霊界物語 第五四巻 真善美愛 巳の巻
出口王仁三郎
--------------------
●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第五四巻』愛善世界社
2006(平成18)年02月03日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2006年10月09日作成
2008年06月23日修正
-------------------------
●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |神授《しんじゆ》の|継嗣《けいし》
第一章 |子宝《こだから》〔一三八七〕
第二章 |日出前《ひのでまへ》〔一三八八〕
第三章 |懸引《かけひき》〔一三八九〕
第四章 |理妻《りさい》〔一三九〇〕
第五章 |万違《まちがひ》〔一三九一〕
第六章 |執念《しふねん》〔一三九二〕
第二篇 |恋愛無涯《れんあいむがい》
第七章 |婚談《こんだん》〔一三九三〕
第八章 |祝莚《しゆくえん》〔一三九四〕
第九章 |花祝《かしく》〔一三九五〕
第一〇章 |万亀柱《まきばしら》〔一三九六〕
第三篇 |猪倉城寨《ゐのくらじやうさい》
第一一章 |道晴別《みちはるわけ》〔一三九七〕
第一二章 |妖瞑酒《えうめいしゆ》〔一三九八〕
第一三章 |岩情《がんじやう》〔一三九九〕
第一四章 |暗窟《あんくつ》〔一四〇〇〕
第四篇 |関所《せきしよ》の|玉石《ぎよくせき》
第一五章 |愚恋《ぐれん》〔一四〇一〕
第一六章 |百円《ひやくゑん》〔一四〇二〕
第一七章 |火救団《くわきうだん》〔一四〇三〕
第五篇 |神光増進《しんくわうぞうしん》
第一八章 |真信《しんしん》〔一四〇四〕
第一九章 |流調《りうてう》〔一四〇五〕
第二〇章 |建替《たてかへ》〔一四〇六〕
第二一章 |鼻向《はなむけ》〔一四〇七〕
第二二章 |凱旋《がいせん》〔一四〇八〕
|附録《ふろく》 |神文《しんもん》
------------------------------
|序文《じよぶん》
|抑《そもそも》|霊界物語《れいかいものがたり》は|神代《かみよ》に|於《お》ける|神々《かみがみ》の|神示《しんじ》に|由《よ》りて|著《あらは》されたるものであつて、|現代《げんだい》の|所謂《いはゆる》|学者《がくしや》の|歴史《れきし》でもなく、|又《また》|歴史家《れきしか》の|歴史《れきし》でも|無《な》い。|世《よ》の|腐儒者《ふじゆしや》や|興国的《こうこくてき》|気魄《きはく》なき|歴史家《れきしか》や、デモ|宗教家《しうけうか》の|所説《しよせつ》は、|徹頭徹尾《てつとうてつび》|憶測《おくそく》と|受売《うけうり》のみにして、|一《いつ》として|歴史《れきし》の|真相《しんさう》を|伝《つた》へ、|且《か》つ|之《これ》を|真解《しんかい》し|得《え》たものは|絶無《ぜつむ》と|謂《ゐ》つても|可《い》い|位《くらゐ》である。|况《いは》ンや|宇宙《うちう》|開闢《かいびやく》の|真相《しんさう》に|於《おい》てをやである。|試《こころ》みに|今日《こんにち》|朝夕《てうせき》|発刊《はつかん》せる|新聞紙《しんぶんし》の|記事《きじ》を|見《み》るも、|同日《どうじつ》の|出来事《できごと》を|記者《きしや》|自《みづか》ら|実地《じつち》に|臨《のぞ》み|之《これ》を|目撃《もくげき》して、|直《ただち》に|紙上《しじやう》に|掲載《けいさい》するに|当《あた》り、|各《かく》|新聞記者《しんぶんきしや》の|眼識《がんしき》の|程度《ていど》|如何《いかん》に|由《よ》つて|其《その》|観察点《くわんさつてん》を|異《こと》にし、|同一《どういつ》の|出来事《できごと》を|報道《ほうだう》するに|甲《かふ》、|乙《おつ》、|丙《へい》、|丁《てい》|各《かく》その|見解《けんかい》を|異《こと》にして|筆《ふで》を|採《と》るを|以《もつ》て、その|矛盾《むじゆん》と|誤謬《ごびう》の|多《おほ》きことは|一般《いつぱん》|識者《しきしや》の|感知《かんち》する|処《ところ》である。|現《げん》に|一昨年《いつさくねん》の|大本事件《おほもとじけん》の|記事《きじ》の|如《ごと》きは、|一切無根《いつさいむこん》と|虚構《きよこう》とに|由《よ》つて|充《みた》され、|一《いつ》として|其《その》|真相《しんさう》を|報道《ほうだう》したる|新聞紙《しんぶんし》の|無《な》かつたのを|見《み》ても、|思《おも》ひ|半《なかば》に|過《す》ぐるものあるを|覚《さと》るべきである。|又《また》|前後《ぜんご》|二十有余年間《にじふいうよねんかん》、|大本《おほもと》に|日々《にちにち》|出入《しゆつにふ》し|親《した》しく|教祖《けうそ》に|接《せつ》し|口《くち》づから|教示《けうじ》を|承《うけたま》はり、|且《か》つ|日々《にちにち》の|御行動《ごかうどう》を|実地《じつち》|目撃《もくげき》し|乍《なが》ら、|未《いま》だ|教祖《けうそ》の|御心意《ごしんい》の|奈辺《なへん》にありしかを|知《し》らざるもの|而己《のみ》なるを|見《み》ても|証明《しようめい》することが|出来《でき》る。|又《また》|瑞月《ずゐげつ》が|教祖《けうそ》と|共《とも》に|大神《おほかみ》の|道《みち》に|舎身的《しやしんてき》|奉仕《ほうし》の|誠《まこと》を|竭《つく》したるを|見《み》て、|之《これ》を|何《なに》か|神慮《しんりよ》に|背反《はいはん》せる|行為《かうゐ》の|如《ごと》く|見做《みな》し、|甚《はなは》だしきは|邪神《じやしん》の|憑依《ひようい》せるものとして、|永年間《ながねんかん》|排斥《はいせき》と|侮蔑《ぶべつ》と|圧迫《あつぱく》とを|一生懸命《いつしやうけんめい》に|試《こころ》み、|以《もつ》て|自分等《じぶんら》の|行動《かうどう》は|全部《ぜんぶ》|神《かみ》に|叶《かな》へるものと|信《しん》じ|妄動《まうどう》を|続行《ぞくかう》し|居《ゐ》たる|如《ごと》きは|其《その》|好適例《かうてきれい》である。|一昨冬《いつさくとう》|始《はじ》めて|本書《ほんしよ》の|口述《こうじゆつ》を|為《な》せる|折《をり》も、|重要《ぢうえう》の|位置《ゐち》にある|役員《やくゐん》の|一部分《いちぶぶん》は|之《これ》を|以《もつ》て|取《と》るに|足《た》らざる|悪言《あくげん》となし、|極力《きよくりよく》|妨害《ばうがい》を|加《くは》へむと|為《な》したるものさへあつた|位《くらゐ》である。|之《これ》|全《まつた》く|神意《しんい》の|存《そん》する|所《ところ》を|知《し》らず|且《か》つ|自分《じぶん》の|暗迷《あんめい》なる|眼識《がんしき》によつて|身魂相応《みたまさうおう》の|解釈《かいしやく》を|試《こころ》みむとするが|故《ゆゑ》である。
|又《また》|現代《げんだい》の|学者《がくしや》、|宗教家《しうけうか》、|歴史家《れきしか》は|本書《ほんしよ》を|以《もつ》て|支離滅裂《しりめつれつ》、つかまへ|所《どころ》の|無《な》い|物語《ものがたり》と|成《な》し|又《また》は|放胆《はうたん》なる|断定《だんてい》に|失《しつ》せる|作物《さくぶつ》と|批難《ひなん》し、|傍若無人《ばうじやくぶじん》と|譏《そし》り、|怪乱狂妄《くわいらんきやうまう》|見《み》るにたえざる|悪書《あくしよ》と|貶《けな》し、|相手《あひて》にも|為《し》て|呉《く》れないであらう。|永年《ながねん》|大本《おほもと》に|出入《しゆつにふ》し|乍《なが》ら|大本《おほもと》の|主義《しゆぎ》|精神《せいしん》の|主要点《しゆえうてん》が|分《わか》らない|処《ところ》まで、|現代人《げんだいじん》は|癲狂《てんきやう》|痴呆《ちはう》の|度《ど》が|強《つよ》くなつて|居《を》るのだから、|瑞月《ずゐげつ》が|神示《しんじ》に|由《よ》れるこの|物語《ものがたり》に|対《たい》して|我不関焉《われくわんせずえん》の|態度《たいど》に|出《いで》たり、|又《また》は|反対《はんたい》の|挙《きよ》に|出《い》づるもの|在《あ》るべきは|当然《たうぜん》の|帰結《きけつ》として、|既《すで》に|已《すで》に|覚悟《かくご》の|前《まへ》である。
|本書《ほんしよ》は|現代《げんだい》の|学者《がくしや》、|宗教家《しうけうか》、|歴史家《れきしか》の|思潮《してう》を|憂慮《いうりよ》せる|熱誠慷慨《ねつせいこうがい》の|余声《よせい》として、|将《は》た|又《また》|神明《しんめい》の|摂理《せつり》の|一分《いちぶ》として|編述《へんじゆつ》したもので、|今日《こんにち》の|有識者《いうしきしや》の|所説《しよせつ》に|対《たい》して|一歩《いつぽ》も|譲《ゆづ》らない|事《こと》を|信《しん》ずるのである。|今日《こんにち》|世界《せかい》に|流布《るふ》せる|国々《くにぐに》の|歴史《れきし》は、|空々漠々《くうくうばくばく》として|殆《ほとん》ど|雲《くも》を|掴《つか》むが|如《ごと》く、|如何《いか》なる|史家《しか》も|之《これ》を|史上《しじやう》に|於《おい》てその|真相《しんさう》を|捕捉《ほそく》する|事《こと》は|出来得《できえ》ないのである。
|頼《たよ》りなき|口碑《こうひ》や、|伝説《でんせつ》や、その|他《た》の|先入思想《せんにふしさう》を|全然《ぜんぜん》|放擲《はうてき》して、|柔順《じうじゆん》に|神《かみ》の|御声《みこゑ》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》け|眼《まなこ》を|注《そそ》ぐ|時《とき》は、|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|世界《せかい》の|史実《しじつ》は|言《い》ふも|更《さら》なり、|中古《ちうこ》|近古《きんこ》に|於《お》ける|歴史《れきし》の|真相《しんさう》をも|幾分《いくぶん》か|捕捉《ほそく》し|得《え》らるるであらうと|信《しん》ずる。|我国《わがくに》の|歴史《れきし》と|雖《いへど》も、その|大部分《だいぶぶん》は|神武聖帝《じんむせいてい》|以後《いご》の|歴史《れきし》であつて、|太古《たいこ》|神代《かみよ》の|事蹟《じせき》は|束《つか》ねて|之《これ》を|筑紫《つくし》の|不知火《しらぬひ》の|海《うみ》に|投《とう》ぜられたのである。|之《これ》|史家《しか》が|神《かみ》ならざる|以上《いじやう》は|史眼《しがん》|暗《くら》くして|盲目《まうもく》の|如《ごと》く、|書契《しよけい》|以前《いぜん》の|史実《しじつ》を|映写《えいしや》し|得《え》ざるがために|歴史《れきし》の|真相《しんさう》が|伝《つた》はらないのである。|瑞月《ずゐげつ》が|茲《ここ》に|神代《かみよ》の|事蹟《じせき》の|一分《いちぶ》を|口述《こうじゆつ》|編纂《へんさん》したる|所《ところ》の|本書《ほんしよ》に|対《たい》し、|世《よ》の|驕慢《けうまん》なる|学者《がくしや》の|眼《まなこ》には|時代錯誤《じだいさくご》の|世迷言《よまいごと》を|陳列《ちんれつ》したものと|見《み》えるであらう。|天《てん》は|蒼々《さうさう》として|永久《とこしへ》に|高《たか》くして|広《ひろ》く、|地《ち》は|漠々《ばくばく》として|際限《さいげん》なきに|似《に》たり、|虚空《こくう》の|外《そと》に|心身《しんしん》をおいて|神代《かみよ》の|史実《しじつ》と|神《かみ》の|意思《いし》とを|顕彰《けんしやう》し、|一瞬《いつしゆん》に|転廻《てんくわい》して|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》を|示《しめ》さむと、|神示《しんじ》のまにまにこの|物語《ものがたり》を|著《あら》はしたるその|苦心《くしん》、|之《これ》を|酌《く》むものは|大本《おほもと》|信徒《しんと》を|始《はじ》めとし、|世上《せじやう》|果《はた》して|幾人《いくにん》あるであらうか、|或《ある》|幹部《かんぶ》|役員《やくゐん》たりし|某々氏《ぼうぼうし》はこの|物語《ものがたり》を|評《ひやう》して、……|霊界物語《れいかいものがたり》は|譬《たとへ》ば|砂利《じやり》の|山《やま》の|様《やう》なもので、|吾々《われわれ》は|其《その》|沢山《たくさん》の|砂利《じやり》の|中《なか》から|自分《じぶん》の|之《これ》と|認《みと》めた|僅《わづ》かに|包《つつ》める|砂金《さきん》を|採取《さいしゆ》するの|考《かんが》へを|以《もつ》て|之《これ》に|対《たい》するのである……と|話《はな》してゐられた。|瑞月《ずゐげつ》はこの|意外《いぐわい》にして|不遜《ふそん》なる|某氏《ぼうし》の|談《だん》を|聞《き》いて、|未《いま》だ|神《かみ》の|権威《けんゐ》の|大本《おほもと》|幹部《かんぶ》たりし|識者《しきしや》に|容《い》れられず、|了解《れうかい》されてゐない|事《こと》に|嗟嘆《さたん》せざるを|得《え》なかつた、|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》を|精霊《せいれい》に|充《みた》し|予言者《よげんしや》に|来《きた》らしめて、|万民《ばんみん》|救治《きうち》のために|明示《めいじ》されたる|神書《しんしよ》に|対《たい》し、|余《あま》りに|無理解《むりかい》にして|且《か》つ|学者《がくしや》の|鼻《はな》の|高《たか》きには|感心《かんしん》したのである。|軽侮《けいぶ》|嘲笑《てうせう》の|的《まと》となるであらうとは|予期《よき》しては|居《ゐ》たものの、|大本《おほもと》|幹部《かんぶ》の|口《くち》から|斯様《かやう》な|言《げん》が|出《で》るとは|一寸《ちよつと》|面喰《めんくら》はざるを|得《え》なかつた。
|然《しか》し|乍《なが》ら|天下《てんか》|一人《いちにん》の|具眼者《ぐがんしや》が|現《あら》はれて、|一度《ひとたび》|心《こころ》を|潜《ひそ》め|真面目《しんめんぼく》に|臨《のぞ》まむか、|必《かなら》ずや|一節《いつせつ》|毎《ごと》に|深遠《しんゑん》|微妙《びめう》の|真理《しんり》を|蔵《ざう》し、|五味《ごみ》の|調度《てうど》|宜《よろ》しき|弥勒胎蔵《みろくたいざう》の|神意《しんい》と、|神智《しんち》や|苦集滅道《くしふめつだう》の|本義《ほんぎ》を|発見《はつけん》し、|肯定《こうてい》し、|帰依《きえ》するに|至《いた》るであらう。|本物語《ほんものがたり》の|目的《もくてき》は|霊界《れいかい》|現界《げんかい》の|消息《せうそく》を|明《あきら》かにし、|諸人《もろびと》が|死後《しご》の|覚悟《かくご》を|定《さだ》め、|永久《えいきう》に|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|悦楽《えつらく》に|入《い》るべく、|仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|御賜《おんたまもの》として|人間《にんげん》|一般《いつぱん》に|与《あた》へられたものである。|現界《げんかい》に|用《もち》ゐては|大《だい》は|治国平天下《ちこくへいてんか》の|道《みち》より、|小《せう》は|吾人《ごじん》が|修身斉家《しうしんせいか》の|基本《きほん》となるべき|神書《しんしよ》である。
|昨《さく》|大正《たいしやう》|十一年《じふいちねん》の|秋《あき》|瑞月《ずゐげつ》は|筆録者《ひつろくしや》を|始《はじ》め、|天声社《てんせいしや》に|於《お》ける|編輯者《へんしふしや》は、この|物語《ものがたり》に|対《たい》して|何処《どこ》までの|信仰《しんかう》を|有《いう》するかを|試《こころ》みむため、|神示《しんじ》に|従《したが》つて……|万々一《まんまんいち》|本書《ほんしよ》の|中《なか》に|於《おい》て|教典《けうてん》として|採用《さいよう》すべき|金玉《きんぎよく》の|文字《もじ》あらば|抜萃《ばつすゐ》して|之《これ》を|別刷《べつさつ》となし|宣伝用《せんでんよう》に|宛《あ》て、|熱誠《ねつせい》なる|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》に|頒《わか》つべし……と|言《い》つた。そして|是等《これら》の|人々《ひとびと》の|感想《かんさう》や|著眼点《ちやくがんてん》の|奈辺《なへん》にあるかを|探《さぐ》らせられた。|然《しか》るに|驚《おどろ》くべし、|全巻《ぜんくわん》|皆《みな》|神《かみ》より|見《み》れば|金玉《きんぎよく》の|文字《もんじ》、|人間《にんげん》の|作物《さくぶつ》でないものを、|真面目《まじめ》に|取捨選択《しゆしやせんたく》し|各《かく》|之《これ》を|数ケ月《すうかげつ》|熱心《ねつしん》|調査《てうさ》の|結果《けつくわ》として|余《よ》に|示《しめ》された。|直《ただち》に|神明《しんめい》に|伺《うかが》ひ|見《み》し|所《ところ》、|神《かみ》は|大《おほい》に|笑《わら》はせ|玉《たま》ひ、……|人間《にんげん》の|盲目《まうもく》と|無鉄砲《むてつぱう》には|呆然《あきれ》たり……との|御言葉《おことば》であつた。|瑞月《ずゐげつ》もこの|神示《しんじ》には|大《おほい》に|面喰《めんくら》つたのである。|故《ゆゑ》に|定《さだ》めて|抜萃《ばつすゐ》に|尽力《じんりよく》されし|人々《ひとびと》は|驚《おどろ》かるることでありませう。|大本神諭《おほもとしんゆ》に|示《しめ》されたる|如《ごと》く、|矢張《やは》り|霊魂《みたま》の|因縁相応《いんねんさうおう》より|口述者《こうじゆつしや》と|雖《いへど》も|分《わか》らないものと|歎息《たんそく》したのである。
|之《これ》を|思《おも》へば|人間《にんげん》は|自我心《じがしん》を|出《だ》さず、|何事《なにごと》も|聖慮《せいりよ》に|素直《すなほ》に|柔順《じうじゆん》に|仕《つか》ふるより|外《ほか》に|途《みち》はないと|思《おも》ふ。この|神書《しんしよ》を|以《もつ》て|普通《ふつう》の|稗史小説《はいしせうせつ》|又《また》は|単《たん》なる|滑稽物語《こつけいものがたり》|及《およ》び|心学道話《しんがくだうわ》の|一分《いちぶ》と|見《み》てゐる|位《くらゐ》の|程度《ていど》では|到底《たうてい》この|書《しよ》の|眼目点《がんもくてん》をつかむ|事《こと》は|出来《でき》ない。アア|日《ひ》|暮《く》れて|途《みち》いよいよ|遠《とほ》しの|感《かん》に|打《う》たれざるを|得《え》ない|次第《しだい》であります。
かむながら|幸《さち》はひまして|世《よ》の|人《ひと》に
さとらせ|玉《たま》へ|是《これ》の|神書《みふみ》を
大正十二年正月元旦
|総説《そうせつ》
『|至高《しかう》の|芸術《げいじゆつ》|表現《へうげん》の|栄光《えいくわう》、|文学《ぶんがく》の|光明《くわうみやう》の|輝《かがや》きは|単純《たんじゆん》である。|単純《たんじゆん》より|善《よ》い|物《もの》はない、|実相《じつさう》の|誇張《こちやう》や|欠乏《けつぼう》を|矯正《けうせい》し|得《う》るものは|単純《たんじゆん》を|除《のぞ》いて|外《ほか》にない。|衝動《しようどう》の|澎起《はうき》を|持続《ぢぞく》して|智力《ちりよく》の|奥底《あうてい》に|滲徹《しんてつ》し|凡《すべ》ての|楽旨《がくし》に|音節《おんせつ》を|与《あた》ふるのは|平凡《へいぼん》な|力《ちから》でも|無《な》ければ、|極《きは》めて|突飛《とつぴ》な|力《ちから》でもない。けれども|動物《どうぶつ》の|動作《どうさ》の|極《きは》めて|正《ただ》しく、しかも|無遠慮《ぶゑんりよ》|奔逸《ほんいつ》なものや、|森《もり》の|木立《こだち》、|路傍《ろばう》の|草《くさ》の|云《い》ひ|知《し》れぬ|感《かん》じを|文学《ぶんがく》に|表《あら》はすのは|芸術《げいじゆつ》の|瑕瑾《かきん》|無《な》き|勝利《しようり》である。それを|完成《くわんせい》したものを|見《み》たらば、|即《すなは》ち|国家《こくか》と|時間《じかん》とに|超越《てうゑつ》した|一大芸術家《いちだいげいじゆつか》を|見《み》たのである。|大詩人《だいしじん》は|一定《いつてい》した|著《いちじる》しい|文体《ぶんたい》を|持《も》たず、|思想《しさう》と|事物《じぶつ》との|水《みづ》|脈《みやく》は|増加《ぞうか》することも|無《な》く|減退《げんたい》することも|無《な》く、|彼《かれ》|自身《じしん》が|自由《じいう》なる|水脈《すいみやく》である』
とワルト・ホイツトマンは|言《い》つたことがある。|瑞月《ずゐげつ》|王仁《おに》はこの|物語《ものがたり》が|単純《たんじゆん》であり、|一定《いつてい》の|文体《ぶんたい》が|具《そな》はつてゐないと|言《い》はれやうが|少《すこ》しも|意《い》に|介《かい》せない。|否《いな》|吾々《われわれ》はワルト・ホイツトマン|氏《し》の|意志《いし》に|賛《さん》するものである。|神《かみ》の|著《あらは》せしものは|凡《すべ》て|単純《たんじゆん》であり|且《か》つ|一定《いつてい》の|文体《ぶんたい》なきを|以《もつ》て|却《かへ》つてその|博《ひろ》き|文想《ぶんさう》に|感嘆《かんたん》するものである。|瑞月《ずゐげつ》は|決《けつ》して|物好《ものず》きで|口述《こうじゆつ》するのでは|無《な》い。|只《ただ》|吾《わが》|口《くち》を|通《つう》じて|著《あら》はされたその|作物《さくぶつ》に|優美《いうび》、|原因《げんいん》、|結果《けつくわ》を|描《ゑが》いて|幕《まく》のやうに|自己《じこ》と|人《ひと》との|間《あひだ》に|邪魔物《じやまもの》を|垂《た》れないやうと|勉《つと》むる|而巳《のみ》である。|神《かみ》の|著述《ちよじゆつ》には|断《だん》じて|邪魔物《じやまもの》はない|筈《はず》だ。|又《また》|決《けつ》して|美《うつく》しい|幕《まく》さへも|張《は》られて|無《な》い|物《もの》だ。|神示《しんじ》に|由《よ》りて|吾々《われわれ》が|語《かた》る|所《ところ》は|正《まさ》に|斯《か》くあるべき|物《もの》なるが|故《ゆゑ》に|語《かた》るのみである。|吾々《われわれ》が|今《いま》|表白《へうはく》する|所《ところ》のものは|佯《いつは》らず、|飾《かざ》らず、|惟神《かむながら》のままである。|凡《すべ》ての|立派《りつぱ》な|芸術作品《げいじゆつさくひん》は|必然《ひつぜん》|即《すなは》ち|止《や》むに|止《や》まれぬ|要求《えうきう》と|絶対《ぜつたい》の|真実《しんじつ》を|持《も》つてゐなければ|成《な》らぬと|云《い》ふ|観念《くわんねん》を|持《も》つて|居《ゐ》なければ|成《な》らない。|本書《ほんしよ》も|亦《また》、|吾《わが》|大本《おほもと》の|信仰《しんかう》に|対《たい》し|現代《げんだい》を|救《すく》ふの|道《みち》として|止《や》むに|止《や》まれない|場合《ばあひ》が|差迫《さしせま》つた|為《ため》に|神勅《しんちよく》によつて|編述《へんじゆつ》することになつたもので、|決《けつ》して|瑞月《ずゐげつ》|王仁《おに》や|真澄《まさずみ》や|隆光《たかてる》、|明子《はるこ》、|介昭《かいせう》|氏《し》|等《ら》の|物好《ものず》きで|作《つく》つたものでは|無《な》い。|何《いづ》れも|神《かみ》の|命《めい》のまにまに|著者《ちよしや》は|病躯《びやうく》を|起《おこ》して、|止《や》むに|止《や》まれず|着手《ちやくしゆ》したものなることを|御了知《ごれうち》の|上《うへ》|御愛読《ごあいどく》あらむ|事《こと》を|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。|今日《こんにち》の|処《ところ》では|未《いま》だこの|書《しよ》が|地方《ちはう》によると、|役員《やくゐん》や|信者《しんじや》に|読《よ》まれない|所《ところ》も|沢山《たくさん》あるやうなり、|大本《おほもと》に|於《おい》ても|変性女子《へんじやうによし》の|遊戯的《いうぎてき》|作物《さくぶつ》として|軽視《けいし》し、|一回《いつくわい》も|本書《ほんしよ》を|手《て》にしない|方々《かたがた》が|在《あ》るのは|実《じつ》に|遺憾《ゐかん》の|至《いた》りであります。|本書《ほんしよ》は|古《ふる》き|神代《かみよ》の|物語《ものがたり》と|云《い》ひながら、|時代《じだい》に|先《さき》んじた|文語《ぶんご》や|文学的《ぶんがくてき》|形式《けいしき》を|採用《さいよう》してゐるのは、|不都合《ふつがふ》だと|言《い》つてゐる|人《ひと》があるが、それでは|表現《へうげん》の|範囲《はんゐ》を|拡《ひろ》めることは|出来《でき》ない。|予言的《よげんてき》|精神《せいしん》に|充《みた》された|本書《ほんしよ》は、|所在《あらゆる》|形式美《けいしきび》を|尽《つく》して|朝日《あさひ》に|輝《かがや》く|雲《くも》の|様《やう》に|虹色《にじ》を|呈《てい》して|虚空《こくう》に|架《かか》つてゐる|程《てい》の|覚悟《かくご》を|以《もつ》て|進《すす》んでゐるのである。|又《また》|従来《じゆうらい》|人《ひと》の|云《い》はなかつた|新《あたら》しい|事《こと》も|云《い》ひ、|人間《にんげん》の|表現《へうげん》の|限界《げんかい》を|拡張《くわくちやう》せむが|為《ため》に、|原始的《げんしてき》|法則《はふそく》に|帰《かへ》らざるを|得《え》ない|場合《ばあひ》も|稍《やや》|多《おほ》くある。|即《すなは》ち|人間《にんげん》の|感情《かんじやう》そのものが|自《おのづか》ら|流《なが》れ|出《で》た|言葉《ことば》に、|惟神《かむながら》の|詩韻《しゐん》が|現《あら》はれるものである。|人《ひと》にして|若《も》し|言《い》はざるを|得《え》ないものを|持《も》つて|居《ゐ》るならば、|石《いし》が|地《ち》に|落《お》ちる|様《やう》に、|何事《なにごと》もなく|単純《たんじゆん》に、|率直《そつちよく》に、|自然《しぜん》に|洩《も》れ|出《い》づるものである。|石《いし》が|落《お》ちて|来《く》るのには|決《けつ》して|二《ふた》つの|形式《けいしき》は|無《な》いのを|見《み》ると、|凡《すべ》て|現《あら》はれ|出《いで》たものの|根底《こんてい》には、|必然《ひつぜん》なるものが|潜《ひそ》んでゐるものであると|思《おも》ふ。|記《き》して|以《もつ》て|総説《そうせつ》に|代《かは》ふ。
大正十二年二月十八日
第一篇 |神授《しんじゆ》の|継嗣《けいし》
第一章 |子宝《こだから》〔一三八七〕
|叛将《はんしやう》ベルツに|荒《あら》されし  |見《み》るかげもなきビクトリヤ
|王《わう》の|住家《すみか》は|漸《やうや》くに  |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|其《その》|一行《いつかう》に|助《たす》けられ  |九死《きうし》の|中《うち》に|一生《いつしやう》を
|得《え》たる|心地《ここち》の|初夏《しよか》の|空《そら》  |塵《ちり》も|芥《あくた》も|根底《ねそこ》より
|吹《ふ》き|払《はら》はれて|太平《たいへい》の  |再《ふたた》び|御代《みよ》となりにけり
ヒルナの|姫《ひめ》は|復《また》|元《もと》の  |位《くらゐ》に|居直《ゐなほ》り|忠実《まめやか》に
アーチヂュークに|仕《つか》へつつ  |神《かみ》を|斎《まつ》りて|城内《じやうない》は
|云《い》ふも|更《さら》なり|国中《くになか》も  いと|安《やす》らけく|平《たひら》けく
|治《をさ》まりしこそ|芽出《めで》たけれ。
|叛将《はんしやう》のベルツ|及《および》シエール|其《その》|外《ほか》の|一派《いつぱ》は|国法《こくはふ》に|従《したが》ひ、|反逆罪《はんぎやくざい》として|重刑《ぢうけい》に|処《しよ》すべき|所《ところ》なりしが、|治国別《はるくにわけ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》の|斡旋《あつせん》に|仍《よ》り、|大赦《たいしや》を|行《おこな》ひ、|両人《りやうにん》は|百箇日《ひやくかにち》の|閉門《へいもん》|申付《まをしつ》けられ、|門口《もんぐち》は|四人《よにん》の|守衛《しゆゑい》をして|厳重《げんぢう》に|守《まも》らしむる|事《こと》となつた。
|刹帝利《せつていり》(|太公《たいこう》)は|追々《おひおひ》|老齢《らうれい》に|及《およ》び、|世《よ》が|治《をさ》まるにつけて、|前途《さき》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|嗣子《しし》の|一人《ひとり》も|無《な》きに|胸《むね》を|痛《いた》めて|居《ゐ》た。ビクトリヤ|王《わう》はアーチ・ダッチェス(|太公妃《たいこうひ》)との|間《あひだ》に|五男《ごなん》|一女《いちぢよ》があつた。アール、イース、ウエルス、エリナン、オークス、ダイヤ|女《ぢよ》といふ|子供《こども》があつたが、|王《わう》は|或《ある》|夜《よ》の|夢《ゆめ》に……|五人《ごにん》の|男《をとこ》の|子《こ》が|自分《じぶん》を|放逐《はうちく》し、ビクの|国《くに》を|五分《ごぶん》して|各《おのおの》|覇《は》を|利《き》かし、|国内《こくない》を|紊《みだ》した……といふ|恐《おそ》ろしい|夢《ゆめ》を|見《み》たので、ビクトリヤ|姫《ひめ》に|向《むか》ひ、|深夜《しんや》ソツと|五人《ごにん》の|実子《じつし》を|殺《ころ》さむ|事《こと》を|謀《はか》つた。そして……|今度《こんど》|腹《はら》にある|子《こ》が|男《をとこ》であつたならば、それも|殺《ころ》して|了《しま》ふ、もし|女《をんな》であつたならば|助《たす》けよう……とまで|言《い》つた。ビクトリヤ|姫《ひめ》は|之《これ》を|聞《き》いて|大《おほい》に|驚《おどろ》きつつも、ワザと|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして、……|何程《なにほど》|諫《いさ》めても|言《い》ひ|出《だ》したら|後《あと》に|引《ひ》かぬ|気象《きしやう》のビクトリヤ|王《わう》は、|到底《たうてい》|五人《ごにん》の|子《こ》を|助《たす》けることはせまい、そして|又《また》|自分《じぶん》の|腹《はら》に|出来《でき》た|子《こ》が|男《をとこ》であつたら|如何《どう》しようか……と|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》をしてゐた。|併《しか》し|乍《なが》らワザと|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をして、|胸《むね》に|万斛《ばんこく》の|涙《なみだ》を|湛《たた》へてゐた。それからソツと|五人《ごにん》の|男《をとこ》の|子《こ》に|父《ちち》の|決心《けつしん》を|囁《ささや》き、……|一時《いちじ》も|早《はや》く|身《み》を|以《もつ》て|遁《のが》れよ……と|命《めい》じたのである。|五人《ごにん》の|兄弟《きやうだい》は|大《おほい》に|驚《おどろ》いて、ビクトリヤ|姫《ひめ》よりいろいろの|物《もの》を|与《あた》へられ、|夜《よ》に|乗《じやう》じて、|城内《じやうない》を|抜《ぬ》け|出《い》でビクトル|山《ざん》の|峰続《みねつづ》き、|照国ケ岳《てるくにがだけ》の|山谷《さんこく》に|穴《あな》を|穿《うが》ち|難《なん》を|避《さ》け、|猟師《れふし》となつて|生命《いのち》を|保《たも》つてゐたのである。ビクトリヤ|姫《ひめ》は|月《つき》|盈《み》ちて|生《う》み|落《おと》した、|慌《あわて》て|調《しら》べて|見《み》れば|女《をんな》の|子《こ》であつた。ヤツと|安心《あんしん》して、ダイヤといふ|名《な》を|付《つ》けた。ダイヤ|姫《ひめ》は|七才《しちさい》になつた|時《とき》、|母《はは》に|向《むか》つて、|自分《じぶん》の|兄弟《きやうだい》のない|事《こと》を|歎《なげ》いた。そこでビクトリヤ|姫《ひめ》は|五人《ごにん》の|兄《あに》があつて|照国ケ岳《てるくにがだけ》に|猟師《れふし》となり|隠《かく》れて|居《を》ることをソツと|物語《ものがた》つた。ダイヤ|姫《ひめ》は|之《これ》を|聞《き》くより|五人《ごにん》の|兄《あに》に|会《あ》ひたくて|仕方《しかた》がなく、|十歳《じつさい》になりし|折《をり》|夜《よる》|秘《ひそか》に|城《しろ》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、|繊弱《かよわ》き|足《あし》に|峰《みね》をつたつて、|照国ケ岳《てるくにがだけ》の|谷間《たにま》に|漸《やうや》く|辿《たど》り|着《つ》いた。|行《い》つて|見《み》れば、|可《か》なり|大《おほ》きな|土窟《どくつ》があつて、|獣《けだもの》の|皮《かは》|等《など》が|干《ほ》してあつた。|兄《あに》の|四人《よにん》は|猟夫《かりうど》に|出《で》て|不在《ふざい》であつたが、|五人目《ごにんめ》の|兄《あに》オークスが|一人《ひとり》|番《ばん》をしてゐた。|発覚《はつかく》を|恐《おそ》れて、|如何《いか》なる|人間《にんげん》も|此処《ここ》へ|来《き》た|者《もの》は、|一人《ひとり》も、|打殺《うちころ》して|帰《かへ》さない|事《こと》に|五人《ごにん》は|定《き》めてゐたのである。そこへダイヤがヘトヘトになつてやつて|来《き》たので、オークスは|目《め》をギヨロつかせ|乍《なが》ら、
オークス『お|前《まへ》は|何処《どこ》から|来《き》た|者《もの》だ』
と|尋《たづ》ねた。ダイヤは|涙《なみだ》を|拭《ふ》き|乍《なが》ら、
ダイヤ『ハイ、|私《わたし》はビクトリヤ|王《わう》の|娘《むすめ》ダイヤと|申《まを》します。お|母《かあ》さまに|承《うけたま》はれば、……|父上《ちちうへ》に|秘密《ひみつ》で、|十年《じふねん》|許《ばか》り|前《まへ》から、|此《この》|照国山《てるくにやま》に|五人《ごにん》の|兄《にい》さまが|猟師《れふし》をして|隠《かく》れてゐられる。お|父《とう》さまも|年《とし》よりだから|国替《くにがへ》をしられたら|帰《かへ》つて|来《こ》い……と|云《い》つて|隠《かく》してあると|仰有《おつしや》いましたので、|私《わたし》は|兄《にい》さまに|会《あ》ひたくて|会《あ》ひたくて|仕方《しかた》がありませぬので、|両親《りやうしん》に|隠《かく》れて|尋《たづ》ねて|参《まゐ》りました』
と|云《い》つて、ワツと|許《ばか》りに|泣《な》き|伏《ふ》した。オークスはよくよくダイヤの|顔《かほ》を|調《しら》べてみると、どこともなしに|自分《じぶん》の|兄《あに》に|似《に》た|所《ところ》がある、|又《また》|母《はは》にも|似《に》てゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら|四人《よにん》の|兄《あに》が|帰《かへ》つて|来《き》たら|何《なん》と|云《い》ふであらうか、|仮令《たとへ》|親兄弟《おやきやうだい》と|雖《いへど》も|命《いのち》を|取《と》ると|定《き》めた|以上《いじやう》は、|此《この》|可憐《かれん》な|妹《いもうと》を|殺《ころ》しはしようまいか……と|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》をし、|声《こゑ》を|曇《くも》らせ|乍《なが》ら、
オークス『お|前《まへ》は|如何《いか》にも|妹《いもうと》に|間違《まちが》ひはない、よう|来《き》てくれた。|頑固一片《ぐわんこいつぺん》の|父王《ちちわう》は|夢《ゆめ》を|見《み》たと|云《い》つて、|吾々《われわれ》|五人《ごにん》の|兄弟《きやうだい》を|殺《ころ》さうとなさつたのだ。それを|母《はは》の|情《なさ》けに|仍《よ》つて|命《いのち》|丈《だけ》を|保《たも》つてゐるのだが、お|父《とう》さまはまだ|達者《たつしや》にしてゐられるかな』
と|尋《たづ》ねて|見《み》た。ダイヤは|涙《なみだ》|乍《なが》ら、
ダイヤ『ハイ、お|父《とう》さまは|極《きは》めて|御達者《おたつしや》で|厶《ござ》います。そしてお|母《かあ》さまは|私《わたし》の|七《なな》つの|年《とし》に|兄《にい》さま|達《たち》の|事《こと》が|苦《く》になつて、それが|元《もと》で|病気《びやうき》にかかり、|亡《な》くなつて|了《しま》はれました。|跡《あと》へヒルナ|姫《ひめ》といふ|小間使《こまづかひ》がお|父《とう》さまの|妃《きさき》となつて、|今年《ことし》で|一年《いちねん》になります。|私《わたし》はお|母《かあ》さまは|亡《な》くなる、|兄《にい》さまはゐられないし、|城内《じやうない》に|居《ゐ》る|気《き》がしませぬので、お|後《あと》を|慕《した》うて|参《まゐ》りました。モウ|城内《じやうない》へは|帰《かへ》りたくありませぬから、|何卒《どうぞ》|此処《ここ》に|何時《いつ》|迄《まで》もおいて|下《くだ》さいませ』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せて、|涙《なみだ》と|共《とも》に|頼《たの》み|入《い》る。
オークス『ああそれはよう|尋《たづ》ねて|来《き》てくれた。|併《しか》し|乍《なが》ら|兄《あに》が|帰《かへ》る|迄《まで》、お|前《まへ》は|此《この》|葛籠《つづら》の|中《なか》へ|隠《かく》れてゐてくれ、そして|兄《あに》の|腹《はら》を|聞《き》いた|上《うへ》、|若《もし》も|助《たす》けるというたら、|公然《こうぜん》と|兄妹《きやうだい》の|名乗《なのり》をさすなり、|叩《たた》き|殺《ころ》すといつたら、|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》らお|前《まへ》を|此《この》|葛籠《つづら》に|入《い》れておいて、|兄《あに》の|行《い》つた|後《あと》で、|何《ど》ツ|処《か》へ|送《おく》つてやるから……』
ダイヤ『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|頼《たの》みます、|兄《にい》さまに|会《あ》うて|殺《ころ》されても|満足《まんぞく》で|厶《ござ》います』
と|唏嘘《しやくり》|泣《な》く。
オークス『モウ|兄貴《あにき》の|帰《かへ》る|時分《じぶん》だから、サ、|之《これ》へ|入《はい》つてくれ』
と|葛籠《つづら》の|中《なか》へダイヤを|入《い》れて|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしてゐた。そこへ|兄《あに》のアール、イース、ウエルス、エリナンの|四人《よにん》が|兎《うさぎ》や|狸《たぬき》を|捕獲《ほくわく》してイソイソと|帰《かへ》つて|来《き》た。オークスは|出《い》で|迎《むか》へ、
オークス『|兄《にい》さま、|今日《けふ》は|大変《たいへん》|早《はや》う|厶《ござ》いましたな』
アール『ウン、|此《この》|通《とほ》り|兎《うさぎ》と|狸《たぬき》が|都合《つがふ》|好《よ》く|取《と》れたので、|今日《けふ》は|何《なん》だか|気《き》が|急《せ》いて、お|前《まへ》の|身《み》に|異状《ゐじやう》が|出来《でき》たやうな|気《き》がしてならないので、|急《いそ》いで|帰《かへ》つて|来《き》たのだ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|足装束《あししやうぞく》を|了《しま》ひ、|広《ひろ》い|穴《あな》の|中《なか》へ|這入《はい》つて|腰《こし》を|下《お》ろした。
アール『|俺《おれ》の|不在中《るすちう》に|変《かは》つた|事《こと》はなかつたかなア、どうも|気《き》が|急《せ》いて|仕方《しかた》がなかつたのだ』
オークス『ああさうで|厶《ござ》いましたか、|実《じつ》の|処《ところ》は|妹《いもうと》が|尋《たづ》ねて|来《き》ました。けれ|共《ども》|吾々《われわれ》の|規約《きやく》に|従《したが》つて|叩《たた》き|殺《ころ》さうと|思《おも》うたが、|余《あま》り|不愍《ふびん》なので、|化者《ばけもの》の|真似《まね》をして|追《お》つ|返《かへ》してやりました』
と|云《い》つて、|兄《あに》の|意見《いけん》を|探《さぐ》つてみた。
アール『|吾々《われわれ》に|妹《いもうと》があるとは、ハテ|合点《がてん》が|行《ゆ》かぬ、さうすると|自分《じぶん》の|出《で》た|後《あと》で、|両親《りやうしん》の|間《あひだ》に|出来《でき》た|子《こ》であらうかな』
オークス『|母《はは》が|吾々《われわれ》が|逃出《にげだ》す|時《とき》に|孕《はら》んで|居《を》つた、それが|出産《しゆつさん》したのが|女《をんな》で、ダイヤと|云《い》ふ|妹《いもうと》なんですよ』
アール『お|前《まへ》はなぜそんな|者《もの》を|追《お》ひ|返《かへ》すのだ、|俺《おれ》も|一遍《いつぺん》|会《あ》つてみたいのだが、ハテ|困《こま》つた|事《こと》をしたなア』
イース『モシ|父《ちち》にこんな|所《ところ》を|悟《さと》られたら、|沢山《たくさん》な|軍勢《ぐんぜい》を|伴《つ》れて、|又《また》|攻《せ》めに|来《く》るか|知《し》れない。|帰《い》なす|位《くらゐ》なら、なぜ|可愛相《かあいさう》でも|殺《ころ》さなかつたか』
アール『ヤ、|殺《ころ》すには|及《およ》ばぬが、|何故《なぜ》|妹《いもうと》を|止《とど》めておかぬのか、|城内《じやうない》の|様子《やうす》も|分《わか》るであらうに、|何時《いつ》|迄《まで》も|父《ちち》が|長生《ながいき》する|筈《はず》もなし、お|母《かあ》さまさへ|達者《たつしや》であれば、|吾々《われわれ》は|後《あと》へ|帰《かへ》つて、ビクの|国《くに》を|治《をさ》める|事《こと》が|出来《でき》るのだが、|妹《いもうと》が|帰《かへ》つたとすれば、コレヤ|大変《たいへん》な|事《こと》が|起《おこ》つて|来《く》る、|一時《いちじ》も|早《はや》くここを|逃《に》げ|去《さ》り、どつかへ|身《み》を|隠《かく》さねばなるまいぞ』
と|心配相《しんぱいさう》に|言《い》ふ。
オークス『|妹《いもうと》の|言葉《ことば》に|仍《よ》れば、お|母《かあ》さまは|三年《さんねん》|以前《いぜん》に|亡《な》くなり、お|父《とう》さまは|極《きは》めて|壮健《さうけん》で、ヒルナ|姫《ひめ》といふ|腰元《こしもと》をアーチ・ダッチェースとなし、|大変《たいへん》な|元気《げんき》だといふ|事《こと》だから、|吾々《われわれ》|兄弟《きやうだい》の|望《のぞ》みは|到底《たうてい》|達《たつ》しますまい』
|四人《よにん》の|兄《あに》は|慈愛《じあい》|深《ふか》き|母《はは》が|亡《な》くなつたと|聞《き》いて、|一時《いちじ》に|声《こゑ》を|上《あ》げて|号泣《がうきふ》した。
オークス『|兄《にい》さま、モシ|妹《いもうと》が|此処《ここ》へ|尋《たづ》ねて|来《き》たならば、|貴方《あなた》は|大切《だいじ》にしてやりますか、|但《ただし》は|殺《ころ》す|考《かんが》へですか』
と|四人《よにん》の|兄《あに》の|顔《かほ》を|覗《のぞ》いた、|四人《よにん》は|声《こゑ》を|揃《そろ》へて、
『|妹《いもうと》に|怨《うら》みもないのだから、|斯《か》うなれば|兄妹《きやうだい》|六人《ろくにん》が|何処《どこ》|迄《まで》も|一《ひと》つになつて、|仲《なか》よう|暮《く》らし、|時節《じせつ》を|待《ま》つて|目的《もくてき》を|成就《じやうじゆ》させやうだないか』
|此《この》|言葉《ことば》にオークスはヤツと|安心《あんしん》し、
オークス『|実《じつ》は|此《この》|葛籠《つづら》の|中《なか》に|妹《いもうと》を|隠《かく》しておいたのです』
と|言《い》つたので、|直《ただ》ちにアールは|葛籠《つづら》を|開《ひら》き、|妹《いもうと》を|労《いたは》り、|外《そと》へ|出《だ》して|五人《ごにん》がよつてたかつて、|頭《かしら》を|撫《な》で、|背《せな》を|撫《な》で、|兄弟《きやうだい》|六人《ろくにん》しがみ|付《つ》いて|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれてゐた。そして|兄妹《きやうだい》は|此処《ここ》に|淋《さび》しい|山住居《やまずまゐ》を|続《つづ》けてゐたのである。
さて|刹帝利《せつていり》の|奥《おく》の|間《ま》にはヒルナ|姫《ひめ》、|治国別《はるくにわけ》、タルマン、キユービツト、エクスが|小酒宴《こざかもり》を|開《ひら》き|乍《なが》ら、|四方山《よもやま》の|話《はなし》に|耽《ふけ》つてゐた。キユービツトは|治国別《はるくにわけ》に|向《むか》ひ、
|左守《さもり》『|三五《あななひ》の|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》、|貴師方《あなたがた》の|御尽力《ごじんりよく》に|依《よ》りまして、|叛将《はんしやう》ベルツも|漸《やうや》く|降服《かうふく》を|致《いた》し、あの|通《とほ》り|閉門《へいもん》を|申付《まをしつ》けられ、あ、これで|一安心《ひとあんしん》|致《いた》しましたが、|刹帝利様《せつていりさま》は|御老齢《ごらうれい》の|事《こと》なり、|御世継《およつぎ》がないので|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》を|致《いた》して|居《を》られます。|何《なん》とかして|子《こ》を|授《さづ》かる|法《はふ》は|厶《ござ》いますまいかなア』
と|心配相《しんぱいさう》に|尋《たづ》ねた。|治国別《はるくにわけ》は|此処《ここ》ぞと、|膝《ひざ》を|進《すす》め、
|治国《はるくに》『|刹帝利様《せつていりさま》には、アール、イース、ウエルス、エリナン、オークス、ダイヤ|様《さま》といふ|五男《ごなん》|一女《いちぢよ》があるぢやありませぬか。|其《その》|方《かた》を|礼《れい》を|厚《あつ》くしてお|連《つ》れ|帰《かへ》りになれば、|立派《りつぱ》に|御世継《およつぎ》が|出来《でき》るでせう』
|左守《さもり》『ハイ、|仰《おほせ》の|如《ごと》く|六人《ろくにん》のお|子様《こさま》が|厶《ござ》いましたが、|今《いま》は|其《その》お|行衛《ゆくゑ》が|分《わか》りませぬので、|実《じつ》の|所《ところ》は|刹帝利様《せつていりさま》もお|年《とし》が|老《よ》つて|子《こ》が|恋《こひ》しうなり、|心《こころ》|秘《ひそか》にお|尋《たづ》ねになつて|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら、どうしても|其《その》お|子様《こさま》は|行衛《ゆくゑ》は|知《し》れず、|仮令《たとへ》|行衛《ゆくゑ》は|知《し》れても|御帰《おかへ》り|遊《あそ》ばすことは|厶《ござ》いますまい』
|治国《はるくに》『|刹帝利殿《せつていりどの》、|拙者《せつしや》が|六人《ろくにん》のお|子様《こさま》を|貴方《あなた》にお|渡《わた》し|申《まを》せば、|貴方《あなた》は|如何《どう》なさいますか。|昔《むかし》のやうな|考《かんが》へを|起《おこ》して、|皆《みな》|殺《ころ》して|了《しま》ふ|心算《つもり》ですか』
|刹帝利《せつていり》は|涙《なみだ》を|拭《ぬぐ》ひ|乍《なが》ら、
『|実《じつ》の|所《ところ》は|悪魔《あくま》に|魅入《みい》られ、|悪《わる》い|夢《ゆめ》を|一週間《いつしうかん》も|続《つづ》けてみましたので、|敵《かたき》が|吾《わが》|子《こ》となつて|生《うま》れて|来《き》たものと|信《しん》じ、|五人《ごにん》の|男子《だんし》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|打殺《うちころ》さうと、|残酷《ざんこく》な|考《かんが》へを|起《おこ》しましたが、それをどう|悟《さと》つたものか、|夜《よる》の|間《あひだ》に|城内《じやうない》を|逃出《にげだ》して|了《しま》ひ、どつかに|潜《ひそ》んで|計画《けいくわく》をなし、|何時《いつ》|自分《じぶん》を|亡《ほろ》ぼしに|来《く》るか|知《し》れないと|思《おも》うて、|夜《よ》の|目《め》も|碌《ろく》に|寝《ね》た|事《こと》は|厶《ござ》いませぬ』
|治国《はるくに》『それは|貴方《あなた》の|御心得違《おこころえちが》ひといふもの、|貴方《あなた》のお|子様《こさま》は|実《じつ》に|温良《をんりやう》な|方《かた》で、|今《いま》はみじめな|生活《せいくわつ》をし|乍《なが》らも、|国《くに》を|思《おも》ひ、|王家《わうけ》を|思《おも》ひ、|少《すこ》しも|恨《うら》んではゐられませぬよ。|貴方《あなた》が|今《いま》|改心《かいしん》して、|六人《ろくにん》のお|子様《こさま》を|城内《じやうない》へお|招《まね》きになれば、キツと|孝養《かうやう》を|尽《つく》されるでせう』
|刹帝《せつてい》『まだ|此《この》|世《よ》に|生《い》きて|居《を》るでせうか。|但《ただし》は|生《い》きて|何《なに》か|悪《わる》い|事《こと》を|企《たく》んで|居《を》りは|致《いた》しますまいか……と|心配《しんぱい》でなりませぬ』
|治国《はるくに》『|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|私《わたし》が|引受《ひきう》けませう』
|刹帝《せつてい》『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|言葉《ことば》なれば、|決《けつ》して|間違《まちがひ》はありますまい。|何卒《どうぞ》|此《この》|世《よ》に|居《を》ります|者《もの》なれば、|一度《いちど》|会《あ》はして|頂《いただ》き|度《た》いもので|厶《ござ》います』
|刹帝《せつてい》『|宜《よろ》しい、|二三日《にさんにち》|私《わたし》にお|任《まか》せ|下《くだ》さい。キツとお|会《あ》はせ|致《いた》しませう』
|刹帝利《せつていり》は|半《なかば》|喜《よろこ》び、|半《なかば》|不安《ふあん》の|態《てい》|乍《なが》ら、|外《ほか》ならぬ|治国別《はるくにわけ》の|言葉《ことば》を|力《ちから》とし、|一切《いつさい》を|任《まか》して|了《しま》つた。|左守《さもり》、|右守《うもり》を|始《はじ》めタルマン、ヒルナ|姫《ひめ》も|一同《いちどう》に|頭《かしら》を|下《さ》げ、|治国別《はるくにわけ》に、
『|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|頼《たの》みます』
と|涙《なみだ》と|共《とも》に|頼《たの》み|入《い》る。|治国別《はるくにわけ》は|自分《じぶん》の|与《あた》へられた|美《うつく》しい|館《やかた》へ|帰《かへ》り、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》と|相談《さうだん》の|上《うへ》、|六人《ろくにん》の|子女《しぢよ》を|迎《むか》へ|帰《かへ》る|事《こと》を|謀《はか》つた。
|茲《ここ》に|三人《さんにん》は|治国別《はるくにわけ》の|命《めい》に|依《よ》つて、ビクトル|山《さん》を|越《こ》え、|照国ケ岳《てるくにがだけ》の|山谷《さんこく》を|指《さ》して|旅装《りよさう》を|整《ととの》へ、|六人《ろくにん》の|子女《しぢよ》を|迎《むか》ふべく、|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め、|奉迎《ほうげい》といふ|各《おのおの》|手旗《てばた》を|翳《かざ》し|乍《なが》ら、|誰《たれ》にも|知《し》らさず|秘《ひそか》に|尋《たづ》ね|行《ゆ》く|事《こと》となりぬ。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第二章 |日出前《ひのでまへ》〔一三八八〕
|治国別《はるくにわけ》の|命令《めいれい》で  ビクトリヤ|王《わう》の|御子達《みこたち》を
|照国岳《てるくにだけ》の|山谷《さんこく》に  |尋《たづ》ねて|迎《むか》へ|帰《かへ》らむと
|館《やかた》を|後《あと》に|竜彦《たつひこ》や  |嬉《うれ》しき|便《たよ》りを|松彦《まつひこ》が
|万公司《まんこうつかさ》を|伴《ともな》ひて  |音《おと》に|名高《なだか》きビクトリヤ
|山野《さんや》を|渡《わた》り|谷《たに》を|越《こ》え  |猿《ましら》の|声《こゑ》におどされつ
|岩《いは》の|根《ね》|木《き》の|根《ね》|踏《ふ》みさくみ  |辷《すべ》る|足許《あしもと》|危《あやふ》くも
|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》を|掴《つか》まへて  |道《みち》なき|路《みち》を|辿《たど》り|行《ゆ》く
|荊蕀《けいきよく》|茂《しげ》る|山《やま》の|中《なか》  アール、イースや|外《ほか》|四人《よにん》
|潜《ひそ》む|土窟《いはや》にやうやうと  |息《いき》もスタスタ|着《つ》きにけり。
オークス、ダイヤの|二人《ふたり》は|土窟《いはや》の|入口《いりぐち》に|日《ひ》なたぼつこりをして、|獣《けだもの》の|皮《かは》を|干《ほ》したり、|洗濯《せんたく》をしたりして、|乾《かわ》くのを|待《ま》つてゐた。|忽《たちま》ち|三人《さんにん》の|姿《すがた》を|見《み》るより、|驚《おどろ》きの|眼《まなこ》を|瞠《みは》り、|山刀《やまがたな》を|手《て》にして、|何者《なにもの》の|襲来《しふらい》かと|身構《みがま》へした。よくよく|見《み》れば、『|刹帝利《せつていり》の|御子《おんこ》|奉迎《ほうげい》』といふ|手旗《てばた》を|各《おのおの》|翳《かざ》してゐる。オークスは|双手《もろて》を|組《く》んで、|暫《しば》し|思案《しあん》にくれてゐたが、|心《こころ》の|中《なか》に|思《おも》ふやう、
オークス『あの|手旗《てばた》には|自分《じぶん》|等《たち》を|迎《むか》へに|来《き》たやうに|記《しる》してあるが、|父《ちち》と|云《い》ひ、|近侍《きんじ》の|頑固連《ぐわんこれん》か|自分《じぶん》|達《たち》の|所在《ありか》を|探《さぐ》り、|奉迎《ほうげい》と|佯《いつ》はつて、|召捕《めしと》らへに|来《き》たのではあるまいか。|之《これ》はウツカリ|名乗《なの》る|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬ』
と|心《こころ》を|定《さだ》め、|妹《いもうと》のダイヤに|目配《めくば》せした。ダイヤはオークスの|意思《いし》を|早《はや》くも|悟《さと》り、さあらぬ|態《てい》にて|細谷川《ほそたにがは》の|水《みづ》をいぢり、あどけない|態《てい》にて、ワザとに|遊《あそ》んでゐた。そこへ|近付《ちかづ》いたのは|迎《むか》ひの|三人《さんにん》、|松彦《まつひこ》は|両手《りやうて》をついて、
|松彦《まつひこ》『|一寸《ちよつと》お|尋《たづ》ね|致《いた》します。|貴方《あなた》は、ビクトリヤ|城《じやう》の|刹帝利様《せつていりさま》のお|子様《こさま》では|厶《ござ》いませぬか』
オークスはワザと|空呆《そらとぼ》けて、
オークス『|俺《おれ》は|此《この》|山《やま》に|昔《むかし》から|住居《ぢうきよ》をしてをる|山男《やまをとこ》だ。そんな|尊《たふと》い|者《もの》ではない。|此《この》|谷《たに》には|左様《さやう》な|方《かた》は|一人《ひとり》もみえたことはないから、|外《ほか》を|尋《たづ》ねて|貰《もら》ひたいものだなア』
|松彦《まつひこ》『ヤ、|何《なん》と|仰《おほ》せられましても、|貴方《あなた》はお|子様《こさま》に|間違《まちがひ》ありませぬ。サ、|何卒《どうぞ》|私《わたくし》と|一緒《いつしよ》に|城内《じやうない》までお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。キツと|貴方《あなた》のお|為《ため》に|悪《わる》い|事《こと》は|致《いた》しませぬ』
ダイヤは|側《そば》へ|寄《よ》つて|来《き》て、
ダイヤ『どこの|方《かた》か|知《し》りませぬが、|妾《わたし》はここに|二人《ふたり》|夫婦暮《ふうふぐら》しをしてゐる|山男《やまをとこ》|山女《やまをんな》で|厶《ござ》います。|決《けつ》して|左様《さやう》な|者《もの》ぢやありませぬから、|外《ほか》をお|尋《たづ》ね|下《くだ》さいませ』
|松彦《まつひこ》『|何《なん》と|仰《おほ》せられても、|吾々《われわれ》の|目《め》では|刹帝利様《せつていりさま》の|御子女《ごしぢよ》に|違《ちが》ひはありませぬ。|左様《さやう》な|事《こと》を|仰《おほ》せられずに、|吾々《われわれ》の|申《まを》す|通《とほ》りに|城内《じやうない》へ|御帰《おかへ》りを|願《ねが》ひたい』
ダイヤ『ホホホホ|何《なん》とマア|分《わか》らぬ|人《ひと》だこと、|木樵《きこり》の|娘《むすめ》が|堕落《だらく》して、|村《むら》の|男《をとこ》と|手《て》に|手《て》を|取《と》つて、|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|逃《に》げ|来《きた》り、|山男《やまをとこ》|山女《やまをんな》となつて、|恋《こひ》を|味《あぢ》はつてゐるのに、|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|刹帝利様《せつていりさま》の|娘《むすめ》だなどとは、|勿体《もつたい》ない|罰《ばち》が|当《あた》りますぞや。|妾《わたし》が|左様《さやう》な|尊《たふと》い|方《かた》の|娘《むすめ》なれば、どうしてこんな|所《ところ》へ|出《で》て|来《き》ませうか、|誰《たれ》がこんな|不便《ふべん》な|山住居《やまずまゐ》を|致《いた》しませうか。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ』
|松彦《まつひこ》『|貴女《あなた》は|今《いま》、ここへ|男《をとこ》と|駆落《かけおち》をしたと|仰有《おつしや》るが、|比較的《ひかくてき》|体《からだ》は|大《おほ》きうても、まだお|年《とし》は|十才《じつさい》か|十一才《じふいつさい》|位《ぐらゐ》にしか|見《み》えませぬ。そんな|事《こと》|云《い》つたつて、|此《この》|松彦《まつひこ》は|騙《だま》されませぬよ。|刹帝利様《せつていりさま》が|大変《たいへん》|後悔《こうくわい》|遊《あそ》ばして、|六人《ろくにん》の|子女《しぢよ》を|恋慕《こひした》ひ……あああの|時《とき》は|悪神《あくがみ》に|誑惑《けうわく》されて|居《を》つたのだ。|追々《おひおひ》|年《とし》はよつてくるなり、あの|六人《ろくにん》の|子女《しぢよ》が|居《を》つてくれたらどれ|丈《だけ》|嬉《うれ》しいだらう……と、|朝夕《あさゆふ》お|悔《くや》みなさるので、|新参者《しんざんもの》の|吾々《われわれ》が、|王様《わうさま》の|命令《めいれい》を|受《う》けてお|迎《むか》ひに|参《まゐ》りました、|何《なん》とお|隠《かく》しなされましても|間違《まちが》ひありませぬ、そして|四人《よにん》の|御兄弟《ごきやうだい》はどちらへお|出《い》でになりました。|何卒《どうぞ》それを|御知《おし》らせ|願《ねが》ひたいものです』
オークス『|決《けつ》して|決《けつ》して、|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、|左様《さやう》な|者《もの》ぢや|厶《ござ》いませぬ。|外《ほか》を|尋《たづ》ねて|下《くだ》さいませ』
と|言《い》つてる|所《ところ》へ|四人《よにん》の|兄《あに》は|猪《いのしし》を|担《かつ》いで、きつい|谷路《たにみち》を|下《くだ》つて|来《き》た。|余《あま》り|足元《あしもと》に|気《き》を|取《と》られて|居《を》つたので、|三人《さんにん》が|此処《ここ》に|来《き》て|弟妹《きやうだい》と|話《はなし》をしてるのに|気《き》がつかなかつた。|入口《いりぐち》の|前《まへ》に|猪《しし》を|下《お》ろし、|汗《あせ》を|拭《ぬぐ》ひ|拭《ぬぐ》ひ、|三人《さんにん》の|男《をとこ》が|地上《ちじやう》に|平伏《へいふく》してるのを|見《み》て、|四人《よにん》は|驚《おどろ》いた。
アールはオークスに|向《むか》ひ、
アール『オイ、|此処《ここ》へ|来《き》てゐる|三人《さんにん》の|男《をとこ》は|何者《なにもの》だ』
オークス『ビクトリヤ|城《じやう》の|刹帝利様《せつていりさま》から、お|迎《むか》へに|来《き》たのだ。|貴方《あなた》は|其《その》|御子女《ごしぢよ》に|違《ちが》ひないからお|迎《むか》ひに|来《き》たのだ……と|云《い》つて|聞《き》かないのですよ。|親方《おやかた》|何《ど》う|致《いた》しませうかね』
アール『どうも|斯《か》うもない、|吾々《われわれ》の|規定《きてい》|通《どほ》り|実行《じつかう》すれば|可《い》いぢやないか』
オークス『それは|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|頂《いただ》きたう|厶《ござ》います』
アール『ナニ、グヅグヅしてゐると|発覚《はつかく》する|虞《おそれ》がある、|此奴等《こいつら》|三人《さんにん》をやつつけて|了《しま》へ』
と|言《い》ふより|早《はや》く|一同《いちどう》の|兄弟《きやうだい》に|目配《めくば》せした。|一同《いちどう》は|猪突槍《ゐつきやり》を|持《も》つて、|物《もの》をも|言《い》はず|三人《さんにん》に|突《つ》いてかかる。オークス、ダイヤの|両人《りやうにん》は|双方《さうはう》の|中《なか》に|割《わ》つて|入《い》り、
『|兄《にい》さま|待《ま》つて|下《くだ》さい……お|兄《にい》さま|暫《しばら》く』
と|両人《りやうにん》が|制止《せいし》するを|聞《き》かばこそ、|四人《よにん》の|兄《あに》は、
『エエ|邪魔《じやま》ひろぐと|其《その》|方《はう》も|犠牲《ぎせい》にするぞ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、バラバラと|三人《さんにん》を|囲《かこ》んだ。|三人《さんにん》は|大木《たいぼく》の|幹《みき》を|楯《たて》に|取《と》り、|天津祝詞《あまつのりと》を|一生懸命《いつしやうけんめい》に|奏上《そうじやう》するや、|猛《たけ》り|狂《くる》うた|四人《よにん》は|身体《しんたい》|痺《しび》れ、|其《その》|場《ば》にドツト|尻餅《しりもち》を|搗《つ》いた。そして|首《くび》|計《ばか》り|振《ふ》つてゐる。
アール『|其《その》|方《はう》は|吾々《われわれ》|六人《ろくにん》を|刹帝利《せつていり》の|迎《むか》へと|佯《いつは》り、|甘《うま》く|城内《じやうない》につれ|帰《かへ》り、|生命《せいめい》を|奪《うば》はむとの|企《たく》みであらう。|左様《さやう》な|事《こと》を|真《ま》に|受《う》けて、うまうまと|計略《けいりやく》に|乗《の》る|様《やう》な|吾々《われわれ》でない。サ|早《はや》く|帰《かへ》つたがよからう』
と|手足《てあし》も|動《うご》かぬくせに|流石《さすが》は|刹帝利《せつていり》の|胤《たね》|丈《だけ》あつて、|気丈夫《きぢやうぶ》なものである。|松彦《まつひこ》は、|千言万語《せんげんまんご》を|費《つひや》して、|刹帝利《せつていり》の|真心《まごころ》や|或《あるひ》はホーフス(|宮中《きうちう》)の|様子《やうす》を|細々《こまごま》と|述《の》べ|立《た》てた。|四人《よにん》は|漸《やうや》くにしてヤツと|安心《あんしん》した。
アール『それに|間違《まちがひ》なくば、|吾々《われわれ》|兄妹《きやうだい》は|茲《ここ》でラートを|開《ひら》き、|其《その》|結果《けつくわ》|御返事《ごへんじ》を|致《いた》しませう。|少時《しばら》く|御猶予《ごいうよ》を|願《ねが》ふ』
|松彦《まつひこ》『ヤ、|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|可成《なるべく》|早《はや》くラートをお|開《ひら》きの|上《うへ》、|吾々《われわれ》と|一緒《いつしよ》にホーフスへ|御帰《おかへ》り|下《くだ》さいませ』
アール『|然《しか》らば|暫《しばら》くここを|遠《とほ》ざかつて|貰《もら》ひたい、|決《けつ》して|逃《に》げも|隠《かく》れも|致《いた》しませぬ』
|松彦《まつひこ》は『|宜《よろ》しい』と|四五十間《しごじつけん》|許《ばか》り|傍《かたはら》の|山腹《さんぷく》に|退《しりぞ》き、|六人《ろくにん》の|様子《やうす》を|監視《かんし》してゐた。|六人《ろくにん》は|声《こゑ》を|秘《ひそ》めて、|相談会《さうだんくわい》を|開《ひら》いた。
アール『オイ、|弟《おとうと》、お|前達《まへたち》はどう|思《おも》ふか。あの|三人《さんにん》は|父《ちち》の|家来《けらい》だと|云《い》つたが、どうも|体《からだ》の|様子《やうす》を|考《かんが》へてみると、モンク(|修道師《しうだうし》)の|様《やう》だ。あんな|事《こと》を|云《い》つて、|父《ちち》の|命《めい》を|受《う》け|吾々《われわれ》の|兄妹《きやうだい》の|此処《ここ》にゐる|事《こと》を|恐《おそ》れて、|甘《うま》くゴマかし、|連《つ》れ|帰《かへ》り、|牢獄《らうごく》へブチ|込《こ》む|考《かんが》へではあるまいか、ここは|余程《よほど》|考《かんが》へねばなるまいぞ』
イース『あれは|決《けつ》してモンクではありますまい。|父《ちち》の|命《いのち》を|受《う》けてやつて|来《き》たグレナジアーでせう。さうでなければ、|吾々《われわれ》|猪武者《いのししむしや》が|六人《ろくにん》|居《ゐ》る|所《ところ》へ、|只《ただ》の|三人《さんにん》|位《ぐらゐ》で|来《こ》られるものぢやありませぬワ』
オークス『|兄上様《あにうへさま》のお|考《かんが》へも|一応《いちおう》|尤《もつと》も|乍《なが》ら、|私《わたし》が|夜前《やぜん》|夢《ゆめ》を|見《み》ましたのには、|或《ある》|尊《たふと》い|神様《かみさま》のプロパガンデストが|三人《さんにん》|吾々《われわれ》をホーフスへ|迎《むか》へ|帰《かへ》り、|大切《たいせつ》にしてくれる|事《こと》をみましたが、|夢《ゆめ》の|事《こと》だから|当《あて》にならないと|思《おも》うて、|実《じつ》の|所《ところ》はお|話《はなし》もせずに|居《を》つたのです。そした|所《ところ》が|夢《ゆめ》にみたと|同様《どうやう》のモンクがやつて|来《き》ました。キツと|間違《まちが》ひありますまい。そんな|事《こと》|仰有《おつしや》らずに|三人《さんにん》に|従《したが》つて|帰《かへ》らうぢやありませぬか、|父《ちち》も|老年《らうねん》に|及《およ》び、|余程《よほど》|気《き》も|弱《よわ》つて|居《を》りませうから、|滅多《めつた》な|事《こと》は|厶《ござ》いますまい』
アース『あれ|丈《だけ》|頑固《ぐわんこ》な|迷信《めいしん》|深《ふか》い|父上《ちちうへ》だから、|何《なん》とも|安心《あんしん》する|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい。のうウエルス、お|前《まへ》は|何《ど》う|思《おも》ふか』
ウエルス『ハイ、|私《わたし》の|考《かんが》へでは、どうも|当《あた》り|前《まへ》の|人間《にんげん》とは|思《おも》ひませぬ。|又《また》|父《ちち》の|命令《めいれい》で|来《き》たのとも|考《かんが》へませぬ。|妖幻坊《えうげんばう》といふモンスターが|此《この》|辺《へん》を|徘徊《はいくわい》するといふ|事《こと》は、|昔《むかし》から|聞《き》いて|居《を》りますが、|其奴《そいつ》が|化《ば》けて|来《き》たのではありますまいか。ホーフスだと|思《おも》うて|泥田《どろた》の|中《なか》へでも|突《つ》つ|込《こ》まれるやうな|事《こと》はありますまいかな。コレヤ、うつかりして|居《を》つたら、どんな|目《め》に|会《あ》ふか|知《し》れませぬぞ』
アース『ヤ、|決《けつ》してモンスターではあるまい。|兎《と》も|角《かく》|危《あやふ》きに|近《ちか》よらずと|云《い》ふ|事《こと》があるから、ここで|能《あた》ふ|限《かぎ》りの|抵抗《ていかう》を|試《こころ》み、どうしてもゆかねば|住家《すみか》を|変《か》へるより、|仕様《しやう》がないぢやないか』
エリナン『|兄上《あにうへ》に|申上《まをしあ》げます。|私《わたし》はどう|考《かんが》へても、|彼等《かれら》|三人《さんにん》は|妖怪《えうくわい》でもなければ|悪人《あくにん》でもない、オークスの|云《い》つた|様《やう》に、|父《ちち》が|改心《かいしん》の|結果《けつくわ》|吾々《われわれ》を|迎《むか》へに|来《き》てくれた|者《もの》と|考《かんが》へます。|取越苦労《とりこしくらう》をせずに、|兎《と》も|角《かく》|跟《つ》いて|行《い》つたら|如何《どう》でせう。|怪《あや》しとみたら|又《また》|其《その》|時《とき》の|処置《しよち》を|取《と》れば|可《い》いぢやありませぬか』
ダイヤ『|五人《ごにん》の|兄《にい》さま、|私《わたし》はどうもあの|方《かた》は|本当《ほんたう》だと|思《おも》ひます。|一層《いつそう》の|事《こと》、|帰《かへ》らうぢやありませぬか』
アールは|思《おも》ひ|切《き》つて、
『エエ|怖《こは》い|所《ところ》へ|行《ゆ》かねば|熟柿《じゆくし》はくへぬと|云《い》ふ|事《こと》だ、|運《うん》を|天《てん》に|任《まか》して|帰《かへ》ることにしようかい。|併《しか》し|乍《なが》らヒルナ|姫《ひめ》とやら|云《い》ふハイエナ・イン・ベテコーツが|扣《ひか》へてゐるから、|余程《よほど》|気《き》をつけて|帰《かへ》らなくてはなるまいぞ。サア|思《おも》ひ|切《き》つて|帰《かへ》る|事《こと》にしよう』
といよいよ|評議《ひやうぎ》|一決《いつけつ》して、|三人《さんにん》を|手招《てまね》きした。|三人《さんにん》は|喜《よろこ》んで|六人《ろくにん》の|前《まへ》に|駆《か》け|来《きた》り、
|松彦《まつひこ》『いよいよ|御帰《おかへ》りと|決定《けつてい》した|様子《やうす》で|厶《ござ》います。|吾々《われわれ》も|大慶《たいけい》に|存《ぞん》じます。サ、|帰《かへ》りませう。お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|拙者《せつしや》は|三五教《あななひけう》のプロパガンデストで|厶《ござ》います。|実《じつ》の|所《ところ》はビクトリヤ|城《じやう》は|右守司《うもりのかみ》のベルツの|為《ため》に|殆《ほとん》ど|落城《らくじやう》せむとする|間際《まぎは》に、|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》|治国別《はるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》が|吾等《われら》をつれて|現《あら》はれ、お|救《すく》ひ|申《まを》し、|城内《じやうない》は|稍《やや》|小康《せうかう》を|得《え》た|所《ところ》で|厶《ござ》います。|刹帝利様《せつていりさま》も|貴方方《あなたがた》の|命《いのち》を|取《と》らむとした|事《こと》を|非常《ひじやう》に|後悔《こうくわい》して、|吐息《といき》を|洩《も》らしてお|歎《なげ》き|遊《あそ》ばしたので、|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》が、|貴方《あなた》|方《がた》がここにゐられる|事《こと》を|看破《かんぱ》し、|刹帝利様《せつていりさま》にお|話《はなし》になつて、|吾々《われわれ》を|遣《つか》はされたので|厶《ござ》います。|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばすな、サ、|帰《かへ》りませう』
|此《この》|言葉《ことば》に|六人《ろくにん》の|兄妹《きやうだい》はやつと|安心《あんしん》し、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|八男一女《はちなんいちによ》の|道連《みちづ》れは|山《やま》を|越《こ》え、|谷《たに》を|渡《わた》り、|漸《やうや》くにしてフオール・ゾンネン・アウフ・ガンダの|時刻《じこく》に|治国別《はるくにわけ》の|館《やかた》にソツと|帰《かへ》り|来《き》たりける。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第三章 |懸引《かけひき》〔一三八九〕
|暁《あかつき》の|空《そら》は|茜《あかね》さし、|百鳥《ももどり》の|声《こゑ》は|千代千代《ちよちよ》とビクの|国家《こくか》の|繁栄《はんゑい》を|祝《しゆく》し、|又《また》ビクトリヤ|王《わう》が|親子《おやこ》|対面《たいめん》の|慶事《けいじ》を|寿《ことほ》ぐ|如《ごと》く、|今朝《けさ》は|何《なん》となく|勇《いさ》ましく|鳥《とり》の|声《こゑ》さへ|聞《きこ》えて|来《く》る。
|治国別《はるくにわけ》は|神示《しんじ》に|仍《よ》つて、|今朝《こんてう》|未明《みめい》に|松彦《まつひこ》|一行《いつかう》の|帰《かへ》つて|来《く》る|事《こと》を|悟《さと》り、|門口《かどぐち》の|戸《と》を|開《あ》け|放《はな》ち、|湯《ゆ》などを|沸《わ》かし、|座蒲団《ざぶとん》を|並《なら》べて|待《ま》つてゐた。そこへ|八男一女《はちなんいちによ》はイソイソとして|帰《かへ》つて|来《き》た。|五人《ごにん》の|男兄弟《をとこきやうだい》は|熊《くま》のやうに|顔《かほ》|一面《いちめん》に|鬚《ひげ》ムシヤムシヤと|生《は》やしてゐる。|一見《いつけん》した|所《ところ》では、どうしても|人間《にんげん》らしく|見《み》えなかつた。|而《しか》して|永《なが》らく|山住居《やまずまゐ》をしてゐたので、|体中《からだぢう》|苔《こけ》が|生《は》えたと|疑《うたが》はるる|許《ばか》りに|垢《あか》がたまつてゐる。
|松彦《まつひこ》『|先生様《せんせいさま》、お|蔭《かげ》に|依《よ》りまして、|漸《やうや》く|六人《ろくにん》の|御兄妹《ごきやうだい》をお|迎《むか》へして|帰《かへ》りました』
|治国《はるくに》『ああ|三人《さんにん》|共《とも》|御苦労《ごくらう》であつた。サアサア|六人様《ろくにんさま》、こちらへお|上《あが》り|下《くだ》さい。そして|湯《ゆ》を|沸《わか》しておきましたから、お|兄《にい》さまから|順々《じゆんじゆん》に|湯浴《ゆあ》みをして|下《くだ》さい』
アール『イヤ、|何《なん》|共《とも》|御礼《おれい》の|申上《まをしあげ》やうが|厶《ござ》いませぬ。|父《ちち》が|大変《たいへん》|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かつたさうで|厶《ござ》います。|其《その》|上《うへ》|又《また》|吾々《われわれ》|兄妹《きやうだい》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さるとは、|貴方《あなた》|方《がた》は|神様《かみさま》のやうに|存《ぞん》じます』
と|荒《あら》くれ|男《をとこ》に|似《に》ず、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をハラハラと|流《なが》してゐる。
|治国《はるくに》『|御礼《おれい》を|云《い》はれては|恐《おそ》れ|入《い》ります。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|為《ため》に|御用《ごよう》をさして|頂《いただ》いたので|厶《ござ》いますから、|御心配《ごしんぱい》なく|御湯《おゆ》をお|召《め》し|下《くだ》さいませ。オイ|万公《まんこう》、|御湯場《おゆば》へ|御案内《ごあんない》を|致《いた》せ。そして|垢《あか》をおとして|上《あ》げるのだよ』
|万公《まんこう》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。サ、アールさま、|貴方《あなた》からお|入《はい》りなさい。|背中《せなか》を|流《なが》しませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|湯殿《ゆどの》へ|案内《あんない》した。|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》は|代《かは》る|代《がは》る|六人《ろくにん》の|兄妹《きやうだい》を|湯浴《ゆあ》みさせ、|親切《しんせつ》に|洗《あら》うてやり、それからスツカリと|鬚《ひげ》を|剃《そ》りおとし、ホーフスから|預《あづか》つた|六人分《ろくにんぶん》の|衣類《いるゐ》を|着替《きか》へさせた。|何《いづ》れも|斯《か》うなつてみると、|気品《きひん》の|高《たか》い|貴公子然《きこうしぜん》たる|男《をとこ》|計《ばか》りである。ダイヤ|姫《ひめ》は|女《をんな》の|事《こと》とて、|男《をとこ》が|背《せ》を|流《なが》す|訳《わけ》にもゆかず、|只《ただ》|一人《ひとり》|湯浴《ゆあみ》をなし、|念入《ねんい》りに|身体《からだ》の|垢《あか》をおとし、ラブロックを|整理《せいり》し、|美《うる》はしき|小袖《こそで》に|身《み》を|纒《まと》ひ、ニコニコし|乍《なが》ら|治国別《はるくにわけ》の|前《まへ》に|両手《りやうて》をついて、|再生《さいせい》の|恩《おん》を|感謝《かんしや》した。
|万公《まんこう》はダイヤ|姫《ひめ》の|姿《すがた》を|見《み》て、|肝《きも》を|潰《つぶ》し、
|万公《まんこう》『ヤア、これはこれはと|許《ばか》り|花《はな》の|吉野山《よしのやま》、|女《をんな》は|化物《ばけもの》だと|聞《き》いてゐたが、コラまアどうした|事《こと》だ。|小北山《こぎたやま》のお|菊《きく》から|比《くら》べてみると|雲泥《うんでい》の|相違《さうゐ》だ。|何《なん》とマア|立派《りつぱ》なシヤンだなア、エヘヘヘ』
|松彦《まつひこ》『オイ|万公《まんこう》、ヤツパリお|菊《きく》が|恋《こひ》しいか、|困《こま》つた|男《をとこ》だなア。それではモンクになつても|駄目《だめ》だぞ』
|万公《まんこう》『イヤ、もう|文句《もんく》も|何《なに》もありませぬ。|素的滅法界《すてきめつぱふかい》|惚《ほれ》ました、ああ|惚《ほれ》た|惚《ほれ》た。われ|乍《なが》らよう|惚《ほれ》たものだ』
|松彦《まつひこ》『アハハハハ、|彫刻師《てうこくし》か|井戸掘《ゐどほり》の|検査《けんさ》のやうに|言《い》つてゐやがるな。|困《こま》つた|男《をとこ》だなア。それぢや|何時《いつ》|迄《まで》も|万公《まんこう》で|行《ゆ》かねばなるまい』
|万公《まんこう》『|万公《まんこう》の|同情《どうじやう》を|寄《よ》せて、|此《この》|姫様《ひめさま》をお|迎《むか》へして|来《き》たのだから、|何《いづ》れ|此《この》……|何《なん》でせう、お|兄《にい》さまがあるのだから、|刹帝利家《せつていりけ》を|継《つ》がれる|筈《はず》はなし、どこかへ○○をなさるお|身分《みぶん》だから、ねえ|松彦《まつひこ》さま、モウお|菊《きく》は|思《おも》ひ|切《き》りますワ、エヘヘヘヘ』
|松彦《まつひこ》『アハハハハ、|身分不相応《みぶんふさうおう》と|云《い》ふ|事《こと》を|知《し》つてゐるか、|本当《ほんたう》に|困《こま》つた|奴《やつ》だなア』
|万公《まんこう》『|門閥《もんばつ》や、|財産《ざいさん》や、|地位《ちゐ》や、|名望《めいばう》や、そんな|物《もの》が|何《なん》になりますか。そんな|物《もの》を|以《もつ》て|神聖《しんせい》なる|恋愛《れんあい》を|制肘《せいちう》せられちや|堪《たま》りませぬワ、キツと|私《わたし》のものですよ。|貴方《あなた》だつて、|万公《まんこう》にやるのは|惜《を》しいでせうが、そこは|部下《ぶか》を|愛《あい》するといふ|神心《かみごころ》を|以《もつ》て、|私《わたし》に|媒介《ばいかい》して|下《くだ》さるでせうなア。|否《いな》キツと|子弟《してい》を|愛《あい》する|慈悲深《じひぶか》いお|心《こころ》から、|周旋《しうせん》をして|下《くだ》さるだらうと|固《かた》く|信《しん》じて|居《を》ります。|刹帝利様《せつていりさま》だつて、|一旦《いつたん》ない|者《もの》と|定《き》めて|厶《ござ》つたから、つまり|云《い》へば|拾《ひろ》ひ|者《もの》ですワ。さうだから、キツと|吾々《われわれ》がお|迎《むか》へにいつた|御褒美《ごほうび》として、|貴方方《あなたがた》の|周旋《しうせん》の|如何《いかん》に|仍《よ》つて、|万公《まんこう》に|与《あた》へると|仰有《おつしや》るでせう。キツと|抜目《ぬけめ》なく、|先生《せんせい》、|頼《たの》みますで……』
ダイヤ『ホホホホ、あのマア|万公《まんこう》さまとやら、|御親切《ごしんせつ》に|能《よ》う|云《い》つて|下《くだ》さいます。|併《しか》し|私《わたし》には|既《すで》に|業《すで》に|夫《をつと》が|厶《ござ》います。|年《とし》は|十一才《じふいつさい》でも|女《をんな》として|一人前《いちにんまへ》の|心得《こころえ》は|持《も》つて|居《を》りますからねえ』
|万公《まんこう》『これはしたり、|貴方《あなた》の|夫《をつと》といふのは|何方《どなた》ですか。まさか|兄妹《きやうだい》|同士《どうし》、そんな|馬鹿《ばか》な|事《こと》はなさいますまいし……』
ダイヤ『ハイ、|先生様《せんせいさま》にお|願《ねが》ひ|申《まを》し、|父《ちち》に|掛合《かけあ》つて|頂《いただ》いて、|左守司《さもりのかみ》の|息子《むすこ》ハルナさまと、|二三年《にさんねん》したら|結婚《けつこん》するやうに|願《ねが》つて|頂《いただ》きたいもので|厶《ござ》います。|私《わたし》はハルナさまが|一番《いちばん》|好《す》きなので|厶《ござ》いますからねえ』
|万公《まんこう》は|首《くび》を|頻《しき》りにふり、
|万公《まんこう》『|折角《せつかく》|乍《なが》ら、ハルナさまは|駄目《だめ》ですよ。|既《すで》に|業《すで》にカルナ|姫《ひめ》といふ|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまが|出来《でき》ました。そして|貴女《あなた》とは|年《とし》が|違《ちが》ふのですからそんな|事《こと》は|思《おも》ひ|切《き》つたが|宜《よろ》しからう』
ダイヤ『あれマア、ハルナさまとした|事《こと》が、|一年《いちねん》の|間《ま》にチヤンと|奥《おく》さまを|持《も》たれたのですか。|私《わたし》、どうしませう』
|万公《まんこう》『ハハハ、さうだから、それ|丈《だけ》|年《とし》の|違《ちが》ふ|男《をとこ》にラブしても|駄目《だめ》だと|云《い》ふのですよ』
ダイヤ『ハルナさまと|私《わたし》と|年《とし》が|違《ちが》うといつても、|僅《わづ》か|十年《じふねん》|許《ばか》りですよ。|貴方《あなた》は|三十年《さんじふねん》も|違《ちが》ふぢやありませぬか。そんな|方《かた》と|夫婦《ふうふ》になつたら、|世間《せけん》の|人《ひと》がお|半長右衛門《はんちやううゑもん》だと|云《い》つて|笑《わら》ひますがな。ホホホホ、あのマアいけ|好《す》かないお|顔《かほ》』
とプリンと|背中《せなか》を|向《む》ける。
|万公《まんこう》『ヤア|此奴《こいつ》ア|失敗《しくじ》つた。どうしたら|年《とし》が|若《わか》くなるだらうかなア。なぜ|二十年《にじふねん》も|後《あと》から|生《うま》れて|来《こ》なかつただらう』
|松彦《まつひこ》『アハハハハ』
|竜彦《たつひこ》『オイ|万公《まんこう》、|馬鹿《ばか》な|事《こと》を|云《い》はずに、|早《はや》くお|客《きやく》さまの|御飯《ごはん》の|用意《ようい》をするのだ。|貴様《きさま》は|之《これ》からボーイを|命《めい》ずる。|早《はや》く|台所《だいどころ》へ|行《い》つて|襷《たすき》がけになつて|活動《くわつどう》せぬかい』
|万公《まんこう》『ヘー、|承知《しようち》しました。|併《しか》し、これ|丈《だけ》|沢山《たくさん》のお|客《きやく》さまだから、|万公《まんこう》|一人《ひとり》では|手《て》が|廻《まは》りませぬ。|炊事《すゐじ》に|女《をんな》がなくてはなりませぬから、|一《ひと》つダイヤさまに|手伝《てつだ》つて|貰《もら》ひませうかい。それが|厭《いや》なら、|竜彦《たつひこ》さまも|水汲《みづく》みなつとして|貰《もら》ひませう』
|治国《はるくに》『イヤ、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》は|大変《たいへん》な|御用《ごよう》がある。|之《これ》から|種々《いろいろ》の|準備《じゆんび》を|整《ととの》へホーフスへ|参《まゐ》り、|刹帝利様《せつていりさま》にいろいろと|御相談《ごさうだん》に|行《ゆ》かねばならぬ。|御苦労《ごくらう》|乍《なが》ら|万公《まんこう》、お|前《まへ》|今日《けふ》|丈《だけ》|一人《ひとり》でやつてくれ。ダイヤ|様《さま》は|女《をんな》の|事《こと》でもあり、|暫《しばら》く|手伝《てつだ》つて|頂《いただ》けば|此方《こちら》も|都合《つがふ》が|好《よ》し、お|前《まへ》も|喜《よろこ》ぶだらうが、どうも|万公《まんこう》では|険難《けんのん》で、さうする|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず|困《こま》つた|者《もの》だ』
|万公《まんこう》『|先生《せんせい》、そんな|御心配《ごしんぱい》はいりませぬ、|私《わたし》も|男《をとこ》です。|滅多《めつた》に|不調法《ぶてうはふ》はしませぬから、|何卒《どうぞ》、|仮令《たとへ》|半時《はんとき》でも|一緒《いつしよ》に|仕事《しごと》をさして|下《くだ》さい。きつい|山坂《やまさか》を|荊《いばら》を|分《わ》けて|往来《わうらい》し、ヤツと|此処《ここ》|迄《まで》|帰《かへ》つたと|思《おも》へば、|三助《さんすけ》をやらされる、|又《また》|炊事《すゐじ》まで|命《めい》ぜられる……といふのだから、チツと|御推量《ごすゐりやう》|下《くだ》さつてもよささうなものですな』
ダイヤ『|妾《わたし》は|山中《さんちう》に|於《おい》て|不便《ふべん》な|生活《せいくわつ》をし|乍《なが》ら、|六人分《ろくにんぶん》の|炊事《すゐじ》をやつて|来《き》ました|経験《けいけん》が|厶《ござ》います。|妾《わたし》|一人《ひとり》が、そんなら|炊事場《すゐじば》を|預《あづか》りませう。|万公《まんこう》さまはお|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
|万公《まんこう》『|滅相《めつさう》もない、お|年《とし》のいかぬ|若《わか》い|姫様《ひめさま》に、コーカー・マスターをさせては、|男《をとこ》が|立《た》ちませぬ。|又《また》|刹帝利様《せつていりさま》に|聞《きこ》えてもすみませぬから、|夫婦《ふうふ》……オツトドツコイ|男女《だんぢよ》|共稼《ともかせぎ》で、コーカー・マスターを|勤《つと》めませう。ねえ|先生《せんせい》、それで|差支《さしつかへ》ありますまい』
|治国《はるくに》『ダイヤ|様《さま》さへ|御承知《ごしようち》なればよからう。|併《しか》しお|前《まへ》は|飯炊役《めしたきやく》、ダイヤ|様《さま》はバトラーになつて|貰《もら》はう』
|万公《まんこう》『エエ|仕方《しかた》がない。|君命《くんめい》に|従《したが》ふ|事《こと》に|致《いた》しませう』
と|万公《まんこう》はいろいろの|食料品《しよくれうひん》を|集《あつ》め、|炊事《すゐじ》に|襷《たすき》がけで|取掛《とりかか》つた。ダイヤは|火《ひ》を|焚《た》き、|茶《ちや》を|沸《わか》し、チヤンと|準備《じゆんび》が|整《ととの》うて、|膳部《ぜんぶ》を|運《はこ》び、|一々《いちいち》|毒味《どくみ》を|了《をは》り|座敷《ざしき》に|並《なら》べた。|之《これ》より|一同《いちどう》は|朝飯《あさはん》を|喫《きつ》し、ゆるゆると|山中生活《さんちうせいくわつ》の|話《はなし》や、|又《また》は|宣伝使《せんでんし》の|苦労話《くらうばなし》や、|愉快《ゆくわい》な|話《はなし》を|交換《かうくわん》し、ビクトリヤ|城内《じやうない》の|戦争談《せんそうだん》などを|始《はじ》めて、|一時《いつとき》|許《ばか》り|面白可笑《おもしろをか》しく|時《とき》をうつした。
|治国別《はるくにわけ》の|内命《ないめい》に|仍《よ》つて、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》|両人《りやうにん》は、|衣紋《えもん》を|繕《つく》ろひ、ホーフスに|参入《さんにふ》した。|内事司《ないじつかさ》のタルマンは|二人《ふたり》を|叮嚀《ていねい》に|向《むか》へ、|奥《おく》の|間《ま》に|通《とほ》し、|茶菓《さくわ》を|饗応《きやうおう》し|乍《なが》ら、|六人《ろくにん》の|子女《しぢよ》の|消息《せうそく》を|待《ま》ち|兼《かね》た|様《やう》に|尋《たづ》ね|出《だ》した。
タルマン『|大変《たいへん》にお|待《ま》ち|申《まを》して|居《を》りましたが、お|子様《こさま》の|消息《せうそく》は|如何《いかが》で|厶《ござ》いましたか』
|竜彦《たつひこ》は|早速《さつそく》|六人《ろくにん》を|無事《ぶじ》に|連《つ》れ|帰《かへ》つたと|云《い》つては、|余《あま》り|興味《きようみ》がない、ここは|一《ひと》つ|内事司《ないじつかさ》をぢらしてやらうと、|徒好《いたづらずき》の|竜彦《たつひこ》はワザと|心配相《しんぱいさう》な|顔《かほ》をして、ナフキンで|唇《くちびる》の|唾《つばき》をふき|乍《なが》ら、|咳払《せきばらひ》を|七《なな》つも|八《やつ》つもつづけ、|言《い》ひにくさうにモヂモヂして|揉手《もみで》をし|乍《なが》ら、
|竜彦《たつひこ》『エー、|折角《せつかく》、|参《まゐ》りましたが、|中々《なかなか》|以《もつ》て、|容易《ようい》の|事《こと》ではありませぬ。|夫《そ》れは|夫《そ》れは、|意外《いぐわい》にも|深山幽谷《しんざんいうこく》で|荊蕀《いばら》|茂《しげ》り、|鳥《とり》も|通《かよ》はないやうな|難所《なんしよ》で|厶《ござ》いましたよ』
タルマン『ヘー、|成程《なるほど》、|大変《たいへん》お|困《こま》りで|厶《ござ》いましただらうな。そして|御子女《ごしぢよ》は|無事《ぶじ》に|御帰《おかへ》りになりましたか』
|竜彦《たつひこ》『サ、そこが、ウン、|何《なん》です。|誠《まこと》に|早《はや》、|骨《ほね》を|折《を》りましたよ。
|月花《つきはな》の|友《とも》は|次第《しだい》に|雪《ゆき》と|消《き》え
|光明《くわうみやう》は|三日《みつか》の|月《つき》のあとへさし
|藪医者《やぶいしや》は|験《けん》より|変《へん》を|見《み》せるなり』
タルマン『エ、|何《なん》と|仰《おほ》せられます。|御子女《ごしぢよ》はゐられなかつたので|厶《ござ》いますか』
|竜彦《たつひこ》『ヘー、|居《を》られるはゐられました。それがサ、|中々《なかなか》|容易《ようい》に、ウンと|仰有《おつしや》らぬので、|猪突槍《ししつきやり》を|以《もつ》て|吾々《われわれ》|三人《さんにん》を|十重《とへ》|二十重《はたへ》に|取囲《とりかこ》み、|蟻《あり》の|這《は》ひ|出《で》る|隙間《すきま》のなき|迄《まで》に、|攻《せ》め|来《きた》る|其《その》|猛烈《まうれつ》さ。|僅《わづか》に|血路《けつろ》を|開《ひら》いて|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|帰《かへ》り|候《さふらふ》……といふやうな|為体《ていたらく》で|厶《ござ》いましたよ。あああ、|是非《ぜひ》も|厶《ござ》いませぬ』
タルマン『|向《むか》ふは|六人《ろくにん》さま、|十重《とへ》|二十重《はたへ》だとか、|蟻《あり》も|這《は》ひ|出《で》る|隙間《すきま》もない……とか、そんな|御冗談《ごじやうだん》|仰有《おつしや》らずに、|早《はや》く|吉報《きつぱう》を|御聞《おき》かし|頂《いただ》きたいもので|厶《ござ》います』
|松彦《まつひこ》はニコニコし|乍《なが》ら、|黙《だま》つて|二人《ふたり》の|問答《もんだふ》を|聞《き》いてゐる。そして|時々《ときどき》「プープー」と|噴《ふ》き|出《だ》してゐた。タルマンは|気《き》を|焦《いら》ち、|膝《ひざ》をすりよせ|乍《なが》ら、
タルマン『エ、|焦《ぢ》らさずに|早《はや》く|言《い》つて|下《くだ》さい。キツと|勝利《しようり》を|得《え》られたのでせう』
|竜彦《たつひこ》『|吾々《われわれ》|三人《さんにん》がヤツと|格闘《かくとう》の|結果《けつくわ》、|到底《たうてい》|生捕《いけどり》にして|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|首《くび》をチヨン|切《ぎ》つて、|漸《やうや》く|凱旋《がいせん》|致《いた》しました。やがて|首実検《くびじつけん》に|供《そな》へませう。|毛《け》は|熊《くま》の|如《ごと》くに|顔《かほ》|一面《いちめん》に|生《は》えて|居《を》りますから、|御見違《おみちが》ひのない|様《やう》にお|検《あらた》めを|願《ねが》ひます。|今《いま》|治国別《はるくにわけ》さまの|館《やかた》で|仮令《たとへ》|首《くび》|丈《だけ》でも|疎《おろそか》には|出来《でき》ませぬから、|輿《こし》を|作《つく》つて|舁《かつ》いで|参《まゐ》りますからよくお|検《あらた》め|下《くだ》さいませ』
タルマン『|左様《さやう》な|事《こと》を|誰《たれ》が|御願《おねがひ》|申《まを》しましたか、|以《もつ》ての|外《ほか》の|乱暴《らんばう》、|首《くび》|計《ばか》り|持《も》つて|帰《かへ》つて|何《なん》になりますか。|貴方《あなた》は|人殺《ひとごろし》の|大罪人《だいざいにん》、これから、|何程《なにほど》|神徳《しんとく》の|高《たか》きモンクだと|云《い》つても、|許《ゆる》す|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬ、|覚悟《かくご》をなされ』
と|顔色《かほいろ》を|変《か》へて|怒《おこ》り|出《だ》した。|竜彦《たつひこ》は|平然《へいぜん》として、
|竜彦《たつひこ》『アハハハ、|大《おほ》きな|体《からだ》を|引抱《ひつかか》へて|帰《かへ》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|首《くび》|丈《だけ》|持《も》つて|帰《かへ》れば|大変《たいへん》|軽便《けいべん》だと|思《おも》ひ、|刹帝利様《せつていりさま》の|意志《いし》に|従《したが》つて、ビクの|国家《こくか》を|乱《みだ》さむとする、|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|御子女《ごしぢよ》を|亡《ほろ》ぼし|帰《かへ》つたのが、|何《なに》がお|不足《ふそく》で|厶《ござ》るか。|六人《ろくにん》の|子供《こども》が|顔《かほ》さへ|見《み》せてくれさへすれやよいと|仰有《おつしや》つたでせう。|別《べつ》に|胴体《どうたい》を|見《み》せいとも、|手足《てあし》を|見《み》せいとも|仰有《おつしや》らなかつたでせう。さやうな|不足《ふそく》は、|吾々《われわれ》は|聞《き》く|耳《みみ》は|持《も》ちませぬ、アハハハハ』
タルマンは|余《あま》りの|事《こと》に|呆《あき》れ|果《は》て、|真青《まつさを》な|顔《かほ》をして|唇《くちびる》を|慄《ふる》はせ|乍《なが》ら、|恨《うら》めしげに|竜彦《たつひこ》の|顔《かほ》を|睨《にら》んでゐる。ここへ、レーブ・アン・ルームにあつて、|治国別《はるくにわけ》の|返辞《へんじ》を|待《ま》つてゐた、|左守《さもり》|右守《うもり》はどうやら|竜彦《たつひこ》の|声《こゑ》がする|様《やう》だと、ドアを|排《はい》し、|廊下《らうか》を|伝《つた》うて|此《この》|場《ば》に|現《あら》はれ、|見《み》ればタルマンは|顔色《かほいろ》|土《つち》の|如《ごと》くなつて|慄《ふる》うてゐる。|二人《ふたり》はニコニコとして|笑《わら》うてゐた。|左守《さもり》のキユービツトは|此《この》|体《てい》をみて、……ハハア、タルマンの|奴《やつ》、|予言者《よげんしや》だ、|宣伝使《せんでんし》だと|威張《ゐば》つてゐるから、|懲戒《みせしめ》の|為《ため》に|油《あぶら》を|取《と》られてゐるのだ、|此奴《こいつ》ア|面白《おもしろ》い……と|思《おも》ひ|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|前《まへ》に|現《あら》はれ|来《きた》り、
|左守《さもり》『|今《いま》|喫煙室《きつえんしつ》に|於《おい》て|様子《やうす》を|聞《き》けば、どうやら、|不成功《ふせいこう》に|終《をは》つた|様子《やうす》で|厶《ござ》いますが、イヤもう|何《なん》でも|結構《けつこう》で|厶《ござ》います。アールさまさへ|連《つ》れて|帰《かへ》つて|下《くだ》さらば、ビクの|城中《じやうちう》は|磐石《ばんじやく》の|如《ごと》くで|厶《ござ》います。ヤ、|誠《まこと》にお|骨《ほね》を|折《を》らせました、|何卒《どうぞ》|治国別《はるくにわけ》|様《さま》へ|宜《よろ》しくお|礼《れい》を|申《まを》して|下《くだ》さい』
|松彦《まつひこ》『|漸《やうや》くの|事《こと》で、いろいろと|事情《じじやう》を|申上《まをしあ》げ、お|一人《ひとり》|丈《だけ》お|連《つ》れ|申《まを》すことに|致《いた》しました。やがて|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|駕籠《かご》にお|乗《の》せ|申《まを》して|御送《おおく》りになるでせう、|何卒《どうぞ》|御受取《おうけと》り|下《くだ》さいませ』
|左守《さもり》『|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。さぞ|刹帝利様《せつていりさま》も|満足《まんぞく》|遊《あそ》ばす|事《こと》でせう。そして|其《その》お|一人《ひとり》と|申《まを》すのは|何方《どなた》で|厶《ござ》いますか』
|竜彦《たつひこ》は|松彦《まつひこ》の|返答《へんたふ》せぬ|内《うち》に、
|竜彦《たつひこ》『アイヤ、|余《あま》り|顔《かほ》|一面《いちめん》に|毛《け》が|生《は》えてゐるので、|男《をとこ》とも|女《をんな》とも|兄《あに》とも|弟《おとうと》|共《とも》|見当《けんたう》がつきませぬ。|何《なん》だか|知《し》りませぬが、エ、|一人《ひとり》|丈《だけ》やうやうと|引張《ひつぱつ》て|帰《かへ》りました。|何卒《どうぞ》、よくお|調《しら》べ|下《くだ》さいませ』
かく|話《はな》す|所《ところ》へ|駕籠《かご》に|舁《かつ》がれて|万公《まんこう》が|先《さき》に|立《た》ち、やつて|来《き》たのは|総領息子《そうりやうむすこ》のアールであつた。|松彦《まつひこ》は、
|松彦《まつひこ》『ヤ、|今《いま》お|帰《かへ》りになりました。サ、|皆《みな》さまお|迎《むか》へ|致《いた》しませう』
と|玄関口《げんくわんぐち》に|出迎《でむか》へた。|駕籠《かご》は|玄関口《げんくわんぐち》に|横《よこ》づけとなつた。|中《なか》からヌツと|現《あら》はれた、|髭《ひげ》をそりおとし、|立派《りつぱ》な|衣装《いしやう》をつけた|貴公子《きこうし》は|総領息子《そうりやうむすこ》のアールであつた。タルマン|始《はじ》め|左守《さもり》|右守《うもり》はアツと|許《ばか》りに|驚《おどろ》いて、|暫《しば》し|言葉《ことば》も|出《で》なかつた。
|治国《はるくに》『|皆《みな》さま、|此《この》|方《かた》が|御総領《ごそうりやう》のアールさまで|厶《ござ》います』
|左守《さもり》|右守《うもり》は|俄《にはか》に|嬉《うれ》し|涙《なみだ》がこみ|上《あ》げて|来《き》て、|只《ただ》|一言《ひとこと》も|発《はつ》し|得《え》ず、|左右《さいう》の|手《て》を|取《と》つて、|刹帝利《せつていり》の|居間《ゐま》へ|案内《あんない》して|行《ゆ》く。タルマンもヤツと|胸《むね》を|撫《な》でおろし、
タルマン『|竜彦《たつひこ》さま|覚《おぼ》えてゐなさい。キツと|御礼《おれい》を|申《まを》しますから……』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、アールの|後《うしろ》に|従《したが》ひ、|奥《おく》の|間《ま》に|姿《すがた》を|隠《かく》した。|治国別《はるくにわけ》は|万公《まんこう》を|伴《ともな》ひ|逸早《いちはや》く|刹帝利《せつていり》にもあはず、|吾《わが》|住家《すみか》に|残《のこ》した|五人《ごにん》が|気《き》にかかるので|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第四章 |理妻《りさい》〔一三九〇〕
|刹帝利《せつていり》ビクトリヤ|王《わう》を|始《はじ》め、アーチ・ダツチエスのヒルナ|姫《ひめ》はアールの|帰《かへ》つて|来《き》たのに|狂喜《きやうき》し、いろいろと|優《やさ》しき|言葉《ことば》をかけ、|其《その》|無事《ぶじ》を|祝《しゆく》し、|且《かつ》|刹帝利《せつていり》はアールの|手《て》を|固《かた》く|握《にぎ》り、|自分《じぶん》が|悪神《あくがみ》に|誑《たぶら》かされ、|最愛《さいあい》の|子供《こども》を|残《のこ》らず|殺害《さつがい》せむとした|事《こと》の|不明《ふめい》を|涙《なみだ》と|共《とも》に|謝《しや》した。アールは|意外《いぐわい》に|父《ちち》の|心《こころ》の|柔《やはら》ぎし|事《こと》や、|又《また》|吾《わ》れを|憎《にく》み|玉《たま》ひしは|悪神《あくがみ》の|為《ため》に|唆《そそのか》されたる|事《こと》を|悟《さと》り、|少《すこ》しも|親《おや》を|怨《うら》む|心《こころ》なく、|久《ひさ》し|振《ぶり》の|面会《めんくわい》を|喜《よろこ》び、|父《ちち》の|高恩《かうおん》を|謝《しや》し、|且《かつ》|山中生活《さんちうせいくわつ》の|苦《くる》しかつた|事《こと》や、|妹《いもうと》が|一年前《いちねんまへ》に|尋《たづ》ねて|来《き》た|事《こと》、|其《その》|外《ほか》|三人《さんにん》の|宣伝使《せんでんし》が|迎《むか》へに|来《き》てくれた|経緯《いきさつ》などを|細《こま》かに|物語《ものがた》り、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にかきくれた。|左守《さもり》|右守《うもり》を|始《はじ》め|内事司《ないじつかさ》のタルマンも|死《し》んだ|者《もの》が|帰《かへ》つて|来《き》たやうに|喜《よろこ》んで、|早速《さつそく》に|神殿《しんでん》に|拝礼《はいれい》をなし、|直会《なほらひ》の|神酒《みき》を|頂《いただ》いて|王家《わうけ》の|万歳《ばんざい》を|祈《いの》つた。それから|治国別《はるくにわけ》の|館《やかた》へ|数多《あまた》の|家来《けらい》を|遣《つか》はし、|五人《ごにん》の|兄妹《きやうだい》を|城内《じやうない》に|迎《むか》へ|取《と》り、|且《かつ》|治国別《はるくにわけ》|一同《いちどう》を|招待《せうたい》し、|祝宴《しゆくえん》を|開《ひら》き、|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》した。ヒルナ|姫《ひめ》はアールに|比《くら》ぶれば、|親《おや》と|子《こ》|程《ほど》|年《とし》が|違《ちが》うてゐた。され|共《ども》アールはヒルナ|姫《ひめ》を|真《しん》の|母《はは》の|如《ごと》くに|尊敬《そんけい》し、ヒルナ|姫《ひめ》も|亦《また》アール|兄妹《きやうだい》を|吾《わが》|子《こ》の|如《ごと》くに|労《いた》はり、|陰《かげ》になり|陽《ひなた》になり、|親切《しんせつ》を|尽《つく》した。|刹帝利《せつていり》は|年《とし》|老《お》い|余命《よめい》|幾何《いくばく》もなきを|悟《さと》り、アールをして|家《いへ》を|継《つ》がしめ、|弟妹《きやうだい》|五人《ごにん》にはビクの|国《くに》を|六《むつ》つに|分《わ》け、|各《おのおの》|其《その》|領分《りやうぶん》を|定《さだ》め、アールの|王家《わうけ》の|藩塀《はんぺい》となつて|国家《こくか》を|守《まも》らしめた。イースにはプリンスを|授《さづ》け、ウエルスにはキングスを|授《さづ》け、エリナンにはカウントを|授《さづ》け、オークスにはヴイコントを|授《さづ》け、ダイヤ|姫《ひめ》にはバアロンを|与《あた》へ、|国《くに》の|四方《しはう》に|領地《りやうち》を|分《わか》つて、|永《なが》らく|国家《こくか》を|守《まも》らしむる|事《こと》とした。
|先《ま》づ|第一《だいいち》に|兄《あに》のアールに|妃《きさき》を|迎《むか》へる|必要《ひつえう》が|迫《せま》つて|来《き》た。|左守《さもり》|右守《うもり》は|四方《しはう》に|奔走《ほんそう》して|適当《てきたう》な|配偶《はいぐう》を|求《もと》めたが、どうしてもアールの|気《き》に|入《い》る|女《をんな》がない。|幾度《いくたび》も|候補者《こうほしや》を|定《さだ》めてアールに|見《み》せたけれ|共《ども》、アールは|首《くび》を|左右《さいう》に|振《ふ》つて|之《これ》を|拒絶《きよぜつ》するのみであつた。|而《しか》して|俄《にはか》にアールは|境遇《きやうぐう》の|変化《へんくわ》と|食料《しよくれう》の|変化《へんくわ》とに|仍《よ》つて、|身体《しんたい》に|変調《へんてう》を|来《きた》し、|顕要《けんえう》な|元《もと》の|身分《みぶん》になつたものの、ヤハリ|窮屈《きうくつ》な|貴族生活《きぞくせいくわつ》が|厭《いや》になつてたまらず、こんな|事《こと》なら|帰《かへ》つて|来《く》るぢやなかつたに、|兄妹《きやうだい》|六人《ろくにん》が|睦《むつ》まじう|山住居《やまずまゐ》をして|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|猟《れふ》をして、|簡易生活《かんいせいくわつ》を|営《いとな》みたいものだ……と|煩悶《はんもん》を|続《つづ》けて|居《ゐ》た。|遂《つひ》には|精神《せいしん》に|少《すこ》し|許《ばか》り|異状《いじやう》を|来《きた》したと|見《み》えて、|隙《すき》ある|毎《ごと》に|城内《じやうない》を|脱《ぬ》け|出《い》で、|只《ただ》|一人《ひとり》|田舎《いなか》をうろつくのを|以《もつ》て|楽《たのし》みとしてゐた。|刹帝利《せつていり》や|左守《さもり》|右守《うもり》が|何程《なにほど》|諫《いさ》めてもチツとも|聞入《ききい》れなかつた。|終《つひ》には|刹帝利《せつていり》も|困《こま》り|果《は》てて|治国別《はるくにわけ》に|教《をしへ》を|請《こ》うた。|治国別《はるくにわけ》は|暫《しばら》くアールの|好《す》きな|様《やう》にさしておくがよからうといふ|意味《いみ》を|答《こた》へた。|外《ほか》ならぬ|治国別《はるくにわけ》の|言葉《ことば》であるから、|刹帝利《せつていり》|以下《いか》の|最高幹部連《さいかうかんぶれん》は、アールの|好《す》きな|儘《まま》にしておいた。アールは|立派《りつぱ》な|服《ふく》を|脱《ぬ》ぎすて、ホーレージ・キヤツプを|頭《かしら》に|戴《いただ》き、ベリースを|被《かぶ》つて、|城内《じやうない》を|脱《ぬ》け|出《だ》し、|漂然《へうぜん》としてビクトル|山《さん》の|麓《ふもと》のパイン|林《ばやし》の|木陰《こかげ》に|独《ひと》り|休《やす》んでゐる。そして|空《そら》|行《ゆ》く|雲《くも》を|眺《なが》め、ああああと|溜息《ためいき》をつき|乍《なが》ら、|兎《うさぎ》でも|通《とほ》つたら|獲《と》つてみたいものだと|考《かんが》へてゐると、そこへ|熊手《くまで》を|持《も》ち、|背《せな》に|籠《かご》を|負《お》うて|枯松葉《かれまつば》を|掻《か》きに|来《き》た、|頑丈《ぐわんぢやう》な|二十歳《はたち》|許《ばか》りの|不細工《ぶさいく》な|女《をんな》がやつて|来《き》た。|女《をんな》はハンナと|云《い》ふ|首陀《しゆだ》の|娘《むすめ》であつた。アールの|姿《すがた》を|見《み》て、|尊《たふと》き|王子《わうじ》とは|知《し》らず、|其《その》|傍《かたはら》に|籠《かご》をおき、|枯松葉《かれまつば》を|頻《しき》りに|掻《か》き|集《あつ》めて|籠《かご》に|捻《ね》ぢ|込《こ》んでゐる。アールは|側《そば》へ|寄《よ》つて、
アール『コレお|前《まへ》はどこの|女《をんな》だか|知《し》らぬが、|俺《おれ》にも|一《ひと》つ|手伝《てつだ》はしてくれないか、|其《その》|熊手《くまで》を|一《ひと》つかして|貰《もら》ひたい』
と|云《い》つた。ハンナはアールを|見《み》て、|不思議《ふしぎ》な|顔《かほ》をし|乍《なが》ら、
ハンナ『ハイ、お|貸《か》し|申《まを》さぬことはありませぬが、|一寸《ちよつと》|見《み》れば|貴方《あなた》はどこ|共《とも》なしに|威厳《ゐげん》の|備《そな》はつた|御人格《ごじんかく》、どうも|普通《ふつう》のお|方《かた》とは|思《おも》へませぬが、なぜ|斯様《かやう》の|処《ところ》にお|一人《ひとり》お|出《いで》になつて|居《を》りますか』
アール『イヤ、|俺《おれ》はそんな|尊《たふと》い|者《もの》でない。|子供《こども》の|時《とき》から|手癖《てくせ》が|悪《わる》うて、|親《おや》を|泣《な》かせ、|近所《きんじよ》に|迷惑《めいわく》をかけ、|家《いへ》を|放《ほ》り|出《だ》され、|行《ゆ》く|所《ところ》がないので、|此《この》パインの|枝《えだ》で|首《くび》でも|吊《つ》つて|死《し》なうかと|思《おも》ひ、|此処《ここ》|迄《まで》やつて|来《き》たのだ。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》が|松葉掻《まつばか》きをしてるのを|見《み》て、|羨《けなり》くてたまらず、それ|故《ゆゑ》|手伝《てつだ》はしてくれないかと|頼《たの》んだのだ』
ハンナは……|何処《どこ》ともなしに|気品《きひん》の|高《たか》い|男《をとこ》だなア……と|思《おも》ひ|乍《なが》ら、……|此《この》|人《ひと》の|言《い》ふ|事《こと》が|果《はた》して|本当《ほんたう》ならば|誠《まこと》に|気《き》の|毒《どく》なものだ、|何《なん》とかして|助《たす》けてやる|工夫《くふう》はあるまいか……と、|同情心《どうじやうしん》にくれ|乍《なが》ら、|熊手《くまで》をそこに|投《なげ》すて、アールの|側《そば》によつて、
ハンナ『モシ、どこのお|方《かた》か|知《し》りませぬが、|貴方《あなた》は|夫《そ》れ|程《ほど》までに|御決心《ごけつしん》をなさつたのならば、どうです|首吊《くびつ》りをやめて、|私《わたし》と|一緒《いつしよ》に|暮《くら》す|気《き》はありませぬか、|私《わたし》は|賤《いや》しい|首陀《しゆだ》の|娘《むすめ》で|厶《ござ》いますが、|兄《あに》が|跡《あと》をとつてをりますから、|親《おや》の|跡《あと》を|継《つ》ぐ|身《み》でもなし、|此《この》|様《やう》な|不細工《ぶさいく》な|女《をんな》でも|嫁入口《よめいりぐち》は|沢山《たくさん》に|言《い》つて|来《き》ますが、どうも|私《わたし》の|気《き》に|合《あ》はないので|皆《みんな》|断《ことわ》つて|居《を》ります』
アール『お|前《まへ》はそれ|程《ほど》|沢山《たくさん》|嫁入《よめいり》の|申込《まをしこみ》があるのに|何故《なぜ》、|俺《おれ》のやうな|極道息子《ごくだうむすこ》のすたれ|者《もの》と|夫婦《ふうふ》にならうと|云《い》ふのか、どうも|合点《がてん》のいかぬ|事《こと》を|云《い》ふぢやないか』
ハンナ『|私《わたくし》は|普通《ふつう》の|男《をとこ》は|嫌《いや》です。|極道《ごくだう》の|味《あぢ》も|知《し》らず、|世間《せけん》の|味《あぢ》も|知《し》らない|坊《ばう》ちやん|計《ばか》りでは、|到底《たうてい》|円満《ゑんまん》な|家庭《かてい》は|作《つく》れませぬ。|夫《そ》れよりも|十分《じふぶん》|落《お》ちて|命《いのち》をすてる|所《ところ》まで|決心《けつしん》した|人《ひと》なら、|世《よ》の|中《なか》の|酢《す》いも|甘《あま》いも|知《し》つてるに|違《ちが》ひありませぬ。どうです、|捨《す》てる|命《いのち》を|存《なが》らへて、|私《わたし》と|一生《いつしやう》|暮《くら》すお|考《かんが》へはありませぬか。|私《わたし》は|此《この》|通《とほ》り|体《からだ》が|丈夫《ぢやうぶ》で|厶《ござ》いますから|二人前《ふたりまへ》|働《はたら》きます。|仮令《たとへ》|貴方《あなた》が|病気《びやうき》になられても|困《こま》りませぬ。|女《をんな》の|方《はう》から|結婚《けつこん》を|申込《まをしこ》んで、はしたない|奴《やつ》とお|笑《わら》ひでせうが、|私《わたし》は|貴方《あなた》のやうなドン|底《ぞこ》へ|墜《お》ちた|方《かた》と、|夫婦《ふうふ》になりたいと、|朝夕《あさゆふ》|神《かみ》に|念《ねん》じて|居《を》りました。|相当《さうたう》に|財産《ざいさん》も|親《おや》から|分《わ》けて|貰《もら》つて|居《を》りますから、メツタに|難儀《なんぎ》はさせませぬ』
アール『|成程《なるほど》お|前《まへ》は|感心《かんしん》な|女《をんな》だ。|併《しか》し|随分《ずいぶん》|容貌《きりやう》は|悪《わる》いのう』
ハンナ『|容貌《きりやう》が|悪《わる》うてお|気《き》に|入《い》らねば|仕方《しかた》がありませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴方《あなた》もよく|考《かんが》へなさいませ』
アール『イヤ、|俺《おれ》は|容貌《きりやう》は|決《けつ》して|好《この》まない。お|前《まへ》の|様《やう》な|立派《りつぱ》な|心《こころ》を|持《も》つてる|女《をんな》が|欲《ほ》しいのだ。|俺《おれ》も|今《いま》まで|沢山《たくさん》な|美人《びじん》を|嫁《よめ》に|貰《もら》つてくれと、|実《じつ》の|所《ところ》|言《い》はれたのだが、|何《なん》だか|気《き》に|入《い》らぬので、|内《うち》に|居《を》つても|面白《おもしろ》からず、|又《また》|嫁《よめ》の|話《はなし》かと、うるさくて|堪《たま》らず、|此処迄《ここまで》やつて|来《き》たのだ。|併《しか》し、|親《おや》の|財産《ざいさん》をスツカリ|使《つか》ひ|果《はた》し、おまけに|生殖器病《せいしよくきびやう》を|煩《わづら》ひ、|体中《からだぢう》に|牡丹餅疥癬《ぼたもちひぜん》をかいて、|誰《たれ》も|彼《か》れも|俺《おれ》の|側《そば》へはよりつくものはない。それにも|関《かかは》らず|沢山《たくさん》|嫁入《よめいり》の|申込《まをしこみ》があるのだから|困《こま》つてゐるのだ。|此処《ここ》へ|来《き》て|見《み》れば、|又《また》お|前《まへ》から|結婚《けつこん》を|申込《まをしこ》まれ、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|結婚攻《けつこんぜ》めに|会《あ》うて、|此《この》|広《ひろ》い|天地《てんち》に|身《み》をおく|所《ところ》がないのだ。|何卒《どうぞ》モウ|云《い》ふてくれな。|私《わし》のやうな|者《もの》を|夫《をつと》に|持《も》つた|所《ところ》で|末《すゑ》が|遂《と》げられず、お|前《まへ》に|苦労《くらう》をかけねばならぬからなア』
ハンナ『|貴方《あなた》が|其《その》|様《やう》な|業病《がふびやう》をお|煩《わづら》ひになつてると|聞《き》けば、|猶更《なほさら》|見捨《みす》てる|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬ。|何卒《どうぞ》|私《わたし》に|世話《せわ》をさして|下《くだ》さいませ。キツと|貞節《ていせつ》に|仕《つか》へますから』
アールはハンナの|言葉《ことば》に……|何《なん》とマア|親切《しんせつ》な|心《こころ》の|美《うる》はしい|女《をんな》があるものだなア……と|首《くび》を|振《ふ》つて|感《かん》に|打《う》たれてゐた。|女《をんな》は|又《また》もや|熊手《くまで》を|手《て》にし、|枯松葉《かれまつば》を|集《あつ》めながら、
ハンナ『モシ|貴方《あなた》、どうしても|私《わたし》の|言《い》ふ|事《こと》が|聞《き》けませぬか、|私《わたし》は|貴方《あなた》の|美貌《びばう》に|恋着《れんちやく》してるのぢやありませぬ、|貴方《あなた》の|今後《こんご》のお|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じて|此《この》|通《とほ》り|熱心《ねつしん》に|申上《まをしあ》げるのですから、|何卒《どうぞ》ウンと|云《い》つて|下《くだ》さい。|貴方《あなた》が|何程《なにほど》|極道《ごくだう》でも|業病人《がふびやうにん》でも|私《わたくし》は|覚悟《かくご》の|前《まへ》です。|何《いづ》れ|貴方《あなた》を|夫《をつと》に|持《も》つと|云《い》へば、|親兄弟《おやきやうだい》や|親戚《しんせき》が|小言《こごと》を|申《まを》しませうが、それも|覚悟《かくご》の|前《まへ》です』
と|熱心《ねつしん》に|口説《くど》き|立《た》てる。アールはこれこそ|自分《じぶん》の|女房《にようばう》にすべき|者《もの》だと|心《こころ》に|決《けつ》し|乍《なが》ら、|猶《なほ》も|念《ねん》の|為《ため》に|心《こころ》を|試《ため》しみむと|忽《たちま》ち|大《おほ》きな|口《くち》をあけ、ワザと|涎《よだれ》をたらし|乍《なが》ら、「ああああああ」と|唖《おし》の|真似《まね》をし|出《だ》した。ハンナは|之《これ》を|見《み》て、|俄《にはか》に|心気《しんき》|興奮《こうふん》し、|唖《おし》になつたのかなアと、|心配《しんぱい》し|乍《なが》ら|思《おも》ふ|様《やう》……どこの|人《ひと》かは|知《し》らぬが、|本当《ほんたう》に|気《き》の|毒《どく》なお|方《かた》だ。|益々《ますます》|自分《じぶん》が|身《み》を|犠牲《ぎせい》にしてでも|此《この》|人《ひと》を|助《たす》けてやらねばなるまい……と|後《うしろ》へまはり、|背中《せなか》を|撫《な》でたり、|神《かみ》を|祈《いの》つたりして|一刻《いつこく》も|早《はや》く|病気《びやうき》|全快《ぜんくわい》せむ|事《こと》を|願《ねが》つた。アールは|其《その》|間《ま》に|帯《おび》をといて、|松《まつ》の|枝《えだ》にパツとかけた。|女《をんな》は|驚《おどろ》いて|抱《だ》きとめようとする。アールは|声《こゑ》を|限《かぎ》りに、
アール『ヤ、お|女中《ぢよちう》、|私《わし》の|体《からだ》は|疥癬《ひぜん》かきだ。お|前《まへ》に|伝染《うつ》ると|大変《たいへん》だ』
と|叫《さけ》ぶのを、ハンナは、
ハンナ『イエイエ、|何程《なにほど》|疥癬《ひぜん》が|伝染《うつ》らうが、|貴方《あなた》の|命《いのち》の|瀬戸際《せとぎは》を、どうして|見逃《みのが》す|事《こと》が|出来《でき》ませう』
と|剛力《がうりき》に|任《まか》せて、グツと|腰《こし》の|辺《あた》りを|抱《だ》きしめて|放《はな》さぬ。アールは|何程《なにほど》もがいても、|女《をんな》の|剛力《がうりき》を|如何《いかん》ともする|事《こと》が|出来《でき》なかつた。アールは|始《はじ》めて|素性《すじやう》を|明《あか》さむと|思《おも》ひ、
アール『イヤ、|実《じつ》の|所《ところ》は|拙者《せつしや》はビクトリヤ|王《わう》の|長子《ちやうし》アールと|云《い》ふ|者《もの》だ。|何卒《どうぞ》|放《はな》してくれ。お|前《まへ》の|美《うつく》しい|心《こころ》は|骨身《ほねみ》にこたへた。|実《じつ》の|所《ところ》は|疥癬《ひぜん》かきでも|瘡毒《ひえ》かきでもない』
と|事実《じじつ》を|述《の》ぶれば、ハンナは|驚《おどろ》いて、|二三間《にさんげん》|許《ばか》り|飛下《とびさが》り、|地《ち》に|頭《かしら》をすりつけ|乍《なが》ら、
ハンナ『どこ|共《とも》なしに|変《かは》つたお|方《かた》と|存《ぞん》じましたが、|左様《さやう》な|尊《たふと》いお|方《かた》とは|知《し》らず、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》|致《いた》しました。|何卒《どうぞ》|私《わたし》の|罪《つみ》|幾重《いくへ》にも|御容赦《ごようしや》を|願《ねが》ひます。|畏《おそ》れ|多《おほ》くも|女房《にようばう》としてくれなどと、|不都合《ふつがふ》な|事《こと》を|申《まを》してすみませぬ』
と|恐《おそ》る|恐《おそ》る|詫入《わびい》つた。アールは|言葉《ことば》を|改《あらた》めて、
アール『ヤ、|其方《そなた》は|首陀《しゆだ》の|娘《むすめ》とは|云《い》ひ|乍《なが》ら、|実《じつ》に|見上《みあ》げた|婦人《ふじん》だ。|何卒《どうぞ》|俺《わし》の|女房《にようばう》になつてくれまいか、お|前《まへ》とならば|喜《よろこ》んで|一生《いつしやう》を|送《おく》る|事《こと》が|出来《でき》るであらう』
|此《この》|言葉《ことば》にハンナは|身《み》を|慄《ふる》はせ|乍《なが》ら、
ハンナ『|私《わたし》|如《ごと》き|賤《いや》しき|者《もの》が、どうして|左様《さやう》な|勿体《もつたい》ない|事《こと》が|出来《でき》ませう、|何卒《どうぞ》これ|許《ばか》りは|御容赦《ごようしや》を|願《ねが》ひます』
と|頻《しき》りに|首《くび》を|振《ふ》つて|謝《あやま》り|入《い》る。アールは|千言万語《せんげんばんご》を|費《つひ》やし、|漸《やうや》くにしてハンナを|納得《なつとく》させ、|手《て》を|携《たづさ》へて、|嬉《うれ》しげにホーフスに|帰《かへ》つて|来《き》た。
|左守司《さもりのかみ》は|之《これ》を|見《み》て|大《おほい》に|驚《おどろ》き、|口《くち》を|尖《とが》らし|目《め》を|丸《まる》くし|乍《なが》ら、
『モシ、|貴方様《あなたさま》は|何時《いつ》も|城内《じやうない》を|勝手《かつて》に|飛出《とびだ》し|遊《あそ》ばし、|御両親様《ごりやうしんさま》は|大変《たいへん》な|御心配《ごしんぱい》をして|厶《ござ》るのに、チツともお|気《き》が|付《つ》きませぬか。それに|何《なん》で|厶《ござ》いますか、|左様《さやう》な|賤《いや》しい|女《をんな》の|手《て》を|引《ひ》いて|城内《じやうない》へお|帰《かへ》り|遊《あそ》ばすとは、お|気《き》が|違《ちが》つたのぢや|厶《ござ》いませぬか』
アール『ウン、チツとは|気《き》も|違《ちが》つてゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら、|此《この》|気違《きちが》ひは|発狂者《はつきやうしや》ではない。|俺《わし》は|今《いま》ビクトリヤ|城《じやう》の|大黒柱《だいこくばしら》を|拾《ひろ》つて|来《き》たのだ。これでなくては|此《この》|国《くに》は|治《をさ》まらない。|何《ど》うぢや|左守《さもり》、|此《この》|女《をんな》を|俺《わし》の|女房《にようばう》にする|様《やう》、|父上《ちちうへ》に|申上《まをしあ》げてくれ』
|左守《さもり》『それは|又《また》|異《い》なる|事《こと》を|承《うけたま》はります。|御粋狂《ごすいきやう》にも|程《ほど》がある。どうして|父上《ちちうへ》が|御許《おゆる》しになりませう。サ、|早《はや》くどつかへ|追出《おひだ》しなさりませ』
アール『|頑固《ぐわんこ》な|父《ちち》と|云《い》ひ、|頑固《ぐわんこ》な|左守《さもり》と|云《い》ひ、|困《こま》つた|者《もの》だなア。|貴族《きぞく》だとか|平民《へいみん》だとか|下《くだ》らぬ|形式《けいしき》に|捉《とら》はれて、|国家《こくか》の|大事《だいじ》を|思《おも》はぬお|前達《まへたち》は|実《じつ》に|不忠不義《ふちゆうふぎ》な|者《もの》だ。なぜ|俺《わし》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かないのか』
|左守《さもり》『ぢやと|申《まを》してビクトリヤ|家《け》の|名誉《めいよ》にも|関係《くわんけい》|致《いた》しますし、|又《また》|其《その》|様《さま》な|汚《きたな》い|女《をんな》を|后《きさき》になさいましては、|第一《だいいち》|貴方様《あなたさま》の|御権威《ごけんゐ》が|地《ち》に|堕《お》ち、|引《ひ》いては|役人《やくにん》|共《ども》の|侮《あなど》りを|受《う》け、どうして|国家《こくか》が|治《をさ》まりませうか、それ|計《ばか》りは|何卒《どうぞ》|御考《おかんが》へ|直《なほ》しを|願《ねが》ひたいものです。|丸《まる》きり|気違《きちが》ひの|沙汰《さた》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
アール『ウン、|俺《わし》は|気違《きちが》ひ、お|前《まへ》は|取違《とりちが》ひだ。|竹《たけ》に|鶯《うぐひす》、|梅《うめ》には|雀《すずめ》、それは|木違《きちが》ひ、|鳥違《とりちが》ひといふぢやないか、|時代《じだい》の|趨勢《すうせい》を|考《かんが》へ、|上下一致《しやうかいつち》して|天下《てんか》の|経綸《けいりん》を|行《おこな》はねばならぬ|刹帝利《せつていり》の|身《み》で|在《あ》り|乍《なが》ら、|下《くだ》らぬ|形式《けいしき》に|捉《とら》はれて、|貴族結婚《きぞくけつこん》を|唯一《ゆゐいつ》の|能事《のうじ》としてるやうな|事《こと》で、どうして|国家《こくか》が|治《をさ》まるか。チツと|考《かんが》へてみよ』
|左守《さもり》『あああ|困《こま》つた|問題《もんだい》が|突発《とつぱつ》したものだ。こんな|事《こと》を|刹帝利様《せつていりさま》に|申上《まをしあ》げようものなら|何《なん》と|云《い》つて|叱《しか》られるか|分《わか》つたものでない。|為《す》まじきものは|宮仕《みやづかへ》なりけりだ。どうしたらよからうかな』
と|双手《もろて》を|組《く》んで|両眼《りやうがん》より|涙《なみだ》を|垂《た》らしてゐる。
アール『|父上《ちちうへ》やお|前《まへ》のやうな|頑固連《ぐわんこれん》には|俺《おれ》の|精神《せいしん》は|分《わか》るものでない。|兎《と》も|角《かく》|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|裁断《さいだん》を|請《こ》う|事《こと》にしてくれ、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|言葉《ことば》なら、いかに|頑固《ぐわんこ》な|父《ちち》でも|聞《き》くであらう』
|左守《さもり》『|成程《なるほど》、|然《しか》らば|仰《おほせ》に|従《したが》ひ、|父上《ちちうへ》に|申上《まをしあ》げても、|只《ただ》|一口《ひとくち》に|突飛《つきと》ばされますから、|之《これ》より|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|館《やかた》へ|参《まゐ》つて|伺《うかが》つて|参《まゐ》りませう。そして|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|可《よ》いと|仰有《おつしや》れば、|刹帝利様《せつていりさま》に|掛合《かけあ》つて|頂《いただ》きませう。|何卒《どうぞ》それまでは|貴方《あなた》の|御居間《おゐま》にお|忍《しの》びを|願《ねが》ひます、|御両人様《ごりやうにんさま》』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|足早《あしばや》に|玄関口《げんくわんぐち》を|立出《たちい》で、|治国別《はるくにわけ》の|館《やかた》に|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く、|二人《ふたり》はアールの|居間《ゐま》に|身《み》を|隠《かく》しける。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第五章 |万違《まちがひ》〔一三九一〕
|左守《さもり》は|青《あを》い|面《かほ》をし|乍《なが》ら、|切《しき》りに|首《くび》を|傾《かたむ》け、|治国別《はるくにわけ》の|館《やかた》を|訪《おとづ》れた。|治国別《はるくにわけ》は|竜彦《たつひこ》、|松彦《まつひこ》を|伴《ともな》ひ、ビクトル|山《さん》の|神殿《しんでん》|建築《けんちく》の|模様《もやう》を|見《み》むとて、|監督《かんとく》がてら|出《で》て|行《い》つた|後《あと》である。|万公《まんこう》は|入口《いりぐち》の|間《ま》に|只《ただ》|一人《ひとり》|机《つくゑ》に|凭《もた》れて|居眠《ゐねむ》つてゐると、『|御免《ごめん》なされませ』と|入《い》つて|来《き》たのは|左守《さもり》のキユービツトであつた。|万公《まんこう》は|此《この》|声《こゑ》に|驚《おどろ》いて、
|万公《まんこう》『あ、|左守殿《さもりどの》、よくお|越《こ》し|下《くだ》さいました。|何《なん》の|御用《ごよう》で|厶《ござ》いますか、|大方《おほかた》|縁談《えんだん》でお|越《こ》しになつたのでせう、エヘヘヘヘ』
|左守《さもり》『お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|縁談《えんだん》に|付《つ》いて|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|御相談《ごさうだん》に|上《あが》りました。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|御宅《おたく》で|厶《ござ》いますか』
|万公《まんこう》『ハイ、|今《いま》|一寸《ちよつと》ビクトル|山《ざん》の|御普請《ごふしん》|監督《かんとく》がてら、お|越《こ》しになりました、やがてお|帰《かへ》りになりませうから、|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい。|併《しか》し|乍《なが》ら|御不在中《ごふざいちう》は|此《この》|万公《まんこう》が|全権《ぜんけん》を|行使《かうし》することになつて|居《を》りますから、つまり|拙者《せつしや》の|意見《いけん》は|先生《せんせい》の|意見《いけん》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいませ、|随分《ずいぶん》|青《あを》いお|顔《かほ》ですな』
|左守《さもり》『イヤもう|地異天変《ちいてんぺん》、|話《はなし》にも|杭《くひ》にもかからない|結婚沙汰《けつこんざた》が|持上《もちあが》りまして、|私《わたくし》には|判断《はんだん》がつき|兼《か》ね、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御判断《ごはんだん》を|願《ねが》はうと|思《おも》ひ、|御邪魔《おじやま》を|致《いた》しました』
|万公《まんこう》は|早《はや》くも……ダイヤ|姫《ひめ》と|自分《じぶん》は|炊事《すゐじ》や|膳部係《ぜんぶがかり》をやつた|時《とき》、チヨイチヨイ|視線《しせん》を|通《かよ》はしておいたから、|姫《ひめ》さまが|駄々《だだ》をこね|出《だ》し、|頑固《ぐわんこ》な|左守《さもり》が|其《その》|事《こと》でもて|余《あま》し、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|御相談《ごさうだん》に|来《き》よつたのだな、ヨシヨシ、|不在《ふざい》を|幸《さいは》ひ、|此《この》|際《さい》に|頑固爺《ぐわんこおやぢ》の|頭脳《づなう》を|改造《かいざう》しておかねば、|折角《せつかく》の|姫様《ひめさま》の|思召《おぼしめ》しも|画餅《ぐわへい》になつて|了《しま》ふ……と|自分《じぶん》の|事《こと》に|取《と》り、ワザとすました|顔《かほ》で、
|万公《まんこう》『|地異天変的《ちいてんぺんてき》|縁談《えんだん》とは、ソレヤ|又《また》|何《なん》で|厶《ござ》いますか、|相思《さうし》の|男女《だんぢよ》が|結婚《けつこん》をするについては、|別《べつ》に|地位《ちゐ》も|門閥《もんばつ》もヘツタクレもあつたものぢやありますまい』
|左守《さもり》『イヤ、|理窟《りくつ》を|云《い》へばさうかも|知《し》れませぬが、|何《なに》を|云《い》つても|一方《いつぱう》は|刹帝利家《せつていりけ》の|事《こと》で|厶《ござ》いますから、|余程《よほど》|考《かんが》へなくてはなりますまい。|未《ま》だ|王様《わうさま》にも|申上《まをしあ》げず、|先《ま》づ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|御意見《ごいけん》を|伺《うかが》つた|上《うへ》と、|忍《しの》んで|参《まゐ》りました』
|万公《まんこう》『|成程《なるほど》、|夫《そ》れは|御苦労《ごくらう》さまで|厶《ござ》います。|刹帝利家《せつていりけ》に|関《くわん》する|事《こと》とあれば、ハア、|殆《ほとん》ど|分《わか》りました。|男女《だんぢよ》の|地位《ちゐ》に|付《つ》いて|非常《ひじやう》な|懸隔《けんかく》があるから、それで|御心配《ごしんぱい》をして|厶《ござ》るのでせう。|抑《そもそ》も|恋愛《れんあい》と|云《い》ふものは|古《ふる》い|頭《あたま》の|昔人間《むかしにんげん》が|考《かんが》へた|如《ごと》き、|決《けつ》して|劣情《れつじやう》なものではありませぬよ』
|左守《さもり》『ソレヤよく|知《し》つて|居《を》りまする。|恋愛《れんあい》なくては|結婚問題《けつこんもんだい》は|持上《もちあが》らぬ|位《くらゐ》は、|左守《さもり》だつて|心得《こころえ》てゐます。|併《しか》し|乍《なが》ら|恋愛《れんあい》は|結婚《けつこん》の|要素《えうそ》だと|言《い》つても、さう|無暗《むやみ》に|地位《ちゐ》も|考《かんが》へず、|決行《けつかう》することは|出来《でき》ませぬ。|恋愛《れんあい》がなかつても|結婚《けつこん》は|立派《りつぱ》に|成立《せいりつ》するものです。|毘舎首陀《びしやしゆだ》の|身分《みぶん》なれば、|恋愛至聖論《れんあいしせいろん》を|振廻《ふりまは》しても|通《とほ》りませうが、|何《なに》を|云《い》つても|一国《いつこく》の|城主《じやうしゆ》の|体面《たいめん》に|拘《かか》はる|一大事《いちだいじ》ですから、|下々《しもじも》のやうな|平易《へいい》な|簡単《かんたん》な|訳《わけ》には|参《まゐ》りませぬからなア』
|万公《まんこう》『ソレヤ、チと、|僻論《へきろん》だありませぬか、よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|貴方《あなた》は|結婚問題《けつこんもんだい》と|恋愛問題《れんあいもんだい》と|放《はな》してゐられるやうですが、|左様《さやう》な|無理解《むりかい》な|事《こと》は、|今日《こんにち》の|教育《けういく》を|受《う》けた|人間《にんげん》には|思考《しかう》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|例《たと》へば|頭脳《づなう》はなくても|人間《にんげん》は|人間《にんげん》でせう。|頭脳《づなう》|以外《いぐわい》の|要素《えうそ》が|備《そな》はつておれば、いかにも|人間《にんげん》に|相違《さうゐ》ありますまい。|併《しか》し|乍《なが》らそれを|何《ど》うしても|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》らしい|人間《にんげん》だとは|言《い》はれますまい。それと|同様《どうやう》に|恋愛《れんあい》がなくても|法律上《はふりつじやう》の|婚姻《こんいん》は、|形式《けいしき》として|立派《りつぱ》に|成立《せいりつ》することはするでせう。|併《しか》しそれは|真《しん》に|男子《だんし》たり、|女子《ぢよし》たる|者《もの》の|人格《じんかく》と|自由《じいう》を|尊重《そんちよう》した|精神的《せいしんてき》|意義《いぎ》ある|完全《くわんぜん》な|結婚《けつこん》だとは、|吾々《われわれ》は|断《だん》じて|信《しん》ずる|事《こと》は|出来《でき》ませぬからな』
|左守《さもり》『さう|承《うけたま》はれば、さうに|違《ちが》ひありませぬが、|世《よ》の|中《なか》は|思《おも》ふ|様《やう》にいかぬもので、|理論《りろん》と|実地《じつち》とは|違《ちが》ふものですからなア』
|万公《まんこう》『|今《いま》は|旧道徳《きうだうとく》|廃《すた》れ、|新道徳《しんだうとく》|起《おこ》らずと|云《い》ふ|混沌時代《こんとんじだい》ですから、|非常《ひじやう》に|青年《せいねん》|男女《だんぢよ》が|頭《あたま》を|悩《なや》ましてをりますが、|時勢《じせい》に|目《め》の|醒《さ》めた|女《をんな》ならば、キツと|恋愛結婚《れんあいけつこん》を|以《もつ》て|最上《さいじやう》の|方法《はうはふ》とするでせう。|私《わたくし》は|現代《げんだい》の|婦人《ふじん》に|同情《どうじやう》|致《いた》します。|特《とく》にダイヤ|姫様《ひめさま》などは、|時代《じだい》に|目《め》の|醒《さ》めた|方《かた》ですよ。|私《わたし》とホン|少時《しばらく》で|厶《ござ》いましたが、|炊事場《すゐじば》の|立話《たちばなし》に、かやうな|事《こと》を|仰有《おつしや》いましたよ。……』
|左守《さもり》『エ、|姫様《ひめさま》が、どんな|事《こと》を|仰有《おつしや》いましたか、|参考《さんかう》の|為《ため》に|一《ひと》つ|聞《き》かして|貰《もら》ひたいものですなア』
|万公《まんこう》『サア、|聞《き》かして|上《あ》げない|事《こと》もありませぬが、イ……|此《この》|話《はなし》が|落着《らくちやく》する|迄《まで》|暫《しばら》く|保留《ほりう》しておきたいものです。|互《たがひ》の|迷惑《めいわく》になると|困《こま》ります』
と|早《はや》くも|左守《さもり》が|自分《じぶん》とダイヤ|姫《ひめ》の|結婚問題《けつこんもんだい》に|就《つ》いて|来《き》たものと|信《しん》じてゐる。
|左守《さもり》『どうか、|私《わたし》も|左守《さもり》として|御教育《ごけういく》|申上《まをしあ》げる|関係上《くわんけいじやう》、|一《ひと》つ|聞《き》きたいものですな。|何《なん》と|云《い》つてゐられましたか』
|万公《まんこう》『|私《わたくし》と|姫様《ひめさま》との|談話《だんわ》の|中《うち》に、かふいふお|言葉《ことば》がありました。|実《じつ》に|賢明《けんめい》なお|姫《ひめ》さまですよ。|今時《いまどき》の|婦人《ふじん》はああなくては|叶《かな》ひませぬワイ。|姫様《ひめさま》のお|言葉《ことば》に|依《よ》れば、|人間《にんげん》と|生活《せいくわつ》とを|先《ま》づ|本質的《ほんしつてき》に、|根本的《こんぽんてき》に、|第一義的《だいいちぎてき》に|考《かんが》へてみなくてはならぬ。|何等《なんら》の|偏見《へんけん》もなく、|捉《とら》はるる|所《ところ》もなしに、|人生《じんせい》の|真味《しんみ》を|正《ただ》しく|悟《さと》つてみなくてはならぬ。|互《たがひ》に|理解《りかい》なき|結婚《けつこん》といふものは|実《じつ》に|人生《じんせい》に|於《お》ける|罪悪《ざいあく》の|源泉《げんせん》となるものだ……との|結論《けつろん》で|厶《ござ》いました。|本当《ほんたう》に、|左守《さもり》さま、|姫様《ひめさま》のお|言葉《ことば》の|通《とほ》りだありませぬか、|私《わたくし》は|非常《ひじやう》に|其《その》お|説《せつ》に|共鳴《きようめい》したのですよ』
と|姫《ひめ》の|一口《ひとくち》も|云《い》はない|言葉《ことば》を|甘《うま》く、|左守《さもり》に、|聞《き》いた|様《やう》な|顔《かほ》して|話《はなし》してゐる|其《その》|狡猾《ずる》さ。|左守《さもり》は……ダイヤ|姫《ひめ》さまの|事《こと》なら、|定《さだ》めてすれつからしだから、|年《とし》はゆかいでも、|其《その》|位《くらゐ》な|事《こと》は|仰有《おつしや》るだらう……と|少《すこ》しも|疑《うたが》はず、|膝《ひざ》を|乗《の》り|出《だ》し、|首《くび》を|前《まへ》へ|突出《つきだ》して、『ハイハイ』と|熱心《ねつしん》に|聞《き》きかけた。|万公《まんこう》はここぞと|言《い》はぬ|許《ばか》りに、
|万公《まんこう》『そこでダイヤ|姫様《ひめさま》が|仰有《おつしや》るには、……|人間《にんげん》としての|婦人《ふじん》ならば、すべての|欠陥《けつかん》と|不備《ふび》とを|見《み》て、|避《さ》け|得《え》らるる|丈《だけ》の|害悪《がいあく》は|之《これ》を|排除《はいじよ》しようと|努《つと》めねばならない。|此《この》|努力《どりよく》を|惜《をし》むやうな|婦人《ふじん》は|卑怯者《ひけふもの》だ。|卑怯者《ひけふもの》でなければ|怠惰者《なまけもの》だ、|怠惰者《なまけもの》でなければ|馬鹿者《ばかもの》だ……と|云《い》つてゐられましたよ。……かふ|云《い》ふ|卑怯者《ひけふもの》や|馬鹿者《ばかもの》、|怠惰者《なまけもの》の|絶《た》えない|内《うち》は|世間《せけん》は|一歩《いつぽ》たり|共《とも》|進《すす》む|事《こと》は|出来《でき》ない、|何事《なにごと》も|改造《かいざう》されて|行《ゆ》く|時機《じき》だから、|吾々《われわれ》は|何事《なにごと》も|率先《そつせん》して|上下階級《じやうげかいきふ》の|差別《さべつ》を|撤廃《てつぱい》したい……と、|年《とし》にも|似合《にあは》ず、それはそれは|舌端《ぜつたん》|火《ひ》を|吹《ふ》いてまくしたてられましたよ。|私《わたくし》も|其《その》お|説《せつ》と|弁舌《べんぜつ》にスツカリ|共鳴《きようめい》|致《いた》しました、|実《じつ》に|姫様《ひめさま》のお|言葉《ことば》には|千釣《せんきん》の|重《おも》みがあるだありませぬか。|改造《かいざう》のない|所《ところ》には|向上《かうじやう》も|進歩《しんぽ》もあるものではない。そんな|事《こと》では|何時《いつ》まで|経《た》つても、|天国《てんごく》の|門戸《もんこ》はエターナルに|開《ひら》けるものだありませぬ。そして|真善美《しんぜんび》の|光明《くわうみやう》は|遂《つひ》に|地上《ちじやう》に|輝《かがや》く|事《こと》は|出来《でき》ないでせう』
|左守《さもり》『|成程《なるほど》、|一応《いちおう》|御尤《ごもつと》もですが、|貴方《あなた》は|何程《なにほど》|姫様《ひめさま》の|説《せつ》を|共鳴《きようめい》なさつたと|云《い》つても、|宗教家《しうけうか》だから、|心底《しんてい》からそんな|事《こと》に|耳《みみ》を|傾《かたむ》けらるる|方《かた》でないと、|私《わたくし》は|信《しん》じますが、どうですかな』
|万公《まんこう》『|宗教家《しうけうか》だと|云《い》つて、どうして|宇宙《うちう》の|真理《しんり》を|曲《ま》げる|事《こと》が|出来《でき》ませうか。|抑《そもそ》も|愛《あい》は|人間生活《にんげんせいくわつ》の|根本要件《こつぽんえうけん》であり、そして|一切《いつさい》|宗教《しうけう》の|源泉《げんせん》も|亦《また》|愛《あい》から|出《で》てゐるのです。さうだから|人心《じんしん》を|支配《しはい》して|正《ただ》しく|之《これ》を|導《みちび》き|得《う》る|所《ところ》のものは|勿論《もちろん》|禁慾主義《きんよくしゆぎ》のバラモン|教《けう》や、ウラナイ|教《けう》の|様《やう》なものではありませぬ。|三五教《あななひけう》は|其《その》|様《やう》な|古《ふる》い|事《こと》は|云《い》ひませぬぞ。|三五教《あななひけう》は|自己否定的《じこひていてき》な|古《ふる》い|道徳《だうとく》でもなく|形式《けいしき》でもなく、|本当《ほんたう》に|時代《じだい》に|適応《てきおう》した|明《あきら》かな|教《をしへ》で|厶《ござ》います。|人間《にんげん》らしき|欲求《よくきう》を|否定《ひてい》し|去《さ》る|事《こと》に|仍《よ》つて、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》|楽園《らくゑん》を|建設《けんせつ》し|得《う》るとは、どうしても|考《かんが》へる|事《こと》は|出来《でき》ませぬからな。|寧《むし》ろ|人間《にんげん》の|欲求《よくきう》を|肯定《こうてい》し|強調《きやうてう》して、|而《しか》もそれが|又《また》|同時《どうじ》に|自己否定《じこひてい》、|自己犠牲《じこぎせい》の|精神《せいしん》と|全然《ぜんぜん》|合一《がふいつ》して、|吾《われ》と|非我《ひが》との|間《あひだ》に|不調和《ふてうわ》なきものであらしめねばならぬものだと|思《おも》ひます。かくの|如《ごと》き|心境《しんきやう》はどうしても|之《これ》を|愛《あい》の|世界《せかい》に|見出《みいだ》すより|外《ほか》ないだありませぬか、|愛《あい》には|上下《じやうげ》の|隔《へだ》てもなければ、|階級《かいきふ》だの、|形式《けいしき》だの、|財産《ざいさん》だの、|法律《はふりつ》などの|仮定的《かていてき》なものの|容喙《ようかい》を|許《ゆる》さない|神聖不可犯《しんせいふかはん》なものですからな。|貴方《あなた》は、|私《わたくし》と|姫様《ひめさま》との|恋愛観《れんあいくわん》を、|要《えう》するに|先生《せんせい》に|願《ねが》つて、|不調《ふてう》ならしめむとする|御考《おかんが》へでせう。|何程《なにほど》|本人《ほんにん》|以外《いぐわい》の|者《もの》が|垣《かき》をしたつて、|堰《せ》けば|溢《あふ》るる|堰《せき》の|水《みづ》、どつかへ|破裂《はれつ》|致《いた》しますから、そこはよく|御考《おかんが》へなさるが|宜《よろ》しいでせう』
|左守《さもり》『アハハハハ、イヤ、それや|話《はなし》が|違《ちが》ひますよ。ダイヤ|姫様《ひめさま》と|貴方《あなた》の|事《こと》に|就《つ》いては、まだ|一回《いつくわい》も|話頭《わとう》に|上《のぼ》つた|事《こと》はありませぬ。|随分《ずいぶん》|貴方《あなた》も|自惚心《うぬぼれごころ》がお|強《つよ》いお|方《かた》ですな、アハハハハ』
|万公《まんこう》は|拍子《ひやうし》の|抜《ぬ》けたやうな|顔《かほ》をして|頭《あたま》を|掻《か》き、
|万公《まんこう》『ヘーン、そんな|筈《はず》はないのだがなア。あれ|程《ほど》|固《かた》う|約束《やくそく》をしておいたのだもの、ハハア|大方《おほかた》|恥《はづか》しいので|隠《かく》してゐらつしやるのだな。|治国別《はるくにわけ》さまにラブしたやうな|顔《かほ》をして、お|前《まへ》さまに|談判《だんぱん》に|来《き》さしたのかな、|治国別《はるくにわけ》さまは|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまがありますよ、|松彦《まつひこ》だつて|其《その》|通《とほ》り、|竜彦《たつひこ》だつてどつかにありませう、さうすれば|拙者《せつしや》にきまつて|居《を》りませうがな』
|左守《さもり》『アハハハハ、ヤアもう|万公《まんこう》さまの|自惚《うぬぼれ》には|感心《かんしん》|致《いた》しました。それ|丈《だけ》の|馬力《ばりき》がなくては|到底《たうてい》|宣伝使《せんでんし》に|伴《つ》いて|歩《ある》く|訳《わけ》には|行《ゆ》きますまい。|問題《もんだい》がスツカリ|間違《まちが》つてるのですからな』
|万公《まんこう》『|問題《もんだい》が|間違《まちが》うと|云《い》つても、ここへお|出《い》でになつた|以上《いじやう》は|吾々《われわれ》|四人《よにん》の|中《うち》でせう。あの|荊《いばら》だらけの|山阪《やまさか》を|越《こ》えて、|六人《ろくにん》の|御兄妹《ごきやうだい》をお|伴《つ》れ|申《まを》して|帰《かへ》つたのだから、|人情《にんじやう》の|上《うへ》から|云《い》つても、メツタに|外《そと》へ|嫁入《よめいり》をなさる|筈《はず》がありますまい』
|左守《さもり》『とても|見当《けんたう》が|取《と》れませぬから、|先《ま》づ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|御帰《おかへ》りまで、ここで|一服《いつぷく》さして|貰《もら》ひませう。お|茶《ちや》を|一《ひと》つ|頂戴《ちやうだい》|致《いた》したいものですな』
|万公《まんこう》『|常《つね》なればお|茶《ちや》を|差上《さしあ》げますが、|結構《けつこう》な|縁談《えんだん》に|茶々《ちやちや》が|入《い》つては|約《つま》りませぬから、|今日《こんにち》は|白湯《さゆ》でこらへて|貰《もら》ひませう、|折角《せつかく》の|良縁《りやうえん》が【フイ】になつては、|互《たがひ》の|不利益《ふりえき》ですからなア』
|左守《さもり》『ヤア、どうも|恐《おそ》れ|入《い》りました。|何《なん》でも|結構《けつこう》で|厶《ござ》います』
|万公《まんこう》は|白湯《さゆ》を|汲《く》んで|手《て》を|震《ふる》はせ|乍《なが》ら、|左守《さもり》の|前《まへ》に|恭《うやうや》しくつき|出《だ》した。
|左守《さもり》『ヤ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います、えらうお|手《て》が|震《ふる》うてるぢやありませぬか』
|万公《まんこう》『イヤもう|震《ふる》うといふ|訳《わけ》ではありませぬが、ダイヤ|姫様《ひめさま》が|私《わたし》の|手《て》をグツと|握《にぎ》つて|細《ほそ》い|目《め》をし|乍《なが》ら、お|歌《うた》ひ|遊《あそ》ばした|事《こと》を|今《いま》|思《おも》ひ|出《だ》し、ハートに|波《なみ》が|打《う》つて、|少《すこ》し|許《ばか》り|全身《ぜんしん》に|動揺《どうえう》を|感《かん》じたのですよ、エヘヘヘヘ』
|左守《さもり》『あんな|若《わか》い|娘《むすめ》がどんな|歌《うた》を|歌《うた》はれました、|一寸《ちよつと》|聞《き》かして|貰《もら》ひたいものです』
|万公《まんこう》『|天機《てんき》|洩《も》らす|可《べか》らず、どこ|迄《まで》も「|之《こ》れは|万公《まんこう》さま、|内証《ないしよう》だよ」と|仰有《おつしや》つた|言葉《ことば》を|無《む》にする|訳《わけ》には|行《ゆ》きませぬから、|発表《はつぺう》するのは|先《ま》づやめておきませう。|併《しか》し|姫様《ひめさま》と|私《わたし》との|間柄《あひだがら》を|汲《く》み|取《と》つて|下《くだ》さるならば、|申上《まをしあ》げない|事《こと》もありませぬ』
|左守《さもり》『お|歌《うた》の|様子《やうす》に|仍《よ》つては、|左守《さもり》にも|考《かんが》へがありますから、|兎《と》も|角《かく》|聞《き》かして|貰《もら》ひたいものです』
|万公《まんこう》『エー、キツと|笑《わら》ひませぬか、……|否《いな》|立腹《りつぷく》しちやなりませぬよ。|何《なん》と|云《い》つても|情《じやう》のこもつた|歌《うた》ですからな。|貴方《あなた》のやうなお|年《とし》よりにはチツと|解《かい》しにくいかも|知《し》れませぬが、|此《この》|万公《まんこう》の|鋭敏《えいびん》な|頭脳《づなう》には|電気《でんき》に|打《う》たれやうに|感《かん》じましたよ。マア|沢山《たくさん》の|歌《うた》の|中《なか》で|一二《いちに》を|申《まを》しますれば、ザツと|左《さ》の|通《とほ》りです』
とダイヤ|姫《ひめ》が|歌《うた》つた|事《こと》もない|歌《うた》を|急造《きふざう》して|歌《うた》ひ|始《はじ》めた。
|万公《まんこう》『|恋着《れんちやく》の|南風《なんぷう》に
いとかむばしき|帆《ほ》を|上《あ》げて
|漂渺《へうべう》たる|大海原《おほうなばら》を
|遠《とほ》く|遠《とほ》く
|恋《こひ》しき|君《きみ》を|乗《の》せ|行《ゆ》く
ヘヘヘヘヘ
|果《は》てしも|知《し》らぬ|恋《こひ》の|海《うみ》
|愛《あい》の|船路《ふなぢ》のいや|永《なが》く
いと|遠《とほ》く
うら|紫《むらさき》の
|潮《うしほ》の|歌《うた》のゆらぎにとけてゆく
|恋《こひ》に|縺《もつ》れし|吾《わが》|思《おも》ひ
|花《はな》|爛漫《らんまん》と|咲匂《さきにほ》ふ
|恋《こひ》の|泉《いづみ》のそのほとり
うつす|姿《すがた》は|万公《まんこう》さま
|花《はな》を|争《あらそ》ふダイヤ|姫《ひめ》
|晴《は》れて|添《そ》ふ|日《ひ》を|松《まつ》の|下《した》。
ヘヘヘヘヘ、てな|事《こと》を|仰有《おつしや》りましたよ。どうです、これでも|両人《りやうにん》の|心《こころ》が|汲取《くみと》られませぬかな』
|左守《さもり》『ハハハハハ、|大分《だいぶ》に|陽気《やうき》がポカポカするので|春情《しゆんじやう》があふれて|来《き》たとみえますな……ヘン|馬鹿《ばか》にして|下《くだ》さるな。|黙《だま》つて|聞《き》いてをれば、ようマア、モンクの|身《み》として|左様《さやう》なウソが|言《い》はれますな、|姫様《ひめさま》に|何《なに》もかも|聞《き》いてありますよ。|姫様《ひめさま》の|夫《をつと》に|持《も》ちたいと|仰有《おつしや》るのは|竜彦《たつひこ》さまです。|併《しか》しこれも|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|先日《せんじつ》お|尋《たづ》ねした|所《ところ》が、お|許《ゆる》しにならなかつたので、これは|駄目《だめ》でした。お|前《まへ》さまはてんで|問題《もんだい》になつて|居《を》りませぬがな。|性慾《せいよく》を|抑制《よくせい》する|為《ため》に|臭《しう》【ボツ】でもお|呑《の》みになつたらどうですか、それで|足《た》らねばルタ・グレベオレンスク|草《さう》か、|但《ただし》は|芥子《からし》か|唐辛《たうがらし》をおあがりなさい。|春駒《はるこま》があばれ|出《だ》しては、|治国別《はるくにわけ》さまも|大変《たいへん》|御迷惑《ごめいわく》だらうから、それが|厭《いや》なら、|淡泊《たんぱく》な|食物《しよくもつ》か、|多量《たりやう》なアルコールでも|飲《の》めばキツと|抑制《よくせい》|出来《でき》ますよ。アハハハハ』
|万公《まんこう》はクワツと|怒《いか》り、
|万公《まんこう》『コレヤ|爺《おやぢ》、|何程《なにほど》|左守《さもり》だとて|偉相《えらさう》に|言《い》ふな、ドタマの|古《ふる》い|男《をとこ》だなア、お|前達《まへたち》が|今日《こんにち》|斯《か》うして|安全《あんぜん》に|暮《くら》してるのは、|皆《みな》|俺《おれ》の|先生《せんせい》のお|蔭《かげ》だぞ。|先生《せんせい》の|御恩《ごおん》を|覚《おぼ》えてるのなら、なぜ|最愛《さいあい》の|弟子《でし》を|嘲弄《てうろう》するのだ。|男《をとこ》の|鼻《はな》を|折《を》らうと|致《いた》しても、いつかな いつかな|折《を》られるやうな|万公《まんこう》ぢやないぞ』
|左守《さもり》『イヤ|実《じつ》に|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申《まを》しました。|何分《なにぶん》|老耄《おいぼ》れて|居《を》りますので、お|気《き》に|障《さわ》ることが|厶《ござ》いませうなれど、|何卒《どうぞ》|御許《おゆる》し|下《くだ》さいませ』
|左守《さもり》『お|前達《まへたち》の|様《やう》な|老耄《おいぼれ》は|恋愛《れんあい》や|情慾《じやうよく》の|如何《いか》なるものかと|云《い》ふ|事《こと》は|分《わか》るまい。それだからそんな|残酷《ざんこく》な|無味乾燥的《むみかんさうてき》な|挨拶《あいさつ》をするのだ。チとお|前《まへ》も|性慾《せいよく》を|増進《ぞうしん》させて、|恋愛《れんあい》の|真味《しんみ》を|味《あぢ》はひなさい。|玉葱《たまねぎ》に|薤《にら》、|牛蒡《ごぼう》に|人参《にんじん》、オランダ|三《みつ》つ|葉《ば》に|魚肉《ぎよにく》、|牡蠣《かき》に|牛肉《ぎうにく》、アヒルの|焼肉《やきにく》を|精《せい》だして|食《く》つて|御覧《ごらん》、そすれば|青春《せいしゆん》の|血《ち》に|燃《も》ゆる|青年《せいねん》|男女《だんぢよ》の|心裡状態《しんりじやうたい》もチト|分《わか》るだらう。それ|丈《だけ》|食《く》つても|効能《かうのう》がなければ、カンタリヂンを|呑《の》むかストリキニーネか、|或《あるひ》はセンソ、ヨヒンビン、|或《あるひ》は|臭化金《しうくわきん》か|鉛製《えんせい》の|白粉《おしろい》の|匂《にほ》ひを|嗅《か》ぐとキツと|性慾《せいよく》が|増進《ぞうしん》して|来《く》る。そして|少量《せうりやう》のアルコールを|興奮剤《こうふんざい》として|呑《の》むのだ』
としつぺ|返《かへ》しに|性慾増進剤《せいよくぞうしんざい》を|並《なら》べ|立《た》て、|揶揄《からか》つてみた。
|左守《さもり》『ハハハハハそれではチツと|鉛製《えんせい》の|白粉《おしろい》の|臭《にほひ》でもかいで|若《わか》やがうかなア』
と|話《はなし》してゐる|所《ところ》へ|治国別《はるくにわけ》は|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》を|伴《ともな》い、|門口《かどぐち》から|突然《とつぜん》|這入《はい》つて|来《き》た。
|治国《はるくに》『ヤア、|左守殿《さもりどの》、よく|来《き》て|下《くだ》さいました。|不在《ふざい》でさぞ|不都合《ふつがふ》で|厶《ござ》いましたらう』
|左守《さもり》『イエイエ|決《けつ》して|決《けつ》して、エライ|御厄介《ごやくかい》に|預《あづ》かつて|居《を》ります』
|治国《はるくに》『どうも|万公《まんこう》が|失礼《しつれい》な|事《こと》を|申上《まをしあ》げましてすみませぬ。|此《この》|男《をとこ》は|一寸《ちよつと》|発情期《はつじやうき》に|向《むか》つて|居《を》りますから、あの|通《とほ》り|目《め》が|血走《ちばし》つて|居《を》ります。どうかお|気《き》にさへられないやうに|願《ねが》ひます。アハハハハ』
|万公《まんこう》『|先生《せんせい》、|御帰《おかへ》りイ、|大変《たいへん》お|早《はや》う|厶《ござ》いましたな』
|治国《はるくに》『ウン、せうもないことを|言《い》つてはなりませぬぞ』
|万公《まんこう》『|妾《せふ》もない|所《どころ》か、|至《いた》つて|微妻《びさい》に|渡《わた》り|婦人論《ふじんろん》を|妾妻《せふさい》にまくし|立《た》てて|居《を》つた|所《ところ》です。|此《この》|爺《ぢい》さまは|丸《まる》で|枯木寒巌的《こぼくかんがんてき》の|方《かた》ですから、どうしても|若《わか》い|者《もの》とはバツが|合《あ》ひませぬ』
|竜彦《たつひこ》『ハハハハ|万公《まんこう》、|又《また》|自惚《うぬぼれ》をしよつたな、いいかげんに|夢《ゆめ》をさまさぬか』
|万公《まんこう》『ヘン、|自分《じぶん》のラブを|先生《せんせい》に|茶々《ちやちや》|入《い》れられただないか、チヤンとそんなこた、|此《この》|万公《まんこう》がダイヤ|姫《ひめ》さまから|聞《き》いてるのだ。ヘン、|済《す》みませぬな』
|竜彦《たつひこ》『ハハハハ、サ、|松彦《まつひこ》さま、ここは|万公《まんこう》に|任《まか》しておいて、|左守《さもり》の|司《かみ》の|御接待《ごせつたい》に|奥《おく》へ|参《まゐ》りませう』
|松彦《まつひこ》は『ハイ』と|答《こた》へて|治国別《はるくにわけ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第六章 |執念《しふねん》〔一三九二〕
|左守《さもり》は|治国別《はるくにわけ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み、|襖《ふすま》を|密閉《みつぺい》して、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》と|共《とも》にアールの|結婚問題《けつこんもんだい》につき、|声《こゑ》を|潜《ひそ》めて|意見《いけん》を|聞《き》かむと、|有《あ》りし|顛末《てんまつ》を|物語《ものがた》つた。
|左守《さもり》『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|誠《まこと》に|心配《しんぱい》が|出来《でき》ました。|何《なに》を|云《い》つても|一方《いつぱう》は|刹帝利《せつていり》の|家《いへ》、|一方《いつぱう》は|素性《すじやう》の|低《ひく》い|首陀《しゆだ》で|厶《ござ》いますから、|何《ど》うしても|之《これ》は|体面上《たいめんじやう》|成立《せいりつ》させる|事《こと》は|出来《でき》なからうと|存《ぞん》じますが、|如何《いかが》で|厶《ござ》いませうかな』
|治国《はるくに》『|成程《なるほど》、それはお|困《こま》りでせう、|何《なん》とか|考《かんが》へねばなりますまい。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|恋愛関係《れんあいくわんけい》|計《ばか》りは、|到底《たうてい》|如何《いか》なる|権威《けんゐ》を|以《もつ》てしても|制止《せいし》することは|出来《でき》ますまい。|凡《すべ》て|愛《あい》なるものは|自己《じこ》を|放棄《はうき》することに|依《よ》つて、|却《かへつ》て|自己《じこ》を|主張《しゆちやう》してゐるものですから、|愛《あい》の|終局《しうきよく》に|達《たつ》した|時《とき》は、|自己《じこ》の|地位《ちゐ》や|財産《ざいさん》などを|構《かま》ふものではない、|実《じつ》に|猛烈《まうれつ》なものですからな。|其《その》|恋愛《れんあい》が|益々《ますます》|嵩《かう》じて|強烈《きやうれつ》の|極度《きよくど》に|達《たつ》する|時《とき》は、|自己《じこ》の|生命《せいめい》も|惜《をし》まずに|喜《よろこ》んで|投出《なげだ》すに|至《いた》るものですから、|此《この》|問題《もんだい》については|何程《なにほど》|宣伝使《せんでんし》だとて|力《ちから》は|及《およ》びますまい。|国家《こくか》を|愛《あい》するが|為《ため》に、|主君《しゆくん》を|愛《あい》するが|為《ため》に、|又《また》は|金銭《きんせん》を|愛《あい》するが|為《ため》に、|全《まつた》く|他《た》を|顧《かへり》みずして|生命《せいめい》を|投《な》げ|出《だ》す|者《もの》があるのは、|世間《せけん》に|珍《めづ》らしくない|例《れい》で|厶《ござ》います。|殊《こと》に|燃《も》ゆるが|如《ごと》き|宗教《しうけう》|信念《しんねん》の|為《ため》に、|神《かみ》の|愛《あい》の|祭壇《さいだん》に|生命《せいめい》を|捧《ささ》げて|悔《く》いざる|殉教者《じゆんけうしや》の|如《ごと》きも、|殆《ほとん》ど|恋愛《れんあい》と|同《おな》じやうなものです。|此《この》|強烈《きやうれつ》なる|恋愛《れんあい》を|目《もく》して|狭隘《けふあい》なる|自己的《じこてき》|行為《かうゐ》だとのみ|非難《ひなん》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|愛《あい》の|度《ど》の|強烈《きやうれつ》なるに|比《くら》べて|益々《ますます》|集中的《しふちうてき》となることを|免《まぬ》がれませぬ。|従《したが》つて|恋愛《れんあい》に|於《おい》てそれが|最《もつと》も|狭隘《けふあい》らしく|見《み》えるのは、たまたま|恋愛《れんあい》が|他《た》の|如何《いか》なる|愛《あい》よりも|強烈《きやうれつ》に|集中的《しふちうてき》でもあり、|熾熱《しねつ》の|最高度《さいかうど》に|達《たつ》するものを|証《しよう》して|居《を》りまする。|此《この》|両人《りやうにん》の|恋《こひ》は|殉教者《じゆんけうしや》が|教《をしへ》に|殉《じゆん》じて|悔《く》いざると|同様《どうやう》の|心境《しんきやう》に|立《た》つてゐるのですから、|可《な》る|成《べ》く|穏《おだや》かに|治《をさ》めなさつたが|得策《とくさく》だと|考《かんが》へます』
|万公《まんこう》は|襖《ふすま》の|外《そと》から、|様子《やうす》|如何《いか》にと|耳《みみ》を|傾《かたむ》けて|立聞《たちぎき》をしてゐたが、|治国別《はるくにわけ》の|答弁《たふべん》を|聞《き》いて、……|何《なん》ともなしに|芳《かん》ばしい|言葉《ことば》だ。そしてハツキリ|分《わか》らぬけれど、|体面《たいめん》だとか|首陀《しゆだ》だとか|言《い》ふ|言葉《ことば》が|聞《きこ》えたからは、ヤツパリ|自分《じぶん》の|事《こと》に|違《ちが》ひない。|治国別《はるくにわけ》さまも|偉《えら》いワイ、ヤツパリ|俺《おれ》の|贔屓《ひいき》をして|下《くだ》さる……と|打《う》ち|喜《よろこ》び|乍《なが》ら、|尚《なほ》も|耳《みみ》をすまして|聞《き》いてゐる。|話《はなし》はだんだん|声《こゑ》が|低《ひく》くなりつつ|進《すす》んでゐる。|万公《まんこう》は|襖《ふすま》の|外《そと》に|自分《じぶん》が|立《た》つてゐるのを、|何時《いつ》の|間《ま》にか|忘《わす》れて|了《しま》ひ、|五寸《ごすん》|許《ばか》り|襖《ふすま》をあけてヌツと|顔《かほ》を|出《だ》した。されど|四人《よにん》は|頭《あたま》を|一緒《いつしよ》に|鳩《あつ》めて、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|此《この》|問題《もんだい》に|頭《あたま》を|痛《いた》めてゐるので、|万公《まんこう》が|覗《のぞ》いてるのに|気《き》がつかなかつた。|万公《まんこう》はソツと|竜彦《たつひこ》の|後《うしろ》ににじり|寄《よ》り、|俯《うつむ》いて|作《つく》り|声《ごゑ》をし|乍《なが》ら、|女《をんな》の|優《やさ》しい|声《こゑ》で、
|万公《まんこう》『|恋愛《れんあい》の|心境《しんきやう》に|於《おい》てのみ、|人間《にんげん》は|最《もつと》も|完全《くわんぜん》なる|人《ひと》であり|得《う》るのです。それに|一生《いつしやう》の|間《あひだ》、|一度《いちど》も|恋《こひ》を|味《あぢ》はつた|事《こと》のないやうな|人間《にんげん》、|又《また》|終身《しうしん》|全《まつた》く|異性《いせい》に|接《せつ》しないやうな|人間《にんげん》には、|人《ひと》として|必《かなら》ずどこかに|大《だい》なる|欠陥《けつかん》のあるものですよ。ねえ|治国別《はるくにわけ》|様《さま》、|一切《いつさい》の|人間愛《にんげんあい》の|源泉《げんせん》が|性慾《せいよく》にあるのは、|開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|神律《しんりつ》でせう、|性慾《せいよく》がなければ|恋愛《れんあい》はありませぬ。|恋愛《れんあい》がなければ|一切《いつさい》の|愛《あい》なる|者《もの》はありませぬよ』
|治国別《はるくにわけ》|一同《いちどう》は|俄《にはか》に|妙《めう》な|声《こゑ》がして|来《き》たと、|一度《いちど》に|顔《かほ》を|上《あ》げて|見《み》れば、|竜彦《たつひこ》の|後《うしろ》に|小《ちひ》さくなつて|万公《まんこう》が|慄《ふる》うてゐる。|左守《さもり》は|早《はや》くも|自分《じぶん》の|目《め》の|前《まへ》に|万公《まんこう》の|姿《すがた》を|見《み》て、
|左守《さもり》『オツホホホホ、|万公《まんこう》さまが|秘密会議《ひみつくわいぎ》の|席上《せきじやう》へおみえになつて|居《を》ります。これ|万公《まんこう》さま|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|決《けつ》してお|前《まへ》さまのことぢやありませぬからなア』
|治国《はるくに》『オイ|万公《まんこう》さま、|何《なん》だ、|妙《めう》な|女《をんな》の|声《こゑ》を|出《だ》したぢやないか。なぜあちらに|番《ばん》をしてゐないのか』
|万公《まんこう》『ハイ、|何《なん》だか|存《ぞん》じませぬが、ダイヤ|姫《ひめ》さまが|私《わたくし》にパツとのり|憑《うつ》り、こんな|所《ところ》へ|引摺《ひきず》つて|来《き》たのです。そしてあんな|優《やさ》しい|声《こゑ》で|何《なん》だか|仰有《おつしや》いました』
|治国《はるくに》『|馬鹿《ばか》に|致《いた》すな、サ、|早《はや》く|彼方《あちら》へ|行《ゆ》け、グヅグヅしてゐると|尻尾《しつぽ》が|見《み》えるぞ』
|万公《まんこう》は|不承無承《ふしようぶしよう》に|後《あと》ふり|返《かへ》りふり|返《かへ》り|表《おもて》へ|厭《いや》|相《さう》に|出《い》でて|行《ゆ》く。
|治国《はるくに》『ハハハ、|左守《さもり》さま、|困《こま》つたものですよ。|彼奴《あいつ》は|此《この》|頃《ごろ》|春情立《にわだ》つて|居《を》りますので、|困《こま》りますよ。|併《しか》しアールさまの|結婚問題《けつこんもんだい》は|大体《だいたい》に|於《おい》て|私《わたくし》は|賛成《さんせい》|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|其処《そこ》は|刹帝利様《せつていりさま》によく|取持《とりも》つて、|此《この》|話《はなし》をつけて|上《あ》げて|下《くだ》さい』
|左守《さもり》は|案外《あんぐわい》な|治国別《はるくにわけ》の|挨拶《あいさつ》に|肝《きも》を|潰《つぶ》し|乍《なが》ら、|万一《まんいち》|刹帝利《せつていり》が|不服《ふふく》を|称《とな》へられた|時《とき》は、|治国別《はるくにわけ》さまを|頭《あたま》にふりかざし、|此《この》|縁談《えんだん》を|結《むす》ぶより|仕方《しかた》あるまいと|決心《けつしん》し|乍《なが》ら、|叮嚀《ていねい》に|礼《れい》を|述《の》べ、|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。
|後《あと》に|治国別《はるくにわけ》は|万公《まんこう》を|近《ちか》く|招《まね》き、
|治国《はるくに》『|万公《まんこう》、お|前《まへ》は|左守司《さもりのかみ》を|相手《あひて》に|大変《たいへん》|吹《ふ》いてゐたぢやないか。チツと|心得《こころえ》て|貰《もら》はぬと|俺達《おれたち》の|顔《かほ》に|係《かか》はるぢやないか』
|万公《まんこう》『ヘー、そらさうでせうが|何《なん》と|云《い》つても|一生《いつしやう》|一代《いちだい》の|私《わたくし》に|取《と》つて|大問題《だいもんだい》ですから、チツとは|火花《ひばな》も|散《ち》らしたでせう。|何《ど》うです、|都合好《つがふよ》く|話《はなし》をして|下《くだ》さいましたかな』
|治国《はるくに》『ウーン』
|竜彦《たつひこ》『オイ|万公《まんこう》、|先生《せんせい》が|千言万語《せんげんまんご》を|費《つひや》し、お|前《まへ》の|為《ため》に|非常《ひじやう》に|斡旋《あつせん》の|労《らう》をとられたが、|肝心《かんじん》の|所《ところ》へ|襖《ふすま》をあけて|飛《と》び|出《だ》し、ダイヤ|様《さま》の|声色《こわいろ》を|使《つか》つたり|致《いた》すものだから、|左守司《さもりのかみ》もたうとう|愛想《あいさう》をつかし……|見下《みさ》げ|果《は》てたる|男《をとこ》だ。|何程《なにほど》|姫様《ひめさま》がラブされても|私《わたし》の|目《め》の|黒《くろ》い|内《うち》は|此《この》|縁談《えんだん》は|結《むす》ばせない。|本当《ほんたう》に|下劣《げれつ》な|人格者《じんかくしや》だ……と|云《い》つて、|愛想《あいさう》をつかして|帰《かへ》つて|了《しま》つた。それで|虻蜂取《あぶはちと》らずになつて|了《しま》つた。|貴様《きさま》も|下劣《へた》な|事《こと》をしたものだなア』
|万公《まんこう》『ヤア、|其奴《そいつ》は|困《こま》つた。|併《しか》し|乍《なが》ら|当人《たうにん》と|当人《たうにん》との|精神《せいしん》が|結合《けつがふ》してゐるのだから、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても|大丈夫《だいぢやうぶ》だ。|竜彦《たつひこ》さま|安心《あんしん》して|下《くだ》さい、キツと、コリヤ、|早《はや》かれ|遅《おそ》かれ|成功《せいこう》しますからなア』
|竜彦《たつひこ》『お|前《まへ》、|妻君《さいくん》を|貰《もら》うてどうする|心算《つもり》だ。|先生《せんせい》は|吾々《われわれ》と、|此《この》お|宮《みや》が|落成《らくせい》と|共《とも》に、|黄金山《わうごんざん》に|向《むか》つてお|越《こ》しになるのだから、|貴様《きさま》もお|伴《とも》をせねばなるまい。あんな|子供《こども》を|女房《にようばう》だと|云《い》つて|伴《つ》れて|行《ゆ》く|事《こと》は|許《ゆる》されまい。|貴様《きさま》は|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》はやめる|心算《つもり》かなア』
|万公《まんこう》『|妻君《さいくん》を|持《も》つたが|為《ため》に、|宣伝使《せんでんし》のお|伴《とも》が|出来《でき》ぬと|云《い》う|事《こと》があるかい、よく|考《かんが》へてみよ、|先生《せんせい》だつて、|松彦《まつひこ》さまだつて|皆《みな》|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまがあるぢやないか。|俺《おれ》に|妻君《さいくん》があるからと|云《い》つてお|伴《とも》をささぬと|云《い》ふ|事《こと》があるものか、そらチト|得手勝手《えてかつて》だ。|貴様《きさま》の|悋気《りんき》で|言《い》ふのだらう』
|松彦《まつひこ》『アハハハハ、オイ|万公《まんこう》、お|門《かど》が|違《ちが》ふのだ。お|前《まへ》の|話《はなし》だない、アールさまの|結婚問題《けつこんもんだい》でお|越《こ》しになつたのだから|心配《しんぱい》するな。そして|此《この》|竜彦《たつひこ》の|云《い》ふ|事《こと》は|嘘《うそ》だよ。お|前《まへ》が|余《あま》り|逆上《のぼ》せてゐるから|揶揄《からか》はれるのだ』
|万公《まんこう》『これは|怪《け》しからぬ、|天国《てんごく》|迄《まで》|探険《たんけん》した|竜彦《たつひこ》とあるものが、|嘘《うそ》を|云《い》つてすむか。オイ|竜彦《たつひこ》、どうだ。|本音《ほんね》を|吹《ふ》け、|返答《へんたふ》|次第《しだい》に|仍《よ》つて|俺《おれ》にも|考《かんが》へがある』
|竜彦《たつひこ》『|考《かんが》へがあるとは、|何《ど》うすると|云《い》ふのだ。|俺《おれ》が|嘘《うそ》を|云《い》つたと|云《い》つて、|貴様《きさま》はせめるが、|貴様《きさま》も|随分《ずいぶん》|左守司《さもりのかみ》に|歌《うた》|迄《まで》うたつて、|上手《じやうず》に|嘘《うそ》を|並《なら》べ、|内兜《うちかぶと》を|見《み》すかされ、|屁古垂《へこた》れたでないか』
|万公《まんこう》『ウーン、ソラさうだ。そんならモウ、|此奴《こいつ》ア|帳消《ちやうけ》しにしよう。|併《しか》しアールさまの|結婚問題《けつこんもんだい》とは、|一方《いつぱう》は|誰《たれ》だ。|一寸《ちよつと》|聞《き》かしてくれないか』
|竜彦《たつひこ》『|余《あま》りハンナ……りせぬ|話《はなし》だが、|縁《えん》は|何《ど》うやらアールと|見《み》えるワイ、アハハハハ。|万公《まんこう》お|前《まへ》も|熱心《ねつしん》が|届《とど》いたら、|又《また》お|菊《きく》と|夫婦《ふうふ》になれるかも|知《し》れぬから、|余《あま》り|落胆《らくたん》せずに、|黄金山《わうごんざん》の|御用《ごよう》がすむ|迄《まで》、|女《をんな》の|事《こと》は|云《い》はないやうにしたらどうだ』
|万公《まんこう》『ヘン、|馬鹿《ばか》にして|貰《もら》ふまいかい。お|菊《きく》なんて、|古《ふる》めかしいワ、|俺《おれ》は|何《ど》うしてもダイヤ|姫《ひめ》だ。|一番《いちばん》がけに|俺《おれ》が|手《て》をかけて|助《たす》けた|女《をんな》だからな。どうしても|向《むか》ふは|俺《おれ》に|対《たい》しては、|何者《なにもの》かが|残《のこ》つてゐるのだ。それをば|無下《むげ》に|放棄《はうき》すると|云《い》ふ|事《こと》は、|男《をとこ》として|人情《にんじやう》を|弁《わきま》へぬと|云《い》ふものだから、|仮令《たとへ》|三年先《さんねんさき》でも|十年先《じふねんさき》でも|構《かま》はぬ、|男《をとこ》の|一心《いつしん》|岩《いは》でもつきぬく|程《てい》の|大金剛心《だいこんがうしん》を|以《もつ》て、どこ|迄《まで》もやりぬく|心算《つもり》だ』
|竜彦《たつひこ》『|何《なん》とエライ|野心《やしん》を|起《おこ》したものだなア、|其《その》しやつ|面《つら》で、ダイヤ|姫《ひめ》のバチュウンカ(|旦那《だんな》)にならうとは|余《あま》り|虫《むし》が|好《よ》すぎるぞ。そんな|事《こと》を|思《おも》ふよりも、なぜ|神様《かみさま》の|信仰《しんかう》を|励《はげ》まないのか』
|万公《まんこう》『|神様《かみさま》は|神様《かみさま》だ。|神《かみ》の|愛《あい》と|人《ひと》の|愛《あい》とは|又《また》|別《べつ》だ、|神《かみ》の|地位《ちゐ》に|立《た》てば|神《かみ》の|愛《あい》、|人《ひと》の|地位《ちゐ》に|立《た》てば|人《ひと》の|愛《あい》を|完全《くわんぜん》に|遂行《すゐかう》するのが|人間《にんげん》の|道《みち》だ。|一寸《ちよつと》|先生《せんせい》、|俄《にはか》に|便《べん》が|催《もよほ》しましたから|失礼《しつれい》|致《いた》します』
と|万公《まんこう》は|此《この》|場《ば》を|外《はづ》し、|裏口《うらぐち》から|左守司《さもりのかみ》の|後《あと》を|逐《お》うて、|抜《ぬ》け|道《みち》から|走《はし》つて|行《ゆ》く。|左守司《さもりのかみ》は|老《おい》の|足許《あしもと》トボトボと|杖《つゑ》を|力《ちから》に|漸《やうや》く|城門前《じやうもんまへ》の|馬場《ばば》に|着《つ》いた。|万公《まんこう》はチヤンと|先《さき》へ|廻《まは》つて、
|万公《まんこう》『ヤア|之《こ》れは|左守様《さもりさま》、|遠方《ゑんぱう》の|所《ところ》|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》いました。エエ|承《うけたま》はりますれば、アール|様《さま》と、ハンナとかいふお|方《かた》との|御結婚《ごけつこん》がととのうたやうな|塩梅《あんばい》で、さぞさぞ|貴方《あなた》も|御骨折《おほねをり》で|厶《ござ》いませう。|人間《にんげん》は|一生《いつしやう》に|一度《いちど》は|何《ど》うしても|仲介人《なかうど》をせなくては、|人間《にんげん》の|役《やく》がすまぬと|云《い》う|事《こと》ですが、それは|普通《ふつう》の|人間《にんげん》の|事《こと》、|何《なん》と|云《い》つてもビク|一国《いつこく》の|左守様《さもりさま》、|到底《たうてい》|一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|仲介人《なかうど》では、|神様《かみさま》に|対《たい》し|御責任《ごせきにん》がすみますまい。ついては|六人《ろくにん》の|御兄妹様《ごきやうだいさま》、|皆《みな》|貴方《あなた》が|御仲介人《おなかうど》を|遊《あそ》ばすに|違《ちが》ひ|厶《ござ》いますまい。|何卒《どうぞ》ダイヤ|姫様《ひめさま》の|御結婚《ごけつこん》|丈《だけ》は、まだお|年《とし》も|若《わか》いなり、どこから|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つて|来《き》ましても|何卒《どうぞ》|取合《とりあは》ないやうにしておいて|下《くだ》さいませ。それ|丈《だけ》|神勅《しんちよく》に|仍《よ》つて、ソツと|万公《まんこう》が|御注意《ごちうい》を|申《まを》しておきます』
|左守《さもり》『アハハハハ、|宜《よろ》しい|宜《よろ》しい、まだ|年《とし》も|若《わか》いなり、|又《また》|其《その》|時《とき》は|其《その》|時《とき》の|風《かぜ》が|吹《ふ》くでせう。|私《わたし》はモウ|此《この》|御結婚《ごけつこん》が|纒《まと》まつたら、|縁談《えんだん》の|仲介人《なかうど》は|之《こ》れぎり|御断《おことわ》り|申《まを》す|心算《つもり》だ。こんな|心配《しんぱい》な|事《こと》はないからなア』
と|体《てい》よくつつ|放《ぱな》し、サツサと|門《もん》を|潜《くぐ》り|入《い》る。|万公《まんこう》は|後姿《うしろすがた》を|見送《みおく》り、ポカンとして|口《くち》をあけたままテレ|臭《くさ》いやうな|顔《かほ》して|立《た》つてゐる。
|治国別《はるくにわけ》は|万公《まんこう》の|便所《べんじよ》へ|行《ゆ》くと|云《い》つて|出《で》たきり、どこにも|姿《すがた》が|見《み》えぬので、……|大方《おほかた》|左守《さもり》の|後《あと》を|逐《お》うて、せうもない|事《こと》を|頼《たの》みに|行《い》つたのではあらうまいか、|困《こま》つた|事《こと》だ、コレヤ|誰《たれ》か|行《い》つて|貰《もら》はねばなるまい……と|松彦《まつひこ》をソツと|招《まね》き|耳打《みみうち》した。|松彦《まつひこ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》にビクトリヤ|城《じやう》を|指《さ》して|駆《か》け|出《だ》し、|門前《もんぜん》に|行《い》つて|見《み》ると、|万公《まんこう》が|奴拍子《どびやうし》のぬけた|顔《かほ》して、|烏《からす》や|鳶《とび》の|中空《なかぞら》に|舞《ま》うてゐるのをポカンと|眺《なが》めてゐる。|松彦《まつひこ》は|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ|万公《まんこう》の|側《そば》によつて、『オイ』と|一声《ひとこゑ》、|肩《かた》に|手《て》をかけて|二《ふた》つ|三《みつ》つゆすつた。|万公《まんこう》は|吃驚《びつくり》して、
|万公《まんこう》『|誰《たれ》ぢやい、|人《ひと》をおどかしやがつて……』
と|振返《ふりかへ》りみれば|松彦《まつひこ》であつた。
|松彦《まつひこ》『オイ|万公《まんこう》、|偉《えら》い|遠《とほ》い|雪隠《せつちん》だなア』
|万公《まんこう》『ナアニ、|別《べつ》に|遠《とほ》い|事《こと》もありませぬ、|雪隠《せつちん》の|窓《まど》から|覗《のぞ》いて|居《を》つたら、|鳶《とび》と|烏《からす》がつるんでをつたので、|此奴《こいつ》、|妙《めう》な|事《こと》だなア、|大方《おほかた》|刹帝利《せつていり》の|娘《むすめ》と|首陀《しゆだ》の|息子《むすこ》とが|婚礼《こんれい》をする|前兆《ぜんてう》だと|思《おも》つたものですから、|突止《つきと》めやうとここ|迄《まで》やつて|来《き》た|所《ところ》、たうとうここでパツと|放《はな》れ、あの|通《とほ》り|中空《ちうくう》を|翔《かけ》つてをるのですよ。|何《なん》とマア|不思議《ふしぎ》な|事《こと》があるものですなア』
|松彦《まつひこ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、|鳶《とび》と|烏《からす》がさかるといふ|事《こと》があるかい』
|万公《まんこう》『サ、それが|不思議《ふしぎ》だから、かうして|見《み》てゐるのです。|天《てん》がかうして|標本《へうほん》を|見《み》せてる|以上《いじやう》は、キツと|首陀《しゆだ》の|息子《むすこ》に|刹帝利《せつていり》の|娘《むすめ》が|結婚《けつこん》を|申込《まをしこ》み、|目出《めで》たく|合衾《がふきん》の|式《しき》をあげるやうになるかも|知《し》れませぬで。|松彦《まつひこ》さま、お|前《まへ》さまは|立派《りつぱ》な|奥《おく》さまがあるから|結婚問題《けつこんもんだい》に|付《つ》いては|門外漢《もんぐわいかん》だ。|私《わたし》は|今《いま》|研究中《けんきうちう》だから|邪魔《じやま》をしないやうにして|下《くだ》さい。|既婚者《きこんしや》と|未婚者《みこんしや》と|同一《どういつ》に|扱《あつか》つちや|困《こま》りますからな』
|松彦《まつひこ》『エエ|困《こま》つた|男《をとこ》だなア。お|前《まへ》はそんな|事《こと》を|云《い》つて、|左守《さもり》の|後《あと》を|追《お》ひ、|恥《はぢ》をかかされたのだらう、|吾々《われわれ》|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》の|好《よ》い|面汚《つらよご》しだ。これから|暇《ひま》をやるから、|小北山《こぎたやま》へなと|帰《かへ》つて、お|菊《きく》さまの|弄物《おもちや》にでもなつて|来《こ》い。|治国別《はるくにわけ》さまが、|只今《ただいま》|限《かぎ》り|師弟《してい》の|縁《えん》を|切《き》ると|云《い》つて、|大変《たいへん》に|御立腹《ごりつぷく》だぞ』
|万公《まんこう》『ああどうも|粋《すゐ》の|利《き》かぬ|先生《せんせい》についてゐると、|面白《おもしろ》くないなア。|併《しか》し|乍《なが》らこんな|所《ところ》でつつ|放《ぱな》されちや、こつちも|男《をとこ》が|立《た》たず、マア|辛抱《しんばう》して、|黄金山《わうごんざん》|迄《まで》お|伴《とも》をさして|頂《いただ》かうかなア』
|松彦《まつひこ》『ソレヤならぬ、どうしてもお|前《まへ》は|師弟《してい》の|縁《えん》を|切《き》ると、|一旦《いつたん》|仰有《おつしや》つたからは、|何《なん》と|云《い》つても|駄目《だめ》だ、サ、ここに|旅費《りよひ》を|預《あづ》かつて|来《き》たから、|之《これ》を|持《も》つて|小北山《こぎたやま》|迄《まで》|帰《かへ》れ』
|万公《まんこう》『|竜彦《たつひこ》の|奴《やつ》、|甘《うま》く|先生《せんせい》の|喉《のど》の|下《した》へ|這入《はい》りやがつて、|俺《おれ》の|恋人《こひびと》をせしめやうと|企《たく》んでゐるのだなア、さうだらう。|万公《まんこう》さまが|居《を》ると|一寸《ちよつと》|都合《つがふ》が|悪《わる》いから……』
|松彦《まつひこ》『|馬鹿《ばか》を|云《い》ふな、|竜彦《たつひこ》はそんな|男《をとこ》ぢやないぞ。|清浄《せいじやう》|潔白《けつぱく》な|宣伝使《せんでんし》だ。|御用《ごよう》の|途中《とちう》に|女《をんな》に|目《め》をくれるやうな|腐《くさ》れ|男《をとこ》ぢやない。そんな|事《こと》をいうと|竜彦《たつひこ》に|気《き》の|毒《どく》でたまらないワイ。|自分《じぶん》の|卑《いや》しい|心《こころ》を|土台《どだい》にして|人《ひと》の|心《こころ》を|忖度《そんたく》しようとは、|訳《わけ》が|分《わか》らぬにも|程《ほど》があるぢやないか』
|万公《まんこう》『ヘン、|仰有《おつしや》いますわい、|治国別《はるくにわけ》の|貴方《あなた》は|弟《おとうと》なり、|竜彦《たつひこ》さまは|義理《ぎり》の|弟《おとうと》、|兄弟《きやうだい》|三人《さんにん》が|肚《はら》を|合《あは》して、|他人《たにん》の|万公《まんこう》さまを|体《てい》よく|排斥《はいせき》する|心算《つもり》だなア。|口《くち》で|立派《りつぱ》な|事《こと》を|云《い》つても、ヤツパリ|身贔屓《みびいき》をなさると|見《み》えるワイ。ドーレ、|之《これ》から|斎苑《いそ》の|館《やかた》へ|帰《かへ》つてお|前等《まへたち》|三人《さんにん》の|不公平《ふこうへい》な|処置《しよち》を|一切《いつさい》|合切《がつさい》|陳情《ちんじやう》するから、|其《その》|心算《つもり》でをれ。こんな|旅費《りよひ》は|要《い》らぬワイ』
と|松彦《まつひこ》の|渡《わた》した|金《かね》を|芝生《しばふ》の|上《うへ》に|投《な》げつけてしまつた。|松彦《まつひこ》は|身贔屓《みびいき》すると|言《い》はれて|大《おほい》に|弱《よわ》り、|一応《いちおう》|治国別《はるくにわけ》に|頼《たの》んで|再《ふたた》び|万公《まんこう》の|罪《つみ》を|許《ゆる》して|頂《いただ》き、|黄金山《わうごんざん》まで|御用《ごよう》のお|伴《とも》にさしてやらうと|決心《けつしん》し、いろいろと|宥《なだ》めて|万公《まんこう》をたらしつ、|賺《すか》しつ、|治国別《はるくにわけ》の|館《やかた》へ|連《つ》れ|帰《かへ》る|事《こと》となつた。そして|万公《まんこう》は|治国別《はるくにわけ》の|懇篤《こんとく》なる|訓戒《くんかい》に|仍《よ》つて、ダイヤ|姫《ひめ》に|対《たい》する|執着《しふちやく》の|念《ねん》をヤツと|断《た》ち|切《き》る|事《こと》を|得《え》たりける。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 松村真澄録)
第二篇 |恋愛無涯《れんあいむがい》
第七章 |婚談《こんだん》〔一三九三〕
|刹帝利《せつていり》ビクトリヤ|王《わう》はフェザーベッドの|上《うへ》に|横《よこ》たはり、ヒルナ|姫《ひめ》に|足《あし》を|揉《も》ませ|休《やす》んでゐた。|何分《なにぶん》|老年《らうねん》の|上《うへ》に|嬉《うれ》しい|事《こと》や、|恐《おそ》ろしい|事《こと》|等《など》が|一度《いちど》に|出《で》て|来《き》たので|体《からだ》がグツタリと|弱《よわ》り|半病人《はんびやうにん》の|如《ごと》き|有様《ありさま》で、どこともなく|体《からだ》が|痛《いた》むので|休養《きうやう》してゐた。そして|世継《よつぎ》のアールが|此《この》|頃《ごろ》ソハソハとして|城内《じやうない》に|居《を》らず、|臣下《しんか》の|目《め》を|忍《しの》んで|一人《ひとり》|郊外《かうぐわい》に|出《い》で、|日《ひ》が|暮《く》れてから|帰《かへ》つて|来《き》てはシュナップスを|呷《あふ》り、|酔《よ》うては|大声《おほごゑ》を|張《は》り|上《あ》げ|近侍《きんじ》の|役人《やくにん》|共《ども》を|手古摺《てこず》らせる|等《など》の|事《こと》が|刹帝利《せつていり》の|心《こころ》を|痛《いた》めた|大原因《だいげんいん》となつてゐる。
かかる|処《ところ》へ|左守《さもり》のキユービツトは|衣紋《えもん》を|繕《つくろ》ひ|拝謁《はいえつ》を|乞《こ》うた。|刹帝利《せつていり》は|左守《さもり》の|伺《うかが》ひと|聞《き》いて|直《ただ》ちに|之《これ》を|許《ゆる》した。|左守《さもり》はフェザーベッドの|側《そば》|近《ちか》く|進《すす》み|寄《よ》り、|両手《りやうて》をついて、
|左守《さもり》『|申上《まをしあ》げます』
|刹帝《せつてい》『|左守《さもり》、|何事《なにごと》だ。|常《つね》に|変《かは》つて|其方《そなた》の|様子《やうす》、|何《なに》か|又《また》|変事《へんじ》が|突発《とつぱつ》したのではないか』
|左守《さもり》『ハイ、|王様《わうさま》に|申上《まをしあ》げたら、|嘸《さぞ》お|驚《おどろ》き|遊《あそ》ばすで|厶《ござ》りませうが、アール|様《さま》は|人《ひと》もあらうに|卑《いや》しきサーフの|娘《むすめ》ハンナとやら|云《い》ふ|者《もの》をホーフスに|引入《ひきい》れ、「|何《ど》うしても|此《この》|女《をんな》でなければ|結婚《けつこん》はしない。そして|万一《まんいち》|父《ちち》が|之《これ》をお|聞届《ききとど》けなくば、|城内《じやうない》を|脱出《だつしゆつ》し|山猟師《やまれふし》となつて|田園生活《でんえんせいくわつ》を|送《おく》る」と|駄々《だだ》を|捏《こね》られますので、|此《この》|老人《らうじん》も|大変《たいへん》に|心配《しんぱい》を|致《いた》しました。|如何《いかが》|取計《とりはか》らつたら|宜《よろ》しう|厶《ござ》りませうかな』
|刹帝利《せつていり》は|左守《さもり》の|意外《いぐわい》の|注進《ちうしん》に|驚《おどろ》いて、ベツドを|下《お》り|火鉢《ひばち》の|前《まへ》に|端座《たんざ》し|乍《なが》ら、
|刹帝《せつてい》『|嗚呼《ああ》、ビクトリヤ|王家《わうけ》も|最早《もはや》|終末《しうまつ》だ。|肝腎《かんじん》の|長子《ちやうし》がサーフの|娘《むすめ》を|女房《にようばう》に|持《も》ちたいと|云《い》ふ|様《やう》になつては、|最早《もはや》|貴族《きぞく》も|末路《まつろ》だ。|如何《どう》したら|宜《よ》からうかなア』
と|双手《もろて》を|組《く》んで|思案《しあん》の|態《てい》、ヒルナ|姫《ひめ》は|側《そば》より|手《て》をついて、
ヒルナ『|刹帝利様《せつていりさま》、さうお|驚《おどろ》きには|及《およ》びますまい。|如何《いか》にアール|様《さま》が|耕奴《かうど》の|娘《むすめ》をお|娶《めと》りになつた|所《ところ》で、|家庭《かてい》が|円満《ゑんまん》に|治《をさ》まり、|国家《こくか》が|太平《たいへい》に|治《をさ》まれば|宜《い》いぢや|厶《ござ》りませぬか。|妾《わらは》だつて|腰元《こしもと》が|抜摺《ばつてき》され、|尊《たふと》き|貴方《あなた》の|御見出《おみいだ》しによつてアーチ・ダッチェスに|抜摺《ばつてき》されたぢやありませぬか。アールさまの|結婚問題《けつこんもんだい》を|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばすならば、|先《ま》づ|刹帝利様《せつていりさま》から|妾《わらは》を|放逐《はうちく》|遊《あそ》ばさねばなりますまい』
|刹帝《せつてい》『うん、さうだな。|親《おや》から|手本《てほん》を|見《み》せておいて|吾《わが》|子《こ》を|責《せ》むる|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。いや|如何《どう》なり|行《ゆ》くも|因縁《いんねん》だ。|左守《さもり》、アールの|申《まを》す|通《とほ》りにしてやつて|呉《く》れ。さうして|一応《いちおう》、|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》に|御相談《ごさうだん》をせなくてはなるまいぞや』
|左守《さもり》は|案《あん》に|相違《さうゐ》しヤツと|胸《むね》を|撫《な》で|下《お》ろし、
|左守《さもり》『|実《じつ》の|所《ところ》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》へお|伺《うかが》ひをして|参《まゐ》りました|所《ところ》、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》のお|言葉《ことば》では、なるべく|此《この》|結婚《けつこん》は|整《ととの》へたがよい、との|事《こと》で|厶《ござ》ります』
|刹帝《せつてい》『|宣伝使《せんでんし》のお|言葉《ことば》とあれば|大丈夫《だいぢやうぶ》だらう。|善《ぜん》は|急《いそ》げだ、|一事《いちじ》も|早《はや》く|伜《せがれ》に|此《この》|由《よし》を|伝《つた》へて|呉《く》れ』
|左守《さもり》『|実《じつ》に|有難《ありがた》き|君《きみ》の|仰《おほ》せ、|嘸《さぞ》アール|様《さま》も|御満足《ごまんぞく》に|思召《おぼしめ》すで|厶《ござ》りませう。|之《これ》で|郊外散歩《かうぐわいさんぽ》もお|止《とど》まりになるでせう。|左様《さやう》ならば|之《これ》からお|使《つかひ》に|行《い》つて|参《まゐ》ります。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しう、|吾《わが》|君様《きみさま》、ヒルナ|姫様《ひめさま》、お|願《ねが》ひ|申《まを》します』
と|欣々《いそいそ》として|此《この》|場《ば》を|下《さ》がり|行《ゆ》く。
アールの|居間《ゐま》にはハンナと|二人《ふたり》、いろいろの|話《はなし》が|初《はじ》まつてゐた。
ハンナ『もし、アール|様《さま》、|貴方《あなた》は|何《なん》と|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいましても|御両親様《ごりやうしんさま》を|始《はじ》め|頑迷固陋《ぐわんめいころう》な|老臣《らうしん》|共《ども》が|沢山《たくさん》ゐられますれば、|屹度《きつと》|此《この》|話《はなし》は|駄目《だめ》で|厶《ござ》りませう。|何卒《どうぞ》そんな|事《こと》を|仰有《おつしや》らずにお|暇《ひま》を|下《くだ》さいませ。そして|貴方《あなた》はビクトリヤ|王《わう》の|世継《よつぎ》としてビク|一国《いつこく》に|君臨《くんりん》し|相当《さうたう》の|奥様《おくさま》を|迎《むか》へて|安楽《あんらく》に|世《よ》をお|送《おく》りなさる|様《やう》お|願《ねが》ひ|致《いた》します』
アール『エー、|最前《さいぜん》も|云《い》ふ|通《とほ》り、|私《わし》は|永《なが》らくの|間《あひだ》|山住居《やまずまゐ》をし、|放縦《はうじう》な|生活《せいくわつ》に|慣《な》れて|来《き》たのだから、|斯様《かやう》な|窮屈《きうくつ》な|貴族生活《きぞくせいくわつ》は|到底《たうてい》|堪《た》へきれない。|万一《まんいち》|其方《そなた》と|添《そ》ふ|事《こと》が|出来《でき》なければ|私《わし》はここを|脱《ぬ》け|出《だ》して|山林《さんりん》に|入《い》り|簡易生活《かんいせいくわつ》を|送《おく》る|考《かんが》へだ。|何卒《どうぞ》そんな|心細《こころぼそ》い|事《こと》|云《い》はずに|俺《おれ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて|呉《く》れ。|頼《たの》みだから……』
ハンナ『|私《わたし》の|様《やう》な|耕奴《かうど》の|娘《むすめ》が|一国《いつこく》の|王様《わうさま》になるお|方《かた》を|堕落《だらく》させたと|云《い》はれては|申訳《まをしわけ》が|厶《ござ》りませぬ。|出来《でき》る|事《こと》ならばお|小間使《こまづかひ》になりとお|使《つか》ひ|下《くだ》さいまして|此《この》|縁談《えんだん》だけは|何処《どこ》|迄《まで》もお|許《ゆる》し|下《くだ》さいませ。|然《しか》し|乍《なが》ら|終身《しうしん》|貴方《あなた》のお|側《そば》で|御用《ごよう》をさして|頂《いただ》きますから……』
アール『|私《わし》は|刹帝利《せつていり》だの、|浄行《じやうぎやう》だの、|毘舎《びしや》、|首陀《しゆだ》|等《など》と、そんな|区別《くべつ》をつける|虚偽《きよぎ》な|社会《しやくわい》が|嫌《いや》になつたのだ。それで|純朴《じゆんぼく》のサーフの|娘《むすめ》のお|前《まへ》と|如何《どう》しても|結婚《けつこん》をして|見《み》たいのだ。そして|人間《にんげん》の|作《つく》つた|不自然《ふしぜん》な|階級制度《かいきふせいど》を|打破《だは》し、|上下一致《じやうげいつち》、|四民平等《しみんべうどう》の|政事《まつりごと》をして|見《み》たいのだ。それが|出来《でき》なければ|私《わし》は|現代《げんだい》に|生存《せいぞん》の|希望《きばう》はない』
ハンナ『そこ|迄《まで》|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さるのならば|私《わたくし》はお|言葉《ことば》に|甘《あま》へて|従《したが》ひませう。|然《しか》し|乍《なが》ら|御両親《ごりやうしん》に|背《そむ》きなさつて|迄《まで》|決行《けつかう》なさる|考《かんが》へですか。さうすればもはや|此《この》|城内《じやうない》へ|止《とど》まる|事《こと》は|出来《でき》ますまい。|私《わたくし》の|様《やう》な|者《もの》を|貴方《あなた》の|妻《つま》にお|許《ゆる》し|下《くだ》さる|筈《はず》はありませぬ』
アール『そら、さうだ。|私《わし》も|其《その》|覚悟《かくご》はしてゐる。さア、|之《これ》からソツと|裏門《うらもん》から|脱《ぬ》け|出《だ》し、|山林《さんりん》に|入《い》つてお|前《まへ》と|簡易生活《かんいせいくわつ》を|楽《たの》しまうぢやないか。|照国山《てるくにやま》には|私《わし》が|長《なが》く|住《す》まつてゐた|古巣《ふるす》がある。そこへ|行《ゆ》けばどうなりかうなり|生活《せいくわつ》が|出来《でき》るから……』
ハンナ『そんなら|仕方《しかた》|厶《ござ》りませぬ。お|伴《とも》を|致《いた》しませう』
アール『ヤ、|早速《さつそく》の|承知《しようち》、|満足《まんぞく》に|思《おも》ふ。さア|早《はや》く|旅《たび》の|用意《ようい》をしよう』
と|二人《ふたり》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|城内《じやうない》を|脱《ぬ》け|出《だ》す|用意《ようい》に|取《と》りかかつてゐた。そこへ|左守《さもり》は|現《あら》はれ|来《きた》り、
|左守《さもり》『|御免《ごめん》なさいませ。アール|様《さま》、|一寸《ちよつと》|貴方《あなた》にお|父《とう》さまのお|言葉《ことば》をお|伝《つた》へ|申《まを》し|度《た》いと|思《おも》ひ|参《まゐ》りました。|又《また》|足装束《あししやうぞく》を|遊《あそ》ばして|郊外散歩《かうぐわいさんぽ》にでもお|出《で》ましになるのですか。|郊外散歩《かうぐわいさんぽ》にしては|大変《たいへん》なお|準備《こしらへ》ぢやありませぬか』
アール『|左守殿《さもりどの》、|実《じつ》の|所《ところ》は|私《わし》はここにゐると|色々《いろいろ》の|女《をんな》を|勧《すす》められ|気《き》に|合《あ》はぬ|女房《にようばう》を|持《も》つのが|辛《つら》いから、|何処《どこ》かへ|脱《ぬ》け|出《だ》す|心算《つもり》で|居《を》つたのだ。|何卒《どうぞ》|頼《たの》みだから|見逃《みのが》して|呉《く》れ』
|左守《さもり》『いや、それはなりませぬ。|今《いま》|結婚問題《けつこんもんだい》の|持上《もちあが》つた|最中《さいちう》、そして|貴方《あなた》はここを|出《で》られてはなりませぬぞ。|国家《こくか》のため、|王家《わうけ》のため、|何処《どこ》|迄《まで》も|刹帝利《せつていり》の|後《あと》を|継《つ》いで|下《くだ》さらねばならぬのです』
アール『さアその|結婚問題《けつこんもんだい》が|気《き》に|入《い》らないので、|脱《ぬ》け|出《だ》さうと|云《い》ふのぢやないか。|私《わし》がゐなくてもまだ|四人《よにん》の|弟《おとうと》がある。その|弟《おとうと》でいかなければ、|国民《こくみん》の|中《うち》から|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》を|選《よ》り|出《だ》して|刹帝利《せつていり》の|後《あと》を|継《つ》がせばよいぢやないか。|何《なに》も|自分《じぶん》が|後《あと》を|継《つ》がねばならぬ|神《かみ》の|命令《めいれい》でもあるまい。それよりも|私《わし》はここに|居《ゐ》る|此《この》|女《をんな》と|山林《さんりん》に|入《い》り|簡易生活《かんいせいくわつ》を|楽《たの》しむつもりだ』
|左守《さもり》『|若旦那様《わかだんなさま》、|御心配《ごしんぱい》|遊《あそ》ばしますな。|此《この》|左守《さもり》が|東奔西走《とうほんせいさう》の|結果《けつくわ》、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》やヒルナ|姫《ひめ》のお|骨折《ほねをり》によつて|到頭《たうとう》|刹帝利様《せつていりさま》のお|心《こころ》を|動《うご》かし、ハンナ|様《さま》と|御夫婦《ごふうふ》とおなり|遊《あそ》ばす|様《やう》にお|話《はなし》がきまりましたので|御報告《ごほうこく》に|参《まゐ》つたのです』
アール『うん、さうか、それは|頑固《ぐわんこ》な|父《ちち》に|似《に》ずよくまア|開《ひら》けたものだな。ヤツパリ|之《これ》も|時節《じせつ》の|力《ちから》だらう。|併《しか》し|乍《なが》らお|前《まへ》も|一寸《ちよつと》|談判《だんぱん》をして|貰《もら》はねばならぬ|事《こと》がある。それは|外《ほか》でもない、|自由自在《じいうじざい》に|夫婦《ふうふ》が|手《て》に|手《て》をとつて|城外《じやうぐわい》の|散歩《さんぽ》をさして|貰《もら》へるか、それもならぬと|云《い》ふのなら|俺《わし》はこれから、|此処《ここ》を|飛《と》び|出《だ》し|田園生活《でんえんせいくわつ》を|続《つづ》ける|覚悟《かくご》だから』
|左守《さもり》『そんな|事《こと》は|御心配《ごしんぱい》なさいますな。|大丈夫《だいぢやうぶ》で|厶《ござ》ります。|屹度《きつと》|私《わたくし》が|取《とり》もつて|自由自在《じいうじざい》に|御行動《ごかうどう》の|出来《でき》る|様《やう》に|致《いた》しませう』
アール『|父《ちち》の|証言《しようげん》を|得《え》て|置《お》かなくては、|又《また》|後《あと》からゴテゴテ|干渉《かんせう》されると|困《こま》るからな』
|左守《さもり》『|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|御無用《ごむよう》です。さア、|早《はや》く、お|父上《ちちうへ》が|待《ま》つて|居《ゐ》られます。お|二人《ふたり》|共《とも》お|居間《ゐま》へお|越《こ》しを|願《ねが》ひます。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|方《はう》へも|使《つか》ひを|立《た》てておきましたから、|直《すぐ》お|越《こ》しになるでせう』
アール『アアそんならお|目《め》にかからうかな。これハンナ、お|前《まへ》は|私《わし》について|来《く》るかな』
ハンナ『ハイ、|如何《いか》なる|処《ところ》へもお|伴《とも》|致《いた》します。|卑《いや》しき|妾《わらは》の|身《み》、|畏《おそ》れ|多《おほ》う|厶《ござ》りますが、|貴方《あなた》に|附属《ふぞく》|致《いた》した|以上《いじやう》は、|影法師《かげばふし》の|如《ごと》く|何処《どこ》|迄《まで》も|跟《つ》いて|参《まゐ》りませう』
|左守司《さもりのかみ》はヤツと|安心《あんしん》したものの|如《ごと》く|顔色《がんしよく》を|和《やはら》げ、|二人《ふたり》の|先《さき》に|立《た》つて|刹帝利《せつていり》の|居間《ゐま》に|誘《いざな》ひ|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 北村隆光録)
第八章 |祝莚《しゆくえん》〔一三九四〕
ビクトリヤ|城《じやう》の|客殿《きやくでん》には|刹帝利《せつていり》、ヒルナ|姫《ひめ》を|始《はじ》め|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》、|及《およ》び|内事司《ないじつかさ》のタルマン、|左守《さもり》、|右守《うもり》を|始《はじ》めハルナ、カルナ|姫《ひめ》、|並《なら》びに|数多《あまた》の|役員《やくゐん》が|列《れつ》を|正《ただ》し、|結婚式《けつこんしき》が|行《おこな》はれた。|此《この》|事《こと》|誰《たれ》|云《い》ふとなく|城下《じやうか》に|拡《ひろ》がり、|寄《よ》ると|触《さは》るとレコード|破《やぶ》りの|結婚《けつこん》だと|云《い》つて、|話《はなし》の|花《はな》が|長屋《ながや》の|裏《うら》|迄《まで》|咲《さ》いてゐた。さうして|政治大改革《せいぢだいかいかく》の|象徴《しやうちやう》だと|国民《こくみん》|一同《いちどう》に|期待《きたい》されたのである。ここに|治国別《はるくにわけ》の|媒介《なかうど》にて|神前結婚《しんぜんけつこん》の|式《しき》も|恙《つつが》なく|相済《あひす》んだ。
それから|刹帝利《せつていり》、ヒルナ|姫《ひめ》は|治国別《はるくにわけ》に|厚《あつ》く|礼《れい》を|述《の》べ|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つた。|後《あと》に|新夫婦《しんふうふ》を|始《はじ》め|一同《いちどう》の|祝宴《しゆくえん》が|開《ひら》かれた。
|治国別《はるくにわけ》は|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。
|治国別《はるくにわけ》『|神代《かみよ》の|昔《むかし》|伊邪那岐《いざなぎ》の  |皇大神《すめおほかみ》は|伊邪那美《いざなみ》の
|神《かみ》と|諸共《もろとも》|高天原《たかま》にて  |天《あめ》の|御柱《みはしら》|巡《めぐ》り|会《あ》ひ
|妹背《いもせ》の|道《みち》を|結《むす》びまし  |山川草木《やまかはくさき》の|神《かみ》までも
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|生《う》み|玉《たま》ひ  |此《この》|世《よ》を|安《やす》く|美《うる》はしく
|造《つく》り|給《たま》ひし|雄々《をを》しさよ  その|神術《かむわざ》に|習《なら》ひまし
ビクトリヤ|城《じやう》の|奥《おく》の|間《ま》で  |時代《じだい》に|目覚《めざ》めたアールさま
|上下《じやうげ》の|障壁《しやうへき》|撤回《てつくわい》し  |耕奴《かうど》の|家《いへ》に|生《うま》れます
ハンナの|姫《ひめ》と|合衾《がふきん》の  |式《しき》を|挙《あ》げさせ|玉《たま》ひしは
|之《これ》ぞ|全《まつた》く|天地《あめつち》の  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御心《みこころ》に
かなひ|奉《まつ》りし|吉例《きちれい》ぞ  |尊《たふと》き|卑《いや》しき|差別《けじめ》をば
|神《かみ》の|御子《みこ》たる|人草《ひとぐさ》に  つけて|待遇《たいぐう》に|差別《さべつ》をば
|作《つく》ると|云《い》ふは|皇神《すめかみ》の  |心《こころ》を|知《し》らぬ|曲業《まがわざ》ぞ
|一陽来復《いちやうらいふく》|時《とき》|臻《いた》り  |至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》の
|大御心《おほみこころ》のそのままに  |妹背《いもせ》の|道《みち》を|開《ひら》きまし
|国人《くにびと》|等《たち》に|其《その》|範《はん》を  |示《しめ》させ|玉《たま》ふ|尊《たふと》さよ
かくなる|上《うへ》は|国民《くにたみ》は  |王《わう》をば|誠《まこと》の|親《おや》となし
|主《あるじ》と|崇《あが》め|師《し》となして  |心《こころ》の|底《そこ》より|真心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|仕《つか》へまつるべし  |神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて
|善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける  |此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》
|心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》  |只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し  |世《よ》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に  |今《いま》まで|道《みち》に|違《たが》ひたる
|形式《けいしき》|差別《さべつ》を|撤回《てつくわい》し  |上下《じやうげ》|心《こころ》を|一《ひとつ》にし
|御国《みくに》のために|国民《くにたみ》が  |力《ちから》を|協《あは》せ|心《こころ》をば
|一《ひとつ》になして|君《きみ》の|辺《べ》を  |弥永久《いやとこしへ》に|楽《たの》しみて
|守《まも》り|仕《つか》へむ|惟神《かむながら》  |神《かみ》は|嘸々《さぞさぞ》|此《この》|式《しき》を
|諾《うべな》ひまして|永久《とこしへ》に  |妹背《いもせ》の|道《みち》を|守《まも》りまし
ビクの|国《くに》をば|弥栄《いやさか》に  |栄《さか》え|賑《にぎは》せ|玉《たま》ふべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|誠心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|祝《いは》ひ|奉《たてまつ》る』
|左守司《さもりのかみ》は|金扇《きんせん》を|開《ひら》き|自《みづか》ら|踊《をど》り|自《みづか》ら|謡《うた》ふ。
|左守《さもり》(|謡曲《えうきよく》)『ああ|有難《ありがた》や|尊《たふと》やな、|掛巻《かけまく》も|綾《あや》に|畏《かしこ》き|天地《あめつち》の、|皇大神《すめおほかみ》の|神勅《みこと》もて、ビクの|国《くに》に|鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます、|刹帝利《せつていり》、ビクトリヤ|王《わう》の、|初《はじ》めての|御子《みこ》と|在《あ》れませる、|王子《わうじ》アールの|君《きみ》に、|耕奴《かうど》の|家《いへ》に|生《うま》れ|玉《たま》ひし、|心《こころ》|雄々《をを》しき|才女《くわしめ》と、|鴛鵞《をし》の|衾《ふすま》の|永久《とこしへ》に、|睦《むつ》み|親《した》しみ|妹《いも》と|背《せ》の、|道《みち》を|開《ひら》き|玉《たま》ひたる、これの|御式《みのり》の|尊《たふと》さよ。|仮令《たとへ》|首陀《しゆだ》の|家《いへ》に|生《うま》れたりとも、|誠《まこと》に|明《あ》かき|賢女《さかしめ》を、|娶《めと》らせ|玉《たま》ふ|若君《わかぎみ》は、|天地《あめつち》|開《ひら》けし|其《その》|時《とき》より、|例《ためし》もあらぬ|珍《うづ》の|御子《みこ》、|賢《さか》しき|御子《みこ》に|在《ま》しまして、|上《かみ》と|下《しも》との|隔《へだて》を|絶《た》ち、|下《しも》|国民《くにたみ》を|憐《あはれ》みまし、|美《うる》はしき|政《まつりごと》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ふ、|端緒《いとぐち》ぞと|左守《さもり》の|司《かみ》を|始《はじ》めとし、|右守司《うもりのかみ》は|云《い》ふも|更《さら》、|百《もも》の|司《つかさ》に|至《いた》るまで、|今日《けふ》の|芽出度《めでた》き|御式《みのり》をば、|仰《あふ》ぎ|喜《よろこ》び|拍手《かしはで》の|声《こゑ》も|賑《にぎは》しく、その|喜《よろこ》びは|天地《あめつち》に、|響《ひび》き|渡《わた》りて|大空《おほぞら》の、|雲《くも》をつきぬき|和田《わだ》の|原《はら》、|水底《みなそこ》|深《ふか》く|響《ひび》き|渡《わた》り、|四方八方《よもやも》の|国《くに》の|内外《うちと》|隈《くま》もなく、|此《この》|新《あたら》しき|妹《いも》と|背《せ》の|御契《おんちぎり》を、|仰《あふ》がぬものぞなかるべし。|実《げ》にも|芽出度《めでた》き|君《きみ》が|代《よ》の、|千代万代《ちよよろづよ》も|極《きは》みなく、|鶴《つる》は|御空《みそら》に|舞《ま》ひ|遊《あそ》び、|亀《かめ》は|御池《おいけ》に|浮《うか》びつつ、|君《きみ》が|幾代《いくよ》を|祝《ことほ》ぎて、|仕《つか》へまつるぞ|芽出度《めでた》けれ。|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|天《てん》は|地《ち》となり|地《ち》は|天《てん》となるとも、|君《きみ》が|誠《まこと》は|幾千代《いくちよ》も、|変《かは》らせ|玉《たま》ふ|事《こと》ぞあるべき。|実《げ》にも|尊《たふと》き|三五《あななひ》の、|神《かみ》の|教《をしへ》に|仕《つか》へます、|御空《みそら》も|清《きよ》く|治国別《はるくにわけ》の、|珍《うづ》の|宣伝使《せんでんし》、|二人《ふたり》の|仲《なか》に|立《た》たせ|玉《たま》ひ、|神代《かみよ》の|例《ためし》そのままに、|婚嫁《とつぎ》の|道《みち》を|新《あたら》しく、|始《はじ》め|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ、|神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|高砂《たかさご》の、|尾上《をのへ》の|松《まつ》の|友白髪《ともしらが》、|積《つ》もる|深雪《みゆき》の|何処《どこ》|迄《まで》も、|溶《と》けずにあれや|妹《いも》と|背《せ》の|道《みち》、ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|恩頼《みたまのふゆ》を|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
と|謡《うた》ひ|終《をは》つて|座《ざ》についた。|右守司《うもりのかみ》は|又《また》|謡《うた》ふ。
|右守《うもり》(|謡曲《えうきよく》)『|天《あめ》なるや|乙棚機《をとたなばた》のうながせる、|玉《たま》の|御統瓊《みすまる》|御統瓊《みすまる》に、あな|玉《たま》はや、みたにふたわたらす、あぢしき|高彦根《たかひこね》の|神《かみ》の、その|御神姿《みすがた》にも|比《くら》ぶべき、|珍《うづ》の|御子《みこ》なるアールの|君《きみ》、|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|抱《いだ》かれて、ここに|理想《りさう》の|妻《つま》と|在《あ》れませる、ハンナの|姫《ひめ》を|娶《めと》らせ|玉《たま》ひ、|今宵《こよひ》|芽出度《めでた》く|合衾《がふきん》を、|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|挙《あ》げさせ|玉《たま》ひ、|四海波風《しかいなみかぜ》|静《しづか》にて、|枝《えだ》も|鳴《な》らさぬ|君《きみ》の|代《よ》の、その|礎《いしずゑ》と|畏《かしこ》くも、|婚嫁《とつぎ》の|道《みち》を|行《おこな》はせ|玉《たま》ひ、|天地《あめつち》の|神《かみ》に|代《かは》らせ|玉《たま》ひて、|吾《わが》|国民《くにたみ》を|心安《うらやす》く、|治《をさ》め|玉《たま》はむ|天《あめ》の|御柱《みはしら》、|国《くに》の|御柱《みはしら》とこれの|館《やかた》に|並《なら》ばして、すみきり|玉《たま》ふぞ|尊《たふと》けれ。|吾《われ》は|右守《うもり》の|神司《かむづかさ》、まだ|新参《しんざん》の|身《み》なれども、|君《きみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《ため》、|誠《まこと》の|事《こと》と|知《し》るなれば、|仮令《たとへ》|生命《いのち》は|捨《す》つるとも、|仕《つか》へまつらむ|若君《わかぎみ》の|御前《おんまへ》、ハンナの|姫《ひめ》の|御前《おんまへ》に、ああ|二柱《ふたはしら》の|妹《いも》と|背《せ》の|君《きみ》よ、|左守司《さもりのかみ》を|始《はじ》めとし、その|外《ほか》|百《もも》の|司等《つかさら》を、|誠《まこと》の|家《いへ》の|奴《やつこ》と|思召《おぼしめ》され、|如何《いか》なる|事《こと》も|打明《うちあ》けて、|吩《い》ひ|咐《つ》け|玉《たま》へ|宣《の》らせ|給《たま》へ、|上下《うへした》|睦《むつ》ぶ|君《きみ》が|代《よ》の、|瑞祥《ずゐしやう》|示《しめ》す|今宵《こよひ》の|空《そら》、|月《つき》の|光《ひかり》もさやかにて、|星《ほし》さへ|今日《けふ》は|何時《いつ》もより、|光《ひか》りも|強《つよ》くきらめき|渡《わた》り、|世継《よつぎ》の|君《きみ》の|行末《ゆくすゑ》を、|祝《ことほ》ぎ|守《まも》らせ|玉《たま》ふなり、|荒《あら》き|風《かぜ》もなく|悪《あし》き|雨《あめ》もなく、|五穀《ごこく》は|豊《ゆたか》に|実《み》のり、|天下太平《てんかたいへい》|国土成就《こくどじやうじゆ》、|天神地祇《てんしんちぎ》を|崇《あが》め|祀《まつ》り、|父《ちち》と|母《はは》との|君《きみ》によく|仕《つか》へまし、|下《しも》|国民《くにたみ》を|憐《あは》れみて、|美《うる》はしき|清《きよ》き|政《まつりごと》を、|布《し》かせ|玉《たま》へ|聖《ひじり》の|君《きみ》と|謡《うた》はれて、|神《かみ》の|賜《たま》ひしビクの|国《くに》を、|弥永久《いやとこしへ》に|守《まも》らせ|玉《たま》へ、|神《かみ》に|誓《ちか》ひて|右守《うもり》の|司《かみ》、|若君《わかぎみ》|二柱《ふたはしら》の|御前《おんまへ》に、|慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る。|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|星《ほし》は|空《そら》より|墜《お》つるとも、|地《ち》は|震《ふる》ひ|山《やま》は|裂《さ》け、|海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも、|君《きみ》に|対《たい》して|二心《ふたごころ》、|吾《われ》あらめやも、|心《こころ》の|限《かぎ》り|身《み》の|限《かぎ》り、|身《み》を|犠牲《いけにへ》に|奉《たてまつ》り、|君《きみ》の|御為《おんため》|世《よ》の|為《ため》に、|清《きよ》き|尊《たふと》き|三五《あななひ》の、|神《かみ》を|拝《をろが》み|仕《つか》へまつり、|君《きみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて、|下《しも》|万民《ばんみん》に|臨《のぞ》みまつらむ、|二柱《ふたはしら》の|若君《わかぎみ》|心安《うらやす》くましませよ。|右守《うもり》の|司《かみ》が|天地《あめつち》の、|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に、|誠心《まごころ》|捧《ささ》げ|今日《けふ》の|慶事《けいじ》を、|寿《ことほ》ぎ|奉《まつ》る、ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
タルマンは|又《また》|謡《うた》ふ。
『ビクトル|山《ざん》の|山麓《さんろく》に  |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
|皇大神《すめおほかみ》を|奉《まつ》りつつ  |国《くに》の|王《こきし》と|在《あ》れませる
ビクの|御国《みくに》の|刹帝利《せつていり》  |仁慈《じんじ》の|君《きみ》に|仕《つか》へたる
|内事司《ないじつかさ》のタルマンが  |今日《けふ》の|慶事《けいじ》を|心《こころ》より
|喜《よろこ》び|勇《いさ》み|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る  |三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |松彦《まつひこ》|竜彦《たつひこ》|万公《まんこう》の
|珍《うづ》の|御子《みこ》をば|伴《ともな》ひて  |天降《あも》りましたるその|時《とき》ゆ
|此《この》|城内《じやうない》に|塞《ふさ》がれる  |醜《しこ》の|雲霧《くもきり》あともなく
|吹《ふ》き|払《はら》はれて|千万《ちよろづ》の  |艱《なや》みは|科戸《しなど》の|春風《はるかぜ》に
|散《ち》り|行《ゆ》くあとは|青々《あをあを》と  |野辺《のべ》の|草木《くさき》は|茂《しげ》り|合《あ》ひ
|四方《よも》の|山辺《やまべ》はニコニコと  |笑《わら》ひ|初《そ》めたる|芽出度《めでた》さよ
かかる|時《とき》しも|刹帝利《せつていり》  |世継《よつぎ》の|君《きみ》と|在《あ》れませる
アールの|御子《みこ》を|始《はじ》めとし  その|外《ほか》|五人《ごにん》の|御子《みこ》|等《たち》は
|恙《つつが》もあらず|大神《おほかみ》の  |恵《めぐ》みに|安《やす》く|帰《かへ》りまし
|吾《わが》|君《きみ》|始《はじ》め|司《つかさ》|等《たち》  |喜《よろこ》び|歓《ゑら》ぐ|間《ま》もあらず
|又《また》もや|今日《けふ》は|合衾《がふきん》の  |芽出度《めでた》き|式《しき》を|挙《あ》げられて
|千代《ちよ》の|礎《かため》を|築《きづ》きます  その|瑞祥《ずゐしやう》ぞ|有難《ありがた》き
|三千世界《さんぜんせかい》の|梅《うめ》の|花《はな》  |一度《いちど》に|来《きた》る|常磐木《ときはぎ》の
|松《まつ》の|緑《みどり》もシンシンと  |花《はな》|咲《さ》き|匂《にほ》ふ|君《きみ》が|御代《みよ》
|枝《えだ》も|茂《しげ》りて|鬱蒼《こんもり》と  |巣《す》ぐへる|鶴《つる》の|声《こゑ》さへも
いと|勇《いさ》ましく|千代《ちよ》と|呼《よ》ぶ  |雀《すずめ》|雲雀《ひばり》も|諸共《もろとも》に
|今度《こんど》の|慶事《けいじ》を|祝《いは》ふ|如《ごと》  |声《こゑ》|勇《いさ》ましく|歌《うた》ひけり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》のあたり
|今《いま》|迄《まで》|悩《なや》ませ|玉《たま》ひたる  |君《きみ》の|心《こころ》は|春《はる》の|日《ひ》の
|氷《こほり》と|解《と》けて|桜花《さくらばな》  |一度《いちど》に|咲《さ》き|出《だ》す|如《ごと》くなり
|花《はな》と|蝶《てふ》とに|譬《たと》ふべき  |妹背《いもせ》の|君《きみ》の|御姿《おんすがた》
|仰《あふ》ぐも|畏《かしこ》し|大空《おほぞら》の  |八重《やへ》の|雲路《くもぢ》を|掻《か》き|別《わ》けて
|下《くだ》り|玉《たま》ひし|天人《てんにん》か  |天津乙女《あまつをとめ》の|降臨《かうりん》か
|見《み》るも|芽出度《めでた》き|御姿《おんすがた》  |喜《よろこ》び|勇《いさ》み|御前《おんまへ》に
|真心《まごころ》こめて|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ  |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
ビクの|御国《みくに》を|何処《どこ》|迄《まで》も  |上下《しやうか》|心《こころ》を|協《あは》せつつ
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |若君様《わかぎみさま》の|御前《おんまへ》に
|慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|座《ざ》に|着《つ》きにける。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 北村隆光録)
第九章 |花祝《かしく》〔一三九五〕
|婚姻《こんいん》の|当事者《たうじしや》たる|王子《わうじ》アールは|金扇《きんせん》を|披《ひら》いて|立《た》ち|上《あが》り|自《みづか》ら|謡《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。
アール(|謡曲《えうきよく》)『|高天原《たかあまはら》に|八百万《やほよろづ》|神集《かむつま》ります、|神伊邪那岐尊《かむいざなぎのみこと》|神伊邪那美尊《かむいざなみのみこと》、|筑紫《つくし》の|日向《ひむか》の|立花《たちばな》の|青木ケ原《あをぎがはら》に、あもりまして|天《あめ》の|御柱《みはしら》|国《くに》の|御柱《みはしら》|見立《みた》てたまひ、|左右《ひだりみぎ》りの|廻《めぐ》り|合《あ》ひ、|廻《めぐ》り|廻《めぐ》りてあな|愛乙女《にやしえーをとめ》をと、|宣《の》らせたまひし|古事《ふるごと》の、|今《いま》|目《ま》の|当《あた》り|廻《めぐ》り|来《き》て、|今日《けふ》の|喜《よろこ》び|千秋万歳楽《せんしうばいざいらく》。|首陀《しゆだ》の|家《いへ》に|生《うま》れたる、|心《こころ》やさしきハンナを|娶《めと》り、|妹《いも》と|背《せ》の|盃《さかづき》を|取《と》り|交《かは》し、|天《あめ》と|地《つち》との|御息《みいき》を|合《あは》せ、ビクの|御国《みくに》は|云《い》ふも|更《さら》なり、|国主《こきし》と|現《あら》はれ|出《い》でしビクトリヤの|王家《わうけ》を、|千代万代《ちよよろづよ》に|守《まも》らむと、|授《さづ》けたまひし|妹《いも》の|命《みこと》、|目出度《めでたく》|茲《ここ》に|相生《あひおひ》の、|松《まつ》の|緑《みどり》の|色《いろ》|深《ふか》く、|栄《さか》え|果《は》てなき|珍《うづ》の|御国《みくに》、|下《しも》|国民《くにたみ》も|穏《おだや》かに、|聖《ひじり》の|君《きみ》の|御代《みよ》を|仰《あふ》ぎつつ、|日々《ひび》の|生業《なりはい》|歓《ゑら》ぎ|楽《たの》しみ、|山川《やまかは》は|清《きよ》くさやけく、|野《の》は|穀物《こくもつ》|実《み》のり、|人《ひと》の|心《こころ》は|穏《おだや》かに、|澄《す》みきりすみきる、|今宵《こよひ》の|空《そら》、|恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|永久《とこしへ》に、|降《ふ》らさせ|給《たま》ふミロク|神《しん》、|月《つき》の|顔《かんば》せ、|望《もち》の|夜《よ》の、|弥《いや》つぎつぎに|変《かは》りなく、|天《あま》の|河原《かはら》のいつ|迄《まで》も、|乾《かわ》く|事《こと》なく|時《とき》あつて、|甘露《かんろ》を|地上《ちじやう》に|降《ふ》らし|給《たま》ひ、|五穀《ごこく》|木《こ》の|実《み》は|云《い》ふも|更《さら》、|総《すべ》ての|物《もの》に|慈愛《じあい》の|露《つゆ》を、|恵《めぐ》ませたまふ|深《ふか》き|尊《たふと》き|御恵《おんめぐみ》、|戴《いただ》く|吾《われ》こそ|楽《たの》しけれ、|戴《いただ》く|吾《われ》こそ|楽《たの》しけれ、|日《ひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも、|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも、|誠《まこと》をもつて|盟《ちか》ひたる、|妹背《いもせ》の|道《みち》は|永久《とこしへ》に、|変《かは》らざらまし、|動《うご》かざらまし、ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》、|今日《けふ》の|寿《ことほぎ》|千秋万歳楽《せんしうばんざいらく》と、|喜《よろこ》び|祝《いは》ひ|奉《たてまつ》る。いざこれよりは|父《ちち》の|御後《みあと》を|継《つ》ぎ|奉《まつ》り、アールの|君《きみ》と|現《あら》はれて、ハンナの|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に、|左守《さもり》|右守《うもり》を|力《ちから》とし、|柱《はしら》となして|神《かみ》つ|代《よ》より、|伝《つた》はり|来《きた》りしビクトリヤの|家《いへ》を、|神《かみ》を|敬《うやま》ひ|拝《をろが》み|奉《まつ》り、|麻柱《あななひ》の|清《きよ》き|教《をしへ》によりて、|祖先《そせん》の|家《いへ》を|守《まも》り|国民《くにたみ》を|撫《な》で|慈《いつく》しみ、ミロクの|御代《みよ》の|礎《いしずゑ》を、|固《かた》めむための|今日《けふ》の|御式《みのり》、|芽出度《めでた》く|祝《いは》ひ|納《をさ》むる、|目出度《めでた》く|祝《いは》ひ|納《をさ》むる』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り|座《ざ》についた。|拍手《はくしゆ》の|声《こゑ》は|急霰《きふさん》の|如《ごと》く、|広《ひろ》き|殿中《でんちう》に|響《ひび》いた。ハンナ|姫《ひめ》は|中啓《ちうけい》を|披《ひら》き、|長袖《ちやうしう》|淑《しとや》かに|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。
ハンナ『|嗚呼《ああ》|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  サアフの|家《いへ》に|生《うま》れたる
|吾《われ》は|賤《いや》しきハンナ|姫《ひめ》  |尊《たふと》き|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ
|雲井《くもゐ》の|空《そら》に|輝《かがや》き|給《たま》ふ  ビクの|御国《みくに》の|国主《こきし》の|御子《みこ》
アールの|君《きみ》に|見出《みいだ》され  パインの|林《はやし》の|木下蔭《こしたかげ》
|籠《かご》や|熊手《くまで》を|携《たづさ》へて  |枯《か》れて|松葉《まつば》の|二人連《ふたりづ》れ
|掻《か》き|集《あつ》めたる|数々《かずかず》を  |籠《かご》におしこみ|居《ゐ》る|折《をり》もあれ
|天《あめ》の|八重雲《やへぐも》|掻《か》きわけて  |降《くだ》りましたる|一人《ひとり》の|珍《うづ》の|御子《みこ》
|一目《ひとめ》|見《み》るより|勿体《もつたい》なくも  |卑《いや》しき|乙女《をとめ》の|手《て》を|曳《ひ》いて
いと|懇《ねもごろ》に|労《いた》はりつ  |音《おと》に|名高《なだか》きビクトリヤ|城《じやう》に
|還《かへ》らせたまふ|畏《かしこ》さよ  |妾《わらは》は|心《こころ》も|戦《をのの》きて
|如何《いか》になり|行《ゆ》くものなるかと  |案《あん》じ|煩《わづら》ひ|居《ゐ》たりしが
|結《むす》ぶの|神《かみ》の|引《ひ》き|合《あは》せ  |蠑〓《いもり》は|化《くわ》して|竜《りう》となり
|九五《きうご》の|位《くらゐ》にあれませる  |吾《あ》が|背《せ》の|君《きみ》の|妻《つま》となり
|今日《けふ》はいよいよ|結婚《けつこん》の  |式《しき》を|挙《あ》げさせ|給《たま》ひけり
ああ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  |総《すべ》て|女《をんな》と|云《い》ふものは
|氏《うぢ》なくして|玉《たま》の|輿《こし》と  |里《さと》の|翁《おきな》に|聞《き》きし|事《こと》も
|佯《いつはり》ならず|今《いま》ははや  |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》に|降《ふ》りかかり
|繊弱《かよわ》き|女《をんな》の|身《み》をもつて  |重《おも》き|位《くらゐ》にのぼせられ
もしや|冥加《みやうが》に|尽《つ》きはせざるかと  |静《しづ》けき|心《こころ》はなけれども
|君《きみ》の|心《こころ》の|深《ふか》き|情《なさけ》に|絆《ほだ》されて  |否《いな》みも|得《え》せず|身《み》の|程《ほど》も
|弁《わきま》へ|知《し》らぬ|女《をんな》よと  |世《よ》の|人々《ひとびと》の|譏《そしり》をも
|心《こころ》にかけず|謹《つつし》みて  |君《きみ》が|御旨《みむね》に|従《したが》ひ|奉《まつ》りぬ
ああ|吾《わが》|君《きみ》よ|吾《わが》|君《きみ》よ  |足《た》らはぬ|妾《わらは》をいつ|迄《まで》も
|愍《あはれ》みまして|永久《とこしへ》に  |御傍《みそば》に|仕《つか》へさしてたべ
|左守《さもり》の|司《かみ》よ|右守《うもり》さま  |内事司《ないじつかさ》のタルマンの|君《きみ》
|愚《おろ》かなる|身《み》を|憐《あは》れみたまひ  いや|永久《とこしへ》に|足《た》らはぬ|事《こと》は|気《き》をつけて
|家内《やぬち》の|事《こと》は|云《い》ふも|更《さら》  |国《くに》の|祭《まつり》の|要《かなめ》をば
|教《をし》へてたべや|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
ことに|尊《たふと》き|三五《あななひ》の  |教《をしへ》の|道《みち》に|仕《つか》へます
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |松彦《まつひこ》|竜彦《たつひこ》|万公《まんこう》の
|珍《うづ》の|司《つかさ》も|諸共《もろとも》に  |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》を|導《みちび》きて
|国《くに》の|祭《まつり》を|過《あやま》たず  |神《かみ》の|教《をしへ》を|背《そむ》かずに
|誠《まこと》|一《ひと》つを|経《たて》となし  |仁慈《じんじ》の|教《をしへ》を|緯《ぬき》として
いや|永久《とこしへ》に|国民《くにたみ》を  |守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》みて
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |星《ほし》は|空《そら》より|落《お》つるとも
ハンナの|姫《ひめ》の|赤心《まごころ》は  |仮令《たとへ》|死《し》すとも|変《かは》らまじ
|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|大御神《おほみかみ》  |父《ちち》の|命《みこと》や|母命《ははみこと》
あが|背《せ》の|君《きみ》よ|諸共《もろとも》に  いや|永久《とこしへ》に|吾《わが》ために
|教《をしへ》を|垂《た》れさせ|給《たま》へかし  |偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る
|千秋万歳《せんしうばんざい》|万々歳《ばんばんざい》』
と|歌《うた》ひ|舞《ま》ひ|納《をさ》めた。ハルナは|立《た》ち|上《あが》り|自《みづか》ら|歌《うた》ひ|自《みづか》ら|舞《ま》ふ。
ハルナ『|神《かみ》の|造《つく》りて|治《をさ》めます  |神代《かみよ》は|云《い》ふも|更《さら》なれど
このビク|国《こく》も|神《かみ》の|国《くに》  |如何《いか》に|上下《しやうか》の|人々《ひとびと》の
|心《こころ》は|乱《みだ》れ|果《は》つればとて  |誠《まこと》の|道《みち》にかはりのあるべきや
|古《ふる》き|道徳《だうとく》|打《う》ち|破《やぶ》り  |相思《さうし》の|男女《だんぢよ》が|赤心《まごころ》を
|捧《ささ》げて|盟《ちか》ふ|結婚《けつこん》は  |千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に
|変《かは》る|事《こと》なき|天国《てんごく》の  その|有様《ありさま》にさも|似《に》たり
|天《あめ》の|下《した》をばよく|治《をさ》め  |民《たみ》の|心《こころ》を|治《をさ》めむと
|祈《いの》り|祈《いの》らせ|給《たま》ふ|聖《ひじり》の|君《きみ》は  まづ|第一《だいいち》に|結婚《けつこん》の
|道《みち》を|改《あらた》め|上下《うへした》の  |差別《けじめ》を|取《と》りて|雲井《くもゐ》の|空《そら》も
|八重葎《やへむぐら》|茂《しげ》り|栄《さか》ゆる|地《ち》の|上《うへ》も  |一《ひと》つに|治《をさ》め|世界《せかい》|桝《ます》かけひきならし
|運否《うんぷ》なき|世《よ》の|手本《てほん》を  |示《しめ》し|給《たま》ふにつけて|今宵《こよひ》の|結婚《けつこん》
|一《ひと》つはお|家《いへ》のため  |一《ひと》つは|国《くに》のため
|実《げ》にも|目出《めで》たき|次第《しだい》なり  |此《この》|結婚《けつこん》を|恙《つつが》なく
|結《むす》び|給《たま》ひし|上《うへ》からは  |天《あめ》が|下《した》には|曲《まが》もなく
|曇《くも》りも|非《あら》ず|国民《くにたみ》は  |君《きみ》の|恵《めぐみ》を|悦《よろこ》びて
|赤《あか》き|心《こころ》を|捧《ささ》げつつ  |誠《まこと》を|尽《つく》し|君《きみ》の|社稷《しやしよく》を|永久《とこしへ》に
|守《まも》り|仕《つか》へむ|惟神《かむながら》  |神《かみ》にかなひし|吾《わが》|君《きみ》の
|尊《たふと》き|御業《みわざ》ぞ|有難《ありがた》き  |左守《さもり》の|家《いへ》に|生《うま》れたる
ハルナの|司《つかさ》|謹《つつし》みて  |今日《けふ》の|慶事《けいじ》を|心《こころ》より
|喜《よろこ》び|祝《ことほ》ぎ|奉《たてまつ》る  アールの|君《きみ》よハンナの|君《きみ》よ
いや|永久《とこしへ》にいつ|迄《まで》も  |御国《みくに》の|柱《はしら》となりまして
|家《いへ》の|子《こ》|達《たち》を|恵《めぐ》みつつ  ビクの|御国《みくに》に|生茂《おひしげ》る
|天《あめ》の|益人《ますひと》|一人《ひとり》も|残《のこ》さず  |恵《めぐみ》の|露《つゆ》を|下《くだ》しまし
|黄金時代《わうごんじだい》を|現出《げんしゆつ》し  |世界《せかい》|稀《まれ》なる|聖《ひじり》の|君《きみ》と
|世《よ》に|謳《うた》はれて  |王者《わうじや》の|模範《もはん》を|示《しめ》させ|給《たま》へ
|偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 加藤明子録)
第一〇章 |万亀柱《まきばしら》〔一三九六〕
カルナ|姫《ひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
カルナ『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも  |誠《まこと》|一《ひと》つは|世《よ》を|救《すく》ふ
|誠《まこと》の|神《かみ》の|御教《みをしへ》を  |四方《よも》に|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむづかさ》  |産土山《うぶすなやま》の|聖地《せいち》より
|珍《うづ》の|御伴《みとも》を|従《したが》へて  |下《くだ》らせ|給《たま》ひ|天地《あめつち》の
|清《きよ》き|教《をしへ》を|宣《の》らせつつ  |若君様《わかぎみさま》の|御結婚《ごけつこん》
とりなし|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ  |天《あめ》と|地《つち》との|息《いき》|合《あは》せ
|生《うま》れ|出《い》でたる|人々《ひとびと》は  |所謂《いはゆる》|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|生《い》きては|此《この》|世《よ》の|神《かみ》となり  |死《し》しては|護国《ごこく》の|神《かみ》となり
|豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》  |生《お》ひ|立《た》ち|栄《さか》ゆる|人草《ひとぐさ》を
あつく|守《まも》りて|皇神《すめかみ》の  |依《よ》さしのままに|赤心《まごころ》を
|尽《つく》すは|人《ひと》の|務《つと》めぞと  |教《をし》へ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ
|妾《わらは》|夫婦《ふうふ》は|謹《つつし》みて  |神《かみ》の|御為《おんため》|国《くに》の|為《た》め
|蒼生《あをひとぐさ》を|守《まも》るため  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御前《おんまへ》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|身《み》を|清《きよ》め  |天《あめ》の|下《した》をば|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|守《まも》りませ  |偏《ひとへ》に|願《ねが》ひ|奉《たてまつ》ると
|宣《の》る|言霊《ことたま》も|空《むな》しからず  |若君様《わかぎみさま》の|御結婚《ごけつこん》
いよいよ|無事《ぶじ》に|調《ととの》ひて  |御国《みくに》の|栄《さか》えを|松《まつ》の|花《はな》
|緑《みどり》の|色《いろ》もいや|濃《こ》ゆく  |栄《さか》え|栄《さか》えていつ|迄《まで》も
|果《はて》しも|知《し》らぬ|喜《よろこ》びは  |全《まつた》く|神《かみ》の|御恵《おんめぐ》み
|謹《つつし》み|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|松彦《まつひこ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
|松彦《まつひこ》『|此処《ここ》は|名《な》に|負《ふ》ふビクの|国《くに》  |堅城鉄壁《けんじやうてつぺき》を|繞《めぐ》らし
|四方《よも》を|見晴《みは》らす|宮城《きうじやう》  |百《もも》の|国民《くにたみ》|見《み》おろして
|御空《みそら》に|高《たか》く|輝《かがや》ける  |月日《つきひ》の|如《ごと》く|光《ひかり》をなげ
|恵《めぐみ》の|雨《あめ》を|降《ふ》らし  |国人《くにびと》を|厚《あつ》く|守《まも》らせたまふ
|音《おと》に|名高《なだか》き|刹帝利《せつていり》  |万代不易《ばんだいふえき》のビクトリヤ|王《わう》が|家《いへ》
いや|益々《ますます》も|天地《あめつち》と  むた|永久《とこしへ》に|長《なが》からむ|事《こと》を
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《いの》り|奉《まつ》る  |一度《いちど》は|黒雲《くろくも》に|包《つつ》まれて
|音《おと》に|名高《なだか》き|名城《めいじやう》も  |遂《つひ》に|危《あやふ》く|見《み》えけるが
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御守《みまも》りに  |醜《しこ》の|曲津《まがつ》は|滅《ほろ》び|失《う》せ
|今《いま》は|全《まつた》く|風塵《ふうぢん》も  |留《とど》めぬ|御代《みよ》の|目出度《めでた》さよ
|其《その》|目出度《めでた》さにまた|一《ひと》つ  |喜《よろこ》びを|重《かさ》ね|給《たま》ひたる
アールの|君《きみ》の|御結婚《ごけつこん》  いとさやさやに|運《はこ》びまし
|玉《たま》の|緒琴《をごと》の|音《ね》も|清《きよ》く  |響《ひび》き|渡《わた》れる|勇《いさ》ましさ
|此《この》|極《きは》みなき|喜《よろこ》びは  |外《そと》へはやらじと|心《こころ》をこめて
|松彦司《まつひこつかさ》が|惟神《かむながら》  |神《かみ》に|祈《いの》りをかけまくも
|畏《かしこ》き|君《きみ》の|御前《おんまへ》に  |祝《ことほ》ぎ|仕《つか》へ|奉《たてまつ》る
ビクトリヤの|神殿《しんでん》が  |築《きづ》き|上《あが》りし|暁《あかつき》は
アールの|君《きみ》よハンナ|姫《ひめ》  |手《て》に|手《て》を|取《と》つて|朝夕《あさゆふ》に
かかさず|詣《まう》で|天《あめ》が|下《した》  |四方《よも》の|国民《くにたみ》|恙《つつが》なく
|君《きみ》が|政治《せいぢ》を|喜《よろこ》びて  |仕《つか》へまつるべく
|祈《いの》らせたまへ  |治国別《はるくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》に
|吾《われ》は|従《したが》ひ|近《ちか》き|中《うち》  |恋《こひ》しき|都《みやこ》を|後《あと》にして
|神《かみ》の|御為《おんため》|道《みち》のため  |聖地《せいち》をさして|進《すす》むべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|座《ざ》についた。|竜彦《たつひこ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
|竜彦《たつひこ》『|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて  |祠《ほこら》の|森《もり》を|離《はな》れつつ
|曲神《まがみ》の|猛《たけ》ぶ|山口《やまぐち》の  |昼《ひる》さへ|暗《くら》き|森《もり》を|越《こ》え
|野中《のなか》の|森《もり》や|小北山《こぎたやま》  |後《あと》に|眺《なが》めてすたすたと
|浮木《うきき》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば  |思《おも》ひも|寄《よ》らぬ|曲神《まがかみ》の
|深《ふか》く|企《たく》みし|陥穽《おとしあな》  |師《し》の|君様《きみさま》と|諸共《もろとも》に
|千尋《ちひろ》の|底《そこ》へ|転落《てんらく》し  |霊《たま》は|忽《たちま》ち|身《み》を|脱《ぬ》けて
|精霊界《せいれいかい》に|彷徨《さまよ》ひつ  |尊《たふと》き|神《かみ》の|御指図《みさしづ》に
|霊国《れいごく》|天国《てんごく》|巡覧《じゆんらん》し  |又《また》もや|下《くだ》りて|八衢《やちまた》の
|司《つかさ》の|神《かみ》とあれませる  |伊吹戸主《いぶきどぬし》にいろいろと
|尊《たふと》き|道《みち》を|教《をし》へられ  |再《ふたた》び|此《この》|世《よ》に|生《い》き|還《かへ》り
バラモン|教《けう》のゼネラルと  |現《あら》はれ|給《たま》ふ|片彦《かたひこ》や
ランチの|君《きみ》を|言向《ことむ》けて  |三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を
|現《あら》はせまつり|吾々《われわれ》は  |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
|荒野ケ原《あらのがはら》を|打《う》ち|渡《わた》り  ライオン|河《がは》を|横《よこ》ぎりて
ビクトル|山《ざん》の|麓《ふもと》まで  |進《すす》みて|来《きた》る|折《をり》もあれ
|俄《にはか》に|聞《きこ》ゆる|鬨《とき》の|声《こゑ》  |只事《ただごと》ならじと|進《すす》みより
よくよく|見《み》ればバラモンの  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》が
|一斉射撃《いつせいしやげき》の|真最中《まつさいちう》  |見逃《みのが》し|往《ゆ》くも|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|司《つかさ》の|吾《われ》として  |如何《いかが》ならむと|思《おも》ひつつ
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に  |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|打《う》ち|出《だ》せば
|豈《あに》|図《はか》らむやバラモンの  |率《ひき》ゆる|軍《いくさ》に|非《あら》ずして
|右守《うもり》の|司《かみ》の|反逆《はんぎやく》と  |覚《さと》りし|時《とき》の|憎《にく》らしさ
|吾等《われら》|師弟《してい》は|一斉《いつせい》に  |心《こころ》を|揃《そろ》へ|口《くち》|揃《そろ》へ
|一目散《いちもくさん》に|太祝詞《ふとのりと》  |涼《すず》しく|宣《の》りて|言霊《ことたま》を
|連続的《れんぞくてき》に|打《う》ち|出《だ》せば  |雲霞《うんか》の|如《ごと》き|大軍《たいぐん》も
|雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|去《さ》りぬ  |斯《か》かる|所《ところ》へヒルナ|姫《ひめ》
カルナの|姫《ひめ》の|女武者《をんなむしや》  |神《かみ》に|守《まも》られかつかつと
|栗毛《くりげ》の|駒《こま》に|跨《またが》りて  |反逆人《はんぎやくにん》の|右守《うもり》をば
|縛《ばく》して|帰《かへ》り|給《たま》ひたる  |忠勇義烈《ちうゆうぎれつ》の|働《はたら》きは
|末代《まつだい》|迄《まで》の|鑑《かがみ》ぞと  |褒《ほ》めそやさぬは|無《な》かりけり
|刹帝利様《せつていりさま》の|御前《おんまへ》に  |吾等《われら》|師弟《してい》は|導《みちび》かれ
いろいろ|雑多《ざつた》の|待遇《もてな》しに  |厚意《こうい》を|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》り
|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》を  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|相伝《あひつた》へ
|皇大神《すめおほかみ》の|御舎《みあらか》を  ビクトル|山《ざん》の|頂上《ちやうじやう》に
|岩《いは》|切《き》り|砕《くだ》き|土《つち》を|掘《ほ》り  |上《うは》つ|岩根《いはね》に|搗《つ》きこらし
|底《そこ》つ|岩根《いはね》に|搗《つ》き|固《かた》め  |大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて
|今《いま》は|漸《やうや》く|九分通《くぶどほ》り  |竣工《しゆんこう》したるぞ|嬉《うれ》しけれ
これに|先立《さきだ》ち|刹帝利《せつていり》  ビクトリヤ|王《わう》の|御子《みこ》とます
|五男一女《ごなんいちによ》の|行衛《ゆくゑ》をば  |神《かみ》の|御告《みつげ》を|蒙《かうむ》りて
|照国岳《てるくにだけ》の|谷間《たにあひ》に  |進《すす》みて|迎《むか》へ|奉《たてまつ》り
|長子《ちやうし》の|君《きみ》と|生《あ》れませる  |心《こころ》やさしきアールさま
|今日《けふ》は|目出《めで》たき|結婚《けつこん》の  |式《しき》を|挙《あ》げさせ|給《たま》ひつつ
|百《もも》の|司《つかさ》は|云《い》ふも|更《さら》  |吾々《われわれ》|師弟《してい》も|招《まね》かれて
|目出度《めでた》き|席《せき》に|列《つら》ねられ  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|大神酒《おほみき》を
|与《あた》へられたる|嬉《うれ》しさよ  |元《もと》より|酒豪《しゆがう》の|竜彦《たつひこ》は
|何《なに》より|彼《か》より|酒《さけ》が|好《す》き  とは|云《い》ふものの|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》に|仕《つか》ふ|身《み》は  |先《ま》づ|第一《だいいち》に|大酒《おほざけ》を
|謹《つつし》まなくてはなりませぬ  |然《しか》るに|今日《けふ》は|何《なん》となく
|嬉《うれ》し|嬉《うれ》しが|重《かさ》なりて  |廻《めぐ》る|盃《さかづき》|数《かず》|重《かさ》ね
|思《おも》はず|知《し》らず|酔《よ》ひつぶれ  いかい|失礼《しつれい》したでせう
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|神直日《かむなほひ》  |大直日《おほなほひ》にと|見直《みなほ》して
|許《ゆる》させたまへ|刹帝利《せつていり》  |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司達《つかさたち》
|御前《みまへ》に|慎《つつし》み|詫《わ》びまつる  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|万公《まんこう》は|其《その》|尾《を》についてヘベレケに|酔《よ》うた|儘《まま》、|足《あし》もよろよろ|謡《うた》ひ|舞《ま》ふ。
|万公《まんこう》(|謡曲調《えうきよくてう》)『ああ|目出度《めでた》し|目出度《めでた》しお|目出《めで》たし、|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも、|此《この》|結婚《けつこん》が|恙《つつが》なく、|千秋万歳楽《せんしうばんざいらく》と、|祝《いは》ひ|納《をさ》むる|其《その》|上《うへ》は、|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|変《かは》るとも、|何《なに》か|恐《おそ》れむ|神《かみ》の|御恵《みめぐ》み、ビクの|国主《こきし》の|御威勢《おんゐせい》、|空《そら》|飛《た》つ|鳥《とり》も|羽翼《はがひ》をゆるめて|地《ち》に|墜《お》ち、|草木《くさき》も|感《かん》じて|自然《しぜん》の|音楽《おんがく》を|奏《そう》し、|河《かは》の|流《なが》れは|鼓《つづみ》を|打《う》ち、|君《きみ》が|幾世《いくよ》を|祝《しゆく》すらむ。|又《また》|三五《あななひ》の|皇大神《すめおほかみ》に|仕《つか》へたる、|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》を|初《はじ》めとし、|三人《みたり》の|伴人《ともびと》の|中《うち》に|於《おい》て、さる|者《もの》ありと|聞《きこ》えたる、|万世《よろづよ》|祝《いは》ふ|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|万公《まんこう》が、|此《この》|喜《よろこ》びを|万世《よろづよ》に、|伝《つた》へむものと|勇《いさ》み|立《た》ち、|手足《てあし》も|儘《まま》ならぬ|程《ほど》、|酔《よ》ひつぶれたる|重《おも》たき|身《み》を|起《おこ》し、|命《いのち》|限《かぎ》りに|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る。|鶴《つる》は|千年《せんねん》の|齢《よはひ》を|保《たも》ち、|亀《かめ》は|万年《まんねん》の|寿命《じゆみやう》をつづく、|鶴《つる》と|亀《かめ》との|命《いのち》は|愚《おろ》か、|幾億万年《いくおくまんねん》の|末《すゑ》|迄《まで》も、ビクの|御国《みくに》は|永久《とこしへ》に、ビクトリヤ|王家《わうけ》は、|天地《てんち》の|続《つづ》かむ|限《かぎ》り、|限《かぎ》りも|知《し》らず|栄《さか》えませ。それにつけてもアールの|君《きみ》、|新《あらた》に|迎《むか》へ|給《たま》ひし|后《きさき》の|宮《みや》のハンナ|姫《ひめ》、いと|睦《むつ》まじくどこ|迄《まで》も、|陰《いん》と|陽《やう》との|息《いき》を|合《あは》せ、|天《あめ》が|下《した》に|妹《いも》と|背《せ》の、|清《きよ》き|鑑《かがみ》を|示《しめ》させ|給《たま》へ。|日《ひ》は|照《て》る|照《て》る|月《つき》は|輝《かがや》く、|星《ほし》は|御空《みそら》に|永久《とこしへ》に、|光《ひかり》も|褪《あ》せず|月《つき》の|国《くに》の|大海原《おほうなばら》の|底《そこ》|深《ふか》く、|契《ちぎ》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》、|神《かみ》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》みて、|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|万公《まんこう》が、|今日《けふ》の|寿《ことぶき》|末《すゑ》|長《なが》ふ、|幾千代《いくちよ》|迄《まで》も、|祝《いは》ひ|奉《まつ》る』
と|泥酔者《よひどれ》に|似《に》ず、いと|真面目《まじめ》に|祝《いは》ひ|納《をさ》め|元《もと》の|座《ざ》に|着《つ》きぬ。|此《この》|外《ほか》、|数多《あまた》の|司人《つかさびと》の|祝《いはひ》の|歌《うた》はあれど、あまり|管々《くだくだ》しければ|省略《しやうりやく》するなり。
アールの|王子《わうじ》は|理想《りさう》の|妻《つま》、ハンナを|娶《めと》りしより、|国《くに》の|政治《せいぢ》|日《ひ》に|月《つき》に|開《あ》けて|国民《こくみん》|悦服《えつぷく》し、ビクトル|山《さん》の|神殿《しんでん》に|祭《まつ》りたる|国治立尊《くにはるたちのみこと》、|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》を|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|国民《こくみん》|一般《いつぱん》が|信仰《しんかう》をなし、|各《おのおの》|其《その》|業《げふ》を|楽《たの》しみ、ミロクの|聖代《せいだい》を|地上《ちじやう》に|現出《げんしゆつ》する|事《こと》となりぬ。ああ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・二・二一 旧一・六 於竜宮館 加藤明子録)
第三篇 |猪倉城寨《ゐのくらじやうさい》
第一一章 |道晴別《みちはるわけ》〔一三九七〕
|道晴別《みちはるわけ》『|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の  |神言《みこと》|畏《かしこ》みウブスナの
|貴《うづ》の|聖地《せいち》を|立出《たちい》でて  |治国別《はるくにわけ》の|従者《とも》となり
|河鹿峠《かじかたうげ》を|打越《うちこ》えて  |魔神《まがみ》のたけぶ|山口《やまぐち》の
|森《もり》に|一夜《いちや》を|明《あ》かす|折《をり》  |忽《たちま》ち|丑《うし》の|時《とき》|参《まゐ》り
|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|出現《しゆつげん》と  |怪《あや》しみゐたる|折《をり》もあれ
|松彦司《まつひこつかさ》の|胆力《たんりよく》に  よくよく|見《み》れば|妹《いもうと》の
|思《おも》ひ|掛《がけ》なき|楓姫《かへでひめ》  やれ|嬉《うれ》しやと|兄妹《きやうだい》の
|名乗《なのり》を|上《あ》ぐる|時《とき》もあれ  |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》はひて
|二人《ふたり》の|親《おや》に|巡《めぐ》り|会《あ》ひ  |祠《ほこら》の|森《もり》に|立帰《たちかへ》り
|玉国別《たまくにわけ》と|諸共《もろとも》に  |瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|建《た》て|了《をは》り
|道晴別《みちはるわけ》と|名《な》を|賜《たま》ひ  |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》の|後《あと》を|追《お》ひ
|漸《やうや》く|此処《ここ》に|来《きた》りけり  |流《なが》れも|清《きよ》きライオンの
|広《ひろ》き|河瀬《かはせ》を|横切《よこぎ》りて  ビクトル|山《さん》を|右手《めて》に|見《み》つ
|草《くさ》|青々《あをあを》と|生《お》ひしげる  |野路《のぢ》を|渉《わた》りて|今《いま》ここに
シメジ|峠《たうげ》に|着《つ》きにけり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》は|如何《いか》にして  いづくの|果《はて》にましますか
|心《こころ》も|急《いそ》ぐ|一人旅《ひとりたび》  |一日《ひとひ》も|早《はや》く|大御神《おほみかみ》
|会《あ》はさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、シメジ|峠《たうげ》の|登《のぼ》り|口《ぐち》|迄《まで》やつて|来《き》たのは|道晴別《みちはるわけ》である。|道晴別《みちはるわけ》はシメジ|峠《たうげ》の|急坂《きふはん》を|眺《なが》めて、|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》めてゐた。|降《ふ》りみ、|降《ふ》らずみ、|五月雨《さみだれ》の|空《そら》|低《ひく》うして、|時鳥《ほととぎす》の|声《こゑ》は|彼方此方《あなたこなた》の|森林《しんりん》より|聞《きこ》え|来《きた》る。|山《やま》も|野《の》も|一面《いちめん》に|緑《みどり》の|新装《しんさう》を|凝《こ》らし、|何《なん》とはなく|蒸《む》し|暑《あつ》く、|上着《うはぎ》が|邪魔《じやま》になる|様《やう》な|気分《きぶん》になつて|来《き》た。|道晴別《みちはるわけ》は|急阪《きふはん》を|打仰《うちあふ》ぎ|乍《なが》ら、
|道晴《みちはる》『ああ|何《なん》ときつい|阪《さか》だらう。|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》を|始《はじ》め、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》は|最早《もはや》|此処《ここ》を|通《とほ》られたであらうか、|此《この》|道端《みちばた》の|岩石《がんせき》が|物《もの》|言《い》ふものならば|知《し》らしてくれるだらうに、ああ|仕方《しかた》がない。|先《ま》づ|此《この》|岩上《がんじやう》に|端座《たんざ》して|瞑想《めいさう》に|耽《ふけ》り、|師《し》の|君《きみ》が|通《とほ》られたか|通《とほ》られないか|伺《うかが》つてみよう。|併《しか》し|乍《なが》らまだ|自分《じぶん》は|魂《みたま》が|研《みが》けてゐないから、ハツキリした|事《こと》は|分《わか》らぬ、|困《こま》つたものだなア』
と|呟《つぶや》いてゐる。そこへ|二三人《にさんにん》の|男《をとこ》が|急《せ》はし|相《さう》にスタスタと|坂《さか》を|降《くだ》つて|来《く》る。|三人《さんにん》は|岩上《がんじやう》の|道晴別《みちはるわけ》を|見《み》て、
|甲《かふ》『|一寸《ちよつと》|物《もの》をお|尋《たづ》ね|申《まを》します。|貴方様《あなたさま》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
|道晴《みちはる》『ハイ、|拙者《せつしや》はお|察《さつ》しの|通《とほ》り、|道晴別《みちはるわけ》と|申《まを》す|宣伝使《せんでんし》で|厶《ござ》います。|何《なん》ぞ|御用《ごよう》で|厶《ござ》るかな』
|甲《かふ》『かやうな|所《ところ》でお|話《はなし》|申上《まをしあ》げても|畏《おそ》れ|多《おほ》う|厶《ござ》いますが、|実《じつ》の|所《ところ》はビクトル|山《さん》に|尊《たふと》き|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれ、|人民《じんみん》の|苦《くるし》みをお|助《たす》け|下《くだ》さるといふ|事《こと》を|承《うけたま》はり、|主人《しゆじん》の|命令《めいれい》に|仍《よ》つて、|其《その》お|方《かた》にお|目《め》にかかりたいと、|吾々《われわれ》|僕《しもべ》|三人《さんにん》が|危険《きけん》を|冒《をか》して、|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》りました』
|道晴《みちはる》『ビクトル|山《さん》に|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がゐるといふ|話《はなし》がありますかな、はてなア』
と|手《て》を|組《く》み、
|道晴《みちはる》『ああ|失策《しま》つた、こんな|事《こと》なら、|一寸《ちよつと》|道寄《みちよ》りをして|来《き》たらよかつたに、|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》がまだ|後《あと》にゐられたかも|知《し》れない。|余《あま》り|遅《おく》れたと|思《おも》うて|急《いそ》いで|来《き》たものだから、|大方《おほかた》|行過《ゆきす》ぎたのだなア』
と|私《ひそ》かに|小声《こごゑ》で|囁《ささや》いてゐる。
|甲《かふ》『|貴方《あなた》は、さうすると、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|御一行《ごいつかう》ぢや|厶《ござ》いませぬか、|何《なん》でも|四人《よにん》|許《ばか》りゐられるといふ|事《こと》で|厶《ござ》いますが』
|道晴《みちはる》『ああ|其《その》|四人《よにん》の|方《かた》は、|私《わたし》の|師匠《ししやう》なり|友人《いうじん》だ。ビクトル|山《さん》に|確《たしか》にゐられるといふ|事《こと》が|分《わか》つてゐるかな』
|甲《かふ》『イエイエ、もうお|立《た》ちになつたか、まだゐられますか、それが|判然《はつきり》|分《わか》らないのです』
|道晴《みちはる》『そして|宣伝使《せんでんし》に|会《あ》ひに|行《ゆ》くとは、|如何《いか》なる|御用《ごよう》があるのかな』
|甲《かふ》『ハイ|実《じつ》の|所《ところ》は、|私《わたし》は|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》の|僕《しもべ》で|厶《ござ》いますが、|二人《ふたり》のお|嬢《ぢやう》さまが|猪倉山《ゐのくらやま》の|山寨《さんさい》に|巣《す》を|構《かま》へてゐる、|鬼春別《おにはるわけ》とか|云《い》ふバラモンのゼネラルの|部下《ぶか》に|攫《とら》はれ|遊《あそ》ばし、|御主人《ごしゆじん》|夫婦《ふうふ》はいろいろ|雑多《ざつた》とお|嬢《ぢやう》さまの|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じ、|夜《よる》も|昼《ひる》も|水行《すいぎやう》をして、|神様《かみさま》にお|願《ねがひ》|遊《あそ》ばした|所《ところ》、|夢《ゆめ》のお|告《つげ》に、ビクトル|山《さん》には|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|来《き》てゐられるから、|其《その》|方《かた》にお|願《ねがひ》|申《まを》せば、キツと|取返《とりかへ》して|下《くだ》さるだらうとのお|言葉《ことば》、それを|力《ちから》としてお|願《ねがひ》|申《まを》さむと、|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》つたので|厶《ござ》います』
|道晴《みちはる》『フーン、それは|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》だ。|宣伝使《せんでんし》として、こんな|事《こと》を|聞《き》いて|見遁《みのが》す|訳《わけ》には|行《ゆ》くまい。|兎《と》も|角《かく》|主人《しゆじん》の|内《うち》へ|案内《あんない》してくれ、|神様《かみさま》の|御神力《ごしんりき》でキツと|取返《とりかへ》して|上《あ》げるから』
|甲《かふ》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|定《さだ》めて|主人《しゆじん》も|喜《よろこ》ばれる|事《こと》でせう。|然《しか》らばお|伴《とも》|致《いた》します。|之《これ》から|三里《さんり》|許《ばか》り、|此《この》|峠《たうげ》を|登《のぼ》り|下《くだ》り|遊《あそ》ばしたならば、つい|近《ちか》くの|村《むら》で|厶《ござ》います。|兎《と》も|角《かく》そこ|迄《まで》お|越《こ》し|下《くだ》さいまして、|主人《しゆじん》と|御緩《ごゆつく》り|話《はなし》をして|下《くだ》さいませ。|此《この》|峠《たうげ》はバラモン|軍《ぐん》の|雑兵《ざふひやう》が|徘徊《はいくわい》を|致《いた》しますれば、|随分《ずいぶん》|気《き》をつけて|行《い》つて|下《くだ》さいませ、|到底《たうてい》|一人《ひとり》では|通《とほ》れない|所《ところ》で|厶《ござ》いますから、かうして|三人《さんにん》で|参《まゐ》つたので|厶《ござ》います。ここへ|来《く》る|迄《まで》にも、|随分《ずいぶん》|危険《きけん》な|目《め》に|会《あ》うて|参《まゐ》りましたので|厶《ござ》います』
|道晴別《みちはるわけ》は、
|道晴《みちはる》『そんならお|前《まへ》の|主人《しゆじん》の|宅《たく》へ|行《ゆ》かう』
と|三人《さんにん》を|後前《あとさき》に|従《したが》へ、|胸突阪《むなつきざか》を|喘《あへ》ぎ|喘《あへ》ぎ|登《のぼ》つて|行《ゆ》く。
シメジ|峠《たうげ》の|山頂《さんちやう》に|稍《やや》|平坦《へいたん》な|地点《ちてん》がある。そこには|風《かぜ》に|揉《も》まれて、|枝振《えだぶり》のひねた|面白《おもしろ》いパインが|四五本《しごほん》|並《なら》びゐたり。チューニック|姿《すがた》の|二人《ふたり》の|男《をとこ》、|一人《ひとり》はベツトと|云《い》ひ、|一人《ひとり》はフエルと|云《い》ふ。|小《ちひ》さい|石《いし》に|腰《こし》をかけて、|四方《よも》の|風景《ふうけい》を|見下《みおろ》し|乍《なが》ら|雑談《ざつだん》に|耽《ふけ》つてゐた。
ベツト『オイ、|随分《ずいぶん》に|此《この》|地方《ちはう》は|絶景《ぜつけい》ぢやないか。どの|山《やま》も、この|山《やま》も、あの|通《とほ》り|上《うへ》の|方《はう》は|禿頭病《とくとうびやう》の|頭《あたま》のやうになつて、|其《その》|間《あひだ》に|青《あを》い|木《き》が、|点綴《てんてつ》してゐる|様《さま》は|丸《まる》で|絵《ゑ》を|見《み》る|様《やう》だ。ライオン|河《がは》の|流《なが》れは|幽《かす》かに|帯《おび》を|曳《ひ》いたやうに|見《み》えて|居《ゐ》るが、|俺達《おれたち》も|随分《ずいぶん》、あこを|渡《わた》つた|時《とき》にや|苦労《くらう》をしたものだ』
フエル『|成程《なるほど》、|中途《ちうと》に|馬《うま》が|屁古垂《へこた》れて、|貴様《きさま》は|四五丁《しごちやう》|許《ばか》り|押流《おしなが》され、|土人《どじん》に|助《たす》けられて|屁古垂《へこた》れた|時《とき》のザマは|今《いま》|目《め》に|見《み》えるやうだ。|随分《ずいぶん》|鼻《はな》をたらしやがつて、|濡《ぬ》れ|鼠《ねづみ》のやうになつて、|唇《くちびる》まで|紫色《むらさきいろ》に|染《そ》めて|居《を》つた|時《とき》のザマつて、なかつたよ。あの|時《とき》に|俺《おれ》がゐなかつたら、|貴様《きさま》は|土人《どじん》に|攫《さら》はれて、|嬲殺《なぶりごろ》しに|会《あ》うて|居《を》つたか|分《わか》らぬのだ。|無類《むるゐ》|飛《と》び|切《き》りの|悪党《あくたう》だからなア』
ベツト『ヘン、|偉相《えらさう》に|云《い》ふない、|之《これ》でもバラモン|軍《ぐん》の、グレジナアーだ。|第一《だいいち》|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》の|娘《むすめ》スミエル、スガールの|両人《りやうにん》を|甘《うま》くチヨロまかし、|猪倉山《ゐのくらやま》の|本陣《ほんぢん》へ|連《つ》れて|帰《かへ》つたのも、ヤツパリ|此《この》ベツトだから、|偉《えら》い|者《もの》だらう。|悪《あく》もここ|迄《まで》|徹底《てつてい》せないと|貴様《きさま》のやうな|事《こと》では|到底《たうてい》|軍人《ぐんじん》にはなれやしないぞ。ゴテゴテ|申《まを》さずに|俺《おれ》の|命令《めいれい》に|服従《ふくじゆう》するのだ。|又《また》|俺《おれ》が|甘《うま》くゼネラルに|取持《とりも》つて|伍長《ごちやう》|位《ぐらゐ》にはして|貰《もら》うてやるワイ』
フエル『ヘン、|馬鹿《ばか》にすない、|俺《おれ》はかうみえても|准士官《じゆんしくわん》だ、|少尉候補生《せうゐこうほせい》だ。|汝《きさま》はまだ|軍曹《ぐんさう》ぢやないか、|俺《おれ》が|斯《か》う|化《ば》けて|居《ゐ》るのを|知《し》らぬのかい』
ベツト『ヘン、|甘《うま》い|事《こと》|云《い》ふない。|汝《きさま》の|肩章《けんしやう》を|見《み》れば|能《よ》く|分《わか》つてるぢやないか』
フエル『サア、そこが|秘密《ひみつ》の|役《やく》を|仰《おほ》せつかつてゐる|丈《だけ》で、エッボオーレッポの|印《しるし》が|書《か》いてあるのだ。モウ|一月《ひとつき》もすれば、|立派《りつぱ》なユウンケルだ。さうすれば、|汝《きさま》、|俺《おれ》が|腮《あご》で|使《つか》つてやるのだから、|今《いま》の|内《うち》に|機嫌《きげん》を|取《と》つておかぬと|出世《しゆつせ》の|妨《さまた》げになるぞ。|嘘《うそ》と|思《おも》ふなら|之《これ》をみい』
と|襟《えり》を|引《ひつ》くり|返《かへ》して|見《み》せた。ベツトはよくよく|覗《のぞ》いて|見《み》ると、ユウンケル|候補生《こうほせい》の|印《しるし》がついてゐる。|忽《たちま》ち|大地《だいち》に|平太張《へたば》り、
ベツト『これはこれは|上官《じやうくわん》とは|知《し》らず、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》を|致《いた》しました』
フエル『アハハハハ、|往生《わうじやう》したか、バラモン|軍《ぐん》のマーシヤル|閣下《かくか》より|内命《ないめい》を|受《う》けて|居《を》るのだぞ。|併《しか》し|汝《きさま》が|部下《ぶか》と|共《とも》に|連《つ》れ|帰《かへ》つた|二人《ふたり》の|女《をんな》は、|何時《なんどき》|取返《とりかへ》しに|来《く》るか|知《し》れぬから、ここに|番《ばん》をしてゐるのだ。|豪農《がうのう》テームスの|僕《しもべ》の|奴《やつ》が、ビクトル|山《さん》に|居《を》る|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》に|報告《はうこく》に|行《ゆ》きよつたら、|夫《そ》れこそ|大変《たいへん》だから、|此《この》|一筋道《ひとすぢみち》を|扼《やく》して、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|此処《ここ》を|通《とほ》る|奴《やつ》は|取調《とりしら》べ、|怪《あや》しとみたならば、|首《くび》を|刎《は》ねるのだ。|此《この》|頂上《ちやうじやう》に|只《ただ》|一人《ひとり》|居《を》れば、|仮令《たとへ》|何万人《なんまんにん》|出《で》て|来《き》ても、|一度《いちど》にかかる|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬのだから、|汝《きさま》は|交替兵《かうたいへい》の|来《く》る|迄《まで》|神妙《しんめう》に|勤《つと》めて|居《ゐ》るのだぞ』
ベツト『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|併《しか》しどうも|私《わたし》|一人《ひとり》では、|心細《こころぼそ》う|厶《ござ》います。|代《かは》りが|来《く》る|迄《まで》、ここに|暫《しばら》く|貴方《あなた》も|付合《つきあ》つて|貰《もら》ひますまいか、どうやら|宣伝使《せんでんし》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《く》るやうですから……』
フエルは|幽《かす》かに|三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》が|耳《みみ》に|這入《はい》つたので、|早《はや》くも、ベツトを|此処《ここ》におき|自分《じぶん》は|体《てい》よく|逃出《にげだ》す|考《かんが》へで、こんな|命令《めいれい》を|下《くだ》してゐた。|宣伝歌《せんでんか》は|益々《ますます》|高《たか》く|聞《きこ》えて|来《き》た。
フエル『オイ、ベツト、サア、ここが|汝《きさま》の|手柄《てがら》の|現《あらは》れ|時《どき》だ。|俺《おれ》は|軍務《ぐんむ》の|都合《つがふ》に|仍《よ》つて、ここを|退却《たいきやく》する、|確《しつか》り|頼《たの》むぞ』
ベツト『マア、|一寸《ちよつと》|待《ま》つて|下《くだ》さい。|千騎一騎《せんきいつき》の|此《この》|場合《ばあひ》、|貴方《あなた》は|体《てい》よい|事《こと》を|云《い》つて|逃《に》げるのぢやありませぬか。|何程《なにほど》|軍務《ぐんむ》が|忙《いそが》しいと|云《い》つて、|眼前《がんぜん》に|敵《てき》を|控《ひか》へて、|大将《たいしやう》から|逃《に》げると|云《い》ふ|事《こと》がありますか』
とグツと|後《うしろ》から、フエルに|抱《だ》き|付《つ》き、|剛力《がうりき》に|任《まか》せて|動《うご》かさぬ、フエルは|逃《に》げ|出《だ》さうとすれ|共《ども》、ビクともする|事《こと》が|出来《でき》ぬ。|逃《に》げやうとする、|逃《に》がそまいとする。|汗《あせ》みどろになつて|揉《も》みあうてゐる|所《ところ》へ、|漸《やうや》く|登《のぼ》つて|来《き》たのは|道晴別《みちはるわけ》であつた。ベツト、フエルは|道晴別《みちはるわけ》の|姿《すがた》を|見《み》て、おぢけづき、|手足《てあし》はワナワナ|慄《ふる》ひ|出《だ》し、バタリと|地上《ちじやう》に|腰《こし》を|下《おろ》した。
|道晴《みちはる》『お|前《まへ》はバラモン|軍《ぐん》の|兵士《へいし》と|見《み》えるが、|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》テームスの|娘《むすめ》、スミエル、スガールの|両人《りやうにん》を|猪倉山《ゐのくらやま》の|山寨《さんさい》に|隠《かく》してゐると|云《い》ふ|事《こと》だが、お|前《まへ》はそれを|知《し》つてゐるか』
ベツト『ヘーヘーヘー、|根《ね》つから|存《ぞん》じませぬ。そんな|噂《うはさ》があつたやうにも|厶《ござ》いましたが、よくよく|調《しら》べてみますると、|全《まつた》く……|嘘《うそ》で|厶《ござ》いました。|私《わたし》はゼネラルの|従卒《じゆうそつ》を|致《いた》して|居《を》りましたから、|何《なに》もかも|陣中《ぢんちう》の|事《こと》は|存《ぞん》じて|居《を》りますが、|女《をんな》なんかは|一人《ひとり》も|居《を》りませぬ』
|甲《かふ》はベツトの|顔《かほ》を|見《み》て、
|甲《かふ》『ああお|前《まへ》はお|嬢《ぢやう》さまを、|此《この》|間《あひだ》、|四五人《しごにん》の|男《をとこ》を|連《つ》れて|取《と》りに|来《き》た|大将《たいしやう》だなア……、モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》|男《をとこ》で|厶《ござ》います。|此奴《こいつ》が|連《つ》れ|帰《かへ》つたのですから、よくお|査《しら》べ|下《くだ》さいませ』
ベツト『エエ|滅相《めつさう》な、|私《わたし》に|似《に》た|顔《かほ》は|沢山《たくさん》|居《を》りますから、|取違《とりちがひ》へて|貰《もら》つては|困《こま》ります。コレ、テームスさまの|内《うち》の|奴《やつこ》さま、|能《よ》く|私《わたし》の|顔《かほ》を|見《み》て|下《くだ》さい。|似《に》た|所《ところ》があつても、どつかに|違《ちが》つた|所《ところ》があるだらう。お|前《まへ》は|余《あま》り|俄《にはか》の|事《こと》で|驚《おどろ》いたから|間違《まちが》つたのだらう。テームスやベリシナが、|何卒《どうぞ》|娘《むすめ》|丈《だけ》は|堪《こら》へて|下《くだ》さい。|其《その》|代《かは》り|私《わたし》を……と|云《い》つた|時《とき》に、|顔《かほ》もあげずに|俯《うつむ》いて|居《を》つたぢやないか。お|前達《まへたち》もさうだつたらう、|怖《こは》い|時《とき》の|目《め》でみたら、キツと|見違《みちが》ひするものだ』
|甲《かふ》『ハツハハハ、|私《わたし》の|主人《しゆじん》が|言《い》つた|言葉《ことば》や、|其《その》|時《とき》の|状況《じやうきやう》|迄《まで》|今《いま》|言《い》つたでないか。さうすればヤツパリお|前《まへ》に|違《ちが》ひない。|先生《せんせい》、|此奴《こいつ》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》|一《ひと》つドテライ|目《め》に|会《あ》はして、お|嬢《ぢやう》さまを|取返《とりかへ》すやうに|命《めい》じて|下《くだ》さいませ』
|道晴《みちはる》『ウン、よし、オイ、ベツト、|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》はぬと、|此方《こちら》にも|考《かんが》へがあるぞ』
ベツト『エー、|実《じつ》の|所《ところ》は、|此処《ここ》に|厶《ござ》るフエルさまの|命令《めいれい》に|依《よ》りまして、ホンの|機械的《きかいてき》に|動《うご》いたので|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》フエルさまに|談判《だんぱん》をして|下《くだ》さいませ。|今《いま》|貴方《あなた》のお|声《こゑ》が|聞《きこ》えたので、|此《この》フエルさまがビツクリして|逃《に》げようとした|所《ところ》を、|私《わたし》が|喰《く》ひ|止《と》めて、|貴方《あなた》に|突出《つきだ》さうと|思《おも》ひ、|今《いま》|格闘《かくとう》してをつたのです。|言《い》はば|此《この》|男《をとこ》が|張本人《ちやうほんにん》ですから、|私《わたし》は|其《その》|張本人《ちやうほんにん》を|捕《つか》まへた|御褒美《ごほうび》に、|何卒《どうぞ》|助《たす》けて|下《くだ》さいな』
フエル『コリヤ、ベツト、|馬鹿《ばか》を|云《い》ふな、|俺《おれ》が|何時《いつ》そんな|命令《めいれい》をしたか』
ベツト『ヘヘヘヘヘ、|甘《うま》い|事《こと》|仰有《おつしや》いますワイ、モシ|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|此《この》フエルは|普通兵《ふつうへい》の|肩章《けんしやう》をかけて|居《を》りまするが、|此奴《こいつ》ア|悪《あく》の|証拠《しようこ》にや、|襟裏《えりうら》にユウンケル|候補生《こうほせい》の|印《しるし》を|持《も》つて|居《を》ります。それをお|調《しら》べになつたら|一番《いちばん》よう|分《わか》ります。|私《わたし》は|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|軍曹《ぐんさう》ですから……』
|道晴《みちはる》『どちらが|善《ぜん》か|悪《あく》か|知《し》らぬが、|兎《と》も|角《かく》|自分《じぶん》の|罪《つみ》を|上官《じやうくわん》に|塗《ぬ》りつけようとする|所《ところ》から|考《かんが》へてみれば、ヤツパリ|貴様《きさま》の|方《はう》が|悪《わる》い。まて、|今《いま》|言霊《ことたま》の|御馳走《ごちそう》をやる、|悪《あく》の|強《つよ》い|奴《やつ》は|言霊《ことたま》の|打《う》たれようがきついから、|直様《すぐさま》|分《わか》るのだ』
|甲《かふ》『ハハハハハ、|其《その》ザマ|何《なん》だ。|夜《よる》の|夜中《よなか》に、|四五人《しごにん》の|雑兵《ざふひやう》を|連《つ》れて|来《き》やがつて、|偉相《えらさう》に|威張《ゐばり》|散《ち》らした|時《とき》の|権幕《けんまく》と、|今日《けふ》の|権幕《けんまく》とは、まるで|鬼《おに》と|餓鬼《がき》と|程《ほど》|違《ちが》ふぢやないか。ザマ|見《み》やがれ。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、|仮令《たとへ》バラモンに|幾万《いくまん》の|敵《てき》が|居《を》らうと|屁《へ》のお|茶《ちや》だ、エヘヘヘヘ、よい|気味《きみ》だな』
|道晴《みちはる》『オイ|甲《かふ》、せうもない|事《こと》を|云《い》ふものでない。お|前《まへ》は|黙《だま》つてをれば|可《い》いのだ。バラモン|軍《ぐん》のフエル|殿《どの》、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》はお|達者《たつしや》で|厶《ござ》るかな』
フエル『ハイ|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|極《きは》めて|壮健《さうけん》に|軍務《ぐんむ》にお|尽《つく》しになつて|居《を》ります』
|道晴《みちはる》『さうか、それや|実《じつ》にバラモン|軍《ぐん》の|為《ため》には|大慶《たいけい》だ。|併《しか》しモウ|斯《か》うなつては|隠《かく》しても|駄目《だめ》だから、|実地《じつち》の|事《こと》を|言《い》つて|貰《もら》ひたい』
フエル『ハイ、|私《わたし》は|直接《ちよくせつ》|其《その》|任《にん》に|当《あた》つたのぢやありませぬが、|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》の|娘《むすめ》スミエル、スガールといふ|美人《びじん》が|確《たしか》にゼネラルの|側《そば》に|居《を》りまする』
|道晴《みちはる》『あ、さうだらう、よう|言《い》つてくれた。|併《しか》しお|前達《まへたち》|両人《りやうにん》は、|此《この》|儘《まま》|帰《かへ》してやるは|易《やす》いが、|又《また》すべての|計画《けいくわく》の|障害《しやうがい》になると|困《こま》るから、|兎《と》も|角《かく》、|玉木村《たまきむら》のテームスが|家《いへ》まで|跟《つ》いて|来《き》てくれ』
フエル『ハイ、ソレヤ|行《ゆ》かぬこた|厶《ござ》いませぬが、それよりも|此処《ここ》を|見逃《みのが》して|下《くだ》さいますれば、|甘《うま》く|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|助《たす》け|出《だ》して|来《き》ますがなア、のう、ベツト、ここは|思案《しあん》の|仕所《しどころ》だ。|一層《いつそう》の|事《こと》、バラモン|軍《ぐん》を|脱退《だつたい》して、|三五《あななひ》のお|道《みち》へ|帰順《きじゆん》するお|土産《みやげ》として、|二人《ふたり》を|玉木村《たまきむら》へ|返《かへ》さうだないか』
ベツト『ヘーン、そんな|事《こと》が|出来《でき》ますかな』
フエルは|目《め》をグツと|睨《にら》み、
『|馬鹿《ばか》だなア、|何《なん》とか|彼《か》とか|云《い》つてここを|助《たす》かるのだ、チと|気《き》をつけぬかい』
といふ|意味《いみ》を|目《め》で|知《し》らした。
ベツト『モシ|道晴別《みちはるわけ》|様《さま》、フエルの|大将《たいしやう》の|様子《やうす》を|御覧《ごらん》になれば、どちらが|善《ぜん》か|悪《あく》か|判《わか》るでせう。|兎《と》も|角《かく》|私《わたし》は|帰順《きじゆん》|致《いた》します。|何卒《どうぞ》|霊縛《れいばく》を|解《と》いて|下《くだ》さい|御恩返《ごおんがへ》しを|致《いた》しますから……』
|道晴《みちはる》『ハハハ、|今《いま》|霊縛《れいばく》を|解《と》いたら、|一目散《いちもくさん》に|逃出《にげだ》すだらう。|兎《と》も|角《かく》|玉木村《たまきむら》へ|来《く》るがよい。|何程《なにほど》|厭《いや》と|申《まを》しても、|神力《しんりき》に|仍《よ》つて|引張《ひつぱ》つて|行《ゆ》く、どこなつと|行《ゆ》くなら|行《い》つてみよ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|奴《やつこ》を|連《つ》れて、シメジ|峠《たうげ》の|急阪《きふはん》を|下《くだ》り|行《ゆ》く。フエル、ベツトは|綱《つな》をつけて|引張《ひつぱ》られるやうな|心地《ここち》し、|足元《あしもと》|危《あやふ》く、|厭《いや》|相《さう》に|自然的《しぜんてき》に|跟《つ》いてゆく。|漸《やうや》くにして|玉木村《たまきむら》の|稍《やや》|広《ひろ》き|原野《げんや》の|中央《まんなか》に、|老木《らうぼく》|茂《しげ》る|一構《ひとかま》へがある。ここがテームスの|屋敷《やしき》であつた。|道晴別《みちはるわけ》は|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|三人《さんにん》の|奴《やつこ》に|案内《あんない》され、フエル、ベツトを|霊縛《れいばく》した|儘《まま》|門内《もんない》に|招《まね》き|入《い》れられたり。
(大正一二・二・二二 旧一・七 於竜宮館 松村真澄録)
第一二章 |妖瞑酒《えうめいしゆ》〔一三九八〕
|甲《かふ》|乙《おつ》|丙《へい》の|三人《さんにん》はベツト、フエルの|両人《りやうにん》を|庫《くら》の|中《なか》へ|突《つ》つ|込《こ》みおき、|代《かは》る|代《がは》る|入口《いりぐち》に|錠《ぢやう》をおろして|番《ばん》をする|事《こと》となつた。|此《この》|屋敷《やしき》は|祖先《そせん》|代々《だいだい》から、|玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》を|勤《つと》めてゐる|豪農《がうのう》で、|庫《くら》の|数《かず》が|二十戸前《にじつとまへ》も|並《なら》んでゐた。ここへ|入《い》れへおけば、|絶対《ぜつたい》に|気《き》のつく|筈《はず》がない、|窓《まど》から|水《みづ》や|食料《しよくれう》を|放《はふ》り|込《こ》んで、|娘《むすめ》の|帰《かへ》る|迄《まで》、|二人《ふたり》をここに|監禁《かんきん》する|事《こと》としたのである。そして|二人《ふたり》のチユーニツクはスツカリはがせ、|相当《さうたう》の|衣類《いるゐ》を|与《あた》へておいたのである。|甲《かふ》の|名《な》はシーナといふ。|此《この》|男《をとこ》はテームス|家《け》の|譜代《ふだい》の|家来《けらい》であつて、テームス|家《け》|一切《いつさい》の|家政《かせい》を|司《つかさど》つてゐた。
さて|道晴別《みちはるわけ》はシーナに|導《みちび》かれ、テームス、ベリシナ|夫婦《ふうふ》の|前《まへ》に|現《あら》はれて、シメジ|峠《たうげ》の|頂上《ちやうじやう》でベツト、フエルに|会《あ》うた|事《こと》や|或《あるひ》は|其《その》|神力《しんりき》に|打《う》たれて|此処《ここ》|迄《まで》|引張《ひつぱ》られて|来《き》た|事《こと》などを、|詳《くは》しく|物語《ものがた》つた。テームス|夫婦《ふうふ》は|非常《ひじやう》に|喜《よろこ》んで|茶菓《さくわ》などを|出《だ》し、|湯《ゆ》を|沸《わか》せて|風呂《ふろ》に|案内《あんない》し、|宣伝服《せんでんふく》を|着替《きがへ》させ、|客室《きやくしつ》に|請《しやう》じ、|娘《むすめ》の|危難《きなん》の|事情《じじやう》を|物語《ものがた》つた。
テームス『|貴方《あなた》は|音《おと》に|名高《なだか》き|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|様《さま》、|能《よ》くマア|来《き》て|下《くだ》さいました。|併《しか》し|乍《なが》ら|何千《なんぜん》といふ|軍隊《ぐんたい》の|中《なか》へ|二人《ふたり》の|娘《むすめ》が|攫《さら》はれて|参《まゐ》つたので|厶《ござ》いますから、いかに|御神力《ごしんりき》|強《つよ》き|貴方様《あなたさま》でも、|容易《ようい》に|取返《とりかへ》して|頂《いただ》く|事《こと》は|難《むつ》かしう|厶《ござ》いませうなア』
と|顔《かほ》を|覗《のぞ》いた。|道晴別《みちはるわけ》は|少時《しばし》|双手《もろて》を|組《く》んで|思案《しあん》の|体《てい》であつたが、|何《なに》か|確信《かくしん》あるものの|如《ごと》く|微笑《ほほゑ》み|乍《なが》ら、
|道晴《みちはる》『ああ|決《けつ》して|御心配《ごしんぱい》なさりますな。|到底《たうてい》|一通《ひととほ》りや|二通《ふたとほり》りでは|行《ゆ》きますまいが、|何《なん》とか|工夫《くふう》を|致《いた》しまして、|敵中《てきちう》に|忍《しの》び|込《こ》み、お|嬢《ぢやう》さまを|連《つ》れ|帰《かへ》ることに|致《いた》しませう。|併《しか》し|乍《なが》ら|連《つ》れ|帰《かへ》つた|所《ところ》で、|又《また》もや|取返《とりかへ》しに|来《こ》られては|何《なん》にもなりませぬ、|此奴《こいつ》は|徹底的《てつていてき》に|敵《てき》を|改心《かいしん》させるか、|但《ただし》は|追散《おひち》らすか|致《いた》さねば|駄目《だめ》でせう』
ベリシナ『どうか、|老夫婦《らうふうふ》が|首《くび》を|鳩《あつ》めて|日夜《にちや》|心配《しんぱい》を|致《いた》して|居《を》りますから、|神様《かみさま》の|御神力《ごしんりき》に|仍《よ》つて|御助《おたす》け|下《くだ》さいますやう、|御願《おねがひ》|申《まを》します』
|道晴《みちはる》『|当家《たうけ》はウラル|教《けう》と|見《み》えますが、|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》を|信仰《しんかう》する|気《き》はありませぬか』
ベリシナ『ハイ、|神様《かみさま》は|元《もと》は|一株《ひとかぶ》、|祖先《そせん》が|祭《まつ》つた|神様《かみさま》を|俄《にはか》に|子孫《しそん》が|替《か》へるといふのは、|何《なん》だか|先祖《せんぞ》に|対《たい》してすまないやうな|気《き》が|致《いた》します。|貴方《あなた》の|信仰《しんかう》|遊《あそ》ばす|三五《あななひ》の|神様《かみさま》をお|祭《まつ》り|致《いた》しても|神罰《しんばつ》は|当《あた》りますまいかな』
|道晴《みちはる》『|神様《かみさま》は|一株《ひとかぶ》だから、ウラル|教《けう》にならうが、|三五教《あななひけう》にならうがそんな|小《ちひ》さい|事《こと》を|仰有《おつしや》る|神様《かみさま》ぢやありませぬ、そして|最《もつと》も|神徳《しんとく》の|高《たか》い|詐《いつは》りのない|誠《まこと》|一《ひと》つの|教《をしへ》を|信仰《しんかう》するが|祖先《そせん》へ|対《たい》しての|孝行《かうかう》で|厶《ござ》いませう。|先《ま》づ|第一《だいいち》に|三五《あななひ》の|神様《かみさま》をお|祭《まつ》り|致《いた》し、|其《その》|御神徳《ごしんとく》に|仍《よ》つて、お|二人様《ふたりさま》の|命《いのち》が|助《たす》かるやう、|願《ねが》はうぢやありませぬか。それとも、どうしてもウラル|教《けう》を|改《あらた》めるのが|厭《いや》と|仰有《おつしや》るならば、それで|宜《よろ》しい、|決《けつ》してお|勧《すす》めは|致《いた》しませぬから……』
テームス『|婆《ばば》の|意見《いけん》は|何《なん》と|申《まを》すか|知《し》りませぬが、これ|丈《だけ》|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》、ウラルの|神様《かみさま》を|信仰《しんかう》し|乍《なが》ら、こんなに|苦《くる》しい|目《め》に|会《あ》ふので|厶《ござ》いますから、ウラル|教《けう》の|神様《かみさま》も|此《この》|頃《ごろ》はどうかして|厶《ござ》るだらうと|疑《うたが》つて|居《を》ります。|現《げん》にビクの|国《くに》のビクトリヤ|王様《わうさま》もウラル|教《けう》でゐらつしやるのに、あの|様《やう》な|大難《だいなん》にお|会《あ》ひなされ、|三五《あななひ》の|神様《かみさま》に|助《たす》けられたとの|噂《うはさ》が|立《た》つて|居《を》りまする。|何卒《どうぞ》|宜《よろ》しう|御願《おねが》ひ|致《いた》します。ベリシナ、お|前《まへ》もヨモヤ|異存《いぞん》はあるまいなア』
ベリシナ『|貴方《あなた》がさう|仰有《おつしや》るのならば、|女房《にようばう》の|私《わたし》は|決《けつ》して|異議《いぎ》は|申《まを》しませぬ。どうぞ|祀《まつ》つて|貰《もら》つて|下《くだ》さいませ』
|道晴《みちはる》『|然《しか》らば|三五教《あななひけう》の|神様《かみさま》と、ウラル|教《けう》を|守護《しゆご》|遊《あそ》ばす|盤古神王様《ばんこしんのうさま》を|並《なら》べて|祀《まつ》る|事《こと》に|致《いた》しませう。|神様《かみさま》は|元《もと》は|一《ひと》つで|厶《ござ》いますからなア』
テームス『いかにも|仰《おほせ》の|通《とほ》り、|実《じつ》に|公平無私《こうへいむし》なお|言葉《ことば》、|先《ま》づ|第一《だいいち》に|神様《かみさま》をお|祀《まつ》り|致《いた》し、|其《その》|上《うへ》|娘《むすめ》を|救《すく》つて|頂《いただ》く|事《こと》に|願《ねが》ひませう』
とここに|愈《いよいよ》、|夫婦《ふうふ》の|決心《けつしん》が|定《さだ》まつたので、|道晴別《みちはるわけ》は|俄《にはか》に|神殿《しんでん》を|作《つく》り、|簡単《かんたん》なお|祭《まつり》をすませ、いよいよ|猪倉山《ゐのくらやま》に|向《むか》つて、スミエル、スガールの|姉妹《きやうだい》を|取返《とりかへ》さむと|進《すす》み|行《ゆ》く|用意《ようい》に|取《とり》かかつた。|幸《さいはひ》、ベツト、フエルの|軍服《ぐんぷく》があるので、|道晴別《みちはるわけ》とシーナの|両人《りやうにん》は|之《これ》を|着用《ちやくよう》に|及《およ》び、|夜《よる》に|紛《まぎ》れて|陣中《ぢんちう》に|進《すす》み|入《い》る|事《こと》となつた。
シーナは|近《ちか》くの|事《こと》とて、|猪倉山《ゐのくらやま》の|地理《ちり》は|能《よ》く|知《し》つて|居《を》つた。|谷川《たにがは》の|激流《げきりう》を|右《みぎ》に|飛《と》び|越《こ》え、|左《ひだり》へ|渡《わた》り、|漸《やうや》くにして|東北西《とうほくせい》の|三方《さんぱう》|深山《しんざん》に|包《つつ》まれた|一方口《いつぱうぐち》の|広《ひろ》い|谷間《たにあひ》に|着《つ》いた。|三千人《さんぜんにん》|許《ばか》りの|兵卒《へいそつ》の|中《なか》へ、|同《おな》じ|軍服《ぐんぷく》を|着《き》て|紛《まぎ》れ|込《こ》んだのだから、|上《うへ》の|役人《やくにん》ならば|目《め》につくが、|軍曹《ぐんさう》や|平兵《ひらへい》の|服《ふく》では|容易《ようい》に|見破《みやぶ》られる|気遣《きづか》ひがないのである。
|月《つき》は|東《ひがし》の|山《やま》の|端《は》を|覗《のぞ》いて、|谷川《たにがは》に|光《ひかり》を|投《な》げてゐる。|彼方此方《あなたこなた》の|若葉《わかば》の|間《あひだ》から|時鳥《ほととぎす》の|声《こゑ》が|面白《おもしろ》く|聞《きこ》えて|来《く》る。|見上《みあ》ぐる|許《ばか》りの|大岩《おほいは》の|麓《ふもと》に|四五人《しごにん》のバラモン|兵《へい》が|趺座《あぐら》をかいて|夜警《やけい》を|勤《つと》めてゐる。|何《いづ》れも|皆《みな》|酒《さけ》に|酔《よ》うてゐるらしい。
|甲《かふ》『オイ、|敵《てき》もないのに、|毎日《まいにち》|日日《ひにち》|夜警《やけい》|計《ばか》りやらされて|居《を》つては、つまらぬぢやないか。|夜警《やけい》も|此《この》|頃《ごろ》はヤケクソになつて、ヤケ|酒《ざけ》でも|呑《の》まなくちややり|切《き》れない。すつぱい|腐《くさ》つたやうな|酒《さけ》を、カーネル|奴《め》、……これは|夜警《やけい》に|呑《の》ませ……なんて|吐《ぬか》しやがつて、|自分等《じぶんら》の|呑《の》みさし|計《ばか》りをまはして|来《く》るのだから、|本当《ほんたう》にむかつくだないか』
|乙《おつ》『だつて|呑《の》まないよりマシだ。|別《べつ》に|之《これ》を|呑《の》まねば|軍規《ぐんき》に|反《はん》すると|云《い》つて|厳命《げんめい》したのでもなし、|退屈《たいくつ》だらうから、|之《これ》でも|構《かま》はねば|呑《の》んだらどうだと|云《い》つて、カーネルさまが|下《さ》げて|下《くだ》さつたのだ、チツといたみた|酒《さけ》でも|貰《もら》はぬよりマシぢやないか』
|甲《かふ》『さうだと|云《い》つて、|自分《じぶん》|達《たち》は|芳醇《はうじゆん》な|酒《さけ》にくらひ|酔《よひ》、ホフクー、ゲスラートだと|云《い》つて、|用《よう》もないのに、|小田原評定《をだはらひやうじやう》|計《ばか》りやりやがつて、スミエル、スガールの|頗《すこぶ》る|別嬪《べつぴん》に|酌《しやく》をさせ、ヤニ|下《さが》つてゐやがるのだもの、|俺達《おれたち》|雑兵《ざふひやう》は|殆《ほとん》ど|人間扱《にんげんあつかひ》をされてゐないのだからな』
|乙《おつ》『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、そこが|辛抱《しんばう》だ。|辛抱《しんばう》さへしてゐれば、|時節《じせつ》が|来《き》たら|花《はな》が|咲《さ》くのだ。|之《これ》からゼネラルの|命令《めいれい》に|仍《よ》つて、|猪倉山《ゐのくらやま》の|城寨《じやうさい》が|完成《くわんせい》した|上《うへ》は、|近国《きんごく》を|荒《あら》し|廻《まは》り、|馬蹄《ばてい》に|蹂躙《じうりん》し、|大共和国《だいきようわこく》を|建設《けんせつ》するのだ。さうなれば|何《ど》うしても|人物《じんぶつ》が|必要《ひつえう》だ、|何程《なにほど》|雑兵《ざふひやう》だつて、|汝《きさま》でもキヤプテン|位《くらゐ》には|登庸《とうよう》されるよ』
|甲《かふ》『ヘン、|大尉《たいゐ》|位《くらゐ》になつたつて、|何《なに》が|結構《けつこう》だ、|貧乏《びんばふ》|少尉《せうゐ》の、ヤリクリ|中尉《ちうゐ》の、ヤツトコ|大尉《たいゐ》と|云《い》ふぢやないか、そんな|事《こと》で|何《ど》うして|嬶《かか》が|養《やしな》へるか。せめてユウンケル|位《くらゐ》にしてくれりや、|骨折《ほねを》つても|可《い》いのだが。|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》の|三人《さんにん》や|四人《よにん》に|恐怖《きようふ》して、こんな|所《ところ》へ|籠城《ろうじやう》するやうな|大将《たいしやう》だから、|先《さき》が|見《み》えてゐるワ、|何《なん》と|云《い》つても、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》が|馬鹿《ばか》だからなア』
|乙《おつ》『オイそんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|云《い》ふな。|丙《へい》|丁《てい》|戊《ぼう》が|居眠《ゐねむ》つたやうな|面《つら》して|聞《き》いてるぞ。|人間《にんげん》の|心《こころ》と|云《い》ふものは|分《わか》つたものぢやない。いつ|俺達《おれたち》の|裏《うら》をかいて、|畏《おそ》れ|乍《なが》らと、ゼネラルの|前《まへ》へ|密告《みつこく》するか|分《わか》りやしないぞ』
|甲《かふ》『ナニ、こんな|奴《やつ》がそんな|事《こと》|共《ども》|致《いた》してみよれ、|忽《たちま》ちウーンだ』
|乙《おつ》『ウンとは|何《なん》だい、|又《また》|糞《ふん》パツだな、そんな|所《ところ》でウンをやられちや|臭《くさ》くてたまらないワ』
|甲《かふ》『ハハハハ、|分《わか》らぬ|奴《やつ》だな。|三五教《あななひけう》の|言霊《ことたま》で、ウーンとやつてやるのだい』
|乙《おつ》『|汝《きさま》は|元《もと》は|三五教《あななひけう》だな、|此奴《こいつ》ア|油断《ゆだん》のならぬ|奴《やつ》だ』
|甲《かふ》『|油断《ゆだん》がなるまい。|俺《おれ》はチヤンとビクトリヤ|城《じやう》へ|治国別《はるくにわけ》がやつて|来《き》た|時《とき》に、|門《もん》の|外《そと》にすくんで、どんな|事《こと》やりよるかと|考《かんが》へてゐたら、|両手《りやうて》を|組《く》んで、ウーンとやるが|最後《さいご》、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|体《からだ》が|動《うご》けぬやうになつたのだ。そして|足《あし》|計《ばか》りは|自由《じいう》に|動《うご》くものだから|皆《みな》|逃《に》げよつたのだ。|其《その》|呼吸《こきふ》をチヤンと|呑《の》み|込《こ》んでゐる。グヅグヅいふと|一寸《ちよつと》やつてやらうか』
|乙《おつ》『ソレヤ|面白《おもしろ》い、|一《ひと》つ|此所《ここ》でやつてみよ』
|甲《かふ》『やらいでかい、マアみて|居《を》れ、|汝《きさま》に|一《ひと》つ|霊縛《れいばく》をかけてやらう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|両手《りやうて》を|組《く》んで、|一生懸命《いつしやうけんめい》にウンウンと|唸《うな》つてゐる。|余《あま》り|唸《うな》つたので|唸《うな》つた|拍子《ひやうし》にブウブウと|裏門《うらもん》へ|一二発《いちにはつ》|破裂《はれつ》した。
|乙《おつ》『アハハハハ、たうとう|屁古垂《へこた》れやがつたな。|大方《おほかた》そんな|事《こと》だと|思《おも》うて|居《を》つたのだ。|余《あま》りホラを|吹《ふ》くものぢやないぞ』
|甲《かふ》『|俺達《おれたち》は、ヘーたれさまだ、|口《くち》からホラを|吹《ふ》いて|尻《しり》からラツパを|吹《ふ》くのが|職掌《しよくしやう》だ』
|乙《おつ》『オイ、|丙《へい》|丁《てい》|戊《ぼう》、|早《はや》く|起《お》きぬかい。|何《なん》だか、|向《むか》ふの|方《はう》から|二人《ふたり》やつてくる|様《やう》だ。モシや|治国別《はるくにわけ》の|片割《かたわ》れぢやなからうかな』
|治国別《はるくにわけ》といふ|声《こゑ》を|聞《き》いて、|三人《さんにん》の|泥酔者《よひどれ》は|俄《にはか》に|起上《おきあが》り、ソロソロ|逃仕度《にげじたく》をしかけた。
|乙《おつ》『コレヤ、まだ|敵《てき》か|味方《みかた》か|分《わか》らぬ|先《さき》から|逃《に》げ|仕度《じたく》をする|奴《やつ》があるかい。|卑怯者《ひけふもの》だな』
|丙《へい》『|分《わか》つてから|逃《に》げた|所《ところ》で|仕方《しかた》がないぢやないか、|分《わか》らぬ|先《さき》に|逃《に》げるのが|兵法《へいはふ》の|奥《おく》の|手《て》だ。モシ|敵《てき》でもあつてみよ、|抜《ぬ》き|差《さし》がならぬぢやないか』
|乙《おつ》『モシ|敵《てき》が|出《で》て|来《き》たら、|俺達《おれたち》が|撃退《げきたい》するやうに、|一歩《いつぽ》も|此所《ここ》より|中《なか》へ|入《い》れないやうに|番《ばん》をしてゐるのぢやないか、|肝腎《かんじん》の|時《とき》に|逃《に》げる|奴《やつ》がどこにあるかい。しつかりせぬかい』
かかる|所《ところ》へ|道晴別《みちはるわけ》、シーナの|両人《りやうにん》はチューニック|姿《すがた》で|登《のぼ》つて|来《き》た。
|甲《かふ》『|誰《たれ》だア、|名《な》を|名乗《なの》れツ』
と|呶鳴《どな》りつける。
|道晴《みちはる》『|俺《おれ》はバラモン|軍《ぐん》の|軍曹《ぐんさう》、デクといふものだ』
シーナ『|俺《おれ》はシーナといふ|軍人《ぐんじん》だ。ゼネラル|様《さま》の|命令《めいれい》に|仍《よ》つて|汝達《きさまたち》がよく|勤《つと》めてるか|勤《つと》めてゐないかを|巡検《じゆんけん》に|来《き》たのだ、|其《その》ザマは|一体《いつたい》|何《なん》だ』
|乙《おつ》『ヘ、|誠《まこと》に|済《す》みませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|貴方《あなた》もウスウス|御存《ごぞん》じでせうが、ゼネラルから|賜《たまは》つた|此《この》お|酒《さけ》、|退屈《たいくつ》ざましに|頂《いただ》いて|居《を》つたのです』
シーナ『|頂《いただ》いた|酒《さけ》なら、|呑《の》むなと|云《い》はぬが、|軍務《ぐんむ》に|差支《さしつかへ》ないやうに|致《いた》さぬと|困《こま》るぢやいか』
|乙《おつ》『ハイ、チツと|過《す》ごしましたが、よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい、|別《べつ》に|敵《てき》が|来《く》るでもなし、さうシヤチ|張《ば》つて|居《を》つた|処《ところ》で、|暖簾《のれん》と|脛押《すねお》しするやうなものです。|私《わたし》|計《ばか》りぢやありませぬ、|皆《みな》|附近《あたり》の|民家《みんか》へ|行《い》つて、|色々《いろいろ》のドブ|酒《ざけ》を|徴発《ちようはつ》し、|勝手《かつて》|気儘《きまま》に|呑《の》んでるぢやありませぬか』
シーナ『かう|軍規《ぐんき》が|紊《みだ》れては、|何《ど》うも|仕方《しかた》がない、これからチツと|監督《かんとく》を|厳重《げんぢう》にせなくちやなりませぬなア、デクさま』
デク『ウン、さうだ、チツと|之《これ》から|厳《きび》しくやらう。オイ|雑兵《ざふひやう》|共《ども》、|此《この》|川《かは》に|橋《はし》を|架《か》け』
|乙《おつ》『ヘー、|架《か》けないこた|厶《ござ》いませぬが、カーネルさまの|御命令《ごめいれい》に|仍《よ》れば、……|此《この》|橋《はし》を|架《か》けちや|可《い》かない……と|云《い》つて|落《おと》されたのですから、|一寸《ちよつと》|伺《うかが》つた|上《うへ》でなくては、|軍曹《ぐんさう》さま|位《くらゐ》の|命令《めいれい》では|聞《き》く|事《こと》が|出来《でき》ませぬからなア』
デク『|俺《おれ》は|此《この》|肩章《けんしやう》を|見《み》たら|分《わか》るが、|一人《ひとり》は|伍長《ごちやう》だ。|伍長《ごちやう》と|雖《いへど》も、|汝《きさま》らの|上官《じやうくわん》だぞ、なぜ|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》を|聞《き》かないか』
|乙《おつ》『ヘー、そんなら|仕方《しかた》がありませぬ、|私達《わたしたち》が|橋《はし》になつて|向方《むかふ》へお|渡《わた》し|申《まを》しませう。|時《とき》に|軍曹様《ぐんさうさま》、マアゆつくりなさいませ。ここに、|何《なん》ならスツパイ|御神酒《おみき》がチツと|計《ばか》り|残《のこ》つてゐますがなア』
デク『そんな|酒《さけ》は|俺《おれ》は|呑《の》みたくない、|今《いま》|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》、テームスの|宅《たく》へ|闖入《ちんにふ》して、かやうな|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|貰《もら》つて|来《き》たのだ。|何《なん》なら、|汝《きさま》、これを|一杯《いつぱい》|呑《の》んだら|何《ど》うだい』
|因《ちなみ》に|此《この》|酒《さけ》は|非常《ひじやう》に|苛性的《かせいてき》な|狂乱《きやうらん》を|起《おこ》す|薬《くすり》が|入《はい》つてゐたのである。|一寸《ちよつと》|一口《ひとくち》|呑《の》むと、|何《なん》とも|知《し》れぬ|舌《した》ざはりである。|乙《おつ》は、
『ヤア、|軍曹殿《ぐんさうどの》、|話《はな》せますなア、ヤツパリ|泥棒軍《どろぼうぐん》の|上官《じやうくわん》|丈《だけ》あつて、|気《き》が|利《き》いてますワイ』
デク『|上官《じやうくわん》に|向《むか》つて、|泥坊《どろばう》とは|何《なん》だ』
|乙《おつ》『それでも、|人《ひと》の|内《うち》へ|入《はい》つて、|脅《おど》かして|貰《もら》つて|来《く》るのは|泥坊《どろばう》でせう、ヘヘヘヘ』
デク『マ|一杯《いつぱい》|呑《の》んで|見《み》よ、|盃《さかづき》を|出《だ》せい』
|乙《おつ》『|盃《さかづき》なんか、|気《き》の|利《き》いたものはありませぬ、ここに|竹製《たけせい》の|臨時盃《りんじさかづき》がありますから、|何卒《どうぞ》これに|注《つ》いで|下《くだ》さい。|竹筒《たけづつ》に|注《つ》いだ|酒《さけ》は|又《また》|格別《かくべつ》に|甘《うま》いものですよ』
と|云《い》ひながら、|竹筒《たけづつ》をつき|出《だ》す。デクは|瓢《ひさご》からドブドブと|注《つ》ぎ|与《あた》へ、
デク『オイ|汝《きさま》|一人《ひとり》|呑《の》んでは|可《い》かないぞ。これは|妖瞑酒《えうめいしゆ》というて、|一口《ひとくち》|呑《の》めば|三十年《さんじふねん》の|命《いのち》が|延《の》びるのだ。|二口《ふたくち》|呑《の》めば|三十年《さんじふねん》の|寿命《じゆみやう》がちぢまるのだ。それだから、|之《これ》を|五人《ごにん》に|呑《の》み|廻《まは》すのだ』
|乙《おつ》『|何《なん》と|難《むつ》かしい、|気《き》のじゆつない|酒《さけ》ですなア』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|一口《ひとくち》より|呑《の》めぬといふので、|十分《じふぶん》に|口《くち》にくくんだ。|何《なん》とも|知《し》れない|可《い》い|味《あぢ》がする、モ|一口《ひとくち》|呑《の》みたくて|仕方《しかた》がないが、|三十年《さんじふねん》の|寿命《じゆみやう》が|縮《ちぢ》まるのも|惜《をし》いと|思《おも》つたか、|惜《をし》|相《さう》に|甲《かふ》に|渡《わた》した。|甲《かふ》は|一口《ひとくち》|呑《の》んで|其《その》|風味《ふうみ》に|感《かん》じ、|又《また》|厭《いや》|相《さう》に|丙《へい》|丁《てい》|戊《ぼう》と|呑《の》みまはした。|戊《ぼう》の|口《くち》に|廻《まは》つた|時分《じぶん》は、ホンの|舌《した》がぬれる|程《ほど》より|無《な》かつた。|五人《ごにん》は|俄《にはか》に|踊《をど》り|出《だ》し、|息苦《いきぐる》しくなり、|川《かは》に|飛込《とびこ》んだり、|這《は》ひ|上《あが》つたり、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|喋《しやべ》り|出《だ》して、|一目散《いちもくさん》に|陣中《ぢんちう》に|駆込《かけこ》んだ。|非常《ひじやう》に|猛烈《まうれつ》な|匂《にほひ》がする、|此《この》|匂《にほひ》を|嗅《か》いだものは|忽《たちま》ち|感染《かんせん》し、|軍服《ぐんぷく》を|脱《ぬ》ぎすて、|赤裸《まつぱだか》になつて、|川中《かはなか》へ|投《な》げ|込《こ》むのが|特色《とくしよく》である。|次《つぎ》から|次《つぎ》へ|伝染《でんせん》して、|三千人《さんぜんにん》の|軍隊《ぐんたい》の|大半《たいはん》は|剣《けん》を|谷川《たにがは》に|投《なげ》すて、チューニックを|脱《ぬ》いで、|之《こ》れ|又《また》|谷川《たにがは》に|放《はふ》り|込《こ》み、|赤裸《まつぱだか》となつて、ワイワイと|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|囀《さへづ》り|初《はじ》めた。|次《つぎ》から|次《つぎ》へと|伝染《でんせん》して、スボスボと|赤裸《まつぱだか》になる|者《もの》|計《ばか》りなので、カーネルのマルタは|之《これ》を|見《み》て|驚《おどろ》き、|兎《と》も|角《かく》|将軍《しやうぐん》に|注進《ちうしん》せむと|本陣《ほんぢん》|指《さ》して|一目散《いちもくさん》に|駆込《かけこ》んだ、|赤裸《まつぱだか》の|沢山《たくさん》の|軍人《ぐんじん》は|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》をガアガアと|囀《さへず》り|乍《なが》ら、|列《れつ》を|作《つく》つて、|将軍《しやうぐん》の|陣営《ぢんえい》|指《さ》して|突喊《とつかん》し|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二二 旧一・七 於竜宮館 松村真澄録)
第一三章 |岩情《がんじやう》〔一三九九〕
|猪倉山《ゐのくらやま》の|頂上《ちやうじやう》には|巨大《きよだい》なる|猪《ゐのしし》の|形《かたち》をした|岩倉《いはくら》がある。|之《これ》を|以《もつ》て|猪倉《ゐのくら》の|名《な》が|出来《でき》たのである。|山《やま》の|五合目《ごがふめ》|以上《いじやう》は|全部《ぜんぶ》|岩《いは》を|以《もつ》て|固《かた》められ、|五合目《ごがふめ》|以下《いか》は|凄《すご》いやうな|密林《みつりん》である。そして|此《この》|岩《いは》には|所々《ところどころ》に|岩窟《がんくつ》の|入口《いりぐち》があつて、|其《その》|内部《ないぶ》は|数里《すうり》に|渡《わた》つてゐると|噂《うはさ》され、|大《おほ》きな|蝙蝠《かうもり》が|沢山《たくさん》に|棲《す》んでゐた。|此《この》|窟内《くつない》には|所々《ところどころ》に|綺麗《きれい》な|水《みづ》が|湧《わ》いてゐて、|少《すこ》しも|水《みづ》には|不自由《ふじゆう》がない。そして|所々《ところどころ》|岩《いは》から|甘露《かんろ》のやうな|油《あぶら》がにじみ|出《だ》し、|之《これ》さへ|嘗《な》めて|居《を》れば、|余《あま》り|労働《らうどう》をせぬ|限《かぎ》り、|二ケ月《にかげつ》や|三ケ月《さんかげつ》は|体力《たいりよく》が|衰《おとろ》へないと|云《い》ふ、|天与《てんよ》の|岩窟《がんくつ》である。|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は|部下《ぶか》の|兵卒《へいそつ》を|探険《たんけん》の|為《ため》に|窟内《くつない》|深《ふか》く|進《すす》ましめ、|調査《てうさ》の|結果《けつくわ》、|別《べつ》に|恐《おそ》ろしい|猛獣《まうじう》も|棲《す》んでゐない|事《こと》が|分《わか》つたので、|愈《いよいよ》ここを|本拠《ほんきよ》と|定《さだ》め、|五合目《ごがふめ》|以下《いか》に|俄作《にはかづく》りの|兵舎《へいしや》を|作《つく》つて、|谷川《たにがは》を|堺《さかひ》に|立《た》て|籠《こ》もつたのである。|此《この》|岩窟《がんくつ》に|居《を》りさへすれば、いかに|治国別《はるくにわけ》が|神力《しんりき》あり|共《とも》、|決《けつ》しておとす|事《こと》は|出来《でき》まい、|大雲山《だいうんざん》の|岩窟《がんくつ》よりも|幾倍《いくばい》|堅固《けんご》であり、|且《かつ》|広《ひろ》いかも|知《し》れぬ。|両将軍《りやうしやうぐん》はここを|自分《じぶん》の|千代《ちよ》の|住家《すみか》として|全力《ぜんりよく》を|注《そそ》ぎ、|岩《いは》を|切《き》り|拡《ひろ》げたり、いろいろ|雑多《ざつた》として、|三千《さんぜん》の|兵士《へいし》の|中《なか》で|孔鑿《こうさく》に|器用《きよう》なものを|選《えら》んで|昼夜《ちうや》|岩窟《がんくつ》の|鑿掘《さくくつ》をやつてゐた。|穴《あな》の|入口《いりぐち》の|前《まへ》には|俄作《にはかづく》りの|事務所《じむしよ》があつて、そこにはスパール、エミシのカーネルが|固《かた》く|守《まも》つてゐた。|窟内《くつない》の|中央《ちうあう》とも|覚《おぼ》しき|稍《やや》|広《ひろ》き|居間《ゐま》には|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》がそこら|中《ぢう》で|徴収《ちようしう》して|来《き》た|葡萄酒《ぶだうしゆ》を|傾《かたむ》け、|懐旧談《くわいきうだん》に|耽《ふけ》つてゐる。
|鬼春《おにはる》『|久米彦《くめひこ》|殿《どの》、かやうな|堅城鉄壁《けんじやうてつぺき》に|陣取《ぢんど》つた|上《うへ》は|最早《もはや》|大丈夫《だいぢやうぶ》で|厶《ござ》るが、|併《しか》し|乍《なが》ら|千載《せんざい》の|恨事《こんじ》ともいふは、ヒルナ、カルナの|両人《りやうにん》を|遁《のが》した|事《こと》だ。|此奴《こいつ》をどうかして|奪《と》り|還《かへ》す|工夫《くふう》はなからうかな』
|久米《くめ》『サア、|命《いのち》を|的《まと》にかけさへすれば、|奪《と》り|還《かへ》されない|事《こと》はありますまいが、あの|通《とほ》りライオンが、あの|女《をんな》には|守護《しゆご》してると|見《み》えますから、|一寸《ちよつと》は|難《むつ》かしいでせう』
|鬼春《おにはる》『|何《なん》と|云《い》つても、|目《め》も|眩《くら》むやうな|美人《びじん》だから、|元《もと》より|一通《ひととほ》りの|者《もの》ではないと|思《おも》うてゐた。|大方《おほかた》あれは|何神《なにがみ》かの|化身《けしん》であつたに|違《ちがひ》ない。ああ、|馬鹿《ばか》な|目《め》を|見《み》たものだ。|久米彦《くめひこ》、お|前《まへ》が|気《き》が|利《き》かないものだから、|掌中《しやうちう》の|玉《たま》を|取《と》られて|了《しま》つたのだよ。|鼻《はな》はねぢられ、|顔《かほ》はかきむしられ、イヤもうゼネラルとしての|貫目《くわんめ》はゼロで|厶《ござ》る』
|久米《くめ》『|何《なん》と|云《い》つても、あなたが|率先《そつせん》して|美人《びじん》に|魂《たましひ》をぬかれ|遊《あそ》ばすのだから、|拙者《せつしや》がのろけるのは、|言《い》はば|閣下《かくか》の|教育《けういく》に|依《よ》つたも|同然《どうぜん》、|仕方《しかた》がありませぬワ』
|鬼春《おにはる》『|馬鹿《ばか》を|申《まを》すな。カルナを|始《はじ》めて|陣中《ぢんちう》に|引張《ひつぱ》つたのは、|貴殿《きでん》では|厶《ござ》らぬか』
|久米《くめ》『あつて|過《す》ぎた|事《こと》は|云《い》ふに|及《およ》びますまい、それよりも|今度《こんど》ぼつたくつて|来《き》た、スミエルにスガールの|両人《りやうにん》、あれを|何《なん》とか|説《と》きつけて、|一時《いちじ》ヒルナ、カルナの|代用品《だいようひん》にしたら|如何《いかが》で|厶《ござ》る』
|鬼春《おにはる》『イヤもう|女《をんな》には|懲々《こりごり》した。あれは|飯焚《めしたき》をさしておけば|可《い》いのだ』
|久米《くめ》『|然《しか》らば|両人《りやうにん》に|飯焚《めした》きをさせませう、そしてあなたが|女《をんな》に|懲々《こりごり》なさつたとあれば、|拙者《せつしや》が|両人共《りやうにんとも》|頂《いただ》く|事《こと》に|致《いた》しませう』
|鬼春《おにはる》『イヤさうは|参《まゐ》らぬ、|貴殿《きでん》が|勝手《かつて》に|致《いた》す|位《くらゐ》なら|拙者《せつしや》も|勝手《かつて》に|致《いた》す』
|久米《くめ》『|然《しか》らばあなたは|上官《じやうくわん》の|事《こと》でもありますから、|姉《あね》のスミエルを|御自由《ごじいう》になさいませ。|拙者《せつしや》はスガールを|預《あづか》りませう』
|鬼春《おにはる》『スガールはカルナ|姫《ひめ》に|次《つ》いでの|美人《びじん》、スミエルは|比較的《ひかくてき》|醜婦《しうふ》だ。|左様《さやう》な|勝手《かつて》な|事《こと》は|出来《でき》ますまいぞ』
|久米《くめ》『|然《しか》らば|両人《りやうにん》の|自由《じいう》に|任《まか》せ、|選択《せんたく》をさせたら|如何《どう》で|厶《ござ》るかな』
|鬼春《おにはる》『ヤ、それが|宜《よ》からう、|然《しか》らばスガールを|呼出《よびだ》して、お|前《まへ》どちらが|好《す》きだか……と|尋《たづ》ねてみよう。そしてスガールの|好《す》きだと|云《い》つた|方《はう》が|彼女《かのぢよ》を|自由《じいう》にするのだ、|無理往生《むりわうじやう》さしても|面白《おもしろ》くない、|又《また》|男《をとこ》らしうもないからな』
|久米《くめ》『そら|面白《おもしろ》いでせう、|併《しか》し|乍《なが》ら、あなたは|軍服《ぐんぷく》を|見《み》れば|上官《じやうくわん》だと|云《い》ふ|事《こと》が|分《わか》つて|居《を》りますから、|女《をんな》といふ|者《もの》は|虚栄心《きよえいしん》の|強《つよ》いもの|故《ゆゑ》、キツと|地位《ちゐ》の|高《たか》いものに|靡《なび》くは|当然《たうぜん》、それでは|面白《おもしろ》くないから、どちらもチューニックを|脱《ぬ》ぎ|平服《へいふく》になり、|階級《かいきふ》の|高下《かうげ》が|分《わか》らないやうにし、|選《えら》ましたら|何《ど》うでせう』
|鬼春《おにはる》『ウン、そら|面白《おもしろ》い、それが|本当《ほんたう》だ。サ、|早《はや》く|誰《たれ》かを|呼《よ》んで、スガールを|此処《ここ》へ|召伴《めしつ》れ|来《きた》る|様《やう》、お|命《めい》じなさい』
|久米彦《くめひこ》はうち|諾《うな》づき、|此《この》|居間《ゐま》を|出《で》て、|次《つぎ》の|岩窟《がんくつ》に|至《いた》り、リウチナントのサムといふ|男《をとこ》に、スガールを|将軍《しやうぐん》の|居間《ゐま》へ|引《ひき》つれ|来《きた》る|事《こと》を|厳命《げんめい》した。リウチナントは『ハイ』と|答《こた》へて、スガールの|押込《おしこ》んである|岩窟《がんくつ》の|一間《ひとま》に|足《あし》を|急《いそ》いだ。|両将軍《りやうしやうぐん》は|軍服《ぐんぷく》を|脱《ぬ》ぎ、|平服《へいふく》と|着替《きか》へ、|顔《かほ》の|整理《せいり》などして、|色男《いろをとこ》の|競争《きやうそう》をやつて、|今《いま》や|遅《おそ》しと|待《ま》つてゐる。
|暫《しばら》くあつてスガールは|恐《おそ》る|恐《おそ》る|中尉《ちうゐ》に|送《おく》られ、|将軍《しやうぐん》の|居間《ゐま》にやつて|来《き》て、ビリビリ|慄《ふる》うてゐる。|鬼春別《おにはるわけ》は|相好《さうがう》を|崩《くづ》し、
|鬼春《おにはる》『オイ、スガール、お|前《まへ》も|随分《ずいぶん》|不便《ふべん》であらうの。|此《この》|方《はう》は|全軍《ぜんぐん》を|統率《とうそつ》する|将軍《しやうぐん》だ、ここにゐる|男《をとこ》も|亦《また》|同《おな》じく|将軍《しやうぐん》だ。|部下《ぶか》に|悪《わる》い|奴《やつ》があつて、|其方《そなた》を|斯様《かやう》な|所《ところ》へ|伴《つ》れて|来《き》たさうだが|実《じつ》に|不愍《ふびん》な|者《もの》だ。|何《ど》うかしてお|前《まへ》を|親《おや》の|内《うち》へ|送《おく》つてやりたいと、いろいろ|両人《りやうにん》が|骨《ほね》を|折《を》つてゐるのだが、|何《なん》と|云《い》つても|此《この》|山《やま》の|麓《ふもと》は、|三五教《あななひけう》の|軍勢《ぐんぜい》が、|幾万《いくまん》とも|知《し》れず、|押寄《おしよ》せて|来《き》てゐるのだから、|険難《けんのん》で|送《おく》つてやる|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|暫《しばら》くマア|此処《ここ》で|時節《じせつ》を|待《ま》つたがよからう、そして|不自由《ふじゆう》な|事《こと》があつたら、どんな|事《こと》でも|聞《き》いてやるから、|遠慮《ゑんりよ》なく|言《い》うたがいいぞ』
スガール『ハイ、|思《おも》ひもよらぬ|御親切《ごしんせつ》、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます』
|久米彦《くめひこ》は|鬼春別《おにはるわけ》に|女《をんな》の|気《き》に|入《い》り|相《さう》な|事《こと》|計《ばか》り、|先《さき》に|言《い》はれて|了《しま》ひ、|自分《じぶん》の|云《い》ふ|事《こと》がないので、|何《ど》うしようかなアと|胸《むね》を|痛《いた》めつつ|考《かんが》へ|込《こ》んだ。どうやら|鬼春別《おにはるわけ》にスガールは|思召《おぼしめし》がありさうに|思《おも》はれるので、|気《き》が|気《き》でならず、
|久米《くめ》『ああ|其方《そなた》スガールといふ|玉木《たまき》の|村《むら》でも|有名《いうめい》な|美人《びじん》だ、|本当《ほんたう》に|悪者《わるもの》の|手《て》にかかつて、かやうな|所《ところ》へ|来《く》るとは、|不愍《ふびん》な|者《もの》だなア、|俺《おれ》も|同情《どうじやう》の|涙《なみだ》にくれてゐるのだ、どうかして、|一時《いちじ》も|早《はや》く|玉木《たまき》の|村《むら》へ|送《おく》つてやりたいのだが、|今《いま》|将軍《しやうぐん》のいはれた|通《とほ》り、|敵軍《てきぐん》が|取囲《とりかこ》んでゐるから、ここ|暫《しばら》くは|辛抱《しんばう》してくれねばなるまい、バラモン|軍《ぐん》に|捉《とら》はれてゐなければ|三五軍《あななひぐん》に|捉《とら》はれてゐるのだ、それを|思《おも》へば、お|前《まへ》は|実《じつ》に|仕合《しあは》せだよ。キツト|敵《てき》を|退散《たいさん》させてみる|心算《つもり》だから、|何事《なにごと》も|此《この》|方《はう》の|申《まを》す|事《こと》を|信《しん》じて、|楽《たのし》んで|待《ま》つてゐるが|可《よ》いワ。なア、スガール、かう|見《み》えても、|随分《ずいぶん》|親切《しんせつ》な|男《をとこ》だらう』
スガール『ハイ、|御両人様《ごりやうにんさま》、|御親切《ごしんせつ》によう|言《い》うて|下《くだ》さりました。どうぞ|宜《よろ》しう|御願《おねがひ》|申《まを》します』
|鬼春《おにはる》『オイ、スガール、お|前《まへ》は|此《この》|将軍《しやうぐん》さまと|私《わたし》と|何方《どちら》が|優《やさ》しい|男《をとこ》と|思《おも》ふか、それが|一《ひと》つ|聞《き》きたいものだなア』
スガール『ハイ、どちら|様《さま》も、|人情深《にんじやうぶか》いお|方《かた》で|厶《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら、|何《なん》だか|知《し》りませぬが、|一口《ひとくち》でも|先《さき》へ、|優《やさ》しい|言葉《ことば》をおかけ|下《くだ》さつたお|方《かた》が|嬉《うれ》しう|厶《ござ》います』
|鬼春《おにはる》『アハハハハ、さうすると、|此《この》|髭面《ひげづら》の|方《はう》が|気《き》に|入《い》つたと|言《い》ふのかな』
スガール『ハイ、|別《べつ》に|気《き》に|入《い》るといふ|事《こと》は|厶《ござ》いませぬが、|兎《と》も|角《かく》|御親切《ごしんせつ》な|御方《おかた》だと|喜《よろこ》んで|居《を》ります』
|鬼春《おにはる》『ウン、|親切《しんせつ》は|分《わか》つてゐるが、もし|仮《か》りにお|前《まへ》が|夫《をつと》を|持《も》つとしたらば、|何方《どちら》を|夫《をつと》に|持《も》つか、それが|聞《き》きたいものだ』
スガール『どうぞ、そんな|事《こと》は|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいますな、|妾《わらは》は|軍人《ぐんじん》なんか|夫《をつと》に|持《も》つ|気《き》は|厶《ござ》いませぬ』
|鬼春《おにはる》『|軍人《ぐんじん》が|気《き》に|入《い》らねば|軍人《ぐんじん》をやめてもよい、そしたらお|前《まへ》は|何《ど》うするか』
スガール『ハイ、|御両人様《ごりやうにんさま》が|一度《いちど》に|軍人《ぐんじん》をやめて、|普通《ふつう》の|人間《にんげん》にお|成《な》り|遊《あそ》ばした|時《とき》には|妾《わらは》はあとのお|方《かた》に|貰《もら》つて|頂《いただ》きます。|併《しか》し|乍《なが》らモツトモツト、|綺麗《きれい》な|気《き》の|利《き》いた|男《をとこ》も|世間《せけん》にはありませうから、さうあわてるには|及《およ》びませぬ』
|久米《くめ》『コリヤ、|女《をんな》、お|前《まへ》は|年《とし》にも|似合《にあ》はず|大胆《だいたん》な|事《こと》を|言《い》ふ|奴《やつ》だなア、|併《しか》し|乍《なが》ら|拙者《せつしや》が|好《す》きだと|云《い》つたな、エヘヘヘヘ、|鬼春別《おにはるわけ》さま、すみませぬが、|御約束通《おやくそくどほり》|拙者《せつしや》が|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しませう、あなたはスミエルさまで|御辛抱《ごしんばう》なさいませ』
|鬼春《おにはる》『オイ、スガール、|実際《じつさい》の|事《こと》を|云《い》つてくれ、|俺《おれ》にも|考《かんが》へがあるから』
スガール『ハイ、|実際《じつさい》の|事《こと》を|申《まを》しましたら、|御両人様《ごりやうにんさま》がお|立腹《りつぷく》|遊《あそ》ばしますでせう、マア|言《い》ひますまい』
|久米《くめ》『|本当《ほんたう》の|事《こと》を|云《い》つてくれ、|決《けつ》して|喧嘩《けんくわ》はしない、|何程《なにほど》|将軍《しやうぐん》が|御立腹《ごりつぷく》|遊《あそ》ばしてもお|前《まへ》の|意見《いけん》できまるのだから、|武士《ぶし》の|言葉《ことば》に|二言《にごん》はないのだから、サ、ここで、スツパリと|久米彦《くめひこ》さまが|好《す》きなら、|言《い》つたがよからうぞ』
スガール『バラモン|軍《ぐん》の|頭《かしら》をして|厶《ござ》るやうなお|方《かた》には、|死《し》んでも|身《み》を|任《まか》す|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。あなたは|人民《じんみん》の|仇《かたき》です、かやうな|所《ところ》へつれ|込《こ》まれ、あなた|方《がた》の、|獣《けだもの》の|弄物《おもちや》になるのなら、|死《し》んだがマシで|厶《ござ》います、|再《ふたた》び|親《おや》の|内《うち》へ|帰《かへ》らうなどとそんな|未練《みれん》は|持《も》ちませぬ、エエ|汚《けが》らはしい、どうぞ|殺《ころ》して|下《くだ》さいませ』
|鬼春《おにはる》『アハハハハ|久米彦《くめひこ》|殿《どの》、|如何《いかが》で|厶《ござ》る。|余《あま》り、|得意《とくい》になつて、ホラも|吹《ふ》けますまい』
|久米《くめ》『エエ|仕方《しかた》がない、|牢獄《らうごく》へぶち|込《こ》んでやろ、|怪《け》しからぬ|事《こと》を|言《い》ふ|奴《やつ》だ。そして|其《その》|方《はう》の|考《かんが》へ|一《ひと》つに|仍《よ》つて、|姉《あね》のスミエルも|如何《いか》なる|運命《うんめい》に|陥《おちい》るか|知《し》れぬから|覚悟《かくご》をせい』
と|荒々《あらあら》しく|呶鳴《どな》り|立《た》て|乍《なが》ら、|久米彦《くめひこ》はスガールの|手《て》を|無理《むり》に|引《ひつ》ぱつて、|長《なが》い|隧道《とんねる》を|伝《つた》うて|行《ゆ》く。|鬼春別《おにはるわけ》は|双手《もろて》をくみ、|首《くび》をうなだれて、|独言《ひとりごと》、
『ああ|此《この》|道《みち》|計《ばか》りは|如何《いか》なる|権力《けんりよく》も|強迫《きやうはく》も|駄目《だめ》だなア、|併《しか》し|乍《なが》ら|一旦《いつたん》|言《い》ひ|出《だ》した|事《こと》、|此《この》|儘《まま》ひつ|込《こ》んでは|男《をとこ》が|立《た》たぬ、|又《また》|久米彦《くめひこ》に|占領《せんりやう》されては、|尚々《なほなほ》|顔《かほ》が|立《た》たない、|何《なん》とか|工夫《くふう》をめぐらして、スガールの|心《こころ》を|動《うご》かす|方法《はうはふ》はあるまいかなア』
と|小声《こごゑ》で|囁《ささや》いてゐた。|一方《いつぱう》|久米彦《くめひこ》は|牢獄《らうごく》へ|投《とう》ずると|云《い》ひ|乍《なが》ら、|長《なが》い|隧道《とんねる》をくぐつて、|曲《まが》り|角《かど》の|暗《くら》い|所《ところ》へ|行《い》つた|時《とき》、
|久米《くめ》『オイ、スガール、お|前《まへ》|本気《ほんき》であんな|事《こと》|云《い》つたのか』
スガール『|本気《ほんき》です|共《とも》、|妾《わらは》は|命《いのち》は|欲《ほ》しくはないんですから、|命《いのち》を|放《ほ》り|出《だ》してゐるのですもの』
|久米《くめ》『フーム、さうか、|俺《おれ》の|為《ため》に|命《いのち》を|放《ほ》り|出《だ》すと|云《い》ふのだな、ヤ、|心底《しんてい》がみえた、|感心《かんしん》|々々《かんしん》、|俺《おれ》も|其《その》つもりで|影《かげ》から|可愛《かあい》がつてやろ』
スガール『エエ|気色《きしよく》の|悪《わる》い、|誰《たれ》があんたなんかに|命《いのち》を|差出《さしだ》す|者《もの》がありますか、|悪《あく》の|張本人《ちやうほんにん》、|馬賊《ばぞく》の|親方《おやかた》みたいな|男《をとこ》に、|死《し》んでも|靡《なび》きませぬワ』
|久米《くめ》『ハハハハハ、ヒルナ、カルナの|奴《やつ》には|惚《ほ》れたやうな|顔《かほ》をして、|甘《うま》く|騙《だま》されたが、|此奴《こいつ》ア|又《また》あべこべだ。|此《こ》んな|奴《やつ》に|本当《ほんたう》のものがあるのだ、ここが|一《ひと》つ|骨《ほね》の|折所《をりどころ》だ』
と|自惚《うぬぼ》れ|乍《なが》ら、スガールの|背中《せなか》を|撫《な》で、|猫《ねこ》なで|声《ごゑ》を|出《だ》して、
|久米《くめ》『オイ、スガール、さう|腹《はら》を|立《た》てるものぢやない、お|前《まへ》が|俺《わし》の|云《い》ふ|通《とほ》りにすれば|何事《なにごと》も|都合好《つがふよ》くゆくのだ。キツとお|前《まへ》のお|父《とう》さまやお|母《かあ》さまに|会《あ》はしてやるから、|俺《わし》の|言《い》ふ|通《とほ》りになるのだ、|可《い》いか、よく|物《もの》を|考《かんが》へてみよ』
スガールはとても|抵抗《ていかう》した|所《ところ》で|遁《のが》れない、|一時《いつとき》のがれに|何《なん》とかゴマかしておかうと|俄《にはか》に|思案《しあん》を|定《さだ》め、ワザと|嬉《うれ》しげに、
スガール『ハイ、|本当《ほんたう》の|私《わたし》の|精神《せいしん》はお|察《さつ》し|下《くだ》さいませ、|将軍様《しやうぐんさま》の|前《まへ》で|厶《ござ》いますから、あのやうに|云《い》つてみたので|厶《ござ》いますよ』
|久米《くめ》『アハハハハ、ヤツパリ|俺《わし》の|目《め》は|黒《くろ》い、さうだらう。ヨシ、それなら|俺《わし》のここに|特別室《とくべつしつ》があるから、ここへ|這入《はい》つて|居《を》れ、|将軍《しやうぐん》の|方《はう》へは、お|前《まへ》を|牢獄《らうごく》へぶち|込《こ》んだと|甘《うま》く|云《い》つておくから……』
スガール『それは|有難《ありがた》う|厶《ござ》いますが、どうぞ|姉《ねえ》さまと|一緒《いつしよ》において|下《くだ》さいな、|別々《べつべつ》に|居《ゐ》るのも|淋《さび》しう|厶《ござ》いますから、|妾《わらは》を|真《しん》に|愛《あい》して|下《くだ》さるのなら、|恋《こひ》しい|姉《ねえ》さまと|一緒《いつしよ》において|下《くだ》さるでせうねえ』
|久米《くめ》『さうだ、|二人《ふたり》おくのはチツと|都合《つがふ》は|悪《わる》いけれど、|外《ほか》ならぬお|前《まへ》の|事《こと》だから、|曲《ま》げて|願《ねがひ》を|叶《かな》へてやろ、どうだ|嬉《うれ》しいか』
スガール『ハイ|嬉《うれ》しう|厶《ござ》います、サ、|早《はや》く、|何卒《どうぞ》|姉《ねえ》さまを|呼《よ》んで|来《き》て|下《くだ》さいませ』
|久米彦《くめひこ》は|打《うち》うなづき|乍《なが》ら、|自分《じぶん》の|居間《ゐま》にスガールを|忍《しの》ばせおき、スミエルを|牢屋《ひとや》から|引《ひつ》ぱり|出《だ》し、|自分《じぶん》の|寝室《しんしつ》に|伴《つ》れ|帰《かへ》つた。
スガール『あれマア|姉《ねえ》さま、|会《あ》ひたう|厶《ござ》いました。|何《ど》うしてゐらつしやいましたの』
スミエル『ハ、|暗《くら》い|暗《くら》い|所《ところ》へ|一人《ひとり》|入《い》れられて、モウ|死《し》なうかモウ|死《し》なうかと|覚悟《かくご》してをつた|所《ところ》へ、|憐《あはれ》み|深《ぶか》い|将軍様《しやうぐんさま》がお|出《い》で|下《くだ》さいまして、|妹《いもうと》に|会《あ》はしてやらうと|仰有《おつしや》つて|此処《ここ》へ|連《つ》れて|来《き》て|下《くだ》さつたのよ。|将軍様《しやうぐんさま》、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
|久米《くめ》『ヨシヨシ、モウ|心配《しんぱい》はいらぬ、|又《また》|時機《じき》をみて、|親《おや》の|内《うち》へ|送《おく》つてやる。お|前等《まへたち》|二人《ふたり》は|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》さずに、|此処《ここ》に|隠《かく》れてゐるが|宜《よろ》しい、|又《また》|鬼春別《おにはるわけ》|将軍《しやうぐん》に|見付《みつ》かると|大変《たいへん》だから、|私《わし》は|一寸《ちよつと》|軍務《ぐんむ》の|都合《つがふ》に|仍《よ》つて、|陣営《ぢんえい》を|巡視《じゆんし》してくるから』
と|云《い》ひ|乍《なが》らピタリと|戸《と》をしめ、|外《そと》から|鍵《かぎ》をおろして、どつかへ|行《い》つて|了《しま》つた。
(大正一二・二・二二 旧一・七 於竜宮館 松村真澄録)
第一四章 |暗窟《あんくつ》〔一四〇〇〕
|鬼春別《おにはるわけ》は|双手《もろて》を|組《く》み、|失望《しつばう》|落胆《らくたん》の|色《いろ》を|浮《うか》べて|何《なに》か|思案《しあん》に|沈《しづ》んでゐる。そこへ|潔《いさぎよ》くやつて|来《き》たのは|久米彦《くめひこ》であつた。
|久米《くめ》『|将軍殿《しやうぐんどの》|将軍殿《しやうぐんどの》』
と|呼《よ》ぶ|声《こゑ》にハツと|気《き》がつき、
|鬼春《おにはる》『ヤア|久米彦《くめひこ》|殿《どの》、|如何《いかが》で|厶《ござ》つたかな』
|久米《くめ》『いやもう、|何《ど》うにも、|斯《か》うにも|仕方《しかた》のない|阿婆摺《あばず》れ|女《をんな》で|実《じつ》に|手古摺《てこず》りました。|止《や》むを|得《え》ず|最《もつと》も|深《ふか》い|暗窟《あんくつ》へ|放《ほ》り|込《こ》みました。|定《さだ》めて|今頃《いまごろ》は|斃《くたば》つて|居《ゐ》るでせう』
|鬼春《おにはる》『それは|惜《をし》い|事《こと》を|致《いた》したものだ。そして|姉《あね》のスミエルは|如何《いかが》なさつたか』
|久米《くめ》『|彼奴《あいつ》も|荒繩《あらなは》で|括《くく》つて|暗窟《あんくつ》に|一緒《いつしよ》に|放《ほ》り|込《こ》みました。|扨《さて》も|扨《さて》も|心地《ここち》のよい|事《こと》で|厶《ござ》いましたワイ。アハハハハ』
|鬼春《おにはる》『ヤア、それは|惜《をし》い|事《こと》を|致《いた》したものだ。|然《しか》しここでは|何《なん》だか|気持《きもち》が|悪《わる》い。|一度《いちど》|貴殿《きでん》の|御居間《おゐま》へ|伺《うかが》はうと|思《おも》つてゐた|所《ところ》だ。|之《これ》から|何《なに》かの|御相談《ごさうだん》があるから|貴殿《きでん》の|室《しつ》まで|参《まゐ》りませう』
|久米彦《くめひこ》は|自分《じぶん》の|室《しつ》に|二人《ふたり》の|姉妹《しまい》を|隠《かく》して|置《お》き|乍《なが》ら、|暗《くら》き|陥穽《おとしあな》へ|放《ほ》り|込《こ》んで|殺《ころ》して|了《しま》つたと|詐《いつは》つたのだから、|鬼春別《おにはるわけ》に|来《こ》られては|忽《たちま》ち|露顕《ろけん》の|惧《おそれ》がある。はて|困《こま》つた|事《こと》が|出来《でき》たワイ……と|思《おも》うたが|流石《さすが》は|曲物《くせもの》、|故意《わざ》と|平気《へいき》な|顔《かほ》をして、
|久米《くめ》『|吾々《われわれ》の|如《ごと》き|者《もの》の|穢《むさ》くるしい|家《うち》へお|越《こ》し|下《くだ》さるのは、|実《じつ》に|恐《おそ》れ|入《い》ります。|何《ど》うか|貴方《あなた》の|御居間《おゐま》で|伺《うかが》はして|貰《もら》ふ|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまいかな』
|鬼春《おにはる》『いや|拙者《せつしや》の|居間《ゐま》は|男《をとこ》ばかりで、|何《なに》かにつけて|不都合《ふつがふ》で|厶《ござ》る。|貴殿《きでん》の|居間《ゐま》へ|参《まゐ》れば|女手《をんなで》が|二人《ふたり》も|揃《そろ》うてゐるのだから、|誠《まこと》に|以《もつ》て|都合《つがふ》が|好《よ》いと|存《ぞん》じ、それで|貴殿《きでん》の|居間《ゐま》を|拝借《はいしやく》しようと|申《まを》したのだ』
|久米彦《くめひこ》はハツと|顔《かほ》を|赤《あか》らめ、……|鬼春別《おにはるわけ》は|何時《いつ》の|間《ま》にか|自分《じぶん》の|居間《ゐま》に|二人《ふたり》が|隠《かく》してあるのを|悟《さと》つたのかな、こいつア|大変《たいへん》だ……と|胸《むね》を|躍《をど》らせ|乍《なが》ら|故意《わざ》と|空恍《そらとぼ》けて、
|久米《くめ》『ハハハハハ|将軍殿《しやうぐんどの》は|随分《ずいぶん》|疑《うたがひ》の|深《ふか》い|方《かた》で|厶《ござ》るな。|吾々《われわれ》もバラモン|軍《ぐん》の|統率者《とうそつしや》、|左様《さやう》な|卑怯《ひけふ》な|事《こと》は|致《いた》しませぬ。|何卒《どうぞ》|人格《じんかく》を|見損《みそこな》はない|様《やう》にして|頂《いただ》き|度《た》いものですな』
|鬼春《おにはる》『ハハハハハ|今《いま》|迄《まで》|貴殿《きでん》の|人格《じんかく》を|見損《みそこな》つてゐたのだ。|今日《こんにち》|愈《いよいよ》|人格《じんかく》の|程度《ていど》が|分《わか》つたので|厶《ござ》る。さう|仰《おほ》せらるるなれば|拙者《せつしや》の|疑《うたがひ》を|晴《は》らすために、|一度《いちど》|貴殿《きでん》の|居間《ゐま》を|明《あ》けて|見《み》せて|貰《もら》ひませう』
|久米《くめ》『|拙者《せつしや》の|居間《ゐま》は|拙者《せつしや》の|権利《けんり》の|中《うち》で|厶《ござ》る。|如何《いか》に|上官《じやうくわん》だつて|捜索《そうさく》する|訳《わけ》には|参《まゐ》りますまい。こればかりは|平《ひら》にお|断《ことわ》り|申《まを》します』
|鬼春《おにはる》『いや、|何《なん》と|云《い》はれても|拙者《せつしや》の|権利《けんり》を|以《もつ》て|室内《しつない》|捜索《そうさく》を|致《いた》す』
と|云《い》ひ|乍《なが》らスタスタと|隧道《すゐだう》を|潜《くぐ》つて|久米彦《くめひこ》の|居間《ゐま》に|進《すす》み|行《ゆ》く。
|久米彦《くめひこ》は……|今《いま》|露顕《あらは》れたが|最後《さいご》、|一悶錯《ひともんさく》が|起《おこ》るか、|但《ただし》は|自分《じぶん》は|首《くび》にならねばなるまい。|一層《いつそう》の|事《こと》、|鬼春別《おにはるわけ》を|後《うしろ》から|一思《ひとおも》ひにやつつけて|了《しま》はうか。いやいや|将軍《しやうぐん》にも|股肱《ここう》の|家来《けらい》が|沢山《たくさん》ある。うつかり|手出《てだ》しも|出来《でき》まい、ぢやと|云《い》つて|吾《わが》|居間《ゐま》を|覗《のぞ》かれたが|最後《さいご》、|忽《たちま》ち|露顕《ろけん》するのだ。はて、|如何《どう》したら|宜《よ》からうか……と|刻々《こくこく》に|迫《せま》る|胸《むね》の|苦《くるし》みを|抑《おさ》へて、|見《み》え|隠《かく》れに|跟《つ》いて|行《ゆ》く。
|鬼春別《おにはるわけ》は|已《すで》に|已《すで》にドアーの|入口《いりぐち》に|着《つ》いた。そしてドアーに|耳《みみ》を|寄《よ》せて|中《なか》の|様子《やうす》を|考《かんが》へてゐる。スミエル、スガールの|姉妹《おとどひ》は、そんな|事《こと》とは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、|両親《りやうしん》のことや、|自分《じぶん》の|身《み》の|不運《ふうん》を|歎《なげ》いて|涙《なみだ》に|袖《そで》を|霑《うるほ》し|乍《なが》ら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|盤古大神《ばんこだいじん》|救《すく》ひ|玉《たま》へ、|助《たす》け|玉《たま》へと|祈《いの》つてゐる。
|鬼春別《おにはるわけ》は|鍵《かぎ》を|持《も》つてゐないので、|開《あ》けて|這入《はい》る|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|又《また》|部下《ぶか》に|命《めい》じて|開《あ》けさしては|却《かへつ》て|自分《じぶん》の|人格《じんかく》や|声望《せいばう》を|落《おと》す|虞《おそ》れがあるので、|恋《こひ》の|奴《やつこ》となつた|彼《かれ》は、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|首《くび》を|傾《かたむ》けて|室内《しつない》の|様子《やうす》を|聞《き》いてゐる。されど|何《なん》だかワンワンと|響《ひび》きがするばかりで|少《すこ》しも|聞《き》きとれなかつた。
|久米彦《くめひこ》|将軍《しやうぐん》は|漸《やうや》くここに|現《あら》はれ、
|久米《くめ》『|鬼春別《おにはるわけ》|様《さま》、|拙者《せつしや》の|室内《しつない》には|何《なに》か|怪《あや》しきものが|居《ゐ》る|様子《やうす》ですかな』
|鬼春《おにはる》『|確《たしか》に|怪《あや》しう|厶《ござ》る。さア|早《はや》く|鍵《かぎ》を|出《だ》してここをお|開《あ》け|召《め》され。さすれば|貴殿《きでん》の|疑《うたがひ》も|晴《は》れ、|両人《りやうにん》の|間《あひだ》の|確執《かくしつ》も|解《と》けて|結構《けつこう》で|厶《ござ》らう』
|久米《くめ》『なるほど、それは|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますが、|生憎《あいにく》|鍵《かぎ》を|落《おと》しましたので、|這入《はい》る|訳《わけ》にもゆきませぬ』
|鬼春《おにはる》『|鍵《かぎ》がなくても|叩《たた》き|破《やぶ》れば|宜《よ》いのだ。|金鎚《かなづち》か|何《なに》か|持《も》つて|来《き》なさい』
|久米《くめ》『|之《これ》は|怪《け》しからぬ。|拙者《せつしや》の|居間《ゐま》を|金鎚《かなづち》を|以《もつ》て|叩《たた》き|破《やぶ》るとは、|決《けつ》して|武士《ぶし》の|取《と》るべき|道《みち》では|厶《ござ》るまい。いざ|戦場《せんぢやう》と|云《い》ふ|場合《ばあひ》は|兎《と》も|角《かく》、|平常《へいじやう》に|於《おい》て|他人《ひと》の|居室《ゐま》を|叩《たた》き|破《やぶ》るとは|実《じつ》に|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》と|申《まを》すもの、|之《これ》ばかりは|如何《いか》に|上官《じやうくわん》の|命《めい》とても、|久米彦《くめひこ》|承知《しようち》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ』
|鬼春《おにはる》『さうすると、ヤツパリ|疑《うたが》はしい|物臭《ものぐさ》い|事《こと》をしてゐられると|見《み》える。|拙者《せつしや》の|命令《めいれい》をお|肯《き》きなくば、|只今《ただいま》より|上官《じやうくわん》の|職権《しよくけん》を|以《もつ》て|将軍職《しやうぐんしよく》を|免《めん》じますから|其《その》|覚悟《かくご》をなさい』
|久米《くめ》『|拙者《せつしや》は|決《けつ》して|貴殿《きでん》の|命令《めいれい》によつて|将軍《しやうぐん》になつたのでは|厶《ござ》らぬ、|大黒主《おほくろぬし》|様《さま》より|命《めい》を|受《う》けて|将軍《しやうぐん》に|任《にん》ぜられたのだから、いかいお|世話《せわ》で|厶《ござ》る。|公務上《こうむじやう》の|事《こと》は|兎《と》も|角《かく》、|私行上《しかうじやう》に|迄《まで》|上官《じやうくわん》を|振《ふ》り|廻《まは》す|理由《りいう》はありますまい。|久米彦《くめひこ》、|断《だん》じて|此《この》|室内《しつない》は|開《あ》けさせませぬ』
かく|両人《りやうにん》が|争《あらそ》ふ|所《ところ》へ、|慌《あわ》ただしく|走《はし》つて|来《き》たのはカーネルのマルタであつた。
マルタ『|将軍様《しやうぐんさま》、|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《しゆつたい》|致《いた》しました』
|鬼春《おにはる》『|大変《たいへん》とは|何《なん》だ』
マルタ『ハイ、|三千《さんぜん》の|兵士《へいし》、|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|真裸体《まつぱだか》となり、|何《なん》だか|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|申《まを》しまして|事務所《じむしよ》を|叩《たた》き|破《やぶ》り|槍剣《さうけん》を|捨《す》て|石《いし》を|投《な》げ|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》に|及《およ》んでゐます。|愚図々々《ぐづぐづ》してゐれば|此《この》|室内《しつない》にも|入《はい》るかも|知《し》れませぬから|何卒《なにとぞ》|両将軍様《りやうしやうぐんさま》の|御威勢《ごゐせい》によりまして|御鎮圧《ごちんあつ》を|願《ねが》ひます、|到底《たうてい》|吾々《われわれ》の|力《ちから》には|及《およ》びませぬ。|思《おも》ふに|三五教《あななひけう》の|奴《やつ》が|魔法《まはふ》を|使《つか》つて|吾《わが》|軍《ぐん》を|悩《なや》ますものと|考《かんが》へます』
|此《この》|注進《ちうしん》に|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は|私行上《しかうじやう》の|争論《いさかひ》はケロリと|忘《わす》れ、|一目散《いちもくさん》に|岩窟《いはや》の|入口《いりぐち》に|駆《か》け|出《だ》し、|四辺《あたり》を|見《み》れば|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》は|八九分通《はちくぶどほ》り|真裸体《まつぱだか》となり、|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》をガヤガヤ|囀《さへづ》り|乍《なが》ら、|半永久的《はんえいきうてき》の|建物《たてもの》を|小口《こぐち》から、メリメリメリ バチバチバチと|叩《たた》き|潰《つぶ》してゐる。|両将軍《りやうしやうぐん》は|大喝《たいかつ》|一声《いつせい》『コラツ』と|云《い》ひ|乍《なが》ら|大勢《おほぜい》の|中《なか》に|飛《と》び|込《こ》んだ。|妖瞑酒《えうめいしゆ》に|侵《をか》された|一同《いちどう》は|両将軍《りやうしやうぐん》の|姿《すがた》を|見《み》るより|吾先《われさき》にと|群《むら》がり|来《きた》り、『ヨイシヨ ヨイシヨ』と|云《い》ひ|乍《なが》ら|胴上《どうあ》げをしたり、|地上《ちじやう》に|投《な》げたり、あらむ|限《かぎ》りの|乱暴狼藉《らんばうろうぜき》をなし、|遂《つひ》に|両将軍《りやうしやうぐん》は|大勢《おほぜい》の|者《もの》に|身体中《からだぢう》を|踏《ふ》み|蹂《にじ》られ、|殆《ほと》んど|息《いき》の|根《ね》も|絶《た》えむばかりになつてゐた。
そこへチュウニック|姿《すがた》のデク、シーナの|両人《りやうにん》は|厳《いかめ》しく|剣《けん》を|吊《つ》り|乍《なが》ら|悠々《いういう》として|現《あら》はれ|来《きた》り、|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|岩窟内《がんくつない》に|忍《しの》び|入《い》り、スミエル、スガール|両人《りやうにん》の|所在《ありか》は|何処《いづこ》ぞと|探《さが》してゐる。|岩窟内《がんくつない》に|潜《ひそ》んでゐた|数多《あまた》のバラモン|軍《ぐん》は|二人《ふたり》の|服装《ふくさう》を|見《み》て|別《べつ》に|怪《あや》しみもせず、|各《おのおの》|軍務《ぐんむ》に|従事《じゆうじ》してゐる。|又《また》もや|真裸体《まつぱだか》の|半狂乱軍《はんきやうらんぐん》はドヤドヤと|岩窟内《がんくつない》に|入《い》り|来《きた》り、|当《あた》るを|幸《さいは》ひ|暴狂《あれくる》ふ。|漸《やうや》くにして|妖瞑酒《えうめいしゆ》の|酔《よ》ひも|醒《さ》め、|一同《いちどう》の|軍人《ぐんじん》は|正気《しやうき》に|復《ふく》し、|捨《す》てた|剣《けん》を|拾《ひろ》い|上《あ》げたり、|谷川《たにがは》に|流《なが》した|衣類《いるゐ》の|彼方此方《あちらこちら》に|掛《かか》つてゐるのを|拾《ひろ》ひあげ、|日光《につくわう》に|干《ほ》し|乾《かわ》かし|両将軍《りやうしやうぐん》を|助《たす》けて|元《もと》の|居間《ゐま》に|送《おく》り|届《とど》けた。|一時《いちじ》|妖瞑酒《えうめいしゆ》の|勢《いきほひ》で|狂態《きやうたい》を|演《えん》じた|数多《あまた》の|軍隊《ぐんたい》も|愈《いよいよ》|目《め》が|覚《さ》めて|一層《いつそう》|軍規《ぐんき》を|厳重《げんぢう》にする|事《こと》となつた。|道晴別《みちはるわけ》のデク、|及《およ》びシーナは|漸《やうや》くにしてスミエル、スガールの|所在《ありか》を|探《さぐ》り、|門扉《もんぴ》を|叩《たた》き|割《わ》つて|中《なか》に|押《お》し|入《い》り、|両人《りやうにん》を|助《たす》けて|室内《しつない》を|遁《に》げ|出《だ》さうとする|時《とき》、|前後左右《ぜんごさいう》の|隧道《すゐだう》より|集《あつ》まり|来《きた》つたバラモン|軍《ぐん》に|脆《もろ》くも|縛《しば》られ、|四人《よにん》は|別々《べつべつ》に|暗《くら》い|岩窟《いはや》の|中《なか》に|落《おと》し|込《こ》まれて|了《しま》つた。
|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》を|初《はじ》めスパール、エミシ、シヤム、マルタの|幹部連《かんぶれん》は、|岩窟内《いはやない》の|最《もつとも》|広《ひろ》き|将軍事務室《しやうぐんじむしつ》に|集《あつま》つて、|今度《こんど》の|変事《へんじ》に|就《つ》き|種々《しゆじゆ》と|其《その》|原因《げんいん》を|調《しら》べてゐる。
|鬼春《おにはる》『|三千《さんぜん》の|軍隊《ぐんたい》が|殆《ほとん》ど|九分九里《くぶくりん》|迄《まで》|真裸体《まつぱだか》になり、|斯《かく》の|如《ごと》き|狂態《きやうたい》を|演《えん》じたのは|決《けつ》して|普通《ふつう》の|事《こと》ではあるまい。|之《これ》には|何《なに》かの|原因《げんいん》があるだらう。|汝等《なんぢら》よく|調査《てうさ》をして、|再《ふたた》びかかる|不始末《ふしまつ》がない|様《やう》に|注意《ちうい》して|呉《く》れたがよからうぞ』
スバール『|左様《さやう》で|厶《ござ》います。|何《なん》とも|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》ばかり、|大方《おほかた》|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》|一派《いつぱ》が、|妖術《えうじゆつ》でも|使《つか》つて|吾《わが》|軍営《ぐんえい》を|攪乱《かくらん》させ、|将軍《しやうぐん》を|生捕《いけどり》にする|計劃《けいくわく》ではあるまいかと|存《ぞん》じて|居《を》ります』
エミシ『|初《はじ》めの|間《うち》は|僅《わづ》かの|四五人《しごにん》の|発狂者《はつきやうしや》でありましたが、|次第々々《しだいしだい》に|伝染《でんせん》してあの|様《やう》になつたのです。|三五教《あななひけう》には|妖術《えうじゆつ》|等《など》はありませぬ。|恐《おそ》らく|此《この》|山《やま》に|住《す》む|妖幻坊《えうげんばう》の|一味《いちみ》がなせしもので|厶《ござ》りませう。|先《ま》づ|第一《だいいち》にバラモン|神《がみ》を|祀《まつ》り|一生懸命《いつしやうけんめい》に|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らさねば、|又《また》|斯様《かやう》の|事《こと》が|出来《でき》ては|危険《きけん》ですからな』
|久米《くめ》『あの|怪《あや》しき|二人《ふたり》の|軍人《ぐんじん》、|牢獄《らうごく》に|投《とう》じて|置《お》いた|奴《やつ》、もしや|三五教《あななひけう》の|間諜《まはしもの》では|厶《ござ》るまいか』
|鬼春《おにはる》『ハハハハハ、これだけ|沢山《たくさん》の|軍隊《ぐんたい》を|以《もつ》て|固《かた》めた|所《ところ》へ、|一人《ひとり》や|二人《ふたり》の|間諜《まはしもの》が|這入《はい》つて|来《き》た|所《ところ》で|何《なに》が|出来《でき》るものか。|此《この》|方《はう》が|察《さつ》する|所《ところ》によれば、|玉木村《たまきむら》の|豪農《がうのう》テームスの|家《いへ》から|攫《さら》つて|来《き》たと|云《い》ふスミエル、スガールの|二人《ふたり》の|女《をんな》こそ|怪《あや》しきものだと|思《おも》ふ。その|証拠《しようこ》には|彼《かれ》を|牢獄《らうごく》へぶち|込《こ》んだ|最後《さいご》、|味方《みかた》の|兵士《へいし》の|狂態《きやうたい》が|恢復《くわいふく》したではないか』
エミシ『|成程《なるほど》、さう|承《うけたま》はればさうに|間違《まちが》ひは|厶《ござ》りませぬ。|陣中《ぢんちう》に|女《をんな》を|引入《ひきい》れる|如《ごと》きは|神《かみ》の|許《ゆる》し|給《たま》はざる|所《ところ》なれば、|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》が|戒《いまし》めの|為《た》めに、ああ|云《い》ふ|手続《てつづ》きを|採《と》り|吾々《われわれ》|一同《いちどう》に|気《き》をつけて|下《くだ》さつたのかも|知《し》れませぬ。それについても、あの|二人《ふたり》の|兵士《へいし》は|吾《わが》|軍《ぐん》の|服装《ふくさう》して|居《を》りますれど、あれも|何《なん》だか|怪《あや》しいものです。|此《この》|山《やま》の|主《ぬし》が|化《ばけ》てゐるのかも|分《わか》りますまい』
|鬼春《おにはる》『|決《けつ》して|彼等《かれら》|四人《よにん》に|相手《あひて》になつてはならぬぞ。ああして|押込《おしこ》めて|置《お》けば、|再《ふたた》び|悪戯《いたづら》は|致《いた》しますまい。|久米彦《くめひこ》|殿《どの》|如何《いかが》で|厶《ござ》る。|御意見《ごいけん》を|承《うけたま》はり|度《た》い』
|久米《くめ》『|成程《なるほど》、どう|考《かんが》へても|合点《がつてん》の|行《ゆ》かぬ|事《こと》で|厶《ござ》る。|将軍《しやうぐん》の|仰《おほ》せの|如《ごと》く|彼等《かれら》はいらはぬ|事《こと》と|致《いた》して、|兎《と》も|角《かく》|軍隊《ぐんたい》の|緊粛《きんしゆく》を|図《はか》り、|如何《いか》なる|敵《てき》が|寄《よ》せ|来《きた》るとも、|天与《てんよ》の|要害《えうがい》を|扼《やく》し|之《これ》だけの|味方《みかた》があれば|大丈夫《だいぢやうぶ》ですから、|軍隊《ぐんたい》|一般《いつぱん》に|注意《ちうい》を|与《あた》ふる|事《こと》と|致《いた》しませう』
さていろいろと|積《つ》んだり|崩《くづ》したり、ラートの|結果《けつくわ》|互《たがひ》に|相戒《あひいまし》めて|変《かは》つたものが|来《き》たら|近《ちか》づけない|事《こと》に|定《き》めて|一先《ひとま》づ|会議《くわいぎ》を|閉《と》ぢた。それより|互《たがひ》に|相戒《あひいまし》め|軍規《ぐんき》を|厳粛《げんしゆく》に|此《この》|要害《えうがい》を|上下一致《しようかいつち》の|上《うへ》|死守《ししゆ》する|事《こと》となつた。
(大正一二・二・二二 旧一・七 於竜宮館 北村隆光録)
第四篇 |関所《せきしよ》の|玉石《ぎよくせき》
第一五章 |愚恋《ぐれん》〔一四〇一〕
|晴曇《せいどん》|常《つね》なき|晩秋《ばんしう》の|空《そら》、|冷《つめ》たき|風《かぜ》に|裳裾《もすそ》をあふられて、トボトボとやつて|来《き》た|一人《ひとり》の|男《をとこ》がある。ここはブルガリオの|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》である。|例《れい》の|如《ごと》く|白赤《しろあか》|二人《ふたり》の|守衛《しゆゑい》が|厳然《げんぜん》と|門《もん》に|立《た》つてゐた。|一人《ひとり》の|男《をとこ》は|何気《なにげ》なく|此《この》|門《もん》を|潜《くぐ》らむとした。|赤《あか》の|守衛《しゆゑい》は、
|赤《あか》『|旅人《たびびと》|暫《しばら》く|待《ま》てツ』
と|呼《よ》びとめた。|男《をとこ》は|立止《たちど》まつて、
|男《をとこ》『ハイ、|何《なん》ぞ|用《よう》で|厶《ござ》いますか』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》は|何者《なにもの》だ。そして|姓名《せいめい》を|名乗《なの》れ』
|男《をとこ》『ハイ、|私《わたし》は|自動車《じどうしや》の|運転手《うんてんしゆ》で|六助《ろくすけ》と|申《まを》します』
|赤《あか》『あの|有名《いうめい》なカウンテスの|悪川鎌子《あしかはかまこ》の|情夫《じやうふ》だな』
|六助《ろくすけ》『|左様《さやう》で|厶《ござ》います、それが|又《また》|何《なん》と|致《いた》しましたか、|別《べつ》に|貴方《あなた》|方《がた》にお|咎《とがめ》を|蒙《かうむ》る|理由《りいう》は|毛頭《まうとう》|厶《ござ》いませぬがな』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》はここを|何処《どこ》と|心得《こころえ》て|居《を》る』
|六助《ろくすけ》『|現界《げんかい》でもなければ、|霊界《れいかい》でもなし、|死《し》んだやうにも|思《おも》ひますし、|死《し》んでゐないやうだし、つまり|五里霧中《ごりむちゆう》に|逍《さま》よつて|居《を》ります。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|途中《とちう》で|妙《めう》な|歌《うた》を|聞《き》きましたので、ヤツパリ|死《し》んだのではあるまいかと|考《かんが》へます』
|赤《あか》『どんな|歌《うた》を|聞《き》いたのだ、ここで|一《ひと》つ|言《い》つて|見《み》よ』
|六助《ろくすけ》『ハイ、|何卒《どうぞ》お|笑《わら》ひ|下《くだ》さいませぬやうに、|判然《はつきり》は|覚《おぼ》えてゐませぬが、あの|歌《うた》によると|何《ど》うやら|死《し》んだやうで|厶《ござ》います。そして|愛人《あいじん》の|鎌子《かまこ》は|後《あと》に|残《のこ》つてるやうな|気《き》が|致《いた》します』
|赤《あか》『|愛人《あいじん》の|事《こと》を|尋《たづ》ねて|居《ゐ》るのでない、|歌《うた》を|聞《き》かせといふのだ』
|六助《ろくすけ》『ハイ、|先《ま》づザツと|左《さ》の|次第《しだい》で|厶《ござ》います。
|命《いのち》からるる|鎌子《かまこ》ぞと
|知《し》らぬが|仏《ほとけ》の|六助《ろくすけ》を
|犬死《いぬじ》にさせたは|誰《たれ》が|罪《つみ》
|親馬鹿《おやばか》|子馬鹿《こばか》に|亭主馬鹿《ていしゆばか》
といふ|様《やう》な|歌《うた》で|厶《ござ》いました』
|赤《あか》『|親馬鹿《おやばか》、|子馬鹿《こばか》に|六助馬鹿《ろくすけばか》といふのだらう、|本当《ほんたう》にあつたら|命《いのち》を|棄《す》てて、|六《ろく》でもない|事《こと》をする|奴《やつ》だなア』
|六助《ろくすけ》『どうせ|六助《ろくすけ》ですから、|六《ろく》な|事《こと》は|致《いた》しますまいて、|併《しか》しモ|一《ひと》つふるつた|奴《やつ》が|厶《ござ》います。
|死《し》なず|共《とも》よいお|前《まへ》は|死《し》んで
|死《し》なにやならない|私《わし》や|死《し》ねぬ
ホンに|浮世《うきよ》は|侭《まま》ならぬ
どしたら|此《この》|苦《く》が|逃《のが》れようか
|六助《ろくすけ》さまは|嘸《さぞ》やさぞ
|蓮華《れんげ》の|花《はな》の|台《うてな》にて
|半座《はんざ》をわけて|吾《わが》|行《ゆ》くを
|待《ま》つて|厶《ござ》るであろ|程《ほど》に
いやな|亭主《ていしゆ》が|介抱《かいはう》する
といふ|様《やう》な|歌《うた》が|道々《みちみち》|聞《きこ》えて|居《を》りましたよ。|六助鎌子《ろくすけかまこ》と|云《い》つたら、|大抵《たいてい》|私《わたし》の|事《こと》だらうと|考《かんが》へて|居《を》ります』
|赤《あか》『|汝《きさま》は|主人《しゆじん》の|娘《むすめ》を|左様《さやう》な|事《こと》|致《いた》して|何《なん》とも|責任《せきにん》を|感《かん》じないのか』
|六助《ろくすけ》『|決《けつ》して|私《わたし》は|悪《わる》い|事《こと》だとは|思《おも》ひませぬ。|双方《さうはう》|納得《なつとく》の|上《うへ》、|而《しか》も|女《をんな》の|方《はう》から|熱烈《ねつれつ》なる|情波《じやうは》を|送《おく》られ、ラブの|雨《あめ》を|誕生《たんじやう》の|釈迦《しやか》さま|程《ほど》|浴《あ》びせかけられ、|止《や》むを|得《え》ず……でもなく、ヘヘヘヘヘ、つい|嬉《うれ》しい|仲《なか》になりました。|併《しか》し|乍《なが》ら|現代《げんだい》は|比較的《ひかくてき》|愚物《ぐぶつ》が|多《おほ》いので、……カウンテスに|自動車《じどうしや》の|運転手《うんてんしゆ》などがラブ|関係《くわんけい》を|結《むす》ぶとは|怪《け》しからぬ……などと、|法界悋気《はふかいりんき》を|致《いた》すので、|一層《いつそ》の|事《こと》|第二《だいに》の|世界《せかい》を|求《もと》めて、|両人《りやうにん》|仲能《なかよ》く|理想生活《りさうせいくわつ》を|営《いとな》まむが|為《ため》、|情死《じやうし》を|致《いた》した|所《ところ》、どうやら|鎌子《かまこ》は|後《あと》に|残《のこ》つた|様《やう》な|塩梅《あんばい》で|厶《ござ》います。イー、|何時《いつ》|頃《ごろ》|鎌子《かまこ》が|此処《ここ》へ|来《く》るでせうか。お|手数《てすう》をかけますが、|一寸《ちよつと》|生死簿《せいしぼ》をくつて|下《くだ》さいますまいか』
|赤《あか》『|汝《きさま》は|世間《せけん》を|恥《は》づかしいとは|思《おも》はぬか』
|六助《ろくすけ》『|決《けつ》して|恥《は》づかしとは|思《おも》ひませぬ、|男《をとこ》として|是《こ》れ|位《くらゐ》|名誉《めいよ》はないと|心得《こころえ》てゐます。よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|貴族《きぞく》だとか、|門閥《もんばつ》だとか、|富豪《ふうがう》だとか、|人為的《じんゐてき》の|階級《かいきふ》を|楯《たて》に|取《と》り|威張《ゐば》り|散《ち》らしてる、|一方《いつぱう》には|没分暁漢《わからずや》があり、|驕慢不遜《けうまんふそん》の|奴《やつ》があり、|一方《いつぱう》には|泥坊《どろばう》にも|等《ひと》しき|上流社会《じやうりうしやくわい》を、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|尊敬《そんけい》し、|一文《いちもん》の|御厄介《ごやくかい》にもならぬ|貴族《きぞく》に|対《たい》して、|米搗《こめつき》バツタ|宜《よろ》しく、|頭《あたま》を|下《さ》げ|腰《こし》を|曲《ま》げ|尾《を》をふり、|追従《つゐしよう》タラダラ|至《いた》らざるなき|愚痴妄眛《ぐちまうまい》の|人間《にんげん》に|対《たい》し、|一種《いつしゆ》の|刺激剤《しげきざい》ともなり、|覚醒剤《かくせいざい》ともなり、|興奮剤《こうふんざい》ともなりませう。|決《けつ》して|男女《だんぢよ》の|関係《くわんけい》は|権門《けんもん》や|門閥《もんばつ》や|財産《ざいさん》や|地位《ちゐ》や|古《ふる》き|道徳《だうとく》に|仍《よ》つて、|左右《さいう》し|得《う》べきものでないと|云《い》ふ|標本《へうほん》を|示《しめ》した|犠牲者《ぎせいしや》で|厶《ござ》いますから、|世間《せけん》の|人間《にんげん》は、……|此《この》|六助《ろくすけ》を|男《をとこ》の|中《なか》の|男《をとこ》だ。|大丈夫《だいぢやうぶ》の|典型《てんけい》だ。ラブ・イズ・ベストの|擁護者《ようごしや》だ。|貴族《きぞく》に|対《たい》する|警戒《けいかい》だ……と|云《い》つて|賞讃《しやうさん》してくれてるでせう。|今回《こんくわい》の|六助《ろくすけ》の|行動《かうどう》に|依《よ》つて、キツと|社会《しやくわい》の|亡者連《まうじやれん》も|稍《やや》|目《め》を|醒《さ》ました|事《こと》でせう。|貴族《きぞく》だつて、|平民《へいみん》だつて、|運転手《うんてんしゆ》だつて、|同《おな》じ|人間《にんげん》です。|思想《しさう》|観念《くわんねん》に|決《けつ》して|変《かは》りはありますまい。それ|故《ゆゑ》|私《わたし》は|暗黒《あんこく》なる|社会《しやくわい》の|光明《くわうみやう》となつた|考《かんが》へで|厶《ござ》います』
|赤《あか》『|何《なん》とマア|偉《えら》い|権幕《けんまく》だなア。|余程《よほど》|娑婆《しやば》の|教育《けういく》も、デモクラチツク|化《くわ》したと|見《み》えるワイ』
|六助《ろくすけ》『|私《わたし》は|恋愛《れんあい》に|悩《なや》む|世間《せけん》の|男女《だんぢよ》の|為《ため》に|犠牲《ぎせい》になつたのです。|平民階級《へいみんかいきふ》の|娘《むすめ》ならば|少《すこ》し|許《ばか》り|自由《じいう》が|利《き》きますが、|上流階級《じやうりうかいきふ》の|娘《むすめ》と|来《く》ると、|夫《そ》れは|夫《そ》れは|悲惨《ひさん》な|者《もの》で|厶《ござ》います。|上流《じやうりう》の|娘《むすめ》の|為《ため》に|今《いま》|迄《まで》|閉《と》ざされたる|天国《てんごく》の|道《みち》を|開鑿《かいさく》した|大慈善者《だいじぜんしや》で|厶《ござ》います』
|赤《あか》『|兎《と》も|角《かく》|理窟《りくつ》は|抜《ぬ》きにして、|主人《しゆじん》の|娘《むすめ》と|心中《しんちう》せむと|致《いた》した|其《その》|行動《かうどう》は|許《ゆる》す|事《こと》が|出来《でき》ぬ。|先《ま》づ|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|色慾道《しきよくだう》の|地獄《ぢごく》へ|行《ゆ》かねばなるまいぞ』
|六助《ろくすけ》『|止《や》むに|止《や》まれぬ|破目《はめ》に|陥《おちい》つて、|情死沙汰《じやうしざた》|迄《まで》|引起《ひきおこ》したのは、|所謂《いはゆる》|社会《しやくわい》の|強迫《きやうはく》と|暴虐《ばうぎやく》なる|圧制《あつせい》に|堪《た》へかねて|決行《けつかう》したのですから、そこはチツと|御推量《ごすゐりやう》を|願《ねが》ひたいものですな』
|赤《あか》『|兎《と》も|角《かく》|伊吹戸主様《いぶきどぬしさま》の|審判廷《しんぱんてい》で|事情《じじやう》を|申述《まをしの》べたがよからう。サ、|奥《おく》へ|通《とほ》れ、|社会《しやくわい》|道徳《だうとく》の|攪乱者《かくらんしや》|奴《め》』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、ポンと|尻《しり》を|叩《たた》いて|門内《もんない》へつつ|込《こ》んだ。|六助《ろくすけ》は|門内《もんない》にツと|立止《たちど》まり、|目《め》をギヨロつかせ|乍《なが》ら、|小声《こごゑ》になつて、
|六助《ろくすけ》『|何《なん》とマア、|何処《どこ》へ|行《い》つても|没分暁漢《わからずや》の|多《おほ》い|事《こと》だなア。|八衢《やちまた》の|守衛《しゆゑい》|迄《まで》が|俺達《おれたち》のローマンスを|羨望嫉妬《せんばうしつと》の|余《あま》り、ゴテつきやがる。エエ、これから|審判廷《しんぱんてい》で|滔々《たうたう》と|公平《こうへい》な|議論《ぎろん》をまくし|立《た》て、|審判廷《しんぱんてい》の|空気《くうき》を|一洗《いつせん》してやらうかい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|一方《いつぱう》の|肩《かた》を|高《たか》くし、|一方《いつぱう》の|肩《かた》をさげ、|懐手《ふところで》し|乍《なが》ら、のそりのそりと|進《すす》み|行《ゆ》く。
|面《かほ》に|白粉《おしろい》をペツタリとつけ、|背《せ》の|高《たか》い|一寸《ちよつと》|渋皮《しぶかは》の|剥《む》けた|二十四五才《にじふしごさい》と|見《み》ゆる|女《をんな》が、シヨナシヨナとやつて|来《き》た。|赤《あか》は、
|赤《あか》『ハハア|此奴《こいつ》ア、|今《いま》|行《い》つた|六助《ろくすけ》のアモリヨーズだなア。まだ|肉体《にくたい》は|現界《げんかい》にある|精霊《せいれい》らしい、どこ|共《とも》なしに|元気《げんき》がないワ』
と|独言《ひとりごと》|云《い》ひ|乍《なが》ら、|近付《ちかづ》くのを|待《ま》つてゐた。|女《をんな》は|開《あ》け|放《はな》れた|門《もん》の|閾《しきゐ》を|跨《また》げようとした|途端《とたん》に|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》は|大手《おほで》を|拡《ひろ》げ、
|白《しろ》『モシモシお|女中《ぢよちう》、|暫《しばら》くお|待《ま》ちなさい。|貴方《あなた》は|此処《ここ》へ|来《く》る|所《ところ》ぢやありませぬ』
|女《をんな》『|私《わたし》はアマンの|後《あと》を|慕《した》うて|参《まゐ》りました|者《もの》で|厶《ござ》います。|何卒《どうぞ》そんな|意地《いぢ》の|悪《わる》い|事《こと》を|仰有《おつしや》らずに、|此処《ここ》を|通《とほ》して|下《くだ》さい』
|赤《あか》『コレヤ|女《をんな》、|其《その》|方《はう》のネームは|何《なん》と|申《まを》すか』
|女《をんな》『ハイ、|鎌子《かまこ》と|申《まを》します』
|赤《あか》『ウーン、さうすると、カウント|悪川不顕正《あしかはふけんせい》の|娘《むすめ》だな』
|女《をんな》『ハイ、お|察《さつ》しの|通《とほ》り、カウンテスで|厶《ござ》います』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》は|貴族《きぞく》の|家《いへ》に|生《うま》れ|乍《なが》ら、|世間《せけん》の|義理《ぎり》も|考《かんが》へず、|祖先《そせん》の|家名《かめい》をも|省《かへり》みず、|雇人《やとひにん》の|六助《ろくすけ》と|情交《じやうかう》を|通《つう》じ、|道徳《だうとく》を|紊《みだ》したあばずれ|女《をんな》だな』
|鎌子《かまこ》『ホホホホ、|何《なん》とマアこれ|丈《だけ》|開《ひら》けた|世《よ》の|中《なか》に、|古《ふる》い|頭《あたま》を|持《も》つてゐられますなア。チツと|頭《あたま》のキルクを|抜《ぬ》いて、|新《あたら》しい|空気《くうき》を|注入《ちうにふ》なさいませ』
|赤《あか》『コレヤ|怪《け》しからぬ、|豪胆不敵《がうたんふてき》の|曲者《くせもの》|奴《め》。|其《その》|方《はう》は|夫《をつと》のある|身《み》を|以《もつ》て|不義《ふぎ》の|快楽《けらく》に|耽《ふけ》り、|家庭《かてい》を|紊《みだ》し、|上流社会《じやうりうしやくわい》の|名誉《めいよ》を|傷《きずつ》けた|大罪人《だいざいにん》だ』
|鎌子《かまこ》『ヘーエ、|私《わたし》が|六《ろく》さまと|密通《みつつう》したのが、それ|程《ほど》|罪《つみ》になりますか。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》を|御覧《ごらん》なさい。すべて|貴婦人《きふじん》といふ|者《もの》は|役者《やくしや》を|買《か》ひ、|或《あるひ》は|情夫《じやうふ》を|拵《こしら》へる|為《ため》に|夜会《やくわい》といふものが|出来《でき》て|居《ゐ》るのです。|女《をんな》は|交際界《かうさいかい》の|花《はな》ですから、|花《はな》にはキツと|蝶《てふ》がとまつて|来《く》るものです。|今日《こんにち》の|世《よ》の|中《なか》に|情夫《じやうふ》の|一人《ひとり》も|能《よ》う|持《も》たない|様《やう》な|女《をんな》だつたら、|決《けつ》して|貴婦人《きふじん》とは|云《い》へませぬよ。|活眼《くわつがん》を|開《ひら》いて|社会《しやくわい》の|裏面《りめん》を|能《よ》く|観察《くわんさつ》して|御覧《ごらん》なさい。|私《わたし》の|如《ごと》きは|恒河《こうが》の|砂《すな》の|僅《わづか》な|其《その》|一粒《いちりう》が|現《あら》はれた|位《くらゐ》なものです。こんな|事《こと》が|罪《つみ》になるのならば、|今日《こんにち》の|社会《しやくわい》は|全部《ぜんぶ》|罪《つみ》の|社会《しやくわい》ですよ。|男本位《をとこほんゐ》の|圧制的《あつせいてき》|社会《しやくわい》の|制度《せいど》を|根本《こんぽん》|改革《かいかく》し、|痛《いた》ましい|虐《しひた》げられた|女《をんな》の|社会《しやくわい》を|造《つく》る|為《ため》の|犠牲《ぎせい》に、|私《わたし》は|現《あらは》れて|来《き》たものです。|日々《にちにち》の|新聞紙《しんぶんし》を|御覧《ごらん》なさい。|大抵《たいてい》|三件《さんけん》か|五件《ごけん》、|多《おほ》い|時《とき》には|十件《じつけん》|許《ばか》りも|密通沙汰《みつつうざた》や|情死沙汰《じやうしざた》を|報道《ほうだう》してゐるぢやありませぬか。|新聞紙上《しんぶんしじやう》に|現《あら》はれる|世《よ》の|中《なか》の|出来事《できごと》と|云《い》ふものはホンの|其《その》|中《うち》の|一小部分《いちせうぶぶん》に|限《かぎ》られてるのです。それから|考《かんが》へてみましても、|新聞紙上《しんぶんしじやう》に|現《あらは》れてゐない|悲哀《ひあい》なる|姦通事件《かんつうじけん》や|情死沙汰《じやうしざた》は|幾《いく》ら|行《おこな》はれつつあるか|知《し》れますまい。なぜ|斯《か》うした|痛《いた》ましい|事件《じけん》が|頻々《ひんぴん》と|起《おこ》るのであらうか。|此《この》|問題《もんだい》に|対《たい》して|何人《なにびと》が|責任《せきにん》を|負《お》はねばならぬか、もし|責任《せきにん》を|負《お》はねばならぬとすれば、それは|男《をとこ》でせうか|女《をんな》でせうか。|言《い》ふ|迄《まで》もなく、|社会《しやくわい》|全般《ぜんぱん》が|責任者《せきにんしや》でなければなりますまい』
|赤《あか》『さうすると、お|前《まへ》の|今度《こんど》の|不始末事件《ふしだらじけん》も、|社会《しやくわい》が|負《お》はねばならぬといふのか。チツと|勝手《かつて》な|理窟《りくつ》ぢやないか』
|鎌子《かまこ》『さうですとも、よく|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ。|現在《げんざい》の|社会組織《しやくわいそしき》といふものは、すべてが|貴族本位《きぞくほんゐ》、|資産家本位《しさんかほんゐ》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|男子本位《だんしほんゐ》で|強《つよ》い|者勝《ものがち》で|厶《ござ》いませう。|特《とく》に|男女《だんぢよ》の|関係《くわんけい》に|付《つ》いては、|今日《こんにち》の|制度《せいど》は|何《なに》もかも|男《をとこ》に|取《と》つては|有利《いうり》な|事柄《ことがら》|計《ばか》りです。そして|女《をんな》に|対《たい》しては|何等《なんら》の|特権《とくけん》も|与《あた》へられて|居《を》りませぬ。|実《じつ》に|不公平《ふこうへい》|至極《しごく》な|社会制度《しやくわいせいど》で、|女《をんな》に|取《と》つて|之《これ》|程《ほど》|不利益《ふりえき》な|悲惨《ひさん》な|事《こと》はありませぬ。なぜ|斯《か》うした|不公平《ふこうへい》を、|男《をとこ》と|女《をんな》の|間《あひだ》に|設《まう》けておかねばならないのか、|其《その》|理由《りいう》を|知《し》るに|私達《わたしたち》は|苦《くるし》む|者《もの》です。ですから|一度《いちど》|夫婦間《ふうふかん》に|或《ある》|事情《じじやう》から|離婚問題《りこんもんだい》が|持上《もちあが》つたが|最後《さいご》、|何時《いつ》も|男《をとこ》は|有利《いうり》の|位地《ゐち》に|立《た》ち、|女《をんな》は|其《その》|反対《はんたい》の|立場《たちば》におかれて、|泣寝入《なきねいり》の|体《てい》ですよ。|女《をんな》は|自分《じぶん》に|正当《せいたう》の|理《り》があつても、|男《をとこ》の|立場《たちば》になつて、|而《しか》も|男《をとこ》にのみ|有利《いうり》に|定《き》められた|現代《げんだい》の|法律《はふりつ》では、|少《すこ》しも|女《をんな》の|正当《せいたう》な|申《まを》し|出《い》でを|聞入《ききい》れてくれませぬ。どこ|迄《まで》も|女《をんな》は|男《をとこ》に|従属《じゆうぞく》したものだといふ|観念《くわんねん》の|下《もと》に、かうした|問題《もんだい》に|対《たい》しても、|男《をとこ》の|方《はう》を|上《うへ》にして|断定《だんてい》を|下《くだ》す|事《こと》になつてますが、|果《はた》して|之《これ》が|正《ただ》しいと|云《い》はれませうか。|道徳《だうとく》でも|法律《はふりつ》でも、|男女平等《だんぢよびやうどう》に|行《おこな》はなければならないと、|吾々《われわれ》|女性《ぢよせい》は|絶叫《ぜつけう》してゐるのです。|女《をんな》の|立場《たちば》からすれば、どうしてもさう|叫《さけ》ばずには|居《ゐ》られないでせう。|併《しか》し|元々《もともと》|男《をとこ》と|女《をんな》の|間《あひだ》に、さうした|差別《さべつ》が|勝手《かつて》に|設《まう》けられたのですから、|云《い》はば|無理非道《むりひだう》な|公平《こうへい》を|欠《か》いだものと|言《い》はねばなりませぬ。だから|女《をんな》は|女《をんな》としての|権利《けんり》があります。|其《その》|権利《けんり》を|女《をんな》の|方《はう》から、そんなに|遠慮《ゑんりよ》したり、|自分《じぶん》|自《みづか》らを|卑下《ひげ》したりするには|当《あた》らないと|思《おも》ひます。どこ|迄《まで》も|一個《いつこ》の|人間《にんげん》として、|男《をとこ》と|同等《どうとう》の|考《かんが》へで|押《お》し|進《すす》んでゆけば、それで|可《い》い|事《こと》ぢやありませぬか。そこに|女《をんな》としての|生命《せいめい》があり、|自由《じいう》があり、|幸福《かうふく》があるので、それこそ|女《をんな》としての|本来《ほんらい》の|持《も》つ|可《べ》きものなのです。|男女関係《だんぢよくわんけい》|計《ばか》りでなく、|今日《こんにち》の|制度《せいど》は|弱肉強食《じやくにくきやうしよく》、|優勝劣敗《いうしようれつぱい》の|悪制度《あくせいど》が|行《おこな》はれて|居《を》りますから、|吾々《われわれ》はカウントの|家《いへ》に|生《うま》れたのを|幸《さいは》ひ、|誤《あやま》れる|古《ふる》き|道徳《だうとく》や|形式《けいしき》を|打破《だは》して、|新《あたら》しい|社会《しやくわい》の|光明《くわうみやう》となる|考《かんが》へで、|女一人《をんないちにん》としての|本能《ほんのう》を|発揮《はつき》した|計《ばか》りです』
|赤《あか》『どうも|挨拶《あいさつ》の|仕方《しかた》がない、|併《しか》し|乍《なが》ら|左様《さやう》な|考《かんが》へでは|社会《しやくわい》の|秩序《ちつじよ》が|紊《みだ》れるから、ヤツパリ|男尊女卑《だんそんぢよひ》の|法則《はふそく》を|守《まも》らねばなりませぬぞ。|何程《なにほど》|男女同権《だんぢよどうけん》だと|云《い》つても、|夫婦《ふうふ》となつて|家庭《かてい》を|作《つく》る|上《うへ》は、|夫唱婦従《ふしやうふじゆう》の|法則《はふそく》に|従《したが》ひ、|茲《ここ》に|始《はじ》めて|男尊女卑《だんそんぢよひ》、|所謂《いはゆる》|夫婦不同権《ふうふふどうけん》の|域《ゐき》に|入《い》るのだ。|不都合千万《ふつがふせんばん》な|夫《をつと》の|目《め》を|盗《ぬす》み、|雇人《やとひにん》と|姦通《かんつう》をしておき|乍《なが》ら、|社会《しやくわい》の|目《め》を|醒《さ》ますの、|新社会《しんしやくわい》の|光明《くわうみやう》となるとは|怪《け》しからぬ|言《い》ひ|解《わ》けだ。お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》りに、|世《よ》の|中《なか》がなるのなれば、|第一《だいいち》|家庭《かてい》が|紊《みだ》れ、|姦通《かんつう》は|白昼《はくちう》|公然《こうぜん》と|行《おこな》はれ、|嫉妬紛争《しつとふんさう》の|絶《た》え|間《ま》がなくなるではないか』
|鎌子《かまこ》『|相愛《さうあい》の|男女《だんぢよ》が|夫婦《ふうふ》となつたのならば、|決《けつ》して|何程《なにほど》|解放的《かいはうてき》にしておかうが、|法律《はふりつ》がなからうが|大丈夫《だいぢやうぶ》ですが、|今日《こんにち》の|如《ごと》き|圧迫結婚《あつぱくけつこん》、|財産結婚《ざいさんけつこん》、|門閥結婚《もんばつけつこん》、|本人《ほんにん》|以外《いぐわい》の|者《もの》の|定《さだ》めた|結婚《けつこん》には、|真《しん》に|夫婦《ふうふ》としての|互《たがひ》の|貞操《ていさう》を|保持《ほぢ》する|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやありませぬか。|愛《あい》のない|結婚《けつこん》を|強《しひ》るが|為《ため》に、|遂《つひ》に|抑《おさ》へ|切《き》れなくなつて、かやうな|問題《もんだい》が|起《おこ》るのですよ。それだから|此《この》|責任《せきにん》を|社会《しやくわい》が|負《お》はねばならないと、|私《わたし》は|主張《しゆちやう》|致《いた》します』
|赤《あか》『|併《しか》しお|前《まへ》はまだ、|生命《せいめい》が|現界《げんかい》に|残《のこ》つてるから、|今日《こんにち》は|余《あま》り|追及《つゐきふ》する|事《こと》は|避《さ》けておかう。|併《しか》し|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つたら、|能《よ》く|胸《むね》に|手《て》を|当《あ》てて、|自分《じぶん》の|誤《あやま》れる|思想《しさう》を|考索《かうさく》し、|今《いま》の|夫《をつと》に|貞節《ていせつ》を|尽《つく》さねばなりませぬぞ。|妻《つま》の|方《はう》から|真心《まごころ》を|以《もつ》て|向《むか》へば、|夫《をつと》は|必《かなら》ず|妻《つま》を|親愛《しんあい》する|者《もの》だ』
|鎌子《かまこ》『|私《わたし》の|夫《をつと》はどれ|丈《だけ》|辛《つら》く|当《あた》つても、|気《き》の|好《よ》いノロ|作《さく》だから、うるさい|程《ほど》|親愛《しんあい》しようとします、それが|私《わたし》は|厭《いや》なんですよ。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい、|恋人《こひびと》と|心中《しんぢう》をせむとして|死《しに》そこねた|其《その》|女房《にようばう》を、|一言《ひとこと》も|立腹《りつぷく》せず、|世間《せけん》の|恥《はぢ》も|考《かんが》へず、|下僕《しもべ》の|如《ごと》き|態度《たいど》を|以《もつ》て|病院《びやうゐん》で|介抱《かいほう》するのですもの、|其《その》ノロさ|加減《かげん》と|云《い》つたら、|私《わたし》は|益々《ますます》|愛想《あいさう》が|尽《つ》きました。どうしてもチツと|許《ばか》りは|苦味《にがみ》の|走《はし》つたヒリリとした|所《ところ》がなければ、|女《をんな》は|決《けつ》して|男《をとこ》に|愛《あい》を|注《そそ》ぐ|者《もの》ぢやありませぬ。|甘酒《あまざけ》だつて、ヤツパリ|椒《はじかみ》をすつて|入《い》れたり、|或《あるひ》は|山葵《わさび》などの|辛味《からみ》を|調和《てうわ》せなくちや、|本当《ほんたう》の|甘酒《あまざけ》の|味《あぢ》がありますまい。|甘《あま》い|計《ばか》りで|辛味《からみ》の|入《はい》つてゐない|甘酒《あまざけ》は|一口《ひとくち》は|宜《よろ》しいが、|三口《みくち》|四口《よくち》|呑《の》みますと、ヘドになつて|出《で》ますからね。エエエエ、あの|難《むつか》しい|顔《かほ》わいの、|丁度《ちやうど》|私《わたし》の|父《ちち》のやうなお|方《かた》ですなア。|仰有《おつしや》る|事《こと》も|能《よ》う|似《に》てゐますワ。|其《その》|癖《くせ》|蔭《かげ》では|六助《ろくすけ》さま|以上《いじやう》の|事《こと》をやつてるでせう。|私《わたし》の|父《ちち》だつてさうですもの、ホホホホホ』
|赤《あか》は|采配《さいはい》を|以《もつ》て、『|馬鹿《ばか》ツ』と|一喝《いつかつ》、|鎌子《かまこ》の|頭部《とうぶ》を|目《め》がけて|打下《うちお》ろす|途端《とたん》に、|鎌子《かまこ》の|精霊《せいれい》はパツと|消《き》えて|元《もと》の|肉体《にくたい》へ|復《かへ》つた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 松村真澄録)
第一六章 |百円《ひやくゑん》〔一四〇二〕
|懐《ふところ》の|寒《さむ》きが|故《ゆゑ》に|藪医者《やぶいしや》は
|薬《くすり》にまでも|風《かぜ》ひかせけり
『あああ、どつかそこらに|香《かん》ばしい|病人《びやうにん》がないかと|捜《さが》してみたが、|野《の》たれ、|行倒《ゆきだふ》れ|計《ばか》りで、|根《ね》つから|金《かね》をくれさうな|奴《やつ》もなし、こんな|所《ところ》へ|迷《まよ》つて|来《き》た。これだから、|内《うち》の|嬶《かか》が|酒《さけ》を|呑《の》むな|酒《さけ》を|呑《の》むなといつも|言《い》ひよるのだけれど、|医者《いしや》の|養生《やうじやう》|知《し》らずといつて、どうも|節制《せつせい》が|守《まも》れないものだ。|余《あま》り|此《この》|頃《ごろ》は|世界《せかい》の|人間《にんげん》が|賢《かしこ》うなつて、|衛生《ゑいせい》とか|運動《うんどう》とかに|注意《ちうい》をし|出《だ》したので、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|壮健《さうけん》になり、|妖仙《えうせん》さまの|懐《ふところ》は|益々《ますます》|御衰弱《ごすゐじやく》|遊《あそ》ばす、|困《こま》つたことだなア。|去年《きよねん》|仕入《しい》れた|薬《くすり》は|風《かぜ》を|引《ひ》く、だと|云《い》つて、ヤツパリ|元《もと》がかかつてゐるのだから、|病人《びやうにん》に|呑《のま》して|金《かね》にせなくちや|会計《くわいけい》は|立《た》たず、|呑《の》ましても|呑《の》ましても|直《なほ》らぬものだから、|彼奴《あいつ》ア|竹《たけ》の|子《こ》だ、|藪医竹庵《やぶいちくあん》だ、と|仕様《しやう》もない|噂《うはさ》を|立《た》てられ|門前雀羅《もんぜんじやくら》を|張《は》つて、|実《じつ》に|惨《みじめ》なものだ、どこぞ|好《よ》い|患者《くわんじや》があれば、|一《ひと》つ|取《と》つつかまへたいものだなア』
と|独言《ひとりご》ちつつ、|八衢《やちまた》の|門《もん》を|潜《くぐ》らうとする|茶瓶爺《ちやびんおやぢ》があつた。
|赤《あか》『コレヤコレヤ|一寸《ちよつと》|待《ま》て、|其《その》|方《はう》は|何者《なにもの》だ』
|医《い》『ハイ、|拙者《せつしや》は|仁術《じんじゆつ》を|以《もつ》て|家業《かげふ》と|致《いた》す|国手《こくしゆ》で|厶《ござ》る。|何《なん》ぞ|用《よう》が|厶《ござ》るかな。|病気《びやうき》とあらば|拙者《せつしや》が|脈《みやく》をみてやらうかな』
|赤《あか》『|俺《おれ》は|至極健全《しごくけんぜん》だ、|医者《いしや》なんかに|用《よう》はない』
|医《い》『ああさうかな、さうすれば|私《わたし》に|用《よう》のない|人《ひと》だ。|私《わたし》と|親密《しんみつ》な|交際《かうさい》をする|者《もの》は|病家《びやうか》|計《ばか》りだ。|此《この》|頃《ごろ》は|何《なん》だか|三五教《あななひけう》とかいふ|邪教《じやけう》が|蔓延《まんえん》して|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|病気《びやうき》を|直《なほ》し、|非常《ひじやう》な|商売《しやうばい》の|妨害《ばうがい》を|致《いた》すので|聊《いささ》か|困《こま》つてゐるのだ。ああ|医者《いしや》もモウ|世《よ》の|末《すゑ》かなア』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》の|姓名《せいめい》は|何《なん》と|申《まを》すか』
|医《い》『ハイ|病井妖仙《やまいえうせん》とも|云《い》ひ|藪医竹庵《やぶいちくあん》とも|申《まを》します』
|赤《あか》『どちらも|其《その》|方《はう》の|綽名《あだな》だな、|本名《ほんみやう》は|何《なん》といふか』
|妖仙《えうせん》『あまり|商売《しやうばい》が|忙《いそが》しいので、|本名《ほんみやう》は|忘《わす》れました。|誰《たれ》も|彼《かれ》も|私《わたし》の|前《まへ》では、|先生《せんせい》|々々《せんせい》といひますから、マア|先生《せんせい》が|本名《ほんみやう》で|厶《ござ》いませうかい』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》は|一生《いつしやう》の|間《あひだ》に|病人《びやうにん》を|幾《いく》ら|助《たす》けたか』
|妖仙《えうせん》『|助《たす》けたのも|沢山《たくさん》|厶《ござ》いますが、|寿命《じゆみやう》のない|者《もの》は、|神《かみ》さまだつて、|医者《いしや》だつて|叶《かな》ひませぬから……|併《しか》し|乍《なが》ら|医者《いしや》と|南瓜《かぼちや》はひねたが|可《い》いと|申《まを》しまして、|一人前《いちにんまへ》の|医者《いしや》にならうと|思《おも》へば、どうしても|経験上《けいけんじやう》|千人《せんにん》|位《ぐらゐ》を|殺《ころ》さなくちやなりませぬからなア』
|赤《あか》『|汝《きさま》は|本当《ほんたう》に|診察《しんさつ》しても、|病気《びやうき》の|原因《げんいん》や|医療法《いれうはふ》が|徹底的《てつていてき》に|分《わか》つて|居《ゐ》るのか』
|妖仙《えうせん》『|人間《にんげん》の|分際《ぶんざい》として、|分《わか》り|相《さう》な|事《こと》はありませぬが、|兎《と》も|角《かく》|先人《せんじん》の|作《つく》つておいた|医書《いしよ》と|首《くび》つ|引《ぴき》して|薬《くすり》の|調合《てうがふ》|致《いた》します。そして|問診《もんしん》と|云《い》つて、|介抱人《かいほうにん》や|家族《かぞく》の|者《もの》に|病《やまひ》の|経過《けいくわ》を|聞《き》き、|食慾《しよくよく》の|有無《うむ》を|問《と》ひ|糺《ただ》し、|又《また》|望診《ばうしん》と|云《い》つて、|病人《びやうにん》の|様子《やうす》を|望《のぞ》み、|顔《かほ》の|黄色《きいろ》い|病人《びやうにん》は|黄疸《わうだん》と|断定《だんてい》し、|赤《あか》い|奴《やつ》は|酒《さけ》の|酔《よひ》と|断定《だんてい》し、|夫《そ》れ|相当《さうたう》の|薬《くすり》を|与《あた》へます。|其《その》|上《うへ》|血液《けつえき》|循環《じゆんかん》の|様子《やうす》や、|呼吸器《こきふき》、|神経系統《しんけいけいとう》などを、|念入《ねんい》りに|調《しら》べる|為《ため》、|打診《だしん》、|聴診《ちやうしん》、|触診《しよくしん》など、|所在《あらゆる》|手段《しゆだん》を|尽《つく》し、どうしても|分《わか》らない|時《とき》は、|可《い》い|加減《かげん》な|名《な》をつけて、マア|胡魔化《ごまくわ》すのですな。|沢山《たくさん》に|医者《いしや》も|居《を》りますが、|実際《じつさい》の|病気《びやうき》をつかんだ|医者《いしや》は、|恐《おそ》らくは|一人《ひとり》もありますまい。|世《よ》の|中《なか》はマアこんなものですよ』
|赤《あか》『|不届《ふとどき》な|藪医者《やぶいしや》|奴《め》、|其《その》|方《はう》の|薬違《くすりちがひ》によつて、あるべき|命《いのち》を|棄《す》てたる|者《もの》が|幾人《いくにん》あるか|分《わか》らぬぞ、|人殺《ひとごろし》の|大罪人《だいざいにん》|奴《め》』
|妖仙《えうせん》『|医者《いしや》は|人《ひと》を|殺《ころ》しても、|別《べつ》に|法律《はふりつ》には|触《ふ》れませぬよ。それが|医者《いしや》の|特権《とくけん》です。|普通《ふつう》の|人間《にんげん》が|人《ひと》を|殺《ころ》せば、|忽《たちま》ち|死刑《しけい》の|処分《しよぶん》を|受《う》けねばなりますまい。|医者《いしや》は|堕胎《だたい》をしようが|手足《てあし》を|切《き》らうが、|堕胎罪《だたいざい》にもならず、|傷害罪《しやうがいざい》にもならず、|一種《いつしゆ》の|特権階級《とくけんかいきふ》だから、お|前《まへ》さま|等《ら》に|大罪人《だいざいにん》|呼《よ》ばはりをされる|筈《はず》がない、|構《かま》うて|下《くだ》さるな。ヘン、お|前《まへ》さまは|顔《かほ》が|赤《あか》い、チツと|逆上《のぼ》せて|厶《ござ》るな。チツと|古《ふる》いけれどセメンエンでも|上《あ》げませうか。|陳皮《ちんぴ》に|茯苓《ぶくりやう》、ケンチアナ|末《まつ》に、アマ|仁油《にんゆ》、|重曹《ぢうさう》に|牡蠣《ぼれい》、|何《なん》なら|一服《いつぷく》|召《め》し|上《あが》つたら|何《ど》うだい』
|赤《あか》『バカツ、|汝《きさま》は|医者《いしや》の|押売《おしうり》を|致《いた》すのか』
|妖仙《えうせん》『さうですとも、|生存競争《せいぞんきやうそう》の|烈《はげ》しき|世《よ》の|中《なか》、|医者《いしや》だと|云《い》つて、ジツとして|居《を》れば|誰《たれ》も|来《き》ませぬ。|大新聞《だいしんぶん》に|広告《くわうこく》をしたり、|記者《きしや》に|提灯《ちやうちん》を|持《もた》せたり、|金《かね》を|出《だ》して|博士《はかせ》の|称号《しやうがう》を|取《と》つたり、|種々《いろいろ》|雑多《ざつた》と|体裁《ていさい》を|飾《かざ》り|立《た》てなくては、|乞食《こじき》だつて|手《て》を|握《にぎ》つてくれといふ|者《もの》がありませぬワ』
|赤《あか》『|此《この》|帳面《ちやうめん》に、よく|調《しら》べてみると、|其《その》|方《はう》は|葡萄酒《ぶだうしゆ》に|水《みづ》を|混《ま》ぜて、|大変《たいへん》|高貴《かうき》な|薬《くすり》だと|申《まを》し、|病人《びやうにん》にのませ、|非常《ひじやう》にボツた|事《こと》があらうな』
|妖仙《えうせん》『そらさうですとも、|併《しか》し|乍《なが》ら|私達《わたしたち》のボルのは|一服《いつぷく》|五銭《ごせん》|十銭《じつせん》と|小《ちひ》さくボツて|行《ゆ》くのです。|一口《ひとくち》に|千円《せんゑん》|万円《まんゑん》とボツてゐる|奴《やつ》は、|世界《せかい》に|幾《いく》らあるか|知《し》れませぬよ。|四百四病《しひやくしびやう》の|中《うち》でも|直《なほ》る|病《やまひ》もあれば、どうしても|直《なほ》らない|病《やまひ》がありますが、それでも|病人《びやうにん》が|薬《くすり》をくれといへばやらぬ|訳《わけ》にも|行《ゆ》かず、|又《また》|此方《こちら》もボルことが|出来《でき》ぬから、あかぬとは|知《し》りつつ、|葡萄酒《ぶだうしゆ》に|水《みづ》をまぜて|慰安《ゐあん》の|為《ため》|呑《の》ましてをります。|之《これ》が|所謂《いはゆる》|医者《いしや》の|正《まさ》に|尽《つく》すべき|道徳律《だうとくりつ》ですから、さう|貴方《あなた》のやうに|一口《ひとくち》に|貶《けな》すものぢやありませぬ』
|赤《あか》『|兎《と》も|角《かく》|難物《なんぶつ》だ。|到底《たうてい》モルヒネ|注射《ちうしや》|位《ぐらゐ》では|気《き》がつくまいが、|今《いま》に|荒料理《あられうり》をしてやるから、マア|奥《おく》へ|行《い》つて|順番《じゆんばん》の|来《く》る|迄《まで》|待《ま》つてゐるが|可《い》いワ』
|妖仙《えうせん》『|貴方《あなた》は|今《いま》、|荒料理《あられうり》をしてやると|云《い》つたが、それは|外科的《げくわてき》|大手術《だいしゆじゆつ》の|事《こと》でせう。|貴方《あなた》は|医者《いしや》の|鑑札《かんさつ》を|持《も》つてゐますか。そんな|事《こと》をなさると|医師法《いしはふ》|違反《ゐはん》で|告発《こくはつ》しますぞ。サ、|何《なん》といふ|姓名《せいめい》だ、|聞《き》かして|貰《もら》ひませう。|此方《こちら》にも|考《かんが》へがあるから、お|前達《まへたち》のやうな|素人《しろうと》に|俺達《おれたち》の|繩張《なはばり》を|荒《あ》らされては、|到底《たうてい》、|医者《いしや》として|立《た》つていけるものぢやない。|鎮魂《ちんこん》だの、|祈祷《きたう》だの、|心理療法《しんりれうはふ》だのと、|此《この》|頃《ごろ》は|俺達《おれたち》の|敵《てき》が|沢山《たくさん》|現《あらは》れて、|商売《しやうばい》の|妨害《ばうがい》をするから、|全国医師大会《ぜんこくいしたいくわい》を|開《ひら》いて、|政府《せいふ》に|抗議《かうぎ》を|申込《まをしこ》み|彼等《かれら》の|輩《ともがら》を|殲滅《せんめつ》せむと、|筍会議《たけのこくわいぎ》で|定《き》めてあるのだ。それに|素人《しろうと》のお|前《まへ》が、|大手術《だいしゆじゆつ》を|医者《いしや》の|私《わし》に|向《むか》つて、してやらうなどとは、|法治国《はふちこく》の|人民《じんみん》として、|実《じつ》に|怪《け》しからぬものだ。サア、|名《な》を|聞《き》かしなさい』
と|懐《ふところ》から|手帳《てちやう》を|出《だ》し、|鉛筆《えんぴつ》を|舐《ねぶ》つて、|姓名《せいめい》を|書《か》き|留《と》めようとしてゐる。|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》は|妖仙《えうせん》の|腕《うで》をグツと|握《にぎ》り、|厭《いや》がるのを|無理無体《むりむたい》に|引張《ひつぱ》つて、|門内《もんない》に|隠《かく》れた。
|目《め》のクルリとした、|鼻《はな》に|角《かど》のある、|腮鬚《あごひげ》を|一尺《いつしやく》|計《ばか》り|生《は》やした|一癖《ひとくせ》|有《あり》さうな|男《をとこ》、|此《この》|街道《かいだう》は|俺《おれ》のものだといふやうな|調子《てうし》で、|大手《おほて》を|振《ふ》つてのそりのそりとやつて|来《く》る。|赤《あか》の|守衛《しゆゑい》は、
|赤《あか》『オイ|暫《しばら》く|待《ま》て、|取調《とりしら》べる|事《こと》がある』
と|呶鳴《どな》つた|声《こゑ》に、|彼《か》の|男《をとこ》は|立《たち》どまり、|厭《いや》らしい|目《め》で|赤《あか》の|顔《かほ》を|睨《ね》めつけ|乍《なが》ら、
|男《をとこ》『|何《なん》だ、|天下《てんか》の|大道《だいだう》を|自由《じいう》に|濶歩《かつぽ》するのは|吾々《われわれ》の|自由《じいう》の|権利《けんり》だ、|待《ま》てとは|何《なん》だ。|他人《たにん》の|権利《けんり》を|妨害《ばうがい》し、|仮令《たとへ》|一刻《いつこく》でも|暇取《ひまど》らせるならば、それ|丈《だけ》の|損害賠償《そんがいばいしやう》を|請求《せいきう》するぞ。|其《その》|方《はう》は|人間《にんげん》の|権利《けんり》|義務《ぎむ》といふ|事《こと》を|弁《わきま》へてるか、エエン』
|赤《あか》『ここは|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》だ。|汝《きさま》の|生前《せいぜん》のメモアルを|査《しら》べ、|天国《てんごく》へやるか、|地獄《ぢごく》へ|墜《おと》すか、……といふ|分水嶺《ぶんすゐれい》だ。|汝《きさま》のネームは|何《なん》といふか』
|男《をとこ》『|拙者《せつしや》は|人尾威四郎《ひとをおどしらう》といふ|有名《いうめい》な|弁護士《べんごし》だ。そして|特許弁理士《とくきよべんりし》を|兼《か》ねてゐるのだ。これでも|法科大学《はふくわだいがく》の|卒業生《そつげふせい》だ。|守衛《しゆゑい》の|分際《ぶんざい》として|吾々《われわれ》を|取調《とりしら》べる|権能《けんのう》がどこにあるツ』
|赤《あか》『いかにも|汝《きさま》は|人間《にんげん》の|生血《いきち》を|絞《しぼ》る|悪党《あくたう》だ。|随分《ずいぶん》|金《かね》を|能《よ》く|絞《しぼ》り|取《と》つたものだなア』
|人尾《ひとを》『|人《ひと》が|憂《うれ》ひの|涙《なみだ》に|沈《しづ》み、|首《くび》もまはらぬやうになつてゐる|所《ところ》を、|聊《いささ》か|慰安《ゐあん》を|与《あた》へるのが|拙者《せつしや》の|職掌《しよくしやう》だ。|其《その》|報酬《はうしう》として|労金《らうきん》を|請求《せいきう》するのは|商売上《しやうばいじやう》の|権利《けんり》ぢやないか、|請求《せいきう》すべき|物《もの》を|請求《せいきう》したのが|何《なに》が|悪《わる》い』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》は|始《はじめ》からの|弁護士《べんごし》ではあるまい。|今《いま》は|人尾威四郎《ひとをおどしらう》と|申《まを》してゐるが、|以前《いぜん》は|二股検事《ふたまたけんじ》と|云《い》つて、|随分《ずいぶん》|悪辣《あくらつ》な|事《こと》を|致《いた》した|者《もの》だなア。|無謀《むぼう》な|検挙《けんきよ》を|致《いた》して、|失敗《しくじ》つた|揚句《あげく》、|已《や》むを|得《え》ず|弁護士《べんごし》になつたであらう』
|人尾《ひとを》『|構《かま》つて|下《くだ》さるな、|自由《じいう》の|権利《けんり》だ。お|前《まへ》は|吾々《われわれ》を|辱《はづかし》める|積《つも》りか、ヨーシ|現行法律《げんかうはふりつ》に|仍《よ》つて|誹毀罪《ひきざい》に|訴《うつた》へてやる。|事実《じじつ》の|有無《うむ》に|関《くわん》せず、|人《ひと》の|悪事《あくじ》を|非難《ひなん》|致《いた》した|者《もの》は、|新刑法《しんけいはふ》の|条項《でうかう》に|照《てら》し|相当《さうたう》の|処分《しよぶん》がある|筈《はず》だ。|併《しか》し|乍《なが》ら|其《その》|方《はう》の|出様《でやう》によつては|取消《とりけ》さない|事《こと》もない、|賠償金《ばいしやうきん》を|幾《いく》ら|出《だ》すか』
|赤《あか》『|馬鹿《ばか》|言《い》へ、ここは|霊界《れいかい》だ。|霊界《れいかい》へ|現界《げんかい》の|法律《はふりつ》を|持《も》つて|来《き》ても|通用《つうよう》|致《いた》さぬぞ。|其《その》|方《はう》は|少《すこ》しくボレ|相《さう》な|大事件《だいじけん》は|残《のこ》らず|有名《いうめい》な|弁護士《べんごし》に|取《と》られて|了《しま》ひ、|糊口《ここう》に|窮《きう》し、|小作人《こさくにん》を|煽動《せんどう》し、|労働者《らうどうしや》を|煽《おだ》てあげて、|沢山《たくさん》の|入監者《にふかんしや》を|作《つく》り、|自分《じぶん》が|弁護《べんご》の|得意先《とくいさき》を|製造《せいざう》|致《いた》す、しれ|者《もの》であらうがな』
|人尾《ひとを》『|成程《なるほど》、それに|間違《まちが》ひはない。|併《しか》し|乍《なが》ら|煽動《せんどう》する|者《もの》が|悪《わる》いのぢやない、|其《その》|煽動《せんどう》にのる|奴《やつ》が|悪《わる》いのだ。|拙者《せつしや》は|拙者《せつしや》として|商売繁昌《しやうばいはんじやう》の|為《ため》に|所在《あらゆる》|手段《しゆだん》を|尽《つく》し、|活動《くわつどう》してゐるのだ。|此《この》|権利《けんり》を|侵害《しんがい》する|者《もの》は、|何程《なにほど》|霊界《れいかい》だつてあらう|筈《はず》がない。|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》をいはずにスツ|込《こ》んだがよからう。|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》と|聞《き》く|上《うへ》は|定《さだ》めて|審判所《しんぱんしよ》もあるだらう。ヨシ、|裁判《さいばん》はお|手《て》のものだ。これから|滔々《たうたう》と|弁論《べんろん》をまくし|立《た》て|判官《はんぐわん》の|目《め》を|醒《さ》ましてやらう。|第一審《だいいつしん》でいけなければ|第二審《だいにしん》、|第二審《だいにしん》で|可《い》かなければ|第三審《だいさんしん》、|美事《みごと》|勝《か》つてみせよう。そして|天国《てんごく》の|永住権《えいぢうけん》を|獲得《くわくとく》し、|人生《じんせい》|特有《とくいう》の|権利《けんり》を|遺憾《ゐかん》なく|発揮《はつき》する|心段《つもり》だ、オツホン』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|反身《そりみ》になつて|自《みづか》ら|門《もん》を|潜《くぐ》り、のそりのそりと|進《すす》み|行《ゆ》く。|後《あと》に|二人《ふたり》の|守衛《しゆゑい》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、
|白《しろ》『|彼奴《あいつ》アどしても|地獄墜《ぢごくお》ちですなア、|法律家《はふりつか》といふ|者《もの》は|実《じつ》に|味《あぢはひ》のない|者《もの》ですなア』
|赤《あか》『|冷酷無残《れいこくむざん》の|獣《けだもの》とは|彼奴等《あいつら》の|事《こと》だ。|法律《はふりつ》にのみ|精神《せいしん》を|傾注《けいちう》してゐる|現界《げんかい》の|奴《やつ》は、|口《くち》では|権利《けんり》|義務《ぎむ》を|叫《さけ》び|乍《なが》ら、|人《ひと》の|権利《けんり》を|侵害《しんがい》し、|義務《ぎむ》を|踏《ふ》みたたくる|位《くらゐ》は|何《なん》とも|思《おも》つてゐない。|厚顔無恥《こうがんむち》の|精神病者《せいしんびやうしや》|計《ばか》りだから、|可哀相《かあいさう》なものだ。あああ|可《い》いかげんに|守衛《しゆゑい》もお|暇《ひま》を|頂《いただ》かねば|堪《たま》らなくなつきた。|併《しか》し|乍《なが》ら|自分《じぶん》と|雖《いへど》も、|天国《てんごく》へ|行《ゆ》く|資格《しかく》もなし、|外《ほか》に|之《これ》といふ|芸《げい》もないのだから、ヤツパリ|厭《いや》な|守衛《しゆゑい》を|勤《つと》めねばならないのかなア』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ、|又《また》もや|向方《むかふ》の|方《かた》より、|三十《しんじふ》|恰好《かつかう》のハイカラ|男《をとこ》がそそりを|唄《うた》ひ|乍《なが》ら、|千鳥足《ちどりあし》にて|大道《だいだう》|狭《せま》しとやつて|来《く》る。
『|冬《ふゆ》の|日《ひ》の
うす|日《ひ》をうけて|只《ただ》|一人《ひとり》
|分《わか》らぬ|所《ところ》を|彷徨《さまよ》ひ|来《きた》る。
|冬《ふゆ》の|日《ひ》は
|空《そら》にふるうて|照《て》りわたる
|烏《からす》の|皺枯声《しわがれごゑ》がする。
|何《なん》となく
あとの|心《こころ》の|淋《さび》しさよ
|今《いま》は|世《よ》になき|恋人《こひびと》|思《おも》へば。
なれそめて
|君《きみ》におびえぬ|鳥《とり》ありと
|悲《かな》しき|事《こと》を|書《か》ける|文《ふみ》。
|島田《しまだ》つぶして|丸髷《まるまげ》|結《ゆ》うて
|嬉《うれ》しやお|宮《みや》へ|礼参《れいまゐ》り……と、
あああ|酔《よ》うた|酔《よ》うた、|一体《いつたい》ここはどこだい。|何《なん》だか|無粋《ぶすゐ》な|奴《やつ》が|山門《さんもん》の|仁王然《にわうぜん》と|立《た》つてゐやがるぢやないか。
|二世《にせ》や|三世《さんせ》は|何《ど》うでもよいが
せめて|一夜《いちや》の|縁《えん》なりと………とけつかるわい。ウーエ、|何《なん》と|淋《さび》しい|街道《かいだう》だな。ソロソロ|酔《よひ》が|醒《さ》め|出《だ》したやうだ。こんな|所《ところ》で|醒《さ》められちや、やり|切《き》れない。モウ|暫《しばら》く|持続《ぢぞく》する|為《ため》に|歌《うた》でも|唄《うた》つて|騒《さわ》いでやらうかな、……
|何《なん》とするかと|狸寝《たぬきね》すれば
|舌《した》を|出《だ》したり|笑《わら》つたり……と、
アハハハハ、お|徳《とく》の|奴《やつ》、|此《この》|間《あひだ》の|晩《ばん》も|馬鹿《ばか》にしてゐやがる、
|浮気《うはき》|聞《き》いても|気《き》になる|人《ひと》が
|出雲参《いづもまゐ》りを|誰《たれ》とした……か、
|二世《にせ》を|契《ちぎ》つたあなたの|前《まへ》で
|切《き》れて|気《き》になる|三味《しやみ》の|糸《いと》。
|切《き》れた|切《き》れたは|世間《せけん》の|噂《うはさ》
|水《みづ》に|萍《うきぐさ》|根《ね》は|切《き》れぬ………と|何《なん》と|云《い》つても、お|徳《とく》はお|徳《とく》だ、|要助《えうすけ》さまには、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても……|切《き》れはせぬ……と|吐《ぬか》すんだから、|大《たい》したものだ』
と|袖懐《そでふところ》をし|乍《なが》ら、ドンと|門《もん》に|行当《ゆきあた》り、|頭《あたま》がフラフラした|拍子《ひやうし》にバツタリ|此処《ここ》に|倒《たふ》れた。|守衛《しゆゑい》は|背中《せなか》を|力《ちから》|限《かぎ》りに|三《み》つ|四《よ》つ|続《つづ》け|打《うち》に|打《う》つた。|要助《えうすけ》はハツと|気《き》がつき、|酒《さけ》の|酔《よひ》も|醒《さ》め、|真青《まつさを》な|顔《かほ》になり、|二人《ふたり》の|顔《かほ》をギロギロと|見詰《みつ》めてゐる。
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》は|何者《なにもの》だ』
|要助《えうすけ》『ヘヘ、|私《わたし》は|有名《いうめい》な|好色男子《かうしよくだんし》|要助《えうすけ》と|申《まを》します。|私《わたし》をお|呼《よ》び|止《と》めになつて、|何《なに》か|要助《えうすけ》が|厶《ござ》いますかな。|余《あま》りお|徳《とく》にならぬ|事《こと》はお|尋《たづ》ねなさらぬが|宜《よろ》しい。お|徳《とく》|変《へん》じてお|損《そん》となつては|互《たがひ》の|迷惑《めいわく》ですからな』
|赤《あか》『|其《その》お|徳《とく》といふのは|何処《どこ》の|女《をんな》だ』
|要助《えうすけ》『エヘヘヘ、|一寸《ちよつと》|申上《まをしあ》げ|難《にく》う|厶《ござ》いますが、ベコ|助《すけ》の|女房《にようばう》で|厶《ござ》います』
|赤《あか》『ベコ|助《すけ》の|女房《にようばう》に、|其《その》|方《はう》は|関係《くわんけい》をしたのか』
|要助《えうすけ》『|関係《くわんけい》があるといへばあります。|無《な》いと|云《い》へばない|様《やう》なものですが……』
|赤《あか》『|其《その》|方《はう》はお|徳《とく》に|肱鉄《ひぢてつ》をかまされたぢやないか。そして|沢山《たくさん》な|金《かね》を|取《と》られただらう』
|要助《えうすけ》『ヘエ、|実《じつ》の|所《ところ》はエー、お|徳《とく》の|要求《えうきう》に|応《おう》じ、|爺《おやぢ》の|貯金《ちよきん》を|引《ひつ》ぱり|出《だ》し、|饂飩屋《うどんや》の|資本金《もとで》にするといふものですから、|百両《ひやくりやう》|許《ばか》り|貸《か》してやりました。そして|酒《さけ》を|一杯《いつぱい》すすめられ、|寝《ね》た|振《ふり》をしてみて|居《を》りますと、お|徳《とく》の|奴《やつ》、|舌《した》を|出《だ》したり、|私《わたし》の|方《はう》を|見《み》て、イインをしたり、|笑《わら》つたりしてをるのですよ、……|何《なに》をするかと|狸寝《たぬきね》すれば、|舌《した》を|出《だ》したり|笑《わら》つたり……、マアこんな|調子《てうし》でした、|何分《なにぶん》にもお|徳《とく》にはレコがあるものですから、どうしても|要助《えうすけ》と|完全《くわんぜん》に|意志《いし》を|疎通《そつう》する|事《こと》が|出来《でき》ませぬので、|目《め》を|剥《む》いたり、|仕方《しかた》をしたり、それはそれは|苦心《くしん》をして|居《を》りますよ。|併《しか》しまだ|一度《いちど》も|姦通《かんつう》などはして|居《を》りませぬから、|二人《ふたり》の|仲《なか》は|潔白《けつぱく》なものです』
|赤《あか》『|仮令《たとへ》|肉体《にくたい》の|上《うへ》に|姦通《かんつう》はしなくても、|已《すで》に|已《すで》に|心《こころ》で|姦通《かんつう》したぢやないか』
|要助《えうすけ》『サ、|夫《そ》れが|判然《はつきり》|分《わか》りませぬので、|私《わたし》の|方《はう》では、|心《こころ》で|已《すで》に|姦通《かんつう》せむとして|居《を》りますが、トツクリ|話《はなし》をする|間《ま》がないものですから、|向《むか》ふの|意志《いし》は|十分《じふぶん》に|分《わか》りませぬ。|出刃《でば》が|切《き》れるとか、|菜刀《ながたな》が|切《き》れるとか、|今日《けふ》は|金《かね》が|切《き》れたとか、|饂飩《うどん》の|原料《げんれう》が|断《き》れたとか、|仕舞《しま》ひの|果《はて》にや……|切《き》れた|切《き》れたは|世間《せけん》の|噂《うはさ》、|水《みづ》に|萍《うきぐさ》|根《ね》は|切《き》れぬ……などと|唄《うた》つてるものですから、|実際《じつさい》|私《わたし》の|事《こと》を|云《い》つてるのか、|商売《しやうばい》の|事《こと》を|云《い》つてるのか、まだスツカリ|判断《はんだん》がつかないのです。そした|所《ところ》、|家《うち》の|爺《おやぢ》|奴《め》が、|私《わたし》が|貯金《ちよきん》を|引張出《ひつぱりだ》し|饂飩屋《うどんや》のお|徳《とく》にやつたと|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて、|怒《おこ》るの|怒《おこ》らぬのつて、|矢庭《やには》に|手斧《てをの》を|振《ふり》かざし……コーラ|極道伜《ごくだうせがれ》|奴《め》……と|鬼《おに》のやうな|顔《かほ》して|追《おひ》かけて|来《く》るものですから、|止《や》むを|得《え》ずライオン|河《がは》へ|投身《とうしん》をしたと|思《おも》へば、ヤツパリ|夢《ゆめ》だつたか、こんな|所《ところ》へ|踏《ふ》み|迷《まよ》うて|来《き》ました。|何分《なにぶん》|酒《さけ》のまはつてる|最中《さいちう》に|追《お》ひかけられたものですから、どこをどう|通《とほ》つて|来《き》たのか、|川《かは》へはまつたのが|本当《ほんたう》か、テンと|訳《わけ》が|分《わか》りませぬワ』
|赤《あか》は|生死簿《せいしぼ》を|繰《く》り|乍《なが》ら、
|赤《あか》『ヤ、|其《その》|方《はう》はまだ|四十年《しじふねん》|許《ばか》り|命《いのち》が|残《のこ》つてゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら|其《その》|方《はう》の|肉宮《にくみや》は|爺《おやぢ》が|川《かは》から|引上《ひきあ》げて、「|此《この》|極道《ごくだう》|奴《め》」と|言《い》つて、|矢庭《やには》に|土《つち》の|中《なか》へ|埋《い》け|込《こ》んで|了《しま》ひよつたので、|最早《もはや》|帰《かへ》る|事《こと》が|出来《でき》まい。|気《き》の|毒《どく》|乍《なが》ら|四十年《しじふねん》|許《ばか》り、|此《この》|中有界《ちううかい》で|修業《しうげふ》を|致《いた》したがよからう』
|要助《えうすけ》『ハイ、ソリヤ|仕方《しかた》がありませぬ。|併《しか》しお|徳《とく》は|何処《どこ》に|居《を》りますか、|一寸《ちよつと》|知《し》らせて|下《くだ》さいな。|別《べつ》に|向《むか》ふに|思召《おぼしめし》のないのに、|無理《むり》に|要求《えうきう》に|応《おう》じてくれとは|申《まを》しませぬ。|只《ただ》|百円《ひやくゑん》の|金《かね》を|貸《か》した|為《ため》に、こんな|顛末《てんまつ》になつたといふ|事《こと》|丈《だけ》を|云《い》つてやりたう|厶《ござ》いますから、
|百円《ひやくゑん》(|逆縁《ぎやくえん》)も、もらさで|救《すく》ふ|願《ぐわん》なれば
|導《みちび》き|玉《たま》へ|弥陀《みだ》の|浄土《じやうど》へ……
といふ、どこやらの|観音様《くわんおんさま》の、|詠歌《えいか》が|厶《ござ》いましたなア、あの|百円《ひやくゑん》さへ|私《わたし》の|手《て》へ|返《かへ》されば、|極楽浄土《ごくらくじやうど》へ|救《すく》うて|下《くだ》さるでせうから、|果《はた》してここが|冥土《めいど》とあれば、|仮令《たとへ》|幽霊《いうれい》になつてでもあの|金《かね》をお|徳《とく》から|取返《とりかへ》し、|極楽行《ごくらくゆき》がしたう|厶《ござ》いますからなア』
|赤《あか》は、
『エエ|八釜《やかま》しい、そちらへ|行《ゆ》けツ』
と|力《ちから》に|任《まか》して|突飛《つきと》ばせば、|要助《えうすけ》は|細《ほそ》くなつて、|東北《とうほく》の|方《はう》を|目《め》がけて|逃《に》げて|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 松村真澄録)
第一七章 |火救団《くわきうだん》〔一四〇三〕
|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》にトボトボとやつて|来《き》た|一人《ひとり》の|女《をんな》がある。|守衛《しゆゑい》は|女《をんな》に|向《むか》ひ、
|赤《あか》『ここは|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》だ、|一寸《ちよつと》|調《しら》べる|事《こと》があるから|待《ま》つて|貰《もら》ひ|度《た》い』
|女《をんな》はハツと|驚《おどろ》いて|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をし|乍《なが》ら、
|女《をんな》『ハイ、|何《なに》か|御用《ごよう》で|厶《ござ》りますか』
|赤《あか》『お|前《まへ》は|何処《どこ》の|女《をんな》だ。|姓名《せいめい》を|聞《き》かして|貰《もら》はう』
|女《をんな》『ハイ、|私《わたし》はフサの|国《くに》、|玉木村《たまきむら》のテームスの|娘《むすめ》スミエルと|申《まを》します』
|守衛《しゆゑい》は『フサの|国《くに》 フサの|国《くに》』と|云《い》ひ|乍《なが》ら|横《よこ》に|長《なが》い|帳面《ちやうめん》を|念入《ねんい》りにめくつて、
|赤《あか》『お|前《まへ》は|未《ま》だ|未婚者《みこんしや》だなア』
スミエル『ハイ、|左様《さやう》で|厶《ござ》ります。どうも|縁《えん》が|遠縁《とほえん》で|厶《ござ》りまして|困《こま》つて|居《を》ります』
|赤《あか》『|今《いま》|迄《まで》|幾度《いくど》ともなく|縁談《えんだん》の|申《まを》し|込《こ》みがあつたぢやないか。|何故《なぜ》|両親《りやうしん》の|言葉《ことば》を|聞《き》いて|早《はや》く|養子《やうし》を|迎《むか》へなかつたか』
スミエル『|随分《ずいぶん》|立派《りつぱ》な|養子《やうし》も|申《まを》し|込《こ》んで|下《くだ》さいましたけれど、|御存《ごぞん》じの|通《とほ》りお|多福《たふく》で|厶《ござ》りますれば、|心《しん》から|私《わたくし》を|愛《あい》して|養子《やうし》に|来《く》る|人《ひと》はありませぬ。|皆《みんな》|父《ちち》の|財産《ざいさん》を|相続《さうぞく》するのが|目的《もくてき》で|養子《やうし》の|申《まを》し|込《こ》みがあるのですから、そんな|犠牲《ぎせい》にせられちや|堪《たま》りませぬからな。|既《すで》に|養子《やうし》とならば|主人《しゆじん》です。|両親《りやうしん》の|目《め》の|黒《くろ》い|間《うち》は|兎《と》も|角《かく》、|両親《りやうしん》が|国替《くにがへ》でも|致《いた》しましたら、そろそろ|被《かぶ》つて|居《ゐ》た|猫《ねこ》の|皮《かは》を|剥《は》ぎ|本性《ほんしやう》を|現《あら》はし、|美《うつく》しき|女《をんな》を|妾《てかけ》に|置《お》いたり、|或《あるひ》は|本妻《ほんさい》をおつ|放《ぽ》り|出《だ》し、|妾《てかけ》を|本妻《ほんさい》にする|悪性男《あくしやうをとこ》の|多《おほ》い|世《よ》の|中《なか》ですから、うつかり|養子《やうし》を|貰《もら》ふ|訳《わけ》にも|参《まゐ》りませぬ』
|赤《あか》『お|前《まへ》は|実際《じつさい》の|所《ところ》、|番頭《ばんとう》のシーナに|恋着《れんちやく》してゐるのだらう。それだから|左様《さやう》な|事《こと》を|申《まを》して、|立派《りつぱ》な|養子《やうし》があつても|皆《みな》|刎《は》ねつけてゐるのだらうがな』
スミエル『お|察《さつ》しの|通《とほ》り、|宅《うち》に|置《お》いた|番頭《ばんとう》で|厶《ござ》りますけれど、ラブに|上下《じやうげ》の|区別《くべつ》は|厶《ござ》りませぬ。|又《また》|番頭《ばんとう》を|養子《やうし》にして|置《お》けば、|世間《せけん》の|夫《をつと》の|様《やう》に|威張《ゐば》らなくて|何程《なにほど》|宜《い》いか|知《し》れませぬから、|家《いへ》の|為《た》めにも|自分《じぶん》の|為《た》めにも|大変《たいへん》|好都合《かうつがふ》と|存《ぞん》じまして、|両親《りやうしん》は|如何《どう》|考《かんが》へてるか|知《し》りませぬが、|私《わたくし》はそれに|定《き》めて|居《を》ります。|何程《なにほど》|番頭《ばんとう》と|云《い》つても|人格《じんかく》に|変《かは》りはありませぬ。|凡《すべ》て|男《をとこ》も|女《をんな》も|相互《あひたがひ》に|個人《こじん》としての|人格《じんかく》を|基礎《きそ》として|結合《けつがふ》すべきものだと|思《おも》ひます。|一方《いつぱう》から|一方《いつぱう》を|奴隷扱《どれいあつか》ひするのでもなく|物品視《ぶつぴんし》するのでもなく、|又《また》|神《かみ》の|如《ごと》く|尊崇《そんすう》するのでもない。|双方《さうはう》|共《とも》に|平等《べうどう》の|人格《じんかく》と|人格《じんかく》との|結合《けつがふ》でなければ|真《しん》の|恋愛《れんあい》でもなく、|結婚《けつこん》でもありませぬ。|今日《こんにち》の|如《ごと》き|男尊女卑的《だんそんぢよひてき》の|結婚《けつこん》は|実《じつ》に|不合理《ふがふり》|極《きは》まるもので、|其《その》|性的《せいてき》|関係《くわんけい》に|就《つ》いても|殆《ほとん》ど|主人《しゆじん》と|奴僕《どぼく》の|如《ごと》く、|顧客《こきやく》と|商品《しやうひん》との|如《ごと》く、|或《あるひ》は|牝馬《ひんば》と|種馬《たねうま》との|如《ごと》く、|個人《こじん》として|已《すで》に|一度《ひとたび》|目《め》の|覚《さ》めた|人間《にんげん》から|見《み》れば|甚《はなは》だしく|非人間的《ひにんげんてき》な|非論理的《ひろんりてき》な|性的《せいてき》|関係《くわんけい》だと|云《い》はねばなりますまい。|夫《をつと》が|女房《にようばう》に|対《たい》して|可愛《かあい》がるとか、|面倒《めんだう》を|見《み》てやるとか、|優《やさし》くするとか|等《など》の|言葉《ことば》に|対《たい》して、|妻《つま》の|方《はう》から|旦那様《だんなさま》のお|気《き》に|入《い》るとか、|可愛《かあい》がられるとか|云《い》ふ|言葉《ことば》が|存立《そんりつ》し|得《う》る|如《ごと》き|夫婦関係《ふうふくわんけい》は、そこに|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|愛情《あいじやう》が|存在《そんざい》して|居《を》らうとも、|決《けつ》して|真正《しんせい》な|結婚《けつこん》ではありませぬ。|飼《か》ひ|主《ぬし》が|愛犬《あいけん》に|対《たい》する|愛情《あいじやう》、|或《あるひ》は|資本家《しほんか》が|賃金報酬《ちんぎんほうしう》に|対《たい》する|温情主義《をんじやうしゆぎ》と|称《しよう》するものと|何等《なんら》|異《こと》なるものなきもので、|真《しん》の|人《ひと》と|人《ひと》との|道徳的《だうとくてき》な|関係《くわんけい》ではありませぬ。|女性《ぢよせい》に|向《むか》つて|只々《ただただ》|温良《をんりやう》|貞淑《ていしゆく》をのみ|強要《きやうえう》せむとする|如《ごと》き|夫《をつと》は、|所謂《いはゆる》|奴隷《どれい》の|道徳《だうとく》を|異性《いせい》に|強《し》ゆるものであります。|私《わたくし》|等《たち》は|社会《しやくわい》の|因襲的《いんしふてき》、かかる|悪弊《あくへい》は|絶対的《ぜつたいてき》に|排除《はいじよ》したいもので|厶《ござ》います。|今日《こんにち》の|多《おほ》くの|婦人《ふじん》の|間《あひだ》に|媚《こ》びるとか、|甘《あま》へるとか、じやれるとか、|飼《か》ひ|犬《いぬ》や、|飼《か》ひ|猫《ねこ》と|共通的《きようつうてき》な|性情《せいじやう》をさへ|具有《ぐいう》せしむるに|至《いた》つた|悲《かな》しむべき|事実《じじつ》を|見《み》るに|至《いた》つたのは、|畢竟《つまり》|今《いま》|迄《まで》の|人間《にんげん》に|少《すこ》しも|恋愛結婚《れんあいけつこん》に|対《たい》する|理解力《りかいりよく》がなかつたからで|厶《ござ》います。|私《わたし》は|第一《だいいち》、|主人《しゆじん》だとか|番頭《ばんとう》だとかの|下《くだ》らぬ|障壁《しやうへき》を|取除《とのぞ》き、|神聖《しんせい》なる|恋愛《れんあい》に|生《い》き|度《た》いもので|厶《ござ》います。それ|故《ゆゑ》|何程《なにほど》|立派《りつぱ》な|男《をとこ》でも|智者《ちしや》|学者《がくしや》でも、|此《この》|間《かん》の|道理《だうり》が|分《わか》らない|頑固《ぐわんこ》な|人《ひと》には、|一身《いつしん》を|任《まか》せる|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|恋愛《れんあい》|至上《しじやう》の|思想《しさう》があつて|初《はじ》めて|一夫一婦《いつぷいつぷ》の|的確《てきかく》なる|精神的《せいしんてき》、|道理的《だうりてき》、|合理的《がふりてき》|基礎《きそ》を|与《あた》ふる|事《こと》が|出来《でき》るものでせう。それ|以外《いぐわい》の|一夫一婦論《いつぷいつぷろん》は|偽善説《ぎぜんせつ》にあらざれば、|即《すなは》ち|単《たん》なる|便宜的《べんぎてき》、|因襲的《いんしふてき》、|実利的《じつりてき》の|御都合主義《ごつがふしゆぎ》か、|形式主義《けいしきしゆぎ》たるものに|過《す》ぎないでせう。|理想《りさう》の|合《あ》はない|夫婦《ふうふ》は、|何時《いつ》か|相互《さうご》の|間《あひだ》に|必然的《ひつぜんてき》|紛擾《ふんぜう》を|起《おこ》し、モルモン|宗《しう》の|様《やう》に|一夫多妻主義《いつぷたさいしゆぎ》を|止《や》むを|得《え》ず|採《と》らなければならない|様《やう》になります。|又《また》|女《をんな》の|方《はう》では|已《や》むを|得《え》ずラマ|教《けう》の|様《やう》に、|表面《へうめん》は|兎《と》も|角《かく》、|裏面《りめん》に|一妻多夫主義《いつさいたふしゆぎ》を|心《こころ》ならずも|行《おこな》はねばならぬ|様《やう》な|破目《はめ》になりますから、|此《この》|結婚問題《けつこんもんだい》のみは、|何程《なにほど》|両親《りやうしん》の|言葉《ことば》だと|云《い》つても|承諾《しようだく》する|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。それ|故《ゆゑ》|番頭《ばんとう》のシーナさまも|私《わたし》も|困《こま》り|果《は》てて|居《ゐ》るのですよ。|頑迷不霊《ぐわんめいふれい》の|親《おや》を|持《も》つた|娘《むすめ》|位《ぐらゐ》|不幸《ふかう》な|者《もの》は|厶《ござ》いませぬ』
|赤《あか》『またしても|恋愛神聖論者《れんあいしんせいろんしや》がやつて|来《き》て、|吾々《われわれ》の|頭脳《づなう》に|一種《いつしゆ》|異様《いやう》の|反響《はんきやう》を|与《あた》へよつた。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|女《をんな》の|云《い》ふ|事《こと》も、|今日《こんにち》の|人間《にんげん》としては|最《もつとも》|勝《すぐ》れた|考《かんが》へだ』
|斯《か》く|云《い》ふ|所《ところ》へ|少《すこ》しく|年《とし》の|若《わか》い、|非常《ひじやう》な|美人《びじん》がトボトボとやつて|来《き》た。スミエルは|此《この》|女《をんな》を|見《み》るより|嬉《うれ》しさうに、
スミエル『やア|其方《そなた》は|妹《いもうと》スガールぢやないか』
スガール『ハイ、|姉《ねえ》さまで|厶《ござ》いましたか。いい|所《ところ》でお|目《め》にかかりました。|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》に|連《つ》れ|込《こ》まれ|暗《くら》い|陥穽《おとしあな》へ|落《おと》されたかと|思《おも》へば、こんな|所《ところ》へ|抜《ぬけ》て|来《き》てゐました。|姉《ねえ》さまもヤツパリ|私《わたし》の|様《やう》な|目《め》に|会《あ》つたのでせうね』
スミエル『これ|妹《いもうと》、ここは|現界《げんかい》ではなく、どうやら|霊界《れいかい》の|様《やう》な|塩梅《あんばい》ですよ。|姉妹《おとどい》|二人《ふたり》が|深《ふか》い|穴《あな》へ|放《ほ》り|込《こ》まれ、|命《いのち》を|失《うしな》つて|霊魂《れいこん》がここへ|来《き》てゐるのでせうよ』
スガール『そんな|事《こと》は|厶《ござ》いますまい。これ|丈《だ》け|気分《きぶん》が|確《しつか》りしてゐますもの。|夢《ゆめ》でもなければ|死《し》んだのでもありませぬ。そんな|事《こと》|云《い》つて|下《くだ》さるな。|私《わたし》|心《こころ》|淋《さび》しう|厶《ござ》いますわ』
|赤《あか》『スガールとやら、|其方《そなた》スミエルの|妹《いもうと》と|見《み》えるが、ここは|霊界《れいかい》の|八衢《やちまた》だから|未《ま》だお|前達《まへたち》の|来《く》る|所《ところ》ではない。|之《これ》から|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つて|暫《しばら》く|働《はたら》かねばなりますまいぞ。|併《しか》し|乍《なが》ら|両人《りやうにん》の|身体《からだ》は、|深《ふか》い|暗《くら》い|陥穽《おとしあな》に|放《ほ》り|込《こ》まれてゐるのだから、|容易《ようい》に|救《すく》ひ|出《だ》す|事《こと》は|出来《でき》まい。|併《しか》し|不思議《ふしぎ》な|事《こと》には|生死簿《せいしぼ》には|生《せい》としてあるから、|神様《かみさま》が|何《なん》とかして|現界《げんかい》に|返《かへ》して|下《くだ》さるだらう』
スガール『|左様《さやう》で|厶《ござ》いますか。さうするとヤツパリ|此処《ここ》は|霊界《れいかい》で|厶《ござ》いましたかな。|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》と|云《い》ふゼネラルの|部下《ぶか》に|捕《とら》へられ、|深《ふか》い|穴《あな》に|放《ほ》り|込《こ》まれたと|思《おも》へばヤツパリその|時《とき》に|私等《わたしたち》|姉妹《しまい》は|現界《げんかい》を|去《さ》つて|来《き》たのですかな』
かかる|所《ところ》へ|道晴別《みちはるわけ》、シーナの|二人《ふたり》は|道々《みちみち》|何事《なにごと》か|話《はな》し、|又《また》|幽《かす》かな|声《こゑ》で|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|此方《こなた》に|向《むか》つて|進《すす》んで|来《く》る。その|姿《すがた》が|道端《みちばた》の|樹《こ》の|間《ま》を|透《すか》して、|仄《ほのか》に|現《あら》はれて|来《き》た。
|道晴別《みちはるわけ》『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて  |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|此《この》|世《よ》は|神《かみ》のゐます|国《くに》  |世《よ》の|人草《ひとぐさ》は|押《お》し|並《な》べて
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みに  |洩《も》れたる|者《もの》はあらざらめ
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|立出《たちい》でて  |魔神《まがみ》の|猛《たけ》る|月《つき》の|国《くに》
|大雲山《だいうんざん》に|蟠《わだか》まる  |醜神《しこがみ》|等《たち》を|言向《ことむ》けて
|此《この》|世《よ》の|塵《ちり》を|払《はら》はむと  |治国別《はるくにわけ》に|従《したが》ひて
|進《すす》み|来《きた》れる|折《をり》もあれ  |祠《ほこら》の|森《もり》に|残《のこ》されて
|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へつつ  その|神業《しんげふ》も|相果《あひは》てて
|又《また》もや|進《すす》む|宣伝使《せんでんし》  |浮木《うきき》の|森《もり》を|後《あと》にして
シメジ|峠《たうげ》の|山麓《さんろく》に  |来《き》かかる|折《をり》しも|曲津見《まがつみ》が
|猪倉山《ゐのくらやま》に|陣取《ぢんど》りて  |四辺《あたり》の|人《ひと》を|悩《なや》ませつ
|玉木《たまき》の|村《むら》のテームスが  |娘《むすめ》|二人《ふたり》を|掠奪《りやくだつ》し
|帰《かへ》りし|事《こと》を|聞《き》くよりも  |見捨《みす》て|兼《か》ねたる|義侠心《ぎけふしん》
|軍服姿《ぐんぷくすがた》に|身《み》を|窶《やつ》し  シーナと|共《とも》に|曲神《まがかみ》の
|集《あつ》まる|岩窟《いはや》に|立《た》ち|向《むか》ひ  |悪神達《あくがみたち》の|計略《けいりやく》の
|暗《くら》き|穴《あな》へと|投《な》げ|込《こ》まれ  |気絶《きぜつ》したりと|思《おも》ひきや
|何時《いつ》とはなしに|漂渺《へうべう》と  |涯《かぎ》りも|知《し》らぬ|大野原《おほのはら》
|知《し》らず|知《し》らずに|辿《たど》りける  |思《おも》ふにここは|霊界《れいかい》の
|八衢街道《やちまたかいだう》にあらざるか  |四辺《しへん》の|空気《くうき》はなんとなく
|現《うつつ》の|世《よ》とは|変《かは》りけり  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましまして  |現界《うつしよ》|幽界《かくりよ》|隔《へだ》てなく
|罪《つみ》に|穢《けが》れし|吾々《われわれ》の  |身魂《みたま》を|救《すく》ひ|天国《てんごく》に
|上《のぼ》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》  |国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》
|豊国姫《とよくにひめ》の|大御神《おほみかみ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大前《おほまへ》に
|慎《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|二人《ふたり》は|漸《やうや》く|関所《せきしよ》の|門前《もんぜん》に|着《つ》いた。よくよく|見《み》れば|救《すく》ひ|出《だ》さうとしてゐた、スミエル、スガールが、|赤《あか》、|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》と|共《とも》に|何《なん》だか|話《はなし》をしてゐるので|道晴別《みちはるわけ》は|不思議《ふしぎ》|相《さう》に、
|道晴《みちはる》『|拙者《せつしや》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|道晴別《みちはるわけ》と|申《まを》します。ここにゐられるのは|玉木村《たまきむら》のテームス|殿《どの》の|番頭《ばんとう》シーナさまで|厶《ござ》ります。|二人《ふたり》の|御婦人《ごふじん》はスミエル、スガール|様《さま》ぢや|厶《ござ》りませぬか』
|赤《あか》『|左様《さやう》で|厶《ござ》る。|只今《ただいま》ここへ|精霊《せいれい》となつてお|入来《いで》になりましたから、|今《いま》お|帰《かへ》りを|勧《すす》めて|居《ゐ》る|所《ところ》です』
|道晴《みちはる》『あ、それは|御厄介《ごやくかい》で|厶《ござ》いました。|私《わたくし》も|仄《ほのか》に|心《こころ》に|浮《うか》びますのは、|此《この》|御両人《ごりやうにん》を|助《たす》け|出《だ》さうと|思《おも》ひ、|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》へ|奇計《きけい》を|以《もつ》て|忍《しの》び|入《い》り、|失敗《しつぱい》を|致《いた》し、|敵《てき》に|覚《さと》られ|暗黒《あんこく》なる|深《ふか》き|穴《あな》に|投《な》げ|込《こ》まれたと|思《おも》へば、|斯様《かやう》な|処《ところ》へ|両人《りやうにん》が|来《き》て|居《を》りました。さうすれば、|吾々《われわれ》もヤツパリ|現界《げんかい》の|者《もの》ではありませぬかな』
|赤《あか》『いや|御心配《ごしんぱい》は|要《い》りませぬ。まだ|貴方方《あなたがた》|四人《よにん》|共《とも》ここに|来《こ》られる|方《かた》ぢやありませぬ。|何等《なんら》かの|手続《てつづ》きを|以《もつ》て|現界《げんかい》へ|帰《かへ》られるでせう。|時《とき》にシーナとやら、ここにスミエルさまが|来《き》て|居《を》られるから|御挨拶《ごあいさつ》をなさらぬか』
シーナ『ハイ、|何《なん》とも|恥《はづ》かしくて|言葉《ことば》が|出《で》ませぬ』
と|俯向《うつむ》く。
|赤《あか》『シーナさま、|随分《ずいぶん》スミエルさまは|貴方《あなた》に|対《たい》し、|大々的《だいだいてき》|気焔《きえん》を|吐《は》いてゐられましたよ。ま|一度《いちど》|現界《げんかい》へ|帰《かへ》つて|何卒《どうぞ》|親密《しんみつ》に|社会奉仕《しやくわいほうし》なり、|神霊奉仕《しんれいほうし》をお|励《はげ》みなさい』
シーナ『|一旦《いつたん》|肉体《にくたい》をとられた|私《わたくし》、|如何《どう》して|現界《げんかい》へ|帰《かへ》る|事《こと》が|出来《でき》ませうかな』
|赤《あか》『ここへ|来《こ》なくてならぬものは、|何程《なにほど》|嫌《いや》だと|云《い》つても|来《こ》なくてはなりませぬ。|又《また》|現界《げんかい》に|命数《めいすう》のある|人《ひと》は|何程《なにほど》|来《き》たいと|云《い》つても|来《く》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬ。|何《いづ》れ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》の|精霊《せいれい》が|来《き》て、|貴方等《あなたがた》を|現界《げんかい》へ|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さるでせう』
|四人《よにん》は|意外《いぐわい》の|感《かん》に|打《う》たれて、|二人《ふたり》の|守衛《しゆゑい》の|顔《かほ》を|見《み》つめてゐた。そこへ|東《ひがし》の|方《はう》から、『オーイ オーイ』と|三四人《さんよにん》の|声《こゑ》が|聞《きこ》えて|来《き》た。|四人《よにん》はハツと|声《こゑ》する|方《はう》に|身《み》を|転《てん》ずれば、|一道《いちだう》の|光明《くわうみやう》が|低空《ていくう》を|轟《とどろ》かしてゴウゴウゴウと|進《すす》み|来《きた》り、|四人《よにん》の|前《まへ》に|緩《ゆる》やかに|落《お》ちて|来《き》た。|火団《くわだん》は|忽《たちま》ち|四柱《よはしら》の|神人《しんじん》と|化《くわ》した。|道晴別《みちはるわけ》は『はて|不思議《ふしぎ》』と、よくよく|顔《かほ》を|透《す》かし|見《み》れば、|恋《こ》ひ|慕《した》うてゐた|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》である。|道晴別《みちはるわけ》は|嬉《うれ》し|涙《なみだ》にくれ|乍《なが》ら、
|道晴《みちはる》『ああ|先生様《せんせいさま》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公殿《まんこうどの》、よう|来《き》て|下《くだ》さいました』
と|涙《なみだ》を|袖《そで》に|拭《ぬぐ》ひ|嬉《うれ》し|泣《な》きに|泣《な》く。|何時《いつ》とはなしに|四方《しはう》から|普遍的《ふへんてき》な|光明《くわうみやう》がさして|来《き》た。|此《この》|光明《くわうみやう》に|照《て》らされて|八人《はちにん》の|姿《すがた》は|煙《けぶり》の|如《ごと》くに|消《き》えて|了《しま》つた。|随《したが》つて|八衢《やちまた》の|関所《せきしよ》も|赤《あか》|白《しろ》の|守衛《しゆゑい》の|姿《すがた》も|見《み》えなくなつた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 北村隆光録)
第五篇 |神光増進《しんくわうぞうしん》
第一八章 |真信《しんしん》〔一四〇四〕
|緑葉《りよくえふ》|滴《したた》る|初夏《しよか》の|候《こう》  |山野《さんや》の|木々《きぎ》は|自然《しぜん》のカブオットをなし
|風《かぜ》は|自然《しぜん》の|和琴《コウド》を|弾《だん》ず  |見渡《みわた》す|限《かぎ》り|原野《げんや》には
|首陀《しゆだ》や|耕奴《かうど》の|三々伍々《さんさんごご》  |列《れつ》を|正《ただ》して
|命《いのち》の|苗《なへ》を|植《う》ゑつける  |其《その》|光景《くわうけい》は|天国《てんごく》を
|地上《ちじやう》に|移《うつ》せしごとくなり  ビクトル|山《さん》の|頂上《ちやうじやう》より
|瞳《ひとみ》をはなてば|麗《うる》はしき  |譬方《たとへがた》なきフリイスの
|棚引《たなび》くごとく|見《み》えにけり  ミンシンガーは|何《なん》と|見《み》る
|天《てん》の|描《ゑが》ける|大画帖《だいぐわてふ》  |画中《ぐわちう》の|人《ひと》は|何人《なんびと》か
|牛《うし》を|追《お》ひゆくパストラル  カンタビールナ|歌《うた》うたひ
|或《あるひ》は|交《まじ》るプレストの  |其《その》|対照《たいせう》の|面白《おもしろ》さ
|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|丹精《たんせい》も  |漸《やうや》く|茲《ここ》に|現《あら》はれて
ビクトル|山《さん》の|勝地《しようち》をば  |卜《ぼく》して|建《た》てる|御舎《みあらか》も
いと|荘厳《さうごん》な|神《かみ》まつり  |其《そ》の|祝詞《のりごと》は|天地《あめつち》に
|響《ひび》き|渡《わた》りて|霊国《れいごく》や  |天国界《てんごくかい》の|天人《てんにん》が
|奏《かな》でたまへる  ロンドの|床《ゆか》しさ
|走法《そうはふ》|又《また》は|軽快調《けいくわいてう》  クラブイコードを|中空《ちうくう》に
|並《なら》べて|奏《かな》づるアダヂオス  メロデイー、モーティフ
マヂヨワ、アビニシモ  フアンセット、トンブルノ
|生言霊《いくことたま》も|順序《じゆんじよ》よく  フレーズの|限《かぎ》りを|尽《つく》し
リズム|正《ただ》しく|天地《あめつち》の  |神《かみ》の|心《こころ》を|慰《なぐさ》むる
|其《その》|光景《ありさま》を|目《ま》の|当《あた》り  |霊《れい》に|目覚《めざ》めし|人《ひと》の|耳《みみ》に
いと|涼《すず》やかに|聞《きこ》えくる  |治国別《はるくにわけ》を|祭主《さいしゆ》とし
ビクの|国王《こきし》の|刹帝利《せつていり》  ヒルナの|姫《ひめ》やアールの|君《きみ》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司達《つかさたち》  |席《せき》を|正《ただ》して|遷宮《せんぐう》の
|式《しき》に|列《れつ》せる|勇《いさ》ましさ  |開闢《かいびやく》|以来《いらい》の|盛況《せいきやう》と
|褒《ほ》め|称《たた》へぬはなかりけり。
ビクトル|山《さん》の|頂上《ちやうじやう》に|檜皮葺《ひはだぶき》の|立派《りつぱ》な|社殿《しやでん》が|落成《らくせい》し|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》を|初《はじ》め|奉《たてまつ》り、|天照皇大御神《あまてらすすめおほみかみ》、|神伊邪那岐大神《かむいざなぎのおほかみ》、|神伊邪那美大神《かむいざなみのおほかみ》、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》、|豊国姫大神《とよくにひめのおほかみ》、|稚桜姫大神《わかざくらひめのおほかみ》、|木花姫大神《このはなひめのおほかみ》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》を|初《はじ》め、|盤古神王《ばんこしんわう》を|別殿《べつでん》に|祭《まつ》り、|荘厳《さうごん》なる|祭典《さいてん》の|式《しき》は|無事《ぶじ》|終了《しうれう》された。|刹帝利《せつていり》のビクトリヤ|王《わう》は|国家《こくか》|無事《ぶじ》に|治《をさ》まり、|王家《わうけ》|安泰《あんたい》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》めかつ|神殿《しんでん》の|落成《らくせい》した|事《こと》を|感謝《かんしや》すべく、|神殿《しんでん》に|向《むか》つて|恭《うやうや》しく|祝歌《しゆくか》を|奏上《そうじやう》した。
|刹帝《せつてい》(|謡曲調《えうきよくてう》)『|久方《ひさかた》の  |天津御空《あまつみそら》に|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|天地《あめつち》の  |元津御祖《もとつみおや》の|神《かみ》と|現《あ》れませる
|大国常立《おほくにとこたち》の|大御神《おほみかみ》  |豊国主《とよくにぬし》の|大御神《おほみかみ》
|天津日《あまつひ》の|御国《みくに》を  |統《す》べさせ|給《たま》ふ
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》  |月《つき》の|御国《みくに》を|統《す》べたまふ
|神伊邪那美《かむいざなみ》の|大御神《おほみかみ》  |厳《いづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる
|国治立《くにはるたち》の|大御神《おほみかみ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》  |大地球《くぬち》の|御魂《みたま》と|現《あ》れませる
|金勝要《きんかつかね》の|大御神《おほみかみ》  |海《うみ》の|底《そこ》ひの|限《かぎ》りなく
|統《す》べ|守《まも》ります|大海津見《おほわだつみ》の|神《かみ》  |天教山《てんけうざん》に|現《あ》れませる
|木花姫《このはなひめ》の|大御神《おほみかみ》  |日《ひ》の|出神《でのかみ》を|初《はじ》めとし
|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります  |百《もも》の|司《つかさ》の|神柱《かむばしら》
|常世《とこよ》の|国《くに》に|現《あ》れませる  |盤古神王《ばんこしんのう》|塩長彦《しほながひこ》の|命《みこと》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神達《かみたち》の|大前《おほまへ》に  |天地《てんち》と|共《とも》に|限《かぎ》りなき
|神《かみ》の|授《さづ》けしビクの|国《くに》  |国王《こきし》に|仕《つか》へまつりたる
|御国《みくに》を|守《まも》る|刹帝利《せつていり》  ビクトリヤの|神《かみ》の|僕《しもべ》
|尊《たふと》き|清《きよ》き|大前《おほまへ》に  |謹《つつし》み|敬《ゐやま》い|天地《あめつち》の
|高《たか》き|恵《めぐみ》を|悦《よろこ》びて  |海河山野《うみかはやまぬの》|種々《くさぐさ》の
|美味《うま》しものをば|奉《たてまつ》り  |厚《あつ》き|恵《めぐみ》の|千重《ちへ》の|一重《ひとへ》にも
|報《むく》い|奉《まつ》らむとして  |今日《けふ》の|御祭《みまつ》り|仕《つか》へ|奉《まつ》る
|天津神《あまつかみ》|達《たち》|八百万《やほよろづ》  |国津神《くにつかみ》|等《たち》|八百万《やほよろづ》
|吾《あが》|心根《こころね》を|憐《あはれ》みて  ビクの|御国《みくに》は|云《い》ふも|更《さら》
|吾等《われら》が|命《いのち》を|永久《とこしへ》に  |守《まも》らせ|給《たま》へ|国民《くにたみ》の
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|穏《おだや》かに  |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|浸《ひた》りつつ
|家《いへ》|富《と》み|栄《さか》え|生業《なりはい》を  |歓《えら》ぎ|楽《たの》しむ|御代《みよ》となし
|月日《つきひ》と|共《とも》に|永久《とこしへ》に  |茂《しげ》り|栄《さか》ゆべく
|守《まも》らせ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|此《この》|世《よ》は|変《かは》るとも  |皇大神《すめおほかみ》の|御恵《おんめぐみ》
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》  |松彦《まつひこ》|竜彦神司《たつひこかむつかさ》
ビクの|御国《みくに》を|救《すく》ひましし  |其《その》|勲功《いさをし》はいつの|世《よ》か
|忘《わす》れ|奉《まつ》らむ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|赤心《まごころ》を
|謹《つつし》み|畏《かしこ》み|誓《ちか》ひおく  ビクの|御国《みくに》は|今《いま》|迄《まで》は
ウラルの|神《かみ》の|御教《みをしへ》を  |柱《はしら》となして|世《よ》を|治《をさ》め
|蒼生《あをひとぐさ》を|慈《いつくし》み  |仕《つか》へまつりてありけるが
ミロクの|御代《みよ》の|魁《さきがけ》と  |現《あら》はれませる|素盞嗚《すさのを》の
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》に  |目覚《めざ》めし|上《うへ》はビクトリヤ|城《じやう》の
|百《もも》の|司《つかさ》を|初《はじ》めとし  |国民《くにたみ》|挙《こぞ》りて|神恩《しんおん》を
|慕《した》ひ|奉《まつ》りて|永久《とこしへ》に  |珍《うづ》の|教《をしへ》を|守《まも》るべし
|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》  |御前《みまへ》に|謹《つつし》み|再生《さいせい》の
|御恩《ごおん》を|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
ヒルナ|姫《ひめ》は|白装束《しろしやうぞく》に|紫色《むらさきいろ》のスカートを|穿《うが》ち|銀扇《ぎんせん》を|披《ひ》らいて、アッコムパニメントを|並《なら》ばせ|乍《なが》ら|翼琴《クラブイコード》を|弾《だん》じさせ、|自《みづか》ら|祝歌《しゆくか》を|歌《うた》ふ。
ヒルナ|姫《ひめ》『ビクトル|山《さん》に|千木《ちぎ》|高《たか》く  |大宮柱太《おほみやばしらふと》しりて
|鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|皇神《すめかみ》の  |珍《うづ》の|御前《みまへ》に|謹《つつし》みて
|感謝《かんしや》の|言葉《ことば》|奉《たてまつ》る  |抑々《そもそも》ビクの|国柄《くにがら》は
|遠《とほ》き|神代《かみよ》の|昔《むかし》より  |月日《つきひ》と|共《とも》に|伝《つた》はりて
|君《きみ》と|臣《おみ》との|差別《けじめ》をば  |正《ただ》しく|守《まも》りし|神《かみ》の|国《くに》
|雲井《くもゐ》の|空《そら》も|地《ち》の|上《うへ》も  |睦《むつ》び|親《した》しみ|親《おや》と|子《こ》の
|如《ごと》くに|治《をさ》まり|来《きた》りしが  |天津御空《あまつみそら》の|日《ひ》は|流《なが》れ
|月《つき》ゆき|星《ほし》は|移《うつ》ろひて  |醜《しこ》の|魔風《まかぜ》は|吹《ふ》き|荒《すさ》び
|四方《よも》の|山辺《やまべ》の|木々《きぎ》の|枝《えだ》  |冷《つめ》たき|風《かぜ》に|叩《たた》かれて
|羽衣《はごろも》|脱《ぬ》ぎし|如《ごと》くなる  いと|浅猿《あさま》しき|国柄《くにがら》と
|忽《たちま》ち|乱《みだ》れ|淋《さび》れけり  |御国《みくに》の|柱《はしら》と|現《あ》れませる
|吾《わ》が|背《せ》の|君《きみ》の|刹帝利《せつていり》  |深《ふか》く|心《こころ》を|悩《なや》ませつ
|常世《とこよ》の|国《くに》に|現《あ》れませし  |塩長彦《しほながひこの》の|大神《おほかみ》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|祈《いの》りつつ  |天《あめ》が|下《した》をば|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|治《をさ》めむと  |祈《いの》り|給《たま》ひし|丹精《たんせい》も
|水泡《みなわ》と|消《き》えて|曲津神《まがつかみ》  |八岐大蛇《やまたをろち》や|醜鬼《しこおに》の
|荒《あら》びすさめる|世《よ》となりぬ  ライオン|川《がは》は|滔々《たうたう》と
|水《みづ》|永久《とこしへ》に|流《なが》るれど  |絶《た》えなむ|許《ばか》りの|刹帝利家《せつていりけ》
|既倒《きたう》に|之《これ》を|挽回《ばんくわい》し  |救《すく》ひて|君《きみ》の|神慮《しんりよ》をば
|慰《なぐさ》め|安《やす》んじ|奉《まつ》らむと  |女《をんな》の|繊弱《かよわ》き|心《こころ》より
|悪逆無道《あくぎやくぶだう》の|曲神《まがかみ》に  あらぬ|秋波《しうは》を|送《おく》りつつ
|吾《わが》|身《み》の|血潮《ちしほ》を|濁《にご》したる  |其《その》|過《あやまち》を|悔《く》い|奉《まつ》り
|御仁慈《ごじんじ》|深《ふか》き|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|宣《の》り|直《なほ》し
|聞《き》き|直《なほ》されて|元《もと》のごと  |治《をさ》まるアーチ・ダッチェス
|実《げ》に|有難《ありがた》き|限《かぎ》りなり  かくも|尊《たふと》き|神恩《しんおん》に
|報《むく》いまつらむ|赤心《まごころ》の  |印《しるし》とここに|大宮《おほみや》を
|刹帝利様《せつていりさま》に|願《ねが》ひ|上《あ》げ  |治国別《はるくにわけ》の|神人《しんじん》に
やつと|許《ゆる》され|珍《うづ》の|宮《みや》  |仕《つか》へ|終《をは》りし|嬉《うれ》しさよ
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |皇大神《すめおほかみ》は|永久《とこしへ》に
ビクの|御国《みくに》は|云《い》ふも|更《さら》  |吾《わが》|君様《きみさま》や|百司《ももつかさ》
|四方《よも》の|国民《くにたみ》|恙《つつが》なく  |此《この》|麗《うるは》しき|現世《うつしよ》に
|命《いのち》を|存《なが》らへ|日々《にちにち》の  |身《み》の|生業《なりはい》を|励《はげ》みつつ
|国《くに》の|栄《さか》えを|松《まつ》の|代《よ》の  |常磐堅磐《ときはかきは》の|聖代《せいだい》と
|進《すす》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |御前《みまへ》に|謹《つつし》み|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》つて|座《ざ》についた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 加藤明子録)
第一九章 |流調《りうてう》〔一四〇五〕
|治国別《はるくにわけ》は|謡《うた》ふ。
|治国別《はるくにわけ》(|謡曲調《えうきよくてう》)『|久方《ひさかた》の|天《あめ》の|八重雲《やへぐも》|掻《か》きわけて  |名《な》さへ|目出度《めでた》きフサの|国《くに》
ビクトル|山《さん》の|頂上《ちやうじやう》の  |上《うは》つ|岩根《いはね》を|搗《つ》きこらし
|下《した》つ|岩根《いはね》に|搗固《つきかた》め  |礎《いしずゑ》|固《かた》く|敷《し》き|並《なら》べ
|金銀《きんぎん》|瑪瑙《めなう》|瑠璃《るり》|〓〓《しやこ》  |琥珀《こはく》や|玻璃《はり》に|擬《まが》ふべき
ライオン|川《がは》の|清《きよ》き|真砂《まさご》を  |上《うは》つ|岩根《いはね》に|敷《し》き|詰《つ》めて
|大峡《おほがい》|小峡《をがい》の|幹《みき》を|切《き》り  |本《もと》と|末《すゑ》とは|山口《やまぐち》の
|皇大神《すめおほかみ》に|献《たてまつ》り|置《お》きて  |神《かみ》の|御稜威《みいづ》も|三《み》つ|栗《ぐり》の
|中《なか》つ|幹《みき》を|忌斧《いむをの》|忌鋤《いむすき》もて  |心《こころ》を|籠《こ》めて|削《けづ》りたて
|飛弾《ひだ》の|工《たくみ》の|業《わざ》もあざやかに  |御代《みよ》の|光《ひかり》を|現《あら》はす|真木柱《まきばしら》
つきたて  |木組《きぐみ》も|細《こま》やかに
|天《あめ》の|御蔭《みかげ》|日《ひ》の|御蔭《みかげ》と  |大屋根《おほやね》をしつらへ
|桧《ひのき》の|皮《かは》のいと|厚《あつ》く  |葺《ふ》きつめ|給《たま》ひしこの|社《やしろ》
|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》の  |皇大神《すめおほかみ》の|御舎《みあらか》を
|天津風《あまつかぜ》|時津風《ときつかぜ》|吹《ふ》き|捲《まく》るまにまに  |茲《ここ》に|現世《うつしよ》の
|国《くに》の|守《まも》りと|定《さだ》めつつ  |霊国《れいごく》にありては|月《つき》の|大神《おほかみ》と|現《あら》はれまし
|天国《てんごく》にありては|日《ひ》の|大神《おほかみ》と|現《あ》れませる  |大国常立《おほくにとこたち》の|大神《おほかみ》の
|珍《うづ》の|御舎《みあらか》つかへまつり  |国王《こきし》の|君《きみ》を|初《はじ》めとし|后《きさい》の|宮《みや》や
|世継《よつぎ》の|御子《おんこ》  |左守《さもり》|右守《うもり》の|宮司《みやつこ》をはじめ
|百《もも》の|司《つかさ》も|悦《よろこ》びて  |今日《けふ》の|御祭《みまつり》|祝《ことほ》ぎ|奉《まつ》り
|天津御空《あまつみそら》の|極《きは》みなく  |底《そこ》つ|岩根《いはね》の|果《は》てもなく
|澄《す》み|渡《わた》りたる|大空《おほぞら》や  |紫《むらさき》の|浪《なみ》|漂《ただよ》ふ|大海原《おほうなばら》の|如《ごと》くいや|高《たか》く
いや|深《ふか》き|大御恵《おほみめぐみ》を|喜《よろこ》びて  |治国別《はるくにわけ》を|初《はじ》めとし
|三五教《あななひけう》の|神司《かむづかさ》  |今日《けふ》の|喜《よろこ》び|永久《とこしへ》に
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|村肝《むらきも》の  |心《こころ》に|銘《めい》じ|忘《わす》れまじ
ああ|斯《かか》る|目出度《めでた》き|聖代《せいだい》に  |扇《あふぎ》の|御代《みよ》の|末広《すゑひろ》く
|国《くに》の|要《かなめ》と|現《あ》れませる  |神《かみ》に|等《ひと》しき|聖《ひじり》の|君《きみ》
|五風十雨《ごふうじふう》の|序《ついで》よく  |山河《やまかは》は|清《きよ》くさやけく
|百《もも》の|種物《たなつもの》はよく|実《みの》り  |万民《ばんみん》|鼓腹撃壤《こふくげきじよう》の
|至幸《しかう》|至楽《しらく》の|境涯《きやうがい》を  |全《まつた》く|神《かみ》と|国王《こきし》の|御徳《おんとく》と
|仰《あふ》ぎ|奉《まつ》らむ|今日《けふ》の|御典《みのり》の|尊《たふと》さよ  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|大空《おほぞら》|渡《わた》る|月影《つきかげ》は  |或《あるひ》は|盈《み》ち|或《あるひ》は|虧《か》くるとも
|金砂《きんしや》|銀砂《ぎんしや》を|布《し》きつめし  |天《あま》の|河原《かはら》の|星《ほし》の|数《かず》
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|数《かず》|多《おほ》き  |蒼生《あをひとぐさ》の|身《み》の|上《うへ》を
|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|皇大神《すめおほかみ》  ミロクの|御代《みよ》を|来《き》たさむと
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へたる  |闇夜《やみよ》も|清《きよ》く|治国別《はるくにわけ》の
|神《かみ》の|使《つかひ》  |常磐《ときは》の|松《まつ》の|松彦《まつひこ》や
|世《よ》は|永久《とこしへ》に|竜彦《たつひこ》の  |司《つかさ》の|悦《よろこ》びは|云《い》ふも|更《さら》
|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|万公《まんこう》が  |今日《けふ》の|盛典《みのり》を|心《こころ》より
|歓《ゑら》ぎ|喜《よろこ》び|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|祈《いの》り|奉《まつ》る  |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|祈《いの》り|奉《まつ》る』
と|謡《うた》ひ|終《をは》り|元《もと》の|座《ざ》についた。タルマンは|前《まへ》ウラル|教《けう》の|宣伝使《せんでんし》たりしが、|此《この》|度《たび》|治国別《はるくにわけ》の|弟子《でし》となり、|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》や|儀式《ぎしき》を|教《をし》へられ、|宮司《みやづかさ》となつて|長《なが》く|仕《つか》へ、|王家《わうけ》を|初《はじ》め|国家《こくか》の|安泰《あんたい》を|祈《いの》るべき|職掌《しよくしやう》となつた。タルマンは|宮司《みやづかさ》として|祝意《しゆくい》を|表《へう》すべく|立《た》ち|上《あが》り|謡《うた》ひ|始《はじ》めた。
タルマン(|謡曲調《えうきよくてう》)『|赤玉《あかたま》は|緒《を》|冴《さ》へ|光《ひか》れど|白玉《しらたま》の  |君《きみ》がよそひし|尊《たふと》くもあるかな
|抑《そもそ》もビクの|国《くに》は  |天地開闢《てんちかいびやく》の|初《はじ》めより
ビクトリヤ|家《け》の|遠《とほ》つ|御祖《みおや》  |国《くに》の|国王《こきし》と|現《あら》はれまして
|上《うへ》は|神《かみ》を|崇《あが》め|奉《たてまつ》り  |下《しも》|万民《ばんみん》を|慈《いつくし》み
|五日《いつか》の|風《かぜ》や|十日《とをか》の|雨《あめ》も  ほどほどに|与《あた》へられ
|御国《みくに》は|栄《さか》え|民《たみ》はとみ  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|有様《ありさま》を
いや|永久《とこしへ》に|伝《つた》へたる  |珍《うづ》の|御国《みくに》も|時《とき》ありて
|曲《まが》の|醜風《しこかぜ》|吹《ふ》き|荒《すさ》び  |千代《ちよ》の|住所《すみか》と|定《さだ》めたる
ビクトリヤの|城《しろ》も  |既《すで》に|傾《かたむ》かむとする|所《ところ》へ
|天《あめ》の|八重雲《やへぐも》|掻《か》きわけて  |天降《あも》りましたる|神司《かむづかさ》
|此《この》|世《よ》の|闇《やみ》をすくすくに  |治国別《はるくにわけ》の|神人《しんじん》を
|初《はじ》め|三人《みたり》の|神司《かむづかさ》  |下《くだ》り|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ
タルマン|司《つかさ》は|云《い》ふも|更《さら》  |国王《こきし》の|君《きみ》も|后《きさい》の|宮《みや》も
|左守《さもり》|右守《うもり》の|宮司《みやつこ》も  |迷《まよ》ひの|雲《くも》を|吹《ふ》き|払《はら》ひ
|御空《みそら》に|輝《かがや》く|日月《じつげつ》の  |光《ひかり》に|擬《まが》ふ|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》に|照《て》らされて  |誠《まこと》の|道《みち》をよく|悟《さと》り
|愛善《あいぜん》の|徳《とく》に|住《ぢう》し  |信真《しんしん》の|光《ひかり》を|浴《あ》び
ビクトル|山《さん》の|下《した》つ|岩根《いはね》に  |大宮柱太《おほみやばしらふと》しき|建《た》てて
|皇大神《すめおほかみ》を|斎《いは》ひまつり  |天下泰平《てんかたいへい》|国土成就《こくどじやうじゆ》
|万民安堵《ばんみんあんど》の|祈願《きぐわん》を|凝《こ》らし  |賤《いや》しき|身《み》をも|顧《かへり》みず
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》や|国王《こきし》の|君《きみ》の  |任《ま》けのまにまに
おほけなくも|此《この》|玉《たま》の|宮《みや》の  |神司《かむつかさ》と|仕《つか》へ|奉《まつ》り
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|身《み》を|清《きよ》め  |汚《けが》れを|避《さ》けて|只管《ひたすら》に
|誠《まこと》を|尽《つく》すタルマンが  |心《こころ》を|諾《うべな》ひ|給《たま》へかし
|天津御空《あまつみそら》の|日影《ひかげ》は  |或《あるひ》は|照《て》り|或《あるひ》は|雲《くも》り
|月《つき》は|盈《み》ち|或《あるひ》は|虧《か》くる|夜《よ》ありとも  |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|神《かみ》の|教《をしへ》を|力《ちから》とし  ライオン|川《がは》の|水《みづ》|永久《とこしへ》に
|絶《た》ゆる|事《こと》なく|涸《か》るる|事《こと》なき  |赤心《まごころ》のあらむ|限《かぎ》りは
|骨《ほね》を|砕《くだ》き|身《み》を|粉《こ》にし  |神《かみ》の|御為《おんため》|君《きみ》の|為《た》め
|御国《みくに》の|為《ため》に|尽《つく》すべし  ああ|畏《かしこ》くも|此《この》|世《よ》をば
|統《す》べ|守《まも》り|給《たま》ふ  |大国常立《おほくにとこたち》の|大神《おほかみ》を|初《はじ》め|奉《まつ》り
|天地《あめつち》|八百万《やほよろづ》の|大神《おほかみ》  |従《したが》ひ|給《たま》ふ|百神達《ももがみたち》の|御前《おんまへ》に
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ  |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|松彦《まつひこ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
|松彦《まつひこ》『|千代万代《ちよよろづよ》も|色《いろ》かへぬ  |常磐《ときは》の|松《まつ》の|松彦《まつひこ》が
いや|永久《とこしへ》のビクの|国《くに》  いや|永久《とこしへ》にいつ|迄《まで》も
|栄《さか》えませよと|大神《おほかみ》の  |御前《みまへ》にひれ|伏《ふ》し|朝夕《あさゆふ》に
|赤心《まごころ》|籠《こ》めて|祈《いの》りしが  |皇大神《すめおほかみ》は|速《すみやか》に
|吾等《われら》が|願《ねがひ》を|聞召《きこしめ》し  |百日百夜《ももかももよ》の|其《その》|中《うち》に
かく|麗《うるは》しき|御舎《みあらか》を  |造《つく》らせ|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ
|抑《そもそも》ビクの|神国《かみくに》は  |神《かみ》の|守《まも》りのいや|厚《あつ》く
|恵《めぐ》み|給《たま》ひし|国《くに》なれば  ビクトル|山《さん》の|岩《いは》のごと
いや|永久《とこしへ》に|動《うご》くまじ  |斯《か》かる|目出度《めでた》き|神国《かみくに》の
|国王《こきし》の|君《きみ》は|三五《あななひ》の  |教《をしへ》を|悟《さと》り|給《たま》ひてゆ
いよいよ|国《くに》は|盤石《ばんじやく》の  |礎《いしずゑ》|清《きよ》く|固《かた》まりて
|松《まつ》の|緑《みどり》の|青々《あをあを》と  |果《は》てしも|知《し》らず|栄《さか》ゆべし
|抑《そもそも》|此《この》|国《くに》は|四方《よも》の|山《やま》  |見渡《みわた》す|限《かぎ》り|松林《まつばやし》
|木々《きぎ》の|木《こ》の|間《ま》にちらちらと  |見《み》ゆるは|樫《かし》の|大木《たいぼく》か
|但《ただ》しは|樟《くす》の|霊木《れいぼく》か  |千代《ちよ》に|八千代《やちよ》にかたらかに
|命《いのち》も|長《なが》く|朽《くち》もせず  |枯《か》るるためしもなき|霊樹《れいじゆ》
これに|因《ちな》みてビクの|国《くに》  ビクとも|動《うご》かぬ|瑞祥《ずゐしやう》と
|遥《はるか》に|四方《よも》を|打《う》ちながめ  |心《こころ》に|浮《う》かみし|其《その》|儘《まま》を
|茲《ここ》に|写《うつ》して|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|宮居《みやゐ》の|御祭《みまつ》りを
|祝《ことほ》ぎつかへ|奉《たてまつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|左守《さもり》は|老躯《らうく》を|起《おこ》して|嬉《うれ》しげに|歌《うた》ふ。
|左守《さもり》『ああ|有難《ありがた》し|有難《ありがた》し  |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|目《ま》の|当《あた》り
|傾《かたむ》きかけしビクの|城《しろ》  |立直《たてなほ》します|神《かみ》の|息《いき》
|三五教《あななひけう》を|守《まも》ります  |厳《いづ》の|御霊《みたま》や|瑞御霊《みづみたま》
|皇大神《すめおほかみ》は|云《い》ふも|更《さら》  |斎苑《いそ》の|館《やかた》を|後《あと》にして
|天降《あも》りましたる|神司《かむづかさ》  |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が
|鳩《はと》の|如《ごと》くに|下《くだ》りまし  |吾《わが》|大君《おほぎみ》を|初《はじ》めとし
|百《もも》の|司《つかさ》や|国人《くにびと》の  |難《なや》みを|救《すく》ひ|給《たま》ひたる
|大御恵《おほみめぐみ》はいつの|世《よ》か  いかで|忘《わす》れむ|大空《おほぞら》の
|限《かぎ》りも|知《し》らぬ|星《ほし》のかげ  |忽《たちま》ちおつる|事《こと》あるも
|浜《はま》の|真砂《まさご》の|尽《つ》くるとも  |誠《まこと》の|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》は
いや|永久《とこしへ》に|忘《わす》れまじ  |抑《そもそも》|国《くに》を|治《をさ》むるは
まづ|第一《だいいち》に|天地《あめつち》の  |尊《たふと》き|神《かみ》を|寿《ほ》ぎ|奉《まつ》り
|神《かみ》の|教《をしへ》に|従《したが》ひて  |下《しも》|国民《くにたみ》に|相臨《あひのぞ》み
|国《くに》の|司《つかさ》と|現《あ》れませる  |模範《もはん》を|示《しめ》し|詳細《まつぶさ》に
|民《たみ》の|心《こころ》をやはらげて  |世《よ》を|永久《とこしへ》に|治《をさ》むべき
|誠《まこと》の|道《みち》を|悟《さと》りけり  |左守《さもり》の|司《かみ》も|今《いま》|迄《まで》は
|霊《みたま》の|光《ひかり》|暗《くら》くして  |心《こころ》を|政治《せいぢ》に|焦《いら》ちつつ
|現世《げんせ》に|心《こころ》|傾《かたむ》けて  |元《もと》つ|御祖《みおや》の|神様《かみさま》を
|次《つぎ》になしたる|愚《おろか》さよ  |知《し》らず|知《し》らずに|神《かみ》の|前《まへ》
|幾多《いくた》の|罪《つみ》を|重《かさ》ねたる  |吾《われ》をも|懲《きた》めたまはずに
|広《ひろ》き|心《こころ》に|見直《みなほ》して  |許《ゆる》させ|給《たま》ふのみならず
|左守《さもり》の|司《かみ》の|職掌《しよくしやう》を  |元《もと》の|如《ごと》くにおほせられ
いと|重大《ぢうだい》な|任務《にんむ》をば  |任《ま》けさせ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ
お|礼《れい》の|言葉《ことば》は|尽《つく》されず  いざこれよりはキユービツトも
|心《こころ》を|研《みが》き|身《み》を|清《きよ》め  |先《ま》づ|第一《だいいち》に|大神《おほかみ》を
|祈《いの》り|奉《まつ》りて|君《きみ》の|為《た》め  いと|麗《うるは》しき|政治《まつりごと》
|助《たす》けまつらむ|吾《わが》|心《こころ》  |諾《うべな》ひ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|御前《みまへ》に|謹《つつし》み|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|座《ざ》についた。|右守《うもり》のエクスは|又《また》|歌《うた》ふ。
『ビクの|御国《みくに》の|刹帝利《せつていり》  ビクトリヤ|王《わう》の|重臣《ぢうしん》と
|仕《つか》へまつりし|右守司《うもりがみ》  エクスは|茲《ここ》に|謹《つつし》みて
|皇大神《すめおほかみ》の|御高恩《ごかうおん》  |治国別《はるくにわけ》の|御恵《おんめぐみ》
|畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|赤心《まごころ》を  |捧《ささ》げて|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》  |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
ただ|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は  |直日《なほひ》に|見直《みなほ》せ|聞直《ききなほ》せ
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》せ  かくも|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を
|授《さづ》けられたる|上《うへ》からは  |孫子《まごこ》の|代《だい》に|至《いた》るまで
|畏《おそ》れ|慎《つつし》み|三五《あななひ》の  |誠《まこと》の|教《をしへ》を|遵奉《じゆんぽう》し
|右守《うもり》の|司《かみ》の|職掌《しよくしやう》を  |一心不乱《いつしんふらん》に|相守《あひまも》り
|神《かみ》と|君《きみ》との|御為《おんため》に  |心《こころ》の|限《かぎ》り|尽《つく》すべし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |一度《いちど》は|醜《しこ》の|魔軍《まいくさ》の
バラモン|軍《ぐん》に|囲《かこ》まれて  |社稷《しやしよく》|危《あやふ》く|見《み》えけるが
|仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》は  |仁徳《じんとく》|高《たか》き|吾《わが》|君《きみ》の
|其《その》|窮状《きうじやう》を|憐《あはれ》みて  |救《すく》はせ|給《たま》ひし|有難《ありがた》さ
|唯《ただ》|何事《なにごと》も|世《よ》の|中《なか》は  |神《かみ》の|御旨《みむね》に|従《したが》ひて
|如何《いか》なる|小《ちひ》さき|事《こと》とても  |決《けつ》して|我意《がい》を|主張《しゆちやう》せず
|神《かみ》のまにまに|行《おこな》へば  キタリキタリと|恙《つつが》なく
|箱《はこ》さすやうに|行《ゆ》くものと  |初《はじ》めて|覚《さと》りし|神《かみ》の|道《みち》
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |皇大神《すめおほかみ》よ|永久《とこしへ》に
|此《この》|聖代《せいだい》を|守《まも》りまし  |御国《みくに》を|栄《さか》え|給《たま》へかし
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|悠然《いうぜん》として|座《ざ》についた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 加藤明子録)
第二〇章 |建替《たてかへ》〔一四〇六〕
|左守《さもり》の|司《かみ》の|長子《ちやうし》ハルナの|歌《うた》。
ハルナ『|高天原《たかあまはら》の|移写《いしや》として  ビクトル|山《さん》の|聖場《せいぢやう》に
|大宮柱《おほみやばしら》|太知《ふとし》りて  |鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|大神《おほかみ》の
|御前《みまへ》に|祝《ことほ》ぎ|奉《たてまつ》る  |高天原《たかあまはら》の|司神《つかさがみ》
|厳《いづ》の|御霊《みたま》と|現《あ》れまして  |一《ひと》|二《ふた》|三《み》つ|四《よ》つ|五《いつ》つ|六《む》つ
|七《なな》|八《や》つ|九《ここの》つ|十《たり》|百《もも》|千《ち》  |万《よろづ》のものの|元津祖《もとつおや》
|大国常立大御神《おほくにとこたちおほみかみ》  |高皇産霊《たかみむすび》の|大御神《おほみかみ》
|神皇産霊《かむみむすび》の|大神《おほかみ》の  |稜威《みいづ》を|以《もつ》て|限《かぎ》り|無《な》く
|万《よろづ》のものを|造《つく》りまし  |天《あめ》が|下《した》なる|神人《しんじん》を
うまし|御国《みくに》に|永久《とこしへ》に  いと|安《やす》らけく|住《す》ませむと
|日月大地《ひつきくぬち》を|造《つく》りまし  |各《おのおの》|清《きよ》き|霊《みたま》をば
|授《さづ》け|玉《たま》ひて|八百万《やほよろづ》  |尊《たふと》き|神《かみ》を|生《う》み|玉《たま》ひ
|天地万有《てんちばんいう》|守《まも》ります  |広大無辺《くわうだいむへん》の|御恵《みめぐみ》を
|尊《たふと》み|敬《ゐやま》ひ|奉《たてまつ》る  |豊葦原《とよあしはら》の|瑞穂国《みづほくに》
|生言霊《いくことたま》の|幸《さち》はひて  |百《もも》の|宝《たから》を|下《くだ》しまし
|君《きみ》の|位《くらゐ》は|千代《ちよ》|八千代《やちよ》  |動《うご》きもやらず|変《かは》る|無《な》く
|島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》  |天《あめ》の|壁立《かべた》つ|其《その》|極《きは》み
|国《くに》の|聳立《そぎた》つ|其《その》|限《かぎ》り  |棚引《たなび》く|雲《くも》の|果《は》てまでも
|伊照《いて》り|透《とう》らす|大御稜威《おほみいづ》  これぞ|全《まつた》く|日《ひ》の|守《まも》り
|神《かみ》の|守《まも》りと|悦《よろこ》びて  |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へなむ
|常夜《とこよ》を|照《て》らす|月読《つきよみ》の  |神《かみ》の|光《ひかり》は|夜《よ》の|守《まも》り
|蒼生《あをひとぐさ》を|撫《な》で|玉《たま》ひ  |天勝国勝国《あまかつくにかつくに》の|祖《おや》
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》は  |天地《あめつち》|成出《なりで》し|其《その》|時《とき》ゆ
|隠身《すみきり》ましてすみ|玉《たま》ひ  |玉留魂《たまつめむすび》の|霊徳《みいづ》|以《も》て
|海月《くらげ》の|如《ごと》く|漂《ただよ》へる  |国土《くに》をば|造《つく》り|固《かた》めなし
|大地《くぬち》の|海陸《かいりく》|別《わか》ちまし  |豊国主《とよくにぬし》の|大神《おほかみ》は
|足玉魂《たるたまむすび》の|御霊徳《みみいづ》もて  |植物《きくさ》を|生《う》み|出《だ》し|守《まも》りまし
|葦芽彦遅《あしがいひこぢ》の|大神《おほかみ》は  |生玉魂《いくたまむすび》の|霊徳《みいづ》もて
あらゆる|動物《いけもの》|愛《め》で|育《そだ》て  |動《うご》く|力《ちから》は|大戸地《おほとのぢ》
|静《しづ》まる|力《ちから》は|大戸辺《おほとのべ》  |解《ほど》ける|力《ちから》は|宇比地根神《うひぢねのかみ》
|凝《かた》まる|力《ちから》は|須比地根《すひぢね》の|神《かみ》  |引力《いんりよく》|守《まも》る|生杙神《いくぐひのかみ》
|弛力《ちりよく》を|守《まも》る|角杙神《つぬぐひのかみ》  |合力《がふりよく》|守《まも》る|面足神《おもたるのかみ》
|分《わ》ける|力《ちから》は|惶根《かしこね》の  |御稜威《みいづ》を|以《もつ》て|世《よ》の|中《なか》の
すべての|物《もの》に|与《あた》へまし  |天《あめ》と|地《つち》との|霊《みたま》をば
|神《かみ》の|大道《おほぢ》に|依《よ》らしめ|玉《たま》ひ  |日《ひ》の|神国《かみくに》を|治《しろ》し|召《め》す
|神伊邪那岐《かむいざなぎ》の|大御神《おほみかみ》  |月《つき》の|神国《みくに》を|治《しろ》し|召《め》す
|神伊邪那美《かむいざなみ》の|大神《おほかみ》は  |天津御神《あまつみかみ》の|神勅《みこと》もて
|天《あめ》の|瓊矛《ぬぼこ》をとりもたせ  |千五百《ちいほ》の|秋《あき》の|瑞穂国《みづほくに》
|千足《ちたる》の|国《くに》や|浦安国《うらやすくに》と  |完全《うまら》に|委曲《つばら》につくりなし
|遠《とほ》き|近《ちか》きの|国々《くにぐに》に  |国魂神《くにたまがみ》を|生《う》み|玉《たま》ひ
|産土神《うぶすながみ》を|任《ま》けまして  |青人草《あをひとぐさ》を|氏子《うぢこ》とし
|各《おの》も|各《おの》もに|持《も》ち|分《わ》けて  |親《した》しく|守《まも》らせ|給《たま》ひける
|大御恵《おほみめぐみ》を|謹《つつし》みて  |仰《あふ》ぎ|喜《よろこ》び|奉《たてまつ》る
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ
|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》  とは|云《い》ふものの|何時《いつ》となく
|曲津《まがつ》の|神《かみ》の|曲事《まがこと》に  |相交《あひまじ》こりて|日《ひ》に|夜《よる》に
|罪《つみ》や|穢《けがれ》に|沈《しづ》みつつ  |憂瀬《うきせ》に|沈《しづ》む|憐《あは》れさを
|愍《あはれ》み|玉《たま》ひ|厳御霊《いづみたま》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》は
|綾《あや》の|聖地《せいち》は|云《い》ふも|更《さら》  |黄金山《わうごんざん》やウブスナの
|珍《うづ》の|真秀良場《まほらば》|云《い》ふも|更《さら》  |青垣山《あをがきやま》を|周《めぐ》らせる
|下津岩根《したついはね》の|此《この》|山《やま》に  |現《あら》はれまして|世《よ》の|人《ひと》を
|教《をし》へ|導《みちび》き|天《あめ》の|下《した》  |四方《よも》の|国々《くにぐに》|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|治《をさ》めます  |其《その》|御恵《みめぐみ》の|万分一《まんぶいつ》
|報《むく》いむ|由《よし》もなけれども  |能《あた》ふ|限《かぎ》りの|赤心《まごころ》を
|尽《つく》して|神《かみ》と|君《きみ》の|為《ため》  |生命《いのち》の|限《かぎ》り|仕《つか》へなむ
|愍《あは》れみ|給《たま》へ|惟神《かむながら》  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|平伏《ひれふ》して
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  |天地初発《てんちしよはつ》の|其《その》|時《とき》ゆ
|隠身《すみきり》|玉《たま》ひし|国《くに》の|祖《おや》  |大国常立大神《おほくにとこたちおほかみ》の
|御前《みまへ》にハルナ|謹《つつし》みて  |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎ|申《まを》す
|清《きよ》き|尊《たふと》き|天《あめ》が|下《した》  |四方《よも》の|御国《みくに》に|生《な》り|出《い》でし
|青人草《あをひとぐさ》の|霊等《みたまら》に  |授《さづ》け|玉《たま》ひし|御分霊《ごぶんれい》
|直日《なほひ》の|霊《みたま》を|照《て》らしつつ  ますます|光《ひか》り|美《うる》はしき
|伊都能売魂《いづのめのみたま》となさしめよ  もしたまさかに|過《あやま》ちて
|醜《しこ》の|曲津《まがつ》に|精霊《せいれい》を  |汚《けが》し|破《やぶ》らる|事《こと》も|無《な》く
|四魂五情《しこんごじやう》の|全《まつた》けき  |其《その》|働《はたら》きによりまして
|皇大神《すめおほかみ》の|天業《みわざ》をば  いと|安《やす》らけく|平《たひ》らけく
|仕《つか》へ|奉《まつ》らせ|玉《たま》へかし  |如何《いか》なる|災禍《わざはひ》|来《きた》るとも
よく|耐《た》え|忍《しの》び|人《ひと》たるの  |尊《たふと》き|品位《ひんゐ》を|保《たも》たせて
|神《かみ》の|玉《たま》ひし|玉《たま》の|緒《を》の  |生命《いのち》も|長《なが》く|家《いへ》の|業《わざ》
いやますますに|富《と》み|栄《さか》え  いと|美《うる》はしき|天地《あめつち》の
|花《はな》と|現《あら》はれ|光《ひかり》となり  |天地《てんち》の|御子《みこ》たる|身《み》の|本能《さが》を
|発《ひら》き|上《あ》げしめ|玉《たま》へかし  |仰《あふ》ぎ|謹《つつし》み|願《ねが》はくば
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に  |叶《かな》ひ|奉《まつ》りて|現世《うつしよ》の
|霊《みたま》に|罪《つみ》も|穢《けがれ》なく  いみじき|過《あやま》ちあらしめず
|神《かみ》の|賜《たま》ひし|精霊《せいれい》を  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
すべての|事業《なりはい》を|営《いとな》むも  |恩頼《みたまのふゆ》を|幸《さち》はひて
いと|善《よ》き|事《こと》や|正行《まさわざ》は  |破竹《はちく》の|勇《いさ》みを|振《ふ》り|起《おこ》し
|益々《ますます》|進《すす》み|全《まつた》きの  |域《さかひ》に|到達《たうたつ》せしめまし
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|神《かみ》たちを  |敬《ゐやま》ひ|奉《まつ》りわが|君《きみ》を
|尊《たふと》み|御言《みこと》に|違《たが》ふなく  |国《くに》の|司《つかさ》や|国民《くにたみ》の
|務《つと》めを|全《まつた》く|遂《と》げ|完《を》ふせ  |普《あまね》く|世人《よびと》と|親《した》しみて
|争《あらそ》ひ|狂《くる》ふ|事《こと》もなく  |身《み》の|過《あやま》ちは|詔直《のりなほ》し
|善言美詞《みやびのよごと》を|楯《たて》として  |神《かみ》と|人《ひと》とを|和《なご》めつつ
|天地《てんち》に|代《かは》る|勲功《いさをし》を  |堅磐《かきは》に|常磐《ときは》に|立《た》てさせよ
|愛《めぐみ》も|深《ふか》き|幸魂《さちみたま》  |生《いき》とし|生《い》ける|万物《ばんぶつ》を
|損《そこな》ひ|破《やぶ》る|事《こと》も|無《な》く  |生成化育《せいせいくわいく》の|大道《だいだう》を
|畏《かしこ》み|仕《つか》へ|奇魂《くしたま》の  |光《ひか》りによつて|曲神《まがかみ》の
|教《をしへ》の|真理《しんり》に|狂《くる》へるを  |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|悟《さと》るべく
|直日《なほひ》の|霊《みたま》|幸《さち》はひて  |理非曲直《りひきよくちよく》を|省《かへり》みつ
|誠《まこと》|一《ひと》つの|信仰《しんかう》を  |励《はげ》ませ|玉《たま》へ|言霊《ことたま》の
|助《たす》けに|神《かみ》の|御心《みこころ》を  |覚《さと》りて|心《こころ》を|練《ね》り|鍛《きた》へ
|吾《わ》が|身《み》に|触《ふ》るる|許々多久《ここたく》の  |罪《つみ》や|穢《けがれ》も|村肝《むらきも》の
|心《こころ》に|思《おも》ふ|迷《まよ》ひをも  |祓《はら》ひ|退《やら》はせ|玉《たま》へかし
ビクトル|山《さん》の|永久《とこしへ》に  ビクとも|動《うご》かぬ|其《その》|如《ごと》く
ライオン|河《がは》の|其《その》|流《なが》れ  いや|永久《とこしへ》に|清《きよ》き|如《ごと》
|動《うご》かず|変《かは》らず|息長《おきなが》く  いと|偉大《たくま》しくあらしめ|給《たま》へ
|世《よ》の|長人《ながひと》よ|遠人《とほひと》と  |生命《いのち》を|保《たも》ち|健全《まめやか》に
|五倫五常《ごりんごじやう》を|守《まも》りつつ  |公共《こうきよう》のために|美《うる》はしき
|功績《いさを》を|万世《ばんせ》に|相伝《あひつた》へ  |天地《てんち》の|御子《みこ》と|生《うま》れたる
|務《つと》めを|尽《つく》させ|玉《たま》へかし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
すべての|感謝《かんしや》とわが|祈《いの》り  |神世《かみよ》の|昔《むかし》|高天《たかま》にて
|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》ひ|玉《たま》ひ  |大和田原《おほわだなか》の|一《ひと》つ|島《じま》
|退《やら》はれ|玉《たま》ひて|天津罪《あまつつみ》  |国津罪咎《くにつつみとが》|許々多久《ここたく》の
|穢《けがれ》を|祓《はら》ひ|玉《たま》ひたる  |現世《うつしよ》|幽世《かくりよ》の|守《まも》り|神《がみ》
|国常立《くにとこたち》の|大御神《おほみかみ》  |豊国主《とよくにぬし》の|大御神《おほみかみ》
|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》  |瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大神《おほかみ》の
|御名《みな》に|幸《さち》はひ|聞《きこ》し|召《め》し  |諾《うべな》ひ|玉《たま》ひ|夜《よ》の|守《まも》り
|照《て》る|日《ひ》の|守《まも》りに|幸《さち》はへませと  |神《かみ》の|御前《みまへ》に|平伏《ひれふ》して
|頸《うな》ね|突抜《つきぬ》き|願《ね》ぎ|奉《まつ》る  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
カルナ|姫《ひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|右守司《うもりつかさ》の|妹《いもうと》と  なりて|生《うま》れしカルナ|姫《ひめ》
|今日《けふ》のよき|日《ひ》のよき|時《とき》に  いとなみ|玉《たま》ひし|御祭《おんまつ》り
|謹《つつし》み|敬《ゐやま》ひ|祝《ほ》ぎ|奉《まつ》る  |神《かみ》の|守《まも》りしビクの|国《くに》
|思《おも》ひがけなきバラモンの  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》が
|数多《あまた》の|軍勢《ぐんぜい》|引率《ひきつ》れて  |短兵急《たんぺいきふ》に|攻《せ》めよする
|右守《うもり》の|司《かみ》の|吾《わ》が|兄《あに》は  |卑怯未練《ひけふみれん》に|腰《こし》ぬかし
|見《み》す|見《み》す|敵《てき》に|本城《ほんじやう》を  |蹂躙《じうりん》されし|悔《くや》しさよ
|吾《わ》が|背《せ》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に  ヒルナの|姫《ひめ》に|従《したが》ひて
|寄《よ》せ|来《く》る|敵《てき》に|打向《うちむ》かひ  |獅子奮迅《ししふんじん》の|活動《くわつどう》を
|試《こころ》みたれど|如何《いか》にせむ  |雲霞《うんか》の|如《ごと》き|敵兵《てきへい》を
|支《ささ》ふる|由《よし》も|無《な》きままに  |忽《たちま》ち|一計《いつけい》|案出《あんしゆつ》し
|巡礼姿《じゆんれいすがた》となり|代《かは》り  わざとに|敵《てき》に|担《かつ》がれて
|両将軍《りやうしやうぐん》の|陣営《ぢんえい》に  |送《おく》られたりし|其《その》|時《とき》の
|心《こころ》を|思《おも》ひ|廻《めぐ》らせば  |剣《つるぎ》を|渡《わた》りし|心地《ここち》なり
ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》  かかる|危《あやふ》き|離《はな》れ|業《わざ》
|守《まも》らせ|玉《たま》ひ|抜群《ばつぐん》の  |勲功《いさを》を|立《た》てさせ|玉《たま》ひたる
|皇大神《すめおほかみ》ぞ|尊《たふと》けれ  |一旦《いつたん》|敵《てき》は|退却《たいきやく》し
ヤレ|嬉《うれ》しやと|思《おも》ふ|間《ま》も  あらせず|右守《うもり》の|叛軍《はんぐん》は
|三千余騎《さんぜんよき》を|従《したが》へて  |再《ふたた》び|謀叛《むほん》の|旗《はた》を|挙《あ》げ
|旗鼓堂々《きこだうだう》と|攻《せ》め|来《きた》る  |一《ひと》つ|免《のが》れて|又《また》|一《ひと》つ
|如何《いかが》はせむと|城内《じやうない》の  |守将《しゆしやう》は|案《あん》じ|煩《わづら》ひつ
わが|背《せ》の|君《きみ》は|全軍《ぜんぐん》を  |指揮《しき》して|防《ふせ》ぎ|戦《たたか》へど
|勝《かち》に|乗《の》つたる|叛軍《はんぐん》は  |退《ひ》く|由《よし》さへも|見《み》えざりき
かかる|処《ところ》へ|久方《ひさかた》の  |天《あめ》の|八重雲《やへぐも》かきわけて
|下《くだ》らせ|玉《たま》ふ|三五《あななひ》の  |神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が  |生言霊《いくことたま》の|幸《さちは》ひに
|心《こころ》|汚《きたな》き|右守司《うもりがみ》  ベルツを|始《はじ》めシエールまで
|威勢《ゐせい》に|打《う》たれて|顛倒《てんたう》し  |身動《みうご》きならぬあさましさ
ヒルナの|姫《ひめ》に|従《したが》ひて  |駒《こま》に|跨《またが》り|猪倉《ゐのくら》の
|峠《たうげ》を|後《あと》にカツカツと  |蹄《ひづめ》の|音《おと》も|急《いそ》がしく
|帰《かへ》りて|見《み》れば|城内《じやうない》は  |修羅《しゆら》の|巷《ちまた》と|成《な》り|果《は》てぬ
|表門《おもてもん》には|宣伝使《せんでんし》  |裏門《うらもん》よりはヒルナ|姫《ひめ》
|妾《わらは》と|共《とも》に|攻《せ》めよせて  |敵《てき》を|残《のこ》らず|追《お》ひ|散《ち》らし
|再《ふたた》び|天下太平《てんかたいへい》の  |曙光《しよくわう》を|仰《あふ》ぎし|有難《ありがた》さ
|旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも  |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|天地《てんち》は|覆《かへ》るとも  |誠《まこと》の|神《かみ》の|御恵《おんめぐ》み
|幾千代《いくちよ》|迄《まで》も|忘《わす》るまじ  ヒルナの|姫《ひめ》の|願《ねが》ひにて
|此《この》|聖場《せいぢやう》に|宮柱《みやばしら》  |太《ふと》しき|立《た》てて|大神《おほかみ》を
|斎《いつ》き|奉《まつ》りし|嬉《うれ》しさは  |天国《てんごく》|浄土《じやうど》が|目《ま》の|当《あた》り
|開《ひら》き|初《そ》めたる|心地《ここち》なり  ああ|皇神《すめかみ》よ|皇神《すめかみ》よ
|恩頼《みたまのふゆ》を|垂《た》れ|玉《たま》ひ  ビクの|御国《みくに》の|刹帝利《せつていり》
|百《もも》の|司《つかさ》は|云《い》ふも|更《さら》  |万《よろづ》の|民《たみ》を|平《たひら》けく
いと|安《やす》らけく|永久《とこしへ》に  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|御前《みまへ》に|謹《つつし》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る』
|竜彦《たつひこ》『|天地《あめつち》の|皇大神《すめおほかみ》の|宮柱《みやばしら》
|太《ふと》しく|立《た》ちし|今日《けふ》ぞ|嬉《うれ》しき。
|天地《あめつち》の|神《かみ》も|諾《うべな》ひ|玉《たま》ふらむ
|百《もも》の|司《つかさ》の|誠心《まことごころ》を。
|古《いにしへ》の|神代《かみよ》の|儘《まま》のビクの|国《くに》
|立直《たてなほ》したる|今日《けふ》ぞ|嬉《うれ》しき』
|万公《まんこう》『|千代《ちよ》|八千代《やちよ》|万代《よろづよ》|迄《まで》と|祈《いの》るかな
ビクの|御国《みくに》の|栄《さか》えまさむを。
|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》に|従《したが》ひて
|今日《けふ》の|祭《まつり》に|会《あ》ふぞ|嬉《うれ》しき。
ビクの|国《くに》|治《をさ》め|玉《たま》へる|刹帝利《せつていり》
|君《きみ》の|誠《まこと》は|神《かみ》もめでなむ。
|君《きみ》は|今《いま》|七十路《ななそじ》の|坂《さか》を|越《こ》えませど
|万代《よろづよ》までと|祈《いの》る|万公《まんこう》。
|万年《まんねん》の|生命《いのち》を|保《たも》ちビクの|国《くに》に
|臨《のぞ》ませ|玉《たま》へ|刹帝利《せつていり》の|君《きみ》』
|治国別《はるくにわけ》『|千早《ちはや》|振《ふ》る|神《かみ》の|御稜威《みいづ》の|高《たか》くして
|仕《つか》へ|奉《まつ》りぬ|玉《たま》の|宮居《みやゐ》を。
ヒルナ|姫《ひめ》|助《たす》け|玉《たま》へるビクの|国《くに》は
|夜《よる》なき|国《くに》と|栄《さか》えますらむ。
|暗《やみ》の|夜《よ》も|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》
ビクの|御国《みくに》の|万代《よろづよ》|祈《いの》る』
|斯《か》く|各《おのおの》|祝歌《しゆくか》を|奉《たてまつ》り|目出度《めでた》く|遷座《せんざ》の|式《しき》を|終《をは》り、|次《つ》いでホーフスに|於《おい》て|大直会《おほなほらひ》の|宴《えん》を|開《ひら》かるる|事《こと》となつた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 外山豊二録)
第二一章 |鼻向《はなむけ》〔一四〇七〕
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|刹帝利《せつていり》の|催《もよほ》したホーフスの|直会《なほらひ》の|会《くわい》に|臨《のぞ》み、|盛大《せいだい》なる|酒宴《しゆえん》を|終《をは》り|一夜《いちや》をここに|明《あ》かした。|朝未明《あさまだき》よりビクトル|山《さん》の|神殿《しんでん》に|王《わう》を|始《はじ》め|一同《いちどう》は|初詣《はつまゐり》をした。|竜彦《たつひこ》は|忽《たちま》ち|神懸《かむがかり》となつて|云《い》ふ。
|竜彦《たつひこ》『|吾《われ》は|天教山《てんけうざん》の|木花姫命《このはなひめのみこと》である。|汝《なんぢ》|治国別《はるくにわけ》、|最早《もはや》ビクの|国《くに》は|風塵《ふうぢん》|治《をさ》まり|後顧《こうこ》の|憂《うれ》ひなければ、|一刻《いつこく》も|早《はや》く|西《にし》に|向《むか》つて|出立《しゆつたつ》せよ。|汝《なんぢ》が|徒弟《とてい》|道晴別《みちはるわけ》は|玉木村《たまきむら》の|里庄《りしやう》テームスの|娘《むすめ》スミエル、スガールの|両人《りやうにん》が、バラモン|軍《ぐん》のゼネラル、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|一派《いつぱ》に|奪《うば》はれたるを|救《すく》はむとして、|却《かへつ》て、|岩窟内《がんくつない》の|深《ふか》き|穴《あな》に|墜《おと》し|入《い》れられむとして|居《ゐ》るから、|一時《いちぢ》も|早《はや》く|猪倉山《ゐのくらやま》に|立向《たちむか》ふべし。|時《とき》|遅《おく》れては|一大事《いちだいじ》、|松彦《まつひこ》、|竜彦《たつひこ》、|万公《まんこう》も|共《とも》に|救援《きうゑん》に|向《むか》ふべし』
と|宣《の》らせ|給《たま》ひ|神上《かむあ》がり|玉《たま》うた。
|治国別《はるくにわけ》は|此《この》|神勅《しんちよく》を|聞《き》いて|吾《わが》|徒弟《とてい》の|晴公《はるこう》が|道晴別《みちはるわけ》となり|憐《あは》れなる|女《をんな》を|救《すく》はむが|為《ため》に|敵《てき》の|術中《ぢゆつちう》に|陥《おちい》りたる|事《こと》を|覚《さと》り、|此《この》|由《よし》を|刹帝利《せつていり》に|告《つ》げて|時《とき》を|移《うつ》さず|出立《しゆつたつ》する|事《こと》となつた。
|治国《はるくに》『|只今《ただいま》お|聞《き》きの|通《とほ》り|神勅《しんちよく》が|下《さが》りましたから、|長《なが》らくお|世話《せわ》に|預《あづ》かりましたが、|之《これ》でお|暇《いとま》を|致《いた》します』
|刹帝《せつてい》『|長《なが》らくお|世話《せわ》に|預《あづ》かりましてお|礼《れい》の|申上《まをしあげ》|様《やう》も|厶《ござ》いませぬ。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|儘《まま》お|別《わか》れ|申《まを》すのは|実《じつ》に|本意《ほい》|無《な》う|厶《ござ》りますれば、|兎《と》も|角《かく》|一度《いちど》ホーフスにお|帰《かへ》りの|上《うへ》、|袂別《べいべつ》の|盃《さかづき》を|取交《とりかは》し|度《た》う|厶《ござ》ります。あまり|廻《まは》り|道《みち》でもありませぬからお|寄《よ》り|下《くだ》さい。|又《また》お|急《いそ》ぎとならば|馬《うま》の|用意《ようい》も|致《いた》さねばなりませぬから』
|治国《はるくに》『|然《しか》らば|折角《せつかく》の|思召《おぼしめし》、|此《この》まま|徒歩《とほ》で|急《いそ》ぐよりもお|馬《うま》を|拝借《はいしやく》すれば|非常《ひじやう》に|便利《べんり》が|宜《よろ》しう|厶《ござ》います。|然《しか》らば|今《いま》|一応《いちおう》お|世話《せわ》になりませう』
と|一行《いつかう》|四人《よにん》は|刹帝利《せつていり》|以下《いか》の|役員《やくゐん》と|共《とも》に|急《いそ》ぎホーフスに|帰《かへ》つた。|左守司《さもりのかみ》は|部下《ぶか》に|命《めい》じ|名馬《めいば》を|四頭《しとう》|選《え》り|出《だ》して、|一行《いつかう》が|出立《しゆつたつ》の|用意《ようい》を|急《いそ》いでゐる。|刹帝利《せつていり》は|別《わか》れを|惜《をし》み|涙《なみだ》を|流《なが》し|乍《なが》ら、|自《みづか》ら|盃《さかづき》をとつて|治国別《はるくにわけ》に|渡《わた》し、|酒《さけ》をなみなみと|酌《つ》いで|袂別《べいべつ》の|式《しき》を|挙《あ》げた。
|刹帝利《せつていり》『|何時《いつ》|迄《まで》も|君《きみ》の|御影《みかげ》を|拝《をが》まむと
|思《おも》ひし|事《こと》の|水泡《みなわ》となりぬる。
さりながら|君《きみ》の|残《のこ》せし|勲功《いさをし》は
|万代《よろづよ》|迄《まで》も|朽《く》つる|事《こと》なし。
かねてより|斯《か》くある|事《こと》と|知《し》り|乍《なが》ら
|今更《いまさら》の|如《ごと》|悲《かな》しかりけり』
|治国別《はるくにわけ》『|七十路《ななそじ》を|越《こ》えさせ|玉《たま》ふ|身《み》なれども
|健《まめ》やかに|在《ま》す|御姿《みすがた》ぞ|嬉《うれ》しき。
|村肝《むらきも》の|心《こころ》を|後《あと》に|残《のこ》しつつ
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|神《かみ》の|大道《おほぢ》に。
ヒルナ|姫《ひめ》|治国別《はるくにわけ》は|只今《ただいま》ゆ
|君《きみ》に|別《わか》れて|旅《たび》に|出《い》でむとす。
|願《ねが》はくば|国王《こきし》の|君《きみ》を|朝夕《あさゆふ》に
|心《こころ》|配《くば》らせ|守《まも》らせ|玉《たま》へ』
ヒルナ|姫《ひめ》『なつかしき|治国別《はるくにわけ》の|神司《かむつかさ》
|別《わか》れむとして|涙《なみだ》こぼるる。
|吾《わが》|君《きみ》の|身《み》に|附《つ》き|添《そ》ひて|朝夕《あさゆふ》に
|守《まも》り|守《まも》らむ|神《かみ》の|恵《めぐ》みに。
|治国《はるくに》の|別《わけ》の|司《つかさ》よ|松彦《まつひこ》よ
|竜彦《たつひこ》|万公《まんこう》|健《まめ》やかに|在《ま》せ』
|松彦《まつひこ》『|千代《ちよ》|八千代《やちよ》|動《うご》かぬビクの|国柱《くにばしら》
|立《た》てさせ|玉《たま》へ|神《かみ》を|祈《いの》りて。
いざさらば|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
|駒《こま》に|鞭《むちう》ち|別《わか》れ|行《ゆ》かなむ』
タルマン『|天地《あめつち》の|神《かみ》の|力《ちから》を|身《み》に|受《う》けて
|進《すす》ませ|玉《たま》へ|月《つき》の|御国《みくに》へ。
|治国《はるくに》の|別《わけ》の|命《みこと》は|神《かみ》にませば
|如何《いか》なる|曲《まが》もさやらざるらむ。
|吾《わが》|君《きみ》は|云《い》ふも|更《さら》なり|此《この》|国《くに》の
|司《つかさ》や|民《たみ》は|如何《いか》に|嘆《なげ》かむ。
さり|乍《なが》ら|心《こころ》|安《やす》けく|思召《おぼしめ》せ
|君《わが》|師《し》の|教《をしへ》|厚《あつ》く|守《まも》れば』
|治国別《はるくにわけ》『|有難《ありがた》し|別《わか》れに|臨《のぞ》み|一言《ひとこと》の
|言《こと》の|葉《は》さへも|出《い》でぬ|悲《かな》しさ。
さり|乍《なが》ら|神《かみ》の|賜《たま》ひし|魂《たましひ》は
これの|御国《みくに》にとどまりて|守《まも》る』
|左守《さもり》『|治国《はるくに》の|別《わけ》の|命《みこと》よ|心《こころ》して
|進《すす》ませ|玉《たま》へ|醜野ケ原《しこのがはら》を。
バラモンの|又《また》もや|醜《しこ》の|軍人《いくさびと》
|払《はら》はむとして|出《い》でます|君《きみ》よ。
|健気《けなげ》なる|教《をしへ》の|司《つかさ》の|首途《いでたち》を
|見送《みおく》る|吾《われ》ぞ|涙《なみだ》こぼるる』
|治国別《はるくにわけ》『|大神《おほかみ》の|厚《あつ》き|恵《めぐ》みに|抱《いだ》かれて
|進《すす》みて|行《ゆ》かむ|心《こころ》|安《やす》かれ』
|右守《うもり》『|常暗《とこやみ》の|世《よ》を|照《て》らします|神司《かむつかさ》
|今《いま》は|果敢《あへ》なく|別《わか》れむとする。
|今《いま》|暫《しば》し|輿《ひつぎ》を|止《とど》め|玉《たま》へかしと
|頼《たの》む|甲斐《かひ》なき|今日《けふ》の|首途《いでまし》。
|君《きみ》|往《ゆ》かばこれのホーフスは|忽《たちま》ちに
|火《ひ》の|消《き》えしごと|淋《さび》しくならむ』
|治国別《はるくにわけ》『|仮令《たとへ》|吾《われ》ビクの|御国《みくに》を|去《さ》るとても
|神《かみ》ましませば|淋《さび》しからまじ。
|願《ねが》はくば|右守《うもり》の|司《かみ》よ|国王《こきし》の|君《きみ》に
|誠心《まごころ》|捧《ささ》げ|仕《つか》へ|玉《たま》はれ。
|三五《あななひ》の|神《かみ》の|大道《おほぢ》を|夢《ゆめ》にだに
|忘《わす》れ|玉《たま》ふな|夢《ゆめ》にも|現《うつつ》にも』
|竜彦《たつひこ》『いざさらば|君《きみ》の|館《やかた》を|竜彦《たつひこ》も
|神《かみ》のまにまに|別《わか》れ|行《ゆ》かなむ。
|刹帝利《せつていり》|百《もも》の|司《つかさ》の|人々《ひとびと》に
|袂《たもと》を|分《わか》ち|行《ゆ》くぞ|悲《かな》しき。
さり|乍《なが》ら|道晴別《みちはるわけ》を|救《すく》はずば
|神《かみ》の|司《つかさ》の|道《みち》が|立《た》たねば』
|右守《うもり》『|竜彦《たつひこ》の|神《かみ》の|司《つかさ》の|御言葉《おんことば》
|聞《き》くにつけても|勇《いさ》ましきかな』
|万公《まんこう》『|万代《よろづよ》もいと|健《すこや》かにましませと
|祈《いの》るは|誠心《まことごころ》なりけり』
ハルナ『|吾国《わがくに》の|艱難《なやみ》を|払《はら》ひ|吾《わが》|君《きみ》を
|助《たす》け|玉《たま》ひし|人《ひと》ぞ|尊《たふと》き。
|万代《よろづよ》も|御側《みそば》に|仕《つか》へまつらむと
|思《おも》ひし|甲斐《かひ》なく|別《わか》れむとぞする。
|願《ねが》はくば|三五教《あななひけう》の|神司《かむつかさ》
ビクの|御国《みくに》を|忘《わす》れ|玉《たま》ふな』
|治国別《はるくにわけ》『いかにして|神《かみ》のまします|神国《かみくに》を
|神《かみ》の|司《つかさ》の|忘《わす》れるべきかは』
カルナ|姫《ひめ》『|大神《おほかみ》の|恵《めぐ》みの|露《つゆ》に|霑《うるほ》ひし
|人《ひと》の|悉《ことごと》さぞや|嘆《なげ》かむ。
|吾《われ》も|亦《また》|今日《けふ》の|別《わか》れを|何《なん》となく
|涙《なみだ》ぐまれぬ|惜《をし》まれにける』
|斯《か》く|互《たがひ》に|歌《うた》を|取《と》り|交《かは》し、|早《はや》くも|刹帝利《せつていり》より|賜《たま》はつた|駿馬《しゆんめ》に|跨《またが》り、|轡《くつわ》を|並《なら》べて|四人《よにん》の|師弟《してい》は|別《わか》れを|告《つ》げ|鞭《むち》を|上《あ》げて|一目散《いちもくさん》に|大原野《だいげんや》を|駆《かけ》り|行《ゆ》く。|後《あと》|見送《みおく》つて|一同《いちどう》は|両手《りやうて》を|合《あは》せ|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》に|声《こゑ》を|曇《くも》らせてゐた。
|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は  |神《かみ》の|御言《みこと》を|畏《かしこ》みて
ビクの|国王《こきし》や|司等《つかさら》に  |暇《いとま》を|告《つ》げて|潔《いさぎよ》く
|心《こころ》|尽《つく》しの|駒《こま》に|乗《の》り  |轡《くつわ》を|並《なら》べ|戞々《かつかつ》と
|青葉《あをば》|茂《しげ》れる|露《つゆ》の|道《みち》  |初夏《しよか》の|微風《びふう》に|面《おもて》をば
なめられ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く  |瞬《またた》く|間《うち》に|五十里《ごじふり》の
|原野《げんや》を|踏《ふ》み|越《こ》え|猪倉《ゐのくら》の  |魔神《まがみ》の|籠《こも》る|峰続《みねつづ》き
シメジ|峠《たうげ》の|麓《ふもと》まで  |早《はや》くも|無事《ぶじ》に|着《つ》きにけり
ここに|四人《よにん》は|蹄《ひづめ》をば  とどめて|大地《だいち》に|飛《と》び|下《お》りつ
|馬首《ばしゆ》をば|東《ひがし》に|差向《さしむ》けて  |一鞭《ひとむち》あつればさしもの|名馬《めいば》
もと|来《き》し|道《みち》へ|引返《ひつかへ》し  |名残《なごり》|惜《をし》げに|嘶《いなな》きつ
|一目散《いちもくさん》に|帰《かへ》り|行《ゆ》く  |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》は
シメジ|峠《たうげ》の|急坂《きふはん》を  エンヤラヤツと|登《のぼ》りつめ
|暫《しば》し|汗《あせ》をばいれ|乍《なが》ら  |四方《よも》の|景色《けしき》を|打眺《うちなが》め
|絵《ゑ》に|見《み》る|様《やう》な|風色《ふうしよく》に  |旅《たび》の|疲《つか》れを|癒《い》やしけり
|少時《しばらく》ありて|一行《いつかう》は  |立板《たていた》なせる|坂道《さかみち》を
|行進歌《かうしんか》をば|歌《うた》ひつつ  |注意《ちうい》し|乍《なが》ら|降《くだ》り|行《ゆ》く。
|万公《まんこう》は|先《さき》に|立《た》ち|一歩々々《ひとあしひとあし》|調子《てうし》をとつて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
|万公《まんこう》『バラモン|軍《ぐん》の|将軍《しやうぐん》と  |威張《ゐば》り|散《ち》らした|両人《りやうにん》が
ビクの|国《くに》をば|退《やら》はれて  |命《いのち》からがらドツコイシヨ
|卑怯未練《ひけふみれん》に|猪倉《ゐのくら》の  |山《やま》に|漸《やうや》う|落延《おちの》びて
|土竜《むぐら》の|様《やう》な|穴住《あなず》まひ  |三千余騎《さんぜんよき》を|引率《いんそつ》し
さも|強《つよ》さうに|構《かま》へゐる  その|権幕《けんまく》と|反対《はんたい》に
|僅《わづ》か|四人《よにん》の|神司《かむづかさ》  |打出《うちだ》す|厳《いづ》の|言霊《ことたま》に
|恐《おそ》れて|逃《に》げ|出《だ》す|卑怯《ひけふ》さよ  いざ|之《これ》よりはフサの|国《くに》
|玉木《たまき》の|村《むら》に|立向《たちむか》ひ  |始終《しじう》の|様子《やうす》を|探索《たんさく》し
|吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて  |魔神《まがみ》の|住《す》まへる|岩窟《がんくつ》に
|一大騒動《いちだいさうどう》|起《おこ》すべく  |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|楽《たの》しさよ
ア、ウントコドツコイ|危《あぶ》ないぞ  |松彦《まつひこ》さまよ、|竜彦《たつひこ》よ
|貴方《あなた》は|足《あし》が|弱《よわ》い|故《ゆゑ》  |用心《ようじん》なさるが|宜《よろ》しかろ
これこれ|御覧《ごらん》この|坂《さか》は  |一方《いつぱう》は|断岩《だんがん》|屹立《きつりつ》し
|一方《いつぱう》は|千尋《ちひろ》の|谷《たに》の|底《そこ》  |岩石《がんせき》|起伏《きふく》の|間《あひだ》をば
|飛沫《ひまつ》を|飛《と》ばす|水《みづ》の|音《おと》  |見《み》るさへ|胆《たん》が|寒《さむ》くなる
|命《いのち》あつての|物種《ものだね》だ  |必《かなら》ず|怪我《けが》の|無《な》い|様《やう》に
|大神様《おほかみさま》に|太祝詞《ふとのりと》  |唱《とな》へ|上《あ》げつつ|下《くだ》りませ
ア、ウントコドツコイドツコイシヨ  これ|程《ほど》|難所《なんしよ》が|又《また》と|世《よ》に
|如何《どう》してあらうか|親不知《おやしらず》  |子不知峠《こしらずたうげ》を|行《ゆ》く|様《やう》だ
|命知《いのちし》らずの|宣伝使《せんでんし》  とは|云《い》ふものの|肉体《にくたい》が
なくては|神業《しんげふ》|勤《つと》まらぬ  |人《ひと》の|体《からだ》は|神様《かみさま》の
|御使用《ごしよう》|遊《あそ》ばす|傀儡《からくり》だ  |此《この》|傀儡《からくり》を|何処《どこ》までも
|立派《りつぱ》に|保護《ほご》し|奉《たてまつ》り  |大黒主《おほくろぬし》が|三五《あななひ》の
|教《をしへ》の|道《みち》に|服《まつろ》ひて  |誠心《まことごころ》に|復《かへ》るまで
|大必要《だいひつえう》の|此《この》|体《からだ》  |守《まも》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる  |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも  |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|神《かみ》の|任《よさ》しの|使命《しめい》をば  |果《はた》さにやおかぬ|益良夫《ますらを》の
|赤《あか》き|心《こころ》を|臠《みそなは》し  |猪倉山《ゐのくらやま》は|云《い》ふも|更《さら》
|黄金山《わうごんざん》や|大雲山《だいうんざん》  |寄《よ》り|来《く》る|曲津《まがつ》を|言向《ことむ》けて
|太《ふと》しき|勲功《いさを》を|万代《よろづよ》に  |立《た》てさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|亀《かめ》の|齢《よはひ》の|万公《まんこう》が  |真心《まごころ》こめて|願《ね》ぎまつる
ウントコドツコイ ドツコイシヨ  |皆《みな》さま|気《き》をつけなさいませ
シメジ|峠《たうげ》で|第一《だいいち》の  ここが|難所《なんしよ》と|云《い》ふ|事《こと》だ
|足許《あしもと》|大切《だいじ》に|頼《たの》みます  ア、ウントコドツコイ、アイタツタ
あんまり|歌《うた》に|気《き》をとられ  |注意《ちうい》を|与《あた》へた|万公《まんこう》が
|第一番《だいいちばん》に|転《こ》けよつた  アイタタタツタこれや|如何《どう》ぢや
お|尻《けつ》の|皮《かは》が|剥《む》けた|様《やう》だ  これも|全《まつた》く|神様《かみさま》の
|私《わたし》の|体《からだ》に|降《ふ》り|来《きた》る  |大厄難《だいやくなん》を|小難《せうなん》に
|見直《みなほ》しましたお|蔭《かげ》だろ  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|交《かは》る|交《がは》る|宣伝歌《せんでんか》や|進行歌《しんかうか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|漸《やうや》くにして|玉木《たまき》の|里《さと》のテームスの|館《やかた》に|着《つ》いた。|邸内《ていない》は|老木《らうぼく》|鬱蒼《うつさう》として|際限《さいげん》もなく|広《ひろ》く、|立派《りつぱ》な|建物《たてもの》が|沢山《たくさん》に|立並《たちなら》んでゐた。されども|何処《どこ》ともなく|此《この》|館《やかた》の|内《うち》に|憂事《うれひごと》が|包《つつ》まれて|居《ゐ》る|様《やう》な|気配《けはい》がしてゐる。
|万公《まんこう》『もし|先生《せんせい》、ここが|木花姫《このはなひめ》|様《さま》がお|示《しめ》しになつた、|玉木《たまき》の|村《むら》の|里庄《りしやう》テームスの|館《やかた》と|見《み》えますな。|二人《ふたり》の|娘《むすめ》が|捕《とら》はれて|居《ゐ》るので|心配《しんぱい》があると|見《み》え、|立派《りつぱ》な|家《いへ》の|棟《むね》までが|何《なん》だか|力無《ちからな》げに|俯向《うつむ》いて|嘆《なげ》いてゐる|様《やう》に|見《み》えますな。|何時《いつ》も|先生《せんせい》は|人《ひと》の|家《いへ》の|屋根《やね》を|見《み》たら|其処《そこ》の|宅《うち》は|栄《さか》える|家《いへ》か、|衰《おとろ》へる|家《いへ》か、|喜《よろこ》びがあるか、|悲《かな》しみがあるか、|分《わか》るものだと|仰有《おつしや》いましたが、|如何《いか》にも|其《その》|通《とほ》り、|何《なん》とはなしに|家《いへ》|迄《まで》が|心配《しんぱい》にしてゐるぢやありませぬか』
|治国《はるくに》『|万公《まんこう》、こんな|処《ところ》で|左様《さやう》な|事《こと》を|云《い》ふものでない。|之《これ》からテームスの|館《やかた》へ|行《ゆ》けば|決《けつ》して|喋《しやべ》つてはいかぬぞ。|治国別《はるくにわけ》が|命令《めいれい》する|迄《まで》|普通《ふつう》|一般《いつぱん》の|挨拶《あいさつ》だけしたら|黙《だま》つてゐるのだ。|脱線《だつせん》だらけの|事《こと》を|喋《しやべ》り|立《た》てると|却《かへつ》てお|前《まへ》の|人格《じんかく》を|軽《かる》く|見《み》られ、ひいては|私《わし》|迄《まで》が|恥《はづか》しい|目《め》をせなくてはならぬから|屹度《きつと》|慎《つつし》んでくれよ』
|万公《まんこう》『はい、|慎《つつし》みます。|万口《まんこう》と|云《い》へば|万《まん》の|口《くち》ですから|一口《ひとくち》づつ|云《い》つても|万口《まんくち》|並《なら》べ|様《やう》と|思《おも》へば、|随分《ずいぶん》|量《りやう》が|多《おほ》うなりますからな』
|松彦《まつひこ》『アハハハハハさア|先生《せんせい》の|御言葉《おことば》の|通《とほ》り、これから|万口《まんこう》ぢやない、|篏口令《かんこうれい》だ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|表門《おもてもん》に|立《た》ちトントンと|拳《こぶし》を|以《もつ》て|訪《おとづ》れた。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 北村隆光録)
第二二章 |凱旋《がいせん》〔一四〇八〕
|頻《しき》りに|門戸《もんこ》を|叩《たた》く|声《こゑ》にテームスの|僕《しもべ》|二人《ふたり》は|又《また》バラモンの|雑兵《ざふひやう》が、|何《なに》か|徴発《ちようはつ》に|来《き》よつたに|違《ちが》ひない、うつかり|開《あ》けてはならぬと、|目《め》と|目《め》を|見合《みあは》せ、|何程《なにほど》|叩《たた》いてもウンともスンとも|云《い》はずに、|閂《かんぬき》のした|大門《おほもん》を|御叮嚀《ごていねい》に|中《なか》から|支《ささ》へて|居《ゐ》る。|治国別《はるくにわけ》は|止《や》むを|得《え》ず|邸内《ていない》に|聞《きこ》ゆる|大音声《だいおんじやう》にて|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|出《だ》した。
|治国別《はるくにわけ》『|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる  |皇大神《すめおほかみ》は|御心《みこころ》を
|千々《ちぢ》に|悩《なや》ませたまひつつ  |天地《てんち》を|造《つく》りたまひしが
|天足《あだる》の|彦《ひこ》や|胞場姫《えばひめ》の  |神《かみ》の|教《をしへ》に|背《そむ》きしゆ
|其《その》|罪咎《つみとが》は|邪気《じやき》となり  |凝《こ》り|固《かた》まりて|鬼《おに》となり
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》  |百《もも》の|魔物《まもの》となり|果《は》てて
|地上《ちじやう》に|住《す》める|人々《ひとびと》の  |霊《みたま》を|曇《くも》らせ|汚《けが》しつつ
|神《かみ》の|御子《おんこ》と|生《うま》れたる  |尊《たふと》き|人《ひと》の|体《からだ》をば
|曲津《まがつ》の|住処《すみか》となしにけり  バラモン|教《けう》の|神柱《かむばしら》
|大黒主《おほくろぬし》の|曲神《まがかみ》の  |頤使《いし》に|従《したが》ひ|産土《うぶすな》の
|珍《うづ》の|聖地《せいち》に|攻《せ》め|来《きた》る  バラモン|教《けう》の|大軍《たいぐん》は
|河鹿峠《かじかたうげ》の|要害《えうがい》で  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》の|言霊《ことたま》に  |打《う》ちやぶられて|遁走《とんそう》し
|浮木《うきき》の|森《もり》やビクトルの  |山《やま》の|麓《ふもと》に|陣《ぢん》をはり
|悪虐無道《あくぎやくぶだう》のありだけを  |尽《つく》しゐたりし|折《をり》もあれ
|神《かみ》の|使《つかひ》の|宣伝使《せんでんし》  |治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》が
|又《また》もや|此処《ここ》に|現《あら》はれて  |醜《しこ》の|軍《いくさ》を|追《お》ひ|散《ち》らし
ビクの|国家《こくか》を|救《すく》ひたり  |鬼春別《おにはるわけ》や|久米彦《くめひこ》は
|三千余騎《さんぜんよき》を|従《したが》へて  |雲《くも》を|霞《かすみ》と|逃《に》げ|散《ち》りて
|猪倉山《ゐのくらやま》の|岩窟《がんくつ》に  |住所《すみか》を|構《かま》へ|遠近《をちこち》の
|人家《じんか》を|掠《かす》め|人《ひと》を|取《と》り  |悪虐無道《あくぎやくぶだう》の|振舞《ふるまひ》を
|為《な》せしと|聞《き》くより|吾々《われわれ》は  |世人《よびと》の|害《がい》を|除《のぞ》かむと
|木花姫《このはなひめ》の|神勅《みこと》もて  |此《この》|家《や》の|娘《むすめ》|両人《りやうにん》や
|道晴別《みちはるわけ》を|救《すく》はむと  |此処《ここ》|迄《まで》|急《いそ》ぎ|来《き》つれども
|間抜《まぬけ》きつたる|門番《もんばん》が  |吾等《われら》を|敵《てき》とあやまりて
|力《ちから》|限《かぎ》りに|拒《こば》みつつ  |開門《かいもん》せざるぞうたてけれ
|此《この》|家《や》の|主《あるじ》テームスよ  |三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》
|治国別《はるくにわけ》に|相違《さうゐ》ない  |唯《ただ》|一息《ひといき》も|速《すみや》かに
この|門《もん》|開《ひら》き|給《たま》へかし  ああ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》に|盟《ちか》ひて|偽《いつは》りの  なき|言霊《ことたま》を|宣《の》り|伝《つた》ふ』
この|歌《うた》に|二人《ふたり》の|門番《もんばん》は|顔《かほ》を|見合《みあは》せ、|半信半疑《はんしんはんぎ》の|雲《くも》に|包《つつ》まれ|乍《なが》ら、|一人《ひとり》は|門《もん》を|守《まも》らせ|置《お》き、|一人《ひとり》はテームスの|居間《ゐま》をさして|進《すす》み|行《ゆ》く。
テームス、ベリシナ|夫婦《ふうふ》は|三五教《あななひけう》の|道晴別《みちはるわけ》が、|番頭《ばんとう》のシーナと|共《とも》に|二人《ふたり》の|娘《むすめ》を|救《すく》ひ|出《だ》さむと|勢込《いきほひこ》んで|行《い》つてから|今日《けふ》で|三日目《みつかめ》になるのに、|何《なん》の|音沙汰《おとさた》もないので|頻《しき》りに|神《かみ》を|念《ねん》じたり、|神籤《みくじ》を|引《ひ》いたりして|心配《しんぱい》して|居《ゐ》た。|其処《そこ》へ|慌《あわ》ただしく|門番《もんばん》のビクが|走《はし》り|来《きた》り、
ビク『|旦那様《だんなさま》に|申上《まをしあげ》ます。|表門《をもてもん》に|当《あた》つて|敵《てき》か|味方《みかた》か|存《ぞん》じませぬが、|三五教《あななひけう》だとか|治国別《はるくにわけ》だとか、|此処《ここ》の|娘《むすめ》を|助《たす》けに|来《き》たとか|云《い》つて|大《おほ》きな|声《こゑ》で|歌《うた》つて|居《ゐ》ますが、|如何《いかが》|致《いた》しませうか。うつかり|開《あ》けて|又《また》もやバラモンの|奴《やつ》だと|大変《たいへん》だと|思《おも》ひ、|拒《こば》むだけ|拒《こば》むで|見《み》ましたが、|私《わたし》ではとんと|善悪《ぜんあく》が|分《わか》りませぬ。どうぞ|旦那様《だんなさま》、|貴方《あなた》|御苦労様《ごくらうさま》ながらお|調《しら》べ|下《くだ》さいますまいか』
テームス『|何《なに》、|三五教《あななひけう》の|治国別《はるくにわけ》|様《さま》が|見《み》えたと|仰有《おつしや》るか、それは|間違《まちが》ひはあるまい。|何《なに》は|兎《と》もあれ|門口《かどぐち》|迄《まで》|行《い》つて|考《かんが》へて|見《み》よう』
とビクを|先《さき》に|立《た》て、|大刀《だいたう》を|腰《こし》に|挟《はさ》み、すたすたと|現《あら》はれ|来《きた》り|大音声《だいおんじやう》にて、
テームス『|唯今《ただいま》|吾《わが》|門前《もんぜん》に|佇《たたず》み|歌《うた》はせたまふ|御仁《ごじん》はいづくの|何人《なにびと》で|厶《ござ》いますか。|御名《みな》を|聞《き》かせて|下《くだ》さらば、|此《この》|門《もん》を|開《あ》けるで|厶《ござ》りませう』
|万公《まんこう》は|此《この》|声《こゑ》を|聞《き》きつけ|大声《おほごゑ》にて、
|万公《まんこう》『|吾《われ》こそは|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|家来《けらい》|万公《まんこう》で|厶《ござ》る。|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|門《もん》をお|開《あ》けなされ』
|治国《はるくに》『|拙者《せつしや》は|治国別《はるくにわけ》と|申《まを》す|者《もの》、|決《けつ》して|怪《あや》しき|者《もの》では|厶《ござ》らぬ。|木花姫《このはなひめ》|様《さま》の|御神勅《ごしんちよく》に|依《よ》り、|拙者《せつしや》の|徒弟《とてい》|道晴別《みちはるわけ》が、|当家《たうけ》の|二人《ふたり》の|娘御《むすめご》をバラモン|軍《ぐん》に|攫《さら》はれ|給《たま》うたのを|取《と》り|還《かへ》さむため|猪倉山《ゐのくらやま》に|向《むか》ひし|様子《やうす》、|拙者《せつしや》は|一同《いちどう》の|命《いのち》を|救《すく》はむ|為《ため》、|取《と》るものも|取《と》り|敢《あへ》ず|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》つたもので|厶《ござ》る。|一時《いちじ》も|早《はや》く|此《この》|門《もん》をお|開《あ》けなされ』
テームスは|門内《もんない》より|治国別《はるくにわけ》の|声《こゑ》を|聞《き》いて、どこともなしに|威厳《ゐげん》のある|言葉《ことば》、さうしてどうしても|偽《いつは》りとは|思《おも》へないので、|静《しづか》に|閂《かんぬき》をはづし、|門扉《もんぴ》をパツと|開《ひら》き、|怖々《こはごは》|覗《のぞ》けば|四人《よにん》の|宣伝使《せんでんし》が|立《た》つてゐる。テームスは|打《う》ち|喜《よろこ》び|叮嚀《ていねい》に|辞儀《じぎ》をしながら、
テームス『|是《こ》れは|是《こ》れはお|慕《した》ひ|申《まをし》て|居《を》りました|治国別《はるくにわけ》|様《さま》で|厶《ござ》いますか、|誠《まこと》に|失礼《しつれい》を|致《いた》しました。サア|何卒《どうぞ》お|入《はい》り|下《くだ》さいませ』
|治国《はるくに》『ハイ|有難《ありがた》う、|然《しか》らば|御免《ごめん》|蒙《かうむ》りませう』
と|一行《いつかう》|四人《よにん》は|大門《おほもん》を|潜《くぐ》り|入《い》る。
テームス『これビク、|何時《なんどき》バラモンの|奴《やつ》が|来《く》るかも|知《し》れぬから|此《この》|門《もん》を|確《しつか》り|閉《と》ぢて|置《お》くのだ。さうしてお|前《まへ》はここを|守《まも》つて|居《ゐ》るのだ』
と|言《い》ひつけ|一行《いつかう》の|先《さき》に|立《た》ち|奥《おく》に|導《みちび》き|行《ゆ》く。|治国別《はるくにわけ》は|夫婦《ふうふ》の|居間《ゐま》に|請《しやう》ぜられ、|茶《ちや》を|薦《すす》められながら|挨拶《あいさつ》もそこそこにして、
|治国《はるくに》『|承《うけたま》はれば|当家《たうけ》のお|嬢様《ぢやうさま》はお|二人《ふたり》|迄《まで》|猪倉山《ゐのくらやま》のバラモンの|巣窟《さうくつ》に|拐《かどわか》されてお|出《いで》になつたさうですな』
テームス『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|実《じつ》の|所《ところ》は|三日前《みつかまへ》に|治国別《はるくにわけ》の|徒弟《とてい》だと|仰有《おつしや》つて、|道晴別《みちはるわけ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》がお|出《い》で|下《くだ》さつて、|番頭《ばんとう》のシーナと|共《とも》に|軍服姿《ぐんぷくすがた》に|身《み》を|窶《やつ》し、|二人《ふたり》を|取《と》り|返《かへ》して|来《く》ると|言《い》つてお|出《いで》なさつたきり、|今《いま》に|何《なん》の|便《たよ》りも|厶《ござ》いませぬので、|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|心配《しんぱい》|致《いた》して|居《を》ります。|何卒《どうぞ》|貴方《あなた》の|御神力《ごしんりき》によつて|助《たす》けて|下《くだ》さるわけには|参《まゐ》りますまいかな』
|治国《はるくに》『アア|其《その》|事《こと》について|急《いそ》ぎ|参《まゐ》つたので|厶《ござ》います。|余《あま》り|愚図々々《ぐづぐづ》|致《いた》して|居《を》れば、|何《なん》だか|深《ふか》い|陥穽《おとしあな》に|放《ほ》り|込《こ》まれて|居《ゐ》るさうですから、|命《いのち》が|危《あやふ》う|厶《ござ》いませう。|拙者《せつしや》はこれより|時《とき》を|移《うつ》さず|猪倉山《ゐのくらやま》に|立《た》ち|向《むか》ひ、|千騎一騎《せんきいつき》の|言霊《ことたま》を|発射《はつしや》し|敵《てき》を|帰順《きじゆん》させ、|四人《よにん》を|立派《りつぱ》に|救《すく》ひ|出《だ》して|帰《かへ》る|心算《つもり》です。|私《わたし》に|確信《かくしん》が|厶《ござ》いますれば|必《かなら》ず|必《かなら》ず|御心配《ごしんぱい》なされますな』
テームス、ベリシナの|両人《りやうにん》は、
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
と|両手《りやうて》を|合《あは》せ|涙《なみだ》に|声《こゑ》も|得《え》あげず|泣《な》き|伏《ふ》して|居《ゐ》る。
これより|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》はテームスの|門《もん》を|出《い》で|足《あし》にまかせて、|日《ひ》の|西山《せいざん》に|舂《うすづ》き|給《たま》ふ|頃《ころ》、|足《あし》を|速《はや》めて|進《すす》み|行《ゆ》く。
|谷《たに》を|飛《と》び|越《こ》え|岩間《いはま》を|伝《つた》ひ、|漸《やうや》くにして、|昼《ひる》|猶《な》ほ|暗《くら》き|森林《しんりん》を|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|守《まも》られて|黒白《あやめ》も|分《わか》ぬ|闇《やみ》の|道《みち》、|却《かへつ》てこれ|幸《さいはひ》と|息《いき》を|凝《こ》らしながら|漸《やうや》くにして|岩窟《がんくつ》の|前《まへ》に|辿《たど》りついた。|夜分《やぶん》の|事《こと》とて、|数多《あまた》の|兵士《へいし》は|何《いづ》れも|武装《ぶさう》を|解《と》きテントの|中《なか》や|仮小屋《かりごや》の|中《なか》に|転《ころ》がつて|居《ゐ》た。|馬《うま》は|彼方此方《あちらこちら》の|木《き》に|繋《つな》がれ|盛《さかん》に|嘶《いなな》いて|居《ゐ》る。|治国別《はるくにわけ》|一行《いつかう》は|其処辺《そこら》に|脱《ぬ》ぎ|捨《す》てある|軍服《ぐんぷく》を|手早《てばや》く|闇《やみ》を|幸《さいは》ひ|身《み》につけ、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》をしながら、|足音《あしおと》を|忍《しの》ばせ、|四辺《あたり》に|気《き》をつけ、|長《なが》き|隧道《すいだう》を|辿《たど》つて|行《ゆ》く。|不思議《ふしぎ》にもこの|時《とき》|計《ばか》り|神《かみ》の|御守《おまも》りで|暗夜《あんや》の|道《みち》がよく|目《め》についたのである。
|傍《かたはら》の|岩窟《がんくつ》の|中《なか》に|何《なん》だか|人声《ひとごゑ》がするので、|岩壁《がんぺき》に|耳《みみ》を|当《あ》て|考《かんが》へて|居《ゐ》ると、|鬼春別《おにはるわけ》が|久米彦《くめひこ》|其《その》|外《ほか》の|幕僚《ばくれう》を|集《あつ》めて、ひそびそ|相談会《さうだんくわい》を|開《ひら》いて|居《ゐ》る。
|鬼春《おにはる》『|久米彦《くめひこ》|殿《どの》、|折角《せつかく》の|美人《びじん》を|無雑作《むざふさ》にあのやうな|所《ところ》へ|放《ほ》り|込《こ》むと|云《い》ふ|事《こと》があるか、|何《なん》とかして|助《たす》けやうが|無《な》いものかなア』
|久米《くめ》『|到底《たうてい》|駄目《だめ》でせう。|今日《けふ》で|二日目《ふつかめ》ですから|屹度《きつと》|死《し》んでゐるでせう』
|鬼春《おにはる》『|貴殿《きでん》にも|似合《にあは》ぬ|残酷《ざんこく》な|事《こと》を|致《いた》すぢやないか。|貴殿《きでん》は、カルナ|姫《ひめ》に|説《と》き|立《た》てられ|未来《みらい》が|怖《おそ》ろしいと|云《い》うて、ビクトリヤ|王《わう》|迄《まで》も|救《すく》うて、|置《お》いた|身《み》でありながら、|人《ひと》の|命《いのち》を|取《と》るやうな、なぜ|残酷《ざんこく》の|事《こと》を|致《いた》さるるのか』
|久米《くめ》『|実《じつ》の|所《ところ》は|四人《よにん》の|体《からだ》の|周囲《ぐるり》に|鉄板《てつぱん》を|廻《まは》して|放《ほ》り|込《こ》みましたから、|怪我《けが》は|致《いた》して|居《を》りますまい。さうしてその|鉄板《てつぱん》は|桶《をけ》のやうになつて|居《を》り、|太《ふと》い|綱《つな》が|通《とほ》してあります。|何程《なにほど》|深《ふか》い|井戸《ゐど》の|底《そこ》でも|綱《つな》さへ|手操《たぐ》れば|容易《ようい》に|救《すく》ひ|上《あ》げる|事《こと》が|出来《でき》ます。|幸《さいは》ひ|此処《ここ》には|岩《いは》より|湧《わ》き|出《で》る|起死回生《きしくわいせい》の|薬《くすり》がありますから、これを|含《ふく》ますれば|二日《ふつか》や|三日《みつか》|息《いき》が|絶《た》へて|居《ゐ》ても|回復《くわいふく》は|大丈夫《だいぢやうぶ》でせう』
|鬼春《おにはる》『|何《なん》と|貴殿《きでん》も|腹《はら》が|悪《わる》いぢやないか。よもや|貴殿《きでん》が|左様《さやう》な|殺伐《さつばつ》な|事《こと》は|致《いた》すまいと|睨《にら》んで|置《お》いたのだ。サア|一時《いつとき》も|早《はや》く|四人《よにん》の|者《もの》を|救《すく》ひ|出《だ》し|此処《ここ》へ|連《つ》れて|厶《ござ》れ』
|久米《くめ》『それに|先《さき》だつて|将軍《しやうぐん》に|一《ひと》つ|相談《さうだん》が|厶《ござ》ります。|外《ほか》でも|厶《ござ》らぬが、きつとスガールを|拙者《せつしや》にお|渡《わた》し|下《くだ》さるでせうなア』
|鬼春《おにはる》『アハハハハ|又《また》しても|左様《さやう》な|我慢《がまん》な|事《こと》を|云《い》ふものではありませぬぞ。|久米彦《くめひこ》|殿《どの》はスミエルで|暫《しばら》く|御辛抱《ごしんばう》なされ、スガールは|拙者《せつしや》が|世話《せわ》を|致《いた》すで|厶《ござ》らう。オイ、スパール|其《その》|方《はう》は|早《はや》く、|男《をとこ》は|兎《と》も|角《かく》も|女《をんな》|二人《ふたり》を|救《すく》ひ|出《だ》し、スミエルは|久米彦《くめひこ》|殿《どの》の|居間《ゐま》に|送《おく》り|置《お》き、スガールの|方《はう》を|此方《こなた》に|連《つ》れて|来《こ》い。|鬼春別《おにはるわけ》が|手《て》づから|気付《きつけ》を|遣《つか》はし|呼《よ》び|生《い》けてやらう』
スパールは、
『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました』
とドアを|押《お》し|飛《と》び|出《だ》さうとするのを|久米彦《くめひこ》はグツと|襟《えり》を|掴《つか》み、
|久米《くめ》『アハハハハ|拙者《せつしや》が|隠《かく》して|置《お》いたる|以上《いじやう》は、これだけ|沢山《たくさん》の|陥穽《おとしあな》|貴殿《きでん》が|何程《なにほど》|気張《きば》つた|所《ところ》で、|見当《みあた》ることは|厶《ござ》らぬ。やつぱり|拙者《せつしや》が|放《ほ》り|込《こ》んだのだから|拙者《せつしや》が|行《ゆ》かねば|駄目《だめ》だ。まづ|気《き》を|落付《おちつ》けなされ、そのかはり|先《ま》づスガールは|屹度《きつと》|拙者《せつしや》がお|預《あづか》り|申《まを》す』
|鬼春別《おにはるわけ》は|気《き》を|焦《いら》ち、
|鬼春《おにはる》『オイ、スパール、|久米彦《くめひこ》の|言葉《ことば》を|聞《き》くに|及《およ》ばぬ。サア|早《はや》く|救《すく》ひ|出《だ》して|来《こ》い。|久米彦《くめひこ》|殿《どの》スパールの|襟《えり》を|放《はな》しておやりなさい。|上官《じやうくわん》の|命令《めいれい》をお|聞《きき》なさらぬか』
|久米《くめ》『|然《しか》らば|拙者《せつしや》が|救《すく》ひ|上《あ》げて|参《まゐ》りませう。オイ、エミシ|某《それがし》に|続《つづ》け』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、ドアを|押《お》し|開《あ》け|飛《と》び|出《だ》した。|隧道《すいだう》の|所々《しよしよ》には|肥松《こえまつ》を|焚《た》き|乍《なが》ら|明《あかり》をとつてある。パツと|写《うつ》つた|四人《よにん》の|顔《かほ》、|久米彦《くめひこ》は|声《こゑ》を|尖《とが》らし、
|久米《くめ》『ヤア|其《その》|方《はう》は|番兵《ばんへい》ではないか、|最前《さいぜん》から|吾々《われわれ》の|話《はなし》を|立《た》ち|聞《ぎ》き|致《いた》して|居《を》つたのだな。|不都合千万《ふつがふせんばん》の|奴《やつ》だ。サア|一時《いちじ》も|早《はや》く|彼方《あちら》に|立去《たちさ》れ』
|治国《はるくに》『|拙者《せつしや》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|治国別《はるくにわけ》の|一行《いつかう》で|厶《ござ》る。|拙者《せつしや》の|徒弟《とてい》|道晴別《みちはるわけ》を|初《はじ》めシーナ、|及《および》スミエル、スガールが|大変《たいへん》なお|世話《せわ》になつたさうだ。|一言《ひとこと》お|礼《れい》を|申《まを》さなくてはならないと|思《おも》ひ、|態々《わざわざ》お|尋《たづ》ね|申《まを》しましたのだ。アハハハハハ』
|久米《くめ》『イヤ、これはこれは|治国別《はるくにわけ》|様《さま》で|厶《ござ》いましたか。|何卒《どうぞ》|言霊《ことたま》は|一寸《ちよつと》|暫《しばら》くお|見合《みあは》せを|願《ねが》ひます。|唯今《ただいま》|直《すぐ》にお|渡《わた》し|申《まを》しますから、|一寸《ちよつと》|此処《ここ》に|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さいませ』
|治国《はるくに》『イヤイヤ|決《けつ》して|決《けつ》して|左様《さやう》な|御心配《ごしんぱい》は|入《い》り|申《まを》さぬ。|拙者《せつしや》が|自《みづか》ら|救《すく》ひ|出《だ》さねばならぬ|義務《ぎむ》が|厶《ござ》る。|貴方方《あなたがた》はマア|悠《ゆつく》りと|御休息《ごきうそく》をなされませ。|四人《よにん》の|所在《ありか》はビクトル|山《さん》から|既《すで》に|霊眼《れいがん》で|見《み》て|置《お》きました』
|久米《くめ》『イヤどうも|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|慧眼《けいがん》には|恐《おそ》れ|入《い》りました。|今日《けふ》|限《かぎ》りバラモンの|将軍職《しやうぐんしよく》をやめますから、どうぞ|命《いのち》|計《ばか》りは|御救助《ごきうじよ》を|願《ねが》ひます』
|万公《まんこう》『|先生《せんせい》、こんな|事《こと》|云《い》つて|又《また》|計略《けいりやく》にかけるのですよ。|四人《よにん》|放《ほ》り|込《こ》みやがつた|穴《あな》へ|鬼春別《おにはるわけ》も|久米彦《くめひこ》も|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も|放《ほ》り|込《こ》んでやりませうか、アハハハハ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い、エヘン。どんなものだ、|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》、この|万公《まんこう》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は|到底《たうてい》|駄目《だめ》だぞ』
|松彦《まつひこ》『|万公《まんこう》、|何《なに》を|云《い》ふのだ。お|前《まへ》は|篏口令《かんこうれい》を|布《し》かれて|居《ゐ》るぢやないか』
|万公《まんこう》『|万公末代《まんこうまつだい》|云《い》はない|心算《つもり》だつたが、あまり【むかづく】のでつい|口《くち》が|辷《すべ》りました。それよりも|早《はや》く|四人《よにん》を|救《すく》ひ|出《だ》さうぢやありませぬか……これや|久米彦《くめひこ》、|貴様《きさま》が|放《ほ》り|込《こ》んだのだから|貴様《きさま》が|救《すく》ひ|出《だ》して|来《こ》い。|万一《まんいち》|一人《ひとり》でも|命《いのち》がなくなつて|居《ゐ》たら、|先生《せんせい》が|何《なん》と|仰有《おつしや》つても、この|万公《まんこう》が|承知《しようち》せぬぞ。ヘン|馬鹿《ばか》にして|居《ゐ》やがる、|将軍《しやうぐん》も|何《なに》もあつたものか。|先生《せんせい》の|前《まへ》に|来《き》たら|猫《ねこ》に|出会《であ》うた|鼠《ねづみ》のやうな|塩梅式《あんばいしき》ぢやないか。|醜態《ざま》を|見《み》やがれ、イヒヒヒヒ』
|松彦《まつひこ》『|万公《まんこう》さま|又《また》|忘《わす》れたのか、エエ|久米彦《くめひこ》|殿《どの》|早《はや》く|案内《あんない》なされ』
|万公《まんこう》『これや|早《はや》く|案内《あんない》を|致《いた》さぬか、|何《なに》を|愚図々々《ぐづぐづ》して|居《ゐ》るのか、そして|鬼春別《おにはるわけ》はどこに|居《を》るのか』
と|虎《とら》の|威《ゐ》をかる|糞喰《くそくら》ひの|狐《ぎつね》のやうに|無暗矢鱈《むやみやたら》に|噪《はしや》いで|居《ゐ》る。|竜彦《たつひこ》は|此《こ》の|間《ま》に|天眼通《てんがんつう》により|四人《よにん》の|所在《ありか》を|知《し》り、|手早《てばや》く|一人《ひとり》|々々《ひとり》を|穴《あな》の|底《そこ》から|引《ひ》き|上《あ》げ、|鎮魂《ちんこん》を|施《ほどこ》し、|漸《やうや》く|四人《よにん》|共《とも》|息《いき》を|吹《ふ》きかへさせた。
|茲《ここ》に|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》|両将軍《りやうしやうぐん》は|土下座《どげざ》をしながら、|慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひ|治国別《はるくにわけ》に|罪《つみ》を|謝《しや》した。|治国別《はるくにわけ》はいろいろと|誠《まこと》の|教《をしへ》を|説《と》き|諭《さと》し、|且《か》つ|鬼春別《おにはるわけ》、|久米彦《くめひこ》、スパール、エミシの|高級武官《かうきふぶくわん》に|一人《ひとり》づつ|態《わざ》と|背負《せお》はしめ、|凱歌《がいか》を|奏《そう》しつつ|一先《ひとま》づ|玉木村《たまきむら》のテームスの|家《いへ》をさして|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》しながら|帰《かへ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・二・二三 旧一・八 於竜宮館 加藤明子録)
(昭和一〇・六・一三 王仁校正)
|附録《ふろく》 |神文《しんもん》
|是《こ》の|幽斎場《ゆには》に|神術《かむわざ》を|以《もつ》て|招請奉《おぎまつ》る、|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》き、|独一真神《どくいつしんしん》|天御中主大神《あめのみなかぬしのおほかみ》、|従《したが》ひ|賜《たま》ふ|千五百万《ちいほよろづ》の|天使等《かみたち》、|一柱《ひとはしら》も|漏《も》れ|落《おつ》る|事《こと》|無《な》く、|是《これ》の|斎庭《ゆには》に|神集《かむつど》ひに|集《つど》ひ|玉《たま》ひて、|正《ただ》しき|人《ひと》の|御霊々々《みたまみたま》に、|奇魂《くしみたま》|神懸《かむがか》らせ|玉《たま》はむ|事《こと》を|乞祈奉《こひのみまつ》る。|天勝国勝奇魂千憑彦命《あまかつくにかつくしみたまちよりひこのみこと》と|称《たた》へ|奉《まつ》る、|曽富戸《そほど》の|神《かみ》|亦《また》の|御名《みな》は、|久延毘古《くへびこ》の|神《かみ》、|是《こ》の|幽斎場《ゆには》に|仕《つか》へ|奉《まつ》れる、|正《ただ》しき|信徒等《まめひとら》に、|御霊《みたま》|幸《さちは》へまして、|各自各自《おのもおのも》の|御魂《みたま》に、|勝《すぐ》れたる|神御魂《かむみたま》|懸《かか》らせ|玉《たま》ひて、|今日《けふ》が|日《ひ》まで|知《し》らず|知《し》らずに|犯《おか》せる、|罪《つみ》|穢《けがれ》|過《あやま》ちを|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し、|怠《おこた》りあるを|宥《ゆる》させ|給《たま》はむことを、|国《くに》の|大御祖《おほみおや》の|大前《おほまへ》に|詔《の》らせ|玉《たま》へ。|伊怯《いつたな》く|劣在《おぢな》き|吾等《われら》は、|出口大教祖《でぐちおほみおや》の|御勲功《みいさをし》に|依《よ》り、|神国《かみくに》の|神典《みふみ》と、|大神《おほかみ》の|御諭《みさとし》を、|読《よ》み|窺《うかが》ひ|奉《まつ》りて、|天地《あめつち》の|御祖《みおや》の|神《かみ》の|御勲功《みいさをし》を|覚《さと》り、|国祖《くにのみおや》|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》が、|伊邪那岐《いざなぎ》|伊邪那美《いざなみ》の|二柱《ふたはしら》の|天使《かみ》に、|是《こ》の|漂流《ただよへ》る|地球《くに》を|修理固成《つくりかためな》せと、|天《あま》の|瓊矛《ぬぼこ》を|事依《ことよ》さし|賜《たま》ひしより、その|沼矛《ぬぼこ》を|指《さ》し|下《お》ろし|塩《しほ》コヲロコヲロに|掻《か》き|鳴《なら》し|給《たま》ひて、|淤能碁呂島《おのころじま》を|生《う》み、|之《これ》を|胞衣《えな》となして、|天《あめ》の|御柱《みはしら》|国《くに》の|御柱《みはしら》を|見立《みた》て|給《たま》ひ、|八尋殿《やひろどの》を|化作《みたて》たまひ、|妹兄《いもせ》の|二柱《ふたはしら》|所就《とつき》たまひて、|大八島《おほやしま》の|国々《くにぐに》|島々《しまじま》を|生《う》み、|青人草等《あをひとぐさら》の|始祖等《おやたち》を|生《う》み|万《よろづ》の|物《もの》を|生《う》み、|青人草《あをひとぐさ》を|恵《めぐ》み|撫《な》で|愛《いつく》しみ|給《たま》はむが|為《ため》に、|日月《ひつき》|国土《くぬち》を|生《う》み|給《たま》ひて、|各自各自《おのもおのも》|其《そ》の|神業《みわざ》を|別《わ》け|依《よ》さし|玉《たま》ひ、|万《よろづ》の|事《こと》を|始《はじ》め|玉《たま》ひて、|為《な》しと|為《な》し|勤《いそ》しみ|玉《たま》へる|事毎《ことごと》に、|天津御祖神《あまつみおやのかみ》、|国津御祖神等《くにつみおやのかみたち》の|大御心《おほみこころ》を|御心《みこころ》として、|青人草《あをひとぐさ》を|恵《めぐ》み|玉《たま》ひ|愛《うる》はしみ、|弥益《いやます》に|蕃息《うまはり》|栄《さか》ゆべく、|功竟《ことを》へ|玉《たま》ひしを|初《はじ》め、|天津御祖神《あまつみおやのかみ》|其《そ》の|御神業《みみわざ》を|受持《うけも》ちて、|天津国《あまつくに》を|知《し》ろしめし、|五穀物《たなつもの》の|種《たね》を|御覧《みそなは》して、|此《こ》のものは|現《うつ》しき|青人草《あをひとぐさ》の|食《くひ》て|活《い》くべき|物《もの》ぞと|詔《の》りて、|四方《よも》の|国《くに》に|植《う》ゑ|生《おう》したまひ、|天《あめ》の|下《した》の|荒振神達《あらぶるかみたち》をば|神払《かむはら》ひに|払《はら》ひて、|語問《ことと》ひし|岩根《いはね》|木根《きね》|立草《たちくさ》の|片葉《かきは》をも|語止《ことや》めて、|幽《かく》り|事《ごと》は、|神素盞嗚命《かむすさのをのみこと》の|御子《みこ》|杵築《きづき》の|大神《おほかみ》に|言依《ことよ》さし|治《をさ》めしめ、|皇御孫命《すめみまのみこと》を、|天津日嗣《あまつひつぎ》の|高御座《たかみくら》に|坐《ま》せ|奉《まつ》りて、|万千秋《よろづちあき》の|長五百秋《ながいほあき》に、|大八嶋《おほやしま》の|国《くに》を|安国《やすくに》と|平《たひら》けく|治《をさ》め|玉《たま》へと、|天降《あまくだ》し|依《よ》さし|奉《まつ》り|顕明事《あらはこと》、|知《し》ろしめさしめ|玉《たま》へる|時《とき》に、|神漏岐《かむろぎ》、|神漏美《かむろみ》の|命《みこと》の|御言《おんこと》|依《よ》さしませる、|天津祝詞《あまつのりと》の|太祝詞《ふとのりと》に|依《よ》りて、|皇御孫命《すめみまのみこと》の|御代々々《みよみよ》、|天津神社《あまつやしろ》|国津神社《くにつやしろ》を|斎《いは》ひ、|神祭《かみまつ》りを|専《もは》らとして、|天《あめ》の|下《した》|四方《よも》の|国《くに》を|治《をさ》め、|大御田族《おほみたから》を|恵《めぐ》み|撫《な》で|給《たま》ふ|事《こと》なも、|天津御祖《あまつみおや》の|神《かみ》、|国津御祖《くにつみおや》の|神《かみ》の|伝《つた》へ|玉《たま》へる|道《みち》の|大本《おほもと》にして、|其《そ》の|御任《みよさし》のまにまに、|天津神《あまつかみ》|国津神達《くにつかみたち》|受持《うけも》ちて|世《よ》の|中《なか》の|有《あ》りと|有《あ》りの|悉《ことごと》は、|皇神《すめかみ》の|大御業《おほみわざ》に|漏《も》るる|事《こと》なく|遺《おつ》る|事《こと》|無《な》く、|広《ひろ》く|厚《あつ》く|恩頼《みたまのふゆ》を|蒙《かかぶ》りて、|有《あ》る|縁由《ことのよし》を|確《たし》に|窺《うかが》ひ|得《え》て、|戴《いなだき》に|尊《たふと》み|辱《かたじけ》なみ、|赤誠《まごころ》を|以《も》て|仕《つか》へ|奉《まつ》るべきにこそ、|青人草《あをひとぐさ》の|勤《つと》めならめ。|然《しか》るに|中津御代《なかつみよ》より、|邪《よこ》さの|教説《をしへごと》ども|伝《つた》はり|来《き》たり|吾等《われら》が|祖先《おや》たち|世人《よびと》|諸共《もろとも》に、|心《こころ》は|漸《やうや》く|邪神《まがみ》の|風習《ならはし》に|移《うつ》ろひ、|異《け》しき|卑《いや》しき|蕃神《からかみ》を|専《もは》らと|斎《いつ》き|奉《まつ》りて、|高《たか》く|尊《たふと》き|天地《あめつち》の|御祖神等《みおやがみたち》の、|厳《いづ》の|御霊《みたま》の|幸《さちは》ひに|依《よ》りて、|惟神《かむながら》の|大道《おほみち》の|中《なか》に|生《うま》れ|出《い》で、|食物《をしもの》|衣服《きもの》|住《す》む|家《いへ》|等《ら》|為《な》しと|為《な》す|事毎《ことごと》に|大御恵《おほみめぐみ》を|蒙《かかぶ》りつつも、|然《しか》は|思《おも》ひ|奉《まつ》らず、|神《かみ》の|道《みち》を|粗略《おろそか》に|思《おも》ひ|居《を》る|人々《ひとびと》どもも|多《おほ》く|出《い》で|来《きた》り|神《かみ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|事《こと》も|追々《おひおひ》に|廃《すた》れて、|天津神社《あまつやしろ》|国津神社《くにつやしろ》も|衰《おとろ》へ|坐《ま》せるに|依《よ》りて、|皇神等《すめみかみたち》は|弥放《いやさか》りに|放《さか》り|坐《ざ》し、|神《かみ》の|稜威《みいづ》も|隠《かく》ろひまし、|邪神《まがかみ》は|所《ところ》を|得《え》つつ、|大神《おほかみ》を|潜《ひそ》めおきて|世人《よびと》を|欺《あざむ》き|美《うる》はしき|神《かみ》の|御国《みくに》を|乱《みだ》したるこそ|憤《いきど》うろしく|慷慨《うれた》く|思《おも》ふの|余《あま》り、|大本皇大神《おほもとすめおほかみ》の|御教《みをしへ》を|能《よ》く|説明《ときあか》して、|世人《よびと》に|普《あまね》く|大神等《おほかみたち》の|御恵《みめぐ》みの|辱《かたじけな》き|尊《たふと》き、|大本《おほもと》の|由緒《いはれ》を|説《と》き|諭《さと》す|神《かみ》の|御柱《みはしら》となるべく、この|幽斎場《ゆには》に|在《あ》る|信人《まめひと》、|又《また》|其《そ》の|守護神《まもりがみ》に|聞《きこ》しめさへと|宣《の》る。|信人《まめひと》よ、|守護神《まもりがみ》よ、|此《この》|時《とき》この|砌《みぎ》り、|各自々々《おのもおのも》|霊《たま》の|柱《みはしら》|立《た》て|固《かた》めて、|厳《いづ》の|御霊《みたま》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|教《をしへ》を|以《も》ちて、|猶《なほ》この|行先《ゆくさき》も、|如何《いか》なる|異《け》しき|思想論説《こと》ども|蔓《はびこ》り|来《きた》るとも、|相交《あひまじ》らひ|相口会《あひくちあ》ふこと|勿《なか》れ。
|辞別《ことわ》けて|天地《あめつち》の|大神等《おほかみたち》、|三千歳《みちとせ》の|長《なが》き|年月《としつき》|天地《みくに》を|清《きよ》めて、|安国《やすくに》と|平《たひら》けく|知《し》ろしめすべく、|世《よ》に|隠《かく》れて|事計《ことはか》り|給《たま》へりし、|国《くに》の|大御祖《おほみおや》|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》、|亦《また》|教《をしへ》の|柱《はしら》なる|惟神真道弥広《かむながらまみちいやひろ》|大出口国直霊主命《おほいつきくになおひぬしのみこと》の、|神随《かむながら》の|御教《みをしへ》のまにまに、|幸《さきは》へまし|荒振神等《あらぶるかみたち》|御霊等《みたまたち》は、|皆《みな》|御心《みこころ》を|直《なほ》し|和《なご》めまして、|善《うるは》しき|心《こころ》を|振《ふ》り|興《おこ》しませ。|中津御代《なかつみよ》より、|人《ひと》の|心《こころ》の|随々《まにまに》|何事《なにごと》も|行《おこな》はしめて、|大神等《おほかみたち》も|神習《かむながら》と|宥《なだ》め|給《たま》ひて、|用《もち》ひしめ|玉《たま》へる|蕃国々《からくにぐに》の|事《こと》どもの、|天地《あめつち》の|神《かみ》の|大道《おほみち》に|甚《いた》く|違《たが》へる|非事《ひがごと》は|神《かみ》より|糺《ただ》し|改《あらた》めて|退《しりぞ》けしめ|給《たま》へ。|天地《あめつち》の|大神等《おほかみたち》、|神代《かみよ》の|随《まま》の|大稜威《おほみいづ》を|振《ふ》り|起《おこ》して、|各自々々《おのもおのも》|掌分《しりわけ》たまふ|功徳《いさを》の|任《ま》に|任《ま》に、|相宇豆那比《あひうづなひ》|相交《あひまじ》こり|相口会《あひくちあ》へ|玉《たま》ひて、|今《これ》|迄《まで》に|神《かみ》の|大道《おほみち》を|知《し》らず、|惟神《かむながら》の|大本《おほもと》を、|弁《わきま》へずして、|過失《あやまち》|犯《おか》せる|雑々《くさぐさ》の|罪《つみ》|怠《おこた》り|穢《けがれ》を|祓《はら》ひ|退《しりぞ》け、|神《かみ》の|子《みこ》たる|道《みち》に|天《あめ》の|下《した》の|人草《ひとぐさ》を|導《みちび》き|給《たま》へ、|亦《また》|人草《ひとぐさ》の|今《いま》も|猶《な》ほ|日《ひ》に|夜《よ》に|過失《あやまち》|犯《おか》す|事《こと》の|在《あ》らむをば、|神直日《かむなほひ》|大直日《おほなほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し|宥《なご》め|許《ゆる》して|清《きよ》めしめ|給《たま》へ、|神《かみ》の|神典《みふみ》は|更《さら》なり|大本《おほもと》の|国之御祖《くにのみおや》の|御神諭《みさとし》は、|漏《も》らす|事《こと》|無《な》く|過《あやま》つ|事《こと》|無《な》く、|正語《まさごと》を|正語《まさごと》と|覚《さと》らしめ|給《たま》へ、|亦《ま》た|教司等《をしへつかさら》の|説《と》き|誤《あやま》りあらば、|次々《つぎつぎ》に|思《おも》ひ|得《え》て、|疾《と》く|改《あらた》め|直《なほ》さしめ|玉《たま》へ、|足《あし》は|歩《あゆ》まねども、|天《あめ》の|下《した》の|事《こと》どもは|悉《ことごと》に|神《かみ》の|霊徳《みいづ》によりて|知《し》らしめ|給《たま》へ、|外国《とつくに》の|教《をしへ》にもあれ、|正語《まさごと》は|正語《まさごと》としてひらひ|得《え》さしめたまへ、|高天《たかあま》の|神祖《かぶろ》の|神《かみ》の|産霊《むすび》に|造《つく》り|給《たま》ひて、|尊《たふと》き|神霊《みたま》を|分賦《くま》り|与《あた》へ|玉《たま》へる、|神《かみ》の|宮居《みやゐ》として|神懸《かむがか》り|玉《たま》ひて、|神《かみ》の|大道《おほみち》を|好《この》む|良《よ》き|信人《まめひと》と|為《な》さしめ|玉《たま》へ、|二度目《このたび》の|天《あま》の|岩戸《いはと》を|開《ひら》かむ|道《みち》に|仕《つか》へて、|御代《みよ》の|太《ふと》き|御柱《みはしら》の|教《をしへ》に|入《い》れしめ|玉《たま》へ、|掛巻《かけまく》も|畏《かしこ》けれども、|吾々《われわれ》|青人草《あをひとぐさ》の|霊魂《みたま》は|乃《すなは》ち|神《かみ》の|分霊《わけみたま》にしあれば、|幽《かく》り|事《ごと》|神事《かみごと》をも|知《し》らるる|限《かぎ》りは|知《し》らしめ|玉《たま》ひて、|此《この》|世《よ》ながらに|神《かみ》にもまみえ|奉《まつ》り、|亦《また》|生《い》ける|神《かみ》とならしめ|玉《たま》ひて、|世《よ》の|為《た》め|道《みち》の|為《ため》に|祈《いの》りと|祷《いの》る|事《こと》ども|為《な》しと|為《な》す|術《わざ》ども、|悉《ことごと》に|神術《かむわざ》なす|伊都速《いづはや》き|験《しる》しあらしめ|玉《たま》ひて|普《あまね》く|天《あめ》の|下《した》の|乱《みだ》れを|治《をさ》め、|世人《よびと》の|災難《わざはひ》を|救《すく》ふ|尊《たふと》き|人《ひと》となさしめ|玉《たま》ひて、|所在《あらゆる》|邪神《まがもの》どもも|形《かたち》|隠《かく》し|敢《あ》へず|恐《お》ぢ|怖《おそ》れしめ|給《たま》へ、|吾《われ》|無《な》く|一向《ひたすら》に|大神《おほかみ》の|道《みち》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|身《み》は|是《こ》れ|奇魂千憑彦《くしみたまちよりひこ》の|命《みこと》に|等《ひと》しければ|天地《あめつち》の|大神等《おほかみたち》、|殊《こと》に|大国常立大神《おほくにとこたちのおほかみ》、|豊雲野大神《とよくもぬのおほかみ》たちを|初《はじ》め、|諸々《もろもろ》の|正《ただ》しき|御霊等《みたまたち》、|青人草《あをひとぐさ》と|生《あ》れ|出《いで》し、|之《こ》の|幽斎場《ゆには》の|人々《ひとびと》の|請願《こひのみ》|奉《まつ》るまにまに、|霊《みたま》|幸《さきは》へ|坐《ま》し|神懸《かみがか》りまして、|其《そ》の|御威徳《みゐづ》に|似《あ》えしめ|玉《たま》へと|大神《おほかみ》の|大前《おほまへ》に|祈《いの》り|奉《まつ》る。|幸《さいはひ》に|皇神等《すめかみたち》の|御霊《みたま》の|御稜威《みみいづ》に|由《よ》りて、|神《かみ》の|世界《よ》の|尊《たふと》き|広《ひろ》き|美《うる》はしき、|状況《さま》を|伺《うかが》ひ|得《え》て、|神《かみ》と|吾等《われら》と|相親《あひした》しみ、|睦《むつ》み、|神《かみ》の|御子《みこ》たる|身魂《みたま》に|立復《たちかへ》りて|邪神《まがみ》の|教《をしへ》の|侫《ねぢ》け|曲《まが》れる|徒《ともがら》の|邪《よこ》さ|説《ごと》は|次々《つぎつぎ》に|問和《とひやは》し|言向《ことむ》けて、|惟神《かむながら》の|大本《おほもと》の|正道《まさみち》に|趣《おもむ》かしめ、|同《おな》じ|心《こころ》に|神習《かむなら》はしめ|玉《たま》へ、|若《も》し|大神《おほかみ》の|教《をしへ》と|御国《みくに》の|法《のり》に|帰順《まつろは》ずして|四方《よも》|四隅《よすみ》より、|荒《あら》び|疎《うと》び|来《く》る|妖鬼枉人《まがものまがひと》は、|速《すみやか》に|追《お》ひ|退《しりぞ》け|罰《きた》めて、|例《ためし》のまにまに|黄泉国《よもつくに》に|逐《を》ひ|下《くだ》し、|大神《おほかみ》の|御稜威《みいづ》と|天皇《おほぎみ》の|御光《みひか》りを|世《よ》に|炳《いち》じるく|知《し》らしむべく|神力《みちから》を|与《あた》へ|給《たま》ひて、|花々《はなばな》しく|世《よ》の|為《ため》|人《ひと》の|為《ため》に、|立働《たちはたら》かしめ|給《たま》へ。|常世《とこよ》の|暗《やみ》を|照《てら》し|清《きよ》むる|大神《おほかみ》の|神諭《みさとし》を、|普《あまね》く|広《ひろ》く|滞《とどこほ》る|事《こと》なく|美《うる》はしく、|世《よ》に|説《と》き|明《あ》かし、|世人《よびと》の|悉《ことごと》|正《ただ》しき|直《なほ》き|清《きよ》き|広《ひろ》き|惟神《かむながら》の|大本《おほもと》の|教《をしへ》に|復《かへ》らしめ、|吾等《われら》が|神国《みくに》に|尽《つく》す|麻柱《あななひ》の|誠《まこと》を、|最高《いとたか》き|雲《くも》の|上《うへ》にも、|世《よ》を|政《まつ》りごちます|公辺《きみのべ》にも、|伊吹《いぶき》|挙《あ》げ|吾等《われら》の|御国《みくに》を|思《おも》ふ|赤誠《まこと》を、|徒《ただ》には|捨《す》てず|採《と》り|用《もち》ゆべく|思《おも》はしめ|給《たま》へ、|吾等《われら》|信人《まめひと》が|神世《かみよ》の|由縁《ゆかり》を|畏《かしこ》み、|大神《おほかみ》の|御神勅《みのり》を|仕《つか》へまつりて、|本宮《ほんぐう》の|山《やま》に|宮柱《みやばしら》|太敷《ふとし》く|立《た》て、|千木《ちぎ》|高《たか》く|仕《つか》へ|奉《まつ》れる|如《ごと》く、|古《いにしへ》の|神《かみ》の|政《よ》に|建替《たてか》へ|立上《たてあ》げ、|永遠無窮《とこしへ》に|親《おや》と|子《こ》の|中《なか》は|弥睦《いやむつ》びに|親《むつ》び|栄《さか》えしめ|給《たま》へ、|此《こ》の|功績《いさを》を|以《も》て|罪《つみ》|怠《おこたり》|穢《けがれ》|犯《おか》し|有《あ》るをも|宥《なだ》め|恕《ゆる》し|玉《たま》ひて、|大神等《おほかみたち》の|御恩《みめぐみ》に|報《むく》ひしめ|玉《たま》ひ、|立替立直《たてかへたてなほ》しの|神業《かむわざ》に|加《くは》はりて、|人《ひと》の|勤《つと》めの|功《いさを》|為《な》し|了《を》へて、|現世《うつしよ》を|罷《まか》れる|後《のち》の|魂《たま》の|往《ゆ》く|方《かた》は、|神《かみ》の|定《さだ》めのまにまに、|産土《うぶすな》の|神《かみ》の|執持《とりも》ち|玉《たま》ひて、|大本大神《おほもとおほかみ》の|御許《みもと》に|参《まゐ》り|仕《つか》へ|奉《まつ》らしめ|給《たま》へ、|大神《おほかみ》の|御後《みしりへ》に|立《た》ちて、|高天原《たかあまはら》に|復命《かへりごと》|曰《まを》さしめ|玉《たま》へ、|弥益々《いやますます》も|正《ただ》しき|直《なほ》き|太《ふと》き|心《こころ》を|固《かた》めて|動《うご》く|事《こと》なく、|天地《あめつち》の|有《あ》らむ|限《かぎ》りの|後《のち》の|世《よ》の|次々《つぎつぎ》も、|現世《うつしよ》に|立《た》たむ|功績《いさを》のまにまに、|大神《おほかみ》の|教《をしへ》を|世人《よびと》に|幸《さきは》へしめ|玉《たま》ひて、|邪《よこ》さの|道《みち》を|糺《ただ》し|弁《わきま》へ、|伊吹《いぶき》|払《はら》ひ|平《たひら》げ|退《しりぞ》くる|神業《かむわざ》に|仕《つか》へ|奉《まつ》る|御霊《みたま》と|成《な》らしめ|玉《たま》ひ、|又《また》|子孫《うみのこ》の|家《いへ》の|者《もの》とも|朋友《ともがき》|親族《うからやから》|教子等《みちのこら》の|万《よろづ》の|枉事《まがごと》|罪穢《つみけがれ》を、|払《はら》ひ|清《きよ》めて|病《やま》しき|事《こと》なく、|煩《わづら》はしき|事《こと》なく|睦《むつ》び|親《した》しみ、|諸々《もろもろ》の|義理《ことわり》に|叶《かな》へる|願事《ねぎごと》は|幸《さきは》へ|助《たす》けて、|大神《おほかみ》の|大道《おほみち》を|説《と》き|弘《ひろ》むる|身魂《みたま》と|生《い》かし|助《たす》け、|天《あま》|翔《かけ》り|国《くに》|翔《かけ》る|仙人等《やまひとら》|御霊等《みたまたち》を|率《ひき》ゐて、|世《よ》を|守《まも》る|奇魂千憑彦《くしみたまちよりひこ》の|御魂《みたま》と|成《な》らしめ|賜《たま》はむ|事《こと》を、|高天原《たかあまはら》の|大本《おほもと》の|広庭《ひろには》に|斎廻《いまは》り|清廻《きよまは》りて、|天《あま》つ|御祖《みおや》の|大神《おほかみ》|国《くに》の|大神祖《おほみおや》の|大神《おほかみ》、|大本教《おほもとくに》の|教御祖《をしへみおや》の|御前《みまへ》に、|慎《つつし》み|畏《かしこ》み|請《こひ》のみ|奉《たてまつ》る。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》(完)
-----------------------------------
霊界物語 第五四巻 真善美愛 巳の巻
終り