霊界物語 第四九巻 真善美愛 子の巻
出口王仁三郎
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●テキスト中に現れる記号について
《》……ルビ
|……ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)天地|剖判《ぼうはん》の
[#]……入力者注
【】……傍点が振られている文字列
(例)【ヒ】は火なり
●シフトJISコードに無い文字は他の文字に置き換え、そのことをWebサイトに「相違点」として記した。
●底本
『霊界物語 第四九巻』愛善世界社
2004(平成16)年11月07日 第一刷発行
※現代では差別的表現と見なされる箇所もあるが修正はせずにすべて底本通りにした。
※図表などのレイアウトは完全に再現できるわけではないので適宜変更した。
※詳細な凡例は次のウェブサイト内に掲載してある。
http://www.onisavulo.jp/
※作成者…『王仁三郎ドット・ジェイピー』
2005年12月30日作成
2008年06月23日修正
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●目次
|序文《じよぶん》
|総説《そうせつ》
第一篇 |神示《しんじ》の|社殿《しやでん》
第一章 |地上天国《ちじやうてんごく》〔一二七五〕
第二章 |大神人《だいしんじん》〔一二七六〕
第三章 |地鎮祭《ぢちんさい》〔一二七七〕
第四章 |人情《にんじやう》〔一二七八〕
第五章 |復命《ふくめい》〔一二七九〕
第二篇 |立春薫香《りつしゆんくんかう》
第六章 |梅《うめ》の|初花《はつはな》〔一二八〇〕
第七章 |剛胆娘《がうたんむすめ》〔一二八一〕
第八章 スマート〔一二八二〕
第三篇 |暁山《げうざん》の|妖雲《えううん》
第九章 |善幻非志《ぜんげんびし》〔一二八三〕
第一〇章 |添書《てんしよ》〔一二八四〕
第一一章 |水呑同志《すてんどうじ》〔一二八五〕
第一二章 お|客《きやく》さん〔一二八六〕
第一三章 |胸《むね》の|轟《とどろき》〔一二八七〕
第一四章 |大妨言《だいばうげん》〔一二八八〕
第一五章 |彗星《すゐせい》〔一二八九〕
第四篇 |鷹魅糞倒《ようみふんたう》
第一六章 |魔法使《まはふつかひ》〔一二九〇〕
第一七章 |五身玉《いづみたま》〔一二九一〕
第一八章 |毒酸《どくさん》〔一二九二〕
第一九章 |神丹《しんたん》〔一二九三〕
第二〇章 |山彦《やまびこ》〔一二九四〕
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|序文《じよぶん》
|霊界物語《れいかいものがたり》も|漸《やうや》く|累計《るゐけい》|四十九冊《よんじふきうさつ》に|達《たつ》しました。|本巻《ほんくわん》も|着手《ちやくしゆ》|日数《につすう》|三日間《みつかかん》にて|完成《くわんせい》することを|得《え》ました。この|時《とき》|東京《とうきやう》の|某《ぼう》|新聞紙上《しんぶんしじやう》に|天城山麓《あまぎさんろく》の|八丁池《はつちやういけ》に|悪竜《あくりう》|六百年《ろくぴやくねん》|以前《いぜん》より|潜伏《せんぷく》して○○に|祟《たた》りを|成《な》すを|以《もつ》て|法華宗《ほつけしう》の|僧《そう》が|退治《たいぢ》せむと|其《その》|筋《すぢ》へ|出願《しゆつぐわん》したりとの|記事《きじ》があつたので、|直《ただち》に|国家《こくか》の|一大事《いちだいじ》と|考《かんが》へ|霊眼《れいがん》にて|洞察《どうさつ》するに|悪竜《あくりう》どころか|魚族《ぎよぞ》|一尾《いちび》も|居《ゐ》ない。|只《ただ》|腹部《ふくぶ》に|髭題目《ひげだいもく》を|赤斑《あかまだら》にあらはした|蠑〓《いもり》がウヨウヨして|居《ゐ》るのみであつた。|実《じつ》に|世《よ》の|中《なか》と|云《い》ふものは|妙《めう》なものである。こんな|事《こと》を|大本《おほもと》の|人間《にんげん》の|口《くち》からでも|云《い》はうものなら、それこそ|大変《たいへん》なことになつたかも|知《し》れない。|法華経《ほけきやう》の|狂勢《きやうせい》には|感《かん》ずるの|外《ほか》はない。|綾部《あやべ》の|井上《ゐのうへ》|会長《くわいちやう》より|左記《さき》の|花句《くわく》が|届《とど》きましたから|御紹介《ごせうかい》しておきます。
やみにひそむ|枉津《まがつ》の|神《かみ》もまつろはむ
|言霊《ことたま》の|幸《さち》|月《つき》の|光《ひかり》に
|天城山畔《あまぎさんのほとり》|八丁池《はつちやういけ》 |聞説《きくならく》|千年《せんねん》|潜《ひそむ》|怪〓《くわいち》
|何日《いづれのひか》|了《れうして》|縁《えん》|出《いでん》|崖口《がいこう》 |月光《げつくわう》|澄徹《てふてつ》|水逶〓《みづゐゐたり》
いよいよ|本巻《ほんくわん》より|初稚姫《はつわかひめ》の|大活動《だいくわつどう》に|入《い》りました。|迂余曲折《うよきよくせつ》|波瀾重畳《はらんちようでふ》の|物語《ものがたり》。|現幽神《げんいうしん》|三界《さんかい》に|於《お》ける|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》は|本輯《ほんしふ》|十二巻《じふにくわん》の|上《うへ》に|展開《てんかい》さるる|事《こと》となります。|信者《しんじや》|未信者《みしんじや》の|区別《くべつ》なく、|愛読《あいどく》あつて|洪大《こうだい》なる|神徳《しんとく》に|浴《よく》し|玉《たま》はむことを|希望《きばう》する|次第《しだい》であります。アヽ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
大正十二年一月十六日 於伊豆湯ケ島温泉 湯本館 王仁識
|総説《そうせつ》
|本巻《ほんくわん》は|波斯国境《フサのこくきやう》|産土山《うぶすなやま》の|聖地《せいち》|伊祖《いそ》の|館《やかた》より、|印度国《ツキのくに》ハルナの|都《みやこ》の|大黒主《おほくろぬし》を|言向和《ことむけやは》し|満天下《まんてんか》の|禍害《くわがい》を|除《のぞ》き|五六七《みろく》の|神政《しんせい》を|地上《ちじやう》に|布《し》かむと|瑞《みづ》の|御霊《みたま》|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|派遣《はけん》し|給《たま》ふ|内《うち》にも、|最《もつと》も|有名《いうめい》なる|女宣伝使《をんなせんでんし》|初稚姫《はつわかひめ》が|未《ま》だ|十七歳《じふしちさい》の|花《はな》の|姿《すがた》|甲斐々々《かひがひ》しく|数千里《すうせんり》の|旅《たび》を|続《つづ》けて|大業《たいげふ》を|遂行《すゐかう》し、|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|復命《ふくめい》せむと|征途《せいと》に|上《のぼ》り|玉《たま》ふ|途中《とちう》、|妖怪変化《えうくわいへんげ》に|出会《でくは》し|猛犬《まうけん》スマートに|救《すく》はれ、|河鹿峠《かじかたうげ》を|無事《ぶじ》に|越《こ》え|祠《ほこら》の|森《もり》の|大神《おほかみ》の|社《やしろ》に|参拝《さんぱい》さるるや|父《ちち》|杢助《もくすけ》に|変化《へんげ》して|居《ゐ》た|妖魅《えうみ》は|畏縮《ゐしゆく》して|遠《とほ》く|山《やま》の|彼方《かなた》に|遁走《とんそう》する|処《ところ》まで|口述《こうじゆつ》してあります。|又《また》|治国別《はるくにわけ》|宣伝使《せんでんし》の|薫陶《くんたう》を|受《う》けて|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》したるウラナイ|教《けう》の|内事取締《ないじとりしま》りなりし|丑寅婆《うしとらば》アさまが、|治国別命《はるくにわけのみこと》の|添書《てんしよ》を|以《もつ》て|伊祖《いそ》の|館《やかた》へ|修業《しうげふ》|兼《けん》|参拝《さんぱい》の|途中《とちう》|高姫《たかひめ》に|出会《でくは》し、|面白《おもしろ》き|問答《もんだふ》を|交換《かうくわん》する|有様《ありさま》は、|目《め》に|見《み》えるやうに|現《あら》はされてあります。|一旦《いつたん》|改心《かいしん》の|曙光《しよくわう》を|認《みと》められ、|生田《いくた》の|森《もり》の|神司《かむつかさ》と|選《えら》まれ|乍《なが》ら、|東助《とうすけ》を|恋《こ》ひて、|遥々《はるばる》|産土山《うぶすなやま》に|来《き》たり、|東助《とうすけ》に|弾《はぢ》かれ|自暴自棄《じばうじき》の|結果《けつくわ》|祠《ほこら》の|森《もり》にて|又《また》もや|野望《やばう》を|企《くはだ》つる|改悪物語《かいあくものがたり》は|本巻《ほんくわん》の|主要点《しゆえうてん》ともいふべきものです。|又《また》|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》が|神丹《しんたん》を|文珠菩薩《もんじゆぼさつ》より|与《あた》へられ、|高姫《たかひめ》の|毒手《どくしゆ》を|免《まぬが》るる|処《ところ》や、|受付《うけつけ》の|滑稽《こつけい》な|場面《ばめん》も|又《また》|一読《いちどく》の|価値《かち》あることと|信《しん》じます。
|豆州《づしう》|湯ケ島《ゆがしま》|温泉《をんせん》|湯本館《ゆもとくわん》|臨時教主館《りんじけうしゆやかた》において|療養《れうやう》|湯治《たうぢ》の|間《かん》を|以《もつ》て|口述《こうじゆつ》を|了《をは》りました。
大正十二年一月十九日 王仁識
第一篇 |神示《しんじ》の|社殿《しやでん》
第一章 |地上天国《ちじやうてんごく》〔一二七五〕
|天地万有《てんちばんいう》|一切《いつさい》を|愛《あい》の|善《ぜん》と|信《しん》の|真《しん》に|基《もとづ》いて、|創造《さうざう》し|玉《たま》ひし|皇大神《すめおほかみ》を|奉斎《ほうさい》したる|宮殿《きうでん》の|御舎《みあらか》を、|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》と|云《い》ふ。|而《さう》して|大神《おほかみ》の|仁慈《じんじ》と|智慧《ちゑ》の|教《をしへ》を|宣《の》べ|伝《つた》ふる|聖場《せいぢやう》を|霊国《れいごく》といふ。|故《ゆゑ》に|大本神諭《おほもとしんゆ》にも、|綾《あや》の|聖地《せいち》を|地《ち》の|高天原《たかあまはら》と|名付《なづ》けられたのである。
|天国《てんごく》とは|決《けつ》して|人間《にんげん》の|想像《さうざう》する|如《ごと》き、|宙空《ちうくう》の|世界《せかい》ではない。|大空《たいくう》に|照《て》り|輝《かがや》く|日月星辰《じつげつせいしん》も|皆《みな》|地球《ちきう》を|中心《ちうしん》とし、|根拠《こんきよ》として|創造《さうざう》されたものである|以上《いじやう》は、|所謂《いはゆる》|吾人《ごじん》の|住居《ぢゆうきよ》する|大地《だいち》は|霊国《れいごく》|天国《てんごく》でなければならぬ。|人間《にんげん》は|其《その》|肉体《にくたい》を|地上《ちじやう》において|発育《はついく》せしめ、|且《かつ》|其《その》|精霊《せいれい》をも|馴化《じゆんくわ》し、|薫陶《くんたう》し、|発育《はついく》せしむべきものである。|而《しか》して|高天原《たかあまはら》の|真《しん》の|密意《みつい》を|究《きは》むるならば|最奥第一《さいあうだいいち》の|天国《てんごく》も|亦《また》|中間天国《ちうかんてんごく》、|下層天国《かそうてんごく》も、|霊国《れいごく》もすべて|地上《ちじやう》に|実在《じつざい》する|事《こと》は|勿論《もちろん》である。|只《ただ》|形体《けいたい》を|脱出《だつしゆつ》したる|人《ひと》の|本体《ほんたい》|即《すなは》ち|精霊《せいれい》の|住居《ぢゆうきよ》する|世界《せかい》を|霊界《れいかい》と|云《い》ひ、|物質的《ぶつしつてき》|形体《けいたい》を|有《いう》する|人間《にんげん》の|住《す》む|所《ところ》を|現界《げんかい》といふに|過《す》ぎない。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|一方《いつぱう》に|高天原《たかあまはら》を|蔵《ざう》すると|共《とも》に|一方《いつぱう》に|地獄《ぢごく》を|包有《はういう》してゐるのである。|而《しか》して|霊界《れいかい》、|現界《げんかい》|即《すなは》ち|自然界《しぜんかい》の|間《あひだ》に|介在《かいざい》して、|其《その》|精霊《せいれい》は|善《ぜん》にもあらず、|悪《あく》にもあらず、|所謂《いはゆる》|中有界《ちううかい》に|居《きよ》を|定《さだ》めてゐるものである。
すべての|人間《にんげん》は、|高天原《たかあまはら》に|向上《かうじやう》して|霊的《れいてき》|又《また》は|天的天人《てんてきてんにん》とならむが|為《ため》に、|神《かみ》の|造《つく》り|玉《たま》ひしもので、|大神《おほかみ》よりする|善《ぜん》の|徳《とく》を|具有《ぐいう》する|者《もの》は、|即《すなは》ち|人間《にんげん》であつて、|又《また》|天人《てんにん》なるべきものである。|要《えう》するに|天人《てんにん》とは、|人間《にんげん》の|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》なる|霊身《れいしん》にして、|人間《にんげん》とは、|天界《てんかい》|地獄《ぢごく》|両方面《りやうはうめん》に|介在《かいざい》する|一種《いつしゆ》の|機関《きくわん》である。|人間《にんげん》の|天人《てんにん》と|同様《どうやう》に|有《いう》してゐるものは、|其《その》|内分《ないぶん》の|斉《ひと》しく|天界《てんかい》の|影像《えいざう》なることと、|愛《あい》と|信《しん》の|徳《とく》に|在《あ》る|限《かぎ》り、|人間《にんげん》は|所謂《いはゆる》|高天原《たかあまはら》の|小天国《せうてんごく》である。|而《さう》して|人間《にんげん》は|天人《てんにん》の|有《いう》せざる|外分《ぐわいぶん》なるものを|持《も》つてゐる。|其《その》|外分《ぐわいぶん》とは|世間的《せけんてき》|影像《えいざう》である。|人《ひと》は|神《かみ》の|善徳《ぜんとく》に|住《ぢゆう》する|限《かぎ》り、|世間《せけん》|即《すなは》ち|自然的《しぜんてき》|外分《ぐわいぶん》をして、|天界《てんかい》の|内分《ないぶん》に|隷属《れいぞく》せしめ、|天界《てんかい》の|制役《せいやく》するままならしむる|時《とき》は、|大神《おほかみ》は|御自身《ごじしん》が|高天原《たかあまはら》にいます|如《ごと》くに|其《その》|人間《にんげん》の|内分《ないぶん》に|臨《のぞ》ませ|玉《たま》ふ。|故《ゆゑ》に|大神《おほかみ》は|人間《にんげん》が|天界的《てんかいてき》|生涯《しやうがい》の|内《うち》にも、|世間的《せけんてき》|生涯《しやうがい》の|中《うち》にも、|現在《げんざい》し|玉《たま》ふのである。|故《ゆゑ》に|神的順序《しんてきじゆんじよ》ある|所《ところ》には|必《かなら》ず|大神《おほかみ》の|御霊《みたま》ましまさぬことはない。|凡《すべ》て|神《かみ》は|順序《じゆんじよ》にましますからである。|此《この》|神的順序《しんてきじゆんじよ》に|逆《さか》らふ|者《もの》は|決《けつ》して|生《い》き|乍《なが》ら|天人《てんにん》たることを|得《え》ないのである。
|教祖《けうそ》の|神諭《しんゆ》に……|十里《じふり》|四方《しはう》は|宮《みや》の|内《うち》……と|示《しめ》されてあるのは、|神界《しんかい》に|於《お》ける|里数《りすう》にして、|至善《しぜん》|至美《しび》|至信《ししん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》のまします、|最奥第一《さいあうだいいち》の|天国《てんごく》たる|神《かみ》の|御舎《みあらか》は|殆《ほとん》ど|想念《さうねん》の|世界《せかい》よりは、|人間界《にんげんかい》の|一百方里《いつぴやくはうり》|位《くらゐ》に|広《ひろ》いといふ|意味《いみ》である。|吾々《われわれ》|人間《にんげん》の|目《め》にて|僅《わづ》かに|一坪《ひとつぼ》か|二坪《ふたつぼ》|位《くらゐ》な|神社《じんじや》の|内陣《ないぢん》や|外陣《ぐわいぢん》も、|神界《しんかい》|即《すなは》ち|想念界《さうねんかい》の|徳《とく》の|延長《えんちやう》に|依《よ》つて、|十里《じふり》|四方《しはう》|或《あるひ》は|数百里《すうひやくり》|数千里《すうせんり》の|天国《てんごく》となるのである。|福知《ふくち》|舞鶴《まひづる》|外囲《そとがこ》ひと|云《い》うてあるのは、|所謂《いはゆる》|綾《あや》の|聖地《せいち》に|接近《せつきん》せる|地名《ちめい》を|仮《か》つて、|現界人《げんかいじん》に|分《わか》り|易《やす》く|示《しめ》されたものであつて、|決《けつ》して|現界的《げんかいてき》|地名《ちめい》に|特別《とくべつ》の|関係《くわんけい》がある|訳《わけ》ではない。|只《ただ》|小《ちひ》さき|宮殿《きうでん》(|人間《にんげん》の|目《め》より|見《み》て)の|中《うち》でも……|即《すなは》ち|宮《みや》の|内《うち》でも|神《かみ》の|愛《あい》と|神《かみ》の|信《しん》に|触《ふ》れ、|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》の|全《まつた》き|者《もの》は、|右《みぎ》の|如《ごと》く|想念《さうねん》の|延長《えんちやう》に|仍《よ》つて、|際限《さいげん》もなく、|聖《きよ》く|麗《うるは》しく、|且《かつ》|広《ひろ》く|高《たか》く|見得《みう》るものである。すべて|自然界《しぜんかい》の|事物《じぶつ》を|基礎《きそ》として|考《かんが》ふる|時《とき》は|斯《かく》の|如《ごと》き|説《せつ》は|実《じつ》に|空想《くうさう》に|等《ひと》しきものの|如《ごと》く|見《み》ゆるは|当然《たうぜん》である。|併《しか》し|乍《なが》ら|霊的《れいてき》|事物《じぶつ》の|目《め》より|考《かんが》ふれば、|決《けつ》して|不思議《ふしぎ》でも、|不合理《ふがふり》でもない。|霊的《れいてき》|事象《じしやう》の|如何《いか》なるものなるかを、|能《よ》く|究《きは》め|得《う》るならば、|遂《つひ》に|其《その》|真相《しんさう》を|掴《つか》むことが|出来《でき》るのである。|併《しか》し|自然界《しぜんかい》の|法則《はふそく》に|従《したが》つて|肉体《にくたい》を|保《たも》ち、|且《かつ》|肉《にく》の|目《め》を|以《もつ》て|見《み》ることを|得《え》ざる|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》は|到底《たうてい》|大神《おほかみ》の|直接内流《ちよくせつないりう》を|受入《うけい》るるに|非《あら》ざれば、|容易《ようい》に|思考《しかう》し|得《う》|可《べか》らざるは、|已《や》むを|得《え》ない|次第《しだい》である。
|故《ゆゑ》に、|神界《しんかい》の|密意《みつい》は|霊主体従的《れいしゆたいじうてき》の|真人《しんじん》にあらざれば、|中魂《ちうこん》|下魂《げこん》の|人間《にんげん》に|対《たい》し、いかに|之《これ》を|説明《せつめい》するも、|容易《ようい》に|受《う》け|入《い》るる|能《あた》はざるは|当然《たうぜん》である。|只《ただ》|人間《にんげん》は|己《おの》が|体内《たいない》に|存《そん》する|内分《ないぶん》に|仍《よ》つて、|自己《じこ》の|何者《なにもの》たるかを|能《よ》く|究《きは》めたる|者《もの》に|非《あら》ざれば、|如何《いか》なる|書籍《しよせき》をあさる|共《とも》、|如何《いか》なる|智者《ちしや》の|言《げん》を|聞《き》く|共《とも》、|如何《いか》に|徹底《てつてい》したる|微細《びさい》なる|学理《がくり》に|依《よ》る|共《とも》、|自然界《しぜんかい》を|離《はな》れ|得《え》ざる|以上《いじやう》は、|容易《ようい》に|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を|窺《うかが》ふことは|出来《でき》ないものである。|太古《たいこ》の|黄金時代《わうごんじだい》の|人間《にんげん》は|何事《なにごと》も、|皆《みな》|内的《ないてき》にして、|自然界《しぜんかい》の|諸事物《しよじぶつ》は|其《その》|結果《けつくわ》に|依《よ》つて|現《あら》はれし|事《こと》を|悟《さと》つてゐた。|夫《そ》れ|故《ゆゑ》|直様《すぐさま》に|大神《おほかみ》の|内流《ないりう》を|受《う》け、|能《よ》く|宇宙《うちう》の|真相《しんさう》を|弁《わきま》へ、|一切《いつさい》を|神《かみ》に|帰《き》し、|神《かみ》のまにまに|生涯《しやうがい》を|楽《たのし》み|送《おく》つたのである。|然《しか》るに|今日《こんにち》は|最早《もはや》|白銀《はくぎん》、|赤銅《しやくどう》、|黒鉄時代《こくてつじだい》を|通過《つうくわ》して、|世《よ》は|益々《ますます》|外的《ぐわいてき》となり、|今《いま》や|善《ぜん》もなく|真《しん》もなき|暗黒無明《あんこくむみやう》の|泥海世界《どろうみせかい》となり、|神《かみ》に|背《そむ》くこと|最《もつとも》|遠《とほ》く、|何《いづ》れも|人《ひと》の|内分《ないぶん》は|外部《ぐわいぶ》に|向《むか》ひ、|神《かみ》に|反《そむ》いて、|地獄《ぢごく》に|臨《のぞ》んでゐる。それ|故《ゆゑ》|足許《あしもと》の|暗黒《あんこく》なる|地獄《ぢごく》は|直《ただち》に|目《め》に|付《つ》くが、|空《そら》に|輝《かがや》く|光明《くわうみやう》は|之《これ》を|背《せな》に|負《お》ふてゐるから、|到底《たうてい》|神《かみ》の|教《をしへ》を|信《しん》ずることは|出来《でき》ないのである。|茲《ここ》に|天地《てんち》の|造主《つくりぬし》なる|皇大神《すめおほかみ》は、|厳《いづ》の|御霊《みたま》、|瑞《みづ》の|御霊《みたま》と|顕現《けんげん》し|玉《たま》ひ、|地下《ちか》のみに|眼《まなこ》を|注《そそ》ぎ、|少《すこ》しも|頭上《づじやう》の|光明《くわうみやう》を|悟《さと》り|得《え》ざりし、|人間《にんげん》の|眼《まなこ》を|転《てん》じて、|神《かみ》の|光明《くわうみやう》に|向《むか》はしめむとして、|予言者《よげんしや》を|通《つう》じ、|救《すく》ひの|道《みち》を|宣《の》べ|伝《つた》へたまうたのである。
|斯《かく》の|如《ごと》く|地獄《ぢごく》に|向《むか》つて|内分《ないぶん》の|開《ひら》けてゐる|人間《にんげん》を|高天原《たかあまはら》に|向《むか》はしめたる|状態《じやうたい》を、|天地《てんち》が|覆《かへ》ると|宣《の》らせ|玉《たま》ふたのである。
|要《えう》するに|忌憚《きたん》なく|言《い》へば、|高天原《たかあまはら》とは|大神《おほかみ》や|天人《てんにん》|共《ども》の|住所《ぢゆうしよ》なる|霊界《れいかい》を|指《さ》し、|霊国《れいごく》とは|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふる|宣伝使《せんでんし》の|集《あつ》まる|所《ところ》を|言《い》ひ、|又《また》|其《その》|教《をしへ》を|聞《き》く|所《ところ》を|天国《てんごく》|又《また》は|霊国《れいごく》といふのである。|而《しか》して|天国《てんごく》の|天人団体《てんにんだんたい》に|入《い》りし|者《もの》は、|祭祀《さいし》をのみ|事《こと》とし、|霊国《れいごく》の|天人《てんにん》は|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》ふるを|以《もつ》て|神聖《しんせい》なる|業務《げふむ》となすのである。|故《ゆゑ》に|最勝最貴《さいしようさいき》の|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》に|仍《よ》つて、|神教《しんけう》を|伝《つた》ふる|所《ところ》を|第一霊国《だいいちれいごく》と|云《い》ひ、|又《また》|最高最妙《さいかうさいめう》の|愛善《あいぜん》と|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》を|得《え》たる|者《もの》の|集《あつ》まる|霊場《れいぢやう》を|最高天国《さいかうてんごく》といふのである。|故《ゆゑ》に|現幽一致《げんいういつち》と|称《とな》へるのである。
|人間《にんげん》の|胸中《きようちう》に|高天原《たかあまはら》を|有《いう》する|時《とき》は、|其《その》|天界《てんかい》は|人間《にんげん》が|行為《かうゐ》の|至大《しだい》なるもの、|即《すなは》ち|全般的《ぜんぱんてき》なるものに|現《あら》はれるのみならず、|其《その》|小《せう》なるもの|即《すなは》ち|個々《ここ》の|行為《かうゐ》にも|現《あら》はるべきものなるを|記憶《きおく》すべきである。|故《ゆゑ》に『|道《みち》の|大原《たいげん》』にも、|大精神《だいせいしん》の|体《たい》たるや|至大無外《しだいむぐわい》|至小無内《しせうむない》とある|所以《ゆゑん》である。|抑《そもそ》も|人間《にんげん》の|人間《にんげん》たる|所以《ゆゑん》は、|自己《じこ》に|具有《ぐいう》する|愛《あい》|其《その》|者《もの》にある。|自然《しぜん》の|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》は|即《すなは》ち|其《その》|人格《じんかく》なりといふ|事《こと》に|基因《きいん》するものである。|何故《なにゆゑ》なれば、|各人《かくじん》|主《しゆ》とする|所《ところ》の|愛《あい》は、|其《その》|想念《さうねん》|及《および》|行為《かうゐ》の|最《もつと》も|微細《びさい》なる|所《ところ》にも|流《なが》れ|入《い》つて|之《これ》を|按配《あんばい》し、|至《いた》る|所《ところ》に|於《おい》て、|自分《じぶん》と|相似《さうじ》せるものを|誘出《いうしゆつ》するからである。|而《しか》して|諸々《もろもろ》の|天界《てんかい》に|於《おい》ては、|大神《おほかみ》に|対《たい》する|愛《あい》を|以《もつ》て|第一《だいいち》の|愛《あい》とするのである。|高天原《たかあまはら》にては|如何《いか》なる|者《もの》も|大神《おほかみ》の|如《ごと》く|愛《あい》せらるるものなき|故《ゆゑ》である。|故《ゆゑ》に|高天原《たかあまはら》にては、|大神《おほかみ》を|以《もつ》て|一切中《いつさいちう》の|一切《いつさい》として|之《これ》を|愛《あい》し|之《これ》を|尊敬《そんけい》するのである。
|大神《おほかみ》は|全般《ぜんぱん》の|上《うへ》にも、|個々《ここ》の|上《うへ》にも|流《なが》れ|入《い》り|玉《たま》ひて、|之《これ》を|按配《あんばい》し|之《これ》を|導《みちび》いて、|大神《おほかみ》|自身《じしん》の|影像《えいざう》を|其《その》|上《うへ》に|止《と》めさせ|玉《たま》ふを|以《もつ》て、|大神《おほかみ》の|行《ゆ》きます|所《ところ》には|悉《ことごと》く|高天原《たかあまはら》が|築《きづ》かれるのである。|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》は|極《きは》めて|小《ちひ》さき|形式《けいしき》に|於《お》ける|一個《いつこ》の|天界《てんかい》であつて、|其《その》|団体《だんたい》は|之《これ》よりも|大《だい》なる|形式《けいしき》を|有《いう》する|天界《てんかい》である。|而《しか》して|諸団体《しよだんたい》を|打《う》つて|一丸《いちぐわん》となせるものは|高天原《たかあまはら》の|最大形式《さいだいけいしき》をなすものである。
|綾《あや》の|聖地《せいち》に|於《お》ける|神《かみ》の|大本《おおもと》は|大《だい》なる|形式《けいしき》を|有《いう》する|高天原《たかあまはら》であつて、|其《その》|教《をしへ》を|宣伝《せんでん》する|聖《きよ》く|正《ただ》しき|愛信《あいしん》の|徹底《てつてい》したる|各分所支部《かくぶんしよしぶ》は、|聖地《せいち》に|次《つ》ぐ|一個《いつこ》の|天界《てんかい》の|団体《だんたい》であり|又《また》、|自己《じこ》の|内分《ないぶん》に|天国《てんごく》を|開《ひら》きたる|信徒《まめひと》は、|小《せう》なる|形式《けいしき》の|高天原《たかあまはら》であることは|勿論《もちろん》である。|故《ゆゑ》に|霊界《れいかい》に|於《お》けるすべての|団体《だんたい》は、|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》と、|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》の|度《ど》の|如何《いかん》によつて、|同気《どうき》|相求《あひもと》むる|相応《さうおう》の|理《り》に|仍《よ》り、|各宗教《かくしうけう》に|於《お》ける|一個《いつこ》の|天国団体《てんごくだんたい》が|形成《けいせい》され、|又《また》|中有界《ちううかい》|地獄界《ぢごくかい》が|形成《けいせい》されてゐるのも、|天界《てんかい》と|同様《どうやう》、|決《けつ》して|一定《いつてい》のものではない。され|共《ども》|大神《おほかみ》は|天界《てんかい》|中有界《ちううかい》|地獄界《ぢごくかい》をして|一個人《いつこじん》と|見做《みな》し、|之《これ》を|単元《たんげん》として|統一《とういつ》し|玉《たま》ふ|故《ゆゑ》に|如何《いか》なる|団体《だんたい》と|雖《いへど》も、|厳《いづ》の|御霊《みたま》|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|神格《しんかく》の|中《うち》より|脱出《だつしゆつ》することは|出来《でき》ない、|又《また》|之《これ》を|他所《ほか》にして|自由《じいう》の|行動《かうどう》を|取《と》ることは|許《ゆる》されないのである。
|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》を|統一《とういつ》して|見《み》る|時《とき》は、|一個人《いちこじん》に|類《るゐ》するものである。|故《ゆゑ》に|諸々《もろもろ》の|天人《てんにん》は|其《その》|一切《いつさい》を|挙《あ》げて、|一個《いつこ》の|人《ひと》に|類《るゐ》する|事《こと》を|知《し》るが|故《ゆゑ》に|彼等《かれら》は|高天原《たかあまはら》を|呼《よ》んで、|大神人《だいしんじん》といふのである。|綾《あや》の|聖地《せいち》を|以《もつ》て|天地創造《てんちさうざう》の|大神《おほかみ》の|永久《とこしへ》に|鎮《しづ》まります|最奥天国《さいあうてんごく》の|中心《ちうしん》と|覚《さと》り|得《う》る|者《もの》は、|死後《しご》|必《かなら》ず|天国《てんごく》の|住民《ぢゆうみん》となり|得《う》る|身魂《みたま》である。|故《ゆゑ》に|斯《か》かる|天的人間《てんてきにんげん》は|聖地《せいち》の|安危《あんき》と|盛否《せいひ》を|以《もつ》て、|吾《わが》|身体《しんたい》と|見做《みな》し、|能《よ》く|神界《しんかい》の|為《ため》に、|愛《あい》と|信《しん》とを|捧《ささ》ぐるものである。
|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》を|一《ひとつ》の|大神人《だいしんじん》なる|単元《たんげん》と|悟《さと》りし|上《うへ》は、すべての|信者《しんじや》は|其《その》|神人《しんじん》の|個体《こたい》|又《また》は|肢体《したい》の|一部《いちぶ》なることを|知《し》るが|故《ゆゑ》である。|霊的《れいてき》|及《および》|天的《てんてき》|事物《じぶつ》に|関《くわん》して、|右《みぎ》の|如《ごと》き|正当《せいたう》なる|観念《くわんねん》を|有《いう》せざる|者《もの》は、|右《みぎ》の|事物《じぶつ》が|一個人《いちこじん》の|形式《けいしき》と|影像《えいざう》とに|従《したが》つて|配列《はいれつ》せられ|和合《わがふ》せらるることを|知《し》らない。|故《ゆゑ》に|彼等《かれら》は|思《おも》ふやう、|人間《にんげん》の|外分《ぐわいぶん》をなせる|世間的《せけんてき》、|自然的《しぜんてき》|事物《じぶつ》|即《すなは》ち|是《これ》|人格《じんかく》にして、|人《ひと》は|之《これ》なくんば|人《ひと》の|人《ひと》たる|実《じつ》を|失《うしな》ふであらうと。|故《ゆゑ》に|大神人《だいしんじん》の|一部分《いちぶぶん》たる|神《かみ》の|信者《しんじや》たる|者《もの》が|斯《かく》の|如《ごと》き|自愛心《じあいしん》に|捉《とら》はれて、|孤立的《こりつてき》|生涯《しやうがい》を|送《おく》るに|至《いた》らば、|外面《ぐわいめん》|神《かみ》に|従《したが》ふ|如《ごと》く|見《み》ゆると|雖《いへど》も、|其《その》|内分《ないぶん》は|全《まつた》く|神《かみ》を|愛《あい》せず、|神《かみ》に|反《そむ》き、|自愛《じあい》の|為《ため》の|信仰《しんかう》にして、|所謂《いはゆる》|虚偽《きよぎ》と|悪《あく》との|捕虜《ほりよ》となつたものである。|斯《かく》の|如《ごと》き|信仰《しんかう》の|情態《じやうたい》に|在《あ》る|者《もの》は|決《けつ》して|神《かみ》と|和合《わがふ》し、|天界《てんかい》と|和合《わがふ》することは|出来《でき》ない。|恰《あだか》も|中有界《ちううかい》の|人間《にんげん》が、|第一天国《だいいちてんごく》に|上《のぼ》つて、|其《その》|方向《はうかう》に|迷《まよ》ひ、|一個《いつこ》の|天人《てんにん》をも|見《み》ることを|得《え》ず、|胸《むね》を|苦《くるし》め、|目《め》を|眩《まは》して|喜《よろこ》んで|地獄界《ぢごくかい》へ|逃行《にげゆ》く|様《やう》なものである。
|人間《にんげん》の|人間《にんげん》たるは|決《けつ》して|世間的《せけんてき》|物質的《ぶつしつてき》|事物《じぶつ》より|成《な》れる|人格《じんかく》にあらずして、|其《その》|能《よ》く|真《しん》を|知《し》り、|能《よ》く|善《ぜん》に|志《こころざ》す|力量《りきりやう》あるに|仍《よ》ることを|知《し》るべきである。|此等《これら》の|霊的《れいてき》|及《およ》び|天的《てんてき》|事物《じぶつ》は|即《すなは》ち|人格《じんかく》をなす|所以《ゆゑん》のものである。|而《しか》して|人格《じんかく》の|上下《じやうげ》は、|其《その》|人《ひと》の|智性《ちせい》と|意思《いし》との|如何《いかん》に|仍《よ》るものである。
|大本神諭《おほもとしんゆ》に……|灯台下《とうだいもと》は|真暗《まつくら》がり、|結構《けつこう》な|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|引寄《ひきよ》せられ|乍《なが》ら、|肉体《にくたい》の|慾《よく》に|霊《みたま》を|曇《くも》らせ、|折角《せつかく》|宝《たから》の|山《やま》に|入《い》り|乍《なが》ら、|裸《はだか》|跣足《はだし》で|怪我《けが》を|致《いた》して|帰《かへ》る|者《もの》が|出来《でき》るぞよ。これは|心《こころ》に|慾《よく》と|慢心《まんしん》とがあるからであるぞよ。|云々《うんぬん》……と|示《しめ》されあるを|考《かんが》ふる|時《とき》は、|折角《せつかく》|神《かみ》の|救《すく》ひの|綱《つな》に|引《ひ》かれ|乍《なが》ら、|其《その》|偽善《ぎぜん》の|度《ど》が|余《あま》り|深《ふか》きため、|心《こころ》の|眼《まなこ》|開《ひら》けず、|光明《くわうみやう》|赫灼《くわくしやく》たる|大神人《だいしんじん》のゐます|方向《はうかう》さへも、|霊的《れいてき》に|見《み》ることを|得《え》ず、|何事《なにごと》もすべて|外部的《ぐわいぶてき》|観察《くわんさつ》を|下《くだ》し、おのが|邪悪《じやあく》に|充《み》ちたる|心《こころ》より|神人《しんじん》の|言説《げんせつ》や|行為《かうゐ》を|批判《ひはん》せむとする|偽善者《きぜんしや》や|盲《めくら》|聾《つんぼ》の|多《おほ》いのには|大神《おほかみ》も|非常《ひじやう》に|迷惑《めいわく》さるる|所《ところ》である。|凡《すべ》て|人間《にんげん》は、|暗冥無智《あんめいむち》なる|者《もの》なることを|悟《さと》り、|至善《しぜん》|至美《しび》|至仁《しじん》|至愛《しあい》|至智《しち》|至正《しせい》なる|神《かみ》の|力《ちから》に|信従《しんじゆう》し、|維《こ》れ|命《めい》|維《こ》れ|従《したが》ふの|善徳《ぜんとく》を|積《つ》むに|非《あら》ざれば、|到底《たうてい》|吾《わが》|心内《しんない》に|天界《てんかい》を|開《ひら》き、|神《かみ》の|光明《くわうみやう》を|認《みと》むることは|不可能《ふかのう》である。|吾《わが》|身内《しんない》に|天国《てんごく》を|啓《ひら》き|得《え》ざる|者《もの》は|到底《たうてい》|顕界《けんかい》|幽界《いうかい》|共《とも》に|安楽《あんらく》なる|生涯《しやうがい》を|送《おく》ることは|出来《でき》ないのは|当然《たうぜん》である。|故《ゆゑ》に|現界《げんかい》にて|同《おな》じ|殿堂《でんだう》に|集《あつ》まり、|神《かみ》を|讃美《さんび》し、|神《かみ》を|拝礼《はいれい》し、|神《かみ》の|教《をしへ》を|聴聞《ちやうもん》する、|其《その》|状態《じやうたい》を|見《み》れば、|同《おな》じ|五六七殿《みろくでん》の|内《うち》に|行儀《ぎやうぎ》よく|整列《せいれつ》して|居《ゐ》る|様《やう》に|見《み》えてゐる、|又《また》|物質界《ぶつしつかい》より|見《み》れば|確実《かくじつ》に|整列《せいれつ》してゐるのは、|事実《じじつ》である。|併《しか》し|其《その》|想念界《さうねんかい》に|入《い》つて|能《よ》く|観察《くわんさつ》する|時《とき》は、|其《その》|霊身《れいしん》は|霊国《れいごく》にあるもあり、|又《また》|天国《てんごく》の|団体《だんたい》にあつて|聴聞《ちやうもん》せるもあり|拝礼《はいれい》せるもあり、|或《あるひ》は|中有界《ちううかい》に|座《ざ》を|占《し》めて|聞《き》き|居《を》るもあり、|又《また》|全《まつた》く|神《かみ》を|背《せ》にし|地獄《ぢごく》に|向《むか》つてゐるのもある。|故《ゆゑ》に|此《この》|物語《ものがたり》を|拝聴《はいちやう》する|人々《ひとびと》に|仍《よ》つて、|或《あるひ》は|天来《てんらい》の|福音《ふくいん》とも|聞《きこ》え、|神《かみ》の|救《すく》ひの|言葉《ことば》とも|聞《きこ》え、|或《あるひ》は|寄席《よせ》の|落語《らくご》とも|聞《きこ》え、|或《あるひ》は|拙劣《せつれつ》な|浪花節《なにはぶし》とも|感《かん》じ、|又《また》|中有界《ちううかい》に|彷徨《さまよ》ひたる|偽善者《きぜんしや》の|耳《みみ》には|不謹慎《ふきんしん》なる|物語《ものがたり》にして、|決《けつ》して|神《かみ》の|言葉《ことば》にあらず、|瑞月《ずゐげつ》|王仁《おに》の|滑稽洒脱《こつけいしやだつ》の|思想《しさう》が|映写《えいしや》して、|物語《ものがたり》となりしものの|如《ごと》く|感《かん》じ、|冷笑《れいせう》|侮蔑《ぶべつ》の|念《ねん》を|起《おこ》し、|之《これ》に|対《たい》する|者《もの》もあり、|或《あるひ》は|筆録者《ひつろくしや》の|放逸不覊《はういつふき》の|守護神《しゆごじん》に|感《かん》じて、|口述者《こうじゆつしや》の|霊《れい》が|神《かみ》の|言葉《ことば》と|自《みづか》ら|信《しん》じ、|編纂《へんさん》せしものの|如《ごと》く|感《かん》ずる|者《もの》もあり、|或《あるひ》は|其《その》|言《げん》を|怪乱狂妄《くわいらんきやうまう》|悉皆汚穢《しつかいをゑ》に|充《み》ちたる|醜言暴語《しうげんばうご》となして|耳《みみ》を|塞《ふさ》ぎ|逸早《いちはや》く|逃《に》げ|帰《かへ》るものもある。|之《これ》は|霊界《れいかい》に|身《み》をおいて、|各人《かくじん》が|有《いう》する|団体《だんたい》の|位地《ゐち》より|神《かみ》を|拝《はい》し、|且《かつ》|物語《ものがたり》を|聴《き》く|人《ひと》の|状態《じやうたい》である。|故《ゆゑ》に|此《この》|物語《ものがたり》は|上魂《じやうこん》の|人《ひと》には|実《じつ》に|救世《きうせい》の|福音《ふくいん》なれ|共《ども》、|途中《とちう》の|鼻高《はなだか》や|下劣《げれつ》なる|人間《にんげん》の|耳《みみ》には|最《もつと》も|入《い》り|難《がた》きものである。|又《また》|無垢《むく》なる|小児《せうに》と|社会《しやくわい》の|物質慾《ぶつしつよく》に|超越《てうゑつ》したる|老人《らうじん》の|耳《みみ》には|能《よ》く|沁《し》み|渡《わた》り、|且《かつ》|理解《りかい》され|易《やす》きものである。こは|小児《せうに》と|老人《らうじん》は|其《その》|心《こころ》|無垢《むく》の|境涯《きやうがい》に|在《あ》つて、|最奥《さいあう》の|霊国《れいごく》|及《および》|天国《てんごく》と|和合《わがふ》し|相応《さうおう》し|居《を》るが|故《ゆゑ》である。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 松村真澄録)
第二章 |大神人《だいしんじん》〔一二七六〕
|前節《ぜんせつ》に|述《の》べたる|如《ごと》く、|霊国《れいごく》や|天国《てんごく》の|諸団体《しよだんたい》に|籍《せき》をおいたる|天人《てんにん》|及《および》|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》|即《すなは》ち|神《かみ》を|能《よ》く|理解《りかい》せし|人間《にんげん》の|精霊《せいれい》は、|即《すなは》ち|地上《ちじやう》の|天人《てんにん》なるを|以《もつ》て、|人間《にんげん》|肉体《にくたい》の|行為《かうゐ》に|留意《りうい》することなく、|其《その》|肉体《にくたい》を|動作《どうさ》せしむる|所《ところ》の|意思《いし》|如何《いかん》を|観察《くわんさつ》するものである。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》の|吾《わが》|長上《ちやうじやう》たると|吾《わが》|下僕《かぼく》たるとを|問《と》はず、|其《その》|行為《かうゐ》に|就《つい》て|善悪《ぜんあく》の|批判《ひはん》を|試《こころ》むるが|如《ごと》き|愚《おろか》なことは、|決《けつ》してせない。|天人《てんにん》の|位地《ゐち》に|進《すす》んだものは、|其《その》|人格《じんかく》を|以《もつ》て|意思《いし》に|存《そん》し、|決《けつ》して|行為《かうゐ》|其《その》|物《もの》にあらざる|事《こと》を|洞察《どうさつ》するが|故《ゆゑ》である。|其《その》|智性《ちせい》も|亦《また》|人格《じんかく》の|一部分《いちぶぶん》なれ|共《ども》、|意思《いし》と|一致《いつち》して|活動《くわつどう》する|時《とき》に|限《かぎ》つて|人格《じんかく》と|見《み》なすのである。|意思《いし》は|愛《あい》の|情動《じやうだう》より|起《おこ》り、|智性《ちせい》は|信《しん》の|真《しん》より|発生《はつせい》するものである。|故《ゆゑ》に|愛《あい》のなき|信仰《しんかう》は|決《けつ》して|人格《じんかく》と|見《み》なすことは|出来《でき》ない。|愛《あい》は|即《すなは》ち|第一《だいいち》に|神《かみ》を|愛《あい》し、|次《つぎ》に|隣人《りんじん》を|愛《あい》する|正《ただ》しき|意思《いし》である。|只《ただ》|神《かみ》を|信《しん》ずるのみにては|到底《たうてい》|神《かみ》の|愛《あい》に|触《ふ》れ、|霊魂《れいこん》の|幸福《かうふく》を|得《う》ることは|不可能《ふかのう》である。|愛《あい》は|愛《あい》と|和合《わがふ》し、|智《ち》は|智《ち》と|和合《わがふ》す。|神《かみ》に|心《こころ》|限《かぎ》りの|浄《きよ》き|宝《たから》を|奉《たてまつ》り、|或《あるひ》は|物品《ぶつぴん》を|奉納《ほうなふ》するは|所謂《いはゆる》|愛《あい》の|発露《はつろ》である。|神《かみ》は|其《その》|愛《あい》に|仍《よ》つて|人間《にんげん》に|必要《ひつえう》なるものを|常《つね》に|与《あた》へ|玉《たま》ふ。|人間《にんげん》は|其《その》|与《あた》へられたるものに|仍《よ》つて|生命《せいめい》を|保《たも》ち、|且《かつ》|人格《じんかく》を|向上《かうじやう》しつつあるのである。|神《かみ》は|無形《むけい》だとか、|気体《きたい》だとか、|無形《むけい》|又《また》は|気体《きたい》にましますが|故《ゆゑ》に|決《けつ》して|現界人《げんかいじん》の|如《ごと》き|物質《ぶつしつ》を|要求《えうきう》し|玉《たま》はず、|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》を|神《かみ》に|献《たてまつ》つて|神《かみ》の|歓心《くわんしん》を|得《え》むとするは|迷妄《めいまう》の|極《きよく》なり、|只《ただ》|神《かみ》は|信仰《しんかう》さへすればそれで|可《い》い、|其《その》|信仰《しんかう》も|科学的《くわがくてき》|知識《ちしき》に|仍《よ》つて|認《みと》め|得《え》ない|限《かぎ》りは、|泡沫《はうまつ》に|等《ひと》しきものだ。|故《ゆゑ》に|神《かみ》を|信《しん》ずるに|先《さき》だち|科学的《くわがくてき》|原則《げんそく》の|上《うへ》に|立脚《りつきやく》して、|而《しか》して|後《のち》|信《しん》ずべきものだ……などと|唱《とな》ふる|者《もの》は、すべて|八衢人間《やちまたにんげん》にして、|其《その》|大部分《だいぶぶん》は|神《かみ》を|背《せな》にし|光明《くわうみやう》を|恐《おそ》れ、|地獄《ぢごく》に|向《むか》つて|内底《ないてい》の|開《ひら》けゐる|妖怪《えうくわい》である。
|霊国《れいごく》|天国《てんごく》の|天人《てんにん》が|天界《てんかい》を|見《み》て|一個《いつこ》の|形式《けいしき》となすのは、|其《その》|全般《ぜんぱん》に|行《ゆき》わたつてのことではない。|如何《いか》なる|証覚《しようかく》の|開《ひら》けた|天人《てんにん》の|眼界《がんかい》と|雖《いへど》も、|高天原《たかあまはら》の|全般《ぜんぱん》を|測《はか》り|知《し》ることは|出来《でき》ない。されど|天人《てんにん》は|数百《すうひやく》|又《また》は|数千《すうせん》の|天人《てんにん》より|成《な》れる|団体《だんたい》を|遠隔《ゑんかく》の|位地《ゐち》より|見《み》て、|人間的《にんげんてき》|形式《けいしき》をなせる|一団《いちだん》と|感《かん》ずる|事《こと》がある|位《くらゐ》なものである。|故《ゆゑ》に|未《ま》だ|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》へる|八衢人間《やちまたにんげん》の|分際《ぶんざい》としては|到底《たうてい》、|天人《てんにん》の|善徳《ぜんとく》や|信真《しんしん》や|証覚《しようかく》に|及《およ》ばないことは|無論《むろん》である。
|斯《かく》の|如《ごと》く|如何《いか》なる|天人《てんにん》と|雖《いへど》も、|高天原《たかあまはら》の|全体《ぜんたい》を|見極《みきは》め、|神《かみ》の|経綸《けいりん》を|熟知《じゆくち》し、|且《かつ》|他《た》の|諸団体《しよだんたい》を|詳《くは》しく|見聞《けんぶん》し|能《あた》はざる|位《くらゐ》のものであるに、|自然界《しぜんかい》の|我利我慾《がりがよく》にひたり、|自愛《じあい》と|世間愛《せけんあい》のみを|以《もつ》て|最善《さいぜん》の|道徳律《だうとくりつ》となし、|善人面《ぜんにんづら》をさげ、|漸《やうや》く|神《かみ》の|方向《はうかう》を|認《みと》めたる|位《くらゐ》の|八衢人間《やちまたにんげん》が|到底《たうてい》|神《かみ》の|意思《いし》の|測知《そくち》し|得《え》らるべき|道理《だうり》はないのである。|天国《てんごく》の|全般《ぜんぱん》を|総称《そうしよう》して|大神人《だいしんじん》と|神界《しんかい》にては|称《とな》へらるる|理由《りいう》は、|天界《てんかい》の|形式《けいしき》は|凡《すべ》て|一個人《いちこじん》として|統御《とうぎよ》さるるからである。|故《ゆゑ》に|地《ち》の|高天原《たかあまはら》は|一個《いつこ》の|大神人《だいしんじん》であり、|其《その》|高天原《たかあまはら》を|代表《だいへう》して|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》を|照《て》らし、|暗《やみ》に|迷《まよ》へる|人間《にんげん》に|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》を|与《あた》へむとする|霊界《れいかい》の|担当者《たんたうしや》は、|即《すなは》ち|大神人《だいしんじん》である。|神人《しんじん》の|大本《おほもと》か|大本《おほもと》の|神人《しんじん》か……と|云《い》ふべき|程《ほど》のものである。|之《これ》は|現幽相応《げんいうさうおう》の|理《り》より|見《み》れば、|決《けつ》して|架空《かくう》の|言《げん》でもない。|又《また》|一般《いつぱん》の|信徒《しんと》は|所謂《いはゆる》|一個《いつこ》の|大神人《だいしんじん》の|体《たい》に|有《いう》する|心臓《しんざう》、|肺臓《はいざう》、|頭部《とうぶ》、|腰部《えうぶ》、|其《その》|他《た》|四肢《しし》の|末端《まつたん》に|至《いた》る|迄《まで》の|各個体《かくこたい》である。
|天界《てんかい》を|大神《おほかみ》は|斯《かく》の|如《ごと》く|一個人《いちこじん》として、|即《すなは》ち|単元《たんげん》として|之《これ》を|統御《とうぎよ》し|玉《たま》ふのである。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》は|宇宙《うちう》の|縮図《しゆくづ》といひ、|小天地《せうてんち》と|云《い》ひ、|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|司宰者《しさいしや》と|云《い》ふ。|人間《にんげん》の|身体《しんたい》は、|其《その》|全分《ぜんぶん》にあつても、|其《その》|個体《こたい》に|在《あ》つても、|千態万様《せんたいばんやう》の|事物《じぶつ》より|組織《そしき》されたるは、|人《ひと》の|能《よ》く|知《し》る|所《ところ》である。|即《すなは》ち|全分《ぜんぶん》より|見《み》れば、|肢節《しせつ》あり、|気管《きくわん》あり、|臓腑《ざうふ》あり、|個体《こたい》の|上《うへ》より|観《み》れば、|繊維《せんゐ》あり、|神経《しんけい》あり、|血管《けつくわん》あり、かくて|肢体《したい》の|内《うち》に|肢体《したい》あり、|部分《ぶぶん》の|中《うち》に|部分《ぶぶん》あれ|共《ども》、|一個人《いちこじん》として|活動《くわつどう》する|時《とき》は、|単元《たんげん》として|活動《くわつどう》するものである。|故《ゆゑ》に|個体《こたい》たる|各信者《かくしんじや》は|一個《いつこ》の|単元体《たんげんたい》たる|大神人《だいしんじん》の|心《こころ》を|以《もつ》て|心《こころ》となし、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》し、|地獄界《ぢごくかい》の|片影《へんえい》をも|留《とど》めざらしむる|様《やう》、|努力《どりよく》すべきものである。|大神《おほかみ》が|高天原《たかあまはら》を|統御《とうぎよ》し|玉《たま》ふも|亦《また》|之《これ》と|同様《どうやう》である。|故《ゆゑ》に|地上《ちじやう》の|高天原《たかあまはら》たる|綾《あや》の|聖地《せいち》には、|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》にみたされたる|聖霊《せいれい》が|予言者《よげんしや》に|来《きた》つて、|神《かみ》の|神格《しんかく》に|仍《よ》る|愛善《あいぜん》の|徳《とく》を|示《しめ》し、|信真《しんしん》の|光《ひかり》を|照《て》らし、|智慧《ちゑ》|証覚《しようかく》を|与《あた》へて、|地上《ちじやう》の|蒼生《さうせい》をして|地的天人《ちてきてんにん》たらしめ、|且《かつ》|又《また》|地上《ちじやう》|一切《いつさい》をして|天国《てんごく》ならしめ、|霊界《れいかい》に|入《い》りては、|凡《すべ》ての|人《ひと》を|天国《てんごく》の|歓喜《くわんき》と|悦楽《えつらく》に|永住《えいぢゆう》せしめむが|為《ため》に|努力《どりよく》せしめ|玉《たま》ふたのである。|其《その》|単元《たんげん》なる|神人《しんじん》を|一個人《いちこじん》の|全般《ぜんぱん》と|見做《みな》し、|各《かく》|宣伝使《せんでんし》|信者《しんじや》は|個体《こたい》となつて、|上下和合《じやうかわがふ》し、|賢愚一致《けんぐいつち》して|此《この》|大神業《だいしんげふ》に|参加《さんか》すべき|使命《しめい》を|有《も》つてゐるのである。
|斯《かく》の|如《ごと》くして|円満《ゑんまん》なる|団体《だんたい》の|形式《けいしき》を|造《つく》り|得《う》る|時《とき》は|即《すなは》ち|全般《ぜんぱん》は|部分《ぶぶん》の|如《ごと》く、|部分《ぶぶん》は|全般《ぜんぱん》の|如《ごと》くにて|其《その》|両者《りやうしや》の|相違点《さうゐてん》は、|只《ただ》|其《その》|分量《ぶんりやう》の|上《うへ》にのみ|存《そん》するばかりである。|今日《こんにち》の|聖地《せいち》に|於《お》ける|状態《じやうたい》は、すべて|個々《ここ》|分立《ぶんりつ》して|活躍《くわつやく》し、|全体《ぜんたい》は|分体《ぶんたい》と|和合《わがふ》せむとしてなす|能《あた》はず、|分体《ぶんたい》たる|個人《こじん》は|各自《かくじ》の|自然的《しぜんてき》|観察《くわんさつ》を|基点《きてん》として、|思《おも》ひ|思《おも》ひに|光《ひかり》に|反《そむ》き|愛《あい》に|遠《とほ》ざかり、|最《もつと》も|秀《すぐ》れたる|者《もの》は|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》ひ、|劣《おと》れる|者《もの》は|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》に|向《むか》つて|秋波《しうは》を|送《おく》る|者《もの》のみである。|故《ゆゑ》に|此等《これら》の|人間《にんげん》は|大神《おほかみ》の|聖場《せいぢやう》、|地《ち》の|高天原《たかあまはら》を|汚《けが》す|所《ところ》の|悪魔《あくま》の|影像《えいざう》であり、|且《かつ》|個人《こじん》としては|偽善者《きぜんしや》である。|偽善者《きぜんしや》なる|者《もの》は|時《とき》としては|善《ぜん》を|語《かた》り、|又《また》|善《ぜん》を|教《をし》へ、|善《ぜん》を|行《おこな》へども、|何事《なにごと》につけても|自己《じこ》の|愛《あい》を|先《さき》にするものである。|大神《おほかみ》の|御神格《ごしんかく》|及《および》|高天原《たかあまはら》の|状態《じやうたい》、|愛《あい》の|徳《とく》|及《および》|信《しん》の|道理《だうり》|並《ならび》に|高天原《たかあまはら》の|将来《しやうらい》などに|付《つ》いて、|人《ひと》に|語《かた》り|伝《つた》ふること、|最《もつとも》|深《ふか》く、|天人《てんにん》の|如《ごと》く、|聖人君子《せいじんくんし》の|如《ごと》く、|偶《たま》には|見《み》ゆるものあり、|又《また》|其《その》|口《くち》にする|所《ところ》を|心言行一致《しんげんかういつち》と|云《い》つて、|行為《かうゐ》に|示《しめ》さむとし、|能《よ》く|其《その》|行《おこな》ひを|飾《かざ》つて、|人《ひと》の|模範《もはん》とならむとする|者《もの》あれ|共《ども》、|其《その》|人間《にんげん》が|実際《じつさい》に|思惟《しゐ》する|所《ところ》のものは|必《かなら》ずや|人《ひと》に|知《し》られむ|為《ため》、|或《あるひ》は|褒《ほ》められむ|為《ため》にする|者《もの》が|多《おほ》い。|此等《これら》は|未《ま》だ|偽善者《きぜんしや》の|中《うち》でも|今日《こんにち》の|処《ところ》では、|余程《よほど》|上等《じやうとう》の|部分《ぶぶん》にして、|俗眼《ぞくがん》より|見《み》れば|真《しん》に|神《かみ》を|理解《りかい》し、|言心行《げんしんかう》の|一致《いつち》の|清《きよ》き|信者《しんじや》と|見得《みう》る|者《もの》である。|次《つぎ》に|今《いま》|綾《あや》の|聖地《せいち》に|於《お》ける|最上等《さいじやうとう》の|部分《ぶぶん》に|属《ぞく》する|人《ひと》の|心性《しんせい》を|霊眼《れいがん》によつて|即《すなは》ち|内的観察《ないてきくわんさつ》に|仍《よ》つて|見《み》る|時《とき》は、|未《ま》だ|天界《てんかい》の|消息《せうそく》にも|詳《つまびらか》ならず、|其《その》|自愛《じあい》|及《および》|世間愛《せけんあい》と|雖《いへど》も、|未《ま》だ|徹底《てつてい》せず、|天人《てんにん》の|存在《そんざい》を|半信半疑《はんしんはんぎ》の|態度《たいど》を|以《もつ》て|批判《ひはん》し、|或《あるひ》は|死後《しご》の|生涯《しやうがい》などに|就《つい》て|語《かた》る|共《とも》、|只《ただ》|真理《しんり》に|明《あか》き|哲人《てつじん》と|人《ひと》に|見《み》られむが|為《ため》に、|真実《しんじつ》に|吾《わが》|心《こころ》に|摂受《せつじゆ》せざる|所《ところ》を、|能《よ》く|知《し》れるが|如《ごと》くに|語《かた》り|伝《つた》ふる|位《くらゐ》が|上等《じやうとう》の|部分《ぶぶん》である。|而《しか》して|口《くち》には|極《きは》めて|立派《りつぱ》なことを|言《い》つても、|其《その》|手足《てあし》を|動《うご》かし、|額《ひたひ》に|汗《あせ》し、|以《もつ》て|神《かみ》に|対《たい》する|真心《まごころ》を|実行《じつかう》せない|者《もの》が|大多数《だいたすう》である。|斯《こ》の|如《ごと》き|人《ひと》は|神《かみ》の|教《をしへ》を|伝《つた》へ、|又《また》は|神《かみ》に|奉仕《ほうし》する|祭官《さいくわん》などは、|俗事《ぞくじ》に|鞅掌《おうしやう》し|或《あるひ》は|田園《でんえん》を|耕《たがや》し、|肥料《ひれう》などの|汚穢物《をゑぶつ》を|手《て》にするは、|所謂《いはゆる》|神《かみ》を|汚《けが》すものと|誤解《ごかい》してゐる|八衢人間《やちまたにんげん》や、|或《あるひ》は|怠惰《たいだ》の|為《ため》、|筋肉《きんにく》|労働《らうどう》を|厭《いと》うて、|宣伝使《せんでんし》|又《また》は|祭官《さいくわん》の|美名《びめい》にかくるる|横着者《わうちやくもの》である。|此等《これら》は|何《いづ》れも|神《かみ》の|前《まへ》にあつて、|天人《てんにん》の|一人《ひとり》をも|霊的《れいてき》に|認《みと》むることなく、|又《また》|体的《たいてき》にも|感《かん》ずる|能《あた》はず、|遂《つひ》には|神仏《しんぶつ》を|種《たね》にして、|自利《じり》を|貪《むさぼ》る|地獄道《ぢごくだう》の|餓鬼《がき》となつてゐる|者《もの》である。かくの|如《ごと》き|心性《しんせい》を|以《もつ》て|神《かみ》の|教《をしへ》を|説《と》き、|神《かみ》に|近《ちか》く|奉仕《ほうし》するは、|全《まつた》く|神《かみ》を|冒涜《ばうとく》する|罪人《ざいにん》である。
|斯《か》くの|如《ごと》き|人間《にんげん》は|神《かみ》の|言葉《ことば》を|売薬《ばいやく》の|能書《のうがき》|位《くらゐ》に|心得《こころえ》、|何事《なにごと》をも|信《しん》ぜず、|又《また》|自己《じこ》を|外《ほか》にして|徳《とく》を|行《おこな》ふの|念《ねん》なく、|人《ひと》の|見《み》ざる|所《ところ》に|於《おい》て|善《ぜん》をなすことを|忌《い》み、|悪《あく》を|人《ひと》の|前《まへ》に|秘《ひ》し、|善《ぜん》は|如何《いか》なる|小《ちひ》さきことと|雖《いへど》も、|必《かなら》ず|人《ひと》の|前《まへ》に|現《あら》はさむことを|願《ねが》ふ。|故《ゆゑ》に|彼等《かれら》がもし|万一《まんいち》|善《ぜん》なる|行《おこな》ひをなしたりとせば、それは|皆《みな》|自己《じこ》の|為《ため》になす|所《ところ》あるによる。|又《また》|他人《たにん》の|為《ため》に|善《ぜん》を|行《おこな》ふことあれば、それは|他人《たにん》|及《および》|世間《せけん》より|聖人《せいじん》|或《あるひ》は|仁者《じんしや》と|見《み》られむことを|願《ねが》ふに|過《す》ぎない。|斯《かく》の|如《ごと》き|人《ひと》のなすことはすべて|自愛《じあい》の|為《ため》である。|自愛《じあい》は|所謂《いはゆる》|地獄《ぢごく》の|愛《あい》である。
|心《こころ》ならずも|五六七殿《みろくでん》に|此《この》|物語《ものがたり》を|聞《き》きに|来《き》てゐる|偽善者《きぜんしや》も|偶《たま》にはあるやうだ。それは|折角《せつかく》|昼夜《ちうや》|艱苦《かんく》して|口述《こうじゆつ》|編纂《へんさん》した『|霊界物語《れいかいものがたり》』を|毎夜《まいよ》|捧読《ほうどく》して、|霊界《れいかい》の|消息《せうそく》を、|迷《まよ》へる|人々《ひとびと》に|説《と》き|示《しめ》さむとする|口述者《こうじゆつしや》の|意思《いし》を|無視《むし》したと|思《おも》はれてはならないから……といふ|位《くらゐ》な|考《かんが》へで、|厭々《いやいや》|聞《き》きに|来《く》る|人《ひと》もあるのである。|決《けつ》して|左様《さやう》な|御気遣《おきづかひ》は|無用《むよう》である。|何程《なにほど》|内底《ないてい》の|天《てん》に|向《むか》つて|閉塞《へいそく》したる|人々《ひとびと》の|身魂《みたま》に|流入《りうにふ》し|或《あるひ》は|伝達《でんたつ》せむとするも、|到底《たうてい》|駄目《だめ》である。|故《ゆゑ》にどうしても|此《この》|物語《ものがたり》の|気《き》にくはぬ|人《ひと》は、かかる|偽善的《ぎぜんてき》|行為《かうゐ》を|止《や》めて、|所主《しよしゆ》の|愛《あい》に|仍《よ》り、|身魂相応《みたまさうおう》の|研究《けんきう》を|自由《じいう》にされむことを|希望《きばう》する。|決《けつ》して|物語《ものがたり》の|聴聞《ちやうもん》や|購読《こうどく》を|強《しひ》るものではない。
|経《たて》の|神諭《しんゆ》は|拝聴《はいちやう》すると、|涙《なみだ》が|出《で》る|様《やう》だが、|緯《よこ》の|物語《ものがたり》を|聞《き》くと|少《すこ》しも|真味《しんみ》な|所《ところ》がなく、|可笑《をか》しくなつてドン・キホーテ|式《しき》の|物語《ものがたり》か|又《また》は|寄席気分《よせきぶん》のやうだと|云《い》つてゐる|立派《りつぱ》な|人格者《じんかくしや》があるさうだ。|之《こ》れも|身魂相応《みたまさうおう》の|理《り》に|仍《よ》るものだから、|如何《いかん》ともすることは|出来《でき》ない。|併《しか》し|乍《なが》ら|悲《かな》しみの|極《きよく》は|喜《よろこ》びであり、|喜《よろこ》びの|極《きよく》は|悲《かな》しみであることは|自然界《しぜんかい》|学者《がくしや》もよく|称《とな》ふる|所《ところ》である。|而《しか》して|悲《かな》しみは|天国《てんごく》を|閉《と》ぢ|歓《よろこ》びは|天国《てんごく》を|開《ひら》くものである。|人間《にんげん》が|他愛《たあい》もなく|笑《わら》ふ|時《とき》は|決《けつ》して|悲《かな》しみの|時《とき》ではない、|面白《おもしろ》|可笑《をか》しく|歓喜《くわんき》に|充《み》ちた|時《とき》である。|神《かみ》は|歓喜《くわんき》を|以《もつ》て|生命《せいめい》となし、|愛《あい》の|中《うち》に|存在《そんざい》し|玉《たま》ふものである。|赤子《あかご》が|泣《な》いた|時《とき》は|其《その》|母親《ははおや》が|慌《あわ》てて|乳《ちち》を|呑《の》ませ、|其《その》|子《こ》の|笑顔《ゑがほ》を|見《み》て|喜《よろこ》ぶのは|即《すなは》ち|愛《あい》である。|吾《わが》|子《こ》を|泣《な》かせ、|又《また》は|悲《かな》しましめて|快《こころよ》しと|思《おも》ふ|親《おや》はない。|神《かみ》の|心《こころ》はすべて|一瞬《いつしゆん》の|間《ま》も、|人間《にんげん》を|歓喜《くわんき》にみたしすべての|事業《じげふ》を|楽《たの》しんで|営《いとな》ましめむとし|玉《たま》ふものである。|此《この》|物語《ものがたり》が|真面目《まじめ》を|欠《か》いて|笑《わら》はせるのが|不快《ふくわい》に|感《かん》ずる|人《ひと》あらば、それは|所謂《いはゆる》|精神上《せいしんじやう》に|欠陥《けつかん》のある|人《ひと》であつて、|癲狂者《てんきやうしや》か|或《あるひ》は|偽善者《きぜんしや》である。|先代《せんだい》|萩《はぎ》の|千松《せんまつ》の|言《い》つたやうに……お|腹《なか》がすいてもひもじうない……といふ|虚偽《きよぎ》|虚飾《きよしよく》の|態度《たいど》である。かくの|如《ごと》き|考《かんが》へを|捨《す》てざる|限《かぎ》り、|人《ひと》は|何程《なにほど》|神《かみ》の|前《まへ》に|礼拝《れいはい》し、|神《かみ》を|讃美《さんび》し、|愛《あい》を|説《と》くと|雖《いへど》も、|到底《たうてい》|天国《てんごく》に|入《い》ることは|出来《でき》ない。|努《つと》めて|地獄《ぢごく》の|門《もん》に|押入《おしい》らむとする|痴呆者《ちはうしや》である。
|凡《すべ》て|綾《あや》の|聖地《せいち》に、|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|仍《よ》つて|引《ひき》つけられたる|人《ひと》、|及《および》|此《この》|教《をしへ》に|信従《しんじゆう》する|各地《かくち》の|信者《しんじや》は、すべて|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》の|中《うち》にあるものである。|然《しか》るに|灯台《とうだい》|下暗《もとくら》しとか|云《い》つて、|之《これ》を|認《みと》め|得《え》ざるものは|天人《てんにん》(|人間《にんげん》と|同様《どうやう》の|形態《けいたい》)の|人格《じんかく》を|保《たも》つことは|出来《でき》ないものである。|富士《ふじ》へ|来《き》て|富士《ふじ》を|尋《たづ》ねつ|富士詣《ふじまう》で……と|云《い》ふ|様《やう》に、|富士山《ふじさん》の|中《なか》へ|入《はい》つて|了《しま》へば、|他《た》に|秀《すぐ》れて|尊《たふと》き|霊山《れいざん》たることを|知《し》らず、|普通《ふつう》の|山《やま》と|見《み》ゆるものである。|併《しか》し|遠《とほ》くへだてて|之《これ》を|望《のぞ》む|時《とき》は、|実《じつ》に|其《その》|清《きよ》き|姿《すがた》は|雲表《うんぺう》に|屹立《きつりつ》し、|鮮岳清山《せんがくせいざん》を|圧《あつ》して|立《た》てる|其《その》|崇高《すうかう》と|偉大《ゐだい》さを|見《み》ることを|得《う》る|様《やう》に、|却《かへつ》て|遠《とほ》く|道《みち》をはなれ、|教《をしへ》に|入《い》らざりし|者《もの》が、|色眼鏡《いろめがね》を|外《はづ》して|見《み》る|時《とき》は、|其《その》|概要《がいえう》を|知《し》り|全般《ぜんぱん》を|伺《うかが》ふことが|出来《でき》る|様《やう》に、|却《かへつ》て|未《ま》だ|一言《いちごん》も|教《をしへ》を|聞《き》かず、|一歩《ひとあし》も|圏内《けんない》に|足《あし》をふみ|入《い》れざる|人《ひと》の|方《はう》が|其《その》|真相《しんさう》を|知《し》る|者《もの》である。|又《また》|大神《おほかみ》は|時《とき》によつて|一個《いつこ》の|天人《てんにん》と|天国《てんごく》にては|現《げん》じ|玉《たま》ひ、|現界《げんかい》|即《すなは》ち|地《ち》の|高天原《たかあまはら》にては|一個《いつこ》の|神人《しんじん》と|現《げん》じ|玉《たま》ふ。されど|斯《かく》の|如《ごと》く|内分《ないぶん》の|塞《ふさ》がつた|人間《にんげん》は|神人《しんじん》に|直接《ちよくせつ》|面接《めんせつ》し|且《かつ》|其《その》|教《をしへ》を|聴《き》き|乍《なが》ら、|之《これ》を|普通《ふつう》の|凡夫《ぼんぶ》とみなし、|或《あるひ》は|自分《じぶん》に|相当《さうたう》の|人格者《じんかくしや》|又《また》は|少《すこ》しく|秀《すぐ》れたる|者《もの》となし、|或《あるひ》は|自分《じぶん》より|劣《おと》りし|者《もの》となして、|之《これ》を|遇《ぐう》するものである。かくの|如《ごと》き|人間《にんげん》は|八衢《やちまた》|所《どころ》か、|已《すで》に|地獄《ぢごく》の|大門《おほもん》に|向《むか》つて、|爪先《つまさき》を|向《む》けてゐるものである。|真《しん》の|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》とを|欠《か》いた|者《もの》は、|総《すべ》て|地獄《ぢごく》に|没入《ぼつにふ》するより|道《みち》はない。|故《ゆゑ》にかかる|人間《にんげん》は|天人《てんにん》|又《また》は|神人《しんじん》の|目《め》より|見《み》る|時《とき》は、|何程《なにほど》|形態《けいたい》は|立派《りつぱ》に|飾《かざ》り|立《た》て、|何程《なにほど》|人品《じんぴん》|骨格《こつがら》はよく|見《み》えても、|殆《ほとん》ど|其《その》|内分《ないぶん》は|人間《にんげん》の|相好《さうがう》が|備《そな》はつてゐないのである。|彼等《かれら》は|罪悪《ざいあく》と|虚偽《きよぎ》とに|居《を》るを|以《もつ》て、|従《したが》つて|神《かみ》の|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》に|反《そむ》いてゐる。|恰《あだか》も|妖怪《えうくわい》の|如《ごと》く|餓鬼《がき》の|如《ごと》く、|其《その》|醜状《しうじやう》|目《め》も|当《あ》てられぬばかりである。|斯《かく》の|如《ごと》き|肉体《にくたい》の|人間《にんげん》を|称《しよう》して、|神界《しんかい》にては|生命《せいめい》といはず、|之《これ》を|霊的死者《れいてきししや》と|称《とな》ふるのである。|又《また》は|娑婆亡者《しやばまうじや》|或《あるひ》は|我利我利亡者《がりがりまうじや》ともいふ。
|斯《かく》の|如《ごと》き|大神《おほかみ》の|愛《あい》の|徳《とく》に|離《はな》れたる|者《もの》は|生命《せいめい》なるものはない。|而《しか》して|大神《おほかみ》の|愛《あい》|又《また》は|神格《しんかく》に|離《はな》れた|時《とき》は、|何事《なにごと》もなし|能《あた》はざるものである。|故《ゆゑ》に|大本神諭《おほもとしんゆ》にも……|神《かみ》の|守護《しゆご》と|許《ゆる》しがなければ、|何事《なにごと》も|成就《じやうじゆ》せぬぞよ。|九分九厘《くぶくりん》いつた|所《ところ》でクレンとかへるぞよ。|人間《にんげん》がこれ|程《ほど》|善《ぜん》はないと|思《おも》ふて|致《いた》して|居《を》ることが、|神《かみ》の|許《ゆる》しなきものは|皆《みな》|悪《あく》になるぞよ。|九分九厘《くぶくりん》で|手《て》の|掌《ひら》がかへり、アフンと|致《いた》すぞよ……と|示《しめ》されてあるのを|伺《うかが》ひ|奉《たてまつ》つても、|此《この》|間《かん》の|消息《せうそく》が|分《わか》るであらう。|人間《にんげん》は|自然界《しぜんかい》の|自愛《じあい》に|仍《よ》つて、|或《ある》|程度《ていど》までは|妖怪的《えうくわいてき》に、|惰性的《だせいてき》に|出来得《できう》るものだが、|決《けつ》して|有終《いうしう》の|美《び》をなすことは|出来《でき》ない、|今日《こんにち》|自愛《じあい》と|世間愛《せけんあい》より|成《な》れる、すべての|銀行《ぎんかう》|会社《くわいしや》|及《および》|其《その》|他《た》の|諸団体《しよだんたい》の|実状《じつじやう》を|見《み》れば、|何《いづ》れも|最初《さいしよ》の|所期《しよき》に|反《はん》し、|其《その》|内部《ないぶ》には、|魑魅魍魎《ちみまうりやう》の|徘徊《はいくかい》|跳梁《てうりやう》して、|妖怪変化《えうくわいへんげ》の|巣窟《さうくつ》となり、|目《め》もあてられぬ|醜状《しうじやう》を|包蔵《はうざう》してゐる。そして|強食弱肉《きやうしよくじやくにく》|優勝劣敗《いうしやうれつぱい》の|地獄道《ぢごくだう》が、|遺憾《ゐかん》なく|現実《げんじつ》してゐるではないか。
|現代《げんだい》に|於《おい》ても|心《こころ》の|直《すぐ》なる|者《もの》の|胸中《きようちう》に|見《み》る|所《ところ》の|神《かみ》は、|太古《たいこ》の|人《ひと》の|形《かたち》なれ|共《ども》、|自得提《じとくてい》の|智慧《ちゑ》|及《および》|罪悪《ざいあく》の|生涯《しやうがい》に|在《あ》つて|天界《てんかい》よりの|内流《ないりう》を|裁断《さいだん》したる|者《もの》は|斯《かく》の|如《ごと》き|本然《ほんぜん》の|所証《しよしよう》を|滅却《めつきやく》し|了《れう》せるものである。|斯《か》かる|盲目者《まうもくしや》は|見《み》る|可《べか》らざる|神《かみ》を|見《み》むとし、|又《また》|罪悪《ざいあく》の|生涯《しやうがい》にて|所証《しよしよう》を|滅却《めつきやく》せし|者《もの》は、|神《かみ》を|決《けつ》して|求《もと》めない|者《もの》である。|故《ゆゑ》に|現代《げんだい》の|人間《にんげん》は|神《かみ》にすがる|者《もの》と|雖《いへど》も、すべて|天界《てんかい》よりの|内流《ないりう》を|裁断《さいだん》したる|者《もの》|多《おほ》き|故《ゆゑ》に、|見《み》る|可《べか》らざる|神《かみ》を|見《み》むとし、|又《また》|物質慾《ぶつしつよく》のみに|齷齪《あくせく》して、|本然《ほんぜん》の|所証《しよしよう》を|滅却《めつきやく》した|地獄的《ぢごくてき》|人間《にんげん》は、|神《かみ》の|存在《そんざい》を|認《みと》めず、|又《また》|神《かみ》を|大《おほい》に|嫌《きら》ふものである。すべて|天界《てんかい》よりして|先《ま》づ|人間《にんげん》に|流入《りうにふ》する|所《ところ》の|神格《しんかく》|其《その》|者《もの》は|実《じつ》に|此《この》|本来《ほんらい》の|所証《しよしよう》である。|何《なん》となれば、|人《ひと》の|生《うま》れたるは、|現界《げんかい》の|為《ため》にあらず、|其《その》|目的《もくてき》は|天国《てんごく》の|団体《だんたい》を|円満《ゑんまん》ならしむる|為《ため》である。|故《ゆゑ》に|何人《なんぴと》も|神格《しんかく》の|概念《がいねん》なくしては|天界《てんかい》に|入《い》ることは|出来《でき》ないのである。
|高天原《たかあまはら》|及《および》|天国《てんごく》|霊国《れいごく》の|団体《だんたい》を|成《な》す|所《ところ》の|神格《しんかく》の|何者《なにもの》たるを|知《し》らざる|者《もの》は、|高天原《たかあまはら》の|第一関門《だいいちくわんもん》にさへも|上《のぼ》ることを|得《え》ない。かくの|如《ごと》き|外分《ぐわいぶん》のみ|開《ひら》けたる|人間《にんげん》がもし|誤《あやま》つて|天国《てんごく》の|関門《くわんもん》に|近付《ちかづ》かむとすれば、|一種《いつしゆ》の|反抗力《はんかうりよく》と|強《つよ》き|嫌悪《けんを》の|情《じやう》を|感《かん》ずるものである。そは|天界《てんかい》を|摂受《せつじゆ》すべき|彼《かれ》の|内分《ないぶん》が|未《いま》だ|高天原《たかあまはら》の|形式中《けいしきちう》に|入《い》らざるを|以《もつ》て、すべての|関門《くわんもん》が|閉鎖《へいさ》さるるに|仍《よ》るからである。もし|強《しひ》て|此《この》|関門《くわんもん》を|突破《とつぱ》し、|高天原《たかあまはら》に|進《すす》み|入《い》らむとすれば、|其《その》|内分《ないぶん》はますます|固《かた》く|閉《と》ざされて|如何《いかん》ともす|可《べか》らざるに|至《いた》るものである。|信者《しんじや》の|中《なか》には|無理《むり》に|地《ち》の|高天原《たかあまはら》に|近付《ちかづ》き|来《きた》り、|神《かみ》に|近《ちか》く|仕《つか》へ|親《した》しく|教《をしへ》を|聞《き》いてからますます|其《その》|内分《ないぶん》が|固《かた》く|閉《と》ざされて、|心身《しんしん》|混惑《こんわく》し、|信仰《しんかう》|以前《いぜん》に|劣《おと》りし|精神《せいしん》|状態《じやうたい》となり、|且《かつ》|又《また》|其《その》|行《おこな》ひの|上《うへ》に|非常《ひじやう》な|地獄的《ぢごくてき》|活動《くわつどう》の|現《あら》はるるものがあるのは|此《この》|理《り》に|基《もとづ》くのである。|大神《おほかみ》を|否《いな》み、|大神《おほかみ》の|神格《しんかく》に|充《みた》されたる|神人《しんじん》を|信《しん》ぜざる|者《もの》は、|凡《すべ》てかくの|如《ごと》き|運命《うんめい》に|陥《おちい》るものである。|人間《にんげん》の|中《うち》にある|天界《てんかい》の|生涯《しやうがい》とは|即《すなは》ち|神《かみ》の|真《まこと》に|従《したが》ひて、|棲息《せいそく》せるものなることを|知悉《ちしつ》せる|精神《せいしん》|状態《じやうたい》をいふのである。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 松村真澄録)
第三章 |地鎮祭《ぢちんさい》〔一二七七〕
|今《いま》を|去《さ》る|事《こと》|三十五万年《さんじふごまんねん》の|昔《むかし》、|波斯《ペルシヤ》の|国《くに》ウブスナ|山脈《さんみやく》の|頂上《ちやうじやう》に|地上《ちじやう》の|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》し、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》はここに|神臨《しんりん》し|玉《たま》ひて、|三五教《あななひけう》を|開《ひら》かせ|玉《たま》ひ、|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|養成《やうせい》して|地上《ちじやう》の|国土《こくど》に|群棲《ぐんせい》する|数多《あまた》の|人間《にんげん》に|愛善《あいぜん》の|徳《とく》と|信真《しんしん》の|光《ひかり》を|与《あた》へ、|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》を|建設《けんせつ》し|玉《たま》はむとし、|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜狐《しこぎつね》、|邪鬼《じやき》の|身魂《みたま》を|清《きよ》め|天地《てんち》の|間《あひだ》には|一点《いつてん》の|虚偽《きよぎ》もなく、|罪悪《ざいあく》もなきミロクの|世《よ》を|開《ひら》かむと|尊《たふと》き|御身《おんみ》を|地上《ちじやう》に|降《くだ》し、|肉体的《にくたいてき》|活動《くわつどう》を|続《つづ》け|玉《たま》ひしこそ、|実《げ》に|尊《たふと》さの|限《かぎ》りである。|此《この》|時《とき》|印度《ツキ》の|国《くに》ハルナの|都《みやこ》に|八岐大蛇《やまたをろち》の|悪霊《あくれい》に|其《その》|身魂《しんこん》を|占領《せんりやう》されたるバラモン|教《けう》の|神司《かむつかさ》|大黒主《おほくろぬし》は|数多《あまた》の|宣伝使《せんでんし》を|従《したが》へ、|右手《めて》に|剣《つるぎ》を|持《も》ち|左手《ゆんで》にコーランを|携《たづさ》へて、|大自在天《だいじざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》の|教《をしへ》を|普《あまね》く|天下《てんか》に|宣伝《せんでん》し|無理無体《むりむたい》に|剣《つるぎ》を|以《もつ》て|其《その》|道《みち》に|帰順《きじゆん》せしめむとなしつつあつた。さうしてバラモン|教《けう》の|信条《しんでう》は|生《せい》を|軽《かろ》んじ、|死《し》を|重《おも》んじ、|現肉体《げんにくたい》を|苦《くる》しめ|損《そこな》ひ|破《やぶ》り|出血《しゆつけつ》なさしめて|之《これ》を|修行《しうぎやう》の|蘊奥《うんあう》となす|所《ところ》の|暗迷非道《あんめいひだう》の|邪教《じやけう》である。|数多《あまた》の|人間《にんげん》は|此《この》|教《をしへ》に|苦《くる》しめられ、|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》、|山野《さんや》に|満《み》ち|其《その》|惨状《さんじやう》|聞《き》くに|堪《た》へざれば、|至仁《しじん》|至愛《しあい》の|大神《おほかみ》は|其《その》|神格《しんかく》の|一部《いちぶ》を|地上《ちじやう》に|降《くだ》し|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》と|現《あら》はれて|中有界《ちううかい》や|地獄界《ぢごくかい》に|迷《まよ》へる|精霊《せいれい》|及《およ》び|人間《にんげん》を|救《すく》ふべく、|此処《ここ》に|地上《ちじやう》の|霊国《れいごく》、|天国《てんごく》を|築《きづ》かせ|玉《たま》ふたのである。|之《これ》に|加《くは》ふるにコーカス|山《ざん》を|始《はじ》め|土耳古《トルコ》のエルサレム、|及《およ》び|自転倒島《おのころじま》の|綾《あや》の|聖地《せいち》や|天教山《てんけうざん》や|其《その》|外《ほか》|各地《かくち》の|霊山《れいざん》に|霊国《れいごく》を|開《ひら》き、|宣伝使《せんでんし》を|降《くだ》して|之《これ》が|任《にん》に|当《あた》らしめ|給《たま》うた。|玉国別《たまくにわけ》は|大神《おほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ|宣伝使《せんでんし》として|道公《みちこう》、|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》の|三人《さんにん》の|従者《じゆうしや》を|従《したが》へ、ウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》を|後《あと》にして|河鹿峠《かじかたうげ》の|峻坂《しゆんぱん》を|越《こ》え、|懐谷《ふところだに》に|暴風《ばうふう》を|防《ふせ》ぐ|折《をり》しも|山猿《やまざる》の|群《むれ》に|襲《おそ》はれて|目《め》を|傷《きず》つけ|漸《やうや》く|祠《ほこら》の|森《もり》に|辿《たど》り|着《つ》き、ここに|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》|一行《いつかう》と|出会《でつくは》し、|眼病《がんびやう》の|平癒《へいゆ》するまで|特別《とくべつ》の|使命《しめい》によつて|大神《おほかみ》の|御舎《みあらか》を|建設《けんせつ》する|事《こと》となつた。|祠《ほこら》の|森《もり》には|杉《すぎ》、|桧《ひのき》、|松《まつ》|其《その》|他《た》|立派《りつぱ》の|用材《ようざい》が|惟神的《かむながらてき》に|立並《たちなら》んでゐた。|此《この》|河鹿峠《かじかたうげ》は|常《つね》に|風《かぜ》|烈《はげ》しく、|且《か》つ|山《やま》|一面《いちめん》の|岩石《がんせき》にて|大木《たいぼく》は|育《そだ》たず、|僅《わづか》に|二三尺《にさんじやく》ばかりの|痩《や》せこけた|古木《こぼく》が|岩石《がんせき》の|間《あひだ》を|点綴《てんてつ》するに|過《す》ぎない。|然《しか》るに|此《この》|河鹿山《かじかやま》の|一部《いちぶ》なる|祠《ほこら》の|森《もり》は|谷《たに》と|谷《たに》との|懐《ふところ》に|当《あた》り、あまり|烈風《れつぷう》の|害《がい》もなく|地味《ちみ》|亦《また》|比較的《ひかくてき》|肥《こえ》たれば、|斯《か》くも|樹木《じゆもく》の|繁茂《はんも》して|相当《さうたう》に|広《ひろ》き|森林《しんりん》をなしてゐたのである。
|国照姫《くにてるひめ》の|神勅《しんちよく》により、|愈《いよいよ》|大神《おほかみ》の|神殿《しんでん》を|建設《けんせつ》する|事《こと》となり、|玉国別《たまくにわけ》|総監督《そうかんとく》の|許《もと》に|五十子姫《いそこひめ》、|今子姫《いまこひめ》、|道公《みちこう》、|純公《すみこう》、|伊太公《いたこう》|及《およ》びバラモンの|軍人《いくさびと》なりしイル、イク、サール、ヨル、テル、ハル|及《およ》び|晴公《はるこう》、|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》、|楓《かへで》|等《など》|昼夜《ちうや》の|別《べつ》なく|忌鋤《いむすき》|忌斧《いむをの》を|以《もつ》て|木《き》を|伐《き》り|倒《たふ》し、|土《つち》ひき|均《なら》し、|地盤《ぢばん》を|固《かた》めて|愈《いよいよ》|神殿《しんでん》|建築《けんちく》の|準備《じゆんび》に|着手《ちやくしゆ》する|事《こと》となつた。|此《この》|時《とき》|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》にありしランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|以下《いか》は|何《いづ》れも|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し、|数多《あまた》の|軍卒《ぐんそつ》は|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|散乱《さんらん》し|此《この》|辺《あた》りは|漸《やうや》く|平和《へいわ》に|帰《き》したれば、|其《その》|国人《くにびと》は|是《これ》|全《まつた》く|三五《あななひ》の|神《かみ》の|恵《めぐ》みと|打喜《うちよろこ》び|其《その》|神恩《しんおん》に|報《はう》ずるためとて|祠《ほこら》の|森《もり》の|神殿《しんでん》|建設《けんせつ》に|対《たい》し|金額《きんがく》を|献《けん》じ、|或《あるひ》は|献労《けんらう》をなすもの|四方《しはう》より|集《あつ》まり|来《きた》り、|実《じつ》に|淋《さび》しき|此《この》|谷間《たにあひ》は|鍬《くは》の|音《おと》、|忌鋤《いむすき》、|忌斧《いむをの》の|音《おと》、|並《なら》びに|石搗歌《いしつきうた》や|人《ひと》の|歓《よろこ》び|声《ごゑ》にて|充《みた》され、|猪《ゐのしし》、|猿《さる》|等《など》の|獣《けだもの》は|遠《とほ》く|逃《に》げ|去《さ》りて|影《かげ》をも|留《とど》めなくなつた。
|道公《みちこう》は|土木《どぼく》の|主任者《しゆにんしや》となり|工事監督《こうじかんとく》の|任《にん》に|当《あた》つた。|然《しか》し|玉国別《たまくにわけ》が|総監督《そうかんとく》たる|事《こと》は|前述《ぜんじゆつ》の|通《とほ》りである。|石搗《いしつき》の|歌《うた》は|盛《さかん》に|木精《こだま》に|響《ひび》き|来《きた》る。その|歌《うた》、
『|高天原《たかあまはら》に|現《あ》れませる |皇大神《すめおほかみ》の|御言《みこと》もて
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は ウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》に
|斎苑《いそ》の|館《やかた》を|建《た》て|玉《たま》ひ |普《あまね》く|世人《よびと》を|救《すく》はむと
|珍《うづ》の|教《をしへ》を|遠近《をちこち》に |開《ひら》かせ|玉《たま》ふぞ|有難《ありがた》き
|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |神《かみ》の|御言《みこと》を|蒙《かうむ》りて
|寒《さむ》けき|冬《ふゆ》の|初空《はつぞら》を |沐雨櫛風《もくうしつぷう》|厭《いと》ひなく
|河鹿峠《かじかたうげ》に|来《き》て|見《み》れば |聞《き》きしにまさる|荒《あら》い|風《かぜ》
|一歩《ひとあし》さへも|進《すす》み|得《え》ず |懐谷《ふところだに》に|身《み》を|寄《よ》せて
|風《かぜ》の|過《す》ぐるを|待《ま》つ|間《うち》に |思《おも》ひもかけぬ|山猿《やまざる》に
|右《みぎ》の|眼《まなこ》を|破《やぶ》られて |苦《くる》しみ|玉《たま》ふ|悲《かな》しさよ
|尊《たふと》き|神《かみ》の|御使《みつかひ》が |斯《か》かる|艱《なや》みに|会《あ》ひますは
|全《まつた》く|神《かみ》の|戒《いまし》めか |但《ただし》は|何《なに》かのお|仕組《しぐみ》か
|互《たがひ》に|顔《かほ》を|見合《みあは》せて |神《かみ》の|心《こころ》を|量《はか》りかね
|中有《ちうう》に|迷《まよ》ふ|折《をり》もあれ |治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|現《あら》はれまして|宣《の》らすやう |玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》
|貴方《あなた》は|神《かみ》のお|仕組《しぐみ》で |艱《なや》みに|遭《あ》はせ|玉《たま》ひなむ
|心《こころ》を|安《やす》けく|平《たひ》らけく |思召《おぼしめ》されと|宣《の》りつつも
|慰《なぐさ》め|玉《たま》ふ|時《とき》もあれ |五十子《いそこ》の|姫《ひめ》や|今子姫《いまこひめ》
|遥々《はるばる》ここに|来《きた》りまし |国照姫《くにてるひめ》の|神懸《かむがかり》
|伝《つた》へ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》は |祠《ほこら》の|森《もり》に|皇神《すめかみ》の
|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へまし |高天原《たかあまはら》に|宮柱《みやはしら》
|太《ふと》しく|建《た》てて|世《よ》の|人《ひと》を |普《あまね》く|救《すく》ひ|曲神《まがかみ》の
|進路《しんろ》を|防《ふせ》ぎまつれよと |其《その》|神言《かみごと》を|畏《かしこ》みて
|上津岩根《うはついはね》に|搗固《つきかた》め |下津岩根《したついはね》に|搗《つき》こらし
|石《いし》|切《き》り|開《ひら》き|土《つち》|均《なら》し |信徒《まめひと》どもが|寄《よ》り|合《あ》ひて
|暑《あつ》さ|寒《さむ》さも|打忘《うちわす》れ |身《み》もたなしらに|仕《つか》へ|行《ゆ》く
|此《この》|有様《ありさま》は|天国《てんごく》の |天人《てんにん》どもも|歓《ゑら》ぎつつ
|業《わざ》を|喜《よろこ》ぶ|如《ごと》くなり |神世《かみよ》の|元《もと》に|還《かへ》りなば
|天《てん》は|高《たか》しと|云《い》ふけれど |天《てん》は|極《きは》めて|近《ちか》くなる
|天地和合《てんちわがふ》のミロクの|世《よ》 |神人《しんじん》|共《とも》に|楽《たの》しみて
|常世《とこよ》の|春《はる》を|迎《むか》へなむ |早《はや》く|身魂《みたま》を|研《みが》けよと
|宣《の》らせ|玉《たま》ひし|三五《あななひ》の |厳《いづ》の|霊《みたま》の|御神勅《ごしんちよく》
|今《いま》|目《ま》のあたりに|現《あら》はれて |実《げ》にも|尊《たふと》き|限《かぎ》りなり
アヽ|諸人《もろびと》よ|諸人《もろびと》よ |此《この》|世《よ》に|人《ひと》と|生《うま》れ|来《き》て
|尊《たふと》き|神《かみ》の|神業《しんげふ》に |汗《あせ》をたらして|仕《つか》ふるは
これに|過《す》ぎたる|功徳《くどく》なし |生《い》きては|地上《ちじやう》の|神《かみ》となり
|死《し》しては|清《きよ》き|天界《てんかい》の |珍《うづ》の|団体《かため》に|加《くは》はりて
|至喜《しき》と|至楽《しらく》の|生涯《しやうがい》を |楽《たの》しむ|身魂《みたま》となりぬべし
|思《おも》へば|思《おも》へば|有難《ありがた》や |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|住《す》むものは
|数《かず》|限《かぎ》りなくあるとても |神《かみ》の|形《かたち》に|作《つく》られて
|神《かみ》に|代《かは》りて|神業《しんげふ》を |勤《つと》むる|人《ひと》と|生《うま》れたる
|吾等《われら》は|実《げ》にも|万物《ばんぶつ》の |霊長《れいちやう》なりと|喜《よろこ》びて
|誠《まこと》の|神《かみ》をよく|愛《あい》し |善《ぜん》の|徳《とく》をば|蓄積《ちくせき》し
|皇大神《すめおほかみ》の|神格《しんかく》を |充《みた》して|下《くだ》りましませる
|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》を |救《すく》ひの|神《かみ》と|慕《した》ひつつ
|誠《まこと》|一《ひと》つを|尽《つく》すべし |打《う》てよ|打《う》て|打《う》てよく|打《う》てよ
|下津岩根《したついはね》の|底《そこ》までも |竜宮《りうぐう》の|釜《かま》の|割《わ》れる|迄《まで》
|地獄《ぢごく》の|橋《はし》の|落《お》ちるまで |喜《よろこ》び|勇《いさ》む|鬨《とき》の|声《こゑ》
|高天原《たかあまはら》の|天国《てんごく》の |各団体《かくだんたい》によく|響《ひび》き
|百《もも》の|天人《てんにん》|喜《よろこ》びて |此《この》|石搗《いしつき》を|完全《くわんぜん》に
|仕《つか》へまつらむ|其《その》|為《た》めに |処狭《ところせ》きまで|降《くだ》りまし
|天地神人《てんちしんじん》|和合《わがふ》して |此《この》|神業《しんげふ》に|仕《つか》へつつ
|神《かみ》の|心《こころ》に|叶《かな》はなむ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御魂《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|音頭《おんど》をとり、ドンドンと|広《ひろ》き|敷地《しきち》を|四方《しはう》より|搗《つ》き|始《はじ》めたり。
『|河鹿山《かじかやま》から|祠《ほこら》の|森《もり》を|見《み》れば ヨイトシヨ ヨイトシヨ
|皇大神《すめおほかみ》の|御舎《みあらか》を ドツコイシヨ ドツコイシヨ
ヨイトサ ヨイトサ |誠《まこと》の|人《ひと》が|集《あつ》まつて
|汗《あせ》を|流《なが》して|御用《ごよう》する ヨイトセ ヨイトセ
ハーア、ヨーイトセー ヨーイヤナー
|大黒主《おほくろぬし》の|神《かみ》さまは ヨイトセ ヨイトセ
|印度《ツキ》の|都《みやこ》に|坐《ま》しまして バラモン|教《けう》の|大棟梁《だいとうりやう》
ヨイトサ、ヨイトセ ヨイトサ、ヨイトシヨ
|鬼雲姫《おにくもひめ》の|奥《おく》さまを |愛憎《あいそ》もなしに|追《お》ひ|出《だ》して
ドツコイシヨ ドツコイシヨ |天女《てんによ》の|様《やう》な|石生能姫《いそのひめ》
|其《その》|外《ほか》|数多《あまた》のナイスをば ヨイトシヨ、ヨイトセ
|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|侍《はべ》らせて |飲《の》めよ|歌《うた》へと|散財《さんざい》し
ウントコシヨ、ドツコイシヨ |人《ひと》の|難儀《なんぎ》は、うわの|空《そら》
|七千余国《しちせんよこく》の|月《つき》の|国《くに》 ヨイトセ ヨイトセ
|阿鼻叫喚《あびけうくわん》の|声《こゑ》に|充《み》ち |修羅《しゆら》の|巷《ちまた》となつて|来《き》た
ヨイトセ ヨイトセ |此《この》|様《やう》な|事《こと》が|十年《じふねん》も
|続《つづ》いたならば|世《よ》の|中《なか》は ヤツトコセー ヤツトコセー
サツパリ|暗《やみ》になるだらう |如何《どう》したらよからうかと|思《おも》ふたら
ア、ウントコシヨ、ドツコイシヨ |天道《てんだう》さまは|吾々《われわれ》を
|決《けつ》して|見捨《みす》て|玉《たま》はない ドツコイシヨ ドツコイシヨ
イソの|館《やかた》に|天国《てんごく》の |姿《すがた》を|写《うつ》して|神柱《かむばしら》
ウントコシヨ、ドツコイシヨ |救《すく》ひの|神《かみ》と|現《あ》れませる
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の ヤツトコセ、ドツコイセ
|仁慈無限《じんじむげん》の|神心《みこころ》に |遣《つか》はし|玉《たま》ふ|宣伝使《せんでんし》
ヨイトサ、ヨイトサ |天地《てんち》に|塞《ふさ》がる|村雲《むらくも》も
|之《これ》にてサツパリ|晴《は》れるだろ ドツコイシヨ ドツコイシヨ
バラモン|教《けう》に|仕《つか》へたる |吾等《われら》は|神《かみ》の|恵《めぐ》みにて
ドツコイシヨ ドツコイシヨ |三五教《あななひけう》に|助《たす》けられ
|祠《ほこら》の|森《もり》の|御普請《ごふしん》に ヤツトコセー ヤツトコセー
|使《つか》うて|頂《いただ》く|嬉《うれ》しさよ |使《つか》うて|貰《もら》ふた|楽《たの》しさよ
ア、ドツコイシヨ ドツコイシヨ ヨイトセー ヨイトセー
ヨイヤサー ヨイヤサー |打《う》てよ|打《う》て|打《う》てドンドン|打《う》てよ
|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|割《わ》れるまで |竜宮《りうぐう》の|城《しろ》が|揺《ゆる》ぐまで
ドツコイシヨ ドツコイシヨ ヨイトセー ヨイトセー』
と|一生懸命《いつしやうけんめい》にバラモン|派《は》の|連中《れんちう》が|躍起《やくき》となつて|骨身《ほねみ》を|惜《お》しまず|石搗《いしつき》に|活動《くわつどう》した。|漸《やうや》くにして|三日三夜《みつかみよさ》を|経《へ》て|基礎工事《きそこうじ》は|全《まつた》く|完結《くわんけつ》を|告《つ》げた。
|之《これ》より|一同《いちどう》は|石搗《いしつき》の|祝《いはひ》として、|四方《よも》の|人々《ひとびと》より|神恩《しんおん》の|感謝《かんしや》を|兼《か》ね、|祝《いはひ》として|奉《たてまつ》りたる|酒《さけ》やパン|其《その》|外《ほか》|珍《めずら》しき|果物《くだもの》を|処狭《ところせ》き|迄《まで》|敷《し》き|並《なら》べ|祝宴《しゆくえん》を|開《ひら》き|神恩《しんおん》を|感謝《かんしや》したりける。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 北村隆光録)
第四章 |人情《にんじやう》〔一二七八〕
|石搗《いしつき》は|漸《やうや》く|無事《ぶじ》に|済《す》んで|地鎮祭《ぢちんさい》も|終《をは》り、|直会《なほらひ》の|宴《えん》に|移《うつ》つた。|今日《けふ》は|玉国別《たまくにわけ》の|許《ゆる》しを|得《え》てさしも|酒豪《しゆがう》のイル、イク、サール、テル、ハル、ヨルのバラモン|組《ぐみ》は|天《てん》にも|昇《のぼ》るやうな|心地《ここち》で|歌《うた》を|唄《うた》ひ、|石《いし》などをケンケンと|叩《たた》きならし、|堤《どて》を|切《き》らして|踊《をど》り|狂《くる》ふた。|何人《なにびと》も|酒《さけ》に|酔《よ》ひ|潰《つぶ》れた|時《とき》は|小供《こども》のやうになるものである。|又《また》|平素《へいそ》から|心《こころ》にもつて|居《ゐ》た|不平《ふへい》は|残《のこ》らず|喋《しやべ》るものである。
イル『おい、イク、サール|何《ど》うだ。|清春山《きよはるやま》に|居《を》つた|時《とき》は、|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|甘《うめ》い|酒《さけ》を|鱈腹《たらふく》|呑《の》んで、|新来《しんき》のお|客《きやく》さま|伊太公《いたこう》さま|迄《まで》|敵味方《てきみかた》の|障壁《しやうへき》をとつて|優遇《いうぐう》したぢやないか。それに|馬鹿《ばか》らしい|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》してから|今日《けふ》|迄《まで》|一滴《いつてき》も|呑《の》ましちや|貰《もら》|筈《はず》、|本当《ほんたう》に|淋《さび》しくて、|矢張《やつぱり》|元《もと》のバラモン|教《けう》の|方《はう》が|余程《よつぽど》よいと|思《おも》つたよ。|貴様等《きさまら》が|何時《いつ》|迄《まで》もこんな|所《ところ》に|引《ひつ》いて【けつ】かるものだから、|俺《おれ》も|仕方《しかた》なしにひつ|付《つ》いて|居《ゐ》たのだ。|本当《ほんたう》にここの|大将《たいしやう》はケチン|坊《ばう》だからな。なんだい|道公《みちこう》なンて|偉《えら》さうに|監督面《かんとくづら》を|提《さ》げやがつて、|俺《おれ》はあの【しやつ】|面《つら》を|見《み》てもむかつくのだ。エーン』
と|副守《ふくしゆ》が|発動《はつどう》して|本音《ほんね》を|吐《は》き|出《だ》した。
イクはイルが|大《おほ》きな|声《こゑ》で|不平《ふへい》を|云《い》ふて|管《くだ》をまくので|道公《みちこう》の|監督《かんとく》に|聞《き》かれては|大変《たいへん》と、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|左右《さいう》の|手《て》で|自分《じぶん》の|耳《みみ》を|押《おさ》へて|居《ゐ》る。そしてイルの|耳許《みみもと》に|口《くち》を|寄《よ》せ、
イク『オイ|兄弟《きやうだい》、そんな|大《おほ》きな|声《こゑ》で|不平《ふへい》を|云《い》ふものぢやない。|勿体《もつたい》ないぞ。|道公《みちこう》の|耳《みみ》へ|入《はい》つたらどうするのぢや』
イル『ナヽ|何《なん》だ、|何《なに》が|勿体《もつたい》ないのだい。|道公《みちこう》の|耳《みみ》へ|入《はい》るのが、それ|程《ほど》われや|恐《おそ》ろしいのか。|何《なん》だその|手《て》は|耳《みみ》を|押《おさ》へやがつて』
イク『それだつて、|余《あま》り|貴様《きさま》が|大《おほ》きな|声《こゑ》で|悪口《わるくち》を|吐《ぬか》すものだから、|監督《かんとく》の|耳《みみ》に|入《い》らないやうに【つめ】をして|居《ゐ》るのだ』
イル『|何《なに》さらしやがるのだ。|馬鹿《ばか》だな、|耳《みみ》を|押《おさ》へて|鈴《すず》を|盗《ぬす》むやうな|事《こと》をしたつて|何《なん》になる。このイルの|仰有《おつしや》る|事《こと》は、|何程《なにほど》|金挺《かなてこ》|聾《つんぼ》でも|直《す》ぐ|耳《みみ》に【イル】やうに|云《い》つて|居《ゐ》るのだ。|骨《ほね》と|皮《かは》との|痩馬《やせうま》を|河鹿峠《かじかたうげ》を|引《ひ》いて|通《とほ》るやうに、ヘエヘエ ハイハイと|盲従《まうじゆう》する|奴《やつ》は、それこそ|気骨《きこつ》のない|章魚人間《たこにんげん》だ。このイルはそんな|卑怯《ひけふ》な|事《こと》はなさらぬぞ。も|少《すこ》し|大《おほ》きな|声《こゑ》で|不平《ふへい》を|云《い》ふのぢや。|否《いな》|大《おほい》に|怨言非辞《えんげんひじ》を|連発《れんぱつ》するのだ。のうサール、|貴様《きさま》もサール|者《もの》だから、きつと|俺《おれ》と|同感《どうかん》だらう』
サール『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな、この|目出度《めでた》い|地鎮祭《ぢちんさい》に|結構《けつこう》な|酒《さけ》を|頂《いただ》きやがつて|何《なに》をグヅグヅ|云《い》ふのだ。ちと|心得《こころえ》ぬかい』
イル『ナヽ|何《なに》が|目出度《めでた》いのだ。|何《なに》がそれ|程《ほど》|結構《けつこう》なのだ。よく|考《かんが》へて|見《み》い、|清春山《きよはるやま》は|破壊《はくわい》され、|浮木《うきき》の|森《もり》の|陣営《ぢんえい》はメチヤ、クチヤにされ、|何《ど》うして|吾々《われわれ》バラモン|勇士《ゆうし》の|顔《かほ》が|立《た》つか、それに|何《なん》ぞや|三五教《あななひけう》の|神《かみ》を|祭《まつ》るお|宮《みや》のお|手伝《てつだひ》ひをさして|貰《もら》ひ、|嬉《うれ》しさうに|嫌《いや》でもない|酒《さけ》を|強《しひ》られて|何《なに》が|有難《ありがた》いのだ。|勿体《もつたい》ないのだ。フゲタが|悪《わる》いぢやないか、|敵《てき》に|兜《かぶと》をぬいで|敵《てき》の|馳走《ちそう》を|頂《いただ》き、|感謝《かんしや》の|涙《なみだ》をこぼすやうな|者《もの》は|人間《にんげん》ぢやないぞ。|俺《おれ》もかうして|表面《へうめん》|帰順《きじゆん》して|居《ゐ》るものの、|心《こころ》の|底《そこ》から|貴様《きさま》のやうに|帰順《きじゆん》して|居《ゐ》るのぢやない。かうして|大勢《おほぜい》の|中《なか》に|紛《まぎ》れ|込《こ》み、|様子《やうす》を|探《さぐ》つた|上《うへ》、|大《おほい》に|手柄《てがら》をせうと|思《おも》ふて|居《ゐ》たのだ。|白夷《はくい》、|叔斉《しゆくせい》は|首陽《しゆやう》の|蕨《わらび》を|食《くら》つて|周《しう》の|粟《ぞく》を|喰《く》はず|生《い》きて|居《ゐ》たぢやないか。|夫《そ》れだけの|気骨《きこつ》が|無《な》くてバラモンの|武士《ぶし》と|云《い》はれるか。エーン』
サール『アハヽヽヽ、それ|程《ほど》|三五教《あななひけう》の|飲食《いんしよく》が|気《き》に|入《い》らぬのなら、なぜ|前後《ぜんご》も|分《わか》らぬ|所《ところ》|迄《まで》|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》ふたのだ。|貴様《きさま》はいつも|悪酒《わるざけ》だから|困《こま》つたものだ。ちと|躾《たしな》まぬと、|俺達《おれたち》|迄《まで》が|痛《いた》くない|腹《はら》をさぐられては|詰《つま》らない。|俺達《おれたち》は、|貴様《きさま》のやうな|二股武士《ふたまたぶし》ぢやない、|帰順《きじゆん》したと|云《い》ふたら|心《こころ》の|底《そこ》から|帰順《きじゆん》して|居《ゐ》るのだ』
イル『|俺《おれ》だつて、|松彦《まつひこ》や|治国別《はるくにわけ》には|心《こころ》の|底《そこ》から|帰順《きじゆん》したのだ。|玉国別《たまくにわけ》や|道公《みちこう》て、あんな|宣伝使《せんでんし》に|帰順《きじゆん》したのぢやない。|第一《だいいち》それが|俺《おれ》は|気《き》に|喰《く》はないのだ。よく|考《かんがへ》えて|見《み》よ、|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》ともあらうものが、|四《よ》つ|手《で》に|目玉《めだま》を|引《ひ》つかかれるやうで|何処《どこ》に|神徳《しんとく》があるか、|俺《おれ》はあの|玉国別《たまくにわけ》の|面《つら》を|見《み》るとムツとするのだ。|治国別《はるくにわけ》さまのやうな|宣伝使《せんでんし》なら|何程《なにほど》バラモン|教《けう》の|俺《おれ》だつて|帰順《きじゆん》するのだけれどな』
|道公《みちこう》は、|三人《さんにん》が|隅《すみ》の|方《はう》に|片寄《かたよ》り|大《おほ》きな|声《こゑ》で|囀《さへづ》つて|居《ゐ》るので、|喧嘩《けんくわ》ぢやないか、もし|喧嘩《けんくわ》なら|仲裁《ちうさい》して|目出度《めでた》う|納《をさ》めねばならぬ、|肝腎《かんじん》の|地鎮祭《ぢちんさい》にケチを|付《つ》けられては|耐《たま》らないと、|三人《さんにん》の|前《まへ》にホロ|酔《よひ》|機嫌《きげん》でヒヨロヒヨロと|進《すす》み|寄《よ》り、
|道公《みちこう》『おいイル、イク、サール、|何《なに》を|夫《それ》|程《ほど》|喧《やかま》しう|云《い》つて|居《ゐ》るのだ。|何《なん》ぞ|面白《おもしろ》い|話《はなし》でもあるのか』
イク『ハイ、|面白《おもしろ》い|事《こと》があるのですよ。このイルの|奴《やつ》たうとう|本音《ほんね》を|吹《ふ》きやがつて|仕様《しやう》もない|事《こと》を|云《い》ふのです』
イル『コレヤ コレヤ イク、|幾何《いくら》|酒《さけ》に|酔《よ》ふても|大事《だいじ》の|事《こと》を|云《い》ふてはいけないよ。|俺《おれ》が|玉国別《たまくにわけ》が|嫌《いや》になつた|事《こと》や、この|普請《ふしん》の|気《き》に|入《い》らぬ|事《こと》や、|矢張《やつぱり》バラモン|教《けう》の|方《はう》が|結構《けつこう》だと|云《い》つた|事《こと》を|決《けつ》して|道公《みちこう》の|監督《かんとく》に|云《い》つてはならないぞ。そこが|友達《ともだち》の|交誼《よしみ》だからな』
|道公《みちこう》『アハヽヽヽ、や イルさま、たつて|聞《き》かうとは|云《い》ひませぬよ。|併《しか》し|皆《みんな》|分《わか》りましたからな』
イク『それ|見《み》ろ、イルの|奴《やつ》|矢張《やつぱ》りお|神酒《みき》の|神徳《しんとく》により、|腹《はら》の|中《なか》のゴモクを|薩張《さつぱ》り|吐《は》き|出《だ》されよつたな。もし|道公《みちこう》さま、どうぞイルが|何《なに》を|云《い》つても、あいつは|副守《ふくしゆ》が|云《い》つて|居《ゐ》るのですから|聞《き》き|流《なが》してやつて|下《くだ》さいませ』
サール『|道公《みちこう》の|監督《かんとく》さま、イルはこんな|奴《やつ》です。|併《しか》し|比較的《ひかくてき》|正直者《しやうぢきもの》ですから、|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》にはどうぞ|仰有《おつしや》らないやうにして|許《ゆる》してやつて|下《くだ》さいませ。|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|奴《やつ》で|厶《ござ》います。ウンウンガー、アヽ|酔《よ》ふた|酔《よ》ふた、ほんとに|結構《けつこう》なお|神酒《みき》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》しまして|本守護神《ほんしゆごじん》は|申《まを》すに|及《およ》ばず、|正《せい》、|副守護神《ふくしゆごじん》|迄《まで》|恐悦《きようえつ》|至極《しごく》に|存《ぞん》じます』
|道公《みちこう》『ヤア|三人《さんにん》|共《とも》|心配《しんぱい》するな。|酒酔《さけよひ》の|云《い》ふ|事《こと》を|取《と》りあげるやうな|俺《おれ》も|馬鹿《ばか》ぢやないからな』
イル『|成程《なるほど》、それ|聞《き》いて|俺《おれ》も|道公《みちこう》さまが|好《す》きになつた。こんな|気《き》の|利《き》いた|家来《けらい》をもつて|居《ゐ》る|玉国別《たまくにわけ》さまも|好《す》きになつた。|其《その》|盃《さかづき》を|一《ひと》つ|僕《ぼく》にさして|下《くだ》さい。|今日《けふ》はお|神酒《みき》に|酔《よ》つてすつかり|腹《はら》の|中《なか》の【ごもく】を|吐《は》き|出《だ》しました。|決《けつ》してイルの|肉体《にくたい》であんな|事《こと》を|云《い》つたのぢやありませぬ。|腹《はら》の|中《なか》に|居《を》つた|大黒主《おほくろぬし》の|眷族《けんぞく》が|囁《ささや》いたのですから、|私《わたし》は|本当《ほんたう》に|迷惑《めいわく》ですよ』
|道公《みちこう》『それやさうだらう。まあ|心配《しんぱい》したまふな。サア|一杯《いつぱい》いかう』
と|道公《みちこう》は|心《こころ》よく、イル、イク、サールに|盃《さかづき》を|与《あた》へ、|自《みづか》らついでやり、|自分《じぶん》も|其処《そこ》に|安坐《あぐら》をかいて|歌《うた》を|歌《うた》ひながら|面白《おもしろ》をかしく|酒《さけ》を|引《ひ》つかけて|居《ゐ》る。
イルは『|兄貴《あにき》まア|一杯《いつぱい》』と|道公《みちこう》に|盃《さかづき》をさし|唄《うた》ひ|出《だ》した。
イル『|三五教《あななひけう》の|道公《みちこう》さまが |朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》ポンポンと
|拍手《かしはで》うつのはよけれども ヨイトサヽ ヨイトサヽ
このイルさまを|捉《とら》まへて ポンポン|云《い》ふのにや|困《こま》ります
ヨイトサ ヨイトサぢや
アハヽヽヽ、まア|一杯《いつぱい》|僕《ぼく》についでくれたまへ、なア|道公《みちこう》さま、|酒酔《さけよひ》|本性《ほんしやう》|違《たが》はずと|云《い》つて、よく|覚《おぼ》えて|居《ゐ》るだらう』
|道公《みちこう》は|歌《うた》ふ、
『|道公司《みちこうつかさ》がポンポンと お|前《まへ》に|云《い》ふたのは|訳《わけ》がある
|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|酒《さけ》をのむ お|前《まへ》を|瓢箪《ふくべ》と|思《おも》た|故《ゆゑ》
そして|又《また》お|前《まへ》は|面《つら》の|皮《かは》 |太鼓《たいこ》のやうに|厚《あつ》うして
サツパリ|腹《はら》が|空《から》|故《ゆゑ》に |太鼓《たいこ》と|思《おも》うてポンポンと
|叩《たた》いて|見《み》たのだイルさまよ |俺《おれ》に|怒《おこ》つちや|見当違《あてちが》ひ
|俺《おれ》は|役目《やくめ》でポンポンと |石搗《いしづき》しなくちやならないで
|合図《あひづ》をしたのだと|思《おも》ふて|呉《く》れ ヨイトセ ヨイトセ
ヤツトコセ、ヨウイヤナ アレワイセ、コレワイセ
サアサ、ヨーイトセ』
イク、サールは|手《て》を|拍《う》ち、
イク『ヤア ポンポンだ、|甘《うま》い|甘《うま》い、ポンポンながらカンカン|乍《なが》ら、このイクさまが|一《ひと》つ|唄《うた》つて|見《み》ませう。エヘン、オイ、イルちつと|手《て》を|拍《う》つて|囃《はや》して|呉《く》れ、|囃《はやし》がまづいと|歌《うた》が|全《まつた》くいかぬからな』
イル『ヨシ|囃《はや》してやらう、サア|云《い》ふたり|云《い》ふたり』
イク『|祠《ほこら》の|森《もり》の|神《かみ》さまは |梵天帝釈自在天《ぼんてんたいしやくじざいてん》
|大国彦《おほくにひこ》と|思《おも》ふたら サツパリ|当《あて》が|外《はづ》れよつて
|大国治立神《おほくにはるたちかみ》|様《さま》だ |今《いま》|迄《まで》|俺《おれ》はバラモンの
|神《かみ》|程《ほど》|偉《えら》い|奴《やつ》は|無《な》いと |思《おも》ふて|居《ゐ》たのにこれや|何《なん》だ
アテが|外《はず》れて|三五教《あななひけう》の いやな|神様《かみさま》を|喜《よろこ》んで
|拝《をが》まにやならない|羽目《はめ》となり |不性無精《ふしやうぶしやう》に|朝夕《あさゆふ》に
|信者《しんじや》らしく|見《み》せかけて |今《いま》|迄《まで》|来《き》たのが|偽善者《きぜんしや》の
|其《その》|行《おこな》ひと|知《し》つた|故《ゆゑ》 |胸《むね》に|手《て》を|当《あ》て|考《かんが》へた
|揚句《あげく》の|果《はて》は|三五教《あななひけう》の |教《をしへ》は|誠《まこと》と|知《し》つた|故《ゆゑ》
|心《こころ》の|悩《なや》みも|晴《は》れ|渡《わた》り |今《いま》は|全《まつた》く|三五《あななひ》の
|神《かみ》を|信《しん》ずる|身《み》となつた ほんとに|心《こころ》の|持《も》ちやうで
どうでもなるのが|人《ひと》の|身《み》だ |人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》
|天地《てんち》|経綸《けいりん》の|主宰者《しゆさいしや》と |教《をし》へられたる|其《その》|時《とき》は
|何《なん》だか|怪体《けたい》の|事《こと》を|云《い》ふ |慢心《まんしん》じみた|教《をしへ》だと
|心《こころ》に|蔑《さげす》み|居《を》つたれど |矢張《やつぱり》|神《かみ》は|嘘《うそ》つかぬ
バラモン|教《けう》では|吾々《われわれ》を |塵《ちり》や|芥《あくた》の|固《かたま》りの
より|損《ぞこな》ひのよに|云《い》ふけれど |矢張《やつぱり》|人《ひと》は|神《かみ》の|子《こ》だ
これを|思《おも》へば|飲《の》む|酒《さけ》も |一入《ひとしほ》|味《あぢ》がよいやうだ
|今日《こんにち》の|石搗《いしつき》お|祝《いはひ》に どつさりお|酒《さけ》を|頂戴《ちやうだい》し
|魂《たま》は|浮《うか》れて|天国《てんごく》の |御園《みその》に|遊《あそ》ぶ|思《おも》ひなり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|慎《つつし》みて
|茲《ここ》に|感謝《かんしや》し|奉《たてまつ》る サア|一盃《いつぱい》いきませう』
|斯《か》く|四人《よにん》は|一団《いちだん》となりて|酒《さけ》|汲《く》み|交《かは》して|居《ゐ》る。|一方《いつぱう》には|又《また》バラモン|組《ぐみ》のヨル、ハル、テルの|三人《さんにん》|三巴《みつどもゑ》となつて|趺坐《あぐら》をかき、|管《くだ》を|捲《ま》いて|居《ゐ》る。
ヨル『オイ、あのイルを|見《み》よ、|彼奴《あいつ》は|最前《さいぜん》から|結構《けつこう》な|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よひ》、しようもない|腹《はら》の|中《なか》の【ごもくた】をさらけ|出《だ》したぢやないか、|彼奴《あいつ》はいつも|酒《さけ》くらひやがると|何《なに》も|彼《か》もさらけ|出《だ》しやがるのだ。|何《なに》か|怪体《けたい》なものが|憑《つ》いて|居《ゐ》るのだよ』
テル『さうだな、|可哀《かあい》さうなものだ。|彼《あれ》は|村《むら》でも|怠惰者《なまけもの》で|仕事《しごと》が|嫌《きら》ひなのだから|仕方《しかた》がない。いつも|襤褸《ぼろ》を|下《さ》げやがつて、|人《ひと》の|門口《かどぐち》に|立《た》ち|酒《さけ》でも|呑《の》んで|居《ゐ》やうものなら、|汚《きたな》い|風《ふう》をして|坐《すわ》り|込《こ》むのだから|誰《たれ》しも|迷惑《めいわく》して、|酒《さけ》を|呑《の》ましてやり、|少《すこ》しばかり|金《かね》をやつて|帰《いな》してやるのだ。|其《それ》が|今度《こんど》の|戦争《せんそう》で|安《やす》い|金《かね》で|雇《やと》はれた|雇兵《やとひへい》だ。|元来《ぐわんらい》がノラクラ|者《もの》の|成上《なりあが》りだから、|一度《いちど》|憐《あは》れみをかけると|云《い》ふと|好《よ》い|気《き》になり、メダレを|見《み》て|仕方《しかた》が|無《な》いものだ。|道公《みちこう》さまがよい|気《き》であんな|奴《やつ》と|盃《さかづき》の|取《と》り|交《かは》しをするなんて|余《あま》りぢやないか、|俺《おれ》にだつて|盃《さかづき》の|一杯《いつぱい》|位《くらゐ》さして|呉《く》れたつて|損《そん》はあるまいに、あんな|奴《やつ》より|下《した》に|見《み》られちや|約《つ》まらないぢやないか』
ハル『オイ、テル、|貴様《きさま》は|気《き》をつけないと|額際《ひたひぎわ》に|曇《くも》りがかかつてゐるぞ。そこが|曇《くも》つて|居《ゐ》るのは|貴様《きさま》の|未来《みらい》に|取《と》り|不祥《ふしやう》なる|事《こと》が|来《く》るのを|教《をし》へて|居《ゐ》るのだ。つまり|死《し》ぬと|云《い》ふ|事《こと》を|教《をし》へて|居《ゐ》るのだ。|深酒《ふかざけ》を|呑《の》まぬやうにせぬと|危《あぶ》ないものだ。たとへ|身体《からだ》がピンピンして|居《ゐ》ても|人《ひと》の|悪口《わるくち》ばかり|云《い》ふて|居《ゐ》ると、|憎《にく》まれてどんな|災難《さいなん》を|買《か》ふやら|分《わか》らないぞ。|些《ちつ》と|慎《つつし》むがよい』
テル『そんな|事《こと》を|聞《き》くと|折角《せつかく》の|酔《よひ》がさめて|仕舞《しま》ふぢやないか。|俺《おれ》は|平常《ふだん》から|顔色《かほいろ》が|悪《わる》いのだ、|気《き》にかけて|呉《く》れるな。そんな|事《こと》を|聞《き》くと|何《なん》だか|俺《おれ》|迄《まで》|気分《きぶん》が|悪《わる》くなるからな』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ|片手《かたて》に|燗徳利《かんどくり》を|下《さ》げ、|片手《かたて》に|盃《さかづき》を|持《も》ち|進《すす》んで|来《き》たのは|晴公《はるこう》であつた。
|晴公《はるこう》『ヨルさま、ハルさま、テルさま、|石搗《いしづき》は|大分《だいぶ》|大層《たいそう》でしたが、|先《ま》づ|貴方《あなた》|方《がた》のおかげで|無事《ぶじ》|終了《しうれう》し、|斯《こ》んな|目出度《めでた》い|事《こと》はありませぬね。お|祝《いは》ひに|一杯《いつぱい》つがして|下《くだ》さい』
と|盃《さかづき》をさし|出《だ》した。ヨルはさも|嬉《うれ》し|気《げ》に|晴公《はるこう》につがせながら、|一口《ひとくち》のんで|額《ひたひ》をポンと|叩《たた》き、
ヨル『|遉《さすが》は|晴公《はるこう》さまだ。|治国別《はるくにわけ》さまのお|仕込《しこ》みだけあつて|道公《みちこう》さまとは|大分《だいぶん》|気《き》が|利《き》いてゐるわい。|晴公《はるこう》さま、|宜敷《よろし》く|頼《たの》みますよ。|吾々《われわれ》はバラモン|教《けう》から|帰化《きくわ》した|所謂《いはゆる》|異邦人《いほうじん》だから|何《なに》かにつけて|疎外《そぐわい》せられるやうに|思《おも》はれてなりませぬワ。これも|心《こころ》のひがみでせうか。|人間《にんげん》といふものは|妙《めう》なもので|貴方《あなた》のやうにして|下《くだ》さると|本当《ほんたう》に|心《こころ》の|底《そこ》から|打《う》ち|解《と》けたやうで、|働《はたら》くのも|何《なん》だか|勢《せい》が|出《で》るやうですわ。ナア、ハル、テルさうぢやないか』
テル『さうだなア、|人《ひと》の|上《うへ》に|立《た》つ|人《ひと》は|余程《よほど》|気《き》をつけて|下《くだ》さらぬと|下《した》の|者《もの》はやり|切《き》れないからなア』
ハル『|同《おな》じハルのついた|晴公《はるこう》さまだから、|同名異人《どうめいいじん》と|云《い》ふだけで、やつぱり|身魂《みたま》が|合《あ》ふて|居《ゐ》るのだよ。それだから|晴公《はるこう》さまが|俺達《おれたち》の|所《ところ》へ|来《き》て|下《くだ》さつたのだ。ヨル、テル、|晴公《はるこう》|様《さま》に|感謝《かんしや》すると|共《とも》にこのハルさまにも|感謝《かんしや》するのだぞ』
ヨル、テル『ヘーン、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだえ、|鼻《はな》を|捻折《ねぢを》るぞ』
|晴公《はるこう》『|常暗《とこやみ》のヨルははれけり|大空《おほぞら》に
|月《つき》は|照《て》るなり|星《ほし》は|輝《かがや》く。
|空《そら》|晴《はる》る|月《つき》【テル】【ヨル】の|星影《ほしかげ》は
いとも|疎《まばら》に|見《み》え|渡《わた》るかな』
ヨル『オイ、テル、ハル|両人《りやうにん》|喜《よろこ》べ、|俺《おれ》はヨルさま、お|前《まへ》はテル、ハルの|両人《りやうにん》、それに|晴公《はるこう》さまだから、あのやうに|目出度《めでた》い|歌《うた》を|詠《よ》んで|下《くだ》さつた。|親切《しんせつ》と|慈愛《じあい》の|徳《とく》は|曇《くも》つた|空《そら》も|晴《は》るるなり、|曇《くも》つた|心《こころ》の|月《つき》も|照《て》るものだなア』
|晴公《はるこう》は|両手《りやうて》を|合《あは》せ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》と|何《なに》を|思《おも》ふてか、|感謝《かんしや》の|声《こゑ》に|涙《なみだ》を|帯《お》びながら|神文《しんもん》を|奏上《そうじやう》した。|三人《さんにん》も|手《て》を|打《う》つて『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』と|連呼《れんこ》した。|斯《か》くして|直会《なほらひ》の|宴《えん》は|全《まつた》く|閉《と》ぢ、|一同《いちどう》は|十二分《じふにぶん》に|歓《くわん》を|尽《つく》して|寝《しん》についた。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 加藤明子録)
第五章 |復命《ふくめい》〔一二七九〕
|漸《やうや》くにして|石搗《いしつき》も|済《す》み、|道公《みちこう》、|晴公《はるこう》、|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》、|其《その》|外《ほか》|一同《いちどう》は、|前後《ぜんご》|百余日《ひやくよにち》を|費《つひや》して|立派《りつぱ》なる|宮《みや》を|建《た》て|上《あ》げた。|而《しか》して|其《その》|遷宮式《せんぐうしき》は|節分《せつぶん》の|夜《よ》に|行《おこな》はるることとなつた。|四方《しはう》|八方《はつぱう》より|信者《しんじや》が|密集《みつしふ》し|来《きた》り、|祠《ほこら》の|森《もり》のふくらんだ|広《ひろ》い|谷《たに》も、|立錐《りつすゐ》の|地《ち》なき|迄《まで》に|信者《しんじや》が|集《あつ》まつて|来《き》て、|此《この》|遷宮式《せんぐうしき》に|列《れつ》することとなつた。|沢山《たくさん》の|供物《くもつ》が|山《やま》の|如《ごと》く|集《あつ》まつてゐる。|道公《みちこう》|始《はじ》めバラモン|組《ぐみ》のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルの|連中《れんちう》も|祭官《さいくわん》の|中《なか》に|加《くは》はり、イソの|館《やかた》より|下附《かふ》された|立派《りつぱ》な|新調《しんてう》の|祭服《さいふく》を|身《み》にまとひ、|神饌所《しんせんじよ》に|入《はい》つて、|何百台《なんびやくだい》とも|知《し》れぬ|神饌《しんせん》の|調理《てうり》にかかつてゐる。
ヨル『オイ、|今日《けふ》の|祭《まつ》りは|俺《おれ》のお|蔭《かげ》だぞ。|神様《かみさま》を|拝《をが》むよりも|先《ま》づさきに|俺《おれ》を|拝《をが》むのだな』
とお|神酒《みき》の|盗《ぬす》み|呑《の》みに、|顔《かほ》を|真赤《まつか》にしてクダを|巻《ま》いてゐる。
イル『コラ、ヨルの|奴《やつ》、|貴様《きさま》は|何《なん》だ、エヽン、|祭服《さいふく》をつけやがつて、|神様《かみさま》にお|供《そな》へもせぬ|内《うち》からお|神酒《みき》を|戴《いただ》くといふ|事《こと》があるか、チツと|心得《こころえ》ぬかい』
ヨル『コラ、イル、|何《なに》を|吐《ぬか》しやがるのだ。|今夜《こんや》は|玉国別《たまくにわけ》さまがヨルの|祭《まつり》だと|仰有《おつしや》つただないか、イルの|祭《まつり》だないぞ。それだから|俺《おれ》が|先《ま》づ|毒味《どくみ》をして|喉《のど》の|神様《かみさま》に|供《そな》へ、|其《その》|上《うへ》でヨルの|神様《かみさま》をお|祭《まつ》りするのだ。ヤツパリ|身魂《みたま》がよいとみえて、こんな|立派《りつぱ》なお|宮様《みやさま》にヨルの|霊《みたま》を|祭《まつ》つて|頂《いただ》くのだからなア、|本当《ほんたう》に|偉《えら》いものだらう』
イク『|併《しか》しこれ|丈《だけ》|沢山《たくさん》の|金銭《きんせん》|物品《ぶつぴん》を|供《そな》へても、|神様《かみさま》はお|受取《うけとり》になるだらうかなア。|却《かへつ》て|御迷惑《ごめいわく》だらうも|知《し》れぬぞ、|神様《かみさま》はすべて|無形《むけい》にましますのだから、この|様《やう》な|人間《にんげん》の|食《く》ふ|有形的《いうけいてき》|供物《くもつ》はおあがりになる|筈《はず》はないだないか。その|証拠《しようこ》にやいくら|永《なが》く|供《そな》へておいても|果物《くだもの》|一《ひと》つ|減《へ》つてゐないぢやないか、こんな|沢山《たくさん》の|物《もの》|供《そな》へるよりも、|代表的《だいへうてき》にお|三方《さんぱう》に|二台《にだい》か|三台《さんだい》か|供《そな》へておいて|差支《さしつかへ》なささうだがな。|丸《まる》で|八百屋《やほや》の|店《みせ》みたやうだ。エヽー、ヨル、|貴様《きさま》|何《ど》う|思《おも》ふ?』
ヨル『|貴様《きさま》はヤツパリまだ|神《かみ》の|事《こと》が|分《わか》らぬと|見《み》えるワイ。|神様《かみさま》は|地上《ちじやう》に|降《くだ》り|玉《たま》ふ|時《とき》はヤツパリ|人間《にんげん》の|肉《にく》の|宮《みや》を|機関《きくわん》と|遊《あそ》ばすのだから、|自然界《しぜんかい》の|法則《はふそく》を|基《もと》として、|何事《なにごと》もお|仕《つか》へせなくちやならぬぢやないか。|信者《しんじや》の|供物《くもつ》を|受取《うけと》り|玉《たま》ふ|神様《かみさま》は|無形《むけい》にましますが|故《ゆゑ》に、|物質的《ぶつしつてき》|食物《しよくもつ》は|不必要《ふひつえう》だと|云《い》つて、|此《この》|結構《けつこう》な|御祭典《ごさいてん》に|金額《きんがく》|物品《ぶつぴん》を|備《そな》へない|奴《やつ》は|神様《かみさま》の|愛《あい》に|居《を》らず|又《また》|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|浴《よく》する|事《こと》も|出来《でき》ない|偽信者《にせしんじや》のなすべき|事《こと》だ。|祭典《さいてん》といふ|事《こと》は|祭《まつ》る|法式《はふしき》といふ|事《こと》だ。|祭《まつ》るといふ|事《こと》は、|人《ひと》を|待《ま》つ|事《こと》だ、|所謂《いはゆる》お|客様《きやくさま》を|招待《せうたい》するも|同《おな》じ|事《こと》だ。|善《ぜん》と|真《しん》とを|衡《はかり》にかけ、|人間《にんげん》の|愛《あい》と|神《かみ》の|愛《あい》とを|和合《わがふ》する|神事《しんじ》だ。それだから|真釣《まつ》りに【まつる】といふのだ。|何程《なにほど》|神様《かみさま》に|供《そな》へたお|供《そな》へものがへらないと|云《い》つても、|肝腎要《かんじんかなめ》のお|供物《くもつ》の|霊《れい》は|皆《みな》おあがりになつてゐるのだ。|大根《だいこん》は|大根《だいこん》の|味《あぢ》、|山葵《わさび》は|山葵《わさび》の|味《あぢ》、|魚《うを》は|魚《うを》の|味《あぢ》と、|各自《かくじ》に|其《その》|味《あぢ》が|変《かは》つてゐるのは|皆《みな》|神様《かみさま》から|造《つく》られたものであつて、|人間《にんげん》の|所為《しよい》でもなければ、|大根《だいこん》|山葵《わさび》|夫《そ》れ|自身《じしん》のなし|得《え》たる|所《ところ》でもない。|同《おな》じ|土地《とち》に|同《おな》じ|肥料《こやし》をやつて|作《つく》つても、|唐辛《たうがらし》を|蒔《ま》けば|辛《から》くなる、|水瓜《すいくわ》を|作《つく》れば|甘《あま》くなる、|山椒《さんせう》を|作《つく》れば|又《また》|辛《から》くなる、そして|其《その》|甘《あま》さにも|辛《から》さにも|各《おのおの》|特色《とくしよく》がある。これ|皆《みな》|神徳《しんとく》の|内流《ないりう》によつて|出来《でき》るものだ。それだから|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》は|神様《かみさま》に|結構《けつこう》なものを|与《あた》へられて、|之《これ》を|感謝《かんしや》せずには|居《ゐ》られない。|夫《そ》れ|故《ゆゑ》|神《かみ》の|御恵《みめぐ》みを|謝《しや》する|為《ため》に|心《こころ》を|尽《つく》してお|供物《くもつ》をするのだ。|此《この》|通《とほ》り|沢山《たくさん》なお|供物《くもつ》の|集《あつ》まつたのも、|仮令《たとへ》|少《すこ》しづつでも、これ|丈《だけ》の|人間《にんげん》が|各自《めいめい》に|何《なん》なりと|持《も》つて|来《き》たのだから、|塵《ちり》つんで|山《やま》をなしたのだ。|神《かみ》は|人間《にんげん》の|真心《まごころ》を|受《う》けさせ|玉《たま》ふものだから、|菜《な》の|葉《は》|一枚《いちまい》でも|供《そな》へてくれと|云《い》つて|持《も》つて|来《き》た|者《もの》は、|皆《みな》お|供《そな》へせなくちやすまないぞ。それが|祭《まつり》の|祭《まつり》たる|所以《ゆゑん》だから、……』
テル『それでも|賽銭《さいせん》|一文《いちもん》|持《も》たず、|菜《な》の|葉《は》|一枚《いちまい》お|供《そな》へせずして、|有難《ありがた》がつて|喜《よろこ》んでゐるのもあるだないか。それは|何《ど》うなるのだ』
ヨル『|其奴《そいつ》は|夢《ゆめ》を|見《み》て|喜《よろこ》んでる|様《やう》なものだ。|此《この》ヨルさまはヨルの|祭《まつり》だから、|供《そな》へてくれた|人間《にんげん》は|皆《みな》|覚《おぼ》えてゐるが、|空参《からまゐ》りする|奴《やつ》は|空霊《からみたま》だからお|蔭《かげ》はやらないよ。ヨルの|守護《しゆご》の|世《よ》の|中《なか》だからなア。|何《なん》なつと|手形《てがた》を|持《も》つて|来《こ》ないとヨルの|神様《かみさま》も|信仰《しんかう》が|分《わか》らないからな』
テル『お|前《まへ》の|神様《かみさま》はヨルの|神様《かみさま》でなうて、|慾《よく》の|神様《かみさま》だろ』
ヨル『|馬鹿《ばか》|云《い》ふな。|神《かみ》を|愛《あい》し、|神《かみ》に|従《したが》ひ、|仮令《たとへ》|菜《な》の|葉《は》|一枚《いちまい》でも、|神様《かみさま》に|上《あ》げたいといふ|真心《まごころ》の|人間《にんげん》をヨルの|神様《かみさま》だ。|即《すなは》ちより|分《わ》ける|神様《かみさま》だ。|選《えら》まれたる|者《もの》は|天国《てんごく》にゆくといふぢやないか。|選《えら》むといふ|事《こと》はヨル|事《こと》だ。|併《しか》しチツとは|其《その》|時《とき》の|都合《つがふ》にヨル|神《かみ》だから、マアなるべく|酒《さけ》でも|何《なん》でも|構《かま》はぬ、|供《そな》へ|玉《たま》へ|運《はこ》び|玉《たま》へだ、アハヽヽヽ』
ハル『|丸《まる》でバラモン|教《けう》みたいな|事《こと》を|言《い》ふぢやないか、|神様《かみさま》に|物《もの》をお|供《そな》へすればお|蔭《かげ》がある、お|供《そな》へせない|奴《やつ》ア|神様《かみさま》が|愛《あい》せないといふのは、チツと|神《かみ》としての|神格《しんかく》に|抵触《ていしよく》するではないか』
ヨル『バラモン|教《けう》だつて、|三五教《あななひけう》だつて、|祭《まつり》に|二《ふた》つはないだないか、|別《べつ》に|神様《かみさま》は|人間《にんげん》の|乞食《こじき》でもあるまいから、|醵出《きよしゆつ》したものを|以《もつ》て|生命《せいめい》を|保《たも》ち|玉《たま》ふ|様《やう》なお|方《かた》ではないが、すべて|愛《あい》の|心《こころ》が|起《おこ》れば、|人間《にんげん》は|神様《かみさま》に|何《なん》なりと|上《あ》げたくなるものだ。|又《また》|神様《かみさま》は|人間《にんげん》を|愛《あい》し|玉《たま》ふ|時《とき》は|田《た》もやらう、|畔《あぜ》もやらうといふお|心《こころ》にならせ|玉《たま》ふものだ。|年《とし》よりの|親《おや》が|息子《むすこ》や|娘《むすめ》に|土産《みやげ》を|買《か》ふて|来《き》て|貰《もら》つたり、|又《また》|孫《まご》が|仮令《たとへ》|少《すこ》しの|物《もの》でも、これをお|爺《ぢい》さまお|婆《ば》アさまに|上《あ》げたいと|思《おも》つて|買《か》つて|来《き》たと|聞《き》いた|時《とき》は、|其《その》|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさまは、|仮令《たとへ》|僅少《きんせう》なものでも、どれ|丈《だけ》|喜《よろこ》ぶか|知《し》れぬだないか。せうもないものでも、|息子《むすこ》が|買《か》ふて|来《き》てくれたものだとか、|孫《まご》が|遥々《はるばる》|買《か》ふて|来《き》てくれたとか、|送《おく》つてくれたとか、|会《あ》ふ|人《ひと》|毎《ごと》に|話《はな》して|喜《よろこ》ぶだろう。そして|僅《わづか》|二三十銭《にさんじつせん》の|物《もの》を|孫《まご》がくれると|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさまは|臍繰金《へそくりがね》の|十円《じふゑん》も|出《だ》して、|孫《まご》にソツとやるだないか。|愛《あい》は|愛《あい》と|相応《さうおう》し、|善《ぜん》は|善《ぜん》と|相応《さうおう》するものだ。それだから、|祭《まつり》を|真釣合《まつりあひ》といふのだ。|決《けつ》して|爺《ぢい》さま|婆《ば》アさまは|吾《わが》|子《こ》や|孫《まご》に、|土産《みやげ》を|買《か》ふて|来《き》て|貰《もら》はうと|望《のぞ》まない……と|同様《どうやう》に|神様《かみさま》は|決《けつ》してお|供《そな》へを|望《のぞ》み|遊《あそ》ばさない。けれど|其《その》|子《こ》や|孫《まご》が|土産《みやげ》をくれた|時《とき》の|心《こころ》と、くれない|時《とき》の|心《こころ》とは、|其《その》|時《とき》の|愛《あい》の|情動《じやうだう》の|上《うへ》に|於《おい》て、|非常《ひじやう》な|差等《さとう》のあるものだ。それだから|神《かみ》の|愛《あい》に|触《ふ》れむと|思《おも》ふ|者《もの》は|神《かみ》を|愛《あい》さなくてはならぬのだ。|人間《にんげん》として|何程《なにほど》|心《こころ》を|尽《つく》しても、|神様《かみさま》に|対《たい》する|御恩報《ごおんほう》じは|金額《きんがく》|物品《ぶつぴん》を|以《もつ》て、|其《その》|真心《まごころ》を|神《かみ》に|捧《ささ》ぐるより、|外《ほか》に|手段《しゆだん》も|方法《はうはふ》もないだないか』
テル『それでも|人間《にんげん》は|精神《せいしん》を|以《もつ》て|神《かみ》の|為《ため》に|尽《つく》し、|神《かみ》を|愛《あい》すれば|可《い》いのだよ。なア、イク、サール、|貴様《きさま》、そう|思《おも》はせぬか』
サール『それも|一理《いちり》あるやうだが、ヤツパリ、ヨルの|神様《かみさま》の、|云《い》ふやうに、|愛《あい》の|心《こころ》が|起《おこ》つたならば、キツト|中途《ちうと》に|止《と》まるものだない、|終局点《しうきよくてん》|迄《まで》|達《たつ》するものだ。|其《その》|終局点《しうきよくてん》は|所謂《いはゆる》|人間《にんげん》の|実地《じつち》の|行《おこな》ひだ。|霊《れい》から|始《はじ》まつて|体《たい》に|落《お》ち|着《つ》くのが|真理《しんり》とすれば、ヤツパリ|神様《かみさま》に|山野河海《さんやかかい》の|珍《めずら》しき|物《もの》や|幣帛料《へいはくれう》を|献納《けんなふ》するのは|所謂《いはゆる》|愛《あい》と|誠《まこと》の|表《あら》はれだと|思《おも》ふ』
ハル『|成程《なるほど》|夫《そ》れに|間違《まちがひ》ない。さうでなければ|何《ど》うして|玉国別《たまくにわけ》さまや、|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》が、こんな|大層《たいそう》な|祭《まつり》を|遊《あそ》ばすものか』
と|神饌所《しんせんじよ》が|賑《にぎは》つてゐる。そこへ|伊太公《いたこう》、|純公《すみこう》の|二人《ふたり》|現《あら》はれ|来《きた》り、
|伊太《いた》『サア、|是《これ》から|祓戸《はらひど》が|初《はじ》まる、お|前《まへ》たちも|準備《じゆんび》をしてゐなくちやならないぞ。|併《しか》し|大変《たいへん》な|参詣者《さんけいしや》だないか』
ヨル『|本当《ほんたう》に|立錐《りつすゐ》の|余地《よち》なき|迄《まで》、|参拝者《さんぱいしや》が|集《あつ》まりましたなア』
|伊太《いた》『ヤア、|今《いま》|太鼓《たいこ》がなつた。サア、|神饌《しんせん》の|用意《ようい》は|出来《でき》たかなア』
イル『|余《あま》り|沢山《たくさん》な|供《そな》へ|物《もの》で、|実《じつ》は|目《め》をまはす|許《ばか》りの|多忙《たばう》を|極《きは》めて|居《を》ります。|併《しか》し|大方《おほかた》|準備《じゆんび》が|出来《でき》たやうです』
|伊太《いた》『|純公《すみこう》さま、|私《わたし》は|之《これ》から|祓戸《はらひど》を|勤《つと》めねばなりませぬ。|貴方《あなた》はどうか|神饌長《しんせんちやう》になつて|下《くだ》さい』
|純公《すみこう》『ハイ|承知《しようち》しました』
|伊太公《いたこう》は『|皆《みな》さま|宜《よろ》しく、|抜目《ぬけめ》のないやうに|頼《たの》みます』と|云《い》ひすて、|祓戸《はらひど》の|館《やかた》を|指《さ》して|急《いそ》いで|行《ゆ》く。
|祓戸式《はらひどしき》、|神饌伝供《しんせんでんぐ》もすみ、|玉国別《たまくにわけ》の|遷宮祝詞《せんぐうのりと》の|奏上《そうじやう》も|了《をは》り、それより|餅撒《もちま》きの|行事《ぎやうじ》に|移《うつ》つた。|祓戸主《はらひどぬし》の|祝詞《のりと》や|遷宮式《せんぐうしき》の|祝詞《のりと》は|略《りやく》しておく。
|昼夜《ちうや》を|分《わか》たずポンポンと|搗《つ》いた|小餅《こもち》は|五石《ごこく》|六斗《ろくと》|七升《しちしよう》と|称《とな》へられた。|而《しか》して|其《その》|大部分《だいぶぶん》は|五十子姫《いそこひめ》|今子姫《いまこひめ》の|手《て》に|固《かた》められたものであつた。|神饌係《しんせんがかり》のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルを|始《はじ》め、|神饌長《しんせんちやう》の|純公《すみこう》は|高台《たかだい》の|上《うへ》に|登《のぼ》り、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|四方《しはう》|八方《はつぱう》へ|餅《もち》を|撒《ま》きつけた。|数多《あまた》の|老若男女《らうじやくなんによ》は|波《なみ》|打《う》つ|様《やう》に|餅《もち》の|落《お》ちる|方《はう》へ|雪崩《なだれ》を|打《う》つて、|人《ひと》を|踏《ふ》み|越《こ》え、つき|倒《たふ》しなどして、|一個《いつこ》でも|多《おほ》く|拾《ひろ》はむ|事《こと》を|努《つと》めた。|平素《へいそ》は|神《かみ》の|教《をしへ》を|聴《き》き、|人間《にんげん》は|人《ひと》に|譲《ゆず》り、|謙《ゆず》らねばならぬと|云《い》ふ|事《こと》を|心《こころ》に|承知《しようち》し|且《かつ》|人《ひと》にも|偉相《えらさう》に|宣伝《せんでん》し|乍《なが》ら、かかる|場合《ばあひ》にはスツカリ|獣性《じうせい》を|遺憾《ゐかん》なく|発揮《はつき》するものである。|丁度《ちやうど》|犬《いぬ》の|子《こ》がさも|親密《しんみつ》|相《さう》にじやれあふたり、ねぶり|合《あ》ふて|遊《あそ》んでゐる|所《ところ》へ、|腐《くさ》つた|肉《にく》を|放《はう》りこんだやうな|物《もの》である。|之《これ》を|思《おも》へば|人間《にんげん》は|肉体《にくたい》を|有《いう》する|限《かぎ》り、どうしても|我慢《がまん》と|慾《よく》には|離《はな》れ|得《え》ないものと|見《み》える。|一《ひと》つでも|此《この》|餅《もち》を|戴《いただ》き|家《いへ》に|帰《かへ》つて|家族《かぞく》や|近所《きんじよ》の|者《もの》に|分《わ》け|与《あた》へて|神徳《しんとく》を|分《わか》たむとすれば、おとなしくして、|後《あと》の|方《はう》へ|控《ひか》へて|居《を》つても、|半分《はんぶん》の|餅《もち》も|拾《ひろ》ふ|事《こと》は|出来《でき》ない。|始《はじ》めの|間《あひだ》はさういふ|態度《たいど》を|取《と》つて|居《を》つた|信者《しんじや》も|沢山《たくさん》あつたがグヅグヅしてると、|押《お》し|倒《たふ》され、|踏《ふ》み|躙《にじ》られ、|餅《もち》は|拾《ひろ》ふ|事《こと》が|出来《でき》ないので、|群集心理《ぐんしふしんり》とやらに|襲《おそ》はれて、さしも|謙遜《けんそん》にして|従順《じうじゆん》なりし|男《をとこ》も、ソロソロ|鉢巻《はちまき》をしめ|出《だ》し、|手《て》に|唾《つば》をつけ、|邪魔《じやま》になる|奴《やつ》を|押《お》し|倒《たふ》し、そして|一《ひと》つでも|余計《よけい》に|拾《ひろ》ふて|懐《ふところ》に|捻《ね》ぢ|込《こ》まねば|損《そん》だといふ|気《き》になり、|一時《いちじ》にあばれ|出《だ》したからたまらない。|彼方《あつち》の|端《はし》にもキヤアキヤア、|此方《こつち》の|隅《すみ》にもアンアンと|子供《こども》の|泣《な》く|声《こゑ》、|俄《にはか》に|修羅道《しゆらだう》の|浅《あさ》ましき|場面《ばめん》と|変《へん》じて|了《しま》つた。|餅撒《もちま》きも|漸《やうや》くすみ、|餅《もち》の|争奪戦《さうだつせん》も|休戦《きうせん》のラツパが|鳴《な》つた。それより|各信徒《かくしんと》は|立派《りつぱ》に|建《た》て|上《あが》つた|新《あたら》しき|宮《みや》を|伏拝《ふしをが》み、|欣々《いそいそ》として|河鹿峠《かじかたうげ》を|下《くだ》り、|各《かく》|家路《いへぢ》に|日《ひ》を|暮《くら》し|乍《なが》ら、|帰《かへ》つて|行《ゆ》く。あとには|宣伝使《せんでんし》や|祭典係《さいてんがかり》の|連中《れんちう》と|熱心《ねつしん》なる|信者《しんじや》が|十数人《じふすうにん》|残《のこ》つて|居《ゐ》た。
|因《ちなみ》に|神殿《しんでん》は|三社《さんしや》|建《た》てられ、|中央《ちうあう》には|国治立尊《くにはるたちのみこと》、|日《ひ》の|大神《おほかみ》、|月《つき》の|大神《おほかみ》が|斎《まつ》られ、|左《ひだり》の|脇《わき》には|大自在天《だいじざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》、|並《ならび》に|盤古大神《ばんこだいじん》|塩長彦神《しほながひこのかみ》を|鎮祭《ちんさい》し、|右側《みぎがは》には|山口《やまぐち》の|神《かみ》を|始《はじ》め、|八百万《やほよろづ》の|神々《かみがみ》を|鎮祭《ちんさい》された。|此《この》|祭典《さいてん》がすむと|同時《どうじ》に|玉国別《たまくにわけ》の|眼病《がんびやう》は|全快《ぜんくわい》し、|顔《かほ》の|少《すこ》しく、|形《かたち》まで|変《かは》つて|居《ゐ》たのが、|以前《いぜん》にまして|益々《ますます》|円満《ゑんまん》の|相《さう》となり、|俄《にはか》に|神格《しんかく》が|備《そな》はつて|来《き》た|様《やう》に|思《おも》はれた。|茲《ここ》に|玉国別《たまくにわけ》は|直会《なほらひ》の|宴《えん》を、|社務所《しやむしよ》の|広間《ひろま》に|於《おい》て|開《ひら》く|事《こと》となつた。|而《しか》してこの|席《せき》に|並《なら》んだ|者《もの》は、|此《この》|祭典《さいてん》に|与《あづか》つた|役員《やくゐん》|全部《ぜんぶ》と|十数名《じふすうめい》の|熱心《ねつしん》な|信者《しんじや》とであつた。|玉国別《たまくにわけ》は|鎮祭《ちんさい》|無事《ぶじ》|終了《しうれう》を|祝《しゆく》する|為《ため》、|神酒《みき》を|頂《いただ》き|乍《なが》ら、|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立《た》て|分《わ》ける
|此《この》|世《よ》を|造《つく》りし|神直日《かむなほひ》 |心《こころ》も|広《ひろ》き|大直日《おほなほひ》
|只《ただ》|何事《なにごと》も|人《ひと》の|世《よ》は |直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し
|身《み》の|過《あやま》ちは|宣《の》り|直《なほ》す |三五教《あななひけう》の|大御神《おほみかみ》
|聖《きよ》き|教《をしへ》を|四方《よも》の|国《くに》 |開《ひら》き|伝《つた》ふる|身《み》を|以《もつ》て
|少《すこ》しの|心《こころ》の|油断《ゆだん》より |天津御空《あまつみそら》の|日月《じつげつ》に
|譬《たと》ふべらなる|両眼《りやうがん》を |獣《けもの》の|為《ため》に|破《やぶ》られて
|痛《いた》さに|悩《なや》み|皇神《すめかみ》が |依《よ》さし|玉《たま》ひし|神業《かむわざ》を
いかにか なして|果《はた》さむと |思《おも》ひ|悩《なや》める|折《をり》もあれ
|皇大神《すめおほかみ》の|御心《みこころ》に |深《ふか》き|仕組《しぐみ》のゐましてや
|祠《ほこら》の|森《もり》に|止《とど》められ |皇大神《すめおほかみ》の|御舎《みあらか》を
|大宮柱太《おほみやばしらふと》しりて |仕《つか》へまつらせ|玉《たま》ひたる
|其《その》|御心《みこころ》は|今《いま》となり |初《はじ》めて|思《おも》ひ|知《し》られける
これを|思《おも》へば|吾々《われわれ》が |二《ふた》つの|眼《まなこ》を|山猿《やまざる》に
|掻《か》きむしられし|経緯《いきさつ》は |全《まつた》く|神《かみ》の|御心《みこころ》に
|出《い》でさせ|玉《たま》ふものなりと |悟《さと》るも|嬉《うれ》し|今日《けふ》の|宵《よひ》
|今《いま》|迄《まで》|痛《いた》みし|吾《わが》|眼《まなこ》 |拭《ぬぐ》ふが|如《ごと》く|癒《い》えわたり
|眼《まなこ》の|霞《かすみ》もよく|冴《さ》えて |今《いま》は|全《まつた》く|元《もと》の|如《ごと》
|清《きよ》き|光《ひかり》を|放《はな》ちけり あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|守《まも》らす|神《かみ》の|世《よ》は |一切万事《いつさいばんじ》|神界《しんかい》の
|御教《みのり》に|服《まつろ》ひ|奉《たてまつ》り |卑《いや》しき|人《ひと》の|心《こころ》もて
|何《なに》くれとなく|一々《いちいち》に |争論《あげつら》うべきものならず
|天地《てんち》の|間《うち》は|一切《いつさい》を |只《ただ》|神様《かみさま》の|御心《みこころ》に
|任《まか》せまつりて|従順《じうじゆん》に |吾《わが》|天職《てんしよく》を|守《まも》るより
|道《みち》なきものと|悟《さと》りけり |五十子《いそこ》の|姫《ひめ》よ|今子姫《いまこひめ》
|最早《もはや》|吾《わが》|身《み》は|斯《か》くの|如《ごと》 |眼《まなこ》の|悩《なや》み|癒《い》えぬれば
|汝《なれ》が|命《みこと》と|何時《いつ》|迄《まで》も |一《ひと》つとなりて|神《かみ》の|前《まへ》
|仕《つか》ふる|事《こと》は|叶《かな》ふまじ われは|是《これ》より|珍彦《うづひこ》に
これの|館《やかた》を|守《まも》らせて |神《かみ》の|依《よ》さしの|神業《しんげふ》に
|立《た》ち|出《い》で|行《ゆ》かむ|汝《なれ》は|又《また》 イソの|館《やかた》へ|立《た》ち|帰《かへ》り
|今子《いまこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|心《こころ》を|浄《きよ》め|身《み》を|清《きよ》め |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へかし
|珍彦《うづひこ》|静子《しづこ》|晴公《はるこう》よ |汝《なんぢ》は|吾《わ》れに|成《な》り|変《かは》り
|祠《ほこら》の|森《もり》の|神殿《しんでん》に |朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へつつ
|神《かみ》の|教《をしへ》を|受《う》けむとて |参来《まゐき》|集《つど》へる|信徒《まめひと》を
|完全《うまら》に|詳細《つばら》に|説《と》き|諭《さと》し |神《かみ》の|御国《みくに》の|福音《ふくいん》を
|普《あまね》く|附近《ふきん》にかがやかし |曲津身魂《まがつみたま》の|往来《わうらい》を
いよいよ|茲《ここ》にせきとめて イソの|館《やかた》に|一歩《ひとあし》も
|進入《しんにふ》させじと|村肝《むらきも》の |心《こころ》を|尽《つく》して|守《まも》るべし
|夜《よ》が|明《あ》けぬれば|吾々《われわれ》は これの|館《やかた》を|立出《たちい》でて
ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる |八岐大蛇《やまたをろち》の|征服《せいふく》に
|神《かみ》の|恵《めぐみ》を|浴《あ》び|乍《なが》ら |進《すす》みて|行《ゆ》かむ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|守《まも》りを|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》ひ|了《をは》り、|神殿《しんでん》に|向《むか》つて|合掌《がつしやう》する。
|五十子姫《いそこひめ》は|長袖《ちやうしう》|淑《しとや》かに|舞《ま》ひ|乍《なが》ら、|静《しづか》に|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の |神言《みこと》|畏《かしこ》み|背《せ》の|君《きみ》は
|玉国別《たまくにわけ》と|名乗《なの》りまし |獅子《しし》|狼《おほかみ》の|吠《ほ》えたける
|荒野《あらの》を|別《わ》けて|河鹿山《かじかやま》 |風《かぜ》の|悩《なや》みや|山猿《やまざる》の
|為《ため》に|眼《まなこ》を|失《うしな》ひつ |漸《やうや》く|茲《ここ》に|来《きた》りまし
|悩《なや》みし|眼《まなこ》を|癒《い》やす|内《うち》 |如何《いか》なる|神《かみ》の|御恵《みめぐみ》か
|尊《たふと》き|神業《しんげふ》を|任《ま》けられて |百日百夜《ももかももよ》を|事《こと》もなく
|過《す》ごさせ|玉《たま》ひ|皇神《すめかみ》の |瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|仕《つか》へまし
|祭《まつり》も|無事《ぶじ》に|相済《あひす》みて |神《かみ》の|恵《めぐみ》も|灼然《いやちこ》に
|眼《まなこ》の|悩《なや》みなをりまし |感謝《かんしや》の|涙《なみだ》|諸共《もろとも》に
|今《いま》|直会《なほらひ》の|宴席《えんせき》に |列《つら》なり|玉《たま》ひ|珍彦《うづひこ》や
|其《その》|他《た》の|司《つかさ》に|御社《みやしろ》の |守《まも》りの|役《やく》を|任《ま》けさせつ
|只《ただ》の|一日《ひとひ》も|休《やす》まずに |又《また》もや|猛《たけ》き|荒野原《あらのはら》
|雪《ゆき》|踏《ふ》み|分《わ》けてフサの|野《の》を |渡《わた》らせ|玉《たま》ひ|月《つき》の|国《くに》
|遠《とほ》き|都《みやこ》に|出《い》で|玉《たま》ふ |其《その》|功績《いさをし》は|皇神《すめかみ》の
|御稜威《みいづ》に|比《くら》べまつるべし さはさり|乍《なが》ら|五十子姫《いそこひめ》
|漸《やうや》く|茲《ここ》に|尋《たづ》ね|来《き》て |夫《つま》の|命《みこと》の|笑顔《ゑがほ》をば
|拝《をが》む|間《ま》もなくイソ|館《やかた》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|帰《かへ》るべく
|宣《の》らせ|玉《たま》ひし|言《こと》の|葉《は》は |実《げ》にも|雄々《をを》しき|限《かぎ》りぞと
|勇《いさ》みに|勇《いさ》む|胸《むね》の|内《うち》 |今子《いまこ》の|姫《ひめ》もさぞやさぞ
|嬉《うれ》しみ|玉《たま》ふ|事《こと》ならむ |伊太公《いたこう》さまよ|純公《すみこう》よ
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|司《つかさ》たち |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|月《つき》の|国《くに》 ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》や|醜神《しこがみ》を |言向和《ことむけやは》し|大神《おほかみ》の
|依《よ》さし|玉《たま》ひし|神業《しんげふ》を |完全《うまら》に|委曲《つばら》に|尽《つく》し|了《を》へ
|一日《ひとひ》も|早《はや》く|復命《かへりごと》 |申《まを》させ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|祈《ね》ぎまつる |旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |誠《まこと》|一《ひと》つは|神界《しんかい》の
|唯一《ゆゐいつ》の|宝《たから》|生命《せいめい》ぞ |皇大神《すめおほかみ》を|能《よ》く|愛《あい》し
|其《その》|神格《しんかく》を|理解《りかい》して |神《かみ》の|御前《みまへ》に|善徳《ぜんとく》を
|積《つ》む|傍《かたはら》に|世《よ》の|人《ひと》を |普《あまね》く|愛《あい》し|導《みちび》きて
|神《かみ》の|司《つかさ》の|本分《ほんぶん》を |遂《と》げさせ|玉《たま》へ|五十子姫《いそこひめ》
イソの|館《やかた》に|勤《つと》めつつ |吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》や|汝《な》が|命《みこと》
|其《その》|一行《いつかう》の|成功《せいこう》を |身《み》もたなしらに|祈《いの》るべし
いざいざさらばいざさらば |勇《いさ》み|進《すす》んで|出《い》でませよ
|妾《わらは》はこれより|河鹿山《かじかやま》 |雪《ゆき》|踏《ふ》み|分《わ》けてやうやうに
イソの|館《やかた》に|立《た》ち|帰《かへ》り |皇大神《すめおほかみ》に|此《この》さまを
|完全《うまら》に|委曲《つばら》に|奏上《そうじやう》し |百《もも》の|司《つかさ》の|真心《まごころ》を
|洩《も》らさず|落《おと》さず|大前《おほまへ》に |申《まを》し|上《あ》げなむいざさらば
|明日《あす》はお|別《わか》れ|申《まを》します |何《いづ》れも|無事《ぶじ》でお|達者《たつしや》で
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|幸《さち》あれや |偏《ひとへ》に|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|今子姫《いまこひめ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|旭《あさひ》は|照《て》る|共《とも》|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つ|共《とも》|虧《か》くる|共《とも》
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》む|共《とも》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》は|永久《とこしへ》に
|変《かは》らせ|玉《たま》ふ|事《こと》あらじ |抑《そもそ》も|神《かみ》が|世《よ》の|中《なか》を
|造《つく》り|玉《たま》ひし|目的《もくてき》は |地上《ちじやう》に|住《す》める|蒼生《さうせい》を
|一人《ひとり》も|残《のこ》さず|天国《てんごく》に |救《すく》はむ|為《ため》の|御仕組《おんしぐみ》
|天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|団体《だんたい》を ますます|浄《きよ》く|円満《ゑんまん》に
|開《ひら》かせ|玉《たま》ひ|神国《しんこく》を |永遠無窮《ゑいゑんむきう》に|建設《けんせつ》し
|百《もも》の|神人《かみびと》|喜《よろこ》びて |常世《とこよ》の|春《はる》の|栄《さか》えをば
|来《きた》さむ|為《ため》の|御経綸《ごけいりん》 |吾等《われら》は|人《ひと》と|生《うま》れ|来《き》て
|深甚美妙《しんじんびめう》の|神徳《しんとく》に ひたり|乍《なが》らも|体慾《たいよく》に
いつとはなしに|晦《くらま》され |至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|神霊《しんれい》を
|汚《けが》しゐるこそはかなけれ |皇大神《すめおほかみ》は|吾々《われわれ》の
|曇《くも》れる|霊《みたま》を|憐《あは》れみて |高天原《たかあまはら》より|降《くだ》りまし
ウブスナ|山《やま》や|其《その》|外《ほか》の |聖地《せいち》を|選《え》りて|神柱《かむばしら》
|立《た》てさせ|玉《たま》ひ|現《うつ》そ|身《み》の |暗黒無明《あんこくむみやう》の|世界《せかい》をば
|照《て》らさせ|玉《たま》ふ|有難《ありがた》さ |皇大神《すめおほかみ》の|神言《みこと》もて
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》の|侍女《じぢよ》となり メソポタミヤの|天恩郷《てんおんきやう》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|国々《くにぐに》を |経《へ》めぐり|神《かみ》の|福音《ふくいん》を
|余《あま》り|大《たい》した|過《あやま》ちも |来《きた》さず|漸《やうや》く|使命《しめい》をへ
イソの|館《やかた》に|相召《あひめ》され |尊《たふと》き|神《かみ》の|大前《おほまへ》に
|仕《つか》ふる|身《み》とはなりにけり ハルナの|都《みやこ》の|曲津身《まがつみ》を
|征服《せいふく》せむと|出《い》でましし |玉国別《たまくにわけ》の|遭難《さうなん》を
|介抱《かいほう》せむと|神勅《しんちよく》を |辱《かたじけ》なみて|五十子姫《いそこひめ》
みあとに|従《したが》ひ|来《き》て|見《み》れば |思《おも》ひ|掛《が》けなき|御負傷《ごふしやう》に
|一時《いちじ》は|胸《むね》も|轟《とどろ》きて |憂《うれ》へ|悩《なや》みゐたりしが
|神《かみ》の|仕組《しぐみ》のいや|深《ふか》く かかる|案《あん》じもあら|涙《なみだ》
|流《なが》せし|事《こと》の|恥《はづ》かしさ |百日百夜《ももかももよ》を|無事《ぶじ》に|経《へ》て
|茲《ここ》に|尊《たふと》き|皇神《すめかみ》の |瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|建《た》て|了《をは》り
|国治立《くにはるたち》の|大神《おほかみ》や |月《つき》の|大神《おほかみ》|日《ひ》の|御神《みかみ》
|大国彦《おほくにひこ》の|神様《かみさま》や |其《その》|外《ほか》|百《もも》の|神々《かみがみ》を
|斎《いつ》きまつりて|三五《あななひ》の |教《をしへ》の|道《みち》の|御光《みひかり》を
|照《て》らさせ|玉《たま》ふ|今日《けふ》の|宵《よひ》 あくれば|立春《りつしゆん》|初春《はつはる》の
|天津光《あまつひかり》をうけ|乍《なが》ら |玉国別《たまくにわけ》は|道《みち》の|為《ため》
|南《みなみ》を|指《さ》して|鹿島立《かしまだ》ち |妾《わらは》は|君《きみ》と|諸共《もろとも》に
|雪《ゆき》|踏《ふ》み|分《わ》けて|河鹿山《かじかやま》 |風《かぜ》に|吹《ふ》かれつ|春《はる》の|日《ひ》を
|頭《かしら》にいただきいそいそと |勇《いさ》みて|帰《かへ》るイソ|館《やかた》
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |此《この》|有様《ありさま》をまつぶさに
|復命《かへりごと》する|楽《たの》しさよ |旭《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》る|共《とも》
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くる|共《とも》 |皇大神《すめおほかみ》の|御恵《みめぐみ》は
|千代《ちよ》も|八千代《やちよ》も|永久《とこしへ》に |変《かは》らせ|玉《たま》ふ|事《こと》あらじ
|玉国別《たまくにわけ》よ|百人《ももびと》よ |勇《いさ》み|進《すす》んで|月《つき》の|国《くに》
ハルナの|都《みやこ》は|云《い》ふも|更《さら》 |七千余国《しちせんよこく》の|国々《くにぐに》に
|蟠《わだか》まりたる|曲神《まがかみ》を |厳《いづ》の|言霊《ことたま》|打出《うちい》だし
|言向和《ことむけやは》し|神国《しんこく》を |此《この》|地《ち》の|上《うへ》に|永久《とこしへ》に
|建《た》てさせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|今子姫《いまこひめ》
|謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸《さち》はひましませよ』
|道公《みちこう》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|祠《ほこら》の|森《もり》に|宮柱《みやばしら》 |太《ふと》しく|建《た》てて|永久《とこしへ》に
|鎮《しづ》まりいます|皇神《すめかみ》の |御前《みまへ》に|謹《つつし》み|願《ね》ぎ|奉《まつ》る
|皇大神《すめおほかみ》の|御道《おんみち》を |四方《よも》に|伝《つた》ふる|道公《みちこう》は
|玉国別《たまくにわけ》の|師《し》の|君《きみ》に |従《したが》ひまつり|月《つき》の|国《くに》
|其《その》|外《ほか》|百《もも》の|国々《くにぐに》に |威猛《ゐたけ》り|狂《くる》ふ|曲神《まがかみ》を
|神《かみ》の|力《ちから》を|蒙《かうむ》りて |言向和《ことむけやは》し|神国《しんこく》の
|聖《きよ》き|教《をしへ》を|世《よ》に|布《し》きて |神《かみ》の|御前《みまへ》に|復命《かへりごと》
|仕《つか》へ|奉《まつ》らむ|吾《わが》|心《こころ》 |諾《うべな》ひ|玉《たま》ひ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|道公《みちこう》が |真心《まごころ》こめて|願《ね》ぎまつる
|五十子《いそこ》の|姫《ひめ》よ|今子姫《いまこひめ》 |汝《なれ》が|命《みこと》はイソ|館《やかた》
いと|安々《やすやす》と|帰《かへ》りまし |皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に
|此《この》|有様《ありさま》を|詳細《まつぶさ》に |宣《の》らせ|給《たま》ひて|師《し》の|君《きみ》や
|吾等《われら》が|一行《いつかう》の|身《み》の|上《うへ》を |深《ふか》く|守《まも》らせ|玉《たま》ふべく
|祈《いの》らせ|玉《たま》へ|道公《みちこう》は |吾《わが》|師《し》の|君《きみ》に|従《したが》ひて
|吾《わが》|身《み》を|砕《くだ》き|吾《わが》|骨《ほね》を |粉《こな》にするとも|厭《いと》ひなく
|守《まも》り|奉《まつ》らむ|心安《うらやす》く |帰《かへ》らせ|玉《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる』
と|歌《うた》つて|五十子姫《いそこひめ》に|別《わか》れを|告《つ》げた。|五十子姫《いそこひめ》は|忽《たちま》ち|神懸《かむがかり》|状態《じやうたい》となつた。かからせ|玉《たま》ふ|神《かみ》は|国照姫命《くにてるひめのみこと》なりけり。
|国照姫《くにてるひめ》『|皇神《すめかみ》の|神言《みこと》|畏《かしこ》み|御舎《みあらか》を
|仕《つか》へ|奉《まつ》りし|人《ひと》ぞ|尊《たふと》き。
|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》の|悩《なや》みたる
|目《め》のはれたるも|神《かみ》の|恵《めぐみ》ぞ。
|大神《おほかみ》に|尽《つく》す|誠《まこと》の|顕《あら》はれて
|再《ふたたび》|元《もと》の|眼《まなこ》とぞなれる。
|道公《みちこう》は|名《な》を|道彦《みちひこ》と|改《あらた》めて
|玉国別《たまくにわけ》に|従《したが》ひて|行《ゆ》け。
|伊太公《いたこう》は|伊太彦司《いたひこつかさ》と|名《な》を|賜《たま》ひ
|曲《まが》きたへむと|月《つき》に|出《い》でませ。
|純公《すみこう》は|真純《ますみ》の|彦《ひこ》と|改《あらた》めて
|神《かみ》の|教《をしへ》を|四方《よも》に|伝《つた》へよ。
|晴公《はるこう》は|道晴別《みちはるわけ》と|名《な》を|替《か》へて
|治国別《はるくにわけ》の|後《あと》を|追《お》ひ|行《ゆ》け』
|玉国別《たまくにわけ》『|有難《ありがた》し、|国照姫《くにてるひめ》の|詔《みことのり》
|項《うなじ》にうけて|進《すす》み|行《ゆ》かなむ』
|道彦《みちひこ》『|身《み》も|魂《たま》も|曇《くも》りはてたる|道公《みちこう》に
|名《な》を|賜《たま》ひたる|事《こと》の|嬉《うれ》しさ。
|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》はいつか|忘《わす》るべき
|心《こころ》も|身《み》をも|捧《ささ》げ|尽《つく》さむ』
|伊太彦《いたひこ》『|暗《やみ》の|世《よ》にいたけり|狂《くる》ふ|曲神《まがかみ》を
|言向和《ことむけやは》さむ|伊太彦司《いたひこつかさ》は』
|道晴別《みちはるわけ》『|治国別《はるくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》に|従《したが》ひて
|帰《かへ》りて|見《み》れば|道晴別《みちはるわけ》となりぬ』
|今子姫《いまこひめ》『|国照姫《くにてるひめ》、かからせ|玉《たま》ふ|五十子姫《いそこひめ》
|汝《なれ》は|誠《まこと》の|神《かみ》にいませし。
|美《うる》はしき|尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》に
|仕《つか》へ|奉《まつ》りしわれぞ|嬉《うれ》しき』
|珍彦《うづひこ》『|皇神《すめかみ》の|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》|側《そば》|近《ちか》く
|仕《つか》ふる|吾《わ》れを|守《まも》らせ|玉《たま》へ』
|静子《しづこ》『|背《せ》の|君《きみ》は|宮《みや》の|司《つかさ》となりましぬ
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|国照姫《くにてるひめ》の|神《かみ》』
|楓《かへで》『|父《ちち》は|今《いま》、|神《かみ》の|司《つかさ》となりましぬ
|母《はは》と|吾等《われら》を|守《まも》らせ|玉《たま》へ。
|国照姫《くにてるひめ》|神《かみ》の|命《みこと》の|御教《みをしへ》を
|固《かた》く|守《まも》りて|仕《つか》へまつらむ』
|国照姫《くにてるひめ》『いざさらば、|神《かみ》の|宮居《みやゐ》も|恙《つつが》なく
|成《な》りたる|上《うへ》は|天《あめ》に|帰《かへ》らむ』
と|歌《うた》ひ|玉《たま》ひ、|神上《かむあ》がり|玉《たま》へば、|五十子姫《いそこひめ》は|元《もと》の|肉体《にくたい》に|復《かへ》りける。
|五十子姫《いそこひめ》『いざさらば|吾《わが》|背《せ》の|君《きみ》よ|恙《つつが》なく
|神《かみ》の|仰《あふ》せをとげさせ|玉《たま》へ。
|五十子姫《いそこひめ》イソの|館《やかた》にあるとても
|霊《みたま》は|清《きよ》き|君《きみ》が|御側《みそば》に』
|玉国別《たまくにわけ》『|玉国別《たまくにわけ》|神《かみ》の|命《みこと》の|真心《まごころ》を
|力《ちから》となして|神《かみ》に|仕《つか》へよ』
かく|互《たがひ》に|歌《うた》をよみかはし|乍《なが》ら、|大神《おほかみ》の|御前《みまへ》に|恭《うやうや》しく|拝礼《はいれい》し、|前途《ぜんと》の|光明《くわうみやう》を|祈《いの》り|乍《なが》ら|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》、|楓《かへで》|其《その》|外《ほか》バラモン|組《ぐみ》の|六人《ろくにん》の|役員《やくゐん》や|熱心《ねつしん》な|信者《しんじや》に|後事《こうじ》を|托《たく》し、|玉国別《たまくにわけ》は|道晴別《みちはるわけ》、|真純彦《ますみひこ》、|伊太彦《いたひこ》、|道彦《みちひこ》と|共《とも》に|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|潔《いさぎよ》く|河鹿峠《かじかたうげ》を、|初春《はつはる》の|日《ひ》の|光《ひかり》を|浴《あ》びて|下《くだ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 松村真澄録)
第二篇 |立春薫香《りつしゆんくんかう》
第六章 |梅《うめ》の|初花《はつはな》〔一二八〇〕
|初稚姫《はつわかひめ》はハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだかま》る|大黒主《おほくろぬし》の|身魂《みたま》を|救《すく》ひ、|天下《てんか》の|害《がい》を|除《のぞ》かむため|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|供《とも》をもつれず|只《ただ》|一人《ひとり》|征途《せいと》に|上《のぼ》らむとし、|百日有余《ひやくにちいうよ》を|杢助《もくすけ》の|宅《たく》に|奥《おく》|深《ふか》く|潜《ひそ》みて|神《かみ》の|教《をしへ》をよく|調《しら》べ|聖言《せいげん》を|耽読《たんどく》し|愈《いよいよ》|父《ちち》に|別《わか》れを|告《つ》げ|征途《せいと》に|上《のぼ》るべくイソの|館《やかた》の|八島主《やしまぬし》に|暇乞《いとまご》ひのため|面会《めんくわい》を|乞《こ》ふた。|此《この》|初稚姫《はつわかひめ》は|照国別《てるくにわけ》、|玉国別《たまくにわけ》、|治国別《はるくにわけ》|及《およ》び|黄金姫《わうごんひめ》、|清照姫《きよてるひめ》|等《など》と|同時《どうじ》に|出征《しゆつせい》の|途《と》に|上《のぼ》る|筈《はず》であつたが、|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》の|命令《めいれい》|黙《もだ》し|難《がた》く、ここに|一百有余日《いつぴやくいうよにち》|自宅《じたく》に|於《おい》て|修業《しうげふ》を|命《めい》ぜらるる|事《こと》となつたのである。
|初稚姫《はつわかひめ》は、イソの|館《やかた》の|奥《おく》の|神殿《しんでん》に|進《すす》み、|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》の|大前《おほまへ》に|伺候《しこう》し、|八島主神《やしまぬしのかみ》に|挨拶《あいさつ》すべく|訪問《はうもん》した。|八島主《やしまぬし》は|喜《よろこ》んで|出《い》で|迎《むか》へ|初稚姫《はつわかひめ》を|居間《ゐま》に|招《せう》じて|悪魔《あくま》|征討《せいたう》に|対《たい》し|初稚姫《はつわかひめ》が|採《と》らむとする|其《その》|大略《たいりやく》を|聞《き》きとり|莞爾《くわんじ》として|打喜《うちよろこ》び|且《か》つ|云《い》ふやう、
|八島《やしま》『|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》、|貴女《あなた》は|愈《いよいよ》|数千里《すうせんり》を|隔《へだ》てたるハルナの|都《みやこ》にお|出《いで》|遊《あそ》ばすに|就《つ》いては、|最早《もはや》|年頃《としごろ》、|独身者《どくしんもの》では|何《なに》かの|都合《つがふ》が|悪《わる》いでせう。どうか|今《いま》の|間《うち》に|夫《をつと》たるべき|人《ひと》をきめておかなくては、|途中《とちう》に|困《こま》る|事《こと》が|出来《でき》るでせう』
|初稚《はつわか》『|妾《わらは》は|年《とし》が|若《わか》う|厶《ござ》りますれば|夫《をつと》なぞは|持《も》つ|気《き》はありませぬ、|又《また》|理想《りさう》の|夫《をつと》が|見当《みあた》りませぬから』
|八島《やしま》『|人間《にんげん》が|地上《ちじやう》の|世界《せかい》にある|間《うち》は|如何《どう》しても|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》は|出来《でき》ませぬ。|又《また》|理想《りさう》の|夫《をつと》を|得《え》|様《やう》|等《など》と|何程《なにほど》|思《おも》つても、さううまく|貴女《あなた》の|気《き》に|入《い》りさうな|事《こと》はありませぬ。|夫《をつと》たり|妻《つま》たるものは|各《かく》|其《その》|欠点《けつてん》を|辛抱《しんばう》し|合《あ》ふてここに|初《はじ》めて|円満《ゑんまん》な|家庭《かてい》を|作《つく》り、|大神《おほかみ》の|神業《しんげふ》に|参加《さんか》し|得《う》るのです。|理想《りさう》の|夫《をつと》を|求《もと》めむとし|又《また》|理想《りさう》の|妻《つま》を|得《え》むとする|欲望《よくばう》は|到底《たうてい》|現界《げんかい》では|望《のぞ》み|得《え》られませぬ。|何事《なにごと》も|神様《かみさま》の|命《めい》に|従《したが》つて|夫婦《ふうふ》|睦《むつま》じく|暮《くら》すより|道《みち》はありませぬ。|理想《りさう》の|夫《をつと》|又《また》は|妻《つま》|等《など》は|到底《たうてい》|天国《てんごく》でなければ|自然界《しぜんかい》に|左右《さいう》せらるる|肉体人《にくたいじん》は|到底《たうてい》|駄目《だめ》です。|然《しか》し|乍《なが》ら、|三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》がスツパリと|天下《てんか》に|行《ゆ》き|渡《わた》り|人間《にんげん》の|心《こころ》が|理想的《りさうてき》に|改良《かいりやう》さるる|様《やう》になつた|暁《あかつき》は|地上《ちじやう》にも|亦《また》|天国《てんごく》の|型《かた》が|其《その》|儘《まま》に|映《うつ》り|人間《にんげん》は|理想《りさう》の|婚姻《こんいん》をする|事《こと》が|出来《でき》るでせう』
|初稚《はつわか》『|然《しから》ば|妾《わらは》は|地上《ちじやう》にミロクの|世《よ》が|来《く》る|迄《まで》|待《ま》つ|事《こと》に|致《いた》しませう。|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》と|天人《てんにん》との|間《あひだ》に|於《お》ける|神聖《しんせい》なる|婚姻《こんいん》の|状態《じやうたい》は|如何《いかが》なもので|厶《ござ》りませうか』
|八島《やしま》『ここ|五年《ごねん》や|十年《じふねん》に|到底《たうてい》|理想《りさう》の|世界《せかい》の|出現《しゆつげん》は|難《むつ》かしいでせう。|八岐大蛇《やまたをろち》の|亡《ほろ》ぶ|迄《まで》は|到底《たうてい》|地上《ちじやう》に|天国《てんごく》は|完全《くわんぜん》に|来《き》ませぬ。|高天原《たかあまはら》の|婚姻《こんいん》に|就《つい》て|一言《ひとこと》お|話《はな》しすれば、|天人《てんにん》と|天女《てんによ》との|婚姻《こんいん》あるは|猶《なほ》|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|男女《だんぢよ》|両性《りやうせい》の|婚姻《こんいん》が|行《おこな》はれてゐるやうなものであります。そして|高天原《たかあまはら》に|於《お》けると|地上《ちじやう》の|世界《せかい》に|於《お》けるとはその|婚姻《こんいん》に|相違《さうゐ》の|点《てん》もあり|一致《いつち》の|点《てん》もあります。そもそも、
一、|高天原《たかあまはら》の|婚姻《こんいん》なるものは|智性《ちせい》と|意志《いし》との|二《ふた》つのものを|和合《わがふ》して|一心《いつしん》となすの|謂《いひ》であり、|智性《ちせい》と|意志《いし》の|二《ふた》つのものが|合一《がふいつ》して、|動作《どうさ》するものを|一心《いつしん》といひます。|夫《をつと》は|智性《ちせい》|妻《つま》は|意志《いし》と|呼《よ》ばるる|部分《ぶぶん》を|代表《だいへう》するものであります。
一、|此《この》|和合《わがふ》は|元《もと》より|内分的《ないぶんてき》に|起《おこ》るものであつて、|之《これ》が|霊身《れいしん》に|属《ぞく》する|時《とき》、|之《これ》を|知覚《ちかく》し|感覚《かんかく》して|愛《あい》なるものを|生《しやう》ずる。この|愛《あい》を|婚姻《こんいん》の|愛《あい》といふのであります。|智性《ちせい》と|意志《いし》|両者《りやうしや》の|和合《わがふ》して|一心《いつしん》となる|所《ところ》に|婚姻《こんいん》の|愛《あい》なるものが|発生《はつせい》するのである。|故《ゆゑ》に|天人《てんにん》は|男女《だんぢよ》|一体《いつたい》にして|一双《いつつい》の|夫婦《ふうふ》は|二個《にこ》の|天人《てんにん》でなく|一個《いつこ》の|天人《てんにん》となすのであります』
|初稚《はつわか》『|夫婦《ふうふ》の|間《あひだ》に|以上《いじやう》|御話《おはなし》の|如《ごと》き|親和《しんわ》のあるのは|男子《だんし》|女子《ぢよし》|創造《さうざう》の|真因《しんいん》より|来《き》たるものでせうか』
|八島《やしま》『|男子《だんし》の|生《うま》るるや|自《おのずか》ら|智的《ちてき》であるから|凡《すべ》ての|思索《しさく》は|智性《ちせい》よりするものです。|之《これ》に|反《はん》して|女子《ぢよし》の|生《うま》るるや|自《おのづか》ら|情的《じやうてき》であるから、|其《その》|思索《しさく》も|又《また》|意志《いし》より|来《きた》るものであります。|男女《だんぢよ》の|性行《せいかう》より|見《み》るも|形体《けいたい》より|見《み》るも|明《あきら》かな|事実《じじつ》です。|性情《せいじやう》から|見《み》る|時《とき》は|男子《だんし》の|行動《かうどう》は|凡《すべ》て|理性的《りせいてき》で|女子《ぢよし》は|情動的《じやうどうてき》であります。その|形態《けいたい》の|上《うへ》から|見《み》ても|男子《だんし》の|面《かほ》は|女子《ぢよし》の|如《ごと》く|優美《いうび》で|柔軟《じうなん》でない。|男子《だんし》は|身体《しんたい》|剛健《がうけん》なれども|女子《ぢよし》は|柔嫩《じうどん》なものであります。|故《ゆゑ》に|男女間《だんぢよかん》に|於《お》ける|智性《ちせい》と|意志《いし》や|情動《じやうだう》と|想念《さうねん》との|間《あひだ》にも|亦《また》これに|似《に》たる|区別《くべつ》があります。|真《しん》と|善《ぜん》、|信《しん》と|愛《あい》との|間《あひだ》にも|区別《くべつ》がある。|如何《いかん》とならば|信《しん》と|真《しん》とは|智性《ちせい》に|属《ぞく》し、|善《ぜん》と|愛《あい》とは|意志《いし》に|属《ぞく》するからであります』
|初稚《はつわか》『|天国《てんごく》に|於《おい》て|青年《せいねん》、|成人《せいじん》、|処女《しよぢよ》、|婦人《ふじん》の|区別《くべつ》がありますか』
|八島《やしま》『|霊的《れいてき》|意義《いぎ》より|言《い》ふ|時《とき》は、|真《しん》を|全得《ぜんとく》すべき|智《ち》を|表《あら》はして|青年《せいねん》|成人《せいじん》となし、|善《ぜん》に|対《たい》する|情動《じやうだう》を|表《あら》はして|処女《しよぢよ》、|婦人《ふじん》といふのである。|又《また》この|善《ぜん》と|真《しん》とに|対《たい》する|情動《じやうどう》より|見《み》て|聖場《せいぢやう》、|又《また》は|教場《けうぢやう》を|婦人《ふじん》と|呼《よ》んだり、|処女《しよぢよ》と|呼《よ》び、|変性女子《へんじやうによし》の|身魂《みたま》と|呼《よ》ぶこともあるのです』
|初稚《はつわか》『|男子《だんし》は|智性《ちせい》のみ|活動《くわつどう》し、|女子《ぢよし》は|意志《いし》のみ|活動《くわつどう》するものとの|御説《おせつ》は、|妾《わらは》には|少《すこ》しも|合点《がてん》が|行《ゆ》きませぬ。|女子《ぢよし》だつて|智性《ちせい》をも|有《も》つてゐる|様《やう》に|思《おも》はれますが……』
|八島《やしま》『|男女《だんぢよ》の|区別《くべつ》なく|智性《ちせい》も|意志《いし》も|保有《ほいう》してゐるのです。|唯々《ただただ》|男子《だんし》は|智性《ちせい》を|主《しゆ》とし|女子《ぢよし》は|意志《いし》を|主《しゆ》とするのみです。|人《ひと》の|性格《せいかく》を|定《さだ》むるは、|其《その》|主《しゆ》とする|所《ところ》|如何《いかん》に|由《よ》らなければ|成《な》らない。|併《しか》し|高天原《たかあまはら》に|於《お》ける|婚姻《こんいん》には|偏重《へんちよう》する|所《ところ》がない。|即《すなは》ち|妻《つま》の|意志《いし》は|夫《をつと》の|意志《いし》であり、|夫《をつと》の|智性《ちせい》は|妻《つま》の|智性《ちせい》である。|男女《だんぢよ》|互《たがひ》に|他《た》の|思《おも》ふ|所《ところ》を|思《おも》ひ、|志《こころざ》す|所《ところ》を|志《こころざ》すが|故《ゆゑ》に、|両者《りやうしや》の|想念《さうねん》と|意志《いし》とは|互《たがひ》に|感応《かんおう》し|相和合《あひわがふ》して|一体《いつたい》となるのです。この|和合《わがふ》は|実際上《じつさいじやう》の|和合《わがふ》だから|夫《をつと》の|智性《ちせい》は|妻《つま》の|意志《いし》に|入《い》り、|妻《つま》の|意志《いし》は|夫《をつと》の|智性《ちせい》に|入《い》るものです。そしてこの|和合《わがふ》は|殊《こと》に|相互間《さうごかん》に|於《おい》てその|面《おもて》を|見《み》る|時《とき》に|於《おい》て|生《しやう》ずるものである。|高天原《たかあまはら》には、|想念《さうねん》と|情動《じやうどう》の|交通《かうつう》あるが|上《うへ》に|殊《こと》に|夫婦《ふうふ》の|間《あひだ》には|相愛《さうあい》|深《ふか》き|故《ゆゑ》、この|交通《かうつう》は|更《さら》に|濃厚《のうこう》|密接《みつせつ》の|度《ど》が|強《つよ》いからであります。|是《これ》を|見《み》ても|高天原《たかあまはら》の|天人《てんにん》|等《たち》の|婚姻《こんいん》|状態《じやうたい》は|如何《いか》にして|成立《せいりつ》するか。この|愛《あい》を|喚起《くわんき》する|所《ところ》の|男女両心《だんぢよりやうしん》の|和合《わがふ》とは|如何《いか》なるものかが|明《あきら》かになつたでありませう。|天国《てんごく》のこの|愛《あい》なるものは|相互《さうご》に|自己《じこ》の|有《いう》する|一切《いつさい》を|挙《あ》げて|他《た》に|与《あた》へむと|願《ねが》ふ|心《こころ》なることは|明《あきら》かであります』
|初稚《はつわか》『|男子《だんし》の|智性《ちせい》と|女子《ぢよし》の|意志《いし》との|和合《わがふ》して|一心一体《いつしんいつたい》となり、|天国《てんごく》の|婚姻《こんいん》が|神聖《しんせい》に|行《おこな》はれる|状態《じやうたい》は|明瞭《めいれう》に|覚《さと》る|事《こと》を|得《え》ました。|併《しか》し|智性《ちせい》は|何物《なにもの》を|摂受《せつじゆ》し、|意志《いし》は|何《なに》ものを|天国《てんごく》に|於《おい》て|摂受《せつじゆ》し|得《う》るものなるか|今《いま》|一度《いちど》|御明示《ごめいじ》を|願《ねが》ひます』
|八島《やしま》『|神聖《しんせい》なる|婚姻《こんいん》をなせる|男女《だんぢよ》の|間《あひだ》に|此《かく》の|如《ごと》き|和合《わがふ》|一致《いつち》のある|限《かぎ》り|彼等《かれら》|天人《てんにん》|男女《だんぢよ》は|婚姻《こんいん》の|愛《あい》に|居《を》り|又《また》|之《これ》と|同時《どうじ》に|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》と|幸福《かうふく》と|歓喜《くわんき》とに|居《を》るものであります。|一切《いつさい》の|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》と|幸福《かうふく》と|歓喜《くわんき》の|来《きた》るべき|源泉《げんせん》なる|神善《しんぜん》の|神真《しんしん》とは|主《しゆ》として|婚姻《こんいん》の|愛《あい》の|中《なか》に|流入《りうにふ》するものなるが|故《ゆゑ》であります。|故《ゆゑ》に|婚姻《こんいん》の|愛《あい》なるものは|神格《しんかく》が|流入《りうにふ》する|所《ところ》の|平面《へいめん》そのものである。|蓋《けだ》し|同時《どうじ》に|真《しん》と|善《ぜん》との|婚姻《こんいん》だからであります。|真《しん》と|善《ぜん》との|和合《わがふ》は|智性《ちせい》と|意志《いし》との|和合《わがふ》の|如《ごと》くであつて、|智《ち》は|神真《しんしん》を|摂受《せつじゆ》し、これに|由《よ》つて|其《その》|智性《ちせい》を|成就《じやうじゆ》し、|意《い》は|神善《しんぜん》を|摂受《せつじゆ》し|之《これ》に|由《よ》つて|其《その》|意性《いせい》を|成就《じやうじゆ》するのであります』
|初稚《はつわか》『|智性《ちせい》と|意志《いし》との|和合《わがふ》と、|真《しん》と|善《ぜん》との|和合《わがふ》に|如何《いか》なる|区別《くべつ》がありますか』
|八島《やしま》『|畢竟同一《ひつきやうどういつ》であります。|真《しん》と|善《ぜん》との|和合《わがふ》は|天人《てんにん》を|成就《じやうじゆ》し、|又《また》|智慧《ちゑ》と|証覚《しようかく》と|幸福《かうふく》と|歓喜《くわんき》とを|成就《じやうじゆ》するものです。|如何《いかん》となれば|天人《てんにん》の|天人《てんにん》たるは|如何《いか》なる|程度《ていど》まで|彼《かれ》の|善《ぜん》は|真《しん》と|和合《わがふ》し、|彼《かれ》の|真《しん》は|善《ぜん》と|和合《わがふ》したかに|在《あ》るのです。|要《えう》するに|彼《かれ》の|愛《あい》は|信《しん》と|和合《わがふ》し|彼《かれ》の|信《しん》は|愛《あい》と|和合《わがふ》した|程度《ていど》の|如何《いかん》に|由《よ》つて|婚姻《こんいん》の|行《おこな》はるるものであります』
|初稚《はつわか》『|善《ぜん》と|真《しん》との|和合《わがふ》の|原因《げんいん》は|何《いづ》れより|来《き》たるものですか』
|八島《やしま》『|太元神《おほもとがみ》が|高天原《たかあまはら》|及《およ》び|地《ち》の|世界《せかい》にある|万物《ばんぶつ》に|対《たい》して|有《いう》し|給《たま》へる|神愛《しんあい》より|発《はつ》するのです。この|神愛《しんあい》より|神善《しんぜん》を|出《いだ》し、そして|此《この》|神善《しんぜん》は|天人《てんにん》と|神的諸真《しんてきしよしん》に|居《を》る|人々《ひとびと》とが|享《う》くるものである。|善《ぜん》を|享《う》くる|唯一無二《ゆゐいつむに》の|器《うつは》は、|真《しん》より|外《ほか》に|無《な》いのだから、|真《しん》に|居《を》らないものは|何事《なにごと》も|太元神《おほもとがみ》|及《およ》び|高天原《たかあまはら》より|享《う》くることは|出来《でき》ないのです。|故《ゆゑ》に|人間《にんげん》にある|所《ところ》の|諸々《もろもろ》の|真《しん》にして|善《ぜん》と|和合《わがふ》した|限《かぎ》り、|太元神《おほもとがみ》|及《およ》び|天界《てんかい》と|和合《わがふ》するのです。|婚姻《こんいん》の|愛《あい》の|原頭《げんとう》なるものは|茲《ここ》にあります。|故《ゆゑ》にこの|愛《あい》なるものは|神格《しんかく》の|流《なが》るる|平面《へいめん》そのものです。|又《また》|高天原《たかあまはら》に|於《おい》て|善《ぜん》と|真《しん》との|和合《わがふ》せし|状態《じやうたい》を、|天的婚姻《てんてきこんいん》と|云《い》ふのであります』
|初稚《はつわか》『|高天原《たかあまはら》の|夫婦《ふうふ》は|二個一体《にこいつたい》|即《すなは》ち|一天人《いちてんにん》の|形式《けいしき》の|様《やう》に|承《うけたま》はりましたが、|尚《なほ》|今《いま》|一度《いちど》|詳細《しやうさい》な|説明《せつめい》を|願《ねが》ひます』
|八島《やしま》『|天人《てんにん》または|地上《ちじやう》の|人間《にんげん》の|中《うち》に|和合《わがふ》した|善《ぜん》と|真《しん》とは|一《いち》にして|二《に》にあらず。|何故《なにゆゑ》なれば|善《ぜん》は|真《しん》よりし|真《しん》は|善《ぜん》よりするからである。この|和合《わがふ》は|人《ひと》その|志《こころざ》す|所《ところ》を|思《おも》ひ、その|思《おも》ふ|所《ところ》を|志《こころざ》す|時《とき》に|成《な》り|立《た》つ|所《ところ》の|和合《わがふ》の|如《ごと》くにして、この|時《とき》|彼《かれ》の|想念《さうねん》と|意志《いし》とは|一《いち》となつて|即《すなは》ち|一心《いつしん》を|成《な》すに|至《いた》る。|何《な》んとなれば|想念《さうねん》は|意志《いし》の|欲《ほつ》する|所《ところ》に|従《したが》つて|象《かたち》づくり|之《これ》を|形式《けいしき》の|上《うへ》に|現《あら》はし、|而《しか》して|意志《いし》は|之《これ》に|歓喜《くわんき》の|情《じやう》を|附与《ふよ》するからであります。|高天原《たかあまはら》に|於《おい》て|男女《だんぢよ》|両者《りやうしや》の|婚姻《こんいん》せるを|一個《いつこ》の|天人《てんにん》と|呼《よ》びなし、|両個《りやうこ》の|天人《てんにん》とせないのは|之《これ》が|為《ため》であります』
|初稚《はつわか》『|元始《はじめ》に|人《ひと》を|造《つく》り|給《たま》ひしものは|之《これ》を|男女《だんぢよ》に|造《つく》れり。|此《これ》|故《ゆゑ》に|人《ひと》|父母《ふぼ》を|離《はな》れて|其《その》|妻《つま》に|合《あ》ふ。|二人《ふたり》のもの|一体《いつたい》となるなり。されば|二《ふた》つにはあらず|一体《いつたい》なり。|神《かみ》の|合《あは》せ|給《たま》へるものは|人《ひと》|之《これ》を|離《はな》すべからず。|此《この》|言《げん》は|人《ひと》|皆《みな》|受《う》け|納《い》るること|能《あた》はず、|唯《ただ》|賦《さづ》けられたるもののみ|之《これ》を|為《な》し|得《う》べし……と|聖言《せいげん》に|記《しる》されたるは|天人《てんにん》の|居《を》る|天界《てんかい》の|婚姻《こんいん》ですか』
|八島《やしま》『|天界《てんかい》に|於《お》ける|天人《てんにん》の|婚姻《こんいん》であつて|是《こ》れ|善《ぜん》と|真《しん》との|婚姻《こんいん》、|神《かみ》の|結《むす》び|給《たま》ふた|婚姻《こんいん》は|人《ひと》が|離《はな》すことは|出来《でき》ない。|要《えう》するに|善《ぜん》を|真《しん》から|離《はな》すことは|出来《でき》ぬといふ|意義《いぎ》であります。|是《これ》に|由《よ》つて|真《しん》の|婚姻《こんいん》は|何《いづ》れの|処《ところ》から|創《はじ》まるかを|見《み》ることが|出来《でき》るのです。|即《すなは》ち|先《ま》づ|婚姻《こんいん》を|結《むす》ぶものの|心裡《しんり》が|成《な》り|立《た》ち|之《これ》から|伝《つた》はつて|肉体《にくたい》に|下《くだ》り、|此処《ここ》に|知覚《ちかく》ありて|之《これ》を|感《かん》じて|愛《あい》となるのです。|凡《すべ》て|肉体《にくたい》の|感《かん》ずる|所《ところ》、|知覚《ちかく》する|所《ところ》は、|皆《みな》|其《その》|源泉《げんせん》を|人《ひと》の|霊的原力《れいてきげんりよく》に|汲《く》むものなるが|故《ゆゑ》であります』
|初稚《はつわか》『いろいろと|御理解《ごりかい》を|仰《あふ》ぎまして|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|然《しか》し|乍《なが》ら、それを|承《うけたま》はらば|尚々《なほなほ》|私《わたし》は|地上《ちじやう》に|於《おい》て|婚姻《こんいん》をする|事《こと》が|気《き》が|向《む》かない|様《やう》です。|併《しか》し|乍《なが》ら|父《ちち》にも|申《まを》して|置《お》きましたものですが、ハルナの|都《みやこ》の|御用《ごよう》が|済《す》んでから|貴方様《あなたさま》|方《がた》の|御世話《おせわ》に|預《あづか》つて、それ|相当《さうたう》の|夫《をつと》と|婚姻《こんいん》する|事《こと》を|誓《ちか》つておきます。|決《けつ》して|妾《わらは》は|独身《どくしん》|主義《しゆぎ》でやり|通《とほ》さうとは|申《まを》しませぬ。|何《なん》と|云《い》つても|年《とし》も|若《わか》く|前途《ぜんと》も|長《なが》いのですから、|独立《どくりつ》|独歩《どくぽ》の|活動《くわつどう》が|致《いた》し|度《た》う|厶《ござ》ります』
|八島《やしま》『さう|仰有《おつしや》れば|強《た》つて|申《まを》しませぬ。|実《じつ》の|所《ところ》|白状《はくじやう》|致《いた》しますが|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》より|貴女《あなた》の|御精神《ごせいしん》を|試《ため》して|見《み》よとの|仰《あふ》せで|厶《ござ》りました|故《ゆゑ》、|斯様《かやう》の|事《こと》を|申上《まをしあ》げました。|其《その》|御決心《ごけつしん》ならばキツとハルナの|都《みやこ》の|邪神《じやしん》を|言向和《ことむけやは》す|事《こと》が|出来《でき》るでせう。|夫《をつと》がお|在《あ》りになるとすれば|実際《じつさい》の|活動《くわつどう》は|出来《でき》ませぬからな。|八人乙女《やたりをとめ》の|方々《かたがた》でも|夫《をつと》を|持《も》たれた|方《かた》は|家庭《かてい》の|主婦《しゆふ》として|自由自在《じいうじざい》の|活動《くわつどう》が|出来《でき》ない|様《やう》なものです。まだ|独身《どくしん》でゐらつしやる|英子姫《ひでこひめ》|様《さま》|悦子姫《よしこひめ》|様《さま》|等《など》はあの|通《とほ》りの|大活動《だいくわつどう》を|試《こころ》みられて|居《を》られますからな。それもやはり|独身《ひとりみ》のお|蔭《かげ》ですよ。|時《とき》に|初稚姫《はつわかひめ》さま、|杢助《もくすけ》さまは|貴女《あなた》の|出立《しゆつたつ》を|何故《なぜ》お|送《おく》りにならないのですか』
|初稚《はつわか》『|父《ちち》は|左様《さやう》な|女々《めめ》しいものでは|御座《ござ》りませぬ。|妾《わらは》が「|父上《ちちうへ》さま、|之《これ》より|御用《ごよう》のため|遥々《はるばる》ハルナの|都《みやこ》へ|参《まゐ》りますから|何卒《なにとぞ》|御壮健《ごさうけん》で」と|申《まを》しましたら|父《ちち》は|直《ただ》ちに|声《こゑ》を|荒《あら》らげ「|決《けつ》して|杢助《もくすけ》の|事《こと》は|気《き》にかけちやならない。お|前《まへ》はお|前《まへ》の|御用《ごよう》があるのだ」と|云《い》つたきり|門口《もんぐち》へ|見送《みおく》りもして|呉《く》れませなんだのです。|実《じつ》に|親《おや》の|愛《あい》と|云《い》ふものは|深《ふか》いもので|厶《ござ》ります。|妾《わらは》も|父《ちち》の|雄々《をを》しき|心根《こころね》に|対《たい》しても|飽迄《あくまで》|大神様《おほかみさま》のため、|世人《よびと》のために、|活動《くわつどう》を|致《いた》さねばなりませぬ』
|八島《やしま》『|成程《なるほど》、|此《この》|親《おや》にして|此《この》|子《こ》あり、イヤもう|感《かん》じ|入《い》りました。|素盞嗚大神《すさのをのおほかみ》|様《さま》が|貴女《あなた》|親子《おやこ》の|御精神《ごせいしん》をお|聞《き》きになりましたら|嘸《さぞ》|御満足《ごまんぞく》に|思召《おぼしめ》すで|御座《ござ》りませう。|何卒《なにとぞ》|仕合《しあは》せよく|征途《せいと》にお|上《のぼ》り|下《くだ》さいませ』
|初稚姫《はつわかひめ》『|惟神《かむながら》|神《かみ》の|恵《めぐ》みに|助《たす》けられ
ハルナの|都《みやこ》に|進《すす》む|嬉《うれ》しさ。
|八島主《やしまぬし》|神《かみ》の|命《みこと》よ|吾《わが》|父《ちち》を
|守《まも》らせ|玉《たま》へ|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに』
|八島主《やしまぬし》『|親《おや》|思《おも》ひ|子《こ》|思《おも》ふ|心《こころ》ぞ|世《よ》にも|尊《たふと》けれ
|神《かみ》に|任《まか》せし|心《こころ》ぞ|尚《なほ》も|尊《たふと》き。
|初稚姫《はつわかひめ》イソの|館《やかた》を|出《い》でませば
|神《かみ》は|汝《なれ》をば|守《まも》りますらむ』
|初稚姫《はつわかひめ》『|八十曲津《やそまがつ》|如何《いか》に|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふとも
|誠《まこと》の|剣《つるぎ》に|斬《き》り|屠《ほふ》らなむ。
|大神《おほかみ》の|依《よ》さし|玉《たま》ひし|言霊《ことたま》を
|力《ちから》と|頼《たの》み|行《ゆ》くぞ|嬉《うれ》しき』
|八島主《やしまぬし》『いざさらば|之《これ》にてお|別《わか》れ|申《まを》すべし
|初稚《はつわか》……………|八島主《やしまぬし》|君《きみ》|安《やす》くましませ』
と|歌《うた》ひ|終《をは》り|此処《ここ》に|両神人《りやうしんじん》は|袂《たもと》を|分《わか》つ|事《こと》となりぬ。|初稚姫《はつわかひめ》は|春《はる》とは|云《い》へどまだ|寒《さむ》き|風《かぜ》に|衣《ころも》の|袖《そで》を|煽《あふ》られ|乍《なが》ら、ウブスナ|山《やま》の|咲《さ》き|初《そ》めし|梅《うめ》の|花《はな》の|薫《かを》りに|名残《なごり》を|惜《お》しみつつ、|此《この》|聖場《せいぢやう》を|只《ただ》|一人《ひとり》|草鞋脚絆《わらぢきやはん》に|身《み》を|固《かた》め|扮装《みなり》も|軽《かる》き|蓑笠《みのかさ》、|金剛杖《こんがうづゑ》を|突《つ》き|乍《なが》ら|踏《ふ》みもならはぬ|長途《ちやうと》の|旅《たび》に|上《のぼ》るべく|勇《いさ》み|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 北村隆光録)
第七章 |剛胆娘《がうたんむすめ》〔一二八一〕
|初稚姫《はつわかひめ》『|此《この》|世《よ》の|中《なか》に|人《ひと》となり |神《かみ》の|恵《めぐみ》に|救《すく》はれて
|父《ちち》の|命《みこと》と|諸共《もろとも》に |産土山《うぶすなやま》の|聖場《せいぢやう》に
|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|仕《つか》へたる |吾《わが》|身《み》の|上《うへ》こそ|嬉《うれ》しけれ
|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》は |高天原《たかあまはら》に|登《のぼ》りまし
|姉大神《あねおほかみ》に|疑《うたが》はれ |高天原《たかあまはら》の|安河《やすかは》で
|誓約《うけひ》の|業《わざ》をなしたまひ |清明無垢《せいめいむく》の|瑞御霊《みづみたま》
|現《あら》はれ|給《たま》ひし|尊《たふと》さよ さはさりながら|八十猛《やそたける》
|神《かみ》の|命《みこと》は|猛《たけ》り|立《た》ち |吾《わが》|大神《おほかみ》の|御心《みこころ》は
かくも|尊《たふと》き|瑞御霊《みづみたま》 しかるを|何故《なにゆゑ》|大神《おほかみ》は
|汚《きたな》き|心《こころ》ありますと |宣《の》らせたまひし|怪《あや》しさよ
|事理《ことわけ》|聞《き》かむと|伊猛《いたけ》りて |遂《つひ》には|畔放《あはな》ち|溝埋《みぞう》め|頻蒔《しきまき》や
|串《くし》さしなどの|曲業《まがわざ》を |始《はじ》めたまひし|悲《かな》しさよ
|我《わが》|素盞嗚《すさのを》の|大神《おほかみ》は |百千万《ももちよろづ》の|神人《しんじん》の
|深《ふか》き|罪《つみ》をば|身一《みひと》つに |負《お》はせたまひて|畏《かしこ》くも
|高天原《たかあまはら》を|下《くだ》りまし |島《しま》の|八十島《やそしま》|八十《やそ》の|国《くに》
|雪《ゆき》に|埋《うづ》もれ|雨《あめ》にぬれ はげしき|風《かぜ》に|曝《さら》されて
|世人《よびと》のために|御心《みこころ》を |尽《つく》させたまひ|産土《うぶすな》の
|伊曾《いそ》の|館《やかた》にしのばせて |茲《ここ》に|天国《てんごく》|建設《けんせつ》し
|千座《ちくら》の|置戸《おきど》を|負《お》はせつつ |五六七《みろく》の|御代《みよ》を|来《きた》さむと
いそしみ|玉《たま》ふ|有難《ありがた》さ |妾《わらは》も|尊《たふと》き|御神《おんかみ》の
|御許《みもと》に|近《ちか》く|仕《つか》へつつ |天国《てんごく》|浄土《じやうど》の|真諦《しんたい》を
|悟《さと》り|得《え》たりし|嬉《うれ》しさよ |父《ちち》の|命《みこと》に|暇乞《いとまご》ひ
|踏《ふ》みも|習《なら》はぬ|旅《たび》の|空《そら》 |出《い》で|往《ゆ》く|身《み》こそ|楽《たの》しけれ
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも |誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の
|愛《あい》と|信《しん》との|御教《みをしへ》は |幾万劫《いくまんごふ》の|末《すゑ》までも
|天地《てんち》と|共《とも》に|変《かは》るまじ かくも|尊《たふと》き|御教《みをしへ》に
|吾《わが》|精霊《せいれい》を|充《みた》しつつ |尊《たふと》き|神《かみ》の|御使《みつかひ》と
|茲《ここ》に|旅装《りよさう》を|調《ととの》へて ハルナを|指《さ》して|出《い》でて|往《ゆ》く
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神《かみ》の|恵《めぐみ》の|深《ふか》くして
|往《ゆ》く|手《て》にさやる|曲《まが》もなく |身《み》も|健《すこやか》に|此《この》|使命《しめい》
|果《はた》させたまへ|大御神《おほみかみ》 |石《いし》の|枕《まくら》に|雲《くも》の|夜着《よぎ》
|野山《のやま》の|露《つゆ》に|身《み》を|伏《ふ》せて |仮令《たとへ》|幾夜《いくよ》を|明《あか》すとも
|神《かみ》の|御守《みまも》り|有《あ》る|上《うへ》は |何《なに》か|恐《おそ》れむ|宣伝使《せんでんし》
かよわき|女《をんな》の|身《み》ながらも |絶対無限《ぜつたいむげん》の|神力《しんりき》を
|保《たも》たせ|給《たま》ふ|大神《おほかみ》の |吾《われ》は|尊《たふと》き|御使《おんつかひ》
|必《かなら》ず|神《かみ》の|御名《おんな》をば |汚《よご》さず|穢《けが》さず|道《みち》のため
|世人《よびと》のためにあくまでも |神《かみ》の|御旨《みむね》を|発揚《はつやう》し
|八岐大蛇《やまたをろち》も|醜神《しこがみ》も |剰《あま》さず|残《のこ》さず|神《かみ》の|道《みち》
|救《すく》はにややまぬ|吾《わが》|覚悟《かくご》 |立《た》てさせたまへ|惟神《かむながら》
|神《かみ》の|御前《みまへ》に|赤心《まごころ》を |捧《ささ》げて|祈《いの》り|奉《たてまつ》る
|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あ》れまして |善神邪神《ぜんしんじやしん》を|立《た》てわける
|五六七《みろく》の|御代《みよ》も|近《ちか》づきて |常世《とこよ》の|春《はる》の|花《はな》|開《ひら》き
|小鳥《ことり》も|歌《うた》ふ|神《かみ》の|園《その》 |此《この》|世《よ》は|曲《まが》の|住家《すみか》ぞと
|世人《よびと》は|云《い》へど|吾《わが》|身《み》には |皆《みな》|天国《てんごく》の|影像《えいざう》ぞ
あゝ|勇《いさ》ましや|勇《いさ》ましや |悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く
|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》ぞ|楽《たの》しけれ』
と|声《こゑ》|淑《しと》やかに|歌《うた》ひつつ、|産土山《うぶすなやま》を|下《くだ》り、|荒野ケ原《あらのがはら》を|渡《わた》り、|漸《やうや》く|黄昏時《たそがれどき》|深谷川《ふかたにがは》の|丸木橋《まるきばし》の|辺《ほとり》についた。|此《この》|谷川《たにがは》は|川底《かはぞこ》|迄《まで》|殆《ほとん》ど|百間《ひやくけん》|許《ばか》りもある、|高《たか》き|丸木橋《まるきばし》である。|総《すべ》ての|宣伝使《せんでんし》は|皆《みな》この|一本橋《いつぽんばし》を|渡《わた》らねばならない。|併《しか》し|一本橋《いつぽんばし》とは|云《い》へ、|谷川《たにがは》の|辺《ほとり》の|大木《たいぼく》を|切《き》り|倒《たふ》し、|向岸《むかふぎし》へ|渡《わた》せし|自然橋《しぜんばし》なれば、|比較的《ひかくてき》|丈夫《ぢやうぶ》にして|騎馬《きば》のまま|通過《つうくわ》し|得《う》る|巨木《きよぼく》の|一本橋《いつぽんばし》であつた。|初稚姫《はつわかひめ》はこの|丸木橋《まるきばし》の|中央《ちうあう》に|立《た》ち、|目《め》も|届《とど》かぬ|許《ばか》りの|眼下《がんか》の|谷水《たにみづ》が|飛沫《ひまつ》をとばして|囂々《がうがう》と|流《なが》れ|往《ゆ》く|其《その》|絶景《ぜつけい》を|打《う》ち|眺《なが》めて|居《ゐ》た。
|初稚姫《はつわかひめ》『|大神《おほかみ》の|恵《めぐみ》は|清《きよ》き|谷水《たにみづ》の
|流《なが》れて|広《ひろ》き|海《うみ》に|入《い》るかな。
|闇《やみ》の|夜《よ》を|明《あか》きに|渡《わた》す|丸木橋《まるきばし》
|妾《わらは》は|今《いま》や|中《なか》に|立《た》ちぬる。
|眺《なが》むれば|底《そこ》ひも|知《し》れぬ|谷川《たにがは》に
|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふ|清《きよ》き|真清水《ましみづ》。
|谷底《たにそこ》を|流《なが》るる|水《みづ》はいと|清《きよ》し
|空《そら》|渡《わた》り|往《ゆ》く|人《ひと》は|如何《いか》にぞ。
|黄昏《たそが》れて|闇《やみ》の|帳《とばり》はおろされぬ
されど|水泡《みなわ》は|白《しろ》く|光《ひか》れる。
|伊曾館《いそやかた》、|咲《さ》き|匂《にほ》ひたる|白梅《しらうめ》に
|暇《いとま》を|告《つ》げて|別《わか》れ|来《き》しかな。
|月《つき》もなく|星《ほし》さへ|雲《くも》に|包《つつ》まれて
|暗《くら》さは|暗《くら》し|夜《よ》の|一人旅《ひとりたび》。
かくばかり|淋《さび》しき|野路《のぢ》を|渡《わた》り|来《き》て
|黒白《あやめ》もわかぬ|闇《やみ》に|遇《あ》ふかな。
さりながら|神《かみ》の|光《ひかり》に|照《て》らされし
|吾《わ》が|御霊《みたま》こそは|暗《くら》きを|知《し》らず。
|唯《ただ》|一人《ひとり》|橋《はし》のなかばに|佇《たたず》みて
|思《おも》ひに|悩《なや》む|父《ちち》の|身《み》の|上《うへ》。
いざさらば|此《この》|谷川《たにがは》に|名残《なご》りをば
|惜《おし》みていゆかむ|河鹿峠《かじかたうげ》へ』
かく|歌《うた》ひながら|暗《やみ》の|小路《こうぢ》を|足探《あしさぐ》りしつつ|進《すす》み|往《ゆ》く、|遉《さすが》の|初稚姫《はつわかひめ》も|暗《くら》さと|寒《さむ》さに|襲《おそ》はれ|止《や》むを|得《え》ず|路傍《ろばう》に|蓑《みの》をしき、|一夜《いちや》を|此処《ここ》に|待《ま》ち|明《あか》さむと、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、うとうと|眠《ねむ》る|時《とき》しも|一本橋《いつぽんばし》の|彼方《かなた》より|現《あら》はれ|出《い》でたる|黒《くろ》い|影《かげ》、のそりのそりと|大股《おほまた》に|踏張《ふんば》り|乍《なが》ら、|初稚姫《はつわかひめ》の|傍近《そばちか》く|進《すす》みより、
|甲《かふ》『オイ、|臭《くさ》いぞ|臭《くさ》いぞ』
|乙《おつ》『|何《なに》が|臭《くさ》いのだ。ちつとも|臭《くさ》くは|無《な》いぢやないか。|昨夕《ゆうべ》も|失敗《しつぱい》し、|今晩《こんばん》こそは|人《ひと》の|子《こ》を|見《み》つけて|腹《はら》を|膨《ふく》らさなくちや、|最早《もはや》やり|切《き》れない。|何《なん》とかして|人肉《じんにく》の|温《あたた》かいやつを|食《く》ひたいものだなア』
|甲《かふ》『さうだから|臭《くさ》いと|云《い》つて|居《ゐ》るのだ。|何《なん》でも|此《この》|辺《へん》に|杢助《もくすけ》の|娘《むすめ》、|初稚姫《はつわかひめ》と|云《い》ふ|奴《やつ》が|来《き》た|筈《はず》ぢや。|昼《ひる》は|到底《たうてい》|俺達《おれたち》の|世界《せかい》ぢやないが、|都合《つがふ》のよい|事《こと》には|女《をんな》|一人《ひとり》の|旅《たび》、|肉《にく》はムツチリと|肥《こえ》て|甘《うま》さうだ。|何《なん》とかして|捜索出《たづねだ》して|御馳走《ごちそう》に|預《あづ》かり|度《た》いものだ。……オイますます|臭《にほひ》がして|来《き》たよ。|何《なん》でもこの|辺《へん》の|横《よこ》つちよの|方《はう》に|休息《きうそく》して|居《ゐ》るに|相違《さうゐ》ない。オイ|黒《くろ》、|貴様《きさま》はそつちから|探《さが》して|呉《く》れい。この|赤《あか》サンは|足許《あしもと》から|探《さが》しに|着手《ちやくしゆ》する』
|黒《くろ》『オイ|赤《あか》、|貴様《きさま》は|鬼《おに》の|癖《くせ》に|目《め》が|悪《わる》いのか』
|赤《あか》『|何《なに》、ちつとも|悪《わる》くは|無《な》いが、|此《この》|間《あひだ》から|人間《にんげん》を|食《く》はないので|些《すこ》しうすくなつたのだ。オイ|黒《くろ》、|貴様《きさま》は|見《み》えるかい』
|黒《くろ》『|見《み》えいでかい。イヤ、|其処《そこ》に|金剛杖《こんがうづゑ》や|笠《かさ》が|見《み》えかけたぞ。ヤ|旨《うま》い|旨《うま》い|今晩《こんばん》はエヘヽヽヽ|久《ひさ》し|振《ぶ》りで、どつさりと|御馳走《ごちそう》を|頂《いただ》かうなア』
|初稚姫《はつわかひめ》は|不思議《ふしぎ》の|奴《やつ》が|来《き》たものだと、|息《いき》を|凝《こ》らして|考《かんが》へて|居《ゐ》た。さうして|心《こころ》の|中《うち》に|思《おも》ふやう、
|初稚《はつわか》『|妾《わらは》は|天下《てんか》の|宣伝使《せんでんし》だ、|此《この》|位《くらゐ》な|鬼《おに》が|怖《おそ》ろしくて、|此《この》|先《さき》|数千里《すうせんり》の|旅行《りよかう》が|続《つづ》けられやうか。|一《ひと》つ|腕試《うでだめ》しに|此方《こちら》の|方《はう》から|先《せん》をこして|相手《あひて》になつて|見《み》よう、|否《いや》|威《おど》かしてやらう』
と|胆力《たんりよく》を|据《す》ゑ、
|初稚《はつわか》『こりやこりや そこな|赤《あか》|黒《くろ》とやら|申《まを》す|鬼《おに》|共《ども》、|貴様《きさま》は|最前《さいぜん》から|聞《き》いて|居《を》れば、|大変《たいへん》に|腹《はら》を|減《へら》して|居《ゐ》るさうだなア。|人肉《じんにく》の|温《あたた》かいのが|喰《く》ひたいと|云《い》ふて|居《ゐ》たが、|茲《ここ》で|温《あたた》かい|肉《にく》と|云《い》へば|妾《わらは》|一人《ひとり》しかいない|筈《はず》ぢや。|年《とし》は|二八《にはち》の|若盛《わかざか》り、|肉《にく》もポツテリと|肥《こえ》て|大変《たいへん》|味《あぢ》がよいぞや。|所望《しよまう》とならば|喰《く》はしてやらう。サア|手《て》からなりと、|足《あし》からなりと、|勝手《かつて》に|喰《く》つたがよからう。|妾《わらは》は|天下《てんか》の|万物《ばんぶつ》を|救《すく》ふべき|宣伝使《せんでんし》だ。|吾《われ》の|御霊《みたま》は|神《かみ》の|聖霊《せいれい》に|満《みた》されて|居《ゐ》る。|汝《なんぢ》は|哀《あは》れにも|悪霊《あくれい》に|取《と》りつかれ、|肉体《にくたい》|迄《まで》が|鬼《おに》になつたと|見《み》える。|妾《わらは》は|今日《けふ》は|宣伝使《せんでんし》の|門出《かどで》、|初《はじ》めて|聞《き》いた|其《その》|方《はう》の|悔《くや》み|事《ごと》、|之《これ》を|救《すく》うてやらねば|妾《わらは》の|役《やく》がすまぬ。サア|遠慮《ゑんりよ》はいらぬ、|吾《わが》|肉体《にくたい》を|髪《かみ》の|毛《け》|一条《ひとすぢ》|残《のこ》さず|食《く》ふて|呉《く》れ。|神《かみ》の|神格《しんかく》に|満《み》された|初稚姫《はつわかひめ》の|肉体《にくたい》を|喰《く》はば、|汝《なんぢ》|赤《あか》、|黒《くろ》の|鬼《おに》どもはきつと|神《かみ》の|救《すく》ひに|預《あづ》かり、|清《きよ》き|尊《たふと》き|人間《にんげん》になるであらう。|妾《わらは》は|繊弱《かよわ》き|身《み》なれども、|汝《なんぢ》の|如《ごと》き|荒男《あらをとこ》に|喰《く》はれ、|汝《なんぢ》を|吾《わが》|生宮《いきみや》として|使《つか》ひなば、|初稚姫《はつわかひめ》の|身体《からだ》は|荒男《あらをとこ》|二人《ふたり》となつて|神《かみ》のために|尽《つく》す|非常《ひじやう》の|便宜《べんぎ》がある。サア、|早《はや》く|喰《く》つてもよからうぞ』
|赤《あか》|黒《くろ》|二人《ふたり》は|初稚姫《はつわかひめ》の|此《この》|宣言《せんげん》に|肝《きも》を|潰《つぶ》したか、ビリビリと|慄《ふる》ひ|出《だ》した。
|赤《あか》『オイ、ク、|黒《くろ》、|駄目《だめ》だ|駄目《だめ》だ。サヽ|遉《さすが》は|杢助《もくすけ》さまの|娘《むすめ》だけあつて|偉《えら》い|事《こと》を|云《い》ふぢやないか。|俺《おれ》はもう|嚇《おど》し|文句《もんく》が|何処《どこ》へかすつ|込《こ》んで|仕舞《しま》つた。|貴様《きさま》|何《なん》とか|云《い》つて|呉《く》れないか。|帰宅《いん》で|話《はなし》が|出来《でき》ぬぢやないか』
と|慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひ|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。
|黒《くろ》『オイ|赤《あか》、|彼奴《あいつ》はバヽヽ|化物《ばけもの》だよ。|決《けつ》して|初稚姫《はつわかひめ》さまぢやなからう。あんな|柔《やさ》しい|女《をんな》がどうしてあんな|大胆《だいたん》の|事《こと》が|云《い》へるものか。|彼奴《あいつ》はキツト|化物《ばけもの》に|違《ちが》ひない。グヅグヅして|居《ゐ》ると|反対《あべこべ》に|喰《く》はれて|仕舞《しま》ふぞ。サア、|逃《に》げろ|逃《に》げろ』
|赤《あか》『|俺《おれ》だつて|足《あし》がワナワナして|逃《に》げるにも|逃《に》げられぬぢやないか。ほんとに|貴様《きさま》の|云《い》ふ|通《とほ》り|彼奴《あいつ》は、バヽ|化物《ばけもの》だ。それだから|杢助《もくすけ》さまに|耐《こら》へて|下《くだ》されと|云《い》ふのに、ちつとも|聞《き》いて|下《くだ》さらぬからこんな|目《め》に|遇《あ》ふのだ』
と|二三間《にさんげん》|此方《こなた》の|萱《かや》の|中《なか》に|首《くび》を|突《つ》つ|込《こ》んで|慄《ふる》ひ|慄《ふる》ひ|囁《ささや》いて|居《ゐ》る。|初稚姫《はつわかひめ》は、
|初稚《はつわか》『ホヽヽヽヽ、|何《なん》とまア|腰抜《こしぬ》けの|鬼《おに》だこと、そんな|鬼《おに》【みそ】に|喰《く》つて|貰《もら》ふのは|御免《ごめん》だよ。お|前《まへ》の|身体《からだ》に|入《はい》つて|見《み》た|所《ところ》で、そんな【みそ】|鬼《おに》は|仕様《しやう》がないから|今《いま》の|宣言《せんげん》は|取《と》り|消《け》しますよ。オイ|鬼《おに》|共《ども》|一寸《ちよつと》|茲《ここ》へ|来《き》なさい、|少《すこ》し|神様《かみさま》のお|話《はなし》を|聞《き》かしてあげる。お|前《まへ》も|可愛《かあい》さうに|人間《にんげん》の|身体《からだ》を|持《も》ちながら、|何《なん》と|云《い》ふ|弱《よわ》い|事《こと》だ。|妾《わらは》は|初稚姫《はつわかひめ》に|違《ちが》ひありませぬよ。|決《けつ》して|化物《ばけもの》ぢやありませぬ。|最前《さいぜん》からお|前《まへ》の|囁《ささや》き|声《ごゑ》を|聞《き》いて|居《を》れば、|何《ど》うやら|下僕《しもべ》の|六《ろく》と|八《はち》のやうだが、|夫《それ》に|違《ちが》ひはあるまいがな。|妾《わらは》も|初《はじ》めはほんとの|鬼《おに》かと|思《おも》ふて|身体《からだ》を|喰《く》はしてやらうと|云《い》つたが、|幽《かす》かに|囁《ささや》く|話声《はなしごゑ》を|聞《き》けば|六《ろく》と|八《はち》とに|相違《さうゐ》あるまい。お|父《とう》さまに|頼《たの》まれて|私《わたし》を|試《ため》しに|来《き》たのだらう。サアここに|来《き》なさい、|決《けつ》して|化物《ばけもの》でもありませぬ』
|赤《あか》と|名乗《なの》つて|居《ゐ》た|六《ろく》は|小声《こごゑ》になり、
|六《ろく》『オイ|黒八《くろはち》、どうだらう、|本当《ほんたう》に|姫様《ひめさま》だらうか? どうも|怪《あや》しいぞ。うつかり|傍《そば》へ|往《ゆ》かうものなら、|頭《かしら》から|噛《かぢ》りつかれるかも|知《し》れやしないぞ』
|八《はち》『さうだなア、|赤六《あかろく》の|云《い》ふ|通《とほ》り、どうも|此奴《こいつ》は|怪体《けたい》だぞ。それだから|今晩《こんばん》の|御用《ごよう》は|根《ね》つから|気《き》に|喰《く》はぬと|云《い》つて|居《ゐ》たのだ。あゝ|逃《に》げるにも|逃《に》げられぬ、どうも|仕方《しかた》がない。|鬼《おに》さま、いや|化《ばけ》さまの|所《ところ》へ|行《い》つて|断《ことわ》りを|云《い》はうぢやないか。|喰《く》はれぬ|先《さき》にお|詫《わび》をして|九死《きうし》に|一生《いつしやう》を|得《う》る|方《はう》が|余程《よほど》|賢《かしこ》いやり|方《かた》だ』
|赤《あか》『ウンさうだな、もしもし|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》にお|化《ば》けなされたお|方《かた》、|実《じつ》は|私《わたくし》は|八《はち》、|六《ろく》と|云《い》ふ|伊曾館《いそやかた》の|役員《やくゐん》|杢助《もくすけ》と|云《い》ふ|方《かた》の|下僕《しもべ》です。|実《じつ》は|姫様《ひめさま》のお|身《み》の|上《うへ》を|案《あん》じ、|且《か》つ|試《ため》す|積《つも》りで|主人《しゆじん》の|命令《めいれい》をうけ|此処《ここ》|迄《まで》|来《き》たもので|厶《ござ》います。|決《けつ》して|悪《わる》い|者《もの》ぢやありませぬ。|何《ど》うぞ|命《いのち》|許《ばか》りはお|助《たす》け|下《くだ》さいませ』
|初稚《はつわか》『ホヽヽヽヽ、やつぱり|六《ろく》に|八《はち》であらう。そんな|肝《きも》のチヨロイ|事《こと》で|何《ど》うして|此《この》|初稚姫《はつわかひめ》が|試《ため》されませう。お|父《とう》さまもそんな|腰抜男《こしぬけをとこ》を|沢山《たくさん》の|給料《きふれう》を|出《だ》してお|抱《かか》へ|遊《あそ》ばすかと|思《おも》へばお|気《き》の|毒《どく》だよ。|六《ろく》でもない|八助《はちすけ》だなア』
|六《ろく》『もしお|化様《ばけさま》どうぞ|勘忍《かんにん》なして|下《くだ》さいませ。そしてお|嬢様《ぢやうさま》は|此処《ここ》をお|通《とほ》りになつた|筈《はず》ですがお|前《まへ》さま|喰《く》つたのでせう。|喰《く》はれたお|嬢《ぢやう》さまは|仕方《しかた》がありませぬが、|併《しか》し|吾々《われわれ》|二人《ふたり》の|命《いのち》だけはどうぞお|助《たす》けを|願《ねが》ひます』
|初稚《はつわか》『これ|六《ろく》に|八《はち》、|妾《わらは》は|初稚姫《はつわかひめ》に|間違《まちが》ひないぞや。|些《ちつ》と|確《しつか》りなさらないかい。お|前《まへ》、|睾丸《きんたま》をどうしたのだい』
|八《はち》『オイ|六《ろく》、やつぱり|化州《ばけしう》だ。|彼奴《あいつ》は|睾丸狙《きんたまねら》ひだよ。|俺《おれ》の|睾丸《きんたま》まで|狙《ねら》つてけつかる、|此奴《こいつ》は|堪《たま》らぬぢやないか』
|六《ろく》『|睾丸狙《きんたまねら》ひだつて、|俺《おれ》の|金助《きんすけ》は|余程《よほど》|気《き》が|利《き》いとると|見《み》えて、どこかへ|往《い》つて|仕舞《しま》つた。|貴様《きさま》は|八《はち》と|云《い》つて|八畳敷《はちでふじき》の|大睾丸《おほきんたま》だから|些《ち》つと|困《こま》るだらう』
|八《はち》『イヤ、|俺《おれ》の|睾丸《きんたま》も|何処《どこ》かへ|往《い》つて|仕舞《しま》つたやうだ。|吃驚《びつくり》してどこかへ|落《おと》したのではあるまいかな』
|六《ろく》『ハヽヽヽヽ、|馬鹿《ばか》|云《い》へ、|睾丸《きんたま》を|落《おと》す|奴《やつ》があるか、|大方《おほかた》|転宅《てんたく》したのだらう』
|八《はち》『|何《なん》だか|腹《はら》が|膨《ふく》れたと|思《おも》ふたら|腹中《ふくちう》にグレングレンやつて|居《ゐ》ると|見《み》える。オイ|一《ひと》つこんな|時《とき》には|御主人《ごしゆじん》の|云《い》つて|居《を》られた|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》を|唱《とな》へようでないか。さうすればきつと|曲津神《まがつかみ》が|消《き》えると|云《い》ふ|事《こと》だよ』
|六《ろく》『そりやよい|所《ところ》へ|気《き》がついた。サア|一所《いつしよ》に|惟神《かむながら》だ。カーンナガアラ、タヽマチ、ハヘ、マセ』
|八《はち》『カンナンガラ、タマチハヘマセ。……|何《なん》だか|自分《じぶん》の|声《こゑ》|迄《まで》|怖《おそ》ろしくなつて|来《き》た。アンアンアン』
|初稚《はつわか》『|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|吾《わが》|家《や》の|下僕《しもべ》|六《ろく》、|八《はち》の|二人《ふたり》の|御霊《みたま》に|力《ちから》を|与《あた》へさせたまへ。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|初稚姫《はつわかひめ》はうとうとと|眠《ねむ》りについた。|六《ろく》、|八《はち》の|両人《りやうにん》は|初稚姫《はつわかひめ》の|鼾《いびき》を|聞《き》いて|益々《ますます》|怖《おそ》ろしくなり、|一目《ひとめ》も|眠《ねむ》らず|夜中《よなか》|頃《ごろ》まで|互《たがひ》に|体《からだ》を|抱《いだ》き|合《あ》ひ、|怖《おそ》ろしさに|慄《ふる》へて|居《ゐ》た。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 加藤明子録)
第八章 スマート〔一二八二〕
|夜風《よかぜ》は|寒《さむ》く|吹雪《ふぶき》さへ まじりて|淋《さび》しき|草枕《くさまくら》
|露《つゆ》の|蓐《しとね》をやすやすと |初稚姫《はつわかひめ》は|眠《ねむ》れ|共《ども》
|臆病風《おくびやうかぜ》に|誘《さそ》はれし |六公《ろくこう》|八公《はちこう》|両人《りやうにん》は
|歯《は》の|根《ね》も|合《あ》はずガタガタと |慄《ふる》ひ|戦《をのの》き|抱《いだ》き|合《あ》ひ
|夜《よ》の|明《あ》けゆくを|一時《ひととき》も |早《はや》かれかしと|祈《いの》りつつ
|宙《ちう》に|飛《と》ばした|魂《たましひ》の |据《す》ゑ|所《どころ》なき|憐《あは》れさよ
|暗《やみ》はますます|深《ふか》くして |天津空《あまつそら》には|星《ほし》さへも
|見《み》えぬ|許《ばか》りの|黒雲《くろくも》に |包《つつ》まれ|胸《むね》はドキドキと
|戦《をのの》く|折《をり》しも|時置師《ときおかし》 |神《かみ》の|命《みこと》の|家《いへ》の|紋《もん》
|付《つ》けた|提灯《ちようちん》ブラブラと |一本橋《いつぽんばし》の|向方《むかふ》より
|此方《こなた》に|向《むか》つて|足早《あしばや》に |進《すす》み|来《きた》るを|両人《りやうにん》は
|眺《なが》めてハツと|胸《むね》を|撫《な》で これぞ|全《まつた》く|時置師《ときおかし》
|神《かみ》の|命《みこと》のわれわれを |救《すく》はむ|為《ため》に|遥々《はるばる》と
イソの|館《やかた》を|立出《たちい》でて |来《きた》らせ|玉《たま》ふものならむ
|卑怯未練《ひけふみれん》な|有様《ありさま》を |見《み》せまいものと|両人《りやうにん》は
|俄《にはか》にムツクと|立上《たちあが》り |近寄《ちかよ》る|提灯《ちようちん》|打《うち》ながめ
|貴方《あなた》は|杢助《もくすけ》|御主人《ごしゆじん》か |六公《ろくこう》|八公《はちこう》で|厶《ござ》ります
|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|姫様《ひめさま》の |度胸《どきよう》を|甘《うま》くためさむと
|茲《ここ》まで|進《すす》み|来《き》て|見《み》れば |初稚姫《はつわかひめ》に|似《に》たれ|共《ども》
まだ|十七《じふしち》の|初心娘《うぶむすめ》 |柄《がら》に|合《あ》はないことを|言《い》ふ
|此奴《こいつ》ア、テツキリ|妖怪《えうくわい》|奴《め》 |初稚姫《はつわかひめ》の|御身《おんみ》をば
うまうま|喰《くら》ひ|吾々《われわれ》を |騙《だま》さむ|為《ため》に|姫《ひめ》となり
ここにグウスウ|八兵衛《はちべゑ》と |大胆至極《だいたんしごく》に|寝《ね》てゐます
|何卒々々《なにとぞなにとぞ》|御主人《ごしゆじん》の お|出《い》でありしを|幸《さいはひ》に
|姫《ひめ》の|仇《かたき》を|吾々《われわれ》と |力《ちから》を|併《あは》せ|討《う》つてたべ
|残念《ざんねん》|至極《しごく》で|厶《ござ》います |私《わたし》もすでに|妖怪《えうくわい》の
|餌食《ゑじき》たらむとせし|所《ところ》 ウブスナ|山《やま》の|神徳《しんとく》で
|貴方《あなた》を|茲《ここ》に|遣《つか》はして |一《ひと》つは|姫《ひめ》の|仇《あだ》を|討《う》ち
|一《ひと》つは|家来《けらい》を|助《たす》けむと お|越《こ》しなさつた|有難《ありがた》さ
|早《はや》く|御査《おしら》べ|下《くだ》さんせ それそれそこにあの|通《とほ》り
バツチヨ|笠《かさ》をばひつかぶり グウグウ|鼾《いびき》をかいてゐる
|大胆不敵《だいたんふてき》の|化物《ばけもの》と いふ|声《こゑ》さへも|慄《ふる》ひつつ
|語《かた》れば|杢助《もくすけ》|打笑《うちわら》ひ |卑怯未練《ひけふみれん》な|六《ろく》|八《はち》よ
そも|世《よ》の|中《なか》に|化物《ばけもの》と |誠《まこと》のあるべき|筈《はず》がない
|貴様《きさま》は|余程《よほど》|卑怯者《ひけふもの》 |其《その》|化物《ばけもの》はどこにゐる
|早《はや》く|案内《あんない》|致《いた》せよと |一声《ひとこゑ》|呶鳴《どな》れば|両人《りやうにん》は
ハイハイ|只今《ただいま》それ|其処《そこ》に |鼾《いびき》をかいて|居《を》りまする
|貴方《あなた》は|先《さき》へ|御出張《ごしゆつちやう》 |遊《あそ》ばしませ|腰《こし》の|骨《ほね》
|何《なん》とはなしに|慄《ふる》ひ|出《だ》し |私《わたし》の|命令《めいれい》を|聞《き》きませぬ
|自由《じいう》の|身体《からだ》となつたなら どんなことでも|聞《き》きませう
|斯《か》かる|折《をり》しもムクムクと |笠《かさ》を|被《かぶ》つて|立上《たちあが》る
|片方《かたへ》の|長《なが》き|芒原《すすきばら》 |初稚姫《はつわかひめ》は|優《やさ》しげに
|三人《みたり》の|男《をとこ》に|打向《うちむか》ひ |汝等《なんぢら》|三人《みたり》の|荒男《あらをとこ》
|何用《なによう》あつて|真夜中《まよなか》に |妾《わらは》が|跡《あと》を|慕《した》ひ|来《く》る
|六《ろく》、|八《はち》、|二人《ふたり》は|兎《と》も|角《かく》も |杢助《もくすけ》などと|佯《いつは》つて
ここに|来《きた》れる|可笑《をか》しさよ そも|杢助《もくすけ》はイソ|館《やかた》
|総務《そうむ》の|役《やく》に|仕《つか》へたる |尊《たふと》き|司《つかさ》の|身《み》を|以《もつ》て
|吾《わが》|子《こ》のことが|気《き》にかかり |神務《しんむ》を|忘《わす》れてはるばると
|慕《した》ふて|出《で》て|来《く》る|向《むか》ふ|見《み》ず |左様《さやう》の|訳《わけ》の|分《わか》らない
|妾《わらは》は|親《おや》は|持《も》ちませぬ |正《まさ》しく|悪魔《あくま》の|変化《へんげ》して
|吾等《われら》の|行手《ゆくて》を|妨害《ばうがい》し |神務《しんむ》を|遂行《すゐかう》させまいと
|企《たく》みしものと|覚《おぼ》えたり |早々《さうさう》|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》れよ
|妾《わらは》は|初稚姫神《はつわかひめのかみ》 |汝《なんぢ》に|構《かま》つてゐる|暇《ひま》は
なければ|是《これ》より|出《い》でて|行《ゆ》く |汝等《なんぢら》|三人《さんにん》トツクリと
|善《よ》からぬ|相談《さうだん》するがよい お|先《さき》へ|御免《ごめん》と|云《い》ひながら
|蓑《みの》を|被《かぶ》つて|杖《つゑ》をつき スタスタ|進《すす》み|出《い》でて|行《ゆ》く
|杢助《もくすけ》|後《あと》より|声《こゑ》をかけ オーイオーイと|云《い》ひ|乍《なが》ら
|六《ろく》、|八《はち》、|二人《ふたり》を|従《したが》へて |姫《ひめ》の|後《あと》をば|追《お》ひ|来《きた》る
|初稚姫《はつわかひめ》はトントンと |天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|神歌《しんか》を|歌《うた》ひ|進《すす》み|行《ゆ》く |夜《よ》はホノボノと|明《あ》けそめて
あたりも|明《あか》くなりぬれば |道《みち》の|片方《かたへ》の|岩石《がんせき》に
|腰《こし》うちかけて|息《いき》|休《やす》め |少時《しばし》|思案《しあん》に|暮《く》れにける。
|初稚姫《はつわかひめ》は|河鹿峠《かじかたうげ》の|坂口《さかぐち》の|岩《いは》の|上《うへ》に|腰《こし》うちかけ、
『|昨夜《さくや》|現《あら》はれし|怪物《くわいぶつ》は|合点《がつてん》のゆかぬ|代物《しろもの》だナア。|六《ろく》、|八《はち》|両人《りやうにん》と|言《い》ひ、|父《ちち》の|杢助《もくすけ》と|云《い》ひ、|合点《がつてん》のゆかぬことだなア。|妾《わらは》が|首途《かどで》の|時《とき》、あの|様《やう》に|素気《すげ》なく|云《い》つた|吾《わが》|父《ちち》が、|妾《わらは》を|慕《した》つて|追《お》つかける|位《くらゐ》ならば、モウ|少《すこ》し|優《やさ》しい|言葉《ことば》をかけさうな|筈《はず》。|大神様《おほかみさま》の、|妾《わたし》が|心《こころ》を|試《ため》さむ|為《ため》の|御計《おはか》らひだらうか、|何《なに》につけても|合点《がつてん》のゆかぬことだなア』
と|差俯《さしうつむ》いて|思案《しあん》に|暮《く》れてゐる。そこへ|突然《とつぜん》|現《あら》はれたのは|杢助《もくすけ》、|六《ろく》、|八《はち》の|三人《さんにん》であつた。
|杢助《もくすけ》『オイ|其方《そなた》は|初稚姫《はつわかひめ》だないか、なぜ|父《ちち》があれ|程《ほど》|呼《よ》び|止《と》めるのに|待《ま》つてくれないのだ。|一言《いちごん》お|前《まへ》の|旅立《たびだち》について|言《い》つておきたいことがあつた。それを|忘《わす》れたに|仍《よ》つて、|後《あと》|追《お》つかけ、|言《い》ひきかしに|来《き》たのだ』
|初稚《はつわか》『|妾《わらは》はお|前《まへ》さまの|様《やう》な|卑怯未練《ひけふみれん》な|親《おや》は|持《も》ちませぬ。|能《よ》く|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|貴方《あなた》が|果《はた》して|杢助《もくすけ》とやら|言《い》ふお|方《かた》ならば、なぜイソの|館《やかた》に|専心《せんしん》お|仕《つか》へなされませぬか。|何事《なにごと》も|一身一家《いつしんいつか》を|捧《ささ》げて|神《かみ》に|仕《つか》へるとお|誓《ちか》ひなさつた|杢助《もくすけ》ぢやありませぬか。ヤツパリ|貴方《あなた》も|年《とし》が|老《よ》つたとみえて|耄碌《まうろく》しましたねえ。|妾《わらは》はイソの|館《やかた》の|大神様《おほかみさま》より|直接《ちよくせつ》|使命《しめい》を|受《う》けた、|年《とし》は|若《わか》うても、|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》で|厶《ござ》います。|最早《もはや》|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》つた|上《うへ》は、|立派《りつぱ》に|使命《しめい》を|果《はた》す|迄《まで》、|杢助《もくすけ》さま|何《なん》かに|用《よう》は|厶《ござ》いませぬ。|早《はや》く|御帰《おかへ》りなさいませ。|併《しか》しお|前《まへ》は|本当《ほんたう》の|杢助《もくすけ》さまぢやありますまい。|其《その》|耳《みみ》は|何《なん》ですか、|獣《けもの》の|様《やう》にペラペラと|動《うご》いているぢやありませぬか。|初稚姫《はつわかひめ》がハルナの|都《みやこ》に|参《まゐ》ると|聞《き》き、|手《て》をまはして|出発《しゆつぱつ》の|間際《まぎわ》に|妾《わらは》を|邪道《じやだう》に|引入《ひきい》れ、|目的《もくてき》の|妨《さまた》げを|致《いた》さうとするのだらう。いかなる|魔術《まじゆつ》も|初稚姫《はつわかひめ》に|対《たい》しては|一切《いつさい》|駄目《だめ》ですよ。ホヽヽヽヽ、マアマア|能《よ》くも|巧《たくみ》に|化《ば》けましたねえ』
|杢助《もくすけ》『|其方《そなた》は|父《ちち》に|向《むか》つて|何《なん》といふ|無礼《ぶれい》なことを|言《い》ふのだ。これ|見《み》よ、|何程《なにほど》|耳《みみ》が|動《うご》いても、これは|風《かぜ》が|吹《ふ》いてゐるからだ。|風《かぜ》が|吹《ふ》けば|耳《みみ》|許《ばか》りか、|木《こ》の|葉《は》でさへも、|大木《たいぼく》でも|動《うご》くだないか、|流石《さすが》は|子供《こども》だなア。|親《おや》の|心《こころ》は|子《こ》|知《し》らずとはお|前《まへ》のことだ。|此《この》|杢助《もくすけ》は|何程《なにほど》|冷淡《れいたん》に|見《み》せて|居《を》つても、|心《こころ》の|中《うち》には|愛《あい》の|熱涙《ねつるゐ》が|沸《わ》き|立《た》つてゐるのだ。|左様《さやう》なことをいはずに|人間《にんげん》は|老少不定《らうせうふぢやう》だ。|不惜身命的《ふじやくしんめいてき》|神業《しんげふ》に|参加《さんか》するお|前《まへ》、これが|別《わか》れにならうも|知《し》れぬと|思《おも》ひ、|態々《わざわざ》ここ|迄《まで》、|夜《よ》の|目《め》も|寝《ね》ずに、|御用《ごよう》の|隙《すき》を|考《かんが》へて|追《お》つかけて|来《き》たのだ。|親《おや》の|心《こころ》もチツとは|推量《すゐりやう》してくれ、|初稚姫《はつわかひめ》|殿《どの》』
|初稚《はつわか》『ホツホヽヽヽ、うまい|事《こと》お|化《ば》けなさいますなア。|妾《わらは》は|二人《ふたり》の|父《ちち》は|持《も》ちませぬ、いい|加減《かげん》にお|帰《かへ》りなさい。|何《なん》と|云《い》つても|駄目《だめ》ですよ』
|六《ろく》『もし|姫様《ひめさま》、|此《この》|杢助様《もくすけさま》はさうすると|本真物《ほんまもの》ぢや|厶《ござ》いませぬか』
|初稚《はつわか》『|本真物《ほんまもの》か|贋物《にせもの》か、|頭《あたま》の|上《うへ》から|足《あし》の|爪先《つまさき》|迄《まで》、|能《よ》く|見《み》て|御覧《ごらん》』
|八《はち》『オイ|六《ろく》、|姫様《ひめさま》の|仰有《おつしや》る|通《とほ》り、|様子《やうす》が|変《へん》だぞ。|御主人《ごしゆじん》に|本当《ほんたう》に|能《よ》く|似《に》てゐるが、|何《なん》となしに|腑《ふ》におちぬ|所《ところ》があるぢやないか』
|六《ろく》『コヽコラ、モヽ|杢助《もくすけ》のバヽ|化物《ばけもの》、ドヽ|何《ど》うぢや、|姫様《ひめさま》の|眼力《がんりき》には|往生《わうじやう》|致《いた》したか』
|杢助《もくすけ》『コラ|六《ろく》、|主人《しゆじん》に|向《むか》つて|不都合千万《ふつがふせんばん》な、|化物扱《ばけものあつか》ひに|致《いた》すことがあるか、|八《はち》、|貴様《きさま》も|六《ろく》と|同《おな》じやうな|奴《やつ》だ。|今日《けふ》|限《かぎ》り|暇《ひま》を|遣《つか》はすから、モウ、イソ|館《やかた》へ|帰《かへ》るには|及《およ》ばぬツ』
|六《ろく》『|貴様《きさま》の|様《やう》な|化物《ばけもの》の|乾児《こぶん》になつてたまるかい。のう|八公《はちこう》、さうではないか』
|八《はち》『さう|共《とも》さう|共《とも》、|本当《ほんたう》の|杢助様《もくすけさま》の|御家来《ごけらい》だ。こんな|耳《みみ》の|動《うご》く|奴《やつ》の|家来《けらい》になつてたまるかい。コラ|化州《ばけしう》、|何時《なんどき》だと|考《かんが》へてる、モウ|夜明《よあ》けだないか。|可《い》いかげんスツ|込《こ》まぬかい』
|杢助《もくすけ》『アツハヽヽヽ|六《ろく》、|八《はち》の|両人《りやうにん》、|若《もし》も|此《この》|方《はう》が|本当《ほんたう》の|杢助《もくすけ》であつたら|何《なん》と|致《いた》す』
|六《ろく》『ナアニ、|本当《ほんたう》の|杢助《もくすけ》であつた|所《ところ》が|構《かま》ふものかい。|暇《ひま》を|貰《もら》つたら|姫様《ひめさま》の|後《あと》に|従《つ》いて、|何処《どこ》|迄《まで》でもお|供《とも》するのだ。のう|八公《はちこう》』
|初稚《はつわか》『|六《ろく》、|八《はち》の|両人《りやうにん》、|一時《いつとき》も|早《はや》く|御帰《おかへ》りなさい、|妾《わらは》は|飽迄《あくまで》|一人旅《ひとりたび》でゆかねばならぬ。|今《いま》に|此《この》|化物《ばけもの》の|正体《しやうたい》を|現《あら》はし|往生《わうじやう》さして|見《み》せるから、お|前《まへ》さまは|早《はや》く|御帰《おかへ》りなさい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|天《あま》の|数歌《かずうた》を|唱《とな》へ|上《あ》げた。|杢助《もくすけ》は|忽《たちま》ち、|牛《うし》の|如《ごと》き|怪物《くわいぶつ》となり、
『ウー』
と|唸《うな》りを|立《た》て、|目《め》を|怒《いか》らし、|牙《きば》を|剥《む》き|出《だ》し、|初稚姫《はつわかひめ》を|目《め》がけて|飛《と》びかからむとし、|前足《まへあし》の|爪《つめ》を|逆立《さかだ》て、|大地《だいち》の|土《つち》をかいて、|爪《つめ》を|尖《とが》らしてゐる。|初稚姫《はつわかひめ》は|平然《へいぜん》として|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し|始《はじ》めた。|六《ろく》、|八《はち》の|両人《りやうにん》は|此《この》|姿《すがた》をみて、|顔色《がんしよく》|土《つち》の|如《ごと》くに|変《かは》り、|其《その》|場《ば》に|打倒《うちたふ》れ、チウの|声《こゑ》も|得上《えあ》げず|慄《ふる》ふてゐる。|怪獣《くわいじう》の|顔《かほ》をよくよくみれば、|巨大《きよだい》なる|唐獅子《からしし》である。|唐獅子《からしし》は|初稚姫《はつわかひめ》をグツと|睨《ね》めつけ、|猛然《まうぜん》として|咬《か》みつかむとする|一刹那《いちせつな》、|後《うしろ》の|方《かた》より『ウー』と|又《また》|唸《うな》り|声《ごゑ》、|何者《なにもの》ならむと、|後《あと》ふり|返《かへ》れば、|逞《たくま》しい|大《おほ》きい|山犬《やまいぬ》である。|山犬《やまいぬ》は|大獅子《おほしし》に|向《むか》つて、|疾風《しつぷう》の|如《ごと》く|飛《と》び|付《つ》いた。|獅子《しし》は|一目散《いちもくさん》に|細《ほそ》くなつて、|逃《に》げてゆく、|山犬《やまいぬ》は|獅子《しし》の|跡《あと》を|追跡《つゐせき》する。|初稚姫《はつわかひめ》は|後《あと》|見送《みおく》つて|打笑《うちわら》ひ、
『ホツホヽヽ、|始《はじ》めての|神様《かみさま》の|試《ため》しに|会《あ》うて、お|蔭《かげ》で|及第《きふだい》した|様《やう》だ。ヤア|六《ろく》、|八《はち》、|最早《もはや》|心配《しんぱい》は|要《い》らぬ、|一時《いつとき》も|早《はや》く|吾《わが》|家《や》へ|立帰《たちかへ》り、|父《ちち》の|杢助《もくすけ》に、|初稚姫《はつわかひめ》は|大丈夫《だいぢやうぶ》だから|御安心《ごあんしん》|遊《あそ》ばせと|伝《つた》へてくれ、|左様《さやう》ならば』
といふより|早《はや》く、|足早《あしばや》に|河鹿峠《かじかたうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|六《ろく》、|八《はち》|両人《りやうにん》はヤツと|胸《むね》を|撫《な》でおろし、|神言《かみごと》を|称《とな》へ|乍《なが》ら、|杢助館《もくすけやかた》を|指《さ》して、|又《また》|日《ひ》が|暮《く》れては|一大事《いちだいじ》と|急《いそ》ぎ|帰《かへ》り|行《ゆ》く。|初稚姫《はつわかひめ》は|只《ただ》|一人《ひとり》|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|河鹿峠《かじかたうげ》を|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|以前《いぜん》の|猛犬《まうけん》|慌《あわ》ただしく|駆来《かけきた》り、|初稚姫《はつわかひめ》の|前《まへ》になり、|後《あと》になり|尾《を》を|掉《ふ》つて、|嬉《うれ》しさうにワンワンとなき|乍《なが》ら、|駆《か》けめぐる。|初稚姫《はつわかひめ》は|漸《やうや》く|坂《さか》の|頂上《ちやうじやう》に|達《たつ》し、|四方《よも》の|景色《けしき》を|眺《なが》め|乍《なが》ら、|少時《しばし》|腰《こし》を|卸《おろ》して|休息《きうそく》した。|以前《いぜん》の|猛犬《まうけん》は|初稚姫《はつわかひめ》の|前《まへ》に|蹲《うづく》まり、|耳《みみ》を|垂《た》れ|目《め》を|細《ほそ》くし、|尾《を》を|掉《ふ》つてゐる。
『|其方《そなた》はどこの|山犬《やまいぬ》か|知《し》らぬが、|随分《ずいぶん》|敏活《びんくわつ》な|働《はたら》きをする|者《もの》だ。これから|妾《わらは》の|家来《けらい》として|上《あ》げよう。ハルナの|都《みやこ》まで|従《つ》いて|来《く》るのだよ。|而《さう》してお|前《まへ》には「スマート」といふ|名《な》を|上《あ》げませう』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|猛犬《まうけん》を|抱《かか》へ、|首筋《くびすぢ》を|撫《な》でなどして|労《いた》はつてゐる。スマートは|頻《しき》りに|尾《を》を|掉《ふ》り、ワンワンと|叫《さけ》び|乍《なが》ら、|感謝《かんしや》の|意《い》を|表《へう》してゐる。|初稚姫《はつわかひめ》は|此《この》|犬《いぬ》を|得《え》て|非常《ひじやう》に|心強《こころづよ》くなり、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|河鹿峠《かじかたうげ》の|南坂《みなみざか》を|下《くだ》りつつ|歌《うた》ふ。
『|神《かみ》が|表《おもて》に|現《あら》はれて |善《ぜん》と|悪《あく》とを|立別《たてわ》ける
|悪魔《あくま》の|征途《せいと》に|上《のぼ》り|行《ゆ》く |初稚姫《はつわかひめ》の|魂《たましひ》を
|査《しら》べむ|為《ため》か|父《ちち》となり |或《あるひ》は|巨大《きよだい》な|獅子《しし》となり
|妾《わらは》が|首途《かどで》を|遮《さへぎ》りて |所存《しよぞん》の|程《ほど》を|調《しら》べしか
|但《ただ》しは|誠《まこと》の|曲神《まがかみ》か |心《こころ》に|解《げ》せぬ|事《こと》あれど
|只《ただ》|何事《なにごと》も|一身《いつしん》を |神《かみ》に|任《まか》せし|上《うへ》からは
|仮令《たとへ》|如何《いか》なる|事《こと》あるも |初心《しよしん》を|曲《ま》げずドシドシと
|人《ひと》にたよらず|皇神《すめかみ》の |神言《みこと》のままに|真心《まごころ》を
|尽《つく》して|往《ゆ》かむ|吾《わが》|心《こころ》 |仮令《たとへ》|曲津《まがつ》は|行先《ゆくさき》に
さやりて|仇《あだ》をなすとても |吾《われ》には|神《かみ》の|守《まも》りあり
|今《いま》|又《また》|神《かみ》はスマートを |吾《わが》|行先《ゆくさき》の|供《とも》となし
|与《あた》へ|玉《たま》ひし|尊《たふと》さよ |神《かみ》は|吾等《われら》と|共《とも》にあり
|吾等《われら》は|神《かみ》の|子《こ》|神《かみ》の|宮《みや》 いかでか|恐《おそ》れむ|敷島《しきしま》の
|大和心《やまとごころ》をふり|起《おこ》し ハルナの|都《みやこ》に|蟠《わだか》まる
|八岐大蛇《やまたをろち》を|言向《ことむ》けて |神素盞嗚《かむすさのを》の|大神《おほかみ》の
|誠《まこと》をあらはし|奉《たてまつ》り |五六七《みろく》の|御代《みよ》を|詳細《まつぶさ》に
|普《あまね》く|地上《ちじやう》に|建設《けんせつ》し |三五教《あななひけう》の|神力《しんりき》を
|現《あら》はし|奉《まつ》る|神《かみ》の|道《みち》 |進《すす》みゆくこそ|嬉《うれ》しけれ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸《さちは》ひましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 松村真澄録)
第三篇 |暁山《げうざん》の|妖雲《えううん》
第九章 |善幻非志《ぜんげんびし》〔一二八三〕
|祠《ほこら》の|森《もり》の|神殿《しんでん》は|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》の|夫婦《ふうふ》が|神司《かむつかさ》となり、|朝《あさ》な|夕《ゆふ》なに|奉仕《ほうし》する|事《こと》となつた。|而《しか》して|二日目《ふつかめ》の|夜中《よなか》|頃《ごろ》から|娘《むすめ》の|楓《かへで》に|神懸《かむがかり》が|始《はじ》まり、|数多《あまた》の|信者《しんじや》は|生神《いきがみ》が|現《あら》はれたりと|打喜《うちよろこ》び、|八尋殿《やひろどの》に|集《あつ》まり|来《きた》りて、|神勅《しんちよく》を|請《こ》ふもの|絡繹《らくえき》として|絶間《たえま》なく、|今《いま》|迄《まで》|森閑《しんかん》としてゐた|此《この》|谷間《たにま》は|実《じつ》に|人《ひと》の|山《やま》を|築《きづ》き、|俄《にはか》に|山中《さんちう》の|都会《とくわい》の|如《ごと》くになつて|来《き》た。|楓《かへで》の|神懸《かむがかり》は|余《あま》り|高等《かうとう》なものではなかつた。されど|神理《しんり》に|暗《くら》き|人々《ひとびと》は、|神《かみ》が|憑《うつ》つて|直接《ちよくせつ》に|一切《いつさい》を|教《をし》ふると|聞《き》いて、|救世主《きうせいしゆ》の|出現《しゆつげん》の|如《ごと》くに|尊敬《そんけい》し、|嬉《うれ》し|涙《なみだ》をたらし|乍《なが》ら、|老若男女《らうにやくなんによ》の|嫌《きら》ひなく、ここに|集《あつ》まり|来《きた》り、|楓姫《かへでひめ》の|若《わか》き|娘《むすめ》の|口《くち》よりいろいろの|指図《さしづ》を|受《う》けて、|随喜渇仰《ずゐきかつがう》するのであつた。
バラモン|組《ぐみ》のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルの|六人《ろくにん》は|何事《なにごと》も|此《この》|楓姫《かへでひめ》の|神懸《かむがかり》のまにまに|盲従《まうじゆう》して、|総《すべ》ての|神務《しんむ》に|忠実《ちうじつ》に|奉仕《ほうし》してゐた。ここへ|現《あら》はれて|来《き》たのは、|中婆《ちうば》アさまの|宣伝使《せんでんし》であつた。|彼《か》の|宣伝使《せんでんし》は|態《わざ》と|素人《しろうと》らしく|装《よそほ》ひ、|玄関口《げんくわんぐち》に|立《た》つて、
|婆《ばば》『|一寸《ちよつと》|伺《うかが》ひます、|此《この》|祠《ほこら》の|森《もり》は|三五教《あななひけう》の|御神殿《ごしんでん》と|聞《き》きましたが、|大変《たいへん》に|御神徳《ごしんとく》が|立《た》つて|結構《けつこう》さまで|厶《ござ》います。どうか|私《わたし》も|一《ひと》つ|伺《うかが》つて|頂《いただ》きたいので|厶《ござ》いますが、お|世話《せわ》になれるでせうか』
|受付《うけつけ》に|控《ひか》へてゐたヨルは|気《き》も|軽々《かるがる》しく、
ヨル『ハイ、|何《なん》なとお|伺《うかが》ひなされませ、それはそれは|偉《えら》い|神《かみ》さまですよ。つい|此《この》|間《あひだ》から|神懸《かむがかり》になられまして、いろいろの|御託宣《ごたくせん》を|遊《あそ》ばし、|何《なに》を|伺《うかが》つても|百発百中《ひやくぱつひやくちゆう》、それ|故《ゆゑ》|此《この》|通《とほ》り|大勢《おほぜい》の|参拝者《さんぱいしや》が|朝《あさ》から|晩《ばん》まで|引《ひき》つづき、|此《この》|険阻《けんそ》な|山奥《やまおく》を|物《もの》ともせずに|参《まゐ》られます。|何《なん》と|神力《しんりき》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものでせう。お|前《まへ》さまも|余程《よつぽど》|苦労人《くらうにん》と|見《み》えますが、サアズツと|奥《おく》へ|通《とほ》つて、|大神様《おほかみさま》に|直接《ちよくせつ》|伺《うかが》ひなさいませ』
|婆《ばば》『ハイ|有難《ありがた》う、|而《さう》して|大神様《おほかみさま》とは|何方《どなた》で|厶《ござ》います』
ヨル『ハイ、|楓姫《かへでひめ》|様《さま》に|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》がお|憑《うつ》り|遊《あそ》ばし、それはそれは|偉《えら》い|御神徳《ごしんとく》で|厶《ござ》います』
|婆《ばば》『ナアニ、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》? あ、それは|耳《みみ》よりのお|話《はなし》だ。それぢや|一《ひと》つ|伺《うかが》つて|戴《いただ》きませう』
ヨル『オイ、イク、|奥《おく》の|審神室《さにはしつ》|迄《まで》|案内《あんない》して|下《くだ》さい』
イク『サア、|貴方《あなた》、|大神様《おほかみさま》の|居間《ゐま》|迄《まで》|御案内《ごあんない》|致《いた》しませう』
と|一人《ひとり》の|婆《ばば》を|楓姫《かへでひめ》の|居間《ゐま》に|案内《あんない》した。|楓姫《かへでひめ》は|白衣《びやくい》に|緋《ひ》の|袴《はかま》を|穿《うが》ち、|今《いま》や|神霊降臨《しんれいかうりん》の|真最中《まつさいちう》であつた。|而《さう》して|二三人《にさんにん》の|信徒《しんと》が|神勅《しんちよく》を|乞《こ》ひ、|指図《さしづ》を|受《う》け、|有難《ありがた》がつて|鼻《はな》をすすつてゐる。|各自《めいめい》に|伺《うかが》ひがすみ、|席《せき》を|退《しりぞ》くと、あとにはイクと|婆《ばば》の|二人《ふたり》、|婆《ばば》は|叮嚀《ていねい》に|両手《りやうて》をつき、
|婆《ばば》『|一寸《ちよつと》|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》にお|伺《うかが》ひ|致《いた》しますが、|私《わたし》は|何《なん》と|云《い》ふ|者《もの》か|御存《ごぞん》じで|厶《ござ》いませうなア』
|神主《かむぬし》『|其《その》|方《はう》は|神《かみ》を|試《こころ》むるのか、|無礼千万《ぶれいせんばん》な、|下《さが》りをらう……』
|婆《ばば》『コリヤ|面白《おもしろ》い、|此《この》|婆《ばば》を|何《なん》と|心得《こころえ》て|厶《ござ》る。|大《だい》それた|日出神《ひのでのかみ》などと|申《まを》して、|盲《めくら》|聾《つんぼ》を|詐《いつは》つても、|此《この》|婆《ばば》は|詐《いつは》る|事《こと》は|出来《でき》ませぬぞや』
|神主《かむぬし》『|然《しか》らば|汝《なんぢ》の|疑《うたがひ》を|解《と》く|為《ため》に|言《い》つてやらう。|汝《なんぢ》は|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|生田《いくた》の|森《もり》の|神司《かむつかさ》|高姫《たかひめ》であらうがなア』
|婆《ばば》『|成程《なるほど》、|高姫《たかひめ》に|間違《まちが》ひはない。そんならお|前《まへ》さま、それ|程《ほど》よく|分《わか》るなら、|妾《わし》の|伺《うかが》ふ|事《こと》|一々《いちいち》|答《こた》へて|下《くだ》さるであらうなア』
|神主《かむぬし》『|其《その》|方《はう》はイソ|館《やかた》にまします、|教主代理《けうしゆだいり》|東野別《あづまのわけ》の|後《あと》を|慕《した》ふて|来《き》た、|不心得者《ふこころえもの》であらうがな。|何程《なにほど》|其《その》|方《はう》が|一生懸命《いつしやうけんめい》になつても、|東野別《あづまのわけ》は|見向《みむき》も|致《いた》さぬぞや。|左様《さやう》な|腐《くさ》つた|神柱《かむばしら》ではない|程《ほど》に、チツと|改心《かいしん》を|致《いた》したがよからうぞ』
|高姫《たかひめ》『コレ、|楓姫《かへでひめ》さまお|前《まへ》は、つい|此《この》|間《あひだ》まで|何《なん》にも|知《し》らずに|居《を》つて、|俄《にはか》にそんな|神懸《かむがかり》を|致《いた》しても|駄目《だめ》ですよ。|此《この》|高姫《たかひめ》が|現《あら》はれた|以上《いじやう》は、ドコドコまでも|査《しら》べ|上《あ》げねばおかぬのだ。|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》の|生宮《いきみや》は、ヘン、すまぬが、|此《この》|高姫《たかひめ》で|厶《ござ》んすぞえ。お|前《まへ》なんぞに、|決《けつ》して|日出神《ひのでのかみ》は|憑《うつ》つた|覚《おぼえ》はありませぬ、そんな|山子《やまこ》を|致《いた》すと、|誠《まこと》の|日出神《ひのでのかみ》が|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|面《つら》を|曝《さら》しますぞや。お|前《まへ》は|山口《やまぐち》の|森《もり》の|大蛇《をろち》の|霊《みたま》だらう。|悪神《あくがみ》にのり|憑《うつ》られ、|丑《うし》の|時《とき》|参《まゐ》りなんどして、|人《ひと》を|呪《のろ》ひ|殺《ころ》さうとした|悪霊《あくれい》が、お|前《まへ》の|体《からだ》に|残《のこ》つて|居《を》つて、|日出神《ひのでのかみ》の|名《な》を|使《つか》ひ、|一旗《ひとはた》|上《あ》げようと|致《いた》して|居《ゐ》るのだらう。サア、|何《ど》うだ、|高姫《たかひめ》の|審神者《さには》に|対《たい》し|返答《へんたふ》をなさるか。メツタに|返答《へんたふ》は|出来《でき》よまい』
|楓姫《かへでひめ》は|高姫《たかひめ》に|厳《きび》しく|審神《さには》され、|呶鳴《どな》りつけられたので、まだ|年《とし》もゆかぬ|乙女《をとめ》の|事《こと》とて|吃驚《びつくり》して|了《しま》ひ、|憑霊《ひようれい》は|逸早《いちはや》く|脱出《だつしゆつ》して|了《しま》つた。|楓姫《かへでひめ》は|高姫《たかひめ》の|顔《かほ》を|見《み》て、|打慄《うちふる》ひ、
|楓姫《かへでひめ》『あゝ|恐《こは》い|小母《をば》さま』
と|泣《な》きゐるのであつた。イクは|此《この》|有様《ありさま》を|見《み》て、ズツと|感心《かんしん》して|了《しま》ひ、
イク『コレハ コレハ、|高姫《たかひめ》|様《さま》、|御神徳《ごしんとく》には|感《かん》じ|入《い》りました。|上《うへ》には|上《うへ》のあるもので|厶《ござ》いますな』
と|頻《しき》りに|首《くび》をかたげて|賞讃《しやうさん》してゐる。|高姫《たかひめ》はイソ|館《やかた》に|至《いた》り、|東助《とうすけ》にヤツと|面会《めんくわい》し、|手厳《てきぴ》しく|叱《しか》り|飛《と》ばされ、|馬鹿《ばか》らしくてたまらず、されど|何《なん》とかして、|東助《とうすけ》を|往生《わうじやう》づくめにしてでも、マ|一度《いちど》|旧交《きふかう》を|温《あたた》めねば|承知《しようち》せぬ、それに|就《つ》いては、|東助《とうすけ》が|羽振《はぶり》を|利《き》かしてゐるイソ|館《やかた》を|何《なん》とかして|困《こま》らせ、|自分《じぶん》の|腕前《うでまへ》を|見《み》せて、|東助《とうすけ》に|兜《かぶと》をぬがせ、|吾《わが》|目的《もくてき》を|達《たつ》せねばおかぬと、|折角《せつかく》|改心《かいしん》してゐた、|霊《みたま》の|基礎《どだい》が|又《また》もやグラつき|出《だ》し、|祠《ほこら》の|森《もり》の|神殿《しんでん》に|素人《しろうと》|許《ばか》りが|仕《つか》へてゐると|聞《き》いたを|幸《さいは》ひ、|信者《しんじや》に|化《ば》け|込《こ》み、|一同《いちどう》を|往生《わうじやう》させ、|茲《ここ》に|自分《じぶん》が|一旗《ひとはた》|挙《あ》げむと|企《たく》みつつ、やつて|来《き》たのである。|高姫《たかひめ》は|又《また》もや|日出神《ひのでのかみ》と|自称《じしよう》する|病気《びやうき》が|再発《さいはつ》し、|頻《しき》りに|弁舌《べんぜつ》をふりまはして、|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》|其《その》|外《ほか》|一同《いちどう》を|吾《わが》|掌中《しやうちう》にうまく|丸《まる》めて|了《しま》つた。|而《さう》して|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|脱線《だつせん》だらけの|神憑《かむがかり》を|始《はじ》め、|再《ふたた》び|筆先《ふでさき》をかき|始《はじ》めた。|実《じつ》に|厄介至極《やくかいしごく》の|代物《しろもの》である。
|折角《せつかく》|治《をさ》まつてゐた|自問自答《じもんじたふ》の|神憑《かむがか》りは|再発《さいはつ》して、|頻《しき》りに|首《くび》を|振《ふ》り、|精霊《せいれい》と|談話《だんわ》を|始《はじ》め、それを|金釘流《かなくぎりう》の|文字《もじ》で|荐《しき》りに|書《か》き|始《はじ》めた。すべて|精霊《せいれい》と|人間《にんげん》との|談話《だんわ》は|危険《きけん》|至極《しごく》なれば|神界《しんかい》にては|之《これ》を|許《ゆる》し|玉《たま》はぬ|事《こと》になつてゐる。|併《しか》し|乍《なが》ら|此《この》|高姫《たかひめ》は|一種《いつしゆ》の|神経病者《しんけいびやうしや》であつて、|時々《ときどき》|精霊《せいれい》が|耳元《みみもと》に|囁《ささや》き、|或《あるひ》は|口《くち》をかつて|下《くだ》らぬ|神勅《しんちよく》を|伝《つた》ふる|厄介者《やつかいもの》である。
|凡《すべ》て|人間《にんげん》は|精霊《せいれい》の|容器《いれもの》であつて、|此《この》|精霊《せいれい》は|善悪《ぜんあく》|両方面《りやうはうめん》の|人格《じんかく》を|備《そな》へてゐるものである。|而《しか》して|精霊《せいれい》が|憑《かか》り|切《き》つた|時《とき》は、|其《その》|人間《にんげん》の|肉体《にくたい》を|自己《じこ》の|肉体《にくたい》と|信《しん》じ、|又《また》|其《その》|記憶《きおく》や|想念《さうねん》|言語《げんご》|迄《まで》も、|精霊《せいれい》|自身《じしん》の|物《もの》と|信《しん》じてゐるのである。|併《しか》し|乍《なが》ら|鋭敏《えいびん》なる|精霊《せいれい》は|肉体《にくたい》と|自問自答《じもんじたふ》する|時《とき》に、|精霊《せいれい》|自身《じしん》に|於《おい》て、|自分《じぶん》は|或《ある》|肉体《にくたい》の|中《なか》に|這入《はい》つてゐるものなる|事《こと》を|悟《さと》るのである。|而《しか》して|精霊《せいれい》には|正守護神《せいしゆごじん》と|副守護神《ふくしゆごじん》とがあり、|副守護神《ふくしゆごじん》なる|者《もの》は|人間《にんげん》を|憎悪《ぞうを》する|事《こと》|最《もつと》も|劇甚《げきじん》にして、|其《その》|霊魂《れいこん》と|肉体《にくたい》とを|併《あは》せて|之《これ》を|亡《ほろ》び|尽《つく》さむ|事《こと》を|願《ねが》ふものである。|而《しか》してかかる|事《こと》は|甚《はなはだ》しく|妄想《まうさう》に|耽《ふけ》る|者《もの》の|間《あひだ》に|行《おこな》はるる|所以《ゆゑん》は|其《その》|妄信者《まうしんじや》をして、|自然的《しぜんてき》|人間《にんげん》に、|本来《ほんらい》|所属《しよぞく》せる|歓楽《くわんらく》より|自《みづか》ら|遠《とほ》ざからしめむ|為《ため》である。|此《この》|高姫《たかひめ》は|自《みづか》ら|精霊《せいれい》に|左右《さいう》され、|而《しか》して|精霊《せいれい》を|神徳無辺《しんとくむへん》の|日出神《ひのでのかみ》と|固《かた》く|信《しん》じ、|其《その》|頤使《いし》に|甘《あま》んじ、|其《その》|言《げん》を|一々《いちいち》|信従《しんじゆう》し、|且《かつ》|筆先《ふでさき》を|精霊《せいれい》のなすが|儘《まま》に|書《か》き|表《あら》はすが|故《ゆゑ》に、|精霊《せいれい》は|決《けつ》して|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》を|憎悪《ぞうを》し|又《また》は|滅尽《めつじん》せむとせないのである。|寧《むし》ろ|其《その》|肉体《にくたい》を|使《つか》つて、|精霊《せいれい》の|思惑《おもわく》を|遂行《すゐかう》し、|大神《おほかみ》の|神業《しんげふ》を|妨《さまた》げ、|地獄《ぢごく》の|団体《だんたい》を|益々《ますます》|発達《はつたつ》せしめむと|願《ねが》ふてゐるのである。|併《しか》し|高姫《たかひめ》|自身《じしん》は|吾《わ》れに|憑依《ひようい》せる|精霊《せいれい》を|至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》なる|日出神《ひのでのかみ》と|信《しん》じ|切《き》り、|一廉《いつかど》|大神《おほかみ》の|神業《しんげふ》に|仕《つか》へてゐる|積《つも》りで|居《ゐ》るから|堪《たま》らないのである。|併《しか》し|大神《おほかみ》は|時々《ときどき》|精霊《せいれい》を|人間《にんげん》より|取《と》りはなし|玉《たま》ふ|事《こと》がある。これは|彼《か》れ|精霊《せいれい》をして、|人間《にんげん》と|同伴《どうはん》せるを|知《し》らざらしめむが|為《ため》である。|何《なん》となれば、|精霊《せいれい》なる|者《もの》は、|自己《じこ》|以外《いぐわい》に|世界《せかい》あることを|知《し》らず、|即《すなは》ち|人間《にんげん》なる|者《もの》が、|彼等《かれら》|以外《いぐわい》に|存在《そんざい》する|事《こと》を|知《し》らないのである。|故《ゆゑ》に|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》に|憑《かか》つてゐる|精霊《せいれい》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》と|自《みづか》らも|信《しん》じ、|又《また》|高姫《たかひめ》の|肉体《にくたい》とは|知《し》らず、|尊《たふと》き|或《ある》|種《しゆ》の|神《かみ》と|言葉《ことば》を|交《まじ》へてゐる|様《やう》に|思《おも》つて|居《を》つたのである。|又《また》|肉体《にくたい》に|這入《はい》つてゐる|事《こと》を|漸《やうや》くにして|悟《さと》ると|雖《いへど》も、|高姫《たかひめ》の|方《はう》に|於《おい》て|其《その》|精霊《せいれい》を|悪神《あくがみ》と|知《し》らず、|真正《しんせい》の|日出神《ひのでのかみ》と|尊信《そんしん》してゐる|以上《いじやう》は、|精霊《せいれい》は、|決《けつ》して|高姫《たかひめ》の|霊魂《れいこん》|肉体《にくたい》に|害《がい》を|加《くは》へないのは|前《まへ》に|述《の》べた|通《とほ》りである。すべて|精霊《せいれい》は|霊界《れいかい》の|事《こと》は|自分《じぶん》の|霊相応《みたまさうおう》の|範囲内《はんゐない》に|於《おい》て|見《み》ることを|得《う》れ|共《ども》、|自然界《しぜんかい》は|少《すこ》しも|見《み》ることが|出来《でき》ないのである。|之《こ》れは|現実界《げんじつかい》の|人間《にんげん》が|霊界《れいかい》を|見《み》ることが|出来《でき》ないのと|同様《どうやう》である。
|此《この》|理《り》に|仍《よ》つて|人間《にんげん》が|若《も》し|精霊《せいれい》に|物《もの》を|言《い》ひ|返《かへ》すを|神《かみ》が|許《ゆる》し|玉《たま》ふ|時《とき》は、|精霊《せいれい》は|自己《じこ》|以外《いぐわい》に|人間《にんげん》あるを|知《し》るが|故《ゆゑ》に、|実《じつ》に|危険《きけん》である。|中《なか》には|深《ふか》く|宗教上《しうけうじやう》の|事《こと》を|考《かんが》へ、|専《もつぱ》ら|心《こころ》を|之《こ》れにのみ|注《そそ》ぐ|時《とき》は、|其《その》|心《こころ》の|中《うち》に|自分《じぶん》が|思惟《しゐ》する|所《ところ》を|現実的《げんじつてき》に|見《み》る|事《こと》がある。|斯《かく》の|如《ごと》き|人間《にんげん》は|精霊《せいれい》の|話《はなし》を|聞《き》き|始《はじ》むるものである。
すべて|宗教《しうけう》の|事《こと》は|何《なん》たるを|問《と》はず、|人間《にんげん》の|心《こころ》の|中《うち》より|考《かんが》へて、|世間《せけん》に|於《お》ける|諸々《もろもろ》の|事物《じぶつ》の|用《よう》に|仍《よ》つて、|之《これ》を|修正《しうせい》せざる|時《とき》は、|其《その》|事《こと》|其《その》|人《ひと》の|内分《ないぶん》に|入《い》り|込《こ》んで、|精霊《せいれい》そこに|居《きよ》を|定《さだ》め、|霊魂《れいこん》を|全《まつた》く|占領《せんりやう》し、|斯《か》くして|此処《ここ》に|在住《ざいぢゆう》する|幾多《いくた》の|精霊《せいれい》を|頤使《いし》し、|或《あるひ》は|圧迫《あつぱく》し、|或《あるひ》は|放逐《はうちく》するに|至《いた》るものである。|高姫《たかひめ》の|如《ごと》きは、|実《じつ》に|其《その》|好適例《かうてきれい》である。
|空想《くうさう》に|富《と》み、|熱情《ねつじやう》に|盛《さかん》なる|高姫《たかひめ》は|常《つね》に|其《その》|聞《き》く|所《ところ》の|精霊《せいれい》の|何《なん》たるを|問《と》はず、|悉《ことごと》く|之《これ》を|以《もつ》て|聖《きよ》き|霊《れい》なりと|信《しん》じ、|精霊《せいれい》の|言《い》ふが|儘《まま》に|盲従《まうじゆう》して、ヘグレ|神社《じんしや》だとか、|末代日《まつだいひ》の|王天《わうてん》の|大神《おほかみ》だとか、ユラリ|彦《ひこ》だとか、|旭《あさひ》の|豊栄《とよさか》|昇《のぼ》り|姫《ひめ》だとか、|出鱈目《でたらめ》の|名《な》を|並《なら》べられ、|宇宙《うちう》|唯一《ゆゐいつ》の|尊《たふと》き|神《かみ》を|表《あら》はした|如《ごと》く、|得意《とくい》|満面《まんめん》になつて、|之《これ》を|尊敬《そんけい》し、|礼拝《れいはい》し、|且《かつ》|其《その》|妄言《まうげん》を|信《しん》じて、|普《あまね》く|広《ひろ》く|世《よ》に|伝《つた》へむとしてゐるのである。|斯《かく》の|如《ごと》き|諸精霊《しよせいれい》は|其《その》|実《じつ》、|僅《わづか》に|熱狂《ねつきやう》なる|副守護神《ふくしゆごじん》に|過《す》ぎない|事《こと》を|知《し》らず、|又《また》|斯《かく》の|如《ごと》き|副守《ふくしゆ》は|虚偽《きよぎ》を|以《もつ》て|真理《しんり》と|固《かた》く|信《しん》ずるものである。|故《ゆゑ》に|高姫《たかひめ》も|亦《また》|副守《ふくしゆ》に|幾度《いくど》となく|虚偽《きよぎ》を|教《をし》へられ、|或《あるひ》は|見当外《けんたうはづ》れの|嘘《うそ》|許《ばか》りを|書《か》かされて、|万一《まんいち》|其《その》|筆先《ふでさき》の|相違《さうゐ》した|時《とき》は、|神《かみ》が|気《き》をひいたのだとか、|御都合《ごつがふ》だとか、|自分《じぶん》の|改心《かいしん》が|足《た》らぬ|故《ゆゑ》に|混線《こんせん》したのだとか、いろいろの|理窟《りくつ》をつけて|少《すこ》しも|疑《うたが》はず、|益々《ますます》|有難《ありがた》く|信《しん》じてゐるのである。|悪霊《あくれい》に|魅《み》せられた|人間《にんげん》はこんな|具合《ぐあひ》になるものである。|又《また》|予《かね》て|自分《じぶん》が|教《をし》へ|導《みちび》き、|其《その》|説《せつ》を|流入《りうにふ》する|所《ところ》の|人間《にんげん》を、|言葉《ことば》|巧《たくみ》に|説《と》きすすめ、|益々《ますます》|固《かた》く|信《しん》ぜしめむとするものである。|而《しか》して|遂《つひ》には|精霊《せいれい》が|肉体《にくたい》を|全部《ぜんぶ》|占領《せんりやう》し、|且《か》つ|数多《あまた》の|人《ひと》を|誑惑《きようわく》した|上《うへ》、|遂《つひ》にいろいろと|理窟《りくつ》をつけて、|悪事《あくじ》を|教《をし》へ、|何事《なにごと》も|神《かみ》の|都合《つがふ》だから、|只《ただ》|吾《わが》|言《げん》に|従《したが》へ、いひおきにも|書《か》きおきにもない、|根本《こつぽん》の|根本《こつぽん》の|歴史《れきし》|以前《いぜん》の|事《こと》だから、|智者《ちしや》|学者《がくしや》が|何程《なにほど》きばつても|分《わか》るものでない、|只《ただ》|人間《にんげん》は|誠《まこと》の|神《かみ》の|申《まを》す|事《こと》、|日出神《ひのでのかみ》の|調《しら》べた|事《こと》を|聞《き》くより|誠《まこと》が|分《わか》らぬものだ。|故《ゆゑ》に|此《この》|筆先《ふでさき》をトコトン|信用《しんよう》せよ……と|勧《すす》めるのである。|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》と|称《しよう》してゐる|副守《ふくしゆ》は|普通《ふつう》の|精霊《せいれい》とは|変《かは》つてゐる|点《てん》は、|自分《じぶん》は|八岐大蛇《やまたをろち》の|悪霊《あくれい》であり、|金毛九尾《きんまうきうび》の|悪狐《あくこ》であつた、が|併《しか》し、|五六七《みろく》の|世《よ》が|出《で》て|来《く》るに|付《つ》いて、|何時《いつ》|迄《まで》も|悪《あく》を|立《た》て|通《とほ》す|訳《わけ》には|行《ゆ》かぬから、|心《こころ》の|底《そこ》から|改心《かいしん》をし、|昔《むかし》から|世《よ》を|紊《みだ》して|来《き》た|自分《じぶん》の|悪《あく》を|悔《く》い|改《あらた》め、|而《しか》して|誠《まこと》の|神《かみ》の|片腕《かたうで》となつて|働《はたら》くのであるから、|悪《あく》にも|強《つよ》かつたものは|又《また》|善《ぜん》にも|強《つよ》い、|故《ゆゑ》に|自分《じぶん》の|云《い》ふ|事《こと》は、|一切《いつさい》が|霊的《れいてき》であり|神的《しんてき》であり、|且《かつ》|善《ぜん》の|究極《きうきよく》である……と|信《しん》じてゐるのである。|故《ゆゑ》にかくの|如《ごと》き|精霊《せいれい》は|人間《にんげん》たる|高姫《たかひめ》と|同伴《どうはん》し|往来《わうらい》するも、|其《その》|肉体《にくたい》を|害《がい》する|事《こと》はない。
|高姫《たかひめ》は|其《その》|精霊《せいれい》を|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》|及《および》|悪神《あくがみ》の|改心《かいしん》して|誠《まこと》に|立返《たちかへ》つた|尊《たふと》い|神《かみ》と|信《しん》じて、|之《これ》を|崇拝《すうはい》し、|其《その》|頤使《いし》に|甘《あま》んずるが|故《ゆゑ》に、|精霊《せいれい》も|又《また》|人間《にんげん》の|体《からだ》に|這入《はい》つてゐる|事《こと》を|感知《かんち》し|乍《なが》ら、|却《かへつ》て|之《これ》を|自分《じぶん》の|便宜《べんぎ》となし、|愛《あい》するのである。|斯《かく》の|如《ごと》き|精霊《せいれい》に|迷《まよ》はさるる|者《もの》は、|愚直《ぐちよく》な|者《もの》か|或《あるひ》は|貪慾《どんよく》な|者《もの》か、|精神《せいしん》に|欠陥《けつかん》のある|人間《にんげん》であることを|記憶《きおく》せねばならぬ。
|現今《げんこん》の|大本《おほもと》|内部《ないぶ》にも|高姫《たかひめ》|類似《るゐじ》の|狂態《きやうたい》が|演《えん》ぜられ、|癲狂者《てんきやうしや》や|痴呆者《ちはうしや》や|強慾人間《がうよくにんげん》が|蝟集《ゐしふ》して、|随喜《ずゐき》の|涙《なみだ》をこぼし、|地獄《ぢごく》の|門戸《もんこ》を|開《ひら》かむと|努《つと》めて|居《ゐ》る|者《もの》のあるのは|実《じつ》に|仁慈《じんじ》の|神《かみ》の|目《め》より|見《み》て|忍《しの》び|難《がた》き|所《ところ》である。|併《しか》し|乍《なが》ら、|悪霊《あくれい》に|其《その》|全肉体《ぜんにくたい》と|霊魂《れいこん》を|占有《せんいう》された|者《もの》は、|容易《ようい》に|神《かみ》の|聖言《せいげん》を|受《う》け|入《い》るる|事《こと》の|出来《でき》ないものである。|神《かみ》の|道《みち》を|信仰《しんかう》する|者《もの》は、|此《この》|間《あひだ》の|消息《せうそく》を|充分《じゆうぶん》|翫味《ぐわんみ》して、|邪神《じやしん》に|欺《あざむ》かれざる|様《やう》|注意《ちゆうい》を|望《のぞ》む|次第《しだい》である。|又《また》|悪《あく》の|精霊《せいれい》は|決《けつ》して|悪相《あくさう》を|以《もつ》て|現《あら》はれず、|表面《へうめん》|最《もつと》もらしき|善《ぜん》を|言《い》ひ、|且《かつ》|吾《わが》|膝下《しつか》に|集《あつ》まり|来《きた》る|人間《にんげん》に|対《たい》し、|或《あるひ》は|威《お》どし|或《あるひ》は|賞揚《しやうやう》し、……|汝《なんぢ》は|何々《なになに》の|霊《みたま》の|因縁《いんねん》があるとか、|大先祖《おほせんぞ》が|何《ど》うだとか、|中先祖《ちうせんぞ》が|悪《あく》を|尽《つく》して|来《き》たから、|其《その》|子孫《しそん》たる|汝《なんぢ》が、|祖先《そせん》の|為《ため》に|此《この》|神《かみ》の|命《めい》を|奉《ほう》じ、|充分《じゆうぶん》の|努力《どりよく》をせなくてはならぬ……なぞと|言《い》つて、|誤魔化《ごまくわ》し、|人《ひと》を|邪道《じやだう》に、|知《し》らず|知《し》らずの|間《あひだ》に|導《みちび》かむとするものである。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 松村真澄録)
第一〇章 |添書《てんしよ》〔一二八四〕
|治国別《はるくにわけ》は|浮木《うきき》の|森《もり》のランチ|将軍《しやうぐん》、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》|其《その》|他《た》を|帰順《きじゆん》せしめ|道々《みちみち》|三五《あななひ》の|教理《けうり》を|説《と》き|諭《さと》し|乍《なが》らクルスの|森《もり》|迄《まで》|進《すす》んで|行《い》つた。さうしてお|寅《とら》に|向《むか》ひ、
|治国《はるくに》『お|寅《とら》さま、お|前《まへ》さまはウラナイ|教《けう》の|熱心《ねつしん》な|肝煎《きもいり》であつたが、かうして|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》し|立派《りつぱ》な|信者《しんじや》となられたのは|実《じつ》に|吾々《われわれ》も|大慶《たいけい》です。|併《しか》し|乍《なが》ら、|之《これ》から|一度《いちど》イソの|館《やかた》へ|御参拝《ごさんぱい》になり、|大神様《おほかみさま》の|御許《おゆる》しを|受《う》けて|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》となつてお|尽《つく》しになつては|如何《いかが》です。|平《ひら》の|信者《しんじや》となつて|行《ゆ》くよりも|余程《よほど》|便宜《べんぎ》かも|知《し》れませぬよ』
お|寅《とら》『はい、|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|私《わたし》の|様《やう》な|婆《ばば》でも|宣伝使《せんでんし》にして|頂《いただ》けませうかな』
|治国《はるくに》『|婆《ばば》だつて、|何《なん》だつて|貴方《あなた》の|身魂《みたま》|其《その》|者《もの》は|決《けつ》して|老若《らうにやく》の|区別《くべつ》はありませぬ。|老人《らうじん》は|如何《どう》しても|無垢《むく》な|者《もの》ですから|却《かへつ》て|吾々《われわれ》よりも|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》になれませう。|私《わたし》が|手紙《てがみ》を|書《か》きますから|此《これ》を|以《もつ》て|河鹿峠《かじかたうげ》を|渡《わた》りイソの|館《やかた》に|参拝《さんぱい》し|八島主《やしまぬし》さまに|御面会《ごめんくわい》の|上《うへ》、|百日《ひやくにち》ばかりも|修行《しうぎやう》して|其《その》|上《うへ》|立派《りつぱ》なる|宣伝使《せんでんし》となり|神界《しんかい》のためにお|尽《つく》しなされ。それが|何《なに》よりの|後生《ごしやう》の|為《た》めですよ』
お|寅《とら》『|私《わたくし》の|様《やう》な|悪《あく》たれ|婆《ばば》でも|改心《かいしん》さへすれば|貴方《あなた》の|爪《つめ》の|垢《あか》|位《ぐらゐ》な|働《はたら》きが|出来《でき》ませうかな。それなら|之《これ》から|仰《あふ》せに|従《したが》ひ|一度《いちど》|参拝《さんぱい》をして|参《まゐ》りませう』
|治国《はるくに》『そんなら|今《いま》|手紙《てがみ》を|書《か》いてあげませう。|之《これ》を|以《もつ》ておいでなさいませ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|腰《こし》の|矢立《やたて》をとり|出《いだ》し|一枚《いちまい》の|紙《かみ》にスラスラと|何事《なにごと》か|書《か》き|記《しる》した。|其《その》|文面《ぶんめん》によると、
『|治国別《はるくにわけ》より|八島主命《やしまぬしのみこと》|様《さま》に|御紹介《ごせうかい》|申上《まをしあ》げます。|私《わたし》は|今《いま》や|途中《とちう》に|於《おい》て|種々雑多《しゆじゆざつた》の|神様《かみさま》のお|試《ため》しを|頂《いただ》き|広大無辺《くわうだいむへん》の|御神徳《ごしんとく》を|蒙《かうむ》り、|神恩《しんおん》の|深《ふか》きを|感謝《かんしや》し|乍《なが》ら|漸《やうや》くクルスの|森《もり》|迄《まで》|安着《あんちやく》|致《いた》しました。さうしてバラモン|軍《ぐん》の|先鋒隊《せんぽうたい》、ランチ、|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》は|今《いま》は|全《まつた》く|大神様《おほかみさま》の|御神徳《ごしんとく》によつて|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》|致《いた》しました|故《ゆゑ》、|何卒《どうぞ》|大神様《おほかみさま》へ|御奏上《ごそうじやう》の|程《ほど》|願《ねがひ》|上《あ》げ|奉《たてまつ》ります。|何《いづ》れ|之等《これら》の|人々《ひとびと》はも|少《すこ》し|予備《よび》|教育《けういく》を|施《ほどこ》した|上《うへ》、|手紙《てがみ》を|以《もつ》て|御館《おやかた》へ|参籠《さんろう》|致《いた》させ|修行《しうぎやう》の|結果《けつくわ》|宣伝使《せんでんし》にお|取立《とりた》て|下《くだ》さる|様《やう》|御願《おねが》ひ|致《いた》す|考《かんが》へなれば|万事《ばんじ》よろしく|願《ねが》ひます。|扨《さ》て|此《この》|手紙《てがみ》の|持参者《ぢさんしや》は|小北山《こぎたやま》のウラナイ|教《けう》に|牛耳《ぎうじ》を|執《と》つて|居《ゐ》た、もとは|浮木《うきき》の|村《むら》の|女侠客《をんなけふかく》お|寅《とら》と|云《い》ふ|婦人《ふじん》で|厶《ござ》ります。|治国別《はるくにわけ》が|出征《しゆつせい》の|途中《とちう》|祠《ほこら》の|森《もり》に|於《おい》て|片彦《かたひこ》|将軍《しやうぐん》の|秘書役《ひしよやく》たりし|愚弟《ぐてい》|松彦《まつひこ》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ、|彼《かれ》|松彦《まつひこ》は|直《ただち》に|三五《あななひ》の|道《みち》に|帰順《きじゆん》|致《いた》し|小北山《こぎたやま》のウラナイ|教《けう》の|本山《ほんざん》に|参《まゐ》り|蠑〓別《いもりわけ》、|魔我彦《まがひこ》|及《および》お|寅《とら》を|漸《やうや》くにして|御神徳《ごしんとく》のもとに|帰順《きじゆん》せしめたる|者《もの》で|厶《ござ》ります。|就《つ》いては|此《この》|手紙《てがみ》の|持参人《ぢさんにん》|即《すなは》ちお|寅《とら》さまを|宜《よろ》しく|願《ねが》ひます。|稍《やや》|迷信《めいしん》|深《ふか》く|脱線《だつせん》の|気味《きみ》が|厶《ござ》りますれど|十分《じふぶん》|御教育《ごけういく》|下《くだ》さるれば|相当《さうたう》の|宣伝使《せんでんし》にならうかと|存《ぞん》じます。|左様《さやう》ならば』
と|書《か》き|記《しる》しお|寅《とら》に|渡《わた》した。お|寅《とら》は|得意《とくい》の|色《いろ》を|満面《まんめん》に|泛《うか》べ|肩《かた》を|怒《いか》らし|治国別《はるくにわけ》|及《およ》び|一行《いつかう》に|別《わか》れを|告《つ》げイソの|館《やかた》をさして|只《ただ》|一人《ひとり》|進《すす》み|行《ゆ》く。
|途中《とちう》|小北山《こぎたやま》の|傍《かたはら》を|通《とほ》り|兎《と》も|角《かく》|一度《いちど》|立寄《たちよ》つて|最愛《さいあい》のお|菊《きく》に|巡《めぐ》り|合《あ》ひ|且《かつ》|松姫《まつひめ》、|魔我彦《まがひこ》|其《その》|他《た》に|面会《めんくわい》し|自分《じぶん》の|悟《さと》り|得《え》た|教義《けうぎ》を|云《い》ひ|聞《き》かし、|小北山《こぎたやま》の|聖場《せいぢやう》をして|益々《ますます》|栄《さか》えしめむと、|参拝《さんぱい》の|途中《とちう》|意気《いき》|揚々《やうやう》として|立帰《たちかへ》つた。|小北山《こぎたやま》の|聖場《せいぢやう》は|依然《いぜん》として|信者《しんじや》が|相当《さうたう》に|集《あつ》まつてゐる。|然《しか》し|乍《なが》らお|寅《とら》の|見覚《みおぼ》えのある|顔《かほ》は|余《あま》り|沢山《たくさん》に|見当《みあた》らなかつた。|何故《なぜ》ならば|小北山《こぎたやま》のヘグレ|神社《じんしや》、|其《その》|他《た》の|神々《かみがみ》を|誠《まこと》の|神《かみ》と|信《しん》じてゐたが、サツパリ|名《な》もなき|邪神《じやしん》たりし|事《こと》を|曝露《ばくろ》され、|親族《しんぞく》|朋友《ほういう》|知己《ちき》|等《など》より|嘲笑《てうせう》さるるのが|馬鹿《ばか》らしさに、|前《まへ》の|信者《しんじや》はあまり|寄《よ》り|付《つ》かなかつたからである。さうして|改革《かいかく》|以来《いらい》|何《なん》とはなしに|前《まへ》の|信者《しんじや》は|不平《ふへい》に|充《み》たされたからである。|今《いま》|迄《まで》|尊《たふと》き|神《かみ》の|生宮《いきみや》|又《また》は|霊魂《みたま》の|因縁《いんねん》を|信《しん》じ|得意《とくい》になつて|信仰《しんかう》してゐたのが、|何《なん》でもない|邪神《じやしん》であつた|事《こと》をスツパぬかれ|大難《だいなん》を|小難《せうなん》に|救《すく》はれ|乍《なが》ら|何《なん》とはなしに|心《こころ》|面白《おもしろ》くなくなつた|者《もの》もあるからである。
お|寅《とら》はスツと|受付《うけつけ》に|立寄《たちよ》り|見《み》れば|文助《ぶんすけ》が|依然《いぜん》として|一生懸命《いつしやうけんめい》に|画《ゑ》を|書《か》いてゐる。よくよく|見《み》れば|蕪《かぶら》でもなく|大根《だいこん》でもなく|黒蛇《くろくちなは》でもない。|傍《そば》に|日《ひ》の|出《で》の|守護《しゆご》と|書《か》き|記《しる》し|老松《らうしよう》の|幹《みき》に|紅《べに》の|様《やう》な|太陽《たいやう》が|輝《かがや》いてゐる。かなり|立派《りつぱ》な|画《ゑ》を|描《ゑが》いて|居《ゐ》た。お|寅《とら》は|突然《とつぜん》|声《こゑ》をかけ、
お|寅《とら》『これ|文助《ぶんすけ》さま、|御機嫌《ごきげん》|宜《よろ》しう。|相変《あひかは》らず|立派《りつぱ》な|御掛軸《おかけぢく》が|画《か》けますな。|竜神様《りうじんさま》はモウお|止《よ》しなさつたのですか』
|目《め》のうとい|文助《ぶんすけ》はお|寅《とら》とは|夢《ゆめ》にも|知《し》らず、
|文助《ぶんすけ》『ようお|詣《まゐ》りなさいませ。|誰方《どなた》か|知《し》りませぬが|奥《おく》へ|御通《おとほ》り|下《くだ》さいませ。さうして|今《いま》|迄《まで》は|此《この》|聖地《せいち》もヘグレ|神社《じんしや》や|種物神社《たねものじんしや》、|其《その》|外《ほか》いろいろの|神様《かみさま》が|祀《まつ》つて|厶《ござ》りましたが、|教祖《けうそ》の|蠑〓別《いもりわけ》さまやお|寅《とら》さまが|逐電《ちくでん》されましてから、|三五教《あななひけう》の|大神様《おほかみさま》を|祀《まつ》り|代《か》へました。それで|掛軸《かけぢく》も|亦《また》|画《か》き|替《か》へねばなりませぬので、|大神様《おほかみさま》のお|許《ゆる》しを|得《え》て|此《この》|通《とほ》り、|松《まつ》に|日《ひ》の|出《で》の|御掛軸《おかけぢく》を|認《したた》めております。|貴方《あなた》も|御信仰《ごしんかう》|遊《あそ》ばすなら|上《あ》げますから|表具《へうぐ》をしてお|祀《まつ》りなさい。|日《ひ》の|出《で》の|世《よ》、|松《まつ》の|世《よ》といつて|之《これ》さへ|祀《まつ》つて|居《を》れば|家内安全《かないあんぜん》|商売繁昌《しやうばいはんじやう》、|霊《みたま》になつても|天国《てんごく》へ|行《ゆ》く|旅券《りよけん》になりますよ』
お|寅《とら》『これ|文助《ぶんすけ》さま、シツカリしなさらぬか。|松《まつ》に|日《ひ》の|出《で》は|誠《まこと》に|結構《けつこう》だが、|私《わたし》はお|寅《とら》ですよ』
|文助《ぶんすけ》『|何《なん》だか|聞《き》き|覚《おぼ》えのある|方《かた》だと|思《おも》つてゐました。アヽお|寅《とら》さまですか、それはマア、よう|帰《かへ》つて|下《くだ》さいました、お|菊《きく》さまは|申《まを》すに|及《およ》ばず|皆《みな》さまお|喜《よろこ》びでせう。|私《わたし》も|何《なん》だか|気《き》がいそいそして|来《き》ました。それでは|松姫《まつひめ》さまや|魔我彦《まがひこ》さまに|申上《まをしあ》げませう。|一寸《ちよつと》|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい』
お|寅《とら》『いえいえお|前《まへ》はここに|受付《うけつけ》をしてゐて|下《くだ》さい。|目《め》の|悪《わる》い|人《ひと》に|動《うご》いて|貰《もら》ふよりも|此《この》|達者《たつしや》なお|寅《とら》が|私《わたし》の|居間《ゐま》へ|帰《かへ》りますから……お|菊《きく》もゐるでせう。さうすればお|菊《きく》を|以《もつ》て|松姫《まつひめ》|様《さま》や|魔我彦《まがひこ》に|通知《つうち》をさせますから』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|自分《じぶん》の|居間《ゐま》をさして|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。|後《あと》に|文助《ぶんすけ》は|首《くび》を|頻《しき》りにかたげて|独言《ひとりごと》、
|文助《ぶんすけ》『あゝお|寅《とら》さまも|大変《たいへん》に|人格《じんかく》が|上《あが》つたものだな。|丸《まる》で|別人《べつじん》の|様《やう》だつた。|物《もの》の|云《い》ひ|様《やう》と|云《い》ひ|何《なん》とはなしに|身体《からだ》から|光《ひかり》が|出《で》る|様《やう》だつた。|之《これ》|丈《だけ》|長《なが》らくつき|合《あ》ふて|居《を》つた|私《わし》でさへも|見違《みちが》へる|位《くらゐ》だから、|神徳《しんとく》と|云《い》ふものは|偉《えら》いものだな。どれどれお|寅《とら》さまが|帰《かへ》つて|下《くだ》さつた|此《この》|嬉《うれ》しさを|神様《かみさま》へお|礼《れい》|申《まを》して|来《こ》う』
と|独語《ひとりごち》つつトボトボと|神殿《しんでん》さして|進《すす》み|行《ゆ》く。お|寅《とら》は|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》るに|先立《さきだ》ち|小北山《こぎたやま》のお|宮《みや》を|一々《いちいち》|巡拝《じゆんぱい》し、|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|休息《きうそく》せむとする|処《ところ》へ、|何時《いつ》のまにかお|寅《とら》さまが|帰《かへ》つたと|云《い》ふ|噂《うはさ》が|立《た》つたので|魔我彦《まがひこ》、お|菊《きく》は|慌《あわ》てて|松姫館《まつひめやかた》から|走《はし》り|来《きた》り、
お|菊《きく》『お|母《か》アさま、|貴方《あなた》は|松彦《まつひこ》|様《さま》と|宣伝《せんでん》のためにおいでになつてから、|未《ま》だ|幾何《いくら》も|日《ひ》が|経《た》たないのにお|帰《かへ》りになつたのですか。|又《また》|我《が》でも|出《だ》して|縮尻《しくじ》つたのではありませぬか』
お|寅《とら》『|何《なに》、|縮尻《しくじ》る|処《どころ》か、|結構《けつこう》なお|神徳《かげ》を|頂《いただ》いて|来《き》たのだよ。お|菊《きく》、お|前《まへ》も|其《その》|後《ご》|機嫌《きげん》よう|御用《ごよう》をして|居《ゐ》たのか』
お|菊《きく》『はい、|機嫌《きげん》ようしてゐました。|何卒《どうぞ》|私《わたくし》の|事《こと》は|案《あん》じて|下《くだ》さいますな。さうして|万公《まんこう》さまは|機嫌《きげん》ようしてゐましたかな』
お|寅《とら》『ホヽヽヽヽ、ヤツパリ|万公《まんこう》のことが|気《き》にかかるかな。いや|頼《たの》もしいお|前《まへ》の|心掛《こころがけ》、|私《わたし》もそれ|聞《き》いて|安心《あんしん》を|致《いた》したぞや』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さまの……マア|嫌《いや》な|事《こと》、|直《ぢき》に|妙《めう》な|処《ところ》へ|気《き》を|廻《まは》しなさるのだね』
お|寅《とら》『それだつて、|五三公《いそこう》さまは|如何《どう》だとも、アクさまは|如何《どう》だとも|云《い》はぬぢやないか』
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、よう|帰《かへ》つて|下《くだ》さつた。|其《その》|後《ご》は|此《この》|聖地《せいち》も|極《きは》めて|円満《ゑんまん》に|御神業《ごしんげふ》が|発達《はつたつ》してゐますから、|安心《あんしん》して|下《くだ》さいませ』
お|寅《とら》『|魔我彦《まがひこ》さま、どうか|脱線《だつせん》せぬ|様《やう》に|此《この》|聖場《せいぢやう》を|守《まも》つて|下《くだ》さいや。|私《わたし》は、|松彦《まつひこ》さまの|先生《せんせい》の|治国別《はるくにわけ》と|云《い》ふ|立派《りつぱ》なお|方《かた》から|添《そ》へ|手紙《てがみ》を|頂《いただ》いてイソの|館《やかた》へ|参《まゐ》り、|百日《ひやくにち》の|行《ぎやう》をして|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》となつて|来《く》る|積《つも》りだから|喜《よろこ》んで|下《くだ》さい』
|魔我《まが》『それは|至極《しごく》|結構《けつこう》です。|何卒《どうぞ》、|不調法《ぶてうはふ》のない|様《やう》に|修行《しうぎやう》して|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》となつて|帰《かへ》つて|下《くだ》さい。|私《わたし》もお|許《ゆる》しさへあれば|一度《いちど》|改心《かいしん》の|記念《きねん》に|参拝《さんぱい》したいものですがな』
お|寅《とら》『お|前《まへ》も|松姫《まつひめ》|様《さま》の|御都合《ごつがふ》を|伺《うかが》つてお|暇《ひま》を|頂《いただ》き、|私《わたし》と|一所《いつしよ》に|参拝《さんぱい》したら|如何《どう》だい。|百聞《ひやくぶん》は|一見《いつけん》に|如《し》かずと|云《い》ふから、ヤツパリ|一度《いちど》ウブスナ|山《やま》の|聖地《せいち》を|拝《をが》んで|来《こ》ねば、|満足《まんぞく》の|教《をしへ》も|出来《でき》ず、|御神徳《ごしんとく》も|貰《もら》へませぬぞや』
|魔我《まが》『さう|願《ねが》へば|結構《けつこう》ですがな……』
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|魔我彦《まがひこ》さま、|之《これ》から|私《わたし》が|松姫《まつひめ》|様《さま》に|伺《うかが》つて|来《き》ませう。まアゆつくりと|魔我彦《まがひこ》さまとお|茶《ちや》なと|飲《あが》つて|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい』
と|云《い》ひ|捨《す》て|足早《あしばや》に|細《ほそ》い|二百《にひやく》の|石《いし》の|階段《かいだん》を|上《のぼ》つて|松姫《まつひめ》の|館《やかた》へ|急《いそ》ぎ|行《ゆ》く。|後《あと》に|魔我彦《まがひこ》はお|寅《とら》に|向《むか》ひ、
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、|貴方《あなた》はスツカリ|御人格《ごじんかく》が|変《かは》つた|様《やう》ですな。お|顔《かほ》の|艶《つや》と|云《い》ひ|髪《かみ》の|毛《け》|迄《まで》が|黒《くろ》くなつたぢやありませぬか。|本当《ほんたう》に|声《こゑ》|迄《まで》が|変《かは》つてゐるので|別人《べつじん》の|様《やう》ですわ』
お|寅《とら》『お|蔭様《かげさま》で|神様《かみさま》の|愛《あい》の|熱《ねつ》に|若《わか》やぎました。さうして|信仰《しんかう》の|光《ひかり》に|照《て》らされて|何処《どこ》ともなしに|身体《からだ》から|光《ひかり》が|出《で》る|様《やう》な|気分《きぶん》ですよ、ホヽヽヽヽ、|又《また》|褒《ほ》められて|慢心《まんしん》をすると|谷底《たにそこ》へ|落《お》ちますから、もう|此《これ》|位《くらゐ》でやめておきませう』
|魔我《まが》『|時《とき》にお|寅《とら》さま、|蠑〓別《いもりわけ》さまの|持《も》ち|逃《に》げしたお|金《かね》は|手《て》に|入《い》りましたか』
お|寅《とら》『|魔我彦《まがひこ》さま、お|金《かね》の|事《こと》なんか、まだ|貴方《あなた》は|思《おも》つてゐるのかい。|此《この》お|寅《とら》は|金《かね》なんかは|話《はなし》を|聞《き》いても|気持《きもち》が|悪《わる》うなります。|蠑〓別《いもりわけ》さまも|生来《しやうらい》が|淡白《たんぱく》な|人《ひと》だから、あの|金《かね》をスツカリ|人《ひと》にやつて|了《しま》ひ、|今《いま》では|無一物《むいちぶつ》ですよ。そしてお|民《たみ》と|仲《なか》ようして|居《を》ります』
|魔我《まが》『|何《なに》、お|民《たみ》と|一所《いつしよ》に|居《を》りますか。エーエー』
お|寅《とら》『これ、|魔我彦《まがひこ》さま、エーとは|何《なん》だ。お|前《まへ》はヤツパリお|民《たみ》に|対《たい》し|恋着心《れんちやくしん》が|残《のこ》つてゐるのかな。それでは|改心《かいしん》が|出来《でき》ませぬぞや。|何《なに》がエーだい』
|魔我《まが》『エー|事《こと》をなされましたな、と|云《い》ひかけたのですよ。エー、エーン(|縁《えん》)と|云《い》ふものは|不思議《ふしぎ》なものですな』
お|寅《とら》『エー|加減《かげん》な|事《こと》を|云《い》つて|誤魔化《ごまくわ》さうと|思《おも》つても|駄目《だめ》ですよ。お|民《たみ》も|如何《どう》やら|目《め》が|覚《さ》めて|蠑〓別《いもりわけ》さまと、|今《いま》はホンの|教《をしへ》の|友《とも》として、つき|合《あ》つてる|丈《だ》けのものですよ。お|民《たみ》も|随分《ずいぶん》|改心《かいしん》が|出来《でき》ましたからな。|何《いづ》れお|前《まへ》が|立派《りつぱ》な|神徳《しんとく》を|頂《いただ》いたら|私《わたし》が|媒介《なかうど》をしてお|前《まへ》と|夫婦《ふうふ》にして|上《あ》げたいと|思《おも》ふて|考《かんが》へてゐるのよ』
|魔我《まが》『|本当《ほんたう》に|世話《せわ》をして|下《くだ》さいますか』
お|寅《とら》『|何《なに》、|嘘《うそ》を|云《い》ふものか。|私《わし》はお|民《たみ》と|蠑〓別《いもりわけ》さまの|様子《やうす》を|気《き》をつけて|考《かんが》へてゐたが、どちらにも|未練《みれん》がない|様《やう》だ。|却《かへつ》て|魔我彦《まがひこ》さまの|方《はう》がお|民《たみ》の|気《き》に|入《い》つてる|様《やう》だから、マア|喜《よろこ》びなさい』
|魔我《まが》『エーヘツヘヽヽヽ、|違《ちが》やしませぬかな』
お|寅《とら》『|最前《さいぜん》のエーとは|同《おな》じエーでも|大変《たいへん》に|調子《てうし》が|違《ちがひ》ますな。オホヽヽヽ、|何《なん》と|現銀《げんぎん》な|男《をとこ》だ|事《こと》』
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、お|前《まへ》さまは|蠑〓別《いもりわけ》さまに|対《たい》する|恋着《れんちやく》は、|最早《もはや》、とれたのですか。|何《ど》うも|怪《あや》しいものですな。|貴女《あなた》の|御様子《ごやうす》と|云《い》ひ、|何《なん》だか|嬉《うれ》し|相《さう》に|若々《わかわか》してゐられます。|之《これ》は|何《なに》か|嬉《うれ》しい|事《こと》がなくては|叶《かな》はぬ|事《こと》だ』
お|寅《とら》『これ|魔我《まが》ヤン……』
と|肩《かた》を|平手《ひらて》で|二《ふた》つ|三《み》つ|叩《たた》き、
お|寅《とら》『|馬鹿《ばか》にしておくれな。|此《この》お|寅《とら》はそんな|事《こと》が|嬉《うれ》しいのではありませぬよ。|一旦《いつたん》|誠《まこと》の|道《みち》に|目《め》が|覚《さ》めた|上《うへ》は……|阿呆《あほ》らしい……|恋《こひ》の、|金《かね》のと、よい|年《とし》をして、そんな|馬鹿《ばか》げた|事《こと》が|夢《ゆめ》にも|思《おも》へますか。あまり|人《ひと》を|見下《みさ》げて|下《くだ》さいますな。お|寅《とら》はそんな|柔弱《じうじやく》な|女《をんな》とはチツと|違《ちが》ひますよ。ヘン、|自分《じぶん》の|心《こころ》に|引《ひ》き|比《くら》べて|私《わし》の|心《こころ》を|忖度《そんたく》しようとは、|怪《け》しからぬ|男《をとこ》だな』
|魔我《まが》『こりや|失礼《しつれい》|致《いた》しました。|雀《すずめ》|百《ひやく》|迄《まで》|雄鳥《をんどり》を|忘《わす》れぬと|云《い》ふ|譬《たとへ》もありますから……ツイお|尋《たづ》ねしたのです。|御無礼《ごぶれい》の|段《だん》は|何卒《なにとぞ》、|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》しを|願《ねが》ひます。どうか|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》して|松姫《まつひめ》さまの|許《ゆる》しがあれば|此《この》|魔我彦《まがひこ》を|一度《いちど》ウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》へ|連《つ》れて|行《い》つて|下《くだ》さいませ』
お|寅《とら》『あゝよしよし、|井戸《ゐど》の|底《そこ》の|蛙《かはづ》で|世間見《せけんみ》ずでは|宣伝使《せんでんし》|等《など》は|出来《でき》ないから、|一度《いちど》|見聞《けんぶん》を|広《ひろ》くするために|大神《おほかみ》の|御出現地《ごしゆつげんち》へ|参拝《さんぱい》するのは|結構《けつこう》だ』
かく|話《はな》す|処《ところ》へお|菊《きく》は|松姫《まつひめ》、お|千代《ちよ》と|共《とも》に|帰《かへ》り|来《きた》り、
お|菊《きく》『お|母《かあ》さま、|松姫《まつひめ》|様《さま》がお|越《こ》しで|厶《ござ》りますよ。さア|御挨拶《ごあいさつ》なさいませ』
お|寅《とら》は|後《あと》ふり|返《かへ》り|松姫《まつひめ》の|姿《すがた》を|見《み》て、さも|嬉《うれ》しげに|打笑《うちゑ》み|乍《なが》ら|言葉《ことば》|穏《おだや》かに|両手《りやうて》をつき、
お|寅《とら》『これはこれは|松姫《まつひめ》|様《さま》、|日々《にちにち》|御神務《ごしんむ》|御苦労様《ごくらうさま》で|厶《ござ》ります。お|菊《きく》のヤンチヤがお|世話《せわ》に|預《あづ》かりまして|嘸《さぞ》|御迷惑《ごめいわく》で|厶《ござ》りませう。|私《わたくし》は|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》から|御手紙《おてがみ》を|頂《いただ》いてイソの|館《やかた》へ|修行《しうぎやう》に|参《まゐ》る|途中《とちう》、|一寸《ちよつと》|御挨拶《ごあいさつ》|旁《かたがた》|神様《かみさま》へ|参拝《さんぱい》|致《いた》しました。|何卒《なにとぞ》お|菊《きく》の|身《み》の|上《うへ》、|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|致《いた》します』
|松姫《まつひめ》『お|寅《とら》|様《さま》で|厶《ござ》りますか、よう|御立寄《おたちよ》り|下《くだ》さいました。お|菊《きく》さまの|事《こと》は|御心配《ごしんぱい》|下《くだ》さいますな。|貴女《あなた》が|御出立《ごしゆつたつ》の|後《あと》はお|菊《きく》さまも、|文助《ぶんすけ》さまも、|魔我彦《まがひこ》さまも、|大勉強《だいべんきやう》で|厶《ござ》ります。|其《その》お|蔭《かげ》で|信者《しんじや》も|日々《にちにち》|御参拝《ごさんぱい》なされ|御神徳《ごしんとく》は|日《ひ》に|日《ひ》に|上《あが》りまして|誠《まこと》に|御結構《ごけつこう》で|厶《ござ》ります。そしてお|寅《とら》さま、|貴女《あなた》は|大変《たいへん》にお|顔《かほ》に|艶《つや》が|出来《でき》ましたな。お|髪《つむ》の|色《いろ》と|云《い》ひ|一寸《ちよつと》|見《み》ても|二十年《にじふねん》ばかりお|若《わか》うお|成《な》りなさつた|様《やう》に|厶《ござ》りますわ。|本当《ほんたう》に|御神徳《ごしんとく》と|云《い》ふものは|有難《ありがた》いもので|厶《ござ》りますな』
お|寅《とら》『はい、|何分《なにぶん》|雪隠《せつちん》の|水《みづ》つきで|厶《ござ》りますからな、ホヽヽヽヽ』
|魔我《まが》『アハヽヽヽ、さうするとお|寅《とら》さまは、|浮木《うきき》の|森《もり》で|余程《よほど》|浮《う》いて|来《き》たと|見《み》えますな』
お|寅《とら》『オホヽヽヽ、|私《わたし》は|恋人《こひびと》が|出来《でき》ました。それ|故《ゆゑ》|此《この》|通《とほ》り|若《わか》くなつたのですよ』
|魔我《まが》『アハヽヽヽ、|何《なん》だか|可笑《をか》しいと|思《おも》つてゐたて、|到頭《たうとう》|本音《ほんね》を|吹《ふ》きましたね』
|松姫《まつひめ》『お|寅《とら》さまの|恋人《こひびと》と|云《い》ふのは|瑞《みづ》の|御霊《みたま》|神素盞嗚大神《かむすさのをのおほかみ》|様《さま》でせう。それは|本当《ほんたう》によい|恋人《こひびと》をお|定《さだ》め|遊《あそ》ばしましたね。|妾《わらは》も|矢張《やは》り|素盞嗚尊《すさのをのみこと》|様《さま》を|唯一《ゆゐいつ》の|恋人《こひびと》と|致《いた》して|居《を》りますよ、ホヽヽヽヽ』
|魔我《まが》『これは|怪《け》しからぬ、お|寅《とら》さまはそれで|宜《よ》いとして、|松姫《まつひめ》さまは|立派《りつぱ》な|松彦《まつひこ》さまと|云《い》ふ|恋人《こひびと》|否《いな》|二世《にせ》を|契《ちぎ》つた|夫《をつと》があるぢやありませぬか。チと|不貞腐《ふていくさ》れぢやありませぬか』
|松姫《まつひめ》『|第一《だいいち》に|大神様《おほかみさま》を|恋《こ》ひ|慕《した》ひ|第二《だいに》に|夫《をつと》を|慕《した》つてゐます。それで|二世《にせ》の|夫《つま》と|云《い》ふのですよ』
|魔我《まが》『ヤア、|自惚気《おのろけ》をタツプリと|聞《き》かして|頂《いただ》きました。|魔我彦《まがひこ》も|之《これ》で|満足《まんぞく》|致《いた》します。|併《しか》し|一《ひと》つお|願《ねが》ひが|厶《ござ》りますが、|暫《しばら》く|私《わたし》はお|寅《とら》さまのお|伴《とも》してウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》へ|詣《まゐ》り|度《た》いのですが|許《ゆる》して|頂《いただ》けませぬか』
|松姫《まつひめ》『それは|願《ねが》うてもなき|事《こと》、|実《じつ》は|妾《わらは》より|一度《いちど》|魔我彦《まがひこ》さまに|御修行《ごしうぎやう》に|行《い》つて|貰《もら》ひたいと|思《おも》つて|居《ゐ》たのです。|併《しか》し|乍《なが》ら|女《をんな》の|差出口《さしでぐち》と|思《おも》はれちやならないと|差控《さしひか》へて|居《を》りました。それは|結構《けつこう》で|厶《ござ》りますが、お|寅《とら》さま、|何卒《どうぞ》|魔我彦《まがひこ》さまをお|預《あづ》けしますから|宜《よろ》しくお|願《ねが》ひ|申《まを》します』
お|寅《とら》『はいはい|私《わたし》が|預《あづ》かりました|以上《いじやう》はメツタの|事《こと》はさせませぬ。|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
|魔我《まが》『|然《しか》らば|松姫《まつひめ》|様《さま》、|暫《しばら》く|御暇《おいとま》を|頂戴《ちやうだい》|致《いた》します』
|松姫《まつひめ》『|何卒《なにとぞ》|聖地《せいち》へお|詣《まゐ》りになりましたら、|松姫《まつひめ》が|宜《よろ》しう|申上《まをしあ》げたと|云《い》つて|下《くだ》さいませ』
お|寅《とら》『はい、|承知《しようち》|致《いた》しました』
とお|寅《とら》は|暫《しば》し|休息《きうそく》の|上《うへ》、|魔我彦《まがひこ》を|伴《ともな》ひ|各神社《かくじんじや》を|遥拝《えうはい》し、|受付《うけつけ》の|文助《ぶんすけ》や|数多《あまた》の|信者《しんじや》へ|挨拶《あいさつ》を|終《をは》り|一本橋《いつぽんばし》を|打渡《うちわた》り|河鹿峠《かじかたうげ》の|山口《やまぐち》さして|老《おい》の|足《あし》もともいと|健《すこや》かに、|神文《しんもん》を|称《とな》へ|乍《なが》ら、|勢《いきほ》ひ|込《こ》んで|進《すす》み|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 北村隆光録)
第一一章 |水呑同志《すてんどうじ》〔一二八五〕
|治国別《はるくにわけ》は、クルスの|森《もり》の|古《ふる》い|祠《ほこら》の|傍《かたはら》にある|社務所《ながどこ》に|陣取《ぢんど》り、ランチ、|片彦《かたひこ》、ガリヤ、ケース、|万公《まんこう》、お|寅《とら》、|蠑〓別《いもりわけ》、お|民《たみ》、|竜公《たつこう》、|松彦《まつひこ》などと、|一百日《いつぴやくにち》の|間《あひだ》|講演会《かうえんくわい》を|始《はじ》め、|三五教《あななひけう》の|教理《けうり》の|大体《だいたい》を|吹《ふ》き|込《こ》み、|漸《やうや》くにしてお|寅《とら》を、|先《ま》づ|第一着《だいいつちやく》に|宣伝使《せんでんし》の|候補者《こうほしや》となし、|添書《てんしよ》を|認《したた》めてイソの|館《やかた》に|向《むか》はしめた。お|寅《とら》は|前述《ぜんじゆつ》の|如《ごと》く、|小北山《こぎたやま》に|立《た》ち|寄《よ》り、|魔我彦《まがひこ》を|伴《ともな》ひ、|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひながら、|河鹿峠《かじかたうげ》を|登《のぼ》り|往《ゆ》く。
『|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
|大海原《おほうなばら》は|乾《かわ》くとも |大地《だいち》は|泥《どろ》にしたるとも
|誠《まこと》|一《ひと》つの|三五《あななひ》の |神《かみ》の|光《ひかり》は|世《よ》を|救《すく》ふ
|治国別《はるくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 クルスの|森《もり》に|現《あら》はれて
|百日百夜《ももかももよ》の|其《その》|間《あひだ》 |尊《たふと》き|神《かみ》の|御教《みをしへ》を
|授《さづ》け|給《たま》ひし|嬉《うれ》しさよ お|寅《とら》は|茲《ここ》に|撰《えら》まれて
|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》 |其《その》|候補者《こうほしや》と|定《さだ》められ
|嬉《うれ》しき|添書《てんしよ》を|渡《わた》されて |今《いま》やいそいそイソ|館《やかた》
|聖地《せいち》をさして|進《すす》み|往《ゆ》く あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神《かみ》の|恵《めぐみ》の|浅《あさ》からず |体主霊従《たいしゆれいじう》のありだけを
|尽《つく》し|来《きた》りし|吾《わが》|身《み》をば |愍《あはれ》みまして|大神《おほかみ》は
|清《きよ》き|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を |治国別《はるくにわけ》の|手《て》を|通《とほ》し
|口《くち》を|通《とほ》して|詳細《まつぶさ》に |教《をし》へたまひし|有難《ありがた》さ
|斯《かく》も|尊《たふと》き|神恩《しんおん》に |浴《よく》し|奉《まつ》りし|吾々《われわれ》は
|骨《ほね》を|粉《こな》にし|身《み》を|砕《くだ》き |皇大神《すめおほかみ》の|御為《おんため》に
|仕《つか》へまつらで|置《お》くべきや |風《かぜ》も|漸《やうや》くやわらぎて
|春《はる》の|陽気《やうき》は|立《た》ち|上《のぼ》り |梅《うめ》の|梢《こずゑ》に|一二輪《いちにりん》
|花《はな》|咲《さ》き|初《そ》めし|春《はる》の|空《そら》 |谷《たに》の|戸《と》あけて|鶯《うぐひす》の
|長閑《のどか》な|声《こゑ》に|送《おく》られて |進《すす》む|吾《わが》|身《み》ぞ|楽《たの》しけれ
|浮木《うきき》の|森《もり》の|侠客《けふかく》と |四辺《あたり》に|聞《きこ》えし|此《この》お|寅《とら》
|今《いま》は|全《まつた》く|三五《あななひ》の |神《かみ》の|教《をしへ》へに|鍛《きた》えられ
|鬼《おに》は|変《へん》じて|神《かみ》となり |我慾《がよく》の|夢《ゆめ》もさめ|果《は》てて
|心《こころ》の|底《そこ》より|生《うま》れ|子《ご》の |身魂《みたま》となりし|気楽《きらく》さよ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》
|従《したが》ひませる|神司《かむづかさ》 |悪《あく》に|曇《くも》りし|吾《わが》|霊《たま》を
|研《みが》きて|神《かみ》の|御柱《みはしら》と なさしめたまへ|産土《うぶすな》の
|珍《うづ》の|聖場《せいぢやう》を|遥拝《えうはい》し |謹《つつし》み|敬《うやま》ひ|願《ね》ぎまつる
|河鹿峠《かじかたうげ》は|峻《さか》しくも |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|寒《さむ》くとも
|神《かみ》の|慈愛《じあい》に|充《みた》されし |吾《わが》|身《み》は|春《はる》の|心地《ここち》して
|心《こころ》の|園《その》に|花《はな》|開《ひら》き |小鳥《ことり》は|謡《うた》ひ|蝶《てふ》は|舞《ま》ふ
|長閑《のどか》な|身《み》とはなりにけり |小北《こぎた》の|山《やま》に|頑張《ぐわんば》りて
|名《な》もなき|神《かみ》に|操《あやつ》られ |金《かね》と|色《いろ》とに|魂《たましひ》を
|曇《くも》らせ|居《ゐ》たる|愚《おろか》さよ |魔我彦《まがひこ》|汝《なれ》も|今《いま》よりは
お|寅《とら》と|共《とも》に|皇神《すめかみ》の |清《きよ》き|尊《たふと》き|御教《みをしへ》を
|心《こころ》に|刻《きざ》み|胸《むね》に|染《そ》め |誠《まこと》|一《ひと》つを|立《た》て|通《とほ》し
|曲《まが》の|虜《とりこ》となる|勿《なか》れ |心《こころ》も|勇《いさ》み|身《み》も|勇《いさ》み
どことはなしに|若《わか》やぎて |鬼《おに》をも|挫《ひし》ぐ|吾《わが》|思《おも》ひ
|力《ちから》の|限《かぎ》り|身《み》の|極《きは》み |尽《つく》さにや|止《や》まぬ|神《かみ》の|道《みち》
|上《のぼ》る|吾《わが》|身《み》ぞ|楽《たの》しけれ あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、お|寅《とら》は|魔我彦《まがひこ》を|従《したが》へ|漸《やうや》く|河鹿峠《かじかたうげ》の|上《のぼ》り|口《ぐち》についた。|谷川《たにがは》の|流《なが》れは|激潭飛沫《げきたんひまつ》を|飛《と》ばし、|淙々《そうそう》として|心胆《しんたん》を|洗《あら》ふに|似《に》たり。|木々《きぎ》の|梢《こずゑ》は|春《はる》|立《た》ちて|芽《め》を|膨《ふく》み、|何《なん》とはなしに|春陽《しゆんやう》の|気《き》に|満《み》たされた。|二人《ふたり》は|谷川《たにがは》を|下《くだ》り、|手《て》を|洗《あら》ひ、|口《くち》をそそぎ、|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し、|暫《しば》し|渓流《けいりう》の|絶景《ぜつけい》を|眺《なが》めながら、
お|寅《とら》『|岩走《ゐはばし》る|此《この》|谷水《たにみづ》のいさぎよさ
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》もかくやまさなむ。
|吾《わが》|胸《むね》を|洗《あら》ふが|如《ごと》く|覚《おぼ》えけり
|谷川《たにがは》おつる|水《みづ》の|響《ひび》きに』
|魔我彦《まがひこ》『この|景色《けしき》|見《み》るにつけても|思《おも》ふかな
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|雄々《をを》しき|姿《すがた》を。
|唯《ただ》|二人《ふたり》|小北《こぎた》の|山《やま》を|後《あと》にして
|進《すす》み|来《きた》りぬ|神《かみ》のまにまに』
お|寅《とら》『|河鹿峠《かじかたうげ》はいかに|峻《さか》しとも
|神《かみ》を|慕《した》ひて|往《ゆ》く|身《み》ぞ|安《やす》き。
|獅子《しし》|熊《くま》や|虎《とら》|狼《おほかみ》の|猛《たけ》ぶなる
|河鹿《かじか》の|山《やま》も|神《かみ》のまにまに。
|登《のぼ》り|往《ゆ》く|此《この》|坂道《さかみち》も|何《なん》となく
|楽《たの》しかりけり|嬉《うれ》しかりけり』
|魔我彦《まがひこ》『|谷水《たにみづ》を|掬《むす》ぶ|心《こころ》はいそのかみ
|古《ふる》き|神代《かみよ》の|思《おも》ひせらるる。
|言依別《ことよりわけ》の|神《かみ》の|命《みこと》の|落《お》ち|入《い》りし
この|谷水《たにみづ》を|呑《の》むぞ|嬉《うれ》しき。
|言依別《ことよりわけ》|天津御国《あまつみくに》に|往《ゆ》かむとて
|掬《むす》びたまひしこれの|谷水《たにみづ》。
|音《おと》に|聞《き》く|河鹿峠《かじかたうげ》の|山颪《やまおろし》
|吾《わが》|身《み》の|塵《ちり》を|払《はら》ふべらなり。
|吹《ふ》く|風《かぜ》は|救《すく》ひの|神《かみ》のみいきぞと
|思《おも》へば|嬉《うれ》し|今日《けふ》の|旅路《たびぢ》よ』
お|寅《とら》『いざさらば|水《みづ》に|名残《なごり》を|惜《を》しみつつ
|進《すす》みて|往《ゆ》かむイソの|館《やかた》へ』
|魔我彦《まがひこ》『いそいそとお|寅《とら》の|方《かた》に|従《したが》ひて
|吾《われ》も|往《ゆ》かなむイソの|館《やかた》へ』
|斯《か》く|歌《うた》ひ|終《をは》り|又《また》もや|歩《ほ》を|起《おこ》した。|魔我彦《まがひこ》は|急坂《きふはん》を|登《のぼ》り|乍《なが》ら|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
『サアサアこれから|坂道《さかみち》だ お|寅《とら》の|方《かた》よ|気《き》をつけよ
|道《みち》には|高《たか》い|石《いし》がある ウントコドツコイ、ドツコイシヨ
|谷《たに》の|流《なが》れは|淙々《そうそう》と |琴《こと》をば|弾《だん》じ|笛《ふえ》をふき
|吾等《われら》|二人《ふたり》の|往手《ゆくて》をば |祝《しゆく》する|如《ごと》く|聞《きこ》え|来《く》る
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |高姫《たかひめ》さまに|従《したが》ひて
|北山村《きたやまむら》に|本山《ほんざん》を |築《きづ》きて|教《をしへ》を|開《ひら》きたる
|曲《まが》つた|心《こころ》の|魔我彦《まがひこ》も |小北《こぎた》の|山《やま》の|聖場《せいぢやう》で
|松彦司《まつひこつかさ》に|救《たす》けられ |全《まつた》く|迷《まよ》ひの|雲《くも》も|晴《は》れ
|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》して |初《はじ》めて|進《すす》むイソ|館《やかた》
|今《いま》|迄《まで》|神《かみ》にいろいろと |背《そむ》きまつりし|罪科《つみとが》は
|仮令《たとへ》|山《やま》|程《ほど》ありとても |仁慈無限《じんじむげん》の|大神《おほかみ》は
|直日《なほひ》に|見直《みなほ》し|聞直《ききなほ》し |救《すく》はせ|給《たま》ふと|聞《き》きしより
|創《きづ》もつ|足《あし》の|吾《われ》|乍《なが》ら |一切万事《いつさいばんじ》|神様《かみさま》に
お|凭《もた》れ|申《まを》して|進《すす》み|往《ゆ》く |大空《おほぞら》|渡《わた》る|月影《つきかげ》も
|一度《いちど》は|雲《くも》に|蔽《おほ》はれて |姿《すがた》をかくす|事《こと》あるも
|晴《は》るればやはり|元《もと》の|月《つき》 |四方《よも》の|山野《やまの》を|照《て》らすごと
|神《かみ》に|目醒《めざ》めた|魔我彦《まがひこ》の |心《こころ》の|空《そら》の|日月《じつげつ》は
|再《ふたた》び|茲《ここ》に|輝《かがや》きて |誠《まこと》の|神《かみ》をよく|悟《さと》り
|松姫司《まつひめつかさ》に|許《ゆる》されて |珍《うづ》の|聖地《せいち》に|詣《まう》で|往《ゆ》く
|吾《わが》|身《み》の|上《うへ》こそたのしけれ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |仮令《たとへ》|大地《だいち》は|沈《しづ》むとも
|誠《まこと》の|力《ちから》は|世《よ》を|救《すく》ふ |如何《いか》に|嶮《けは》しき|此《この》|坂《さか》も
|神《かみ》の|守護《まも》りのある|上《うへ》は |如何《いか》でか|進《すす》み|得《え》ざらむや
ウントコドツコイ ハアハアハア |息《いき》が|苦《くる》しうなつたれど
こんな|所《ところ》で|屁古垂《へこた》れて どうして|神業《しんげふ》が|務《つと》まろか
お|寅《とら》の|方《かた》よお|前《まへ》さまは |何《なん》と|云《い》つても|年寄《としよ》りだ
|未《ま》だ|年《とし》|若《わか》い|魔我彦《まがひこ》が これ|程《ほど》|息《いき》が|苦《くる》しのに
お|前《まへ》は|平気《へいき》な|顔《かほ》をして それ|程《ほど》ドンドン|登《のぼ》られる
ほんに|不思議《ふしぎ》な|事《こと》だなア |是《これ》を|思《おも》へば|魔我彦《まがひこ》は
まだ|改心《かいしん》が|足《た》らぬのか ウントコドツコイ ハアハアハア
|思《おも》つたよりはきつい|坂《さか》 |一方《いつぱう》は|断崕《だんがい》|屹立《きつりつ》し
|一方《いつぱう》は|千仭《せんじん》の|深《ふか》い|谷《たに》 |一足《ひとあし》あやまり|踏《ふ》み|外《はづ》し
|肝腎要《かんじんかなめ》の|生命《せいめい》を |落《おと》すやうな|事《こと》があつたなら
|私《わたし》は|何《なん》と|致《いた》さうか |此《この》|世《よ》の|中《なか》に|何一《なにひと》つ
|残《のこ》る|事《こと》とてなけれども |折角《せつかく》|人《ひと》と|生《うま》れ|来《き》て
|尊《たふと》き|神《かみ》の|神業《しんげふ》に |仕《つか》へずもろくも|幽界《いうかい》に
|往《ゆ》くよな|事《こと》があつたなら |吾《わが》|一生《いつしやう》の|不覚《ふかく》なり
|守《まも》らせたまへ|大御神《おほみかみ》 |道《みち》の|隈手《くまて》も|恙《つつが》なく
|進《すす》ませたまへ|惟神《かむながら》 |神《かみ》の|御前《みまへ》に|願《ね》ぎまつる
ウントコドツコイ ドツコイシヨ だんだん|坂《さか》がきつなつた
|調子《てうし》にのつてお|寅《とら》さま |倒《こ》けないやうにしてお|呉《く》れ
|私《わたし》は|心《こころ》にかかります あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|神様《かみさま》|御守護《ごしゆご》を|願《ねが》ひます ウントコドツコイ ドツコイシヨ
ハアハアハアハア|息《いき》|切《き》れる ここらで|一服《いつぷく》しよぢやないか』
|云《い》へばお|寅《とら》は|振《ふ》り|返《かへ》り、
『|魔我彦《まがひこ》さまよ|若《わか》い|身《み》で |弱音《よわね》を|吹《ふ》くにも|程《ほど》がある
|左様《さやう》な|事《こと》で|天地《あめつち》の |神《かみ》の|御用《ごよう》がつとまろか
|私《わたし》のやうな|年寄《としより》が |難《なん》なく|登《のぼ》る|此《この》|坂《さか》が
|夫《それ》|程《ほど》お|前《まへ》は|苦《くる》しいか |合点《がてん》の|往《ゆ》かぬ|事《こと》だなア
お|前《まへ》は|矢張《やつぱ》り|曲神《まがかみ》が お|腹《なか》の|底《そこ》に|潜伏《せんぷく》し
|聖地《せいち》に|往《ゆ》くのを|怖《こは》がつて |悶《もだ》へて|居《ゐ》るに|違《ちが》ひない
|早《はや》く|心《こころ》を|取《と》り|直《なほ》し |副守《ふくしゆ》の|奴《やつ》を|逸早《いちはや》く
|体《からだ》の|外《そと》に|追《お》ひ|出《だ》して |至粋《しすゐ》|至純《しじゆん》の|霊《たま》となり
|此《この》|谷川《たにがは》を|流《なが》れ|往《ゆ》く |清水《しみづ》のやうな|霊《たま》となり
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》を|心《こころ》から |尊信《そんしん》なして|一心《いつしん》に
|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し くだらぬ|歌《うた》を|止《や》めなされ
お|前《まへ》はいつも|喧《やかま》しい |口《くち》|許《ばつか》りの|広《ひろ》い|人《ひと》
|嶮《けは》しき|坂《さか》を|登《のぼ》る|時《とき》や |口《くち》をつまへて|息《いき》|凝《こ》らし
|一歩先《ひとあしさき》に|目《め》をつけて |二階《にかい》の|階段《きざはし》|登《のぼ》るよに
|静《しづか》に|静《しづか》に|往《ゆ》きなさい さうする|時《とき》は|如何《いか》|程《ほど》に
|嶮《けは》しき|坂《さか》も|安々《やすやす》と いつの|間《ま》にやら|登《のぼ》れます
これが|第一《だいいち》|坂道《さかみち》を |往《ゆ》く|旅人《たびびと》の|秘訣《ひけつ》ぞや
|一里《いちり》|許《ばか》りも|往《い》つたなら |祠《ほこら》の|森《もり》の|聖場《せいぢやう》が
|吾等《われら》|二人《ふたり》を|待《ま》ち|顔《がほ》に |清《きよ》き|尊《たふと》き|神司《かむつかさ》
|数多《あまた》まします|事《こと》ならむ もう|一息《ひといき》ぢや|魔我彦《まがひこ》よ
|心《こころ》の|駒《こま》に|鞭《むちう》つて |勇《いさ》み|進《すす》んで|往《ゆ》きませう
|祠《ほこら》の|森《もり》の|神様《かみさま》に お|頼《たの》み|申《まを》して|登《のぼ》るなら
|如何《いか》なる|嶮《けは》しき|山道《やまみち》も |平野《へいや》を|分《わ》けて|進《すす》むごと
いと|易々《やすやす》と|知《し》らぬ|間《ま》に |聖地《せいち》に|進《すす》み|得《え》らるだろ
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |神素盞嗚《かむすさのを》の|大御神《おほみかみ》
|尊《たふと》き|恵《めぐみ》を|賜《たま》はりて |此《この》|魔我彦《まがひこ》に|力《ちから》をば
|与《あた》へて|登《のぼ》らせたまへかし あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|辛《から》うじて|祠《ほこら》の|森《もり》の|聖場《せいぢやう》に|辿《たど》りついた。|此処《ここ》には|数多《あまた》の|老若男女《らうにやくなんによ》が|蝟集《ゐしふ》し|一斉《いつせい》に|天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》する|声《こゑ》、|谷《たに》の|木魂《こだま》を|響《ひび》かして|居《ゐ》る。お|寅《とら》は|魔我彦《まがひこ》と|共《とも》に|受付《うけつけ》の|係《かか》り【ヨル】の|案内《あんない》にて|社《やしろ》の|前《まへ》に|導《みちび》かるる|事《こと》となりける。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 加藤明子録)
第一二章 お|客《きやく》さん〔一二八六〕
|祠《ほこら》の|森《もり》の|玄関口《げんくわんぐち》には、|例《れい》の|如《ごと》くヨルが|受付《うけつけ》をやつてゐる。そこへ|深編笠《ふかあみがさ》を|被《かぶ》つた|雲《くも》|突《つ》く|許《ばか》りの|大《だい》の|男《をとこ》|現《あら》はれ|来《きた》り、|底《そこ》づつた|太《ふと》い|声《こゑ》で、
|男《をとこ》『|拙者《せつしや》はウブスナ|山《やま》のイソの|館《やかた》より|参《まゐ》りし|者《もの》で|厶《ござ》る。|高姫《たかひめ》|殿《どの》はここにゐられる|筈《はず》、|一寸《ちよつと》|内々《ないない》お|目《め》にかかりたいと|申《まを》し|伝《つた》へて|下《くだ》さい』
ヨル『ハイ、|申伝《まをしつた》へぬ|事《こと》は|厶《ござ》いませぬが、|御姓名《ごせいめい》を|承《うけたま》はらなくては、|何《なん》と|云《い》つても|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》の|生宮様《いきみやさま》で|厶《ござ》いますから……』
|男《をとこ》『|如何《いか》にも|申《まをし》|遅《おく》れました。|今《いま》|少《すこ》し|様子《やうす》があつて|名乗《なの》り|難《がた》い|場合《ばあひ》で|厶《ござ》いますから、|只《ただ》|一口《ひとくち》トといふ|名《な》のつく|男《をとこ》だといつて|貰《もら》へば|宜《よろ》しい。そしてイソの|館《やかた》の|重要《ぢうえう》なる|職《しよく》に|就《つ》いている|者《もの》だと|御伝《おつた》へ|下《くだ》さらば、|高姫《たかひめ》|殿《どの》には|成程《なるほど》と|合点《がてん》がゆくでせう』
ヨル『あなたはイソの|館《やかた》の|重要《ぢうえう》なる|役人様《やくにんさま》と|聞《き》きましたが、|私《わたし》はバラモン|教《けう》から|帰順《きじゆん》|致《いた》しましたヨルと|申《まを》すもので|厶《ござ》います、|何分《なにぶん》に|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》いたします』
|男《をとこ》『あゝヨルといふ|男《をとこ》はお|前《まへ》であつたか、|五十子姫《いそこひめ》|殿《どの》より|確《たしか》に|承《うけたま》はつてゐる。それは|御苦労《ごくらう》だ。|一度《いちど》イソ|館《やかた》へお|参《まゐ》りなさるがよからう』
ヨル『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。かうして|御用《ごよう》をさして|戴《いただ》いてゐるものの、|肝腎《かんじん》の|御本山《ごほんざん》を|知《し》らいでは|話《はなし》も|出来《でき》ませぬので、|参《まゐ》りたいのは|山々《やまやま》で|厶《ござ》いますが、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮様《いきみやさま》が……まだ|身魂《みたま》が|研《みが》けないから、|此《この》|方《はう》が|許《ゆる》す|迄《まで》|参拝《さんぱい》してはならぬと|仰《おほ》せられますので|差控《さしひか》えてをります。どうぞ|早《はや》く|霊《みたま》を|研《みが》いて|聖地《せいち》のお|庭《には》を|踏《ふ》まして|戴《いただ》きたいもので|厶《ござ》います。|聖地《せいち》も|知《し》らずに|受付《うけつけ》をして|居《を》りましては|何《なん》だか|気掛《きがか》りでなりませぬ』
|男《をとこ》『|兎《と》も|角《かく》も、トといふ|名《な》のついたものが|内証《ないしよう》で|折入《をりい》つて|話《はなし》のしたい|事《こと》があると|云《い》つて|居《ゐ》ると|伝《つた》へて|下《くだ》さい』
ヨルは、
『|承知《しようち》|致《いた》しました。|暫《しばら》くここにお|待《まち》を|願《ねが》ひます』
と|云《い》ひすて、|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》に|急《いそ》ぎ、|奥《おく》の|間《ま》の|襖《ふすま》をソツと|開《ひら》き、|見《み》れば|高姫《たかひめ》は|脇息《けふそく》に|凭《もた》れ、|何《なに》か|思案《しあん》にくれてゐる|最中《さいちう》であつた。
ヨル『もし、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|貴女《あなた》にお|目《め》にかかりたいと|云《い》つて、イソの|館《やかた》からトと|名《な》のついた|大《おほ》きなお|方《かた》が|見《み》えました、|内証《ないしよう》でお|話《はなし》|申《まを》し|上《あ》げたい|事《こと》があると|云《い》つてお|出《いで》になりましたから、|一寸《ちよつと》|御報告《ごはうこく》|申上《まをしあ》げます』
|高姫《たかひめ》『ナニツ、イソの|館《やかた》から、|大《おほ》きな|男《をとこ》の、トといふ|名《な》の|付《つ》いたお|方《かた》がお|出《い》でになつたと|申《まを》すのか』
ヨル『ハイ、それはそれは|大《おほ》きな|男《をとこ》で|厶《ござ》います。そして|聖地《せいち》の|最《もつと》も|高級《かうきふ》な|職務《しよくむ》に|仕《つか》へて|居《ゐ》るお|方《かた》だと|仰有《おつしや》いました』
|高姫《たかひめ》は|嬉《うれ》しげに|打《う》ちうなづき、
|高姫《たかひめ》『ヤア、ヨル|殿《どの》、お|目《め》にかかると|云《い》つておくれ。|併《しか》し|暫《しばら》く|次《つぎ》の|間《ま》に|控《ひか》えて|居《を》つて|下《くだ》さい、|今《いま》すぐ|行《い》つて|貰《もら》ふと、|此方《こちら》の|準備《じゆんび》が|出来《でき》ぬから、|私《わたし》が|此《この》|鈴《りん》を|叩《たた》いたら、ソロソロと|出《で》てゆくのだよ、それ|迄《まで》|控室《ひかへしつ》で|煙草《たばこ》でも|呑《の》んで|待《ま》つて|居《ゐ》て|下《くだ》さい』
ヨル『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。どうぞ|鈴《りん》をしつかり|叩《たた》いて|下《くだ》さい、さうすれば|其《その》|音《おと》を|合図《あひづ》にお|迎《むか》へに|参《まゐ》りますから……』
|高姫《たかひめ》『あゝさう|頼《たの》む。|併《しか》しヨルや、|日出神《ひのでのかみ》が|許《ゆる》す|迄《まで》、|誰《たれ》にもトと|云《い》ふお|方《かた》がみえたとは|云《い》つてはなりませぬぞや』
ヨル『エヘヽヽヽ、どんな|秘密《ひみつ》でも|申《まを》すよなヨルぢや|厶《ござ》いませぬ、まづ|御安心《ごあんしん》なさいませ。|貴女《あなた》は|日《ひ》の|出《で》の|御守護《ごしゆご》、|私《わたし》はヨルの|守護《しゆご》で|厶《ござ》いますから、ヨルのお|楽《たのし》みも|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますワイ』
|高姫《たかひめ》『コレコレ、ヨル、いらぬ|事《こと》を|云《い》ふものぢやありませぬ。|次《つぎ》の|間《ま》に、サア|早《はや》く|控《ひか》えなさい。そして|受付《うけつけ》は|誰《たれ》に|頼《たの》んでおいたのだい』
ヨル『ハイ、ハル|公《こう》に|頼《たの》んでおきました』
|高姫《たかひめ》『ウンよしよし、それで|能《よ》い、あの|男《をとこ》は|気《き》の|利《き》いた|人間《にんげん》だからなア。お|前《まへ》もトといふ|人《ひと》がお|出《い》でになつたら|気《き》を|利《き》かすのだよ』
ヨル『ヘヽヽヽ、|委細《ゐさい》|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|頭《あたま》を|掻《か》き|乍《なが》ら、|次《つぎ》の|間《ま》に|行《い》つて、|高姫《たかひめ》の|合図《あひづ》を|待《ま》つ|事《こと》とした。|高姫《たかひめ》はツツと|立《た》つて、そこらの|窓《まど》を|覗《のぞ》き|乍《なが》ら、|一人《ひとり》も|人《ひと》のゐないのにヤツと|安心《あんしん》したものの|如《ごと》く、|胸《むね》をなでおろし|独言《ひとりごと》、
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|云《い》つても、ヤツパリ|男《をとこ》だなア、あのよな|気強《きづよ》い|事《こと》を、|東助《とうすけ》さまは|仰有《おつしや》つたので、チツと|許《ばか》り|恨《うら》んで|居《を》つたが、ヤツパリ|大勢《おほぜい》の|人《ひと》の|前《まへ》だと|思《おも》つて、あのよにつれなく|言《い》はんしたのだろ。あゝあ、|男《をとこ》の|心《こころ》を|知《し》らずにすまぬ|事《こと》を|致《いた》しました。なア|東助《とうすけ》さま、その|優《やさ》しいお|心《こころ》を|承《うけたま》はれば、|最早《もはや》|高姫《たかひめ》はこれで|死《し》んでも|得心《とくしん》で|厶《ござ》んす。ドレ、|顔《かほ》でも|作《つく》つて|髪《かみ》をなであげ、|着物《きもの》を|着替《きがへ》にやなるまい』
と|俄《にはか》に|白《しろ》いものをコテコテと、|念入《ねんい》りにぬり|立《た》て、|髪《かみ》を|政岡《まさおか》に|結《むす》び、|着物《きもの》を|新《あたら》しいのと|着替《きか》へ、|紫《むらさき》の|袴《はかま》をゾロリとつけ、|赤《あか》い|襟《えり》を|一寸《ちよつと》|出《だ》し、|鏡台《きやうだい》の|前《まへ》に|立《た》つたり|坐《すわ》つたりし|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『あゝこれでよい これでよい、|三国一《さんごくいち》の、|言《い》はば|婿《むこ》どのが|来《く》るやうなものだ。これで|高姫《たかひめ》もいよいよ|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》だ。なア|東助《とうすけ》さま、ヤツパリ|幼馴染《をさななじみ》はよいものですなア。マア|能《よ》う|来《き》て|下《くだ》さつた。|縁《えん》あればこそ|子《こ》|迄《まで》なした|仲《なか》だ|厶《ござ》んせぬかい。|本当《ほんたう》に|枯木《かれき》に|花《はな》の|咲《さ》いたよな|心持《こころもち》が|致《いた》しますぞや。ドコともなしに|男《をとこ》らしいお|方《かた》、さすが|高姫《たかひめ》の|思《おも》ふ|丈《だけ》あつて、|杢助《もくすけ》さまの|一段上《いちだんうへ》となり、|副教主《ふくけうしゆ》の|地位《ちゐ》|迄《まで》|進《すす》ましやんしたお|方《かた》だもの、|高姫《たかひめ》が|気《き》をもむのも|無理《むり》は|厶《ござ》いませぬわいの。ドレドレいつ|迄《まで》もおまたせ|申《まを》してはすまない、モウこれ|丈《だけ》|化粧《けしやう》した|上《うへ》は、|何時《なんどき》お|越《こ》しになつても|差支《さしつかへ》ない。|併《しか》し|何《なん》とはなしに|恥《はづ》かしいやうな|気《き》がして|来《き》た。ホヽヽヽヽ、|年《とし》はよつても|何《なん》だか|昔《むかし》の|事《こと》が|偲《しの》ばれて、|顔《かほ》がパツとあつくなつたやうだ。ホンに|女《をんな》の|心《こころ》と|云《い》ふものは|優《やさ》しいものだ。|此《この》|初心《うぶ》な|心《こころ》を|東助《とうすけ》|様《さま》が|御覧《ごらん》になれば、キツと|御満足《ごまんぞく》なさるだろ、イヒヽヽヽヽ、あゝコレコレ、ヨル|公《こう》や、モウ|可《い》いから、トと|云《い》ふお|方《かた》に、さういつて|来《き》て|下《くだ》さい』
と|鈴《りん》を|叩《たた》くのを|忘《わす》れて|了《しま》ひ、なまめかしい|声《こゑ》で|呼《よ》んでゐる。ヨルは、モウ|鈴《りん》がなるかなるかと|待《ま》つてゐたのに、|思《おも》ひ|掛《が》けない|高姫《たかひめ》の|声《こゑ》を|聞《き》いて、|襖《ふすま》を|開《ひら》き|恐《おそ》る|恐《おそ》る|首《くび》をニユツと|出《だ》し、
『|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|何《なん》ぞ|御用《ごよう》で|厶《ござ》いますか』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|顔《かほ》をあげて|見《み》ると、|高姫《たかひめ》はうつて|変《かは》つて、|立派《りつぱ》な|装束《しやうぞく》をつけ、|白《しろ》いものをコテコテとぬり、|頬辺《ほほべた》の|皺《しわ》も|何《なに》もツルツルに|埋《うづ》まつてゐる。ヨルは|驚《おどろ》いて、
『イヤア、これはこれは、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|何《なん》とお|若《わか》うおなりなさいましたなア。ヤアこれでよめました。ヤツパリ|神様《かみさま》でも、ありますかいな、ヘーン、お|浦山吹《うらやまぶ》きで|厶《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『コレ、ヨル、|余《あま》り|冷《ひや》かすものぢやありませぬよ。サ|早《はや》く、ト|様《さま》を|御案内《ごあんない》してお|出《い》で』
ヨル『(|芝居《しばゐ》|口調《くてう》)エツヘヽヽヽ、|確《たしか》に……|承知《しようち》……|仕《つかまつ》りました、|急《いそ》ぎ|参上《さんじやう》|仕《つかまつ》ります』
|高姫《たかひめ》『コレ、ヨル、|何《なに》を|云《い》つてゐるのだい、|早《はや》く|行《い》つて|来《き》なさいよ。ホンにホンに、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だなア』
ヨル『|日出神《ひのでのかみ》さま、マア|使《つか》つてみて|下《くだ》さい、|中々《なかなか》|能《よ》う|気《き》が|利《き》きますで……』
と|云《い》ひすて、|表《おもて》へかけ|出《だ》し、|大《だい》の|男《をとこ》に|向《むか》ひ、
ヨル『これは これは、ト|様《さま》、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》に|申上《まをしあ》げました|所《ところ》、|一寸《ちよつと》|少時《しばらく》|御思案《ごしあん》|遊《あそ》ばし、|容易《ようい》に|御返事《ごへんじ》を|遊《あそ》ばしませぬので、|此《この》ヨルがいろいろと|申上《まをしあ》げました|所《ところ》、|折角《せつかく》はるばるお|出《い》で|下《くだ》さつたのだから、|義理《ぎり》にでも|会《あ》はねばなるまい。|何《なに》を|云《い》つても、|義理《ぎり》を|重《おも》んずる|義理天上日出神《ぎりてんじやうひのでのかみ》だと|仰有《おつしや》いまして、|奥《おく》へ|御案内《ごあんない》せいとの|仰《おほ》せ……サア|私《わたし》についてお|出《い》で|下《くだ》さいませ。|随分《ずいぶん》きれいな|方《かた》で|厶《ござ》いますよ』
|男《をとこ》『ハイ|有難《ありがた》う、|併《しか》し|少《すこ》しく|内密《ないみつ》の|用《よう》で|参《まゐ》つたのですから、|被物《かづき》は|此《この》|儘《まま》で|願《ねが》ひたい、|差支《さしつかへ》|厶《ござ》らぬかなア』
ヨル『そんな|事《こと》に|気《き》の|利《き》かぬようなヨルぢや|厶《ござ》いませぬ。ヨルの|守護《しゆご》のヨル|公《こう》で|厶《ござ》いますよ。ヘツヘヽヽ』
|男《をとこ》『アハヽヽヽ、|然《しか》らば|御案内《ごあんない》、お|頼《たの》み|申《まを》す』
とヨルに|導《みちび》かれ、|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》に|足音《あしおと》|高《たか》く、ドシンドシンと|進《すす》み|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|一足《ひとあし》|一足《ひとあし》|近付《ちかづ》く|足音《あしおと》に|胸《むね》をドキ……ドキとさせ|乍《なが》ら、|恋人《こひびと》の|入《い》り|来《きた》るを、|一息千秋《ひといきせんしう》の|思《おも》ひにて|待《ま》つてゐた。そして|大男《おほをとこ》が|襖《ふすま》を|開《ひら》いた|時《とき》は、|恥《はづ》かしさが|一時《いちじ》に|込《こ》み|上《あ》げて|来《き》たと|見《み》え、グタリと|俯《うつむ》いてゐた。
|男《をとこ》『|御免《ごめん》なさいませ、|高姫《たかひめ》さま、|先日《せんじつ》は|失礼《しつれい》|致《いた》しました、|定《さだ》めて|御立腹《ごりつぷく》で|厶《ござ》いませうな』
|高姫《たかひめ》はやうやう|口《くち》を|開《ひら》き、
『|東助様《とうすけさま》、|能《よ》う|尋《たづ》ねて|来《き》て|下《くだ》さいました。|本当《ほんたう》に|女子《をなご》の|至《いた》らぬ|心《こころ》から、お|恨《うら》み|申《まを》しまして|誠《まこと》に|済《す》みませぬ……コレお|前《まへ》はヨルぢやありませぬか、|気《き》を|利《き》かすと|云《い》つたぢやないか』
ヨル『ハーイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。どうぞ、シツポリとねえ、お|楽《たのし》み|遊《あそ》ばせ、ト|様《さま》と……』
|高姫《たかひめ》『エヽいらぬ|事《こと》を|云《い》ふものぢやありませぬ。お|客様《きやくさま》に|失礼《しつれい》ぢやありませぬか』
ヨルは|両手《りやうて》で|頭《あたま》を|抱《かか》へ|乍《なが》ら、|腰《こし》を|屈《かが》めて、スゴスゴとここを|立去《たちさ》つた。
|高姫《たかひめ》『モシ、|東助様《とうすけさま》、どうぞ|被物《かづき》を|取《と》つて|下《くだ》さいませ、そして|此《この》|居間《ゐま》は|誰《たれ》も|来《き》ませぬから、どうぞ|打寛《うちくつろ》いで、|御《ご》ゆるりと|御話《おはなし》を|願《ねが》ひます』
|男《をとこ》『|何《なん》だか|体裁《ていさい》が|悪《わる》くつて、|昔《むかし》の|事《こと》を|思《おも》ひ|出《だ》し、|年《とし》がよつても|恥《はづ》かしくなりましたよ、アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『モシ|東助《とうすけ》さま、|私《わたし》だつて、ヤツパリ|恥《はづか》しいワ、エルサレムの|山道《やまみち》でねえ、ホヽヽヽ』
|男《をとこ》は『|高姫《たかひめ》|殿《どの》、|御免《ごめん》|被《かうむ》ります』と|被物《かづき》をパツと|除《と》つた。|見《み》れば|東助《とうすけ》にはあらで、|時置師《ときおかし》の|神《かみ》|杢助《もくすけ》であつた。
|高姫《たかひめ》『ヤ、|貴方《あなた》は|時置師神《ときおかしのかみ》|様《さま》……マアマア、お|腹《はら》の|悪《わる》いこと……』
|時置《ときおか》『アハヽヽ、|東助《とうすけ》さまだと|宜《よろ》しいに、|誠《まこと》に|不粋《ぶすゐ》な|男《をとこ》が|参《まゐ》りまして、さぞ|御迷惑《ごめいわく》で|厶《ござ》いませう』
|高姫《たかひめ》『これはこれは|能《よ》くこそ|御入来《ごじゆらい》|下《くだ》さいました。お|尋《たづ》ね|下《くだ》さいました|御用《ごよう》の|筋《すぢ》は、|如何《いかが》な|事《こと》で|厶《ござ》います』
|時置《ときおか》『|実《じつ》の|所《ところ》は、|私《わたし》はイソの|館《やかた》をお|暇《ひま》を|頂《いただ》き、|此処《ここ》へ|参《まゐ》つたのです』
|高姫《たかひめ》『それは|又《また》、|神徳《しんとく》|高《たか》き|貴方《あなた》が、|何《ど》うして|左様《さやう》な|事《こと》にお|成《な》り|遊《あそ》ばしたので|厶《ござ》ります』
|時置《ときおか》『お|前《まへ》さまの|前《まへ》で、こんな|事《こと》は|申《まを》し|上《あ》げにくいが、|実《じつ》の|所《ところ》は|東助様《とうすけさま》と|事務上《じむじやう》の|争《あらそ》ひから、|止《や》むを|得《え》ず、|拙者《せつしや》は|辞職《じしよく》したといふのは|表向《おもてむき》、|実《じつ》は|東助《とうすけ》さまに|放《ほ》り|出《だ》されたのですよ』
|高姫《たかひめ》『それはマアマア|何《なん》とした|気《き》の|毒《どく》な|事《こと》で|厶《ござ》いませう。|東助《とうすけ》さまもそんな|悪《わる》い|方《かた》ぢや|厶《ござ》いませなんだのになア、どうしてそんな|気強《きづよ》いお|心《こころ》になられたのでせうか、|人間《にんげん》の|心《こころ》といふものは|分《わか》らぬもので|厶《ござ》いますなア』
|時置《ときおか》『|高姫《たかひめ》さま、|貴女《あなた》だつてさうでせう。はるばると|自転倒島《おのころじま》から|後《あと》を|慕《した》つてお|出《いで》なさつた|親切《しんせつ》を|無《む》にして、あの|通《とほ》り|大勢《おほぜい》の|前《まへ》で|肱鉄《ひぢてつ》をかまし、|恥《はぢ》をかかすやうな|人《ひと》だもの、|大抵《たいてい》|分《わか》つたものでせう。|私《わたし》だつたら、|貴女《あなた》のやうな|親切《しんせつ》な|御方《おかた》なら、|何《ど》うしてあんな|気強《きづよ》い|事《こと》が|出来《でき》ませう』
|高姫《たかひめ》『そらさうですなア、|本当《ほんたう》に|東助《とうすけ》さまは|無情《むじやう》な|方《かた》ですワ。|若《わか》い|時《とき》はあんな|水臭《みづくさ》いお|方《かた》だなかつたですがなア』
|時置《ときおか》『あれ|丈《だけ》、|東助《とうすけ》さまのやうに|沢山《たくさん》|女《をんな》があつてはたまりませぬワイ。イソ|館《やかた》の|今子姫《いまこひめ》さまだつて、|五十子姫《いそこひめ》さまだつて、|夫《をつと》のある|身《み》でゐ|乍《なが》ら|秋波《しうは》を|送《おく》り、|其《その》|外《ほか》|聖地《せいち》の|女《をんな》は|老若《らうにやく》の|嫌《きら》ひなく、|箸《はし》まめな|方《かた》だから、|皆《みな》つまんでゐられるのです、それをお|前《まへ》さまが|御存《ごぞん》じないものだから、あんな|不覚《ふかく》を|取《と》つたのです。|私《わたし》などは|御存《ごぞん》じの|通《とほ》り|不粋《ぶすゐ》な|鰥鳥《やもめどり》ですから、|牝猫《めんねこ》|一匹《いつぴき》だつて、|見向《みむ》いてもくれませぬワ。アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|貴方《あなた》は|本当《ほんたう》にお|偉《えら》いですな。よう|独身《どくしん》で|今《いま》|迄《まで》|御辛抱《ごしんばう》なさいました。|私《わたし》も|貴方《あなた》のやうな|夫《をつと》があつたら、|何程《なにほど》|力《ちから》になるか|知《し》れませぬがなア、ホツホヽヽ』
と|顔《かほ》|赤《あか》らめ、|袖《そで》で|目《め》をかくす。
|時置《ときおか》『イヤもう、|高姫《たかひめ》|様《さま》にきつう|冷《ひや》かされました。|腹《はら》の|悪《わる》い|事《こと》いつて|下《くだ》さるな、|何《なん》だか|此《この》|時置師《ときおかし》も|妙《めう》な|気分《きぶん》になりますワ』
|高姫《たかひめ》『どうぞ、|貴方《あなた》、|今晩《こんばん》ゆつくりとお|泊《とま》り|下《くだ》さいませ。そして|外《ほか》の|間《ま》は|役員《やくゐん》|共《ども》が|休《やす》みますので、|不都合《ふつがふ》で|厶《ござ》います。どうぞ|私《わたし》の|居間《ゐま》で、|失礼《しつれい》|乍《なが》ら、おやすみ|下《くだ》されば、お|足《みや》でも|揉《も》まして|頂《いただ》きます。サ、マア|一杯《いつぱい》お|酒《さけ》でもおあがり|下《くだ》さいませ』
|時置《ときおか》『ヤア、これは|有難《ありがた》い、|暫《しばら》く|神様《かみさま》のお|道《みち》に|入《はい》つて、お|酒《さけ》を|心得《こころえ》て|居《を》りましたが、|今晩《こんばん》はここでゆつくりと|頂《いただ》きませう。|高姫《たかひめ》|様《さま》のお|酌《しやく》で、|何《なん》とマア、こんな|結構《けつこう》な|事《こと》は|近年《きんねん》|厶《ござ》りませぬワ、アツハツハヽヽ』
|高姫《たかひめ》『モシ|時置師様《ときおかしさま》、|貴方《あなた》は|三五教《あななひけう》の|三羽烏《さんばがらす》といはれたお|方《かた》でせう、バカらしい、|東助《とうすけ》|如《ごと》きに|放《ほ》り|出《だ》されて、|此《この》|後《のち》|何《ど》うなさる|積《つも》りですか、|一寸《いつすん》の|虫《むし》も|五分《ごぶ》の|魂《たましひ》といふ|事《こと》が|厶《ござ》りませう』
|時置《ときおか》『それで|実《じつ》の|所《ところ》は、ソツと|御相談《ごさうだん》に|参《まゐ》つたのですよ。|何分《なにぶん》|生田《いくた》の|森《もり》|以来《いらい》、|特別《とくべつ》の|御昵懇《ごじつこん》に|願《ねが》つた|仲《なか》なのですからなア』
|高姫《たかひめ》『|左様《さやう》|左様《さやう》、|私《わたし》も|又《また》|貴方《あなた》のお|館《やかた》の|守役《もりやく》となりましたのも、|何《なに》かの|因縁《いんねん》で|厶《ござ》いませう。どうぞ|杢助様《もくすけさま》、|私《わたし》と|力《ちから》を|併《あは》せて、|東助《とうすけ》の|高慢《かうまん》な|鼻《はな》を|挫《くじ》き、|三五教《あななひけう》の|為《ため》に|彼《かれ》を|改心《かいしん》さしてやる|気《き》はありませぬか』
|時置《ときおか》『さうですなア、|貴方《あなた》と|一所《いつしよ》に|願《ねが》へば、|大変《たいへん》|面白《おもしろ》いでせう。|併《しか》し|生田《いくた》の|森《もり》は|何《ど》うなさる|積《つもり》ですか』
|高姫《たかひめ》『ハイ|生田《いくた》の|森《もり》は、|駒彦《こまひこ》に|一任《いちにん》しておきましたから、|私《わたし》が|仮令《たとへ》|一年《いちねん》や|二年《にねん》|帰《かへ》らなくても|大丈夫《だいぢやうぶ》ですよ。|一《ひと》つ|貴方《あなた》、|此処《ここ》で○○になり|一旗《ひとはた》|挙《あ》げちや|何《ど》うで|厶《ござ》いませうかな』
|時置《ときおか》『イヤ|此奴《こいつ》ア|妙案《めうあん》です。|私《わたし》の|様《やう》な|老《おい》ぼれでもお|構《かま》ひなくば|御世話《おせわ》になりませう。|併《しか》し|私《わたし》には|初稚姫《はつわかひめ》といふ|一人《ひとり》の|娘《むすめ》が|厶《ござ》いますが、それは|御承知《ごしようち》で|厶《ござ》いませうな。|実《じつ》の|所《ところ》は|娘《むすめ》が|可愛《かあい》いので、|継母《ままはは》にかけまいと|思《おも》ひ、|今《いま》|迄《まで》|独身《どくしん》|生活《せいくわつ》をやつて|来《き》たのですが、|最早《もはや》|娘《むすめ》も|一人前《いちにんまへ》の|宣伝使《せんでんし》となりましたので、|私《わたし》も|神様《かみさま》の|御用《ごよう》を|勤《つと》め|乍《なが》ら、|気楽《きらく》に|余生《よせい》を|送《おく》りたいのです』
|高姫《たかひめ》『あの|可愛《かあい》らしい|初稚姫《はつわかひめ》さまの……|私《わたし》は|仮令《たとへ》|継母《ままはは》にもせよ、|母《はは》となるのは|満足《まんぞく》で|厶《ござ》います。キツト|大切《たいせつ》に|致《いた》しますから、|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ』
と|妙《めう》な|目《め》をして、|斜《はす》かいに|時置師《ときおかし》の|顔《かほ》を|睨《にら》んでゐる。
|時置《ときおか》『サア|高姫《たかひめ》さま、|一杯《いつぱい》|行《ゆ》きませう』
と|盃《さかづき》をわたし、ドブドブと|徳利《とくり》から|注《つ》いでやる。|高姫《たかひめ》はえもいはれぬ|嬉《うれ》しさうな|顔《かほ》をして、キチンと|両手《りやうて》に|盃《さかづき》を|持《も》ち、|鼠《ねづみ》のやうな|皺《しわ》のよつた|口《くち》で、グーツと|呑《の》み、|懐《ふところ》から|紙《かみ》を|出《だ》して|盃《さかづき》をソツと|拭《ふ》き、|首《くび》を|二《ふた》つ|三《み》つ|振《ふ》つて、|盃《さかづき》を|両手《りやうて》にささげ、|手《て》を|左右左《さいうさ》に|体《からだ》グチふり|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『モシこちの|人《ひと》、|返盃《へんぱい》|致《いた》しませう』
とさし|出《だ》す。|時置師《ときおかし》は、
|時置《ときおか》『アツハヽヽヽ』
と|笑《わら》ひながら|盃《さかづき》を|受取《うけと》り、なみなみとつがしてグツと|呑《の》み、
|時置《ときおか》『○せう○せうと|言《い》つて|鳴《な》く|鳥《とり》は
|鳥《とり》の|中《なか》でも|鰥鳥《やもめどり》
あゝコリヤコリヤ』
と|調子《てうし》にのつて|手《て》を|拍《う》ち|歌《うた》ひ|出《だ》した。|高姫《たかひめ》は|杢助《もくすけ》のこんな|打解《うちと》けた|姿《すがた》を|見《み》た|事《こと》は|始《はじ》めてである。『なんと|面白《おもしろ》い|可愛《かあい》い|人《ひと》だなあ』と|思《おも》ひ|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『|三五教《あななひけう》の|大元《おほもと》で |三羽烏《さんばがらす》の|杢助《もくすけ》さまは
|月《つき》か|花《はな》かよ、はた|雪《ゆき》か |見《み》れば|見《み》る|程《ほど》|美《うつく》しい
こんな|殿御《とのご》と|添《そ》ひぶしの |女《をんな》はさぞや|嬉《うれ》しかろ
ヨイトナ ヨイトナ ドツコイシヨ ドツコイシヨ』
と|手《て》を|拍《う》つて、|調子《てうし》に|乗《の》り|歌《うた》ひ|出《だ》したり。
|杢助《もくすけ》『|酔《よ》ふては|眠《ねむ》る|窈窕《えうてう》|高姫《たかひめ》の|膝《ひざ》
|醒《さ》めては|握《にぎ》る|堂々《だうだう》|天下《てんか》の|権《けん》』
と|博文《はくぶん》もどきに|高姫《たかひめ》の|膝《ひざ》を|枕《まくら》に、|足《あし》を|上《あ》げ、|手《て》を|拍《う》ち|打解《うちと》けて|歌《うた》ひ|出《だ》した。
|高姫《たかひめ》『|三五教《あななひけう》の|其《その》|中《なか》で |私《わし》ほど|仕合《しあは》せ|者《もの》が|又《また》あろか
|三羽烏《さんばがらす》の|一人《いちにん》と |時《とき》めき|渡《わた》る|時《とき》さまを
|夫《をつと》に|持《も》つて|意地悪《いぢわる》い |東助《とうすけ》さまの|向《むか》ふ|張《は》り
これから|一《ひと》つ|堂々《だうだう》と |旗挙《はたあげ》|致《いた》してみせませう
|日出神《ひのでのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》 |其《その》|神徳《しんとく》は|此《この》|通《とほ》り
|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|奴《やつ》|共《ども》を アフンとさせねばなりませぬ
ホンに|嬉《うれ》しい|事《こと》だなア こんな|結構《けつこう》な|所《ところ》をば
|高山彦《たかやまひこ》や|黒姫《くろひめ》に お|目《め》にかけたら|何《ど》うだらう
|何《なん》でもかんでも|構《かま》やせぬ ホンに|目出《めで》たいお|目出《めで》たい
サアサア|時《とき》さま ねよかいな |遠音《とほね》に|響《ひび》く|暮《くら》の|鐘《かね》
|塒《ねぐら》|求《もと》める|群烏《むれがらす》 |小鳥《ことり》も|吾《わが》|巣《す》へ|帰《かへ》るのに
いつ|迄《まで》|起《お》きてゐたとてせうがない ヤートコセーヨーイヤナ
アレワイセー、コレワイセー サツサ、ヤツトコセー』
かかる|所《ところ》へヨルは|走《はし》り|来《きた》り、
ヨル『モシ、|高姫《たかひめ》|様《さま》、お|呼《よ》びになりましたか、|何《なん》とマアお|楽《たのし》みの|最中《さいちう》を|失礼《しつれい》|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》はビツクリして|頓狂《とんきやう》な|声《こゑ》を|出《だ》し、
『コレ、ヨル、|誰《たれ》が|呼《よ》んだのだい、|彼方《あつちや》へいつてなさい、|本当《ほんたう》に|気《き》の|利《き》かぬ|方《かた》だなア』
ヨル『ハイ、|実《じつ》の|所《ところ》は|次《つぎ》の|間《ま》に|控《ひか》えて|御様子《ごやうす》を|承《うけたま》はつてゐました。あんな|事《こと》|云《い》つて|貴方《あなた》に|危害《きがい》を|加《くは》へるのぢやあるまいかと、|受付《うけつけ》はそつちのけにして、イル、イク、サール、テル、ハル、|楓《かへで》さま|迄《まで》が、|次《つぎ》の|間《ま》で|貴方《あなた》|方《がた》の|御話《おはなし》を|一伍一什《いちぶしじふ》|聞《き》いてゐましたよ。マア|此《この》|分《ぶん》ならば|結構《けつこう》で|厶《ござ》いますワ、お|目出《めで》たう』
|高姫《たかひめ》は|焼糞《やけくそ》になり、
|高姫《たかひめ》『|此《この》|方《かた》は|私《わたし》の|夫《をつと》だよ。お|前《まへ》も|聞《き》いてをつただらうが、|昔《むかし》からの|許嫁《いひなづけ》だから、|別《べつ》に|隠《かく》す|必要《ひつえう》もないのだ、サア|彼方《あつち》へ|行《い》かつしやれ』
ヨル『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|甘《うま》い|事《こと》|仰有《おつしや》いますワイ、コレコレ|楓《かへで》さま、イル、イク、サール、ハル、テル、|彼方《あつち》へ|行《い》かう、グヅグヅしてると、|高姫《たかひめ》|様《さま》が、|事《こと》にヨルと、|頭《あたま》をハルと、いふテル……でもない。これから、|夜《よる》にイルと、|高姫《たかひめ》さまとトさまのイクサールが|始《はじ》まるのだから、サアサアあちらへ|控《ひか》えたり|控《ひか》えたり、ホンにホンに、|仲《なか》のいい|事《こと》だ、お|目出《めで》たいなア』
と|云《い》ひながら、|七人《しちにん》は|足音《あしおと》|高《たか》く、ドスドスドスと|表《おもて》へ|駆《か》け|出《だ》した。
|高姫《たかひめ》『コレ|時《とき》さま、|起《お》きなさらぬかいな、|意地《いぢ》が|悪《わる》い、|若《わか》い|奴《やつ》といふ|者《もの》は、|物珍《ものめづら》し|相《さう》に|仕方《しかた》のないものですよ。|最前《さいぜん》から|貴方《あなた》との|話《はなし》を、|皆《みな》|次《つぎ》の|間《ま》で|聞《き》いてゐたのですもの』
|時置《ときおか》『アハヽヽヽ、そりや|面白《おもしろ》い、|何《いづ》れ|年《とし》が|老《よ》つて、|結婚《けつこん》をせうと|云《い》ふのだから、チツと|度胸《どきよう》がなくちや|駄目《だめ》だ。|一層《いつそう》の|事《こと》いいぢやないか、|披露《ひろう》する|必要《ひつえう》もなくて……なア、|高《たか》ちやん』
|高姫《たかひめ》『さうですなア、|私《わたし》もトちやんがお|出《い》でになつてから、|何《なん》だか|気《き》がイソイソして|心強《こころづよ》くなりましたワ。サ|就寝《やす》みませう』
|時置《ときおか》『それだと|云《い》つて、|今《いま》すぐに|休《やす》む|訳《わけ》にや|行《い》くまい。|御神殿《ごしんでん》へ|行《い》つて|御礼《おれい》を|申上《まをしあ》げ、そして|時置師《ときおかし》と|高姫《たかひめ》が|臨時《りんじ》|結婚《けつこん》を|致《いた》しますと|申上《まをしあ》げて|来《き》たら|何《ど》うだらうなア』
|高姫《たかひめ》はプリンと|背中《せなか》をそむけ、
|高姫《たかひめ》『コレ|時《とき》さま、|臨時《りんじ》|結婚《けつこん》なんて、|厭《いや》ですよ、|永遠無窮《ゑいゑんむきう》の|結婚《けつこん》でなくちや|嘘《うそ》ですわ』
|時置《ときおか》『さうだと|云《い》つて、さう|俄《にはか》に|大層《たいそう》な|婚礼式《こんれいしき》も|出来《でき》ぬぢやないか、|今晩《こんばん》は|一寸《ちよつと》|仮結婚《かりけつこん》としておいて、|互《たがひ》に|気《き》に|入《い》つたら|玉椿八千代《たまつばきやちよ》|迄《まで》も|契《ちぎ》るのだ。|想思《さうし》の|男女《だんぢよ》の|事《こと》だから、マアゆつくりと|楽《たの》しんで、|婚礼《こんれい》|迄《まで》に|互《たがひ》の|長短《ちやうたん》を|調《しら》べて、いよいよ|両方《りやうはう》から、これならば|偕老同穴《かいらうどうけつ》を|契《ちぎ》つてもよいといふやうになつたら、それこそ|改《あらた》めて|公々然《こうこうぜん》と|結婚式《けつこんしき》を|挙《あ》げやうぢやないか』
|高姫《たかひめ》『あてえ|今晩《こんばん》は、|体《からだ》の|都合《つがふ》が|悪《わる》う|厶《ござ》いますから、|御礼《おれい》はこらへて|戴《いただ》きます、お|客《きやく》さまのある|時《とき》に|神様《かみさま》へ|参《まゐ》るものぢやありませぬからな』
|時置《ときおか》『|月《つき》に|七日《なぬか》のお|客《きやく》さまがあるといふのかな、ソリヤ|仮結婚式《かりけつこんしき》も|駄目《だめ》だないか』
|高姫《たかひめ》『ホツホヽヽ、|合点《がつてん》の|悪《わる》いお|方《かた》だこと、お|客《きやく》さまといへば|此《この》|人《ひと》だよ』
と|細《ほそ》い|目《め》をし|乍《なが》ら、|時置師《ときおかし》の|肩《かた》をポンと|叩《たた》いた。|時置師《ときおかし》はワザとグナリとし|乍《なが》ら、|細《ほそ》い|目《め》をして、
|時置《ときおか》『エヘツヘヽヽ』
こんな|話《はなし》をし|乍《なが》ら|二人《ふたり》は|灯火《あかり》を|消《け》して、|睦《むつま》じく|一夜《いちや》を|明《あか》しける。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 松村真澄録)
第一三章 |胸《むね》の|轟《とどろき》〔一二八七〕
|高姫《たかひめ》は|思《おも》ひもよらぬ|立派《りつぱ》な|夫《をつと》を|持《も》ち、ますます|鼻息《はないき》|荒《あら》く、|翌朝《よくてう》よりは|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》を|又《また》もや|矢鱈《やたら》にふり|廻《まは》し|出《だ》した。|時置師神《ときおかしのかみ》は|朝《あさ》の|間《ま》|早《はや》うから、|神殿《しんでん》に|参拝《さんぱい》すると|云《い》つて|出《で》て|行《い》つた。|跡《あと》に|高姫《たかひめ》は|火鉢《ひばち》を|前《まへ》におき、キチンと|坐《すわ》り|乍《なが》ら|長《なが》い|煙管《きせる》で|煙草《たばこ》をポカポカふかしてゐる、そして|鈴《りん》をチンチンと|叩《たた》いた。ヨルはコワゴワ|乍《なが》ら|頭《あたま》を|掻《か》きもつて、|襖《ふすま》をソツとひらき、
『へ、|御免《ごめん》なさいませ』
と|身体《からだ》を|半分《はんぶん》つき|出《だ》し、|早《はや》くも|逃《に》げ|腰《ごし》になつてゐる。
|高姫《たかひめ》『コレ、ヨル|公《こう》、|何《なん》と|云《い》ふ|恰好《かつかう》だいな。|其《その》|腰《こし》は|何《なん》だい、みつともない、サツサとお|這入《はい》りなさい』
ヨル『ヘー、|何分《なにぶん》|夜通《よどほ》し、|使《つか》つたものですから、とうとこんな|腰《こし》になりました。|本当《ほんたう》に|世界中《せかいぢう》|一所《いつしよ》によつた|様《やう》な|心持《こころもち》で|厶《ござ》いましたよ、エヘヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は、|私《わたし》たちのヒソヒソ|話《ばなし》を|聞《き》いてゐたのだな』
ヨル『ハイ、エヽヽ、|世界中《せかいぢう》、よつた|様《やう》だと、|貴女《あなた》が|仰有《おつしや》つたものだから、|私《わたし》も|気《き》が|気《き》でなく、もしもこんな|所《ところ》へ|世界中《せかいぢう》|押寄《おしよ》せて|来《こ》うものなら、|貴女《あなた》の|前《まへ》の|夫《をつと》が|交《まじ》つてゐるに|違《ちが》ひない。さうすりや|大喧嘩《おほげんくわ》が|始《はじ》まるだらうと、|捻鉢巻《ねぢはちまき》でチヤンと|夜通《よどほ》し|控《ひか》えてゐました、|先《ま》づ|先《ま》づ|無事《ぶじ》で|岩戸開《いはとびら》きも|相《あひ》すみ、お|目出度《めでた》う|厶《ござ》います、エツヘヽヽヽ、|何分《なにぶん》ヨルの|守護《しゆご》で|厶《ござ》いますから、|此《この》ヨル|公《こう》は|夜分《やぶん》は|寝《ね》られませぬので……』
|高姫《たかひめ》『|外《ほか》の|連中《れんちう》は|何《ど》うして|居《を》つたのだい』
ヨル『ハイ、|次《つぎ》の|間《ま》で|六人《ろくにん》|乍《なが》ら、|並列《へいれつ》|致《いた》しまして、|御招伴《おせうばん》に、ラマ|教《けう》の|修業《しうげふ》を|致《いた》して|居《を》りました。|随分《ずいぶん》|勢《いきほひ》のよいものでしたよ』
|高姫《たかひめ》『エーエ、|困《こま》つた|連中《れんちう》だなア、サ|早《はや》く|御膳《おぜん》の|拵《こしら》へをしておくれ』
ヨル『ハイ|畏《かしこ》まりました。|併《しか》しお|膳《ぜん》は|一《ひと》つですか、|二《ふた》つにしませうか』
|高姫《たかひめ》『そんなこた|言《い》はいでも、|大抵《たいてい》|気《き》を|利《き》かしたら|何《ど》うだいなア』
ヨル『そんならお|二人《ふたり》さまですから、|二《ふた》つに|致《いた》しませうか』
|高姫《たかひめ》『エーエ、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だなア、|二《ふた》つは|即《すなは》ち|一《ひと》つ、|一《いち》といへば|二《に》を|悟《さと》る|男《をとこ》でないと|誠《まこと》の|御用《ごよう》には|立《た》ちませぬぞや』
ヨル『どうぞハツキリ|云《い》つて|下《くだ》さいませ。|二《ふた》つか|一《ひと》つかと|云《い》ふ|事《こと》を……』
|高姫《たかひめ》『エーエ、よいかげんに|考《かんが》へておきなさい。|大抵《たいてい》|分《わか》つて|居《ゐ》るだらう』
ヨル『なる|程《ほど》、ヤ|分《わか》りました。|昨夕《ゆうべ》は|二《ふた》つでしたな、そんなら|二《ふた》つに|致《いた》しませう。|据膳《すゑぜん》くはぬは|男《をとこ》の|中《うち》でないと|云《い》ひますから、イツヒヽヽヽ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|舌《した》をチヨツとかみ|出《だ》し、|腮《あご》を|二《ふた》つ|三《み》つしやくり|出《い》でて|行《ゆ》く。
|高姫《たかひめ》は|煙管《きせる》で|火鉢《ひばち》をポンと|叩《たた》き|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》。|何卒《なにとぞ》|々々《なにとぞ》|時《とき》さまと|末永《すゑなが》く|添《そ》はれまして、|神界《しんかい》の|為《ため》に|結構《けつこう》な|御用《ごよう》が|出来《でき》ます|様《やう》に……』
と|祈《いの》つてゐる。そこへ|時置師《ときおかし》の|神《かみ》は|神殿《しんでん》の|礼拝《れいはい》を|了《をは》り、ニコニコし|乍《なが》ら|帰《かへ》り|来《きた》り、
|時置《ときおか》『ヤア|高《たか》ちやん、えらう|待《ま》たせました。さぞお|淋《さむ》しいこつて|厶《ござ》りませう』
|高姫《たかひめ》『コレ|時置師《ときおかし》の|神《かみ》さま、|誰《たれ》が|聞《き》いてるか|分《わか》りませぬよ。|高《たか》ちやんなんて|言《い》つて|貰《もら》ふと、サツパリ|威信《ゐしん》が|地《ち》におちます。|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》と|云《い》つて|貰《もら》はにやなりませぬぞや』
|時置《ときおか》『ヤツパリ|日出神《ひのでのかみ》で|立《た》て|通《とほ》す|積《つも》りですかな。|成程《なるほど》そいつあ|妙《めう》だ。|宜《よろ》しい、そんならこれから|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》と|申上《まをしあ》げませう』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》ですか、|改《あらた》まつた|物《もの》の|云《い》ひやうをして、|本当《ほんたう》に|白々《しらじら》しい』
|時置《ときおか》『そんなら、|山《やま》の|神様《かみさま》、|何《なん》と|申《まを》したらいいのですか』
|高姫《たかひめ》『|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》といふのだよ』
|時置《ときおか》『よしよし、そんなら、これから、さう|申《まを》しませうかな』
|高姫《たかひめ》はツーンとすねて、|肩《かた》をプリツとふり、|背中《せなか》を|向《む》け、
|高姫《たかひめ》『|勝手《かつて》になさいませ。どうでこんなお|多福《たふく》はお|気《き》に|召《め》しますまいからなア、ヘン』
|時置《ときおか》『アツハヽヽヽ、|芋虫《いもむし》の|様《やう》に、|能《よ》うプリンプリンと|遊《あそ》ばすお|方《かた》だなア』
|高姫《たかひめ》『あゝ|貴方《あなた》、|耳《みみ》が|動《うご》くぢやありませぬか、あらマア|不思議《ふしぎ》なこと』
|時置《ときおか》『|私《わたし》の|耳《みみ》の|時々《ときどき》|動《うご》くのは、|生《うま》れつきだよ。それだから|時《とき》と|云《い》ふのだ。お|前《まへ》だつて、|歩《ある》く|拍子《ひやうし》に|尻《しり》をふるだらう。|夫《そ》れ|位《くらゐ》な|大《おほ》きな|尻《しり》でさへもプリン プリンふるのだから|小《ちひ》さい|耳《みみ》が|動《うご》く|位《くらゐ》、|何《なに》が|可怪《をか》しいのだ。お|前《まへ》たちの|耳《みみ》は|不随意筋《ふずゐいきん》と|云《い》つて、|思《おも》ふやうに|動《うご》かないのだらう。|祝詞《のりと》の|文句《もんく》にもあるだないか、|天《あめ》の|斑駒《ふちこま》の|耳《みみ》ふりたてて|聞《き》こしめせとか、|小男鹿《さをしか》の|八《や》つの|耳《みみ》ふり|立《た》てて……とか|書《か》いてあるだらう。すべて|神格《しんかく》に|満《み》たされた|大神人《だいしんじん》は|耳《みみ》が|動《うご》くのだよ。|国治立《くにはるたち》の|大神様《おほかみさま》でさへも、|大変《たいへん》によく|耳《みみ》が|動《うご》いたのだ。それだから、あれ|丈《だけ》の|大神業《だいしんげふ》が|出来《でき》たのだ。|暫《しばら》く|其《その》|御神力《ごしんりき》を|隠《かく》させ|玉《たま》ふたのを、|耳《みみ》をかくし|玉《たま》ふと|祝詞《のりと》に|書《か》いてあるのだ。|耳《みみ》の|動《うご》くのは|大神人《だいしんじん》の|生《うま》れ|代《かは》りたる|証拠《しようこ》だよ。|義理天上《ぎりてんじやう》さま、|此《この》|時置師《ときおかし》の|耳《みみ》が|動《うご》くのが|厭《いや》なら、これきり|私《わたし》は、お|前《まへ》さまのお|気《き》にいらぬに|違《ちが》ひないから、|別《わか》れませうよ』
|高姫《たかひめ》『さう|怒《おこ》つて|貰《もら》つちや|困《こま》るぢやありませぬか。|互《たがひ》に|打解《うちと》けた|夫婦《ふうふ》の|仲《なか》、|耳《みみ》が|動《うご》くと|云《い》つて|褒《ほ》めた|位《くらゐ》に、さう|怒《おこ》るといふ|事《こと》がありますか』
|時置《ときおか》『アハヽヽヽ、お|前《まへ》が|余《あま》りプリンプリンするので、|何《なに》か|一《ひと》つ|返報《へんぱう》がへしをせうと|思《おも》つてた|所《ところ》だ。それで|一寸《ちよつと》すねて|見《み》たのだよ。アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『おきやんせいなア、よい|年《とし》をしてゐて、みつともない』
|時置《ときおか》『エツヘツヘツヘ』
かかる|所《ところ》へ|楓《かへで》は|襖《ふすま》をソツとあけ、
|楓《かへで》『もし|日出神《ひのでのかみ》の|小母様《をばさま》、|御膳《おぜん》が|出来《でき》ました』
と|膳部《ぜんぶ》を|持《も》ち|運《はこ》んで|来《き》た。
|高姫《たかひめ》『あゝ|御苦労《ごくらう》さま、どうぞ|其処《そこ》においといておくれ、そして|御膳《おぜん》はたつた|一《ひと》つだなア、|早《はや》くもう|一膳《いちぜん》|持《も》つて|来《き》て|下《くだ》さい』
|楓《かへで》『あの、|小母《をば》さま、|御膳《おぜん》はこれきりのよ、ヨルさまが|一膳《いちぜん》|持《も》つて|行《ゆ》けばよいと|云《い》ひましたの』
|高姫《たかひめ》『エヽ、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だなア。コレ|楓《かへで》さま、ヨルを|一寸《ちよつと》|此処《ここ》へお|出《い》でといつて|下《くだ》さい』
|楓《かへで》『ハイ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら|此《この》|場《ば》を|立《た》つて|行《ゆ》く。
|時置《ときおか》『オイ|日出神《ひのでのかみ》さま、|僕《ぼく》はモウお|暇《いとま》する。これ|丈《だけ》|虐待《ぎやくたい》されちや、|居《を》りたくても|居《を》られないからな。|俺《おれ》だつて|木像《もくざう》ではなし、なんぼ|杢助《もくすけ》だと|云《い》つてもヤツパリ|食物《しよくもつ》は|必要《ひつえう》だ。|朝飯《あさめし》もよんで|貰《もら》へぬやうな|所《ところ》に|居《を》つても|約《つ》まらないから……』
と|憤然《ふんぜん》として|立上《たちあが》るを、|高姫《たかひめ》は|慌《あわ》てて|取《とり》すがり、|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して、
|高姫《たかひめ》『コレ、|時《とき》さま、さう|短気《たんき》を|出《だ》すものぢや|厶《ござ》んせぬわいな、|昨夕《ゆうべ》のことを|覚《おぼ》えてますか、|気《き》の|利《き》かない|奴《やつ》|許《ばか》りだからこんな|不都合《ふつがふ》|致《いた》しましたのですよ。|私《わたし》がトツクリと|言《い》ひ|聞《き》かせますから、|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》して、|此《この》お|膳《ぜん》を|召上《めしあが》つて|下《くだ》さいな』
|時置《ときおか》『|一人前《いちにんまへ》の|男《をとこ》を|化物扱《ばけものあつか》ひ|致《いた》して、|耳《みみ》が|動《うご》くの|何《なん》のと|侮辱《ぶじよく》を|加《くは》へた|上《うへ》、|何《なん》だ。|貴様《きさま》の|膳部《ぜんぶ》|許《ばか》り|持《も》て|来《き》て、|俺《おれ》をてらしよつた。|馬鹿《ばか》らしい、そんな|所《ところ》にのめのめと|居《ゐ》る|時《とき》さまぢやないぞ』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまは|此《この》|高姫《たかひめ》の|心《こころ》が|分《わか》りませぬのかい、……コレコレ、ヨル、|一寸《ちよつと》お|出《い》で』
|此《この》|声《こゑ》にヨルは、ソツと|襖《ふすま》をあけ、
ヨル『ハイ、|何《なん》ぞ|御用《ごよう》で|厶《ござ》いますか』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》なぜ、お|膳《ぜん》を|二《ふた》つして|来《こ》ないのだい』
ヨル『ハイ、|夜前《やぜん》ソツと|聞《き》いて|居《を》りましたら、|二《ふた》つにせうか、イヤイヤ|今度《こんど》は|始《はじ》めてだから、|一《ひと》つにしておかうと|仰有《おつしや》つたぢや|厶《ござ》いませぬか、それ|故《ゆゑ》|仰有《おつしや》つた|通《とほ》り|致《いた》しました』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だなア。コレからキツと|二人《ふたり》|居《を》つたら、|二人前《ににんまへ》|持《も》つて|来《く》るのだよ』
ヨル『ハイ、|今後《こんご》は|心得《こころえ》ます。|実《じつ》の|所《ところ》は|貴女《あなた》は|何時《いつ》も|断食《だんじき》|断食《だんじき》と|仰有《おつしや》るものですから、|今朝《けさ》から|断食《だんじき》をお|始《はじ》めなさつたかと|思《おも》ひ、お|客様《きやくさま》の|丈《だけ》|持《も》つて|来《き》たので|厶《ござ》います。|楓《かへで》さまが|何《なん》と|云《い》つたか|知《し》りませぬが、|此《この》お|膳《ぜん》は|貴女《あなた》のぢや|厶《ござ》いませぬ。トさまので|厶《ござ》います』
|高姫《たかひめ》は|機嫌《きげん》を|直《なほ》し、
『あゝさうかな、さうだらう さうだらう、そんな|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》は|此処《ここ》には|居《を》らない|筈《はず》だ。|併《しか》し|今朝《けさ》は|私《わし》も|頂《いただ》くのだから、どうぞモウ|一膳《いちぜん》|拵《こしら》へして|来《き》て|下《くだ》さい……コレ|時置師様《ときおかしさま》、|今《いま》お|聞《きき》の|通《とほ》りで|厶《ござ》います、これで|御合点《ごがつてん》が|参《まゐ》りましただらう』
|時置《ときおか》『ヤア、|済《す》まなかつた。あ、それを|聞《き》いて、|私《わし》も|満足《まんぞく》した。|高姫《たかひめ》、エライ|心配《しんぱい》をかけてすまなかつた。コレ|此《この》|通《とほ》り|杢助《もくすけ》が|両手《りやうて》を|合《あは》せて、お|詫《わび》を|致《いた》します。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|高姫《たかひめ》『オツホヽヽヽ、おきやんせいなア、|人《ひと》を|困《こま》らせようと|思《おも》ふて、|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|人《ひと》だ。|私《わたし》に|気《き》|許《ばか》り|揉《も》まして、|憎《にく》らしいワ』
|時置《ときおか》『ワハツハヽヽ、マア|能《よ》いワイ。|犬《いぬ》も|食《く》はぬ|喧嘩《けんくわ》をして|居《を》つても、はづまぬからなア』
ヨルは|膳部《ぜんぶ》の|用意《ようい》をなすべく、|急《いそ》いで|此《この》|場《ば》を|立去《たちさ》つた。|漸《やうや》くにして|二人《ふたり》は|機嫌《きげん》よく|朝餉《あさげ》をすまし、|時置師《ときおかし》は|祠《ほこら》の|森《もり》の|境内《けいだい》を|一々《いちいち》|巡視《じゆんし》すると|云《い》つて、|只《ただ》|一人《ひとり》|瓢然《へうぜん》と|出《で》て|行《い》つた。|高姫《たかひめ》はソロソロ|寄《よ》つて|来《く》る|参詣者《さんけいしや》に|対《たい》し、|教《をしへ》を|伝《つた》ふべく|装束《しやうぞく》をキチンと|着替《きか》へて、|日出神《ひのでのかみ》と|成《な》りすまし、|簾《みす》を|吊《つ》つて、|鉛《なまり》の|天神《てんじん》さま|然《ぜん》と|脇息《けふそく》に|凭《もた》れ|乍《なが》ら、|客《きやく》|待《ま》ち|顔《がほ》である。
ヨルは|例《れい》の|如《ごと》く|朝餉《あさげ》をすまし、|受付《うけつけ》にすました|顔《かほ》で、|賓頭盧尊者《びんづるそんじや》|宜《よろ》しくといふ|態《てい》で|控《ひか》えてゐる。そこへスタスタやつて|来《き》たのはお|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》の|両人《りやうにん》であつた。
お|寅《とら》『|何《なん》でも|此処《ここ》に|御普請《ごふしん》が|出来《でき》てると|聞《き》いて|居《を》りましたが、|立派《りつぱ》な|御普請《ごふしん》だなア、|十曜《とえう》の|紋《もん》の|旗《はた》が|閃《ひらめ》いてゐる。イソの|館《やかた》へ|参《まゐ》るには|此処《ここ》を|通《とほ》りぬけにする|訳《わけ》にも|行《ゆ》くまい。|心《こころ》が|急《せ》くけれど、|一《ひと》つ|参拝《さんぱい》して|参《まゐ》りませうか』
|魔我《まが》『|同《おな》じ|三五教《あななひけう》の|神《かみ》さまぢやありませぬか、|是非《ぜひ》|共《とも》|参拝《さんぱい》|致《いた》しませう』
と|受付《うけつけ》にツカツカと|進《すす》みより、
|魔我《まが》『モシ、|私《わたくし》は|元《もと》は|小北山《こぎたやま》のウラナイ|教《けう》の|副教主《ふくけうしゆ》で|厶《ござ》いましたが、|三五教《あななひけう》の|松彦《まつひこ》|様《さま》に|教《をしへ》を|承《うけたま》はり、|両人連《ふたりづ》れでイソの|館《やかた》へ|参《まゐ》る|途中《とちう》、|一寸《ちよつと》お|邪魔《じやま》を|致《いた》しました。どうぞ|参拝《さんぱい》をさして|頂《いただ》きたいもので|厶《ござ》います』
ヨル『それは|能《よ》う|御参《おまゐ》りで|厶《ござ》います。|私《わたくし》も|斯《か》うして|受付《うけつけ》を|致《いた》して|居《を》りますが、|元《もと》はバラモン|教《けう》の|信者《しんじや》で|厶《ござ》いました。そしてイソの|館《やかた》へ|宮潰《みやつぶ》しにゆく|軍《いくさ》の|中《うち》に|加《くは》はり|乍《なが》ら|其《その》|神様《かみさま》の|御家来《ごけらい》となつて、|御用《ごよう》をするとは、|本当《ほんたう》に|人間《にんげん》の|運命《うんめい》といふものは|不思議《ふしぎ》なものですよ。お|前《まへ》さまもウラナイ|教《けう》では|立派《りつぱ》なお|方《かた》だと|承《うけたま》はりますが、さぞ|神様《かみさま》はお|喜《よろこ》びでせう。ここには|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》の|生宮様《いきみやさま》が|御降臨《ごかうりん》|遊《あそ》ばし それはそれは エライ|御威勢《ごゐせい》で|厶《ござ》いますよ』
|魔我《まが》『エ、|何《なん》と|仰《おほ》せられます、|日出神《ひのでのかみ》の|生宮様《いきみやさま》とは……それは|何方《どなた》で|厶《ござ》いますか』
ヨル『ハイ、|楓姫《かへでひめ》といふ|若《わか》い|娘《むすめ》に|御神懸《おかむがか》り|遊《あそ》ばしてゐられましたが、それはホンの|四五日《しごにち》の|間《あひだ》で、|本当《ほんたう》の|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》|高姫《たかひめ》|様《さま》がお|出《い》でになつて|居《を》られます、それはそれはエライ|御神力《ごしんりき》で|厶《ござ》りますわ』
|魔我《まが》『ヤア、|其奴《そいつ》ア|不思議《ふしぎ》だ。こんな|所《ところ》で|高姫《たかひめ》|様《さま》にお|目《め》にかかるとは|夢《ゆめ》にも|知《し》らなかつた。あゝあ|蠑〓別《いもりわけ》さまが|居《を》つたら、さぞ|喜《よろこ》ぶことだらうに……コレお|寅《とら》さま、|蠑〓別《いもりわけ》さまのレコですよ。|腹《はら》を|立《た》てちや|可《い》けませぬよ』
お|寅《とら》『オツホヽヽヽ、コレ|魔我《まが》ヤン、いつ|迄《まで》も|何《なに》を|言《い》ふのだい。|此《この》お|寅《とら》は|最早《もはや》そんな|恋着心《れんちやくしん》は|露《つゆ》|程《ほど》も|有《あ》りませぬぞや。それより|早《はや》く、|高姫《たかひめ》|様《さま》とやらに|会《あ》はして|頂《いただ》きたいものだ』
|魔我《まが》『|早《はや》く|高姫《たかひめ》|様《さま》に|魔我彦《まがひこ》が|来《き》たと|伝《つた》へて|下《くだ》さい。さういへば|高姫《たかひめ》|様《さま》は|御存《ごぞん》じですから』
ヨル『ハイハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|何《なん》と|高姫《たかひめ》さまはお|顔《かほ》の|広《ひろ》い|人《ひと》だなア。|昨日《きのふ》も|高姫《たかひめ》さまを|尋《たづ》ねてトさまとやらがお|出《い》でになるなり、|今日《けふ》も|亦《また》マさまとやらがお|越《こ》し|遊《あそ》ばす、|此奴《こいつ》もヤツパリ、レコだなア』
と|呟《つぶや》きつつ、|二人《ふたり》を|受付《うけつけ》に|待《ま》たせおき、|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》に|慌《あわ》ただしく|駆《か》け|込《こ》んだ。
ヨル『もしもし|高姫《たかひめ》さま、マヽヽマヽヽガヽヽヒヽヽコとかいふお|方《かた》が|見《み》えました』
|高姫《たかひめ》『ナニ、|魔我彦《まがひこ》が|来《き》たといふのかい』
ヨル『ハイ、|魔我彦《まがひこ》さまと、そして|何《なん》でも|蠑〓別《いもりわけ》とか……|云《い》つてゐらつしやいました、|訪問者《はうもんしや》はお|二人《ふたり》で|厶《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『コレ、ヨルや、|魔我彦《まがひこ》さま|丈《だけ》、|一寸《ちよつと》|此方《こちら》へ|来《き》て|貰《もら》つておくれ、そして|一人《ひとり》の|方《かた》は|私《わたし》が|会《あ》ひに|行《ゆ》く|迄《まで》、|都合《つがふ》があるから|待《ま》つて|下《くだ》さるやうにいつておくれ、|余《あま》り|急《いそ》いで|行《い》つちや|可《い》けないよ、|此《この》|長廊下《ながらうか》の|椽板《えんいた》を|一枚《いちまい》|一枚《いちまい》|間違《まちが》はぬやうに、|読《よ》みもつて|行《ゆ》くのだよ』
ヨル『|椽板《えんいた》は|百八十枚《ひやくはちじふまい》キチンと|有《あ》ります。|今更《いまさら》よまなくつても|分《わか》つて|居《を》りますがな』
|高姫《たかひめ》『エーエ、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だな、ボツボツ|行《ゆ》きなと|云《い》ふのだ』
ヨル『エヘヽヽヽヽ、|又《また》|其《その》|間《ま》におやつしの|時間《じかん》が|入《い》りますからな、|随分《ずいぶん》|貴女《あなた》も|凄《すご》い|腕前《うでまへ》ですな、イツヒヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『エーツ、|此《この》|心配《しんぱい》なのに、そんな|気楽《きらく》な|事《こと》どこかいな。サ、|彼方《あつち》へ|往《い》つて|下《くだ》さい』
ヨルは『ヘーエ』と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|舌《した》をニユツと|出《だ》し、|頭《あたま》をかき、|腰《こし》を|蝦《えび》に|屈《かが》め、スゴスゴと|出《で》て|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|窓《まど》の|外《そと》を|見《み》まはし、|時置師神《ときおかしのかみ》の|姿《すがた》の|見《み》えぬのにヤツと|胸《むね》|撫《な》でおろし|独言《ひとりごと》、
|高姫《たかひめ》『あゝあ、|蠑〓別《いもりわけ》さまも、|気《き》の|利《き》かぬ|方《かた》だなア。モチツと|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》されば|可《い》いのに、|折角《せつかく》こがれ|慕《した》ふて|来《き》て|下《くだ》さつても、|高姫《たかひめ》にはモウ|時《とき》さまと|云《い》ふ|夫《をつと》が|出来《でき》たのだから、|大《おほ》きな|顔《かほ》でお|目《め》にかかる|訳《わけ》にもゆかず、あゝ|何《ど》うしたらよからうかな。|歯抜婆《はぬけばば》でも、ヤツパリどこかによい|所《ところ》があるとみえる……とはいふものの|困《こま》つた|事《こと》だワイ』
かかる|所《ところ》へ、ヨルは|魔我彦《まがひこ》の|手《て》をひいてやつて|来《き》た。
|魔我《まが》『これはこれは|高姫《たかひめ》さま、|久《ひさ》し|振《ぶり》でお|目《め》にかかります。|私《わたし》もたうとう|三五教《あななひけう》になりました。|貴女《あなた》は|偉《えら》う|御出世《ごしゆつせ》をなさいましたなア。イヤお|目出度《めでた》う|厶《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『ヤア|魔我彦《まがひこ》さま、|御機嫌《ごきげん》|宜《よろ》しう、|久《ひさ》しくお|目《め》にかからなかつたが、|一体《いつたい》お|前《まへ》はどこに|居《を》つたのだえ、どれ|丈《だけ》|捜《さが》してゐたか|知《し》れやしないワ』
|魔我《まが》『ハイ、|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|実《じつ》の|所《ところ》は|貴女《あなた》が|三五教《あななひけう》へお|入信《はい》りになつてから、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》が|北山村《きたやまむら》を|立退《たちの》き、|坂照山《さかてるやま》に|貴女《あなた》のお|筆先《ふでさき》を|元《もと》として、ユラリ|彦様《ひこさま》や、ヘグレ|神社様《じんしやさま》、|種物神社《たねものじんしや》、|其《その》|外《ほか》の|神々《かみがみ》を|祭《まつ》り、|小北山《こぎたやま》の|神殿《しんでん》と|称《しよう》して、|蠑〓別《いもりわけ》|様《さま》が|教主《けうしゆ》となり、|私《わたし》が|副教主《ふくけうしゆ》として|活動《くわつどう》してゐました。そこへ|三五教《あななひけう》の|宣伝使《せんでんし》がみえまして|結構《けつこう》な|教《をしへ》を|聞《き》かして|頂《いただ》きまして、たうとう|帰順《きじゆん》|致《いた》しました。|貴女《あなた》にここでお|目《め》にかからうとは|思《おも》ひませなんだ』
|高姫《たかひめ》『さすが|蠑〓別《いもりわけ》さまだ。エライものだ、お|前《まへ》も|頑固《ぐわんこ》な|男《をとこ》だが、|高姫《たかひめ》の|教《をしへ》を|仮令《たとへ》ゆがみなりにせよ、よう|立《た》てて|下《くだ》さつた、マア|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》すれば|之《これ》に|越《こ》した|事《こと》はない。そして|蠑〓別《いもりわけ》はヤハリ|三五教《あななひけう》に|帰順《きじゆん》されたのかな』
|魔我《まが》『ハイ、サツパリ、|心《こころ》の|底《そこ》から|改心《かいしん》されまして、|今《いま》では|治国別《はるくにわけ》さまに|従《したが》ひ、|宣伝《せんでん》に|歩《ある》いてゐられます』
|高姫《たかひめ》『|今《いま》ここへお|前《まへ》さまのつらつて|来《き》た、モ|一人《ひとり》の|方《かた》は|蠑〓別《いもりわけ》さまぢやありませぬか』
|魔我《まが》『ハイ|違《ちが》ひます、|蠑〓別《いもりわけ》さまの……|実《じつ》は|御敷蒲団《おしきぶとん》で|厶《ござ》います。|今《いま》にお|目《め》にかけませう』
|高姫《たかひめ》『|定《さだ》めて|若《わか》い|奇麗《きれい》な|御方《おかた》でせうなア、|本当《ほんたう》に|蠑〓別《いもりわけ》さまは、|何《なん》と|云《い》つても|色男《いろをとこ》だ、|私《わたし》のやうな|者《もの》は|見限《みかぎ》り|遊《あそ》ばすのは|無理《むり》はない、|併《しか》し|乍《なが》ら|今《いま》となつては|却《かへつ》て|結構《けつこう》だ』
|魔我《まが》『イエイエ|滅相《めつさう》もない、|六十《ろくじふ》|許《ばか》りのお|寅《とら》といふお|婆《ば》アさまですよ、|元《もと》は|浮木《うきき》の|村《むら》の|女侠客《をんなけふかく》、|白波《しらなみ》の|艮婆《うしとらばあ》さまといふ|剛《がう》の|者《もの》ですよ。それがスツカリ|改心《かいしん》して、|治国別《はるくにわけ》|様《さま》の|添書《てんしよ》を|戴《いただ》き、これからイソの|館《やかた》へ|参拝《さんぱい》して、|宣伝使《せんでんし》にならうといふとこです。|此《この》|魔我彦《まがひこ》もお|寅《とら》さまのお|伴《とも》してウブスナ|山《やま》の|聖場《せいぢやう》へ|修行《しうぎやう》に|参《まゐ》る|積《つも》りです』
|高姫《たかひめ》『それは|誠《まこと》に|結構《けつこう》だ。|併《しか》し|乍《なが》らお|寅《とら》さまとやらにも、お|前《まへ》にも、トツクリと|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》から|云《い》つておかねばならぬ|事《こと》があるから、|其《その》お|寅《とら》さまを|此処《ここ》へよんで|来《き》て|下《くだ》さい……コレコレ ヨルや、お|前《まへ》|其《その》お|寅《とら》さまとやらを、ここ|迄《まで》|御案内《ごあんない》|申《まを》しや』
『ハイ』と|答《こた》へてヨルは|受付《うけつけ》を|指《さ》して、|長廊下《ながらうか》をドシドシ|威喝《ゐかつ》させ|乍《なが》ら|走《はし》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 松村真澄録)
第一四章 |大妨言《だいばうげん》〔一二八八〕
|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》には|高姫《たかひめ》、お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》の|三人《さんにん》が|三角形《さんかくけい》に|座《ざ》を|占《し》め、|高姫《たかひめ》の|説教《せつけう》を|耳《みみ》をかたげて|聞《き》いて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『|魔我彦《まがひこ》さま、お|前《まへ》はイソの|館《やかた》へ|詣《まゐ》るのも|結構《けつこう》だ。|決《けつ》してとめは|致《いた》さぬが、まだお|前《まへ》の|様《やう》な|事《こと》で|到底《たうてい》イソの|館《やかた》へ|行《い》つても|赤恥《あかはぢ》をかく|様《やう》なものだから、|此《この》|高姫《たかひめ》が|此《これ》から|行《い》つても|差支《さしつかへ》ないと|云《い》ふ|処《ところ》|迄《まで》|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》の|御説教《おせつけう》を|聞《き》いて|其《その》|上《うへ》にしなさい』
|魔我《まが》『それは|有難《ありがた》う|厶《ござ》りますが、さうグヅグヅして|居《を》れませぬ。|何程《なにほど》|貴女《あなた》が|偉《えら》くてもヤツパリ|元《もと》は|元《もと》ですからな。|私《わたし》は|祠《ほこら》の|森《もり》へ|参拝《さんぱい》するつもりで|来《き》たのぢやありませぬ。|松姫《まつひめ》さまに|許《ゆる》されてイソの|館《やかた》に|直接《ちよくせつ》に|教《をしへ》を|聞《き》く|事《こと》に|致《いた》して|来《き》ましたから、|今夜《こんや》は|御世話《おせわ》になるとしても|是非《ぜひ》|明日《みやうにち》はイソの|館《やかた》へ|百日《ひやくにち》ばかり|修業《しうげふ》に|行《い》つて|参《まゐ》ります』
|高姫《たかひめ》『これ|魔我彦《まがひこ》、お|前《まへ》チツと|慢心《まんしん》してはゐないかな。|何程《なにほど》|松姫《まつひめ》さまがイソの|館《やかた》へ|行《ゆ》けと|仰有《おつしや》つても|神力《しんりき》のない|者《もの》が|何《ど》うして|行《ゆ》けますかね。お|前《まへ》は|元《もと》は|高姫《たかひめ》の|弟子《でし》だつた|事《こと》は|誰《たれ》|知《し》らぬ|者《もの》はありませぬよ。お|前《まへ》の|様《やう》に|修業《しうげふ》の|足《た》らぬ|人《ひと》がイソの|館《やかた》に|行《い》つて|御覧《ごらん》、|高姫《たかひめ》もあんな|分《わか》らぬものを|弟子《でし》にして|居《を》つたかと|思《おも》はれちやお|前《まへ》ばかりの|恥《はぢ》ぢやありませぬぞえ。|忽《たちま》ちこの|高姫《たかひめ》の|恥《はぢ》になります。それで|此処《ここ》で|充分《じゆうぶん》|修業《しうげふ》して|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》からお|許《ゆる》しを|受《う》けたらイソの|館《やかた》へ|行《い》つても|宜《よろ》しい』
|魔我《まが》『それなら、|何日《なんにち》ばかり|此処《ここ》にお|世話《せわ》になつたら|宜《よろ》しいでせうかな』
|高姫《たかひめ》『さうだな、まア|早《はや》くて|百日《ひやくにち》、おそくて|二百日《にひやくにち》だらうかいな』
|魔我《まが》『さう|長《なが》らく|居《ゐ》る|訳《わけ》にや|行《ゆ》きませぬ。|往復《わうふく》の|日数《につすう》を|加《くは》へて|百日《ひやくにち》の|間《あひだ》お|暇《ひま》を|戴《いただ》いて|来《き》たのですから、こんな|所《ところ》に|百日《ひやくにち》も|居《を》らうものならイソ|館《やかた》へ|詣《まゐ》る|事《こと》が|出来《でき》ぬぢやありませぬか。それでは|松姫《まつひめ》さまに|嘘《うそ》をついた|事《こと》になりますから、|兎《と》も|角《かく》|明日《あす》はお|寅《とら》さまと|参拝《さんぱい》して|来《き》ます』
|高姫《たかひめ》『|仮令《たとへ》|百日《ひやくにち》かからうと|二百日《にひやくにち》かからうと|聖地《せいち》に|上《のぼ》る|丈《だけ》の|徳《とく》がつかねば|如何《どう》して|行《ゆ》けるものか。|私《わし》もお|前《まへ》を|大切《たいせつ》に|思《おも》へばこそ|斯《か》うして|気《き》をつけるのだよ。よう|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさい。|中有界《ちううかい》に|迷《まよ》ふてゐる|八衢人足《やちまたにんそく》の|身魂《みたま》が|何程《なにほど》|天国《てんごく》を|覗《のぞ》かうと|思《おも》つてもまばゆいばつかりで|却《かへつ》て|苦《くる》しいものだ、|面《つら》|曝《さら》されて|逃《に》げて|帰《かへ》つて|来《こ》ねばなりませぬぞや。チツと|此処《ここ》で|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》の|筆先《ふでさき》を|戴《いただ》いて|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》をよく|調《しら》べて|詣《まゐ》れる|資格《しかく》があればお|詣《まゐ》りなさい。|何《なに》は|兎《と》もあれ|身魂研《みたまみが》きが|肝腎《かんじん》だからな』
|魔我《まが》『|高姫《たかひめ》さま、|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》は|私《わたし》ぢやなかつたのですか』
|高姫《たかひめ》『さうぢや、|暫《しばら》くお|前《まへ》に|表向《おもてむ》き、さう|云《い》はしてあつたのだが、|何時《いつ》|迄《まで》も|世《よ》は|持《も》ちきりには|致《いた》させませぬぞや。|誠《まこと》の|日出神《ひのでのかみ》は|此《この》|高姫《たかひめ》ですよ。ヘン……|済《す》みませぬな』
|魔我《まが》『|身魂《みたま》の|因縁《いんねん》だとか、|義理天上《ぎりてんじやう》だとか、|日出神《ひのでのかみ》だとか、|私《わたし》はもうこりこりしました。|小北山《こぎたやま》で|松彦《まつひこ》さまが|見《み》えて、|何《なに》もかもサツパリ|化《ば》けが|露《あら》はれて|了《しま》つただもの、|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》と|云《い》つてるのは|金毛九尾《きんまうきうび》の|家来《けらい》の|大《おほ》きな|黒狐《くろぎつね》ですよ。お|前《まへ》もヤツパリ|其《その》|黒狐《くろぎつね》を|喜《よろこ》んで|奉《たてまつ》つてゐるのですか』
|高姫《たかひめ》『これ|魔我《まが》、そりや|何《なん》と|云《い》ふ|大《だい》それた|事《こと》を|云《い》ふのだい。|勿体《もつたい》なくも|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》を|狐《きつね》だ|等《など》と|馬鹿《ばか》にしなさるな。お|前《まへ》の|腹《はら》の|中《なか》に|曲津《まがつ》が|棲《す》んでゐるのだらう。それがそんな|事《こと》|見《み》せたのだ。それでマガ|彦《ひこ》と|神様《かみさま》が|名《な》をおつけ|遊《あそ》ばしたのだよ。|左様《さやう》の|事《こと》|申《まを》すなら|何《なん》と|云《い》つてもイソの|館《やかた》へはやりませぬぞや』
|魔我《まが》『お|寅《とら》さま、|如何《どう》しませうかな。|高姫《たかひめ》さまがあんな|事《こと》|云《い》ひますがなア』
お|寅《とら》『|高姫《たかひめ》さまが|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|私《わたし》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》から|手紙《てがみ》を|戴《いただ》いて|来《き》たのだから|非《ひ》が|邪《じや》でもイソ|館《やかた》へ|参《まゐ》り|八島主様《やしまぬしさま》に|此《この》|手紙《てがみ》を|手渡《てわた》しし|嫌《いや》でも|応《おう》でも|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》となつて|帰《かへ》らねばなりませぬ。お|前《まへ》は|此処《ここ》に|修行《しうぎやう》に|来《き》たのではない。|此《この》お|寅《とら》の|付添《つきそひ》だから|如何《どう》しても|来《き》て|貰《もら》はねばなりませぬ。|高姫《たかひめ》さま、|私《わたし》が|魔我彦《まがひこ》を|連《つ》れて|行《ゆ》きますから|又《また》|御世話《おせわ》になります。|今度《こんど》は|如何《どう》しても|連《つ》れて|行《ゆ》かねばなりませぬ』
|高姫《たかひめ》『これお|寅《とら》さまとやら、お|前《まへ》さまは|治国別《はるくにわけ》とやらに|添書《てんしよ》を|貰《もら》つてイソの|館《やかた》へおいでるのかい。そりや|措《お》いたが|宜《よろ》しからうぞや。|云《い》ふとすまぬがお|前《まへ》はまだそれ|丈《だ》けの|資格《しかく》が|備《そな》はつて|居《を》らぬ。|治国別《はるくにわけ》なんて|偉相《えらさう》に|云《い》つてるが、|彼奴《あいつ》は|元《もと》はウラル|教《けう》の|亀公《かめこう》ぢやないか。そんな|奴《やつ》が|手紙《てがみ》を|書《か》いた|処《ところ》が……ヘン|何《なに》、|八島主様《やしまぬしさま》がお|受取《うけと》り|遊《あそ》ばすものか。|悪《わる》い|事《こと》は|決《けつ》して|申《まを》しませぬ、|此《この》|日出神《ひのでのかみ》の|申《まを》す|様《やう》になさつたが|宜《よろ》しからうぞや』
お|寅《とら》『|治国別《はるくにわけ》|様《さま》は|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》ぢや|厶《ござ》りませぬか。さうして|第一天国《だいいちてんごく》|迄《まで》お|調《しら》べになつた|結構《けつこう》なお|方《かた》ですよ。|其《その》お|方《かた》から|手紙《てがみ》を|下《くだ》さつたのだから|八島主様《やしまぬしさま》がお|受取《うけと》りなさらぬ|道理《だうり》がありますか。|私《わたし》は|何《なん》と|仰有《おつしや》つても|参《まゐ》ります』
|高姫《たかひめ》『ヘン、|偉相《えらさう》に、|亀《かめ》の|野郎《やらう》、|第一天国《だいいちてんごく》に|行《い》つて|来《き》た|等《など》と、そんな|事《こと》が|如何《どう》してあるものか。|彼奴《あいつ》は|醜《しこ》の|岩窟《いはや》の|井戸《ゐど》に|這入《はい》つてドン|亀《がめ》の|様《やう》に|苦《くる》しんでゐた|男《をとこ》だ。そして|自転倒島《おのころじま》に|渡《わた》り|英子姫《ひでこひめ》、|悦子姫《よしこひめ》|等《など》の|女達《をんなたち》の|家来《けらい》になつた|男《をとこ》ですよ。お|寅《とら》さま、そんな|男《をとこ》の|手紙《てがみ》を|貰《もら》つて|何《なに》になりますか。それよりも|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》の|教《をしへ》を|受《う》けて|其《その》|上《うへ》でイソの|館《やかた》へおいでなさい。さうしたら|屹度《きつと》|八島主《やしまぬし》が|面会《めんくわい》してくれるでせう』
お|寅《とら》『はい、|御親切《ごしんせつ》は|有難《ありがた》う|厶《ござ》りますが|何《なん》と|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつても、|私《わたし》は|思《おも》ひ|立《た》つたのだから|参《まゐ》ります。そして|貴女《あなた》|様《さま》の|弟子《でし》ぢやあ|厶《ござ》いませぬ。|治国別《はるくにわけ》の|直々《ぢきぢき》のお|弟子《でし》になつたので|厶《ござ》ります。おとめ|下《くだ》さるのは|嬉《うれ》しう|厶《ござ》りますが、|仮令《たとへ》イソの|館《やかた》で|赤恥《あかはぢ》をかいても|是非《ぜひ》|行《い》つて|参《まゐ》ります。いかいお|世話《せわ》になりました。さア|魔我彦《まがひこ》、|行《ゆ》きませうぞや』
|魔我《まが》『|高姫《たかひめ》さま、|折角《せつかく》|御親切《ごしんせつ》に|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さいましたけど、|今度《こんど》はお|寅《とら》さまの|付添《つきそひ》ですから|是非《ぜひ》|参《まゐ》つて|来《き》ます』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》と|云《い》つてもやらさぬと|云《い》つたら、やらしやせぬぞや。|此《この》|祠《ほこら》の|森《もり》にお|宮《みや》さまを|建《た》てて|高姫《たかひめ》に|番《ばん》をさして|厶《ござ》るのは|何《なん》とお|考《かんが》へで|厶《ござ》る。|大神様《おほかみさま》が|高姫《たかひめ》の|御神力《ごしんりき》を|御信認《ごしんにん》|遊《あそ》ばし、お|前《まへ》は|一方口《いつぱうくち》の|祠《ほこら》の|森《もり》に|居《を》つてよく|身魂《みたま》を|調《しら》べ、よく|研《みが》けぬ|者《もの》は|一年《いちねん》でも|聖地《せいち》へよこすでないぞよ。|汚《けが》れた|者《もの》が|聖地《せいち》に|参《まゐ》つたら|天変地異《てんぺんちい》が|勃発《ぼつぱつ》し|聖地《せいち》が|汚《けが》れるから、よく|調《しら》べよと|大神様《おほかみさま》の|御言葉《おことば》、それで|遥々《はるばる》|此処《ここ》|迄《まで》|参《まゐ》つて|身魂調《みたましら》べをしてをるのだ。|何程《なにほど》お|寅《とら》さまが|治国別《はるくにわけ》の|手紙《てがみ》を|持《も》つて|行《い》つても|此《この》|関所《せきしよ》の|認《みと》めがなくては、|駄目《だめ》ですよ。お|前《まへ》|一人《ひとり》の|為《た》めに|三千世界《さんぜんせかい》の|大難儀《だいなんぎ》になつたら|如何《どう》しますか。よい|年《とし》をして|居《を》つてチツとは|考《かんが》へてもよさそうなものぢやありませぬかい。|魔我彦《まがひこ》だつてそれ|位《くらゐ》の|道理《だうり》は|分《わか》つてゐさうなものぢやないか。|之《これ》が|分《わか》らぬ|様《やう》な|低脳児《ていなうじ》なら、|体《てい》よう|目《め》なつと|噛《か》んで|死《し》んだがよいぞや。もう|高姫《たかひめ》も、|如何《どう》しても|云《い》ふ|事《こと》|聞《き》かぬなら|魔我彦《まがひこ》と|師弟《してい》の|縁《えん》をきるが|如何《どう》だい』
|魔我《まが》『お|前《まへ》さまに、|師弟《してい》の|縁《えん》をきられたつてチツとも|痛痒《つうよう》は|感《かん》じませぬ。|私《わたし》は|松彦《まつひこ》さまの|弟子《でし》にして|貰《もら》つたのだから|忠臣二君《ちうしんにくん》に|仕《つか》へずと|云《い》つてお|前《まへ》さまにお|世話《せわ》にならうとは|思《おも》ひませぬ。|何卒《どうぞ》|放《ほ》つといて|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『エーエ、|相変《あひかは》らずの|没分暁漢《わからずや》だな。お|前《まへ》もここ|迄《まで》になつたのは|誰《たれ》のお|蔭《かげ》だと|思《おも》つてるのだい。|皆《みな》この|高姫《たかひめ》のウラナイ|教《けう》で|鍛《きた》へ|上《あ》げられたのぢやないか。|諺《ことわざ》にも|師《し》の|影《かげ》は|三尺《さんじやく》|隔《へだ》てて|踏《ふ》まずと|云《い》ふぢやないか。たとへ|一年《いちねん》でも|教《をしへ》をうけたら|師匠《ししやう》に|違《ちが》ひない。|師匠《ししやう》の|恩《おん》を|忘《わす》れるのは|畜生《ちくしやう》|同然《どうぜん》だぞえ』
|魔我《まが》『|畜生《ちくしやう》と|云《い》はれてもチツとも|構《かま》ひませぬわ。|貴方《あなた》だつて|偉相《えらさう》に|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》とすまし|込《こ》んで|厶《ござ》るが、ヤツパリ|守護神《しゆごじん》は|劫《ごふ》|経《へ》た|黒狐《くろぎつね》ぢやありませぬか。|何程《なにほど》|偉相《えらさう》に|云《い》つても|小北山《こぎたやま》の|御神殿《ごしんでん》でチヤンと|審神《さには》がしてあるから……お|気《き》の|毒《どく》さまだ……そんな|事《こと》|仰有《おつしや》るとお|前《まへ》の|守護神《しゆごじん》はこれこれだと|今《いま》ここでスツパぬきませうか』
|高姫《たかひめ》『エーエ|分《わか》らぬ|男《をとこ》だな。どうなつと|勝手《かつて》にしたがよい。あとで|吠面《ほえづら》かはかぬ|様《やう》にしたがよいわ。|後《あと》になつて|高姫《たかひめ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いておいたらよかつたのに……と|云《い》つてヂリヂリ|舞《ま》ひしても|後《あと》の|後悔《こうくわい》|間《ま》に|合《あ》はぬぞや。|神《かみ》が|気《き》をつける|間《あひだ》に|気《き》づかぬと|何事《なにごと》があるや|知《し》らぬぞよ。|何事《なにごと》も|神《かみ》に|不足《ふそく》|申《まを》して|下《くだ》さるな。|大橋《おほはし》|越《こ》えてまだ|先《さき》へ|行衛《ゆくゑ》|分《わか》らぬ|後戻《あともど》り、|慢心《まんしん》すると|其《その》|通《とほ》りと|変性男子《へんじやうなんし》のお|筆《ふで》に|出《で》てゐませうがな。|此《この》|祠《ほこら》の|森《もり》は|世界《せかい》の|大門《おほもん》とも|大橋《おほはし》とも|云《い》ふべき|処《ところ》だ。|大門開《おほもんびら》きも|出来《でき》ぬ|身魂《みたま》を|以《もつ》て|十里四方《じふりしはう》の|宮《みや》の|内《うち》、イソの|館《やかた》へ|行《ゆ》かうとは……オホヽヽヽヽ|向《むか》ふ|見《み》ずにも|程《ほど》がある。|盲《めくら》|蛇《へび》に|怖《おぢ》ずとは、よくも|云《い》つたものだ。|魔我彦《まがひこ》さま、|之《これ》でも|行《ゆ》くなら|行《い》つて|見《み》よれ。|目《め》まひが|来《く》るぞや。|神罰《しんばつ》が|当《あた》つて|大地《だいち》に|蛙《かはづ》をぶつつけた|様《やう》にフン|伸《の》びん|様《やう》にしなさいや。|是《これ》|丈《だ》け|高姫《たかひめ》が|気《き》をつけるのに、|如何《どう》しても|意地《いぢ》の|悪《わる》い|東助《とうすけ》の|居《ゐ》る……ウヽヽウンとドツコイ……|意地《いぢ》の|悪《わる》い、……どうしても|行《ゆ》くのかい。|後《あと》は|知《し》りませぬぞや。アーア|高姫《たかひめ》さまが|親切《しんせつ》に|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつたのに、あの|時《とき》、|我《が》を|張《は》らなけれや、こんな|事《こと》はなかつたらうにと|豆《まめ》の|様《やう》な|涙《なみだ》を|零《こぼ》して|嘆《なげ》いても|後《あと》の|祭《まつり》、|波《なみ》に|取《と》られた|沖《おき》の|舟《ふね》、とりつく|島《しま》が|無《な》くなつてから、「|高姫《たかひめ》さま、|何卒《どうぞ》|助《たす》けて|下《くだ》さい」と|縋《すが》りて|来《き》ても|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|聞《き》き|済《ず》みはありませぬぞや。|行《ゆ》くなら|行《ゆ》くでよいからトツクリと|心《こころ》に|相談《さうだん》をして、うせるがよからう、エツヘヽヽヽヽ』
|魔我彦《まがひこ》『|何《なん》とマア|相変《あひかは》らず|達者《たつしや》な|口《くち》ですこと。そんな|事《こと》|云《い》はれると|何《なん》だか|幸先《さいさき》を|折《を》られた|様《やう》で、|気分《きぶん》が|悪《わる》くなつて|来《き》た。なアお|寅《とら》さま、どうしませう』
お|寅《とら》『|御勝手《ごかつて》になさいませ。|此《この》お|寅《とら》は|一旦《いつたん》|云《い》ひかけたら|後《あと》へは|引《ひ》かぬ|女丈夫《ぢよぢやうぶ》だ。|初《はじ》めから|一人《ひとり》|詣《まゐ》る|積《つも》りだつたが、お|前《まへ》がお|伴《とも》さして|呉《く》れえと|云《い》つたから、|連《つ》れて|来《き》たのだよ。|高姫《たかひめ》さまの|舌《した》にちよろまかされてお|神徳《かげ》を|落《おと》さうと|勝手《かつて》になさいませ。|私《わたし》は|何《なん》と|云《い》つても|行《ゆ》くと|云《い》つたら|行《ゆ》きますぞや。|女《をんな》の|一心《いつしん》|岩《いは》でも|突《つ》き|貫《ぬ》くと|云《い》つて、つき|貫《ぬ》いて|見《み》せてやりますぞや』
|高姫《たかひめ》『これお|寅《とら》さま、|決《けつ》して|高姫《たかひめ》は|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》しませぬ。|何卒《どうぞ》マアお|腹《はら》が|立《た》ちませうが、トツクリと|胸《むね》に|手《て》をあてて|考《かんが》へて|御覧《ごらん》なさいませ。|祠《ほこら》の|森《もり》の|許《ゆる》しがなくちや|折角《せつかく》|遥々《はるばる》|遠方《ゑんぱう》へ|行《い》つても、|恥《はぢ》をかかねばならぬから|私《わたし》が|親切《しんせつ》に|忠告《ちうこく》するのですよ』
お|寅《とら》『|何《なん》と|云《い》つて|下《くだ》さつても|私《わたし》は|参《まゐ》ります。|治国別《はるくにわけ》|様《さま》から|祠《ほこら》の|森《もり》の|高姫《たかひめ》さまに|許《ゆる》しを|得《え》て|行《ゆ》けとは|聞《き》いて|居《を》りませぬ。もしもイソの|館《やかた》へ|行《い》つて|高姫《たかひめ》さまの|許《ゆる》しがないから|受付《うけつ》けぬと|云《い》はれたら、|帰《かへ》つて|来《き》ます。|其《その》|時《とき》は|又《また》|宜《よろ》しうお|願《ねが》ひします』
|高姫《たかひめ》『|神《かみ》の|申《まを》す|時《とき》に|聞《き》かねば|神《かみ》は|後《あと》になりてから、|何程《なにほど》ジタバタ|致《いた》してもお|詫《わび》|申《まを》しても、そんな|事《こと》、|取上《とりあ》げて|居《を》りたら【きり】がないからあかぬぞよ……とお|筆《ふで》に|出《で》て|居《を》りますぞや。|高姫《たかひめ》の|承諾《しようだく》なしに|行《い》くなら|行《い》つて|御覧《ごらん》、|夜食《やしよく》に|外《はづ》れた|梟鳥《ふくろどり》、アフンと|致《いた》して|六《む》つかしいお|顔《かほ》をなさるのが|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|気《き》の|毒《どく》なから|気《き》をつけますのだ。ヘン、どうなつとお|前《まへ》さまの|御神徳《ごしんとく》は……えらいものだからなさいませ。|此《この》|日《ひ》の|出神《でのかみ》は|帳《ちやう》を|切《き》りますぞや。|帳《ちやう》を|切《き》られたら|何程《なにほど》|地団太《ぢだんだ》|踏《ふ》んでも|助《たす》かりませぬぞや』
お|寅《とら》『お|前《まへ》さまに|帳《ちやう》を|切《き》られたつて、|私《わたし》は|大神様《おほかみさま》から|帳《ちやう》を|切《き》られなければ|一寸《ちよつと》も|構《かま》ひませぬワ』
|高姫《たかひめ》『|何処《どこ》|迄《まで》も|分《わか》らぬ|人《ひと》だな。アーア|一人《ひとり》の|人民《じんみん》を|改心《かいしん》させようと|思《おも》へば|神《かみ》も|骨《ほね》が|折《を》れる|事《こと》だわい。|大国常立尊《おほくにとこたちのみこと》の|片腕《かたうで》とおなり|遊《あそ》ばす|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かずに|如何《どう》して|思惑《おもわく》が|立《た》ちませうぞ。|阿呆《あはう》につける|薬《くすり》がないとはよく|云《い》つたものだ。|縁《えん》なき|衆生《しゆじやう》は|度《ど》し|難《がた》しかな。|本当《ほんたう》に|度《ど》し|難《がた》い|代物《しろもの》ばつかりだ』
お|寅《とら》はムツとして|高姫《たかひめ》をグツと|睨《にら》みつけ|少《すこ》しく|声《こゑ》を|尖《とが》らして、
お|寅《とら》『これ|高姫《たかひめ》さま、|度《ど》し|難《がた》き|人物《じんぶつ》だとは|何《なん》と|云《い》ふ|口巾《くちはば》の|平《ひら》たい|事《こと》を|仰有《おつしや》る、|此《この》お|寅《とら》は|斯《か》う|見《み》えても|若《わか》い|時《とき》から|浮木《うきき》の|里《さと》の|女侠客《をんなけふかく》|丑寅婆《うしとらばば》と|云《い》ふ|女《をんな》ですよ。|鬼《おに》でも|取挫《とりひし》ぐ|婆《ばば》だ。それが|大神様《おほかみさま》の|御意《ぎよい》に|叶《かな》ふて|今《いま》や|宣伝使《せんでんし》の|修行《しうぎやう》に|参《まゐ》る|途中《とちう》、お|前《まへ》は|私《わたし》の|修業《しうげふ》の|妨害《ばうがい》を|致《いた》す|考《かんが》へだな、お|前《まへ》は|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》と|云《い》つて|居《を》られるが、|日《ひ》の|出神《でのかみ》がそんな|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|事《こと》を|仰有《おつしや》いますか。|何程《なにほど》お|前《まへ》が|偉《えら》くともイソの|館《やかた》の|八島主《やしまぬし》さまには|叶《かな》ひますまい。|私《わたし》は|仮令《たとへ》|神罰《しんばつ》が|当《あた》つても|貴方《あなた》の|様《やう》な|無理《むり》|云《い》ふ|方《かた》には|教《をしへ》は|受《う》けませぬ。|放《ほ》つといて|下《くだ》さい。さア|魔我《まが》ヤン、|行《ゆ》きませう、こんな|気違《きちがひ》じみた|方《かた》に|構《かま》ふて|居《を》つちや|堪《たま》りませぬわ』
|高姫《たかひめ》『これお|寅《とら》さま、|強《た》つてお|止《と》めはしませぬが、|神様《かみさま》は|順序《じゆんじよ》ですよ。|順序《じゆんじよ》を|乱《みだ》したら|誠《まこと》の|道《みち》が|潰《つぶ》れますから、それを|御承知《ごしようち》ならおいでなさい。|何事《なにごと》も|順序《じゆんじよ》と|手続《てつづ》きが|必要《ひつえう》で|厶《ござ》りますから……』
お|寅《とら》『ハイ、|御親切《ごしんせつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。|私《わたし》は|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|手続《てつづ》きをして|頂《いただ》き|順序《じゆんじよ》を|踏《ふ》んでイソの|館《やかた》へ|参《まゐ》るのです。お|前《まへ》さまはイソの|館《やかた》から|命令《めいれい》を|受《う》けて|来《き》たのぢやありますまいがな。|珍彦《うづひこ》|様《さま》が|此処《ここ》の|神司《かむづかさ》となつて|治《をさ》めなさらなならぬ|処《ところ》だのに、お|前《まへ》さまから|順序《じゆんじよ》を|破《やぶ》つて|勝手《かつて》に|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》だと|仰有《おつしや》つて|此《この》|新《あたら》しいお|館《やかた》を|占領《せんりやう》して|厶《ござ》るのだらう。|今《いま》|私《わたし》の|耳許《みみもと》に|守護神《しゆごじん》が|囁《ささや》きましたよ。お|前《まへ》さまは|此《この》お|寅《とら》がイソの|館《やかた》へ|参《まゐ》ると|化《ば》けが|露《あら》はれるものだから、|何《なん》とか|云《い》つてお|止《と》めなさるのだらうが、|私《わたし》も|苦労人《くらうにん》だから、|人《ひと》の|悪《わる》い|事《こと》は|申《まを》しませぬから|御安心《ごあんしん》なさいませ。|守護神《しゆごじん》の|囁《ささや》く|処《ところ》を|聞《き》くと、お|前《まへ》さまは|大山子《おほやまこ》を|張《は》つてイソの|館《やかた》に|参《まゐ》る|宣伝使《せんでんし》や|信者《しんじや》を|皆《みな》お|前《まへ》さまのものにする|考《かんが》へだ。|云《い》はば|天《てん》の|賊《ぞく》も|同様《どうやう》だ。チツと|改心《かいしん》なされ。|悪《あく》は|長《なが》く|続《つづ》きませぬぞや。さあさあ|魔我《まが》ヤン、こんな|処《ところ》に|長《なが》く|居《を》つても|駄目《だめ》ですよ。さあさあ|早《はや》く|行《ゆ》きませう』
|高姫《たかひめ》『こんな|処《ところ》とは、……|何《なん》と|云《い》ふ|事《こと》を|云《い》ひなさる。|勿体《もつたい》なくも|国治立《くにはるたち》の|大神様《おほかみさま》、|日《ひ》の|大神様《おほかみさま》、|月《つき》の|大神様《おほかみさま》、|大自在天《だいじざいてん》|大国彦命《おほくにひこのみこと》|様《さま》|其《その》|外《ほか》|御神力《ごしんりき》のある|尊《たふと》い|神様《かみさま》の|祀《まつ》つてある|此《この》|聖場《せいぢやう》をこんな|処《ところ》とは……|何《なに》を|云《い》ひなさる。|滅多《めつた》に|許《ゆる》しませぬぞや』
お|寅《とら》『|高姫《たかひめ》さま、|私《わたし》は|此《この》|森《もり》の|神様《かみさま》を|決《けつ》して|悪《わる》くは|申《まを》しませぬ。こんな|処《ところ》と|云《い》つたのは|貴方《あなた》の|様《やう》な|没分暁漢《わからずや》の|厶《ござ》る|居間《ゐま》をさして|云《い》つたのですよ。エーエ|耳《みみ》が|汚《けが》れる、さあ|魔我彦《まがひこ》さま、|行《ゆ》かう|行《ゆ》かう』
と|早《はや》くも|立《た》つて|表《おもて》へ|走《はし》り|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》はイソの|館《やかた》へ|行《ゆ》かれちや|大変《たいへん》だと|気《き》を|苛《いら》ち『ヨル……ハル……テル』と|呼《よ》ばはつてゐる。ヨル、ハル、テルの|三人《さんにん》は『ハイ』と|答《こた》へて|此処《ここ》に|集《あつ》まり|来《きた》り、
ヨル『|高姫《たかひめ》|様《さま》、イヤ|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》、お|呼《よ》びになつたのは|何《なん》の|御用《ごよう》で|厶《ござ》りますか』
|高姫《たかひめ》『お|前達《まへたち》、|何《なに》をグヅグヅしてゐるのだい。あの|二人《ふたり》の|連中《れんちう》をトツ|掴《つか》まへて|来《き》なさい』
ヨル『|何《なん》ぞあの|人《ひと》は|悪《わる》い|事《こと》を|致《いた》しましたかな。|別《べつ》に|罪《つみ》のない|者《もの》をトツ|掴《つか》まへる|必要《ひつえう》はないぢやありませぬか。イソの|館《やかた》へ|参《まゐ》らうと|仰有《おつしや》るのを|止《と》めると|云《い》ふ|事《こと》がありますか。お|一人《ひとり》でも|本山《ほんざん》へお|詣《まゐ》りする|様《やう》にお|奨《すす》めするのが|道《みち》でせう。それにお|前《まへ》さまは|何《なん》とか、かんとか|云《い》つて|参《まゐ》らせぬ|様《やう》にするのが|不思議《ふしぎ》ですな。|私《わたし》だつて|一度《いちど》|詣《まゐ》りたいと|云《い》へば|何《なん》とか、かとか|云《い》つて、お|止《と》めになる。どうも|貴方《あなた》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は|腑《ふ》におちませぬわい』
|高姫《たかひめ》『|勝手《かつて》にしなさい。もう|此処《ここ》には|居《を》つて|貰《もら》へませぬ。さあトツトと|去《い》んで|下《くだ》さい。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|云《い》ふ|事《こと》に|一々《いちいち》|反対《はんたい》する|人《ひと》は|受付《うけつけ》に|居《ゐ》ても|邪魔《じやま》になるからな』
ヨル『|大《おほ》きに|憚《はばか》り|様《さま》、|私《わたし》は|玉国別《たまくにわけ》|様《さま》と|五十子姫《いそこひめ》|様《さま》とのお|許《ゆる》しを|受《う》けて|此処《ここ》の|受付《うけつけ》をしてゐるのですよ。|決《けつ》して|貴方《あなた》から|任命《にんめい》されたのぢやありませぬ。|此処《ここ》の|館《やかた》は|珍彦《うづひこ》さまの|御監督《ごかんとく》、お|前《まへ》さまのグヅグヅ|云《い》ふ|処《ところ》ではありませぬ。そんな|事《こと》|云《い》ふとお|寅《とら》さまと|魔我彦《まがひこ》さまに|随《つ》いてイソの|館《やかた》の|八島主《やしまぬし》さまの|処《ところ》へ|行《い》つて|一伍一什《いちぶしじふ》を|報告《はうこく》しますよ。おいテル、ハル、イク、サール、お|前達《まへたち》|気《き》をつけて|珍彦《うづひこ》|御夫婦《ごふうふ》さまや|楓姫《かへでひめ》さまをよく|気《き》をつけてお|宮《みや》さまを|注意《ちゆうい》して|下《くだ》さい。|私《わたし》は|是《これ》から|一足《ひとあし》|本山《ほんざん》に|行《い》つて|来《き》ますから……』
と|出《で》て|行《ゆ》かうとするを、|高姫《たかひめ》は|飛《と》びかかつて|首筋《くびすぢ》をグツと|捕《と》らへ、
|高姫《たかひめ》『こりやヨル、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|許《ゆる》しもなく|何処《どこ》へ|出《で》て|行《ゆ》くのだ』
ヨル『ヘー、|放《ほ》つといて|下《くだ》さい。お|尋《たづ》ね|迄《まで》もなくイソの|館《やかた》へ|注進《ちゆうしん》に|参《まゐ》りますわ。さアお|寅《とら》さま、|魔我彦《まがひこ》さま、|参《まゐ》りませう』
|高姫《たかひめ》は|仁王立《にわうだ》ちになり|真赤《まつか》な|顔《かほ》を|膨《ふく》らして、|握《にぎ》り|拳《こぶし》で|乳《ちち》の|辺《あた》りを、|反身《そりみ》になつて|交《かは》る|交《がは》る|打《う》ち|乍《なが》ら、ヤツコスが|六方《ろくぱう》を|踏《ふ》む|様《やう》なスタイルで|玄関《げんくわん》に|立《た》ちはだかり、ドンドン|云《い》はせ|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『ヤアヤアヤア|三人《さんにん》の|四足《よつあし》|共《ども》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|命令《めいれい》を|聞《き》かずに|行《ゆ》くなら、サア|行《い》つて|見《み》よ。あとで|吠面《ほえづら》かはくなよ。|気《け》もない|中《うち》から|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|噛《か》んでくくめる|様《やう》に|気《き》をつけておくぞや』
お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、ヨルは|少《すこ》しも|頓着《とんちやく》なく|尻《しり》に|帆《ほ》かけて|急坂《きふはん》を|上《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 北村隆光録)
第一五章 |彗星《すゐせい》〔一二八九〕
お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、ヨルの|三人《さんにん》は|高姫《たかひめ》と|散々《さんざん》|争《あらそ》ひ、|祠《ほこら》の|森《もり》を|立《た》ち|出《い》でイソの|館《やかた》に|進《すす》み|行《ゆ》く。|懐谷《ふところだに》の|近傍《きんばう》|迄《まで》|来《き》た|時《とき》に|日《ひ》はずつぽりと|暮《く》れた。|不思議《ふしぎ》や|南《みなみ》の|天《てん》に|当《あた》つて|大彗星《だいすゐせい》が|現《あら》はれて|居《ゐ》る。ヨルは|空《そら》|打《う》ち|仰《あふ》ぎ、
ヨル『もしお|寅《とら》さま、|魔我彦《まがひこ》さま、あれ|御覧《ごらん》なさい、あの|彗星《すゐせい》を。ハルナの|都《みやこ》の|恰度《ちやうど》|上《うへ》の|方《はう》に|当《あた》つて|出《で》て|居《ゐ》るぢやありませぬか。|屹度《きつと》|何《なに》かの|変事《へんじ》でせうよ』
お|寅《とら》『ほんに ほんに|不思議《ふしぎ》な|彗星《すゐせい》ですこと。あれは|大方《おほかた》|八十年《はちじふねん》に|一度《いちど》|現《あら》はれると|云《い》ふ、ハレー|彗星《すゐせい》ぢやありますまいかな』
ヨル『さうでせうよ、|何《なん》でも|天下《てんか》に|変事《へんじ》の|起《おこ》る|前兆《しらせ》でせう』
|魔我《まが》『|何《なに》、あいつは|高姫星《たかひめぼし》だ。どこもかも|尻《しり》で|曇《くも》らし|廻《まは》る|妖星《えうせい》だから、|何《なん》と|云《い》ふ|星《ほし》か|知《し》らないが、|魔我彦《まがひこ》は|是《これ》を|称《しよう》して|高姫星《たかひめぼし》と|云《い》ひますわ』
ヨル『|一《ひと》つあの|彗星《すゐせい》について|歌《うた》を|詠《よ》んで|見《み》ませう。
|地上《ちじやう》に|充満《じゆうまん》せる
|陰鬱《いんうつ》の|空気《くうき》は
|天《てん》に|上《のぼ》つて|凝結《ぎようけつ》し
|忽《たちま》ち|彗星《すゐせい》と|化《な》つて
|妖光《えうくわう》を|放射《はうしや》し|怪煙《くわいえん》を|吐《は》いてゐる。
|是《これ》|果《はた》して|何《なん》の
|凶兆《きようてう》だらうか
|彗星《すゐせい》の|妖光《えうくわう》に|毒《どく》せられて
|紫微宮《しびきう》の|色《いろ》は
|非常《ひじやう》に|変《かは》つてゐる。
これを|思《おも》へば
やがて|天下《てんか》に
|大難《たいなん》の|到来《たうらい》する|前兆《ぜんてう》ならむ。
|彼《か》の|妖星《えうせい》が
やがては
|紫微宮中《しびきうちう》を|犯《おか》すであらう。
その|時《とき》こそは
|実《じつ》に|警戒《けいかい》を|要《えう》する|時《とき》だ
|大黒主《おほくろぬし》の|失脚《しつきやく》は
|歴々《れきれき》として
|既《すで》に|已《すで》に
|天極紫微宮《てんごくしびきう》の|中《うち》に
|今《いま》より
|現《あら》はれて|居《ゐ》るやうだ』
|魔我《まが》『ハヽヽヽヽ、|何《なん》だか、そんな|事《こと》を|聞《き》くと|心《こころ》が|落付《おちつ》かぬやうだなア。|併《しか》し|事実《じじつ》とあれば|仕方《しかた》がないわ』
お|寅《とら》『|魔我彦《まがひこ》さま、ヨルさまの|言霊《ことたま》を|一《ひと》つ|宣《の》り|直《なほ》しなさい、|何事《なにごと》も|神《かみ》の|顕現《けんげん》だからなア』
|魔我彦《まがひこ》『|森羅万象《しんらばんしやう》は
|悉《ことごと》く|主《す》の|神《かみ》の|顕現《けんげん》だ
|人間《にんげん》の|身《み》は
|主《す》の|神《かみ》の|聖霊《せいれい》と|神格《しんかく》とを
|摂受《せつじゆ》する|時《とき》
|茲《ここ》に|初《はじ》めて
|万有一切《ばんいういつさい》と
|共通《きやうつう》し|活躍《くわつやく》し|得《う》るものである』
ヨル『ヤアこれで|些《ち》つとばかり|気《き》がすんだやうだ。|一《ひと》つ|此《この》|辺《へん》で|暗《くら》くなつた|序《ついで》に|休息《きうそく》しませうか』
お|寅《とら》『|宜敷《よろし》からう、|夜途《よみち》に|日《ひ》は|暮《く》れませぬからなア』
と|路傍《ろばう》の|岩《いは》に|腰《こし》|打《う》ちかけ、|三人《さんにん》は|暫《しば》し|息《いき》を|休《やす》めた。
お|寅《とら》『|打《う》ち|仰《あふ》ぐ|天津御空《あまつみそら》に|彗星《はうきぼし》
|世《よ》の|塵《ちり》|払《はら》ふ|仕組《しぐみ》なるらむ』
|魔我彦《まがひこ》『|打《う》ち|仰《あふ》ぐ|空高姫《そらたかひめ》の|彗星《はうきぼし》
|人《ひと》をごもくのやうに|掃出《はきだ》す』
ヨル『|夜《よる》の|空《そら》|現《あら》はれ|出《い》でし|彗星《はうきぼし》
|空高姫《そらたかひめ》の|曲《まが》を|払《はら》ひつ』
お|寅《とら》『|八十年《やそとせ》に|一度《ひとたび》|出《い》づる|彗星《はうきぼし》
|再《ふたた》び|見《み》せよ|吾《われ》を|守《まも》りて。
|大空《おほぞら》も|漸《やうや》くハレー|彗星《すゐせい》の
|力《ちから》に|曲《まが》は|逃《に》げ|失《う》するらむ』
|魔我彦《まがひこ》『いざさらば|河鹿峠《かじかたうげ》を|三人連《みたりづ》れ
イソの|館《やかた》に|進《すす》みて|行《ゆ》かなむ』
ヨル『|夜《よる》の|道《みち》|登《のぼ》る|吾《わが》|身《み》は|義理天上《ぎりてんじやう》
|日出神《ひのでのかみ》に|別《わか》れ|告《つ》げつつ』
|斯《か》く|互《たがひ》に|歌《うた》ひ、|又《また》もや|足《あし》を|早《はや》めて|急坂《きふはん》を|攀《よ》ぢながらお|寅《とら》は|歌《うた》ひ|出《だ》した。
『|治国別《はるくにわけ》の|取《と》りなしで イソの|館《やかた》に|詣《まう》でむと
|魔我彦《まがひこ》さまを|伴《ともな》ひて |祠《ほこら》の|森《もり》に|来《き》て|見《み》れば
|十曜《とえう》の|御旗《みはた》ひるがへり |高天原《たかあまはら》に|千木《ちぎ》|高《たか》く
|大宮柱太《おほみやばしらふと》しきて |鎮《しづ》まり|居《ゐ》ます|三五《あななひ》の
|実《げ》にも|尊《たふと》き|大御神《おほみかみ》 |八尋《やひろ》の|殿《との》も|新《あたら》しく
|建《た》て|並《なら》べられヨルさまが いと|厳《いか》めしく|受付《うけつけ》に
きちんと|坐《すわ》り|居《ゐ》ましけり お|寅《とら》はすつと|立《た》ち|寄《よ》つて
|様子《やうす》を|聞《き》けば|高姫《たかひめ》の |司《つかさ》が|居《ゐ》ますと|悟《さと》りてゆ
|如何《いか》なる|方《かた》か|知《し》らねども |今《いま》|迄《まで》|教祖《けうそ》と|慕《した》ひたる
|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》に |一目《ひとめ》|会《あ》はむと|悦《よろこ》びつ
|魔我彦《まがひこ》さまと|諸共《もろとも》に |高姫《たかひめ》さまに|面会《めんくわい》し
|訳《わけ》の|分《わか》らぬ|託宣《たくせん》に お|寅《とら》は|全《まつた》く|呆《あき》れ|果《は》て
|答《こた》ふる|言葉《ことば》も|無《な》きままに |二言《ふたこと》|三言《みこと》|争《あらそ》ひつ
|愛想《あいさう》もこそも|尽《つ》き|果《は》てて やつと|館《やかた》を|飛《と》び|出《いだ》し
|魔我彦《まがひこ》さまと|逸早《いちはや》く |旅装《りよさう》を|調《ととの》へ|立《た》ち|出《い》づる
|後《あと》に|続《つづ》いてヨルさまが |追《お》ひかけ|来《きた》る|夜《よる》の|道《みち》
|茲《ここ》に|三人《みたり》の|一行《いつかう》は |雲《くも》つくばかりの|峻坂《しゆんぱん》を
|神《かみ》の|恵《めぐみ》に|助《たす》けられ |登《のぼ》る|折《をり》しもあら|不思議《ふしぎ》
|空《そら》に|輝《かがや》く|彗星《はうきぼし》 |如何《いか》なる|事《こと》の|前兆《しるし》にや
|善悪正邪《ぜんあくせいじや》は|分《わか》らねど |容易《ようい》ならざる|此《この》|景色《けしき》
|吾等《われら》は|心《こころ》を|改《あらた》めて |三五教《あななひけう》の|大道《おほみち》に
|一直線《いつちよくせん》に|進行《しんかう》し |一日《ひとひ》も|早《はや》く|御霊《みたま》をば
みがき|清《きよ》めて|神《かみ》のため |世人《よびと》のために|赤心《まごころ》を
|尽《つ》くさむための|宮参詣《みやまうで》 イソの|館《やかた》に|現《あ》れませる
|瑞《みづ》の|御霊《みたま》の|大御神《おほみかみ》 |何卒《なにとぞ》|吾等《われら》|三人《さんにん》の
|心《こころ》を|憐《あは》れみたまひつつ |一日《ひとひ》も|早《はや》く|大神《おほかみ》の
|御楯《みたて》と|仕《つか》へなさしめよ |朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも
|月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも |彗星《すゐせい》|空《そら》より|落《お》つるとも
|海《うみ》はあせなむ|世《よ》ありとも |此《この》|世《よ》を|造《つく》りたまひたる
|皇大神《すめおほかみ》のます|限《かぎ》り |誠《まこと》の|道《みち》を|進《すす》む|身《み》は
|決《けつ》して|恐《おそ》るる|事《こと》あらじ |進《すす》めよ|進《すす》めいざ|進《すす》め
|魔我彦《まがひこ》、ヨルさま|諸共《もろとも》に |吹《ふ》き|来《く》る|風《かぜ》は|寒《さむ》くとも
|山路《やまぢ》は|峻《さか》しくあるとても |一旦《いつたん》|思《おも》ひ|立《た》ちし|身《み》は
|如何《いか》なる|曲《まが》の|妨《さまた》げも |撓《たゆ》まず|屈《くつ》せず|桑《くは》の|弓《ゆみ》
ひきてかへらぬ|吾《わが》|思《おも》ひ |諾《うべな》ひたまへ|惟神《かむながら》
|皇大神《すめおほかみ》の|御前《おんまへ》に |畏《かしこ》み|畏《かしこ》み|願《ね》ぎまつる』
ヨルは|又《また》|歌《うた》ふ。
『|玉国別《たまくにわけ》の|宣伝使《せんでんし》 |五十子《いそこ》の|姫《ひめ》と|諸共《もろとも》に
|百日百夜《ひやくにちひやくや》の|丹精《たんせい》を |凝《こ》らして|瑞《みづ》の|御舎《みあらか》を
|造《つく》りたまひし|雄々《をを》しさよ |心《こころ》の|清《きよ》き|宣伝使《せんでんし》
|斯《かか》る|尊《たふと》き|宮《みや》を|建《た》て いささか|執着心《しふちやくしん》もなく
|遷宮式《せんぐうしき》を|相済《あひす》まし |直様《すぐさま》|後《あと》を|珍彦《うづひこ》や
|吾等《われら》|一同《いちどう》に|任《まか》せつつ |出《い》で|往《ゆ》き|給《たま》ふ|雄々《をを》しさよ
|楓《かへで》の|姫《ひめ》は|忽《たちま》ちに |神人感応《しんじんかんおう》の|境《きやう》に|入《い》り
|身体《からだ》をブルブルふるはせて |吾《われ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》なりと
|言挙《ことあ》げせしぞ|不思議《ふしぎ》なれ |数多《あまた》の|信者《しんじや》が|聞《き》きつけて
|蟻《あり》の|甘《あま》きにつどふごと |岩石起伏《がんせききふく》の|山道《やまみち》を
|老若男女《らうにやくなんによ》が|厭《いと》ひなく |詣《まう》で|来《きた》りて|神徳《しんとく》を
|摂受《せつじゆ》し|感謝《かんしや》にむせぶ|折《をり》 |高姫司《たかひめつかさ》が|瓢然《へうぜん》と
|現《あら》はれ|来《きた》り|奥《おく》に|入《い》り |楓《かへで》の|姫《ひめ》の|神懸《かむがか》り
|審判《さには》をなせば|忽《たちま》ちに |楓《かへで》の|姫《ひめ》は|元《もと》の|如《ごと》
|普通《ふつう》の|娘《むすめ》となりにけり |後《あと》に|高姫《たかひめ》|傲然《がうぜん》と
|奥《おく》に|居坐《ゐすわ》り|吾《われ》こそは |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》
|祠《ほこら》の|森《もり》は|高姫《たかひめ》の |此《この》|生宮《いきみや》が|守護《しゆごう》する
なぞとそろそろ|威張《ゐば》り|出《だ》し |金釘流《かなくぎりう》の|筆先《ふでさき》を
|朝《あさ》から|晩《ばん》|迄《まで》|書《か》きつづけ |是《これ》が|誠《まこと》の|神勅《しんちよく》と
|宣言《せんげん》なして|吾々《われわれ》に |拝読《はいどく》|強《し》ふる|苦《くる》しさよ
いやいや|乍《なが》ら|吾々《われわれ》は |全《まつた》く|神《かみ》のお|示《しめ》しと
|頭《あたま》を|押《おさ》へて|読《よ》みゆけば |脱線《だつせん》だらけの|世迷言《よまひごと》
|聞《き》くに|耐《た》へない|事《こと》ばかり |余《あま》り|合点《がてん》がゆかぬ|故《ゆゑ》
イソの|館《やかた》に|参詣《まゐまう》で |審判《さには》を|乞《こ》はむと|思《おも》ふうち
|高姫《たかひめ》|吾等《われら》の|心《こころ》をば |探《さぐ》りしものかイソ|館《やかた》
|御霊《みたま》の|研《みが》けるそれ|迄《まで》は |決《けつ》して|参拝《さんぱい》ならぬぞと
|無性《むしやう》|矢鱈《やたら》にせき|留《とめ》る |合点《がてん》がゆかぬと|思《おも》ふ|折《をり》
|三五教《あななひけう》のお|寅《とら》さま |思《おも》はず|茲《ここ》に|現《あら》はれて
|高姫《たかひめ》さまとのかけあひに |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|素性《すじやう》まで
|魔我彦《まがひこ》さまの|口《くち》をもて |素《す》つ|破《ぱ》ぬかれし|可笑《をか》しさよ
ヨルも|漸《やうや》く|胸《むね》|晴《は》れて |高姫司《たかひめつかさ》の|化《ばけ》の|皮《かは》
|剥《む》いてやらうと|決心《けつしん》し お|二人《ふたり》さまに|従《したが》つて
イソの|館《やかた》に|参詣《まゐまう》で |御霊《みたま》を|研《みが》き|神徳《しんとく》を
|腕《うで》もたわわに|蒙《かうむ》りて |此《この》|黒白《こくびやく》を|明《あきら》かに
|示《しめ》さむものと|思《おも》ひ|立《た》ち |漸《やうや》くここに|来《きた》りけり
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |産土山《うぶすなやま》の|大御神《おほみかみ》
ヨルが|心《こころ》を|憐《あは》れみて |御霊《みたま》の|恩頼《ふゆ》を|賜《たま》へかし
|朝日《あさひ》は|照《て》るとも|曇《くも》るとも |月《つき》は|盈《み》つとも|虧《か》くるとも
バラモン|教《けう》をあきらめて |三五教《あななひけう》の|御教《みをしへ》に
|帰順《きじゆん》しまつりし|其《その》|上《うへ》は |如何《いか》でか|心《こころ》の|変《かは》るべき
|恵《めぐ》ませ|給《たま》へ|大御神《おほみかみ》 |祠《ほこら》の|森《もり》の|受付《うけつけ》に
|仕《つか》へまつりしヨル|公《こう》が |赤心《まごころ》|籠《こ》めて|願《ね》ぎまつる
あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》 |御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
|魔我彦《まがひこ》は|又《また》|歌《うた》ふ。
『|北山村《きたやまむら》を|出《い》でしより |日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》
ウラナイ|教《けう》を|開《ひら》きたる |高姫《たかひめ》さまはいづくぞと
|心《こころ》にかけて|探《さが》すうち |祠《ほこら》の|森《もり》ではからずも
|久方振《ひさかたぶ》りにて|廻《めぐ》り|会《あ》ひ |我情我慢《がじやうがまん》の|高姫《たかひめ》が
|心《こころ》に|再《ふたた》び|仰天《ぎやうてん》し |遉《さすが》の|魔我彦《まがひこ》|呆《あき》れ|果《は》て
|話《はなし》にならぬ|有様《ありさま》に お|寅婆《とらば》さまと|手《て》を|引《ひ》いて
|長居《ながゐ》は|恐《おそ》れと|館《やかた》をば |後《あと》に|見捨《みす》ててヨルさまと
|峻《さか》しき|坂路《さかみち》|攀《よ》ぢ|登《のぼ》り やつと|此処《ここ》|迄《まで》|来《きた》りけり
かうなる|上《うへ》は|高姫《たかひめ》も よもや|追《おつ》かけ|来《きた》るまい
|何卒《なにとぞ》|無事《ぶじ》に|産土《うぶすな》の イソの|館《やかた》の|聖場《せいぢやう》へ
|吾等《われら》|三人《みたり》をすくすくと |進《すす》ませ|給《たま》へ|惟神《かむながら》
|神《かみ》かけ|念《ねん》じ|奉《たてまつ》る もしも|高姫《たかひめ》|後《あと》を|追《お》ひ
|髪《かみ》ふり|乱《みだ》し|夜叉《やしや》のごと |来《きた》るも|測《はか》り|知《し》られない
その|時《とき》こそは|大空《おほぞら》に |横《よこ》たはりたる|彗星《はうきぼし》
これをば|矢庭《やには》にひつ|掴《つか》み |朽木《くちき》に|上《のぼ》る|蟻《あり》の|群《むれ》
|手箒《てばうき》もちて|落《おと》すよに |払《はら》へばそれですむ|事《こと》だ
|高姫《たかひめ》たとへ|大空《おほぞら》を |伊馳《いかけ》り|地《つち》を|潜《くぐ》るとも
|此《この》|世《よ》の|主《あるじ》と|現《あ》れませる |神《かみ》の|力《ちから》にや|叶《かな》ふまい
|吾等《われら》|三人《みたり》は|赤心《まごころ》を |一《ひと》つになして|何処《どこ》|迄《まで》も
|百《もも》の|妨《さまた》げ|打《う》ち|破《やぶ》り |初志《しよし》を|貫徹《くわんてつ》|致《いた》さねば
|男《をとこ》の|顔《かほ》が|立《た》ちませぬ |男勝《をとこまさ》りのお|寅《とら》さま
どうぞ|確《しつか》り|頼《たの》みます |此処《ここ》は|名《な》に|負《お》ふ|魔《ま》の|峠《たうげ》
|山猿《やまざる》|共《ども》が|沢山《たくさん》に |現《あら》はれ|出《い》でて|人《ひと》の|目《め》を
|引《ひ》つ|掻《か》きやぶると|聞《き》きました |神力無双《しんりきむさう》の|玉国《たまくに》の
|別《わけ》の|命《みこと》の|御目《おんめ》をば |創《きづ》つけまつる|悪《わる》い|猿《さる》
いつ|飛《と》び|出《だ》すか|分《わか》らない |危険区域《きけんくゐき》と|聞《き》くからは
|唯《ただ》|一心《いつしん》に|神言《かみごと》や |天津祝詞《あまつのりと》を|奏上《そうじやう》し
|此《この》|坂道《さかみち》を|登《のぼ》りませう あゝ|惟神《かむながら》|々々《かむながら》
|御霊《みたま》|幸倍《さちはへ》ましませよ』
と|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、さしも|嶮《けは》しき|夜《よる》の|坂道《さかみち》、|一歩《いつぽ》|一歩《いつぽ》|心《こころ》を|配《くば》り|祝詞《のりと》くづしの|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら、|汗《あせ》を|垂《た》らして|登《のぼ》り|行《ゆ》く。|上《うへ》の|方《はう》より|柔《やさ》しき|女《をんな》の|宣伝歌《せんでんか》が|聞《きこ》えて|来《き》た。これはイソの|館《やかた》よりハルナの|都《みやこ》を|指《さ》して|悪魔《あくま》の|征討《せいたう》に|上《のぼ》る|女宣伝使《をんなせんでんし》、|豪胆不敵《がうたんふてき》の|初稚姫《はつわかひめ》であつた。|三人《さんにん》は|此《この》|声《こゑ》に|力《ちから》を|得《え》て|殆《ほとん》ど|蘇《よみが》へりたる|如《ごと》き|心地《ここち》しつつ|苦《くる》しさを|忘《わす》れて|登《のぼ》り|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一八 旧一一・一二・二 加藤明子録)
第四篇 |鷹魅糞倒《ようみふんたう》
第一六章 |魔法使《まはふつかひ》〔一二九〇〕
|高姫《たかひめ》はお|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、ヨルの|三人《さんにん》が|数千言《すうせんげん》を|尽《つく》しての、|高姫《たかひめ》の|勧告《くわんこく》を|一蹴《いつしう》して、|強行的《きやうかうてき》に|出立《しゆつたつ》したので、コリヤ|大変《たいへん》だと、|心《こころ》も|心《こころ》ならず、|吾《わ》れと|吾《わが》|手《て》に|胸《むね》をかきむしり|乍《なが》ら、
|高姫《たかひめ》『エーエ、|義理天上《ぎりてんじやう》さまも、|何《なに》をして|厶《ござ》る、こんな|時《とき》にこそ、なぜ|不動《ふどう》の|金縛《かなしば》りをかけてとめて|下《くだ》さらぬのだい。コレコレ、イル、イク、サール、ハル、テル、|何《なに》をしてゐるのだ、なぜ|早《はや》く|後《あと》を|追《お》つかけて|行《ゆ》かぬのかいな。エーエもどかしい、|荒男《あらをとこ》が|五人《ごにん》も|居《を》つて、これ|程《ほど》|気《き》の|揉《も》めるのに、なぜ|捉《つか》まへて|来《こ》ぬのだい。|日出神《ひのでのかみ》の|命令《めいれい》を|聞《き》きなさらぬか』
イル『|高姫《たかひめ》さま、それより|義理天上《ぎりてんじやう》さまに|直接《ちよくせつ》にお|聞《きき》になつたら|何《ど》うです、|貴女《あなた》は|何時《いつ》も|三千世界《さんぜんせかい》を|自由《じいう》に|致《いた》すと|仰有《おつしや》つたぢやありませぬか。それ|丈《だけ》|神力《しんりき》のある|義理天上《ぎりてんじやう》の|生宮《いきみや》が、|引戻《ひきもど》せぬといふ|事《こと》がありますか、かふいふ|時《とき》にこそ|貴女《あなた》の|御神力《ごしんりき》を|見《み》せて|頂《いただ》かねば、|吾々《われわれ》は|心《こころ》の|底《そこ》から|心服《しんぷく》するこた|出来《でき》ませぬワ』
|高姫《たかひめ》『コレ、イルや、お|前《まへ》は|何《なん》といふ|分《わか》らぬ|事《こと》をいふのだい。|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》といへば|天《てん》の|大神様《おほかみさま》だ、|大取締《おほとりしま》りをして|厶《ござ》るのだよ。つまりいへば|総理大臣《そうりだいじん》のやうなものだ、|人間《にんげん》を|捉《とら》へに|行《ゆ》くのはポリスの|役《やく》だぞえ、|大臣《だいじん》の|位地《ゐち》に|在《あ》る|神様《かみさま》がポリスの|役《やく》をなさるといふやうな、そんな、|道《みち》に|外《はづ》れた|事《こと》がどこにあるものか。それだからお|前等《まへら》|五人《ごにん》が、ポリスやスパイになつて、|掴《つか》まへて|来《こ》いといふのだよ』
イル『|貴女《あなた》の|神様《かみさま》が|総理大臣《そうりだいじん》ならば、|吾々《われわれ》は|知事《ちじ》|位《くらゐ》なものです。|知事《ちじ》がスパイやポリスの|役《やく》は|出来《でき》ませぬからな』
|高姫《たかひめ》『エーエ、|気《き》の|利《き》かぬ|男《をとこ》だな。|神様《かみさま》は|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》|自由自在《じいうじざい》なるべきものだ。|大《だい》にしては|宇宙《うちう》|一切《いつさい》を|統轄《とうかつ》し、|小《せう》にしては|微塵《みぢん》の|内《うち》にも|隠《かく》れ|玉《たま》ふが|神様《かみさま》の|働《はたら》きだよ。そんな|事《こと》が|出来《でき》ぬやうな|事《こと》で、|何《ど》うして|祠《ほこら》の|森《もり》の|御用《ごよう》が|出来《でき》ますか』
イル『それ|程《ほど》|大神様《おほかみさま》は|大小《だいせう》いろいろに|変幻出没《へんげんしゆつぼつ》なさるのなら、ポリスやスパイになつて|掴《つか》まへに|行《い》つたつて|可《い》いぢやありませぬか』
|高姫《たかひめ》『それは|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|一人《ひとり》の|時《とき》の|働《はたら》きだよ。かうして|五人《ごにん》も|荒男《あらをとこ》があるのに、|私《わたし》|許《ばか》りに|苦労《くらう》をかけようといふ、お|前《まへ》は|不了見《ふれうけん》な|人《ひと》だ。そんな|事《こと》で|神《かみ》さまの|道《みち》と|云《い》へますか。|何《なに》もかも|日出神《ひのでのかみ》が|一人《ひとり》でするならば、お|前達《まへたち》の|様《やう》な|分《わか》らずやを|五人《ごにん》も|置《お》いとく|筈《はづ》がないぢやないか』
イク『コレ|高姫《たかひめ》さま、お|前達《まへたち》のやうな|分《わか》らずやをおいとくと|仰有《おつしや》つたが、ヘン、すみませぬが、|私《わたし》はお|前《まへ》さまに|命令《めいれい》を|受《う》けてるのぢやありませぬぞや。お|前《まへ》さまこそ|勝手《かつて》に|居候《ゐさふらふ》に|来《き》たのぢやないか、それ|程《ほど》ゴテゴテ|云《い》ふのなら|帰《い》んで|貰《もら》ひませう』
|高姫《たかひめ》はクワツと|怒《いか》り、|目《め》をつり|上《あ》げて、|矢庭《やには》にイクの|胸倉《むなぐら》をグツと|取《と》り、
『コリヤ、イク、|女《をんな》と|思《おも》ひ|侮《あなど》つての|雑言無礼《ざふごんぶれい》、|用捨《ようしや》は|致《いた》さぬぞや。|勿体《もつたい》なくも|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》の|生宮《いきみや》、|三五教《あななひけう》の|立派《りつぱ》な|立派《りつぱ》な|宣伝使《せんでんし》、|生田《いくた》の|森《もり》の|神司《かむつかさ》、|琉《りう》の|玉《たま》の|守護神《しゆごじん》、|夫《そ》れさへあるに、|三五教《あななひけう》の|三羽烏《さんばがらす》、イソ|館《やかた》の|総務《そうむ》|時置師《ときおかし》の|神《かみ》|杢助《もくすけ》が|妻《つま》、マ|一度《いちど》|無礼《ぶれい》な|事《こと》を|言《い》ふなら、|言《い》つてみやれ、|腮《あご》も|何《なに》も|捻《ね》ぢ|切《き》つて|了《しま》ふぞや』
と|力《ちから》に|任《まか》せて、|頬《ほほ》をグツとねぢる。イクは、
『アイタヽヽヽ、カヽ|堪忍《かんにん》|々々《かんにん》』
|高姫《たかひめ》『|余《あま》り|貴様《きさま》は|頬桁《ほほげた》がいいから、|此《この》|頬桁《ほほげた》も|下駄《げた》の|歯《は》も|一本《いつぽん》もない|所《ところ》|迄《まで》|抜《ぬ》いてやるのだ』
と|益々《ますます》|抓《つめ》る。サールは|見《み》るに|見《み》かねて、|高姫《たかひめ》の|後《うしろ》から、|両足《りやうあし》をグツと|攫《さら》へた、|拍子《ひやうし》に|高姫《たかひめ》は|筋斗《もんどり》うつて|玄関《げんくわん》へ|飛出《とびだ》し、|饅頭《まんじう》|迄《まで》|天覧《てんらん》に|供《きよう》して、|慌《あわ》ただしく|起上《おきあが》り、
|高姫《たかひめ》『サ、イクを|此処《ここ》へ|出《だ》せ、|高姫《たかひめ》の|足《あし》をさらへた|奴《やつ》は|何奴《どいつ》ぢや』
と|金切声《かなきりごゑ》を|出《だ》して|喚《わめ》き|立《た》てる。そこへ|飛《と》んで|来《き》たのは|杢助《もくすけ》であつた。
|高姫《たかひめ》『ヤ、お|前《まへ》はこちの|人《ひと》、|女房《にようばう》がこんな|目《め》に|会《あ》ふてるのに、|何《なに》して|厶《ござ》つたのだえ』
|杢助《もくすけ》『つい、そこら|中《ぢう》を|散歩《さんぽ》してをつたのだ。|何《なん》だか|義理天上《ぎりてんじやう》さまの|声《こゑ》カ……【ギ】……【リ】|天上《てんじやう》の|喚声《わめきごゑ》が|聞《きこ》えたので、スワ|一大事《いちだいじ》と、|慌《あわ》てて|来《き》て|見《み》れば、|何《なん》の|事《こと》はない、|斯様《かやう》な|男《をとこ》を|掴《つか》まへての、ホテテンゴ、イヤハヤ|呆《あき》れて|物《もの》が|言《い》はれぬ|哩《わい》、ワツハヽヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ、こちの|人《ひと》、|女房《にようばう》がこんな|目《め》に|会《あ》ふてゐるのに、お|前《まへ》は|何《なん》ともないのかえ』
|杢助《もくすけ》『イヤ、|何《なん》ともない|事《こと》はない。|併《しか》し|乍《なが》ら|元《もと》を|糺《ただ》せばお|前《まへ》が|悪《わる》いのだ、イクの|頬辺《ほほべた》を|女《をんな》だてら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|抓《つめ》つただないか。そんな|事《こと》をするに|仍《よ》つて、|自然《しぜん》の|成行《なりゆき》として、サールが|足《あし》をさらへたのだ。|実《じつ》の|所《ところ》は|椿《つばき》の|木《き》の|下《した》から|様子《やうす》を|見《み》て|居《を》つた。これは|公平《こうへい》な|判断《はんだん》から|見《み》れば、どちらが|悪《わる》いとも|言《い》へぬ。|高姫《たかひめ》、お|前《まへ》もチツと|上気《じやうき》してゐるから、|気《き》の|落着《おちつ》く|迄《まで》、|杢助《もくすけ》と|一所《いつしよ》に|奥《おく》へ|行《い》つて、|酒《さけ》でも|呑《の》んだら|何《ど》うだい』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》は|一体《いつたい》|何処《どこ》へ|行《い》つてゐらしたの。お|寅《とら》といふ|婆《ばば》アや、|魔我彦《まがひこ》、それに|受付《うけつけ》のヨル|迄《まで》が、|義理天上《ぎりてんじやう》の|言葉《ことば》に|反対《はんたい》して、|無理無体《むりむたい》にイソの|館《やかた》へ|参拝《さんぱい》しよつたのですよ。お|前《まへ》さまが|居《を》つてさへくれたら、|食《く》ひ|止《と》めるのだつたに、あゝあ|残念《ざんねん》な|事《こと》をしたわいな。お|前《まへ》さまと|私《わたし》と|此処《ここ》に|腰《こし》を|卸《おろ》し、イソの|館《やかた》へ|行《ゆ》く|奴《やつ》を|一人《ひとり》も|残《のこ》らず|食止《くひと》めて、|本山《ほんざん》をアフンとさしてやらうと|思《おも》つてゐたのに、|困《こま》つた|事《こと》をしたものだ。|五人《ごにん》も|荒男《あらをとこ》が|居《を》つても、|酒《さけ》を|食《くら》ふのと|理窟《りくつ》を|垂《た》れるのが|芸当《げいたう》で、チツとも|間《ま》【しやく】に|合《あ》やせぬワ。あゝあ|人《ひと》を|使《つか》へば|苦《く》を|使《つか》ふとは|能《よ》う|言《い》ふたものだ。|私《わたし》は|何程《なにほど》|奥《おく》へ|行《い》つて|一杯《いつぱい》やらうと|仰有《おつしや》つても|気《き》が|気《き》ぢやありませぬ|哩《わい》ナ、コリヤ、イク、イル、サール、お|前《まへ》は|今日《けふ》|限《かぎ》り、|誰《たれ》が|何《なん》と|云《い》つても、|放逐《はうちく》する、サ、|何処《どこ》なつと|行《い》かつしやれ。|其《その》|代《かは》り、ハルを|受付《うけつけ》にして、テルを|内事《ないじ》の|取締《とりしまり》に|任命《にんめい》します』
ハル『エツヘヽヽヽ、これはこれは|実《じつ》に|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。いつ|迄《まで》もヨルが|頑張《ぐわんば》つて|居《を》ると、|拙者《せつしや》の|登竜門《とうりうもん》を|閉塞《へいそく》してゐるやうなものだ、あゝ|人《ひと》の|禍《わざはひ》は|自分《じぶん》の|幸《さいは》ひ、|有難《ありがた》くお|受《う》け|致《いた》します。オイ、テル、|貴様《きさま》もイルが|失敗《しくじ》つたお|蔭《かげ》で、|内事《ないじ》の|司《つかさ》になつたのだ。|早《はや》く|御礼《おれい》|申《まを》さぬかえ』
テル『これはこれは|高姫《たかひめ》|様《さま》、|特別《とくべつ》の|御恩命《ごおんめい》を|蒙《かうむ》りまして、|有難《ありがた》う|存《ぞん》じます。サ、どうぞ、シツポりと|奥《おく》へ|這入《はい》つて、エヘヽヽヽ、|一杯《いつぱい》あがつて|御機嫌《ごきげん》を|直《なほ》して|下《くだ》さい。ハル、テル|両人《りやうにん》|扣《ひか》へある|以上《いじやう》は|大丈夫《だいぢやうぶ》で|厶《ござ》います』
|高姫《たかひめ》『コレ、ハル、テルや、お|前《まへ》はバラモン|教《けう》でも|随分《ずいぶん》|羽振《はぶり》を|利《き》かして|居《を》つた|男《をとこ》と|言《い》ふぢやないか。お|前《まへ》には|何《なに》か|見所《みどころ》があると|思《おも》ふて|居《を》つたのだ。どうだい|一《ひと》つ|出世《しゆつせ》をさして|貰《もら》つた|恩返《おんがへ》しに、|三人《さんにん》の|奴《やつ》を|引戻《ひきもど》して|来《き》て|下《くだ》さるまいかな。まだ|十丁《じつちやう》|許《ばか》りより|行《い》つて|居《を》らうまいから、チツと|許《ばか》り|急《いそ》いだら|追着《おひつ》けない|事《こと》もなからうから、……』
ハル『|実《じつ》の|所《ところ》はバラモン|教《けう》にて|習《なら》ひ|覚《おぼ》えた、|引掛戻《ひつかけもど》しの|法《はふ》が|厶《ござ》います。|此《この》ハル、テル|両人《りやうにん》が|重《おも》い|役《やく》に|御任命《ごにんめい》|下《くだ》さつた|御恩返《ごおんがへ》しとして、|今《いま》|三人《さんにん》を|引戻《ひきもど》して|見《み》せます。これから|暫《しばら》く|大自在天《だいじざいてん》|様《さま》にお|祈《いの》りをかけねばなりませぬから、|引戻《ひきもど》す|術《じゆつ》が|整《ととの》ひましたら、お|知《し》らせ|致《いた》します。どうぞ|夫《そ》れ|迄《まで》|奥《おく》へ|行《い》つて|御休息《ごきうそく》|下《くだ》さいませ。|仮令《たとへ》|一日《いちにち》が|二日《ふつか》、|十里《じふり》|向《むか》ふへ|行《い》つてゐましても、|引掛戻《ひつかけもどし》の|法《はふ》に|仍《よ》つて、|三人《さんにん》|共《とも》|此処《ここ》へ|引寄《ひきよ》せて|御覧《ごらん》に|入《い》れます。それは|御安心《ごあんしん》|下《くだ》さいませ、|確《たしか》にやつて|見《み》せますから……』
|高姫《たかひめ》はニコニコし|乍《なが》ら、
『オツホヽヽヽ、お|前《まへ》はどこともなしに|気《き》の|利《き》いた|男《をとこ》だと|思《おも》つて|居《を》つた。|神様《かみさま》がチヤンと、それ|相応《さうおう》のお|役《やく》をあてがうて|下《くだ》さるのだ。これだから|義理天上《ぎりてんじやう》|様《さま》の|御神力《ごしんりき》は|偉《えら》いといふのだ。コリヤ、イク、イル、サール、|何《なに》をグヅグヅしてゐるのだい。アタ|汚《けが》らはしい。トツトと|帰《い》んで|下《くだ》さい』
イル『それ|程《ほど》|喧《やかま》しう|仰有《おつしや》るのなら|帰《い》にますワ。|又《また》|元《もと》のバラモン|教《けう》へ|這入《はい》つて|大活動《だいくわつどう》をなし、|今《いま》に|祠《ほこら》の|森《もり》を|占領《せんりやう》して、アフンとさして|上《あ》げるから|楽《たのし》んで|待《ま》つてゐるがいいワ。オイ、イク、サール、ゲンタクソの|悪《わる》いサア|帰《い》なうぢやないか。|序《ついで》にハルとテルの【ドタマ】を【かち】|割《わ》つて|帰《かへ》らうかい』
ハル『コリヤコリヤ|俺《おれ》の|引掛戻《ひつかけもど》しの|法《はふ》を|知《し》つてるかい。|指一本《ゆびいつぽん》でもさへやうものなら、|忽《たちま》ちふん|伸《の》ばして|了《しま》ふぞ』
イル『ヤ、|恐《おそ》れ|入《い》つた。バラモン|教《けう》の|中《なか》でも|魔術使《まじゆつつかひ》の|名人《めいじん》だと|言《い》ふ|事《こと》は、|予《かね》て|聞《き》いてゐた。ヤ、もうお|前《まへ》には|降参《かうさん》だ。そんなら|三人《さんにん》はこれから|帰《かへ》ります』
ハル『ゴテゴテ|吐《ぬか》さずに|直《すぐ》に|帰《かへ》つたがよからう。|四《し》の|五《ご》の|吐《ぬか》すと|為《ため》にならないぞ』
イル『エツ、|仕方《しかた》がないなア、イク、サール、そんなら|浮木《うきき》の|森《もり》へ|逆転《ぎやくてん》せうかい』
|高姫《たかひめ》『オホヽヽヽ、|小気味《こぎみ》のよい|事《こと》だわい。イヒヽヽヽ』
と|腮《あご》をしやくり、|貧乏町《びんばふまち》の|家並《やなみ》のやうな、|脱《ぬ》けさがした|歯《は》をむき|出《だ》し、|袖《そで》の|羽《は》ばたきし|乍《なが》ら|杢助《もくすけ》の|居間《ゐま》を|指《さ》して、|欣々《いそいそ》と|進《すす》み|入《い》る。
イルはハル、テル|両人《りやうにん》の|前《まへ》にヌツと|首《くび》をつき|出《だ》し、|耳《みみ》に|口《くち》よせ、
イル『オイ|両人《りやうにん》、|甘《うま》くやつたねえ。サ、これから|蓑笠《みのかさ》を|出《だ》してくれんかい。|丁度《ちやうど》、お|寅《とら》に|魔我彦《まがひこ》、ヨルの、|俺達《おれたち》|三人《さんにん》がなつて|此処《ここ》を|通《とほ》るから、|其《その》|時《とき》|高姫《たかひめ》に|見《み》せてやるのだなア、ウツフヽヽヽ』
ハル『|大《おほ》きな|声《こゑ》で|笑《わら》ふない。サヽ、|早《はや》う|早《はや》う、|受付《うけつけ》の|溜《たま》りに|蓑笠《みのかさ》が|沢山《たくさん》あるから、|女《をんな》のなつと|男《をとこ》のなつと、|一着《いつちやく》づつ|持《も》つて、|俺《おれ》が|合図《あひづ》するから、ドーン、と|太鼓《たいこ》が|鳴《な》つたら|五分《ごふん》|許《ばか》りしてから、|此《この》|坂《さか》を|下《くだ》つて|来《く》るのだ。それ|迄《まで》あの|谷《たに》の|曲《まが》りで、|酒《さけ》でも|呑《の》んで|待《ま》つとつてくれ』
と|忽《たちま》ち|協議《けふぎ》|一決《いつけつ》し、イク、イル、サールの|三人《さんにん》は|旅装束《たびしやうぞく》をなし、|僅《わづか》に|一丁《いつちやう》|許《ばか》りの|上手《かみて》の|山《やま》の|裾《すそ》の|曲角《まがりかど》に|姿《すがた》を|隠《かく》し、|酒《さけ》をグイグイ|呑《の》み|乍《なが》ら|太鼓《たいこ》の|鳴《な》るのを|待《ま》つてゐた。
ハルは|三人《さんにん》に|用意《ようい》を|命《めい》じおき、テルに|受付《うけつけ》を|構《かま》はせ|乍《なが》ら、|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》へ|足音《あしおと》|高《たか》く|進《すす》んで|行《い》つた。|受付《うけつけ》は|沢山《たくさん》の|参拝者《さんぱいしや》で、|中々《なかなか》|雑踏《ざつたふ》してゐる。テルは|今日《けふ》は|神界《しんかい》の|都合《つがふ》だと|云《い》つて、|全部《ぜんぶ》の|参拝者《さんぱいしや》を|八尋殿《やひろどの》に|籠《こも》るべく|命令《めいれい》した。ハルはソツと|襖《ふすま》を|押《おし》あけ、
ハル『エヘヽヽヽ、これはこれは|高姫《たかひめ》|様《さま》、お|二人《ふたり》、お|楽《たのし》みの|所《ところ》を、|御面倒《ごめんだう》|致《いた》しました。|殆《ほとん》ど|準備《じゆんび》が|整《ととの》ひましたから、|一寸《ちよつと》|来《き》て|下《くだ》さいませ』
|高姫《たかひめ》『|準備《じゆんび》が|整《ととの》つたら、|夫《そ》れで|可《い》いぢやないか』
ハル『|貴女《あなた》に|一《ひと》つ、|引掛戻《ひつかけもど》しの|芸当《げいたう》を、|実地《じつち》|目撃《もくげき》して|頂《いただ》きたいのですから……|其《その》|代《かは》り|少《すこ》し|眷族《けんぞく》に|酒《さけ》を|呑《の》まさななりませんから|其《その》|積《つも》りで|居《を》つて|下《くだ》さいや、|何《なん》と|云《い》つてもバラモン|教《けう》|切《き》つての|魔法使《まはふつかひ》ですから、……|一度《いちど》|私《わたし》の|隠《かく》し|芸《げい》を|御覧《ごらん》に|入《い》れますから……』
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、|貴方《あなた》も|御覧《ごらん》になつたら|何《ど》うですか』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、それ|位《くらゐ》なこた、|此《この》|杢助《もくすけ》だつて|何《なん》でもないワ。|併《しか》し|乍《なが》ら|少《すこ》し|許《ばか》り|骨《ほね》が|折《を》れるから、ハル、テルにやらしておくがよからう。|俺《おれ》もお|前《まへ》にいぢめられたので|眠《ねむ》たいなり、チツと|許《ばか》り、|腰《こし》が|変《へん》だから、……アツハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|杢助《もくすけ》さま、みつともない。ハルが|聞《き》いてるぢやありませぬか』
|杢助《もくすけ》『|最早《もはや》【ハル】が|来《き》てるのだから、|鶯《うぐひす》も|鳴《な》くだらう。お|前《まへ》の|声《こゑ》も|鼠《ねづみ》のやうにもあり、|鶯《うぐひす》のやうにもあるからな、アハヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『エー、|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》に、|気楽《きらく》な|男《をとこ》だな……|女房《にようばう》の|心《こころ》も|知《し》らずに……』
と|呟《つぶや》き|乍《なが》らハル|公《こう》の|後《あと》に|従《したが》ひ、|受付《うけつけ》|迄《まで》やつて|来《き》た。
テル『これはこれは|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|今《いま》スパイが|一《ひと》つ|魔法《まはふ》を|使《つか》つてお|目《め》にかけます。それに|付《つ》いては|沢山《たくさん》の|眷族《けんぞく》を|使《つか》つて、|三人《さんにん》の|奴《やつ》を|引戻《ひきもど》して|来《こ》ねばなりませぬ。|沢山《たくさん》の|魔神《まがみ》を|使《つか》ふには、|何《ど》うしても|酒《さけ》を|呑《の》ましてやらねば|可《い》けませぬから、ドツサリ|酒《さけ》を|此処《ここ》へ|出《だ》して|下《くだ》さい』
|高姫《たかひめ》『|勝手《かつて》にお|出《だ》しなさい。|御馳走《ごちそう》が|要《い》るなら、まだ|夜前《やぜん》の|杢助様《もくすけさま》のお|祝《いはひ》のが|残《のこ》つてゐるから、それを|取《と》つて|来《き》て、|肴《さかな》にして|眷族《けんぞく》|共《ども》に|呑《の》まして|下《くだ》さい』
『ヤ|有難《ありがた》い』といひ|乍《なが》ら、ハル、テルは|酒肴《さけさかな》を|中《なか》におき、|向《むか》ひ|合《あ》ひになつて、グイグイと|呑《の》み|出《だ》した、|喉《のど》の|中《なか》から|妙《めう》な|声《こゑ》が|出《で》て|来《く》る、|丁度《ちやうど》|笛《ふえ》を|吹《ふ》くやうに|聞《きこ》えて|来《き》た。ハルは|尖《とが》つた|口《くち》を|前《まへ》へつき|出《だ》し、
『おれは|大雲山《だいうんざん》の|狼《おほかみ》だ、|一杯《いつぱい》|呑《の》ましてくれ』
と|作《つく》り|声《ごゑ》し、|又《また》|今度《こんど》は|真面目《まじめ》な|声《こゑ》で、
『ウン、ヨシヨシ、ハル|公《こう》の|肉体《にくたい》へ|這入《はい》つて|来《き》よつたかな、サ、|一杯《いつぱい》|呑《の》め』
と|自分《じぶん》の|口《くち》へ|自分《じぶん》がついで、グーツと|呑《の》んだ。|腹《はら》の|中《なか》から、
『ウマイ ウマイ、|俺《おれ》は|大雲山《だいうんざん》の|狐《きつね》だ、|俺《おれ》にも|一杯《いつぱい》|呑《の》ましてくれ』
ハル『ウン、よしよし、|貴様《きさま》も|一杯《いつぱい》|呑《の》んで、お|寅婆《とらばば》や|外《ほか》|二人《ふたり》を|喰《くわ》へて|来《く》るのだぞ』
|腹《はら》の|中《なか》『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました、|酒《さけ》|許《ばか》りでははづみませぬ、|肴《さかな》も|一口《ひとくち》|入《い》れて|下《くだ》さいな』
ハル『ウン、よしよし|尤《もつと》もだ、|遠慮《ゑんりよ》はいらぬ、|御苦労《ごくらう》にならねばならぬのだから、ドツサリ|食《く》つたがよからう』
テルは|又《また》|作《つく》り|声《ごゑ》、|喉《のど》から|声《こゑ》の|出《で》るやうな|振《ふり》をして、
『|高姫《たかひめ》さま、|私《わたし》は|北山村《きたやまむら》に|居《を》つた|古狐《ふるぎつね》で|厶《ござ》います、お|久《ひさ》しうお|目《め》にかかりませぬ、|今日《けふ》は|御恩報《ごおんほう》じに、お|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、ヨルの|三人《さんにん》を|喰《くわ》へてイソの|館《やかた》へ|行《ゆ》かないやうに|致《いた》します、どうぞ|一杯《いつぱい》よんで|下《くだ》さいな』
|高姫《たかひめ》『|御苦労様《ごくらうさま》だ、ドツサリ|呑《の》んで|働《はたら》いて|下《くだ》さいや、|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》だからな。お|前《まへ》さまも|首尾《しゆび》よく|御用《ごよう》が|勤《つと》まつたら、|又《また》ヘグレ|神社《じんしや》を|建《た》てて|祀《まつ》つて|上《あ》げるぞや』
テル|公《こう》の|腹《はら》の|中《なか》から、
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》んす、|早《はや》く|一杯《いつぱい》|呑《の》まして|頂戴《ちやうだい》ね、|序《ついで》に|甘《うま》い|肴《さかな》もねえ』
テル『ヨシヨシ、|貴様《きさま》も|仕合《しあは》せ|者《もの》だ、|俺《おれ》の|肉体《にくたい》へ|宿《やど》をかりよつて、……|充分《じゆうぶん》|活動《くわつどう》するんだぞ、サ|一杯《いつぱい》|呑《の》ましてやらう』
と|又《また》|自分《じぶん》が|注《つ》いでグツと|呑《の》み、|鯛《たひ》の|刺身《さしみ》をムシヤムシヤと|頬張《ほほば》り、
テル『あゝあ、|何《なん》ぼ|口《くち》を|使《つか》はれても、|皆《みな》|副守先生《ふくしゆせんせい》が|食《く》ふのだから、|口《くち》のだるいこつちや、|甘《うま》くも|何《なん》ともありやせぬワ』
テルの|腹《はら》の|中《なか》から『それでも|喉《のど》|三寸《さんずん》|越《こ》える|間《あひだ》は、チツとは|甘《うま》からうがな』
テル『コリヤ、|守護人《しゆごじん》、|偉相《えらさう》に|云《い》ふな、|喉《のど》|通《とほ》る|間《あひだ》|位《くらゐ》|甘《うま》かつたつて、たまるかい。チツと|静《しづか》にせぬかい、|腹《はら》の|中《なか》で|騒《さわ》ぎやがつて……』
テルの|腹《はら》の|中《なか》より『|臍下丹田《さいかたんでん》で|吾々《われわれ》の|同志《どうし》が|集《あつ》まつて、|散財《さんざい》をして|居《ゐ》るのだ、モツとドツサリ|注入《ちゆうにふ》してくれないと、|根《ね》つからお|座《ざ》が|持《も》てぬワイ』
テル『|高姫《たかひめ》さま、|困《こま》つたものですな、|何《ど》うしませう』
|高姫《たかひめ》『コレ、テル、|余《あま》り|酔《よ》はすと、|又《また》|間《ま》に|合《あ》はぬやうになつちや|可《い》けないから|天晴《あつぱれ》|御用《ごよう》がすんでから|呑《の》ますからと|云《い》つて|下《くだ》さいな。|御用《ごよう》さへすんだらば|何《なん》ぼなつと|呑《の》まして|上《あ》げるから……と』
テル『コリヤ|腹《はら》の|中《なか》の|連中《れんちう》、|御用《ごよう》がすんだら|幾《いく》らでも|呑《の》ましてやるから、|今《いま》それ|位《くらゐ》で|辛抱《しんばう》したら|何《ど》うだ』
テルの|腹《はら》の|中《なか》から『それだと|云《い》つて、まだ|一杯《いつぱい》づつも|渡《わた》つてゐないぢやないか、せめて、|盃《さかづき》についだのは|邪魔臭《じやまくさ》いから、|徳利《とくり》グチ、|一升《いつしよう》|許《ばか》り|注入《ちゆうにふ》してくれ』
テル『エ……チエツ|厄介《やくかい》な|奴《やつ》だな、|嫌《いや》でもない|酒《さけ》を|呑《の》ましやがつて……チエツ、コラ|守護神《しゆごじん》、|御苦労《ごくらう》と|申《まを》せ』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|徳利《とくり》の|口《くち》からラツパ|呑《の》みを|始《はじ》めた。ハル|公《こう》も|肴《さかな》を|二膳《にぜん》かたしでつかみては|頬張《ほほば》り|頬張《ほほば》り、|又《また》|一升《いつしよう》|徳利《とくり》の|口《くち》からテル|公《こう》|同様《どうやう》にガブガブと|呑《の》みほした。
ハルは|額《ひたひ》をピシヤツと|叩《たた》き、
ハル『ゲーエー、あゝ|酔《よ》ふた|酔《よ》うた、オイ、テル、|貴様《きさま》も|随分《ずいぶん》もう|酔《よ》ふただらう、|否《いや》|貴様《きさま》の|眷族《けんぞく》も|酔《よ》ふただらう、|何《なん》だか|俺《おれ》の|守護神《しゆごじん》も|腹《はら》の|中《なか》でクダまいてけつかるワイ、……コリヤ|高姫《たかひめ》、|昨夜《さくや》は|何《ど》うだい、……コレ|高姫《たかひめ》さま、あんな|事《こと》いひますワ、|仕方《しかた》のないヤンチヤがをりますわい、|併《しか》し|乍《なが》らかういふヤンチヤでないと、お|寅婆《とらばば》|引戻《ひきもど》しの|芸当《げいたう》は|出来《でき》ませぬからな』
|高姫《たかひめ》『サ|早《はや》くお|寅《とら》|外《ほか》|三人《さんにん》を|引戻《ひきもど》して|見《み》せて|下《くだ》さい』
ハルは|何《なん》だか|口《くち》の|中《なか》で|文言《もんごん》を|称《とな》へ、|座太鼓《ざだいこ》をポンポンポンと|打《う》つた。さうするとお|寅婆《とらばば》に|扮《ふん》したイルが、|首《くび》をプリンプリン|振《ふ》り、|怪《あや》しい|腰付《こしつき》をし|乍《なが》ら、|何物《なにもの》にか|引張《ひつぱ》られる|様《やう》な|素振《そぶり》をして、|受付《うけつけ》の|前《まへ》を|横切《よこぎ》り、|坂《さか》の|下《した》へトツトツトツと|去《ゐ》て|了《しま》つた。
ハル『サア、|何《ど》うでげす、|高姫《たかひめ》さま、|引掛戻《ひつかけもど》しの|魔法《まはふ》はズイ|分《ぶん》エライものでげせうがな。お|寅《とら》の|奴《やつ》、|眷族《けんぞく》に|袖《そで》をくわへられて、|折角《せつかく》|河鹿峠《かじかたうげ》を|半分《はんぶん》|程《ほど》|上《あが》つたら、たうとう|引《ひつ》ぱりよせられよつた、|何《ど》うだす、エーエ』
|高姫《たかひめ》『いかにもアリヤお|寅《とら》に|違《ちが》ひない、|偉《えら》いものだな。|併《しか》しお|寅《とら》|丈《だけ》ではつまらぬぢやないかい、ヨルと|魔我彦《まがひこ》が|戻《もど》つて|来《こ》なくちや、|一人《ひとり》でも|向方《むかふ》へやつたら|大変《たいへん》だから……』
ハル『エー、|今度《こんど》はテルの|番《ばん》です、オイ、テル|公《こう》、|魔我彦《まがひこ》を|引張《ひつぱ》り|出《だ》すのだよ』
テルは『ウーン、ヨシツ』と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|鞭《むち》を|取《と》り、|座太鼓《ざだいこ》をポンポンポンと|三《みつ》つ|打《う》つた。|魔我彦《まがひこ》に|似《に》た|蓑笠《みのかさ》を|被《かぶ》つた|男《をとこ》、|金剛杖《こんがうづゑ》をつき、|以前《いぜん》の|如《ごと》く、|首《くび》や|身体《からだ》を|前後左右《ぜんごさいう》に|振《ふ》り|乍《なが》ら、|又《また》|前《まへ》を|通《とほ》り|過《す》ぎた。
テル『|高姫《たかひめ》さま、|何《ど》うです、|妙《めう》でせうがなア』
|高姫《たかひめ》『|成程《なるほど》、ヤツパリ|神様《かみさま》は|水《みづ》も|洩《も》らさぬ|仕組《しぐみ》をして|厶《ござ》るワイ、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》の|筆先《ふでさき》にチヤンと|出《で》てますぞよ、キチリキチリと|箱《はこ》さしたやうにゆくぞよと|現《あら》はれてるのは|此《この》|事《こと》だな。|何《なに》を|云《い》つても|日出神《ひのでのかみ》さまは|偉《えら》いわい、|夫《そ》れ|相当《さうたう》の|守護神《しゆごじん》をお|使《つか》ひ|遊《あそ》ばすのだから……|時《とき》にテルや、ヨルの|奴《やつ》、まだ|後《あと》へ|帰《かへ》つて|来《こ》ぬぢやないか』
テル『|其奴《そいつ》ア、ハルが|今《いま》やる|番《ばん》になつて|居《を》ります、|守護神《しゆごじん》も【かつため】に|休《やす》ましてやらんなりませぬからな』
|高姫《たかひめ》『|成程《なるほど》、サ、ハルや、|頼《たの》んますぞや』
ハルは『エヘン』と|咳払《せきばらひ》し|乍《なが》ら、|太鼓《たいこ》の|鞭《むち》をグツと|握《にぎ》り、|座太鼓《ざだいこ》の|面《おもて》を|仔細《しさい》ありげに|暫《しばら》く|睨《にら》みつめ、|空中《くうちう》を|鞭《むち》で|七八《しちはち》へんもかくやうな|真似《まね》をして、|鞭《むち》の|先《さき》を|高姫《たかひめ》の|口《くち》へ|一寸《ちよつと》|当《あ》てた。
|高姫《たかひめ》『コレコレ、ハルや、|何《なに》をテンゴーして|厶《ござ》る、|早《はや》く|引掛戻《ひつかけもど》しをなさらぬかいな』
ハル『|高姫《たかひめ》さま、|之《これ》が|三《さん》べん、|蛇《じや》の|子《こ》と|申《まを》しまして、|業《わざ》の|終局《しうきよく》ですから|一寸《ちよつと》|六《むつ》かしいのですよ、|之《これ》が|甘《うま》く|行《ゆ》けばヨルが|後《あと》へ|戻《もど》つて|来《き》ます。|此奴《こいつ》を|失敗《しくじ》つたら|大変《たいへん》ですから……|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》が、|要《えう》するに、|吾々《われわれ》をお|使《つか》ひなさつてるのです。|鞭《むち》に|仕掛《しかけ》がしてあるのですから、|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》のお|口《くち》へ|一寸《ちよつと》|持《も》つて|行《ゆ》きまして、|此《この》|次《つぎ》は|一寸《ちよつと》お|鼻《はな》へさわるかも|知《し》れませぬ……』
|高姫《たかひめ》『ヤ、|業《わざ》の|作法《さはふ》とあれば、|何《ど》うも|仕方《しかた》ありませぬ、どうなりと|御好《おす》きなやうにして|下《くだ》さい』
ハルは|鞭《むち》を|前後左右《ぜんごさいう》に、|静《しづか》に|振《ふ》り、
『|東方《とうはう》|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、|西方《せいはう》|夕日《ゆふひ》の|大神様《おほかみさま》、|南方《なんぱう》|星《ほし》の|大神様《おほかみさま》、|北方《ほくぱう》|月《つき》の|大神様《おほかみさま》、|北極《ほくきよく》|明星《みやうじやう》、|北斗七星大菩薩《ほくとしちせいだいぼさつ》|守《まも》り|玉《たま》へ|幸《さきは》へ|玉《たま》へ』
と|鞭《むち》を、|益々《ますます》|急速度《きふそくど》に|働《はたら》かせ、|自分《じぶん》の|股倉《またぐら》へつつ|込《こ》み、|高姫《たかひめ》の|鼻《はな》へピタリと|当《あ》てた。|高姫《たかひめ》は|之《こ》れがバラモン|教《けう》の|魔法使《まはふつかひ》の|法《はふ》だ、|臭《くさ》くても|辛抱《しんばう》せなくてはヨルが|帰《かへ》つて|来《こ》ないと|思《おも》ひつめ、|尻《しり》に|当《あ》てた|鞭《むち》の|先《さき》を|鼻《はな》に|当《あ》てられ、|顔《かほ》をしかめて、|待《ま》つてゐる。
|高姫《たかひめ》『コレ、ハルや、そないキツク|当《あ》てると|息《いき》が|出来《でき》ぬぢやないか、|何《なん》と|臭《くさ》い|鞭《むち》だなア』
ハル『ソリヤ、チツと|臭《くさ》うごんせうとも、|何《なに》せよあなた、|向《むか》ふへ|行《ゆ》く|奴《やつ》を|引戻《ひきもど》すといふ|魔法《まはふ》ですもの、つまり、|尻《しり》の|匂《にほ》ひを|高《たか》い|所《ところ》の|鼻《はな》|迄《まで》|持運《もちはこ》ばなくちや、|相応《さうおう》の|道理《だうり》に|叶《かな》ひますまい、|尻《しり》の|所謂《いはゆる》|外臭《ぐわいしう》を、|又《また》|鼻《はな》から|引込《ひきこ》んで|内臭《ないしう》に|充《みた》さなくちや|業《わざ》は|利《き》きませぬからねえ、エヘヽヽヽ。サ、|之《これ》から|本芸《ほんげい》に|取《と》りかかりまーす』
と|鞭《むち》を|放《はな》しがけに、グツと|手《て》を|伸《の》ばし、|高姫《たかひめ》の|鼻《はな》をついた。|高姫《たかひめ》は|鼻柱《はなばしら》をつかれて、ウンと|仰向《あふむ》けに|倒《たふ》れて|了《しま》つた。
|高姫《たかひめ》は|目《め》がクラクラとして、そこらが|廻《まは》るやうになつて|来《き》た。|耳《みみ》のはたで|無暗《むやみ》|矢鱈《やたら》に|太鼓《たいこ》を|叩《たた》き|出《だ》した。|高姫《たかひめ》は|益々《ますます》|逆上《のぼせ》て、|目《め》がまひ、|遂《つひ》には|家《いへ》も|身体《からだ》も|山《やま》もグレリグレリと|舞《ま》ひ|出《だ》した。サールはヨルに|扮《ふん》して|通《とほ》つて|行《ゆ》く、|其《その》|姿《すがた》が|上《うへ》になり、|下《した》になりし|乍《なが》らどつかに|隠《かく》れて|了《しま》つた。|少時《しばらく》すると、|高姫《たかひめ》は|起上《おきあが》り、
『あゝあ|御苦労《ごくらう》だつた、お|前達《まへたち》は|大変《たいへん》な|魔法《まはふ》を|覚《おぼ》えてるものだな。|家《いへ》を|逆様《さかさま》にしたり、|山《やま》を|自由《じいう》に|動《うご》かしたり、|何《なん》と|偉《えら》いものだよ。ヤツパリお|前《まへ》は、|受付《うけつけ》|丈《だけ》の|値打《ねうち》はあるわい、テルも|内司《ないじ》の|司《つかさ》|丈《だけ》の|値打《ねうち》は|十分《じふぶん》あるわい。これからお|前等《まへら》|二人《ふたり》を|魔法使《まはふつかひ》の|大将《たいしやう》とし、イソの|館《やかた》に|行《ゆ》く|奴《やつ》を|喰《く》ひとめ、きかぬ|奴《やつ》は|今《いま》のやうに|山《やま》まで|動《うご》かして、|往生《わうじやう》させるのだ。これから|祠《ほこら》の|森《もり》を|大門神社《おほもんじんしや》と|改名《かいめい》いたすぞや。サ、お|前達《まへたち》|御苦労《ごくらう》だつた、|悠《ゆつ》くり|休《やす》んで|下《くだ》さい。|私《わたし》は|杢助《もくすけ》さまに、お|前達《まへたち》の|手柄《てがら》を|按配《あんばい》よう|報告《はうこく》しておくから……キツと|御褒美《ごほうび》が|出《で》るだらうからなア』
ハル『どうぞ、お|酒《さけ》をドツサリ|戴《いただ》くように|願《ねが》ひますよ』
|高姫《たかひめ》『アレ、マアあれ|丈《だけ》|沢山《たくさん》|呑《の》んでおいて、まだ|呑《の》みたいのかい、|余程《よほど》よい|樽《たる》だなア』
ハル『|高姫《たかひめ》さま、ありや|皆《みな》|魔法使《まはふつかひ》の|為《ため》に|守護神《しゆごじん》が|呑《の》んだのですよ。ハルやテルが|呑《の》んだと|思《おも》はれちやたまりませぬワ』
|高姫《たかひめ》『あゝさうだつたな、まア|一寸《ちよつと》|待《ま》つてゐて|下《くだ》さい、|御馳走《ごちそう》をして|上《あ》げるから……』
といそいそと|奥《おく》に|入《い》る。
ハル『アハヽヽ、オイ、テル、|甘《うま》くやつたぢやないか』
テル『|貴様《きさま》ア、ヒドいぢやないか、エヽン、|自分《じぶん》の|尻《しり》を|高姫《たかひめ》にかがしたり、|鼻《はな》をついて|高姫《たかひめ》の|目《め》をまかしたり、|怪《け》しからぬことをするね』
ハル『それだつて、|一番《いちばん》しまひに|回天動地《くわいてんどうち》の|実況《じつきやう》を|見《み》せておかなくちや、|疑《うたがひ》の|深《ふか》い|女《をんな》だから、ああいふ|具合《ぐあひ》にしたんだよ、|俺《おれ》の|智慧《ちゑ》は|偉《えら》いものだらうがな』
テル『ウン、|感心《かんしん》だ、|併《しか》し、イル、イク、サールに|一杯《いつぱい》、|改《あらた》めて|呑《の》ましてやらなくちやなるまい、ソツと|宿舎《しゆくしや》へ|酒肴《さけさかな》を|持運《もちはこ》び、|慰労会《ゐらうくわい》でもやつてやらうかな』
ハル『|楓《かへで》さまを、|酒注《さけつ》ぎ|役《やく》として、|静《しづか》に|宿舎《しゆくしや》で|呑《の》むやうにしておいてくれ、|余《あま》り|大《おほ》きな|声《こゑ》で|歌《うた》つたり|何《なに》かすると|分《わか》るから|大《おほ》きな|声《こゑ》をしない|様《やう》に|注意《ちゆうい》をしてくれよ』
かく|両人《りやうにん》は|相談《さうだん》の|結果《けつくわ》|宿舎《しゆくしや》に|三人《さんにん》を|忍《しの》ばせ、|楓姫《かへでひめ》の|酌《しやく》にてクビリクビリと|小酒宴《せうしゆえん》を|開《ひら》いてゐる。|高姫《たかひめ》は|居間《ゐま》へ|帰《かへ》り、ニコニコし|乍《なが》ら、
『コレ|杢助《もくすけ》さま、|喜《よろこ》んで|下《くだ》さい。|腐《くさ》り|繩《なは》にも|取柄《とりえ》とかいひましてな、|日出神《ひのでのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》の|目鏡《めがね》に|叶《かな》ふた、テル、ハルの|両人《りやうにん》は、バラモン|教《けう》で|魔法使《まはふつかひ》と|名《な》を|取《と》つた|丈《だけ》あつて、|偉《えら》い|事《こと》をしましたよ。お|寅婆《とらばば》を|引戻《ひきもど》すやら、|魔我彦《まがひこ》、ヨルまでが|引《ひき》つけられて|惨《みぢ》めな|様《さま》で|坂《さか》を|返《かへ》つて|行《ゆ》く|可笑《をか》しさ、そしてまた|不思議《ふしぎ》な|芸当《げいたう》を|持《も》つてゐますよ。|家《いへ》をまいまいこんこをさしたり、|山《やま》をグラグラ|動《うご》かしたりするのですもの、|義理天上《ぎりてんじやう》|日出神《ひのでのかみ》もあんな|弟子《でし》を|持《も》つて|居《を》れば、|正勝《まさか》の|時《とき》にや|山《やま》も|何《なに》も|引《ひつ》くりかへしますワ、あゝあ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います|日出神《ひのでのかみ》|様《さま》、よい|家来《けらい》を|御授《おさづ》け|下《くだ》さいまして、……あゝ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸《ち》はへませ』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|其奴《そいつ》ア|偉《えら》い|事《こと》をやつたね、ウン、|感心《かんしん》|感心《かんしん》。|併《しか》し|乍《なが》ら|其《その》|三人《さんにん》は|今《いま》どこに|居《ゐ》るのか』
|高姫《たかひめ》『サ、|今頃《いまごろ》にやモウ|山口《やまぐち》の|森《もり》あたり|迄《まで》|逃《に》げて|行《い》つたでせうよ』
|杢助《もくすけ》『|其奴《そいつ》ア、|何《なん》にもならぬぢやないか、イソの|館《やかた》へ|行《ゆ》かうと|思《おも》へば、ここ|許《ばか》りが|道《みち》ぢやない、|遠廻《とほまは》りをしてゆけば|行《ゆ》けるのだから、|彼奴等《あいつら》|三人《さんにん》を|此処《ここ》へ|引《ひき》つけて|十分《じふぶん》に|説《と》き|聞《き》かすか、|但《ただし》はどうしても|聞《き》かねば、|穴《あな》でも|掘《ほ》つて、|末代《まつだい》|上《あが》れぬ|事《こと》にしておかぬ|事《こと》にや、お|前《まへ》の|謀反《むほん》は|成就《じやうじゆ》しないだないか、|賢《かしこ》いやうでも|女《をんな》だなア』
|高姫《たかひめ》『いかにもそうで|厶《ござ》いましたなア、|何《ど》う|致《いた》しませう』
|杢助《もくすけ》『それ|位《くらゐ》な|事《こと》は|朝飯前《あさめしまへ》だ、|俺《おれ》が|一《ひと》つここへ|呼《よ》んで|見《み》ようかな』
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、|貴方《あなた》にそんな|事《こと》が|出来《でき》ますかい』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|出来《でき》えでかい、それ|位《くらゐ》な|事《こと》が|出来《でき》いで、|今《いま》|迄《まで》イソの|館《やかた》の|総務《そうむ》が|勤《つと》まらうかい、|今《いま》|此《この》|杢助《もくすけ》が|一《ひと》つ|文言《もんごん》を|称《とな》へたが|最後《さいご》、|望《のぞ》み|通《どほり》の|人間《にんげん》をここへよせてみせう、|其《その》|代《かは》り|高姫《たかひめ》、お|前《まへ》もチツと|痛《いた》い|辛抱《しんばう》をせなくちやならぬぞ』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまの|為《ため》なら、|少々《せうせう》|痛《いた》い|事《こと》しましても|辛抱《しんばう》しますワ』
|杢助《もくすけ》『ヨシヨシ|一寸《ちよつと》|高《たか》ちやん、ここへお|出《い》で、お|前《まへ》は|木魚《もくぎよ》の|代《かは》りになるのだよ』
と|言《い》ひ|乍《なが》ら、|高姫《たかひめ》の|長煙管《ながぎせる》を|取《と》り、
『ブビヨウ、マフス、ベナ、マカ、お|寅婆《とらば》サンよ、|杢助如来《もくすけによらい》が、|魔法《まはふ》の|功徳《くどく》に|仍《よ》つて、|此《この》|場《ば》へ|来《きた》れ、|早《はや》|来《きた》れ』
「クワン、グリン グリン グリン グリン」と|続《つづ》け|打《うち》に、|高姫《たかひめ》の|前頭部《ぜんとうぶ》を|五《いつ》つ|打《う》つた。|高姫《たかひめ》は|又《また》もや|少《すこ》しく|逆上《のぼせ》たと|見《み》え、そこらがクルクル|見《み》え|出《だ》して|来《き》た。パツと|現《あら》はれたのは、お|寅《とら》ソツクリの|姿《すがた》である。
|高姫《たかひめ》『ヤ、お|前《まへ》はお|寅《とら》ぢやないか、どうだ、|義理天上《ぎりてんじやう》の|神力《しんりき》には|往生《わうじやう》|致《いた》したか』
お|寅《とら》『ハイ、サツパリ|往生《わうじやう》|致《いた》し……ま……せぬワイ』
|高姫《たかひめ》『アハヽヽ|何《なん》と|負惜《まけをし》みの|強《つよ》い|婆《ばば》だなア、サ、もう|斯《か》うなる|上《うへ》はビク|共《とも》|動《うご》かさぬのだ。|義理天上《ぎりてんじやう》には、ハル、テルといふ|立派《りつぱ》な|魔法使《まはふつかひ》がついて|居《を》りますぞや。お|寅《とら》さま、もう|駄目《だめ》だから、スツカリ|我《が》を|折《を》つて、|日出神《ひのでのかみ》の|申《まを》すやうになさるが、おのしのお|得《とく》だぞえ』
お|寅《とら》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》いませぬ。|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねが》ひ|致《いた》しませぬ』
|高姫《たかひめ》『それ|見《み》なさい、|早《はや》く|改心《かいしん》すればいいものを、いつ|迄《まで》も|我《が》を|張《は》つてゐると、|此《この》|通《とほ》りだぞえ、ドンあとで|首尾悪《しゆびわる》うすがりて|来《こ》ねばならぬぞよ……とお|筆《ふで》に|現《あら》はれて|居《ゐ》るぞえ』
お|寅《とら》『ハイ|何分《なにぶん》|宜《よろ》しく|御願《おねがひ》|申《まを》します。モウこれきり|我《が》は|出《だ》しまする。どうぞ|高姫《たかひめ》さまの|御弟子《おでし》にして|下《くだ》さいますな』
|高姫《たかひめ》は|握拳《げんこつ》を|固《かた》め、|両腕《りやううで》を|力《ちから》|一杯《いつぱい》|伸《のば》し、|立《たち》あがり、|六方《ろつぱう》をふみ|乍《なが》ら、|雄健《をたけ》びして|云《い》ふ。
|高姫《たかひめ》『|三五教《あななひけう》に|名《な》も|高《たか》き、|高姫《たかひめ》さまとは|此《この》|方《はう》の|事《こと》、|若《わか》い|時《とき》から|男女《をとこをんな》と|呼《よ》ばれたる、|変性男子《へんじやうなんし》の|生宮《いきみや》の|腹《はら》をかつて、|生《うま》れ|出《い》でたる|剛《がう》の|女《をんな》、|今《いま》は|祠《ほこら》の|森《もり》の|杢助《もくすけ》が|妻《つま》となり、|山《やま》のほでらの|茅屋住《あばらやずま》ひ、|先《さき》を|見《み》てゐて|下《くだ》されよ……と○をまくつて、|大音声《だいおんじやう》』
と|自《みづか》ら|呶鳴《どな》り、|芝居《しばゐ》|気取《きど》りになつて、|伊猛《いたけ》り|狂《くる》ふた、|其《その》|勢《いきほひ》の|凄《すさま》じさ。|杢助《もくすけ》は|思《おも》はず『ワツハツハヽヽ』と|吹出《ふきだ》し、|又《また》もや|高姫《たかひめ》に|向《むか》ひ、
|杢助《もくすけ》『オイ|高《たか》ちやん、まだ|勇《いさ》む|所《ところ》へはいかぬ。|魔我彦《まがひこ》ヨルの|両人《りやうにん》を|此処《ここ》へ|引付《ひきつ》けなくちや|駄目《だめ》だよ』
|高姫《たかひめ》はハツと|気《き》がつき、
『なる|程《ほど》|杢助《もくすけ》さま、|魔我彦《まがひこ》、ヨルは|何《ど》うしたらいいでせうかな、モウ|頭《あたま》を|叩《たた》かれるのはたまりませぬがな』
|杢助《もくすけ》『さうだらう、モウ|頭《あたま》を|叩《たた》く|必要《ひつえう》はない。|一寸《ちよつと》お|前《まへ》が|私《わたし》の|云《い》ふ|通《とほ》り、|目《め》をつぶつて|舌《した》を|出《だ》してくれさへすりや、それで|呪禁《まじなひ》が|利《き》くのだ、さうすりやキツと|二人《ふたり》は|此処《ここ》へ|引付《ひきつ》けてみせるよ』
|高姫《たかひめ》『そんな|事《こと》なら、|頭《あたま》を|叩《たた》かれるよりもおやすいことです。サア|早《はや》く|呪禁《まじなひ》をして|下《くだ》さい』
と|云《い》ひ|乍《なが》ら、|目《め》をシツカと|塞《ふさ》ぎ、|馬鹿正直《ばかしやうぢき》に|舌《した》をニユツと|出《だ》した。|杢助《もくすけ》は|火鉢《ひばち》の|灰《はひ》を|掴《つか》んで、|高姫《たかひめ》の|舌《した》へ、|口《くち》があかぬ|程《ほど》|突込《つつこ》んだ。|高姫《たかひめ》は|灰《はひ》が|喉《のど》に|引《ひか》かつたとみえて『クワツ クワツ』と|咳《せき》をし あたりに|灰《はひ》を|飛《と》ばした。そして|両眼《りやうがん》から|涙《なみだ》をポロポロと|流《なが》してゐる。それでもまだ|杢助《もくすけ》がよいといはぬので、|辛《つら》い|業《げふ》だと|思《おも》ひ|乍《なが》ら|気張《きば》つてゐる。|杢助《もくすけ》は、
|杢助《もくすけ》『オイ|高姫《たかひめ》、モウ|目《め》をあけたら|良《い》いよ』
|高姫《たかひめ》はパツと|目《め》を|開《あ》けば、|豈計《あにはか》らむや|魔我彦《まがひこ》、ヨルが|自分《じぶん》の|前《まへ》にキチンと|坐《すわ》つてゐる。|高姫《たかひめ》は、
|高姫《たかひめ》『ヤ、|魔我彦《まがひこ》か、ヨルか』
と|言《い》はむとして、|口《くち》につまつた|灰《はひ》に|又《また》むせ|返《かへ》り、クワツ クワツと、|咳《せき》し|乍《なが》ら、|苦《くるし》んでゐる。|其《その》|間《ま》に|杢助《もくすけ》は|金盥《かなだらひ》に|水《みづ》を|汲《く》んで|口《くち》をそそがした。|鼻《はな》も|舌《した》も|灰《はひ》だらけになつた|高姫《たかひめ》は、ヤツとの|事《こと》で|灰《はひ》を|洗《あら》ひおとし、|口《くち》を|清《きよ》め、|魔我彦《まがひこ》を|睨《ねめ》つけて、ソロソロと|憎《にく》まれ|口《ぐち》を|叩《たた》き|出《だ》したり。
|高姫《たかひめ》『コレ|魔我彦《まがひこ》、お|前《まへ》は|一体《いつたい》どこへいつとつたのだ、エヽー。|此《この》|御神徳《ごしんとく》には|叶《かな》ふまいがな。それだから、|日出神《ひのでのかみ》の|申《まを》す|事《こと》を|聞《きき》なさいと、あれ|程《ほど》|言《い》ふのに、|何《なん》の|事《こと》だいな、|大本《おほもと》の|大橋《おほはし》|越《こ》えてまだ|先《さき》へ|行方《ゆくへ》|分《わか》らぬ|後《あと》もどり、|慢心《まんしん》すると|其《その》|通《とほ》り……と|日出神《ひのでのかみ》の|真似《まね》の|筆先《ふでさき》に|出《で》て|居《を》りませうがな』
|魔我《まが》『アハヽヽヽ、|実《じつ》の|所《ところ》はお|前《まへ》さまにお|土産《みやげ》を|持《も》つて|来《き》たのだよ。|余《あま》り|何《なん》だか|食《く》ひた|相《さう》に|舌《した》を|出《だ》してゐらつしやるものだから、|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|下《した》から|死人《しびと》の|灰《はひ》を|持《も》つて|来《き》て、|口《くち》にねぢ|込《こ》んであげました、イヒヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『コレ|魔我《まが》ツ、|何《なん》といふ|失礼《しつれい》な|事《こと》を|致《いた》すのだ。サ、もう|了見《れうけん》ならぬ。|穴《あな》でも|掘《ほ》つて|放《ほ》り|込《こ》んでやりませう。コレ|杢助《もくすけ》さま、もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|了見《れうけん》なりませぬぞや、|魔我《まが》とヨルと、|穴《あな》でも|掘《ほ》つて|岩《いは》でも|被《かぶ》せて|末代《まつだい》|上《あが》れぬやうにして|下《くだ》さいナ』
|魔我彦《まがひこ》の|口《くち》は|俄《には》かに|尖《とが》り|出《だ》した。そして|大《おほ》きな|耳《みみ》が|生《は》えて|来《き》た。ヨルはと|見《み》れば、これも|耳《みみ》を|生《は》やし、|牙《きば》を|出《だ》し、キツキツキツト|猿《さる》のやうに|鳴《な》き|出《だ》した、お|寅《とら》は|獅子神楽《ししかぐら》のやうな|口《くち》を|開《あ》けて、|体中《からだぢう》|斑《まんだら》の|虎《とら》となり、|高姫《たかひめ》に|向《むか》ひ、『ウーウー』と|唸《うな》り|出《だ》した。|三人《さんにん》|一度《いちど》に|怪獣《くわいじう》となり、|山《やま》も|砕《くだ》けむ|許《ばか》りに|唸《うな》り|初《はじ》めた。|高姫《たかひめ》はアツと|叫《さけ》んで|其《その》|場《ば》に|正気《しやうき》を|失《うしな》つて|了《しま》つた。|怪獣《くわいじう》はのそりのそりと|四《よ》つ|足《あし》に|還元《くわんげん》し、|玄関口《げんくわんぐち》めがけて|飛出《とびだ》した。ハル、テルの|両人《りやうにん》は|両手《りやうて》で|頭《あたま》を|抱《かか》へ、|息《いき》をこらして|縮《ちぢ》こまり、|怪獣《くわいじう》の|帰《かへ》り|去《さ》るを|待《ま》つて|居《ゐ》た。|俄《にはか》に|山《やま》は|唸《うな》り|出《だ》し、|岩石《がんせき》も|飛《と》ぶ|様《やう》な|風《かぜ》が|吹《ふ》いて|来《き》た。
(大正一二・一・一九 旧一一・一二・三 松村真澄録)
第一七章 |五身玉《いづみたま》〔一二九一〕
イル、イク、サールは、やさしき|楓姫《かへでひめ》に|酌《しやく》をさせ|乍《なが》ら|四辺《あたり》を|憚《はばか》りチビリチビリと|飲《の》んでゐたがソロソロ|酔《よ》ひがまはるにつれて|脱線《だつせん》し|四辺《あたり》|構《かま》はず|唄《うた》ひ|出《だ》した。
イル『おい、イク、サール、|如何《どう》だ。かう|黙《だま》つてクビリクビリとやつてゐた|処《ところ》で|酒《さけ》が|沈《しづ》んで|仕方《しかた》がないぢやないか。チツト|歌《うた》でも|唄《うた》つたら|如何《どう》だい。エーイ』
イク『|宜《よ》からう|宜《よ》からう|一《ひと》つ|唄《うた》はうかな。
|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》 イソの|宮《みや》から|降《ふ》つて|来《き》て
|朝《あさ》から|晩《ばん》までコテコテと |白《しろ》い|粉《こな》をば|顔《かほ》に|塗《ぬ》り
|一寸《ちよつと》|眺《なが》めれや|雪婆《ゆきばば》か ヨイトセー ヨイトセー
もとの|木阿弥《もくあみ》|杢助《もくすけ》が ブラリブラリとやつて|来《き》て
|何《なん》だか|俺《おれ》は|知《し》らないが |目出度《めでた》い|事《こと》が|出来《でき》たさうだ
お|寅婆《とらばあ》さまや|魔我彦《まがひこ》や ヨルの|兄貴《あにき》に|扮装《ふんさう》して
ヤ、ドツコイシヨ ドツコイシヨ うまく|眼《まなこ》を|晦《くら》ました
おかげでお|酒《さけ》やお|肴《さかな》が これ|程《ほど》|沢山《たくさん》|戴《いただ》ける
ア、ヨイトセー ヨイトセー。
アハヽヽヽヽ、エヘヽヽヽヽ、うまいうまい、こんな|事《こと》なら|毎日《まいにち》でもあつて|欲《ほ》しいものだ。|僅《わづ》か|蓑笠《みのかさ》|着《き》て|一丁《いつちやう》ばかり|行《い》つて|酒《さけ》を|飲《の》み、|又《また》|帰《かへ》つて|此処《ここ》で|楓姫《かへでひめ》の|白《しろ》い|手《て》で……イヒヽヽヽヽ、ぼろいぢやないか』
サール『ナヽヽヽ|何《なに》がぼろいのだい、エーン。これ|位《くらゐ》な|味《あぢ》なくもない|酒《さけ》を|飲《の》まされて、|見《み》た|事《こと》もない|様《やう》な|生肴《なまざかな》をつきつけやがつて、アタ|甘《うま》い、それが|何《なに》|結構《けつこう》なのだ。|糞面白《くそおもしろ》くもない。|俺《おれ》や、モウ|自棄《やけ》だ。|之《これ》から|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|処《ところ》へ|行《い》つて|一《ひと》つ|管《くだ》を|巻《ま》いて|来《き》てやるのだい』
イル『こりや こりや さう|八釜《やかま》しう|云《い》ふない。ハル、テルの|哥兄《あにい》が|気《き》を|揉《も》むぢやないか』
サール『ナヽヽヽ|何《なん》ぢや、|木《き》をもむ、そんな|事《こと》があつて|堪《たま》らうかい。|木《き》をもむ|奴《やつ》あ|三目錐《みつめきり》だ。|俺《おれ》は|鉋《かんな》だぞ。|親《おや》の|脛《すね》を|削《けづ》り、|腕《うで》を|削《けづ》り|又《また》|高姫《たかひめ》の|肴《さかな》を|削《けづ》り、|削《けづ》つて|削《けづ》つて|削《けづ》りまはす|鉋《かんな》だ。それだから【かんな】がら|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》と|云《い》ふのだ。エヘヽヽヽヽあゝ|酔《よ》ふた|酔《よ》ふた。|楓《かへで》さま、おい|何《なん》だ。イルの|方《はう》に|妙《めう》な|視線《しせん》を|向《む》けてゐるぢやないか。チツと|俺《おれ》の|方《はう》にも|向《む》けたら|如何《どう》だい』
|楓《かへで》『ホヽヽヽヽ、あまりイルさまは|男前《をとこまへ》のいい、|何処《どこ》ともなしに|虫《むし》の|好《す》く|方《かた》ですから、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|視線《しせん》を|向《む》けて【イル】さまですよ』
イク『おい、|楓姫《かへでひめ》さま、このイクには|如何《どう》だい。|思召《おぼしめ》しは|厶《ござ》りますかな』
|楓《かへで》『【イク】ら|仰有《おつしや》つて|下《くだ》さつてもイク|地《ぢ》のないイクさまの|方《はう》へは|私《わたし》の|視線《しせん》がイク|道理《だうり》が|厶《ござ》りませぬわ。ホヽヽヽヽ、お|気《き》に|障《さはり》ましたらイクへにもお|詫《わび》|致《いた》します』
イク『こりや、あまり|馬鹿《ばか》にすない。イクら|女《をんな》だつて、|酒《さけ》の|上《うへ》だつて、あまりの|暴言《ばうげん》|吐《は》くと|此《この》|拳骨《げんこつ》が|貴様《きさま》の|頭《あたま》の|上《うへ》にポカンとイクさまだぞ』
|楓《かへで》『|山田《やまだ》の|案山子《かがし》の|様《やう》なスタイルで、オヽヽヽ|可笑《おか》し、これイクさま、|弥之助人形《やのすけにんぎやう》の|踊《をどり》|一《ひと》つ、して|御覧《ごらん》。|貴方《あなた》ならよく|似合《にあ》ふに|違《ちが》ひないわ。|丁度《ちやうど》|渋紙《しぶがみ》に|顔《かほ》かいた|様《やう》なスタイルだからね』
イル『アハヽヽヽヽ、|面白《おもしろ》い|面白《おもしろ》い』
イク『ヘン、|馬鹿《ばか》にしやがる。|楓《かへで》、|覚《おぼ》えてゐやがれ。|月夜《つきよ》の|晩《ばん》ばかりでないぞ。|暗《やみ》の|晩《ばん》に|首筋《くびすぢ》がヒヤリとしたら|俺《おれ》だからな』
|楓《かへで》『|何《なん》とマア|気障《きざ》な|男《をとこ》だ|事《こと》。あゝ|臭《く》さ、|臭《くさ》い|臭《くさ》い。|息《いき》のかからぬ|処《ところ》に|行《い》つて|下《くだ》さい。お|前《まへ》の|口《くち》はまるで|鰯《いわし》のドーケン|壺《つぼ》を|交《ま》ぜかへした|様《やう》だわ』
サール『これ、|楓《かへで》さま、|此《この》|面《つら》はお|気《き》に|入《い》りますかな』
とニユツと|前《まへ》に|出《だ》す。|楓《かへで》は|頬辺《ほほべた》をピシヤツと|叩《たた》き、
|楓《かへで》『エーエ、|好《す》かぬたらしい|男《をとこ》だ|事《こと》。お|前《まへ》はサールの|人真似《ひとまね》だよ。|悪戯《ふざけ》た|事《こと》をなサールと、|此《この》|楓《かへで》だつて|量見《りやうけん》はしませぬぞえ』
サール『ヤー、こいつは|恐《おそ》れ|入《い》つた。|如何《どう》したら|姫《ひめ》さまのお|気《き》に|入《い》るのですかな』
|楓《かへで》『さうだね。|私《わたし》の|好《す》きな|男《をとこ》は|酒《さけ》を|飲《の》まない、さうして|色《いろ》の|白《しろ》い、|年《とし》の|若《わか》い、|頭《あたま》の|毛《け》の|黒《くろ》い、|目《め》のパツチリした、|口許《くちもと》のしまつた|鼻《はな》のツンモリとした|男《をとこ》が|好《す》きだよ』
サール『さうすると、その|条件《でうけん》に|合格《がふかく》したのは|此《この》サールかな。|只《ただ》|欠点《けつてん》は|酒《さけ》を|飲《の》むだけの|事《こと》だ。これ|楓姫《かへでひめ》さま、そんなら|今日《けふ》|限《かぎ》り|酒《さけ》は|一吸《ひとすひ》も|飲《の》まぬ|様《やう》にする。そしたらお|気《き》に|入《い》るだらうね』
|楓《かへで》『エー、|好《す》かぬたらしい。|誰《たれ》がお|前《まへ》の|様《やう》なスカンペイに|秋波《しうは》を|送《おく》るものがありますか。|冗談《じようだん》もいい|加減《かげん》にしなさい』
と|小《ちひ》さい|柔《やはら》かい|手《て》で|頬辺《ほほべた》をピシヤピシヤと|殴《なぐ》る。サールは|頗《すこぶ》る|御機嫌《ごきげん》で|相好《さうがう》を|崩《くづ》し|涎《よだれ》を|垂《た》らし|乍《なが》ら、
サール『エツヘヽヽヽ、|姫《ひめ》さまのおやさしい|手《て》でピシヤピシヤとおいでやしたのだな。|憎《にく》くて|一《ひと》つも|叩《たた》かれやうかと|云《い》つて、|俺《おれ》にはホの|字《じ》とレの|字《じ》だな。おい、イク、イル、|羨《けな》るい|事《こと》はないか』
イク『ハヽヽヽ、|馬鹿《ばか》だな。|子供《こども》|上《あが》りの|女《をんな》に|玩弄《おもちや》にされやがつて、|何《なん》の|態《ざま》だ。それだから|高姫《たかひめ》の|風来者《ふうらいもの》に|放《はふ》り|出《だ》されるのだ』
サール『|放《はふ》り|出《だ》されたのは|俺《おれ》ばかりぢやない。|貴様《きさま》|等《たち》|両人《りやうにん》も|同様《どうやう》ぢやないか』
イル『|何《なに》、|一寸《ちよつと》|芝居《しばゐ》したのだ。|何《なに》も|貴様《きさま》、よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|高姫《たかひめ》や|杢助《もくすけ》に|命令《めいれい》を|受《う》けたのぢやない。|俺等《おれたち》は|此《この》|宮《みや》を|創立《さうりつ》|遊《あそ》ばした|玉国別《たまくにわけ》|御夫婦《ごふうふ》から|任命《にんめい》されたものだ。|云《い》はば|高姫《たかひめ》|如《ごと》きは|風来者《ふうらいもの》だ。|彼奴《あいつ》は|屹度《きつと》イソの|館《やかた》を|放《はふ》り|出《だ》されて|来《き》たに|違《ちが》ひないぞ。それでヨルや|魔我彦《まがひこ》がイソの|館《やかた》へ|行《ゆ》くのを|頻《しき》りにとめやがるのだ』
サール『さう|聞《き》けばさうだ。|高姫《たかひめ》に|何《なに》も|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》があるものか。|俺等《おれたち》は|祠《ほこら》の|森《もり》の|常置品《じやうちひん》だ。|之《これ》から|高姫《たかひめ》を|揶揄《からか》つてやつたら|如何《どう》だい、|面白《おもしろ》いぞ』
イル『うん、そりや|宜《よ》からう。それよりも|土堤《どて》ぎり、|此処《ここ》で|大声《おほごゑ》|張《は》り|上《あ》げて|唄《うた》つて|見《み》ようぢやないか。さうすりやビツクリして|高《たか》ちやんがやつて|来《く》るかも|知《し》れぬぞ』
かかる|処《ところ》へハル、テルの|両人《りやうにん》は|走《はし》り|来《きた》り、
ハル『おいおい、チツト|静《しづか》にしてくれぬか。|奥《おく》へ|聞《きこ》えるぢやないか。それだから|貴様《きさま》|等《たち》に|酒《さけ》を|飲《の》ますと|困《こま》ると|云《い》ふのだ。なあテル|公《こう》、|困《こま》つたものぢやないか』
テル『うん、|本当《ほんたう》に|仕方《しかた》のない|代物《しろもの》だな。コリヤコリヤ|三人《さんにん》の|奴《やつ》、もつと|静《しづ》かにせぬか』
サール『イヤー、|魔法使《まはふつかひ》のハルに、テル、ヤー、|先《さき》|程《ほど》は|御苦労《ごくらう》で|厶《ござ》りました。お|蔭《かげ》さまで|此《この》|通《とほ》りお|寅婆《とらば》さまも、|魔我彦《まがひこ》さまもヨルも、|夜中《よなか》も、|昼《ひる》も|今日《けふ》も|明日《あす》も|明後日《あさつて》もお|酒《さけ》を|頂《いただ》きまして|結構《けつこう》な|睾丸《きんたま》の|皺伸《しわのば》しをさして|頂《いただ》きました』
ハル『|睾丸《きんたま》の|皺伸《しわのば》しはいいが、さう|大《おほ》きな|声《こゑ》を|出《だ》しちや|困《こま》るぢやないか』
サール『|声《こゑ》の|大《おほ》きいのは|俺《おれ》の|持前《もちまへ》だよ。|臍下丹田《さいかたんでん》から|副守《ふくしゆ》が|発動《はつどう》して|責《せ》めるのだからな。おい、ハル、テルの|哥兄《あにい》、よう|考《かんが》へて|見《み》よ。|俺等《おれたち》は|別《べつ》に|高姫《たかひめ》に|遠慮《ゑんりよ》する|必要《ひつえう》がないぢやないか。|珍彦《うづひこ》|様《さま》や|静子様《しづこさま》、|楓《かへで》さまは|申《まを》すに|及《およ》ばず、|吾々《われわれ》|六人《ろくにん》はバラモン|組《ぐみ》とは|云《い》へ|今《いま》は|三五教《あななひけう》の|立派《りつぱ》な|信者《しんじや》だ。|否《いな》|祠《ほこら》の|森《もり》の|役員《やくゐん》だ。|誰《たれ》に|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》が|要《い》るものか。|高姫《たかひめ》と|杢助《もくすけ》を、|同盟《どうめい》してオツ|放《ぽ》り|出《だ》してやらうぢやないか』
ハル『|成《な》る|程《ほど》、そりや、さうだ。さア|之《これ》から|一杯《いつぱい》|機嫌《きげん》で|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》へ|乗《の》り|込《こ》み、|一談判《ひとだんぱん》やらうかな』
|一同《いちどう》『|賛成《さんせい》|賛成《さんせい》』
とヒヨロヒヨロし|乍《なが》ら、|長《なが》い|廊下《らうか》を|伝《つた》ふてドヤドヤと|高姫《たかひめ》の|部屋《へや》へ|転《ころ》げ|込《こ》んだ。|高姫《たかひめ》は|今《いま》やフツと|気《き》がついて|火鉢《ひばち》に|凭《もた》れて|煙草《たばこ》をくゆらしてゐる|処《ところ》であつた。|四辺《あたり》を|見《み》れば|杢助《もくすけ》の|姿《すがた》は|何処《どこ》へ|行《い》つたか|影《かげ》も|形《かたち》もない。|高姫《たかひめ》は|心《こころ》の|中《なか》で、
|高姫《たかひめ》『アーア、|何《なん》だか|怪体《けたい》の|奴《やつ》が|出《で》て|来《き》たので、|杢助《もくすけ》さまも|私《わたし》に|恥《はづ》かしいと|見《み》えて、|森《もり》の|散歩《さんぽ》でもやつて|厶《ござ》るのかな。|大《おほ》きな|図体《づうたい》をしても|気《き》の|弱《よわ》い|男《をとこ》だな。|然《しか》し|義理天上《ぎりてんじやう》の|生宮《いきみや》にはもつて|来《こ》いだ。あまり|男《をとこ》がテキハキすると|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|勤《つと》めが|仕難《しにく》うて|仕方《しかた》がない。|神様《かみさま》もうまく|配剤《はいざい》をして|下《くだ》さるものだ。あゝ|有難《ありがた》い|有難《ありがた》い、|此《この》|生宮《いきみや》も|何《なん》だか|肩幅《かたはば》が|広《ひろ》くなつた|様《やう》な|気《き》がしますわい』
と|独言《ひとりごち》つつ|笑壺《ゑつぼ》に|入《い》つてゐる。|五人《ごにん》の|泥酔者《よひどれ》は|襖《ふすま》をガラリと|開《あ》け、|居間《ゐま》に|雪崩《なだ》れ|込《こ》み、|捻鉢巻《ねぢはちまき》をし|乍《なが》ら|毛《け》の|生《は》えた|尻《しり》を|引《ひ》きまくり、
|五人《ごにん》『|祠《ほこら》の|森《もり》に、デツカンシヨ デカイお|尻《しり》|据《す》えよつて
デツカンシヨ デツカンシヨ |日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》とは|何《なん》の|事《こと》
|元《もと》をただせば|居候《ゐさふらふ》ぢやないか |魔法使《まはうつかひ》と|騙《だ》まされて
それを|誠《まこと》と|思《おも》ひつめ |喜《よろこ》んでゐる|様《やう》な|盲神《めくらがみ》
デツカンシヨ デツカンシヨ サア サア|之《これ》から|出《で》て|貰《もら》はう
|俺等《おれたち》|五人《ごにん》は|祠《ほこら》の|森《もり》の |神《かみ》の|任《よ》さしの|常置品《じやうちひん》
|挺《てこ》でも|棒《ぼう》でも|動《うご》かない デツカンシヨ デツカンシヨ
さアさア|杢助《もくすけ》、|高姫《たかひめ》さま |早《はや》くトツトとお|帰《かへ》りよ
お|前《まへ》に|頼《たの》んで|来《き》てくれと |云《い》つたぢやあろまい、|御勝手《ごかつて》に
お|出《いで》たのだから|御勝手《ごかつて》に お|帰《かへ》りなさるが|宜《よろ》しかろ
ア、デツカンシヨ デツカンシヨ お|寅婆《とらば》さまや|魔我彦《まがひこ》や
ヨルの|三人《さんにん》|今頃《いまごろ》は |河鹿峠《かじかたうげ》を|鼻唄《はなうた》で
ア、ウントコドツコイ ドツコイシヨ |三五教《あななひけう》の|宣伝歌《せんでんか》
|歌《うた》ふて|渡《わた》つて|厶《ござ》るだろ やがて|四五日《しごにち》|経《た》つたなら
|八島《やしま》の|主《ぬし》の|神《かみ》さまの |屹度《きつと》|使《つかひ》が|見《み》えるだろ
|其《その》|時《とき》やアフンと|高姫《たかひめ》が |肝玉《きもだま》|潰《つぶ》すに|違《ちが》ひない
|思《おも》へば|思《おも》へば|気《き》の|毒《どく》だ これこれもうし|高《たか》チヤンよ
お|前《まへ》の|足許《あしもと》|明《あか》い|中《うち》 |杢助親爺《もくすけおやぢ》と|手《て》を|曳《ひ》いて
ここをば|立《た》つて|下《くだ》さんせ |之《これ》が|吾等《われら》のお|願《ねが》ひだ
|之《これ》|程《ほど》|優《やさ》しう|頼《たの》むのに |四《し》の|五《ご》の|吐《ぬか》して|出《で》て|行《ゆ》かな
|俺《おれ》も|男《をとこ》だ|腕《うで》まかせ |直接《ちよくせつ》|行動《かうどう》に|出《で》まするぞ
さアさア|早《はや》く|返答《へんたふ》を |聞《き》かしてくれよ|義理天上《ぎりてんじやう》
|贋《にせ》の|日《ひ》の|出神《でのかみ》さまよ アハヽヽヽ、アハヽヽヽ
ホンに|心地《ここち》のよい|事《こと》だ |高姫《たかひめ》|夫婦《ふうふ》を|放《ほ》り|出《だ》した
あとは|珍彦《うづひこ》|静子《しづこ》さま |天女《てんによ》のやうな|楓《かへで》さま
|智慧《ちゑ》も|器量《きりやう》も|優《すぐ》れたる イル、イク、サール、ハル、テルの
|五人《ごにん》の|男《をとこ》が|頑張《ぐわんば》つて |祠《ほこら》の|森《もり》の|神徳《しんとく》を
|四方《しはう》|八方《はつぱう》に|輝《かがや》かし |大神《おほかみ》さまのお|恵《めぐ》みを
|世界《せかい》のものに|施《ほどこ》して ミロク|成就《じやうじゆ》の|神業《しんげふ》に
|立派《りつぱ》に|仕《つか》へて|見《み》せませう アハヽヽヽ、アハヽヽヽ。
おい、|高姫《たかひめ》、|如何《どう》だい。もういい|加減《かげん》に|尻《しり》をからげたら|宜《よ》かりさうなものだな。ヨルがもし|帰《かへ》つたら|化《ば》けが|現《あら》はれるのだから、|其《その》|前《まへ》にトツトと|帰《い》んだ|方《はう》がお|前《まへ》の|身《み》のためだぞ』
|高姫《たかひめ》は|目《め》に|角《かど》を|立《た》て|煙管《きせる》をグツと|握《にぎ》り、
|高姫《たかひめ》『こりや、|五人《ごにん》の|耄碌《まうろく》|共《ども》、|何処《どこ》へ|行《い》つて、けつかつたのだ。|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》を|何《なん》と|心得《こころえ》てる。|仮令《たとへ》イソの|館《やかた》の|八島《やしま》の|主《ぬし》が|何《なん》と|申《まを》さうとも、|彼奴《あいつ》は|人間《にんげん》だ。|誠《まこと》の|生神《いきがみ》は|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》だぞや。|大国治立之命《おほくにはるたちのみこと》の|片腕《かたうで》とおなり|遊《あそ》ばす|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|生宮《いきみや》を|粗末《そまつ》に|申《まを》すと、|神《かみ》は|堪忍袋《こらへぶくろ》が|切《き》れるぞや。そしてイル、イク、サール、お|前《まへ》は|一旦《いつたん》|暇《ひま》を|出《だ》したのぢやないか。|盆《ぼん》すぎの|仏《ほとけ》の|様《やう》に、ド|甲斐性《がひしやう》のない、|又《また》、|帰《かへ》つたのか。|一旦《いつたん》|放《はふ》り|出《だ》した|以上《いじやう》は|帰《い》んでくれ|帰《い》んでくれ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|一秒時間《いちべうじかん》だつて|置《お》かぬと|云《い》つたら|置《お》きはせぬぞや』
イク『アハヽヽヽ、|吐《ぬか》したりな|吐《ぬか》したりな。こりや|高姫《たかひめ》、|此《この》|方《はう》を|誰方《どなた》と|心得《こころえ》てる。イルイクサールの|神《かみ》、|又《また》の|名《な》はハルテル|彦《ひこ》の|命《みこと》だぞ。|五《い》つの|身魂《みたま》が|一《ひと》つになつて|守護《しゆご》|致《いた》す、|五身魂《いづみたま》の|神《かみ》を|何《なん》と|心得《こころえ》てる。グヅグヅ|致《いた》して|居《ゐ》ると|目《め》から|火《ひ》の|出神《でのかみ》としてやらうか。さアさア|早《はや》く|帰《い》んで|貰《もら》はう、|祓《はら》ひ|給《たま》へ|清《きよ》め|給《たま》へ』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》とまア、もとのバラモンのガラクタだけあつて、|分《わか》らぬ|男《をとこ》だこと。そんなら|暫《しば》らく|放《はふ》り|出《だ》すのだけは|猶予《いうよ》して|上《あ》げようぞ。その|代《かは》り|徹頭徹尾《てつとうてつび》|高姫《たかひめ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》くのだよ』
イク『ヘーン、うまい|事《こと》|仰有《おつしや》いますわい。イルイクサールの|神《かみ》|又《また》の|御名《みな》はハルテル|彦神《ひこのかみ》さまに|対《たい》し、|家来扱《けらいあつかひ》をすると|云《い》ふ|事《こと》があるか。チツと|階級《かいきふ》と|云《い》ふ|事《こと》を|考《かんが》へて|貰《もら》ひたいものだ』
|高姫《たかひめ》『おい|五人《ごにん》の|役員《やくゐん》さま、|父《ちち》|死《し》して|牆《かき》に|鬩《せめ》ぐ|兄弟《きやうだい》、|相親《あひした》しむと|云《い》ふ|事《こと》があるぢやないか。|肝腎《かんじん》の|玉国別《たまくにわけ》さまが|留守《るす》なのだから|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》いて、|私《わたし》は|教《をしへ》の|親《おや》となり、お|前等《まへたち》は|兄弟《きやうだい》となつて|仲《なか》よく|御神業《ごしんげふ》に|奉仕《ほうし》したら|如何《どう》だい』
ハル『ヤー、|高姫《たかひめ》さま、お|前《まへ》さまの|方《はう》から、さう|柔《やはら》かく|出《で》りや|此方《こちら》も|文句《もんく》はないのだ。|其《その》|代《かは》りお|神酒《みき》のお|下《さが》りを|何程《いくら》|飲《あが》つても、|滅多《めつた》に|干渉《かんせう》はせぬだらうな』
|高姫《たかひめ》『アヽ|仕方《しかた》がない。|暫《しば》らくはお|前《まへ》らに|任《まか》して|置《お》かう。|其《その》|代《かは》り|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|仰有《おつしや》る|事《こと》は|何事《なにごと》も|聞《き》くのだよ』
|五人《ごにん》|一同《いちどう》に、
『イルイクサールの|神《かみ》、|又《また》の|御名《みな》はハルテル|彦命《ひこのみこと》、|義理天上贋日《ぎりてんじやうにせひ》の|出神《でのかみ》の|申《まを》す|事《こと》|確《たしか》に|聞《き》き|済《ず》みありたぞよ、アハヽヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『ウフヽヽヽヽ、エー|仕様《しやう》もない』
(大正一二・一・一九 旧一一・一二・三 北村隆光録)
第一八章 |毒酸《どくさん》〔一二九二〕
|高姫《たかひめ》は|杢助《もくすけ》と|二人《ふたり》、|酒《さけ》を|汲《く》み|交《かは》しながら、ひそびそ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま|大変《たいへん》な|事《こと》が|出来《でき》たのよ。|私《わたし》|心配《しんぱい》でならないわ』
|杢助《もくすけ》『ハヽヽヽ、ヨルやお|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》が|本当《ほんたう》に|珍《うづ》の|館《やかた》へ|行《い》つたのが|苦《く》になるのであらう、そんな|事《こと》は|心配《しんぱい》はいらないぢやないか。|幾何《いくら》でも|方法《はうはふ》|手段《しゆだん》はあるのぢや』
|高姫《たかひめ》『それだと|云《い》つて|杢助《もくすけ》さまの|魔術《まじゆつ》も|一寸《ちよつと》も|当《あて》にならぬぢやありませぬか。|三人《さんにん》の|奴《やつ》が|甘《うま》く|帰《かへ》つて|来《き》たと|思《おも》へば、|何奴《どいつ》も|此奴《こいつ》も、|猿《さる》や|熊《くま》や|古狸《ふるだぬき》のやうなものだし、テルやハル|公《こう》の|魔法使《まはふつかひ》もサツパリ|幻影《げんえい》だつたし、|此《この》|儘《まま》で|居《ゐ》たなら、|此《この》|義理天上《ぎりてんじやう》もここ|五日《いつか》と|居《を》れぬぢやありませぬか。|彼奴等《あいつら》|三人《さんにん》がイソの|館《やかた》に|往《ゆ》きよつたら、きつと、|一伍一什《いちぶしじふ》を|云《い》ふに|違《ちが》ひない。さうすればキツト|立退《たちの》き|命令《めいれい》を|喰《く》はされる|事《こと》は|知《し》れた|事《こと》、|何《ど》うかして、|此処《ここ》に|居坐《ゐすわ》りたいがお|前《まへ》さま、とつときの|智慧《ちゑ》を|出《だ》して|考《かんが》へて|下《くだ》さるまいかな』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|日《ひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》の|考《かんが》へでも|往《ゆ》きませぬかな。|矢張《やつぱ》り|何程《なにほど》|神力《しんりき》のある|神《かみ》でも|悪《わる》い|事《こと》は|駄目《だめ》だと|見《み》えるのう』
|高姫《たかひめ》『|善悪不二《ぜんあくふじ》、|正邪一如《せいじやいちによ》だから|義理天上《ぎりてんじやう》は|悪《あく》に|見《み》せて|善《ぜん》を|働《はたら》くのだから、キツト|神様《かみさま》も|許《ゆる》して|下《くだ》さるだらう。イル、イク、サール、ハル、テルの|五人《ごにん》の|奴《やつ》が|云《い》ふのには、「|吾々《われわれ》|五人《ごにん》は|厳《いづ》の|御霊《みたま》だ。|玉国別《たまくにわけ》さまに|命令《めいれい》を|受《う》けた|祠《ほこら》の|森《もり》の|常置品《じやうちひん》だから、お|前達《まへたち》に|左右《さいう》される|者《もの》ぢやない。グヅグヅ|云《い》ふのなら|出《で》て|往《い》つて|呉《く》れ」などと、|最前《さいぜん》も|酒《さけ》に|喰《くら》ひ|酔《よ》つて|責《せ》めて|来《く》るのだから|困《こま》つたものだ。|私《わたし》はこの|先《さき》どうなるかと|思《おも》ふて、|心配《しんぱい》でなりませぬわ』
|杢助《もくすけ》『|此《この》|館《やかた》は|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》が|全権《ぜんけん》をもつて|居《ゐ》るのだから、|珍彦《うづひこ》の|命令《めいれい》なら、|彼奴等《きやつら》|五人《ごにん》を|放逐《はうちく》するのは|何《なん》でもない|事《こと》だ』
|高姫《たかひめ》『それはよい|所《ところ》へお|気《き》が|着《つ》きました。|成《な》る|程《ほど》|珍彦《うづひこ》さまが|全権《ぜんけん》を|握《にぎ》つて|厶《ござ》るのだから、|珍彦《うづひこ》さへ|此方《こちら》の|薬籠中《やくろうちう》のものとして|置《お》けば|大丈夫《だいぢやうぶ》ですな。|併《しか》し|珍彦《うづひこ》が|此方《こちら》の|云《い》ふ|事《こと》を|聞《き》かなかつたらどうしませうかなア』
|杢助《もくすけ》『そんな|心配《しんぱい》が|入《い》るか。|変身《へんしん》の|術《じゆつ》を|使《つか》つて|杢助《もくすけ》は|珍彦《うづひこ》に|化《ば》け、お|前《まへ》は|静子《しづこ》に|化《ば》けたらよいのだ』
|高姫《たかひめ》『|夫《それ》だと|云《い》つて、|顔形《かほかたち》|迄《まで》がさう|甘《うま》く|往《ゆ》きませうかなア』
|杢助《もくすけ》『いかいでか、チツトも|違《ちが》はないやうに|化《ば》けて|見《み》せる。お|前《まへ》も|化《ば》けさせてやる』
|高姫《たかひめ》『|同《おな》じ|館《やかた》に|二人《ふたり》も|珍彦《うづひこ》、|静子姫《しづこひめ》があつては|露顕《ろけん》のもとぢや|厶《ござ》いませぬか』
|杢助《もくすけ》『|何《なに》さ、|甘《うま》く|両人《りやうにん》をたらし|込《こ》んで|酒《さけ》や|飯《めし》の|中《なか》に|毒《どく》を|入《い》れ、そつと○○して|了《しま》ひ、さうして|高姫《たかひめ》|杢助《もくすけ》の|体《たい》に|二人《ふたり》を|変《へん》じ、|甘《うま》く|葬式《さうしき》を|営《いとな》み、|後《あと》に|吾々《われわれ》|両人《りやうにん》が、|珍彦《うづひこ》|静子《しづこ》と|化《ば》け|変《かは》るのだ、さうすれば|安心《あんしん》だらう』
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》は|正直《しやうぢき》の|方《かた》だと|思《おも》つて|居《ゐ》たが、|随分《ずいぶん》|悪《わる》い|智慧《ちゑ》が|出《で》ますなア』
|杢助《もくすけ》『|極《きま》つた|事《こと》だよ。|今《いま》の|世《よ》の|中《なか》は|善《ぜん》の|仮面《かめん》を|被《かぶ》つて|悪事《あくじ》をするもの|程《ほど》、|立派《りつぱ》な|人間《にんげん》と|云《い》はれるのだ。お|前《まへ》も|杢助《もくすけ》の|女房《にようばう》となつた|以上《いじやう》は、も|一段《いちだん》|改悪《かいあく》せなくては|駄目《だめ》だよ。|鬼《おに》の|夫《をつと》に|蛇《じや》の|女房《にようばう》と|云《い》ふぢやないか』
|高姫《たかひめ》『それだと|云《い》つて|余《あま》り|非道《ひど》いぢやありませぬか。お|前《まへ》はまるで|悪魔《あくま》のやうな|事《こと》を|云《い》ひますな』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|悪《あく》をやるならばお|前《まへ》のやうな|中途半《ちうとはん》は|駄目《だめ》だ。|徹底的《てつていてき》に|悪《あく》をやるのだ。|中途半《ちうとはん》の|善悪混交的悪《ぜんあくこんかうてきあく》なら、|止《や》めた|方《はう》が|余程《よほど》|気《き》が|利《き》いて|居《ゐ》るよ。|此《この》|杢助《もくすけ》は|到底《たうてい》お|前《まへ》のやうな|善人《ぜんにん》とは|意志《うま》が|合《あ》はないから、|今《いま》の|中《うち》に|別《わか》れようぢやないか。お|前《まへ》では|到底《たうてい》|私《わし》について|来《く》る|事《こと》は|出来《でき》ない。|改悪《かいあく》が|足《た》らぬからなア』
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、もう|斯《か》うなつた|以上《いじやう》はどこ|迄《まで》もついて|行《ゆ》きます。どうぞ|私《わたし》を|末長《すゑなが》う|可愛《かあい》がつて|下《くだ》さいませ』
|杢助《もくすけ》『ヨシヨシそんなら|私《わし》の|云《い》ふ|通《とほ》りにするなア』
|高姫《たかひめ》『ハイ、どんな|事《こと》でも|厭《いや》とは|云《い》ひませぬ』
|杢助《もくすけ》『それなら|今《いま》|之《これ》をお|前《まへ》にやるから、|酒《さけ》の|中《なか》や|御飯《ごはん》の|中《なか》へこの|粉《こ》を|振《ふ》り|撒《ま》くのだ。これは|毒酸《どくさん》と|云《い》つて|印度《いんど》の|群魔山《ぐんまさん》に|出来《でき》た|果物《くだもの》の|実《み》をもつて|製造《せいざう》した|毒《どく》だから、サア|是《これ》をお|前《まへ》に|与《あた》へて|置《お》く、うまく|両人《りやうにん》を|此処《ここ》へ|引《ひ》つ|張《ぱ》り|出《だ》し、|御馳走《ごちそう》して○○するのだなア』
|高姫《たかひめ》『ハイ|承知《しようち》|致《いた》しました。きつとやつて|見《み》せませう、|併《しか》し|二人《ふたり》は○○した|所《ところ》であの|楓《かへで》はどうしたらよいのでせう』
|杢助《もくすけ》『あの|楓《かへで》か、あれや|放《はふ》つて|置《お》いたらよいのだ。|珍彦《うづひこ》は|杢助《もくすけ》の|肉体《にくたい》に|変形《へんけい》して|死《し》に、|静子《しづこ》はお|前《まへ》の|肉体《にくたい》と|変形《へんけい》し、さうして|死体《したい》を|土中《どちう》に|埋《うづ》めて|了《しま》へば、|後《あと》は|立派《りつぱ》な|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》となつて|納《をさ》まり|返《かへ》つて|居《ゐ》られると|云《い》ふものだ。さうすれば|斎苑《いそ》の|館《やかた》から|何程《なにほど》|立退《たちのき》|命令《めいれい》が|来《き》ても|大丈夫《だいぢやうぶ》ぢやないか』
|高姫《たかひめ》『|成《な》る|程《ほど》、これは|妙案奇策《めうあんきさく》、|日《ひ》の|出神《でのかみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》の|生宮《いきみや》も|感心《かんしん》|致《いた》しましたよ。オホヽヽヽヽヽ、|何《なん》と|魔法《まはふ》と|云《い》ふものは|都合《つがふ》のよいものですなア』
|杢助《もくすけ》『サア|早《はや》く|御馳走《ごちそう》の|用意《ようい》にかかつて|呉《く》れ。グヅグヅして|居《ゐ》ると|露顕《ろけん》の|恐《おそ》れがある。|謀《はかりごと》は|早《はや》いがよいからなア』
|高姫《たかひめ》『アヽ|忙《いそが》しい|事《こと》だ。|御飯《ごはん》もたかねばならず、|煮〆《にしめ》もせなならず、|杢助《もくすけ》さま、お|前《まへ》さまお|酒《さけ》の|燗《かん》だけ|手伝《てつだ》つて|下《くだ》さいな。|是《これ》で|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》|両人《りやうにん》を|甘《うま》く|片付《かたづ》けて|仕舞《しま》へば|天下《てんか》|泰平《たいへい》だ。お|前《まへ》と|私《わたし》が|祠《ほこら》の|宮《みや》に|永久《とこしへ》に|鎮《しづ》まつて、|三五教《あななひけう》の|向《むか》ふを|張《は》り、|表向《おもてむき》は|三五教《あななひけう》とし、|実《じつ》はウラナイ|教《けう》を|開《ひら》かうではありませぬか』
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、お|前《まへ》も|俺《おれ》に|大分《だいぶん》|感化《かんくわ》されたと|見《み》えて、|余程《よほど》|改心《かいしん》が|出来《でき》たわい』
|高姫《たかひめ》『|誰《たれ》かに|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》を|呼《よ》びにやらせませうかなア』
|杢助《もくすけ》『|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》は|何《なん》と|云《い》つても|此処《ここ》の|主人《しゆじん》だ。お|前《まへ》は|準備《じゆんび》をちやんと|整《ととの》へたら、|辞《じ》を|低《ひく》うし、ちやんと|叮嚀《ていねい》にお|前《まへ》が|迎《むか》へに|往《い》て|来《こ》ねば、もしも|嫌《いや》だなんて|云《い》はれては|大変《たいへん》だよ』
|高姫《たかひめ》『アヽそれやさうです。そんなら|早《はや》く|御飯《ごはん》の|準備《こしら》へをして|置《お》いて|私《わたし》が|参《まゐ》りませうかなア、|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》|時節《じせつ》|到来《たうらい》これが|甘《うま》く|往《ゆ》けば|大丈夫《だいぢやうぶ》です。|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》、|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出《で》の|神様《かみさま》、|何卒《なにとぞ》この|計略《けいりやく》が|甘《うま》く|往《ゆ》きますやうに』
とポンポンポンポンと|四拍手《しはくしゆ》して、|暗祈黙祷《あんきもくたう》を|始《はじ》めた。
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、よく|聞《き》いて|下《くだ》さるだらうよ』
|高姫《たかひめ》『さうです。|悪《あく》の|事《こと》は|悪神《あくがみ》に|頼《たの》めばいいぢやありませぬか』
|杢助《もくすけ》『それやさうだ。|餅《もち》は|餅屋《もちや》だからな、|甘《うま》く|悟《さと》られない|様《やう》にやつて|呉《く》れよ』
|此《この》|時《とき》|襖《ふすま》の|前《まへ》の|廊下《らうか》に|小《ちひ》さい|足音《あしおと》がして|表《おもて》の|方《はう》へ|消《き》えて|仕舞《しま》つた。|高姫《たかひめ》は|其《その》|足音《あしおと》を|耳《みみ》に|挿《はさ》み、
|高姫《たかひめ》『アヽ|杢助《もくすけ》さま、|足音《あしおと》がしたぢやありませぬか。|此《この》|秘密《ひみつ》を|誰《たれ》かに|聞《き》かれたのでは|厶《ござ》いますまいかなア』
|杢助《もくすけ》『|何《な》あに、あれは|猫《ねこ》か|狆《ちん》の|足音《あしおと》だよ』
|高姫《たかひめ》『|狆《ちん》も|猫《ねこ》も|此処《ここ》には|居《ゐ》ないぢやありませぬか』
|杢助《もくすけ》『|山中《さんちう》の|事《こと》だから|山猫《やまねこ》や|山狆《やまちん》が|沢山《たくさん》|居《ゐ》るから、|余《あま》り|御馳走《ごちそう》の|香《か》がするので|嗅《か》ぎつけて|来《き》よつたのだ。そんな|事《こと》は|心配《しんぱい》するに|及《およ》ばない』
|高姫《たかひめ》『それでもねえ、|何《なん》だか|気掛《きがか》りですわ』
(大正一二・一・一九 旧一一・一二・三 加藤明子録)
第一九章 |神丹《しんたん》〔一二九三〕
|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》は|火鉢《ひばち》を|中《なか》に|囲《かこ》み、|話《はなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
|静子《しづこ》『もし|珍彦《うづひこ》さま、|吾々《われわれ》|親子《おやこ》はバラモン|教《けう》の|擒《とりこ》となり、|危《あやふ》い|所《ところ》を|治国別《はるくにわけ》|様《さま》に|助《たす》けられ、|御恩《ごおん》の|返《かへ》しやうもない|其《その》|上《うへ》に、こんな|結構《けつこう》な|宮番《みやばん》|迄《まで》さして|頂《いただ》き、|何《なん》とも|冥加《みやうが》に|余《あま》つた|事《こと》ぢやありませぬか』
|珍彦《うづひこ》『さうだ。お|前《まへ》の|云《い》ふ|通《とほ》り|山海《さんかい》の|大恩《だいおん》を|受《う》け、|其《その》|上《うへ》、|神様《かみさま》の|事《こと》も|分《わか》らないのに、|此《この》|館《やかた》の|主人《しゆじん》を|仰《おほ》せつけられ|実《じつ》に|身《み》に|余《あま》る|光栄《くわうえい》だ。|併《しか》し|吾々《われわれ》は|神《かみ》のお|道《みち》には|全《まつた》くの|素人《しろうと》だから、|余《あま》り|荷《に》が|重過《おもす》ぎて|迷惑《めいわく》だな。|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|義理天上《ぎりてんじやう》とか|云《い》つて、|生神様《いきがみさま》がお|出《いで》になり、|主人顔《しゆじんがほ》をして|御座《ござ》るが、|何《なん》と|云《い》つても|生神《いきがみ》さまだから、|維命《これめい》|維従《これしたが》ふより|外《ほか》はない。|主人《しゆじん》とは|云《い》ふものの|有名無実《いうめいむじつ》で|吾々《われわれ》の|思《おも》ふやうには|一寸《ちよつと》もなりはしない、|神様《かみさま》のお|道《みち》と|云《い》ふものはこんなものかなア』
|静子《しづこ》『それでも、|六人《ろくにん》の|役員《やくゐん》さまは|矢張《やつぱ》り|私《わたし》のやうな|者《もの》でも|主人《しゆじん》と|立《た》てて|下《くだ》さるのだから|結構《けつこう》ぢやありませぬか。|楓《かへで》のやうな|何《なに》も|知《し》らぬ|娘《むすめ》をお|嬢《ぢやう》さまお|嬢《ぢやう》さまと|尊敬《そんけい》して|下《くだ》さるのだから|有難《ありがた》いものだ、これと|云《い》ふのも|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|蔭《かげ》だわ』
|斯《か》く|話《はな》す|所《ところ》へ|楓《かへで》は|襖《ふすま》をそつとあけて|入《い》り|来《きた》り、
|楓《かへで》『お|父《とう》さまお|母《かあ》さま、|今《いま》|高姫《たかひめ》さまが、|貴方《あなた》|方《がた》に|御馳走《ごちそう》を|上《あ》げたいと|云《い》ふて|呼《よ》びに|来《こ》られたらお|出《いで》になりますか』
|珍彦《うづひこ》『|夫《それ》は|折角《せつかく》の|思召《おぼしめし》、|無《む》にする|訳《わけ》には|往《ゆ》かない。|又《また》|無下《むげ》に|断《ことわ》ればお|心《こころ》を|悪《わる》くしてはならないからなア』
|楓《かへで》『お|母《かあ》さまも|往《ゆ》く|積《つも》りですか』
|静子《しづこ》『|珍彦《うづひこ》さまが|往《ゆ》かれるのに、|女房《にようばう》の|私《わたし》が|往《ゆ》かぬ|訳《わけ》には|往《ゆ》きますまい。|我《が》の|強《つよ》い|女《をんな》だと|義理天上《ぎりてんじやう》|様《さま》に|思《おも》はれてはなりませぬからな。|杢助《もくすけ》さまと|云《い》ふ|立派《りつぱ》なお|方《かた》がお|出《い》でになつて|居《ゐ》るのだから、|御挨拶《ごあいさつ》に|一度《いちど》は|往《ゆ》かうと|思《おも》ふて|居《ゐ》た|所《ところ》だ』
|楓《かへで》『それならお|母《かあ》さま、お|父《とう》さま、お|出《いで》なさいませ。|就《つい》ては|私《わたし》|夜前《やぜん》|夢《ゆめ》に|文珠菩薩《もんじゆぼさつ》がお|出《いで》になりまして、|神丹《しんたん》と|云《い》ふ|薬《くすり》を|下《くだ》さいまして、「お|前《まへ》の|両親《りやうしん》の|上《うへ》に|危急《ききふ》が|迫《せま》つて|居《ゐ》るから、これを|一粒《ひとつぶ》づつ|飲《の》ましておけば|大丈夫《だいぢやうぶ》」と|渡《わた》して|下《くだ》さいました。|有難《ありがた》う|厶《ござ》いますとお|辞儀《じぎ》をしたと|思《おも》へば|夢《ゆめ》は|醒《さ》めました。|目《め》がさめましてもこんな|立派《りつぱ》な|薬《くすり》が|三粒《みつぶ》、|手《て》の|上《うへ》に|残《のこ》つて|居《ゐ》ました。これを|三人《さんにん》が|一粒《ひとつぶ》づつ|頂《いただ》きませう、さうすれば|食当《しよくあた》りも|何《なに》もないさうですからなあ』
|珍彦《うづひこ》『それは|有難《ありがた》い|全《まつた》く|神様《かみさま》のお|恵《めぐみ》だ。|何《なに》は|兎《と》もあれ|頂《いただ》いて|往《ゆ》かう。オイ|静子《しづこ》お|前《まへ》も|頂《いただ》きなさい』
|楓《かへで》『このお|薬《くすり》は|私《わたし》の|手《て》から|口《くち》へ|直接《ちよくせつ》に|上《あ》げなくては|利《き》かないと|文珠菩薩《もんじゆぼさつ》が|仰有《おつしや》いました。サア|口《くち》をお|開《あ》けなさいませ』
|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》|二人《ふたり》は|楓《かへで》の|命《めい》ずるままに|口《くち》をパツと|開《あ》けた。|楓《かへで》は|一粒《ひとつぶ》づつ|両親《りやうしん》の|口《くち》へ|放《はふ》り|込《こ》んだ。|忽《たちま》ち|得《え》も|云《い》はれぬ|香《にほひ》が|四辺《あたり》を|包《つつ》み|胸《むね》は|爽《さはや》かになり、|身体《からだ》から|光《ひかり》が|出《で》るやうな|心持《こころもち》になつた。|楓《かへで》も|亦《また》|押頂《おしいただ》いて|自《みづか》ら|服用《ふくよう》した。|三人《さんにん》は|俄《にはか》に|面色《めんしよく》|美《うつく》しく、|其《その》|美《び》は|益々《ますます》|美《び》を|加《くは》へた。|斯《か》かる|所《ところ》へ|高姫《たかひめ》は|満面《まんめん》に|嫌《いや》らしき|笑《ゑみ》を|湛《たた》へながら|入《い》り|来《きた》り、|襖《ふすま》をそつと|開《あ》けて、
|高姫《たかひめ》『|御免《ごめん》なさいませ。|珍彦《うづひこ》|様《さま》、|静子様《しづこさま》、|此《この》|間《あひだ》から|参《まゐ》りまして、|余《あんま》り|御神業《ごしんげふ》が|忙《いそが》しいのでとつくり|御挨拶《ごあいさつ》も|致《いた》しませず、|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》で|厶《ござ》いました。ついては|夫《おつと》|杢助《もくすけ》が|心《こころ》|許《ばか》りの|御飯《ごはん》を|差上《さしあげ》たいと|申《まを》しますので、|義理天上《ぎりてんじやう》|日《ひ》の|出神《でのかみ》が|手《て》づから|拵《こしら》へましたる|料理《れうり》、お|口《くち》に|合《あ》ひますまいが、|御夫婦《ごふうふ》お|揃《そろ》ひなさつて|御出《おいで》|下《くだ》さるまいか、|御酒《おさけ》の|燗《かん》も|出来《でき》て|居《ゐ》ますから』
|珍彦《うづひこ》『|左様《さやう》で|厶《ござ》いますかな、|私《わたくし》の|方《はう》から|一度《いちど》|御挨拶《ごあいさつ》を|致《いた》さねばならぬのに、|貴方《あなた》の|方《はう》から|却《かへ》つて|御馳走《ごちそう》をして|頂《いただ》くとは|誠《まこと》に|済《す》まない|事《こと》で|厶《ござ》います』
|静子《しづこ》『|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮様《いきみやさま》、|左様《さやう》ならば|御遠慮《ごゑんりよ》なう|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|御馳走《ごちそう》に|預《あづ》かりませう』
|高姫《たかひめ》は|仕《し》|済《す》ましたりと|内心《ないしん》|打《う》ち|喜《よろこ》び、|態《わざ》と|艶《つや》つぽい|声《こゑ》を|出《だ》して、
|高姫《たかひめ》『これはこれは|早速《さつそく》の|御承知《ごしようち》、|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》|身《み》にとり|満足《まんぞく》に|存《ぞん》じます。|杢助殿《もくすけどの》もさぞや|喜《よろこ》ぶ|事《こと》で|厶《ござ》いませう。|是《これ》にてお|互《たがひ》に|親睦《しんぼく》の|度《ど》を|加《くは》へ|御神業《ごしんげふ》に|参加《さんか》|致《いた》しますれば、|御神徳《ごしんとく》|四方《よも》に|輝《かがや》き、|従《したが》つて|此《この》|館《やかた》の|主人公《しゆじんこう》たる|珍彦《うづひこ》|様《さま》の|御名誉《ごめいよ》も|世界《せかい》に|響《ひび》き、|結構《けつこう》な|事《こと》で|厶《ござ》います。サアどうぞ|私《わたくし》についてお|出《いで》|下《くだ》さいませ』
|珍彦《うづひこ》『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|併《しか》し|乍《なが》ら|袴《はかま》もつけなくてはなりませぬから、|何卒《どうぞ》|一足《ひとあし》お|先《さき》にお|帰《かへ》り|下《くだ》さいませ。|直《すぐ》に|参《まゐ》りますから』
|高姫《たかひめ》は、
『|何卒《どうぞ》|早《はや》く|来《き》て|下《くだ》さい、お|待《ま》ち|申《まをし》て|居《を》ります』
と|云《い》ひ|捨《す》て|吾《わが》|居間《ゐま》に|立《た》ち|帰《かへ》る。|後《あと》に|珍彦《うづひこ》、|静子《しづこ》に|楓《かへで》の|三人《さんにん》は|手《て》を|洗《あら》ひ、|口《くち》を|滌《すす》ぎ、
『|神素盞嗚《かむすさのを》の|大神様《おほかみさま》、|何卒《なにとぞ》|此《この》|危難《きなん》をお|救《すく》ひ|下《くだ》さいませ』
と|祈願《きぐわん》し、|素知《そし》らぬ|顔《かほ》して|高姫《たかひめ》の|居間《ゐま》に|現《あら》はれた。
|珍彦《うづひこ》『|唯今《ただいま》は、|態々《わざわざ》|尊《たふと》き|御身《おんみ》をもつて|私《わたくし》|夫婦《ふうふ》の|如《ごと》きものをお|招《まね》きに|預《あづ》かり|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。お|言葉《ことば》に|甘《あま》え、|御辞退《ごじたい》|致《いた》すも|如何《いかが》と|存《ぞん》じ|夫婦《ふうふ》の|者《もの》が|罷《まかり》|出《で》まして|厶《ござ》ります』
|高姫《たかひめ》『|夫《それ》は|御苦労様《ごくらうさま》で|厶《ござ》いましたなア。|何《なに》も|厶《ござ》いませぬが、|丁度《ちやうど》お|燗《かん》がよい|加減《かげん》に|出来《でき》て|居《ゐ》ます。サア|一《ひと》つお|過《すご》し|下《くだ》さいませ』
|珍彦《うづひこ》『|有難《ありがた》う|厶《ござ》います』
と|云《い》ひながら|地獄《ぢごく》の|釜《かま》の|一足《いつそく》とび |毒《どく》と|知《し》りつつ|仰《あふ》ぐ|盃《さかづき》……|神素盞嗚尊《かむすさのをのみこと》、|守《まも》りたまへ……と|高姫《たかひめ》の|注《つ》ぐ|盃《さかづき》をグツと|一口《ひとくち》に|飲《の》み|乾《ほ》した。
|杢助《もくすけ》『ヤア|珍彦《うづひこ》|様《さま》は|日《ひ》の|出《で》の|神《かみ》の|生宮《いきみや》に|酌《しやく》をして|貰《もら》ひました。|男《をとこ》に|女《をんな》、よい|配合《はいがふ》だ、それでは|私《わたくし》は|静子《しづこ》さまに|注《つ》がして|頂《いただ》きませう、アハヽヽヽ、|男《をとこ》と|女《をんな》とは|何《なん》とはなしに|配置《はいち》のよいものですわ』
|静子《しづこ》は『ハイ|有難《ありがた》う』と|手《て》を|慄《ふる》はせながら|盃《さかづき》を|差出《さしだ》した。|杢助《もくすけ》は|浪々《なみなみ》と|注《つ》いだ。|静子《しづこ》は|一生懸命《いつしやうけんめい》に|神《かみ》を|念《ねん》じ『|神丹《しんたん》の|効《かう》を|現《あら》はしたまへ』と|小声《こごゑ》に|念《ねん》じながら、グツト|呑《の》み|乾《ほ》した。それから|高姫《たかひめ》に|飯《めし》を|盛《も》られ、|種々《いろいろ》の|煮〆《にしめ》を|盛《も》られ、|夫婦《ふうふ》は|十二分《じふにぶん》に|腹《はら》を|膨《ふく》らした。されど|両人《りやうにん》の|身体《からだ》には|些《すこ》しの|変化《へんくわ》も|無《な》かつた。|杢助《もくすけ》|高姫《たかひめ》は、|案《あん》に|相違《さうゐ》して|不機嫌《ふきげん》な|顔《かほ》をして|居《ゐ》る。|珍彦《うづひこ》は|態《わざ》と|言葉《ことば》を|設《まう》けて、
|珍彦《うづひこ》『|御両人様《ごりやうにんさま》、|余《あま》り|沢山《たくさん》|頂《いただ》きましたので、|何《なん》だか|頭《あたま》がグラグラ|致《いた》し、|目《め》が|眩《ま》ひさうで|厶《ござ》います。そして|腹《はら》が|痛《いた》うなりました。|何卒《どうぞ》これで|失礼《しつれい》して|吾《わが》|居間《ゐま》でとつくりと|休《やす》まして|頂《いただ》きます』
|静子《しづこ》『アヽ|私《わたし》も|何《なん》だか|胸《むね》が|悪《わる》くなりました。あまりどつさりお|酒《さけ》を|頂《いただ》いたものですから、|失礼《しつれい》ながら|御免《ごめん》を|蒙《かうむ》ります』
|高姫《たかひめ》『ハイお|塩梅《あんばい》が|悪《わる》う|厶《ござ》いますかな。|夫《それ》はお|気《き》の|毒様《どくさま》、どうぞ|御勝手《ごかつて》にお|居間《ゐま》に|往《い》つてお|休《やす》み|下《くだ》さいませ』
|両人《りやうにん》は、
『ハイ|有難《ありがた》う|厶《ござ》います。|左様《さやう》なればこれにて|失礼《しつれい》』
と|態《わざ》とに|足《あし》をヨロヨロさせながら|自分《じぶん》の|居間《ゐま》に|引《ひ》きとり、|布団《ふとん》を|沢山《たくさん》かぶり、|仮病《けびやう》を|装《よそほ》ひ|居《ゐ》たりける。
|後《あと》|見送《みおく》り|高姫《たかひめ》は、|長《なが》い|舌《した》を|出《だ》し、|腮《あご》を|二《ふた》つ|三《み》つしやくつて|居《ゐ》る。
|杢助《もくすけ》『アハヽヽヽ、|願望《ぐわんまう》|成就《じやうじゆ》|時節《じせつ》|到来《たうらい》だ、|南無悪魔大明神《なむあくまだいみやうじん》、|守《まも》り|給《たま》へ|幸《さち》はひ|給《たま》へ』
|高姫《たかひめ》『ヱヘヽヽヘン。ヱヘヽヽヘン。オホヽヽヽヽ。オホヽヽヽヽ』
(大正一二・一・一九 旧一一・一二・三 加藤明子録)
第二〇章 |山彦《やまびこ》〔一二九四〕
|初稚姫《はつわかひめ》はスマートを|伴《ともな》ひ、|河鹿峠《かじかたうげ》を|宣伝歌《せんでんか》を|歌《うた》ひ|乍《なが》ら|降《くだ》つて|来《く》る。|途中《とちう》に|於《おい》てお|寅《とら》、|魔我彦《まがひこ》、ヨルの|一行《いつかう》に|出会《であ》ひ|祠《ほこら》の|森《もり》に|高姫《たかひめ》や|杢助《もくすけ》の|居《ゐ》る|事《こと》を|聞《き》き、|訝《いぶ》かしさの|限《かぎ》りよと|心《こころ》に|思《おも》ひ|乍《なが》らも、さあらぬ|態《てい》を|装《よそほ》ひ、|三人《さんにん》に|別《わか》れを|告《つ》げて、|祠《ほこら》の|森《もり》をさして|急《いそ》ぎ|下《くだ》り|行《ゆ》く。
|話《はなし》|変《かは》つて、|高姫《たかひめ》、|杢助《もくすけ》|両人《りやうにん》は|又《また》もやヒソビソ|話《ばなし》に|耽《ふけ》つて|居《ゐ》る。
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、|世《よ》の|中《なか》に|智慧《ちゑ》|位《くらゐ》|偉大《ゐだい》なものはありませぬな』
|杢助《もくすけ》『うん、さうだ。|何《なん》といつても|智慧《ちゑ》だな。もう|斯《か》うなる|上《うへ》は|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》も、やがて|倒死《くたばる》だらう。さうすれば|彼《かれ》が|息《いき》をひきとると|共《とも》に、|変身《へんしん》の|術《じゆつ》を|以《もつ》て、お|前《まへ》と|私《わたし》は|珍彦《うづひこ》|夫婦《ふうふ》にならねばならぬ。|何時《いつ》|知《し》れるか|分《わか》らぬから|今《いま》から、|用意《ようい》にかからねばなるまい』
|高姫《たかひめ》『|其《その》|用意《ようい》とは|如何《どう》すれば|宜《よ》いのですか』
|杢助《もくすけ》『ア、さうだ。すこし|嫌《いや》の|事《こと》だけど、|私《わたし》は|珍彦《うづひこ》の|放《こ》いだ|糞《くそ》を|飯粒《めしつぶ》|一《ひと》つ|位《くらゐ》|舐《なめ》ねばはらぬ。お|前《まへ》は|静子《しづこ》の|糞《くそ》を|一掴《ひとつかみ》|位《くらゐ》|舐《なめ》るのだ。さうすれば|直《すぐ》に|変身《へんしん》の|術《じゆつ》が|行《おこな》はれる』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》ぼ|何《なん》だつて|糞《くそ》が|舐《なめ》られますか。|外《ほか》に|何《なに》か|方法《はうはふ》がありさうなものですな』
|杢助《もくすけ》『|何《なん》と|云《い》つても|此奴《こいつ》あやらなくては|駄目《だめ》だ。やがて|毒《どく》がまはつて|倒《たふ》れるに|間《ま》もあるまいから、|早《はや》く|身代《みがは》りを|拵《こし》らへて|置《お》かなくてはならぬ。|高姫《たかひめ》、|実《じつ》の|処《ところ》は|此処《ここ》に|両人《りやうにん》の|糞《くそ》を|或《ある》|方法《はうはふ》を|以《もつ》て|取寄《とりよ》せて|置《お》いたのだ』
と|竹《たけ》の|皮包《かはつつ》みを|懐《ふところ》から|取《と》り|出《だ》した。
|高姫《たかひめ》『アーア、|嫌《いや》だわ。まるで|犬《いぬ》|見《み》た|様《やう》な|事《こと》をせなくてはならないのかな』
|杢助《もくすけ》『|犬《いぬ》でさへも|糞《くそ》を|食《く》へば|目《め》が|見《み》えると|云《い》ふぢやないか。|糞《くそ》からはアンモニヤと|云《い》ふ|薬《くすり》をとり、|之等《これら》で|種々《いろいろ》の|薬《くすり》を|造《つく》り、パンだつて|饅頭《まんじう》だつて|之《これ》で|膨《ふく》れるのだ。|変身《へんしん》には|之《これ》|程《ほど》|利《き》くものは|無《な》いのだ』
|高姫《たかひめ》『アー、|仕方《しかた》がありませぬわ。|之《これ》もヤツパリ|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》|様《さま》のためだと|思《おも》へば、|辛抱《しんばう》して|頂《いただ》きませうかな』
|杢助《もくすけ》『|実《じつ》の|所《ところ》は|嘘《うそ》だよ。お|前《まへ》の|気《き》を|引《ひ》いてみたのだ。もつと|外《ほか》にいい|薬《くすり》があるのだよ』
|高姫《たかひめ》『アーア、やつと|安心《あんしん》しました。|本当《ほんたう》に|腹《はら》の|悪《わる》い|人《ひと》だな。|腹《はら》の|虫《むし》が|食《く》はぬ|前《さき》から、|厭《いや》がつてグレングレンしてゐましたよ』
|杢助《もくすけ》『これが……さア|妙薬《めうやく》だ……|之《これ》さへ|飲《の》めば、|変身《へんしん》の|術《じゆつ》は|即座《そくざ》に|行《おこな》はれるのだ』
と|懐《ふところ》から|又《また》もや|皮包《かはつつみ》を|出《だ》す。
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、そりや|何《なん》ですかい』
|杢助《もくすけ》『|之《これ》は|猿《さる》の|肝《きも》だ。|猿胆《ゑんたん》と|云《い》ふものだ。チツとは|苦《にが》いけど、|之《これ》を|飲《の》めば|直《すぐ》に|変身術《へんしんじゆつ》が|出来《でき》る』
|高姫《たかひめ》『お|前《まへ》さまは、さうして|何《なに》を|飲《の》むの』
|杢助《もくすけ》『|此《この》|杢助《もくすけ》は|懐《ふところ》に|持《も》つてゐるが、|此《この》|秘密《ひみつ》を|女《をんな》に|覚《さと》られたら、|出来《でき》ぬのだから|暫《しばら》く|発表《はつぺう》を|見合《みあは》して|置《お》かう。さア|早《はや》く|之《これ》を|飲《の》みなさい。いざと|云《い》ふ|時《とき》に|私《わたし》が|文言《もんごん》を|唱《とな》へるから、|之《これ》を|合図《あひづ》にパツと|化身《けしん》するのだ』
|高姫《たかひめ》『|如何《どう》も|有難《ありがた》う|厶《ござ》ります。そんなら|頂《いただ》きませうか』
|杢助《もくすけ》『さあ|早《はや》う|飲《の》んだり|飲《の》んだり』
|高姫《たかひめ》は|目《め》を|塞《ふさ》ぎ|苦《にが》さを|耐《こら》へて|猿胆《ゑんたん》をグツと|飲《の》んで|了《しま》つた。その|六《むつ》かしい|苦《にが》|相《さう》な|顔《かほ》は|殆《ほとん》ど|形容《けいよう》が|出来《でき》ぬ|様《やう》だつた。
|杢助《もくすけ》『ハヽヽヽ|如何《どう》も|六《むつ》かしい|顔《かほ》だつた。|三年《さんねん》の|恋《こひ》も、あれを|見《み》ちや|一度《いちど》に|冷《さ》める|様《やう》だ。まるつきり|猿《さる》の|様《やう》な|顔《かほ》をしたよ』
|高姫《たかひめ》『そら、さうでせうとも、|猿《さる》の|肝《きも》を|飲《の》んだのだもの。|然《しか》しお|前《まへ》さま、|三年《さんねん》の|恋《こひ》が|一度《いちど》に|冷《さ》めるなんて、そんな|薄情《はくじやう》な|事《こと》を|思《おも》ふてゐなさるのかい』
|杢助《もくすけ》『ハヽヽヽヽ|如何《どう》も|恐《おそ》れ|入《い》りました。|山《やま》の|神様《かみさま》の|逆鱗《ぎやくりん》には|智勇《ちゆう》|兼備《けんび》の|杢助《もくすけ》も|降服《かうふく》|仕《つかまつ》る。|南無《なむ》|山《やま》の|神大明神《かみだいみやうじん》、|義理天上日《ぎりてんじやうひ》の|出神《でのかみ》|許《ゆる》させ|玉《たま》へ、|惟神《かむながら》|霊《たま》|幸倍《ちはへ》|坐世《ませ》』
|高姫《たかひめ》『これ、|杢助《もくすけ》さま、|私《わたし》が|斯《こ》んな|苦《にが》い|目《め》をして|苦《くる》しんでゐるのに、|陽気《やうき》な|事《こと》を|云《い》つてゐらつしやるのだな。|女房《にようばう》の|意思《いし》は|夫《をつと》の|意思《いし》、|夫《をつと》の|智性《ちせい》は|女房《にようばう》の|智性《ちせい》、|双方《さうはう》|相和合《あひわがふ》してこそ、|夫婦《ふうふ》の|和合《わがふ》ぢやありませぬか。それ|程《ほど》|私《わたし》が|苦《くる》しんでるのが|面白《おもしろ》いのですか』
|杢助《もくすけ》『ハヽヽヽ|世《よ》の|中《なか》に|何一《なにひと》つ|恐《こは》い|事《こと》のない|此《この》|杢助《もくすけ》も|義理天上《ぎりてんじやう》さまには|恐《おそ》れ|入《い》りますわい。|南無《なむ》お|嬶大明神《かかだいみやうじん》、|許《ゆる》させ|玉《たま》へ、|見直《みなほ》し|玉《たま》へ、アツハヽヽヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|杢助《もくすけ》さま、よい|加減《かげん》にチヨクツて|置《お》きなさい。|千騎一騎《せんきいつき》の|場合《ばあひ》ぢやありませぬか。|貴方《あなた》は|世《よ》の|中《なか》に|怖《こは》いものはないけど、|私《わたし》が|怖《こは》いと|云《い》ひましたね。それ|程《ほど》|怖《こは》い|顔《かほ》なら|何故《なぜ》|女房《にようばう》になさつたのですか』
|杢助《もくすけ》『ハヽヽヽさう|短兵急《たんぺいきふ》に|攻《せ》めかけられては|聊《いささ》か|迷惑《めいわく》だ。|拙者《せつしや》の|怖《こは》いものは|犬《いぬ》|位《くらゐ》なものだよ』
|高姫《たかひめ》『エー、お|前《まへ》さまは|耳《みみ》が|動《うご》くと|思《おも》へばヤツパリ|犬《いぬ》が|怖《こは》いのかな、ハテナー』
|杢助《もくすけ》『アツハヽヽヽ|犬《いぬ》と|云《い》ふのはスパイの|事《こと》だ。も|一《ひと》つ|怖《こは》い|犬《いぬ》はワンワンワンと|囀《さへづ》りまはす【タ】の|字《じ》と【カ】の|字《じ》のつく|犬《いぬ》だ、ハツハヽヽヽヽ』
|高姫《たかひめ》『|私《わたし》を|犬《いぬ》と|云《い》ひましたな』
|杢助《もくすけ》『さうだ。|二《ふた》つ|目《め》には|悋気《りんき》してイヌイヌと|云《い》ふのだから|仕方《しかた》がないわ。イヌの、|走《はし》るの、|暇《ひま》くれのと、|高《たか》ちやんの|常套語《じやうたうご》だからな』
|高姫《たかひめ》『|何《なん》なと|仰有《おつしや》いませ。ヘン、|又《また》|晩《ばん》に|敵討《かたきうち》をして|上《あ》げますわ』
|杢助《もくすけ》『アツハヽヽヽヽ』
|斯《か》く|笑《わら》ふ|所《ところ》へ|慌《あわ》ただしくやつて|来《き》たのは|受付《うけつ》けのイルであつた。
イル『もし、|御両人様《ごりやうにんさま》、|只今《ただいま》イソの|館《やかた》から|初稚姫《はつわかひめ》|様《さま》がスマートとか|云《い》ふ|犬《いぬ》を|連《つ》れてお|立寄《たちよ》りになり「|吾《わが》|父《ちち》の|杢助《もくすけ》がゐるさうだから|一目《ひとめ》|会《あ》はして|呉《く》れえ」と|仰有《おつしや》いますが|如何《いかが》|致《いた》しませうかな』
|杢助《もくすけ》『ヤー、|初稚姫《はつわかひめ》の|奴《やつ》、|親《おや》の|斯《こ》んな|処《ところ》に|居《ゐ》るのを|悟《さと》りよつたのかな。おい、|高姫《たかひめ》、|何《なん》ぼ|俺《おれ》だつて|年《とし》が|寄《よ》つてから|親《おや》だてら|夫婦然《ふうふぜん》として|居《ゐ》るのは|子《こ》に|対《たい》し|恥《はづか》しい|様《やう》だ。|俺《おれ》は|暫《しばら》く|森《もり》へ|姿《すがた》をかくすからお|前《まへ》|行《い》つて、うまく|初稚姫《はつわかひめ》を|帰《い》なしてくれないか。おい、イル、|初稚姫《はつわかひめ》に|杢助《もくすけ》さまはお|留守《るす》だと|云《い》つてくれ』
イル『ハイ、|承知《しようち》|致《いた》しました。|然《しか》し|乍《なが》ら|折角《せつかく》|娘《むすめ》さまがお|訪《たづ》ねなさつたのだから、|会《あ》つてやつて|下《くだ》さつたら|如何《どう》ですかな』
|杢助《もくすけ》『いや、|却《かへ》つて|甘《あま》やかしちや|娘《むすめ》のためにならぬから、|此処《ここ》は|会《あ》ふてやらぬ|方《はう》がよいだらう。それが|親《おや》の|情《なさけ》だ。|高姫《たかひめ》、オイお|前《まへ》も|表《おもて》に|出《で》て|初稚姫《はつわかひめ》に|得心《とくしん》さしてくれ』
|高姫《たかひめ》『はい、|承知《しようち》|致《いた》しました』
と|大《おほ》きな|尻《しり》をプリンプリン|振《ふ》り|乍《なが》らイルを|伴《ともな》ひ、|玄関口《げんくわんぐち》へ|駆《か》け|出《だ》した。|其《その》|間《あひだ》に|杢助《もくすけ》は|化物《ばけもの》の|正体《しやうたい》を|現《あら》はし、スマートが|怖《こは》さに|巨大《きよだい》なる|唐獅子《からしし》となつて|裏《うら》の|森林《しんりん》へ|飛《と》び|出《だ》し、|山越《やまごし》に|何処《どこ》ともなく|姿《すがた》を|隠《かく》しける。|初稚姫《はつわかひめ》が|伴《ともな》ひ|来《きた》れるスマートは、|俄《にはか》に『ウーウー』と|呻《うな》り|出《だ》し、|足掻《あが》きをし|乍《なが》ら|一目散《いちもくさん》に|森林《しんりん》をさして|駆《か》け|入《い》りぬ。|初稚姫《はつわかひめ》は|不審《ふしん》の|眉《まゆ》をひそめてスマートの|行衛《ゆくゑ》は|如何《いかん》と|案《あん》じ|煩《わづら》ふ|折《をり》もあれ、スマートは|前足《まへあし》に|少《すこ》しく|傷《きず》を|受《う》け|乍《なが》ら|足《あし》をチガチガさせ|初稚姫《はつわかひめ》の|前《まへ》に|帰《かへ》り|来《き》たり、「キヤーキヤー」と|二声《ふたこゑ》|三声《みこゑ》|泣《な》き|乍《なが》ら、|一生懸命《いつしやうけんめい》に|足《あし》の|傷《きず》を|舐《なめ》て|居《ゐ》る。|初稚姫《はつわかひめ》は|高姫《たかひめ》のとどむるも|聞《き》かず、|無理《むり》に|奥《おく》へ|進《すす》み|行《い》つた。スマートは|足《あし》をチガチガさせ|乍《なが》ら、|廊下《らうか》を|伝《つた》ふて|初稚姫《はつわかひめ》の|後《あと》に|従《したが》ひ|行《ゆ》く。|高姫《たかひめ》は|吾《わが》|居間《ゐま》に|帰《かへ》つて|見《み》れば|杢助《もくすけ》の|姿《すがた》が|見《み》えないので|声《こゑ》を|限《かぎ》りに『|杢助《もくすけ》サーン|杢助《もくすけ》サーン|初稚姫《はつわかひめ》さまが|見《み》えましたぞや』と|怒鳴《どな》り|立《た》ててゐる。|向《むか》ふの|谷間《たにま》から|木魂《こだま》の|反響《はんきやう》で、|山彦《やまびこ》が『|杢助《もくすけ》サーン|杢助《もくすけ》サーン|初稚姫《はつわかひめ》さまが|見《み》えましたぞや』と|答《こた》へて|居《ゐ》る。
|雪《ゆき》の|混《まじ》つた|初春《はつはる》の|寒《さむ》い|風《かぜ》が|遠慮会釈《ゑんりよゑしやく》もなく|屋外《をくぐわい》を|渡《わた》つて|行《ゆ》く。
(大正一二・一・一九 旧一一・一二・三 北村隆光録)
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霊界物語 第四九巻 真善美愛 子の巻
終り