頂《いただき》に|落下《らくか》した。|黒煙《こくえん》は|異様《いやう》の|臭気《しうき》を|放《はな》つて|瞬《またた》く|内《うち》に|彼《かれ》の|身体《しんたい》を|包《つつ》んで|了《しま》つた。|何処《どこ》ともなく、
『|目《め》を|開《ひら》け!』
と|大声《おほごゑ》に|呼《よば》はるものがある。|怖々《こはごは》|乍《なが》ら|眼《め》を|開《ひら》けば|先《さき》に|空中《くうちう》より|下《くだ》り|来《きた》りし|妖怪《えうくわい》|羅刹《らせつ》は|彼《かれ》が|前《まへ》に|二人《ふたり》の|女《をんな》の|両足《りやうあし》をグツと|左右《さいう》の|手《て》に|握《にぎ》り、|頭《あたま》を|逆様《さかしま》にして|崎嶇《きく》たる|岩《いは》の|上《うへ》にコツリコツリと|杖《つゑ》をつく|様《やう》に|臼搗《うすづ》いて|居《ゐ》る。|二人《ふたり》の|娘《むすめ》はキヤーキヤーと|悲鳴《ひめい》をあげ|苦《くる》しげに|泣《な》き|叫《さけ》ぶ。テームスは|一言《いちごん》を|発《はつ》せむとすれども、|息《いき》|塞《ふさ》がり|舌《した》つりあがり、ウの|声《こゑ》も|出《で》なかつた。|羅刹《らせつ》は|巨眼《きよがん》を|開《ひら》き、|声《こゑ》を|荒《あら》らげて|云《い》ふ、
|羅刹《らせつ》『|汝《なんぢ》、|宿世《すぐせ》の|罪業《ざいごふ》によつて、|現在《げんざい》の|愛児《あいじ》の|血《ち》をすすり、|肉《にく》を|喰《く》ひ|骨《ほね》を|粉《こな》にして|食《しよく》すべし。|然《しか》らざれば|汝《なんぢ》も|亦《また》かくの|如《ごと》くなすべし』
と|云《い》ふより|早《はや》く、|二人《ふたり》の|女《をんな》の|頭部《とうぶ》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|岩《いは》に|打《う》ちつけメヂヤ メヂヤに|砕《くだ》いて|了《しま》つた。
テームスは|止《や》むを|得《え》ず|肯《うな》づいた。|羅刹《らせつ》は|姫《ひめ》の|頭肉《とうにく》の|断片《だんぺん》を|竹篦《たけべら》の|先《さき》に|掬《すく》うてはテームスの|口《くち》に|捻《ね》ぢ|込《こ》む。テームスは|止《や》むを|得《え》ず、|之《これ》を|食《く》はざるを|得《え》なかつた。|口《くち》は|痺《しび》れ|〓《えぐ》く|苦《にが》く|毒薬《どくやく》を|呑《の》む|如《ごと》き|苦《くる》しさを|感《かん》じた。|羅刹《らせつ》は|大口《おほぐち》|開《あ》けて|高笑《たかわら》ひ、
|羅刹《らせつ》『アハハハハ、その|方《はう》は|今《いま》|娘《むすめ》の|肉《にく》を|一口《ひとくち》|食《く》つて|味《あぢ》を|知《し》つたであらう。|汝《なんぢ》が|祖先《そせん》は|玉置村《たまきむら》の|里庄《りしやう》として|人民《じんみん》を|苦《くる》しめ|数多《あまた》の|貧者《ひんじや》の|膏血《かうけつ》を|絞《しぼ》り、|汝《なんぢ》が|代《だい》になつては|益々《ますます》|甚《はなは》だしく、|其《その》|富《とみ》|巨万《きよまん》を|重《かさ》ね|玉木《たまき》の|村《むら》に|巍然《ぎぜん》たる|邸宅《ていたく》を|構《かま》へ、|天地《てんち》を|畏《おそ》れず、|驕慢《けうまん》の|限《かぎ》りを|尽《つく》す|不届者《ふとどきもの》、|吾《われ》は|人民《じんみん》の|怨霊《をんりやう》|団結《だんけつ》してここに|羅刹《らせつ》として|現《あら》はれしものぞ。いざ|之《これ》よりは|汝《なんぢ》が|精霊《せいれい》|肉体《にくたい》ともに|石《いし》を|以《もつ》て|叩《たた》きつけ、|幾百《いくひやく》の|肉団《にくだん》となし、|汝《なんぢ》が|為《ため》に|生前《せいぜん》|苦《くる》しめられたる|精霊《せいれい》に|分与《ぶんよ》すべし。さア|早《はや》く|此《この》|岩上《がんじやう》に|横《よこた》はれ』
と|罵《ののし》り|乍《なが》ら、その|場《ば》に|突《つ》き|倒《たふ》した。
かかる|処《ところ》へ|天《てん》の|一方《いつぱう》より|霊光《れいくわう》|輝《かがや》き|来《きた》り、テームスが|前《まへ》に|落下《らくか》した。|羅刹《らせつ》は|此《この》|火団《くわだん》に|驚《おどろ》いて|何処《いづこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》した。|火団《くわだん》は|忽《たちま》ち|一柱《いつこ》の|神人《しんじん》と|化《くわ》した。よくよく|見《み》れば|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》が|円満具足《ゑんまんぐそく》なる|霊衣《れいい》を|身《み》に|着《ちやく》し、|莞爾《くわんじ》として|立《た》つてゐる。テームスは|打驚《うちおどろ》き|初《はじ》めて|口《くち》を|開《ひら》き、
テームス『ああ|貴方《あなた》は|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》で|厶《ござ》いましたか。|誠《まこと》に|失礼《しつれい》な|事《こと》ばかり|心《こころ》の|裡《うち》で|思《おも》ひました。それ|故《ゆゑ》|祖先《そせん》の|罪《つみ》と|自分《じぶん》とで|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|落《おと》されたので|厶《ござ》いませう。|何卒《なにとぞ》|私《わたし》の|罪《つみ》をお|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
と|手《て》を|合《あは》し|涙《なみだ》を|流《なが》して|頼《たの》み|入《い》る。
|鬼春《おにはる》『|拙者《せつしや》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りバラモン|教《けう》のゼネラル、|鬼春別《おにはるわけ》で|厶《ござ》る。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》の|霊光《れいくわう》に|包《つつ》まれ|自我《じが》|自愛《じあい》の|夢《ゆめ》も|醒《さ》め|翻然《ほんぜん》として|神《かみ》の|道《みち》を|悟《さと》り、|生《い》き|乍《なが》ら|地獄道《ぢごくだう》に|陥落《かんらく》せし|身《み》を|救《すく》はれ、|吾《わが》|精霊《せいれい》は|神界《しんかい》の|命《めい》によつてエンゼルとなり、|今《いま》ここに|治国別《はるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》の|命《めい》によつて|汝《なんぢ》を|救《すく》ふべく|下《くだ》り|来《きた》れり。|汝《なんぢ》も|今《いま》より|吾《われ》に|做《なら》つて|前非《ぜんぴ》を|悔《く》い、|神《かみ》の|御前《みまへ》に|犯《おか》し|来《きた》りし|罪悪《ざいあく》を|陳謝《ちんしや》せよ。|然《しか》らば|汝《なんぢ》が|娘《むすめ》も|妻《つま》も|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|救《すく》はるべし。|夢々《ゆめゆめ》|疑《うたが》ふ|勿《なか》れ』
と|云《い》ひ|放《はな》ち|紫《むらさき》の|雲《くも》に|乗《の》つて|嚠喨《りうりやう》たる|音楽《おんがく》の|響《ひびき》と|共《とも》に|中天《ちうてん》|高《たか》く|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つてテームスは|名《な》も|知《し》れぬ|高山《かうざん》の|上《うへ》に|跪《ひざまづ》き|其《その》|勇姿《ゆうし》のかくるる|迄《まで》|涕泣《ていきふ》し|乍《なが》ら|合掌《がつしやう》し|悔悟《くわいご》の|念《ねん》に|駆《か》られつつあつた。
|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》、テームスは|何心《なにごころ》なく|谷底《たにそこ》を|見《み》れば|焔々《えんえん》たる|猛火《まうくわ》に|包《つつ》まれ、|嫌《いや》らしき|妖怪《えうくわい》や|黒蛇《くろへび》の|数《かず》|限《かぎ》りなく|猛火《まうくわ》に|焼《や》かれ、|悶《もだ》え|苦《くる》しみ|泣《な》き|叫《さけ》ぶ|声《こゑ》であつた。|此《この》|山《やま》の|麓《ふもと》は|空地《あきち》もなく|火《ひ》に|包《つつ》まれ、|妖怪《えうくわい》|毒蛇《どくじや》が|焼《や》き|亡《ほろ》ぼされつつあつた。|翼《つばさ》なき|身《み》は|空中《くうちう》を|翔《かけ》り|此《この》|場《ば》を|逃《のが》るる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|頻《しき》りに|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|神《かみ》の|救《すく》ひを|祈《いの》りゐる。
かかる|処《ところ》へ|雲《くも》に|乗《の》つて|勢《いきほひ》よく|降《くだ》り|来《く》る|一人《ひとり》の|神人《しんじん》がある。よくよく|見《み》れば|吾《わが》|家《や》に|逗留《とうりう》したる|万公《まんこう》である。|万公《まんこう》は|莞爾《くわんじ》として、その|前《まへ》に|立現《たちあら》はれ|軽《かる》く|目礼《もくれい》し|乍《なが》ら、
|万公《まんこう》『|舅殿《しうとどの》、|此《この》|谷底《たにそこ》を|御覧《ごらん》なさいませ。|沢山《たくさん》な|妖怪《えうくわい》や|毒蛇《どくじや》が|焼《や》き|亡《ほろ》ぼされてゐるでせう。これは|皆《みな》テームス|家《け》の|祖先《そせん》が|作《つく》つた|罪業《ざいごふ》の|化生《けしやう》した|悪魔《あくま》で|厶《ござ》いますよ。|又《また》|此《この》|万公《まんこう》は|貴方《あなた》の|祖先代々《そせんだいだい》に|苦《くる》しめられた|憐《あは》れな|人民《じんみん》の|霊《みたま》が|凝結《ぎようけつ》して|万公《まんこう》となり、|此《この》|世《よ》に|生《うま》れ|来《き》たものです。|私《わたし》はそれ|故《ゆゑ》どうしてもテームス|家《け》の|後《あと》を|継《つ》いで|此《この》テームス|家《け》の|財産《ざいさん》を|人民《じんみん》に|平等《べうどう》に|分配《ぶんぱい》し|罪《つみ》を|亡《ほろ》ぼさねば、|舅殿《しうとどの》を|始《はじ》め|祖先《そせん》の|罪《つみ》は|赦《ゆる》されますまい。お|気《き》がつきましたかな。|万民《ばんみん》の|精霊《せいれい》が|集《あつ》まつて|万公《まんこう》と|名《な》を|負《お》ひ|現界《げんかい》に|生《うま》れたのですよ』
テームス『いや、どうも|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|因果応報《いんぐわおうはう》の|道理《だうり》によつて|先祖代々《せんぞだいだい》|地獄《ぢごく》の|苦《くるし》みを|受《う》けるのも|已《や》むを|得《え》ませぬが、|三五教《あななひけう》を|奉《ほう》じ|玉《たま》ふ|貴方《あなた》が|吾《わが》|家《や》の|養子《やうし》となり、|祖先《そせん》の|罪《つみ》を|赦《ゆる》して|下《くだ》さるのなら、|此《この》|位《くらゐ》|有難《ありがた》い|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら、スミエル、スガールの|両人《りやうにん》は|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》の|為《ため》に|肉体《にくたい》を|粉砕《ふんさい》され、もはや|現界《げんかい》には|居《を》りませぬ。どうして|家《いへ》を|継《つ》ぐ|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|娘《むすめ》がなくても|養子《やうし》になつて|下《くだ》さるでせうか』
|万公《まんこう》『|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》がお|守《まも》りあればスミエル、スガール|両人《りやうにん》は|極《きは》めて|安全《あんぜん》に|肉体《にくたい》を|保《たも》つてゐられます。さアこんな|処《ところ》に|何時《いつ》|迄《まで》|居《を》つても|堪《たま》りませぬ。|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|帰《かへ》りませう』
テームス『|伴《つ》れて|帰《かへ》つて|下《くだ》さるか。あ、それは|有難《ありがた》い。|然《しか》し|罪《つみ》|多《おほ》い|吾々《われわれ》、どうして|此《この》|火焔《くわえん》の|山《やま》を|下《くだ》る|事《こと》が|出来《でき》ませう』
|万公《まんこう》『いや|宜《よろ》しい。|貴方《あなた》も|大変《たいへん》に|足《あし》も|疲《つか》れて|居《を》りまする。|私《わたし》が|背《せな》に|負《お》うて|帰《かへ》りませう。|僅《わづ》か|三千里《さんぜんり》ばかり|走《はし》れば|玉置村《たまきむら》の|宅《たく》へ|帰《かへ》れますから』
テームス『|何《なに》、|三千里《さんぜんり》、|大変《たいへん》に|遠《とほ》い|所《ところ》|迄《まで》|何時《いつ》の|間《ま》に|来《き》たのだらうな』
|万公《まんこう》『|精霊《せいれい》の|世界《せかい》では|三千里《さんぜんり》や|五千里《ごせんり》は|現界《げんかい》の|一丁《いつちやう》を|歩《あゆ》する|暇《ひま》もかかりませぬ。さア|早《はや》く|背《せな》をお|抱《かか》へ|下《くだ》さい』
と|手《て》をつき|出《だ》せばテームスは|小児《せうに》の|様《やう》な|気《き》になり、
テームス『ああ|老《お》いては|子《こ》に|従《したが》へだ。そんなら|婿殿《むこどの》、|宜《よろ》しく|頼《たの》みます』
|万公《まんこう》『|親《おや》が|子《こ》に|礼《れい》なんか|云《い》つたり、|頼《たの》む|必要《ひつえう》はありませぬ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|甲斐々々《かひがひ》しく|背《せな》に|負《お》ひ、|猛々《まうまう》たる|火焔《くわえん》の|中《なか》をドンドンと|火傷《やけど》もせず、|矢《や》を|射《い》る|如《ごと》くに|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|万公《まんこう》に|負《お》はれて|山《やま》を|下《くだ》れば、|際限《さいげん》もなき|青草《あをぐさ》|茂《しげ》る|原野《げんや》があつた。|原野《げんや》の|真只中《まつただなか》を|一瀉千里《いつしやせんり》の|勢《いきほひ》でトントントンと|駆《か》け|出《だ》せば、|水晶《すいしやう》の|水《みづ》を|湛《たた》へた|沼《ぬま》に|行《ゆ》きあたつた。|流石《さすが》の|万公《まんこう》も|之《これ》には|辟易《へきえき》して|息《いき》を|休《やす》め、|思案《しあん》を|凝《こ》らさむとテームスを|青芝《あをしば》の|上《うへ》にソツと|卸《おろ》し|双手《もろて》を|合《あは》せて、
|万公《まんこう》『|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|開《ひら》く|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|神世《かみよ》となりにけり  |顕幽神《けんいうしん》の|三界《さんかい》を
|救《すく》はせ|玉《たま》ふ|三五《あななひ》の  |救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |豊国姫《とよくにひめ》の|大御神《おほみかみ》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |瑞《みづ》の|御魂《みたま》に|仕《つか》へたる
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |松彦《まつひこ》、|竜彦神司《たつひこかむつかさ》
|万公別《まんこうわけ》が|真心《まごころ》を  |憐《あは》れみ|玉《たま》ひ|今《いま》ここに
|現《あら》はれまして|此《この》|沼《ぬま》を  |首尾《しゆび》|克《よ》く|渡《わた》らせ|玉《たま》へかし
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |神《かみ》の|恵《めぐ》みは|常久《とこしへ》に
|変《かは》らせ|玉《たま》ふ|事《こと》あらじ  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|玉置《たまき》の|里《さと》のテームスが  |世継《よつぎ》となりし|万公別《まんこうわけ》
|真心《まごころ》こめて|神々《かみがみ》の  |御前《みまへ》に|慎《つつし》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|世《よ》の|過《あやま》ちを|宣《の》り|直《なほ》す  |恵《めぐみ》も|深《ふか》き|神勅《みことのり》
|仰《あふ》ぎ|敬《うやま》ふ|今日《けふ》の|空《そら》  |救《すく》はせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に  |親子《おやこ》|二人《ふたり》が|慎《つつし》みて
|救《すく》ひを|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし』
かく|歌《うた》ひ|終《をは》るや|際限《さいげん》もなき|沼《ぬま》は|忽《たちま》ち|変《へん》じて|青畳《あをだたみ》となつた。テームスは|目《め》を|開《ひら》きよくよく|見《み》れば、|鬼春別《おにはるわけ》が|読経《どきやう》せし|隣室《りんしつ》に|目《め》を|眩《まわ》して|倒《たふ》れてゐたのである。|治国別《はるくにわけ》、|鬼春別《おにはるわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》|其《その》|他《た》の|人々《ひとびと》は|枕頭《ちんとう》に|集《あつ》まつて|懇切《こんせつ》に|介抱《かいほう》をし、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|頻《しき》りに|奏上《そうじやう》してゐた。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 北村隆光録)
第一三章 |蘇歌《そか》〔一四二一〕
|青葉《あをば》もそよぐ|夏《なつ》の|風《かぜ》  すき|通《とほ》りよき|一室《いつしつ》に
|館《やかた》の|主《あるじ》テームスは  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》の
|心《こころ》を|疑《うたが》ひ|且《か》つ|憎《にく》み  ただ|一刻《いつこく》も|速《すみやか》に
|吾《わが》|家《や》を|出《いだ》し|呉《く》れんずと  |心《こころ》は|千々《ちぢ》に|逸《はや》れども
|大恩《だいおん》|受《う》けし|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》に  |憚《はばか》りながら|胸《むね》|押《おさ》へ
|一間《ひとま》の|内《うち》に|駆《か》け|入《い》りて  |棕櫚箒《しゆろばうき》に|頬被《ほほかむり》
させて|並《なら》べた|四《よ》つ|箒《ばうき》  |未《ま》だ|帰《かへ》らねば|神様《かみさま》に
お|願《ねが》ひ|申《まを》して|追《お》ひ|出《いだ》し  |家《いへ》の|禍《わざはひ》|除《のぞ》かむと
|瞋恚《しんい》の|心《こころ》に|悩《なや》まされ  |鬼春別《おにはるわけ》のゼネラルが
|一心不乱《いつしんふらん》に|読経《どくきやう》する  |隣《となり》の|居間《ゐま》に|身《み》を|忍《しの》び
|一生懸命《いつしやうけんめい》|陀羅尼《だらに》をば  |腹《はら》に|唱《とな》へて|待《ま》ち|居《ゐ》たる
|忽《たちま》ち|身体《しんたい》|震動《しんどう》し  |頭《かしら》は|痛《いた》み|胸《むね》つかへ
|人事不省《じんじふせい》に|陥《おちい》りて  |其《その》|精霊《せいれい》は|逸早《いちはや》く
|身体内《しんたいない》を|脱《ぬ》け|出《いだ》し  |限《かぎ》りも|知《し》れぬ|枯野原《かれのはら》
|寒風《かんぷう》|荒《すさ》む|地獄道《ぢごくだう》  |杖《つゑ》を|力《ちから》によぼよぼと
|涙《なみだ》と|共《とも》に|進《すす》み|行《ゆ》く  |道《みち》の|傍《かた》へに|立《た》ち|並《なら》ぶ
|一《ひと》つ|家屋《かをく》を|見《み》つけ|出《だ》し  |一夜《いちや》の|宿《やど》をからむとて
|立寄《たちよ》り|見《み》ればこは|如何《いか》に  |柱《はしら》は|腐《くさ》り|棟《むね》ゆがみ
|悪獣《あくじう》|悪虫《あくちう》|往来《わうらい》し  |吾《わが》|身辺《しんぺん》を|目標《めあて》に
|群《むら》がり|来《きた》るいやらしさ  こりや|叶《かな》はぬとテームスは
|力《ちから》|限《かぎ》りに|逃《に》げ|出《だ》せば  |道《みち》の|左右《さいう》に|怖《おそ》ろしき
|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|現《あら》はれて  |妖姿怪体《えうしくわいたい》|現《げん》じつつ
|獣《けもの》の|肉《にく》や|人《ひと》の|肉《にく》  |争《あらそ》ひいがみ|喰《くら》ひ|合《あ》ふ
|其《その》|光景《くわうけい》に|仰天《ぎやうてん》し  |逃《に》げむとすれど|足《あし》|重《おも》く
|同《おな》じ|所《ところ》をぢたばたと  |汗《あせ》を|流《なが》して|藻掻《もが》き|居《ゐ》る
|斯《か》かる|所《ところ》へ|中空《ちうくう》より  |雷鳴《らいめい》|轟《とどろ》く|怪声《くわいせい》が
|耳《みみ》を|打《う》つよと|見《み》る|中《うち》に  |悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》が|現《あら》はれて
|限《かぎ》り|知《し》られぬ|夜叉《やしや》|悪鬼《あくき》  |従《したが》へ|攻《せ》め|来《く》る|怖《おそ》ろしさ
|極暑《ごくしよ》の|風《かぜ》や|極寒《ごくかん》の  |嵐《あらし》に|吹《ふ》かれ|何処《どこ》となく
|身《み》は|中空《ちうくう》に|飛《と》び|散《ち》りて  |遙《はるか》|彼方《かなた》の|山《やま》の|上《へ》に
|佇《たたず》み|居《ゐ》たる|訝《いぶ》かしさ  |忽《たちま》ち|聞《きこ》ゆる|阿鼻叫喚《あびけうくわん》
よくよく|見《み》れば|山麓《さんろく》の  |谷間《たにま》|々々《たにま》に|濛々《もうもう》と
|燃《も》え|上《あが》りたる|大火焔《だいくわえん》  |黒煙《こくえん》|四辺《あたり》を|包《つつ》みつつ
|怪《あや》しき|姿《すがた》の|精霊《せいれい》や  |黒蛇《くろへび》なぞが|火《ひ》の|中《なか》に
|苦《くる》しみ|悶《もだ》ゆる|怖《おそ》ろしさ  |身《み》の|毛《け》もよだつ|計《ばか》りなり
|再《ふたた》び|羅刹《らせつ》は|現《あら》はれて  |妻《つま》のベリシナ|初《はじ》めとし
スミエル、スガール|両人《りやうにん》を  |力《ちから》|限《かぎ》りに|虐待《ぎやくたい》し
|身《み》を|引《ひ》き|裂《さ》きて|血《ち》を|絞《しぼ》り  |砕《くだ》いて|喰《くら》ふ|有様《ありさま》に
|目《め》も|当《あて》られずテームスは  |悔悟《くわいご》の|涙《なみだ》に|暮《く》れながら
|両手《りやうて》を|合《あは》せて|大神《おほかみ》の  |救《すく》ひを|祈《いの》り|奉《まつ》らむと
|思《おも》ひし|事《こと》も|水《みづ》の|泡《あわ》  |言霊車《ことたまぐるま》|止《とど》まりて
|唯《ただ》|一言《ひとこと》も|転《ころ》び|得《え》ず  |途方《とはう》に|暮《く》れたる|時《とき》もあれ
|天《てん》を|焦《こが》して|下《くだ》り|来《く》る  |一大火光《いちだいくわくわう》は|忽《たちま》ちに
|容色端麗《ようしよくたんれい》|比類《たぐひ》なき  |大神人《だいしんじん》となりにける
よくよく|見《み》れば|三五《あななひ》の  |神《かみ》に|仕《つか》ふる|万公《まんこう》が
|五色《ごしき》の|衣《きぬ》を|纒《まと》ひつつ  テームス|爺《おやぢ》に|打《う》ち|向《むか》ひ
|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|霊界《れいかい》の  |因縁話《いんねんばなし》を|説《と》き|諭《さと》し
|親子《おやこ》の|契《ちぎり》を|結《むす》びつつ  |背《せな》に|背負《せお》ひて|濛々《もうもう》と
|燃《も》え|拡《ひろ》がりし|火焔《くわえん》をば  |難《なん》なく|分《わ》けて|下《くだ》りつつ
|青草《あをくさ》|茂《しげ》る|大野原《おほのはら》  |一直線《いつちよくせん》に|東方《とうはう》に
|向《むか》つて|駆《か》け|出《だ》す|勇《いさ》ましさ  |万公別《まんこうわけ》はテームスを
|背《せな》に|負《お》ぶつて|進《すす》む|中《うち》  |際限《さいげん》もなき|大沼《おほぬま》の
|前《まへ》にピタリと|行《ゆ》き|当《あた》り  |息《いき》を|休《やす》めて|手《て》を|合《あは》せ
|皇大神《すめおほかみ》を|祈《いの》る|折《をり》  |碧《あを》き|湖沼《こせう》は|忽《たちま》ちに
いと|香《かん》ばしき|青畳《あをだたみ》  テームス|館《やかた》の|奥《おく》の|間《ま》と
|変《かは》りたるこそ|不思議《ふしぎ》なれ  テームス、ハツと|気《き》がついて
|四辺《あたり》を|見《み》れば|三五《あななひ》の  |治国別《はるくにわけ》を|初《はじ》めとし
|松彦《まつひこ》|竜彦《たつひこ》|万公《まんこう》や  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》の
|軍《いくさ》の|司《つかさ》を|初《はじ》めとし  |妻《つま》のベリシナ、スミエルや
スガール、アーシス、アヅモスの  |家《いへ》の|子《こ》|迄《まで》が|枕頭《ちんとう》に
|双手《もろて》を|合《あは》せ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|助《たす》けを|祈《いの》り|居《ゐ》る
|真最中《まつさいちう》と|見《み》るよりも  |遉《さすが》のテームス|自我《じが》を|折《を》り
|執着心《しふちやくしん》を|放棄《はうき》して  |一切万事《いつさいばんじ》|三五《あななひ》の
|教《をしへ》に|任《まか》す|事《こと》としぬ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ。
テームスは|四辺《あたり》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し|乍《なが》ら、|一同《いちどう》の|吾《わが》|枕頭《ちんとう》に|端坐《たんざ》し|祈願《きぐわん》を|籠《こ》めて|居《ゐ》るのを|見《み》て、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、
テームス『ああ、ベリシナお|前《まへ》は|此処《ここ》に|居《ゐ》たか、スミエルもスガールも|無事《ぶじ》であつたか、アア|結構《けつこう》|々々《けつこう》、もうお|前《まへ》は|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》に|引《ひ》き|裂《さ》かれ、|殺《ころ》されて|仕舞《しま》うたと|思《おも》うて|居《ゐ》たに、まア|結構《けつこう》であつた。|夢《ゆめ》ではあるまいかな』
ベリシナ『|爺殿《おやぢどの》|確《しつか》りなさいませ。|貴方《あなた》は|今《いま》|目《め》を|眩《ま》かして|殆《ほとん》ど|死《し》んで|居《ゐ》られたのですよ。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》や|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》、|万公《まんこう》さまを|始《はじ》め|御一同《ごいちどう》の|丹精《たんせい》によつて|罪《つみ》を|赦《ゆる》され、|再《ふたた》び|此《この》|世《よ》の|明《あか》りを|見《み》る|事《こと》が|出来《でき》たのです。|早《はや》く|神様《かみさま》|初《はじ》め|皆様《みなさま》にお|礼《れい》を|申《まを》しなさい』
テームス『ああこれはこれは|御一同様《ごいちどうさま》、よくまア|助《たす》けて|下《くだ》さいました。|私《わたくし》は|祖先代々《そせんだいだい》よりの|宿業《しゆくごふ》によつて|何《なん》とも|形容《けいよう》の|出来《でき》ぬやうな|地獄《ぢごく》に|堕《お》ちて|参《まゐ》りました。|罪《つみ》|程《ほど》|怖《おそ》ろしいものは|厶《ござ》いませぬ。|貴方《あなた》|方《がた》がお|出《いで》|下《くだ》さいませぬでしたら、テームス|家《け》の|祖先《そせん》を|初《はじ》め、|子孫《しそん》に|至《いた》る|迄《まで》|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|八万地獄《はちまんぢごく》に|堕《おと》されて|無限《むげん》の|責苦《せめく》に|遇《あ》はねばならぬ|所《ところ》で|厶《ござ》いました。|娘《むすめ》のスミエルやスガールが|猪倉山《ゐのくらやま》に|囚《とら》はれ|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》に|堕《おと》し|入《い》れられ|苦《くる》しめられたと|聞《き》いてから、|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》、|久米彦《くめひこ》|様《さま》|外《ほか》|御一同《ごいちどう》のお|方《かた》が|憎《にく》らしくなつて|表面《うはべ》では|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして|居《ゐ》るものの、|心《こころ》の|中《なか》は|鬼《おに》の|様《やう》に|殺気立《さつきだ》ち、|一時《いちじ》も|早《はや》く|吾《わが》|家《や》を|放逐《はうちく》したいと|我情《がじやう》を|張《は》つて|居《を》りました。|娘《むすめ》の|囚《とら》はれたのも|全《まつた》く|吾々《われわれ》の|祖先《そせん》や|子孫《しそん》をお|助《たす》け|下《くだ》さるためのお|仕組《しぐみ》だつたと|云《い》ふ|事《こと》を|深《ふか》く|悟《さと》りました。|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》、|久米彦《くめひこ》|様《さま》、|其《その》|他《た》の|方々《かたがた》|様《さま》、|私《わたくし》の|罪《つみ》を|何卒《どうぞ》お|赦《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|私《わたし》は|霊界《れいかい》に|往《い》つて|貴方《あなた》の|清《きよ》き|尊《たふと》き|御精霊《ごせいれい》に|助《たす》けられて|参《まゐ》りました。|又《また》|万公《まんこう》さまも……|瓢軽《へうきん》な|落付《おちつき》のない|困《こま》つた|男《をとこ》だ、|何程《なにほど》|娘《むすめ》スガールが|恋慕《れんぼ》して|居《を》つても、こんな|男《をとこ》をテームス|家《け》の|養子《やうし》にする|事《こと》は|出来《でき》ない、ぢやと|云《い》つて|娘《むすめ》の|恋《こひ》の|醒《さ》めない|中《うち》はどうする|事《こと》も|出来《でき》ない。|一層《いつそう》のこと|毒害《どくがい》でもせうか……と|心《こころ》の|中《うち》に|誰《たれ》しらず|悪《わる》い|考《かんが》へを|抱《いだ》いて|居《を》りました。|此《この》|罪《つみ》も|万公《まんこう》さま|何卒《どうぞ》|赦《ゆる》して|下《くだ》さい。|霊界《れいかい》に|於《おい》て|進退《しんたい》|谷《きはま》り|苦悶《くもん》の|最中《さいちう》をお|助《たす》け|下《くだ》さつたのは|貴方《あなた》の|精霊《せいれい》で|厶《ござ》いました。サアこれから|此《この》|家《いへ》を|万公《まんこう》さまと|番頭《ばんとう》のシーナさまとに|任《まか》せますから|好《す》きな|様《やう》にして|村人《むらびと》を|助《たす》けてやつて|下《くだ》さい。テームスは|財産《ざいさん》に|対《たい》してはもう|些《ちつと》の|執着《しふちやく》もありませぬ』
|鬼春別《おにはるわけ》は|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、
|鬼春《おにはる》『テームス|様《さま》、よくも|其処《そこ》|迄《まで》|悟《さと》つて|下《くだ》さいました。|拙者《せつしや》も|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御教導《ごけうだう》によつて|生《いき》|乍《なが》ら|地獄《ぢごく》を|逃《のが》れ|天国《てんごく》に|救《すく》はれ、|因縁《いんねん》あればこそ、かうして|仮令《たとへ》|一夜《いちや》なりとも|逗留《とうりう》さして|頂《いただ》いたので|厶《ござ》います。|又《また》|二人《ふたり》のお|娘子《むすめご》を|困《こま》らしめたのも、やつぱり|吾々《われわれ》が|責《せき》を|負《お》はねばなりませぬ。|娘《むすめ》の|親《おや》として|吾々《われわれ》をお|恨《うら》みなさるのも|決《けつ》して|御無理《ごむり》は|厶《ござ》いませぬ。|貴方《あなた》が|箒《はうき》を|立《た》てて|早《はや》く|帰《かへ》れがしとお|祈《いの》りして|居《ゐ》られたのも|幽《かす》かに|私《わたくし》の|耳《みみ》に|響《ひび》いて|居《を》りました。|夫《それ》|故《ゆゑ》|態《わざ》と|貴方《あなた》の|耳《みみ》に|聞《きこ》ゆるやうに|聖経《しやうきやう》を|読誦《どくじゆ》し、|貴方《あなた》の|反省《はんせい》を|促《うなが》さむとして|居《ゐ》た|所《ところ》、|貴方《あなた》は|経力《きやうりき》に|打《う》たれて|人事不省《じんじふせい》におなりなさつたのです。……ああ|済《す》まぬ|事《こと》をした……と、|直様《すぐさま》|霊界《れいかい》に|祈《いの》つて|居《を》りました|所《ところ》、よくまア|蘇生《そせい》して|下《くだ》さいました。|何卒《どうぞ》これで|恨《うらみ》をスツカリと|晴《は》らして|下《くだ》さいませ』
テームス『ハイ|勿体《もつたい》ない、そんなお|言葉《ことば》を|聞《き》きましては|冥罰《めいばつ》が|当《あた》ります。|貴方《あなた》のお|蔭《かげ》で、|吾々《われわれ》|一族《いちぞく》が|無間地獄《むげんぢごく》の|苦《くる》しみを|受《う》けるのを|脱《のが》れる|端緒《たんちよ》が|開《ひら》けたので|厶《ござ》います。|実《じつ》に|人間《にんげん》の|怨恨《えんこん》|程《ほど》|怖《おそ》ろしいものは|厶《ござ》いませぬ。|何卒《どうぞ》これからは|足《た》らはぬ|吾々《われわれ》|一族《いちぞく》を|可愛《かあい》がつて|御指導《ごしだう》|下《くだ》さいませ』
と|熱涙《ねつるい》を|浮《うか》べて|合掌《がつしやう》する。|鬼春別《おにはるわけ》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|掻《か》き|暮《く》れ|物《もの》をもえ|言《い》はずしやくり|泣《な》きをして|居《ゐ》る。エミシもスパールも|神恩《しんおん》の|有難《ありがた》きに|感謝《かんしや》し|言葉《ことば》|塞《ふさ》がり|涙《なみだ》に|暮《く》れて|居《ゐ》た。
|治国《はるくに》『テームス|殿《どの》、|今回《こんくわい》の|幽界旅行《いうかいりよかう》によつて、|因果転生《いんぐわてんせい》の|道理《だうり》がお|分《わか》りになつたでせうなア』
テームス『ハイお|蔭《かげ》に|依《よ》りまして|後生《ごしやう》の|怖《おそ》ろしい|事《こと》を|悟《さと》りました。|唯《ただ》|人間《にんげん》は|惟神《かむながら》のお|道《みち》に|従《したが》つて、|世間愛《せけんあい》や|自然愛《しぜんあい》を|超越《てうゑつ》し、|神《かみ》の|愛《あい》に|生《い》き、|善徳《ぜんとく》を|積《つ》まねばならないものと|深《ふか》く|悔悟《くわいご》|致《いた》しました。さうして|貴方《あなた》のお|弟子《でし》と|思《おも》つて|居《ゐ》た|万公《まんこう》さまは、|深《ふか》き|因縁《いんねん》によつてテームス|家《け》の|相続者《さうぞくしや》となり、|祖先《そせん》|以来《いらい》の|罪悪《ざいあく》を|払拭《ふつしき》し|給《たま》ふ|御方《おんかた》と|深《ふか》く|悟《さと》りました。|何卒《どうぞ》、|結構《けつこう》な|宣伝使《せんでんし》の|随行者《ずいかうしや》なれ|共《ども》、|曲《まげ》てテームス|家《け》の|養子《やうし》に|与《あた》へて|下《くだ》さいますまいか。|折入《をりい》つてお|願《ねが》ひ|致《いた》したう|厶《ござ》います』
|治国《はるくに》『|万公《まんこう》さまに|異存《いぞん》さへなくば、|私《わたし》は|些《ちつと》も|構《かま》ひませぬ。|道晴別《みちはるわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|貴方《あなた》の|意見《いけん》は|何《ど》うですかな』
|道晴別《みちはるわけ》『|神《かみ》の|道《みち》|闇《やみ》を|晴《は》らしてわけ|上《のぼ》る
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|御旨《みむね》なるらむ』
|松彦《まつひこ》『|松《まつ》の|世《よ》の|小天国《せうてんごく》を|築《きづ》かむと
|神《かみ》は|万公《まんこう》を|下《くだ》せしならむ』
|竜彦《たつひこ》『|罪汚《つみけが》れ|百《もも》の|悩《なや》みを【たつ】|彦《ひこ》の
|教《をしへ》の|開《ひら》く|基《もとゐ》なるらむ』
|治国別《はるくにわけ》『|有難《ありがた》し|吾《わが》|三柱《みはしら》の|珍《うづ》の|弟子《でし》
|諾《うべな》ひますも|神心《みこころ》ならむ。
いざさらばテームス|夫婦《ふうふ》スガール|姫《ひめ》
|万公《まんこう》を|君《きみ》が|家柱《やばしら》とせよ』
テームス『|有難《ありがた》し|治国別《はるくにわけ》の|御言葉《みことば》を
|慎《つつし》み|神《かみ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》らむ』
ベリシナ『|罪《つみ》|多《おほ》きテームスの|家《いへ》も|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|伊吹《いぶき》に|清《きよ》められける』
スガール『|村肝《むらきも》の|心《こころ》の|底《そこ》より|愛《あい》したる
|万公別《まんこうわけ》に|添《そ》ふぞ|嬉《うれ》しき』
シーナ『|大神《おほかみ》の|御言《みこと》|畏《かしこ》みテームスの
|家《いへ》に|誠《まこと》の|花《はな》は|咲《さ》くらむ』
スミエル『|惟神《かむながら》|結《むす》び|給《たま》ひし|縁《えにし》なれば
|吾《われ》も|仕《つか》へむシーナの|君《きみ》に』
アーシス『|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|司《つかさ》の|口《くち》をもて
|結《むす》びたまひし|縁《えにし》ぞ|尊《たふと》し』
お|民《たみ》『|三五《あななひ》の|月《つき》は|御空《みそら》に|輝《かがや》きて
|吾《わが》|胸《むね》さへも|晴《は》れ|渡《わた》りぬる』
|鬼春別《おにはるわけ》『|大空《おほぞら》に|輝《かがや》く|月《つき》の|影《かげ》|見《み》れば
|笑《ゑ》ませ|給《たま》ひぬテームス|家《け》の|棟《むね》』
|久米彦《くめひこ》『|厳御魂《いづみたま》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》は|玉置《たまおき》の
テームス|館《やかた》に|輝《かがや》きたまふ』
スパール『|月《つき》|清《きよ》く|大空《おほぞら》|青《あを》き|今宵《こよひ》こそ
|闇《やみ》の|晴《は》れたる|心地《ここち》こそすれ』
エミシ『バラモンの|軍《いくさ》の|司《つかさ》カーネルと
|仕《つか》へし|吾《われ》も|心《こころ》|嬉《うれ》しき』
|治国別《はるくにわけ》『テームスの|家《いへ》の|誉《ほまれ》は|今日《けふ》よりぞ
|月日《つきひ》の|如《ごと》く|輝《かがや》きまさむ』
テームス『|罪《つみ》|多《おほ》き|吾《わが》|館《やかた》をば|清《きよ》らけく
|治《をさ》めたまひし|神《かみ》ぞ|尊《たふと》き』
|斯《か》く|互《たがひ》に|述懐《じゆつくわい》を|述《の》べ、|和気靄々《わきあいあい》として|神前《しんぜん》に|額《ぬか》づき、|各《おのおの》|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》し、テームスが|再生《さいせい》の|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》したりける。
|窓《まど》の|外《そと》には|涼《すず》しき|夏《なつ》の|風《かぜ》【ヒチリキ】を|吹《ふ》いて|穏《おだや》かに|通《かよ》ふ、ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 加藤明子録)
第一四章 |春陽《しゆんよう》〔一四二二〕
|万公《まんこう》は|神殿《しんでん》に|参拝《さんぱい》を|終《をは》り、|一同《いちどう》の|打解《うちと》けて|談話《だんわ》せる|居間《ゐま》に|神懸《かむがか》りとなつて|現《あら》はれ|来《きた》り|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
|万公《まんこう》(|謡曲調《えうきよくてう》)『|此《この》|世《よ》を|造《つく》り|玉《たま》ひたる、 |千早振《ちはやぶ》る|尊《たふと》き|神《かみ》が|現《あ》れまして、 |神《かみ》の|善悪正邪《ぜんあくせいじや》をば、 |立別《たてわ》け|玉《たま》ひ|人々《ひとびと》の、 |心《こころ》にかかる|村雲《むらくも》を、 |伊吹《いぶき》|払《はら》ひて|天国《てんごく》を、 |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|建設《けんせつ》し、 |堅磐常磐《かきはときは》の|五六七《みろく》の|世《よ》、 いや|永久《とこしへ》に|栄《さか》えゆく、 |松《まつ》の|神世《かみよ》をたてむとて、 |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる、 |木花姫《このはなひめ》の|神柱《かむばしら》、 コーカス|山《ざん》に|現《あ》れませる、 |日出別《ひのでのわけ》やウブスナの、 |珍《うづ》の|館《やかた》に|永久《とこしへ》に、 |教《をしへ》を|守《まも》らせ|玉《たま》ひつる、 |八島主《やしまのぬし》を|始《はじ》めとし、 |自転倒島《おのころじま》に|至《いた》りては、 |桶伏山《をけぶせやま》の|聖場《せいぢやう》に、 |錦《にしき》の|宮《みや》の|太柱《ふとばしら》、 |太《ふと》しき|立《た》てて|皇神《すめかみ》を、 |斎《いつ》かひ|奉《まつ》り|朝夕《あさゆふ》に、 |赤心《まごころ》|籠《こ》めて|仕《つか》へます、 |玉照彦《たまてるひこ》の|神柱《かむばしら》、 |瑞《みづ》の|魂《みたま》と|現《あら》はれ|玉《たま》ひ、 |玉照姫《たまてるひめ》の|神柱《かむばしら》、 |厳《いづ》の|魂《みたま》と|現《あら》はれ|玉《たま》ひ、 |暗夜《やみよ》を|照《て》らす|英子姫《ひでこひめ》、 |紫姫《むらさきひめ》と|諸共《もろとも》に、 |此《この》|世《よ》の|悪魔《あくま》を|竜国別《たつくにわけ》や、 |其《その》|他《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》たち、 |神政成就《しんせいじやうじゆ》の|聖場《せいぢやう》と、 |定《さだ》めて|珍《うづ》の|御教《みをしへ》を、 |四方《よも》に|開《ひら》かせ|玉《たま》ひつつ、 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の、 |御言《みこと》|畏《かしこ》み|万寿山《まんじゆざん》、 |霊鷲山《りやうしうざん》やエルサレム、 |黄金山《わうごんざん》に|神柱《かむばしら》、 |太《ふと》しく|立《た》てて|現身《うつそみ》の、 |暗世《やみよ》を|永遠《とは》に|照《て》らさむと、 |努《つと》め|玉《たま》ふぞ|有難《ありがた》き、 ウブスナ|山《やま》の|斎苑館《いそやかた》、 |八島主《やしまのぬし》の|部下《ぶか》となり、 |月《つき》の|御国《みくに》に|蟠《わだか》まる、 |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜鬼《しこおに》を、 |言向和《ことむけやは》し|三五《あななひ》の、 |誠《まこと》|一《ひと》つの|御教《みをしへ》を、 |以《もつ》て|世人《よびと》を|救《すく》はむと、 |松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》を、 |従《したが》へまして|河鹿山《かじかやま》、 |激《はげ》しき|野分《のわき》に|吹《ふ》かれつつ、 |祠《ほこら》の|森《もり》や|山口《やまぐち》の|森《もり》、 |凩《こがらし》|荒《すさ》ぶ|荒野《あれの》を|渉《わた》り、 |野中《のなか》の|森《もり》や|浮木《うきき》の|森《もり》、 バラモン|教《けう》のゼネラルと、 |威勢《ゐせい》|輝《かがや》くランチ|片彦将軍《かたひこしやうぐん》を、 |誠《まこと》の|道《みち》に|言向《ことむ》けて、 |苦集滅道《くしふめつだう》|説《と》き|明《あか》し、 |道法礼節《だうほふれいせつ》|明《あきら》かに、 |教《をし》へ|玉《たま》ひて|弟子《みこ》となし、 |尚《なほ》も|進《すす》んでライオンの、 |清《きよ》き|水瀬《みなせ》を|横切《よこぎ》りつ、 ビクトリヤ|城《じやう》の|刹帝利《せつていり》、 |左守《さもり》の|司《かみ》の|危難《きなん》をば、 |救《すく》ひ|給《たま》ひて|漸々《やうやう》に、 |駒《こま》の|蹄《ひづめ》を|列《なら》べつつ、 シメジ|峠《たうげ》を|乗《の》り|越《こ》えて、 |玉置《たまき》の|村《むら》のテームス|館《やかた》、 |月《つき》|照《て》る|夜半《よは》に|出《い》でまして、 |猪倉山《ゐのくらやま》に|捕《とら》はれし、 |此《この》|家《や》の|娘《むすめ》スミエルや、 スガール|姫《ひめ》を|救《すく》はむと、 |勇《いさ》み|進《すす》んで|出《い》で|玉《たま》ふ、 |谷川《たにがは》|渉《わた》り|岩《いは》を|越《こ》え、 |漸《やうや》う|鬼春別将軍《おにはるわけしやうぐん》の、 |屯《たむろ》し|玉《たま》ふ|巌窟《がんくつ》に、 |忍《しの》び|入《い》りつつゼネラルや、 カーネル|始《はじ》め|其《その》|他《ほか》の、 |百《もも》の|司《つかさ》を|言向《ことむ》けて、 |道晴別《みちはるわけ》やシーナの|司《つかさ》、 |二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|救《すく》ひまし、 |神《かみ》の|力《ちから》に|守《まも》られて、 |此《この》|家《や》に|帰《かへ》り|玉《たま》ひける、 |万公別《まんこうわけ》は|此《この》|家《いへ》に、 |進《すす》み|来《き》たるや|忽《たちま》ちに、 わが|家《や》に|帰《かへ》りし|心地《ここち》して、 |親《おや》の|許《ゆる》しもなき|儘《まま》に、 |主人気取《しゆじんきど》りと|早変《はやがは》り、 |家内《かない》の|上下《かみしも》|隈《くま》もなく、 |巡視《じゆんし》を|了《を》へし|時《とき》もあれ、 |此《この》|家《や》の|主人《しゆじん》テームスは、 |四人《よにん》の|負傷者《ふしやうしや》の|全快《ぜんくわい》を、 |悦《よろこ》び|玉《たま》ひ|師《し》の|君《きみ》に、 |感謝《かんしや》のためと|海川《うみかは》や、 |山野《さんや》に|出《い》でて|求《もと》めたる、 |美味《うま》しき|物《もの》を|歓待《もてな》して、 |感謝《かんしや》の|誠《まこと》を|尽《つく》しつつ、 |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》が、 |此《この》|場《ば》に|居《ゐ》るに|仰天《ぎやうてん》し、 |心《こころ》の|底《そこ》より|憎悪《ぞうを》して、 |一時《いちじ》も|早《はや》く|追《お》つ|払《ぱら》ひ、 |後日《ごじつ》の|難《なん》を|逃《のが》れむと、 |謀《はか》り|玉《たま》ひし|時《とき》もあれ、 |鬼春別《おにはるわけ》が|熱烈《ねつれつ》な、 |読経《どきやう》の|威力《ゐりよく》に|打《う》たれまし、 |霊肉《れいにく》|忽《たちま》ち|脱離《だつり》して、 |見《み》るも|怖《おそ》ろし|地獄道《ぢごくだう》、 |寥《さみ》しき|旅《たび》に|出《い》でましぬ、 ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、 これが|見捨《みすて》て|置《お》かれうか、 |一度《ひとたび》|息《いき》を|吹返《ふきかへ》し、 |霊肉《れいにく》|共《とも》に|改良《かいりやう》し、 |未来《みらい》は|清《きよ》き|天国《てんごく》の、 いや|永久《とこしへ》に|花《はな》も|咲《さ》き、 |果物《くだもの》|実《みの》る|楽園《らくゑん》に、 |救《すく》はにや|置《お》かぬと|三五《あななひ》の、 |神《かみ》の|柱《はしら》の|治国別《はるくにわけ》が、 |赤心《まごころ》こめて|大前《おほまへ》に|祈《いの》らせ|玉《たま》へばアラ|不思議《ふしぎ》、 |神徳《しんとく》|忽《たちま》ち|顕現《けんげん》し、 |万公別《まんこうわけ》や|鬼春別《おにはるわけ》の、 |霊《みたま》を|守《まも》る|精霊《せいれい》は、 テームス|司《つかさ》の|後《あと》を|追《お》ひ、 |根底《ねそこ》の|国《くに》に|飛《と》び|行《ゆ》きて、 |救《すく》ひ|帰《かへ》りし|嬉《うれ》しさよ、 |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、 |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、 |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも、 |三五教《あななひけう》を|守《まも》ります、 |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|永久《えいきう》に、 いや|永久《とこしへ》に|忘《わす》れまじ、 そもテームスの|家筋《いへすぢ》は、 |元《もと》は|尊《たふと》き|刹帝利《せつていり》、 ヒルナの|国《くに》にときめきて、 |数多《あまた》の|民《たみ》を|従《したが》へつ、 |武勇《ぶゆう》を|誇《ほこ》りし|家《いへ》なれど、 |民《たみ》の|恨《うらみ》の|重《かさ》なりて、 ヒルナの|国《くに》は|忽《たちま》ちに、 |根本的《こんぽんてき》に|転覆《てんぷく》し、 |生命《いのち》|辛々《からがら》フサの|国《くに》、 |玉置《たまき》の|村《むら》に|現《あら》はれて、 |茲《ここ》に|里庄《りしやう》となりすまし、 |住《す》み|来《きた》りしも|十五代《じふごだい》、 |又《また》もや|民《たみ》の|怨恨《えんこん》を、 |重《かさ》ね|重《かさ》ねて|遠祖《とほつおや》、 |世々《よよ》の|祖等《おやたち》|諸共《もろとも》に、 |罪《つみ》の|重荷《おもに》に|地獄道《ぢごくだう》、 |根底《ねそこ》の|国《くに》に|堕《お》ち|行《ゆ》きて、 |悪鬼《あくき》の|群《むれ》に|飛《と》び|込《こ》みつ、 |苦《くる》しき|月日《つきひ》を|送《おく》るこそ、 |実《げ》にも|悲惨《ひさん》の|極《きは》みなり、 さはさり|乍《なが》ら|今日《けふ》よりは、 |主人《しゆじん》のテームス|逸早《いちはや》く、 |悔改《くいあらた》めて|世《よ》を|救《すく》ふ、 |三五教《あななひけう》の|大道《おほみち》に、 |仕《つか》へ|玉《たま》ひし|上《うへ》からは、 |如何《いか》なる|祖先《そせん》の|罪科《つみとが》も、 |朝日《あさひ》に|露《つゆ》の|消《き》ゆる|如《ごと》、 |夏《なつ》の|日向《ひなた》に|晒《さら》されし、 |氷《こほり》の|如《ごと》く|溶《と》け|行《ゆ》きて、 |遠津御祖《とほつみおや》は|云《い》ふも|更《さら》、 |子孫《しそん》の|末《すゑ》に|至《いた》る|迄《まで》、 |此《この》|世《よ》|乍《なが》らに|天国《てんごく》の、 |清《きよ》き|生涯《しやうがい》|送《おく》りつつ、 |世人《よびと》を|救《すく》ふ|生神《いきがみ》と、 |成《な》りて|誉《ほまれ》を|万代《よろづよ》に、 |伝《つた》へむ|今日《けふ》の|端緒《いとぐち》を、 |喜《よろこ》び|祝《いは》ひ|大神《おほかみ》の、 |御前《みまへ》に|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る、 ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、 |霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|治国別《はるくにわけ》は|音吐朗々《おんとらうらう》として|宣伝歌《せんでんか》を|謡《うた》ふ。
|治国別《はるくにわけ》(|謡曲調《えうきよくてう》)『|千早振《ちはやぶ》る、 |神《かみ》の|造《つく》りし|神《かみ》の|国《くに》、 すみきり|守《まも》る|神《かみ》の|国《くに》、 |高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》を、 |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|写《うつ》しまし、 |天《てん》に|閃《きらめ》く|星《ほし》の|如《ごと》、 |人《ひと》をば|地上《ちじやう》に|生《う》み|落《おと》し、 |浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》の|如《ごと》、 |山川《やまかは》|草木《くさき》|鳥《とり》|獣《けもの》、 うろくづ|虫《むし》まで|生《う》ませつつ、 |天《あめ》と|地《つち》との|神業《かむわざ》に、 |仕《つか》へしめむと|神《かみ》の|水火《いき》、 |与《あた》へて|降《くだ》らせ|玉《たま》ひたる、 |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》、 |斯《か》かる|尊《たふと》き|人《ひと》の|身《み》に、 |如何《いか》でか|曲《まが》の|潜《ひそ》む|可《べ》き、 |体主霊従《たいしゆれいじう》の|小慾《せうよく》に、 |五感《ごかん》を|曇《くも》らせたればこそ、 |天国《てんごく》|浄土《じやうど》に|帰《かへ》るべき、 |清《きよ》き|身魂《みたま》は|堕落《だらく》して、 |中有界《ちううかい》や|地獄道《ぢごくだう》、 |譬《たと》へ|方《がた》なき|醜穢《しうゑ》なる、 |餓鬼《がき》|畜生《ちくしやう》の|魔道《まだう》へと、 |誤《あやま》り|堕《お》ち|行《ゆ》くものなれば、 |人《ひと》は|生命《いのち》の|有《あ》るうちに、 |悔《く》い|改《あらた》めて|天地《あめつち》の、 |神《かみ》の|心《こころ》をよく|悟《さと》り、 |利己一偏《りこいつぺん》の|自愛心《じあいしん》、 |弊履《へいり》の|如《ごと》く|打《うち》すてて、 |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|神徳《しんとく》を、 |身《み》に|備《そな》へつつ|現世《うつしよ》の、 |光《ひかり》ともなり|塩《しほ》ともなり、 |穢《けが》れを|清《きよ》め|世《よ》を|照《て》らし、 |天地《てんち》の|花《はな》と|謳《うた》はれて、 |此《この》|世《よ》の|中《なか》を|面白《おもしろ》く、 |渡《わた》り|行《ゆ》くべき|者《もの》なるぞ、 さはさり|乍《なが》ら|人《ひと》の|身《み》は、 |如何《いか》なる|智徳《ちとく》ありとても、 |神《かみ》の|教《をしへ》に|離《はな》れなば、 |善《ぜん》も|変《へん》じて|悪《あく》となり、 |幸《さいはひ》|変《へん》じて|災禍《わざはひ》と、 |忽《たちま》ち|変《かは》る|浅間《あさま》しさ、 |唯《ただ》|人《ひと》の|世《よ》は|天地《あめつち》の、 |神《かみ》の|教《をしへ》を|第一《だいいち》に、 |守《まも》りて|百《もも》の|事業《なりはひ》に、 いそしみ|仕《つか》へ|現世《うつしよ》に、 ありては|国《くに》の|楯《たて》となり、 |神霊界《しんれいかい》に|至《いた》りては、 |天津御国《あまつみくに》の|良民《りやうみん》と、 なりて|神業《しんげふ》に|仕《つか》ふべく、 |今《いま》より|神《かみ》の|大道《おほみち》を、 |踏《ふ》み|外《はづ》さずに|進《すす》むべし、 |神《かみ》は|吾等《われら》と|倶《とも》に|在《あ》り、 |神《かみ》は|汝《なんぢ》と|倶《とも》に|在《ま》す、 |神《かみ》に|受《う》けたる|此《この》|身魂《みたま》、 |如何《いか》で|棄《す》てさせ|玉《たま》ふべき、 テームス|司《つかさ》を|始《はじ》めとし、 |百《もも》の|人々《ひとびと》|皇神《すめかみ》の、 |愛《あい》と|善《ぜん》との|徳《とく》により、 |心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め、 |信《しん》と|真《しん》との|光明《くわうみやう》に、 |輝《かがや》き|渡《わた》りて|村肝《むらきも》の、 |心《こころ》の|空《そら》に|日月《じつげつ》の、 |光《ひかり》を|照《て》らさせ|玉《たま》ふべし、 ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|三五《あななひ》の、 |治国別《はるくにわけ》の|神司《かむづかさ》、 |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|宣《の》べ|伝《つた》ふ』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り、|尚《なほ》も|諄々《じゆんじゆん》として|現界《げんかい》、|神界《しんかい》、|幽界《いうかい》に|処《しよ》するの|道《みち》を|説《と》き、|終《をは》つて|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|感謝《かんしや》の|祝詞《のりと》を|奏上《そうじやう》した。|是《これ》よりテームス|夫婦《ふうふ》は|心《こころ》の|底《そこ》より|神《かみ》の|恩恵《おんけい》を|悟《さと》り、|広大《くわうだい》なる|邸宅《ていたく》を|開放《かいはう》して、|立派《りつぱ》なる|社殿《しやでん》を|造《つく》り、|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》を|鎮祭《ちんさい》し、|万公別《まんこうわけ》をして|神教《しんけう》を|宣伝《せんでん》せしむる|事《こと》となつた。|而《そ》して|万公《まんこう》はスガール|姫《ひめ》を|妻《つま》となし、テームス|家《け》の|世継《よつぎ》となり、シーナは|姉《あね》のスミエルと|共《とも》に|分家《ぶんけ》して|之《これ》に|住《す》み、アーシス、お|民《たみ》も|亦《また》|治国別《はるくにわけ》の|媒介《ばいかい》に|依《よ》つて|夫婦《ふうふ》となり、|玉置《たまき》の|村《むら》の|花《はな》と|謳《うた》はれ、|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》し、|神業《しんげふ》に|参加《さんか》した。
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 外山豊二録)
第一五章 |公盗《こうたう》〔一四二三〕
|鬼春別《おにはるわけ》|以下《いか》|三人《さんにん》のバラモン|組《ぐみ》は|治国別《はるくにわけ》に|許《ゆる》されて、|宣伝使《せんでんし》と|俗人《ぞくじん》との|中間的《ちうかんてき》|比丘《びく》となりスツパリと|長髪《ちやうはつ》を|剃《そ》りおとされ、テームスの|心遣《こころづか》ひに|依《よ》つて、|黒衣《くろごろも》を|仕立《した》てて|着《き》せられ、|金剛杖《こんがうづゑ》をつき|乍《なが》ら、|照国山《てるくにやま》ビクトル|山《さん》の|谷間《たにあひ》に|山伏《やまぶし》の|修業《しうげふ》をなすべく、|軍用《ぐんよう》に|使《つか》つた|法螺《ほら》の|貝《かひ》をブウブウと|吹立《ふきた》て|乍《なが》ら、|道々《みちみち》|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く。|鬼春別《おにはるわけ》には|治道居士《ちだうこじ》、|久米彦《くめひこ》には|道貫居士《だうくわんこじ》、スパールには|素道居士《そだうこじ》、エミシには|求道居士《きうだうこじ》といふ|戒名《かいみやう》を|与《あた》へた。|治道居士《ちだうこじ》は|今《いま》や|治国別《はるくにわけ》、テームス|其《その》|他《た》|一同《いちどう》に|別《わか》れを|告《つ》げむとして|歌《うた》を|詠《よ》んだ。
|治道《ちだう》『|皇神《すめかみ》の|授《さづ》け|給《たま》ひし|霊魂《みたま》をば
|治《をさ》めむとして|教《のり》の|道《みち》ゆく。
いざさらば|百《もも》の|司《つかさ》よテームスよ
|安《やす》くましませ|千代《ちよ》に|八千代《やちよ》に』
|治国別《はるくにわけ》『|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|踏《ふ》みしめて
|安《やす》く|行《ゆ》きませ|清《きよ》めの|滝《たき》へ』
|道貫《だうくわん》『|玉鉾《たまほこ》の|道《みち》の|誠《まこと》を|貫《つらぬ》きて
|神《かみ》の|御楯《みたて》と|仕《つか》へ|奉《まつ》らむ。
|神司《かむづかさ》|此《この》|家《や》の|主《あるじ》|諸共《もろとも》に
|守《まも》らせ|給《たま》へ|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》を』
テームス『|三五《あななひ》の|誠《まこと》の|道《みち》に|目醒《めざ》めたる
|人《ひと》こそ|神《かみ》の|幸《さち》を|受《う》けなむ』
|素道《そだう》『|惟神《かむながら》|元《もと》の|心《こころ》に|立返《たちかへ》り
|救《すく》ひの|道《みち》を|進《すす》みゆくかな。
|猪倉《ゐのくら》の|山《やま》にこもりし|曲神《まがかみ》も
|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《てら》されて|行《ゆ》く』
|松彦《まつひこ》『|皇神《すめかみ》の|珍《うづ》の|御子《みこ》たる|君《きみ》こそは
|安《やす》く|行《ゆ》きませ|神《かみ》のまにまに』
|求道《きうだう》『|朝夕《あさゆふ》に|誠《まこと》の|教《のり》を|求《もと》めつつ
|今日《けふ》は|嬉《うれ》しき|神《かみ》の|道《みち》|行《ゆ》く。
|諸人《もろびと》よ|安《やす》くましませ|吾《われ》|去《さ》りし
あとにも|神《かみ》を|崇《あが》めまつりて』
|竜彦《たつひこ》『|皇神《すめかみ》の|恵《めぐみ》を|受《う》けてテームスの
|館《やかた》を|出《い》づる|人《ひと》ぞ|尊《たふと》き』
|万公《まんこう》『いざさらば|四柱《よはしら》の|君《きみ》|健《すこやか》に
|身《み》を|守《まも》りつつ|神《かみ》に|仕《つか》へよ』
|道晴別《みちはるわけ》『|惟神《かむながら》|神《かみ》の|正道《まさみち》わけゆけば
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》もさわらざらまし』
シーナ『|君《きみ》|行《ゆ》かばあとに|残《のこ》りし|吾々《われわれ》は
|淋《さび》しさに|鳴《な》く|時鳥《ほととぎす》かな。
さり|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》がましまさば
|安《やす》く|出《い》でませ|心《こころ》|残《のこ》さで』
スミエル『|益良夫《ますらを》が|心《こころ》の|駒《こま》を|立直《たてなほ》し
|鞭《むち》うち|進《すす》む|今日《けふ》ぞ|勇《いさ》まし』
スガール『|時《とき》めきし|軍《いくさ》の|君《きみ》も|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|軍《いくさ》に|仕《つか》へ|玉《たま》ひぬ』
アヅモス『|皇神《すめかみ》の|縁《えにし》の|糸《いと》に|結《むす》ばれし
|親《した》しき|友《とも》を|送《おく》る|今日《けふ》|哉《かな》』
アーシス『テームスの|館《やかた》に|残《のこ》る|吾《わが》|身《み》こそ
|君《きみ》の|行衛《ゆくゑ》を|惜《をし》みつつ|泣《な》く』
お|民《たみ》『|国民《くにたみ》を|天津御国《あまつみくに》に|救《すく》ふべく
|出《い》でます|今日《けふ》の|姿《すがた》|雄々《をを》しき』
|治道《ちだう》『|有難《ありがた》し|百《もも》の|司《つかさ》の|真心《まごころ》は
|幾千代《いくちよ》|迄《まで》も|忘《わす》れざらまし』
と|互《たがひ》に|歌《うた》もて|応答《おうたふ》し|乍《なが》ら、|円頂緇衣《ゑんちやうしえ》の|四人連《よにんづ》れ|法螺貝《ほらがひ》をブウブウ|吹《ふ》きたて、|山野《さんや》の|空気《くうき》を|清《きよ》め|乍《なが》ら、|別《わか》れを|惜《を》しみ|出《い》でて|行《ゆ》く。
|三千余騎《さんぜんよき》を|引率《いんそつ》し  |猪倉山《ゐのくらやま》に|屯《たむろ》して
|暴威《ばうゐ》を|揮《ふる》ひし|将軍《しやうぐん》も  |忽《たちま》ち|悔悟《くわいご》の|花《はな》|開《ひら》き
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|嬉《うれ》しみて  |治国別《はるくにわけ》に|服《まつろ》ひつ
|四人《よにん》の|男女《なんによ》を|恙《つつが》なく  テームス|館《やかた》に|送《おく》りつけ
|至玄《しげん》|至妙《しめう》の|御教《みをしへ》を  |心《こころ》に|深《ふか》く|刻《きざ》みこみ
|昨日《きのふ》に|変《かは》る|修験者《しうげんじや》  |山伏姿《やまぶしすがた》となり|変《かは》り
|金剛杖《こんがうづゑ》を|力《ちから》とし  |細《ほそ》き|野道《のみち》を|辿《たど》りつつ
|世間心《せけんごころ》や|自愛心《じあいしん》  |秋《あき》の|木《こ》の|葉《は》の|凩《こがらし》に
|散《ち》りて|跡《あと》なき|真心《まごころ》の  |衣《ころも》の|袖《そで》を|科戸辺《しなどべ》の
|風《かぜ》にフワフワいぢらせつ  |大法螺貝《おほほらがひ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら
|勇《いさ》み|進《すす》んで|北《きた》の|森《もり》  |祠《ほこら》の|前《まへ》に|立寄《たちよ》りて
|暫《しば》し|息《いき》をば|休《やす》めける  |日《ひ》はズツポリと|暮《く》れ|果《は》てて
|咫尺《しせき》|弁《べん》ぜぬ|真《しん》の|暗《やみ》  |四人《よにん》はここに|一夜《いちや》をば
|明《あか》さむものと|蓑《みの》を|布《し》き  まどろむ|折《をり》しも|古《ふる》ぼけた
|祠《ほこら》の|後《うしろ》に|人《ひと》の|声《こゑ》  |耳《みみ》にとめたる|治道居士《ちだうこじ》
ハテ|訝《いぶ》かしと|窺《うかが》へば  |濁《にご》りを|帯《お》びた|人《ひと》の|声《こゑ》
|三《み》つ|四《よ》つ|五《いつ》つ|聞《きこ》え|来《く》る。
|治道居士《ちだうこじ》は、|他愛《たあい》もなく|三人《さんにん》の|寝《ね》てゐるのを、|寝息《ねいき》にて|悟《さと》り|乍《なが》ら、|自分《じぶん》は|四五人《しごにん》の|怪《あや》しき|声《こゑ》に|眠《ねむ》られず、|耳《みみ》をすまして|聞《き》いてゐた。
|祠《ほこら》の|後《うしろ》からはだんだん|大《おほ》きな|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》だした。
|甲《かふ》『オイ、サツパリ|約《つ》まらぬぢやないか、エエン、よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|折角《せつかく》|俺《おれ》は|軍曹《ぐんさう》にまでなつたと|思《おも》へば、|肝心《かんじん》の|大将《たいしやう》が|腰抜《こしぬけ》だから、あの|通《とほ》り|惨《みじ》めな|態《ざま》になり、|三五教《あななひけう》にスツパリと|兜《かぶと》を|脱《ぬ》ぎ、チツと|許《ばか》りの|涙金《なみだきん》|位《ぐらゐ》|貰《もら》つたつて、|国《くに》へ|帰《かへ》つて|妻子《さいし》を|養《やしな》ふ|訳《わけ》にもゆかず、これからどう|身《み》の|振方《ふりかた》を|考《かんが》へたらよからうかな』
|乙《おつ》『|俺達《おれたち》は|斬《き》り|取《と》り|強盗《がうたう》の|軍国主義《ぐんこくしゆぎ》に|育《そだ》てられて|来《き》たものだから、|今更《いまさら》|外《ほか》の|職業《しよくげう》につかうと|云《い》つたつて、|何《なん》にも|出来《でき》ぬぢやないか。|泥棒《どろばう》になるのも、バラモン|軍《ぐん》の|兵士《へいし》になるのも、|名《な》こそ|違《ちが》へ|大小《だいせう》の|区別《くべつ》がある|丈《だけ》だ。|追剥《おひは》ぎをして|人《ひと》を|裸《はだか》にするのも、|沢山《たくさん》の|軍隊《ぐんたい》を|率《つ》れて|敵国《てきこく》を|蹂躙《じうりん》し、|他人《たにん》の|国《くに》を|併呑《へいどん》するのもヤツパリ|泥棒《どろばう》だ。|幸《さいはひ》に|斯《か》うして|軍刀《ぐんたう》を|持《も》つてゐるのだから、|一《ひと》つ|馬賊団《ばぞくだん》でも|組織《そしき》して|大《おほい》に|発展《はつてん》せうぢやないか』
|丙《へい》『オイ|両人《りやうにん》、そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|思《おも》ふものぢやない。|将軍様《しやうぐんさま》が|下《くだ》さつた|此《この》|金《かね》を|倹約《しまつ》して|帰《かへ》れば、|国許《くにもと》へ|帰《かへ》つて|何《なに》か|一《ひと》つの|生産事業《せいさんじげふ》を|起《おこ》すとか、|真面目《まじめ》な|商売《しやうばい》をして、|両親《りやうしん》や|妻子《さいし》を|喜《よろこ》ばした|方《はう》が|何程《なにほど》|可《い》いか|知《し》れぬぞ。|将軍《しやうぐん》でさへも|改心《かいしん》をなさつたのだから、|俺達《おれたち》も|之《これ》を|機会《きくわい》に|善心《ぜんしん》に|立返《たちかへ》らうぢやないか』
|乙《おつ》『ヘン|馬鹿《ばか》|云《い》ふない。|許偽本位《さぎほんゐ》の|産業《さんげふ》や|算盤持《そろばんも》てば|人《ひと》を|騙《だま》さうとする|商売《しやうばい》が、それが|何《なに》|尊《たふと》いのだ。|産業立国《さんげふりつこく》とか|云《い》つて、ゼントルメンとやらが、|盛《さかん》に|議論《ぎろん》をしてるやうだが、ヤツパリ|彼奴等《あいつら》も|体《てい》のよい|泥棒《どろばう》だ。|大会社《だいぐわいしや》だつて、|大商人《だいしやうにん》だつて、|皆《みな》|詐偽《さぎ》と|泥坊《どろばう》の|体《てい》のいい|奴《やつ》だ。|寧《むし》ろ|陰悪主義《いんあくしゆぎ》の|実行者《じつかうしや》だ。|泥棒様《どろばうさま》は|堂々《だうだう》たる|陽悪《やうあく》を|行《おこな》ふのだから、|同《おな》じ|罪悪《ざいあく》といつても|気《き》が|利《き》いてるぢやないか。|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて|世《よ》の|中《なか》を|誑《たぶら》かし、|私利私慾《しりしよく》を|企《たく》む|位《くらゐ》、|陰険《いんけん》な|卑怯《ひけふ》な|悪魔《あくま》はないぢやないか』
|丙《へい》『さう|云《い》へばさうかも|知《し》れぬなア、そんなら|俺《おれ》も|損者三友《そんじやさんいう》といふ|事《こと》があるが、|損《そん》か|得《とく》か|知《し》らぬが、|今《いま》|迄《まで》の|交際上《つきあいじやう》、お|前達《まへたち》に|共鳴《きようめい》して、|泥棒会社《どろばうくわいしや》の|重役《ぢうやく》にでもならうかなア』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|吾々《われわれ》は|益友《えきいう》だ。|益者三友《えきしやさんいう》だ。オイ、|丁《てい》、|戊《ぼう》、|汝《きさま》は|何《ど》うだ。|此《この》|方《はう》の|意見《いけん》に|共鳴《きようめい》するか。|今日《こんにち》|只今《ただいま》より|泥棒《どろばう》の|開業《かいげふ》だ。|汝《きさま》|不服《ふふく》とあれば|泥棒《どろばう》の|初商《はつあきな》ひに、|持物《もちもの》|一切《いつさい》を|剥《は》ぎ|取《と》つてやるから|有難《ありがた》く|思《おも》へ』
|丁《てい》『そ、そ、そんな|無茶《むちや》な|事《こと》を|言《い》ふものでない、|泥棒《どろばう》をしたい|者《もの》は|親《おや》や|子《こ》のある|者《もの》のすることぢやない。|俺達《おれたち》は|親《おや》もあれば|子《こ》もあるのだから、|何卒《どうぞ》|此《この》|儘《まま》に|助《たす》けてくれ。なア|戊《ぼう》、お|前《まへ》もさうだらう』
|戊《ぼう》『ウン、|私《わし》も|老母《らうぼ》が|一人《ひとり》|残《のこ》つてるのだから、|親《おや》|一人《ひとり》|子《こ》|一人《ひとり》だ。「|毎日《まいにち》|日日《ひにち》バラモン|大神《おほかみ》に……|吾《わが》|子《こ》が|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》になりますやうに、|人《ひと》の|物《もの》が|欲《ほ》しいといふやうな|根性《こんじやう》になりませぬやうに……と|祈《いの》つてるから、|悪《わる》い|心《こころ》は|出《だ》してくれな」と|家《うち》を|出《で》る|時《とき》に|俺《おれ》の|袖《そで》にすがつて|意見《いけん》したのだから、これ|丈《だけ》は|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りたいなア』
|乙《おつ》『アハハハハ、|腰抜《こしぬけ》だな。そんなら|今日《けふ》は|開業祝《かいげふいはひ》に、|汝等《きさまら》|両人《りやうにん》は|大目《おほめ》に|見《み》てやる。|其《その》|代《かは》りに|懐《ふところ》に|持《も》つてゐる|金《かね》を|半分《はんぶん》|許《ばか》り|此方《こちら》へよこせ。|大難《だいなん》を|小難《せうなん》にまつりかへてやるのだから……』
|甲《かふ》『オイ|乙《おつ》、|此奴等《こいつら》|五人《ごにん》は|今《いま》|迄《まで》|兄弟《きやうだい》|同様《どうやう》にしてゐたのだから、スツパリと|許《ゆる》してやれ、|又《また》|此処《ここ》に|居《を》れば|沢山《たくさん》|人《ひと》が|通《とほ》るから、|幾《いく》らでも|商売《しやうばい》は|出来《でき》るからのう』
|乙《おつ》『オイ、|丁《てい》、|戊《ぼう》|両人《りやうにん》、|今日《けふ》は|見逃《みのが》してやる。|汝《きさま》に|軍刀《ぐんたう》を|持《も》たしておくと、|気違《きちが》ひに|刃物《はもの》を|持《も》たしたやうなものだ。なまじひ、|道徳《だうとく》に|捉《とら》はれて、|天下《てんか》の|為《ため》に|害悪《がいあく》を|除《のぞ》くのだなどと、|気《き》が|狂《くる》ひ、|俺等《おれたち》の|寝首《ねくび》をかくかも|知《し》れないから、|軍刀《ぐんたう》を|此方《こちら》へよこせ』
|丁《てい》|戊《ぼう》『これは|故郷《こきやう》へ|土産《みやげ》に|持《も》つて|帰《かへ》り、|家《いへ》の|宝《たから》とするのだから、|決《けつ》してお|前達《まへたち》の|首《くび》を|狙《ねら》ふ|気遣《きづか》ひはない。|何卒《どうぞ》、スツパリと|今日《けふ》は|見逃《みのが》してくれ』
|乙《おつ》『エ、そんなら、|汝《きさま》と|俺《おれ》とは|今日《けふ》から|国交断絶《こくかうだんぜつ》だ。サ、|一時《いつとき》も|早《はや》く|公使館《こうしくわん》を|引上《ひきあ》げるのだ。シーツ シーツ シーツ』
|丁《てい》『|居留民《きよりうみん》は|何《ど》う|致《いた》しませうかな』
|乙《おつ》『エー、キヨル(|居留《きよりう》)キヨルせずに、|早《はや》く|退却《たいきやく》せぬかい、|汝《きさま》は|最早《もはや》|敵国《てきこく》の|人民《じんみん》だ。シーツ シーツ シーツ』
|丁戊《ていぼう》は|暗《やみ》の|道《みち》を|無性矢鱈《むしやうやたら》に、|星影《ほしかげ》を|力《ちから》にし|乍《なが》ら、|命《いのち》カラガラ|逃《に》げて|行《ゆ》く。
|治道居士《ちだうこじ》は|此《この》|囁《ささや》きを|聞《き》いて、|数珠《じゆず》をつまぐり|乍《なが》ら|声《こゑ》も|涼《すず》しく、
|治道《ちだう》『|或被悪人逐《わくひあくにんちく》 |堕落金剛山《だらくこんがうせん》 |念彼観音力《ねんぴくわんのんりき》 |不能損一毛《ふのうそんいちまう》
|或値怨賊繞《わくちをんぞくねう》 |各執刀加害《かくしふたうかがい》 |念彼観音力《ねんぴくわんのんりき》 |咸即起慈心《げんそくきじしん》』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》に|念《ねん》じ|出《だ》した。
|甲《かふ》『オイ、|何《なん》だか|気《き》にくわぬ|事《こと》を|言《い》ふぢやないか。|観音《くわんのん》の|力《ちから》を|念《ねん》じたら、|賊《ぞく》が|忽《たちま》ち|改心《かいしん》すると|云《い》つてゐやがるやうだ。オイ|何《なん》だか|幸先《さいさき》を|折《を》られたやうで、|余《あま》り|気持《きもち》が|宜《よ》うないぢやないか、チツとコラ、|思案《しあん》をしなほさななるまいぞ』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|念彼観音力《ねんぴくわんのんりき》もあつたものかい。そんなこた、|屁《へ》でもないワイ。|尻喰《けつくら》へ|観音力《くわんのんりき》だ。そんな|弱《よわ》い|事《こと》で、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|泥棒社会《どろばうしやくわい》に|紳士《しんし》として|立《た》つて|行《ゆ》く|事《こと》が|出来《でき》るか、|馬鹿《ばか》だなア。どこの|糞坊主《くそばうず》か|知《し》らぬが、|俺達《おれたち》が|怖《こは》さに|慄《ふる》ひ|上《あが》つて、|仕様《しやう》もない|無形無声《むけいむせい》の|観音《くわんのん》を|拝《をが》んだつて、|天教山《てんけうざん》の|木花姫《このはなひめ》はメツタに|降臨《かうりん》|遊《あそ》ばす|気遣《きづか》ひはないワ。サア、|幸《さいはひ》いい|鳥《とり》が|来《き》よつたのだから、|彼奴《あいつ》だつて、チツと|位《ぐらゐ》|旅費《りよひ》は|持《も》つてるだらう。|商売初《しやうばいはじ》めだ。コリヤ、|甲《かふ》、|丙《へい》、チツと|勉強《べんきやう》せぬかい。ああ|大商店《だいしやうてん》の|主人《しゆじん》になると、|気《き》の|揉《も》める|事《こと》だワイ。|人《ひと》を|使《つか》へば|苦《く》を|使《つか》ふ。|命掛《いのちがけ》の|商売《しやうばい》をせうと|思《おも》へば、どうしても|乾分《こぶん》に|確《しつか》りした|奴《やつ》がゐなくちや|駄目《だめ》だ』
と|小声《こごゑ》に|呟《つぶや》き|乍《なが》ら、|治道居士《ちだうこじ》の|声《こゑ》を|目当《めあて》に|近《ちか》より|行《ゆ》く。|始《はじ》めての|泥棒《どろばう》の|事《こと》とて、|強《つよ》い|事《こと》を|口《くち》で|行《い》つてゐても、|何処《どこ》ともなしに|手足《てあし》がワナワナと|慄《ふる》へてゐた。|甲《かふ》|丙《へい》|両人《りやうにん》も|同《おな》じく|慄《ふる》ひ|乍《なが》ら|乙《おつ》の|後《うしろ》に|跟《つ》いて|行《ゆ》く。|祠《ほこら》の|前《まへ》には|雷《らい》の|如《ごと》き|鼾《いびき》が|聞《きこ》えて|居《ゐ》る。
|乙《おつ》『コココラ、キキキサマは、ドドドドコの|奴《やつ》ぢやい。ササ|最前《さいぜん》から、|観音《くわんのん》を、|拝《をが》んでゐよつたが、そんな|事《こと》で、ビクつくやうな|泥棒《どろばう》さまぢやないぞ。サア、|持物《もちもの》|一切《いつさい》を、|綺麗《きれい》、サツパリと、|此処《ここ》で|脱《ぬ》いで……|下《くだ》さいませぬか……ウン、|違《ちが》ふ|違《ちが》ふ、|脱《ぬ》いで、|渡《わた》さぬかい。|厭《いや》ぢやなんぞと|吐《ぬか》すが|最後《さいご》、|汝《きさま》の|素《そ》ツ|首《くび》ひつつかまへ、|笠《かさ》の|台《だい》をチヨン|切《ぎ》つて|炊《た》いて|食《く》て|了《しま》うてやるぞ。|俺《おれ》を|何方《どなた》と|心得《こころえ》てる。バラモン|教《けう》に|於《おい》て|驍名《げうめい》かくれなき|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》の|部下《ぶか》ベル、シヤル、ヘル|三人《さんにん》だ。サ、|綺麗《きれい》サツパリと|脱《ぬ》いだり|脱《ぬ》いだり。コラ、シヤル、ヘル、|汝《きさま》もチツと|加勢《かせい》を|致《いた》さぬかい……|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》だぞ。|親方《おやかた》|許《ばか》りに|働《はたら》かすといふ|事《こと》があるか』
ヘル『さうだから、こんな|商売《しやうばい》は|止《や》めといふのだよ』
ベル『|乗《の》りかけた|舟《ふね》だ。|今《いま》となつて|卑怯未練《ひけふみれん》にやめられるかい。|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》の|顔《かほ》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》るやうなものだ。|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》は|堂々《だうだう》と|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》を|引率《いんそつ》して、|強盗《がうたう》|強姦《がうかん》|放火《つけび》まで|遊《あそ》ばしたでないか。|運《うん》がよければ|人《ひと》の|国《くに》まで|占領《せんりやう》せうと|云《い》ふ|大泥棒《おほどろばう》さまだ。それの|乾児《こぶん》たる|俺達《おれたち》が、そんな|弱《よわ》い|事《こと》でどうならうかい』
ヘル『それでも、|将軍様《しやうぐんさま》は|神様《かみさま》の|為《ため》、|国家《こくか》の|危急《ききふ》を|救《すく》ふ|為《ため》に、|敵《てき》を|亡《ほろ》ぼすべくお|出《い》でになつたのだ。つまり|云《い》へば|天下《てんか》|公共《こうきよう》の|為《ため》の|泥棒《どろばう》だ。|一身一家《いつしんいつか》の|利害《りがい》の|為《ため》になさるのぢやないから、|一概《いちがい》には|云《い》へまいぞ。そんな|事《こと》|思《おも》うてると、|却《かへつ》て|将軍様《しやうぐんさま》の|顔《かほ》に|泥《どろ》を|塗《ぬ》るやうなものだぞ』
ベル『エー、|弱《よわ》い|奴《やつ》だな。コリヤ|修験者《しうげんじや》……か|何《なに》か|知《し》らぬが、くたばつたとみえて、|念彼観音力《ねんぴくわんのんりき》もほざかぬやうになつたでないか。サア、とつとと|持物《もちもの》を|渡《わた》したり|渡《わた》したり』
|治道《ちだう》『|拙者《せつしや》は|治道《ちだう》と|申《まを》す|修験者《しうげんじや》で|厶《ござ》る。|併《しか》し|乍《なが》ら|衣類《いるゐ》を|渡《わた》す|訳《わけ》にはいかぬ。ここに|金《かね》があるから、|之《これ》を|其《その》|方《はう》に|遣《つか》はす。|一時《いちじ》も|早《はや》く|国元《くにもと》へ|帰《かへ》り、|泥棒《どろばう》を|思《おも》ひ|切《き》つて、|正業《せいげふ》についたが|宜《よ》からうぞ』
ベル『ヤア、|此奴《こいつ》、|中々《なかなか》|気《き》の|利《き》いた|事《こと》を|言《い》ひやがるワイ、オイ|百両《ひやくりやう》や|二百金《にひやくきん》の|目腐《めくさ》れ|金《がね》で、|遠《とほ》い|道《みち》を|歩《ある》いて|国《くに》へ|帰《かへ》れば、|後《あと》にや|何《なん》にも|残《のこ》らない。|一体《いつたい》|幾《いく》ら|渡《わた》すといふのだい』
|治道《ちだう》『これつきり、|泥棒《どろばう》をせないといふのならば、|相当《さうたう》に|金《かね》を|渡《わた》してやらぬ|事《こと》はない。|幾《いく》らくれと|云《い》ふのだ』
ベル『ウーン、|一寸《ちよつと》|待《ま》つてくれ。|一《ひと》つ|計算《けいさん》をせぬと|分《わか》らぬワイ。……これからハルナの|近在《きんざい》まで|帰《かへ》る|迄《まで》には、|何程《なにほど》|倹約《けんやく》|致《いた》しても|一人前《いちにんまへ》|百両《ひやくりやう》の|金《かね》が|入《い》る。それから|母者人《ははじやびと》の|土産《みやげ》に|百両《ひやくりやう》、|女房《にようばう》の|土産《みやげ》に|二百両《にひやくりやう》、|子供《こども》の|土産《みやげ》に|百両《ひやくりやう》、|都合《つがふ》|五百両《ごひやくりやう》だ。|併《しか》しそれでは|無一文《むいちもん》で|商売《しやうばい》は|出来《でき》ない。|何程《なにほど》ちつぽけな|八百屋店《やほやみせ》を|出《だ》しても、|八百屋《はつぴやくや》だから|八百両《はつぴやくりやう》はいる。さうすると|一人前《ひとりまへ》|千三百両《せんさんびやくりやう》、|都合《つがふ》|三千九百両《さんぜんきうひやくりやう》だ。そこへ|千円《せんゑん》は|着物代《きものだい》として|此方《こちら》へ|綺麗《きれい》サツパリと|渡《わた》せばよし、|四《し》の|五《ご》の|吐《ぬか》すと|命《いのち》も|共《とも》にバラして|了《しま》ふぞ。バラすのはバラモンの|特色《とくしよく》だ』
ヘル『モシモシ|旅《たび》のお|方《かた》、|余《あま》り|厚《あつ》かましう|申《まを》しますけれど、|此奴《こいつ》は|云《い》ひかけたら|聞《き》かぬ|奴《やつ》ですから、|何卒《どうぞ》|半分《はんぶん》でも|宜《よろ》しいから|恵《めぐ》んで|下《くだ》さいますまいかな。のうシヤル、|皆《みな》|貰《もら》ふのは|余《あま》り|厚《あつ》かましいぢやないか』
ベル『エー、|傍《そば》から|茶々《ちやちや》を|入《い》れやがつて、|主人《しゆじん》の|商売《しやうばい》を|番頭《ばんとう》が|邪魔《じやま》するといふ|事《こと》があるか、|気《き》の|利《き》かない|奴《やつ》だなア』
|治道《ちだう》『|四千九百円《しせんくひやくゑん》は|四《し》と|九《く》がついて、|面白《おもしろ》くない。ドツと|張込《はりこ》んで|五千両《ごせんりやう》やるから、|之《これ》を|持《も》つて|早《はや》く|国許《くにもと》へ|帰《かへ》り|正業《せいげふ》に|就《つ》いたが|可《い》いぞ。そして|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|其《その》|他《た》のカーネルは、|何《いづ》れも|三五教《あななひけう》の|誠《まこと》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》したのだから、お|前達《まへたち》も|国《くに》へ|帰《かへ》つたら|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》し、|仮《か》りにも|人《ひと》の|物《もの》を|盗《ぬす》んだり、|今《いま》|迄《まで》のやうな|殺伐《さつばつ》な|事《こと》はキツとするでないぞ。サ、|手《て》を|出《だ》せ、|此処《ここ》に|五千両《ごせんりやう》の|包《つつ》みがある、|検《あらた》めて|受取《うけと》つたがよからうぞ』
ベルは|怖《おそ》れ|乍《なが》ら、|声《こゑ》を|知《し》るべに|手《て》をニユツと|出《だ》した。|鬼春別《おにはるわけ》の|治道《ちだう》は、|其《その》|手《て》をグツと|握《にぎ》つた。
ベル『アイタタタタ、オイ|皆《みな》の|奴《やつ》、|大変《たいへん》|手《て》の|利《き》いた|奴《やつ》だ。チツと|来《き》て|加勢《かせい》をしてくれぬかい、|中々《なかなか》|金《かね》をくれさうにないぞ』
|治道《ちだう》『アハハハハ|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、|泥棒《どろばう》の|失敗《しつぱい》も|又《また》|旅情《りよじやう》を|慰《なぐさ》むるには|一興《いつきよう》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|俺《おれ》も|男《をとこ》だ。|五千両《ごせんりやう》|恵《めぐ》んでやると|云《い》つた|以上《いじやう》は、メツタに|後《あと》へは|引《ひ》かぬ。|道貫《だうくわん》、|素道《そだう》、|求道殿《きうだうどの》、|貴方《あなた》もいいかげんに|目《め》を|醒《さ》ましなさい。|面白《おもしろ》い|事《こと》が|出来《でき》て|居《を》りますよ』
|道貫《だうくわん》『ハハハハ、イヤ|最前《さいぜん》から、|吾々《われわれ》|三人《さんにん》は|鼾《いびき》をかいて|様子《やうす》を|考《かんが》へて|居《を》りました。|随分《ずいぶん》|困《こま》つた|奴《やつ》ですな。|三千人《さんぜんにん》の|中《なか》では、こんな|奴《やつ》もタマには|出来《でき》るでせう。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴方《あなた》は|五千両《ごせんりやう》やりますか、|然《しか》らば|私《わたし》も|一千両《いつせんりやう》やりませう』
ベル『イヤ、|何処《どこ》の|何方《どなた》か|知《し》りませぬが、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|何卒《なにとぞ》|御姓名《ごせいめい》をお|聞《き》かせ|下《くだ》さいませ』
|治道《ちだう》『ウン、|俺《おれ》は|治道《ちだう》といふ|修験者《しうげんじや》だ。お|前《まへ》に|千両《せんりやう》やらうといふは|道貫《だうくわん》といふ|男《をとこ》だ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|国許《くにもと》へ|帰《かへ》つて|正業《せいげふ》に|就《つ》いたがよからうぞ』
『ハイ|有難《ありがた》う』と|幾度《いくたび》も|礼《れい》を|云《い》ひ|乍《なが》ら、ベル、シヤル、ヘルの|三人《さんにん》は、|六千両《ろくせんりやう》の|金《かね》を|二千両《にせんりやう》づつ|分配《ぶんぱい》し、|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|此《この》|祠《ほこら》を|暗《やみ》に|紛《まぎ》れて|立去《たちさ》りにける。
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 松村真澄録)
第一六章 |幽貝《いうかひ》〔一四二四〕
|鬼春別《おにはるわけ》の|治道居士《ちだうこじ》  |道貫《だうくわん》|素道《そだう》|求道居士《きうだうこじ》
|此《この》|四柱《よはしら》の|修験者《しうげんじや》  |北《きた》の|森《もり》をば|立出《たちい》でて
ブーブーブーと|法螺《ほら》の|貝《かひ》  |吹《ふ》き|立《た》て|山野《さんや》の|木精《こだま》をば
|響《ひび》かせ|乍《なが》らスタスタと  |杖《つゑ》を|力《ちから》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|治道居士《ちだうこじ》は|北《きた》の|森《もり》を|立出《たちい》で、|三人《さんにん》と|共《とも》にシメジ|峠《たうげ》の|南麓《なんろく》に|着《つ》いた。これから|先《さき》は|非常《ひじやう》な|難所《なんしよ》が|処々《ところどころ》にある。|人通《ひとどほ》りさへなき|昼《ひる》|猶《なほ》|暗《くら》き|樹木《じゆもく》の|茂《しげ》る|坂道《さかみち》を|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎ|登《のぼ》り|乍《なが》ら|足拍子《あしびやうし》をとり|歌《うた》ひ|行《ゆ》く。
『|猪倉山《ゐのくらやま》の|峰続《みねつづ》き  |此処《ここ》は|名《な》におふシメジ|坂《ざか》
|駒《こま》も|通《かよ》はぬ|阪道《さかみち》を  |神《かみ》の|手綱《たづな》に|曳《ひ》かれつつ
|沙門《しやもん》の|姿《すがた》に|身《み》を|変《か》へて  |至善《しぜん》|至上《しじやう》の|神《かみ》の|道《みち》
|治《をさ》めて|世人《よびと》を|救《すく》はむと  |心《こころ》の|駒《こま》に|鞭撻《むちう》つて
|吾々《われわれ》|四人《よにん》は|登《のぼ》り|行《ゆ》く  ハアハアハアハアきつい|阪《さか》
|御一同《ごいちどう》|気《き》をつけ|成《な》されませ  もしも|転落《てんらく》した|時《とき》は
|折角《せつかく》|神《かみ》に|許《ゆる》された  |照国山《てるくにやま》の|荒行《あらぎやう》も
サツパリ|駄目《だめ》になりまする  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|昨日《きのふ》に|変《かは》る|今日《けふ》の|空《そら》  ハアハアハアハア ウンウンウン
|実《げ》に|騒《さわ》がしき|蝉《せみ》の|声《こゑ》  その【ひぐらし】の|杣人《そまびと》も
|容易《ようい》に|渡《わた》らぬ|此《この》|阪《さか》を  |登《のぼ》るは|苦《くる》しき|様《やう》なれど
|山《やま》と|積《つ》みてし|罪科《つみとが》を  |神《かみ》の|御水火《みいき》に|祓《はら》はれて
|栄《さか》え|久《ひさ》しき|天国《てんごく》に  |上《のぼ》りて|行《ゆ》かむ|首途《かどいで》と
|思《おも》ひまはせばハアハアハア  |何程《なにほど》|阪《さか》は|峻《けは》しとも
|如何《いか》でか|怯《ひる》まむ|惟神《かむながら》  |進《すす》めば|広《ひろ》き|平地《へいち》あり
|此《この》|難関《なんくわん》を|乗《の》り|越《こ》えて  |花《はな》|爛漫《らんまん》と|開《ひら》きたる
|神《かみ》の|御園《みその》に|進《すす》みなば  |今《いま》|絞《しぼ》り|出《だ》す|汗脂《あせあぶら》
|苦《く》もなくここに|拭《ふ》き|取《と》られ  |神《かみ》の|御国《みくに》のエンゼルと
|此《この》|世《よ》ながらに|健《まめ》やかに  |仕《つか》へて|神《かみ》と|道《みち》のため
|世人《よびと》のために|面白《おもしろ》き  |尊《たふと》き|余生《よせい》を|送《おく》り|得《え》む
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|軍人《いくさびと》  |今《いま》は|心《こころ》も|和《やは》らぎて
|大慈《だいじ》|大悲《だいひ》の|弥勒神《みろくしん》  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|蒙《かがぶ》りつ
ビクの|神国《みくに》を|指《さ》して|行《ゆ》く  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|深《ふか》くして  |吾《わが》|行《ゆ》く|道《みち》に|曲《まが》もなく
|悪《あ》しき|獣《けもの》の|災《わざはひ》も  あらずに|進《すす》ませ|玉《たま》へかし
|駒《こま》|曳《ひ》きつれて|此《この》|阪《さか》を  |下《くだ》りし|時《とき》のハアハアハア
|吾《わが》|勢《いきほひ》に|比《くら》ぶれば  |今《いま》は|天地《てんち》の|相違《さうゐ》あり
|悪鬼《あくき》|羅刹《らせつ》は|忽《たちま》ちに  |仁慈無限《じんじむげん》のエンゼルと
|変化《へんくわ》したるも|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|司《つかさ》の|御賜物《みたまもの》
|仰《あふ》げば|高《たか》し|久方《ひさかた》の  |天津御空《あまつみそら》に|照《て》り|渡《わた》る
|月日《つきひ》の|恵《めぐみ》いと|清《きよ》く  |四方《よも》の|草木《くさき》はスクスクと
|茂《しげ》り|栄《さか》えて|天国《てんごく》の  |姿《すがた》を|写《うつ》す|楽《たの》しさよ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》のまにまに|進《すす》む|身《み》は
いづくの|空《そら》に|至《いた》るとも  |如何《いか》でか|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|大和心《やまとごころ》の|照《て》る|限《かぎ》り  |心《こころ》も|身《み》をも|筑紫潟《つくしがた》
|高砂島《たかさごじま》の|果《は》て|迄《まで》も  |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|道《みち》
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  ウントコドツコイ ドツコイシヨ
|天地《てんち》の|主《ぬし》と|現《あれ》ませる  |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
エミシの|求道居士《きうだうこじ》は|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》し|乍《なが》ら|一行《いつかう》の|前《さき》に|立《た》つて|元気《げんき》よく|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
|求道《きうだう》『|春《はる》は|花《はな》|咲《さ》き|鳥《とり》|歌《うた》ひ  |草木《くさき》の|末《すゑ》も|青々《あをあを》と
|茂《しげ》り|栄《さか》ゆる|夏《なつ》の|日《ひ》も  いつしか|越《こ》えて|秋《あき》の|風《かぜ》
|木枯《こがらし》|荒《すさ》む|冬《ふゆ》の|空《そら》  |満天《まんてん》|忽《たちま》ち|雪雲《ゆきぐも》に
|包《つつ》まれ|月日《つきひ》を|隠《かく》せども  |軈《やが》て|一陽来復《いちやうらいふく》の
|再《ふたた》び|春《はる》が|来《く》る|時《とき》は  |又《また》もや|山野《さんや》は|爛漫《らんまん》と
いと|美《うる》はしき|花《はな》ぞ|咲《さ》く  |世《よ》の|有様《ありさま》を|眺《なが》むれば
これの|地上《ちじやう》に|生《うま》れたる  |人《ひと》の|身魂《みたま》も|何時《いつ》しかに
|移《うつ》り|変《かは》らぬ|事《こと》やある  バラモン|軍《ぐん》のカーネルと
|数多《あまた》の|軍兵《ぐんぴやう》|指揮《しき》なして  |威張《ゐば》り|散《ち》らした|此《この》エミシ
|今《いま》は|全《まつた》くハアハアハア  |神《かみ》の|教《をしへ》に|目《め》を|覚《さ》まし
|執着心《しふちやくしん》を|放擲《はうてき》し  |現幽神界《げんいうしんかい》|一体《いつたい》の
|救《すく》ひの|道《みち》に|進《すす》み|入《い》り  |至善《しぜん》|至上《しじやう》の|御教《みをしへ》を
|体得《たいとく》したる|嬉《うれ》しさよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |地異天変《ちいてんぺん》は|起《おこ》るとも
|神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》  |如何《いか》でか|初心《しよしん》をドツコイシヨ
|翻《ひるがへ》さむや|惟神《かむながら》  |神《かみ》に|任《まか》せし|此《この》|体《からだ》
|照国山《てるくにやま》の|谷間《たにあひ》で  |百日百夜《ももかももよ》の|行《ぎやう》|修《をさ》め
|神《かみ》の|御徳《みとく》を|身《み》に|享《う》けて  |世人《よびと》を|救《すく》ふ|比丘《びく》となり
|月照彦《つきてるひこ》の|大神《おほかみ》の  |守《まも》らせ|玉《たま》ふ|月《つき》の|国《くに》
いや|永久《とこしへ》に|開《ひら》くべし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
かく|歌《うた》ひ|乍《なが》らシメジ|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》した。|風《かぜ》に|曝《さら》されて|洒落《しやれ》きつた|面白《おもしろ》い|松《まつ》の|木《き》が|六七本《ろくしちほん》|並《なら》んでゐる。|四人《よにん》は|松《まつ》の|根《ね》に|腰打掛《こしうちか》け|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら|少時《しばし》|息《いき》を|休《やす》めてゐる。
|治道《ちだう》『|見渡《みわた》せば|四方《よも》の|山々《やまやま》|青葉《あをば》して
|心《こころ》も|清《きよ》く|晴《は》れ|渡《わた》るなり』
|道貫《だうくわん》『ライオンの|川《かは》の|流《なが》れは|弥遠《いやとほ》く
|帯《おび》の|如《ごと》くに|見《み》えにけるかな』
|素道《そだう》『|見渡《みわた》せば|何処《いづこ》も|同《おな》じ|天国《てんごく》の
|姿《すがた》なるらむ|青々《あをあを》として』
|求道《きうだう》『|大空《おほぞら》も|大地《だいち》の|上《うへ》も|青々《あをあを》と
|綾《あや》を|翳《かざ》して|塵《ちり》もとどめず。
|年《とし》|老《お》いし|松《まつ》の|木蔭《こかげ》に|休《やす》らひて
|汗《あせ》|拭《ふ》き|払《はら》ふ|峰《みね》の|夏風《なつかぜ》』
|治道《ちだう》『|吹《ふ》く|風《かぜ》は|天津神国《あまつみくに》の|神人《かみびと》の
|御水火《みいき》なるらむいとも|涼《すず》しき』
|素道《そだう》『|苦《くる》しみて|漸《やうや》くここに|登《のぼ》り|見《み》れば
|涼《すず》しき|風《かぜ》の|吾《われ》を|待《ま》ちぬる』
|道貫《だうくわん》『いざさらば|此《この》|阪道《さかみち》を|下《くだ》るべし
つづかせ|玉《たま》へ|神司《かむつかさ》|等《たち》』
|求道《きうだう》『これよりは|愈《いよいよ》|下《くだ》り|阪《ざか》となる
されど|身魂《みたま》は|神国《みくに》に|上《のぼ》る』
かく|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|四人《よにん》は|危《あやふ》き|阪道《さかみち》を|一歩々々《ひとあしひとあし》|注意《ちうい》しつつ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|道貫《だうくわん》は|又《また》|歌《うた》ふ。
|道貫《だうくわん》『バラモン|教《けう》の|久米彦《くめひこ》と  |世《よ》に|謳《うた》はれし|将軍《しやうぐん》も
|時世時節《ときよじせつ》の|力《ちから》にて  |心《こころ》の|駒《こま》を|立《た》て|直《なほ》し
|自《みづか》ら|鞭撻《むちう》つ|膝栗毛《ひざくりげ》  ビクビクビクとビクの|国《くに》
|比丘《びく》の|姿《すがた》に|身《み》を|窶《やつ》し  |心《こころ》の|鑑《かがみ》も|照国《てるくに》の
|山《やま》の|谷間《たにま》に|立向《たちむか》ひ  |谷間《たにま》を|落《お》ちる|岩清水《いはしみづ》
|鼓《つづみ》の|滝《たき》に|身《み》を|打《う》たせ  |汚《けが》れ|果《は》てたる|垢離《くり》をとり
|霊肉《れいにく》ともに|清浄《しやうじやう》に  |立直《たちなほ》したるその|上《うへ》で
ビクトル|山《さん》の|神殿《しんでん》に  |参拝《さんぱい》なして|今《いま》|迄《まで》の
|犯《おか》せし|罪《つみ》を|悉《ことごと》く  |謝《あやま》り|詫《わ》びてビクトリヤ
|王《わう》の|御前《みまへ》に|参向《さんかう》し  |過《す》ぎにし|春《はる》の|無礼《ぶれい》をば
|拝謝《はいしや》しまつり|三五《あななひ》の  |誠《まこと》の|道《みち》の|教《をし》へ|子《ご》と
|仕《つか》へまつらむ|吾《わが》|心《こころ》  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》に|慎《つつし》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|今《いま》まで|悪《あく》を|尽《つく》したる  |心《こころ》の|暗《くら》き|久米彦《くめひこ》も
|忽《たちま》ち|日出《ひので》の|守護《しゆご》となり  |吾《わが》|精霊《せいれい》は|天国《てんごく》に
|上《のぼ》りて|神《かみ》の|栄光《えいくわう》に  |仕《つか》ふる|身《み》とはなりにけり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|恵《めぐ》みを|慎《つつし》みて
|喜《よろこ》び|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る』
|素道《そだう》は|阪《さか》を|下《くだ》り|漸《やうや》く|平地《へいち》に|着《つ》いて|元気《げんき》を|恢復《くわいふく》し、|人並《ひとなみ》に|歌《うた》はねばならぬと|思《おも》つたか、|妙《めう》な|皺枯《しわが》れ|声《ごゑ》を|出《だ》して|一歩々々《ひとあしひとあし》|拍子《ひやうし》をとり|歌《うた》ひ|始《はじ》めたり。
『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》  |治国別《はるくにわけ》に|助《たす》けられ
|誠《まこと》の|道《みち》を|悟《さと》りてゆ  |今《いま》|迄《まで》つづけし|罪業《ざいごふ》が
いと|恐《おそ》ろしくなり|来《きた》り  |死後《しご》の|生涯《しやうがい》ある|事《こと》を
|思《おも》へば|短《みじか》き|現世《げんせ》にて  |小《ちひ》さき|慾《よく》に|踏《ふ》み|迷《まよ》ひ
|名利《めいり》の|奴隷《どれい》となるよりも  |一切万事《いつさいばんじ》|執着《しふちやく》の
|衣《きぬ》|脱《ぬ》ぎ|棄《す》てて|比丘《びく》となり  |生《うま》れ|赤児《あかご》となり|変《かは》り
|此《この》|世《よ》を|捨《す》てし|修験者《しうげんじや》  |本来《ほんらい》|此《この》|世《よ》は|無東西《むとうざい》
|何処有南北《かしようなんぼく》|是宇宙《これうちう》  |色即是空《しきそくぜくう》の|世《よ》の|習《なら》ひ
|空即是色《くうそくぜしき》の|真諦《しんたい》を  |漸《やうや》く|悟《さと》り|吾々《われわれ》は
|剣《つるぎ》を|棄《す》てて|言霊《ことたま》の  |神《かみ》の|依《よ》さしの|御剣《みつるぎ》に
|持《も》ち|直《なほ》したる|嬉《うれ》しさよ  ブーブーブーと|法螺《ほら》の|貝《かひ》
|吹《ふ》き|鳴《な》らし|行《ゆ》く|嬉《うれ》しさは  |此《この》|世《よ》に|生《い》きて|人慾《にんよく》に
|囚《とら》はれ|居《ゐ》たる|人《ひと》の|身《み》の  |転迷開悟《てんめいかいご》の|声《こゑ》|聞《き》いて
|目《め》を|覚《さ》ましたる|鬨《とき》の|声《こゑ》  そも|法螺貝《ほらがひ》と|云《い》ふ|奴《やつ》は
|生《いき》たる|時《とき》は|声《こゑ》もなし  |死《し》んで|死骸《しがい》となりし|時《とき》
|生言霊《いくことたま》の|息《いき》により  |大《だい》なる|声《こゑ》を|張《は》り|上《あ》げて
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|山彦《やまびこ》を  |驚《おどろ》かし|行《ゆ》く|健気《けなげ》さよ
|吾《われ》も|現世《げんせ》に|住《す》まひては  いとも|小《ちひ》さきものにして
|呼《よ》ばはる|国《くに》は|四方《よも》の|国《くに》  |轟《とどろ》く|術《すべ》もなけれども
|此《この》|世《よ》を|去《さ》りて|霊界《れいかい》に  |復活《ふくくわつ》したる|其《その》|時《とき》は
|此《この》|法螺貝《ほらがひ》ぢやなけれども  |其《その》|言霊《ことたま》は|弥高《いやたか》く
|高天原《たかあまはら》に|鳴《な》り|渡《わた》り  |中有界《ちううかい》や|地獄界《ぢごくかい》
|彷徨《さまよ》ひ|苦《くる》しむ|身魂《みたま》をば  いとも|尊《たふと》き|天国《てんごく》へ
|導《みちび》き|悟《さと》す|瑞祥《ずゐしやう》と  |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|吹《ふ》き|立《た》てる
プープープープー プツプツプツ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
かく|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|四人《よにん》は|列《れつ》を|正《ただ》しうしてビクの|国《くに》へは|立寄《たちよ》らず、|直《ただ》ちに|荊棘《けいきよく》|茂《しげ》る|山道《やまみち》を|分《わ》けて|照国山《てるくにやま》の|谷間《たにま》、|清《きよ》めの|滝《たき》に|向《むか》つて|一目散《いちもくさん》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|死《し》んでから|大《いか》い|声《こゑ》|出《だ》す|法螺《ほら》の|貝《かひ》
|改心《かいしん》の|言霊《ことたま》を|吹《ふ》く|法螺《ほら》の|貝《かひ》
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 北村隆光録)
第四篇 |法念舞詩《ほふねんぶし》
第一七章 |万巌《まんがん》〔一四二五〕
|玉置《たまき》の|村《むら》のテームスは|治国別《はるくにわけ》の|教《をしへ》を|聞《き》いて|今《いま》|迄《まで》の|貪慾心《どんよくしん》や|執着心《しふちやくしん》を|弊履《へいり》を|捨《す》つるが|如《ごと》くに|脱却《だつきやく》し、|広《ひろ》き|邸《やしき》を|開放《かいはう》し|村人《むらびと》の|共有《きよういう》とし、|且《か》つ|山林《さんりん》|田畑《でんばた》を|村内《そんない》に|提供《ていきよう》して|共有《きよういう》となし、|茲《ここ》に|一団《いちだん》となつて|新《あたら》しき|村《むら》を|経営《けいえい》する|事《こと》となつた。|先《ま》づ|大神《おほかみ》の|神殿《しんでん》を|造営《ざうえい》すべく|村人《むらびと》は|今《いま》|迄《まで》テームスの|持《も》ち|山《やま》たりし|遠近《をちこち》の|山《やま》に|分《わ》け|入《い》つて|木《き》を|切《き》り|板《いた》を|挽《ひ》き、|日夜《にちや》|赤心《まごころ》を|尽《つく》し、|漸《やうや》くにして|一ケ月《いつかげつ》を|経《へ》たる|後《のち》|仮宮《かりみや》を|造営《ざうえい》し、|大神《おほかみ》を|鎮座《ちんざ》する|事《こと》となつた。|治国別《はるくにわけ》は|村人《むらびと》に|教《をしへ》を|伝《つた》ふべく、|又《また》この|神館《かむやかた》の|完成《くわんせい》する|迄《まで》|神勅《しんちよく》に|依《よ》つて|待《ま》つ|事《こと》とした。|数百人《すうひやくにん》の|老若男女《らうにやくなんによ》は|悦《よろこ》び|勇《いさ》みて|社前《しやぜん》に|集《あつ》まり、この|盛大《せいだい》なる|盛典《せいてん》に|列《れつ》した。|治国別《はるくにわけ》は|祭主《さいしゆ》となり、|神殿《しんでん》に|向《むか》つて|祝詞《のりと》くづしの|宣伝歌《せんでんか》を|奏上《そうじやう》した。
|治国別《はるくにわけ》『|久方《ひさかた》の|天津御空《あまつみそら》の|高天原《たかあまはら》に、|鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|大国常立《おほくにとこたち》の|大神《おほかみ》、|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大神《おほかみ》|伊邪那美《いざなみ》の|大神《おほかみ》、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》を|初《はじ》め|奉《まつ》り、|天津神《あまつかみ》|国津神《くにつかみ》|八百万《やほよろづ》の|神達《かみたち》の|御前《みまへ》に、|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》|治国別《はるくにわけ》の|命《みこと》、|清《きよ》き|尊《たふと》き|珍《うづ》の|御前《みまへ》に|慎《つつし》み|敬《ゐやま》ひ、|畏《かしこ》み|畏《かしこ》みも|申《まを》さく、|高天原《たかあまはら》の|月《つき》の|御国《みくに》を|知《しろ》し|召《め》す、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》、|日《ひ》の|神国《かみくに》を|知《しろ》し|召《め》す、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は、|現身《うつそみ》の|世《よ》の|曇《くも》り|汚《けが》れ|罪《つみ》|過《あやまち》を、|科戸《しなど》の|風《かぜ》に|吹《ふ》き|払《はら》ひ、|速川《はやかは》の|瀬《せ》に|流《なが》し|捨《す》て、|清《きよ》き|麗《うるは》しきミロクの|御代《みよ》に|立直《たてなほ》さむと、|神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》に、|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせたまひ、|産砂山《うぶすなやま》の|聖場《せいぢやう》に、|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立《た》て|給《たま》ひ、|千代《ちよ》の|住所《すみか》と|定《さだ》めつつ、|神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて、|遠近《をちこち》の|国々《くにぐに》に|珍《うづ》の|教《をしへ》を|完全《まつぶさ》に、|開《ひら》かせ|給《たま》ふ|有難《ありがた》さ、|百《もも》の|司《つかさ》を|初《はじ》めとし、|四方《よも》の|国人達《くにびとたち》は、|皇大御神《すめおほみかみ》の|大御恵《おほみめぐみ》を、|喜《よろこ》び|仰《あふ》ぎ|奉《たてまつ》り、|早風《はやて》の|如《ごと》く|潮《うしほ》の|打寄《うちよ》する|事《こと》の|如《ごと》く、|神《かみ》の|御前《みまへ》に|伊寄《いよ》り|集《つど》ひて、|神《かみ》の|賜《たま》ひし|村肝《むらきも》の|心《こころ》を|錬《ね》り|鍛《きた》へ、|百《もも》の|罪《つみ》|汚《けが》れ|過《あやまち》を、|払《はら》ひ|清《きよ》めて|天地《あめつち》の、|神《かみ》の|柱《はしら》と|生《あ》れ|出《い》でたる|人《ひと》の|身《み》の|務《つと》めを、|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|尽《つく》し|終《を》へむと、|励《いそ》しみ|仕《つか》ふる|勇《いさ》ましさ、|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き|皇大神《すめおほかみ》の|領有《うしは》ぎ|給《たま》ふ、|豊葦原《とよあしはら》の|千五百秋《ちいほあき》の|瑞穂《みづほ》の|国《くに》は、|生言霊《いくことたま》の|幸《さち》はふ|御国《みくに》、|生言霊《いくことたま》の|助《たす》くる|御国《みくに》、|生言霊《いくことたま》の|生《い》ける|御国《みくに》にましませば、|天《あめ》の|下《した》に|生《い》きとし|生《い》ける|民草《たみぐさ》は、|日《ひ》に|夜《よ》に|心《こころ》を|研《みが》き|身《み》を|謹《つつし》み、|神《かみ》の|賜《たま》ひし|珍《うづ》の|言霊《ことたま》を|祝《の》り|上《あ》げ|奉《まつ》り、|仮《かり》にも|人《ひと》を|罵《ののし》らず、|譏《そし》らず|嫉《ねた》まず|憎《にく》みなく、|睦《むつ》び|親《した》しみ|兄弟《はらから》の|如《ごと》く、|現世《うつしよ》に|生永《いきなが》らへて、|日々《ひび》の|生業《なりはひ》を|楽《たの》しみ|仕《つか》へ|奉《まつ》り、|神《かみ》の|依《よ》さしの|大御業《おほみわざ》に、|仕《つか》へ|奉《まつ》るべき|者《もの》にしあれば、|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を、|夢《ゆめ》にも|忘《わす》るる|事《こと》なく、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|省《かへり》みて、|神《かみ》の|御国《みくに》の|幸《さちは》ひを、|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|受《う》けさせ|給《たま》へと、|皇大神《すめおほかみ》の|大前《おほまへ》に、|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る、|下《した》つ|岩根《いはね》に|千木《ちぎ》|高《たか》く、|仕《つか》へまつりし|此《この》|宮《みや》の、いとも|広《ひろ》くいとも|清《きよ》けきが|如《ごと》く、いや|永久《とこしへ》に、いづの|玉置《たまき》の|村人《むらびと》は、テームスの|村司《むらつかさ》を|親《おや》と|崇《あが》め、|各自《おのもおのも》の|生業《なりはひ》を、いそしみ|勤《つと》めて|大神《おほかみ》の、|御前《みまへ》に|勲功《いさを》を|奉《たてまつ》り、|家内《やぬち》は|睦《むつ》び|親《した》しみて、|恵良々々《ゑらゑら》に|歓《ゑら》ぎ|賑《にぎは》ひ、|茂《しげ》り|栄《さか》えしめ|給《たま》へ、ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|斯《か》かる|所《ところ》へ|村《むら》の|若《わか》い|衆《しう》と|見《み》えて|赤鉢巻《あかはちまき》を|締《し》め|乍《なが》ら、|鐘《かね》や|太鼓《たいこ》を|叩《たた》きつつ、|千引《ちびき》の|岩《いは》を|車《くるま》に|載《の》せ、|神《かみ》の|御前《みまへ》に|奉《たてまつ》らむと、|大綱《おほづな》を|老若男女《らうにやくなんによ》が|握《にぎ》り|乍《なが》ら|汗《あせ》をタラタラ|流《なが》しつつ、|歌《うた》を|唄《うた》つて|進《すす》み|来《く》る|其《その》|勇《いさ》ましさ。(|以下《いか》( )|内《ない》はワキ)
『(エンヤラヤー、エンヤラヤア)  |三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  (ヨーイヨーイ、エンヤラヤア)
|天津御空《あまつみそら》の|雲《くも》|別《わ》けて  |玉置《たまき》の|村《むら》に|下《くだ》りまし
(ヨーイトセー、ヨーイトセー)  (エンヤラヤーのエンヤラヤー)
|慾《よく》に|抜目《ぬけめ》のない|爺《おやぢ》  テームスさまを|説《と》きつけて
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  も|一《ひと》つそこらで(エンヤラヤア)
(ヨーイヨーイ ヨーイトナ)  |皆《みな》さま|揃《そろ》うてモ|一《ひと》つぢや
|昔《むかし》の|昔《むかし》の|先祖《せんぞ》から  |慾《よく》をかはいて|溜《た》めおいた
|山《やま》も|田地《でんち》もすつかりと  (ヨーイヨーイ、エンヤラヤ)
|玉置《たまき》の|村《むら》へ|放《はふ》り|出《だ》して  |上下《うへした》なしに|安楽《あんらく》な
|生活《くらし》をせよと|云《い》はしやつた  |時節《じせつ》は|待《ま》たねばならぬもの
(ヨーイヨーイ、エンヤラヤア)  |皆《みな》さま|揃《そろ》うてモ|一《ひと》つぢや
(ヨーイヨーイ、ヨーイトセ)  |広《ひろ》き|邸《やしき》を|開放《かいはう》して
|尊《たふと》き|神《かみ》の|宮《みや》を|建《た》て  |老若男女《らうにやくなんによ》が|睦《むつ》び|合《あ》ひ
|今日《けふ》は|目出度《めでた》い|宮遷《みやうつ》し  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(ヨーイトセ、ヨーイトセ)  |皆《みな》さまそこらで|一気張《ひときば》り
(ヨーイヨーイ ヨーイヤナ)  これから|玉置《たまき》の|村人《むらびと》は
|今度《こんど》|新《あらた》にお|出《いで》ました  |万公《まんこう》さまの|若主人《わかしゆじん》に
|心《こころ》の|底《そこ》から|服従《ふくじゆう》し  |上下《うへした》|揃《そろ》うて|神様《かみさま》の
|御用《ごよう》を|励《はげ》み|日々《にちにち》の  |野良《のら》の|仕事《しごと》や|山仕事《やましごと》
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|務《つと》めませう  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)  |皆《みな》さまここらで|一気張《ひときば》り
|千引《ちびき》の|岩《いは》は|重《おも》くとも  |大勢《おほぜ》が|心《こころ》を|一《ひと》つにし
|力《ちから》|限《かぎ》りに|曳《ひ》くならば  |何程《なにほど》|甚《ひど》い|阪《さか》だとて
|神《かみ》の|守《まも》りに|安々《やすやす》と  |苧殻《をがら》を|曳《ひ》くよに|上《あが》るだらう
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  (エンヤラヤーのエンヤラヤー)
|抑々《そもそも》|玉置《たまき》の|村人《むらびと》は  |昔《むかし》の|昔《むかし》の|神世《かみよ》から
この|神村《かみむら》を|住所《すみか》とし  ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|守《まも》り|来《きた》りし|人《ひと》ばかり  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)  ウラルの|神《かみ》さまどうしてか
|幾何《いくら》|信心《しんじん》したとても  |些《ちつ》ともお|蔭《かげ》を|下《くだ》さらぬ
テームスさまが|唯一人《ただひとり》  お|蔭《かげ》を|横取《よこどり》|許《ばか》りして
|吾等《われら》|一同《いちどう》の|汗膏《あせあぶら》  |絞《しぼ》つて|楽《らく》に|日《ひ》を|暮《くら》し
|栄耀栄華《ええうえいぐわ》にやつて|居《ゐ》た  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)  それをば|黙《だま》つて|見《み》て|厶《ござ》る
ウラルの|彦《ひこ》の|神《かみ》さまは  |此《この》|頃《ごろ》|盲《めくら》になつたのか
|但《ただし》は|聾《つんぼ》になつたのか  |村《むら》の|難儀《なんぎ》を|知《し》らぬ|顔《かほ》
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  (エンヤラヤーのエンヤラヤー)
|皆《みな》さま|揃《そろ》うて|一気張《ひときば》り  (ヨーイヨーイ エンヤラヤア)
|此《この》|度《たび》|救《すく》ひの|神様《かみさま》が  |天《あま》の|河原《かはら》に|棹《さを》さして
|治国別《はるくにわけ》と|名《な》を|変《か》へて  |玉置《たまき》の|村《むら》に|下《くだ》りまし
|吾等《われら》|一同《いちどう》を|救《すく》はむと  |仁慈無限《じんじむげん》の|御教《みをしへ》を
|宣《の》らせ|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤア)  これから|玉置《たまき》の|村人《むらびと》は
|飢《うゑ》に|苦《くる》しむ|人《ひと》も|無《な》く  |凍《こご》えて|死《し》ぬる|人《ひと》もなし
|上下《うへした》|運否《うんぷ》のないやうに  ミロクの|御代《みよ》が|築《きづ》かれて
|喜《よろこ》び|勇《いさ》んで|暮《くら》すだらう  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)  |此《この》|神殿《しんでん》に|祭《まつ》りたる
|救《すく》ひの|神《かみ》は|厳御霊《いづみたま》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神柱《かむばしら》
|柱《はしら》も|清《きよ》く|棟《むね》|高《たか》く  |御殿《ごてん》も|宏《ひろ》く|風景《ふうけい》は
|勝《すぐ》れて|絶佳《ぜつか》の|御場所《おんばしよ》よ  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)  |捻鉢巻《ねぢはちまき》の|若《わか》い|衆《しう》よ
|早《はや》|階段《かいだん》に|近付《ちかづ》いた  もう|一気張《ひときば》り|一気張《ひときば》り
お|声《こゑ》を|揃《そろ》へてヨーイヤナ  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤー)』
と|唄《うた》ひ|乍《なが》ら|方形《はうけい》の|大岩石《だいがんせき》を|社《やしろ》の|傍《かたはら》に|据《す》ゑたり。これは|村人《むらびと》が……|此《この》|岩石《がんせき》の|腐《くさ》る|迄《まで》は|心《こころ》を|堅《かた》く|変《か》へませぬ、|何処《どこ》|迄《まで》も|御神《みかみ》の|為《ため》に|尽《つく》します……と|云《い》ふ|赤心《まごころ》の|供《そな》へ|物《もの》である。
|万公《まんこう》は|村人《むらびと》と|同《おな》じく|捻鉢巻《ねじはちまき》をし、|運《はこ》んで|来《き》た|石《いし》を|適当《てきたう》の|場所《ばしよ》に|据《す》ゑむとして|二三人《にさんにん》の|部下《しもべ》と|共《とも》に|槌《つち》を|振《ふ》り|上《あ》げ、|大地《だいち》をドンドンと|固《かた》め、|杭《くひ》を|打《う》つて|石《いし》の【にえ】|込《こ》まないやうと|勤《つと》めて|居《ゐ》る。|相方《さうはう》が|交互《たがひちがひ》に|歌《うた》を|唄《うた》ひ|乍《なが》ら|拍子《ひやうし》をとつて|居《ゐ》る。
|万公《まんこう》『|神《かみ》と|神《かみ》との|引《ひ》き|合《あは》せ  (ドーン、ドーン、ドンドンドン)
|玉置《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》なる  テームスさまの|若主人《わかしゆじん》
|万公司《まんこうつかさ》も|現《あら》はれて  |今日《けふ》の|目出度《めでた》いお|祭《まつ》りを
|力《ちから》|限《かぎ》りに|祝《いは》ひませう  (ドーン ドーン、ドンドンドン)
|打《う》てよ|打《う》て|打《う》て|確《しつか》り|打《う》てよ  |地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|割《わ》れる|迄《まで》
|今《いま》|打《う》つ|槌《つち》は|神《かみ》の|槌《つち》  |槌《つち》が|土《つち》うつ|面白《おもしろ》さ
(ドーン ドーン、ドンドンドン)  |玉置《たまき》の|村《むら》の|皆《みな》さまが
キールの|谷《たに》から|千引岩《ちびきいは》  |毛綱《けづな》に|括《くく》つて|引《ひ》き|来《きた》り
|尊《たふと》きお|宮《みや》の|御前《おんまへ》に  |信《しん》と|真《しん》との|光《ひかり》をば
|現《あら》はし|給《たま》うた|目出度《めでた》さよ  (ドーン ドーン、ドンドンドン)
|大神様《おほかみさま》の|御利益《ごりやく》で  テームス|館《やかた》は|云《い》ふも|更《さら》
|此《この》|村人《むらびと》は|永久《とこしへ》に  |尊《たふと》き|此《この》|世《よ》を|楽《たの》しんで
|堅磐常磐《かきはときは》に|玉《たま》の|緒《を》の  |命《いのち》を|保《たも》ち|心安《うらやす》く
|家《いへ》も|豊《ゆたか》かに|栄《さか》えませう  (ドーン ドーン、ドンドンドン)
これから|村中《むらぢう》|心《こころ》をば  |一《ひと》つに|合《あは》して|田《た》を|作《つく》り
|山《やま》には|木苗《きなへ》を|植付《うゑつ》けて  (ドーン ドーン、ドンドンドン)
|共有財産《きよういうざいさん》|沢山《どつさり》と  |造《つく》つて|子孫《しそん》の|末《すゑ》|迄《まで》も
(ドーン ドーン、ドンドンドン)  |宝《たから》を|残《のこ》し|身《み》を|治《をさ》め
|心《こころ》を|清《きよ》めて|神様《かみさま》の  |尊《たふと》き|教《をしへ》に|心従《しんじゆう》し
|此《この》|世《よ》を|安《やす》く|頼《たの》もしく  (ドーン ドーン、ドンドンドン)
|千引《ちびき》の|岩《いは》の|御霊《みたま》もて  |悪魔《あくま》を|払《はら》ひいつ|迄《まで》も
ビクとも|動《うご》かぬ|鉄石《てつせき》の  |信仰《しんかう》|励《はげ》もぢやないかいな
(ドーン ドーン、ドンドンドン)  どうやら|準備《じゆんび》が|出来《でき》たよだ
|皆《みな》さまモ|一《ひと》つ|頼《たの》むぞや  (ヨーイヨーイ エンヤラヤ)
(エンヤラヤーのエンヤラヤア)  |力《ちから》の|強《つよ》い|若《わか》い|衆《しう》は
|挺《てこ》をば|四五本《しごほん》|持《も》つて|来《き》て  |千引《ちびき》の|岩《いは》を|此《この》|上《うへ》に
|何卒《なにとぞ》|据《す》ゑて|下《くだ》されよ  |万公別《まんこうわけ》が|頼《たの》みます
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  (エンヤラヤーのエンヤラヤア)
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |轟《とどろ》き|渡《わた》る|滝《たき》の|水《みづ》
|洗《あら》ひ|晒《さら》した|此《この》|身体《からだ》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|奉《たてまつ》り
|舎身供養《しやしんくやう》を|励《はげ》みませう  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  (エンヤラヤーのエンヤラヤー)
|神《かみ》の|御心《みこころ》|畏《かしこ》みて  |村人《むらびと》|心《こころ》を|一《ひと》つにし
|今日《けふ》の|祭《まつり》を|恙《つつが》なく  |済《す》ませた|事《こと》の|嬉《うれ》しさよ
|玉置《たまき》の|村《むら》は|万世《よろづよ》に  |玉置《たまき》の|宮《みや》と|諸共《もろとも》に
|栄《さか》え|尽《つ》きせぬ|事《こと》だらう  |喜《よろこ》び|祝《いは》へ|諸人《もろびと》よ
(ヨーイヨーイ エンヤラヤ)  (エンヤラヤーのエンヤラヤア)』
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 加藤明子録)
第一八章 |音頭《おんど》〔一四二六〕
アヅモスは|赤手拭《あかてぬぐ》ひで|鉢巻《はちまき》をし|乍《なが》ら、|群衆《ぐんしう》に|交《まじ》はつて|手《て》を|拍《う》ちつつ|円《ゑん》を|画《ゑが》いて|宮《みや》の|前《まへ》の|広庭《ひろには》に|音頭《おんど》を|取《と》り|踊《をど》り|始《はじ》めたり。
(音頭口調)『ハーヤー|夕陽《せきやう》も|傾《かたむ》きて  (エンヤツトコセー)
|無常《むじやう》を|告《つ》ぐる|鐘《かね》の|音《ね》も  (コラシヨ)
みろく|三会《さんゑ》の|暁《あかつき》の
|目醒《めざ》めの|声《こゑ》と|聞《きこ》ゆなりー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|社前《しやぜん》を|照《て》らす|銀燭《ぎんしよく》の
|光《ひかり》|映《まば》ゆき|照《て》り|渡《わた》りー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》
|救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れまして  (コラシヨ)
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|説《と》き|玉《たま》ひイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》が|家《いへ》に  (コラシヨ)
|止《とど》まり|玉《たま》ふ|尊《たふと》さよオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|猪倉山《ゐのくらやま》の|巌窟《がんくつ》に  (コラシヨ)
|巣《す》を|構《かま》へたるバラモンの
|鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》もオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|神《かみ》の|力《ちから》に|敵《てき》し|得《え》ず
|兜《かぶと》を|脱《ぬ》いで|降参《かうさん》し  (コラシヨ)
|髪《かみ》|切《き》り|落《おと》し|比丘《びく》となりイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|金剛杖《こんがうづゑ》に|墨衣《すみごろも》  (コラシヨ)
|身《み》に|纒《まと》ひつつ|四人連《よにんづ》れ
|此《この》|家《や》を|後《あと》に|出《い》でて|行《ゆ》くウー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|後《あと》に|残《のこ》りし|治国別《はるくにわけ》は  (コラシヨ)
|御供《みとも》の|神《かみ》の|松彦《まつひこ》さま  (ドツコイ)
|道晴別《みちはるわけ》や|竜彦《たつひこ》のオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|珍《うづ》の|司《つかさ》と|諸共《もろとも》に
|玉置《たまき》の|村《むら》の|守《まも》り|神《がみ》  (コラシヨ)
テームス|館《やかた》に|宮柱《みやばしら》
|太《ふと》しき|立《た》てて|大神《おほかみ》をオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|鎮《しづ》め|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ
|殊《こと》に|目出度《めでた》き|万公別《まんこうわけ》
|此《この》|家《や》の|主人《あるじ》となり|玉《たま》ひ  (コラシヨ)
スガール|姫《ひめ》を|娶《めと》らせてエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|鴛鴦《をし》の|契《ちぎり》の|幾千代《いくちよ》も
|万公末代《まんこうまつだい》|変《かは》りなく  (コラシヨ)
|暮《く》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  (コラシヨ)
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》るウー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
それにまだまだ|目出度《めでた》きは  (コラシヨ)
スミエル|姫《ひめ》にシーナさま  (ドツコイ)
|三国一《さんごくいち》の|婿《むこ》となりイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|万公《まんこう》さまと|相列《あひなら》び  (コラシヨ)
|里庄《りしやう》の|家《いへ》を|継《つ》ぎ|玉《たま》ひイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|此《この》|村人《むらびと》を|何時《いつ》|迄《まで》も  (コラシヨ)
|恵《めぐみ》|助《たす》けて|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》を|立《た》て|玉《たま》ふオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|目出度《めでた》い|事《こと》が|重《かさ》なれば  (コラシヨ)
これほど|重《かさ》なるものかいなアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|番頭《ばんとう》さまのアーシスさまは  (コラシヨ)
|雲井《くもゐ》に|近《ちか》き|御方《おんかた》の
|珍《うづ》の|御胤《みたね》と|聞《きこ》えたる
お|民《たみ》の|方《かた》を|妻《つま》に|持《も》ちイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|玉木《たまき》の|村《むら》にましまして  (コラシヨ)
|治国別《はるくにわけ》の|神様《かみさま》の
|教《をしへ》を|守《まも》り|此《この》|宮《みや》の  (コラシヨ)
|神《かみ》の|司《つかさ》となり|玉《たま》ふオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|其《そ》の|瑞祥《ずゐしやう》を|悦《よろこ》びて
|老若男女《らうにやくなんによ》の|別《わか》ち|無《な》く
|之《これ》の|館《やかた》に|相集《あひつど》ひ
|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》にむせ|返《かへ》るウー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》みて  (コラシヨ)
|深《ふか》き|恵《めぐみ》を|感謝《かんしや》しつ
|手拍子《てびやうし》|揃《そろ》え|足並《あしなみ》|揃《そろ》え
|拍手《かしはで》うちて|踊《をど》りつつ
|悦《よろこ》び|祝《いは》ひ|奉《たてまつ》るウーウ  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
まだまだ|先《さき》はあるけれど
あまり|長《なが》いのは|御退屈《ごたいくつ》
|私《わたし》はこれで|休《やす》みます
|次《つぎ》の|御先生《ごせんせい》に|御頼《おたの》み|申《まを》すヤーア  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)』
|道晴別《みちはるわけ》は|祭服《さいふく》を|脱《ぬ》ぎ|捨《す》て、|踊《をど》り|子《こ》の|中《うち》に|飛《と》び|込《こ》み、|音頭《おんどう》をとつて|踊《をど》り|始《はじ》めける。
『(アアチヨイ チヨイ チヨイ)
|私《わたし》は|道晴別司《みちはるわけつかさ》  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》に
|御仕《おつか》へ|申《まを》して|十四年《じふよねん》  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|斎苑《いそ》の|館《やかた》やエルサレム
|黄金山《わうごんざん》や|霊鷲山《りやうしうざん》
コーカス|山《さん》へも|参拝《さんぱい》し  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|誠《まこと》に|尊《たふと》い|御神徳《ごしんとく》
|身《み》に|稟《う》けまして|治国別《はるくにわけ》の
|珍《うづ》の|司《つかさ》の|宣伝使《せんでんし》
|御供《みとも》に|仕《つか》へ|奉《まつ》りつつ  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて
|河鹿峠《かじかたうげ》を|打渉《うちわた》り  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|曲《まが》の|棲処《すみか》と|聞《きこ》えたる
|山口森《やまぐちもり》に|立寄《たちよ》つて
|一夜《いちや》を|明《あか》す|折《をり》もあれ  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|忽《たちま》ち|光《ひか》る|鬼火《おにび》を|眺《なが》め
|胸《むね》|轟《とどろ》かし|居《ゐ》たる|折《をり》  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー)
|頭《あたま》に|三徳《さんとく》|頂《いただ》いて
|蝋燭《らうそく》|三本《さんぼん》|立列《たてなら》べ
|鏡《かがみ》や|鋏《はさみ》を|胸《むね》に|吊《つ》り
チヤン チヤン チヤン チヤン ビカビカと
|怪《あや》しの|姿《すがた》がやつて|来《く》る  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー、ア、ヨイトサー ヨイトサー)
|不思議《ふしぎ》な|奴《やつ》だと|怪《あや》しんで
|胸《むね》|轟《とどろ》かす|真最中《まつさいちう》
アこれから|先《さき》が|面白《おもしろ》い  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー、ヨイトサー ヨイトサー)
まだまだ|先《さき》はあるけれど
|後《あと》の|御方《おかた》に|御気《おき》の|毒《どく》
これにて|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》りませう  (ア、チヨイトコセー チヨイトコセー、ヨイトサー ヨイトサー、ハーレヤーレ コレワノサ ヨーイヨーイ ヨーイトサ)
|次《つぎ》の|御先生《ごせんせい》に|御渡《おわた》し|申《まを》す  (ア、チヨイトコセ チヨイトコセ、ヨーイトサー ヨーイトサー)』
|音頭《おんど》『イヤ、ヤツトコシヨ
|踊《をどり》『コリヤ ドシタイヤイ
|音頭《おんど》『イヤ ま|一《ひと》つヂヤ
|踊《をどり》『イヤ まだかいヤイ
|竜彦《たつひこ》『|後《あと》|見送《みおく》りて|宣伝使《せんでんし》  (エンヤツトコセー)
|暫《しば》し|言葉《ことば》も|無《な》かりしがアーアー  (ア、ヨイトセー、ヤツトコセー)
|女房《にようばう》|松姫《まつひめ》|尻目《しりめ》にかけ  (コラシヨ)
コリヤ|女房《にようばう》  (ドツコイ)
|其《その》|方《はう》は|神《かみ》の|使《つかひ》と|云《い》ひ|乍《なが》ら
|其《その》|天職《てんしよく》を|忘《わす》れたかアーアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|此《この》|松彦《まつひこ》は|神様《かみさま》の  (コラシヨ)
|尊《たふと》き|使命《しめい》を|蒙《かがふ》りて  (コラシヨ)
|治国別《はるくにわけ》の|弟子《でし》となりイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|悪魔《あくま》の|征討《せいと》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く  (コラシヨ)
|其《その》|首途《かどいで》を|見《み》ながらに  (コラシヨ)
|待《ま》てと|申《まを》すは|何《なん》の|事《こと》オー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|聞《き》きわけないと|突放《つきはな》す
|松姫《まつひめ》|顔《かほ》を|赤《あか》らめてエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
イヤのう、モーシ|松彦《まつひこ》さま  (ドツコイ)
|女《をんな》|乍《なが》らも|宣伝使《せんでんし》
|夫《をつと》の|後《あと》を|追《お》つかけて
どうして|御用《ごよう》が|出来《でき》ませうかアーアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|女房《にようばう》の|心《こころ》も|察《さつ》してたべ  (ドツコイ)
|悲《かな》しいわいなと|泣《な》き、|伏《ふ》してエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|輪廻《りんね》に|迷《まよ》ふ|浅間《あさま》しさ
|松彦《まつひこ》|涙《なみだ》を|打払《うちはら》ひイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|今《いま》の|別《わか》れは|辛《つら》けれど  (コラシヨ)
|暫《しばら》く|忍《しの》べ|道芝《みちしば》の
|露《つゆ》さへ|乾《かわ》く|例《ためし》ありイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》が  (コラシヨ)
|後《あと》を|慕《した》うて|進《すす》み|行《ゆ》き  (コラシヨ)
|浮木《うきき》の|森《もり》で|追《おつ》ついてエーエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|功名手柄《こうみやうてがら》を|世《よ》に|照《て》らし  (ドツコイ)
|尚《なほ》も|進《すす》んで|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》に|立向《たちむか》ひイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|復《かへ》り|言《ごと》
|申《まを》さにや|置《お》かぬと|出《い》でて|行《ゆ》く  (コラシヨ)
|後《あと》|見送《みおく》りて|松姫《まつひめ》はアーアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|常磐《ときは》の|松《まつ》の|下《した》かげに  (コラシヨ)
いよりかかつて|声《こゑ》を|上《あ》げエーエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
モーシモーシ|吾《わが》|夫《つま》さま  (ドツコイ)
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|神界《しんかい》の
|御用《ごよう》をすませ|玉《たま》はりて  (コラシヨ)
|無事《ぶじ》なお|顔《かほ》を|見《み》せてたべエーエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|頼《たの》むワイなと|声《こゑ》|限《かぎ》り
|便《たよ》りを|松姫《まつひめ》|小夜姫《さよひめ》がアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|領巾振《ひれふる》|山《やま》のオーオー|悲《かな》しみもーーー
わが|身《み》の|上《うへ》を|歎《なげ》きつつ
|別《わか》れを|惜《をし》む|可憐《いぢらし》さアーアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|流石《さすが》|勇気《ゆうき》の|松彦《まつひこ》も  (コラシヨ)
|妻《つま》の|愛惜《あいじやく》|子《こ》|故《ゆゑ》の|暗《やみ》  (ドツコイ)
|怺《こら》へかねてかハラハラハラ  (ドツコイ)
|涙《なみだ》は|落《お》ちてエーエーエー|河鹿川《かじかがは》ーーー
|堤《つつみ》も|崩《くづ》るるばかりなりイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|其《その》|松彦《まつひこ》は|長駆《ちやうく》して
|治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》に  (コラシヨ)
|浮木《うきき》の|森《もり》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|茲《ここ》に|師弟《してい》は|手《て》を|曳《ひ》いて
ライオン|河《がは》を|打渡《うちわた》りイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
ビクトル|山《さん》の|麓《ふもと》なる  (コラシヨ)
|珍《うづ》の|都《みやこ》の|刹帝利《せつていり》
|左守《さもり》の|司《かみ》の|危難《きなん》をば  (コラシヨ)
|救《すく》ひ|助《たす》けし|健気《けなげ》さよオーオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》の
|大神力《だいしんりき》は|云《い》ふも|更《さら》
|国治立《くにはるたち》の|大神様《おほかみさま》  (コラシヨ)
|神素盞嗚《かむすさのを》の|神様《かみさま》の  (コラシヨ)
|深《ふか》き|守《まも》りによるものぞオーオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|此《この》|竜彦《たつひこ》も|相共《あひとも》に  (コラシヨ)
|神《かみ》の|御道《おみち》を|歩《あゆ》みつつ
ビクの|国《くに》をば|立出《たちい》でてエーエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|漸《やうや》く|此処《ここ》に|来《き》て|見《み》れば
|玉置《たまき》の|村《むら》のテームスがア|娘《むすめ》
|二人《ふたり》は|魔神《まがみ》に|捕《と》らへられ
|行方《ゆくへ》、|知《し》れぬと|聞《き》きしよりイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》さま  (コラシヨ)
|三人《みたり》の|伴《とも》を|引連《ひきつ》れて  (コラシヨ)
|神《かみ》のまにまに|夜《よる》の|道《みち》
|上《のぼ》らせ|玉《たま》ひし|勇《いさ》ましさアーアー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)
|神徳《しんとく》|忽《たちま》ち|現《あら》はれて
バラモン|教《けう》のゼネラルや
カーネル|始《はじ》め|百軍《ももいくさ》  (コラシヨ)
|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|言向《ことむ》けてエーエー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|玉置《たまき》の|村《むら》に|帰《かへ》りまし  (コラシヨ)
|清《きよ》き|教《をしへ》の|数々《かずかず》を
|里庄《りしやう》の|夫婦《ふうふ》に|教《をし》へつつ
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》を|地《ち》の|上《うへ》に  (コラシヨ)
|築《きづ》かせ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよオーオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|神《かみ》の|恵《めぐ》みも|赫灼《いやちこ》に
|現《あら》はれ|玉《たま》ひ|今《いま》|此処《ここ》に  (コラシヨ)
|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|建《た》て|玉《たま》ひ
|皇大神《すめおほかみ》を|永久《とこしへ》に
コラシヨー  (ドツコイシヨ)
|斎《いつ》き|奉《まつ》りし|嬉《うれ》しさよオーオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
ああ|村人《むらびと》よ|村人《むらびと》よ  (コラシヨ)
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|心《こころ》を|清《きよ》め|身《み》を|浄《きよ》め  (コラシヨ)
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|参詣《まゐまう》で
|霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|頂《いただ》けよオーオー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|此《この》|竜彦《たつひこ》は|師《し》の|君《きみ》に  (コラシヨ)
|従《したが》ひ|奉《まつ》り|明日《あす》よりは  (コラシヨ)
ハルナの|都《みやこ》へ|立向《たちむか》ひイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《かむわざ》を  (コラシヨ)
|仕《つか》へ|奉《まつ》りてウブスナの
|山《やま》にまします|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|復命《ふくめい》|致《いた》すべしイーイー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
いざこれよりは|皆様《みなさま》に  (コラシヨ)
|御苦労《ごくらう》になりし|御礼《おんれい》を  (コラシヨ)
かねて|御暇《おいとま》|仕《つか》まつるウーウー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセ)
|次《つぎ》の|先生《せんせい》にお|渡《わた》し|申《まを》すヤーヤー  (ア、ヨーイセー、ヤツトコセー)』
と|音頭取《おんどと》りと|踊《をど》り|子《こ》が|遷座式《せんざしき》の|神酒《みき》に|酔《よ》ひ、|歓喜《くわんき》に|浮《う》かされて|円《ゑん》を|造《つく》り、|夜《よ》の|更《ふ》くる|迄《まで》|踊《をど》り|狂《くる》ひ|賑々《にぎにぎ》しく|祭典《さいてん》の|式《しき》を|納《をさ》めた。|是《これ》より|治国別《はるくにわけ》、|道晴別《みちはるわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》の|四人《よにん》は、テームス|一家《いつけ》に|暇《いとま》を|告《つ》げ、|一先《ひとま》づエルサレムを|指《さ》して|足《あし》を|速《はや》めて|出《い》でて|行《ゆ》く。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・三・四 旧一・一七 於竜宮館 外山豊二録)
第一九章 |清滝《きよたき》〔一四二七〕
|火熱《くわねつ》|烈《はげ》しき|太陽《たいやう》は  |天津御空《あまつみそら》に|晃々《くわうくわう》と
|照国岳《てるくにだけ》の|谷間《たにあひ》に  |高《たか》くかかれる|大瀑布《だいばくふ》
|清《きよ》めの|滝《たき》の|片辺《かたほとり》  |小《ちひ》さき|庵《いほり》を|結《むす》びつつ
|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|朝夕《あさゆふ》に  |裸《はだか》となりて|何事《なにごと》か
|声《こゑ》を|限《かぎ》りに|祈《いの》り|居《ゐ》る。
|此《この》|両人《りやうにん》はベルツ、シエールの|主従《しゆじゆう》である。|左守《さもり》の|司《かみ》|並《ならび》にタルマンの|為《ため》に|右守《うもり》の|職《しよく》を|剥奪《はくだつ》され、|百日《ひやくにち》の|閉門《へいもん》を|申付《まをしつ》けられ、|恨《うら》み|骨髄《こつずい》に|徹《てつ》し、|妖幻坊《えうげんばう》の|魔法《まはふ》を|習《なら》つて、ビクトリヤ|城《じやう》を|転覆《てんぷく》し、|再《ふたた》び|勢力《せいりよく》を|盛《も》り|返《かへ》し、|自分《じぶん》は|刹帝利《せつていり》となり、シエールを|左守司《さもりのかみ》に|任《にん》じ、|一国《いつこく》の|主権《しゆけん》を|握《にぎ》らむと、|一心不乱《いつしんふらん》に|水垢離《みづごり》をとつてゐたのである。|七日目《なぬかめ》の|夜《よる》、|二人《ふたり》が|一生懸命《いつしやうけんめい》に|水垢離《みづごり》をとつてゐると、|山岳《さんがく》も|崩《くづ》るる|許《ばか》りの|大音響《だいおんきやう》と|共《とも》に、|白馬《はくば》に|跨《またが》り、|宙空《ちうくう》より|蹄《ひづめ》の|音《おと》|戞々《かつかつ》と|降《くだ》つて|来《き》たのは|緋衣《ひごろも》を|着《き》た|坊主姿《ばうずすがた》なりける。これは|妖幻坊《えうげんばう》の|兄弟分《きやうだいぶん》と|聞《きこ》えたる|妖沢坊《えうたくばう》といふ|魔神《まがみ》なり。|妖沢坊《えうたくばう》は|二人《ふたり》に|向《むか》ひ、
|妖沢《えうたく》『|汝《なんぢ》はビクの|国《くに》の|右守司《うもりのかみ》を|勤《つと》めたるベルツ|並《ならび》に|家令《かれい》のシエールであらう。|汝《なんぢ》の|願《ねがひ》は|速《すみやか》に|聞届《ききとど》け|得《え》させむ。|付《つ》いては|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|水行《すいぎやう》をなし、|食物《しよくもつ》は|此《この》|谷川《たにがは》に|棲息《せいそく》する|蟹《かに》、|蠑〓《いもり》、|蛙《かはづ》を|餌食《ゑじき》となし、|其《その》|他《た》の|物《もの》は|一切《いつさい》|食《くら》ふ|可《べ》からず。|若《も》し|誤《あやま》つて|他《た》の|食《しよく》を|取《と》る|時《とき》は、|汝《なんぢ》の|行《ぎやう》は|全《まつた》く|水泡《すゐほう》に|帰《き》すべし。|又《また》|百日《ひやくにち》の|修業中《しうぎやうちう》、|人《ひと》に|発見《はつけん》されたる|時《とき》は|折角《せつかく》の|修業《しうぎやう》も|無効《むかう》となるべし、|必《かなら》ず|用心《ようじん》|怠《おこた》る|勿《なか》れ。|此《この》|荒行《あらぎやう》が|済《す》めば、|汝《なんぢ》に|空中飛行《くうちうひかう》の|術《じゆつ》を|授《さづ》け、|且《かつ》|千変万化《せんぺんばんくわ》の|化身《けしん》の|法《はふ》を|教《をし》ゆべし、ゆめゆめ|疑《うたが》ふ|勿《なか》れ』
と|厳《おごそ》かに|伝《つた》へ、|山岳《さんがく》を|揺《ゆる》がし|乍《なが》ら、|再《ふたた》び|駒《こま》の|首《かしら》を|立直《たてなほ》し、|空中《くうちう》|高《たか》く|姿《すがた》を|消《け》した。|二人《ふたり》は|有難涙《ありがたなみだ》にくれて|妖沢坊《えうたくばう》の|後姿《うしろすがた》を|合掌《がつしやう》し、|呪文《じゆもん》を|唱《とな》へてゐた。|三十日《さんじふにち》|許《ばか》り|修業《しうぎやう》をした|時《とき》、ベルツは|蛙《かはづ》、|蠑〓《いもり》の|毒《どく》が|中《あた》つたのか、|俄《にはか》に|腹痛《ふくつう》を|起《おこ》し、|手足《てあし》を|藻掻《もが》き、|泡《あわ》を|吹《ふ》き|出《だ》しける。シエールは|一生懸命《いつしやうけんめい》に、
シエール『ウラル|彦命《ひこのみこと》|妖沢坊様《えうたくばうさま》、|何卒《どうぞ》|主人《しゆじん》の|病気《びやうき》をお|癒《なほ》し|下《くだ》さいませ』
と|滝壺《たきつぼ》に|打《う》たれて、|又《また》もや|一心不乱《いつしんふらん》に|荒行《あらぎやう》にかかつてゐる。ベルツは|虚空《こくう》を|掴《つか》んで|苦《くるし》み|悶《もだ》える。|此《この》|体《てい》を|見《み》てシエールは|命《いのち》|限《かぎ》りに|滝壺《たきつぼ》に|飛《と》び|込《こ》み、|祈念《きねん》を|凝《こ》らしてゐた。そこへ|十一二才《じふいちにさい》の|美《うる》はしき|女《をんな》、|木《き》の|茂《しげ》みを|分《わ》けてスタスタと|登《のぼ》り|来《きた》り、|忽《たちま》ち|赤裸《まつぱだか》となつて|滝壺《たきつぼ》に|飛込《とびこ》んだ。シエールはエンゼルが|自分《じぶん》の|祈《いの》りを|聞《き》いて、|助《たす》けに|来《き》て|呉《く》れたものと|思《おも》ひ、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|乙女《をとめ》の|姿《すがた》を|伏拝《ふしをが》み、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》にくれてゐる。|乙女《をとめ》は|二人《ふたり》の|男《をとこ》に|目《め》もかけず、|滝壺《たきつぼ》に|飛込《とびこ》み|一心不乱《いつしんふらん》に、
|乙女《をとめ》『|大国常立《おほくにとこたち》の|大神《おほかみ》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》、|父《ちち》の|病気《びやうき》を|救《すく》はせ|玉《たま》へ、|仮令《たとへ》|吾《わが》|身《み》の|命《いのち》は|取《と》られませう|共《とも》、|少《すこ》しも|苦《くる》しうは|存《ぞん》じませぬ。|今《いま》|父《ちち》が|亡《な》くなつては、|又《また》もや|右守司《うもりのかみ》ベルツ|主従《しゆじゆう》が、|如何《いか》なる|事《こと》を|致《いた》すか|知《し》れませぬ。ビクの|国《くに》の|一大事《いちだいじ》で|厶《ござ》います』
と|神言《かみごと》を|奏上《そうじやう》し、|祈《いの》り|始《はじ》めた。されど|瀑布《ばくふ》の|轟々《がうがう》たる|水音《みなおと》に|遮《さへぎ》られて、|乙女《をとめ》の|何事《なにごと》を|願《ねが》ひ|居《ゐ》るやは、|両人《りやうにん》の|耳《みみ》に|入《い》らなかつた。シエールはベルツの|側《そば》に|進《すす》み|寄《よ》り、|頭《かしら》を|撫《な》で|乍《なが》ら、
シエール『モシ|旦那様《だんなさま》、|御安心《ごあんしん》なされませ。|今《いま》|私《わたくし》が|妖沢坊《えうたくばう》をお|願《ねが》ひ|致《いた》しましたら、アレあの|通《とほ》り、|天女《てんによ》が|天降《あまくだ》られて、|貴方《あなた》の|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》の|為《ため》に|滝壺《たきつぼ》にかかつて|祈念《きねん》をして|下《くだ》さいます。キツと|御病気《ごびやうき》の|直《なほ》る|瑞祥《ずゐしやう》で|厶《ござ》いませう。|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|南無《なむ》|妖沢坊大明神《えうたくばうだいみやうじん》|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さきは》へ|玉《たま》へ』
と|涙交《なみだまじ》りに|願《ねが》ひゐる。ベルツは|不思議《ふしぎ》にも|此《この》|言葉《ことば》を|聞《き》くより、|神経作用《しんけいさよう》か|知《し》らね|共《ども》、|俄《にはか》に|気分《きぶん》がよくなり、|頭《かしら》をあげて|滝壺《たきつぼ》を|見《み》れば、|花《はな》を|欺《あざむ》く|美《うる》はしき|乙女《をとめ》が|滝壺《たきつぼ》に|打《う》たれて、|白《しろ》い|体《からだ》を|曝《さら》し|乍《なが》ら、|一心不乱《いつしんふらん》に|念《ねん》じて|居《ゐ》る。ベルツは|吾《わが》|身《み》の|苦痛《くつう》も|忘《わす》れ|立上《たちあが》り、
ベルツ『|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き|天津御国《あまつみくに》より|下《くだ》らせ|玉《たま》うた|天津乙女様《あまつをとめさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|拙者《せつしや》の|願望《ぐわんまう》を|御聞届《おききとど》け|下《くだ》さいますやうに、|之《これ》に|付《つ》いては|体《からだ》が|資本《しほん》で|厶《ござ》いますから、|此《この》|病気《びやうき》の|一時《いちじ》も|早《はや》く|全快《ぜんくわい》|致《いた》し、|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|修業《しうぎやう》が|無事《ぶじ》に|了《をは》ります|様《やう》、|御願《おねが》ひ|申《まを》します』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて|頼《たの》み|入《い》る。|乙女《をとめ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に、
|乙女《をとめ》『|父《ちち》の|病《やまひ》を|癒《なほ》させ|玉《たま》へ』
と|祈願《きぐわん》するのみであつた。|稍《やや》あつて|乙女《をとめ》は|滝壺《たきつぼ》を|上《あが》り、|身体《からだ》の|水《みづ》を|拭《ふ》き|取《と》り、キチンと|衣服《いふく》を|着替《きか》へた。|四辺《あたり》を|見《み》れば|二人《ふたり》の|男《をとこ》が|褌《まはし》|一《ひと》つになつて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|滝壺《たきつぼ》を|拝《をが》んでゐる。|乙女《をとめ》はスタスタと|帰《かへ》り|行《ゆ》かうとするを、|二人《ふたり》は|慌《あわ》てて|行手《ゆくて》に|跪《ひざま》づき、
ベルツ『|天津乙女様《あまつをとめさま》、|如何《いかが》で|厶《ござ》いませうか、|妖沢坊様《えうたくばうさま》の|命令《めいれい》に|仍《よ》つて、|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|荒行《あらぎやう》を|致《いた》し、|大望《たいまう》を|達《たつ》せむと|願《ねが》つて|居《を》りますが、|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》で|成就《じやうじゆ》するものとは|存《ぞん》じますが、かやうに|病気《びやうき》になつては、|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》ませぬ。|何卒《なにとぞ》|御指図《おさしづ》をお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|乙女《をとめ》『|其《その》|方《はう》の|願望《ぐわんまう》とは|如何《いか》なる|事《こと》か、|詳《くは》しく|陳述《ちんじゆつ》せよ』
ベルツ『ハイ、|私《わたし》はビクの|国《くに》の|右守司《うもりのかみ》ベルツと|申《まを》す|者《もの》、|之《これ》なる|男《をとこ》は|家令《かれい》のシエールと|申《まを》す|者《もの》で|厶《ござ》います。ビクトリヤ|城内《じやうない》には|悪人《あくにん》はびこり、|左守司《さもりのかみ》|一味《いちみ》の|者《もの》、|三五教《あななひけう》の|悪宣伝使《あくせんでんし》を|城内《じやうない》に|引《ひき》ずり|込《こ》み、|拙者《せつしや》の|軍職《ぐんしよく》を|解《と》き、|専横《せんわう》の|限《かぎ》りを|尽《つく》し|居《を》りますれば、|国家《こくか》の|害賊《がいぞく》を|除《のぞ》く|為《ため》に、|両人《りやうにん》が|此処《ここ》にて|荒行《あらげう》を|致《いた》して|居《を》る|所《ところ》で|厶《ござ》います』
|乙女《をとめ》『|汝《なんぢ》の|敵《てき》と|見《み》なすは|左守《さもり》|一人《ひとり》であるか』
ベルツ『|左守《さもり》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|刹帝利《せつていり》の|老耄《おいぼれ》、|其《その》|外《ほか》アール、ハルナ|等《など》の|悪人《あくにん》を|征伐《せいばつ》|致《いた》さねば|到底《たうてい》|天下《てんか》は|無事《ぶじ》に|治《をさ》まりませぬ』
|乙女《をとめ》『ホホホホホ、|其《その》|方《はう》が|噂《うはさ》に|聞《き》いた|悪虐無道《あくぎやくぶだう》のベルツ|主従《しゆじゆう》であつたか。|左様《さやう》な|悪企《わるだく》みを|致《いた》す|共《とも》、|到底《たうてい》|成功《せいこう》の|望《のぞ》みはあるまい。どうぢや|今《いま》の|内《うち》に|悔《く》い|改《あらた》めて|真人間《まにんげん》になる|気《き》はないか』
ベルツ『ヘー、それは|何《なん》で|厶《ござ》います、|決《けつ》して|私慾《しよく》の|為《ため》に|致《いた》すのでは|厶《ござ》いませぬ。|天下《てんか》|公共《こうきよう》の|為《ため》に、|民《たみ》の|苦《くる》しみを|助《たす》くる|慈愛心《じあいしん》より、|身《み》を|犠牲《ぎせい》にして、かかる|荒行《あらぎやう》を|致《いた》して|居《を》るので|厶《ござ》います』
シエール『|天津乙女様《あまつをとめさま》、|何卒々々《なにとぞなにとぞ》、|吾々《われわれ》の|霊《みたま》をよくよくお|査《しら》べ|下《くだ》さいまして、|正邪《せいじや》の|御裁判《ごさいばん》を|願《ねが》ひます』
と|悪人《あくにん》は|自分《じぶん》のやつた|事《こと》を|少《すこ》しも|悪《あく》と|思《おも》うて|居《ゐ》ない。|天下《てんか》|国家《こくか》の|為《ため》に|最善《さいぜん》の|努力《どりよく》を|尽《つく》してゐると|考《かんが》へてゐるらしい。
|乙女《をとめ》『|妾《わらは》は|汝《なんぢ》の|言《い》ふ|如《ごと》き|天津乙女《あまつをとめ》ではない。ビクの|国《くに》の|刹帝利《せつていり》ビクトリヤ|王《わう》の|娘《むすめ》ダイヤ|姫《ひめ》であるぞよ。|左様《さやう》な|悪虐無道《あくぎやくぶだう》な|企《たく》みを|致《いた》すよりも|惟神《かむながら》の|本心《ほんしん》に|立返《たちかへ》り、|忠良《ちうりやう》なる|臣民《しんみん》として、|国家《こくか》に|尽《つく》したら|何《ど》うだ』
ベルツ『ナニ、|其《その》|方《はう》が|敵《てき》と|付狙《つけねら》ふビクトリヤ|王《わう》の|娘《むすめ》であつたか。エー、|天津乙女《あまつをとめ》と|見誤《みあやま》り、|尊《たふと》い|頭《あたま》をメツタ|矢鱈《やたら》に|下《さ》げたのが|残念《ざんねん》だ。|妖沢坊《えうたくばう》のお|示《しめ》しには、|此《この》|行中《ぎやうちう》に|人間《にんげん》に|見付《みつ》けられては、|折角《せつかく》の|荒行《あらぎやう》が|水泡《すいはう》に|帰《き》するとの|事《こと》であつた。エー、モウ|破《やぶ》れかぶれだ。|吾《わが》|願望《ぐわんまう》の|届《とど》かぬとあれば、|仇《かたき》の|片割《かたわ》れ、|嬲殺《なぶりごろし》に|致《いた》して|怨《うら》みを|晴《は》らしてくれむ。オイ、シエール、|荒繩《あらなは》を|以《もつ》て|此《この》|女《をんな》を|縛《しば》り|上《あ》げよ』
と|厳《きび》しく|命《めい》ずれば、シエールは、
『ハイ|畏《かしこ》まりました』
と|棕櫚繩《しゆろなは》を|取《と》つて、|後手《うしろで》に|括《くく》り、|樫《かし》の|枝《えだ》に|引《ひつ》かけて、|宙空《ちうくう》に|吊《つ》り|上《あ》げる。|乙女《をとめ》は|腕《うで》もむしれむ|許《ばか》りの|痛《いた》さを、|歯《は》をくひしばり|目《め》を|塞《ふさ》いで|一言《ひとこと》も|発《はつ》せず、|堪《こら》えて|居《ゐ》る。
ベルツは|之《これ》を|眺《なが》めて|心地《ここち》よげに|打笑《うちわら》ひ、
ベルツ『アハハハハ、|小《こ》ちつぺ|奴《め》が、こんな|所《ところ》へ|俺等《おれら》の|行方《ゆくへ》を|嗅付《かぎつ》けてやつて|来《き》やがつたのだな、|此奴《こいつ》ア|大変《たいへん》だ。|此奴《こいつ》を|帰《い》なせば、キツと|後《あと》から|左守《さもり》のハルナ|奴《め》、|軍隊《ぐんたい》を|率《ひき》ゐて|俺達《おれたち》を|召捕《めしとり》に|来《く》る|算段《さんだん》であらう。|王女《わうぢよ》の|身《み》として、かやうな|所《ところ》へ|出《で》て|来《く》るとは|大胆至極《だいたんしごく》、|之《これ》には|何《なに》か|仔細《しさい》があるであらう。|一度《いちど》|吊《つ》り|下《おろ》し、|拷問《がうもん》にかけて|云《い》はしてみよう、サア|下《おろ》せ』
と|厳命《げんめい》すれば、シエールは|又《また》もや|綱《つな》を|緩《ゆる》めて|地上《ちじやう》に|下《おろ》した。ダイヤは|既《すで》に|目《め》を|眩《ま》かし|歯《は》をくひしばつてゐる。
シエール『ヤア、チヨロ|臭《くさ》い、モウ【うたひ】あがつたとみえる。モシ|旦那様《だんなさま》、|此奴《こいつ》ア|駄目《だめ》ですよ、|物《もの》を|言《い》ひませぬがなー』
ベルツ『ナアニ、|今《いま》|目《め》を|眩《ま》かした|所《ところ》だから、|滝壺《たきつぼ》へ|一遍《いつぺん》つつ|込《こ》め。|蛇《へび》の|叩《たた》き|殺《ころ》した|奴《やつ》でさへも、|水《みづ》へ|漬《つ》ければすぐに|蘇生《いきかへ》るものだ。サ、|早《はや》く|放《ほ》り|込《こ》んでみよ』
『ハイ』と|答《こた》へてシエールはダイヤ|姫《ひめ》の|身体《からだ》を|引抱《ひつかか》へ、|綱《つな》を|解《ほど》いて、|滝壺《たきつぼ》へザンブと|許《ばか》り|投込《なげこ》んだ。ダイヤはハツと|気《き》がつき、|滝壺《たきつぼ》を|這《は》ひ|上《あが》り、|其処辺《そこら》をキヨロキヨロ|見廻《みまは》し、|赤裸《まつぱだか》のまま|逃《に》げむとするを、シエールはグツと|細腕《ほそうで》を|握《にぎ》り、|以前《いぜん》の|樫《かし》の|根本《ねもと》に|引摺《ひきず》り|来《きた》り、
シエール『コリヤ、ダイヤ|姫《ひめ》、|幼《をさな》き|女《をんな》の|分際《ぶんざい》として、|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|只《ただ》|一人《ひとり》|修業《しうぎやう》に|来《く》るとは|大胆至極《だいたんしごく》、|之《これ》には|何《なに》か|仔細《しさい》があるであらう。|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が|照国山《てるくにやま》に、|王家《わうけ》|転覆《てんぷく》の|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし|居《ゐ》る|事《こと》を|嗅《か》ぎつけ、やつてうせたのであらう。サ、|逐一《ちくいち》|白状《はくじやう》|致《いた》せ。|包《つつ》み|隠《かく》すに|於《おい》ては、|其《その》|方《はう》を|水責《みづぜめ》、|火責《ひぜめ》、|剣責《つるぎぜめ》に|致《いた》すが、それでも|可《い》いか』
ダイヤ『|無礼千万《ぶれいせんばん》な、|主人《しゆじん》の|娘《むすめ》を|捉《とら》へて|左様《さやう》な|脅迫《けふはく》を|致《いた》すといふ|事《こと》があるか。チツと|天地《てんち》の|道理《だうり》を|考《かんが》へて|見《み》よ』
ベルツ『エー、|喧《やかま》しい、|天地《てんち》の|道理《だうり》を|考《かんが》へるやうな|者《もの》が、ビクトリヤ|城《じやう》|転覆《てんぷく》の|修業《しうぎやう》を|致《いた》すものかい。サ、|早《はや》く|事実《じじつ》を|白状《はくじやう》|致《いた》せ。|何《なに》を|願《ねが》ひに|来《き》たのだ。|其《その》|願《ねがひ》の|筋《すぢ》から|第一《だいいち》に|聞《き》いてやらう』
ダイヤ『|此《この》|照国山《てるくにやま》は|妾《わらは》|兄妹《きやうだい》|六人《ろくにん》が|永《なが》らく|住居《ぢうきよ》してゐた|馴染《なじみ》のある|所《ところ》だ。|父《ちち》の|御病気《ごびやうき》を|平癒《へいゆ》させむが|為《ため》に、|清《きよ》めの|滝《たき》へ|水垢離《みづごり》をとりに|来《き》たのだよ。|臣下《しんか》の|身分《みぶん》として|主人《しゆじん》のする|事《こと》をゴテゴテいふ|権利《けんり》があるか、|控《ひか》えて|居《を》れ。|年《とし》は|若《わか》く|共《とも》、ビクの|国《くに》|刹帝利《せつていり》の|娘《むすめ》だ。エエ|汚《けが》らはしい、|一時《いつとき》も|早《はや》くどつかへ|姿《すがた》を|隠《かく》せ。|執拗《しつこう》|帰《かへ》らぬに|於《おい》ては|線香《せんかう》を|立《た》てて|燻《くす》べてやらうか』
シエール『|丸切《まるき》り|青大将《あをだいしやう》が|座敷《ざしき》へ|這上《はひあが》つた|時《とき》のやうに|言《い》つてゐやがる。こんな|女《あま》つちよに|脅迫《けうはく》されて、|此《この》|荒男《あらをとこ》の|顔《かほ》が|立《た》つものか、|地異天変《ちいてんぺん》もここ|迄《まで》|行《ゆ》けば|極端《きよくたん》だ。|地震《ぢしん》ゴロゴロ|雷《かみなり》ビリビリとやつて|来《き》たやうだ。|併《しか》し|乍《なが》らどう|考《かんが》へても、こんな|美《うつく》しい|女《をんな》をムザムザ|殺《ころ》すのは|勿体《もつたい》ない|様《やう》だ。オイ、ダイヤさま、|物《もの》も|一《ひと》つ|相談《さうだん》だが、|何程《なにほど》お|前《まへ》が|王女《わうぢよ》だといつても、|位《くらゐ》の|高《たか》いのは|実地《じつち》の|時《とき》の|間《ま》に|合《あ》ふものでない。|荒男《あらをとこ》|二人《ふたり》と|格闘《かくとう》すれば、|到底《たうてい》お|前《まへ》は|殺《ころ》されねばなるまい。|蛇《へび》と|蛙《かはづ》のやうなものだから、|茲《ここ》は|一《ひと》つ|思案《しあん》をし|直《なほ》して、|旦那様《だんなさま》の|奥方《おくがた》となり、ビクの|国《くに》の|女王《ぢよわう》となつて|暮《くら》す|考《かんが》へはないか』
ダイヤ『|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|謀叛人《むほんにん》|奴《め》、エエ|汚《けが》らはしい、|下《さが》りおらう』
ベルツ『|何《なん》と|云《い》つても|美《うつく》しい|者《もの》だ。そしてこれ|丈《だけ》の|胆力《たんりよく》があれば、|此《この》|女《をんな》を|女房《にようばう》にすればどんな|事《こと》でも|出来《でき》るだらう。イヤ、ダイヤ|姫様《ひめさま》、|茲《ここ》は|一《ひと》つお|考《かんが》へ|直《なほ》しを|願《ねが》ひます。|左守《さもり》といふ|奴《やつ》は|表面《へうめん》|忠義《ちうぎ》らしく|見《み》せて|居《を》りますが、|彼《あれ》こそ|心中《しんちう》|深《ふか》く|野心《やしん》を|包蔵《はうざう》する|曲者《くせもの》で|厶《ござ》いますぞ。|刹帝利様《せつていりさま》は|左守《さもり》に|誤《あやま》られ、ビクの|国家《こくか》を|棒《ぼう》に|振《ふ》らうとして|厶《ござ》る。|危険《きけん》|至極《しごく》な|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》。|真《しん》の|忠臣《ちうしん》が|現《あら》はれて|支《ささ》へなくては、|万代不易《ばんだいふえき》の|王家《わうけ》は|続《つづ》きますまい……|大忠《たいちう》は|不忠《ふちう》に|似《に》たり、|大孝《たいかう》は|不孝《ふかう》に|似《に》たり、|大信《たいしん》は|偽《いつは》りに|似《に》たり、|大善《だいぜん》は|大悪《だいあく》に|似《に》たり……といふ|事《こと》がありませう。|表面《へうめん》|大悪人《だいあくにん》と|見做《みな》されたる|此《この》ベルツ|位《ぐらゐ》、|王家《わうけ》や|国家《こくか》を|憂《うれ》ひて|居《ゐ》る|者《もの》は|厶《ござ》いませぬぞ。チツと|冷静《れいせい》に|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて、|王家《わうけ》と|国家《こくか》の|為《ため》にお|考《かんが》へを|願《ねが》ひ|度《た》いものです。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|貴女《あなた》の|父上《ちちうへ》は|左右《さいう》の|奸臣《かんしん》に|誤《あやま》られ、|大切《たいせつ》な|五人《ごにん》の|王子《わうじ》|迄《まで》|悉皆《しつかい》|殺《ころ》さうとなさつたぢやありませぬか。|何処《どこ》の|国《くに》に|親《おや》が|子《こ》を|愛《あい》せない|者《もの》がありませう。|何《なに》が|宝《たから》だと|云《い》つても、|吾《わが》|子《こ》|位《ぐらゐ》|宝《たから》はない。|其《その》|宝《たから》を|殺《ころ》さうとなさるのだから、|決《けつ》して|之《これ》はお|父上《ちちうへ》の|心《こころ》から|出《で》たのでは|厶《ござ》いませぬ、|皆《みな》|左守《さもり》やタルマンの|入《い》れ|知恵《ぢゑ》で|厶《ござ》りまするぞ。かやうな|悪人《あくにん》を|重用《ぢうよう》するは|実《じつ》に|危険千万《きけんせんばん》で|厶《ござ》りまする。|貴方《あなた》はお|若《わか》いので、|城内《じやうない》の|様子《やうす》を|御存《ごぞん》じ|厶《ござ》いますまいが、それはそれはタルマン、キユービツトの|両人《りやうにん》は|天地《てんち》|容《い》れざる|大悪人《だいあくにん》で|厶《ござ》いますよ。|何卒《どうか》|此《この》|急場《きふば》を|救《すく》ふ|為《ため》に、|幸《さいはひ》|貴方《あなた》は|王家《わうけ》のお|血筋《ちすぢ》、|此《この》|右守《うもり》と|夫婦《ふうふ》になり、|国家《こくか》の|大難《だいなん》を|未然《みぜん》に|防《ふせ》ぐお|考《かんが》へはありませぬか』
ダイヤ『エエつべこべと、|汝《なんぢ》の|邪智侫弁《じやちねいべん》|聞《き》く|耳《みみ》は|持《も》たぬ、|汚《けが》らはしい。|王家《わうけ》がどうならうが、|国家《こくか》が|何《ど》うならうが、|構《かま》つてくれな。|何事《なにごと》も|天《てん》の|時節《じせつ》だ。|汝等《なんぢら》|如《ごと》き|有苗輩《いうぺうはい》の|関知《くわんち》する|所《ところ》でない。|大《おほ》きにお|世話《せわ》だ、さがり|居《を》らう』
と|厳然《げんぜん》として|言《い》ひ|放《はな》つた。ベルツ、シエールは、
『|最早《もはや》|駄目《だめ》だ、|両人《りやうにん》|左右《さいう》より|寄《よ》つてかかつて、|可哀相《かあいさう》|乍《なが》ら、|殺害《さつがい》しくれむ』
と|大剣《たいけん》を|引抜《ひきぬ》き、|左右《さいう》より|切《き》つてかかるを、ダイヤは|身《み》をかはし、|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|刃《やいば》を|潜《くぐ》り、|樫《かし》の|大木《たいぼく》を|木楯《こだて》に|取《と》つて|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ひゐる。
|斯《か》かる|所《ところ》へブウブウブウと|法螺貝《ほらがひ》を|吹《ふ》き|乍《なが》ら、|四人《よにん》の|山伏《やまぶし》、
『|衆生被困厄《しうじやうひこんやく》、|無量苦逼身《むりやうくひつしん》、|観音妙智力《くわんのんめうちりき》、|能救世間苦《のうぐせけんく》、|具足神通力《ぐそくじんつうりき》、|広修智方便《くわうしゆうちはうべん》、|十方諸国土《じつぱうしよこくど》、|無刹不現身《むせつぶげんしん》、|種々諸悪趣《しゆじゆしよあくしゆ》、|地獄鬼畜生《ぢごくきちくしやう》、|生老病死苦《せいらうびやうしく》、|以漸悉令滅《いぜんしつりやうめつ》』
と|観音経《くわんのんきやう》を|唱《とな》へ|乍《なが》ら|登《のぼ》つて|来《く》る。ベルツ、シエールの|両人《りやうにん》は|四人《よにん》の|姿《すがた》に|驚《おどろ》いて、ダイヤを|捨《す》て、|着物《きもの》をかかへ、|山上《さんじやう》|目《め》がけて、|荊棘《けいきよく》|茂《しげ》る|中《なか》を|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げて|行《ゆ》く。|此《この》|山伏《やまぶし》は|治道《ちだう》、|道貫《だうくわん》、|素道《そだう》、|求道《きうだう》、|四人《よにん》の|修験者《しうげんじや》なりけり。
(大正一二・三・五 旧一・一八 於竜宮館 松村真澄録)
第二〇章 |万面《まんめん》〔一四二八〕
ビクトリヤ|城《じやう》の|評議室《ひやうぎしつ》にはタルマンを|初《はじ》め|左守司《さもりのかみ》のキユービツト、ハルナ、|右守司《うもりのかみ》のエクスが|首《くび》を|鳩《あつ》めて|秘々《ひそびそ》|相談会《さうだんくわい》を|始《はじ》めてゐる。
|左守《さもり》『タルマン|殿《どの》、|寸善尺魔《すんぜんしやくま》の|世《よ》の|中《なか》と|申《まを》してバラモン|軍《ぐん》が|退却《たいきやく》|致《いた》し、やれ|一安心《ひとあんしん》と|思《おも》ふ|間《ま》もなく|再《ふたた》び|右守司《うもりのかみ》のベルツ、シエールが|叛逆軍《はんぎやくぐん》に|取囲《とりかこ》まれ、|国家《こくか》|已《すで》に|危《あやふ》き|所《ところ》、|尊《たふと》き|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》に|助《たす》けられ、これにてビクの|国家《こくか》も|刹帝利家《せつていりけ》も|大磐石《だいばんじやく》と|思《おも》ふ|折《をり》、|六人《ろくにん》の|王子女《わうしぢよ》が|帰《かへ》られて|益々《ますます》|万代不易《ばんだいふえき》と|喜《よろこ》んで|居《を》つた|所《ところ》、|此《この》|度《たび》の|刹帝利様《せつていりさま》の|俄《にはか》の|御病気《ごびやうき》、その|上《うへ》ダイヤ|姫様《ひめさま》が|又《また》もやお|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らなくなり|再《ふたた》び|城内《じやうない》は|黒雲《こくうん》に|包《つつ》まれたも|同然《どうぜん》、|貴方《あなた》は|日夜《にちや》|玉《たま》の|宮《みや》に|専仕《せんし》される|以上《いじやう》は、|此《この》|御病気《ごびやうき》の|原因《げんいん》や|姫様《ひめさま》の|御行衛《おゆくゑ》がお|分《わか》りで|厶《ござ》いませう。|一《ひと》つ|御意見《ごいけん》を|聞《き》かして|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
タルマン『|何分《なにぶん》にも|神徳《しんとく》の|足《た》らぬ|拙者《せつしや》の|事《こと》なれば、ハツキリした|事《こと》は|申上《まをしあ》げ|兼《か》ねますが、|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》は|生霊《いきりやう》の|祟《たた》りと|存《ぞん》じます』
|左守《さもり》『|何《なに》、|生霊《いきりやう》とは|何者《なにもの》の|怨霊《をんりやう》で|厶《ござ》るかな』
タルマン『|察《さつ》する|所《ところ》、|前右守司《ぜんうもりのかみ》のベルツ、シエールが|怨霊《おんりやう》と|察《さつ》します。|拙者《せつしや》が|神殿《しんでん》に|於《おい》て|祈願《きぐわん》の|最中《さいちう》、|煙《けぶり》の|如《ごと》く|両人《りやうにん》が|現《あら》はれ|鬼《おに》の|様《やう》な|顔《かほ》をして|刹帝利様《せつていりさま》を|睨《ね》めつけて|居《を》りました。|屹度《きつと》|彼奴《あいつ》の|生霊《いきりやう》に|間違《まちがひ》|厶《ござ》いますまい』
|左守《さもり》『して、その|両人《りやうにん》の|所在《ありか》は|分《わか》つて|居《を》りますかな』
タルマン『ハイ、|何処《どこ》だかハツキリは|分《わか》りませぬが、|拙者《せつしや》の|霊眼《れいがん》に|映《えい》じた|所《ところ》によれば、|沢山《たくさん》な|魔神《まがみ》に|誑惑《きやうわく》され、|深山《しんざん》の|谿谷《けいこく》に|分《わ》け|入《い》り|大瀑布《だいばくふ》にうたれて|刹帝利様《せつていりさま》を|呪詛《じゆそ》の|荒行《あらぎやう》を|致《いた》して|居《を》る|様《やう》で|厶《ござ》います』
|左守《さもり》『その|地名《ちめい》は|分《わか》りませぬか。|地名《ちめい》が|分《わか》らねば、せめて|此《この》|城内《じやうない》から|何方《どちら》に|当《あた》ると|云《い》ふ|方角《はうがく》|位《ぐらゐ》は|分《わか》るでせうな。さうして|姫様《ひめさま》の|行衛《ゆくゑ》はまだ|見当《けんたう》がつきませぬか』
タルマン『ハイ、|何《なん》でも|姫様《ひめさま》もその|滝《たき》へソツと|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》を|癒《なほ》さむため|荒行《あらぎやう》においでになつた|所《ところ》、ベルツ、シエールの|両人《りやうにん》が|左右《さいう》より|姫様《ひめさま》を|打殺《うちころ》さむと|大刀《だいたう》を|揮《ふる》つて|攻《せ》めかけてゐる。|姫様《ひめさま》は|大木《たいぼく》の|幹《みき》を|楯《たて》にとり|飛鳥《ひてう》の|如《ごと》く|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》うてゐなさる|場面《ばめん》が|霊眼《れいがん》に|映《えい》じました。|併《しか》し|乍《なが》ら|地名《ちめい》と|方角《はうがく》はまだ|分《わか》りませぬ。ああ|斯《か》ふ|云《い》ふ|時《とき》に|治国別《はるくにわけ》|様《さま》か、お|弟子《でし》の|一人《ひとり》でも|居《ゐ》て|下《くだ》さつたらハツキリ|分《わか》るであらうに、……ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|心《こころ》の|曇《くも》りたるタルマンに、|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|霊眼《れいがん》を|開《ひら》かせ|下《くだ》さいまして、ハツキリした|事《こと》をお|知《し》らせ|下《くだ》さいます|様《やう》、|三五《あななひ》の|大神様《おほかみさま》、|慎《つつし》み|畏《かしこ》みお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて|祈願《きぐわん》して|居《ゐ》る。|然《しか》し|如何《どう》しても|地名《ちめい》や|方角《はうがく》はタルマンの|霊力《れいりよく》では|感知《かんち》する|事《こと》が|出来《でき》なかつた。
|左守《さもり》『はて、|困《こま》つた|事《こと》だ。|如何《どう》したら|王様《わうさま》の|御病気《ごびやうき》が|全快《ぜんくわい》|致《いた》し、|姫様《ひめさま》が|無事《ぶじ》にお|帰《かへ》り|下《くだ》さるであらう』
ハルナ『|皆様《みなさま》、これから|吾々《われわれ》|一同《いちどう》が|玉《たま》の|宮《みや》へ|参拝《さんぱい》|致《いた》し、|兎《と》も|角《かく》|無事《ぶじ》で|姫様《ひめさま》がお|帰《かへ》りになる|様《やう》、|刹帝利様《せつていりさま》の|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばす|様《やう》、|一生懸命《いつしやうけんめい》|願《ねが》はうぢやありませぬか』
|左守《さもり》『ヤ、それは|誠《まこと》に|結構《けつこう》で|厶《ござ》る。|第一《だいいち》|左守《さもり》、|右守《うもり》が|命《いのち》を|神様《かみさま》に|捧《ささ》げて、|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》の|平癒《へいゆ》を|祈《いの》らねばなるまい。|之《これ》が|臣《しん》たるものの|道《みち》だ。さア|右守殿《うもりどの》、|貴方《あなた》も|用意《ようい》なされ』
|右守《うもり》『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|私《わたくし》の|考《かんが》へでは、|王様《わうさま》の|御病気《ごびやうき》も|日《ひ》ならず|御全快《ごぜんくわい》|遊《あそ》ばし、|姫様《ひめさま》も|近日《きんじつ》|無事《ぶじ》にお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばす|様《やう》な|気分《きぶん》が|致《いた》します。|併《しか》し|乍《なが》ら|左守様《さもりさま》は|御老体《ごらうたい》、ハルナ|様《さま》が|御名代《ごみやうだい》としてお|詣《まゐ》りになれば|宜《よろ》しからう。|貴方《あなた》はビクトリヤ|家《け》の|柱石《ちうせき》、|王様《わうさま》のお|側《そば》をお|離《はな》れになつてはいけませぬ。|吾々《われわれ》|三人《さんにん》が|参拝《さんぱい》|致《いた》し|御祈願《ごきぐわん》を|凝《こ》らす|事《こと》に|致《いた》しませう』
|左守《さもり》『|然《しか》らば|拙者《せつしや》は|王様《わうさま》のお|側《そば》を|守《まも》つて|居《を》りませう。|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|早《はや》く|玉《たま》の|宮《みや》へ|御参詣《ごさんけい》を|願《ねが》ひます』
タルマンは『|畏《かしこ》まりました』とハルナ、|右守《うもり》と|共《とも》に|急《いそ》ぎ|玉《たま》の|宮《みや》へ|参拝《さんぱい》と|出掛《でか》けた。
|後《あと》に|左守《さもり》は|只《ただ》|一人《ひとり》|双手《もろて》を|組《く》んで|思案《しあん》にくれてゐる。
そこへ|慌《あわ》ただしく|受付《うけつけ》のトマスは、|襖《ふすま》をソツと|開《ひら》き|両手《りやうて》をつき|乍《なが》ら、
トマス『|左守様《さもりさま》に|申上《まをしあ》げます。|只《ただ》|今《いま》|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》をして|来《こ》られた|万公《まんこう》さまが、|六人連《ろくにんづ》れで|玉《たま》の|宮《みや》へ|御参拝《ごさんぱい》になり、|左守様《さもりさま》に|一度《いちど》お|目《め》にかかり|度《た》いと|云《い》つてお|越《こ》しになりました。|如何《どう》|致《いた》したら|宜《よろ》しう|厶《ござ》りませうかな』
|左守《さもり》『ウン、|三五教《あななひけう》の|万公《まんこう》さまが|見《み》えたか。ヤ、それは|有難《ありがた》い。|併《しか》し|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|御出《おい》でにはなつてゐないか。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》や|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》|様《さま》ならば|斯《か》ふ|云《い》ふ|場合《ばあひ》に|助《たす》けて|下《くだ》さるであらうが|万公《まんこう》さまでは|心《こころ》|許《もと》ない。そして|其《その》お|連《つ》れと|申《まを》すのは|何《ど》んなお|方《かた》かな』
トマス『ハイ、|男《をとこ》が|三人《さんにん》、|女《をんな》が|三人《さんにん》、どうも|三夫婦《みめをと》らしう|厶《ござ》います。
|島田《しまだ》|潰《つぶ》して|丸髷《まるまげ》|結《ゆ》うて
|主《ぬし》と|二人《ふたり》で|宮詣《みやまゐ》り
と|云《い》ふ|様《やう》な|陽気《やうき》な|様子《やうす》で|厶《ござ》いますよ』
|左守《さもり》『その|三人《さんにん》の|男《をとこ》と|云《い》ふのは|治国別《はるくにわけ》さまか、|竜彦《たつひこ》さまの|中《うち》であらう。モシ、さうであつたならば|万公《まんこう》さまはどうも|八釜《やかま》しくて|困《こま》るから……|治国別《はるくにわけ》さまか|竜彦《たつひこ》さまに、|一寸《ちよつと》お|目《め》にかかりたいと|申《まを》して|呉《く》れ。そして|外《ほか》のお|方《かた》は|応接間《おうせつま》にお|茶《ちや》でも|出《だ》して|大切《たいせつ》に|待《ま》たして|置《お》くのだ』
トマス『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|直様《すぐさま》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》を|呼《よ》んで|参《まゐ》りませう』
と|急《いそ》ぎ|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|玄関口《げんくわんぐち》に|現《あら》はれ、
トマス『さア、|皆《みな》さま、お|待《ま》ち|遠《どお》う|厶《ござ》いました。|何卒《どうぞ》|応接間《おうせつま》の|方《はう》へお|通《とほ》り|下《くだ》さい。|暫《しば》らくして|左守《さもり》がお|目《め》にかかります。|時《とき》に|治国別《はるくにわけ》|様《さま》か、|竜彦《たつひこ》の|宣伝使《せんでんし》は|此処《ここ》に|交《まじ》つて|居《を》られますかな。|根《ね》ツから|万公《まんこう》さまでは|八釜《やかま》しくて……|一寸《ちよつと》|取込《とりこ》んでゐるから|都合《つがふ》が|悪《わる》い……と|左守様《さもりさま》が|云《い》つて|居《を》られました。|何卒《どうぞ》|万公《まんこう》さまは|此処《ここ》に|御婦人《ごふじん》の|方《かた》と|一緒《いつしよ》に|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい。さアお|二人《ふたり》の|中《うち》|何方《どなた》でも|宜《よろ》しい、お|一人《ひとり》さま、|左守《さもり》の|居間《ゐま》へ|行《い》つて|下《くだ》さいませ』
シーナ『|拙者《せつしや》は|玉置村《たまきむら》の|者《もの》でシーナと|申《まを》すもの、|実《じつ》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|媒酌《ばいしやく》によつて|里庄《りしやう》の|娘《むすめ》スミエル|姫《ひめ》と|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》げ、|今日《けふ》は|玉《たま》の|宮様《みやさま》へ|礼詣《れいまゐ》りを|致《いた》したので|厶《ござ》います』
トマス『ヘー、それは、マアマアお|目出度《めでた》う|厶《ござ》います。|一寸《ちよつと》|新婚旅行《しんこんりよかう》とお|洒落遊《しやれあそ》ばした|所《ところ》ですな。アハ……も|一人《ひとり》のお|方《かた》、|貴方《あなた》は|宣伝使《せんでんし》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
アーシス『ハイ、|拙者《せつしや》は|矢張《やは》り|玉置《たまき》の|村《むら》の|者《もの》でアーシスと|申《まを》します。|一度《いちど》|左守様《さもりさま》にお|目《め》にかかり|度《た》いと|存《ぞん》じ、|今度《こんど》|女房《にようばう》を|持《も》つたお|礼《れい》に|玉《たま》の|宮様《みやさま》へ|参拝《さんぱい》を|致《いた》し、|一寸《ちよつと》|御面倒《ごめんだう》を|致《いた》しました』
トマス『ハハア、それはお|目出度《めでた》う、|新夫新婦《しんぷしんぷ》が|二組《ふたくみ》もお|揃《そろ》ひになつたのですな。ヤ、|万公《まんこう》さま、お|前《まへ》さまは|到頭《たうとう》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|暇《ひま》を|出《だ》され、どつかの|家《うち》で|奉公《ほうこう》でもしてゐると|見《み》えますな』
|万公《まんこう》『エエ|八釜《やかま》しく|云《い》ふな。|之《これ》でも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|万公別《まんこうわけ》だ。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》から|此《この》|度《たび》|新《あらた》に|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|名《な》を|頂《いただ》いたのだ。|神徳無限《しんとくむげん》の|神司《かむつかさ》だ。|取《と》り|込《こ》んでゐる|事《こと》があるとは|一体《いつたい》|何事《なにごと》か|知《し》らぬが、|此《この》|宣伝使《せんでんし》に|御相談《ごさうだん》あれば|直様《すぐさま》|解決《かいけつ》をつけて|上《あ》げると、|左守様《さもりさま》にさう|仰有《おつしや》るがよからう』
トマス『ヘー|相変《あひかは》らず|大変《たいへん》な|馬力《ばりき》ですな。|左守様《さもりさま》が|何《なん》と|仰有《おつしや》るか|知《し》りませぬが、|一寸《ちよつと》|奥《おく》へ|伝《つた》へて|来《き》ます。|暫時《しばらく》|待《ま》つて|下《くだ》さいませ』
と|早《はや》くも|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|左守《さもり》の|居間《ゐま》へ|引返《ひつかへ》した。
トマス『|左守様《さもりさま》、|一寸《ちよつと》|調《しら》べて|参《まゐ》りましたが、|玉置村《たまきむら》の|若夫婦《わかふうふ》が|新婚旅行《しんこんりよかう》を|兼《か》ね、|玉《たま》の|宮様《みやさま》へ|参拝《さんぱい》を|致《いた》し|帰《かへ》り|道《みち》、|万公《まんこう》さまに|連《つ》れられて、お|訪《たづ》ねをしたのだと|云《い》つて|居《ゐ》ます。そして|万公《まんこう》さまは|治国別《はるくにわけ》|様《さま》から|新《あらた》に|宣伝使号《せんでんしがう》を|頂《いただ》き|万公別《まんこうわけ》となり、|無限《むげん》の|神力《しんりき》を|与《あた》へられたと|云《い》つて|居《を》られますが、|此方《こちら》へお|通《とほ》し|申《まを》しませうか』
|左守《さもり》『|今日《こんにち》の|場合《ばあひ》、|誰彼《たれかれ》の|容赦《ようしや》はない。|万公別《まんこうわけ》なんて|法螺《ほら》を|吹《ふ》いて|居《ゐ》るのだらう。|併《しか》し|乍《なが》ら|万公《まんこう》のチヨカさまも|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|伴《とも》に|歩《ある》いて|居《を》つたのだから、|何処《どこ》かに|見込《みこみ》があるだらう。|兎《と》も|角《かく》「|膝《ひざ》とも|談合《だんがふ》」と|云《い》ふ|事《こと》がある。|早《はや》く|此方《こちら》へお|越《こ》し|下《くだ》さいと|云《い》つて|御案内《ごあんない》して|来《こ》い。さうして|他《ほか》のお|客《きやく》さまは|珈琲《コーヒー》でも|出《だ》して|鄭重《ていちやう》に|用《よう》の|済《す》むまで|待《ま》つて|頂《いただ》くのだ。|失策《ておち》のない|様《やう》にして|置《お》くのだぞ』
トマス『ハイ、そんな|事《こと》に|抜目《ぬけめ》が|厶《ござ》いませうか。|直様《すぐさま》|呼《よ》んで|参《まゐ》ります。エーエ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|襖《ふすま》をピシヤリと|締《し》め、
トマス『エーエ、|忙《いそが》しい|事《こと》だ。|彼《あ》ツ|方《ちや》へ|行《い》つたり、|此《こ》ツ|方《ちや》へ|行《い》つたり、キリキリ|舞《ま》ひだ。|之《これ》だから、すまじきものは|宮仕《みやづか》へと|云《い》ふのだ。ぢやと|云《い》うて|外《ほか》に|何《なに》もこれと|云《い》ふ|芸能《げいのう》はなし、|先《ま》づ|玄関番《げんくわんばん》で|辛抱《しんばう》するより|仕方《しかた》がないな』
と|一人《ひとり》|呟《つぶや》き|乍《なが》ら|応接室《おうせつしつ》に|慌《あわ》ただしく|入《い》り|来《きた》り、
トマス『イヤ、|皆《みな》さま、お|待《ま》たせ|申《まを》しました。|何卒《どうぞ》|珈琲《コーヒー》なつとドサリ|召《あが》つて、……|五人《ごにん》の|方《かた》は|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい。……|万公別《まんこうわけ》なんて、|宜《い》い|加減《かげん》|法螺《ほら》を|吹《ふ》いてゐるのだらう。あの|万公《まんこう》は|鈴《すず》の|様《やう》に|八釜《やかま》しくて、おまけにデレ|助《すけ》で|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だけど、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|丁稚役《でつちやく》をしてゐたのだから|少《すこ》しは|霊術《れいじゆつ》も|利《き》いて|居《ゐ》るだらう。|膝《ひざ》とも|談合《だんがふ》だ。|空腹《ひもじ》い|時《とき》には|不味《まづい》ものなし、|万公《まんこう》でも|宜《い》いから|呼《よ》んで|来《こ》い……と|仰有《おつしや》いました。さア|万公別《まんこうわけ》さま、このトマスに|跟《つ》いて|左守《さもり》の|居間《ゐま》|迄《まで》お|越《こ》しを|願《ねが》ひます』
|万公《まんこう》『|何《なん》だ、|川獺《とます》の|様《やう》な|顔《かほ》しやがつて|失敬《しつけい》ぢやないか。|今日《こんにち》の|万公《まんこう》さまは|玉置《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》テームス|家《け》の|若旦那《わかだんな》だぞ。これ|見《み》い、|此《この》|様《やう》なナイスを|女房《にようばう》に|持《も》つて|新婚旅行《しんこんりよかう》を|兼《か》ね、|玉《たま》の|宮《みや》へ|参拝《さんぱい》をしたのだ。チツと|羨《けな》るい|事《こと》はないか。エー、ダイヤ|姫《ひめ》と|何方《どちら》が|美《うつく》しいと|見《み》えるか、ヒヒヒヒヒ』
トマス『エヘヘヘヘヘ|犬《いぬ》も|歩《ある》けば|棒《ぼう》に|当《あた》るとか|云《い》つて、|到頭《たうとう》|治国別《はるくにわけ》さまに|暇《ひま》を|出《だ》され|玉置《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》の|宅《うち》の|門掃男《かどはきをとこ》となり、お|嬢《ぢやう》さまのお|伴《とも》をして|詣《まゐ》つて|来《き》たのだな。お|前《まへ》のスタイルでそんなナイスが|女房《にようばう》に|持《も》てるものかい。|遠《とほ》い|所《ところ》で|分《わか》らぬと|云《い》つて、|此《この》トマスが|一目《ひとめ》チヤンと|見《み》たら|決《けつ》して、はづれツこは|無《な》いワイ。ウツフフフフ』
|万公《まんこう》『エー、|馬鹿《ばか》にすない。|左守《さもり》の|奴《やつ》、ダイヤ|姫《ひめ》と|俺《おれ》との|縁談《えんだん》をチヤチヤ|入《い》れやがつたものだから|此《この》|爺《おやぢ》、|仕方《しかた》の|無《な》い|奴《やつ》だ……と|実《じつ》の|所《ところ》|怨《うら》んでゐたのだ。そした|所《ところ》、|此《この》|通《とほ》り|古今無双《ここんむさう》のナイスが……ヘヘヘ|此《この》|万公《まんこう》さまに|首《くび》ツたけラバーしたものだから、|嫌《いや》でもない|縁談《えんだん》を……|俺《おれ》もチツとはスヰートハートして|居《ゐ》たものだから|両方《りやうはう》からピツタリと|意思投合《いしとうがふ》の|結果《けつくわ》お|粗末《そまつ》|乍《なが》ら……ヘン……|合衾《がふきん》の|式《しき》を|挙《あ》げ|新婚旅行《しんこんりよかう》と|洒落《しやれ》てゐるのだよ。|万公別《まんこうわけ》の|腕前《うでまへ》には|如何《どう》だ、|獺《かはうそ》のトマス、|感服《かんぷく》しただらう』
スガール『もし、|万公別《まんこうわけ》さま、そんな|事《こと》|云《い》つて|下《くだ》さいますな。|妾《わたし》|恥《はづか》しう|厶《ござ》いますわ』
|万公《まんこう》『|何《なに》が|恥《はづか》しい。|天下《てんか》|晴《は》れての|夫婦《ふうふ》ぢやないか。エヘヘヘヘヘ、これから|左守司《さもりのかみ》にアフンとさしてやるのだ。ああ|愉快《ゆくわい》|々々《ゆくわい》』
トマス『|此《この》|様子《やうす》では、も|一度《いちど》|左守様《さもりさま》に|伺《うかが》つて|来《こ》なくちや|直様《すぐさま》お|会《あわ》せ|申《まを》す|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬワイ。ま|一遍《いつぺん》|伺《うかが》つて|来《く》るまで|一寸《ちよつと》|此処《ここ》に|待《ま》つてゐて|下《くだ》さいや。そして|御主人《ごしゆじん》のお|嬢《ぢやう》さまを|大切《たいせつ》に|守《まも》つてゐて|下《くだ》さいや。うかうかすると「|此《この》|下男《げなん》は|気《き》が|利《き》かぬ」と|云《い》つて|又《また》|放《ほ》り|出《だ》されますよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|又《また》もや|左守司《さもりのかみ》の|居間《ゐま》に|踵《くびす》を|返《かへ》し|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
|万公《まんこう》『ハハハハハ、スガールの|美貌《びばう》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し|魂《たましひ》を|有頂天《うちやうてん》にして|居《ゐ》やがるワイ。さア|此《こ》れからが|三段目《さんだんめ》だ。オイ、スガール、|今日《けふ》は|俺《おれ》の|男《をとこ》を|左守《さもり》の|前《まへ》で|売《う》つて|見《み》せるのだから、お|前《まへ》も|辛《つら》からうがチツと|意茶《いちや》ついて|見《み》せて|呉《く》れぬと|困《こま》るよ。|夫《をつと》が|妻《つま》に|対《たい》する|一生《いつしやう》の|願《ねがひ》だからな』
スガール『ホホホホホ、
キツと|引締《ひきし》め|三筋《みすぢ》の|糸《いと》で
|主《ぬし》のお|好《す》きに|紫檀竿《したんざを》。
|焚《た》いて|喰《く》はうと|焼《や》いて|喰《く》はうと|万公《まんこう》さまのお|勝手《かつて》ですわ』
|万公《まんこう》『ヘヘヘヘヘそれでこそ|三国一《さんごくいち》の|花嫁《はなよめ》だ。|万公別《まんこうわけ》、|万歳《ばんざい》』
(大正一二・三・五 旧一・一八 於竜宮館 北村隆光録)
第二一章 |嬉涙《うれしなみだ》〔一四二九〕
トマスは|再《ふたた》び|応接《おうせつ》の|間《ま》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
トマス『ヤア、|万公別《まんこうわけ》さまを|初《はじ》め|御一同様《ごいちどうさま》お|揃《そろ》ひの|上《うへ》どうか|左守《さもり》の|室《へや》|迄《まで》お|越《こ》しを|願《ねが》ひます。|左守様《さもりさま》も|大変《たいへん》な|御心配《ごしんぱい》が|起《おこ》つて|居《ゐ》る|所《ところ》ですからどうか|貴方方《あなたがた》の|御経歴話《ごけいれきばなし》でも|聞《き》かして|頂《いただ》けば|幾分《いくぶん》かお|気《き》が|紛《まぎ》れるでせう。さア|案内《あんない》|致《いた》しませう。どうかお|越《こ》し|下《くだ》さいませ』
|万公《まんこう》『よし、|左守《さもり》の|爺《おやぢ》、|万公別《まんこうわけ》を|安《やす》く|買《か》ひやがつたな。|皆《みな》|一緒《いつしよ》に|来《こ》いなんて、よし、|行《い》つてやらう。サア|案内《あんない》せい、|皆《みな》さま|拙者《せつしや》に|続《つづ》いてお|出《いで》なさいませ。|三夫婦《みめをと》|揃《そろ》うてビクトリヤ|城《じやう》の|奥《おく》の|間《ま》|迄《まで》、|玉置《たまき》の|村《むら》の|里庄《りせう》の|息子《むすこ》が|通《とほ》ると|云《い》ふ|事《こと》は|異数《いすう》で|厶《ござ》いますよ。|是《これ》と|云《い》ふのも|矢張《やつぱり》|万公別《まんこうわけ》の|余光《よくわう》ですからな』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、トマスの|後《あと》に|跟《つ》いて|長《なが》い|廊下《らうか》を|潜《くぐ》り、|左守司《さもりのかみ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|入《い》つた。|万公《まんこう》は|左守《さもり》に|向《むか》ひ、
『これはこれは|左守《さもり》のキユービツト|殿《どの》、|暫《しばら》くお|目《め》にかかりませぬ。|吾々《われわれ》は|三夫婦《みめをと》|揃《そろ》うて|新婚旅行《しんこんりよかう》と|出掛《でか》け、|玉《たま》の|宮《みや》への|参拝《さんぱい》の|帰《かへ》り|途《みち》、|一度《いちど》|御挨拶《ごあいさつ》に|上《あが》らないでは|済《す》まないと|思《おも》ひ、|門番《もんばん》がゴテつくのをやつと|潜《くぐ》つて|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》りました。|随分《ずいぶん》|貴方《あなた》も|年《とし》が|寄《よ》りましたねえ。|白髪《しらが》がどつさり|生《は》えたぢやありませぬか』
|左守《さもり》『ハハハハハ、|皆《みな》さま|好《よ》くお|出《いで》なさいませ。|時《とき》に|万公《まんこう》さま、|拙者《せつしや》の|白髪《しらが》は|二十年前《にじふねんまへ》から|生《は》えて|居《を》るのぢや、お|前《まへ》さま|今《いま》|気《き》がついたか。そして|何処《どこ》に|奉公《ほうこう》して|居《ゐ》るか|知《し》らないが、|綺麗《きれい》な|娘《むすめ》さまのお|伴《とも》して|居《ゐ》るが、|身分相応《みぶんさうおう》と|云《い》ふ|事《こと》を|考《かんが》へて|今《いま》|迄《まで》のやうな|野心《やしん》を|出《だ》さないやうにしなさい』
|万公《まんこう》はスガールの|肩《かた》に|手《て》をかけ、
『ヘヘヘヘヘ。もし|左守様《さもりさま》。ダイヤ|姫様《ひめさま》とはどうで|厶《ござ》いますな。|私《わたし》の|女房《にようばう》は、マアザツト|此《この》|通《とほ》りで|厶《ござ》います』
|左守《さもり》『これこれ|万公《まんこう》さま、|又《また》してもお|前《まへ》さまは|心得《こころえ》の|悪《わる》い。|主人《しゆじん》のお|嬢様《ぢやうさま》を|捉《つか》まへて|女房扱《にようばうあつか》ひをすると|云《い》ふ|事《こと》がありますか。|些《ちつ》と|心得《こころえ》なさい。』
|万公《まんこう》『ヘン、|済《す》みまへんなア、おいスガール、|左守様《さもりさま》に|疑《うたがひ》の|晴《は》れるやうにお|前《まへ》から|言《い》つて|呉《く》れ。|本当《ほんたう》に|誰《たれ》も|彼《かれ》も|俺《おれ》を|安《やす》く|買《か》つて|馬鹿《ばか》にして|居《を》るからな』
スガール『|左守様《さもりさま》、|初《はじ》めてお|目《め》に|懸《かか》ります。|私《わたくし》は|玉置《たまき》の|村《むら》のテームスが|妹娘《いもうとむすめ》スガールと|申《まを》すもので|厶《ござ》います。バラモン|軍《ぐん》に|捉《とら》へられ|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》で|苦《くる》しんで|居《ゐ》ました|所《ところ》を、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》|一行《いつかう》がお|出《いで》なさつてお|助《たす》け|下《くだ》さつたのです。|中《なか》にもこの|万公《まんこう》さまは|実《じつ》は|万公別《まんこうわけ》|様《さま》と|申《まをし》まして|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|師匠《ししやう》さまですが、ワザとに|部下《ぶか》と|化《ば》けて|剽軽《へうきん》の|事《こと》|許《ばか》り|云《い》つてお|出《いで》なさるので|厶《ござ》います。|私《わたし》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御媒酌《ごばいしやく》によつて|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|夫婦《ふうふ》になり、|玉《たま》の|宮《みや》へお|礼《れい》に|参《まゐ》りましたその|帰《かへ》りがけ、|夫《をつと》と|共《とも》にお|伺《うかが》ひしました。|何卒《どうぞ》お|見捨《みす》てなく|今後《こんご》はお|心易《こころやす》く|願《ねが》ひます。そして|此《この》|方《かた》はシーナさまと|申《まを》し、スミエルと|云《い》ふ|此《この》|姉《あね》の|夫《をつと》で|厶《ござ》います。も|一組《ひとくみ》はアーシスさま、お|民《たみ》さまと|申《まを》しましてこれも|新夫婦《しんふうふ》で|厶《ござ》います』
|左守《さもり》『イヤ、どうも|見違《みちが》ひを|致《いた》して|居《を》りました。|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》さま、よくマアお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいました。|併《しか》し|折入《をりい》つてお|願《ねが》ひ|申《まをし》|度《た》い|事《こと》で|厶《ござ》いますが、|聞《き》いては|下《くだ》さいますまいか』
|万公《まんこう》『|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》とダイヤ|様《さま》の|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》らないので|御心配《ごしんぱい》なさつて|居《を》るのでせうがな』
|左守《さもり》は|驚《おどろ》いて、
|左守《さもり》『ハイ、お|察《さつ》しの|通《とほ》りで|厶《ござ》います。どうしてマアそんな|事《こと》がお|分《わか》りになりましたか』
|万公《まんこう》『|何《なん》と|云《い》つても|三五教《あななひけう》|切《き》つての|大宣伝使《だいせんでんし》|万公別《まんこうわけ》で|厶《ござ》います。|千里《せんり》|先方《むかふ》の|事《こと》でも|斯《か》うして|居《を》つてチヤンと|分《わか》つて|居《を》るのですからなア。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|事《こと》は|城下《じやうか》で|一寸《ちよつと》|聞《き》いて|来《き》たのですよ。アハハハハ、|本当《ほんたう》の|事《こと》|云《い》へば|薄紙《うすがみ》を|顔《かほ》に|当《あ》てて|物《もの》を|見《み》る|位《くらゐ》より|分《わか》りませぬわい』
|左守《さもり》『|冗談《じようだん》はさておいて、|万公別《まんこうわけ》さま|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》はどうお|考《かんが》へですか』
|万公《まんこう》『ヤア|実《じつ》の|所《ところ》は|玉《たま》の|宮様《みやさま》に|参拝《さんぱい》|致《いた》し|祈願《きぐわん》の|最中《さいちう》|隆靖彦《たかやすひこ》、|隆光彦《たかてるひこ》と|云《い》ふ|二人《ふたり》のエンゼルが|拙者《せつしや》の|前《まへ》に|下《くだ》らせ|給《たま》ひ、「|刹帝利様《せつていりさま》はベルツ、シエールの|怨霊《をんりやう》が|悩《なや》めて|居《ゐ》るから|早《はや》く|汝《なんぢ》はホーフスに|入《い》り、お|助《たす》け|申《まを》せ。さうしてダイヤ|姫様《ひめさま》は|両人《りやうにん》の|為《ため》に|苦《くる》しめられお|命《いのち》も|危《あやふ》い|所《ところ》、|四人《よにん》の|修験者《しうげんじや》に|助《たす》けられ、やがてお|帰《かへ》りになるから|御心配《ごしんぱい》なさらぬやう、お|知《し》らせ|申《まを》せ……」との|事《こと》で|厶《ござ》います。|夫《それ》|故《ゆゑ》|失礼《しつれい》をも|顧《かへり》みず|六人連《ろくにんづ》れでお|邪魔《じやま》を|致《いた》したので|厶《ござ》います』
|左守《さもり》『|成程《なるほど》タルマンの|伺《うかが》ひにも|左様《さやう》の|事《こと》を|申《まをし》て|居《を》りました。|夫《それ》に|間違《まちが》ひは|厶《ござ》いますまい。ああ|有難《ありがた》う|厶《ござ》いました。|何卒《どうぞ》|直様《すぐさま》、|御苦労様《ごくらうさま》ながら、|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》|平癒《へいゆ》のため|御鎮魂《ごちんこん》をお|願《ねが》ひ|申《まを》す|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいか』
|万公《まんこう》『|拙者《せつしや》が|別《べつ》に|刹帝利様《せつていりさま》のお|居間《ゐま》に|参《まゐ》らずとも|万公別《まんこうわけ》|此《この》|城《しろ》に|入《い》るや|否《いな》や|神徳《しんとく》に|恐《おそ》れ|二人《ふたり》の|怨霊《をんりやう》は|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|失《う》せました。やがてニコニコとして|此処《ここ》にお|出《いで》になるでせう。|又《また》ダイヤ|姫様《ひめさま》も|修験者《しうげんじや》に|送《おく》られて|此処《ここ》へお|帰《かへ》りなさりませうから、|先《ま》づ|悠《ゆつく》り|落付《おちつ》きなさいませ』
|左守《さもり》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。それで|一寸《ちよつと》|安心《あんしん》を|致《いた》しました。|時《とき》にアーシスさまとやら|貴方《あなた》はどこともなしに|伜《せがれ》のハルナに|似《に》て|居《ゐ》るやうだが、|貴方《あなた》の|生《お》ひ|立《たち》を|聞《き》かして|貰《もら》う|事《こと》は|出来《でき》ますまいかな』
アーシス『ハイ』
と|云《い》つたきり、|早《はや》くも|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》して|居《ゐ》る。
|万公《まんこう》『エエ アーシスさま|気《き》の|弱《よわ》い、|何《なに》を|泣《な》いて|居《ゐ》るのだ。|何故《なぜ》|堂々《だうだう》とお|名乗《なの》りなさらぬか』
アーシス『ハイ、それでも|何《なん》だか|云《い》ひかねます』
|万公《まんこう》『モシ|左守《さもり》さま、|貴方《あなた》のお|子《こ》さまと|云《い》ふのはハルナさま|只《ただ》お|一人《ひとり》ですか』
|左守《さもり》『ハイ、まアまア|一人《ひとり》で|厶《ござ》います』
|万公《まんこう》『まアまア|一人《ひとり》とは、チツと|瞹昧《あいまい》ぢやありませぬか。|奥様《おくさま》の|目《め》を|盗《ぬす》んで、|下女《げぢよ》の|部屋《へや》へ○○して|腹《はら》を|膨《ふく》らせた|事《こと》はありませぬか』
|左守《さもり》『ハイ|何分《なにぶん》|若《わか》き|時《とき》にはいろいろの|不仕鱈《ふしだら》の|事《こと》も|厶《ござ》いました。|余《あま》り|恥《はづ》かしうてお|話《はなし》が|出来《でき》ませぬ』
|万公《まんこう》『もし|貴方《あなた》の|落胤《おとしだね》が|今《いま》|無事《ぶじ》で|生《い》きて|居《を》られたら|貴方《あなた》は|喜《よろこ》んで|面会《めんくわい》しますか。イヤ|親子《おやこ》の|名乗《なの》りをしますか。|先決問題《せんけつもんだい》として|聞《き》いて|置《お》きたいものです』
|左守《さもり》『|女房《にようばう》には|死別《しにわか》れ、|此《この》|通《とほ》り|年《とし》は|寄《よ》り、|一人《ひとり》の|伜《せがれ》のハルナに|女房《にようばう》をもたせ、|今《いま》では|一寸《ちよつと》|一安心《ひとあんしん》したものの、ハルナの|兄《あに》に|当《あた》る、モンテスと|云《い》ふ|伜《せがれ》があつた|筈《はず》で|厶《ござ》います。|世間《せけん》の|手前《てまへ》、|或《ある》|田舎《いなか》へ|金《かね》をつけて|子《こ》にやつた|所《ところ》、|不幸《ふかう》な|伜《せがれ》で|両親《りやうしん》は|無《な》くなり、|何処《どこ》へ|行《い》つたか|分《わか》らぬと|云《い》ふ|噂《うはさ》を|聞《き》いて|居《を》りますが、|今《いま》となつて|思《おも》へば|実《じつ》に|残念《ざんねん》な|事《こと》をしました。|斯《か》う|年《とし》が|寄《よ》つて|何時《いつ》|天国参《てんごくまゐ》りをするか|分《わか》らぬ|身《み》の|上《うへ》、せめて|生前《せいぜん》に|一度《いちど》|其《その》|伜《せがれ》に|遇《あ》ひ|度《た》いと|神様《かみさま》を|念《ねん》じて|居《を》ります。どうか|貴方《あなた》の|御神力《ごしんりき》で|伜《せがれ》の|所在《ありか》を|見《み》て|頂《いただ》く|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいかなア』
と|鼻汁《はな》を|啜《すす》りながらグタリと|萎《しほ》れる。
|万公《まんこう》『もし|左守《さもり》さま、|貴方《あなた》の|御賢息《ごけんそく》モンテス|様《さま》は|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまを|持《も》つて、|立派《りつぱ》に|暮《くら》して|居《を》られますよ。その|又《また》|奥《おく》さまが|一通《ひととほ》りの|人《ひと》ではありませぬ。「|提灯《ちやうちん》に|釣鐘《つりがね》」と|云《い》ふやうな、|身分《みぶん》から|云《い》へば|懸隔《けんかく》のある|御夫婦《ごふうふ》で|厶《ござ》います』
|左守《さもり》『|何《なに》、|伜《せがれ》が|立派《りつぱ》に|暮《くら》して|居《を》りますか、それは|有難《ありがた》い|事《こと》で|厶《ござ》います。さうして|何処《どこ》に|居《を》りますかな』
|万公《まんこう》『ハイ|只今《ただいま》の|所在《ありか》はビクの|国《くに》、ビクトリヤ|城内《じやうない》、|左守《さもり》の|室内《しつない》に、お|民《たみ》の|方《かた》と|云《い》ふ|奥様《おくさま》と|万公別《まんこうわけ》に|従《したが》ひお|出《いで》になつて|居《を》ります。それ、このお|方《かた》ですよ』
とアーシスを|指《ゆび》ざす。|左守《さもり》はアーシスの|顔《かほ》を|熟視《じゆくし》し|乍《なが》ら、
『アーお|前《まへ》は|伜《せがれ》であつたか。どこともなしにハルナに|似《に》て|居《ゐ》ると|思《おも》うて|最前《さいぜん》から|不審《ふしん》を|抱《いだ》いて|居《ゐ》たのだ。まア|無事《ぶじ》で|居《ゐ》てくれたか。さうしてお|前《まへ》の|嫁《よめ》と|云《い》ふのはどのお|方《かた》か』
アーシス『アアお|父《とう》さまで|厶《ござ》いましたか。|何卒《どうぞ》|一度《いちど》お|目《め》に|懸《かか》り|度《た》いと、|寝《ね》ても|醒《さ》めても|忘《わす》れる|暇《ひま》は|厶《ござ》いませなんだ。されど|賤《いや》しき|首陀《しゆだ》に|落《お》ちて|居《ゐ》る|身《み》の|上《うへ》、|到底《たうてい》|尊《たふと》い|左守様《さもりさま》に|御面会《ごめんくわい》は|叶《かな》ふまいと|諦《あきら》めて|居《を》りました』
と|男泣《をとこなき》に|泣《な》く。|左守《さもり》も|両眼《りやうがん》に|袖《そで》を|当《あ》て、|夕立《ゆふだち》の|如《ごと》き|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひながら|嬉《うれ》しさ|余《あま》つて|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず、アーシスの|身体《からだ》に|抱《だ》きつき|嘘唏泣《しやくりな》きして|居《ゐ》る。
お|民《たみ》は|両人《りやうにん》の|背《せな》を|両手《りやうて》で|撫《な》でながら、
お|民《たみ》『お|父《とう》さま、|旦那様《だんなさま》、|何卒《どうぞ》|潔《いさぎ》ようして|下《くだ》さいませ。|私《わたくし》|迄《まで》が|悲《かな》しくなりますからな』
|左守《さもり》『アーお|前《まへ》が|伜《せがれ》の|嫁《よめ》であつたか、|好《よ》う|来《き》て|呉《く》れた。まアまア|綺麗《きれい》な|女《をんな》だな。|伜《せがれ》も|嘸《さぞ》|喜《よろこ》んで|居《を》るだらう。|私《わし》も|嬉《うれ》しい……』
と|又《また》もや|両眼《りやうがん》に|涙《なみだ》を|湛《たた》へて|泣《な》きじやくる。
|万公《まんこう》『エー|見《み》つともない、チツと|確《しつか》りなさいませ。|万公《まんこう》|迄《まで》が|悲《かな》しくなつて|来《き》ました。もしもし|左守《さもり》さま、|此《この》お|民《たみ》さまは|誰人《どなた》の|娘《むすめ》だと|考《かんが》へて|居《ゐ》なさるか。|勿体《もつたい》なくも|刹帝利様《せつていりさま》の|落胤《おとしご》|玉手姫《たまてひめ》|様《さま》で|厶《ござ》いますぞ。チヌの|村《むら》の|卓助《たくすけ》の|家《うち》へお|下《くだ》しになつた|王女様《わうぢよさま》で、|今《いま》はお|民《たみ》と|名乗《なの》つて|居《を》られます』
|左守《さもり》はこれを|聞《き》くより|驚《おどろ》いて|五足《いつあし》|六足《むあし》|退《しりぞ》き、|両手《りやうて》をつかへ|畳《たたみ》に|頭《かしら》を|下《さ》げ、
『ハハア|貴女様《あなたさま》が|王女様《わうぢよさま》で|厶《ござ》いましたか。|存《ぞん》ぜぬ|事《こと》とて|御無礼《ごぶれい》を|致《いた》しました。ああ|勿体《もつたい》ない。|賤《いや》しき|吾々《われわれ》が|伜《せがれ》の|女房《にようばう》とおなり|下《くだ》され、|冥加《みやうが》に|尽《つ》きはせぬかと|心配《しんぱい》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》お|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ』
お|民《たみ》『お|父《とう》さま、|何《なに》を|仰有《おつしや》います。そんな|事《こと》を|云《い》うて|下《くだ》さると|私《わたくし》は|苦《くる》しう|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》、「お|民《たみ》お|民《たみ》」と|呼《よ》び|付《つ》けにして|下《くだ》さいませ』
|万公《まんこう》『サアサア|親子《おやこ》の|名乗《なのり》が|済《す》んだ|上《うへ》は|涙《なみだ》は|禁物《きんもつ》だ、|些《ち》つと|歌《うた》でと|歌《うた》ひませう』
|斯《か》く|云《い》ふ|所《ところ》へ、カルナ|姫《ひめ》は|襖《ふすま》をそつと|押《お》し|開《ひら》き|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
『お|客様《きやくさま》、よくお|出《いで》|下《くだ》さいました。|何卒《どうぞ》|御悠《ごゆつく》りと|御休息《ごきうそく》を|願《ねが》ひます。|時《とき》にお|父上様《ちちうへさま》、|刹帝利様《せつていりさま》が|俄《にはか》に|御気分《ごきぶん》がよくなり、|御元気《おげんき》におなりなさいました。「|左守《さもり》が|心配《しんぱい》して|居《ゐ》るだらうから、|早《はや》く|知《し》らせて|来《こ》い」との|君《きみ》の|仰《おほ》せ、|何卒《どうぞ》お|喜《よろこ》び|下《くだ》さいませ』
|左守《さもり》『|何《なに》、|刹帝利様《せつていりさま》の|御病気《ごびやうき》が|御快癒《ごくわいゆ》なされたとな。ああ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》の|御守護《ごしゆご》、ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
と|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|又《また》|掻《か》き|曇《くも》る、カルナは|早々《さうさう》に|此《この》|場《ば》を|立《た》ち|去《さ》り|刹帝利《せつていり》の|居間《ゐま》に|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。
(大正一二・三・五 旧一・一八 於竜宮館 加藤明子録)
第二二章 |比丘《びく》〔一四三〇〕
|左守司《さもりのかみ》のキユービツトは|六人《ろくにん》の|客《きやく》をトマスに|命《めい》じ|叮嚀《ていねい》に|応接《おうせつ》させ|置《お》き|乍《なが》ら、|欣々《いそいそ》として|刹帝利《せつていり》の|居間《ゐま》に|伺候《しこう》した。|刹帝利《せつていり》はソォファの|上《うへ》に|横《よこ》たはりヒルナ|姫《ひめ》に|介抱《かいほう》され|乍《なが》ら、|稍《やや》|快方《くわいはう》に|向《むか》つたので|顔色《かほいろ》も|俄《にはか》によくなり、ニコニコとして|居《ゐ》る。|左守《さもり》は|両手《りやうて》を|仕《つか》へ、
『|刹帝利様《せつていりさま》、お|気分《きぶん》がよくなられましたさうで|厶《ござ》いますなア、|左守《さもり》も|尊顔《そんがん》を|拝《はい》し|何《なん》となく|気分《きぶん》が|浮々《うきうき》と|致《いた》して|来《き》ました。|何卒《どうぞ》|此《この》|後《ご》の|御養生《ごやうじやう》が|肝腎《かんじん》で|厶《ござ》いますから|御注意《ごちゆうい》|下《くだ》さいませ』
|刹帝利《せつていり》『|窓外《さうぐわい》は|庭園《ていゑん》の|樹木《じゆもく》が|風《かぜ》に|揺《ゆ》られて|自然《しぜん》のダンスをやつてゐる。|涼《すず》しい|夏《なつ》の|風《かぜ》は|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を|奏《かな》で、|予《よ》が|心《こころ》を|慰《なぐさ》めてくれる。|実《じつ》に|病《やまひ》の|身《み》は|苦《くる》しいもので、|此《この》|天然《てんねん》の|恩恵《おんけい》も|左《さ》まで|愉快《ゆくわい》に|思《おも》はなかつたが、|此《この》|通《とほ》り|気分《きぶん》がよくなると|又《また》|格別《かくべつ》にすべての|物《もの》が|面白《おもしろ》くなつて|来《き》たやうだ』
|左守《さもり》『|左様《さやう》で|厶《ござ》います。|庭木《にはき》に|風《かぜ》が|当《あた》つて|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》する|様《さま》は、|丸《まる》でクラブィコードの|音色《ねいろ》の|様《やう》で|厶《ござ》います。オルレグレットな|気分《きぶん》が|漂《ただよ》ひますなア』
|刹帝利《せつていり》『|左守《さもり》、|何《なに》か|珍《めづ》らしき|話《はなし》を|聞《き》かして|呉《く》れないか』
|左守《さもり》『ハイ、|別《べつ》に|珍《めづ》らしい|御話《おはなし》も|厶《ござ》いませぬが、|姫様《ひめさま》の|事《こと》は|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|屹度《きつと》|神様《かみさま》の|御蔭《おかげ》で|日《ひ》ならず|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばすさうで|厶《ござ》います。|貴方《あなた》の|御病気《ごびやうき》がオルレグレットに|赴《おもむ》いたのも|全《まつた》く|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|万公別《まんこうわけ》さまの|御骨折《おほねをり》で|厶《ござ》います。|万公別《まんこうわけ》|様《さま》がわざわざ|吾《わが》|君《きみ》の|御悩《おんなや》みを|御案《おあん》じ|遊《あそ》ばしてエンゼルさまの|命令《めいれい》だと|云《い》つて|来《き》て|下《くだ》さいました。|其《その》|時刻《じこく》から|御病気《ごびやうき》が|軽快《けいくわい》に|向《むか》つたので|厶《ござ》います』
|刹帝《せつてい》『|何《なに》、|三五教《あななひけう》の|万公別《まんこうわけ》|様《さま》が|来《き》て|下《くだ》さつたと|云《い》ふのか。|而《そ》して|姫《ひめ》は|日《ひ》ならず|無事《ぶじ》に|帰《かへ》ると|申《まを》されたか』
|左守《さもり》『ハイ、あの|宣伝使《せんでんし》の|御言葉《おことば》には|少《すこ》しも|間違《まちが》ひは|厶《ござ》いませぬから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ。|今《いま》|私《わたくし》の|居間《ゐま》で|御休息《ごきうそく》を|願《ねが》つて|居《を》ります。|而《そ》して|刹帝利様《せつていりさま》に|珍《めづ》らしい|御話《おはなし》を|申上《まをしあ》げたいのは、|外《ほか》では|厶《ござ》いませぬ。|恥《はづ》かし|乍《なが》ら|今《いま》より|二十五年以前《にじふごねんいぜん》|下女《げぢよ》を|孕《はら》ませ、|男《をとこ》の|子《こ》を|産《う》み|落《おと》しモンテスと|名《な》をつけて|首陀《しゆだ》の|家《いへ》へやつて|置《お》きました。|其《その》|伜《せがれ》が|立派《りつぱ》な|奥方《おくがた》を|伴《つ》れて|只今《ただいま》|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|城内《じやうない》に|参《まゐ》り、|親子《おやこ》の|対面《たいめん》を|致《いた》し、|力《ちから》|一杯《いつぱい》|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》いて|来《き》た|所《ところ》で|厶《ござ》います。イヤもう|埒《らち》もない|事《こと》を|致《いた》しまして|御恥《おはづ》かしう|厶《ござ》ります』
|刹帝《せつてい》『それは|結構《けつこう》だつた。|定《さだ》めてモンテスも|喜《よろこ》んだであらうなア。|御前《おまへ》も|嘸《さぞ》|嬉《うれ》しかつただらう。アアそれに|就《つ》いても|思《おも》ひ|出《だ》すのは、チヌの|里《さと》へ|里子《さとご》にやつた|姫《ひめ》は|何《ど》うなつたであらう。|未《ま》だ|無事《ぶじ》で|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|居《を》るであらうか。|年《とし》が|寄《よ》るにつけて|気《き》が|弱《よわ》つたと|見《み》え、|民間《みんかん》に|与《あた》へて|縁《えん》を|切《き》つた|子供《こども》の|事《こと》までが|思《おも》ひ|出《だ》され、せめて|息《いき》ある|内《うち》に|一度《いちど》|何《なん》とかして|会《あ》ひたいものだが、|仄《ほのか》に|聞《き》けば|養家《やうか》の|両親《りやうしん》は|早《はや》くも|世《よ》を|去《さ》り、|娘《むすめ》の|行方《ゆくへ》は|知《し》れぬといふ|事《こと》だ。|定《さだ》めて|難儀《なんぎ》をして|居《ゐ》るであらう』
と|憮然《ぶぜん》として|首垂《うなだ》れる。|左守《さもり》も|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、
|左守《さもり》『|吾《わが》|君様《きみさま》、|姫様《ひめさま》がモシヤ|此《この》|世《よ》に|御無事《ごぶじ》で|居《を》られましたならば、|貴方《あなた》は|快《こころよ》く|御会《おあ》ひなさいますか』
|刹帝《せつてい》『|久離《きうり》|切《き》つても|親子《おやこ》だ。どうかして|一度《いちど》|娘《むすめ》に|会《あ》ひたいものだ。|会《あ》うて|娘《むすめ》に|詫《わび》をせねばなるまい。アア|可哀《かあい》|相《さう》な|事《こと》をしたものだ』
ヒルナ『|左守殿《さもりどの》、|万公別《まんこうわけ》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》に|御尋《おたづ》ね|致《いた》したら|姫様《ひめさま》の|所在《ありか》が|分《わか》りはせよまいかな。|一《ひと》つ|願《ねが》つて|貰《もら》ひたいものだな。|吾《わが》|君様《きみさま》も|大変《たいへん》に|姫様《ひめさま》に|憬《あこ》がれてゐられますから、どうか|一《ひと》つ|願《ねが》つて|見《み》て|下《くだ》さいなア』
|左守《さもり》『|実《じつ》の|所《ところ》は|恐《おそ》れ|多《おほ》い|事《こと》で|厶《ござ》りまするが、|私《わたくし》の|伜《せがれ》モンテスの|妻《つま》となり、|立派《りつぱ》な|服装《こしらへ》をして|夫婦《ふうふ》|仲《なか》よく|玉《たま》の|宮《みや》へ|御参拝《ごさんぱい》になり、|宣伝使《せんでんし》と|共《とも》に|今《いま》|私《わたくし》の|居間《ゐま》に|休《やす》んでゐられます』
|刹帝《せつてい》『ナニ、|姫《ひめ》が|城内《じやうない》へ|来《き》て|居《ゐ》るといふのか。そして|御前《おまへ》の|伜《せがれ》と|夫婦《ふうふ》になつて|居《ゐ》るのか。|夫《そ》れは|結構《けつこう》|々々《けつこう》、これも|何《なに》かの|因縁《いんねん》だ。|一時《いちじ》も|早《はや》く|姫《ひめ》に|会《あ》ひたいものだ』
|左守《さもり》『|御差支《おさしつかへ》さへなくば|直様《すぐさま》|御供《おとも》をして|参《まゐ》りませう』
ヒルナ『|吾《わが》|君様《きみさま》、|妾《わたし》が|御迎《おむか》へして|来《き》ますから、|寸時《しばらく》|御待《おま》ち|下《くだ》さいませ。サー|左守殿《さもりどの》|参《まゐ》りませう』
とヒルナ|姫《ひめ》は|欣々《いそいそ》として|刹帝利《せつていり》の|許《ゆる》しを|受《う》け、|六人《ろくにん》の|客室《きやくま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|万公別《まんこうわけ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|刹帝利《せつていり》の|病気《びやうき》|平癒《へいゆ》とダイヤ|姫《ひめ》の|無事《ぶじ》|帰城《きじやう》せむ|事《こと》を|五人《ごにん》の|男女《だんぢよ》と|共《とも》に|祈《いの》つてゐる|真最中《まつさいちう》であつた。ヒルナ|姫《ひめ》は|襖《ふすま》の|外《そと》に|立《た》つて|左守《さもり》と|共《とも》に|祈願《きぐわん》の|済《す》む|迄《まで》|待《ま》つて|居《ゐ》た。ヒルナは|折《をり》を|見計《みはか》らひ、サツと|襖《ふすま》を|引《ひ》き|開《あ》け、|叮嚀《ていねい》に|両手《りやうて》をついて、
ヒルナ『|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、よくまあ|吾《わが》|君《きみ》の|御病気《ごびやうき》を|御助《おたす》け|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|就《つい》てはお|民《たみ》の|方《かた》に|刹帝利様《せつていりさま》が|一度《いちど》|面会《めんくわい》がしたいと|仰《おほ》せられますから、|何卒《どうぞ》|皆《みな》さま|御一緒《ごいつしよ》に|御居間《おゐま》まで|来《き》て|下《くだ》さいませぬか』
|万公《まんこう》『ア、|貴方《あなた》はヒルナ|姫様《ひめさま》、|先《ま》づ|先《ま》づ|御無事《ごぶじ》で|御目出度《おめでた》う|存《ぞん》じます。イヤもう|大《いか》い|御世話《おせわ》に|預《あづか》つて|居《を》ります。サ、|皆《みな》さま、|姫様《ひめさま》の|御後《おあと》から|参《まゐ》りませう』
と|一同《いちどう》を|促《うなが》しぞろぞろと|六人《ろくにん》は|左守《さもり》、ヒルナの|後《あと》に|従《したが》つて、|王《わう》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|行《い》つた。
|万公《まんこう》『|刹帝利様《せつていりさま》、|今春《こんしゆん》は|師《し》の|君《きみ》と|共《とも》に|永《なが》らく|御世話《おせわ》に|預《あづか》りました。|私《わたし》は|玉置村《たまきむら》の|里庄《りしやう》の|養子《やうし》となり、|女房《にようばう》を|引《ひ》き|連《つ》れて|玉《たま》の|宮《みや》へ|参拝《さんぱい》をいたしました|処《ところ》、|隆靖彦《たかやすひこ》、|隆光彦《たかてるひこ》のエンゼルが|忽《たちま》ち|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばし、|刹帝利《せつていり》の|御病気《ごびやうき》の|原因《げんいん》や|姫様《ひめさま》のお|行衛《ゆくゑ》を|御知《おし》らせ|下《くだ》さいましたので、|一寸《ちよつと》|御訪問《ごはうもん》|致《いた》しました』
|刹帝利《せつていり》『エライ|御厄介《ごやくかい》に|預《あづか》りまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります』
|万公《まんこう》『|此《この》|方《かた》は|王様《わうさま》の|御落胤《ごらくいん》チヌの|村《むら》のお|民《たみ》さまで|厶《ござ》います。|新婚旅行《しんこんりよかう》を|兼《か》ね|玉《たま》の|宮《みや》へ|御参拝《ごさんぱい》になつたので|厶《ござ》います』
|刹帝《せつてい》『アー|其方《そなた》が|姫《ひめ》であつたか。ようまあ|無事《ぶじ》でゐてくれた。|折角《せつかく》|城内《じやうない》に|生《うま》れ|乍《なが》ら|首陀《しゆだ》の|家《うち》へ|落《おと》したのは、|私《わし》が|悪《わる》かつた。|何卒《どうぞ》|許《ゆる》してくれ。お|前《まへ》は|玉手姫《たまてひめ》と|云《い》うたであらうがな』
お|民《たみ》『ハイ、|玉手姫《たまてひめ》で|厶《ござ》います。お|父《とう》さま、|御無事《ごぶじ》で|御目出度《おめでた》う|厶《ござ》います。|会《あ》ひ|度《た》う|厶《ござ》いました』
と|両眼《りやうがん》よりハラハラと|落涙《らくるい》してゐる。|刹帝利《せつていり》も|身《み》を|起《おこ》し、|玉手姫《たまてひめ》の|手《て》を|握《と》つて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》に|暮《く》れ、|暫《しば》し|無言《むごん》の|儘《まま》、|互《たがひ》に|抱《だき》ついて|啜《すす》り|泣《な》いてゐた。|斯《か》かる|処《ところ》へ|慌《あわ》ただしく|玉《たま》の|宮《みや》の|拝礼《はいれい》を|了《を》へて|帰《かへ》つて|来《き》たタルマン、エクス、ハルナの|三人《さんにん》は|出《い》で|来《きた》り、|両手《りやうて》をつき|乍《なが》ら、
タルマン『|刹帝利様《せつていりさま》に|申上《まをしあ》げます。ダイヤ|姫様《ひめさま》が|修験者《しうげんじや》に|送《おく》られて、|只今《ただいま》|無事《ぶじ》に|御帰《おかへ》りになりました。|御目出度《おめでた》う|厶《ござ》います』
|刹帝《せつてい》『アー|嬉《うれ》しい|事《こと》が|重《かさ》なれば|重《かさ》なるものだ。サ|早《はや》くダイヤと|修験者《しうげんじや》を|此処《ここ》へ|御案内《ごあんない》|申《まを》しや』
タルマンは|只《ただ》|一人《ひとり》『ハイ』と|答《こた》へて|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》り、|暫《しばら》くあつてダイヤ|姫《ひめ》、|修験者《しうげんじや》|四人《よにん》を|伴《ともな》ひ、|欣々《いそいそ》として|入《い》り|来《きた》り、
タルマン『|吾《わが》|君様《きみさま》、ダイヤ|姫様《ひめさま》が|御帰《おかへ》りで|厶《ござ》います』
|刹帝《せつてい》『ヤ、|其方《そなた》はダイヤ|姫《ひめ》、ようまあ|無事《ぶじ》に|帰《かへ》つてくれた。お|前《まへ》は|一体《いつたい》|何処《どこ》に|行《い》つて|居《ゐ》たのだ』
ダイヤ『ハイ、|父上《ちちうへ》の|御病気《ごびやうき》|御全快《ごぜんくわい》を|祈願《きぐわん》せむと、|住《す》み|馴《なれ》し|照国山《てるくにやま》の|清滝《きよたき》に|水垢離《みづごり》をとり|居《を》りまする|処《ところ》へ、|前《さき》の|右守司《うもりのかみ》のベルツ|及《およ》びシエールの|両人《りやうにん》|現《あら》はれ|来《きた》り|無体《むたい》な|事《こと》を|申《まを》し、|終《つひ》には|双方《さうはう》より|妾《わたし》を|殺《ころ》さうといたしましたので、|樫《かし》の|根《ね》を|楯《たて》にとつて|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》ふ|折《をり》しも、|山彦《やまびこ》を|驚《おどろ》かして|聞《きこ》え|来《く》る|法螺《ほら》の|声《こゑ》|追々《おひおひ》|近《ちか》づくと|見《み》ると|共《とも》に|四人《よにん》の|修験者《しうげんじや》が|現《あら》はれて、|妾《わたし》の|危難《きなん》を|御救《おすく》ひ|下《くだ》され、|此処《ここ》|迄《まで》|送《おく》つて|来《き》て|下《くだ》さいました。|何卒《どうぞ》|御礼《おれい》を|申《まを》して|下《くだ》さいませ』
|刹帝《せつてい》『|何《いづ》れの|修験者《しうげんじや》か|存《ぞん》じませぬが、よくまあ|娘《むすめ》を|救《たす》けて|下《くだ》さいました。サア、|何卒《どうぞ》|御緩《ごゆつく》りと|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ』
|治道《ちだう》『|拙者《せつしや》は|御見忘《おみわす》れになつたか|知《し》りませぬが、|元《もと》はバラモン|教《けう》のゼネラル|鬼春別《おにはるわけ》で|厶《ござ》います。|此《この》|三人《さんにん》は|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシで|厶《ござ》いますが、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御教《みをしへ》を|承《うけたまは》り、|菩提心《ぼだいしん》を|起《おこ》し|修験者《しうげんじや》となり、|私《わたし》は|治道居士《ちだうこじ》、|久米彦《くめひこ》は|道貫居士《だうくわんこじ》、スパールは|素道居士《そだうこじ》、エミシは|求道居士《きうだうこじ》と|名《な》を|改《あらた》め、|照国山《てるくにやま》の|清《きよ》めの|滝《たき》に|修業《しうぎやう》に|参《まゐ》らむと|法螺貝《ほらがひ》を|吹《ふ》き|鳴《な》らし、|上《のぼ》りて|見《み》れば|姫様《ひめさま》の|御遭難《ごさうなん》、|直様《すぐさま》|悪者《わるもの》を|追散《おひち》らし、|此処《ここ》|迄《まで》|送《おく》つて|参《まゐ》りました』
と|一伍一什《いちぶしじふ》の|物語《ものがたり》に、|刹帝利《せつていり》を|始《はじ》め|一同《いちどう》はアツと|許《ばか》りに|驚《おどろ》き、|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せて|少時《しばし》|言葉《ことば》も|出《で》なかつた。|刹帝利《せつていり》は|殆《ほとん》ど|会見《くわいけん》|絶望《ぜつばう》と|諦《あきら》め|居《ゐ》たりし|二人《ふたり》の|姫《ひめ》に|廻《めぐ》り|会《あ》ひ、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》を|浮《うか》べ|乍《なが》ら、|両手《りやうて》を|合《あは》せて、|三五教《あななひけう》の|大神《おほかみ》に|感謝《かんしや》の|祈願《きぐわん》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|左守《さもり》の|司《かみ》も|吾《わが》|子《こ》に|会《あ》ひし|嬉《うれ》しさに、|同《おな》じく|合掌《がつしやう》し|感謝《かんしや》の|辞《じ》を|奉《たてまつ》つてゐる。ハルナは|思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|兄《あに》のモンテスに|会《あ》つて|兄弟《きやうだい》の|名乗《なの》りを|上《あ》げ|悦《よろこ》び|勇《いさ》む。|玉手姫《たまてひめ》は|父《ちち》に|逢《あ》ひ、|又《また》|妹《いもうと》のダイヤ|姫《ひめ》に|思《おも》はず|面会《めんくわい》して|歓喜《くわんき》の|涙《なみだ》に|咽《むせ》んでゐる。
|偖《さて》|治道《ちだう》、|道貫《だうくわん》、|素道《そだう》、|求道《きうだう》の|四人《よにん》の|修験者《しうげんじや》は|刹帝利《せつていり》の|依頼《いらい》に|依《よ》つて|玉《たま》の|宮《みや》の|守護役《しゆごやく》となり、|頭《あたま》を|丸《まる》めて|三五《あななひ》の|教《をしへ》を|四方《よも》に|宣伝《せんでん》し、|代《かは》る|代《がは》る|各地《かくち》に|巡錫《じゆんしやく》して|衆生済度《しうじやうさいど》に|一生《いつしやう》を|捧《ささげ》たり。|頭髪《とうはつ》を|剃《そ》り|落《おと》し|教《をしへ》を|宣伝《せんでん》に|廻《まは》つたのは、|此《この》|四人《よにん》が|嚆矢《こうし》である。|而《さう》してビクの|国《くに》の|玉《たま》の|宮《みや》から|始《はじ》まつたのだから、|後世《こうせい》|頭《あたま》を|丸《まる》め|衣《ころも》を|着《き》て|宣伝《せんでん》する|聖者《せいじや》を|比丘《びく》と|名《な》づくる|事《こと》となつたのである。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・三・五 旧一・一八 於竜宮館 外山豊二録)
(昭和一〇・六・一三 王仁校正)
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霊界物語 第五五巻 真善美愛 午の巻
終り